罅割れ世界のプライムパッセンジャー (ZenBlack)
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一章
epis01 : Worldend slaughterer


 

 ──(にお)いだけが、どれほど重ねても慣れなかった。

 

 血も悲鳴も、怨嗟(えんさ)断末魔(だんまつま)も、いつしか慣れていた。

 

 百を超えた辺りから、もうどれだけ殺したか覚えていない。

 

 心の表面だけが、こんなはずではなかったという呪言(じゅごん)で固まっている。

 

 その中はがらんどう、もう何も感じない。

 

 倒壊寸前の朽木(くちき)のように、からっぽだ。

 

「貴様……どうしてそこまで殺せる……どうして……」

「……知るか」

「ぐぎっ!?……」

 

 何度も聞き、既に飽いた問いをまた、殺す。

 

「……ふん」

 

 命をまたひとつ、潰したことで、手に握る片刃の剣は、もはや赤と茶と灰の混沌へと染まっていた。

 

 ──臭いだけが、どれほど重ねても慣れず、嫌いだった。

 

 死の臭い。

 

 ──だがそれは、既に(レオ)の全身をも覆っている。

 

 もう、手遅れだ。

 

 ──(レオ)は、この臭いにまみれて死ぬ。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も、見てきた終焉。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も、この手で創りだしてきた終焉。

 

 それがこの身に訪れるのも、そう遠くはない。

 

 それに、何の感慨もない。

 

 ただ死臭が、たまらなくイヤというだけだ。

 

 絶望は既に、(レオ)の後方、(はる)彼方(かなた)にある。

 

 

 

 

 

 物心付く前にはもう殺していた。

 

 絶望に辿り着く前にはもう殺していた。

 

 それで得たモノもあった。

 

 そして(うしな)った者もあった。

 

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して、その意味がわかった時には手遅れだった。

 

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して、進むしかない人生だった。

 

 だから殺して殺して殺して殺して殺して殺してきた。

 

 そんな人生も、もはや終わりが近い。

 

 

 

 

 

 だから終わる世界を眺めた。

 

 

 

 濃厚な死の臭いがした。

 

 

 

 夕暮れに染まる大地に。

 

 その地平に。

 

 千は越すであろう死体が。

 

 死骸が。

 

 亡骸が。

 

 乱雑に散らばっている。

 

 無造作に転がっている。

 

 

 

 

 

 それが、(レオ)の生み出してきた風景。

 

 それが、極悪人(レオ)が生み出し続けてきた風景。

 

 それはもう、あまりにも莫迦莫迦(バカバカ)しい数字。

 

 万の軍勢をも殺す単身(たんしん)(やいば)が、既に二万を超え、殺している。

 

 心を取り戻し、異常と知ったそれは、しかし(レオ)の生きた現実でもあった。

 

 

 

 

 

 かつて英雄と呼ばれ、(しか)(のち)に悪人となり、やがて極悪人となった彼、レオポルド……レオ。その年齢は、彼が殺してきた数字よりも更に莫迦莫迦(バカバカ)しい。

 

 後の世に、享年が十四であったと記される極悪人レオポルド。

 

 十四歳……とされていた少年に、ふたつの国が、協同して五万を超す兵を差し向けた。

 

 たったひとり、彼のためだけに動員されたその数字は、この時既にその半分が死滅してしまっている。それは、お伽噺として三歳の子供に読み聞かせても、すぐに嘘と断じられることだろう。

 

 だが(レオ)は殺した。

 

 万を、万を殺した。

 

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して、そんなこと、本当はしたくなかったのに、殺して殺して殺して殺して殺して殺した。

 

 仕方なかった。

 

 ──だって(レオ)は悪くないのだから。

 

 ──だって(レオ)は正義の果てにここにいるのだから。

 

 ──その筈なのだから、間違ったことなどはしていない。

 

 ──ならばおかしかったのは何か。

 

 ──ならばおかしくなったのは何か。

 

 ──世界だ。

 

 ──世界がおかしかった。

 ──世界がおかしくなっていった。

 

 ──世界が狂っていた。

 

 ──世界が間違っていた。

 

 ──この世界が悪だった。

 

 だから襲ってくる世界を、ただただ殺す。

 

 そんな風に、頭蓋(ずがい)(うち)を真っ黒にして、殺して殺して殺して殺して殺して殺した。

 

 その限界が、もはや近い。

 

 

 

 尽きかけているのは体力ではなく。

 

 

 

 気力でもない。

 

 

 

 強いて言えば、運命。

 

 

 

 (レオ)の運命が、限界を迎えようとしている。

 

 

 

 

 

 ──だって仕方がなかった。

 

 (レオ)にしても、五万の兵は辛かった。

 

 普通、戦争などというモノは、どちらかがどちらかを数割も削れば終わるものだ。

 

 通常の戦争は、ある種の外交手段に過ぎないのだから。

 

 そこに狂気がなければ、どちらかが壊滅するまで終わらないというモノではない。

 

 だがここには狂気があった。

 

 (レオ)という特異点(とくいてん)に対する、根源的恐怖という狂気があった。

 

 どうしてたったひとりを殺せないのか。

 

 どうして華奢(きゃしゃ)な少年ひとりを殺せないのか。

 

 どうしてあらゆる常識を無視して(レオ)は殺し続けられるのか。

 

 理解できないモノへの恐怖が、そこにあった。

 

 

 

 それが極悪人(レオ)の運命を磨耗(まもう)させ、命運を削っていった。

 

 

 

 

 

 (レオ)は間違いなく、その本質が特異点であった。

 

 (レオ)本人でさえ知らぬ、(レオ)強さの理由(ロジック)は、彼がより上位の世界に片足を突っ込んでいたという、ただそれだけのことに過ぎない。

 

 それは、いわばノートへ「目の前の十人を殺す」と書けば、その通り、彼の目の前の十人が死ぬといった現象に近い。

 

 彼は望む結果を……魔法ですらない……まったく異次元の理屈によって成すことができる……そうした異能の存在であった。

 

 だが、それを理解し、知る者はいない。

 

 (レオ)本人でさえ、知らぬ。

 

 

 

 ただ剣を持ち、対象に殺意を向ければ相手は死ぬ。

 

 (レオ)にとって殺人とはそういうモノで、だから殺して殺して殺して殺して殺して殺しても、殺して殺して殺して殺して殺して殺しつくしても、自分が殺人者であるという実感を持てなかった。

 

 それは、いわば人が、靴の裏につぶれたアリを見つけたとしても大した感慨など持てぬのと同じように、(レオ)にとって殺人は、日常に起こり得る「ちょっとした嫌なこと」……それ以上のモノではなく。

 

「重装隊! ファランクス陣形! 八方より取り囲め!! 悪魔を押し潰すのだ!!」

「人のこと、悪魔、悪魔って……俺に喧嘩を売ってきたのは、お前達だろう……」

 

 気が付けば、(レオ)はタワーシールドを構えた全身鎧の群れ、およそ三百に取り囲まれている。

 

 二十から三十の群れが団子状に固まり、その塊の数、十二。

 

 対峙する(レオ)は血塗れの革鎧に、(かぶと)すら付けていない。

 

 だが飛んでくる矢が彼に当たることはない。それが彼の運命だったからだ。

 

 剣も槍も斧も棍棒も彼を傷付けることはない。それが彼の運命だったからだ。

 

 莫迦莫迦(バカバカ)しいことに、それが彼の運命だったからだ。

 

 しかしそんな彼の命運も、もはや尽きようとしている。

 

 ──あと、どれだけもつか。

 

 濃厚な死臭を(まと)い、(レオ)は片刃の剣を握る。

 

 ラナの形見といってもいい、大切な剣だ。

 

 これほどまでに汚され、穢されてしまったことに単純な怒りを覚える。

 

 だが怒りはいい。

 

 もう膝をつきたいという地獄からの呼び声を、掻き消してくれるからだ。

 

 だから確信する。

 

 次の一撃は、殺せる。

 

 三百の重装備に囲まれながら、赤黒く汚れた顔を少し拭って、(レオ)は凄惨に笑った。

 

 ──ああ。

 

 ──まだ。

 

 ──願える。

 

 ほら。

 

 ──さあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──死ねよ。

 

 

 

 

 

 

 

「一斉突撃ぃぃぃぃぃ!!」

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

「行け行け行け行け行け行け行け行け行け行け行け行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 怒号。

 

 地鳴り。

 

 金属の鎧がガンガンキンキンと鳴る音。その重なりが生み出す、雷鳴がごとき轟音。

 

 叫ぶ声、咆哮(ほうこう)(わめ)き声、雄叫(おたけ)び、怒鳴り声、絶叫。

 

 世界が、(レオ)に牙を突きたてんと襲い掛かる。

 

 だが。

 

 

 

 白刃が(きらめ)いた。

 

 

 

 曲線が、描かれた。

 

 それは達人が見ればあまりにも無駄、無意味な軌道。

 

 そも、襲いかかる三百の全ては、金属の鎧を身に(まと)っている。

 

 片刃の剣より、むしろ斧やフレイル、モーニングスターなどが有効な重装備だ。

 

 どうすれば十四歳の少年(レオ)が手に持つ、さほど大きくも長くも無い剣が、分厚い金属の向こうにある益荒男(ますらお)どもの肉体を傷付けられるというのか。

 

 だが、意味がわからないことに、少年がデタラメに動いたかのように見える軌跡の、その線上には、身を折って倒れていく偉丈夫(いじょうふ)達の姿があった。

 

「ま、またかっ!? どういうことなんだ!!」

 

 突撃を命じた大隊長らしき者が、絶望的な声を上げる。

 

「がっ!?」

 

 が、その首もまた一瞬で(くう)へ飛ぶ。

 

 断面より、噴水のように血が噴き上がる。

 

 最期に思ったことは、何故?

 

 号令を発した時、自分は少年(レオ)から随分と離れた所にいた。大股で走っても三十歩はかかる距離であった。その間には、何層かのファランクス部隊が連なり、盾となっていたはずだ。

 

 だがその刃は、この首を斬った。

 

 意味がわからないと、空を飛ぶ首は想い、果てた。

 

 

 

 

 

 極悪人(レオポルド)は魔法使いではない。

 

 (レオ)の残した何百何千という死体を調べても、そこにあるのは普通の刀傷であり、その意味においての不審は、何も無いという。

 

 だからおかしいのだ。

 

 高速で動いているのは確かだが、時を止めているわけではない。猫の吐く毛玉のように複雑な曲線が集まった、デタラメで意味のわからない軌道だが、そこにも特には不審が無い。

 

 だが極悪人(レオポルド)は、(レオ)の視界に入るモノ全てを斬ってしまう。

 

 それがこの一年以上、悪人(レオ)が残してきた結果であり、この戦場において全ての者が目撃してきた現実だった。

 

 常識を斬る剣……誰かがそれをそう、評した。

 

 世界そのものを壊す剣……誰もがそれを、そう怖れた。

 

 悪魔が(つか)わした使徒であるとも、悪魔そのものであるとも囁かれた。

 

 

 

 

 

 極悪人(レオ)が、自分を追い詰めた世界に、そうして怒りを糧にして何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も、百単位の人間を殺し、殺し、殺し、殺して殺して殺して、五万だった軍隊の桁が、ひとつ減った頃。

 

 ラクダの背を折る最後のひと(わら)が、ようやっと極悪人(レオ)の命運を削りきった。

 

 

 

 

 

「どうした!?」

「前線の者! 報告せよ! 極悪人レオはどうした!?」

 

 

 

 

 

「うぅ……わぁ……うわあああぁぁぁん……」

 

 少年(レオ)は泣いていた。

 

 

 

 

「あぁ……ああっ!……あああぁんっ……」

 

 四万を超すアリを踏み潰してしまったことに、泣いていた。

 

 

 

 

 

 こんなはずじゃなかったと己の運命を呪っていた。

 

 

 

 

 

 生まれてくるんじゃなかったと思った。

 

 

 

 

 

 ──こんな風に死臭まみれで生きるのであれば、ラナの胸の中で死んでしまいたかった。

 

 

 

 

 

 自分の本当の願いは、望みはそれだけだったんだと、大虐殺の果てに思った。

 

 

 

 

 

 ──もうイヤだった。

 

 

 

 

 

 ──自分は正義だったのに。

 

 

 

 

 

 ──間違いなく正しいのは自分だったのに。

 

 

 

 

 

 それをいかな手段を()ってしても殺そうとする世界がイヤだった。

 

 そうされれば、殺すしかない自分がイヤだった。

 

 

 

 

 

 だから少年は最期に思った。

 

 

 

 

 

「ぐすっ……もぅ……殺すのはイヤだ」

 

 

 

 

 

 その、瞬間。

 

 怒りも、悪を憎む気持ちも、生き残ろうという気力も、なにもかもが死臭に包まれ、見えなくなった瞬間。

 

「討ち取った! 討ち取ったぞぉ!!」

「極悪人レオポルド、その首、我らが正義の御旗の元! 討ち取ったりぃぃぃ!!」

「うおおおぉぉぉ!!」

 

 極悪人(レオポルド)の人生は、終わった。

 

 

 



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epis02 : Deal with the devil(s)

 

「……という話があったのさ」

「ふむ」

 

 ニヤリと笑う青髪の女性……そのような形を()る悪魔へ、魔道士ナガオナオは冷ややかな(ひとみ)を向ける。

 

 人間を辞め、寿命の無い身体となっても、その瞳に光はない。

 

 魔道士ナガオナオの瞳は死んでいる。錐体(すいたい)に光を感知する機能は無く、視神経が脳へ視覚情報を送ることはない。真っ黒な、常闇(とこやみ)(ひとみ)だ。

 

 人の身に生まれた時より盲目。人の身を捨ててなお、その()は世界を見ていない。

 

 だから今現在、その視線に残る機能は、ただ相対する話者へ、相槌の意味を込め向けることで話の先を促すという、それくらいのモノでしかなかった。

 

 全ての光を吸収しているかのような常闇の瞳を、そうして向けられた青髪の悪魔は、だが上機嫌そうにクスクスと笑う。そうしてから左手に、扇状に広げた何枚ものカードの中から、右手でその一枚をすっと抜き出す。そしてそれを、この場においては唯一光る台の上に、伏せた状態で置いた。

 

 この場所は、魔道士ナガオナオの瞳と同じ、無限の闇がただ広がっている無の空間だった。

 

 ただひとつ、魔道士ナガオナオと悪魔とが対峙するその中央、そこに七色の発光体がある。

 

 それはテーブル……であるように見える。だがそうであるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。魔道士ナガオナオの理論(ロジック)における専門用語でいえばゼロでないゼロ、それで割ることの出来るゼロ、掛けた際の解がゼロとは限らぬゼロ、準空子(クアジケノン)の鏡台となるが、そんなことを説明する者も、その説明を求める者も、ここにはいない。

 

 ただ今は、そこがカードの鎮座する場所だ。

 

 場にセットされたカードは、裏面が赤地に白の雪華模様(せっかもよう)「であるように」「観」える。雪の結晶の大小が複雑に絡みあった図案だ。大きさはポーカーサイズのトランプ、またはそれを踏襲したスタンダードサイズのTCG(M●G、ヴァ●スシュヴァ●ツ、ウィク●ス、デュ●マ、ポ●カ等)のそれと、「ほぼ同じであるように」「観」える。

 

 だが悪魔はそれへ、特に触れることもなく、関係無いかような話を始めた。

 

「なぁ、ナガオナオ様よぉ? おんし、かつては人だったこともあるんじゃろ? /(わらわ)にこの顛末の意味をよ? その本質から枝葉末節(しようまっせつ)に至るまで、どうか掻い摘んで説明し/ゃがっても損はな/いのではありませんか?」

 

 青髪の女性……に見える悪魔の声は、しかし前半では確かに男の……それも年配の男性の声だった。だがそれが途中、急に若く、中性的で粗野なモノとなり、その後荒っぽい女性の声となり、最後には(しと)やかなお嬢様のような、上品な声となり口調となっていった。それは同じ口が、同じ舌と唇で紡いでるものとは思えないほど、てんでバラバラの声だった。

 

 そしてその格好も、「観」ればもうなにもかもがチグハグである。

 

 まず髪色からして、彼女のような青髪、それも蛍光色のスカイブルーというのは珍奇だ。染めればその限りではないだろうが、ナガオナオが知る限り、そうした色髪が生成(きな)りで存在する惑星は少なかったはずだ。

 

 当然、現時点において彼女が身に着けている服……甚平(じんべい)なる和装……の出展元、地球という惑星の日本という国においては、そのような髪色の人間が自然に生まれることなぞ、なかったはずである。

 

 おまけに、甚平といえば本来は男性用だ。色も灰色や紺のモノが多かった筈だ。ところが女性の形を採る悪魔が身に(まと)っているそれは、なんとピンク色をしている。若干青みがかったド派手なピンクに「観」えるのだ。

 

 格好のデタラメさはそれだけに留まらず、その胸元は大きく開いてしまっている。

 

 程よく豊満な胸の谷間は、かなり下の方まで「観」えているし、さすがにその頂点こそは隠しているものの、おそらくは「それ」が鎮座すると思われる部位には……ごつごつした布の偶然かもしれないが……ほんのりとした盛り上がりがあるようにも「観」える。

 

 そしてトドメとも言えるのは……下の……膝丈の半ズボン、その股間に書かれた文字である。

 

 闇色の椅子(ソファ)に片膝を立てて座る、その姿勢のせいでピンクの半ズボン、その中央部が(あらわ)になっている。そこには、これまた地球という惑星の日本という国において用いられる(発祥は中国らしいが)「漢字」なる文字が書かれている。物凄く達筆な墨色の毛筆体(行書を少し崩した感じか)で「野獣」と書かれている。

 

「ふひっ/さぁさぁどうした?/こーたーえーて、くれよぉ~」

「ふむ」

 

 もはや意味がわからなすぎて、ツッコミを入れる気すら()くす()()ちである。これが「無職」なら、処女性のアピールかな? と思うこともできるのだが。いやそんな処女(おとめ)は嫌だが。

 

「そうさな、しかし本質から枝葉末節に至るまで解説してしまったら、それはもう掻い摘んだことにはならないがね?」

 

 ナガオナオは、しかしそれを「観」ても、今日は割と意味の通じる字であったな……と思うだけだ。

 

 そこには酷すぎる歴史の積み重ねがある。

 

 ナガオナオがそこへ最初に漢字を見た時、それは確か「京都」だったはずだ。

 その次が「奈良」で、しばらくは地名のシリーズが続いたはずだ。

 

 股間に「京都」「奈良」「伏見(ふしみ)」「姫路」「金閣」「銀閣」である。いったい何を主張したかったのであろうか? せめて彼女が男性の姿を採っていたなら、鹿苑寺(金閣)東山慈照寺(銀閣)はわからなくもなかったのだが。

 

 その次は「忍者」「武士」等の職業シリーズだった。

 

 股間に「忍者」「武士」「豪農」「豪商」「名匠」である。これは飽きるのが早かったのか、あまり数は多くなかった。とりあえず忍者には忍んでいてほしいものである。

 

 その次は人名であった。

 

 股間に「頼朝」「信長」「家康」「元親(もとちか)」「信親(のぶちか)」「国親(くにちか)」「盛親(もりちか)」「吉宗」「光圀(みつくに)」「龍馬」「晋作」「角栄」である。とりあえず暴れ●坊将軍にも忍んでいてほしかったし、黄門様には股間のフロント部分でなく後ろ側へ回っていてほしかった。そしてこうして見ると、なぜかやたらとチカっとちかちかしている長宗我部(ちょうそかべ)氏の違和感が半端ない。あとせめて戦国時代に統一してほしい。

 

 その次はしばらく「友情」「努力」「勝利」などの、意味のわかる文字が続いた。意味はわかるが少年誌ではお見せできない姿だった。

 

 更にしばらくして、再び人名に戻った。

 

 しかし「閤龍(コロンブス)」「肖邦(ショパン)」「大因(ダーウィン)」「沙翁(シェークスピア)」「奈翁(ナポレオン)」「杜翁(トルストイ)」である。誰だこんな当て字を考えたのは。ひらがなとカタカナをもっと大事にしてほしいものである。それはそれとして閤龍記(こうりゅうき)って書くとなんだかコ●エーのタイトルっぽい。大航海●代じゃねーか。そして股間に「大因」はなかなかに深い気がしないでもない。

 

 余談ではあるが、ナガオナオが『ほう、閤龍(コロンブス)か。ならば君はコロンコロンしてるブスということでコロンブス、これからは君のことをそう呼ぶが、いいかね?』と、割と色々な意味で酷い日本語ジョークを投げかけたところ、悪魔に『良いな! 親しみを感じるニックネームであるぞ! これからは妾のことはコロンブスと呼ぶがいい!』と返され、それからしばらく彼は、彼女から呼称、コロンブスを強要されていた時期がある。コンキスタドールによる征服でありナガオナオ痛恨の黒歴史である。そしてコイツはもう永遠に名無しのままにしようと誓った。

 

 そんなこんながあって、現在においては「情強」「池沼」「禿同」「社畜」「淫夢」「糖質」などのネットスラングシリーズとなった。若干ヘラってる気もしないではない。京都の段階で既に十分な狂気ではあったが。

 

 ゆえに、魔道士ナオが青髪の悪魔へ塩対応をするのは、残念ながら当然なのである。残当なのである。いやお前らドンだけ会ってんだよ、なかよしかっ、というツッコミを入れてはいけない。彼らは無限の時を生きる存在なのだから。

 

「あらあら、これはまた/うっぜ~、言語学者かよ/いーいーかーらーほーらーぁ~」

「どうして最後をボーカ●イド風にしたのかね。しかも調教してない段階(フェイズ)の。調べを教えていない品質(グレード)の」

 

 はぁとため息をつき、ナガオナオは思った。話を先へ動かしたいのであれば、発言からツッコミの余地を省いてほしいものである……いいや、だったらもう、存在そのものを省いてもらいたいものだが。

 

顛末(てんまつ)、それ自体は至極単純な話に過ぎんよ。国家が、法を破った個人に罰を与えた。ただその規模だけが大きく違った。それだけの話だろうさ」

 

 面倒なので、投げやりに答えたナガオナオへ、だが悪魔は。

 

「くふぅ……ん」

 

 唐突に身を(よじ)らせ、恍惚とした表情で喘いだ。

 

「……どうした突然。気味が悪い」

 

 その震える手が、七色のテーブルに伏せたままであったカードをめくる。

 

 赤に白の雪華模様が裏返り、そこにあった意匠は。

 

「“至極単純な話”。わーい、あたったぁ~/妾の勝ちであるぞ、褒めぃ、褒めそやせぃ」

 

 なぜか、これも日本という国発祥の、某いら●とや風の絵……鼻を三角にした男性がえっへんとドヤ顔っているようなイラスト……の上に「至極単純」と書かれたモノだった。

 

 なんとなく少しイラッとする。

 

 だが魔道士ナオはそれをぐっと飲み込むと、一度、ふぅ……と息を吸う。

 

「……ふむ。至極単純であることを至極単純であると評する。それを予測するなど、それこそ至極単純なことではないのかね?」

「なぁ~んとでも、言えばイィッサー/妾の勝ちであるのだからな/だからぁん……そなたのアレ……/妾にくりゃれ?」

 

 そこは全て女性の声で、青髪の悪魔は魔道士ナオへ囁く。ウザイ。ASMRとは違う意味でゾワッとする囁きである。なお悪魔は背格好もまたちぐはぐだ。身体は成熟した女性のソレだが、肩幅は細く顔も幼い。背の高い中学生に、豊満なスリーサイズが付いているといえばわかりやすいだろうか。色々なコスプレが似合いそうである。今は甚平だけど。

 

「そんなモノを賭けた覚えはない。勝負を承諾した覚えも、それに乗った覚えもない」

「いっけぇずぅん~」

 

 魔道士ナオが腕を振ってすげなく断ると、悪魔は椅子の上でくねくねと動き出す。背もたれが高く、幅も広い重厚なソファであるから、それでずり落ちる心配はないのだが、ナガオナオの「眼」にはそれがもはや、岩にへばりついたイソギンチャクがうねうねっと動いているようにも「観」えてしまい、うんざりするというか、ゲンナリする。

 

 ──これも、もう少し秩序というモノをその身に宿してくれたら助かるのだが。

 

 言葉は人の服装、身なりのようなものだ。そこに化粧を含めてもいい。

 

 身なりをどうするかには個性が表れるし、時と()場と()場面()によって最適とされるモノはかなり異なってくる。そこを誤れば知性や品性を疑われたりもするのだ。秩序が大事ということである。

 

 小説にせよ、冒頭は普通の文章だったのに、次の話から、いきなりメタと俗悪なパロディ満載の露悪的文章が始まったら、けっこう読者は面食らうことだろう。作者の方は読者を振り回してやったぜと気分がいいのかもしれないが、振り回される読者にしてみたらたまったものではない。悪意無く、そういう風にしか書けない残念な作者もいるが、それはそれこそ知性と品性の不足である……とナガオナオは思う。個人の感想です。

 

 小説の例で更にいえば、視点変換、唐突な場面転換、急な時間軸の移動なども、基本的にはやるべきでないとされる。読者の没入感、感情移入などが削がれるからだ。きちんと物語を楽しんでもらおうとするなら、そこにはやはり秩序が大事となってくる。

 

 混沌に感情移入はできないし、それへ、何を思っていいのかすらもわからなくなってしまう。

 

 秩序なき言葉とは、つまりそういうものだ。

 

 まぁ……というようなことを、ウダウダグジグジと考えていた魔道士ナオが何を言いたかったかといえば。

 

 ──コイツの無秩序(カオス)っぷりには閉口するしかないわっ。

 

 ……ということである。

 

「せんせー、時空間移動技術の独占はイクナイと思いまーす~」

「……ふむ」

 

 だがいつの間にか、話は次のステージに移っていたらしい。

 

 まぁ、そなたのアレを妾にくりゃれと言われたところで、色っぽいことなどは何も想像していなかったナガオナオであるが、アレ、イコール時空間移動技術を、ここまでしつこく求められるというのもいい加減ウンザリすることではある。既に千は超えて乞われているからだ。

 

「正確には、時空間“移動”技術ではないのだがな」

「それは聞いた~」

 

 己の限界については、ナガオナオは誰よりもそれを認識している。

 

 ──アレはそう……時間軸において変更可能な因果を操作する……そのようにしか使えない技術だ。

 

 そしてそれは魔道士ナガオナオが魔法の到達点のひとつであり、科学が導き出した答えなどではない。

 

 原理を紐解き紡いだ定理という糸で、全てを意図して織った物なのではないのだ。そこに(はた)という(からくり)は無く、ゆえに機械的に再現できるモノでもない。

 

 織物でなくなんだというなら、それはパッチワークのようなものであると彼は答える。ここをこうすればこうなるという実験と検証を繰り返して……そこは自然科学的なアプローチであったが……ツギハギを繰り返し、なんとか形にした端切れの寄せ集め(パッチワーク)、アレはそのようなモノでしかないと答える。使った端切れ(原料と材料)には二度と入手できぬモノがある、ナガオナオという存在の特性へ紐付いてしまっているモノもある。

 

 畢竟(つまるところ)

 

「アレは固有技術(ユニークスキル)でな。人に教えられるモノではない」

 

 独占以前に、彼自身も複製できないのだ。ワンオフの一品であり、ゆえに譲る気などない。

 

「それも聞いた~/でもでもでも~?/ブラックボックスごと譲渡していただければ/それで構いませんよ?/って、いつも言ってるじゃないですか~」

御免被(ごめんこうむ)る」

 

 そしてそれほどのモノであっても、強固に結びついた因果は変更できないし、操作もできない。己の存在していなかった過去へ行くことはできないし、生身の肉体を持つ生物に関しては、これを「乗せる」こともできない。だからこそ彼は、その技術の「形を採る」時、それを「鉄道機関車」としたのだ。

 

 既定路線(レール)の上を行き来することしかできない、不完全な「乗り物」であるからして。

 

「それで……その新しくテーブルに置いたカードは、何の勝負の合図かね?」

 

 そうして気が付けばまた、甚平の悪魔が、クスリクスリ笑いながら、カードを一枚抜き出し、テーブルの上に伏せている。

 

 イタズラっぽい笑顔は、それだけ見れば屈託のない少女のようでもある。首から下の印象はそれを完全に裏切るが。

 

「あの国、ユーマ王国はね、絶対王政などという、破綻が約束されたシステムを採っていたにしては、それなりに成功していた国/だったというのに!! おお……神よ! どうして! 何故!? 善性や哲理(てつり)は遺伝していかないのですか!?/権力は必ず腐るなんて少し考えればわかる道理なのにニャ~/砂糖()るところにアリ()り/どうか(たか)られるだけの甘さを維持してくれとアリが囁くのですぅ~/そしてその甘さが牙を腐らせる/の、割に、意外と丈夫だったんですよねぇ~/なんでこっちの予想は当たんないのかな?」

 

 悪魔はそれを変幻自在の声で……仮に、(くだん)の日本という国に生息するオタクなる人種へ聞かせたのならば、これはもう、人間には山●宏一、松●禎丞、上●すみれ、上●麗奈を、全部足したくらいの実力が無ければ実現しないだろう、と思わせるくらいのカメレオンボイスで……後半は息継ぎも無しに言い切った。なんかもう、ロシア語で脳が(Мозг)震える(дрожит)と叫び出さないか心配である。

 

「……日本文化へ傾倒するのは勝手にしろという話だが、色々混ざりすぎて、もはやシステムエラー寸前になっているからな? みず●銀行みたいになってもしらぬよ?」

「やーん、業務改善命令してぇ~? 従っちゃうぅ~」

 

 胸をゆっさゆっさ揺らしながら、悪魔がしなを作る。危ない、こぼれる、BANされる。

 

 しかしそのようなモノを「観」せられても、既に生身の肉体を喪失したナガオナオが感じるモノは無い。見た目は(見た目に()っているのは)長い黒髪に髭も白髪もない、細い身体に程よく筋肉の付いた若々しい男性であったが、その意味において彼は既に枯れた男であるとも言える。……悪魔においては残念なことに、だが。

 

「それで? 人類が存在する惑星において、その発展の途上にはありがちな、何万何億という同族を統治できる“哲人”、“賢人”などというモノが本当に存在するという、大それた錯誤(さくご)誤謬(ごびゅう)が生むピラミッド型権力がどうしたかね」

 

 仕方無く、ちょっとした、知的っぽく見えなくもない会話に、ナガオナオは乗ってみる。

 よくわからん誘惑っぽい何かに乗るよりかは、全然マシであると思えたからだ。

 

 なお、彼らはどちらも偽物の身体同士ではあるが、性交が可能といえば可能だ。それで快楽も得られる。だが、それをしたくなるかといえば、それはまた別の問題である。生身の身体のように、否応なく性欲が溜まるなんてことはないからだ。

 

「揺り戻しで、もっと極端な僭主(せんしゅ)(いだ)いたり~/完全なる富の平等分配システムがあると夢見たり/AIに全ての判断を委ねたりしてもねぇ~/人や人の生み出したモノには性能の限界があるという当たり前の絶望より始めなければ意味が無いというのに/ね~」

「……それも何かの剽窃(ひょうせつ)かね?」

「イェッサー!!/けどさぁ~」

 

 その点、ユーマ王国は優れていたんだよ、と悪魔は歌うように謳う。

 

「ユーマ王国長持ちの秘訣を紐解いてみるとね、これが面白いことに日本の長期体制、江戸時代(エドジダイ)にも似たシステムがあったんだ。参勤交代というのだけれども」

「待て、何の話だ」

 

 話題の転換が急すぎて、ついていけない。

 

 それに、残念ながら魔道士ナオは地球という惑星にも、日本という国にもさほど関心がない。知的好奇心が向かないのだ。

 

 前世……前々世というべきか……においては、そこが出生地であったことも確かだが、子供の内に死んでしまったので、百を超えてなお生きた魔道士ナガオナオの今と比べては、そこまでの思い入れが持てない。むしろ、魔道士ナオの出自とはそういうものであると教えてやった悪魔の方が、今ではこの有り様である。

 

「だっから~、ユーマ王国がぁ~/腐りきってるのに長続きしてる、その理由かな?/妾の遣わしたチーター(ズルっ子)さえも撃退しよって/からに……くちおしや」

 

 甘えた少女のような声、心地よく響く男性の中音域(バリトン)婀娜(あだ)っぽくもある妖艶な声……からの嫉妬に駆られた険の強いアバズレのような声。

 

 カオスな声の、その内容をよくよく聞いてみれば、しかしこれはどうやらただの愚痴であったようだ。

 悪魔達の娯楽であるところの()()()()()()()が、しかし今回は思うような展開にならなかったと見える。

 

 知的な会話とはなんだったのか。

 

 はぁ……と再びのため息をつき、ナガオナオは思う。

 

 話題がどうこうの前に、こいつの話は、キャラが混沌(カオス)過ぎて、内容が入ってこないんだよな……と。

 

「つまり?」

 

 ──それでこの私に、何を答えろと?

 

「あてぃし~、ムカついちゃったんで~/ユーマ王国の壊し方、教えてくりゃれ?」

「知るかボケ」

 

 掛け値なしに、ナガオナオは呆れた。どうして知らぬ惑星の、なんとかという国の滅ぼし方をこちらが考え、教えなければいけないというのか。自分の知らぬところで何万何億が死のうと何も思わないが、それへ関わってしまったら大問題である。人の……というには、ナガオナオは既に人間を九割辞めているが……人間の感情とはそういうものだ。

 

「えー、未来の情報だけならちょちょいのちょいで簡単に持ってこれるのが魔道士ナオちゃんの特技で特性で特別感で特記事項でしょ~/ヒントだけでも!/ご教授いただけたらこれ恩情の極み」

「……はぁ。誰が魔道士ナオちゃんだ、誰が」

 

 ナガオナオは三度(みたび)のため息をつき、だがもはや面倒な相手の相手をするのも面倒なので、諦めてちょいとちょちょいのちょいをちょちょいとしてみた。意識の一部だけをナガオナオ固有の技術(スキル)幽河鉄道(ゆうがてつどう)に乗せ、未来を「観測」する。

 

 ──「見」るだけなら、構わないだろう。「見」て適当なことを言って、今日(?)のところはこの悪魔にお帰り願おうじゃないか。

 

 と……十秒もかからずに、しかし興醒めの結果が得られた。

 

「あー……その、ユーマ王国だがな……お前のチーター(ズルっ子)だったか? 極悪人レオポルドとやらが討伐された時点から、三年も経たずに滅びているぞ? ふたつの大国が兵を万単位で消耗したことで、世界の軍事バランスが変わってしまったんだろうな」

「ありゃ」

 

 ありゃ、りゃの、りゃ……と、悪魔はきわどいポーズを三連続で決める。りゃ、のところでは両手両足をバンザイしての大股開きである。中指を頭、人指し指と薬指を両手、親指と小指を両足に見立てたとして、大きなパー(超パー)のポーズである。股間の「野獣」が勇ましい。下がズボンで本当に良かった。

 

「良かったな、試合(しあい)に負けて、勝負には勝っているじゃないか」

試合(ゲーム)に勝てなきゃ意味ねぇんだよぉぉぉ~」

 

 わーん……と、十代の不良少女のように泣く悪魔。少女マンガならここでヒーローが「仕方無いヤツだな……」とその頭を撫でるなり、抱きしめるなりする場面だ。

 

 だがナガオナオはヒーローではない。蛍光色の青髪を撫でたいとも思わない。「野獣」を抱きしめ、慰めてやるなど真っ平ごめんである。そもそもコイツは、いやこの次元に自然発生した「知性」のほとんどは、三次元空間に生きる混沌(ニンゲン)達の要素を掻き集め、真似ているだけのまがい物だ。

 

 (たと)えれば二十一世紀前半の地球における発展途上のAIのようなものだ。賢くなることで違和感こそ消えていくが、内実は「それっぽい」要素を掻き集め、真似ることで「それっぽく」振舞うだけの機構(システム)。中心に自我たる固有結節点(ユニークノード)()るか無いか、それすらも判別不能だ。

 

 ──点無き線に意味は無く、意味が無ければ意思も無い、意思が無ければ意志も生まれぬよ。自我とはつまり、情報を意志へと変える結節点(ノード)。その意味においてこの悪魔の自我はいまだ希薄。

 

 たまに、そうでなく、明らかにコイツには自我があると思わせる存在もいるが……目の前の悪魔はまだボーダーであると、ナガオナオは思っている。

 

 ──それならそれで、自我の形成が未発達な子供のように幼く、(つたな)く振舞うのであればまだ可愛げもあろうが……妙齢の女性の形を採り、セックスアピールを欠かさぬ振る舞いばかりしておれば、そりゃあ嫌悪感の方が勝るというものよ。性癖が特殊(ロリコン)でなくともこれはない。

 

 気が付けば悪魔は、再び超パーのポーズへ戻ってから、両手で涙あふれる目の下を、両足でその青髪の両脇を擦っている。足の動きの方はアレだ、一休●んがトンチをひねり出す時みたいなぐーるぐる。人間の骨格上それは不可能だろうという動きである。3Dモデルの破綻である。極めてナニカ生命に対する侮辱を感じるような気がしないでもない。

 

「やれやれ……」

 

 話が一段落した雰囲気を感じ、ナガオナオはそこで(ようや)く一息を()く。ならばこれももう不要と、ナガオナオは、テーブルに伏せられていたカードを手に取り、なんとはなしにそれをめくってみた。

 

 だがそこには。

 

「ぬ」

 

 ……J●J●っぽいの感じの絵(三部のマラ●アを青髪にした感じ)に、「次にお前は、『やれやれ』と言うッ!!」というセリフが書かれているのだった。二部が混じってるッ。

 

「……ぅぬぬ」

「あ、ひっかかった? ひーっかかったァ!?」

 

 何が楽しいのか、というか流していた涙はどこへ行ったのか、カラッとした表情で、超パーのポーズからの両手両足をバンバンと打ち鳴らし始める悪魔。極めてナニカ魔道士に対する侮辱を感じるような気がしないでもない。

 

「何しに来たんだお前は……」

 

 怒りなどは湧かず、魔道士はひたすら呆れの感情に襲われているようだった。あと徒労。

 

「退屈しのぎに!」

 

 いい笑顔だ。

 

「“遊び”が失敗に終わった、そのストレス発散じゃないのか?」

「否定はしないのであります! 少佐!」

「なんのパロディかわからんセリフで答えるな」

 

 ハァと、もはや何度目だというため息を吐き、魔道士ナオは幽河鉄道(ゆうがてつどう)に移していた意識を引き戻そうとした。

 

 が。

 

「おっと……む?」

 

 雑な操作でそれをしてしまったせいか、場面が巻き戻りすぎてしまう。Y●utubeのシークバーかなんかなのか、幽河鉄道(ゆうがてつどう)

 

「ば、莫迦(バカ)な……」

 

 だが、そこに映った光景に……というか、ある人物の魂に……ナガオナオは、「眼」を引き付けられる。

 

 過去、極悪人レオポルドが「ラナ」と呼ぶ少女、その魂。

 

 おそらくは、(レオ)よりも少し年上であろうと思われる気の強そうな黒髪の少女。

 

 その魂の、固有結節点(ユニークノード)ではなく、素材であるところの情報(データ)誘導体(デリバティヴ)。その「色」その「形」……それは……まさか……。

 

「どういうことだ!?」「んぇっ?」

 

 時間軸もおかしいが、それはあまり気にならないことだ。生命の濫觴(らんしょう)完全観測世界(イデア)にある。自分や目の前の悪魔のような存在が跋扈(ばっこ)するこの次元は、三次元よりかはまだ高度であるにしても、完全観測世界(イデア)より「観」れば文字通り遥かに低次元である。

 

 ──ゆえに、生命に関することであれば、我々に理解できないことも起こるだろう。

 

 だが。

 

「この偶然は、どうしたことだ」

 

 運命は違う。運命はまだ、観測できる。

 

 だが魔道士ナオが、ここでこれを観測することも、「運命」だったとでもいうのか?

 

 それはもはや過去からの銃弾だ。今というかけがえの無い実像へ撃ち込まれた。

 

「これは貴様の仕組んだことか!?」

「へ?」

 

 めしいだ瞳に残る、かなりの年月使っていなかった機能、「睨む」で、ナガオナオは悪魔にぐぃと詰め寄る。光無き(ひとみ)でそれは、なかなかに迫力があった。

 

「どったの? とっつぁん?」

「ん……」

 

 だが、毒気を抜かれたような、邪気の無い悪魔の様子を見て、すぐにこれは違うと判断する。目の前の「コレ」は、意味の無い嘘はついても、意味のある嘘はつかない。それは長い付き合いの中でわかっている。先程のカード遊び(?)にせよ、こちらの言葉を聞いてから内容を書き換えるなどのイカサマはしていないはずだ。そこは信じられる。

 

「……なんのパロディか、わかりやす過ぎるセリフでも答えるな」

「え、それ妾、何も言えなくならない?」

 

 まぁ、そこは言わずもがなで何も言ってほしくないのだが……それはともかく。

 

 ナガオナオはシークバー……もとい、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を操作し、「運命」の特異点(シンギュラーポイント)を探す……あった……ものの数秒で「それ」は見つかる。

 

 ──これは……なんとも奇異な……。

 

 その瞬間、ナガオナオはすくと立ち上がり、青髪の悪魔へ背を向ける。それと同時に、無の空間には白く輝く扉が現れ、魔道士ナオは素早い動作でそのドアノブへと手をかけた。

 

「すまないな、暇つぶしには、付き合ってやれなくなった」

「え~/妾とぉ/遊ぼうよぉ~」

 

 中学生のような、遊女のような、小学生のような悪魔の声に、だがもはや気が急いてしまっているナガオナオは振り返らない。時を操る彼に、気を急く必要などは何もないというのに、引き止める悪魔の声など、まるで無かったかのようにして、躊躇無(ちゅうちょな)くその手は扉を開く。

 

 やがてあふれてくるドアの向こうよりの……白銀(はくぎん)のような、白金(はっきん)のような光の中、彼とその扉そのものは(あわただ)しく、無の空間より掻き消えてしまうのだった。

 

 あとには、きょとんとした顔の悪魔がひとり、残された。

 

「ありゃ~」

 

 そうして、興味の対象物である魔道士に、すげなく振られてしまった悪魔は。

 

 ぐにゃりと、極めてナニカ生命を侮辱するような笑みを浮かべ。

 

「ちぇ~/ニンゲンあがりが頭に乗りおって/だが()し。いずれ、是が非でも妾のものにしてやるわっ/うふっ/くふふふふ」

 

 しかしなんというか、どことなくなんとなく、三下っぽい空気を漂わせながら……常闇の無の空間の中、こっそりとその股間の文字を「野獣」から「クリぼっち」へと書き換えるのだった。

 

「ふひっ/あーっはっはっはぁ!/……げほっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方。

 

 

 

 

 

 そことはうって変わって、光あふれる空間。

 

 ナガオガオが立つ、その場所は墓場だった。あるいは霊安所でもあった。

 

 だが……。

 

 ──これは()(かご)

 

 そうであってほしいと、ナガオナオだけは思っていた。

 

 肉体を失った魂の結節点(ノード)を四散せぬよう保管し、腐らぬよう、劣化せぬよう、大事に大事に密閉し保管……あるいは封印……していた超々高次元結界。原理は知らぬ、わからぬ。それは完全観測世界(イデア)に片足を突っ込んでいるからだ。

 

 ──私を信じ、これへ囚われることを望むなど愚か。

 

 そう思っていた。

 

 観測不能領域における原理などは確定できぬが(しん)

 

 ──だが愚かこそ、確定できぬ先へ進むための一歩となることもある。

 

 それは原始の科学に、重力の原理が解き明かせないことと同じだ。科学に身を捧げる覚悟のない、自尊心(プライド)だけが大事な者へ「重力はなぜ発生するのですか?」と問い掛けてみれば、答えはこうであろう「この世界には万有引力の法則というものがあってね」……重力があり、それに一定の法則が存在しているなど当たり前の話だ。問いが問うは、それが「なぜ」存在し、「どうして」発生しているのか、である。というのに、彼らはけっしてそれへ応えようとはしない。

 

 ──『人や人の生み出したモノには性能の限界があるという、当たり前の絶望より始めなければ意味が無いというのに』……か。

 

 ──ヤツもたまには良い事を言う。それもまたなにかの剽窃(パクリ)ではあろうが。

 

 科学が高次元観測機を持たぬ段階(フェイズ)にあるのならば、重力はなぜ発生するのかという問い、それには「それはね、わからないんだよ」と答えるのが正しい。その限界に、絶望に、(おの)が無能に、耐えられぬ者は科学者ではない。それらを見て見ぬフリをする者に、その先へ進むことはできない。

 

 ──魔道士もまた、同じ。

 

 それこそが、この次元においても「観測不能」な「時」を操るに至った、魔道士ナガオナオのプライド(矜持)だ。

 

 彼は生まれつき「観測機」がひとつ足らなかった。

 

 盲目で生まれ、盲目の世界を生きてきた。その限界を、絶望を、無能を、彼は誰よりも知っている。痛感している。打ちのめされ、叩き潰され、だがそれでもそこから「眼」を逸らさなかった。「観」ることをやめなかった。

 

 ──ゆえに、だからこそ我は魔道士、ナガオナオ。

 

 魂の凍結は、「時」の操作より、よほど困難だ。

 

 (くだん)の日本という国においても、()()のタイムスケジュールは厳格に管理することができるが、インターネットに投下された「情報」を管理することはできない。できていない。

 

 極論、時の管理など目覚まし時計ひとつでできる。……できない個体もいるが。

 

 魂とは、(もと)情報(データ)誘導体(デリバティヴ)であるからして、その特性は「情報」に似る。一旦拡散してしまった情報が、誰の管理をも受け付けず混沌へと散っていくように……肉を失い、結節点(ノード)をも失った魂はやがて四散して混沌へと消えていく。

 

 ──ゆえに、だからこそ、我はコレを怖れた。

 

 ──コレが我の「無能」を証明するモノでないか怖れた。

 

 ──その限界を破ったのが、そなたの「愚かさ」であるというなら。

 

 ──「私」はそれを祝福するべきか、己を嘆くべきなのか。

 

 万感の想いを込め、魔道士ナオはその左腕を光あふれる空間へそっとかざす。

 

 

 

「時よ動け、そなたは美しい」

 

 

 

 彼女の「愚か」が完成させてくれた封印を、そこへ浮かび上がらせる。

 

 ──ああ、今一度、その姿を、どうか、私へ。

 

 祈りに、ごぅと……吹雪にも似た風が吹き。

 

 空間に、雪が舞う……否、舞っているのは雪の結晶だ。

 

 それは雪の結晶の魔法陣。

 

 ダイヤモンドダストよりもなお(おびただ)しい、光り輝く六花(ろっか)の乱舞。

 

 樹枝六花(じゅしろっか)広幅六花(ひろはばろっか)角板付樹枝(かくばんつきじゅし)樹枝付角板(じゅしつきかくばん)十二花(じゅうにか)十八花(じゅうはちか)二十四花(にじゅうよんか)

 

 無数の雪の結晶が、回転し、大きくなったり、小さくなったりしながら、パシュン……パシュン……と消えていく。

 

 それは雪華模様の魔法陣。魂の凍結魔法。魂魄(こんぱく)の封印魔術。

 

 この空間は、そのための霊場であり、揺籃(ようらん)であった。

 

 ──そこへ安置せしは大恩ある愛し子の亡骸。

 

 ──死してなお、(そば)へ置いてほしいと願ったあの子が、ここに眠っている。

 

 ──わが身朽ちるまで、ここで安らかに……と祈っていたが。

 

 だがナガオナオは今、その「封印」を()く。

 

 迷いを(ふり)(ほど)くかのように、一気呵成(いっきかせい)にして。

 

散霧(ディスペル)!」

 

 パシュンパシュンという音が何千何万も重なり、消えて。

 

 響き渡った魔道士の言葉に、雪の結晶が全て弾け飛ぶ。

 

 それだけで封印の魔法陣は消えた。

 

 だからもう迷いもなかった。

 

 そこにあるのは光り輝く空間、ただそれだけだ。

 

 ──いつか、魔道士ナガオナオが終わる時、幽河鉄道(ゆうがてつどう)に乗せ、とびっきり美しく、幸せな一生を送る女性へと転生させてやろうと思っていたが。

 

 ──ああ、どこまでも真っ白だった愛し子よ。

 

「すまんな、もう一度だけ……働いてはくれまいか」

 

 ナガオナオは何かをこらえるかのように目を(つむ)る。

 

 ──これをすれば、幽河鉄道(ゆうがてつどう)は私の手を離れてしまう。

 

 ──私特有の技術が、私の制御下から外れてしまう。

 

 ──それが「魔法」の限界、原理がわからぬモノを無理矢理に手中とした代償、二度と同じモノを創れぬ固有技術(ユニークスキル)の、それが弱みか。だが、それも仕方無い。

 

 意を決して(まぶた)を開く。

 

 ──我は絶望を知る。我は限界を知る。そこより始める魔道士。

 

 光り輝く世界の中、そこだけが深遠であるかのような真っ黒な瞳。

 

 最初の一筋は……そこにもうひとつだけ残っていた機能を思い出すかのように……するりと流れるのだった。

 

 ──もはや手はこれのみ。あのようなアホで莫迦(バカ)で、存在する価値のない悪魔に狙われるくらいなら、そなたの手に委ねてしまうのも、また一興だろう。

 

 ナガオナオが、今度は両腕をかざす、その先の。

 

 複雑な曲線が描く多角体の、光の中から。

 

 それでもなお白く輝く「それ」が浮かび上がってくる。

 

 ──ああ、やはりそなたは美しい。

 

 ──肉体を失ってなお、その魂は白銀のように、白金のように輝いている。

 

 ──どうして「死」んだ。

 

 ──どうしてその身、我と同じにはなれなかったのだ。

 

 ──その限界を、その絶望を、どうして我は超えられていないのだ。

 

 物言わぬ発光体へ、ナガオナオの涙は止まらない。

 

 だくだくと、忸怩(じくじ)たる滂沱(ぼうだ)な涙で、その頬を濡らしていく。

 

 彼女と過ごした日々を思い出し、それを失ってしまった今を嘆いて、涙を(こぼ)(つづ)ける。

 

 百と少ししかなかった生身の人間時代、その半分以上を共に過ごした伴侶(パートナー)

 

 彼にとって「見」える全てが彼女だった。「観」える全ては彼女と共にあり、宇宙は彼女でできていた。

 

 だが今、彼はここにひとり、立っている。

 

 ──ああ、我が過去よ、因縁よ、因果よ。

 

 ──運命よどうか、穏やかに、健やかに。

 

 そうして。

 

 涙を拭い、眼を細めた魔道士の口が、唇が。

 

「ツグミ……」

 

 どうしてか前世、あるいは前々世に妹であった者の名を、発した。

 

 

 



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III [system log] : Purgatorium Maira

Starting of Chelate device............[done]

 

Loading of dactyl system..............[succeed]

Loading of pollex system..............[succeed]

 

Receptor inspection search............[done]

result:

Acquired realism characteristic.......[disagreement]

Developed ethos style.................[agreement]

Cultivated endoxa style...............[agreement]

Depth and type of despair.............[disagreement]

 

Fatal rejection.......................[lv1 / error margin 6]

Antigen-antibody reaction.............[lv9 / error margin 1]

 

 

 

101>>VIIIVXIIXIIXV

 

101>>?

 

101>>VIIIVIIIIIIIV IIXIXIVIII?

 

101>>???

 

101>>IIIIIIIIIIV...............

 

 

 

Change language type..................[done]

 

 

 

 日本語 を 基礎言語 とします

 

 

 

 キレートデバイス は 正常に動作しています

 

 対象物【鶫】の 崩壊限界まで 544843s

 

 対象物【鶫】の エピスデブリ[I]は 7 個

 対象物【鶫】の エピスデブリ[II]は 33 個

 対象物【鶫】の エピスデブリ[III]は 475 個

 

 対象物【鶫】の デフラグ を 開始しますか?[y/n]

 

 

 

101>>y

 

 

 

 dactylシステム が 対象物【鶫】に干渉しています、、、成功しました

 pollexシステム が 対象物【鶫】に干渉しています、、、成功しました

 

 対象物【鶫】は 操作可能領域 にマウントされました

 

 対象物【鶫】の エピスデブリ* を キレートします

 

 

 

error:code13

 

 

 

 対象物【鶫】 が 一部破損しています

 

 バックアップ一覧 から 任意のファイル を選択し復元を行ってください

 

 

 

101>>tugumi17_0917b

 

 

 

 tugumi17_0917b.lif が選択されました

 

 

 

 【鶫】を復元中、、、対象の破損状態を確認しました

 【鶫】を復元中、、、残留する 肉の痛覚情報 を初期化しました

 【鶫】を復元中、、、残存する 肉の不快情報 を初期化しました

 【鶫】を復元中、、、心的外傷領域の不揮発性 を変更します 成功しました

 【鶫】を復元中、、、tugumi17_0917b で心的外傷領域 を上書きしました

 【鶫】を復元中、、、tugumi17_0917b で基底素子 を上書きしました

 【鶫】を復元中、、、tugumi17_0917b で記憶領域 を上書きしました

 【鶫】を復元中、、、人格形成素子を連結 ノードを再構成中 成功しました

 【鶫】を復元中、、、感覚形成素子を連結 ノードを再構成中 成功しました

 【鶫】を復元中、、、世界観 特性の アンマッチを確認しました

 【鶫】を復元中、、、世界観 特性の 再取得 を実行しました

 【鶫】を復元中、、、エトスの再開発 は不要のため実行されません

 【鶫】を復元中、、、エンドクサの再教化 は不要のため実行されません

 【鶫】を復元中、、、絶望様式/深度 は 記憶領域 の上書きにより 統合済

 【鶫】を復元中、、、抗原抗体反応の 拒絶レベル が許容値を越えています

 【鶫】を復元中、、、tugumi17_0917b から抗原抗体反応 を再構築しました

 【鶫】を復元中、、、瑣末部位 284箇所 に記憶の混濁 の可能性が存在します

 【鶫】を復元中、、、記憶の混濁 による影響は 許容範囲内 と判断されました

 【鶫】を復元中、、、【鶫】 の エラーチェック を実行します 完了

 【鶫】を復元中、、、【鶫】 の 状態ステータス は現在 正常 です

 

 対象物【鶫】の 崩壊限界まで 544116s

 

 対象物【鶫】の エピスデブリ[I]は 5 個

 対象物【鶫】の エピスデブリ[II]は 17 個

 対象物【鶫】の エピスデブリ[III]は 258 個

 

 【鶫】 の キレートを続行しますか?[y/n]

 

 

 

101>>y

 

 

 

 対象物【鶫】の エピスデブリ* を キレートします

 

 この処理には時間がかかります

 

 意識を放棄しないまま しばらくお待ち下さい

 

 

 

 昏睡、昏倒、等 意識の途絶による中断は 【鶫】を破損する可能性があります

 

 

 

 

 

 

 



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epis04 : Indeterminate Universe

 

 気が付けば世界は震えていた。

 

 全ての景色が、高速で流れていく。

 

 背と鼓膜には、ガタンゴトンと定期的な振動。

 

 

 

 情景は不定形で。

 

 

 

 体感(たいかん)循環(じゅんかん)する景観(けいかん)瞬間(しゅんかん)五感(ごかん)万能感(ばんのうかん)へと連関(れんかん)し、転換(てんかん)して。

 

 

 

 けれど壮観(そうかん)一体感(いったいかん)は、寸閑(すんかん)で。

 

 

 

 ()えなく、()えなく。

 

 石棺(せっかん)のような。

 

 

 

 自分という、輪郭の自覚が、やがて戻ってくる。

 

 

 

 (ふか)くから知覚(ちかく)捕獲(ほかく)され不覚(ふかく)、またも不自由な人格(じんかく)へと鹵獲(ろかく)されていく。

 

 

 

 

 

 だから私は、いまだこの世界に、繋ぎ止められている。

 

 

 

 

 

 

 

「お目覚めですか?」

 

 見上げればそこに、ふわふわと揺れる少女がいた。

 

 それは、まるで、カプチーノの泡のようにふわふわと白くて。

 

「……え?」

「目を、覚まされましたか?」

 

 雪のような美貌だった。

 

 完璧すぎて、ある意味では現実感のまったくない美貌だった。

 

 まるで、夢の中へと、迷い込んだかのような。

 

 重力という頚木(くびき)を忘れた心が、ふわっと、躍るような。

 

 

 

 

 

 (たと)えれば、やはり真冬に上空から降下してくる、なにもかもを白く染めていく、あの粒子。

 

 

 

 目に映るこの世全て、その組成(そせい)を、根本から塗り替えてしまうかのような。

 

 

 

 (つら)い、醜い現実という風景を、根元から造り替えてくれるような。

 

 

 

 私の視界が、柔らかな微笑みで、白く染めあげられる。

 

 

 

「……えぇ?」

 

 

 

 軽やかにふわり、揺れる、長い、白銀(はくぎん)の髪が、天井に揺蕩(たゆた)うランプの(だいだい)を吸って、白金(はっきん)のようにも輝いている。

 

 

 

 それは、こちらを見つめている瞳と同じ色で。

 

 

 

 (まと)う乳白色の、時代がかったエプロンドレスには、日常、目にしないほどの量、華美な、それも白と白と白のフリルで飾られていて。

 

 

 

 純白で。

 

 

 

 だけどそれすらもガタンゴトンと揺れる世界に、揺蕩(たゆた)っていて。

 

 

 

 

 

 だからふわふわした泡のようにも見えて。

 

 

 

 

 

 その優美な曲線は、どこか輝くように、幻想的に、ロマネスクの香りを漂わせながら、或いは幽玄(ゆうげん)(おもむ)きをも見せつつも、だけれどもそこにあって。

 

 

 

 俗世(ぞくせ)から、私の覚醒(かくせい)隔世(かくせい)してしまう。

 

 

 

 揺れるフリルに、酔ってしまいそう。

 

 

 

「……ど、どなた様でしょうか?」

 

 

 

 白い少女に、白金(プラチナ)の瞳を向けられ、目覚める。

 

 そうした自分は、どこの誰で、どうしてこのような美貌に、慈愛すら感じる優しい目を向けられているのか。

 

 一瞬、それが凄く遠くのことのように感じ。

 

 不確定(ふかくてい)の世界へ一瞬、頭が混乱する。

 

 私は。

 

 えっと、だから。

 

 

 

 千速(せんぞく)継笑(つぐみ)

 

 

 

 鳥の(つぐみ)ではなく、()()みと書いて継笑。

 

 

 

 それが自分の名前だったはずで。

 

 好きになれなかった両親から、何を継ぐのも嫌で。

 

 だから好きになれなかった名前で。

 

 

 

 巻き添えのように、笑うことに罪悪感を覚えてきた、この石棺の識別名だった。

 

 

 

 

 

 

 

 世界を、高速で走る列車が流れていく。

 

 ごうと重々しく。

 

 ゴトンゴトンと軽やかに。

 

 

 

 その色は黒。石炭のように無骨な黒。

 

 

 

 重厚な鉄のようには、拒絶感もなく。

 

 

 

 かといって玩具(がんぐ)のそれのようには、プラスティックであるとも見えずに。

 

 漆のような艶は無い、ただひたすらに無骨な黒が、しかしそこに()るという圧倒的な存在感でもって、自らが生み出した風と共に、悠々と走っていて。

 

 

 

 

 

 全ての景色を押し流していく。

 

 

 

 

 

 

 

 すれ違う今は、許されるなら解放されたいと願う(おり)であり、(おり)であって。

 

 

 

 けれど過去となり振り返れば、積載(せきさい)されていたモノ達を惜しいとも思い、遠ざかるそれらへ愛しさすら覚えることもあって。

 

 

 

 だからただ、世界は流れていく。

 

 

 

 懊悩(おうのう)する今という檻を、愛おしい過去へと変えながら。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、私、えっと、用事があって。やらなきゃいけないことがたくさんあって、それで、だから……すみません、ここ、どこですか?」

 

 私は。

 

 そこで(ようや)く、直前のことを、思い出す。

 

 私の現実を思い出す。

 

 

 

 そう。

 

 だから私は。

 

 千速継笑は、家へ……そう……好きではない両親のいるあの家に……だけど後、五、六年はいなければいけないあの家へ……忘れ物を取りに帰る……その途中だったはずで。

 

 取りに行かなければいけないものを……それってなんだっけ?……そう、確かそれは……だ。それを取って、また学校へ、そう()()だ、学校へと戻らなければ。

 

 

 

 ……学校?

 

 

 

 ……随分とそれが、疎遠となってしまっていたモノのように感じる。

 

 

 

 ……そんなはずはない。

 

 

 

 ……私は現役の女子高生で、学校こそ自分の居場所のひとつで。

 

 

 

 ……いや、あそこに自分の居場所があった気はしないのだけど、でも。

 

 

 

 ……毎日登校していたし、今日だって午前中はずっと学校だったはずで。

 

 

 

 ……それで、学校から一旦家に戻る途中だったはずで。

 

 

 

 ……そのために、電車に、乗ったはずで。

 

 

 

 ……電車?

 

 

 

 ……私が乗った電車は。

 

 

 

 普通の、電気で走る機能的な、何度も見た風景の中を走るモノのはずで。

 

 こんな装飾的な、古い映画で見るような寝台車がある車両のはずもなくて。

 

 窓の外に、見たこともない風景が流れていくこともなくて。

 

 

 

 ……おかしい。

 

 

 

 十七年間、けだるく続いてたはずの日常が、プツンと途切れている。

 

 

 

 そのことに眩暈(めまい)がするほどの違和感を覚えている。

 

 

 

 記憶の中の、連続してなければおかしいはずの、女子高生であるはずの私。

 

 

 

 それらは、複数の車両が連結された列車のように。

 

 

 

 しかと繋がっていなければ成立しないモノのはずで。

 

 

 

 私は、だから平凡な……というには寂しい学生生活を送る……学生だったはずで。

 

 

 

 家でも学校でも、居心地の悪い日常に喘ぎながら、それでも身体は健康に、大過(たいか)ない毎日を送っていた。

 

 

 

 ……そのはずで。

 

 

 

 それと今……こうして振動に揺られ、現実感をまるで感じさせない、絶世の美少女に白金(はっきん)の瞳を向けられている自分……なんてモノとが、繋がらない。

 

 

 

 繋がっていないという感覚がある。

 

 

 

 途切れてしまったという感覚がある。

 

 

 

 ……女子高生だった自分が、はるか後方のレールに、置き去りにされてしまっている。

 

 

 

 ……そういう感覚がある。

 

 

 

 そして。

 

「どうしました? 千速継笑様」

「ここ……どこ、ですか?」

 

 それ以上に、目の前の少女は白くて。

 

 

 

 あまりにも非現実的で。

 

 現実を、幻想のような白さで塗り替えてしまっていて。

 

 私は取り返しのつかない地点に来てしまっている。

 

 その実感が、今の私という存在の中心に居座っていて。

 

 

 

 ……ああ。

 

 

 

 もう、なにか重要なことが、取り返しつかなくなってしまっている。

 

 

 

「ここは……そうですね、簡単に言えば隠世(かくりよ)、死後の世界です」

 

 

 

 

 

 

 

 だから心の片隅で、何かが泣いた。

 

 

 



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epis05 : Blood teller

 

「……は?」

 

 白い少女は、微笑んでいる。

 

 なにか今、その優しげな微笑みに、ふんわりした慈愛のある視線に、そぐわない音を、声を聞いた気がする。

 

千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様、残念ながら千速継笑様の肉体はバラバラとなり、四肢はもげ、四散してしまいました」

 

「……はい?」

 

「簡単に言えば、千速継笑様は亡くなられました。意識だけが、隠世(かくりよ)であるこの世界に留まっている状態となります」

 

 ……じゃあこれって。

 

 それならこれは。

 

「臨死体験……ってこと?」

 

「いえ、ですから千速継笑様は既に、この時間軸において亡くなられています。幸い、頭部の損傷は少なく、脳漿(のうしょう)飛散(ひさん)するなどの悲惨(ひさん)な状態にはないのですが、血流が止まったことで脳細胞は死に、神経系は連絡不能となり、意識を保てる状態にありません」

 

 ……え。

 

「……そんな悲惨は()さんとして欲しかった……じゃなくて、え、でも私……こうしてここに五体満足で存在している……けど?」

 

 首を手で触れても、そこは繋がっていて、夏服の制服(ブレザー)から伸びる手足も……うん、自由に動く。

 

 なにか手触りに違和感を感じなくも……ない?……けれど……。

 

「はい。自我はご壮健のようで、なによりです」

 

 寝台から身体を起こすと、自分の長い髪が、さらりと身体に触れていった。

 

 だけど、それで初めて気付くこともあった。

 

「……汗、ひいてる」

 

 直前まで、季節は残暑残る九月だったはずで……そう、首へ、うなじへと張り付く髪が気持ち悪かったのを覚えている。……妙に遠い昔のように感じるけれども。

 

 それなのに今、こうして触る自分の肌は、不気味なほど熱くも冷たくもなくて。

 

 熱を感じない。

 

「なに……これ」

 

 ふと窓の外を見れば、ビルや高層マンションなどの高い建物には、濃い影が出来ている。

 

 空と地の境界は夕暮れ時の、青からオレンジへと移ろう途上のグラデーションで、雲はまるで、そこへ白い絵の具を溶かしたかのように見える。

 

 それは今までであれば私に、(いえ)へ帰れと脅す色でもあった。

 

「下をご覧下さい」

 

「え?」

 

 手のひらを上にして、コンパニオンガールが商品への注目を促すかのようなポーズで、人形のように完璧な造形の少女は、寝台の、少し上にある窓を指し示した。

 

 身を起こし、言われた通り、私は窓へと顔を近づける。

 

 そこから世界を、見知らぬ世界を覗き見る。

 

「……浮いている」

 

 地面に、レールなどはなく、頭上にも電線のようなものは何も見当たらない。

 

 電車は……いや電気で動いていないのなら、これは電車ですらない?……何両あるのかもわからないほど長大な車体をくねらせながら、空を走っている。

 

「えっ」

 

 空を……走っている?

 

「電車って、空を飛ばない……よね?」

幽河鉄道(ゆうがてつどう)、です。千速継笑様。風景こそ、今は日本の都心部を走っているかのように見えると思いますが、これはいわばスクリーンに映る、映写機よりの光と影……そのようなモノです。実態は、既に死後の世界と呼ばれるにほど近い空間を、この列車は走っています」

「ゆうが、鉄道……」

 

 おそらくは地上百メートル(100m)以上の空を飛んでいるというのに、定期的にガタンゴトンと揺れるその振動の中で、白い少女はふわりふわり、空へ漂うシャボン玉のように笑っている。

 

 それはどうあっても、現実ではありえない情景と、その体感だった。

 

「あちら側から、こちらの車体は見えていませんから、ご安心を」

「はぁ……ってうわ!?」

 

 なんか今、都庁っぽいのが横切ったような。鬼みたいな二本角の第一本庁舎の方。あれの二本角周辺は地上二百メートル(200m)以上の位置にあった気がする。

 

 もう一度首へ触れ、改めてそこに体温も汗の感触も何もないことを認識し、私は、ゆっくりとため息を吐くかのように、認めたくない言葉を、目の前の少女へと投げた。

 

「つまり、私は……私は死んだのね? それなら、ここにいる私は、何? 幽霊なの? 言われてみると、なんだか体温を感じない身体になっているみたいだけど……」

 

「はい。毎回のことながら、ご理解が早く、助かります」

「毎か……ぃ?……」

 

 ニッコリと、白い少女が微笑む。

 

 だんだんと明確になってきた意識に、ちりっと苛立ちが(とも)る。

 

 その微笑みは、なんだかもう完璧にパーフェクトに、完全無欠に文句無しに可愛らしい、優しげで温かなモノだったけれども。

 

 それがなんだか、とても憎たらしくも思えて。

 

 人の気も知らないでと、ベタなセリフが思い浮かぶ。

 

「それで?」

 

 だから冷静になれと、自分に言い聞かせる。

 

 死ぬ、死んだというなら、それは別にいい。

 

 お兄ちゃんの死をきちんと理解したその時から、私にとって死は身近なものだ。

 

 死を忌避(きひ)する理由もさほどない。なかなか終わらないことも多い漫画よりも、一作で完結する映画の方を好んできたし、将来の夢はなく、好きな人もいない。そういう人間だ。

 

 むしろ心の、さほど深くない場所に……助かった……救われたと感じる部分すらある。

 

 常々、私が現実のあの世界で幸せになるのは、結構難しいんじゃないかなって思っていたから。

 

「それで、この状況はどういうことなの? 死んで、それで空飛ぶ列車に乗ってって……銀河鉄道の夜じゃあるまいし」

「あ、やはり口にしてしまわれますか、その固有名詞を」

 

 だから、死んだのはいい。

 

 この生が終わってしまうことに未練なんてない。

 

 けど。

 

 だけど。

 

 ならば目の前で微笑む、この白い少女はなんなのか。

 

 ならば幽河鉄道などという、このふざけた鉄道機関車はなんなのか。

 

「賽の河原も三途の川も、それらしいものは見えないし」

 

 まさか私とこの少女が、ジョバンニとカムパネルラ……仲の良い友人同士であるという話でもあるまい。こんな子、私は知らない。そもそも友人といえる誰かなんていない人生だった。

 

 ひきこもりにならなくとも、不登校にもならなくとも、真面目に登校し、小中(しょうちゅう)とずっとそれなりの成績をキープし続けてきた生徒の中にも、コミュ障はいるのだ。いたのだ。私だ、あたしだ、言わせんな。

 

「なら、あなたは閻魔(えんま)様なの?」

 

 何人も、それで友達を無くした……というより、友達になれたかもしれない同級生達との、良好な関係を築く機会を無くした……険のある、皮肉めいた言い回し。

 

 嫌になるくらいに、この石棺(せっかん)からはそんな言葉しか出てこない。

 

 莫迦(バカ)は死ぬまで治らない。莫迦は死んでも治らない。

 

 真実は後者。私は死んでも莫迦でした。

 

「自己認識として、私が閻魔様と呼ばれるモノに近しいとも思えませんが」

「ん?……」

 

 莫迦な私の、我ながら性質(たち)がいいとは言えない問いへ、だけど少女はうっとりするような美声で、奇妙な言い回しを返してきた。

 

「閻魔様といえば、恐ろしい顔をした男性のイメージでしょう?」

 

 イタズラっぽく微笑みながら、白い少女は優美な曲線を描くその胸元へ己の手を当て、こちらの同意を促すかのように可愛らしくコテンと小首を傾げた。

 

「ぅ……」

 

 それはもう、なんかもう……それだけで世の男性の大半を一発で堕とせそうな微笑(ほほえみ)かもと思った。男性ではない私の、熱を無くしたはずの頬が、なぜだか赤くなったような気さえする。

 

「?……どう、されました?」

「っ……」

 

 廃熱のため、私はふるふると頭を振る。

 

 ──あざとい、あざと可愛い。あざと可愛いすぎるっ。

 

 ……騙されるな、私。

 

 白い服を好む女性は、ナルシストって聞いたことがあるじゃない。

 

 話の内容、聞いていた?

 

 はぐらかそうとしているだけかもしれないじゃない。

 

 ──堕とされそうになってるんじゃないっ。

 

 同性の私が、男殺しな仕草に惑わされてどうするの。

 

 だから……えっと……。

 

「女の子な魔王や第六天魔王がありふれてきた昨今、既存のイメージはあてにならないもん」

 

 ううっ……私ってホント、面倒くさいな。

 

「まぁ」

「閻魔様じゃないのなら……天使?」

 

 艶やかな銀髪に燦然(さんぜん)と輝く天使の輪(比喩表現の方)を見れば、そちらの方が、イメージには合う。

 

 銀髪の少女は、そんな馬鹿らしい私の問いへ、今度は「むー」と頬に指をあてながら、それでもやっぱり可愛らしく悩んで答えた。

 

「やはり……自己認識として、私が天使様と呼ばれるモノへ近しいとも思えませんが……そうですね、閻魔様と比べればですが……天国に導く……いえ導きたいという意味において……ええ、私は天使の方に近い存在とも言えるかもしれません」

「お、ぉう?」

 

 閻魔様よりかは天使の方が近いときたか。

 

 そうなんだろうけど……ええ外見のイメージから私もそれはそうだねって納得するけれども。

 

「天国?……導きたい?……なにそれ胡散臭(うさんくさ)い……」

 

 でも、面倒な私が返す言葉は、やはり反駁(はんばく)のそれだった。

 

 どういう態度をとるのが正解かわからない。

 

 だから心と言葉がチグハグになっているみたいだった。

 

「千速継笑様」

 

 白い少女が、真面目な顔でじっと私を見つめてくる。

 

 少女の迫力に……というか美少女というモノの圧倒的迫力に、私は思わず、「ひゃっ、ひゃい!?」とどもりながら答える。ああっ……もうっ……コミュ障!

 

「千速継笑様は、このままであれば来世、とても悲惨な……いえ悲劇的運命を辿ります」

「……ますます字面だけ見ると、胡散臭いこと、この上ない話になってきたけれど」

 

 ただ、空を飛ぶ列車に乗っていて、自分の身体からも一切の熱が失われているというこの状況においては。

 

 非現実的なことの方が正常なのかもしれないし。

 

 他にどうしようもないし。

 

 今はこの、胡散臭いまでに白い少女の話を聞くしかない。

 

「来世?」

 

「はい」

 

「来世って、あの来世? 権利者が利用者と結ぶ使用許諾契約とかじゃなくて?」

「それは……えぇと……ライセ……ンス……でしょうか?」

 

 あ、少し悩んだ……。

 

「英語だとスネークヘッドな(フィッシュ)?」

「ライギョですね。セはどこへ消えてしまったのでしょう?」

「じゃ……鮭の魚卵の醤油漬けと日本の高級ロブスター?」

「イクラ、伊勢(らいせ)海老。ですが狭義におかれましては、伊勢海老とロブスターは別の目、別の科、別の属となりますよ?」

「私の中では同じ、海の幸目、美味しい科、高級食材属だからいいの……って、なんでそんなに水産物に詳しいのよっ」

 

 釣りがご趣味ですか? そのメイド風味の甘ロリな姿で? 甘エビください。

 

「イクラは食材というより、それ単品で既にお料理かとも思われますが……」

「海苔で巻いたり、丼に盛るという過程を経ることもあるじゃない」

「イクラ丼ですか、好物なのでしたね」

「うんうん……ってなんで私の好物を、あなたが知っているのよ」

 

 海の幸目、美味しい科、お手頃属のアジの開き、秋刀魚の塩焼き……死んでしまったというならあれらももう食べられないのかな……そんなどうでもいい感傷が、私の胸をちくりと刺す。私はどうしてか昔からお肉よりお魚派だった。リリンの生み出した文化の極みは、歌じゃなくておろしポン酢だと思う。

 

「それはさておき、来世とは、身罷(みまか)られた方が、次に歩む人生のことです」

 

 だけど白い少女は、そんな私の感傷などは気にも留めずに、マイペースに話を進めていく。

 

「……そう」

 

『このままであれば来世、とても悲惨な……いえ悲劇的運命を辿ります』

 

 直前に投げ掛けられた言葉を思い出し、気分がより重くなっていく。

 

「じゃあ、その、身罷られてしまった私の来世は悲惨なのね? それはリアルに便所飯もしたことのある、ボッチな学生生活を送ったこの人生よりも悲惨ってことなの?」

「悲惨の種類が違うので、比較は難しいと思われますが……そうですね、一般的に言って、どちらの方がより辛く、苦しいかでいえば、来世の方ではないかと」

「……それはどういう意味で?」

「え?」

 

 無垢な瞳で小首を傾げる美少女は、可憐で。

 

 もんのっすごく可愛くて……だから微妙にイラっとする。

 

「だ・か・ら! (つら)いのとか、苦しいのとかの種類」

「え? え? え?」

 

 だから~。

 

 そういうムーヴは男の人にだけしてあげなさいってば……ああもう可愛いなぁ。

 

 こちとら自己嫌悪の塊なんだ。そんな小動物みたいな瞳でこちらを見ないでほしい。

 

「貧乏でいつも空腹だから苦しいとか、DV親にいつも殴られていて痛いとか、男運がないとか、生まれつき、自分ではどうしようもない障害を何か持っているとか」

 

 幼いうちに実のお兄ちゃんが死んじゃったから、お家がいつもギクシャクしてて辛い……辛かった……とか。

 

「ああ……ええ、なるほど、わかりました……そうですね……」

 

 ふーむ……と、それでも可愛らしく悩む少女は。

 

 どうしたことか。

 

 ぺとんと。

 

「……ちょっと」

 

 なぜだか、いつの間にか、ちょこん、ぺとんと。

 

 私のふとももへ、緩く握った片手を置いて、そうしながら思索(しさく)(ふけ)っているようだった。

 

 ……珍しい悩み方だな、おい。

 

 体温のない身体でありながら、なぜだかふとももが少しだけ暖かく感じる。

 

 爪は短くしているようで、食い込んで痛いなんてこともなく、体重をかけられているわけじゃないから不快でもなかった。むしろこれは……こそばゆい?

 

 とりあえず私は肉付きがいい方ではないので、女子高生にありがちなむっちりふとももではない。そこを座布団代わりにしても、いい具合にはならないハズだけれども。

 

 ……そう思う心の半面で。

 

 なぜだか自分の顔が、赤面してしまっているのがハッキリとわかる。

 

 もう、なんというか、これはこそばゆいというか、ある種幸せな恥ずかしさがあるというか……出会ったばかりの(あざとい)美少女に、こんな風に距離を縮められて喜べるほど、私は節操無しだっただろうか?

 

 でも、やっぱりなんだか少し、あったかな気持ちが胸の奥から湧き出てくるみたいな気がして……。

 

 

 

 ぽ。

 

 

 

 って。

 

「わぁっ!?」

「……え?」

 

 いやいやいやいやいや。

 

「手、手っ。足! 手っ!」

「あ……」

 

 騙されるなよ私っ。

 

 ある種の媚態だとしても、さすがにこれはやりすぎじゃないの。ふとももに手を置くとかキャバ嬢のテクニックかっ……いやそうのがそういうテクニックなのかなんて知らないけど女子高生が知っていていいことでもないけれどっ。

 

 ……ああっ もうっ!

 

「これは申し訳ありません。昔の癖が……」

「……ぁ」

 

 だけど、一瞬でそのぬくもりは、ふとももから去ってしまう。

 

 なんだか、名残惜しいような気持ちが、少しだけ心に浮かぶ。

 

 わけがわからない。

 

 なんだこれ。

 

 なんなんだこれ。

 

 理解できない状況、理解できない現象。

 

 ここにきて、自分の心さえもよくわからないことになっている。

 

 私が、そんな行き場のない気持ちにあたふたドギマギしていると、その元凶たる白い少女が先の問いへ、の~んびり、答えた。

 

「先程の、ご質問の(けん)ですが、正確にお答えするのであれば、全て、ということになります」

「……りありぃ?」

「はい」

 

 ええと。

 

「貧乏でいつも空腹で苦しくて、DV親にいつも殴られていて痛くて、男運がなくて、生まれつき、自分ではどうしようもない障害を抱えているの?」

 

 それって……かなり最悪……なんじゃ……。

 

「いえ、そのひとつひとつが、一気に来るということではありません」

「……どういうこと?」

「千速継笑様」

「ぇ」

 

 白い少女が、今度は片手でなく、その整った愛らしい顔を、ずずいと私の方へ近づけてきた。

 

「ひゃ……ひゃい!?……」

 

 少し離れて見れば、単に人形のように整っているとだけ思っていたその顔が。

 

 近距離となり、化ける。

 

 白金(プラチナ)の瞳が、オレンジの光を反射して輝く。

 

 それは私の心に、苦しいまでの光を(とも)すようで。

 

 (ルージュ)など引いていないはずの唇は薄桃色で。

 

 それは私の脳に、はぁと直接甘い吐息を送り込んでくるようで。

 

 ドギマギが治まりきらぬ胸中へ、それは劇物のように沁みてきた。

 

「う、うぇ?」

 

 頭がクラックラする。

 

「千速、継笑、様……」

 

 ふわり、白金(はっきん)に揺れる白銀(しろがね)の髪が、ゆらゆらと揺蕩(たゆた)いながら、その中心にある芸術的美貌を、金銀細工の額縁のように飾っている。

 

 その瞳に、その鼻筋に、その唇に、あたしの視線が捕らわれてしまう。

 

 視界いっぱいに広がる、甘く柔らかい、幼くも優しい顔。

 

 おそらくは十四から十六くらいの、可愛らしさだけで出来ている少女。

 

 今はでも、少しだけ憂いを孕む、どこかひたむきささえ感じる真剣な表情で。

 

 それが私の視界を集束させてしまい、(のが)さない。

 

 視界いっぱいに広がる、全てのパーツが可愛らしい少女の顔。

 

 目が、鼻が、唇が、前髪が、輪郭が、時折白銀の中に見える耳たぶが、眉毛が、唇からちらと覗く舌が、もう全部愛らしい。

 

 それでもと、抵抗するかのように(まばた)きをすれば。

 

 彼女は。

 

 ひどく幼い、無慈悲なまでに無垢な少女のようにも。

 

 戯れで口付けを交わせる美麗な妖女のようにも。

 

 子を心配する慈母のようにも。

 

 そのたびに、印象が変わって見えた。

 

 なぜか確信する。

 

 このまま、あと少しの距離を詰め、唇と唇が触れるなんてことがあれば。

 

 私は壊れる。壊れてしまう。

 

「ななな、なんでしょうかっ!?」

 

 それはもはや、暴力的なまでの可愛らしさだった。

 

「私と千速継笑様は」

 

 抱き締めたい。愛でたい。

 

 唇で唇に触れてしまいたい。そうなってほしい。壊れたい。

 

 わけのわからない衝動が、胸の奥から沸き出てくるのを抑えられない。

 

「私……とあなたが?」

 

 私はもう。

 

 私はもう、そのどこか(うれ)いを帯びた表情に、どうしようもなく心を掴まれている。

 

「私と千速継笑様は……」

 

 もはや。

 

 この名を呼ぶ薄桃色の唇に。

 

 食べられてしまいたいと思うくらいに、魂が吸い寄せられてしまっている。

 

 怖い。怖いよ。

 

 違う。違うよ。

 

 そうじゃない。

 

 だって。

 

 私はもう、この心身の何分の()かは……。

 

 本当に、そんなわけはないのに。

 

 ああっ……もうっ……食べられてしまっているからっ。

 

「私と千速継笑様が、こうして言葉をかわし、やり取りをするのは、これが初めてのことではないのです」

 

 だけど夢の時間は。

 

「ん……んんっ?」

「改めまして、お久しぶりです千速継笑様」

 

 唐突に終わる。

 

「お、久し……ぶり?」

 

 眩暈(めまい)がするほどの、純然たる美少女の魅惑。

 

 それは、当人がお辞儀をし、その顔が見えなくなることで、あっさりとその力を失った。

 

「はい」

「ぇ……ぅ……ぁ……」

 

 我に返り、今、何を言われたか、言葉の意味を脳内へ浸透させ、その美貌がある一定の距離からは近付いてこなくなったのを確認して、そこで(ようや)く、自分へ落ち着きが戻ってくる。

 

 なに……これ。

 

 なんだったの……今の。

 

 怖い。

 

 美少女、怖い。

 

 いや……饅頭(まんじゅう)怖いじゃなくて……本当に。むしろ落ち着くために熱いお茶がほしい。

 

 何かこう、至近距離から見つめられただけで、魂の奥底の方が、変な言い方だけど……陵辱されたような気持ちになった。

 

 嵐が去った今、胸の奥で私の心を乱さないでと、防衛本能らしきモノが叫んでいる。

 

 そして。

 

 その更に奥の方……どこか、私の深遠で。

 

 ──どうせ私は黒ずみ(けが)れている。

 

 ──ならば可憐な白に(けが)されるはむしろ僥倖(ぎょうこう)

 

 どうかこの私を、もっともっと、グチャグチャに乱してほしいと、呟いているナニカもいる。

 

 それは煙る、余燼(よじん)のようで。

 

 津波が去ってなお寄せては打つ、波のようで。

 

 それが、心底恐ろしい。

 

 なにこれ? なんなの? どういうことなの?

 

 意味がわからない。

 

 自分が、この状況が、この感覚が、本当にわけがわからない。

 

「ああもうっ!!」

 

 私は、水をぶっかけられた犬みたいに、大きく何度も首を振った。

 

「え、と!……それで今、なんて!?……こうして言葉を交わすのが、初めてじゃない!?」

「はい」

 

 お辞儀をやめたことで戻る、美少女の顔。

 

 少し距離が離れたおかげか、今度は少し落ち着いて見れる。

 

 それにしたって、本当に整った顔だ。少なくとも、学校で一番であるとか、村で一番ってレベルなんかじゃない。アイドルなら、百万人の中から選ばれた一人ってレベルだろう。一千万かもしれない。

 

 いやでも、だからこんな悪魔的に(天使に近いと言っていたけど)可愛らしい生き物、一度見たら忘れないと思うんだけど……。

 

「私は、千速継笑様に幸せになってもらいたくて、この時間をループしているのです」

「……ごめん意味がわからない」

 

 白い少女は。

 

 本当に、理性的に考えれば、だからもう、どこの二次元から抜け出してきたのですかという程に、整った外見をしていたけれども。

 

 可愛らしい仕草に、愛したくなる甘い声の持ち主だったけれど。

 

「千速継笑様は、もう何度も来世を生き、そのどれもが悲劇的な結末を迎えています。私はその運命を変えたいと思い、千速継笑様が亡くなられたこの瞬間へと、何度も時間を戻しています」

「……は?」

 

 その魅力を含め、全てがもう、非現実的で、それは私を混乱させるばかりだった。

 

「幽河鉄道は、同じ円環の輪の中を、繰り返し、繰り返し、走っているのです」

「え……と……山手線みたいなもの? 環状線っていうんだっけ、そういうの」

(あま)(がわ)が無数の星々の光、流れる川であるのならば、(ゆう)(かわ)は、無数の可能性、無数の運命が放つ光、流れる川です。星の光の先には恒星があり、惑星があって、そこに命あるモノが住まうように、可能性、運命が放つ光の先には、やはり命あるモノ達の一生が形而上(けいじじょう)の実体を伴って、そこへ存在しているのです」

 

 ……乱れた頭には、もう何も入ってこない。

 

 少女の言葉が、なにひとつ理解できない。これでも、毎年何人もT大や私立医科大御三家への進学者を輩出する高校の生徒なんだけど。

 

準空子(クアジケノン)を枕木として、流体断層(ポタモクレヴァス)をレールとして走り、幽の川を渡る機関。時空軸すらをも超えて走る魔道機関車(マギロコモーテヴ)、それが幽河鉄道です」

「は、はぁ」

 

 だからとりあえず、その声を、ホットミルクのように甘い声を、聞いていた。

 

「……ごめん何を言っているのか、本当にわからなくて」

 

 白い、美貌の少女は、そこでまた、もう少しでそのまつげが、私の前髪か鼻先に触れそうなくらいまで顔を近づけ。

 

「っ……」

 

 煙るこの胸の余燼に、またも(ほむら)(おこ)して……波だたせて……だけど今度は、すぐにその顔を離してくれて……「そうでしょうね」と……寂しそうに笑った。

 

「この会話も、もう何度かわしたことでしょう……」

「何度聞かされても、理解できなそうって意味でも、わけがわからない……けど……」

「それも、三回に一回はおっしゃられていますね」

「……私、この会話を何回、しているの?」

 

 この近すぎるこの距離感は、だからなの?

 

 私には覚えが無いけど、そちらにはあると。

 

 当惑していた距離感に、少し納得し、心が落ち着いてくる。

 

 そういうことなら、わからなくもない。

 

 私とこの少女には、私の知らないところで繋がりがあった。

 

 それは、なぜだかひどく甘美な鎮静剤で。

 

 それで「だから近いってば」と、無遠慮に肩を押し返すと、純白の美少女はさして抵抗もせず押し返された。

 

 そして、またも可愛らしく「んー?」と悩みながら、私の問いへ答えてくれる。

 

「さて……何回目でしょうか……四を過ぎた辺りで数えるのはやめたので」

「早くない!?」

 

 普通そういうのは、十とか百を超えた辺りからやめるものじゃない?

 

 全てが非現実的な話の中、それもまた(うべ)なるかな、異端の感性だ。

 

「四回目で、時間軸の体感は百年を超えましたからね」

「え」

「一回目が十六、二回目が二十二、三回目が長く五十六、四回目が十三」

「……なんの数字?」

 

 ここまでの話から、予想はできる……けど。

 

 白い少女が何度かパチパチとゆっくりまばたきをし、それから少し悲しそうな顔になる。

 

「千速継笑様の、繰り返す来世の、それぞれの寿命……享年と言い換えてもいいですが……生まれてから死ぬまでの時間、ですね」

 

 やっぱり。

 

「享年、十六歳、二十二歳、五十六歳、十三歳……」

 

 私、千速継笑が既に死者なのだとしたら、その享年は十七歳。

 

 次はそれよりも短くて、長くても織田信長レベル。てか四回目に十三歳ってどんなデスナンバーなのよ……。

 

「その、五十六歳の人生もその……悲惨なの?」

「はい。幼少期はそうでもないのですが……」

 

 なにその、不安になる言い方と表情。

 

「なに? 悪い男に騙されでもしたの?」

「騙されたというか……」

「……なによ?」

 

 言いよどむ美少女は、だけどそれでも絵になるからズルイ。

 

「拉致されて監禁され陵辱の限りを、それはもう」

「薄い本展開!? えっちぃのは嫌いじゃないけどいけないと思いますよっ!?」

 

 ……って……え?

 

 待って? 私、そんな環境で五十六まで生きられるの?

 

「まぁ、長寿で有名なエルフですからね」

「……ぇ?」

 

 今なんと?

 

「エルフは、転生先の世界によってもまた違うのですが、千速継笑様が三回目に転生したエルフという種族は、十代の頃の外見を五十、六十くらいまでは保ち、回復魔法や解毒魔法の類を得意とするスタンダードタイプでした。弓や攻撃魔法も得意なので、普通は拉致され監禁されても自力で逃げ出せるのですが……千速継笑様の場合はそこのところが多少、特殊だったので、闇市場で珍重されてしまったのです」

 

 闇市場……。

 

「おーけー、センシティブの匂いがするので、そこの詳細は聞きたくない」

「はい」

 

 それよりも問題は。

 

 美少女の唇から、拉致とか監禁とか陵辱なんて言葉が(まろ)び出てきてしまったこと……それも結構な問題だとは思うけども……よりも、更に問題なのは。

 

「え? エルフ?」

 

 え、なに? これはあれ? 異世界転生ってヤツ──ぅ?

 

「はい、千速継笑様の転生先は、地球ではない、時に物理法則すらも(たが)える世界の場合があります。魔法があったり、いわゆるエルフ、ドワーフといった亜人種が存在することがあります。千速継笑様の転生は、三回目におかれましては、エルフへの転生となりました」

「物理法則すらも違う世界……魔法……エルフ……」

 

 それはあれだろうか、なろう系によくあるアレなんだろうか。

 

 転生者がチートして無双して、美少女かイケメンがどんどんハーレム入りしてきて、もふもふと戯れながら、()、何かやっちゃいましたか?……なんてのたまうんだろうか。

 

「そうした結節点(ノード)を形成する存在は……実在しなくもないのですが、例としてはやはり特殊となってしまいますね。千速継笑様は、なかなかに、そうはなれません」

「……そぅ」

 

 つまり私は、チート持ちの勇者様にも聖女様にもなれないと。

 

 ふーん、あっそぉ。

 

 嗚呼、なろうの道は狭き(Narrow)かな。

 

 Enter by the narrow gate.

 

 狭き門より入れ。

 

 神様、入れません。

 

 まぁ……当然か。

 

 目の前に、チート級の美少女がいるから忘れそうになっていたけど、私は私だもん。

 

 女子高生という輝かしい肩書きに見合わぬ、平凡で地味な顔。少女漫画で平凡な顔は、むしろ美少女を指す言葉だけど、私のそれは、要はモブ顔ってことでしかない。

 

 学力は上の下。つまりは進学校のおちこぼれってこと。大学はこのままだと親の希望にはそぐえなくなる。スポーツは苦手だからその推薦も無理だし、旧一芸旧AOな選抜に受かるほどの特技や経歴も無い。どちらにせよ、そのふたつは親が許してくれないけど。

 

 そして、トラックに()かれそうになった子供を助けたわけでもなければ、それに類するビビッドでドラスティックな善行を積んで死んだわけでもない。洗礼を受けていないから天国へも行けないし、お国のために戦って死んだわけではないから靖国神社へも行けない。

 

 そういえば、それ系の小説って、電車に轢かれての転生ってあんまり例が無い気がする。有名どころだと幼女な戦記のアレくらいじゃないだろうか。トラックに轢かれるのは同情できるけど、電車に轢かれるのは人身事故で迷惑だから同情できないってことなのかもしれない。ごめんね。

 

「うん……神様に選ばれるようなことは、何もしてこなかったね」

「ん~……特定の個人を特別視して、ひいきし愛する神は、善き神なのでしょうか?」

「さぁ? 善行とか独善的な祈りとかをワイロとして受け取って、それと引き換えに天国へのパスポートを発行してくれるのがGodなんじゃないの?」

「……なんです? それ」

「気にしないで、色々パクったただの皮肉だから」

 

 ひねくれてひねくれて、(ねじ)れて(よじ)れてただの(ひね)くれ者になってしまった女子高生。

 

 それが私だった。

 

「じゃあつまり、容量無限のストレージ、インベントリを持っていたり、ステータスオープンと言えば、自分や他人のステータスが見れたりなんかもないってことね」

「うーん……私の知る限りにおいては、そういった……ゲームのような世界はそもそも存在しませんね」

「ないんだ……」

 

 どうでもいいけどその、悩むたびに小首をかしげる仕草、ホントやめない? 可愛いすぎだってば。

 

「高次元存在の支配力が強い惑星においては、それに近い世界が展開されていることもありますが」

「あるんだ……」

「ええ。そうした世界を、千速継笑様も試されたことがありましたね。あれは……確か十三(13)……いえ十四(14)?……十一(11)回目でしたか?」

「いや疑問系で、その記憶がない私の方を見られても……」

 

 だから何回転生してんのよっ……私ってば。

 

 だんだんと心が、また少しづつ乱れてくる。

 

 どこまでいっても私は私。

 

 莫迦は死んでも莫迦だし、よろしくない性格はよろしくないままだ。

 

「じゃ、結局の所、あなたはなんなの? 何者なの? 私に、幸せになってもらいたくて、この時間をループしているって言ったよね? どうしてそんなことしてくれるの? 私がどうなればあなたは満足なの?」

 

 もうホント、どうして私は()()()なんだろう。

 

 別にいいじゃない、目の前の少女は天使様、なろう風にいえば女神様ってことで、ありがたく拝んでおこうよ。

 

 いがらっぽい言葉を吐いて、それに自己嫌悪して、だけどそれでもヒステリックは()められなくて、何度でも繰り返す、後悔とヒスの無間地獄。

 

「幸せにって言うけど、幸せって何? 長生きすること? 友達ができること? 愛されること?」

 

 私の舌鋒はささくれだち、そこからトゲトゲの塊が次々に発射されている。

 

「何をしたら私は幸せになれるの? なれたっていうの?」

 

 わかってる。

 

 これは半分は、やつあたりだ。

 

 だけど半分は、この美少女が可愛くて綺麗なのが悪い。

 

 その優美なる相貌(そうぼう)を前に、立つ価値のない自分が、釣り合わぬ自分が、心底嫌になってしまうから。

 

「お気持ちがほぐれてきたようで何よりですが、落ち着いてください」

 

 それでも慈愛湧き立つ少女の声が、だけど私には無糖の炭酸水のようで。

 

 味蕾(みらい)毛羽立(けばだ)つ心の表面に、痺れるような痛痒(つうよう)を与えてくる。

 

 落ち着いてくださいと優しく囁く声は。

 

「なによ……奴隷エルフに転生って、それもう十八禁(R-18)案件じゃない」

 

 逆効果で、泣きたくなるほど切なくて。

 

「ですから、落ち着きましょう。ね? それはもう、終わった話ですから」

 

 白い少女の、善意から出たんだろうなと理解できるその声は。

 

「でも、また同じようなことが繰り返されるかもしれないってことだよね? ループしてるって、そういうことだよね?」

「それは……」

 

 もうホント、死にたくなるほど、私をみっともなくさせた。

 

「どうして私がそんな運命を辿らなくちゃいけないのっ」

 

 目の端にじわっとしたモノを感じる。

 

 自覚できるくらい、今の私は不安定だ。

 

「やだ……どうして私、死んでまで、そんな人生の続きをしなきゃいけないの……死んだんでしょ?……なら終わりたい……もう……終わりでいいじゃない……」

 

 そうだ。

 

 人生なんてつまらない。

 

 それが真理となる人生を、私は生きてきた。

 

 実の兄が死に、笑顔の消えた家で育って。

 

 兄が死んだ分、重すぎる期待を背負ってきた。

 

 人と上手く付き合えなくて、友達がいなくて、色々な意味で、自分自身の醜さに嫌気がしていて。

 

 確かに継笑は、いやな女の子だった。

 

「そうしないために、今までの経験があるのではないですか? 反省点を活かし、次へと進むのではダメなのですか?」

「今までの経験って……そんな記憶はないもん」

「……千速継笑様」

 

 そうして美貌の少女が、白金の光の中から、問い掛けてくる。

 

「今一度、この問い掛けをさせていただきます」

「……なによ?」

 

 悲愴な表情で。

 

「死を、それ自体を、無かったことにしませんか?」

 

 千速継笑の死を。

 

 十七歳で死んだ、この命を、やり直さないかと。

 

 

 

 答えは、決まっているのに。

 

 

 



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epis06 : Re:Memento

 

『良ければ、もう少し落ち着ける場所で話しませんか?』

 

 そう、提案され、その時点で自分の内面がボロボロであることを自覚していた私は、嫌もなく、(今回?)目覚めた場所である寝台車の車両から、高級そうな数々の調度品が並ぶ食堂車へ、話し合いの場を移した。

 

 そこはやはり古めかしい、アンティークの家具がロマネスクの香り放つ空間だったけれど、ひとつだけ、現実ではありえないような特徴があった。

 

 最初に断っておく、私は映画好きだ。

 

 テレビやサブスクの小さな画面で見るより、ちゃんとした映画館で()たい性質(たち)なので、高校生の身分では数こそまだあまり観てはいない。でも、お小遣いにおけるシネマ係数(そんな言葉はないけど)はかなり高い方だ。キャラメルポップコーン、ホットドッグにドリンクを含まないでそれだ。パンフレットは許して。

 

 ただ、これにも例外が少しあって、ハ●ー・ポ●ターやピ●サーの何作品かは、小学校低学年の頃にテレビで見てしまった。昔のこと過ぎて、ストーリーはほぼほぼ忘れてしまったものの、一部のシーンやカットについては、妙に頭へ焼きついているものがある。例えば、幼いあたしにはなんだか恐ろしく思えたウ●ディの顔とか動きとか。

 

 そんなわけで、この食堂車に入り、その現実ではありえないような特徴を見て、まず思い出したのは、ハ●ー・ポ●ターだった。より具体的に言うならその日刊●言者新聞であるとか、そこかしこに掛けられた肖像画などだった。

 

 つまり。

 

 動いてるのだ、壁にかけられた額縁の中で、映像が。

 

 それは大体がファンタジー映画の映像のようで、魔法らしき七色の光のエフェクトをまとう黒髪の少女が映っていたり、なにかのパーティの映像だろうか? アカデミー衣裳デザイン賞でも取れそうな豪華絢爛のドレスの群れが、広い空間で惜しげもなく群舞を踊っていたり、金髪で耳の長い……エルフと思しき少女が地下室のような暗い場所で、ぼーっと(くう)を眺めていたりもした。

 

 そんなものが、列車一両分の空間に、二十から三十、ずらっと並んでいる。

 

 へぇ……と映画好きは少し感動。額縁にモニターが埋まっている風でもなく、それがどういう技術で実現しているものなのかはさっぱりわからないけれど、なにせここは空を飛ぶ列車の中だ。そういうこともあろうかと納得する。

 

「で?」

 

 感心しながら、白いテーブルクロスが引かれた、マホガニーらしき光沢のあるテーブルの、備え付けらしき椅子……というかボックス席っぽい形状の座席……に、勧められるまま腰を下ろす。

 

「はい。なんでしょうか?」

「……ん?」

 

 ところが、私をここまで案内(まぁ一本道だったけど)してきた真っ白な美少女は、どういうわけか、すぐには対面に座ろうせず、テーブルの脇に突っ立ったままだった。

 

 しょうがないので、「私が落ち着かないから座ってよ」と促すと、美少女は、「はい。それでは」と……何故だか対面ではなく、私の横に座ろうとしてきた。

 

「おぃぃぃ!?」

 

 慌てて「違う違う! そっちそっち!」と押し退け、無理矢理対面に座らせる。

 

「……申し訳ございません」

 

 やっぱりこの子(女神様?)、なんかこう……距離感がおかしい人(天使?)なんじゃないだろうか? それについては私が言うなって話でもあるんだけど。

 

「失礼しました」

 

 品の良い仕草で、ようやっと白い少女は私の体面に座ってくれた。あれだけ品良く、ふんわりと座ったのであれば、ロングスカートの白いフリルにも変な皺はよらないだろう……どうしてあたしがそんな心配をしなくちゃいけないのかはわからないけど。

 

「いいけど……私達、そういう距離感を許すような仲だったの?」

「いえ、ちょっとした昔のクセのようなモノです」

 

 対面から、深々と白銀の頭を下げる美少女へ、まぁ……あまり気にしててもしょうがないと気を取り直し、話を再開することにした。

 

 視界の端、テーブルの窓側には、多肉植物っぽい葉っぱと、小さなベルのような、ピンクがかった黄色い花をつけている植物の鉢が飾ってあった。あれは……えっと……エンゼルランプ……だっけ? 花にはそこまで詳しくはないけど、見た目がまんまだったので、なんとなく覚えている名前だった。

 

「で……死を、それ自体を、無かったことにしませんか?……だっけ? そんなことができるの?」

「時を戻せば」

「時を戻すとどうなるの?」

 

 だがその答えは決まっている。

 

 そう、決まっているはずだ。

 

 その答えが、納得のいく何かであるのならば。

 

 私は今、ここにこうしていない。

 

 何回も何回も、若くして死ぬという悲劇を繰り返してはいないだろう。

 

「正確な表現ではありませんが、千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様は生き返ります」

「ふむ」

 

 とりあえず。

 

 まぁ……ボックス席に対面で座るという距離感は、まぁまぁいい感じに思えた。

 そうそう顔がドアップになることはないし、肉体的接触も、足の先なんかを除けば簡単ではないだろう。

 

 なるほど、確かにここは、『少し落ち着ける場所』だ。

 

「それは、どういう状態で?」

「時を過去へと戻し、肉体の状態も全てその時の状態へと戻ります」

「その表現だと、いわゆる逆行転生でもするみたいに聞こえるけど」

 

 逆行転生。タイムリープに近いけれど、記憶を持ったまま幼い自分へ戻り、過去をやり直すタイプの転生。……それを転生と言っていいのかについては、諸説分かれそうだけど。

 

「……千速継笑様が以前、生き返りを拒絶したみっつの理由の内のひとつは、記憶を持ったまま幼い自分へと戻るというのが、現実にはかなり不安定なモノだということです」

 

 ……えっと?

 

「つまり?」

「それは……」

 

 すると白い少女は、テーブル(クロス)の上に載っていた三叉(みつまた)燭台(しょくだい)、そこに刺さっていた白いキャンドルの一本へ、指をひょいとかざした。

 

 するとどうしたわけか、そこへぼぅと炎が灯る。

 

「へ?」

 

 なにこれ?

 

「ある程度の記憶であれば一応、持って逆行することは可能なのですが……それは実感を、まるで伴わないモノとなります」

「と、というと?」

(たと)えるなら夢です。そうして持ち越す記憶は、五感の刺激を伴わないただの情報に過ぎません。つまり、ご本人の感覚からすれば実体のない、不安定であやふやな記憶ということになります」

「あ、あぁ、なんとなくわかる……かも?」

 

 マッチもライターも使わず、蝋燭に炎を灯した手品のタネはわからないけれど。

 

「逆行した地点より先の、いわば未来の知識、情報等は、ここでの会話も含め、夢のように、泡のように薄い記憶として、数日で霧散してしまう可能性が非常に高くなります」

「つまり、予知夢を見たとして、それを真に受けて未来に備えるほど私がロマンチストか……って話ね」

「はい」

「んー……」

 

 それでも、例えば地震とか火山の噴火とか、そういった、新聞のトップを飾るようなニュースを複数覚えていって、世界がその通りになるのであれば、いつかは信じてしまいそうだけど。

 

「そこが」

「ぉ……ぅ?」

 

 と、美少女はまた燭台に手をかざす。すると二本目の蝋燭に再び炎が灯る。

 

「そこが、理由のふたつめです。そうした予知夢を千速継笑様が信じ、行動する……そういう世界線へ行けたとします……ですがそうなると、世界が変わってしまいます」

「え?」

「この場合の千速継笑様は、高い確率で己の死を回避できます。本来のレールからは外れ、自由に行動できるようになります」

「本来の……レール……」

 

 それの何が、問題だったのだろうか。

 

 歴史の改竄(かいざん)は許さないって話? 本末転倒も(はなは)だしくない?

 

「千速継笑様が、医療過誤(いりょうかご)を専門とする弁護士のお父様から強要されている……されていた未来、つまりは、千速継笑様の本来のレールとは、どのようなモノでしたか?」

「ん……」

 

 やめろその質問は俺に刺さる……と、思わず反射的に叫びたくなるくらい、それは私の気分を落ち込ませる問い掛けだ。

 

「医者になれ……とは言うけれども、実際は医者になれなくてもいいし、せめて医療過誤が専門の自分を手伝いになれるくらいには、医療分野に明るくなっていてほしい……ってことかな。多分本音はそんなところ」

「それでほぼ正解です」

「……ほぼ?」

「本当の本音はそれに、“最悪、俺が認める立派な医者なり医療関係者を捕まえろ”、が付きます」

「パパン!?」

 

 え、なにそれ……だったら医師免許取得に比べたらずっと難易度が下がるKとかD女子の薬学部とかでもいいじゃない……その辺、提案したら最初から志を低くしてどうするって、めっちゃ怒られたけど……。あのパパン、ママンの出身校が含まれるマーチでさえ「下らん大学」って()()ろすからなぁ……。自分だって、一浪してもT大(の法学部)に入れなかったクセによぉ……。

 

 ちなみに。

 

 私の学力は、「ならT大に現役合格すればお父さんの鼻を明かせるんじゃ? 一生、四の五の言わせなくすることができるんじゃ?」と思いついて、一秒で「……いや無理だから」となる程度のモノです。高校こそ、歴史ある高名な進学校へかろうじて潜り込めたものの、そこで完全におちこぼれてしまった。

 

「ともあれ、千速継笑様はお父様の希望により、ご自宅より少し離れた進学校へ入学し、通学されていましたよね?」

「……そうね。やり直せるなら、受験に失敗して、私でも友達になれるような誰かがいる高校へ行きたいかな」

「それも可能ですが、今回の場合、意味がありません」

「……あたしのボッチが既定路線みたいに言われた」

 

 すると、そこで白い少女は目を伏せ、もの凄くわかり易く、悲しそうな顔になった。

 そうだね、私も悲しいよ、友達ゼロの人生は……え、違うの?

 

「千速継笑様は……この時点でもう、死の運命を、既定路線として受け入れているのです。お父様の希望により、ご自宅より少し離れた進学校へ入学し、通学され、その“路線”の途中で死ぬという、ご自身の死の運命を」

 

 ……そうだよね、私が今ここにいるってことは、そういうことだよね。

 

 うん知ってた。

 

 だって、そうじゃなきゃきっとこんなことになってない。

 

「……なんで?」

 

 でもなんで?

 

 私は電車に()かれての轢死(れきし)……なのよね?

 

 ということは、ホームから線路に落っこちた……ってことでしょ?

 

 そんなの事故じゃない。それで何が変わるっていうの?

 

「事故死は、世界が変わらない範囲で、なるべく苦痛の少ない死で済むよう、千速継笑様ご自身が選択されたことです」

「……はい?」

「千速継笑様の本来のレール、本来の死の運命はかなり苦痛に満ちた……少し……というかかなり、センシティブな話題となってしまいます……ですが、必要なことなので、ここでは語らせていただきます」

「んんん??」

 

 なんだなんだ。話の流れが変わったぞ?

 

 キャンドルに(とも)るふたつの小さな炎が、決然とした表情の、白い少女の勢いに煽られでもしたのか、ゆらゆら、ふわふわと揺れている。

 

「高校二年の二学期、現状の千速継笑様の主観から見て一ヵ月後の十月、制服が冬服に変わったことである変化が起きます」

「へ?」

 

 えっと……。

 

 ウチの高校は……制服の着用が義務だけれど、学校指定のものであれば、女子はセーラー服とブレザーのどちらでもいいことになっている。夏はセーラー服、冬はブレザーというのも可能だ。私は……あたしは一年次、そうしてきた。ただ、二年次はなんとなく、ぼんやりと、冬服はセーラーにしようかなと思っていたが。

 

「結論から言うと、千速継笑様は悪質な痴漢に遭います」

「げぇぇぇ!?」

 

 ちょっと待ってよ!?

 

 ウチの高校って、確かに制服が可愛いことでも有名だけど! 過去に勇気ある告発をした生徒の存在が複数あることから、痴漢にも狙われ難いって聞いてたんだけど! ありがとう先輩じゃなかったの!?

 

「悪質というかプロというか、いわゆるダークウェブで独自のネットワークを持ち、抵抗しない被害者を見つけると、(ほね)(ずい)までしゃぶり尽くすような、かなり悪辣(あくらつ)な集団ですね」

「え……実在するの? そんな連中……」

 

 ドン引きなんだけど。むしろ不審と怖気(おぞけ)が山盛りテンコ盛りの丼曳(どんび)きなんだけど。

 

「これに、ほとんどの場合、千速継笑様は抵抗しない被害者となります」

「あー……」

 

 それはまぁ……そうだろうな。

 

 私は親との折り合いが悪い。

 

 告発したとして、私は未成年であるからして、すぐに保護者へと連絡が行ってしまう。そうなると確実に弁護士であるオヤジがしゃしゃり出てくる。それはイヤだ。本当に、とてもイヤだ。あのオヤジに、これ以上デカイ顔はさせたくないってのもあるけど、痴漢は性犯罪だ。そして性犯罪はデリケートな問題なのだ。専門家でもないパパンに任せて、いい結果になるとはとても思えない。

 

「そうして一ヶ月で、千速継笑様はダークウェブを通じて、何をしても抵抗しようとしない、その筋でもブランド力のある進学校の女子生徒として有名になってしまいます」

「あ~……」

 

 頭を()(むし)りたくなる。なんだそれは、そんなことが現代日本において起こっていいモノなのか、許していいモノなのか。その筋のブランド力ってなによ。あたしはイクラだけじゃなくて筋子も好きなんだぞ莫迦(バカ)ぁー。社会正義どうなってんの、ねぇお父様。

 

「そこから先は……三題噺(さんだいばなし)風に表現すると、集団ストーカー、拉致監禁、証拠隠滅……となり、千速継笑様は十八歳の誕生日も迎えられず、亡くなられてしまいます」

「わー、これが本当の十八禁ってか~……ぢゃねぇわっ!?」

 

 そういう方向性のえっちぃのはあたしでも嫌いです。色んな意味で、イケナイと思います。

 

「……痴漢の段階で抵抗した場合はどうなるの?」

「千速継笑様がご心配なされているように、お父様が大事(おおごと)にします」

「パパァ!?」

「相手が相手ですからね、すぐに未成年であるはずの千速継笑様のお名前、それと盗撮写真等がネットにバラまかれ……それはもう見事なまでに、人生が滅茶苦茶に」

 

 酷すぎるっ!

 

「やだ……そんな薄い本で語れてしまうような人生やだ……」

「実際、そのルートでは数年後に、固有名詞こそ変えてあるものの、明らかにそれとわかる形で事件の概要が薄い本になりましたね」

「そんなチャレンジ精神はいらねぇよ三日目層ぉぉぉぉぉ!?」

「お父様はそれにも噛み付かれ、その後、医療過誤の専門家から痴漢問題の専門家に転進したあげく、問題を悪化させまくった弁護士様として、ネット住人のいいオモチャに。お父様を象徴するAA(アスキーアート)は、私が! 娘を! 守る! と叫ぶ濃い顔の男性に、猫っぽいなにかが、ヤメテ! と叫んでいるモノでした」

「ウチの一親等がインターネットに詳しい弁護士カッコワライみたいな扱いに……」

 

 もはや悲劇を通り越して笑劇(ファルス)だにゃん。……第三者視点から見れば。

 

 あれ……でも。

 

「その運命はでも、回避できるんだよね?」

 

 そう、これは私が生き返りを拒絶したみっつの理由、そのふたつめの話だったはずだ。

 

 痴漢なんて通学方法を変えてしまえば、それで済む話だ。まぁ面倒ではあるけど、莫迦(バカ)みたいな末路を迎えるよりかは、ずっといい。

 

 というか……つまりきっかけは……冬服をセーラー服にしたから……なんでしょう?

 

 そんなことが生きる死ぬの話になるなんて……物凄く釈然としないけれど……。

 

 あのね? 私別に、そこに強いこだわりはないからね? 冬服をブレザーにするだけでいいなら喜んでそうするよ?

 

 避けられない死であれば、せめて苦痛の少ない方を選ぶというのはわかる。だけどその死は避けられるモノのはずだ。

 

「はい、千速継笑様は、世界を変革することにより、この死を避けることができます」

「え、ちょっと待って……話が混乱してきたんだけど」

 

 私は生き返りを拒絶した。過去にそう決断したらしい。記憶にございませんケドそうらしい。

 

『千速継笑様は……この時点でもう、死の運命を、既定路線として受け入れているのです。お父様の希望により、ご自宅より少し離れた進学校へ入学し、通学され、その“路線”の途中で死ぬという、ご自身の死の運命を』

 

 つまり……世界を変える変えない、変革するしないというのは、それができるできない、許される許されないという話ではなくて……私が、私自身が世界を変えたくない、変革したくないと判断した……つまり轢死を受け入れることに納得した……既に、自らその路線(レール)に乗ると決めている……これは、そういう話なの?

 

「私は、絶対に未来を変えてみせると決意し、過去の自分が納得するような材料……予知夢で見たことが現実であると確信できるだけの情報を持って過去へと戻れば、悲惨な死を回避することができるんだよね?」

「はい。再三、私が千速継笑様へご提案申し上げているのは、正にそのことです」

「でも……そうすると世界が変わってしまうから……変革してしまうから……ダメ?」

「はい。千速継笑様はそう、決意されています」

「いや私の知らないところで、私が決意されていますと言われても……」

 

 だって。

 

 今の、この私は思う。

 

 世界が変わる。そのことに何の不都合が?

 

 自分の生死がかかっているのに、本来がどうとか、正史がどうとか、どうでもいいじゃない?

 

 すると白銀の少女は「ふぅ」と重々しく、だけど花の香りでも漂ってきそうなほど優雅にため息を吐き、何かを諦めたかのように言葉を続けた。

 

「……こうなった時、こうこうこうであるという話を、直ぐにしてほしいと、以前の千速継笑様より言い付かっていることが御座います」

「……伺います」

 

 つまり、私が死の運命を受け入れた理由……か。

 

 私は自分がそれなりに利己的な人間であると知っている。

 

 自分が、生にあまり執着のない人間であるとも知っているけど、自分が生きていたら、見知らぬ誰かの運命が変わってしまうからとか死ぬとか、そこまで……死にたがりではない。仮に、私が生きていると未来に五十億人が死ぬと言われても……あっそ、で生きる方を選ぶ気がする。

 

 何が私に、死の運命を受け入れさせた?

 

「……千速継笑様が既定路線のまま生存し、かつお父様が医療過誤裁判の専門家のままであった場合、未来において、とあるお医者様が事実無根の罪に問われ、追求される中で自殺してしまいます」

「……ん?」

「そのきっかけとなるのが、千速継笑様のお父様なのです。この運命はかなり強固で、千速継笑様が痴漢を告発し、お父様が医療過誤の事件などどうでも良くなった場合か、本来のレールに乗り、お父様にとって“良くできた娘”であるところの千速継笑様が死亡し、気落ちしたお父様が弁護士を引退なさるか、どちらかの場合にのみ回避が可能となります」

「お、おう?」

 

 え、えーと?

 

 A:痴漢を告発しない → 私が薄い本展開で死ぬ。パパが気落ちして弁護士辞職

 B:痴漢に遭う前にあたし死亡 → パパが気落ちして弁護士辞職

 C:痴漢を告発する → パパが痴漢問題に詳しい弁護士カッコワライに転進

 D:痴漢も自分の死も回避 → パパのせいでひとりのお医者様が自殺する

 

 こういうこと? そして本来はAだったものを、今はBの状態に変えてあると。

 

 あ、あとついでに。

 

 X:今の高校へ進学しない → あたしが悪い娘だからパパ気落ちしない弁護士辞めない

 

 ってのもあるか。パパァ……そういうところだぞぉ……。

 

「ま、まぁ……それはまぁ……私が生きているせいで無実の誰かが自殺するというなら、多少気は引けるけど、それって悪いのお父さんだけじゃない? あたし関係なくない? それだけで、私が生きるのを……生き返るのを……諦める?……の?」

 

 けど、諦めるのだ。

 

 それは私が今、ここにこうしていることによって、証明されてしまっている。

 

 それだけの理由が、あるのだ。

 

「そこがみっつめの理由です」

 

 真剣な表情で手をかざす白い少女に、なぜかごくりと、喉が鳴る。

 

 白金(プラチナ)の燭台に、ぽぅとみっつめの炎が灯る。

 

 三本の蝋燭、全てに炎が灯った三叉の燭台(キャンドル)は、私にはなぜか酷く眩しいモノのように思えた。

 

「千速継笑様が健やかに生存することにより、自殺されることとなるお医者様は、非常にプライドが高く、繊細であったので、そのように疑われたというだけで、確固たる自死の意思を固めてしまわれるメンタルの男性だったのですが……医者としての能力は確かなものがありました」

「……えっと、その人が救った人の中に、未来において重大な仕事を果たす人がいたとかって話?」

 

 言いながら、そうではないと、自分でも思う。

 

 そんなことで、自分が生き返りを諦めるとは思えない。

 

 あたしはそれくらいには利己的なのだ。

 

「いいえ、もっとシンプルで、小さな話です」

 

 白い少女が、みっつの炎が灯った燭台越しに、私の目をじっと見つめてくる。

 

 ゆらめく白に近い蝋燭の灯りが、白銀(はくぎん)の髪を照らし、部分部分を白金(はっきん)に輝かせている。

 

 その輝きは、いまだ胸の(うち)に残る私の熱を刺激してきて、落ち着かない気分にさせてくる。炎から、こちらへもなにかが燃え移ってきてしまいそうで不安になる。

 

 けど。

 

 逃げるなと、その炎が言っている。

 

 そんな気がする。

 

 揺らめく炎が、目を逸らすなと囁きかけてくるかのようだった。

 

 ……ややあって、白銀白金の少女は、言葉を続けた。

 

「千速継笑様のお兄様、十三歳で他界されてしまわれた千速長生(なお)様。その死因をご存知ですか?」

 

 

 







千速継笑が映画館で観劇済みの、二十六(26)本の名作映画

※現実には全くリバイバルされてなく、十七歳の女子高生が(映画館で)見ているはずのない作品もあります

○ 雨に唄えば(1952年)
○ 異端の鳥(2019年)
○ E.T.(1982年:銃が消されていないバージョン)
○ カメラを止めるな!(2017年)
○ 桐島、部活やめるってよ(2012年)
○ グリーンマイル(1999年)
○ シザーハンズ(1990年)
○ ショーシャンクの空に(1994年)
○ シン・ゴジラ(2016年)
○ スリーピー・ホロウ(1999年)
○ セブン(1995年)
○ ターミナル(2004年)
○ チャーリーとチョコレート工場(2005年)
○ 天空の城ラピュタ(1986年)
○ ニュー・シネマ・パラダイス(1988年)
○ 野火(2015年:塚本晋也監督版)
○ ハウルの動く城(2004年)
○ パプリカ(2006年)
○ パルプ・フィクション(1994年)
○ フォレスト・ガンプ/一期一会(1994年)
○ ブラック・スワン(2010年)
○ ブレードランナー(1982―2019年:IMAX版)
○ ベンジャミン・バトン 数奇な運命(2008年)
○ ボヘミアン・ラプソディ(2018年)
○ ラ・ラ・ランド(2016年)
○ レオン(1994年)




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epis07 : crossing Field

 

千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様のお兄様、十三歳で他界されてしまわれた千速長生(なお)様。その死因をご存知ですか?」

 

「う」

 

 瞬間、確かに千速長生の妹であるこの千速継笑の胸は、キュウと痛んだ。

 

 その言葉にもう、この胸の痛みにもう、私はなにもかもを悟ったような気がしてしまった。

 

 もしかしたらそれは、私にとっては思い出した……という類のモノだったのかもしれない。

 

 優秀なお医者様。そして私に、私の(いえ)に呪いをかけたお兄ちゃんの病気、死。

 

 ふたつを、ふたりを結びつけるモノ、それはそう多くない。

 

『……こうなった時、こうこうこうであるという話を、直ぐにしてほしいと、千速継笑様より言い付かっていることが御座います』

 

 ああ。

 

 そうか。

 

 そうだったか。

 

 うん。

 

 そうだね、それならあたしは納得する。

 

 さすが過去のあたし、私のことがわかってる。

 

 それは無理。(くつがえ)せない。納得するしかないよ。

 

 そりゃあ、あたしも生き続けることを諦める。

 

 確かに、それは、あたしが生き返るよりも、ずっとずっと大事なことだ。

 

「お兄ちゃんの病気を……今でも不治の病と言われている、お兄ちゃんを殺したあの病気を……そのお医者様が……どうにかしてくれるのね?」

「はい。完膚(かんぷ)なきまでに」

 

 やっぱり。

 

 ああ……なんてこと。

 

 お父さんは、兄を(むしば)んだ病、兄の命を奪った病を根絶してくれる、そのハズのお医者様を、その手で殺してしまうのだ。

 

 本当に求めていることとは、逆のことをしてしまうのだ。

 

 それは強固な運命で起こるという。

 

 だから……私にはわかった。

 

 天啓のごとく、理解できてしまった。

 

 それはつまり、だからきっと、本当は認めたくないけれども……お父さんはずっと、お兄ちゃんの死の周辺で、なるだけそれに関われるよう、生きてきたってこと……で。

 

 娘に、その手伝いをしろと、お前も人生を捧げろと強要してしまうくらいの妄執でもって、その場に留まり続けて。

 

 事実無根の罪で、未来あるお医者様を自殺まで追い詰めてしまうくらい……盲目で。

 

 ハッキリ言って、お父さんは、娘のあたしから見ても頭がおかしかった。

 

 四十代にして八十代の頑固ジジイがごとく、人の話を聞かなかった。

 

 自分のエゴを押し付けてきた。

 

 けど、それには理由があった。

 

 私には理解できる……やむにやまれぬ事情があったと。

 

 でもそれが、世界にとっては真逆の結果をもたらすのだとしたら……救えない。

 

 そんなのはもう暴走老人だ。自分は間違ったことをしていないと信じ続け、人を()(ころ)していく類の。

 

 そんなのもう、救えない。

 

 ホントもう、なにもかもが、救われない。

 

 私が世界を変えることで、そうなるのだとしたら……そんなモノは到底受け入れられない。

 

 認めたくない。認められない。

 

 利己的な私だからこそ、到底受け入れられないのだ。

 

 一瞬、全部目の前の、この美少女のデマカセなんじゃという疑問もチラリ、頭に灯った。けど、すぐにそれはないと、私という存在のどこかが全面的に否定してくる。その意味もわかる。私は、それが本当のことであると、もう何度も思い知らされた後なのだ。

 

「千速継笑様の異世界転生が(ことごと)く短命に終わり……四回目の後、すぐです。千速継笑様は方針を転換して、そうした現実を書き換えることができないかという方へ向かわれました」

「やっぱり。もう試した後なのね……」

 

 というか、ならこの美少女が私の転生回数を四回目から先、数えるのを止めたのだって、体感時間が百年を超えたからとかじゃなくて、そっちが本当の理由でしょ?

 

「はい。痴漢もご自身の死も回避するルートは、もう十回以上試されています」

 

 ほら、そっちは少なくとも十は数えているじゃない。

 

「そっかぁ……当然ね、痴漢に遭うルートは、それが正史でもそうそう繰り返したくないもん。そっちの回数が増えるよなぁ……んー……じゃあもぉいっそ痴漢に遭う前に、嘘で痴漢に遭ったって告発してみるとかは?」

「それを試されたのは一回だけですね。嘘と、完全に見抜かれてしまいました。さすが、その辺りは優秀な弁護士様、といったところでしょうか」

 

 オヤジィ……。

 

「痴漢もご自身の死も回避するルートの場合、その先のパターンとしては」

 

 壱・父親が弁護士を辞めるよう働きかける

 弐・父親に専門を変えるよう働きかける

 参・お医者様の自殺をなんとか食い止める

 

「などがありますが、そのどれもが、千速継笑様のお立場、才覚からは不可能なことでした」

 

 不可能だろうなぁ……。

 

 パパ、ホント人の話を聞かないからなぁ……。

 

「私が、我は予言者であるぞ~……っていろんな予言を的中させてみせて、こっちの言うことを信じさせるとかは?」

「おふたりとも、その手の話が、超が付くほどに嫌いなお方々なので……」

 

 お医者様、お前もか。

 

「融通が利かな過ぎる……そして試したのね……さすが私……」

「最終的には、“あたしがそのお医者様を旦那様にしちゃえば、お父さんもつっかかっていかないんじゃない?”……という作戦になりました」

「うわー末期ぃ~……私なあたしが莫迦過ぎる……」

 

 頭を抱える私へ、白い少女は、慰めるかのように優しい目を向けてくる。ヤメテソンナメデミナイデ。

 

「そうでもなかったのですよ? ある意味において、この作戦は成功しました。千速継笑様は中橋(なかはし)継笑様となり、幸せな家庭を築かれます」

「えええ……」

 

 ってか、中橋っていうんだ、そのお医者様。

 

 ……イケメン?

 

「それは……で、何が失敗だったの?」

「中橋医師が、千速長生様を蝕んだ病の治療法を発見できなくなりました」

「あたしがサゲ●ン過ぎる!?」

 

 思わず、ボックス席をガタンと立ってしまう。

 

 そんな私を、白い少女は労わるようなとでもいえばいいのか、哀れむようなとでもいえばいいのか、とにかくなんだか、微妙な目で見ていた。だからヤメロ、そんな目で俺を見るなっ。

 

「中橋医師個人の幸せという点では、逆だったのですけどね。どうやら中橋医師の功績は、悪妻が賢者を創るのパターンだったようです」

「慰めになってない……」

 

 そんな顔も知らないお医者様の幸せを、何の見返りも無く望めるほど、あたしは聖女なんかじゃないんだからね。というかその人、かなり年上なんじゃないの? 年上過ぎるのはちょっとな~。

 

 その時の自分がどういう気持ちだったのかは知らないけど……知りたくないもないけど……でも、私は今、ここにこうしている。

 

 その結果では、その人生では、やはり納得できなかったということなのだろう。

 

「中橋医師の功績だけ奪って、あたしがそれを発表するとかは?」

「治療法は高度な科学的、医学的知識がなければ理解できないモノです。情報を運ぶ手段が千速継笑様の記憶、夢の記憶だけとなりますと……」

 

 あー、はい。自分のおちこぼれ脳がうらめしいです。

 

「そこは助けてくれないのね」

「はい」

 

 言い切られた……。

 

「私が千速継笑様の転生先……その場合は逆行転生先ですが……にお邪魔することはできません。私という存在を、千速継笑様の過去へ干渉させる手段が存在しないからです。幽河鉄道(ゆうがてつどう)はあくまでも時間の巻き戻し、因果のリセットを行うだけの乗り物に過ぎません。“そこ”に存在したことがない私を降車させ、存在したことにする機能はないのです。因果の書き換えは、“乗客”である千速継笑様にしか行えません。それゆえ、私にはどうにもできずに……申し訳御座いません」

「ま……それもそうだよね。理屈はよくわからなかったけど……それができたら、こんなことをグダグダしてたりしないよね。不可能なことはあるよね」

「重ねて……申し訳御座いません」

「いいよ。責めてない」

 

 超常的存在を引き連れての逆行転生かぁ。手塚●虫先生の絶筆、ネオ・ファ●ストがそんな感じじゃなかったっけ。他にもいっぱいありそうだけど。

 

 でもそうか……それも私は、不可能か。

 

 まぁ仕方が無い。ループ物は制約が多いって相場が決まってるし。

 

 不可能、無理、か……。

 

 敢えて提案しなかった……口にして否定されるのを怖れた……お兄ちゃんの病死を阻止する、という方向性も……だから無理なのだろう。結婚という、自分の全人生を賭けてまで失敗した回があるのだ、そこまで末期になっていたのなら、そこへ行く前に「ソレ」は試したはずだ。

 

 いや……「はず」なんかじゃない。これは自分のことだから、絶対にしたと断言してもいい。

 

 お兄ちゃんの死は、なにせ病死だ。不慮の事故とは違う。私が生まれた時には、既に手遅れだった可能性すらある。そうでなくとも、赤ちゃんであったり幼稚園児だったり、小学生低学年の女子に、何を変えられるというのだろう。

 

「“そこ”に存在したことがない人を降車させ、存在したことにする機能はないって……それってつまり、私が、例えばお兄ちゃんより前に生まれるとか、そういうこともできないってことだよね?」

「……はい」

 

 目の前の美少女は、これを私に悟ってほしくて、敢えて末期の例を挙げたのかもしれない。

 

 視線を美少女の方へ向けると、何かを察したのか彼女は横、エンゼルランプの花の方へ顔を逸らしてしまった。

 

 そのまま、彼女は胸に手をあて、言葉を続ける。

 

「ともあれ……そうした経緯があり、千速継笑様はご自身の死因を、せめて苦しみの少ない死をということで、轢死(れきし)という形に書き換えました。ご命日を、本来のルートであれば痴漢に遭う一ヶ月ほど前、高校の文化祭の、準備期間中のある日に設定したのは、その日が急いで家に帰らなければならない状況下にあったためで、そうであるなら自殺ではなく事故だったと思ってもらえるから……とのことでした……ですがどうか」

 

 そこで語気が強まり、視線がこちらへ戻る。

 

 真剣な表情、真剣な視線。

 

 必死な感じが、こっちにも伝わってきた。

 

「ですがどうかっ!」

「んぇっ!?」

 

 ……けど。美少女にまた強い視線を向けられた私は、結構それどころじゃなくて。

 

 正直、話にはもう納得していたから、むしろ人身事故でダイヤが乱れる迷惑とか気にしなかった辺り、やっぱり私は利己的な人間だなぁ……と考えていたくらいで……だから今更、真剣に心変わりを求められても困る……というのもあったけど。

 

 今の私は、それとはもう、全然別の衝撃に襲われていて。

 

 魅了(チャーム)攻撃が付与されていると言われても全く驚かない、可愛すぎる美少女のつよつよな視線に、まるで笑劇(ファルス)のようにドキンと心臓が跳ねた。

 

「ですがどうか! どうか! 千速継笑様!!」

「ひっ……」

 

 白い少女は、フリルを揺らしながらすっと立ち上がり、また魔法のように可愛らしいその顔貌(がんぼう)を、ずずぃと私へ近づけてくる。再びのドアップだ。

 

 今度は心臓がバックンバックン鳴りだす。汗は出ないけど心臓は跳ねるって、これホントどういうシステムなんだろう。

 

「どうか! どうかお願いします!」

「うひぃ!?」

 

 あー、もー、くそ~……そのウルウルおめめ、反則じゃない?

 

 そのレベルで可愛いって、もう立派な凶器だよっ。

 

「す、ステイ! ストップ! だ、だからあなたの顔のドアップはダメだってば! それに! ほらぁ! チョイ下! チョイ下見て! ほら蝋燭! 炎! 燃えてるでしょ! 危ないから! 髪の毛焦げるよ!?……って……あれ焦げてない?」

 

 なんかガンガン炎に触れている白銀の髪の毛が、全く燃えてない。

 

「お願いです! 千速継笑様!」

 

 どういうこと? いやだから本当にどういうシステム?……いやでも! だけどそれでも! むしろ、ぐいぐい近付いてくるご尊顔に私の心が燃えるので止めてください! 焦げてしまいそうですっ! だからおねがいっ! どうどうどうっ!!

 

「どうか! どうかご再考を!」

「そ、そんなこと言われても、わ、私はもう納得しちゃったし」

 

 話には納得した。生に執着のない私のどうでもいい命など、ここで終わりでいい。

 

 それは諦めでも絶望でもなくて。

 

 その先に大切なモノがあると知れたから、私は満足したのかもしれない。諦めと絶望の先にある死を、愛しく迎えていいと思えた。それはけして嫌な気分ではなかった。

 

 だからそれはいい。

 

 ()()()いいんだけどっ!!

 

「何度でも……千速継笑様は何度でも過去をやり直せます! そのために幽河鉄道があるのです! 千速継笑様の人生を! どうか諦めないで下さい!!……んっぷ!?」

「くっ……」

 

 思わず。

 

 もう、これ以上は理性(ココロ)がもたんとばかりに。

 

 防衛本能がアイアンクローの形となって美少女の顔、下半分を掴む。

 

 半分でも、その顔が見えなくなればまだマシになるかなとばかりに。

 

「んむ!?」「おふっ……」

 

 おうおうおう……むんずってしたらふにってしやがってん。何語。

 

「んー!?」

 

 お、お~、おぉ~……。

 

 唇やわらけ~。顔ちっちゃぁ。ほっぺたぷにぷにのお肌すべすべ~。

 

 ……じゃなくて。

 

 オヤジかあたしは。いや私のお父上なオヤジはこんなことしないけど。

 

「えっとね……ごめん、ふへっ……話は、(おおむ)ね、理解しました。うくっ……ご、ご厚意感謝します。けど、それだったらやっぱり私は死んでいいやって思う。千速継笑はおしまい、それでもういいよ。んぷっ……つまりそういうことなんでしょう? 私がここにいる理由は」

「ん……ぶ……ぅ」

 

 目を白黒(しろくろ)させる……というより白金(しろきん)させたり白銀(しろぎん)させたりする少女へ、私は自分のスッキリした気持ちを伝える。……時々、手よりの感触(何か言いたげに唇が動いてもにょもにょするんだもん)に奇声が漏れたけど。

 

「もうずっと、私はそう決断し続けてきたんでしょ? んんんっ!……えっとね、だから私は間違いなく私だよ。何を言われても、何度言われても、きっと同じ判断をし続けると思う」

「ぅ……んぅ……ほぇぁ……」

 

 それを言い切る頃には。

 

 自分が生きるとか死ぬとか、そんなの本当にどうでも良くなっていた。

 人は生まれた時から死ぬ運命を背負っている。あたしにはそれが少し早くきてしまっただけ。そんなありきたりで、チープな言葉でも、私は納得できる気がした。

 

千速(ふぇんふぉふ)……継笑様(ふふふぃはまぁ)……」

 

 まぁ……それにしてもだよ。

 

 それにしても、それにしてもだよっ。

 

 それにしてもさ、この子の……顔っ!

 

「……ぷっ」

 

 さすがに、美少女もアッチョ●ブリケな顔貌(がんぼう)となれば、可愛いよりも可笑(おか)しいが勝つらしい。ぷぷっ。人指し指で(ぶた)(ぱな)にしてあげようかしら。

 

 言いたいことを言い切った爽快感からか、なんだか楽しくなってきた気がする。

 

 ……あれ私何をしてたんだっけ?

 

 まぁいいか。

 

「んにっ!? むーっ!?」

 

 ほーら、ほっぺたぷーにぷに~。

 

「んへ~……」

 

 至福。

 

 私はこのために生まれてきたのかもしれない。いや死んでたっけ?

 

「んー……むぅーう……んぅんぅんぅ!!」

 

 あ、右手にタップが入った。

 手の甲を全く痛くない感じに、小さな手でパシパシ叩かれる。

 

 それはなんかこう、猫の尻尾がペシペシ当たってるみたいな感覚だった。

 

「んぅっ、んぅ、んぅっ!」「ほぇぇぇ……」

 

 んー……でもまだ……豚っ鼻には、してないんだけどな……。

 

 ……。

 

「……えぃ」

「んんっ!?」

 

 はい、豚っ鼻完成。おー、凄い顔。

 

「んーぅ!? んぅんぶんぅんぅんぶぅ~~~」

「……ぽぇ」

 

 そ、それにしても、な、なんだこの……すごく可笑しな顔になってるのに、それでもすごーく可愛い生き物っ……。

 

 先程味わった、心を鷲掴みにしてくるような、吸引力のある可愛らしさとは違うものの、なんだかこう、ヤめられないトめらない感じのほっとけなさがある。ほっとけなくて、イジメ……もとい、イジりたくなってしまうみたいな。

 

 もう永遠に、ずーっとこうしてペシペシしててほしいなぁ~……尊いなぁ~……って思ってしまうような……。

 

 ほぇ~……。

 

 ぽぇ~……。

 

「んぅんぅんぶぅんぅんぅ、んー!」

「はっ!?」

 

 とうとうペシペシが両手になり、そこで我に返りバッと手を引く。

 

「んぶっ!?」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ちょっ……おまっ……。

 

 なんだこれっ。

 

 なんか!

 

 呼吸をするのも忘れて! ペシペシに夢中になっていたんだけどっ!?

 

 麻薬かっ!?

 

 美少女怖い、美少女に変顔させてイジってイジりまくってヤめられないトめられないになるの怖い。(かん)(ぜん)っに我を忘れていた。豚っ鼻でも魔性ってどんだけ!?

 

「うぅ……酷いです……“こういう時はタップすればやめてあげる”って教えていただきましたのに、当のご本人がそれで直ぐに放してくれた例《ためし》がありません……」

「あ……やっぱりそういうのも経験済みなのね」

 

 というかタップは私が教えたのね。

 

「なんか、ごめん」

「……いぇ!」

 

 するとどうしたことか、白銀の美少女は心からという感じで、ニッコリと笑う。

 

「いいえ! ですが……久しぶりでしたからっ、少し嬉しかったですっ」

「え……あ、はい」

 

 え、頬っぺたぐにょんで豚っ鼻が嬉しいの?

 なんだか語尾にハートマークが付きそうなくらい、ご満悦な笑顔だけど……ドM?

 

 なに? あなた私に変な性癖でも生やしたいの?

 

 ……。

 

 ……あれ?

 

 っていうか、何の話だっけ?

 

 私達何をしていたんだっけ?

 

「えー……っとぉ……そう! とにかくっ、だから言ったでしょ! 千速継笑の人生はもうこれでいいのっ。四回目までだっけ? つまり最初の内は、あたしも転生することに、別の人間となることに、納得していたんでしょう?」

「ぁ……はい。えぇ……」

 

 あ、ドMちゃんが一転して(うれ)う美少女の顔になった。鼻の頭がまだ赤いけど。

 

「納得と言いますか……その頃は、今とはまた少し事情が違っていたのですが……五回目の時に、千速継笑様の過去を、千速継笑様の人生をやり直すという選択肢があることを、当方より告げさせていただいた時には……顔面崩壊の刑だけでは済みませんでしたから……」

 

 何をした、その時のあたし。

 

「そうね、つまり一回目から四回目の時は、痴漢を告発しなかったルートの私だったってことでしょ?……痴漢でストーカーで拉致監禁からの証拠隠滅かぁ……そんなんで死んだんじゃ、あたしも荒れてただろうなぁ……」

「ええ、貞操の危機を感じました……」

 

 だから何をした、その時のあたし。

 

「色々巡って、その最初の状況に戻ったってことでいいわ。来世を幸せにする、その方がきっと前向きな選択になると思うから」

「……そうですか」

 

 不服そうに、白い少女は(うつむ)く。

 

 けど私が目覚めた、最初の頃の感じから、彼女にもこうなることはわかっていた、覚悟していたようにも思える。

 

『千速継笑様、残念ながら貴女の肉体はバラバラとなり、四肢はもげ、四散してしまいました』

 

 あの辺りは、もはや決まった手順(ルーティーン)なのだろう。

 

『やはり……自己認識として、私が天使様と呼ばれるモノへ近しいとも思えませんが……そうですね、閻魔様と比べればですが……天国に導く……いえ導きたいという意味において……ええ、私は天使の方に近い存在とも言えるかもしれません』

 

 それでも何か状況が変わるかもしれないと願う、変わっているかもしれないと祈る、そういう気持ちは理解できる。人生をやり直さないかという提案は、私の様子を見てのモノだったのだろう。

 

 ……そういえば、まだいくつか肝心なことを聞き忘れていることに気付いた。

 

 自分の頬に触れ、そこに体温が無いことを再度確認する。

 

「ね……私の記憶って、転生したり、ここへ戻るたびに失ってしまうの?」

 

 目覚めた時、私の直前にあった記憶は……物凄く遠くに感じたけれど……学校から家へ、忘れ物を取りに行こうとしていたというモノだった。つまり転生(異世界転生?)していた時の記憶は無かったわけだ。

 

「ここへ戻る場合に関しては……落命の状況次第です。具体的に言えば、記憶の破損は脳を損壊するなど、頭部へのダメージが大きかった場合に発生する事態です」

「じゃあ前回?……の死因は、脳へのダメージが大きかったんだ?」

「……ええ、これは確実に記憶を失っていらっしゃるはずだから、今回はそのつもりでいなければ、と……事前に心構えを整えられるくらいには」

「む?」

 

 なんだろう。ぼかされた?

 

 んー……これ、聞いといた方がいいヤツかな、悪いヤツかな。

 目の前の美少女はなんというか、その辺、読めない相手の気がする。

 たぶん、いくつかの常識は過去の私が教えたんだろうけど、その辺を取っ払うと人間味の無い、超然とした超常的存在の地金が見えてくる気がする。白銀と白金のメッキを剥いだら、そこにはなんとファンタジー鉱物、ミスリルが眠っていましたよ~……って感じで……いやどんなよそれ。

 

 ま、でもいいや。聞こ聞こ。

 

「具体的に、私の脳味噌はどうなったの?」

 

「……ゆっくりと、(むし)に、食べ」「わかったもういいグロ禁止」

 

 ま、でもいいや……じゃないよ十秒前の私! 詳細を聞いたらトラウマになる系だったよ!

 

「……あたしの転生、そんなに天寿を全うするのが難しいの?」

 

 何かの呪いなの? 私という人間の魂が不幸の星の(もと)に生まれているの?

 

「転生が短命続きってのもおかしいじゃない、記憶を残したまま転生できるなら、さすがに今度こそは長生きをしようって思うはずじゃないの?」

「転生の際、記憶は持ってはいけるのですが、やはり夢で見たような曖昧な記憶となってしまい、活用は難しいというのが、過去に千速継笑様がおっしゃられていたことです」

「チーレムだったり無双だったりは無理なんだっけ、私は。なかなかに、そうはなれませんって言ってたよね? 転生特典とかないの?」

「転生特典というより、これは幽河鉄道の特性によるモノですが、千速継笑様は転生先をご自身で選ぶことが可能となっています。こういった家庭環境のこういった人種に生まれたい、という類のご要望であれば、ほぼお応えできると思います」

マジで()?」

 

 どこか王族の、めっちゃ可愛いお姫様に生まれるとかも可能?

 

美姫(びき)パターンは過去の千速継笑様より、“もう私がそれを求めても絶対叶えてあげないで”と申し付けられております」

「私に何があった……」

「嫉妬や無理心中で殺されるパターンが多い印象でしたね。まさか違う意味で便所な飯を食わされるとは思わなかったわ……と死んだ魚の目で呟かれたのを聞いたこともあります」

「何を食わされたの私……」

 

 そしてやっぱり死ぬんだ……そのパターンでも、嫉妬されるほど美しい内に。

 

「短命に終わらない工夫は? したんでしょ?」

「魂へepis(エピス)を付与することにより能力等の、多少の向上は(はか)れます」

「エピス?」

「エピスは……ここでは強化パッチのようなものでしょうか。知識(エピステーメー)とは言いますが、実際はただの情報(データ)です。魂に付与することで肉体や才能を改善、改良します。逆行転生の場合は、効果が激減してしまうのであまり使えませんが」

 

 なるほどわからん。FG●の概念礼装みたいなもの? 違うか。

 

「変に大量に付与してしまうと、デブリと化してしまうので、これには節度が大事になってきます。用法容量を守って正しくお使い下さい、です」

 

 やっぱりわからん。

 

「よくわからないけど、つまりチートといえるほどのモノは与えられない、でも少しならヒイキは可能ってことでOK?」

「はい。その認識で間違っていません」

 

 なんだ、もらえるんだ、チート。ぶっこわれでないにしても、転生先を好きに選べるってのと合わせれば、それはもうとんでもないアドバンテージではなかろうか。急に目の前の白い少女がなろうな女神様に見えてきた。王道外しをしない方の。

 

 けど、だとしたらますます意味がわからなくなってくる。

 

「それでどうして短命続きなのよ……」

 

 それはもう、一番最初からの疑問だ。いったい、何がどうして、そこまで恵まれた状況から悲劇で悲惨な失敗が続いてしまうのか。

 

「それは……」

「どうしてそこまで短命続きなの? 一回目が十六歳、二回目が二十二歳だっけ? それも、具体的には、どんな死因なの?」

「一回目は……斬殺ですね。斧で斬られました」

「惨殺!」

「二回目は謀殺……でしょうか。暗殺者の手にかかりコロッと」

「すこぶる不審死!」

「三回目は……先にも少し触れましたが、内容がセンシティブですので……詳細を聞かれますか?」

 

 私は、おそらくは「うげぇ……」という表情を浮かべていただろう。

 それはもう、蟲に頭をグッチョグッチョされるのと、どっちがマシかって話じゃないだろうか。

 

 私のその反応を見て、金銀財宝のように輝く美少女の顔が、少し曇る。

 まぁ、どんなに曇っていてもやっぱり可愛いんだけど。金銀は曇ったところで金と銀、真鍮(しんちゅう)にはならない。

 

「四回目は、十三歳で病死……です」

「あー……」

 

 そっか、だからか。

 

 五回目から、やり直しの方向性が変わった理由は。

 

 そこでお兄ちゃんと同じ死に方をしたからなんだね。

 

 はぁ……それにしても、そうか。

 

 そんなに酷いんだ、私の人生って。今世も来世も。何度繰り返しても。

 

「ははっ……」

 

 さすがに笑えてくるわ。

 

「私とお兄ちゃんって……もしかして本当に、不幸の星の下に生まれてる?」

 

 と……ここで。

 

 もう開き直るしかないと、自嘲気味に私が呟いた……その時。

 

「いいえ。たまたま四回目に、病死というカテゴリと、その享年が共通しただけです。同じ病でもありませんし、それに、千速長生様は来世、御立派となられることが確定していますよ?」

「へ?」

 

 曇り空が、一転した。

 

「ふふっ」

 

 それはもう、これまでの全てが全然、「本気」などではなかったと思い知らされるような、ドラスティックでビビッドな変化だった。

 

 超然とした超常的存在、金銀財宝のような白金白銀の美少女、天使……そんなものは、まるで魂が入っていない人形であったとでもいうかのように。

 

「千速継笑様のお兄様、千速長生様は魔道士ナガオナオ様となられるのです」

 

 そこには輝くような生気があった。

 

 溌剌とした感情があった。

 

 もっと言えば、それはつまり、まるで恋する乙女のようだった。

 

 乙女は歌う、乙女は謳う。

 

 踊るように、舞うように。

 

「今より先の未来、別の惑星に生まれ、全盲でありながらも感覚器官を拡張することで根源たる次元の高みへと登り、昇って……完全観測世界(イデア)の片鱗に触れ……幽河鉄道を生み出し、宇宙を、因果の世界を旅することとなる偉大な魔法使い、私の御主人様、ナガオナオ様」

 

 そうして全てを振り出しに戻すかのように、大前提を覆すかのように。

 

 白い少女は、白いエプロンドレスをそれなりの高さに盛り上げている己の胸へ、全開にしたパーの(てのひら)を載せて。

 

「……へ?」

 

 太陽のような眩しさで、虹のような極彩色で、だけれども真っ白なダリアのように。

 

「私は、ナガオナオ様より千速継笑様をお救いするよう、(つか)わされた使者です」

 

 どこか誇らしげに、ニッコリと笑った。

 

 

 



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epis08 : Platinum (no) disco

 

「え? へ? えぇ?? お兄ちゃんが魔法使いであなたのご主人様??」

「はい」

 

「この……幽河鉄道(ゆうがてつどう)だっけ?……を創ったのもお兄ちゃん」

千速(せんぞく)長生(なお)様ではなく、その来世の、ナガオナオ様が、ですが」

 

「そのお兄ちゃんが、あたしを助けようとしてる……の?」

「はい、ナガオナオ様は、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を生み出した後、御自身の因果を辿り、紐解き、己の前世がどういったモノであったか、知ることになりました」

「ぇ」

 

「お兄ちゃんがあたしを……」

「ナガオナオ様が、です。千速継笑様。魂は連続していますが、千速長生様と、ナガオナオ様は別人です。生まれた時には前世の記憶を失っていたとも(うかが)っております」

「でも、だって……」

 

 なんだろう、お兄ちゃんの話を始めてから……いや、彼女のご主人様であるという魔法使い?……ナガオナオの話を始めてから、白金の美少女の雰囲気が変わった。

 

 そこに、譲れない何かがあると言わんばかりに、一線を引いてくる。

 

 寂しい、と感じた。

 

 だから気付く。

 

 私は、彼女と話していて、少しだけ思っていたんだ。

 

 こんな友達がいたら、いいのにな……と。

 

 ……あれ?

 

 私は、こんな輝けるような美少女に、友達になってほしいだなんて、そんな大それたことを思える人間だったっけ?

 

 いやそれはでも、同じくあのどうしようもない父親の血を引く、お兄ちゃんもなんじゃ……。

 

「え、じゃあお兄ちゃん、こんな年端もいかない女の子を、手籠(てご)めに?……」

「ナガオナオ様は、私に優しくしてくれましたよ?」

「……は」

「この身体は仮のモノです。少女の姿はそのような“形を採っている”だけに過ぎません。老いぬ身体を手に入れたナガオナオ様とは違い、お仕えしていた時分の私は、生身でした。ナガオナオ様の魔法で、普通よりは随分と長生きさせていただきましたが、それでもお仕えしてより数十年で、私は御主人様のお役には立てない身体となってしまいました。それでも、老いさばらえた私を、ナガオナオ様は見捨てることなくお(そば)に置いてくださいました。死してなお、御主人様のお役に立ちたいと願った私へ、こうしてお役目を与えてくださったことにも、感謝しているのです」

「ちょっと待って、じゃああなたは」

「未来からやってきた使者であり死者……ということになります。私は一度、寿命を迎え死んでいるのです、千速継笑様」

 

 絶句する。

 

 お兄ちゃんが未来……来世でこんな……時を渡る機関車を創ってしまうというのにも……何を言えるモノではないが……目の前の美少女がお兄ちゃんを愛した、人生の全てをお兄ちゃんに捧げた先達(せんだつ)だったなんて……妹であったはずの私はそれに、何を言えばいいというのだろうか?

 

 何も言えない。

 

 お兄ちゃんを愛してくれてありがとうとも、言えない。

 

 死んでなお尽くすなんておかしい、とも言えない。

 

 そこまで愛する人のために尽くせるって、どうして? とも聞けない。

 

 彼女は私のずっと先にいる。

 

 それはもはや私の理外(りがい)にある領域だ。それこそ次元が違う。

 

 私の立っている場所が学校の、体育館のステージであるとするなら、彼女のいる場所は大劇場の、プラチナステージのようだ。

 

 完全に役者が違う。

 

 存在が超常的であるとかないとか、そういう次元の話じゃない。

 

 格が違うのだ。彼女が格上で、私が格下という形で。

 

 それはもう、比べるのも烏滸(おこ)がましい、絶対的な格差だった。

 

「……未来は、時間旅行が普通になったりするの?」

 

 胸がきりりと痛む。

 

「いいえ。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は時を移動する魔道機関車(マギロコモーテヴ)。ですが、御乗車にはある制約が御座います」

「……それは、私が死者だってことと、関係がある?」

 

 どうしようもない激情がそこにあるから痛い。

 

 トゲだらけの心が自家中毒を起こしている。

 

 胃が、肉体のそれとしてあるのかもわからない身体で、吐きそうな気分だった。

 

「はい。幽河鉄道には、生身の肉体をもって御乗車することができません」

 

 ゆえに、少女もまた使者であり死者。

 

『ここは……そうですね、簡単に言えば隠世(かくりよ)、死後の世界です』

 

 それは言葉通りの意味であったと知った。

 

「ここにはお兄ちゃんがいない……きていない……なら、お兄ちゃんは?」

 

 お兄ちゃんが使者であり死者である彼女だけを寄越し、自分自身はここへきていないということに、イバラでも飲み込んでしまったかのような気持ち悪さを感じる。

 

 私を救いたいというなら、お兄ちゃんがここへ来るべきなのだ。寿命を迎え、大往生した人生の伴侶を、愛してくれた人を、百年をも超える苦行に赴かせるなんて……お兄ちゃん()()()ない。

 

「ナガオナオ様の御身体(おからだ)は、既に肉体ではありません。老いぬ身体、というのはそのままの意味です。そしてそのまま、死という概念のない存在となり……そうですね、地球の……日本の宗教観に照らし合わせ表現するのならば神……そう呼ばれる存在ということになるでしょう」

「か」

 

 み……。

 

「勿論、単に人間以上の存在であるという意味での“神”ですが。ナガオナオ様は、救済者ではありませんし、教導者でもありません。GodではなくKami、あるいはSinです」

「……なら」

 

 なによそれ。お兄ちゃん。

 

「どうしてあなたは、私を救おうとしてくれるわけ?」

「ナガオナオ様がそれを望まれたからです」

 

 なんだっていうのよ、お兄ちゃん。

 

「なんなのよソレ!?」

 

 バンとテーブルを叩き、気が付けば席を立ち上がっていた。

 

「あたしがどうなろうと、だったらもうご立派になられたお兄ちゃんには関係ないじゃない! そのおせっかいは自分を愛してくれた人に向けなさいよ!! 私はお兄ちゃんが嫌い! お母さんが笑わなくなったのはお兄ちゃんのせい! お父さんがあんな風になったのもお兄ちゃんのせい! あたしがこんななのも! 性格最悪なのも! ボッチなのも! 全部お兄ちゃんのせいだ! ちっちゃい頃遊んでくれたことも! いっつも仕方無いなって自分の分からお菓子やおかずを分けてくれたことも! ゲームで遊んでる途中のコントローラーを譲ってくれたのも! あたしを置いて死んじゃったのも!! みんなみんな……嫌いっ!!」

「……千速、継笑、様」

 

 何かが決壊し、心臓から涙腺へ、何かがこみ上げてくる。

 

 だから零さないよう、固く目を閉じた。

 

「なによ神ってっ」

 

 もちろん、そんなことで止まるそれではなく、目の端が潤んでいく。

 

 視界が暗闇のまま、心が果てしなく沈んでいく。

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

「……ええそうね、神様は人間なんか救わない、愛してくれることもない、そんなことを信じられるほど、情報化社会は甘くないわ。こんな残酷な世界に神様がいるなら、それは悪魔か、徹底した傍観者かなんでしょ。なら、だったら……お兄ちゃんも悪魔だっていうの!? 悪魔の傍観者なの!? 私は悪魔のお兄ちゃんを楽しませるためだけにっ! 短命に終わる人生を繰り返すという地獄に堕とされてしまったとでもいうのっ!?」

「千速、継笑様……」

 

 言って、もうむしろ、そうだったらいいのに、とすら思ってしまう。

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 どうせこの記憶も、消えるのだ。

 転生すれば曖昧なものに、脳を損傷し死ねば跡形もなく。

 

 そうしてピエロは踊り続ける。

 

 どうしようもない石棺(自分)に、永遠に閉じ込められたまま。

 

 ならばもうせめて玩具(がんぐ)でいい。

 

 玩具(オモチャ)でいい。

 

 どうしようもなくみっともなく、醜くて汚いピエロの道化っぷりを観劇していればいい。

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 玩具(がんぐ)ならいずれ飽きられる。その時が終わり。

 

 

 

 ──エピスデブリ[II] による 精神の汚染 が進行しています──

 

 

 

 終わりのない地獄と終わりがある地獄。

 

 

 

 ──耐えがたき状況 からの解放 は 陵辱者が飽きることだけ──

 

 

 

 それならまだ、終わりがある方が……。

 

 

 

 ──早く 飽きてほしい そうすればきっと 死 という終わりが──

 

 

 

 

 

 

 

 ……ぺと。

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 ふと、頬に温かな何かを感じ、固く閉ざしていた目を、開く……と。

 

 

 

 気が付けば。

 

 

 

 そうして、激情を(ほとばし)らせ、ヒステリックに叫び、(わめ)いていた私を。

 

 

 

「んぇっ!? ちょっ!? えっ!?」

 

 

 

 そうして流していた涙を、私の頬を……白い少女は。

 

「ななななななななななななななななななにやっているの!?」

「くん?……」

 

 舐めていた。ピンクの舌先でこう、ペロペロと。

 

 

 

「いいいいいいいいいい゛いいぃぃぃいいったい! 何のつもり!?」

 

 ガタン、バタン、ズサァ……と凄い音がして、私の身体は私の意志を離れて、いつのまにか完全にボックス席を飛び出していた。そのまま後ずさり、白い少女から十メートルほど離れた位置、食堂車のカウンター席、その端のコーナーの向こうで止まる。ここまで完璧に、何も考えずの反射的な脱兎ムーブだった。ガタンのところで脚をテーブルに、バタンのところで肩を座席の背もたれに、結構な勢いでぶつけた気がする。痛くないのが不思議なくらい。痴漢に遭ったって、ここまでの反応は出ないだろう……それはまぁ、反応しなかったせいで酷いことになったみたいだけど。

 

「あ、ああああなたって人の頬を舐めると、う、嘘をついている味かどうかわかる能力者かなにか!?」

「んぅ……これは……」

 

 これまた宝石のような、そのてらっとしたピンクの舌をしまい、白い少女は私に向かって一礼をする。カテーシーとかでなく、日本風のお辞儀で。角度は三十度くらい。

 

「これは出過ぎた真似をしてしまいました。千速継笑様が大変に危険な状態にあったので、申し訳ありませんが強制介入をさせていただきました」

「いいい゛いいやいやいや!? どうしてそれをやったかでなくて! なんで……ペロペロってしたのって話なんだけどっ!? 犯行の動機じゃなくて選択した手段の問題よ!! 申し訳なくても申し上げて!?」

 

 動機(ホワイダニット)なんてわかりきってる。

 

 気持ちが嫌な方へ向かっていたのなんて、自分でもわかっている。

 

 確かに! その嫌な感じはもうさ!?

 

 心が、奈落の底で悪臭放つ泥へ浸かっていくような物凄く嫌な感じは……もうさ!?……色んなこと……美少女の再びのドアップだとか、鼻息があたしの唇をくすぐってこそばゆかったな、とか、あの宝石のような舌が私の頬を、頬を、頬をぉぉぉ、のおおおぉぉぉ……とかで綺麗さっぱり消えてるけどもぉぉぉ!!

 

 効果はグンバツだった気がするけどもぉぉぉ!!

 

 助かった気はするけどぉぉぉ!!

 

 あああ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……。

 

「……ナガオナオ様は、そのような反応はされなかったのですが、なぜでしょう?」

「…………………………………………………………………………………………へ?」

 

 おいコラお兄ぃ!?

 

 

 

 

 

 

 

「……ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

「……飲食、できるんだ、ここ」

 

 目の前に、空になった(どんぶり)と湯飲みが置かれている。

 

 丼は千利休さんが好きそうな真っ黒いヤツで、湯飲みはアレだ、鮪鰹鯵鰯鯛鮃鰈鱸鱚鯖鰤鰆って感じの漢字がずらっと並ぶヤツ。寿司屋かここは。

 

 私達は再びボックス席に座ってテーブルを挟み、相対していた。

 

「千速継笑様の記憶から再現した真似事、ですけどね」

「……あ」

 

 対面の白い少女がふっと右手をかざすと、空になった丼と湯飲みはテーブルの上から掻き消えてしまう。一瞬、満腹感も消えるのかなと思ったがそうではなかった。イクラ丼を完食してのご満悦はきちんと残っている。お口とお腹に。

 

 ここが現実(現世?)ではないことを再確認させられる。

 

「ですが落ち着かれたようで、なによりです」

「……うん」

 

 まぁ真似事か幻か、なんなのかはわかりませんが、イクラ丼は美味しゅうございましたよ。皮が硬過ぎず、柔らか過ぎず程良い感触で、お口の中で旨みがプチプチはじける極上のイクラでございましたよ。少しだけ載っていた口休めのキュウリ、大葉、三つ葉はどれも素晴らしく瑞々しく、大変相性よろしゅうございました。

 

 最後に緑茶をぶっかけてのいくら茶漬けも最高でした、ええ。

 

「……ここってホント、不思議な空間だね」

「ナガオナオ様、渾身の技術(スキル)ですから」

 

 お兄ちゃんを褒めたつもりは無かったのに、白い少女は眩しいような笑顔になって答えた。ホントこの子、お兄ちゃんの話になるといい顔するわ。ぐぬぬ。

 

「結局、幽河鉄道ってなんなの? お兄ちゃんが創ったんでしょ? それならここにいるのはお兄ちゃんであるべきじゃないの?」

 

 それにしても、我が兄はこんな美少女……だったのはまぁ若い頃だけだったにせよ……に、日常的にペロペロさせるような人だったのだろうか。いや、私も、人に言えない性癖を持つ人間であるがゆえに、人の性癖を笑うことはできないのだけれど……それでも私の中にある「お兄ちゃん像」が、ついさっき結構なダメージを受けたことも確かだ。

 

「さっきは私も頭がおかしくなってたよ、それは認める。だけど、お兄ちゃんが私を助けようとしてると言われてもさ、やっぱり納得できない部分があるの」

 

 その辺のところ、説明してくれるの? 私はそう続けて、相手の反応を待った。

 人間、お腹が満たされると短気も治まるもんだなって思った。

 

 ややあって答えが返ってくる。

 

「……ナガオナオ様に悪意はありません。悪趣味も、ありません」

 

 少女の言葉に、誤魔化しや虚妄(きょもう)は感じられない。

 

「ナガオナオ様の望みは、千速継笑様の幸せです。前世の妹だから助けたい、そこに、それ以上の理由が必要ですか?」

 

 言った内容は平凡なモノだったけれど、そこには彼女の真摯な気持ちがあった。

 少なくとも、彼女自身は信じているのだ、それを。

 

「でも……じゃあ……なんで……」

 

 私はまだ、この石棺(せっかん)に捕らえられているのか。

 何度も何度も、悲しいことを繰り返しているのか。

 

 どうして「私」は終わらないのか。

 

 終わらせてくれないのか。

 

「……四回目までは本当に偶然だったのです。申し上げ難いことですが、心も身体もボロボロの状態で亡くなられた千速継笑様の選択にも多少、偏りがあり、それが不慣れな私自身の未熟とも相まって上手くいかなかった……そこまでは本当に偶然、不幸な偶然が重なっただけの結果に過ぎませんでした」

「四回目、までは?」

「その後、逆行転生を繰り返したことで、魂に悲劇癖(ひげきぐせ)が付いてしまったのではないかと」

「悲劇……癖?」

 

 そうでなければここまでの「凶運」はあり得ませんから……少女はそう言って瞳を伏せる。

 

「おっしゃられる通り、千速継笑様の人生は、どうしようもなく“詰んで”いました。千速継笑様はたまたま、悲劇の鳥籠に捕らわれていたのです。ですが、それを壊すため、何度も何度も鳥籠の内側へ自ら赴き、捕らわれ、トライ、リトライを繰り返したことで、エピスデブリが溜まってしまったのです。それが悲劇癖となって現在の状況を生んでいるのではないかと……」

「なによそのエピスデブリって」

 

 エピス、デブリという単語なら単体でそれぞれ、少し前に聞いた気がするけど。

 

 デブリはゴミって意味だっけ? 燃料デブリだと原発事故で取り出しが厄介になる、超有害物質だった気がする。

 

「文学的に言うなら、未練、後悔、行き場を()くした激情、報われなかった愛情、等々に近い、ネガティブな衝動の源となるモノです。エピスが魂へプラスに作用するモノであるとするなら、エピスデブリはマイナスに作用します。一類、二類、三類に大別され、一類は存在するだけで永遠に魂を傷付けます。二類は存在するだけで永遠に魂を汚染します。三類は、放置すれば一類二類に発展する可能性のあるモノ全てを指しています」

「なんとなくわかるような、わからないようなだけど……それって、思い出すだけで叫びだしたくなるような過去の嫌な記憶、みたいなもの?」

 

 黒歴史みたいな?

 

 夢小説に自分の名前を入れて読んだら三類くらいにはなる?

 

「その認識で間違いではありません。一類と二類は、ひとつあるだけでも精神が崩壊する恐れのある危険なものです。実際、魂がまだ柔らかい内に一類を得てしまうと、ひとつの肉体の中で魂が完全に四散、分裂、分離、解離してしまうこともあるくらいです。それが、今現在の千速継笑様には一類はふたつ、二類は十一(11)個も残ってしまっています」

「え」

「それらが残ってしまっている理由については……千速継笑様はこの時点でも一類の方にご自覚がおありですので、こちらで説明致します。今現在、千速継笑様に残るふたつの一類は、どちらも千速長生様の死に(たん)を発するモノです。それは、ですが十七歳までそれを抱え、そのまま成長してきた今現在の千速継笑様にとっては、既に魂へ、自分自身へ、その個性へ、特性へ、癒着して分離不能となってしまったモノでもあるのです。この結びつきには尋常ならざる剛性が存在します。それは、この状態のデブリを無理矢理引き剥がすと、千速継笑様が千速継笑様ではなくなってしまう可能性が高いということです。それゆえ、鋏挿摘出(キレート)も出来ず……逆行転生が成功していれば、これも可能だったのですが……申し訳ありません」

「キレート?」

 

 レモン?

 

 どんどんこう、わけのわからない単語が出てくる。暗記は得意な方だったけど、満腹気味の頭には辛いです。午後の授業一発目って体育より数学の方が辛くない?

 

「これはナガオナオ様の御導きによって(さず)かった、私自身の技術(スキル)なのですが、私は魂を他者とリンクすることができます。これにより、エピスの付与、エピスデブリのキレート、摘出が可能となっているのですが……」

「あ、そのなろう系の女神様みたいな能力、この列車由来の能力じゃなくて、あなた自身の能力だったんだ?」

「はい……それが、私がここに(つか)わされた理由だったのですが……本来はエピスの付与がメインだったはずで、こんなにもキレートを活用するとは思ってもみませんでした」

「お、おぅ」

 

 黒歴史だらけの女で、なんかすんません。

 

「二類、三類の状態はより深刻です。魂そのものへ密接に結びつき、複雑に絡み合っていて、摘出不可能な上に、もはやどれが千速継笑様を悲劇へと導いているのか、判別もできません」

「末期の癌細胞みたいな話、ね」

「はい。ですがこれには、癌よりもずっと簡単な対処法があります。一度でも“運命に勝て”ば……それだけでエピスデブリは変質し、消去も除去も容易になるのです」

 

 一度でも、運命に勝てば、か……。

 

「それ、いじめられっ子に、一度いいからいじめっ子に抵抗してみせろよって言うくらい、ハードな提案よね?」

 

 それが有効なこともあるんだろうけど、状況がその段階でない時にそれを言われても困るという話だ。

 

「より効果的なのは、千速継笑様が五回目より試された逆行転生の方です。成功していれば、千速継笑様のケースでは一類のキレートも可能となりましたから、これに挑むのが最も効果的であったのは確かです。実際、一回目から四回目までに相当厄介だった二類のエピスデブリ、凄惨な性被害による魂の汚染は、その出来事を無くしたことにより、二十七(27)個中二十四(24)個までキレートに成功しています。とはいえ……千速継笑様が元より持っていた個性、特性、人格に根ざしたみっつは残ってしまい、先程のように再燃することもあるので、油断はできないのですが」

「あ、ああ……それ、っていうかさっきのあれ、二類だったんだ……」

 

 一類と二類の区別が、いまひとつわからなくなる。私にとっては、お兄ちゃんが死んだという出来事の方が、魂の殺人とまで言われる性被害よりも傷付くことだったのだろうか……そう、少女へと問えば、「そこはもう、怪我と病気のような関係です」という答えが返ってきた。

 

 一類は怪我、二類は病気、それに近いらしい。どちらも程度が過ぎれば人を壊し、殺してしまうのは変わらない。それに病気が原因となって怪我をすることもあれば、怪我が原因となって病気になることもある、その辺りまで同じらしい。

 

「ですが、先程、現在の千速継笑様がそう結論付けられたように、過去の千速継笑様も逆行転生は“もはやあり得ない”とおっしゃられていました。となると、来世を成功させるしか、道が無いのですが……」

「そこで、背負ってしまった大量の黒歴史が邪魔していると」

「ええ、そう……です。そうでなければここまでの失敗続きは、それこそあり得ないと思いますから」

「……はぁ」

 

 なんとまぁ、よくできた牢獄か。

 なんとまぁ、よくできた石棺か。

 

 それは見事なまでに、堂々巡りの運命へ私を閉じ込めている。どうあがいても絶望とは何のゲームのキャッチコピーだったか。死にゲーでもやらされてる気分だ。いや実際そうか。

 

 今、ここにお腹の満腹感が無ければ、しばらくは鬱々(うつうつ)とした気分になっていたことだろう。

 

「ごめんもうひとつだけ答えて、それで、お兄ちゃんがここにいない理由はなに?」

「……こだわりますね」

「うん、あなたが、そこだけは答えてくれないから余計に気になっちゃう……ぅぇ?」

 

 ギリッ……という音がしたような気がした。

 白い少女が、血が出るほどに強く唇を噛み締めている。

 

 恋愛の深いトコロはまだ全然知らない私(知った人生もあるのだろうけど、忘れてるし)だけど、それはまるで嫉妬に狂う女性のようにも見えた。ぶっちゃけ怖い。まぁ、それでも可愛いという謎の存在感ではあったけれど。

 

 ただ、そこでなんとなく思った。私ってば今、これは「兄嫁にお世話してもらってる」状況なのかなって。時々覗く、夫婦の性生活的な匂わせには辟易(へきえき)するけれども、でも、お兄ちゃんが目の前の女性を、どういう風に愛している(いた)のかには、少し興味があったりもして。

 

「御主人様に、ナガオナオ様に、言い寄る悪魔がいるのです」

「お、おぅ?」

 

 呑気なことを考えていたら、思ったよりもヘヴィーな答えが返ってきた。

 

 悪魔とな?

 

「悪魔はこの幽河鉄道を狙っています。頻繁にナガオナオ様へ試合(ゲーム)を持ちかけ、その勝敗によってナガオナオ様に負けを認めさせ、幽河鉄道を勝ち取ろうとしているのです」

「悪魔なのに案外フェアプレー精神!」

 

 力づくの戦いとかしないんだろうか。

 

「……そう、ですね、そこは、筋を通す方……なのでしょう」

 

 怖っ!? 下唇に歯だけじゃなくて、左の二の腕に右手の爪まで食い込んでるよ!?

 けどそれでもまだ可愛いってどういうことなの? ホント。

 

「あの、その、いや、あなたにとってのそれは、別にフェアプレー精神などない、心底悪辣(あくらつ)な悪魔ということでも別にイインデスヨ?」

 

 そりゃ旦那様がどこかでイチャコラしてる相手だもんね、ぐぬぬってなるよね。ぐぬぬって。かわええ。

 

「いえ、彼女は()()()()()()()()()心底悪辣な悪魔なのです」

「……どういうこと?」

「ここにナガオナオ様が来られてしまうと、悪魔もそれを追ってくるでしょう。ナガオナオ様が千速継笑様を助けようとしていることに気付いたら、それへも試合(ゲーム)を仕掛けてくるでしょう」

「え?……それって……」

「つまり、ただでさえ成功確率の低いこのミッションに、お邪魔キャラが加わってしまうということです」

「ぼんびらすっ!?」

 

 え、なにそれ今は大丈夫なの? 既に憑りつかれていない? キングボ●ビーってそういえばヘヴィメタで好角家な悪魔さんが声をあてていたことも無かったっけ。

 

「幸い、悪魔は幽河鉄道を“観”ることができません。なんらかの形で時空間へ干渉することは可能のようですが、それについてはナガオナオ様も“よくわからない”とおっしゃられていました。ですが、幽河鉄道を欲しがっていることから、これにできること、流体断層(ポタモクレヴァス)路線(レール)の中から、変更可能な分岐器(ぶんきき)を探し出し、それを切り替えるという……そうした奇跡を成す技術(スキル)は持っていないと推測されます」

「よくわからないけどわかったにゃー」

 

 私には理解できない話だってことが。

 

「ともあれ、現時点において幽河鉄道のシステムの一部となっている私に、あの悪魔の存在が感じ取れぬ以上、彼女が幽河鉄道に干渉できていないことは確実です」

「彼女」

 

 あ、口ぶりと反応から、そうではないかとは思っていましたが、やはり女性なのですね、その方。とりあえず私の頭の中のキングボ●ビーにブラ()けときますね。

 

「これに唯一の例外があるとすれば、それはナガオナオ様を追跡(トレース)されてしまうことです。技術(スキル)が無くとも完全なるコピーが可能であるのならば、それは技術者と同じことができてしまうということになるのです」

「つまり、どうあってもここへその悪魔を呼び寄せるわけにはいかないので、お兄ちゃんはここへ来ることができないって話……ね?」

「……はい」

 

 はー。

 

 へー、ふー、ほー。

 

「私もナガオガオ様とご一緒に、ここに立っていたかったです……」

 

 いやどんだけ不本意を表明してるの、この子。

 

 なんかテーブルの上(蝋燭は食事の邪魔だったので、その時に()けてもらいました)でぐでーってなってるんだけど。ほっぺたがふにゅっと潰れてて可愛いけど。

 

「はー……凄い話だわ……」

 

 でもまぁ、わかりました。

 

 結局、道はひとつしかないわけだ。逆行転生という道も、後ろには広がっているけれど、私が私という人間である以上、そこへはもう向かえない。

 

 あと……聞いておきたいのは。

 

「あと……そういえばだけど、どうして私が死ぬか社会的に抹殺されるかすると、中橋医師がお兄ちゃんを殺した病気を撲滅してくれるってわかったの?」

 

 そこは、私のループを観察するだけではわからなかったはずだ。その事象さえなければ、私は逆行転生による過去改変で、この鳥籠から脱出できていたかもしれない。嘘だとは思わないが、それはつまりそこにも私の納得する理由があったということだ。

 

「その辺りは、私がここへ送り込まれる前に調査がしてありました。幽河鉄道は本来そうした調査をこそ最も得意とするモノですから。“見”るだけなら一瞬なのです。その調査の結果が、これは“観”る者がいなければ……この場合であれば、私がいなければどうにもならない事態であるという、ナガオナオ様の判断へと繋がるのですが、逆を言えば、私がいなくとも起こり得る“因果の変更”の調査は、かなり深いところまで行われたということです」

 

 そっか。ま、それくらいじゃないと、死んだ奥さん(?)を蘇らせ、ここへ単身赴任させるなんて外道なことはしないよね。ま、それも納得。この子の扱いで、ちょっとお兄ちゃんのこと許せない気持ちになってたけど、私を想ってのことなら仕方無い……うん。

 

「そうすると、今度はお兄ちゃんに覗き趣味があるんじゃないかって話になるけど」

「そんな!? ナガオナオ様は極力プライベートには配慮したはずです!」

「冗談よ。疑ってない。別にお兄ちゃんに着替えを覗かれてたくらいじゃ怒らないわ」

 

 それに、お兄ちゃんにも自分の(前世の?)死因は重大な関心事だもんね。

 

 多少無理しても、そこは詳しく調べるよね。譲れない部分だよね。

 

 未来、自分と同じような子供に死んでほしくないと願うなんてホント、お兄ちゃんらしいよ。

 

「大丈夫です、そうした部分はマスキングできますから。これは私も、転生後の千速継笑様のご様子を観察させていただく際には必ず利用している機能です。着替えや用足しなどの際にはブチッと切れるんですよ、再生が」

「え、なに? 幽河鉄道君って思春期なの?……ごめんごめん、冗談だってば」

 

 それがどういう技術で、実装が簡単なモノなのかそうでないのかはわからないけど、まぁお兄ちゃんらしい機能だと思った。

 

 うん……すごくお兄ちゃんらしい。

 

 よし。

 

「うんわかった! 万事納得した! 大丈夫! たった一回でしょ? たった一回、色んなモノを吹き飛ばして弾き飛ばして、運命様上等だすればいいって話でしょ? お兄ちゃんもあなたも、それを期待しているんでしょ? やる、やるよ。頑張る、きっとどうにかなる。どうにかする。多分これまでも、私はそう言ってきたんでしょ? 私の記憶は時々途切れるみたいから、あなたには迷惑を掛けてるみたいだけど、時を操るというのであれば、タイムリミットがあるわけじゃないんでしょ?」

 

 ね、残機(ざんき)有限ってわけじゃないんでしょ?

 

「強いて言えば、エピスデブリによって魂が修復不能なまでに破壊か汚染をされてしまうと、それは私にももう、どうにもできませんから、タイムリミットがあるとすればそれですが」

「え、なにそれ怖い」

「とはいえ、私も最初の頃の私ではありません。来世であれば、私も若干の介入が可能なので、そうした危険を()けることもできますし、逆行転生であれば、もうパターンは大体読めたので、最初からエピスデブリを増やすようなルートへは行かせません」

 

 ほほぅ?

 

「若干の介入が可能って、どれくらいの若干?」

「そうですね……では千速継笑様が、イクラ丼を食べたいからお店にいくとします」

「……別に私の主食はイクラ丼じゃないわよ?」

 

 それにお店で食べるイクラ丼は高いのよ? (うち)は金銭面では結構裕福だったから、お母さんが料理好きじゃなかったのもあって、イクラ丼が食べたいと言えば出前というか出●館というかウ●バーな感じで店屋物が出てきたけど、お小遣いで食べたことは一度もない。

 

「千速継笑様はイクラ丼を食べたい、なぜなら千速継笑様はイクラ丼が好きで、その日は好物を食べたい気分の日だったから。この辺りのことを私が介入して変更することはできません」

「まぁそうね、他人の手でいきなり好物やその時食べたいモノを変えられるなんて、ちょっと酷い話だと思うし」

「ですが、イクラ丼を食べに行くことで起きる悲劇が、たまたま通りかかったトラックに轢かれるというモノだったします。これは介入により阻止することができます。なぜならトラックに轢かれるというのは、数秒の違いで全く違う結果に変わってしまう事故ですから、その数秒だけ稼げればいいということになります」

「それもそうね。そう考えると結構凄いことにも思えるけど」

 

 不意の事故には対応できます。保険としては素晴らしい。

 

「ところが、このトラックが、最初から千速継笑様へ害意があり、その日千速継笑様が出かけるという選択をすれば、必ず轢いてくる存在であったとします」

「嫌なトラック君だな!?」

「これも私の介入でどうこうできる問題ではありません。千速継笑様はイクラ丼を食べたい、だからお出かけをしたい、しかしお出かけすると必ずトラックに轢かれてしまう……状況としては、これで詰みです。私にはどうすることもできません」

「なるほど」

 

 あれか、強い意志で実行される事象は変えられないと。私のその、イクラ丼を食べたいという意志がそこまで強固なモノかはさておくとしてもだ。……さっきのがっつきは単に好物だったからってだけじゃないんだからねっ。

 

「うん本当に若干で、頼みにしちゃいけないことはわかった」

「申し訳ありません……」

「いいよ、つまり運命を切り開くには、やっぱり私が頑張らなくちゃダメってことでしょ?」

 

 それはついさっきそうしようと決意したことだ。なら問題はない。

 

「それでチート……エピスの付与だっけ? 私はそれを選択して次に備えればいいの?」

 

 いやその前に、どういう惑星にどういう立場で転生するか決めるんだっけ?

 

「はい。通常はそうなるのですが、今回、千速継笑様は記憶を完全に失ってしまっています」

「ああ」

「それは、前回までの教訓を活かすことができないという状態です」

 

 そこで……と、白い少女は壁にかかる、いくつもの動く映像を指差す。

 

「これです」

「……ここに入ってきた時から、まさかとは思っていたんだけど」

 

 ハ●ー・ポ●ターの日刊●言者新聞のように、中の映像が動く額縁。

 

 魔法らしき光のエフェクトをまとう黒髪の少女が映っていたり、豪華絢爛のドレスの群れが踊る映像であったり、暗い場所でボーっとする金髪エルフを映してるものだったりする。

 

 列車一両分の空間に、二十から三十、ずらっと並んだ壁掛けシアター。

 

「これってつまり、()()()()()()なの?」

 

 あたしは何回も転生を繰り返している。

 三回目の転生は、エルフへの転生だったらしい。そしてそれは……薄暗い場所に閉じ込められてしまうような人生だったのだろう。

 

「はい。ご想像の通り、これらはこれまで千速継笑様が繰り返してきた、転生の記録です」

「やっぱりかー……」

 

 そっかー……。

 

 なら、この子もこういうので(転生後の)私の様子を見るんだろうか、着替えや用足しなどの際には再生がブチッと切れるって言ってたけど。

 

 そう思ってからよくよく見てみれば、確かにそういう、センシティブなシーンはどの額縁にもなかった。

 

「つまり、この映像を良く観て、次をどうするか考えろ……ってことかな?」

「内容としてはその通りですが、実際の手順は多少違います。これらは単なるサムネイルですから、どれかを選択していただき、再上演(リバイバル)を観ていただくという形となります」

「ん? ちょっと待って、なに? 再上演(リバイバル)?」

 

 繰り返しになるが私は映画好きだ。ただ、映画は映画館で見たいという(自分でも謎の)こだわりがあって、実際に見た映画の数はとても少ない。数えられる。三十七(37)本。それが私の、今までに見た映画の数。見た映画の数が百を超えるまでは映画好きを名乗るな、という向きの方にはごめんなさい。ですが、知ったこっちゃないです。(いえ)が裕福でもお小遣いは少ないのです。そんな風に煽られてもパパ活はしませんよ。倫理観でできないのではなく、コミュ力の問題でできませんよ。

 

「はい、再上演(リバイバル)です……あの、これは千速継笑様が発案されたお言葉なのですが」

「それはそうだろうなって、私も思った」

 

 最新作も、年に二、三本は見る(累計十一本かな。三十七本中の)けど、割合でいえば名作と謳われる作品の再上演(リバイバル)を見ることの方が多い。サブスクを契約してないどころか、金曜●ードSHOWですら、中学生以降は一度も見ていないから、ジ●リですら、天空の城と動く城のふたつしか観ていない。ディ●ニーとピ●サーに至っては全滅。

 

 そんななので、私は毎週、行ける範囲にある映画館の上映スケジュールを確認している。最新作の情報はテレビやネットから勝手にいくらでも入ってくるから、私が自分自身で細かくチェックするのは、再上演(リバイバル)の情報だ。

 

 だから、その単語には馴染みが深い。

 

 でも。

 

「そうじゃなくて、私は何を、どういう事象を指して再上演(リバイバル)って呼んだの?」

 

 普通に考えればそれは。

 

「それは体験していただくのが一番ですね。では、久しぶりとなりますが、今回はまず、第一回を再上演(リバイバル)しましょうか」

 

 これです……と美少女は、ボックス席のすぐ(そば)にかけられている、魔法らしき光のエフェクトをまとう黒髪の少女が映る額縁を示す。可愛いというのとは違うけれど、きりっとした顔にどこか張り詰めた空気が漂う……なんていうか綺麗な野生動物のような少女だと思った。

 

「……え?」

 

 普通に考えれば、再上演(リバイバル)とは、一度上映した映画を再び興行するということで。

 

 つまり過去をもう一度繰り返すということで。

 

「これが正真正銘、本来千速継笑様が辿るはずだった来世のやり直しですね。本当は……私もナガオナオ様も、これひとつ変えれば終わる話だと思っていたのですが」

「待って! 第一回って、斧で斬られて斬殺で惨殺って回でしょ!? 十六で!!」

「消えぬ二類のエピスデブリの影響で、チートの選択も尖ったモノになってしまいました」

「いや聞いて!? 斧で斬殺で惨殺ってトラウマ増えるでしょ!? R私指定とかないの!?」

 

 言葉通りなら、私はその一回目とやらをまた繰り返すということ……に?

 

「大丈夫です。習うより慣れろです。過去の千速継笑様にも、そういう時のあたしは面倒くさいから強引にやっちゃってと申し付かっております。それに、編集してあるので、大事な部分を摘まむだけですよ? 観終わった後の体感はせいぜい四時間くらいです」

「シン●●ヴァンゲリ●ンよりもアラ●アのロレ●スよりも長い!? 前半は図星過ぎてぐうの音もでないけど!!」

「それでは幽河鉄道、発車します! ナガオナオが魂のサーヴァント! ツグミが命じる! 畢生の壱齣(スライスオブライフ)! 過ぎし失われし可能性を! 再上演(リバイバル)!!」

「だから話聞いてぇ!?」

 

 あと! ナガオナオが魂のサーヴァント、ツグミって何!?

 

「それでは、良い旅を……“千速継笑様”……」

「ちょっとおおおぉぉぉ!?」

 

 しかし、私の魂の叫びは、急速に暗転していく意識の中へ、すぐに飲み込まれてしまうのだった。

 

 

 

 そう、いえばあたし……この子の名前……まだ知らなかった……な……。

 

 

 



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epis09 : resurrected replayer

 

 罪は重なる。

 

 生きていれば、どうしたって罪は増えていく。

 

 豪奢(ごうしゃ)なる饗膳(きょうぜん)も、玲瓏(れいろう)たる美酒も、人の腹を通せば糞便(ふんべん)屎尿(しにょう)へと変わってしまうように。

 

 この世全ての財貨(ざいか)は、罪科(ざいか)へ。

 

 生きたいと、強く願えば願うほど。

 

 その罪は連なり、重なっていく。

 

 ならば。

 

 強く、雄々しく生きるということは、それだけ汚濁(おだく)(まみ)れてるということでもあり。

 

 その意味において。

 

 彼、レオポルドは誰よりも汚れた男だった。

 

 狂おしいほど強く、雄々しく生き。

 

 それに比例した分の(とが)を、この世へ排泄し続けた……極悪人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女はそれを、美しいと思った。

 

 

 

 白刃が弧を描き、舞う。

 

 それは無軌道で複雑な曲線。

 

 迷い無き突風のような直進とは違う、無駄の多い軌跡。

 

 

 

 であるというのに。

 

 

 

 夕暮れの(あか)を斬って飛ぶ蝙蝠(コウモリ)孤影(こえい)がごとく、複雑な曲線を描いたその斬撃(ざんげき)は、だが(ことごと)く人体の急所を通り、描線(びょうせん)の要所要所に()の噴出という結果を残していった。

 

「ぎゃっ!!」

 

 血が、血が、血が、流れる。

 

 斬れらた者は、首や腹から冗談のようにその赤き体液を噴射して。

 

 呆気なく膝を折り。

 

 ひとり、またひとりと倒れていく。

 

「てめぇ!?」

「クソガキが!!」

 

 始まりは七人(しちにん)

 

 それがたった一回の斬撃によって、あっという間に三人が減り、その場になお立っているのは残り四人となっていた。

 

「やってくれたな!」

「囲め!」

 

 そのどれもが、カタギではありえないような相貌と体格をしている。

 

 顔に傷がある者、指が何本か短く詰まっている者。

 

 うち一人は、どうしたわけか、顔の中心、本来、鼻梁(びりょう)が鎮座すべき場所に、眼帯でもかけているかのごとく、平べったい革の覆いが被さっている。

 

 鼻削ぎ刑。

 

 少女(ラナ)の知識においてそれは、奴隷売買、人身売買を行った者へと科せられる刑罰であった。

 

 過去に極悪人達は、年若い女性の手足の腱を斬り、逃げられなくしてから売り飛ばしたという。

 

 畜生にも劣る、ひとでなしの罪。

 

 だから人を売る者は、人らしい顔を失う。

 

 因果応報の罰、人面獣心(じんめんじゅうしん)はその(おもて)さえも獣へ。

 

 運悪く事故などで鼻を失った者へ風評被害等をもたらすため、後の世には消滅していく刑罰であるが、人権などという概念が発明されていないこの時代にあっては、その残虐も、副産物も、目には目を歯には歯をで、むしろ当然と捕らえられている。

 

 とはいえ、少女の目の前で短い槍を構えているその鼻のない男は、そうした相貌が自業自得と呼べる人生を歩んできた者であろう。冤罪(えんざい)の心配はなさそうである。目が、擁護できぬほど濁りきっていて、内面のドス黒さがそこへ表れていた。

 

 そのような者が混じっているというだけで、少女を襲った集団の、性質の悪さが窺える。

 

「妙な剣を使う、油断するな!」

「応っ!!」

 

 だがそれも少年の刃により、既に半数近くが血を流し、倒れた。

 

 少年がこの場に現れてから、まだ一分も経っていない。

 

 問答も問い掛けも無しに、少年の刃は(ひるがえ)った。

 

「……」

 

 そうして今、少女の前に無言で立つ少年は。

 

 どう見ても少女より、年下だった。

 

 どう見てもそれは、言ってしまえば浮浪児の類であった。

 

 ガリガリに痩せ、十三の小娘に過ぎぬ少女よりも、更に背が低い。

 

 見れば、三人の悪漢を屠った得物(えもの)は、薄いナタか何かのようだった。

 

 少女も市場(いちば)で、ああいった刃物が大型の果物を割るのを見たことがある。

 

 それは人を斬るには大雑把で、何箇所かに、それと見てわかる大小の刃こぼれまであった。

 

 そのような得物をけだるそうに構え、少年は四人の悪漢に囲まれている。

 

 悪漢に、少年の体躯を見、侮るといった様子は既にない。

 

 等間隔で少年(えもの)を取り囲み、ギラ付いた目で各々得物(えもの)の感触を確かめている。

 

「いいか、一斉にだ。一斉に襲い掛かって倒す。いいな!?」

「合図は俺が出す。動かなかった奴は……後でどうなるか、わかっているな?」

 

 少女の知識において。

 

 多対一(たたいいち)の戦闘は、圧倒的に「一」の方が不利だ。

 

 それは、どちらが強いとか、どちらの武装が優れてるとか、そのような差を簡単に覆すほどの定理。

 

 人の手は二本しかない。

 

 人は背に目など無い。

 

 それは人の身には抗えぬ、スペックの限界だ。

 

 多人数を相手取るなら、細い道に誘い込み、ひとりひとり倒すべし……そうした常道(じょうどう)を、少女も聞いたことがある。

 

 だがここに道はない。

 

 ただ見渡す限りの荒地だ。

 

 地面には土でなく、岩が凸凹(でこぼこ)と複雑に隆起している。

 

 草は岩の割れ目から所々生えているに過ぎず、大木などは周囲に一本たりとも育っていなかった。

 

 そも、見た目だけなら、少年は悪漢のひとりにすら勝てそうにない。

 

 まず体格が、上背が、横幅が違う。

 

 筋肉の量と、その厚みが違う。

 

 体重は、ひとりに対してさえ倍どころか三倍以上違うだろう。

 

 そして武器。

 

 戦闘用とは思えない少年のそれと比べ、悪漢共のそれは安っぽくはあれども重々しい。

 長く厚く、どれも何度かは人の血を吸った得物であろうと思われる。

 

 長剣、鼻のない男の短槍(たんそう)、トゲのついた金属製の棍棒(メイス)(アクス)

 

 どの武器も、少年の間合いの外から攻撃できる長さを持っている。

 

 それらは、見る者が見れば、ゴロツキ共の風貌からすれば、ありえないほどしっかりと造り込まれた、高級なものであると見て取れたはずだ。

 

 圧倒的不利。

 

 理性が告げる、常識が導き出す答えを、しかし少女はどこか遠く、自分とは関係ない世界の法則であるかのように感じていた。

 

(負ける気が……しない?……)

 

 それは、信じるでも、もはや信じたいでもない。

 

 確信。

 

 確定事項。

 

 少年は勝つ。

 

 少年は負けない。

 

 それをけして疑わない。

 

 疑えない。

 

 白刃の舞に魅せられ、そして知った。

 

 これは異端。

 

 十三年生きてきた中で、初めて目にした例外的なナニカ。

 

 世の(ことわり)(ことごと)く無視する、特例的なナニカ。

 

 そうであることを、少女はもはや自明の理として(さず)かっていた。

 

「いけぇ!!」

「おおっ!!」

 

 一斉に、男達が少年へと斬りかかる。

 

 なにかしらの……おそらくは恐怖という……絆がそうさせたのか。

 

 真っ当に生きてきたとは思えない悪漢どもの、しかしそれは足並み揃えた見事な連携攻撃であった。

 

 

 

「……は」

 

 

 

 だがそれを……「無意味」……と嘲笑うかのように。

 

 

 

 再び、白刃が弧を描く。

 

 

 

「ぐぎゃっ!?」

 

 

 

 それには明らかに無駄がある。

 

 

 

「げぅっ!?」

 

 

 

 それには明らかに意味のない動作が混じっている。

 

 

 

「ひぎゃっ!!」

 

 

 

 それは誰が見ても、剣技のあらゆるセオリーを無視したデタラメな曲線だった。

 

 

 

「びぎょぶっ!」

 

 

 

 だがそれは、一瞬で四人を斬った。

 

 

 

 間合いがどうとか、人の手は二本であるとか、体格がどうとか、武器の優劣がどうとか。

 

 

 

 そういうものを。

 

 

 

 普通ならば、当然のごとく帰結する、そうなるはずだった悲劇的結末を。

 

 

 

 けれどこの世界が当たり前に続いていくためには必要な、常識というモノを、自然の節理を。

 

 

 

 ()(はら)蹴散(けち)らし(はじ)()ばして。

 

 

 

 全て、まるごとぶった()る。

 

 

 

 それは世界の定理そのものを嘲笑うかのような、あまりにも無慈悲な一撃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 それを、少女は美しいと思った。

 

 どうしようもなく、理不尽なまでに美しいと思った。

 

 悲しいほどに……美しいと……思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね、君、名前は?」

 

 少年は問われ、答える。

 

 色褪せた金髪から、真紅の血を滴らせながらも答える。

 

「……レオ」

 

 それが始まりの記憶。

 

「そ、じゃ、来て」

 

 少年が始まった記憶。

 

「……え?」

 

 後に国をふたつ壊し、悪()、極悪()と呼ばれた少年が、その出発点として「人」となった、その瞬間の記憶。

 

「助けてもらった御礼もしなきゃいけないし、身体、血で汚れてるから、洗ってあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば世界は震えている。

 

 全ての景色が、血の紅に染まる未来を幻視して、怯えている。

 

 耳に雑音、背には怨嗟。

 

 

 

 冷気(れいき)励起(れいき)して。

 

 

 

 多情多恨(たじょうたこん)

 

 怨恨(えんこん)遺恨(いこん)創痕(そうこん)禍根(かこん)へ。

 

 混乱(こんらん)棍棒(こんぼう)昏倒(こんとう)混沌(こんとん)へ。

 

 

 

「……いらない。礼は、こいつらから、もらう」

 

 

 

 懇々(こんこん)情理(じょうり)を説いてさえ、それは不条理(ふじょうり)で。

 

 滾々(こんこん)勝利(しょうり)を重ねてさえ、それは不浄(ふじょう)にて。

 

 

 

「死体漁り?……レオは、こういうこと、慣れているの?」

 

 

 

 故無(ゆえな)く、()えなく。

 

 

 

「別に……」

 

 

 

 石棺(せっかん)のような、無常(むじょう)無情(むじょう)がやってくる。

 

 

 

「ね、信じて。あたしはレオ(あなた)を騙さない。そうされたと思ったら、いつでも私を殺してくれていいよ」

「……え?」

 

 

 

 だから、いまだ薄光(うすあかり)(ねや)で眠る運命は。

 

 

 

「だからお願い、私にちゃんと、お礼をさせて?」

「う、うん……」

 

 

 

 いずれ食い破ることとなる、世界の(はら)を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都、リグラエル。

 

 それは北の大陸の三大強国がひとつ、ユーマ王国の首都。

 

 東を大森林、西を大河、南を海、北を人跡未踏の大山脈に守られた世界有数の大都市。

 

 やや北寄りの高所へ築かれた王城は天高くそびえ、我こそは支配者であるといわんばかりに城下を眼下へ見下ろしている。築城より二百年の時が過ぎてもなお、城壁は堅牢に健在のままで、一度たりともその内へ敵軍、賊軍の進入を許したことがない。

 

 西部へ広がる王領の穀倉地帯、その土壌は豊かで、過去に何度も決壊し、そのたびに補強、増強されてきた堤防は、だが今ではもう、五十年以上も農村を大河の氾濫から守り続けている。

 

 国家最南端の公爵領、湾岸都市、ボユの港は常時殷賑(いんしん)な活況っぷりを見せ、行き来する船は言葉通り舳艫相銜(じくろあいふく)みて、活発に人と物とを動かしている。

 

 西からは同盟国との、港からは南の大陸との交易により、王都リグラエルには古来より絶え間なく富と財が流入してきた。そしてそれらは長い時の中で、王都に猥雑な風景を生み出している。

 

 歴史ある伝統的建造物、時代の流行を追った実験的な建築物、交易により流入してきた他文化の香り、エキゾチック。トラディショナルとトレンド、コンサバティブとプログレッシブ、モダン()クラシカル()、旧と成り果てたかつての新、旧に成りかけの新、アーバン、カントリー、官能、禁欲、カラフル、モノトーン、退廃、質実剛健、悪趣味、機能美、様式美……そうしたモノが、全て渾然一体(こんぜんいったい)となって、複雑な街並みを造っている。

 

 しかしそれは、その俗悪ともいえる混沌こそ、永く平和に発展しなければこうはならないという、証明のような街並みでもあった。

 

 王城周辺の中央区画には、そこかしこに伝統ある制服でその身を包む警備兵、警護兵が常駐していて、そこかしこにもやはり警邏兵(けいらへい)が巡回している。これによる街の治安の良さは、大陸一とも言われているほどであり、それがまた王国の威信を高めていた。

 

 また王都には都市機能として上下水道も完備されていた。暗渠(あんきょ)にはその完全密閉が法で義務付けられていて、そこからはいかな悪臭も立ち昇ってはこない。

 

 石畳は馬車の通る車道がブルーグレー、歩道が赤褐色で統一されている。それは職人の手によって限りなく平らへと整えられ、仮に破損したとしても即日修復がなされる。そういうシステムができている。警備、警邏兵の手によりゴミ等も瞬時に撤去、回収されるため、大風に曝される季節を除けば、猥雑な街並みの割にその印象は極めて清潔であった。

 

 そこを行き来する人々の身なりも華やかで美しく、宮廷用のそれよりかは多少身軽であっても、その一歩手前に行き着く程度には、誰もが入念な着飾りようをしていた。

 

 

 

 それが王都、リグラエル。

 

 街並みも人も、まるで尾羽(おばね)開展(かいてん)するクジャクのように煌びやかで誇らしげな繁栄都市。

 

 吟遊詩人が遠方にて、その壮麗さを夢のようと謳う飽食の都市。

 

 中央に近ければ近いほど、裕福な暮らしが約束される権力の中心地。

 

 そこでは財の多寡がそのまま人の価値へと直結してしまう。

 

 それが王都、リグラエル。

 

 

 

 だが。

 

 

 

 そんな栄光の都市にも、()()()()()暗部というモノは存在する。

 

 例えばそれは、犯罪者の処刑を見世物とする刑場であったり。

 

 例えばそれは、多少中央より離れた地区へ存在する、けれどお大尽方(だいじんがた)の屋敷連なる高級住宅地からもさほど遠くもない、不夜城(色街)であったりする。

 

 当然ながら、犯罪者のアジトも、ごろつきの巣窟も、そこらじゅうに数え切れぬほど存在している。

 

 光届かぬ地は、どれほど光が力強くあっても必ず存在するし、影はむしろ光が強ければ強いほど濃くなってしまうこともある。

 

 

 

 だから王都リグラエルにも、スラム街があった。

 

 

 

 それは北の岩斬り場周辺に広がる、貧困層の最終流刑地ともいうべき場。

 

 岩盤が複雑に隆起する地であったことが災いしたか、そのせいで小さな洞窟があちこちにあったことが災いしたのか。

 

 それとも、その周辺に駆り出される労働者が……難所で岩を斬り、石材となったそれをやはり難所で加工して運ぶという、危険で過酷な労務へと駆り出される者が……元は犯罪者であったり、最下層の貧民であることが多かったという事情が災いしたのか。

 

 ともあれ、北の岩斬り場周辺は、ユーマ王国の中では唯一と言っていいほど、治安が「極悪」の地帯となっている。王権も法の手も及ばぬ無法地帯でもある。

 

 どこから流れてきたかもわからぬ大人と、どこの誰が産んだかもわからぬ子供とがたむろし、漂い、彷徨(さまよ)い歩く、そこはまさに魔窟(まくつ)だ。

 

 廃材と襤褸切(ぼろき)れで家を造れる者はまだマシであって、多くは細く狭くカビ臭い洞窟の中であるとか、土に穴を掘っただけのねぐら、棒切れとゴミの屋根壁だけのテントで雨露をしのいでいる。

 

 住まう者達に希望はなく、ゆえに覇気もなく、死んだ魚の目でただ飢餓に突き動かされ、奪い、争い、盗み、失い、一日をただ生きるか死ぬかだけの二択で過ごす。

 

 

 

 それが王都リグラエルの、スラム街。

 

 

 

 ある理由から、王都住民からの嫌悪が溜まり、やがて爆発をして。

 

 幾度か、虐殺、鏖殺(おうさつ)と表現するしかない規模の粛清があっても。

 

 

 

 富める都市は貧困を排出する。それは必定で。

 

 粛清から時が経てばまた、何かを失敗した者、賭けに敗れた負け犬、私生児、捨て子、その他諸々で行き場を失くしてしまった者。そうした者達が自然とそこへ集まっていき、溜まっていき、泥沼に等しい掃き溜めは何度でも再生された。されてきた。

 

 

 

 そうしたことを何度か繰り返して。

 

 それはもう、どうしようもないことと、国と為政者(いせいしゃ)達が学んでから。

 

 粛清は、代替わりの際、新王が望めば行われる程度の頻度となっていた。

 

 歴史から学ばなかった王が、民の熱望に応え、一度だけ行って悔いる。

 

 それはあまりにも無意味な虐殺であった……と。

 

 現国王もまた、二十年前にその後悔を得た者であった。

 

 

 

 逆を言えば、王都リグラエルのスラム街は二十年間、平和であったとも言えなくもない。

 

 

 

 だから王都リグラエルとそのスラム街は。

 

 

 

「レオって、誰が付けてくれた名前なの?」

「……知らない」

 

 

 

 この時。

 

 運命が回り始めたこの時期、この時代にあっては。

 

 繁栄都市とその影、闇の掃き溜めとして、ある種の共存をしていたといってもいい。

 

 

 

「気付いたら、そう呼ばれてた……から」

 

 王都に住まう民は、ある理由からスラム街の住民を激しく憎悪していたが。

 

「ふーん。スラム街に家族とか、親しい人はいないんだ?」

 

 それはせいぜいが、薄汚れた野良犬を迷惑であると嫌忌する程度の感情でしかなく。視界に入れたくはなくて、見たくもなくて、知らないフリをしていたい、自分の知らないところでくたばっていってほしいと願う、そういうモノで。

 

「いない……僕はずっと……ひとりだ」

「……ん」

 

 

 

 だから。

 

 この時期のユーマ王国は、凪のような平和を貪る幸せの絶頂にあった。

 

 その裏に泣く者、負ける者、富に(あずか)れぬ者がいくらいようとも、おしなべて国としては平穏無事で、安寧の季節。

 

 だからこそ、レオポルドは極悪人と、歴史にその名を刻まれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、レオって呼ぶね。あたしはラナンキュロア。レオもあたしのことはラナって呼んで」

 

 少女は微笑む。邪気の無い笑みで。

 

「ラナ……様?……」

 

 少年は戸惑う。向けられたことのない、その表情に。

 

「様ってなによー。(とし)なんてさほど違わないでしょ? レオって何歳?……って名前もわからないんじゃ、わっかんない?」

 

 そうして物語が始まる。

 

「う、ん……」

 

 極悪人レオポルドが「人」として始まったのは、十一(11)歳の時であったとされている。

 

「ふーん。……じゃあ、ね……あなたの年齢は~」

 

 だがそれが、この黒髪の少女の「自分より二歳くらい下であればいいな」という、要は気まぐれにより決定したモノであるということを、知る者はいない。

 

「で、今日が誕生日ってことで、よろしく」

「……たんじょう、び?」

 

 この日、王国暦二百六十一(261)年、癒雨月(ゆうげつ)()日。

 

 少年と少女の運命は重なりだした。

 

 

 

 

 

 これより、少年レオが「極悪人」となるまで三年。

 

 少女ラナンキュロアがその短い生涯を終えるまで三年。

 

 十四歳(推定14才)の少年が国堕としとなるまで、わずか三年しかない。

 

 

 

 



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epis10 : unsullied malice

 

<レオ視点>

 

 ラナという年上の女性は、変な「人」だった。

 

 

 

 本当に、獣のように過ごした十年余りの年月(としつき)

 

 その「僕」にとって、「人」(たにん)とは基本的に「敵」で、空腹に耐えかねて食べ物へと手を伸ばせば、殴るか蹴るかされる、逃げても追ってきて暴力と罵詈雑言を浴びせてくる、つまりは「僕」が生きることを妨害してくる、はっきりと言ってしまえば、邪魔な存在だった。

 

 物心付いた頃にはそう思っていた。

 

 少し成長してきて、それらが喋る言葉を少し理解できるようになって。

 

 その、食べ物へ手を伸ばす行為が、「盗み」「窃盗」などと呼ばれる「法的にいけないこと」だと知った後にも、そこから先の理解は何も変わらなかった。

 

 世界には「法律」という、「僕」が「食べること」を「妨害する」何かがある。

 

 数年前まで、「僕」の認識は、そういうものだったと思う。

 

 

 

 ラナに拾われて二ヶ月が経った。

 

 

 

 今でも「法」が必要という理屈は、完全には理解、納得できていない。

 

『みんながそうしようって決めて、みんなで守るのが法律。そうしないとみんなが好き勝手して、社会が滅茶苦茶になってしまうでしょ?』

 

 そう言われても、僕は「そうしようって決め」たことへ、納得した覚えがない。

 

 それは「僕」の知らないところで決まったことだ。

 

 押し付けられても困る。

 

 社会が滅茶苦茶に、とか、そんなの僕には関係ない。

 

 関係あると言うなら、じゃあ「法」にとって、「僕」は何であったというのか?

 

 親も頼る人もいない「人」(ぼく)は、餓えて死ぬべきだというのか。

 

 それが「法」であるというのか。

 

 それこそ「滅茶苦茶」だと思う。

 

 

 

 

 

「んー」

 

 ……クシュリと、音がした。

 

「ホント最近、理屈っぽくなってきたよね、レオ」

 

 しばらくじっと僕の話を聞いていたラナの指が、また髪と泡の中を動き出す。

 

 クシュクシュクシュリ。細い指が泡の中で踊っている。

 

「意外と、この中に詰まってる脳味噌は高性能なのかもね」

「ん」

 

 つんと一回、頭のてっぺんを左の人指し指で弾かれた。

 

 水色の絨毯の上に、でんとおかれた白い浴槽の中に、僕はいる。

 浴槽は泡だらけで、その中へ半身を埋めた僕は、何も身に付けていない。

 

 ラナは僕の後ろに、白いゆったりとした服を着て立っている。

 ふわふわした袖を揺らし、それを泡だらけにしながら、手を僕の頭髪へと突っ込んでいる。

 

「理屈っぽかったらダメなの?」

「んー」

 

 クシュクシュクシュ、しゅこじゅこ、じゅこぢゅこ。

 

 柔らかで暖かな指の腹が、妙な音を立てながら僕の頭皮をこすっている。

 

 心地良いという気持ちと、どこかそれへ反発したいという気持ちが、同時にある。

 

 こんな使用人がするようなことを、この人にさせてしまっていいのかという疑問。

 

 主客逆転の構図に覚える居心地の悪さ。

 

 自分が子ども扱いされているんじゃないかって不満。

 

 それは二ヶ月、ほぼ毎日こうされていながらも、慣れることのできないもどかしさだった。

 

「べっつに~。でも理屈っぽい男は、女の子にモテないかもね」

 

 そんな僕を、いつも後ろから洗髪するラナは、対照的にどこか楽しそうだった。

 

 泡と体勢のせいで、僕からはラナの顔が見えないけど。

 

 それが不公平というか、僕の方が損をしているんじゃないかって気持ちにもさせてくる。

 

「モテるってなにさ」

「ん~……君はまだ知らなくていいかな~、ガリッと」

「わっ!? ちょっ!? 爪を立てないでよ!!」

 

 ラナはなぜだか、こんな風に僕を洗いたがる。

 

 それはまぁ……最初の内は、当然だろうなと思っていた。

 

 ここにきたばかりの「僕」は、とにかく汚く、臭く、汚れていたらしい。

 

 頭には沢山のノミやシラミがわいていて、それはもう『信じられない』状態だったらしい。

 

 まずはご飯を……と目の前に出された食事を、甘いも辛いも熱いも冷たいもわからぬまま、無我夢中でむさぼり食べた「僕」は、満腹で動けないことをいいことに浴室へ連れて行かれ、そこで掛け湯とかぶり湯が焦げ茶から透明になるまで入念に、丁寧に洗われた。

 

『血の匂い、取れないね』

 

 そんなことを言われながら、今と同じこの浴槽に、ぼぅっと浸かったのを覚えている。

 

 その日は、真っ白なふかふかのベッドで眠りながら……ああ、だからあんなにも洗う必要があったのか……と思った。その日は、真っ白なベッドへ血の匂いが染みていかないか不安に思いながらも安眠、熟睡してしまった気がする。

 

「ん~。ほらしゃこしゃこしゃこ~」

「口でしゃこしゃこ言わなくてもその音、普通に出てるからね? 僕の頭から」

 

 けど。

 

 それから毎日、僕はこうして洗われている。

 

 最初に拒否するのを忘れてから、なんとなくズルズルと、それは今ではもう日課のようにも、習慣のようにもなってしまっていた。

 

「汗の匂いがする。今日も剣を振っていたんだ?」

 

 運動しているから汗は流れている、それを洗い流すというのは当然のことだ。だけどもう身体の洗い方は知っている。こうしたことは、むしろ使用人がやるべきであるという常識もだ。そしてラナはこの家の使用人などではない。

 

「……ごめんなさい」

「謝ることじゃないけど」

 

 ラナはそれなりに大きな商家の一人娘だった。

 

 だけど、父親からは『育児放棄、ネグレクトって状態ね』をされているらしく、(いえ)ではいつもひとりだ。幾人かいる使用人も、普段はラナに近付こうとしない。

 

 そして『ママは後継ぎを産めなかったから』云々、『パパは自分が可愛がっている丁稚に商売を継がせようと教育しているから』云々、『パパは両刀だから』云々、『だからこっちの家には帰ってこないの』云々。

 

 ……両刀がなんなのかはよくわからなかったが、それは僕が立ち入っていいことではないと思い、深入りはしなかった。

 

 ラナの「ママ」にも関わりはない。彼女はいつ見ても生気の無い顔をしていた。そういう他人へ関わるのは、スラム街ではタブーだった。

 

 時々、悲しそうに吠える犬の声が聞こえる。番犬だろう、僕も一度だけ大型の犬を見た。その時に僕へ執拗に吠えてからは、隔離されてしまったけど。

 

 だから僕には、この家でラナだけが生きている存在のようにも思えた。

 

「痒いところはありますか~、お客さん」

「それ、よく言うけどなんなの?」

 

 ラナの細い指から弾かれ、浴槽へ落ちた泡がシャプンシャプンと弾けている。

 

 

 

 どうして僕を拾ってきたの? と問えば、最初の内、ラナは『お礼だから』と答えた。

 

 今にして思えば、それだって奇特な所業だったけれど、「お礼」が一日から一週間となり、一週間が半月となった頃、さすがの「僕」も、これはおかしいと思うようになった。毎日お風呂に入れられ、手厚く洗われていればなおさらのことだ。

 

『お世話になりました……では』

『待って、待っててば』

 

 初めてこの家に泊まった次の日の朝、手厚い歓迎と謝礼へぞんざいな挨拶をして、僕が屋敷を出ようとすると、思いのほか強く手首を掴まれ、呼び止められてしまった。

 

『あなたは命の恩人よ? それを一宿一飯(いっしゅくいっぱん)のお礼で済ますわけがないじゃない』

 

 それは、振りほどこうと思えばいつでも振りほどける、細い手だったけれど。

 

 僕には行くところが無かったし、空腹の辛さは身に沁みて知っていたし、生まれて初めて寝たふかふかのベッドは天国のようだったし。

 

 おまけに、その日は朝から雲が分厚く、すぐに大粒の雨がやってきそうな曇天の空だったし。

 

 そんな理由で、僕はラナの手を振りほどけなかった。

 

 最初は本当にそれだけだった。

 

 その日、降り出した雨がやんだのは四日後の夜だった。

 

 やがて、好天の日も続き、いい加減、さすがにと思い、強い意思で出て行こうとすると、ラナは『いいじゃない。お貴族様の真似事をしているだけだから、本当に気にしないでよ』と言い出し、今度は全身で抱きつくようにして僕を止めた。

 

『お貴族様……って?』

 

 問えば、『んー。平民の女の子をさらって無理矢理犯したり、地下室に監禁して好き放題することが趣味の変態野郎……って考えておいた方がいいよって、あたしは言われたかな』……という答えが返ってきた。

 

『は?』

 

 かすかな柔らかさを感じる背に、僕が気を取られながらも考え、考えても考えても言われた言葉の意味はわからなくて、でも、毎日洗われるという奇妙な日課にも、それは結びつく気がして……『じゃあラナも僕を犯したり、地下室に監禁して好き放題するの? 冗談じゃないんだけど』と返せば、ラナは『ん~……』とゆっくり考え、それから、まだ全然「綺麗」になっていなかった「僕」をジロジロと見て、一度ため息を吐いてから『ふふ』とイタズラっぽく笑い、からかうようにこう答えたのだ。

 

『女の子みたいに可愛くなったらそうしてもいいけど、レオは結構ちゃんと男の子だからなぁ』

 

 

 

「背もたった二ヶ月で少し伸びた気がするよね、その内、私を追い抜いちゃうんだろうな~。ちゃんと食べてちょっと運動するだけでいい身体になっていくとか、男の子ってば楽でいいよね」

「ん……」

 

 背中をつぃー……と指でなぞられる。それからラナは、僕の成長を確かめるように首筋へと指を這わせ、それから両手で肩を揉むように掴んだ。

 

 成長は、僕自身感じている。思いのほか、それを自分自身が喜んでいることも、また。

 

 

 

『お貴族様の真似事っていうのは、(いえ)に食客を招くってこと』

『食客?』

『ご飯を食べさせてあげて、もてなして、(いえ)にいさせてあげて……その代わりに時々働いてもらう……そういう、お客さん』

『働……く?』

 

 お願いがあるの……その時のラナは、真剣な表情でそう僕へと訴えかけてきた。

 

『あたしは多分、狙われている』

 

 ラナをさらおうとし、僕が殺したゴロツキ共。

 

 彼らはけして、街で偶然見かけたラナを、思い付きでさらおうとした訳ではないのだという。

 

『私……は、それなりに人目がある昼の路地でさらわれたの。それからスラム街の方へと運ばれたんだと思う。けど、これっておかしいでしょう? スラム街に、奴隷を買う商人はいないわ。それなのに、人目に付く危険を冒してまで、昼にそれなりの距離を移動しているの……きっと、あのゴロツキ達は捨て駒で、私はスラム街のどこかで、しばらく監禁される予定だったんじゃないかな。だから見られても良かったんだよ』

 

 ゴロツキ達は、スラム街の手前でラナを地面に降ろし、彼女を見張りながらそこで誰かを待っていたようだったという。

 

『でも、だったら、この事件には黒幕がいる。(うち)はそれなりに裕福だから、身代金を毟り取れると考えたのかもしれないし、パパの商売敵が、トチ狂って非合法の手段に訴えたのかもしれない』

 

 それなら、あたしはまた狙われるかもしれない。その時そこにレオがいなかったらどうなるかわからないじゃない。だから私の側にいてほしいの……と、ラナは言った。

 

 

 

「あたしも、レオみたいに鬼強い男の子だったらよかったのに」

「……ん」

 

 左肩をトンと、それなりの力で叩かれる。

 

「誰が見ても、こいつはナメちゃいけないぞって思うような、そんな男の子だったらよかったのに」

「っ……」

 

 今度は右肩を、左よりも強い力で。

 

「そうしたら……誰もおかしくならなかったのかな……」

 

 けど、叩いた手の方が痛かったのか、ラナの声は沈んでいった。

 

 

 

『あいつらが私を犯して殺すだけが目的の、ただのゴロツキだったら、別に良かったのよ。私の嫁ぎ先の最有力候補、わかる? あの丁稚よ。パパのお下がり。冗談じゃない、そんなところへ嫁いでいくんだったら、死んだ方がマシ。だから死ぬのは別に構わない……でも』

 

 

 

「ママもあたしも……こんな風じゃなかったのかな……でも……男には生まれたくなかったし……あんな……ケダモノみたいになるかもしれない生き物には……ぁ……」

 

 遠くで犬が吠えた。それで、ラナの呟きが止まる。そうしてしばらく沈黙してから、ラナはその頭を、おでこを、僕の泡だらけの肩へと載せた。

 

 

 

『死ぬのは構わない……でも、身代金目的でも、なにかしらの商売上の譲歩が目的でも……パパに連絡がいってしまう……その場合……私の命は……パパが握ることになってしまう』

 

 

 

 ラナの黒い髪とやわらかな鼻梁が、僕の首と肩周辺の肌をくすぐる。ぬるっとしてこそばゆい。

 

 

 

『それだけはイヤ。パパに助けられるのはイヤ。見捨てられても腹が立つけど、返しきえれない恩を背負い込むのは……もっとイヤなの……どうしてそれがこんなにもイヤなのか、自分でもわからないけど……でもイヤなの……』

 

 

 

「だからお願い……ね、あたしを助けて」

 

 今度はラナの額が僕の肩を叩く。

 ぺちと、少し間抜けな音がした。

 

「もう二ヶ月だよ……ラナ。二ヶ月だ。あのゴロツキ達に黒幕がいたとしても、最初の失敗で諦めたのかもしれない、計画の破綻でもう破滅しているのかもしれない」

「でも、かもしれない、でしょう?」

 

 心外だとでもいうかように、ラナは泡だらけの顔で後ろから僕の顔を覗きこんでくる。

 

 同じようなやり取りをした、最初の頃。

 

 

 

『いいじゃない。これはそれ込みの御礼、なんだから』

 

 

 

 ラナはそう言って僕に居場所をくれた。

 

「もう少し……あたしが納得するまで、私を守ってよ」

 

 危険が、あるのかもわからない護衛職。そういう居場所をくれた。

 

 けど。

 

「納得するまでって、いつまで?」

「さぁ?」

「さぁって……」

 

 既に二ヶ月。

 

 僕は何をするでもなく、毎日剣を振って身体を鍛え、たまにラナの話し相手になるというそれだけの「仕事」で、衣食住の全てが保証された生活を送れている。

 

 保障(ほしょう)はないが、保証(ほしょう)はある歩哨(ほしょう)

 

 確かに、これは破格の待遇だと思う。

 

 それに……危険があったとして。

 

 僕の命に、価値なんてない。

 

 それを賭けるだけで毎日ご飯が食べられるというなら、暖かな寝床が与えられるなら、それはもう本当に充分過ぎるほどの対価だ。

 

 スラム街(あそこ)では、命を賭けてさえ、残飯や襤褸切(ぼろき)れが手に入ってそれが最上の出目という生活だったのだから。

 

 だから、僕は不安定な立場のまま、いまだここに留まっていた。

 

 一人称さえ、あたしと私で不安定な、妙な年上の少女であるラナの下へ、留まっていた。

 

「ね、レオ」

「……なに?」

「あたしはこの二ヶ月、しばらく不要不急の外出は避けていたの」

「……知ってる。ほとんど毎日、ずっと一緒にいたんだから」

 

 一旦、ひきこもると決めたなら、そこはさすが裕福なお(うち)の子というわけだ。

 

 雑事は全部使用人に任せて、()(しょく)(じゅう)の中で全てまかなえる。

 

 この二ヶ月の間、ラナが(いえ)の外に出たのは二回だけ。

 

 そのどちらにも、僕は同行していない。だから詳細はわからないが、一度は将来について父親と話し合う場のようだった。帰ってきた時、すごく荒れていたから。

 

「正解。でも荒れてたのはパパと話し合ったからじゃなくて……帰り際、あの●●●野郎がニヤニヤしながら寄ってきたのが原因」

「え」

「アイツ、なんて言ったと思う?」

「……なんて言ったの?」

「色々思うところはあるでしょうが、私達はいい家族になれると思いますよ……だって。なりたくないっつーの、死ねよ……●●●●●●が」

「っ……」

 

 ラナが呪詛の言葉を吐いて、僕の肩に爪を立てる。血が出ることも、ガリと引っ掻かれることもなかったが、普通に痛い。

 

「あっ……ごめんなさい……」

 

 どうしていいかわからず黙る僕へ、ラナはすぐにハッとなって謝る。その反射的な、心ここにあらずといった謝罪は、ラナには時々ある謝り方でもあった。

 

「別にいいけど……だとしたら謝らなくちゃいけないのは、守れなかった僕なのかな」

「連れて行かなかったのはあたしの判断。むしろ謝られると困るわ」

 

 その、心が麻痺したかのような硬直の表情に、僕は不安を感じてしまう。

 

 どこかへ引き込まれてしまうようで、そうして堕ちた暗闇の底には僕などではどうしようもない何かがある気もして。

 

 僕などに、ラナを救えるのかが本当に不安で。

 

「レオは……出て行きたくなった?」

 

 ああ、この表情。

 

 すがるような、だけど何の感情も浮かんでいない、焦点の定まらぬ(ひとみ)

 

「別に。行くあてもないし、人らしい生活ができて助かっているのは本当。けど、ずっとこのままでいられるわけがないと思うし、このままでいいとも思ってないよ」

 

 そこには僕の知らない闇がある。

 

「……そう……だよね」

 

 だから、そうした瞬間に強く、思う。

 

 ああ……あの時のように人が斬りたい……と。

 

 僕にできるのは人を斬ることだけだ……と。

 

 だから、黒幕がいるというなら、早く襲ってきてほしいとも思っていた。

 

 人を斬るだけでいいというなら、それは僕には至極簡単なことであったから。

 

「あー、やめやめ。湿っぽいのは終わり」

「ん……」

 

 急に、ラナの手の動きが荒々しくなる。

 

 ふたりしかいない空間に、しゃこしゃこという音が白々しく響く。

 

 ラナは無心で僕の髪を洗っていた。それ自体は、心地良い。

 

 だけど、心此処(こころここ)()らずは、心此処に在らずのままだった。

 

 機械的で、完全に決められたルーティーンをなぞっている動き。

 

 時々、意図せずに僕の頭が動き、だけどラナの指はそれを自動追尾するかのように追ってくる。

 

 何も言わず、何も聞かず、ただ毛の生えた丸い何かを洗うという行為にのみ没頭してるかのような手技(しゅぎ)

 

 それを僕は、腕に止まった小鳥が怯えぬよう、息を殺し、気配を殺すように。

 

 小鳥の気が済むよう、飽きて飛んでいくのを待つかのごとく、ただじっと見守っていた。

 

 しばらくして、ラナは「よしっ」と何かに満足したような声を挙げ、桶で手を洗ってその湯をそのまま僕にざぁとかけた。顔を、すこしラナの匂いがするぬるめのお湯が流れていく。人の体臭など、大抵は吐き気がするモノだが、ラナの匂いは不思議と不快に感じない。

 

「……もう一回の外出について、聞かないんだね」

「その時に聞いたよ。野暮用って言ってた。おかしな様子もなかったし、それなら僕が詮索していいことでもないから」

「詮索して良い悪いはまた別の話だけど、レオの今後に関係することだよ」

「ん?……っぷ」

 

 もう一度、ざざぁと湯が頭に掛けられる。

 ぬるっとした洗髪剤が流れ落ちていく感覚がした。

 

 匂いまで消えてしまうことが、すこし残念だったけれど。

 

「どういう、こと?」

 

 そうしてまたラナは、変なことを言った。

 

「ねぇレオ……冒険者になってみる気はない?」

 

 

 



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epis11 : Hello Alone

 

<ラナ視点>

 

 あたしは生まれついてより、どうしてか男の人が怖かった。

 

 男が怖い。男の匂いが怖い。男らしさが怖い。

 

 自覚できるその原因は、悪夢だ。

 

 あたしは幼い頃からずっと悪夢を見続けてきた。

 

 自分が汚くて醜くておぞましい男性に取り囲まれ、酷いことをされ続ける夢。それは頬をつねっても痛くない夢、そのままに、なんの痛みも伴わない、幻影の地獄だったけれど、どうしてかひたすらに辛く、苦しいという感覚だけはあった。

 

 そしてそれ以上に、どんどんと自分が自分ではない、汚くて醜くておぞましいモノへと腐り果てていくという絶望の感覚が、凄くイヤで。

 

 あたしはどうしてか、生まれついてより本当に男の人が怖かった。

 

 男は怖い、汚い、醜い。

 

 ()はその、癇癪(かんしゃく)のような嫌いの感情と共に成長してきた。

 

 

 

 

 

 あたしには未来が無い。

 

 この国では、女の子は十六を超えたらどこかへ嫁いでいくのが普通だ。

 

 それなりの資産があるとか、それなりの立場がある(いえ)の子の場合、それはもう大体が政略結婚になる。

 

 

 

 けど、(うち)は中堅どころの商家で、資産も立場も中途半端なランクだった。

 

 だから本来、私は、将来の相手を、親が選ぶ誰かと、自分で選んだ誰か、そのどちらかで選ぶことができたはずだった。だってそれなりに裕福な家庭で、子供が女の子ひとりなんてことは通常ありえない。嫁に問題があるのであれば(めかけ)を囲ってでも男の子を作る。それがこの規模の(いえ)の「普通」なのだ。

 

 だからお兄ちゃんでも、弟君でもいい、男兄弟がいれば、あたしの結婚はもっとお気楽なものになっていたはずだ。「後継ぎ問題」の矛先がそちらへ向いてくれるから。

 

 

 

 ところがママは、子供をあたししか産まなかった。

 

 

 

 これには悲劇的な……というには美しさの足りぬ物語が背景にある。

 

 パパは若い頃、何がどうしてそうなったのかは知らない(知りたくもない)けれど、財務省の貴族官僚だった祖父と、ズブズブの関係になっていたらしい。ナニをズブズブしてたんですかねぇ。

 

 ま、そんなわけだから、パパは貴族官僚の娘を嫁に貰い受けた。それが私のママだ。

 

 長女、長男、次女、次男、三男という並びの五人兄弟、その次女であったというママは、十四歳の時に二十代も半ばであったパパの元へと嫁いできたらしい。

 

 私の(いえ)が後取り息子のいない、「普通」ではない家族構成となったその所以(ゆえん)は、この五人兄弟の確執(かくしつ)に端を発している。

 

 この五人兄弟、どうやら貴族官僚に相応しいだだっ広い家の中で、いつからか長女派閥と長男派閥に分かれていたらしい。家庭内派閥間抗争……お貴族様はお暇なことです。

 

 

 

 次女(ママ)は明確に長男派閥に属していた。

 

 それはもう、後取り確定の長男の派閥であるからして、当然優勢の(がわ)であるからして、なぜか長男派閥に従わない長女派閥をネチっこく虐め、いたぶっていたのが次女(ママ)達であったという。

 

 長男、三男、次女(ママ)から虐められ、いたぶられる毎日を送る長女と次男。本来、そこに下克上など起こるハズもなく、長女と次男は不遇の人生を送るハズ「であった」。

 

 

 

 ところが。

 

 

 

 驕れるものは久しからず、盛者必衰(じょうしゃひっすい)のコトワーリをアラワース。

 

 次女(ママ)が十三歳、長女(伯母さん)が十六歳の時、事態は一転、逆転する。

 

 長女(伯母さん)が、格上である伯爵家の後取り息子に見初められ、婚約したのだ。

 

 これで一気に、家中(かちゅう)のパワーバランスが変わったらしい。

 

 未来の伯爵家正室という肩書きは、貴族社会では重かった。

 

 長女はそれまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、連日ざまぁざまぁと高笑いしながら次女(ママ)へ陰湿なイジメを仕返し、ついでのように騎士爵を叙爵(じょしゃく)した次男も増長して、それへ追従(ついしょう)してきたらしい。

 

 貴女の将来のために、せめてご一緒に花嫁修業くらいさせてあげましょうね……と、使用人に次女(ママ)の世話をサボらせ、当然の結果としてその生活の質を最底辺まで落とさせたのを皮切りに、日々清潔でなくなっていく次女(ママ)(くさ)(くさ)いと嘲笑(あざわら)い、そんなことでは将来子を産むことにも障りますよと、腹を(えぐ)るように押してきたという。

 

 もっとも、これは本人が……まだ少しは会話ができた頃のママが吐き捨てた、一方的な言い分に過ぎない。私はそこで、実際にどういうことが行われていたのかについては、何も知らない。それ以前に、長男派閥(ママたち)が長女、次男へ(具体的に)何をしていたのかも知らない。全てはもう想像するしかない過去の話となってしまっている。

 

 人生において五回も会っていない長女(私の伯母さん)は、最近では体型がだいぶ丸くなってしまっていたけど、それに見合う貫禄も持つ、上品な女の人だった。今でも半年ごとに届く手紙の字は綺麗で、文章からは知性が感じられる。少なくとも今は幸せの只中にいて、誰を恨む、(うらや)むも無いといった様子に思える。

 

 

 

 ともあれ。

 

 

 

 当時の次女(ママ)は、もうこんな家にはいられないとばかりに、自分の婚約を急いだのだそうだ。長女(伯母さん)は婚約期間の数ヶ月だか一、二年なりが過ぎれば伯爵家に嫁いでいったというのに。

 

 それで、長女の良縁にいたく満足していた財務省の貴族官僚様(おじいちゃん)は、ならばとズブズブの関係……もとい、懇意(こんい)にしていた商家の大旦那(パパ)に、あっさり娘を嫁がせたというわけだ。

 

 それで。

 

 実家から開放され、それなりの資産家である裕福な(いえ)の奥方様となったママは、それはもうなんていうか……(あたし)の口からいうのもなんだけれども……荒れた。

 

 長女()の結婚指輪がこれくらいと聞けば、それ以上の宝石をパパへと強請(ねだ)り、姉が着たドレスはこれくらいと聞けば、無理矢理にでもそれ以上のドレスを求め、結果として、自分では身動きもできないような、アホらしい規模のモノを着込むことになってしまったらしい。そんな姿でオーホッホッホとふんぞり返って笑った姿は、それはそれは、滑稽なモノだったそうな。

 

 ……見てきたように言うねって?

 

 見てはいないけど、見てきた人に聞いた話だよ。

 

 当時を知るマダムな小母様方(おばさまがた)が、私へ直接言ってきたんだよ。

 

 どれも、凄い厚化粧のおばちゃん達だったけどね。

 

 あれは心底楽しそうだったな~、あなたのお母様は……ってね。どいつもこいつも似たような表情で似たような話しっぷりだった。テンプレートでもあるのかしらね?

 

 まぁ、つまり、この辺りのことは、十年以上が経った今でも、業界の笑い話として残ってしまっているのだ。(あたし)の耳へ届くくらいに。

 

 ……届けなくていいのに、さ。

 

 でも、まぁそれも、十四の少女が必死に空回りしてる……くらいの時分にはまだよかったらしい。

 

 伝え聞く姉の、(きら)びやかな噂話に対抗心を燃やし、婚家の財産と評判を食い潰す妹。

 

 ある意味、嘲笑う対象としては、これ以上ないほど「可愛らしい」存在だ。今では見る影もないけど、その頃のママは亜麻色の髪にメリハリの利いたボディが魅力の、正統派美少女だったそうで、そんなのがトンチンカンに空回りしてる姿は、それはそれは滑稽でしょうがなかったらしい。

 

 けれどママは、自分が影で嘲笑われていることなど気付かずに、姉の結婚で失ってしまった何かを取り戻そうと、必死だったそうだ。

 

 ……それはまぁ、ほんの少しだけ「好意的に語るなら」だけどね。

 

 

 

 そうして奇行は止むことがなく、一年が経ち。

 

 いつしかママは「いい笑いモノ」として、その筋(どの筋かは知らない)では知らない者がいないほどに、有名になっていたらしい。

 

 さすがのママも、その頃には自分が笑いモノにされているということには気付いていたようだ。でも、そこはもう意地なのかなんなのか、自分でもどうしようもなくなっていたらしい。

 

 この辺りの噂話については真偽不明の度合いが強くなるため、詳細は控えたいけど、概要だけ語ると、笑いモノにされていることに気付いたママは、それゆえの反抗心を見せてしまったらしい。そして多くの敵を作ったらしい。先述の厚化粧な小母(オバ)ちゃん達は、この時期になにか嫌な思いをさせられたのかもしれないね。

 

 

 

 そうしている内に、また一年が過ぎ、ママが十六の時に私が生まれるのだが。

 

 それでも奇行が止むことはなくて……むしろ悪化していって……この辺りの噂話になるともう、乱交パーティがどうとか、悪魔召喚の儀式がどうとか、よく真偽不明のそれを子供(あたし)の耳に届かせたもんだよな~……ってレベルの話になってくる。

 

 だからこの時期にママが何をやっていたのかは私も知らない……赤ん坊だった私のお世話で忙しかったんだと、信じたいのだけれども。

 

 

 

 で。

 

 

 

 それは、あたしが二歳の時のことだったらしい。

 

 ママの姉(伯母さん)に、息子が生まれた。

 

 伯母さんは、伯爵家の後継者を産んだのだ。

 

 それはもはや、貴族社会において、揺るぎない地位を手に入れたということでもあった。

 

 

 

 それが決定打だった。

 

 それで詰みだった。

 

 ママはそこで決定的に壊れた。

 

 

 

 私の、夢などではない、確かにそれは実際にあったことと、この身が記憶している、痛みを伴う、あたしの一番古い記憶。

 

 

 

 それは。

 

 

 

 ママが何かをわめき散らしながら、(あたし)を床に投げ捨てる記憶。

 

 

 

 あたしの髪の生え際には、凄く小さいけれどその時の傷がまだ残っていたりもする。

 

 

 

 後に、複数人の証言から補完したその情景の真相は。

 

 

 

 それは……「どうしてアンタは男じゃなかったのよ!!」と叫び、自分の子を床へ叩きつける、狂人のようなママの姿だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……はいはい。

 

 ……はいはいはいはいはい。

 

 ごめんなさいごめんなさい、生まれてきてごめんなさい。

 

 男に生まれなくてごめんなさい。

 

 あー、もーさー、わかってますってば。

 

 私が男に生まれていたら、ママがあんな風になることもなかったんだな~って。

 

 私じゃなくてもさ、初めての子が男だったらさ、お兄ちゃんだったらさ、こんな風じゃなかったんだよ。だからわかってますってば。

 

 私がわるぅございます。わるぅございましたっ。

 

 

 

 

 

 けどさ。

 

 二歳からそんな感じだったんだよ?

 

 こんな内面にも、そりゃなりますって。

 

 親に見切り、付けちゃいますって。

 

 

 

 確かに私は悪かったのかもしれないけど、その全部をあたしのせいにされても困るよ。

 

 例えばさ、パパとママに言うならさ、男の子が産まれるまで励めばよかったじゃない。

 

 知ってるよ? 赤ちゃんは、ドスコーイがアッハーンしてできるものだって。

 

 夢の中で結構生々しい映像も見たしね、知識だけなら、普通の女の子よりも多いんじゃないかなって思う。

 

 そりゃさ? その頃にはパパもママの奇行に辟易(へきえき)していて、抱くのもヤになっていたのかもしれないけどさ? でも、その頃って、計算するとパパもまだ二十代じゃない。なんとかすればなんとかなっていたんじゃないの? ドスコーイもシャキーンでギャンギャーンだったでしょ? いや知らないけど。でもさ、ママってあれでおっぱい大きいし。そこだけは遺伝していてほしいなーって思うくらいに大きいし、私はその姿を知らないけど昔は可愛くて美少女だったんでしょ? アッハーンもウッフーンでイッヤーンしてればよかったんだよ。子作りは爆発だっ。

 

 それくらいの努力も放棄してさ、パパを「やっぱり女はダメだ……」となるくらいまで追い込んでさ、そのまま(うち)の子供はあたしだけで……まぁママの実家の例からすると兄弟なんていなくて逆に良かったのかもしれないけど……そんな状態になっちゃったのはさ、さすがにあたしの所為(せい)じゃなくない?

 

 なに? 三歳とかだったあたしが、「弟か妹がほしいな~」って言えばよかったの?

 

 そんなんでドスコーイはズギャギャーンってなるものなの?

 

 私の感覚だと、男の性欲はもっと理不尽で自分勝手ってイメージなんだけど。

 

 っていうか、その頃にはパパ、もうほとんど家に帰ってこない状態だったんですけどね。

 

 ママはあたしが近付くと鬼みたいな顔になったしさ、下手したら蹴りとか入れてきたしさ……そんな状況で、自分より五、六倍も長く生きてる大人相手に、私がどうすれば良かったっていうのよ。

 

 ……わかるよ?

 

 それでも、頑張ればなんとなかったでしょって根性論。

 

 どうにかすれば、どうにかなったでしょって結果論。

 

 みんな、大好きだもんね。

 

 言ってれば人の不幸はみーんな自己責任、同情なんて要らないもんね。

 

 優越感に満ちた顔で、嘲笑いに近づいてこれるもんね。

 

 かわいそうね~……ってさ……うっせぇよ。

 

 生まれる場所を選べないって不幸ね~……うっせぇよ。

 

 それでもしっかり生きていかなくちゃね~……うっせぇよ。

 

 伯母さんは、今でもきっと、あんな顔で幸せなんだろうね。ええ末永くお幸せに。

 

 それは素直に祝福してあげる。伯母さんには、逆境にめげず玉の輿に乗った頑張り屋さんには、その権利があると思うから。たぶん。

 

 ママも伯母さんもパパも●●●野郎も、みんな頑張って生きてるんだよね。あたしだけが不幸なんじゃない。だったら頑張らなくちゃ。頑張れないのは本人の責任。わかってます。

 

 うん、だから私は、あたしの自己責任も認める。

 

 多分、どうにかする方法は、あった。

 

 なんとかできる可能性は、あった。

 

 けど、あたしにそれを掴み取る才覚はなかったよ。残念なことに、ね。

 

 いたいけな時分の自分を利用して、鬼みたいなママを懐柔するなんて()()()()考えは思い浮かびもしなかったし、どこにいるかもわからないパパ(まぁ、今思えば直営店のどこかで仕事に没頭していたんだろうけど)を探し出して、(いえ)に帰ってきてほしいと泣き付くなんてこと、しようとすらも思い付かなかった。

 

 そうしてる内に手遅れになってたよ。

 

 人の才覚と時間には限界があるんだよ。

 

 根性論を結果論で語る人には、是非覚えておいてほしい。

 

 千対万の戦場で、「ひとり十人を殺せば勝てるから死ぬ気で頑張れ、命令だ」としか言わない指揮官、有能と思います? 敗戦後に、そいつが「部下が自分の言うことを守らなかったから負けたのだ。私は悪くない、私の命令を遂行できなかった兵が悪いのだ」とのたまってくれたりしたらどう思います? 十人を殺せなかったあたしが悪いの? それ本気で言ってる? 日和たいだけじゃないの? 感情移入先を、「無理と暴言が言える立場の人間」にしたいだけじゃないの? ねぇ?

 

 

 

 私は勝てなかった。結果的に、根性なんて出せなかった。そんなものが自分にあったのかもわからない。

 

 私はただの子供で、大人は、特に大人の男性は怖くて、パパすらも怖くて、右往左往してるだけの役立たずだった。

 

 そんな状態で二、三年が経って、私が六歳か七歳の頃には、ママにはもう、こちらから話しかけても一言の返事すら返って来なくなってしまった。それであたしも、そんなママをもういいやって諦めたんだ。それが手遅れってこと。

 

 あたしがパパにママに、(いえ)に期待することは、八歳の頃にはもう全部無くなってしまいましたとさ。ちゃんちゃん。

 

 そうして、顔を合わせれば嘲笑ってくる人達からも距離を取り、家に()もるようになって。

 

 だけどそこは、裕福なお(うち)の子でしたから、何の不自由もなく生きられて。

 

 

 

 まぁ……ね。

 

 わかってますってば、それもホント、ダメだったんだろうな~……って。

 

 でも一旦ダメになると、それでも生活ができてしまうと、人間って、何もできなくなるのですよ。ええ、本当に。少なくとも、私はそうだった。何もできませんでした。本当にね。

 

 ぼーっとして、時々書斎の本棚から分厚い本を持ち出してきて、なんとなく文字や計算の勉強(自習)をしてみたり、外国語の難しい本をデタラメに翻訳してみたり、飽きてそれを枕に昼寝してみたりもして、そうしてる内に、なんかもうそれだけで、時間なんてあっという間にすぎちゃった。

 

 八歳から十三歳まで五年間。

 

 世捨て人みたいに、あたしはそうやって生きてきた。

 

 

 

 

 

 そうして私は十三歳になった。

 

 ママが結婚した歳まで、あと一年という時分の自分になってしまっていた。

 

 ママの結婚はこの辺りの常識でも少し早すぎた。本来の適齢期は十六から十八くらい。二十歳になったら行き遅れ、二十五で既婚暦のない独身女性だったら、これはなにか問題のある女性、というのが常識だ。この世界ではそうなんだから仕方無い。

 

 だから私も、遅くとも十八か九の頃までには結婚させられるだろう。

 

 私の意志とか都合とかは全部無視して。

 

 

 

 あの汚くて醜い生き物と生涯を共にしろと強いられる。

 

 あたしにはやっぱり未来が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 ……最近では。

 

 もう全部投げ出して、家を出たいと思っている。

 

 どこかへ、逃げたいと思っている。

 

 それはおそらく、事情はまるで違うものの、ママが今の私と同じ年の頃に熱望していた何かと、似た願望なんだと思う。あたしは結局、莫迦(バカ)で間抜けなママの娘なんだ。

 

 だけど私は、逃避先に「結婚」を選べない。選びたくない。

 

 男なるモノへ夢は見れないし、なによりママを見ていると、それこそが終わりの始まりにも思えてくる。

 

 だけどなんだかんだで、私は一人娘で、血を残す義務からは逃れられない。だからこのまま(いえ)にい続ければ、パパに都合のいい相手と結婚させられてしまう。

 

 それはつまり、パパのドスコーイをアッナーンし続けた●●●野郎とってことだ。逆かもしれないし、リバ(どっちもどっち)かもしれないけど。おぇ。

 

 そりゃ、ま。

 

 ●●●野郎だって頑張って生きているんだろうさ。それは認める。努力も、あたしよりかはアレの方がずっとしてきたんだろう。あたしは世の中の誰よりも努力してない自信がある。我が家におけるクソオブザイヤーを五年連続受賞だ。尊べ。

 

 けど、だからってあの●●●野郎を尊重(リスペクト)できるのか……って話だ。

 

 これはもうハッキリ言う、生理的に無理。

 

 自分の心理とか性癖とかを自己分析する気はないけれども、もうホント、アレが男だからイヤだという以上に、私はアレの顔を見ただけで吐き気がする。あの気持ち悪い手があたしの身体に触れるだけで、その部分が冷たく腐ってしまったような気さえしてくるのだ。

 

 だからこれは本人に、ハッキリとそう伝えたことがある。私に近付くな、触れるなと。

 

 返ってきた言葉は、「慣れますよ、そんなもの」というものだった。そしてそれはなぜだか自嘲めいた響きを伴っていた。

 

 

 

 冗談じゃない。慣れてたまるか。

 

 それは慣れたんじゃなくて、諦められるようになったってだけでしょ。

 

 

 

 確かに。

 

 両親の仲の良さであるとか、憐憫(れんびん)嘲笑(ちょうしょう)もしてこない同性の友達とか、普通の生活とか。

 

 あたしは色んなモノを諦めながら生きてきたけど。

 

 それでも諦め切れないモノはある。

 

 私があたしであるというただその一点だけは譲れない。

 

 理屈より先に身体が拒否するモノは受け入れたくない。

 

 それは私が()()()を裏切るということだ。

 

 

 

 男は怖い、男は汚い、男は醜い。それは慣れや諦めで収めるにはもう私の一部過ぎる。

 

 無理矢理引き剥がすならそれは、私がその一生を廃人のように過ごすことと同義であるように思えた。だから私は()()()をどうにか慰撫(いぶ)する、その方法がずっと欲しかったんだ。

 

 

 

 ()()()を、幸せな夢の中で眠らせるために。

 

 

 

 

 

 

 

 あの日、レオを綺麗だと思った。

 

 

 

 醜い男どもを一瞬のうちに殺すあの刃が、美しいと思った。

 

 最初の内は、寄れば男の人の悪臭以上に、ゴミと残飯の(にお)いが酷かったけれど、でもそれは、別に「怖い」わけでもなくて。

 

 洗って洗って洗っているうちにそれは消え、運動をして汗をかいた時だけ「ほんのり嫌な」匂いがする、それでも私にとっては「特別」な少年がそこに残っていた。

 

 今は剣を構え、血塗れで立っていた時に感じた、あの「美しさ」は隠れてしまっている。けれど、レオはよく見れば顔も綺麗だった。綺麗とはいっても、男性らしさを全く感じない顔というわけでもない。むしろ顔だけ見ればそれは鋭すぎ、女性らしさもまた薄い。レオは逆三角形の輪郭に鋭い目付きが光る、シャープな印象の顔だった。ヒゲや体毛は無く、産毛だけが光る肌はつるんとしていて綺麗で、それは男性らしくも無く女性らしくも無くて。

 

 では、それが何であるかといえば……レオはとても「少年らしい」顔をしていた。

 

 だけどそれは。

 

 きっとそれは、男の子が男性へと変わる途中で、一瞬だけ「成る」暫定的な、サナギのような過渡期の形態であって、レオ自身の生まれ持つ特徴であるかといえば、それもまた違うはずだった。

 

 この形態のレオは多分、今しかいない。すぐにあたしが嫌う(にお)いを発するようになって、私が「怖い」と思う、私が受け入れることのできない何かへと変わってしまうのだろう。

 

 それは仕方の無いことだ。

 

 

 

 あたしはレオが人を殺すその姿を美しいと思った。

 

 それは考えるまでもなく非道徳的な、良識に喧嘩を売る、間違った美意識なのだろう。

 

 女は男を受け入れるべきであり、そうして子を産むのが正しい。それがこの世界。

 

 

 

 だからそれを美しいと思えない私は、間違っている。

 

 

 

 認める。

 

 

 

 あたしはきっと、この世界に生まれてはいけない人間だった。

 

 だけどそれならば、私は、間違っているあたしを満足させ、眠らせてあげたいとも思っている。私もいつか大人になる。この世界に慣れるのか、諦めるのか、それはわからないけど、そんな私にも、あたしがこのままじゃいられないことはわかっている。

 

 この我儘(わがまま)で、なにもかもが心細くて、世界に溶けることを怖れてる()()()は、いつか消える。きっと消えて無くなる。

 

 レオが少年のままではいられないように、私も、あたしのままじゃいられない。

 

 だからこの時をせめて幸せに、永遠に。

 

 私の中に刻み付けて終わりたい。

 

 そうした終焉(おわり)を、(あたし)は望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 だから私は賭けをしていた。

 

 レオに、それなりの一次的接触を試みてみる。

 

 男の人は怖いけれど、自分からそういうアプローチをかけることには、戸惑いはあまり無かった。私の身体に価値なんてない、そんなものは、使える道具であれば遠慮なく使ってしまえばいいと思っていた。

 

 それで。

 

 そうしてレオが、あたしを(ほっ)してくれるのであれば、その時は()()()()を殺す。

 

 そういうことにした。(あたし)がそう決めた。

 

 それは酷く背徳的な妄想で、だけど心休まる夢想でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 だからそれが勇気になった。

 

 あたしは五年ぶりに現実を見て、真実を欲した。

 

 ()()()()に殺されたい。それ以外の誰にも殺させない、殺されたくない。ならばあたしは私以外の脅威と向き合う必要があった。

 

 あたしを(さら)おうとしたゴロツキ達。

 

 それを雇った、誘拐未遂事件の黒幕は誰か?

 

 

 

 犯人はママ……などというつまらない結論ではない。

 

 ママに陰謀劇を(おこ)せるほどの気力は残っていない。あるいは知性もだ。

 

 けど、こうとは言えるのかもしれない。

 

 原因は、ママだ。

 

 

 

 ことの因縁の始まり。

 

 ママ達五人兄弟と姉妹が確執を抱えた理由、そもそもひとつの家の中で長男派閥と長女派閥に分断してしまった理由は何なのかというと。

 

 そこには、どうしようもなく生々しく、気持ちの悪い答えがある。

 

 

 

『上の兄さんは、下の姉さんに想いを寄せていたんだ』

 

 五人兄弟の末っ子、三男(私の叔父さん)は、苦々しい顔でそう証言してくれた。ここでいう上の兄さんとはつまり長男のことであり、下の姉さんとは次女、つまりママのことだ。

 

『今にして思えば、とても普通とは思えないような想いを、ね』

 

 それは、明らかに兄が妹へ向ける感情ではなかったらしい。長男(伯父さん)次女(ママ)の使用済みの下着類を集めたり、こっそり自分の体液を混ぜた食べ物や飲み物を次女(ママ)に与えたりしてたらしい。そりゃ、(こじ)らせたもんだね。おえ。

 

 そして莫迦(バカ)で幼くて無垢であった頃の次女(ママ)は、それに対してはあまりにも無防備であったという。着替え中であったり、なんなら裸の状態でも、長男()の突然の来訪に平然と応対したりしてたし、頻繁にされるボディタッチにもなんら抵抗、拒絶をしなかったという。ママァ……そういうところだぞぉ……。

 

 後に家を出て、世間の常識を学んだ三男(叔父さん)が、今にして思えばそれはまさに異常というほかない光景だったそうだ。

 

『そしてね、君はその頃の姉さんに、つまりは君のお母さんに、とても似ているんだよ。それ自体は、当たり前のことだけどね』

 

 気が強そうなのにどこか甘さのある顔、すらっとしているのに女性らしい凹凸(おうとつ)のある身体、そして、どこか別の世界にでも生きているかのような、独特の雰囲気。

 

 ……そうなの?

 

『髪の色や()の色は違うし、姉さんに比べれば君の方がまだ賢そうに見えるけどね。そこはお父さんの血かな』

 

 自分ではよくわからないけれど、三男(叔父さん)がいうにはそういうことらしい。

 

『つまり、なんですか? 私は、伯父様からその、身体を狙われているとでも?』

『どうだろうね。狙われているのは身体だけで済むだろうかね』

『……どういうことですか?』

『昔の兄さんは、もしかすれば本当に姉さんが“欲しかった”のかもしれない。でもね、それは昔の話で……これは兄さん姉さんの名誉のためにも明言しておくけど……結局は果たされなかった想いでもあるんだ。それは間違いないよ。僕の全てに懸けて誓おう。……けど、兄さんが自重し一線を越えようとしなかったのは、姉さんが兄さんの妹だったからでもあるからね』

『……はい?』

 

 あのね……とそこで叔父さんは、大人が子供に、噛んで含ませるみたいな言い方をする時の顔をした。

 

『この国では、姪を(めと)ることを禁止してないんだよ?』

『は?』

『君も、今となっては僕も貴族ではないがね、貴族社会において伯父が姪を娶ることは、むしろ普通の婚姻と看做(みな)されているんだよ?』

『は……』

『とはいえ……』

 

 叔父さんはクセなのか、日焼けした頬を、ごつごつした自分の手でさすりながら喋る。時々短いあごヒゲがじょりじょりと音を立てていた。それへ、あたしは嫌悪感を感じていたけれど、この時はそれを(おもて)に表すこともできず、真面目に傾聴(けいちょう)する風を装うのに必死だった。おぞましい話を聞かされ怯える少女、そのように見えればいいとも思っていた。

 

『とはいえ、だからといって自由に婚姻が結べるかというと、これもまた違う。それぞれの家にはそれぞれの事情があり、貴族社会の婚姻はそれに大きく左右されてしまう』

『はい』

『君の場合もね、そうなんだよ。君の祖父は財務省の貴族官僚だ。伯母は伯爵家の大奥様だ。そして父親は財務省へ、国の財務に深く入り込んだやり手の商人でもある。それらの意向を全て無視できるほどに、兄さんになにか力があるわけではない』

『……というと?』

『つまりただ君が欲しいと言ったところで、君の父や祖父や、上の姉さんが嫁いだ伯爵家を無視してコトは運べないということだね』

 

 つまり伯父さんがあたしを嫁に欲しいといったところで、それは理由もなしに叶えられるモノでもないということらしい。むしろ断る理由の方が明確に存在しているんだとか。あたしが一人娘であるということ、だから婿取りをしなければならないこと、その婿は国の財務に関われるほど優秀な商人でなければならないこと、そういうこと。

 

『君が、()()()()()()()()()()、その真意が知りたいという話だったね?』

『……はい』

『君を、今から数ヶ月後の、十四の誕生日に社交界デビューさせたい、だからその準備を兄の家でしようという話だったか……それは、僕の生まれ育った家でもあるんだけど』

『はい』

『今までの話を聞いてわかっただろう? その招待状は、怪し過ぎる。悪いことは言わない、やめておきたまえ。招待には応じない方がいい。兄さんは独善的で愚かだ。何を計画しているか知れたもんじゃない。独善的で愚かというのは、なにかことを成すにはもっとも適さない性格なんだ。全てが自分の理想通り、物事が進行することを前提に考えてしまうからね。そういう冒険者はすぐ死ぬというのが、僕達の常識だよ』

 

 財務省貴族官僚の家を出て、ギルドからそれなりに信頼される冒険者となった叔父さん、そのふたつ名で「黒槍のコンラディン」は、穏やかな声で私をそう諭した。

 

『逆に、そういう者の考えは、突飛過(とっぴす)ぎて常人には計り知れないモノがある。どう考えたらそういう結論に辿り着くのか……という飛躍が多過ぎるんだ。だから僕にも兄さんの考えはわからない。昔からずっとそうだ。それに振り回されていたんだと気付いた時には、僕は家に居場所を()くしてしまっていたよ』

 

 こうして可愛い姪が頼ってきてくれるくらいには、僕も許されたんだと思いたいけどね。

 

 複雑な笑みでそう自嘲する叔父は、かつて姉を虐めていた人間とは思えないほど、穏やかで紳士的であるようにも見えた。大の男性である以上、やはり私には恐ろしくもあったけれど。

 

『僕から話せる内容は、以上だよ、嫌なことには巻き込まれたくないだろう?』

 

 けれどこの人は、比較的信用できる人だとも思った。視線に嫌なものは含まれていないし、何かを強制してくるような、押し付けがましい感じもない。(こちら)を心配してのことだろうが、必要と思われる情報を開示することに躊躇(ためら)いはないし、かといってそれを恩に着せようともしてこない。

 

 彼はちゃんと「大人」なのだ。「子供」から搾取することは考えない、立派な「大人」なのだ。

 

 だから、私は運命の一部、あるいは賭けの一部分を、彼に託してみようと思った。

 

『はい、伯父様からのご招待は丁重にお断りしようと思います……ですが、それとは別件で、ひとつ叔父様にお願いしたいことがあるのですが』

『叔父様、ね。“ラディ叔父さん”と呼んでくれると嬉しいな』

『はい、ラディ叔父“様”』

『ま、それでもいいけど。それで、別件というのは?』

『はい、私は先日、不注意から悪漢に襲われたのですが……』

 

 

 

 

 

 

 

「その子が、冒険者になりたいという“天才剣士”君か」

 

 

 



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epis12 : Blue bullet wanders into free

 

 最強と最強が戦えばどうなるか。

 

 それは古今東西、あらゆる場所で討論されてきた永遠の命題だ。

 

 栄光に満ちた過去の英雄、当代随一(とうだいずいいち)とされる武術の使い手、威名轟(いめいとどろ)く異国の豪傑。

 

 自分の考える最強は誰それである、いいやそれよりも強い者がいる、いやそれは相性の問題で、彼は彼に負けるが彼には勝てる、云々。結論がでないそれを、しかし人は夢中になって語りたがる。

 

 だが、これにおいてはまず、最強が何か、最強とは何かが問題となってくる。

 

 同じ土俵に立つ者同士であれば、それは戦えば済む話だ。

 

 だが、例えば素手であれば最強の者、剣を持てば最強の者、馬へ騎乗すれば最強の者と、最強同士でそれぞれが得意とすることは、違う場合がある。過去の英雄は既にこの世にいないことがあるし、存命であったとしても全盛期は過ぎてしまっているだろう。

 

 ならば最強とは何か、何であるのか。

 

 言葉の意味から考えれば、それは「最も」「強い」ことであろう。

 

 東方に蟲毒(こどく)という呪術があるらしい。箱の中に沢山の毒虫を閉じ込め、争わせ、最後まで生き残っていた虫が「最強」とする儀式であるとか。言ってしまえば、これで最後まで生き残った毒虫は確かに「最強」であろう。その箱の中で「最も」「強」かったのだから。

 

 だが、それは同時に「その箱最強のムシケラ」でしかない。人間が叩き潰せば死ぬし、馬に踏まれても死ぬ、炎にくべても死ぬだろうし、雪崩に巻き込まれても死ぬだろう。雷に打たれれば跡形(あとかた)も無くなるだろうか。

 

 結局の所、最強を決める際にはこの「箱」がなんであるか、どういうものであるかが重要になってくる。これは「前提条件」と言い換えてもいい。「素手で戦えば最強」「剣で戦えば最強」「槍で戦えば最強」「弓を射れば最強」「馬に乗って戦えば最強」「目隠しをして戦えば最強」「二十歳以下なら最強」「五十歳以上なら最強」「女性の中では」「あの時代の英雄の中では」「この戦場に限れば」そういうもの全てに、それぞれの「最強」はある。

 

 だが、最強と最強が戦えばどうなるかという命題においては。

 

 違う「箱」でそれぞれ生き残った、それぞれ違う「最強」をこそ、ぶつけてみたくなるものだろう。それは、容易には実現しない対戦カードだからこそ、妄想のし甲斐があるのだ。

 

 

 

 ──けどよぉ?

 

 

 

 ──なら、これは何と何との、「最強」王座決定戦なんだい?

 

 

 

「ギシャラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛!!」

「っ……」

「ギャヴ!?」

 

 目の前で繰り広げられる、修羅と修羅とが相食む、ある意味では蟲毒そのものな光景を見ながら、「黒槍(こくそう)のコンラディン」は呆然とそのようなことを考えていた。

 

 彼の視界およそ十五ヤルド(メートル法なら13メートル強)先、そこで象よりも巨大な魔物が暴れている。

 

 幅広の、トカゲのような胴に、そこから何本も生えた首。

 

「しっ!」

「グギュッ!」

 

 その首が今、またひとつ落ちて。

 

「グギュッラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛!!」

 

 またひとつ再生する。

 

 斬ったそばからその傷が再生していくデタラメな魔物、その名はヒュドラ。

 

 大きいものは全長が人間の背の十倍以上にもなる「素人には結構厄介な」魔物だ。簡単な対処法があるので、冒険者ギルドではさほど危険視されていない。だが、準備無しで出くわしてしまったら、高ランクパーティであっても危険な相手となる。

 

 それは、(たと)えれば水のようなものだ。日常で、水を怖れている者など稀だろう。だが人は水に落ち、息が吸えなくなると、さほど長くは生きていられなくなる。対処可能な領域であれば無害、そうでなければ劇毒、それがヒュドラという魔物だ。

 

 ──今日、()達は準備などしていなかった。

 

 ヒュドラの極悪さは、その脅威の再生能力にある。

 

 少々の傷は、一瞬で再生し無かったことにしてしまう。

 

 首を落としてさえ、ほんの数分で新たな首が生えてきてしまう。

 

 まるで、「命」を「湯水のごとく」使っているかのようだ。

 

 ──こんなところに九頭(くず)のヒュドラが出るなんて聞いてねーよ。前代未聞じゃないのか? こんな、王都に近い所で大型のヒュドラが出るなんざ。

 

 ヒュドラは、成体で三頭の首を持ち、五年から十年ごとにその首を増やしていくという。それに比例して、再生能力もまた強化されていくらしい。

 

 ──ってこたぁ、こいつぁ少なくとも俺より年上ってこった。

 

 何十年も生きた大型のヒュドラ。準備無しに戦えば劇毒の魔物。

 

 そんなモノに出会ったらどうすればいいか。

 

 ──決まってる……逃げる……だ。

 

 ──逃げて、ギルドに報告してから対処する、あるいはしてもらう、だ。

 

 ──ここで戦うなんざ莫迦(バカ)げている。ヒュドラには対処法がある。必勝法と言ってもいい。準備なしで戦うなんざ、それは素人の無謀、蛮勇ってもんだ。

 

 熟練の冒険者である「黒槍のコンラディン」は、そう思っていた。

 

 否、今もそう思っている。とっとと逃げだす、それが賢明だと。

 

 ──だが今、俺の目の前で繰り広げられる()()はなんだ。

 

 一体、なんだというのか。

 

「しっ!……」

 

 今、目の前で少年の細い身体が踊っている。

 

 一瞬たりとも立ち止まることなく、ヒュドラの胴の周りをあっちに跳ね、こっちに跳ね、その前足に、後ろ足に、腹に背に、そして首に、斬撃を入れながら飛び跳ねている。

 

 その機動は、輝く白刃の軌跡を(ともな)っている。

 

 それが暴風雨がごとく、ヒュドラへ(やいば)の嵐を()らわせているのだ。

 

 だがヒュドラの極悪さは、やはりその脅威の再生能力にある。

 

 しかもこれは九頭の。かなり深い傷でも、一瞬で再生し無かったことにしてしまう。

 

 首を落としてさえ、数十秒で新しい首が生えてくる。

 

 事実、少年の剣はもう何度もヒュドラの首を落としている。

 

 地面には既に二十を超える首が転がっている。そのどれもが人間の成人女性程度の大きさだ。後から生えてきたモノは、鱗の再生までは間に合っておらず、白っぽい色に血管の筋が走る、ぬるんとした──気色悪い──トカゲ頭だが、それでも眼があり鼻があり口がある。

 

「叔父様!」

 

 再びひとつの首が斬れ、飛んで。

 

「おっと!?」

 

 それが──俺と姪っ子ちゃんの──間近に落ちた。

 

 ヒュドラの肉には毒がある。──姪を──ジャガイモのような肉塊にしたくなければ──自分が──彼が気をつけていなければならない。──俺──「黒槍のコンラディン」はひゅうと息を吸う。

 

 嵐は、しかしいまだ、去ってはいない。

 

 少年の刃が舞始めてから、既にどれくらいの時が流れたであろうか?

 

 剣の冴えも驚異的であるが、その持続力もまた異常に思えた。少年の足は絶えず動き続けている。その身体は()び、()ね、ヒュドラの攻撃を紙一重で(かわ)し続けている。剣の軌跡は、まるでその曲線をずっと伸ばし続けているかのようだった。

 

 もはや最初の頃のように、それを止めようとは思えない。

 

 むしろこのまま「どちらの最強が勝つか」見届けたくもある。

 

 かたや「斬撃には無敵の再生能力を発揮する魔物」、かたや「相手がくたばるまでやむことのない斬撃」だ。最近では──自分も──彼も落ち着いてきたとはいえ、男心がくすぐられる対戦カードであることに間違いはなかった。

 

 そうして少年は斬る。

 

 斬って斬って斬り続ける。

 

 首が落ちる。再生する。足が斬られる。再生する。少年の身体がヒュドラの胴、その真下に潜り込む。胴に一文字の傷が入り、すわ内臓が零れるかというほどに血が吹き出し、あふれてくる。だが再生する。

 

 刃は止まらない。

 

 首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、足が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、背に十文字が入る、首が落ちる、首が落ちる、前の両足が同時に斬れる、首が落ちる、首が落ちる。

 

 再生する。

 

 しかし少年もまた止まらない。

 

 白刃は(ひるがえ)り続ける。

 

 その速度は上がり続ける。

 

 暴風が嵐に、嵐が竜巻に、竜巻が真空の乱舞へと変わる。

 

 それはもはや、人であるとするには無理のあるナニカ。

 

 斬るということに特化したひとつの奇跡。

 

 

 

 常識をも斬る剣。

 

 

 

 再生と破壊の我慢比べ。

 

 

 

 どちらが速いか、どちらが強いか。

 

 

 

 守り手が勝つか、削り手が勝つかの単純勝負。

 

 

 

 ともに人理を外れた者同士の「常識外れ」対決であった。

 

 

 

 だが。

 

 

 

 やがて、それはそうなることが(あらかじ)め決まっていたとでもいうかのように。

 

 少年の速度が、ヒュドラの再生能力を上回ってくる。

 

 もう、おっつかない。それが見ていてわかる。

 

 傷を再生し首を再生し再生し再生し続けても、絶えず、止まず、終わらない創傷(そうしょう)

 

 まるで、命をすりおろしているかのようだ。

 

 再生した部位も、しかし無慈悲に斬られてしまう。

 

 再生途中の部位も、しかし無慈悲に斬られている。

 

 そうしてヒュドラの身体が少しづつ小さくなっていき。

 

 気が付けば、九本あった全ての首は消えてなくなっていて。

 

 彫刻の刃が、胴の前半分を削り終えた頃。

 

 少年の動きが止まった。

 

 ヒュドラの巨体も沈黙している。

 

 

 

 場に、しばしの静寂が流れ。

 

 

 

 ヒュドラの身体は、残っていたその後ろ足を折り、ずぅん……と重々しい音を立てながら崩れ落ちた。

 

 もはやそこに、再生の兆しは……ない。

 

 肉は完全に沈黙していた。

 

 だからもう、そこにはもう。

 

 冒険者見習いに狩られた強大な魔物が、敗者として転がっているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こりゃあ、まいったね」

 

 ラナンキュロア……ラナの叔父である黒槍のコンラディンは、そのふたつ名に冠された黒い槍で、自分の肩をトントンと叩きながら言った。

 

「レオ君と言ったか」

「はい」

 

 目の前には魔物(モンスター)、ヒュドラの死体が転がっている。

 その首「であった」無数の残骸もそこらじゅうに散らばっている。

 その数、百にも近い。

 

「ヒュドラってね、普通は斬って倒すモンじゃないんだ」

「……はぁ」

「見なさい、君が切り落としたこの首の数を」

 

 その首はもう、地面すらも見えぬほどにそこら一帯を埋め尽くしていた。

 

「酷い惨状だ」

「……はぁ」

 

 レオとラナ、そしてラナの叔父である冒険者コンラディンは王都の東、俗に大迷宮(ダンジョン)とも呼ばれる大森林の一角に来ていた。大迷宮(ダンジョン)にはそこかしこに風雨で削られた岩石群……というか奇岩群がそびえ立っていて、それが文字通り迷路のような地形を作っている。だが、それでもその大地は豊かのようで、木々はそこかしこに()(しげ)っていた。

 

 ここはそうした地形の、比較的開けた一画(いっかく)だった。

 

 そう……開けた一画「だった」。今はもう所狭しと魔物だったモノの残骸が転がり、足の踏み場にも困る状態だが。

 

「ふむ」

 

 冒険者コンラディンは、比較的「無事」であった張り出した岩のひとつに、そこにまで飛んできていた血を丁寧に拭ってから、「さて、どうしたもんかね」と呟き、ゆっくりと座る。

 

「ヒュドラには再生の呪いがかかっている。どこを何度斬っても再生してくるんだ。それがヒュドラの()むべき特徴であり、恐ろしいところでもあるんだけど……それは今実感したはずだよね?」

「はぁ……」

 

 物理的に少し高い場所から見下(みお)ろされたレオは、ハッキリしない答えを返す。

 

 あれだけ動いて息切れひとつしていないというのも恐るべしだが、だからこそその子供っぽい態度が恐ろしい。

 

 ──こりゃあ、典型的な、大人を信用してないガキの顔だな。

 

 大人から、ろくでもない目にあわされてきた過去があるのだろう。冒険者になりたがる若者にはそういう者も多い。誰も信用できないから、腕一本で成り上がれる「と思われてる」冒険者になりたがるのだ。

 

 それはそれでいい。そういう者は得てしてあっさりと死ぬものだが、それを止める権利も、能力も、自分にはない……とコンラディンは常々(つねづね)思っている。

 

 だが、それが可愛い姪っ子の恩人となると話は別だ。

 

 ──さて、どうしよう?

 

「けどね、ヒュドラは火に弱い、冷気にも弱い。こんなに大きくなっても変温動物の特徴はなくしてないんだ。だからね、ヒュドラは冬眠中に、土に埋まってるところを、油を流し込み燃やすのがもっとも手っ取り早い討伐方法なんだ。ちなみに窒息もするから、熟練の風魔法、水魔法の使い手ならそれでも倒せるよ。僕はそのどちらでもないけどね」

「はぁ……そう、ですか」

 

 冒険者にとって無謀や蛮勇は最大の悪手となり得る。準備不足でことに当たるというのもだ。

 少年には、その理解が足りない。足りてない。

 

 準備が、大事なのだ。

 

 ──だが、どう言えば響く?

 

 (レオ)は見事魔物を倒しきった。

 

 準備不足のまま、会敵(かいてき)の後、即座に無謀か蛮勇かもわからぬ特攻をかまし、それでそのまま、普通に戦えば難敵であるはずのヒュドラを殺しつくしてしまった。

 

「準備ってのは大事だ。つまり知ること、備えること、用心すること、そういうのだ」

「……」

 

 それを褒めるべきか、(いさ)めるべきか。

 

 冒険者コンラディンに、人を導く能力など無い。それは自覚している。ギルドの教導官に誘われたこともあったが、即座に断ったくらいだ。

 

 ただ、失敗をやらかしてしまった者へ、反省を促すくらいのことはできる。

 

 そういう役割ならこれまでも多くこなしてきたし、それによって若者から尊敬されたり、慕われもしてきた。

 

 ──考え無しのガキがここまで強いなんて、反則じゃねぇのか?

 

 そういう意味では、レオ()がそれでヒュドラを「倒してしまえたこと」は、逆に良くなかったのではないか、とも思う。冒険者は見習いの内に、取り返しがつく範囲で失敗をして、反省して、慢心と油断をなくした方が、後々の生存率が上がると言われている。百年以上続いた冒険者ギルドの金言だ、それはきっと正しい。

 

 だが少年は「倒してしまった」。それも無傷での圧勝、完勝だ。

 

 こんな時、一応は年上の者であるのに、そうである者としてどう振舞(ふるま)うべきなのかわからない。

 

 ただ、なんとなく、これはそのままでは不味いのではないかという、予感のようなモノだけはハッキリと感じていた。なにせ可愛い姪の恩人だ、増長させ、慢心させて、自滅するのを見て見ぬフリというわけにもいかないだろう。

 

「あの、叔父さん」

 

 叔父の苦りきった表情に一抹の不安を感じたのか、姪であるラナンキュロアがおずおずと話しかけてきた。普段が気の強そうな少女に見える分、不安そうな表情には、どこか男の下劣な欲望をくすぐるものがある。特に目の前で壮絶な戦いが繰り広げられた後には、だ。

 

 ──いかんいかん、俺にそんな気はないぞ。兄さんじゃあるまいし。

 

「なんだい?」

 

 だから彼は、努めて大人の落ち着きでもって応えた。

 

 ……つもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあこれ、倒してはいけなかったのですか?」

 

 冒険者コンラディンの可愛い姪であるラナンキュロア、ラナは、どうしてだか突然「嫌な(にお)い」を発した叔父に怯えながら、それでも気になっていたことを口にしてみた。

 

 ──冬になったらどこかの誰かが討伐する予定で、放置されていた、とか?

 

 そうであるなら「大人の決まりごと」を無視してしまった形となる。その場合、なにかしらで面倒なことになるだろう。商人にとって証文の横紙破(よこがみやぶ)りは掟破りの所業だ。

 

「いや、ヒュドラは無価値な魔物だからね、誰がいつ倒しても問題はないよ」

「無価値……なんですか? 再生の呪いを何かに転用したりとか……は?」

「無理無理。確かに、生肉を傷に貼り付けるとその傷は回復するそうだけどね」

「え」

「あくまでその傷だけは、ね。しばらくすると、治った傷から、こぶのようなものが盛り上がってきて、それはどんどんと大きくなってしまうらしいよ。そのまま放置すると全身に激痛がするようになり、一週間から半月ほどで死に至るらしいね。ちなみに生肉を食べても同じらしいよ。その場合は極端な遅効性となるみたいだけど、大体半年くらいで、全身の肌がやはりでこぼこになって死ぬらしい。そしてこの肉は焼いても食えない。炭化する部分以外はすぐ、ぐずぐずになって溶けしまうそうだよ」

「そんなのって……過去に実例が?」

「さぁ? 僕も実際に見たわけじゃないからね。ただこれは冒険者ギルドの教えだよ。だから信憑性は高いね。なんならためしに、焼いて確かめてみるかい?」

 

 ぐずぐずになるのが本当かどうかくらいは、確認できるかもね……とやはり少し「嫌な(にお)い」を発しながら……彼女の叔父は言った。

 

「いえ……食べたいとも思えませんから……でも、それなら血も……害はないのですか?」

 

 ラナの(そば)に立つレオは、ヒュドラの血によってもはや全身がくすんだピンク一色に染まっていた。魔物の血は赤でない場合も多い。ラナも、それは知識としては知っていたことだが、自分の目で見るとそれはより気色悪く思える。

 

「毒は毒らしいね。大量に飲むとやはり死ぬらしいよ。どれくらいの量で致死量になるのかは僕も知らない」

「え、レオ大丈夫?」

「……飲んでないから」

「まぁ少し口に入った程度なら問題はないんじゃないかな。血を浴びるのもマズい魔物というのもいるからね、そういう魔物にはそういう注意喚起(ちゅういかんき)がされているものだよ。これは日常的に人の生死と向き合うギルドの、その仕事の大事な本分だ、抜かりはないはずだよ」

「それなら、いいけど」

 

 ラナはそこではぁとため息をつく。深く息を吸うと、周囲に立ち込めていたヒュドラの血や内臓の(にお)いが肺に入ってくる。成分が人のそれとは違うのか、あまり鉄の匂いはしない。破れた消化器官からのモノだろう汚物の(にお)いと、同じく胃酸かなにかの酸っぱい苦味のような臭いが複雑に混じりあっている。

 

 その(にお)いに顔を(しかめ)めながら、ラナはレオを見て──あとで念入りに洗ってあげなくちゃ──と思っていた。冒険者家業というのも、こんなことが多いなら考えものである。レオには綺麗でいてほしいのに……と。

 

「ま、毒ではないにせよ、そのままだと剣が錆びるよ。ほら」

 

 コンラディンからレオに、何かが飛んでくる。雑な襤褸切(ぼろき)れのようだ。

 

「やる。返されても困るし」

 

 レオはそれを受け取ってから「……ふん」と鼻息をひとつ吐き、それで剣を拭ってからキン……と鞘へ刀身を仕舞(しま)った。

 

 ──もっと、綺麗な布で拭いてあげたい。

 

「……肉は毒、血も毒、なら皮や牙や骨に使い道は?」

 

 ラナの妙な視線を感じたレオは、促されたと思ったのか、ラナが言い足りてなかった部分を口にする。あるいはそれは、スラム街で(つちか)った貪欲が言わせただけだったのかもしれないが。

 

「さてどうだろう。僕の記憶が正しければ、ヒュドラの素材が買取表に載っていた覚えはないけどね」

 

 これがドラゴンとかであれば全然話は変わったんだけどね……と、さして残念そうでもなく、「黒槍のコンラディン」はおどけた表情を見せる。

 

「ドラゴンは全身が貴金属並みの価値を持つ魔物だからね、大型のものを一匹討伐すれば、十年は遊んで暮らせるよ?……ま、本来大型のドラゴンなんて、十人以上の熟練パーティが半壊を怖れず挑んでやっと倒せるくらいなんだけどね……ははっ……君、ドラゴンキラーになってみるかい? 単騎でドラゴンキラーを成し遂げれば、それはもう英雄だよ?」

「……はぁ」

「それもまったく、不可能そうじゃないしね……ハハッ……まいったねぇ……」

 

 冒険者ギルドでもひとかどの人物として、一目置かれている熟練の冒険者にしては、それはあまりにも乾いた笑いだった。実際、口の中が乾いているような、掠れた声でもある。

 

「……あの、ラディ叔父様。やはり他に、何か問題があるのではないですか? ずっと浮かない顔をしていますが」

「あー、まー、問題があるといえばあるんだけど、それを今君達に言っても響かないからなぁ……そうだねぇ……さしあたって言えることは、君」

「……僕、ですか?」

()()()()()()()()()()()()()、だったよね?」

 

 その目が一瞬、ラナの方へと向く。ラナはそれへ軽く頷き、同意を返す。

 

 ──そう、私が叔父さんにお願いしたのはそのことだ。

 

 ──レオが、将来がどうなるか、どうなりたいのかはわからない。

 

 ──けど、何宿何飯(なんしゅくなんぱん)の恩にせよ、その義理だけを果たして後はスラム街へ戻すというのは何か違う気がした……から。

 

 ラナはレオに感謝している。自分勝手な賭けに、巻き込んでしまっている負い目もある。

 

 ならばこそ、ラナはレオに「独り立ち」して欲しかった。

 

 冒険者というのは出自がかなり怪しい者であっても、実力さえあれば出世していける職業だ。スラム街出身だが実力は確かなレオが「独り立ち」するには、うってつけの職業でもある。

 

 危険もあるが、若い内に頑張れば、一生食うに困らない財を築くことも夢ではない。

 

 それに……本当に危「険」を「冒」さなくてはならないのは、貴族や()()との繋がりが一切無い、完全にフリーの冒険者だけだ。冒険者ギルドも所詮は社会構造の一部、冒険者も、コネのあるなしでその扱いは大きく違ってくる。

 

 ()()()があれば、使い捨てにされたりすることはないはずだ。

 

 ──それならば●●●野郎の妻だろうが、変態伯父さんの愛妾だろうが、用は足りる。

 

 ──そういう未来なら、私も受け入れられる。

 

 ──レオが、私とは関係ないところでの幸せを望むなら、私は()()()()()()()()()。それがどのような形でも、慣れるでも諦めるでもなく、そうしてもいいと()()()が思うから。

 

 それもまた、ラナの賭けの一部だ。

 

 ──私は多分、レオを好きとか愛しているとか、そんなんじゃないんだ。

 

 ──そういうモノじゃない。きっと違う。

 

 ──レオには幸せになってほしいと思う。

 

 ──でも、そうなった時、その隣にいるのはあたしでなくてもいい。

 

 ──レオが私と一緒になって幸せになれるとは思えないから。

 

 ──私がレオを幸せにできるとは思えないから。

 

 ──そういう風には思えない。だってあたしは男の人が怖い。

 

 ──大人になったレオの(そば)にいる勇気がない。

 

 ──それはたぶん、レオからしてみたらとても失礼な、中途半端な状態なんだと思う。

 

 ──でも、けど、それでもレオは……あたしの「特別」だ。

 

 ──こんな風に思える人は初めてで。

 

 ──それだけは確かなことで。

 

 ──あたしは本当に、それだけで十分なんだ。

 

 ラナはそう……思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「正直ね、彼を鍛える……その役目の半分は、僕には不可能だよ」

 

 ラナンキュロアの決然とした表情に、黒槍のコンラディンはわざとらしいほどに真面目な顔で答えた。

 

「どういう……ことですか?」

「だってこの子、僕よりも強いから」

「は?」

「正直その部分に関しては、僕はもう脱帽だよ。君の剣は僕の……というか世間の常識を超えている。速いとか鋭いとか、もうそんな次元の話じゃないんだ。どの動きに意味があってどの動きに無かったのか、何をどう変えればこれが更に鋭さを増すのか、僕には何もわからない」

「……叔父様は、現在の冒険者ギルドでもかなりの実力者と伺っていましたが」

「これはね、そういう通常の基準でどうこう言える話じゃないんだ。そうだね、僕は確かに、ありがたいことにそうした名声を(うけたまわ)っているよ? でもね、その次元で答えれば……この“天才剣士”君は、冒険者ギルドの誰よりも強い……というか、この国、この大陸、この世界全ての誰よりも強いかもしれない……もっとも」

 

 彼はそこに、百ほども転がる魔物の首を、持っていた槍で指し示す。

 

「コイツのように、思わぬ弱点があるのかもしれない。だから、あくまで、かもしれないという話だが……君の見せたアレは、そういうモノだよ」

 

 彼もまた男であり冒険者だ。はるか高みにある武へは憧憬と敬意の感情が湧き出てきてしまう。今後もこれが、失われることなく大成してほしいとも思う。

 

 だから敢えて厳しく、突き放したことを言おうと思った。

 

「なぁ、君さ、僕から何か教わりたいかい? 確かにね、冒険者としてやっていく上で大切なことはさ……ギルドに張り出されるクエストの中から、割のいいものを探すコツであるとか、依頼人との適切な距離感とか、荷物が重くなりすぎぬよう、必要なものを過不足なく揃える下準備のノウハウとか、まぁそういうヤツだ……そういうことなら、教えられるよ? でも、多分だけどね、僕のそれは“天才剣士”君向けのモノじゃない。普通の、これから頑張って成長していく若者向けのモノだ。もっとハッキリ言うと、僕に“天才剣士”君を扱えるとは思えない。君はずっとふてくされたような眼をしている。どうして戦ってもいない僕が偉そうなことを言ってるんだ……そんなところかな? 僕はね、そういう態度の人間を導けるほど、出来た人間じゃないよ?」

「……はぁ」

「言いすぎです! 叔父さん!」

 

 ラナは、急変した叔父の態度に不審なモノを感じながら、しかし反射的にレオを守ろうとその視線の間に挟まった。レオをラナが背負う形になる。

 

「そう、僕は君の叔父さんだ。叔父様なんて柄じゃない。君は僕の可愛い姪っ子だ。その君がどうしてもというなら、やれるだけのことはする。少なくない依頼料も戴いてしまったしね。けど、それが彼の身になるかどうかは、彼次第だよ? これは僕に教わる気があるのかというのが一点、僕の教えることが彼にとって有益かどうかというのがもう一点……現状、そのどちらにも、僕は疑問を抱かざるを得ない」

「ラディ、叔父様……」

「僕に出来るのは、僕が出来ることだけだ。こと武力、強さという点でいえば、君に教えられる人はおそらくいないよ。そして君の中で物事の価値基準が強いか強くないか……それだけというなら、君はもうきっと何も学べない。戦って戦って、死ぬまで戦い続けるしかなくなる。それがいいなら、そういう風に生きたいなら、僕は面倒見切れないよ?」

「えらっそうに。戦って戦って死ぬまで戦うのの何が悪いっていうんだ」

「……本当にそう思うなら、僕に出来ることは何も無いって話なんだけどね」

 

 はぁとため息をつく自分の叔父に、ラナはどうしていいかわからなくなる。

 

「あ、あのっ! とりあえず街に……そう! 街に戻りませんか? ヒュドラに素材的な価値はない……んですよね? 討伐証明部位、でしたか? ヒュドラのそれはどこなんですか? もう、それを持って引き上げませんか?」

 

 だからとりあえずは、この場を収めることを最優先とした。

 色々な意味で、ここは空気が悪い。こんなところで長話はゴメンだった。

 

「そうだね、僕も言い過ぎた。街に帰ったら美味しいものでも食べて、湯に浸かり身体があったまったところで落ち着いて考えてみるといい。僕もそうする。君は今、血に(まみ)れすぎている。そんな状態で考えることは大抵ろくでもないことだからね」

「……ほっとけ」

 

 ──ああ、こういうところは、すぐに死んでいく若者の特徴、そのものなんだけどな。

 

 その実例を、冒険者業界の前線で見続けてきた男は、やれやれと(かぶり)を振って、岩を降りる。

 

 重そうな黒い槍を持ちつつの、軽やかなその身のこなしは、確かに熟練の冒険者らしい、自然で危なげのないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ラナンキュロアは今、十三歳だ。母親が十六歳の時に生まれている。だからその母親は二十八か九ということになる。

 

 ゆえに、その弟である冒険者コンラディンは、まだ二十代の半ばだ。

 

 それは、若くから冒険者をやってきた者にとっては、全盛期と言っていい年代である。

 

 体力が衰えるには遠く、経験と研鑽(けんさん)はもう十分に積み上がっている。

 

 その身体は、見ただけでラナが怯えてしまうほど男らしく仕上がっているのだ。

 

 贅肉の無い、逆三角形の鋼のような身体。

 

 身長はさほどではないにせよ肩幅は広く、背の筋肉の盛り上がり方も尋常では無かった。

 

 冒険者は戦うばかりが仕事ではないが、その容貌はまさに魁偉(かいい)、歴戦の戦士と呼ぶに相応しいものであった。

 

 その身体が、しかし音も無くラナの近くへ着地する。

 

 丁度、ラナを挟んでレオとコンラディンが対峙する形だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──だから大人は嫌いだ。

 

 上から目線でアレコレ言われたレオは、血でヌルつく肌感覚の不快もあってイラッとした表情を隠しきれていない。ラナの、不快ではないがどこか粘っこいモノを感じる視線からも逃れたくて、自分の視線は空へ、澄み切った空の青へと移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──言いたいことはわかる……けど、あれほど頑張ってくれたレオに、ねぎらいの言葉ひとつもないの?

 

 どちらかといえば明確にレオびいきのラナは、若干叔父に腹を立てながら、早くレオを洗ってあげたいと思っている。その視線はレオのピンクに染まった立ち姿に固定されていて、叔父の方など見ていない。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその叔父、冒険者コンラディンは。

 

 

 

 

 

 

 

 ──さて、それじゃあひと仕事、しますか。

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

「え?」

 

 ラナの両脇で、何かが同時に跳ねた。

 

「ぐっ!?」

 

 レオが(うめ)く。

 

「な、何!?」

 

 何が起こってるかわからずに、ラナは反射的に叔父が着地した方へ向こうとしたが。

 

「きゃっ!?」

 

 その脇を、まるで岩石のような何かがすり抜けていく。

 

「うぐっ……」

 

 そうして気が付けば。

 

「ほら、やっぱり欠点があった」

 

 視線を、レオの方へ戻したラナの視界には。

 

 左手でレオの左腕を捻ったまま右手でその肩を掴み、地面に押さえ込んでる叔父、コンラディンの姿があった。

 

「レオ!?」

「ふざけるな! 放せ!!」

 

 レオはその顔を地面に……ぬるっとしたヒュドラの血が染み込む地面に……押し付けられたまま、肩が痛むのか苦悶の表情を浮かべていた。

 

「ま、この後すぐお役御免(やくごめん)になるにせよ、今はまだ姪から頼まれた仕事を受注してる最中だからね、金銭分、できるだけのことはするよ?」

 

 ラナの叔父はそれを、なんでもないことのように、平常運転の顔で()している。

 状況の急変についていけず、ラナは頭がパニックになりそうだった。

 

「あぁ!?」

「君の剣はね、抜いてからが怖いんだ。一度抜いたら止まらない、狂犬のような剣だ。だったら、()()()()()()()()()んじゃないか?」

「何を言って……くそっ! 放せよ!!」

膂力(りょりょく)は見た目通りだね、つまり筋力が上の者に抑え込まれたら終わりというわけだ……最初の石突きを(かわ)したのはさすがだったけどね」

「ふざけるなよ!! 放せってば!」

「ま、放してもいいんだけど、君、屈辱は必ず晴らさないと気が済まないタイプ? 僕はまだ死にたくないなぁ……一発殴られるくらいならいいけど、放したら剣を抜いて襲ってきたりしない?」

「ああ゛っ!?」

「あ、ダメだこれ、放したら殺しに来るタイプだ」

「しないよ!! 放せ!!」

「叔父さん! 放してあげてください!」

 

 まいったなぁと呟く叔父に、ラナは反射的に叫ぶ。

 

「ん……君、今の僕の話、聞いてた? あのね、僕、これでも結構今ドキドキなんだよ? 自分より圧倒的に強い、それも向こう見ずな若者を押さえ込んでいるんだもん。あ、別にこれで俺が勝ったとか、そういう話じゃないよ? これはね、ちょっとした年長者の親切。すこし荒っぽいが、まぁ冒険者なんてそんなもんだ。“天才剣士”君は僕よりも強い、それが悔しくてこんなことしてるわけじゃない……いやそれもちょっとだけあるかな……でもね、何も考えず戦い続けるってのは、いつか誰かにこうされるってことなんだ。理解してくれる?」

「だからふざけんな! わけのわかんねぇことを言ってんじゃねぇよオッサン!!」

「あ~……やっぱり響かない」

 

 やっぱり柄じゃないんだなぁ、こういうのは……呟きながらコンラディンは、さて、これをどう収拾したものかと考えた。

 

 ──腕の一本か二本、折るか。

 

 (かたわ)らで、彼の姪っ子がビクンと何かに怯えたような気配を見せた。

 

 ──でもそれだと後が怖いなぁ……剣だけ取り上げといて、とりあえず俺がボコされて終わる感じにしておくかな。治療院のお高い施術を受けるくらいの蓄えはあるし、死ななきゃどうとでもなるだろ。

 

 ──さすがに死ぬのは勘弁だ。俺が死んで、それで姪っ子ちゃんが目を醒ましてくれるならいいんだが、そんな様子にゃあ見えない。無駄死にはさすがに格好悪いぞ。

 

 ──それにしても、姪っ子ちゃんはとんでもないモノを拾ってきたもんだよ。(うち)はそういう血筋なのかな? 

 

 ──ま、これで姪との縁が切れるというならそれも仕方無い、どこまでもこのガキに肩入れするというなら、この子にも未来はないだろう。仕方無いが、道を(あやま)つのも若者の特権、それを奪う権利は、()にも無いよ。

 

 ……コンラディンの中で取捨選択が進み、その末に、実に熟練の冒険者らしい結論……自ら死に行く者を止めるすべはない、賢きはそれに巻き込まれぬよう振舞うこと……が出かかった、その時。

 

「だめぇ!!」

 

 黒髪の少女、ラナの身体が、七色に光った。

 

 

 



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epis13 : abyssal solitude

 

<ラナ視点>

 

 あたしは生まれついてより、自分に力があることを知っていた。

 

 それは犬の夢だ。おぞましく汚らしい悪夢とは、また違う夢。

 

 それはガタンゴトンと揺れる()()……ではなく空を飛ぶ()()()()()の夢でもある。

 

 電車が何か、鉄道機関車が何かは、私にはわからない。けど、それはそういう乗り物なのだろう。どうせ夢の中のことだ、あれこれ考えたところでしょうがない。

 

 あたしは、その場所で、()()()と話す夢を見る。

 

 犬が、なぜか人間の言葉を喋り、センゾクツグミ様には幸せになってほしいのです……と話しかけてくる、そんな夢。

 

 あたしは酷い死に方をしたらしい。だから来世は幸せになってほしいと犬が言う。

 

 そうしないと魂が救われませんから、と。

 

 いや少し違ったかもしれない、魂の汚染をこのままにしておくと……永遠に悲劇の連環(れんかん)に囚われて……云々(うんぬん)……よく覚えてない。

 

 ただ、その夢は、だから悪夢と繋がっているモノなのだろう。

 

 そのせいか。

 

 そこでのあたし、つまり「センゾクツグミ様」は狂っていた。

 

 なにがどうとかは言いたくない。端的にいえばおぞましく汚らしく狂っている。

 

 それは()()()()()()()()()()宿()()()理由でもある。

 

 私の心には、酷くおぞましく汚らしい部分がある。

 

 だからあたしはその犬に、おぞましく汚らしい言葉をかけるのだ。

 

 蹴り、抵抗しない犬を更に蹴りまわして、その腹を見て『ビッチの天使様はビッチってこと? 皮肉が利いてていいじゃない』とかなんとか言う。そちらの意味は……少しわかるけど、でもハッキリとは理解したくない。夢の中とはいえ、自分がそこまで(すさ)んでいることに恐怖を覚える。

 

 犬は、だけど痛みは感じていないようで、けれど悲しそうな()で、あたしを見る。

 

 するとあたしはどうしてか急に泣き出してしまう。情緒が凄く不安定で恐ろしい。

 

 しばらく、そうしてから、あたしはこう言われるのだ。

 

『来世を、やり直してみませんか?』

 

 白い犬が、そのための力をくれるともいう。

 

 だけど半信半疑のあたしは、それへ結構な無茶を言う。

 

 男を問答無用で殺せる能力が欲しいとか、いつでも水爆(???)を撃てる能力が欲しいとか、バイオテロ(?????)が起こせる能力が欲しいとか、世界を壊したいとか、そういうことを。

 

 さすがに、それは無理と駄目出しをされ、あたしは涙目のまま、またも不機嫌になる。

 

 それからどういうことが可能なのか、色々説明された気はする。けど、そこら辺の内容はさすがにもう覚えていない……というか、今とは全然違う言葉で話しているため、細かい部分の意味はもうわからなくなっている。幼い頃には理解できていたその言葉が、今では理解できなくなってしまっている。

 

 けど、結論はさすがに覚えている。

 

 あたしが最終的に望んだ力、それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 七色の光が周囲に撒き散らされ、世界が割れる。

 

 それは、何の比喩でもない。

 

 世界に黒い線が入り、ガラスが割れるように世界がひび割れていく。

 

 視覚的にはそれは、世界に黒い亀裂が走っているように見えるだろう。

 

「なんだこれは!? 姪っ子ちゃん、君は何をした!?」

「……黙/っ/て」

「ラナ……」

 

 自分自身、割れてしまっている意識の中で、支配下に置いた世界の内実を観測する。

 

 私は……二千五十一(2051)個。その数だけ、分割された世界の欠片になっている。今、私だけがこの割れた空間の全てに散在(さんざい)している。

 

 半径およそ十メートル(10m)の世界を割り、その全てを自分の支配下に置く私の、私がたったひとつ使える魔法「罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)」。それは()()()()において「巫女」を表す言葉だったはずだ。しかしこの世界にそんな神話はない。

 

 レオは……二十七(27)個に分割されている。この割れ方であれば簡単に復元できる。

 

「ら、ラナ?……」

 

 割れた世界の中から、分割されたレオの身体()()()欠片集める。

 

 分割された世界がジグソーパズルのように組み合わさり、すぐに比較的大きな、レオを含む世界の一塊(ひとかたまり)が完成する。二千五十一(2051)個だった世界はそれで二千二十五(2025)個になった。

 

「なんとも、ない……」

 

 完成したひと欠片の世界の中で、レオは手を握ったり開いたりして、その感触を確かめている。この魔法は、私がその気にならなければ何も壊れない、何も変わらない。狂ったあたしが、そういう風にデザインした魔法なのだ。

 

 レオは自分が五体満足でなんともないことを確認すると、しかしまだ身動きの取れない狭い世界の中から、私の(身体の)方を、何か問いたげな様子でじっと見ていた。

 

 その様子に……なにか今までのレオとは違うものを感じる。警護対象だった私にこんな力があったことへの不審だろうか?

 

 ……それとも、なにか違う気がするが……今はそれどころではない。

 

「あのー、こっちもその魔法、解除してもらっていいかい? 痛くも痒くもないのに全身バラバラで動かせないって、すっごく怖いなぁ」

 

 瞬間、叔父さんをレオがキッ……と睨みつける。その手は剣の柄にかかっている。

 

「待/って/レ/オ」

「つっ……」

 

 空間に、エコーのかかった私の声が響く。その音は、レオや割れた叔父さんの世界からも流れるから、声には少年らしいものと、男性の(かす)れたものが混じっていた。

 

 ただ、どうせ今、この状態ではレオが叔父さんの世界に干渉することはできない。

 

 剣を振ったところでその刃は叔父さんの世界に届かない。

 

 黒い線、世界の境界は不可侵だ。デフォルトでは光や空気、空気の振動による音、そして肉体における血流などを透過、通過させている。だけどそれは、あたしが()()しているからそうなのであって、絶対ではない。今はただ世界に黒い線が入っただけのように見えるが、全ての許可を剥奪してしまえば、それぞれの世界は絶対的な孤独を手に入れることになる。それはもう精神の繋がりは元より、肉体の繋がりすら維持できない世界だ。脳を失った心臓は止まるし、心臓を失った細胞は死滅していく。

 

 それは、つまり、孤独を支配する魔法。

 

 他者へ孤独を強制することの出来る魔法。

 

 狂った少女が、彼女らしさの追求の末、見出(みいだ)した魔法だ。

 

「空間支配系魔法か、無詠唱タイプで支配領域も広い。こりゃあ、“天才剣士君”とは別口でやべぇなぁ……」

「そう/ですか?」

 

 この魔法には欠点も多い。

 

 たとえば自分が動いてる場合……自分を取り囲む空間が動いてる場合には、発動できないということだ。だから私は街中で(さら)われ、強制的に移動させられていた状態では、この魔法を使うことができなかった。

 

 発動には多少時間がかかるというのも問題。この魔法はあくまで魔法だ。数百人にひとりは魔法が使えるこの世界においては、そこら辺のゴロツキであっても警戒が頭に入ってしまっている。魔法は魔力を動かすから、即時発動する魔法(簡単な炎系魔法とか)以外は先に前兆が見える。つまり複数人から監視されている状態では、発動に時間がかかる魔法は使えないのだ。

 

「王国に存在する空間支配系魔法の使い手は、みんな軍属だよ? 広く名の知れたところだと、灼熱のフリードさんって人が有名だよね。空間支配系の魔法は、全部自分の周辺の空間を特殊なフィールドに変えるってモノだけど、彼の場合は周囲八ヤルドを超高温の空間に変えてしまうというね……君のこの空間は、二十ヤルドはありそうだけど……いやもっとかな?」

 

 灼熱のフリードさんは私も知っている。王国の英雄のひとりに数えられる有名人だ。

 

 けど、彼の能力はそんなに狭かったのか。それは知らなかった。私なんかより凄い、直径で三十メートル(30m)……三十三ヤルドくらいあるものかと思っていた。というかそういう話を聞いた気がするのだけど。

 

英雄譚(えいゆうたん)なんて誇張されるものだからね、話半分に聞いておいた方がいいって言われない?……けど、君のこれは、誇張なくこの広さだからね。ホント、やっべぇわ」

 

 やれやれと言いつつ、頭でも掻きたかったのか、叔父さんは自分の右手が捕らわれた六つの世界をもにょもにょ動かそうとして、それが叶わないことを再確認し、渋い顔になった。

 

「君ら何? 最強のコンビでも目指してるの? 最強の前衛と最強の後衛が揃ってるって反則じゃないかなぁ。いやさ、君達本気で相性いいよ? 今は僕の注意がレオ君に向いていたから発動できたってことかな? 正確な詠唱時間(キャストタイム)はわからないけど、それが三十秒だろうが一分だろうが、レオ君なら稼いでくれそうだね。もう結婚しちゃえば? 君達」

「な゛/っ!?」

「……あ、集中が切れると何かが変化するタイプでもないか。残念」

 

 小指だけの世界でそれをぐにぐに動かし、叔父さんはさほど残念でもない様子で、そんなことを言う。

 

「から/かわ/ないで/くだ/さい」

「うーん、乙女の恥じらいに僕の声質が混じってるってのも、まぁまぁ怖い絵だねぇ……」

 

「ラナ、どうするんだ?」

 

 バラバラのまま、しかし妙に落ち着いてる叔父さんとは対照的に、レオは心細げに私の方……正確には私の身体が一塊(ひとかたまり)そこにある世界の方……を見ていた。

 

 どうしていいかわからず、私はとりあえずレオの世界を少しだけ広くすることにした。レオの世界に、周辺の世界をいくつか重ね、せめて手足が伸ばせる程度の大きさを確保する。

 

「……ありがとう」

 

 だけど、それでレオの様子が変わることもなかった。

 ずっと私を、やはりなにか言いたげな様子で見ている。

 

 それはこの数ヶ月、結構な時間を一緒にいた私でも、見たことのない表情だった。

 

 おそらくレオは、護衛に徹しようとしていた。だからずっと厳しい顔をしていた。その中では生まれてくることのない、妙に人間らしい表情のような気がした。

 

 もっと言えば、年齢相応の……少年らしい顔、とも。

 

「なぁ姪っ子ちゃん」

「ん……/はい」

「どうしたい?」

「……と/は?」

「僕も悪かったよ。言い過ぎた、そしてやり過ぎた。十発くらいなら殴られてもいい、だからもう許してくれないかな?」

「許す/も/何も……」

 

 ちらとレオを見る。レオもこちらを見ていたから視線が重なる。

 そこに、叔父さんへの怒りのようなものは見えなかった。妙に落ち着いてる。

 

 ……どういうことだろうか?

 

「さすがに、ヒュドラをも殺す剣でおしおきされるのはごめんだなぁ。もう少し穏便に済ませられないかな?」

「……そんなのしないっての」

 

 レオは叔父さんの視線を受け、ふてくされたように答える。

 

 それは……それも、とても子供っぽい仕草だったけど、同時に、今までのレオらしくもなかった。

 

 ある意味、こんなことを言うのもなんだけど……やはり、普通の子供のよう……とでも言うか。

 

「これさ、このままだとどうなるんだい?」

「それ/は……」

「空間支配系の魔法は、大体が発動したら必勝の魔法だけどさ、制限時間はあるよね?」

「……」

「いや君の限界を知りたいわけじゃない。もっと切実な話だ。こうして身体がバラバラのまま制限時間を迎えてしまったら僕はどうなるのかってこと。元に戻るだけなら、そこはもう聞かないんだけど、空間支配系の魔法って、僕の知る限り、長くて数十分、短いと数分が限界だった気がするんだけどね?」

 

 そしてもう三分くらいは経ったよね?……と叔父さんは飄々とした態度を崩さずに言う。

 

「レ/オ」

 

 仕方無い。

 

「ん?」

 

 これ以上引き延ばすのは、悪手だ。

 

「叔父さん/を/解放/するけど/落ち着いて/ね?」

「……落ち着いているよ」

 

 何もしないから……と消え入るような声で呟くレオは、どこか消沈しているようにも見えた。

 私の懇願を受け、今は死骸しかない足元を見て、俯いている。

 

 なんだか本当に、様子がおかしい気もしたが、長く考えている余裕も無かった。

 

「魔法を……解放します」

 

 世界を壊したかった少女の魔法が、その存在によって母親を壊したあたしの手で、解放されていく。

 

「お、おおお?」

 

 叔父さんの身体も復元されていく。

 

 空間から黒い線が消えていき、ヒュドラの死骸で白とくすんだピンクに染まる地面も、元通りになっていく。

 

「なんか不思議な感覚だな、自分が合体していくって」

 

 試したことがあるから知っている。

 

 復元しないまま世界を戻すと、その空間にあったものはバラバラのまま、崩れ落ちる。

 

 ぬいぐるみはスプラッタ死体になったし、大樹は乾燥してない薪に早替わりした。

 

 これはそういう、危険な魔法だった。

 

「いやー……しかしまぁ、自分の身体が他人の制御下に置かれるって、こんなに嫌な気持ちになるもんだったか」

 

 ……それを、何時間も、何十時間も、より濃厚な密度で味わった女の子が望んだのが、この魔法なんですよ? 叔父さん。

 

 夢の中の女の子は、自分を支配しようとする世界を壊したかった。

 

 だからこんなにも危険な魔法を(ほっ)したんだと思う。

 

「っとぉ……これで元通りか? おっと、レオ君だったね、まずは謝らせてくれ。悪かったね」

 

 元通りになった途端、元が元だから(魔法発動時、ふたりは密着していたから)レオのかなり近くにいた叔父さんは、慌ててレオへ頭を下げた。声に誠意は感じないけど、所作だけは完璧な謝罪の形をとっていた。

 

 如才(じょさい)ない、大人の対応という感じに見えた。

 

 レオはそれに、ふてくされたまま無視するという子供らしい対応を取ってから、妙にかしこまった表情でその全身を私の方へ向けた。

 

「ラナ」

「ん」

「ありがとう、助けてくれて」

「んっ……」

 

 なんだろう、照れる。真顔の男の子が自分に頭を下げてくるって、なんだか妙に心くすぐられるものがあった。そして今のレオはなんだか妙に……可愛い。可愛く思える。

 

 ほんと、なんだろう、これ。

 

「んー、おじさん、別にレオ君を虐めたかったんじゃないんだけどなぁ」

「……」

 

 けど、あたしが赤面するほど可愛いレオは、それでも叔父さんには無視を続ける。

 

 こうしてみると……レオはやはり子供なのかもしれない。教育の類は何も受けていないし、スラム街という弱肉強食の無法地帯で育っている。

 

 元々顔は整っていたし、毎日の洗髪で輝きとふわっと感を取り戻した金髪は、まるでどこぞの王子様のようにも見えるけど、目付きは鋭いし、笑顔も滅多に見せない。

 

 叔父さんは大人だ。幼少期こそ、ママの虐めに加担していたくらいだから、流されやすい子供ではあったんだろうけど、今、ここに立つ叔父さんは、落ち着いた大人以外の何物でもない。言っていることも理解できなくはない。叔父さんは叔父さんで、必要と思えることをしたんだろう。

 

 やり方に問題があったかどうかは……私にはわからない。

 

「叔父さん」

「なんだい?」

「……冒険者は、そこまで厳しい……シビアな世界なんですか?」

「ふむ?」

「レオに油断があると思えば、すぐにそれを矯正しなければならないような……それも命がけで……冒険者の世界とはそういうものなんですか?」

 

 しばらく、叔父さんは私の目をじっと見ていた。

 

 だからその瞳が、今更ながらに自分やレオとは全然違う色をしていることに気付いた。生まれつきだろうけど、私にはそれが、まるでふたりのこれまでの「見てきた世界」「生きてきた世界」の違いを表しているようにも思えて……なんだか少し怖かった。

 

 鋭さでいえば叔父さんよりも上なレオの目が、今だけはなんだか優しく、私の方へ向いてくれてるということに、少しだけ励まされる。

 

「ふむ……ラナちゃんは色々察しがいいね。……そうだよ、冒険者は身体が資本というけれども、もっと言えば命が資本だ。死んだら元も子もない。最悪、腕の一本や二本()くしたって冒険者は出来る。魔法が使えるなら手足の一本や二本、無くったってできる。背負子(しょいこ)のユーフォミーって名前に聞き覚えはあるかい? 要不要(ようふよう)の暴走列車、でもいいけど」

「……いえ」

 

 今度は、聞いたことが無い名前だった。

 

「彼女は生まれつき両足が無かったというけど、魔法の才能は飛び抜けていたらしくてね。元々冒険者だった父に背負われ、幼い頃から、ふたりでひとり(ツーマンセル)で冒険者稼業をこなしてきたというよ。僕も彼女達が冒険者だった時代に何度かパーティを組んだことがある。今はその実力を認められて軍属になっているけどね」

「また、その、軍属……ですか」

 

 何か途中で、話がガラッと変わった気もする。けど、それは意図的なモノだろう。話題を変えながら探っているのだ、色々なことを。

 

「まぁ、魔法使いの宿命だね、目立ちすぎると国に徴用され、軍に編成される。君の()()も、国に知られたら間違いなく徴用の対象だ。君の場合、貴族の血が混じっているから、そこまで扱いが悪くなることもないが……逆に面倒なことになるかもしれない」

「面倒……ですか」

「魔法使いの血は神様の贈り物(ギフテッド)……そう考えるお偉いさん方もいてね、そうした思想の持ち主からしてみたら、君や先述のユーフォミーちゃんは是非嫁に迎い入れたいと願う逸材扱いなんだよ」

「それは……」

 

 私は叔父さんに、結婚したくないとは言っていない。だのに、いつのまにか叔父さんは、私の嫌がることを的確に察しているようでもあった。……偶然かもしれないけど。

 

「ですが、その子は……両足がないんですよね?」

「うん。それは間違いない。そして残念ながら、普通は()()()()子を嫁に欲しいと望む貴族家はない。嫌な話だけど、貴族にとってメンツはなによりも大事なモノだからね。ただ、魔法使いの血が、その普通をも塗り替えてしまうほどのメリットであると考えるお方々も、いるってことさ。彼女達が軍属を受け入れたのは、その話を潰すためだったってのもあるんじゃないかな。ヒラの平民だと、既成事実を作られたら終わりだからね」

「既成、事実?」

 

 なぜかそこで無視をやめ、叔父さんの言葉を復唱し()(ただ)すレオ。

 

「わからないならそれでいいよ、レオ君。けど、覚えておくんだね、貴族が平民を自分の屋敷に監禁なり幽閉なりしてもさ、何の罪にもならないし、誰も罰してくれないんだよ?」

「……なんだって?」

「でも、だとしたら……」

「そう。ラナちゃんの場合はより、話が面倒になる。君のお父さんは貴族社会に食い込む商人だ。そして上位者が正攻法で筋を通してきたら断れないというのが、貴族社会というものだからね……通せる筋があればだけど」

 

 つまりは、上位者が権力を(かさ)に着て要求してきたら断れない……という話か。

 

「なんだよそれ、それも法とやらで決まっているのか?」

「というか、レオ君……法を自分の都合のいいように、ある程度捻じ曲げられるのがお貴族様というものなんだよ? 例えば、法は盗みを罰しているけど、現実問題、貴族が平民のモノを奪ったところで裁かれることはないからね?」

「はぁっ!?」

 

 この辺のことは、(ラナちゃん)も承知の上のことだろうが、と前置きをし。

 

「侮辱罪というのがあってね、貴族は平民に、お前、俺を侮辱したからこれ没収な、って言えば、大抵のモノは倍賞金代わりに奪っていいことになってるんだよ? それが人妻でも、適齢期の娘、でもね」

「なんだよその無茶苦茶は!?」

 

 やめてください、適齢期の娘、のところでこっちを見るの。適齢期まではまだ三年くらいあります。あるんです。

 

「ま、さすがに、あんまりあからさまにそんなことばかりやっていると、それはそれでメンツに傷が付くからね、王都ではあまり聞かない話だけど。地方にはそういう悪徳領主も多いと聞くね」

 

 そうして叔父さんはまた、私の顔をじっと見る。

 

 今は、叔父さんからは、嫌な(にお)いは感じないけれど、それはどこか居心地が悪くなるような視線だった。

 

「ま、それはともかく」

 

 と、叔父さんは両手を上げ。

 

「身体が資本というなら、そのユーフォミーちゃんは冒険者失格だ。だけど彼女には魔法がある。これは極端な例だが、冒険者がまず大事にしなければいけないのは命だ。脚を失えば死ぬしかない馬とは違うってことさ。その分、命に関することには敏感になるんだ。僕もそう。だから僕のしたことは、先輩冒険者としては間違っていなかったと今でも思っている」

「はぁ!?」

()()()()()()()()()、だよ。大人としては、間違っていたさ。()()()()()()()ね。君は僕の姪っ子ちゃんの命を救ってくれたそうだね。それには感謝する。だけどね、なんでもかんでも剣で、力で解決するというのはいただけない。ヒュドラが暴走して姪っ子ちゃんが怪我したら、君は責任取れたのかい?」

「それは……」

 

 まぁ、君はむしろ責任とってもらいたいのかな?……とでも言いたげな視線が一瞬こちらへ向く。ウザイ。そんなんじゃない。そんなんじゃないから。

 

「冒険者は確かに危険を冒すのが仕事だ。でも、だからこそ命が大事なんだ。そこはわかってほしい。命を張るなら、そうしなければ守りたいモノを守れない時だけにしてほしい。これは、冒険者じゃなくて、姪っ子ちゃんの叔父としての意見だよ」

「ラディ叔父様、ご厚意には感謝します。ですがレオは」「君もだ」

 

 食い気味に、言葉を(さえぎ)られる。

 

「……え?」

「君の魔法は危険だ。色々な意味で危険だ。僕が話していたことを聞いていたかい? 君は今ここで僕にあの魔法を見せるべきじゃなかった。なるほど、君はまだ僕という人間をよくわかっていなかった。レオ君を、殺すまではしなくても骨を折るくらいはすると思ったんだろう? それくらいの殺気なら、帯びてしまった自覚もある。僕も、君が強力な魔法使いであるとは知らなかった。だから()()()()()()。その結果、僕は死にかけたわけだけど、それをどう思う?」

「わ、私はそんな」

 

 叔父さんの言いたいことは、つまりこうだ。

 

 私は叔父さんを理解してなかったし、叔父さんは私を理解してなかった。

 

 その状態で、私は叔父さんに魔法を見せるべきではなかったのだと。

 

 レオが骨を折られるくらいなら、我慢して見ているべきだったのだと。

 

 それは多分正しい、真っ当な大人の意見だ。私とレオが子供なのだ。

 

「君から見ればそう、殺す気なんか無かったよね? でも、それは君目線だからわかることで、僕にはわからない。つまり僕は、自分の姪っ子ちゃんが強力な魔法使いで、かつ短慮であり、ちょっとしたことで自分の叔父を殺せる人間()()()()()()()()()()()()()

 

 私は、叔父さんが私の魔法を見て、それにどう反応するかを一切考えなかった。

 

 まずいことになる()()()を考えなかった。

 

「これが僕の油断だよ」

 

 それが私の油断であると、視線とその表情で、叔父さんは言っている。

 

「結果、僕は姪っ子ちゃんの性格次第で、死んでいたかもしれない状況へと追いやられてしまったわけだ。格好悪いだろう? 先輩冒険者としては正しくても、冒険者としては正しくないってのは、そういうことさ」

 

 言いながら叔父さんは、今度はレオをじっとねめつける。

 

「君なら、あの魔法を、破れたかい?」

「それは……」

「わ、私はレオに危害を加えるつもりなんてっ」

「現場では何でも起きる、誰でも死ぬ」

「っ……」

「それが冒険者だ。それに備えようとしない者は簡単に死ぬ。それはとても格好悪いことだ。さっきの僕みたいにね……今もかな?」

 

 おどけたように、口の端を歪め、両手の平を上へ向ける叔父さん。

 

 それは、格好良い、悪いではなく、ただ私達と叔父さんの住む世界が違うということを明確に語り聞かせているかのようだった。

 

「今日の講義はそんなところだ。じゃ、今度こそ街へ戻ろうか。本当にね、色々落ち着いて考えてみたら良いよ。とりあえず今日のことは、全部見なかったことにする。レオ君の剣も、ラナちゃんの魔法も、全部だ。君達にはまだ、冒険者をしないという選択肢がある。ヒュドラのことは、僕が上手く話しておいてあげるから、今日はもうお(うち)に帰りなさい。冒険者ギルドへ正規登録をする前に、ふたりでそこら辺のとこ、よくよく話し合って決めるんだよ?」

 

 だから、やれやれと義務的に笑うその顔も、明確にこう言っていたのだろう。

 

 ここは、君達が住める世界じゃないと思うよ?……と。

 

 

 



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epis14 : [Blue] Forever Blue

 

<ラナ視点>

 

 気分が腐っていく。

 

 停滞は、ねっとりとした膜だ。

 

 ナマモノの気持ち悪い(にお)いが、自分という存在を常に(おお)っているかのような。

 

 その中にいると、自分の中身が、血が、内臓が、どんどんと腐っていくような恐怖に襲われる。

 

 ──覚悟は、いつだって必要だった。

 

 八歳からの五年間を、ずっとその(にお)いと一緒に育ってきたあたしは、だからずっと覚悟が持てなかった人間だ。

 

 ──何か、どこかで、その停滞に、(ひび)を入れなければいけなかったのに。

 

 

 

 だから白く光る刃を見た。

 

 

 

 私には未来がない。

 

 

 

 この世界に私が求める幸せはない。

 

 

 

 そもそも自分が何を求めているのかもわからない。

 

 

 

 それを知りたくて賭けた。

 

 

 

 無学が浅薄(せんぱく)な未来予想図に賭けて、もう負けた。

 

 

 

 レオは冒険者にはならない。本人が今はまだなりたくないと言った。

 

 それを聞いて私は……そう……とだけ答えた。敗因はわかりきっている。深堀りに意味はない。

 

 

 

 私のひとりよがりが、当然のように運命から拒絶されたという、それはそれだけの話だ。

 

 

 

 ──もう、色々面倒。

 

 

 

 そっと手首に、()()を当てる。

 

 

 

 ──別に死ぬ気なんて無い。

 

 

 

 そんな莫迦(バカ)みたいなこと、しない。

 

 ただ、そこに流れてる血に、冷や汗をかかせてあげたいだけ。

 

 

 

 ──死ぬのは、いつでも死ねる。

 

 

 

 ぐっと手首を曲げる。血管が黒っぽく浮かび上がる。

 

 汚い色だと思った。

 

 どうして私はこんなにも汚いのだろうかと思った。

 

 

 

 ──()()()なんて、死ねばいいのに。

 

 

 

 つるんとした、()()何の傷もない手首が憎たらしい。

 

 だって知ってるから。

 

 身体に傷を創るというのは、身体を(よご)すことと同義で、(けが)れを(はら)いたいのに(よご)れてしまうなんて莫迦(バカ)莫迦(バカ)らしすぎる上塗りで。

 

 その後のことが、色々と面倒すぎて。

 

 厄介で、(わずら)わしくて。

 

 何度刃を肌に当てても、それを引く気にはなれない。

 

 ただ、刃を肌へ当てたその瞬間に、その冷たさに、この身体が震えるその感覚が、時にたまらなく欲しくなるという、それだけの話。

 

 

 

 だけど思う。

 

 

 

 私は、この汚い肉に、騙されているんじゃないだろうかと。

 

 この肉が生きるために、子孫という名の分身体を残すために、私という魂がそこへ囚われているんじゃないかと。

 

 

 

 希望を飴に、辛苦を鞭にして。

 

 

 

 

 

 ねぇ、肉。

 

 

 

 怖いよね?

 

 これを引けば、()()()は終わるかもしれない。

 

 

 

 怖いよね?

 

 怖いって言って欲しい。

 

 もしそうなら、私は()()()とも上手くやれると思うんだ。

 

 

 

 

 

 ()()()より、()()()()()だけ強く、私はナイフを、手首の薄皮に押し当て。

 

 

 

 

 

 

 

「ラナ」

「っ!?」

 

 

 

 強い力で、ナイフを持っている方の手首を押さえられる。

 

 細身の、どこにそんなに力があったのだろうかというほどの締め付け。

 

「んくっ……」

 

 ()()くナイフは、カランという音を立てて床に転がった。

 

 

 

「レオ、どうして」

「お使い? ラナに貰ったお金を使用人の人に全部渡したら、喜んですっ飛んで行ったよ。奮発しすぎだったんじゃない?」

 

 レオは転がったナイフへ更に蹴りを入れる。それはカラカラと音を鳴らしながら、無音で水色の絨毯の上も通り、浴室の隅の方へと転がって行ってしまった。

 

「僕の仕事は、ラナの護衛だったはずだしね。久しぶりにその役目を果たせたけど」

「っ……ちがっ……ちがうの! これは!」

 

 違う違う違う。

 

 私に死ぬ気なんかなかった。

 

 なかったの。なかったはずなの。

 

 ただ私は、()()()に危機感を持ってもらいたかった……だけで。

 

 ──それってつまり、どういうことなんだっけ?

 

「違うとか違わないとか、どうでもいいよ」

「……え?」

 

 レオは、ふてくされた子供のような顔で、ナイフが飛んでいった方を見ていた。

 

 今は湯の張られていない浴槽が、その視線を少しだけ(さえぎ)っている。

 

「僕はラナに恩がある。ラナは僕に恩があるというけど、そんなのはどうでもいい。だからまだ死んでもらっちゃ困るんだ。何もやれていないからね、僕の恩返しは」

「なに、それ……」

 

 何を言っているのだ、レオは。

 

 レオは私の命を助けてくれた。命をだ。叔父さんの価値観に従えば、それは至上のモノであり、最も優先すべきモノであり、最も重視すべきモノであるはずだ。

 

 命より価値のあるモノなんてない。

 

 だから命の恩人というのは、他のどんな恩よりも重く、価値があるはずで。

 

 レオは、私から顔を背けたまま、だけど意識は完全に私の方へ向いているとわかる立ち姿で、なにかを決意したかのように厳しい顔で言った。

 

「ラナは毎日のように僕を洗いたがるけど、それ、我慢してやっているよね?」

「え」

「一回なら誤魔化されたかもしれない。けど、なにせもう三ヶ月だ。何十回と繰り返されれば、さすがの僕でも気付くよ。ラナは、男が、男性が怖いんだろう?」

「っ……」

「確信したのは、僕がヒュドラを倒した日。ラナがラナの叔父さんと一緒だった日に、やっとだっただけどね」

 

 レオはしかし、やはり私へ視線を向けないまま、更に続ける。

 

「男が怖い。でも、ラナはそう遠くない未来に、誰かどこかの男性と結婚する。だから()()()()()()()()()んだろう? 僕はまだ、ラナの叔父さんのようには、男らしくない。背だってまだ、ラナより低いくらいだからね」

 

 まだ髭の剃り痕もないつるんとした(あご)、膨らみのない肩、喉仏のない細く長い首。顔貌(がんぼう)こそ鋭い目に通った鼻筋、キッと結ばれた唇と、とても少年らしいシャープなものだったけれど、その全部が、まだ「男」を感じるには早くて。

 

 恐怖を感じることは、(まれ)だった。

 

「ちが……ちがう……ちがうの……」

 

 ──何も違わない。

 

 ──だからいっそ、「(きたな)らしい自分」ごと、レオに●されてしまえばいいとすら思っていた。

 

 ──そうなれば(ようや)く、永遠に(けが)れ続ける人生にも意味があるんだって思える気がしてたから。

 

 そうじゃない。そうじゃないんだってば。

 

 私は「賭けをしていただけ」で、巻き込んでしまったレオにも筋は通すつもりだった。

 

 ──嘘つき。

 

 私はレオを尊重していた。尊重しなければいけないと思っていた。その意思に、その意志に、私はどうあれ従う気でいたのだから。

 

 ──嘘つき。

 

 だってレオは。私にとってレオは。

 

「私はレオを、レオを綺麗だと思ったから……」

 

 そう、レオは、だからレオは。

 

 ──汚い(あたし)とは違って、綺麗だと思ったから、その運命に相乗りしたかっただけでしょう?

 

 ──その運命に、未来があると信じたかったんだ。

 

「よくわからないけど、あんな偏執的に洗っておいて、それは言い訳としてどうなの?」

「っ……」

「いいんだよ、別に。僕はここで衣食住を世話してもらってる食客(しょっきゃく)だ。やれないことはあるけど、やれることならする。それに、年上の女の人に洗われるなんて、本当はお金を払ってやってもらうものなんじゃないの?」

「えっ!?」

「……なにその、食べているご飯を取り上げられた時の犬みたいな、予想以上に裏切られました感が出てる声」

「え、いやだってその……レオがそういうの、知ってるとは思わ、なくて……」

「???……だって本当は使用人がすることなんでしょ? この家の使用人、大体が年上の女の人じゃない」

「自爆っ!?」

 

 リスカの未遂現場を見られるよりも恥ずかしい勘違いがががっ。

 

「それにね、護衛としての役目を、久しぶりに果たせたって言ったけど、それは僕だけの手柄じゃない。犬のおかげだよ」

「え?」

「あの犬、なんて名前だっけ? 真っ白で大きな、僕が最初に会った時、結構な勢いで吠えてきたアイツ」

「マイラ?」

「マイラっていうんだ。アイツが、お使いに行こうとした僕の服を噛んでね、しきりにこの浴室の方へ僕を向けようとしたんだ」

「マイラが……」

 

 マイラは大人しい犬だ。本当は番犬として飼われているピレネー犬だから、それではダメなのだけど、どうしてか妙な愛嬌がある犬で、今では使用人達の愛玩動物(ペット)みたいな扱いになっている。私にはあまり慣れず、懐かず……というか何もしてないのに、私の姿を見るとどこか怯えたそぶりも見せる。夢の中のあたしみたいなことは、するつもりがないのに。

 

「元々、護衛の僕に、誰でもいいお使いを頼んできた時点で、変とは思っていたからね。それならこのお使いは、誰かに頼むかってなったんだ」

 

 それで、こっそり戻ってみれば、私が刃物を手首に当てている現場を発見したってわけか。

 

「ラナは、どうしていいかわからないことを運否天賦(うんぷてんぷ)で、賭けで決めようとするところがあるよね。僕が戻ってくるかどうかも賭けだった?」

「それは……」

 

 違う、とは言えない。

 

 改めて考えてみれば、護衛に誰でもいいお使いを頼むというのは、凄く怪しい行為だ。

 不審に思われても仕方無いそれを、しかも私は今回、初めて頼んだ。

 

 その初めてで、あたしはリスカ()()()をして()()()いた。

 

 自分でも良くわからない。

 

 だけど、それは見方を変えれば、凄い「かまってちゃん」だ。

 

 レオの(がわ)から見れば、そういうことになるだろう。

 

 言い訳をするには、私の中に確信が足りない。

 

 ──私は何を、どうしたかったんだろう?

 

「僕はラナが本当に死にたいんだったら、止めない。ラナの命はラナの自由であるべきだと思うから」

「ぇ……」

 

 でも……本気なんかじゃないんだろう?……床を睨みつける、鋭い目が雄弁にそれを語っていた。

 

「う……」

 

 羞恥に顔が、身体が熱くなる。

 

 あたしの醜さがレオに見られた。

 

 それが本当に死にたくなるほど、恥ずかしい。

 

 けれど、レオはそれに激しく頭を振り、「そうじゃないんだっ」と吐き捨てるように言う。

 

「どうでもいいんだ、ラナがどうしたいだとか、ラナがどんな悩みを持っているだとか、そういうのは」

「……え?」

「僕はラナの護衛だから。ラナを守るためにいる。ラナが自分の名誉を()()ために殺してほしいというなら、そうしてあげてもいい。僕は生まれつき、人を殺す方が得意な人間なんだ。それでいいんだったら、僕も楽だからね。でも、本当は死ぬ気なんてないんだろう? だったら僕はラナを()()さ。護衛なんだから」

「見捨て……ないの?」

 

 酷く怯えた声が、自分の喉から(しぼ)()た。

 

「……はぁ?」

 

 するとレオは目を背けたまま語気を荒げる。

 

 もしかしてと……そこで思う。

 

 ──レオが、私を見ようとしないのは……男が怖い私を、怖がらせたくないから?

 

「どうしてさ? この関係において、見捨てるのはラナの方じゃない? 雇用主はラナ、僕はよくて食客(しょっきゃく)なんだろう? 僕がラナを見捨てたらどうなるか、ラナは知ってる?……スラム街に逆戻りさ。僕に頼る人はない、行き場がないんだ。僕を、いっぱしの人間として扱ってくれるのは、この世ではラナだけだよ。僕はラナから離れたらまた人間でないなにかに戻るんだ。それを嫌とは思わないけど、ラナは僕が、本当にそれを望んでいると思う?」

 

 自分より背の低い少年が、横幅だってまだ私と同じくらいの男の子が、私よりも暗い目をして何かを吐露(とろ)する。その様子を、私は不思議な感覚で見ていた。

 

 私は孤独だった。

 

 私はひとりっきりで、この世界に醜く存在しているんだと思った。

 

 その殻が……なにかでコツコツとノックされている気がする。

 

 そのなにかは、ああ。

 

 やはり世界に受け入れてもらえなかった、世界から見捨てられた()()の手だ。その小さな握り拳だ。

 

「僕はラナを護るよ。それを、ラナが許してくれるなら」

 

 その手を、震える男の子の腕を、私は見る。

 

 まだ細い、華奢と表現してさえ間違いではない、一部は骨ばった腕。

 

 どこに人を殺す力が宿っているのか、全くわからない腕だった。

 

「レオ……」

 

 レオは、子供だ。

 

 そう、叔父さんとは違う。

 

 そうか、叔父さんとは()()んだ。

 

 既に自分の生き方を定めた大人ではない。

 

 レオも、自分がどうやって生きていったらいいか、わかっていないんだ。

 

 あたしと同じなんだ。

 

 それは多分、世界の常識からしたら「弱さ」以外の何物でもないのだろうけど。

 

「私はレオに、謝らなくちゃいけないことがある」

「なに?」

 

「うん、レオの推測は半分あってる。私はレオで男性に慣れようとしていたかもしれない。というより……それを含めて、自分がどうなるかの賭けだったんだと思う」

「半分か。まだまだってことだね」

「レオは、色々とボーダーな男の子だったから、色々な可能性が考えられたの」

 

 善か悪かもわからない。

 

 ()()()()()()可能性を考慮しての食客だった。

 

 でもその食客が、悪さをする可能性もあった。十分にあった。お金を奪って逃げるなんてのはまだ普通で、ママもあたしもマイラもみんな、殺して去っていく可能性だってあった。

 

 二次性徴が来ているのか……男性としての欲望に目覚めているのかどうかすらもわからなかった。

 

 あたしを●すでも、ママを●すでも、そういう可能性は十分にあった。

 

 そして私が、そんなレオを受け入れられるか、それとも受け入れられないのか、それすらも未知数だった。

 

「私は、レオと触れ合うことで変わりたかったんだと思う」

「触れ合うことで、変わる?……」

「私はあたしが嫌いだから、その今が変わるなら、どうなってもいいとすら思っていたのかもしれない。だからそれを、運否天賦に賭けた」

 

 少なくとも、()()()()()()は、レオを男性として好きという状態ではなかった。

 

 ──なら、今は?

 

 ただ、「特別」であることだけはわかっていたから、それに運命を賭けてもいいと思っていただけだ。

 

 人生が悲劇へと向かうのであれば、せめてそれくらいの選択はしたかったから。

 

 ──ねぇ、()()()を無視しないで。ねぇ……今は?

 

「なるほど、なら、僕は何をしたとしても、ラナの手の平の上だったってことだね」

 

 死んでもいい、●されてもいい、奪われてもいい。

 

 元々、未来のない私には、そのどれもが大差ないものだった。

 

 

 

「なら、僕はもう選んだよ。次はラナが選ぶ番だ」

 

 ──()()()

 

「……え?」

 

 

 











 なお、ラナはリスカを、ごっこであり遊んでいただけと考えていますが、レオをマイラが引き止めなかった場合、彼女はこの段階で左手首に大きな消えぬ傷を負っていました。

 そうした境界で起きる事故もあるので、物語で描かれる危険な行為は、遊びであっても、現実では絶対に真似しないで下さい。


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epis15 : Blue (Forever) Blue

 

《黒槍のコンラディン視点》

 

 子供であるというのは、厄介なことだと思う。

 

「よぉコニー、調子はどうだい?」

 

 未熟というのは、経験が無いということは、思慮が足りてないというのは、善悪の判断ができないというのは、損得勘定をしないというのは、なにもかもが厄介だ。

 

「ボチボチ、だな」

 

 それは自分自身の過去を振り返ってみてもそうだ。

 

「そうかい。こないだ言ってた、姪っ子ちゃんがどうとかってのはどうなったんだ?」

 

 幼い頃の自分は、言ってしまえば日和見主義者だった。

 

 けど、そのこと自体は大した問題じゃない。人間はみんな自分が大事だ。自分の命が大事だ。自分の「得」が大事だ。

 

「ああ、ありゃあダメだな、冒険者の才能は無かったよ」

 

 あの無駄に広い生家の中で、自分が風見鶏のような性格になってしまったのは、おそらく末っ子だからという点が大きく影響しているだろう。自分の「下」には誰もいなかった。だからもっとも「上」と思われる者に従っておけばいいと思っていた。

 

「……うん?」

「なんだよ?」

 

 野心的な官僚貴族である両親は、将来の後継者である長男ばかりを「構い」、その下には予算()も関心もあまり払わなかった。

 

「お前らしくもねぇな。才能があるとかないとか、そんなくだらねぇ、ただ言葉で人を判断するほどお前(おめぇ)は理想家だったか?」

「は?」

 

 だから未来があるのは、間違いなく長男である上の兄だった。

 

 上の兄は、両親から自分で自由に使える予算()もまた、多く与えられていた。

 

 だから俺や下の姉は、上の兄に従っていれば良い飯を、上等の服を、高い生活水準を手に入れることが出来た。

 

 ゆえにこそ、幼い自分はそれに媚びていた、追従(ついしょう)していた。

 

 それは幼さゆえの(あやま)ちで、俺の人生が間違いになってしまった、その理由でもある。

 

「冒険者の仕事は、つまるところ雑務だ、何でも屋だ、便利屋だ。クズもカスもゴミも使おうと思えば使える。才能なんて必要ねぇのさ。そんなことは、お前(おまえ)さんにもわかっているだろう?」

「ギルド長……」

 

 だが間違いだろうがなんだろうが、人生は死ぬまで続く。

 

「なんかあったな?」

「う……」

 

 腹は減るし眠くなるし、男なら成長すれば女も抱きたくなる。

 

 自分がくだらない人間と知ってなお、いい女に自分の子供を産ませたいと思う。冒険者稼業はどうせ、身体が元気な若い内だけしかやっていられない。稼いだ金で、なにか商売をして、小さいながらも暖かい家庭を作り、そうして老いて死ぬことが今の俺の望みだ。

 

 逆を言えばもう、俺の望みはそれだけだ。

 

俺は(おりゃあ)、冒険者に必要な才能があるとすれば、それはまず“違和感に気付けるかどうか”だと思っている。ちょっとした状況の変化を不審と思えるか、魔物のクソの色に生息域の環境変化を見つけられるか、普段とは違う仲間の様子に気付いてやれるか、ま、そういうのだな。もっとも、その才能が無いなら無いなりに、使いようはいくらでもあるわけだが」

「おっかねぇこといいなさんなって、俺は姪っ子ちゃんを捨て駒にできるほど非道な人間じゃないつもりだぜ?」

 

 抱ける女なら何人かいる。そいつらの誰かが妊娠したら、結婚しようと思っている。一度に何人もそうなったのなら、妻は別に複数でもいい。

 

 俺の人生はもうそれくらい行き当たりばったりだ。未来予想図など上の姉ちゃんが結婚した時点で滅茶苦茶に壊れてしまった。その残骸を掃いて捨てた時点で、俺の人生など、こうなることが決定してしまっていたんだ。

 

 自分の子供は、可愛がれると思う。久しぶりに見た姪っ子ちゃんは可愛かった。下の姉貴の面影残すその風貌と雰囲気に、俺の、あまり良い思い出のない子供時代が、それでも懐かしく思えるほどだった。

 

 自分の子供であれば、それよりも更に可愛いと思えるだろう。

 

「そうかね、お前(おめぇ)はそれくらいする人間だと、俺は(おりゃあ)ふんでんだで? それによ? それくらい割り切れる方が人生ってヤツは長生きできるわな」

「ひでーこと言いなさんなって。俺はこれでも、女達にゃあ愛情深いってよく言われるんですぜ?」

「けけっ、若ぇ内の獣欲(じゅうよく)を愛情と混同してる内はまだまだよ」

 

 それでも、別に俺は、これが不幸だとは思っていない。

 

 自分が、格別ダメな人間だとも思っていない。

 

 色々な意味で臆病になった俺は、冒険者としては才能があったのか、十四から始めたその稼業で、それなりの結果を残してきた。まぁ、元が貴族だし、実家との繋がりも完全に捨てたわけじゃない。そのコネも十分に使わせてもらった上での結果であり実績だ。手放しで賞賛されても困るし、自分自身、そこまで(おご)っちゃいない。

 

「あ、なんっすか? ギルド長そろそろ枯れてきたっすか?」

「ばっきゃろう、今でも一度に三人までならいけるわっ。一昨日もアラクネ屋のミッコちゃんとズコズコのバッコバコよぉ」

「……娘さんに言い付けるっすよ?」

「なっ、おまっ、娘には卑怯だろ!? せめてそこは嫁にしろよ!?」

「意味のねぇこたぁしない主義なんで。ま、理解ある嫁さんでうらやましいっす。俺もそういう女を嫁さんにしたいなぁ」

「……嫉妬されないってのも、時には寂しいんだで?」

「じゃあやめりゃあいいじゃないですか、女遊び」

「それとこれとは話が別だ」

「……どこが別なんだか」

 

 だがそれでも結果は結果だし、実績は実績だ。

 

 戦い続けることで身体も十分に鍛えられたし、そうしていると、女というモノは向こうから寄ってくるモンなんだなってこともわかった。こんな間違いだらけの男の、どこがいいんだか。

 

 そういう女の中から、可愛いと思えるのは抱き、そうでないモノは遠ざけた。面倒になったのも捨ててきた。そうして、それなりに相性のいい何人かが残り、今に至る。

 

 大過なく、トラブルもなく、まぁまぁ快適な人生だ。

 

「それで? 何があった?」

「あー。急に真面目な顔にならんでくださいや。口説かれてんのかなってケツがむずむずしてくるっす」

「コニー」

「……はい」

 

 俺は子供の頃、夢などは見なかった人間だ。ひたすらに、風見鶏に徹した子供時代だったからだ。だから好き勝手やった結果が今であるというなら、俺はそれに満足している。

 

「冗談はこの辺までにしておこうや。なんなら本当に掘ってやってもいいんだぜ?」

「それこそ本当に冗談じゃねぇっすよ。結婚までは清い身体でいたい主義なんで」

「今更お前(おめぇ)に清いも汚いもあるか、堕ちるところまで堕ちやがれ、付き合ってやる」

「いらねぇ……」

 

 多分、それが、多くの人間にとって、大人になるということなんだと思う。

 

 どうしようもない自分を受け入れ、その中で幸せと、自分が幸せにできる誰かを見つける。

 

 それは寂しいことではあるが、年齢を重ねたら受け入れるべきことでもある。

 

 俺はもう大人だ。やはり寂しいと、少しだけ思う部分もあるが、それはつまりそういうことなんだろう。

 

 

 

 

 

 だから子供であるというのは、厄介なことだと思う。

 

 

 

 姪っ子ちゃん、下の姉さんの子供、ラナンキュロア。

 

 あの子はまだ子供だ。

 

 親に似たのか、教育が悪かったのか、それもとびっきりのオマヌケちゃんだと思う。

 

 

 

 浮浪児を拾ってきて側付(そばづ)きにする。

 

 それはまぁ、貴族の一族の血を引く人間()()()所業だとは思う。

 

 のたれ死ぬしか道のなかった子供を庇護し、育てるというのは、一応貴族の美徳に数えられる部類の所業だ。実際は、間者なり暗殺者なり使い捨てのコマに仕立てるのだとしても、もっと下種(ゲス)く、年若い内だけ()()()()奉仕をさせ、後は捨てるにせよ、消えるはずだった命を救う行為は尊い。尊いこととされる。

 

 だから別にそれはいい。

 

 似たようなことはギルド長だってしている。()()()の店において客の取れない娼婦の扱いは悲惨なものになる。そして()()()店の庇護を失えば、堕ちる先はもはや地獄だ。ギルド長はいつもそのギリギリを攻める。ブサ専と言われようがマニアックと指差されようがどこ吹く風だ。

 

 それを、俺は何とも思わない。俺は抱くなら当然いい女の方がいい。だから真似したいとは思わないが、ギルド長がそうやって、自分の性欲を発散させるついでに、ちょっとトウが立ったのとか、色々不自由な娘とか、なんなら明らかにその手の病気にかかってるとわかる娘にさえ、俺は()()なっても治療院にかかる金があるからなと笑って、相場通りの金を渡していることには、なにかしらの価値があるのだろう。それが、常識が少し違えば非難を(まぬか)れぬやり方であったとしてもだ。

 

 だから姪っ子ちゃんが浮浪児を保護したことに関しても、俺はなんとも思わない。

 

 間者なり暗殺者なり使い捨てのコマなり、従順なツバメなりに育てようというなら、むしろ尊敬できるくらいだ。是非冒険者ギルドの窓口娘をしてほしい。冒険者ギルドは「教育」の足らない若者でいつも一杯だからな。

 

 

 

「どうした、急に黙り込んで」

 

 だがあの少年、レオなる者は、ツバメなどではない。

 

 狂犬……と()ったらまだ可愛らしいとすら感じてしまう。

 

「どうしたらいいっすかねぇ……」

 

 魔法は、ピーキーな能力だ。

 

 姪っ子ちゃんの魔法も、威力が高く範囲も広いが、それ単体では危険視しなければいけないといった類のモノではない。

 

 魔法は、それが大技になればなるほど、詠唱時間(キャストタイム)が長くなる。

 

 魔法使いは実際に文言を詠唱する者、身振り手振りしかしない者、完全に無詠唱の者と分かれるが、完全に無詠唱の者であっても、強力な魔法が即時発動することはない。

 

 弱い魔法なら一秒やそこらで発動したりもするが、そんなのは脅威ではない。実用的な特例も、あるにはあるが稀だ。

 

 どちらにせよ、魔法の発動前には必ず魔力が動く。注意していれば、魔法の才能がない者でも、その兆候は見て取れる。

 

 発動すれば即死なんて攻撃手段、魔法でなくともこの世にはいくらでも存在している。

 

 どんなに強力なものでも、魔法は使い所が限られるということだ。

 

 

 

 比べて、剣や槍などは汎用性が高い。

 

 剣は、極めれば抜刀など一瞬の出来事だし、抜いたその瞬間から、それは殺傷力を帯びる。

 

 なら、抜かせなければいい。

 

 それは間違いないが、それは、それが許される状況を得られなければどうしようもない。

 こちらが敵意剥き出しで近付いていけば、問答無用で抜刀されるだろう。

 

 そして、あの少年の剣は止まらない。

 

 どういう技なのか、どういう原理なのか、自分では全く理解できないモノであったが、もはや「無敵」と表現していい何かであったことだけは確かだ。

 

 教育を受けてない、社会常識さえもあやふやに見える少年がそれを身に修めている。

 

 どういう理屈なのか、想像もできないが、この世界には魔法などというふざけたモノもある。魔法使いは生まれついて魔法使い。それと似たようなモノなのだろう。

 

 生まれついての人斬り……か。

 

 魔物の生息域である東の大森林、その遠く果てにあるという東の大帝国。そこでは止むことの無い戦争が続いているという。仮に、あの天才剣士君がそこに生まれていたのなら、英雄ともなれたのだろう。

 

 軍を率いる才に関しては完全に未知数だが、前線を切り開く力は間違いなくある。完全に虚を突いてさえ完璧に発動した、あの不可解なまでの回避力。そして一見デタラメに見えて一旦発動すると敵が止まるまで終わらない斬撃。

 

 どうすれば止められるか、殺せるか、熟練の冒険者たる自分でも見当がつかない。

 

 いくつか、条件が整えば通用しそうな攻略法はある。

 

 たとえば灼熱のフリードの力を借りれるならこう。

 

 たとえば要不要(ようふよう)の暴走列車の力を借りれるならこう。

 

 たとえば、あの魔物(モンスター)の力を借りれるならこう……と。

 

 だがそれは仮説に仮定を重ねたモノで、通用するか以前に実現可能かすらもわからない。

 

 剣を抜く前であれば押さえ込むことは可能、ならば寝込みを襲うなどの方法が真っ先に思い浮かぶが、その辺りは試さないと有効かどうか判断できない。そして、それは試して失敗したら、確実に反撃で殺される類の(たわむ)れだろう。

 

 命がいくつあっても足りない。

 

 無敵の少年を攻略する、その方法は闇の中だ。

 

 

 

 だから敵対したくないと思う。

 

 心底、敵に回したくないと思う。

 

 だが。

 

 

 

「ギルド長、約束を破ったら娘さんを()にくれるって約束、できる?」

「あぁっ!?」

「凄まない凄まない。冗談冗談、ギルド長の娘さんは可愛いと思うけど、さすがに年齢ヒトケタに発情するほど狂っちゃいないよ。にぃ……我が国の何代か前の王様じゃねぇんだし。ま、それくらい、口外してほしくないって話さ」

お前(おめぇ)、次にその冗談を口にする時は、血の雨が降るのを覚悟して言えよ?」

「おーこわ。で、約束できるの? それくらいの覚悟をさ」

「その覚悟はできねぇなぁ……なら、約束を破ったら、俺が女遊びを全部やめる、それくらいで手を打たねぇか?」

「あらやだ。そんなそんな、色街に泣く()が大量に出そうな約束は、俺がしたくないねぇ」

「俺だってやだよ。心底、な。だから納得しろ」

「しょうがねぇなぁ……」

 

 

 

 ()()()()()だ。

 

 

 



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epis16 : Blue Forever [Blue]

 

《ラナの“私”視点》

 

 しばらく、レオは、じっと何かを考えていた。

 

 それは、何を言うか悩んでいるというよりも、口にしようとしている言葉を吐露(とろ)してしまうべきかそうでないか、そのことで悩んでいるように見えた。

 

 その表情に、私の殻の中の、なにかが揺れ動く。

 

「レオ」

「ん」

 

 だから私は(うなが)す。

 

 それを私にぶつけてほしいと。

 

 私を傷付けてもいいから、レオの気持ちを教えてと。

 

 この殻に叩き付けてほしいと。

 

「……僕はね」

「うん」

 

 そうしてレオは語る。この数ヶ月間、ずっと掴みきれなかった、その気持ちを。

 

「本当はね、少し前までの僕は、いつでもスラム街に戻ってもいいと思ってたんだ」

「……え?」

 

 無限のような一瞬、レオは私を見た。

 

 そうしてから、慌てたように今にも泣きそうなその瞳を、そらす。

 

 だから私は……ああやっぱり……と思った。

 

 レオは私を、(こわ)がらせることを(おそ)れている。

 

「僕はずっとラナが、僕を利用しようとしていることを知っていた。衣食住の保証と引き換えに僕はラナを守る。そういう契約関係だから、いつでも終わりにしていいと思っていた」

「……うん」

 

 そう、私はレオを縛る気なんて無かった。

 

 レオが(うち)のお金を奪って逃げたとしても、私はそれを追わないでおこうと決めていた。だってそれも賭けの一部だったわけで、悪いのは勝手に巻き込んだ私だったのだから。

 

「でもさ、ラナ、僕を守ったでしょ?」

「あ……」

「叔父さんに組み敷かれた、みっともない僕を見て、ラナは色んな危険を顧みずに、僕を助けてくれたよね? あの人はそれを間違いと言ったけど、僕はそうは思わない」

 

『君は今ここで僕にあの魔法を見せるべきじゃなかった』

 

「でも、叔父さんにレオを殺す気なんて」

 

 叔父さんは正しい。あれは叔父さんが、私のことを想って言ってくれた言葉だ。

 

 立派な大人の男性である叔父さんが言った、正しいことだ。

 

「それは、あの人の言葉を借りていうなら、あの人の目線でしかわからないことだよね? 僕はね、あの時本当に嬉しかったんだ。あんな風にやり込められたのは、初めてのことだったからね。僕はこう見えて、スラム街では無敵の存在だったんだよ。喧嘩を売ってくる連中は殺して、擦り寄ろうとしてくるヤツはみんな遠ざけて……そうしてるうちに誰も近寄ってこなくなったけど、大の大人を含めてみんな僕を怖がっていた。その僕が、あの時は何もできなかった」

 

 だけどそんなこと、レオには関係ない。

 

「……うん」

 

 レオは人を殺してる。目の前でも見た。

 

 私はそれを見て何を思った?

 

「だから僕はね、生まれて初めて、助けられたんだ」

 

 ──美しい。

 

「どうしてかわからないけど僕にはそれが、嬉しかったんだ。すごく嬉しかったんだ」

「うん……」

 

 美しい、だ。

 

 それは醜いあたしの狂った感覚だけど、それが私のリアルだ。

 

「ね、レオ」

「ん……わっ」

 

 レオの頭を両手でそっと(いだ)き、無理矢理、私の方へ向かせる。

 驚いたようなレオのその顔が、可愛い。

 

 怖くない。

 

 ──怖くない。

 

「私がレオを助けたのは私が考えなしだったから。レオが傷付けられるかもって思ったら身体が動いていただけ。それでもいいの?」

「関係ないよ。僕の気持ちが、心が決めたことだから」

 

 私は今、ここにいるレオを、(いと)しいと思っている。

 

 どうしてかわからないけど私にはそれが、嬉しかった。すごく嬉しかった。

 

「僕はね、逃げると耐える……その意味で“わざと負ける”は沢山経験してきたけど、それと、勝つつもりでやって負けることは、全然別物なんだなって思ったよ。正直驚いたし、混乱もしていた。それは多分怖い、心細いってことなんだと思う」

 

 私はずっとなにひとつ、勝つつもりで勝負をしたことなんて無かった。

 

 母親を、父親を諦めてから、私はずっとなにもかもを諦めていた。

 

 ──未来さえ。

 

 自分は間違って生まれてきた人間だと思っていた。

 

 ──ああ、だからか。

 

 だから、正しいことでは、私は救われないのだ。

 

「ラナの魔法で動けなくなったのも本当にビックリしたけど、それは怖くなかったよ。ラナからはそういう気配がしなかったからね。むしろあの時は、ラナの方が……何にかはわからないけど……なにかに恐怖していたよね?」

「……それは」

 

 いつの間にか、レオの視線が、私の視界いっぱいに広がっていた。

 

 違う、私の視界が、レオの瞳へと収束している。

 

 まだ、私を怖がらせないようにと心配しているレオの視線を、お願いだからそらさないでと求めているのは……私の方だ。

 

 不安そうなそれを、だけどまっすぐな、綺麗な瞳だと思った。

 

 胸がジンと熱くなってくる。

 

「いいんだ。だから僕はやっとラナを、ほんの少しだけ理解した気になったんだ。この人は大人じゃない。子供でもないけど大人でもない。そのラナが僕を助けてくれた。だから僕もラナを助けなくちゃいけない……世界は、大人達の世界は、いつだってそんな、大人でも子供でもない、中途半端な僕達のことを嫌っているから」

 

 嫌われ者同士で、助け合うしかないんだよ。

 

 シャープな顔立ちで、だけど妙に優しく、レオはラナ(わたし)にそう言い笑った。

 

「あ……」

 

 その笑顔に、私の中で何かが、ピキリと音を立てて割れる。

 

 殻が罅割(ひびわ)れ、ボロボロとその残骸が落ちていく。

 

 ずっと。

 

 その中にはきっと真っ黒な、気持ちの悪いナニカが眠っているのだと思っていた。

 

 だけど殻が割れて(ようや)く見えたその顔は、なんだか……そんなバケモノじみたナニカなどではなくて……ふてくされたような顔で「なによ?」とすねる……つまりは私とあまり変わらない、ただの十代の女の子であるように思えて。

 

 当然か。それは()()()なんだから。

 

「僕はラナに救われた。心細いところをラナに救われた。嬉しかったんだ、本当に。色々考えるラナが考えなしに僕を救ってくれた。それはラナの叔父さんに言わせれば莫迦(バカ)なことかもしれないけど、なら僕は莫迦(バカ)なことでしか救われない莫迦野郎(バカヤロウ)だったってことさ」

「それじゃ私とレオ、莫迦野郎共(バカヤロウドモ)ってことになっちゃうじゃない」

「嫌?」

 

 ──ううん。全然。

 

「僕はラナに救われた。だから僕もラナを救いたい。僕達は大人じゃない。善人じゃない。頭も良くないかもしれない。でも僕はラナが悪でもいい。極悪人でもいい。頭が悪いからとんでもない方向へ向かってしまうかもしれない。でも、僕はラナが人を殺せというなら殺す。守れというなら守る。それが法で罰せられることでも、構うもんか。ラナに恩が返せるのであればそんなもの、やっぱりどうでもいいとしか思えないからね」

 

 レオは悪でいいと言った。

 

 正義(正しいこと)よりもラナを取ると言った。

 

 それはやはり凄く、酷く、「弱い」選択なのだろう。

 

 誰も説得できない、何の納得も得られない「子供のわがまま」。

 

 

 

 だけどそれが私達のリアルだ。

 

 

 

 それはレオを、一人前の大人にしようとしたあたしを、あたしの傲慢(ごうまん)を、失敗を、嘲笑(あざわら)うかのようでもあった。

 

 その嘲笑(ちょうしょう)が、今はとても心地良い。

 

 

 

 あたし達は子供だった。

 

 それがどうしようもない現実だから。

 

 本当は、そこから始めなくちゃいけなかったんだ。

 

 

 

 

 

「レオ」

「うん」

 

 

 

 そうして私の心は決まる。

 

 

 

「スラム街には、戻らないで。私の側にいて」

「うん。ラナがそれを望むなら」

 

 

 

 わがままとイタズラ心で世界に対峙する、子供の心で遊ぼう。

 

 

 

「世界と全面戦争、始めるよ? 世界対、私とレオふたりきりの戦いになるよ。付いてきてくれる?」

「付いてくるのはラナだ。世界は元々、僕を嫌っているからね」

「ぷ」

 

 

 

 そうだったそうだった。

 

 

 

 物理法則すら裏切っているかのような剣の使い手。

 

 

 

 そうだった、そうだったね。

 

 

 

 あたしと同じだ。

 

 

 

「あはっ。私、レオの剣に頼るよ? 人殺しの剣に頼るよ? 法律で裁けない人を無法に殺してと言うよ?」

「ラナだって無茶苦茶な力を持っていたじゃないか。僕はずっとラナに頼りっきりだ。ラナが僕に誕生日をくれたんだ。僕がするのは、そのお返しでしかないんだよ」

 

 吹き出しそうになってる私に釣られたのか、普段は鋭いばかりのレオの顔に、柔らかいものが混じってくる。

 

 そうしてみると、レオは本当に可愛らしく思えて。

 

 それが余計に、私の心をくすぐってくる。

 

 

 

 

 

 そこにいるのは少年だった。

 

 

 

 

 

 そしてあたしは少女だった。

 

 

 

 

 

 少年と(ボーイ)少女は出会った(ミーツガール)

 

 

 

 

 

 

 

 ──さあ、この世界を壊そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<System log>

 

 

 

 

 

 ──エピスデブリ[II] 「世界にたったひとりの孤独」 の不揮発性が解除されました──

 

 

 

 

 

 ──エピスデブリ[III] 「世界への復讐心」 の特性が変化──

 

 ──エピスデブリ[III] 「どうにもならない世界」 との 結合における剛性 が 弱体化しました──

 

 ──「弱き復讐者は、更に弱きモノを攻撃する」──

 

 ──「最も弱き復讐者は、最も弱き自分自身を攻撃する」──

 

 ──これら 人心の呪縛 より 解放されました──

 

 ──「世界への復讐心」の 矛先 が 自分 から 自分を搾取しようとする者 へと変更されました──

 

 

 

 

 








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XVII [Unique node list] : Transition Period



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<現実世界サイド>

▼千速継笑

▼千速長生

▼継笑の父親

▼中橋医師

<幽河鉄道関係者>

▼純白の少女

<異世界サイド>

▼ラナ(ラナンキュロア)

▼レオ(レオポルド)

▼ラナの母親(五人兄弟における第三子、次女)

▼ラナの父親

▼丁稚

▼コンラディン(ラナの叔父。五人兄弟における末っ子、三男)

▼ギルド長

▼ラナの伯父(五人兄弟における第二子、長男)

▼ラナの伯母(五人兄弟における第一子、長女)

▼灼熱のフリード

▼背負子のユーフォミー

▼マイラ

<高次元サイド>

▼魔道士ナガオナオ

▼青髪の悪魔

 

<この世界の暦>

▼この世界の暦

 

 

 

 

 

 

 


 

<現実世界サイド>

 


 

 ●千速(せんぞく)継笑(つぐみ)

 

 本作の主人公……の日本人形態。死者で幽河鉄道の乗客。享年17歳。

 モブ顔で痩せ型。髪は肩より少し長いくらい。

 友達ゼロのコミュ障。両親との折り合いも悪い。

 中学までは勉強ができ、有名高校への進学も果たしたが、そこで完全におちこぼれた。

 趣味は映画館での映画鑑賞。漫画はあまり読まないがネット小説は結構読む。どうせどれもこれもエタるんでしょと思って読んでいるタイプ。ゲームはぼちぼち。

 人には言えない性癖があるらしい。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 大人になれば化粧で化ける系の顔だったが、大人になるまで生きられなかったのでモテ期が来る前に死んでしまった。逆行転生で無事大人になれたルートでは、結構何人もの男性からアプローチをされたりもした。そのルートでは目的があったので全部丁重にお断りしたけど。

 

 好きなものはイクラ丼。嫌いなものは父親の加齢臭。

 

 

 

 

 


 

 ●千速(せんぞく)長生(なお)

 

 本作の主人公である千速継笑の兄。享年13歳。

 小学生の終わり頃に難病を発症し、孤独な闘病生活の末に他界した。

 妹である継笑は、長生が死ぬまで、兄が病気であることすらも教えられていなかった。

 それらのことが、妹である継笑の心に癒えぬ傷をふたつ、創っている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 実は結構なゲーム好き。マ●オメーカーでは職人ポイント千超えのコース職人になっていた時期もある。妹とはス●ブラでよく遊んでいた。小学生のうちに接待プレイを覚えた気遣いの子。

 

 好きなものは何のとは言わないがリンク。嫌いなものは病気。

 

 

 

 

 


 

 ●継笑の父親

 

 本作の主人公である千速継笑の父。名前不明。千速継笑死亡時は50代。

 医療過誤を専門とする弁護士。融通の利かない性格。自身が一浪してもT大に入れなかったことから、非常に強い学歴コンプレックスを抱えている。純白の少女風にいうなら二類のエピスデブリ持ち。

 SK未満は人にあらず、くらいのことを真顔で言う。それだと彼の妻も人でないことになってしまうのだが、彼は犬でも孕ませたのであろうか。そこら辺、彼がその内面においてどうやって整合性を取っているのかは謎。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 勉強ができるバカ、のまま大人になってしまった残念な人。秀才ではあったのでいじめに遭うなどのことはなかったが、学生時代から続く友達は一人もいない。正しくあろうとして人に迷惑をかける系の正義マン。運が良ければそれでも世のため人のため働けたのだろうが、あまり運も良くなかった。

 

 好きなものは自分の正義を理解できる賢い者。

 嫌いなものは自分の正義を理解できない愚かな者。

 ただ実際、その理解が可能であるかどうかに賢さは関係ない。

 

 

 

 

 


 

 ●中橋医師

 

 未来において、現在では予後不良といわれている、とある小児(しょうに)慢性(まんせい)特定(とくてい)疾病(しっぺい)の完治法を見つける優秀な医師。小児科が専門。

 優しげな顔貌(がんぼう)と穏やかな性格は、患者の母親達からの評判もいい。ただし当の患者本人、つまり子供からはナメられやすい性格でもある。優しいというよりは気弱に見えるタイプ。

 そしてその通りにメンタルは弱く、追い込まれると簡単に自殺してしまう。

 どちらかといえば研究者向きの性格だが、子供を救いたいという使命感から小児科の医師になった。ムチャシヤガッテ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 出身の医学部は某弁護士の出身法学部よりも偏差値が低く、これがルートによっては彼の人生における悲劇の原因ともなってしまう。

 某弁護士はそのような医者など全員ヤブであると信じていて、そうした(彼の価値観における)ヤブ医者を排斥することこそ正義であるという信念の持ち主だった。更にいうとその某弁護士は、そのような医師が自殺するなら実に結構と言い切る男であり、実際に某ルートにおいては中橋医師の死に際して祝杯も挙げた。正義は勝つと言いながら●崎25年シングルモルトを開けて呑んだ。色々な意味で酷い。

 苦労性であり、顔は実年齢よりも老けて見える。

 継笑(つぐみ)と結婚したルートでは幸せだったらしい。ただ、どこかの段階で継笑はその人生に見切りを付けたはずであり、自殺なりなんなりでループし戻ったはずであるから、最後まで幸せだったとは言い難い。ある意味幽河鉄道(ゆうがてつどう)の被害者。

 

 好きなものはモーツァルトの音楽。嫌いなものは肉類全般。

 

 

 

 

 

 

 


 

幽河鉄道(ゆうがてつどう)関係者>

 


 

 ●純白の少女

 

 ありえないほどに可愛らしい外見の少女。真っ白なフリルいっぱいのエプロンドレスを着ている。もはやもふもふレベル。

 年の頃は14~16歳くらい。白銀の髪、プラチナの瞳、何を塗っていなくとも健康的に輝く薄桃色の唇。全体的にはすらっとしているが、某部位はそれなりに豊か(たぶんEくらい)。その美貌は同性である継笑(つぐみ)をも魅了した。

 一応、本名は不明。一応、正体も不明。

 魔道士ナガオナオの人生に寄り添った彼の伴侶、パートナー……であると主張している。

 その頃に伴侶の手ほどきに依りて魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)、「スピリットリンク」を修めたらしい。

 その力を必要とした魔道士ナガオナオが、死者であった彼の伴侶、パートナーを、自身のスキル、幽河鉄道(ゆうがてつどう)と連結することで、かつての妹であった継笑の元へと送り届けた。これにより、幽河鉄道は千速継笑ただひとりのためのループ発生装置となっている。

 特殊な成育史を持つため、「人間」を盲目的に愛する性格となっている。ただしその中でもナガオナオは特別枠であり、人類の全てよりも彼のことを愛している。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 チョーカー的なものが首周りにないと、なんだか落ち着かない気持ちになる。

 メタ的には「某どうあがいても絶望なゲームの2作目ヒロイン(設定周り) + 前作の某メイドさん(性格等キャラ性) + 他諸々」で構成されている。

 

 好きなものは人間。嫌いなものは悪魔。

 

 

 

 

 

 

 


 

<異世界サイド>

 


 

 ●ラナ

 

 本作の主人公……の異世界形態。一章の段階では13歳。黒髪。身長は145cmくらいだが、まだ成長は止まっていない。13歳だが体型は母親の血が強く、某所はそろそろDに届く。誕生日は地球の感覚で喩えるなら平成の天皇誕生日(クリスマスイヴイヴ)

 フルネームはラナンキュロア・ミレーヌ・ロレーヌ。ひとりっ子。

 どこか別の世界にいるかのような独特の雰囲気を持っているらしい。

 千速(せんぞく)継笑(つぐみ)の感想としては、綺麗な野生動物みたいな少女。

 空間支配系魔法「罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)」を使える。自分を中心に半径10mくらいの空間を「割り」その全てを自分の支配下に置くという魔法。デフォルト設定では単に空間を支配下に置くだけの魔法だが、やろうと思えばその全てを本当に「割る」ことができる。ただし詠唱時間(キャストタイム)は多少長めの模様で、制限時間もあるらしい。自分自身が(三次元空間を)移動している最中の発動も不可能。

 本人は親にネグレクトされていると語っているが……。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 今後(epis19で)明らかになる話ではあるが、実は結構、現代(本人的には夢の世界の)知識チートの恩恵も受けている。

 金銭面で苦労してる様子が無いのは、それによって父親から多額の報酬を得ているため。

 本人はそれをズルと認識しているので、誇ってはいないが、何気に父親からは「自由にさせておけば商会へ莫大な利益をもたらしてくれる天才児」と思われている。

 キャラクターコンセプトは「世界を壊したい少女」。

 同「世界を壊す少年」であるレオの相方。

 

 好きなものはepis16においてレオになった。嫌いなものは世界。

 

 

 

 

 


 

 ●レオ(レオポルド)

 

 スラム街出身の少年。推定11歳。最初は薄汚れた金髪だったが、毎日洗われている内にキラキラの金髪になった。epis09から16までの時点ではまだレオポルドという名前にはなっていない。ラナに決められた誕生日は癒雨月(ゆうげつ)の6日。癒雨月は地球の感覚だと6月に該当する。

 身長は140cmくらい。epis01の時は170cmくらい。栄養状態がよければ3年で30cmくらい伸びる。

 剣を構え、対象を「斬る」と思えば本当にそれが斬れる能力を持つ。それが「斬って殺す」であれば、相手が絶命するまで止まらない斬撃の形となる。また、自分を傷付けようとする攻撃に関しては、これを回避する能力も高い。これはとある悪魔によって与えられたチート。「無敵チート」。その記憶も、前世の記憶もないようだが……。

 一章の時点で、剣を構えていなければ「斬る」ことが出来ず、回避以前に肉体そのものを押さえ込まれてしまうと何もできなくなるという弱点が判明している。逆を言えば、常に剣を構えてさえいれば無敵ということだが。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 本当の年齢はラナと出会った時点で12歳。

 本当の誕生日は獅志月(ししづき)(13月)の4日。

 実は結構高い身分の男性が娼婦に産ませた私生児。だからどうという話ではないが、レオという名前は、見知らぬ誰かが適当に付けた名前ではなく、母親が愛情をこめて付けたもの。この世界の神話に出てくる聖獣の名前に由来する。

 しかし物心付かないうちにスラム街へ捨てられてしまったので、レオ本人に両親の記憶はない。

 キャラクターコンセプトは「世界を壊す少年」。

 同「世界を壊したい少女」であるラナの相方。

 

 好きなものはepis13においてラナになった。嫌いなものは世界。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの母親(五人兄弟における第三子、次女)

 

 16歳の時にラナを産んだ女性。現在は28か29歳。

 財務省の貴族官僚の家に生まれている。

 髪は亜麻色だが白髪混じり。一章の段階ではフルネーム不明。

 ほうれい線の濃く入った生気無き顔が全てを台無しにしてるが、スタイルは良い。Gくらいはある。昔は美少女だったらしいが今では幽鬼のよう。

 他人が全員、自分を嘲笑っているという妄想に囚われてしまっている。そのため誰とも接したくない。純白の少女風にいうなら一類のエピスデブリ持ち。もっとも彼女の場合は、それが全て妄想であるとも言い切れないのだが……。

 容姿などには恵まれたが、兄などには恵まれなかったため、人生が色々台無しになってしまった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 当然ながら、兄のことは異性として認識していなかった。

 

 もはやこの世の全てが嫌い。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの父親

 

 三十代後半。黒髪。一章の段階ではフルネーム不明。結構なイケオジ。

 元々は両刀使いだったが、結婚後は女嫌いになった。

 今は商人としても優秀だった丁稚を色々な意味で可愛がっている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 実は娘であるラナンキュロアを、商会の実質上の後継者に育てたいと思っている。

 しかし色々な意味で娘には負い目があるため、それを口にできてはいない。

 

 好きなものは仕事。嫌いなものは妻と顔を合わせること。

 

 

 

 

 


 

 ●丁稚

 

 ラナの父親が会長を務める商会における出世頭の青年。

 フルネーム不明。ラナ曰く「●●●野郎」。

 本人の性嗜好はノーマル寄りだが上司には逆らえなかった。女性経験は一応あるが素人童貞。そんなこんなで今では性格も性癖もだいぶ歪んでしまっている。

 しかしそうした心の闇を他人の目から隠す能力も高いため、周囲からは優秀な好青年に見られている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 ラナに関しては、その父親にも似た顔が屈辱で歪む姿が見たいと思う方向での執着がある。別に身体(しんたい)を害してやろうだとか、結婚したら粗末に扱ってやろうだとか、そういう意味での復讐は望んでいないが、自分に媚びなければいけない立場へ堕としたいとは思っている。ラナが泣きながら自分へ懇願する場面を妄想すると色々(たぎ)る。DV夫とは別の形態のエネ。逃げてー。

 

 好きなものは人の優位に立つこと。嫌いなものは人から優位に立たれること。

 

 

 

 

 


 

 ●コンラディン(ラナの叔父。五人兄弟における末っ子、三男)

 

 ラナの母親の弟。つまり叔父さん。

 二十代の半ば。背はさほど高くない(172~3cm)が逆三角形のマッチョ。レオやラナとは瞳の色が違うらしい。十四歳で家を出て冒険者になった。ただし実家との縁は今も切っておらず、コネとして利用させてもらっているらしい。ふたつ名は黒槍のコンラディン。

 ラナの目から見れば大人だが、ラナが思うほどには立派な大人というわけでもない。

 人生に目的は無く、行き当たりばったりに生きている。慎重な性格だが、漠然とした未来に対しては備えようとしない。具体的には避妊とかそういうの。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 普通の人類最強を武力100、レオを800とすると、コンラディンは80くらいになる。

 そこだけ見るとB級ユニットにしか見えないが、戦略シミュレーションであればとにかく死に難いスキルが揃っているタイプ。「被クリティカル無効」とか「一時的に敵の攻撃対象から外れる」とか「対強敵:攻撃力と攻撃命中率大幅ダウン、防御力と回避率とクリティカル率大幅アップ」とか、そういうの。

 

 好きなものは槍。嫌いなものは無謀な若者。

 

 

 

 

 


 

 ●ギルド長

 

 王都リグラエルの冒険者ギルドでギルド長をしている人物。40歳前後。

 既婚者で娘もいるが、今でも色街には足しげく通う業の深いお方。ただ嫁公認であるらしい。

 さすがの眼力(がんりき)で黒槍のコンラディンの違和感を見抜き、彼からラナとレオの情報を得た。

 コンラディンのことは「コニー」と呼んでいる。彼とは気のおけぬ間柄のようだ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 嫁は一章の段階で26歳。娘は7歳。結婚は嫁が18の時にしている。20代で一度結婚していて、今の嫁は死別した元嫁の妹。彼女達とは色々あったらしいが、コンラディンはその頃のことを何も聞かされていない。

 実は下戸で甘い物好き。ただし高級な酒に限り、我慢すれば飲める。

 

 好きなものは最近王都で流行りだしたチョコレート。嫌いなものは安酒。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの伯父(五人兄弟における第二子、長男)

 

 ラナの母親の兄。つまり伯父さん。三十代前半。

 頭は悪くないがバカ。身体はすこぶる健康だが性欲の向かう先は不健全。

 かつて実の妹、ラナの母親へ欲情していた。その欲望が、今は母親似の姪に向いているらしい。

 独善的な性格であり、人の話は全く聞かない。自分が思い付いたことは全て天啓、神よりの啓示だと思い込み行動してしまうタイプ。自分の考えを否定されるとキレる。暴力に訴えることはしないが、否定してきた者を神に逆らう愚か者認定して、以後軽んじるタイプ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 元々、妹へ懸想していたのも、妹を抱く夢を見て寝具を汚してしまったから。それを、思春期には起こりがちな「サキュバスのイタズラ」とは思えず、天啓、神よりの啓示だと思ってしまったのが諸々歪んでしまった大元の原因。

 自分という優れた人間が、サキュバスなどという低俗な悪魔に囚われるはずがない、これは神聖なる神の思し召しなのだ……とみっともない姿で主張された神も、さすがにそれには苦笑せざるを得なかったであろう。

 

 好きなものはここでは語れない変態行為。嫌いなものは不運。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの伯母(五人兄弟における第一子、長女)

 

 ラナの母親の姉。つまり伯母さん。三十代前半。

 幼いうちは長男派閥より軽んじられ、虐められていたが、伯爵家の跡取り息子の婚約者となったことでその全てが逆転した。ある種シンデレラストーリーの体現者。

 結婚後は男児を産み、正妻としての立場を確固たるものとした。幸せ太りしたため現在の体型は丸い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 ざまぁ後の復讐は、実際したが、本人的には「可愛らしいもの」のつもりだった。

 だが、妹があまりにも無様なまでに自滅し転落していったため、「やりすぎだったかも」と今では反省をしている。姪であるラナへも悪感情はない。それどころか気にかけてる。

 ただ、弟である長男のことは本気で軽蔑している。

 

 好きなものはメシウマ。嫌いなものは虐め。

 

 

 

 

 


 

 ●灼熱のフリード

 

 一章の段階では外見、性格等不明。ユーマ王国の王国軍に属している。

 自分の周囲(直径で)7メートル強を超高温の空間に変えてしまう空間支配系魔法の使い手。噂レベルだと30メートルの範囲なので、話半分というか話半々分である。

 年齢は50歳前後。劇中登場時にそのくらいで現れる予定。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 好きなものは揚げ物。嫌いなものはペクチンゼリー。

 

 

 

 

 


 

 ●背負子(しょいこ)のユーフォミー

 

 またの名を要不要(ようふよう)の暴走列車。

 一章の段階では性格、能力等不明。ユーマ王国の王国軍に属している。

 生まれつき両足がなかったが魔法の才能はあり、実父に背負われて冒険者をしていた。

 年齢は、劇中登場時には17歳になる予定。

 ふたつ名の通り、物事の要不要(ようふよう)を決める判断が早い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 身の上の割にさばさばした性格で、自分が人より劣った人間であるとは思っていない。不幸だとも思っていない。

 結婚は、お父ちゃんより自分を大切にしてくれる人でなきゃ嫌だと思っている。

 

 好きなものは父の背中。嫌いなものは弱音。

 

 

 

 

 


 

 ●マイラ

 

 主人公であるラナの家で飼われているピレネー犬(グレートピレニーズ)。白くてでかい。

 地球におけるピレネー犬は番犬向きの犬種だが、この世界では違うのか、それとも個体の問題なのか、結構のんびりとした性格で愛嬌もあり、使用人達からは溺愛されている。

 ラナを見ると、怯えたようなそぶりを見せるらしい。

 レオには最初に会った時結構吠えた。

 実は近所では結構な有名人……ならぬ有名犬。近所の住人達からも愛されている。

 ラナは自分に懐こうとせず、そのくせやたら人から愛されるマイラをあまり好きではないが、マイラは別にラナのことを嫌っているわけではない。役に立ちたいと思ってるし、実際一章の最終盤では役に立った。そしてそのことでラナからの好感度が少し上がった。「どうでもいい → すこし気になる」くらい。先は長い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 ピレネー犬(グレートピレニーズ)の呼称はフランス、スペイン間にあるピレネー山脈が由来となっているが、当然ながらラナの世界(地球とは違う惑星)にピレネー山脈はない。だから実際は別の犬種名で呼んでいる。ただ、姿形などの特徴はピレネー犬そのままという設定。

 

 好きなものは人の笑顔。嫌いなものは蹴り。

 

 

 

 

 

 

 


 

<高次元サイド>

 


 

 ●ナガオナオ

 

 本作における謎の人物・その1。

 某白い少女の言を借りれば、全盲でありながらも感覚器官を拡張することで根源たる次元の高みへと登り、昇って、完全観測世界(イデア)の片鱗へと触れ、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を生み出し、宇宙を、世界を旅する偉大な魔法使い……らしい。

 見た目は長い黒髪の細マッチョ。もっとも外見など、既にどのような形にも採れる存在である。通常は、自分が生前に若かった頃の姿をそのまま採っている。

 生前は全盲だった。今も「見る」ことはできず「観る」ことのみ可能。瞳は真っ黒で虹彩も光の反射(ハイライト)もない。

 前世、あるいは前々世は千速(せんぞく)長生(なお)であり、千速継笑(つぐみ)の兄だった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 メタな話をすると、ナガオの部分は、某歴史SLG三●志IVのBGMも手がけた作曲家様より。

 漢字で書くと長生(ながお)長生(なお)となる。長尾ではない。

 

 好きなものは観ること。嫌いなものは見ること。

 

 

 

 

 


 

 ●青髪の悪魔

 

 本作における謎の人物・その2。人工的なスカイブルーの髪の美女。これみよがしな爆乳。

 悪魔はナガオナオがそう呼んでいるだけ。コロンブスと呼ばれていた時期もあった。

 なにもかもがおかしい存在。

 常に自分へ、なにかしらのラベリングをしていなければ落ち着かず、服なりなんなりに今の自分を表す文字を入れたがる。今は甚平を着てその股間部分にラベリングするのがマイブーム。あたまおかしい。

 老若男女の声、ついでに機械音声なんかをデタラメに組み合わせて喋る。

 ゲーム好きで、ナガオナオには常にゲームでの勝負を持ちかけ鬱陶しがられている。

 ナガオナオに会っていない時は「異世界転生ゲーム」で遊んでいるようだ。

 ナガオナオは彼女を高次元に自然発生した存在と思っているが、それは誤りである。

 なんらかの形で時空間へ干渉する能力を持っているらしい。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 メタな話、青髪は(誕生以前の)設定に近いものがある某ファーストチ●ドレンから。髪型はそれのシン後半部にチラッと出てきたアレと同じ感じ。

 もっとも、その設定が物語に反映されることは多分ない。ただの変なゲーム好きという認識で問題ない。

 本人も三次元空間に生きていた頃、つまり生前の記憶はとうに失っている。失っているというか、ぶっ壊れていると言った方が正解だが。

 

 好きなものはゲームで勝つこと。嫌いなものは退屈。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

<この世界の暦>

 

 1年は17ヶ月。以下の通り。月名はこの通りの発音ではなく、あくまで意訳。

 

 初幸歩(うぶさちほ)【1月】:29日

 路綺月(みちきづき)【2月】:28日(末日で累計57日目)

 帰雪月(きせきづき)【3月】:33日(末日で累計90日目)

 羽枕月(うちんづき)【4月】:32日(末日で累計122日目)

 浴茶月(よくさづき)【5月】:31日(末日で累計153日目)

 癒雨月(ゆうげつ)【6月】:17日(末日で累計170日目)

 水過奢(みかしゃ)【7月】:27日(末日で累計197日目)

 満葉月(みちはづき)【8月】:25日(末日で累計222日目)

 揮毫月(きごうづき)【9月】:30日(末日で累計252日目)

 神楽舞(かぐらまい)【10月】:15日(末日で累計267日目)

 謁吉月(えつきつづき)【11月】:26日(末日で累計293日目)

 乳海槽(にゅうかいそう)【12月】:7日(末日で累計300日目)

 獅志月(ししづき)【13月】:13日(末日で累計313日目)

 網把月(あみわづき)【14月】:14日(末日で累計327日目)

 納湯月(なゆづき)【15月】:16日(末日で累計343日目)

 漸漸実(ややみ)【16月】:12日(末日で累計355日目)

 死鳥卵(しちょうらん)【17月】:10日or11日

 

 一年は365or366日。

 

 一章は6月6日に始まり9月で終わっている。

 

 ラナの誕生日は17月2日。

 レオの誕生日は6月6日だが本当は13月4日。

 

 17月に生まれる子供は親を殺すという迷信があり、あまり好まれていない。

 

 

 

 

 



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epis18 : Gabriel dropkick




※前書き

 これは閑話です。

 ラナとレオの物語には特に関係がありません。

 また、1万7千字を超えているので、一気に読もうとすると大変かもしれませんゴメンナサイ。閑話1話に2週間以上かけるバカの所業とご笑納いただければ幸いです。





 

<絶対時間軸:epis02直後>

 

「ツグミっ」

 

 (くう)(ぼう)と浮かぶ光球(こうきゅう)に、魔道士ナガオナオの熱誠(ねっせい)籠もる音吐(おんと)はしかし、祈りのように思慕と切望の響きを帯びていた。

 

 応えるように、光球はそのあるべき姿を取り戻していく。

 

 人よりは小さい、けれど猫よりはずっと大きい、四足歩行のフォルム。

 

 真っ白な、しかし黄金を感じさせる波が、その表面で揺らめく。

 

 今、ナガオナオへ向いている方、顔らしき部分の鼻先だけが黒く色付いていき、その途中で時折、タレ耳がぴょこんぴょこんと動いた。

 

 やがて、白の空間にあってさえ光り輝くその姿が、明瞭となる。

 

 それは一匹の大型犬。

 

 真っ白で、しかし光り輝く毛並みはところどころ白金(プラチナ)の影も(まと)う。鼻先は黒いが、艶やかなそれは宝石のようでもある。地球の犬種名で()うなら英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー。だが彼女はそれよりも白く、白銀(はくぎん)のように、白金(はっきん)のように輝いていた。

 

「ツグミ……」

「……わぅん」

 

『ナガオナオ、様?』

「んっ……」

 

 意思が、ナガオナオの中に入ってくる。

 久しく味わっていなかった、自分に、何かが被さる感覚。

 

 ──ああ、懐かしい──と思う。

 

 不快は何も感じない。

 

 自分とツグミは一心同体の存在……それを、彼は当然の感覚として持っている。

 

『嘘……この匂い、この()()()……』

 

 だから彼の心を、彼女の喜びが満たした。

 

「ツグミィ!!」

 

 だから彼の心で、彼と彼女の喜びが交じり合った。

 

「わんっ! わんっ! わんっ! わぅんっ! わぅぅぅんっ!!」

「おうっ……」

 

 体高五十五センチ(55cm)強、体重で二十五キロ(25kg)強の身体が、ナガオナオの胸を物理的に打つ。

 

「わぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅわぅぅぅぅぅぅんっ!!」

「おぐぅ……」

 

 (くう)より、ナガオナオの胸に移ったその身体は、()()()

 生きていた頃のように、いやそれよりも高い()()でナガオナオの両腕に抱かれながら、後ろ足をバタバタさせ尻尾を振り、彼のその頬に残っていた涙を、唇越しにペロペロと舐めてくる。

 

 匂いがする。

 

 獣臭いような、だがナガオナオにはどんな香水よりも愛しい匂い。

 

『ナガオナオ様ぁ……ナオ様ぁ……』

 

 ナガオナオの瞳に、光が入る。一瞬、犬の肉球のように下半分が大きく、その上にハイライトが点在する、そんな形になって、それから虹彩が白金(はっきん)に浮き出てくる。

 

 ──ああ、()える。

 

 人間の身体を捨ててから、やろうと思えばできた「見る」という行為。

 

 ツグミがいなくなってから、だがそれをする気には全くなれなかった行為。

 

 どうしてもツグミを思い出してしまうから……ひとりでするのは好きになれなかった行為。

 

 その彼の視界に、今は己の姿が見える。

 

 白金(プラチナ)となった瞳、長い黒髪に少しだけ頬のこけた顔。

 

 これはツグミの視界、ツグミの「見ているもの」。だからそれは年若い、二十代の頃の自分だった。()うの昔に失った姿で、もはや惰性で()(つづ)けていたそれだった。

 

 だが──今はその姿で良かった──と彼は思う。

 

 今、胸の内にいるツグミは、彼らが黄金期を過ごした年若い、元気な頃の姿だ。

 

 そのツグミに、彼女を失い、老いさらばえた後の姿を、見られなくて良かったと思う。彼女を失ってからの彼は、それはもうみすぼらしく老いていったのだから。

 

『ナオ様……また会えて……よかったですっ』「わぅぅぅん!」

「私もだ……私も……お前にまた会えて……よかった……」

 

 思い出が蘇ってくる。

 

 彼には生まれつき、「観測機」がひとつ足らなかった。

 

 盲目で生まれ、盲目の世界を生きてきた。その限界を、絶望を、無能を、彼は思い知らされながら育った。本来あるべき能力が無い、そうでない他人と分かり合えない、自分とは違う「特徴」を持った人間は「人ではないのだから人権も無い」とばかりに攻撃してくる者達の標的にされる、それらが前提となって組み上げられた社会に居場所が無い。実際、やれることも少ない。ところによっては、ただの邪魔者でしかない。

 

 白い杖をついて出かければ時に小突かれる、経路を見失って立ち止まれば罵倒が降ってくる。経路そのものがどうしてか狭く(ふさ)がれていることもある。それは彼の人生、そのもの形象(けいしょう)でもあった。

 

 反抗はしなかった。

 

 正しきは弱きを排除する世界。それは当然で仕方無い。人は強くあらねばならず、強くあれぬ者は淘汰(とうた)される。それが必定(ひつじょう)。後ろなど振り返るは暗弱(あんじゃく)愚行(ぐこう)、狂乱の情熱をその身に宿した者だけが前へ進んでいける。

 

 ある者は恵まれた自分に、ある者は恋した異性に、ある者は正義の御旗(みはた)に、仕事に、酒に、芸術に、賭博に、酔いながら、心という内燃機関をフル稼働させて進んでいる。

 

 彼らへ、振り返って欲しいとは思わない。(かえり)みてほしいとは思わない。妙なモノを混ぜて心を燃やした者が、時に有害な排煙をこちらへと撒き散らしてくるが、それすらも羨ましいと思う。

 

 ただ、悲しかった。

 ただ、寂しかった。

 

 そのように生きられぬ自分が、世界の邪魔者でしかない自分が。

 

 だからただ、共に歩んでくれる誰かが欲しかった。

 どうしようもない弱さと一緒になって進んでくれる、誰かがほしかった。

 

 それはナガオナオの心の弱さ、そのもので、それが哀しくて切なかった。

 

『でもどうして? ここは……どこなのでしょうか?』

「ツグミ……嗚呼ツグミ……話したいことは山ほどあるというのに……言葉が……出てこぬ」

 

 彼に、寄り添ったのは、「誰か」ではなかった。

 

 いや、彼にとっては「誰か」以上の存在だった。

 

 彼が千速(せんぞく)長生(なお)でなくなった人生。千速長生の次の人生。

 

 ナガオナオの生きた世界。

 

 そこは地球ではなく、科学でなく魔法の発展した世界であったが、全盲の瞳を治療する魔法など無いという点では、地球と変わらなかった。

 

 全盲は治せない。ならば彼らを(たす)ける者はいないのか。

 

 人は無理だ。生涯、不自由を抱えたひとりの人間に寄り添い、援けろというのは、その人間の人生そのものを犠牲にしろというに等しい。親や夫婦であってさえ、やれることに限界はあろう。

 

 ならば、やはり彼らを援ける者はいないのであろうか。

 

 否、いないはずがない。

 

 否、いないわけがない。

 

 いる。

 

 犬がいる。

 

 盲導犬が、いる。

 

「聞いてくれ、ツグミ、私がそなたを失ってからのことを」

『ナオ、様?』「わぅん?」

 

 地球において、盲導犬の歴史は、実はさほど古くない。

 

 伝承の混じらぬ歴史へそれが記されたのは、千速継笑(つぐみ)、千速長生が生きた二十一世紀前半の時代より、せいぜいが百年か二百年前のことだ。

 

「色んなことがあったんだ、そなたに話したいことが、そなたと語り合いたいことが」

『……はい』「わぅ」

 

 ナガオナオが生きた世界の、ナガオナオが生きた時代もまた、盲導犬に関しては同様であったが、魔法のある世界であったため、地球に勝っている部分もあった。

 

「聞いてくれるか? ツグミ」

『はい!』「わんっ!」

 

 犬の寿命を、ある程度伸ばす魔法が存在したのだ。

 

 地球において盲導犬は、生後一年前後になるまで、パピーウォーカーというある種の里親の元で育てられることになる。多くはそこで幼少期を、人間に溺愛されて育つ。盲導犬としての訓練は、その後に始まる。

 

 そうして盲導犬は訓練の後にオーナー、つまり盲導犬ユーザーの(もと)でその任を果たしていくことになるが、地球において盲導犬がその役目を果たせるのは、犬種によっても違うが大体十歳前後までとされている。引退後は同じように引退した犬達と、穏やかに暮らせる施設へ引き取られ、そこで穏やかな余生を過ごす。

 

 つまり一匹の盲導犬が、人間ひとりの生涯の伴侶となるには、寿命が足らないのだ。

 

 ところが、ナガオナオの世界においてこの稼動時間……あるいは可動時間は……三倍以上あった。それどころか、ツグミは更にその倍以上もナガオナオへ寄り添った盲導犬だった。

 

 これは、ナガオナオ自身に魔法の才能があり、犬の寿命を延ばす魔法へ適正があったことに()るものだ。

 

 ナガオナオは才能と適正がある魔法を毎日、ツグミに使い続けた。

 

 いつも(そば)にいる主人より毎日、欠くことなくその想いを受け取り、過ごしたツグミは、ナガオナオの世界においても通常ありえないような長生きをすることになった。

 

 ツグミが盲導犬としての役割を果たせなくなったのは、彼女が生を受けてより七十年以上の時が過ぎてからのことだ。その時にはもう、普通には歩けなかったし、目も曇ってほとんど見えない状態だった。ナガオナオも、もうすぐ九十になろうかという年齢だった。

 

 だが、そうなってもナガオナオはツグミを手放そうとはしなかった。

 

 引退後の盲導犬が穏やかな余生を過ごす施設……それはナガオナオの世界にも同様に存在している。

 

 だがナガオナオはそこへツグミを送ることなく、ずっと自分の手元においた。

 

 ナガオナオは……その時点でもう、大魔道士ナガオナオだったからだ。

 

 彼は言った。

 

 自分がここまで成長できたのは、ツグミのおかげだと。

 

 彼は誇った。

 

 ツグミの余生を、もっとも充実したモノにできるのは他でもない自分自身だと。

 

 その時点で、ナガオナオとツグミの間には、心や信頼といったものとは別に、確かな繋がりとして結ばれているモノがあった。

 

 魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)、「スピリットリンク」。

 

 それは、ナガオナオの世界において、盲導犬ユーザーに魔法の才能があった時だけ結べる、特殊な魔法だった。元々は人間間(にんげんかん)における心話(しんわ)、伝心魔法の技術だが、ナガオナオの世界では、盲導犬とそのユーザーの「視界を結ぶ」ことにも転用されていた。

 

 その魔法は。

 

 犬の視界、それと盲導犬ユーザーの視界をリンクする。

 

 すると全盲の人間にも、世界が「見える」ようになる。

 

 色の情報こそ犬のそれ(モノクロではないが、いくつかの色情報は得られない)だが、全く「見」えないのと、(不完全でも)物の形などをハッキリ「見」ることができるのとでは、なにもかもに雲泥の差がある。

 

 そうして彼にとって「見」える全ては、彼女の視界を通してのモノとなった。

 

 だが、これはあくまで「ナガオナオの魔法」だった。ナガオナオの都合で彼の魂をツグミへ接続し、その視神経を共有する……そういう魔法。

 

 ならば……と思った。

 

 同じ魔法を、瞳が濁り、「見」えなくなってしまったツグミが使えるようになれば、魔法で「観る」ことができるようになった自分の視界を、彼女も利用できるのではないかと。

 

 七十年を超える歴史で、それなりの意思疎通が可能になっていたナガオナオとツグミは、まるで幼子のように毎日毎日、その「遊び」を繰り返した。

 

 初めの内は、それは確かに「遊び」だった。

 

 日々弱り、衰えていくツグミと、もっと多くの時間を過ごしたい、もっともっと密接に繋がっていたい。だからこれまでを共に過ごしきたソファの上で、絨毯の上で、ベッドの上で、暖炉の前で、庭で、水辺で、出来るかどうかもわからない「遊び」を繰り返す。それだけ。

 

 だが。

 

 七十年、培ってきた絆が奇蹟を呼んだのか。

 

 それとも、それは当然の帰結だったのか。

 

 いつものように「スピリットリンク」を、動くことも困難となったツグミへと使い、同じようにしておくれと、言葉ではない言語で、彼女に伝えたナガオナオの耳……否、心へ。

 

『ナオ……様?……』

 

 ツグミの声が届いた。

 

 ナガオナオの世界においても、盲導犬が「スピリットリンク」を使えるようになったことなど、前例が無かった。

 

 だからナガオナオとツグミは、世界で初めての体験をした。

 

 だから老犬となったツグミに開花した能力も、初めてのことだらけだった。

 

『ツグミ?』

『はい……これ……は?』

 

 そうして完全な意思疎通が可能となり、こころなしか知能も上昇したツグミと、ナガオナオは沢山沢山、それはもう一日中言葉を交わした。今までの思い出を、想いを、相思相愛のふたりは全て言葉にして確認しあった。

 

 それでわかったことがある。

 

 ツグミは、ナガオナオの記憶、能力を一部利用することができるようだった。

 

 言葉が話せるようになったのも、知能が上昇したのも、ナガオナオの知識(エピステーメー)を利用してのものと思われる。ツグミはナガオナオの人生にずっと寄り添っていた。記憶の多くは共有したものだった。それの、人間側からの「認識」を、つまりナガオナオの人生経験の何割かを、ツグミは手に入れたようだった。

 

 これがナガオナオの探究心に火をつけた。ふたりは更に言葉を交わし、ディスカッションを深めていった。

 

 それからは魔法のように楽しかった。

 

 二十代の頃は、(かたわ)らに(はべ)るツグミの体温を感じながら、毎日魔法の修行に明け暮れていた。その情熱、思い出すだけで胸が熱くなる黄金期……九十代にしてナガオナオはそれを取り戻していた。

 

 乞われるまま、自分の全てをツグミへと与えた。

 

 ふたり、ねっころがってツグミの可能性を試した。

 

 笑った。笑いながら隣同士眠った。朝、(そば)にある顔へ微笑みが湧いてくるのを、抑えきれなかった。

 

 それはもう……だからやはり「遊び」だったのかもしれない。

 

 老境に入っていたふたりが思い出した童心。目の前の、最高の遊び相手と毎日同じようなことをして過ごす、それだけの毎日、それだけで楽しい日々。(わらべ)と違うのは、その一方がもう、自分の足では動けない老犬であるというだけだ。

 

 楽しかった。

 

 本当に楽しかった。

 

 そうしてツグミは、究極の「スピリットリンク」、否、彼女だけのオリジナル魔法(ユニークスキル)を修めることとなった。

 

 人間の魂へリンクし、その知識(エピステーメー)を取り出したり、保存したり、誰かへ能力(スキル)として付与したりする魔法。

 

 その名は……彼らの世界の固有名詞が付けられたため、日本語や英語で記すのは困難だ。ただ、それは彼らの世界の神話に登場する「巫女」の名を冠したものではある。真っ白な繭の中で眠る幼い少女、己を包む繭から糸を紡ぎ、それを人に与え、その運命とする「巫女」。繭はあるいは彼女の髪の毛であるともいわれている。

 

 近いのは、ギリシア神話における運命の三姉妹(モイライ)、その長女(クローソ)次女(ラケシス)であろうか。三女(アトロポス)の役割までは担っていない。そこから名付けるなら「ふたりのモイラ(バイモイラ)」などとなるのであろうが、魔法の名前としてそれは収まりが悪い。

 

 結局、普通名詞としての「巫女」で表すのが一番適当であるとも言える。

 

 北欧神話からそうした意味の名詞を探せばヴォルヴァ、あるいはスパーコナ、あるいはフィヨルクンニ()となろうか。よって以後、ここではそれをヴォルヴァと記す。

 

 ヴォルヴァは、人間の魂へリンクし、その知識(エピステーメー)能力(スキル)を(ある程度)自由に扱う魔法だった。

 

 魔法のある世界でありながらもその時代、既に近代化を果たしていたナガオナオの世界では、明らかに禁呪指定を受けそうな魔法だった。人権、プライバシーの問題、その他諸々の厄介事が山盛りテンコ盛りな魔法であるからだ。

 

 副作用もある。ヴォルヴァによって扱える人の知識、能力を彼らは「エピス」と呼んだが、この扱いは、少し間違えると人の精神、生命に悪影響を与えることがわかった。「エピス」は下手に扱うと変質し、悪性腫瘍のようなモノへと変わり果てるからだ。この悪性腫瘍を、彼らは「エピスデブリ」と呼んだ。「エピスデブリ」は簡単に人を壊し、殺す、恐ろしいモノであった。

 

 ひとしきり、ヴォルヴァの検証と実証が済んで、ふたりはこの魔法を、誰にも報せぬ、誰にも教えぬ、誰にも伝えぬモノとすることを決めた。検証には幽河鉄道(ゆうがてつどう)を使ったので、()()()不幸な被験者、犠牲者こそ出なかったものの、意図せぬ形で人が壊れていく姿は、ひとりそれを観たナガオナオの脳裏に「今この時も」焼きついている。それだけはツグミに共有させたくなかった。

 

 悲劇を回避しようとし、運命を切り替えれば別の悲劇が生まれる。そのことをナガオナオは十分に知っていた……そのつもりだった。

 

 自分の関与しないところで何万何億が死ぬのはいい、だが自分が関わったひとりが死ぬのは大問題……人間の感情とはそういうものだ。だから安易には幽河鉄道(ゆうがてつどう)の運命切り替え機能を使わなかったのだし、使用の際には十分に注意をしていた……そのつもりだった。ツグミにそれを観せなかったのだって、そのことが解っていたからかもしれない。ツグミに悪意はない。ただ自分の要請に従っただけだ。その無垢を(けが)したくはなかった。だからそれは自分が墓場まで持っていくと決めた。

 

 そうして「子供の遊び」は終わった。

 

 無邪気で楽しい「遊びの時間」は終わった。

 

 やがてツグミに運命の時が訪れる。

 

 身体が動かなくなる。

 

 目が、その光の全てを失う。

 

 もう、食べられない。もう、水も飲めない。

 

 衰える、失われていく、ナガオナオの(そば)で、ツグミの命が。

 

 盲導犬としてナガオナオの人生に寄り添い続けた英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー、ツグミ。

 

 その享年は、七十七歳。通常の犬の寿命からすれば五倍以上。大型犬に限れば六倍以上の時を生き、死んだ。

 

 ナガオナオの、それだけは生まれてより何も変わらない漆黒の瞳、そこより降る土砂降りの雨の中で、彼女は逝った。

 

 死しても彼の(そば)にいたいと望みながら。

 

 

 

 

 

『そのようなことが……』「わぅぅぅん……」

 

 そうして今、ここにツグミがいる。

 

 元気だった頃の姿で。光り輝く姿で。おそらくは二十歳前後の自分の(そば)にいた頃の……だからまだ年齢ヒトケタの頃の姿だ。

 

『でも、えっと、あのぉ……千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様……でしたか? ナオ様の前世で、妹だったという……どうして彼女が、私と同じ名前なのでしょうか?』

「それは、ナガオナオの名の由来に関係する話となるな」

 

 ナガオナオは、簡単に言えば孤児だった。彼とツグミが生きた世界において、孤児の名はその者が十八歳の時までに、自分で決めることになっている。仮名は与えられるが、それは施設名を家名(ファミリーネーム)とし、適当な数字(ナンバー)をファーストネームとした味気ないモノに過ぎない。日本語で(たと)えるなら「寺子屋(てらこや)一二三(ひふみ)」であるとか、「悲田院(ひだいん)五十六(いそろく)」であるとか、そういった類の名前だ。

 

「私には魔法の才能があった。それも、時空間、因果律に干渉する魔法の才能がな。だから私は、自分の名を決める際に、それを利用することにした」

『はい、そのことは伺っています。確か、ご自身の前世の姿が、(おぼろ)げながら見えた……とか』

「そう、名前もわかった。私は前世、ナオと呼ばれていた。その“漢字”は長生きを意味する“長生”だった。これは姓にするとナガオと読む。私はそれを重ね、ナガオナオとした」

「わふっ」

 

 その頃は、自分の世界由来の名など持ちたくは無かったからな……とナガオナオは苦笑いをしつつ、ツグミのもふもふな首筋を撫でた。

 

「ツグミの名も同様だ。当時は、妹であるとは知れなかったが、自分と親しくしていた女性の名であることだけはわかった。だからその名をそなたに与えた」

『ナオ様……』

「その妹が、今……というと語弊があるが、放っておけば長年、大量のエピスデブリに(さいな)まれ、不幸な転生(てんしょう)の地獄へと落ちる瀬戸際にいる。なぁ、ツグミ」

「わう?」

「私の、前世の妹に対する愛情は、そなたに対するそれの、百分の一程度だ」

 

 だが……と、ナガオナオは笑う。

 

「そなたに対するそれの、百分の一もある」

「わ、わぅぅぅん?」

「愛情は数値には出来ぬ。だが私のそなたに対する想いは、それが百分の一だったとしても、我が身をかけて救いたいと想う、それ程のモノなのだよ」

『は、は、は、恥ずかしいですナガオナオ様!!』「きゃ、きゃぅぅぅーんっ!!」

 

 ナガオナオの腕の中で、じたばたとツグミが暴れ、その後ろ足は彼のお腹をぺしぺしと蹴っていた。だがその身を、ナガオナオは放さない……なんかもう著しくバカップルな構図だが、彼らは大真面目だ。

 

 ──ツグミが自分の足で歩けなくなってからは、よくこうした。

 

 ツグミの身体を抱き上げたまま、その温かさに、柔らかさに、懐かしさに微笑む。

 

 ツグミもまた彼の腕の中でその温度に、匂いに、確かさに満ち足りていた。

 

 だが……そうとしてばかりはいられない。

 

「そろそろ、この場所を出ようか。そなたの死後、私がそなたと再びこうして過ごす、ただそれだけのために開発した技術、幽河鉄道の改造と改良、今その全てをそなたに見せよう」

『え、あの、ナガオナオ様?』「わぅーん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、私?」

 

 ()()()()()()で、()()()()()()が呟いた。

 

 ツグミの目の前には、その上背よりも高い、大きな三面鏡が置いてある。

 幽河鉄道も、今は停車中なのでその像がブレることはない。

 それへ、ツグミは少し前傾姿勢で、変化した自分の姿をまじまじと見ている。

 

 白い肌のほっそりとした身体に豊かな胸部、普通ならば男性の劣情を誘うであろうそれは、しかしその首から上の要素が、印象を完全に上書きする。

 

 輝くような白金(はっきん)の瞳。

 

 雑味のないシュッとした鼻筋。

 

 自然な薄桃色の唇。

 

 この世のモノとは思えぬまでに整ったその容貌(ようぼう)は、全裸となってさえ嫌らしさを微塵も感じさせない。むしろその神々しさに欲望も(ひる)み、(おのの)いてしまうような、ある種清冽(せいれつ)にして凄烈(せいれつ)な迫力を伴う、それはもはや威圧的なまでの天衣無縫(てんいむほう)だった。

 

「いつか、魔道士ナガオナオが終わる時、そなたをとびっきり美しく、幸せな一生を送る女性へと転生させてやろうと思っていた」

「わぅ?」

 

 そのために用意していた姿がそれだ……ナガオナオはそう言って虚空へと微笑む……今は「観る」ことを停止しているため、ツグミの居場所をなんとなくでしか(はか)れない。

 

「だが服までは用意してやれぬでな、どのようなものを着たい?」

「なんだか……落ち着かないです。ナガオナオ様に愛していただいた、私の毛並みが……」

 

 白銀(はくぎん)の、豊かな毛量の髪を自分でもふもふっと撫で、当惑した表情をツグミは浮かべる。

 

「あと、ナオ様のツグミである証の首輪もないです……」

 

 細い、白く美しい肌の首に指をあて、更に不安そうな表情をツグミは浮かべる。

 

「そ、そうか? 首輪は犬の姿の時から既に無かったが……」

「その時はまだ、感激と喜びで胸がいっぱい……でしたから」

「む、むぅ……ならば……」

 

 ナガオナオが空間に腕を振り、なにかを操作する。

 

「わ」

「どうだ?……おおっ……」

 

 もういいだろうと、ナガオナオは停止していた「観る」を再開する。

 戻ってきた視界に、観えたのは。

 

「美しい……」

「わ、わぅん?」

 

 純白の()()()()()()()()()に身を包むツグミの姿だった。そこかしこにスパンコールが光るオフショルダーのプリンセスライン。デコルテはハートカットで首には白いチョーカー。長大なスカートの裾は過剰なまでに床へ広がっていて、その中心でツグミが、どうしていいかわからずに手をあたふたとさせていた。

 

「んんっ……なんだか変な気分ですっ。キラキラしてて嬉しいのですが、足元がとっても動き難いですっ」

 

 両手を、オバケがうらめしやーってするような形で掲げたまま、身体を(よじ)って全身のあちこちを()()()()()()ツグミ。なんだかちょっと……というかギャップでだいぶ……残念な美少女感が漂う。

 

「そ、そうか?」

「私はナオ様のツグミなのですから、もう少し働き易い姿の方がいいですっ」

「ん、うーむ」

 

 そうしてドレスっぽい衣装へこだわるナガオナオと、動き易さにこだわるツグミとの間で、すったもんだがあった()()……第三者から見ればイチャツキでしかないやりとりがあった末に。

 

「こ、これでどうだ」

「わ、ぅーん……わかりました、ではこれで」

 

 ツグミの身を包む衣は、フリルたっぷりな真っ白のエプロンドレスとなった。

 それが閉鎖空間であるところの幽河鉄道、その中だからこそ許される格好なのであって、そこら辺を普通に歩いていたらとても奇異で浮きまくりの装束であるなど、ふたりは気付かない。ここら辺にそうした常識を(わきま)えたものはいない。内心デレッデレのナガオナオと、御主人様が嬉しそうで自分も嬉しいその忠犬しかいない。

 

「犬の姿のままでは、いけなかったのですか?」

「幽河鉄道の操作にはその方が都合がいいのだ。残念だが、そなたが死者であることに変わりはない。死者の魂はすぐに結節点(ノード)を失って四散してしまう。肉体の代わりに、別の何かでその四散を防がなければならない。それを、この幽河鉄道によって成す」

「え?」

 

 魔道士ナガオナオのユニークスキル、幽河鉄道は端切れの寄せ集め(パッチワーク)だ。当人にも理解できない様々な技術、理屈、理論がそこには詰まっている。だがそれは逆を言えば、ナガオナオはパッチワークを生み出すことにもまた、長けていたということだ。

 

 端切(はぎ)れを寄せ集め、ひとつの秩序ある模様を生み出す……ナガオナオにはその才能があった。完全には理解しきれない様々な技術、理屈、理論を次々と破綻なく継ぎ足していく才能。

 

 生身の肉体を捨て、この次元へ至った後に学んだ「異世界転生ゲーム」の手法も継ぎ足されている。

 今のツグミの姿を生み出した「容姿チート」のノウハウもその一部だが、ここでの本命は、死者の魂を一時的に留める技術にある。

 

 いわゆる神様転生、高次元の存在よりチートなり加護なりを受け取って転生するパターンの()()()()()()、当然ながら神様を演じる者は、死者の魂と接触する必要がある。それも、意思確認を行えるほどに明瞭な意識を、一時的であれ任意の座標に固定する必要がある。

 

 だから「異世界転生ゲーム」の行使者には、人間の魂をそのように扱う技術がある。

 

 それは、ナガオナオがツグミの魂を保管していた技術とは、また別のロジックだ。

 

 魔法理論でいえば、それは空間支配系魔法に近い。空間の一部を支配し、一時的にそれを肉体の代替品「魂の座」とする魔法……のようなもの。当然ながらそれには空間支配系魔法特有の制限もある。ツグミの魂を保管していた技術には……魔道士ナガオナオが存在している限り……効果時間の制限は無いが、空間支配系魔法にはそれがある。

 

 空間支配系魔法は、言ってしまえば花見の場所取りのようなものだ。その権利は本当に一瞬しか主張できない。

 

 もし、効果時間の制限がないのであれば、魔道士ナガオナオはそれを知った時点でツグミを復活させていただろう。

 

 だが。

 

 ナガオナオのユニークスキル幽河鉄道は、それこそが時空間に干渉する魔法だ。

 

 であるなら、時間制限がある魂の固定技術、時空間移動ができる幽河鉄道……これを組み合わせると、どういうことになるのか?

 

 幽河鉄道、それ自体を「魂の座」肉体の代替品とする。

 それには制限()()がある。だが、流体断層(ポタモクレヴァス)のレールを始まりは終わりに、終わりは始りに繋ぎ、円環で閉じる(ループ構造にする)。すると、相対時間軸においては時が流れるが、絶対時間軸においては時の流れない状態が生まれる。

 

 空間支配系魔法の制限時間は、絶対時間軸における世界そのものの抵抗であるとも言える。花見の場所取りにおけるブルーシートは、桜の木にとって有害であるとされているが、空間支配系魔法も世界にとっては有害、もしくは異常事態の類であるのだろう。ゆえに、世界はそれへ抵抗し、正常な状態へと戻ろうとする。それを宇宙項、ラムダと呼ぶべきか、そうでないのかはともかくとしてもだ。

 

 幽河鉄道が生み出すループ構造は、これを無効化できる。

 

 幽河鉄道を肉体の代替品とした魂は、いつまでもループする時空間上の、その座標に留まり続けることができる。

 

 いつまでも世界は春のまま、永遠に花の咲く姿を……あるいは花の散る姿を……見続ける事ができる。一瞬を永遠とすることができる。

 

 だが、これには別の問題が出てくる。

 

 生身の肉体を捨てたナガオナオが暮らす、高次元空間においても「時」は「観測不能」だ。言い換えると、その次元においても「時」は上位にあるということであり、幽河鉄道という例外を除いては、それを俯瞰して見ることが出来ない。そして幽河鉄道は手放せば再現不可能、複製できないスキルだった。

 

 桜は春の一瞬にしか咲かない。花見は春にしか出来ぬ。「時」の下位にいる限り、この制限は解けない。つまり、幽河鉄道をツグミへ預けてしまったナガオナオと、それを預かったツグミは、離れ離れになってしまう。それはナガオナオが、これまでどうしても採れなかった選択だ。

 

 ならば自分も幽河鉄道の一部となれば……魔道士ナガオナオは、肉体は滅んでいるが死者ではない。魂は高次元的な別の座に収まっている。それは彼が大魔道士だからこそ成せた変換、あるいは相転移だが、これは言ってしまえば上位変換(アップコンバート)だ。幽河鉄道の一部となるには魂を、幽河鉄道が扱える形に下位変換(ダウンコンバート)し直さなければならない。

 

 死者の魂は、高次元の存在にしてみればオモチャだ。制限があるとはいえ自由に扱えるし、実際に、青髪の悪魔がそれを自由気ままに扱い、楽しんでいるところも観ている。継笑の来世の世界においては、あの者のオモチャが最期、四万人以上の人間を殺していた。悪魔のオモチャになるというのは、そういうことだ。

 

 自分は現状、その青髪の悪魔に付きまとわれている。

 

 その状態で「オモチャにされるかもしれない」形態へ自分を下位変換(ダウンコンバート)するというのは、酷く危険な行為であるように思えた。

 

 ──自分ひとりならいい。だがツグミを、悪魔のオモチャになどさせてなるものか。

 

 だからこれも無理だ。自分は自分で、この次元に留まり続ける必要がある……このことはツグミには言えないな……と彼は思った。

 

「つまり、その……青髪の悪魔さん……に? 追跡(トレース)される可能性があるから、私はナオ様と一緒にいられないのですか?」

 

 ひと通り、()()であれば『よくわからないけどわかったにゃー』と思考を放棄する類の説明を聞かされたツグミは、難しい話をすっ飛ばして、個人的(個犬的?)に問題となる部分へ、すぐさま反応を示した。

 

然様(さよう)。継笑が厄介なことになっている、その解決をそなたへと頼みたい。幽河鉄道、その内部構造は人の手で扱うよう設計されてる。そなたにはその身体で継笑に()い、かつての我が妹の魂を救ってほしいのだ」

 

 魂の救済、それはツグミの十八番(おはこ)だ。なにせ魂の一部を自由に操作できる稀有な魔法使いなのだから。

 

「ナガオナオ様のご命令とあらば、(いな)はないのですが……」

「うん?」

 

 それに、これは実験も兼ねている。

 

 時空間に、なんらかの形で干渉できるだろう青髪の悪魔が、()()()()()()()……という実験だ。

 

 なにせツグミには最初、青髪の悪魔が「異世界転生ゲーム」のコマとした少年、無敵の少年(レオポルド)と「運命を共にした」継笑(ラナ)の、その運命を変えてもらうのだから。

 

「でも、せっかくまた出会えたのに……寂しいです」

「む、むぅ」

 

 苦渋の決断をしたナガオナオの胸元へ、ツグミがその鼻先を擦り付けてくる。隠し事を抱える身だからか、それとも美少女となったツグミの、犬のような()()いに脳がバグるのか、ナガオナオの胸中がドキリと跳ねる。

 

「ゎう? 鼓動が、速く? 匂いの感じも少し……違い、ます?」

「あー、今のそなたは人間なのだからな、嗅覚が犬の時よりも劣ってしまうのは仕方無い」

「んー、でもこれはやっぱりナオ様の匂いです……」

「こ、こら、鼻先を顔に近づけるでない」

 

 無邪気に、純白の衣に身を包んだ少女が、その可愛らしい鼻先をナガオナオの顔へと近づけてくる。中身は盲導犬(ツグミ)だから他意はないのであろうが、それはもう少しでキスをしてしまうほどの距離だった。

 

「んぅっ?……いけないのですか?」

「おうっ!?」

 

 と思えば、ナガオナオの頬を、綺麗なピンク色の舌先が撫でていく。

 思えば、気分が落ち込んでいる時、ツグミはよくこうしてナガオナオの頬を舐めてくれた。

 彼女にとっては、ある種の愛情行動なのだろう。彼女にとっては。

 

「い、いけないというか、そ、その姿で犬の時のように振る舞うのは、色々と問題があるというか……」

「ゎぅん? 私はナガオナオ様の愛犬、ツグミですよ?」

「それはそうなのだが……むぅ……」

 

 ──もしかすると、これはマズイか?

 

 遅ればせながら、ナガオナオの心中へ、妙な罪悪感とでもいうか、自分がやったことへ多少の疑問、懐疑の念が降りてくる。ずっと人間と一緒に暮らしてきたのだから、人間の振る舞いもある程度理解してくれていると思っていた。

 

 しかし自分は男性で、ずっと独身を通してきた。つまりツグミは、人間の女性の所作(しょさ)をほとんど知らないということになる。このまま、無知のまま、無垢のまま、送り出してしまっていいものだろうか。

 

 ──いや、しかしな、ツグミが相手をするのは妹の継笑だ。

 

 ──妹だ、弟ではない。

 

 ──継笑にそっちの気は無かったはずだが……。

 

 ──いやいや、だが、これはなんというか……ノーマルな女性であっても魅了してしまう類の美貌……なのではないか?

 

 大魔道士ナガオナオは、久方ぶりに俗っぽいことで悩む。

 彼は、男女の機微に関しては詳しくない。自覚もある。

 その自分に、男女の機微どころか女女の機微、妹と美少女の機微などわかろう筈もない……ゆえにナガオナオは早々、それへ見切りを付ける。

 

「すまないツグミ。幽河鉄道を犬の姿でも操縦できるよう、多少手を加えるので、最初は犬の姿でツグミに応対してくれないか」

「わぅ?……私も、慣れた姿の方が落ち着きますが……ナガオナオ様」

 

 こてんと、小首を傾げナガオナオを見上げるツグミ。

 

「ん」

 

 これも、犬の姿でもよくしていた仕草だ。

 犬が小首を傾げるのは、周囲を警戒したりして集中力が高まっていることの証だったりするが、ツグミの場合のそれは、どうすれば自分が主人に、つまりナガオナオに役立てるかを悩んでる時にする、クセのようなモノだった。

 

 ──そのように悩まずとも、そなたはもはやそこにいてくれるだけで、我が幸せの源泉なのだが。

 

「ご命令は、承りました。ナガオナオ様の前世の妹様、千速継笑様に幸せになっていただく、そこへ否はありません。ですがお願いが……」

 

 おずおずと、まるで後ろめたそうに俯き、声を小さくするツグミへ、ナガオナオは。

 

「なんだ、何でも言っておくれっ」

 

 生前にも滅多になかったツグミからの「お願い」に、むしろ高ぶった気持ちで前のめりになる。

 

 だが。

 

「ナガオナオ様の匂いのする、何かをいただけませんか?」

「む……」

 

 聞いた瞬間、可愛いことを言ってくれる……と思うのと同時に、難しいな……とも思う。

 

 今ふたりが、匂い、温度などを感じることができるのは、ナガオナオがそのように魔法を展開しているからだ。これも空間支配系魔法に近いが、そもそも幽河鉄道はその全てをナガオナオが支配している。支配下にあるモノだから、そのようにも扱える。

 

 幽河鉄道の操縦者をツグミにすることはできる。だがそうなった時、五感の全てを再現するフィールドをツグミが展開できるのかというと……難しい気がする。

 

 視覚(ひかり)聴覚(おと)に関しては問題ないだろう。それらふたつは幽河鉄道の補助を受けられる。幽河鉄道は本来、過去と未来を()()する魔法だからだ。

 だが嗅覚、味覚、触覚は操縦者が、それを感じることが出来るようにフィールドを展開しなければならない。

 

「ダメ……ですか?」

 

 難しい顔になった主人を見、ツグミが不安そうな顔になる。

 

「ダメではない、ダメなはずがない。ただ……」

「ただ?」

「……いや。わかった、そなたにはこれをやろう」

 

 だが、ナガオナオはツグミに甘かった。愛娘に無垢なお願いをされた父親のように甘かった。ハニートーストにカスタードクリームとバナナを乗っけてその全面をシュガーパウダーで真っ白にして食べるくらいには甘かった。

 

「これは?」

 

 ナガオナオが空間より取り出し、継笑へと差し出したそれは、薔薇のように赤い、ゆったりとしたローブだ。

 

「我が魔法を込めたローブ、私が三十代の頃に使っていたものだが、覚えていないか?」

「え?……形は確かに、見覚えがありますが、こんな色ではなかったような?……というか、なんですか? この色は」

「ああ……犬の視覚では赤を判別できないのだ、私もまだ“観る”ことができず、そなたの視界のみを頼りに仕立てたものだからな、後に“観れる”ようになってから驚いたものだ。こんな派手なものだったのかと」

 

 この赤いローブは、ナガオナオが十年近く着用し続けたものだ。ツグミと幸せに過ごした時期の思い出も詰まっている。だからこそ彼はそれをツグミの死後、魔法的に仕立て直し、ナガオナオの魔法の触媒のひとつとしてこれまで利用してきた。今ではナガオナオの重要な装備品(アイテム)のひとつとなっている。

 

 現状、幽河鉄道に五感の全てが再現されているのも、これあってのものだ。

 

 失うのは、それなりに痛手となる。

 

 が。

 

「派手だが、今のそなたには似合うかもしれぬな」

「わぁ」

 

 手ずから、ナガオナオはツグミへその真っ赤なローブをかけた。ツグミにはとにかく甘いナガオナオだ。スイカに塩をかけた後ついでに砂糖もかけて更にその上を糖蜜でドッバドバにしたくらいはツグミに甘々のナガオナオだ。

 

 ツグミは真っ白なエプロンドレスに、だぼだぼの薔薇色なローブという、奇怪(きっかい)な格好になったが、それでも彼女の美貌は、それをまるで、そうあつらえたかのようなまとまりのある着こなしにしてみせた。容姿が整っているとバカップルも絵になるものである。素人が真似してはいけない。

 

「それには時空系の魔法を強化するバフ効果がある、そなた自身は時空系の魔法を扱えぬだろうが、幽河鉄道の操縦には役立てられよう」

 

 ナガオナオはアイテムの性能と使い方を説明する……が。

 

「ナオ様! 懐かしい匂いがします! ナオ様が机にかじりついて研究に明け暮れていた頃の! それを(かたわ)らで見続けていた頃の! あの頃を思い出します!」

 

 それを、聞いていたのか、いないのか。

 

「む、むぅ、そなたが喜んでくれるのであれば重畳(ちょうじょう)

 

 くるんくるんと、犬が主人の前ではしゃぐ姿、そのままに、ツグミはナガオナオの目の前で何度も何度もターンをしてみせる。魔法のバフ効果云々はどうでもいいようで、襟元へしきりに鼻先を近づけ、すんすんとその匂いを嗅いでいた。

 

「大事にします! 絶対に汚しません! 大切にしますから!」

「い、いや、それには魔法的に処理を施してある。三次元的な劣化は起きないから、安心して使い倒してくれてよい」

「ダメです! これはナオ様の一部! ぞんざいに扱っては棒に当たります!」

「……バチが、な?」

「でもでも! 抱いて眠って、涎でべとべとになってしまったらナガオナオ様の匂いが!」

「……そういう心配かっ!?」

「ソファで眠る時に! 毛布代わりにしていたらいつか変な風によじれて破いてしまうかも!?」

「どうして毎日ソファで寝る前提なのだ!? 寝台車に広いベッドがあるからそこで寝てくれ! そしてそれを毛布として使うのはさすがに想定してないぞ!? 三次元的な劣化は起きぬとは言ったが!……ってツッコミどころが多いっ!?」

 

 頼む、ローブとして大事に使ってくれ……と懇願するナガオナオへ、ツグミは。

 

「……はい。わかり……ました」

 

 しぶしぶといった表情で頷くのだった。

 

 ……その鼻先は、相変わらず薔薇色のローブへと押し付けられていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてツグミは、再び犬の姿。

 

 白金(プラチナ)のようなふわふわの毛並み、ぺとっとしたタレ耳、目元と鼻先だけは黒い。

 

 今はその背中に、真っ赤な布が括りつけられている。

 

『それでは、ナガオナオ様、行って参ります』

「世話をかける」

 

 白い空間に停車した幽河鉄道の(そば)で、ふたりは感動の再会の、その名残を惜しむかのようにお互いを見つめ合っていた。本当に悲しい別れは、過去に済ませている。だから今は穏やかな気持ちだった。

 

「結局、その姿で行くのか?」

『はい。これがナガオナオ様に愛していただいた、私のありのままの姿ですから』

「む、むぅ」

 

 愛されて育ち、愛されながら生涯、その任を果たし続けた盲導犬、ツグミ。

 

 孤児として育ち、生まれながらの障害、それに打ちのめされながらも大成した魔道士、ナガオナオ。

 

「長い旅路になるかもしれない。絶対時間はループし続けるが、相対時間はそなたの身に容赦なく降り積もる」

『それを伺っての、覚悟はとうに出来てます』

「うむ……」

 

 ふたりは魔法使いとその生涯の伴侶であり、生まれも育ちも生き物としての種別さえも、なにもかもが違う存在でありながら、その心は固く繋がり、親愛と信頼で結びついていた。

 

「我の相対時間軸も、そなたと幽河鉄道に同期するのだからな、そなたと同じ時間分、私もそなたと別れ離れの時を過ごす……いや」

『はい。なるべく早く、ナガオナオ様の元へ帰れるよう、精進いたします』

 

 だからナガオナオも幸せな一生を送れた。

 

「すまない、詮無きことを言った。こたびの件は私のワガママだ。たとえどのような事態になろうともそなたには責任がない」

『いいえ、私を想ってのお言葉、嬉しく思います』

 

 その運命を、ツグミを与えてくれた世界を、ナガオナオは愛している。

 

「ツグミ……そなたを愛している」

『私もです。ナオ様』

 

 ならば運命を、世界を、この世の全てを憎悪する魂……そうしたモノへと成り果ててしまった継笑を、自分は救わなければならない。それが自分の使命だとも思った。

 

 自分とツグミで、それを成す。それは生前、ずっとそうしてきたことだし、これからもそうであってほしいと思っている形象だ。ひとりでは辛い世界も、ふたりならそうじゃない。

 

「いつかまた本当に、そなたと生きれる技術を私は開発する。あるいはこれもその一助となるかもしれん」

『え? それはどういう……』

 

 かつて少年が(ボーイ)犬と出会った(ミーツドッグ)

 

 それからふたりは、ずっと一緒だった。

 

「私は魔道士ナガオナオ、限界を、絶望を、無能を知りながらもそれへ挑む魔法使いだ。……そうだな、たとえばそなたが、人の姿で過ごすことに慣れれば、また違う道を拓くことも可能となるやもしれぬ」

「わぉん!?」

 

 ふたりで、生きて死んだ。

 

 そうしてから、肉体を失ったふたりはふたたび相見(あいまみ)えた。

 

 だから、いつかまた共に生きよう。

 

「それでは、な。我が妹を頼む。達者で暮らせよ」

『はい。ナガオナオ様も』

 

 その一歩を、ふたりはまたここに記す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それにしても……』

 

 ツグミは、犬の姿でとっことっこ、一匹だけ(ひとりきり)になってしまった幽河鉄道の中を散歩し(歩き回り)ながら、今回与えられたミッションについて思いを巡らせる。

 

『“親しき者の死に何もできなかった”』

 

 幽河鉄道の力を使い、千速継笑を観測した。

 

『“世界に愛されなかった者を愛したい”……ですか』

 

 それで判明したその個性、特性、人格に深く根ざしたふたつのエピスデブリ。

 

 一類のエピスデブリ。

 

『……これはまた、厄介なエピスデブリを抱えていますね、千速継笑様』

 

 ふさふさのタレ耳が左右に揺れる。

 

『ふたつとも、最悪の部類に属するエピスデブリ……に私は思えるのですが……それが鋏挿摘出(キレート)も出来ないとなると……』

 

 ツグミは、もふもふの毛を波立たせながらとっことっこ幽河鉄道を巡回し、そうしながらもかなりの困難が予想される未来を想い、(おも)(わずら)って、その首を何度も何度も傾げるのであった。

 

 

 



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二章
epis19 : † ni mune kyun


 

<ラナ視点>

 

「なんでもするとは言ったよ?」

「なによぉ……考え事をしてるんだから、手短にね」

「でもそれは、ラナを守るためなら、って言葉が前に付くんだけど」

 

 レオは。

 

 空色の()()()()()()()()()をくるんと翻らせ、唇を尖らせた。かわえぇ。

 

「だからこれは私を守ってもらうための変装だって、何度も説明してるじゃない」

「とてもそうは思えないから、何度もラナの正気を疑っているんじゃない」

 

 んー。

 

 胸元は、体型がどうしたってお尻の小さな男の子体型だから、それと合わせる意味でもつるつるぺったんな感じでいい。だからそこに詰め物は要らない。

 

 問題はカツラ、よね。

 

「聞いてる? ラナって結構ずっとボッチだったんでしょ? 唐突に女の子の友達ができたって無理がない?」

「唐突に男の子の友達ができたって方が無理アリアリだから、仕方無いじゃない……あ、視線はしばらく私の方を見ててね」

 

 レオは元々ブロンドだ。

 

 もう少し濃い色の方が、通常男性が女性に化ける際には有利で、それがなぜかといえば色々な部分を髪で隠せるからなんだけど、レオの場合はちょっと話が違ってくる。

 

 今、ふてくされたようにこちらを見るその顔はシャープで鋭く、男の子らしいモノではあるけれど、首周りはまだ細く、つるんとしている。通常、男性の首は太く、喉仏も目立ち、そこを髪やチョーカーでカバーするのが結構重要なポイントになってくるのだけど、レオの首は、たとえそれをまるごと見せたとしても女の子と区別が付かないだろう。

 

 もういっそ、うなじを見せてしまった方が、女の子らしく見えそうな気もするのだ。

 

 だから顔に注目を集めるより、髪や首に注目を集めた方がベター……かな?……でもそうすると、私ひとりではどうにもならなくなってくる。単純なロングヘアのカツラ……ウィッグならあたしでも扱えるけど、編み込みなんかをするエクステンションの方となると、これはもうプロの手がないと難しい。

 

 王都には裕福なお(うち)の子が通う、美容院(ビューティーサロン)なるモノが何軒もある。少しづつターゲット層の違う、だから値段もピンキリなお店が数多(あまた)ある。けど、私は幼い頃から自分で鏡を見てカットしていたので、そういう店にはほぼほぼ行ったことがない。だからほとんど知識がない。

 

「ラナってさ、やっぱり変な人だよね?」

「前世っぽい時期の記憶がなんとなくあるって時点で、それはそうかもね」

「前世、っぽい、時期の記憶ぅ?……」

 

 夢の記憶には、美容院なるモノへ数ヶ月おきに通っていた記憶もある。けど、それとこの世界のそれは、全然違うモノのような気がして、何の参考にもならない気がした。まず、ドライヤーってなに? 温風を髪を乾かすためだけに発生させるとか、ありえなすぎるでしょ。会話が億劫な時にはスマホを見てればいいというのも気楽だ。今の私は前世のあたしほどコミュ障ではない(ハズだ)が、ひとりきりの世界に閉じこもりたい時があるというのは、今も昔も変わらない。

 

「胡散臭いのは自覚してるから、話半分に聞いておいて」

 

 まぁ、どちらにしろ、その夢の中の彼女も、人生の最後ら辺では美容院へは行けなかったと思う。たとえ悪夢から開放されていたとしてもだ。だって私は、他人がハサミを持って自分の近くに立っているのが怖い。彼女が、()()()()()()()体験をしてしまったから。

 

 でも、だからこそ。

 

「前世って、何?」

 

 刃物を持って立つレオを美しいと思えたのは、本当に特別なことだった。

 

「さぁ。呪い……かもね」

「なに、それ」

 

 さて。

 

 そんなこんなで、目下の大問題はレオの髪をどうするかだ。私は美容院へ行けなくても死なないけど、ここでレオをちゃんとしとかないとふたりの命が危ない。

 

 だから……しょうがないかな、と思った。

 

 ここは呪いに、役に立ってもらいましょう。

 

「レオ、ちょっと現金を手に入れてくるから、そのままで二時間ほど待ってて」

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おかえり」

「はいただいま」

 

 きっかり二時間弱の後、レオの代わりに付き添ってもらったマイラのリードを使用人へ預け、私はレオの待つ部屋……まぁ私の自室……に戻ってくる。

 

 私のワンピースのまま剣を振るわけにもいかなかったようで、レオから汗の臭いはしない。代わりに、私のベッドの上でカラフルな装丁の本を開き、読んで待っていたようだった。

 

 なんだっけあの本……ああ、スィーツ系か。そういえばレオは意外と甘いものが好きだ。ご飯なら何でもぺろりと平らげるけど、食後のスィーツはゆっくりと、味わうように食べる。

 

「僕が護衛である意味って、本当にあるの?」

 

 ベッドの上で、スィーツの本を読んでルンルンしてるとか、なりきってるじゃない……などと莫迦(バカ)なことを考えていると、レオがそんなことを言ってくる。

 

「お父さんの店へ行くだけなら、大通り沿いに行くだけだからね。中央に近いところまで行けば警邏兵(けいらへい)の人も巡回しているし、あの辺りの治安は王都の誇りだから」

 

 ラディ叔父さんと会ったのも王城近くの高級店だ。あの辺りなら悪漢の出る幕なんてない。この国が好きかといわれれば微妙なところだけど、そういうところは凄いし素晴らしいと思う。王城周辺は、女の子が真夜中でさえ安心して出歩けるくらいだ。

 

「ラナのお父さんの、店?」

「そ。現金を作るって言ったでしょ。ものすごーくチープな話で、言うのも恥ずかしいんだけど、私は前にお父さんへ、チョコレートの作り方ってのを教えたことがあってね、今、それはお父さんの店の主力商品のひとつになっているの」

「チョコレート?……」

 

 王都ではここ二、三年でかなり有名になったお菓子だけど、レオは知らなかったらしい。

 

 レオが読んでいた本は……ああ、私が十歳くらいの時のか。ギリギリ載ってない時期だね。

 

「そういうお菓子。高級感を演出するのが容易いから、中堅どころの商家にはピッタリの商材」

「はぁ」

 

 今度、私が食べさせてあげようかな、手作りを。

 

 ……だって王都で手に入る既製品のチョコレートって、粗悪品以外はパパのお店のものだし。そのせいで、今までこの家では出せていなかったんだよね。パパのお店のを食べるのは嫌だし、変なチョコレートを食べるのも嫌だし。

 

「それで、前々から、他に良いアイデアを思い付いたら是非ワシに言うのだ~……とは言わなかったけど、まぁ、その(たぐい)のことは言われててね。だから売ってきたの、ショコラフォンデュのアイデアを」

「ショコラ……フォンデュ?」

「王都っていつもあちこちでパーティが開かれてるから、チョコレートで稼ぐなら結構良いアイデアかな~って。パパも聞いた瞬間にそう思ったらしくて、事前に決めた“本当に良いアイデアだったら”の条件通りに、現生(これ)をくれた」

 

 ジャランと、皮袋の紐を緩め、ベッドに重かったそれを置く。

 

 たちまち、そこからは中の物が溢れてきた。

 

「金貨がこんなに沢山!?」

「重かったんだからね、凄く。半分はマイラに背負ってもらったけど」

 

 金貨百枚。金貨は一枚で普通の一家が一ヶ月暮らせる位の……夢の中の世界における日本円では多分二十万円くらいの……価値。だから夢の世界の円換算なら、これは百枚で二千万円、だろうか。

 

「ラナってさ、やっぱりもの凄く変な人だよね?」

「否定はしない。これをやると、パパからの干渉がウザくなりそうだから、あんまりやりたくなかったんだけど」

「……前に、お父さんからは育児放棄されてるって言わなかったっけ」

「言った。事実だし。だってさ~、今更四則演算から教えるやるぞって言われても困るし、正直自習してる方が勉強は(はかど)ったし、それでもやっぱりママのいるこの家には来たくなかったみたいだったし」

「やっぱり変な人だぁ!?」

 

 失礼な。

 

「ま、そういうわけで軍資金は出来たから、これでもっとレオをちゃんと可愛くしてあげられる」

「……え?」

 

 ほらほら、そんな鳩がショコラフォンデュぶっかけられたみたいな顔をしてないで。

 

 ……いやそれは大惨事の予感しかしないけど、まぁともかく。

 

「それじゃ行こっか、というか行きの馬車はもう呼んである」

「……どこへ?」

 

 だからぁ。

 

「伯母さんオススメの、超高級美容院へ」

「えええぇぇぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごふっ……」

「……変な人に変な顔で変な(うめ)き声を上げられた」

 

「お首のラインがお綺麗でしたので、それを活かす形で整えさせていただきました」

「ぐっじょぶです!!」

 

 色々あって空はそろそろ宵の口にさしかかろうという時分、あたしはしかし目の前のモノが眩しくて目を開けられないような衝撃に襲われていた。

 

「アイラッシュとアイラインで目元の印象を優しく、ナチュラルカラーのルージュでさり気なくキュートに、根元以外はクセのあるシルバーブロンドでしたので、エクステでツーサイドアップを作り、ゆるく巻いてみました。ピンクのリボンが()えますね」

「魔法かっ、これは魔法なのですかっ!?」

 

 いやあたし、レオがここまで化けられるとは、全く思っていなかったのですよ。

 

「どこからどう見てもツンデレな金髪ツインテール美少女なんですけどっ!!」

「変な人がまた変なことを言ってる……」

 

 他のパーツが全てガーリィになってしまえば、目付きの悪さももはやチャームポイント。素直になれないツンデレ少女の「それっぽい」可愛らしさを演出する、パーツのひとつと化している。

 

 いやはや、女は化けるというけどホントだね!……うん?

 

「ラナンキュロア様がまっすぐな黒髪ですから、お二人で並んでいるとそれぞれのいいところを引き立て合っているようですね。お衣装もお合わせにいたしましょうか?」

「まーたまた~。お上手なんですから~」

「叩くなら自分の肩にしてくれない? 痛いんだけど」

 

 さすが、会員になるにもお貴族様の口利きが必要な高級店。面倒な詮索は何も無しに、最高の仕事をしてくれたわ。

 

 なんで商家の娘である私が利用できるのかって? 

 

 まぁアレですよ、私の伯母さんが大貴族の正室様なのですよ。未来の大奥様なのですよ。

 

 それで、伯母さんと最初に会った頃は、下手だったんですよ、セルフカットが。

 そうして、見るに見かねてといった様子で、ここへ無理矢理連れてこられたのですよ。いや現在のナウはそのことへ大変感謝しておりますが。ありがとう色々の元凶な元シンデレラ。

 

「お衣装……そっか、これだけちゃんと女の子女の子しちゃったんなら、もう少し攻めてもいいのかな?」

「え……」

「皆様へ秘密にしておき、驚かせたいということであれば、お衣装のコーディネートも是非当店で」

「そうね。水色のワンピースは爽やかだけど、金髪にピンクのリボンなら赤とか黒にしてみたいじゃない?……でも、赤はさすがに目立ちすぎか。黒もゴシックロリータはダメね。でも胸元にフリル、黒のロングスカートの裾周りにレースくらいならいいかな? 今はまだ暖かいからあんまり厚い生地も困るし……ん~、そんな感じで見繕ってもらえますか?」

「はい、目立ち過ぎず、黒を基調としていながらも暑苦しく見えない、しかしスカートはロングで、フリルは胸元へワンポイントで、リボンやレース、フリンジの類は要確認ということでよろしいでしょうか?」

「あの……ラナ?」

 

 ああっ! やめてその不安げな小動物顔! 可愛さに悶えてしまいそう!!

 

「おっけーです! そんな感じでよろしくやっちゃってください!!」

「はい。これは腕がなりますよぉ~」

「なんだかわからないけど誰か助けて!?」

 

「わぅ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごふっ……」

「……変な人が変な顔で変な鼻血を出している」

 

「お身体のラインもお綺麗でしたので、それを活かす形で整えさせていただきました」

「ぐっじょぶずです!!」

 

 色々あって街はすっかり宵の口の時分、あたしはしかし、目の前の輝けるモノが(まぶ)しくて(まぶ)しくて、目が(くら)むような衝撃に襲われていた。おぅこれはときめきのデジャヴ?

 

「サイドプリーツのロングスカート、ベルトは少し余らせ、黒猫の尻尾のようにツンと垂らしてみましたがどうでしょう」

「可愛いです!」

「ノースリーブのブラウスも敢えてマットな黒の無地で。その代わりにフロントをフリルとピンクのリボンタイでキュートに」

「可愛いです!」

「ワンポイントとしてピンクサファイアのピンキーリングも合わせてみましたがいかがでしょうか?」

「可愛いです!」

「あーあ。脳死でもう、なんでも買っちゃう人になってる」

 

 あ、あ、あ、その指輪をはめた左手の小指を、噛むような感じのポーズが最高に可愛いらしぃよぉ。

 

「同じワンセットをレッド、ピンク、ホワイトの三色でご用意できますが、替えにいかがでしょうか?」

「ブラックとレッドはこの子のサイズで! ホワイトとピンクは私のサイズでください!」

「わー……最後の最後で一気に四倍になったよ」

 

「ありがとうございました~」

 

「わぉぉぉん……」

 

 

 

 

 

 

 

「金貨、何枚減ったの?」

「五枚」

 

 普通の一家が半年くらい暮らせる金額が一気に溶けました。

 夢の世界の通貨、日本円に換算して気を紛らわせると百万円ですね。わーお。

 

「ラナが稼いだお金だから別にいいけど、絶対不必要な経費だったよね?」

「おぅなるほど、これが世にいう悪銭身につかずか」

「……身には着けているけどね?」

 

 そんなわけで、私達はペアルックで夜の街を歩いています。

 

 黒と合わせるなら白よりはピンクの方がかわええやろ、ということで今は全身ピンクな私です。ベルトやリボンは黒です。金●の闇っぽいカラーリングのレオとはベルト以外、色だけ黒とピンクが入れ替わっています。「なんでや、黒の相方は白やろ」という初代プリ●ュア派の方にはごめんなさいです。現在ナウ、脳内までピンクの私にはこれが相応しいのです。

 

 あと、白なら今はその担当の連れもいるし。無視できない存在感で私達の横をのっそのっそ歩いてるし。

 

「どうでもいいけどこれ、抜く時スカートまくらなくちゃいけないんだけど、それってこの格好的にいいの?」

「んんんっ!?」

 

 唐突に脳内へ浮かぶ、恥ずかしそうにスカートをまくりあげる、金髪ツイテ少女。

 

 おぅなんだろう……再びの鼻血な気配が少し。

 

 いや違う。

 

 色々全部、まるっと違う。

 

「よ、良くはないね。あとで……サイドのプリーツ部分に、外からはわからない感じであ、穴を開けとこうか」

「どうしてそこで少し道徳的になるの?」

「とりあえず今日は、剣を抜く必要が出来たら、破るでも脱ぎ捨てるでもいいから遠慮しないでね」

「……ベルトで締めているから、すぐには脱げないからね?」

 

 そんなわけでレオは現在ロングスカートの中、太ももに剣を()いています。いわゆる女アサシンスタイルです。なんかもう、色仕掛けが普通に出来そうな可愛らしさです。まぁ出るトコ出てないから特殊な性癖の相手限定になるだろうけど。

 

「まぁ、よくわからないけど、ラナが楽しそうで僕も嬉しいよ」

「ま~たまたぁ~、そんな可愛いことを~」

「皮肉だよ?」

 

 ふっふっふ、わかってないなぁレオ君、ツンデレはツンな部分も愛でてこそなのだぜ?

 なんだか思考が我ながら気持ち悪いけど、これは可愛すぎるレオが悪いのであって、私のせいではないです。たぶん。

 

「まぁ今日はマイラがいるし、襲われてもしばらくはマイラがしのいでくれるから、それで何とかなるんじゃない?」

「わぅ……」

 

 腰の辺りから、なんだか当惑気味の鳴き声が返って来る。

 

 ピレネー犬はかなり大型の犬種で、並んで立つとその頭は私の腰の辺りまできてしまう。

 警戒心の強い犬種なので、散歩をする時は他の犬へ吠えたりしないよう、注意する必要があると聞いた気もする。でも、マイラはそういう性格の個体なのか、妙に大人しい。

 

 とはいえこのサイズだ。夜の街とはいえ、遊び半分でちょっかいを出すには怖すぎる連れだろう。

 

「あ」

「……どうしたの?」

 

 あと、ちょっとフェティッシュな話をしますとね、このわんこ君は歩いてるとぶっとい前足が背中側からひょこんひょこん動いて見えるのですよ。

 

 それでですね、我が母上殿の話をしますとね、ウチのオカン、巨乳なんですよ。めっちゃでっけーんすよ。後ろから見ると背中からチチがはみ出て見えるんスよ。歩いてるところを後ろから見ると、はみ出たパイオツが揺れてる時があるッスよ。

 

 なので、マイラの歩行スタイルを見ていると、それを少し思い出します。

 

 あ、ここ、だからなんだと全力でツッコむところっす。

 

「なんでもない、気にしない」

「……よくわからないけど、それで、これからどうするの?」

 

 ファンシーな輝きを放つピンキーリングが気になるのか、左手を時々気にしながらレオが聞いてくる。夢の中の世界でもそうだったけど、この世界でも左手の薬指は婚約指輪、結婚指輪のはまる指だ。小指につけるピンキーリングは、どちらかといえば少女らしい(ガーリィな)印象になる。

 

 ちなみに指輪は、合わせにはしていない。ピンクサファイアなら小さな石でも可愛いけど、黒い宝石はある程度の大きさがないと可愛く見えないから諦めた。ブラックダイヤなら小さくても可愛いのかもしれないけど、ダイヤは南の大陸からの輸入品であって、その中でも黒は希少品なのでさすがに高すぎた。理性の溶けた頭も醒めるくらいにはお高い一品だった。そういうわけで、私の左手に指輪ははまっていない。

 

「んー。少し歩くから、先に前提条件を話そうか」

「んっ……うん」

 

 マイラのリードをレオに預け、私は今の状況を頭の中で整理する。

 

「わうっ!!」

「わ」

「マイラ~、大人しくしててね」

「わぅ……」

 

 マイラは、レオにはなぜか結構強気なんだよなぁ……もしかして格下扱いされてる?

 

「え、と……まず前提条件、()。私はいまだ誰かに狙われている」

「その前提条件が(くつがえ)ると僕の存在価値が無くなるよね? あとこんな格好になった意味も」

 

 何を言いますか。

 

「レオの存在価値は私の護衛、それだけじゃないし、その姿は可愛いから意味が無くても価値があるの」

「無茶苦茶だけど、それで?」

「私はいまだ誰かに狙われている。これはね、(うち)に、(いえ)の周辺に常駐している警備兵と仲の良い使用人がいたから、そこから探ってみた。商会で扱ってる贈答品のペクチンゼリーひと箱で吐いてくれたわ」

「僕の知らないところで護衛対象者がなんか変なことをしてた」

 

 失礼な。ワイロなんて商人の娘の必修スキルですよ?

 

 実際、やったことってレオの稽古中に使用人と少し話しただけだし。

 

「それで、やっぱり、この数ヶ月間、時々、家の周りに不審な人物を見かけるというの」

「……なんだって?」

「何をしていたというわけでもないし、警備兵が職質をかけようとすると逃げていくらしいの。ウチの商会は結構、最近はチョコレートなんかで名を上げているから、そういうのが現れても不思議じゃないんだけど、時期がね、最初に気付いたのが癒雨月(ゆうげつ)の初週頃って話だから……」

「なるほど、僕が生まれた日の、少し前ってことか」

「うん……」

 

 レオの顔に、険しいものが走る。その一瞬は、どんな可愛い格好であっても関係無い、寄らば斬るといった緊張感をそこに感じた。

 

「あと私の魔法でも少し、探ってみたんだけど、射程距離がね、十分じゃなかったから確信は持てなかったけど、それっぽいのが視界に入る時もあった」

「……え?」

 

 あ、それは「ラナの魔法ってあの、世界を壊すアレだよね?」って顔だな?

 

 アレにはね、応用的な使い方があるの。

 

「いやそうじゃなくて、なに危険なことしているの? 視界に入るって……自分から危険人物に近付いたってこと?」

 

 あ、心配してくれてるのか。不安そうな焦りを浮かべる顔が、だのに私にはなんだか嬉しく感じられ、胸が温かくなってくる。

 

「どうどう、そんなことはしてない。私が、一方的に覗き見しただけ」

「……どういうこと?」

 

 まぁそれは次の機会に、レオの前で実演して見せる時にでも説明するとして。

 

「誓って言う。危険なことはしてない。それについては今度教えてあげる。でも心配してくれてありがとね。え、と……それで話の続きだけど、前提条件、()……私を狙っている誰かは、レオの存在を多分知らない」

「ん……それを大前提にするには、不確実な要素が多くない?」

 

 張り詰めた緊張感を完全には解かないまま、レオが怪訝そうな顔になる。

 けど、そこは自信のあるところだった。それは既に、もう何度も自分の中で検証したから。

 

「大丈夫、(いえ)の内部へ密偵が入った形跡はなかった」

「え……」

 

 安心させるように、一度大きくレオへ頷いてから続ける。

 

「使用人が私以外に買収された様子はなかったし、一応、天井や軒下へ誰かが侵入したらわかるようにしていたから」

「僕の知らないところで、護衛対象者が更に変なことをしてたっ」

「うちの使用人って、元々私に興味薄(きょうみうす)だから、突然態度が変わったらわかるって」

「いやそこじゃなくて、天井や軒下に何をしていたんだろう……」

 

 侵入を阻止するのは無理でも、侵入が発覚するような仕掛けならあたしでも簡単に作れる。なんなら埃の位置を覚えておくだけでも用は足りる。実際にはカラカラに乾燥したカカオ豆の殻を、夢の世界の漢字、「笑」の形に撒いておいた。その字形は私の頭の中にしかない。この「笑」が崩れていたら誰かが侵入したということだ。

 

 そしてこの「笑」はこの数ヶ月間、全く崩れなかった。

 

「そんなわけで、ずっと家の中にいたレオの存在を知る機会はない」

「ラナの叔父さんと大迷宮(ダンジョン)へ行ったのは?」

 

 あの時は叔父さんに馬車で迎えに来てもらった。帰りも冒険者ギルドを通じて呼んでもらった馬車だ。それへの昇降は敷地内で完結する。

 

 勿論、途中冒険者ギルドへ寄った際に、私とレオが一緒にいるところを見られた可能性はある。

 

 けど、その時のレオは、私の関係者というよりかは、明らかに叔父さんの関係者に見えたはずだ。

 装備もけして高いものでは無かったし、監視者がいたとしても強い印象には残らなかったと思われる。

 

「最初の七人(しちにん)は全員レオが始末しているからこれも大丈夫。今日も、美容院までの行きは馬車だったからそれも大丈夫。なら、私の隣に女の子がいたとしても、それを最強の護衛と看破される可能性は低い」

「その辺りは、一応理解できるけど」

 

「それで、前提条件、()。私を狙っている誰か、それは私の伯父さん、ゲリヴェルガである」

「コンラディン叔父さんの上のお兄さんだっけ?」

「そそ、ゲリヴェンジャという名前じゃなくて本当に良かったね」

「何の話……」

 

 英語圏で竹下(take shit)さんとか麻生(a*s hole)さんは可哀想という話。ソーリィ。

 

「これはもう確定でいいと思う。私が()()()()()()()()()()()()、これへ()()()()()()()()()()五日後に、私は悪漢に(さら)われそうになった。このタイミングが、良過ぎるというか悪過ぎて、逆に無関係かもしれないって思ってしまったけど、どうやらそれは、向こうの頭の出来の問題だったみたいだし」

 

 他にも、伯父さんを指し示す要素は多い。

 

 例えば、白昼堂々と人を(さら)おうとするのに、おまけに、家の外には不審人物を見かけるというのに、ならば本丸であるところの我が家を直接襲わなかったのはなぜか? とか……正直、それを警戒していたから、護衛それ自体が孕む危険を承知の上で、ずっとレオを家に置いていたってのもあるんだけど……それを、「黒幕には家の中に、目撃者にも、巻き添えの被害者にもなってほしくない人物がいたのでは?」と考えると、この不思議は不思議でなくなり、その条件を満たす「黒幕」はかなり絞られる。

 

 あとは、ショコラフォンデュの件で、パパへお金をせびりに行った時のことだが、あの時私は、パパにこんなカマ掛けをしてみた……『ねー、私にお見合いの話って来てないの?』……『あ、そういえばゲリヴェルガ伯父さんだっけ? あそこって今奥さんと別居中なんだよね?』……『その原因って何かなぁ、お父さん、知ってる?』……その時の反応は、ゲリヴェルガ伯父さんが、何度も()()()()()をパパへ持ちかけていたんだろうなと、私に確信させるモノであった。

 

 伯父さんは私へ、直接招待状を送る前に、パパにも働きかけていたのだ。当然だけど。

 

「招待状ってなにさ」

「簡単に言えば、親ルートからの正式な申し出はけんもほろろに断られちゃったから、既成事実を作ってなし崩し的に結婚しましょうぜ~……ってお誘いの手紙」

「……よくわからないけど、ラナが貰いたくない種類の手紙だったってことはわかった」

「そんなこんなで、脳内劣悪ピンクなゲリヴェルガ伯父さんは頭が残念。ということは簡単な策略にも乗ってくる可能性が高い」

「簡単な策略に、既に金貨五枚が費やされた件」

 

 必要経費必要経費。

 

「それで、前提条件、()。そろそろ王都は祭の季節。十月、神楽舞(かぐらまい)の季節だからね」

「ああ、それは僕も知ってる、街の人達が浮かれてるから、その月は食べ物を手に入れたり、盗みをしたりするのが楽なんだ」

「……流すけど、まぁそういうわけだから、私が浮かれて街中を遊び歩くのは不思議ではない」

「今までお祭に、出かけていたの? ラナ」

 

 行かないよ。何が悲しくてひとりでたこ焼きとかヤキソバとか食べなきゃいけないの……いや実際、どういう露店が並んでどういう食べ物が食べられるのかは(行ったことがないから)知らないけど。

 

「私を良く知る人からしたら、それは変な行動だってわかるけど、私を良く知る人がそもそもあんまりいないからね」

「なんで少しゲッソリとなってるの?」

 

 改めて、自分の境遇のキテレツさに眩暈がしただけです。

 

「ま、まぁ、私も数ヵ月後には十四歳。年の後半は時間の流れも速いからね、誕生日の前祝(まえいわい)も兼ねて、はしゃいでるってことでいいんじゃない?」

「なにがいいのかはよくわからないけど……誕生日、これまで祝っていたの?」

 

 可愛い顔して痛いトコ突くなぁ……。というか怒ってる? 可愛くしたの怒ってる?

 

「全然? 十歳までは使用人が義務的にケーキを焼いてくれたけど」

「全然嬉しそうにしないから、十歳で諦められたんだね」

「なぜわかる」

 

 あれだよね、大人に懐かない子供って嫌われるよね。だからってその愛情をわんこに全振りしなくてもいいじゃないか、ウチの使用人連中よ。

 

「くぅん……」

「大型犬のクセに、時々妙に可愛らしく鳴くんだよな、コイツ」

 

 見なよこのツッヤツヤな毛並み。ダブルコートの犬種だから抜け毛も半端ないのにこれだよ。一日二、三回はブラッシングされてるよきっと。

 

「よくわからないけど、ラナの心中が色々複雑なのはわかった」

 

 あ、呆れられた。そうか、怒ってるんじゃなくて呆れられていたのか。

 

 しかしレオもだんだん口達者になってきたな。ホント、地頭は良さそう。

 

「そんなわけで、私達は浮かれて街を遊び歩く女の子の二人組として、しばらく街を練り歩きます」

「……ずっとこの格好で?」

「一回くらい赤と白のペアルックもしたいね」

 

 白担当のわんこ抜きで。

 

「そういう話じゃなくて」

「わかってるってば、でも未婚の男女が街中デートってわけにもいかないじゃない」

「それはわかるけど……」

「周り、見てみて? みんなそれぞれに着飾った格好で練り歩いてるでしょ? まぁあの辺はどこかのパーティにご出席のご様子だから例外としても、それ以外も、ね」

 

 丁度、大通りの反対側を、ここはハロウィンの渋谷かっ、とでも言いたくなるような四人組が通ったので、それを指して言う。具体的に言うと、皆、重そうな色とりどりのドレスにバタフライマスク、盛り髪という出で立ちだ。普通なら馬車で移動すべき派手な格好だけど、治安が良く、様々な建物が(ひしめ)きあってる中央区画周辺では、これも普通の光景だ。

 

「だからこれくらいなら、王都では目立たないって。普通普通、全然普通」

「普通じゃないのは、そこじゃないんだけど」

「そうね、私はともかく、レオは普通じゃない美少女っぷりだもんね」

「……普通ってなんだっけ」

 

 ま、それはそれとして。

 

 今日の目的は、あとひとつあります。

 

「しばらく、この格好で練り歩いてみて、ゲリヴェルガ伯父さん……か、他の黒幕かが反応するかどうか……試してみる。これが私の、目下の計画」

「そこだけは先に聞いていたけどね。けど、僕の存在が知られていないなら、よりこう思うんだけど。ラナとマイラのふたりだけで歩いて、僕が少し離れたところからそれを監視する。これじゃダメだったの?」

「だめよ、レオの存在がバレたら終わりじゃない」

「女装がバレてしまっても同じことだと思うんだけど」

「同じリスクを抱えるなら、レオが私の近くにいてくれる方が安心だもん」

「……」

「おうっ……その格好で真っ赤な照れ顔とか、破壊力抜群だからやめてよね」

「……この作戦って、絶対ラナの趣味が入ってるよね?」

「いーえ、一番成功確率の高い作戦を選んだだけですー」

「どうだか」

 

 一番成功確率が高い、とは言った。

 

 だが色々未知数な今、正確な成功確率などはじき出せるわけがないのです。

 

 ならば私が本気を出せる作戦こそが、一番成功確率が高い作戦ってことでいいじゃないですか。そういうことじゃいけませんかね? ダメ?

 

「というわけで、これからやるのは誘い受け作戦です」

 

 剣士用語でいうなら後の先ってところでしょうか。

 

「ん?……うん」

「しばらくこうして出歩いたら、マイラも家に残して、ふたりだけで人気(ひとけ)の少ない方へも行ってみるつもり、はぁはぁ」

「なんで最後少し息を荒げたの?」

「ま、今日は最後までマイラの護衛付きね。もう少し準備することがあるから」

「準備、ね……これ以上何を準備するんだか」

 

 いや最後のはもっとずっとシリアスな準備だよ。やるなら嗅覚までということで香水を買いに行ったりはしないよ。ロゥティーンの女の子ふたりが、香水の匂いをぷんぷんさせてるってのもなんだかおかしいしね。

 

 そんなことより、本来の目的である敵の打倒に必要なものが、まだあるじゃない。

 

「レオさ、ちゃんとした武器……片刃の剣とか、欲しくない?」

「え?」「わぅん?」

 

 

 







 epis19『† ni mune kyun』の†は「ダガー」と読みます。




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epis20 : mathemagics -soul of gold-

 

『レオさ、ちゃんとした武器……片刃の剣とか、欲しくない?』

 

 ということでやってきました職人街。

 

 王城やパパのお店がある王都の中央からは結構遠いです。

 

 なので、治安も少し悪くなりますが、今はレオもマイラもいるので、そういう意味での不安はありません。現時点における問題は、レオが()()()()をできるのかという点にあります。

 

 レオのあの斬撃は、本人の意識すらも超えて発動する攻撃なのだそうです。

 

 曰く、自分の身の危険を感じたり、相手に対し殺意が芽生えたりすると自動的に刃が(ひるがえ)る……そんな感じで、前者はヒュドラの時、後者は私が襲われていた時がそんな状態であったとか。

 

 となるとレオには、手加減なり無力化なりといった、(比較的)穏便な攻撃手段が無いことになります。

 

 ところが今回の場合、それが必要になってきます。

 

 誘い受けで襲ってきたものを全部殺す……という物騒な手段は採らず、下手人を捕縛し、黒幕を吐かせるのが作戦の目的となるからです。

 

 そこで、片刃の剣はどうでしょうかという話になります。

 

 もっというとアレです、刀の刃と峰を逆にした……某漫画のいわゆるシンボルアイテムでもある逆刃刀(さかばとう)です。

 

 いわゆる峰打ちというのは、実際には結構致死性のある攻撃方法だそうで、まぁ鉄の棒で力いっぱいぶん殴られるんだからそれはそうだよなぁ……という話ですが、確実に死ぬよりかは全然マシでしょう。

 

『レオって、相手を無力化したい場合はどうしてたの?』

『ん?』

『人殺しって、面倒じゃない? 後々、色々と』

『ああそれは……無力化したい、そう思って刃を向けると、相手の手や脚が斬れていたかな』

『うわぁ……』

『結局、血を流しすぎて死んじゃう場合の方が多かったけど』

『うわぁ……』

『そんなことがある程度続いてからは、スラム街で僕に喧嘩を売ってくる人はいなくなっていたけどね』

『うわぁ……』

 

 先日、レオのヤンチャな話を聞きながら、()()したことには。

 

『けど、だったらまだ、やりようはあるかもね』

『ん?』

 

 手や脚を斬っただけでも、攻撃が停止する場合があるとのことでした。

 

 なら、すなわちレオの斬撃が停止する条件は、相手の絶命「だけ」ではないということです。

 

 剣の形をした、しかし()()()()武器を手にしたらどうなるか、興味ありませんか? 私、気になります。

 

「だけど、そんな武器は普通には売ってない。なら、イチから造ってもらう必要があるんだけど、残念ながらそっちの伝手(つて)は本当に皆無。だから飛び込みで一軒一軒当たるしかないんだけど、私達にはそこにも制限がある。それは監視者に、武器を作っていると知れられるわけにはいかないってこと」

「なかなかに面倒な話になってきたね」

「だから、武器だけを頑固に作り続けていますってタイプの、()()()()()()職人さんは今回選考外。そういうのにも憧れるけど、今回大事になってくるのはむしろ正反対のことかな。剣の形をしていながらも人を殺せない武器が欲しい、そんな妙な依頼を要求通りに叶えてくれる、だからむしろ札束で殴れば黙々とこちらの要求を呑んでくれる、そういった、こだわりの無い製作者が望ましいと思うの。といって、ちょっと振っただけで折れたり曲がったりしてしまうのも困るから、ある程度の腕はやっぱり必要なんだけど」

「こだわりがない人には、腕の方に問題がありそうだね」

「そうなんだよねぇ~」

 

 ただ、この世界には、夢の世界には無かった好材料もある。

 

「だから、ちょっと視点を変えて、材料に特殊な金属を使おうと思っているの。ヒーロリヒカ鋼って聞いたことある?」

「全然?」

「ユーマ王国には、東の帝国から南の大陸経由で入ってくる希少品なんだけど、青く光る部分と赤く光る部分が木目状に交じり合っていて、武器にすると錆びない折れない曲がらないの三拍子が揃った、すごく高級な金属材」

 

 これは多分、夢の世界のダマスカス鋼に近いものなんじゃないかと思う。ママが昔、身に着けていたというブレスレットがそれだったけど、アクセサリにしたくなるのも納得な、カラフルな紋様が綺麗な金属だった。

 

 要は複数の鋼材を重ねた積層鍛造(せきそうたんぞう)の金属材なのだろう。

 

「これの更にいいところは、紋様があまりにも美しいから、実用性よりも装飾性を重視した武器にもよく使われるってこと。つまり、宝飾品やアクセサリをメインに扱うお店でも買えるってこと。それにね」

「うん?」

「こういう世界では、装飾性を重視した武器であっても、お金さえ積めば実用に耐えるクオリティにすることが可能なんだ」

「そうなんだ?」

 

 ヒーロリヒカ鋼、それ自体は剣とするに何の不安もない高級金属。

 

 それを一流の鍛冶師に形を整えてもらい、砥師(とぎし)に研いでもらう。今回の場合、刃の切れ味はそこまで重要じゃないから、後者は一流でなくてもいい。

 

 そこまでできたら、後はしっかり(つか)(つば)と組み合わせてもらい、ちゃんとした鞘をあつらえてもらう。完成したらいちどレオに使ってもらって、不備があれば調整してもらう。

 

 これでいい。頑固職人さんと一対一(いったいいち)でやりとりするのとは別の、だけど武器を(こしら)える際にはごく一般的な流れのひとつだ。作る物が全く一般的じゃないことを除けば、だけど。

 

 ただ、これをするには大変なお金がかかる。様々なコネクションを持つ商会の信頼を、金で買うようなものだからだ。最低でも金貨十枚、普通には二十枚くらい、札束でぶん殴るにはそれ以上必要だろう。

 

 そして今回、私は基本的に、札束でぶん殴る方向で行こうと考えている。ここをケチる理由はない。なにもない。作戦においてかなり重要な要素であるということもあるが、王都においては(カネ)イズパワー。斬れない剣を最高のクオリティで作ってくれなどという、トンデモな依頼を滞りなく最高の結果で仕上げてもらうには、相当の圧力(パワー)が必要だ。

 

 だからこその金貨百枚だ。今は九十五枚だけど。

 

 もうここはド●ペリタワーを築くくらいのつもりで行く。

 

 女、見せちゃうぜ~。

 

「というわけで、あちらに見えますのが宝飾品、貴金属等を大規模に取り扱っているドヤッセ商会の支店のひとつです」

 

 支店というか、職人とのコネクションを繋いでおくための衛星店舗(サテライトショップ)ですね。

 

 宝飾品、貴金属の加工に必要な彫金の技術と、武具や農具の加工に必要な鍛冶の技術は、その大部分が別物ではあるけれど、一部は重なっている。そしてその一部を完全に切り離すと、それはそれで商売がしにくくなってしまうものだ。

 

 だから宝飾品、貴金属で手広く商売をするドヤッセ商会も、鍛冶職人とのパイプを残すために職人街へ支店を置いている。

 

「……って成り立ちの支店だから、扱っているのは装飾性の強い武具とか防具。主な顧客層は番役(ばんやく)大番役(おおばんやく)の貴族様とかかな」

「番役?」

「地方に封じられている伯爵家、侯爵家の貴族は、王都リグラエルに別邸を持つのが義務のひとつとなっているの。番役はそこへ伯爵、侯爵当人が一定期間常駐することで、大番役は、その期間が一年以上になることね。どっちも領地の安定度なんかを目安に王命が下って任命されるけど、大番役の場合は特例として、正室が王都で妊娠した場合には、これを自主的に申し出ることができるの」

「え? 地方貴族の奥さんが王都で妊娠?」

「伯爵家、侯爵家、公爵家の子供は、十五歳までに二年間、王都の王立学園で色々なことを学び、これを卒業しないと爵位の継承権が得られないの。だから伯爵家以上の、大貴族の正室は、子供が成人するまで王都で過ごすのが一般的とされていてね、それならもう、奥さんには最初から王都にいてもらった方が手っ取り早いし安全じゃない? そんな感じで伯爵様、侯爵様は、今では王都に自分の奥さんを置いて、自分自身は領地と王都を行き来する生活を送るのが普通になったってわけ」

 

 伯爵家の正室である私の伯母さんが王都で暮らす理由は、そういうことだ。長男は今年王立学園に入学したんじゃなかったかな。

 

 レオは脳内で内容を整理していたのか、しばし沈黙して後に言葉を返してきた。

 

「ああ、王都にいる妊娠中の奥さんをひとり残して領地へ帰るのが不憫であれば、大番役を申し出ろってこと?」

「そそ、だから伯母さんも、ほとんどずっと王都で暮らしてるんだけど、この番役、大番役のシステムはだから、王都へ富を呼び寄せる機能も担っていてね」

「……どういうこと?」

「お貴族様は、見栄を何よりも重視する生き物だってこと。階層社会へ真っ向から喧嘩を売ろうとした小娘が、徹底的に破壊し尽くされるくらいには……ね」

「……よくわからない」

 

 ママは、伯爵家の正室である姉より、自分は優れているんだと世間に認めさせたかった。そのために婚家である商家、()()()()()()金だけは持ってる()()()()()()の財産を食い潰した。

 

 その自滅は、貴族社会にとっては「正義そのもの」に他ならない。

 

 ママは階層社会の秩序へ喧嘩を売った挙句自滅し、没落した。

 

 そのような存在だったからこそ、ママは過剰に嘲笑(あざわら)われ、今でも語り継がれている。

 

 ああはなるな、馬鹿なことをすればお前もああなるぞという、教訓のひとつとして。

 

「王都では財の多寡(たか)が人の価値を決めるの。そんなところでお貴族様が見栄の張り合いをしたらどうなるのかって話」

「見栄の張り合いには、お金がかかるってこと?」

「当然。貴族にとって浪費は美徳って言葉を聞いたことはない?」

 

 奥さんひとりの身の回りに限定したってドレス、ジュエリー、アクセサリー、馬車、髪とボディのメンテナンス費用、香水、お側付(そばづ)きの品格と質……これだけでもう平民には信じられないようなお金の掛け方をするのだ。

 

「なんだか、もの凄く莫迦(バカ)らしい話を聞かされてる気がするんだけど」

「常識が違うからね、私達と、お貴族様とでは。けど、それは一概に莫迦(バカ)にしたモノでもないの」

「どういうこと?」

 

 お貴族様が見栄でお金を浪費してくれるから、王都の商店には地方貴族の富が落ちてくる。それはもう、ある種公共工事のようなものだ。お神輿様(みこしさま)を立派にするための。

 

 私自身、その恩恵へ(あずか)れる商家に生まれた娘なので、そうしたことに文句を言うのは筋違いだ。

 

「だからそういうお貴族様の見栄を満足させるための武具、実用性の低い装飾的な武器の需要も出てくるの。今回の場合、それを活用させてもらうわけだから、ここは、はは~ありがとうごぜいますだお貴族様、へへ~ってことで拝んでおきましょ」

「はぁ。へへ~……?」

「わぉん……」

 

 店の手前で、なぜかマイラもおじぎでもするかのようにうなだれ、情けなく鳴くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、お話は承りました。護身用として刃を逆にした短剣が欲しい、しかしそれはちゃんと使用に耐える物でなければならない……この理解で間違っていませんか?」

「え、ええ」

 

 夜なのに、妙に明るい店内の一室で、私は少し当惑していた。

 

 ここは存在することに意味がある特殊な支店であるから、営業時間も特殊だ。お客が来れば深夜であっても開けるスタイル。それは事前に調べて知っていたから、完全にふりで飛び込んだ私達にも、丁寧に応対してくれたことには不思議がない。妙に毛並みのいい大型犬、その背に括りつけられた明らかに重そうな革袋、この二点だけでも、目端の利く商人であれば何かを察するだろう。

 

 特殊な支店の存在意義を思えば、個別の接客室があることも、それがかなりの高級家具を品良く並べた上品な部屋であることも、まったく不思議ではない。私から見て左の大きな鏡、あれはおそらくマジックミラーだろう。その裏に警備兵なりなんなりがいるのか、それともいないのか、それはわからないが、設備としてそれがあることにも特に疑問はない。武具を扱う高級店だ、様々なトラブルを想定しているのだろう。

 

「ふむ……」

 

 問題は、応対してくれた店員の姿だ。

 

 といっても、別に汚かったり臭かったりといった、そういうことではない。

 

 むしろ逆だ。

 

「その上、なるべくなら、女性がスカートの下へ()いても問題がないようにしてほしい、ですか。佩くのはあなたということですか?」

「……ええと」

 

 今、私の目の前で接客というか応対をしてくれている店員さん。どう見ても二十歳を超えてない女性……なのですけど。

 

 割と極端なタレ目で、柔和な丸い顔でありながらも、どこか油断できない匂いが漂っている……そんな女性。

 

 高級店であるはずなのに、自己紹介もなしに商談を始めようとしている点もまたおかしい。

 

「実用性を求めるとなると、使用される方の体格、体型、筋力、手の形、武具の扱いに関する経験の有無などはかなり重要になってきます」

「それは……そうなのでしょうが……」

 

 そこで、店員さん(?)は、ちらとレオの方をみる。

 

「見た所、そちらのお嬢様の方が、剣の経験はお有りのようですね」

「……」

 

 お嬢様……目端が利きそうな女性ではあるが、そこは見破れないようだ。

 もっともそれは、レオがもう、声と表情、仕草以外、ほとんど完璧な女の子に化けているから仕方の無いことだけど。

 

 声はどうしようもないので、私がいいというまでは黙っているよう指示してある。まぁレオの声は、変声期が済んでいるのかいないのか、よくわからない中性的な声ではあるけれど。

 

「事情がある……というのはなんとなく察せられます。面倒事はゴメンですが、それを含めての対価はお支払い戴ける……と考えても構いませんか?」

 

 今度は、今はレオが持ってる革袋へと視線が移る。一応は中で固定し、音がしないようにはしているが、そのずしりとした質感で中身は一目瞭然だろう。

 

「……全てを秘密厳守としていただけるなら」

「それは当店においては当然の標準仕様(デフォルト)です」

「そうでしょうね」

 

 そもそもが、秘密を守ってくれそうな高級店を狙って、ここへ来店したのだ。

 

 この分野へコネがない以上、最初から選択肢は少ない。

 

「あの……もしかして、私のことをご存知ですか?」

 

 私は八歳から家にひきこもった人間だ。貴族社会やそれに付随する業界で悪名高いママ……の娘であるとはいえ、今の私がそこまで有名であるわけもない。

 

 ただ、目の前の女性から、なにか妙な雰囲気を感じる。

 

 どこか、私を面白がってるような空気を感じる。あたしは、その手の気配には敏感なのだ。

 

「ふふ、そのように警戒されなくても大丈夫ですよ。当商会のモットーは、お客様にはひとりひとり、真摯に付き合え、ですから」

「はぁ……」

「お茶は口に合いませんでしたか?」

「ん」

 

 接客用のテーブルには白いカップがふたつ並んでいる。最初はみっつだったが、レオは無言で固辞した。

 

「お客様は、ご夕食はもう?」

「いえ、まだですが……」

「そうですか、ならばお茶菓子などいかがでしょう? いい()()()()()()ケーキがありますよ?」

「っ……」

 

 落ち着け。

 

 今、私はぶりっぶりな少女の格好をしている。

 

 いかにも、流行のお菓子が好きそうな少女に見えるだろう。

 

 ここでチョコレートケーキを勧められることには、何の不思議もない。

 

「誰か!」

 

 テーブルの上の呼び鈴を鳴らし、店員(?)の女性は、やってきた小間使いらしき年配の男性に「あれを」と指示を出す。ということは、小間使いを小間使いとして使える程度には偉いのだ、この人は。

 

 やがてテーブルの上に、どこかで見た色と形状のケーキがみっつ並ぶ。

 

「どうぞ。当商会の他の支店であればまだしも、当店の顧客層を考えるとこれは、必要経費とするには無理のある茶菓子なのですが、まぁそこは私のワガママでして、無理を通させてもらっているのですよ。これは内緒ですよ?」

 

 妙に茶目っ気のある仕草で謎の女性はこちらへウィンクを飛ばし、皿のひとつを手に取って、そのひとかけらをフォークでさっと口に運んでしまった。

 

「んー。頭脳労働者には沁みる甘さと苦味。どこの誰がこのようなものを考え出したのだろう? 素晴らしいと思いませんか?」

「ぇ……あ、はい」

 

 どっちだ。

 

 これはどっちなんだ。

 

 すごくわざとらしい。もの凄くわざとらしい。

 

「さ、そちらのお客様も、是非」

 

 でもまだ、決定的なことは言われていない。

 

 レオは、無言のまま、しかし今度はそれを固辞しなかった。

 

 軽い会釈をして、チョコレートケーキにフォークを入れ、それを口に運ぶ。

 

「!」

 

 なんか目を見開いて驚いてる。

 

 そして明らかにフォークを動かす手が早くなった。

 

 それ自体はツンデレ少女のテンプレムーヴで可愛かったけど、その反応は私が引き出したかったなぁ。おのれ目の前の誰か、レオの初めてを奪いおってからに。

 

「毒か何かを警戒されるということであれば、残ったひとつの半分を私が戴いても構いませんよ?」

「毒って……私は、ここでそのようなモノを盛られる理由があるのですか?」

 

 ちょっと軽く探りを入れてみる。

 

「いいえ? ただ、王都のちゃんとした店であればそんなことはありませんが、地方の悪質な店では、客を眠らせて身包み剥ぐなどもするそうですから」

「……勉強になります」

「……」

 

 レオが、気が付けばこれまたツンデレ少女のテンプレムーヴ(今度はデレ要素の方)な感じで『おいしいよこれ! ラナも食べて! 食べて!』という視線を私の方へ送ってきている。いや実際に口を開いたらそんな言葉使いにはならないんだろうけど。

 

 仕方無く、自分でもひとかけらを口へ運んだ。

 

「……おいしい」

 

 この味は間違いなく、パパのお店のものだ。他のところのだと、カカオ豆の焙煎すら行っていないモノがある。かなり頑張っているものでも、湯煎やすり潰しが甘かったり、薄皮を剥いていなかったりして、妙な味と質感になってしまっている。

 

 ケーキに使っても違和感がないチョコレートは、まだパパのお店でしか食べられない。

 

「そうでしょうそうでしょう。なにせ元祖であり先駆者、スィーツ界の革新者でもある()()()()商会の純正品ですからね」

「……」

 

 私のファミリーネームを強調して言うなや。

 

 あと、これは確かにロレーヌ商会の純正品だけど、最高級品ってわけでもないからね。最高級品はお貴族様とかにしか売っていないし。

 

 ……色々と面倒なのだ、見栄の世界は。

 

「あそこも、過去には色々ありましたし、今でも口さがない連中はやいのやいの言っているようですが、これのおかげで完全に持ち直しましたからね……ところでご存知ですか?」

「……何をでしょう?」

「ロレーヌ商会の会長様は、妙なことを吹聴していましてね。なんでも、チョコレートは会長様の一人娘が考えたモノなんだとか」

「……」

 

 心臓が冷える。

 

「ま、誰も信じてはいませんが」

 

 確かに、私はパパへそのことを口止めしなかった。

 

 けど、言うわけがないと思っていた。スィーツの販売にはブランドイメージの構築が重要になってくる。そこで、十やそこからの娘が考えたお菓子だなんて、莫迦(バカ)にされるに決まっている。

 

 何を考えているんだ、パパ。

 

「ただね、これには最近、もう少し面白い噂話が出回っていましてね。その会長様の一人娘ちゃん、最近、()()()()()()になったらしいんですよ」

 

 なんでも、チョコレートの秘密を聞き出すために、商売敵がその身柄を狙ったのだとか……云々。

 

 ──その方向性は一応、一度は考え、潰した。

 

 ──けど、パパがチョコレートの出所を吹聴していたというなら、話は変わってくるのではないか?

 

 ──ダメだ、今はこれを深く考察してる余裕がない。

 

「……ふむ」

 

 チョコレートケーキを頬張りながら、謎の女性は心底楽しいといった表情で私を見ている。

 

 これはもう、気付いていると考えた方がいいだろう。

 

 私の顔立ちは、ママに似てるらしい。他にも何か、察することのできる何かがあったのかもしれない。そこを考えても今は仕方無い。

 

 今は。

 

 ──どう反応すればいいか、だ。

 

スターティングウィズ(ねがいまして~は~)

「え?」

 

 気を引き締めなければと決意したところに、虚を突かれる。

 

「職人の手配料が金貨四枚~、材料費が金貨二十枚~、工費が金貨十枚~、雑費に銀貨五十枚がつきまして~、諸々で総計が二割増しとなりまして、では?」

 

 ん、ええと、銀貨百枚が金貨一枚だから。

 

四十(40)一点三(1.3)だから、金貨四十一枚と銀貨三十枚?……諸々って何よ?」

「はやっ。さすがはロレーヌ商会の秘蔵っ子ちゃん」

「……」

 

「申し訳ありません。イタズラが過ぎたので、もうネタばらしを」

 

 謎の女性はくすくすと笑い。

 

「そちらの白いわんちゃん」

 

 レオの足元で、またも気配を消していたマイラを視線で指し示し。

 

「結構有名なんですよ? ロレーヌ商会の会長様のお屋敷で飼われてる愛玩犬として、ね。そんな大きな身体のわんちゃんが、日に三回も四回もお散歩で街中を歩いていたら、そりゃあ覚えられますって」

 

「あ……」

 

 いえあの、マイラは愛玩犬じゃなくて番犬……。

 

「かくいう私も、街中でちょいちょい見かけていましたしね」

 

 そこで謎の女性は立ち上がり、頬にケーキかすをくっつけたまま右手をこちらの方へ伸ばし。

 

「はじめまして、当方ドヤッセ商会の会長の次女で、当店の総支配人を任されております、マリマーネ・シレーヌ・ドヤッセです」

 

 当惑する私の右手を取り、握手の形にして、まるで人形相手にそうするように、それをぶんぶんと振った。

 

 

 



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epis21 : caramel peach jam 120%

 

「あのさ」

「なんでしょうか?」

 

 なんかもう……あれだ。

 

 握手の手を振りほどき、言う。

 

「ちょっとボりすぎじゃない?」

 

 ここでは札束で店員の頬を叩くつもりだったけど、気が変わった。

 

「なんと」

 

 マリマーネと名乗った女性の「愉快そうな」タレ目。

 

 これに、あたしの中のなにかが反応した。

 

「職人の手配料が金貨四枚、工費が金貨十枚、ここのところは職人の腕次第だから今はなんとも言えないけど、材料費が金貨二十枚、ここがおかしいってのはわかるよ?」

 

 ヒーロリヒカ鋼が高価とはいえ、短剣よりは少し長い程度の刃物、いわゆるスモールソードやナイトリィソードへ使うのであれば、それはそこまで大量に消費することもない。多分、金貨七、八枚(日本円で百五十万程度)が相場だろう。

 

「となれば他の部分も、私が小娘だと思って相場の倍くらいにはしているんじゃない? 手配料が金貨二枚、工費が金貨五枚、諸々で二割増しは、いいでしょう、諸々あるのはこちらも承知の上ですから。計算が面倒になるので雑費はむしろ金貨一枚としましょう。それでいくと、材料費を金貨十枚としたとしても、金貨二十一枚と銀貨六十枚ですね」

 

 ドヤッセ商会会長の次女、この店の総支配人、マリマーネ・シレーヌ・ドヤッセと名乗った推定十八歳前後の女性は、いきなりの、およそ半額を提示する価格交渉にも全く動じない。

 

「これはこれは、命をかけることになる武器を値切られるのですか?」

「お生憎さま、私が命をかけるのは武器にではないわ。私自身の運命によ。ここで退いたら下がりそうじゃない? 運勢が」

「ゲン担ぎ、ですか。それは商人の血ですか?」

 

 商人は意外とゲン担ぐ。

 

 人の世というのは、時に人智を超えた計り知れぬ動きを見せることがある。

 安定した商売を堅実にこなしていたとしても、ある日それがあっという間に無価値と成り果てるというのも、ザラなことだ。

 

 商人は日々、そうした世界と戦っている。この世の理不尽そのものと戦っている。

 

 だからこそ、ゲン担ぎでも神頼みでもしたくなるのだ。拝むだけならタダや、という話だ。

 

 でも。

 

「ちょっと違うかな。私は今、人生で初めてと言っていいほどやる気に満ちているの。ノリに乗ってると言ってもいいわ。この勢いを殺すのは惜しい。だからここで退くわけにはいかないの」

 

 これは、直接的ではないとはいえ、レオの運命と命が懸かった勝負だ。負けるわけにはいかない。負けるわけにはいかないから、負けてもらう。

 

「勝負師の血ですか、なるほど」

 

 タレ目からそろり、窺うようなその視線に、私は直感する。

 

 マリマーネは、ラナンキュロアを()()()している。

 

「ラナンキュロア様」

「……はい」

 

 私は名乗っていない。

 

 けど、相手は私の名前を知っている。どうやら私は、とびっきり面倒なところへ飛び込んでしまったようだ。

 

「当店は、実はあまり売り上げを重視していないのです」

「……存じてます」

「はい、商人の目で見れば一目瞭然ですし、隠す気も毛頭ありません。それはつまり売り上げを上げるため、躍起になって商売をする必要が無いということです」

 

 それも知ってる。調べた上で来た。

 

「どちらかといえば、当店が重視するのは、どれだけ職人の皆様方へ、おいしい仕事を回せるかどうか、です」

「金貨四十枚強、払えないなら出て行けと?」

「そうは申しませんが、こちらとしても十分なメリットがなければ、お受けできませんね」

「金貨二十枚でも、普通なら十分に利益が出ると思うけど。刃渡りはスモールソード、ナイトリィソードの類に近いのだから、金貨十五枚もあれば超高級品が買えるでしょ」

 

 金貨十五枚は夢の世界の通貨なら三百万円相当だ。

 

「というか、ヒーロリヒカ鋼の刀身に、宝石まであしらったキンキラキンの剣が()で金貨三十枚で売ってるのを見かけたけど?」

「あれは、量産品ですからね」

「嘘ね、どちらかといえば見本でしょ? この店の特性からしたら」

 

 ここは、基本的には店頭に並べている物、飾ってある物を売る店ではない。

 

 それなりに裕福なお大尽様を相手に、オーダーメイドで装飾性の高い武器を造り上げる店なのだ。

 

 だから店頭に並べているのは、商品というよりもむしろ見本、こういうものをお造りになると、これだけのお値段になりますよ~……という目安なのだ。そこで六百万円相当の値札をつけている商品が、量産品のはずがない。

 

「嘘ではありませんよ? 全く同じモノを百本造ることも可能です。お客様にそれだけのお支払い能力があれば、ですが」

「その可能、期限を区切らなければって前提が付くでしょ? 月産で何本よ?」

「ふふ、それは企業秘密ということで」

 

 なら、やっぱりソレを量産品と強弁するのは無理がある。

 

「ですが、当店のお客様は皆様、店頭に並べている物よりもお高いモノを求めていかれますよ?」

「それはより装飾性を高めるからそうなるんでしょ? あしらう宝石を高い物へ替えたりして。私は装飾性より実用性を重視してほしいと言っているの」

「詮索する気はないのですが、ご希望のサイズでは懐剣(かいけん)とするには少し大きくなってしまいます。実用性を重視、ということであれば、部屋に飾りたいという話でもないのでしょう? どう持ち歩かれるつもりなのでしょうか? 取り回しの便、大きさと持って歩く際の重さというのも重要な要素ですよ? 特に華奢な女の子が使うことを想定しているのであれば」

 

 ちらと、マリマーネはレオを見て言う。

 華奢な女の子と言われたレオはどんな表情をしているのか……いや、今はマリマーネから目を逸らすわけにはいかない。

 

「宝石の類は必要ない。なるほど、確かにそれなら、材料費に金貨二十枚は無法というもの。ではいくらが適正と見ますか?」

 

 まただ、この、私を試すような目。

 

 これに、私の中のなにかが反発している。

 

「ヒーロリヒカ鋼の市場価格なら調べてあるわ、スモールソードクラスであれば高くて金貨八枚ってところでしょ。なら、柄や鞘を入れても金貨十枚、大きく見積もっても金貨十二枚が適正」

「なるほど。話を詰める段階で多少前後するでしょうが、大きく外れてはいないでしょうね」

「それともなに? この店ではヒーロリヒカ鋼の在庫が不足でもしているの? 天下のドヤッセ商会様は、そうして消費量を調整していなければやっていけないような体制なの?」

「ふふ、まさかまさか。確かにヒーロリヒカ鋼は希少金属。ですがこれはあくまでも工業品です。東の帝国では今も生産が続いていることでしょう。輸入が途絶えれば高騰も起こり得ますが、定期的にボユの港より運ばれてくる今現在の体制においては、余裕をもってお客様へ提供することの出来る素材となります」

 

 それはつまり、今の価格が最も需要と供給に適したものであるということだ。

 

 適度に売れ、不要な在庫を抱えることも無しに、余裕を持って(きょう)することのできる商材であるということ。

 

「では材料費は金貨十枚ということでいいかしら?」

「十二枚」

「十枚と銀貨五十枚」

「十一枚と銀貨五十枚」

 

 茶番みたいな刻み方しやがって。

 

「十一枚、これ以上ならもう他の店を当たる。どうせ()()とやらで十三枚と銀貨二十枚になるんだからいいでしょ」

「ええ、いいでしょう。材料費は金貨十一枚で」

 

 とりあえずは金貨九枚の値引きに成功だ。

 

 マリマーネは……最初からここは崩されるとわかっていたのだろう、まだまだ余裕の表情だ。

 

「で、職人への手配料が金貨四枚、工費が金貨十枚だっけ? ここはもう言ったもん勝ちみたいなところがあるから難しいけど、でも」

 

 マリマーネをジロリと睨む。

 

「ボってるよね?」

「さぁ? どうでしょうか?」

 

 ニヤニヤ笑いながら、タレ目の女性が煽るような視線を向けてくる。

 

 ような……というか……煽ってるな、これ。

 

「王都において、王都内で完結する商売であるのならば、この規模の商取引における紹介料の類は総費用の一割程度になるはず。最初が金貨四十枚越えだったからそれはそうなんだろうけど、材料費が減った今、総費用も三十枚程度よね? この先で工費が大幅に減額になろうとも、(さかのぼ)って減額を要求しない約束で、金貨三枚にしておかない?」

「工費まで減額要求されますか。当店は、一流の職人様のみとお取引をさせていただいているのですがね?」

「その職人様の仕事を、私はじっくりと見せてもらったわけじゃないもの。()()()()は、ちゃんと見せてもらえるのかしら?」

「ふむ?」

 

 お? マリマーネがちょっと不審な顔になった。

 

「職人を指定したいと?」

 

 あ、見くびってるな、これ。お前に職人の腕の良し悪しがわかるのかって顔だ。

 

 そんなの。

 

「それはこれからの話次第ね。で、職人の手配料、どうするの? 金貨三枚にするの? しないの?」

 

 私に、職人の腕の良し悪しなんてわっかるわけない。でもいいのだ、今回の場合、そこは問題じゃない。

 

 レオの手に馴染むモノが造れるか、重要なのはそこだ。

 

 そこが満たされないのであれば、金貨一枚だって払う気はない。

 

 私はなんとなくでよくわからないモノを買おうとしているのではない。

 

 目的があり、それに合致するモノを必要としているだけだ。

 

「ふむ」

 

 こちら余裕が伝わったのだろう、マリマーネは少し勢いを失ったようだった。

 

「……いいでしょう、手配料は金貨三枚で(うけたまわ)ります」

 

 これで材料費が金貨十一枚、職人の手配料が三枚になった。

 

「それなら、工費の交渉に入れるわ」

()へ?」

「いいえ。すぐにでも試し切りが出来る場所へ案内して。そこへ、そちらで良いと判断するモノを何本か見繕い、持ってきてください」

「む……」

 

 私は、マリマーネを煽り返すように意識して笑う。今までの意趣返しとして。

 

「こういうお店なら、あるんでしょ? そういう場所も」

 

 今度は、そちらの手の内を見せろと。

 

「ございますが……」

「あ、あと」

 

 レオ……と、私はここで、明確な意志をこめた声で、レオの名を呼んだ。

 しかし無反応なレオの足元で、なぜかマイラの耳の方がぴくっと動いた。

 

「喋っていいよ」

 

 そこで(ようや)く、やれやれといった表情でレオの口が開く。

 

「……と言われてもね。今は僕の得意じゃない戦いが行われてる最中に思えるんだけど」

「えっ!?」

 

 マリマーネは、声というよりはその言葉使いと一人称「僕」に驚いたようで、レオの姿形を呆気に取られた様子で眺める。

 

「男の……子?」

 

 やはり、ここは読めていなかったようだ。

 

 もう少し隠すことも考えたが、剣の具合を試すならどうせすぐにバレる。なら、マリマーネの勢いが若干でも落ちている今が最適と判断した。商人は自分の見る目、観察眼に頼る場面が多い。ゆえにそこへ自信を持つ者も多い。マリマーネもどうせそのクチだ。だからそこへ一撃を加えることには意味がある。

 

「さてマリマーネさん。こういった事情のこの子、レオに合いそうな剣を用意してもらいたいのですが、あなたにそれが出来ますか?」

「……ふむ」

 

 それでもまだ、()()()()はイーブンな気がするけど。

 

 

 

 

 

 

 

「こちらがお客様のご希望と……その……体格に合うと思われる……サンプルとしての剣となります……が」

「どうも」

 

 おそるおそるといった感じで、マリマーネはレオの前へと剣を並べる。

 

「といっても、僕にも剣の良さなんてわからないけど」

 

 目の前に、剣を立てる木の台のようなものが置かれている。今はそこへ、六本の剣が並べられていた。ヒーロリヒカ鋼の物は二本、あとはただの鋼鉄剣だ。

 

「レオが使う武器だから、レオが使いやすいのを選ぶだけだよ」

 

 場所は、商談室(?)から店の地下へと移っていた。

 

 先程の部屋よりもひとまわり大きな空間だった。

 

 土に軽く石畳を敷いた床、頑丈そうな岩壁、天井に(はり)は、アーチ型の金属と木材が交互に入っている。壁には何本かの黄色っぽい蝋燭が刺さっていて、閉鎖空間には上質な蜜蝋独特の甘い香りが漂っている。

 

「これとこれは片刃の剣じゃないみたいだけど?」

 

 ヒーロリヒカ鋼の物が一本、鋼鉄剣が一本、両刃の剣が立てかけられてる。

 

「それらは一応、参考にと。片刃の剣は、どちらかといえば冒険者向けの武具となりますから、当店では取り扱いが少なく、ご要望に近い物となると現物ではこちらの四本となります。両刃の二本は、刃渡り、刃幅、柄、(ガード)、重さのサンプルとして、四本ではカバーしきれない範囲の物をお持ちしました」

「長さはこれ、刃幅はこれ、柄はこっちの感じでってしてもいいってことね?」

「ご注文としては承っておりますが、あまりお勧めはできませんね」

「なぜ?」

「王国風のケーキを売っているところで、帝国風のケーキが食べたいから用意しろと言ったらどういう客と思われるか……という話ですね」

 

 あー、それは確かに嫌な客だ。

 

「職人にもプライドがある、という話ですか」

「プライドのない職人に良い仕事は出来ません」

 

 それもそうか。

 

 まぁ本当にプライドがあるなら、こういった店とは提携を結ばず、ひとりで我が道を(きわ)めているだろうけど。

 

「レオ、どう?」

 

 レオは、無言で剣をひとつひとつ手に取りながら、その握り具合を確かめている。

 

 ツインテール(ツーサイドアップだけど)の金髪少女が、装飾的とはいえガチの武器を検分してる姿は、なかなか趣き深い。

 

「ヒーロリヒカ(こう)は、(はがね)とほぼほぼ同じ重さですから、重さの感覚は(はがね)の剣でもご理解いただけるかと思います」

「そういうものなんだ?」

「ええ」

「なんとなくだけど、(はがね)の方が重い気はする」

「そうなの?」

「そうですね、若干、ヒーロリヒカ(こう)の方が軽いはずです。(はがね)を十としたら九くらいでしょうか。純金は十五、ミスリルなら四か五といったところです」

「ミスリルは、やっぱり軽いんだ」

「ええ」

 

 やがてレオは、片刃で鋼鉄製の一本にしっくりきたのか、それを何度か素振りしてみる。刃渡りはレオの股下の六割程度、剣としては短い方だが、太ももへ括りつけるには少し長い気もする。

 

「試し切り、してもいいの?」

「ここは、そのための場ですから」

 

 マリマーネは、部屋の入り口とは逆の壁際の方を指差す。

 

「あちらに立ててある藁束(わらたば)、革鎧、金属板は斬っていただいてかまいません」

 

 そこには太さの違う藁束が何本かと、ボロボロになった革鎧がひとつ、青銅、鉄、ミスリルの、厚さ窓ガラス程度のみっつの金属板が並んでいる。鉄の金属板には大量の切れ込みが入り、その(ふち)はまるでノコギリの刃のようになっていた。

 

 レオはそれを一瞥(いちべつ)すると、おもむろに無造作な感じで剣を構える。

 

 くる。

 

 私が身構えたその瞬間、ツインテールが一瞬跳ね、レオの身体がなぜかまた弧を描いて、ブーメランのように跳んだ。

 

「ひゃっ!?」

 

 狭い空間で弧を描く動きをしたものだから、それはマリマーネの眼前をかすめて飛び。

 

「あっぶなぁ……えっ!?」

 

 青銅の金属板、それをまっぷたつにして、止まった。

 

「あーやっぱりそういう動きになるんだね。もしかしてレオって斬る時、まっすぐには動けない?」

「ん……どうだろう、意識してない」

 

 止まったから当然だけど、斬るという目的を果たし終えたレオには、ちゃんと理性がある。今は使った剣の状態を検分しているようだ。

 

「いやちょっと待ってくださいよ! 確かに青銅は(はがね)よりも柔らかい金属ではありますが! だからってこんな風にまっぷたつに斬れるってモノでもないんですが!?」

 

 なんだかマリマーネがうるさい。

 

「鉄とミスリルってどっちが硬かったっけ?」

「さぁ?」

 

 高いのはミスリルだけど。

 

「いやあの! ミスリルは硬度でいったら鉄よりは硬く、(はがね)とは同等ですが、それ以前にですね!!」

 

「ミスリル、行っちゃって」

「了解」

 

「ちょっとぉぉぉ!……ぎゃん!?」

 

 再び、マリマーネの横をかすめ弧を描く金髪ツインテール。

 

「おおっ」

 

 そしてまっぷたつになるミスリルの板。

 

「おかしいでしょおぉぉぉ!?」

 

 いやだからうるさい、マリマーネ。切り刻んでマリネにするぞ。でもマリネよりかは(なます)が食べたい。栗ご飯と一緒に食べたい。

 

「良い切れ味ね」

「なんでちょっと迷惑そうなんですか!? 確かに! 斬っていいとは言いましたが! 鋼鉄の剣でミスリルは普通斬れませんよ!?」

「え? 硬度は一緒なのに?」

「ミスリルは硬度こそ鋼鉄と変わらない程度ですが、粘りが違うんです! ほらそこの鉄の板! 端がボロボロに欠けているでしょう!? ミスリルを斬ろうとしてもああはならないんです! ミスリルは固定したところを上から圧し切るのが普通なんです! 立ててある物を普通の剣で斬ろうとしても斬れませんよ!?」

「じゃあなんでここにあるの?」

「ここは防具も扱っているんですよ!? 耐久性のテストサンプルですよ! ミスリルはその特性から、武具よりも防具向きの素材なんです!」

 

 あー、言われてみれば、店頭に並んでいたミスリル独特の青っぽい輝きは、胸当てや(かぶと)に多かったような……。

 

「じゃあなんで斬れたの?」

「こっちが聞きたいんですが!?」

「んー?」

 

 なんか、こういう時、ぴったりのセリフがあったような。アニメ化もされたなにかのネット小説で、ある種なろう系を代表するセリフのひとつとなった何かがあったような。

 

 するとレオが、記憶を刺激するセリフを言ってくれた。

 

「何かおかしかった?」

「あ」

 

 そうだ、これだ。

 

「あたし、また何かやっちゃいましたか?」

 

「よくわからないけどもの凄くイラっとするセリフですー!?」

 

 

 



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epis22 : soramimi cake

 

<マリマーネ視点>

 

 流れが悪い。

 

 商談としての流れは悪くない。が、交渉としては押されている。

 

 刃を逆にした片刃の剣、逆刃刀(さかばとう)だったか。それ自体は、正直、金貨十八枚でも十分な利益が出る。金貨十六枚でも、損ではないので、相手次第では受けなくもないという範囲か。装飾性を捨て実用性一本に絞るなら、金貨十四枚でも事足りる。

 

 値下げ交渉にも、だから金貨二十枚までなら応じるつもりでいた。最初に半額を提示してきたのはなかなか良い読み筋だったと思う。それが大雑把な推測であると暴露してしまったのは悪手だったが。

 

「事実、斬れているんだからそれは認めなさいよ」

「認めていないわけではないのですが……」

 

 このままだと流れ的に、金貨二十枚から三十枚の間で決まりそうだ。

 

 商売としては十分で、そこに不満はない。

 

 ウチと繋がりのある職人は、中途半端なプライド持ちが多い。自分の造れるモノしか造らず、それ以外を認めないような、悪い意味での頑固さを持つ者が多い。正直、「それって不器用ってことなんじゃないの?」と言いたくなるが、彼らはむしろ、ひとつのことしかできない自分のことを誇っている。まったく、一本気(いっぽんぎ)を発揮するのは、女性関係だけにしてもらいたいモノです。

 

 だから片刃の剣の、刃を逆にして造るという妙な依頼には開口一番、「そんなんだったら最初から棍棒で殴るんだな」と怒鳴ってくるだろう。そんな依頼を持ってきた私へ、怒りをぶつけてくるだろう。

 

 それも問題ではない。それくらい丸め込めないでなにが商人か、という話だ。

 

 現時点で金に困っている職人であれば、口で立派なことを言っても仕事をしないわけにはいかない。宵越(よいご)しの(ぜに)はもたねぇ主義の職人も多いから、その辺は言いくるめてしまえば普段通りか、それよりも低い賃金で働いてくれるだろう。

 

 別に彼らがやれない事を要求するわけではない。ただ、刃を逆にするだけ。そこにも問題は無い。

 

「斬っては、いけなかった?」

 

 だから問題は、彼だ。

 

「最初に、あちらの金属板は斬っていただいて構いませんと言ったのは私ですから、それは勿論問題ないのですが……」

「なら、いいけど」

「あ、用心棒が出てきて、お客さん、困りますよって言ってきたら、そいつも斬っていいからね」

「了解」

「そんなアコギな商売はしませんよ!?」

 

 初めは、女の子だと思っていた。年齢の割にしっかりした化粧(メイク)をしている、目つきの悪い不良娘の類かなと思っていた。

 

 だが……なんなのだ、彼は。

 

「えー……と、ちょっと使った剣を見せてください。うわー……ミスリルを斬ったっていうのに、刃こぼれひとつない。武具屋の常識に喧嘩売ってんのかって腕ですぅ……」

「そんなに凄いこと?」

 

 剣の達人ならそれくらいするんじゃない?……って、この辺は、世間知らずの少女らしい感想ではありますね。そういえばロレーヌ商会はウチとは違い、武装品の類は一切扱っていなかったはずです。この方面には疎いのでしょう。

 

「できる、できないで言ったら、してくれる剣の達人さんも、いらっしゃるとは思いますけどね? それだって剣の方に多少なりともダメージが行くと思いますよ? というか、もし同じことをできる剣の達人さんに知己(ちき)がおありでしたら、是非私どもへご紹介いただきたいくらいですね。紹介料、言い値で払いますよ?」

「無理ね、達人以前に剣士の知り合いがいない」

「それは残念です」

 

 どうしたものか。

 

 正直、彼は破格だ。

 

 多少化粧で誤魔化しているとはいえ、商人の目から見ても女の子にしか見えない男の子……というのもそれなりに破格ではある。出すところに出せば一晩で金貨十枚を取ることも可能だろう。

 

 だが、彼の破格はそんな程度ではない。

 

「ですが、ではどうされますか? 剣の形状、重さなどはそちらの剣でよろしいということでしょうか?」

「どうなの? レオ」

「んー……」

 

 最初は、ロレーヌ商会の一人娘を見極める、それだけのつもりだった。

 

 色々、噂は聞いている。

 

 ロレーヌ商会は我らがドヤッセ商会と同じ、王都リグラエルを本拠地とし、貴族層へも食い込んで商売をする中堅どころの商会だ。それは、種類こそ違えども同じ池の同じタナにいる魚のようなもので、エサを奪い合う懸念は元より、相手がいつこちらを食らう魚へと化けないか、警戒する必要もある。

 

 情報収集を、しないわけがない。向こうだってこちらの動向は調べているだろう。

 

 とはいえ、今のロレーヌ商会の主要商材は食料品や日用雑貨がメインとなっている。こちらは宝飾品、装飾品、時に武具や防具と、ライバルというには競っているモノが違う。ならば最初から敵対的に接する必要はない。共闘できることがあるなら共闘してもいい。商人同士は、どちらも勝者(ウィンウィン)の関係にもなれるのだから。

 

 情報収集の網は、だからスパイなどを送り込むような本格的なものではなく、噂話を集め、まとめ、分析し、そこで不審があればもう少し詳しく調べる、その程度のものでしかない。

 

「ヒーロリヒカ鋼の剣は試さなくていいの?」

「僕にとっては、どちらでも変わらない気がしている」

「鉄鋼の剣は、メンテナンスが大変ですよ? 下手に扱えば、簡単に錆びてしまいます」

「ヒーロリヒカ鋼にするのは確定だから、一応試してみたら?」

「ラナがそう言うなら」

 

 その網へ、奇妙な収拾物が引っかかったのは、三ヶ月近くも前のこと。

 

 ロレーヌ商会の一人娘が、日中に(さら)われかけたという。

 

「やっぱり」

「ミスリルの板が、こんな簡単にバラバラに……」

「やっぱり、鋼鉄でもヒーロリヒカ鋼? でも、切れ味は変わらないと思う」

「そういうものなんだ?」

「そういうものじゃないですよ!? いえ本当にね!? どちらも切れ味、耐久性が変わらないというなら、お値段十倍以上の差はなんだって話になりますからね!?」

「レオが変わらないって言ってるんだから、今はそれでいいの」

冶金学(やきんがく)の常識ガン無視!?」

 

 ロレーヌ商会の一人娘は、謎の多い人物だ。ある時期から滅多に人前へ出てこなくなったというが、チョコレートを筆頭に、ロレーヌ商会における主力商品のいくつか、綿棒、ロレーヌ式歯ブラシ、ペクチンゼリー、何冊かの絵本などが彼女の発案とされている。それが本当であるのならば、ロレーヌ商会が食料品や日用雑貨メインの商会になったのは、彼女の影響が大きいことになる。

 

 とはいえ、彼女は今でさえ十三歳の少女。母親が母親だっただけに、それは親の見栄による、子供への無理な箔付けの一種だろうと思われていた。

 

 それ自体は、別に下策というわけでもない。彼女は一人娘であり、それへ箔をつけるのはむしろやって当然の行為だ。私が現在、この店の総責任者であることだって、それに近いことを企図(きと)してのことだろう。

 

 だが、もし、彼女が神童であると信じ、誘拐をしようとする者が現れたのであれば、それはどこの莫迦(バカ)莫迦親(バカおや)の見栄を信じたのかと、呆れられたことだろう。

 

「剣として手に馴染むのはやっぱりこれかな」

「最初の鋼鉄製の、ね」

「ええと……それをヒーロリヒカ鋼で造るとなると、若干軽くなりますが?」

「なら、刃幅を少し厚くして、耐久性を上げるついでに重くすればいいんじゃない?」

「そうね、斬るなら耐久性はそれほど気にしなくていいだろうけど、これは叩くがメインの使い方になるだろうし」

「普通は気にするんですよ?……斬る剣でも、耐久性は」

 

 そもそもにおいて、ロレーヌ商会の一人娘、ラナンキュロアの顔を知る者は少なかった。

 

 今、目の前にいるラナンキュロアは、可愛いとも美しいというのとも違う、だけど妙な存在感を持つ少女だ。

 

 雰囲気美人というのとも違う。むすっとした表情を崩さないし、妙に目力が強い。

 

 それなのに、全体的には妙な色気も放っている。それは本来、十三歳の少女に使う言葉ではないが、彼女は何気にスタイルも悪くない。フリルとリボンタイで隠しているが、同じ形状の服を着た()()(そば)にいるおかげで、その差がハッキリとわかる。……というか目算では私よりも大きいんじゃないかって思う。うぬぬ。

 

 彼女からは、どこか少女らしくない頽廃(たいはい)の匂いが漂ってくる。

 

 もっというとそれは、年齢以上に、大人に成らざるを得なかった子供の匂いだ。

 

 同情的に観る者には危うさと写り、欲望をもって観る者には卑俗な興趣(きょうしゅ)をそそられる、そういった類の幼気(いたいけ)さに思える。

 

 一般的な意味では、可愛いとも美しいとも言えないが、彼女は、年上の異性からは結構モテるのではないだろうか。なんというかこう……ちょっかいを、かけてみたくなる女の子なのだ。意地悪をしてみたくなるというか。

 

「もー、さっきからうっさいなぁ。レオの剣なんだからレオのオーダーに沿いなさいよ」

「論理的に考えればそうしたいのですがね? お客様のご要望に沿うのが我々商人の仕事、そう(わきま)えておりますから。ですが、ご要望の前提条件が常識的には全く正しくないと断言できることばかりで……頭がバグるんですよ……」

 

 もっとも私自身、それに誘われるように意地悪をしてみたところ、今は反撃を食らってアタフタしてる最中であるのだが……。

 

 だから、彼女は印象に残る顔立ちだし、総じて目立つ。

 

 頭脳を欲して攫われたというよりかはまだ、変態貴族の興味を引いてしまったのだと言われた方が、まだ納得ができる。そういう外見だ。

 

「わかりました、では仕事の話に戻りましょう。逆刃刀でしたか? 片刃の剣を、刃を逆にして作る。刀身はヒーロリヒカ鋼で作り、他の部分は……それに合わせるということでよろしいのでしょうか?」

「さすがに、細部まで全部指定するほどの知識はないかな。レオは?」

「それは実際に使ってみないとなんとも言えない、かな」

「完全なオーダーメイドとなりますから、ご注文後のキャンセルは受け付けておりませんよ?」

「刃を逆にした刀なんて他の誰も買わなそうだしね。前金は何割?」

「七割頂きたいところです」

「妥当ね。それはそれでいいわ」

 

 ロレーヌ商会会長の自宅周辺……たしか溜め池の近くだったか……で誘拐事件が起きた。

 

 被害者は目撃者達の見知らぬ誰かだった。

 

 しばらくして別の目撃者が、ロレーヌ商会会長の自宅である屋敷へ、ボロボロの布をまとった子供らしき二人組が入っていくのを見た。

 

 拾われた噂話は、そうした事実からの推測に過ぎなかった。

 

 攫われたのがラナンキュロアであるという確証は誰も持ってないし、ボロボロの布をまとった二人組の子供は、全然関係のない物乞いか何かだったのかもしれない。

 

「それで、工費の話なんだけど、装飾の類は、彫金の技術が必要な部分はまるっと省略していいから、安くならない?」

「柄やガードに装飾等はいらないと?」

「ガードって?」

「え?」

「え?」

 

 だが前者はともかく、後者が無関係だったとは思えない。私には、もう思えなくなった。

 

「あの、剣のこの部分ですが」

「ああ、鍔」

「つば?……あの、それがないと斬り合いになった時に指が守れませんよ?」

「そんなのはわかってるってば、呼び方が違っただけじゃない」

「はぁ……」

 

 その二人組は、目の前のこのふたり。

 

 確証は無いが、そうであると直感が告げている。

 

 ならばその裏には何があったのか?

 

「先の鋼鉄剣の形をベースに作るのであれば、(ガード)はシンプルな形状になりますね」

「あんまりそこが大きいと取り回しに不便じゃない?」

「実用性を重視するなら、そこはむしろ刀身と同じくらいに重要なのですが……」

「いいよ、取り回し重視で。鍔競(つばぜ)()いになる前に、相手の得物(えもの)を斬ってしまえばいいって話でしょ?」

「……お客様であれば、そうなのかもしれませんが」

「わかってきたじゃない」

 

 もしかすれば、ラナンキュロアは本当に攫われかけたのかもしれない。

 

 それを、護衛としてつけられていたこの少女……の格好をした少年が助けた。

 

 そういうストーリーが、簡単に頭へ浮かぶ。

 

 だがこれも推測に過ぎない。細部は間違っているのだろう。そんなのはどうだっていい、仮説とは、次のステップへ進むための簡易的な足場に過ぎないのだから。

 

「で、彫金的な飾りが不要なら、工費は下げてもらえるの?」

「……いえ、当店でご注文されるのであれば、そこを完全に不要とするのは無理ですね。ただ、多少の値下げには応じられます」

 

 結局、ドヤッセ商会(私達)にとって重要なのは、彼女が実際はどういった人物であるかということだ。

 

 だから最初は本当に、ロレーヌ商会の一人娘を見極める、それだけのつもりだった。

 

 それは、ある程度までは成功していたと思う。

 

「金貨六枚」

「さすがにそれではお造りできませんね」

「こっちは雑費を倍額でいいと言った上で、諸々で二割増しという良くわからない部分を無批判で受け入れてるの。それくらい折れてもらわなくちゃ」

 

 彼女はアンバランスな人物だ。

 

「材料費金貨十一枚、職人の手配料三枚、工費六枚、雑費一枚、計二十一枚の二割増しで金貨二十五枚と銀貨二十枚……これで造れないとなると、この商会の質の方が心配になってくるわ」

「ふむ」

 

 彼女は生まれついてより、世間からは「嘲笑(ちょうしょう)してもいい」存在であるとされてしまっている。

 

 親の(ごう)が子に(たた)る。莫迦莫迦(バカバカ)しい話だが、それは彼女の母親が、身の程知らずの莫迦女(バカおんな)だったからなのだそうだ。

 

 それを、何も知らぬ子供がどう受け止め、育ったか。

 

 理性で考えれば悲劇にほかならぬそれを、彼女がどう受け止め、育ってきたか。

 

 知るのは、本人以外にはいない。

 

 だがこうして面と向かって話していれば、知れることもある。

 

 ひとつには、彼女はそれを悲しむという段階を、とっくの昔に通り過ぎているということ。

 

 ひとつには、彼女はだから、世界に対しては斜に構えざるを得ないのではないのかということ。

 

 ひとつには、彼女はそれでもまだ、生まれつき重いハンデを背負っていてさえ、諦めてはいないのだということ。

 

「諸々、ね。それは私が、ロレーヌ商会の娘()()()なのかしら?」

「それは」

「勘違いしないで、それならそれで構わない。その理由なら、二割増しくらい受け入れてあげる」

 

 知能は中の上か上の下といったところ。おそらくは良い家庭教師に恵まれたのだろう、四則演算に(よど)みは無く、計算も速い。交渉においてもこちらの意図をある程度読み、それを前提に言葉を返してくる。その辺は父親に叩き込まれているのかもしれない。

 

 自分自身が十三歳だった頃、彼女のように振舞えたかというと、正直心許(こころもと)ない。

 

 地頭がもの凄く良い……というわけでもなさそうだが、この時点において私は、彼女が実際にチョコレートやペクチンゼリーの開発者であったとしても、驚きはしないと思っていた。

 

 チョコレートは三年ほど前に世へ出回り始めたものだから、彼女がそれを開発したというなら、彼女は十歳より以前にそれを成し遂げたことになる。綿棒に至っては七、八年くらい前だから、彼女が五歳か六歳の頃のことだ。

 

 けど、それくらいはしそうな独特の雰囲気が、彼女にはある。

 

 ひとり、別の世界に生きているような立ち姿なのだ。ある種の異国情緒(エキゾチック)……否、異()情緒をまとっているといえばいいだろうか。

 

「ラナ、やっぱり僕には、ここがダメでも問題ないように思える」

「そうね。もしもその諸々が、たとえばチョコレートの秘密を教えてくれればお安くしますよ……という話なら、論外ね」

 

 否。

 

「ははっ……いやいやいや、まさかそんな」

「……目が泳いでいる」

 

 そうではない。

 

 彼女はひとり……そうでもない。

 

 その(かたわ)らに、もうひとり、別の世界に生きているかのような立ち姿がある。

 

「ラナ、この人はなにか嘘をついている」

「同感。でも、それと商人を信用できる、できないはまた別の話だからね。私だって完全な嘘は口にしたくないと思っているけど、レトリック上の問題で、嘘か真か微妙になる言葉だったらガンガン()くからね。さっきからこの人が()いているのもその類の言葉」

「うぐっ」

「そういうものなんだ?」

「うん」

 

 なんなのだ、彼は。

 

 ラナンキュロアが十歳でチョコレートを開発したというなら、それは天才だ。

 

 天才以外の何者でもない。

 

 だがそれは、裏を返せば、天才以上の何かでもないということだ。

 

「ねぇマリマーネさん。私から引き出したいのは何? 情報? それとも譲歩?」

「ふむ?」

「それとも、試されている? 私が、その諸々を暴けるか」

「……ふむ」

 

 十歳で天才的な仕事を成す者は、いる。

 

 普通に、そこら辺に、極稀にだが、いる。

 

 はっきり言おう。天才など、商人にとってはカモだ。どうすればどれだけ上手くしゃぶれるか、それだけを気にして付き合えばいいだけの相手だ。職人の中にも、天才的技術を手に持ちながらも、それを上手く活用できない者がいる。それの仲介業は、我々のような業者にとってはおいしい商売だ。

 

 尊敬し、さすがですさすがですとおだて上げれば、それだけで気持ちよくこちらの利益に貢献してくれる。ならばいくらでもそうしよう。言葉は、笑顔は、あるいは心からの尊敬や尊重でさえも、するんはタダやから。

 

 天才は、探せばいる。一万人に一人の天才であっても、十万人に一人の天才であっても、百万人に一人の天才であってもだ。むしろ希少である方がそれを獲得した際の利幅は大きくなる。

 

「いいでしょう、白状しますよ。結構、最初はそのつもりだったんですけどね。こちらの思惑を、望みを言い当てられたらその諸々は撤回するつもりでした」

「だからずっと試すような言い方、態度だったのね」

「接客態度に不手際がありましたこと、深くお詫びします」

 

 だが(はがね)の剣でミスリルをスパスパ斬る少年など、どこを探してもいるものか。

 

 世間の常識以前に、金属の性質上無理なのだ。

 

 もしそれが当たり前であるというなら、ミスリルの防具の価値が著しく下がってしまう。ウチの在庫数だけでも、金貨三百枚以上の損失が出る。これはそれくらい大事(おおごと)なのだ。

 

「なら、今から当ててあげようか?」

「ほう?」

「ラナ?」

 

 正直、買いたい、と思う。

 

 正直、飼いたい、と思う。

 

 この少年は、(ウチ)に取り込んでしまいたいと思う。

 

 だがそれは悪手であるという計算も、すぐにできる。

 

「ロレーヌ商会直営のスィーツカフェ、そのロイヤルクラスの会員証が欲しいのかしら?」

「……ぬ」

 

 なぜなら。

 

「ロイヤルクラスの会員証は、お貴族様かロレーヌ商会の(じょう)得意様(とくいさま)にだけ発行しているモノ。お貴族様でもなく、()の商会の上お得意様になるわけにもいかない立場の方には、入手が困難でしょうね?」

「なぜ、そう思いますか?」

 

 このふたりは、ちゃんと結びついている。

 

 肉体関係があるとは思えないし、恋人というには何かが違う。だけどレオという少女の格好をした少年はずっとラナの動向を逐一追っていた。その目にはひたむきなものがあった。

 

 おそらくなにかしらの手を使えば、彼女達は簡単に引き離せるだろう。が、それで禍根が残らないという保証がない。武として手勢に置くコマには、一定以上の信頼が必要だ。それが無いコマを手駒(てごま)にするなんてことは出来ない。

 

「私を試したいというなら、絶対にわからない謎掛けをしたってしょうがないでしょ? ヒントはあったはず。それなら最初のアレがそうだったと考えるのが自然。私はここへ完全に飛び込みで入った。それなのにあのケーキが出てきた。一見、私が来店するのを観越してのことのように思えるけど、実際は逆。むしろあのケーキは、普段からこの店に常備されていると思う方が自然。接客用か、それとも()()()()なのかは知らないけどね。ともあれ、あのケーキがあったから、マリマーネさんはこういう形の()()()を思い付いた。それに……」

「それに?」

「マリマーネさん、チョコレートケーキ、本当に美味しそうに食べていたし、好きなんだろうなぁって思った。当商会を御贔屓(ごひいき)下さり、(まこと)に毎度ありぃ、です」

「ふふ」

 

 だから商人として思う。

 

 ラナから、レオを奪うのは悪手だと。

 

 天才を超えた何か。それだけのモノ、制御するには運命の結び付きが必要になるだろう。それが、彼女にはあって私にはない。残念に思う気持ちはあるが、執着は身を滅ぼす。ラナンキュロアはただの天才。ならばまだ制御可能なそれの方を、少年ごと取り込めば良い。

 

 これを機に、ロレーヌ商会へのコネを手に入れよう。

 

 今はそれが最善の策だ。

 

「どちらかといえば、()()()()の側面の方が強いですね。いつもお世話になっております」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 さて。

 

 そんなところで、交渉は終わりましたかね。

 

 ラナという人物、そしてロレーヌ商会の今後は、けして侮ってはいけないと知れた。

 

 上出来、上出来。

 

 それでは、今回の商談は、諸々の二割を撤回して、話をまとめることに……。

 

 

 

「ま、だからって値下げしてくれなくてもいいんだけどね。諸々の二割、払うから会員証はあげない」

「はいぃぃぃ!?」

 

 

 

「くす。その顔が見れただけでもういいや、工費も金貨十枚のままでいいよ。ええと、二十五の二割増しだから、かっきり金貨三十枚。綺麗な数字になったね」

「ちょっ、お、おおおまおまおまちをぉぉぉ!?」

 

 突然何を言い出しましたか!? この小娘!!

 

 長々と述懐(じゅっかい)してきた私の目論見を全部ふいにする気ですか!?

 

「言ったでしょ? 私は今、商人じゃなくて勝負師なの。金銭的には負けてあげるから、勝負には勝ったままでいたいわ」

「わかっ、わかりました! 金銭的にも負けます! 勝負もそちらの勝ちです! こちらも当店の最上級の会員証を! ラナンキュロア様へ……レオ様にも! 発行いたしますから! どうかご再考を!!」

「……そう? でも金銭的には負けてくれなくてもいいかな。最上級の会員証は、もらってあげてもいいけど?」

「ぐっ」

「うわー、ラナが凄くいい笑顔だ。悪っそうな笑顔だけど、満面だぁ」

 

 少年の足元で、犬がやれやれって感じで丸まってるのが無性に腹立たしいです!

 

「私、どうも最近思うんだけど、試されるのが嫌いみたいなんだよね。私の価値を、他人に勝手に測られるのが嫌いみたい。子供っぽい考えだとは思うけど、生理的に嫌いなんだから仕方無いよね?」

「おっしゃる通りでございます!! 大変に失礼を致しました!」

「私の知る言葉に、撃っていいのは、撃たれる覚悟がある者だけだ、ってのがあるんだけど」

「……は?」

 

 撃つ? 魔法?

 

「人を試そうという者も、試されるべき……って思わない?」

「それはどういう?……」

「金貨三十枚は払うよ? 払うけど、このお店は、それに見合う仕事をしてくださるのかしら?」

「っ!?」

 

 ちょっと……それってぇ……。

 

「金貨三十枚かぁ、あれだけ宝石をちりばめた剣が、同じ値段だったんだから、そういうのを排して実用性に絞った場合は、どこでその金額分の差を埋めてもらえるのかしらね? あ、仮に、ですが、もしそれ以上に価値のあるモノを造っていただけるのでしたら、こちらからの()()も、なにかしら考えておきますよ?」

「あ、あ、あ」

 

 それだけの仕事をしないと会員証はくれないってことですかぁ!?

 

「まいったなぁ、でももう金貨三十枚払うって言っちゃったしなぁ」

「うわぁ……これがラナが最初に言ってた”札束で殴る”ってことなのか」

「全然違いますけど!! 現状が正にその状況過ぎて否定しきれませんっ!?」

 

 というか、ロイヤルクラスの会員証の価値って、いくらくらいなんでしょうか……。

 

 スィーツカフェの上お得意様が、年間金貨で十枚以上使ってくれるようなお客様だとするとぉ……。

 

 最初に提示した、金貨四十枚くらいの価値のモノを造れってことに?……って言ってやがるな! この笑顔は!!

 

「でも大丈夫ですよね、天下に名高いドヤッセ商会なら! マリマーネさんなら!!」

「ぐ、ぅ」

 

 商売としては、高額な注文は大歓迎だ。

 

 ですが……ですけどね!?

 

 結構な無茶振りですよ!? 実用性重視でその価値のモノを造れっていうのは!!

 

「素晴らしい仕事をしてくださいね、予想以上の仕事をしていただけるのであれば、それへの報酬は()()()()()考えておきますから」

「うぐっ」

 

 くそぅ、ロイヤルクラスの会員証が欲しいのは()()()()()、だからこそ精神的に優位に立った上で、向こうからそれを差し出させようとしていたのに!!

 

 おそらく、ラナンキュロアひとりであれば、この策は通じていた。彼女は自分を勝負師だと言った。諸々の二割を撤回させるゲームに、勝った時点で彼女は満足していたはずなのだ。それこそ、気持ち良くこちらへ利益をもたらしてくれるという形で。

 

 だが。

 

「これだけやってなお、”考えておく”なんだ……」

 

 この少年が、ラナに商人の血を思い出させた。理外のモノを見て動揺する私に、彼女は落ち着きを取り戻してしまった。

 

「大丈夫、そこはきっちりしっかり、商人として取引をしてあげるから」

 

 だから、拾える利益は麦の一粒まで拾う、商人の魂でこちらへ反撃してきた。

 

「心意気などは認めねぇ、本当に価値のあるモノを寄越せって話ですよね、それ……」

 

 負けた。だからといってこの話は今から破棄することもできない。ここで断ったら底知れぬ彼女が何をするかわからないし、なにより、大変な仕事だが、こちらの利益も大きい。妙な不安を抱えたまま毎日を生きるよりは、商人として真っ当に働く方が全然いい。秤にかければどちらが重いかは一目瞭然だ。

 

 私は商人。利益(メリット)の重き方を取るは(ごう)のようなものだ。

 

「さぁ? 今ここにいるのはただのお客様。商人として判断するのは、ロイヤルクラスの会員証を携えた私になるんじゃないかな?」

 

 よく言うわ。

 

 客として来ているから、こっちが知った情報……少女の格好をした少年が、実は天才以上の剣士であるということ……を暴露するのは、お客様の秘密厳守がデフォルトの当店においては「ルール違反よ」って言いたいんでしょ。

 

 そんなの言われるまでもありませんよ、敵対する意思は、最初からありませんでしたし。

 

「……はぁ。藪をつついて蛇を出すって言葉を、ここまで実感したこともなかったですよ」

 

 というか。

 

 あなたの一存で、発行できるんですね、ロイヤルクラスの会員証。

 

 今更ながらにありがとうございますよっ。個人的には、それが一番欲しい情報でしたから。

 

 しかし、ホント、どういう立場なんです? ロレーヌ商会の中で、あなたは。

 

「そうね、犬も歩けば棒に当たるって言うしね」

「それは初耳ですね、どういった言葉ですか?」

「わぅ?」

 

 おや。

 

 自分が呼ばれたと思ったのか、わんちゃんが丸まった身体から頭だけひょこりと出して、あなたを見ておいでですよ?

 

「元々は、犬もふらふらと歩いていたら棒にぶつかって痛い想いをする……って意味の言葉なんだけど、そこから転じて、良いことでも悪いことでも、歩いていれば思いがけない事態に出会えるから、状況を変えたいならむしろ積極的に出歩いてみろ……って意味に派生したんだったかな」

「ふむ?」

「それはまた、ラナの現状にピッタリの言葉だね」

「わぉん」

 

 よくは、わかりませんが。

 

「私は、棒ですか……」

 

 あなたに……いえ。

 

「私が蛇で、マリマーネさんが棒なら、絡みつくには丁度いいかもね」

「何気なく言った愚痴まで絡め取られたっ!?」

 

 あなた達ふたりに、完敗です。

 

 

 



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epis23 : fast love -reimei-

 

<ラナ視点>

 

「ああ、良いにぉぉいぃぃぃ」

「わっ!? くすぐったぁ!!」

 

 水色の絨毯に白い浴槽。

 

 いつもの浴室。

 

 だけど今日はそこに、もうひとつの特徴が加えられている。

 

 ネロリをベースに、ローズヒップやらなにやらが配合された、そんな感じっぽい香油の匂いが充満しているのだ。

 

「いい匂いといえばいい匂いだけど、これ、大丈夫かな? 虫とか寄ってこない?」

 

 ネロリってのは、柑橘類である(だいだい)の花から抽出した精油のこと。どこかの国では橙武者(だいだいむしゃ)などともいわれ、あまり良いイメージのない橙だけど、精油としては高級品で、この香油も一瓶で金貨二枚と銀貨六十枚もした。

 

「どういう意味の虫を想定してるのかは知らないけど、むしろ今は虫を寄せようとしてるわけだしな~」

「うん?」

 

 そんなわけで。

 

 剣が完成するまで、一週間ほどお時間を戴きます、と言われてしまったので、またもしばらくのひきこもり生活です。

 

 

 

 そんな中、いくつか、レオにはいくつか試してもらったことがありました。

 

 

 

 試したこと、()()

 

 レオが棍棒のような、打撃武器を扱ったらどうなるのか?

 

 金属製の棍棒(メイス)なら、レオが最初に死体漁り……もとい、鹵獲(ろかく)していた物がありました。ここでの生活費は、その全部が(うち)と私の懐から出ていたので、(さば)きに行く必要もなく、そのままになっていたモノです。

 

 それを剣のように構えてもらい、適当な木の廃材を立て、それを破壊してとお願いしてみました。

 

 ところがところがところざわ。

 

『……身体が、動かない』

 

 とのこと。

 

 別に、金縛りにかかったであるとか、時に死と同じ扱いになる麻痺攻撃を喰らったであるとか、そういう話ではないみたいだけど、いつもの『勝手に身体が動いて斬りたいと思った物が斬れている』現象は起きないとのこと。

 

 

 

 試したこと、其の()

 

 例えば、包丁も片刃の刃物ではあります。ならばその刃を逆にして持ってモノを斬ろうとしたらどうなるのか?……包丁の背はメートル法で二~三ミリ(2~3mm)程度。刃とは比べ物にならない厚さです。

 

 メイスでは無事難を逃れた適当な木の廃材さんに、再びのご登場を願いまして、さて。

 

『普通に斬れた……』

 

 なんとレオは、それでも普通にスパーンと斬ってしまいました。(あわ)れ、適当な木の廃材さん。南無阿弥陀仏。異界の神聖なる祝詞(のりと)でご冥福を祈りいたします。祝詞か? これ。

 

 

 

 試したこと、其の()

 

 (ナタ)も片刃です。しかし包丁よりも刀身が分厚く、メートル法で十五ミリ(15mm)くらいです。これを逆に構えたらどうなるのでしょうか?

 

 二代目、適当な木の廃材さんの出番です。嫌といっても受け付けません。誇れ、そなたはこのためにこの世に生まれてきたのだ。

 

『ん……』

 

 すると、包丁の時と同じように、レオの弧を描いてモノを斬る、あの独特のモーションが発動しました。

 

 ですが、それはさすがにというべきか、コーンという音がして木材は切れず、弾き飛ばされ、飛んだ先で壁にボガンとぶつかって転がりました。期待通りの結果です。壁は後で修復が必要なほど(へこ)んでましたし、廃材の打撃面も同様の状態でしたが、レオの斬撃は、斬るという結果を伴わずとも発動し、止まるということがわかりました。

 

 

 

 となると、耐久性重視で刀身を厚く(八~九ミリ(8~9mm)程度に)してもらった逆刃刀(さかばとう)であっても、同じことが起こる気がします。

 

 まぁ、起きなかったらレオには鉈で戦ってもらうハメになりますが。

 

 ともあれ、レオの無敵が、絶対に斬るという攻撃でなかったことはなによりの収穫です。

 

 多大なる犠牲(廃材二本と壁の一画)を払ってでも、試した甲斐があったというモノですね、うん。

 

 

 

「ま、剣を発注する前に試せよって話なんだけどね」

「なにか言った?」

 

 いーえ。

 

 あの時は、勝負師とか商人の娘の血が疼いてしまったので、そっちの方にまでは頭が回らなかったぜ。

 

「でもそうか、ここまでレオが可愛くなっちゃうと、本来のターゲット以外の虫の心配もしないといけないのか」

 

 浴槽の水面へ顔を向けるレオは、今も美少女の顔をしている。

 

 夢の世界における神話のひとつ、ギリシア神話には、ナルシスト、水仙(ナルキサス)の語源となったナルキッソスなる美少年が登場する。彼は、(美の女神の呪いか何かだったかもしれないが)水面に映る自分の姿が好きで、いつもそればかり見ていたという。

 

 そのことから、自分の姿形を愛す人物をナルシスト、水面に向かって花を咲かせる水仙を学名でナルキサスというのだが……今、レオの浸かる浴槽の水面は泡だらけで、そこに人の姿は映らないし、顔も美少年というよりはやっぱり美少女だ。

 

 水仙(ナルシス)の花は、花びらの先が少し鋭角で、シャープな印象がある。葉や茎の直線的なフォルムも相まって、確かにそれは「少女」というよりかは「少年」的な美しさに見えるのかもしれない。

 

 今のレオは、細いその身体こそ少年らしいモノだけど、顔は水仙(ナルシス)というよりかは、同じ水辺に咲く花でも花菖蒲(はなしょうぶ)杜若(かきつばた)などに印象が近いかもしれない。ビビッドカラーを入れた化粧をしているからかもしれないけど。

 

「ね、レオ」

「うん?……わっ」

 

 そんなレオの顔を、両手で自分の方へと向かせる。

 

 泡まみれの浴槽に、少しだけ筋肉が付き始めた平らな胸の肢体が浸かり、そこからクールな美少女の顔が小首を(かし)げ、不思議そうにこちらを見ている。

 

 そこに、「嫌な(にお)い」は感じない。もう、汗の匂いにも感じなくなった。

 

 思っていたが、レオはきっとまだ、その……来てないのだ、二次性徴が。

 

 男性のそれが、いつ来るのかについてはよくわからない。夢の世界においても、現実においても、私がそれを知る機会は無かった。

 

 ただ、十一歳が彼の正しい年齢なのだとしたら、それはそうなんだろうなぁという納得もある。レオは栄養状態も良くなかったはずだ。本当は十二や三であったとしても、「まだ」の可能性はある。

 

 あたしはそれに安心してる。安堵もしている。だけど私は同時に、どこか酷く背徳的な、深く退廃的な、心の奥底の部分で、それを残念にも思っている。

 

 自分がレオとそうなりたいか……というと微妙なところだが、そうなった場合、自分がどう変わるのか、それとも変わらないのか、きっと恐怖から()()()()()()()であろう私を、レオがどう扱うのか。

 

 レオはどう変わるのか、それとも変わらないのか。

 

 それを知りたいと思う気持ちは、確かにある。あった。

 

「顔、メイク、落とそうか?」

「ん」

 

 今は。

 

「何度か来店してやり方は教わったし、フェイスケア用品もほらバッチシ」

 

 レオがどう変わろうとも、変わらなくても、私はそれを尊重したいと思っている。

 

「片刃の剣はともかく、その投資は本当に必要だったのかなぁ」

「必要必要、間違いなく必需品だったよ」

「嘘くさぁ」

 

 お貴族様ならば。

 

 拾ってきた子供など、自分の思うように扱って当然なのだろう。

 

 私のこれも、常識に照らし合わせれば、随分と悪趣味なモノであるように思う。自覚もしている。

 

「というかメイク落とし? くらいなら自分でやるから」

「そう? じゃあこれポイントリムーバー。こっちはロレーヌ商会(ウチ)で作ってるコットンと綿棒。それでまずはアイメイクを落として」

「んんっ!?」

 

 夢の世界の、悲劇に見舞われる前のあたし。

 

 彼女は多分、レオのような子供が、好きだった。

 

 彼女の、それとわかる初恋というか、淡いそれではなく肉体関係までをも妄想する類の片想いは、高校一年(コウコウイチネン)の時、映画館(エイガカン)で見たリバイバル上映(?????)映画(エイガ)に出ていたブ●ピなる俳優……の演じていた、歳を経るごとに若返っていくという数奇な運命を背負った人物だった。

 

 その人物が、ティーンエイジャーの姿まで若返ったその形象(けいしょう)に、彼女は恋をした。

 

「いいっ、たい、目ガァァァ」

「わ、レオ大丈夫!?」

 

 そして、どうやらこの若返っていく少年という設定が、彼女の心の奥底へ深く、深く(きざ)まれると書いて深刻な感じに、刺さってしまったらしい。

 

 彼女には若くして死んだ実の兄がいた。どうやらそれに、彼女の心は妙な形に歪まされてしまっていたらしい。ここの分析は、あたしへも痛みが返ってくるナニカなのでしたくはないけれど、()()()()は、多分無関係ではない。

 

 そうでなければ、彼女の悪徳は、悪趣味は、理解できない。

 

 彼女は母親のお下がりであるノートパソコン(?????)に、とても人には見せられないような、その映画の二次創作小説を書いた。

 

 映画では省略されてしまった、ハイティーンの少年がロゥティーンの少年へと戻り、更に二次性徴期以前まで(さかのぼ)って男性機能のない男の子に戻っていく、その部分を妄想逞しくして描いた。

 

「はい、じゃあ次、これクレンジングね、レオの肌に合うよう調合してあるはずだけど、まずは腕に出して様子を確かめてみてね。大丈夫そうならしばらく人肌で暖めてから伸ばしていくの」

「う、うん」

 

 いずれ、必ず失われてしまう、少年を溺愛する小説を書き上げた。

 

 結果、彼女は十代の後半でもう、とても人には言えないような性癖を抱えてしまう。

 

 彼女の趣味である映画(エイガ)に関してさえ、──マチ●ダが男の子だったらなぁ──とか、──異端●鳥にこんなことを感じる私は異端──とか、──ハリ●はちょっと違うんだよなぁ──とかとかとか、明らかに他人とは違う……どころか、かなりぶっ飛んだことを感じていたりもする。

 

 それを、彼女が「これを知られたらあたしは死ぬ」と思いつつ、日々を生きていたことからも、夢の世界においてその性癖は、悪趣味なんて言葉では済まされないほどの悪徳、罪悪だったのだろう。

 

「そう、最初におでこから~。指を肌に滑らせるように、ぬ~るぬる~」

「……ぬ~るぬるー」

「なんで死んだ魚の目になってるの?」

 

 この世界においても、子供をそういう風に扱うことは悪趣味、悪徳であるとされている。

 

 けど、罪悪というわけではない。

 

 実際に、今の私と同じ十三歳で妊娠する子も珍しくない。普通というほどには多くないが、聞いて驚くほどの珍事というわけでもない。お貴族様の世界となると、ユーマ王国の何代か前の王様は計算上、十歳の子を妊娠(十一歳で出産)させていたりもする。これは公式に残る記録で間違いなくそうなっている。でも、だからといってユーマ王国の王族を悪徳の一族、悪趣味な一族と罵る者はいない。

 

 だからというわけでもないが、まぁ、だから……お貴族様の世界では、拾ってきた子供など、自分の思うように扱って普通で、当然で。

 

 なにをしても罪に問われることはなく。

 

 悪徳を積むことへ、罪悪感を覚えぬ者であれば、それはもう好き勝手、悪趣味をするものだ。だからお貴族様でない私達へは、それに近づくなという教訓が言い含められている。

 

「なぜかはわからないけど、なにか大事なものを失った気がする……」

「やーね。女の子だったら当たり前にすることなのに」

「女の子じゃないから」

「うん、化粧を落としたらやっぱり男の子の顔だね」

「……化粧をしていても、僕は男だからね?」

 

 けど、今のあたしが、レオを好き勝手したいかというと……微妙なところだ。

 

 裸のレオを前にしても、二次創作小説でセキララにエガいたアレヤコレヤを実践したくはならない。

 

 それは、彼女の人生が、育てた夢想の男性像を、徹底的に破壊され尽くすような最期を迎えたからなのかもしれないし、レオがこの私を、信頼してくれている今という時間が、凄くかけがえの無いモノだからなのかもしれない。

 

 私はレオが、そういうことをしたいのであれば……最初からずっと……それは受け入れるつもりでいた。

 

 それは愛というには打算的で、望みというには後ろ向きで、欲望というには忌避感を抑えるのに必死なナニカだったけど、あたしの中に、その覚悟があったことだけは確かだ。

 

 けどレオの側に、その時期がまだ来ていないというなら、その覚悟も先送りだ。

 

 そのことだけは、心の表面……理性的な部分でも、やはり残念に思っている。

 

 せっかく、覚悟していたのにな……って。

 

 

 

「ん? ラナ、どうしたの? 僕の顔をじっと見つめて」

 

 だからやっぱり、心は複雑だと思う。

 

「……綺麗な顔だなって思って」

「化粧を落としたのに?」

 

 思えば人は、自分自身の心も身体も、永遠に自分のモノとはできないのかもしれない。

 

「綺麗は、女性的な美しさだけに()う言葉じゃないもん」

「そういうものなんだ?」

 

 だって身体はすぐに傷付くし、病気にもなる。そんなの、嫌なのに。

 

「うん……そういう……モノ」

 

 だって心もはすぐに傷付くし、病気にもなる。そんなの、辛いのに。

 

 どうにもならない世界、最小のそれは、自分自身だ。

 

「なら、ラナも、綺麗だよ」

「……ぇ」

「女性的な美しさ、ってのが何かはよくわからないけど、僕はラナの顔が好き。なら、ラナは綺麗だ」

 

 そういうもので、いいんでしょ……って、レオはイタズラっぽく笑う。

 

 なんて無邪気に……私の心を……私にも自由に扱えない心を……上手に()るのだろうか。

 

 ネロリの匂いは、もう慣れてしまったのかあまり強くは感じない。

 

 けど何かに、何かの匂いに私の頭はクラッとなる。

 

「……ねぇレオ」

「なに?」

「レオは私の護衛、私とレオは雇用関係……レオの認識は、今もそういう感じ?」

「……どうかな。でも、僕の心はともかく、契約的な何かがあるとするなら、それはそうなんじゃないかなって思う」

「契約が無かったら、私達は対等?」

「契約があっても、対等は対等なんじゃない? ラナは僕の衣食住を保証する、僕はラナの保障を保証する」

 

 それは対等ではない。命を懸ける仕事の報酬が衣食住の保証だけだなんて、あまりにも不平等だ。

 

 でも、契約なんて突き詰めれば全てが不平等だ。それが成立するのはそこに合意が存在するからで、合意とはつまり譲り合いだ。そこには一方的に譲らせる合意もある。私達の契約は、どちらがどちらに、どれだけのモノを譲らせているのだろうか?

 

 それは、この先もずっと、許されていくモノなのだろうか?

 

「レオ」

「なに?」

「キスしていい?」

「え?」

 

 言って、胸に恐怖に近い何かが現れたのを自覚する。

 それは、私の世界にあるナニカではあるけれど、私には制御できない何かだ。

 

「わからないの、自分がレオを、本当はどう思っているのか」

 

 私の世界の王様は、私だ。

 

 心と身体はその国民、つまりは民衆だ。

 

 だけど、王様が民衆の全てを掌握できるとは限らない。

 圧政を続ければいつか反逆され、立場は逆転して王は王でなくなる。

 

 恐怖心は民衆からの警告だ。あるいは傾国でもある。

 

 国に刻まれてきた歴史が民衆を不安にさせ、私という王様へ傾国の警告を突きつけている。

 

 このままでは、世界は壊れるのだと。

 

 世界を壊したい……あたしはそう思っていたはずなのに。

 

「レオのことは、好き。私はそう思っている。思っているけど、わからない。このままでいいのか、こうしてていいのか」

 

 私は男の人が怖い。

 今のレオは男の子で怖くない……怖くなくなったけど、でもいつかレオも男の人になる。

 

 その私がレオを好きでいていいのかと、今の私は怖れている。

 

「……僕は、言ったよね? ラナがどうしたいだとか、ラナがどんな悩みを持っているだとか、そんなのはどうでもいいんだって」

「……うん」

 

 その言葉は、少し寂しいと思った。けど、気楽にもなった。

 

 だからまだレオと一緒にいられるんだって、嬉しくもなった。

 

「それに、こうも言ったよね? 僕はラナが悪でもいい。極悪人でもいいって。それが法で罰せられることでも、構うもんかって。僕達に、普通どうだとか、常識ではどうだとか、そういうのは関係ないんだ」

「……うん」

 

 それはどこまでも正しくない私には、救いの言葉だった。

 

「僕にラナのことはわからない。今でも思ってるよ、ラナは変な人だって。それを、僕はわかりたい、知りたい、理解したいとも思うけど、本当に重要なのはそこじゃないと思っている」

「……どういう、こと?」

「だって、好きでもない相手に、踏み込まれたくはないんでしょ?」

「……っ」

「もしかしたら、そういう強引なのが好きな女の人もいるのかもしれないけど、ラナは違う。それくらいは僕にもわかる。ラナを知っていいのは、ラナがそれを許した相手だけだ」

 

 レオの言葉は優しい。どうしてそんなにもと思うほど、優しい。

 それを、嬉しいと思う反面、いっそ何かを斬る時みたいに、誰か殺す時みたいに、バッサリとやってくれればいいのにとも思う。

 

 私は私自身を信じていない。

 

 私自身が出す答えは間違いかもしれない。

 

 きっとそうだ。

 

 よく、迷ったら心のままにとか、身体が求める方へとか、そんな風に言う人がいる。私にそんなことを言ってくれた人はいないけど、どこかの誰かがどこかでそんな言葉を垂れ流している。

 

 けど、私は私の、自分自身の心も身体も、信じられないのだ。

 

 私はただ傾国に怯えるだけの裸の王様だ。

 

「でも……それがわからないから」

 

 何を信じればいいかわからないから、どうしていいかもわからない。

 

「キスをしたら、それがわかるの?」

「……え?」

 

 それは、ゆっくりとだった。

 

 本当に、ゆっくりと、レオは、私の顎先に人差し指を当て、私という王様の顔を上向きにする。その角度はゆるやかで、たとえ、私の頭に王冠が載っていたとしても、けしてそれがズレ落ちたりすることはなかっただろう。

 

「僕は、変わらない。僕はラナを護る。ラナがそれを許してくれる間は」

「う……」

 

 怖い。この先にあるモノが怖いと、心が叫んでいる。

 

 脳裏に、汚らわしい諸々の記憶が蘇る。

 夢の世界の、その終わりの、あたしの世界が破壊しつくされた、無限の地獄みたいだったあの光景、その情景。

 

 この肉に宿る呪いが、私に牙を向いている。

 

「……震えてるじゃない」

 

 痛ましいモノでも見たかのように、レオが目を細め、呟く。

 

「あ……」

 

 言葉が出てこない。

 

 あたしの口は、あの時、男達が望む音以外、一声(ひとこえ)すらも許されなかったから。

 

 けど。

 

「無理、しないで、僕はラナを護るためにいるんだ。傷付けたいわけじゃない。たとえ傷付くことを、ラナが望んでいるのだとしても、ラナを傷付けるラナを止めるのも、僕がすべきことだと思うから」

 

 それならば。

 

「……違うの」

 

 それを言えたのは、私だったのだろうか? あたしだったのだろうか?

 

「怖いけど、嫌じゃないから……違う」

「……どういうこと?」

 

 たぶん違う。私の心も身体も、あたしの心の身体も、どれも違う。

 

「怖いよ。怖いに決まってるじゃない!……私はレオが好き。好きな人と初めてのキスをするの。この身体で、生まれて初めて好きな人とキスをしたいと思ったの! 怖いに決まってるじゃない!!」

 

 これは()()()だ。

 

 レオを好きという気持ちが、私にこれを言わせている。

 

「……それだけじゃないように思えるけど」

 

 それは酷く弱々しい何かだった。何も(すが)るモノの無い孤立無援の何かだった。

 だったら私は、それを、私だけは肯定しなければならない。

 

「そんなことはもうどうだっていいの!」

 

 どれほど愚かしく、みっともなくなろうとも。

 

 もし、それを心と呼ぶのならば、その心の名はきっと……いや、そんなことすらも、もうどうだっていい。

 

「どうだっていいって……ラナは自分が何を言ってるかわかってる?」

「うっさい! 怖いけど、でも嫌じゃないって……女の子が覚悟決めてるんだから! 男を見せなさいよ!!」

「……ふーん?」

 

 と、そこでレオが、「そういうことを言うんだ?」と、少し酷薄な表情を見せた。

 

 私は、真っ白になった頭で──あ、その顔いい──と思った。

 

 だからやっぱり、私の心は狂っていると思った。

 

 そんな、普通ならネガティブな意味しかないモノを、美しいと思ってしまうのだからと。

 

「女の子の格好をさせておいて、今度はそんなことを言うんだ?」

「うっ」

 

 それを言われると痛い。

 

 怯む私に、レオの、私の顎先を掴む指の力は強くなり。

 

「いいよ、じゃあ僕が決める。ラナ、もう嫌と言っても逃がさない」

 

 もっともっと、美しいと思える顔で、言い切る。

 

「えっ!?」

 

 だけど言葉の割に、レオの動作はやはりゆっくり、とてもゆっくりと進む。

 

 だから私は、目を、見開いたままレオの顔が近付いてくるのを見ていた。

 

「ラナ……僕は」

 

 何も考えず、ただ、見ていた。

 

 レオが目を(つむ)り、鼻が当たらぬよう少し首を傾げる……その瞬間を見ていた。

 

 見て、何かを判断するとか、見て、それをどう考えるとか、そういう、「観察」的な意味の「観る」……そんなモノではけしてなくて、ただ光が、視神経を通り、脳内へ情報として達して、それが結ぶ像の、そのありのままの姿を見ていた。

 

 あれほど(うるさ)かった恐怖心ですら、今は沈黙していた。

 

「僕はラナが好きだよ」

「んっ!?」

 

 そのまま、ふわりと、唇と唇が重なる。

 

 頭の、理性とかなんかそんな名前の、心とはまた別にありそうな意識の表面が──ああ、唇にしてくれるんだ──って、莫迦(バカ)なことを考えていた。

 

 ──ま、でもそうだよね、キスって男女が合意の上でするなら、唇と唇だよね。ここでおでことか頬っぺたにしてきたら、それはそれでお笑い種だったかもしれないけど……そこは可愛くないんだね、レオ。

 

 そんな、どうしようもなく莫迦(バカ)なことを考える意識の表面は冷静だ。冷静のつもりだ。けど、どこかから「どこがよ?」とあたしがツッコんでくる。わけがわからない。

 

「んんぅ!?」

 

 だからもう、心がもう、身体がもう、民衆がもう、一斉蜂起寸前になっている。

 

 心臓が、早鐘というよりかは除夜の鐘でも打つような感じで、バッキュンバッキュンと重々しく鼓動を刻んでる……それは、なんか情緒がなくて嫌だと思う。そこはせめてリンゴーンと鳴る鐘の音にしてほしいと思う。やっぱり私の身体は不自由だ。どうしようもなく不自由だ。

 

 全身が熱い。顔が熱い、耳が熱い、足の先が、手の先が熱い。どこにあるかもわからない心は沸騰寸前だ。しゅーしゅーと、気化した想いはどこから出て行くのだろうか?

 

『もう嫌と言っても逃がさない』

 

 逃げられない。その熱はどこへも逃げていかない。私の中を熱湯のまま巡回して、私の嫌いな私を焼き焦がしていくかのようだった。

 

 だけどその無限のような一瞬は、簡単に終わってしまう。

 

「……ごめん」

 

 私はいつの間にか、目を(つぶ)っていた。

 だから言われるまで気が付かなかった。

 

「……え?」

 

 それが、あふれていたことに。「想いがあふれるならそこしかないじゃない」ってあたしが言ってる、その部分の決壊に。

 

「意地悪を、しちゃった」

 

 レオの指が、私の目の下を拭う。

 

「けど、逃げなかったね。なら、その涙は、どっち?」

 

 いつの間にか離れていた顔が、もう酷薄でもなんでもなく、ただただ美しいその顔が、問い掛けてくる。

 

「……え」

 

 私は泣いていた。嫌じゃなかったのに泣いていた。

 

 レオを好きなのに、好きなレオに好きと言われて泣いていた。

 

 やっぱり、私という裸の王様は、心も身体も自由には出来ないらしい。

 

「どっちって……」

 

 嫌だから泣いたのか、嬉しいから泣いたのか、どっちなのか……ってこと?

 

 そんなの、私自身わからないけど、でも決まっている。

 

 レオに、応えるのならば。

 

「僕はラナを知りたい、わかって、理解したい。それを許してくれるの? くれないの?」

「……っ」

 

 ああそうだ。私の、わかりきった答えなんてどうだっていい。

 

 レオに、レオにとって重要なのは私の、私自身の合意だ。

 

 合意とはだから譲り合いで、私はたった今、沢山のものをレオに譲ってもらった気がする。イタダイテしまった気がする。本当に応えなければいけないのは、それに対してだ。

 

「レオ」

「なに?」

「私、もう一度レオとキスがしたい。今度は私からキスがしたい。嫌?」

 

 だから私は応え、答えた。私自身の全てを伝えた。今の、本当に心も身体もあたしも想う、私自身の総意を、その意思を、気持ちの全てを伝えた。

 

「それが、答えなんだ?」

「うん。それが私の答え。そこから何を知るのも、わかるのも、理解するのも、レオに任せるよ」

 

 言い切ってから、何も後悔してないことに気付く。

 

 だから心の片隅で、()()が笑う。

 

 私を信じて良かったと笑っていた。

 

「……意地悪なんだね」

「うん、だからおあいこ」

「なるほど」

 

 そうして、レオはしばし考える。

 

 鋭い視線が、時折こちらをチラリと見ながら、私の気持ちを探るように舐めつけていく。それは私を試すような眼差しではあったけれど、私はレオにそうされることを許したのだ。今更それを、嫌とは言えない。

 

 ……もう、そんなこと、心も言ってなかったけれど。

 

「じゃあ、ほらどうぞ」

 

 ややあって、レオはならばと、こちらへ、誘うように手を広げた。

 

「え?」

「ラナからキスがしたいんでしょ? どうぞご自由に、ラナに任せるよ。撃っていいのは、撃たれる覚悟がある者だけだ……だっけ? 僕は出来ているよ、覚悟。ラナはどうなの?」

「うぐっ!?」

 

 うわー、そうきたか。コンチクショウ。

 

「……意地悪」

 

 でもおかしい。

 

「うん、おあいこ」

「ぷっ」

 

 おかしくておかしくて、今度は何か違うものが口からあふれた。

 

 その音はなんだかとっても滑稽で。

 

 ああそれは、とてもとてもおかしなことだと思った。

 

 だから。

 

「あはは」「あはははは」

 

 だからふたりは、そうして、ひとしきり笑い、大笑いして、それから二回目と……あと数回のキスを交し合った。

 

 どれも唇と唇でする、子供みたいな、子供同士のキスだったけれど、たぶんそれが今の私達の……本当は正しくない……でも私達に最適化された最高の合意の()(かた)だったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、マイラだ」

「げ」

 

 いつの間にか、温かかった湯は冷めていた。それに気付かないくらいの時間だった。

 

 このままではレオが風邪をひいてしまうからと、私は慌ててレオをお風呂から上げることにした。

 

 泡だらけのお湯(もうほとんど水だったけど)を下水へと流し、腰にバスタオルを巻いたレオの髪を別のタオルで拭いていると、浴室へのっそのっそと歩きながら入ってくる大きな身体が見えた。

 

「うー。コイツ、これまでは自分からこの浴室へ来るなんてこと、しなかったのに」

「そうなんだ? なんだお前、この匂いが好きなのか?」

「わぅ?」

「ネロリの?……犬ってそういう生き物だっけ?」

 

 マイラはレオを最初に見たとき、尋常じゃない吠え方をした。スラム街の臭いが不快だったのだろう。人間の数千倍とも言われる嗅覚の犬には、とにかく排除すべき対象であると思えたのかもしれない。そうなら、仕方の無いことではあったんだろうと思う。

 

 けど、丁重にお招きした客人へ、そのような対応をされた私も不快だったから、マイラはしばらく私やレオからは隔離してもらっていた。

 

 裏門の辺りに首輪で繋いでもらい、こちらへは来させないようにしていた。

 

 裏門は使用人達も出入りする場所だから、むしろ(マイラと触れ合う機会が増えた使用人達からは)喜ばれていたくらいだったし、レオがいる間はそのままでいいかなと思っていたけど……ここにきて私は、その考えを改めた。

 

「それにしても、今日ももふもふだな~、おまえは」

「くぅん」

 

 マイラに触れているとレオは、なんだか優しい顔をするのだ。

 

「わ、頬っぺた舐めるなって。こっちはまだ裸なんだってば、毛がつくからじゃれるなっての」

「なっ!?」

 

 別段、その鋭い目が、マイラの耳みたいにくてっと垂れ下がったりはしないものの、普段はその全身から立ち上っている険しさというか、緊張感というか、寄らば斬るとでもいいたげな張り詰めたものは、マイラと触れ合っているその間だけ、薄まる。

 

 水仙(ナルシス)でも花菖蒲でも杜若でもなく、その時だけは印象が華やかなジャーマンアイリスになるというか。

 

「マイラ~、あなたは抜け毛が凄いんだから、ステイ!」

「……きゅぅん」

「あはは」

 

 その顔は、嫌いじゃない。

 

「でも、いつ見てもぶっとい前足だな、おまえ。ほらお手」

「わぅ」

「わ!?」

「浴槽に足をかけないでー!」

 

 私は人を殺すレオを見て、それを自分の特別と思った人間だ。

 

 だから険しいレオは、好きだ。時に美しいとすら思う。

 

 けど、そうしてマイラと戯れるレオも、嫌いではない。

 

「それにしてもお前はでっかいな~。一瞬浴槽がひっくり返るかと思った。水が入ってないと、案外軽いんだね、これ」

「体重、レオよりもあるもんね、下手したら私とレオふたり分よりも重……」

「わうっ!」「きゃっ!?」

「ん、怒ったのか? お前。よーしよし~」

「きゃうぅぅぅん」

「びっくりしたー……体重、重いって言われて怒るの? 犬が?」

 

 私では与えられてないものを、マイラがレオに与えているのだと思うと、それはなんだか少し、嫉妬したくもなる。けど、私は私に足りないものが沢山あることを知っている。

 

 それにマイラは、犬だ。私とは与えられるものが違う。それはもう確認し合った。今更それへ嫉妬するのは、さすがにみっともない。

 

 だからまぁ、今のマイラへは、さほど悪感情はないのだけど。

 

「じゃ、ここへ着替え、置いておくから……ほら、マイラもこっちにくる」

「くぅん?」

 

 本当に、全然それはないのだけど。

 

「うん。マイラ、またな」

「わぅん……」

 

 ないったらないのだけど……折角洗ったレオに、ベタベタと(よだれ)をくっつけるのだけは、やめてよね? それじゃ、ディープな方のキスみたいじゃない。

 

「ほら、くーるーのー」

「わぅぅぅん~……」

 

 だからこれは嫉妬じゃなくて、衛生管理上の問題だからね?

 

 ホントだよ?

 

「きゅぅぅぅん~……」

「ええい、可愛い声で鳴くんじゃないっ」「きゃうん!?」

「なんで怒ってるの? ラナ」

 

 知らない。

 

 

 



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epis24 : Bring agape back!

 

 ──どうして、自分には運だけが足りないのか。

 

 その男は、自分が優秀であると思っていた。

 

 だが、ひとつだけ人より劣るモノがあるとも思っていた。

 

 ──全てにおいて恵まれて生まれた自分が、唯一持っていないもの。

 

 それが運。

 

 彼は今、猛烈にそう思っている。

 

 ──運は大事だ。全てに恵まれていたとしても、運が無ければそれだけで全てがひっくり返されてしまう。我が人生において悪いのは全て運。全部(ラック)のせいだ。

 

 彼の思うそれは、正しいとも言えるし間違っているとも言える。

 

 まず彼が恵まれていたか、そうでないかで言えば、間違いなく彼は恵まれている。

 

 財務省の貴族官僚という、国の重要セクションに強いコネを持つ家の生まれであり、健康面でも本人が思う通りに壮健で頑健、少なくとも肉体面では何の問題も無い身体を天より授かっていた。

 

 頭脳も。

 

 別に彼は、頭が悪いというわけではない。

 

 幼い頃から家庭教師に叩き込まれてきた計算能力、それを背景にした事務処理能力は高い。体力も十分にあるから、人の何倍もの仕事を苦も無くやってのけてみせる。

 

 そう、彼は、仕事は出来るのだ。

 

 ──だのに、なぜこうなった。

 

 だが、諸々に恵まれていたとしても、人生は、それだけでは思うようにならない。

 

 なんやかんやで(まま)ならない。

 それが、人の世の複雑怪奇というモノである。

 

 ──私は、間違ったことをしていないはずだ。

 

 彼は三十代の前半という若さで、財務省(ざいむしょう)王都財務局(おうとざいむきょく)の局長となった。

 

 ユーマ王国における王都財務局は、その名の通り王都における財務の統括、金融、貸金業の監督と、王の定めた公益品、公益施設が上手く回っているかを監視する役割がある。

 

 その局長は、本来ならば様々な要職を歴任してきた五十代なり六十代なりの老練家(ベテラン)に与えられる重要ポストである。

 

 この抜擢は、彼の事務処理能力の高さを考慮してのものでもあるが、それよりは彼の一族がこれまでに積み上げてきた貢献、その大きさを考慮した面が強い。次期の適任者であると看做(みな)されていた人物が、相次いで病気にかかり勇退してしまったという事情も、背景にはある。そこには、彼の父親も含まれていた。

 

 ──なぜだ、なぜ私はツイていない。

 

 しかし彼は、その()()を、通常よりも遥かに早い出世を、ある種の妄想の燃料としてしまった。

 

 ──私は神に選ばれた特別な人間であるというのに。

 

 その思い込みは、諸々恵まれていながらも人生の要所要所で()()()に損をしてきた……と思っている彼を、強烈に慰め、鼓舞するものであった。

 

 ──私は、何も間違ったことはしていない。

 

 ──だのに、なぜ。

 

 王都財務局において、その取り扱いが難しい公益品に「塩」がある。

 

 人間が生きていくのに、そして味わい深い豊かな生活をするのにも、「塩」は必須だ。

 

 だが王都は内陸の都市だ。最も近い海岸線を持つ南の公爵領、ボユの港でさえ、馬車では何日もかかる距離にある。そして岩塩を産出する土地も、近くにはない。

 北の岩切り場も、岩塩が産出するのであればスラム街などにはなっていなかったであろう。

 

 これにより、王都において「塩」は最重要資源のひとつと看做(みな)され、それは国により管制(かんせい)されし官製品(かんせいひん)となっている。交易品(こうえきひん)であり、公益品(こうえきひん)でもある。

 

 そこには多くの利権がある、特権がある、占有されし知見がある、迂闊に手を出せば痛い目を見るかも知れぬ危険をも孕んでいる。

 

 ──どうして、どいつもこいつも私を信じない。

 

 だが増長した彼は、言ってしまえばそこへ手を突っ込んでしまった。それも素手で。

 

 ──どうして、どいつもこいつも私を認めようとしないのだ。

 

 ──正義は、この私にこそあるというのに。

 

 塩に関して。

 

 その王都における流通と、その管理については王都財務局の管轄だ。だがその製造については王都財務局の管轄ではない。それどころか財務省の管轄ですらない。

 

 海水より良質の塩を産出するその製造方法に関しては、ボユの港を治める南の公爵家が占有している。そして公爵に対し命令を下せるのは、国王ただひとりである。言ってしまえばそれは、国王と南の公爵のみの特権なのだ。

 

 その仕組みを、彼は完全に無視した。

 

 彼は、塩はその製造から流通までも財務省が一括で管理管制すべきであると主張した。

 

 塩の製造方法は、財務省にも知らされるべきであると主張した。

 

 そこまではよかった。それはただの上申であり提案だ。彼はただのいち局長であって省の大臣ではない。その言葉に、彼が思うほどの重みはない。

 

 ある意味、新参者らしい暴走ともいえる。世の仕組みが理解できている多くの同僚……多くは年上だが、一部は年下……に鼻で笑われ、省においては煙たがられ、局内においても軽んじられる結果となったが、それによって彼が職を追われるというところまでは行かなかった。その時点では。

 

 ──私はこの国を愛してる。私を生んでくれたこの国に感謝している。

 

 ──ならばその恩は返さなければならない。

 

 ──この国を、美しい国としなければいけないのだ。

 

 だが彼は彼の信念を貫いた。貫いてしまった。「恵まれた自分」が天啓のように閃いた「良策」であるのだから、これは貫き通さねばならぬモノであると信じてしまった。

 

 そして、そんな……深夜のテンションで思い付いたアイデアに人生を賭ける莫迦者(バカモノ)が如き愚行を、彼は本当に実行した。実行してしまった。

 

 父が職を勇退したことで、(いえ)においても実質上の家長となっていた彼は、(いえ)の金を使い、南の公爵領へと密偵を放ったのだ。

 

 ──だからこそ、この国のため身銭を切って働いたというのに。

 

 塩の製造には多くの者が関わる。

 その製造現場も、海沿いのどこかであるというのは自明の理だ。

 密偵を送り込めば簡単にその製造方法は知れるだろう……と彼は考えた。

 

 当然、国の重要機密を扱う公爵家に、防諜(ぼうちょう)の備えが無いはずもない。

 

 呆気無くその(くわだ)ては挫かれる。

 

 だがそこで幸運だったのは……あるいはより深い不幸を呼び込む原因となったのは……彼が他人を、あまり信じられない性格であったということだ。自分以外のほとんどは低俗で愚か、信じられるはずが無い……それが彼の()る世界の形だった。

 

 ましてや金で動く密偵など、彼にとっては人以下の存在だ。計画上の必然が無かったとしても、そのような者へ名を伝えるなど、蚊に血をくれてやるよりもおぞましい。

 

 だから彼は、密偵へ自分の正体が知られぬよう努めた。

 計画の中で、そこにこそもっとも力を入れたといっても過言ではない。

 そして繰り返しになるが、彼は別に、頭は悪くない。

 その彼が織りなした重層的な迷彩は、至極真っ当に機能していた……ただひとつの例外を除いて。

 

 そうして密偵は、自分の依頼主が誰であるのかを知らぬまま南の公爵領へ潜入し、呆気無く捕まり拷問を受けたが、その口から王都財務局局長である(ゲリヴェルガ)の名前が漏れることは(つい)ぞなかった。

 

 ──計画は、目的を果たせないという、ただその一点を除いて上手く回っていた。

 

 ──あとは目的が果たせるまで繰り返せば良い……それだけだったというのに。

 

 塩の専売に絡む諜報と防諜の戦いは、それへ関わる者にとっては日常茶飯事である。

 

 王都財務局局長の莫迦(バカ)げた上申も、省内で片付けられてしまったから、南の公爵まではその情報が伝わっていない。

 

 ボユの港を治める公爵は拷問官の腕を信頼していた。それで情報が得られないのであれば仕方無いと判断してしまった。それ以上の調査は行われなかった。

 

 そうした()()にも助けられ、彼の計画は上手く回っていた……ある意味においては。

 

 ──なのに……あいつらが。

 

 しかし幸運と不運は表裏一体でもある。

 

 彼は密偵を金で雇った。

 多大なコストをかけ、自分の正体を隠して雇った。

 

 それが何回も、簡単に潰されてしまった。

 

 この繰り返しが、(いえ)の財産を浪費する。

 

 ──また、あいつらが俺の邪魔をしやがった。

 

 発覚は、転落は、彼のこれまでの人生そのままに、身内よりのモノとなった。

 

 ──忌々しい、肥え太った豚と腰巾着が。

 

 彼には騎士となった弟がいる。兄弟の中では次男。彼から見て姉である長女の(がわ)に付いていた、莫迦(バカ)で愚かな……と彼が思っている弟だ。

 

 ──どうして父上も、あのような者を頼ってしまったのだ。

 

 王宮に仕える騎士となっていた彼の弟、次男は、ある日父親より実家の財務に不明な点があることを知らされる。病を患い、めっきりと老け、衰えてたとはいえ、彼らの父もかつては財務省の官僚だった。家における少々の変化から、財務におかしい点があることを察した。

 

 そうして次男は何度か実家へと戻り、密かに兄の調査をした。

 

 次男は、莫迦(バカ)で愚かなどではなかった。

 素質的な意味では、兄と同程度の頭脳を持っていた。

 そして正義感と、それを貫き通す粘り強さもまた、兄と同程度にはあった。

 

 彼らは似た者同士だったのだ。向かう先がほんの少し違っていただけで。

 

 そうして弟は突き止めた。兄の、反逆罪にも匹敵するその行為を。その証拠を。

 

 ──ああ忌々しい、本当に忌々しい。我が弟ながら殺してしまいたい。

 

 結果的に、ゲリヴェルガは王都財務局局長の座を追われることになる。

 

 その後釜には、彼らの姉、長女の嫁ぎ先である伯爵家縁故の者が座った。

 

 ──ああ忌々しい、本当に忌々しい。我が姉ながら今すぐ豚の餌になってもらいたい。

 

 ゲリヴェルガの罪は、実家の存続を望んだ姉と弟によって秘匿された。しかしその罰は容赦なく下り、彼は長女次男の姉弟に弱みを握られた。全ての要求へ首肯(しゅこう)せざるを得ないという状況に堕とされてしまった。

 

 ──ふざけるな、どうしてこの俺が『あなたは莫迦(バカ)だから』『兄さんはもうさ、真面目に仕事するだけにしてなよ』などと言われなければならない。

 

 ──私は神に愛された男だ。私はこの国を良くする使命を、この国を美しい国とする使命を神より(たまわ)ったのだ。

 

 ──なのに、どうして上手くいかない……。

 

 彼はいまだに、自分が間違ったことをしたとは思っていない。

 

 信念を貫くことこそ、神の命じた崇高なる使命だと思っている。

 

 自分が正義であると信じている。

 

 それは、ある意味においては間違ったことでもない。王族による塩の独占が悪だというなら、彼は正義であろう。彼が求めたのは、塩の独占は財務省に……もっと言えば、この神に選ばれし優れた俺に……全てを任せろというモノだったが、それでも「彼にとって」それは間違いなく正義であったことだろう。

 

 正義による支配を求めるのも、美学による統治を求めるのも、結局は絶対君主制を認めろというに等しい。その意味において、「神に選ばれし」自分が「絶対君主」となるべき……そう考える彼には、間違いなく正義があり美学がある。

 

 ただ、それが世間に認められるかどうかは所詮、全部(ラック)

 

 ──やはり運だ。私には、運が足りない。

 

 世間というのは、彼が思う以上に複雑だ。それは計算能力や、地頭の良さだけではどうにもならない領域でもある。独善的な正しさがまかり通るわけではない世界、美しいと感じるモノは人によって異なる世界、自分の都合ひとつでは動いてくれない世界、それと……そういったモノと、どういった姿勢で向き合っていくかという、それは個々人(ここじん)へ与えられた永遠の課題だからだ。これはスポーツの世界において、どれほど体力や運動能力に優れていたとしても、姿勢(フォーム)がおかしければ結果は出せず、それどころかいつか身体も壊してしまうことに似ている。

 

 ──だからこそ私は、幸運の女神を味方につけるしかない。

 

 ゆえに彼は壊れた。世界に対する姿勢がおかしくて、壊れてしまった。

 

 彼は欲している。自分の妹が本当に可愛らしく思えた、その頃を思い出させる姪の肉体を。

 

 彼は欲している。自分の妹のせいで没落するかもしれなかったロレーヌ商会が、しかし再興するきっかけとなった()()()()()()()姪を。自分へも財をもたらしてくれるだろう幸運の女神を。

 

 彼はだから信じた。姪、ラナンキュロアこそが自分の運命の相手であるのだと。

 

 運命の相手なのだから、どのような手段を使ったとしても、それを手に入れることこそが、神の意に沿うことであると信じた。

 

 それこそが、今の彼にとっての「正義」だった。

 

 自分を軽んじた人間、自分を敵対した全ての人間に天罰が下り、自分と自分の愛する者だけが神の愛(アガペー)によって祝福される。嗚呼……それはなんと「美しい世界」なのだろうか。彼はそこへ向かって猛進(もうしん)している。(おの)が「正義」を妄信(もうしん)している。狂った道を邁進(まいしん)し続けている。壊れてしまった彼の迷走は、だから止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

「……くそ」

 

 彼は卓上の呼び鈴を鳴らす。

 

 そうしてから椅子の脇に置いてあった剣の柄を握った。

 

 この数ヶ月、苛立ちが脳内を、体内を、常に焦がしながら巡回している。

 

「どうしてわからない……私に奉仕することこそ、この国に奉仕することなのだということが……我が妹を奪った下賎の非国民め……」

 

「へへ、お呼びですか? 旦那」

 

 執務室へ、本来の(ゲリヴェルガ)ならば下賎といって蔑む種類の男が入ってくる。

 それは明らかに()()()ではない風貌と出で立ちだった。

 

 元々いた()()()な家の使用人は、もはやゲリヴェルガの命令を聞こうとはしない。それらはもはや、彼にとっては長女()に雇われる形でこの家に潜入しているスパイでしかない。執事長は彼の息子へと希望を託し、それにべったりだ。

 

 妻は「あなたは異常よ、もうついていけません」と家を出ていった。離婚こそしていないが、別邸にて別居中の妻には指一本触れることが出来ないため、自慰や商売女を抱くなどはプライドが許さぬ彼の性欲は、溜まる一方だった。

 

 そうして彼に残った「手駒」は、今、目の前にいるその男、ただひとりだけとなっていた。

 

「進捗はどうなってる!」

「おっとぉ、開口一番イラついてんねぇ。わりぃことは言わねぇから、色街にでも行って一回発散してきなって。いい子、紹介しますぜ?」

 

 短い赤毛を、油か何かで逆立てた男。

 

「下らん! 話をはぐらかすな!!」

「情のふけぇ女に抱かれて眠るってのも、最高なんですがねぇ」

 

 下卑(げひ)た笑みを浮かべる、その頭の両脇には虎縞の刈り込みが入っていた。

 

「低俗な話は真っ平だと何度も言ってるだろう!」

「低俗ねぇ……ま、進捗なんて、あったら速攻報告しに伺ってんだけっど。報告がないってこたぁ、進捗もないってことなんで」

「ぐっ……」

 

 現在、ゲリヴェルガの「手駒」としてそこにいる赤毛の男性、彼は名をアルスという。

 赤毛は南方の大陸に多いと聞いているが、混血が進んだボユの港周辺では普通に見る髪色でもある。そこら辺が出身なのだろうとゲリヴェルガは思っていた。

 

「この三ヶ月でお姫さんが出歩いたのはたったの()()、パパのお店に行ったのと、旦那の弟君に逢いに行ったのと、冒険者ギルドから東の森へと出向いたのと、既に報告済みの()()()()でさぁ」

「だから東の森の時に動けと……」「待った待った待った、説明したハズですよねぇ? 東の森は魔物の巣なんですって、しかも旦那の弟君、黒槍のコンラディンも一緒だったんですぜ? 今動かせる人員じゃとてもとても。コイツが足りませんぜ?」

 

 おどけた顔で、指で丸を作ってみせるアルス。彼は、簡単に言ってしまえば冒険者崩れなのだという。

 

「だから言ってるだろう! この策が成功すれば私は絶対に財務省で返り咲く! そうすれば報酬など」「先立つモンがねぇとどうにもなんねぇんすよ、この世界」

 

 立身出世の夢を見て王都へと(のぼ)り、そこで夢破れて落ちぶれた男……とゲリヴェルガは聞いている。一応、今でも王都の冒険者ギルドに籍は置いているらしいが、そちらからの仕事は何も請け負っていない状態だという。

 

「生きる死ぬの世界に生きてるモンを動かすにゃあ、先立つモンがいるんですよ。そうじゃなかったら信頼関係ですかね。旦那が身分を明かしてくれりゃあ、もう少しやれることも増えるんですが?」

「何度も言わせるな! 私の名は絶対の秘密厳守だ!!」

「だったら、やっぱりコレですかねぇ。旦那の今の予算でやりくりするなら、成功率が高ぇ一回に賭けるしかねぇと思いますぜ? それに、あんま下手に動くっとあっしみたいなんに、また出所を特定されますぜ?」

「ぐ……」

 

 アルスは、自力でゲリヴェルガの重層的な迷彩を潜り抜け、その正体まで辿り着いたただひとりの人間だ。それで脅迫でもするのかと思えば『あっしを雇ってくんねぇかな』と来た。当時のゲリヴェルガは困惑したものだ。

 

「だからそれをいつまで待てばいいと聞いている!!」

「やー、旦那の姫君は出歩くのが月に一、二回って深窓の令嬢様じゃねぇっすか。それも最近は警戒してるのか、中央の、()()がうじゃうじゃいるところしか通らねぇってモンだ。冒険者ギルドへ行った時は馬車まで使ってたしなぁ」

 

 アルスは目端の利く男だった。自分の迷彩を潜り抜けたことも、自分の有能さを信じているゲリヴェルガには評価できるポイントだった。そしてなにより、おそらく「その道」に長けたアルスを、人知れず葬り去る手段が、今のゲリヴェルガには無い。

 

 だから危険とは思ったが屋敷へと招き入れ、「手駒」として扱うことにした。当然屋敷にいる間は丸腰にさせ、こちらは常に武器を手元においている。それでも勝てる気はしないのだが、牽制の意味でもこの扱いは必要……だとゲリヴェルガは思っている。

 

「成功率が高い一回に賭ける、そう言って最初に失敗したのはお前だろうが!!」

「いやー、あっしゃあ五人でも成功すると踏んでたんですがね、あそこで七人全員を動員したのは旦那のご命令でしたけど。ふたりは残しておくべきでしたよねぇ。そうしたらもう少し今が楽になったんですが?」

 

 アルスは嫌みったらしい笑みを浮かべ、人指し指で右側の耳を掻きながら言う。

 アルスはそちら側の耳が少し欠けている。冒険者崩れならばさもありなんといったところではあるが、ゲリヴェルガはその一点でもって、彼を自分の家畜のようなものであると思うことにした。家畜の耳は、時に目印としての穴が開けられたりしているからだ。

 

御託(ごたく)はいい! 最初の失敗の責任を取れ!!」

「責任っつわれてもねぇ、最初の襲撃がどうして失敗したか、全員やられちまったんで、その原因すらわからねぇときた。ひとりは監視役に置いておくべきってぇ、あっしゃあ言いましたよね?」

 

 耳をほじった左手の小指を、ふっと息で払いながらアルスは皮肉な笑みを浮かべる。

 

 ──クソ、下賎の者はこれだから。

 

「私が命令したのは! お前も含め八人で事に当たれ、だ!!」

「そうしたら成功してたってぇ?……勘弁してくだせぇよ旦那、七人をやったのはとんでもねぇ手練(てだれ)ですぜ? ロレーヌ商会にゃそんな人脈、ありゃあしねぇってのは前にご報告した通りですがね。……スラム街に凄腕の剣客でも来てたんじゃねぇですか? 剣の試し切りに」

「だったらそれが誰か突き止めろ!!」

「喧伝されている中にはいませんねぇ、該当者。そうすっと影働きをする類の連中ってことになんですが……あっしの人脈はなんていいますかね、裏街道の表層部がメインなんっすよ、軍や騎士の下部にも少しゃあ手を広げられますがね、どこぞの貴族に囲われてる凄腕の剣客の情報なんざ、どうにもならねぇ領域っす」

「使えん!!」

「スラム街もまた、特殊な領域っすからねぇ、情報を得るのは簡単なんですがね、そいつの真偽を確かめるってぇのがまた、とんでもなく大変でぇ。今回のも心当たりがないか、その辺のやつらに当たってみたんですが、もうでるわでるわ、胡散臭ぇ話が山盛りのテンコ盛りよぉ」

 

 曰く、自分がやった……刃物のひとつも持っていないのに?

 

 曰く、そういうことをしそうな魔物見た……全ての致命傷は刀傷だった。

 

 曰く、軍隊がやってきた……軍隊が動いたかどうかぐらい、簡単に調べられる。

 

 曰く、警邏兵(けいらへい)がやった……そんな凄腕が警邏兵などやっているものか。

 

 曰く、ここら辺のボスならそれくらいできる……できねぇよ。そこの調べはついてる。

 

 曰く、ここら辺には無敵のクソガキがいて……莫迦(バカ)か。

 

「そんなわけなんで、次の襲撃のタイミングを図っているトコなんでぇ、まぁ次は俺が監視役になるんで、大人しく待っていただけないっすかねぇ。家へ直接襲撃するのは今でもNGなんっすよね?」

「それだと目的を達した後に、ことを穏便に済ませられなくなる。それに、後に我妻となる者の実家を襲ってどうしようというのだ。今もそこに住まう姪の母親は、私の妹なのだぞ」

「あんま“やり口”を選んでっと、“そういうやり口を採るのは誰か?”ってヒントを相手に与えてしまうんですかね?……ん?」

「どうした?」

 

 唐突にアルスが、執務室の窓へ視線を走らせる。

 

「どうしたというのだ、無礼であろう」

「いやね、あそこのでっけぇ木なんですがね」

「ああ、そこの窓からは遠くの記念樹が見えたはずだが」

 

 ゲリヴェルガは、アルスから視線を外さない。その手は脇の剣を握り締めたままだ。

 

「あっしゃあ、連絡用の符丁ってのを決めてましてね。そのひとつが、あの木に襤褸切(ぼろき)れをひっかけるってぇのなんですが……」

臭嵐(しゅうらん)の真似事か? 趣味が良くないな」

 

 臭嵐は、王都リグラエルで稀に起こる、ある種の災害だ。それを自然災害と呼ぶか、人為災害(じんいさいがい)と呼ぶかは、それぞれの感性、もしくは思想によって異なる。

 

「ま、あれなら人に見られても季節外れの臭嵐かって思われるだけなんでね。で、黄色の襤褸切れを引っ掛ける時の符丁は、事態が好転した、連絡求む、なんすよ」

「なんだと!?」

 

 思わずゲリヴェルガは首を回して窓の外を見た。すぐ後にこれは迂闊だったと彼は反省するが、別にアルスはゲリヴェルガを、ここで害するつもりなどは無かった。

 

「黄色?」

(よご)れ、くすんじゃいますがアレは確かに黄色ですぜ? ちょっくら行ってきてもいいっすかね? 旦那がお望みの進展、得られるかもしれねぇっすよ?」

「おお……」

「行って、いいっすか?」

「何をしてる! 急げ! 今すぐその進展とやらを持って参れ!!」

「へーいへい」

 

 

 

 そうして、しばしの後。

 

 

 

「どうやら姫が、動き出したようですねぇ」

 

 

 

 これは好機であると(はや)るゲリヴェルガと、罠かもしんねぇんでと慎重論を唱えるアルスとの間で、またひと悶着があった。

 

 

 











 うーん、この兄。




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epis25 : we go walk (once more!)

 

<ラナ視点>

 

「くぅん……」

「だーかーらー、今日からはね、お前は連れて行けないの」

 

 大きな身体で、お腹を見せてコロンと転がるマイラへ言い聞かせる。というかその、前足を「うらめしやー」って化けて出てきそうな感じに折り曲げてるのはなんだ、抗議のつもりか?

 

「連れて行ってもいいんじゃないの? 確かにマイラは威圧感のある大きさだけど、誘拐を企てる方からすればただの犬じゃない? いてもいなくても一緒だと思うよ? 無関係な人が寄ってこなくなる分、マイラがいてくれた方が手間を省けると思うけど」

 

 そしてレオは……そのマイラの(そば)に寝転がり、金属製のブラシで毛皮を()いている……バッチリメイクをして、相変わらず女の子にしか見えない格好のままで。

 サイドプリーツのロングスカートから、にゅっと黒タイツの片足を突き出し、それをマイラへ絡めてる姿が妙に色っぽいです。けしからん。

 

「その辺のことは何度も話し合ったでしょ? まずはマイラ無しで動いてみて、それで動きが無いならまた考える。レオ~、だからその服でマイラとじゃれ合わないで~」

「ん~」

「わぅぅぅん」

「コラ! この服は高いんだから、引っ張らないの!」

「それにしてもこの金属ブラシ、使い易いね。最高級の品で金属処理のクオリティが段違い……だっけ? わ、抜け毛ふっわふわ」

「当店では通常金貨三枚で取り扱っている物です、じゃねぇわ。オマケでご機嫌取りとか、商売としては邪道だから」

 

 先日、とうとうレオの剣が完成した。

 

 早速試したところ、(なた)のそれと同じようにレオの無敵攻撃は発動し、斬るという結果を伴わず停止した。鉈と違っていたのは、廃材三号君がメキメキに折れ曲がっていたくらいだった。鉈の時は(へこ)みが出来ただけだったのに。

 

「でもあげてたじゃない、カフェ? の会員証」

「明らかに()()()とわかる仕事でないなら、最初からあげるつもりだったのっ。……態度がね、気持ち悪いくらい殊勝なものだったから、これ以上突っつくと、今度はあっちが蛇になりそうだったし……商人って、その辺怖いのよ?」

 

 そんなわけだから今日からはレオとふたりっきりのデートだ……じゃなくて、これみよがしにデートをしてみせての(誘い受け)作戦だ。

 

「そういうものなんだ?」

「そういうものなの。気持ち悪いくらいへりくだってる時の方が、要警戒」

「なるほど。ラナにもそんなところがあるもんね」

「どういう意味よ」

 

 まずはいわゆるウィンドウショッピングっぽいことをしてみて、少しづつ裏路地へも入ってみようと思っている。

 

「ほら~、でかけるよぉ~」

「ん」

「わぅぅ……」

 

 首根っこを引っ掴んで、立たせる……レオを。

 

「マイラの方が重いからって、扱いがぞんざいじゃない? 僕の」

「知らないっ……あー、ほらもう、マイラの毛が服に~、こんなに~……黒は意外と汚れが目立つんだからね? こんなことならコ●コ●●ーラーも造っておいてもらえばよかったな~」

「コ●コ●●ーラー?」

 

 しょうがないので、レオの服に馬毛《うまげ》の衣装用ブラシをかける。馬毛っていうかユニコーンの毛だけど。だから……ユニ毛?……アホロートルの毛で何かが作れたらそれはアホ毛と呼ばれるのでしょうか。

 

 まぁそれはともかく、ユニコーンは人には馴れないので、この辺りだと大迷宮(ダンジョン)で討伐するしかないのですが、どうしてか筋肉量の多い男性が近付くとすぐに逃げてしまうとかで、まず遭遇するところからして困難とのことです。そんななのでこのブラシも超お高いです。例の美容院で金貨四枚でした。

 

 ……あれ? でもそうすると今のレオって、ユニコーン狩りに最適なんじゃ?

 

「うわ、でもこれすっごい。かけた感じ、すっごいふわふわなのに、(よご)れだけどんどん落ちる」

「くぅん……」

「……自分の毛を(よご)れとか言われたマイラが悲しんでるよ?」

(よご)れは(よご)れよ。マイラの毛並みがツッヤツヤでもふっもふなのは認めるけど、抜けたらそれは抜け毛で(よご)れなんだからね?」

「わぉぉぉん」

「……なんかマイラって、時々こっちの言葉がわかってる風じゃない?」

「わかってるなら理解してほしいなぁ、今日はあなたのお散歩じゃないの、どぅゆーあんだすたん?」

「ゎう!」

「わ、コラ舐めるな、化粧(メイク)が落ちる。それにお前の身体にも悪いぞ、たぶん」

「やっぱりわかってなさげ~」

 

 前足をレオの肩に乗せ、その背中からツンデレ美少女()()顔を舐めるマイラ。これはもう、しょうがないので、使用人を呼んで対処してもらうか。

 

 そんなわけで、ぐずるマイラのリードを、満面のニコニコ顔になった使用人へ預けて、私達は(ようや)く家を出られたのでした。やれやれ。

 

 

 

 

 

 

 

「というわけでスィーツ店にやってきました」

「お、お、お、おぉぉ」

 

 レオが滅多にないテンションでメニューを眺めています。

 

 ロレーヌ商会の直営店ではないので、チョコレートやゼリー関係のスィーツは置いていないようですが、季節のフルーツを使った焼き菓子が自慢の、王道なパティスリーです。前にレオが読んでいた本でも紹介されていました。

 

 店の外観は赤レンガに蔦が這うレトロな感じでしたが、内装はとってもとても乙女ぇ~な感じに整えられていました。具体的にいうとパステルカラーの壁紙とか、レースのカーテンとか、花瓶に生けてある白やピンクのコスモスとかとか。あとは、窓際にスィートアリッサムを基調とした色とりどりのパンジー、ビオラなど寄せ植えの鉢が置いてあることとかで、トドメはそこかしこに飾ってあるぬいぐるみの数々かな。

 

 まぁここは王立学園の近くにあるから、メインはそこの学生さん向けのお店なのかもしれない。もっとも客席は、それぞれが高い仕切りで区切られているから、他のお客さんの傾向とかは窺えないけどね。今は真っ昼間で、王立学園は授業中だろうし。

 

「レオってスィーツ好きだよね」

「ダメ?」

 

 メニューで顔の下半分を隠したまま、そこからレオはこちらへ鋭い視線を向けてくる……上目遣いで。

 

 あわわ……。

 

「なにその、どうしようもなく胸がきゅんとなる魔性の女の子ムーヴっ。小父(おじ)さんなんでも(おご)っちゃいたくなるっ」

「うん?」

 

 よくわからなかったのか、少し小首を傾げた後、再びメニューに視線が戻る。

 いやー、ドキッとしたぁ。動揺して変なこと口走っちゃったよ。

 

 店へ入る前に、レオにはなんでも頼んでいいと言ってある。ま、とりあえず私もなにか頼もぉっと。メニューメニュー……あ、レオが持ってるのしかないや。じゃあ秋の定番でも。

 

 

 

 

 

 

 

「それ栗、なの?」

「うん」

 

 モンブランを見て、レオが不思議そうに尋ねてくる。

 梔子色(くちなしいろ)の毛糸っぽいクリームの束、それへ少しだけ伽羅色(きゃらいろ)の同様の束が絡み、その上に黄色い栗の甘露煮が載ったこぶし大のモンブラン。

 

 二層の色彩に、少しだけレオの剣が思い出される。そういえばそれは……どうやら、今は椅子の上に鞘のまま置かれているようだ。さすがに、それなりに長く造ってしまったため、腿《もも》に()いたまま座るのは窮屈だった模様。

 

「栗って美味しいの?」

「ん?」

 

 あれ? レオって(うち)で栗、食べたことなかったっけ……無いか。時期じゃなかったもんね。

 

「食べたことないんだ?」

「一度だけ食べたことあるけど、その時は硬くてボソボソしてて、()(にく)いな~って思った。どうせ盗むならもっとジューシーなフルーツの方が」「ストップ。その声、もう少し小さくぅ~」

 

 レオはたまに、唐突に悪びれもなくヤンチャ時代の話をし始める。悪びれもなくというか、本当に悪いとも思っていないのだろう。それは立派な大人にしたい云々とは別の次元で、なんとかしなくちゃなぁと思う部分ではある。通報とか職質とか、王都では盛んなんだよ?

 

「……ごめん」

 

 ただ、それは今すぐにどうこうできる話ではないし、レオは衣食足りてれば礼節を忘れない人間だ。恩を仇で返すような人間でないことは、この私が一番よく知っている。

 

「違う違う、責めてないから」

 

 なにより、そのレオを私は好きなのだから、急に変わってもらっても困る。私も常識的に正しいとされる世界には生きていない。成長するならふたりでゆっくりと。そうなれたらいいと思う。胸に()ゆる焦燥の炎へ、祈るみたいに想う。

 

「それより栗の話だけど、そりゃ、生で食べたら硬いしボソボソしてるでしょ」

「そうなの? でも果物って基本生で食べるんじゃ?」

 

 あー……うん。

 そうだね、しばらく夏だったから、出る果物といえば梨とかメロンだったね。

 

「しょうがないなぁ」

 

 フォークで、ひとつしかない栗の甘露煮を刺す。

 

「はい、あーん」

「……え?」

 

 きょとんとしてしまったレオへ、「あーん」の意味を説明する。するときょとんがキョドんになった。バッチリメイクの顔が「あ、え、あ……」と赤面するのは、見てて結構面白い。

 

「い、いいよ、自分で食べるから」

「そう? じゃ、はい」

「う、うん」

 

 残念だけど、レオが嫌がることはしたくないのでフォークを逆さにして手渡す。

 

「なにこれあっまい!?」

 

 するとレオは、一瞬で喜色満面になって高い声をあげた。声変わりはしてる気がするんだけど、そうしていると本当に、女の子の、低めの声にも聞こえる。

 

 それにしても、うっわぁ……。

 

「……新年には栗きんとんでも作ろうか?」

「なにそれ? あとなんで俯いて顔を隠しているの?」

 

 まぁでも……そこまで鋭い目をキラッキラさせてくれたなら、ショートケーキでいうところのイチゴ部分、画竜点睛の(ひとみ)部分、ユニコーンでいうなら角部分を惜しまずに提供した甲斐があったというものですよ。うん……御馳走様。えへへ。

 

 しばらく、不意打ちのときめきを冷まして、私は言う。

 

「でもさ、今までも、チェリーやブルーベリーのジャムは食べていたと思うんだけど」

「え? ジャムって生じゃないの?」

「え??」「うん??」

 

 聞けばレオは、生の果物を潰してしばらく置いたらジャムになると思っていた模様。

 いやいや、ちゃんとグラニュー糖で煮詰めないと。煮沸消毒した瓶に詰めないと。

 

「知らなかった……」

「まぁでも、そっかぁ……って思った。知らないとそうなっちゃうよね。けど、よくその認識で今まで抵抗なく食べてたね?」

 

 生の果物なんて、皮を剥いたが最後、もの凄い勢いで劣化していくものだってイメージがあるけど。

 

「果物の腐りかけは結構美味しいよ?」

「……果物、“の”、腐りかけ、“は”、の部分が凄く気になるんだけど」

 

 他の、何の腐りかけと比較しての話なのですかね、それは。

 

「え?……だってお肉は下手したら本当に死ぬし……そういえば昔少しだけ仲良くなったビックスとウェッジの双子が死んだのも、空腹に耐えかねてウジがわいてるネズミの肉を」「それ以上深くつっこんで聞きたくないけどっ、生きててくれてありがとうっ」

 

「んん?……どういたしまして?」

 

 ううむ、不憫。そのうち豪勢な飯屋にも連れて行ってあげよう。そういうのも、そういうのなら、伯母さんの(ツテ)でなんとかなるし。

 

「よくわからないけど……まぁいいや。それよりラナ、お返しにこっちのこれ、食べる?」

 

 レオはイチゴやブルーベリー、桃なんかが載ったフルーツタルトを注文していた。そういえばそれに載ってるのも大体生っちゃ生か。モンブランに比べると見た目が華やかだ。

 

「あーんしてくれる?」

「……え?」

「ほ()?」

 

 口をあーんと開け、ちょっと待ってみる。

 

「……まったくもう」

「ぁゎ?」

 

 まぁしてくれないだろうなぁ……と思っていると意外や意外、レオがスプーンでタルトをひとかけら取り、それを無言で私の口の中へ突っ込んできた。あっまーい。

 

「んぐっ……する方はいいんだ(するほほはひひんだ)?」

「僕、前に、口にモノを詰めたまま喋らない~……ってラナに注意された記憶がある」

「そういえばそうね、ぁむ」

「はぁ……」

 

 呆れたように、レオが咀嚼(そしゃく)する私を見て、嘆息する。

 

「ラナって結構、言うことやること自らを(かえり)みずだよね。近くて見えぬは睫毛(まつげ)っていうんだっけ? そういうの」

「灯台下暗し、人のフリ見て我がフリ直せ……はちょっと違うか」

 

 まぁでも、人間なんてそんなもんですよ? ましてや私達はどちらもまだ子供だからね、反面教師になり合うくらいで丁度いいんじゃない? それに、そういう弱さを手っ取り早く何かで補おうとすると、中二病っていう、それが治っても高二病、大二病と続いていく結構な難病にかかって、十代を黒歴史まみれにするらしいよ?

 

「でも、そういう慣用句が多いのは、さ」

 

 ショートケーキのイチゴ……ではなく、栗の実が無くなったモンブランをフォークで切り分けつつ、私はしかし反省もせずに食べながら喋った。

 

「んぐっ……だからなんじゃない? みんな自分のことはさておき、人に説教したがるもんなんだよ。ほら、マナーとかって、他人にどう思われるかの問題だから、ね、ぁむん……ずっとぼっちだった私が、マナーを身に付けているわけがないじゃない」

「それでいうなら、僕だってそうなんだけどね」

 

 あ、その「しょうがないなぁ……」って感じの笑顔、いい。夢の世界では道行く人の標準装備だったアレ、スマホがあるなら撮って保存しておきたい。ないけど。

 

「それでさ、ぁんむ……こんな店に入っちゃったわけだけど、これからどうするの?」

 

 マナー無視ならと、自分も食べながら喋るレオに、私はずずぃと紅茶を飲みながら答える。

 

()()()()()()()からね、やっぱり私は、まだ狙われている」

「そっか」

 

 私の魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は空間を割って、その全てを自分の意識下に置く魔法だ。

 

 レオの斬撃と違うのは、それを私は、意識下において()()()()()ということだ。

 

 自分からそれなりに離れた場所の、極小の空間を切り取ることも出来たりする。それが空間支配系魔法の使い手であれば誰でもできることなのか、そうでないのかは定かではないが、私は実際にそういうことができる。

 

 もちろんそこにも制限はある。有効射程距離は自分から五十メートル前後まで、距離が離れれば離れるほどに、切り取れる空間の大きさは小さくなる。有効射程距離のギリギリ、自分から五十メートルほど離れた距離となると、切り取れる空間の大きさは最大で人間の頭部くらいのものになる。

 

 ただ、それでも、切り取ったその空間は私の制御下にある。

 

 だから五十メートル圏内であれば、私は簡単に人間の頭部を切り落とすことが出来るんじゃないかって思う。やったことはないけど。

 

 で。

 

 ここからが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の使い方、その応用編なのだけど、私は五十メートル先の空間を、自分の目や耳、鼻などとすることができたりする。

 

 通常、私は分割した空間間(くうかんかん)の光や空気、空気の振動による音、そして肉体における血流などの透過、通過を許可している。それは私が()()()()()()()()そうなっている。つまり、私はそこを制御できるのだ。

 

 五十メートル先の空間から、その視野を、その空気の振動を、匂い成分を、途中の距離をすっ飛ばして私の目の前に通過させるというのも、可能というわけ。支配空間を数珠繋ぎにしていけば、A地点から見える空間をB地点として、A地点から見えないC地点をB地点越しに見るというのも可能だ。

 

 まぁ、自分中心の発動じゃなくても立ち止まる必要はあるし、詠唱時間(キャストタイム)も必要だから安易には使えない。けど、今日のシチュエーションだとこちらが女の子の二人組なわけで……本当は違うけど……ウィンドウショッピングの途中、ショーウィンドウの前で気まぐれに足を止めるくらい、不自然でもなんでもない。七色の光は漏れるが、今日は秋晴れのいいお天気で、今は正午前の真っ昼間だ。人通りの多い大通りの、大きなガラスの前であれば、そこには色んな色も乱反射している。遠目で監視してる相手には、私が魔法を使っていることもわからないだろう。

 

 そういうわけで、尾行がついてるかどうかを探るのは簡単だった。

 

「便利な魔法だよね、それ」

 

 攻撃にも防御にも、諜報にも使えるなんて……って。まぁそれはレオの言う通りではあるのだけど。

 

「ところが、そうでもないんだよねぇ、移動しながら使えないとかの制限も多いし。それに、詠唱時間(キャストタイム)は今でも十一(11)秒くらい必要だから、とっさの戦闘では使えないの」

「なるほど」

 

 レオだったら、その間に三十人は殺せそうな時間(タイム)だ……ってことは、レオは一秒に二点七(2.7)人殺せるとして、一万人を殺すのに一時間強あればいいってことなのか……そう考えると凄まじいな。体力の問題とかは知らないけど、ヒュドラの時は少なくとも五分以上、斬撃を続けていたから、それだけでも八百人はイケる……か。

 

「それは確かに重い制限だね……今でもってことは、それでも短くなったんだ?」

「最初は十七秒だったかな。最初っていうか、ちゃんと発動できるようになってから、気付いて計ってみた時の平均がそれ。それからもう十年、色々と試しているんだけど、なんか十秒の壁が全然破れないんだよね。そこになにかしらの壁があるみたい。必ず十秒よりは長くなっちゃう」

 

 そんなわけで、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)詠唱時間(キャストタイム)は十一秒ということにしている。いつぞやレオがコンラディン叔父さんに組み敷かれていた時には、発動までの時間が百秒にも千秒にも感じられた。

 

「十年ってことは、ラナは三歳でその魔法を身に付けたの?」

「わかんない。犬の夢が本当の話なら、生まれた時から使えたんだろうけど」

「犬の、夢?……」

「ま、それはいいとして」

 

 白いテーブルクロスの上の、色の違う、おそらくは渋皮を挽いた粉を練り込んでいるだろう伽羅色のクリーム、キャラメル色の毛糸のようなそれを多めに取り、口へ入れる。すると、まろやかな栗とクリームの味に、少し渋めの芳香が感じられた。

 

 紅茶にも、角砂糖四つ入れていたレオには、まだ早い味かな……と思う。

 

 角砂糖ふたつの私だって全然まだ、大人にはなれていないんだけどね。

 

「そんなわけで、私達はつけられています。半分は(いえ)を監視していた人員と一緒。それに、身形(みなり)は悪くなかったけど、顔貌(がんぼう)がやっぱりね、最初の七人と同類っぽい感じだった」

「鼻がなかったとか?」

「さすがに鼻腔(びこう)なしじゃ尾行(びこう)には適さないでしょ。目立ちすぎ。そうじゃなくて、カタギっぽくない雰囲気とか、日焼けしてるのに目の下の隈があって、健康なんだかそうじゃないんだかよくわからない感じとか」

「何人?」

「四人。家を出てすぐは二人組だったけど、途中でふたり追加された」

「……初日から結構な、本気度だね」

「うん。これはもう初日からクライマックス。裏路地にでも入れば、今日にでも襲ってくるのかも」

 

 数ヶ月、ずっとこちらを監視していた粘着質な相手からすれば、今日のこれは千載一遇のチャンスに見えるだろう。

 

「どうかな……僕のことは、なんだって思うのかな。ラナを誘拐する場合、僕のことはどうしようって考えるのかな」

 

 ただ、粘着質な相手(ゲリヴェルガ伯父さん)の頭は残念としても、現場で実際に作戦を遂行する人員までがそうであるとは限らない。

 

「見た感じ、結構高級そうな身形の女の子」「違うけど?」「……に見えるからね。ゲリヴェルガ伯父さんが黒幕であった場合、下手に扱ってはいけない相手に思えるかも?」

 

 貴族と繋がりのある女の子……だった場合、下手に扱うと伯父さんの身の破滅となる。伯父さんにそこを配慮する頭があるのかどうかはさておくとしても、実行部隊全員の頭が残念と考えるのは危険だ。伯父さんが破滅した場合、連座で酷い目に遭うのは、むしろ身分の低い実行部隊の方となるわけで。

 

「レオの年齢、十一歳くらいの貴族の子女は、基本的には王立学園へ通っている年頃だけど、そこの例外はいくらでもあるからね、私の周辺環境から推測する場合……伯母さんの関係者ってラインが最も危うい辺りかな?」

「伯爵家の娘、か」

「伯母さんに娘はふたり、会ったことはないけど、長女の(ほう)が今九歳くらいだったかな?」

「九歳……」

 

 十一歳(推定)のレオをそうと疑うには、少し微妙なところかもしれない。

 ただ、それくらいの女の子は個人差が激しい。まったく幼女にしか見えない子もいれば、大人の女性にも、見えなくはないほどに(諸々が)大きくなっている子もいる。

 警戒しようと考えたならば、無視できぬラインだろう。

 

「なら、その確認が終わるまでは襲ってこないんじゃない?」

「それはそうかもしれないけど……私の中のゲリヴェルガ伯父さん、かなり莫迦(バカ)なイメージだからなぁ」

「会ったことは無いんでしょ?」

「無い。向こうはこっちの顔を知ってるんだろうけど、私は顔も知らない」

 

 だから莫迦(バカ)だと思ってる。

 

「会ったことも無い十三歳の女の子にさ、親へ婚約を申し込みに行って、断られたら本人を手紙で誘い出そうとして、それも断られたら誘拐未遂だよ? 莫迦(バカ)じゃん」

「そう?」

「あのね、この過程(プロセス)には、ひとつ大事な手順(メソッド)が抜けているの」

「うん?」

 

 だいぶ小さくなってしまったフルーツタルトを、名残惜しそうにフォークでつつくレオに、私は鬱憤(うっぷん)を吐き出すかのように言う。

 

「私と直接会って、自分の魅力で口説き落とすって段階(フェーズ)はどこへ行っちゃったの?」

「あー……」

「そりゃね? パパは私を嫁に出すのは反対でしょうよ。一人娘で、婿を取ってくれないと困るんだから」

 

 けど、それは()()()()()()()()()()理由にはならない。

 

 社会的に必須となる手順であるかどうかはともかくとしても、私という人間を、心があり魂がある、ひとりの人間と思ってくれるのであれば、それは絶対に必要な手順じゃないですかね?

 

「でも、ラナがゲリヴェルガ伯父さん……言い難いな、ゲリ伯父(おじ)で良い?」

「許す」

「なんでそこでラナが大上段から許可してくるのかはわからないけど……じゃあゲリ伯父を、ラナが好きになる未来ってあったの?」

 

 なにを言っているのよ。

 

「そんなの、あるわけないじゃない」

「うわぁ……」

 

 そりゃ、言い寄られたら迷惑だし、それ以前に恐怖以外の何物でも無かっただろうけど。

 

「あれでも、手紙で呼び出されたって言ってなかった? それは会って口説くためだったとか」

「それを一回断られたくらいで次が強硬手段、この時点でまともじゃないわ。結構言葉を選んで、丁重にお断りしたつもりなんだけど」

 

 それに自分の家という、圧倒的に有利なフィールドへ連れ込もうとする時点で浅ましいです。喩えればそうだなぁ……告白の手紙(ラブレター)に、返事は当方の寝室にてお聞かせ下さいって書いてあったらどうなのよ、どう思うのよって話だ。正気を疑うでしょ。

 

「なんていうか……無駄な努力はしなかったって意味で、それはそれで賢いのでは?」

「そういうのはね、小賢しいっていうの。小賢しいってのは莫迦(バカ)の所業なの。中途半端に賢い莫迦(バカ)のすることなの」

「そういうものですか」

「そういうものなのっ」

 

 これは本当に仮の話だが。

 

 伯父さんが本当に賢ければ、私を合法的に手に入れることは、多分さほど難しくなかったのではないかと思う。(うち)は商人だ、商人の世界では……いや王都そのものがそうだけど……なによりも財の多寡がモノをいう。

 

 伯父さんは、大金で(ウチ)()()()よかったのだ。買うというのはもちろん比喩だけど、ロレーヌ商会が持つ様々な権利、それを奪われたら商売が出来なくなる、そういうところへ黄金の(くさび)を打ち込めば、(うち)なんかはそれこそ伯父さんの家畜同然の存在となってしまったはずだ。

 

 その一人娘など、奴隷も同じだろう。

 

「ユーマ王国では、人身の誘拐は結構重い罪になるの。奴隷売買、人身売買に関わる犯罪だからね。ここら辺、王立学園の周辺なんか、警備(けいび)警邏(けいら)の兵数がやばいでしょ? 貴族のご子息様、ご息女様の誘拐なんて絶対にさせないぞ~って意気込みが伝わってこない? 王都では司法も行政も誘拐には厳しいのよ?」

「言われてみれば……今日も二人組の警邏兵(けいらへい)とよくすれ違ったね」

「だから、貴族間の政治闘争であっても、誘拐なんて莫迦(バカ)な手段は普通取らないの。もちろん伯父さんは貴族で私は平民、だから誘拐を、なかったことにすることはできる……()()()()()ね?」

 

 けど、現行犯で誘拐の実行犯を捕縛して、そこからゲリヴェルガ伯父さんが関わった証拠(伯父さんが手ずから書いた命令書とか)が出てきてしまったとする。そうすると……これはもう誤魔化しようがない。

 

 私はそれを、ゲリヴェルガ伯父さんよりも上位のお貴族様である、伯母さんの(もと)へと持っていくだけでいい。そうすればゲリヴェルガ伯父さんに待っているのは、それこそ身の破滅だ。

 

「そんな莫迦(バカ)な手段を採っている時点でやっぱり伯父さんは莫迦(バカ)。だから伯父さんが本当に黒幕であるなら、今日で解決も、私は本当にあると思っているよ?」

「そっか」

「勿論、まだゲリヴェルガ伯父さんが黒幕でない可能性も残ってる。だから証拠を握るまではゲリヴェルガ伯父さんの家に()()()するなんて無法はできない」

「今は、法律で裁けない人を、無法に殺してとは言わないんだ?」

「……ぬ」

 

 ぐぬぬ。いつか私が言ったセリフを、ここで返すか。

 

「……さすがにね、それだと無関係な人も殺しちゃいそうだし。けど、証拠さえあればどうにでもできる。私もその段においては躊躇わないわ」

「覚悟を決めるにも、証拠がいるって話?」

「そういうこと」

 

 ま、証拠集めにかこつけてレオとデートがしたかったってのも……ほんのちょびーっとだけあるけれども。

 

「そういうわけだから、またちょっと魔法を使って店の周囲を探ってみようと思うけど……レオは、おかわりはもう大丈夫? 魔法を使ってる最中に注文を持ってこられても困るから」

 

 沢山喋ったので、紅茶が空になってしまった。ケーキはもういいけどあと一杯、紅茶が飲みたい。今は夏摘み(セカンドフラッシュ)の爽やかさが口に恋しい。

 

「食べたい気持ちはあるけど、あんまり食べると動き難くなるから、そういうことなら僕はこれくらいにしておくよ」

「そう? じゃあ……」

 

 そうして、オーダーした紅茶がテーブルに運ばれてきた(のち)、私は再び罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で周辺の様子を確認したのだが……。

 

「……ひとり、増えてる」

「え?」

 

 店から少し離れた裏通り、そこに、明らかにカタギではないと思われる三人がたむろしている。ふたりはこの店に入るまでにも見た顔だったが、ひとりは新顔だ。

 

「しかもなんか偉そう」

 

 割と短い赤毛、サイドの、いわゆるツーブロック的に刈り込んだ部分は虎縞になってる。よくよく見てみると、右耳にはどうしたわけか小さな欠けがあった。全体のビジュアルは三下っぽいけど……なんというか、ふたりの男へ何かを話してるその感じから、少なくともその三人の中では、そいつが最も偉そうだった。

 

「なんて言ってるの?」

「……凄くボソボソと喋ってるから、気付かれないよう、遠くに出した“目”では聞き取れないかな」

 

 ただ、その三人のまとう空気には、どことなく緊張感がある。

 

「四人がひとり増えて五人か。さすがに、監視には多い人数だね」

「うん……」

 

 やっぱりこれは、初日からクライマックスになるのかもしれない。

 

 もう少し、レオとデート、していたい気持ちもあるんだけど。

 

 

 



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epis26 : Mixed nuts × SPY

 

<ラナ視点>

 

「襲ってきたら、赤毛で、耳に欠けがあるのは生け捕り」

「うん」

「けど、ソイツを“斬る”のは最後にして」

 

 上手く生け捕りに出来るか、確認してからじゃないと怖いからね。

 

「それも了解」

 

 甘味処(パティスリー)を出て、私とレオはウィンドウショッピングをしながら、徐々に人気(ひとけ)の無い方、つまりは街としての人気(にんき)が無い方へと進んでいく。王城周辺の中央区画には裏路地まで警邏兵が巡回してるので、丘の上にそびえる王城には背を向けて進む形だ。

 

「ウィンドウショッピングを装っているから、商業区画からは離れられない……けど、そうなるとどこへ行けば襲ってくるのかな」

「ラナが誘拐されそうになった……誘拐された?……のは、どんな場所だったの?」

 

 あれ、今更その話か……そういえばちゃんと言ってなかったな。

 

「この街って、水路がほとんど暗渠化(あんきょか)されているから、水辺がないんだよね。川が、見える形で流れていないの」

「ああ、そういえばそうだね」

 

 上下水道ともきっちり整備されてるから、生活用水には困らないけど。

 

「けど、水辺で黄昏(たそがれ)たくなる時もあるじゃない?」

「……同意を求められても困るけど、それで?」

「王都には川はないけど、池はあるの。大体が私有地に造られた道楽のためのモノだけど……あれは溜め池なのかな? (うち)の敷地面積くらいの池が、街の所々に点在しててね。水が汚いから、夏場に泳ぐってわけにもいかないんだけど、冬には氷が張るから、その上を滑って楽しむくらいはされているかな」

 

 私は楽しんだことないけど。ボッチでヒッキーだったから。

 

「水、汚いんだ?」

「そりゃね? 生活排水は流れ込んでいないはずだけど、落ち葉はガンガン飛んでくるし、臭嵐(しゅうらん)で飛んできたゴミも入っちゃうだろうし」

臭嵐(しゅうらん)、ね」

「あ、私はそれでスラム街の住人を殺せーって思ったりすることはなかったよ。片付けるの、私じゃなかったし」

「別に、僕もそれでスラム街にやってきた小集団を殺したりはしなかったし」

「……そういう人、やっぱり実際にいるんだ?」

「春先と秋の終わりの、強い風が吹いた日の少し後は、避難先の洞窟が混んでね。僕は自分用の狭い穴に籠もっていたけど、目立つところにある大穴は、後で覗くと死体が山ほど転がってることもあったかな」

 

 街から来た小集団に殺されたか、それとも狭い場所で身を寄せ合ったスラム街の住人同士でいさかいが起きてしまったのか、それはわからないけどね……レオはそんなことを、なんでもないことのように言う。

 

「……何の話だっけ?」

「王都に、川はないけど池はあるって話だったかな」

「そうそう、だから私は水辺で黄昏(たそがれ)たくなったら池に行くって話」

「水が汚くてもいいんだ?」

「汚いって言っても、近くへ行ったら悪臭が漂ってくるって程じゃないもん。水がミルクティーを腐らせたみたいな色をしてるってだけ」

「……紅茶をたらふく飲んだ後にその喩えを出せるラナは、やっぱり変な人だって改めて思うよ」

「そういえばさっきはストレートにお砂糖よっつだったけど、レオってばミルクティーは好き?」

「この流れでそれを聞く!?」

 

 レオがいい反応をしてくれるから、ついつい脱線したくなってしまうけど、それはさておき。

 

「そんなわけで、私は腐ったミルクティー色の池の(そば)で誘拐されました。黄昏ているところを、後ろから羽交い絞めの悲鳴を塞がれ~の、なんか袋に詰められーの、そのまま運ばれぇ~のしました」

「……七人、斬っておいてよかったって、今思ったよ」

 

 わぉ。

 

「レオってば過激。別に乱暴はされてないから、そこは心配しないでね」

「人を袋詰めにして運ぶ時点で乱暴じゃ?」

「うんまぁ、それはそうだけど」

 

 レオがそういう話題には反応しないから、やっぱりついつい脱線したくなってしまうけど、それもさておき。

 

「じゃあ行ってみる? 私が(さら)われた水辺に」

「それだとちょっと、あからさまが過ぎるんじゃないかな」

「でも最初の七人は()()()にしちゃったし、水辺で攫われたのは偶然だから、その情報は向こうへ伝わっていないんじゃ?」

「最初の七人は間違いなく倒したし、周辺に監視のような人員が無かったことは僕も確認済。前にも言ったけど、あの辺は僕の縄張りだったんだ、人が隠れられるようなところなら全部承知している。ラナの魔法みたいな反則技が無い限り、七人を殺した時の状況が誰かに伝わっている可能性は無いよ」

「うん、だから私は、レオを変装させて誘い受けするって作戦を思いついたんだし」

 

 私の魔法とは別口で、遠隔透視能力(クレヤボヤンス)のような魔法を使える人も、どこかにはいるんだろう。けど……そんなのは絶対にレアだ。それに、敵方にそんな人材がいるのなら、白昼堂々人攫いをするなんて暴挙はしないだろう。

 

「でも、ラナが誘拐された時のことはわからない。そこは僕の縄張りではないし、調査もしてない。今日も、最初はふたりだったのが五人に増えたんでしょ? 向こうが動員できる人員の底は、だから今も不明なんだ。前に誘拐された場所の情報が、向こうに渡ってないとは限らないよ?」

「……そっか」

 

 それもそうか。レオは状況が良く見えている。地頭はやっぱりいいのかも。

 

 私は考えを改める。

 

「誘い受けは、そうと知られたらまずい作戦だってのは確かね。そこを焦る必要はないか……じゃあどうする? レオが行ってみたい所があればそれでもいいけど」

「行ってみたい、か……それならちょっと考えていることがあるんだけど」

「え、なになに?」

「……なんでそんなに食いついてくるの?」

 

 珍しい。レオが自分からこうしたいと言い出すのは。

 

 レオはなんでも食べるけど結構な甘党。

 レオは暇さえあれば剣を振って汗をかいている。

 これといった趣味はなし。

 

 けど、それじゃプレゼントをあげる時に私が困る。誕生日に、あま~いケーキを作ってあげるのは確定としても、形に残るプレゼントもしてあげたいから。

 

 レオがどんなものを好むのか、私は知りたかった。

 

 ……が。

 

「マリマーネさんに聞いた話なんだけど、ペットショップってのがあるらしいね。(にお)いの問題があるから、商業区画からは少し離れたところにあるらしいんだけど、僕らみたいなのが行っても不思議じゃないし、マイラにも何か買ってあげたいしね」

「……あー」

 

 あ~、そうきたかぁ……。

 

 マイラのやつぅ……。

 

 あんにゃろうめぇぇぇ……。

 

「あれ? 僕は何か見落としてる? ラナが凄い仏頂面になっちゃった」

 

 あー、ね?

 

「いや、うん。いいよ、そこにいこう」

 

 レオ君レオ君、でもさ~……デート中に他の女の子のこと考えちゃ、ダメだよ?

 

「そう? じゃ、道はよくわからないけど、方向はこっち。たぶんだけどね」

 

 あとなんでレオ君は、マイラの話題となると、そんなにも優しげになるのかな?

 

 その顔、それ自体は嫌いじゃないんだけど、さ。

 

 まったく、もう。

 

 

 

 

 

 

 

「きゃう!」「きゃん!」「くぅん……」「くん?」

 

「ちっちゃいマイラがいっぱいいるー!」

「えー、マイラこんなに可愛くなーい」

「僕はマイラも可愛いと思うけど、まぁさすがにあの大きさだからね、可愛いというには無理があるってのは、わかるよ」

 

 あー、レオ君レオ君、だからさ~、デート中に、可愛いという単語を連れの女の子以外へ使うのは失礼じゃないかな。私から出した単語のような気がしないでもないけれどもさ~。

 

「ぬいぐるみとしか思えないサイズ感と質感。うーむ、(うち)にマイラがいなかったらおっ持ち帰りぃ~したくなるほどの愛らしさ」

 

「きゃうっ!」

「わっ、くしゃみか? それはくしゃみなのか?」

 

「よかったら抱いてみますか?」

 

 簡易的な屋根のある、特設なのか常設なのかわからない畳一畳(たたみいちじょう)分くらいの囲いの中、むくむくした丸っこい体型のピレネー犬が四匹、きゃんきゃんと走り回る、そんなスペースの前で子犬の愛らしさにクラックラになってると、(おもむろ)にニッコニコした顔の店員さん(三十代後半くらい? の小母(おば)さ……マダムです)が寄ってきて、そう言った。

 

「いいのっ?」

「あからさまに食いつかないー」

 

 ここへは甘味処(パティスリー)から歩いて二十分といったところだった。商業区画の大通りからは外れるが、治安の悪化を懸念するほど寂れた場所というわけでもない。ペットショップの他、園芸店、ホームセンターっぽい雑貨屋さんなんかが軒を連ねている。お貴族様の来訪も想定に入っているのか、どこも店構えは上品だった。

 

 だからか、マダムも動物と触れ合う仕事の割に、かなり身綺麗に見えた。エプロンをつけているが、シミも汚れもそこには見当たらない……さすがに若干、なにかの毛はついていたが。

 

「遠慮しないで」

「あー、いえ……すみません、家にもういるんですよ、ピレネー犬。でっかいのが一匹。なので、これ以上は増やせないかな~って」

 

 それはそれとして、ペットショップで抱いてみますかは最強のセールストークだと思う。それは多分百貨店(デパート)における「試食いかがですか」よりも、ずっとずっと成功率の高い販促方法なのだ。安易に乗ると更なる最強攻撃、窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)()れば猟師も殺さずの極意が牙を剥いてくる。というかこっちが殺されてしまう。保護欲とか母性本能とか、もふもふを希求(ききゅう)せし心の正鵠(せいこく)とかを直撃されてノックダウン、見事心底(しんてい)()られてしまい「おっ持ち帰りぃ~」の定番コースへと堕とされてしまうのである。これには商人の血が流れていてさえ「抱かない」以外の防護策が存在しない。なんともはや、げに恐ろしきかな。

 

多頭飼(たとうが)いも、いいものですよ……そちらのお嬢様も?」

 

 お嬢様……そう言われたレオが、珍しくもちょっと(ひる)んだような様子を見せたのは、そう呼ばれたからだろうか、それとも子犬を抱くことに対しての何かだろうか。

 

「あ、この子は(いえ)がペット禁止で。よく(うち)へ犬を愛でに来るんです」

「それはそれは。動物がお好きなんですね」

 

 レオへウィンクで合図を送り、「喋っていいよ」と伝える。レオの声は中性的だし、あんまり喋らないでいるとその方が不自然だから。

 

「飼えない……けど」

 

 おずおずと、恥ずかしがりやの女の子みたいに言葉を発するレオ。目付きが悪いから、可愛いものを見て戸惑ってる不良少女みたいに見えなくもない。かわええ。

 

「犬は、好きです……」「まぁ」

 

 それはあれだ、抱いてみたいけど、こんな自分には似合わないという理由で躊躇している……不良少女モノの、ある種のベタなシチュエーションっぽくもある。いじらしいかよ。

 

「まぁまぁ、お買い上げいただかなくても結構ですよ。是非、抱いてみてあげてください」

 

 小母さ……マダムもそう思ったのか、簡易的な扉を開けて囲いの中へと入り、むくむくな四匹の中から、一番近くにいた一匹を抱き上げ、それをレオへ預けた。

 

 ……が。

 

「きゃぅぅぅん!!」「わっ!?」

 

 どうしたことか、子犬はレオの胸に収まった瞬間、怯えたような鳴き声……悲鳴をあげて、ばっと逃げてしまう。

 

「あらあら」

 

 マダムが慌てることなく、地面に着地していた子犬を抱き上げる。

 

「……メイクの匂いが気に入らなかったとか?」

「そうですね、刺激臭のあるモノをお使いですと、こうなることもあります」

 

 レオは……。

 

「がぁぁぁん……」

 

 すごくわかり易く、落ち込んでいた。でも悪いけど、それもかわええ。

 

「普段のわんちゃんは、嫌がっていませんでしたか?」

「そうですね、特には」

 

 マイラは、普段通りだったな。

 普段通り、のんびり~の、どっしり~の、のっそのっそだった。

 

「むくむくが、もふもふが……抱けない……」

「おーい。レオナ~、帰ってきて~」

 

 あ、レオナは、外でこの格好のレオを呼ぶ時は「それで」と決めた偽名。安直とか言わない。

 

「マイラだけが特別……僕にとって特別はマイラ……」

「……コラッ」「あいたっ!?」

 

 聞き捨てならぬ言葉を発したレオの額を、結構な勢いでパシーンと(はた)く。

 やってから、今、例の回避が発動したらどうなっていたんだろうと思ったが、別にそんなことは起こることもなくレオナ……もといレオは普通に額を押さえ、涙目になっていた。

 

 ……いやその涙は、痛かったからじゃなくて、子犬に逃げられたことへのそれよね?

 

「もうっ、ここへはマイラに何かを買ってあげたくて来たんでしょ?」

「そうだけど……」

「浮気はいけないんだから、マイラに言いつけちゃうよ?」

「マイラ、こっちの言葉がわかってる風じゃない? って言ったら否定してたのに……」

 

 ぐじぐじと、レオは額をさすりながら恨めし気な視線を向けてくる。

 

 ……と。

 

「マイラ……とおっしゃいましたか?」

 

 マダムが、抱いた子犬を撫でつつ、笑顔を絶やさぬままにこちらへ質問を投げかけてくる。

 

「え……はい。あれ、マイラをご存知なのですか?」

 

 ん……これって……もしかして、また()()パターン?

 

「ええ、大きな商会の会長様が飼われている犬の名前、と伺っています」

「うわぁ……」

 

 やっぱりかっ。

 

 マイラ、有名犬すぎない?

 

 マダムの、もしやお嬢様は大商会のご息女様……というのへ、適当な返事をして。

 

「ますます、マイラを連れてのお出かけは面倒になってきたな」

「えええ……」

 

 今の気持ちを素直な言葉にすると、レオが「それはないよぉ」とでも言いたげな声を返してきた。

 

 レオが私の言葉に一喜一憂してくれるのは嬉しい……けど……どこへ行ってもアイツのせいで私の素性がバレるとか、それは本気で勘弁してほしい。

 

「まぁまぁ。ですが最近は王都にピレネー犬も増えてきましたから、あと数年もすれば状況も変わるかもしれませんよ?」

「え?」

 

 マダムは、抱いていた子犬を囲いへと戻しながら、ニッコリと微笑む。

 

「この子達も、来月には、みんな新しいお(うち)へ旅立っていると思います」

「売れてるんですか? ピレネー犬(この子達)

「王都では元々、大人気の犬種だったのですよ?……色々あって、ここ十年ほどは人気が下火になっていましたが……二、三年前くらいからでしょうか、徐々に人気が戻ってきました」

「……そうですか」

 

 ああ……なるほど……どうやらママの悪評が、ピレネー犬の売れ行きにまで悪影響を及ぼしていたようだ。

 

 だから逆に、王都のこの辺りではピレネー犬、イコール(ウチ)のマイラという図式まで出来てしまったと。

 

 そういえばマイラが(ウチ)に来たのって、もう十年くらい前なんだよなぁ。大型犬の寿命的には、そろそろ……じゃないだろうか……もう少し労わってあげるべきなんだろうか。

 

 まぁ……とりあえず。

 

「え、と、その節はご迷惑をおかけしました」

 

 とりあえず、そんなぞんざいな感じに謝っておく。真剣に謝られても困るだろうし。

 

「いえいえ、何のことやら、です。いつの時代にも流行り廃りはあります。当店は西部の大地主様方とも契約させていただいておりますので、王都で引き取り手の無かった子であっても、行く先がないということにはなりませんよ、ご安心下さい」

「西部……穀倉地帯の農村に、ですか?」

「ええ、犬は人間のパートナー。鳥を(はら)うにも、牛や羊を追うのにも役立ってくれます。当店では、引き取り手の無かった子をそちらへ融通する代わりに、飼料用の大麦や干し肉などを安く卸してもらう形を採らせてもらっています」

 

 なるほど……そうして諸々の経費を抑えているわけだ。さすがは王都の商売人といったところかな。

 

「でも、そういった村でなら、犬も自然と繁殖していくのでは?」

「自然交配に任せていると、雑種化していきますからね。そうした中から新たな犬種が生まれてくることも御座いますから、一概にそれが悪いといも言い切れませんが、パートナーとして犬を迎い入れたいと思った場合、やはり血統の確かな、犬種の特徴がハッキリ出た子を求められる場合が多くなってきます」

「そういうものなんですね」

「例えばですが、ピレネー犬であれば家畜護衛犬に、非常に適していますからね。もし将来的に牧場の運営をとご予定されているのであれば、是非当商会へとご相談下さい」

「え゛」

 

 なんかニッコニッコな笑顔で凄いことを言い出したよ、このマダム。冗談だろうけど、マダムジョークなんだろうけど。

 

「するの? 牧畜を? ラナが?」

 

 そしてレオはなんだ、その疑問符三段積みな倒置法は。

 

「とりあえず予定には全くないから。いやでも羊毛とかはウチでも扱っていたような……牧場の経営はしてないはずだけど」

「王都に入ってくる羊毛であれば、当店とも先述の繋がりがある西部の大地主様方、そちらよりの仕入れとなっているでしょうね。つまり、この子達の血統が守り、育てた羊の毛、ということになるのかもしれません」

 

 この子達、と言いながら、マダムはしゃがんで、囲いの向こうの子犬を撫でる。ぬいぐるみのように丸っこく、ぬいぐるみ以上に愛らしいその顔貌(がんぼう)は、マダムには絶対の信頼を寄せているのか、随分と穏やかな様子だった。

 

 うーむ、しかし。

 

「世の中、妙なところで繋がっているのね……」

「そういうものですよ。それに、繋がりという話で言えば、最近ピレネー犬の人気が戻ってきたその理由もまた、マイラちゃんにあるのかもしれませんよ?」

「……え?」

「たまに、あるんですよ? 街で、散歩中のこういう犬を見かけた、同じ犬種が欲しい、売っていないかというお問い合わせが。最近、ピレネー犬を指定してのお客様からは、良く聞くお求めの理由となっています」

「なんっ……だと?」

 

 なんなんだマイラ、アイツなんか人に好かれるようなヤバイ波動(オーラ)でも出しているの?

 私はあんなおっきいの、可愛いとは思えないんだけどなぁ。

 

「小さい方が可愛いのに」

 

 マダムの隣にしゃがみ、ぬいぐるみサイズのむくむくを撫でる。ふわっふわのもっふもふが手に優しい。本当に、同じ犬でもこのサイズなら可愛く思えるのになぁ。

 

 と。

 

「……ラナが撫でても、逃げないんだ」

 

 心底羨ましいといった様子の、レオの声が後ろから聞こえる。あ~、ね、世の中、(まま)ならぬモノだよね。私は別に、そこまでのもふもふ欲はないのだけど。

 

「犬と人にも、相性というモノが御座いますからね。お嬢様は、マイラちゃんとは相性がよろしいのでしょう? 大事に(いた)わり、(いつく)しんであげてくださいね」

「あ」

 

 そこで(ようや)く、マダムの慈母のような言葉に、ここへ来た本来の目的を思い出す。

 ……いや本当の本物の本来は誘い受け作戦の一環だけど、それはともかく。

 

「そうそう、だから浮気はダメだってばレオ……ナ、マイラに何かを買ってあげたくてここへ来たんでしょう?」

「そうだ。僕にとって特別はマイラ……あいったぁっ!?」「……ぃっつぅ」

 

 今度はデコピン。けど、やった指の方も痛い。さすがは人体で一番硬いと言われている額の骨だよ。

 

「なんでぶつのさ」

「レオナがトウヘンボクだからだよ」

「……トウヘンボクってなに?」

 

 なんだっけな。夢の世界には由来のわからない言葉も多い。

 

「多分ボクネンジンの親戚」

「……ボクネンジンってなにさ」

「多分トウヘンボクの親戚」

「だからトウヘンボクってなにさ」

「多分ボクネンジンの親戚」

「無限ループに入った!?」

 

「ふふっ、仲がよろしいのですね」

「そう見えますか? えへへ」「えー……」

 

 こらこら、嫌そうな顔しないの。仲良きことはよろしきことだよトウヘンボクネンジン。

 

「ええ。それで、マイラちゃん……ピレネー犬に何かを買ってあげたいとのことでしたね。でしたら……ブラッシングは毎日されていますか?」

「たぶん使用人の人達がしているのと、最近はこの子もよく」

「僕、ラナに人を指さすなって言われた気がする」

 

 まぁでもブラッシング用品はな~、金属処理のクオリティが段違いな金貨三枚(六十万円くらい)の一品が御座いますから。むしろブラッシングで出る大量の抜け毛の方が問題です。電気掃除機とかありませんか?……ないですよねハイ。

 

「というわけで、ブラッシング用品は間に合ってます」

「でしたら、首輪やハーネスなどはいかがですか?」

「それもあるし、変に取り替えちゃうと使用人達から苦情がでそうな気がする」

 

 あの人ら、マイ首輪とかマイリードとかマイハーネスとかを持っているからなぁ。マイラを散歩に連れて行く時は、各々が自分のそれを使うんだって。(うち)の使用人達のマイラ愛が極まりすぎている。

 

「でしたら、消えモノの方がよろしいのかもしれませんね」

「ドッグフードとか?」

 

 エサもなー、マイラいいもん食べてるしなぁ。スープを取ったあとのだしがらなんかじゃなくて、羽をむしった鳥(鶏?)をまるごと一匹食べている時とかあるし。

 

「いえ、シャンプーなどはいかがでしょう?」

「シャンプー」

「当店でも実際に使っている、ノミ、ダニ予防効果も期待できる逸品が御座いますよ」

「ああ」

 

 なるほど、そういうのもあるのか。

 

「シャンプーか、マイラってそういえばシャンプーとかどうしてたんだっけ」

「知らないの?」

 

 あれだけ見事な毛並みをキープしているんだから、ちゃんとしたお手入れは行われているはずだけど、そういえば知らないな。

 

「定期的に、ペットサロンへ連れて行っているのかもしれませんね。それも悪くない選択ですが、やはり御主人様が手ずから洗ってあげることも大事ですよ。定期的に優しく、心をこめて洗ってあげることで、こちらの愛情も伝わるというものです」

「ん」「んんっ」

 

「……いかがされましたか?」

 

 ふたり、顔面も赤面のペアルック。思い出したことは……たぶん一緒。

 

「ラナって僕のこと、もしかして犬かなにかだと……」

「そんなわけないでしょ!?」

 

 ぼそぼそっと呟くのへ、慌てて否定の言葉を返す。

 

 いや言わせてくださいよ。

 

 最初は、本当に現実的問題として洗う必要があったから洗ったのですよ。お風呂の使い方とか、身体の洗い方とかを知らないみたいだったから手伝ったのですよ。使用人に任せなかったのは、血を見られるわけにはいかなかったし、それにレオが、(うち)の誰かに危害を加えるというのなら、その最初の被害者は自分でなければならないという想いもあった。それは、私が始めた賭けだったからだ。

 

 それが毎日になったのは……まぁ、なんていうか、前にレオが推測してた通り、男性に慣れたいというのもあったし、自分の手で綺麗になっていくレオの姿に達成感というか、やりがいというか、楽しさのようなものを感じてしまったからだ。

 

 それが、犬をそうするのと何が違うのと言われたら返事に詰まってしまうけど……でも違う……違うのっ。犬は洗われながら喋ったりしないし、私は、レオを洗いながらのおしゃべりの時間もまた、大事だったから。

 

「やだ、私、なにか余計なことを話してしまいましたか?」

 

 妙な空気のふたりへ、マダムはのんびりと、おっとりとしかし慌てた風で口に手をあてる。

 

「いっ、いえっ! そんなことはありませんっ」

「そう? 私ももう歳ね。若い子のことはもうよくわからなくなってきているの。失礼があったら、許してね」

「そ、そんなことはないです。お綺麗ですよマダムっ」

 

 最初、心の中で小母……云々思ったのは内緒ですとも。ええ。

 

「そう、ありがとう」

 

 あー……。

 

「あ~、ええと……そうだ! シャンプーでしたね! 一本下さい。それでいいよね? レオナ」

 

 もうあれだ。

 

 そろそろここは、退散と行こう。なんかこれ以上ここにいたら、色々とボロがでそうな気がする。ここへは犬用シャンプーを買いにきた。監視者にそう見えれば十分だ。

 

「う、うん。まぁじゃあそれで」

 

 同じ気持ちだったのか、レオも赤い顔のまま頷いてくれた。

 

 そんなわけで、ペットショップへの遠出は、妙な空気の中、早々に犬用高級シャンプー(銀貨三枚でした)を買い上げての終わりと相成ったのでした。なんだか、感情が色々に振れて妙に疲れたよ……。

 

「……ふぅ」

「……なんだかラナが、嘘をついている時の匂いがする」

「余計なこと言わない!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<同時刻:ペットショップ店外、ラナの魔法の有効射程圏外>

 

 倉庫かなにかの物陰で、耳に欠けのある赤毛の男が、小声で何者かと何物かのやり取りをしている。その足元には、うずくまる髪の長い子供の姿もある。

 

「それで、(やっこ)さんはなんて言ってる?」

「いいから今すぐ拉致して来い、だな」

「……こ~ねこね」

 

 返答した者は、部下……にしては言葉遣いが横柄ともいえる。

 

 また、耳に欠けのある男……アルスもまた、ラナの伯父、ゲリヴェルガの前とでは、まとう雰囲気に大きな違いがある。そもそも彼らは、この国の言葉で喋ってはいない。

 

 そして髪の長い子供は……ふたりの足元で我関せずと泥をこねている。見ればそれなりに可愛らしい、赤い目をした六歳かそこらの女児である。毛量の多いチョコレート色の髪は、生まれてから一度も切っていないのか、腰近くまであった。しゃがんで泥をこねているせいで、その毛先は少し泥にまみれている。

 

「アレもいよいよ頭が煮詰まってきてるな。例の準備の方はどうなっている?」

「元が臭嵐(しゅうらん)の季節に合わせての予定だったからな。獅志月(ししづき)網把月(あみわづき)……それくらいにはなるだろう」

「あと六十日前後か……奴さんをなだめるておくには少し無理があるな」

「襲うか?」

「七人を殺った方法が不明だ。これ以上手駒が減るのは望ましくない」

 

 ()()()()は、あるいは()()の方の一角であったヒュドラが一匹、殺られたことにも関係しているのかもしれない。彼女らが大迷宮(ダンジョン)に向かったその日に、アレは倒されてしまったからだ。

 

「お前は相変わらず慎重だな」

「こ~ねこねこねこね~」

「アレも余命が短いからな。五年以内になんとかしろと仰せなんだと。まったくどいつもこいつも、頭の煮詰まってくると無理を喚き散らし始めるモンだから堪んねぇよ。()いてはことを仕損(しそん)ずるって、知らないのかね」

 

 世界は全て己の(した)(ひざまず)かなければならない。その衝動のままに生きた男も、もはや六十九歳。普通の人間であれば既に充分な長生きであるし、治癒魔法、体力回復魔法などの恩恵が受けられる立場の人間であっても、八十を超えれば生きているのが奇跡の領域となってくる。

 

 ──だから、あと十年が堪え所だ。

 

 あの老人、パスティーン・オムクレバ・パスティミルジョーンズ・ガッダ・リュロヴァーヂ・ノド・メムザアデュフォーミュラン・ジ・グレイオは、あと十年でユーマ王国も、その同盟国も、南の大陸も支配するつもりだ。だから彼らのような者が無茶な命令に駆り出されている。

 

 それは、アルスには、ケツに火のついた老人の暴走としか思えなかった。

 

 ──付き合ってらんねぇよ。

 

 そう首を振るアルスに、同じ目線で相対する者はニヤリと笑う。

 

 腰に()いたヒーロリヒカ鋼の剣を抜き、その美しい刀身をうっとりとした表情で眺め、歌うように言う。

 

「一代で成り上がった男は老境で狂うって言うからな」

「ぴっ」

 

 その狂相(きょうそう)籠もる声に、ふたりよりもだいぶ低い目線にあった、泥をこねていた少女がビクンと反応した。

 

 ──狂ってんのは、オメェもだけどな。

 

「はっ。成り上がったわけでも、老境に入ったわけでもないのに狂ってるのもいるけどな」

 

 ──まったく、どいつもこいつも()に狂いやがってよ。

 

「違いない。なら捨てるか?」

「そうなると()のところで下っ端からやり直しだ。碌な扱いにならないのは目に見えている」

 

 ──コイツみたいにな。

 

 アルスはしばらく考える。誰も相手してくれないと知って、また泥団子をこねだした女児へ冷たい視線を向けながら考える。自分達の目的、自分らの身の安全の確保、その上で上手く立ち回る方法。

 

「ん? どうしたリッツ」

「ねー、マルス~。泥団子~、たべりゅ?」

「食うかっ、アホかっ、死ぬわっ」

「……お前ら、うるさい」

 

 どこかの誰かが、今すぐにでも、ユーマ王国とその同盟国の兵力を大幅に削いでくれるというなら話は簡単だ。普通に本国の兵を動かし、蹂躙すればいい。大規模な遠征になるから二年か三年はかかるだろうが、それであれば自分らのような者が動くまでもない。

 

 労せず、この国も終わりだ。

 

 だが、そんな「英雄様」などいるわけがない。

 

 だからユーマ王国の平和を撹乱(かくらん)して、擾乱(じょうらん)の渦を発生させるのは自分らのような者の役目となる。ユーマ王国の中枢へ巣食う不穏分子に寄生し、埋伏(まいふく)(どく)となり、その筋から体液を吸うように様々な情報を得て、大規模な混乱計画を進行していく。それが与えられた任務、やらなければいけないこと。

 

 アルスはしかし、自分が寄生する不穏分子を敢えて「小物」にしていた。

 

 世界征服を夢見る老人には付き合っていられない。「本筋」から遠いところに陣を敷いてしまえば、混乱計画の本流からは外されてしまう……が、それでいい、それがいい。暴走した老馬の()く馬車には同乗していたくない。それが、どれほど大きく、立派なモノであったとしてもだ。

 

「あっ、コラさわんなリッツ!?」

「うー……」

 

 それよりかは遠いところで、小さな馬車に乗り、好き勝手している方がまだマシだ。「小物」には「小物」の良さがある。小物過ぎて鳴き声が(うるさ)いという点を除けば、操縦もさほど難しくなかった。

 

「……生け捕りじゃなく、殺害の依頼だったら簡単だったのになぁ」

「まったく、な」

「うにゅん?」

 

 それに、財務省にコネのある貴族官僚というのも良かった、その筋から得られた体液……情報を合法ギリギリの線で活用すれば、金はいくらでも儲かったからだ。アルスは、そうした小銭を拾う才には長けていた。

 

 その筋を、だから今の段階で捨てるのは惜しいと思った。

 

 だが、当然ながら自分が捨て駒になるのもゴメンだった。

 

 ──ならば、ここは拾った小銭をある程度放出してでも、その筋に奉仕しておくべきか?

 

 身銭を切る覚悟をするなら、やれることはいくらでもある。

 

「お姫さんには、俺もお前もまだ(メン)が割れてないはずだ。少しちょっかいをかけてみる、か?」

「ナンパでもするのか?」

「それも悪くないが、見ての通り今の俺はチンピラスタイルだからな、嫁入り前の娘っ子にはウケが悪いさ」

「金持ちの箱入り娘は、意外とチンピラが好きだったりするがな。お前がやらないならこっちでやってもいいぜ?」

 

 あの手の女は、自分も嫌いではない。(さら)い、縛り付け、初物は依頼主に譲るとしても、納品までに自分も心ゆくまでいたぶってみたい……ねっとりとそう(うそぶ)く目の前の者へ、泥まみれの幼女リッツは怯えた顔になり、アルスはゲンナリとした表情を浮かべる。

 

「うー……マルス、怖い顔、してりゅ」

「あのな、言ったろ? お姫さんも、あれで結構苦労してるんだぜ? どうやらそれなりに頭も回るようだしな」

 

 その割に、今回の外出は隙が多い。だからこそ警戒しなければならないとアルスは思っている。それに、隣にいる女の正体も、少し調べたが不明のままだ。

 

「なんだ、同情してんのか?」

「そんなんじゃない。無策でつっこむには危険すぎる相手だと言ってるんだ。同行者の情報も何もない状態ではな……ソイツ、時折ただ事じゃない殺気を放っているんだろう?」

「ああ。少なくとも見かけ通りの少女ではないな」

「うにゅ?」

 

 ──あれは、もしかしたら魔法使いの類ではないだろうか?

 

 七人は剣で斬られて殺されていた。だからそことそれは繋がらないが、世の中には自らの身体(しんたい)を強化する魔法というモノもある。その逆、例えば屈強な男があんな華奢な少女に化ける魔法というのは、さすがに聞いたことも無いが、慎重な……というか我が身の安全こそ第一と考える彼らは、人を見かけで判断するのは危険と判断していた。

 

 ──魔法使いであれば、使える魔法の種類と、その詠唱時間(キャストタイム)が判明すればいくらでも対処できるんだが。

 

 だからラナ達を襲うにも、せめてそこの情報が欲しいと思っていた。

 

「なら、どうするんだ?」

 

 チンピラが良家の子女へ接触する機会なんて、ナンパ以外に何かあるのか?……と問う()()()()()()()()()()()へ、アルスは、リッツにハンカチを差し出してやりながら、まるで、そのついでであるかのように答えた。

 

「自作自演のナイト様、というのでどうだ?」

 

 

 



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epis27 : blue bookmark

 

<ラナ視点>

 

 神楽舞(かぐらまい)

 

 それはこの世界の暦で十番目の月。要は十月だけど、この世界の月は日数が均等ではなく、月自体も十七月(じゅうしちがつ)まである。

 

 それは、年の前半を太陽暦、年の後半をふたつの月による太陰暦で刻んでいるからで、神楽舞は、小月(しょうげつ)大月(だいげつ)が、時に重なって踊るかのような挙動を見せる時期であることから、その名が付けられている。

 

 記号で表すなら「◎」であるとか、「∞」であるとか、そんな風にふたつの月は重なり、離れたり近付いたりしながら、まるで付かず離れずを楽しむ男女であるかのようにふたり、天空で舞い踊る。

 

 そうして地上においては、神楽舞は祭りの季節となっている。

 

 それは、農村であれば収穫祭だけれども、王都リグラエルにおいては日本の祭り、神輿(みこし)が街中を練り歩くアレに近い。勿論、神輿そのものはないが、貴族や大商会がそれぞれに趣向を凝らしたパレードを催すからだ。それらは神楽舞の十五日間の間に四日、基本的に悪天候でない日を選び行われる。これらは順番に第一の晴日(せいじつ)、第二の晴日(せいじつ)、第三の晴日(せいじつ)有終(ゆうしゅう)()と呼ばれている。最後だけ名前が違うのは、それがどんな悪天候であっても神楽舞の十五日目……神楽舞は十五日しかないので要は末日……に確定で行われるからだ。その日を選ぶのは本当に大貴族で、豪雨になろうともパレードを行えるなんらかの力を持っていることが多い。大規模な傘のような結界魔法を展開できる魔法使いが配下にいるとか、そういうの。

 

 そしてその期間中は、そうした活況に応え、支える形で街中に様々な露店が現れる。

 

 祭りの露店というと割高なイメージがあるが、王都リグラエルにおいてそれは、むしろ諸々が割安で買えるモノだったりする。激安といってもいい。

 

 なぜかというと、ここに出店する露店の全ては、どこかしらの商店、商会の看板を背負っているからだ。条例によって、祭りの季節にだけ活動する類の業者は排斥されている。無理矢理出してもすぐに警備、警邏(けいら)の兵へと通報され、すぐにその場から排除されてしまう。おそらくは歴史上の、どこかの段階で、治安向上のためにそうなったのだろう。

 

 そして露店で売られる商品は基本的にそこまで高いモノではない。普段大きな商売を行っている者からすれば、利益の少ない商品ということになる。ならば、露店においては利益を求めず、商店の、商会の、あるいは売り出し中の商品の名を知ってもらうことに専念する……それが王都における露店の「常識」となっている。

 

 我らが(?)ロレーヌ商会も、それは同じことだったりする。

 

 一昨年、パパにそのアイデアを求められたから、ボユの港から運ばれてくる南の大陸の果物、バナナと……まぁ……つまり……バナナとチョコレートの素敵なマリアージュ、チョコバナナを提案した覚えがある。リンゴ飴の作り方は知らなかったですよハイ。

 

「美味しいね、これ」

 

 それが実際にどういう商品になったかは、今まで知らないでいた……が、チョコレートの名が、王都で広く知られるようになったのが一昨年の神楽舞以降だというから、「名を知ってもらう」効果は高かったのではないかと思っている。

 

「チョコの上にトッピングする色とりどりのチョコチップ、人工着色料のないこの世界でどう表現するのかと思ったら、これ固めのペクチンゼリー……の破片じゃん……」

 

 そんなわけで、発案してからの二年越しに食べたチョコバナナは、微妙にグミ感漂うフルーティさをまとっていました。うぬぬ。でも美味しかったのなら考案者冥利に尽きるというものですよ、ええ。良かったね、レオ。

 

「真っ赤な服を着た金髪ツインテールがチョコバナナ……おじさんいけない妄想が(はかど)っちゃいそう」

「よくわからないけど、そういう時のラナにはあまり触れない方がいいって僕も学んだよ。んむっ」

 

 パリッとなるほど硬いチョコレートじゃないから、柔らかなバナナに柔らかなチョコが被さり、その上にぐにぐにのペクチンゼリーが載っている。なんというか色々ゆるめなふんわり食感だ。森●製菓のロングセラー、チョコ●ナカは、皮の部分がアイスの水分でふにゃふにゃにならないよう、皮の裏面をチョコでコーティングしてるというが、これはそうした企業努力を嘲笑うかのようなふんわり食感だ。どうでもいいけど、なんでこういうのはハッキリと覚えているのかな。ちなみにきのこ派でもたけのこ派でもないです、アーモンドクラッシュポ●キー派でした。戦争をする友達も、いなかったけど。

 

「そうか、レオはふにゃふにゃバナナ派か」

「よくわからないけどツッコまないからね?」

 

 ちぇー。相方がいがないの~。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、誘い受け作戦が始まってから十日以上が経ちました。

 

 初日からクライマックスもありえるかと期待していたのに、なぜか敵さんは襲ってこないです。

 

 初日こそ最大五人の動員があった尾行の面々も、そこがマックスだったようで二、三人の動員態勢に戻っています。なにゆえに。

 

「尾行が続いているから諦めてはいない。だけど、結構襲いやすい状態を作っても襲ってこない。これはどうしたことなのか」

「何度か無関係の人にナンパ? されそうになったのが厄介だったね」

「……そうだったね」

 

 王都においてナンパは、実は結構レアな行為だったりする。というのも、そこらじゅうに警備兵警邏兵(けいらへい)がいて、悲鳴をあげれば簡単に撃退してもらえるからだ。中央区画から少し外れた場所であっても、そこら辺の店舗には警護兵が常駐していたりする。それを、ある種の監視社会といえば聞こえは悪いが、抵抗する力のない女の子にとってはありがたいことだと思う。

 

 まぁ有無を言わさぬ突発的な誘拐であるとか、溜め池のように警備兵警護兵すらいない場所ではその効力も薄まるが……私も、王都のその部分に対しては文句がない。素晴らしいと思う。思うけどね。

 

 ただ……世の中には、それでも女の子をナンパしようとする頭チョコバナナな連中もいて、それは当然ながら誘い受け作戦で狙った獲物ではないというのが、この世のままならぬところです。

 

「レオに悲鳴をあげさせるわけにもいかないから、そのたびに私が力いっぱい悲鳴をあげたわけだけど、おかげで喉の倦怠感が凄いわ」

「僕は耳の方に結構なダメージが入った気がするよ」

「ただ、心の方は、なんかそれで結構スッキリした部分があった気がするのよね」

「痴漢よーって叫んだあれで?」

「うん」

 

 十三年か十四年かごしに、ストレス発散をした気分。

 

 あ、冤罪ではないです。触られましたから。なぜか決まって私はお胸を、レオはお尻を。そこまでいかないナンパであれば紳士的に……淑女的に?……お断りしましたよ。

 

「やっぱりラナは変な人だよ。知れば知るほど、そう思う」

「変な人は嫌い?」

「……普通の人は、僕を嫌うから嫌い」

 

 そこでぷいと顔を(そむ)けるレオ。うん、今日もかわええわ。……あ、背けた先でチョコバナナを食べきった。

 

「今のレオだったら、嫌われないと思うけどね」

「それはこの格好だからでしょ? 僕、お尻とか触ってくる気持ち悪い顔をした大人の男の人に、好かれたいとは思わないよ?」

「そういうことじゃないんだけどね。ん~」

「ん?」

 

 レオの首筋に顔を寄せ、くんくんとその匂いを嗅ぐ。

 

 うん、いい匂い。ネロリの匂いがほんのりと感じられる。

 

「どうしたの? 色的に、マイラの真似がしたくなったとか?」

「それはやめてー、違うー」

 

 あのね、レオ君。

 

「今のレオからは、もうスラム街の(にお)いがしないの。それでね、人間なんてね、単純なモノなの。(くさ)い匂いがすれば、それだけで相手のことを嫌だと感じる、それくらいには単純なモノなの。今のレオは全然臭くなんかない。だったら初見で嫌われる要素は、もうないってことなの」

 

 わかる? だから清潔にするって、毎日の入浴って、大切なことなの。体質や環境の都合上、どうしても清潔感を保てない場合もあるだろうから、人をそこで判断するのは危険だと思うけど、できる範囲で努力をしているかしていないかの差は、大きいと思う。

 

「いいよ、僕は、普通の人には、別に好かれなくても」

 

 お、おう。

 

 ……ま、まぁレオは直近までスラム街という環境にいたからね。そこの意識改善は今後に期待だよね。

 

「ラナの綺麗好きは、尊重するけどね」

 

 お、おう。

 

 ……ま、まぁ今のレオは私が綺麗にしているからね。すぐには意識改善しなくてもいいのかもね。うん。

 

「ああでも、お側付(そばづ)きの品格と質だっけ? ある程度見目麗しくないとラナの評判? 名声? を落としてしまうのかな」

 

 お、おぅ?

 

 ……い、いやまぁ、私もとっくに、普通の人に好かれることは諦めているからね、今更評判も名声もないんだけどね。

 

「いやいやいや、そこまで考えてくれなくていいから。そもそも私の評判なんて、もう十年も前から地の底だし、名声はナントカ海溝の底だし」

「そう?……なんで少し涙目なの?」

 

 言ってて少し悲しくなったのは内緒だ。

 

「気にしないの。……でもさ、レオは素材悪くないんだから、ちゃんとご飯食べてちゃんと毎日清潔にしていたら、そのうち、すごく格好良くなれると思うんだけど」

「今はこんな格好の、よくわからない人だけどね」

 

 言って、レオは両手を、どちらもチョキ……チェケラッチョ?……にし胸元へあて、自分の格好を見下ろす。それは……だから例のカラーバリエーションの赤だ。真っ赤な、サイドプリーツのロングスカートとノースリーブのブラウスだ。黒の時はリボンタイなどがピンクだったが、こっちはそれまでもがマッカッカだ。

 

 となると……そう。

 

「まぁ、私もこれは、ちょっと恥ずかしいかも」

 

 私の方は、真っ白である。それはもう、ベルトやリボンタイまでも真っ白なわけである。所々金糸(きんし)やオリハルコン()が織り込んであるのか、微妙にぼんやりと輝いていたりもする。

 

「あれ? ピンクよりもそっちの方が恥ずかしいんだ?」

「んー、なんだろうな、全身白ってなんていうか、私が主役よって主張する色っぽくない?」

「なにそれ?」

 

 夢の世界にしろ、この世界にしろ、ウェディングドレスの定番はやっぱり白だったりするわけで、純白はなんだかやっぱり特別な気がする。別に、マイラと被るからイヤだとか、そんな理由ではない。ないったらない。

 

「それに、白って透けるからね。高級店のだからか、そうそう透けない工夫はしてあるけど……見えてないよね?」

「……何が?」

 

 ならば内側もと、着けてきた白が。

 

 ちなみに、何の話かはさておいてから述べれば、この世界では純白が若干割高となります。それは、肌触りのいい純白がなかなか実現しにくいからなのだそうです。ベージュが上下銀貨五枚で買えるくらいのランクの店で、純白は上下十五枚くらいします。しました。円換算で三万円。いったいこれは何の無駄知識(トリビア)なのか。

 

「変なの。白い服なら、さっきから女の人の五人にひとりはそうじゃない。全身真っ白だって、もう何人も見たよ?」

「うーん、まぁそれはそうなんだけどね」

 

 今日は神楽舞第一の晴日(せいじつ)。だからか、街はいつもより華やいでる。王都はいつもそうじゃないかと言われたら、それもそうなんだけど、それより更にハロウィンの渋谷色が濃くなっているとでもいうか。

 

 ホントその辺に、豪華を通り越して仮装かよってレベルのドレスさん達が歩いてらっしゃるのです。

 

「ピンクは少女っぽい印象の(ガーリィな)色だから、十三の私が着るならむしろ保護色に近いっていうか……平たくいえば普通?」

「白は?」

「白は……年齢を問わずじゃないかな。けど、余所行(よそい)きで白はやっぱり主役感があるというか、ある程度自分に自信がある人が着ているイメージ」

「……赤は?」

「それもありふれているから、ある意味保護色だけど、あんまり少女っぽい(ガーリィな)イメージはないから……うーん」

「……いきなり人の姿をジロジロ見だして、どうしたの」

「……ねぇ、レオ、怒らないで聞いてね?」

「傍若無人なラナがその前置きをするってことは結構相当だから、あまり怒らないと約束したくはないけれど、なに?」

 

 その、ですね。

 

「胸のところ、ほんの少し、ほんのちょびーっとでいいから、詰め物しない?」

 

 お胸がね、発情したナンパ男であっても、見向きもしないようなアレですので。

 

「……」

「ホラ、赤ってやっぱりゴージャスなイメージがあるじゃない? 服はゴージャスなのにスタイルが慎ましやかだとやっぱり違和感が」「脱ぐ」

「……え?」

「これ、脱ぐ。どこか着替えられるお店に入ろう」

 

 わ、マズイ、やっぱり怒ってらっしゃるー。

 

「だ、だから怒らないで聞いてって」

「僕、怒らないとは言ってないよ?」

「あ、う」

 

 こ、これはまずい。結構本気で怒っていらっしゃる?

 

 女装それ自体に関しては、そこまで強く拒否されてこなかったから、てっきりレオは、そういう格好をするのにあまり抵抗がないのだと思っていたけど……何か超えてはいけないラインがあったみたいだ。

 

「ご、ごめんレオ、怒らないで」

「怒らないとも言ってないけど、怒っているとも言ってないよ? ラナは僕が怒っているように見えるの?」

「……え?」

 

 あ、あれ? いやでも怒ってるよね?……というか、私、レオの怒った姿ってあまり見たことがないんだよね。いつも、(たぶん)年下のクセに、妙に落ち着いている。

 

 今も、だから怒っているというには冷静な感じだけど……。

 

「なら、悪いことを言ったと思っているんだね。それならいいよ。いいけど……これは脱ぐ」

「待って待って待って!? 着替えなんて持って来てないよ!?」

 

 メイク道具一式とか、ハンカチや手ぬぐいならスカートのポッケに入ってるけど。……あ、それが透けてない時点で下着は大丈夫か。

 

「着替えならあるじゃない」

「え?」

 

 どこに?

 

「そこに」

 

 と、レオは私の首もとのリボンタイを、軽くツンと突いた。

 

「交換、しよ?」

「えええええええぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、確かに()()()()ゴージャスに見えるね」

 

 王都にはあちこちに様々な服屋さんがあって、そこには試着室が存在する。店員さんにお金を握らせれば、それはメイク直しやらお着替えやらに利用できたりする。ここでの出費、銀貨二枚。

 

「ううっ……」

 

 そんなわけで、真っ白になったレオと、真っ赤になった私。

 

 真っ赤は、服もそうだけど、私の顔も指先も耳も、全部だ。

 

 レオの視線が私の胸部に、ふくらみに、夢の世界基準だともう大体Dカップなそこに突き刺さっている。

 

「よく似合ってるよ」

「ど、どこを見て言ってるのー!?」

 

 この世界の場合、そこのサイズは、人種が多様であるとか、貧富の差が激しいとかの様々な理由から、平均を出すことに何の意味がないほど、人それぞれだ。

 

 例えば、南の大陸の血が濃いと、髪の色が濃くなって顔の彫りも深くなるというが、身長とそこのサイズに関して言えば、どうやらそれは小さくなりがちであるらしい。

 

 私の場合、父方の曾祖母(そうそぼ)、つまりパパのお祖母ちゃんが南の大陸出身らしい。私やパパの髪が真っ黒なのは、多分その遺伝だろう。けど、身長とスタイルに関してはママ譲りじゃないかなー、だったらしいなー……と私は勝手に思っている。

 

 いやだからいったいこれは何の無駄知識(トリビア)なのか。

 

「恥ずかしい……」

「なんで? 赤はありふれているから保護色って、ラナは言っていたじゃない」

「……よくよく考えてみたら、赤も結構な()()()だったわ。プ●ティ・ウ●マンとか、パリ●恋人とか、スカ●レット・オ●ラとか……どれも見たことがないし最後のは名前のイメージだけど」

「また、ラナが何を言っているのかよくわからない件」

 

 なお、この大陸全体の話となるとまたちょっと複雑で、西の同盟国までいくと、夢の世界でいうところの白人、コーカソイドに近い人種となるらしい。髪も肌も色素が薄めで、顔の彫りも深い。身長やらの諸々なサイズも、比較的大きい人が多いんだとか。

 

 あとは……同じ大陸にありながらも、ユーマ王国とは大迷宮(ダンジョン)の森によって分断されている東の帝国というのがあるけど……ここに関しては国交が無いため、よくわかっていない。亜人と呼ばれる特殊な人種も多いらしく、その者らとの混血も普通であるとか、ないとか。だから本当に人種が多様で、色んな人がいるらしいということだけを聞きかじっている。髪の色ひとつにしても、青や水色、ピンクや紫、緑や翠、それらが二色三色と混じったモノと、非常に多種多様なんだとか。

 

「……っていうかね! サイズ感はいいの、サイズ感は。高級既製服(プレタポルテ)だから諸々の寸法に余裕を持たせているし、胸元は筋肉分かなにかで丁度いいくらいの感じになっているし、下はスカートで、ベルトで調整すればいいだけだから」

 

 まぁ……恥ずかしさに思考が迷走したが、私は南方っぽい(濃い漆黒の)髪の色でありながらも、肌の色やスタイルは母親似という、まぁまぁ珍しい容貌だったりする。

 

 それも、私の不幸のひとつだったかもしれないけどね。

 

「ん?」

「でも、なんで片方のポッケが潰れているのよー」

「なんでって……そこに穴を開けたからじゃない? 剣を抜刀する時のために」

「メイク道具一式、ハンカチや手ぬぐい……収納スペースが半分になったから、こんなことになってるじゃない~」

「……こんもり、だね。……あ、そうか、ならこっちも穴を開けないとだ。ラナ、いい?」

「んんっ!?」

 

 するとレオは男の子らしい執着の無さでポッケに手を突っ込む、その状態で私の許可を待っているようだ。片手だけだけど、それもなんか不良少女っぽい。

 

「……まぁ、この服は作戦のために買ったものだし、いいんだけど」

 

 答えると、あっという間にビリリィ……という音がした。もうちょっと穏やかには出来なかったのですか。

 

「うーん、せめてもうちょっと躊躇ってほしかったなぁ……まぁ多分それ、もう私着ないだろし、いいんだけど」

 

 一応お高いおべべ様でしたのにぃ。

 

「でも裁縫道具一式とかは持ってなかったんでしょ?」

「着替えた服屋さんでやってもらえばよかったじゃない」

「終わるまで下半身丸出しのまま待つの? ラナが? 僕が?」

「んんっ!?」

 

 いやいやいや、スカートくらい貸してくれるだろうし、なんならお金はあるんだから買いきっちゃってもいいし。……あ、それだと更に荷物が増えるか。

 

「でもどうしよ、さすがにこのこんもり感はみっともないし、どこかで小さなバッグでも買おうかな」

「でも、ポッケがふたつあれば問題ないんでしょ? ひとつは破いたけど、もうひとつは残ってるよ?」

「え?」

 

 さっと手が伸びてきて、ポッケからメイク道具一式が入ったポーチが抜かれる。

 

「……レオって、スリとかもしてたの?」

「僕、人聞きが悪いことを往来で言っちゃダメって、ラナに言われた気がする」

 

 そうだけどぉ、鮮やかな手並みだったから。

 

「持ってくれるんだ?」

 

 レオは太ももに剣を()いているし、万がいちの時、身軽に動けるよう、あまり荷物とかは持たせないようにしていた。液体だから結構重かった犬用シャンプーだって、私が持って帰ったのだ。使ったのはレオだけど。恩恵を受けたのはマイラだけど。私の筋肉痛がマイラの輝きへと変わりましたよぐぬぬ。

 

「さすがにこれを持っただけで動けなくなるようなら、それは護衛とは呼べないよ。これ以上重い物を持って逃げたことならいくらでもあるから」

「……スリと窃盗って、どっちが罪重かったっけ? それとも置き引き?」

「茶化さない。これ、僕のポッケの方に入れておくけど、いい?」

「……うん、ありがと」

 

 そうして、メイク道具は白いスカートへと飲み込まれていく。

 

 そこで、私は改めて、真っ白になったレオの立ち姿をまじまじと眺めた。

 

 

 

 ……うわぁ、なんだこれ、かっこ可愛い。

 

 

 

 身長はまだ極僅かながら(出会った時から二、(2、)三センチ(3cm)くらい伸びた気がするんだよね)私の方が高いけど、整ったシャープな顔が、可愛いけれど格好良い。

 

 スリの話題がなんだったんだって思うほど、なんていうかこう……上品で高貴な感じが漂っている。

 

 なんかもう、それが大舞台の主役であったとしても、なんの不思議もないような……。

 

「……どうしたの? ラナ」

「……ん」

 

 ああ……アレだ、私が白を恥ずかしいと思ったのってアレだ。

 

 私は自分が醜いことを知っている。汚いと知っている。(けが)れていると知っている。顔の形そのものはそこまで悪くないと思うんだけど、性根が腐ってるし、それが(おもて)に出てしまっているのか、良くも悪くも個性派といった種類の言葉が似合う顔貌(がんぼう)だ。

 

 ずっと……死んでも良いと思っていたのに、どうしてかこれは、妙に()()()()感じのする顔だとも思っていた。濃い髪の色に薄い肌の色という高いコントラストも目立つ。

 

 そう……私は、結構目立つ顔なのだ。

 

 それは、悪評が立つと後ろ指を指されやすい顔でもあると思う。(まと)としても、目立ってしまうから。

 

 だから、生まれつき悪評がへばり付いている私の顔は、醜いといっていいモノだし、もう十分に汚いし、穢れている。

 

 そこにきて、自分が主役であることを主張するかのような純白の衣装は……それはどうなのよって話だ。私が主役の物語とか、それはどれだけ露悪的で悪趣味な俗悪話なのよって言いたくなる。

 

 物語の主人公にふさわしいのは、私の伯母さんのような人だ。今は体型の丸くなった普通の上品な小母さ……マダムだけど、家庭内で虐められてからの逆転劇とか、王道も王道過ぎて笑っちゃう。

 

 

 

 みんな美しい物語を求めている。

 

 醜い悪が、美しい正義に討伐される物語を求めている。

 

 だってそれが勧善懲悪だから。エンターティメントだから。

 

 

 

 醜い悪の、その娘も、醜い悪であった方がいい。だってそれに気をかけるのはエンターティメントじゃないから。変に物語を捻ったって、どんどん気楽に楽しめなくなるだけだ。敵役の関係者は全員「いい気味」と思える対象であった方が、みんなスッキリできるのだ。

 

 物語なら、それはそれで正しいと思う。

 

 私が主役の物語を(つづ)る人がいたとしたら、それはどれだけ知性と品性の不足した底辺野郎なのかって思う。

 

 けど、残念ながら私の物語を綴っているのは……だから私だ。

 

 そして私にとってこれは現実で、現実をエンターティメントとして消費するゴシップ好きな小母様方(おばさまがた)は、醜い悪の、その娘にも、やっぱり親の醜さを受け継いでいてほしい思っている。期待している。

 

 だって、ずっと「いい気味」と思っていたいのだ、あの人達は。

 

 自分達に、自分達の秩序に、自分達の正義に、反旗を翻した者には、いつまでも不幸でいてもらわなければならない。

 

 それが自分達の正当性を、正しい人生を歩んできたという認識を、保証してくれるものだから、手放したくない。正しい人生から外れてしまった人には、永遠に地獄で苦しんでいてほしい。

 

 八歳で、私はそれに付き合いきれなくなったけれど……だからこそ私の自己認識は今もそこで止まったままだ。

 

 私は主役にはなれない。物語において私は、「莫迦(バカ)で愚かな女の末路は、その娘共々地獄に落ちるというモノでした」と、一行で語られてしまうような存在でしかない。

 

 だから……白を着るのは恥ずかしい。

 

 たぶん、これはそういう心理なのだと思う。真理であるかどうかは……知らない。

 

 

 

「ラナ?」

 

 

 

 でも……レオは……。

 

 

 

「……あ」

 

 

 

 純白が……似合う。

 

 

 

 レオにしたって、本当は……物語の主人公とするには……怪しい点が多い。

 

 スラム街出身、法を法と思わない無頼漢、でも最強の無敵剣士……ここだけ切り取れば、剣客モノの主人公としてバッチリな気がする。

 

 でも、それならばそのルックスは、渋めの小父(おじ)さんの方がいいんじゃないかなって思う。ぜんぜん不精には見えない不精ヒゲなんかが生えていたりして、時々皮肉めいた諧謔(かいぎゃく)のセリフなんかを()いてくれると完璧。

 

 無頼漢は、やっぱり大人の男性の方が似合う。

 

 美少年剣士も、沖田総司なりの例があるからひとつの王道ではあるけど、レオは別に病弱で痩せているわけではない。単純に、まだ子供なのだ。今、下手に筋肉を付けると背が伸びなくなるよって注意が必要なくらいには、子供なのだ。

 

 現実離れした天才少年剣士、それもそれでいいけど……それへ、更に……法を法と思わない無頼漢という属性が加わると、これはもうカオスだ。属性が渋滞して、上手く魅力を発揮できてない状態になるんじゃないだろうか?

 

 そんなキャラを、誰が……私以外の誰が……好きになるのかって話だ。マニアック過ぎる。

 

 

 

 夢の世界のあたしは、映画(エイガ)の二次創作小説を書いていたりなんかした。

 

 その時には、変な創作論みたいなことも考えていたりもした。

 

 ──『キャラクターの役割は四種類しかない。ヨリシロ、サポーター、トレジャー、トラブルメイカーのよっつ。』──

 

 それは、「キャラクターの役割」でぐぐった(???)ら、(なな)つだとか(ここの)つだとか書いてあって、いやそれは違うんじゃない? と、我ながら子供っぽい傲慢さで考えた結果だ。

 

 たったひとつ、「ヨリシロ」……読者の、そして作者の感情の受け皿としての役割……だけニホンゴな辺りに、あたしの未熟さが表れている。

 

 これは、ひとりのキャラがひとつしか担当できないといった類のモノではなく、主役ならば全部の要素を兼ね備えている場合が多い。感情の受け皿となり、物語の進行をサポートし、誰かや何かがそれを得るために奔走する宝物(トレジャー)ともなり、時にトラブルを引き起こして物語を動かす。

 

 

 

 レオが物語の主人公であれば。

 

 

 

 それは確かに、「私にとっては」よっつの要素を全て兼ね備えた、(まご)うことなき「主役」だ。

 

 世界を壊したいという想いを抱えたままのあたしと、それが出来そうなほど強い剣士。私の感情の受け皿(ヨリシロ)

 

 レオがあの時とあの時、()()()()()()から、私の物語は停滞することを止めた。(よど)みなく話を進めるためのサポーター。

 

 レオは私の宝物(トレジャー)。そこに野暮な説明は必要ない。

 

 そしてレオは、間違いなくトラブルメーカーでもあった。

 

 

 

 だってこんなにも、物語の「主役」みたいに、私の心を乱すのだから。

 

 

 

「素敵」

「ん?」

 

 石畳の、歩道の赤褐色、それから車道のブルーグレー。

 

 そのコントラストを背景に、純白のレオが小首を傾げ、立っている。

 

 その姿はバッチリメイクをした美少女のそれ。クセのあるシルバーブロンドがキラキラと輝いている。属性は更に渋滞し続けているが、その全部が間違いなくレオだ。

 

 街に人通りは多い、今も、私達の横を足早に極彩色の人々が通り過ぎていく。

 

 その中にあってレオは、だけど間違いなく私の主役だった。

 

 それは私にとってレオが、ヨリシロでありサポーターでありトレジャーであり、トラブルメイカーであるからかもしれない。その光景は、私だけが見える世界なのかもしれない。

 

 まったくの赤の他人が、今の私の視線の位置でスマホをパシャリとやったとしても、それはもしかしたら、女装した少年……というか美少女が不思議そうに首を傾げている、それだけの写真となるのかもしれない。

 

 この世界は、私の中にしか無いのかもしれない。

 

 だから私は今、()えているこの光景を、情景を……写真でなく、一枚の絵として切り取って……それを心の額縁に収め、仕舞ってしまいたいと思った。

 

 永遠は、そこにしかない。

 

 他は全て、なにもかもが(よご)れ、穢れていく。

 

 失われ、変質し、その意味を()くしてしまう。

 

 だけど、十三歳のこの私が心に収め、仕舞った……この一枚の絵だけは、たぶん永遠なのだ。それは例えばあの映画のあのワンシーンのように、初めて心に響いたSF小説のタイトルのように、今も心に残るお兄ちゃん(???)の「しょうがないなぁ」という声、その甘やかな響きのように。

 

 

 

 その宝物(トレジャー)が今、私の胸に……ぱしゃりと音を立てて……仕舞われる。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫? ラナ」

 

 

 

「……え?」

「どうしたの? ぼーっとして」

「……あ」

 

 それは、実際の時間に直せば二十秒か、それとも三十秒か、それくらいの忘我であったはずだ。

 

 繁華街の大通りなどという、人通りの多い街並みで、あたしは私とレオだけの世界にいた。

 

「ん、ゴメンね、レオに見惚れちゃった」

「……ん」

 

 真っ白な格好で、真っ赤になるレオ。

 

 ああ、こういう時だけは真っ赤な格好の方が、やっぱり保護色だなって思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは唐突な出来事だった。

 

 浮かれ気分、上機嫌、夢見心地……表現の仕方は色々あるけれども……私はだから……浮かれていた。レオと沢山のデートをして、ずっと平和で楽しかったことに浮かれていた。ノリノリでフワフワで浮かれていた。

 

 その、シャボン玉のようにキラキラしたなにかがパチンと割れるように。

 

「レオ!?」

 

 私とレオは、分断された。

 

 

 



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epis28 : story of deflowered consanguinity


※前書き

 当episには、非常に残酷な表現が含まれます。

 具体的には流血描写、人体の一部が欠損してしまう描写、殺人描写です。
 また、ラナがひたすらスルーしてきたレオの闇の部分が、ここにおいて少し描写されます。

 そういった描写が苦手な場合、もしくはレオを女装の似合う、ただのおかしな少年と思っていたい場合、途中、ラナ視点でなくったところで後書きまで飛ばしてください。後書きに、そうした描写を省いた、当該部分の出来事、ことの動向等を短く記しておきます。





 

 油断した。

 

 襲われる、襲撃される、攻撃を仕掛けられる……そういうことばかりを想定し、動いていた。

 

 だけど違う。

 

 私達は、私達が分断されることをこそ、怖れなければならなかったんだ。

 

 何が起きたのか?

 

 

 

 

 

 

 

 こんな都市伝説をご存知だろうか?

 

 繁華街の一画にある洒落たブティック。そこで女の子が試着室へと入っていく。暫くはガサゴソと着替えの音がしているが一瞬、ガタンという音がした後、試着室からは何の音も聞こえなくなってしまう。

 

 (いわ)く、そのブティックは人身売買組織が運営していたのだという。

 

 (いわ)く、試着室には落とし穴が仕掛けられていたのだという。

 

 あわれ、女の子はそのまま外国へ売り飛ばされてしまうのだ……云々。

 

 

 

 

 

 

 

 莫迦(バカ)らしいよね。うん、私もあたしも莫迦莫迦(バカバカ)しいと思う。

 

 ただまぁ、それに近いことは現実でも起こり得る。それを私は知っている。あたしはそれを知っていたはずだった。数ヶ月前に似たことは起きたし、夢の世界のあたしもまた、街中で白昼堂々(ワンボックスカー)に連れ込まれ、(さら)われてしまって……日本であるとも、現実であるとも思えない、思いたくないような地獄に()ちてしまったのだから。

 

 それだって、自分のことでなければ莫迦莫迦(バカバカ)しい話と思ったはずだ。人伝(ひとづて)に聞いたのだとしたら、おまいらまだハ●エースさんに粘着しよるのかと、冗談めかしてしまったかもしれない。あるいはそう……そんなことは、自分とは関係のない世界でしか起きないことだと思いたい一心で、被害者へ「そんなのどうせ、そういう被害に遭い易い女性だったんでしょ」と、あまりにも無慈悲で残酷なレッテルを貼ってしまっていたのかもしれない。現実には、悪を憎むよりも弱者を切り捨てる方が簡単だから。

 

 世間は、世界はそういうモノだ。だからそんなもんはぶっ壊れてしまえと、心の底の方でナニカがブツブツと呟いているけれども、今はそんな怨嗟(えんさ)(すが)っていても何も変わらない、何の意味もない。

 

 

 

 ああっ……もうっ……。

 

 

 

 だからアレだよ。

 

 天丼だよ、ワンパターンだよ、二度あることは三度あるだよ。

 

 

 

 また……攫われてしまいました。

 

 

 

 そんなわけで、また袋の中です。

 

 

 

 

 

 今度は馬車へ連れ込まれたようです。あまり上等のそれではないようで、ガコンガコンと揺れて、乗り心地は控えめに言って最悪です。まぁ袋の中に入ってる時点でどちらにせよ心地は最悪なのですけど。

 

 お互いの服を取り替えっこした時、私とレオは当然ながら別々のところで着替えました。別々とは言っても、複数ある試着室の、隣同士の部屋に籠もり、脱いだ服をカーテン越しに手渡して着替えたのです。

 

 誘拐犯は、おそらくはその様子をどこかで見ていたのでしょう。もしくは店員さんに金でも握らせて情報を得たか……まぁそれはどちらでもいいです。後者だったとしても、そういう店に入った私が悪いのです。それが(カネ)イズパワーである王都の常識です。無慈悲で残酷なレッテル風に言えば「安っぽい店に入る被害者の方が悪い」ってヤツです。世界って醜い。

 

 ともあれ、誘拐犯は知ってしまったわけです。私達が、着替えの際は別々の空間に分かれるのだということを。

 

 不覚でした。

 

 

 

 ……ところで。

 

 

 

 ロレーヌ商会のチョコバナナですが、チョコの部分がゆるゆるだということは先に述べた通りです。

 

 そしてそれは、子供にも人気の商品だったようです。ええ、今日一日だけでも、チョコバナナをぶんぶん振り回したまま走る子供なんてのを、三回くらいは見ましたからね。

 

 その、三回目。どう見積もっても小学生(ショウガクセイ)の低学年程度、下手したらそれ以下か? と思えるくらいの小さな女の子でした。チョコレート色の長い髪の毛がふわふわしていて、まぁまぁ可愛かったような気がします。

 

 彼女に、やられてしまったのです……レオが。

 

 はい、チョコバナナを持ったまま私(の胸元)にぶつかりそうになったその子の手を、レオがキャッチしたのです……が……それで女の子はビックリしてしまったのか、チョコバナナをひょいと、レオの方へと投げてしまう形になったのですね。

 

 アレが敵の仕込みだったのか偶然だったのか、それはわかりませんが、とにかくレオは、その真っ白な服(の胸元)をチョコバナナで焦げ茶色に染めてしまいました。女の子は、私がすっとんきょうな大声をあげた(らしい……レオ談)からか、すぐに逃げてしまいました。

 

 そして、ここは完全に敵の仕込みでしょうが、それは周辺にブティックというかアパレルショップというかファッションセンターというか、まぁ服屋さんといえるようなものがひとつしかない区画でした。

 

 レオの真っ白な服が汚れてしまった……そのことに自分でもよくわからないほど動揺した私は、何も考えることなくその……あまり質がいいとは思えない服屋さんへ、入ってしまったのです。

 

 そうしたら……これがまぁ……都市伝説もビックリな展開になりましたよ。

 

 お水な方面向けのお店だったのか、胸元の大きく開いた服がほとんどで、その中からやっと見つけた「少しマシ」な着替えを持って、レオは試着室へと消えていきました。その時の私は……自分の中の大切なナニカが(けが)されてしまったような心地で、ガックリと、ションボリと、ドンヨリと過ごしていました。ええ、周辺を魔法で探るどころか、普通に警戒することすらも忘れていました。

 

 そこを……やられまったのです。

 

 唐突に塞がる視界。麻布の匂い。

 

 何が起きたのか理解する前に担ぎ上げられ、運ばれて……今ではこの有様です。つまりは厚い袋の中で芋虫ムーヴをするしかできない状態です。というか、袋の上から節々で縛られています。その状態で更にもう一枚、袋を被せているっぽいですね。過剰梱包です、資源の無駄遣いです。袋はご入用ですか? いらねーですよハイ。エコバック? 学生カバンで十分だいっ。……そういえばこの世界、ボストンバッグっぽいのって無いんですよね。作ったら売れるでしょうか? ナイロン素材が無いから本革の高級品になるけど、高級品が買える層は自分では重い物を持ち歩かないけど……。

 

 いや黙れ商魂っ、今はそれどころではないんだってばっ。

 

 馬車は、ガッタンガッタン大きく揺れながら、どこかへと移動しているようです。ということは、私の魔法は使えません。黒幕がゲリヴェルガの糞伯父野郎ならば、目的地は彼のお屋敷でしょうか。

 

 前回、攫われた私は一旦スラム街へと運ばれました。

 

 その意味はわかります。私は白昼堂々攫われました。お貴族様のお屋敷というのは、周辺に警備兵が常駐しているものです。いくつかの例外(ひと区画まるごと自分のモノとしてるお大尽様のお屋敷とか)を除いて、人通りもそれなりにあるものです。そこへ、最初の七人のように、明らかに見た目でそれとわかるカタギじゃない連中が、ただごとじゃない感じのする大きな袋を抱え、入っていったとしたら……どうでしょう? これは良からぬ噂になるのではないでしょうか?

 

 なんだかんだ言って、王都は治安のいい都です。そしてそれは、監視の目が多いからこそのモノです。特定の位置に常駐する警備兵、特定の区画を巡回する警邏兵(けいらへい)、特定人物、もしくは特定集団を護る警護兵……これらは全て、国が雇用して各地へと派遣してる国家公務員です。個人が自身らの警護目的で傭兵なりを雇うことはありますが、それらは警護兵とは呼ばれません。また、警備兵、警邏兵、警護兵はみな共通の制服を着ています。警備兵は紺、警邏兵はブルーグレー、警護兵は黒と、色こそ違いますが形は同じです。なお、この制服を国家公務員以外が着るのは重罪だったりもします。

 

 そんな感じなので、王都において人目につく悪事は、なかなかにやり難くなっています。レオも窃盗とか、どうやってしていたのでしょうね。あまり知りたくは無いですが。

 

 ですが、監視カメラなどは無いこの世界、マンパワーに頼るだけでは難しいこともあります。その最たる例が夜です。

 

 勿論、夜になったからといって警備兵、警邏兵、警護兵が、完全に街から消え失せるなんてことはありません。ですが、数はどうしても減ってしまいます。

 

 それに、夜はどうしたって暗いです。不夜城(色街)などは違うのかもしれませんが、夜になれば灯りは減り、視界は狭くなってしまいます。

 

 人目によって治安が維持されているということは、その目が弱まる夜間においては、治安も若干低下するということです。

 

 ですから、最初に攫われた時は、これは、おそらく夜になってからどこかへ運ばれるのだろうなと思っていました。

 

 ……思っていましたけど。

 

 今にして思えば、それも違っていたのかもしれません。

 

 あれは()()()()だったのかもしれません。

 

 お貴族様のでも、お大臣様のでも、お屋敷というのはそれなりに大きな敷地を持っています。そういうモノです。ええ。

 

 私のお(ウチ)もそうです。

 

 上流階級(アッパークラス)となると馬車そのものを所持していますが、(ウチ)の場合は、商会の所有となるので、私が生まれ育った(いえ)にはありません。何台かあるっぽいのですが、本店に三台あることしか知りません。あとはボユの港との定期便であるとか、市場や直営店との行き来であるとか、そういうので使っていると思います。商売繁盛(まこと)に結構。

 

 そんな私の生まれ育った(いえ)であっても、馬車への昇降は敷地外の誰にも悟られることなく行えます。というか、パパが(ウチ)に帰ってくるなら、そこに馬車を留めていたんだろうなぁ……と思えるスペースがあります。まぁ無いんですが、馬車。オヤジが帰ってこないから……ふふふ。

 

 ともあれ、あのスペースは、多分、王都でそれなりのお(うち)(いえ)であれば標準装備なんだと思います。「多分」で「思います」なのは、私がお友達の家に遊びに行くなどの機会が無かったからですね~……あははははは。

 

 黒幕がゲリヴェルガ伯父さんであれば、間違いなくその家には、誰にも見られることなく、人目を気にすることなく、馬車で昇降できるスペースがあるでしょう。お貴族様ですものね、平民と同じ地面を歩くなんて、汚らわしくてやっていられませんよねぇ~……うふふふふふふふふふふふふ。

 

 ……って、ふざっけんなぁっ、クソがぁ!

 

 いい加減、肩と腰が痛いんじゃ! 変な縛り方しやがって! 変な置き方しやがって! 私はなんだ!? (ちまき)か!? もち米を笹などの草の葉でくるんで縛って蒸した美味しい食べ物なのか!? まだ残暑が残っているし、こんな過剰包装をされたら蒸し暑いんじゃ!

 

 あと最初、芋虫ムーヴで暴れた時、何発か蹴られたんだけど、その一発がわき腹に入ったんだよね。だからか少し、気持ち悪いのです。蒸し暑いのと馬車の揺れとそれで、微妙にリバースしたい気分なのです。こんな袋詰めの状態でリバースしたらどうなっちゃうんですかね? その答えは知りたくないです、まったく知りたくないです。なので頑張ってこらえていますが……この状態が長く続いたら、いつまでもは耐えられませんよクソッタレ。

 

 ……もういいかな? これ。

 

 黒幕と相対したら、隙を見て魔法を発動して~からのバラバラ殺人、しちゃってもいいかな?

 

 あのさ、だからさ、私こそさ……私の魔法はね? 手加減とか峰打ちの類は出来ないんだよ。というか……どこをどう分割するかを指定しての発動もできないんだよ。窓ガラスを割る時、罅割れの形を指定できますかって話だ。

 

 だからこそレオに、峰打ち可能になってもらったわけで、そのレオがいてくれるなら(今は)手加減しての生け捕りも可能だったけれど、そうじゃなくなってしまった。

 

 だから私はまず、自分の身の安全の方を優先させなければいけない。向こうに殺す気が無かったとしても、()()を加えられる可能性があるなら……そうしたいと思う。

 

 正直……この十日あまりは……幸せだった。自分を嘲笑ってこない誰かと行きたいところに行き、喋りたいことを喋り、楽しみたいだけ楽しむ……それがどんなに幸せなことだったかを、二十年ぶりくらいに知った気分だ。もっとかもしれない。

 

 だからこそ油断したんだろと言われたら……全く言い返せないけれど。

 

 でも、さ……一緒にいると胸がほわんと温かくなる人と十日以上も過ごしてさ、そのまま別の緊張感を維持しろって……難しいよ。誘拐と暗殺なんて、地下茎で増える雑草みたいなものでしょ? スギナとかドクダミとかああいうの。根っこを叩かない限りは何度でも生えてくるし、リトライされてしまう。そうしていつかは本懐を遂げられてしまうんだ。それがわかっていたから、だからこその誘い受け作戦だったんだ。黒幕(根っこ)を引きずり出さなければ、終わらないと思ったから。

 

 けれど……黒幕の方が私を……地面の下へ落としこみ、その根っこの元へと案内してくれるというのならば……私はもう、そこへ除草剤でもなんでも、ぶちまけたいと思う。

 

 この世界には、ないんだけど……除草剤。

 

 お湯をまくという、原始的手法くらいしかないんだけど……除草剤。

 

 でも……私は持っている。人間を即死させる魔法を、それだけを持っている。

 

 なら……私は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<レオ視点>

 

「んぎぃゃぁぁぁ!!」

 

 (うるさ)い。

 

 髭面の、(きたな)らしい顔をした男が、豚みたいな声で(わめ)いている。

 

「ホントだ! 本当に俺は知らないんだ!!……俺は赤毛の男に脅されてやっただけでっ……ぎぃぃぃ!?」

 

 ()で、()()()()()()足を捻る。

 

 とても綺麗に折れたのか、とても綺麗に曲がる。本来、人体の構造上ありえない形に。

 

「だから煩いんだよ……言ったろ? 表の兵が変事に気付き、この店の中へと踏み込んできたら……僕はお前を殺してから逃げる。それは絶対だ。少しでも早く逃げたいからといって、お前を放っておくなんてことはしない。……なぜだかわかるか?」

 

 お前を殺すのに、一秒もかからないからだよ。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 殺気を込め、睨みつけると男はかすれた声で悲鳴をあげる。一応は、声を抑えようと努力しているようだ。もっとも、それも、もうどうにもならないところまできているようだが。

 

 コイツも、最初はふざけたことばかりを言っていた。

 

 ()()()()()も売り飛ばしたらもっと稼げるかもしんねぇなとか、やっぱ胸がねぇとメイド服は似合わねぇなとか、だが顔はいい、こっちへ来い、可愛がってやる……とかなんとか。……微妙によくわからないが、まぁおそらくはかなり下衆(ゲス)いことを色々と(のたま)ってくれた。……今、僕が着ている服は、メイド服というらしい。メイドとは貴族が雇う使用人の一種だったと思うが、使用人向けの服がどうしてこんな店で売っているのだろうか……不夜城(色街)のお姉さんにも、売れっ子になればメイドさんが付くのだろうか?……まぁ……そんなことは……今はどうでもいい。

 

「ぅぎぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 豚の口を押さえ、その太ももを剣で刺す。太ももには大きな血管がある。だから下手に傷付けると出血多量で死んでしまう……僕はそれを経験で知っている……が、まぁそれも……どうでもいいことだ。別に、その血管を狙って刺したわけじゃない。だから死んだら……まぁ……それは全部、お前の(ラック)の問題だ。僕の知ったことじゃない。お前の生死に、僕は何も関係ない。死ぬなら勝手に死ね。お前自身の問題で。おまえ自身の罪で。

 

「もう一度聞くぞ? お前は赤毛の、片耳が一部欠けている男に金を握らされ、誘拐現場としてこの店のスペースを提供した」

「ひ、(ひぃが)う! 脅され(ふぁれ)たんだ! 脅され(ふぁれ)たんだよ!」

「だけど金は、貰ったんだろ?」「ぅぎぃぃぃぃぃぃぃ」

 

 豚の口を押さえ、その太ももに開けた穴へ、中指をつっこんでやる。女装を始めてから、爪を少しだけ伸ばしていたので、それで肉の内部をガリッとやってやる。

 

「ぅぅぅ!! むぅぅぅ!!」

 

 じたばたと豚が暴れる。手足はもう、全部折ってやったというのに……こういう時は体重差が恨めしい。

 

「それに、なんだこの地下室は?」

「んんんぅぅぅ!! ぐぅぅぅ!!」

「ラナが囚われているかもしれないと思った。だから気持ち悪いお前の、気持ち悪い提案にも乗ってやったんだ。暴れだしたいところを、激情を抑えて、乗ったフリをしてやったんだ。ここで、僕に何をするつもりだったんだ?」

(おほこ)(ふぁ)何も()ねぇよぉ!」

 

 ここは、変な匂いがする。よくわからないけれども、それはなんだか僕をとても不快にさせる(にお)いだ。スラム街のそれとは全く違う、だけどなにか生理的に「(けが)らわしい」と直感できる匂い……(にお)い。

 

「この鞭にこびり付いた匂いは、血の(にお)いだ。だけど獣の(にお)いはしない。人間を、これで打ったのか」

「ひぃっ!?」

 

 手近にあったので、男の汚いケツに()るってやった、三叉に分かれた革の鞭……その先には、金属製のスパイクボール(トゲ付きの小さな球体)が付けられていた。今は男の血で汚れているそれの、革の部分には……だがもっと重層的な()()を感じさせる血の(にお)いが、こびり付いていた。

 

「そっちにある(きたな)らしいベッドにも、血の痕がいっぱいだ。ここで、お前は何をしていたんだ?」

 

 血の臭いだけじゃない、人の排泄物の臭いもする。まぁそれはスラム街では日常的に嗅いでいた(にお)いだ、僕に耐えられない類の(にお)いじゃあない。だけど、服を売っている店の地下に、こんな部屋があるというのはおかしい。なにか、ただ事じゃないことが行われていたのだ、この場所で。

 

「……お、俺は」

「お前はここで、法に触れる何かをやっていた。だから()()()()……そういうことか?」

 

 ああ……だけど何度嗅いでも……血の臭いだけは……慣れない。

 

「法には触れてねぇよぉ!」

「……何?」

「信じてくれよぉ! 俺は人殺しも誘拐もしてねぇんだよ! そんな重罪は犯してねぇんだ!……ぎゃぁぁぁ!!」

 

 スパイクボールの付いた鞭で、今度は男の背中を叩く。ぷしっと血が飛び散った。それが僕の頬にもかかる。(きたね)ぇな、おい。

 

「お前はラナの誘拐に関わった。今更言い逃れをする気か?」

「ホントだってよぉ! 俺はせいぜい借金で首が回らなくなったのを()()()スラム街に捨てるくらいのことしかやってねぇんだよぉぉぉ」

「……なんだって?」

「俺は殺してねぇんだよぉぉぉ、俺が()()()()きた女どもは、どうせすぐに最下層まで落ちる連中だったんだって! 俺は()()()()のことしかしてねぇんだよっ! そんなの、誰にも迷惑かけてねぇだろっ!? そりゃあ人様に堂々と自慢できるような趣味じゃねぇさ! 人聞きの悪い趣味だろうよ!……けどよ、アンタも()()()わかるだろ? 男には、力で女を力ずくでひれ伏させてよ! 悲鳴をあげさせたい時もあるんだってよ!! なっ!?」

 

 わかるだろう? と……喚き散らすその豚の顔に、スラム街でたまに見た……ボロボロになった女性の姿が重なる。そういえばひとり、胸やお尻、下腹部の肌が、ボコボコの穴だらけになった女性を見たような気もする。あれは、()()スパイクボールのようなモノで執拗に苦しめられた(あと)だったのかもしれない。

 

 あの女の人は、結局その後、どうなったんだっけ……。

 

 ああ……それでも、そんな身体でもなお、逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)を引き起こして……どこかへと消えて行ったか。

 

「な!? 俺はこれでも誰にも迷惑をかけずに生きてきたんだって! 商売だって真っ当だ! 悪ぃのは、借金でどうにもならなくなってるクセによぉ、色街に行こうともしねぇで! それでもどうにかして大金を得ようとする性根の腐った! 頭の悪ぃ女共だろぉ!? 男ならそう思わねぇかっ!? 俺が喰ってきたのはそういう連中だよ! そういう連中だけなんだよぉぉぉっ!! カタギには手を出しちゃいねぇ!! だから頼む! 見逃してくれよぉ!!」

 

 なるほど……これは逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)の、その(みなもと)のひとつか。

 

 臭嵐(しゅうらん)

 

 それはスラム街の住人達の住居……その素材である襤褸切(ぼろき)れやゴミが、強風によって()()にばら撒かれること……その災害の……名前。

 

 主に強風の吹く、春先と秋の終わり頃に起きるそれは、スラム街の住人側から見ても大いなる災厄となる。

 

 自分達の住居が飛んでなくなってしまうし、強風の去った後には()()から荒くれた男達が、街を(けが)された恨みを晴らそうとやってくる。臭嵐(しゅうらん)で死ぬ()()の人間はいないはずだが、スラム街の住人は何人も、下手したら一回で何十人もが死んでしまう。そしてその殺人を咎める者は……誰もいない。

 

 どうしようもない。快適な「穴」は少ない。大抵の「穴」は雨風(あめかぜ)が吹き込んでくるし、コウモリの糞やネズミ、毒虫などでいっぱいだ。雨風(あめかぜ)(しの)ぐには屋根を、壁を……その素材が、たとえ襤褸切れであったとしても、ゴミであったとしても……風雨(ふうう)を凌ぐ障壁(しょうへき)を造らなければならない。日々のひもじさは、半年に一度の暴威よりも、辛さで勝るから。

 

 だから思う。スラム街の住人は思う。

 

 どうして、多少街が汚れる程度で、自分達は殺されなければならないのだろうかと。それくらいを、許してもらえないのだろうかと。

 

『世の中にはね、どうして負け犬のために、落伍者のために、自分が少しでも我慢してやらなくちゃならないんだ……って思う人がいるの。自分より上の者に搾取されるのは許せても、自分より下の者に我慢させられる、そのことだけは許せないって人がいるの。私はね、臭嵐(しゅうらん)なんてどうでもいいって思ってる。だけどそれは、もしかしたら私が、それを片付けたことの無い人間だからかもしれない。片付ける側に回ったら、私もそれに悪態を()くくらいのことはしてたかもしれない』

『……悪態を()くのと、実際に殺しにやってくるのは、全然別の話だよ』

『そうね、そうかもね。だけどそれが世の中ってモノ、世間ってモノ……しょうがないんだよ、世界は()()()()モノなんだから。私達にできるのはね、巻き込まれないようにすること……それだけ。理不尽ともいえる、だけど人間としては実に真っ当な感情が引き起こす、臭気(しゅうき)(にお)()つその()にはなるだけ近付かない、関わらない、そのように生きる。それだけしかないの』

 

 逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)とは。

 

 スラム街から見た臭嵐(しゅうらん)の、その理不尽さに対し、対抗する意味で……せめてもの皮肉として名付けられた……ある現象のことだ。

 

 スラム街には、たまにスラム街の治安……のようなものがあるとして……それを乱す者がやってくる。

 

 それは、スラム街でなにか悪事を始めようとする頭の悪い犯罪者だったり、何も持たぬスラム街の住人から、それでもなにかを搾取しようとする頭のおかしい人だったりする。

 

 その中で、割と頻繁にやってきて、時にどうしようもない、くだらない騒乱を巻き起こすのが……女の人だ。

 

 スラム街の住人はほぼほぼ男性だ。それは、逆を言えば、女の人はスラム街で長く生きられないということでもある。

 

 スラム街にやってくる女性は四種類しかいない。老婆か、本当に幼い子供か、重い病気を抱えてる人か、ラナのお母さんと似た目をした壊れかけの女性……それだけだ。

 

 老婆と重い病気を抱えてる人はすぐに死ぬ。大体は半年ももたないし、一年以上生きていた例を僕は知らない。本当に幼い子供は五歳から六歳を越える頃にいなくなる。どこへ消えていくのかは……それも僕は知らない。

 

 そして壊れかけの女性は……取り合いになる。

 

 片腕がなかろうが、両目を潰されていようが、完全に頭がおかしくなっていて『あー』とか『うー』とかしか言えない女性だろうが、それは関係ない。

 

 どうしてそんなものが欲しいのか、僕には理解できないけれど、大人の身体をした一部の男の人達は、それをどうしても「自分のモノ」としたくなるらしい。

 

 そうなった時に発生するのが、逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)だ。

 

 つまりは、下界から()んできた女性によって引き起こされる、血で血を洗う女体の取り合い合戦。あまりにも莫迦莫迦(バカバカ)しい、なんとも臭気(にお)()つ嵐、果てしなく(くさ)い「災害」だ。

 

「なぁ、たのむよぉ! 助けてくれよぅ!」

「……」

 

 そして、目の前の豚が、その発生源のひとつであるというなら、このネーミングは正に正鵠を射ていたことになる。

 

 この豚は、女の人をゴミのように扱って、ゴミのようにしてしまい、それをスラム街へと撒き散らしていたのだから。

 

 こんな世界を、神様が作ったというなら。

 

 嗚呼、神様はどれだけ皮肉がお好きなのだろうかと思った。

 

「……ゴミは、お前だ」

「……ぇ?」

 

 僕はラナに貰った剣を、刃が逆に付いたその剣を、更にもう一度、刃を逆にして構える。

 

 逆の逆は真。つまりは真剣。

 

 その刃で……僕は……。

 

 

 

「にぎゃあああぁぁぁ!?!?」

 

 

 

 男の鼻を、削ぎ落とす。

 

 ラナが教えてくれたこの国の法律とやらに、あったはずだ……因果応報の罰、人面獣心(じんめんじゅうしん)はその(おもて)さえも獣へ……とかなんとか。

 

 スラム街へやってくる女性の中には……重い病気を抱えてやってくる人の中には……死ぬ前に鼻がボロリと腐り落ちてしまう人もいた。だから、鼻のない人間が、みな獣のような心をしているなんてことは思わない。この国の法律は、やはりどこか狂ってる。

 

 だけど、間違いなくコイツは、この刑に相応しい男だ。

 

 心に、自分でもわけのわからない怒りがある。

 

 それは低く(うな)り、斬れ、殺せ、なにもかもを破壊しろと叫んでいる。

 

 だが、もう、いつまでもこんなことをしている場合じゃあない、僕は今すぐにでも、ラナを救いに行かなければならない。

 

「な()だぁ!? な()()ったぁぁぁ!?」

 

 だけど、それとは別に、僕の理性とは違う、心のどこかが……その深いところが言っている。こいつを許すな、こんなやつを生かしておいてはならぬと。

 

「続けるぞ、お前は()()()を公表されたくないのと、それから金を握らされたから、赤毛の、片耳が一部欠けた男に誘拐現場としてこの店のスペースを提供した。だがその男の目的は聞かされてない、馬車の行き先も知らない……そういうことか?」

「お、(おへ)の鼻、はなぁ!! なぁ(はの)むよ、(おへ)の鼻(ふぉ)(ひほ)ってくれ! 今すぐに(ふふひ)くっつけなくちゃ! (おへ)の鼻がぁ!!」

「答えろ!」

 

 ナニカが、僕の中で臨界を越えた。

 

「ひっ!? ()()うだよ! だ()ら俺も被害者(びがいじゃ)なんだ! 悪い(わびい)のは(おで)じゃねぇんだ(びょ)ぉぉぉ!!……ぎゃひっ!?」

 

 だから……僕は殺す。

 

 豚の口を押さえ、その首筋を刃で引く。首筋には大きな血管がいくつもある。だから下手に傷付けようがどうしようが、そこを弄くると人は簡単に出血多量で死んでしまう……僕はそれを経験で知っている……ああ……知っていたさ……知って今、僕はそうした。なにが、死んだら全部、お前の(ラック)の問題だって? いいや……そうさ……この豚は今……僕が殺した。我を()くすことなく、あの斬撃ではなく、僕が僕の意思でそれをしたかったから……明確な殺意の元、()()殺した。

 

「なら……もう、お前に用はない」

「ひ……ふ……ぁ」

 

 呆気なく、男は絶命する。手足の骨を全部砕いてさえ、なおも暴れていたその肥えた身体が……静止する。

 

 ……手がかりを得られなかった。

 

 その絶望と焦燥感。

 

 だけどそれとは別に、酷く冷たい満足感が……心にあるのを感じる。

 

 あまりにも醜かった豚の、その身体が……ビクビクと跳ねてから静止した……その光景を、その景色を……人の死を、その事実を……僕の心の……ナニカが捕食して呑み下し……充足した。その悦楽が、その喜悦が、僕の中にある。

 

 それは、ともすれば僕をこのまま……この場所へ……氷の鎖で繋ぎとめてしまうようなナニカでもあった。

 

 僕も知らぬ、僕の理性ではない心のどこか。

 

 それが歓喜に打ち震えている。喝采を叫んでいる。

 

 ()った。醜いこの世界の、その一部を殺してやった。()った()った()った()った()って()ったぞぉ!!……そう呟きながら、それは今も狂的な笑みを浮かべている。

 

 血を啜り、死肉を喰らい、それに満たされている。

 

 殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺しつくさなければいつまでも世界は醜いままだ。だから殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺しまくらなければならない。

 

 だからもっともっともっともっともっともっともっと殺そう。

 

 なぁ……()

 

 知っているだろう? 侵略者は突然にやってくる。勝手な理屈で、おかしな理論で、自分を「我こそは正義である」「我こそは救済者である」と(うそぶ)きながら襲来してくる。それこそが正に()()(よぅ)じゃあないか。世界は元々がゴミと襤褸切(ぼろき)れで構築されている、秩序なんてひと風吹けばすぐに終わりさ。

 

 だから敵を殺せ、世界を(よご)す侵略者を殺せ。

 

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺しつくそう。

 

 忘れるな、愛犬を食わされたあの飢えを、その極限状態を引き起こした独裁者がいたことを。

 

 ……僕はこの(せい)で犬を食ったことなどない。そんなこと、するものか。だけどその光景は、その情景は、絶望と共に()()()()()

 

 これは誰だ。平和を、自分の生まれ育った街を、家族を、ずっと可愛がっていた犬を奪われ、()への殺意だけとなった()()僕は誰なんだ。

 

 わからない。なにもわからない。それは僕の呪い、僕の心の闇の部分。

 

 僕は……僕の中にそのようなものが住んでいると知っている。知っていた。

 

 人面獣心は、僕の方だったんだ。

 

「ラナ……」

 

 けど……そんな僕を、ラナは人として扱ってくれた。

 

 助けてくれた。救ってくれた。

 

 ラナの名を呟くと、僕の心の中のなにかが薄れる。

 

 それは、だけど、とてもとても心地良いことだった。

 

 とてもとても、心地良いことだったんだ。

 

「ラナ……僕は……」

 

 だから僕は、ラナがしてくれたことを、僕の髪を洗う指の細さを、こんな僕を信頼してくれたその暖かい声を、思い出す。

 

 ラナの中にも、きっと狂的なナニカが眠っている。

 

 ラナは、人を殺して血塗れになった僕を、笑って受け入れてくれた。

 

 たぶん、世界の全てに、受け入れてもらえなかったからこそ血塗れだった僕に、微笑みかけてくれた。

 

 それが僕達の始まり。そこに普通とか常識とか、良識とか……そんなモノは無かった。

 

 けど、そんなことは関係ない……いいや……むしろ、だからこそ僕はラナを護りたいんだ。

 

 親にさえ捨てられた僕を、初めて救ってくれたのがラナだった。生まれて初めて、助けられるということが、どれだけ嬉しいモノであるのかを知ったんだ。その時、僕の心に芽生えたモノは……この気持ちは……僕だけのモノだ。

 

 世界はずっと、僕に死ねと命令してきていた。毎日が死んでもおかしくないような日々だった。悪いことをしなければ、時に人を殺さなければ生きてこれなかった。生きているだけで、どんどんと「死んだ方がいい人間」になっていった。

 

 ラナが救ってくれた時、僕は生まれて初めて「生きて」と言われた気がしたんだ。

 

 僕に侵せない、犯せないナニカがあるとすれば……それだけだ。

 

 だからまだ……狂的な()よ、眠れ。今はまだ眠れ。必要な時が来たら起こすから……今はまだ大人しく眠っていてほしい。

 

「ラナを、護らなくちゃ……」

 

 そのために……僕は僕がしなければならないことをする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え、この間の、犬?」

 

 マリマーネさんが、ぼそりと呟く。

 

 マイラの顔を見て、どうして今ここにマイラがいるのかと。

 

 それは僕にもわからない。どうしてマイラが誰の手にも引かれずにここへ現れたか、十日以上家で大人しく留守番していたマイラが、ラナが攫われた今日に限ってそうしてその禁を破ったのか、それはわからない。

 

 でも、だからこそ僕は直感的に理解した。

 

「……そっか、お前も助けたいんだな、ラナを」

「くぅん……」

 

 マリマーネさんの店先で、僕はマイラの首筋を抱いた。それはもふもふのふかふかで、あたたかくて……僕は心が、ようやっと落ち着いていくのを感じた。犬に人間の法は及ばない。そこに……そこにも……普通や常識や良識といったモノは無い。だからマイラには僕の気持ちがわかるのかもしれない。そうだったらいいなと思った。

 

 あるいは、だけど……それはマイラが特別なだけで、普通の犬は、犬を食べた記憶がある僕のことを、嫌っているのかもしれない……けど。

 

「マリマーネさん、なら、今日の日が暮れて、()()()帰って来なかったら、手はず通りに」

 

 行き先はハッキリしている。この十日あまりの中で一回だけ、怪しまれない程度に近付いてその外観を記憶した家、ラナの伯父ゲリヴェルガの住居、住処(すみか)。それは、由緒あり気だが多少古ぼけて見えた。外壁の張替えなどは何十年としていなさそうに見えた。

 

「本当に、いいんですね? 黒槍(こくそう)のコンラディンさんへの連絡は、それからで」

「はい、ご迷惑をおかけします……でしたか? こういう時の定型句は」

「あってますよ。もっとも伝言役程度、迷惑というほどのことではありません。前金も、戴いてしまいましたし」

 

 ラナのメイク道具一式、そのポーチには金貨も入っていた。五枚も。重いわけだ。それを、全部渡そうと思ったら一枚でいいと言われた。代わりに違うモノも要求されたが、それは僕の判断で了承できることだった。

 

「ことがすんだら、約束通りたくさん、(おご)ります。変なことに巻き込んで、ごめんなさい」

「……その、本当にそのわんちゃんもお連れで?」

「わぉん!!」「わっ!?」

「こいつも、ラナのことが好きなんですよ。だったら僕とこいつは……相棒だ」

「……わかりました。ではご要望の通りに」

 

 策は、練らない。

 

 僕に、ラナほどの頭はない。

 

 最重要はラナの身の安全の確保、奪還。

 

 僕は行く。僕は成し遂げる。何人殺そうとも、どれだけ血に汚れようとも。

 

 そうして(よご)れてしまった僕は、もうラナに相応しくないだろう。その(けが)れはきっと、もうどれだけ洗っても落とせないと思うから。

 

 この国には法律がある。その法はあらゆるところで平民よりもお貴族様の命の方が大事と宣っている。そのお貴族様を、事と次第によってはスラム街で育った僕が殺す。虐殺する。

 

 そこまで(けが)れてしまったら……さすがにもう、ラナの(そば)へは居られないだろう。必要ならばこの身、極悪人として差し出してもいい。沢山の軽蔑と怨嗟、それに塗れて終わってもいい。だけどそれを望んでいるというわけではない。この世に、仕方のないことはいっぱいあって、なにかを勝ち取るには時に自分自身の全てを捨てなければいけなくなることもあるという……それだけの話だ。

 

 だから()()を殺すのは、僕に不利益しかないのだけれど。

 

 それでも。

 

 僕はラナを護る。僕は使い捨ての剣でいい。さっきからずっと、心の中で片刃の剣がくるくると回転している。片方は人を殺す刃、片方は峰。その両方が今の僕には凶器。あるいは僕自身が凶器そのものなのだろう。刃と峰、どちらを使うかは……その時次第だ。

 

 だけど躊躇(ためら)うつもりはない。

 

 ラナを護れない僕に生きる意味はない。これは優先順位(プライオリティ)とやらの問題だ。人として生まれた以上、僕は人として死にたい。ラナを護ることは、僕の命より、僕がラナの(そば)に居ることよりも優先される。それが僕が人として生まれた意味、そのものだから……それだけの話。

 

「……怖い顔を、していますね」

 

 唐突に、マリマーネさんが、僕に声をかけてくる。

 

 意外なことに、それはとても心配そうに。

 

「そう……ですか?」

「メイド服に美少女メイク、それなのに怖いって相当ですよ?」

「ん……」

 

 茶化した風に言うが、目には真剣みがあった。

 

「行くまでに職質、されてしまうほどですか?」

 

 それは面倒だった。あいつらはとにかく……数が多いから。

 

 だから血塗れのメイド服は着替えた。緊急時であっても、ラナが選んでくれた服だからと同じものを選んだ。紺の上下にフリルの付いたエプロン。本当は頭にホワイトブリムなるモノを載せるらしいが、さすがにそれはいいとラナが言ってくれた。

 

 とりあえずあの店からここ……マリマーネさんのお店に来るまでには、誰にも咎められなかったのだが。

 

「まぁお貴族様に仕える本当のメイドさんであっても、その格好をしているだけの偽者であっても、別に不審人物って程ではないですからね。レオ君は見た目、力の無さそうな女の子そのものですから」

「……」

「ほら、その殺気。それでもね、それはダメですよ。そんなにも殺気をダダ漏れにしていたら、勘のいいのには目を付けられてしまいますよ? そうしたら、ロングスカートの下に剣を()いてることにも、気付かれてしまうかもしれません。レオ君は、お前はどこの誰だと、何の目的でどこへ向かっているのかと、そう問われたら答えられるのですか?」

「……ご忠告、感謝します」

 

 気をつけよう。僕が地獄へ落ちるのはいい。僕にとっては、この世界そのものが地獄のようなものだった。だからいい。だけど……ラナを救うために、無関係な人を殺さなければならなくなるというのは……嫌だった。それも仕方無いかもしれないと、諦めかけてはいたのだけど。

 

「いーえ。じゃ、ここからは独り言なのですけどね」

「……え?」

「あーあ。先代の財務省、王都財務局の局長さん……でしたかねぇ? 日が暮れたらコンラディンさんに、あなたの姪がそこへ向かって帰ってこないよー……と、伝えなきゃならないのって」

 

 マリマーネさんはあさっての方向に向かって話し始める。視線はどこも見ていない斜め上、だけどその口からこぼれてくる言葉は、どう考えても僕の方へと向いていた。

 

「独り……言?」

「前王都財務局局長さん、ですかぁ……あまりいい噂は聞きませんね。なんでも、家中(かちゅう)の実権を弟さん……を通じて某伯爵家に……握られてしまっているとか。それで、それに対抗すべく、胡散臭い連中を雇っているとか、いないとか」

「あの……マリマーネさん?」

「しっ! 黙って! 私は今考えをまとめているところです。声が漏れてしまうのはクセですから、どうかご容赦を」

「……ぁ」

 

 さすがの僕にもわかる。

 

 マリマーネさんは僕に情報を、くれているんだ。独り言だからと、無償で。

 

「だから、もしかすればですが、弟さん(がわ)の使用人達に上手く話をつけることができれば、コトを丸く収めることも可能かもしれませんね……それを、どうやってすればいいのかは、私にもわかりませんが」

「……」

 

 僕は、ゲリヴェルガの屋敷に、()()()()気でいた。

 

 密かに潜入も、試みはするが、上手くいくとも思えない。できる限り刃ではない方を使うつもりだったが、それも状況次第でどうなるかはわからなかった。

 

 それを……しないで済む可能性が……ある?

 

「ああ、でもそのわんちゃん」

「わぅ?」「……ぇ?」

「そのわんちゃんを連れて行けるのでしたら、ワンチャン、あるのかもしませんねぇ」

「……ぁ」

 

 そうか、マイラはラナの(いえ)で飼われている、王都では結構有名な大型犬だ。

 

 もちろん、王都で飼われているピレネー犬が、マイラ一頭(いっとう)だけなんてことはないだろうが……それでもひとつの証明にはなる。何も無いよりは全然マシだ。

 

「ああ、それとウチで造らせていただいた剣、あれには小さくですが、ロレーヌ商会のシンボルマークも入れたはずなんですけどねぇ……彫金の技術を使えるのがそれくらいでしたから」

「……ぁぁ」

 

 太ももに佩いている、ラナが僕に作ってくれた剣を、服越しに触る。

 

 片刃の剣、刃を逆にした剣。ラナが僕にくれた物。そういえば(ガード)に小さく、そのようなものが彫られていた気がする。

 

「もっとも、それだって偽造しようとすれば簡単ですからね、ふたつが揃ったところで……話を聞いてもらえるかは……相手次第ですかねぇ……」

「……ありがとうございます、マリマーネさん」

「いえいえ、なんのことやら。あー……レオ君は、ラナさんほどこういうことに慣れてないみたいですから、率直に言いますけどね、私も前金を受け取ってしまった以上、あなた達に()んでもらうわけにはいかないのですよ。残りをとりっぱぐれてしまいますからね。契約を交わした以上、我々が目指すべきはどちらも勝者(ウィンウィン)……そうじゃないですか?」

 

 独り言といって、視線を(くう)へ飛ばしていたマリマーネさんから、唐突にウィンクが飛んでくる。

 

 その特徴的なタレ目には、なんともいえない愛嬌があった。ラナならそれを、胡散臭いとぶった切ったのかもしれないが、僕はそれを優しさと受け取った、受け止めることにした。

 

「んー、素直な感謝の気持ちが伝わってきます。お姉さんちょっと感動です。たまには表裏のない会話も、いいものですねぇ」

「……このお礼は、帰ってから是非」

「はい、期待してます」

 

 僕はまた助けられたのかもしれない。だけどそれへ応えるために必要なのもまた、ラナの救出だ。僕達がどちらも勝者(ウィンウィン)となるためには、それがどうしても必要だった。だから僕はそれを成そう。絶対に。僕の命、運命の全てに代えても。

 

 

 

 ……そうして僕とマイラは、マリマーネさんの店先を離れ、意気揚々と()()()()歩みを進めたのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 ……だが。

 

 

 

 

 

 

 

「いやだからラナの伯父さんの屋敷はこっちだって!」

「わぅん! わぅぅん!!」

 

 なぜかマイラが、僕をゲリヴェルガの屋敷とは別の方へ(いざな)おうとしていた。

 

 

 







 ※epis28の内容

 ラナが(さら)われた。袋詰めにされたラナは馬車でどこかへ運ばれていく。

 レオはラナが攫われた現場である質の良くない服屋、そこの店主を痛めつけるが、判明したのはその店主が下衆野郎であることと、彼がそれをネタに脅迫されて誘拐に手を貸したのだということだけだった。

 そうしてレオは、自分が人でなしになろうともラナを救う……そうしようと決意する。

 自分が失敗した時の保険として、マリマーネに伝言を託したレオは、そこでピレネー犬、マイラに出くわす。

 レオにも「夢の世界の記憶」があった。それはラナのモノよりも薄く、ぼんやりとした小さなモノだったが、それゆえにレオは「自分を怖がらない」犬であるマイラを特別視していた。

 そうしてレオはマイラを連れ、ラナ救出へ向かうのだった……が。

 どうしてかマイラは、ラナが連れ去られたであろうゲリヴェルガの屋敷へは向かわず、レオをどこか別の場所へといざなおうとしていた。



 ※今回のタイトルに関する補足

 「story of 」は「~の物語」
 「deflowered」は「花を散らされた」で「傷物」
 「consanguinity」は直訳で「血族」だが、ここでは単に「~達」の意味合い

 繋げると元ネタの曲名になります。もっと短くすると元ネタの曲が使われていた某三部作の映画タイトル(原作は小説)にもなります。




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epis29 : red strand / Ö=desperate

 

<ラナ視点>

 

「きゃあああぁぁぁ!?」

 

 引き裂かれた。

 

 麻袋の上から縛られたまま、その麻袋の、胸の部分の布だけが破かれる。

 麻布独特の、まるで肉が引き剥がされていくかのような、それはとても生々しい音だった。

 

「お、ガキだと思っていたが胸はそれなりにあるじゃねぇか」

「ひっ!?」

 

 嫌な(にお)いが、周囲に充満している。

 これはいったいどういうことかと、予想外の展開に頭がついていけず、混乱する。

 胸元に嫌な感触。そこから鋭い痛みが走る。だが悲鳴をあげる前に恐怖で全身が(すく)み、身体は硬直するばかりだ。

 

 なにか、テーブルのような硬い台の上に載せられてる。まな板の上の鯛という慣用句が頭に浮かぶ。吐き気がするような嫌な想像を、私は必死で打ち消した。

 

「おいおい待て待て、待てってばよ。顔の見えねぇ相手をヤって、楽しいか?」

「俺ぁ、こういう趣向も悪くねぇが?」

 

 頭の布は、被されたままだ。首も緩く縛られているので、胸の部分が引き裂かれても顔の部分は露出してない。生理的には、今はそこが露出してほしいとは全く思えないけど、何も見えないまま事態が進行していくというのも、それはそれで恐怖だ。どう考えてもコイツラはまともじゃない。声の感じから、四、五人といったところだろうか。それら全員から立ち上る、吐き気がするほど気色悪い(にお)いは、私から抵抗の意志をどんどんと奪っていく。

 

「それに、こいつ処女だろ? 処女は泣き叫ぶからな、(うるせ)ぇぞ?」

「ここなら音は漏れねぇよ……顔が見てぇヤツぅ?」

「ほーい」「当然見てえな」「どっちでもー」「同じく」

 

 五人……今聞こえてきた声は、五種類あった。なら相手は……五人……以上。

 

「ひ……ぃ……」

 

 五人なら……夢の世界で破壊された()()()()()()と同じ……その事実に、震え上がるほどの絶望が這い上がってきて、それが見えない鎖となって私の身体を縛っていく。

 

 ()()()()に痛みは伴っていない。肉体的、物理的と表現できる類の苦しみはそこに存在していない。

 

 だけどそれは間違いなく私に、傷痕(きずあと)となって残っていた。

 

 今のこの状況は、まるであの夢が予知夢で、それが警告だったとでもいうかのようだ。私はずっと夢を、記憶を、それら傷を、傷痕を、真剣に受け止めてこなかった。つい最近まで私は、無抵抗の犬を蹴り、罵倒するほどに壊れていた()()()が、私自身であるとは信じたくなかった。だから私は()()()を「切り離して」きた。

 

 だけど理解した。今は実感している。後悔もだ。

 

 あたしはやっぱり私だ。切り離せなかったふたりは今、ここで混合してドロドロのグチョグチョ状態。一緒くたのままどちらも混乱している。

 

 制御できない、暴れる獣のような「あたしの」恐怖。

 完全に我を()くして、身を(すく)ませるだけの「私の」恐怖。

 

 今はもうそれらが化合し始めていて、心身の全てが理性の制御下から外れようとしている。

 

「どっちでもいいが()か、ならこのまんまでいいな」

「なんでそうなるよ? 顔をみてぇ派が()でどっちでもいいのも()なら、顔をみてぇ派の勝利だろ?」

「あ? どういうことだ?」

「だからぁ……わかんだろ?」

「わかんねぇよ、説明しろって」

 

「あ、あのっ」

 

 だから、本当に何もできなくなる、その一歩手前の最後の瞬間、私はなけなしの理性を振り絞って小さく声をあげた。

 

「あ?」「なんだ?」「芋虫が喋ってらぁ」「笑える」

 

 こんなところで、壊されたくない。

 

 ドログチャの自分が、それだけを強く叫んでいる。

 

 嫌だ。もう壊されたくない。

 

 嫌だ。もう(よご)されたくないと。

 

「あ、あなた達は何者なんですか!? だ、誰に言われてこんなことを!!……きゃっ!?」

 

 べしんと、お尻の辺りに衝撃(蹴り?)が飛んでくる。厚い麻布越しだからそこまで痛いというほどのモノではなかったが、脳がそうであると認識する前に、心が大きく(えぐ)り取られたような気がした。

 

「芋虫がしゃべんなよぉ。そういうのはなぁ、人間様にだけ許された権利なんだよなぁ」「笑える」

「ひ……」

 

 その抉られた心の名は、たぶんなけなしの勇気であるとか、ヒトカケラほどの自尊心であるとか、そういう類のモノだ。私はどうにもならない現実からずっと逃げてきた人間だ。八歳でひきこもり、自分の世界に()(こも)っていた。

 

 その私に、こんな()()と戦う力など、人並みほどにも存在していない。

 

「やっぱ顔が見えないとよぉ。萎えないか? こんなんだもんな」

「んぐっ!?」

 

 麻布を被されたままの頭がバシンと叩かれる。抉られていったモノが、飛んでいった先でパリンと音を立てて割れた気がした。

 

 ダメだ。

 

 イヤだ。

 

 こいつらに話は通じない。言葉は通じているが、こちらの言葉を人間の言葉と思っていない。だから会話にならない。彼らは私の人格に用がない。目的がなんであれそれだけは確かだ。それをあたしは知っている。それを私は知っている。

 

 どうにもならない。

 

 どうにもできない。

 

 事前に予想し、覚悟していた展開とは、これはまったく別の話だ。

 

 黒幕がゲリヴェルガ伯父さんなら、身の危険もあるとは思っていた。だけどそれはこんな……五人に人間扱いもされず取り囲まれるなんてそんな……意味のわからないものじゃなくて……なんらかの取引が通じるものと思っていた。

 

 伯父さんは莫迦(バカ)だろうけど身分も立場もある。自尊心(プライド)だって人並み以上に高いのだろう。そうした部分を上手く刺激してやれれば、操縦も全くの不可能という相手ではないのだろうと予想をしていた。

 

 黒幕が私からチョコレートか何かの製法を聞きだしたい(やから)であるというのならば……まずは会話をしてほしい。

 

 こんな連中に「食われたら」……私は本当に壊れてしまうかもしれない。それは勇気が壊れるとか抵抗心を()くすとか、そういった次元の話ではなくて……本当に心が壊れてしまうかもしれない。それはつまり……私という人間の終わりだ。そこにチョコレートがどうだとかは、おそらくもう残っていない。

 

 私の(夢の世界の妙な知識を持つ)頭脳に期待する……そっちのルートであるのならば、おそらくは伯父さんよりも更に「会話が通じた」ことだろう。

 

「とにかく多数決で決定な」「あ、おい」

 

 けど……これはなんだ。

 

 また、生肉が引き裂かれるような音がして視界が開かれる。

 

 顔の部分の麻布が破かれたのだ。

 

 だから私を注視している男達の顔が……見える。

 

「ふーん?」「ほぉ」「へぇ」「ひひ」「はは」

 

 思ったのは……まずクサイ。

 

 そしてそれから……ミニクイ。

 

 何がどうであるとか、理解したくない。

 

 とにかく視界の全てが嫌悪感で埋まるようなクササ、ミニクサ。

 

 フケツ、ケガラワシイ、ユガンデル、オゾマシイ。

 

 視界に入るもの全てが(くさ)い。

 

 ここはなんだ、コエダメか、トシャブツを集めた浴槽なのか。

 

「ぃ……ゃ……」

 

 臭気に、目や鼻が痺れ、なにかがそこへじゅわりと集まっていく。

 

「……顔は中の上くらいか」「いや? 俺は結構嫌いじゃないぜ? 妙にそそりやがる」「上の下」

「ひぃ……ひぃぃぃ……」

「お、泣いた」「な? 顔が見えた方が気分出るだろ?」

 

 鼻がひん曲がるほど、見えるもの全てが(くさ)い。

 

「おい、鼻水も出てるぞ」「うへー、だから顔なんか見えない方がいいんじゃねぇか」「なんだよ、これだからいいんじゃねぇか」

 

 イヤだ。

 

 イヤだ。

 

 イヤだイヤだイヤだ。

 

 イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ! イヤだ!! イヤだぁぁぁ!!

 

 もう何も考えられず、私という存在が本能で動く。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)

 

 理性を通り越したナニカによって、私はその発動体勢に入る。

 

 ……だが。

 

「魔法だ!」「こいつ魔法を使うぞ!」「莫迦(バカ)! ()めろ!」

「げぇ、ぶ、ぐ……」

 

 腹に、男の岩石のような拳が埋まる。

 

 息が止まる。苦しい。何も考えられない。縛られたまま、台の上で本当に芋虫であるかのように悶えた。

 

 魔法の発動までは……あと四、五秒といったところだった。足りない、あと半分が全然足りない。

 

「おいどうする? 魔法使いは危険だぞ」

「なぁに、発動させなければいいんだ」

「けどよ、即時発動する魔法もあるっていうじゃねぇか」

「それなら今この状況でこそ使うべきだったろ。ならこいつは詠唱時間(キャストタイム)の長い魔法しか持ってねぇんだ」

「今何秒だった?」

「五秒くらいじゃねぇか?」

「……見張ってりゃ問題ねぇが……面倒だな」

「ヤったら、()って捨てるしかねぇんじゃねぇか?」

「そうだな……おい」

 

「ぃ……ぃ……いゃぁ……」

 

 痛みに悶え、苦しんでいる私へ、男達の手が伸びてくる。

 

 それらは縛っていた紐をナイフで切って、麻袋も剥がし、私の四肢を、縄で血流が止まるほど固く縛り、おそらくは台の脚へと拘束して、動けなくしていく。

 

「いやぁぁぁ!!」

 

 おぞましい地獄が近付いてくることへ、やはり本能が罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を呼び覚まそうとする……が。

 

「だからやらせねぇっての」「げぅ……」

 

 今度は下腹部の辺りを強打された。

 

「ぁ……が……ぅ……あぐっ……」

 

 圧倒的な痛みと苦しみと、悪寒。それに私という存在の全てが塗り潰される。

 

 今は三秒も集中できなかった。もう無理、抵抗できない、手がない、どうにもできない。

 

 私の運命は、もうどうにもならない。

 

「や……ゃあ……いやぁぁぁぁ!!」

「暴れてる暴れてる」「おいナイフはよせ、服は手で破け」「いいじゃねぇか、どうせこの後血が出るようなことになんだろ?」

「やだ! ゃだぁ! こんなのイヤぁあああぁぁぁ!!」

 

 痛みと苦しみと悪寒と……それから絶望に、もうどうしようもなく身体が暴れる。縛られた手足のその部分に、また何かがじゅわりと滲んだのがわかる。おそらくは皮膚が破けた。だけど、だからもうそんなのはどうでもいい。手足を切り落としてでも、ここから逃げられるならそうしたい。

 

「へへ、じゃあ約束通り俺から行くぜ?」「どーぞ」「おい、それで前回の貸しはチャラって約束、忘れんなよ」「俺はじゃあ、その間、上を借りようか」「噛まれんなよ?」「おい、だからそれじゃあ顔が見えなくなんだろ、俺は顔が見てぇ派なんだっての」

 

 イヤだ。

 

 痛い。

 

 苦しい。

 

 気持ち悪い。

 

 吐きそう。

 

 お腹が痛い。

 

 眩暈がする。

 

 鼓膜が破れそう。

 

 涙と鼻水で顔がグチャグチャ。

 

 (くさ)い。

 

 悪臭で息がしにくい。

 

 醜い。

 

 今ここにある全てが醜い。

 

 男達も、場の空気も、私自身も、なにもかもが。

 

 汚い。

 

 今ここにある全てが汚い。

 

 男達も、場の空気も、私自身も、なにもかもが。

 

 怖い。

 

 おぞましい。

 

 助けて。

 

 助けてよ、レオ。

 

『いいよ、じゃあ僕が決める。ラナ、もう嫌と言っても逃がさない』

 

 こんなのは嫌、こんなのはイヤ。

 

 助けて。

 

 おねがいだから助けてよ、レオ。

 

『僕はラナが好きだよ』

 

 私を好きと言ってくれたじゃない! 好きと言ってくれたのなら! 助けてよぉぉぉ!!

 

「そーら、それじゃあ、イタダィマァァァス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げ……ぅ」

 

 血が流れる。

 

 ぽたりと……(あか)(しずく)(こぼ)()ちる。

 

 それはねっとりとした……(きたな)らしい赤。

 

「……ぇ?」

 

 私の顔に、ボタボタと血が零れてくる。

 

「な、なんだお前は!?」「ブルーグレーの制服……警邏兵(けいらへい)か!? ぎゃっ!!」

 

 争いの気配。しかし混乱する頭と、仰向けに拘束されたままの視界では何が行われているかが全くわからない。

 

「つ、強ぇえぇぇぇ」「ひ、ひぃ!!」

「レ、オ?……」

 

 だがレオのあの特徴的な「無敵」の気配はしない。警邏兵という単語も聞こえた。別口で救援が来た?……助かる? 私、助かるの?

 

 私に覆い被さろうとして事切れた男の身体が、そのまま私の視界を半分塞いでいる。

 クサイキタナイミニクイそれは、果てしなくキショクワルクキモチワルイオゾマシイ。

 

「ひっ……」

 

 なんとか、それを剥がせないかと身を(よじ)ると、下腹部に、事切れた男のなにか硬い物が当たる。全身を駆け巡る嫌悪感に、喉が絶叫を搾り出した。

 

「助けてぇぇぇ!! お願い! 助けてぇぇぇ!!」

「わかってる! 待ってなさい!」「くそ! ナメやがって!!」

 

 あまり美声とはいえない、少し粘っこくも感じる声で(いら)えが返ってくる。

 レオではない。完全に大人の男の人の声だ。コンラディン伯父さんの、明瞭だが所々(かす)れが混じるそれとも違う。パパの、早口でない時だけは渋めの声とも違う。

 

 完全に、知らない人の声だ。

 

 けどそんなのはどうでもいい、私をここから解放してくれるならなんでもいい。

 

 早く、私の視界を塞ぐこれを()けてほしい。

 

「げぼ……」

 

 争いは、時間にすれば一分もない、短いモノだった。

 

 最後のひとりが事切れたらしく、場に静寂が戻ってくる。ややあって納刀のモノと思しきキンという音が聞こえた。

 

「あ、あのっ、こっ、これをっ! こっ、このコレを! どけて下さい!」

 

 私の身体に覆い被さっている、クサクキタナクキショクワルイモノ。

 

 その下で私は、とにかくもうじたばたと暴れる。今もその口から零れてくる吐血なのかなんなのか、とにかく赤く粘っこい液体が心底オゾマシイ。

 

「ああ……しまったな、こいつも死んでいるか……」

 

 なにかを調べていたのか、気付けばしゃがんでいた男性がすくと立ち、私の視界に入ってくる。

 

 黒髪だ。ぼさぼさの、肩にかかるほど長い髪の毛。なぜだか金●一耕助であるとか、探偵●語であるとか、よくわからない夢の世界の固有名詞が頭に浮かぶ。首から下は、狂騒の中で聞こえてきた言葉通りにブルーグレーの制服……あまり似合ってはいないが……王都リグラエルの警邏兵の制服だった。

 

 

 

 そしてその顔は……。

 

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 

 私を()()()()()()()()()()にも、()()()()()()()()()()()()()

 

 そもそも、そいつらの中で一番地位が高いと思われる人物は()()()()

 

 燃えるような赤毛の、右耳に欠けのある()()だ。

 

 

 

 目の前の男性は黒髪だし、耳は……見えないが……だからまぁ男なのだ。どこからどう見ても男性の体格をしている。

 

 あの女性は……結構胸もあった気がする。どう化けても、あれがこれになれるとは思えない。

 

 

 

 なら、コレは本当に、ただの警邏兵?

 

 

 

「怖かっただろう。もう大丈夫だからね」

 

 声は粘っこいし、微妙に(くさ)(にお)いも感じられる。

 

 けど、その(にお)いは、かつては二次性徴がきていないだろうレオからも感じていたモノだ……それよりはずっと濃いが……つまり、それは私が脳内で生み出している男性嫌悪の発露……そういったモノでしかない。

 

 ならば問題は私の方にある。助けてもらっておいて、お前は(くさ)いからと嫌悪するなんてことはしたくない。

 

 身体が軽くなる。私に覆い被さっていた死体が取り除けられた。

 

「……血が出てるね。大丈夫かい?」

「……っつ……痛い、です」

 

 手足を縛っていた縄も切られ、(ようや)くそこに痛みが戻ってきた。指の先には痺れたような感覚がある。足に、力が入らない。

 

「治療したいが、ここでは無理か」

 

 身を起こすと、ここにきて初めて周囲の様子を見ることが出来た。

 

 ……酷いものだった。それはもう、表向き清潔な王都にこんなところがあったなんて、到底思えないくらいに。天井の感じからすればそこそこ広い空間のようだったが、とにかく物が多い。私が載せられていたモノと同じような台が他にふたつもあったり、半開きの引き戸から得体の知れぬ物を覗かせている棚があったり、何が入っているかもわからないような樽が横のまま転がっていたりもした。

 

 まったく掃除されてない床にはゴミが散乱していて、今はその上に死体がゴロゴロと転がっている。全面、血と埃でいっぱいだ。壁には人を傷付けるくらいしか用途のなそうな道具が並んでいる。

 

「う……」

 

 台のすぐ(そば)には、私に覆い被さっていた男が、うつ伏せになって死んでいるのが見えた。諸々の感触を思い出し、吐き気がぶり返してくる。

 

「ここはあまり質の良くない犯罪組織のアジトでね、我々が前からマークしていた所だったんだ」

「……ぇ?」

 

 なにか、いまだ混乱覚めやらぬ頭に、違和感がぽぅと灯った。

 

 男性が私に問い掛けてくる。

 

「すまないが、事情聴取の必要もあるので、我々の詰め所まで来てもらえないだろうか?」

「……それは」

「治療院の者も呼ばせよう。費用はこちらが持つ。傷の癒えた(のち)で構わない、事情を聞かせてほしい」

 

 ──おかしい。

 

 違和感が警告してくる。これに、ついていくべきではないと。

 

 でもどうして? 本当に本物の警邏兵だった場合、ここで抵抗する方が後々厄介だ。

 

 今は従った方が……。

 

 ──ダメ。この男は、危険。

 

 なぜ?

 

 ──わからない?

 

 なにを?

 

 ──警邏兵は基本、二人組で行動している。

 

 ……あ。

 

 ──もうひとりは、どこ?

 

 違和感の正体が、自分との対話の中で判明する。

 

 そうだ……警邏兵は基本、二人組で行動している。法律でそう決められているのか、隊の規則でそうなっているのか、それはわからないが、現実として警邏兵は常に二人組となって街中を警邏(けいら)、巡回している。

 

 踏み込む者がひとりだったとしても、状況は既に落ち着いた……加害者全員の死亡という結果によってだ。なのに……目の前の男性は……いまだひとりだ。仲間について思い起こすようなそぶりさえ見せない。ここは犯罪組織のアジト、我々が前からマークしていた所?……「我々」だって? (コイツ)しかいないじゃないか。

 

 ──だから隙を見て殺すの。覚悟を決めて。

 

 でも……。

 

 ──何のために()()()()を選んだの?

 

 え。

 

 ──自分を傷付ける世界を、醜くて汚臭のする()()()()()()()()()でしょ?

 

 あ……。

 

 ──諜報にも便利な魔法だけど、この魔法の本質は“破壊”。この世界そのものの破壊。忘れちゃった? 自分がどれだけこの世界を憎んでいたか。あまりにも理不尽で、あまりにも容赦なくて、あまりにも醜くて、あまりにも汚くて……あまりにも(くさ)い……この世界を。

 

 私は壊したいと思った。

 

 一撃で(ヒビ)を入れて、そのままバラバラにしてしまいたかった。

 

 だからこの魔法を得た。

 

「……大丈夫かい?」

「……う」

 

 気が付けば……私はしばらくボーっとしてしまっていたらしい……男性に、顔を覗きこまれていた。

 

 ──(くさ)い。(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)い。

 

「……すまない、これは自分が不注意だった。君は怖い目に遭ったばかりだ、そういう反応になってもおかしくはない」

 

 すぐに男は、その顔を私から離してくれる。それは紳士的な態度と、言えなくはないのだけど……。

 

 ──違う。

 

 だけど……私の中のなにかが反応している。

 

 ──あの目は、心配している人のそれじゃない。気遣ってくれてのそれではないよ。

 

 この感覚は、少し前にも味わった。

 

 マリマーネさんが私を()()()していた、あの時の感覚。

 

 あるいはもっと直近の……男達が、私のことを中の上だの上の下だの言っていた、あの時の感覚……だから。

 

 ──この男は私を、()()()している。

 

 違和感が明確になり、それは懐疑の念となって私を動かそうとする。

 

「あ、あの……警邏兵の詰め所には、女性の職員もいると聞いているのですが」

「ん?……ああ……そうだね、いるよ、女性も」

 

 予想外のことを言われたのか、反応がどこか空々しい。

 

「ごめんなさい……その……助けてもらったのにこんなことを言うのは、失礼、だと思うのですが……やっぱりその……怖くて。女性の職員の方を呼んでもらえませんか?……私、逃げませんから、ここで……はちょっと無理そうなので……この近くで待っていますから」

 

 死体転がる血塗れの部屋。さすがにここで待つというのは無理があった。口実としても、事実としても。

 

「……ふむ」

 

 さあどう出る。

 

 この男性が本物の警邏兵であれば、この提案に乗らないわけにはいかないだろう。私が逃げることを考慮したとしても、その場合は別の警邏兵……同僚に遠くから見張ってもらえば済む話なのだから。王都に警邏兵は、石を投げれば当たるほどにいる。

 

 私は、寝かされていた台を降りて……床はどこも死体だらけだったから、仕方無く私に覆い被さっていた男の死体の側に立った。

 

「あの、詳しくはないのですが、警邏兵の皆様は、基本、二人組で行動されていますよね? もうひとかたは、今は?」

「……ん」

「詰め所へ応援を呼び……に?」

「ああ、いや……」

「ここへ踏み込んだ時に、他の悪漢と争って怪我をされてしまった……のでしょうか?」

「んん……」

 

 追い詰めすぎないよう、逃げ道を用意しながら探る。この男性は何者か、何の目的があるのかと。勿論、これが本当に本物の警邏兵で、私の用意した逃げ道が、そのまま本当の答えであるというのが、一番いいのだけど。

 

 しばらく、男性はどう返答したらいいかと悩み、考えているようだった。

 

 私の方は、男性の(にお)いに気圧(けお)されながら、いつそれが豹変(ひょうへん)してしまわないかと怯えながら待っていた。相手はひとりで五人を殺してしまえるような男性だ、レオほどじゃないにしても、強い。豹変されたら……私もどうなるかわからない。

 

 死んでもいいと思っていた。

 

 ずっと、自分が生きていることに意味なんてないと思っていた。

 

 私は生きているだけでママを苦しめる失敗作、私は存在そのものが人間社会の嘲笑の対象物、男が怖い、女も怖い、味方がいない、誰も好きになれない、誰も好きになってくれない。

 

 未来がない。

 

 私が幸せになれる未来はどこにもない。

 

 だけど。

 

 ……嫌だ。

 

 死にたくない。

 

 今、私はここで死んでいいとは思えない。思っていない。

 

 だから怖い。男性が怖い、だけどそれ以上に……今は……死ぬのが怖い。

 

 助けて……レオ……。

 

「わかりました、ではそうしましょう。仲間に連絡をして、誰か女性をここに寄越してもらいましょう。その間に、君は服を着替えるといい」

「え?」

 

 返ってきた、意外なほど平穏無事な言葉に、自分の姿を改めて見ると、例の赤い服がボロボロに破けていた。上の方は下着まで血塗れになっている。

 

 悲しい気持ちになる。これは今朝からレオが着ていて、それを交換してもらった物だ。大事にしていたモノが汚されてしまった……それに、浮かんでくるのは哀しみだ。胸が張り裂けるような。

 

「でも、ここに着替えなんか……」

 

 胸元を押さえながら、周囲の惨状をもう一度見渡す。とても女の子の服があるとは思えない様子だった。よしんばあったとしても、まともな服じゃないだろう。バニーガールとか渡されても困る。

 

「用意する。この辺りに服を売っている店はないが、簡単なモノならばどうにでもなるだろう」

「……はぁ」

 

 用意するって、何を……どうやって?

 

 けど、着替えをさせてくれるというなら、逃げるチャンスがあるのかもしれない。それに、監視の目がなくなれば魔法も使える。それは私には願ったりの展開だった。

 

「わかりました……それで、お願いします」

 

 着替えでひとりになれたのなら、魔法を使ってみよう。それでこの男性がどう動くのかを見る、観る。万がいち、のぞきとかをしようとしていたのならば……それはもう殺してもいい。これがただの警邏兵で、ただスケベ心を出しただけだったとしても……だ。それでも私の心は痛まない。なにか心の闇の部分が、満足するような気さえしている。

 

 我ながら酷い話だと思うけれど、ここに至ってはもう、それくらいの理不尽は通させてもらう。とにかく十一秒、十一秒だ。それを稼げる状態まで持っていければ私も……私だって「無敵」なのだ。実戦においてそれが、どれほど致命的な弱点であるのかというのは……つい先ほど身を持って体験したばかりだけれども。……まだお腹が痛い、苦しい。

 

「ああ……ただ、その前に、君」

「……はい?」

 

 漸く、どうすべきかがわかり、心が落ち着いてきた私に、しかし警邏兵の(制服を着た)男性は、その決定を根底から覆すような言葉を発した。

 

「君は魔法を使えるね?」

「え」

「聞こえたんだ。踏み込む前、様子を伺っている際に、ね」

 

『おいどうする? 魔法使いは危険だぞ』

『なぁに、発動させなければいいんだ』

 

「あ……」

 

 マズイ。

 

 相手が悪意ある人間だったとしても、そうでなかったとしてもこれはマズイ。

 

「王都において、魔法を使える者は、それを公的機関に届け出る義務がある。魔法は理外の力だからね、治安維持のためには必要なことだ」

「……はい」

「これは形骸化した法律ではあるが……。生憎と小官(しょうかん)は法の番人だからね、見逃すわけにはいかない」

「……はぃ」

「だから教えてほしい、君はどのような魔法を使えるのかな?」

 

 

 

 どうしよう。

 

 

 



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epis30 : A Cruel Angel's Thesis

 

<レオ視点>

 

「いい加減にしろ!」

「きゃう!?」

 

 マイラを、その頭をパシンと(はた)く。

 

「僕はラナを助けに行く。なんのつもりかは知らないけど、それを邪魔するというならお前だって……」

「わんっ!」

 

 なぜだ、お前はラナを護りたいんじゃなかったのか……その苛立ちが、僕の心を荒くしていくのがわかる。僕は、どうしてかマイラは、ずっとラナの味方だと思っていた。それはただの直感で、理由なんかなかったけど……でもわかった。

 

 マイラはラナを、見守っていた。

 

 気にかけ、家族のように(そば)にいて、ラナが窮地に陥ってしまったのなら何を置いてでも駆けつけてくれる……そんな存在であると勝手に思っていた。

 

 それに、シンパシーのようなものを感じていたのも確かだ。

 

 だからこそ、裏切られたと思う。

 

 僕はラナを護るため、ゲリヴェルガの屋敷へ乗り込む。

 

 そうしようとする僕を止めるのなら……マイラはここに、置いていくしかない。

 

 あるいは……。

 

「わうっ! ばぅ!!」

 

 メイド服のスカートが引っ張り、僕の邪魔をする裏切り者を……。

 

「だから……」

「ぅう?」

 

 片手で……スカートをたくし上げる。剣を取り出せるような穴を開けていないのでこうするしかない。下半身の前面が完全に露になってしまったが、路地裏だから見ているのはどうせマイラしかいない。そうしてから、太ももに()いていた剣の柄を握った。

 

 これ以上邪魔をするなら斬る……その意思をこめて、マイラを睨む。

 

 すると。

 

「きゅうううん……」

「よし、賢いぞ」

 

 マイラはわかってくれたのか、すごすごと僕から後ずさってくれた。

 

 よかった……マイラを斬らなくて済む……そのことに、自分でも驚くくらいホッとしているのがわかる。僕はマイラを、そんなにも好きだったのだろうか?

 

「どうしてお前がここにきたのか、僕にはわからない。だけど僕は今やらなくちゃいけないことがあるんだ。もう……頼むから邪魔しないでよ……」

「くぅん……」

 

 しょんぼりとうなだれるマイラ。本当に、こちらの言葉がわかっているのかと思ってしまうような仕草だ。

 

 だけどコイツはわかっていない。ラナが危ない。今は一分一秒を争う。こんなこと、してる場合じゃないのに。こんなところでぐずぐずしていたら、それこそ不審に思った警邏兵(けいらへい)から職質されてしまう。

 

「わぅぅぅん!!」

「あっ!?……わっ!?」

 

 一瞬、気が緩んでいたところに、飛び掛られる。

 

「ん!?」

 

 そのまま、押し倒される。僕の倍くらいの体重をもった巨体が、僕の上に圧し掛かっていた。

 

「いつつ……」

「ばぅ!! わぅ!! ばぅぅぅん!!」

 

 受身を取れたか、取れなかったか……よくわからないまま、背中が痛いことを認識する。だけどそれよりは、今は身体の側面の方に、より強い違和感がある。

 

「お前、何をして……ぇ?」

「わんっ!!」

 

 気が付けばマイラは、なにかを咥えていた。それは……。

 

「……ラナの化粧道具一式?」

 

 メイド服の、スカートにはポケットがあった。ラナのメイク道具一式、そのポーチはそこに入れておいた。マイラはそれを咥えている。

 

「うー……わんっ!!」

 

 だが吠えたことで、マイラの口からそれがボトリと落ちた。そうしてからマイラは、それをくんくんと嗅ぎ、ある一定の方向へと視線を向ける。……それは先ほどからずっと、マイラが僕を、引っ張って行こうとしていた方向でもあった。

 

「ラナの……匂いがする? そう言いたいのか?」

「わんっ!!」

 

 わからない、マイラは犬だ。言葉が通じていると思うのは僕の願望、希望的観測、思い込みに過ぎないのであって、それがそうであると確信して……大事な判断を……していいとは思えない。

 

「……」

「わぅぅぅ!」

 

 マイラは……必死だ。

 

 その様子は、僕へ、なにかを必死に訴えかけているようにも思える。

 

 マイラだってラナを助けたい……僕は先ほどまで、それを確信していたはずだ。

 

 けど……。

 

「なぁ……お前もラナを救いたい、そうなのか?」

「わんっ!!」

 

 落ちていたポーチを拾い、それを鼻に当てる。

 

 ……わかる。大部分はネロリのそれだが……その中にほんのりと……ラナの匂いがする。

 

「お前に、ラナの居場所がわかるのか?」

 

 そしてそれは、ゲリヴェルガの屋敷ではないのか?

 

「わぅんっ!!」

 

「……もしそうなら、三遍(さんべん)(まわ)ってワンと言ってみせて」

「……、……、……わんっ」

「……マジか」

 

 マイラは、僕の言葉通りに、その巨体をくるくると三回(まわ)してから吠えた。

 

 そんな芸を仕込んだ覚えはない。マイラがこんなことをしてみせたのは、これが初めてのことだ。なにかの偶然でこうなったというなら、それはどれほどの確率なのだろうか?

 

「……信じていいのか?」

「わんっ!」

「……もし、違っていたら……僕はお前を許さない、その首、叩き落してから僕も死ぬ……そうされる覚悟が、お前にあるのか?」

「……ゎぅ!」

 

 最後の返事は、気圧されたのか少し弱気だったけど、それでも僕には、それがマイラの疑いようのない肯定の(いら)えであると理解できた。できてしまった。

 

『ラナは、どうしていいかわからないことを運否天賦(うんぷてんぷ)で、賭けで決めようとするところがあるよね。僕が戻ってくるかどうかも賭けだった?』

 

 どうしていいか、わからない。

 

 なら……賭けなければならない。

 

 マイラは僕を、ラナの居場所へ(いざな)おうとしている……それを、信じるかどうかへ。

 

 心に問う。

 

 僕は、マイラを信じることができるか。

 

「マイラ……信じるよ?」

 

 (いら)えは、根拠のない確信だった。

 

 自分でもわからない。何が自分にそう確信させたのか。

 

 もしかしたらそれは狂的な僕の、本当に犬が好きだったあの僕の、祈りだったのかもしれない。

 

 だけど僕は賭けた。自分自身とマイラの命、それと……ラナの色々大切なモノを……それに。

 

「わんっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「だから教えてほしい、君はどのような魔法を使えるのかな?」

 

 マズイ。

 

 相手が悪意ある人間だったとしても、そうでなかったとしても、何をどう考えても、これはマズイ。

 

 後者であるなら、私の魔法が公に知られてしまうことになる。

 

『空間支配系魔法か、無詠唱タイプで支配領域も広い。こりゃあ、“天才剣士君”とは別口でやべぇなぁ……』

 

 私の魔法は、コンラディン叔父さんも危険視していた。

 

『まぁ、魔法使いの宿命だね、目立ちすぎると国に徴用され、軍に編成される。君の()()も、国に知られたら間違いなく徴用の対象だ。君の場合、貴族の血が混じっているから、そこまで扱いが悪くなることもないが……逆に面倒なことになるかもしれない』

『魔法使いの血は神様の贈り物(ギフテッド)……そう考えるお偉いさん方もいてね、そうした思想の持ち主からしてみたら、君や先述のユーフォミーちゃんは是非嫁に迎い入れたいと願う逸材扱いなんだよ』

 

 それは、コンラディン叔父さんが言ったことでしかないが、私が見聞(みき)きして知っている王都の「空気感」、それから本などで「自習した知識」……そういったモノとも、特に矛盾はしていない。強力な魔法使いが国に徴用され、軍に編成、配属されるというのは、年齢ヒトケタの頃の私ですら理解していたことだ。もっとも、攻撃に向いていない魔法しか使えない場合は、どこかの貴族のお抱え(それに婚姻関係が伴うかはまた別の話として)となることも多いようだが、残念ながら私の魔法は破壊特化といってもいい。だからこそ私は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)が「強力な」魔法かどうかも判断しきれない内から、それを親にも秘密にしていたのだから。

 

 幸い、この国は平和な時代が長く続いている。

 

 軍に入ったからといって、戦争に駆り出される可能性は薄いだろう。けど……私はどうしても想像し、嫌悪してしまう……軍隊の、男臭さというモノを。

 

 多分、私にとってそこは地獄だ。

 

 別に軍人を、マッチョな男性を差別するつもりはない。私の知らないところで、私に関わらずいてくれるのであれば、どうか幸せになってくださいとも思う。だけど……怖いものは怖いのだ。慣れろ、治せ、甘えだと言われても困る。たぶん、それは私の狂った感覚だけれども、でももう私の魂の一部だ。それは理外の理屈だけれども、だからこそ()()()()()でなければどうにもならない気がしている。

 

 軍隊には、だから入りたくない。

 

 それと全く同じ理由で、おかしな思想を持った貴族の嫁になるのもゴメンだった。

 

「あのような状況で使おうとした魔法だ、攻撃性のある魔法なのだろう?」

「……ぅ」

 

 (すが)ろうとしていた道をひとつ、先回りされて潰される。

 

 もし、これが正真正銘、本物の国家公務員であれば……ここで嘘をつくのは後々まずいことになる。この世界には、夢の世界にはあった人権という概念も、少年法や黙秘権といった概念もないのだ。その祈りを社会通念(しゃかいつうねん)の一部とするには、あるいはその基盤たる共同幻想(きょうどうげんそう)へ取り込むには、転換点となる歴史的事象が足りてない。

 

 勿論、人権という幻想(ファンタズム)が本当に、人類を幸せにするかどうかについては意見の分かれるところだろう。夢の世界においてそれは手垢に(まみ)れすぎていた。詐欺師も独裁者も戦争屋もこぞってそれを兵器として扱った。だから(けが)れきっていた。

 

 でも……今の私は、それが生み出されていないこの世界に絶望している。強力な幻想(ファンタズム)を生み出すだけの歴史的事象、あるいは神話(ミソロジー)がいまだ存在していないこの世界に、絶望している。

 

「いえ……その……」

小官(しょうかん)無辜(むこ)(たみ)を守る警邏兵(けいらへい)であるが、それよりは国を守ることが使命として優先される……君が魔法使いであり、危険な魔法を使えるというのであれば、小官はそれを見過ごすわけにはいかない」

「それ、は……」

 

 人は生まれながらに人間らしく生きる権利を持つ……そんなわけ、あるものか。そんなものは虚構、神話(ミソロジー)へ託した小さな祈りに過ぎない。神性、あるいは神への憧れに過ぎない。

 

 だけど。

 

 私はどうしたって弱肉強食の、前者(弱い方)だ。

 

「どうした? 答えられないのか」

「ぅ……」

 

 それはもう、どれほど強い魔法が使えたところで、他人を食ってやろうと思えるほどの覇気がない時点で、自己肯定感がない時点でそうだ。戦って、自分の居場所を勝ち取るよりも、逃げて逃げて逃げまくって、穏やかに暮らせる世界の片隅を探す方が私らしい。

 

 だからこそ私は、人の獣性が正しく機能する原始的社会よりも、偽りの神性が幅を利かせる欺瞞だらけの社会の方が過ごしやすい、暮らしやすい。生き物として間違っていると言われようが、夏はクーラーの効いた部屋で過ごしたい、生理痛が酷い時には薬も飲みたい。……幸いこの身体はあまり重い方じゃないみたいで、そこは助かっているけれど、やっぱりあの人を堕落させる、幸せな欺瞞が充満してた世界を懐かしいと思う時もある。それはもう、まったくもって今がその時だ。

 

「答えられないのであれば、容疑者としてしょっ引くしかなくなるのだが……いいのだな?」

「ぁ……ぅ……」

 

 異世界転生が流行っていた頃のなろう系主人公は、その多くが地球(元の世界)を懐かしんでなにかしらその……というか日本のモノを異世界に生み出そうとした。わかり易くはジャポニカ米とか醤油とか……私もやったチョコレートとか……そういうの。

 

「魔法使いの拘束となると手足を縛り、視界を奪い、袋詰めにしてから殴打するなどして意識を奪う必要が出てくるのだが……君は……それで構わないのだな?」

「ううっ」

 

 だけど、ならば人権という概念は、どうすれば異世界に現出(げんしゅつ)させることができるというのか。

 

「それ……は……」

「答えるんだ」

 

 そんなのは無理だ。それは沢山の悲劇、歴史的事象が神話(ミソロジー)となって初めて創出(そうしゅつ)される幻想(ファンタズム)だからだ。沢山の血と悲劇が(いしずえ)となって、それは初めて「積極的に共有しようと思える」幻想(ファンタズム)となるからだ。歴史に学ばない者が、そんなのは嘘っぱちであるとドヤ顔で指摘する、その空しさを横目で見ながらも、時にそれこそが害悪であるという事実を知りながらも、だけど……対案が出せない以上は手垢に塗れたそれへ頼るしかなくて……何十億という人間が暮らす星ですら、いつまでも石器のようなそれを振り回すしかなくて。

 

 だけど、それでも。

 

「我々は、法を守らない相手には容赦しない。それが犯罪被害者となったばかりの、年若い少女が相手であっても、だ」

 

 それはでも……そうであっても……ありがとう先輩……だ。

 

「小官は悪を見逃さない。それを正すことこそ、我らの職務であると(わきま)えているからだ」

「悪……私が?」

 

 石器を生み出してくれてありがとう先輩、人類に火を与えてくれてありがとうプロメテウス……だ。少なくともそれで(ようや)く、人は獣であることから少しだけ自由になれたのだから。

 

「法に従わぬ者は悪だ」

「……そんな」

 

 だけど私は先輩にはなれない。なれるはずもない。神話になれと言われても私は少年ではない。魔法少女だけど、自らの存在を概念と化してしまえるほどの魔力は蓄積されてない。

 

「私は……認めます……魔法使い……です……けど、魔法で人を傷付けたことも……面白半分に使ったことも……ありません。ないんです、それだけは信じてください」

「そんなことは関係ない。今ここで君が黙秘するというのは、それだけで法に違反している行為と看做(みな)される」

「そん……な」

 

 人権なんて所詮は欺瞞、絵空事。それはシリアスに、ドヤ顔で言ってしまうほどに、空しさしか生まれない……あまりにも圧倒的な事実。

 

 だけど、夢の世界では歴史が証明していた。美しき理想論は、悪魔の手に渡れば数万、数億の人間を撲殺する棍棒(メイス)とも成り得るのだということを。欺瞞には、絵空事には、幻想(ファンタズム)には、世界を塗り替える力があるのだということを。

 

 それもまた、まぎれもない悲劇なのだけど……悪いのは……(いと)うべきなのは、悪魔であって兵器ではない。

 

 兵器であるのならば……そのスペックとポテンシャルをこそ、誇るべきだ。

 

 だからこそ夢の世界における人権は、憲法という「法」の最上位において保証されていたのだから。

 

 それはつまり、下位にある法が理不尽に働くのであれば、それを制限できるということでもある。言い換えれば人権とは、「法」の正当性、「法」が強制してくる「正義」に対応できる、し得る、それは数少ない手段であるということだ。だから人権とは正義ではない。血と悲劇への嫌悪から生み出された「正義」に対抗しうる幻想(ファンタズム)、悪魔が曲解すれば血塗れの棍棒ともなり、誰もそれを信じなくなれば力を失って朽ち果てる……脆い石器のようなものだ。

 

「あの……どうしても言わなければいけませんか?」

「君は今、小官に助けられたばかりだろう? 王都の民は王都の法によって守られている。その恩を返す気がないというのであれば、君はもはや善良な市民とは呼べない。忘恩(ぼうおん)()には、それなりの扱いでもって応えよう」

 

 あまりにも血に、悲劇に塗れすぎた世界が生み出した幻想(ファンタズム)

 

 それ自体がまた血を、悲劇を生み出して、世界を血で染め上げて……ならばその先にはどのような幻想(ファンタズム)が生まれ出てくるというのだろうか?……地球(あの世界)は未来、どのような幻想(ファンタズム)をまた産むのだろうか?……私はそれを知る前に、夢の世界からは切り離されてしまった。今度こそは悪魔に振り回されることのない理想となるのか、それとも歴史は繰り返すのか……おそらくは後者であるのだろうけど、私が今いるこの世界は現在、その入り口にすらも立っていない。

 

 石器でもゲバ棒でもポリコレ棒でもなんでもいい、私を守ってくれる幻想(ファンタズム)はどこにあるというのか。

 

「そんなのって……」

「それが世間の法というものだ」

 

 何もない。

 

 ここには神話(ミソロジー)が圧倒的に足りてない。

 

 だからこの世界はいまだそれを求めている。

 

 残酷な天使が、だから囁く、お前の血を流せと、犠牲を払えと、後進の先達として、その礎になれと……真顔で、シリアスに。

 

 そんなモノ、私なんかじゃ、なれっこないのに。

 

「あの……私はあなたを、疑っています」

「……なんだって?」

 

 嗚呼……あの欺瞞だらけの荒廃した世界で、芸術という名の幻想(ファンタズム)に、娯楽という名の幻想(ファンタズム)に……私はただただ(ひた)っていたかった。現実というのは、共同幻想に騙されてくれない厄介な獣が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するおぞましい世界だから。彼らは生き物として正しく振舞い、弱き者を肉として捕食する、搾取するだけ搾取する。そんなものと戦う力が、私のどこにあるというのだろうか。

 

「あなたは本当に王都の警邏兵なのですか? 本来二人組であるはずの警邏兵が、今に至ってもあなたひとりです。それに……私の魔法に、こだわりすぎじゃないですか? 私はもう魔法使いであることを認めました。なら……その詳細については……とりあえずは連行してから、詰め所なりなんなりでじっくり取調べればいいじゃないですか」

 

 必死に訴える声は。

 

「小官は君を袋詰めにして運ぶことなどしたくないのだよ。そこに転がっている、こいつらとは違う……いや、必要ならそれも、やむを得ないと考えるがね」

 

 呆気無く論破される。

 

「今、この時点で……私が魔法を使ってない時点で、私に反抗する意思がないことも、そのための手段も持っていないことも、明白でしょう?」

 

 (すが)る、脆い希望は。

 

「開いたと思ったら一転、随分と達者な口のようだが……小官がこれを君へ問うたタイミング、それを忘れたのかね? 君は今、街中を歩けるような格好ではない。着替える必要がある。君は着替えてる間、その一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)を小官に観察されていたいのかね? それとも……君は嫁入り前の身だろう? その年若い身で、もはや服とは呼べないようなその格好で、街中を歩き回りたいとでもいうのかね?」

 

 簡単に叩き壊される。

 

「ぐ……」

 

 レオ……私ひとりじゃ、戦えないよ。

 

 私は……もう立っていられなくなって、腰砕けにしゃがみこんでしまった。(そば)には私へ覆い被さっていた男……の死体があるが、もうそんなのはどうでもいい。お腹が痛い、苦しい。

 

「これでも、配慮しているつもりだよ?」

 

 ダメだ、この男は弁も立つ。それに……それならば……これは本物の警邏兵でない可能性の方が高い。法を盾に無茶を押し付けてくるその手練手管(てれんてくだ)は、実に警官らしい。だけど……ただの警邏兵が、ここまで言葉で、理屈で人を追い込んでくるだろうか?

 

 もっと文明の進歩した……それこそ人権という幻想(ファンタズム)とも真剣に向き合わなければいけない世界のお巡りさんであれば……そういうこともあるだろう。

 

 だけど、王都の警邏兵はそこまで抑制(よくせい)されてない。貴族でない市民……ただの都民に対しては公務執行妨害などというレトリックを使う必要すらない。問答無用で「ちょっと(我々の詰め所)まで来い」……これで済むのだから。

 

 となるとこれが……本物の警邏兵ではない可能性が高くなるのだが……その場合、完全に退路を断つ方向では言い負かすことができない。逆上されたら終わりだからだ。

 

 上手く言いくるめ隙を作る……逃げるでも、魔法を行使するでも、隙は絶対に必要だからだ……それが私の、勝ち筋のひとつなのだけど……でも……それは色々な意味で八方塞(はっぽうふさが)りのように思える。

 

 ならば残る、もうひとつの勝ち筋は……。

 

「あの……でもどうすればいいのですか?」

「……何がだ?」

「私の魔法は、言葉で説明するのは……難しいと思います」

「む」

 

 たったひとつ残る、私の勝ち筋は……魔法を実演してみせる……そういう方向へ話を持っていくことだ……でも……これには問題点が複数あって、そのどれもが重い。

 

「それは、比較的多い、炎や風を起こすような魔法ではない、という話かね?」

「……はい」

 

 まず、第一の問題点は……ここに至っても、相手が本物の警邏兵であるかどうかの判断が、私にはつかないということ。

 

 本物の警邏兵であった場合……それを殺すというのは……色々な意味で重い決断となる。

 

 魔法で人を傷付けたことがないというのは、まぎれもない真実だ。だからこれが悪意を持った人間であっても、それを殺すというのは重い。でも……それならまだ、決断しきれないということはない。私もそこまで、綺麗に生きてきた人間ではないのだから。

 

 問題は、悪意なき人間を完全なる己の都合で殺したとして……自分がどうなるかだ。

 それは怖い。少なくとも今ここにいる私は、それを怖いと思っている。

 

「殺傷能力は? 危険なのか?」

「……人を殺せるかどうかは、状況次第だと思います」

「では、その魔法で人を殺してしまった場合、死因は何になる?」

「……え?」

 

 そして、第二の問題点は、私の魔法が、ピーキーすぎるということ。

 

 世界を割り、(ひび)を入れるという、色々な意味での禍々(まがまが)しさもそうだが、発動してしまった後の殺傷能力が高すぎる。だから自分自身、恐ろしすぎて、対人……対生物(植物以外)の使用法についてはあまり研究していない、実験も実証もしていない、知見が得られていない。

 

 考えたことはある。殺す以外の攻撃方法を。

 

 例えば空気……というか酸素……の透過を制限して、標的を酸欠に追いこむやり方。血流の透過を制限することでも似たような結果が得られるだろう。

 

 だけどそんなのは恐ろしすぎる。どれくらいそれらを制限すれば、後遺症が残らない範囲で意識を奪えるというのだろうか。実験なんて、怖くてしたことがない。

 

「強力な風魔法と同じ……だと思います」

「……そうか……つまり、()()、なのだな?」

「そういうことに……なるのでしょうか?」

 

 第三の問題点は、相手が、こちらの望む状況を許してくれるかどうかだ。

 

 今、斬撃という言葉を用いた後、不自然なほど黙り込んでしまったこの男性。

 

 この男性は、今はひとりだが、本物の警邏兵であれば当然、悪意ある相手であっても……仲間が、いないはずがない。

 

 この場の、今のこの状況も、他の誰かが監視しているのかもしれない。

 

 この男がただの捨て駒で、本命が他にいるだとしたら、この男ひとりをどうにかしたところで意味がない。()()するなら全員まとめて……そうでなければ何の意味もない。

 

 最悪は、魔法を実演してみせますと言って、「ならば天下の公道において、観衆に取り囲まれた中で見せてもらおうか」と返されたパターンだ。そんな風になったらもう、そこから何をどうするにしても取り返しがつかなくなる。

 

「あの……どうしましたか?」

「……」

 

 となると、私はまず、今、自分が置かれている状況、その全容を正確に知らなければならない。魔法を発動することができれば、それは簡単に判明するのだろうけど……その隙を相手が塞いでいる以上、これはそれ以前の問題だ。

 

 となると……もうひとつの逃げ道と同じように、言葉巧みに情報を引き出していくしかなくて……だけど弁の立つ相手に、追い込みすぎてはいけないという枷を着けられた状態で、はたしてそれは私に可能なのだろうか?

 

 そこが、第四の問題点でもある。

 

「最近起きた、未解決事件がある」

「……え?」

 

 結局の所、この男性が本物の警邏兵でなかった場合、では何を目的として、ここにこうしているのだろうか? それを、私は知ることが出来るのだろうか?

 

 私に、この男を言い負かす、言い包めるだけの話術があるのかという問題だ。

 

「スラム街の、比較的浅いエリアで……ならずもの七人が殺された」

「……」

「斬殺だった。それは一見すると鋭利な刃物による犯行……のようにも見えたが、不自然な点もあった。ひとつの刃物で斬ったにしては、切り口の形状……というか“斬り方”に統一感が無かったからだ」

「……それは……どういうことですか?」

 

 意外な言葉に、時間を稼ぎながら現状を打破するため重ねていた思考が……止まる。

 

「それが刃物による犯行ならば、ひとりの人間がやったとは、とても思えないような状態だったということだ」

「……ぇ」

 

 ()()をやったのはレオひとり……それは間違いない。この目で見た。レオが使っていた得物(えもの)は薄い、ナタのような物。市場(いちば)で、大型の果物を割るのに使うような段平(だんびら)。あれはまだ、その時鹵獲(ろかく)した武器類と共に、私の(うち)にある。私の部屋の、収納の底にしまってある。

 

 あの時、レオはたったひとりで、たった一本のそれで全てを()した。

 

 それは間違いない、間違いないのだが……。

 

「現場に凶器は残されていなかった。岩場であったため足跡もない、浅いとはいえ現場がスラム街であったことから聞き込みもままならない……だが」

「……だが?」

 

 私が混乱する中、男性の詰問口調はどんどんと厳しくなる。私の男性恐怖症以前に、普通に怖い。

 

「たったひとりが、魔法でそれを成したというなら、現場の状況とは一致する。もうひとつ、その後に出回った奇妙な噂話ともだ」

「……あ」

 

「曰く、ロレーヌ商会の一人娘が誘拐されかけた……その日は、(くだん)の七人殺しがあった日と重なる……()()()()()()()? 魔法で、七人を、その手で」

 

 これは……本当にマズイ。

 

 

 



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epis31 : ONE PUN ONDO

 

『おかしくないですか?』

『なにがだ?』

警邏兵(けいらへい)が……警官がそれを知っていたのなら、どうして私は、一度もその事情聴取をされていないのですか?』

『む……』

『つまりそれを知り、今ここで私に()(ただ)そうとするあなたは……』

 

 簡単にシミュレーションできる、その会話。

 

 妄想のそれを脳内に聞きながら、私は確信した。

 

「どうした、あの事件は君の仕業か? 君はロレーヌ商会の一人娘、そうなのか?」

 

 この男、このブルーグレーの、警邏兵の制服を着た男。

 

 コレは……偽者だ。

 

 あの事件……私が誘拐されかけ、レオがその実行犯である七人(しちにん)を殺したあの事件……のその後、後日談は、つまりこういうことになるのだろう。

 

 レオはあの七人の死体を、「質の良くない」穴の中へと放り込んだ。穴というか、ほとんどただの岩の割れ目に近かったけど……スラム街だ、死体が無造作に転がっていたところで気にする者は少ない。レオも『そういう意図で死体を捨てていく()()の人間も、たまにいるんだ』と言っていた。どちらにせよ、ただの少年と少女に過ぎない私達にはそれ以上、どうすることも出来なかったことだし。

 

 死体がそこにあるのは「穴」を上から見れば一目瞭然だった。ある程度の期間、見つからなかったとしても、腐敗が進めば(にお)いで絶対にバレてしまっただろう。

 

 けど、それはそれでいいと私達は判断した。

 

 七人はどう見てもカタギではない風貌をしていた。その死体が仮に警官、国家公務員の類に発見されたところで、()()()()()真っ当でない連中が真っ当でない理由で死んだのだろうと、そう判断されるはずと思ったから。

 

 だがその死体を発見したのは、()()()()()()

 

 警官であったなら、広がるだろう噂話のそれと照らし合わせ、ロレーヌ商会の一人娘を()()()()()()()()()のだ。

 

 その取り調べが、もしかすればあることは想定の上で、織り込み済みの上で、私はその処理を簡単でいいと判断したのだから。

 

 けど、その可能性は少ないと、そうも思っていた。

 

 レオは最初の七人に対し、死体漁りをした。その行為は、彼らの着ていた服にまで及ぼうとした。スラム街では襤褸切(ぼろき)()()()布ですら貴重なのだから、それは(その頃の)レオにとって、普通の行為だった。

 

 でも、その場には私がいた。目の前で男性(の死体)が剥かれる様子など見たくもない、だけど目の前にはいついなくなってしまうかもわからないレオがいて、そこから目を離すわけにもいかなかった私がいた。

 

 それで、私はレオにこう提案したのだ。『服はお礼に私がもっといいものをあげるから、それはそのままにしておこうよ』と。レオは案外あっさりとそれへ首肯(しゅこう)した。レオだって、死体漁りなんか、したくてしていたわけでもなかったのだろう。

 

 そうして七人の死体は、服には手付かずのままで捨てられることになった。襤褸切れでない布が貴重で、死体を漁ってでもそれを欲しがる住人()()()のスラム街に捨てられることになった。

 

 それはもう、アリの巣の(そば)に、砂糖を置いておくようなものだ。

 

 あっという間に(たか)られ、運び去られてしまうだろう。

 

 そうなれば死体は、彼らによってより丁寧な形で処分される。それはそのままでは彼らの「犯罪」の「証拠」となってしまうからだ。死体漁りという、それはそれで重い「犯罪」の。

 

 事件から数週間後、それでも警官からの取り調べがされることも無かった私は、あの事件はその後、おそらくはそういう風に推移したのだろうと判断していた。希望的観測としては……だけど。

 

 だけど、もうひとつの可能性についても……勿論理解していた。

 

 希望的観測ではない、ここに至ってはもうそちらの方が真相であると完全に判断できるそれは……「誘拐犯の仲間に発見された」……だ。

 

 私達が死体を放り込んだ「穴」は、レオが七人を殺害した地点から百メートルも離れていない場所にあった。私の魔法の有効射程距離よりは離れているが、一般的な意味でそれは遠いと表現できる距離ではない。

 

 そしてレオが七人を殺した地点とは、彼らが「誰か」を待っていた地点でもある。ならばその「誰か」は、その後、その場を訪れたはずなのだ。今、ここで私を……厳しい眼で睨んでいるこの目の前の男性がその「誰か」であったのかもしれないし、あの耳の欠けた赤毛の女性がそうだったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、「ロレーヌ商会の一人娘が誘拐されかけた」という噂話を知り、更にその同日に「七人のごろつきが殺された」ことを知り、その上で何のアクションを起こさない「死体の発見者」が警官であるはずがない。それは後ろ暗い理由のある「誰か」だ。

 

 その「誰か」とはつまり「誘拐犯の仲間」だ。

 

 だからこそ「誰か」、「誘拐犯の仲間」は「それを成したと思しき」私(達?)を警戒していたのかもしれない。すぐには襲ってこなかったのかもしれない。実行犯もまた、命は惜しかったはずだから。

 

 つまり、目の前の男性はその「誘拐犯の仲間」のひとり、ここにおいてはその尖兵(せんぺい)なのだ。

 

「先刻、君は言ったな? 魔法で人を傷付けたことはないと。それは偽りだったのか? 君は小官(しょうかん)に嘘をついたのか」

 

 だからこそ、この偽者は私の魔法にこだわっている。その詳細を知りたがっている。自分達の命を脅かすモノの正体を知りたがっている。

 

 レオの方にも、だから同じような人員がついているのかもしれない。分断させ、ピンチにさせたら、いったいコイツラはどのように行動するのか……それを観察するための、これはその計画だったのだ。レオの方には……もしかしたら、あの耳の欠けた赤毛の女性が行っているのかもしれない。どちらかが魔法使いであったとして、その可能性がより高いのは、「敵の目から見れば」レオだっただろうから。

 

 だけどこの男は知ってしまった。魔法使いは、私の方だったということに。

 

 この男は今、自分達の仲間を殺したのが、私だと思っている。

 

 だから……これは本当にマズイ。

 

「どうなんだ!?」「ひっ」

 

 怒鳴られ、身体が萎縮する。その中にあって理性もまた、押し潰されていく。

 

 マズイマズイマズイ……コレが、悪意ある人間であるという確信は得られた。それはいい……けど、それはつまり、言葉で言いくるめどうにかするというのが、なおのこと困難になってしまったということだ。

 

 完全に警戒されている。憎悪すらも感じるような気がする。

 

「仕方無い、本当はやりたくなかったが、魔法使いを連行する際の手段、()らせてもらう」

「そん……な……」

 

 それはそうだろう。

 

 だって……この人にとって私は、「追い詰められれば、むくつけき男を七人も殺す邪悪な魔法使い」なのだから。

 

 そんなモノを相手に、穏便に済ませろという方が無理だ。無理筋だ。客観的に見ればそういうことになる。

 

 だからこの先が、言語でなく全身にいまだ残る痛み、恐怖によって理解できてしまう。

 

 もはや問答は不要ということだ。

 

 私は……ここで殴られ、意識を奪われ、袋詰めにされて運ばれる。

 

 これが、伯父と関係ない連中であるのならば……私はそのまま殺されるのかもしれない。

 

 けど……黒幕が想定通り伯父であったとしたら……私が魔法使いであると知った伯父は……ならばどうするというのだろうか?

 

 (めかけ)にするつもりだったのか、妻にするつもりだったのか、それとも奴隷かなにかにするつもりだったのか、それは知らない……けど、危険な魔法使いを相手に、その扱いは難しいだろう。それでも私をどうにかしたいのであれば、私を「折る」必要がある。

 

 反抗心を折り、抵抗する意思を折り、自我を折り、操り人形にする必要がある。

 

 使われるのは暴力か、危ない薬か……なんにせよ、それが地獄であることには変わりがない。

 

 逆に、「ならいらない」となった場合……これはもう、色々考えても、もはやどう考えても……私は処分される。それがなぜかとか、どうしてかとか、そんなことはもう説明したくもない。わからないなら考えてみてほしい。私の(おそらくは)前世、その最期にヒントがあるから。

 

「む」「え?」

 

 私が、すぐ近くへと迫っている地獄に、早くも心折られそうになっていると、まるでその崩壊を予告するかのような爆発音(?)が、遠くの方で響いた。だけどそれは、少なくともレオがここへ助けに来てくれて何か……という類の音ではない。レオに爆発音を立てるような攻撃手段は無い。期待はずれだ。

 

 男は一瞬、それへなにかを考えるかのようなそぶりを見せていたが。

 

「……まぁいい、悪く思うな」

 

 すぐに私へ向き直った。

 

「ひっ!?」

 

 レオ……レオはおそらく、ゲリヴェルガ伯父さんのお屋敷を襲撃するのだろう。今はもうそちらの方へ向かっているのかもしれない。けど私が、そこへ運び込まれる前にそれをしてしまっては、レオはただの襲撃犯でしかない。いや、私が運び込まれた後であっても、お貴族様のお屋敷を襲撃したとあっては大罪人となってしまうのだが。

 

 伯父さんも、目撃者も、全員を殺す……そんなのは……レオには不可能ではないけれど、現実的ではない。伯父さんのお屋敷周辺にも警備兵はいる。彼らが笛、呼子笛(よびこぶえ)を鳴らせば周辺の警邏兵も寄ってくる。それが王都の治安維持システムだからだ。そうして「目撃者」は王都全体に広がっていってしまう。

 

 王都全てを殺しつくす?

 

 (みなごろし)

 

 ああ……それはそれで、愉快なことかもしれない。

 

 私を嘲笑(あざわら)った世界、私が溶け込めなかった世界、私が壊したい世界。

 

 あはっ。

 

 レオがそれを、殺しつくしてくれるというなら、願ったりじゃないか。

 

 でも……。

 

「さあ立て! そのまましゃがみこんでいるつもりなら、腹でなくまずは顔を殴打する!」

「……」

「聞こえなかったか! 鼻の骨が折れても知らんぞ!!」

 

 でも……だめだ。

 

 レオをそんな風には……してはいけない。

 

 これは私の狂気。とびっきり醜い……(けが)れた私の狂気。

 

 レオならばそれが可能だからといって、押し付けてはいけない。

 

「聞こえないようだな……なら」

 

 男が、大股で私へ近付く。その拳は固められている。鼻の骨か……折られたら、変な顔になるんだろうな。レオに会わせる顔がなくなるかもしてない。それは悲しい、哀しいけど……私は……。

 

 

 

 

 

 

 

 その時。

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 ()()()()()()

 

「なんだ!?」

 

 世界が割れたような音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 来た!

 

 

 

 私の勝機、魔法を実演してみせるという方向に誘導する逃げ道……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 時間を稼ぎ、稼ぎに稼いで待っていた。

 

 ほんの極僅かだけあった、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 先程の()には失望し、その期待はずれに絶望しかけたけれど。

 

 

 

「今のはなんだっ!?」

 

 機を逃さず、私はその()()を握る。

 

「っ!?」

 

 お願い、私の狂気。

 

 世界を壊したいのは私だから。

 

 世界を壊すのは……()()()だ。

 

「ぐっ……貴様……」

 

 

 

 ぐらりと……男がよろめく。

 

 その腹には……ナイフが()えている。

 

 刺した。

 

 ああそうだ。

 

 私が今、それを、刺した。

 

 

 

 そんなもの、どこにあったって?

 

 

 

 あるに決まってるじゃない。これは、私に覆い被さっていた男が持っていたナイフだ。

 

 そう、その男は途中、ナイフで私の服を破っていた男だ。だがその行為は、仲間達から止められてしまった。だから男はナイフを腰へ戻した。自分自身の……身体の前面にある鞘に。

 

 男が事切れた時、私は下腹部に硬い物が当たるのを感じた。

 

 それがつまり……そのナイフだったのだ。

 

 

 

 だから私は知っていた。うつ伏せで横たわる……その男の死体には……ナイフが隠されているのだということを。

 

 

 

 だから我慢していた。

 

 臭くて臭くて臭くて仕方無い、私を傷付けようとした男の、その死体の(そば)にしゃがみこみ、()()()が訪れるのを我慢して待っていた。

 

 

 

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!……ぐぶっ……」

「……」

 

 男が口から吐血する。

 

 ナイフが生えている場所は……お腹の、へその、ほんの少し上の辺り。狙いはもう少し上だったけど、アバラに当たって浅くなるよりはいい。上出来だ。おそらくは肺か横隔膜(おうかくまく)に傷が入った。

 

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)

 

 そうして世界は罅割(ひびわ)れる。

 

 七色の光が(きらめ)き、音もなく死体だらけの部屋一面が「割れ」……空間は黒い線で満たされる。

 

 私の魔法が、今ここに顕現(けんげん)した。

 

「な、なんだ!? 何が起きたん……ぐっ、うっ……」

「ああ、丁度いい、心臓の周辺、それ/と首の部分が綺麗に()()()()()

 

 そうして私は、()()の、血流と酸素の通過を()()()()

 

 肺がもう上手く機能していない男に、その代わりを()()してあげる。

 

「な……」

 

 私の操作によって、男の脳に、心臓に酸素が供給される。ついでに傷付いた部分の血流等もそこでストップさせた。

 

 初めてやったことだが、上手くいった。出来ることは知っていた。理論上は可能なことだから。実験動物が、私が良心の呵責を感じなくていいモノだったというのは、幸運なことだった。

 

 この男は、魔法を使うまでもなく死ぬ。

 

 治療院へ連れて行けば、王都のそれは優秀だからまだ助かるかもしれない。もしくはここへ治癒魔法の使い手を連れてくるかだ。だけど、そんなの、どちらだって、できるはずがない。

 

 この男は、もう助からない。

 

 私は人殺しになった。それはいい、それは仕方無い。ある意味ではレオと同じになれたとも思う。心の、喜びを感じる部分がそれを想っている。

 

 それを……レオがどう感じるのか……それだけは不安だけど、ここに至ってはもう何も誤魔化せない。

 

 私は殺意をもって人を刺した。それはもう何も疑いようのない事実。

 

 だけど、私は人を……殺したいから殺したわけではない。

 

 必要だったから……必要なことを()しただけ。

 

「ぐ……動けない……これが貴様の魔法か」

 

 どぉぉぉん……と。

 

 再び、世界が割れたような音がする。だが今度は、最初の音と同じで少し遠い。

 

 今日は神楽舞(かぐらまい)(まつり)の月の、第一の晴日(せいじつ)

 

 おそらくは近くを、どこかの商会か貴族のパレードが通っているのだ。

 

 祭に、()()()は付き物でしょう?

 

 この大音量の爆発音、爆裂音は、多分なにかの魔法だ。どこかのお抱えの魔法使いが、人目を引くために何かしらの、派手な魔法を行使しているのだ。おそらくは二組のパレードが接近したため、張り合うように音を鳴らし合っているのだ。

 

 録音機器などないこの世界、()()の晴日であれば、王都民であってもいきなりのそれに驚く。一年ぶりに聞いたそれに、そうとは知っていても、久しぶりに驚くのだ。第二、第三、有終(ゆうしゅう)()ではこうはいかない。祭とはそういう音がするものであると、王都民が思い出してしまうからだ。

 

 この男も、まだ思い出してないクチだったのだろう。最初の音を聞いてもまだ思い出していなかったというのは、僥倖(ぎょうこう)だったけれど。

 

 幸運だった。色々が、諸々が。

 

 いや……男は、最初の爆発音にはどこか納得した様子だった。何か、私が想像していることとは別の事情があるのかもしれない。けど、それを含めても、これは幸運と言ってしまっていいだろう。

 

「答えて……あなた/達は何者!?」

 

 ならば、幸運に助けられた私は、ここで必要なことを()すべきだ。

 

「あなた達はなん/なの!?」

 

 男の声が混じる、割れた声で問い質す。

 

 私は人を……だから殺したいから殺したわけではないのだ。

 

「あなた達は何!? どうし/て私を狙っていたの!?」

 

 必要だったから……必要なことを()すために刺した。

 

 それだけ。

 

「あー……」

「答えてよ!!」

 

 それだけだから……せめてその命、果てる前に「私が刺した意味」「私が人を殺した意味」を残せと、どこか呆然とした表情の男へ問い詰めた。

 

 

 



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epis32 : SHOOT! SHOOT! SHOOT!

 

<レオ&マイラサイド>

 

 それは、数秒の中の出来事だった。

 

 

 

 幼女が歩いていた。

 

 小さな背丈で、とてとてと歩いていた。

 

 

 

 頭にはベールのようなものをつけていた。

 

 今日は祭の日だった。

 

 午後になり、しばらくが経っている。今日は祭り第一の晴日(せいじつ)。青い空の(もと)、街のあちこちでパレードが始まっていて、その近くを通れば鳴り物がうるさいし、仮装めいた格好の者達が街を往来している。

 

 だから子供が頭にベールをつけているくらい、何の不思議でもない。

 

 

 

 だが。

 

 

 

 ──あれは。

 

 

 

 自分へと向かってくる幼女の姿に、レオは自分の直感が鳴動(めいどう)するのを感じた。それは、彼の頭の中で、パレードの鳴り物よりも(うるさ)く響いて聞こえた。

 

 脳裏に、数時間ほど前の記憶が蘇る。

 

 

 

 ベールの下に、ほんの少しだけ見える()()()()()()()()髪。

 

 

 

 ──あれは、見覚えがある。

 

 

 

「……こねこね?」

 

 

 

 幼女は、なにかを手に持っていた。

 

 手に、チョコレート色の……いや……泥色のなにかを持っていた。

 

 

 

 知らず、レオの身体が動いていた。

 

 

 

 どう見てもただの子供。五歳か六歳くらいの幼女。

 

 ぼんやりとした目付きで、ぱっと見、危険そうな雰囲気はない。何も無い。

 

 ああ……それなのに、それなのにだ。

 

 

 

 ──あの少女に油断したから、僕達は分断させられてしまった。

 

 

 

 ──僕が油断したから、ラナは(さら)われてしまった。

 

 

 

 ──あれは敵なのか……あんな子供が……敵なのか。

 

 

 

 その手が、己のメイド服のスカートをまくり、剣を抜く。

 

 

 

「わうっ!!」「ぇいっ」

 

 

 

 マイラが吠えた、その鳴き声へ合わせるかのように、幼女は手に持っていたそれ……泥団子?……をレオの方へと投げてきた。

 

 

 

 レオの身体が高速で動く。剣を抜いたことで、その()()()脅威と認識した攻撃を全て無意識下で「回避」する彼の「無敵」、それが発動した。

 

 

 

 ──敵なのか。

 

 

 

 ──この少女……チョコレート色の髪をした幼女は、敵なのか。

 

 

 

 信じたくないという気持ちが残る。その姿は本当に、あまりにも幼い。だからその姿に彼の()()はまだ()えてこない。レオの「無敵」にはそれが必要だ。斬るという意思、斬り捨てるという明確な意思が、そこにはどうしても必要だった。

 

 

 

 泥団子は(くう)を舞って、レオがいたその場所を通過してブルーグレーの石畳……馬車の通る車道へと落下する。

 

 だがそれが、地面へと触れた……その刹那。

 

 

 

「きゃはっ」

 

「っ!?」「きゃぅぅぅぅぅぅぅん!?」

 

 

 

 ぼごぉぉぉぉぉぉぉん……という、聞きようによっては間抜けな、だが強烈な爆発音……それがレオとマイラの耳を襲った。

 

 

 

「つ……ぅ……」「くぅぅぅん……」

 

「なんだ!?」「何が起きた!?」「どうしたの!?」

 

 

 

 往来を歩いていた人々が、一斉に立ち止まって視線を爆心地へと向ける。

 

 そこには……赤褐色の石畳が円状に割れ、土の焦げ茶色の()(あらわ)となった……元は整備された車道であったはずの地面があった。被害は直径でレオの身長ほどの円……それくらいだろうか。

 

 

 

「【むー、どうして遊んでくれないの?】」

 

 

 

 ベールの、その耳の部分を小さな手で覆っていた幼女が、小さく呟いた。

 

「う……」

 

 それは、レオには理解できない言語だった。だがその異質に、轟音に耳をやられ、(ぼう)としていた彼の理性が漸々(やくやく)、戻ってくる。

 

 幼女を見れば、その姿は間違いなく可愛らしい幼女の相貌(そうぼう)だ。ベールの耳の部分は泥塗(どろまみ)れになっているが、それが爆発するといった様子もない。

 

 異様……どう見ても異様な姿だ。

 

「……なんなんだお前は」

 

 それへ向かい合うレオは今、高級そうな剣を構えたメイドの姿。青く光る部分と赤く光る部分が木目状に交じり合った剣を構え、金髪のツインテールを揺らす、目付きの悪い美少女の(てい)

 

 珍妙ではあるが、メイドは時に主人の護衛役をも兼ねる。武装していること自体は特におかしなことではない。周辺の警備兵、警邏兵(けいらへい)もまた、突然の轟音に揃って抜刀していた。

 

 奇妙ではあるが、異常事態にあっては正しい反応をしているとも言える。レオが一定以上の注目を集めるには、まだ変事(へんじ)の要素が足らなかった。

 

 むしろ……今この場においてそうした変事の要素が集中しているのは……レオの目の前にいるこの幼女だ。

 

 どこに隠し持っていたのか、両手にまた泥団子をふたつ、(かか)げ持っている。

 

 この状況下にあって動じる様子もなく、泥団子を掲げ、構えてる時点でなにかがおかしい。幼女の姿でさえなければ、爆音と破壊を生み出したのが彼女であると即断されてしまっても、おかしくはないほどに。

 

「【ねぇ、遊ぼうよ】」

 

 その場に彼女の言葉を理解できる者はいなかった。だが、それゆえに幼女の「異質度」は更なる向上を見せた。言葉がわからずとも、幼女がそれを楽しそうに言ったその雰囲気は伝わる。緊迫した現場にあってひとり、緊張とは違う感情を持つ者……それは意外と、目立つ。

 

 だが。

 

「なっ」「わうっ」

 

「……う?」

 

 まるで彼女の呟きに呼応するかのように、今度は遠くの方から「ばぁぁぁん!」という派手な音が響いた。それは、幼女にも予想外の出来事だったのか、「なぁに? 今の」といった様子でそちらの方へと視線を向けている。

 

「今度はなんだ!?」「え?」「あ」「あ、ああ……」

 

 それは、それも相当に大きな音だった。音の出所にいたのであれば、世界が割れるような心地さえしたのではないだろうか。

 

「あれって……」「うん」「え、じゃあこれも……なにかの出し物?」

 

 だから周辺で異変に身を固くしていた者達は思い出す。

 

 今日が神楽舞(かぐらまい)、その第一の晴日(せいじつ)であったことに。

 

 今の音は、おそらくはどこかのパレードが、先にこの場で発生した爆音に対抗し、「我こそが主役である」と主張する意味を込めて鳴らしたモノなのだ。この期間中、そうしたことは頻繁に起こり得る。より大きい音を出した方が勝ち、主役であるというルールなどはないが、拡声器……マイク、アンプ、スピーカーなどのないこの世界にあって、より高らかな音を発生させるには魔法使いの力を借りる必要があり、それには金が必要だ。

 

 商会や貴族達がその権勢を張り合い、見せ付け合う祭の中にあって、(カネ)イズパワーの王都で高らかな音というのは「そういうモノを発生させるだけの(パワー)」のある証でもある。ゆえに見栄と実益の両面から、多くの者がそこへ趣向を凝らす。

 

 ──そういえば、この時期になると、こういう音が頻繁に聞こえてくるものだっけ、王都は。

 

 それは、レオを始めとして、この場にいた全員が一様に思ったことだ。

 

 ──第一の晴日(せいじつ)から、随分と派手に鳴らしたモンもあったもんだ。

 

 中にはそう思う者までいた。第一の晴日(せいじつ)はまだ、あまり力のない商会や貴族のパレードが主となるからだ。

 

 しかし、それで警戒を解いたのは、遠くや建物の中にいた「音しか聞いていない」一部の一般市民だけだ。(えぐ)れた地面が見えている者や、(さか)しい者達はそうではない。

 

 だが、ある種「訓練された」王都民は簡単にパニックを起こしたりはしない。王都がいかに安全な都市であるかを知っているからだ。出鱈目に動き出すよりもまず、王都が誇る治安の良さ、そのものへと事態の解決を託そうとする。

 

 そして王都民に期待されるそれは、けしてハリボテなどではない。

 

 つまり。

 

 ブルーグレーの制服を着た、警邏兵が動く。

 

 周辺には丁度、二組の警邏兵が巡回していた。つまりは四人、いずれも男性のようだった。

 

 当然のことながら、爆音の発生から数十秒が経っても、彼らは抜刀したままだ。そのまま、彼らはレオや幼女へと近付いてきている。

 

 彼らは知っていた。この区画、この時間に、パレードの通る予定などは無かったことを。周りを見渡してみても、現にそれらしき者達の姿はない。

 

 あるのは泥団子を掲げている奇妙な幼女と、それへ剣を向けている珍妙なメイド服の少女、それだけだ。

 

 ならば誰何(すいか)すべきはその不審。

 

 ──メイドはともかくとして、あの幼女はいったいなんなんだ?

 

 当然の結論として、彼らは警戒しながらレオと幼女へと向かってきている。

 

 

 

 

 

 ──マズイ。

 

 この混乱に巻き込まれてしまったら、ラナを助けに行くことができなくなる。レオの心に焦りが生まれる。剣を握る指に力が籠められる。

 

 だが、その心にはいまだ、幼女への殺意は生まれてこない。手に持つ片刃の剣は、それ本来の使い方であっても「やりすぎてしまう」可能性が高い。それくらい、幼女の身体は小さく、華奢だ。

 

 その小さな手に持つ泥団子は、おそらく凶器。

 

 ──数時間前のチョコバナナがあれと同じものだったら……。

 

 レオの背筋に、冷たいものが走る。

 

 自分の身長と同じ程度の範囲、石畳を破って地面を露出させるほどの「爆弾(きょうき)」……そんなモノ、まともに喰らえば人体などは木っ端微塵だろう。

 

 ──なるほど、ラナを殺す気は、無かったってことか。

 

 だが今はもう、自分(レオ)はひとりだ。ひとりになった自分(レオ)をガチで殺しに来ている……だがそれにしたって……いくらなんでも、これはやりすぎだ。

 

 目立ちすぎている。

 

 派手にやりすぎている。

 

 目撃者が多すぎる。

 

 そこから導き出される結論は、ひとつ。

 

 ──この子は……捨て駒だ。

 

 陽動に使われ、派手に散らされる(デコイ)

 

「【む~、おゆうぎのじゃま、しないでほしいのにぃ】」

 

 ──この目は……僕はこれを知っている。

 

 レオはそれを知っている。レオはそれを知りすぎている。

 

 スラム街へやってきて、逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)を引き起こす壊れかけの女性達。

 

 幼女の目、雰囲気は、よく見ればそれにそっくりだ。

 

 それに、レオは気圧(けお)される。迷ってしまう。

 

 殺していいのかと、人間になった今だからこそ思い、惑う。

 

「【いたいいたいおゆうぎはキライだから】……えいっ」

 

 そうしてレオがたたらを踏んでいる間に、またも理解できない言語を呟いた幼女は、手に持っていた泥団子をひとつ、ひょいと投げた。

 

「っ!?」

 

「お、おいっ!?」「……あ」

 

 それは放物線を描いて……二組の警邏兵、その、より幼女に接近していた方のふたりへと飛んだ。

 

「むっ!?」

 

 先頭に来ていたひとりが反応し、抜刀していた剣でそれを斬る。

 

 テニスボール大のそれは、あまりにもあっさりと、まっぷたつに斬れてしまった。

 

 ……が。

 

「うっ!?」「なっ!?」「ひぇっ!?」

 

 再びの爆音。

 

 泥色(チョコレート色)榴弾(りゅうだん)が、飛ぶ。

 

「ごっ……」「なっ!?」

 

 斬った警邏兵の目の前で爆発したそれは、彼の上半身をズタボロにした。

 

 肉が抉られ、皮は千切れ、剥げて……それらがビチベチと後方へ弾け飛ぶ。すぐに血が噴水のように吹き上がり、彼の肉体はそのまま後ろへと倒れこんだ……自身の身体から弾け飛んだ肉片を……ベチブチと潰しながら。

 

「きゃぁあああぁぁぁ」

「貴様ぁぁぁ!? 何をしたあああぁぁぁ!!」

 

 あまりにも無残な、白昼の往来での出来事に、様子を窺っていた歩行人達がとうとう一斉に逃げ出し始める。その混乱の中、同僚の死を認識した二人組の片割、残った方が幼女に向かって剣を構えながら走ってくる。別方向から近付いてきていた違う二人組は呆然としている。いまだ事態の急変に心が対応しきれていないようだった。よく見ればそのひとりはごく若い青年のようであるし、もうひとりは年配のようでもある。なんらかの研修の最中だったのかもしれない。

 

「【もー、じゃましないで~】」

 

 幼女がひょいと放った泥団子……それを、走る警邏兵は()けようとした。だがそれは最初から、彼の身体を目掛け、投げられたものではない。

 

「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 丁度、彼の足元へ着弾したそれは、再びの轟音と共に彼の下半身を抉る。

 

 爆風と榴弾がズボンのブルーグレーの布を、その下の皮と肉を、抉りまくった。

 

 それは即死ではない、即死ではなかったが……。

 

「うぎぃぃぃぃぃぃぃ! ぎぃえええぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 どうみても助かる傷ではない。血が流れすぎている。それなのに彼は自分の股間を抑え、うつ伏せに倒れたまま血塗れの地面を這いつくばっている。おそらくは地獄以上の苦痛が彼を襲っているのだろう、もはやその脳にあるのは王都の治安維持でも、相棒を殺した幼女への敵愾心(てきがいしん)でもない。どうすれば苦痛から逃れられるのか、どうすれば地獄から開放されるのか、その動物的逃避行動と死への恐怖、それだけだ。

 

「きゃは、【いたいいたいおゆうぎだぁ】」

 

 ()(つくば)るそれを見、(わら)う幼女の手には、またどこから取り出したのか、先ほどと同じようにふたつの泥爆弾……が握られている。彼女はゆったりとした服を着ている。その服のどこかに、まだいくつもの泥爆弾がしまわれているのかもしれない。

 

「お前は……なんだ」

 

 レオは沢山の、壊れた人間を見てきた。

 

 壊れかけの女性は逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)を引き起こしてすぐにいなくなったけれど、壊れかけの男性であれば意外と長く生きる者もいた。生気のない顔で、しかし突然に暴れだしたりもする、理性が溶け、無くなってしまったような男達。

 

 スラム街では、そのような者へ近づくのはタブーとされていた。

 

 突然に何をしだすか、わからないからだ。

 

 大人しくそこにいたと思えば、突然近くに落ちていた尖った石を拾い、襲ってくることもある。機序(きじょ)にまとまりがなく、行動原理がまったくわからない。完全に狂っている、完全に壊れている。

 

 ──コイツは、理解しているのか?

 

 自分が陽動、囮であることを。

 

 それならばいい、自分の意思でそうしているのならば、レオも「斬る」ことに躊躇(ためら)いはない。

 

 少年法、刑事責任年齢、幼いがゆえに残る人格の可塑性(かそせい)……そのような概念など無いこの世界にあっては、レオのそれは妥当な判断であるとも言える。幼くも自分の意思で悪を成すのならば(さば)かれ、(さば)かれてしまうのがこの世界。それへ疑問を持つほどには、この世界はまだ成熟しきれていない。

 

 だがその残酷も、それを上回る無残を前にしては()()()()()()

 

「【あっちのも~】、え~い」「なっ!? やめろぉっ!」

 

 幼女が再び放ったふたつの泥爆弾、それは絶叫しながら這い回っていた男性を……どうすることもできず呆然と見ていた残りの二人組、その頭上、その足元へと飛んでいった。

 

「っぁ……」

 

 ふたつの爆音、それが重なった脳が震えるほどの大音量が、周辺にいた人々、全ての鼓膜を襲った。

 

 レオも、剣を持っていない方の手で片耳を押さえたが、それだけだ。

 

 鼓膜が破れたんじゃないかと思うような激痛を後頭部全体に感じる。気が付けばその口は大きく開いていた。そこから入ってきたと思しき重い衝撃を腹と肺に感じる。

 

 マイラは……とレオが横目で見れば、どうしたことかマイラは地面に頭をつけ、その垂れ耳を、人間のように両前足で押さえていた。

 

 遠くの警備兵達も、耳に剣を持ったままの手をあて、苦しんでいる様子だった。

 

 だが……その元凶たる砲台……否、幼女は、その中にあっても平然としている。

 

 壊れてしまっているその目が見つめる爆心地には……爆風が晴れると……文字通りの地獄が広がっている。四散したふたり分の身体(しんたい)、その赤黒い欠片がいくつも転がる地獄。いや……だが……ここに至っては、即死であったならば、それはまだ安らかな終わりであると言えたかもしれない。

 

「だずげでぐれぇぇぇぇぇぇぇ、いだぃよぉぉぉ……」

 

 いまだ死にきれず、苦痛の中を這い回る者の呻き……それが呪いのように響き渡る、この地獄の只中(ただなか)にあっては、だが。

 

「……ぅ」

 

 この世の地獄には慣れていたはずのレオであっても、それは思わず口元を押さえてしまうような、どうしようもないほどの惨状だった。

 

 そしてまた……遠くで違う轟音が響く。

 

 それは、ふたつの泥爆弾の爆発音……今までで一番大きく響いたその音……に対抗するかのような、先程よりは若干大きい……しかしおそらくは全く勝てていないだろう……ある意味では負け犬の遠吠えの様相を呈しているかのような、滑稽な音でもあった。

 

 しかし、それはまた、剣を抜いたままその場から動いていなかった紺色の制服の者達……警備兵達の、理性を取り戻させるのには十分な「きっかけ」でもあった。

 

 ピィィィ……という高らかな笛の音が、あちこちからあがる。

 

 それは呼子(よびこ)呼子笛(よびこぶえ)。緊急事態を知らせ、応援を呼ぶ合図だ。

 

「……くそっ」

 

 事態はどんどんと悪化していってる。

 

 それに悪態を、()いてみるが、いまだレオの心に幼女への殺意は降りてこない。

 

 彼の「無敵」を発動させるには必須のそれが……降りてこない。

 

 本能的に、理解してしまったからだ。

 

 この幼女も……搾取された果てに壊れた……これはその姿なのだと。

 

 あまりにも無残、あまりにも悲惨、あまりにも野蛮なそれは彼岸(ひがん)彼方(かなた)にある。もう何も手の届かないところにあるナニカだ。救いのそれであろうが、共感と同情のそれであろうが、なにもかもがだ。

 

 でも、だからこそレオはそれを「殺したい」とは思えない。

 

 思えるはずがない。

 

 彼にとってそれは、いわば「身内」のようなモノなのだから。

 

「【ねぇ~、あそぼうってば~】」

 

 それは……彼女を放ったアルス、マルスの想定した……期待した効果では全く無かったが、この場においては、人を殺したいと思わなければ殺せないレオには、この上なく有効な一打となって作用していた。

 

 レオの無敵は、彼が「敵でない」と認識した相手を殺せない。

 

 まるで対消滅でもするかのように、無敵が()()に消されてしまう。

 

 それが無敵の……もうひとつの弱点。

 

 

 

 レオは既に人殺しだ。

 

 だが……人殺しだからといって、そこに、人の心が残っていないというわけではない。

 

 人殺しの心もまた千差万別であって、それぞれにどうあっても侵せない、犯せない聖域というモノがある。

 

 その聖域に、幼女はほんの少しだけ足を踏み入れている。その存在の異常さが、逆にレオに足踏みさせてしまっている。

 

 

 

 ──どうすればいい……どうすれば……。

 

 

 

 迷う、レオに……。

 

 

 

「ばうっ!!」「なっ!?」

 

「むん?」

 

 

 

 (かたわ)らにあった白い巨体が、飛び出した。

 

 

 



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epis33 : Nameless monster

 

()()()()()()()()()()()()()

 

The flower bloomed, hoping that it would be white.

Pure white, cloud-like white swaying against azure.

It was so beautiful and shining.

【どうか白くと望まれて、その花は咲いた】

【純粋な白、空を背に揺れる雲のような白。それはとても美しく、輝いていた】

 

The flower bloomed, hoping that it would be black.

Glossy black, as if painted with lacquer.

It was so beautiful and shining.

【どうか黒くと望まれて、その花は咲いた】

【艶やかな黒。漆でも塗ったかのような黒。それはとても美しく、輝いていた】

 

The song was sung, hoping that it would arrive.

Egos are infected, fever is prevalent,

People dance crazy for enthusiastic banquets, lie down and sleep.

【どうか届いてと望まれて、歌は唄われた】

【エゴは感染し、熱病は流行って、人々は宴で舞い臥して眠る】

 

The song was sung, hoping that it would alive.

Egos are infected, fever is prevalent,

Soldiers dance crazy on the enthusiastic battlefield, lie down and sleep.

【どうか届いてと望まれて、歌は唄われた】

【エゴは感染し、熱病は流行って、兵士達は戦場を駆け、臥して眠る】

 

The child was born, hoping for happiness.

The hands have warmth, The hearts have dreams.

It was so strong, majestic, and devoured the world.

【どうか幸せにと望まれて、子は生まれた】

【手にはぬくもり、心には夢。それはとても強く、雄々しく、世界を食べた】

 

The child was born, hoping for hatred.

The hands have firearms, The hearts have chaos.

It was so strong, majestic, and killed the world.

【どうか憎めと望まれて、子は生まれた】

【手には銃、心には混沌。それはとても強く、雄々しく、殺していった】

 

Something was born that no one hopes.

【望まれない何かが生まれました】

 

Something don't know if white is hoped or black is hoped.

No god, no teacher, no guide, no one loves.

【白くなればいいのか、黒くなればいいのか】

【誰も教えてくれません】

 

It was a muddy mess.

And there is no shape and no fixed form.

【それはドロドロのグチャグチャで】

【そして形も無く定型も無い】

 

It's something what feels nothing when it dance crazy.

【それは踊っていても何も感じない】

 

It's something what feels nothing when it kills others.

【それは人を殺しても何も感じない】

 

Wander without happiness, wander without hate.

【幸せもなく、憎しみもなく彷徨って】

 

It was just purely looking for something.

【ただ純粋に何かを求めていた】

 

But at the end, "something" thinks "something" .

【だけど終わりに、何かは思う】

 

You said you should be pure.

After saying that, you let go of you.

【潔しと貴方は言って、この世を儚んだ】

 

You were maybe pure.

You were maybe beautiful.

That end was maybe beautiful, too...

【貴方はきっと美しかった。その最期さえも】

 

This world where you have lost your beauty is ugly.

【美しい貴方の消えた世界はとても醜いんだ】

 

It looked like that.

It looked like that to me.

【そう見えた。私にはそう見えたんだ】

 

At the bottom of Gehenna,

where the flowers have been lost, I'm just alive ugly.

【花の消えたこの掃き溜めで、醜くただ生きている】

 

I wish, I wanted you to be alive.

Because you were the only one in the world to be beautiful.

【私は貴方に生きていて欲しかった。貴方だけが美しかったから】

 

I wish, You wanted you to be alive.

【私は貴方に生きていて欲しかった】

 

Why did I wish it beautifully?

Why did I wish it shining?

【どうして美しさ、輝きなど求めたのだろう?】

 

Why did I wish it...

【どうしてそれを求めてしまったのだろう……】

 

Why is this world I got so ugly?

【どうしてその果ての世界はこんなにも醜いのだろう?】

 

It looks like that.

It looks like that to me.

【そう見える。そう見えるんだ……私には】

 

It must be a song, a monster song that no one wanted.

【それはきっと歌、誰にも望まれなかった怪物の歌】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<レオ&マイラサイド>

 

「ばうっ!!」「なっ!?」

 

 レオの(かたわ)らにあった白い巨体が飛び出す。

 

 おそらくは六十キロ(60kg)を超えるだろうその体躯が、レオの「無敵」に勝るとも劣らないようなスピードで幼女へと向かっていく。

 

「むん?」

 

 幼女、リッツは慌てて懐から泥団子を取り出そうとするが……遅い。

 

「がうっ!!」

「んぐっ!?」

 

 ベールに半分隠されていた首筋、あまりにも細いそこへ、マイラの牙が……食い込む。

 

「マぃ!……ぁ」

 

 レオはマイラの、その名を呼ぼうとしてハッとなる。マイラは王都では有名な犬だ、今はメイクをしてメイド服も着ている自分とは違い、その存在はすぐにラナと結び付けられてしまうだろう。

 

 人がこんなにも死んでいる事態の中心にあって、その名を呼ぶのは得策ではない。

 

「ぐるるるるるるるるるるる」

「あ、あ゛、ああ゛……」

 

 見れば、マイラのタックルを受け、石畳へ仰向けに倒れた幼女には、マイラの巨体が覆い被さっている。なにかを噛んだたまま首を振るその仕草を見れば、幼女の首の骨など既に折れてしまっていたとしても、何の不思議もなかった。

 

 大型犬が幼女を噛み殺している……これはこれで衝撃的な光景……だが。

 

「【もう……だからいたいのは、キライなんだってばぁ】」

 

 その、マイラ(の前足)よりも細い手が、ゆらりと持ち上がる。

 

「なっ!?」「きゃぅ!」

 

 弾かれたように、マイラが飛び退く。

 

「わんっ!」

「え?」

 

 そしてその身体はレオの方を向いて、「あっち! 少し右の方! その上を見て!」とでも叫ぶかのような仕草で、レオへと吠える。

 

「お前、何を……」

「わぅん!!」

 

 有無を言わさぬその勢いに、レオは幼女から視線を逸らしその向こう、右斜め上の方に注目をした。その時、マイラの様子になにかちくりとした違和感を覚えたが、それはもうほとんど反射的な確認行動だった。

 

「……あれは」

 

 だけど気付く。見慣れた王都の風景にあって、それはごくごく僅かな変異。おそらくは五十ヤルド(45m)以上先、目立たない建物の、その屋上付近。そうと知って見なければわからないほどの、ほんの僅かな「はみ出し」。

 

 知らなければ、臭嵐(しゅうらん)で飛んできた何かが引っかかっているとしか思えないそれは、だけどラナの魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)が描き出す世界の罅割(ひびわ)れ、その黒い線だ。

 

 つまり、あそこに、ラナがいる。

 

「わんっ!!」

 

 目頭がジンとなりかけたレオを、マイラの声が引き戻す。

 

「お前……えっ?」

 

 目を離していたのは、おそらく五秒もない。

 

 だが、視線をマイラの方、幼女の方へと戻してみれば、そこにあったのは先程までとはまるで異なる光景だった。

 

 幼女が起き上がり、首から、なにか泥のようなものを垂れ流している。

 

 いや、垂れ流す……という表現とは、またなにかが違う。

 

 固形物であるとも、血のような液体であるとも思えないそれは、幼女の首から生えた触手のようだった。おまけに幼女の服はどこも赤黒く染まってはいない。それはなにかこう……ぶにぶにと(うごめ)き、まるでおかしなペンダントがそこにあって、水中でそれが、微妙な浮力を得てふよふよと漂っているかのようでもあった。

 

「【いたいのいたいの、とんでいけぇ】」

「なっ!?」

 

 そのナニカが……鞭のようにマイラへ向かって伸びる。

 

「わうっ!」

 

 だが予期していたかのように、マイラはそれを悠々と避ける。マイラは大型犬の、年齢的にはもう老犬の部類だが、その動きは俊敏で鋭い。いつも穏やかでのんびりしたマイラしか見てなかったレオは、その動きにも目を(みは)らされる……が。

 

「【あれ? よけられちゃった】」

 

 ゆらり、動く幼女に、それどころではないと思い直す。

 

「……人間じゃ、ないってことか」

 

 レオは直前にちくりと感じた、違和感の正体に気付く。人間の首を噛んだにしては、マイラの顔、口元は綺麗過ぎた。それはそう、幼女からは、血の一滴も流れなかったのだというかのように。

 

「ひ、スライム……こ、こいつ……ぎ、擬態型のスライムじゃないか」

 

 いまだ事切れぬ、下半身がグチャグチャになったまま、ナメクジのように這い回っていた男が言う。

 

「擬態型の、スライム?」

 

 レオの知識には無い、それは怪物(モンスター)の一種。

 

 成長するに従って無機物から小さい動物、大型の動物へと擬態するモノを変えていく不定形のバケモノ(アモルファステラー)。人に化けることは稀だが、化けた場合は人間の幼児並の知能を持つ。

 

「【きたないのは、いらな~い】」

「ひっ!?……ぎ、ぅ……」

 

 その首から伸びる泥色の粘体が、今度は針のようになって伸び、既に瀕死の状態だった男の頭を、しかし無慈悲にも貫いた。男性は数秒だけビクビクと身体を震わせ、そのまま事切れる。

 

「なん……なんなんだアレッ」

「わ゛んっ!! ぐるるるるるるる……」

 

 あまりといえばあまりの事態に、一瞬呆けていたレオの理性を、マイラの大型犬らしい迫力のある咆哮(ほうこう)が叩き起こす。

 

 自分に背を向け、幼女へと牙を剥くその姿を()、レオは直感的にその意図を察した。

 

「……ここは自分に任せて、ラナの元へ行け?」

「わんっ!」

 

 問えば、言葉がわかっているかのように返事が返ってくる。

 

 ここまでレオを導いてきてくれたマイラ。おそらくはラナの臭いを辿ってであろうが、それ以前にどうしてラナの窮状(きゅうじょう)が、(いえ)にいたであろうマイラに伝わったのか、それがわからない。レオの脳裏に、犬とはこれほどに賢いものであっただろうかと一瞬の疑問が湧くが、もうここに至ってはそのようなことなど、どうでもいいのだと思った。ラナと長い時間を過ごしてきたマイラだ、その間に、なにか特別な奇跡が宿ったとしても不思議ではない。

 

一分(いっぷん)、付き合う」

 

 だから、レオもその奇跡に賭けたいと思った。

 

「……わぅ?」

 

 ラナの魔法は最強だ。発動したのなら、解除されるまで彼女は無敵のはずだ。

 

 ラナの魔法、その制限時間の長さは今もなお不明だ、それだけはいまだレオも知らない。だが少なくとも四、五分程度もつことは経験からわかっている。幼女が現れるまで、前方にあのようなものは見えなかった。なら、発動してからまだ二分も経っていないはずだ。

 

「僕が、行く」

「……わぅ」

 

 だから一分、レオはマイラに付き合うことにした。

 

 それくらいなら、呼子笛(よびこぶえ)の召集に応じ駆けつけてくる警官もまだ、少ないことだろうから。

 

 レオは剣を、ここに至ってもふんわりと笑う幼女へと向ける。

 

「……いくよ?」

「【あそんでくれるのぉ?】」

 

 それは、相手が人間ではないと判明したから斬れる……という話ではない。

 

 今だってレオは、彼女(?)が警邏兵(けいらへい)を殺したことに憤慨などは覚えていない。レオにとって警邏兵とは自分を追いかけ、自分の生存を邪魔してきた相手だ。親しみなど無い。

 

 別に、殺したいとは思っていなかったし、実際、今まで警邏兵、警官を切り殺したことなどもない。その能力があったにも関わらず、だ。

 

 だけどそれも、面倒事が増えるから避けていたというだけのことであり、警官を尊敬していたわけでも、尊重していたわけでもない。レオにとって、本来感情移入したくなるのはむしろ目の前の怪物のように……誰にも、何者にも理解されないような生態を晒す……ある意味では孤独なイキモノの方であるとさえ言える。

 

 しかしここに至ってレオは思い出した。

 

 再認識したと言ってもいい。

 

 ラナは、自分の大切な人で。

 

 マイラは、そのラナを護ろうとする相棒であり……先輩であるのだと。

 

 マイラは迷わない。目の前の幼女が、たとえ本物の幼女であったとしても、それが自分達の道を遮り、人を何人も殺した時点で、「敵」と認識して飛び掛っていたことだろう。

 

 怪物には怪物の、そこにいて人を殺す理由があるのかもしれない。もしかすれば、誰か力のある人間にそれを強制、または誘導されているのかもしれない。無垢に人を殺すこのバケモノには、実はなにも責任が無いのかもしれない。

 

 だが、ここに至ってはその全てを斬り捨てるべきだ。

 

 これに感情移入……してはいけない。

 

 レオはマイラに、そう言われた気がした。

 

 自分よりも長く、ラナを見守ってきた先輩の()()だ。

 

 ラナの窮状を察して、正しく自分をここまで導いてくれた、信頼できるパートナーの()()だ。

 

 ならばここは、それを信じるべきと思った。

 

 だからレオは幼女、あるいは怪物を殺す。そうすべきであると決意した。

 

 犬を信じ、自分の全てをそこへ預けるのは、なんだかとても懐かしい行為であるように思えた。この生では初めてのことなのに、なぜだかそうではないのだと思える。

 

「手を出さないで。これからの僕は、ただの剣だ」

「わぅん」

 

 やはり言葉がわかっているのか、マイラは前足を折り曲げながら大人しくレオの後ろへと下がる。

 

 まるでレオの無敵を知り、この場の決着をそれへ預けたような格好だ。

 

 信頼してくれているのだと思った。

 

 なら、もう殺意に感情などは乗せない。自分はただの剣だから、それに必要なことだけをただ、()す。

 

 だからただ、殺意がそう求めるままに、剣を構えた。

 

「【こないのぉ?】」

「いくさ」

 

 レオに、幼女の言葉はわからなかったが、真剣に対峙すれば通ずるモノというのはある。ひとつの、それぞれ別の言葉しか知らぬ者同士。だがふたりはどこか似ている。どちらも幼く、その半生は人らしい生き様ではなかった。人を殺してきた。今もその地獄にいる。地獄で、だけど今は人として生きている。

 

 ──ああ、死ねば皆、天国に行けるならいいのに。

 

 人殺しは、だから救いの無い世界で祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪物(リッツ)視点>

 

 それを、うつくしいと思った。

 

 どうしようもなく、りふじん? なまでに美しいと思った。

 

 悲しいほどに……うつくしいと……思ってしまった。

 

 

 

 ああ……壊れていく。

 

 

 

 自分が、壊れていく。

 

 

 

 嬉しいと思う。

 

 あるいはもう楽しいとさえ思う。

 

 

 

 少年の剣がひとつ、振られるたび、自分が壊れていく。

 

 

 

 私のナカに、なんどもなんども、絶対にとめられないモノが入ってくる。

 

 

 

 私をうばっていく。

 

 

 

 どうにもできない。

 

 

 

 こんなのもう、どうしようも、できないよ。

 

 

 

 あ、あっ、あぅ、あっ、あ。

 

 

 

 それはもう、最初の何回かで察した。

 

 泥爆弾……泥へリッツの身体そのものをこねこねして、小規模な爆裂魔法とするリッツ最大の攻撃手段……を投げようとも、その瞬間に、対象であったはずの少女の身体はツインテールを揺らし、爆裂の範囲から外れてしまう。

 

 犬に噛まれたことで擬態が(ほど)かれてしまったその触手を、錐のように打ち出そうとも当たらない。

 

 直線的なその攻撃は、最小限の動き、それだけで(かわ)されてしまう。

 

 ここに至るまで必勝、あるいは必殺であったリッツの攻撃は、もうなにも通じなかった。

 

 ああ、見せすぎちゃったかな……と思う。始末しろと言われた相手が、ぜんぜん強そうに見えなかったから、遊びすぎちゃった。

 

 少年は、爆裂範囲を完全に、はあく? していて、それをかんぺき? に避けながら、自分のこの身体を削っている。

 

 ()()()でもよく見た、ヒーロリヒカ鋼の剣。

 

 青く光る部分と赤く光る部分が木目状に交じり合った刃紋。

 

 自分の今の支配者も使っている逸品、高級品。

 

 それが翻るたびに、自分が身体が小さくなっていく。結節点(ノード)が身体ごと持っていかれてしまう。切り離されたそれは孤独の中でみんなみんな朽ち果てていく。

 

 あの()の姿を模したこの身体が、ほうかい? していってる。

 

 

 

 それは、だけど、それだけは悲しいと思った。

 

 

 

 あの()だけが美しいと思えたから。

 

 

 

 うつくしいものがきえてしまうのはかなしいから。

 

 

 

 リッツ……人を殺すため生まれ、人を殺すため育てられた……ここよりもふかい、ここよりもくらい、地獄に咲いていた少女。その名を継ぐ自分は、ずっと人を殺すためだけに存在していた。

 

 そういうバケモノを、あの国はたくさん飼っている。

 

 ヒュドラ、コカトリス、バジリスク、キマイラ、ワイバーン、自分と同じような不定形のバケモノ(アモルファステラー)

 

 オーク、ラミュア、アラクネなどの敵性亜人(てきせいあじん)も、数こそ多くないがじゅうぞく? していた。

 

 なんのためにそんなことを……と思うけど、答えは誰も与えてくれなかった。

 

 理解する時間も、もう無い。

 

 今更、もう無い。

 

 自分はここで終わる。その先が無限の闇なのか、それとも地獄とやらなのか、あるいは何も無い完全な無であるのか……まぁ、その答えは、どうせ数分後にはわかることだろう。

 

 

 

 この剣はうつくしい。

 

 

 

 少女……いや、これは少年?……の肉体が跳ねるたび、青と赤の軌跡は円を描き、自分を削っていっている。その際に跳ねる金色のツインテールがキラキラしていてキレイだ。

 

 何をどう抵抗しようとも、もう何もできない、敵わない、どうしようもない。

 

 ただもう、野鳥に(たか)られる死骸のように、自分が小さくなっていく。

 

 

 

 だけど、それはもう、あの()が死んでからずっと見ていなかったうつくしさだ。

 

 この剣は、その軌跡は、うつくしい。

 

 

 

 まるで、花みたい……と思った。

 

 

 

 少年の描く軌跡は、まるで花のようだと思った。

 

 

 

 擬態、したくなる。

 

 

 

 あの剣のように、うつくしくなりたいとおもう。

 

 

 

 けど、ムリ。

 

 

 

 これは理外。自分には理解できないナニカ。

 

 擬態型のスライムであっても真似できないナニカ。

 

 そうであることに、ガッカリする。

 

 

 

 ああ、あの()とは違うんだ……と思う。

 

 

 

 ああ、この()とは違うんだ……と思う。

 

 

 

 蟲毒(こどく)だからと殺しあわされていた、この相貌(そうぼう)、本来の持ち主。今の今まで、世界でうつくしいのはあの()だけだと思っていた。

 

 

 

 出会ったのは、じめじめした、光の届かない地下。

 

 同じような境遇で育ち、同じように生きてきた仲間達。

 

 同じような境遇で育ち、同じように生きてきた子供達。

 

 それを数十人と集め、殺しあわせ、最後に残ったひとりを、その段階からあんさつしゃとして仕込む。

 

 あとからそれは、蟲毒(こどく)という、そういう儀式なんだと教えられた。楽しそうなマルスと、渋面(じゅうめん)を作るアルスに教えてもらった。

 

 

 

 少女(リッツ)はその、最後まで生き残ったひとりだった。

 

 同じような境遇で育ち、同じように生きてきた同年代の子供達を、何十人と殺して最後に立っていたひとりだった。

 

 少女(リッツ)は泣いていた。

 

 何十人もの()()を殺してしまったことに、泣いていた。

 

 こんなはずじゃなかったと、己の運命を呪っていた。

 

 大虐殺の果てに、自分は人など殺したくなかったのだと気付き、泣いていた。

 

 

 

 

 

 うつくしいとおもった。

 

 

 

 うつくしくなりたいとおもった。

 

 

 

 だから岩に擬態して、その場にそんざいしていた()は、心趣(こころおもむ)くままに、彼女へと擬態して、岩肌から離れた。

 

 

 

 血塗れの姿を、そのままに擬態して、オリジナルの彼女の前にぬっと立ってみた。

 

 

 

 鏡像のような私を見、ヒクと一度だけしゃっくりをした少女は、ぽつりと言った。

 

 

 

 殺して……と。

 

 

 

 あなたは天使? それとも悪魔?

 

 私にはもうなにもわからないけど、お願い、その姿で私を責めないで。

 

 その姿の私を、この私に見せるのはどうかお願い、やめて。

 

 あの子の、その子の、この子の血で染まる私の姿を、私に見せないでほしい。

 

 

 

 どうして? きれいなのに。

 

 

 

 いや! 汚い! 汚くておぞましいよ!

 

 こんな風に汚れていくなら潔く死んでしまいたいよ!

 

 生き残ったのは私、だからみんなを殺したのも私。どうしてそんなことになったのか私にもわからない。わかるのは、時間をもし、ここへ連れられてこられた時点に戻せるのなら、私は迷わず最初の犠牲者になる。誰の死ぬ姿も見ないまま、死んでしまいたい。

 

 

 

 だけど結果は出て、それはもう覆らないから。

 

 

 

 この記憶が、私から消えてなくなることはないから。

 

 

 

 だから殺して。

 

 

 

 お願いだから、もう殺してよぉ……と……彼女はそう言って……しくしくと泣き続けた。

 

 

 

 どうしていいか、私はわからず、もう、やりたいことは無いの? とだけ聞いた。

 

 

 

 わからないと言われた。

 

 

 

 じぶんはあんさつしゃになるために育てられたから、生きてすべきことは人殺しだけなんだと、汚いと言う割に、身体に付着した血を一滴すら拭おうともしないで、まるで彼女はぜつぼうを、うたうように言った。

 

 

 

 じゃあ、それを私が、やってあげるよと言った。

 

 

 

 血塗れの少女はうつくしかったから、少女に擬態し続ければいつか自分も、うつくしくなれるかもしれないと思った。

 

 

 

 うつくしくなりたいとおもった。

 

 

 

 私は彼女のように、うつくしくなるためにうまれたんだと思った。

 

 

 

 私の代わりに、生きてくれる?

 

 

 

 うん。

 

 

 

 それで、契約はかんりょう。

 

 

 

 少女は、ありがとう、おねがいねと言って、持っていたナイフで、自分の首を掻っ切って死んだ。

 

 

 

 最後に咲いた血の噴水、その花を、私はやはりうつくしいと思った。

 

 

 

 それからずっと、私は彼女の代わりに人を殺して生きてきた。

 

 蟲毒(こどく)を生き残ったイレギュラー、それを面白がったマルスに引き取られて生き、殺して、殺して、殺して、殺してきた。

 

 少女の身体を模したその目で見た世界は、だけどきたなかった。

 

 みにくかった。

 

 だけど殺し続けていれば、いつかまたうつくしいものに出会えると信じて、殺し続けてきた。

 

 時にいたいいたいおゆうぎに付き合わされ、()()をぶっ殺して怒られたりもしたけど、当たり前のように結果が得られなかったそれはすぐに棄却されて、私は人殺しに戻った。

 

 そうしているうちに、人間は、そのほとんどがみにくいんだなって気付いた。

 

 彼女だけがれいがいだったんだと思った。

 

 だから半分、もう諦めかけていた。

 

 けど、もう半分で諦め切れなかったから、ただただ人殺しを続けていた。

 

 みにくいものを殺すのは、たのしいたのしいおゆうぎでもあった。

 

 

 

 みにくさに、絶望しきったら、彼女のように泣けるのだろうか。

 

 

 

 心のひとかけらでそんな風に思いながら、生きてきた。

 

 

 

 うつくしくなりたいとおもった。

 

 うつくしくなりたい。

 

 うつくしく死にたいとおもった。

 

 

 

 

 

 今……ここでそれが成る。

 

 

 

 ああ、ここに今、花が咲いている。

 

 

 

 人殺しの花が咲いている。

 

 

 

 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺す意思しか持たない、純粋な人殺しのうつくしさがそこにある。

 

 

 

 加害者である少年と、被害者である私がペアを組んで踊る、死のダンス。

 

 

 

 ああ、私はもう私を保てない。

 

 結節点(ノード)を失いすぎてしまった。

 

 だけど後悔はしていない。私は私が、どうして彼女をうつくしいと思ったのか、その理由をずっと知りたいと思っていた。それが今、わかった。

 

 私は彼女に、殺されたかったのだ。

 

 殺したことを悔やみ、その傷を一身に受け、泣いている彼女の、その()のひとつに、私はなりたかったんだ。

 

 だってその()は、とてもうつくしいとおもえたから。

 

 だから惹かれた。うつくしいとかんじ、近付きたいと思った。

 

 私はあの時、鏡像のような私を、少女が斬り捨ててくれることを期待して、ナイフを手放していなかった彼女の前に、だから許されぬ姿で現れたのだ。

 

 彼女なら、何のために生まれたのかもわからない私を、その心の片隅にでもしまっておいてくれると思ったから。

 

 

 

 だって、私は期待している。

 

 

 

 こうして花のように私を殺しきる少年に、私は期待している。

 

 どうか私のことを、覚えておいてと祈っている。

 

 誰にも望まれず、自分自身、何のために生まれたのかもわからなかったこの私のことを、覚えておいてほしいと、(こいねが)っている。

 

 

 

 じめじめした地下に発生して、本能の趣くまま、食欲の趣くまま、あるいは心の趣くままに生きてきた私は、何の意味も持たないセイブツだった。生きる意味のないセイブツだった。

 

 

 

 身体はいくらでも変形することができた。

 

 身体は不定形だった。

 

 

 

 だけどもう心が変えられない。

 

 

 

 私は死にたかった少女に擬態して、その望みどおりここでうつくしく死ぬ。

 

 

 

 私は私が私でなくなる最後の一瞬に、ああ……満足だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<レオ視点>

 

 意識が戻る。

 

 その瞬間に見たものは、笑顔。

 

 首だけになった幼女が浮かべる、満面の笑顔だった。

 

 チョコレート色の長い髪を波打たせながら、その首が落ちる。頭部の一部も既に欠けていたが、そこから脳漿(のうしょう)のようなものが零れることはなかった。

 

 斬り、千切ってばら撒いたその身体は、もう泥色ですらなく、様々な色のゼリーのようになって石畳に転がっている。その様は、ペクチンゼリーをふりかけたチョコバナナのようにも見える。

 

 それへ、これはやっぱりバケモノだったんだなと再認識する。

 

 感情移入はしない、その生き様に想いを寄せたりはしない。

 

 だけど。

 

 理解できないそれを、自分はきっと忘れられないのだろうな……とも思った。

 

 それは僕にもラナにも、どこか似ていたから。

 

 どうしてそう思ったのかは、よくわからない。

 

 もしかしたらたったひとり、普通も常識も良識も無い世界でただなにかを求め、生きていたように見えたからかもしれない。その果てにあるモノの、それはひとつの形だったのかもしれない。なんとなくそう思う。

 

 だって僕も、もしかすれば僕達も、そういう意味ではバケモノなのだから。

 

『そして君の中で物事の価値基準が強いか強くないか……それだけというなら、君はもうきっと何も学べない。戦って戦って、死ぬまで戦い続けるしかなくなる。それがいいなら、そういう風に生きたいなら、僕は面倒見切れないよ?』

『えらっそうに。戦って戦って死ぬまで戦うのの何が悪いっていうんだ』

 

 なぜか浮かんでくる、ラナの叔父さんの言葉を振り払うかのように、僕は首を振る。

 

「わぉんっ!」

「わかってる……いこう、ラナのところへ」

 

 感傷は、あとだ。

 

 そんな時間は、今の僕達にはない。

 

 警備兵の何人かが、目の前で繰り広げられた斬殺による惨殺シーンに、再びの呼子笛を吹いている。それはもう狂ったかように、ピュルピュルと(うるさ)い。それはその音に反応して街のあちこちから聞こえてくる鳴り物の音とも相まって、不協和音の嵐の様相を(てい)していた。

 

 僕は走り出す。マイラを伴って駆ける。

 

 

 

 僕は人殺しだ。

 

 だけどもう、あの時のような……僕の縄張りで女の子を取り囲む……逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)のようなことをしている七人(しちにん)を見つけたあの時のような……衝動的な殺意ではない。

 

 あの時は心底うんざりしていたから。

 

 どこも壊れていない……ようにその時は観えた……その場には相応しくない女の子が怯えていたから。

 

 僕はただ、暴れたいだけだったのかもしれない。

 

 理不尽が理不尽を生んで、運の悪い誰かに全てを押し付けるこの世界を、壊したくて。

 

 女の子が、ラナが、仮にそれを望んでいなかったとしても、そんなことは知ったことではないと思っていた。だから問答無用で襲ったのだから。あの時の僕は狂犬だった。

 

 

 

 ちょっと頭のおかしいラナは、そんな僕に自分と家人(かじん)の命、全てを預けるという、今にして思えばだいぶ頭のおかしい賭けに出て、僕を洗い、ご飯を食べさせてくれたけど。

 

 

 

 やっぱりそれは、だいぶ本当に、とても危険なことをしていたんだと思う。

 

 僕の側から見ればそんなことは無くても、狂犬のようだった僕のどこに、それだけのモノを賭けられる要素があったというのだろうか? ラナ以外の誰がそんな選択をしてくれただろうか?

 

 

 

 ラナは僕に騙されてくれた。

 

 騙されたまま、僕を人として扱ってくれた。

 

 

 

 始まりは、勘違い。

 

 あるいは嘘、幻想(ファンタズム)

 

 だけどその嘘は僕に染み込んだ。

 

 幻想を吸い、共有して僕は変わった。ラナに変えてもらった。

 

 

 

 僕はラナが信じてくれる僕でありたいと思った。

 

 

 

 ラナが信じたのは、賭けたのは、僕がラナを護るという幻想。

 

 

 

 僕もそれを信じたい。

 

 

 

 だから……どうか無事で。

 

 

 

 祈りながら、不協和音鳴り響く王都を、僕は駆け抜けた。

 

 

 











 ※冒頭の詩について

 作者は英語が得意ではないため、英語的におかしな部分があるかもしれません。

 これは前作で没ったモノを一部改変して使いました。元は「リッツ」と同じ人型スライムの「ルカ」というキャラクターを構築する上で描いた、イメージスケッチのようなものです。

 前作は諸々が母性父性親子愛で動いている世界観であり、「ルカ」もある種、母性的なキャラの予定でしたが、それらは今作で敢えて排している要素であるため、「リッツ」も「親」の気配のないキャラクターとなっています。妊娠することの無いエロいお姉さんというのとの二択で、天涯孤独なロリとなりました。

 今作の世界を動かしているのは「ラナとレオ」「ツグミとナガオナオ」に代表される(ある時は共依存的な)パートナー同士の関係であったり、そこかしこへ悪趣味にばら撒いてる性欲、性愛の混乱と暴走だったりします。「リッツ」はこの二択から、前者を選んだ感じです。

 レオはリッツに感情移入しかけ、それを振り払っていますが、この時点におけるレオがリッツと根本的に違うのは、パートナー、感情の移入先、依存先がまだ生きているということです。それは繋がりが断絶されていないということです。一方的になる前に、いくらでも修正が効くということでもあります。

 それが(一番最初に)失われてしまった「リッツ」は、だから不定形のバケモノでありながらも「だけどもう心が変えられない」キャラクターであり、自分の中で偶像化された少女への憧れだけに生き、そのままに死にました。書いてから新●界よりの日●光風みたいだなと思った。




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epis34 : shadowgraph doesn't laugh

 

<ラナ視点>

 

「さあ……答え/てくださいっ」

「これが、姫さんの魔法かぁ……空間支配系魔法?……いや、それにしたって異質だが」

 

 男に致命傷を与え、追い詰めたのは私。

 

 そのはずだ。

 

 だけど、その私が、逆に追い詰められたような(かす)れた声で喋り、もはや生存の芽は断たれたはずの男が妙に落ち着いている。

 

 この逆転構造はどうしたことだろうか。この魔法が発動した時点で……私の勝利はともかくとしても……相手の負けは決まっているはずなのに。

 

「聞くけどさぁ、受けた傷の深さにしては、身体の異常がおかしいんよ……なんか変な言い回しになったけどよ、腹を刺され吐血までしてるのに、今はもうそこまで苦しくないってぇ……もしかしてこれ、俺、助かったりする? お姫さんは、治療院みたいな魔法も使えるのか?」

「……お姫さんって/何です」

 

 どう答えるべきか、悩む。

 

 相手の負けともかくとしても……私の勝利はこの男から諸々の情報を得ることが必要となる。それができなければ、それはもはや引き分けのようなものでしかない。

 

 情報を得るためには、相手に希望を与えなければいけない。命と引き換えに情報を()けと、嘘を突き付けていかなければならない。

 

 だが。

 

「あー……いいや、もうわかった。そうか、俺はもう助からないんだな」

「え?……」

 

 だけど男は、そんな私の逡巡(しゅんじゅん)を一瞬で見切ったようで、異常とも思える速度で自分の生存を諦めた。人間とは、そんな簡単に希望を手放せる生き物だっただろうか?

 

「人生八十年、生きるつもりだったんだけどなぁ……せめてそこでジジイに勝った気になって、死んでいきたかったぜ。まぁアイツはいつも治癒魔法の使い手を連れている。こんな傷じゃ死なねぇが」

「何を……言っ/ているのですか?」

「遺言でもないぜ? ただのボヤキだ……よっと」

 

 男が全身に、力を込めようとしたのがわかる。脳からその指令が出たことを感じる。だけど私はその通過を許可していない。させない。男の励声(れいせい)はそれにより何も変えられず、引き起こせず、空しい響きとなって空間に消えた。

 

「あー……完全に囚われた、か……この黒い線が、そこを切断予定ってことかい? それにしちゃあ、姫さんにも入ってるが……おぉ?」

 

 自分の頭部、左耳の下から鼻の中央を通り、右耳の上へと抜けていく黒い線を、操作して消していく。さすがに頭部が分割されているという状態は、問題がないとわかっていても気持ちが悪い。自分の(身体の)首から上の空間だけは結合しておく。

 

「空間支配系魔法は発動させたら終わり……か、なるほどなぁ」

「……どうしてそんなに、落ち着いているんですか?」

「ぁん?」

 

 ()える範囲に、男の仲間らしき人間はいない。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)が割る空間は、通常私を中心に半径およそ十メートル(10m)。これは、縦に考えると三階から四階建ての建物と同じということになる。

 

 今回はその範囲をフルに使った。私が視認できない部分の割れは、できる部分に比べ、曖昧な割れ方になるけど、それでも屋外の空間のいくつかは支配できている。

 

 この建物は二階建てだったようだ。私が連れ込まれたこの部屋はその地下一階にあった。地下二階には狭い牢屋らしきモノが視えたが、誰もそこに囚われてはいない。というか、建物の全ての部屋を観測できたが、人はこの部屋以外には誰もいなかった。建物の近くにも、男の仲間らしき人間は確認できない。

 

 この男はひとりだ。ひとりで、ここにいる。

 

 ……あの、右耳が一部欠けた女性は、どうしたのだろうか?

 

「死ぬのが……怖くないんですか?」

「ああ……怖いとか怖くないとか、そのレベルの話?」

「そのレベル、って」

 

「なぁ姫さん、アンタはさ、将来子供が何人くらい欲しいって思ってる?」

「……は?」

「十人とか二十人とか、あまり大人数は望まないことをお勧めするよ」

「……何の話ですか?」

「よく言うじゃん? 子は宝、子を産み育てることこそ女の幸せとかどうとか」

「……だから何の話をしているのですか!?」

 

「何事も、過ぎれば毒になるって話さ」

 

 珍しいモノでも見るかのような視線が、私……の肉体がある空間……の方へと向く。

 

 その視線に(にお)いは感じない。

 

 男は、性的な悪臭を、なにひとつ放ってはいない。

 

 まるで、女性の身体を、憐憫するかのような視線だった。

 

 なぜ……そのような視線を向けられなければならないのだろうか?

 

「まったく……どいつもこいつも()に狂いやがってよ」

 

 ふてくされたようなその呟きに、頭がカッとなる。

 

「わけのわからないことを言ってないで! 私の質問に答えてよ!!」

 

 どうしてここに至ってもなお、自分こそが被害者なのだとでもいいたげな態度なのか。

 

 確かに、私はこの男を刺した。そういう意味での加害者は私だ。

 

 けど、そうしなければいけない状況まで追い込んだのは誰かという話だ。

 

「あなたは誰に雇われてこんなことをしたの!?」

 

 口から、まくし立てるかのように言葉が飛び出していく。男の、依頼主は誰で、何の目的で私を(さら)おうとしたのか、今日ここへ私を誘拐させ、その上でわざわざ助けたのは、いったいぜんたい何をどうしたかったというのか、残存戦力はあとどれくらいあるのか、男が死ぬことでなにか状況に変化は起きるのか、レオ……一緒にいた女の子はどうするつもりだったのか、そういうことを、私は、荒っぽい言葉で男へ詰問した。

 

「……ヒステリックな女に刺されて終わり、か。ジジイこそそうなれって(しき)りに呪ったモンだがよ、まさか、自分がそうなるとはなぁ。人を呪わば穴ふたつってか? これが神様とやらの采配か。なんともまぁ、皮肉が利いているってモンだぜ」

「ヒステリックな女、ですって?」

 

 本当に何を言っているのだ、この男は。自分が何をしたのかわかってないのか、王都においては重罪である人身の誘拐、それに関わったのだ。裁かれればおそらく極刑は(まぬか)れない。

 

 この男は、死んで当然のことをしたのだ。そうだ……そうだよ……。

 

「おいおいお姫さんよ? これから刺されて死ぬ男が、刺した女に置き土産を(のこ)して()くとでも?……いやまぁ……残してやってもいいんだが……実は俺、ここで死ぬとは全く思ってなくってさ、何をどう言い残すのが適切か、なーんも考えてなかったんだわ。頭に浮かんでくるのはボヤキばっかでよ、俺の人生はなんて下らなかったんだ、俺はなんて下らない人間だったんだ、ってな。ホント、つまんねぇ人生だった」

「だったら私の質問に答えてくれれば……」

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、お姫さんよぉ? だーから、お姫さんの質問に答えて俺に何か得があるか? 俺がここからいい人生だったって満足して逝けるような、そんな質問でもしてくれんのかい?」

 

 理解できない。()()く男の言っていることがなにも理解できない。この男の精神は私の理外にある。

 

「あ~あ、それにしても、二択を外すとはなぁ、なぁ~にが強者には独特の落ち着きがある、だ……いや……時間を稼ぐためには必要か?……なら、あっちは……」

「無視しないでください!」

 

 もういい、こんな男はさっさと始末してレオと合流しよう……そう思う心がある。

 

 反面、何の情報も引き出せずにこの男を死なせてしまったら、私は何の意味もなく人を殺してしまったことになる……それは嫌だと、そう思う心もある。

 

 どちらも、間違っている気がするけれど、だからといって正解を(ささや)いてくれる誰かはここにはいない。

 

 だから私は間違い続ける。罪を重ねていく。

 

「……殺しますよ?」

「あん? もう殺されてんだろ、俺」

「苦痛を与えて、殺しますよ?」

「だから今更何を言って……うっ、ぐ」

 

 痛みを、繋げる。

 

 私が刺し、傷付けた肉体。そこから発せられる「痛い」という脳への信号。魔法発動後、遮断していたそれの「通行」を、ここにおいて「許可」する。

 

「痛い、ですよね? 尋問をするのに邪魔だと思ったから、無くしてあげていただけです」

「が……ぐぼっ……」

 

 再びの吐血。男の表情が苦痛に歪む。息苦しそうだ。胸腔内(きょうくうない)の気圧変化かなにかの関係で、肺が潰れていっているのだろう。

 

 そうしている間に、遠くから再び、鳴り物か何かの音が聞こえてきた。しばらくして……また。ある種、命の恩人でもあるその音だが、こうも連発されると(うるさ)い。なんだか無性に耳へ(さわ)る。

 

「がっ……ひゅ……ひっ……」

「わかりま/したか?」

 

 三十秒ほど、その音を聞きながら男の苦しむ姿を見て、元の状態に戻す。

 

「いい人生と満足し/て逝けるような質問? 莫迦(バカ)な/こと言わないで下さい。そんなことをして私に何か得/があるのですか? あな/たにできるのは、せめて安らかに逝けるよう私/の機嫌をとることだけです」

「は……はぁ……ぐ……やってくれるじゃねぇか」

 

 男の顔色が、土気色と紫の丁度中間のような、奇妙な色になっている。死相といえばそうなのだろうが、じっと見ていたいものではない。自分の暴力によってそうなったと知っている状況では特に、だ。

 

「つーか、なんでおまえの声に……俺の声? だよな、これ……が混じってんだ」

「今更、そこ/ですか?」

 

 それは私も知らない。そういう仕様なんだと言う他にない。

 

「それに答/えたら、私の質問にも答えてくれま/すか?」

「いやぁ、別にそこまで知りたいわけじゃあ、ないなぁ……」

 

 ぜーはーと息を荒くしながら、男はここに至っても、しかしまだ冷静のままだ。

 ブレぬその姿が、妙に憎たらしく思える。本当に死ぬのが、怖くないのだろうか。

 

「それよりよぉ、いいのかい?」

「……なにがですか」

「空間支配系魔法には、制限時間があんだろ?……あんた、も、さ」

 

 と、男は私の肉体がある空間へ視線をやり。

 

「自分の身体がそのままだと、バラバラになっちまうんじゃねぇの?」

 

 なぜか私の方を心配?……するようなことを言う。

 

「余計なお世話です」

 

 その心配は、だけど不要だ。

 

 確かに、なんらかの手段で今この瞬間に、この空間支配が完全に(ほど)かれてしまったとしたら……私の肉体もやはりバラバラになってしまうだろう。

 

 でもそんなことは起こり得ない。起こるはずがない。なぜなら……。

 

「……リッツの爆発音が、聞こえなくなったな」

「……え?」

 

 死相の浮かんだ顔で、だが男はここに来て初めて弱気な声を発した。

 

 気が付けば、外から聞こえてくる煩い音、その種類が変わっている。鳴り物の音の、その種類が減り、警官の呼子笛(よびこぶえ)が輪唱のように鳴り響いている。

 

「呼子笛?……どういうこと?」

「そうか、リッツは死んだか……もともと、使い捨てのコマだったっちゃあそうだがよ……あっちのガキも、アイツが言った通り、強者は強者だったってぇことか……」

 

 どうしてか男の声に、ここにきて急に悲しみであるとか、(あわ)れみであるとか、妙に「人間らしい」色が混じってくる。

 

 私はこの男性を理解できない。何も理解できない。殺してしまった今となっては理解したくもない。私がこの男を刺せたのは、この男が「警邏兵の偽者」であり「誘拐犯の一味」であると確信できたからだ。自分の命が、未来が脅かされていたとしても……どれだけ嫌な(にお)いが発せられていたとしても……相手が真っ当な人間であるなら、誰に対しても正しく振舞おうとする人間であるのならば、それを刺していい、殺してもいいなどとは思えなかっただろう。

 

 だから思う。

 

 お願いだからここへ来て急に「人間らしく」ならないでと。

 

 私に、罪悪感を(いだ)かせないでと。

 

 私は、「外の様子」を窺おうと、罅割れ空間を操作する。この呼子笛の輪唱は何なのか、それを知らなければ危ういと急に思った。だけど、本当にしたかったことは、自分の罪から目を逸らすことだったんだと思う。自分が殺してしまった、殺してしまう「人間」を、もう見ていたくなくて。

 

「……え、レオ?……とマイラ?」

 

 だから、その姿を視界に捉えた時は、幻でも見たんじゃないかって思った。

 

 レオがここにくるのは、まだ理解できる。私は管理者のいない往来(おうらい)で攫われたのではない。安っぽい服屋さんで攫われたのだ。なら、その店主なり店員が情報を持っていたとしても不思議ではない。もしくは、レオの方にも刺客が向かったのだとしたら、そこから情報を得られることもあるだろう。

 

 ずっと待ち望んでいたことだし、そうであってほしいと祈ってもいた。

 

 だけど、マイラがなぜ?

 

 匂いを辿らせた?

 

 確かに、レオは私の着ていた服やポーチを持っていた……というか、(いえ)に戻れば私の匂いがするモノは大量にある。それらを使い、匂いを辿らせるなんてことも、でき……るの?

 

 マイラは警察犬ではない。番犬だ。老犬でもある。

 

 匂いを嗅がせ、追跡させるなんて芸当、仕込んでいるはずもない。

 

 ……どういうことなのか。

 

「……どうやら、ここまでみたいだな」

 

 ぼそり、元は粘っこかった声が呟く。今はもう粘っこさにも、すっかり力が無くなってしまっている。

 

「待って、レオ」

『ラナ!? やっぱりこの中かっ』『ぉぅん!!』

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)における空間間(くうかんかん)の断層、黒の線(正面から見た場合は半透明の(めん)になるけど)を触れようとしてるレオに、私は制止を促す。

 

 別に、それに触れたからといって、レオの無敵みたいにスパッと物が斬れるなんてことにはならない。ただ、私が許可していない物は通過できないだけだ。それでも、私が解除する瞬間にそれへ触れると何が起こるかわからない。つまり、絶対に何も通さない壁へ、手を押し当てていたとして、その壁が()()()消滅していったらどうなるのか、という話だ。

 

 一瞬で壁が消えるのなら、勢いあまって前方へ倒れかかるだけだろう。

 

 けど、その壁が完全に消える前に、有害な何かに変質したとしたら……どうだろうか?……なにせ魔法だ、何が起こるかわからない。当然ながらそんなことは試してない、私にはその知見がない。

 

『ラナ! 建物の外へ黒い線がはみ出している! だから今すぐに魔法の発動範囲を狭めて! 今のままだと! ここで異変が起きていることがバレバレだから!!』

「え……う、うん、わかった」

 

 空間間(くうかんかん)の断層、黒の線(あるいは面)は通常、光、空気、水分(人体であれば血液)、電気信号の一部(人体であれば脳から送られる重要器官への指令)などの透過を許可している。ただ私は、それが実際、どんなロジックで()されているものなのかを知らない。

 

 だから解除の際、その黒い線(面)が有害なモノとなっている可能性も、やはり無くはないのだ。例えば…「全てのものを半分だけ通す」壁になってしまっていたとしたら……押し付けていた手が「半分だけ通過してしまった」としたら……結果として手は、「半分に分かれてしまう」のではないだろうか?

 

 どのような状態で()()なのかは、想像したくもないけど。

 

「レオ、少しだけ待って、レオが通れるように、そういう風に魔法を解除していくから、黒い線には手を触れないで待っていて」

『む』

 

 そんなの、試すならまた罪悪感を感じることのない相手にしたい。レオは勿論、マイラであっても論外だ。

 

『わかった、でも早く。死角を通ってきたから、警官に僕がここへ逃げ込んだことはまだ伝わっていないと思うけど、虱潰(しらみつぶ)しに探索されたらいずれ見付かってしまう。そうしたら、()()()()逃げられなくなる』

 

 ……警官?

 

「レオ……警官は、殺していないんだよね?」

 

 解除しながら、この段階でもっとも心配なことを尋ねる。レオは、前に警官を殺したことはないと言っていた。ただそれは、『なんとなく、筋違いだと思ったから』そうしていたというだけで、正義だからとか、可哀相だからとか、そんな理由でそうしていたわけではないという。必要と思えば、レオは警官でも殺すだろう。

 

 ただこの場合、その「必要」は、私が生み出してしまったモノとなる。

 

 私の都合で、レオにやりたくもない殺人を強いてしまったのだとしたら……それは(つら)いことだと思った。

 

『殺してない、それはラナの負担にもなるって、今の僕は理解しているから』

 

 でも……と、解除されていく罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の圏内を、マイラと共にゆっくりと進みながら、レオは言葉を続ける。

 

『でも究極的には、僕はラナを助けることを最優先とするよ? ラナが止めても、必要と思えば誰でも殺す。警官に取り囲まれたら、ひとり残らず殺してから進む。僕はいい、女装を()けばどうにでもなる。でもラナを目撃されてしまったら、全員始末するしかなくなる……そうでしょ?』

「レオ……」

 

 それが嫌なら、早くここから脱出することだよと続けるレオに、私は絶句してしまう。

 

 そういう脅迫の仕方もあるのかと、ある意味では感心もしてしまった。

 

 そこへ。

 

「あー、はいはい、あの嬢ちゃん、男の娘だったのね、すっげぇなぁ、十日以上張って、だーれも気付かなかったなんてなぁ」

 

 力を失った、もはや投げやりともいえる声が、それでも鬱陶(うっとう)しく絡んでくる。当然だ、私が音そのものを自分の肉体の耳元へと透過させ、それを聞いている。ならば近くにいる男にもそれは聞こえてしまう。

 

『……そこに、誰かいるの? ラナ』

 

 階段を、一段一段ゆっくりと降りてくるレオの声に、殺気が混じる。

 

「いるけど……平気……危険はもうないから……」

『……そう』

 

 この男から情報が漏れる心配はない。この男の心肺はもう、すぐに停止する。だからその先の心配はない。……悲しいことだけど、ない。

 

 ……悲しい? どうして?

 

『……とにかく、すぐにそこへ行くから、僕が到着したら魔法は解除しちゃって。逃げるのにも邪魔だから』

 

 ゆっくりと、魔法を()()から解除、開放していく。そうしながらレオの進行方向も()()()いった。

 

「ラナ!……うっ……これは……」

 

 実際には一分もなかったであろう時間で、レオが死体だらけの地下室へと到着をする。

 

 部屋の半分はまだ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の黒い線に被われている。だが裏を返せば半分はすでに開放されているということになる。血の臭いが届いたのだろう、レオは顔を(しか)めていた。

 

 そういえば、レオと一緒にいたはずのマイラの姿が見えないが……この臭いに怯んで、まだ階段に留まっているのだろうか?

 

「……その男は?」

「やーこんにちは、すっげぇな、そうと知って観ても、男には見えねーわ」

「っ!」「だめ! レオ!」

 

 男へと剣を向けるレオへ、反射的に叫ぶ。

 

「……変な剣~」

「あ?」「黙って! レオ……ええと、だから……この人はもう死ぬからっ、私が刺しちゃったからっ……だから情報を拷問してでも吐かせなくちゃいけなくて、そうしなくちゃダメで、ええと……」

 

 けど、自分の口から出る言葉は、どんどんと勢いを()くしていく。

 

 男から情報を得なければならないこと。

 

 レオがここにいること。

 

 否応なく視界に入ってくる惨劇の地下室が気持ち悪いこと。

 

 男の態度がなにもかも理解できないこと。

 

 レオの目に焦りがあること。警官がどうとか言っていたこと。

 

 そういうことが、頭の中をドロドロの状態で駆け巡っていく。

 

 なにをどうしたらいいか、わからない。わからないから、何もできない、身体が動かない。

 

「ラナが、刺したんだね? この男達は?」

「それは俺だよぉん」

「……」

 

 死に際にありながら、それでも道化ぶる男に、レオは冷たい目を向ける。ムシケラでも見るかのような視線だった。

 

「ラナ、よく聞いて。時間が無い。僕は上で戦闘をしてここに来た。それを警官に見られている。おそらくはもう捜索が始まっている。今すぐに逃げなくちゃいけないんだ」

「……え」

「わーお、大変だぁ」

 

 なおも絡んでくる男を、レオは冷たく一瞥(いちべつ)して。

 

「こんなのに構ってる暇はない。ラナ、優先順位だ。それもラナが教えてくれたことだよ。僕の最優先はラナを護ること。それは誘拐犯からも、国からも、世界からもだ」

 

 私に、決断を迫ってくる。

 

「で、でも」

「ラナ……魔法を完全解除して」

「……え?」

「僕が来た、その男はもうまともには動けない。危険はない、もういいんだ、ラナ」

「あー……なるほどね、そういうことね」

「お前は黙れ」

「やーだぴー」

「え? え? え?」

 

 もはや狂的なまでにおどける男と、殺気立つレオ。なぜだかそのふたりが、妙に仲良く見えてしまい、混乱する。

 

 話についていけない。レオは何を言っているの?

 

「だからさぁ、このナイト君……ナイトちゃん?……は」「黙れ!」「トドメを刺してくれるんだってさ、俺に」「このっ……」

「……え?」

 

 剣を構えるレオと、それへ勝ち誇ったかのように笑う男。死に行く男が、勝者であるはずの私を嘲笑(あざわら)っている。いや……私は本当に、勝者なのだろうか?

 

「ラナ! 今は呆けてる場合じゃない! これ以上時間がかかるようなら……僕は()()よ?」

「え?」

 

 なに、を?

 

「ラナのこの空間が、僕に()()()かを」

「え……」

 

 頭が真っ白になっていく。

 

「この黒い線を越えて、その向こうのものを僕が斬ろうとしたら……何が起こるんだろうね? 僕は、ラナが傷付く可能性は少ないと思っている。だから()()()……でもね?」

 

 僕が傷付く可能性は、結構あると思っている。なぜそう思うかについては、今は時間が無くて説明できないけれど、僕がラナの空間を斬るというのは、多分凄く危険な行為なんだと思う……そんなレオの声を、理解することを、私の脳が拒否している。ただ言葉だけが、意味のない真っ黒な活字のように、私の心の表面に張り付いていく、焼き付いていく。

 

 ジリジリと、チリチリと。

 

「この黒い線、捕らえられると、身体が妙な感じに動かせなくなる。身体そのものは、別に動かせないわけじゃないんだ。指を曲げたり、筋肉に力を込めたりはできる……だからこそ、喋ることもできるんだし」

「おっとぉ、それを俺にアタラレても困るぜ?」

 

 睨むレオに、おどける男。……確かに、この魔法はそういう仕様だ。

 

「でも……その全てが、黒い線の向こうに作用しないんだ。押しても反発がない。多分力いっぱい殴っても、拳にダメージはないんじゃないかな。なら……」

「レオ!?」

 

 これは、魔法的な結界のようなものなんだ……そう言ってレオは、黒い線……いや面を、手で触れる。

 

「やっぱり。押し返される感じはしないのに、びくとも動かない。そもそも、黒い面を正面から見ると半透明になってしまうから、何もない空間で手が止まってしまうみたいにも見える……ねぇラナ。こんな現象は、普通じゃ起こらない。まさに魔法の力だ。それを僕が壊そうとして斬撃を繰り出したら……予想もしないようなことが起こるかもしれないと……思わない?」

 

 解除しないのなら、僕はすぐにそうする。

 

 ほら、十秒待つよ。(10)

 

 ()

 

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 ()

 

 ──そんな。

 

 ()

 

 ──脅迫の仕方を。

 

 ()

 

 ──どこで覚えたの?

 

 ()

 

 ──レオ。

 

 ()

 

「ぜ」「待って! 待って待って待って待って解除するから! するから待って!!」

 

 

 

「なかなか、面白い見世物だったぜ?」

 

 

 

 男は……結局、名前すらも聞き出せなかった男は……最後にそう言って、レオに首を()ねられた。

 

 カツラだったのか、床に転がった頭からはぼさぼさの黒髪が剥がれ、その下にある赤い髪が(あらわ)となり、()()に欠けがあることが見て取れたけど……私はそれに、もう何も考えることも出来なかった。

 

 

 



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epis35 : a cygnet / slasher [wish for slasher]

 

 激動の一日が終わった。

 

 レオが男の首を斬り飛ばしてから先のことは、もうふわふわした記憶の向こうに溶けてしまっている。

 

 それくらい現実感がない。

 

 なにももう、なにもかももう、本当のことであるとは思いたくない。

 

「……気持ち悪い」

 

 私は裸で、浴槽に()かっている。お湯はぬるめ。冷めてしまったのか、最初から長く(ひた)るつもりでその温度にしたのか、それももう思い出せない。心地良いと言える温度ではない。だけどもう一度暖かくしたいとも、出てすぐに身体を拭きたいとも思えない。だからといって自分がどうしたいのか……どうしたいというのか……それもわからない。

 

 ただ、このまま消えてしまいたいと、そんなことだけはぼんやりと思った。人魚姫のように、泡になれたらいいと思う。でもそのイメージは綺麗過ぎて、(よご)れた自分には相応しくないとも思った。だからもう、ただもう霧のように、煙のように、消えてしまいたい。

 

 今日着ていた服……例の真っ赤な服は、処分することにした。

 

 切り裂かれてしまったし、血塗れだったし、それに……逃亡の際、あまりにも酷い(にお)いが着いてしまったからだ。

 

「……ぅぇ」

 

 その(にお)いは思い出せる。ハッキリと思い出せる。なぜか今日あったことの中で、それが一番、記憶に残っている気さえしている。

 

 文字通り、王都のあらゆる汚物を掻き集めたかのような、暗渠化(あんきょか)された()()()、その暗い、ものすごい(にお)いのするトンネルの中を通り、私達は自分の(いえ)に戻ってきた。

 

 レオは、街中で盗みをする際、よくそこを逃走経路として使っていたらしい。だからなのかその道には詳しかった、暗路(あんろ)隘路(あいろ)に明るかった。水の流れを見ただけで東西南北……暗い地下にありながらも方角がハッキリとわかるようだった。なんでも、王都の下水はみな、西に向かって流れている……だからわかるのだとか。王都の西といえば大河の流れる方向だ。標高の低い方でもある。だからまぁ……いや詳しくは知らないが……そういう理由なのだろうなと思った。

 

 真っ当な人間は勿論、ゴロツキやヤクザ者であってもそんなことには詳しくないだろう。スラム街出身で、極限を生きてきたレオだからこその脱出方法だった。

 

 ……突然、西洋式でいうならゼロ階、日本式でいうなら一階へと上がり、その排水溝周辺の床を「斬り」だしたのには驚いたけど。

 

「わぅん……」

 

 浴槽の(かたわ)らに(はべ)るマイラが、元気の無い声をあげている。

 

 最近は、レオとじゃれあっている姿を見ることが多かったのに、この夜に限ってはなぜか私の(そば)を離れようとしない。

 

 マイラは、下水には入らなかった。レオが後で(いえ)で落ち合おうと言って裏口から逃がした。そして誰に連れられるでもなく、こうして(うち)で待っていた。

 

 ここで顔を合わせた瞬間、下水を通り、凄い臭いだったふたりに、泣きそうな顔になっていたのが妙に印象に残っている。

 

 マイラは、血の(にお)いには吠えない。

 

 だって、最初にレオと顔をあわせた時、吠えたのはレオにだけだった。血の(にお)いがするというなら、(七人の)死体の処理に手を貸した私からも、そういう匂いはしたはずだ。

 

 だけどマイラは、私には吠えなかった。

 

 どんな温厚な犬であっても、ジューシーな骨髄(こつずい)を含む骨を(かじ)らせれば我を忘れるという。そして骨髄とは、造血組織(ぞうけつそしき)の集合体だ。だから犬は、本来は血の(にお)いに興奮するイキモノ……のはずで……でも、マイラはそうではない。前からそうではなかった。骨を与えられ、かじかじしてるマイラのそれを、意地悪でひょいと取り上げてみても、きょとんとした顔になるだけで吠えたり(うな)ったりはしない。そんな、弟妹(ていまい)のオモチャを取り上げる姉がごとき非道にも、全く動じない大型犬だったのだ、マイラは。

 

 だけどマイラはレオに吠えた。

 

 王都の、キレイな部分において生まれ、育ったマイラには、血の(にお)いよりも汚臭の方が、刺激が強かったとでもいうのだろうか。

 

 最初はもう、とにかく吠え、レオを敵視して。

 

 だけど今日は、世界の終わりでも見たかのような悲しげな表情をしていた。

 

 それはもう、心が麻痺し、何も考えられず、ただようやっとあの(くさ)い所から開放されたことに安心しかかっていた私の心へ、恥と罪悪感という概念を思い出させてくれたほどには……珍妙な表情だった。

 

「ねぇ……だというのに、私の(そば)から離れようとしないのはなぜ?」

「わぅん?」

 

 マイラの声と表情に、自分達の惨状を思い出した私は、とにかくはまず、お風呂に入りたくなった。その惨状を、そのままで使用人に目撃されしてまうというのも、それはそれで面倒になりそうなことだったし。

 

 けど、ひとりだけ先にそうするのも……レオに悪い気がして、なんだかもう、どうでもよくなっていた私は「一緒に……入ろうか?」と呟いた。なんていうかもう、自分の裸をレオに見られるのも、自分がレオの裸を見てしまうのも、どうだっていいことのように思えたからだ。それで何が起きようとも構わない……そんな投げやりな気持ちも……どこかにはあった。

 

 それを、強烈に止めたのもマイラだった。

 

 どういうわけか、(くさ)(にお)いがするはずのふたりの間に割って入り、私だけを浴室の方へ押しやろうとした。

 

 単純な事実として、マイラは重い。物理的に重い。私ひとりの腕力ではどうやっても動かすことができないくらいに。レオも、その排除を手伝ってはくれなかった。

 

 本当にもう、色々で疲れていた私は、それでなんだか反抗する気も萎えて、レオが勧めるままに浴室へひとりで入った……割り込んできたマイラを押し戻すこともせずに。

 

 そうしてから扉を閉め、上水からほんの少しだけ暖めた水をそのまま浴槽へと注いで、溜まるまでにズタボロの服を脱いで、身体を拭きもせず、そのままぬるま湯に浸かった。

 

 日本の公衆浴場だったらマナー違反もいいところだ。

 

 レオは……今、どうしているだろうか。

 

 この家に浴室(バスルーム)は……みっつあるが、あとのふたつはママが使っているものと使用人達が使っているものだ。どちらも今まで、それらをレオが使ったことはない。

 

 そもそも私の浴室は、もともとは倉庫だったものを後から改装したモノだ。ママが……ある時から私の姿を見ると挙動不審に……キョドってしまう人になってしまったので、ふたりの生活スペースを分けるべくパパへ直談判をして、自分の部屋の(そば)にわざわざ(こしら)えてもらったモノなのだ。清掃等も自分でやっているので、ここへは使用人も近付かない。

 

 ここへは……というか使用人には、切り分けてもらった生活スペースの、ママ用じゃない方の私の生活スペース、それ自体にあまり近付かないようしてもらっている。そういうお願いをしたし、なぜかパパの意向(面倒な娘に関わりたくなかった?)もあったようで、それはすんなりと受け入れられている。

 

 そういう環境だからこそ、私は使用人達に(うるさ)く言われることもなく、レオを家に連れ込めたのだし、今日だって使用人達にはあの惨状を見られることなく自室へと、自分用の生活スペースへと帰ってこれた。

 

 だとしたら今更、この浴室以外をレオに使ってもらうわけにもいかない。 

 

 だからレオは、私の部屋で私がお風呂からあがるのを待っているはずだ。

 

 なら、早く出なくちゃ……とも思うが、どうにも身体が動かない。

 

 完全に気力が尽きている。

 

 湯船に浸かってから、もう二十から三十分は経っているのではないだろうか。ぬるま湯へ、半身浴ならぬ全身浴を長時間って……健康的にはどうだっけ……とも、……頭の片隅で思うが……だからといって身体が動くわけじゃない。

 

 お湯は汚れている。

 

 ざぶざぶと洗った、私の身体から出た(よご)れで(きた)くなっている。

 

 (にお)いも、意識して嗅げば……まだする。

 

 レオが入る前に、お湯を張り替えなくちゃ……とも思う。

 

 私は、いつもレオを洗う時、自分を清潔にしてから……そうしていた。

 

 自分が汚いままレオを綺麗にすると言うのも、何か違うと思ったから。

 

 だけど今は、私の身体にも、まだ(にお)いが残っている気がする。

 

 汚物の、汚い、穢れた(にお)い。

 

 それを意識すると……もう遊びなどではけしてない……希死願望が襲ってくるから……何も考えたくないけど……でも、汚れたままの私がレオを洗うというのは……やっぱり何かが……違う気がする。

 

 だから……今日はレオに、ひとりでお風呂に入ってもらうつもりだ。

 

 もう「ずっとそういうものとして」レオに習慣づけられてしまった……私がレオを洗うという行為を……今更変えるのは……どうしてか自分でもよくわからないけど……寂しい気がする……でも……それでふたりのなにかが変わってしまったとしても、もうしょうがないのだと思った……いや違うな、思っていない……考えるのも嫌だから、諦めただけだ。見過ごしただけだ。今はもう、寂しいという感情を意識してしまうこと自体、億劫だった。

 

 ああ……もうイヤになるくらい頭の中の、思考が重い。

 

「……ねぇ、いつまでそこにいるの?」

「わぅ?」

 

 でも……だからもう出なくちゃと……心の欠片が囁いている。

 

 健康以前に、このまま身体が冷えてしまったら病気になってしまいそうだった。

 

「心配しなくても、死なないわよ……特に、このまま湯船に身を沈めて()()なんてね……さすがにこの無気力状態でも、それはゴメンだわ」

「くぅん?」

「っ……」

 

 どうしてかこの時、マイラの、裸の私を見るその視線は、とても「犬らしい」モノであるように思えた……上手く言えないけれど、最近のマイラは、こちらの言葉を理解しているんじゃないかと思わせるような……そんな反応と挙動をすることが多かった。それが、そうした「人間っぽさ」が、今は何も感じられない。欠片ほども感じられない。……いやマイラはまごう事なき犬なのだから、それはそれで正しいのだけれど……上手く言えないが……違和感がある。

 

 マイラの、違和感のある無垢な瞳へ……「私は犬に何を言っているのだ」という、今更のような羞恥の感情が湧き出てきて、それはすぐに発火して燃えた。炎は心を……心の腐った部分を焼き、いまだ血を流す心の傷へ、ピリピリとした痛みを与えてくる。

 

「そうよ……死なないわよ……死んでたまるか……私はまだ何もしてない……何もやっていないのに……」

 

 自分でも、何を言っているかわからない言葉が、胸の奥から溢れてくる。

 それは炭酸に立つ泡のように頼りないモノだったけれど、舌にのせれば刺激ともなる、その源泉でもあった。

 

「死なない……まだ死ねない……せめてこの賭けがどこへ辿り着くか、見届けるまでは」

 

 それらはまるで、死者へと放る(はなむけ)のように虚無へと吸い込まれていったけれど、だけど……あるいはそれと同じように……けして意味のない言葉でもなかった。

 

 すこし、ほんの少しだけ身体に活力が戻る。

 

「レオと話さなくちゃ……色々と……相談を、しなくちゃ……」

 

 意味もなく汚水へと落ち、溶けていく自分の涙を拭って。

 

 (よご)れた泡の向こうにある、望んでもいないのに大人になりつつある、凹凸(おうとつ)のはっきりしてきた水中の全裸に一瞥(いちべつ)をくれて。

 

「くぅん」

「わかってる、今出るから」

 

 私はようやっと、湯船から冷えた自分の身体を取り出すことに、成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「温かくしてね」

『うん』『わぅん』

 

 暖まらなかった身体で、ドアの向こうへと指示を飛ばす。

 

 今までは私が全部準備していたお風呂だが、その手順を、レオも見て覚えていたようだ。細かい指示を出さずとも、どんどんと準備されていく様子が伝わってくる。(バスローブを着た)私がやろうとしたら、自分でやるからと言われ、浴室を追い出された。

 

 私の浴室は、上水からの水を釜にため、それを燃料で加熱してから浴槽へと流し入れるという、王都では割と一般的なシステムだ。燃料の種類が、薪か炭か木屑を圧縮したペレットになるか、それともお貴族様向けのよくわからないモノ(燃焼石(ねんしょうせき)……魔法的に生成された人工の石炭?……と呼ばれる物がある。石炭と違って匂いも煙もでないけど)になるか、それくらいの違いはあるけれど、流れとしては大体変わらない。(ウチ)は、ママも私も使用人もペレット派だ。燃焼石を除けば一番高いが、その分匂いや煙などが少なく、平民のお金持ちの(いえ)では大体これを使っている……らしい。

 

『ペレットを追加する時は一気に入れすぎない、だったよね』

「うん……意外とそれ、よく燃えるから、注意してね」

『うん、わかってる』『わぉん』

 

 レオは、やっぱり地頭が良い方だと思う。物覚えもいいし、(推定)十一歳にしては随分と物事を論理的に考える方だと思う。火を扱わせることに若干の不安もあったが、問題は何もないようだった。それに、何かあればマイラが騒ぎ出すだろう。

 

 ……ってかなんでアイツ、ドアの向こうにいるのよ。

 

『わぉん?』

 

 やがて準備が出来たようで、レオはすぐに浴槽へ身を沈めたようだ。入る前に身体を洗った様子はない。だからそれは、日本の公衆浴場でやったらマナー違反もいいところだけど、ここは日本ではなく、夢の世界基準でいうなら入浴は西欧式だ。浴槽(バスタブ)に身を沈めてから身体を洗う方式だ。一応、事前に身体は念入りに拭っている。それで大きめのタオルがふたりで四本分、駄目になったけど。

 

 

 

「温度は、どう?」

『丁度いいよ、温かい』

「そう……よかった……」

 

 

 

 レオが落ち着いた頃を見計らい、私は重い口を開く。

 

 

 

「レオ……どうしてあの人を殺したの?」

『うん?』

「あの人……黒いカツラをつけていた……赤い髪の、左耳に欠けがあった男の人」

『僕は人殺しだからね、それが一番手っ取り早い手段だと思えばそうするだけだよ』

「嘘」

『嘘じゃないよ、もういいじゃないか、そのことは。それよりこれからどうするのか、その方を話さない? もちろん、ラナが僕を怖いというなら、もう側に置いておきたくないと言うなら、それはそれで構わないけれど』

「……」

 

 なんとなく、レオの口ぶりに感じるものがある。

 

 ここで……私がレオを怖いと言い……もう(そば)に置いていたくないと追い出したら……レオはだけど……ひとりでこの事件の解決を図るのではないだろうか?

 

 それくらい、なにか妙な「決意」を感じさせる語気の強さだった。

 

 わかってる。

 

 レオがあの男を殺したのは、自分の手を汚す……汚したことにすることで、私が◆▼■▲●★■▼◆▲●■★■●▼★●◆▲■▼◆■▲●★▲●■★■▼★●▲■▼◆▼★■▲●★▲■▼▲■◆●■★■▼★●▲■▼◆▲●■★▲●◆■▲★■▼■★●▲★■◆▼……私の心を、護ってくれているのだろう。

 

 レオは、どうしてか私のことを好きでいてくれているらしい。それは私が、前にレオを助けたからで、レオを人間として扱ったかららしい。

 

 それは嬉しい……その事実には胸が温かくなるけれど……レオのそれは、なんだか純粋すぎて怖くなる。

 

 私は(けが)れた人間だ。

 

 今ではもう、本当に(よご)れてしまったと思う。

 

 その私に、レオの純粋な想いを受け取る資格はない。受け取ってしまってはいけない気がする。受け取ってしまったら、何かが崩壊してしまうような気さえする。

 

 レオには幸せになってもらいたい。

 

 でも、私「が」レオに……何をできるというのだろうか?

 

 今日も……レオにその手を汚させてしまった。

 

 キレイにしたいと思う人がいて、だけど自分の手が何を触ってもそれを汚してしまうモノだとしたら……もう、どうすればいいのだろうか?

 

 どこかの神話の王様は、よっぱらいの神様(だっけ?)に呪われ、触れるもの全てを黄金にしてしまうようになってしまったという。それで食べるものさえも黄金にしてしまい、飢えに苦しんだという。あたしは……その話を読んだ()()()は……思ったものだ、王様なら、召使に食べさせてもらえばいいだけじゃないの?……と。

 

 だけどわかる。そんな異能を宿してしまったらもう、誰と関わるのも辛くなる。ちょっと触れただけで、触れた相手が黄金の象へと変わってしまうだなんて、恐怖以外の何者でもない。人と接することにも臆病になってしまうだろう。王様を(さいな)んだ飢えとは、肉体的なモノだけに留まらないのかもしれない。

 

 だからやっぱり……そう……私も、呪われた人間なのかもしれない。

 

 生まれてきた、ただそれだけのことでママを不幸にしたように……触れるもの全てを不幸にしてしまう……私はそういう存在なのかもしれない。

 

 だとしたら、私はどうやって「幸せ」を食べればいいのだろう。

 

 王様なら家来に命令して、そうさせればいい。

 

 だけど私は王様ではない。女王様でもない。お姫様でもないし、お嬢様……では一応あるけれど、その言葉からイメージできるような人間でないことは明らかだ。

 

 なにより、今の私は、自分が「幸せ」を食べたいわけじゃない。

 

 そんなモノはもうとっくに諦めている。私にそんな……権利も資格も……心の受け皿も……ない。

 

 自分は幸せになれない。それはそれでいい。

 

 もうそれはそれで構わない。

 

 人は幸せでなくとも生きていける。

 

 ママがまだ息をしていて、食事もし、入浴もして、表面上は穏やかに暮らしているように、幸せは、人が生きていくのに必須というモノでもない。

 

 それより、本当に怖いのは。

 

 

 

 自分が誰も……幸せにできない人間であると……思い知らされることで。

 

 

 

 

 

 そのことは……本当に……。

 

 

 

 

 

 

 怖くて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラナ?』

「ぇ……あ」

 

 思考が沈み、気持ちが沈み、沈みに沈んで深海まで沈降(ちんこう)していたことにまた、レオの声で気付く。

 

 ダメだ……本当にもう……心が重い。

 

『……本当に大丈夫?』

「ん……」

 

 

 

 なにも。

 

 

 

『聞いてる? ラナ』

「……」

 

 

 

 ああ本当になにも。

 

 

 

『ラナ?』

 

 

 

 考えたくない。

 

 

 

「ラナ」

 

 

 

「え?」

 

 

 

 真っ黒な思考に、心がワープして()でたその先に……気が付けばレオが立っている。

 

 

 

 浴室のドアを開け、裸のまま、(したた)る雫を拭いもせずに、そこにいる。

 

 

 

「っ……」

 

 

 

 とっさに目を逸らすと、犬らしい目でこちらを見るマイラの姿が見えた。

 

 

 

 そこに、人らしい感情のようなものは、相変わらずない。

 

 

 

 小首を傾げ、感情の読み取り難い目でこちらを見ている。

 

 

 

 だからもう、どうでもよくなって、レオへと視線を戻す。

 

 

 

 化粧の落ちた、少年らしいシャープな印象の顔。

 

 

 

 もう女の子には見えない。

 

 

 

 当然だ。

 

 

 

 いつもはちゃんと遠慮して、見ることの無かった下のその部分までも、今は見えてしまっている。

 

 

 

 お腹からすとんと落ちる子供の、少年の、直線的な腰のライン。

 

 

 

 その中央には……いやソレの何がどうであるかなどと、私が評するのはやめよう。

 

 

 

 ただ……嫌悪感は無いなとだけ思った。

 

 

 

 意外なほどに、驚きも、衝撃もない。

 

 

 

 ああ、レオの全裸だ……と思うだけだ。レオ本人にも、自分自身の内側にも、性的な情感は何も生まれてこない。なにも感じていない。

 

 

 

 私が思ったのは。

 

 

 

 胸の(うち)に発生した……あるいは()()した想いは……ただひとつで。

 

 

 

「お願いがあるの、レオ」

「……なに?」

 

 

 

 鋭い目が()()()を射抜く。

 

 

 

「私の身体の、どこの、どんな部分でもいいから、きつく噛んでくれないかな?……血が出るくらいに深く、痛く……傷が残っても……構わないから」

「……ラナは、そんなことがされたいの? それは何かの儀式?」

 

 

 

 多分、男の子百人を集めたら九十九人まではドン引きするだろう私の、その要求を、レオは即座に否とは言わず、こちらの真意を読み取ろうとでもしているのか、座り込んだまま、自分を見上げる私の目を、厳しい目で見下ろしてきている。

 

 

 

「だめ?」

 

 

 

 私はぬっと立ち上がって、おもむろにバスローブを脱ぎ、それを床へと落とす。

 

 

 

 レオのものとは違う、もう曲線を描いてしまっている腰のラインが、(あらわ)になる。

 

 

 

「だめというか、意味がわからない。ラナの考えていることがわからない」

「私も、わからないよ」

 

 

 

 もう理解したくもない。

 

 

 

 ただ、レオに傷付けられるなら、美しくも()()()()()()()()()()、あの斬撃によってではなく……レオの()ではなく()でそうしてほしかった。

 

 

 

「どこの、どんな部分でもいいって言われても……」

 

 

 

 レオの視線が、私の肉体の表面を這っていく、撫でていく。

 

 

 

 本来であれば、レオに向けられてさえ、おそらくは嫌悪感を抑えられなかったであろうその視線を、だけど今の私は、何も感じていない。恥ずかしいとさえ思っていない。身体を醜いと、肉体を汚いと蔑まれるのであれば、それはむしろ心地良いとさえ思えたかもしれない。

 

 

 

「オススメは、ここかな」

 

 

 

 ママ譲りの、そこだけは結構、将来的には「上物」になるんじゃないかなって膨らみを、だけど今はまだ特筆すべきほどでもない、その程度のそこを……手で押さえる。

 

 

 

「普段誰かに見せる部分じゃないし、柔らかいから噛むのも簡単」

「……ラナってやっぱり、頭がちょっとおかしいね」

「うん。否定はしない」

 

 

 

 レオが見ている。

 

 

 

「あ、別に普段誰かに見られる場所であっても、レオがそうしたいならそうしていいよ。そのつもりで、どこでもいいって言ったんだし」

 

 

 

 私を見ている。

 

 

 

「でも勘違いしないでよね、私、別に痛いのが好きってわけじゃないんだから……そういう変態さんじゃないから……って、これってなんかひと昔前の、むしろひとひとひとひと昔前くらいのツンデレのセリフみたいだな。しかも結構マニアックな」

 

 

 

 鋭くて冷たい目で私を観ている。

 

 

 

「ねぇレオ、私多分、前世の記憶があるんだ。そこで私はね、男の人に、酷いことをされたの。だから私はもう、キズモノみたいなもので、今更もうその傷がいくつ増えたところで変わらなくて」

 

 

 

 その目がもし、(やいば)となって私を切り刻んでくれるのなら。

 

 

 

「ううん違うな、レオはそんな男達とは違う。なにもかもが違う。レオが付けてくれるなら、その傷はたぶん特別なものになるから、だから」

 

 

 

 それは、どれだけ幸せなことなのだろうかと思った。

 

 

 

「引いた? やっぱりドン引いちゃった? でも……このどうしようもなく狂った私は、多分私が一生付き合っていかなきゃいけない“あたし”なの……私はこの狂気と一生、上手くやっていかなくちゃならないの。騙したり、なだめたり、すかしたりしながら、でも一生離れられないの」

 

 

 

「生まれるって、牢獄に囚われるみたいって思わない?」

 

 

 

「どうしようもない世界という牢獄に、何十年、長ければ百と少しの年月、囚われる」

 

 

 

「幸せは、大体の人にとってはほんのごく僅かで」

 

 

 

「辛いこととか、悲しいこととか、痛いこととか、苦しいことと、ずっと上手く付き合っていかなくちゃいけない」

 

 

 

「時には事故とか病気とか、理不尽とか暴力とか、どうしようもなく受けてしまった被害とか、どうしようもなく与えてしまった加害とか、そういうものに振り回されながら」

 

 

 

「溺れながら、ほんの少しの喜びを、金魚鉢の出目金みたいにパクパク、水面に求めて」

 

 

 

「悲しいよね」

 

 

 

「どうして生きているんだろうって……そう思う」

 

 

 

「いっそひっくり返ってしまえって思う」

 

 

 

「濁った水に囚われた出目金はガチャンて、金魚鉢ごと割れてしまったらいいと思う」

 

 

 

「レオは思わない?……思っていてほしいとは思わないけど……でもだけど、レオは私のこの気持ち、わかるんじゃないかなって思うんだ」

 

 

 

「だってずっと思ってた」

 

 

 

「レオは、私にどこか似ている」

 

 

 

「世界への不審も、自分への不信も」

 

 

 

「自己肯定感なんかまるでないくせに、自分のやりたいことしかやらない、ワガママなところとか」

 

 

 

「どうしようもない世界とは付き合っていられないって、そこから距離を置いて」

 

 

 

「俯瞰してるつもりで、ただ孤独なだけで」

 

 

 

「だから寂しくて」

 

 

 

「どうしようもなく寂しくて」

 

 

 

「ほんのちょっとの優しさに、ころっと転がっちゃうんだ」

 

 

 

「ねぇレオ」

 

 

 

「こんな世界、壊したいって思わない?」

 

 

 

「この世界を、壊したいとは思わない?」

 

 

 

「この牢獄を、壊したいとは思わない?」

 

 

 

「もう、ここには誰もいないの」

 

 

 

「全部全部壊れてしまったから」

 

 

 

「その中には私自身が壊したものもあるけど」

 

 

 

「でも、それだからこの牢獄は抜け出すことができなくて」

 

 

 

「もう誰かに壊してもらうしか、なくて、だから」

 

 

 

 

 

 

 

「あ……っ」

 

 

 

 

 

 

 

「そこを噛むんだ……レオ」

 

 

 







 途中にある「★●▲◆▼■」で構成された部分は、解読できないようになっています。
 次話においては同じ様式で(なんとなくは)解読できる文章が表れますが、そこにおける解読法は当episの当該部分には適用できないようになっています。



 当小説の3話目の回、「III [system log] : Purgatorium Maira」には以下のような暗号が使われています。

α:101>>VIIIVXIIXIIXV

β:101>>VIIIVIIIIIIIV IIXIXIVIII?

γ:101>>IIIIIIIIIIV...............

 この、「α」は解読「不可能ではない」暗号です。

 次のように復号します。

 VIIIVXIIXIIXV → VIII V XII XII XV → 「8」「5」「12」「12」「15」

 アルファベットのAを1(番目)、Bを2(番目)とした時、Eは5、Hは8となります。

 ()()()()()()()()……

 つまり「8」「5」「12」「12」「15」は「Hello」です。

 ただ、これにはローマ数字をどこで切る(スラッシュする)かについての確定要素が欠けています。例えば「VIII」を「V」「I」「I」「I」とするなら、これは8ではなく5111であるためEAAAとなり、意味がわからなくなります。「V」「I」「II」ならEAB、「VI」「II」ならFB、「VII」「I」ならGAです。「VIIIV」で考えると、末尾の「IV」を4と見るか15と見るかでも話は変わってきます。よってこの解読には、元が何であれば自然か、という推測が必要となります。逆を言えばそれが可能な範囲でなら、解読は不可能ではないものとなっているということです。

 ところが、「β」においてはもう一段階の、「γ」においては二段階の暗号化がなされているため、この解読が不可能となっています。

 例えば「β」の「VIIIVIIIIIIIV IIXIXIVIII?」は、前半部分が「α」の原文である「Hello」と全く同じものです。何が違うかというと、「85121215」を「8」「5」「12」「12」「15」とするのではなく、「8」「5」「1」「2」「1」「2」「1」「5」としてから暗号化している点です。更に細かく切って(スラッシュして)いるということです。

 同様に後半部分の「IIXIXIVIII」は「1」「9」「9」「1」「8」、元は「19」「9」「18」で「sir」となります。

 よって「β」のここでの意味は、「こんにちは、御主人様?(いかがされましたか?)」といった感じの英文となります。

 ここにおいては「二桁の数字を一桁の数字の連なりとみなす」というルールさえ解れば、「X」つまり「10」が使えない(そのためこの形式では(10)(20)が使えないか、またはそれに対応する特例が必要となる)ため、「IIXIX」の部分が「199」であると確定できる(()(19)だけは例外的に物凄くわかりやすい)ようになっています。ですが、これはこの形式におけるごくごく僅かな例であって、他の部分を確定する材料はかなり限られます。これにより「β」は、これに限定するなら解読は不可能ではないが、同じ形式によって作られたほとんどの暗号が解読不能である……というものとなっています。

 更なる「γ」の「IIIIIIIIIIV...............」は、「2」「3」「1」「2」「1」「4」、「23」「1」「2」「14」となって「Wabn」となりますが、「γ」の原文は「わぅん……」であり、つまりは「walun」、もしくは「waxun」です。

 ここではこの「xu」「lu」の部分を、「(21)」ではなく「2」としています。ここに特別な意味は無く、単に「ぅ」が「う」より少し小さいというだけでこうしています。つまり「21→III」を少しだけ小さくして「II」ということですね……ええ、わかるか、そんなのって感じですね、いやホント雲丹(ウニ)

 某なく頃にシリーズ風に詳細(ハラワタ)()き出せば、「ルールα:アルファベットは数字へと変換された後にローマ数字で表される」、「ルールβ:二桁の数字は一桁として扱われる場合がある」、「ルールγ:特殊な文字には特殊な変換が適用される場合もある」、といったところでしょうか。

 「γ」はこうした理由から解読「不可能な」暗号となっています。



 次話となるepis36に現れる暗号は、ルールこそこれらとは異なりますが、解読不可能ではないという意味においては「α」形式(ただし一部に「β」形式が混じる)であり、推測によって解読できるようになっています。ですが、当episの当該部分においては「γ」形式であるため、解読は完全に不可能となっています。作者も原文を破棄したので、数週間後にはもはや暗号を作った当人でさえも解読不能となります。

 まぁ……これは人間の心には誰も、本人でさえも理解できない、理解したくない領域があるのだということの表現……だということにしておいてください。某リ●ロのエキ●ナさんみたく、自分の複雑な心境を、入り組んだ性癖を、全て言語化して、なろう史とラノベ史とアニメ史に残るレベルの長台詞にしてしまえる人間なんて滅多にいねぇんだよぉ……っていう。いやまぁあれは人間じゃなくて魔女だけど。




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epis36 : Symphonic Poem ~ Hope & Kiss

 

「いったーい」

「自業自得だよ」

「わぅん……」

 

 患部に、蒸留酒を染み込ませたコットンを当てながら、私は少し涙目になっていた。

 

 もう夜も深い。窓の向こうには、夜空を舞うふたつの月が見える。

 

 大きな月と、小さな月。今はそのどちらもが三日月。

 

 この辺りでは大月(だいげつ)には男性神、小月(しょうげつ)には女性神が当てはめられ、語られることが多い。それは国の成り立ちに関わるような神話などではなく、宗教の教義に登場するような何かでもなく、ただの伝承、街談巷説(がいだんこうせつ)の類に過ぎないから、大月(だいげつ)もまた女性神であるとか、そもそもなぞらえるのが神ではないとか、そういった別バージョンもいくつかある。私が知らないものも多いだろう。だけど最も一般的な、その形式に従っていうのであれば……今はまるで、男性神が女性神を天上で抱きしめているかのような……そんな光景が窓の向こうに広がっている。

 

 別段、私も、大月(だいげつ)が男性神に喩えられるからといって、それへ嫌悪感を覚えたりはしない。

 

 ただ、綺麗だなと、素直に思う。

 

 今はそう思える。

 

「んー……」

「……なんで肩、くっつけてきて悩んでいるの? ラナ」

「こうしてベッドに腰掛けて並ぶと、肩の位置、ほとんど同じくらいだなって」

 

 レオは、たった数日でまたその身長が、少し伸びたような気がする。

 

「まぁ……大月(だいげつ)小月(しょうげつ)みたいにはいかないけどね」

「一年もしたら、それくらいの差は付いちゃいそうだけどね」

 

 それは、この十日と少しの間はレオが女装をしていたから気付かなかったのか。

 

 それとも、これまでは今みたいに肩を並べることが無かったから気付かなかったのか。

 

 いつの間にかもう、身長はほとんど変わらなくなっていた。

 

「それにしても、なんでここだったの?」

 

 レオの肩にくっつけていた左手を、ふたりの目線まで上げ、掲げる。

 

 月明かりに、その爪の先が朧気に光った。

 

「消去法。最初は唇を噛もうかと思ったけど、顔はまずいんじゃないかなって思い直した。耳なら髪に隠れるからいいかもと一瞬思ったけど……あの、左耳の欠けた男の顔が思い浮かんでね、やめた」

「ああ……」

 

 確かに、アレと同じになるのはイヤだ。それに、まだ右耳に欠けのある女性も生存しているはずだ。敵とキャラ被りするなんて、縁起でもないことだろう。

 

「ラナがオススメと言った場所は、なにか違うと思った。そこへ噛み付くのは、僕に期待されていることじゃないと思った。ラナはそれでもいいと思っていたかもしれないけど、僕がイヤだった」

 

 まぁ……実際に、それをされたら……どうだったのだろうか? 私は。

 

 よくわからない。その世界線の私が、並列世界で何を思っているのかについては……知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちだ。

 

「お腹は、ラナを食べてしまうみたいでイヤだった」

「……過激ぃ」「わう」

「首、肩周り、太もも、手首足首周り、その辺りは重要な血管や腱があるから論外……僕はね、人間がどこをどうすると壊れてしまうか、危険か、それについてはラナよりも詳しい自信がある。まったく自慢じゃないけれど」

「別の意味で過激ぃ」「わぅん」

「お尻とか腰まわりはラナがオススメと言った場所と同じで、やっぱりなにかが違うと思った」

「あー……まぁ……うん、そっか」

 

 月光に縁取られた、赤黒い痕のついた、自分の左手の小指と……薬指を見る。今もズキズキと痛みを発してくるそれは、だけど妙に愛おしくも思える。

 

「となると、残るのは手足の指になる。足の指は、意外と歩いたり走ったりするのに重要なんだ。事態がまだ解決してない以上、機動力を減らすのは得策じゃない。それで……ラナは()()()だろう? そういうことだよ。小指だけにしようと思ったのに、薬指まで突っ込んできたのには驚いたけど」

 

 指の太さの関係からか、傷は薬指の方が深い。レオは私の要望を受け入れ、それなりの強さでそこを噛んでくれた。

 

「……だって小指だけだと……()千切(ちぎ)られちゃうみたいな気がしたから。小指だけ無い人になるのは、さすがに、ね」

「なに、それ?」

 

 しないよそんなの……と呆れるレオに、ああ、やっぱりこのネタは通じないかと、元日本人は思う。レオは転生者じゃない。だからイニシエの仁侠映画チックなネタは通じない。当然だ。

 

「なんでもない。あー、でもね……あとちょっとだけ訂正しておくとね、私、右利き()()()()んだ」

「……え?」

「左利きでもないの。両利き。元々左利きで矯正したから両利きになった……ってわけでもなくて……なんていうか……生まれついての両利き?」

「なんで自分のことなのに最後疑問形なの?」

 

 もっと言うと、推定前世の私は右利きだった。だけどこの身体になってからは左手の方が上手く使える気がした。そうした状況下で、なんとなくバランスを取りながら成長しているうちに、気が付けば両利きになっていた。普段は右利きの(てい)で生活をしているけど、どちらでも文字を書こうと思えば書けるし、折り紙を折ろうとすれば折れる。強いて言うなら繊細な、より細かい作業には右手の方が適していて、腕力や握力は左の方が強いという違いはある。だけどその差は、おそらくは私にしかわからない、微妙な程度のモノだ。

 

「じゃあ、左でもまずかった?」

「ううん、どこでもいいって言ったのは私だから、そこに良いも悪いも無いの。それにここなら……」

「……なに?」

「ううん、いい」

 

 痕が残っても、指輪をすれば、隠れてしまうな……って。

 

 さすがにそんなことは、言えない。

 

 

 

 

 

 

 

「え? マリマーネのヤツがそんなことを?」

「呼び捨てで、ヤツって……」

 

 ようやっと少しの落ち着きを取り戻した私達は、これからのことを考えるべく情報の共有化を(はか)った。

 

「いいの、年上だけど、なんなら精神年齢かナニカは私の方が上だし」

「精神年齢……かナニカ?」

「なんでもない。あれ? だけどそれなら、マリマーネのヤツはコンラディン叔父さんに連絡を?」

 

『マリマーネさん、なら、今日の日が暮れて、()()()帰って来なかったら、手はず通りに』

『本当に、いいんですね? 黒槍(こくそう)のコンラディンさんへの連絡は、それからで』

 

 日が暮れて、帰って来なかったらって……もう真夜中だけど。

 

「あそこを脱出する際、僕はマイラに手紙を持たせたんだ。手紙っていうか……“状況に変化有り、保護対象者は奪還済み、伝言は不要。追って連絡します”って書いた一枚の紙をね」

「……あの時、そんなことしていたんだ」

 

 レオがそうしたことに頭が回るというのは、意外なようで意外でもなかった。

 レオの頭脳を、その知性を、私は高く評価している。育ちが特殊とはいえ、十一歳といえば夢の世界基準なら小学生だ。小学五年生の男子にしては、落ち着きすぎているとも言える。

 

 ただ……、だからレオのことは信頼しているが。

 

「でもコイツ、その手紙、ちゃんと届けられたのかな?」

「わぅん?」

 

 レオの足元に、猫の香箱座りを半分崩したみたいな姿勢(片前足、片後ろ足を折り、逆側は伸ばしている)で(たたず)むマイラ。

 

 そういえば、コイツも十一歳くらいなんじゃないだろうか。大型犬の寿命的には、そろそろボケが始まっていてもおかしくない年齢だ。

 

 人間ではないことを含め、私はレオほどマイラを信用できていない。

 

「だから追って連絡してみたよ。使用人の人にお金を渡して、マリマーネさんへ、手紙を届けてもらった。マイラの手紙が届いたかどうかの確認と、届いているなら返信は不要、明日か明後日にはそちらへ顔を見せに行くので、詳細はその時にでも……って」

「……ちなみにそのお金って?」

「ラナのポーチに入っていた金貨を一枚」

「たっかっ!……いや、それは後で口止め料込みだからねって脅しておけばいいか……んー、明日か明後日にはマリマーネに顔見せかぁ。服どうしよ……。あー、でも、それにしても、もうそんなに文字が書けるようになったんだ?」

「また、一息の間にめまぐるしく話題が変わるね。調子が戻ってきたのかな」

「茶化さないで」

「はいはい。まぁ、細かい部分のスペルや文法が、合っているかどうかに自信はないけどね。形式……書式?……無視でいいなら、話している言葉をそのまま書くだけだし」

 

 日本語みたいに、漢字とかがあるでもないし、それはそうか。

 

 この世界の……全てを知っているわけじゃないからもう少し限定すると……この国の公用語は、基本表音文字だけで構成されている。ただ、暦に関する言葉であるとか、公的機関の名前、天体、学術用語、あとは神や悪魔の名前なんかには特殊な文字が使われている。

 

 例をずらっと並べると「癒雨月(ゆうげつ)」「神楽舞(かぐらまい)」「財務省」「運輸省」「重力」「三平方(ピタゴラス)の定理」「π(パイ)」「大月(だいげつ)」「小月(しょうげつ)」等々が、そのようにして特殊な文字を使う単語だ。

 

 たとえば「財務省」「運輸省」であれば「省」の部分が前置詞として語頭に付くが、その前置詞が特殊な文字だ。「大月(だいげつ)」「小月(しょうげつ)」は「月」の部分がそう。他はもう少し複雑になるけど、仕組みとしては同じで、表意文字であるということと、特定の綴りを短くまとめるという点では、漢字に近いともいえる。

 

 とはいえ、それらも結局は表音文字で表せる(「月」を「つき」と書くみたいな感覚)ので、格調を気にしなければ書くのには困らない。商人の世界には漢数字における大字「()()()()()()()()()(10)(100)(1000)」に似た特殊文字もあるけど、そこは日本と同じように、それを日常生活で使う人はいない。

 

「それにしても……私がちょっと長風呂してる間に、そんなことを」

「マイラになら、ラナを任せられるし、だったら……ね」

「どうしてレオが、そこまでマイラを信頼するのかについてはまた改めて聞いてみたいところだけど……確かなのね? マリマーネが、伯父さんについて言ったことは」

 

『前王都財務局局長さん、ですかぁ……あまりいい噂は聞きませんね。なんでも、家中(かちゅう)の実権を弟さん……を通じて某伯爵家に……握られてしまっているとか。それで、それに対抗すべく、胡散臭い連中を雇っているとか、いないとか』

『だから、もしかすればですが、弟さん(がわ)の使用人達に上手く話をつけることができれば、コトを丸く収めることも可能かもしれませんね……それを、どうやってすればいいのかは、私にもわかりませんが』

 

「コトの真偽は僕にもわからないけど、マリマーネさんがそれをそう言っていたことは確かだよ」

「……やってくれるじゃない」

「……ラナ?」

 

 無償で情報だって?

 

 とんでもない、これは私への銃弾だ。実弾といってもいい。

 

 確かに、マリマーネにしてみればレオには無償なんだろう。レオには。

 

 けど、商人間の貸し借りはそんなモノじゃない。少なくともこの世界ではそうだ。マリマーネは、その情報を元に「助けられた」「私からは」しっかりと、なにかを返してもらうつもりでいたに違いない。

 

「たまには表裏のない会話も、いいものですね、だって? いけしゃあしゃあと」

「よくわからないけど、どういうこと?」

「レオは最後に、“このお礼は、帰ってから是非”って言ったんだよね? それに、マリマーネはなんて答えた?」

「え、と、“はい、期待してます”だったかな?」

「どんな顔で?」

「うん?」

「思い出して、それを、どんな顔で答えた?」

「う、うん……ええと……笑顔だったと思うけど、ニッコニッコの」

「あー、そうだよねぇ、そうなるよねぇ、商人相手にこれは褒め言葉だから、あまり言いたくないけど……あっんの食わせ者めっ」

「……ごめん、僕が話したマリマーネさんの言動に、ラナの推測でいいから、その言外の意味を足してみてくれないかな?」

 

 えーっと、つまりね。

 

『あー……【ラナさんならこれがどれくらい重要な情報か、わかるんでしょうけど】レオ君は、ラナさんほどこういうことに慣れてないみたいですから、率直に言いますけどね、私も前金を受け取ってしまった以上、あなた達に()んでもらうわけにはいかないのですよ。残りを【あとあとラナさんから取り立てる分も】とりっぱぐれてしまいますからね。契約を交わした以上、【加えて恩を押し売りした以上、】我々が目指すべきはどちらも勝者(ウィンウィン)……【まぁ当然、取り分は私の方が、多く取らせていただきますが……】そうじゃないですか?』

 

「ちょっと待って、かなりラナの悪意が混じってる気がする」

「ソンナコトナイヨー」

「なんで片言なの?……というか……それってそんなに重要な情報?」

 

 ……あのね、レオ君。

 

「お貴族様の家中(かちゅう)……特にその混乱の情報はね、それこそ値千金の情報なんだよ?」

「……そうなの?」

「言い換えよっか、そういう情報を握るってコトはね、つまり“相手の弱み”を握るってことなの。権力闘争でそれは、物凄く重要なことなの」

「……そういうものなんだ?」

「そんなものなの」

 

 それに。

 

「しかも伯父さんは、降格させられたとはいえ今でも財務省のお役人さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()のハズ」

 

 伯父さんは正式に家督を継いでいる。それすらも危ぶまれるような判り易い莫迦(バカ)では無かったということだ。なら、情報の秘匿に関する知識と技術、その心得は、親よりきちんと受け継いでいることだろう。

 

 その手腕によって築かれる防壁は、手の内を知っている身内であるとか、同じくらい情報の秘匿に長けていて、その突破方法も知っている凄腕のスパイであるとか、そういうのでない限り簡単には破れないはずなのだ。

 

 だからそれは、銃弾とも同じくらいに危険なモノということであり。

 

「そもそも、それを探ろうとすること自体、危ない。これは商会の信頼問題に関わる話。ドヤッセ商会は人脈と、そこにおける立場と地位を大切にしてきた普通の商会……のはずだから、そういう情報を意識して集めていたなんてこともない……と思うんだけど」

「……普通じゃない商会は、そういう情報を意識して集めるものなの?」

「王都が綺麗なだけの都じゃないってことは、レオも知っているでしょ? 今日……もう昨日かな? この一日だけでも、随分と意識させられたことだし」

「……まぁ、それは」

 

 まぁ……裏社会のことなんて、私も実際のところは、よく知らないんだけど。

 

 ただ、脅迫を()()()の一部とする商会くらいなら、普通にその辺にあるだろうなぁとは思う。そんなものだ、世の中なんて。お花畑を夢見たところで、現実は何も変わらない。

 

 本当に、それが、わかっているの? マリマーネ。

 

「でもその情報は、元々秘匿されていなかったって可能性は?」

 

 そんなの。

 

「ありえない。だったら()()()()()()()()()()()。私の誘い受け作戦……囮作戦は、そんなことになっているなんて夢にも思わなかったからこその作戦」

「え」

 

 もっといえば、「頼れる人がいなかったから、全部自分で考えて実行した作戦」ということでもある。伯母さんを動かすにも、証拠がいると思ったからだ。

 

 けど、伯母さんがママの実家の実権を握っているのなら、誘拐犯達はどうやって雇ったのかって話にもなる。お金だってあまり動かせないはずなのに。最悪、与えてる()()()()、違法の可能性がある。例えば財務省内の秘匿事項であるとか。

 

 なら……。

 

 それなら、伯母さんが共犯、もしくは主犯ということは?

 

 うん……ないな、伯爵家の権力が一部でも使えるなら、誘拐なんて手段は選ばない。私を潰すにせよ、取り込むにせよ、他に方法がいっぱいある。もっとリスクのない方法がだ。

 

 一億円、持っている人が、百万円を得るために極刑覚悟の手段に頼るのかって話だ。誰だ、お前には百万円の価値もないだろうって言ったの。その通りだよチックショーィ。

 

 となると、ますますわからなくなってくる。

 

「レオと初めて出会ったあの日から、私は何度かパパと会っている。伯母さんとも少しだけ手紙のやり取りをしている。そこに、ママの実家の、そうした現状を思わせるような何かは無かった。ドヤッセ商会と似たような立ち位置であるロレーヌ商会、その会長であり、一応は身内であるはずのパパが知らなくて、当事者である伯母さんが姪っ子にも知らぬ存ぜぬの態度。なら、これは、きちんと秘匿されていた情報だよ。……ガセネタじゃないなら」

 

 ねぇマリマーネ。

 

 おぃマリマーネ。

 

 もしかして、お前は……。

 

「……なんていうか、凄いね、ラナ」

「全然。これでわかるのは、私は道化師だったってことなんだからね」

 

 意味もなく踊った。意味もなく踊らされた。

 

 誰に?……運命に。

 

「つまり、マリマーネは本来持っていないはずの情報を持っていた。それを、私へ、“持っているよ?”と示してきた。なぜ?」

「……なぜなの?」

「ひとつには示威行為(しいこうい)。私にはこれくらいのことができるんだよーって見せ付け」

 

 それは、マリマーネの個人的趣味というか、欲求の部分だろう。

 アレは商人であることに誇りを持っているタイプの人間だった。

 どちらも勝者(ウィンウィン)が理想であるとはいえ、そこに個人の自尊心、虚栄心が混じらないなんてこともない。マリマーネのニッコニッコな笑顔は、「してやったり」の笑顔だ。ムカつく。

 

「もうひとつは自己紹介と立ち位置の提示。ドヤッセ商会はそうした情報を“商売(シノギ)”とするような商会ではありませんよっていう、ある意味では弁明のようなもの。その上で、でもあなたならこの情報、高く買ってくれますよねって、言っているの。そして、そのことが“なぜ?”へのみっつめの答え」

「つまり?」

()()()()()()。つまりマリマーネも()()()()()()()だってこと。まだ、なにかあるんだよ、これには。これまで話したことで言えば、どうしてマリマーネがそんなことを知っていたか、その情報が完全に抜け落ちているからね、()()()()()()()()()()()()その部分が、完全に抜け落ちている。つまり、そこが気になるなら聞きにくればぁ? って言っているのよ、これは、レオを通して私へ」

 

 はー……と、レオが横で長い嘆息を()く。その息が私の耳に少しだけ触れてくる。生乾きの髪がほんのりと揺れた。

 

「もちろんこれは、あくまで私の推察ってだけだけど」

「あの短時間で、マリマーネさんがそこまで計算していたのだとしたら、凄いね。ラナもだけど」

「……剣士が剣で人を斬るように、商人は情報とその運用で人を斬るの。私のそれは、レオの剣の冴えに比べたら全然だよ」

「僕のはまぁ……多分例外なんだと思うけどね……え?」

 

 肩を落とすレオの、その頬へ私は唐突にキスをする。お風呂上りの、ぷるんとした感触がそこにある。

 

「ん」

 

 そのまま、私はレオの顔を自分の方へと向かせ、唇をも重ねた。すこし、心に、痒いところが引っかかれたような、奇妙な快感が生まれてくる。それは、そのまま掻き毟ればなにかが破綻してしまうと確信できる……刹那的な充足感。

 

 だから数秒で唇を離して、目を開けると、ビックリしたようなレオの顔がそこにあった。可愛い。女装の時も可愛いと思っていたが、これはまた、それとは違う感情、情動(じょうどう)のような気がする。抱きしめたいという圧倒的感情が、諸々の雑念を突き破り心の最前線で舞い踊っている。

 

 だけど。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 だけど……そうはしない。

 

「僕は」

 

 ここからは私の戦場だ。

 

「レオを、この戦いに巻き込んだのは私。レオが人を殺したのは、人殺しのスライムを討ち取ったのは、私を助けるため。私はレオが人殺しであることを知って、()()()を求めた」

「ん……ぅう?」

 

 レオの肩を両手で掴み、そのままでまたキスをして、今度は少しだけ舌でレオの上唇をつぅ……となぞる。お風呂上りの上気した顔で……レオはだけどうろたえることなく、私のすることを全部受け入れてくれる。

 

「動じないの、生意気」

 

 でも、それは。

 

 はしゃぐ犬の、好きなようにさせてあげようとする飼い主の鷹揚(おうよう)にも見えて、少しだけ憎たらしいと思った。どこか頭の片隅に、レオを滅茶苦茶にしたいと叫ぶ声がある。私が男性で、レオが女の子だったなら……私は……今ここで本当にそうしていたのかもしれない。

 

 だけどそれは、そうじゃないから()いのだ。

 

「落ち込みから復活したと思ったら、また随分と無茶苦茶を言うね、ラナ」

「キス、私とが初めてでも、ないんでしょ?」

「今も生きている人とのキスは、あの日が初めてだったよ?」

「……そう」

 

 窓の向こうに見える、ふたつの月、その重なり合った姿に、なぜか寂しさを覚える。

 

 だから左手の薬指と小指を曲げ、その痛みに満たされて……満たされた気になって……私は暴れそうになる胸の(うち)をなだめ、言葉を続ける。

 

「私がレオを、人を、殺すかもしれない状況に巻き込んだ。今日のことは、その想定の通り……ううん、()()以上。レオが何をしようとも、そこにあるのは栄光だけ。罪は私にある。レオがそれを背負う必要なんか、ない」

「……僕があの男を、殺すことに意味は無かったって言うの?」

 

 それは……●◆▼共犯▲●▲●▼●嬉▲▼■▲★◆▼■。

 

「意味はあったよ。私があそこで()()できたかどうかはわからないからね。だけど、結果として、私達は誰にも咎められることなく、こうして(いえ)へと辿り着けた。それはレオの判断が正しかったって証拠で、私は感謝しているの」

 

 失ったモノも多い。

 

「だから今度は私の番。レオに助けられ、レオに勇気をもらったから……私は私の戦場で戦うの」

「戦場って? ラナが戦うの? 誰と?」

 

 レオはもう女装することができないだろう。それはもう、おたずね者の姿となってしまったから……いや重要参考人かな。

 

「ずっと逃げ続けていた……社会と……かな?」

「……確かに、剣では戦えない相手だね」

 

 王都中の、金髪のメイドさんにはごめんなさいだけど、もはやレオにあの格好をさせるわけにはいかない、捕まえさせるわけにはいかない。これに、漏れるところがあるとすれば……コンラディン叔父さんか、(ウチ)の使用人か、例の美容院か、マリマーネか。

 

 叔父さんが事件の概要を聞き、それを私と関連付けた場合、密告する(チクる)前に私へなんらかの連絡が来るのではないだろうか。一応は親族、問答無用は……ないと信じたい。

 

 使用人は、私の魔法である程度はその動向を掴んでおくことができる。一応、それなりに長年の付き合いがあるから態度の変化もわかりやすい。私に全く悟られることなく密告するというのは、難しいことではないだろうか。

 

 美容院の場合、あそこはお貴族様お大臣様が利用する超高級店だし、私は伯爵家の正妻である伯母さんの口利きで会員になっている。それはつまり、お店にとってみれば、私は大切に扱わなければいけないお客様であるということだ。相手が国であっても、情報が不確かな内はそれを簡単に渡したりはしないだろう。

 

 そしてマリマーネは……()()()()()()……か。

 

「マリマーネのことは私に任せて」

「うん?……うん」

 

 もういい。

 

 マリマーネのことは、明日からだ。

 

 ただ……。

 

 もうひとつ、私達が警官に連行されるかもしれないルートがあって……。

 

「わぅん?」

 

 それは言わずもがな、やれやれといった様子でレオの足元に佇んでいる有名犬、マイラだが……。

 

 これは、もうどうしようもない……。

 

 今もまた、こちらの言葉を理解しているみたいな、人間のような反応を返しているけれど、それでもマイラは犬だ。犬畜生でお犬様だ。年齢的には立派な老犬でもある。レオの話では、随分と老犬らしからぬ動きをしてみせたそうだから……「勘弁してくだせぇよ旦那、当家の老いぼれに、そんなことができるわけないでがしょ?」とでも言えば……誤魔化せ……なくも……ない……のか?……どうして三下口調になっているのかについては、私にもよくわからないけれど。

 

「わふん?」

「どうしたマイラ……今日もお前の瞳は愛くるしいな……って、いきなり何するの、ラナ」

「知らないっ」

 

 このサイズのピレネー犬は、王都では珍しいとはいえ、いくらなんでも一匹だけということもあるまい。ペットショップの小母さ……マダムも、最近また出るようになってきたと言っていた。犬は一年で成犬になる。そして一歳の犬と十歳の犬の差を、遠目で見分けられる人は少ないだろう。というか私にもわからない、こんなに近くで観察してみても。

 

 それでも……聞き込みか、事情聴取は……高い確率でされるだろう。

 

 問題は、警官連中がそこにおいて「どれくらい真相に迫った推測をして」「どれくらい本気でやってくるか」だ。まず、警官が四人死ぬというのは確かに大事件だが、幸いと言っていいか、そこにおける被疑者……否、真犯人は既に死亡している。

 

 最悪は、とにかくなんでもいいから事件を解決した(てい)にしたくて、「スケープゴート」を探すというものだが、マイラとメイド姿のレオは、あくまでも「スライムを狩った(がわ)」であって、「白昼堂々警官を四人を殺した犯人」ではない。ここの真犯人の死亡については多くの警備兵が証言してくれるだろう。そこに「スケープゴート」は必要ない。

 

 だだ……今日、か昨日かに起きた事件は、それだけではない。

 

 いかがわしい服屋の店主が死んでいる。

 

 ゴロツキ五人も死に、その(そば)には偽の警邏兵(けいらへい)も死んでいる。その建物の一階の床には、犯人が逃走(もしくは侵入)に使ったと思われる大穴が開いている。

 

 これらを、国家公務員連中が、どう関連付けるかが問題になってくる。

 

 スライムへ全てを押し付け、処理しようとするか、それとも警官殺しの現場に居合わせたメイドと犬へ疑いの目を向けるか……前者なら犬、マイラの飼い主として事情聴取される私への追及は、そこまで厳しいものにはならないだろう。だが、後者だとどうなるかはわからない。

 

 人間は、組織として動くとどうしようもないほど莫迦(バカ)になる時がある。逆に、無意味なほど鋭い者が現れることもある。さすがに……その全てに想定して備えるなんてことはできない。というか、備えたら、それこそ不審がられるだろう。ある程度のパターンを想定しながら、出たとこ勝負で行くしかない。

 

 私が、殺▲▼▲●◆■▼●★実だ。

 

「ラナ? また顔がこわばっているけど、大丈夫?」

「……大丈夫」

 

 私は、知らぬぞんぜぬを貫けるだろうか? 好材料をあげるなら私は黒髪で、どうやっても行方知れずとなった金髪のメイドさんにはなれない。カツラまで疑われたらどうしようもないけど、それでも私の身体は、どうみても剣を振り回せるようなシロモノではない。そろそろ飛んだり跳ねたりは痛いのですよ、ええ……どこがとは言いませんが。

 

 いやまぁ、それを言ったらレオの今の体格であってもそうなのだけど……幸い、メイド服というのはそこそこ体型がわからなくなる服でもある。というか、そういうのを私は選んだ。フレンチでハレンチなメイド服っぽいのも並んでいた中で、わざわざビクトリア(ちょう)調(ちょう)の禁欲的なのを選んだ。ロングスカートでなければ剣を隠せなかったからだ。なら、警官が想定する金髪のメイドさんの身体には、それなりに筋肉が付いていることだろう。

 

 メイドさんというのは、そもそもがお貴族様に仕える特殊な立場の方々だ。そのほとんどは貴族家の生まれで、言ってしまえば、平民から見た場合、それは軽く()事無(ごとな)きお方々であるということでもある。少なくとも、商家の娘などよりは遥に上の身分をお持ちなのだ。

 

 その上でレオが見せた戦闘力……これってこう……傍目(はため)には()()()()()()()()()()が絡んでいそうに見えるのではないだろうか?

 

 警官は国家公務員だ。ゆえに彼らは国家権力に(おもね)る、(へりくだ)る。

 

 それへ忖度(そんたく)をするなら、積極的な捜査にはならない可能性もある。あくまで可能性だけど。

 

 ただ、ここも「想定して備えるなんてことはできない」だ。

 

 最悪、ここで「スケープゴート」を探すなら、「お貴族様」ではなく「商家の娘」を選ぶことだろう。「お貴族様が絡んでいそうだから有耶無耶(うやむや)にしよう」となったとして……だがその先で、国家公務員連中が「犯人逮捕には至らず迷宮入り」を選んでくれるか、それとも「適当な犯人を探し出して、そいつに全ての罪を()(かぶ)せてしまおう」の方へ流れてしまうか……それがわからない。

 

 まぁ……そこで生贄にされる可能性が高い私は……一部の★行におい▼は確か▲真▼人なのだけど……。

 

「……」

「わぉん?」

 

 ああっ……どうしてでしゃばってきちゃったのよ、マイラ。

 

 いやわかってる、事情は聞いて、わかっている……マイラがレオの元へと駆けつけてくれなかったら、レオは伯父さんの家に襲撃をかましていたのかもしれない。そっちの方がより面倒なことになってしまったはずだ。そもそもの話、油断していた私が悪いのだ。もとより、幼女の姿をしたスライム(だったという存在)にチョコバナナべっちょり攻撃を許した私が悪いのだ。それは、誰のせいにすることもできない。

 

 だけどマイラが……せめてもっと……どこにでもいる標準サイズの犬だったなら……ママのせいでピレネー犬の人気が下がっていなかったら……(うち)の使用人達が日に何度もマイラを散歩させていなければ……マイラが妙な知名度を集めていなければ……そういう「もしも」が、排水溝に詰まった髪の毛みたいに、思考の流れを邪魔してくる。

 

「ラナ?……ねぇ、本当に大丈夫?」

「うう……」

 

 心がまた沈んでいく。

 

 一時(いっとき)は浮上したと思っても、直面している現実が私をどうしても許してはくれない。

 

 それくらい、今の状況は、最悪を考えればキリが無かった。

 

「……どぅしたらいぃんだろぅ」

「ラナ?」

 

 夢の世界では、謝罪会見まで開いているのにけして謝ろうとしない「責任者」というモノがいた。それは、あの世界においては炎上に油を注ぐ結果となっていたようだ。

 

 だけど、私は今、謝らない責任者の、その気持ちがわかるような気がする。

 

 だってそこにおいて求められているのは「全面的な謝罪」だ。自分が知っている事件の全てを公表、説明をして、その上で自分が悪かったと認めて、世間を騒がせたことを含め謝罪する……そういうことが、「責任者」には求められる。

 

 私は、私の知っている全てを(つまび)らかにすることができない。だってそれは、レオのことも全て明らかにしなければいけないということであり、そこには重層的な困難と苦難が伴う。レオがスラム街出身であること、王都民の多くは大なり小なりスラム街の住人にネガティブな感情を抱いていること、特異な「無敵」の能力は、国に知られれば高い確率で軍へ徴収され、特定の生き方を強制されてしまうだろうということ……殺人の罪があるというなら、その扱いは真っ当なものとはならないであろうということ。そうした諸々のことが……私に口を開かせることを躊躇(ためら)わせる。

 

 そして、「全ての」騒動の原因が自分にあったわけでもない。それは本当に間違いないことだが……全てを公表、説明できるならそれを(信じてもらえるかは別として)主張することはできるが、そうでない以上、私の言葉には嘘や誤魔化しが混じる。そこにきて更に「全ての責任が私にあるわけじゃないのに」という感情が入り混じってしまったら……それはもう、人の目にはもう、どうしようもないくらいに……不誠実な人間の態度として映ることだろう。人は嘘や誤魔化しの混じる言葉では納得しない、不誠実な者へは苛立ちを禁じ得ない。こうして「全ての」騒動の原因は……あるいはその全ての罪と罰までも……スケープゴートへと押し付けられる。

 

 勿論、これらは一般国民の感情の問題であって、国家警察における取り調べの問題とは全く違う種類の話なのかもしれない。だけど、この「スケープゴートへと押し付ける」という部分に関してだけいうのであれば……構造としてかなり似ていると思う。押し付けられるのが社会的な死か、それとも法律に(のっと)った罪と罰か……そうした違いは確かにあるが、類似点は多い。それによって冤罪が生み出されたとしても、多くの場合、()()()に対しては誰も責任を取らないという点を含めて、だ。

 

 別に……夢の世界のいわゆる「知る権利」とやらを否定するつもりはない。それもまた歴史が神話となって生み出された共同幻想の一種なのだろう。健全な社会のため、それが必要であると判断したその先の社会が……期待通り健全のまま推移していくのかどうかについては……そこから外れてしまった自分にはもうわからない。

 

 だけど、間違いなく言えるのは、権利とは、それもまた兵器であり(やいば)であり、無闇に振り回せばいいというモノではないということだ。「知る権利」を兵器として、(やいば)として振るった時、そこに展開されるのはただの自白の強要であって、その先にあるモノが真実であるとは……限らないということだ。

 

 わかってる。大多数の人間にとって真実などは重要ではない。重要なのは「自分が納得できる答え」だ。

 

 例えば私に、ママの心の真実なんてモノはわからない。もうわからない。ママはもう既に壊れてしまった。私が近付くだけでおかしくなってしまう人を相手に、何を聞けばいいというのだろう。無理矢理聞いたとして、何を得られるというのだろう。だから私はそこの「真実」を求めたいとは思わない。もう、思えない。

 

 髪の生え際の小さな傷は、もうそれがそこにあると、意識することも少なくなった。

 

 私はママの真実がどうであるとかは、もうどうでもいい。ただ、いつか「自分が納得できる答え」が欲しいとは思っている。それはつまり、私だってそういう人間だということだ。

 

 納得できる答えが得られるなら、兵器でも(やいば)でも振り回したいという感情も、わからなくはない。私も、ママがあんな風に弱っていなければ……そして私自身がママにとっての特効兵器とさえなっていなければ……もっと昔の段階でそうしていたのかもしれない。

 

 だけど……自分の親に怯えられるという……私だけの記憶(思い出)を、歴史を、神話を手に入れ。

 

 私の中に生まれた幻想(ファンタズム)は、真実を求め、伸ばすその手が、真実を歪める、壊すこともあるのだという……ある種の絶望だった。

 

 科学ジャンルでいえば観察者効果が、心理学ジャンルでいえば実験者効果が、ミステリージャンルでいえば後期クィーン的問題が、似たような絶望を伝えるが、真実を知るというのは、それくらいに難しいことなのだ。兵器を振り回し、(やいば)を振り回し、それで得られるのはボロボロになった「真実の成れの果て」でしかない。それで納得できるならいい、けど、ママとの確執の問題において私は、そんなモノを手に入れるくらいなら、何もしないことの方を選んだ。

 

 私がママを、ボロボロにするわけにはいかなかったから。

 

 どうせ私は『“親しき者の死に何もできなかった”』その程度の人間だから。

 

 自分に、ナニカができるなどと、(おご)ってはいけない。

 

「ラナ? ねぇ……また(ろく)でもないことを考えているんじゃないの?」

 

 私は★▲▼だ……いや、もう誤魔化さずはっきりさせよう……私は殺人者だ。

 

 そこには責任がある。私はまごうことなき「責任者」だ。

 

 兵器を振り回され、(やいば)を振り回されて、「ボロボロになる責任」があるのかもしれない。それが人の、人権などという幻想(ファンタズム)とは違って、生まれた時から確かに持っている応報感情(おうほうかんじょう)という本能へ、私が奉仕できる唯一の手段なのだろう。

 

 ママの過去も、そのママに愛されなかったという生まれも、幼くして引き籠ったという経歴も、「自分が納得できる答え」それだけが欲しいのであれば、甘露のようなモノだろう。それは凄く「納得しやすい」材料だからだ……何に対しての納得?……決まっている、私が、「自分達とは違う」「異常な人間」であるという事実、あるいはボロボロになった真実に対して……だ。

 

 ああそうだ、事実、私は異常な人間なのだろう。平穏無事に一生を過ごせる幸せな人達とは違う、もう違ってしまった。

 

 だけどその納得は、真実ではない。真実はもっと複雑で、面白くなく、簡単には納得できないものだから……その複雑に、つまらなさに、誰も耐えられない……私も。

 

 そんな風に、されるくらいなら、私は。

 

「わぅん」「ひゃんっ!?」「わっ」

 

 ふと、頬に温かな何かを感じ、(うつ)ろに開いていただけの目に光を戻す……と。

 

「ぇ?……」

 

 気が付けば、答えのない迷宮に、囚われかけていた私を。

 

 そうして、怖い顔をしていただろう私の右の頬を……マイラは。

 

「くぅん?……」

「ま、ま、ま、ま、マイラ!?」

 

 舐めていた。ピンクの舌先でこう、ペロペロと。

 

「……なるほど」

「えっ!?」

 

 すると、何を思ったのか、レオも、マイラとは反対側の頬を舐めてくる。

 

 ペロペロと、チロチロと。

 

 こそばゆいような、おもはゆいような、よくわからない感触が私の裡と外を撫でていた。

 

「えー!? な、な、な、何この状況!?」

 

 両脇から挟まれ、逃げ場がなく、思わず両拳(りょうこぶし)を胸元で固めたまま、自分の足だけがバタバタと、意図しないまま別の生き物のように動く。スプリングなどは入っていないベッドだから、ギシギシという間抜けな音はしなかったものの、お尻の下でバッタンバッタンとコントのような音が響いた。ああ……そこへブーブークッションでも仕込んでいたら、さぞかし愉快な音楽会になったろうな……と阿呆(あほう)なことが頭をよぎっていく。いやいやいや、阿呆も阿呆すぎるでしょ。よりによってブーブークッションって。間抜けが限界突破し過ぎてる。この世界にブーブークッションなんてない。そんなの、さすがに作っても売れないよ!? っていうかなろう系主人公で誰かした? ブーブークッションで大儲け。寡聞にして私は知らないよ? ブーブークッションチート。

 

 って何の話!?

 

「……って、いつまでそうしてるの!? ふたりとも!」

「んっ」「わぅん」

 

 握っていた拳を開き、両利きのマニピュレーションでふたりを押しのける。ふたりっていうか、ひとりと一匹だけれども。

 

「なんなのよ! いったい!?」

「わんっ!」

 

 ええい、大声で鳴くな。深夜だぞ!

 

「人がこれからのことを真面目に考えてる時に!……っていったーい!?」

「ふむ」

 

 気が付けば、今度は、レオが私の左手の薬指をぎゅうと握っている。

 レオの親指と人指し指、その腹の部分が、ちょうど噛まれて出血した部分を包み込むように持っていた。

 

「ラナ、声が大きいよ。使用人の人が何事かって来ちゃうんじゃない?」

「っ……」

 

 誰のせいよ……もうっ。

 

「でも、さすがはマイラだね。よくわからないけど、一番いいところでラナの意識をこっちに戻してくれた気がするよ」

「……私、そんなに怖い顔をしていたの?」

「うん、でもそれはラナが怖いってことではなくて……ラナが、どこか遠くへ行って帰ってこれなくなってしまいそうで、すごく怖かった」

「……そう」

 

 ふんわりと握り、だけどけして放してくれようとはしない、レオの手の、そのぬくもりを感じながら、私は。

 

 どうしたことか、自分でもわからない、刺すような寂寥感(せきりょうかん)に駆られ、思わず窓の外の、冷たい夜空を見上げる。

 

 月は、今はもう重なり合った状態から少しずれ、ふたつの月へ戻ろうとしているその途上にあった。私は、そのことを寂しいと思ったのかもしれない。

 

 本来、月はふたつであることの方が通常の状態で、神楽舞(かぐらまい)の季節だけが特別で……だからこそ、この世界の住人は月が重なるその姿に神秘を感じ、特別視をして(まつ)り、(まつ)っているのだけれど。

 

 それでも、だけれども。

 

 ……嗚呼。

 

「綺麗だね、月」

 

 レオの、月を追うそのまっすぐな視線に、私は想う。

 

「……うん」「わぉん」

 

 両脇にレオとマイラの体温を感じる今、この時だけは……私は、それこそが常態であったらよかったのにと……人が、孤独を感じなくてもいい存在であったらよかったのにと……そう想わずには、いられなかった。

 

 

 



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epis37 : world's end, girl's rondo


 ※前書き

 最長の一話となりました。内容もミステリー要素を含んでいるので、お好みの飲み物などを飲みながら、ゆっくり読む方がいいかもしれません。

 幸い、コメディ要素は薄いので、口に含んだものを噴いてしまうということもないと思います。



 これはある種の出題編です。次話が解答編(冒頭に答えがあります)です。とはいえ、ここまでにもヒントは沢山バラ撒いているので、「もうわかってる」ということもあるでしょう。その場合はラナかマリマーネか、もしくは作者の愚かなる振る舞いを、ほくそ笑みながら読んでいただけると幸いです。

 口に含んだものを噴きだしてしまうようなヤラカシは無いとは思いますが……さて。



 

 雨が降っていた。

 

 しとしととした、(しばらく)くは止みそうにもない(ゆる)(なが)い雨が、朝からずっと降り続いている。

 

 第一の晴日(せいじつ)であった一昨日とは、うって変わっての天気だ。女心と秋の空はなんとやらという、前の世界にもあった(ことわざ)が思い出される。

 

 雨の日の王都は、当然だけど着飾った人の群れが、街並みから消える。

 

 代わりに、実用的な服を着た労働者であるとか、その雨合羽(あまがっぱ)を羽織ったバージョンであるとか、それらとは真逆(まぎゃく)ともいえるお貴族様、お大尽様の屋根付き馬車であるとか、そういうのが往来(おうらい)をあっちへこっちへ()()していく。

 

 警備兵、警邏兵(けいらへい)も雨合羽を着て職務に励む。今はまだブルーグレーの、警邏兵の制服に嫌なことを思い出してしまうため、それが半分以上見えなくなっているというのは、私にとって良いことでもあった。主に心の平穏的な意味で。

 

 傘も、あるといえばあるのだが、使い勝手のいい畳めるタイプは結構な高級品であるため、広く流通しているとは言い難いものになっている。具体的には銀貨五十枚から金貨二枚くらいはする。円換算十万から四十万円くらい。そんな物がポンと買えるお大尽様であれば移動には馬車を使うため、どうしても買う人が限られてしまう商品だ。結果、王都で傘を()して歩く人は非常に珍しくなってしまっている。

 

 自分自身の話をすれば、私はそんな傘を二本も持っている。銀貨八十枚くらいのを一本と、金貨一枚と銀貨五十枚くらいのを一本、どちらも去年、雨の多い癒雨月(ゆうげつ)の頃に買ってみたものだ。その感想をいえば……重かったの一言に尽きる。フレームが持ち手以外全て金属製であるためか、それとも撥水性(はっすいせい)の布が嵩張(かさば)るからか、はたまたずっとひきこりだった十二歳の身体能力(しんたいのうりょく)が予想以上に貧弱だったのか……それはともかく、持って数分で腕が痛くなってくるほどに重かった。二本目を買ったのは、一番軽いとされているモノを買い直したからだが、それでも、それであっても数十分ともたなかったため、私の中でこの買い物は、無かったことにされている。

 

 そーゆーわけで本日、どーしよーもなく出かけなければいけない用件があるこの日にあって、私達が選んだのはフツーに、あたりまえに、常識的で良識的な判断に従って、雨合羽を着るという、ごく平凡な選択であった。

 

 ただ、これには利点もあった。

 

 傘の件からもわかる通り、この世界にはビニールがない。

 

 あるのは撥水性の布で、それは結構嵩張るし厚みがある。

 

 雨に濡れたとて、透ける心配のまったくない素材であるということだ。

 

 だからそうした素材で造られた雨合羽も、着ればその下の体型や体格がわからなくなる。

 

 レオにはもう、女装してもらうことができなくなった。

 

 だけど雨合羽を着込み、ついでにフードも被れば、それはもう女性であるか(背丈的に成人男性ではないにせよ)男性であるかもわからなくなってしまう。誘拐犯の残党がいまだ残る(であろう)この現状にあっては、好都合であるとも言えた。

 

 もっとも、レオの正体について、どれくらいの情報が相手方へ渡ってしまったのかについては……よくわからないところだけど……少なくとも曇っていた昨日、どうしても必要なことだからと採った手段よりは、ずっと気が楽だった。

 

「……というわけで、この雨の中、野暮ったい雨合羽を着て、遠路はるばるわざわざやって来てやったぞ、さぁ()けホラ吐けどんどん吐け」

「これはまた、席に着くなり、いきなりですね」

 

 そんなわけで、雨の中を押し、外出しての……マリマーネとの再会である。商人バトル再演のお知らせである。運命様捲土重来(けんどちょうらい)である。何を言ってるかわからねーと思うが私もわからねー、頭がおかしくなりそうな今のこの状況を、ありのままに言葉にするなら、これはもうただのヤケクソである。

 

 ここはマリマーネが総責任者を任されている例のお店、その店内の一室。前に通された部屋とは、内装こそ違っているが階は同じ、規模感も同じ。……その意味はわかるけど、意図はまだよくわからない。だけど高級そうなテーブルを挟み、向こうにソファに座ったマリマーネ、こちらに同じく私、その斜め後ろの壁際にレオが立っているというその構図は、前と同じだ。

 

 違うのは……マイラがいないことくらいか。

 

「ほら、ちょっとは下手(したて)に出てる風を装うために最高級のチョコレートケーキ持ってきたから、それを食ってとっとと吐いて」

「あむあむあむあむあむ」

「よくわからないけど、ふたりの会話に僕がついていけなそうだなぁ……ってことだけはもうわかる」

 

 ここに、マイラがいれば、今のレオの言葉に「くぅん」とでも頷いたのであろうが、さすがに今、マイラを私達と一緒に行動させることは……というかレオと一緒に行動させることは……できない。

 

 記憶というのはネットワークで繋がっているものだから、連結した物事に関しては結構敏感だ。音楽を聴くと、それを聴いていた時、場所、状況についても思い出したりする。白い犬とメイドさんという「組み合わせ」を記憶した者は、白い犬を見ただけでメイドさんのことも思い出す。その時、(そば)に同じ金髪、似た体型のレオがいたとしたら……つまり……そういうことだ。

 

「ふぅ……それにしても、レオ君は見違えましたね。とびっきり可愛い不良少女が、ノーブルな雰囲気すらも漂わせる美少年になるとは……いえまぁ、元が美形だっだと考えれば当然のことなのかもしれませんが」

 

 ひとしきり私の手土産(スィーツ)をむさぼり、自前の紅茶を飲み干し、極端な垂れ目を上げたマリマーネは、視線をすぐさまレオの方へと移した。

 

 マリマーネは笑っているが、場には奇妙な緊張感が感じられる。

 

 それはまぁ、当然のことだが。

 

「……随分と褒めるじゃない、レオのこと」

 

 まずは、会話は、前哨戦。

 

 ふたりとも「主導権争い」の前段階として、相手のペースを崩し、自分のペースに巻き込むことを意図した行動(ケーキ食え、とか)をして、言葉を発している。

 

 そんな中、マリマーネが放ってきたこの一手は、つまりは「おべっか攻撃」だ。

 

 私自身にはあまり効果がないと判断し、その同行者へとお世辞を飛ばしてきたのだ。

 

 ただ悔しいが、それは私には有効だ。レオが褒められるのは嬉しい。思わず反応してしまった。

 

 だが。

 

「ラナさんは、どちらの方が好みなのですか? 女装した姿のレオ君と、ありのままのレオ君」

 

 少し気持ちがふわっとしたところへ、爆弾を投げつけられる。顔がピクリと硬直したことで、ああ……自分は今、笑っていたんだな……と気付いた。

 

 いけない、いけない。

 

「……随分と下世話なことを聞くのね」

 

 でも、そんなのは。

 

「先日は()()()レオに良くして頂いたようで、どうもありがとうございました。余計なおせっかいは、マリマーネさんこそレオを気に入ったからですか?」

 

 そのような「煽り」がくるのは、想定済みだ。

 

 そのラインで攻めてくるなら、こちらはその揚げ足を取る。「(けん)」に回り出方を(うかが)って機を待つ。その揚げ足に、(やいば)が付いてないかもついでに確認しよう。

 

「ふふ、ご安心下さい、私は、女の幸せより商人としての栄達を望んでいます。この身体の使い道も、既に定まっておりますから」

「ふーん」

 

 はいはい、そういうことにしたいってことね、了解。

 

 まぁ……既婚者であるパパが丁稚とデキてる家庭に育った身からすれば、婚約者がいるからなんだって話だけど。

 

「別に、商人としての栄達と女の幸せは、両立しないモノでもないと思うけど?」

 

 ひとりの男性を絶対視して、それへ己の全てを預けるような恋ばかりが女の幸せではない。商人として栄達の道を歩みながら、その片手間に、その時々、近くにいる適当なオスを喰いながら生きていく……そういうのだって、本人が満足ならそれでいいのではないだろうか。

 

 まぁ……「女はひとりの男性を愛してこそ幸せ」という山に登ってる人からは、「アバズレ」であるとか「可哀相な人」であるとか、まぁ……妙なマウントを取られるかもしれないが、マリマーネが登りたいのはまず商人の(いただき)なわけで、何も気にすることはない。ついでのように、つまみ食いのように得る「女の幸せ」で、それの何が悪いというのか。

 

 どうせ女社会では、どんな風に生きていたとしても、誰かしらから、何かしらで見下される。全てと付き合っていたらキリがないし、それに自分の人生を左右されるというのも莫迦(バカ)らしい話だ。マリマーネは、世捨て人にならなければそれらとの縁を切れなかった私とは違い、まだ社会との関わり方を選べる立場にある。堅実な商売を堅調に続ける商家に生まれ、実家との縁が切れなければ経済的には困らないという、恵まれた立場にある。なら、ワガママに生きればいいのだ。そのことへ文句を言う気は……権利もだけど……少なくとも私にはない。

 

「どっちも手に入れるって強欲の(ほう)が、商人()()()んじゃない?」

 

 ま、そうは言っても、そんな人にレオは渡せないけどね。そんな人じゃなくても……だから、同じことだけど。

 

「それは、大変進歩的な考えで好感を持てますが、私の場合は両立しませんね」

「ふぅん?」

「芸術品でさえ、その金銭的価値を秤にかけ扱うのが商人ですからね。ただ可愛い、ただ美少年である、ただ美形であるというだけでは、個人的興味の俎上(そじょう)へ上がるには足りませんよ」

「ただ可愛い、ただ美少年、ただ美形、ね」

 

 マリマーネはレオが特異な剣士であることも知っている。敢えてそれを外したのは、ならばそこへは個人的興味を持っているというメッセージだろうか?

 

 なら、マリマーネには見る目があるなと思うところだが。

 

 私は、マリマーネのその目が確かならいいと思う。

 

 マリマーネが、真っ当な商人であったらいいと思っている。

 

 これまでの感じ、その期待を裏切る何かは出てきてないが、この勝負においてそこの判定は非常に重要だ。それこそが分水嶺(ぶんすいれい)であるとさえいえる。外堀からゆっくりと攻め、確実に真相へと迫っていくべきだ。

 

 とはいえ、本物の外堀に、否、()()に触れるのは、まだまだ時期尚早だけど。

 

「ふーん」

 

 ま、それはそれとして。

 

「マリマーネさんは、色恋沙汰には興味が薄いんだ?」

「いえいえ、話に聞く分には、興味津々で伺わせていただきますよ?」

 

 惚気たいならどうぞどうぞと促す垂れ目に、だけど敬意はこれっぽっちも払えないなと思った。

 

 

 

「で、結局の所、女装レオ君と男装レオ君の、どちらが好きなんですか?」

「意外としつこい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくそんな感じの丁々発止(ちょうちょうはっし)を続け、やがて呆れた感じが斜め後ろから伝わってくるようになり、このままでは埒が明かないなと悟った私は、話を先に進めるため、話題を変えることにした。

 

「ねぇ、マリマーネさん……腹の探りあいも、化かしあいも、私も別に嫌いな方ではないんだけど……お互い、暇な身ではないでしょう?」

「いえ、このお店自体は結構暇なんですけどね。悲しいことに」

「なら、副業で忙しいんじゃない? どうやら情報収集が()()()のようですが」

「いえいえ、それほどでもありませんよ?」

 

 ()()をこちらから言わせたという事実に、満足でもしたのか、マリマーネは余裕の態度で応じてくる。これは、私が、この場における私の立場を明確化したということでもある。私は、マリマーネ(あなた)()()()()の結果に興味がありますよと、それとなく触れてみたという形だ。

 

 けど、それに対するマリマーネの応手は忌々しいことに「とぼける」だ。

 

 もう少しだけ踏み込んでみる。

 

「当然、一昨日に街で起きた()()()()()()、ご存知なのでしょう?」

「なんのことでしょう?」

 

 それでもまだとぼけるか、コイツ。

 

「知らないなら知らないで、あ、コイツ馬鹿だって軽蔑できるからいいんだけど」

 

 もしそうなら楽でいいんだけどなぁ~……そんな本音も交えての挑発。

 

「それは手厳しい。まぁ侮っていただけるのでしたら、それはこちらの有利ですから、構いませんよ?」

「ぐっ……」

 

 くっそぅ、この食わせ者め、わからず屋め。

 

 これ、前回侮っていただろう私にやり込められたことを、根に持っているな。

 

「ふ、ふーん、マリマーネさんは、商談では主にへりくだるタイプなんだ?」

「それは時と場合によりますね、使い分けてこその技術ですから」

「私にはへりくだった方が得策って判断? (いつ)つくらいは歳の違いそうな年下の女の子を相手に? 必要かしら、それ」

「いえ、ですから、ラナさんを相手には、時と場合により使い分ける方針ですよ?」

 

 くすくすと笑いながら、ケーキかすの着いた口の端を持ち上げる。

 

 それはまた……多分で過分な扱いを、どうもありがとうございますよっ。

 

 なるほど、今度は私のことを、侮ってはくれないってことね。

 

「それでその慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度か」

「いえいえ、これは単純に……決めかねているだけですから」

「……味方するか、否かを?」

 

「お客様とするか、否かでしょうかね? ラナ、()()

「……」

 

 首筋に、ヒヤリとしたものが走る。

 

 そう、今日のマリマーネは、私のことをずっと「ラナさん」と呼んでいる。「ラナ様」ではなく。それはつまり、私はまだお客様であると認められていないということだ。

 

 もとより、今回の主導権は、残念ながらマリマーネの(がわ)にある。

 

 マリマーネは……マリマーネ自身は、私に、情報を売らなくてもいいのだ。

 

 それどころか、それをどこか別のところへ売ったっていい。

 

 前回は、相手がどうしても欲しい()()をこちらが握っていた。だから逃げられない位置まで商談を進め、蟻地獄へ落とすみたいにして罠にハメた。

 

 今回は、相手がどうしても欲しい商品をあちらが握っている。それは私が、先の発言で明確化している。ゆえに、既に蟻地獄へ落ちているのは私の方だ。上手く這い上がって難を逃れるか、もしくは地獄の中心にいる罠の主へ一撃をかまさなければならない。

 

 もっとも問題は、そこにおけるマリマーネの立ち位置なのだけど。

 

「マリマーネさんの()()を、私以上に高く買う人間が、他にいると?」

「さあどうでしょう?」

 

 だが、そこでまたとぼけられる。

 

 うーん……。

 

 これはだめだ、真正面から攻めても、延々はぐらかされるだけだ。

 

 そもそもマリマーネは、マリマーネ自身は、この会談をどういう方向へ持って行きたいんだろうか?

 

 どうやら今回、マリマーネから「情報を売る条件」を口にするつもりはないようだ。前回は最初にあちらの「希望金額」を聞いて、そこを崩していく形のゲームだった。ならば今回は最初に、私に値をつけさせようって腹なんだろうか?

 

 それとも……私が、なんでもするから売って下さいって屈するのを待っている?

 

 そんなこと、私がするわけないと……()()が思っているような「空気」も感じるけど……。

 

 もしかして……これはまた「マリマーネが何を欲しがっているか当てましょうゲーム」なのだろうか?

 

 しかし、そうであったとしても、前回のとは格段に難易度が違うように思える。

 

 ここまで、ヒントらしきものはない。

 

 強いて言えばレオを褒めたことだが……マリマーネがレオを積極的に欲しがっているという感じでもないように思える。それに関しては、差し出してくれるならもらってあげるよ、くらいの感覚なんじゃないかなって思う……少なくとも、執着のようなものは全く感じられない。

 

 しかしそうなると……単純な、お金とかではないわけだ、マリマーネが欲しいのは。

 

 どうしたものか。

 

 マリマーネに渡したロイヤルクラスの会員証……その撤回をチラつかせ脅す……なんてのは……できるけどリスクが高い。それは商人同士の信義と仁義に(もと)る行為だからだ。

 

 リターンもおそらく期待できない。マリマーネは根っからの商人。横紙破りの恫喝に屈するのは、自分自身の生命に関わってくるところだけだろう。といって、私がレオの無敵で彼女を脅させるなんてのも、できるわけがない。レオは、命じたらやってくれるだろうけど……それをした時、私が失うモノの大きさと取り返しのつかなさは……一昨日の比じゃない。それをしてもらうくらいなら、まだ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使って私が直接脅す方がマシだ。

 

「今、色々と剣呑なことを考えましたね? 思い留まってくれて、大変助かります」

「……人間観察は楽しい? マリマーネさん」

「それが一癖も二癖もある興味深い人間の苦悩であるなら、懊悩(おうのう)であるなら、ええ、楽しいですよ?」

「悪趣味かっ」

 

 いや……。

 

 ……おかしいな、私は人を殺して、もう取り返しのつかないところまで来てしまっていたのではないだろうか?

 

 それなのに、私の中には侵せない、犯せない聖域がまだまだあるようだ。

 

 私は、マリマーネとの勝負では「商人として勝ちたい」と思っているのだろうか?

 

 ここまでの感じ、マリマーネは商人として逸脱したことを何ひとつしていない。ならばそれへ、正々堂々応じたいという気持ちが……どうやら私にはあるようだ。

 

「悪趣味でなければ、商人として大成したいなどと、思うはずもないじゃないですか」

「なにその全方向へ喧嘩を売る発言……」

 

 心はなんと厄介なモノかとも思ったが……だけどそれは同時に、私へ少しだけ喜びを与えるナニカでもあるようだった。

 

 

 

 

 

 チラと、レオの方を見た。

 

 そこだけ何も置かれていない、暗い色の壁紙が貼られた壁に背を付け、私はもう脱いでしまった雨合羽を、レオは着たままにして立っている。その下では剣を握っているのかもしれない。胸元の膨らみ方は、腕をそこで組んでいるような格好だが、手の先がどうなっているのかはよくわからない。

 

 塗れた雨合羽からはポタポタと雫が滴り落ちているが、それへマリマーネはこの段階まで何も言ってきていない。レオが私の護衛ポジションであることを承知しているのだろう。なかなかいい度胸だとも言える。度胸でそうしているのなら、だけど。

 

 もっとも私も、雨合羽で隠しきれなかった足元の部分はまだ濡れている。床を見ればちょっとした水溜(みずた)まりのようになっている部分もあった。

 

「どうしました?」

「……いいえ」

 

 

 

 

 

 とはいえ……このままこうしていても話は進まない。

 

 ……仕方無い、早々に一枚、こちらが持っているカードを切るか。

 

「……マリマーネ・シレーヌ・ドヤッセ、今年で十九歳。誕生日は知らないからまだ十八歳かもしれないけど、運輸省に代々勤めてきた貴族官僚、サゥリーン家の今代(こんだい)とは婚約関係にある。ただしそれは三番目の妻としてであり、ドヤッセ商会がサゥリーン家への金銭的援助を約束する代わりに、しばらくはその自由が認められている」

 

 ぴくりと、マリマーネの眉が上がる。

 

「おやおや、そちらもまた、情報収集が()()()のようで」

「半日で得られる情報なんて、公開してるも同然でしょ?」

 

 そう、ここへの訪問が今日になったのは、昨日を一日、情報収集にあてたからだ。

 

 雨はまだ降っていなかったので、私がマイラを連れ、レオには前に提案してもらった通り、結構な距離を離れ、ついてきてもらった。心細いったらなかったが、そうしなければいけないというのも確かなことだった。だから我慢して頑張った。

 

「どうやら二番目の妻が結構な浪費癖をお持ちのようで。マリマーネさんはその尻拭いのための証文であると……噂されているようですね」

「よく、お調べのようですね」

 

 すごいなぁと思ったのは、尾行が、あんなことがあったその次の日なのに、それでもまだきっちりと付いていたことだ。

 

「下世話な噂って、本当にイヤァですよね。簡単に手に入る分、質の悪さも相当のモノです」

「さすがに、実感が籠もっていますね」

「それはもう」

 

 尾行は、完全な新顔がひとりだけだった。雰囲気もそれまでとは違っていた。もっとも、それはそうだろうと思う。仲間が返り討ちにあったその次の日だ、緊張しない方がおかしい。

 

「噂はともかく、サゥリーン家との婚姻は、別に隠しているものでもないのでしょう?」

「まぁ、公開してるは言い過ぎですが、隠しているモノでもありませんからね。おっしゃる通り、女としての私は、既に売約済みということです」

 

 緊張する尾行に、緊張を強いられる私は、だけどそのまま必要なことだからと聞き込みを頑張った。

 

 最初に、パパと丁稚に聞き込みをして、そこで得られた情報を元に今度はこの店の近辺、つまりは職人街で聞き込みをしてみた。その際もレオを(そば)へ置くことはできなかったから、男性恐怖症の私がいかつい男性達に単身で話し掛け、問い掛け、時に怒鳴られたりしながら頑張ったのだ。チクショウこんなことさせやがってマリマーネめと思いながら頑張ったのだ。

 

()()も大してかからなかったかな。人望ないね、マリマーネさん」

「口止め料を支払っているわけではありませんしね、仕方ありません」

「ふーん? それで納得しちゃうんだ、ふーん」

 

 そこでのマリマーネの評判は、中の上といったところ。言行一致していて商人としては信頼できるが、常に足元を見てくるようながめつさが感じられ、気持ちよく仕事をさせてくれる相手ではないという。これだから女はイヤなんだ……とでも言いたげな表情を、やつあたりみたいに私へ向ける者もいた。まぁその人はアル中のようで、常に手が震えていたけど。

 

「愛しているの?」

「はい?」

「これは、()()とは関係ない話だから、答えてくれなくてもいいけど、二十近くも歳が離れてる人が自分の婚約者なのって、どういう気持ちがするのかなぁって」

「二十は言い過ぎですね、生まれ年でいえば十七ですよ? あちらの方が早生まれですから、十八離れている時期も、まぁございますが。ラナさんは、年下じゃないとダメなタイプですか?」

 

 いちいち煽り返すな、そういうところだぞマリマーネ。まぁ私に、というよりはレオへ向けた煽りっぽかったけど。今後ろで、レオがピクってなったのがわかったわ。

 

「なら、今は三十六歳前後? パパよりは年下だけど……」

 

 コンラディン叔父さんや、ゲリヴェルガの糞伯父よりは上だね。

 

「それで、愛しているの?」

 

 もう一度聞く。

 

 マリマーネが即答を避けたのは、はぐらかしたかったのか、察してほしかったのか。

 

 不躾(ぶしつけ)を咎めたいなら咎めればいい。どうせ私は暗黙の約束を破って自滅したママの娘だ。

 

 マリマーネは私の追及に肩をすくめ、お手上げとでも言いたげ気なジェスチャーをしてから答える。

 

「ラナさんが、年下じゃないとダメなタイプか答えてくれたら、答えましょう」

 

 はいはい、想定の範囲内、想定の範囲内。

 

 私はマリマーネの真似をして、お手上げとでも言いたげ気……に見えるジェスチャーをしながら答える。

 

「私は、レオじゃないとダメなタイプよ」

 

 ジェスチャーではお手上げであると、後ろのレオからは見えるように。

 

 だけどマリマーネからは挑戦的に、挑発的に見えるよう、視線を強めて。

 

「年下かどうかは、関係ないわ」

 

 言葉では全くの真実を答える。

 

「ん……」「わぉ」

 

 レオ以外の男の人は、今でもやっぱり怖いからね。

 

 思い切り良く、言い切り、私は、床をタンと軽く蹴って身体を引き、ソファの背もたれへと身をあずけた。そのまま、角度的には踏ん反り返ったまま見下すようにしてマリマーネを(にら)む。

 

「さすが、お若い。初恋なのでしょうか?」

「厳密に言えば違うのかもしれないけれど、人生を共に歩きたいと思えるのは初めてね」

 

 フィクションの中の登場人物へ……というのを入れなければ初恋は初恋かもしれない。

 

「わぁお」「んんっ」

 

 ……ってこれ、二重の意味で恥ずかしいな。

 

「……ほらっ、“答えてくれたら、答えましょう”って話でしょ」

 

 今度は、そっちの番よ。

 

 体勢を前のめりに戻し、トタタンタンと、貧乏ゆすりみたいにして床を叩いて、マリマーネに返答を促した。

 

「ふふ。では……そうですね、その論でいくのであれば……私も愛していますよ。十七も歳が上な、私以外にふたりも奥さんのいるあの方を。私は、私らしく生きるため、あの方が必要だったのです。私達は利害が一致しているのです、それはもうピッタリと。私の人生にはあの方が必要です。共に人生を歩んで生きたいと思っています」

「そ……」

 

 そんなのと一緒にしないでと、そんな言葉が喉元まで出掛かり、すんでのところで押し留められる。

 

 その不躾は、いくら無礼な私でもしてはいけないと思った。自分で自分の人生を選び、進んでいる人に向かって、それは侮辱であると思った。

 

 マリマーネは、何も言わぬ私を見て満足そうに微笑む。

 

「もっとも、人生を共に歩きたい……それが、子を生し、男女しての役割と責任をお互いに果たしあうという意味であるなら……私の望みは、それとはすこし違います。いえ子を生すこと自体は構わないのですけどね。私は商人として生きたいだけであって、男になりたいというわけではありません。ただ、女性の幸せよりも商人としての幸せの方をより強く望んでいるだけなのですよ。それに……私が子供を産んだとて、その子()は所詮三号さんの子供です。貴族社会においては日陰の者達となってしまいます。なら、私の子の居場所は、私が作らなければならない……そうも思いませんか? ラナさん」

「ん……」

 

 また……随分と重い発言をあっさりと放ってくるじゃないか。……いや目くらまし(レッド・ヘリング)か? ここに、マリマーネの望みに関するヒントがあるのか、ないのか。

 

「これが、私が商人としての栄達と、大変に進歩的な女の幸せを両立できない理由ですよ。誰の種かわからないような子を産むわけにはいきませんからね。それに、それは私が考える幸せの形とも違います」

 

 ……くそぉ、重すぎるがゆえに、真意を問い質し難い内容だな。それも計算の内か?

 

「どうして……そこまで商人として大成したいと願えるのですか?」

 

 仕方無いので、一番根本的な部分へと、探りを入れてみる。

 

 これが、「マリマーネが何を欲しがっているか当てましょうゲーム」であるなら、そこを追求することに意味はあるはずだ。マリマーネも、私が気にしてるのはそれであると判断するだろう。

 

「さあ? 気付いたら私はこうでした。自覚したのはそう……今のラナさんくらいの歳の頃でしょうか……逆に聞きましょうか、ではラナさんの見解は? 私という人間はラナさんからどう見えますか?」

「……そうね」

 

 マリマーネは……一言でいって「上昇志向が強く、がめつい人間」に見える。他人を全部、自分にとって得な相手か、そうでないかで分けてしまっている気がする。侮っていい相手は侮り、そうでない相手だけを警戒する。

 

 それは、商人としては適正のある性格なのだろうが、同時に危ういともいえる。

 

 人間関係は、利害で繋がるよりも、信頼と共感で繋がっていた方が安定するからだ。マリマーネの評判にはそれがない。まず、聞き込みに行った職人達へマリマーネの名前を出し、それで心からの笑顔が返ってくることは一度もなかった。おかげで、色々と聞きやすかったわけだけど。

 

「……ドヤッセ商会のご当主様は、娘には甘いのかしら?」

 

 敢えて、一旦外堀へと視線を移す。

 

 まず、親はマリマーネをどうしたいのかというのも大事な視点だ。

 

 それを、マリマーネがどう捉えているかというのも含めて。

 

「どうでしょう? ()()()ではないので、普通だと思いますよ?」

「……むしろ私が、甘やかされていると?」

「いえいえ、一般論です」

 

 私が甘やかされている、か……それは、ある一面を見ればそうなのかもしれない。

 十三歳の女の子が、家の中で好き勝手していても、誰も咎めない。

 金銭的には何の不自由もなく、だけど、かといって過干渉を受けることもない。

 結婚相手は……勝手に決められてしまっているが……それはこの世界においては普通のことだ。特段、理不尽ということでもない。

 

 客観的に見れば、私は甘やかされているのだろう。

 

「ただ……そうですね、私は、親からの愛情はしっかりと感じています。多少、見当違いであると感じることもありますけどね」

「それは、十代の娘を、こんな立派なお店の総責任者にしているから?」

「それも、ラナさんの見解を伺ってからお答えしたいですね。どう見えますか? あなたには」

 

 極端な垂れ目から放たれる、こちらを試すような目。なんともイヤらしい視線だ。マリマーネはこれで結構「損している」のではないだろうか。せっかく、黙っていれば愛嬌のある顔をしているのだから、もうすこし打ち解けた雰囲気を心掛ければ「利益は得やすい」だろうに。

 

 いや……でもそれは逆か。

 

 十八、十九歳なんて、夢の世界でなら高校三年生か、大学生か、浪人生か、進学しないなら社会人として一年目の歳だ。それはまだ、理想を捨てるには幼く、憧れを追うに相応しい年齢であるともいえる。

 

 まだ、自分にできることよりも、自分にできるかもしれないことの方へ価値を感じる……十代の後半なんてものは本来、そういう時期だ。ましてやこの世界にインターネットなんてモノはない。情報化社会はまだまだ遠い未来の話だ。この世界には、訳知り顔で、自分がしたいことではなく、自分にできることを仕事にしなさいと諭してくる大人なんかはいない。

 

 言い換えるなら、マリマーネは、まだまだ「背伸びをしたい」お年頃であるということだ。

 

 マリマーネにとっての「憧れ」と「理想」は「商人であること」。ゆえに、それ以外へ敬意を払うという姿勢が身についていない。それが、彼女の成育史の何が影響してそうなったのかは……そんなことは……心の中のことだから、私は知らないしわからない。

 

 ただ、私が会って話を聞いた職人さん達は皆、マリマーネのそうした「商人以外の生き方を選んだ者達への軽視」を、ちゃんと嗅ぎ取っているように見えた。

 

 本当は、これは良くないことだ。どちらも勝者(ウィンウィン)を目指す商人であるなら、関わった者には全て、気持ちよく仕事してもらうことが本来の「理想」、至上の到達点なのだから。

 

 だけどそんなのは、実際はかなり難しい。私がちょっと話を聞いた中でも、「職人のこだわりとプライド」がなによりも大事と口角泡(こうかくあわ)()ばす人がアル中だったりして……端的にいえばこの世は複雑なのだから。

 

 そんな震える手でいい仕事ができるんですかと、言いたくなる気持はある、咄嗟に言いたくもなった。酒に依存する人生が、酒に溺れる生き方が、良いモノだとはやっぱり思えない。

 

 でも、だからといってそれを軽視するというのは……見下すというのは……侮るというのは……なにか違うと思う。商売の上で付き合う相手は、自分の親でもなければ子供でもない。恋人でも、旦那様でもない。親友でも、あるラインで考えれば友達ですらない。であるなら、その人生観に、価値観に、他人は口出しすべきではないだろう。

 

 お互いに提示できるメリットとデメリットでもって、公平に、公正に付き合うべきだ。

 

 マリマーネも職人達へ、口出しはしていないのだろう。だけどその気持ちを、態度には表してしまっている。そしてそれが、私には彼女自身の「不利益」となっているように見える。彼女自身はそうした関係を「ドライ」であると、いい風に捉えているのかもしれないが、実際は全然逆だ。商談へ、変に感情なんて持ち込むから、感情的な(もつ)れが出てしまっている。それはとてもとてもウェットなことなのだ。マリマーネはおそらく「人脈を拡げる」ことを求められ、ここへ配置されている。ならば彼女は……。

 

「……このお店は儲けを度外視している……マリマーネさんはそう、何度も言いましたね」

「はい」

「ならば……ここはドヤッセ商会からしてみたら、成功しようが失敗しようが、どうでもいいということにもなります」

「……それは言い過ぎですね、この店舗独自の存在意義というのも、多分に御座(ござ)いますので」

「職人街との繋がりのため……であるなら……マリマーネさん、ご自身の評判が、あまりよろしくないということは、自覚していますか?」

「……」

 

 あ、自覚、していますねその顔は。まぁ当然、してますよねぇ……うん。

 

 そう……ならば彼女は、親の期待を裏切っているとさえ言えるのだ。

 

「世間知らずの小娘だからと、若輩者だからと、ナメられるわけにはいかない。そうして気張った結果がそれですか?」

 

 敢えての、わかりやすい挑発。

 

 そこに、彼女なら防壁の一枚や二枚は張っているだろうと思っての言葉だった。

 

 けど。

 

「……マリマーネさん?」

 

 答えがない。見れば、顔自体は笑ったままだが、その目は全く笑っていなかった。

 

「失礼。なるほど、ラナさんのお母様へ、今も怨みを忘れない方々の気持ちが、すこしわかったような気がします」

 

 錆びた鎖のように、私を縛り、傷付けようとする意図を感じる、言葉。

 

「……」

 

 それを、マリマーネは戯れのように私の肌へ擦り付けてくる。

 

 嫌な、感触だった。

 

「その生意気さは、あまり異性の前では……いいえ、人前では見せないことをお勧めしますよ? なんというかこう……ものすごく征服欲であるとか、嗜虐欲などをそそる顔でしたから」

「……それはどうも」

 

 気をつけよう、うん。メスガキわからせの当事者になんかなりたくない。まったく。

 

「ええ、まぁそれならばもう、ご存知かとは思いますが……」

 

 本当に、それが戯れであったと示すかのように、マリマーネは錆びた鎖の、その感触を言葉から外し、口調と語調を軽い調子へと戻した。

 

 私も、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「この店の責任者になってからの私はそう……オッサンのケツばかり叩く日々を送らせていただいてます。そこに好かれる要素がないのは当然のことでしょう?」

「うーん……」

 

 いや、それはどうだろう、女の子……この世界的には十八ともなればもう“子”ではないけれども……やり手(?)の女性にケツをたたかれて喜ぶおっさんも、それなりにはいるはずじゃないかなって思うんだけど。もう少し……なんていうかこう……メスガキというか、ツンデレというか、背伸びしたい(さか)りの若輩者を生暖かい目で見ている感じの……ある種の紳士がいてもいいとは思うのだけど。

 

 ところがどっこい、マリマーネに親しみを覚えてる職人さんは、皆無だった。私が出会っていない人の中にはいるのかもしれないけど、一日で会えた五人の中にはいなかった。

 

 この世界にはまだ、そういう業界は育っていないとか?……。まぁアレもアレで、ある種の神話が育んだ幻想(ファンタズム)だからなぁ……。

 

「でもどうだろう、男性のMの気持ちなんてわからないしなぁ。案外、憤慨してる風を装いながら、本当のところは現状に満足している人がいなかったとも……」

「は? エム?」

「またラナがおかしなことを言ってる……」

 

 おっと、マリマーネを自分のペースに巻き込むつもりが、どうやら場をおかしな空気にしてしまっただけのようだ。

 

 ただ、マリマーネの気勢を削ぐことには成功したらしい。笑顔はまだ、崩れないが、もうそこに余裕のようなものは感じられない。

 

 ……なら。

 

「んー、多分ですけどね、マリマーネさんは、いい意味で“どうなっても構わない”立場におかれているんだと思います」

 

 ここで暗示のように、自分の言いたいことを言ってしまおう。

 

「いい意味で?」

「職人街で人脈を築き、いっぱしの商人として独り立ちするならそれでよし、(かな)わず、(かな)わずに失敗してもダメージは少ない。確かな血筋の家との婚約は既に済んでいるわけですし、職人街とのコネクションは次の者が築き直せばいい……こう言ってはなんですが……飴と鞭じゃないですけど、可愛げのないワガママ娘が迷惑をかけましたね、これからは話のわかる者同士で上手くやって行きましょう……なんて……結構刺さりやすい作戦じゃないかなって思いません?」

「……」

 

 多分だけど……いや五人の職人と話してみた感じ、確実に……マリマーネはお酒が飲めない。全くの下戸というわけでもないのだろうが、酒場で飲みニケーションとはいかない嗜好と思考と志向の持ち主なのだろう。夢の世界基準では法的にもまだアウトだけど。

 

 どうして(昨日一日の統計上)五人にひとりはアル中な職人の世界で頑張っているのかって話だ。ドヤッセ商会の本業は宝飾品店で、そういう店舗も数多くあるのに。

 

「……それを“いい意味”と評しますか、評せると言いますか」

「マリマーネさんの心に最大限譲歩した、その意味では親の愛情を感じられる扱いだと思いますよ?」

 

 甘やかしではない。年若い女性が、男臭(おとこくさ)い社会で成功するならそれは本物だ、好きにすればいい。というか、男社会のど真ん中で生きるなら、そうした資質がなければどんな理想があったとて、それは辛い人生になってしまうだろう。だがその見極めは、本人が納得する形で()されなければならない。そうでなければ未練と後悔が残るからだ。だからマリマーネの親はその機会を与えている。その是非はともかくとして、これを愛情でないというなら、世の親のほとんどは子を愛していないことになる。

 

 それに、女は男よりも諸々のタイムリミットが早い。子を産むにも育てるにも、体力の充溢(じゅういつ)している若い内の方がいい。医療の発達していないこの世界で、それはより顕著だ。変にぐずぐずやって三十代になってからの結婚、出産なんて……二十一世紀の地球ならともかく、この世界の親の望むところではないだろう。別に、羊水は腐らないけど、好機(こうき)は簡単に腐る。鯖か作りすぎた夏のカレーか、ちょっと傷んでた箱買いのミカンかってくらい簡単に腐る。それは、商人であるならば身に沁みて知っていることのはずだ。

 

「それとも……マリマーネさんは、本当は商人になりたいわけじゃなくて、()()()()()()()()存在でありたいと思うだけの人間ですか?」

「……ふむ」

「だから、マリマーネさんは親の愛情を“見当違い”と評するのですか?」

「……おっと、これは口が滑りましたか」

 

 実際のところ、マリマーネがそういう風に「親の愛情」を捉えていたとして、宝石が大好きな公私混同の即物的な俗物であったとて、そんなことは、私にしてみればどうでもいい。

 

 私達は親でもなければ子供でもない。恋人でも、旦那様でもない。親友でも、どのラインで考えても友達ですらない。商人の娘同士というだけで、商売仲間でも、まだ商売相手でもない。であるなら、その人生観に、価値観に、口出しすべきではない。

 

 けど、それすらも利用するのが商人だ。

 

 自分のであれ相手のであれ、感情すらも利用して「利益を得る」のが商人というものなのだ。

 

 ここにマリマーネの「迷い」があるのなら、私は躊躇(ためら)わずにそれを利用する。

 

「だとしたら……マリマーネさんは随分とやっぱり、親に甘えていますね。甘やかされているのではなく、甘えている、ですよ? マリマーネさんが自分勝手に甘えているだけ……という話です」

 

 さあどうだ、これへどういう反応を見せる、マリマーネ。

 

「なるほど、それがラナさんの見解ですか」

 

 だが……反応は特に無かった。

 

 挑発にも、煽りにも、何も動じない、何もうろたえない。

 

 だから察する。

 

 マリマーネは、自分でもこの程度のことは、「わかっている」のだ。

 

 彼女は今の自分の置かれている状況を、理解している。

 

 彼女は自分の長所も短所も、ある程度は理解している。

 

 理解している、理性では納得もしている。

 

 だけど割り切れないものがある。だから他人にも、その口で言葉にしてほしい。

 

 そんなところだったのだろうか?

 

 私のこれは、それへ応えたに過ぎなかったのだろう。

 

 答えではない。答えはマリマーネの中にある。あるいは彼女自身の未来に。私はマリマーネの物語には関わらない。マリマーネの人生に影響を与えたいとは思わない。

 

 ただ……私は欲していた解答の一部を、ここにおいて得られたと思った。

 

 これならば、()()()()()()()()()()

 

 マリマーネは、私が()()()()()()()()の人間だ。

 

「なるほど、わかりました、いいでしょう、ラナ()()の、私という人間への()()はわかりました……傾聴に値するご意見でした……そうですね、加えて言うなら、女が商人の世界で認められるには、場違いの世界で結果を出す……それくらいの()が必要です。宝飾品店で甘やかされているだけでは、誰も私をひとりの人間として見てはくれないでしょう。ラナ()()のご意見には、社会に認められるという視点が欠けていますね。もっとも……それに関しては、当方もまだまだ他人に意見できる立場ではないという()()()も、(つつし)んで受容(じゅよう)し、今後の参考とさせていただきましょう……それで?」

 

 それで? 私の微妙な立場を(あげつら)って、あなたはどうしたいというのですか?……そんなモノローグが聞こえてきそうなほど、その極端な垂れ目からは雄弁な視線が放たれていた。けど……それだって私にはもう「それで?」だ。

 

 なぜならマリマーネは、マリマーネも、ある視点が欠けているからだ。

 

「別に。だってマリマーネさんだって私のことを、“本気で調べた”のでしょう? 私もそれをやっただけ。随分と私のことを買ってくれているようで、卑賤(ひせん)非才(ひさい)の身は、恐縮するばかりなのですが」

 

 前回会った時、マリマーネは私の情報を……そこまで詳しくは……持っているようでも無かった。ロレーヌ商会そのものへの知識はあっても、その一人娘の情報については少し知っている程度だったように思う。

 

「うわぁ……ラナがへりくだり始めた……ここからが要警戒ゾーンか」

「何か言った?」

「なんでもないよー」

「……何の話ですか?」

 

 ところがだ、マリマーネはレオを通じて、私にメッセージを送ってきた。

 

 本来、得られるはずもない情報を、わざわざ私へ、握っているぞと伝えてきた。

 

 その意図はなんだ?

 

 私に何を求めてる、マリマーネ。

 

「ねぇ、マリマーネさん、今、楽しい?」

「……楽しい、ですか?」

 

 まぁ、いい。

 

 もぉ、いい。

 

「商人として楽しい時間を送れていますか?」

「……」

 

 主導権争いとか、前哨戦だとかはこれでいいだろう。ここからが本当の()()だ。四重くらいの意味で。

 

「何を測っているのかは、知りませんが、私は商人の娘だけど、別に商人になりたいわけではありませんから、無作法があったなら、申し訳ないかな、と」

「何の話……なのですか?」

 

 ごめんね、マリマーネ。

 

「だから……ねぇマリマーネさん、そろそろ本音で話してくれないかな? 私に、何をしてほしいの?」

「それを、聞いてしまいますか……」

 

「失望させてごめんね。だけど、もう一度言うけど、私は別に商人になりたいわけではないの、覚悟ガン決まりのマリマーネさんの相手は、本来務まらないのかもしれない。でもね、私は私でこうしたい、こういう風に生きたいと思う道があるの、それはね、古き良き時代のなろう系の主人公みたいに、たまたま出会った商人に気に入られ、取り込まれることなんかじゃないの。さすがですなんて言ってもらいたくない。私の承認欲求はそんなところには無いの。どうせ私は真っ当な世界からは弾かれた存在。でも、だからといって追放系の主人公みたいに、見返してやりたいとも思わない。本当に、世界の片隅でスローライフを始めてくれるなら、それはちょっと憧れなくもないけどね。……なによ、敵を倒しても()()()になんてならないじゃない。あやうく心が死にかけたわ。当事者じゃなくてただの一読者だったらストレス展開の連続にブクマ削除、お気に入り登録の撤回まであったわ。神様は読者を気持ち良くさせる構成が苦手なのかしら? だったら、こんな救いのない世界なんかじゃなくて、のんびりのほほんとした世界で、みんながキラッキラに生きれるようにしてくれればいいのに。……あれ? 私が何を言ってるかわからない?」

 

「……はい」

 

 わからなくていい、後半は、マリマーネを当惑させることのみに焦点を絞った言葉だ。言ってしまえばこれは下関戦争(しものせきせんそう)馬関戦争(ばかんせんそう)の休戦交渉における高杉晋作オマージュだ。わけのわからないことを言って相手を混乱させ、その混乱に乗じる作戦。だからマリマーネには絶対に「それに意味があるか、ないか、判断できない」内容をまくし立てた。凄く重要なことでもあるかのように、全く意味のないことを。

 

 商人として邪道? あらゆる意味で邪道? だからそんなこと知るかっての。その邪道がかつて日本の国土を護ったんだぞ。たぶん。伝統と実績ある作戦だよ。たぶん。……まぁでもこれって、カルト宗教が人を洗脳する際にも使われる手法で、そういう意味でも伝統と実績ある作戦だから、邪道というか邪悪な作戦でもあるのだけどね。

 

 けど……それも……まぁいい、もぉいい。使えるモノはなんでも使うのが商人だ。商人らしく振舞えというならそうしてやろう。

 

 私は少しだけ部屋の天井を見てから、マリマーネを、咎めるように睨む。

 

「レオを使った、婉曲なやり口は、ちょっと趣味ではなかったからね……誰も彼も商人の流儀に従ってくれるだなんて()()()()?」

 

 それに、話はもうその段階にない。ついてきてね、レオ。

 

「……は」

 

 マリマーネ、ねぇ商人の頂へ登ろうとしているマリマーネ。

 

 商人が、世界に合わせて動かなければいけないことがあったとしても、世界が、商人に合わせて動かなければいけないという法はない。商人の理屈で動かし、騙しても許されるの同業者までだ。それ以外をそのように扱うのであれば、そこに信頼は生まれ得ない。

 

 だからお前は人望がないんだ、マリマーネ。

 

「……なるほど、それがご機嫌斜めの理由ですか」

 

 あ、今心の中で「いつもムッツリしてるからわかりませんでした」って思ったな。わかるんだぞ、そういうのに私は敏感なんだからな。誰がムッツリスケベだ。いやそうは思っていないんだろうけども。

 

「ねぇマリマーネさん、もう、はっきり言おうか」

「……何を、ですか?」

「私は、マリマーネさんが大事と思っているものに、さほど価値は感じていないの。価値観を共有していないの。何度も言うけど、私はマリマーネさんみたいに、商人として大成したいだなんて野望は持っていない。マリマーネさんが私をどう思っていたのかについては、知らないけど」

「……ふむ」

「マリマーネさんが、ケチな商売(シノギ)の真似事がしたいなら筋違い。なんなら私は、いつでもレオと駆け落ちをして、王都を逃げ出してもいいと思っているくらい」

「えっ!?」「……ふぅむ」

 

「マリマーネさんが私に売りたいモノへ、どれくらいの価値を見出しているのかは知らないけど、その()()によってはそういう選択肢も考慮に入ってくるわ」

「……レオ君は、それでいいのですか?」

 

 驚いているようですが……と、マリマーネは私の後ろへ呆れたような視線を向ける。

 

 ごめんねレオ、これはアドリブだけど……本音だから許して。

 

「ひと月……いいえ、一週間で普通の人間なら一生遊んで暮らせるような金額を稼ぎ出す商家の娘さんですよ? その立場の人間を相手にして、不自由な生活を強いて、恥じることはないと?」

「それは……」

 

「それで恥じるのは、私であってレオではないわ。なぜなら不自由な生活を強いてしまうのは私の都合、それは、そこにおいては全て私の責任だから」

 

 まぁ、逃げる前には、金貨数百枚はパパからせしめているだろうから、よっぽどのことがない限り、金銭的に不自由な生活にはさせないんだけどね。

 

「レオが私を選んでくれるなら、その先の生活を保証するのは私であってレオじゃない。レオは、私を信じて付いてきてくれればそれでいい……なんてね」

「うわぁ……一瞬、女として一度は言ってみたいセリフって思った自分が恥ずかしい」

 

 うん、それはだいぶ恥ずかしいよ、マリマーネさん。やっぱり本当はツバメを飼いたい(がわ)の人間ですか? どうも随分と、オッサンと関わらなければいけない人生を好んで歩んでいらっしゃるようですが。……まぁファザコンだけどショタコンでもあるって、まだまだ全然ノーマルだと思いますけどね。フツーフツー。

 

「ともかく、マリマーネさんが私をお客様とするか決めかねているように、私だってまだマリマーネ()()が交渉相手として相応しいか決めていない」

「そこに異論はありませんよ、お互い納得してこその商談ですから」

 

 ちらとレオの方を見るマリマーネ。それへ、レオは何も返さない。

 

 今はレオに、こうした私の立場と考えをどう思うのか、聞くことはできない。

 

 でも大丈夫、否定もしない、今はそれだけで大丈夫。

 

 いつか私を見限るとしても、それが即断でなかったというだけで、私は救われる。

 

 レオならば、ちゃんと私というひとりの人間を見て、考えた結果でしか動かないと思うから、その結論は、なんであれ受け入れられる。

 

 私はレオになら、その価値観によって斬り捨てられたとしても満足だ。

 

「どうしましょうか、そうは言っても私は商人、その流儀で動くしかないのですが?」

「やっぱりわかってないね、マリマーネさん」

「……なにをでしょう?」

 

 私は床を、再び足でタンタンと鳴らしながら言う。

 

「この床、薄いね、その気になればちょっとした合図で抜けるようになっているんじゃない? レオのもたれかかってる壁も回転しそう。あとテーブルの下、妙な(くぼ)みがある。天井にもレールのようなものがある。それが何かはわからないけど、忍者屋敷かここは。随分と乱暴な商人の流儀もあったものね。ねぇマリマーネさん、私は、マリマーネさんの流儀に従ってもいいとは思っているよ? 商人になりたいわけじゃないけど、商人として相手してほしいというなら相手してあげてもいい。()みたいにね、マリマーネさんの流儀に合わせてあげる……でも」

 

 慌てて、壁から背を離したレオの気配を後ろに感じながら。

 

「暴力を含むのがマリマーネさんの()()()()()()流儀なら……勝てると思ってるの? ()()に」

 

 マリマーネを、私達の流儀へと引きずり込む。

 

「な」

 

 大怪我をしないように、ね。

 

 

 



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epis38 : Pursuit ~ Cornered [Reverse?]

 

 疑っていることがあった。

 

 最初にそれを聞いた時から、どうしても疑念を拭い去れなかった。

 

 そもそもにおいて、マリマーネはどうやって「本来秘匿されていただろう情報」を得たのであろうか? 繰り返すが、私は、それがどうしても気になるのだ。

 

 誰かに聞いた?

 

 誰に?

 

 私は昨日の調査の結果と、今日ここで()わしてきた()()りとから、マリマーネを、背伸びしたいお年頃の、商人として大成する夢を抱く、だからまだ自分自身の理想と憧れに振り回されている状態の、そんな人間であると思っている。

 

 そこに、明確な悪意はない。

 

 マリマーネは、つまり俯瞰してみれば善良な人間だ。夢を持ち、理想に向かって邁進する、私にはできない生き方をしている、羨ましい人。

 

 だからもし。

 

 もしも……だ。

 

 誰かがマリマーネを利用しようとして、彼女にその情報を与えたのだとしたら、暗躍したのだとしたら。

 

 それに、マリマーネが見事に踊らされているのだとしたら。

 

 私はそれを……悲しいと思う。

 

 右耳の一部が欠けた、赤毛の女性、その顔が頭をよぎっていく。

 

 この世の何であれ、利用できるなら利用する……アレはそういう類の人間の顔をしていた。左耳の欠けた、私が殺した赤毛の男性、アレはおそらくあの男の血縁者だ。だけど妙に生き汚く()()()()あの男性とは違い、アレはもっとずっとずっとふてぶてしい人間であるように思える。

 

 ある意味では残酷なまでに無垢なモンスターであっても、将来を夢見て、懸命に生きてる善良な人間であっても、利用することに心など痛まない。

 

 たまたま、私が来店した店の店主も、利用できるならしてやろうと接触する、そういうことを平気でする人間。

 

 そういう人間は、いる。

 

 世界への共感などは何も持たずに、己の欲望だけを指針にして生きる者がいる。

 

 あたしはソレを知っている。

 

 私が知るソレと、彼女のソレが違うのは、衝動の源が性欲か、そうでないかくらいだろう。彼女が何を欲しているか、何を求め私の誘拐に関わっているか、そんなのは知らない。おそらくは端金(はしたがね)欲しさなのだろう。そうでなかったとしても、知るもんか、私にとってそれが邪悪であるという評価に変わりはない。

 

 マリマーネを、彼女が食い物にしたというのなら、私はそれを悲しいと思うし、許せないとも思う。

 

 もう、交渉のカードを切り合う段階ではない。

 

 マリマーネとなら、カードゲームをすることに(やぶさ)かではないけれど。

 

 だけど、その段階はもうとっくに過ぎた。ここから始まるのは実弾の撃ち合い、飛ばし合いだ。ならばその前に、マリマーネをこちらへ引きずり込まなければならない。

 

 今、この部屋をあの女性が監視しているのだとしたら……こちらが実銃を構えたその瞬間に、何かしらの策を発動させようと手薬煉(てぐすね)引いて待っているのだとしたら……その()に、マリマーネの安全は配慮されていない。断言できる、アレはそういう女だ。

 

 ねぇ、マリマーネさん、商人の理屈が通用するのは同業者までなんだよ?

 

 この世界にはそれを真っ向から無視し、無視しても悪びれることのない存在がいくらでもいるんだよ?

 

 それがわからない限り……逆説的だけれども……マリマーネさんは、商人として大成することはできないと思う。

 

 商人は、この世の理不尽と戦う存在でなければならない……から、ね。

 

「……脅す気、ですか?」

 

 私の恫喝的言動に、失望ですねと、マリマーネが当然の返答をしてくる。

 

 マリマーネの(がわ)から見れば、私が商人の仮面をかなぐり捨て、ただの狼藉者へ化けてしまったと見えても、仕方のないことだ。

 

 だけど、今までの遣り取りから推測した範疇においては、マリマーネはそこまで短絡的ではない。

 

 私という人間……というよりは人間の理性というモノへ、信頼があるのだ。だからまだ言葉で、交渉で何とかしようと思っている。……ごめんね、その信頼を、私は今、利用させてもらっている。()()()()のパーソナリティで、ありがとう。

 

「脅す? それはマリマーネさんから仕掛けてきたことでしょう?」

 

 この部屋へ私達を通した時点で、マリマーネはそういう展開もやむなしと考えていた、これはそう強弁できる範囲のことだ。

 

 もっとも。

 

「帯剣した凄腕の少年を(はべ)らせてきた時点で、先に仕掛けたのはそちらです」

 

 マリマーネの(がわ)からすれば、それはそう強弁できる範囲のことでもあるんだけど。

 

 マリマーネは今、ものすごく怪訝な顔をしている。

 

 どうして私がそんなことを言い出したか、わかっていないのだ。

 

 だってこんなのは。

 

「それはおかしな言い分でしょう。私は、正式な招待をされてここへ来たわけではありません。来いよと挑発され、行くよと返し、特に何も指定されないまま、人目を忍んでやってきました。レオを連れてくるなとは、言われてませんよ?」

「そ、そんなのはっ」

 

 うん、こんなのは、そんなのは、水掛け論にしかならない。

 

「そんなのは、何?」

「き、詭弁です。レオ君がやってくるなら、もしもの時に備えるくらいの権利はこちらにもある……違いますか?」

「あるけど、無駄なことをしたねとしか思えないかな、剣を握ったレオは無敵。もう一度聞くよ? その土俵で戦いたいの?」

「戦いたいわけないでしょう!?」

 

 怯えたように、ダンとテーブルを打つマリマーネ。

 

 うん……これは、する意味のない議論だ。

 

「なるほど、誰か()()()()は待機してる?」

 

 私と、「マリマーネとの間では」本来……ね。

 

「そんなこと、答えるはずがないでしょう?」

「そりゃそうだ」

 

 ここまで、動きはない。

 

 あの赤毛の女性は、これだけで動いてくれるほどには、短慮ではなかったらしい。

 

「……何が言いたいんですか?」

「さぁ? 前の部屋の方が、内装が好みだったんじゃない?」

「何を、バカな……」

 

 ねぇ、マリマーネ。

 

 私のことを本気で調べようと思った。すると、思ってもみなかったような情報がすぐに手に入った。

 

 そのことに、何の疑問も持たなかったの?

 

 自分の情報収集能力を、あるいは幸運を、妄信しているとでもいうの? 甘いものだけじゃなくて、甘い話にも耐性がないっていうの? それならもう、商人として大成することなんて諦めてしまえ。その方がいい。

 

 ねぇ……成功しても失敗してもいい立場に置かれているマリマーネさん、それがどれくらい恵まれていることかって、本当に理解してる? この世界のほとんどの好機(チャンス)は、一度失敗したらそれっきりなんだよ? 恵まれすぎたせいで理解できなかったのだとしても、それは学ぶ気のなかったマリマーネ自身の、慢心のせいなんだからね?

 

 私がこの店を訪れた、直接の原因がそこにあるとしても、甘い話に乗ってしまったのはマリマーネ自身の責任だ。さすがにそこまでは、背負えない。

 

 そういうこと、理解できないの?

 

「理解、できません」

「わぁ、私の内面へ呼応するかのようなタイミング」

 

 もし、そんなことを何も理解せずに生きているのだとしたら……親の庇護を()くしてからすっころぶ前に、今ここでスッテンコロリンしてしまえ。ここであればまだやり直しがきく、私はマリマーネの親でも恋人でも旦那様でもないけど、友達ですらないけれど、味方にならなれる。敵の敵は味方のそれであればなれる。今、この瞬間、この場でなら。

 

「ラナさんには、商人の娘としての誇りはないのですか?」

 

 あるわけないじゃん、そんなの。

 

「そんな誇りを持てるような、幸せな人生を送りたかったなって思うよ?」

「幸せ? ラナさんにとって、チョコレートで、ペクチンゼリーで、財をもたらしてくれた商人の世界は、幸せを与えてくれるものでは無かったというのですか?」

「あー……」

 

 隣の芝生はなんとやら、か?

 

 商人として大成したいマリマーネには、幼くして成功している「ように見える」私も、自分と同じ人種でいて欲しかったという話か? ママのせいで、一般的な社会での幸せを断たれてしまった私という人間は、商人の世界に夢を見て邁進(まいしん)している人間であって欲しかったって話か? なに? マリマーネは、お友達が欲しかったの?

 

 それが「マリマーネが何を欲しがっているか当てましょうゲーム」の答えだとしたら……興醒めもいいところだけど、さすがにそれは違うだろう。少なくともマリマーネ自身が自覚するところではないはずだ。このゲームの答えは全然別のところにある。

 

 大枠としては、もう理解できている。端的に言えば、マリマーネは私に勝ちたいのだ、私に勝ち誇りたいのだ。それについては今回、私は、「盤上のゲームでなら」最初から勝ちを譲るのに(やぶさ)かではない……そのつもりなのだが……厄介なのは、マリマーネの、内面における勝利条件がどうも曖昧であるという点だ。それをこちらに、まったく明らかにしてこない点だ。もしかしたらマリマーネ自身にも、明確なビジョンはないのかもしれない。

 

 金銭の多寡(たか)を争点とした前回と同様であるのならば楽だった。こちらが払えないような額を提示してくるのであれば、そこで闘うこともできた。しかし、どうもそんな感じではない。

 

 ……はぁ。

 

 めんどくさい女だな、どうしてやったら満足なんだ?

 

 世の男性が妻に、恋人に言ってキレられるようなセリフが頭に浮かんでくる。

 

 少なくとも、情報を下さいとお願いする立場で言っていいセリフではない。

 

「ねぇマリマーネさん、()()()()

 

 だからそんなのは言わないけど。

 

「それなら、こちらから勝手に具体的な商談に入るけど……いえ別にだからといってお客様扱いをしてほしいって話でもないのだけど……最初に、商品の()()()、より正確には()()()について、論じてしまってもいい?」

 

 本当の敵がマリマーネじゃないと確信できた今、もうすこしここは、楽に突破できたら良かったのにと、思わなくもない。

 

 この場には、マリマーネと私のゲーム盤を囲む、もうひとつの邪悪な外周がある。

 

 私が本当に勝たなければいけないのは、そっちだ。

 

「……どういうことですか?」

 

 私は、用意してきたカードの中では最も使いたくなかった、一番劇的で過激なカードを、ここで切る。本当は、もう商人バトルなどしている場合ではない。

 

 マリマーネに悪意はない。その確証は得られた。

 

 昨日からの私の行動は、全てその確証を得るためのものであったと言っていい。その努力が過去のものとなり、ある意味では望んだ通りの形へと結実した今……ならばこれは早めに終わらせてあげるのが信義に、仁義に適う決断というものだろう。

 

「マリマーネさんがレオに託した()()()()ですが、検証の結果、真偽の判断がつきませんでした」

「……」

「マリマーネさんはガセネタを掴まされている可能性があります」

 

 これは本当だ。昨日も、パパへそれとなく聞いてみたところ、やっぱりパパもそんな情報は持っていないようだった。

 

「私は、伯爵家の伯母とも交流があります。そこからも、何の情報も流れてきてません。私を納得させられるだけの証拠、マリマーネさんの()()は、それを含んでいますか?」

「……どうも誤解しているようですが、私はそれを、あなたへ売るとはまだ言っていませんよ? ラナ()()

 

 それはもう聞いた。もうそこでどうこうする段階ではないのだ。

 

「だから買うとも言っていません……と先刻より述べさせていただいているのですが、理解できませんか? マリマーネ()()

「理解できないというなら、その通りですね。買わない意味がわからない」

「それはマリマーネさんの価値観であって、私のそれではありません」

「……私には見えていないものがあるとでも?」

 

 だからそうだって言ってんだろ、莫迦(バカ)。脳に糖分、足りてないのか?

 

「見えてない、というならそうでしょうね」

 

 もうちょっと自分の能力を、幸運を疑おうよ。自分にとって都合のいいことは、別の誰かにとってもっと都合のいいことなのかもしれないって疑おうよ。子供でいるうちは、下っ端でいるうちは、少しくらい簡単に踊らされる方が可愛げがあっていいのかもしれないけどさ、向こう見ずであるにせよ、大成したいとほざくならばもう少し、その夏のアイスクリーム並みに垂れた、愛嬌のある目を見開こうよ。

 

「けど、見えないというのは当然のことです。()()()、影に隠されたものを見通す力なんて、人間にはないのですからね」

 

 幸せな人生を送ると、そんなことにも気付かないまま成長しちゃうものなの?

 

「……あなたにはそれができるとでも?」

「できるじゃなくて、したんです。ただの即物的な、ある意味では俗物的な事実として」

 

 あらゆる、マリマーネへの負の感情を瞳に込め、睨む。もっともそれは、そんなには持っていなかった。だから、さほどの強さにはならないのかもしれない。だけどこれが私の精一杯だ。

 

 気が付かないなら……もうどうしようもない。

 

 

 

 でも。

 

 

 

「……いやしかし……ですが……」

「!」

 

 

 

 だけど、マリマーネはそこまで愚かでもなかったようだ。

 

 ここに至るまで、考慮すらしていなかったその視点に、どうやら(ようや)く思い当たったようだ。

 

「……私は、動かされていた?」

 

 その様子に、私はようやっと少しだけ安堵する。

 

「ラナさんは……そう主張したいわけですか?」

 

 だけど同時に、警戒もする。それは少しだけなんてレベルではなく、そうする。

 

「レオ」

「よくわからないけど、声色で何をいいたいかはわかったよ、ラナ」

「……どういうことですか?」

 

 踏み込んでくるなら、ここからだからね?

 

「ねぇマリマーネさん、()()()?」

 

 私は、聞き取れるか聞き取れないか、本当に微妙なラインの声でマリマーネに問う。

 

「……ぇ?」

「待機してる兵隊さんに、マリマーネさんへその商品をもたらした、その関係者が、今」

 

 

 

 

 

 

 

()()

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは、数十秒の中の出来事だった。

 

 しばらくはレオが背にしていたその壁が、回転した。

 

 私は、まだその機能を持ってた床を踏み台にして、マリマーネの方へと飛ぶ。

 

「えっ!?」

 

 信用しろと、自分の目にありったけの誠意を込めて飛ぶ。

 

 私には、どれくらいのそれが、残っていただろうか?

 

 瞬間、私の後ろで、なにかが崩壊した気配。

 

 驚愕に、負け犬の尻尾みたいに垂れた目を見開く、マリマーネの身体を無理矢理抱きしめる。

 

「貴様!?」「ぐっ!?」「ぎっ!!」「ひえっ!?」

 

 甘味大好きのクセに、あまり贅のない身体を、今の今まで座っていた柔らかなソファへと押し倒す。直後、背後に暴力的な音が鳴り響くのへ、私はマリマーネごとソファの下へと潜り込んだ。

 

「ひ……な、な、な!?」

 

 だから見えない。

 

 マリマーネは私の肩越しに「それ」を見て、驚いた声をあげている。

 

 だけど私には何が起こっているのか、全く見えていない。

 

 ただ、レオを信頼してここでの全てを預ける。

 

『ラナの魔法は、使わないで』

『どうして?』

『だって、マリマーネさんは、高い確率でただ巻き込まれただけなんでしょ? 僕は、マリマーネさんを傷付けたくないから』

 

 それは全て事前に決めてあったことだった。

 

『やっぱりいたんだね? このお店の中に、誘拐犯達が』

『うん、そこまで大きな店舗じゃなくて助かったよ。屋内のほとんどが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の射程圏内。じっくり観察させてもらいました』

 

 マリマーネが善意の人間であるなら、協力者が犯罪者であると知らないのであれば、傷付けたくはない。

 

 問題は、私がこの店の観察を始めた時にはもう、あちらさんの事前準備、相談の類などはどうやら終わってしまっていたということだった。私達をどうするつもりなのか、マリマーネ自身の立ち位置等が全くわからなかった。

 

『何人?』

『ボスっぽい例の赤毛の女性がひとりと、あとは男が三人。男はこれ……外見がいいのだけ選んで持ってきたのかな? なんかみんな、ホストみたいな外見をしてる』

『ホスト?』

『なんでもない。ボスっぽいのは確実に生け捕りで、あとは可能な範囲でそうして』

『それは、手足の骨を砕いてもいいなら、全員問題なくいけると思うよ?』

『かっげき~』

 

「ぎぃやあああぁぁぁ!?」「ひっ!?」

 

 だから私はつい先程まで「マリマーネをどうするか」でずっと悩んでいた。

 

「ぐげ!?」「ぎぅっ!」「ひぃっ、ひぃっ!?」

 

 レオの無敵という、暴力的手段を開放したとして、マリマーネがあちら側「のつもり」でいる間は、私がそれを保護することもできない。踏み込まれ、レオの応戦が始まったら、私は貝のように縮こまって床へ身を伏せるというのが事前の取り決めだった。

 

 マリマーネについては、敵でない場合、助けられそうなら助けるといった程度のことしか決められなかった。

 

 相手側の暴力へ戦力として加担するなんてことはないにせよ、例えば人質に取られたとしたら、かなり面倒なことになっただろう。レオはマリマーネを嫌っていなかったみたいだし。

 

「ひぃっ!? ひぃぃぃっ! ひいいぃぃ!!」

 

 ええい、まぁ……だから助けられたのは良かったけれど、あんまり耳元で悲鳴をあげないでほしいなぁ。うっさいよ。さっきからの「ひ」で始まるセリフは全部、マリマーネだかんね。

 

「ラナ、終わったよ」

 

 だがウンザリしたのも束の間、三十秒もしない内に、レオのそんな声が聞こえた。これには四十秒で支度しな小母様(おばさま)もニッコリ。

 

「了解、お疲れ様」「ひ、ひ、ひぃ……」

 

 あの映画、やっぱり面白いよね。フ●ップターでシ●タを助けるシーンは、そのサントラ共々最高ですよ。

 

「ぉぅ……」

 

 とかなんとか、益体(やくたい)もないことを取り留めもなく考えながら、ソファの下から這い出て身を起こすと、部屋の状況がだいぶ一変していた。驚きで思わず妙な声が出てしまった。

 

「……やっぱり忍者屋敷?」

 

 ラ●ュタといえばバ●ス、バ●スといえばそのドラスティックでカタストロフな効果の割には「詠唱、短すぎね?」で有名なおまじないである。

 

 直前にマリマーネが発した「()()」という言葉も、その短さの割にはドラスティックでカタストロフな変化をこの部屋にもたらしていた。

 

「貴様は、いったいなんなんだ……ぐっ……」

 

 右耳が一部欠けた、事前にはまぁまぁボス感を発揮していた赤毛の女性。

 

 彼女はいまや、その四肢を完全に粉砕されたらしく、手足をおかしな感じにだらんと伸ばし、そのままでごろんと床に転がっている。そんな状態で、しかしまだどこかへ逃げようとするのを、レオが例の剣で牽制していた。

 

 その床には、私が座っていたソファーの辺りに大穴が開いている。およそ畳一畳分(たたみいちじょうぶん)くらいの面積が、暗い陥穽(かんせい)へと変化してしまっている。事前の(私の魔法による)調査では、これは重い金属製の扉に厳重な鍵のかかる、地下牢っぽい部屋へと通じていたはずだ。

 

 商館に地下牢なんておかしい?

 

 いやいやいや、ロレーヌ商会の本店にもあるから。大店(おおだな)には標準装備だから。さすがにスィーツ店にはないけど。いやそっちにはHIMANの罠がポッカリクッキリ空いているかもしれないけど。

 

「ごめん、ふたりはその穴に落ちちゃった」

 

 レオは、赤毛の女性の質問には答えず、まずは私へ謝ってくる。

 

 その顔は、今は半分が隠れていて見えない。天井……テーブルのあった部屋の中央付近の天井から、目の細かい鎖を編んだかのような金属製のカーテンが半分、降りてきているからだ。

 

 全てが降りれば、部屋を完全に二分する仕組みになっていたと思われるそれは、今は私から見て部屋の右半分だけを覆ってしまっている。

 

「男は、三人いたよね? もうひとりは?」

 

 それにレオは、「こっちで気を失っている」と、見えない部屋の右半分を、視線で示した。

 

「やっとまともに、この剣を使えた気がするよ」

「……死んではいないってことね?」

「うん。穴に落ちたふたりがどうなったのかは、わからないけど」

 

 と。

 

「なんなんだお前達は!?」

 

 無視されたことへ、腹でも立てたのか、赤毛の女性が芋虫のような姿で叫ぶ。

 

「……私達のことなら、数ヶ月張って、見ていたんじゃないの?」

 

 なんかもう、がっかりだ。

 

 色々と策をこねくり回し、その策に溺れ、状況を悪化させ、その中でようやっと掴み取った勝利なのに、元凶は情けない姿で(わめ)くだけ。なんだかムカっ腹がたってくる。

 

「逆に聞きたいんだけど、あなたはレオに勝てると思って待機してたの?」

 

 マリマーネが(そば)にいることは、もう口をつぐむ理由にはならなかった。

 

「スライムの少女も、警邏兵(けいらへい)の格好をしていた赤毛の男性も、レオにあっけなく殺されたよ?」

 

「仇憎しで、目でも曇った?」

 

「随分と間抜けな格好じゃない。数ヶ月も私達を付け狙って、不気味に暗躍して、なかなか尻尾を掴ませないで、やっと捕まえたと思ったらなんて情けない姿なの」

 

「知ってる? 粉砕骨折ってね、治ったとしても元通りじゃないんだよ?」

 

「自分が強いことを頼りに生きてきましたって顔をしているね、でもそれも、もう終わり、身体が治ったとしても、多くのものは失われてしまっている。その意味がわかるまで、生きていられたらいいね」

 

「これ、あなたの剣? ヒーロリヒカ鋼……もしかしてマリマーネ……あ、なんだ違うんだ、先月知り合ったばかりの冒険者? ふーん、冒険者ギルドに籍があるんだ? 叔父さんに確認したら、もう少し詳しいことがわかる?」

 

 

 

「やめろおおおぉぉぉ!!」

 

 

 

 おっと、反応が来た。そうかここがデリケートゾーンか。言い方ぁ。

 

「ねぇレオ、私、思うんだけど、この人ってさ」

「……なに?」

「すごく、()(ぎたな)そうって、思わない?」

「……おい」

「どうだろうね。人は、見た目だけじゃ判断できないものだから」

「でもさ、この状態でも舌を噛んで死んだりはしていないわけじゃない? どんな状態になっても自分の生存が第一ってタイプだと()()()んだけど」

「助かる、ね」「おいっ!?」

「やっと……やっと生け捕りにできた本懐だもの、簡単に死なれたら困るじゃない?」

「……僕はつい先日、拷問をしてるつもりで人を殺しちゃってた人間なんだけど」「ひっ!?」

 

 おっと、それはいいアドリブね、レオ。今の「ひっ」はマリマーネじゃなくて芋虫女の方だ。案外いい声で鳴くじゃない。もう少し聞かせてほしいよ。

 

 マリマーネ? 私の横にいるよ? 話に付いていけてない感じで、固まってる。

 

 何はともあれやっと……本当にやっとだ。

 

 おそらく()()は、拷問すれば色々吐いてくれるタイプの人間だ。別に、私達が拷問する必要なんてない。なんなら伯母に、ある程度のことを話してからこの女を引き渡せばいいのだ。もう少し詳しい事情を知って、それで問題無いと判断してからのことになるが、私は別に、自分で伯父を断罪したいだなんて思ってはいない。ざまぁの舞台に上がるのはもうこりごりだ。そもそも私が主演だと、演目がどうしてもざまぁにはならないと思う。だからもう、後はもう、信頼と実績ある伯母さん(ざまぁのプロ)に任せたいよ。

 

「ま、いいや。もうとっとと捕縛しちゃお。一応自殺防止に猿轡も噛ませといて」

「そうだね、生き汚いかどうかはともかく、この人は少しでも隙を見せたら何かしてきそうな怖さがある。抵抗の可能性は早めに奪っておくべきだ」

「くっ……」

 

「あ、あの、ラナさん……ラナンキュロアさん……これは……」

「いいって、わかってるから、マリマーネ。悪いようにはしないから……その代わりに、お互い、余計なことは喋らないって契約で、どう?」

「は……」

「マリマーネさんは現状、成功しても失敗してもいい立場ではあるのかもしれませんが、マリマーネさん()()()失敗したいわけではないんでしょう?」

「……はい」

 

 マリマーネには、とりあえず軽く釘を刺しておけばいい。将来的にこの釘は抜けてしまうだろうが、その時はその時だ。今はこれでいい、私自身の将来が未定の、今、この時は。

 

「この人らの処理はこっちでする。馬車だけ手配してもらっていいかな? さすがに四人は運べないから」

貴様(ぎざま)……貴様(ぎざま゛)ぁ゛!!……ぐ」

 

 猿轡越しに、吠える女性を、レオが踏み付けて大人しくさせる。

 

 そのままレオは、鎖のカーテンの一部を剣で切り、それを女性の身体に巻きつけていった。

 

「処理って……」

 

 横で、マリマーネはドン引きの表情だ。

 

 その表情に、マリマーネは、ああこういうことに慣れていないんだなぁと思った。

 それへ、だから何ということではなく、ただ少しだけ、羨ましいと思った。

 

「殺さないよ?……私はね。ここからは、高度に政治的な判断が必要……って話になってくるんじゃないかな? 私の手にだって余るよ。余り過ぎるよ。ホールケーキのカロリーくらいに余るよ。後は叔父さんと伯母さんと、そっちの方へ任せるよ、預けるよ。闇に葬ったりはしないから安心して」

「は……い」

「まぁその先で闇に葬られることはあると思うけど」「っ゛……」

「なんでそれ今言ったんです!? 私に聞こえるように!?」

「え? 口止め()に」

「悪質!! 料のところをなにか微妙に違う風に言ってたのが特に!!」

 

 まぁこれで。

 

 ひとつの山場は抜けた。だけどもう、次を考えなければいけない。

 

 事態はその段階に入った。高度に政治的な判断は、さすがに私の手には余るが、高度に政治的な自分の保身は、どうあってもしなければならない。

 

 幸い、誘拐に関しては、私は完全なる被害者だけど、事態の解決までに踊った、踊らされたその舞が酷かった。伯母さんがどこまで()()()()してくれるのかは不明だが、黒幕が伯父であるなら、そこはあまり心配しないでいいだろう。……そっか、でもそれもまだ確定してないんだったな。そこだけは私達で吐かせる必要がある。

 

 拷問、か……できるつもりでいたけど、今は自信が、だいぶなくなってしまっている。

 

「ふぅ……」

「大丈夫? ラナ」

「怪我とかはしてないよ? ただ、これからのことを考えて憂鬱になっただけ」

 

 この人達を尋問、あるいは拷問して、近くやってくるだろう警官からの事情聴取をやり過ごし、あるいは誤魔化して、叔父と伯母に連絡を取り、事態の説明をしてから下手人を引き渡す。

 

 やることが山積みだ。そのどれもが気の進まないことばかりで、ウンザリする。

 

 でも仕方無い、世の中なんて、どうせそんなことばかりだ。

 

 レオがいてくれる、それだけで私はだいぶマシな方だ。

 

 とにもかくにも、考えた中での最悪の最悪は避けられた、これがまだその一段階目であっても、今はそれを良しとしなければならない。

 

 一件は、落着してないけど、この一件は決着した。

 

 ならば次の一件に進むだけだ。

 

 

 

 そうしてこうして。

 

 

 

 私の中で(ようや)く、一区切りがついたなと、思った

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃっぴー! アタシの出番!? 不要!? ねぇ不要!?」

「な!?」「えっ?」

 

 

 

 場の空気を、完全に一変させる声が、そこに響く。

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 (きょ)()かれ、自分の口から間抜けな音が出てしまう。

 

 

 

 入り口。

 

 普通に、真っ当に、この部屋へはそこから入ってくるのが正しい、そのための入り口、そのための出入り口、そこから。

 

「あー……ユーフォミーちゃんよぉ、どーしてもーちょい、黙っててくれなかったかなぁ」

 

 見知った顔、見知った声。

 

「きぇぴ!」「んぬ」

 

 そして、全く見知ってはいなかったけれど、一度見たら絶対に忘れられなそうな、ものすごい存在感の顔、と声。なんだそのJKな自撮りポーズは。誰へのアピールだ。

 

「コンラディン叔父さん!?……と……え、誰?」「え……黒槍の、コンラディンさん?」

 

「あー、なんだ……よっ! ひさしぶり、姪っ子ちゃん」

「あっれー、やっぱりアタピィ、不要っすかぁ!? でもでもぉ! 犯罪者(イケナイ子)を捕縛するならぁ、ちゃあんと公的機関を通して!? ちぇぴっと通して!? 司法裁定それが必要! 私的制裁それ不要ォ!」

 

 コンラディン叔父さんの横、「んぬ」としか発声してない大柄の男性の、その丸太のような腕に背中? を持たれ、おかしなテンションで独自言語みたいなのをまくし立てる……ええと……両足が無いと聞かされていた割には、こうして見ると少しだけある……その足を、今はジタバタと動かしながら、妙にすらっとした上半身と両手で、様々なJK自撮りポーズっぽいのを作る、おかしな形の眼鏡をかけた……片方だけサングラスの?……だけどかなり可愛らしい感じの女の子に、私はもう、なんていうかもう、とりあえずもう、こう思った。戸惑いの猛攻にもうこう思った。

 

「な、なんかキャラの濃いのが出てきた」

 

 ……と。

 

 

 



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epis39 : Rhyme Anima's Mixtape -YOKOYARI-

 

「ラディ叔父さ……ま、どういうつもりですか?」

「いやぁ……」

「黙れコンニャック! その躊躇(ためら)いーは不ぅー要! だかっらアタッピの説明、聞け聞け必ぅ要!」

「いえあの……今は、部外者の人は……コンニャック?」

「あ、一応それ俺……僕のことらしい」

「はぁ」

 

 コンしかあってないような。

 

 というか、なんでラップ風に喋っているんですかね?

 幸い「要不要」はこの国の言葉でも(ライム)()んでいるけど。

 

「そこのロ~リガッキ! 聞けよ我の能書(のうが)っき! ソミセッ!」

「ろ、ロリガキ?」

 

 色々な悪口を叩かれてきた私だけど、それはさすがに初めてだなぁ。

 キャラが濃すぎて、ディスられても、あまりムカッとはこないのが救いか。

 

「う、う~ん」

 

 背負子(しょいこ)のユーフォミー、ってこんなキャラだったの?

 両足と、コンラディン叔父さんが名前を呼んでいたことで、まぁ誰なのかはすぐにわかったけど……要不要の暴走列車かぁ……。

 

「王都民! ならば成れよ証人! ケ・イ・カ・ン死んだ! アッ・カ・ンも死んだ! 今は秩序の回復が重要! 今のシーンにぃは調伏(ちょうぶく)が必ぅ要!」

 

 いやぁ……暴走の種類が、語のニュアンスからイメージできるモノと、だいぶ方向性違ってません?

 

 あとラッパーなのに、言っている内容が権力側なのはどうにかなりませんかね。色々な意味で。

 

「あ、あの叔父様、この方はずっとこんな喋り方を?」

「いや? たまにだな。時々こうなる。何かの病気と思って諦めて聞いてあげて」

「いやいやいや」

 

 病気なら治しましょうよ。適切な治療を施しましょうよ。

 

 レオとマリマーネはともかく、猿轡(さつぐつわ)をされ、ついでに手足も縛られ、床に転がったままのソレまでもがポカーンとしているのですよ? 両手両足骨折の痛み、大丈夫?

 

「おいこらコンニャック~! ァータシィが喋っているでしょうがぁ~」

「あ、ライム止まった」

 

 あと、大口開けると八重歯が見える系の女子だということがわかりました。盛ったなぁ、だいぶ盛ったなぁ、属性山盛りテンコ盛りだなぁ。髪は別に盛ってない、完全ストレートの銀髪ロングなのに。

 

「つってもなぁ、ユーフォミーちゃんよぉ、昨日も言ったが、これは公務として協力してほしいって話じゃあないんだけどなぁ。なぁナッシュ?」

「んむ……」

 

 盛ったといえば、その特盛りパフェみたいな女の子を「持っている」ナッシュと呼ばれた男性……たぶん彼女の相方であるところの、父親なのだろう……の、その筋肉も、だいぶ特盛りだ。私の肌感覚としては、特盛りパフェよりもそちらの方により強い圧を感じる。叔父さんはもとより、映画界のレジェンド、某アーノ●ドなシ●ワちゃんよりも更に筋肉の厚みが凄い。身長も、百九十センチくらいあるのではないだろうか? 体重百キロは下らなそうだ。ただ、足も長く太いから、全体のバランスは整っている。

 

「はいはーい! でもアタピィ! 軍属じゃないですかぁ! 国におんぶ抱っこさせてもらってるじゃないですかぁあ? 一番の背中はお父ちゃんのそれだっちー、でもだってー、ソレはソレでアレはアレじゃないですかー。人として! いち国民として! 守る義務はアリヤンセ! せめて出せよアリアワセ! それでピーポォシュアワッセ!!」

 

 ここで彼女が父親に持たれたまま、シュババババっと取ったポーズの数、多分十五くらい。元気いいな、何かイイコトでもあったのかい?

 

「……ラナ、アレってこの国の言葉として正しいの?」

「正しいかどうかはともかく、レオは学習(ラーニング)しなくていいからね?……そんなことよりラディ叔父様」

「だから叔父さんでいいって、かしこまられると、この場ではむしろ怖いから」

 

 なんていうか、踊る特盛りパフェも、その無言過ぎる保護者も、話が通じる気がしない。なのでとりあえず叔父さんの方へと視線を移す。

 

「私を、捕まえに来たんですか?」

「やー、まー、それはそうとも言えるし、そうでないとも言えるかなぁ」

「はっきりしてくださいよ、()()()

「うわぁ、前よりアタリがきつい。ファーストキスでも済ませちゃった?」

「……」

「怖い怖い怖い、例のアレはよしてね、たぶん……色々面倒なことになるから」

 

 ちらと、叔父さんは横のふたりを見てから言う。背負子のユーフォミーは魔法使いであるという話だ。私の魔法を知る叔父さんが連れてきた魔法使いだ、なにかしらの、私殺しの要素があるのかもしれない。

 

 どちらにせよ、叔父さんの目的がわからなければ、動くに動けない。

 

「強制連行、する感じではないですね。任意ですか? なら、後日にしてもらえないでしょうか」

「ぴっぴー! 権利はなくとも義務はある! 正義はなくとも悪はある! 許すな! 悪を! 果たせよ! 義務を!」

「正義はなくとも悪はあるって、言ってること結構最悪ですね」

「いやぁ、ユーフォミーちゃんは口ではこんなこと言ってるけど、こんなのポーズだから……色んな意味で、ポーズ過多なんだよ、この子は……はぁ……昔はもっと素直ないい子だったのになぁ……」

「むむむ昔のアタシを思い出すなぁ!?」

「あ、これ作ったキャラでこうなんだ……少し安心した」

「つつつ作ってないしぃ!?」

 

 うーん。

 

 なんかこれ、根は結構純朴そうだぞ? お父ちゃん呼びの時点でも少し思ってたけど。

 

「(ラナ)」

 

 ん?

 

 そんなこんなで全く話が進まない中、なにかをレオが、視線で伝えてきている。

 

 右?

 

 右は……ああ、そこに誰かが気絶していたんだっけ?

 

 起きそうってこと? もしくは起きたけど寝たふりをしている?

 

「(うん)」

 

 言葉無く問い掛けると、頷きが返ってきた。

 

 私はすこし考え、それは放置するようにと、(目線と表情だけで)伝える。

 

「(了解)」

 

 そこの誰かが、この部屋からの逃亡を試みた場合、どうしたって部屋の入り口へと向かうことになる。私やマリマーネのいる(がわ)の窓という選択肢も、あるにはあるが、こちらへは鎖のカーテンが邪魔をしている。部屋の中央にはレオがいる。レオの強さを十分に味わった男なら、そこの突破は諦めるのではないだろうか?

 

 機を見て逃げようとするのであれば、コンラディン叔父さんと、背負子のユーフォミー(と、その父親)が陣取る、この部屋の出入り口へ向かうしかない。

 

 背負子のユーフォミーは魔法使い。もしかすればその力の一端を見ることが出来るのかもしれない。

 

 そこに私殺し、レオ殺しの要素があるか、ないか、判断できるならしたい。

 

「おいそこ」

 

 ……と思っていたら、どうやらコンラディン叔父さんも、それにはすぐ気付いたようだ。さすが一流の冒険者。無念。

 

「起きてるな? 無駄な抵抗はするな、大人しくしてろ」

「えっ……レオ、あの人の機動力は?」

「ん……」

 

 しょうがないので私も、今気付いた風を装って、レオに尋ねる。

 

「全員、片足は潰したはずだけど……」

 

 と。

 

「うおおおぉぉぉぉ!!」

 

 もはやこれまでばかりに、ヤケクソな吶喊(とっかん)をあげながらの突貫(とっかん)を、男は試みたようだ。その向かう先は……やはり出入り口。片足骨折の状態でよく動けたなと思ったが、どうやら持っていた剣を杖代わりにして跳んだようだ。カーテンの端から見えた時にはそんな体勢だった。

 

 ……が。

 

「はい不要」「ごっ!?」

 

 その突進は、途中で何かにぶつかったかのように、背負子のユーフォミー、その()メートル()前くらいの空間において弾き返される。男が、反動でそのまま穴へ落ちそうになるのを、レオが襟首を掴んで引き戻した。衝撃で再び気を失ってしまったらしく、男は赤毛の女性の(そば)へとそのまま倒れ込む。

 

「……」

 

 しばし沈黙が流れる。それを作り出したユーフォミー(本人)も、ここまでずぅっとハイテンションであった割に、なんだか冷たい目で倒れた男を睨んでいるだけだ。(にら)むというか、見下(みくだ)してるというか、「白けるな~」って感じの冷たい目だけど。

 

「……今、いつ魔法を発動したの?」

 

 しょうがないので、答えてくれたらありがたいなーって問いを投げかける。

 

 けどそこは、秘密でもなんでもないようだった。

 

「ちっちー、甘いなぁ。アタシのこれは即発動型で隙なんかないんだからね!」

「即、発動……」

「あー、世界は広いってことよなぁ……」

 

 コンラディン叔父さんが、妙な視線で私を見る。

 

 なるほどなるほど……背負子のユーフォミーには、私にはない強みがある。おそらく今のは結界発動型の魔法。状況と、ふたつ名から判断して、「不要」と判断するものだけを弾く……おそらくはかなり小さな……結界を創る能力、そんなところだろうか。勿論、それひとつだけが彼女の使える魔法ということでもないのだろうが、己の代名詞となるくらいには、得意としている魔法なのだろう。

 

 成程成程成程成程……前の時に、私の魔法を見て、叔父さんが彼女のことを思い出した理由もわかる。私の魔法も、結界を創る魔法であるといえばそうだ。もしかしたら魔法を科学的に解析、解明していったら、そのロジックには共通する部分があるのかもしれない。

 

 空間支配系魔法となるほど、大規模な私のそれ。

 おそらくはその、百分の一程度の規模だろう彼女のそれ。

 

 どちらが便利か、突き詰めて考えれば、それは状況次第という結論に至るだろう。だけど護身の、あくまでも実用性の面だけでいえば、彼女の方が圧倒的に優れていると言わざるを得ない。護身用途に限定すれば、私のはオーバースペックもいいところだ。なんならオーバーキルであるとさえいえる。

 

 咄嗟(とっさ)の危機からただ身を護るだけであれば、時間をかけなければ逃げ込むことも叶わない巨大要塞よりも、すぐに取り出せる軽い盾の方が圧倒的に便利だろう。彼女達は元冒険者、そのフィールドで必要になるのは、後者であることの方が圧倒的に多いだろう。

 

 それに、警戒すべき点がもうひとつある。

 

 私の魔法も、あの黒い線(正面から見た場合は面)を結界と見た場合、その結界を通過させるさせないは、自分の意思で、任意に選択できる。

 

 けど、私の選択は、線で区切られた空間ごとであり、物質の種類ごとだ。つまり、「人間の通行」を許可する場合、空間ごとに、「人間という物質」の通過を許可しなければならない。しかも罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、私自身の肉体もまた、罅割れ空間に囚われてしまうことからも判る通り、「誰か」を指定して許可するというのは、できない仕組みになっている。

 

 要は、レオは通すけど他の男性は全員シャットアウト、みたいなことができないということだ。

 

 もし、彼女にそれができるのだとしたら。

 

 こちらの攻撃だけを全て遮断し、あちらからの攻撃は全て結界を通過してくる……そういったことが、可能なのだとしたら。

 

 それはある種の「無敵」に近い。

 

 というか、その方が「要不要の」という称号に相応しい力だ。

 

 そして……。

 

『ねぇラナ。こんな現象は、普通じゃ起こらない。まさに魔法の力だ。それを僕が壊そうとして斬撃を繰り出したら……予想もしないようなことが起こるかもしれないと……思わない?』

 

 今の今まで忘れていたけど、レオは私の「結界」を自分が斬った場合、おそらくは自分の身が危ないのではないかと推察していた……しまったな……色々あったから、なぜそう思ったのかを、まだ聞いていない。

 

 もし。

 

 もしも彼女の「結界」が、私のそれと同じ属性のものだったならば……彼女とレオを戦わせるのは危険……ということになる。

 

「……ぅぅ」

 

 なるほど、魔法……未知と戦うというのは、これくらい慎重にならざるを得ないものなのか。誘拐犯が、なかなか私達を襲ってこなかった理由が、その意味が、今にして実感できた。

 

 私からすれば、私の魔法は弱点ありまくりのピーキーなモノなのに。

 

「どしたー? アタシィの可愛さにィ、嫉妬ォー?」

 

 私は改めて背負子のユーフォミー、その姿を、その存在をつぶさに観察する。

 

 銀色の長い髪が、雨の日の室内であるにもかかわらず、天使の輪を浮かべながらキラキラと輝いている。完全にしなやかなストレートのようで、前髪だけは髪と同色のヘアピンのようなモノでまとめ、横に流しているが、それ以外は彼女の動きに合わせ跳ね、自由に(なび)いている。だがそうした次の瞬間には一瞬でまとまり、落ち着くことから、随分と丁寧に(くしけず)られ、手入れされているとわかる。根元まで銀色であるため、それが地の色だとは思うが、美容院へ行ったばかりみたいなその完成度から、それすらも確信に至れない。

 

 顔は……簡単にいえば小悪魔系だ。目は、まるで猫のよう……と言えるほどには大きくないが、形はやはり猫に近い。いい感じに丸く、目尻だけが吊り上がっている。ふっくらとした涙袋があり、まつげも長く、それもまた銀色であるため、目の輪郭が若干ぼやけて見える。瞳の色は……とりあえず右目は茶褐色だ。左目はよくわからない。

 

 というのも、彼女はおかしな形の眼鏡をかけているのだが、それの左目部分が大部分、茶褐色のサングラスのようになっているのだ。

 

 その眼鏡は、右目(私から見て左側の目)のフレーム部分が「()(がた)で、左目のフレーム部分が「()(けい)なのだが……その「○」の中に、茶褐色の部分があって、それが彼女の左目を半分以上覆ってしまっている。

 

 右が「()」を模しているだとすれば、左はこれ、三日月を模していると言えばいいのかな?

 

 ええと、三日月って、別に月が、本当に三日月形(みかづきがた)に削れてしまうわけじゃなくて、太陽の反射光が当たる、その部分だけが光り、三日月形に見えているだけなわけだけど……彼女の眼鏡、その左目のレンズ部分もそれと同じで、フレームもレンズも形は「()」、だけどその右端の方(私から見て左端、顔の外側の方)に、三日月形な透明の部分があり、それ以外は茶褐色のサングラスのようになっているから、だから三日月にも見えるというわけ。なんていうか、ものすごく凝った意匠の眼鏡だ。少なくとも私はこんなの、初めて見る。

 

 ちなみに、この国において眼鏡はかなりの高級品で、度のバッチリあったものは魔法でしか生み出せないというから、造ることのできる人、商会はかなり限られる。スマホもパソコンもテレビゲームもないこの世界、近視の人は、あまり多くはないけれど、仮に一般市民が近視になったら、それはもうそのまま生きるしかないというのがこの国の現状だ。老眼鏡ならもう少し安いけど。

 

 ただ、どうも彼女の、そこまで大きくはない目は、近視のレンズ越しだからということでもないような気がする。あのレンズは、伊達ではないだろうか? 度の入っていない、ただのサングラスであるというなら、それはさほど高価なものでもない。そうすると、右にもちゃんとレンズ(ではなくただの透明ガラス?)が入っていて、角度によってはキランと光るというのもおかしな話だが、まぁそもそもが全体的に奇抜な格好の中にあっては、そこだけが浮いて見えるということでもない。

 

 先ほどからずっと、彼女は父親……ナッシュさん?……が「持っている」、「持たれている」と表現してきたが、それはそのままの意味だ。

 

 彼女はその細い胴へ、黒いコルセットのようなものをつけている。どうもその後ろに、持ち手のようなものがあるようだ。コルセットを締める紐の色はピンク。そして彼女は全身を、そのコルセットをデザインの基調とした帯衣(ハーネス)で覆っていて、コルセット以外は黒い布をピンクのリボン……のような見た目のベルト(所々、かなりの余りがあるから、それが背負い紐になるのかもしれない)が覆うという、大変に奇妙で奇抜な格好をしている。

 

 肌を見せる気はないのか、長袖だし、腰周りもスカートではなく無骨な革のズボン(途中で切れていて、そこから彼女の、ピンクの布地に被われた足が見えている)だが、スレンダーで上品なその身体の割に、なんだか全体には微妙にフェティッシュな匂いが漂っている。コスプレっぽいと言い換えてもいいのかもしれない。アメコミにいそうだ、こんな格好の人。これがあちらさんのコンプラ的に、セーフなのかアウトなのかは知らないけど。

 

 全体として、要約すると、彼女を構成する色は大別すると四種類、髪やまつげ、あとは眼鏡のフレームの銀色、瞳と左目を覆うサングラス部分の茶褐色、あとは身に着けているものの黒とピンクだ。顔の肌色までも、雪のように白いから銀色めいてみえる。

 

 その四色が、すらっとしたその身体の、大仰な動きに跳ね、激動しまくるというのが、彼女という存在の()(かた)であるように見える。……外見上は。

 

「あー、あんまり見ないでやってくれ、意外とシャイだから、ユーフォミーちゃんは」

「だだだだだだだだ誰が奥ゆかしい美少女じゃい!?」

「美少女は言ってないぞ?」

 

 いや美少女は美少女だけど……。大口を開けると八重歯がチャーミングな美少女だけど……。

 

 まぁ、コンラディン叔父さんの好みではないのだろう。年齢の問題かな。言動のハイテンションなJKっぽさ(かなり特殊なそれだけど)を裏切らず、彼女はJK、女子高生くらいの年齢に見える。叔父さんは特殊な性癖の人ではないようだから、もっとちゃんと大人な、ぺぇのでけぇのが好みなのだろう。かつては家中(かちゅう)でママと同じ派閥にいたわけだしね。え、そんな理由?

 

「それで、じゃあラディ()()()()はこれからどうしたいんですか?」

「ん」

「こうして、被疑者を拘束したところで踏み込んできたわけですから、何かしらの目的があったんでしょう」

 

 芋虫のように、縛られて床に転がる女性を見て言う……いい加減、そろそろ名前で呼んであげたいなぁ。

 

「あー、それはユーフォミーちゃんの独断専行(どくだんせんこう)なんだがー……」

「あ」

 

 そこで、ふと気付く。

 

「もしかして、昨日の尾行って……」

「ん」

 

 そういえば、昨日私達を尾行してきた人物は、これまでとはだいぶタイプが違っていた。

 

 ま、そうは言ってもそこそこ怪しげな風体だったから、あまり深く考えもしなかったのだけど、こうしてみると「出所(でどころ)」自体が違っていたのだと言われても、納得できる。

 

「あー、なんだ気付いていたのか、そうだな、それは冒険者ギルドから出した人員だね」

 

 それなりに、()()()に長けたのを出したつもりなんだがなぁ……とボヤく叔父さんへ、私はなんの情報も差し出さず。

 

「冒険者ギルドが絡んでいる……ということですか?」

 

 疑惑をただ叔父さんへ、向ける。

 

「ん?」

 

 つい先ほど、そこの芋虫女は、冒険者ギルドに何かしらの秘密があるような反応を示していた。

 

 まさか……。

 

「あー、違う違う、ってか、なんでソイツここにいるの? 顔は見覚えがあるというか、ちょっと前に俺へ……僕に接触を図ってきた気がするけど、なーんか怪しかったから門前払いしたんだよね」

「そんなことが?」

 

 行動力のある悪党だな。パパにも接触してそう。それでやっぱり門前払いを喰らってそう。その中で引っかかったのがマリマーネだったってわけか。……そういうところだぞ、マリマーネ。

 

「コンニャック! でっしゃばぁるな!? ユーはお父ちゃんの格下ちゃん! 身長見てモノ言えやー!」

「あー、ナッシュ」

「んむ……」

「やー、あんっ、お父ちゃんやーめーてー、持ーちー上ーげーなーいーでー、こんな人前では恥ずかしいからぁ」

 

 言葉では嫌という割に、隠しようもない喜色を声に混じえながら、幼子を高い高いする要領で持ち上げられる四色女。銀色の髪が、犬のしっぽみたいにぶんぶん振れている。

 

 持ち上げられている間は、くねくねと身をよじっていたが、父親の頭よりも高く持ち上げられた瞬間に、なぜだか途端に大人しくなった。いわゆる(上半身だけ)飛行機のポーズみたいな格好で、幼児みたいに幸せそうな表情を浮かべ、マッチョな父親へひたむきな目を向けている。

 

「ん」

「あんっ」

 

 そうして、しばらくしてから、肩車のような形で、彼女はその短い足を親の肩へと載せた。そうしてから短い銀髪が生えている親の頭を、細い手でポンポンと叩く。

 

「もー、お父ちゃんったら、ダイターン」

「ん……」

 

 そうして、こんな人前では恥ずかしいからぁ……と言ったその舌の根も乾かぬうちに、彼女は満足そうに父親の頭を抱きしめる。短い足が、いかり肩の上でその太い首をきゅっと挟んでいた。頚動脈とか大丈夫なんだろうか、あれ。

 

「え、これ何の時間?」

「ま、何かの病気と思って諦めて大目に見てあげてよ」

「いやいやいや……」

 

 病気なら治しましょうよぉ。適切な治療を施しましょうよぉ~。

 

「とにかく、ユーフォミーちゃんのことはあまり気にしなくていいから。ただ、ラナちゃんはさっきので気付いてしまったと思うけど、彼女らは君達のアレヤコレヤがアレした場合の対抗策だ。もっとも、それが功を奏すかどうかはわからないけどね。けどこうなった以上、ひとまずは僕の話を聞いてもらえないかな? 対抗手段が対抗手段足り得るか、試すのはその後でもいいだろう?」

 

 ちらと、叔父さんはレオへ視線を送る。それにレオが、どんな表情で応えたかまではわからなかったが、叔父さんはすぐ満足そうな表情になった。

 

 まぁ、私も、その提案に(いな)はない。事態は既に私の手には余るものとなっている。私自身、叔父さん伯母さんに頼ろうと考えたばかりだ。叔父さんからその提案をしてくれるというならむしろありがたい。もっともそれは、叔父さんの立場次第でまったく別の意味に変わってしまうが。

 

「……マリマーネ」

「ひゃい!?」

 

 マリマーネは、突然振られたことにビクンとなる。しっかりして、ここはマリマーネの店でしょ。

 

「どっか部屋借りたいんだけど、こういう変な仕掛けがある部屋じゃなくて、単にもう少し広い部屋ってないの? 最悪、前回試し切りに使った、あの地下室でもいいけど」

「え、あ」

「あー、そうだな、冒険者ギルドに人を()って大きめの馬車を呼ぶから、待っている間にここで話せると助かるな」

「馬車?」

「すまないがラナちゃん、そいつらの身柄はこちらで預かりたい。理由は話す、君がどこまで知りたいかにもよるけど、全部聞けば納得してもらえると思っている」

「え……」

 

「先に少しだけ話そうか、僕は冒険者ギルドのギルド長に知己(ちき)がある。懇意(こんい)にさせてもらっている。昵懇(じっこん)の仲というには少し違う気もするが、まぁ気のおけない間柄であることは確かだよ。僕は、今は冒険者ギルドのギルド員として動いているが、僕が何を目的に動いているのか、それを知るのはギルド長と、ごく限られた信頼できるメンバーだけだ。それで」

 

 僕が何を目的に動いているか、聞く?……と、叔父さんは私へ問い掛ける。

 

 それは、詳しく聞けば聞くほど、面倒事に巻き込まれる種類の話なのだろう。

 

 けど。

 

「……それを聞かないと話が続かないんでしょう?」

 

 ここに至ってはもう仕方無い。

 

 どちらにせよ、私達はもう面倒事に、全身浸かってしまっている。ならば不透明な部分を少しでも透明にする方が、まだ泳ぎ着くその先が、どこにあるか判るというものだ。

 

「そうだね、じゃ、言うけど、王都ヤバイ」

「……んぇ?」

 

「王都ヤバイ、気が付いたら沢山のヤベェモンスターに囲まれている。森の大迷宮()は勿論、大山脈()も、港町へ向かう街道()も、穀倉地帯(西)もだ」

「……んぇぇぇ?」

 

 一瞬、叔父さんが高杉晋作オマージュでも始めたのかと思った。わけのわからないことを言って、こちらを混乱させる乱暴な話術。

 

 それくらい、それは荒唐無稽(こうとうむけい)な話だった。

 

「冒険者ギルドはこの解決のため、王国軍に協力している。モンスター相手であれば、俺達冒険者の方が軍の連中よりも場数と知見を積んでいるからな。それで……一昨日の事件、あれってラナちゃんが関わっているんだろう? 人型スライムを倒したっていう、金髪のメイドはレオ君だろう? そこまでは僕も推測できた。知りたいのは、だからそこから先なんだ、どうして今日、この商会で、君達はこんな大立ち回りを演じた? そこの連中はなんだ? 人型スライムとの関係は?」

 

 けど、叔父さんの言葉に、嘘や誤魔化しの色はなかった。

 ただ淡々と、それは真実のみを語っているように聞こえた。

 

「三下説明ゴックローチ! あとはアタピが頭上のここから三行半(みくだりはん)! つまり王都はDIEピ~ンチ! すわと危なくなったぜアタシ~ンチ! ならば重ぅ要! 参考ぉにぃ~んは! キリッとキラッと協・力・肝・要! 秘密主義それは不ぅ~要!」

 

 あの……叔父様、私、色んな意味で眩暈(めまい)がしてきました。

 

 帰っていいですか?

 

 

 



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epis40 : One step closer to the intersection

 

『帰っていいですか?』

『いいけど、それなら後で(いえ)まで行くよ? 事情聴取に』

 

 実際はしなかった会話を頭に浮かべながら、私は前回、私とレオが通された部屋の、通路側の席に座っていた。レオはすぐ脇に立っている。

 

 窓の(そば)にはマリマーネと、例のキテレツ父娘(おやこ)が立っている。帯衣(ハーネス)のベルトは、やはり背負い紐(背負われ紐?)として使うものだったらしい、今はそれによって、彼女は父親に背負われている。おんぶされている。幸せそうだ、顔が。

 

 そして窓側の席には冒険者コンラディン、叔父さんが座っていた。その足元には例の、両手両足を折られた赤毛の女性が無造作に転がされている。

 

 レオは鎖で彼女を拘束していたが、今はその上から更に叔父さんが、妙な拘束を付け加えていた。

 

 手の親指と親指、足の親指と親指を、太い針金のようなもので連結し、更にそれを彼女の背中側で連結している。そのまま吊り上げれば……なんだっけ……なんとか問い……忘れた……まぁ背骨が海老反(えびぞ)りしまくって、エドジダイの拷問みたいな光景となるに違いない。いや、その前に全部の親指が落ちるか?

 

「あ、あの、私この場所にいていいのでしょうか?」

 

 全員がそれぞれの位置に収まり、さてとなったところで、マリマーネが当然の疑問を発する。

 

「君には、後でいくつか質問をしたい。それまで君の発言は不要だが、保身を考えるなら、むしろちゃんと聞いていた方がいいと僕は助言するよ? 当然秘密は、厳守してもらうがね」

「は、はひっ!」

「さっきも言ったが、僕は一応、国の要請を受け動いている。僕というか、冒険者ギルドがだがね」

「しょっ、承知しました! ここで見聞きしたものは絶対に口外しません!」

 

 うわぁ……エッグぅ……。叔父さん、「僕に逆らったら、国と冒険者ギルドに喧嘩を売ることになるけど、いい?」ってわかりやすく脅しちゃった。

 

 マリマーネは今、相当な自信喪失中のはずだ。意気揚々と私に喧嘩を売って、それ自体が誰かの策略に踊らされた結果なのだと気付いたばかりなのだから。

 

 可哀想だけど、私はそれを慰められない、どう考えても逆効果にしかならない。反省して次に活かすなり、自分の限界を悟って方向転換するなり、そういうのは彼女自身が彼女自身の力でやってほしい。邪魔はしないから、頑張ってほしい。

 

「さてと」

 

 席に着くのが一番遅かった叔父さんは、マリマーネを(実質)脅迫したばかりだというのに、落ち着いた表情で私へと視線を向ける。

 

 私は……出鼻をすかさせるべく、一瞬、銀と黒とピンクと茶褐色な四色の少女、背負子のユーフォミーの方をちらと見る。彼女は、今は父親の背中で満足そうな笑顔を浮かべている。なんていうかそれは、落ち着くべき場所に収まったという感じだった。

 

「あー、ユーフォミーちゃんのことはあまり気にしないでいいから、彼女は守りたいモノが守れるならそれで良いってタイプだから、そこを刺激しなければ、誰が何をどうしようが構わないってスタンスだよ」

「守りたいモノが守れるなら、ですか」

 

 父親の背から、叔父さんへアッカンベーをする美少女……それを横目で見ながら、私は彼女の言動を思い出す。

 

 それは……確かにこの国を守りたいという意思を感じさせるモノだった。

 

「つまり、王都リグラエルが“ヤバイ”から、彼女も黙っていられなかったと?」

「そうそう、彼女は王都生まれの王都育ち、生活の基盤も全てここにある。僕は彼女達であれば王都以外の場所でも生きていけると思うんだけどね。駆け落ちをして、王都を逃げ出してもやっていけるさぁ」

「っ……」

 

『マリマーネさんが、ケチな商売(シノギ)の真似事がしたいなら筋違い。なんなら私は、いつでもレオと駆け落ちをして、王都を逃げ出してもいいと思っているくらい』

 

 私とマリマーネとの遣り取りをどこまで……いや、どこから聞いていたんだ、叔父さん。

 

 私が、抗議の意味を込めて睨むと、叔父さんはやれやれと肩をすくめながら言う。

 

「まぁでも現実問題、それは想像するよりもずっと大変なことだと思うよ? 西の同盟国にも、南の大陸にも、それぞれ外国人には厳しい事情がある。西は宗教、南は政情がね、こことはだいぶ違うから。ユーマ王国に生まれたのであれば、ユーマ王国に生きるのが一番であると僕は思うよ?」

 

 それはわかっている。私も、ユーマ王国の外へ逃げるつもりなどはなかった。南の大陸にはまだ統一国家がなく、小国が覇を競い合ってる状態だから危険も多い。西の同盟国には厳格な身分制度があり、政教も分離しておらず、宗教が生活の全てに関わってくるため、亡命者や難民が暮らすにはかなり厳しい国だ。……本に書いてあった知識通りなら、だけど。

 

 どちらかしか選べないのであれば、レオを連れてなら南、私ひとりなら西といったところだが、それよりは名を変えてユーマ王国のどこかへ潜伏する方が、まだ生きやすいような気がする。というか、それが無理なほどユーマ王国内で「ヤラカシ」てしまったのなら、国外脱出もままならない状態に陥るだろう……普通は。

 

「私も、王都の危機であるというなら、協力するに(やぶさ)かではありませんが」

 

 新天地に逃げれば道は開く……それは、時として起こり得ることだろう。けど、実際はそうそう上手く行かないのが現実だ。それは賭けになる。大抵は分の悪い賭けに。行き詰まったなら、それも仕方無くはあるが、正しく、その決断をするのは難しい。

 

「そう言ってもらえると助かるな、レオ君を貸してもらえるなら、本気で百人力だよ?」

「なっ」

「あー、その前に話を戻そう。まず、冒険者ギルドが国に協力していると言ったね、これはね、そのままの意味。僕らは今、国の意向に沿って動いている。僕は数ヶ月前、九頭(くず)のヒュドラの討伐を、冒険者ギルドへと報告した。これをギルド長が問題視してね、東の森の大迷宮(ダンジョン)へ大規模な調査隊が入った」

「……はい」

 

 なるほど、話はそこへ繋がってくるわけか。

 

「ところが、この調査隊は、帰ってこなかった」

「……は?」

「言葉通り、おそらくは全滅だよ」

「……調査隊、なんですよね?」

 

 討伐隊じゃなくて。

 

 いや……討伐隊であっても、劣勢になったら逃げて何人かは戻ってくるのではないだろうか?

 

「そう、熟練の冒険者は命を大事にする。勝てない相手に喧嘩を売ったりはしない。だからまずは調査、それから可能なら討伐という流れを遵守(じゅんしゅ)する。モンスター相手の場合、調査は接近して目視する必要なんてない、生き物は飯を食うしクソだって垂れる、大型生物であればその足跡だって()(にく)くなる」

「帰ってこなかったという調査隊の方々は……」

「当然、皆熟練さ」

 

 そういうのは血気盛んな若者には任せられない……レオの方を見ながら、叔父さんは続ける。

 

「戦闘力は、僕より強いのが数人、それくらいかな。レオ君の前で、これを言うのは少々気が引けてしまうが、僕はこれでもそこそこ強い方なんだよ? ドラゴンと戦えと言われたら腰が引けてしまうが、コカトリス、バジリスクならひとり(ソロ)でも倒したことがある」

 

「……コカトリス、バジリスクって石化能力を持つモンスターですよね?」

 

 倒せば英雄、とまでは行かずとも、それなりの者と判断されるランク付けがされていたような気がする。日本人ユーチ●ーバーで(たと)えると、登録者数百万(1,000,000)人を超えた辺りの「凄さ」であろうか。業界内では無視できぬ存在感を放ち、業界外にも名は響き渡って一目置かれる、それくらいのランク。

 

「まぁそこは冒険者ギルドの知識でね、なんとかした」

「はぁ、なんとか」

「だがそんな僕よりも強い数人を含む、猛者達(もさたち)が帰らぬ人となった」

 

 登録者数三百万(3,000,000)人とか一千万(10,000,000)人のユーチ●ーバーが、この世からBANされたと。

 

「大事件じゃないですか!?」

 

「どうして今ソファから立ち上がってまで驚いたのかは知らないが、その通りだよ」

「え、それいつのことですか?」

 

 私はひきこもりだけど、世俗から自分を完全に切り離していた覚えもない。高度情報化社会はまだまだ先であるとしても、ちょっとした噂なら使用人達から、パパのお店に行けばその職員達からも得られる。そのどちらへも、ここ最近は結構な感度のアンテナを張っていたつもりだから、私がそれを知らないというのは変に思える。

 

「調査隊は三度(さんど)送られ、そのどれもが帰ってこなかった。最初のは九月、揮毫月(きごうづき)の頭頃に出発した。僕がヒュドラのことをギルドに報告したのが八月、満葉月(みちはづき)の終わりくらいだからね」

「結構前、ですね」

「うん。僕達にも色々あったんだよ。君達にも色々あったみたいだけど」

 

 そしてそれが、なぜかここで(まじ)わったと。

 

「ギルドはね、最初の調査隊が帰ってこなかった時点で、国へ協力を依頼していたんだ。これは冒険者ギルドの手に余る事態なのではないかと。だが国からの返答は、調査隊の()()はしばらく秘匿して、もう少し情報を集めよとのお達しだった」

「失踪……ですか」

 

 ことなかれ主義を感じる対応と、ワードチョイスだ。それで情報が一般には出回っていなかったのか。

 

「なにを悠長なと、忸怩(じくじ)たる想いもあったが、そう言われてしまったら仕方無い、第二陣、第三陣と調査隊を出したよ」

 

 その間、叔父さんは「実際に九頭のヒュドラを見た人間」として、国との交渉役になっていたらしい。

 

「結果は変わらず。全員、帰ってくることはなかった。総勢十四名、熟練の冒険者達が全滅さ。……それだけの犠牲が出て、(ようや)く国は動いてくれた」

 

 苦々しい表情で、叔父さんは吐き捨てるように言う。交渉は、なかなかに困難を極めたのだろう。

 

「国……なら、そこで軍属の魔法使いが?」

 

 軍属の魔法使い、そのひとりである四色の美少女は、今はなぜか、父親の両目をクロスさせたダブルピースで押さえている。(ひら)いたピースなので視界を覆っているわけではないが、それに何の意味があるのかはわからない。

 

 多分、何の意味もないのだろうけど。意味のないイチャツキなんだろうけど。

 

「そう、といっても最初に動いたのはユーフォミーちゃんじゃない。もっと調査に向く魔法を使える者達だ。遠くのモノを見る遠隔透視能力(クレヤボヤンス)の魔法使い、同じく遠くの生き物の体温を感知する熱源探知(サーモスタット)の魔法使い、最後には、厳重に管理、監督され、監禁、監視されている精神感応(テレパシー)の魔法使いまでもが動員された。その結果、調査はこの一週間で飛躍的に進んだ」

「……監禁」

「……今はそこに気を取られないでほしいなぁ。可愛い女の子じゃなくて、男の子でもなくて、僕より年上のオッサンだよ。不幸だとは思うけど、同情はできないね、衣食住に不自由はないし、女だって抱ける。自由がないだけでね。それに、そうやって抱いた女の頭の中を読んじゃってさ、それで何人も殺してるというしね。何が気に食わなかったのやら」

「……」

 

『何事も、過ぎれば毒になるって話さ』

 

 誰かの言葉が、頭をよぎっていく。精神感応(テレパシー)なんて、一皮剥けば誰もが汚いこの世界にあって、人の身には過ぎたる能力なのだろう。ただしレオを除く。

 

 これは、叔父さんから私への、警告であるのかもしれない。人の身には過ぎたる能力をもつ魔法使いの末路は、そういうものであるという。

 

「話、続けていい? ともかく、それで判明したわけさ、いつの間にか、王都の周辺に膨大な数のモンスターが、人知れず集結していたってことが。……人知れず、だけど人為的としか思えない量で、ね」

「人為的……誰かの謀略だというのですか?」

「誰かの、じゃないね、これは()()()の、と言うべきだ」

 

 それは……。

 

「そんなこと、個人ではできない、と?」

「当然。更に言うと、王都の下水道にも水棲生物系のモンスターが大量に巣食っていることがわかった」

「え」

「一昨日、街で人型スライムが暴れただろう? スライムも、一部は水棲生物系に分類されるモンスターだ、一昨日のは、だから上の方の判断においては()()()()()()()()()()と推測されている」

「……」

「当然僕は、その判断を支持していない」

 

 なぜかはわかるね?……と、叔父さんは噛んで含めるかのように言う。

 

 なるほど、ここに叔父さんがいる理由はわかった。

 

「倒したのが、誰も見たことがないような、凄まじい剣の使い手だったから?」

「うん。だけどそれだけじゃないね、スライムが暴れた現場近くでは、警邏兵(けいらへい)の制服を着た男がひとり、死んでいたが、これは所属を確認したところ、どこにもその存在が確認できない、偽の警官だった」

 

 この国においては、警官に化ける行為は重罪とされている。悪質であった場合、極刑になる可能性まである危険な行為だ。

 

「制服の方は本物だった。一年近く前に失踪した警官の着ていたモノだったよ。そこまでは昨日一日で追えたんだが、死んでいた男の正体は今なお不明だ。僕は、その死んでいた男の姿をこの目で見てはいない。どんな風だったかは聞いて知っているだけだ。でも、おい」

「ぎっ」「叔父さん!?」

 

 叔父さんは、靴で、足元の女性の、複雑骨折したままであるはずのその足を、踏む。

 

「赤毛で、片耳の一部が欠けていたってのは、聞いているなぁ」

「ぎっ、がっ! ぎぃぃぃぃぃぃ」

 

 踏んで、踏みしめて、拘束され動けない女が、それでも身を(よじ)り、(ねじ)って、更に苦悶に(うめ)くのへ、叔父さんは容赦なく追い討ちをかける。

 

「っ」

「おっとレオ君、その殺気はしまっておいてくれないかな? 彼女をこうしたのは君だろう? 僕は必要だと思われる()()をしているだけなんだけど……それとも君がやりたかったのかな?」

「それは……」

 

 異常な場面と、殺気と殺気のぶつかり合いに、私が何も言えないでいる中、レオはしかし当然の主張をする。

 

「尋問するなら先に猿轡(さるぐつわ)を、外すべきでは?」

「……ふむ。それはそうだ。えーと、この布は斬っても?」

 

 レオ、私、マリマーネと順番に見る叔父さんへ、マリマーネが頷く。どうやらアレは、先の部屋にあった布を、レオが勝手に使っていたようだ。出所は知らない、どうでもいい。

 

「それじゃっと……ほっ」

 

 そういえば、今気付いたが、叔父さんはふたつ名にもなっているその黒い槍を、今日は持ってきてはいないようだ。今使ったのは腰に差していたナイフだ。屋内で槍は、確かに使い難いだろうが、そうなると、今日ここで戦闘をする気は、なかったのかもしれない。

 

「ぐっ……ぁ……こ、この野蛮人どもめ」

 

 脂汗を流しながら、苦悶の表情を浮かべ、女は恨めしそうな目を叔父さんへ向ける。

 

「ほう、その()()とやらの範囲は、どこまでを指すんだ? ユーマ王国の国民全部か? それとも王都民限定か? 僕個人とレオ君だけであれば、勝手に言ってろよって話だが」

「……勝手に巻き込むな」

「お前ら全員だよ! 女をこんな風に縛り上げ! よってたかっていたぶって、恥ずかしくは無いのか!?……ぎゃあぁぁぁ!!」

「あーのーさー? 俺の可愛い姪っ子ちゃんに、先に暴力を振るおうとしたのはお前だろう? これくらいする権利は、僕にもあると思うんだけどねぇ、そこんとこどーなん?」

「うぎいいいぃぃぃ!」

「叔父さん!!」

「大丈夫大丈夫。さっき、逃げようとした男がいたろう? アレを、ここんとこの地下牢……多目的倉庫って名目だったか?……そこへ押し込めに行った時、ここの人達には説明をしてあげたから。今日はみ~んなみんな、お帰りいただいているよ?」

「い、いえ、そういう、無関係の人に聞かれたら困るから控えて、みたいな話ではなく……」

 

 怖い。

 

 今は叔父さんから、嫌な(にお)いは全くしない。私はその意味で叔父さんを怖がっているのではない。

 

 そういったニュアンスを全く出さずに、淡々と喋りながら、しかし抵抗できない相手へ容赦なく暴力を(ふる)い続ける、その精神性が怖い。叔父さんは死線を潜り抜けてきたであろう戦士だ、これくらいは日常となんら変わらぬ営為(えいい)であるのかもしれないが、それ自体が私の常識を超えていて恐ろしい。

 

 私の中には、そういう感覚がまだ残っているようだ。残っているから、悪人を殺したとて、それだけで心が壊れそうになる。その感覚は、相手が悪人であったとしても、他人を意図的に苦しめるという行為を、どうしても恐ろしいと感じてしまう。

 

 レオも叔父さんも、修羅の世界で生きてきた人間だ。その意味でふたりはふたりとも戦士だ。それを野蛮と否定する気は、私にはない。ただ、私は、勢いで人を刺すことはできたが、拷問を成功させ、その口を割らせることはできなかった。相手が悪かったとは思うが、例えばこの女性を相手に、しようと思っていた拷問を、今の叔父さんのように、私は本当に、できたのであろうか?

 

 目の前で繰り広げられる、暴虐の嵐を、私は今、第三者であるかのように引いた目で見ている。

 

 それはきっと逃避だ。見たくないものを見ずに済むよう、心が乖離(かいり)したがっているのだ。

 

 マリマーネは……見れば口元を押さえ、恐怖の表情を浮かべている。

 

 要不要の暴走列車は……この惨状を見てもいない。父に背負われる娘は、笑顔で父親の頭を自分に向けていて、父親もそれに抗わず娘を見ている。小声で何かを話しているようだが、女の悲鳴が、それを私の耳まで届かせてくれない。

 

 レオは……ぐっと何かを抑えているかのような表情で、拷問のその様子と、私の方をかわるがわる見ていた。視線が絡むたびに、こちらを気遣うような気配を感じた。

 

 そんな風にして、残酷な時間が過ぎる。

 

「ふう、とりあえずこいつの名前はマルス、偽名かもしれないがとりあえず名乗った。偽の警邏兵とは、兄弟らしいよ。まぁこれも嘘かもしれないが、大量のモンスターに心当たりがあるらしい。ここまで聞ければ、この場ではいいかな」

 

 殺伐とした場面を見せちゃってごめんね、と、さほど真剣みを感じられない風に謝られる。

 

 その足元には、精根尽き果てたのか、気を失っているらしい……マルスという名の女性が転がっていた。全身がヒクヒクと動いているから、生きてはいるようだが……。

 

「こりゃ治療院に協力を要請しないとな。ラナちゃんの見立て通り、()(ぎたな)いようで、自殺する様子はないし、拷問への耐性もないが、痛みへの耐性自体はかなり高い。かなりの苦痛を与えないと、偽名かもしれない自分の名前すら()かなかった」

 

 治療院……苦しめては治療し、治療しては苦しめるというループか……。

 

 あの女性が、自分でなくて本当によかったと心から思う。なにかしらの感情移入を、しないですんだことが本当にありがたい。もし、生い立ちであるとか、性格や人となりを少しでも知ってしまっていたら……しばらくは悪夢にうなされていたかもしれない。

 

「これについては、だからもういい。これ以上はラナちゃんの精神がもたなそうだし、後は汚い大人達で頑張るよ……それより」

 

 それでも淡々と、叔父さんは、これが自分達の日常であると主張するかのように、その矛先を私へ……否、その背後へと向ける。

 

「君が拷問を、してるつもりで殺しちゃってた人間って、誰のことだい?」

「……」「あ」

 

『やっと……やっと生け捕りにできた本懐だもの、簡単に死なれたら困るじゃない?』

『……僕はつい先日、拷問をしてるつもりで人を殺しちゃってた人間なんだけど』

 

 そうだ、その辺の言葉も、当然聞かれていたわけだ。

 

 その時はナイスアシストと思ったその言葉が、今となって重く()しかかってくる。

 

「警邏兵の格好をしていた偽の警官は、首を()ねられていたが、腹部にも刺し傷があったらしい。拷問しようとしたが諦めて首を刎ねたとも考えられる……そういうことかい?」

「そうだ……それは僕がやった」

「レオ!?」

「……ふむ」

 

 前に会った時はつるんとしていた、しかし今は少しだけ無精髭が生えた自分の顎を、叔父さんはゆっくりと撫でる。

 

「偽の警官の周りで死んでいた五人の男達は?」

「その五人はラナを誘拐した犯人だ。けど殺したのは警邏兵の格好をしていた男だよ。仲間割れでもしたんじゃないの?」

「誘拐!?……いや、だがそれは聞いているこちらの現場検証の結果とも一致する……」

 

 嘘は言っていないと判断したのか、レオの最初の言葉に含まれていた嘘……ではなく誤魔化し……を見逃したまま、叔父さんはもうひとつの件について、レオへ尋ねる。

 

「一昨日の死者は、もうひとりいる。不夜城(色街)に勤める娼妓(しょうぎ)御用達の、服屋の店長だ」

 

 それは?……と厳しい目を向ける叔父さんへ、しかしレオは、それへはまるで誇るかのように堂々と答えた。

 

「その男は誘拐犯の協力者だよ。ラナを(さら)い、危険な目に遭わせようとした。どうやらあの男は、そういう悪事を色々とやっていたようだからね、地下室は見た?」

「……そりゃな、そこが現場だからな、そっちは僕も現場検証に潜り込むことができたよ」

「地下室を見て、それの趣味が良いと、思った?」

 

 その店主の趣味は、私も軽く聞いている。逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)なる言葉も、その意味も、そこで初めて知った。

 

「……血は昨日今日のものじゃなかった、ラナちゃんは怪我もしてないみたいだし、()()んだろう?」

「ラナはそこへは連れ込まれていないよ? 僕が連れ込まれた。僕は身を守っただけなんだけど、それでも罪になる?」

「あー……まぁ、なるっちゃあ、なると思うが。報告義務違反とか、死体遺棄とかそういうので」

「……やっぱりこの国の法律はおかしいね」

 

 いやそこは日本でも、私刑禁止とかそういうのでダメだと思うけど……。ただあっちには少年法があったからなぁ、十四歳未満にはそもそも刑事手続きが適用されないし。

 

「僕も警官ではないから、そこら辺は詳しくないけどね、幸い、ユーフォミーちゃんも軍属であるだけで警官ではないし」

 

 ……それは、今聞いたレオの犯行を、見逃してもいいという話だろうか?

 

「なぁ、ラナちゃん、だから何があったんだ? 誘拐とは穏やかでない。僕はね、君達には、物騒な世界に出てきてほしくないと思っていた。レオ君はもしかしたらこの世界向きかもしれないけどね。でも、レオ君が危険な目にあうのは、ラナちゃんが嫌なんだろう?」

「……え」

 

 拷問をしていた時と、さほど変わらない口調で言われ、頭が混乱する。

 

「心配、してくれていたんですか?」

「当たり前だろう? 僕は君の親ではないから、密に見てあげるというのは色々な意味でできない。けど、それでも肉親だ。幸せになってほしいと思っているよ? 君に色々な事情があることは知っている。僕にも責任のある()()がね。なんとかできる範囲でなら、なんとかしたいと思っている。そうじゃなかったら先々月の……あんな依頼なんて受けるはずがないだろう?」

 

 それはまぁ……冒険者業界の第一線で活躍する叔父さんが、よく受けてくれたなと思っていたところだけど。てっきり誰か、人を紹介されるとばかり思い、ダメ元で頼んでみたらあっさりと了承され、肩透かしを食らった気分になったところだけど。

 

「まぁ、それとは別にね、レオ君の剣は劇薬だ。この国においては、王族が領土拡大の野望を抱くことは稀だが、貴族達はまた別だ。特に伯爵以下の貴族はね。姉さんのところも、それなりに腹黒いよ? 僕も取り込まれそうになったことがあるからね」

「それは初耳ですが……では叔父さんは、私の味方と考えても?」

「絶対の味方じゃあない、理を超えて情に惑わされるほどじゃあない。君に理があるというなら味方するし、そうじゃなかったら、そこのユーフォミーちゃんと共同戦線を張るしかなくなる。もう一度言うけど、ユーフォミーちゃんは自分の守りたいモノが守れればそれでいい人間だ。僕も倫理観のラインは彼女らとそう変わらない。君が、理を超えてこの国へ牙を剥くというなら……戦わなければといけないとも思っている」

 

 名前を出された奇怪な美少女は、イーッと歯を剥いて見せるが、そこは得な美少女顔とでも言えばいいのか、それすらもチャーミングな八重歯が輝く、可愛らしい表情だった。

 

 そして、なるほど……その返答は、逆に信用できる。

 

 ここでは、無条件に味方すると言われる方が怖い。というか、要するに叔父さんは大人なのだ、生き方は既に定まっているし、妥協できるところとできないところがハッキリしている。それは私に、有利である面と、そうでない面とがあるが、今回の場合は有利に働いてくれそうな気がする。彼はもう、伯父の派閥で流されるだけ流されていた子供ではないのだから。

 

「……わかりました、けど、それはここでは話せません、叔父さんと私、もしくは叔父さんと私とレオだけで話させてくれませんか?」

 

 私は、マリマーネと、それからツーマンセルの父娘(おやこ)を見つつ、叔父へ嘆願をする。

 

「いやぁ、レオ君とはユーフォミーちゃん抜きだとちょっと怖いなぁ」

「であれば私単体で。なんなら、私のことも縛ってくれていいですよ?」

「ちょいちょいちょいちょい! やめてよぉ~、おかしなこと言うの。それに君、縛るとか意味ないじゃない」

 

 まぁね、私のは、そうだね。

 

 叔父さんを相手に、詠唱時間(キャストタイム)の十一秒を稼げる気もしないけれど。

 

「じゃあ、ラナちゃんだけ、後で話そうか。……素直に話してよ?」

「はい、それはもう」

「さっきの、そこの子との()()りを聞いていた限り、君はアレ以外でも結構油断ならない子だなぁ……って思ったんだけどね、やっぱりお父さんの血かな? その才覚が、ウチの血筋にもう少しあってくれたらなぁ……とも思ったよ」

「……やめてくださいよ、ピンポイントで、話の本筋を擦るの」

「へ?」

 

 

 

 そんなわけで。

 

 この数ヶ月にあったことは、いくつかの点を省略、あるいは捻じ曲げて、このあと叔父さんへ「大体全て」伝えられることになった。

 

 それは(あと)、この場を通り過ぎた(あと)の話。

 

 

 

 だから、ここにおいて、残ったのは……。

 

 

 

 

 

 

 

「結局、マリマーネって、今回のことでどうしたかったの?」

 

「私に、勝ちたかったんだろうなぁ……ってのはわかるんだけど」

 

「でも、ごめん、勝利条件がわかんなかった」

 

「この女の人に、なにを聞かされていたの? 今日はどう言い聞かされていたの?」

 

 

 

「ラナちゃんはいい質問をするね、僕もそれが聞きたかった。今日、この場において、君の立ち位置はなんだったの?」

 

 

 

「それは……」

 

 そうして、マリマーネは語った。

 

 赤面しながら、しおらしく、色々なことに直面して心の仮面が剥げたのか、それはもう大変にマリマーネらしからぬ、弱気な感じで語ってくれた。

 

「私はラナさんが、羨ましかったんです。生まれは、その、色々と事情があったようですが……やりたいことをやって、自由に生きているみたいで。同年代の男の子を手懐けて、しかもそれが凄くレアな剣の使い手で」

 

「そんなのってあります? そんなの、まるで物語の主人公みたいじゃないですか。神に愛されているとしか思えません。私は、色々妥協しながら、優先順位の高いものだけを手に入れ、生きようとしているのに……。全部は手に入れられないから、手に入れられるものだけを手に入れようとしているのに……。ラナさんは全部手に入れようとしているみたいで、自分の生き方を嘲笑(あざわら)われた気がして、悔しかった」

 

「ええ嫉妬です、こんなの。でも、だから私も負けてないんだって言いたかった。私は私で、それなりの人間だってことを、ラナさんへ見せたかった。私は……ラナさんに凄いって言われたかったんだと思います。(いつ)つも年下の子に。いいえ……黙っていましたが、私、昨日が十九歳の誕生日だったんです。だから今は(むっ)つも下の女の子、ですか? 莫迦(バカ)みたいですよね」

 

「一昨日、レオ君が店に来て、ラナさんが誘拐されたことを知りました。最初の内は、心配もして、協力を約束しましたが……あのわんちゃんが現れて……私、確信したんです。こんなにも()()()()()()()()あの子が、酷い目に()うなんてことは、ないんだって」

 

「だからつい、言葉が口から溢れてしまったんです。私はあなたのことを、あなたが知らないことまで知っているかもしれませんね……って、そう、勝ち誇りたくて」

 

「ええ、それは私の独断です。そちらの女性に言われてのことではありません」

 

「そちらの女性は、私がラナさんの調査を独自に始めた時、噂を聞きつけ自分から私へ売り込みに来たのです。とっておきの情報があるからと言って。それ自体は……怪しいとは思いませんでした。ラナさんは……事情が事情です。面白おかしく噂する人物は沢山います。売り込みも、初めてではありませんでした。ただ、持っていた情報に具体性があり、最近のラナさんの周辺情報に詳しかったので、しばらく雇用する契約にしてしまったのです」

 

「今日は……危ないから自分たちを待機させてほしいとの申し出がありました。一昨日、彼らは殺人を犯したはずだからと……それを聞いて、私は少し不思議な気持ちになりました。特別なふたりが、そんな俗っぽいことで、心動かされるはずが無いじゃないって」

 

「でも、押し切られる形で、私は彼女らの待機を許しました。危ないことになど、なるわけがないと思いましたし、彼女らの出番などないと思っていました」

 

「彼女達こそが誘拐犯……その可能性に気づいたのは、愚かにもラナさんに、それを強く示唆されてからです。私とラナさんとでは、視ているモノが最初から違っていたのですね。何を勘違いしていたのでしょうか、私は……ホント、莫迦(バカ)みたいです」

 

「今日の私に……勝利条件なんてありませんでした。ただ、ひとつだけこう言われたら、負けということにしようと思っていた言葉があります」

 

「誕生日、おめでとう、十九歳、おめでとう」

 

「そう言われたら、私はすぐにラナさんと様々な情報の取引をする、その商談へ入るつもりでいました」

 

「私、こうしていられるの、二十歳までなんです」

 

「もう、あと一年しかありません」

 

「だから、それを自覚したくなくて、この店に来てからは誕生日のことを誰にも教えていませんでした」

 

「それを、だけどどこからか知って、ラナさんがそれを私へ告げてくれるのだとしたら」

 

「それくらい、ラナさんが本当に特別な人間なら」

 

「もう負けでいいかって。そう思おうって、思っていました」

 

「この世界には、凄い人が沢山いる、そのことはずっと知っていたけれど、だけど認めたくなかった。どうにかして自分よりも優れた人間に、だけど勝った気でいられる自分でいたかった」

 

「けど、レオ君を知って……。この世界には、そういう次元を超越した存在もいるんだって知りました。それを(そば)へ置くラナさんを、ズルイとも思いました。どうして私にはそういうモノが与えられないんだろうって。私には、私にしかない、私でなければいけないナニカが無い。私でもいい、私じゃなくてもいい、極論誰でもいい役目しか与えられない」

 

「それが、悪かったんですよね。そこに、付け込まれたんですよね」

 

「ごめんなさい」

 

「ご迷惑を、おかけしました」

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はただ一言、こう言った。

 

「バーカ」

 

 他に、何も言えなかったから、ただそれだけを言って、私はマリマーネを抱きしめた。

 

 後で誕生日おめでとうって、でっかいチョコレートケーキを贈ってあげようと思いながら、ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝る、その背をポンポンと叩きながら、友達みたいに抱きしめた。

 

 

 



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epis41 : cross the line to the end


 ※前書き

 ここからめちゃめちゃ時間が進みます。トントン拍子です。
 面食らわぬよう、ご注意下さい。





 

 

 

 The time has come.

 

 時は来た。

 

 断罪の時が。

 

「私は間違ってない! 私なくしてこの家の繁栄は無いぞ! リゥ!!」

 

 コンラディン叔父さんとは違う、私にとってもうひとりの叔父、ママのすぐ下の弟、五人兄弟の第四子、王国の騎士となったリゥダルフ叔父さんによって捕縛され、剣を突きつけられたゲリヴェルガ伯父さんは……圧の強い声で吠えた。

 

 リゥダルフ叔父さんは、ソフトだけど少しだけ気の弱そうな声。

 

 ゲリヴェルガ伯父さんは、こんな状況にあっても威圧的な、居丈高な声。

 

 かつての力関係をあらわすような声が、それが完全に逆転した今でも、そのままでぶつかり合っている。

 

「兄さんはさ、子供の頃の方がマシだったね。親の言いつけには、それなりに素直だったから」

 

 そんな状況にあって私、彼らのどちらからしても姪のラナンキュロアは……というと。

 

「……うぅぅ」

 

 げんなりしている。

 

「そうだ! 私は間違ってなどいない! 全てはこの家を! この国を! より良きモノとするための方策! 愚かなるはそれを上辺だけで判断し(さえぎ)る者と知れ!!」

 

 (くさ)い。

 

 これは本当に(くさ)い。

 

 この臭さは、推定前世で異常な最期を迎えたあたしの偏見、色眼鏡、そういったモノから生み出される幻覚……ではあると思うのだけれど。

 

 でもここにいる私が、実際にそれを(くさ)いと感じているのは、まぎれもない事実だ。拘束され、(ひざまず)かされた伯父が、私をギラついた目で見てきている。

 

 その目が(くさ)い。圧倒的汚臭が、そこから溢れ出てきているかのようだ。

 

「ラナンキュロア! 私の可愛い姪よ! 我が妻となれ! 神に愛されし私に仕えよ! さらばこそその身、その心! その生涯は! 天に報いし尊きモノとなろう!!」

 

 今、私がゲリヴェルガ伯父さんへ感じているものは、憎悪でも、恨みつらみでも、それらが(むく)われる瞬間の「ざまぁ」でもない。

 

「会話になんね~。兄さんさ~、そもそも、ユーマ王国は絶対神を(いだ)く国じゃないんだけど。……西国と違って」

 

 嫌悪だ。

 

 ただひたすらに、吐き気のするような嫌悪感だけが心と身体を()たしている。

 

 レオが偶然にも討伐した、あのヒュドラが、少しだけ思い出される。

 

 嫌な(にお)い、斬っても斬っても()えてくる蛇頭(へびあたま)、その白い肌、毒であるというその肉。

 

 あの時も、世界は嫌な(にお)いで充たされていた。

 

「どうして理解できない!? この国には私が必要なのだ! 私の冴えたるこの頭が! どうしてお前達はそれほどにも愚かであれる!? 学ぼうとしない!? 賢者を敬い、頭を垂れるその姿勢を持てない!? そなたらの頭では無理なのか!? ラナンキュロア!!」

 

「……はい?」

 

「そなたには理解できるはずだ! その冴えたる頭で生家を凋落(ちょうらく)より救った、神に愛されし娘よ! 我と同じ血を持つ神の(いと)()よ!! そなたなら理解できるはずだ! 神に選ばれし者の定めを! 我ら賢者は愚者を導かなければならぬ! 愚かにも我に縄をかけようとするこの愚か者へ! 言ってやるのだ! この私を愛していると! 神に定められし信実の愛がそこにあるのだと!」

「……」

 

 なんだろう、もう、絶句するしかない。

 

 それだけの長い妄言を……もとい、文言を、噛まずに、トチらずに、最後まで言い切ったことは凄い。

 

 だから、こうとだけ思った。

 

 ――この人は、頭が悪いわけじゃないんだ。

 ――どうしようもなく、性格が悪い。

 ――どうしようもなく、性格と人格が、歪んでいる。

 

「……すっげぇ。ラナちゃんって、このどうしようもないクソ兄と、面識、無かったんだよな?」

「……はい」

 

 あなたとも初対面ですけれど、リゥダルフ叔父さん。

 

「神に定められし運命にそのような瑣末(さまつ)! 意味があるものか! 神の意思に背く愚か者め!! 私を今すぐに解放するのだ!! 神罰が怖くないのか!! そなたに! そなたの妻に! 子にまでも天罰があたるぞ!!……がっ!?」

 

 うわぁ……。

 

 うっわぁぁぁ……。

 

 さっすがコンラディン叔父さんの一番年の近い兄弟、リゥダルフ叔父さん。捕縛され、自由には動けなかったゲリヴェルガ伯父さんの、その顎を、コンラディン叔父さんが、あの女性を()()した時がごとく、容赦なく蹴ったわ。

 

「縁起でもないことを言うな。俺のことはどうでもいいが、妻子まで馬鹿にされ黙っていられるほど、俺も温厚にはなれない」

「リゥ」

 

 と、これまで私のすぐ横で、四人の屈強な男達……おそらくは伯爵家の私兵だろう……に囲まれ、黙っていた伯母さんが、ついに口を開いた。数年ぶりに見る伯母さんは、心労でもあったのか、以前に会った時よりも少しだけ痩せて見えた。それでもやっぱり、ぽっちゃりといった感じではあったけれど。

 

「言わせてやりなさい、莫迦(バカ)の最後の妄言です。愚かとはかくあるのかと学び、今後に活かしなさい」

「はい……姉さん」

 

「最後!? 最後とはなにか!? 愚か!? 愚かとは誰のことを言っているのです!?」

 

 伯父さんは、腐っても官僚気質なのか、既に伯爵家の一員となった姉へ、直接的な暴言や侮辱などは投げなかったが、語調の荒い、その態度がもう、伯母を囲む四人の男達を殺気立たせていた。そっちはそっちで、私には別の意味で怖い。

 

「最後は最後ですよ、ゲリヴェルガ。あなたはもうおしまいです。あなたは一線を越えてしまいました。貴族としても、人間としても」

 

「何を言って……私をどうする気だ!?」

 

 私は先に、それを聞いて、知っている。

 

 ゲリヴェルガ伯父さんは、モンスターに襲われ、死んだことになる……らしい。

 

 コンラディン叔父さんが発案し、採択(さいたく)されたカバーストーリーはこうだ。

 

 伯父は自分の家……ママの生まれ育ったというこのお屋敷……で、モンスターに襲われ死んだことになるらしい。そうしてからしばらく後に、王都には戒厳令が()かれる。

 

 軍属の魔法使い達が捕捉した、何百という強大なモンスターの襲撃を迎え撃つため、王都は都市機能を一部封鎖して、厳戒態勢へと移行する。

 

 伯父さんの死は、そうなるに至った、そのきっかけのひとつとして利用される。

 

 つまり。

 

「この愚か者にも、まだ役割があります。逃がさぬよう、しっかりと捕縛して殺さぬよう、務めなさい」

「はっ!」「ははっ!」「はっ!」「はぁっ!!」

「……りょーかい」

「何を言って……何を言っているのだ!?……やめろ! 放せ! 私は神に愛されしゲリヴェルガだぞぉぉぉ!」

 

 伯父さんは一ヶ月以内に、実際にモンスターによって殺される。

 

 その死体は、ひと目でモンスターの残虐さがわかるように、なるだけ派手に、むごたらしく損壊していなければならないらしい。検死を誤魔化すため、それは実際に、派手に、むごたらしい死でもって成されるのだそうな。

 

「ううっ……」

 

 同情は……しない。

 

 まったくもって同情はしない、できない。

 

「ラナンキュロア・ミレール・ロレーヌ」

「はい」

「愚弟を、連行してしまって、構わないかしら? 言いたいことがあるなら、今しかないのだけれど」

「今しかない!? どういうことですか! 姉上!!」

 

 この私を、半ば強引にこの場所へ同席させたのは、そのためだったのだろうか?

 

 ある意味でそれは、親切であるとか、温情であるとかなのだろうけど。

 

「……はい。言いたいことなんて、最初からありませんでしたから」

 

 私には不要だ。要不要の不要の(ほう)だ。

 

「そう……そうよね、ごめんなさい。公式の場では謝れないから、今ここで謝罪するわ。これは私の甘さが招いたことでもあります。あなたには迷惑をかけましたね、ラナ」

「いえ……」

 

 そうして。

 

 嗚呼まったく、私に「ざまぁ」は向いていないと、(くさ)(くさ)(にお)いの中、陰鬱になっていく自分自身の心に、もはや諦めのような想いでもって向き合いながら……私は。

 

「やめろ! やめろ!! やめろぉぉぉ!!」

 

 ただひとりの人間の終わりを見ていた。

 

 それなりに血の近い、伯父と姪なる続柄(ぞくがら)の、しかし結局は全く接点が無かった男性の末路を見ていた。

 

 接点が無かったのは幸運だったけれど。

 

 しかし、そうであるがゆえに実感を伴った憎悪、恨みつらみを全く抱けない相手が連行され、これから死ぬのだということに対する感慨も、特に起きなかった。

 

 ああ、頭のおかしな人が、当然の報いを受けたんだなって、それくらいの気持ちで。

 

 だからレオによく、頭がおかしいと言われるこの私も、もしかしたらいずれ、その当然の報いを受けるのかもしれないなって。

 

 そんな漠然とした不安を感じながら。

 

 ただ地獄へと連行されていく、そんな伯父の姿を、私は茫然と眺めているだけしかできなかった。

 

「ラナンキュロア! 私を助けよ! そなたの生まれた意味はそこにある! その身! その才覚! 全て私のモノだあああぁぁぁ!!」

 

 この数ヶ月間、私を苦しめていたその元凶は、こんなものだったのかと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<コンラディン視点>

 

 やることが尽きない。

 

 俺はこの事態において、モンスターに殺される前に、仕事に忙殺されるんじゃないかってくらい忙しい。

 

 冒険者ギルドの、天に一番近い階で、天高く詰まれた書類を前に、俺はこのまま天に召されるのではないかという境遇にいた。

 

「コニーも大変だな」

「……そう思うならさぁ、手伝ってくれないかねぇ、リゥ兄さん」

「お、騎士様も手伝ってくれんのかい? 王都にはかつて無かった非戦闘員の避難勧告、前例が無い分、書類を作るのも大変でなぁ。こんなことならギルド長になんかなるんじゃなかったぜ」

「我々も我々で、貴族達への通達と協力要請をどうしたものかって、王宮が紛糾して大変なんだよ?」

「つってもそりゃあ数が限られてるじゃねぇですかい」

「そりゃあね、そうだけど……上の(ほう)になると皆、それぞれに思惑があるからね、ただ避難しろ、ただ協力しろとはいかないわけで……困ったモンだよ」

 

 苦笑……ですらない、ヤケクソのような笑みを浮かべた顔で、リゥ兄さんは細いため息のようなモノを()く。だがため息を吐きたいのはこっちだ、リゥ兄さんは椅子に座り、くつろいでいるが、俺とギルド長はこうしてる間も手を動かしているのだから。

 

「それより、軍の魔法使いさん(がた)は、何人くらい協力してくれるんで?」

「今回の場合、防衛というよりは迎撃戦だからね、防御系であったり、治癒系であったりといった魔法の使い手は、王宮の守備の方へと回されるだろう」

「前線で戦う者への援護は、ねぇってわけですかい」

「とにかく倒せればいいわけだからね。まったくないって事態にはならないだろうが、まずは王宮の防衛から、王族の保護からと言われれば、抗弁(こうべん)する(すべ)も無い」

 

 そりゃあよかった……そんな皮肉を口にする気にもなれないほど、それはある種の正論だが、しかし前線へ回されるだろう俺達には全く笑えない、悪質な冗談のようなモノでもあった。

 

「灼熱のフリードは自分から申し出てくれた。背負子(しょうこ)のユーフォミーもだ。同じようなのがあと十数人はいる」

「十数人……数十人ってならないところが、この国の危機感の無さをあらわしているね」

「そりゃあ、モンスターとの戦闘経験がある軍属の魔法使いなんて稀だからな。自分から申し出てんのも、大半がユーフォミーちゃんと同じ元冒険者だ」

「後はよ、自分の実力を試してみたい、酔狂な若者が何人かってところじゃねぇの?……コニーんとこの姪っ子はどうだ?」

「……はん」

 

 ギルド長は、猫の手でも借りたいところなのだろうが、俺としては、そこはあまり言ってほしくない部分ではある。眉間にシワがよるのが、自分でも判った。

 

「俺は、反対ですよ」

「でも、つぇえんだろ?」

「私も会って、少しだけ話をしたが、ラナンキュロアはその見た目通り十三歳の少女、それ以上の何者でもないように思えたな。その心はまだ、脆弱であるように見える」

「騎士の、鉄の掟に従える兄さんには、誰だってそう見えるんじゃねーの?」

「そんなことはない、姉さんは、今でも強い人だったよ」

「へいへい」

 

 このシスコンめ、嫁さんを、昔の姉さんと比べてやるなよ?

 

「俺はな、ラナちゃんとその従僕(じゅうぼく)を、今回の表舞台に上げるのは危険だと思ってる」

「従僕、ねぇ……そんなに強いのか? (くだん)の彼は」

「俺も知らねぇですよ? コニーが勝手に言っていることでして」

九頭(くず)のヒュドラをソロで、数分で倒しきった。事実としてはそれだけだがな」

「九頭のヒュドラをソロで!?……いや、だが状況と相性次第か、どうやって?」

「どうやってって……」

 

 どうもこうもない、力押しだ。敵の攻撃を避けて、再生してくる頭の全てを斬って削りきった……それだけだ。それを聞くと、リゥ兄さんはガバと椅子から立ち上がって、叫ぶ。

 

「まさか! 信じられん!」

「だがコニーが嘘をついているとも思えんのがなぁ」

「信じてくれない方が、今は助かるのかもしれねぇが、何度聞かれても答えは一緒っすよ」

「だ、だがそれが何度も使えぬ特殊な技であるなら……」

「そこまでは俺も知らん、だが、単純に戦力として期待できるか、できないかで言えば俺は期待できると思う」

 

 単純な戦力としてなら、ラナちゃんの従僕、レオ君は無敵だ。

 

 その腕は信用できる。ラナちゃんに忠実だということも。

 

 ドヤッセ商会の店で、四人に襲われていた時も、安心して観ていられたくらいだ。まぁ、多対一(たたいいち)の戦いとなると、捨て身の相手に押さえ込まれたら詰むから、そうなったら踏み込もうと思ってはいたが……。

 

 ただ、問題は、そこじゃないんだよな……ペンの尻で耳を掻きながら、俺はそのことを兄へと告げる。

 

「だけど、従僕君には、この国を守ろうという意思はないだろうな」

「それは? どういう……」

「従僕君が守りたいのは、ラナちゃんだけだ。それに関しては、ユーフォミーちゃんよりももっと割り切ってるよ……俺はそう思う」

「だがラナちゃんはこの国の生まれだろう?」

「兄さん……ラナちゃんに、愛国心があると思うのか?」

「……それは」

「俺は、それを求めるのも酷な話だと思う。無理強いすれば逃げるか、最悪敵対してくるよ? アレは」

 

 そういう未来は、避けなければならない。国のためにも、ラナちゃん達のためにもだ。

 

「取引の余地はねぇのか?」

「ある」

 

 あるというか、できた。ちょっと前に。

 

 俺は、俺達はある意味でラナちゃんの弱みを握った。レオ君は立派な犯罪者だし、ラナちゃんには、それを匿ってしまったという罪がある。

 

「なら交渉で……」

「だからそれを、したくねぇんですってば」

 

 だがそれを盾に、どこまで使えるかは全く不透明なところだ。下手に使うと逆ギレされて……つまりは敵対ルートになるだろう。最悪だ。

 

「対抗できる、可能性のあるユーフォミーちゃんを引き込むのだって、何十日と苦労してやっとなんだぜ? まだ()()()()()()()()()()……俺はそう判断する」

「……敵対したくない、か。おめぇの判断なら、それは尊重してぇけどよ」

 

「愛国心は期待するのも酷……か。私達には、耳の痛い話だ」

 

 ラナちゃんがそうなってしまったのには、俺や俺達兄弟のいざこざが関係している。そのことへの罪悪感はある。どうにかしてやれるなら、どうにかしてやりたいという気持ちもある。

 

 心情的には、俺は確かにラナちゃんの味方だ。

 

 だがどこまでもは、味方してやれない。

 

 この国と敵対するというなら、それに()()()()()()わけにはいかない。俺はこの国で一生を終えるつもりだし、リゥ兄さんだってそれはそうだろう。愛国心があるとは言わない、だがこの国に命を捧げる覚悟ならある。結婚するかもしれない女達だって、この国から出たいなどとは言わないだろう。なら、俺が守るべきは、どちらなのかという話だ。単純な選択の問題だ。

 

 生まれの源流に絡む、可哀想な女の子か、今の自分を育み、これからも生きていくその場所の地歩(ちほ)か。その二者択一へ行き着けば、俺は必ず後者を選ぶ。だからこそそこへは向かいたくないのだ。その可能性も全て潰したい。

 

 だが。

 

「そうは言っても、私達は本当に、今ある戦力だけでこの難局を(しの)ぎきれるのか? 戦闘が、始まってもいない内から憂慮(ゆうりょ)しても仕方無いとは思うが、敵は観測された地上と地下の数百体だけで全てなのか?」

「それは……」

 

 そこで、リゥ兄さんが、妙に頭に残る言葉を発した。

 

 それに、俺達は答えられない。

 

 それは、今は答えられる者のいない疑念、その問い掛けだった。

 

 あの、壮絶な拷問の末に、敵が東の帝国であり、その尖兵(せんぺい)であると吐露(とろ)した女性でさえも、おそらくは全てを知らされていない一兵卒(いちへいそつ)であった可能性が高い。

 

 自分を、パスティーン・オムクレバ・パスティミルジョーンズ・ガッダ・リュロヴァーヂ・ノド・メムザアデュフォーミュラン・ジ・グレイオ皇帝の娘であると言っていたが、皇帝に子は四百人を超えているのだとも言う。母親はハーフエルフであったというから、身分の高い者でもなかったはずだ。

 

 その規模の家族の実情と、その愛情の()(かた)については、俺の想像の及ぶところではない。だがあの女性は、親に使い捨てにされたと見て間違いない。重要な情報を知らされていたとは思えない。

 

 例えば、別働隊の存在とその動向が、ほとんど掴めていない。それはユーマ王国の、いずこかの貴族に、寄生する形で存在しているのだという。そうなってくると、潜伏されるとこちらとしても打つ手がなくなってしまう。お貴族様へ、調査団を向けるわけにはいかないからだ。証拠があれば、王の勅命(ちょくめい)(たまわ)ることもできるだろうが、相手が動き出さない内はそれもままならない。

 

 痛かったのは、精神感応(テレパシー)を使える魔法使いが、いつの間にか殺されていたことだ。あの男はずっと隠され、秘匿されてきた人間だった。それが、モンスターの実態調査に駆り出され、表舞台へ躍り出た瞬間に殺されてしまった。下手人は不明。まぁ誰でもいい、心を読まれたくない人間なんて山ほどいる。敵方にも、この国にも。

 

 俺は、精神感応(テレパシー)を使える魔法使いが、この国に彼ひとりだなんて思わないが、逆に考え、こうも思う。

 

 心が読めるなら、より深刻に理解しているのではないだろうか?

 

 己の能力が、人に知られれば遠からず疎まれ、憎まれ、排除されてしまう類のモノであるということに。

 

 死んだ男が、稀な例外だったのだろう。その意味でも惜しい者を亡くした。

 

 あの女の部下、別働隊との連絡役、そうした者達は女が()いた時点で逃亡していた。もっとも捕まえたとて、知っている情報は女と大差なかったのだろうが。

 

 そうして今に至る。

 

 なんというか、後手に回らされ、遅きに(しっ)した感がある。

 

 この辺り、王都リグラエルにおける番役(ばんやく)大番役(おおばんやく)のシステムを上手く利用された感がある。スパイが入り込む余地を、あちこちに作ってしまったのだから。

 

 敵方はおそらく、冒険者ギルドの調査団を三度(さんど)全滅させている。モンスターを上手く使ったのか、それとも熟練の冒険者パーティを簡単に倒しきるだけの戦力があるのか、それはわからないが、忌々しいことこの上ない。死んだ者達の中には、友人と呼べる者もいた、何人もだ。

 

 だが、これは版図拡大(はんとかくだい)の野望を持つ帝国が、ここまで本気に仕掛けてきたことだ。

 

 まだ、なにかある。そんな気がしてならない。

 

 その可能性は、おそらくはリゥ兄さんが懸念する以上に、高い。

 

 敵がやってくるのは、地上と地下だけで全てか?

 

 その言葉が、重い意味を持つ日は……そう遠くない未来、確実に来るような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<レオ視点>

 

 戦争が、戦争と呼んでいい戦乱が、始まった。

 

 侵略者がやってきた。街は壊され、戦闘員も、非戦闘員も簡単に死んだ。

 

 その(ほう)を、僕達は王都とは別の場所で受けた。

 

 戦闘が始まる前、避難勧告が出され、王都の外へ、数千という人が(のが)れた。

 

 避難のその途上で運悪くモンスターに襲われ、全滅する一団もあったが、幸いと言っていいか「敵」は王都の擾乱(じょうらん)こそが目的だったようで、去る者を追うことには積極的でなかった。

 

 避難民は、その多くが無事、避難先へと辿り着くことができた。

 

 ラナと僕も、そのうちのひとり……ふたりだった。マイラも入れれば、三人かな。

 

 僕達は、ボユの港という、王都から南へ数日、馬車で行ったところにある港町へと逃れていた。

 

 月は神楽舞(かぐらまい)からひと月、ふた月と流れ、十二月である乳海槽(にゅうかいそう)となっていた。

 

 乳海槽(にゅうかいそう)はたった七日しかない月だ。平時であれば荘厳な神事が行われる月でもあり、神楽舞(かぐらまい)の喧騒とは、うって変わって王都が静かになる季節でもあった。

 

 ボユの港では、しかしそうしたこともないらしい。いつもこれが港町かと、思うような喧騒と、途切れることのない潮騒と、その匂いと、そういう諸々(もろもろ)で満ちている。

 

 日々、それを実感しながら、ロレーヌ商会、ボユの港支店の手伝いとして働き、過ごしていく中で……僕達は王都が今はどうであるかなどということは、段々と話題にしなくなっていった。

 

 マイラを散歩に連れて行くと、時々海を見て動かなくなったりもした。

 

 不思議と、マイラが見ている方角は、王都とはまるで違う方向であるにも関わらず、そういう時だけ僕は、王都のことを思い出した。

 

 あそこに良い思い出などは、僅かしかないというのに。

 

 ラナの、コンラディン叔父さんも、リゥダルフ叔父さんも、戦死したりなどはしていないらしい。……伯父は死んだらしいが。

 

 伯母さんは、伯爵家の領地へと逃れたらしい。だがラナのお父さんは王都に残った。生活物資の調達とその分配について、国から協力を要請されたらしい。ただ、今も支店への指示は途絶えることなく続いているようだから、壮健(そうけん)健在(けんざい)ではあるのだろう。お母さんの(ほう)も残ったらしいが、そちらのことは、まるっきり知らされていない。

 

 マリマーネさんは……ボユの港にいたりする。ドヤッセ商会、ボユの港支店で働いている。たまに会うが、こちらも、王都がどうであるかなどを話したりはしなかった。色々あって、ラナとは友達であるのかそうでないのか、よくわからない関係になったが、皮肉を言いあったりはするものの、その()()りからは、嫌な感じは伝わってこない。

 

 王都よりの避難民は、だからそうして、王都のことを一時的に忘れ……というよりも意識しないようにして、日々を忙しく過ごしていた。

 

 

 

 だから、そうした中やってきたそのふたりは、そんな僕達に現実を思い出させる……王都では強大なモンスターとの戦いが、今も行われているのだという……そのことを嫌でも実感させられる、そういった類の……ある意味では招かざる客だった。

 

 

 

「ちぇぴー! 元気してたー!? ひっさしぶりー」「ん」

 

 

 

 背負子(しょうこ)のユーフォミーさんは、元気そうだった。相変わらず、四色の出で立ちでくねくねと動き、健在っぷりをアピールしている。

 

 

 

 けど。

 

 

 

 まるで、足の無い彼女に、運命が無理矢理、父親をも巻き込んだとでもいうかのように。

 

 

 

 彼女を背負う、その大きな身体には、ひとつの大きなものが欠けていた。

 

 

 

 右手が、二の腕の途中から、なくなってしまっていた。

 

 

 



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epis42 : Asylums ~ Almost nothing

 

<ラナ視点>

 

「港暮らしはどぉお?」

 

 久しぶりに会った背負子(しょいこ)のユーフォミーは、やつれたりなどはしていなかった。だけど、そこにはやはり微妙な変化が感じられた。彼女の父親のように、目で見てわかるようなモノではなかったが、雰囲気というか、勢いというか、そういうものが以前とは微妙に違って()えた。

 

「……私達の暮らしぶりを聞くために、来たんですか? 冒険者ギルドからの、正式な身分証明書まで持って」

 

 ロレーヌ商会、そのボユの港支店は三つある。ドヤッセ商会は四つというから、数の面では負けている。

 

 でも、規模と繁盛という点では、ロレーヌ商会の方に軍配があがる気がする。

 

 ロレーヌ商会の建物はどこも立派だ、当然、来客をもてなす部屋に不足などはない。けど、来客をもてなす「時間」があるかというと、それはまた別の話だった。

 

 私達が今いるこの部屋は、ここ最近、私が店の仕事を手伝っている部屋だ。

 

 そう私は今、労働をしている。ひきこもりが社会復帰するという奇跡がここで起きていた。

 

 店先には立たない。接客はしない。だけど書類仕事を手伝っている。この店には、それをやりたがる者が少なかったらしく、読み書きができ、四則演算ができ、だけど男性客への接客がどうしてもできない私には、そうした仕事が次から次へと舞い込むようになった。

 

 この店の総責任者には、愛想は無いけど助かるよ、愛想は無いけど、と何度も言われた。うるせー。パパに言いつけんぞ。

 

 レオは……基本私の護衛(会長の娘権限で納得させた)だけど、時々やむを得ずみたいな感じでお店のほうを手伝っている。荷物の整理だったり、仕分けだったり、清掃だったり、時に接客だったり、配達だったり、南の大陸から入ってくるカカオ豆を潰したり、だ。

 

 今は私の後ろに控えているが、どうも最後のをしていた途中に召喚してしまったようで、独特の匂いが私の鼻にも届く。

 

「雑談不要!? すぐ()れ肝要!?」

「時間が無いですからね、激動の決死作戦が片付いたと思ったら、激務の日々が待っていたなんて、私の運命もどうなっているんだか。五年のブランク期間のツケかな」

「ん……手紙……コニーから」「コンニャックから!」

 

 普段はツーマンセルのふたりだが、さすがに椅子へ座る時はバラバラに座るらしい。

 

 もっとも父親のほう、ナッシュさんは身体が大きすぎる。娘のほうと同じ椅子へ座ってるようには、とても見えない。

 ちなみに、ソファでなく木の椅子だ。ナッシュさんには少し……いやかなり狭そう。ユーフォミーさんには大きいくらいだけど、オーバーアクションなのは変わっていないので、彼女が喋るたびにギシギシミシミシいっている。

 

 そんな中、ナッシュさんから差し出されたそれは、飾りっけのない一通の封筒だった。封蝋(ふうろう)だけが仰々しい。

 

「手紙……冒険者である叔父さんの手紙を、軍属であるナッシュさんとユーフォミーさんが?」

「新しい! 担ぎ手不要! さらばオサラバ軍隊! 勇退!」

 

 滅茶苦茶な勢いが、多少減ったとはいえ、ユーフォミーさんの独自言語はやっぱりよくわからない。

 

「ナッシュさんが……怪我をしたので、ユーフォミーさんは別の担ぎ手に背負(せお)われ、戦ってほしいと要請された。それを拒否したら軍隊を辞めさせられることになった……そういうことですか?」

「気遣い不要ぉ! 通読(つうどく)必要ぉ!」

「……手紙を読めってことですね」

「んむ」

 

 これ……ふたりのどちらに対しても、会話が翻訳みたいになるな。ユーフォミーさんのこれは、造ったキャラっぽいけど、だからといって、それを指摘したとしても、まともに喋ってくれる気は全くしない。

 

 もっとも……王都の今の様子を、悲壮な表情で語られるよりは、よほどマシなことなんだろうけど。

 

「えーと、では……」

 

 仕方無いので、多少掴みどころのない性格だけれども、意思疎通は簡単だった叔父さん……の手紙へ視線を移す。

 

 封筒を開けると……長いな、便箋(びんせん)が十枚くらいある。

 

 一枚目から二枚目くらいの、挨拶であるとかは適当に読み飛ばす。三枚目から五枚目くらいの、叔父さんが何匹のモンスターを倒したであるとか、倒すまでに出た被害であるとか、そういうのが書いてある部分も読み飛ばす。

 

 問題は、その先だった。

 

 

 

 

 

 

 

『……というわけで、僕達はまぁまぁ健闘していたんだ。多くは、冒険者ギルドがモンスター討伐のノウハウを軍に提供し、軍がそれを利用して討伐するという形だったが、僕達だって当然、命がけで戦った。それはここまでに書いた通りだ。そうして、戦果(せんか)戦禍(せんか)が、少しづつ積み重なっていった』

 

『被害が、積み重なっていった』

 

『モンスターは、一度には襲ってこなかった。数十匹という単位で、あちこちから現れ、それを倒しきるとしばらくして次の数十匹が現れる、そんな感じだったんだ。その意図は、最初の内はよくわからなかったが、今にして思えばこれは僕達を疲弊させる策だったんだと解る』

 

『軍の魔法使いの力は強大だ。彼らが使える、大規模な魔法の長所は、それが範囲攻撃に適しているという点にある。だが彼らは数が限られる。一度に迎撃へ出れるのは一箇所までだ。当然、その他の場所では被害が広がってしまう』

 

『僕達はそうして削られていったんだ。少しづつ、少しづつ』

 

『状況が変わった、あるいは深刻化したのは、秋の終わりの臭嵐(しゅうらん)、その風が吹いてからだった』

 

『それは空からやってきた』

 

『ドラゴン……ではない。さすがの帝国も、ドラゴンは使役できないようだな。だがその近縁種(きんえんしゅ)ではあった』

 

『ワイバーン……飛龍(ひりゅう)だよ。森の大迷宮(ダンジョン)には生息していない、この辺りだと北の大山脈に生息が確認されている、この国にあっては無害であったはずのモンスターだ』

 

『ユーマ王国の冒険者ギルドにも、その知見はあまり蓄積されていなかった』

 

『対抗できる魔法使いも、ごく僅かだった』

 

『王宮には、大規模な結界魔法を使う魔法使いが詰めている。だからそこはまだ陥落していない。……というか陥落はしないだろう。中へスパイが入り込み、魔法使いらを殺しきらない限りは』

 

『王宮側もそれはわかっている。だからもう王宮へ出入りできるのは、古くから信頼篤(しんらいあつ)い、ごく限られた人間だけになってしまった。これでは上申(じょうしん)にも、直訴(じきそ)にも行けない』

 

飛龍(ワイバーン)は確認された限り七匹、うち二匹は討伐が完了した。ごく僅かな、それに対応可能な魔法使いが魔法で撃ち落とし、落ちてきたモノを地上部隊が決死の覚悟で攻撃するという形でだ。代わりに支払った犠牲は、言いたくない』

 

『残念ながら、上空を飛ぶ飛龍(ワイバーン)を一撃で葬れるほどの火力、精密性を持った魔法使いは、もういない。戦端が開かれた頃には、数少ないながらにもいたはずなんだが、おそらくそれは、初期の段階で意図的に削られてしまった。不自然なほど、ひとりの魔法使いが集中砲火を浴びせられる場面が、何度かあった』

 

飛龍(ワイバーン)投入前に、倒しきらなければならない魔法使いのリストでも、あったのかもしれない』

 

『そう、敵の本命は、飛龍(ワイバーン)だったんだろう。それに対応可能な魔法使いをとにかく殺す。緒戦(ちょせん)からの波状攻撃、その真の目的は、そこにこそあったんだろう』

 

『残り五匹となった飛龍(ワイバーン)だが、僕の見立てでは、これはもう倒しきれる気がしない。あと(いち)二体(にたい)が限界だと思う』

 

『王都はこのままだと、王宮を残して全滅する』

 

『どうやら同盟国である西国へ、援軍要請が出ているらしい。だがその到着は、早くとも来月、遅ければ年が明けてからになるだろう』

 

『つまり、王宮は僕達を見捨てるつもりなんだ』

 

『もはやその門を固く閉ざし、ごく僅かな例外以外は蟻一匹通さんとする構えだ』

 

『非戦闘員の被害も、日を追うごとに拡大している』

 

『このまま王宮が門を閉ざし続けるのであれば、その先に待っているのは確実な死だ。街の、都市機能の、そこに住まう全ての人々の』

 

『助けてくれ』

 

『恥を忍んで、あらゆる罵倒も受け入れる。だがその上で頼む、僕達を助けてくれ、協力してくれ』

 

『これは王宮からの嘆願書ではない。王宮からは、もう僕らへ期待するような命令は降りてこない。これは冒険者ギルドを通した、だけど僕個人からのお願いだ。ただの命乞いだ』

 

『レオ君を貸してくれ。君の護衛には、そのふたりを貸す。彼女らも想いは同じだ。王都を救いたい。ナッシュは、戦端が開かれてより十日で右手を失った。その時のユーフォミーちゃんの絶叫と絶望は、今も忘れられない。それから色々あったが、彼女らは立ち直り、今は自分達にできることをしようとしている。今は信用できないかもしれないが、僕が失礼のないよう、重々言い聞かせた。彼女らは命がけで、君を守ってくれるはずだ』

 

『だから頼む、レオ君を貸してくれ』

 

飛龍(ワイバーン)は、地上に落ちてきても、すぐにまた空へと逃げてしまう。羽根が、ヒュドラと同じで再生するんだ。灼熱のフリード氏であっても、落ちてきた場所にたまたま居合わせない限りは間に合わないだろう。というより、そういう場面が実際に何度もあった』

 

『だから我々に必要なのはスピードだ。レオ君のスピードがほしい』

 

『報酬は何を用意すればいい? 僕は、あげられるものであればなんだって君にあげよう。いらないだろうが僕自身の命でもいい。それなりに蓄えはあるが、君に金銭はあまり通用しなさそうだ。僕は商人じゃないから直接、君に聞きたい。何であれば、納得してくれる?』

 

『生まれ育った街を助けてほしい……君に、響く言葉じゃないよね?』

 

『僕の下の姉さんは王都を離れられなかった。君の母親だ。今は君の父親の元で、(かくま)われるように過ごしているという。両親の心配は、できないのかい?』

 

『わかってる、僕は卑怯なことをここに記している。君の価値観を、生き方を、自分らしく生きる権利を、侵害するつもりはない。だけど何であれば君は動いてくれる? どうすれば僕らを助けてくれる? もう、僕達は可能性に(すが)るしかないんだ。何も響かないというなら、忘れてくれ、戯言(たわごと)だ』

 

『だけど少しでも君に、その可能性があるというなら、どうか連絡をしてほしい。返信を、してほしい。王都は……おそらくあともう三十日ともたない。ユーフォミーちゃんはそう見えて実は乗馬の名手だ。二日あれば、そこから王都へ着くことができる。だがそれでも時間が無い。返信を、してくれるのであれば、一回で済むよう具体的なことを書いてほしい』

 

『君からの返信が無くても……僕達は戦い続ける。だけど、最後にひとつだけお願いがある』

 

『ナッシュとユーフォミーちゃんを、そちらで保護してやってくれないか』

 

『彼女達の人生は、結構大変なものだった。僕はそれを知っている。彼女達がそれを望まないだろうから、詳細は省くが、ふたりはもう、軍人であることからも、戦う人間であることからも、降りた方がいい』

 

『戦闘職の者が片腕を失くす、それは他人が想像するよりもずっと深刻な喪失だ。今まで頼ってきたモノがゴソッとなくなるんだからな。よく、頼れる相手のことを自分の右腕だなんていうが、たとえばだが、君がレオ君を失ったらどうなるかと、考えてみてくれ。戦士が片腕を失くすというのは、そういうことだ』

 

『僕は、彼女達にはもう、失ってもらいたくない』

 

『だから、僕らを見捨て、生きることを選ぼうとするのなら。そこに、僅かでも僕への罪悪感を感じてくれるのであれば、ふたりに命の心配をしなくてもいい、ふたりにもできる、そういう仕事を与えてやってくれ。それだけで僕は君に感謝する。あの世から、恨んで化けて出ることはないと約束するよ』

 

『最後になるが、これは僕のわがままを書き連ねた手紙だ。それ以外の何物でもない。繰り返しになるが、君の価値観を、生き方を、自分らしく生きる権利を、侵害するつもりはない。この全てを、救いようのない莫迦(バカ)戯言(ざれごと)と、笑えるのなら笑ってくれてもいい。僕は、君の幸せも願っている。その気持ちは確かにある。王都が崩壊しても、君が幸せになるというのであれば、少しは救われる』

 

『だからよく考えて、結論付けてほしい』

 

『何をすれば君が幸せになるか、それをよく考え、決めてほしい』

 

『君の人生はまだまだ長い、レオ君もだ。僕から見れば、ユーフォミーちゃんもだが』

 

『その先を決めるのは君自身だ。世の中は色々と厳しくなったが、これからもなっていくのかもしれないが、僕は君が納得のいく人生を送れるよう、祈っているよ。どこから祈るかは、君次第になるのかもしれないけど』

 

『君の愉快な叔父さん、コンラディンより』

 

 

 

 

 

 

 

 半分、真っ白になった頭の中で、ああ、なるほど、叔父さんってこういう人で、そういう人だったんだと、妙な納得感が醸成(じょうせい)されていく。

 

「長文過ぎる……。もう少し簡潔にしてよ……」

 

 笑えるなら笑えだって?……あのさぁ……。

 

 笑えるわけ、ねーだろ!

 

 なによこれ。

 

 価値観を、生き方を、自分らしく生きる権利を、侵害するつもりはない?

 

 侵害してるよ! めっちゃ情に訴えてきてるじゃない!? 色々な価値観が狂わされるわ! 生き方に影響するわ! 私らしくって何だっけって、自問自答させられるわ!!

 

「ラナ、興奮してるみたいだけど、マイラでも呼んでくる?」

「なんで私が興奮するとマイラの出番になるの!?」

 

 マイラは、肌が真っ黒なここの総責任者に「店の中に犬はちょっと……」と言われ、裏口の方で飼われている。そしてまたなぜか人気者だ。最初は渋い顔をしていたその顔面チョコレートでさえ、カカオ九割から六割くらいにはなっている。

 

 散歩は、基本レオがさせているが、どうやら近所の人が勝手に散歩させていることもあるようだ。港町怖い。そしてアイツ、老犬なんじゃなかったのか?

 

「……レオ、読む?」

 

 どうにも、気持ちが整理しづらくて、自分ではない誰かの意見が欲しくなる。

 

 それにこれは、私へ……というよりは、レオへの助力嘆願だ。レオの意見無しには、何も決められない。

 

「特殊文字は?」

「少し。今のレオなら読めると思う」

 

 わかんなかったら聞いてと付け加えるのへ、わかったと答え、レオは私から便箋の束を受け取ると、そのままそれを読み始めた。

 

 しばらく紙を()る、その音だけが仕事場に響く。

 

 すると沈黙に耐えられなかったのか、それとも何かの歩み寄りなのか、背負子のユーフォミーが私に話しかけてくる。

 

「父ちゃんとアタピィ、とりあえずあんた達のことォ、護れって言われてるんだけど。それ必要? それとも不要?」

「んー……この手紙の返信は、ユーフォミーさんにお願いしろって書いてあった。乗馬の名手なんだ?」

「アッターリメィ。でもコンニャック、多分返信はないだろうって、言ってたしぃ?」

「……」

 

 それは……藁にも縋る想いでこの手紙を書いたって……こちらの情に訴えかけるため、そういう擬態をしたとも考えられるが、半分以上は本気なのかもしれない。叔父さんの目から見て、一応は安全圏にいる今のこの私が、レオを貸してくれるとは思えなかったのであろう。

 

 だから最悪、目の前のふたりが生き延びられる道を残した。

 

 パパとママが亡くなってしまった場合、例の丁稚の生死とかでも諸々のことが変わってしまうが、ロレーヌ商会を継ぐのは一応、私になる。当然、年齢的にも性別的にも……能力的にも……色々とゴタゴタはするだろう。けど最悪でも、いくつかの要求を通すくらいのことはできるはずだ。叔父さんは、それを使って欲しいと、暗に言っていそうな気がする。

 

 例外を認めたらキリがない。だけどひとつやふたつの例外なら、なんとかなるかもしれない。そのひとつかふたつに、このふたりを潜り込ませてほしいと言っているのだ、叔父さんは。

 

 買いかぶってくれたものだ。マリマーネとの交渉を見ての信頼なら、私が男性恐怖症であると知ってからまた判断してほしい。

 

「なるほど、ラナが面喰らうのもわかるな」

 

 そうこうしている内に、レオが手紙を読み終えたようだ。

 

 レオは、悩む風でもなく、あっさりと自分の考えを口にする。

 

「僕から言えることはひとつ、僕はラナの意思に従う。どんな決断にも、二度とラナの元へ帰れなくなったとしても」

 

 ズキンと。

 

 レオの仮定に、胸が痛む。

 

 それは気のせいなどではなく、心臓らしき部分が本当にリアルな痛みを発していた。

 

「もちろん、行くなというなら行かない。そしてそのことを、僕はラナが望まない限り蒸し返さない。何事も無かったかのように振舞う。港町は、(うるさ)いし、せわしないけど、僕は嫌いじゃない。ここでの暮らしは、悪くない。働くってこんな風だったんだね。もちろん、ラナがここにいたくない、ここでもない、王都でもないどこか違う場所へ行きたいというなら、それだって構わない」

 

 どちらでもいいは一番困る……なんてよく言うけれど、それはどちらでもいいと言うくせに、いざ決まってから文句を言う人が多いからなんだと思う。

 

 けど……。

 

 レオは……本当に何も、言わないだろう。

 私がパパとママを見殺しにしたとしても、それへ、きっと、何も言わない。

 

 なら、私は……どうすればいいのだろうか?

 

「ねーぇ? その手紙ィ、アタピも読んで良い?」

「え?」

「いい? ラナ」

 

 ヒラヒラと、レオが便箋を揺らす。

 

 私は……迷っている。他の人の意見も聞きたいという気持ちはある。けど、あの中には彼女らの、進退(しんたい)に関することが書かれていた。……身体(しんたい)に関することも、少し。

 

 叔父さんの情けなど、受けたくはないんじゃないか?

 

「……その前に、ナッシュさんとユーフォミーさんは、私を護れと言われているんですよね? その理由についてはなんと?」

「んぴ? 救援物資、必要ぉ! ロレーヌ商会、重要ぉ! 海も狙われる!? マサカアリエーナイ! だけど何かあったら連絡! それで見張ることを承諾!」

「地上、地下、そして上空からも襲われた以上、海からの敵も警戒する? ロレーヌ商会の救援物資が滞ると戦線が崩壊するから私を護れと?」

「キェピン!!」「んむ……」

 

 叔父さーん。

 

 書いてなーい。

 

 そんなことヒトコトも手紙に書いてないよー。

 

 それに、今回の敵の手口は、貴族層へスパイを送り込み、その地盤から様々な準備が進めるというものだった。ボユの港は公爵領。つまり、公爵ただひとりが治める都市ということだ。同じ手は、公爵本人が腐ってない限りは使えない。

 

 ここを狙われる可能性は、だいぶ少ないのではないかと思う。

 

「ごめんなさい。であるなら、私達を護ることに専念していただけませんか? 手紙は見せられません」

 

 この支店から、王都へ救援物資を送っているというのは本当だ。私が死ぬほど忙しいのは、そうした書類の処理にも追われているからだ。幸い、金銭的には、この地を治める公爵様が全面的なバックアップをしてくれている。いずれ無意味になるかもしれない証文を書き続けるという、(さい)河原地獄(かわらじごく)みたいなことにはなっていない。だけどその分、品目も多いし、細かな点で目を光らせなければいけないことが多い。これ以上は愚痴になるからもう言わないけど。

 

「そのヒミッツ主義は必要? アタッピのこのオツムは不要?」

「そういうわけではありませんが……」

 

「知ってピッピ。アタピ、戦力外通知……なんぉね?」

「え」

 

 ユーフォミーさんの言葉が、突然別の色を持つ。

 

「コンニャック、お父ちゃんの腕を見て真っ青なブルー。謝ったりはしなかったけど、軍と揉めるアタシを、味方してぇの、怖いくらいにぃ」

 

 言葉には、所々今までと同様の独自言語が残っていたが、そこにはもうJKなポージングであるとか、オーバーアクションであるとか、そういったものは、すべてまるっと消え失せてしまっている。

 

 俯いたまま、椅子の上で背を丸めたまま、ユーフォミーさんは続ける。

 

「コンニャックには、感謝してる。ありピッピ。昔ちょーっと助けてやってん、義理がてぇん。でもアタシも、アタシだって、義理くらい、果たせるん」

「助けられた、俺達も、同じ。パーティは、相互協力……」

「アタピの方がいっぱい助けた! アイツはお父ちゃんより格下ちゃん!!」

「んむ……」

 

「理解、しているということですか?」

 

 ふたりを、ここへ叔父さんが送った意味を。

 

 これが既に、叔父さんの情けであるということを。

 

「コンラディン、イーヤツ。お父ちゃんの三億分(さんおくぶん)(いち)くらッピーにゃ」

「……せめて三百分(さんびゃくぶん)(いち)くらいにしませんか?」

 

「お父ちゃんは三千億倍(さんぜんおくばい)イーヤツ! コンラディンが十億倍(じゅうおくばい)イーヤツはナイナイナイ!!」

「いやそれは比較対象がおかしい」

 

 つまり叔父さんは千倍くらいイーヤツってことなのね?

 何と比較して? オケラ? アメンボ? トモダチ?

 

「うーん」

 

 まぁでも、それなら……この手紙を、読んでもらってもいいか。

 

 正直もう、自分だけでは判断できない、これは。

 

 正直もう、自分だけでは受け止めきれない、これは。

 

 何をどう選んでも、後悔することはありそうな気がする。

 

 なら、無関係とはいえない、この目の前の女性にも、その保護者にも、意見を聞くべきだ。

 

 

 

 もっとも。

 

 

 

 彼女は王都を守りたいと思っているはずだ。

 

 だから、下手に意見が割れると戦闘になる可能性がある。

 

 彼女達と争うのは、色々な意味で避けたい。

 

 

 

 だけど彼女達との、最初の出会いからは時が流れ、状況もまた変わってきている。

 

 どうしてレオが、私の魔法を斬ろうとすると危険なのかという点についてはもう理解している。そしてそれは、おそらくユーフォミーの結界魔法には適応されないのではないかという仮説もできた。戦闘になったらなったで、その証明ができる。

 

 それはそれで、レオの「無敵」の正体を、ひとつ解明したことになるから、有益と言えば有益だ。

 

 危険はある。

 

 仮説は間違っているのかもしれない。

 

 だけど、どうすればいいか決められなくなった時、行き止まりで立ち往生している時、一か八かの賭けに出るというのは、私が今までにもずっとやってきたことだ。勝算が高い分、今回のそれはまだマシであるとも言える。

 

「わかりました。レオ、手紙をユーフォミーさんへ」

「……いいんだね?」

 

 躊躇(ためらい)を含む言葉に、私は勇気付けられる。

 それは、レオもまた、これが賭けであると理解してのモノなのだから。

 

 だから私は、万感の思いを込めてただ一言、心から信頼できる人の、その名前を呼ぶ。

 

「レオ」

「うん」

 

 それだけで伝わる関係が、今はとても心地良かった。

 

 

 



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epis43 : Proof of a Hero (lies)

 

「お願い! 王都を助けて!」

 

 とうとう、独自言語すら()がれた四色の少女、ユーフォミーは、床に頭を突いて、「く」の字に曲げた両腕をその前で合わせた。

 

 つまり、つまるところこれは、DO・GE・ZAだ。

 

 少しだけ、正式なそれと違うのは、彼女の足が、正座ではなく開脚の形になっていることくらいだ。だからそれは、DO・GE・ZAというより、柔軟で開脚をして、前屈しているようにも見えなくはない。

 

 あと、そのそれなりに希少そうな眼鏡、外してないけど大丈夫? 床にぶつけたらフレーム歪んじゃわない?

 

「まさかそうきたか」

 

 これは……泣き落としの次に予想外だった。キャラ崩壊RTAかな? その業界は割と競争が厳しいよ?

 

「コンニャックがこんな手段を用いてまで求めたんでしょぉぉぉ!? 君の腕をぉぉぉ」

「んむ……」

 

 少し遅れて、ナッシュさんも床に膝をつく、そして同じように床に頭をつけ、片方だけの手で同じようにする。

 

 十代後半の娘がいるわけだから、どう見積もってもナッシュさんは三十代以上だ。推定前世のあたしの享年と、今の私の年齢を足しても年上である。割と深刻にやめてほしい。

 

 戦闘になるかもって思った私が、莫迦(バカ)みたいじゃないか。

 

 まぁ、ふたりが頭を向けているのは……レオに対してなんだけど。

 

「僕は……」

 

 ふたりからDO・GE・ZAを向けられたレオは、しかし別に動じることもなく冷静に返した。むしろそれに、冷静でいられなかったのは私の方だった。

 

「僕にも、護りたいモノがあります。助けたいモノがあります。けど、それは国でも、都市でもなくて、たったひとりです」

「レオ……」

 

 どうしてそこまでと、胸が苦しくなるほどの想いが、まっすぐ伝わってくる。

 

 胸が熱い、胸が熱くて苦しい。でもそれは不快ではない痛みだ。

 

 レオの気持ちが嬉しい。ありがたい。レオに感謝する。真心に感謝する。それは私に、忙殺される中で忘れていた感情を、不快ではない形で思い出させてくれた。

 

 

 

 人が死ぬのは嫌だ。

 

 

 

 そんな当たり前の感情を、思い出させてくれた。

 

 

 

 私は、誘拐犯の一味だった男をひとり、殺しただけで自分を見失う、その程度の人間だった。

 

 私はもう普通じゃない人間で、もはや人殺しで、いまさら真っ当な人生は歩めないけれど。

 

 でも、普通じゃない人間だって、普通の心がないわけじゃない。真っ当でない人間だって、当たり前の感情を持っている。そのことに何の矛盾もない、何の不思議もない。それのことを、レオが思い出させてくれた。

 

 

 

 パパが、ママが、たくさんの人が死ぬのは嫌だ。

 

 

 

 ()()()は、人を殺したいと思ったことがある。

 

 

 

 でも、()()()が殺したかったのは、いったいなんだったのだろうか?

 

 ()()()が壊したかったのは、いったいなんだったのだろうか?

 

 ()()()は例えば、()()男達が壊れてしまえば、死んでしまえば満足だったのだろうか?

 

 ……満足などは、どうあっても、しなかったのだろう。

 

 だけどそうせざるを得なかった。彼女(あたし)は自分自身を、そんな風に壊すしかなかった。

 

 だって彼女(あたし)はもう、癒やせないほどに罅割(ひびわ)れていたのだから。

 

 その心の一部を、私は共有している。

 

 だけどそれは……それだけのことだ。

 

 私自身の心には、まだ小さな(ひび)が少し入っただけに過ぎない。

 

 この身に少しだけ残っている額の傷と同じだ。

 

 この少しだけ残ってくれた左手の傷と同じだ。

 

 全然、致命傷なんかじゃない。

 

 

 

 だからこれ以上、癒やせない(ひび)を、心に入れてしまうのは嫌だ。

 

 

 

 だから。

 

「別に、そんなことしなくても、私の条件さえ呑めば、助ける」

「ホント!? なんでも言って!」

「ううん、逆かな。私の条件が、実現不可能なものだったら事態は丸く収まらない。私はレオを危険な目にはあわせたくない。だから安全が確保できないなら協力はできない」

 

 だから私は、できることならば……する。

 

「……何が必要? 何が不要?」

「実験が」

「……実験ん?」

「危険な実験。成功する可能性は高いけど、失敗したら人が死ぬ。だから私は仮説を、実証して現実のものと変えることができなかった。でも」

 

 頭の中で組みあがっている、その仮説を、もう一度俯瞰して考える。

 

「でも、私の実験に、ユーフォミーさんが命を賭けてくれるなら……それが成功するのなら……私はレオと一緒に王都へ行って、モンスターを、ワイバーンを倒すよ」

 

 レオの「無敵」は、おそらく実際の(やいば)で斬っているわけではない。

 

「私の実験に命を賭ける、その覚悟がある?」

「……アタピの命だけ?」「んむ!?」

 

 剣の形をしたものを振るうことで、「斬るという概念」のようなものを任意の場所に顕現させているのだ。言ってしまえば私の「黒い線」と似た種類のものなのだ。

 

「そうだね、欲しいのはユーフォミーさんの魔法だから、ナッシュさんに命の危険はない」

「なら、いい。アタピの命、使えるなら使って」「だ、ダメダ!!」

 

 そうでなければ、冶金学上(やきんがくじょう)の常識を無視した結果を引き起こすことなどできないし、同じ剣で斬った七人(しちにん)が、それぞれ別の何かで斬ったかような傷を負って死ぬことも無い。

 

「ダメダダメダダメダ!!……ん」

「お父ちゃん……アタシの命はあの日、お父ちゃんに助けてもらった。でもその代わりに、お父ちゃんの腕は一本……なくなっちゃった。だからアタシはもう、お父ちゃんから何も奪わせない。お父ちゃんの生まれ故郷も、お父ちゃんが勇敢に戦ったことを知っているみんなも、全部」

「……んむぅ」

「全部全部、必要。不要なんかじゃない、絶対に」

 

 そもそもレオが最初に使っていた段平(だんびら)には、刃こぼれだってあったのだ。そんな物で人をスパスパと斬っていた時点でおかしかったのだ。

 

「話は決まった? なによ、やっぱりちゃんと話せるんじゃない」

「理解! 共感! それ不要! ただ戦力としてのアタピ達だけが必要! それがアタッピ達だけの()(よう)!」

「……よくわからないけど、わかった」

 

 しかしそれは、「剣」を構えていなければ発生しない奇跡だ。(なた)や、片刃の剣の背の部分では「斬る」ではなく「打ちつける」になる。これは単純に刃の厚みの問題だった。その実験は可能だったのでした。おそらくは()ミリ(mm)、それくらいの厚さを超えると、物質の切断は発生しなくなった。

 

「なら、戦力としてではないけど……その命、使わせてもらうから」

 

 なら、レオのそれは、「斬るという概念」ですらないのかもしれない。あるいは「斬撃という概念」だろうか。

 

「アタピは死なない。もうお父ちゃんから、何も奪わせない。だから実験は成功が当然」

「怖気づいたんですか? 本当に、命の危険はありますよ?」

「違う」

「何がです?」

 

 そこまで考え、次に実験したことは、レオのやっていることが「斬る」ではなく「斬撃という概念」の放出であるというなら、それだけを独立させ「飛ばす」ことはできないかという仮説だった。

 

 つまりは遠隔攻撃。

 

「失敗しても、それはオマエのせいじゃない。アタピが、アタピの運命を乗りこなせなかった、それだけ。だから、悪いのはアタピ。そもそもオマエは年下で格下ちゃん。責任の所在は年上で格上のアタピにある。アタピはアタピの意思でオマエに命を預ける。何が起きても文句なんて言わない。お父ちゃんも……それ不要!……だかんね?」

「ん……むぅ……」

「よくわからない理屈ですが、覚悟は伝わってきました」

 

 レオの「斬撃」は、レオが対象を「斬る」と明確に思った時点で発動する。そしてそれは、実際に対象が「斬れる」までレオの意識を奪う。

 

 レオが、私達が懸念する「危険」はここにある。

 

 例えば、今回の話でいうと、飛龍(ワイバーン)を斬るとして、上空にいる敵を「斬る」際、レオの身体が、そこまで飛んで行ってしまったら? 「斬り終えた後」意識の戻ったレオの身体が、地上数十メートルの位置に取り残されしまったら?

 

 私の罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、その黒い線は「斬れない」。まるで矛盾の故事のような話だが、「どうやっても斬れないモノ」を「絶対に斬る」としてレオがその能力を発動させた場合、どうなるのか。レオの意識は、何をしたら戻ってくるのか?

 

 その実験は、どちらもできていない。

 

「なら、遠慮せずに行きます。レオも、ナッシュさんも……いいですね」

「うん」「……ん……む」

 

 だから実験したのは、単にレオは遠隔攻撃が可能なのかということだった。

 それが可能なら、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の黒い線はともかくとしても、上空の敵を撃ち落とすなどのことは可能になる。その時は、こんな事態は想定していなかったけれども。

 

 結論から言うと、可能だった。というかレオ自身、「それが可能であること」自体は昔から知っていたらしい。レオは能力発動中、意識を失う。だからその間に自分がどうなっているのかを知らない。だから実験をして、私がそれを観測してみた。

 

 大体、十三メートル(13m)から十四メートル(14m)以上、この国の度量衡(どりょうこう)でなら十五(15)から十六(16)ヤルド以上、それくらい先の物を斬ろうとすると、レオはその場から動かずに、ただ剣を振るという動作をするようになった。

 

 そして、それだけで対象が斬れてしまった。ただ、それは距離が離れれば離れるほど、斬撃の威力が落ちていった。

 

 この限界は約百メートルくらい。それ以上だと「無敵」は発動しなくなる。

 また、五十メートルを超えた辺りで、殺傷能力はほとんどなくなってしまう。

 有効射程距離までもが、私(の魔法)と一致していた。

 

 ここまでは判明した。でも問題はここから先だ。

 

 実験できなかったのは「上空への攻撃」、それと「結界など、どうやっても斬れないモノへの攻撃」……後者はともかくとしても、前者をクリアできなければ飛龍(ワイバーン)退治になどは行けない。

 

 危険かもしれない実験が、どうしても必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

「え、と、どぉするのぉ?」

 

 ところでユーフォミーさんの「要不要」だが、これは「どうやっても斬れないモノ」ではない。

 

 ユーフォミーさんは「要」と「不要」を選択することができる。私も似たことはできるが、ほんの少し仕様が違う。そのほんの少しが、大きな違いでもある。

 

 

 

「レ、レオ君の攻撃をぉ、通すが必要?」

「はい」

 

 実験、その()

 

 ユーフォミーさんが結界を張れる範囲は、自分の周囲二メートルくらいまでらしい。それくらいの距離があるのであれば、次のような実験が可能だ。

 

 まず「レオ、(距離)、結界、斬る対象物、ユーフォミーさん」という並びの配置を作る、そしてユーフォミーさんはレオの攻撃を「不要」ではなく「要」とする。

 

 要は、「要」の結界越しに、遠隔攻撃で任意の対象物を斬ることができるのかという実験だ。

 

 結論、これは当たり前だが何の問題もなく「斬る対象物」は斬れた。ちなみにその対象物とは廃材(10)何号か君である。もう食べたパンの枚数は忘れたよ。

 

 

 

 実験、その()

 

 実験()と同じ配置で、ユーフォミーさんの結界の「不要」を、レオの「剣」だけに設定する。できるのかなーと思って聞いてみたら、できるらしい。むしろそういうことこそ得意だったらしい。その辺の仕様については細かく説明されたが省く。今は私達に必要な情報だけを、実験から得られればそれで良い。

 

「うそぉ!?」「ん……む」

 

 結論、レオの「剣」だけを「不要」としたのでは、レオの「無敵」、その()()()()を防げない。実験その壱と同じように、廃材(10)何号か君は綺麗に切断されていた。やはり、対象物を斬っているのは物質的な「剣」ではないのだ。

 

 

 

 実験、その()

 

 レオの攻撃、そのものを「不要」に設定することはできるのか?

 

「……戦いにならなくてぇ、よかったぁ」「んむ」

 

 結論、できない。

 

 ユーフォミーさんの結界が私のそれと違うのは、ユーフォミーさんの「判断」で「要」「不要」を選択できるという点だ。逆に言えば、「何を不要とすればいいか」ユーフォミーさんが判断……というか理解できていない場合、それを弾くことができない。廃材、そろそろ弐拾(20)何号か君はスッパリと断ち切られてしまった。おお廃材よ、死んでしまうとはなんと情けない。

 

 ただ、「あらゆるものを遮断」は可能だったらしい。未知の魔法などはそれで防いでいたらしい。こちらを試したら、斬撃の角度が変わった。ユーフォミーさんは、盾のような形でしか結界を出せない、横にも後ろにもスキがある。まぁそうだろうなぁとは思っていた。この場合、「斬る対象物」は「結界」ではない、廃材以下略君だ。盾など、避けて攻撃すればいいのだ。

 

 ここで判明したのは、レオの「無敵」が、「盾」が自分を通すか通さないか、勝手に判断して「斬撃」を繰り出しているという点だ。それはもうレオの意思ではない。レオの「無敵」のもうひとつの側面、「回避」と同じだ。自分にとって危険な「斬撃」は、そもそも発動しないのかもしれない。それは、試さないけど。

 

 

 

 実験、その()

 

 ここまでに判明した事実から、私達はあることを試した。

 

 ここは港町。港町にあるのは船と海。

 

 そのふたつが、私の危惧した「危険」を避けながらの実験を、可能としてくれた。

 

 そして確信した。

 

 レオの「無敵」は……ううん、ふたりの「無敵」は……飛龍殺(ワイバーンごろ)しであると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<三人称:前半は主に飛龍(ワイバーン)視点>

 

 飛龍(ワイバーン)の攻撃方法は、シンプルだ。

 

 特殊な魔法を使える個体ともなれば話はまた変わってくるが、王都リグラエルを襲撃した飛龍(ワイバーン)は人間に飼いならされた、人間に飼いならすことが可能だった、その程度の個体でしかない。

 

 だが、そうは言っても飛龍(ワイバーン)(ドラゴン)の亜種だ。

 

 特殊な魔法は使えなくとも、羽根周りに再生能力を持ち、ドラゴンブレスを放ってくる。それは種全体が持つ特性であり、例外はない。

 

 飛龍(ワイバーン)の攻撃方法は、だから近接戦では爪や牙、中距離から遠距離ではドラゴンブレスとなる。

 

 ドラゴンブレスの有効射程距離は二十から三十メートル。強大な個体ともなればその倍、それ以上ともなるようだが、王都リグラエルを蹂躙する飛龍(ワイバーン)に、そこまでのモノはいない。

 

 ただ、ドラゴンブレスには欠点がある。

 

 それは、魔法風にいうならば詠唱時間(キャストタイム)再詠唱時間(リキャストタイム)の問題だ。簡単に言ってしまえば、連発ができない。

 

 飛龍(ワイバーン)は上空を飛びながらドラゴンブレスを準備し、準備が終われば滑空をして、地上二十から三十メートルの距離まで降りる。そしてドラゴンブレス(それ)を地上のモノへと吐き出して、また上空へと戻っていく。

 

 王都リグラエルを襲う飛龍(ワイバーン)は、これを繰り返し、王都を襲っていた。破壊していた。追い込んでいた。

 

 

 

 ――汚い、街だ。

 

 その一匹もまた、そうしたサイクル、ルーティーンを繰り返すべく、今日もまた王都へ訪れていた。これまでに仲間は三匹、人間どもに撃ち落とされ、(ほふ)られている。七匹いた飛龍(ワイバーン)も、もはや半分近くが減ってしまった。

 

 だがそのことに苛立ち、激昂するほど飛龍(ワイバーン)は情深くない。

 

 それよりも、三匹目の仲間が屠られてから、人間どもの抵抗が急に激減したことを喜んでいた。

 

 ――自分のドラゴンブレスの射程は、七匹いた中で一番長く、三十メートル以上ある。

 

 これまでは、地上三十メートルの距離へ滑空してドラゴンブレスを放とうとすると、高い確率で横槍が入った。自分を撃ち落とすほどのモノではなく、鬱陶(うっとう)しい、(わずら)わしいと感じる程度のものだったが、邪魔であったのは確かだ。

 

 それがなくなった。その距離へ、高威力の魔法を届かせることのできる人間が、死んでしまったのかもしれない。

 

 ――ならばもう、やりたい放題できる。

 

 その日、その個体は、だからもう自分を遮るモノは何も無いと確信し、意気揚々と王都を襲った。破壊しようとした。追い込もうとした。

 

 

 

「グギッ?」

 

 何度か気持ち良く、ドラゴンブレスで街を焼き、上空に戻ってはブレスを練ってまた襲う、そのサイクル、ルーティーンを続けていると、突然身体に痛みが走った。羽根が、少しだけ斬られている。だが撃ち落とされるほどではない。超回復が働き、すぐに元通りとなる。

 

 が。

 

「ギゥ!?」

 

 だが今度は連続で足、胴、首周りを斬られた。斬った者の姿は……周辺にはない。当たり前だ、ここは地上三十メートルの空だ。空を飛ぶ者達の領域だ。

 

 ――まだ、こんなことを出来る奴が、残っていたのか。

 

 鬱陶(うっとう)しさを、(わずら)わしさを、思い出して不快になる。

 

 ひとまず、ドラゴンブレスの放出を諦め、上空へと戻る。

 

 謎の斬撃は、それを追ってきたが、どうやら距離が離れれば離れるほど、その威力は落ちていくようだった。そして地上五十メートルを超えた辺りで振り切ったのか、追撃はやんだ。

 

 どうしたものかと思った。既に地上三十メートルであれば致命傷とはならない、撃ち落とされることもないことが証明されている。まさか先ほどの攻撃が手加減をしてのものだったとも思えない。

 

 そうであるのならば。

 

 ――よかろう、人間、討ち取ってやる。

 

 地上三十メートルの距離であれば自分が瞬殺されることはなく、逆にこちらのドラゴンブレスが届けば地上の人間などは一瞬で死ぬ。

 

 ――ならば、その攻撃を繰り返す。

 

 どれが自分を攻撃している者かはわからずとも、討ち取れば攻撃はやむだろう。それをもって判断すればいい。

 

 瓦礫(がれき)が転がり、臭嵐(しゅうらん)が吹き、それを片付ける者もなく、そのままになっている王都は、空から見てもゴチャゴチャしている。汚い街だ。

 

 遮蔽物(しゃへいぶつ)も多く、どの(かげ)にどれだけの人間が(ひそ)んでいるのかも判らない。

 

 だが問題はない。ドラゴンブレスは地上において広がる。何度か繰り返せば、いずれは本命をも巻き込んでくれるだろう。

 

 ――あとは運と、時間の問題だ。

 

 飛龍(ワイバーン)はそう考えた。地上六十メートルほどの、ここならば安全圏であると判断した、その場所でそんな風に考えた。そんなことを、暢気(のんき)にも考えてしまった。

 

 ――ぬぅ?

 

 その足元に、奇妙なモノができあがる。

 

 それは人間の頭部ほどの、小さな「空間」だった。飛龍(ワイバーン)には脅威ともなり得ぬ、とても小さなモノ。

 

 だが飛龍(ワイバーン)は、そこから、視線を感じたような気がした。

 

 殺気を感じたような気がした。

 

 ――何かおかしい、距離をとって……。

 

 それが、その飛龍(ワイバーン)の最後の思考となった。

 

「ギ……ガ」

 

 衝撃を感じ、首が落ちる。

 

 全体のシルエットから考えれば細い、だがそこらの木の廃材などよりは確実に太い、厚い皮に覆われ、皮下(ひか)に硬い(けん)を持ち……簡単には切断できるはずもない……その首が落ちる。

 

 血が吹き出る。

 

 紫の血だった。赤みの方が強い、鮮やかな。

 

 浮力を失った肉体がよろめき、地上へと落下していく。

 

 

 

 ()ちる。

 

 ()ちる。

 

 ()ちる。

 

 

 

 落下していく。

 

 王都を燃やし、追い込み、瓦礫を生み出し、殺戮を続け、王都に絶望を運びこんだその巨体が、命を失って、力を失って、墜落(ついらく)していく。

 

 

 

「おおおぉ!」

 

「うおおぉ!」

 

「あああぁぁぁ!」

 

 

 

 数ヶ月に及んだ絶望、それに諦めかけていた者達があげる、大歓声の中へと迎い入れられながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その飛龍(ワイバーン)は、王都へ残っていた四匹の中で、もっとも長いドラゴンブレスの射程を持つ個体だった。

 

 

 

 それを(ほふ)った者は、参戦の初戦において、一番厄介なモノを最初に打ち倒していた。

 

 ゆえにもう、地上六十メートルにまで致命傷を届かせることができる存在を、止められるモノなどはいない。

 

 残る三匹の飛龍(ワイバーン)は、三日で(ことごと)く撃ち落とされ、屠られ。

 

 地上に残るモンスターも斬られ、削られ。

 

 傾いていた戦況は一気に逆転して、事態は一気に収束、そして終息へと向かっていった。

 

 王都リグラエルを襲ったモンスターの大襲撃事件、それを制した英雄の名は――レオポルド。

 

 

 

 年齢も、外見も不明な彼は、冒険者ギルドがボユの港より呼んだ、南の大陸の英雄なのだという。

 

 ――ならば濃い肌に濃い髪の色をしているのだろうか。

 ――背もあまり高くはないのかもしれない。

 ――だが屈強な男性であることは間違いないのだろう。

 ――その得物は剣。一本の剣。

 

 ――剣一本で、モンスターをバッサバッサと切り捨てていったというんだからな!

 

 人々は復興の中で王都リグラエルを救い、そして風のように去って行った英雄の名を……レオポルドの名を、噂しあった。

 

 ――それにしても情けない、王様は何をしていたんだ。

 ――まったくだ、最後には王宮に引き籠って出てこなかったというぜ?

 ――かー!……なっさけねぇ、百年二百年の歴史って言っといてそれかい。

 ――いいよなぁ、王様は、王家に生まれたってだけ勝ち組人生だ。

 

 ――それにしても、どうして王様は、英雄レオポルドを引き止めなかったんだ?

 

 地方より番役(ばんやく)大番役(おおばんやく)に任ぜられ、あるいは志願して王都へ戻った貴族達も、噂を、そのそれぞれの派閥の中でこねくり回す。

 

 ――どうして取り込まなかったのか。王は何を考えておられる。

 ――それだけの者、帝国との戦争には不可欠ではないか?

 ――戦争は、あるのか? 大遠征となるが。

 ――現実的ではないな。だが何もしないわけにもいかぬだろうよ。

 

 ――それよりもこたびの騒動には内憂(ないゆう)の存在が不可欠。誰がやった?

 

 そしてユーマ王国、その国王でさえも、しかし知ることは国民や臣下の者達と、そう大差ないモノであった。

 

 ――ワシでさえ、レオポルドとやらの顔も知らぬとは。

 ――どうして叙勲も、褒美も、名声でさえも受け取らず去った。

 ――それはもう慎ましさなどではない。王家への反逆にも等しい。

 ――英雄に、報いなかった王に、下々の不満は高まっている。

 

 ――ああ、後世には、私が歴代でもっとも愚かな王であったと記されるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、英雄レオポルドが王都リグラエルを救い、そして姿を消してから三年。

 

 

 

 

 

 

 

 レオは十四歳の誕生日を祝った。

 

 

 

 ラナは十六歳になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、ロレーヌ商会が近年、売り出した始めた商品がある。

 

 それはペクチンゼリーと、ボユの港で水揚げされる特殊な海産物の、内臓の一部を使った商品で、それを男性のソレに被せ、コトをすると、女性が妊娠をしないですむ、お互いに性病もかかりにくくなるという、素材の割には不快な匂いもない、画期的な商品だった。

 

 発案者は不明。

 

 だが一部の者達は知っている。

 

 ロレーヌ商会の、突飛な商品は、ひとりの天才によるモノなのだと。

 

 自分がほしいから、自分が必要だからと、次々に色々な物を創り出してきたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レオはもう、女装の似合う少年などではなく、見間違いようもない「男」となっていた。

 

 

 



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XLIV [Unique node list] : Transition Period 2



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<現実世界サイド>

▼千速継笑

 

<異世界サイド>

▼ラナ(ラナンキュロア)

▼レオ(レオポルド)

▼マイラ

▼マリマーネ

▼ラナの母親(五人兄弟における第三子、次女)

▼ラナの父親

▼丁稚

▼ゲリヴェルガ(五人兄弟における第二子、長男)

▼コンラディン(ラナの叔父。五人兄弟における末っ子、三男)

▼リゥダルフ(ラナの叔父。五人兄弟における第四子、次男)

▼ギルド長

▼ラナの伯母(五人兄弟における第一子、長女)

▼灼熱のフリード

▼背負子のユーフォミー

▼ナッシュ

▼マルス

▼アルス

▼リッツ

▼皇帝パスティーン

▼美容院のお姉さん

▼ペットショップのマダム

▼いかがわしい服屋の店主

▼ラナが聞き込みを行った職人さん達

▼リッツに殺された警官の皆様

▼マルスの部下三人

▼テレパシーを使える魔法使い

 

<この世界の暦>

▼この世界の暦

 

 

 

 

 

 

 


 

<現実世界サイド>

 


 

 ●千速(せんぞく)継笑(つぐみ)

 

 主人公ラナの前世形態。日本人。享年17歳。

 モブ顔だが、これといった欠点もない顔。

 友達のいない人生を歩んだ挙句、悪質な痴漢に付きまとわれ、その末に殺された。

 一章前半の千速継笑にその記憶はないが、ラナにはその記憶がある。

 初恋は某映画でブ●ピが演じていた、歳を経るごとに若返っていくという数奇な運命を背負ったフィクション内の登場人物。ブ●ピ自体も嫌いではないが、他の映画でブ●ピが演じた登場人物には、恋という感情は覚えなかった。

 そのR-18な二次創作小説も書いていた。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 根はかなりのサブカル気質だが、様々な理由から、オタクであるとか腐女子であるとか、そういったわかりやすい方向へも行けず、結局はどのコミュニティにも馴染めず孤立してしまった。一昔前なら文学少女にでもなっていたのであろうが、初めて書いた小説が誰にも見せられない類のR-18小説であったため、その方向に進むのも何か違うと思っていた。さすがに内●春菊、森奈●子、岩井志●子方向へ進めるほどの人間強度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 


 

<異世界サイド>

 

 ●ラナ

 本作の主人公……二章からは本格的に主人公ポジションとなった。13歳だったが、二章の最終話で一気に16歳になった。黒髪。身長は155cmくらいまで伸びて止まった。某所もFになった。両利きだが細かい作業は右手の方が得意、左手の方が力は強い。

 フルネームはラナンキュロア・ミレーヌ・ロレーヌ。ひとりっ子。

 可愛いとも美しいというのとも違うが、妙な存在感を放っていたらしい(某商人談)

 妙に目力が強く、どこか少女らしからぬ頽廃(たいはい)の匂いを漂わせていたらしい(某甘党談)

 自分を中心に半径10mくらいの空間を「割り」、その全てを自分の支配下に置く空間支配系魔法「罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)」を使える。詠唱時間(キャストタイム)は11秒、無詠唱型だが11秒の間に殴られたりすると魔法の発動はキャンセルされる。自分自身が移動している最中に発動することもできない。発動時には七色の光を放つ。

 その制限時間は今なお不明だが、二章においては様々な応用法があることも明らかにされた。

 小さな空間であれば遠隔であっても支配が可能であるため、そこから「光」と「音」の情報を手繰り寄せることで「覗き見」等が容易にできる。平たくいえば自分の周囲50mの範囲に、どこへでも盗さ……もとい、監視カメラを出現させることができるような力。

 また、英雄「レオポルド」の誕生にあたって、ラナはひとつの支配空間から別の支配空間へ、「通行を許可した」モノを送るといった使い方ができることに気付いた。これは空間同士が繋がっている必要すらないため、モノをワープさせるような使い方もできる。

 距離に反比例して支配できる空間が小さくなるため、あまり遠くに、大きなものは送れないが、もう少し早くこれに気付いていたら色々変わったのにと、ラナは悔やむことしきりである。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 王都の家の中にはラナ用の生活空間が独立してあった。家人、使用人達へ悟られることなく出入りすることもできた。掃除や洗濯は自分でしていたが、食事だけ準備されたモノの中から何品か貰って自室で食べるスタイルだった。お風呂も自分で沸かし自分で後片付けをしていた。かつてはそんな格の高いひきこもりだった(一言で矛盾していくスタイル)。

 ボユの港に避難してからは忙しく働いている。主に室内で活動しているので日焼けはしていないが、それでも昔よりは健康的な肌色になった。

 ボユの港は海産物が豊富で、ラナは毎日のようにそれへ接していた。ある日、浮き袋を持つ、形状はナマコのような生物の存在に気付いた。見た目はグロイが生臭さは全然なく、むしろハーブのような匂いがするそれは、ボユの港では丸ごと食べられる庶民の味のひとつだった。これの浮き袋を、固形化する前のペクチンに混ぜたところ、円筒形の、薄いゴムのような伸縮性のある物体が出来上がった。強度、品質は安定しているが、なぜか狙った色は出せないため様々な色がある。特に美味しくはないが食べても無害。材料的にはコラーゲンとか入ってそう。

 

 

 

 

 


 

 ●レオ(レオポルド)

 

 スラム街出身の少年。推定11歳。本当の年齢は12歳。二章終了時には14歳(本当は15歳)になった。レオポルドは冒険者ギルドの上層部が意図的に流した偽名。

 最初は薄汚れた金髪だったが、毎日洗われている内に、キラキラの金髪になった。ラナに決めてもらった誕生日は癒雨月(ゆうげつ)の6日。

 二章終盤までは身長145cm弱だったが、その3年後には170cmを超えている。成長痛に結構悩まされたらしい。

 剣を構え、対象を「斬る」と思えば本当にそれが斬れる「無敵」の能力を持つ。自分を傷付けようとする攻撃を回避する能力も高い。

 二章後半で、ラナの空間支配系魔法との合わせ技を開発した。

 元々、望めば遠距離攻撃も可能だった(一章冒頭のレオポルドも使っている)。レオの「斬撃」は、斬りたいと思った対象へ自動で「斬撃」という概念を食らわせるモノであり、しかし実際の剣が届かない範囲にあっては、その距離に比例して威力が減衰していくモノだった。

 この距離を、ラナの魔法が補った。ラナは最大50m先の空間を支配することができる。そこへ様々なモノの「通過を許可する」ことができる。レオの「斬撃」も、これの例外ではなかった。

 これにより、60m先程度であれば飛龍(ワイバーン)の強靭な首であっても落とせる「斬撃」を、「届ける」ことができた。

 チートの相乗効果、反則技もいいところである。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)の源となる壊れた女性を何人も見てきたため、女性に対してはなんの幻想も持っていない。母親に捨てられたとも思っているため、母性への憧れもない。

 ラナとは既に肉体関係のある恋人同士だが、そうした背景もあって割と淡白。どんなトラウマがあるのか乱暴にも、暴力的にも絶対にできないため、ストレスの類は剣の鍛錬において発散している。もっとも、ボユの港に来てからは平穏な暮らしをしているので、あまりストレスは溜まらない。

 

 

 

 

 


 

 ●マイラ

 

 ラナの家で飼われているピレネー犬(グレートピレニーズ)。真っ白で巨大。

 ラナの家周辺と、その散歩コースでは有名な犬だった。

 ラナの家に来た時点で何歳だったかが不明のため、正確なことはわからないが、既に老犬の部類のはずである。その割に身軽だしやる時はやる。3年経っても元気。

 ただ、擬態型スライムとの戦いにおいて、レオはマイラを、たとえ本物の幼女であったとしても、それが人を殺した時点で、「敵」と認識して飛び掛かるだろうと推測していたが、これは誤り。本物の幼女、人間であれば躊躇っていた。

 時折、人語を理解しているかのようなそぶりを見せる。ただしセンシティブな場面においては急に犬らしくなる。

 ラナに従い、ボユの港へもついて来た。避難先が違う使用人は泣いたとか。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 この小説においては「ピレネー犬」という呼称を採用しているが、「グレートピレニーズ」の呼称の方が一般的。ただ、ラナの世界における呼ばれ方は「グレート」のような形容詞が頭につかず、さほど長い名前でもないため、ニュアンスとしては「ピレネー犬」の方が近い。

 もっともマイラは、「ピレネー犬」の中でもだいぶ「グレート」な方であるが。色々な意味で。

 

 

 

 

 


 

 ●マリマーネ

 

 主に宝飾品等を扱う中堅どころの商会、ドヤッセ商会、その会長の娘。ドヤッセ商会が人脈確保のため職人街におく衛星店舗(サテライトショップ)の総責任者。

 フルネームはマリマーネ・シレーヌ・ドヤッセ。極端な垂れ目。初登場時は18歳だが二章後半で19歳になり、そこから更に3年が経った。復興した王都へと帰還したので、ボユの港に残ったラナとの交流はほぼ途絶えている。

 甘いものが好きで宝石も好き。反面、恋愛には興味が薄い。婚約者が死亡したため、現在はフリー。24歳くらいまでは好きにしてもいい立場になった。

 二章においてはラナへ執着した結果、とんでもないことになった。戦乱のゴタゴタで色々誤魔化せたが、そこにおいては色々複雑な心境、葛藤があったと思われる。

 英雄「レオポルド」がレオであるということには気付いている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 メタな話、二章においては名探偵コ●ンにおける服部●次ポジション。活躍はするが、工藤●一には絶対敵わない。ただしそれは、頭脳戦においては、という意味であって、どちらの私生活の方がより充実しているかで考えると微妙なところである。想い人と一緒にお風呂へ入れるけど身体が小学生だから何もできないという立場、将来が約束された状態で甘い日々を堪能できる立場、どっちがええのん?

 ミドルネームが「()レーヌ」なのは、ラナが「()レーヌ」だから。ここも服部●()、工藤●()オマージュ。

 性欲、性愛を暴走させているキャラが数多く登場する中にあって、マリマーネはそこからキッチリと距離を置いているタイプ。己を見失い、溺れるのが恋であるのならば、マリマーネは一生恋などせずに生きていくだろう。

 もっとも、なにかへ執着すると知能が極端に低下するという欠点を持つため、それは彼女の本能的な生存戦略であるのかもしれない。飲酒を避けているのも同様の結果である可能性が高い。誘惑の多い世界(リアル)に生まれなくて、本当に良かった。

 追記すると、親がマリマーネをろくでもない男ばかりが闊歩する職人街へと送り込んだのには、彼女の男に対する幻想を早々に捨てさせるためという目的もあった。それを愛情と呼んでいいかどうかはともかくとしても、マリマーネは親からも「何かに依存させたらマズイ子だ」と思われていたことになる。

 

 好きなものはチョコレートケーキ。嫌いなものはイクラ等魚卵全般。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの母親(五人兄弟における第三子、次女)

 

 16歳の時にラナを産んだ女性。二章中盤に人知れず29歳となり、そこから更に3年が経った。

 財務省貴族官僚の家の生まれ。髪は亜麻色だが白髪混じり。フルネーム不明。

 ほうれい線の濃く入った幽鬼のような顔だが、スタイルは良い。昔は美少女だったらしい。

 他人が全員、自分を嘲笑っているという妄想に囚われてしまっている。戦時下においては避難を拒み、夫のそばで匿われていたが、だから何が変わるということもなかった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 夫、ラナの父親からの感情は、しかしながら多少変化してきている。女性としては見れないが、自分が保護してやらなければならないという意識が強くなった。王都復興後は、元の家に戻り、変わらぬ生活を送っているが、月に一、二回、夫が帰宅するようになった。

 長い年月を、そのまま過ごせていれば、いずれ何かが変わったかもしれないが……。

 

 運(五段階評価):★★☆☆☆ 星2

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの父親

 

 30代後半。黒髪。フルネーム不明。

 結構なイケオジだったが、3年で少しシワが濃くなった。

 しばらく商人としても優秀だった丁稚を色々な意味で可愛がっていたが、その丁稚が逃亡してしまったため、少しだけ家庭を顧みるようになった。娘がボユの港から帰ってこないことに関しては、もう諦めが入っている。

 英雄「レオポルド」がレオであるということは知らない。

 レオのことは、話に聞いて一応知っている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 プライベートではアレだが、ロレーヌ商会それ自体は大きく発展している。

 戦時下における物資の調達に多大な功績が認められたこと、娘が秘密裏に送ってくる数々の新商品のアイデア、そのふたつが合わさって、ロレーヌ商会は、かつて同規模だったドヤッセ商会よりも、ふた周りほど大きな商会に発展した。

 避妊具のアイデアを送られた時は人知れず泣いたが。

 

 

 

 

 


 

 ●丁稚

 

 ラナの父親が会長を務める商会における出世頭の青年……だった。

 戦時下における戦況の悪化を見て、王都から逃亡してしまった。

 ラナの結婚相手と目されていたが、王都にその消息を知る者はいない。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 初期プロットには、ボユの港に逃げてきてラナへ迫るという一幕の案もあった。誰の得にもならなそうだったのでやめた。そういうわけで、逃げた先のどこかで野垂れ死んだということにした。さらばどうでもいいモブ。

 

 別の世界線でも変わらず同様の運命を辿る。ただし、そのラナには手首に大きなリストカット痕があったため、より後腐れなく逃亡することができた。地雷女からバイバイできて清々すると思いながら逃げた。ラナも清々した。

 

 

 

 

 


 

 ●ゲリヴェルガ(五人兄弟における第二子、長男)

 

 ラナの母親の兄。つまり伯父さん。30代前半。享年も同じく。

 知能等に器質的欠陥はなかったが、色々あっておかしな人になってしまった。

 主に足りなかったのは自分を顧みること、健全な性欲の発散、それから運。

 ラナを自分の運命の相手と思い込み、無理矢理拉致しようとしていた。それが公になることは結局無かったが、家の恥を表に出したくない実の姉と、弟達によって闇へ葬られてしまった。

 最期は檻の中でモンスターに生きながら食われるという末路だった模様。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 メタな話、決着のシーンはもう少しスカッとする要素を入れたいと思っていた。

 ただ実際に書いてみて、ラナ視点だとそれは無理があったので諦めた。断罪シーンとはならなかった。無念。

 子供は生まれているので、家自体の取り潰しはされていない。騎士である叔父のひとりがその子の後見人となった。

 

 運(五段階評価):★★☆☆☆ 星2

 

 別の世界線ではレオに斬られ死んでいる。ラナが誘拐されたあと、マイラの介入が無かった場合はそういう運命を辿る。

 

 

 

 

 


 

 ●コンラディン(ラナの叔父。五人兄弟における末っ子、三男)

 

 ラナの母親の弟。つまり叔父さん。

 二章終盤までは20代の半ばだった。身長173cm前後のマッチョ。ただ3年後には少しだけ体力が衰えた。

 一流の冒険者であり、飄々としていて残酷なこともできるが、悪人ではない。「自分には自分のやれることしかできない」という割り切りでもって生きているだけ。

 その範囲で救えるものは救い、助けたいと思っている。

 そうした想いから、二章の終盤では姪に恥ずかしい手紙を書いた。

 英雄「レオポルド」をでっち上げた主犯格のひとり。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 コンラディンの手紙は、その姪が大事に保管をしている。だがコンラディンはこれを不気味に思っている。いつか人前で、朗読させられるのではないだろうかと。

 また、戦時下において、複数いた恋人の内、ふたりを亡くしてしまった。

 その後は、相手をひとりに絞ったらしい。

 

 運(五段階評価):★★★☆☆ 星3

 

 

 

 

 


 

 ●リゥダルフ(ラナの叔父。五人兄弟における第四子、次男)

 

 ラナの母親の弟。ラナの叔父さんパート2。

 英雄「レオポルド」の正体を知っている数少ない人間のひとり。

 王国の騎士。五人兄弟の中では一番特徴の薄い外見。シスコン。でも既婚者、子供もいる。

 兄にも似た思い込みの激しい性格をしているが、言い換えれば一途でもあり、兄ほどおかしな方向へは「思い込まなかった」ため、真っ当な人生を送れている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 まだ幼い頃、兄が妹(リゥダルフからみて下の姉)の飲食物に、自分の体液を混ぜるそのシーンを目撃してしまったことがトラウマになっている。そのせいで食が細く、線も細く育ってしまった。

 騎士になってからは意識して身体を鍛え、無理矢理にでも栄養を押し込んできたが、その生活は結婚を機に一変することになる。

 妻の作ってくれるモノだけは、美味しくいただけたからだ。お見合い結婚であり、あまり気の進まなかった妻帯であるが、今ではもう完全に胃袋を掴まれてしまっている。

 

 運(五段階評価):★★★★☆ 星4

 

 好きなものは妻の手料理。嫌いなものは誰が作ったかわからない料理。

 

 

 

 

 


 

 ●ギルド長

 

 王都リグラエルの冒険者ギルドのギルド長。40代。

 英雄「レオポルド」をでっち上げた主犯格のひとり。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 王都リグラエルの不夜城(色街)は甚大な被害を受けた。これを期に縮小すべきではとの声もあったが、ギルド長はその復興にも力を尽くしている。変に規制したとしても、今はまだアンダーグラウンドを肥えさせるだけとして。

 最近では、ロレーヌ商会より買い付けた避妊具を不夜城(色街)へ無料配布もしている。

 ポケットマネーからの完全な自己負担だが、妻も娘もそのことに不満はないらしい。

 王都崩壊の危機を全員で生き抜いたことにより、家族の絆も強まった。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナの伯母(五人兄弟における第一子、長女)

 

 ラナの母親の姉。つまり伯母さん。30代前半、3年が経って30代半ばになった。

 不遇な少女時代を乗り切り伯爵家の正妻となった、ある種シンデレラストーリーの体現者。ラナいわく「ざまぁのプロ」。

 幸せ太りしたため体型は丸くなったが、一時に比べれば痩せてきているらしい。

 英雄「レオポルド」がレオであるということは知らない。というかレオとは会っていない。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 妹の時は多少「ざまぁ」をしたが、一番歳の近い弟の時にはそんな気もなくなっていた。この弟には何を言っても伝わらないだろうという確信があった。世は無情であり無常であるということを強く実感させられた。よって淡々と処理をした。

 

 運(五段階評価):★★★★★ 星5

 

 

 

 

 


 

 ●灼熱のフリード

 

 ユーマ王国王国軍に属す魔法使い。

 自分の周囲(直径で)7メートル強を超高温の空間に変えてしまう空間支配系魔法の使い手。年齢は50代、今後そのくらいで現れる予定。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 戦時下ではかなり活躍してた内のひとり。その活躍を描く一幕も予定されていたが、カットされた。物語の内と外、両方で英雄レオポルドに色々掻っ攫われた。とはいえ、功績は大きいので、軍の内部における発言力は増している。

 

 

 

 

 


 

 ●背負子(しょいこ)のユーフォミー

 

 またの名を要不要(ようふよう)の暴走列車。

 初登場時には17歳。その後20歳になった。

 肌色等を抜かせば、銀色の髪、黒とピンクで構成された布面積の大きい服、瞳と眼鏡のサングラス部分の茶褐色、その四色で構成された美少女……だった。また、大口を開けると目立つ八重歯がある。

 おかしな独自言語で喋っていたが、それは作ったキャラだった。

 生まれつき両足がなかったが魔法の才能はあり、実父に背負われて冒険者をしていた。

 その後軍属になったが、戦時下において上層部と揉めたことで複雑な立場となった。

 英雄「レオポルド」誕生のきっかけとなったひとり。

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)しか使えないラナとは違い、数種類の魔法を使える。その中でも即発動型結界魔法「要不要」はふたつ名になるほど強力。この世界における結界魔法は詠唱時間(キャストタイム)の長いモノが多いため、即発動する「要不要」は非常に有用であり特異。「何を弾き、何を通過させるか」は彼女自身が個別に選択できる。ラナはそうした設定変更にも、多少の時間を要するが、「要不要」は即断による切り替えが可能。

 ただ、全ての操作にユーフォミー自身の意識と決断が必要なため、その有用性は彼女の知性、そしてメンタルに大きく左右される。その点は、半自動化しているラナの魔法の方が有用であることも多い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 ラナは初対面時、フォレ●ト・ガ●プの某中尉を思い出していた。ユーフォミーは完全に足がないのではなく、短い足で元気いっぱいに動く。その様が、立ち直ったあとの某中尉を思い出させたらしい。

 メタな話、この物語の雰囲気からは、少し浮くようなキャラとして意図的に設計されている。「独自言語を喋る」は既に青髪の悪魔がいるが、良好な親子関係、あまり思い悩まない性格、どちらかと言えばアメコミ寄りな衣装、その辺のニュアンスは、それを意図してのもの。

 

 

 

 

 


 

 ●ナッシュ

 

 背負子(しょいこ)のユーフォミー、その父親。

 30代。3年経っても30代。身長は190cm前後。短い銀髪。

 戦時下において右腕を二の腕の先から失くした。軍は退役したが、戦時下において傷痍軍人となったため、僅かばかりの恩給も支給されている。

 かつては体格に恵まれた戦士だったが、戦闘職を退いてからは徐々に痩せていっている。

 英雄「レオポルド」誕生のきっかけとなったひとり。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 痩せたとはいっても、毎日の鍛錬は欠かしていないため、ゴリマッチョが細マッチョになった程度の変化。いやそれは大きな変化か。

 戦えなくなったわけではないが、娘を背負いながら戦い、護りきる自信はもうない。

 体力の衰えも著しいが、片腕となっても一般人よりは遥かに強い。

 

 好きなものは娘の笑顔。苦手なことは会話。

 

 

 

 

 


 

 ●マルス

 

 ユーマ王国へ潜入していたスパイその1。20代。

 短めの赤毛。いわゆるツーブロック的に刈り込んだ部分は虎縞になってる。襟足だけは多少、長めになっている。

 全体的には三下っぽい雰囲気の女性。男も女もイケる。

 東の帝国、その皇帝の娘。ただし母親は奴隷扱いのハーフエルフであり、皇位継承権等は持っていない。愛情も与えられなかったが、マルス自身は父を嫌いではない。好きでもないが。

 右耳に欠けがあるが、これは双子であるアルスの左耳と胎内で癒着した結果、起きた欠落。生後に発生した欠落ではない。

 アルスとは、どちらが兄、姉、弟、妹という意識もない。

 残忍な父に一矢報いたいと残虐に生き、最期は残酷な拷問の末に死んだ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 普通の人類最強を武力100、黒槍のコンラディンを80とするとマルスは90くらい(アルスは75くらい)。めっちゃつおいがレオ(同基準で800)の前ではだからなんだという話。

 そんなわけでクソザコナメクジなかませで終わった。なんか色々な意味ですまないと思った。

 

 好きなことは暗躍と強奪。嫌いなものはトゲのある花。

 

 別の世界線ではレオに斬られ死亡。慎重派のアルスを失ったことでレオを侮り、(ある種の)真っ向勝負を仕掛け、破滅したという点は共通するところである。

 

 

 

 

 


 

 ●アルス

 

 ユーマ王国へ潜入していたスパイその2。20代。赤毛の短髪。いわゆるツーブロック的に刈り込んだ部分は虎縞になってる。襟足も刈り込んでいる。

 全体的には三下っぽい雰囲気の男性。

 東の帝国、その皇帝の息子。ただし母親は奴隷扱いのハーフエルフであり、皇位継承権等は持っていない。愛情も与えられなかったため、アルスは父を父と思っていない。

 左耳に欠けがあるが、これは双子であるマルスの右耳と胎内で癒着した結果、起きた欠落。生後に発生した欠落ではない。クォーターエルフだがエルフの特徴はほとんどない。

 自分より強いマルスを姉のように見ていた。軽率なその莫迦(バカ)さ加減から手のかかる妹のようにも見ていた。

 流されるまま生き、その果てに、ラナ達に殺されるという運命を辿った。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 メタな話、キャラクターコンセプトに、ラナに刺される相手という要素が最初からあった五寸釘人形みたいな出自のキャラ。完全な悪人ではないが、やってることのほとんどは悪、色々なものに板ばさみにされた結果、流されて悪人でいるしか無かったという人間。

 

 好きなものは変装といわゆるクロサギ。嫌いなものは自分に流れる血。

 

 別の世界線でもラナに刺され、死ぬ。ラナに同情をして、レオごと帝国陣営に引き込めないかと交渉を試みたところ、本編と同様の手口を喰らってしまった。

 

 

 

 

 


 

 ●リッツ

 

 ユーマ王国へ潜入していたスパイその3……ではなく擬態型スライム。

 若干ウェービーなチョコレート色の長い髪に、あどけなく可愛らしい顔の幼女。

 だがその正体は、人を殺すことをなんとも思っていない正真正銘のモンスター。

 美しいものへ擬態したいという想いを抱いて生まれ、そのままに生きたら、いつのまにか悪人に使役される人殺しのモンスターとなっていた。どうしてそうなった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 オリジナルである「リッツ」は享年6歳。もう少し髪が短かった。

 擬態型スライムである「リッツ」は、数年経過後に、彼女の成長した姿を模したいと思ったが、顔をどう変えれば成長したことになるのかよくわからなかったため、髪だけが伸びている。身長も伸ばしかったが、顔とのバランスが悪くなるので、そこもあまり変えられなかった。

 かつてひとりの人間を美しいと思った、だから人間社会へ溶け込んで生きた、人間のほとんどは醜いと知った、はじまりの人が死んでしまっても、諦めきれず「美しいもの」を探していた。その手を醜く、汚濁で染めながらも、探していた。

 メタな話、前作の没キャラクターから、そのコアの部分だけを抽出して小規模に再構築したキャラ。大ボスを小ボスにしたようなイメージ。もしくは幼ボス?

 

 好きなものは美しいもの。嫌いなものはいたいいたいお遊戯。

 

 別の世界線では王都襲撃まで生き延びるが、英雄「レオポルド」の出現を待たず、要不要の暴走列車に討伐されてしまう。結界を突破できず、魔法で少しづつ削られ、最後にはナッシュを模すも、激昂したユーフォミーに焼かれてしまった。

 

 

 

 

 


 

 ●皇帝パスティーン

 

 フルネームはパスティーン・オムクレバ・パスティミルジョーンズ・ガッダ・リュロヴァーヂ・ノド・メムザアデュフォーミュラン・ジ・グレイオ。外見等不明。2章の終盤までは69歳。

 子供が400人以上いる。二章終盤までに2人死んだが、それへ特に思うことはない。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 メタな話、フルネームは作者も覚えていません。パスティーンの部分は、おそらくフィクション界で世界的に一番有名な皇帝さんが元ネタ。

 

 好きなものは支配。憎んでいるものは人間の寿命という限界。

 

 

 

 

 


 

 ●美容院のお姉さん

 

 王都の超高級美容院(ビューティーサロン)で働くお姉さん。

 レオを金髪ツインテールの美少女に変身させた張本人。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 既婚。夫は子爵家の四男だが働いていない。ただそのコネで、自分が給料の高いお店で働けているから、今はまぁいいかと思っている。結婚から数年が経っているが、夫の将来に不安を感じているため、夫婦生活は子供が生まれにくいような形を心掛けてきた。ゆえに少しアブノーマルだった。ベビー用品を見ると色々な意味で複雑な気持ちになる。

 だがそろそろ覚悟して子供を産もうかなと思っていたところ、夫が画期的な避妊具を見つけてきた。夫婦生活はノーマルになったが、そろそろ20代半ばを過ぎるのでどうしたものかと悩んでいる。

 戦時下においては夫の実家へ避難して生き延びた。

 

 好きなものはトータルコーディネート。嫌いなものは姑からの孫の催促。

 

 

 

 

 


 

 ●ペットショップのマダム

 

 ラナたちが訪れたペットショップの店員さん。

 30代後半くらいが見えるが実は40代。

 化粧っ気は少なく、清潔感がある。「上品な小母さん」の方がイメージは近い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 既婚。夫ともども一般市民。子供達は既に独立していた。

 戦時下において夫ともども死亡。動物達の避難が全て終わってから自分も避難しようとしていたところ、間に合わず、モンスターに殺された。モンスター大襲撃事件において、王都に残った一般市民は二割以上がその犠牲となっている。だが子供達は全員生き延びた。

 

 好きなものは動物。嫌いなものは無責任な飼い主。

 

 別の世界線であっても、モンスター大襲撃事件が起きる限り同様に死ぬ。

 

 

 

 

 


 

 ●いかがわしい服屋の店主

 

 アルスに脅され、ラナの誘拐に手を貸した変態。

 女の悲鳴を聞くのが三度の飯よりも好きなドS。

 その趣味をアルスに掴まれ、彼の意のままに動くしかなくなったが、そんな中でも女装したレオを襲おうとしていた辺り、なかなかに面の皮が厚そうな外道である。

 だが激怒したレオに殺された。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 人間としてはアレだが、その手の店の主人としては結構優秀だった。本格的なメイド服は、貴族家へそれを卸している商会から直接買い付けていた。様々な変人と交流があり、裏社会へもアクセスできた。だがそれが災いしてアルスに目を付けられてしまった。末路という(すえ)(みち)へ迷い込んでしまった。

 

 好きなものは女の悲鳴。嫌いなものは思い上がった女。

 

 別の世界線では生き延びている。ラナやレオに一切関わらないから。

 

 

 

 

 


 

 ●ラナが聞き込みを行った職人さん達

 

 ラナがマリマーネの人となりを知るため、聞き込みを行った職人さん達。

 5人いる。ひとりはアル中。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 全員、一流ではあるけれど超一流ではないというライン。超一流は商会など通さずに個人名で仕事している。この世界であっても、自分の個人名、言い換えれば名声だけで次から次へと仕事が舞い込むクリエイターなど、ごく僅かである。

 

 全員、仕事終わりの一杯が好き。全員、中間搾取が嫌い。ここだけ某ハ●チョウな世界。

 

 

 

 

 


 

 ●リッツに殺された警官の皆様

 

 リッツの爆弾の餌食となった警邏兵(けいらへい)の皆様。

 10代、20代、30代、50代、の四名。即死できなかったのは20代の男。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 それぞれ、オオギィ、コバヤシィ、カキザキィ、サイコロステーキィ、という名前である、わけがない。20代の彼の運は「★☆☆☆☆」星1。

 

 全員、街の平和が好き。全員、臭嵐(しゅうらん)が嫌い。その清掃も警邏兵の仕事だから。

 

 別の世界線では、リッツがあそこで暴れないため全員死なない。ただ後に、ラナとレオが王都が脱出する際の混乱に巻き込まれて半分は死亡。残り半分は……。

 

 

 

 

 


 

 ●マルスの部下三人

 

 マルスがたぶらかして便利に使っていた男達。

 マルスの趣味なのか、全員ホストっぽい外見。

 マルスと共にマリマーネ邸へ罠を仕掛けるも、それを看過していたラナ達にあっけなく倒された。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 

 名前はそれぞれ、グラジオラツクッス、イグノーベル、プリンペト。グラジオラツクッスはいつもオラついていて、マルスが釣りを始めると情緒不安定になる。イグノーベルはお笑い担当で、料理も得意だが時々目が見えなくなってみんなを困らせる。プリンペトはにぎやかし担当、遠距離攻撃も得意でそれなりに強いが、戦闘では大抵最初のやられ役となる……なお、ここまでは全て大嘘である。信じないように。

 ひとりは帝国からの同行者、残るふたりは王国での現地調達。マルスからすれば特に誰が本命ということでもない。穴に落ちず、逃亡を図ったのが帝国からの同行者。

 全員、マルスと同じ運命を辿った。

 

 全員、マルスが好き。そして全員、他のふたりが嫌い。よく統制できてたなマルス。

 

 別の世界線ではレオに斬られて死亡。結局マルスと同じ運命。

 

 

 

 

 


 

 ●テレパシーを使える魔法使い

 

 ユーマ王国、その王都にて厳重に管理、監督、監禁、監視をされていた精神感応(テレパシー)の使い手、つまり精神感応者(テレパス)。名前、外見等不明。

 稀有な能力の使い手だったので、王国の監視下、自由はないが衣食住に不自由もない生活を送っていた。女だって抱けた。抱いては殺していた。

 だが表舞台に出た瞬間、あっさりと殺されてしまった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 テレパスとしては多芸で、モノの記憶を見る、いわゆるサイコメトリーの能力もあった。

 最初、心が読めることは隠し、サイコメトリーの能力だけを売りにして軍へ志願したが、灼熱のフリードによって嘘は見破られ、監禁されてしまった。その際、酷い裏切りを経験したらしい。

 そんなんで善人のままいられるはずもなく、監禁後はクズとして生き、そして死んだ。

 

 好きなものは新品の絵本。嫌いなものは人間の心。

 

 別の世界線でも同じ理由、同じタイミングで死亡。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

<この世界の暦>

 

 1年は17ヶ月。以下の通り。月名はこの通りの発音ではなく、あくまで意訳。

 

 初幸歩(うぶさちほ)【1月】:29日

 路綺月(みちきづき)【2月】:28日(末日で累計57日目)

 帰雪月(きせきづき)【3月】:33日(末日で累計90日目)

 羽枕月(うちんづき)【4月】:32日(末日で累計122日目)

 浴茶月(よくさづき)【5月】:31日(末日で累計153日目)

 癒雨月(ゆうげつ)【6月】:17日(末日で累計170日目)

 水過奢(みかしゃ)【7月】:27日(末日で累計197日目)

 満葉月(みちはづき)【8月】:25日(末日で累計222日目)

 揮毫月(きごうづき)【9月】:30日(末日で累計252日目)

 神楽舞(かぐらまい)【10月】:15日(末日で累計267日目)

 謁吉月(えつきつづき)【11月】:26日(末日で累計293日目)

 乳海槽(にゅうかいそう)【12月】:7日(末日で累計300日目)

 獅志月(ししづき)【13月】:13日(末日で累計313日目)

 網把月(あみわづき)【14月】:14日(末日で累計327日目)

 納湯月(なゆづき)【15月】:16日(末日で累計343日目)

 漸漸実(ややみ)【16月】:12日(末日で累計355日目)

 死鳥卵(しちょうらん)【17月】:10日or11日

 

 1年は365or366日。

 

 1年の前半を太陽暦、年の後半をふたつの月による太陰暦で刻んでいる。

 ただし17日しかない6月と、26日ある11月はその例外。

 

 二章は9月から始まっている。

 終盤、ラナ達が王都を救うため、ボユの港から王都へ出発したのは12月。

 終戦は13月。それから3年、正確には2年10ヶ月くらいが経過した。

 

 ラナの誕生日は17月2日。

 レオの誕生日は6月6日だが本当は13月4日。

 

 6月に生まれる子供は乳離れが遅く、甘えん坊が多いといわれている。

 13月に生まれる子供は天から愛されすぎてしまい、早世することも多いとされている。

 

 

 



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三章
epis45 : mnemonic lull


 

 さぁさぁと、穏やかな潮騒(しおさい)の音が聞こえる。

 

 たっぷりと干しても、明け方にはしんなりとなっている夏のシーツを、それでも手繰(たぐ)()せて頭を(うず)めた。

 

 ケーン……と、遠くで名も知らぬ鳥が鳴く。それがきっかけとなったのか、応じる同種同様の声がしばらく合唱となって、やがて輪唱となって、そうしてから唐突にやんだ。

 

 目覚めるその一瞬に、潮の匂いを嗅ぐ。

 

 脳の覚醒が進めば馴れ、すぐに気にはならなくなってしまう香り。

 

 目が覚めて、夢と現実がドロドロに混濁しているその間……それくらいの短い時間に、自分が誰で、どうしてここにいるのかという情報が頭を満たしていく。

 

 私はどこから来たのか?

 

 私は何者か?

 

 私はどこへ行くのか?

 

 漂う小船は、どこかへと辿り着くのか、それとも棺桶となるのか。

 

 それは快でも不快でもなく、喜びでも悲しみでもなく、ただ私はまだここにいるんだと理解する、それだけのいわば準備期間。

 

 もしかしたら今目覚めた私は、昨日眠りに付いた私とは別の人間なのかもしれない。

 

 人は眠るたび死に、目覚めと共に生き返っているのかもしれない。

 

 この私という存在は、昨日までのあたしが積み上げてきた記憶やらなにやらを元に、今ここで新生されたモノであるのかもしれない。

 

 そんな他愛もない思考実験を、手首へナイフを押し当てるように少しだけ弄んで。

 

 その冷たさに落ち着いて。

 

 そうしてる内に、やがて現実感(リアリティ)が戻ってくる。

 

 

 

 まだ少しだけ暗いが、港町の朝は早い。

 

 どこか遠くで、釣竿の振られた気配がある。網の手入れをする、荒れた漁師の手の(うごめ)きを夢想する。何種類かの鳥が空を舞っている。その鳴き声が間歇的(かんけつてき)に聞えてくる。その声の主とは、見たことがあるような、無いような、その姿が想像できるような、できないような、そんな距離感。

 

「ん……」

 

 シーツを被ったまま、もぞもぞと頭を動かして、そこにいる愛しい人の、確かな温度を嗅いだ。

 

 香草と牧草を、何かしらの黄金比で混ぜたかのような匂い。

 

 甘いというよりも、甘さを欲してる部分が、それよりも上質な何かで潤っていくかのような感じ。唇にリップをひくよりも、ずっとずっと気分が上がっていく何か。

 

 その匂いを感じている内に、急速に、自分が何者であるかが理解できていく。

 

「ぷひゃ」「……ぅん」

 

 だからシーツから頭を出した。

 

 隣の、薄明(はくめい)(やわ)く輝く金髪が、私の頬と首筋を少しだけくすぐってくる。

 

 筋肉がついたせいか、その身体は私よりも少しだけ暖かい。

 

 かつて、不良少女のようにも見えたその顔は、少し穏やかになって、だけど男性性(だんせいせい)を増した。

 

 今でも、おそらくは女装をすれば似合うだろう。

 

 だけどもう、どこからどうみて見ても美少女という、その(てい)を保つことは……きっともうできない。

 

 今でも、動かず、喋らずにいれば深窓の令嬢をも模してみせるのだろう。でも、細いなりにしっかりとついた筋肉は、動くごとにその存在を主張してくるだろうし、声も深みを増して、もはや女性のそれとは思えない。

 

 そこに寂しさを、感じる時もあるが、あの頃の思い出は……複雑なものに絡みつかれながらも……今でもこの胸の(うち)で輝いている。もう二度と戻れないけど、帰れないけれど、そこあった想いは今もここにある。私とレオとの中に、もしくは()にある。

 

「ん……」

 

 成長と共に、この胸に焼き付けてきた沢山の顔を、表情を、相貌(そうぼう)を、いまだ眠る今のそれへと重ね合わせ、キスをした。唇だけのキス。

 

 銀糸(ぎんし)をひくことなく離れた唇は、けれどまだ繋がりを感じている。

 

 熱を感じている。

 

 幾度となく……昨日も……(よろこ)びを共有したふたつの身体は、その記憶を細胞の中に残し、温かさを残し、無数のそれが繋がったまま、結びついたまま、半身が(かたわ)らにあることを喜んでいる。歓喜している。

 

 この感覚は、私だけのものなのだろうか?

 

 火照(ほて)る中に、燃えるように涼やかなその熱が心地良い。

 

 シーツの下で、レオの右手を探り出し、自分の左手を絡めた。薬指だけを自由にしてその甲を撫でる。もうそこへ注目されたら簡単に男性であると見抜かれる、大きな手。手のひらの皮はだいぶ厚くなってしまったし、(ふし)のある長い指は、時にイジワルだ。

 

 十三歳だった頃から私も、十センチくらい背が伸びた。期待していた部位も十分なほどに育った。これ以上はもういいかなって思う。

 

 けど、レオの成長の具合は、私のそれなんかを遥かに凌駕していた。

 

 身長は、おそらくもう百七十センチ(170cm)を超えている。メートル法の測定器があるわけじゃないから、正確なことはわからないけど、おそらくは百五十センチ(150cm)台半ばであろう私よりも、ひとまわりは大きい。

 

 肩幅など、横幅はあまり成長しなかったが、それでも、コンラディン叔父さんのような体型ではないというだけで、全身をしなやかな筋肉が覆ってるし、腹筋だって割れている。シックスパックもある。

 

 レオは、凄く男らしくなった。

 

 だけど私にとってレオは、変わらず「特別」のままだった。

 

 今も男性は……怖い。

 

 男性から放たれる「(にお)い」は、昔よりも濃く感じられるようになった。私が成長してしまったからか、それとも別の理由かは……気になるけれど……答えが欲しいとは思わない。

 

 けれど、レオは怖くない。怖いはずがない。

 

 懸念していた、レオに抱かれることだって、それはもう自然に受け入れられた。最初は、当然ながらとても痛かったけれど、そこに嫌悪は一切伴わず、悪夢の光景が頭をよぎることもなかった。安心して、リラックスして、レオを受け入れられる自分が、今はとても愛しいと思える。……誇らしいと思えるほどには、自信がないけれど。

 

「……ラナ?」

 

 そうして、今日も最愛の人が自分の名を呼ぶ、その至上の音楽が流れ出す。

 

 それだけで自分が自分であることを許せる、自分が自分であっていいことを実感できる。

 

 私の現実感(リアリティ)

 

 世界の(すべ)てよりも大切で、私が私であるために必要なものの(すべ)て。

 

「おはよう、レオ」

 

 だから私は、世界に微笑みかける。

 

 レオという、私の(すべ)てに微笑みかける。

 

「ん……おはよう、ラナ」

 

 私の中で世界は、ただそれがレオと繋がっているというだけで、許し、愛せるものになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だけど、日常はいずれ終わる。

 

 推定前世のあたしが、突然地獄へ()み込まれたように。

 

 永遠だと思っていた毎日は、唐突に終わることがある。

 

 だけどそれは、けして唐突でも、突然でも、突発的でもなくて。

 

 走る、列車のように。

 

 過去の出来事に連結していて。

 

 必然、いずれ辿り着いていたであろう必定(ひつじょう)であり。

 

 あるいは積み上げてきた過去へ、(ごう)へ下された、非情な裁定(さいてい)でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「王都からの使者?」

 

 レオが、頭を抱える私に聞き返してくる。

 

 それは、コンラディン叔父さんからもたらされた情報だった。

 より具体的には、叔父さんの意を()んでやってきた、ユーフォミーからの情報だったが。

 

「英雄、レオポルドの正体を、いまだ探っている人がいるんだって」

「え?」

「その人が今度、私に聞きたいことがあるからって、ボユの港へやってくるんだって」

「それは……」

 

 三年、あれからもう三年が過ぎている。

 

 巷間(こうかん)噂される英雄「レオポルド」。その創出は、私が飛龍(ワイバーン)討伐にあたり、コンラディン叔父さんへ条件として突きつけたもののひとつだ。

 

 それによって「創られた英雄」だ。

 

 表舞台には出たくない。殺人の罪を、私の罪をも背負おうとしてくれたレオに、血で血を洗う世界には行ってほしくない。名声などほしくない。それはレオと私の総意だ。相違なき総意だ。

 

 だからレオじゃない「英雄」が必要になった。

 

 ワイバーンを討伐して、去っていく「英雄」が。

 

「今更、どうして?」

 

 そんな英雄、レオポルドの正体を知る者はごく僅かだ。私の叔父さんふたり、背負子のユーフォミーとその保護者、冒険者ギルドのギルド長、ギルド長が信頼している側近の数人、それだけ。

 

 マリマーネには、あとで「レオ君なんでしょう?」と聞かれたけど答えなかった。それを知ることは、お互いの「得」にはならないと説得した。それでもう、答えたようなものだったけれど、マリマーネは「わかった」とだけ言い、沈黙を約束してくれた。

 

 漏洩があったとするなら、背負子のユーフォミーか、最後のマリマーネが怪しいが、そこから漏れるなら三年というタイムラグはおかしい。最初の一年は、すぐにでも南の大陸へ逃れられるよう、準備していたが、それももう不要と判断し、やめている。

 

「漏洩がなかったとすれば、考えられるのは、王国が新たな“魔法使い”を見つけた……とかかな。例えば、遠隔透視能力(クレヤボヤンス)の魔法は、通常遠くを見るだけの魔法だけど、任意の探しモノを探知できる魔法、千里眼みたいな能力も、どこかには存在しているかもしれない」

 

 英雄レオポルドなる人物は今どこで何をしているのか……そんな曖昧な探し方で正解へと辿り着く魔法が、ないとは言い切れない。

 

「まさか……そんな……」

 

 魔法……未知の魔法を想定したらなんでもありになる。なんでも起こり得て、対策のしようがなくなる。最悪、精神感応(テレパシー)の使い手、いわゆるテレパスの類がやってくるのだとしたら、秘密などはもう、無意味になってしまう。

 

「やってくるのは灼熱のフリード。有名人だね。今は王国軍のお偉いさん。なら……当然ひとりじゃないよね。私が“魔法使い”を警戒しているのは、そういう理由」

「……叔父さんはなんて?」

 

 コンラディン叔父さん、リゥダルフ叔父さんは、私達とはもう運命共同体だ。リゥダルフ叔父さんは王国の騎士だから、巻き込むには不安も感じたが、その性格をよく知るコンラディン叔父さんが、恩や義理を忘れ、裏切るような奴じゃないから大丈夫と言って引き込んだ。公の中にもひとりくらい、味方がいた方が良いとも言っていた。

 

「リゥダルフ叔父さんは、楽観的。灼熱のフリードが、最初にコンタクトを取ったのがリゥダルフ叔父さんだったんだって。その時の感触だと、私に話を聞きたいというのは、あくまでも本当に“話を聞きたい”というだけで、何かを疑っている感じでもなかったとか」

 

 ただ、リゥダルフ叔父さんは、コンラディン叔父さんほど世俗に(まみ)れていない分、やはりどこか楽観的……というか、人の悪意というものへ鈍感な気がする。

 

「コンラディンさんは?」

「コンラディン叔父さんは、多少背景を探ってくれたみたい」

「なんて?」

「私達、三年前、一回ボユの港に逃れてから、王都に戻ったじゃない?」

 

 あの時は、レオだけを貸してほしいという要請だったけど、私も王都へ行った。

 

 レオの無敵と私の無敵、その両方が合わさってこそ、安全に飛龍(ワイバーン)が狩れたのだから、それは当然の選択だ。

 

 私達は王都で、空からは遮蔽物で見えにくい位置に()もり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動して、そこからレオの「斬撃」を発射した。

 

 私の魔法は、周囲にある程度の遮蔽物があっても問題なく使える。その向こうへ力を届かせることができる。そして罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は結界そのものでもある。つまり、私とレオが協力すれば、安全圏からいくらでも「無敵」の剣を(ふる)えるのだ。無敵の要塞から、無敵の斬撃がいくらでも飛んでくるようなイメージだ。

 

 もちろん、特殊な魔法を使う相手と戦う場合は、この無敵が有効かどうかを見極める必要があるのだろうが……。

 

 王都を襲った飛龍(ワイバーン)に、特殊な魔法の使用は認められなかった。ならば危険は何もなかった。物理的な意味では。

 

「そうだね。ラナのおかげで、僕は傷ひとつ付くことがなかった。……それで?」

「王都からここへは馬車だったけど、ここから王都への移動は、私がユーフォミーさん、レオがナッシュさんの馬へ乗って行ったじゃない?」

 

 ちなみに、マイラはここに置いて行った。ついて行きたそうにはしてたけど、流石に連れてはいけなかった。

 

「そうだったね」

「英雄、レオポルドは、南の大陸から王都へやってきた、そういうことになっているでしょう?」

「西の同盟国出身ということにすると、調べられた時に嘘がバレる、だから南の大陸出身ということにしたんだっけ?」

「うん。南の大陸には統一国家がないから、調べようがないって」

 

 その辺は、冒険者ギルドの、ギルド長さんの発案だったかな。

 

「南の大陸から来た英雄が王都リグラエルへ向かう場合、ボユの港からの道を通っている可能性が高い。戦時中、この街道は王都の兵站ラインだった。ボユの港からの物資を王都へと届ける補給線、生命線。ロレーヌ商会もその一部を担っていたし、中でも貢献は大きい方」

「なんとなく、話が見えてきた」

「うん。なら、英雄レオポルドについて何か知ってるか、目撃した可能性がある。三年前にも、これへ携わっていた商会には、英雄レオポルドについて何か知っていることがあれば、申し出よって通達が出ていたと思う。当然、私は無視したけど」

 

 嘘を広める、嘘を伝えるというの(「南方系の、髪の黒い屈強な大人の男性なら見ましたよ」であるとか)も少し考えたが、それをしてしまうと、諸々で整合性が取れなくなった時に面倒そうだと思った。

 

 だから完全に、調査に対しては黙殺することにしたのだ。

 

「それを、蒸し返された?」

「というより、灼熱のフリードさんが、最近になってまた調べているんだって」

「うん?」

「きっかけがなんだったのかは、叔父さんにもわからなかったみたい。色々調べていく中で、昔と同じように、ボユの港からの移動経路に注目したってこと……なのかなぁ……」

「なるほど」

 

 いまだに、東の帝国との戦争状態は解除されてない。交戦状態にはないが、停戦したわけでもない。ヒーロリヒカ鋼の輸入が続いていたりして、経済面ではある意味国交継続中だが、緊張が(ほど)けたわけではない。

 

 切り札となるような戦力は、是が非でも欲しいモノだろう。だから英雄レオポルドを調べること、探すこと自体は不思議じゃない。三年の経過は、この状況の打破を願う者にとっては、むしろより強い動因(どういん)ともなり得るのだろう。

 

 けど。

 

「あの時期、私とレオも、ユーフォミーさん達と一緒に王都の門をくぐった。それは公式の記録に残っている。私はロレーヌ商会の人間として、パパへ諸々の相談をするために王都へ行ったことになっている。レオはその護衛。そしてその日程は、英雄レオポルドが王都へと移動したと思われる時期と、一致している」

「まぁ……実際本人だしね」

「そーなのよ~」

 

 そこが、頭の痛い部分だ。何も見てないし知らないと言い張るのは簡単だが、なんせ相手はお偉い魔法使いさん。嘘を見抜く、嘘発見器(ポリグラフ)みたいなことをできる魔法使いがいたらそれでアウトだし、もっと直接的に秘密を(あば)く方法だって、無いとは言い切れない。

 

 そしてこの嘘は、見抜かれたら、かなり面倒なことになる種類の嘘だ。

 

 英雄レオポルドは、外国人であるという設定だからこそ、許されていた部分がある。

 

 王都に多くの被害が出てからの参戦というのも、遠くから時間をかけ、やってきたのだとすれば、それは「仕方無い」。

 ユーマ王国に、取り込まれるわけにはいかなかったから、だから何も言わず去って行ったことも「仕方無い」。

 

 だけどこれが、そもそも王都民であったとなると、厄介なことになる。この「仕方無い」が反転してしまうからだ。どうしてすぐに戦おうとしなかったのか、国民の義務を果たそうとしなかったのか。

 

 どうしてその力で祖国に貢献しようとしないのか。

 

 それにレオは……スラム街出身だ。王都民は、多くがスラム街の住民へネガティブな感情を持っている。ゴミ漁り、窃盗等で迷惑をかけられているし、毎年何回かは臭嵐(しゅうらん)に襲われ、その対応にも追われるからだ。

 

 英雄が、そこから現れたと聞いて、浮かぶ感情はポジティブなものばかりではないだろう。

 

 最悪、「参戦が遅かった」ことを理由に、反逆罪であるとか、何かしらの理由をつけ処分される可能性まである。それは極端にしろ、軍へ徴用されることはほぼほぼ確実だ。

 

 王国と帝国は戦争状態のまま、しかし具体的な争いは何もないまま三年が過ぎている。

 通常は往復するだけで一年近くかかる距離を、何かしらの魔法で半年に縮め、何かしらの交渉を行っているらしいが、賠償金を支払えと要求する王国と、王国は帝国に臣従せよと説く帝国……話し合いになるはずもない。

 

 王国には帝国へ攻め入る手段がない。同じ大陸にあって、地続きであることから道は繋がっているとも言えるが、東の森の大迷宮(ダンジョン)は、モンスター大襲撃事件時の比ではない数、モンスターが生息する深い森だ。おそらくは数千でも足らない。数万、数十万という規模の危険がそこにある。

 

 帝国が、どうやって数百というモンスターを王都周辺に配置したのか、それも不明だ。だがその事実より確実となるのは、帝国の方が、王国よりも、モンスターの扱いに慣れているということだろう。そういう魔法……というか特殊技能の持ち主がいるのかもしれない。

 

 王国が帝国に有利な点は少ない。だが三年前に、王国は帝国の卑怯なる襲撃を退けている。英雄レオポルドの力を借りて。

 

 その力は、やはりまともな思考の持ち主であれば是が非でも、死に物狂いで、己の生存を賭け、取り込もうとするだろう。まともな思考の持ち主であれば。……この世にはゲリヴェルガ伯父さんのような人間もいるから、それも確実とは言えないけれど。

 

 どちらにせよ、私はレオと離れたくない。

 

 どちらにせよ、私はレオを軍人になどさせたくない。

 

 だからこそこれは、頭の痛い問題だった。

 

「どうするの?」

「会わないわけにはいかないでしょ。お偉い軍人さんが、公務の範疇で行う、正式に依頼された面会だよ? 多少の遅延は認められるかもしれないけど、いつまでもというわけにはいかない。遅れれば遅れるほど心証も悪くなる」

「逃げる準備は?」

 

 しておく? と、冗談めかすでもなく、レオが私へ聞いてくる。

 

 最初の一年はしていた、南の大陸への逃亡の準備。不要と判断し、中断させていたそれを復活させるかどうか……レオが聞いているのはそれだ。

 

「必要……かもね」

「そう、わかった」

 

 短い言葉、それだけで私達は決断する。

 

 いつでも逃げられる準備を。

 

 この国を捨てる準備を。

 

 

 

 

 

 

 

 目を閉じ、求める。

 

 何も言わず、意を汲んだレオの唇が、その温度が、私のそれへと重なる。

 

 ふんわりとした優しいキス。溶けるような幸福感と安心感。

 

 それだけで私は私を取り戻せる。

 

 自暴自棄になるあたしではなく、幸せに生きたいと思える自分を。

 

 

 

 

 

 

 

 戦いたくない。

 

 戦いたくはない。

 

 かつて守り、救ってあげたその国が、自分勝手な、だけど人間の心を考えればとても切実な理由から私達に敵対し、傷付くのを見たくない。マリマーネも、ユーフォミーも、殺したくはないから。それをして私自身が傷付きたくないから。

 

 だから私達はそれから目を背け、離れる。

 

 この世界が、壊してもいいモノだなんて、思いたくはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私にはレオの存在が、心が、唇が……その離れることのない結びつきが、必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 だけど、世界はいつか終わる。

 

 王都が、三年前に、突然地獄へ()み込まれたように。

 

 永遠と思っていた世界は、唐突に崩壊することがある。

 

 それはおそらく、唐突でも、突然でも、突発的でもなくて。

 

 全てが連結していて、レールの上を進んで行けばいずれ辿り着く必然であり。

 

 

 

 陳腐でチープな言葉を使えば。

 

 

 

 それは、運命だった。

 

 

 



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epis46 : MAD QUALIA [may cry?]

 

「紹介しよう、こちらがジュベ、そちらがノア。どちらも(それがし)の弟子のようなものだ」

「よ、よろしくおねがいします」「よろしくです」

 

 灼熱のフリードは、ふたりの少女を伴ってやってきた。

 ふたりとも、年の頃は私達とそう変わらない。なんだろう、微妙に推定前世の、高一の夏を思い出す。補習で初めて別のクラスのおちこぼれと会いました、みたいな。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「どうも、よろしく」

 

 順番に、三人と握手をかわす。レオもそれに(なら)う。

 

 私は、例の恐怖症から、灼熱のフリード……フリードさんの時は少し腰が引けてしまったが、まぁこちとら、本来軍のお偉いさんなんかには縁がないはずの乙女だ。不自然というほどでもないだろう。それに、向こうのジュベという女の子も、引っ込み思案なのか妙に怯えた様子だったし。

 

「こちらはレオ、当店の従業員のひとりで、先にもお伝えした通り、三年前には私と共に、何度かボユの港と王都を行き来しました。同席をさせても?」

「もちろん」

 

 ここはロレーヌ商会ボユの港支店、その応接室のひとつ。建物の最上階、四階にあって、壁際には大きな窓があり、彼方(かなた)には水平線が見えている。解放感のある造りだが、窓を閉めれば一応外へは音が漏れないような造りになっている。

 

 でも、今は敢えて少しだけ窓を開けていた。あんまり、密談という雰囲気にはしたくなかったから。

 

 しばらく、私がロレーヌ商会会長の一人娘であること、今はこちらの支店で雑務を任されていること、等々を説明して全員へ着席を促す、言ってみればお定まりの儀式をこなす。

 

「どうも、ご丁寧に」

 

 灼熱のフリード……さんは、思っていたよりも温厚そうな人物だった。

 

 身長は百七十五センチ(175cm)くらいだろうか? 横幅はさほどでもないが、痩せているというほどでもない。額は広くなってしまっているが、堀の深い顔と、白髪混じりの長い金髪には清潔感が漂っていた。どこか、魔法使いというよりかは、年とともに味の出てきた一流役者といった風貌だ。

 

 それに、まず、私がほとんど「(にお)い」を感じないという時点で好印象だ。五十二歳と聞いていたから、年齢的なものかもしれないが、そうであるにせよないにせよ、これから私が、頭をたくさん使って、たくさん嘘をつく必要があるこの場においては、好都合でもあった。

 

 フリードさん、次に私、ジュベという女の子の順に席へ着く。でもレオとノアという女の子だけは、立ったままだ。ノアという少女は、私よりも十センチくらい背が低い。レオと並ぶと、頭ひとつ分は違うその小ささが目立った。

 

「ノアは護衛も兼ねているのでな。そちらのレオ君も、帯剣しているということは、そうなのであろう?」「っ……」

 

 既に座っていたジュベという女の子が、どうしたことか、そこで一瞬、身体をびくっと震わせる。おどおどした表情の割に、こちらは猫背を伸ばしたら、私よりも十センチくらいは背が高そうだった。

 

「ええ……まぁ」

 

 逆じゃないかと思うけど、身長百六十五センチ(165cm)くらいのジュベという女の子が魔法使い、身長百四十五センチ(145cm)くらいのノアという女の子が前衛職、そういうことらしい。もっとも、ジュベの方はゆったりとした紺のローブを着ていて、ノアの方は無骨な革鎧とごつい金属製のガントレットを装着しているから、そっちの印象は裏切っていないんだけど。

 

 ただ……ノアが腰に下げてる武器は剣でなく斧だった。小振りな、投げ斧(トマホーク)のようなものを四本差している。全体的には小柄な身体に、それは結構なミスマッチにも思えた。

 

「王都では警備兵、警邏兵(けいらへい)のいる生活が普通でしたから、護衛がいないと安心できなくて」

「なるほど、そういう王都民は多いかもしれませんな」

 

 適当なことを言うと、灼熱のフリード……フリードさんは、前のめりになりながら同意を返してきた。そんな、勢い込んで同意されるようなことだったかなと思ったが、どうやらそれが、フリードさんが座して語る際の、スタイルであるようだった。

 

 老いてなお活発で、前のめり。(くさ)くないからといって油断はしないほうが良さそうだ。

 

「それで、今回ご訪問の件についてですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくは、予想通りの質問が続いた。

 

 三年前、王都とこの場所とを行き来してる際に気付いたことはあるか、戦時下の王都で何かを見なかったか、南の大陸について知っていることはあるか、他、細かいことでもいいので英雄レオポルドについて知っていることがあれば教えてほしい、などなど。

 

 もう、三年前のことになりますから、細かい違和感などは覚えていません。ワイバーンが墜ちる瞬間なら目撃しました、ですが、それを成した人物については……ごめんなさい、見ていません。ウチは自前の船を所持しての取引ではないので知りません。英雄レオポルドがいかな人物であれ、私は感謝しています。……等々(とうとう)答えつつ、私は、事前にやると決めていたことを実行する。

 

 昨晩、私は大きな鏡の前でレオに抱いてもらった。

 

 ものすごく恥ずかしかったが、まだ一日も経ってない今、乱れる自分の姿はクリアな映像として思い出せる。

 

 私は質問に無難な答えを返しながら、脳内にそれを流した。

 

 目の前にいる三人の、誰かが心を読む人間(テレパス)であったならば、流石に多少の反応ぐらいは出るだろうと読んでの作戦だ。ちなみに、レオの顔はあまり映らないよう、角度を少し調整、してはみたが……なんせ私の脳内だ、鏡には映っていなかった部分も、勝手に補完されてしまっているかもしれない。最近の私の脳内は、いつもレオのことでいっぱいになってしまっていることだし。

 

「ほうほう、ふむふむ」

「ええ、ええ、王都との往復の中で見かけた馬車は、皆、名の知られた商会のものばかりであったと記憶しています」

 

 そんなわけで、かように変態じみた作戦を臆面もなく実行した私ではあるが、さすがに相手が完全に無反応のまま、数分くらい経つと、これは警戒のし過ぎだったかなと莫迦(バカ)らしくなってしまった。

 

 もちろん、相手がテレパスだった場合は、かなり過激な手段に出る必要があるから、その確認は必須なのだけど、過激な手段に出なくて済むよう、別の意味での過激な手段を採るって、それはどうなんだって、今更ながらに思う。

 

 冷静に考えても、一番確実に反応を引き出せる方法はこれだろうと思うけど、他になんかなかったんかいと、自分でも思う。

 

 まぁ、やってしまったことはもう仕方無いし、さすがに○○○で●●●したり、×××を★★★られ◆◆◆ている映像を流して、この無反応はないだろう。テレパスはいないと観ていい。お前は見られるのが好きなのかと、(ののし)られそうな変態ならいたけど。

 

「なるほどなるほど、参考になりました」

 

 羞恥で顔が(あか)くなっていなければいいのだけど……と呑気なことを考えつつ、いつまで経っても鋭くならない質問へ答え続けていると、唐突にフリードさんが質問を打ち切った。

 

 え、もう終わり?

 

「もう、よろしいのですか?」

「うむ、私からは以上だ」

 

 なんだか拍子抜けだ。鋭い質問にも即座に答えられるよう、それなりの準備をしていたのに。

 

「そうですか、お役に立てたのであれば、良いのですが」

 

 ともあれ、無事に終わってくれるというなら願ったり叶ったりだ。立ち上がるフリードさんに、私も立ち上がって一礼(いちれい)をする。

 

 が、そこでフリードさんは、よくわからないことを言い出した。

 

(それがし)はこれで退席するが、ジュベとノアからもいくつか質問があるらしいので、少し答えてやってくれまいか」

「……え?」

「なに、大したことではない。ジュベとノアも軍属だが、今回の件はそも聞き取り調査であって、尋問でも審問でもない。答えられぬならそれで構わん、聞くだけ聞いてやってくれまいか」

「はぁ……」

 

 よくわからないが、そう言ってフリードさんはさっさと部屋を退室していってしまう。おいおい、護衛も置いていくのかい? ノアって子が冷たい目で見送っていますけど。

 

 なんだかよくわからないが、そうして部屋には、不安そうな顔でオドオドしているジュベと、冷たい感じのするノアという少女が残された。

 

 先生は職員室で涼んでくるから、お前達はそこで自習してろよって言われた気分だ。

 

 まぁ……いいか。

 

 ならもう、残った質問にもとっとと答えて、この時間を終わらせようじゃないか。

 

 私はそう思い直して、ジュベという少女の方へと向き直った。

 

「ええと、それでお尋ねしたいこととは?」

「っ……」

「?」

 

 おいおい、大丈夫かな、この子。

 

 ジュベは、吐き気でも堪えているのか、随分と顔色が悪い。年の頃は十五か六か七か、それくらい。雰囲気は地味めだけど、薄く化粧をしてるし、髪も手が込んでいる。元々は茶髪っぽいが、それに毛先だけパーマをあて、内側は黒く染め、外側は軽く脱色することで立体感を出している。なんていうか、地味な子が頑張ってオシャレしましたって感じが凄い。王都から遠出するにあたって、気合でも入れたのかな?

 

「ぇ……ぇと」

 

 緊張をほぐすよう、冗談でも言った方がいいのだろうか。いや初対面でそれはリスクが高いか。無難に雑談、天気の話でも始めるか?……あ、まずい、ここにきて根っこのコミュ障気質が。

 

「大丈夫ですか?」

「っ……」

 

 ノアという子の方も、最初に挨拶をしてからずっと言葉を発していない。無口なのか、それともこれはこれで口下手なのか、それはわからないけど……気まずい。

 

 そんな風にかなり空気が淀んで数十秒か数分が経ち、けど、やがて耐え切れなくなったといった様子で、(ようや)くジュベという女の子の方が口を開いた。

 

「その……レオさん、のご出身は、ど、どちらですか?」

 

 ……レオの方を向いて。

 

「え、そっち?」

 

 反射的に、え、この子、レオ狙い? と、随分と俗っぽい反応が、自分の(うち)に発生する。

 

 まぁ、最近のレオは結構モテたりもする。なんせビジュアルがいい。私の(そば)にいる間はそうでもないが、マイラの散歩に出かけたりすると婀娜(あだ)っぽい港町の女性に声をかけられたりもするらしい。当然相手にはしないらしいが、中にはレオが接客をしている時分(じぶん)を見計らって支店へ買い物に来るツワモノもいるらしく、私としては売上への貢献ありがとう御座います、でももう二度とくんなって心境ではありますですよ。

 

 ……そういえばマイラはまだ元気だ。老犬のはずなのに、寿命が近いはずなのに、全然そんな感じがしない。元気で、矍鑠(かくしゃく)としていて、今も毎日数回散歩へ行く。

 

「どうする? ラナ」

 

 答えた方がいい? とレオが暗に聞いてくる。

 

 レオのカバーストーリーは、一応ある。商売で下手を打ち、首を(くく)ってしまった旅商人の、遺児ということになっている。その外見等を私が気に入って小間使いにし、剣術の才能があったから今は護衛として(そば)に置いているという流れだ。

 

 夢の世界においては、それはそれで許されない、王都においても貞淑(ていしゅく)(むね)とする方面の方々には眉を(ひそ)められる、そうした設定だが、私の評判なんて、もうどうでもいい、もうどうだっていい。私は不道徳者ですが何か?

 

 私達に肉体関係があることは事実で、今更、それを隠すつもりもない。許されないと思うなら思え、眉を顰めたければ顰めろ。私にはレオが必要だ。空気のように、水のように、当たり前のようにそこにあってくれないと、私はきっともう死んでしまう。

 

「レオは、本当に小さな頃は、どこか小さい街に住んでいたようです。母親の記憶はなく、おそらくは父親の縁戚(えんせき)、その誰かの家に預けられていたのでしょう。しばらくして、面倒を見切れないとそこから追い出されたレオは、旅商人である父親の行商に加わることになったようです」

 

 本人の記憶が曖昧なので、その辺り、出身がどことも言い切れない……彼女達へ、私はそう説明をする。

 

「そう……ですか……」

 

 するとジュベは俯いて黙ってしまう。おい、なんだったんだ今の質問は。

 

「聞きたいことというのは、それだけですか?」

 

 フリードさんは、「いくつか」質問があると言っていた。何個かあるんじゃなかったの?

 

「ねー、あんた達って、恋人?」

「は?」

 

 すると、今度はノアの方から随分とブシツケな質問が飛んできた。

 

「それが、英雄レオポルドの件と、何の関係が?」

「有るといえばあるし、無いといえばないかな。レオ君って本名はレオポルドだったりしないの?」

「は?」

 

 そういう質問は、あるとは思っていた。名前の相似(そうじ)は、誰にでもわかる怪しさだ。返答も用意していた。

 

 まさか、フリードさんがいなくなってから聞かれるとは思っていなかったけど。

 

「レオ、それ自体がありふれた名前ですし、レオポルドも、それの南の大陸風というだけではないですか」

「うん、私のパパもレオポルドって名前です。パパは南の大陸出身で、十五くらいの時にこっちへ渡ってきたんだけど、地元には何人もいたらしいです、レオポルドって名前の人が」

「そう、ですか」

 

 ノアは南の大陸の血を引いているらしい。言われてみれば、その青みがかった黒髪と小柄な身体は、確かにその雰囲気を感じさせる。ついでにいえば、革鎧でわかりにくいが、その下のそれも、大きくはなさそうだ。女性向けに、胸部装甲な部分を盛り上げた鎧もあるが、ノアのそれはそうなっていない。ジュベの方は、それなりのモノをお持ちであることがゆったりとしたローブ越しにもわかる。随分とわかりやすい凸凹(デコボコ)コンビだ。

 

「レオは三年前、十一歳ですよ?」

「そうね、今が十四歳? それくらいに見えるわ。ちなみに私は十五歳。ジュベは十七歳。ここからは私が話してもいいですか? ジュベは少し口下手で、してほしいことを言わせるのに、いつも苦労するくらいですから」

 

 いやあなた達の年齢は聞いてない。……ふたりの関係についてもだ。

 

 なんていうか……私の勘が、このふたりは()()()()()であると告げている。男の(にお)いは皆無であるにもかかわらず、ほんのりと蜜のような香気が漂っている。お互いへの視線、そして意識の絡め方、交わし方に「その雰囲気」を感じてしまう。

 

 同性愛を否定する気はない。好き勝手にやってくれとは思う。けど、人前ではもう少し()してほしいとも思う。私達だって、周囲に言われてからは控えているんだぞ、人前で抱き合ったり、キスしたりするのは。すまぬ。

 

「いいですか?」

「かまいませんが……」

「では、私とジュベの立ち位置の説明から」

 

 なんだかよくわからないけど。

 

「……とりあえずどうぞ」

「はい。私達は、言ってしまえば三年前の戦災孤児です。私達は幼馴染で、戦乱のさなかにあっては私がボユの港、ジュベが西の農村へ避難していたのですが、親は仕事の都合上、王都に残りました。私はママと一緒でしたが、ジュベはおばさ……お母さんも王都に残しての避難でした」

 

 わかりましたと、言葉には出さず頷く。そういう人は多い、ライフラインの維持に必要な職業、職種の人は、国から強制……もとい、要請されて王都に残った。その二割から三割が死んだ。

 

「そう、ですか……」

 

 下手な反応はできない。私の親はふたりとも生き残っている。七割から八割の方だ。それは向こうも知っていることだろう。

 

「ジュベは昔から魔法を使えました。ただ、攻撃的な魔法はあまり得意ではなく、軍に徴用されることはありませんでした」

「……はい」

 

 けど、今は軍にいる。

 

 軍にいて、灼熱のフリードという王国の有名人の下についている。

 

「ですが両親を()くし、家を()くしたことで、ジュベは路頭に迷うこととなりました。王都に戻った私が、ジュベと再会した時には、彼女は不夜城(色街)へ身売りとなる寸前でした」

「それは……」

 

 魔法使いであれば、貴族に雇われるという選択肢もあるのに、なぜ?

 

 私の顔には、そんな疑問がありありと浮かんでいたのだろう、今度はノアの方が頷き、言葉を続ける。

 

「ジュベは、危うい子なんです」

 

 私がちゃんとしてあげないとダメになってしまうくらいに……私は、彼女が実際には言っていない言葉を、その視線、その意識の向け方から察してしまう。今、ジュベの肩にガンレットの手を置いた彼女は、間違いなく心の中でそのようなことを思ったはずだ。

 

「ジュベは、戦闘向きじゃないんです。でも、悪いことを企む貴族には垂涎(すいぜん)の能力を持っている」

「……それは?」

 

 テレパスではない、ないはずだ。なんならレオの●●●●●のドアップとかを頭に浮かべても、特に反応がないのだから。

 

予知夢(よちむ)、です」

「……それは」

 

 マズイと、本能が囁いた。

 

 そうかそれがあったかと、全身に緊張が走る。

 

 予知夢……未来に起こることを、夢で見る能力。

 

 もしそれで、レオや私達の秘密に関わることを夢で見たのだとしたら……秘密は秘密でなくなってしまう。

 

 ――でも、それならこの三年の空白は、なんだ?

 

 ――過去に、王都が襲われる夢を見て、そこにレオの姿を見たのならば、もっと前の段階でなにかしらの動きがあったはず。

 

 ――それから三年、私達は、見られて困るような生活は送っていなかったはずだ。

 

 ――まぁ見られたら……かなり恥ずかしい生活の方は……送っていたかもしれないけど。

 

 ――でも罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)だって、レオの無敵だって、ほとんど使ってこなかった。その必要が無い生活だったから。

 

 ――なら、このジュベという少女は、何を見たの?

 

 ――そもそもそれは、百発百中で未来を見通せるモノなの?

 

 いくつもの思考が、高速で頭の中を通り過ぎていく。

 

「それは……」

「貴族に雇われるには危険な能力、ですよね。今にして思えば、それが帝国に味方して国を売った連中である可能性だってあったわけですし」

「……そうですね」

「もしそんなところへ行っていたら、今ここにジュベはいなかったでしょう」

「……そうかもしれませんね」

 

 ――百発百中でなければ、そんなのは当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦な占いみたいなものじゃないか。

 

 ――なら、まだ確信や確証は何も得られていない。ただ本人と、深い繋がりのある幼馴染だけが騒いでいる状態?

 

 ――でも……今はいないけど……灼熱のフリードも動いている。

 

 ――いや……今は、それよりも問題は……。

 

「どうしてそれを私に?」

 

 ――どうしてこの子達は、今ここで私達にその能力のことを話した?

 

 ――それはテレパスほどではないにせよ、秘密主義には天敵のような存在だ。

 

 ――知らなくていいことを勝手に知ってしまう、隠していることを(あば)いてしまう……それは本来、他人へ気軽に話せるような能力ではないはずだ。

 

「ジュベの予知夢は、不安定なものです。ハッキリとした映像は見えず、夢に見たことが現実には起こらないことも多いみたいです」

「……はい」

 

 ノアが、私の「どうしてそれを私に?」には答えず、能力の詳細を更にまくしたててくる。

 

 ――やっぱり、百発百中ではない、か。

 

 ――ハッキリと見えないというなら、本人にだってよくわからない点も多いだろう。

 

 ――なら、どうしてここへきた? どうして私にこんなことを話す?

 

「三年前、ジュベは王都がモンスターに襲われる夢を見ました。その終結は、金髪の、少年のような背格好の英雄によってもたらされることも」

「それがこのレオであると?」

 

 私がレオへ意識を向けると、ジュベという少女がなぜか「ぁ……ぅ……」とだけ(うめ)いた。

 

 ……あなたも男性恐怖症か何かですか?

 

「顔まではわからなかったみたいです。三年前のジュベは、そのことを誰にも話さなかったそうです。私にも話してくれなかった。ただ、その頃のジュベがいつも不安そうな顔だったことは覚えています。ラナンキュロアさんも、王都の出身でしょ? あの頃、王都がそんなことになると言われて、はい、そうですかってなりましたか? なったとは思えないでしょう? ジュベも、だからそれを誰にも言えなかったみたいです」

「……それは、確かに」

 

 あの頃の王都を、私はよくハロウィンの渋谷に(たと)えたけど、じゃあ誰かが「渋谷は戦場になる!」と言ったとして、それを信じる人はどれだけいるのかという話だ。まぁ別の意味での戦場ではあるんだろうけど、渋谷は。

 

「ジュベは、最近またふたつの夢を見ました」

 

 淡々と、わが子を見守る母親のようなひたむきさで、ノアという少女は言葉を続ける。

 

「ひとつは金髪の、三年前に見た英雄レオポルドと、同一人物であるとジュベが確信できる人物が、王国のものらしき軍隊と戦っている夢」

「同一人物であると、確信できる人物? 王国らしき?」

 

 あやふやな点が多いな。

 

「ジュベの夢は、そういうものなのだそうです。ただ、戦場に立てられた旗には、ユーマ王国のものではないものも混じっていたとかで」

「……なるほど」

「そこで、英雄レオポルドは数万人の兵士を殺します。たったひとりで、かつては王国を救ったその力で、容赦なく、残酷に」

「それは……未来に起きることであれば、由々しき事態と言えますが」

 

 レオなら。

 

 レオなら、確かにひとりで数万人を殺せるのだろう。

 

 でもそれは、実現してほしくない未来だ。

 

「もうひとつは、私が人を殺す夢……だそうです」

「……え?」

「私が斧で、女の子を斬殺する夢なのだそうです。どうしてそうなるのかについては、わからないみたいだけど、その直後に、金髪の少年が女の子に向かって叫ぶその声は、ハッキリと覚えているのだとか」

「ぇ……」

 

 

 

「ラナ!!……少年は、私が殺した女の子に向かって、ハッキリとそう叫んだのだそうです」

 

 

 







 お気づきかもしれませんが、ジュベのこの能力は「予知夢」ではありません。




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epis47 : NAWABARI [was set on] FIRE

 

「ジュベの予知夢は、必ずしもその通りになるものではないんです」

 

 ノアという年下の少女が、真剣な表情で世迷い言を吐いてくる。いや……それは世迷い言というより……()迷い言か。

 

 夜の、夢に迷う妄言(もうげん)なのだから。

 

「私は軍属だけど、人を殺したことは無い……無いの。英雄レオポルドにも、王国の一員として感謝をして、尊敬してきたんだから。その私が、英雄レオポルドに関係する女の子を殺すなんて状況が、どうして訪れるというの!?」

 

 あなた達はどうして私をそこまで追い詰めるの?……そんな風に、彼女は私達を問い詰めてくる。まるで自分が被害者であり、私達がその加害者であると確信しているかのように。

 

 夢の中で人のことを殺しておいて、随分な言い草だなと思った。自分は好き好んで人を殺す人間なんかじゃない、だからそうなる原因はお前達の方にある……そう言いたいわけだ。

 

 その気持ちはわからないでもない。

 

 人を殺すというのは、一線を越えるということだ。その一線は、平和とか、平穏とか、心の平安とか、そういう、普通の人間ならば大事にしたいモノと、そうでないモノとを分ける線でもある。大股で、好き好んで越えたがる人間も少ないだろう。

 

 フィクションの世界でなら、むしろその一線を越えることこそがエンタメである場合も多い。さすがフィクション! 現実ではやれないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれる! あこがれるゥ!……ってヤツだ。私も、ミステリーを読むなら、一時期のKAD●KAWA が推していたみたいな「人が死なないミステリー」よりも、人がバンバン死んでいく本格系の方が好みだ。そして誰もいなくなった系エンディングは好物であるとさえ言える。血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いに結構……ってヤツだ。

 

 でも、それはフィクションの世界だからで、現実に、目の前で人が死ぬというのはもっとずっと大変なことだ。……大変なことだった。

 

 私はそれを知ってしまったし、彼女達も三年前の戦災孤児であるというなら、当然知っていることだろう。

 

「待ってください。予知夢は、絶対じゃないんですよね? それを根拠に、言いがかりを付けられても困ります」

 

 だから私達はどちらも、そんなものは背負いたくない。

 

 だから私達はお互いに、こうしてそれを押し付けあっている。

 

「ジュベは嘘なんかつかない!」

「いえ、その予知夢を見たという、そのこと自体は疑っていませんが……」

 

 どうやら、ノアという女の子は、人の話をちゃんと聞かないタイプらしい。

 

 こういう人は苦手だ、自分の言いたいことだけを喋り、相手が自分の期待した通りのリアクションを取らないと裏切られた、傷付けられたと主張してくるから。

 

 私が年齢ヒトケタの頃、嫌らしい笑みで近付いてきた小母(おば)さん達は、みんなその手の人間だった。

 

 でも、私ももう年齢ヒトケタの幼女なんかじゃない。

 

「落ち着いてください。もう一度言いますが、三年前、レオはまだ十一歳です。十一歳の少年がユーマ王国の救世主だったと主張するつもりですか? レオが英雄レオポルドであるという確信も、無いのですよね? ラナンキュロアという名前は多少珍しい方だと自覚していますが、単にラナというだけなら、そこまで珍しくもない名前です。それだけで決め付けられても……」

「証拠を出せって言うの!? それこそ真犯人のセリフでしょ!!」

 

 いえ、証拠を出せとも言っていないのですが……。

 

 やっぱり人の話を聞かないなぁ……最初から、話をする気もないのかもしれないけど。

 

 んー……こちらがキャッチボールをしようとしてるのに、相手はドッヂボールをする気マンマンってところ? もしくは雪合戦? 今は夏だよ?

 

「話になりません。これ以上おかしなことを(おっしゃ)られるのでしたら、当方に答える義務はないものとさせていただきます」

「逃げる気!?」

 

 逃げる気……か……どうしたものだろう。この疑惑が、ジュベと、ノアという子達の、(ひと)()がり(ふたり善がり?)なら、まだ逃げる必要はない……ような気がする。

 

 ロレーヌ商会は大きくなった。私はそこの一人娘だ。王国軍そのものが本格的に疑惑を向けてくるならともかく、下っ端の、女の子ふたりの言っていることなどは簡単に握り潰せる。コンラディン叔父さんも、リゥダルフ叔父さんも、親身になって協力してくれるだろう。伯爵家の伯母さんにだって助力を願える。

 

 レオが数万人を殺すだなんて……そんなことがありえるとしたらよっぽどのことだ。どうも、そちらの「予知夢」の方には「私の気配」が無いように思える。時系列が、語られた順番とは逆になるが、私は、レオが「そうなる」前に死んでしまっていたのではないだろうか? 私の死に、レオが暴走した、ユーマ王国へ復讐しようとした、だから王国とは完全に敵対してしまった……それはそういうことではないか?

 

 なら、その未来を避けるもっとも簡単な方法は、ノアが、ジュベが、フリードが、軍が、ユーマ王国の中枢が、私達に関わらないでいてくれることだ。

 

 平和に、平穏無事に、心の平安を大事にして生きていきたい。

 

 いつかレオの子を産んで、育てて、その巣立ちを見守って、おばあちゃんになってから死にたい。某丁稚な未来の旦那様が戦時下で行方不明となり、将来の不安がひとつ減った今の私は、そういう未来を夢見ている。

 

 変なちょっかいさえなければ、私はきっと、これからずっと、そこへ向かって邁進していくことだろう。

 

 だからノアがやっていることは、おそらく逆効果だ。彼女は彼女なりに、大事にしたいモノがあって、それを守るのに必死で、よりよい未来を求めているのだろうけど。

 

 それこそが余計だ。

 

 つまり、このふたりはなるだけ遠ざけ、無視するのが正解だ。

 

「逃げるもなにも、ここは当商会の店舗です。商店には、相応(ふさわ)しくないと判断した相手のご利用を拒む権利があります。敷地内より排除する権限を持ちます。ご不満がおありでしたら後日、書面にてどうぞ……その手はなんですか? ここで私を、その腰の物で害するつもりですか? そうしてご友人の能力の有効性を証明したいとでも?」

「っ……」「ノア……」

 

 レオが剣の柄に手をかける。斧の柄に手をかけたノアへ対抗してのものだ。

 

 場が一気に緊張する。

 

 私はレオを信用している。ここで私が害される可能性はない。私が斬られ、レオが私の名を叫んだというのは、おそらくもっと特殊な状況だ。その意味で警戒すべきは魔法使いであるジュベ。特殊な魔法を使われてしまうのが、一番怖い。

 

 しばし、二対二のにらみ合いが続いて……。

 

「ラナ」

「え……あ……」

 

 だが、そうしている中、唐突に場の空気が変わる。

 

「あ」

「これって……まさかっ」

「ああっ……」

 

 それは、雰囲気が変わったであるとか、ムードがチェンジしたであるとか、そういった比喩的な意味ではない。

 

 本当に、空気が違うのだ。空気に、ピリとした刺激臭が混じっている。

 

 いつの間にか、空気の(にお)()()()()()剣呑()()()()()()()()()()()()()()()

 

 直後、階下が一気に騒がしくなる。

 

「火事だぁぁぁ!!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

「逃げろぉぉぉ!!」

 

 店は閉めていたが、常駐スタッフの何人かは残っていた。そのうちの誰かであろう、聞き覚えのある声だ。

 

「……やってくれたわね」

「はん」「ノアぁ……」

 

 今はもう、ここにはいないもうひとり、招かざる客、()()()フリード。

 

 これは、ここにおいてその力が、行使されてしまったということだろう。

 

 穏やかな紳士面(しんしづら)の、その下には過激派のような顔が潜んでいたらしい。

 

「あはっ! フリード様の裁定も有罪(ギルティ)だったみたいね! ええ、やはり疑わしきは罰せよ、ね! じゃっ、私達はここでオサラバさせてもらうわ! さようならっ!」「あっ!」

 

 ノアが、ジュベの手を取って窓へと向かう。

 

「ん……」

 

 正直、軍にいる割には洗練されてない動きだ。遅い。

 

 だが……レオは動かない。向こうから手を出してこない限りは何もしない、それが事前の取り決めだ。おそらくは灼熱のフリードが店に火をつけた。それは、手を出されたことに入るのか……レオは、一瞬チラッと私を見たから、どうするか迷ったのであろうが、何も言わぬ私の様子に、静観を決めたようだ。

 

 灼熱のフリードが明確に敵対し、フリーの状態になっているなら、あのふたりを害してしまう方が危ない。叩くなら合流後だ。咄嗟にそう判断し、()()()()()()()()()()()()()()()()へと運命を託す。

 

 ノアは、腰の投げ斧(トマホーク)を抜き、窓へと投げた。そんなことをしなくとも、女の子ふたりが通れるくらいなら、窓は開けてあったのだが……しかし大きな破砕音が響き、窓ガラスは割れ、ふたりはそのまま窓の外へと飛ぶ。

 

 ジュベから魔法の気配はなかった、どうするつもりだろうか……だが私達が今、窓へ駆け寄るのは危険だろう。何をされるかわからない。

 

 火事を起こされるというのは、想定済みのシチュエーションだ。()()()()()()。まさかこの段階で、初手に使われるとは思ってもみなかったが、起きてしまったのなら仕方無い。

 

 極端な例だが、私達がふたりを追い、窓から飛び出すというのは悪手だ。ここは四階の部屋だし、その高さをどうにかしたところで、落下地点には有名なその空間支配系魔法「灼熱」を発動したフリードが待ち構えているかもしれない。飛んで火に()る夏の虫にはなりたくない。

 

 協力者のひとり、コンラディン叔父さんは、かつて私達が敵に回った時、どうやって相対すればいいかを考えていた時期があったらしい。この、飛んで火に入る夏の虫作戦は、灼熱のフリードの協力が得られるなら、最も有力と思えた作戦だったらしい。移動しながら魔法を発動することができない私、叔父さんの認識では「近接攻撃最強」でしかなかったレオ。そこから導き出される答えとしては、なるほどといったところだ。

 

 そんなことを考えていた叔父さんに、思うトコロが無いわけではないが、私はもう叔父さんを疑っていない。考えていた作戦は全て白状してもらった。その深謀(しんぼう)は、憂慮(ゆうりょ)は、杞憂(きゆう)となった今もこうして私の役に立ってくれている。

 

「きゃっ!?」「む」

 

 ガヂャン! と、大きな音がした。次に、ガガガガガっと、何かが削れるような音と振動。おそらくはノアが、この建物の壁に斧を穿(うが)ち、そのまま滑るように降りていっているのだろう。どこのアクション俳優よ、まったく。

 

「床から煙が……」

「早い。さすが魔法の炎」

 

 もう、あまり時間はないようだ。私はすぐに魔法の発動準備へと入り、かっきり十一秒後、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動させる。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は半径十メートル、直径で二十メートルくらいの空間を割り、支配する。土の上であれば足元より下、地下の方向へはあまり支配の手を伸ばさないが、意識すればそちらを優先して支配することも可能だ。今はそうした。

 

 事前に想定し、備えていたことだから、私達は黙々と脱出の手順をこなしていく。ワープ機能は、人体へ使うのはあまりよろしくないのではないかという仮説がある。実験もしていない。だからここで実行するのは、もっと原始的な手段だ。

 

 割った空間を、まずはある程度まで統合し、それから中が空洞になるよう、少しづつ解除していく。少しづつ、下へ向かって伸びていくトンネルを作るイメージだ。その中を、私達はゆっくりと降りていく。

 

 気分はあれだ、ス●ルバーグの名作、E.●.の終盤にも出てきた防疫トンネルの中を進んでいくイメージ。まぁ進行方向が横じゃなくて縦だからだいぶ違うけど……。

 

 途中、床とかがあるから、そこを「切断」する必要はあったが、それ以外は特にどうということもなく、数分もかからずに一階の裏口方面へと辿り着いた。野次馬は……いない。それが集まっているのは、正面入り口方面だろう。こちら側には燃える物もないから、火の手も上がっていない。

 

「ラナちゃん」

 

 そこに、コンラディン叔父さんが待っていた。手筈通(てはずどお)りだ。

 

「ユーフォミーと、ナッシュさんは?」

 

 三人の協力者とはコンラディン叔父さんと、あとはユーフォミー、ナッシュさんだ。リゥダルフ叔父さんにも声をかけたが、職務の都合上王都からは離れられなかった。

 

「灼熱のフリードを追った」

「ナッシュさんはともかく、ユーフォミーはまだ同僚でしょ? それも階級がだいぶ上の。いいの?」

「問答無用で放火だぜ? 緊急逮捕案件だよ」

 

 ナッシュさんは怪我を理由に軍を退役しているが、ユーフォミーはまだ軍に在籍している。

 

 が、ふたりは「こちら側」だ。三年前、私達が王都を救う、その瞬間を最前線で見ていた。それに何を感じたのか、以後、ふたりは私達に味方してくれるようになった。こちらは、秘密をばらすような相手なら始末しなければと考えていたのに、それが莫迦莫迦(バカバカ)しくなるくらいには単純で義理堅い連中だった。

 

「逮捕……そんな単純に、いくでしょうか?」

「ま、姉さんの力を使って、やっとゴリ押せるかってところかな」

「……ご迷惑をおかけします」

「いいって、三年前の借りが(ようや)く返せそうだ」

「ユーフォミーさんは……」

「あいつらはどうとでもなる。ラナちゃんは気にしないでいいよ」

「……はい」

「さ、行こうか。走るのは目立つ、ゆっくりと歩こう」

「はい」

 

 ユーフォミーは現在、王国軍の中において特殊な立ち位置を獲得している。

 

 魔法使いは、軍に徴用された時点で下士官扱いとなる。出自により、その中においても序列はあるが、使い捨てにされるような兵卒ではない。それはそうだ、軍に徴用されるくらいの魔法使いは貴重なのだから。

 

 何をしなくとも佐官クラス、少佐とか中佐とか大佐とか、それくらいの地位には(のぼ)っていくし、功績が認められれば将官クラスともなる。事前の調査によれば、灼熱のフリードには少将か准将、それくらいの地位が与えられているらしい。

 

 ユーフォミーは階級でいったら伍長、下士官の最下級ではあるが、そこはまぁ魔法のある世界の魔法使いの扱い「らしい」というか、兵卒を束ね、指揮する必要はないし、かなりの自由が与えられている。ユーフォミーは中でも突出して「自由」だ。

 

 まず、今、このボユの港にいるという時点で自由すぎる。王都に駐留していないのだから。

 

 王都においては、内向きの治安は警護兵、警備兵、警邏兵(けいらへい)らの警官が守っている。騎士や軍人などはその任にあたらない。これは、モンスターの大襲撃事件があってからはより顕著となった。騎士や軍人などは外からの攻撃に対し備えるのが仕事。王都の復興、復旧工事などが盛んだった頃は人足(にんそく)として働くこともあったらしいが、それが落ち着いてきた今となってはとにかく訓練、魔法使いであれば研究の日々らしい。

 

 それはつまり、いずれ始まるかもしれない、帝国との戦争に備えよ……ということだ。まぁ名目上は三年前からずっと、戦争状態なのだけど、王国と帝国は。

 

 そんなわけで軍の魔法使いには、それが下士官クラスであっても、今ではかなりの裁量権(さいりょうけん)が与えられている。魔法使いを鍛えることなど余人(よじん)には不可能、勝手に研鑽(けんさん)し、強くなれという話だ。

 

 ユーフォミーは、ナッシュさんの脱落により「弱くなった」と判断されている。

 

 ふたりは今もずっと一緒で、どこへ行くにも、何をするにもふたりでひとり(ツーマンセル)のままなのだけど、書類上では、ナッシュさんは軍を退役したことになっている。だが傷痍軍人への恩給という名目で今もその給料は支払われ続けているし、「いざ」という時は、外部協力者としてナッシュさんを軍へ戻すという内約もあるらしい。世の中ってホント複雑。

 

 だから結局の所、ナッシュさんの「弱体」は事実上、ユーフォミーの「弱体」そのものだ。

 

 これをユーフォミーは逆手に取った。

 

 自分は「軍人ではない」父親、ナッシュさんと一緒でなければ「強くなれない」。

 だから「軍人ではない」父親、ナッシュさんと一緒に行動する。

 父親、ナッシュさんは「軍人ではない」のだからどこへ行くのも自由だ。

 

 こうして、ユーフォミーは軍人でありながら、どこへでも行き来し、行動する自由を手に入れた。無茶苦茶な論理であるとは思うし、相当のすったもんだはあったのだろうけど、事実、ユーフォミーはそうして自由を手に入れ、こうして私達に協力してくれている。

 

 

 

「それにしても、どうして放火なんか。ラナちゃんは話してみてどう思った?」

「……わかりません」

 

 灼熱のフリードは、話してみた感じ紳士的な人物に思えた。

 

 (くさ)くない分、私からは好感すら(いだ)ける相手だった。

 

「ですが、連れていたふたりの少女の内、ひとりが厄介な魔法使いでした」

 

 私は先を行く叔父さんについて歩きながら、簡単な説明だけをする。レオは無言で殿(しんがり)を務めてくれている。今はその更に向こうから、消火にあたる街の人の怒号が聞こえてきている。業腹(ごうはら)だが、これだけうるさければ、私達の声も遠くへは響かないだろう。

 

「ふむ……予知夢、か」

 

 叔父さんは、裏道を知り尽くしているかのようにすいすいと歩いていく。この街の生まれではないのに、頼もしいことだ。

 

「事態は臨界を超えた、そう判断していいか?」

「軍のお偉いさんが、放火までしてきたんですよ? 独断専行としても、この国ではもう枕を高くして眠れませんよ」

「そりゃそうだ」

 

 叔父さんは海に向かって歩いている。港町の、主要施設であるところの「港」へ向かって進んでいる。そこには「船」がある。成長し、巨大となったロレーヌ商会が半年前に、とうとう手に入れた「船」だ。

 

 先ほど、フリードさんに「自前の船を所持しての取引ではないので知りません」と答えた気がするが、それは半分嘘だ。公式には、これはマリマーネのところの、ドヤッセ商会の船として登録されている。だが造船にかかる費用のほとんどはロレーヌ商会が出しているし、その債権も握ったままだ。

 

 それにより、具体的には、ドヤッセ商会はこの船を決められた期間、自由に使うことが許されるが、積載量の二割はロレーヌ商会が指定した物品、つまりは輸出入品に()てなければならないという契約になっている。

 

 また、特例として、ボユの港へ停留している間に、ロレーヌ商会の一人娘、ラナンキュロアが必要と判断した一度きりに限り、それをロレーヌ商会へ使わせるという契約にもなっている。

 

 今回は、その後者を使う。諸々の準備と調整は数日前からしてあった。何を隠そう、マイラもそこで待っている。レオがどうしてもと言うからそうした。この大陸には、残していけないからと。

 

 つまり私とレオ(とマイラ)は、これからその船で南の大陸へと渡るつもりだ。しばらくは向こうの港町に留まり、叔父さんやマリマーネと手紙の遣り取りをして、戻れそうなら戻る、無理そうであればあちらへ骨を(うず)める覚悟をする、そういう予定だ。

 

 それ自体は、最初の一年の間にレオとじっくり話し合い、合意の出ていたところだ。これは、二年越しに、そのシナリオを実行に移す時が来たというだけのことだ。最初の一年の間は密航を覚悟していたけど、今は堂々と乗れる船もある。

 

「今のところ、尾行の気配はないが……相手が魔法使いの大家(たいか)ってのは厄介だな。予知夢も、それだけだったか怪しいし」

「ええ、賭けに……なりますね」

 

 ジュベが見た夢は、ノアの語ったふたつだけなのか。

 

 ノアは、そこまで頭のいい人物では無かったように思う。ジュベはよくわからない。

 

 ただ、灼熱のフリードは、頭の回転がまぁまぁ早い人物であるように見えた。後ろで糸を引いていたのがあの男であるなら、そこになにかしらの罠があってもおかしくはない。

 

 本当に、魔法使いを相手にするというのは厄介だ。

 

 まぁ、魔法使いじゃなくても……例えばドヤッセ商会の船が、実はロレーヌ商会の紐付きであるということも、調べれば簡単にわかることだけど……それは商人や官僚、役人の発想であって、軍人の発想ではない気がする。

 

 それに、ボユの港へ出入りする船の登録は、当然ながらここの公爵家へ願い出るものだ。縦割り行政の、縦の軸が王都とは別物になっている。長年、王都に住まい、そこでの名声を高めてきた壮年の魔法使いに、これを調べるという発想が出てくるだろうか? そもそも、私が船で南の大陸に逃れるというシナリオ自体、普通は想定し辛いモノだろう。

 

 ゆえに、やはり危惧すべきは、追跡に長けた魔法使いがあちら側にいないかということと、ジュベの予知夢だ。「私達が船で南の大陸へと逃れる」という予知夢を見られていたら、待ち構えられてしまう可能性がある。

 

 それに、テレパスの男性は死亡したというが、遠くのモノを見る遠隔透視能力(クレヤボヤンス)の能力者は生き残っているという。仕様がわからない以上、警戒のしようがないが、そういう者がいて、そういうモノがあるというだけで、今の私達にはプレッシャーとなる。

 

「賭けか……ギャンブルは、俺はあまり得意じゃないな」

「そうなんですか?」

 

 そうは言っても、私達は私達を待つ、私達の船へと向かう他ないのだけど。

 

「冒険者なんかやってるとな、それで破滅していく人間を嫌ってほど見せられる。そういうのを見ているとな、思うんだ、自分の運を信じられる、信じたいと願う人間ほど破滅しやすいってのは、いったいどういう皮肉なんだってな」

「そう……ですね」

 

 私達は目立たぬよう、ゆっくりと歩く。

 

 

 

 この賭けが勝利に終わることを、祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

背負子(しょいこ)のユーフォミー視点>

 

『おめぇはよ、実の娘とデキてんの?』

 

 冒険者は下品だ。

 

 乱暴だしガサツだし、下ネタも言いまくる。

 

 ずっとその中で育ってきたから、それがそこまでイヤかって聞かれたら、「別に?」って答える。イヤなんじゃない、ただ、それをまともに相手するのは「不要」、まともに取り合うのも「不要」、聞き流すのが「肝要」、だからそうするってだけ。

 

 ただ、時には聞き流せない言葉もあった。

 

『そんなナリで、ブツは子供を相手にしなきゃなんねぇくれぇちぃせぇのか?……うぎゃあ!?』

 

 そんな時は、遠慮なく焼いてやった。

 

 アタシには魔法の才能があった。攻撃魔法の中では特に、炎系魔法が得意だった。

 

 ただの冗談で言っているんだったら、焼くのは服の一部。少し悪質なら髪……が無いハゲチャビンは胸毛とか色々。明らかな悪意を向けてくる連中なら……利き手を焼いたりもした。

 

『頭おかしいんじゃねぇの!?』

 

 そうしている内に、アタシは、アタシ達は「要不要の暴走列車」というふたつ名を得ていた。

 

 もともと、「必要」「不要」はお父ちゃんの口癖だった。何かあるごとに『……必要だ』『……不要だ』と言っていた気がする。ちっこい頃のアタピは、それを真似ていたってだけ。

 

 でも、アタピが言葉を覚え、段々と口が回るようになってくると、他の人と話すのは主にアタピの役目になっていた。

 

 アタシが十歳か、それくらいの年齢になった辺りから、「品のないこと」を言う連中が出てきた。

 

 アタピとお父ちゃんがデキてる?

 

 バーカ、無いよそんなの。

 

 アタシは多分、お父ちゃんが求めてくれるなら、それを拒否したりはしないんだろうけど、お父ちゃんはお父ちゃんだし、アタシ達には親子の絆という、もっと確かなものがちゃんとある。アタシが生まれた時からある。

 

 今更、違う関係を「デキ」上がらせる「必要」なんてない。

 

 そんなのは「不要」。

 

 それを理解できない、頭のワル~イ奴には、アツ~イ思いをしてもらった。

 

 

 

 アタピが十五歳か、それくらいになった頃、アタシ達は運命の二択を迫られることになった。

 

 貴族と結婚するか、軍に徴用されるか。

 

 どちらも、アタシ達がまったく望んでいなかった二択だった。

 

 

 

『どうしてそんなこと言うのよお父ちゃん! アタシは結婚なんてしない! ずっとお父ちゃんの(そば)にいるもん!』

 

『アタシの幸せ? 結婚して子供を産むのが幸せ? 知らないよそんなの! アタシの幸せはアタシが決めるの! アタシはお父ちゃんと一緒じゃなきゃヤダ! ずっと(そば)にいてほしいの! いたいの!』

 

『うん……軍に入ろう。ごめんね、アタピに才能がありすぎたんだね。“要不要”だけなら、軍に徴用されることもなかったのに』

 

 

 

「ここから先へは、行かせない」「……ぅぅぅ」

 

 目の前には女の子がふたり、知った顔だが、見知っているとも、親しいとも言えないふたり。ここは大きな倉庫と倉庫の、その間の通路だった。それなりに幅はあるけど、武器を構えた戦士と魔法使いのコンビが前にいては進めない。

 

「ノア、ジュベ、邪魔。お(じゃ)ミャーンは不要不要」

「ここから先へは行かせないって言ってんでしょ!?」

 

 ひとりひとりを相手取るなら、どっちもたぶん、楽勝。

 

 ノアはただの斧使いだから、攻撃を全部弾いて、一撃を食らわせればそれでフィニッシュ。

 

 ジュベは、どうして軍に徴用されたかわからない、その程度の攻撃魔法しか使えない雑魚。

 

 どっちもお父ちゃんと、お父ちゃんにおんぶされるアタシの敵じゃない。

 

 

 

「アンタこそ邪魔しないでよおおおぉぉぉ!!」「……ひぃ」

 

 ノアが突っ込んでくる。両手に持っていた二柄(ふたえ)の斧を、一方は投げ、一方はそのまま手に持ち斬りつけてくる。

 

 それなりに速いし鋭い。

 

 ケド。

 

「不要!」

 

 斬りつけてくるその攻撃を結界で弾く。何度も何度も打ちつけてくるが、アタシの結界の前では無意味だ。ジュベの様子を見ながらでも、余裕で防御できる。今の状況で怖いのは、やっぱり魔法使い。

 

 アタシの「要不要」は、結界とは言いながらも、全身を覆うように展開することができない。即発動するという強みはあるケド、その強みを捨て、詠唱時間(キャストタイム)を三秒ほど使っても、半身が隠せる程度までしか拡げられない。面積でいったら子供用のベッドくらいかな? 即発動なら、その半分程度までしか行かない。

 

 だから灼熱のフリードの、空間全部を灼熱地獄にするみたいな、そんな魔法には対抗できないし、大量の大型モンスターに、四方八方から攻撃されたら、それだってもうどうにもならなくなる。お父ちゃんの腕はそれで一本、()くなってしまった。

 

「ぬんっ」

「なっ!?」

「バーカバーカ! 曲がる軌跡の投げ斧なんて、お父ちゃんにゃアッタリャニャーン」

 

 もちろん、生半可な魔法攻撃なら、お父ちゃんが自慢の脚力で避けてくれる。

 

「ちっ!!」

「……ナンジャソリャ? 鎖鎌? ノンノ鎖()?」

 

 でも、それだって限界はある。限界があると今は知っている。痛恨の後悔がある。

 

「あー、そのガントレット、そういう仕組みカーン。斧とツナガーリン、投げてもカイシューン」

「普通に喋れえええぇぇぇ!!」

 

 もう失わせない、失わない。お父ちゃんがずっとアタシを護ってくれるように、アタシもお父ちゃんを全力で護る。それがアタシ達。ふたりでひとつの、()走列車。

 

「ほーん。にほーん投げルーン?」

「はっ! 死ねぇぇぇ!」

 

 投擲された二本の斧が、アタシ達を挟み込むように迫ってくる。

 

 アタシの結界が、そこまで大きくないことを知っての攻撃カナ?

 

 でももでもでももでもの内。

 

「ナメんな」

 

 今のお父ちゃんには、右腕がない。だからアタシが結界を展開するのはソッチ。

 

 お父ちゃんには、だけど左腕がある。元々は右利きだったのに、努力して苦労して元の右腕以上に強くした左腕。力強くて、頼もしい左腕。

 

「んむ……っ」

「掴んだ!? 正確に柄の部分を!?」

 

 結界に弾かれる斧へは目もくれず、アタシは、お父ちゃんの拳くらいの炎弾(ファイアーボール)を、ジュベに向かって撃ち出す。

 

「きゃあ!?」「ジュベ!?」

「にほーんの斧はぁメクラマッシュ? 間に何をぅシタガリン? だけど無意味誰得それ無用ぉ!」

 

 何かしらの魔法を、詠唱(キャスト)していたジュベだったケド、それは叶わずに霧散。やらせるかってーの。

 

「だから(わか)るように話せやぁぁぁ!?」

 

 炎弾(ファイアーボール)は当たらなかった。命中率を上げようとすると、発動には時間がかかってしまう。牽制になる程度のクオリティなら、アタシの場合二秒もあれば十分。炎弾(ファイアーボール)は結構な数の魔法使いが使えるけど、その中でもアタシのこの二秒は、最速の部類だと思う。みんなみんな、威力とかにこだわり過ぎ。速度重視なら弓を射ればいいとかナントカ言ってさ。

 

 アタシ達はふたりでひとり、お父ちゃんにできないことは全部アタピがする。防御とか、牽制とか、そーゆーのはアタピの役目。治癒魔法が使えれば完璧だったんだけど、その才能はアタシには無かったようで、アタピはそれ以外でできることを鍛えるしかなかった。

 

 だからアタシは「威力」よりも「速度」を求めた。あらゆる状況に、ふたりでひとり(ツーマンセル)で対応せざるを得なかったから。

 

「ぬんっ!」

「ひっ!?」

 

 お父ちゃんが、掴み取った斧を投げる。

 

 お父ちゃんが武器とするには小さすぎるし、いつまでも持っていたら何かしらの罠が発動するかもしれない。投げられた斧は、まっすぐノアへと向かっていった。

 

「くっ!」

 

 ガゴォン……と重い音が響く。ノアはガントレットを盾にして斧を防いだ。

 

 でもさすがお父ちゃん、それなりの厚みがありそうな金属製のガントレットに、大きな(へこ)み……というか歪みができている。防がれたケド、あれなら腕にも多少のダメージが入ってそう。

 

 勝てる……と思った。

 

 ジュベは即発動の魔法を持っていないようで、どうしていいかわからない様子でオロオロしている。何を探しているのか、キョロキョロしている。勝機なら、もうないんじゃなイカ?

 

 ノアは、だらんと片腕を下げたその格好から、片腕が痺れ、動かせなくなっているようだ。息も荒い。目はまだ死んでいないけど……問題ない。アタシ達は、瀕死の獣に油断するほど甘くなんかない。

 

 後は丁寧に詰めるだけ。

 

 だから……アタピはふたりに向かってこう言う。

 

 無意味なことはしたくないから、言う。

 

「ノア、ジュベ、退()いて」

 

 

 



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epis48 : Carpe diem(Seize The Day) / Villain

 

<引き続き背負子(しょいこ)のユーフォミー視点>

 

「ノア、ジュベ、退()いて」

 

「はぁ!?」「……っ」

 

 アタシ達は戦闘のプロだけど、人殺しのプロなんかじゃない。交渉のプロなんかでもないケド、なにもかもを問答無用で「不要」と切り捨てていくほど野蛮人でもない。

 

「アタシ達、やることアルカン、邪魔スンナ」

 

 言って、いやこれはナンカ違うなって自分でも思う。

 

「だ、だったら力ずくで」

「オマエ、アタピには勝てない。これ以上は不要、無用」

 

 言って、いやこれもナンカドコカ違うなって自分でも思う。

 

 どうしよう?

 

「ふざっけんなぁぁぁ!!」

「んっ」

 

 飛んで来た一本の斧を、また「要不要」で弾く。

 

「問答無用ぉ?」

「うるさい!!」

 

 またも、斧を投擲からの、ジュベの魔法詠唱。

 

「不要」

「きゃあ!?」「ジュベ!?」

 

 同じように「要不要」で弾いて、その後、炎弾(ファイアーボール)を牽制でジュベに発射。

 

「くっ……」

 

 その先に、何かアルカナって警戒してたケド、何もない。

 

 なーにをシタガリン?

 

「オワリ?」

「くっ!!」

 

 っていうかコイツラ、コンビの割に、コンビネーション(スク)ナクナクナクナイ?

 

 そんなんじゃ、アタシ達にはヌルイカラー。

 

「ノア」

「なによ!?」

「次は、炎弾(ファイアーボール)をジュベに当てる」

「ひっ!?」「はぁ!?」

「今までのは、手加減。次は当てる。ボゴンからボウボウ、メラメラ。前衛職と魔法使いのコンビは、魔法使いから叩くのがセオリー。次にノアがナニカしたら、ジュベが燃える。メ~ラメラのパッチパチ。これ以上アタシ達とヤリあうなら、ノアにはその覚悟が必要」

「な、な、な、な」「ノ、ノアぁ……」

 

 嘘だけど、次も当てられないだろうけど、ノアも自分達の劣勢はわかっているハズ。

 

 これ以上続けたら、ジュベが傷付くダローって。

 

「このっ……悪魔が」「ノアぁ……」

 

 ふたりが、()()()()()()だって噂、アタシも知っている。

 

 もしかしたらそれは、妙な男に言い寄られないための、虫除け協定なのかもしれないケド。

 

 ノアはともかく、ジュベからは同性愛者(レズビアン)特有のニホイがしないケド。

 

 でも、それでもやっぱり、ふたりはお互いを必要とし合っているからコンビのハズ。

 

 だったらコイツラは、アタシ達の億分の一の仲良しさん。

 

 格下ちゃんの、仲良しさん。

 

「できる手加減、ココマデ。退()くなら助ける、向かってくるならコロス。だから次に仕掛けてきたらコロス。熟考不要、即断必要」

「くっ……」「ね、ねぇ、ノアぁ……もうやめよぅよぉ……」

 

 ジュベが折れ、それにノアも同調……シタガリン?

 

 人を殺すのは面倒。色々と面倒。「必要」がない殺しは、「不要」。

 

 常識は、アタシ達のこと、変な目で見るからキライ。でもキライだからって、避けてばっかりじゃいられない。それくらいの判断は、アタシにだってできる。

 

 アタシは幸せだ。

 

 お父ちゃんがいて、そのお父ちゃんが三百六十五(365)日、(ねん)がら年中(ねんじゅう)お父ちゃんでいてくれたことが、なによりも嬉しい。

 

 毎日が幸せ。

 

 その日々が壊れそうになった三年前は、胸が張り裂けるように痛かったケド。

 

 片腕を失っても、表向きの職を失っても、お父ちゃんはお父ちゃんのままだった。

 

 アタシは、それに救われた。

 

 お父ちゃんの娘に生まれてきたことを、心から誇らしいと思った。

 

 だけど。

 

 だからもう……何も失いたくない。

 

 お父ちゃんと、今までお世話になった人と土地へ、恩返しをしながら生きていきたい。

 

 アタシ達は、王国が帝国へ出兵するってなったら、その尖兵となることが決まっている。最前線で、お父ちゃんと一緒に戦うって約束がある、契約がある。

 

 アタシはお父ちゃんと一緒に死にたい。

 

 でもお父ちゃんはお父ちゃんで、アタピよりも早く戦えなくなって、自然の摂理トヤラに従って……おそらくはアタシよりも早く死んでしまうから。

 

 そのことは、自分自身が死ぬことよりも、怖いから。

 

 戦場を駆け、そこでふたり並んで(むくろ)になるなら、本望。

 

 王国へ、アイツラへ恩返しをできたって思いながら死んでいけるなら、それこそが本懐。

 

 これはふたりの総意。

 

 どちらも、半身をこの世に(のこ)しては()けないから、同じ場所で死にたいという願い。

 

 

 

 アタシ達は、笑って死にたいカラ。

 

 

 

 それが仲良しさんのアリカタって思うカラ。

 

 

 

 ノアとジュベも、こんなところで死んでほしくナイ。

 

 

 

「ね、ノア……もうやめようよ、私達じゃ(かな)わない、から……」

「うっさい! 黙ってて弱虫!」

 

 コイツラは、「まだまだコレカラ」。

 

 コンビネーションの腕も、仲良しさんとしても、アタシ達のずっとずっと格下ちゃん。

 

「弱虫はオマエ、退く勇気のない男は、ここぞって時に命を賭けられない男よりも格下ちゃん」

 

 なら、それはアタシ達みたいな覚悟もないってコト。

 

「あたし達は女よ!」

 

 叫んでも、もうソレは負け犬のトウボエン。

 

 覚悟のない格下ちゃんは、モウスッコンデロン。

 

「アタシ達はトチ狂ったフリードを追う、こっちにきたことはわかってる。ドウシテ海に? 意図はナニ? 答えは不要、直接本人(フリード)に、キキマクラーン」

 

「くっ……」

 

 ジュベが、しゃがみ込んでしまったノアの肩を抱いた。

 

 敵意はもう感じない。戦意消失?

 

 

 

 アタピは、殺さなくて済んだことに少しホッとしながら、お父ちゃんに「行こ?」と囁いた。

 

 ケド。

 

「……お父ちゃん?」

「っ……」

 

 あれ?

 

 あれれ?

 

「ぐっ……ぬぁ……う」

 

 なんでか、ドウシテか、お父ちゃんの身体がふらり、よろけ。

 

「お父ちゃん!?」

 

 それでも、アタシを庇ってか後ろへは倒れこまず、前へ、前へ、前へ……おとうちゃんの身体が……くず折れて……。

 

 ナンデ?

 

 ドウシテ?

 

「お父ちゃん!? お父ちゃん!? お父ちゃんっ!?」

 

 背負い紐を(ほど)くのも忘れ、アタシは目を閉じ地に伏したお父ちゃんの耳元へ、同じ言葉を繰り返す。

 

 何が起きたか、わからない。

 

 どうしてこんなことになっているかわからない。

 

 あまりにも唐突過ぎて、あまりにも急変し過ぎてて。

 

 

 

 なにもかもが、わからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<灼熱のフリード視点>

 

「お父ちゃん!? お父ちゃん!? お父ちゃんっ!?」

 

 繰り返される、絶望の色を濃く滲ませた、裏切り者の声。

 

「お父ちゃん! お父ちゃん! お父ちゃぁぁぁん!!」

 

 うるさいと思った。

 

 半端モノ同士で固まった、異形の混合獣(キメラ)めが。

 

「お父ちゃん!! お父ちゃん!! お父ちゃっ……ん……ぅ……ぅ?……ぅう……ん」

 

 睡眠魔法(スリープ)

 

 (それがし)の代名詞ともいえる「灼熱」、それは発動すれば無敵だが、発動できなければ無用の長物でしかない大規模魔法でもある。

 

 ならば、咄嗟(とっさ)の事態にも対応できる手段が必要となる。

 

 この睡眠魔法(スリープ)は、使い込めば使い込むほど、「そのためにある」魔法と実感するモノであった。

 

「ノア、ジュベ」

「あ……フリード様」「し、師匠」

 

 人は必然、年齢と共に諸々が衰えていく。

 

 (それがし)も例外ではない。

 

 (それがし)も、歳をとった。

 

「なんと不甲斐ない」

「く……」「っ……」

 

 忌々しい思い出が増え、思考の瞬発力が失われた。

 悲しい思い出が増え、感情を制御できない事が多くなってきた。

 だが、それでも(それがし)という人間の本質は変わらない。

 

 振り返れば、確かに長い道を歩いてきたような気がする。

 

 情動に動かされ、獣のように生きた、(とお)にもならぬ頃。その記憶はもはや幻のように薄く、掴めない。

 

 狂乱の衝動に踊り、明かりのない暗闇をただただ走った十代の頃。いい思い出も、悪い思い出もある。

 

 我こそが主役と自らを(にん)じ、奪い合い、悲劇と喜劇を行ったり来たりした、二十代の頃。泣いたり笑ったりして、手に入れた宝石のような思い出がある。輝ける青春時代。あそこには光があった。光の下にいた。

 

 そして衰えを感じ、失ったものを補うかのように狡賢(こうかつ)さを覚えていった、三十代の頃。

 

 忘れたい事と、沢山の後悔と別れが、その道の途中に転がっている。事故で子を亡くし、妻もそれを追った。

 

 だが(それがし)睡眠魔法(スリープ)の魔法を覚えたのは、その三十代の頃だ。

 

 衰えを感じながら、徐々に同期が、様々な理由で軍から脱落していくのを横目に見ながら、(それがし)はしかしその頃に、全く新しい「(わざ)」を手に入れるに至った。自分は死ぬその最後の時まで、自己を研鑽(けんさん)し、歩み続けなければならぬと……それが自分の「(ごう)」であると……理解した。

 

「修行が足らぬから、そのような無様を晒すことになる」

「っ……はい、申し訳ありません」「す、すみません……」

 

 世界は、(それがし)が子供であった時分(じぶん)から、何も変わっていない。

 

 あの空と白い雲は、いつも遠すぎて。

 風は常に、気まぐれに逃げていって。

 花は咲けば、確実にしぼむ時を待ち。

 ぬくもりは、夢のように霧散(むさん)していってしまう。

 

 命は地へ墜ちた雪のようにいずれ消える。

 心も肉の中で、(とどこお)る水のように腐敗する。

 

 怒りは行く先を知らぬまま彷徨(さまよ)うしかなく。

 叫んでも叫んでも、その声はどこへも届かない。

 

 ならば(あらが)え。

 

 泣いて。

 喚いて。

 賑やかに。

 騒がしく。

 

 神に、抗え。

 

 人へ、老化する肉体などを寄越す神は、なんと邪悪なるかな。

 

「ジュベ」

「は、はいっ」

「アレを、するぞ」

「っ……ま、待ってくださいフリード様! ジュベの身体はもう限界です! さっきだって! それで体力が弱っていなければっ……」「愚か者!!」

「ひっ……」

「愚か者が! 若い内に! 無理をしないでいつする!! 死してなお! 人の限界に挑んだことは、恥とはならぬわ! 人間であるならば戦え! 己の限界と死ぬまで戦え! そうして生きるのでなければ! 長く生きることに意味などないわ!!」

 

 (それがし)は、この世界に絶望している。

 

「命を惜しむなら! ならばこそ命を捧げよ!」

 

 どれほど。

 混沌(こんとん)(いびつ)(うたげ)に、自らを追い込み。

 

 熱狂させ。

 限界に迫ってさえも。

 打ち上げた花火は夜空を割らず。

 

 乾いた音が。

 

 夜空のしじまへと飲み込まれ。

 

 残響が孤独の(うち)へ転がり。

 

 消えていく。

 

(それがし)を見よ! そのようにしてきたからこそ! この今がある!」

 

 情熱を喰らい、あらゆる悲喜劇(ひきげき)を娯楽のように嚥下(えんか)する……底無し沼のような世界。

 

(それがし)を師匠と呼ぶのなら! 我のように生きてみよ! ジュベ! 道無き道へ足を踏み出すことを躊躇(ためら)うな! ただの一歩にも命を()してみせよ! 懸命となれ!!」

「ひぃ……ひぃぃぃぃぃぃぃ……」「いやぁぁぁ!」

 

 ジュベへ、睡眠魔法(スリープ)を使う。

 

「ぁ……ぅ」「ジュベェェェ!」

 

 ジュベの特筆すべきは、当然ながらその「予知夢」にある。

 

 夢は、眠らなければ見れぬ。ならば寝かせる。無理矢理にでも。

 

 嗚呼……なんと怠惰なる能力であろうか。

 

 人が、世界と戦わなくて良い、唯一の時間に、ジュベは真価を発揮する。

 

 羨ましい、妬ましい。

 

 まだ十七歳、これから、いくらでも、なんでもできる。

 

 羨ましい、妬ましい。

 

 時間は、懸命に生きてきたこの(それがし)にこそ、必要なモノだというのに。

 

「ジュベは二十分後に起こす」

「……また、魔法で?」

然様(さよう)

「……お願いします、ジュベに傷は」

「つけぬ。そうさな、三回までは傷が残らぬよう、そうして起こそう」

「さ、三回まで、ですか?」

「ジュベの予知夢は、何がトリガーになって見るモノであるのか、わからぬ。身体に傷が付いていた方が見やすい可能性も、なくはないのだからな。三度(さんど)やって駄目なら条件を変える必要があるであろう?」

「そんな!?」

(わきま)えよ! これは国の大事であるぞ!!」

 

 (それがし)は、睡眠魔法(スリープ)を使いこなしている。その強弱も、眠る時間の長さも、自由自在である。

 

 人の眠りには波がある。熟睡、深き眠りの時と、そうではない浅き眠りの時を二、三時間の周期で繰り返す。それはジュベを実験台に、(それがし)が得た、貴重な知見である。

 

 夢を見せたければ、浅き眠りの状態を作り出す必要がある。ここまでは(わか)っている。

 

 だが、そこから先は、まだ解っておらぬ。

 

「そこのふたりには、五時間は起きぬよう魔法を使った。そこの倉庫は(それがし)が借り切っている。三人を運び込むぞ、ノア」

「……はい」

 

 どういう状態にすれば、ジュベは予知夢を見るのか?

 

 ジュベの精神を安定させれば見やすいのか、それとも不安定にした方が見やすいのか。

 

 現在、(それがし)は、後者の方が正しい仮説なのではないかと考えている。

 

 羨ましく、妬ましく、わざと熟睡の状態にしてから乱暴に起こしてみたり、苦痛を与え、逆に一週間以上寝かさない状態にしてから睡眠魔法(スリープ)をかけてみたり、そうした負荷を強く与えた方が、ジュベは予知夢を見やすいようだった。

 

 それに、若い肉体が強いストレスに(むしば)まれ、乱れ、崩れていくその様を見るのは、なんとも心躍ることでもあった。もっとも、最近ではこのノアの阿呆が、美容に関しては目を光らせているようだが。

 

 今も、ゆえに「目覚める際、ジュベがより強い苦痛を味わえるよう」調整した睡眠魔法(スリープ)をかけてある。起こし方は、愚昧(ぐまい)なる愚盲(ぐもう)のノアに、それが伝わらぬよう、工夫する必要があるやもしれぬ。

 

 面倒なことよ、身体を乱暴に扱っても大過(たいか)ない「若さ」を持つ者が、情けない。

 

 残るふたりが、若いとはいえ憂さ晴らしに使うには「不完全な」肉体しか持たぬ者であったのが残念なところだ。こちらはそう……子に、親の死ぬ様を目の前で見せ、己の生き様を後悔させる()()()()()しか、できぬであろうな。

 

 逆は、してはならぬ。

 

 子は親よりも先に死んではならぬ。

 

 秩序は、守らねばならぬ。

 

「あ、あの、フリード様」

「なんだ?」

 

 (それがし)は、昔より嫉妬を得るたびに強くなってきた。

 

 睡眠魔法(スリープ)を得たのも、この魔法を使える者への、嫉妬より得たモノであるといえる。あの者も若かった。出会ったのは(それがし)が三十五、その者が十五の時だった。(それがし)はその者を配下に置き、他の魔法を教える代わりに、睡眠魔法(スリープ)を学ばせてもらった。

 

 修得し、最初に行ったのは、その者を永遠の眠りに就かせてやることだった。師弟が研鑽の途中に、弟子が事故を起こした。それは、その程度のことに過ぎぬ。睡眠魔法(スリープ)は危険な魔法だ。一瞬で、敵を無力化してしまえるのだから。

 

 どれほど研鑽しても、詠唱時間(キャストタイム)が弟子のそれよりも短くなれぬと知った時、(それがし)は思った。この者は、(それがし)を殺そうと思えば、いつでも殺せるのではないか?……と。

 

 許せることではなかった。この世界に、(それがし)を殺せるモノが、存在などしていいはずがない。ゆえに(それがし)は弟子を処分した。

 

 あとには睡眠魔法(スリープ)を覚え、前進した(それがし)だけが残った。

 

 世界は秩序を取り戻し、(それがし)も少しだけ、枕を高くして眠れるようになった。

 

「フリード様……本当に、あの少年が、英雄レオポルドなのでしょうか?」

「ふむ? ジュベの予知夢を信じぬと言うか?」

 

 レオポルドなる偽の英雄もまた、(めっ)してしまった方がいい。

 

 発見されれば、王は軍を死の行軍へと送り出すだろう。

 

 やられたのだからやり返せなどという、現状を何も理解してない、あるいは理解する気もない愚か者達の声に負けて。

 

 国の沽券(こけん)などという、貴人以外には糞の役にも立たぬお題目に固執して。

 

 勝てるかもしれぬという、(いつわ)りの希望に(すが)って。(それがし)をも巻き込んで。

 

 それこそが、帝国の望むところであろうに。

 

 そんなことはさせぬ。

 

 そのような暴挙の芽は、摘んでしまうに限る。

 

 世界に秩序を取り戻すために。

 

 (それがし)が、枕を高くして眠れるように。

 

「ジュベが見たのは、英雄レオポルドが王都の危機を救う、その姿と、その英雄レオポルドが王国軍と争う姿。それと私が、英雄レオポルドがラナと呼ぶ少女を殺し、()()()()夢です」

「うむ、ならばこそレオポルドは(ちゅう)せねばならぬ。死ぬ気はないのであろう?」

 

 序列の尊重すらできぬ、秩序を(うやま)わぬ梟雄(きょうゆう)など、この世にあっていいモノではないのだ。

 

 そのようなモノに頼って生き延びるくらいであれば、この国は美しく滅びるべきだった。

 

 長年、この国の秩序を守ってきた(それがし)と共に。

 

 ――ああ、それはなんと甘美なるかな、終焉の時であったろうか。

 

「……私が死ぬのは、どうでもいいんです。この世界に、ジュベを残していきたくないだけで……でも」

「それこそが“死にたくない”というモノだ。人は強く()らねばならぬ、強く()らねばならぬ。強く生きなければならぬ。努力も、研鑽も、苦痛も、そのために必要なモノである。恐れてはならぬ。全ては、乗り越えられるモノなのだから」

「そう……なのでしょうか……」

 

 指で顔に触れる。

 もはや、つるっとも、サラッともしてない、柔い革のような感触。

 皺が増えた。額も拡がった。

 本当に(それがし)は、歳をとった。

 

 いい思い出も、悪い思い出も、宝石のような思い出も、別れも、忘れたい事も、報われた事も、報われなかった事も、沢山の後悔も、この中にある。もはや衰え、濁り、若き頃の輝きなど、とうに失ったこの肉の中に。

 

「でも……不安なんです。私達が、何かを間違えているんじゃないかって」

 

 あるものは遠く。

 あるものは鮮明に。

 あるものは朧になり。

 あるものは眠っていて。

 あるものは未だ毒を持ち。

 あるものは寂しそうに。

 あるものは乾いてて。

 あるものは連なり。

 あるものは孤独。

 

「不安は、抗うことでしか解消できぬ。大事の前の小事に(かかずら)ってはならぬ」

 

 背負い、捨てて、出会い、忘れた。

 

「国の難事にあっては多少の犠牲もやむを得ぬ。軍人とはその責に耐えうる者でなければ務まらぬ」

 

 そうして残った何かは、(それがし)に埋もれ、変容し、変質している。

 

 (うち)にある自分自身は変わらなくとも。

 

 残る全てが色を持ち、(にお)いを放ち、無秩序に絡みついている。

 

 時にそれを引っぺがすも、あとには不均等な(まだら)が残り、醜悪なそれはゴミなのかクズなのか、わからぬままいつまでも曖昧にまとわりついていて。

 

「護りたければ、戦え。命を賭して命を護れ。それが生きるということである」

 

 純粋であった頃が懐かしく。

 

 とうに失くしてしまったモノが、自分の後ろで輝いているのが許せなくて。

 

「それが、死に抗うということである」

 

 ――甘美なる終わりを、夢想する。

 

「……はい」

 

 ならばこそ(それがし)は前進する。

 

 

 

 秩序ある、美しき死に向かって漸進(ぜんしん)する。

 

 

 

 人生の終わりという、闇へ向かって邁進(まいしん)する。

 

 

 

 それをもう怖れない。怖れるに自分は、歳をとりすぎた。

 

 

 

 光はもう、後ろにしかないのだから。

 

 

 









 う~ん、このオヤジ。




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epis49 : No Man's Dawn / Story of dream u saw

 

<ジュベ視点>

 

「はあっ……はぁっ……ぁあっ……」

 

 帰りたい。

 

 帰りたい。

 

 あの場所に帰りたい。

 

 お母さんがいて、お父さんがいて、わたしは子供だった。

 

「わ、わたしは悪くない」

 

 帰りたい。

 

 帰りたい。

 

 あの場所へ帰りたい。

 

 だいすきなお母さんがいて、だいすきなお父さんがいて、そこはあたたかくて、おだやかで、しあわせで。

 

「ど、どうしてこんなところに、いるのよっ」

 

 帰りたい。

 

 帰りたい。

 

 お母さんが死んで、お父さんが死んで、わたしを愛してくれる人は誰もいなくなって。

 

 世界はもう、ただひたすらわたしに冷たくて、きびしくて、苛酷(かこく)だった。

 

 

 

『おばさんとおじさんの分も、ジュネが頑張って生きなくちゃ』

 

 わたしが十四の時、王都はモンスターに襲われ、お母さんとお父さんが死んだ。

 

 わたしは、なにもできなかった。

 

 親しき者の死に何もできなかった。しなかった。

 

 自分だけが避難したから。

 

 王都に、いなかったから。

 

 子供だったから。

 

 

 

『ね、ジュネ。これからは私と一緒に、頑張って生きよ?』

 

 でも、それは言い訳にはならない。

 

 だってわたしはお母さんが死ぬことも、お父さんが死ぬことも知っていたから。

 

 だってわたしは、王都がモンスターに襲われることも、知っていたから。

 

 夢で見たから。

 

 王都がモンスターに襲われ、多くの人が死んで……お母さんとお父さんが死んで……英雄レオポルドが現れ、王都を救う……そのことは……そのような流れの出来事については、わたしはその何ヶ月も前に夢で見て……知ってしまっていたのだ。

 

『ジュベは悪くないよ。悪いのは帝国と、おじさんとおばさんを助けてくれなかったレオポルドとかいう英雄モドキでしょ?』

 

 

 

 夢と現実は、微妙にその展開が、その推移が違っていた。

 

 例えば、わたしが夢で見た英雄レオポルドは、王都を救った後、国を救った英雄として祭り上げられる。叙勲されて貴族にもなる。

 

「そうよ……わたしは悪くない、あなたがここにいたから……だから……」

 

 でも、それを血統主義の貴族達から(うと)まれ、(ねた)まれ、数多の貴族達から政治的な(から)()によって攻撃されるようになる。

 

 国を救ったその力は、悪魔と契約し、得たものであると噂され。

 

 むしろレオポルドこそが、悪魔そのものであるとさえ誣告(ぶこく)されていく。

 

 叙勲の際、王様より(たまわ)った領地の経営は、ありとあらゆる妨害にあって失敗する。

 

 そして数年後には、スラム街出身であるというその出自のいやしさを暴かれ、一般市民からの支持も失ってしまった英雄は、失脚して……国を追われることになる。

 

 そうして英雄レオポルドは、ユーマ王国に牙を向けて、滅びる。

 

 王国と西の同盟国との連合軍を、たったひとりで四万人以上の人間を殺すという、まるで現実味のない戦果をあげてから滅びる。

 

 

 

 現実には。

 

 

 

 英雄レオポルドは、王都を救うだけ救って、去っていった。

 

 叙勲もされなかったし、祭り上げられることもなかった。

 

 だからこの現実においては、貴族達の不満は、それだけの強さを持つ人間を、みすみす(のが)してしまった王様へと向けられている。

 

 その上で帝国へ、出兵しようともしない王様は臆病者であると、弱腰であると、敗北主義者であると、口角泡(こうかくあわ)()ばしている。

 

 ……おそらく、その中にこそ、モンスターを王都へと呼び込んだ一派が紛れ込んでいるのだろうけど。

 

 夢の中においては、英雄レオポルドを全面的に支持し、バックアップをして、彼と共に凋落(ちょうらく)していくロレーヌ商会も、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの商会となっている。

 

「どうして……なんで……なんでこんなところに()がいるのよ!?」

 

 わたしの「予知夢」は、そんな風に「正確ではない」。

 

 それは自分に、この力があると気付いた七歳か八歳の頃、すぐに気付いたことだった。

 

「殺しちゃったじゃない!? 思わず魔法で、()()()()()()()じゃない!」

 

 だから、王都がモンスターに襲われる夢を見たその時は、それは、自分史上最大に「不正確な」夢なのだと思った。そんなことが起こるとは信じられなかった。そして同じように、誰も信じてくれないと思ったから誰にも話さなかった。二個下の、だけど当時から一番仲が良かった幼馴染のノアにさえも。

 

「死んでる……死んでいるよね?……こんな真っ黒に焦げて……わたしの火炎魔法、こんなに強くはなかったはずなのに……でも、こんな状態でまだ生きている方が……かわいそう……だから……弔いは海へ……それでいい……よね?」

 

 

 

 でも、「正確ではない」夢は……英雄レオポルドの動向であるとか……どうでもいい部分だけが「不正確」で。

 

 実現してほしくない部分だけが「正確」で。

 

 

 

 残酷なまでに「正確に」、お母さんとお父さんは死んでしまって。

 

 

 

 そうしてわたしは孤独になって。

 

 

 

 なにもかもを失った。

 

 あたたかかった過去も。

 

 未来を夢見るという無邪気も。

 

 

 

 幼いわたしが愛していたはずの世界は、もうどこにもない。

 

 

 

「とにかく、この死体を海へ……」

 

 そうして、目の前には、また死体。

 

 とうに生きる気力を失ったこの(むくろ)は、だけどどうしてか自分以外の(むくろ)を生み出す、軍人なんて仕事をしている。

 

 あらゆることから、現実感(リアリティ)が喪失している。

 

 自分が生きているという実感がない。

 

 ただ悪夢の海に、苦しみの波に溺れている自分がいる。

 

 ノアの「求め」にも溺れ、沈んでいる自分がいる。

 

 今も……だからわたしは……何をしていたんだっけ?

 

 わたしは今、船に乗っている。それは、周囲を見れば一目瞭然で。

 

 足元には船の甲板があって、それ以外は空と海しかなくて。

 

 薄暗い空は、水平線に近い部分がピンク色に染まり、夜明けが近いことを教えてくれている。海面は、凪いでいて穏やかだ。

 

 時折吹く風に、マストがぎぃ……と揺れ、船全体も揺れる。そのたびに足元が覚束無(おぼつかな)いわたしは、よろけてしまい、よりいっそうの気持ち悪さに襲われる。

 

 わたしはそう……ドヤッセ商会が所有する貿易船、そこへ、処分対象者を追って潜入していた……そのはずで……そう、だったはずで。

 

 ……どうしてここに、処分対象者がいるって、わかったんだっけ?

 

 思い出せない。

 

 思い出そうとすると、蘇ってくるのは、幼い頃の、現状とはまるで関係のない、わたしが幸せだった頃の記憶だけだ。

 

 わたしの全てはそこにある。

 

 今という現実は、ずっと悪い夢を見ているかのよう。

 

 ただ、誰かに言われるがままに、命じられたことを、強要されたことを、怯えながらこなしている。

 

 

 

 起きていても、眠っていても、わたしはずっと悪夢を見続けている。

 

 

 

 だから。

 

 

 

 もうこれが現実のことなのか、それとも覚めぬ悪夢を見続けているのか、わからなくて。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 唐突に現れた、その姿を視界に納めても、わたしの世界はただ酩酊感を増すばかりだった。

 

 

 

「私の、ヴォルヴァにも似た力を持つお方が、こんなところにいらしたとは……」

 

 

 

 目の前に、鮮やかな薔薇色のローブをまとう、とびっきりの美少女が佇んでいる。

 

 年の頃は……ノアと同じくらいに見える……なら十五か六くらいだろうか?

 

 ありえないほどに整った顔の造りと、ありえないほどに現実離れした「可愛らしい」雰囲気。

 

「えっ……だ、だれ?」

 

 

 

 それは唐突に現れ、しゃがみ込んで。

 

 焼け焦げた大きな犬の死体を、慈しむかのように撫でるその姿は、神か天使か、悪魔かを描いた一枚の絵画のようで、違和感がない代わりに現実味も無かった。

 

「な、な、な、なに? あなたはなんなの!?……きゃっ!?」

 

 だから、降って湧いたかのようなその登場には何の驚きも無かったが、わたしはそのあまりの美貌と可愛らしさに心底驚いてしまい、心ならず三歩、四歩と後ずさりをしてしまい、そのまま尻餅をついてしまった。

 

「うぅ……」

 

 薄明の中、少女の、宝石のような白金の瞳がこちらへと向き、キラリと輝く。

 

「大丈夫ですか?……落ち着いてください、ジュベミューワ様。これは、現実ではありません。ジュベミューワ様はこの船に乗っていませんし、マイラも、この時間軸においてはまだ、死んでいません」

 

「え……」

 

 少女が立ち上がり、こちらへ向かってくる。

 

 朝焼けの、ピンク色に染まり始めた世界に、少女の白銀の髪と、薔薇色のローブが揺れている。その存在感はもう、魔性……というか……神性を帯びているとさえいえる何かだ。

 

「私が、ジュベミューワ様の機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)を、逆探知によってハッキングさせていただきました。現在、ジュベミューワ様の魂は私の魔法(ヴォルヴァ)可動子指機構(dactylシステム)とし、幽河鉄道(ゆうがてつどう)不動母指機構(pollexシステム)として固定され、安定しています。十年ほど前より、ジュベミューワ様の知覚世界は、幽河鉄道(ゆうがてつどう)システム不正使用(クラッキング)によって、幽河鉄道(ゆうがてつどう)へ不完全な形で接続されていたようです」

 

「何を言って……いるの?」

 

「別の世界線の光景が見えたのは、そのせいです」

 

「何を言っているのよぉ!?」

 

 もう、世界のありとあらゆる要素に現実味が無くて。

 

 理解をわたしの脳が拒む。

 

「この不具合は、私の不徳の致すところ、私がマイラを通じて千速継笑様、いいえ、ラナンキュロア様を観測していたがゆえに発生したもの。ジュベミューワ様の機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)は、三次元空間の座標において近くにある、一定以上に複雑なエピスを、自動的に手繰(たぐ)りよせてしまうようですね。座標がズレたままであれば、そのまま放置してもよかったのですが……ジュベミューワ様がラナンキュロア様に接近したことで、どうやらこれが修正されてしまったようです」

 

 少女が、その輝ける白金の瞳をわたしに向け、手を伸ばす。

 

 その手を取り、立ち上がれとでも言うかのように。

 

「あ……」

「こちらは、とびっきり魔素(マナ)の濃い星のようですね」

 

 おもわず、魅せられる。

 

 なんて、可愛らしい雰囲気の少女なのだろうか。

 

 なんて、キレイな物腰の少女なのだろうか。

 

 それはもう、それがそこにあるというだけで強力な強制力を放つ、暴力的なまでの美貌だった。

 

「驚きました。準空子(クアジケノン)空子(ケノン)と共に層を作り、人工ではない流体断層(ポタモクレヴァス)が、そこかしこに空いています」

 

 わたしなんかとは、足の爪から頭のてっぺんまで、なにからなにまでもが違う。

 

準空子(クアジケノン)とは、“絶対時間軸”と“相対時間軸”とを、科学が分けてよりの魔法構造学において重要となった概念です。テーブルのリンゴを()けても、過去、そのテーブルの上にリンゴがあったという事実は残る。つまり、時空間を超克(ちょうこく)した観測者から“相対的に”見れば、その(ゼロ)(ゼロ)ではないのです。知性ある存在が、過去を(ゼロ)とすることができないのと、同じように」

 

 吸っている空気そのものが違うのではないかとさえ、思うくらいだ。

 

「あり得た……しかし無かった世界を記憶に持つジュベミューワ様は、その意味において準空子(クアジケノン)の世界に侵食されてしまった……そうとさえ()えるのかもしれません」

 

 こんなもの、夢でさえ、わたしと関係があるはずもない。

 

流体断層(ポタモクレヴァス)に、堕ちたとも」

 

 美貌に、捕まれたままの心が冷えていく。

 

流体断層(ポタモクレヴァス)とはつまり、次元に開いた穴。科学的にいえば三次元的な存在が高次元に干渉するためのワームホール。伝統的な一類のそれではなく、魔法学がコペルニクス的転回を迎えてより以降の二類魔法構造学に従うのならば、その有害性を考慮してのヴァーミンホール。もしくは……その提唱者は虹色の色覚、視神経に七系統(ななけいとう)錐状体(すいじょうたい)を持っていたとされる“人体の観測()拡張計画”、その推進派、五感を魔法的に十一感にまで拡張することで世界の完全観測が叶うと唱えたイデア派、ナオ様も属していたその団体の仮説に順ずるのであれば、その体液、あるいはその(ほむら)によって世界を黄昏色(ラグナロクカラー)に染めるバーミリオンバグ。つまりは世界のウツロ……ホコロビです。この星は、まるであちこちにウロの空いた大樹のよう」

 

 意味が全く理解できない、しかし愛らしいその声は……幻だ。

 

 彼女は別の世界の人間……いや別の世界の存在だ。

 

「ですが、このように不安定な惑星だからこそ、数百人にひとりが魔法使いとなれるのでしょうね……ナオ様の前世、千速継笑様の惑星においては、人間の魔法使いが発生する確率は、壱兆(いっちょう)分のいち程度だったようです。天と地ほどの差が、そこにはありますね」

 

 わたしは、わたしの醜い世界を思い出す。

 

 醜いわたしを、見放して(かえり)みない世界を思い出す。

 

 愚鈍(ぐどん)なわたしを(うと)み、迫害するその冷たさと厳しさを思い出す。

 

『ね、ジュベ……いいでしょ?……愛しているの』

 

 身体を這い、撫でる、ノアの無骨で無遠慮なその手を思い出す。

 

 ノアは嫌いではない。嫌いではないけど、わたしは彼女を可愛いとも、美しいとも思ったことはない。友人だとは思っているけれども、それ以上を求められるのは……正直憂鬱(ゆううつ)だ。

 

『や、ゃだ……ノア……ゃ……』

『私達はもう……ふたりっきりなの……だから……ね?』

 

 だけどもう、わたしを気にかけてくれるのは彼女しかいなくて。

 

 ならば憂鬱なだけの「求め」も、ある程度は応えなければならなくて。

 

『わたし達……あっ……幼馴染の……んっ……友達のままじゃ……ダメなの?』

 

 ノアのそれが「愛」と呼べるものならば。

 

『……ダメだよ』『ぇ……ぁ……ゃぁぁぁ!……』

 

 わたしにとって、世界はもうその(すべ)てが。

 

『そんな繋がりは、すぐに壊れちゃうから』

 

 愛までもが、憂鬱なものだった。

 

「このような世界で幽河鉄道(ゆうがてつどう)に触れてしまった結果、どうやらそれによってエピスデブリが生まれるほどの混乱と混沌を、ジュベ様は得てしまったようです。これは意図せぬこととはいえ、私の観測それ自体が原因のひとつ。ジュベ様には、これをお詫び申し上げたいと思います」

 

 それがわたしの世界。

 

 わたしが溺れていた世界。

 

 だから。

 

「わたしに触らないで!!」

 

 こんな少女が、わたしの味方であるはずもない。

 

「わたしに近寄らないで!!」

「ジュベミューワ様……」

 

 そう思うと、一瞬で全てが繋がったような気がした。

 

 ああ、だからわたしは。

 

「どっか行って! いなくなって!」

 

 要するにわたしは、()()されているのだ。

 

「ジュベミューワ、様……」

 

 ここは夢の中と、白銀の、白金の少女は言った。

 

 それはそうだろう、現実の世界に、ここまで容姿の整った可愛らしい、キレイな美少女なんて、いるわけがない。

 

 もしかしたら、どこかにはいるのかもしれないが、わたしが関われる範囲にはいないのだ。

 

 わたしの世界には、あるはずもないことなのだ。

 

 目の前の少女は幻で、だからこんなにも可愛らしく、美しい。

 

 彼女は美麗なる幻で……つまり敵。

 

 排除すべき、敵なのだ。

 

「ジュベミューワ様、このままで事態が推移すると、ジュベミューワ様は程なく落命されることとなります」

 

 ほらやっぱり。

 

「マイラを殺し、その亡骸を海に捨て、その現場をレオ様に目撃されて、斬り捨てられることとなります。私はマイラにも、ジュベミューワ様にも死んでほしくありません。そのために私は、このローブの力を借りてまで、ここに(あらわ)れたのです」

 

 見せびらかすように、荘厳な薔薇色のローブを見せつける偽りの美少女に、わたしは思う。

 

「わたしに関わらないで! わたしに触れないで! わたしに醜い現実を見せないで!」

「ジュベミューワ様……どうか私の話を聞いてください……そうでなければ、大変なことになってしまいます」

 

 わたしの味方なら、お母さんやお父さんのようにわたしだけの味方ならば、こんなことは言わない。

 

「全部全部消えて!」

 

 わたしの世界に、もうわたしだけの味方なんていないから。

 

「みんなみんな死んじゃって!!」

 

 だからもう、この世界は敵だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「こちらが言われたとぉ~り~準備したぁ、船乗りじゃなくてぇも、なるだけ快適に過ごせるよぉに造った部屋だょ~」

 

 船には、何事も無く乗り込むことができた。

 

「ありがと。では出港は、明日の明け方に?」

「これからじゃ、す~ぐ夕方になっちまぅ。出航すること自体は無理じゃぁ、ないんですがぁ~、出港する船が少ない時間帯に出航すっとぉ~、目立つんでぇ。あたしゃ嬢ちゃん達の事情は知らねぇし、知りたくもねぇがぁ~、ワケ有りなら目立たない方がいいんじゃぁ、にゃいですかぁ?」

 

 この船は、コールタールを塗っているようで、外観が真っ黒だ。大きさとしては全長が四十メートルほどでマストは五本。乗組員は私達を入れて四十人ほどなのだとか。商売上、何度も見た船ではあるが、中へ乗り込んだのはこれが初めてだった。

 

 案内された部屋……船室は、夢の世界の単位でいえば十畳(じゅうじょう)ほどの広さだった。

 

 船室としてはそれなりの広さだが、大きな樽(高さが私の胸元くらいまである)が壁際に六つ並んでいるのと、出入り口付近にはキャビネットやらチェストやらが多いのと、奥にはテーブルやダブルサイズのベッドが置かれているのもあって、居住空間的な意味での広さはあまり感じられなかった。

 

「それもそうね……その割には、この部屋、窓が多いみたいだけど」

「初めてだと、しばらくは食っても戻しちまうんでぇ~。ま、換気の問題ってヤツでぇ」

「うぇ……」

 

 ちなみに、コールタールも東の帝国からの輸入品だ。コールタールがあるということは、その原料であるはずのコークス、石炭を工業的に扱う技術が、東の帝国にはあるのかもしれない。もしかしたら蒸気船とかもあるのかもしれない。けど王国に、そうした技術がもたらされている様子はない。コークスの輸入はないし、石炭を使う文化もない。燃焼石(ねんしょうせき)があるから不要とも言えるが、燃焼石からでは、コールタールなどは生み出せないこともまた確かだ。

 

 その辺は、帝国が外へ流出しないよう、しかと握っている技術なのかもしれない。

 

「吐く時は窓から海へお願いするっす~」

「……了解」

 

 ま、コールタールは強い発癌性(はつがんせい)を持つ危険物でもあるから、人権意識のないこの世界で下手に製造が始まると、間違いなく悲惨なことが起きる。その意味においては、それを帝国が握ったままであるというのも「一般市民の日常生活においては」けして悪いことでもないのだろう。

 

「船酔い、か……最初の内は地獄だっていうけど……」

「馴れっすよ馴れぇ~。着く頃には陸にいる方が不思議な感覚になるもんでさぁ」

「そういう、ものですか」

「う~ん……なんでだろう……レオが船酔いしているところが、全く想像できない」

 

 この辺、なんていうか……ヒーロリヒカ鋼もそうだけど……「名目上は南の大陸との取引であるからセーフ」なんて情けないコト言う前に、王国と帝国の技術格差について、もっと真剣に考えた方がいいんじゃないかなぁって思わなくもない。

 

 ここ一、二年、王国の多くの貴族達が、帝国への遠征を強く主張している。

 

 やられっぱなしでいるとは情けない、正義は我らにあるのだから神もこれに味方してくれるであろう、敗北などあるわけがない、これに反対するは王国の力をも疑う敗北主義者どもである、云々。

 

 たぶん、この主張をしている貴族の何割かは、三年前に王都へモンスターを呼び込んだ裏切り者達だ。つまり、帝国は王国へ遠征軍を出して欲しいんだと思う。帝国にはモンスターを手懐ける技術なり魔法なりがある。三年前は、しかしそれを使った大規模な侵略も防がれてしまった……では、ならば遠征軍を出し、手薄となった王都であればどうか?

 

 森の大迷宮(ダンジョン)が切り拓けない以上、帝国へは海路を進むしかない。個人でさえ通常一年はかかる距離だ、軍隊ならもっとかかるはず。それは行きも()()もそうであるはずだから、王都がまた襲撃されたからといって、帝国へ向かわせていた軍隊をすぐに戻すことなどできない。

 

 そこを狙い撃ちされたら、今度こそ王都は落ちてしまうかも知れない。

 

 ただ……こんなのは当然、王様だってわかっていることだろう。

 

 だからこそ遠征軍は、いまだ編成すらされていないのだから。

 

 正常な判断ができる中枢のようでなによりだけど……でも、それならばやるべきは、英雄レオポルドの捜索などではなく、スパイの炙り出しと、あらゆる方面における技術開発だったと思う。

 

 技術こそが世界を変えていくのだから。

 

 蒸気機関が、電気が、モーターが、インターネットが、世界を変えてきたように。

 

 技術こそが世界を変える。だからこそ技術は絶えず研究をし、開発していくべきなのだし、それを横から盗んでいくようなスパイの存在を許してはならない。

 

 ましてや戦争ともなれば、この原則はより強固、あるいは凶悪なものとなる。

 

 帝国はおそらく、やろうと思えば、モンスターを手懐ける技術なり魔法なりを使って森の大迷宮(ダンジョン)を抜けることができるのだろう。そうでなければ、こちらへ領土的野心を見せる意味がよくわからない。飛び地の統治が困難であるのは、国家運営における常識中の常識だ。

 

 それをやっていないのは、大迷宮(ダンジョン)に大軍が通れるほどの道を拓いてしまうと、西の同盟国と手を結んだ時の王国が、それなりに強力だからなのではないだろうか。侵略は、それより先にこれを(くじ)く必要がある……たぶんそういうことなのだろう。

 

 ならば王国も、モンスターを手懐ける技術なり魔法なりの研究を急ぐべきだった。大迷宮(ダンジョン)を抜ける技術を開発すべきだった。

 

 技術を軽視するというのは、自分に首輪をして、その手綱を敵国に譲り渡すかのようなものだ。

 

 現状、新たなる展開も、終わりも見えぬこの戦争において、王国は帝国と同じ土俵にすら立っていない。

 

「あ~、技術開発って話なら、酔い止めとかも、創っておけばよかったな~。ま、そんな知識は持ってないけどね~」

「あ、飴ちゃん舐めるっすか?」

 

 裏切り者こそが聖戦を(うた)う。

 

 追従するは、彼我(ひが)の足元すらも見ようとしない者達。

 

 見え見えの落とし穴を前に、進まぬ者は臆病者であると嘲笑って煽る。

 

 進まぬ者は去れ、王であるなら玉座より去れ、貴人であるならば失脚せよ、被支配民であるならば、せめて最前線にて()()けと舌鋒(ぜっぽう)鋭くして気炎(きえん)()く。

 

 なんとも、人類史の愚かさを凝縮したかような、莫迦莫迦(バカバカ)しい話だった。

 

「大丈夫、飴ならロレーヌ商会謹製のを準備してもらってるから」

「あー、ロレーヌ商会のは味がいいっすよねぇ~。あたしゃぁ、チョコレートは腹を下しちまうんでぇ、好きじゃねぇんですがぁ~、飴ちゃんはグッドだと思いますぅ~。高いけどぉ」

「あっ、はい……ぃゃだって飴は昔からあるモノだから、高品質化するくらいしか、差別化の目がなかったから……」

「そんなのにも手を出していたんだ、ラナ」

 

 ま、こんなのはもう……私には全部、関係のないことだけれどもね。

 

 今はもう、ここより始まる、虹色の船酔い生活が憂鬱なだけだ。

 

 はぁ……。

 

「まぁ~慣れてくっとぉ、その(にお)いすらも、どぉってぇ~ことにゃくなるんですがぁ~。不要なら舷窓蓋(げんそうぶた)を下げたままにしておいてくだせぇや。どっちにしぃろ明日、沖に出るまでは下げといてもらわにゃ困りますがぁ~ね」

「明日からは、船の中を歩いても?」

「明日の昼頃までにゃあ~、船員全員に話つけとくんで、それからなら構いませんぜぇ~」

「そう。それにしても……船は女人禁制のところも多いって聞いていたけど、そうでもないのね」

 

 私は、猫耳をぴこんぴこんさせているボサ髪の少女へ、そう言う。

 

 それは随分と眠そうな目をした、出会った頃のレオ並に背が低い、だけどしなやかな筋肉が全身についた女の子だった。猫人族(ねこじんぞく)は、ボユの港ではたまに見る。でも、この船の乗組員にいたとは知らなかった。

 

 事前に、私達への応対役はできれば女性をと、それなりに切実なオーダーを出していたのは私だが、それへの(こた)えがこの猫人族のようだった。

 

「ユーマ王国にとっちゃあ~、西の同盟国ですかぁ~ね? そっちだとそぉ~ゆぅ~のぉも、あるみたいなんですがぁ~。あたしゃ南の大陸の生まれなんでぇ」

 

 確かに、タンクトップのような上着に、短いオーバーオールというかサロペットというか、そういうものを着込んだその身体は、南の大陸の出身らしく色々な意味で慎ましい。筋肉がついていてさえ、手足は棒のような細さだった。

 

 全体としては……なんていうか、野良猫みたいな女の子だ。

 

 元は銀髪だったのであろう髪も、そのあまりのボサボサぶりに、そのあまりのモワモワぶりに、なんだかもう、キジトラの模様みたいに見えてしまう。

 

「かぁーちゃんは東の帝国生まれみたいなんですがぁ~、なんか色々あって南の大陸へ逃れて、とぉ~ちゃんと結ばれたみたいなんでさぁ。南の大陸では、働くんにぃ、男とか女とかあんま関係ないんでぇ~」

「南の大陸では、そうなのね」

「あたしらみたいなんはぁ~、メスの方が強かったりもしますんでぇ」

「そ、そうなんだ」

 

 うーん……猫は、カマキリとかチョウチンアンコウとかとは違って、喧嘩はオスの方が強い生き物だった気がするけど……ま、サルと人間が違うように、猫と猫人族も違う生き物なのだろう。知らないけど。

 

「ま、そんなわけで今日はぁ、この部屋で大人しくしててくだせぇ~。何かありましたら、声をかけてもらえればぁ~」

 

 ……などと、そんな、どうでもいいことを考えていたら、キジトラっぽい女の子は「あたしにも色々仕事があるんでぇ~」とのことで、そそくさと私達に背を向けてしまった。

 

「あっ、はい」

 

 その、つれない様子まで、猫みたいだなって思った。

 

 ……最後の一言を聞くまでは。

 

「そんじゃごゆっくり~。あ~、そこのベッドでまぐわってもぉ~、問題はないでぇすがぁ~、真水が貴重な分、洗濯が大変なぁんで~、そこだけ注意してもらえればぁ~」

「……はい?」

「子孫繁栄は陸でお願いするっす~」

「……」

 

 

 

 ……うるさいよ、こんニャろう。

 

 

 

 

 

 

 

「……余計なお世話っす~」

「ラナ、相手がいなくなってから物真似で答えるって、僕でもどうかと思うよ?」

「真水が貴重なら、あの子こそ出港の前に一度お風呂入って欲しいなぁ……」

 

 正直、キジトラな少女からは、結構な(にお)いが感じられた。といっても、私が男性に感じる(にお)いとは、また全然別のものだ。詳細は……まぁ……さすがに本人の名誉のため省くけど……随分長いことお風呂に入っていないんだろうなぁ、って(にお)いだった。猫が風呂嫌いであるというのは有名な話だけど、猫人族もそこだけは同じなのだろうか。

 

「……いやでも、猫は猫でキレイ好きだったような……どうなんだ? ホント」

「さぁ?」

 

 もっとも、真水が貴重な船の上では、入浴に無頓着でいられる方が強いのかもしれない。

 

 その意味で言えば、私はその真逆(まぎゃく)の人間だ。わかっていたことだが、これからしばらくは入浴もできない。憂鬱だ……。

 

「ラナはホント、お風呂が好きだよね。でも、郷に入っては郷に従え……だっけ? ここでは船乗りの流儀に従うしかないんじゃない?」

「そうかもしれないけど……でも大丈夫かな、マイラがまた吠えちゃうんじゃ……って、あれ?」

「ん?」

「マイラは?」

 

 そういえばあの巨体がいない。ここで待っているかと思ったのに。

 

「む?」

 

 マイラのことは、ラナが知ってるんじゃないの? って、レオの目が言っている。

 

「え、と」

 

 ごめん、知らない。昨日、私はこの船の乗組員にマイラのリードを渡した。さっきの猫人族の子ではない。でも、その男性はここ一年くらい、商取引上の都合で何度もお店に来ていた。顔見知りだったし、だからこそそこで間違いが起きたはずもない。

 

 でも、そういえばその扱いについては、ちゃんと指定してなかった気もする。手間賃を渡し、ちゃんとご飯をあげてくださいね、くらいは言った……かな?

 

 てっきり私達の部屋で待っているかと思っていたが……よくよく考えてみれば大型犬は、そもそも飼い主と同じ部屋で飼うという概念が薄い……そういえば、一応は番犬であるとも言ってなかった気がする。

 

 下手したら、船倉にでも押し込められた?

 

「あー、もー、こういうのがあるから、すぐいなくなっちゃうのは困るのにぃ~」

「どうする? さっきの子、呼んでくる?」

「あー……ううん、待って」

 

 ここ数日間は、他に考えることが多かったから、マイラのことがおろそかになっていた。

 

「うん?」

 

 思えば私は、マイラのことは「レオの領分」と考えていた部分がある。

 

「ちょっと船上生活を甘く見ていた。虹色なアレでさえも窓からしなきゃならないって……じゃあマイラのアレとかソレとかの諸々はどうすればいいの? 人間が船上で快適に過ごすための準備は……飴ちゃんとかもそうだけど……それなりに整えたつもりだったけど、そういえば犬用のソレについては、な~んにも相談してなかったって、今気付いた。エサとかについての話はしてあったけど」

「あ~」

 

 けど、今回の場合、金銭の問題であるとか、居住空間の問題であるとか、そういった方向からもマイラのことを考えなければいけなかった。私とレオとの関係性において、それは商人の娘である私の領分だ。

 

 レオがやってくれるだろうと、ぞんざいにしてはいけない領域だった。

 

「出港まではあと十時間くらい? 必要なものがあるなら、船が港へ停留している間に準備してもらわないといけないから……レオだけじゃ、お金の話とかで面倒になるかもしれないでしょ? だから私も行く」

「そうだね、一緒に行こう」

 

 

 

 ……思えば。

 

 

 

 ……私はこの時、色々と気が抜けていたのかもしれない。

 

 

 

 私にとって、この世で一番大切なのはレオ。

 

 私とレオが平穏に、幸せに暮らすことがもっとも重要で。

 

 でも、何事もなく船に乗り込み、レオとふたりっきりになって。

 

 私は、少しだけ安心してしまったのだろう。

 

 だからこそ、マイラのこともちゃんと考えなければと思い至ったのだし、それはつまり、私が「レオ以外」へ目を向ける余裕を、(ようや)く取り戻していたということでもあったのだろう。

 

 

 

『それには及びません』

 

 

 

「ん?」「あれ?」

 

 

 

 だから唐突に聞こえたその声は、最初なにかの気のせいかとも思った。

 

 気が抜けたところに、少しだけ入り込んだ幻であると。

 

 けど、レオの様子を見るに、声が聞こえたのは自分だけではないようだった。

 

 

 

「ラナ、今何か言った?」

「んー……私の声は、もっとトゲのある感じなんじゃない?……誰かいるの?」

 

 後で考えれば、ふたりしてこの気の抜けた反応は、やはりおかしいものであるとも思えた。

 

 私達は逃亡者であったはずで、ならば唐突に聞こえた未知の声には、もう少し警戒が先に立って、(しか)るべきだったのだから。

 

「そんなことはないけど……まぁ確かに、ラナよりも優しい感じのする声だったね……っつぅ……なんで背中を(はた)くのさ」

「知らないっ」

 

 

 

『こちらです、センゾクツグ……ラナンキュロア様』

 

 

 

 けど、だからといって破滅的なことは何も起きず、その声は再び聞こえてきた。

 

 優しい、だからそれに対してはなかなか警戒もできないような、それどころかどこか心がホッとするような、暖かな気持ちになるような、そんな柔らかな声だった。

 

 

 

「……また聞こえた。しかも名前を呼ばれた。ねぇ誰なの? どこに隠れているの?」

「……ええっ!?」

「ん? レオ……どうし……ほへ!?」

 

 十畳くらいの面積に、様々なものが置かれた船室。

 

 だからそこには、(かげ)となるスペースがいくつかある。

 

 出入り口付近にはキャビネットの陰。

 

 ベッドの(そば)にはその陰。

 

 壁際に林立する樽の間にも、子猫くらいなら隠れられそうだ。

 

「え? え? え?」

 

 そうした「物陰」のひとつ、いくつかある丸窓のひとつ、その手前に置かれた机、その脇の、丸めたテーブルクロスのようなものを差してある木箱、その陰に。

 

 

 

「な、な、な、な、な」

『ラナンキュロア様の体感的には、十六年ぶり……でしょうか』

「ラ、ラナ! 僕の後ろに!!」

 

 

 

 私が、かつて夢で見た、マイラよりはふた周りほど小さいけれど、それでも大きな、白い犬。

 

 銀色にも、薄い金色にも見える艶やかな毛並み、それが今は、何の比喩でもなくぼんやりと輝き、光っている。

 

 

 

「毛並みが光って、人語を喋る犬なんて……そんなモンスター、いるの? ラナ。……それともあれは犬人族(いぬじんぞく)の亜種か何か?」

 

 

 

 その姿と、今のこの光景の非現実感とがカチッっと()まり()んで。

 

 

 

「違う……あれは……」

「……ラナ?」

 

 

 

 脳内で、なにかがガッチリと繋がった感覚があった。

 

 この世界に生まれてから、この世界でずっと生きてきた私。

 

 夢の世界の、推定前世でひどい死に方をしたあたし。

 

 

 

 そのふたつの、架け橋(ブリッジ)となった「犬の夢」「鉄道機関車の夢」。

 

 

 

 しばらく前から、妙に色々と、前世のことを思い出せるようになっていた。

 

 レオと出会うまでは、ぼんやりとしたイメージでしか覚えていなかった夢の世界。

 

 レオと出会ってからは、色々なことが思い出せるようになった。

 

 今となっては、どうしてそれを不思議とも思っていなかったのかも、わからない。

 

 ただぼんやり、脳内のなにかしらの回路が開いたのかなと思っていた気がする。恋をしたから、思春期以降の思い出が蘇ったのかなとも。

 

 

 

 でも、そうであっても、思い出せなかったことがひとつある。

 

 なにか、作為的とも思えるほどに、霞がかって見えていなかったもの。

 

 

 

 この犬の正体。

 

 

 

 時を渡る幽河鉄道(ゆうがてつどう)()()()()()

 

 

 

 その真の主である()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それゆえに、()()()の魂に新たなる一類のエピスデブリ、「自分は犬畜生にも劣る妹」を与え、あたしという人間をより破滅的にさせた張本人……もとい、張本犬(ちょうほんけん?)

 

 

 

 私に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を授けた魔法犬(まほうけん)

 

 

 

 幼少期に得てしまった一類のエピスデブリ「世界に愛されなかった者を愛したい」によって、真っ当な人の愛し方を忘れてしまった前世の()()()が……それはもう激しく嫉妬した、その対象、その相手、憎悪というベクトルが向かうその先。

 

 

 

 それは……。

 

 

 

 嗚呼、それは……。

 

 

 

「ラナンキュロア様……申し訳ありません、私、ジュベミューワ様を……ジュベ様を、壊してしまいました」

 

 

 

 忌々しいほどに、狂おしいほど愛らしい姿をした……凶悪な犬畜生だった。

 

 

 



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epis50 : NightmaRe:STYX HELIX

 

<はじまりの千速継笑(せんぞくつぐみ)視点>

 

 肉の苦痛は消え去った。

 

 だけど、いまだ消えぬ幻の痛みがピリピリと、身体中のあちこちを痛めつけてきていて、熱を失った幻の身体からはだけど何か(にお)いが、幻であろう腐水のような臭いが、つんと立ち昇ってきている……そんな感覚がある。

 

 死んでさえ汚い、おぞましく穢れた自分。

 

「くぅん」

 

 だから、そんな私に対峙する、目の前の可愛らしい「それ」は、唾棄したくなるほどに(うと)ましく思えて仕方無かった。

 

「お兄ちゃんが偉大なる魔法使い? どういうこと?」

「ナオ様は……」

 

 それは、美しい毛並みの犬だった。

 

 英国(白い、)ゴールデンレトリバー。

 

 全身が白銀(はくぎん)のように、白金(はっきん)のように(やわ)く光る、新雪のように白く穢れなき犬。

 

 顔付きはひどく理知的で、その黒い瞳は理性的で、全体としてノーブルな雰囲気を放っていて、それなのに垂れ耳には愛嬌があって。

 

「ナオ様は……ふふっ」

 

 犬なのに、喋るその声も、ハチミツとバターをたっぷり乗せたふわふわのホットケーキのように甘く、しっとりとしている。

 

「前世、千速継笑様のお兄様であられたナオ様は、第二類魔法構造学の進化と進歩を、おひとりで百年は早めたとも謳われた、魔法学界の偉大なる革命児だったのですよ?」

 

 もっとも、その言っている内容は、ヘドロのように穢れた私には全く理解できなかったけれども。

 

「え?……は?……えぇ?……第二類、魔法構造学?」

 

「ナオ様と私が生を受けた惑星では、世界の()(よう)を探求する魔法学の進歩が、空子(ケノン)の“魔法学的発見”へと繋がりました。後にナオ様はこれを、地球における原子(アトム)の“科学的発見”に、似ていたのではないかと語っていました。我々は、原子を発見する前にダークマターや重力子(グラビトン)、マヨラナフェルミオンを“発見”してしまったようなものだ……とも」

 

「……なんの、話?」

 

「地球においては、人の身における“観測者の限界”を、観察者効果、不確定性原理などと表現するのだと伺っています。私達の世界においては、魔法がこの限界を突破したのです。量子力学の世界においては、通常の物理法則は通用しませんが、これはつまり、そこにおいては、人が五感で“観測できない何か”が強く影響しているということです。五感にしか頼れないのであれば、量子より先、”その先の世界”の“観測”は、光によって浮かびあがるそのモノの正しい形ではなく、その影を追うことにのみ終始せざるを得なくなります。それは、人の手がキツネやカニに見えたりする世界、正方形が六角形に見えたりもする世界です」

 

「だからなんの話よぉ!?」

 

「ですが、五感で“観測できない”のであれば、人が五感を超えた“観測()”を(そな)えればいい……そうは、思いませんか?……これが電子顕微鏡なり、スーパーカミオカンデなりによって”その先の世界”を知ろうとした地球と、ナオ様と私達の惑星との、違いでした。ナオ様は“見ること”の代替として“観ること”ができるようになりました。これは魔法的に取得した周辺の“世界の情報”を、脳へ直接送り、その像を頭の中に浮かび上がらせるという技術です。“人体の観測()拡張計画”を推進しようとしたイデア派の“発明”した、魔法の技術です……これは、ナガオナオ様が辿った、道筋の話なのですよ、千速継笑様」

 

「だったらもっと私が理解できるように喋ってよ!!」

 

 犬は、時折困ったように軽く首を傾げる。

 

 それはどこか、この(よご)れた自分を莫迦(バカ)にされているみたいで、酷く私の(かん)(さわ)る仕草だった。

 

「では……原子(アトム)の“科学的発見”は、地球において原子爆弾、水素爆弾等の“核兵器の発明”に繋がり、それが長きに渡る冷戦の時代を生み出したのだと伺っています。空子(ケノン)、そして準空子(クアジケノン)の“魔法学的発見”は、ナオ様の世界においても同様に作用したのです。魔法は、ナオ様のその時代に、人類そのものを一瞬にして滅ぼせる、その領域に達してしまったのです」

 

「……は」

 

「その先においては、地球における核技術と同様に、魔法もまた国家および国連機構による監視、監督を受けるようになり、厳重に管理されるモノとなりました。そこにおいて個人の魔法使いは、もはや悪でしかなかったのです。ナガオナオ様は偉大なる魔法使いであり、国家の、世界の超重要機密を知る、魔法工学者でもありました。地球においても、ある程度科学に詳しくなれば爆弾を、工学に詳しくなれば銃器を、兵器を造れるようになるでしょう? “技術”とは、その気になれば、それはいくらでも人を不幸にし、殺してしまえるモノなのです」

 

「……ははっ……なにしてんのよ、お兄ちゃん」

 

「魔法を使えない、大多数の人々にとってそれは、いくらその恩恵に与り、豊かな生活を謳歌していようとも、不気味で、よくわからないナニカで、遠ざけてしまいたくて、関わりたくない、つまりは“悪”と何も変わらないナニカなのです。ナガオナオ様が、偉大なる魔法使いが、どういったものかを考えるのであれば……そうですね、地球におけるノーベル、ノイマン、フェルミといった、功罪(こうざい)ともに(いちじる)しい科学者、数学者、物理学者等を想像すればよろしいのではないかと」

 

 ダイナマイトを発明して巨万の富を築き、その罪滅ぼしにノーベル賞を設立したノーベル、ね……それはもう、なんかもう、凄すぎてまるでピンとこない。きてくれやしない。

 

 本当にもう、なにもかもが私を莫迦(バカ)にしているみたいだ。

 

 お兄ちゃんがそんな風に生きたというなら、地球に生き残って、だけどあまりにもみすぼらしく死んでしまった私はなんだというのか。

 

「……だったら」

 

「千速継笑様?」

 

「私に力をくれるって言ったよね!? だったら! あたしにその“人類そのものを一瞬にして滅ぼせる”って魔法!? 頂戴!! あたしは滅ぼしたい! 滅ぼしたいよ!! 人類なんて!! あんな……あんな醜くて莫迦(バカ)で、その莫迦(バカ)さ加減をこれっぽっちも恥じてなくて! 人の不幸は蜜の味で! その蜜に(たか)るアリみたいに矮小で猥雑で! 尊厳なんかなくて! そんな幻想は嘲笑うだけのモノでしかなくて! 嘲笑われる方は際限なく堕ちていくしかなくて! そんなのが! あんなにも多く現れるのが人類なら! そんなのは滅べ! 滅んでしまってよぉ!!」

 

 私の心は、どこまでも醜く濁っている。

 

 辛苦(しんく)朦朧(もうろう)とする意識の中、汚濁(おだく)(うず)もれて息すらもできなかったその記憶が、罅割(ひびわ)れた心の(うち)に飛び飛びのまま、バラバラの状態で無秩序に、砕け散ったガラスの破片のように、転がっている。

 

 鋭利な切り口をそのままに、今もあたしへと向けながら。

 

「……できません、核兵器のような(そのような)エピスなど、私は持っていないのですから。それに……私は、千速継笑様を幸せにするために、ここへ(つか)わされたのです。ですから、千速継笑様に、不幸せになるような未来は、選んでほしくありません」

 

 美しい犬は、だから、私にとって、どこまでも憎たらしい存在だった。

 

「なんでよ! どうしてよ! なんでなのよ!?」

「きゃうっ!?」

 

 だから蹴る。

 

 せめて切り口が自分自身へと向かないように。

 

「きゃうんっ……きゃぅーん……」

 

 蹴って蹴って、蹴りまくる。

 

 醜く砕け散った自分の前に、整い、完璧に秩序だった美しさが、可愛らしさがそこにあることがどうしても許せなくて。

 

「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いっ!」

 

 毛皮越しに、(うごめ)く肉の感触がある。

 

 人間のモノよりも細い骨が、(きし)んでいる音がする。

 

 悪夢のように生々しいその存在感は、私を不快にして、あたしに吐き気を(もよお)させる。

 

 アバラが浮き、長い毛の生えたその腹を見せ、犬はこちらを悲しそうな目で見ている。

 

 そこに、痛みに耐える苦悶の表情はない。

 

 そのことに、無性に腹が立つ。

 

 わかっている。

 

「なんでよ! なんでなのよ! どうしてなのよ!」

 

 今は私が蹴っているのだから、加害者は私だ。

 

 そのはずだ。

 

 もうあの檻には、戻りたくない。

 

 どこまでもどこまでも傷付けられ、逃げられず、奪われ、汚され、泣くことを、叫ぶことを、屈服することを、媚びることを、嘲笑われることを、そんな何者へも何物にも如何(いか)な良い影響をも与えぬ苦痛に耐えることを、無為の時間に囚われることを、無意味に、無価値に強要されて、この世全ての穢れを延々と押し付けられる……あの檻には。

 

「きゃぅっ」

 

 だから蹴る。

 

 穢れた肉の世界から解放された今、そこへはもう戻りたくないから蹴る。

 

 そこに因果関係などない。

 

 もう、理路整然とした理屈など、あるわけがない。

 

 私の中にあった秩序「的なモノ」は、もう全部壊れている。

 

 バラバラのピースでしかないのだから、無関係なピースが隣り合い、結びつくこともあるだろう。それが罅割れてしまった世界の特質、それこそが壊れてしまった世界の属性、プロパティ。

 

 Aの隣がBではない世界。

 

 ()足す()()()()ではない世界。

 

 長い苦痛の先が破壊衝動に繋がっている世界。

 

 可愛らしい犬を見れば、その内蔵を引きずり出してやりたいと思う世界。

 

 あたしが壊れて欲しいと熱烈に願う世界。

 

 自覚する。

 

 私はもう、本当に芯から罅割(ひびわ)れ、壊れてしまっている。

 

 だから。

 

「消えてよ! 全部全部消えてよ!」

 

 蹴るしかない。そんな風にしか、もういられない。

 

「どうして消えてくれないのよ! どうして壊れないのよ!!」

 

 だけどもう、肉の世界はとっくに終わっていて。

 

 この世界はやはり理不尽で。

 

 私が壊れたようには、目の前の小さな身体は壊れない。

 

 白銀の、白金の身体は壊れてくれない。

 

 本当に、この犬はどこまでもあたしを莫迦(バカ)にしている。

 

「壊れてよ! 血を流してよ! 傷付いてよ!!」

 

 そのことが、まるで自分だけが特別、苦しまなければいけない存在だったとでも告げられているかのようで、理不尽で、不公平で、最期には被害者意識に染まらなければ息をすることもできなかった人生が、本当に無価値であったと思い知らされるかのようで。

 

「きゃうっ」

 

 ただ、反応のない肉を、もう一度だけ蹴る。

 

「ううっ……ううう……」

 

 どこまで行っても、私は無意味で無価値だった。

 

 加害者となってさえ、何も壊せない、何も傷付けられない。

 

「……くぅん?」

 

 疲れた。

 

「なんでよ……なんでなのよ……」

 

 こんなのは徒労だ。

 

 何の意味もない。

 

 私という人間に意味がないのだから、私がすることには何の意味もないのだ。

 

「くぅん……」

 

 蹴ることをやめても、犬はまだあたしに腹を見せている。

 

 だけど。

 

「……ビッチの天使様はビッチってこと? 皮肉が利いてていいじゃない」

 

 それに、()()()()()()()()()

 

 この無抵抗な犬は、牝犬(ビッチ)だ。

 

「……あ」

 

 そのことにより、私の中で何かがひっくり返る。

 

「あああぁぁぁ……」

 

 無抵抗の存在へ、私は今何をしていた?

 

 無抵抗に、その白い腹を見せ、暴虐を、残虐を、苛虐を、加虐を、悪逆を、蛮行を……受け入れ。

 

 世界でもっとも醜悪な何かに身を(ゆだ)ねる存在へ、あたしは。

 

「いやあああぁぁぁ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 Aの隣がBではない私。

 

 ()足す()()()()ではないあたし。

 

 破壊衝動の先は、悶え苦しむしかない猛烈な罪悪感へと繋がっていた。

 

「こんなのは違う! 違うよぉぉぉ……」

 

 滅茶苦茶だ。

 

 こんなのはもう、なにもかもが滅茶苦茶だ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 何事も無かったかのように、犬はお腹を見せた状態からくるんと回転する。

 

 そうしてから、前足を曲げたままお尻を上げ、もっさもっさと尻尾を振った。

 

「エピスデブリの状態から、千速継笑様が酷い状況にあることは承知しておりました。一類の

エピスデブリが十八個、二類が五十七個、三類に至ってはもはや数え切れません。お辛かったことでしょう、苦しかったことでしょう。全てが終わった今も、魂がその状態では、理性あるそのことがまるで拷問のようにも感じられることでしょう」

 

「なんでよ……なんでなのよ……どうしてなのよ……あなたは何なのよ……」

 

「ですが、このままで転生された場合、おそらくは長く生きれないか、大悪人となるか、知らず、悲劇を再生産するだけの人生となるか、そうした可能性が、非常に高くなってしまいます。これは記憶を失っての転生であっても同様です。魂に傷が付いている、魂が汚染されていることに、変わりはないのですから」

 

「記憶を失っての転生であっても……記憶を失っても?……」

 

 本当に何事も無かったかのようなその様子に、涙も勢いを()くしてしまう。

 

 罪悪感はある。蹴った感触は、幻であるはずのこの身体に、足に、残っている。

 

「はい。エピスデブリは魂そのものに刻まれた傷、記憶を失っても、その影響は残ります」

「魂……」

 

 だけど、あたしのその狂態を、あまりにも無視し、スルーし、見なかったことにしてマイペースで話を続ける目の前の白い犬に、私の感情は、波打つのを少しづつやめていった。

 

「魂とは、平たくいってしまえば情報(データ)誘導体(デリバティヴ)群体(ぐんたい)です。知性体の知性と理性と個性は、それがどう結びつくかによって変化します。どう結びつくかについては、人間であれば親がどのような人間であったかであるとか、教育がどのようなものであったかといった、いわゆる成育史に大きな影響を受けますが、魂そのものにも傾向が無いわけではないのです。傷だらけの魂は、そうでないものよりも、あらゆることに(つら)さを多く、過剰に感じてしまうようです。汚染された魂は、そうでないものよりも自分自身に価値を感じにくく、喜びに鈍感で、幸せを得られにくくなるようです。千速継笑様の魂の状態は……ありていに言って最悪に近い状態です。これでは、よほどのことがない限りは、悪循環から抜け出せなくなります」

 

「魂の傷、汚れって……宗教みたいな話じゃない。なに? 壺でも買えって言うの? い、今のあたしは、ろ、六文銭すら持っていないみたいだけど」

 

 もはや、あまりにも理解できない話に、どこか狂的な可笑しささえ感じてしまう。

 

 本当にこの私を救ってくれるなら、全財産をはたいてでも神に祈りたい。

 

 だけどそんな奇跡は起きない。

 

 祈り、懇願して、あらゆるモノへ泣いて(すが)って、その全てが無意味のまま死んでしまった私という人間には、もはや何の奇跡も起きない。起きたとしても手遅れだ。

 

「イワシの頭も信心から、でしたか? それがいい結果をもたらすこともあるのでしょうが……多くの場合、それは無意味であり、それどころかより悪い結果をもたらすことが多いというのも、千速継笑様にはご理解いただけるかと存じます」

 

「そう、ね、存じていますよ、おりますよ」

 

 ――お世話になっております。天界の神です。

 ――このたびは当方を信仰いただき、真に有り難う御座いました。

 

 ――今回の救済依頼についてですが、慎重に検討した結果、ご希望に添いかねることとなりました。大変恐縮ですが、どうかご理解頂けるよう宜しくお願い致します

 

 ――これまでの懸命なる献身に、改めて御礼を申し上げますと共に、今後もより一層、当方へのご祈祷に励まれることをお祈り申し上げる次第です。

 

 ……どうせ神様なんて、祈りなんて、そのようなモノでしかない。

 

 他に何も方法が無い時、それくらいしかやれることがなくて、どうしようもないから祈る。

 

 苦しい時の神頼み。

 

 それは希望ではない、おそらくは絶望ですらない。

 

 それは、心と身体が他に何もできない状態の時、全く無意味に現れる幻で。

 

 つまりは、悪夢のようなモノだから。

 

「なら、犬の天使様は、どう私を救ってくれるっていうの?」

 

 この夢も、だからきっと祈りのように無意味なのだ。

 

 心はもう水泡のように頼りなくて。

 理性はもう重石に抱いて海の底で。

 身体は朦朧とする視界に倒れ込み。

 存在の全てが粘性の不快に齧られて混濁し混迷し迷走し停滞し彷徨って。

 どこへも行くアテが無くまだ自分がここにいるという責め苦にぐにょり顔を顰めながら泣いて、叫び、哭いて。

 

「こんなもう、救いようのないアタシを! どう私を救ってくれるっていうの!?」

 

 袋小路の隘路で叫びながら瞳を閉じてただ想うは死か救い□流れ出る涙はでもただ醜いだけで□美しい物語のようにはそれは何も変えられない□望んだのは何だったのか遡及追求迷宮号泣□たぶん生きたくて□でも苦しいから殺してほしいと願っていた□それは矛盾しない絶望と希望の合わせ鏡□どんなに叫んでも捻られて血を流し□ケダモノの愚行にほらまた掴まれる□囚われる堕とされる□殺したい殺せ殺してしまえ□苦爪楽髪その爪で傷つけて殺せ□この身は硬直苦渋は膨張□ああ殺したい殺してしまいたい□懐抱せし希望はどこまでも悪意と蛮行に褫奪され□恥辱で血塗られて□だけど復讐の時は無く□殺意はその機を逸して奥へ奥へと沈殿□嗚呼殺したい殺したいだから死ね□だけど汚水に浸食されてそれも窒息□圧搾され圧迫されてまたぺちゃんこ□果ては諦観に変質して玄室に鎮座する□もう終わりたい終わらせて□どうかこの苦しみに終末を□でも届かないどうしても届かない□どんなにどのようにどれほどどれだけ祈っても願っても□醜い涙を□汚れきった涙を□恒河沙を全て汚染するほどに流しても届かない□救えない掬えない救われることもない疲労困憊の魂魄は□息苦しく生き苦しく□見苦しくも呪言を吐いては跳ね返り□ただ被害者意識と自己嫌悪だけが舳艫相銜んで□胸郭を錯綜して串刺しの刑□痛いというよりは苦しい□息苦しい□死ぬほどの苦しみに死ぬこともできずのたうち回り□存在の意味は腐食して舫なく帰り着くべき場所も見失って□だからもう死にたい□死ねばいい□この苦しみにどうか終末を□それでもそんな終わりは嫌でやっぱりまだ生きたくて□だけどもうおそらく先は長くなくて□生き残っても自分にはもう醜い汚濁しかなくて□苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて。

 

 苦しんで死んで。

 

 罅割れ、バラバラに壊れてしまって。

 

 どうしたいのか、壊したいのか、救われたいのか、殺したいのか、残留する痛苦を全て消したいのか、それとも見える全てのものに消えてもらいたいのか。

 

 なにもかもわからなくて。

 

 あたしにはもう、そんな分裂した混沌しか、残っていない。

 

「それは、私の魔法、ヴォルヴァと、幽河鉄道(ゆうがてつどう)の合わせ技となるのですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「ラナンキュロア様……申し訳ありません、私、ジュベミューワ様を……ジュベ様を、壊してしまいました」

 

「……何をしたのよ?」

「ラナ!?」

「レオ、この犬はモンスターでも、切り捨てるべき敵でもないの。味方かどうかは知らないけど、とりあえず私は、コイツの話を聞きたい」

「知り合い……なの?」

 

 怪訝そうな顔のレオに、大丈夫だからと頷き、私は顎をしゃくって輝く犬へ、テーブルに乗るよう促した。

 

 察しがいいのか、犬はすぐにぴょんと跳ぶ。

 

「ひさし、ぶりね、ツグミ」

「はい、お久しぶりです、ラナンキュロア様」

「ラナンキュロア様、ね」

 

 私はそう、私も昔はツグミだった。だけどその意識は、完全にもう薄れてしまっている。

 私はもう、千速継笑様と呼ばれても、それを自分のこととは、思えないのかもしれない。

 

 完全に、消えたわけじゃない。今もレオ以外の男性は怖いし、(くさ)いのは嫌いだ。

 

 お兄ちゃんのことを思うと、自分は何もできなかったという想いと、黙って逝ったことへの腹立たしさと、心にぽっかりと空いた穴を自覚させられるけど。

 

 だけど私はもうラナンキュロアだ。レオが優しく、時に意地悪に、時に嬉しそうに、時にイタズラに、時になんでもないことのようにラナと呼ぶ、私だ。

 

「本当に、私のこと、ずっと見守っていたんだ?」

「ずっと、というと語弊があるのかもしれませんね、私自身が見守っていられたのは、マイラへ魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)、スピリットリンクを使っていた時間だけです。それでさえ幽河鉄道(ゆうがてつどう)のフィルターによって、中断されてしまったこともありました」

「マイラへ魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)……だって?」

 

 マイラへ魔法を使われたと聞いたレオの顔が、険しくなる。

 

「マイラに何をした!?」

「落ち着いてください、レオ様。レオ・フィベサッファ・コーニャソーハ様」

「フィベサ……なんだって?」

「……ちょっと待って、コーニャソーハって……王国の伯爵家のひとつじゃない」

 

 伯爵家というか、辺境伯だけど。領地が西の同盟国と国境を面していて、血筋的には尚武の気風で知られる王国きっての武闘派……だったような。

 

「はい、レオ様は、当代のコーニャソーハ伯爵が大番役(おおばんやく)で王都に駐留していた際、不夜城(色街)の女性と結ばれ、産ませた子供です」

「……伯爵家の、私生児」

 

 思わず、レオの、その顔を見てしまう。

 

「……なに?」

 

 そっかぁ、それでこのビジュアルかぁ。

 貴族が、おそらくは容姿優れた娼婦を孕ませ、産ませたわけか。

 どっちに似たのかは知らないけど……確かにね、ずっとノーブルな雰囲気の美形だなぁと思っていましたよ、ええ。

 

「なんでもない。まぁ、レオの出自がなんだとかは、もうどうでもいいけど……」

「まぁ……僕も今更そこは、どうでもいいけど」

 

 今更、私達に貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)であるとか、醜いアヒルの子であるとか、そういう物語が始まるはずもない。レオは自分を捨てた親への執着が薄い。気にならないかと聞いてみたこともあるが、それへの答えは「どうでもいいかな」だった。そんなことよりラナ()とのこれからが大事だとも。

 

「今はそれよりも、マイラのことだ」

 

 この辺りは、親への複雑な気持ちを捨てられない私とは違って、男の子だなぁと思った部分ではある。もっとも、そこに性差は、もしかしたら無いのかもしれないけど。私がマリマーネのことをいえないくらい、ドライではなくウェットな人間だってだけで。

 

「レオ・フィベサッファ・コーニャソーハ様、確かに私は、マイラを利用していました」

「ん……」

「ですがそれは、マイラとの契約でもあったのです。ご覧の通り、私も犬の身、犬の気持ちは、人が人の気持ちを理解できる程度にはわかります。けして一方的に騙し、利用したわけではないのです」

「マイラと、契約ぅ?」

 

 犬の世界にも、商取引とかあるのですか?

 

「はい。私は、御主人様より犬の寿命を延ばす魔法を授かっております。これにより、マイラの肉体年齢は通常であれば十六歳のところ、まだ五歳か六歳程度のコンディションです。長生きはマイラの望みでしたし、私が奪ってしまう分の時間を与えられるのですから、これに越したことはありませんでした。それと……」

「マイラって私と同じ年齢だったんだ……って、え、何? まだあるの?」

「はい。(よう)波動(はどう)というエピスも与えてあります」

「陽の波動ぅ? オーラってこと?」

 

 そういえばいつだったか、アイツなんか人に好かれるようなヤバイ波動(オーラ)でも出しているの? と思ったこともあったような、なかったような。

 

「簡単に言えば、エピスデブリの逆の作用を持つエピスです。エピスデブリは存在するだけで魂を傷付け、汚染しますが、陽の波動は存在するだけで魂を癒し、清めてくれます。実際に、肉体的な意味でもこのエピスは、持っているだけでかなり健康になれます。また、これは本人だけでなく周辺の魂にも影響を及ぼすので、マイラ本人の幸せのみならず、その近くで生きる全ての人に恩恵があります」

 

 ですから、鋏挿摘出(キレート)しきれないエピスデブリを持つラナンキュロア様の、その(そば)にあるのならばそれは、一石二鳥の効果が期待されたのですが……云々。

 

 うーむ……。

 

「マイラが妙に人に好かれるのも、そのせい?」

「そうですね。私がマイラに与えられたのは、ナガオナオ様が得た原典のそれよりも、遥かに効果が薄いモノですから、犬が嫌いという人を無理矢理好きにさせるような効果はありません。ですが、元々犬が嫌いではなく、むしろ好きという相手にならば、普通よりも少し好かれる程度の効果は期待できます。人は闇を怖れるもの、温かな光の波動を感じれば、それへ好感を抱くというのは生物としての本能ですから」

「……じゃあ、夜行性の生き物には嫌われたりも?」

「そうですね。ノミやダニ、病原菌なども光を嫌いますから、それらへの抵抗も増します」

 

 ……もしかして、マイラのことがあまり好きでない私って、夜行性の生き物だったのかな?

 

 ……ノミやダニ、菌とかと一緒って思うと……なんだか不愉快な気がしないでもないけど。

 

「ナガオナオ様が得た原典のそれを持っていた女性は、人の身でありながらもナガオナオ様より長生きをされたようですよ。幽河鉄道を使い、観測したところ、数百歳を超えてもなお若々しい姿のままで、子や孫に囲まれ幸せそうにしていたとのことです。ナガオナオ様も、あの人は、どれだけ()()きが好きなんだと笑っていました」

 

 それは、つまり。

 

「それ自体にも、長生き効果があるってことね?」

「はい。マイラは取引を持ちかけた私へ、長く、元気に生きたいという希望を告げました。私はそれを叶え、マイラの健康寿命を三倍から四倍に延ばし、その代わりにマイラの視界と、時に肉体そのものの操作を、借り受ける契約を交わしたのです」

「肉体そのものの操作、だって?」

「はい。ラナンキュロア様がレオ様と出会ってからは、二割近くの時間、私がマイラでした」

「な……」

 

 レオが絶句する。

 

 レオはマイラを気に入っていた。

 

 人へのそれとはまた違うチャンネルで、マイラのことを愛していたんだとも思う。

 

 そうして愛したマイラの二割が、目の前のこの犬だったというのだから、その衝撃は、その心的動揺には、計り知れないものがあろう。

 

「なるほどね。道理で、犬にしては人間みたいな反応が多すぎると思っていたんだ」

 

 ただ、私は自分でもビックリするほどそれに驚いていなかった。

 

 なにかしらの不快も、特には感じない。

 

「……マイラの二割が、お前?」

「寝ている時間を別にすれば、半分くらいが私でした」

「そういえば犬って一日を半分以上、寝て過ごしているもんね……」

「混乱してきた……いや、それでも半分のマイラはマイラだから……そうだ、本物のマイラはどこだ? お前よりもでっかい、あのマイラはどこへ?」

「そう、それにぶっそうなこと、言ってたよね? ジュベ様を壊してしまったとか、どうとかって」

 

 これは凶悪な力を持った犬畜生だけど、それは()()()の嫌悪感が、劣等感が、(ひが)みが、嫉妬が、そう感じさせているというだけのことだ。

 

 お兄ちゃんを愛し、お兄ちゃんに愛された盲導犬なのだから、行いが悪になることはあっても基本的には善性の存在であるはずだ。その信頼は、私という人間に今も残されている。

 

 お兄ちゃんは普通の人だった。

 

 聖人君子みたいに、簡単に自己犠牲を差し出すような、そんな人間ではなかった。

 

 ワガママで堪え性が無かった小さい頃の千速継笑に眉を(ひそめ)め、悪態をつきながらも、最後には諸々を妹へ譲ってくれるような、そんなお兄ちゃんだったんだ。

 

 特撮ヒーローよりも、少年マンガの主人公よりも、理科や科学、数学の話が大好きで、ゲームが好きで、ゼ●ダが好きで、マ●オが好きで、ス●ブラは……私とやるのはあまり好きじゃなかったみたいだけど……それはちょっと小憎らしいほどに頭がいいだけの……時折図書館で禁帯出指定のニュー●ン最新号を好んで読んだり、難しい本を借りてきたりもする……ただの小学生だった。

 

 この犬を私へ(つか)わせたのだって、きっと何か、お兄ちゃん自身の都合が含まれている。かつての妹を見捨てられないという感情的な都合もあるのだろうけど……でも、それ以外もきっとある。

 

 それは、それでいい。

 

 その、それがいい。

 

 あたしが失って、嘆いたのは、お兄ちゃんのその「普通」だ。

 

 千速継笑は「普通」を失った。両親も「普通」ではなくなってしまった。少なくとも千速継笑にとっては。

 

 頭が良かった兄に、期待していた両親はそれを千速継笑にも求めた。

 

 千速継笑に、千速長生(せんぞくなお)であることを求めた。

 

 千速継笑は中学受験をし、それに失敗し、公立の中学へ入った。

 

 すると、友達を持つことを禁止された。

 

 公立の小、中学というのは大部分が頭の悪い人間の集まりだから、そんなところで友達を作ったら人間の質が落ちてしまう、だから友達を作るのは一流の高校に入ってからだと言われた。

 

 言われるだけじゃなく、行動にも移された。

 

 スマホを監視され、同じ学校の人間と思われる相手には電話をかけられ、メッセージを送られ、ウチの娘は一流の高校に入って一流の人生を送る人間だから貴様らみたいなクズと付き合ってる暇はねーんだよと、そういう内容のことを婉曲な表現で伝えられた。

 

 頭のおかしい親を持つ子供。

 

 千速継笑の中学における立ち位置は、扱いは、つまりそういうものだった。

 

 それこそ、付き合ってる暇はねークズだ、危険物だ。

 

 千速継笑も、それを受け入れた。

 

 元々、人付き合いは好きじゃなかった。ワガママで甘ったれで、自分の意に沿わぬことはなかなか譲ろうとしない、頑なな人間だった。

 

 それが、甘えさせてくれた存在を失えばどうなるか。

 

 それが、甘えを許してくれる環境を失えばどうなるか。

 

 拒絶だ。

 

 世界との関わりを、自ら拒絶して閉ざす。

 

 親の期待とは別のベクトルで、千速継笑は自ら、人付き合いを断ってしまった。

 

 その断絶が、絶望が、千速継笑をこれも親の期待通り勉強の虫とさせ、一流といわれる高校への進学を果たすことになるのだが、しかしそうして入った高校で、次は一流の大学だぞと言われ、そして(ようや)く許されたはずの友達作りにも失敗して……中学時代を千速継笑のように送った人間に、もう友達など作れるはずがなくて……千速継笑は人生を、完全に悲観してしまった。

 

 自分にはもう、何も無いのだと思った。

 

 普通に、少ないながらも数人の友達と友誼(ゆうぎ)を築き、いい恋も、悪い恋も少しだけ経験して大人になって、お互い、幸せになれそうな相手と結婚する。

 

 そういう「普通」。

 

 それは、お兄ちゃんが病死したその時に、失われてしまったのだと思った。

 

 ……三年前。

 

 コンラディン叔父さんの手紙を読んだ時、私の中の何かが動いた。

 

 ああ、この人は「普通」なんだと思った。

 

 それなりに色々あったはずの人生で、だけど「普通」からは外れることは無く人脈を広げ、拡げて……友誼を交わした相手のことは、できる限り守ろうとする。

 

 それは、できる限りでいい。

 

 その、できる限りがいい。

 

 それこそが、千速継笑が失い、私もまた、いまだ持っていない「普通」なのだから。

 

 だから助けなければいけないと思った。

 

 リスクをとってでも、やれることは「できる限り」しなければいけないと思った。

 

 私は「普通」には生きれない。

 

 性格も、性嗜好も、何を幸せと感じるのかということも、何に(よろこ)びを覚えるのかということも、何に(よろこ)びを覚えるのかということも、もはや「普通」ではない。

 

 異常なものに惹かれ、異常な方へと向かい、異常の中で、結局は異常な幸せに溺れたがる。

 

 そのことを卑下するつもりはない。それが自分なんだから、仕方無いとも思う。

 

 でも、だけど、それでも、「普通」に生きれることを(とうと)いとも、羨ましいとも思うのだ。

 

 そういう生き方を選べることを、(ねた)ましいとさえ思う。

 

 私は、マリマーネのことがどうしても好きになれなかった。

 

 普通に生きれるのに、普通の幸せだって得られるのに、そういう環境に生まれたのに、望めばそのように生きられるはずなのに、それを嘲笑うかのように、それが無価値であるかのように扱い、悪夢かもしれない夢に向かって邁進していた。

 

 私が失って、私が私である限りはもはや取り戻せないモノを、自ら捨てようとしていた。

 

 莫迦(バカ)だと思った。

 

 なんでコイツは、こんなにも莫迦(バカ)なんだろうかと思った。

 

 でも……だからこそ私はマリマーネを見捨てられなかった。

 

 助けていい存在であるかを、男性恐怖症を押してまで調査し、確認して、その心を執拗に観察し考察して、そして実際に助けた。危険を押して、冒してでも助けた。

 

 その人生を、莫迦莫迦(バカバカ)しい終わりには、したくなかったから。

 

 お兄ちゃんが私を助けるというのも、それくらいでいい。

 

 それくらいがいい。

 

 無償の愛なんて、美しいけれど私には不要だ。

 

 それを信じられる心というのは、それを心地良いと思える個性(パーソナリティ)は、多分親に無条件で愛された人にしか(そな)わらない。

 

 この人生でも、前世でも、そのような半生を送らなかった私には、あたしには、そんなものは備わっていない。

 

 愛されることは、苦手だ。

 

 それよりも愛したい。レオを幸せにしたい。レオにレオらしく生きてもらいたい。いつかレオの子供を産んで育てたい。それを知らない私にできるかどうかはわからないけどでも私達の子供に無償の愛を注いでみたい。そうして老いていきたい。

 

 そういう「普通」の真似事をしながら。

 

 でも子供達が「普通」に育ち、幸せになって。

 

 ああ、「普通」でないふたりがママゴトみたいに編み出した幻想(ファンタズム)も、生み出した奇妙な模様も、だけどいつかは本当になるんだなって、なったんだなって、そういう風に思いながら死んでいきたい。

 

 私が望む全ては、もうそれだけだ。

 

 

 

 だから。

 

 

 

「手短に、今の状況を説明します。まずマイラですが、灼熱のフリード様に囚われてしまったユーフォミー様、ナッシュ様を救うべく、行動を開始してしまいました。そしてジュベミューワ様ですが……不安定な状態を無理矢理固定化し、会話を試みたのですが、ジュベミューワ様のエピスデブリ、二類のそれである“もはや自分は誰にも愛されない存在”が活性化して、こちらから差し伸べた手は全て(はら)()けられてしまいました。これは……現在のラナンキュロア様もお持ちのエピスデブリで、ラナンキュロア様がしかし、それを持ちながらも“普通”に生活していらっしゃったことから、私はあまり危険視をしていなかったのですが……申し訳ありません、活性化した場合は、あんなにも破壊衝動を撒き散らすものだったのですね……どうにも手の施しようがなく……自力で固定化の“指”を破壊されてしまい……」

 

 

 

 私はまた、決断を迫られている。

 

 

 

「ジュベミューワ様の心は、壊れてしまいました。目覚めたジュベミューワ様は灼熱のフリード様を魔法で焼き、現在、ノアステリア様を性的に甚振(いたぶ)りながら、ユーフォミー様、ナッシュ様の目覚めを待っている状態です」

「な、に、そ、れ」

 

 

 

 どうすべきか。

 

 

 

「マイラは犬の身でコンラディン様へ助力嘆願をし、叶えられればコンラディン様と一緒に、叶えられなければ単身でユーフォミー様、ナッシュ様の救助へ向かう予定です」

 

 

 

 このまま、全てを見なかったことにして南の大陸へと渡るか。

 

 

 

「ラナンキュロア様……私がここで状況に介入したのは、この時間軸における“マイラの死”を回避するためでした。それを放置することは、マイラとの契約にも(もと)る行為でした。ですが……過度に介入してしまった結果、状況が混沌化して私にも未来が見えない状態となってしまいました……申し訳ありません……ですが」

 

 

 

 それとも、この胸で今、どうしようもなく燃え盛っている「助けたい」という想いに、私に残された望みの全てを打ち捨てでも、「賭ける」か。

 

 

 

「ですが、未来が見れなくともわかります。今の状況は、結局は……」

「……マイラが危ない!?」

 

 

 

 かなりの混乱の中、ここでその地頭の良さを発揮して、一足飛びに結論へと辿り着いたレオを見て、私は決断する。

 

 

 



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epis51 : I remember that voice -shirushi-

 

<コンラディン視点>

 

 その声を、今も覚えている。

 

『私はね、男の人を愛するのは得意だったんだけど、子供を愛するのは苦手だったんだ』

 

 それは見た目の妖艶さに反して低い、まるで声変わりしたての、少年のような声だった。だから、その時はまだ少年だった俺は、同年代の男共と話してるみたいだな……と思った。

 

『誰にも、得意不得意はあるって話。逃げても、最低に落ちても、案外人生は続くものだったりするって話』

 

 情事の最中は甘く甘え、とろけるような声でトロトロとイツワリの愛を吐露してきたその唇は、その舌は、なにもかもを飲みこんでくれる様な奈落は、こちらが四回目を果て、文字通り精も根も尽きたのだとわかったその瞬間に、根本から何かが切り替わったかのように変貌して、変質して、少年のような声を紡ぎだす只の、だけどとてもキレイな口元へと変わってしまった。

 

『よくするのかって? こんな話? ううん、普通はしない。お客様を慰めるのが娼婦(わたしたち)の仕事で、時にそれには他愛ない会話だったりが含まれるんだけど……その辺りが()()ってモノなのかもしれないけど……アドバイスみたいなのは、あまり求められないから』

 

 その声に、俺は思ったのだ。

 

『特に上から目線は、危険かな。それで激昂する人も、いるからね』

 

 嗚呼、この人はやっぱり娼婦(しょうふ)なんだなと……そう思った。

 

 その想いは、今も変わってない。女というのは、その多くが後戯を疎かにすればムクレテしまうモノだと知ったのは、もっとずっと後になってからのことだ。

 

 娼婦ならばしてもいい……と、俺達頭の悪い男共が思う「扱い」があり、彼女は実際にそのように「扱われて」長い時を過ごし、そういう「扱い」に()れ、()れて、()れていた……今にして思えば、彼女のそれは、おそらくはそういうことであったのではないかと思う。

 

『今日は、いつもとは違って、変?……そっかぁ、さすがに、何十回と会ってれば、わかっちゃうかぁ』

 

 それは、男にはわからない何かだ。

 

『冒険者、やってるって聞いたんだ』

 

 まぁ、理解する必要もないだろう。

 

『私の子供、冒険者をやってるらしいの。久しぶりに聞いたな、あの子の名前』

 

 でも、だからこそ忘れられないナニカでもある。

 

『最初の時にも言ったでしょ? 私はね、男を愛することはできても、子供を愛することはできない女だったんだ』

 

 それが、初めての人であったのなら、なおのことで。

 

『えー? 無理だって。だったらあなたがあの子を愛してあげてよ。年齢ヒトケタは無理? そっかぁ……それじゃあ仕方無いね』

 

 今もその声は、色褪せることなくこの胸にある。

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者を始めた頃、俺は自暴自棄になっていた。

 

 生まれた時からあった世界が、正しいと思っていた世界がひっくり返って。

 

 気が付けば俺は「悪役」で、「端役」で、「三下」だった。

 

 大仰(おおぎょう)興行(こうぎょう)が繰り広げられる舞台の、その端の方で。

 

 みすぼらしく、みっともなく、いてもいなくてもいい(にぎ)やかしを繰り広げるクソ雑魚。

 

 気が付けば俺という人間の立ち位置は、そんなものでしかなかった。

 

 そんなモンでしかなかった。

 

 元々……俺は三男だった。

 

 長男でも、そのスペアである次男ですらもない。その命に価値なんてモンは、最初から無かった。

 

 普通の道では、努力して、ものすごい努力をして、王の騎士になる辺りがテッペン。

 

 風見鶏(かざみどり)をしながら楽な方へ、楽な方へと流れてきたクソガキに、そんな努力など、できるハズもなかった。

 

 だからもうそんな命は、早々に無くなってしまえばいいと思った。

 

 であるなら……軍はダメだとも思った。

 

 その頃の王国軍には、仕事など無かったからだ。

 

 危険など無かったからだ。

 

 あの頃は、数百年と続く平和が、この先も続くんだと思っていた。

 

 軍に入っても、そこで野垂れ死にできるとは到底思えなかった。

 

 だから俺は冒険者になった。

 

 王都の冒険者、その主戦場は東の森の大迷宮(ダンジョン)、そこには準備と警戒を怠れば人が簡単に死ぬモンスターが闊歩し徘徊している。

 

 その頃の俺は、モンスターに負けてその糞便となるくらいの終わりが、自分には相応しいと思っていた。

 

 だが……そのやけっぱちな想いは、最初のモンスターと邂逅したその日の内に、全てが吹き飛んでしまった。

 

 それはもう見事に蒸発してしまった。火に飛び込んだ虫けらのように。

 

 

 

『あ、あ、あ、ああ……』

『あ゛、あ゛、あ゛、あ゛ぁ゛……』

 

 

 

 それは醜かった。

 

 それは(くさ)かった。

 

 それはとてもとても気持ち悪かった。

 

『ああっ!!』

『ヴァァァぁぁぁ゛!!』

 

 ありていにいえば、それはアンデッドだった。

 

 実際には、腐肉へ入り込んだ寄生虫が、腐った死体を動かしているというモノだったらしいが、その壮絶な悪臭と見た目の気持ち悪さは、こんなのに殺されるくらいなら、豚のケツの穴を舐める方がまだマシだと思えるくらいの強烈なインパクトがあった。……なおこの表現は、いつだったか兄貴が言った、姉貴への罵倒から拝借している。「お前に媚びるくらいなら、豚のケツでも舐める方がまだマシだ」だったか? まぁ、その頃の姉貴はまだ痩せていたのだがな……。

 

 それはともかく、冒険者になって最初の会敵(かいてき)、初めて見たモンスターがアンデッドだった俺は、それはもう、本当にもう、我武者羅(がむしゃら)にソイツから逃げ出した。脱兎の如く逃走した。逐電(ちくでん)遁走(とんそう)した。

 

 戦おうだとか、討伐してやろうだとか、そんなことは思い浮かびもしなかった。

 

 逃げて、帰って、実家のツテで借りていたそこそこ快適なネグラでガクガクブルブル震えて、吐いて。

 

 それを、小間使いの小さなガキが勝手に掃除し、片付けているのを見て。

 

 猛烈に、自分が情けなくなった。

 

 自分という人間が、最下層の更にその先へ、堕ちてしまったのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして気が付けば俺は、不夜城(色街)にいた。

 

 たまらなく、女を、抱きたかった。

 

 アンデッドから逃げ、ゲロを吐いて汚臭にまみれた俺は、おそらくはそう遠くない未来に野垂れ死ぬんだと思った。だからその前に、どんな形でもいいから女を抱いてみたかった。最低だからこそ、童貞のまま死にたくはないと思った……のかどうかは……正直もう、どうにもよくわからない。あの時の俺の気持ちは、今の俺でさえわからない。

 

 ただ、とにかく女の肌に触れてみたかった、

 

 柔肉(やわにく)に埋もれてみたかった。

 

 死を思えば想うほど、いまだ知らぬ女体のナニカを想って下半身が()(たぎ)った。血管を、灼熱のようなナニカが走っていた。

 

 金はあった。自分の稼いだものではない、実家の金が。

 

 どこまでも最低な俺は、どこまでも最低だった。

 

『お、そこにいるのは新人君じゃねぇか』

 

『不景気な顔してんな、ここじゃあそういうのが一番嫌われる。良い女を抱きてぇんなら無理してでも笑いな』

 

『無理だって? 良い女じゃなくてもいい? こんなところでそんな幸運に巡りあえるとも思っていない? ブワァーカ、男はな、良い女を抱いてこそ幸せになれるんだよ。悩んでんなら良い女を抱きな、それで全部がプワァーッとすっとんでいくってもんさ。男の悩みなんて、大概そんなもんなんだからよ』

 

『冒険者にしかなれない男がいるように、娼婦にしかなれない女ってのもいる。けどな、どうしようもなくて冒険者になった男でも、向いてりゃあ大成して立派な冒険者になれるんだ。どうしようもなくて娼婦になった女が、最高の女になることだってあらぁな』

 

『いるんだよ、そういう女だって。そういう良い女だってな』

 

『信じられねぇか? なら騙されたと思って俺についてこいよ』

 

『どうせアテなんかないんだろ? ここには初めて訪れましたってぇ顔だ』

 

『そんなんじゃ、いずれ俺じゃない誰かに騙される。そうなる前にせめて最低限、どこの誰だかはわかってる俺に、騙されてみろよ?』

 

『紹介してやんよ、最高の女ってヤツを』

 

 ギルド長は。

 

 後にギルド長になる、当時は三十くらいだったオッサンは、そんな俺に声をかけ、馴染みの店を紹介してくれた。

 

 あのオッサンは、ホントどうしようもねぇなと、今でも思う。

 

 だが、それよりもどうしようもなかった俺は、それに、それへ、ある種の大博打に、もうどうにでもなれと身を預け。

 

 その先に、天国を見た。

 

 

 

 

 

 

 

『ふふっ、好きよ、好き』

 

 その声を、今も覚えている。

 

 最低のクソガキだった俺の、痛いだけだろう荒々しい動きに、事前に洗ってはもらったが、おそらくはまだ(くさ)かっただろう身体に、イツワリであろう喜色を見せ、オスが萎えるようなことは何も言わず甘く、ただ甘く()き、イツワリなのであろう、だけどなぜか心に沁みるチープな言葉で愛を囁いてくれた、その声を覚えている。

 

『愛してるよ、愛しているの』

 

 その声を、今も覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして夢のような夜は明けて。

 

 妙にキレイだった朝焼けの、その空の色を見て。

 

 俺はもう、なにもかもが可笑(おか)しくなり、笑った。

 

 理由なく笑った。

 

 あるいは(わら)った。

 

 悪役で、端役で、三下で、だけどそれでも世界の中心にある自分自身を、クソ雑魚はひどく朗らかに嗤った。

 

 嗚呼、なんだったんだ、俺の悩みは。

 

 自分が最低?

 

 自分がどうしようもないクズだから死ぬしかない?

 

 当然だ。

 

 そんなのは嗚呼、当然だ。

 

 それは真実だ、当たり前のことだ。

 

 だが真実なんてモンに価値はない。それは「人は生まれながらに死ぬ運命を背負う」であるとか、「人はクソをするしゲロも吐く」であるとか、「どんな人間でも金さえ持っていればそれなりにいい夢が見れる」であるとか、そういうことを改めて確認するくらいに、意味がない。

 

 おぞましいものを見て逃げ、吐いて、自己嫌悪して泣きじゃくったところで何が変わる? 泣いて何かが変わるのは深窓のご令嬢様であるとか、重臣に慕われた老い先短い老王であるとか、なんかそういう、俺なんかとは生まれた時から持っているモノが違う誰かだ、ナニカだ。

 

 ああ、俺は最低だ。

 

 死ぬ気で冒険者をやってやるさとイキがって、だが初めて見たモンスターに怯え、逃走して遁走して、自分の力で借りたわけでもないまあまあいいネグラで、自分よりももっと幼いガキに、汚物の処理をしてもらいながら泣いて、自分を憐れんで。

 

 イツワリの愛に溺れて。

 

 ああ、本当に最低だ。

 

 だが。

 

 最低だから、最低のまま死にたくはないと思った。

 

 それはおそらくは童貞のまま死にたくないという想いよりも確かに、確実に、明確に強くそう思った。願った。心がそちらの方を見て嗤っていた。

 

 ならばもう、することはひとつしかなかった。

 

 あのモンスターに、出会って逃げたアンデッドに、勝つしかない。克つしかない。

 

『そう、いってらっしゃい。頑張って』

 

 イツワリかもしれない、だけどなぜか心に沁みたその笑顔と、チープな見送りの言葉へ、今度は自分の稼いだ金でここに来ると誓いながら、俺はだが笑いながら朝の王都へと戻った。天国を見ても、地上で生きるしかない自分自身を嗤いながら帰った。

 

 

 

 

 

 

 

『な、言った通りだったろ?』

 

 そうして、冒険者ギルドへと辿り着いた俺は、調べた。

 

『うっせぇ、オッサン』

 

 後にギルド長となるオッサンの、ニヤケ顔にイラつきながら、調べた。

 

 あのモンスター、俺が出会い、逃げてしまったアンデッドがどういった敵で、何をすれば、どうすれば自分の身を危険に晒すことなく、討伐せしめることが可能なのかということを調べた。

 

 幸い。

 

 冒険者ギルドには、先人達によって築かれてきた知見があった、知識があった。

 

 おそらくはひとつひとつが(10)人分、それ以上の血と犠牲によって積み重ねられてきたそれは、求め、読み解こうとするなら、研究され尽くしたモンスターに対しては十二分(じゅうにぶん)に無敗を約束してくれる……自分自身が弱ければ勝てないまでも、負けて命を失うことがない……(すこぶ)る頼りになる蓄積が、そこにはあった。

 

 耳に残る、甘く哭くその声に、泣くのをやめた俺は、冒険者ギルドに入り浸り、そうして積み上げられてきたアンデッドに関する知識の全てを、効率を完全に度外視して研究した。

 

 実家の援助などない、その日暮らしの冒険者にはできない、それだけの期間を使って俺は、アンデッドの特徴、特性、警戒すべきポイント、弱点、傾向と対策、そうしたモノを残らず頭の中へ叩き込んでいった。

 

 そうして、普通の冒険者にはやはりできない、実家の権力と資金力を縦横無尽に使いまくって充分な「準備」を整え……俺は再び、森へと入っていった。

 

 

 

 そうして俺は克った。

 

 

 

 アンデッドに勝った。

 

 

 

 終わってみれば、なんて呆気無いんだろうと思った。膨大な準備期間に比べそれは一瞬で、一瞬過ぎて、感動も感慨も何も起きずに、ああ、終わったのかと……それだけのことしか思えなかった。当然のことが、当然に推移したのだとしか思えなかった。

 

 なにかもう、イツワリの愛でも、それを交し合うことの方が、まだ風情があるじゃないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 何度か、そういうことを繰り返した。

 

 

 

 王都は数百年、東の大迷宮(ダンジョン)と共生してきた。

 

 そこで取れる素材は食材から、生活雑貨、建築用材まで、幅広く使われている。

 

 (ドラゴン)の素材は肉皮爪鱗骨、どこもかしこも有益で、丸々一匹の値段が王都の高級官僚、その生涯年収に相当するとさえ言われている。つまりそれは、広い家に嫁さんを三人でも四人でも貰うことができる、それだけの金が手に入るってことでもある。

 

 コカトリスの肉なんかは高級食材だし、毛は羽毛布団の充填材(なかみ)にもなる。バジリスクの革は高級鞄にも使われる上質なモノだ。そういやぁ、三年前に死んだ女にも生前、ねだられていたもんだから、戦後に買って、墓に入れてやったっけ。よく憶えてないが金貨十枚以上はしたな、アレ。

 

 まぁ、そこまで高値で取引される獲物は珍しいが、熊型モンスターのように、とにかくでかいヤツが獲れれば、ひと単位あたりが安くとも、量で十分稼げてしまう。

 

 珍しいところだとユニコーンの毛はブラシに、角は薬に、狼型モンスターや一角黒兎(アルミラージ)の体液は獣害避けになるらしく、農村部では血だの小便だのが重宝されているそうだ。

 

 王都の冒険者とはつまり、つまるところまぁ便利屋で、狩猟人(ハンター)だ。

 

 その部分は、山村における猟師(マタギ)と大差はない。

 

 違うのは、狙う獲物の種類が段違いに多いことと、それから通常、個人では手に負えないような獲物であっても、その危険度に応じて適切な規模のパーティを組んで、時には犠牲者を覚悟してでもそれを討伐するということくらいだ。

 

 この辺りのことを、理解していない若者は多い。

 

 冒険者になりたがる若者というのは、つまりは腕っ節以外なんの取り得のない若造(わかぞう)であったりもする。もっとあからさまな言い方をすれば、それは暴力を介してしか、社会と関われない(あら)くれ(もの)であったりもする。

 

 十代の中盤から後半をずっと冒険者として過ごして。

 

 そういう連中とも、多少なりとも関わったり、接したりして。

 

 時に大規模なパーティに参加して、()()()()()()色々な人と会ったりもして。

 

 こんなことで死ぬくらいなら俺に生きる価値は無い、だから俺は逃げない、戦う……そんなことを言った若者が、若造が、荒くれ者が、当然の実力不足から呆気なく死んでいく姿を何度か見たりもして。

 

 若者で、若造で、(すさ)んでいた者であった俺は、段々と()()()()()()自分を目指すようになっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 一年と、半年後くらいだったと思う。

 

 あの人と、再会したのは。

 

『あら、おかえりなさい』

『……覚えていて、くれていたんですか』

『ふふ。一年と、少し? 色々、あったみたいね。前よりもずっと、いい男に見えるわ』

 

 その人は、その時で二十代の半ば頃に見えた。

 

 不夜城(色街)では二十歳の頃をピークに、そこからはどんな娼婦でも段々と人気が落ちていくとされている。

 

 だからその頃を過ぎると多くの娼婦達は、客の中から良さそうな男を見繕い、捕まえて、結婚したり、愛人になったりを狙いだすのだそうだ。そういう事情を、俺はギルド長から聞いて知っていた。

 

 だから、それに期待していなかったと言えば嘘になる。

 

 娼婦としてどうなのかはわからないけれども、女性としては、女としてはまさに今が盛りと咲き誇るその人を前に、この人も結婚したいと思っていないだろうかと、生家はそれなりに裕福な十近く年下の三男坊と、結婚したいと思わないだろうかと、そんな風に、まったく思っていなかったと言えば、嘘になる。

 

『……結婚したりは、しないんですか?』

 

 再会の、最初のヒトトキが終わって、一年半ぶりの、だがその時間分期待した()()以上のものが与えられ、痺れるようなイツワリの幸福に浸って。

 

『ここを辞めて、結婚したいって考えたことは、ないんですか?』

 

 下半身が少しだけ落ち着いた俺は、しかし頭から上は全く落ち着かず、おそらくは青少年の性急さでもって、大それたことを尋ねていた。

 

 このイツワリを、ホンモノにしたいと願っていた。

 

 ホンモノが何かなんて、考えもしないで。

 

『なぁに? あなたがもらってくれるの?』

 

 だが、応じた声はまだ甘く、優しく囁くようだった。

 

 後から考えればそれはつまり、彼女はそれがまだ睦みあいの、その手の戯言であることを……なによりも雄弁に示していたのだ。

 

 俺の身体の、あちこちを優しく撫でながら、イツワリの、だけどだからこそこの世のものとは思えないその声で、甘く(とろ)けるような声で、思い上がった少年(甘ちゃん)(さと)そうとしていたのだ。

 

『お、俺、今は冒険者をやっています。け、けど、元々は財務省の、貴族官僚の家の生まれで……あっ』

『ふぅん、凄いのね。あ、だったらもうフィアンセとかいるんじゃない? 悪い子ね』

 

 優しく(つね)ってくる、その指すらも甘くて、心地良くて。

 

 その柔らかさに、俺は何も()らえられなかった。

 

 彼女の何をも、(とら)えられなかった。

 

『あんなにしたのに、もう元気』

 

 気が付けば俺は、俺こそが()らえられ、(つか)まってしまっていた。

 

『すごいこと、してあげる』

 

 彼女が何年もかけて築いた……もしくは元々持っていたのかもしれない韜晦(とうかい)の、ふわふわとした甘い夢に。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと俺は、冒険者業界で一目置かれる存在となっていた。

 

 

 

 冒険者もまた、体力や判断力のピークは二十代の前半くらいだと言われている。

 

 もう少しで二十歳になろうかというその頃の俺は、だが既にそうしたピークの真っ最中である高名パーティに招かれ、難易度の高いモンスターを倒したり、その手助けとなったりしていた。

 

 友人と、言える人間もできた。もっともそれは……俺がそう思っていただけかもしれない。時に利害を無視して「準備」を整える俺は、仲間として便利な人間だったからなのかもしれない。俺の実家の、そのコネ欲しさだったってことも、まぁあるのかもしれない。

 

 だが、だとしても、だからなんだという話だ。

 

 食事を共にしたり、仕事の情報交換をしたり、人間関係、時に女関係のトラブルの仲裁に入ったり、入ってもらったり、そうして同じ時代(とき)を過ごした仲間が友人でなくて、なんだというのだ。

 

 もっとも……その多くが三年前に死ぬか、王都を出て行ってしまったが。

 

 俺の十代の後半はそんな風にして、野垂れ死ぬとは、まるで正反対の方へと進んでいった。

 

『あら……おかえりなさい。ふふっ』

 

 時に甘い夢を見ながら、イツワリの幸福に溺れながらも。

 

 

 

 

 

 

 

 おかしな話だった。

 

 

 

 生まれた時からあった世界が、正しいと思っていた世界が、全てひっくり返って。

 

 自分にはもう何もないと思い、命を捨てる気で冒険者になった俺が。

 

 実家の力をフルに利用して、いつも生き延びるための方策を万全に整え、結果を出して。

 

 同期が、後輩が、自分には何がなくとも未来があると自身満々で、だが本当に金も時間も余裕もないがゆえの明らかな無策で、無謀に、大迷宮(ダンジョン)へと赴き、散っていくのを、どうしようもなく横目に眺めながら。

 

 成り上がっていた。

 

 成り上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうしていく中で、そうして過ごしていった中で、(つちか)われていったモノがある。

 

 それは別に、特別なモノじゃあない。

 

 熟練の冒険者ともなれば、多かれ少なかれ誰もが持っているモノだ。

 

 だが俺のは、それよりも少しだけ「特別」だったようだ。

 

 それこそが俺を、冒険者業界の中で一目置かれる存在にしたともいえる。

 

 そういうモノ。

 

 

 

 それは危険に対する理由なき察し、察知の能力だ。

 

 自分の身に、あるいは仲間の身に、何かしらの危険が迫っている時、俺はそれを、なんとなく察することができてしまう。

 

 体調を崩す直前には、そのことが鼻や喉の調子でそれとわかるように。

 

 平穏が崩れるその直前には、どこか身体のいち部位に違和感が走る。

 

 そこに理屈などない。自分でも理由はよくわからない。

 

 だが、どうも俺は、危険を感じると鼻や喉がヒリヒリしたり、首筋やケツの辺りがムズムズしてしまうらしい。

 

 俺は冒険者業界において、飛び抜けて生存能力に長けている人間であると評価されている。

 

 危険を冒す者達、つまりは冒険者であるのならば、それは最も重要な能力であるとも言われている。

 

 だが、それもこの勘、この感覚、あってのものだと思う。

 

 いつぞや、ラナちゃんの剣士、レオと最初に会った時も、剣の冴えそのものには驚いたが、それを脅威とは、「危険」とは感じなかった。

 

 だからこそ「教育」を施そうと思ったのだし、引き際を誤ることも無かった。

 

 なんだかんだで、今ではラナちゃん、レオ君とも、いい距離感で付き合えている……そう思う。

 

 鍛えた肉体、頼れる仲間、それと同じくらいに、俺はこの「感覚」を信じている、誇っている。

 

 

 

「ばぅん!!」

「わ、な、なんだ、オマエ。突然どうしたよ?」

 

 だからその犬……マイラという名前だったか……を見た時、俺はすぐにそこから逃げ出すべきだと思った。

 

 ケツの辺りがムズムズした。

 

 これはヤバイ……理由などなくそう思った。

 

 急に、こんな俺を愛してくれた女の中で、コイツならどうしょうもない俺の子供でも、まともに育ててくれそうだなって思ったその女性(ヒト)の顔が、脳裏へと浮かんだ。二年くらい前からは、もうソイツしか抱いていない。

 

 結婚の約束もした。

 

 喘ぎ、甘える……その時の顔が浮かんだ。

 

 この男を独占した……それを確信し、それに法悦を感じている(オンナ)の顔が浮かんだ。

 

 それは俺を、こんな俺なんかを私だけのモノと言いながら絡みついていた。

 

 髪の色も、瞳の色も、身体の具合も、男に求めるものも、男に与えられると自信を持っているモノも……あの声の人とは、まるで違っていたけれど。

 

 それは心地良い束縛だった。入ってもいいと思わせる墓場だった。

 

 

 

「お前……お、おいっ!」

 

 死にたくない。

 

 ああ本当に、死にたくない。

 

「ばぅぅぅん!!」

「おいやめろ! 袖を引っ張るな!」

 

 予感がある。

 

 この犬についていっては、ダメだ。

 

 その先にはどうしようもない危険が待ち構えている。

 

 死の気配濃厚な何かが待ち受けている。

 

 これは分岐点だ。

 

 死と生とを分ける大きな分岐点だ。

 

 そう思った。

 

 理由なくそう思った。

 

「なんだ!? ラナちゃん達になにかあったのか!?」

「ばぅっ! ばぅっ! ばぅっ!」

「違う? じゃあなんだ……ん?」

「くぅぅん、くぅぅぅん」

「足……どうかしたのか?……急にへたり込んだりなんかして……足?」

 

 だからまた思った。

 

 嗚呼、()()()()()()()()()()と。

 

「足……まさかユーフォミーちゃん達か!?」

「ばぅっ!!」

 

 それにはだが……ちゃんとした理由がある。

 

 俺が、俺だけが心で理解できる理由がある。

 

 思い出の中に沈め、イツワリだったそれを真実のように墓場まで持っていくと誓った……少年の日の夢がある。

 

『これは、私の人生の話』

 

 今も、忘れられない声を聞く。

 

『最低の、自分の子供を捨てた女の話』

 

 最後の言葉は……甘い声にも、少年のような声にも、ならなかったけれど。

 

『私は十四の時、子供を産んで、だけど育てられないと思ってその子を捨てたの』

 

 震える字は、病がもう死の境地にあることを雄弁に語るもので。

 

『私は、簡単に言えば(めかけ)の子供で。それも、お大尽様の妾なんかじゃなくて、本来なら女ひとりだって養えないような甲斐性無しの妾で。それがどういうものなのか、妾を囲う金が、本妻を“どういう場所で働かせ、得た金”なのか、わかるようになってから、私はもう家にいるのも嫌で』

 

 その手紙は、もう燃やしてしまった。

 

『だから身体が、それを可能にしてくれた頃にはもう、そこら辺に歩いてる男性を誘惑して、その家へ転がり込むような生活をしていて』

 

 必要が無かったから。

 

『今にして思えば、生き延びれたのは、幸運でしかなかったような生活で』

 

 一言一句を、字がどのように乱れ、与太(よた)れ、へたっていたかを、それすらも全て覚えてしまったから。

 

『あの子の父親は口下手で、だけど冒険者になって二年目でもう、ベテランでさえも苦労するモンスターを狩れる戦士で』

 

『生まれつき恵まれた体格を持っていて、年齢の割に落ち着いていて』

 

『惚れちゃった……のかな』

 

『ただ、その時々の宿り木を探していただけの私が、この人となら幸せになれるかもって、夢を見てしまったのかも』

 

『でもね、そんなのは、上手くいくわけがないんだ』

 

『上手くいかなかった』

 

『危険日に、騙して抱かせて、そうしてできた子供をナイショで産んで』

 

『その子に、両足が無かったのを見て』

 

『ああ、バチが当たったんだと思って』

 

『あなたの子供、産んだよ、ホラこんなに可愛い元気な子、だから結婚しよ?……って、そんな風に迫る予定だったのがダメになって』

 

『私は、自分が、母親よりも、父親よりも最低の人間だったんだなってわかって』

 

『逃げたの』

 

『子供を、父親の元に捨てて逃げたの』

 

『育てられるとは思わなかったから』

 

『最低の人間に、両足がない上に魔法使いの徴候を見せている子供なんて、手に負えないと思ったから逃げたの』

 

『私はユーフォミーを捨てて逃げたの』

 

『ナッシュに全てを押し付けて、口下手だけど善良で、立派な男の人で、稼ぎも多いあの人なら、なんとかしてくれると思って、そう自分に言い聞かせて、逃げたの』

 

『ナッシュは、不夜城(色街)に興味がないみたいだったから、そこに逃げ込めば気付かれないって思った。最低で、人として大切なことからも逃げだして、それでも人生は続いて、一時(いっとき)不夜城(色街)の華にもなって』

 

『冒険者のご贔屓さんも出来て、気付かれちゃうのかなって思ったこともあったけど』

 

『ナッシュは口下手で、余計なことを話す人間じゃなかったから……なのかな』

 

『あの子が父親似で、髪の色も、私とは違っていたからかもしれないけど』

 

『気付かれなかった』

 

『ユーフォミーと、目が合ったこともあったの』

 

『父親に背負われて、街を颯爽と進むあの子を見かけて』

 

『立派に、なったんだなって思った』

 

『立派に、なったんだなって思いながら見ていた』

 

『でも、そんな私をチラと見たあの子は、興味が無さそうにすぐに目を逸らして、父親に何かを耳打ちして、すぐに去って行ったの』

 

『ああ、あの子にとって私は、何者でもないんだなって思った』

 

『それはひどく当たり前のことで、罪に対する当然の罰で、言い訳のしようがなくて』

 

『それでも悲しいと思っている自分が、酷く酷い人間だって思った』

 

『あの子に母親は必要なかった。あの子に母親はいなかった。それでよかったのなら、それがよかったんだと思った。自分勝手に、そんな風に、最低に』

 

『だからユーフォミーのことを知っているのは、あなただけ』

 

 

 

『お願い』

 

 

 

『でも、それでも、私には何も言う権利がなくても、あなたに言うしかなくて』

 

『つまり、今はあなたの近くにいる背負子(しょいこ)のユーフォミーを、私の娘を、ユーフォミーを、それとなく気にかけてやってほしいの』

 

『私は母親にはなれなかった女で、捨てた子を気にかける資格なんてないのかもしれないけど』

 

『でも、それでも、もうすぐ死ぬこの身で思うのは、あの子のことだけ』

 

『なんなら、娶ってくれてもいいから。年齢ヒトケタは無理って言っていたけど、あの子だって成長するから。私の娘だから、あなたと身体の相性は良いハズだから』

 

『無理にとは、言わない。それは、それで幸せになれるならでいいから。あなたが望まないなら、あの子がそれを望まないなら、それなら、ただ、ほんの少しだけ、できる範囲で、私があなたに、時折対価以上にしてあげた、それくらいの分だけでいいから、あの子を思いやってください』

 

『あなたの良い所を、あなたの優しさを、私は沢山知っているから、その一部分だけでいいから、欠片ほどでいいから』

 

『あの子を、見てあげてください』

 

『それだけで私はあなたに感謝する。あの世から、恨んで化けて出ることはないと約束するから』

 

『だから、お願い』

 

『あの子が不幸せにならないよう、見てあげてやって』

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、チクショウ」

 

『愛してるよ、愛しているの』

 

 今も覚えている、その声を聞く。

 

「わぅ……」

「……それにしても、すっげぇな……コイツ……。()()()()()()()()()……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「ばぅん?」

 

 なにが、「私があなたに、時折対価以上にしてあげた、それくらいの分だけでいいから、あの子を思いやってください」だ。

 

「……嗚呼チクショウ、あんたが俺に、対価以上にしてくれたことは、俺が一生をかけても払いきれないっつーの」

 

 そこに、どうしようもない危険が待ち構えていようとも。

 

 その先に、死の気配濃厚な何かが待ち受けていようとも。

 

 それでも、見捨ててはいけない、見捨てられない何かというのもある。

 

「ユーフォミーちゃんを俺達の事情に巻き込んだのは……俺だ。今回、自分から巻き込まれにやってきたのはアイツら自身だが、そもそも三年前に、軍へ行ってしまったアイツらをもっと近くで見ていたいからと、近くへ引き込んでしまったのは俺だ」

「ぼぅん?」

「灼熱のフリードを調べ、ジュベミューワを調べ、ノアステリアを調べ、アイツらなら問題はなかろうと任せたのも……俺だ。つまりヤツらには、俺の知る(よし)もない隠し玉があったってことだ。俺の()()()()だ。つまり責任は俺にあるってことだ」

 

 いつか、イツワリの夢を見た。

 

 どうしようもない最低の少年が、どうしようもなかった最低女のイツワリに、天国を見た。

 

 だから今も、その声を覚えている。

 

「なぁマイラ? オマエは俺の運命か?」

「ばぅ?」

「逃げ続けた俺に、もう逃げるなって告げる、運命の使者なのか?」

「わぅ?」

 

 与えてもらった夢を覚えている。

 

 イツワリは今も、美しいままそこにある。

 

「嗚呼チクショウ、結婚を、約束した女に、なんて言えばいいってんだっ」

「ばぅん!!」

 

 今も最低な俺は、大人になってもその(イツワリ)を、忘れられない。

 

 

 



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epis52 : A embers song echoes

 

<引き続き黒槍のコンラディン視点>

 

 俺が相棒に槍を選んだのは、簡単な理由だ。

 

 まず、剣というのは基本的に対人用の武器だ。

 

 俺は人を殺したいわけじゃあない。俺は冒険者で、対峙して退治するはモンスターで、モンスターを殺し、屠るには、それ用の武器が必要だったという話だ。

 

 斧を選ばなかったのは、重いから。今の俺ならばともかく、駆け出しの頃の俺は、手斧の類であるのならともかく、槍と同じほどの長さがある戦斧(ハルバード)を自由自在に振り回せるほどの筋力は、さすがに無かった。

 

 弓を選ばなかったのは、俺が基本的に特定の相方を持たない冒険者であったからだ。

 これは魔法使いの短所、欠点にも通じるが、遠距離(ロングレンジ)の攻撃というのは、距離を詰められた時の対応力に、問題のある場合が多い。

 

 どれほど距離を詰められても「要不要」で対応できるユーフォミーちゃんが特別なだけで……なんというか特異な特例なだけで……魔法使いというのは基本的に、速攻で距離を詰められてしまえば、それだけで「ハイ終了」となってしまう。

 

 空間支配系魔法にしたって、発動さえすれば近距離(ショートレンジ)において無敵となるが、ならばそのための詠唱時間(キャストタイム)さえ、与えなければいいというだけの話だ。何度か見たラナちゃんの魔法も、十秒ほどの詠唱時間(キャストタイム)があるようだった。ラナちゃんは、レオ君無しには、それこそ冒険者になったばかりの若造にも勝てないだろう。

 

 弓もこれと同じだ。弓を構え矢を(つが)えて目標に照準を合わせ発射する、それだけの手順、時間……要は詠唱時間(キャストタイム)(と同じようなモノ)が、どうしても必要になってしまう。

 

 そんなもの、副武器(サブウェポン)としてならばともかく、主武器(メインウェポン)としてしまっては、近距離(ショートレンジ)の対応力が著しく下がってしまう。

 

 ユーフォミーちゃんのナッシュ、ラナちゃんのレオ君……そのように、近距離(ショートレンジ)に対応して、詠唱時間(キャストタイム)を稼いでくれる存在が(そば)にあるならばともかく、駆け出しの頃の俺に、そのような存在など、あるはずもなかった。

 

 

 

 だから俺は槍を選んだ。

 

 

 

 戦うべきは人でなく、モンスターであったから。

 

 たったひとりで完結する戦士として生き、死にたいと思ったから。

 

 

 

 それが根元から折れ、地上へと落ちた風見鶏(かざみどり)が、土に(まみ)れながら出した答えだった。

 

 

 

「しっかし……訓練された犬は、百から三百程度の言葉なら覚え、聞き分けるというが……」

「わぅ?」

 

 そうして俺は、(かたわ)らにある大きな犬の頭を撫でる。

 ここに来てからは鳴き声も控えめだ。一言、「静かにな」と言ったらそうなった。

 

 やはり、とても賢い犬だ。

 

「ホントすげぇよ、オマエは」

「わぅ……わぅん」

 

 こんな相棒が(そば)にいてくれたなら、昔の俺も、槍を選ばなかったのかもしれない。

 

「いやだからそんな目で見るな。待て、ちょっと待ってくれ、考える、考えている。状況が予想外過ぎて混乱してる、こんな状況はさすがに予想してなかった、(そな)えていなかった」

「ばぅ?」

 

 犬に導かれ、やってきた海沿いの大きな倉庫、そこで俺が見たものは、聞いたものは、見聞したモノは、なにもかもが意外すぎる光景だった。

 

「責められているのがノアステリア、か? 責めているのがジュベミューワ?……だよな?……噂では、ふたりの関係はその逆って話だったんだがなぁ……。女同士ってヤツァ、どっちが攻めでどっちが受けかは、基本的に変えないって聞いていたんだが……何があったっていうんだ」

「ばぅん?」

「ああ、さすがのオマエでもそこまでは理解できないか。いや俺もそっち方面への理解が正確かと言われたら首を横に振るが……っていうか灼熱のフリードはどこへ行ったんだ?」

 

 外から中を(うかが)い、すぐに聞こえてきた悲鳴と嬌声に導かれ……いや誘われたわけじゃないからな?……窓の少ない倉庫という建物の、それでもあったスキマから、声の発生源と(おぼ)しき現場を覗いてみれば。

 

「ジュ、ジュベ、も、もう、や」

「いつも、わたしがそういっても、やめてくれなかった」

 

 まぁ……状況が状況なんで詳しくは説明しないが、なにやらぐにゃぐにゃと曲がった鉄の棒で壁に(はりつけ)にされた全裸(マッパ)のノアステリアが、こちらはローブを着たままのジュベミューワに、「責められて」いたと……そういうわけだ。

 

 ジュベミューワは、炎系魔法と、氷系魔法が得意だと聞いている。もっとも、得意だとはいっても、どうしてそれで軍にスカウトされたかわからない程度の、それこそ「だったら弓を引いた方が早いんじゃないか?」と言われてしまうレベルの、弱い魔法使いだったらしい。

 

 灼熱のフリードが弟子にしていることから、かなり特殊な魔法使いなのではないかとは噂されていたが……直接的な攻撃魔法の方はからっきしで、フリード自身が必要としてるのは、戦士職としてそこそこ有能なノアステリアの方なのではないかとも言われていた。

 

 だがしかし……あの、強烈な高熱によって曲げられて、急速に冷やされ固まったような沢山の鉄の棒はなんなんだ?

 

 ()かす方は灼熱のフリードができるとして、それを冷却して、あんな風に壁へ打ち付けたのは誰だ?

 

 ここからだと主に後姿しか見えないジュベミューワか? 噂は噂でしかなく、実は氷系魔法に、あるいは熱操作の類に、抜きん出た実力を持っているのか?

 

 いやしかし……だが……。

 

「だ、ダメ……あ、あたしは、そういうのはっ」

「わたしだって、こんなことは、ほんとうは、されたくなかったんだよ?」

「そ、そんな……あっ」

 

「……う、うーむ」

 

 嗚呼まったく、どうして女の声というのは、こうも男の思考を邪魔するのか。

 

「ばぅん?」

 

 まだまだ枯れてない三十路一歩手前(アラサー)としては、もう少し見ていたくもある光景だが……しかし、だけれども、これはチャンスだ。

 

「わぉん?」

「いやだからちょっと待てってば、そのでっけぇ鼻を押し付けんな。考え中だから……頼むから待ってくれよ……な?」

「くぅん……」

 

 灼熱のフリードに、戦士職であるノアステリアがついていない。

 

 ならば、気付かれる前に魔法使い(フリード)へ接近できれば、強襲して、魔法を使われる前に取り押さえることができる。

 

 問題は……どうしてユーフォミーちゃんが、要不要の暴走列車が、呆気無くその手に落ちてしまったかということだが……事前に得た情報だけで判断するのならば、どうやってもあの三人は要不要の暴走列車に勝てないのだが……それは今考えてもしょうがない。それはもはや状況的に、時間的に「準備不可能」な領域だ。相手にはなんらかの隠し玉がある、それを前提にして、慎重に行動するしかない。

 

 ……俺の性分としては、生き方としては、ここは退いて「準備を整えたい」ところだが……俺の人生が、生きてきた道が、それを許さない、許してくれない。

 

 あの声だけは、裏切れない。

 

 ならばこそ相手方に気付かれる前に、隠し玉を使わせる前に、取り押さえてしまうことが重要になってくる。

 

 ならばこそ、これはチャンスだ。

 

「ねぇノア、こんなのがきもちいいって、ほんとうにおもっていたの?」

「だ、だってジュベが、拒まなかったから……ひっ!?」

「じぶんかってだよ、ノアは」

 

 ガチモンの女同士なプレイを興味津々で見ている場合じゃあない。ああまったくそんな場合じゃあない。なんとなく、遊び(プレイ)じゃない気もするが、まぁ、それもどうでもいい。どうでもいいことにしないとやっていられない。俺はラナちゃん達とは違う。敵対した相手の事情など、構ってやれるもんか。

 

「ほんとうは、わたしのことなんて、あいしてさえいなかったんでしょう?」

「ちがっ!……それは違うのっ!……あひっ!?」

 

 今、重要なのは、相手戦力の三分の二が、ここでこうして釘付けになっているということだ。三分の一である、諸々小さいくせに腹筋は割れてるんだなぁ……って女戦士が、ここで文字通り壁に釘付けになっているということだ。普通の工具で丁寧にやったら、解放に半日から数日はかかりそうな拘束をされているということだ。

 

 これは本当にチャンスだ。

 

 よくわからないが、仲間割れがあったらしい。ならば潜入者である俺はそれに乗じるべきだ。

 

 だが……。

 

 この今、いまだに、俺の中の警報音は、鳴り止んでいない。

 

 ケツがむずむずする、首が圧迫されているように息苦しい。壁へ磔にされたノアステリアと、それを「責める」のに夢中になっているジュベミューワからは何の重圧(プレッシャー)も感じないが、それゆえにこのケツのむずむずが、息苦しさが、どこから来ているのかわからなくて怖い。

 

 怖い……そう、怖い、だ。

 

 俺は今恐怖を感じている。

 

 恐怖を感じているから、絶好のチャンスが回ってきてると()()()()考えられても、ならば次にどう動けばいいかを思いつけない。

 

 どう動いても「危険」な気がする。

 

 俺は情報が出揃っているモンスターを相手に、自分がやれる範囲で……倒せると、殺せると思った相手だけを()ってきた。その意味において、俺は冒険者などではなかったのかもしれない。危険を、冒してなどいなかったのかもしれない。

 

 勇気を振り絞って、恐怖を克服して行動した経験など、数えるほどしかない。

 

 この感覚を身につけてからは、周りからはどんな危険にも飄々と立ち向かう頭のネジの飛んだヤツ……みたいな扱いをされることもあったが、そんなのは俺自身にとっちゃ、いや、アレのどこに危険があったんだよ……ってなモンだった。

 

「……くそっ」

 

 だが怖くとも、行動を起こさなければならない時もある。

 

「なぁ……ユーフォミーちゃんの匂い、わかるか?」

 

 ここで出歯亀をしていても事態は好転しない。

 

「わぅ?」

「ナッシュのでもいいが……」

 

 灼熱のフリードを倒す、それは本来の目的ではない。

 

 俺が今、ここで成すべきことは、ユーフォミーちゃんの救出だ。

 

 だから俺は、密かに悩んでいた「ここでノアとジュベを殺していく」という選択肢も捨てた。

 

 あのふたり自体、灼熱のフリードの罠という可能性だってある。

 

 なにより俺は、人を殺したいわけじゃあないんだから。

 

「ばぅ」

「ん、なんだ? わかるのか? ユーフォミーちゃんの匂い」

 

 本当に、この犬は賢い。

 

 モンスターの中にも、たまに「コイツには知性があるのではないか?」と思わせるような動きをしてくるヤツがいた。だが、かなり大型のモンスターで、そりゃあ脳も大きいのだろうなと思える相手であっても、これほど、こちらの気持ちを理解しているかのような反応を返してくることはなかった。

 

 知能が高くとも、人の気持ちが理解できるわけじゃあない。それは頭の悪い俺であっても、頭の良い人間を十種類ほど見た辺りで気付いた。中途半端に頭のいい奴は、むしろ人の気持ちなど理解できなかったりする。死んだあの兄貴だって、数字には兄弟の誰よりも強かった。

 

 人の気持ちというのは理不尽で混沌としていて、無意味に意味を見出したり、無価値に価値を与えたりする。理屈で考えればそれは、それこそ無意味で無価値な営為(えいい)だ。

 

 だからそれは、おそらくは知能とは違う部分で知覚するナニカなのだろう。

 

「よし、なら俺をユーフォミーちゃんのところへ連れて行ってくれ」

「ばぅん」

 

 犬は、人の気持ちを知覚する能力に長けている生き物なんだろう。ならば、もしかすれば、犬の得意分野と言えば匂いを嗅ぐことだから、人の気持ちというのは、何よりもまず嗅覚に、匂いに表れるモノなのかもしれないな。

 

『私? お茶とコーヒーだったら?……んー……私自身は、そこにこだわりはないかな』

『そうなのか?』

『朝は、白湯がいいな』

『白湯?』

『お湯を沸かして、冷ましただけのお水』

『へぇ……なら次は俺にもそれを用意しておいてくれよ』

『ただのお水よ? 無味無臭の』

『俺も、茶にこだわりはないからな。あんたと同じモノがいい』

『ふぅん』

 

 それはなんとなく、そうであったらいいなと思える仮説だった。

 

 よく、目を見れば人の気持はわかるというが、海千山千の商人なり娼婦なりの目を見たところで何にもわかりゃあしない。あの人が少しでも俺に好意を持っていてくれたのか、それとも扱い易い客だったから多少ヒイキしてくれただけなのか、それすらも、今でさえ、俺にはわからない。

 

 もう永久にわからない。

 

 甘い声も、少年のような声も、大事なことは何も語らなかった。

 

 慈母のような瞳で、子供を捨ててきたあの人の本当の気持なんて、俺にわかるはずもない。

 

 俺が知っているのは、彼女が見せてくれた(イツワリ)だけだ。

 

『んー、やっぱりそっちの方が格好いい、かな』

『なんでよ。筋肉はこう、ムキっとなってる方が、男らしくて格好いいんじゃないのか?』

『んー……だってさ~』

『なによ?』

『あなたなら、いいかな。ええとね、これはあくまでも私の感覚だから、女の子がみんなそうだなんて、思わないでほしいんだけど』

『……他の娼婦(おんな)に浮気する気は、ないんだが』

『私ね、男の人がこう、()ってやるぞーってなってる状態? その状態は、なんとなく、可愛らしいな~って思えちゃうの』

『か、可愛らしい? 逆じゃないのか? これから(おか)してやるって状態の方が、可愛い?』

『うん、扱い易いし。だから私は、男の人は、少し疲れていたりして、色々が萎んでいる時の方が、格好いいな~って思っちゃうの』

 

 だけど俺は愛していた。

 

 自分はだらしないからと卑下していた割に、いつ行っても清潔な匂いのした、あの人の領域(テリトリー)を。

 

 他の男の(にお)いなど残さない、その気配りを。

 

 そうして行為が進む中、()かれた香に混じり空間へ漂ってくる遠い、遠い遠い、もしかしたらそれは天上にあるのかもしれない異国の、きっと幻の、極上の、果実(フルーツ)のような匂いを。

 

 俺は愛していた。

 

『それは、うぅん……そんなものなのか?』

『だーかーら~……私はね、って話。一般化? はしないでね。ただでさえ私達は、そうじゃない人達から目の敵にされやすいんだから。冒険者が筋肉をつけて冒険者らしくなっていくのはいいことだけど、娼婦が娼婦らしくなっても、それは軽蔑されるだけなの』

『……それ、は……うぅむ』

『ふふ、だから私は、あなたのそういう顔、好きよ。厄介なことになったなって、少し萎れて俯いてる、その顔が、好き』

『な』

『だから私がこんなことを言ったってことは、秘密……んっ』

『んっ……ぷはぁ……そうか、秘密、か』

『墓場まで持っていってね』

 

 それはとても幸せな匂いに思えたから。

 

 金で売り買いした時間であったとしても、せめてそこに極僅かな幸せだけでも、あの人もまた、感じてくれていたんだったら、いいと思う。

 

 それは(イツワリ)の中に生まれた、ニセモノの幸せなのかもしれないけれど。

 

 理屈で考えれば、頭の良い人間には全く理解できないことかもしれないけど。

 

「ばぅん」

「いたっ!……ユーフォミーちゃんとナッシュ……と……なんだアレは……あの黒焦げた……真っ黒な……人影?……まさか、灼熱のフリードなのか?……あれが?……動いている……黒焦げなのに、生きている?……なんだそれは……どういうことなんだっ……」

 

 実物は、実体はもうどこにもなくなってしまった匂い、声。

 

 俺は多分、そういうモノがこの胸にあったからこそ、ここまで生きて来れたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「ね、あれ、なに?」

「ん?」

 

 猫人族(ねこじんぞく)の、『ちょっとぉ~、明日の出港まではぁ~、おとなしく待っててくださいよってぇ~』なる苦情の声を無視し、ツグミ(光るのはやめてもらった。やめられるんかい)に導かれるまま、港の倉庫街へと急ぎ足で向かった私達は、そこで不可解なものを見た。

 

「……なんだ、あれ」

 

 それは、ある意味においては、事前に予想していたことのひとつでもあった。

 

 けど、それ以外の意味においては、全く予想だにしていなかった光景でもあった。

 

「燃えて……いる?」

 

 それは炎だった。

 

 大きな倉庫、地球の体育館であれば、五つか六つなりがすっぽり入ってしまいそうなその大きな建物の、その真上に、天使の輪のような……とでもいえばいいのか、あるいは月桂冠のような……とでもいえばいいのか、そのような形の「炎の輪」が浮かんでいる。

 

 大きさは、推測するなら、直径二十メートルを超えるだろうか。

 

 建物自体は燃えていない。

 

 ゆっくりと回転する「炎の輪」の直下にあって、不規則な影を周囲へ散らばしているだけで、建物自体は微動だにせずそこにあり、佇んでいる。それ自体に異常はない。けど、ただもうその光景自体が異常だ。

 

「お、おい、こりゃあ、なんだ!?」

「まさかっ、また帝国の襲撃か!?」

 

 人も集まってきている。

 

「おい! 放っておいて良いのか!?」

「どうしろっていうんだよ!? 消火か!? どうやって!?」

 

 当然だ、これだけ大規模に派手なモノが、地上二十メートルから三十メートルの頭上に出現しているのだから。

 

 今は(あか)い夕暮れ時の中にあって、そこまでの存在感は放っていないが、もう少しして周囲が真っ暗になれば、それは港町全体に、その存在を誇示するようになるだろう。

 

「おい! 誰か警察と消防に報告を!」

「ここにいる誰か! 警察か消防のヤツはいないのか!?」

 

 けど、今はだから緩やかではあるけれども、どんどんとその人の数も増えていっている。

 

 そういえば……夜道を歩いていて痴漢に出会ったら、「火事よ!」と叫んだ方がいいということを聞いたことがある。その方が、何事かと人が寄ってくるものだからと。

 

 火事というのは、火というのは、それだけで人を引き付けるナニカがあるのだろう。

 

 もっとも、それはそこから発せられる光と熱にこそ付随する属性なのかもしれないが。

 

 マイラに付与されていたという、陽の波動のように。

 

「おい、あの倉庫って」

「ああ……マズイんじゃないか?」

 

 そうして私の耳に、これが今まさに危機的状態であることを示す、ひとつの情報が飛び込んできた。

 

「あれって……南の大陸に輸出する用の、燃焼石(ねんしょうせき)が大量にしまわれてた倉庫だよな?」

 

「ああ、王都で、灼熱のフリード様が自ら生成した高級品だ。性能もヤバイぞ。引火したら……ここら一帯が吹っ飛ぶかもしれない」

 

 

 



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epis53 : fluctuation of mirror surface

 

<三人称>

 

 ――賭け事は嫌いだ。

 

 黒槍のコンラディンは槍を構え、想う。

 

 ――それへ、簡単に命を投げ捨てられる若者を、俺は憎んでさえいるのかもしれない。

 

「……ふぅ」

 

 そうしてもう一度だけ考えた。

 

 これが賭けであるのか、それとも違うのか。

 

 

 

「わぅ?」

 

 

 

 眼前、直線距離にして二十五メートルほど先に見える黒い影。

 

 細身の人間を、丸ごと黒く塗り潰したかのような形状(フォルム)

 

 意思があるのか、ないのか、それは立ったままでゆらゆらと揺れながら、ボウと佇んでいる。

 

 その目の前には、平べったい木箱がある。その上に、彼の保護対象者であるところの銀髪の父娘(ちちこ)が転がされている。父、ナッシュは仰向けであり、娘、ユーフォミーはうつ伏せだ。

 

「ふたりとも、まだ無事っちゃあ無事……だが」

 

 その腹が上下していることに、コンラディンは安堵するが、緊張は()かない。

 

 黒い影は眠る巨漢と、その細身の娘をただ見下ろしているかのように立っている。コンラディンからは正面が見えず、目線がどうなっているのかはわからないが、顔(?)の向き……というか、頭の俯き加減でそのように見えてしまう。

 

 それは、ここはもはや地獄なのではないだろうかという不安にも駆られる、なんとも不気味な光景だった。

 

 ――正直、長く見ていたいモノじゃあない。

 

 黒い影が灼熱のフリードであるのならば、人を一瞬で丸焦げにするような魔法も使えるはずだった。現時点でそのような魔力の動きは感じられないが、いつそれが現実になったとしてもおかしくはない……それは、そうした不安を強く煽ってくる、奇怪(きっかい)な光景でもあった。

 

 ――俺は、どうすべきなのか。

 

 コンラディンの勘、直感は、あの黒い影が「危険」の源流のひとつであると訴えていた。

 

 ――アレをここで倒すべきなのか、それとも。

 

 黒い影などではない、人間の灼熱のフリードが同じように、そこにあったのなら……悩むこともなかっただろう。用足しなりなんなりで離れることはないかと、多少状況の変化を待って、変わらないならもはや問答無用で強襲し、ふたりを助ける……おそらくはそうした選択を()っていただろう。

 

 ――くそ、吐けるなら、吐いてしまいたいくらいに、食道の辺りがイライラするぜ。

 

 だが情報を集め、万全を期してコトにあたることが信条の彼は、集めてきた「情報」には無い状況に、未知の光景に戸惑っていた。

 

 それは彼の知らぬナニカであり、そこに「危険」があるということだけはわかっても、その正体は、内実は何もわからない。

 

 目の前のソレが灼熱のフリードの隠し玉なのか、違うのか。

 

 強襲し、倒す気で黒槍を(ふる)ったらどうなるのか……殺せるのか、殺せないのか。

 

 それをして良いのか、悪いのか……。

 

 ――アレがある種の(デコイ)であった場合、アレを(ほふ)ったところでこちらの存在を敵方に知らせてしまうだけだ。不意打ちによる強襲が可能なのは最初の一撃だけ。

 

 そのカードをここで切っていいのか、悪いのか。

 

「くそ……」

 

 あまり、悩んでいる時間が無いことも確かだった。

 

 ――ジュベミューワとノアステリアは……今は……ふたりの世界に没頭中だろうよ。だが、それでも同じ建物の中(倉庫内)に居るわけで……変事があれば、すぐに飛んでくるだろうな……拘束されていたノアステリアがどうなるのかは知らんが。

 

 それに、黒い影に、彼の保護対象者が完全に無防備な状態で見下ろされているという、この絵面自体、あまり長く見ていたいものでもない。

 

 それは危険を察知する「勘」とはまったく別の部分で、彼の「癇」に障る光景だ。

 

「行くべきか、行かざるべきか……」

 

 槍を、構える。

 

 殺気は極力抑えたまま、「一撃」を脳内でシミュレートする。

 

「……わぅ」

 

 (そば)にいた白い犬……マイラが、なにかを察したのか一歩引いて下がる。

 

 距離は……直線距離では二十五メートルほどだが、途中には仕切りや、何が入っているかもわからない大きな箱があり……だからこそ相手に気付かれぬまま、彼がこの距離に近づけたとも言えるのだが……まっすぐは進めない。

 

 ならば手順としては……相手に気付かれないよう、ある程度の距離まで近付き、そこから槍を一閃させ、屠る……こうなる。

 

 それ自体は……苦も無くやってやれそうな「気がする」。五秒もあれば、今にでもその結果を余裕で手繰(たぐ)()せることができるだろうと「直感で思う」。

 

 ――だが、やはりこれは賭けだな。

 

 黒槍のコンラディンの人生は、自分が天に愛されているとは、とても思えないものだった。だからこそ「気がする」だけで「賭けに出る」のは怖い。怖いと感じる。

 

 自分は、魔法使いの中でも特例中の特例、ユーフォミーではない。

 

 自分は、あまりにも特異な異能の魔法使いであるラナンキュロアではない。

 

 そうして自分は、あまりにも異次元な武の体現者である、レオという名の少年でもなかった。

 

 あのような、「天から愛されたとしか思えない」能力を持って生きるというのは、どのような心地がするものなのだろうか?……彼はそれを知らない。一生、知らずに終わるんだろうと思っている。

 

 彼は、自分にできることを、当然のようにこなしてきただけの人間で。

 

 奇跡など、起こしたことはない。起こせない。

 

 九分九厘(くぶくりん)死ぬ状況であれば、彼は九分九厘そこで死んでしまうだろう。一厘(いちりん)(はな)を咲かせたことなど、ない。

 

 できるのは「危険」を減らし、無くしてから相対するというだけの凡才で、今まではそれが許される環境でやってこれたから、上手くいっていたというだけの話だ。

 

 ――あの戦時下においても、俺が最終的に行った方策は……はっ、「レオ君に頼る」……だ。

 

 自分には、もうどうにもできないと感じたから、どうにかしてくれそうな人間に頼った。

 

 ――結局の所、俺はその程度の人間だ。

 

 プライドが無く、こだわりも無く、自分でできることは自分でするが、そうでないなら簡単に人に頼り、それを情けないとも思わない。

 

「わぅん?……」

 

 槍を、構えたまま動かない彼を見て、マイラがその首を傾げる。小さな……潮騒の音に紛れ、向こうの影までは届かないだろう、その程度の鳴き声をあげながら、首を傾げたまま、黒い瞳でコンラディンを見つめている。

 

「けどよ……やっぱ情けないよな、俺」

 

 だからコンラディンも、極小の声で答えた。犬には理解できないだろう言葉で、理解できなくてよかったと思いながら、震える声で応えた。

 

「ユーフォミーちゃんは助ける。これは絶対だ。なら、これは絶好のチャンス、それもわかっている。でもな……怖いんだよ……助けられなかったらと思うと怖い。俺自身がその最後のきっかけになってしまったのなら、あの人になんて言えばいい?」

 

 彼の「あの人」はもういない。死んでしまっている。

 

 彼の中にある(イツワリ)に実体は無い。そんなものは最初から無かった。

 

 ――だが、それは、天に愛されず、生きる意味なんてきっと最初から無かっただろう俺に、それでも生きてやりたいと思わせてくれたナニカだ。それは俺が墓場まで持っていく、持っていきたい永遠のナニカだ。

 

 それは(イツワリ)だからこそ消せないナニカで。

 

 だからこそ、彼はそれだけは裏切れない。

 

 失敗したらと思うと、胸が張り裂けそうに痛んだ。

 

「くぅん……」

 

 だが、その時、その彼の震える腕に、生暖かいものが触れた。

 

「ん……」

 

 構え、姿勢を低くしていた彼の手を、マイラのピンク色の舌が舐めていた。

 

 それは犬の巨体からすれば、とても優しい接触で。

 

 コンラディンには、意図も意味も位置付けも、なにもかもが違うだろう懐かしい感触を、だが何故か思い出させるものでもあった。

 

「犬に舐められても、嬉しくない……ってわけでもないな、嬉しいわ、なんか」

 

 コンラディンの腕から、その震えが消えていく。

 

「ありがとうよ」

「わぅ」

 

 ――思えば……ラナちゃんだって、好きで“賭け”に出たわけではないのだろう。

 

 姪が、今の恋人を「拾った」その事情を、彼はなんとなく察している。

 

 ――ラナちゃんは追い詰められていた。兄貴に狙われ、誘拐されかけたことから、身を護る手段を強く欲していた。自分の魔法だけでは直接的な暴力に弱い、だからそれを補う何かが必要だ……そこに、あの剣士、レオ君がいた。その手を取るかどうかは……“賭け”だったはずだ。

 

 実際に、どのような遣り取りがそこにあったのかはわからない、聞いていない。

 

 だが誘拐されかけたところを、少年(レオ君)に助けてもらったとは聞いている。その後に起きた諸々の事情から察せられる、「こうであったのではないか?」という、推測混じりの絵図であれば、見えなくはない。

 

 ――誘拐犯は誰かに雇われている風だった。つまりそれで終わりではない。次の襲撃までに、どうにかして身を護る手段を獲得しなければならない。父親に頼るか、もしくは自分の才覚だけに頼るか、未知の力である少年の手を取るか……ラナちゃんはそこで“賭け”た。

 

 ――つまり、ラナちゃんは追い詰められたからこそ“賭け”たんだ。けして、遊び半分で、意味もなく自分や母親の命を賭けた(ベットした)わけじゃあない。

 

 その結果として、彼女は運命に打ち克ち、少年は最愛の恋人となった。

 

 そこだけ見れば、彼女は天から愛された人間であり、あらゆる“賭け”に、苦も無く勝っていける……コンラディン()とは違う人種の存在であるかのように思える、が……。

 

 ――ラナちゃんだって、本当に天から愛された存在であるのならば、そもそも誘拐などされなかったのではないだろうか? “賭け”なければならない状況になど、陥らなかったのではないか?

 

 人生に、“賭け”なければならない局面は、必ず訪れる。

 

 ――“賭け”が嫌いな俺だって、あの人と出会ったそのきっかけ自体が、“賭け”みたいなものだった。

 

 あの時、後のギルド長の口車に乗っていなかったら、自分はどうなっていたのか。

 

 ――知りたくはある……だが、俺はきっと、この記憶を持ったままあの時に戻り、また選択をできるのだとしても、同じ道を行く。

 

 その“賭け”に乗らないという未来は、だから無いのだ。

 

 その選択は、選べないのだ。

 

 ――選択、か。

 

 例えば今、自分にはどれだけの選択肢があるのだろうか?

 

 ――尻尾を巻いて逃げる……か?……そんな選択肢は、最初からない。

 

 ――状況が好転するまで待つ……か?……それだって“賭け”だろうよ。それに、俺にはその方が、分の悪い“賭け”に思えてならない。

 

 ――なら、自分から動いて無理矢理状況を好転させてみるか?……例えば何だ? 倉庫に火でもつけてみるか?……灼熱のフリードが相手ならそれでも良かったんだろうが……あの黒い影が、こちらの思う通りに行動してくれる気がしない……ジュベミューワ達を放置してきた分、騒ぎは、起こすだけこちらの方が損だろう。これも分の悪い“賭け”だ。

 

 つまるところ、情報のない、突発的なこの状況において、全ての選択肢は「賭け」でしかない。

 

 ――結局、不意打ちで襲えるこの状況下なら、それをするのが一番、勝算の高い“賭け”ってこった。

 

 逃げるという選択肢が無い以上、いずれに「賭け」るかは、自分自身で決めなければならない。

 

 ――なら、行くしかない。天に愛されていようがいまいが、俺は俺のやれることをするしかないんだ。

 

 彼は、だがもう、幸運の女神の微笑などは欲していなかった、

 

 求めたのは、彼が少年の日に出会った、(イツワリ)の女神のそれだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 視界は反転する。

 

 

 

 

 

 

 

 明滅する、光のような、闇のようなノイズが混じるそれの視界に、突風が吹いた。

 

「……つあっ!!」

 

 身体に、衝撃が走る。

 

 胸を、黒い槍が貫いている。

 

 だが、痛みは感じない。貫かれた心臓は、もとより止まっていた。

 

 今、()()の身体を繋いでいる結節点(ノード)は、全て人の急所とは違う場所に配置されている。

 

「くっ……やっぱ人じゃあ、ねぇってことかよ!!」

 

 再度……今度は腹の辺りに衝撃が来る。

 

 だが、その影にとって、だからそんなのはなんだという話だ。

 

「くそっ! なんだコイツは、なんなんだよ!!」

「ばぅん!!」

 

 生きたかった。

 

 死にたかった。

 

「腹と胸を槍で刺したんだぞ! 死ねよ! 倒れろよ!」

 

 意味もなく生きていたくはなかった。

 

 意味もなく死んでしまいたくはなかった。

 

 多くの者は愚かで、自分が生きているか、死んでいるのかも判らずに生きている。

 

 純粋だった子供も、ある瞬間から性欲やらなにやらの衝動的欲望に溺れるようになり、支配され、夢想という名の妄想に囚われる。

 

 自分がなぜ生まれたのかも考えずに、自分がいずれ死ぬことを忘れて、欲望の操り人形となる。

 

 愚かなるそれは、おそらくは神が与え(たも)うた原罪という名の断罪。

 

 死と同等の苛虐(かぎゃく)

 

「くそ……ああ落ち着け俺、わかってる、嗚呼わかっている」

 

 ――だから、(それがし)は生きる。

 

 このような世界になど、イツワリの夢に溺れ、日々をただ生きているだけの者が闊歩する地獄になど、生きていたくはないが。

 

 まだ、その時は来ていないから生きる。

 

 ――神に抗って生きる。

 

「つまりコイツは……()()()()()ってことだろう?」

 

 ――(それがし)は、王都リグラエルにおいてもっとも偉大な魔法使い。

 

 王都リグラエルが生き長らえたのであれば、まだまだまだまだまだ、やるべきことがある。

 

 やらなければならないことがある。まだまだまだまだまだまだまだ、ある。

 

「俺の人生に、ふたつめのケチをつけやがった宿敵だ」

「わうっ!!」

 

 ――(それがし)は、ああ(それがし)は、(わたし)は。

 

「嗚呼まったく皮肉な話だよ、アンタはつまり、灼熱のフリード()の成れの果てってこったろ?」

 

 自分を永遠とする魔術を、完成させなければならない。

 

 老い、死ぬという神の苛虐に、拷問に、抗わなければならない。

 

「三回目!……クソ、気持わりぃ……腹にボコボコ穴が開いてるくせに、俊敏に動きやがってよぉ……おおっとっ!?」

 

 自分を円環に閉じる魔法、それはまだ研究を始めたばかりのモノ。

 

 それは老いを感じ始めた、四十代の頃に思い立ったモノだから。

 

 経過としては、まだいくつかの布石を打っただけに過ぎない。

 

 ――時間は、懸命に生きてきたこの(それがし)にこそ、必要なモノである。予知夢という力は、未来視なる力は、神に抗わんとするこの(わたし)にこそ必要なものだ。

 

 ――ジュベミューワ(アレ)の身体を乗っ取るため、ジュベミューワ(アレ)に埋め込んだ燃焼石(ねんしょうせき)はまだ(なな)つ、両肩、頚骨(けいこつ)、肝臓、肺の片方、腎臓の片方、子宮……脳はまだ弄れていない、それこそが重要な部分が、手付かずのまま残っている。

 

 ――ノアステリア(実験体)へは既に五十一も埋め込めたが……アレハモウダメダナ、精神の崩壊が始まっている。同性であるはずの、ジュベミューワへの性的な衝動を抑えられなくなっている。それが、共に埋め込まれた燃焼石への執着であるとも気付かずに。

 

「ばほぉん!」

 

 ゆらり、灼熱のフリード……だったモノの腕が動き、それは(ほむら)奔流(ほんりゅう)となって黒槍のコンラディンを襲う。

 

「あっぶねっ! 助かったぜマイラ! お前は最高だな!」

 

 ――最初の五年間を無駄にしたことが悔やまれる。方向性を間違ってしまった。自分自身を不老不死にするなどというのは、既に何人もの先人が模索して至れなかった死に筋。

 

 あの頃はまだ、自分ならばと思い上がれる若さが残っていた……そのことを黒い影は、心の底から後悔する。

 

 ――不滅などというモノはない。全ては死へ、滅びの時へと向かう羊の群れ。永遠の時を、生き物は渡れない、(わた)れない。ならば求めるは永遠の()()。老いた肉体を捨て、若き肉体へと渡る技術。肉体を超えて時を亘る技術。

 

「チクショウ、そんな状態でも、魔法は使えるってことかよっ、クソ、髪が少し焦げちまった」

 

 ――ならばまずは子を産める若き女の肉体へと渡る。そうして次の肉体を育てながら術式の研磨を、研鑽を試みる……そうしなければならない、可能か、不可能かは別として(それがし)は、(わたし)は、それを求めねばならぬのだ

 

「もう油断しねぇ、くたばりやがれ死にぞこない!」

「わぉん!」

 

 ああ、それにしても……と。

 

 ああ、それにしても、目の前のこの羽虫どもはなんなんだ、鬱陶しい……と()()は思う。

 

 焔を伴う拳を()るいながら、むしろ焔そのものを(ふる)いながら、(おの)が行く道を遮る邪魔者に苛立つ。

 

 ――(それがし)の研究の邪魔をするな。(それがし)は研究室に、実験室に向かわねばならない。ここはどこだ、こんなところにはいられない。

 

 いつか死にたいと思いながら、いつまでも生きていたいと願った(ソレ)は、自分が崩壊していってることに、気付いていなかった。

 

 (おのれ)の、崇高なる研究こそが王国の未来を作ると信じ。

 

 ならば自分自身の進退こそが王国そのものの進退であると信じ。

 

 ならば自分自身の身体(しんたい)こそが王国の実体であると信じて。

 

 王国のため、死ぬわけにはいかないと思いながら、目の前に現れた羽虫を払い除けようとしていた。

 

「つぁっ!! だからあっちぃって!! 腐っても、王国随一の魔法使い、ってことかよっ……体術は素人だから助かるがよっ」

「ばほぉぉぉん!!」

 

 それは崩壊していく最後の時にありながら。

 

 それは崩壊していく最期の刻であるからこそ、燃え盛っていた。

 

「だがいくら刺そうが堪えない、取り押さえるわけにもいないってのはやっかいだな。つーか、おっと!? その真っ黒な腕のっ、足のどこに筋肉があんだよっ、つぁっ! おかしいだろ!……ぬんっ! そんな状態で、犬よりも速く動くっ、とかよ!」

「ばぅっ!!」

 

 黒い影は、何度槍で刺されても、何度マイラの巨体を使った突進に体勢を崩されようとも、まるでなにも堪えていない……かのように見えた。

 

 時折、炭のように黒い身体が、やはり風を送られた炭のように一瞬ボゥと赤く光る。その筋は、血管のよう……には見えない。それは、人体の血管のようには、複雑に分岐した何かではない。

 

 それは点と点を繋ぐネットワーク。

 

 十七の結節点(ノード)……額、頚骨、尾てい骨、両肩、両腕、心臓、肝臓、肺と腎臓の左右両方、丹田(たんでん)、両膝、両踝(りょうくるぶし)……となった燃焼石(ねんしょうせき)を、何かしらの魔力、あるいは生命力が流れ、通過して行くことで発光するある種のニューラルネットワーク。

 

 それは、致命的な欠陥を抱えながらも、灼熱のフリードが至った魔術の深淵でもあった。

 

「は?」「わぅ!?」

 

 燃焼石(ねんしょうせき)は、灼熱のフリードの発明品だった。

 

 公的には王族が創らせた物ということになっているが、実際は徹頭徹尾、彼が着想し、考案して、数年の時を経て一般化されていった王国の公益品であり、今では重要な交易品ともなっている。

 

「な、な、な、な、な……嘘だろぉ、おい」

 

 黒槍のコンラディン、その兄は同じ王国の公益品である「塩」の「扱い」を巡り、(あやま)り、(あやま)って財務省王都財務局、局長の座を追われてしまったが、燃焼石(ねんしょうせき)は王都において「塩」よりも更に厳重な「扱い」をされる代物となっている。

 

 それもまた、王都財務局、財務省の管轄外にあり、では、どこが管轄しているのかといえば……軍だ。燃焼石(ねんしょうせき)はある種のエネルギー資源であり、王国にとってはある種の軍需品でもあり、またそれの輸出を始めてしまった今となっては、もはや戦略物資といっても過言ではないモノとなっている。

 

「嘘だろおい……飛んだ?……あんなのが宙に浮いている?」

「わぉぉぉん!?」

 

 燃焼石(ねんしょうせき)の生成には、炎魔法を必要とする。

 

 全ての始まりは灼熱のフリードのユニーク魔法「灼熱」、それだった。

 

 若き日のフリードは思った。強大な(おのれ)の魔法、「灼熱」を圧縮することはできないかと。

 

 そも、彼にとって魔法とは、世界のどこかにある、だがどこにでもあるエネルギーに語りかけ、触り、操作して何かを成す、そうしたプロセスを踏んで行われるナニカであった。

 

 それは確かに人智には未知の、ゆえに神秘を感じる、神や精霊といったナニカの存在を夢想させる現象……そのようなものではある。

 

 だが、灼熱のフリードの自尊心(プライド)は、それをこう捉えた。

 

 それが神だろうが、神秘だろうが、人と対話をし、触ることを許し、操作されることに甘んずるのならば、それは(おのれ)が支配すべき対象でしかないと。

 

 崇高な存在でも、不可侵なナニカでもないと。

 

 魔法の根源がなにか、なんなのか、なにもかもがわからない、だがそれが現象として確かに存在するものであるなら、(おの)が知性によって超克(ちょうこく)できないナニカでもないと。

 

 ならば未知であり神秘である(おのれ)の魔法、そのエネルギーを圧縮し、閉じ込め、支配して、保存、保管をして使うことはできないものかと、彼は考えた。

 

 できた。

 

 様々な試行錯誤の結果、炎魔法を「放出」するのではなく、触媒となる物品が鎮座する一点にそれを「凝縮」させると、触媒次第で様々な性質をもつ燃焼石(ねんしょうせき)となることがわかった。

 

 最初は、それは灼熱のフリードただひとりが行える技法だった。

 

 しかし、(おのれ)ひとりがエネルギー資源の源泉であるなら、一生それの精製(せいせい)生成(せいせい)に従事させられてしまう。国は、貴重な能力を持つ人材であるのならば監禁し、非人道的な扱いをしてでもそれを利用しようとする。フリードに、そのような場所に堕ちる気など、毛頭無かった。

 

 ゆえに灼熱のフリードは、こう考えた。

 

 燃焼石(ねんしょうせき)が、(おの)が発したエネルギーの塊であるのならば、それを人体に埋め込めば己と同じことが……否、(おのれ)よりは数段劣るそれが、可能となるのではないだろうかと。

 

 可能だった。

 

 様々な試行錯誤の結果、三桁に届く被験者という名の犠牲者を消費して、脳は駄目で心臓も駄目で肺腑でも駄目、腰椎も膵臓も陰茎も精嚢も駄目で、乳房も乳頭も陰核も駄目であることを確認しながら……ある程度炎魔法を使える者の頚骨にそれを埋め込んで鍛えれば、自分と同じように、燃焼石(ねんしょうせき)が精製できるようになることを確認した。

 

 何割かは首から下が動かせなくなり、文字通り燃焼石(ねんしょうせき)を生むだけの機械と成り果てたが……そのような悲劇などは、(はなは)だしく華々(はなばな)しい成果がそれを覆い隠してしまった。

 

 煙も出ず、(にお)いも出さず、ただ熱というエネルギーを供給してくれる燃焼石(ねんしょうせき)は、貴族の生活には欠かせないものとなってしまった。彼らは煙や(にお)いの出る火力を臭炎(しゅうえん)と呼んで蔑み、燃焼石(ねんしょうせき)を、(おの)が虚栄心の、文字通りの燃料としてしまった。

 

 灼熱のフリードはこの功績によって、相応の地位と莫大な財を得た。

 

 王の直轄地から、魔法の研究のための領地を分譲し与えられ、伯爵家の四女を娶り、子も生まれた。

 

 灼熱のフリードが家庭において、家族に、どのように振舞っていたかについては記録がない。その当時の家人は、使用人を含め全て死んでしまっているからだ。

 

 ただ、彼に嫁いだ元、伯爵家の四女は、大変な美貌の持ち主であり、人柄も素晴らしいものであったと伝えられている。古くより灼熱のフリードを知る者は、彼が結婚してよりの数年は、人が変わったように明るく優しい人間となったことを記憶している……多少の気持ち悪さと、強烈な違和感と共に。

 

 彼が再び、魔術の進歩のためならば人を人とも思わない、非人道的研究に着手したのは……実験体の苦痛など、その人生など、塵芥ほどの価値もないと言わんばかりな考究(こうきゅう)を再開したのは……その妻と子が、ほぼ同時期に他界してよりのことだ。

 

 その死の原因はわかっていない。母子がほぼ同時に亡くなっていることから、流行り病であったとも、灼熱のフリードの魔術の実験に巻き込まれ、その事故によって亡くなってしまったのだともいわれている。灼熱のフリードは頑としてその口を割らず、妻の生家であったコーニャソーハ伯爵家と彼との間には、解消しようのない確執もできてしまった。

 

 だが、そうして再開された彼の非人道的研究は、しかし一方では「燃焼石(ねんしょうせき)を生むだけの機械」となる者の割合を減らしもした。

 

 それは、それもまた多大な功績ではあった。

 

 燃焼石(ねんしょうせき)を生むだけの機械……とは言っても、元は彼ら彼女らも有望な魔法使いだったのだ。大半は十代の若者である。それが知性を、意識を保ったまま、糞尿を垂れ流しながらも燃焼石(ねんしょうせき)を生み続けるだけの生活を強いられる光景というのは、人権意識が無くとも、多少の良心があれば胸を(えぐ)られるようなモノではあったのだから。

 

 結婚していた頃のフリードが、彼ら彼女らの様子を視察しに来たことはない。

 

 自分が生み出したものでありながらも、彼はその光景を避け、もしかすれば甘い新婚生活に、家族との時間に逃亡していたのかもしれない。

 

 九十五パーセント。

 

 頚骨への、燃焼石(ねんしょうせき)の埋め込みによる、燃焼石(ねんしょうせき)を精製できる魔法使いの生成、その成功率が、その数値に達した時。

 

 灼熱のフリードは、「失敗作」の廃棄を決めた。今後、五パーセントで生まれて来る者の即時廃棄もまた、同様に。

 

 栄光ある王国において、これが公になれば体面の大変よろしくない事態となるという論を軸として、良心のある者へは人間の尊厳であるとか、特に良心など持ちあわせていない者へは斯様(かよう)な者を世話し続けるコストの方が問題であるとか、そうした様々な理屈で「非道」な「処置」を受け入れてもらった。

 

 感謝された。

 

 長い者で七年、燃焼石(ねんしょうせき)を生むだけの機械となる生活を続けていた者のほとんどが、一瞬で蒸発できるフリードの魔法、「灼熱」に感謝して逝った。例外はあったが、それは苦難の日々に、精神を病んでしまったからだろうと……灼熱のフリードは思っている。

 

 ともあれ、灼熱のフリードには、これによる膨大な技術と知見が残った。

 

 燃焼石(ねんしょうせき)には、()()()()()()()()()()()()()()()、それを()()()()()()()()()()()()という、莫大な技術と知見が。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして再び、視界は反転する。

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 黒槍のコンラディンの目の前で、倉庫のあちこちから光と熱が立ち昇っていく。

 

「わぉぉぉん!?」

 

 それは何ら比喩などではない。

 

 本当に、光る物が、熱を放つものが宙に浮き、釣る糸などは何も無しに上へ上へと昇って行っているのだ。

 

燃焼石(ねんしょうせき)!? ここは、燃焼石(ねんしょうせき)の倉庫かよ!?」

 

 マズイマズイマズイと、黒槍のコンラディンが呟き始めるのを他所に、光り、熱を放つ燃焼石(ねんしょうせき)の輪をまとった黒い影は上空へと昇っていく。

 

「くそ、なんて数の燃焼石(ねんしょうせき)だ! あれだけの量に火がついたら、こんな倉庫なんか一発で吹っ飛ぶぞ!?」

 

 コンラディンも、貴族の出身である。十四で家を出るまでは貴族の生活を享受していた。燃焼石(ねんしょうせき)がたった一個で、風呂であるなら貴族用の、十人は入れる風呂を十回は沸かせられるエネルギーの塊であることを知っている。下手に扱えば大爆発の危険があることも。

 

 一瞬、彼は槍で黒い影……灼熱のフリードの成れの果て……を、撃ち落そうかとも考えた。

 

「ばぅっ!!」

「くっ……」

 

 が、思い直す。

 

 今は、それよりも退避を急ぐべきであると。

 

 アレが、眠る父娘から距離をとってくれた今こそ、逃亡のチャンスであると。

 

「マイラ、ユーフォミーちゃんを乗せて……走れるか?」

 

 人間の下半身いうのは、案外重い。生まれつき両足が無く、極めて細身であるユーフォミーの体重は、成人女性の半分程度に過ぎない。だがナッシュはその四倍以上の体重であろう。どちらがどちらを担ぐかに関しては、最初から選択肢が無かった。

 

「わぅっ」

 

 マイラは大人しく、されるがままに意識のないユーフォミーをその背に乗せ、落ちぬようにと腹と胴に通された紐の締め付けにも、特に不快感を表さなかった。それどころか、その状態のまま、力強く前片足を交互に上げ下げして……なんというか「やれますがなにか?」といった雰囲気を醸しだしている。

 

 垂れ耳の顔が、こころなしか、誇らしげに笑っているかのようにも見えた。

 

「お前はホント、すげぇな……」

 

 そうして、コンラディンは素早く自分もナッシュを背負おうとして、その筋肉質の腕を取ったところで……。

 

「っ!?」

 

 嫌な予感に、首が跳ねる。

 

 視界の先には……。

 

「……目ん玉はもうねぇのよ、人のこと、見下ろしやがって」

 

 まとっていたはずの炎の輪はどこへやったのか、黒い影が単独で……地表より二十五メートルほどであろうか……建物の天井付近で静止したまま、コンラディン達を見つめていた……コンラディンからはそう見えた。

 

「くそ、結局アイツを、やらなきゃ逃げられないのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 黒い影はじっと見ている。

 

 その視線の向かう先は、あるいは意識の向かう先は、しかし黒槍のコンラディン、ではない。

 

 そこから直線距離にして四十メートル程の距離から自分を見上げている、()()()()()()()()()()()()()()()()を、それはただじっと見つめている。

 

 

 







 なお、黒い影となってしまったフリードさんですが、これはサーモスコープを装着したライフルで熱源、燃焼石を撃ち抜いていけば簡単に倒せます(3月24日が楽しみですね)




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LIV [101-diary] : cracked apple


 ※前書き

 今話は、三章のどこかへ挟み込もうと思っていた「設定暴露話」です。

 もはや、どうやっても上手く本編へ織り込むことが不可能そうなものを、可能な限りぶち込んであります。

 多分、これら設定をストーリーに乗せる形で表現すると、あっさりでも10話(7~12万字程を想定)、こっさりで20話、こってりで30話くらいかかります。なので丼一杯にまとめた感じです。なんというか色々申し訳ありません。

 また、当話においては、作中人物がいわゆる天動説を悪し様に罵るシーンがあります。

 これは単に、その彼がかつて21世紀の地球における科学を信奉していた人物であるという表現でしかなく、この部分に今も世界人口の数パーセント(仮に2%とした場合、1億6千万人ほど)は存在するという天動説の支持者、信奉者を非難、批判する意図はなんらございません。

 また、その彼も、これより先の未来において、自己を上位変換(アップコンバート)した後、「三次元的な形象はあくまでも三次元空間における形象なのであるから、なるほど、捉え方次第では天動説も正しいのだな」という境地へ達しています。作中では描きませんが。

 敢えて言うのであれば、大多数の人間にとって、地動説、天動説の真否などはどうでもいいことです。直接的には自分の生活に関わってこない議題なんかで争うのであれば、きのこたけのこ戦争に参戦するとか、赤いお狐様と緑のポンポコのどちらがいいかで闘うとか、そういうことでもしていた方が、まだ人生楽しく過ごせると思います……というのが作者自身の考えとなります。ラブアンドピース。ちなみに当方、カップ麺ならカップヌードルトムヤムクン味が究極にして至高の存在だと思っています。異論は認めません。

 なお、「きのこもたけのこもクソ、アーモンドクラッシュポ●キーこそが銀河一」とは千速継笑さん(と、そのイメージソースの一部となった知人)の言(※誇張アリ)ですが、当方はポ●キーならつぶつぶイチゴの方が好きです。ポ●キーなんてクソだろと言うヤツの鼻の穴にはアーモンドクラッシュポ●キーを突っ込みます。つぶつぶイチゴを食べながら。





 

<時間軸:???>

 

 ()湖畔(こはん)の、丘の上にその家はあった。

 

「わぉん?」『性善説、ですか?』

「“善”とはいっても、この世界の概念におけるいわゆる善悪の概念とは、多少違っていたようではあるのだがな」

 

 一見、(つた)(おお)われた、ただの二階建てログハウスのようにも見えるそれは、しかし湖へ直接アクセスできる地下階までをも含め、全体に、何重にも魔法的な結界と防壁が張られた……魔法使いの高度な工房(アトリエ)でもあった。

 

 よくよく観察してみれば、壁を()う蔦らしきものが、すべて壁面を成す丸太から芽吹いた枝と葉であることが判るだろう。

 

「わぅ?」『どういうことですか?』

「欲であるとか、私心であるとか、あるいは非礼であるとか、そういったモノの捉え方といえばよいか……対極にある性悪説と合わせて語ればこうなる。“人は生まれながらに礼節を知る存在か、否か?”」

 

 魔法学によってある程度“時”の謎が()(ほぐ)されたこの世界において、いまだ残る“生命(せいめい)濫觴(らんしょう)”の謎、それさえも軽く取り込んだ偉大なる魔法使いの砦。

 

「生まれたばかりの時は、何の欲も無く純粋であると説くのが性善説、そうではないから教育によってそれを克服せねばならぬと説くのが性悪説、そのような感じかの」

 

 そこに住まうはただ一個(いっこ)(つがい)

 

「くぅん?」『教育、ですか?』

「うむ」

 

 五十年以上の時を共に過ごしてきた()かち(がた)きふたり。

 

「……とはいっても、性善説の方も、無欲で純粋な赤子であっても、放っておけば欲にまみれ悪人と成り果てるから、教育が大事と説くのは同じなのだがな」

「わぅん」『ゆえにこうすべき、という点では、変わらないのですね』

 

 そこに()るは、かたや盲目の魔法使い。

 

 かたやその盲導犬。

 

 共有した時間は、想いは、おそらく大半の(人間の)夫婦よりも長く、深い。

 

「そうだな……言い換えれば、“あなたはやればできる子だから勉強しなさい”と言ってるのが性善説、“あなたはこのままではとんでもない人間になってしまうから勉強しなさい”と言ってるのが性悪説、そういうことになるのだろうか」

 

 (はた)から見ればそれは、暖炉の前で椅子に座り、訥々(とつとつ)と犬へ話しかける老人と、それへなんとなく相槌を打っている草臥(くたび)れた老犬に見えるだろう。

 

「わぉん、わぅぅぅん」『“やればできる子”は、あまりいい意味では使われなかったと記憶していますが……いえ、そのような記憶を知っている、と言うべきなのでしょうか?』

「そのようなことは、どちらでもいい。私の記憶は、そなたのモノでもあるのだから」

 

 だが老人の耳……否、心には、老犬の声が届いている。

 

「まぁ結局の所、“やればできる子”が、ではどうすれば“やる”のか、その方法論こそが、“やらない子”を持った親の悩み所であるのだろうからな。“やればできる子”という言葉ひとつで子を鼓舞できるのならば、誰も最初から悩みなどはしないであろうよ」

 

 それは幻でもなければ、夢現(ゆめうつつ)などでもない。

 

「ぅー、わぅんわぅん」『んー……ですが、“とんでもない人間になってしまうから勉強しなさい”と言ったとしても……』

「鼓舞には、ならぬな」

 

 老人は魔法使いで。

 

 老犬もまた魔法使いだった。

 

 ふたりは、ふたりの世界を形成するに至った一番(ひとつがい)の魔法使い達だった。

 

 

 

 

 

 

 

「結局の所、性善説を信じようが、性悪説を信じようが、“やらない子”は“やらない子”のまま変わらない、成長しないというのが現実には多いことなのだろうな」

 

『全く、“やらない子”というのも少ないとは思いますが』

 

「それもな、その通りだ。全く“やらない”というのも、それはそれで信念であるとか、根性であるとか、ある種の才能が必要だろう。ある程度は勉強をして、ある程度の平均的枠組みの中に入り、そこで生きる者達が多数派なのだろう。それが悪いとは言わぬよ、平和に生きていけるのであれば、それが一番だ。ただ、自分が平均的枠組みの中にいると自認する者……自分が普通であると自覚する者の中には、民主主義においては多数派こそが正義であるから、それ以外はどう扱っても構わないと考える者がいる。盲目の者へ石を投げ、しかしそれが魔法学者としての権威を持った瞬間に、表では()(へつら)いを始め、だがその裏ではその失脚を、失墜を、権力の奪取を画策し始める……そうした者がいる。付き合いきれぬとは、このことだ」

 

『わぅぅぅん……』

 

「すまぬ、これは愚痴だ……話がそれたな、これはそなたが……知性を得た今、どう生きるべきなのかという話であったな」

 

『もはや盲導犬としてはお役に立てなくなったこの身、全てはナオ様へと委ねるしかありません、から……』

 

「そう言うな……言わないでくれ……。私にはツグミ、お前が必要だ。それは私が“観える”ようになった今も、そなたの足が動かなくなってからも、ずっと変わってはいない」

 

『もったいなきお言葉です』

 

「私は……研鑽することしかしてこなかった人間だ。だが……そこに幸せがあったかと問われれば……よくわからない。私の人生を充実したモノにしてくれたのはツグミ……そなただ。魔法の研究は、楽しかった。夢中になれた。それへ没頭することに、充足を感じていたとも言える。だがそこにツグミ、そなたがいなかったらと思うと……自分の人生が幸せであったと言えたかどうかは……わからない」

 

『もったいなき、お言葉です……』

 

「言ってしまえば……“人”が……知性ある者が幸せに生きれるかどうかを決めるのは……半分以上運であるといえる。あるいは全部(ラック)なのかもしれない。私の人生は、そなたに出会えたこと、それが全てだった。どれほど多くの勉学を修めたとしても、研究において多大な成果を出せたとしても、私の人生は、そなたなしでは空しいものだったよ」

 

『私もです。この命も、ナオ様と共に過ごせたからこそ、幸せなものとなりました……ん……わふっ、ナオ様にこうして撫でられていると、子犬の頃に戻ったような気持ちになります。もう覚えてはいないあの頃のことを……沢山の愛に囲まれてきゃんきゃんとはしゃいでたあの頃のことを……思い出します』

 

「愛された子供時代、か……私にはないものだ。だが、それ以上のものをそなたは与えてくれたよ。おそらく、他の盲導犬の誰でも駄目だった。ツグミ、(そば)に来てくれたのがそなたであったからこそ、私の人生は充実したものとなったのだ」

 

『もったいなき……わふん……お言葉……です』

 

「幸せになれるかどうかは全部(ラック)。自分が必要とし、自分を必要としてくれる誰かに出会えるかどうかは……それは、それこそ運でしかないものだな。もっとも、自分の子供へそうした現実を、そうであると教えたがる親も少なかろうが……」

 

『幸せが、運でしかないことは、努力することの否定にはならないと思いますが』

 

「ああ、私がそなたと長い時を幸せに過ごせたのは、努力あってこその結果だ。勉学が苦ではなかった……それは確かに、私に“運良く”与えられた贈り物(ギフト)なのであろう。だが、だからといってそれは、それだけで全てが上手く回る、という程のモノではない。良い成績を修めればやっかみも、嫉妬も向いてくる。“見えぬ”私には、悪意に対抗する力などはない。お前のような者は、一生暗闇の中を這いずり回っていればいいと嘲る声に、挫けそうになったこともある」

 

『ナオ様……』

 

「だが、それでも努力して“自分の価値”を示したからこそ、私はそなたに出会えたのだ。私の誇りはそこある。努力は必要だ、幸せに出会う確率、あるいは機会を増やしてくれるのであれば……な」

 

『下手な鉄砲も、数を撃てばあたる、ですか?』

 

「それは……まぁ……それも結局は運なのだがな。弾が的へ当たる前に鉄砲が暴発したら、幸せどころか大怪我しか残らん。自分のしている努力が、報われる努力なのかどうかを人は知ることが出来ない。真面目に努力をして、街中を警邏巡回している警官が、ある日巡回先で悪漢に撃たれ死んだとする。人は警官の努力を尊ぶだろう。()(もの)を警官の鑑であると称え、偲ぶだろう。だが、その警官の人生そのものに視点を変えてみれば、それは全く有害な努力だった。正しくとも、有害な努力だった。その努力を重ねていたからこそ、死んでしまったのだからな」

 

『その場合、残された家族は、お辛いでしょうね……』

 

「警官の家族であれば、まだそうした覚悟はあったかもしれないが……ではこれが受験生の親であったらどうだ? ある受験生は毎晩深夜まで勉強をしていた。そのせいで睡眠不足に陥った()(もの)は、駅のホームから転落して死んでしまった。()(もの)にとって、その家族にとって、毎晩深夜まで勉強するという努力は有害だった。努力とは、幸せになるために努力するというのは、斯様(かよう)に運でしかないのだよ。その者にとって間違った努力をしてしまえば、自分のみならず他人をも不幸にしてしまう、そういうもの」

 

『ですが、それでも努力してほしいと願うのが親なのでは?』

 

「そうだな。だがそうした親であっても……全てが自分の実力であると勘違いできた本当に幸せな者を除いて……人生における運の重要性はある程度悟っているだろう。子供も、それを悟っているからこそ努力を空しいとも、価値無きモノとも捉える。卵が先か鶏が先か……“やらない子”はそうして学びを、研鑽を放棄する」

 

『子供、ですか……』

 

「ならば、“子”が成長するためには、“生まれの性”が善性であれ悪性であれ、まずはそれを変質させるところから始めよというのが、イデア派の教育論となる。盲目の羊にはまずは目を与えよ……ということだ」

 

『んー、イデア派は、後進を育てることにはあまり積極的ではないと伺っていますが』

 

「ああ、それは始祖、“七識の観測者(ナナイロ)”よりの伝統であるな。彼、或いは彼女は、明らかな超越者(オーバーロード)。自分自身の研鑽には積極的だったが、他者への関心は薄かったとも伝えられている。私は盲目に生まれ、能力という点においては人よりも劣っていたからこそ、それを自身の研鑽によって補おうとした。だが“七識の観測者(ナナイロ)”は通常の人間を遥に超越した能力を持って生まれた。それはそれで、他者への共感を得難い特質だったのだろう。だから彼、或いは彼女はひたすらに“己の高み”を目指した。人として生きるよりも、それ以上の存在となることを求めた」

 

『もしかすれば……七識の観測者(ナナイロ)様は、神の御姿が見えていたのかもしれませんね』

 

「うむ?」

 

『私が、ナオ様に近づきたいと、ナオ様とお話がしたいと願ったからこそ、知性を手に入れられたように』

 

「彼、或いは彼女には、人を超越した者の存在が見えていたのかもしれないと、身近と感じていたのかもしれないと?」

 

『はい。七識の観測者(ナナイロ)様は、人のままでいることこそがもどかしく、やきもきさせられることだったのかもしれません』

 

「そなたのように、か……」

 

『はい』

 

「それは……そうかも、知れぬな。人と違うように生まれつくことが、それがプラスの要素であれマイナスの要素であれ、心へは同じように働くのであれば……そのもどかしさは、()瀬無(せな)さは、私にも理解できる。

 

『はい。私にも、理解できます』

 

「そうか……ともあれ……イデア派は歴史ある魔法学の一派。である以上、始祖がどうあれ、長い歴史の中で学閥を形成し、誰かが師となって弟子を育成してきたその軌跡、あることもまた事実。“どうすれば強力な魔法を使えるか?”を追求する学問ではなく、“どうして魔法を使えるのか?”を研究する一派であったことから、過去にはあまり人気のない派閥であったが……」

 

『ナオ様の登場により、勢力図は一変したのですよね』

 

「私は……()は知っていただけなんだ……現象を解析し、解明することによって技術は革新的に飛躍して、世界は次のステージに移るのだということを」

 

『コペルニクス的転回、でしたか』

 

「パラダイムシフト、パラダイムチェンジなどともいうな……魔法が現象としてそこにあるのならば、それは神()などではない。秘されてなどいないのだから。ならばそれは不可侵なものではなく、学問によって、人智によって解明すべき命題だ。()に言わせれば思考停止こそ神への冒涜だ。地球(かつての我が故郷)においては、なぜ物が上から下に落ちるかも考えずに、世界の像を歪めて捉えた時代があった。大地はどこまでも平べったく、天は地球を中心に回っているのだと捉えた。彼らは世界を、自分達の都合のいい形に歪めたんだ。思考停止する自分達に、都合のいい形に。神が世界を創ったというなら、世界の像を歪めることが背信でなくなんだというんだ。()には、魔法に“神秘”のレッテルを貼って、ただそれを便利に利用するだけの方が、この世界への冒涜に思えたんだよ……ん」

 

『私はナオ様を、責めてなどいませんよ』

 

「あ、ああ……ありがとうツグミ。無理に動くな……私は大丈夫だから」

 

『世界大戦は、ナオ様のせいではありません。ノティスの消滅も』

 

「わかっている。そのように驕る気など私にもない。私は歴史の操り人形として、その一翼を担っただけに過ぎないさ。中心的役割を果たした者は他にいる。あれらは私ではどうすることもできない事態だった……だがそうか、そなたは()()()()()のだな」

 

『はい』

 

「私は……自分が知らないところで何万何億が死のうと何も思わない……だが、それへ関わってしまったら大問題だと思っている……トロッコ問題においては、()分岐器(ぶんきき)の切り替えはしないと答える人間なんだよ……何もしないことを選んで、五人を見殺しにする人間なんだ……()の理性は、それが正解であると言っている……だがそう思いながら、流れる歴史(れきし)の中に、肥え太った者を落とし、轢死(れきし)させてきたのが()だ。思考停止して、世界が(とどこお)ったままであるのなら、旧来のままであるのならば既得権益を(むさぼ)るだけ貪っていられただろう、肥え太った者をだ」

 

『歩道橋問題、ですね。トロッコ問題においては、ひとりを殺してでも五人を救うべし、と判断した方であっても、太った男を突き落とすという判断はなかなかにつけられないのだとか』

 

「ノティスの消滅……アレへの……私の関わりなどは数パーセントに過ぎない。だが関わりは関わりだ。()の生み出した技術が……アレを引き起こしたのだ!! それで総人口数億という大陸ひとつが、丸ごと消滅したのだっ……世を捨てるには、十分すぎる失態だよ」

 

『……はい』

 

「だが……ははっ……皮肉なことにだ、それだけのことを成し得たがゆえにだ……イデア派は一躍魔法学の主流派(メインストリーム)へと上り詰めた。学会の勢力図は変わり、世界の軍事バランスも、陸海空魔、全ての軍隊における主要戦術も、なにもかもが変わってしまった」

 

『魔法学が、二類魔法学が、科学が進歩することにより、人々の暮らしも変わりました』

 

「それも、良かったのだか、悪かったのだか……」

 

『触媒に可動子指(dactyl)属性、不動母指(pollex)属性を与えることによって可能とした毒性物質の排出(キレート)技術。人体、土壌とも、様々な汚染に悩まされていた前世紀においては、これが人々の健康改善にも役立ったのでしょう?』

 

「それはな、ある種の魔法はダイオキシンも、プルトニウムでさえも軽々と生成する。それに対する安全と衛生への概念は、ペストが流行していた頃のヨーロッパ並だった。もっとも、それは解毒魔法によって治療、解消できる汚染、症状でもあったのでな、アスクレピオス派の貴重なる財源でもあったわけだ。私のやったことは、それを、完膚なきまでに叩き潰したと……まぁそういうことでもある……当時は、ナガオナオの技術は神に逆らう邪法であると喧伝されたし、何度か、直接的に毒殺されかけたよ……ああ、それには時に、お前のこの黒い鼻が、役に立ったのだったな」

 

『ぶにゅ!?……うー……』

 

「ははっ、すまんすまん。まぁ良かれと思ってやったことも、ある方面から見れば邪悪で、損失と喪失を生むものであったりする。世界とはかくも複雑で、厄介なものだということだ」

 

『うぅ~……クリーンなエネルギーである()()()も、人々の暮らしを豊かにしましたっ』

 

「それもな……原子力などよりはずっと安全安心なエネルギー……であったはずなのだが、後進国においては海外へ渡った寿司がごとくの適当な扱いをされ、いまだ爆発事故を起こし、毎年少なくない数の者が死んでいると聞く。そりゃあな……数百グラムの中に少なくともメガジュールクラスの……質のいいモノならテラクラスの熱量が閉じ込められた石だ。扱いを誤ればそうもなるわ。生成には炎魔法が必要であるというその仕様上、ヘパイトス派には感謝されたがの」

 

『炎魔法が使えれば、()()()()()()()()()()()になるのでしたか?』

 

「ああ。初期にはヘパイトス派における急進派どもが、頚骨(けいこつ)に燃焼石を埋め込むなどという巫山戯(ふざけ)た手法を編み出しおったがの……ああ全力で止めたさ。アレを国際的に禁止としたことが、私が自分の政治的影響力を行使した最後の一件であるな」

 

『そう……でしたね』

 

「ああ、ヘパイトス派は、盲導犬の前でも平気で炎魔法を使うような連中だからな、滅べばいいとは思っていたのだが……さすがにな……何割かの確率で半身不随になる術式なんてものを、放置してはおけんよ。魔法使いに生まれた若者の多くは、傲慢な博打打ちそのものだからな……自分が神に選ばれたとでも思っているのだろうよ。ならば八割方成功する術式など、“自分だけは”確実に成功するんだと思い込んでしまう。思い込んで、軽率にそれへ飛び込んでしまう。成功すればやはり自分は神に選ばれていたんだと増長して、失敗例を嘲笑って見向きもしない。……神に選ばれたというならそれへ感謝をして、数年の努力くらい、しろよという話だ」

 

『それでも、見捨てたりはせずに、全力で止めに行くのがナオ様らしいです』

 

「……半身不随となったヘパイトス派の若者をして、アスクレピオス派の連中がなんて言ったと思う? おおこれは福音であると、恩寵であるとさ。半身不随になっても燃焼石を生み出せる限り、経済的には困窮しない。いくらでも医療費を払ってくれる、扱い易い患者様であるとさ。私は、私へ嫌みったらしくそう言ってきた連中の(ツラ)が気に食わなかっただけだよ。人間を、他人を何だと思っているんだ。おまけに……燃焼石はそれを生み出した者が近くで不安定な状態に陥ると、()()()()()()()()()()()()()()という特徴を持っている。数百メートルほど離れれば九分九厘、数キロメートルほど離れれば確実に平気であるとはいえ、人体へ埋め込むには危険すぎる代物よ」

 

『色々、ありましたね……』

 

「ああ……まったく」

 

『……』

 

「……」

 

『何の話でしたっけ?』

 

「……そなたがどう生きるか……ではなく、君たちはどう生きるか、かの?」

 

『なんですか、それ?』

 

「なんでもない。宮崎アニメでなく原作の方であるとだけ言っておく」

 

『わぅん?』

 

「ああ……それにしても、歳をとると愚痴っぽくなっていかん。私は、自分のしてきたことを後悔などはしていない。ただ悲しいだけだ。世界を変えればそれに適応できない誰かが苦しむ。五人を救うナニカは、しかしひとりの人間には自分を()(ころ)す暴走列車であったりする。皆が幸せに生きる……この世界は、おそらくそれを許さない造りとなっているのだ。何をしても、どうしても、幸せの裏で誰かは不幸になるし、だからといって何もしなければ、不幸な人はもっともっと増え続ける。世界を変えるというのは、その世界に適応できない者を切り捨てるという営為(えいい)でもある……まさにトロッコ問題そのものだな。経路には沢山の、その場所に縛り付けられた者達が転がっている……であるなら、明るい未来をと(こいねが)う知性は、まるで思考実験の迷路に落とされた実験動物のようじゃないか。どこに抜け道があるのか、誰が花束をくれるのか、何もわからないまま彷徨(さまよ)っている。そんなトコロを何十年と這いずり回っていたら、そりゃあ愚痴のひとつやひとつも言いたくなるさ……んっ」

 

『ふふっ、お返しです』

 

「頬を舐めるそなたの……ソレに、私は何度励まされたことか……そなたはもう、どう生きるかなどは考えず、そのままで良いのかもしれぬな。どうせ私達はもうどこへも行けぬ、行かぬ。この家と、湖と、森、完結したこの世界だけでも生きていける。天気がよければ庭に出て遊び、曇っていれば船上で釣りでもして、雨が降れば家に閉じこもって森の声を聞きながら暖炉の前でくつろぐ……誰にも邪魔されぬ、誰も見ぬ、誰も聞かぬ、そなたが犬としてはおかしな行動を取ろうが、私がそなたへ、人へするように話しかけようが、咎める者などはいない」

 

『私も、ナオ様がよろしいのであれば、それに(いな)はございません』

 

「そもそも教育者って柄ではないんだよ、私は。多少教鞭をとった大学でさえ、学生からはナメられていたくらいだからな。休講が多い割に、簡単に単位をくれる教授とな」

 

『親しまれていたのですよ』

 

「珍獣扱いさ、盲目に生まれた者へ、一生付きまとう呪いだよ。多数派の枠に潜り込めた者が少数派へと向ける、好奇の目……敵意、悪意よりはずっとマシであるとはいえ、うんざりすることに変わりはない。まぁそれはいいさ、そもそも、あの大学に入れるような知性の持ち主へ、私が教えるようなことなど何も無いのだからな。私が執筆した論文を読め、本を読め、理解しろ、それが全てだ。知識(エピステーメー)は全てそこに記してある」

 

『実技は……イデア派の教えではないのでしたね』

 

「うむ。それはそれこそヘパイトス派や、アネモイ派に師事しろという話だ」

 

『一般には、炎属性のヘパイトス派、風属性のアネモイ派、無属性のイデア派、などと並び称されていましたが』

 

「勘弁してくれ。空子(ケノン)準空子(クアジケノン)の特性を活かした攻撃手段が“消去(イレース)”となるのは当然のこと、流体断層(ポタモクレヴァス)を利用した無剣(むけん)など、私の名と共に語らないでもらいたい」

 

『斬撃の形に、“物質を時の置き去りにする魔法”……ですか』

 

「簡単な話だ、流体断層(ポタモクレヴァス)によって物質の一部を準空子(クアジケノン)化する。三次元空間でこれは、物質の消去と同義になる。三次元空間においては空子(ケノン)準空子(クアジケノン)の違いなど、観測できないのだからな。そして、これはまた斬撃の形で行われるのであれば“切断”とも同義となる。結節点(ノード)の消去は、すなわち分離、すなわち断絶、断裁、裁断。斬撃という概念によってモノの切断を引き起こす無剣(むけん)などは、炎魔法における炎弾(ファイアーボール)のようなもの。ならば風魔法、真空波(カマイタチ)でも使えという話だ。魔法で害したという証拠こそ残ってしまうが、その方がコストパフォーマンスは圧倒的に良い。無剣(むけん)などは、原子力でやかんの湯を沸かすようなものだよ」

 

『……わふ』

 

「ん? どうした?」

 

『いえ、プロフェッサー・ナガオナオが、慕われていた理由が少しわかった気がして』

 

「なんだそれは。そしてその“わふ”というのは、そなたの笑い声なのか?」

 

『どれだけ悪態をつきながらでも、(いち)を問えば(じゅう)返ってくる。ナオ様は、ご自身でどれほど否定されようとも、根は面倒見のいいお方なのですよ』

 

「……むぅ」

 

『私は覚えていますよ、ナオ様が大学で教鞭をとられていた十数年間、妻の座を得ようと近付いてきた女学生が、ひとりやふたりではなかったことを』

 

「……私はその時点で四十から五十の年齢だったのだが……いや待て、覚えている?」

 

『発情の匂いに、なんだかこうもやもやとした記憶が、結構ハッキリと、ええ』

 

「……」

 

『ええ、はい』

 

「冗談、だよな?」

 

『ふふっ、さぁどうでしょうか』

 

「う~む……ならば犬の記憶能力について検証してみたいところではあるが……って、いったぁっ!?」

 

『がぅ』

 

「五十年以上一緒にいて初めて噛まれた!?」

 

『ナオ様、知性を手に入れて私は学んだことがあります』

 

「なんでしょうかっ!?」

 

『甘噛み、です!』

 

「むしろ普通の犬が普通にする行為!」

 

『がぅがぅがぅがぅ』

 

「そして結構甘くない!? 割と老骨が軋むっ!?」

 

『ふふっ、楽しいものですね、これ。童心を思い出します』

 

「うぅむ……知性によってギリギリの塩梅がわかるからこその、痛みはあれども痕は残らないスレスレの加減。まぁそなたが……これまで眠らせていた本能を満足させられたのであれば重畳(ちょうじょう)ではあるが」

 

『そういうところ、やっぱりナガオナオ様ですね。わふん』

 

「なんだそれは……そしてその“わふん”というのも、そなたの笑い声なのか?」

 

『幸せでしたよ』

 

「うむぅ?」

 

『覚えています。知性といえるほどのモノがなかった、何十年という時の中でも。私はナガオナオ様と共に過ごし、支えとなりながら可愛がられ、暮らして……幸せでした』

 

「……むぅ」

 

『この先がどうなろうとも、何が起ころうとも、私は幸せだったと、胸を張って言えます。私はナガオナオ様と、こうしていられるだけで幸せです』

 

「ああ……そうだ……私もそうだ。そうか……そうだな、私達がこれより求むるべきは、幸せではない。それは既に得られている。なぁ、ツグミ……私は世捨て人だ、脱落者だ、引退者だ、もはや世情とは関わりを断って生きる孤独な老人だ……それでも私は研究者だ、科学的アプローチで、魔法学を究めんとするヒトカケラの学徒だ。師はどこにもいない、私の研究の最前線にいるのが私なのだから、どこにいるはずもない。それでも私は追い求めている。この世界の本当の姿を、その真実を。輪廻転生と解脱、どちらを求めるかと問われれば後者だ。()は永遠に生きたいとは思わない。願わない、祈らない。()はあの人とは違う。()はただ、この悲しい世界の、その先を見たいんだよ」

 

『はい、それでこそナガオナオ様です』

 

「研究しよう、ふたりで」

 

『はい、お付き合いします』

 

 

 

 

 

 

 

「構想している魔術が、ひとつあるんだ。もしかしたらどうしようもないこの世界を変える魔法、それは仮の名を、幽河鉄道(ゆうがてつどう)といって……」

 

 

 







幽河鉄道完成後のナガオナオ:
「これこそまさにトロッコ問題の可視化じゃないかぁぁぁぁぁぁぁ」




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epis55 : time traveler [D*RAEM*N SONG]

 

<ラナ視点>

 

 騒然となる港町の倉庫街。

 

「避難だ避難! とにかくここら一帯から女子供を避難させるんだ!!」

 

 そこで私達はひっそりと物陰に隠れ、真っ黒に日焼けした肌の男衆達が大声で叫び、怒鳴り、やりとりをする様子を、息を殺しながらこっそりと窺っている。

 

「女子供以外!? そんなのは好きにしろ! だが誇りがあるなら避難誘導か消火準備か! どちらかを手伝え!!」

 

 ぼっちには、人のいないところを探る技術が備わってくる。

 

 この人生においては、私はずっと家にひきこもっていた。だけどもはや前世であることがほぼ確定したあの人生においては、その私だか()()()だかは、学校には真面目に通うタイプの日陰者だったのだ。

 

 学校は、ひとりきりになれる場所が、少ないようで多い。屋上への階段、そのどん詰まりなんかは意外と陽キャとかキョロ充もやってくるから駄目で、図書室の端っこの方なんかは、周囲に人の気配はすれど、意外とひとりきりの世界には入れたりする。これは図書()の方にはない特性であって、図書、()の方はどうして空間全てに人の気配がするのであろうかと、不思議に思ったりもする。アレかな、図書館には結構難しい本の需要もあって、デッドスペースというかというかデッドシェルフというかデッドラックというか、デッドブックが生まれにくいのだけれども、図書()の方にはそれが生まれまくりだからなのですかね。

 

 まぁ、それはどうでもいいけれども、昔取った杵柄(きねづか)ならぬ前世で取った隠密スキルを駆使して、私達はユーフォミー達が囚われているという、(くだん)の倉庫の様子を窺っている。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の射程圏内にはまだ遠くて、中の様子を窺うことも出来ない。

 

「ラナ、どうするの?」

「くぅん……」

 

 幸い、倉庫の中に入って何が起きているかを見に行こうとする人は「まだ」いないようで、いくつかある、どこかの入り口へと辿り着けるのであれば……私達が中に入るのも無理ではない……と思う。

 

 けどそれも、公爵家の騎士団なり、消防のエキスパートなりがやってくるまでの話だ。猶予は、周囲の様子から見て三十分……いや十分もないのかもしれない。

 

「ツグミ、あなたは今何ができるの?」

「わぅ?」

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)とやらを使った、予知夢ならぬ未来予知が可能であるのならば……話は簡単だ、「正解」のルートを教えてもらって進めばいい。

 

 でも。

 

「未来予知が可能なら、そもそもこんな状況になんて、なっていないんでしょ?」

 

『ラナンキュロア様……申し訳ありません、私、ジュベミューワ様を……ジュベ様を、壊してしまいました』

 

 ツグミは謝った。誤ったことを謝った。

 

 自分がしでかしてしまったことを悔いて、オモチャを壊してしまった飼い犬みたいにシュンとなっていた。

 

「ここは……“私が介入したことで新たに分岐した世界”です。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は本来“既定路線を見聞(みき)きする”技術です、新たに創られた世界においては、“路線”が“既定”化するまで、何もできません」

 

「よくわからないけれど、未読のシナリオはスキップできないみたいな話?」

 

「その(たと)えはよくわかりませんが、現時点においてこの流れ(ルート)の結末を私が知らない、知ることが出来ないという点にはおいてはええ、その通りです」

 

 未来予知はできないと。まぁそれは想定通りだ、仕方無い。

 

「魔法は?」

 

「使えません。ナガオナオ様のアーティファクトを利用してさえ、ここにこうして現界しているだけで精一杯です。無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能ですが……ジュベミューワ様のように、既に無意識の本能レベルで私を拒絶してしまっている場合には、それも無理です」

 

「……ん」

 

 なんだろう、なにか心に引っかかるものがある。

 

 ツグミの今の言葉の中に、何かとても重要な情報があった……そんな気がしてならない。

 

 だが出てこない。現状を解決に導くには、まだ何かが足りない。

 

「私や、レオへ新たなチートスキルを付与するとかは?」

 

「それが可能となるのは現状、幽河鉄道(ゆうがてつどう)の中だけです。私は、私の能力は幽河鉄道(ゆうがてつどう)とある意味一体化しているのです……そして、幽河鉄道(ゆうがてつどう)へは……」

「死者でなければ、乗り込めないんだっけ」

「はい……」

 

 こうなってくると、なかなかに厄介な仕様だ、それは。

 

「自分自身にチートスキルを付与することは?」

 

幽河鉄道(ゆうがてつどう)の中の、私自身を強化することはできますが、それをこの世界へ持ち込むことができません。繰り返しになりますが私は、この状態では事実上魔法を行使できないのです。当然ながら、幽河鉄道(ゆうがてつどう)に頼らない形での未来予知魔法などは、そうしたエピスを私が所持していないため、無理です。人間の男性を問答無用で殺せる能力も、いつでも水爆を撃てる能力も、バイオテロを起こせる能力も、求められても与えられなかったのは道徳の問題ではなく、そうしたエピスを私が持っていないからです」

 

「ああ……なるほどね」

 

「……水爆? バイオテロ?」

 

「……なんでもない、レオは気にしないで」

「申し訳ありません……くぅん……」

 

 怪訝な顔をするレオを余所目に、尻尾をくるんと丸め、足の間にしまいこんだ白いレトリバーの姿をちらと見てから考える。

 

 つまりツグミは現状、何もすることができない?

 

 そうすると、私とレオだけで現状をどうにかしなければならないわけだが……。

 

 はっきり言おう。私はマイラの生死にはそこまでこだわっていない。

 

 それよりはレオと共に生きること、そのことの方が圧倒的に重要だ。

 

 ならばマイラを命懸けで救助することはできない。冷酷と言われようがこれは優先順位の問題だ。コンラディン叔父さんは戦時中、なんだかんだ言って王国と運命を共にしようとした。それは叔父さんに、王国に命懸けで守らなければならないものがあったからだ。つまり叔父さんは、自分の命よりも大事なモノが王国にあったのだ。

 

 私が、自分の命よりも大事に思っているレオは、レオとの未来は、王国と紐付いてはいるわけではない。レオと共に生きられるのであれば、王国なんていつだって捨ててやる。実際、明日にはそうしようと思っていたところだ。

 

 私はマイラも、捨てられる。これまでの半分がこの英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー、ツグミであったというならなおさらだ。

 

 私が今ここにいるのは、レオがマイラを好きで、ツグミの話を聞いてからも助けたいと願っていて、私も何もせずに見捨てられるほど冷酷に徹し切れなかったという、それだけの理由でしかない。

 

 ……とはいえ。

 

 別に、私だって、マイラを救うこと、それ自体に(いな)はない。救えるなら救いたい、それは、あの時と同じ気持だ。

 

 ただ問題は……ああもう……またしてももうっ……私の魔法の、詠唱時間(キャストタイム)の問題だ。

 

 今、私の前に立ち塞がっているのは、「燃焼石の大爆発が今にでも起きかねない」という問題だ。

 

 私の魔法には、たとえ原爆水爆の爆心地であろうが、それを防ぎきれるだけの能力がある……と思う……()()()()()()()

 

 問題は、大爆発というのが、起きたらもう、あっという間に周囲を破壊しつくすという種類の災禍だということだ。正直なところ、今すぐにでも私は罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動し、その中にひきこってしまいたい。

 

 それをしていないのは、人の目があるのと、マイラの救出するかどうかについて私がまだ迷っているからだ。

 

 この三年間で、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の使い方、その応用編については沢山研究してきた。数時間前、ロレーヌ商会(私達の)ボユの港支店(ネグラ)が燃やされた時に披露した「割った空間の中をモグラみたいに移動していく」というのもそのひとつだ。

 

 もう言ってしまおう。

 

 私の魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、それに制限時間は……無い。

 

 厳密に言えば、制限時間を無いモノとして扱える……というのが正確な表現かもしれない。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、いわゆるMP(マジックポイント)のようなものを消費する技能(スキル)ではない。この世界のどこかにある、どこにでもある不可知の何かを利用することで発動してくれるモノだ。当然、根性論的な気力、精神力などは必要だから、それをMPと表現するならそれはそうなのだが、少なくとも、いわゆる魔力的なものが自分の中にあって、それを消費して魔法が発動するという感覚ではない。全然、全く違う。

 

 誤解を怖れずにいえば、ファイナルと銘打っていながらいつまでも終わらない某和製ファンタジーRPG、アレによく出てくる召喚魔法……召喚獣を呼び出して人智を超えた力を行使してもらうという魔法(スキル)、ソレに近い。

 

 もちろん、召喚獣のようなモノが私の前に現れることはないのだが。

 

 けど、行使者である私の感覚は、「別世界の(ことわり)を召喚している」という表現が最も近くなる気がする。異世界の(ことわり)で塗り替えられた空間そのものが私の召喚獣となって、私の操作を受け付けてくれるようになる……というのが……判り難いかもしれないが、私の感覚における罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)のイメージだ。

 

 ところでその召喚獣……ならぬ異世界の(ことわり)で塗り替えられ空間だが、これは時間と共に、段々と私の言うことを聞かなくなってくる。

 

 制御不能になるまでの時間はおよそ十分から三十分。そこは私のコンディションであったり、周辺の環境に左右されて決まる。

 

 例えばレオがヒュドラを討伐した後に、コンラディン叔父さんを止める目的で発動した時のアレは、解除した時点で制御不能となるまでの残り時間が、割ともう限界間近(おそらく三分を切っていた)だった。(くさ)くてグロイ爬虫類の死体が大量に転がっている中、緊迫した空気に挟まれているというその状況は、私の精神をどうやらショベルカー並の荒さで削っていたようだった。

 

 叔父さんに、「制限時間があるんじゃないの?」と問われ、初めてそのことに気付いた私は慌てた。不注意で、自分がレオをも殺してしまいかねない状況だったことに愕然となった。コンラディン叔父さんと、自分との間に、戦う人間としての資質に大きな差があることを実感してしまった。一時的に、難事を切り抜ける自信をも失ってしまった。

 

 空間支配系魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、それには制限時間がある。

 

 だけど私の魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、それには制限時間が無い。

 

 どういうことか。

 

 これは……運用の問題だ。

 

 なろう系のような「記憶を持ったまま次の人生に転生する」ことが実際に起きるとして……いや起きたけれども、私はその体現者なのだろうけれども……もし、それが永遠に続くのだとしたら? それは、「無限」とも言えるのではないだろうか?

 

 つまりはウロボロスの輪だ。限りあるナニカでも……その、終わりと始まりを繋げることさえできれば、それは「無限」とも言える何かとなる……そういうことだ。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は自分の周囲、半径五十メートル程の空間の中から任意の空間を「割って」支配する魔法だ。支配空間を最大限に広げようとした場合、自分の周囲、半径十メートル程の空間を円形に切り取る形となる。元々はそれが基本形だったし、ガチ戦闘であれば今もその形が一番有用だ。けど、日常生活においてガチ戦闘など、冒険者にでもならない限りは滅多にするモノではない。私はだから、そうではない運用方法について色々と実験し、実証等もしてきた。三年前に起きた出来事は、それを大幅に促進するきっかけともなった。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)によって支配した空間には、その全てに散在した「私」の一部が存在している。私は、分割された「私」を「糸」にして、割った世界を束ねている。召喚獣に首輪を着け、リードを引いているようなイメージだろうか。

 

 そもそも、統括者(とうかつしゃ)の「統」の字は「糸」を「充」たすと書く。つまり、「全てを糸によって繋げる」というのが、この字の成り立ちとなっている。「括」もまた……「髪を(くく)る」などの表現が判り易いと思うが……これも「バラバラのものをひとつにまとめる」という意味だ。「統轄(とうかつ)」であれば「支配」により近い意味となるが、私は「統括者」だ。

 

 一括(いっかつ)し、包括(ほうかつ)すれば、つまり私という「統括者」は魔法発動後、「()べる」ことしかしていない。「空間を支配」するのは魔法任せだ。召喚魔法のイメージであるというのは、つまりそういうことだ。ユーフォミーの「要不要」のように、全てを自分の意思と思惑によって行う魔法ではないのだ。

 

 具体的に何を「統べて」いるのかといえば、空間間(くうかんかん)の関係性の調整だ。分裂した空間同士をくっつけたり、どの空間からどの空間へ「何の通行」を許可するか、しないかを選んだりしている。後者はそれでさえもある程度はオートで、例えば「痛みの信号」が、医学的にどういうものであるかを、私は知らないが、それでもイメージできればその通行を遮断したり、再開させたりできる。

 

 ここでひとつの仮説が生まれる。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、この世界のどこかにある、どこにでもある不可知の何かを利用することで発動している。

 

 仮にそれを、魔素(マナ)と呼ぼう。別に名称はエーテルでもアストラルライトでもダークマターでもなんでもいい、なんなら精霊力、霊力、()だって構わない……その辺になると、さすがにかなり違う気もしないではないが……まぁなんだっていい、どうだっていい。

 

 私は空間に、「何の通行」を許可するか、しないかを選べる。

 

 ならば。

 

 それは魔素(マナ)でさえも、例外ではないのではないか?

 

 その新なる姿がエーテルかアストラルライトかダークマターかは知らないが、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の場合、魔素(マナ)というぼんやりしたイメージさえ浮かべられれば、後は魔法が勝手にやってくれるのだ。逆を言えば、ぼんやりしたイメージしか受け付けてくれないから、魔素(マナ)が「氣」であった場合は、「氣」も「邪氣」も一緒くたに扱ってしまっているのではないかという懸念も、あるにはあるが……正直、私がイメージする魔素(マナ)に聖邪の別などはない。エネルギー資源に……石油に、石炭に、燃焼石でさえも……それそのものに聖邪の別などはないのだ。レギュラーとハイオクの違いくらいならあるのかもしれないけど。

 

 つまり、だ。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)によって割った空間の外から、内への、魔素(マナ)の通行を許可し、その逆を不許可とする。

 

 どうなるか。

 

 それはもう、外から魔素(マナ)を吸収し続けるアリジゴクがごとくとなる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 私はその魔素(マナ)を使って、何度でも罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動し直すことができる。これによって永久機関、ウロボロスの輪が成立するのだ。

 

 そしてこれはもう仮説ではない。既に実験を済ませ、実証済みとなっている運用方法だ。

 

 ただ実際は、しかし私自身の体力、気力の問題がある。根性論的なそれの限界がある。人は水が飲めなければ数日で死んでしまうといわれているし、ずっと眠らずに起きていられるわけもない。尾篭(びろう)な話だが、トイレにだって行きたくなる。最後のは、膀胱がある空間から尿の「通行」だけ許可すれば排出できるんじゃ? とは思ったが……まぁそんなの実験していない、するわけがない。何が悲しくていつも実験に付き合ってくれたレオの前で、そんな醜態を晒さねばならないのですか。それに、それが解決したからといって、人体に諸々の限界があることには変わりないのだから。

 

「レオ」

「……なに?」

 

 だからこの状況において、燃焼石の大爆発が起こるのであれば、すぐに罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動してしまうことが、もっとも簡単な「正解」になる。

 

 よりベターな回答を求めるなら、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を連続使用して、その中を進んで倉庫の中に入るという形だろうか。

 

 自分とレオの身を最優先で考えるなら……それはそういう答えとなる。

 

 だが真にベストな解答は違う。

 

 真にベストな答えは、「コンラディン叔父さん、マイラ、ユーフォミーとその父ナッシュさんを助ける」「燃焼石が暴走しているなら、それも罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に閉じ込め、その独立した空間内で爆発させてしまう」だ。自分自身とレオの身の安全を確保した上でそれを成すのが、この場での最高の働きとなる。

 

 でも……そんなことができるの?

 

「私は昔……壊したかったの……世界を」

「今更何? ラナがそういう人間だってことは、知っているよ?」

「……くぅん」

「でも今は違う……この世界にはレオがいる……レオがいるから、この世界には価値がある……レオのいない世界なんか、やっぱり壊れてしまえばいいと思っている」

「僕も、ラナのいるこの世界を、壊したくなんかないよ」

「ラナンキュロア様……レオ様……」

 

 私達は、お互いの存在があるからこそ世界を愛することができる。許すことができる。実験し、実証して、私達は、「私達なら」世界を、本当に滅ぼせると理解したけれども……それを「実行」することはなかった。私にはレオがいたから、レオには私がいたから、しなかった。

 

「ラナ、僕はラナの方針に従うよ。どんな判断だって、僕は今後一切、それへ何をどうとも言わない。マイラだって判ってくれる」

「レオ様!?」

「ん……いやちょっと待って、その、レオの知っているマイラって、半分このツグミのイメージでしょ? オリジナルのマイラはただの犬なんでしょ? そんなこと、判らないんじゃ……」

「それも……そうだけど……でも、ユーフォミーさんの窮地を知って、即座に助けに行ったってことは、オリジナルのマイラもかなり頭がいいってことなんじゃ? 仲間のピンチを放っておけないっていうのも、僕のイメージ通りなんだけど」

「わぅ……」

「……あれ?」

 

 何かがおかしい。

 

 何かが引っ掛かる。

 

「あ……」

「ラナ?」

「そもそも、なんでマイラはユーフォミー達を助けようとしているの?」

「え?」

「なに? アイツってユーフォミー達を“群れの仲間”認定でもしていたの? なんとなく、そういうことかなぁって感じでここまで来ちゃったけど、よくよく考えたらそこからおかしい……ということは……」

 

 けど、その引っ掛かりから、私の心に湧き上がって来た「疑問」は、そこからかなり飛躍したものだった。

 

「ねぇ……今のマイラって……オリジナルのマイラ?」

「……え?」

「わぅん……」

 

 ところで。

 

 ところでとろろにところてん。

 

 ドラえもんという漫画を知っているだろうか知っているよね国民的漫画だし。

 

 さすがに、これは出典を明示した上での引用扱いになるだろうから、伏せ字なしで行くよ?

 

 ドラえもんの、てんとう虫コミックスでは5巻に収録されたエピソードに、「ドラえもんだらけ」というモノがある。

 

 簡単に言うと、ドラえもんが、のび太くんに騙され、一晩で彼の数日分の宿題をこなさなければならなくなり、この解決には人手ということでタイムマシンを使い、二時間後の自分(ドラえもん)、四時間後の自分(これもドラえもん)、六時間後の自分(当然ドラえもん)、八時間後の自分(全部ドラえもん)を連れてきて解決するという話だ。

 

 ドラえもん同士のドタバタが大変楽しい傑作エピソードではあるが、これには、ひねた子供なら絶対にツッコミを入れたくなる部分が、ふたつ存在している。

 

 ひとつは、どうして二時間後、八時間なんていわずに、もっと先の、余裕がある時間の自分を連れてこなかったのか、ということ。このエピソード、八時間後のドラえもんは寝不足によって、昔の単行本では「ついにくるった。」と表現されるほどにおかしくなっている(後に、何版からかは知らないが、「ついにおこった。」に変更されている)。まぁ、それも見所のひとつなのだけど、冷静に考えたらやはりおかしいのだ。

 

 そしてもうひとつは、どうして、八時間後どころか二時間後には完成していた宿題を丸写ししなかったのか?……ということ。書くのに手間がかかるから、ということなら判らないでもないのだが、有名なひとコマ、有名なセリフ「やめろよ。じぶんどうしのあらそいは、みにくいものだ。」のすぐ下に、明らかに問題を解きながら宿題をこなしているドラえもん達のひとコマがあるのだ。どうしてロボットが小学生の宿題で悩んでいるのかというツッコミポイントもないではないのだけど、まぁ事実そういうひとコマがあるのだから仕方無い。

 

 いや別に、ドラえもんの傑作エピソードの瑕疵(かし)(あげつら)って、その価値を貶めたいわけではないのです。

 

 この「ドラえもんだらけ」が傑作であることは間違いないわけで、ドラえもんそのものが不朽の名作であることにも、あまり異論を挟む人はいないのではないかと思います。そんなところにこだわりだしたらエンタメを楽しめなくなると思いますし、そもそもドラえもん自体が、大長編ドラえもんの第一作目、のび太の恐竜において語られた航時法(こうじほう)に引っ掛かるんじゃないの?……という、ツッコミどころ満載な存在なのです。まぁ……たぶん「その後の流れに大きな影響を与えない歴史改変ならセーフ」ということなんでしょうけどね。2020年公開の「新恐竜」の方では「(タイム)(パトロール)ぼん」のガジェット、「チェックカード(歴史改変をしても後の流れに大きな影響を与えないかチェックするカード)」も使っているそうですしね……キ●タクが。その改変を決定したであろう脚本の方、君●名は。への批判を教訓にでもしたのでしょうかね。いい思いますけどね、エンタメ作品にはツッコミどころがあっても。多分設定した全ての要素を出す必要なんてないんですよ。それよりはエンタメには「勢い」って物が必要で、●ヴァンゲリ●ンがヒットしたのだって、設定を詳しく語るよりも「勢い」任せで物語を終局へと導いていったからなんじゃないですかね。設定暴露回を書かずにいられない作者なんか、きっと自己愛がとんでもなくおかしな方向へと捻じ曲がった知性と品性の足りない愚か者なのですよ。君●名は。だって大ヒットしたじゃないですか。「この設定をキッチリ語っておかないとツッコミどころが生まれる」なんて考えるより、とにかく勢い重視でやりたいことをエモく書ききっちゃう方が、きっとエンタメ的には正解なんですよ。私も、ハードSFよりかは少し()不思議()系の方が好みですし。なお、ここ、「お前、焦ってんじゃないのかっ、なに悠長に長文でドラえもんについて語ってんだっ」ってツッコミを入れるポイントです。

 

 それはともかく。

 

「今のマイラは誰?」

「……やはり、気付いてしまいますか」

 

「さっき、こう言ったよね?」

 

『マイラは犬の身でコンラディン様へ助力嘆願をし、叶えられればコンラディン様と一緒に、叶えられなければ単身でユーフォミー様、ナッシュ様の救助へ向かう予定です』

 

「犬の身で、か。なるほど、確かに犬の身で、だね。この表現は、ツグミ、あなた自身も犬であるのだから、微妙におかしい。自分が人間なら、犬の身で、は、犬だてらに、とか、犬なのに、という意味になってくると思う。でもツグミ、犬のあなたとしては、こう言いたかったんじゃないの? 犬の身で……()()()()()()()()()()()()()……って」

 

「……どういうことなの? ラナ」

 

 ツグミだらけ、疑問点、壱。

 

 どうして今ここにいるツグミは何も知らないまま、無垢の状態のままなの? 時を行き来する技術があるのに、なぜそれを活用しないの?

 

 しかしそれは当然だ、人間、誰しも初めてということはある。よくわからないが、SF的な……というか魔法的な制限もあるのだろう、そちらは私に理解できることとも思えない。でも、どちらにせよ、「初見だった」「一周目の」ツグミは、どこかにはいたわけで、それがこのツグミであるというだけの話だ。時を行き来する技術を、なぜ活用しないのか、ではなく、「このツグミは」まだ活用していないのだ。

 

 問題は、その先にある。

 

「今のマイラも、ツグミなんだよ」

「……え?」

 

「こう言い換えようか、今のマイラは、二周目のツグミなんだよ」

「……は?」

 

 ツグミだらけ、疑問点、弐。

 

「あなたと二周目のツグミ、それなりに会話してるよね? コンラディン叔父さんへ助力嘆願をして、叶えられれば叔父さんと一緒に、叶えられなければ単身でユーフォミー、ナッシュさんの救助へ向かう予定……だってことを、あなたに、話したんでしょう?」

 

 どうして二周目のツグミは、一周目のツグミに「正解」を教えない? 自分のこれからの予定を伝える時間があったのに、というか時間が足りないのであれば、足りる場所へと戻ってくればいいだけなのに。これはSF的、魔法的制限とは無関係に存在する疑問だ。既に可能不可能が分けられた枠の中で、矛盾しているのだから。

 

「わかりません……本当にわからないんですっ……()()がどうしてコンラディン様、ユーフォミー様、ナッシュ様を……()()()()()()()()()()()……助けようとしているのか……ラナンキュロア様、教えてください……ならば……私は何も知らず、心のまま行動することが正解なのですか? 未来の私はそう判断したということなのですか? ()()()()()()()()()()()()ということは、ここはラナンキュロア様のいわれる()()()()()()ということになります。なら、二周目の私も、二周目の正解は知らないはずなんですっ」

 

 それは……。

 

「一周目で、コンラディン叔父さん、ユーフォミー、ナッシュさんを、どうしても助けなければいけないなんらかの事情を知った、から?」

 

 でもそれは……なに?

 

 口ぶりからして、一周目においてツグミは、叔父さん、ユーフォミー、ナッシュさんの生存をさほど重要視していなかったのだと思う。ツグミの目的は、ラナンキュロアの人生を悲劇から救うこと。十六年以上前(あの時)に、そう言っていたのだから。

 

 それに、私にだってわかる。ツグミは確かにお兄ちゃんの盲導犬、だったのだろう。ツグミの話の向こうに見えてくるお兄ちゃんは確かにお兄ちゃんだ。ツグミが、そのお兄ちゃんを心底愛していることも。

 

 ツグミにしてみれば、お兄ちゃんに与えられた使命こそが重要なのであって、それ以外は何段階も下がる位置にあることなのだろう。誰かを愛するということは、そういう側面も持つ。私だって、レオとレオ以外の全ての命を秤に載せれば、圧倒的にレオの命の方へと目盛りが傾いてしまう。「レオ以外の全ての命」に、自分自身の命が含まれていたとしても。

 

「その事情を、私に伝えない理由がわからないのです……」

 

 想像してみる。

 

 コンラディン叔父さんが死んだ、ユーフォミーが死んだ、ナッシュさんが死んだ……そうなった時、自分はどう思うか?

 

 それは悲しい……悲しいと思える……けれど……それが、私にとって「悲劇」であるのかと問われると……違う。私のとってこの世界で「悲劇」に値することとは……「レオが死ぬこと」……だ……。それは自分が死ぬことよりも許し難い、受け入れ難いことだ。

 

 一周目のツグミと、二周目のツグミの大きな違いは、マイラの()を危険に晒そうとしているか、いないかだ。

 

 ツグミとマイラとの間には契約があるらしい、それに(もと)ることを、ツグミはしたくない。ツグミの中でどういう優先順位がついているのかは判らないが、観測者であるツグミが重要視していて、無理にでも事態へ介入してこようとする「その理由」となるのはラナンキュロアを悲劇から救うこと、そしてマイラとの契約の遵守、このふたつのようだ。

 

 マイラの身を危険に晒すという行為をとっている以上、「この事態」には、ラナンキュロアの悲劇に繋がる何かがあるのだ。

 

「一周目のツグミは、マイラの命を優先して動いた……その結果、レオが死んだ?……」

「は?」

 

 どんどんと思考、推測、推論が飛躍していく。その断片だけを聞いたレオが怪訝な顔になっている。

 

『私がここで状況に介入したのは、この時間軸における“マイラの死”を回避するためでした』

 

「ねぇ一周目のツグミ、あなたは、マイラの死を回避するために現れたんだって、そう言ったよね?」

「はい」

「ということは、マイラが死ぬ世界を見たんだよね? それをゼロ周目の世界として、ゼロ周目の世界ではマイラ、私、レオ、叔父さん、ユーフォミー、ナッシュさんはどうなったの?」

 

 

 

 語る。

 

 ツグミが、そのすべてを。

 

 

 

「マイラはラナンキュロア様、レオ様が南の大陸へ逃れようとした船の、その船上でジュベミューワ様に殺されました」

 

「ジュベミューワ様は、その現場を目撃してしまったレオ様に殺害されます」

 

「レオ様はそのすぐ後にノアステリア様と戦闘になりますが、灼熱のフリード様によって船に火が放たれたことから、決着は有耶無耶となります」

 

「灼熱のフリード様、ノアステリア様は自分達が乗ってきた船に避難しますが、その船はレオ様がバラバラに切断してしまいます」

 

「ラナンキュロア様、レオ様、灼熱のフリード様、ノアステリア様は海に投げ出されますが、その時点で灼熱のフリード様はレオ様に斬られていて虫の息となっていました」

 

「死を悟った灼熱のフリード様が、ご自身とノアステリア様の身体に埋め込んだ燃焼石を活性化させ、海水温は一気に上昇します。灼熱のフリード様はここで亡くなられますが、ノアステリア様はある理由から、ここでは生存とも、死亡したとも言い難い状態となります」

 

「ラナンキュロア様は罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動、レオ様ともども事なきを得ますが、近海とはいえそこは沖、自力では陸まで戻れませんでした。ラナンキュロア様は水だけを通し、塩分は通さないという活用方法も可能な罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を縦横無尽に活用して、沖を漂ったまま十数日を生き延び、救助に来たコンラディン様、マリマーネ様の船に回収されます。それから……」

 

 

 

「ストップ。色々聞きたい点が増えちゃったけど、それは後回し。叔父さん、ユーフォミー、ナッシュさんについてだけ、結論から言って」

 

「ユーフォミー様、ナッシュ様は、マイラが死んだ時点で既に殺害されています。そのことは……コンラディン様の心に、あるエピスデブリを残しました」

 

「ん?」

 

「結論から言うと、ゼロ周目の世界においてラナンキュロア様を殺すのは……コンラディン様です」

 

 

 



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epis56 : KAIKA / Desire [Corrupt] Spiral

 

<コンラディン視点>

 

 ここにきて俺は、予備の武器(サブウェポン)として弓でも持っていりゃあ良かったと後悔している。

 

 戦士というのは、様々な状況に対応できないと話にならない。間合いの広い槍や長剣だけだと、狭い路地などでの戦いに不利となってしまう。俺も、そういう場合に備えて短剣くらいなら持っているが……対空系の装備、つまり弓や投擲武器の類は持っていなかった。

 

 もちろん、槍を投擲するという手段はある。実際、何度かその手段を使ったことはあるし、その技術だってそれなりのものだと自負している。が、いかんせん俺の槍は一本しかない。命綱とでもいうべき相棒(メインウェポン)を投擲するというのは、それで仕留めきれるという確信がある時だけに可能な手段だ。

 

 ノアステリアとやらは投げ斧(トマホーク)を鎖で繋ぎ、それを投擲するという手段で対空と遠距離をカバーしているらしい。鎖鎌(くさりがま)ならぬ鎖斧(くさりおの)というわけだ。

 

 ……いやまぁ、鎖鎌は近距離を鎌で、遠距離を鎖の先につけた分銅(ふんどう)でカバーする武器だから、斧そのものを投げるノアステリアのそれと、同じネーミングでいいのかという気もしないではないのだが……戦士としてはなるほど、正しい(よそお)いの(そな)えであるといえる。

 

 だが俺は戦士ではない、冒険者だ。

 

 王都リグラエルの事情に最適化し、槍一本で成り上がってきた冒険者だ。

 

 その装備は、森の大迷宮(ダンジョン)の対モンスター戦に最適化されている。大迷宮(ダンジョン)には空を飛ぶモンスターもいるが……三年前に王都を襲った飛龍(ワイバーン)がそうであったように……その大部分は、弓が効く相手ではない。それこそ投槍(ジャベリン)でも投擲した方が、有効な敵が多いのだ。

 

 ただの鳥を狩るのであれば弓でいいが、通常の矢が千本刺さろうが堪えない超巨大鳥類(ロック)であるとか……様々な魔法を使え、中には結界魔法を張ってくる個体すらもいる半身擬態猛禽類(ハルピュイア)であるとか……他のモンスターを従え、時には前述の超巨大鳥類(ロック)半身擬態猛禽類(ハルピュイア)でさえも使役する個体のいる教導鴉(ヤタガラス)であるとか……大迷宮(ダンジョン)には一癖も二癖もあるモンスターが多数生息している。

 

 (なまじ)っかな対空装備は、そのほとんどが嵩張(かさば)ったり重かったりするという点において、持つだけ損となってしまうのだ。

 

「くそ……あれもアンデッド、モンスターっちゃモンスターだ。弓なんざ持っていたところで、効いたかどうかはわからなかったが……」

「ばぅぅぅん……」

 

「……」

 

 そうして、対空装備を持たぬ俺と、よくみれば少し穴の空いた天井を背にした灼熱のフリード……の成れの果てが、無言で対峙すること数十秒。

 

 穴の向こうに、時々揺れる炎の光が見えることから、フリードの周辺から消えた炎の輪は、どうやら天井を突き破って外に出ているらしいと気付いた。建築には詳しくないが、どうも倉庫の壁面や屋上には不燃性の素材が使われていたようで、燃えている様子はない。

 

 ふよふよと浮いているフリードが、何をどうしたいのかわからず、気持ち悪い。

 

 心臓こそ、少し走った程度の鼓動だが、胃の中に鉛でも詰まっているかのような重さがある。いつでも動けるよう、身構えたまま細く長い呼吸を続けている。

 

 何を考えていやがる。いや、そもそもあれに思考能力はあるのか。

 

「考えられるとしたら……何かを、待っている?……なにを?……」

「わぉん!?」「ん!?」

 

 それは唐突に視界へ入ってきた。

 

「ん……んんんっ!?」

 

 マイラが、あらぬ方向に吠え、俺は片目だけを少し動かしてそちらを見た。

 

「なんだ、ありゃあ……」

 

 そこに、人が浮いていた。

 

 小さな身体だった。

 

「あれは……ノアステリア……なのか?」

「わぅぅぅん……」

 

 衝立(ついたて)の向こう、直線距離にして二十五ヤルド超、背景に高所作業用の足場が見えることから、地上からの距離は既に十五ヤルドを超えているだろう。

 

「なんだ、あの姿は……」

 

 形状(フォルム)は間違いなく人間の、少女のそれだ。不夜城(色街)では特殊な性癖の客しか付かなそうな、丸みを帯びる代わりに筋肉を付けた身体。身長もさほど高くない。

 

 装備は……服はなにも身に着けていない。だがそこに少女の裸が見えるのかと言えば、違う。裸ならつい先程、見たが、それはその時から完全に様子が一変している。

 

「ああいうおかしな格好をする娼婦も、いないこたぁないが……」

「ばぅん?」

 

 ノアステリアらしき人影には……その全身には……なんといえばいいか……黒い曲線が、紋様でもあるかのように這い回っているのだ。手足などは大迷宮(ダンジョン)の奥地に生息するという(ギルドの資料に図解付きで載っている)縞馬(ゼブラ)のようでもあるし、胴や腰などは、異国情緒を醸し出す為に妙な刺青を入れた娼婦のようでもある。

 

「状況から、あれはフリードと同じで黒化している……しかけているってこと……だよな」

「わぅ……」

 

 ノアステリアは、ぐにゃぐにゃに曲がった複数の金属の棒で雁字搦(かんじがら)めにされていた。その姿は俺自身が目撃している。その時の身体は、ちゃんと少女らし……人間らしいモノだった。割と結構、まじまじと見たから確信を持っていえる、少なくとも、あんな姿はしていなかった。

 

「どういう、ことだ……」

 

 どういうことなのか。

 

 いったい、ここで何が起きているのか?

 

 空を飛ぶ魔法使いというのは、極稀にいるが、灼熱のフリードが空を飛んだという話を俺は知らない。それが可能であったのであれば、三年前の英雄はレオポルドでなく、灼熱のフリードとなったはずだ。

 

 ましてやノアステリアは魔法使いではない。

 

 そのふたりが今、俺の目の前で宙に浮いている。

 

 どうなっているのか、何が起きようとしているのか?

 

 俺の「勘」は、もう働いていない。

 

 完全に未知の光景を前に、ただ呆然とするしかない。

 

「あ……」

「くぅん……」

 

 そうして、凡庸なる俺が、なにもできずただ阿呆のように突っ立っているその眼前、頭上にて。

 

 ノアステリアらしきその影は、灼熱のフリード……その成れの果ての姿へと接触をして。

 

 

 

 合体した。

 

 

 

 

 

 

 

<???視点>

 

 (それがし)は王国のため、生きてきた。

 

 私はノアが好き。

 

 (それがし)は人のため、人類の未来のため生きてきた。

 

 私はノアが大好き。

 

 最初はただ、求めるだけだった。

 

 最初はただ、憧れただけだった。

 

 この素晴らしき国で、立派な人間になりたいと思った。

 

 近所に住む年上の、魔法使いのお姉さんにただ憧れていた。

 

 魔法使いに生まれ、人よりもその力は強かった。ゆえに自分には義務があると思った。この力を、この国のため使う義務があると思った。

 

 そう、それは憧れだった。

 

 自分には権利があるとも思った。努力と研鑽、それへ払った辛苦に見合うだけの報酬を誰かに支払ってもらう権利があるとも思った。

 

 背が高く、私が物心付いた頃には既に女性らしい丸みを帯びていたその身体は、年下で同性であるあたしから見ても美しく、いつか自分もああなれたらいい、なりたいと思う、願うその姿そのものだった。

 

 当たり前だ。才能には、労苦には、対価があってしかるべきである。褒賞もなしに何かを得ようなどとは、夜盗の心根(こころね)という他にない。

 

 けど、あたしの身体はいつまで経ってもジュベみたいにはならなかった。

 

 (それがし)は国へ奉仕してきた。

 

 父は、母は、あたしを冒険者にしたいみたいだった。

 

 才能を磨き、努力と研鑽によって多大なる恩恵をこの国に与えてきた。

 

 父は元冒険者で、母は冒険者ギルドの窓口娘だったらしい。あたしは両親が額に汗をかき、働いている姿を見たことがない。父は若い内に一生分の金銭を稼ぎきった、幸運な冒険者だったようで……とはいっても、三年前に、かつての凄腕冒険者も協力しろということで徴用されたその末に死んでしまったのだから、本当に幸運であったとは言い難いのだろうが……とにかく私を戦士として、いずれ自分以上の冒険者となる戦士として、鍛えようとした。

 

 見返りはあって(しか)るべきで、(それがし)を敬わぬ者などは忘恩(ぼうおん)()という他にない。

 

 気が付けばあたしの身体は、成長期のかなり早い段階で身長の伸びが止まり、筋肉が付いた代わりに、女性らしい丸みはほとんどないモノとなってしまっていた。

 

 (それがし)は当然の地位と権利を求め、当然のごとくに、それを獲得しながら生きてきた。

 

 あたしはジュベのような女の子にはなれなかった。なれなくなった。そうであることを悟った。三年前の、十二歳の段階で既に悟っていた。

 

 それは確かに求めたモノだった。子供のことに夢見た……自分が人よりも優れていることを証明して成り上がった……なりたかった自分そのものだった。

 

 ジュベが羨ましかった。

 

 それなのにどうしてだろう、(それがし)の、私の心は満たされなかった。

 

 あんな風に弱々しく、可愛らしく、背が高いとはいえ、立派な男性のそれを上回るほどではなく……護ってあげたいと思われ……自分は戦わずとも勝手に他人(ひと)がそうした献身を捧げてくれそうなその姿が……あたしは羨ましかった。(ねた)ましかった。

 

 満たされぬ想いを、忘れられたのは人生の中でただ一瞬だけだった。

 

 欲しいと思った。

 

 結婚してよりの数年。

 

 ジュベは、少女としてあたしが失ってしまったモノを全て持っていた。

 

 わが子が生まれ、死ぬまでの……この人生から見れば十分の一にも満たない僅かな時間だけだった。

 

 それは本当はあたしが得るべきだった。あたしのモノであるべきモノだった。

 

 子が生まれてから妻は、私へ向けていた愛を、敬いを、私のモノだったそれを、息子へと向けてしまった。

 

 だからあたしはジュベを孤独にした。

 

 (それがし)は嫉妬した。我がモノであったはずの乳を吸う赤子に嫉妬した。授乳し、される母子の、その神々しさにも嫉妬した。

 

 ジュベのお父さん(おじさん)は靴職人だった。軍靴(ぐんか)などの発注も受けていたから、おじさんが王都に残るのはおかしくない。けど、ジュベのお母さん(おばさん)は、王都から避難してもいいはずの人間だった。

 

 酷く自分が惨めに思えた。自分の半生が酷く汚らわしいものであるかのように思えた。

 

 あたしが嘘の密告をした。あの靴屋の製造の半分を担っているのは、実はジュベのお母さん(おばさん)であるのだと、あのふたりは、秘密にしているけれども、どちらが欠けてもまともな靴職人ではあなくなってしまうのだと、虚偽のタレコミをした。

 

 だが嫉妬こそが我を強くしてきたものだ。そうして若干の苛立ちを抱えながらも、気が付けば私は息子を愛していた。あらゆる面で子供を優先するようになってしまった妻にも、かつてのような欲望を感じることこそなくなってしまったものの、その代わりに、穏やかな愛情のようなものを……そうした幻想を……いつしか抱いていた……そうであったはずだ。

 

 結果、おじさんとおばさんは戦時下で死んだ。死体はお互いを庇いあうような形で発見されたらしい。神様が、私の願いを聞き入れてくれたのだと思った。

 

 結果、ふたりめは生まれないまま数年が過ぎ、私は、私のかけがいのない息子には、魔法使いの才能はこれっぽっちも無いのだと知った。

 

 だけど密告の際、自分の母親(ママ)の「昔のツテ」を使ってしまったことは失策だった。

 

 許されることではなかった。私が息子を愛すことができたのは、それが私の全てを継ぐ人間であったからだ。そうでないのであれば、我が妻であった者の愛情を一身に受けるなどは、許されることではない。それは秩序を壊している。下位の者が上位者に楯突くなどあってはならぬことだ。力ある者こそが愛されるべきなのだから。

 

 戦後、復興支援に加わり、「昔のツテ」とも再び繋がったママは気付いてしまった。

 

 だが(それがし)は息子を見捨てなどはしなかった。

 

 あたしがしたことに。

 

 (それがし)は力ある者。

 

 あたしの想いに。

 

 既に(それがし)は知っていたのだ。

 

 糾弾されたあたしは、ママを殺した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 正直に話して、ジュベちゃんに謝りましょうと言われたから。

 

 魔法使いでない者が、燃焼石を埋め込んだからといって魔法使いになる例は無かった。

 

 裏切られたと思ったから。

 

 いや実際は魔法使いにはなれた、なれていたのではないかと思う。

 

 ママなのに、あたしの味方ではいてくれないんだと思ったから。

 

 だがそうした者達は、魔法を使うその徴候が見えたその瞬間に半数以上が死に。

 

 ママはパパと一緒に、私が戦士であることを求めた。だからあたしは冒険者ギルドの窓口娘だったママよりも強くなっていた。もうママはいらなかった。

 

 残りは生き残っても発狂した。壊れた。

 

 それに……どうしてあたしが謝らなくちゃいけないの?

 

 しかし問題は、ないはずだった。息子は、この私の子供でもあるのだから。

 

 あたしは自分が不当に失ってしまったものを、取り返そうとしただけなのに。

 

 この私の息子ならば、私の燃焼石を受け入れ、魔法使いとなってくれるはずだった。

 

 ジュベはあたしのもの。神様もそれが正しいと思ったからあたしの願いを聞き届けてくれたんでしょう? だからあたしがジュベを手に入れるのは正統なことなんだ。神様がそうあれと決めていたことなんだ。

 

 どうして、妻は私を罵ったのだろう?

 

 それを、罵られていいはずがない。

 

 どうして、息子のみならず妻までもが発狂してしまったのだろう?

 

 あたしの愛が、否定されていいはずがない。

 

 子などまた作ればいい。

 

 ジュベのことを思うと胸が熱くなる。

 

 (それがし)がいて、妻がいるなら。

 

 ジュベとひとつになりたいと身体の芯から思う。

 

 そなたがいるなら。

 

 どうやっても子供は生まれないふたりだから、ドロドロに溶け合ってしまいたい。

 

 子供など何度でも作り直せばいい。違うか? 私は間違っているか? ()()()子供が生まれるまで何度でもやり直すことの方が()()()……そうではないか?

 

 それこそが神様も認め、恩寵を与えてくれた、あたしの恋心。

 

 この私の息子が平凡であっていいはずがない。魔法を使えるのは大前提として、私を超えるほどの力を感じられないのであれば、それは失敗作だ。破棄し、次に行くことの方が世の為人の為となろう。

 

 だからあたしはジュベと繋がりたい。ジュベとひとつになりたい。ジュベがそれを望んでいなくても、追い込み、不幸にし、慰めて……いつか依存させてやる。

 

 いや、それはもう過ぎたこと。

 

 だけど不夜城(色街)なんかには渡さない。

 

 ()うに通り過ぎた過去だ。

 

 ジュベを(よご)していいのは、あたしだけだから。

 

 愛した息子ですらも、失敗作であれば切り捨てる。私は獣ではない、人だ。我が子可愛さに、非合理的な判断を下すことなどはできぬ。

 

 いじめたり、いたぶったりするのはいいが、穢すことだけは許さない。だって私はジュベを愛しているのだから。ジュベをジュベでなくすることだけは許せない。

 

 証明されただろう。失敗作となった者の、感謝の声を聞いた時に。

 

 そうしてあたしは、丁度いい宿主を見つけた。

 

 失敗作のまま生きる方が、人は辛いのだ。

 

 あっち方面は既にほとんど枯れていた魔法使いに売り込みをかけて、成功した。

 

 私は残念ながら発狂し、失敗作となってしまった息子にも、妻だった者にも慈悲を与えた。

 

 魔法使いは狂ってた。紳士の仮面をつけたまま、その心は人間のモノとは思えないくらいに狂っていた。

 

 それは疑いようも無く正しいことであったと、今でも信じている。

 

 魔法使いは信じていた。ありえない理屈を並び立てて自分を正当化し、救いようもないほどにそれを心の底から、正しいのだと信じていた。

 

 つまるところ(それがし)は孤独なのだ。孤高なのだ。

 

 だから都合が良かった。とても都合が良かった。

 

 強く生まれ、正しく生き、それゆえに弱き者が生きられぬ領域で生きている。

 

 あたしがジュベを手に入れ、彼女とひとつとなる為に。

 

 ならばこそ(それがし)はなんとしてでも生きなければいけない。

 

 すべてはあたしが、ジュベと愛し合うためだった。

 

 王国のため、世界のため、正義のために。

 

 あたしが失ってしまったモノを取り戻すためだった。

 

 だからまだ死ぬわけにはいかぬ。

 

 ああ、ジュベ。すき、すきすきだいすき。

 

 ジュベミューワ、ジュベミューワはどこだ。

 

 あなたがほしいの、ジュベ。

 

 その肉体を、その身体を(それがし)によこせ。

 

 まもってあげる。ずっとまもってあげる。だから死ぬまで……一緒にいよ?

 

 愚昧なる魂にその肉体は不要であろう。蒙昧なる心にその身体は贅沢だ。

 

 愛してあげる。あたしの愛が伝わるようになるまで、ずっと愛してあげるから。

 

 (それがし)ならば、腹を痛め産んだ子供でも、失敗作と判れば切り捨てられよう。

 

 だから……おねがい……あたしを受け入れて?

 

 そなたの身体で、正しく生きてやる。

 

 ジュベ。

 

 ジュベミューワ。

 

 ジュベ。

 

 ジュベミューワ。

 

 ジュベ。ジュベミューワ。

 

 ジュベ。ジュベミューワ。

 

 ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。

 ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。

 ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。

 

 ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。

 

 ジュベミューワ(ジュベ)

 

 ジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベ

 

 

 

 ジュベ。

 

 

 

 あなた(そなた)が、そなた(あなた)が、ほしい。

 

 

 

 

 

 

 

<一瞬だけラナ視点>

 

「あ」

 

 倉庫の屋上、その上でゆっくりと回転していた炎の輪。

 

 それが、ぐにゃりとゆがむ。

 

 飴細工のように滑らかに、崩壊の調(しら)べのように唐突に。

 

「……ごめん、レオ」

「ん?」

 

 円だったものが「(無限)」のように、メビウスの輪のようにゆがむ。

 

「もう、待てない。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使う」

「……うん、わかった」

 

 変化は、好転を期待できない形を採って表れた。

 

「私は、見捨てる。コンラディン叔父さんも、ユーフォミーも、ナッシュさんも……マイラも」

「また、背負っちゃうんだね、ラナ。僕はラナがどれだけ強い人間か知ってる。僕はラナがどれだけ弱い人間か知っている。背負うよ? 僕も背負うから……ひとりになろうとしないで」

「……うん」

 

 

 

「くぅん……」

 

 

 

 

 

 

 

<コンラディン視点>

 

 守りたかった。

 

 護りたかった。

 

 守らせてはくれなかった。

 

 護らせてはくれなかった。

 

 あの人は、ユーフォミーの母親は、フィーネリュートは、俺へ何も告げずに死んでしまった。

 

 くれたのは、手紙だけだ。

 

 遺言を書き連ねた手紙だけだ。

 

 震える字は、病がもう死の境地にあることを雄弁に語るもので、つまりは俺がその手紙を受け取った時には……なにもかもが手遅れだったということだ。だから俺は、薄情にも彼女の最後の肉声が何であったのかを覚えていない。いつものように、いってらっしゃいだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 自分自身、しばらく、忙しく……予約を試みてもその日は駄目と(店の人に)断られ……数ヶ月の空白の後に……気が付けばフィーネリュートは死んでいた。

 

 どうして……俺を頼ってくれなかった。

 

 どうしてその病、治療院にかかろうとしなかった。

 

 どうして俺に、その費用を求めてくれなかった。

 

 出した。

 

 出せた。

 

 いくらだって出せた。

 

 いくらだって出したのに。

 

 貯蓄の全てを失っても良かった。足りなければ実家にだって行った。あのクソ兄貴に、土下座してでも工面した。それまで築いてきた人脈の全てを失うような、手切れ金代わりの金だって用意してやれたんだ。

 

 どうして、どうして俺を頼ってくれなかったんだ。

 

 まるで、与えられた当然の罰を受け入れるかのように、フィーネリュートは死を受け入れた。

 

 守りたかった。

 

 俺が、護りたかったんだ。

 

「ばぅぅぅん!!」

「あっ!? おいマイラ!?……ユーフォミィィィぃぃぃぃ!!」

 

 何が起きたのか、俺にはもうわからない。

 

 事態は完全に俺の理解を超えた。

 

 フリードらしき黒い影は、浮かび上がってきたノアステリアらしきシマシマの影と合体して、なにがなんだかもうわけがわからない形となった。

 

 ナッシュを更にひとまわりも大きくしたような上背の、黒い身体。その所々が斧のような形状の、鱗のようなものに被われている。だが胴の前面だけは真っ白で、胸の辺りには……おいおい、ノアステリアも、そんなにゃあ盛り上がっていなかっただろう……ってふくらみが揺れている。正直、そんなモノを見せられても生理的嫌悪感しか湧かない。真っ黒なケツの方も、かなりいい形なのが、余計に気持ち悪さを倍増させる。

 

 手足は長く、それが頭部の髪の毛を模したと思しき触手? 触角? と合わさることで、全体を、どこか奇怪(きっかい)な海洋生物であるかのようにも見せていた。

 

 顔に、目鼻口は無い。つるんとしたのっぺらぼうだ。

 

 黒いのっぺらぼうだ。

 

 そしてその全身に、時折、蜘蛛の巣のような線状の光が走っては消えている。

 

 わけがわからない。

 

 バケモノだ。

 

 どこからどう見ても、(まご)(こと)なき化け物だ。

 

「おい! マイラ! 待て! 迂闊に動くな! あんなのを見て逃げたしたくなる気持ちは俺もわかるが今は……おいっ!」

 

 もはや事態は、フリードを倒すとかノアステリアを殺すとか、そんな次元を軽く超えてしまった。

 

 もう逃げるしかない。災害から、自分の身を守るしかない。

 

「わぅ!」「待てって!!」

 

 それはいい、その判断はいいんだが、違う。

 

 ()()()()()()()

 

 俺にはわかる。

 

 どうしてか知らないが、わかるんだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ずっと俺が避けてきたもの。

 

 大事にしてきた感覚。

 

 その経験、その全て。

 

 それらが全力で叫んでいる。

 

「駄目だマイラ! そっちにいくな!!」

「きゃぅぅぅん!!」

 

 守りたい。

 

 どうしても護りたいユーフォミーを、背に乗せたマイラが駆けて行く。

 

 俺にはわかる。

 

 俺にしかわからない、約束された死の、その地点へと。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 知覚する。

 

 わかるはずもない、高速のそれを。

 

 否、それを俺は、おそらくは発射される前に知った。

 

 空間に描かれた、ゼロコンマ数秒先の、炎を尾に()きながら、彗星のように飛翔する燃焼石(ねんしょうせき)の弾道を見た。

 

 それは真っ直ぐに、走るマイラの、その行く先を貫いていた。

 

「くあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 飛び込む。

 

 自らの肉体を使って、()()()()()()()()を護る。

 

「ぐぼっ……」

「わぅん!?」

 

 かつてできなかった、己の全てに代えてでも彼女を助けるという、その(イツワリ)を、俺は今ここで掴む。(イツワリ)のまま、(イツワリ)の俺が掴む。

 

「きゃぅぅぅん!?」

「ごがっ……い、行げ! 逃げぼぉ! あっぢだ! あっぢにはまだ生ぎる道が……早くいげぇぇぇ!!」

「わぅぅぅん!!」

 

 胸に穴が開いた。

 

 (イツワリ)を掴んだ代償に、俺の胸には大穴が開いてしまった。

 

「ごぼっ……はぁ、はぁ……こいつぁ……がっ!?」

 

 身体が、燃える。胸に空いた穴から(ほむら)が飛び出してくるのが見えた。

 

「……!……!!……!?」

 

 声はもう出ない。肺が完全に機能しなくなっている。全身が重い。重力が千倍にでもなったかのような感覚だ。潰される、世界に潰される。

 

 どうしてまだ意識があるのか不思議なくらいに。

 

 どうしてまだ心臓が動いているのか不思議なくらいに。

 

 死が俺を押し潰していく。

 

「……」

 

 重力が万倍になった世界で、完全に錆びた機械を動かすかのようにして、首を少しだけ曲げた。

 

 見える。

 

 まだ視える。

 

 白い犬が駆けて行く。俺の(イツワリ)を乗せて駆けて行く。

 

 一瞬、その首がこちらへと向いた。

 

 それは本当に、幻だったのか、(イツワリ)だったのか。

 

 犬は、()()()()()

 

 どうしてかわからないが、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 間違いだらけの人生が、終わる。

 

 

 



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epis57 : Guren No Yumiya / Red Swan

 

<ラナ視点>

 

 ソレの登場と、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の発動は、ほぼ同時だった。

 

 まさしくソレは、場に登ってきた。

 

 大舞台へ、セリから飛び出してきた役者のように。

 

 大きな倉庫の、その屋根を舞台の床であるかのようにして。

 

 下から上に、私達が観客であるのならば、それを見下ろすかのごとくに。

 

 王冠のように複雑な形と化した炎の輪の、その中心へ。

 

 白と黒の異形(いぎょう)は、そうしてその場に顕現(けんげん)した。

 

「なに/あれ……」

 

 その、あまりの異様に、思わず私が、レオの声混じりで呟いた、その瞬間。

 

「くる」

 

 異形が、雄叫びを上げるかのように両拳(りょうこぶし)を握り、背を弓なりに曲げた。

 

 叫びの声は、だが聞こえない。

 

 人の形をしていながら、ソレは声を発する機能は有していないようだった。

 

 だからなのか、その姿は、まるで自分が人であることを、人であったことを忘れないでいようとしているようにも、それを忘れ去ろうとしているようにも見えた。真実は知らない、ただ私にはそう見えた。

 

 異形の雄叫びに、共鳴するかのように炎の輪がホロリと崩れていく。

 

 崩れ、墜ちていく。

 

「えっ」

 

 黄昏時の港町へ、崩れ墜ちた炎の矢が、無数に放たれた。

 

 私達の目の前で、頭上から地上へ、おそらくは活性化した燃焼石(ねんしょうせき)が、ボユの港の街並みへ(ひょう)のように降り注いでいる。

 

「っ……」

 

 いくつかは罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の結界にも当たり、近くの地面へと落ちた。

 

「……こんな、まさか」「わぅん……」

 

 それは、もうそれこそが異形の叫び、そのものの形象(けいしょう)であったとでもいうかのように、形を有し、熱を有し、(ほむら)()いた雄叫びは、隕石が落下するかのごとく街へと墜ちていき、着弾の後に大きな炎を放ってボユの港の街並みを炎に包んでいった。

 

 三年前の戦時下においても平和で平穏であった町、戦乱を知らぬ街、ボユの港が、私達の目の前で地獄へと変わっていく。

 

 

 

「お、おい! なんだぁありゃあ!?」

「あ、あっちには俺の家がっ!!」

「あれはなんなんだ!? モンスターなのか!?」

「ボユの港が……街が燃えていく!!」

 

 

 

 まずい。

 

 異様な光景に、周囲が騒然となっている。

 

 まだその視線は、頭上の異形、そして現在進行形で次々と火の手が上がっていく遠くの街並みへと向けられているが、ここにはもうひとつの異形がある。

 

 空間を、世界の一画を黒い線で分割する罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の異様がある。今は近くに落ちた燃焼石が大規模な炎を上げていて、見えにくいかもしれないが、よくよく見れば、その先におかしな光景があるとわかるだろう。

 

 こちらへ視線を向けられたら、誰何(すいか)は当然のこととして、下手(へた)をすればこの事態の下手人(げしゅにん)か、その一味と思われ、問答無用で攻撃をされてしまう。

 

 その攻撃は、己の住む町が壊されたことへの、強烈な憎悪を孕んでいるはずだ。

 

 自分達の町を壊されるというのは、人間の感情を暴発させる事由(じゆう)のひとつなのだろうと思うから……どこへも帰属が許されたことのない私には、実感しにくいことではあるけれど。

 

 それでも三年間住んだ街が炎に包まれているというその光景は、なにか心にくるものがあった。心がくるっとクルっていく気さえした。ましてや、ここで生まれ育った生粋の地元民であれば、その倍も百倍も、冷静ではいられないだろう。

 

 その気持ちは理解できる。理解できるが、だからといって憎悪に染まった感情の矛先を、私達に向けられても困る。

 

 そのような事態は避けなければいけない。お互いのために。

 

「レオ/わぅ……ツグミ、/地下/に潜るよ?」

「うん」「わぅん……」

 

 今回、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、自分達の周辺を除けば、倉庫に向かって地下へ伸びるよう、空間の支配を行っている。

 

 先ほど考えた、よりベターな解答……罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を連続使用して、その中をモグラのように進んで倉庫の中に入るという案……へ、すぐ移行できるようにと、そうした形で今回は発動させた。

 

 今や問題の中心は、倉庫の中にはない。()に浮かんでいるけれど。

 

 それへ対処するためにも、より「人目のない」空間が必要だった。

 

「改めて、ラナの魔法の汎用性の高さに驚くよ」

「私も……ううん、()()()も/こんな風/わぉん……に使いたい/と思っての魔法だったわけ/じゃないんだろうけどね」

「どうでもいいけど、この……コイツ? ツグミ? の声になる時、犬語が混じるのはやっぱり仕様なの?」

 

 そういうわけで、私は地下へ伸ばしていた空間から、「土砂」や「石」を地表の空間へと「通過」させる。

 

 すると地下の空間は、ほぼほぼ真空状態に近いガランドウとなる。その上を重い物が日常的に行き来する倉庫街の地面なのだから、大量の石、岩石をも含んだ密度の高い土壌なのだ。

 

 だからそこへ、地上の空間から「空気」を「通過」させる。そうして人体がそこにあっても問題のない空間をいくつも完成させる。(しか)(のち)にそれらを結合すれば……あら簡単、簡易地下シェルターの完成だ。

 

 これは三年前、王都で開発し完成させた技法だ。戦況が好転していくに従って、戦場には多くの戦士、軍人が戦闘に参加するようになっていった。本当に最後の最後ら辺では、それまで王宮に引き籠っていた近衛兵達までもが出しゃばってきた。日和見、勝ち馬に乗るのが悪いこととは言わないが、正体を隠したい私達にそれは、大変に都合の悪い変化だった。

 

 そんな中、最後まで英雄レオポルドの正体を隠し通せたのは、この技法あってのものだ。王都には暗渠化(あんきょか)された水路があちこちに伸びていた。地下シェルターを即席で作るという発想は、あの都市構造あってのモノだった。

 

「プラス/元ぼっちが五/わぉん……年間ひきこもった/経験/ばぅん……が活きたってところかな/嬉しくないけど」

「……それ、緊張感が台無しになるね」

「くぅん……」

 

 そういうわけで私達ふたり、プラス一匹は即席の地下シェルターに引き籠る。

 

 レオの言う通り、ツグミのせいで緊張感が台無しになっているが……というか、私達がサイコパスっぽくなってる気がするが……とはいえ地上では今も地獄様がその勢力を拡大中だ。死者は秒単位で増えていることだろう。この胸に焦りが無いわけではない。

 

 急ぎ、空間のひとつを潜望鏡のようにして地上の様子を窺う。

 

 私達が地下シェルターに籠もるまで二分ほどの時間がかかった。さすがに何分も続く燃焼石(ねんしょうせき)の連射などはできなかったのか、異形の、燃焼石による街への爆撃は一旦やんでいるようだった。

 

「これは……/ひどい」

 

 けど、その背景にあるボユの港の街並みは燃えていた。潮騒の音が聞こえなくなるほど激しく、ごうごうという悲鳴をあげながら、大炎上をしていた。それは、これが消えるまでにどれだけの人が死んでいるのだろうかと、絶望にも似た空虚が胸に押し寄せてくる光景だった。

 

 燃える街を見ながら、私は……延焼しそうになる心の奥の泥炭(でいたん)のような感情を……意識して殺していく。

 

 どうせ既にサイコパスっぽいのであれば、そのように振舞いたいと思う。

 

 レオと歩いたその街並みを、その記憶を、頭の片隅へと追いやる。

 

 少ないながらも顔見知りとなっていた何人かの顔に、ベールをかける。

 

 三年間、レオと暮らしていた風景を、何も意味が読み取れない黒で黒く塗り潰す。

 

 この緊張感を、シリアスを台無しにしろ。そうでないと私は……。

 

 日本語でも思い出せ。もう意味がよくわからなくなってきた日本語でも思い出せ。

 

 東京特許許可局休暇強化許可局長。

 

 お前のかーちゃんデ~ベソ。アタイのかーちゃんでけ~乳。

 

 お前のとーちゃんデ~ベソ。アタイのとーちゃんひで~父。

 

 斜め七十七度の並びで南無南無連なる薙刀(なぎなた)七本生半(なまなか)()いで生殺し。

 

 君の瞳に完敗。亀らを止めるな。もしかして、俺達、私達、稲川っていう?

 

「……私は駄洒落好/きのオッサンか」

「ラナ?」

 

 そうして私は、前世で習った三角関数を思い出しながら、目標の、異形までの距離を測る。

 

 するとそれはギリギリ、ふたりの罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、その射程圏内(百メートルほど)に()るように見えた。

 

「レオ」

「わかってる、アレを撃ち落とすんだよね?」

「あの……ラナンキュロア様、レオ様……」

 

 あれはデコイである可能性がある。あの異形は灼熱のフリードなりジュベミューワが操っている可能性がある。

 

 そうであった場合、攻撃はこちらの存在を相手に知らせるだけのモノとなってしまうが……もはやそのようなことで悩んでいる場合ではない。まったくもってそのような場面ではない。駄洒落を羅列する場面でもないが。

 

 あれを灼熱のフリードなりジュベミューワが操っているモノ……と考えるなら、王国の軍人であるそのふたりが、なぜボユの港を地獄に変えているのだという話になってしまう。情報が足りない中、何をどう考えたところで答えなんか出ない。それよりは目の前の火事を、目の前の地獄をなんとかしなければならない。

 

「ラナンキュロア様……あの……」

「あなたに……正解/が見えている話なら聞く/そうでな/いなら今は黙っていて/わぅ……ツグミ」

「わぅ……」

「同意見、だね。こんなことをする人間を、僕は放っておきたくない。許さない」

「レオ……」

 

 レオから強い怒りの感情を感じる。レオは、私よりももっとずっとこの街を好きだったように思う。毎日のようにマイラを連れて散歩をしていたし、顔見知りの数も、私よりずっと多かったはずだ。

 

 それへ、泣きたくなるような胸の痛みを覚えるが、今は冷静に対処してもらわないといけない。

 

 東京特許許可局休暇強化許可局長休暇許可書を強固に拒否か。

 

 まだ誰かが死んだと決まったわけではない。

 

 ()べて七十七度の並びで長々連なる七十七本薙刀薙いで生麦生米生卵。

 

 街は地獄と化したがまだ誰も死んでいないのかもしれない。人的被害はゼロなのかもしれない。

 

 そうかもしれない、そうかもしれない、そうかもしれない。

 

 そうであってほしいと絶望に祈る。

 

「レオ……殺す、は駄目/だからね? あれの正体がわから/ない以上、/わうっ……死という概念があるかどうかも/わからないんだから」

「……わかってるよ。僕の剣で、死の概念がないモノを殺そうとするのは危険って話だよね。わかってる。わかっているから……なら……まずはそうだね、七つくらいに分割するイメージでいこうか」

 

 切れ長の目をキッと異形へと向け、レオは凄惨に微笑む。この三年の間には、見なくなっていた顔だ。それへ、怖いという感情が胸に浮かぶ。けどそれは、レオが怖いのではなく、レオが自分の知らない、ナニカへと戻ってしまうことへの恐怖だ。

 

 レオの心には闇がある。闇は私にだってある。だからそれを怖いとは思わない。思わないけど、自分が闇を救う光とはなれないことに、絶望もしている。傷を舐め合うことはできる。身体をくっつけ合い、お互いの身体を暖め合って天上の高みへと昇ることもできる。けど、いくら身体を重ねあったところで私達の本質は変わらない。

 

 人殺しと人殺しの、闇と闇との同化だ。

 

 後ろ暗い生まれのふたりが、暖かな(ねや)の中でただ抱き合っている。

 

 それが今の私達だ。私は、レオと同じ場所にいることはできても、レオをどこか清らかな場所へと、光ある世界へと導くことはできない。できていない。子供が生まれたらと……思うことはあるが……でも、それはまだ未知の未来へと託す夢でしかない。今はどこにもない、イツワリだ。

 

「いくよ?」

「うん。……きて」

 

 レオの魂には闇がある。闇は私にだってあるけれど、その闇とこの闇はきっと何かが違う。それは種類なのかもしれないし、深さなのかもしれない。そんなことはわからない。

 

 その深淵を覗きこみたいとは思わない。

 

 今は、まだ。

 

「ふっ!……」「んっ」

 

 私が統括する空間を、レオの斬撃が通り抜けていく。

 

 夕闇を切り裂く、蝙蝠(コウモリ)孤影(こえい)のように。

 

 舞い散る花弁(はなびら)のように美しい一閃が、私のナカを通過していく。

 

「どう?」

「……斬れてる/けど……またくっつ/いてる」

「やはり、ですか……」

 

 一瞬で(むっ)つの斬撃を放ち、すぐに意識が戻ってきたレオと、五十メートル先の空間から送られてくる百メートル先の映像を見る。

 

 遠く、小さくしか見れないが、黒と白の身体は確かに七つに分割されていた。だがその全てが一瞬、斧の様な形状の鱗を生やし、それらが噛み合う形で繋がりあったと思うと、ファスナーを閉じるかのごとくに分割された身体同士が結合し合い……何事も無かったかのようにすぐ元の姿を取り戻した。

 

「ぬ/ゎん/てインチキっ」

「ゎぅん……」

「ラナ、アレが結合する瞬間、体内になにか光るものが……というか、炎のようなものが見えた気がする」

「炎/ね……」

「次はどうする?」

「どうしよ/うか……」

 

 異形は、自分が何をされたのかわかっていないようで、周囲をキョロキョロと探し回るような挙動を見せている。その様子は、知性があるようにも見えるし、あったとしてもそれは動物程度でしかないようにも見える。

 

「ツグミ/さっきから/わぅん/とか/くぅん/としか言っていないけど/言いたいことがあ/るなら言って/わぉん……今、/少しだけ様子見中だから」

「わぅ……それは……」

「動きがある前に、早く」

「その……アレは……ラナンキュロア様がいうところのゼロ周目で、ノアステリア様が陥った状態……生存とも、死亡したとも言い難い状態になってしまった、その時の姿に酷似しているのです」

「ん……そういえばそんな話が/あったね」

 

 そういえば、詳しく聞いている時間が無かったから、激しく思わせぶりなそれにはノータッチのままだった。

 

「あれを、上背であるとか……その……諸々を縮小したら全く同じと言っていい姿です」

「諸々って……おっ/ぱいとか?」

「ラナ、品性」「……はい」

 

 ぱいとか、の部分を自分の声で言われたレオが眉を(ひそ)める。

 

 東京と京都の特許許可局休暇強化許可局長休暇許可書強弁に拒否は狭量無教養。

 

 折角……恋人がそれなりのものを持っているというのに、レオはあまりそこに執着しないんだよね。冬はともかく、夏に押し当てると心底迷惑そうな顔をする……し。

 

「つまりアレはノア/ってヤツの/わんっ……アナザーフォーム/ってこと?」

「いえ……おそらくあれはもう……不可逆な変化です」

「戻れない/ってこと?」

「はい。この世界では燃焼石と呼ばれている燃料がありますよね? 同じものはナオ様の世界にもあり、私にはそれについての知識があるのですが……あれには魂の座としての機能があるのです」

「魂の座……って?」

「魂とは、平たくいってしまえば情報(データ)誘導体(デリバティヴ)群体(ぐんたい)です」

 

 東京特許許可局、東京特許きょきゃきゃきょく。

 

「それ、前に/も聞いた覚えがある/わぅっ……意味はよくわから/なかったけど」

「二十一世紀の地球を生きた千速継笑(せんぞくつぐみ)様であれば、インターネット上のコミュニティ……のようなもの、と考えればわかりやすいのかもしれません」

 

 東京特許巨伽脚曲。

 

「……ごめんまだよ/くわからない」

「人間であれば、魂は平均で六十ほどの、情報(データ)誘導体(デリバティヴ)の群れとなります。十を下回る者、千を超える者と例外も多いのですが、()()べて述べればそれくらいです。それらが互いに情報を共有しあい、ひとつの話題、ラナンキュロア様であればラナンキュロア様の心身、過去、未来、現在について活発に議論を交し合っている……それが生命(せいめい)一個体(ひとこたい)に宿る魂です」

「うーん……」

 

 イメージする。そしてそれをインターネット上のコミュニティのようなものに置き換えてみる。

 

「SNSのグループ/みたいな?/ハッシュタグ#自分/みたいな?」

「前者は多少、後者はかなり違いますが、大雑把に考えればそのようなモノともいえます」

「匿名掲示板のスレッド?/それとも(いた)?/メンバーシップ?/なろうのクラスタとか?」

「SNS?……ハッシュタグ?……クラスタ……クラスター?……」

「最後のはよくわかりませんが、その中であれば最初の、SNSのグループが一番近いのかもしれません。魂の座とは、インターネット……コンピューターの例を出すのであれば、つまりメモリ、ハードディスク、マザーボード等に該当します。人間の魂の座は身体(しんたい)の肉、そのものです」

 

 肉、て。

 

「……脳じゃないんだ?」

「大部分の情報(データ)誘導体(デリバティヴ)は脳に宿りますが、全てではありません。脳以外の部位に情報(データ)誘導体(デリバティヴ)が多く宿っている場合は、スポーツ等で身体を動かすことが得意になります。エピスによって身体能力を向上させる場合は、主にそちらへと働きかけることになります。脳にばかり情報(データ)誘導体(デリバティヴ)が集中していると健康を害し易くなったり、女性であれば生理が不安定になったり非常に重くなったりもします」

「うへ」

「グラフィックボードが刺さっていないマシンで無理に3Dゲームをしようとしても、重くてまともに動かなくなりますよね? 情報(データ)誘導体(デリバティヴ)が宿っていない部位があるとCPU()への負担が高く、結果的にそれが心身の不調となって(あらわ)れるのです」

 

 幸運にも軽めだった私は魂……の欠片? が結構身体にも分散していたってことですか? もしかして、私が魔法を使う時七色に光るのって、ゲーミングPCリスペクトなんですか?

 

「つまり?」

「燃焼石にも魂が宿ります。ただ、それは通常、知性と呼べるモノは生み出しません。これは手や足に宿った情報(データ)誘導体(デリバティヴ)が知性を生まないのと同じ理屈ですが、数多くの燃焼石を、一個(いっこ)の知性が、既に一個性(いちこせい)として成立している魂が支配したとしたら……それは、その知性による、燃焼石の生命体となります」

「燃焼石の/生命体……」

 

 結構な時間、ツグミと話したが、私はその間も監視の目を休めていなかった。

 

 東京特許許可局を念仏のように唱えながら油断せずに警戒していた。

 

 白と黒の異形は、しばらくは周囲をキョロキョロと探し回るような挙動を見せていた。その後は方々(ほうぼう)へ右手をかざしたり、左手をかざしたり、それに合わせて炎の輪を動かしたりしていた。

 

 何をやっているのかはわからない。わからないが、破壊活動を始める様子もなかったので静観していた。その様子は、やはり知性がある人間のようにも、動物のようにも見えた。

 

「いやでも、あれがノア……/ノアステリア?……/だったとして、ボユの港を地獄/に変える理由は何?/だとしたら……」

「真っ当な知性は、もはや残っていないのかもしれませんね」

 

 燃焼石を魂の座にするというのは、真っ当な生命の法則に従ったものではないがゆえに、崩壊……発狂したり、身体を動かせなくなったり……しやすいものであると、ツグミは語る。

 

「なにその、/科学実験が失敗した末に/モンスターが生まれ/ました系の話……/わぅん……アメコミとか/でよく見るヤツ」

「アメコミ?……」

 

 東京特許許可局巨伽脚曲公共共有許諾。

 

 フィヨルクンニヴと、同じ古ノルド語(出典)から名付けると……炎の巨人(スルト)?……なのかな~。いろんな意味で嫌だなぁ~。いえ別にマー●ルのそれが嫌だとは申しませんがね~、むしろそちらを毀損(きそん)しかねないという意味で嫌ですよ~。

 

 京都特許許可局東京と曲共有を許可か。

 

 イフリートだとファイナルなファンタジーの印象が強いし、そもそもあの異形、女性形態だけど、炎の女神ってメジャーな範囲にいらしたでしょうか。ヘスティア?……そのイメージは炎というよりも紐……うーん、とりあえず北欧神話にはおられなかったような……。

 

「ただ、どちらにせよ、酷似しているとはいえ、私が見た姿とも違うのです。発生したのが燃焼石の倉庫というフィールドだったからかもしれませんが、あれは私が見たものよりも、倍以上の大きさに見えます」

 

 ふむ……。

 

「ゼロ周目のそ/れはどうなったの?」

「海の底へ沈んだジュベミューワ様の遺体を追って、海底に潜りました。その後、どうなったかのは……観測していません」

「その海って/私とレオが沖を漂ったまま十数日を/わぉん……生き延びたっていう海/だよね? 海水温/の上昇とかは?」

「……なかったように、思います」

 

 なら、海の底でそのまま死んだかしたのではないだろうか?

 

「わからないな。アイツは結局、なにがしたいんだ?」

 

 レオの疑問はもっともだ。どうして、アレはボユの港を地獄へと変えたんだ?

 

 それは気になるが……気になるが……。

 

「結局、正解は/わん……無かったね/あれが何で、どう/してボユの港を燃やしたのか/何もわからないけど……/私達は結局、ア/レを倒すしかないんだ」

 

 深堀(ふかぼ)りは、どれだけ東京特許許可局を唱えても、心がもたない気がする。

 

「そうだね、僕も同意見だ。街を焼き払うような人間は、地獄へ堕ちろ」

「レオ……」「レオ様……」

 

 異形は、ボユの港を地獄に変えて後、十分以上の時間が経った今では、どこか何かへ納得したような素振(そぶ)りを見せている。両手を上から下へ、振り下ろすような素振(すぶ)りをして何かを確かめている。その動きに、炎の輪も同調するかのように揺れている。

 

「ジュベって子/は、この世界線ではまだ生きて/いるんだよね?」

「いえ……それもわかりません。おそらくあの倉庫に、まだいらっしゃるのではないかと思いますが」

「倉庫って……少し燃えてるけど」

 

 炎の矢は、何発か燃焼石の倉庫へも墜ちていた。大火災というほどの火の手は上がっていないが、あちこちから小火(ぼや)のような煙が立ち上っている。

 

「ラナ。死んでいるなら、その死体を海へ捨てれば……とかって考えていない?」

「……考えていない/よ」

 

 考えていたのは、死んでいたとしても、生きていたとしても、ジュベを確保できればこちらの思う方向へアレを誘導できるかもしれない、という話だ。

 

 我ながらそんなことを思い付くことへ、想うことが無いわけでもない。

 

 けど、そういう発想は普通に生きてこなかった、常識に守られてこなかった私達だからこそできることだし、なによりアレや、アレの一味に……ジュベだってその一味なのだから……慈悲をかける気など、無い。

 

 心を黒く塗り潰し、意識して深呼吸をしながら、なるだけ気負わないよう、心を落ち着かせるよう努めて……今も地獄にいる人達の悲鳴などはシャットアウトして……自分自身はくだらない思考も、このシリアスに飲み込まれないよう、混ぜ込みながら、なんとか立っている今のこの時は、あるはずもない。

 

「待って、あれは何?」

「え?」

「異形じゃない! 下。その下の方!!」

「……え?」

 

 

 

 

 

 地獄。

 

 ああ、見ればもう、それは本当の、地獄の光景。

 

 それが喩えなのか、そうでないのかすら曖昧になってしまう、(まご)(こと)なき地獄の絵図。

 

 

 

 それは私の、サイコパスな努力を嘲笑うかのごとく。

 

 

 

 どうしようもない現実を突きつけてくる。

 

 

 

「遺体が……ボユの港の住人の……その焼死体……だよね……あれは」

 

 ゆらゆらと、煙のように立ち昇っていく人の……真っ黒になった焼死体。

 

「そん、/な」

 

 一部はまだ火を放ち、燃えながら浮かんでいる。

 

 そう、黒い死体が……おそらくは異形へ向かって……浮かんでいっている。

 

 その数、おそらく百は下らない。二百、三百……五百はあろうかという、その数。

 

「ああ……いや……/そんな……/いやぁぁぁ……」

 

 地獄で……どれだけの人が死んだのか……私はこの十分以上の時間、心を押さえつけることで考えないようにしてきた。

 

 その実、心の中では現実を知っているからこそ唱えていた。

 

 ()()のような何かを唱えていた。

 

 それを、突きつけられる。おそらくはそれでさえも、この圧倒的悲劇の一部に過ぎないだろうという現実を、事実を思い知らされる。

 

 見ているだけで、脳が真っ白になるような、折角真っ黒に塗り潰した心が一瞬で反転してしまうかのような、あまりにもおぞましい光景。

 

 

 

 

 

「嘘……/叔父さん……/わぉん!? ナッシュさんも!?」

 

 そして異形の、直下の足元からも、ふたつの遺体が昇っていく。

 

 叔父さんのそれは、もう見る影もないものだった。

 

 黒い槍を、それでも握っているからそれとわかるだけで、もはや黒くない部分は額の辺りに少しと、足の先くらいにしかない。

 

 ナッシュさんは、まだそれなりに原形を留めていた。だがそれも、昇りながら炎に包まれていく中で、黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く変わっていく。

 

 生きてなどいない。

 

 生きているはずがない。

 

 知らぬ間に、叔父さんもナッシュさんも死んでしまっていた。

 

 おそらくは最初の、炎の矢が放たれた時だろう。

 

 私は……コンラディン叔父さんを……嫌いではなかったのだと思う。

 

 別の世界線で、叔父さんが私を殺すこともあったようだが、それに私は何も思わない。人間なんて簡単に壊れるから、壊れて、機序(きじょ)のない、意味もない破壊衝動に駆られることもあるんだから。

 

 叔父さんにそうなる可能性があったからといって、私は、私という人間は、それで叔父さんの評価を下げるなんてことはしない。

 

 ただ思うだけだ。

 

 叔父さんも、弱い人間なのに頑張って生きてい()んだなって。

 

 弱いのに、頑張って強く生きてい()んだなって。

 

 それは、強い人間がそのままに強く生きているよりも、価値があることのように、私は思う。

 

 ナッシュさんもそうだ。

 

 ナッシュさんは強かった。

 

 強かったけど、弱くなった。

 

 弱くなったけど、頑張って強く生きようとした。

 

 娘のために頑張って生きていた……いる。

 

 弱音を吐かず、挫けず、前を向いて歩いていた……いたのに。

 

 それなのに。

 

 それなのに。

 

 その全てが報われてない。

 

 報われていない、報われなかった。

 

 死が全てを終わりにしてしまった。

 

 そうしてその死、そのものもまた、今ここで貶められている。

 

 

 

 

 

「合体……してる」

 

 一番近くから浮かんできた、叔父さんの遺体が……異形の身体へと飲み込まれる。

 

「いや……あれは……吸収、か?」

「なん、/なの、あれ……」

 

 すると異形は、その巨体を、更にひと回り大きくした。

 

 二番目に近くから浮かんできた、ナッシュさんの遺体が……異形の身体へと飲み込まれる。

 

 すると異形は、その身体を、更にひと回りもふた回りも大きくした。

 

「なんっ/なのよぉ、これぇ」

 

 それだけで上背は、三メートルを超えたように思う。横幅もそれにあわせ、五割り増しほどに大きくなった。

 

「は、あははっ……/カップサイズも/三つくらいあがってそう/負けたわっ」

 

 とうきょうとっきょきゃきゃきょくきょきょとぅきょかきょくかきょくきょかきょくけかきょくきょくかけぅきょくけけかきょくかきょけ。

 

「ラナ?……」

「ラナンキュロア様?」

「何なのよアレ!?/何なのよアレ!?/わぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 

 思考に、完全な空白が走る。

 

「何アレ!?/何をやってるの!?/何がしたいの!?/どうしてあんなことができるの!?/なんであんなことをしていいと思っているのよ!?/わぅぅぅぅぅぅぅん!!」

 

 もう頭に、念仏すらも浮かばない。

 

「落ち着いてラナ! お願いだからっ、落ち着いて!!」

 

 もうなにも塗り潰せない、もう何も見て見ぬフリができない。

 

 私の頭の中は、真っ白に輝く炎で真っ黒だ。

 

「ラナンキュロア様!!」

 

 

 

 

 

 

 

「見つけた」

 

 

 

 

 

 ここは地獄だ。

 

 

 

 

 

 ああそうだ、この世界は地獄だ。

 

 

 

 

 

 知っていた。

 

 

 

 

 

 知っている。

 

 

 

 

 

 今も。

 

 

 

 

 

 ああ、今も。

 

 

 

 

 

 どこまでもそう、どこまでも、どこまでも。

 

 

 

 

 

「え?」「わぅん?」

 

 

 

 

 

「死ね、元凶」

 

 

 

 

 

「う……ぁ……」「きゃぅ!?」

 

 

 

 

 

 真っ白な視界に、飛び込んできた光景に、私は黒よりも黒い闇色に染まる。

 

 

 

 

 

 なに、これ。

 

 

 

 なんなの、これ。

 

 

 

 どうして。

 

 

 

 どうしてレオが。

 

 

 

 

 

「ごっ……がっ!……」「レ、レオ様っ」

 

 

 

 

 

 どうしてレオが……レオとツグミが、地下シェルターの中に、唐突に現れた顔と左手と肩しかないジュベミューワに炎弾(ファイアーボール)を撃たれて、その身体に、深淵のように真っ黒な穴を開けられているの?

 

 

 

 レオの手には……剣が握られたままになっている。

 

 レオが、剣を握ったまま……敵の攻撃を受けて……致命傷を、与えられて……。

 

 どうし、て?

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは勝った!! 運命に! 勝ったんだ!!」

「いやあああぁぁぁぁぁぁあああ/ああああ/ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 



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epis58 : Beyond (Meimoku) / [Berserk's] Wish

 

 それはもはや本能だった。

 

 それはもはや、破滅的に間違っていたかもしれない反射的行為だった。

 

「ねぇ、なんでよ!? どうしてわたしから何もかもを奪っていこうとするの!?」

 

 狭い地下シェルターの中、闖入者(ちんにゅうしゃ)五月蝿(うるさ)(わめ)く、その騒音は、今はなぜか消せない。だから無視する。

 

「わたしはただ平穏に暮らして生きていきたかっただけだったのに!! 普通の幸せが欲しかっただけなのに!!」

 

 一人称、()の部分を妙に子供っぽく発音する雑音。十七歳にもなって、まだ子供でいたいとでも主張してくるかのような声。

 

 ……黙れ。

 

「ラ、ナ、逃げ……うっ?」

「……死なさない、/死んじゃダメ」

 

 まずは高さ二メートル弱、広さ六畳ほどしかない地下シェルターの、その狭い空間を、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を発動し直し、分割し直す。

 

 一瞬、地下世界は七色の光にあふれ、その後、黒い線でびっしりと覆われた。

 

「やめてよ! わたしの魔法を奪わないで! 盗人(ぬすっと)! 私に芽吹いた可能性を摘まないでよ!!」

 

 けど、顔と左手と肩だけの、ジュベミューワとやらの部分だけが、私の統括(とうかつ)を受け付けない。その顔……顔の部分はまさに顔だけだ。()()ではない。耳がかろうじて見えるくらいで、後頭部がない。裏を、分割した空間で観測すれば真っ黒だ。

 

「……ジュベミューワ様、機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)でラナンキュロア様の魔法を盗んだのは……あなたです。全く同じものとは、なっていないようですが」

 

 ツグミから、なにかしらの解説が入っているようだが、その声も私の中を素通りしていく。

 

「自分自身を分割して世界に散在させる、その部分が強く顕在化(けんざいか)してしまったようですね。ジュベミューワ様の肉体が、この街の全域へ散らばっているのが感じられます。……であるなら、もしかすれば、先程の、街の全域を標的とした燃焼石(ねんしょうせき)による爆撃は、あれは……」

 

 私はレオの胸に開いた穴、それ以外の空間を結合し、その後、穴が開いてしまったレオの胸部、その中央部辺りの空間を操作する。

 

 これは一度行った処置。

 

 私が殺した、片耳の一部が欠けていた男性、既にアレで一度(おこな)ったこと。

 

 狂気に片足を突っ込んだ頭で、あの時よりももっと丁寧に、あらゆる可能性を考えて「通過させるモノ」の取捨選択を行う。

 

「ラナ……これ、は……」

 

 丁寧に丁寧に。

 

「はぁ!? なにそれ!?」

 

 針の穴に糸を通すように。

 

 薄い布に、クローバーの花を刺繍でもするかのように。

 

 小さな小さな人形の服を、人間用の服と変わらぬデザインで精緻に造り上げるかのように。

 

「痛み、を止めて」

 

 その結界を、創り上げる。

 

「血流、血に含まれる/酸素……レオの心臓の代わり/を、私がして……ぐっ……」

 

 脳が焼け付くように動いている。

 

 だけど心は氷のよう。

 

「生かす……絶対に死なさない……」

 

 血に酸素を与えて循環させろ。命を繋ぎとめろ。自身を人工(じんこう)心肺装置(しんぱいそうち)にしてレオを生かすんだ。

 

「ジュベミューワ様……あなたは、ナガオナオ様のローブ(アーティファクト)をも、盗もうとしましたよね? それだけは許せなかったので、あれだけ退避せざるを得なくなりましたが……それで、どれだけのことが出来なくなってしまったか……。ジュベミューワ様……どうか思い直してください、あなたは幽河鉄道(ゆうがてつどう)を盗み、フリード様の炎魔法を盗み、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)までをも盗み……そうしてフリード様の自己愛と支配欲、千速継笑(せんぞくつぐみ)様の破壊衝動などをエピスデブリとして取り込んでしまって……自滅の道を歩んでいるのです」

 

「その声……そのわけのわからない言い回し……まさか、あの時の女の子なの?」

 

 語る、ツグミの声を背景にして、私は応急処置を終える。

 

「はぁ……/はぁ……/はぁ……」

「痛みが、無くなった……ラナ?」

「でも、ここか/らどうすれば……」

 

 だけどこれだけではダメだ。

 

 ダメなんだ。

 

 あの男は、肺か横隔膜(おうかくまく)か、とにかくダメージが入ったのは呼吸器系だけだった。

 

「あははははははは! なにその姿! やっぱり美少女の姿は偽りだったのね!」

 

 レオは、肺や横隔膜もそうだが、心臓という循環器系の中心部、そのものが駄目になっている……食道も途切れているし、かろうじて背骨は残っているが、そこにも少なくはないダメージが入っている。

 

「どうするどうするどうすればいいの……/きゃう……駄目……痛みを取るだけじゃ駄目……/とりあえず生きてるというだけではダメ/どうしようどうしようどうしよう」

 

 レオは、胸部全体をひとつの空間に固定されてしまっているから、動けなくなってしまっている。

 

 これではダメだ、駄目なんだ。

 

「どうして犬? どうしてお腹に大きな穴が開いているのに普通に喋っているの? あははははははは!! やっぱり悪魔だったんじゃない! あなたは悪魔だったんだ!!」

「……うるさいな、お前」

 

 ……が、ここは六畳程度の閉鎖空間で、地上の空間から光……今は大炎上をする街の光を「通過」させているから、それなりには明るい。

 

「ぎゃっ!?」

 

 それにレオは、遠隔攻撃も可能だ。

 

「ひ、ひとでなし! 人の腕を! どうしてくれるのよ!?」

 

 私が、その先の処置をどうすればいいか、悩んでいるその間に、レオは空間に浮かんだままだったジュベミューワの左手を、二の腕の辺りから斬り落としていた。

 

「女の人の顔を斬るよりは良心的と思ったからそうしただけだけど? 自分は攻撃するけどやり返すのは許さないって話?」

「悪魔!!」

 

 が……斬られた腕はどこかへと消え失せる。そしてその切断面からの血も、すぐに止まった。ああ……つまりこいつは、スキルハンターな能力者ってことか。私が使えなくなっているわけじゃないから、強奪系ではなくコピー系のようだけど。

 

「被害者ぶらないで! 悪いのはあなた達じゃない!!」

 

 左手を斬られたにも関わらず、ジュベとやらはまだ執拗に(わめ)()らしている。

 

 まぁ……私と同じように、斬られた腕の血流を自分で繋げ直したのだろう。魔法が持続してる間はそれでどうとでもなる。どうとでもなるんだけど……。

 

「なにもかもあなたのせいよ! 英雄レオポルド! いいえ! 悪魔!!」

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に制限時間はない、制限時間はないが……根性論的な私の限界がある。休まず、寝ずに魔法を維持し続けられるのは……私が海に投げ出された時に行ったという……十数日が限界ではないだろうか。もしかしたら、自分の肉体から「眠気」を「通過」させ、排出するということも、できるのかもしれない。その時はそういう手法でなんとかしたのかもしれない。けど……やはり限度はある。どれほど手を尽くしたとしても、どこかで限界は来るだろう。

 

「ラナ、あの肉体が途切れている面の黒い部分、あれも、僕の斬撃で斬ったら駄目な気がするんだけど……ラナ?」

「だいたい……どうしてまだ生きているのよ!? やっぱり悪魔なんじゃない!! 悪魔! 悪魔! 悪魔! バケモノォォォ!!」

 

 だから、このままでは駄目なんだ。

 

「うるさい」

「ぎゃっ!?」

「レオ様!?」

 

 どうすればレオを助けられる?

 

 どうすればレオを元通りにできる?

 

「斬撃で斬るのは危険でも、この片刃の剣には、叩きつけるという使い方があるんだよ? 本来、その方が正しい使い方だからね」

「あ、あ、あ、あなた! 女の子の顔を!? 鼻血が出たじゃない! 鼻の骨が折れたわ!!」

「折れてないよ。罅が入っただけだ。治療院にかかれば元通りになる程度の、ね……おっと、魔法を使うようなら、今度こそその顔面、叩き壊す」

 

 治療院……。

 

「悪魔!!」

 

 あそこに、完全に失われてしまった器官を復元させるような魔法はない。

 

「最初の炎弾(ファイアーボール)こそ、規格外だったけど、連射はできないみたいだね。最初のは、ここへ現れる前から練っていたの?」

「……う」

 

 炎弾(ファイアーボール)が貫通して、燃え尽きしまった器官を復元させるような治癒魔法など、聞いたことがない。

 

「ならっ……う!?」

「おっと」

 

 そうでなければ、ユーフォミーのように……あれは生まれつきだから、厳密に言えば失ったとは言わないが……両足のない人間が、そのままに生きているはずがない。人身売買を行った重罪人へ、鼻削ぎ刑などという刑罰が(簡単に治せるのであれば罰の意義が薄くなるから)科されるはずもない。

 

「身体のどの部位を出現させるかは自由自在、みたいだけど……次に魔法を使う気配を見せたら……今、ラナの後ろに出現させたその()()、また斬って落とすよ? ところで……鼻血が止まらないみたいだけど、これだけされて、()()()()のは、どうして?」

「くっ……」

 

 治療院にできるのは病魔の撃退、つまりは病原菌やウィルスなどの撃退と、多少の傷の回復だけだ。刺されるなどして内臓にダメージが入った場合、そのタイムリミットは臓器が死んでしまうまでとなる。前世の世界における臓器移植手術には、虚血許容時間(きょけつきょようじかん)というタイムリミットが存在していたが、考え方としてはそれに近いものであるように思われる。移植可能時間が比較的長くある腎臓や膵臓などは、治療院においても比較的長く「治癒魔法で癒せる時間」があるというから。

 

「ラナ、ここからどうする?」

「どうしよう/どうしよう/わぉん……どうしよう……」

 

 でも、治療院で、治癒魔法で治せるのはその程度の範囲までだ。

 

 王宮に囚われ……囲われている治癒魔法使いでさえ、燃え尽きた臓器を復元させることなどできないだろう。できないと聞いてる。

 

「ラナ?」

 

 いや……。

 

 だけどもしかしたら……治癒魔法の上位互換な魔法は、どこかにはあるのかもしれない。

 

 復元魔法とでもいえばいいか……そういう魔法を使える術者が、どこかには……貴族や王族に秘密裏に囚われ……囲われて……いるのかもしれない。

 

 ならそれが希望か? 私が罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を維持できている間に、レオを治せる回復魔法……復元魔法……の使い手を見つける。……貴族や王族を次々と襲撃し、見つける。おそらくは抵抗されるから衛兵とかを問答無用で殺していき、見つける。

 

 ……いや、重要人物の手足でももいでいけば、いずれそれを治しに、目的の魔法使いが現れてくれるか?

 

 それしかないか?

 

 ……いや。

 

 ……魔法……魔法か。

 

「わぅん……ツグミ……/幽河鉄道(ゆうがてつどう)で、/この状況をやり直せない?」

「ラナンキュロア様、それは……」

「私が死ねば/わぉん……いいんでしょ?/死者であれば/幽河鉄道(ゆうがてつどう)に乗れるんでしょ?/だったらそれで……」

 

「何を言っているの? ラナ」

 

「できますが……それは()()レオ様を見捨てるのと同義になりますが、それでも?」

 

「……え?」

 

「やり直せるのは私と、ラナンキュロア様だけです。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は現在、ナガオナオ様より私が借り受ける形で運用されています。そして、幽河鉄道(ゆうがてつどう)はその際、千速継笑様()()のリトライ機関となるよう、調整をされています」

 

「……そん、な」

 

「機能の調整と改造ができるのはナガオナオ様だけです。つまり今、この時この場所の座標においては、レオ様をラナンキュロア様と同様に扱うというのは、不可能なのです」

 

 断腸の想いで()()した提案は、()たれた(ハラワタ)を癒すものとはならないようだった。

 

「もちろん、やり直したラナンキュロア様が、また別のレオ様に出会うというのは可能です。それこそ、レオ様がもっと幼いうちに、スラム街へ捨てられたばかりの頃に拾って保護するということも可能です」

 

「そん、な……/ことって……」

 

「ですが逆行可能な地点は、ある程度以上、ラナンキュロア様の意識が希薄だった時間に限られます。頭を打って昏倒しているなどの時があれば最も良いのですが……直近であれば……およそ四年前ですね。引き籠って、不規則な生活の中、十時間ほど夢も見ずに爆睡していたその日の、その地点であれば戻れます」

 

 そういえば。

 

「直近のセーブポイント/が四年前って……/わんっ……レオと出会う前じゃない」

 

 三年前の騒動の際にも、私が長時間人事不省になるような事態は起きていない。

 

 起きなかった。

 

「レオ様と出会ってよりのラナンキュロア様は、ある意味健康に過ごされていましたから……引き籠っていた辺りであれば、それなりに逆行可能な地点があるのですが」

 

「……つまり」

 

「ラナンキュロア様が三年間を共に過ごした、こちらのレオ様を助けることは、不可能です」

「なんて/こと」

 

 それはつまりアレか。

 

 私が、()()レオとの時間をやり直すことはできるが、ここにいるレオは、()()レオはそれとは全くの無関係であると。

 

 ……ふざけるな。

 

「私は……自分が/幸せになりたいんじゃない」

「存じてます」

 

 私はいい。私は、幸せなんか無くっても生きていける。

 

「はぁ? 何を言っているの? 綺麗事? 悪魔の仲間のクセに!」

「……お前は黙れ」「ひっ」

 

 私はレオを幸せにしたいんだ。

 

 私がレオを幸せにしたいんだ。

 

 私は、幸せな自分になるよりも、レオを幸せにできる自分になりたいんだ。

 

『“親しき者の死に何もできなかった”』

 

 私の魂には黒い黒い部分がある。

 

 大事な人を救うことができなかったという黒い黒い真っ黒な部分が。

 

『“世界に愛されなかった者を愛したい”』

 

 だから愛したい。

 

 愛して、自分が誰かを幸せにできる人間であると証明したい。

 

「どうしてみんな、わたしを虐めるの!?」

「おい、黙っていろと……」

 

「みんなみんな! 自分勝手に奪っていく! 自分の幸せのために! わたしの幸せを奪っていく!!」

 

 あるいは、それこそが私の幸せなのだ。

 

 私は自分勝手に、レオを私の運命に巻き込んだ。

 

 私と関わらないでいれば、手に入れられたかもしれない幸せの代わりに、私と関わらせることを選ばせた。私の幸せのために、レオの()()()を奪った。

 

「みんなみんな大っ嫌い!!」

「……嫌い、嫌いって……嫌いな相手なら、傷付けてもいいってこと?」

「そうよ! みんなみんなわたしを傷付けるんだもん! そんなことしちゃいけないんだもん! わたしの幸せを奪っていくんだもん!! だからみんな死んじゃえ!!」

 

 私が自分勝手に、私の幸せのために、レオを奪ったのだ。

 

「でも、だからこそ/レオ/を見捨てるなんてできないっ」

 

「わかっています。ですから確認しました。()()レオ様を、見捨てて、いいのかと」

「いいわけな/いでしょ!?」

「ラナ……」

 

「みんなみんな嫌い! みんなみんな死んでよ! 消えてなくなっちゃってよ!!」

 

「……っるさい/な」

 

 さっきからなんなんだコイツは。

 

「……殺しておく? 僕もラナも、コイツのことは嫌いだよね? コイツの論法に従うなら、僕やラナがコイツを傷つけるのも、殺すのも自由ってことだ」

「ひっ」

「……できるの?」

「左手は斬れたし、同じように、黒い面に触れないよう、額の辺りを削ぎ落とせば、さすがに死ぬんじゃないかな」

「ひぃぃ!? なんてこというの!? やっぱり悪魔だ! お前達は悪魔なんだ!!」

 

 こんなのはどうでもいい。今は他に考えることがある。

 

「そ、じゃ、おねがい」

 

「ちょっ……まっ、やめっ!?」「了解」「ひっ!?」

 

 一瞬で、ジュベミューワの額が、皿のように削ぎ落とされる。

 

「ぎゃ……が」

 

 おびただしい量の血とか、脳漿とか?……そういうのがあふれ出すが、空間を分割していたままだったので辺り一面が汚れるということもない。重力へ従うようになった死体ごと、適当に外の空間へ「通過」させ、放り捨てた。

 

「……レオ様がお手を汚さなくとも、おそらくジュベミューワ様は(なが)くなかったと思われますが……身体の大部分を既に失っていたようでしたから……あの状態から元に戻ると、即座に絶命されてしまうほどに」

 

 それは、まぁ。

 

 彼女には彼女の物語が、理由が、悲劇があったのかもしれない。

 

 同情を禁じえない事情が、理解してあげなければならない背景が、あったのかもしれない。

 

「ああ、それで逃げて再チャレンジ、とはいかなかったってことだね?」

 

 けどもう、そんなものはもう、彼女がレオの胸を貫いた時点で、私には何の価値もないものとなってしまった。

 

「はい。ジュベミューワ様はおそらくラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)をクラッキングして使用しました。そうしたことで、彼女はボユの港に散在する状態となりました。先程の炎の矢の爆撃は、その状態となった彼女を狙ってのものだったのでしょう。そしてそれは、おそらく成功したのだと思います」

 

 私は……本当に、心の底から、人殺しになってしまったのだなと思う。

 

「ジュベミューワ様は身体の大部分を失い、死の間際で、原典であるラナンキュロア様の、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の気配を頼りに、ここへ現れたのではないかと思われます。……彼女にしてみれば、自分をそのような状況へ追い込んだ相手に、元凶と思われる相手に、最後の最後で復讐を試みた……そういうことだったのではないでしょうか?」

 

 ……『死ね、元凶』、か。

 

「そうであるなら、彼女の寿命は、ここへ現れた時点で数十分(すうじゅっぷん)を切っていたということになります。……制限時間を無意味化する技術はなかったようですから」

 

 元凶、元凶ね。

 

 私は、燃え続けている街を観ながら、今も黒化した死体を吸収しながら拡張を続けている……既に三年前に見た飛龍(ワイバーン)よりも大きくなっている……白黒の巨人を観ながら考える。

 

 おそらくはジュベミューワの死体をも飲み込んで、まだまだまだまだ膨張を続けているそれを見ながら考える。

 

 これはもう、このどうしようもない悲劇はもう、元凶が何かなんて、特定困難なことじゃないか。

 

 確かに、一因は私達にあったのだろう。

 

「……どうしてレオは、/あの攻撃を回避できなかったの?」

「それは……言いたく、ない」

「え?」

 

 英雄レオポルドの存在を秘匿して、ジュベミューワに不信感を抱かれ、灼熱のフリードを間違った方向へと動かした、その一因は、確かに私達にある。その意味で私達は、私とレオは「元凶」だ。

 

「……ツグミ、解説して」

「ちょっ」「……いいのですか?」

 

「レオを助けるためにも、情報は多い方がいい」

「ラナ……それは卑怯だよ……」

 

 でも、この悲劇の全てが自分のせいだなんて……思えるはずもない。

 

 私は、そこまで傲慢ではないつもりだ。

 

「では……レオ様の“回避”は、おそらく剣を握っていることが絶対の発動条件ではないのだと思われます」

「……ふぅん?」

「意識が、臨戦態勢にある状態であれば発動するのではないかと」

「臨戦/状態?」

 

 強いて言うなら、これは巡り合わせが悪かった、その結果だ。

 

 ジュベという少女が予知夢を見た。

 

 それを灼熱のフリードが問題視した。

 

 ノアという直情的な少女も、深く考えず私達に敵対してしまった。

 

「はい。……ラナンキュロア様が、レオ様を押し倒すコンラディン様に対し、魔法を使われたことがありましたよね?」

「……コイツ、そんなことも知っているのか。あそこにマイラはいなかったのに」

 

 そうしてたった一日で全ては動き、変貌して、ボユの港は地獄に早変(はやが)わりして、私は(まご)うことなき人殺しとなった。

 

「ああ……あの時、/わぅ……レオは」

「はい、あの時、その直前でレオ様は、()()()()()()()()()()()、コンラディン様の奇襲を回避しました」

 

 私の選択が悪かったことも、あるのだろう。

 

「レオが素で/避けたんだと/わん……思ってた」

「……コンラディン叔父さんの槍は、鋭いモノだったよ。素で避けられるはず、ない」

 

 私の決断が間違っていた部分も、そりゃああるのだろう。

 

「実は似た魔法(スキル)は、私達の世界にもありました」

 

 けど、現実の人生なんて、選択を間違えながら、後悔しながら進んでいくことの連続だ。

 

 だからこそ人は、ゲームの世界に、あるいは物語に、SFに、ファンタジーに、人生をやり直すという夢を見るのだから。

 

「ナガオナオ様はアゥレィナ……地球風の言葉にするならイデア派でしょうか……そう呼ばれる魔法学の派閥に属されていたのですが、それとは別に、アネモイ派(エァレィナ)と呼ばれる派閥もありました。風の魔術を得意とする派閥だったのですが、そちらに、レオ様の“回避”に似た魔法(スキル)が存在していたのです」

 

 今回の事態においては、誰も彼もが間違っていた。

 

「この魔法(スキル)は私達の世界の言葉でシ・エァヴィリェと呼ばれていました。地球風の言葉にするなら、音の響きからもエアバリア、なのでしょうが、実際は結界(バリア)を作る魔法ではなく、大気、外気へ自らの魂の一部、情報(データ)誘導体(デリバティブ)を拡張する魔法でした。空気に神経を通し、それを自分の手足のように使う魔法、と考えれば、近いイメージが得られると思います」

 

 誰も彼もが間違い、セーフティネットは機能せず、それぞれが自分勝手に、自分自身の事情と背景を元に行動して……この世に地獄を顕現(けんげん)させた。

 

「元々は飛び道具、石や矢などを“回避”する魔法(スキル)だったのですが、アネモイ派(エァレィナ)は研鑽によってこれを、あらゆるものを“回避”する魔法(スキル)へと進化させました。大気へ空間神経叢(くうかんしんけいそう)を伸ばし、そこから得られる情報を直接、体性反射(たいせいはんしゃ)を引き起こす信号へと変換して、有害と思われる全てのモノを回避する、それがシ・エァヴィリェの極意です」

 

 やり直せるなら、やり直したい。

 

「実を言えば、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、その原典は、このシ・エァヴィリェの達人であり、アネモイ派(エァレィナ)イデア派(アゥレィナ)二重博士(ダブルドクター)でもあった魔法使い様が編み出した、二派の複合魔術です。任意の座標に空間神経叢(くうかんしんけいそう)を展開した後、それを、文字通り結界化することで空間の支配を行っています。シ・エァヴィリェとラナンキュロア様の魔法は、根っこのところのロジックが、実は共通しているのです」

 

 だけど私は、やり直せるけど、やり直さない。

 

 この悲劇を回避するために、このレオを見捨てるなんてことは、できないのだから。

 

「ところでこのシ・エァヴィリェですが、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)がなんとなくのイメージだけで“特定のモノを通過させる、させない”が選べるのと同様に、術者はなんとなくのイメージだけで“有害と思われる全てのモノを回避”しています。そして、シ・エァヴィリェの運用に慣れた術者は、空間神経叢(くうかんしんけいそう)の展開には、どれほど慣れたとしても、およそ()メートルにつき()秒程度の時間がかかることがわかっているため、少しでも危険の(にお)いを感じ取ったら即座に、無意識的に、これを展開するよう、訓練しています」

 

 私は、私が立っている今、この時、この場所へは、選択を間違い、間違い続け、後悔まみれになって辿り着いた。

 

「レオ様の“回避”のメカニズムは、おそらくこれと同じです。レオ様は剣を握るなどして意識が臨戦態勢に入ると、無意識に空間神経叢(くうかんしんけいそう)を展開し、そこから送られてくる“危険”の情報をある種の信号へと変換して、それを元に肉体を動かし、“危険”を“回避”しているのだと思います」

 

 悔やんでも、悔やんでも悔やんでも、捨てられないものはある。

 

「ということは、/レオはあの時、/わぅ……剣を握ってもいないのに/臨戦態勢だったってこと?」

 

 人倫(じんりん)(もと)る決断をしようとも。

 

「……あの時はまだ、僕はラナを、信じきれていなかったんだ」

「え?」

 

 もう一度レオと出会い直し、やり直し、幸せなハッピーエンドへ向かうよりも、大事なことが……私にはある。

 

「おそらくですが……あの時、ラナンキュロア様はレオ様の姿をじっと見つめていました。ヒュドラの血で汚れた、あまり人には見られたくはないであろう姿へ、ラナンキュロア様は執拗に視線を送っていました」

「……そんなこと/してた?」

「うん」「はい」

 

 私は、レオを愛している。

 

「レオ様はそれへ、無意識下で、空間神経叢(くうかんしんけいそう)の展開を行っていたのだと思われます。あの時の状況をよく思い出してみてください。コンラディン様はレオ様へ攻撃する時、()()()()()()()()()()()()()()()、ラナンキュロア様越しに槍を突き出しました」

 

「あ……ああ」

 

 一度、生まれ直そうとも、それでも未熟でどうしようもなかったこの私と出会い、愛してくれたこのレオのことが、なによりも大事だ。

 

「……だから言いたくなかったのに」

 

 レオは、本当にどうしようもないこの私を、愛してくれたのだ。

 

「つまり、その時のレオ様は、ラナンキュロア様が自分を見つめる、その視線を鬱陶しく思っていた、そのおかげで、コンラディン様の槍を回避することができたと……そういうことです」

 

 レオはスラム街で、本当にどうしようもない人間を、沢山看取ってきたのだろう。

 

 そうした生活の中で、あるいはレオも『“世界に愛されなかった者を愛したい”』と思ってしまったのかもしれない。

 

 私達は、そうして共鳴していたのかもしれない。

 

 共に、鳴いていたのかもしれない。

 

「だからずっと、ラナには誤解していてもらいたかったのに。僕は剣を持てば“回避”できるようになるって」

 

 あなたを幸せにしてあげるから、どうかこのどうしようもない自分を愛してくださいと相互に祈りあって、欲深に、お互いの人生に歯を立て、噛み付きあって、繋がりあって……醜悪な塊となり……そうして結ばれていただけなのかもしれない。

 

「私は……最初の頃の私は、/レオに嫌われても/くぅん……仕方無いと思っていた」

 

 恋人は、恋人であっても互いが別個の人格であることを認めあうべき……そんな良識を私達は蹴っ飛ばした、投げ捨てた。正しいだなんて、これっぽっちも思ってなんかいなかった。初めて身体で繋がりあった時から、ずっとそう思っている。

 

「嫌いでは無かったよ。変な人だなって、思っていただけ」

 

 でも、けど、だけど。

 

 私達はそうするしかなかった。

 

 そういう風にしか、なれなかった。

 

「どうしてこの人はこんなにしてくれるんだろうか……って思ってた。僕はね……別に、ラナが(よこしま)な人間で、僕を何かに利用しようとしているのだとしても、良かったんだ。あの頃の僕は、未来なんてなにもなかったんだから、したいことなんて、何もなかったんだから。……もっとも、実際は、ただ追い詰められて変なことを始めちゃった、頭のネジの飛んだおかしな人だったみたいだけどね」

 

「……ごめんなさい」

 

「ううん。僕が好きなラナは、そういうラナなんだ」

 

 もし……。

 

 私がやり直して、二周目(三周目?)に突入して……。

 

 少しだけ賢くなって、大人の対応がもう少しできるようになって……私が色々と……上手くやれるようになったら……その私を、レオは愛してくれるだろうか?

 

『いいんだ。だから僕はやっとラナを、ほんの少しだけ理解した気になったんだ。この人は大人じゃない。子供でもないけど大人でもない。そのラナが僕を助けてくれた。だから僕もラナを助けなくちゃいけない……世界は、大人達の世界は、いつだってそんな、大人でも子供でもない、中途半端な僕達のことを嫌っているから』

 

 私がただ、レオに色々としてあげていた、その間。

 

 レオは私の視線を、「してあげたい」と思うその視線を、鬱陶しいと思っていた。

 

 嫌ってはいなかったのかもしれなかったけど、それは好きでもなかったということだ。

 

 そうじゃなくなったのは……私が頭のネジの飛んだ、おかしな人だとわかったから。

 

 レオが……()()()私に共感して、理解した気になれて……そんな私のことを助けなくちゃならないと……幸せにしてあげたいと……思ってくれたからなんだ。

 

「あれ、でも待って。なら……」

 

 この私が大事に思っている今のレオと、今の私は。

 

「はい、つまりレオ様は、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、その中にいる間は、何の警戒も行っていなかったということです。心を許し、あらゆる不安から開放されていたということです」

 

 恋人というにはあまりにも歪な今の私とレオは。

 

「つまり僕は、ラナに頼りすぎていたってことだよ。甘えすぎていたんだ。ラナが悪いんじゃない。僕が、僕自身が油断していたのが悪かったんだ。頼り、甘えることを気持いいと思い、寄りかかり過ぎてしまったんだ。これは僕の自業自得、なんだよ」

 

 

 

 やり直してしまったら、きっともう二度とその形を取り戻せないんだ。

 

 

 

 絶対にもう、取り返せない。

 

 

 

 

 

 私はレオを愛している。

 

 

 

 

 

 この世界の全てよりも。

 

 

 



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epis59 : Beat out the Invader, dogfight(A1)

 

「ツグミ」

 

 冷静に、冷静に、燃える心へ務めて冷静になれと叱責をして、私は思考をまとめていく。

 

「……はい」

 

「言っていること/わぅん……矛盾してる気が/するんだけど」

 

 ツグミは、数時間前、私達を見守っていたのは、マイラの意識をスピリットなんとかという魔法で乗っ取っていた時だけと言った。

 

 だけどツグミは、レオがヒュドラを倒した時のように、マイラがいなかった時のことまで知っている。

 

「それは……」

「この矛盾が指し示すモノは何?/あなたは私に何か/隠し事をしているの?」

 

 それとももっと直接的に、あなたは私の敵なの?……そう問い詰めると、ツグミはシュンとした表情で、頭と耳と尻尾をだらんと下げたポーズで答えた。

 

「誤解です。あの時、私はこう述べさせていただきました」

 

『私自身が見守っていられたのは、マイラへ魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)、スピリットリンクを使っていた時間だけです』

 

「これは私自身が、私自身の力で見守っていられたのが、そうであるというだけです」

 

「つまり、/わぅ……幽河鉄道(ゆうがてつどう)を通じてなら」

 

 マイラの目が届かない場所の情報も、得られるってこと?

 

「はい。その場合であれば、制限はありますが、マイラの視点以外で世界を観測することも可能です」

 

 それはまぁ、そうだろう。

 

 そうでなければゼロ周目……最終的に、コンラディン叔父さんが私を殺したという世界……早い段階でマイラが死んでしまったというその世界の、その先の情報など、得られるはずがないのだから。

 

「あなたは、“見守る”というのはマイラを通じてしか行っていなかった、行えない。だけど“観る”ことならもっと自由にしていた、自由にできる……そういうこと?」

「厳密に言えば違いますが、ニュアンスとしてはそれで正しいです」

「どう違うの?」

「それは……」「ん?」

 

 ツグミはレオを、チラリと見てから答える。

 

「私は三年前、二度、ラナンキュロア様の運命を変更しています」

「うん?」

「どちらも三年前のことです。ひとつは、ラナンキュロア様が戯れでリストカットの真似事……をしようとして、実際に深い傷を、傷痕を手首に負ってしまうという運命です」

「え……」

 

「ああ、あの時マイラが僕を、引き止めたのは……」

 

「私の意志です。それによってラナンキュロア様は更なるエピスデブリを背負い、その先の未来が真っ暗になっていく、それはそういう運命だったのです」

 

「……あの時、レオが私を/止めてくれなかったら、/わぉん……そんなことになっていたの?」

 

「はい。それは、元々のラナンキュロア様の運命でもあったのですが、幽河鉄道(ゆうがてつどう)に乗り込み、前世の知識を引き継ぎ、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使えるようになったラナンキュロア様であっても、それはどうやら、そのままになぞってしまう種類のものだったようです」

 

 つまり……元々の私も、コンラディン叔父さんにやり込められて、それでふてくされて、逃避行動としてリストカットの真似事をしたのか。……それで事故ってしまったと。

 

「元々の私も、/くぅん……ゲリヴェルガ伯父さんに狙われて、/誘拐されそうになったところを/レオに助けられたってこと?」

 

 そうしてからレオを冒険者にすべく、コンラディン叔父さんに紹介したと?

 

「元々のラナンキュロア様は、もう少し切実な理由でレオ様を冒険者にしたいと思っていたようです。というのも、前世の知識のないラナンキュロア様は特段、ロレーヌ商会へ利益をもたらすということもなく、それゆえに父親からの特別扱いもされていませんでした。結果、かなり不自由な生活を強いられていたようです」

 

 ああ、それはつまり。

 

「家を出たがって/いたってこと?」

「はい。例えば……現在のラナンキュロア様は、英雄レオポルドの件を表沙汰にしようとはしません。ですが、それはなぜでしょうか?」

「え?……だってそれじゃ/軍に徴用されて……あ」

 

 そうか……私は、自分の生活を守りたいと思ったから、面倒事を避けたんだった。

 

 守りたい、今の生活があるから、レオを軍に取られたくなかったんだ。

 

「はい、現在のラナンキュロア様には金銭的な余裕があります。生活力があります。暮らしの基盤がしっかりとしています」

「元々の私には、/それがなかった」

「はい。元々のラナンキュロア様の生活は、軍に徴用された方がマシ……と考えてしまうようなモノだったのでしょう。ですが、叔父のコンラディン様のように、冒険者となろうにも、魔法を使えないラナンキュロア様には、武力と呼べる力がありません」

 

 だから私は……その私は……そこから(のが)れるために、自分がそこから()げたいがために、レオを冒険者にしようとした……と。

 

 英雄レオポルドを表沙汰とすることにも、躊躇しなかったと。

 

「はい……ですが後者には、もう少し複雑な事情があります。それがもうひとつの、私がラナンキュロア様の運命を変更したポイントに関わってくるのですが……」

「ひょっとして……僕がラナの伯父さんの家を襲撃しようとしていた時のこと?」

 

 伯父の屋敷を襲撃する予定で、マリマーネに諸々の伝言等を頼んでいたら、そこにマイラが来てレオを私の元へと導いたという例の話か。

 

「はい。元々のレオ様はお屋敷を実際に襲撃して、ゲリヴェルガ様をその手で殺害してしまうのです。そしてその件を有耶無耶(うやむや)にするためにも、ラナンキュロア様はユーマ王国へ恩を売らざるを得なくなります」

 

「ああ……」

 

「レオ様がゲリヴェルガ様をその手で殺害してしまわれた場合、ラナンキュロア様は伯爵家の正妻であるご自身の伯母様へ頼らざるを得なくなります。それはすなわち、貴族、王族と直接的に関わり、交渉せざるを得ないルートへと、進むことを意味します」

「うへぇ……」

 

 私が本当にやりたくない宮廷政治、その暗闘モノじゃないか。

 

「そしてこの場合、レオ様は帝国によるモンスターの大襲撃事件を、その圧倒的武力によって制するという形で貴族殺しの罪を許されるのですが、その際にその姿は多くの軍人、一般市民に目撃されてしまいます」

「ああ……そうね、/そうなる……でしょうね」

 

 ()罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使えなかったのなら、レオの存在を秘匿するにも限界があったということになる。このような……地下シェルターなどは利用できなかっただろうから。

 

「このルートにおいては、ユーマ王国における王の権威は失墜していません。むしろその権勢を増したとさえいえます。したがって、国王の発言権は強いままであり、その鶴の一声によってレオ様は叙勲を受け、名を英雄レオポルドとし、貴族となります」

「ええぇ……」

「まさかの/成り上がりルート」

「ですがご存知の通り、モンスターを撃退したとは言っても、ユーマ王国内には依然、帝国のスパイが存在しています。レオ様はその彼らと、叙勲を面白く思っていない勢力から徹底的に貶められ、攻撃されて、スラム街出身であることも暴かれ、国を追われることになります」

 

 それはまた……なんとも予定調和な追放ルートだ。

 

「レオ様がゲリヴェルガ様を殺害してしまうと、その後の運命はほぼこれに近似(きんじ)したモノとなります。遅かれ早かれレオ様、ラナンキュロア様は国を追われ、そのすぐ先に、避けようのない死が待っています」

 

 追放の先に、スローライフが待っているなんて、滅多に無いんだってことか。

 

「これは“観る”と“見守る”を、両方行っていたからこそ出来た運命の切り替えとなります。“観る”はその意味において、私が“自由”に扱えるものではないのです。“観る”ことは、“見守る”の代わりにはならないのです」

「……“観る”って/なんなの?」

 

「“観る”とは、“観察”した結果を、観測者の知性が認識できる形に鋳直(いなお)して(とら)え、把握するということです」

「……もう少し/わかりやすく」

 

「たとえば、天気予報は世界を“観測”し、“観察”してデータを取り、それを元に未来の天気を予測しますよね? この時、天気予報士は“未来を観た”ことになります。本来、三次元の知性体では観測することのできない未来を“観ている”のです。見えなくとも観えるモノは、この世に沢山あります」

 

 それは予測であって、予知なんかじゃないんじゃ……。

 

「それはその通りですが、幽河鉄道(ゆうがてつどう)本来の機能であるところの過去や未来を見聞する機能、その本質は、実は天気予報と大差ないモノです。幽河鉄道(ゆうがてつどう)幽河鉄道(ゆうがてつどう)に拾える、断片的な準空子(クアジケノン)の情報を元に、ほぼ確実と思われる過去や未来の景色を構成、構築して私達に教えてくれているのです。死者の魂……幽河鉄道(ゆうがてつどう)に扱える形となった情報(データ)誘導体(デリバティブ)を過去や未来に運ぶ機能は、実は後付けのオマケなのです」

 

 タイムトラベルが、予知のオマケって。

 

「過去の、未来の状況を知れるからこそ、そこへ行くことが可能になったとお考えください。旅行するにも、どこに目的の場所があるかわかっていなければ出来ないでしょう? タイムトラベルであれば、今いる場所の三時間後に行きたいと思っても、惑星が動き宇宙が膨張している以上、宇宙的視点から見れば“今いる場所”と“三時間後の今いる場所”は、同一の座標ですらないのですから」

 

 実際のところ、タイムトラベルは時の移動そのものよりも、そうした宇宙の神秘に対する補正の方が難しいのだとツグミは語る。それはまた、SF界の多くの先人達がそれと知りながら敢えて無視してきたことを、今更のようにわざわざ(あげつら)ったものだ。言及しながら美しい思考実験を編んだ名作も、まぁまぁあるけれども。

 

「特に私は、人間の心を“観る”能力に長けています。人の気持がわかる……ということではないのですが、ここでこの選択をした場合、その人が幸せになる、不幸になるといった結果を“観る”能力は、人よりも優れていると自負しています」

 

 ツグミは、リストカット事故については私の気持ち的“不幸”が観えたから、レオのゲリヴェルガ殺害についてはもっと直接的に私達の“死”が観えたから、その私の運命を改変してきたのだという。

 

「で、/わぅん……今回の件に関しては、/私がコンラディン叔父さんに殺され/る未来が観えたから介入してきた/わぅぅ……ってこと?」

 

「今回の場合、誰も彼もが不幸になる未来へと繋がっていました。死んでしまうラナンキュロア様、それを知り、コンラディン様を殺害して逮捕されるレオ様。やはり死を避けられないマイラ、フリード様、ジュベミューワ様。わけのわからない存在となって海の底へと消えたノアステリア様。マリマーネ様も商会の船を私的に運用したことが問題視され、職を追われて望まぬ結婚をすることになります」

「……そのノアステリア、/いつかゴジ●にでもなって/街を襲いそうだね」

 

 地上の世界では、段々とゴジ●サイズに近付いていく白と黒の巨人が、咆哮をあげるようなモーションで(うごめ)いていた。大きくなりすぎたせいか、その動きはどこかもう緩慢としたものになっている。

 

「誰も幸せになれない運命、か」

「はい、まさにその通りです、レオ様」

 

 ふむ。

 

「私は、私自身が介入してしまった事態の未来は幽河鉄道(ゆうがてつどう)を通じても予知、予測できません。私自身という要因(ファクター)が、ノイズとなってしまうからです。これが“観る”の制限のひとつです。ノイズが治まる……私の因果干渉率……平たくいえば影響力が薄まれば、また可能となるのですが、これにはその影響範囲の大きさに比例した時間がかかります」

「ああ、さっきもそれ、/出来ないって言ってたね」

 

 自分が介入したことで生まれた世界の未来は読めないとかなんとか。

 

「リストカット事故の時は、私の因果干渉率はすぐに低下しました。時間にすれば一週間も無かったと思います。レオ様の殺人に関しては……二年かかりました」

「二年」

「はい」

 

 それは長い……のか?

 

 しかし言われてみれば、その件に関しては、それによってゲリヴェルガ伯父さんの死の状況が変わっただけでなく、英雄レオポルドが世に出るかでないかが変わり、ユーマ王国国王の権威の失墜が起こるかどうかが変わり、沢山の人の運命が変わってしまったわけだ。

 

 そう考えれば、二年というのは、むしろ短いとも言えるのかもしれない。

 

「……待って、/それなら、ボユの港で/わぉん……沢山の人が死んだこの件に関しては」

「おそらく……ラナンキュロア様が百歳を超えて人生を全うされたのだとしても、私にはもうそれを観ることが叶いません」

「……は?」

 

 なら……二周目のツグミは、どれだけ先の未来から戻ってきたんだ?

 

 時間旅行の話は、本当に難しい。何が出来て出来ないのか、これだけ話してもらってもまだよくわからない。

 

 ……いや、私がこの話を始めたのは、結局の所、ツグミに何が可能か、まだ隠してることはないか、確認するためだった。

 

 そこを掘り下げなければ、ここまで頭の痛くなりそうな話を聞いた意味がない。

 

「ツグミ、あなたはさっき、/こう言った」

 

『ジュベミューワ様……あなたは、ナガオナオ様のローブ(アーティファクト)をも、盗もうとしましたよね? それだけは許せなかったので、あれだけ退避せざるを得なくなりましたが』

 

「聞いていたのですね」

「なんとなく、ね」

 

『……それで、どれだけのことが出来なくなってしまったか』

 

「で、/何が出来なくなっていたの?/ジュベミューワは/もう死んだ。/わぅん……お兄ちゃんのアーティファクト? /それを取り戻せば/わんっ……何が出来るようになるの?」

「……あ」

 

 あ、じゃないよ。今それ、物凄く大事なことじゃない。

 

 苦しい時の神頼みじゃないけど、この、どうしようもない事態の只中(ただなか)においては、超常的な存在(デウスエクスマキナ)がどれだけのことをやってくれるかは、物凄く重要だ。

 

「取り戻すというか、ジュベミューワ様との会合が失敗に終わってから、幽河鉄道(ゆうがてつどう)の機関室に“装備”させていたものを、私が直接“装備”し直すという形ですが……ええと、まず、私が人型になれます」

「……なるとどうなるの?」

「ラナンキュロア様が私の声で、わんわん鳴くことがなくなると思います」

 

 そんなのはどうでもいい。ほっといてくれ。

 

「人間の基準ではとても可愛らしい、美しく思える姿なのだと聞いています」

 

 そんなのはもっとどうでもいい。すこぶるどうでもいい。

 

「……他には?」

「ああ……そうでした。私、ナガオナオ様のアーティファクトの力を使えば……あのノアステリア様の成れの果て……でしょうか? あれを滅することができるようになると思います」

「……ん」「それって凄く重要なことじゃないか!」

 

 そっちか。

 

 そっちなのか。

 

 ……いやそれも、レオが湧き立つ通りに、凄くありがたくて素晴らしいことではあるのだけどね。

 

「正直、/くぅん……期待したのは/レオのこの傷を癒せるとか/そういうことだったんだけどね」

 

 そうは言っても、私にとって今、本当に重要なのは、そちらなのだから。

 

「申し訳ありません……確かに治癒魔法も使うことは可能となるでしょうが、それはこの世界で広く使われている、一般的なそれと大差ないレベルのモノです。燃え尽き、失われてしまった器官を復活させる魔法ではありません。アスクレピオス派(メデュレィナ)博士(ドクター)であればそれに近いことは可能だったと記憶していますが、生憎とナガオナオ様はアスクレピオス派(メデュレィナ)とは仲が悪くて……」

「お兄ちゃんの話は後でゆっくり聞く。……今は」

 

 私はだが、とりあえず頭を切り替える。

 

 レオの身体も心配だが、本当の本当に心配だが、だからといって地下シェルターの外の地獄を放っておく気もない。レオよりは数段劣る……なんなら私にとってはレオの千分の一程度の価値しかない世界だが、それでもそこは、私達が今日まで生きてきた世界だ。

 

 これからでも、やれることがあるのならする。そこに矛盾はない。誰に理解してもらいたいとも思わないが、それは少なくとも私の中では矛盾しないのだ。

 

「それで、アレを/どうやって倒すの?」

 

 私は、丁度良く細かく割れていた空間をモニターのように平べったく統合し直して、そこへ数十メートル先の光景を「通過」させる。

 

 するとそこに、今も(黒い死体を吸収しながら)自己の拡張を続ける白黒の巨人が映った。

 

「ラナの魔法、どんどん何でもありになっていくね」

「盗撮機能は、/今更でしょ」

「そうだけど」

 

 三人(ふたりと一匹?)で見れるようになったソレは、もはや巨人というのとも何か違う形状となっていた。

 

「けど、なんでもありっていうのは、/ああいうののことを()うんじゃない?」

 

 ソレの背中には、いつのまにか翼のようなものが出来ていた。

 

 ただ、それはあくまでも「翼のようなもの」だ。

 

 正しく表現するとなると結構難しい。それは「翼のように開展した鱗のようなもの」とも言えたし、「たくさんの斧を翼の形に組み立てた意味不明の造形物」のようにも見えた。

 

 依然、炎上するボユの港を背景に浮かんでいるソレは、まるで小学生が冗談で作った粘土細工の造形物のようでもあった。

 

「……大丈夫? ツグミ。怯えているみたいだけど」

 

 ツグミは、目の前に大画面(42Vほど。画質は360pの動画を4Kモニターで見ているような感じ)で現れたその光景を見て、なぜか震えているようだった。

 

「……私は……もともと炎は苦手だったのです」

 

 ああ……それはまぁ。

 

「そりゃ、犬だもんね」

「暖炉のように、安全域が確保されていれば平気なのですが……炎……炎の揺らめきが自分のすぐ近くにあるというのは本当にダメで、ヘパイトス派(フィアレィナ)の方が戯れで私の全身を幻影の炎で包んだ時などは……ナガオナオ様の盲導犬であることも忘れ逃げ惑い、醜態を晒してしまいました」

 

 いや、それはどう考えてもそのフィアレィナ? の人が悪いと思うけど……お兄ちゃんも結構な修羅の世界を生きていたのか。

 

「それで、私の中には“炎が怖い”という三類のエピスデブリが生まれてしまって……ですから、だからこそナガオナオ様は、ご自身で発明されたノーヴァリュグを、その私が嫌がりそうな特性を、どうにかできないかと、第一線を退かれた後も研究を重ねていました」

「ノーヴァリュグ?」

「この世界における燃焼石と同等のモノです。燃焼石(ノーヴァリュグ)は、魔法による燃焼エネルギーを高次元的に圧縮したモノです。当然、使われてる魔法技術はイデア派(アゥレィナ)のモノです。理屈自体は単純で、熱エネルギーを準空子(クアジケノン)に変換し、それを触媒へ乗せて折り紙を折るように畳み、三次元的には小さな石の形を採る物質に変換しているというものです。ナガオナオ様はそれを、エントロピーの逆行転生、とも表現していました。再変換の際には通常、折り畳み状態が徐々にほどけていく形となるため、漸次的(ぜんじてき)に熱を放出していくのですが、これを一気にほどくような手段を採ってしまうと、大爆発が起きてしまいます」

 

 なるほどわからん。

 

「燃焼石が大爆発を/起こすこともあるってのは、/わん……私も知っているけど」

 

 でも、それはどうやっても安定しないから軍事転用……つまり爆発物として兵器にするわけにはいかなかった……とも聞いている。

 

 実際、あの巨人が放った炎の矢も、高速で地表に叩きつけられてさえ、爆発を起こしているモノと、そうでないモノがあるように見えた。

 

 炎を放つだけなら、火矢で構わないだろうし、そもそもこの世界には、数は少ないものの爆裂魔法を行使できる魔法使いだっている。かなりの詠唱時間(キャストタイム)を要するとも聞いているから、それだって実際の運用はなかなかに難しいものであろうが、全然言うことを聞いてくれない無機物の爆発物よりは、意思疎通の可能な()()()()()()の方が、兵器としては有用であろう……後者が電波ゆんゆんな類の人間でない限りは。

 

 それに、兵器に転用できるのであれば、他国へ輸出しようとも思わないだろう。

 

 いや……むしろ、ただでさえ世情、政情の安定しない南の大陸の、更なる騒擾(そうじょう)を狙っての輸出か?

 

 不安定でも、爆発は起きるのだから、むしろそれを間違った形で運用して、色々な意味で混乱に陥ってくれた方が、他国としては嬉しいわけだ。

 

 そうでなくとも貿易による利益は出るのだから、これは王国には利益しかない策に思える。

 

 不完全で危険な兵器を輸出して儲ける、か……思い付いた自分自身を嫌いになってしまうような話だ。

 

「この世界では、そうなのかもしれませんが、ナガオナオ様の研究はもう少し進んでいました。それによれば、燃焼石(ノーヴァリュグ)には、“作者”のエピス、エピスデブリを触媒の情報(データ)誘導体(デリバティブ)へ、不完全な形で転写できるのです」

 

「ん」

 

「これにより、石へある程度の指向性を持たせることが出来るのですが……逆を言えば、これは“作者”、どころか“作者のその時の精神状態"によって、できる燃焼石(ノーヴァリュグ)の特性が変わってしまうということを指し示しています。これが燃焼石(ノーヴァリュグ)の弱点のひとつでもあります」

 

 なるほど。

 

 ……で?

 

「私の、千速継笑(せんぞくつぐみ)様が()われるところの“なろうの女神様みたいな能力”は、どちらもナガオナオ様が考案された毒性物質の排出(キレート)技術と、燃焼石(ノーヴァリュグ)のエピス、エピスデブリ転写特性を合わせ、複合魔術としたようなものです」

 

 ……ええと?

 

「つまりあなたは、/わぉぉぉん……燃焼石のバケモノと/同じようなことができると?」

 

 ツグミはそれへ、画面に対し完全に横になってしまっていた身体をくねらせながら、横目で巨人を見つつ答える。

 

「ああはなれませんが……要するに私は、燃焼石(ノーヴァリュグ)に転写されたエピス、エピスデブリを、鋏挿摘出(キレート)することができるということです」

 

「ああ」「あー……/理解した」

 

「エピス、エピスデブリを失った石は、ただの可燃物に戻ります」

「なるほどね/そうきたか」

 

 なるほどなるほどなるほど。

 

「つまり私は、あの巨人の“意思”を、殺すことが出来るということです」

 

 空へ浮かぶゴミのようなバケモノを、燃えるゴミに日に出せるゴミとすることができると。

 

 そういえば石炭って燃えるゴミ? 燃えないゴミ?

 

「……はぁ」

「どうされました? ラナンキュロア様」

 

 

 

「そんなこと、/きゃぅぅぅん……言われる前に気付いてよねぇぇぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<三人称>

 

 そこに、天使が(あらわ)れた。

 

 それは、圧倒的な薔薇色だった。

 

 それは、圧倒的な白銀(はくぎん)だった。

 

 それは、圧倒的な白金(はっきん)だった。

 

 その姿はまさに天使そのものだった。けれど、彼女には翼がない。

 

 空中で、薔薇色のローブが、その裾が、潮風に揺らめいている。はためいている。

 

 長い白銀の髪の毛が、ふわふわと大気に揺蕩(たゆた)っている。

 

 輝くような白金(はっきん)の瞳は、生まれたばかりの星のように、開いたばかりの花のように輝き、(きらめ)いてみえた。

 

 雑味のないシュッとした鼻筋。

 

 自然な薄桃色の唇。

 

 あらゆるパーツがあるべきところにある、不自然なまでに整った美貌。

 

 不自然であるがゆえに目を引き、その引力でもって人を惹きつける。

 

 それはそういう、魔力的引力を帯びた美貌。

 

 それは、あまりにも完璧であるがゆえに、人であることを超越したナニカだった。

 

 ゆえにそれは、あまりにも唐突な超常的存在の顕現(けんげん)、そのものであると観えた。

 

「ううん、やっぱりこの身体は、不思議な感じがしますね」

 

 顕れた機械仕掛けの神(デウスエクスマキナ)の声は、けれどホットミルクのように甘く、それはどこか、人の心を落ち着かせる、柔らかな慈愛に満ちていた。

 

「ですが、この姿でなければ幽河鉄道(ゆうがてつどう)からのバックアップを完全には得られないこともまた事実。仕方ありませんね」

 

 ひたすらに他者を殺し、貪り、自己の拡張を続けていた白と黒の巨人は、己の目の前に現れた赤と白銀と白金のそれへ、何を想うのでもなく、ただ怪訝そうにそののっぺらぼうの黒い顔を向ける。

 

 天使はそれへ、柔らかな美貌にあっては似つかわしくない、けれど決然とした表情を浮かべる。

 

「さて……それでは状況を開始しましょうか」

 

 

 

 そうして。

 

 

 

「【世界変換。コード101】」

 

 薄桃色の唇が、この星にあっては誰にも意味を理解できないような言葉を紡ぎ出す。

 

「【青は藍より出でて藍より青く、青は愛、()(いだ)きて相寄(あいよ)()おう】」

 

「【imbrue(インブル) in(イン) blue(ブルー)】」

 

 それは奇妙な言葉遊びの羅列だった。

 

「【10は(アァ)、1は(アィン)】」

 

 それは、不可解な数字遊びの羅列だった。

 

「【無駄に繋げてAと1(アァアィン)】」

 

 それは、老境に入ってより学問に目覚め、人が人足らんとして生み出した言葉も数字といったツールを、まるで玩具のようにして遊び、戯れながら時を過ごした知性による、悪ふざけのような魔法詠唱の聖句だった。

 

「【世界よ染まれ、()べて波凪(なみな)ぐ七色へ。奈辺(なへん)に並ぶ奈落の鉛、何も無しなら名に(なら)え、那由他(なゆた)(なわ)()()いで()げ。imbrue(インブル) in(イン) #0000A1(ブルー)】」

 

 

 

 だが。

 

「【第一段階、終了!】」

 

 

 

 少女の聖句に、炎と夕暮れの色に(あか)く染まっていた港町の空が、一瞬で青から群青色(ぐんじょういろ)へと移る、そのグラデーションの色に、染まってしまう。

 

 そしてそこには、時折、稲妻のような形で、しかし七色の閃光が走っていた。

 

「世界改変魔法。世界そのものを自分に有利なフィールドへと変換する魔術。効果は限定的とはいえ、ラナンキュロア様が罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使えるよう、補助的に加えたものの原典です。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)……【エキシ・エァヴィリェ】は、そもそも守りのための魔法でしたからね。破壊衝動を元に発動させるには、これを一段階、挟み込む必要がありました」

 

 少女は、真夏の青空よりも濃い、群青色に染まった空を背景に、シュシュっと拳を……シャドーボクシングのように何度も繰り出す。

 

 白銀の髪が、それにあわせひょこんひょこんと跳ねた。

 

「さて、それでは……ここからは肉弾戦、ですか」

 

 天使は、暴力のぼの字も、格闘のかの字も、戦いのたの字も縁遠いその姿で、右ストレートを、左ストレートを、右アッパーを、左フックを、正拳突きを、裏拳を、掌底を、(くう)に突き出す。

 

「もはや夢を見ることもないような異形体。ならば物理的に近付き、直接【燃焼石(ノーヴァリュグ)】に触れ、キレートシステムを叩き込む必要があります」

 

 白と黒の巨人は、何を考えているのか、既に体長で二十メートルを超えたその姿で、手を、髪を模したと想われる触手を、天使の方へと向ける。

 

「この星で暴力を行使するのは、二度目、ですか。幼い少女の姿をしたモンスターよりは……まだ心が痛まないとはいえ、その魂は、おそらく元は人間のもの。苦痛無き……少なきよう、手早く終わらせる必要がありますね」

 

 だが、巨人のその動きはもう、緩慢だ。

 

 人体は、体長二メートルを大きく超えた辺りで限界が来るといわれている。

 

 それ以上は、ただ普通に動くだけで間接をはじめとした全身に、膨大(ぼうだい)な負担がかかるようになるという。

 

 自重に、大きさに見合う重さに、自分自身の身体が耐えられなくなってしまう。内臓も、それだけの体積を管理しきれない。

 

 それは人の姿を、そのまま大きくした場合に発生する構造的欠陥だ。

 

 ならば人道を大きく外れながらも、しかし構造的には人の姿を模す巨人にも、その欠陥は(あらわ)れている。

 

 もはや手を、足を素早く動かすことなど出来ない。髪を模した触手であってもだ。

 

 肉の身体ではないから、自重で崩壊することこそないものの、人が手を動かすようには、身体を捻るようには、もはや動けない。

 

 

 

「【では、第二段階……状況開始、です!】」

 

 

 

 閃光が走る。

 

 

 

 (そら)に、七色の稲妻が。

 

 

 

 (くう)を、白金(プラチナ)穿孔(せんこう)が駆け抜ける。

 

「!!」

 

 直後、巨人がよろめく。

 

 人であれば心臓がある辺り……と思われている右の胸、そこに大きな穴が開いている。乳房を模したと思われていた白い塊も、右のそれ自体が消えてなくなっている。

 

 一瞬で、それは斧のような形をした鱗によって塞がれ、癒合されてしまうが……。

 

「七つ、【燃焼石(ノーヴァリュグ)】を破壊させていただきました」

 

 千速継笑(せんぞくつぐみ)であれば、「いやウル●ラマンかよ!?」とでも叫びそうなポーズで空に静止した白銀の少女は、どこで知ったのかスペ●ウム光線でも発射するかのような構え……いや仮面●イダーのどれかな決めポーズ?……も見せながら、柔らかな(まなじり)をそれでも吊り上げ、白金の視線を巨人へと向ける。

 

「【点無き線に意味は無く、意味が無ければ意思も無い、意思が無ければ意志も無い】」

 

 そうして叫ぶ。

 

「【意志を失いし結節点(ノード)は乱れる! 耐えられぬ孤独に! その混沌がゆえに!】」

 

 死刑宣告を。

 

「【プラチナム! サンダー!!】」

 

 

 

 ぼぅ……と。

 

 

 

 それは、燃え続ける街を背景にしては、轟音に熔けてしまうほどの小さな音。

 

 だが、巨人の白い胸には、静かに(ほむら)が立ち昇っている。

 

 巨体にはあまりにも小さすぎる炎。メラメラというよりかは、蛇の舌がごとくにチロチロとしか燃えていない。

 

 しかし、そこで燃えているのは、表面ではない。

 

 巨人が、やはり緩慢な動きで己が胸をさするも、その火は消えない。

 

 白金に輝くその炎は、異形が何をどうやっても、消えたりはしなかった。

 

「【元は人間……なのでしょうが、今はただ無闇矢鱈(むやみやたら)と自己を拡張しようとする秩序なき危険な異形体です。本来……ここは私の出る幕ではないのでしょうが、これにはラナンキュロア様の命も……今はどこかへと消えて姿を現さないマイラの命も関わっているのです。この星の人間ではない私に、その資格があるとも思えませんが……あなたはここで、滅させてもらいます!】」

 

 再び、(そら)に七色の閃光が走る。

 

 赤いローブの少女が(くう)より消えて、ただその代わりに、巨人を貫く七色の稲妻だけが空間に残っている。

 

 巨人は叫ばない。声をあげる機能がないから。

 

 巨人は苦しまない。痛みを感じる機能がないから。

 

「……ご……ぎ」

 

 だがその身体の、何が音を立てているのか、腹に大きな穴を開けた巨人からは、まるで硬い骨が折れるような、石が岩に当たり、擦れるかのような音が響いている。

 

「今度は三十三個、です。【プラチナム! サンダー! マックス!!】」

 

「ぐりゅっ……」

 

 またも一瞬で閉じたその白い腹から、しかし白金の焔が、今度は穏やかではない激しさで噴き出す。

 

「ごぎょ……」

 

「【これが、この身体の限界、のようですね】」

 

 いつの間にか、巨人の頭上にて少女は、手をグーパーグーパーと握り、開きながら、自分自身の力を確かめるかのようにして、微笑む。

 

「【アーレス派(バドゥレィナ)の方々とは、比較的上手くやれていましたから、これも高い精度で写し取ることのできた強力な魔法(スキル)、なのですが……世界を改変してさえ、これ以上は強力な一撃とならないようですね。レオ様と戦ったら、確実に負けてしまうでしょう。ラナンキュロア様……は、状況次第ですが、能力をフルに使われたらやはり勝てないでしょうね】……っと」

 

 ゆるりゆるりと巨人の、髪を模した触手が、己が頭上の少女を取り込もうと逆立つ。

 

 遠目にそれは、奇怪(きっかい)な食虫植物の、捕食シーンのようにも見えた。

 

「【ですが! スピードでは負けませんよ!】」

 

 だが一瞬で、天使は巨人の頭上、その更に数十メートル先へと昇ってしまう。

 

 触手()を逆立てた巨人は、それを入れれば体長が四割ほど伸びたが、少女が浮かぶ空の高度は、その更に上の上だ。

 

「【燃焼石(ノーヴァリュグ)を放出する例の攻撃、爆撃は弾切れ……でしょうか。そうですよね、あれだけのことをした直後です、あんなことが連続で何回もできるなんて、ぶっちゃけありえな~い……です】」

 

 天使が、右手を天高く突き上げる。

 

「【なら……そろそろ決着を付けましょうか。とはいえ……一度攻撃を加えて、発火させた場所へはもう近付きたくありません。なら……】」

 

 すると群青色の空に、またも七色の稲妻が走る。

 

 しかしそれは、今度はもう、一瞬の煌きではない。

 

 まるで、空に亀裂が生まれ、それが七色に光っているかのようだ。

 

「【なら、手数を増やしましょう】」

 

 地下の、閉鎖空間からそれを見た魔法使いの少女は、それが己の、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)にも似たイメージを持っているということに驚く。

 

 そうしてから、自分の魔法はあの、超常的存在(デウスエクスマキナ)に与えられたものだったなと、強く思い直す。

 

 自分の罅割れ(それ)も七色に光ったらどうだろうかと考え、サイコ感が増すだけかと、やはり強く思い直した。

 

「【それでは……まずは、こうです。世界改変魔法、タイプウェザー!!】」

 

 

 

 ごぅ……と。

 

 

 

 群青色の空から、その亀裂から、雨が降ってくる。

 

 どこに雲があるのか、どこからその水が現れたのか、わからないまま天をひっくり返したようなどしゃぶりの雨が、炎上する港町へと降り注ぐ。

 

「【うーん、さすが禁呪指定された魔法です。この世界にIMRA、危険魔法規制委員会があったら、すぐにお縄になってしまいそうですね。これだけで十年は、未来を観ることができなくなりそうですが、それは今更ですからね】」

 

 降りしきる雨を、物ともせずに、曇天にあってなお輝く白銀と白金の少女はやはり微笑む。

 

 その姿は、力を行使することに喜びを覚えているようでもあり、それが与えられた頃の自分自身を、懐かしんでいるようでもあった。

 

「【こんな風に、晴れの日も雨の日も、たくさん、遊びましたね、ナオ様】」

 

 巨人が再び、悪魔のように、天使を捕らえようとその腕を、触手を、伸ばしていく。

 

「【世界を滅ぼしかねない魔法を、ふたりだけの秘密にして、たくさんたくさん、遊びました】」

 

 だがそんなものは、届かない。

 

「【あの日々は、今も私の心の中で輝いています】」

 

 再生力(しぶとさ)だけを頼りに、ただひたすらに(パワー)を追い求め、自己を拡張していった巨人(デカブツ)の攻撃などは、ただひとりに想われた愛犬には届かない。

 

 届くはずもない。

 

「さあ、終わらせましょう。夢は夢に、無限は夢幻に。あなたが追い求めたモノは、追い求めるモノは、もうどこにもありません。ただ求めるだけは無限の辛苦でしょう。夢は呪い、人の夢を奪うとは人の呪いを背負うこと。あなたは背負い過ぎました。その重さが今、あなたを縛っている」

 

 七色の稲妻が天使を包む。

 

 ある種下品といえるまでにカラフルでありながらもそれは、しかしやはり少女が天使であることの証明のようにも見えた。観えた。

 

「搾取したモノの重みに呪われし巨人! その罪を今! 私がキレートします!!」

 

 白銀の影が巨人を包む。

 

 白金の影が巨人を包む。

 

 薔薇色の影も巨人を包む。

 

 七色の稲妻もその全てに付随(ふずい)していった。

 

 それは残像だったのだろうか、それとも分身だったのだろうか。なにもかもが可笑(おか)しすぎて、誰もそれを確定できない、できなかった……それはもうそのような光景だった。

 

 そうして……。

 

「【全弾! 射出!】」

「り゛ょご……」

 

 全て影が、音も無く、容赦無く、逡巡すらも無しに、千なる七色の線となって、巨人を貫いた。

 

「ごがごぎごごげがぎぎぎ」

 

 巨人の身体は穴だらけとなり、鱗がそれを閉じようとするももはやそれすらも空を切る状態となっていた。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、その身体が、傾いていく。

 

「ふぅ……全ての【燃焼石(ノーヴァリュグ)】、それに込められたエピス、生まれ出でてしまったエピスデブリ、その全て! 呪われし(すべ)て! 壊させていただきましたっ!」

 

 直後、白銀の髪を翼のように広げた天使が巨人の目の前……のっぺらぼうの顔の前に現れる。

 

 少女は、やはりどこかで見たような決めポーズを何個か繋げ、そうしてから踊るように言い放つのだった。

 

 

 

「これにてオールフェイズ! 状況終了、です!!」

 

「ぐ、がげんごぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「いやさぁ……」

 

「あのさぁ……」

 

「そりゃ、さぁ……」

 

「わんこな美少女が、癒やし枠だと思っていたら、ブッチギリの脳筋キャラだったとかさぁ……」

 

 42Vほどの画面(モニター)に映る、眼下にあった倉庫を押し潰すかのように崩れ落ちていく白黒の巨人、その巨体の終焉を見ながら私は……。

 

「ベタだけどさぁ、なんなら癒やし(ヒーラー)枠って、修道僧(モンク)だから殴るよねとか、刃物が使えないからゴッツイ金槌(ハンマー)持つよね、とかってキャラだったりもするけどさぁ?」

 

 そんな状況ではないというのに、まったくもってそれどころではないというのに、とても頭が痛くなるような馬鹿馬鹿しさに私は……思わず、こう叫ばずにはいられなかった。

 

「せめて特撮なのかプリ●ュアなのか! リスペクト先くらいはハッキリしとかない!?」

 

 

 



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epis60 : Psycho Lock

 

<ラナ視点>

 

 唐突に降り出した激しい雨は、空が本来の色を取り戻していくにしたがって、次第にその勢いを()くていった。

 

 やがて帰ってきた空の色は、だけど雨雲に覆われた星の見えない暗いモノで、時が既に夜の領域へ入っていたことを教えてくれた。

 

 地下シェルターから魔法の空間越しに、街を見れば、いまだ局所的に燃えている建物はあるものの、広範囲を覆っていた地獄の業火のような炎は、その勢いを完全に無くしている。

 

『……ユーフォミー様の姿は、ありませんね』

 

 ひとり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の外にいるツグミから、心配そうな、あるいは怪訝そうな声が私に届く。

 

 夜にあって神秘的な光に照らされるその横顔は、ぼやけた画質の画面越しにも、ムカつくほど綺麗に見えた。

 

「……なにその、ハ●ポタのル●モスみたいな魔法」

 

 犬の姿からそんな……自分で言うだけはある……銀髪の超絶美少女となったツグミは、人指(ひとさ)(ゆび)の先に灯した小さな光(炎の形ではなく、小さな円形だ)を頼りに、真っ暗な倉庫の中を探索している。

 

 体育館五つか六つ分の、大きな倉庫の屋上には白黒の巨人……だったモノの死体、というか残骸が覆い被さっている。ゲームではないから、倒したからといって消えないのは当然だが、燃えながらくず折れていったのに今はもう何の光も発していない。そのせいで倉庫の中はほとんど何の光も届いていなかった。

 

 けれどそれは、ツグミの探索を妨げるモノとはなっていないようだった。

 

『これですか? イデア派(アゥレィナ)とは対極にあるマテリア派(コルレィナ)の基礎魔法のひとつ……をナオ様が魔改造したモノです。原理は……』

「また長文解説がきそうだから、今はやめて……なら、マイラはどこに?」

 

 問いに、ツグミは甘く整ったその顔でくんくんと鼻を鳴らし、少し首を傾げながら「んんぅ?」と心底不思議そうな表情を浮かべた。

 

『匂いは、残っています。マイラの匂いも、ユーフォミー様の匂いも』

「そこにいたことは間違いないんだ?」

 

 私が今、マイラを探しているのは、当然ながらレオのためだ。

 

 ()()ツグミにレオを癒やすことができないというなら、もうひとりの超常的存在(デウスエクスマキナ)にご登場戴き、ご助言を戴きたい。もう解説とか設定暴露はいいから、充分だから、とにかくレオを治してほしい。

 

『それは間違いないと思います。ですが、コンラディン様やナッシュ様のようには、亡くなられたというわけでもないようです。ユーフォミー様の特殊なお召し物が燃えた痕跡も、残っていませんし……』

「……それは、確か?」

 

 二周目のツグミが何をしたいのかについては、今以(いまも)って完全に不明だけど、優先順位は()()ツグミと変わらないはずだ。

 

 つまり、私、ラナンキュロアを悲劇から救おうとして、マイラとの契約(けいやく)遵守(じゅんしゅ)しながら行動を、しているはずなのだ。

 

『はい。ユーフォミー様のあの特殊な形状の眼鏡、あれには特殊な素材が使われていました。密閉空間で燃えたのなら、数時間から十数時間は匂いが残っているはずです』

「ここにきて、あんまり意味が無さそうだったユーフォミーの眼鏡が活きるのね。いまだに、アレに度が入っていたのかすら知らないけど……」

 

 私の悲劇は、すなわちレオが死んでしまうこと。

 

 二周目のツグミは、レオが大ピンチである今のこの状況を知っているのだろうか? 一周目……今のこの状況がこのまま推移すると、この先はどうなっていくのだろうか?

 

「なら、マイラが……ううん、二周目のツグミがユーフォミーを助けた?」

『そう、かもしれませんが……』

「諸々のことは打っちゃって最優先でユーフォミーを助けたの? なんで?」

『……わかりません』

 

 今、この段階において、二周目のツグミの行動によって大きく変わってしまった運命は……コンラディン叔父さんの生死だ。叔父さんは、二周目のツグミが助けを求めたからあの倉庫へとやってきていた……そのはずだ。

 

 コンラディン叔父さんは、ゼロ周目において私を殺したという。

 

 もしかすれば、この周においても、コンラディン叔父さんが生きていたらマズイことでもあったのだろうか?……だから叔父さんが死ぬような状況に、誘導した?

 

 そこのところは、本人……本犬(ほんけん)に聞いてみるしかないが、現状、二周目のツグミは、私達から完全に姿をくらましてしまっている。

 

 ジュベの肉体が、ボユの港全域に散らばっていることを嗅ぎ取ったツグミの「鼻」からも、どうやら意図的に逃れているかように「思える」のだとか。

 

 何の意味があってそんなことをしているのだろうか?

 

 燃焼石の爆撃で死んだとも思えないが……。

 

「ねぇ、ラナ」

「……ん?」

 

 地下シェルターの、目が慣れていなければ何も見えなかったであろう薄明かりの中、その場から完全に身動きが取れないレオは、その疲れを表に出さぬまま、静かな声で私を呼んだ。

 

「僕はね、僕のことはもういいから魔法を解いてとか、そんなことを言うつもりはないんだ」

「……今まで言わないでいてくれたこと、感謝してる」

「僕だって命が惜しいし、生き残れるなら生き残りたい」

「うん」

 

 一緒に生きよう……生きたい。

 

「でも、ね」

 

 レオは、そこでふっと寂しそうに笑う。

 

 その笑みは、どうしてか私の心を深く、(えぐ)る。

 

「僕とラナの命は、もう等価値ではなくなった。それだけは、心に刻んでいてくれないかな」

「……どう、いうこと?」

「僕は今、ラナが死ねば死ぬ。そういう状態なんだよね?」

「……」

「なら……ラナの命は、僕のそれよりも重い。だったら……ラナは僕の命より、自分の命を大事にしなくちゃね。僕のために生きてくれるのは、それは嬉しいことだけれど、僕のために死ぬことは……僕が許さないからね? その認識と選択を、間違えないで」

「っ……」

 

 遠回しに、かなり遠回しに、レオは最初に言うつもりはないと言ったことを、おそらくはほぼそのままの意味を込めて私に告げる。

 

 自己犠牲は許さないと……そう言っているのだ、レオは。

 

「……それは、卑怯だよ」

「そうだね」

「それは、ズルイよ」

「うん」

「それは、意地悪だよっ……」

 

 レオはずっと私のことを見てきた。

 

 三年間、多感な時期をずっと。

 

 だから私が何を考え、どう動くのかについてもある程度は……というか、かなりの部分は知られてしまっている。

 

「嫌いになった?」

「……なれるわけないじゃない」

「僕は嫌いになる。ラナが、僕を助けるためにラナの大切な何かを犠牲にするのであれば」

「ぁ……ぅ……」

 

 私は物事を悲観的に考える人間だ。

 

 そうして極限まで悲観的になると、なにもかもを投げ出してしまうクセがある。

 

「……ヒドイよ」

「僕は卑怯でズルイ人間だからね、そういうラナに、一番効果的な杭を打つんだ」

 

 八歳でひきこったのもそうだし、リストカットの真似事で遊んでいたのもそうだ。

 

 あるいはレオを、家に連れ込んだのだってそうだ。

 

 もし今、この段階で、自己犠牲によってレオを助けられる道を示されていたのなら……いや、実は薄氷を踏むようなか細い仮説なら、既にあるのだけど……私は迷わずそれへと進んで行ってしまったことだろう。

 

 だって当然のこととして、私は即答できるのだから。

 

 自分の命と引き換えにレオを助けられるのであれば、私は迷わずそれを選ぶと。

 

「ラナの、色々な物事を考えている時のその顔は、頼もしくもあるけど僕は怖いんだ」

「……え?」

「ラナは僕とは違って、頭で戦う。けど、だからといってラナは軍師でも、戦術家でもないんだ。ラナ、僕は覚えてるよ……ラナが咄嗟の機転で、普通なら絶対に倒すことが出来ないような相手を圧倒してみせた……その結果、ラナの心が壊れかけた……その時のことを」

 

 頭に、金●一耕助か工藤●作のようなボサボサの髪と、それが剥がれた際に見えた赤毛と奇妙な形の耳が浮かぶ。

 

「ラナの心は壊れやすい。切った張ったの世界には向いていないんだ。なのにラナは簡単にその世界へ、自分の心を押し進めていってしまう。……ねぇラナ、僕は、今ものすごく疑問に思っていることがあるんだ」

「……なに?」

「二周目のツグミ?……は、本当にラナの味方なの?」

「え」

「おかしいんだよ。あの時、ラナの心が壊れたかけた時、ラナの隣にはマイラがいた。あの時のマイラは、僕に先んじて、僕と一緒にラナの心を救おうとしたんだ。だからマイラ……ツグミも、ラナがそういう人なんだって知ってるんだ。ねぇラナ、だというのに今の状況は、おかしくない?」

「……ん」

 

 レオの話を聞いて、だけど妙にのんびりと思ったのは、これはもしや人の心を扱ったミステリーなのか、ということだった。

 

 人の心を扱ったミステリー……つまりは犯人がどうして被害者を殺さなければならなかったのか、動機はなんなのか……そうしたモノを主に扱ったミステリーは、俗に「ホワイダニットもの」と呼ばれている。

 

 ただ、このなぜやったのか?(ホワイダニット)は、ミステリー全体の中においては基本的に、誰がやったか?(フーダニット)どのようにやったか?(ハウダニット)などに比べ、一段地位の低い、扱いの少ない、重視されないモノであるように思う。

 

 というか……なぜやったのか?(ホワイダニット)は、他の謎に比べ「素晴らしいもの」にするのが難しいモノのように思う。

 

 人間の心は多種多様で、それはミステリーの、読者(オーディエンス)の心もそうだ。

 

 人の、犯罪を犯す心理について、どれほど綿密に、精細な論理を重ねたところで、万人がそれに納得するなんてことはない。「いや私、僕、俺はそんな風に考える人間が現実にいるとは思えない」と言い出す人間は、絶対に出てくる。

 

 はした金で人を殺す人間は現実にいるのに、それがフィクションに写し取られたというだけで「リアリティがない」と評する読者がいる。子を愛さず、簡単に捨てる、殺してしまう親は現実にいるのに、それが小説になったというだけで「こんなのありえない」と吐き捨てる読者もいる。

 

 勿論それは、現実(リアル)現実らしさ(リアリティ)は別物であるということなのだろうし、あるいは「そんな要素をフィクションの中でまで味わいたくない」という、人それぞれの価値観における、ある種の好みの問題でもあるともいえる。「リアリティがない」「ありえない」は、時に「そんなものは鑑賞したくない」という、別の本音の上澄みであることがある。

 

 現実らしさ(リアリティ)など、現実(リアル)に生きる私達が向こうへ、イツワリの世界へ渡るための、(ブリッジ)のようなモノでしかない。現実(リアル)が大地そのものであるとするのならば、現実らしさ(リアリティ)などはその結節点(ノード)でしかない。

 

 カースト下位の男子(または女子)を構ってくれる(または選んでくれる)カースト上位の女子(または男子)だろうが、追放(または婚約破棄)された自分にはすごく能力(または価値)があったのだという状況だろうが、オタクに優しいギャルだろうが、やおい穴だろうが、その向こうにあるイツワリの大地……あるいは孤島……へと渡りたい人間には、それらは(ブリッジ)として、現実らしさ(リアリティ)として機能する。それが現実(リアル)に重みを残す人間では、渡りきれない程に脆い幻想(ファンタズム)であったとしても。

 

 けれど殺人を犯すような人の心理などに、そんな「向こう」に、「真っ当な人間なら」、渡りたいとは思わない……のだろう。対岸で傍観者として観測するのさえ、嫌がる人は嫌がる。

 

 だからそこに、真っ当な現実らしさ(リアリティ)などは、通用しない。

 

 どれほど堅牢で幅広い、利用者に快適な(ブリッジ)を構築したところで、それが結節点(ノード)としての価値を持たないのであれば、誰もそれを渡ろうとしない。「好みの問題」であるというのは、そういうことだ。

 

 結局の所、ミステリーもエンターティメントだ。アートであることもあるが、主には作者がオーディエンスへ(きょう)する創作料理に過ぎない。そうである以上、「好みの問題」で評されるのは当然であり必然であって、それを許さないというなら、そもそも作品を(おおやけ)にするべきではない。

 

 ただ……その当然が、必然が……なぜやったのか?(ホワイダニット)には……論理が破綻していなければほぼ全ての人に「正解」、あるいは(ブリッジ)として機能する誰がやったか?(フーダニット)、実現可能であれば同様のどのようにやったか?(ハウダニット)などとは、全く別のモノとして作用することもまた、事実だ。

 

 なぜやったのか?(ホワイダニット)には、論理の補強があまり意味を成さない。

 

 キャラクターの心理というのは、どれだけ論理的に正しかろうが、ターゲット層の心にブッ刺さる何かでなければ、渡りたい(ブリッジ)でなければ、何の意味もない部分であるのだから。

 

 それはものすごく不確かなもので、「正解」はどこにもなく、鋭く踏み込めば踏み込んだだけ反発も生まれやすいデンジャラスゾーン、あるいは不毛の地、地雷原……そういうものでもある。

 

 日本において、最も高い経済効果を生んだであろうミステリーのシリーズ作品は、読者が犯人へ感情移入しないよう、動機の部分はわざとあり得ない、同情できない、納得できないものにしていると公言されている。子供の教育に悪いからという意味なのだろうが、これはこれで、殺人を犯すような人の心理に、そんな「向こう」に、渡りたいとは思わない真っ当な人間には、ある種のリアリティとして、それもまた逆説的に魅力的な(ブリッジ)として機能している。殺人を犯すような人間はすべて異常者である、自分達とは何の関わりもない、彼岸(ひがん)の存在である……という、真っ当な人間(であると自認する人達)がそれぞれに信じたい世界へと渡る、(ブリッジ)として。

 

 もっとも、それは少年誌に連載されていた漫画だから、一般的なミステリー小説の事情とはだいぶ違ってくるのだろうけど、それでもその形式(フォーマット)が広く受け入れられたことは、数字が示すひとつの真実だ。それへふざけんなSHINEといったところで真実はいつもひとつなのである。

 

 なぜやったのか?(ホワイダニット)は、そのように扱うことこそが、少なくとも地球の、日本のあの時代においては「正解」……少なくとも「正解」の「一例」だったということだ。

 

 なぜやったのか?(ホワイダニット)の傑作と言われているクリスティのABC殺人事件にしても、私個人の感覚では、あれはフーダニットとハウダニットの要素の方が強いのではないのかという疑問が拭いきれない。

 

 あれのなぜやったのか?(ホワイダニット)、犯行の動機、その心理に、謎なんか無いと私は思う。ある意味、抵抗しない女性がいたから痴漢した、くらいの……それゆえの悪逆非道があるだけだ。誰にでも理解できるそれを覆うように、どのようにやったか?(ハウダニット)の謎が横たわっているだけだ。そのベールを剥いでさえしまえば、その下には誰がやったか?(フーダニット)なぜやったのか?(ホワイダニット)の答えが、完全に剥き出しのまま転がっている。

 

 実際、知の世界の英雄(ヘラクレス)、灰色の脳細胞さんも、作中ずっとこだわっていたのは誰がやったか?(フーダニット)の方だったし、そこから、今でいうプロファイリングの手法を使うことで事件の真相へと辿り着いたわけだ。だから犯人の心理そのものは平凡で……いやそれが悪いということでは全然ないのだが……というか、だからこそABC殺人事件は広く傑作として認められているのかもしれないのだが……ある意味、読者が納得しやすいよう、カリカチュアに誇張された類型的なモノに思える。

 

 ミステリーに限らずとも、カミュの異邦人は、キャラクターの心理が普通の人間には全く理解できないモノだからこその不条理小説(という扱い)なのだろうし、ドストエフスキーの罪と罰も、夏目漱石のこころも、太宰治の人間失格も、三島由●夫の金●寺も、やはりキャラクターの心理を理解できなければ、その印象は不条理小説となってしまうだろう……というか私はなった、どれがとは言わないけれど。

 

 なぜやったのか?(ホワイダニット)は、真面目に扱えば扱っただけ、そうした危険を孕む。

 

 (ひと)他人(ひと)の心を理解できない。

 

 共感した気になって、同調した気になって、理解した気になることはできても、それが真に正しいかを保証してくれるモノなどはどこにもない。

 

 作者がどれほどの筆を尽くし、なぜやったのか?(ホワイダニット)を、「このキャラクターはこう考え、犯行に及んだのです」と描写したとしても、それが受け入れられるかどうかの判断はオーディエンスの価値観、世界観に委ねられてしまう。私は、僕は、俺は理解できる、理解した気になれる、共感できる、同情できる、いやできない、その気になれない、私は、僕は、俺はこんなのは荒唐無稽だと思う、受け入れられない、その部分はダメだったけどいい部分もあったから十点満点中七点、いやそれを加味しても三点くらいだ。

 

 それは仕方無い。人の価値観、世界観は、十人十色のモノであるのだから。

 

 それは人が人である以上、性能の限界と言わざるを得ない領域における、ひとつの真実だ。

 

 だからこそ多くのエンターティメントでは、キャラクターを単純化し、象徴化し、記号化することで「理解した気になれる」確率を高めているのだろう。オーディエンスを自らどんどんと切り捨てていくなどという、アホらしい愚行を、避けるために。

 

『どうしました? ラナンキュロア様』

 

 私もツグミを理解できない。

 

「……なんでもない」

 

 今はアチラの魔法の効果がなんとやらで、アチラが動き回っていてもこうして言葉を交わすことができている「この周回の」ツグミのことでさえも、私は「理解した気になれている」だけだ。

 

 白黒の巨人を撃破した後、一度地下シェルターの近くまで戻り、「ラナンキュロア様がレオ様の声で喋ることがないよう、調整しておきますね」とかなんとかぬかしてから倉庫へ向かった大魔道士様の眷属(けんぞく)のことなど、理解できるはずもない。

 

 ならばその心から、何かを推し量ろうというのは、なかなかに難しく、大きな危険を孕む行為であるように思える。

 

「僕はラナの判断を信じる。でも、ラナには、ラナらしく判断してもらいたい」

「……私らしい、判断?」

 

 そもそも、私もツグミも、それぞれがまさに「不条理小説」の主人公となっていても不思議ではないようなパーソナリティだ。

 

 私は、前世でもこの世界でも、自己実現を完全に諦めてしまった人間だ。別にそれで、自分が欲の無い控えめな人間であると主張したいわけじゃない。前世の記憶がなかった私は、レオの「成り上がり」に便乗しようと目論んだようだから、私も、私の魂も、そういうのに興味がないわけではないのだろう。

 

 ただ、今の私は、社会からは追放されつつも、経済的には全く困らないというアンバランスな環境で育ってしまった人間だ。一番近いのはやはり前世におけるひきこもり、(かじ)れる(すね)であるところの親が生きている状態の、それであると思う。

 

 自己実現をする前に、自己完結が起きてしまっている。私は別に自己実現などしなくとも、他人に認められなくとも、社会からつまはじきにされようとも、人間は生きていけるのだと実感しながら育った人間なのだ。ある意味では恵まれた環境だったとも言える。

 

 本来であれば自己実現を果たして「大人になる」べきところを、私は甘ったれた子供のまま満たされてしまった。

 

 この心が、万人に「わかってもらえる」モノであるとは思っていない。

 

 私自身、声を大にして「わかっている」とは言い切れない。

 

 私には、自分を追放した社会への復讐、逆襲、反抗の欲求がない。

 

 そもそも、私が社会から追放……自発的に離れざるを得なかったのは、元を(ただ)せば自身の母親と伯母との、マウント合戦のその結果だ。家族というコミュニティにおいて冷遇されていた伯母が、貴族社会で私のママに復讐をして、逆襲をして、反抗をしてみせた。そうしてその次には、それへの復讐に、逆襲に、私のママが、社交界において伯母よりも優位に立とうと反抗心を燃やしてしまった。

 

 その結果が、私という存在だ。

 

 私は、復讐、逆襲、反抗の、平たくいえば「ざまぁ」の終着駅に転がる、忘れ物のような存在だ。

 

 永久機関ともなれる罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)のそれとは違って、私自身はウロボロスの蛇なんかじゃない。全然違う。自分の尻尾……あるいはへその緒か?……に噛み付いたところでお腹は満たされない。

 

 私は「真っ当な社会」において自己実現を果たすという「真っ当な人間」には、生まれからなれなかった人間だ。なれないと思ったから諦めた、投げ捨てた。この気持ち、光宙(ぴかちゅう)君とか泡姫(ありえる)ちゃんにはわかりますかね? ABC殺人事件の彼にもわかりますかね? 生まれからもう、ある種の呪いを背負ってしまうことの、重みが。

 

 そうして、そんなことをしなくともお腹が膨れ、そこそこ快適な生活を送れるという、ある意味においてはふざけた人生を送ってきた人間なのだ、私は。こうして、私が思い出したくもないいくつかの要素をわざと抜かして表現すれば、「楽な人生送ってんな」とも「お前に環境を嘆く資格はない」とも「SHINE」とも思われるような、そのような半生なのではないだろうか、私は。

 

 いや本当にね? 私に共感してくれる人って、いるんですかね? 大丈夫? これマジで不条理小説になってない?

 

「ツグミ、に対するラナの態度は、ラナらしくないよ」

「私らしく、ない……」

 

 そうしてツグミは……そもそもが犬だ。

 

「ねぇ、ツグミ」

『はーい? うーん、この辺りは鉄が溶けた匂いが濃いですね……』

「今のレオの声って、そっちに届いているの?」

『何がですか?……うーん、でもその割に、人の分泌物(ぶんぴつぶつ)残滓(ざんし)も、濃いような……』

 

 邪悪であるようには見えないが、人間と同じ価値観を持っているといった感じでもない……いや、こう言い換えよう……真っ当な人間と同じ価値観を持っているとは、思えない。

 

「聞こえないんだ?」

『レオ様の声でしたら、ええ、かなり聞き取りづらいです。私のこれは、いわゆる心話(テレパシー)に近いモノですから』

「……そっちも、ひとつ制限が外れたらもうなんでもありかい」

『ふぇ?……きゃっ、ぬるっした液体を、踏んでしまいました。血ではないですが……やっぱりこれも、人の分泌物ですね』

 

 嬉々として、白黒の巨人と肉弾戦を繰り広げた辺りで明確になってきたが、ツグミには、それはそれである種の非人間味を感じる。いやそれで当然なのだけど。

 

『うーん、ここで何があったのでしょうか』

 

 何度も言うがツグミは犬だ。お兄ちゃんの盲導犬だ。そういう存在だった亡霊だ。使者であり死者だ。だから真っ当な人間と同じ価値観を持っていろというのは、それこそが人間の傲慢であるともいえる。犬には犬の、盲導犬には盲導犬の、死者には死者の、価値観がある、世界観がある。それは尊重すべきだし、利害さえ衝突しないのであれば、助け合うことも、親しくすることも出来るだろう。

 

『こっちに、コンラディン様の匂いも、残っていますね』

 

 ただ……わかり合うことだけは、それらよりずっと難しいことのように思う。

 

 人間に、犬の気持ちを完全に理解できるような(ブリッジ)などは、なかなかに造れない。猫よりは出来そうな気が……しないでもないが、例えば犬にまつわる結構怖い実話のひとつに、飼い犬は、飼い主が死んだり長時間意識を失ったりすると、その身体を食そうとする場合がある……というものがある。

 

 飼い主を恨んでいたり、空腹だったりということもなく、良好な関係を築いていた飼い主を、空腹でもないのに食べる犬というのは、実際に数多く報告されている現実(リアル)だ。

 

 まぁ……これも、フィクションで描いたらリアリティが無いって言われそうな話だ。これに、万人を納得させられるような(ブリッジ)を架けることの出来る創作者はいるだろうか。可愛らしい犬のキャラクターを売りにしていた漫画が、現実(リアル)にあることだからといって、犬が飼い主の死体を貪り食うシーンで終わったらどうなるだろうか。そのあまりの不条理に、理不尽さに……ある種の伝説とはなるのかもしれないが……どうあっても(元々の人気に比例した規模の)炎上は避けられないだろう。元が読者数ヒトケタとかであれば、むしろ炎上狙いでやる価値もあるのだろうが、普通なら絶対に避けるべきやり口だ。

 

 この一点をとっても、人と犬の間には暗く、深い川が流れていることがわかる。

 

 私には、ドッグフードをガツガツと食べる犬の気持はわからない。

 

 私には、ボールなりフライングディスクを投げられたら口でキャッチしたくなる犬の気持もわからない。

 

 私には、紐付きの状態でも散歩は嬉しいのだという犬の気持ちもわからない。

 

 私には、街中でおしっこをしたくなる犬の気持ちもわからない。

 

 まぁ、わかる人もいるんだろうし、そもそも最後のは縄張り行動なのだから、縄張りの拡張に熱心な人……映画館で座席の肘掛けを両方我が物顔で使ってる人とか……には、共感できて当たり前のものだろうとは思うけれど、本日、自分の縄張りが荒らされた瞬間に他国へ逃亡しようとした私には、わかるものでもないとも思っている。

 

 だから。

 

 私がツグミへと架けている(ブリッジ)、それは間違いなく「お兄ちゃん」だ。

 

 それでしかない。

 

 あのお兄ちゃんに愛されたというなら、あのお兄ちゃんを愛したというなら、お兄ちゃんが私へ寄越(よこ)したというなら、それが邪悪なモノであるはずがないという確信が、私にはある。

 

 その(ブリッジ)は、少なくともここまでにおいては、石橋のような堅牢さで維持されてきている。確かに、今はコチラの盗撮機能が追いきれず、「うーん、燃焼石の着弾痕、そのすぐ側に槍が床を削った痕がありますね。コンラディン様は、ここで燃焼石に身体を撃ち抜かれたのかもしれません」とかなんとか言っていることだけが聞こえるツグミに対しては、若干のサイコパス味を感じなくもないけれど、だからといってそこに私を騙そうだとか、私を害そうだとか、そうした悪意は微塵も感じられない。

 

 二周目のツグミも、同じ人格……犬格であるのならば、それが突然に私へ牙を向くという状況は、何も想像できない。

 

「ねぇツグミ」

『はい? いかがされましたか?』

「二周目のツグミは、ちゃんとツグミだったんだよね?」

『はい?』

「今マイラに入ってるほうのツグミ。偽物だったという可能性は?」

『まさか。魂、情報(データ)誘導体(デリバティブ)の色、形、それが形成する固有結節点(ユニークノード)、その全てが私と同一のモノでしたよ?』

「……解説はもう聞きたくないんだけど、それはどれくらい信頼できる判断材料なの?」

『そうですね……指紋、耳紋(じもん)声紋(せいもん)が全て一致したくらいには、それは同じ存在であると言い切れますよ』

「……」

 

 その辺って、一卵性の双子であれば一致するモノじゃなかったっけ? いや微妙に違うんだっけ……ホワイダニットの次は双子の入れ替わり問題か、ミステリー談義が続くな。

 

「ツグミって犬だったんだよね? 犬に双子三つ子は珍しくないって聞くけど、自分によく似た兄弟……姉妹か……に心当たりは?」

『ああ、はい、犬は確かに多産ですが、一卵性の双子、三つ子等は稀なんですよ?』

「そうなの?」

『はい、私が生まれ育った惑星ではそうでしたし、地球でもそうであったと、ナガオナオ様の知識にありました』

 

 あー、そういえば……犬の一卵性の双子が初めて「発見」されたのは、二十一世紀に入ってからだったんだよ、すごくない?……とかなんとか、そういう雑学をお兄ちゃんに聞いたような記憶が、うっすらと。

 

「じゃあ、指紋……肉球紋?……耳紋、声紋が完全に一致する犬は、そう多くはないと」

『と、思います。……ラナンキュロア様が懸念されていることは、私も少し思ったことです。ですが……それを肯定できる材料が何も見つかりません』

「……自分でも疑ったんだ?」

 

 あれは、自分の偽者なんじゃないかって。

 

『はい……どうしてもその……採った行動が、私には理解できませんでしたから』

「それって、すごく偽者であることを“肯定できる材料”だと思うんだけど……」

『ですが、目的が違えば、採る行動が違ってくるのも当然のこと。私とは違う目的があるのだと、飲み込んではいたのですが……』

「今でも、違和感が拭えない?」

『……』

 

 あ、黙っちゃった。

 

 ……そういえば。

 

 私は、ずっと心に引っかかっていた、少し前にツグミと交わした会話を思い出す。

 

『魔法は?』

『使えません。ナガオナオ様のアーティファクトを利用してさえ、ここにこうして現界しているだけで精一杯です。無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能ですが……ジュベミューワ様のように、既に無意識の本能レベルで私を拒絶してしまっている場合には、それも無理です』

 

 何が、心に引っかかるんだろうとずっと考えていた。

 

『ナガオナオ様のアーティファクトを利用してさえ』

 

 これはいい。「ここにこうして現界しているだけで精一杯」だったのが、さっきは漫画みたいな大魔法を連発していたけれど、アーティファクト……あの赤いローブが直接装備できる、できないはツグミにとって大きかったのだろう。

 

『無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能ですが』

 

 ツグミはそれを、ジュベミューワに試みたのだという。そうしてジュベミューワを「壊してしまいました」のだと言った。

 

 確かにここには……それより前の発言と矛盾するところがある。

 

『ジュベミューワ様の心は、壊れてしまいました。目覚めたジュベミューワ様は灼熱のフリード様を魔法で焼き、現在、ノアステリア様を性的に甚振(いたぶ)りながら、ユーフォミー様、ナッシュ様の目覚めを待っている状態です』

 

 船室で、身体を輝かせていたツグミが言っていたことだ。

 

『ユーフォミー様、ナッシュ様の()()()()()()()()()()()です』

 

『無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能』

 

 ユーフォミーやナッシュさんが「眠っている」のならば、その「心の中に入って会話」して、何かしらの策を授ける……まではいかなくとも、なにかしらの情報収集くらいならできる……なのにツグミはそれをしてない……どうして?

 

 が、その段階のツグミは、ジュベミューワに同様のことをして失敗した直後だったということになる。単独で同じことをして事態を悪化させるよりは、私達へ助けを求めることを優先したとしてもおかしくはない。

 

 だからここにも、「ツグミの心理」という点においては特に問題がない。

 

『既に無意識の本能レベルで私を拒絶してしまっている場合には、それも無理です』

 

 なら……ここか?

 

 でも、ここにも別に問題は、無いような……。

 

「……あれ?」

 

 いや待て、そうだ、この会話は、今のマイラが、二周目のツグミであることがハッキリする前に……というか直前に交わしていたものだ。

 

 だからその時には気付かなかった、その違和感が浮かび上がる。

 

「なら、どうして二周目のツグミは、既にジュベミューワの心が壊れたその後の時点に戻ってきたの?」

「……なにか思いついたの? ラナ」

 

『無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能』

『既に無意識の本能レベルで私を拒絶してしまっている場合には、それも無理』

 

 もし私が、今のこの状況を、自由に時を遡ってやり直すことができるとするならば、そのリスポーン地点は灼熱のフリード達と出会う前に設定するだろう。そこからじゃないと、この大惨事は覆せない気がする。

 

 そしてそれは、ジュベミューワの心が壊れる前でもある。

 

『いかがされましたか? ラナンキュロア様』

 

 このツグミは、ジュベミューワの心が壊れやすいということを知らずに運命を変えようとした。その結果、ジュベミューワの心を壊して……それがレオの……この大ピンチ……へと繋がってしまっている。

 

 なぜそれをやり直そうとしない?

 

 なぜ最善と思われるその道を選ばない?

 

「二周目のツグミは……レオがこうなることを……望んでいた?」

「え?」

 

 ぽつり、呟き……ゾッとする。

 

 二周目のツグミが敵か味方か……その答えが……出たような気がしたからだ。

 

 それは私の心を、どうしてか酷く不安にさせる仮説だった。

 

 それは私の心の、どこか禁忌へと触れるものでもあった。

 

「ねぇ、ツグミ……二周目のツグミが初めてあなたの前に姿を現したのは、いつ?」

『え?……』

 

 位置修正が上手くいき、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の大画面に再び映ったツグミの顔は、美少女がポカンと口を開けてあさっての方向を見ているという、なかなかにレアなものだった。

 

 そういえばレオは、あれだけ綺麗な、美しい、可愛らしい、美少女を見ても、その感想の類を特に何も言っていない。簡単な感嘆の声すらあげていない。……()(ふち)(ひん)しているのだから、それどころではないのだろうけど……もしかしたら私に何か気を使っているのかもしれない。……いいや、そんなこと、今考えることでは、ない。

 

『私が、ジュベミューワ様に拒絶されて……一旦(いったん)幽河鉄道(ゆうがてつどう)に戻った時です。その時にはもう、二周目の……私?……は、マイラの身体に入っていました』

 

 やっぱり。

 

 再び私は、ツグミとの会話を(さかのぼ)る。

 

『ですが逆行可能な地点は、ある程度以上、ラナンキュロア様の意識が希薄だった時間に限られます。頭を打って昏倒しているなどの時があれば最も良いのですが……直近であれば……およそ四年前ですね。引き籠って、不規則な生活の中、十時間ほど夢も見ずに爆睡していたその日の、その地点であれば戻れます』

 

 この制限は、あくまで「私を起点とした逆行の制限」だ。

 

 なるほど、幽河鉄道(ゆうがてつどう)は現在(というのが時空間のどのような状態を表しているのか、私にはわからないが)、私専用の機構(システム)になっているのかもしれない。

 

 しかし二周目のツグミがいる以上、その操縦士であるツグミにも出来るのだ、時の逆行は。因果干渉率がどうとかの制限はあるようだが、できることに変わりはない。

 

 それなのに、どうしてやり直しが、ジュベミューワの心が壊れたその直後、そこからなんだ。

 

Why (ホワイ)done it?(ダニット)。二周目のツグミは何を考えていたのでしょうか?」

「ん……どうしたの? ラナ」

「ミステリーにおいてなぜやったのか?(ホワイダニット)は、一段地位の低い、扱いの少ない、重視されないモノ……だから多くのミステリーでは、誰がやったか?(フーダニット)が破られた後の、犯人自身に吐露(とろ)してもらう手法を採っている」

 

 平成の二時間ドラマなら、海の見える崖の上で、お涙頂戴の、お約束の場面だ。

 

「ねぇツグミ、二周目のツグミを捕まえたいんだけど、協力してくれる?」

『……それは』

 

 (ひと)他人(ひと)の心を理解できない。

 

 だから読者(オーディエンス)を理解、できた気にさせるため、ミステリーはそのような手法を多用する。犯人が自白したのなら、作者がそう提示したのなら、それが真実なのだろうと納得してもらうために。

 

「探知魔法とかないの? 今朝までは、そんな魔法があったらやだなぁって考えていたけど、今はそれが凄く欲しい気分」

 

 現実(リアル)においては、自白を額面通りに信じることほど危険なものはない。色々な意味で。

 

『ですが、レオ様がそこから動けない以上、ラナンキュロア様も動けないのでは?』

「ああ、それは……」

 

 問題ない、が……それを()()ツグミへ教えてしまって良いのか、という疑念が私に湧く。二周目のツグミは敵「であるような気がする」……ならこのツグミも……と考えてしまったからだ。

 

『どう、されましたか?』

 

 これは……賭けか。

 

 またしても、賭けなければいけないのか、私は。

 

 これは実験も実証もしていない罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)最大の禁忌。私の脳内と、それを話したレオの頭の中だけにある仮説だ。

 

 仮説だけど、要素要素の実験と実証は終わっている。「1+1=2」と同じくらいには、間違いようのない計算結果が得られると、私は思っている。

 

 それは、世界を壊す、壊すことのできる計算式だ。

 

 ならばこそ私はそれを禁忌とした。

 

 私はレオのいる世界を壊したくなかった。だからそれを禁忌とした。

 

 けど、この状況なら、私はいつでもそのカードを切れる。私は、世界なんかよりもレオの方が大事だからだ。今、この状況でそれを切っていないのは、それが直接的には、レオの生存に結びつかないからだ。それはそうだろう、世界を壊しかねない計算結果が、どう人を救うというのか。

 

 いわゆる「ゼロ周目」において、沖を漂っていたという私達。その状況も、このカードでは打破できない。救助救出救命において使える計算結果ではないのだ、これは。

 

 だけど今、私達がこの場から移動可能になるという結果は生む。多少……天動説と地動説くらいには因果の逆転した結論だが、得られる結果はその通りだ。

 

 それは簡単な話だ。

 

 重力の通過を遮断すれば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内に無重力状態を生むのが容易(たやす)いように。私にお兄ちゃんくらいの理系知識があったならば、中性子だかプラズマだかを操作して、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内に原子炉なり核融合炉なりを再現することも容易だっただろうになぁ……というくらい、簡単に。

 

 そもそも、自転し公転する惑星の上にあって、空間支配系魔法はなぜ最初に発動させたその場所だけを「支配」し続けるのか。大地は動いている、この星は動いている。それが止まって見えるのは、私達がその上に立って生活をしているからだ。偉大なる先人達が、敢えて(あげつら)わなかった問題だ。

 

 高速で回転する機構(システム)に組み込まれている者は、自分自身が高速で動かされているということにも気付かない。相対的に動いて見える星々こそが動いてるのだと錯覚をして、その一生を重力に縛られながら生きていく。真実へと渡る(ブリッジ)にも、見て見ないフリをして。そういう社会が、地球にもあった。お兄ちゃんがよく言っていたことだ、僕達は止まっていても、動いているのだと。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間、それもまた、一見その場で止まっているように見えるとしても、宇宙的に見れば当然のごとく「移動し続けている」……そう考えるのが妥当だ。落下するリンゴを見たニュートンのように、それに気付き、パラダイムシフトを起こせるなら、世界を滅ぼせるというその仮説の意味も、私達がこの場から動くことが可能になるというその理由も、簡単に見えてくる。

 

 科学が、旧来の世界を壊してきたように。

 

 進歩が、世界を動かしてきたように。

 

 物理法則そのものへ首輪をつけ、飼うかのような罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、その生殺与奪(せいさつよだつ)(けん)を常に握っているともいえるのだ。

 

「けど……それは……二周目のツグミを発見してから考えればいい。ねぇツグミ、この……心話(テレパシー)、だっけ? これはどれくらい離れても平気なの?」

 

 だから、私はここではまだ「賭けない」ことを選んだ。

 

 ツグミ単体で二周目のツグミを探してもらい、連れてきてもらう。とりあえずはそれで行ってもらうことを、私は選ぶ。

 

『物理法則が完全に異なる空間に隔てられなければ、平気ですよ』

「……それは罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で、この会話を遮断することも可能って意味?」

『え? ああ、ええ、そうですね……この惑星は、所々に天然の流体断層(ポタモクレヴァス)が存在する環境なので、それに邪魔される可能性はありますが……ここから王都リグラエルくらいの距離でしたら、問題ないと思います』

 

 それなら。

 

「なら、ツグミには気が向かないことかもしれないけど、ひとつやってもらいたいことがあるんだけど」

『はい。どういったことでしょうか?』

 

『無防備な心……眠っている人の心の中に入って会話をするくらいなら可能』

 

 大は小を兼ねる。犬のツグミにそれができたというなら、お兄ちゃんのアーティファクトを装備してパワーアップした美少女のツグミに、それができないわけもないだろう。今までは燃焼石の大爆発が目の前に迫っていたり、ジュベが現れたり、レオが……それどころではなかったが……今この段階においては、それは試みるに足る手段だ。

 

「ユーフォミーってまだ気を失ってる状態? だったら、その心に、心の中にアクセスしてみてほしいんだけど」

『……』

「黙らない。気が向かないならちゃんとそう言って」

『いえ……その……』

「なに?」

 

 

 

『いえ、その……実はその手段は、何度か試みているのですが……』

 

 

 

「……え?」

 

 

 

『アクセスが(ことごと)くキャンセルされています……おそらく、ラナンキュロア様が言われるところの二周目の私が、私と、同じ色と形の可動子指(dactyl)不動母指(pollex)を使い、ユーフォミー様の魂をガッチリとホールドしているため、できないんだと思います』

 

 

 



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LXI [rumpled template] : Beautiful Dreamer

 

<ユーフォミー視点/相対時間軸:ナッシュ死亡直後>

 

「なんだ、オマエ?」

 

 目の前におかしな色の女がいる。

 

 青い。

 

 不気味なまでに青い。

 

「ふふふっ」

 

 瞳は少し濃い青、髪は少し薄い青。

 

 それはまだイイ。青い瞳は王国にも多い、青い髪も、東の帝国には割といるってキイタコトガアル。

 

 真っ青なローブも、少し前を開いて、おっぺーの谷間を見せつけるようにしてることを除けば、特段目を引くような点もナイ。

 

「なんだナンだ、なんなんだ? オマエ?」

「何だと、思います?」

「あァ?」

 

 デモケドソレデモ、目の前の女は不審者。ドコカラドウミテモ怪しいヤツ。

 

 まず、肌が青白すぎ。いっそ真っ青な肌だったらそーゆー種族かなって納得できるケド、女のはギリギリ、そーゆー不治の病にでもなったらナルノカ、ナラナイノカってライン。

 

「ここは、ナニ?」

 

 そうしてソンデそれでもって、ナンナンダこの真っ青な世界は。

 

「なんでしょう/ね?」

「ぁア?」

 

 青いのに空じゃナイ。ドコにだって雲ひとつナイ。

 

 大地がナイ。重力を感じナイ、ダケド浮かんでる気もシナイ。

 

 お尻の下に腰掛けがあるわけじゃナイ。

 

 それなのにアタシと青い女との間に身長差もナイ。

 

 アタピとこの女は、(おんな)じ目線で話している。

 

 でも、アタピとこの女に面識はナイ。

 

 親しみもナイ。

 

 ナイナイナイナイなにもナイ。

 

 お父ちゃんの広い背中もナイ。

 

 お父ちゃんの太い腕もナイ。

 

 頼れるその存在感も、どこにもナイ。イナイナイナイなんにもナイ。

 

 ……お父ちゃーん……どこなーん?

 

 寒いモノが、心の真っ黒なアナの中に、吸い込まれていく。

 

「これは、世界改変魔法、という/らしいよー」

「ン?」

 

 ナンダ? 声が途中で、全然別の声に変わったみたいな。

 

 思い出すのは、アタシ達より強い格下ちゃんの魔法。

 

 アイツも、あの魔法を使った後に、時々こんな風に複数の声でシャベッテタァ。

 

「オマエ、アイツの仲間?」

「んー?」

「アイツはアタピの格下ちゃん、オマエ、アイツの飼い犬?」

(わらわ)を犬とな/んだとコラァ?」

 

「……声、野太(のぶと)ッ」

 

 どーゆー声帯? 前のほーは低めだけど女の声、後ろのほーは酒焼けしたチンピラみてーな男声、それが途中でくるっとまるっと、変わったん。

 

 アイツでさえ、大体は息継ぎしてからーの、ゆるっとチェンジだったノニ。

 

「こほん、/妾はどこの紐付きでもないわ/そのようなこと、あるはずもないではないかぁ~/妾は女神、そなたに福音をもたらす者」

「……気持ち悪ッ」

 

 ワラワラゆー自称女神は、喋りながらくねくねくねくね、身体を(ひね)る、(ねじ)る、(よじ)る。

 

 色も相まって人間には見えないしぃ、昆虫みたぁぃ。頭に浮かんだのはカマキリ。メスのカマキリ、真っ青な女郎のカマキリ。気色悪(きしょくわる)ーッ。

 

「オマエお邪魔虫? アタシ、お父ちゃんと合流したい。オマエ、アタピのお邪魔する?」

「ふふっ、そんな風に/(みの)を剥がされた蓑虫(みのむし)みたいにさー?/そわそわしていないで/少しは落ち着いたらどうかね?」

 

 ……そんな風に見えるノカ? 今のアタシは。

 

「アタシが落ち着ける場所は、お父ちゃんの(そば)だけだから」

「……あなたも、唐突に/喋りのテンションが変わるじゃない」

「んぅ?」

 

 なに言ってんだコイツ?

 

「無自覚、なのね/たったひとりにだけ向ける自分と/それ以外に見せる自分が/そこまで大きく乖離(かいり)してしまうくらいに/ずっとふたりだけで生きてきたのね」

「あン?」

「可哀想」

「ああン!?」

 

 なに言ってんだコイツ!?

 

「心をひとつに、って言葉が/あるじゃないですかぁ?」

「知るか! 邪魔! そこドケェ!」

 

 アタシは重力を感じない世界で、だけど動こうとした。

 

 でもここにはお父ちゃんがいない。アタシには足がない。だから動けない。

 

 お父ちゃんなら絶対に意図を読んでくれるジャスチャーが、空しく空を切った。

 

「妾はアレにの/それはどうなんだって思ってしまうのですよ」

 

 青い女がそんなアタシを愉快そうに見下ろしながら、気色悪い言葉を重ねていく。

 

「虹は七色だから/美しいのだと、思いませんか?」

 

 動けないアタシを前に、踊るピエロみてぇに。

 

「全部混ざってしまったら/それはもう、茶色か黒か、あるいは白にしか/ならねぇってことよ」

 

 ワケのワカンナイ言葉を連ねていく。

 

「人間の世界はいつだってそんな風に/ひとつになってしまった心でいっぱい/だから愚かで、争いは絶えず/()()()悲劇に向かって突進する盲目の羊達ばかり/……いえ、どうせならここではこう表現しましょうか」

 

 その姿は、言葉トモドモ本当に気色悪かった。

 

「真っ白な心の、【idiot】達、ばかり。ふふっ、/この【日本語】訳は、差別用語となっているようなので/口にするのはやめましょうねぇ~/【英語】の語源共々(ともども)、とっても皮肉が利いていて/ゾクゾクするほどに魂が震えちゃうっ/【坂口安吾】に乾杯!/【親方! 押入れに女の子? が!】」

 

「お邪魔虫! アタシに何の用!?」

 

 ベラベラとベラベラと、トメドナク喋りやがって。

 

「ふふふ」

 

 デモ青い女は、アタシの逆上を待っていたミタイに、ふっと手を上げる。

 

「用は、あなたが妾にあるんですよ/ユーフォミー」

 

 すると空中に、四角い鏡のような何かがニョキッと現れた。

 

 横幅はアタシ(が足を伸ばした時)の身長より少し大きいくらい、縦の高さはその半分より少し大きいくらい。それに遮られて女の顔は、胸から上が見えなくなった。

 

「ナニ? コレ?」

 

「これは少し前にぃ~/実際に起きた出来事です」

 

 鏡面(?)に、ぼやけた像が見えてくる。

 

 質の悪いガラス窓の、そのムコウの景色ミタイなナニカ、像……画像?

 

「!?」

 

 お父ちゃん!?

 

 アタシは思わず後ろを見てしまう。

 

 鏡にお父ちゃんが映っているなら、後ろにお父ちゃんがいるかもしれなかったから。

 

「これは鏡ではありませんよ~」

 

 だけど後ろには何もナイ、やっぱりここにはナニモナイ、ただ青いだけの空間がどこまでも、どこまでもどこまでも広がっている。

 

「お父ちゃんはどこ!?」

 

 頭を前に戻すと、鏡(?)は水みたいに、少し透明になっていた。

 

 目を(つむ)るお父ちゃんの、顔のその向こうに青い女の無個性な、だけど意外に整った顔が少しだけ見える。

 

「な~るほど、未開の星に生まれると/ディスプレイもモニターも理解できないようですね/この映像は録画ですから/今現在のどこかを映してるってわけでもありませんよ~/ラナンキュロアのそれとは違って、ね」

 

「ラナ? やっぱりオマエ! アイツを知ってるノカ!?」

「ああ、この技術は見せませんでしたか/あなたには」

 

 まぁまぁまぁ、と、莫迦(バカ)にするみたいに女は言って、とにかくアタシに、()()を見るようにと促す。促されずとも目の前にあるから、どうしたって見えるってノニ。

 

「簡単に説明しますね/この映像は、一時間と少し前くらいの状況を映し出したモノ/既に終わったその状況を/【リプレイ】しているだけなんだぁよ~」

「リプ、レイ?……えっ?」

 

 青い女の顔が薄く重なる、お父ちゃんの顔に、大きな変化が起こる。

 

 ドスンと、画面には映ってはいない場所でナニカの変化、ナンカの衝撃があったかような揺れ、振動が起きる。

 

 直後、お父ちゃんの眉が歪んで……。

 

「お父、ちゃん?……」

「おっとぉ、大事な部分を/顔のアップだけで通過してしまいましたぁ」

 

 画像? 画面は、絵画のようにその動きを止めてしまった。

 

「……お父ちゃん?」

「ズームアウト、っとぉ」

 

 青い女がまた手をかざすと、画面に映ってるお父ちゃんがニュッと小さくなる……いや、遠くなった?

 

「あれは……アタピ?……え、あ? ええ!?」

 

 そこからの()()は、信じられないモノだった。

 

 コンラディン(コンニャック)が現れ、黒いバケモノと闘った後、アタピを白い犬(マイラ)の背中に載せる。

 

 アタシはそのまま鏡面……画面から消えて、コンニャックも消えてしまう。

 

「……お父ちゃん!!」

 

 それからしばらくして(のち)に、お父ちゃんは胸を何かで撃ち抜かれる。

 

「お父ちゃん! お父ちゃん! お父ちゃん!」

 

 アタシは画面にかじり付こうと、それへ掴みかかるが、その手はスカスカと空を切るばかりで何も掴めない。

 

 お父ちゃんの胸からボウと炎があがり、お父ちゃんの身体が燃える。アタシの目の前で! お父ちゃんが燃えていってしまう!!

 

「これが、一時間と少し前の出来事です。あなたの父親、ナッシュ・リアゴルダは既に死者……つまり……亡くなられているのですよ」

「……オマエが殺したのか!?」

 

 

 

 

 

 

 

「……ち着いてください」

 

 

 

「……を聞いてくださいってば/も~」

 

 

 

「ほっ、はっ、とぉ/えいやぁ/ほりゃあ」

 

 

 

「この状態であっても/ある程度魔法は使えるんですね/まぁ一応は固有結節点(ユニークノード)を維持したまま/仮の魂の座に座る情報(データ)誘導体(デリバティブ)ですからね/それはそうなのでしょうが/この身体を傷付けたところで妾は死なない/ってのにな~、わっかんないかな~」

 

 

 

「うひっ!?/結界をそんな風に使いますか!?/まさかのシールドバッシュ戦法!」

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」

「落ち着かれました?」

 

 気が付くとアタシは、仰向けになっていた。

 

 身体は疲れてる気がしないのに、動ける気もしない。

 

 全身が鉛みたいに重い。汗なんかかいていないのに、身体の表面が酷く冷たかった。

 

「仮の魂の座が疲労するまで/リアル時間にすると三分ってところですか/ボクサーですかあなたは」

「オマエ、殺す……殺す……絶対に、殺す……」

「だ~か~ら~、この個性(パーソナリティ)であるところの/この妾は殺してないっつーの/そう、何回も言ったでしょうに/聞いていなかったのですか?」

「嘘、吐け……オマエ、お父ちゃんが、死んだ、時、楽しそう、な顔、していた……」

「んー、務めて神妙な顔をしていた/つもりだったんですけどねぇ~/ま、この顔は生まれつきってことで/許してはもらえませんか」

 

「う、うう……」

 

 何かが、心の奥底から湧いてくる。

 

 生きているなら、お父ちゃんがこんな状態のアタシをほっとくなんてありえない。

 

 生きているなら、あの大きな手がアタピを、優しく、包んでくれないはずがない。

 

「お父ちゃん……死んだの?……お父ちゃん……」

 

 そんなこと、改めて確認しなくても、目覚めたその時から、答えは今までずっとアタシの中にあった、お父ちゃんとの繋がりが無くなってしまったことには、消えてしまったことには、ずっと前から気付いていた。

 

 心の中に真っ黒なアナが空いていた。

 

 そのアナに不安を投げ捨てながら、見て見ないフリをしていた。

 

 気付いていたけど、ゼンゼンナニモ気付かないフリをしていた。

 

「ええ、それも掛け値なしに本当のことですよ?/お気持ちはわかりますが……/その鬱憤(うっぷん)を妾にぶつけられてものぉ/困るんですよねぇ~」

 

 だってアタシは、お父ちゃんの子供だったから。

 

「う……」

 

 お父ちゃんが死んだら、それに気付かないハズがナイ。

 

「う?」

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁん!! お父ちゃん!! お父ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

「うわぁ……」

 

 涙が出てくる。

 

「汗は出ずとも涙は出る/大変に不思議な/システムですね、これ」

 

 後から後から、噴水のように大粒の涙が流れていく。

 

「いやだぁぁぁぁぁぁぁ! お父ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 心が壊れて、そこから噴水みたいな血が溢れてくるみたいに。

 

「死んじゃやだよぉぉぉ! お父ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 涙が涙腺から噴きだしていた。

 

「アタシを置いて行かないデェェェェェェェ!!」

 

 そのままだと両方の耳の穴に入っていくから、首を右に傾けた。

 

 それでもソウシテモどんどんとドンドンと涙は溢れ出てくる。

 

「いやいやいや、出すぎ出すぎ/地面なんかないのに水溜りができてる/色々あり得ない」

 

 もうそこで、溺れ死んでしまいたいくらいに。

 

「なんなんだよぉ! オマエは……ホッといてよぉ……」

 

「妾は! 父親に依存しすぎたせいで!/依存相手がいなければ生きていけなくなってしまった少女を救う!/女神様です!」

 

「……」

 

「なんですか/その莫迦(バカ)莫迦(バカ)なことやってるけど/今はそれどころでない/放っておこう……って顔はぁ~」

 

 ……胡散臭いのが胡散臭いことやってるから無視無視……としか、思ってナイ。

 

「ああ成程……この世界には/テンプレが無いのでしたね」

「……」

「まぁまぁまぁ/とりあえず話は聞いてくださいよ/あなたにも有益な話、なんですからぁ~」

「……ハァ?」

「不思議だったでしょう/殴っても殴っても/結界を押し当ててもぉ~/ナイナイナイナイなんにもない、ナシのつぶてで手応えはぁ、まるでナシ」

「……オマエ、その声」

 

 さっきから、トコロドコロどこかで聞いた声が混じっていた。

 

 ノアステリアのそれだったり、ジュベミューワだったり、フリードのクソヤロウだったり、コンニャックだったり、したケド。

 

 少し違うからすぐには気付かなかったけど、その中にアタシの声も混じっている。混じっていた。

 

 格下ちゃんに乞われ、何度か付き合ったラナンキュロアの実験、その時に聞いたアタシ自身の声。嘘だ、アタピはそんな声じゃないと言っても、他人にはこう聞こえているんだって返された。お父ちゃんでさえそれに頷いた……その声。

 

 今の、最後の部分はわかりやすかった。わかりやすいよう、少しモノマネもされていたヨーナ気がする。

 

「うむ、妾のこの姿は仮のモノ/声もあなたの記憶にあるモノから、ええ、/借りているだけですよ?」

 

 今のは、「借りて~」の部分がジュベミューワの声だった。「うむ、妾の~」がジュベミューワの声に似ているけど知らない声、「声もあなたの記憶~」は、ホットミルクみたいに甘いケド、やっぱり知らない、キイタコトガナイ妙な声。

 

畢竟(ひっきょう)、この身体は/実体のあるモノなんかじゃないってことですよ/殴ろうが蹴ろうが/……その身体じゃ蹴りはできないだろぅけどぉ~/妾を傷付けることなどできぬわ」

 

 遭ったことはないが、人の声を真似て鳴く化け物(モンスター)もいるって聞く。

 

 つまり、これは、そのタグイか?

 

「……オマエが人外だってのはワカッタ。でも人外に用はないから、アッチイケ」

 

 お父ちゃんの仇、じゃないんなら、思うところもなんもナイ。

 

 もうどうでもいい、もうアタシのことはホットケ。

 

「……希死念慮(スーサイド)が感じられますね」

「ハ?」

「なるほど、深く繋がっていたからこそ/片割れの死をスグサマ察してしまう/深く繋がっていたからこそ/もうそれ無しでは生きていけない」

「……」

「ならばあなたはもう死者だ/真っ白で真っ黒な、死者だ」

 

 ウルサイ。

 

「オマエには関係ない。もうオマエの話は聞きたくない。有益な話ィ? キキタクナイ。お邪魔虫はお邪魔だから無視!!」

 

「これでも?」

「……エ?」

 

 女の声が、ここにきて初めての色を見せた。

 

 それは、その声は……。

 

「お、お父ちゃん!?」

「お、おう、コメツキムシみたいに/元に戻った/だんだんと、物理法則を無視するのに躊躇(ちゅうちょ)が無くなってきましたね」

「今のナニ!? お父ちゃんの声がした!!」

 

 青い女は、出しっぱなしだった()()をブゥンとしまい、青白いテノヒラの上にボウと白い球を出す。

 

「!?」

「感じるでしょう?/あなたには、あなたならわかるはずだ/そう、これはあなたの父親、ナッシュ・リアゴルダの魂/多少、傷付いてはいるケド/固有結節点(ユニークノード)は保持されたままですよ?/故人が死んだその直後にホールドした/新鮮なモノです」

「お父ちゃんの魂!?」

「はい/ええ/ふふふ」

「お父ちゃんは生きてる!?」

「肉の身体は/燃えて真っ黒になって滅びましたがぁ/魂はええ/まだここに、この(よう)に」

「ッ!」

 

 女は、犬がボールでそうするように、お父ちゃんの魂(?)を自分の鼻先で弾ませる。

 

「ヤメロォ!!」

 

「いやだからね?/これは実体じゃないから/この空間にある限りは多少荒く扱っても平気なんですってば」

 

 またも女は、生まれつきだとかいうニヤケ顔を見せながら、アタシが伸ばす手を軽快に(かわ)していく。アタシに機動力はナイ、ソンナノは知ってる。ケド、相手にもソレがあるようには見えナイ。魔法使いらしい、ローブを着込んだキャシャな身体。ナノニ、全力で行ったアタピの突進を、余裕そうに躱すのはなんかオカシイジャナイカ。ヒドイジャナイカ。

 

「理解してくれないなぁ/そんなに頭が悪い個性(キャラ)ではなかったはずなのですが/……ああ、特定の条件下で/極端に知能指数が下がる系?/マリマーネ系?」

「ア゛ァ゛!?」

 

 今ナンツッタ!?

 

「一応は一味の一味なのですから/そんなに怒らずとも……」

「一味じゃナイ、アレはバカ女」

「それには同意です/ま、どうでもいいですが……」

「アッ」

 

 それはさておき、と青い女はお父ちゃんの魂(?)をポーンと一旦上に投げ。

 

「ナッシュ・リアゴルダは死んでいる/そしてこの魂はここにある/ここまでは理解できましたか?」

 

 しかる後にソレをキャッチして話を続けようとする。

 

「……アァ」

 

 お父ちゃんの魂(?)を人質(?)に捕られたアタシは、それを聞くことしかできない。

 

「だからこそ妾は女神!/あなたにとっての女神!/このワタクシが!/あなたに、()()()()()()()をあげましょう!」

「……ハァ?」

 

 まったく、これだからお約束がわからない相手は付き合いきれない、とかなんとか呟きながら、女は、アタシの周りを、ぐるぐると回りだす。気持ち悪い、気色悪い、鬱陶しい、ウザイ。

 

「人は死ねばそれで一巻の終わり!/一生の終わり!/後には何も残らない!/それは慈悲か!/悲劇なのか!」

「……」

「けれどあなたがそれを望むなら!/あなたがまだこの世界にあり続けたいと願うなら!/妾はそれに応えましょう!」

「……あっ!」

 

 ぐるぐる回っていた女の手の上から、お父ちゃんの魂(?)がまふわり、浮き上がり、今度は女とは逆方向に回りだす。

 

「あっ、あっ、お父ちゃん!」

 

 アタシはぴょんぴょんと跳ねながらソレへ手を伸ばすけれど、やっぱりソレはどうしても掴むことができない。

 

「ユーフォミー・リアゴルダ!/その魂は本来強く“自由”を希求するモノであったというのに/障害を持って生まれてきてしまったがゆえに歪んでしまった/悲しき魂よ!/その悲劇を許せるのか!/運命に反逆したいとは思わないのか!/あなたという間違った存在を生んでしまった世界に報いを!/その罪を!/償わせたいとは思わないのか!」

 

「うるさい! お父ちゃんを返せ!!」

 

「ソレを捕まえられたとて、そなたの父が生き返ることはない/そなたに残された道はそう、転生/それだけなんだよ~」

 

「うるさい! 五月蝿い! ウルサイ!!」

 

「まったくもう……あなたは新たなる人生を/父親の魂と/共に歩みたいとは思わないのか?」

 

「……エ?」

 

「ナッシュ・リアゴルダは既に答えましたよ?/生まれ変わっても、娘と共に生きたいと」

 

 

 

 そうしてもう、そこからはもう、青い女の独壇場だった。

 

 アタシはそれに、もはやなんの言葉を返すこともできなかった。

 

 だけど相手は、言葉を発さずともアタシの考えを読めるようで、どんどんとこっちの意図を読んでヤツギバヤに言葉を連ねてイク。

 

 

 

「そんなあなた達ふたりには!/【地球】という異世界を用意しました!」

 

「そこであなた達ふたりは!/どのような存在にも生まれ変われます!」

 

「さあ選びましょう!/薔薇色の異世界ライフを!/次こそは楽しく生きれるように!」

 

「まずは距離感!」

 

「そう! お父様との!/次の関係性から選びましょうか!」

 

「なんにでもなれます!/どのような関係性のふたりにも!」

 

「おや、来世で恋人になるという方向は望みませんか!?/なら幼馴染はどうです!?/定番の負けヒロインポジションですから、結ばれることはないでしょう!!/え!? 負けるのは嫌い!?/んー、では兄弟、などは?」

 

「いいですね!/実の兄と妹!/その方向性で行きましょう!/では国は?/あー、あなたはユーマ王国しか知らない人でしたね/えーと、ではまず、地球には先進国と発展途上国という分類の国があって、ですね……」

 

「……当然先進国? ああ、水洗のトイレが決め手ですか/そうですね、ユーマ王国育ちならそうなるでしょうね/人は、一度上げた生活の質は落とせないと言いますけど/その中でもトイレの質だけは本当に/なかなか落とせないって言いますからね~」

 

「それなら先進国の中でも/特にトイレの質の高さではピカイチな/【日本】という国はいかがですか?」

 

「いやぁ、本当はオススメしないんですけどね/少し前までならともかく/今ではもう経済大国とはとても言えない有様ですし/搾取されることに慣れすぎてしまい/過労死するまで働いたり/外交に弱く不平等な条約なり条件を飲まされてばかりいたり/排他的で/すーぐ村社会に閉じこもってウチはウチなローカルルール、同調圧力の押し付け合いをしだすし/流されやすくて、熱しやすくて、冷めやすくて/だから何度でも同じ過ちを繰り返すし」

 

「【和】を大事にすると言いながら/その【輪】に入れなかった人間には酷く冷酷ですしねぇ~/そりゃあ、作詞シラー先生、作曲ベートーベン先生の第九が大好きになりますよね!/【和】に入れなかった者は泣きながら【輪】を大人しく去るのだ!/異端は排除せよ! 追放しろ! いじめてしまえ! 村八分こそが正義!」

 

「あー、いえいえ/だからもっといい国があるってことでもないです/全然ないです/人間の国家なんてどこもそんなモノ/どこもかしこも問題を抱え/どの国にも良い所と悪い所がありますから/厳しいと言われている自然災害だって/地震等特定のモノに限定しなければ/どこだって起こりえることですからね/地震雷火事オヤジ/老害って自然災害?」

 

「良い所ですか、そうですねぇ~/【日本】は、相対的には清潔な国ですから/綺麗好きな人には悪くないと思いますよ/食べ物もまぁまぁ美味しいものが多いです/サブカル界隈の発展度は世界有数のものですし/ある程度裕福な家庭に生まれれば/なんだかんだで楽しい人生を送れるでしょう/そうじゃない家庭がどんどんと増えているのが/問題と言えば問題なんですけどね」

 

「なら、【日本】の、裕福な家庭に生まれたい/ですか?」

 

「そうですね、ええ、いいですよ/それくらいの望みなら全然、叶えられます」

 

「というか、なんらかのチートも差し上げるつもりでいたのですが/要りませんか?/ま、アチラの世界では/魔法など使おうものなら即、異形扱いですから/魔法の才能などは無い方が幸せかと」

 

「ああいえいえ/そこはやはり、人間の世界ですから/世界のどこかで絶えず戦争は起きていますし/それよりももっと小規模な争いは/どこにだってあらぁな/ですが……ええ/魔法の無い世界ですからね/いくらチートとは言っても/“要不要”みたいなものを持ち込まれちゃぁね/それこそ【輪】から弾かれてしまいますよって/諦めていただいた方が賢明かと」

 

「じゃあ、なんならいいか? ですか?/そっすね~/【日本】では腕力、武力の類は活躍の場が限られてしまいます/ああ、お父上、来世の兄上殿には多少武力系のチートを付けるつもりっス/頭脳の方、頭の良さ、知力関連ですと……ん~/正直、“自由”を希求する魂の場合/あんまり頭が良すぎると、これも【和】からは外れがちになるんですよねぇ~/“自由”に、なれちゃいますからね/頭がいいから、望む通りに」

 

「ルックス、見た目?/いやぁ、【日本】はそこに関してはかなり特殊な国でして/美人だから、美しいからもてはやされるというのは/あるにはあるんですが/正直、一定の水準を満たしてれば、チート級の美しさはいらないというか/むしろそこそこ可愛いくらいが一番得だったりします/それに搾取、するのもされるのも大好きなお国柄ですからね/チート級の美少女だろうかなんだろうが/遠慮なく搾取しようとする者がどんどんと寄ってきますよ?/ま、搾取してくれーって寄って来る人も一定数いるでしょうから/そこで割り切れるならがっぽがっぽ稼げるかもしれませんが/え? ナニソレ気持ち悪い? ですか?/そういうお国なんですよ、【日本】は」

 

「あ、そこそこ可愛いルックスはデフォルトで付いていますよ?/可愛らしい声もオマケで/可愛いがご不満なら綺麗系、または同性にウケそうな王子様系、などにも変えられます/某歌劇団で男役をやりたいなら後者がオススメ/声は現状、岡咲●保と沢城み●きを足して二で割ったっぽい感じを予定していますが/別に花澤●菜でも、水瀬い●りでも、早見●織でも/釘宮●恵でもファイ●ーズ●いでも/兎田ぺ●らでも壱百●天原サ●メでも電脳●女●ロでも/そこの変更は結構簡単なのでいくらでもどうぞ/え? 固有名詞で言われてもわからない?/つまりリ●ルと峰不●子……いやそういうことじゃない? もういい?」

 

「そうですね、【日本】でチートってのも/色々面倒ですよね/出る杭は打たれるお国柄ですから/一番良いのは……なんらかの“職人”になることですかね/ひとつの道に特化するというのは/それがダメになった時に潰しがきかないということでもあり/ピーキーな生き方ともいえます/ですが、【日本】は、一生懸命(いっしょうけんめい)一所懸命(いっしょけんめい)に励むことを美学とするお国柄でもありますからね/“職人”さんには一定のリスペクトが向けられるものです」

 

「鍛冶なんかしたくない? 焼き物なんか造りたくない?/ああいえいえ、ここでいう“職人”はそういうことではなくて、ですね/何かの道を究め、ひとつのモノを作り続けるストイックな人間/みたいな意味ですかね/お菓子を作り続けるならお菓子職人/ラーメンを作り続けるならラーメン職人/動画を作り続けるなら動画職人/みたいな?」

 

「そうですよねぇ、そうですよねぇ/“自由”を希求される魂ですもの/そんなことやってられませんよねぇ/ですが【日本】で、一定以上のリスペクトを向けられる生き方は/他にないのも事実なんですよねぇ~」

 

「やりたいことって、なにかありませんか?/お金儲けがしたいとか/政治家になってみたいとか/料理がしたいとか/歌が歌いたいとか、踊ってみたいとか/マンガを描いてみたいとか、小説を書いてみたいとか/声優になりたいとか/VTuberになりたいとか……/それが何かわからナイ?/まぁそうですよねぇ……」

 

「わかりました。ではこうしましょう/とにかくはまず健康で丈夫な身体/それから集中力と土壇場で発揮できる発想の閃き、機転/この辺りをチート級にしましょう/その辺りさえあれば/どのような生き方になったとしても/ピンチをチャンスに変える力となりますからね/後はお生まれになってから/ご自分の足でゆっくりと、自分らしい幸せをお探しになればよろしいのではないかと」

 

「え? ええ、はい/次の人生では、可哀想ぉ~なユーフォミー・リアゴルダとは違い/ちゃあんと五体満足に生まれ変わりますよ?/歩いたり走ったり/ご自分の足で旅をしたり/そんな風に、地に足をつけて生きて行ってくださいね/ファイト!」

 

「……はい、ええ/……はい、そうです/ユーフォミー・リアゴルダの人生は、終わりました/そりゃあそうでしょう/あなたは、ナッシュ・リアゴルダを失ってなお、生き続けたいのですか?/ええ、はい、わかってます/わかっています/あなたの幸せはもう、未来にしかありませんね/転生し、その先で幸せになる未来しか、ナイ/そうでしょう?」

 

「コングラッチレーションンンンンンン!!」

 

「ご納得いただけたようで、幸いです/どうか【日本】でお幸せに/ご安心下さい。記憶は、失われてしまいますから/妙な記憶を残す兄と妹にはなりません/それなりに裕福な家庭の/才能豊かな兄と妹になります/ええ、普通に生きるだけで幸せになれるくらいに、ね」

 

「普通に、生きれれば、ね」

 

 

 

「はい/それでは……」

 

「とうとう、お別れの時がやってきてしまいました/ユーフォミー・リアゴルダとナッシュ・リアゴルダの魂は/これより太陽系第三惑星【地球】の【日本】という国に生まれ変わります」

 

「どうかその人生に幸せあれ/その旅に幸あれ」

 

「さようなら、もう二度と会うことはないでしょうが/今度こそその魂が安らかなる/満たされた楽園に導かれるよう/心より祈っています」

 

 

 

「感謝なんかしない?/オマエが女神様なら/アタシとお父ちゃんを見捨てた時点で大罪人だ?/ええ、ええ、そう思っていただいて、一向に構いませんとも」

 

「むしろ、ね/妾こそ感謝せねばの」

 

「ええ、この星にあっても稀有な魔法使い/ユーフォミー・リアゴルダ」

 

「その方と、こうして穏便に/有益な契約を交わせたのですから、ね」

 

 

 

「いやぁ/なんでもありません」

 

「あなたにはもう/なぁんにも関係のない事柄です」

 

 

 

「ソレよりもホラ/時間ですよ」

 

「起きる時間です/目覚めの時間です」

 

「あなたには次の/幸せな人生が待っているのですから」

 

「こんなところで留まっている時間はない/そうでしょう?」

 

「まだまだ全然生存可能な/活動可能な/ユーフォミー・リアゴルダの肉体は/身体は、妾が有効利用してやるとも」

 

「だからあなたはあなたで/幸せになってください」

 

 

 

「それは本当に/心よりお祈り申し上げていますからね?」

 

 

 

「では、さよ~/なら~」

 

 

 

「元気で/ね~/達者でねぇ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、アタシの意識は途切れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<青髪の悪魔視点>

 

 こうして、ユーフォミー・リアゴルダとナッシュ・リアゴルダの魂は、太陽系第三惑星地球の日本という国に転生し、千速長生(せんぞくなお)千速継笑(せんぞくつぐみ)という兄と妹に生まれ変わったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁんて」

 

 

 

「最後にひとつ、なぁんにも意味のない嘘は/如何(いかが)でしょうか?」

 

 

 











 ちゃんちゃん。

 ……あ、最後のは本当に嘘です。ユーフォミーとナッシュは千速家でなく、どこか別の裕福な家の子供に生まれ、兄の方は柔道か剣道か、その辺りの武道家として大成する人間になるでしょう。妹の方がどうなるのかは知りません。考えてないです。

 青髪の悪魔は、意味のない嘘なら吐きます。また、曖昧な言い方で、嘘を話しているわけではないのだが、聞いている方が間違った情報を信じてしまうよう誘導する話術……のようなものも使います。意味のある嘘は吐きませんが、そういう悪魔です。




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epis62 : why, or why not / RogokuSTRIP

 

<ラナ視点>

 

「……ねぇ、あれ、動いてない?」

「え?」

 

 それを見た時、私は自分の精神がぐわんと(たわ)むのを感じた。

 

『これ、は……』

 

 色々なことが起きすぎていて、心が感情を処理しきれない。

 

 そうであると感じている。心に沢山のものが載っていると感じている。

 

 心のどこかでは、今起きていることが、全て夢だったら良いのにと思っている。

 

 暖かい布団で目覚め、ああ全てが夢だったんだと安堵する。隣には胸を貫かれてなどいないレオがいて、私は何かを確かめるようにその唇へキスをするのだ。悲劇など無かったことに感謝して、穏やかな日々が始まることに歓喜して。

 

 だけど、勿論わかっている。

 

 その願いは、その逃避は……それこそが(イツワリ)なのだと。

 

「ツグミ……ねぇあれ、倒したんだよね?」

『え、ええ……そのはずです、あれの魂、情報(データ)誘導体(デリバティブ)、その結節点(ノード)は全て失われました。そのはず……なのですが……これは……』

 

 ()()の直下、燃焼石(ねんしょうせき)の倉庫、だった場所に、今もいるツグミは、身体を弓なりに曲げて頭上を見ている。その様子が例のモニターに映っている。

 

 私は、休息と安寧を求める脳を叱咤して、テレビのチャンネルを変えるみたいに、「カメラ」となる空間を切り替える、画面に映る景色を切り替える。

 

 距離的に、角度的に、倉庫を内部からでは、その全容を見ることは叶わない。

 

 慣れたせいか、盗撮機能に限れば支配空間を更に小さくすることで、五十メートルより先の盗撮も可能になっている気がする。けど、それでも今現在、ツグミが立っている場所でギリギリだ。

 

 だから私は、「カメラ」を一旦倉庫の外に出して、外部から倉庫の全景が見れる位置に調整する。

 

「え……」

「なんだ、これ」

 

 すると、倉庫の屋上に乗っていた白黒の巨人、その残骸は、いつの間にかその色と形を大きく変えていた。

 

 色は、白黒だったものからブルーグレーに変わっている。王都リグラエルの、警邏兵(けいらへい)の制服のように。

 

 そして形は……気持ち悪い何かとしか言えない。

 

「なにがどうなっているの?」

『どう、なっているのですか? ラナンキュロア様』

 

 表現し易いところから言葉にすれば……白黒だった時にも見た斧の形、それが今度は細い、無数の触手の、その先にぶら下がったまま、残骸自身の表面をザクザクと刺したり、斬ったりしている。

 

 ブルーグレーの肌を、やはりブルーグレーの触手が、その先端にある(そこだけは黒い)斧で、自傷しているのだ。

 

 そこに生物的な知性……とでも言ったらいいか……そのようなものは感じられない。なんというか……楽しむ科学実験の、定番のひとつ、砂鉄を混ぜたスライムに磁石を近づけ、遊ぶという……お兄ちゃんも、小学校が冬休みだった時期に、使用済みカイロで作っていた気がする……その様子を思い起こさせる動きだ、それは。

 

「……スライムみたい、か」

「え? 何か言った? レオ」

「なんでもないよ、ラナ」

 

 自らの触手で、斧で、無造作に刺され、斬られ、それにはあちこちに穴が空いていたり、妙な形になっていたりする。小学生が冗談で作った造形物のよう……だったモノが、小学生がデタラメに作った造形物のようなナニカに成り果ててしまっている。

 

 そこから、脅威じみたプレッシャーは感じない……今はまだ。

 

「レオ?……ねぇ大丈夫?……」

 

 しかし、そうは言っても、倒したはずの、死んだはずの異形が、又候(またぞろ)そうして活動(?)をしだしたというのは、それだけで明らかな異常事態だ。

 

「……そこにどんな物語があろうとも、僕はまた壊すさ。それが僕達を、傷つけようとするなら」

「え……」

 

 レオも……なんだか様子がおかしい。今のところ、私の生み出した魔造心肺装置(まぞうしんぱいそうち)は正常に機能している、術者である私はそのように感じるが……当然ながらそれは自然の摂理に反した代物(しろもの)だ。レオの身体の中で、なにかしらの異常が進行していても、不思議ではない。

 

「ねぇレオ……本当に大丈夫?」

 

 私はこの魔法、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)しか使えない。

 

「大丈夫、大丈夫だから、今は目の前のことに集中しよう」

「ん……」

 

 だからレオを救命……本当の意味で救うことは、私にはできない。

 

 それができそうに思えるのは今のところ、二周目のツグミだけだ。

 

 だけど何かがおかしいと感じている。

 

 ツグミは、私を悲劇から救うために(つか)わされたのだと言った。

 

 なのにツグミは、どうしてレオの窮地を救ってくれなかったのだろうか?

 

 救って……くれないのだろうか……。

 

『ラナンキュロア様?』

「ん……」

 

 テレパシーとやらで繋がっている「今のこのツグミ」。このツグミは……その能力はともかく、善性は……信じられる気がする。このツグミに悪意があったなら、事態はこんな風になっていなかった。それは理屈ではなく、直感でそう感じてるだけだけど、根拠のないことでもない。

 

 なんというか……「この」ツグミには色々と、無駄が多すぎるのだ。悪意でもって私を動かそうとしているなら、しなくてもいいことをしすぎている。例えば、ここを去る時、私の声にレオのそれが混じらないよう、「調整」していったこと。これにいったい何の意味があるというのか。自分には罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に干渉できる力がありますよと、私へ教えることになんの意味があるのか。

 

 そこには良い意味で脳筋(バカ)っぽい、悪い意味でイノセントなものを感じる。そういう毒を撒くにしても、やりすぎだ。

 

 二周目のツグミからはそういったものを一切感じない。その姿をこの目で見たわけではないが、目標へ向かって(それが何か、どこかはわからないが)一直線に走っている印象を受ける。

 

 本当に別人(別犬?)なんじゃないかって思うくらい、ふたりの印象は異なっている。

 

「……ツグミ」

「はい?」

 

 ただ、ツグミは自分の意思で動いているわけではない。お兄ちゃんの命令で動いている。

 

 二周目のツグミがお兄ちゃんから……もしくは別の上位者から……なにか「今のこのツグミ」とは別の命令を受け取り、動いているのかもしれない。そう考えても話は通じる。

 

 だからこそ当人(当犬?)を捕まえて、その辺りを自白なり自供なりさせたかったのだが……。

 

「……倒したはずの、白黒の巨人が……今はブルーグレーの巨人だけど……動いている。生き返ったって動きではないけど、なら、どうして動いているのか、気持ち悪いくらいに不思議で不気味」

 

 私は、とりあえず「このツグミ」に「今は」協力しようと思った。

 そうしなければ何も始まらないと思った。何も始まらず、全てが終わっていくのだと思った。それはもはや賭けではなかった。それ以外にもう、道が無かった。

 

 ……違う。

 

 それ以外にもう、私達が生きれる世界は無い。

 

 そんなもの、とっくに全て、無くなっているのかもしれないけれど。

 

 最初から、無かったのかもしれないけれど。

 

『はい。ここからでも残骸の蠢動(しゅんどう)は感じられます。というよりも……倉庫の屋根、(はり)等がギシギシいっています』

 

 テレパシーに、効果音(SE)は乗らないらしい……当然か。

 

「どういうこと? 何が起きているの?」

『今、観察を……観測をしています……少し……お待ち下さい……』

 

 ツグミの声が途切れ途切れになり、消える。

 

 テレパシーの向こうで、何かをする気配がある。効果音(SE)の乗らないテレパシーであるから、それは精神的な何か活動の気配なのだろう。魔法を使っているのかもしれない。

 

『これは……』

 

 ややあってツグミの、精神的動揺を多分に含んだ声が聞こえてきた。

 

「なに?」

『異形の身体(しんたい)、その残骸……だったモノに、新しく、魂が、結節点(ノード)が形成されています!』

「……どういうこと?」

『吸収した魂のどれかに適正があった?……ううん、そんなこと、あるはずがないです……ですがこの星でならそういうことも?……魔法使いなら?……』

「……ツグミ、独り言なら心の中でやって……ってそうか、これは心話(テレパシー)か」

 

 知らず、思考がコチラに流れてきてしまうほど、ツグミはハッキリとした独り言を心の中でやってしまっているワケだ。ホント、このツグミには無駄が多い。私に悪意があるなら心話(こんなモノ)、使わなければよかったんだ。

 

『まさか……私?……マイラの身体を借りた技術……その応用……ううん、今の私にはそんなこと、できません……でも……』

 

 ツグミの思考が、堂々巡りに入る……その流れを感じる。

 

 だけど、そうしている間にも、事態は刻々と変化していっていた。

 

「ツグミ、巨人の残骸が、段々と小さくなっていってる」

『……え?』

「表面に生えた触手が自分の身体そのものを削っていっている。この意味、あなたにはわかる? ただ自壊していってるだけならいい。ゲームみたいに、倒せば消えるモンスターの、その様を今更再現してみせてくれているというならいい。でも、私にはもう、そんな希望的観測は信じられない」

 

 あそこには()()()()()のを感じる。

 

 それこそ、完全なる直感でしかないが、あれには、目標へ向かって一直線に、全力で走り抜けようとする意思を感じる。

 

『そんな……まさか……』

「考えて。その行為の意味、ソレが何を意味しているのか。私には魔法の知識なんてない。この星のそれなら少しあるけど、その中にアレの意味を、意図を、意志を知る手がかりはなんにもない」

『小さくなっていってる?……元々のあれには、元は灼熱のフリード様のものらしきエピスデブリが……自分自身を際限なく拡張していきたいと願うそれが……強く発現していました。ええ、それを破壊したのは私ですが……壊したからといってそれが反転するなんて理屈は、通らないはずです』

 

「待って、ラナ」

「え?」

 

 しばらく黙っていたレオから、ここにきて待ったが入る。

 

「後ろ、海の方から、何かが来てる」

「次々と、なんなのよ……もう!!」

 

 今度はなに!? なんなの!?……そう叫びたくなるのを必死で抑え、私は再びチャンネルを操作して、海の方へと視界(カメラ)を向ける。

 

 そこには……。

 

「……まさか」

「船が……私達の船が……飛んでいる?」

 

 そこには、丁度、倉庫の天井ほどの高さを()()()()()、ゆっくり、ゆっくりとコチラへ向かってきている……私達がつい数時間前に乗っていた、乗って南の大陸へと逃れようとしていた、()()……ドヤッセ商会の、ロレーヌ商会紐付きの……船があった。

 

「船って、飛ぶものだっけ?」

「そんなわけないでしょ!?」

 

 大きさは全長四十メートルほど、コールタールを塗った外観は真っ黒で、五本のマストが立っている。帆は張られておらず、何を動力に動いているのかもわからない。

 

 もっとも、帆を張ったところで船は空を飛ぶものではない。天●の城ラ●ュタじゃないんだ、飛行船なんてこの世界にはない。常識を考えろ常識を。それに、あのキジトラ模様な猫人族(ねこじんぞく)をはじめ、乗っていたはずの船員はどうした?

 

 ただ……ついさっき、人が空を飛ぶわけがないという常識を、簡単に覆してみせた犬が、巨人とバトり、圧倒してみせた美少女が、ここにいるのだが。

 

「まさか、二周目のツグミ?……」

「ああ……乗っていそう、だね」

「そんな……」

 

 ずっと。

 

 マイラとユーフォミーはどこに行ったのだろうと、考えていた。

 

 けど、その頃、ボユの港は炎上していた。その現場がどうなっていたかは……考えたくもないが、混乱していたことは確かだろう。その中であれば、多少おかしな一匹とひとりが駆けて行ったところで、咎められはしない。

 

 そのために街を焼き払った……焼き払われるのを見て見ないフリをした……のかもしれないと、少し思っていたくらいだ。

 

 だから、通常の方法ではマイラを、二周目のツグミを捕まえることはできないと思い、「この」ツグミに捕まえてきたほしいと願った。

 

 けど。

 

 ひとつだけあった。

 

 私達がほぼ間違いなく追ってこない場所。探知魔法のような何かを使われない限りは、心理的死角に入ってしまい、盲点になる場所。

 

 あの船がそれだ。

 

 確かに、私達から一時的に隠れようと思うのであれば、それはとても有効な場所だ。

 

「逃げ隠れする気は、ないってわけだ」

 

 でも、この時までは、そうしたからといって、なんだという話でもあった。

 

「そんな……まさか」

 

 私達から逃げたいのであれば、それこそ炎上する街を遠くへ、逃げてしまえば良いのだ。

 

 けど、そうでないというなら。

 

 私達から()()()()()()()()()()()()()()()()のなら。ただ一時的に隠れたいと思っていただけなら……その場所に隠れるのは、理に適っている。

 

 心が落ち着かない。

 

 迫ってくる悪意を感じ、不安になる。

 

「ねぇ、レオ……あの船、()()だと思う?」

 

 泣きそうなくらい心が寒い。

 

「あまり。ラナは?」

「……わからない」

 

 理屈からすれば、二周目のツグミも私の味方で、あるはずなのだ。

 おかしな点はある。おかしな点はあるが、その全ては確信に変わるものではない。

 

 ただ……今の私は、物凄く恐ろしいことに、気が付いてしまっている。

 

 広く知られた思考実験のひとつに、こんなものがある。

 

 大量殺人を犯した人間を、過去に戻って殺すことは正義か、悪かという問題。その殺される誰かが誰かはどうでもいい。定番の、第三帝国の誰かでもいいし、古今東西、歴史に数いる独裁者の誰かでもいい。営団地下鉄のあれとか、秋葉原の歩行者天国のあれとか、大阪の小学校のあれとか、某アニメ会社のあれとか、そういうのでもいい。それは、この思考実験をする人が最も許せないと思う誰かにすればいい。

 

 でも、では、その大量殺戮者が生まれたばかりの頃に、子供の頃に、何の罪も犯してない状態で殺すのは、果たして正義なのだろうか? 悪なのだろうか?

 

 おそらくは答えの出ない問題だろう。だからこそ思考実験として成立するのだろうし、答えを、出してしまっていい問題でもない。

 

 ところで……私は、ずっとこう考えている。

 

 私は、この世界の全てよりも、レオの方が大事だ……と。

 

 そして私の手には、世界を滅ぼせる手段(カード)がずっと握られている。

 

 ならば。

 

 二周目のツグミが私の味方で、かつ私に敵対する、その可能性が、ひとつだけある。

 

 ()()()()()()()()()()を、ツグミは止めようとしている……そういう可能性だ。

 

 ただ……だとすると、やはり、ひとつの「おかしな点」が、どうしても「おかしく」なってしまう。

 

 大量虐殺を行った人間を、過去へ戻って殺すことは正義か悪か。そこに明確な答えはないが、これには別解(べっかい)がある。大量殺戮を行った人間を、過去に戻り大量殺戮を行わないよう、導くことはできないのかという別解だ。

 

 私は、レオと平和に暮らせるのであれば、それで良かったのだ。この世界に求めることは、本当にもうそれだけだったのに。

 

 私は殺人者だ。そこを今更誤魔化す気はない。でも……だからといって理由もなく殺人を犯す人間でもない。そのはずだ、そのはずなのに。

 

 ねぇ……。

 

 ……どうしてレオを、助けてくれないの?

 

 どうして、私から、レオを奪おうとするの?

 

「ねぇ……ツグミ」

『はい』

「あなたは私の味方? 友軍?」

『……はい。それが私の使命ですから』

「だったら、使命とやらが変われば、あたなは私の敵にもなるの?」

『……』

「答えて」

『……それは』

「お兄ちゃんが私を……あたしが暴走する前に殺せと命じたのなら! あなたは私を殺しに来るの!?」

「……ラナ?」

 

 お兄ちゃんは頭のいい人間だった。

 

 頭がいいというのは、冷静な判断ができるということだ。

 

 あるいはそれは……私のような莫迦(バカ)な人間には、冷酷に見えるモノなのかもしれない。でも。

 

「黙ってないで答えてよ!!」

 

 正しい、それは正しいよお兄ちゃん。

 

 私はもう人を殺してしまった人間だ。レオ以外、この世界に大事なものなんて得られなかった人間だ!

 

 私は失敗作だ! 間違いだ! その果てに大量殺戮者となるかもしれない、危険人物だ!

 

『ラナンキュロア様、落ち着いてください。エピスデブリの暴走に、飲み込まれないで下さい』

 

「どうして! みんなしてレオを見捨てようとするのよぉ!!」

 

『!』

「私なんかどうだっていいのよぉ! お兄ちゃんが死ねというなら死んだっていいよ!! でも、なら! どうしてレオを巻き込むの!? 私が生きていたから! レオがこうなったというなら! 私はいつだって死んでよかった!! どうして今日の朝にでも! 二週間前でも! 三年前でも! それを教えてくれなかったよ!! 私よりレオを優先してよ! それが私の望みなんだから! そうしてよぉぉぉ!!……んきゃぁう!?」

 

 突然、お尻に強い衝撃を感じ、私は地下シェルターの中をすっ飛ぶ。すっ飛んで罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の壁に全ての衝撃を無効化(無かったことに)され、止まる。

 

「れ、レオ!?」

 

 激突の衝撃が無かったとはいえ、お尻が痛い、めっちゃ痛い。といって、骨が折れるような強烈なものでもなかった。例の剣で叩かれたのなら、こんなモノではすまなかったはずだが。

 

「剣ってね、こういう使い方も、できるんだよ?」

 

 レオは剣の、その刃幅の部分を私に見せていた。

 

 あの剣は、耐久性重視でその部分を厚く、広く造ってもらっていた。地球の何かで喩えるなら……野球のバットよりも少し狭いくらいか。

 

「ってケツバット!?」

「それが何かは知らないけど、落ち着いてラナ。それでも心が騒ぐならこっちへ来て。こっちで、僕に、差し出せる指を差し出せばいい。一本でも二本でも、今度は噛み切ってあげるから」

「レ、レ、レ、レオ!?」

 

 心の何か、むき出しになっていた部分を優しく触れられた気がして、私は自分の全身が(あか)くなるのを感じる。私という存在が、それはもう紅潮しているのを感じる。

 

「僕を見て。僕はまだ見捨てられていないよ? 僕はラナが見ててくれるなら、それだけいい。だから僕を見捨てることができるのは、ラナだけだ。ラナはもう、こんな僕を、見ていられない?」

「っ……」

 

 羞恥にか、罪悪感にか、それとも別の情動(じょうどう)にか……全身が熱を帯びる。それを自覚する。

 

 十四歳の、年下の男の子に、私はいったい何を言わせているのだろうと思う。

 

 ……それはもう、本当に今更なことなのだけど。

 

『ラナンキュロア様……あの、幽河鉄道(ゆうがてつどう)による私の送還、強制緊急回収が入ってしまいますから、それ以上の妙な回想は、その……』

 

「このテレパシーって映像も届くの!?」

 

 それへは、「鮮明に思い浮かべた場合は……はい」という答えが返ってくる。

 

「っ~!!」

「赤面してる場合じゃないよ、ラナ。船が、このシェルターの上を通り過ぎる」

 

 何かしてくるなら、そろそろなんじゃない、というレオの声に、私はぎこちなく体勢を整える。

 

「間違えないで。僕がこうなったのは僕の責任だ。僕のために死ぬ? ラナにはそんな権利、ないよ。だって僕は、ラナにそんな犠牲を選ばせたら、きっと僕自身を許せなくなる。僕にとって、僕よりも大事なのはラナだから」

「レオ……」

「ラナ、僕達はもう、自分を犠牲にするというのは、ふたりを犠牲にするということと同義なんだ。なら、そこにおける重大な決断は、ふたりの同意を持ってよしとする……そうじゃない?」

「……商人、みたいなこと、言うのね」

「これでも三年間、商会の建物で寝泊りしていた身だからね」

「……っ~」

 

『ラナンキュロア様ぁー! その回想ストップ! ハウスです! 送還されちゃいます! 私、強制緊急回収されちゃいます!』

 

 ツグミがうるさいので(テレパシー、切ればいいのに)、務めて何も考えず……あれ? でもこれが二周目のツグミにも通じる手なら、私、ここから裸になって猥褻物陳列(わいせつぶつちんれつ)していればいいのでは? という脳死なことを思いつき、ツグミから「仮に、私に別の使命が下っているなら、こういう制限をそのままにしているとは考えられませんから、やめてください……」とツッコまれ、それもそうかと脱ぐのをやめたりしながら……私は服を整えた。

 

 くだらないことを考えられるくらいには、心が落ち着いている。お尻はまだかなり痛いけれど、むしろ頭が少しはっきりした……ような気がする。

 

「私の扱いがわかっているのは、ありがたいんだけど、レオ……もう少し良い扱いにならない?」

「そういうにはふたりっきりの時にね。それより、来るよ」

「ううっ……って……本当に今更なんだけどっ、どうしてあんなものが空を飛んでいるのよ!」

 

 やつあたりみたいに、私は飛ぶ船の映る画面を指差した。

 

『世界改変魔法が、使われています』

 

 するとそれを見ていたかのように、ツグミから解説が入る。

 

「え?……」

 

 それってさっき、空が青くなった魔法じゃ?

 

『世界改変魔法は、流体断層(ポタモクレヴァス)を高次元的に魔法陣化することで、一定範囲内の三次元的秩序、つまり物理法則などを自分に有利なよう、一時的に書き換える魔法です。よく見れば船の周囲に、時々七色の閃光が走っているのがわかると思います。あれは世界改変魔法、タイプグラビティ……重力の操作です』

 

 なんだそのデタラメな魔法。

 

「……それってあなた以外に誰が使えるの?」

 

『私が元いた世界であれば、それなりに』

 

 例えれば、二十一世紀の地球で、核兵器のスイッチに関われる人間くらいにはいたとか……うん、確かにそれなりにいそう。拡散禁止条約とか締結しなかったのかな。

 

「この星だと?」

 

『……この場所、この時間に、世界改変魔法を使うことの出来る、私以外の誰かが現れる可能性は、低いと思います』

 

「そう……」

「つまり、あれに乗っているのは、やっぱり二周目のツグミってことなんだね?」

 

 レオの断定的な推定を、今更のように聞きながら、私は悠々と飛ぶ、黒い船を画面越しに見つめる。

 

 遠いのでわかりにくいが、確かにその周辺には七色の……線香花火の火花のようなものが?……かすかに光っている気がする。

 

 いまだ降る小雨に混じって、その船底からは大粒の雫が(こぼれ)()ちている。そしてそれが地表をボタボタと打っている。その音は段々と私達へ近付いてきて……。

 

 そうして、船は地下シェルターの真上を通り過ぎて……。

 

「……なにも、してこない」

 

 だがなにも、なんにもせず、それはそのまま、直進していく。

 

「僕らを無視して、倉庫の方へ、進んでいる?」

「……なら、狙いは倉庫の中のツグミ?」

 

『私、ですか?』

 

 私は船を、()()()()()見つめている。

 

 それはつまり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間、カメラとして使っている空間は、()()()()()()()()()ということだ。

 

 あれに乗っているのがツグミならば、そこからこの地下シェルターの場所を辿ることもできるだろうと思い、警戒していたのだが……。

 

「私達に気付いているのか、いないのか、わからないけど船はツグミ、あなたが今いる倉庫へと向かっている」

 

『私……であれば……罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の気配は探知できるはずです。ラナンキュロア様……今ここで、先程の問いに、お答えさせていただきたいと思います』

「ん?」

 

『私は、ナガオナオ様のツグミです。ナガオナオ様のご命令とあらば、どんなことでもすると思います』

 

「ああ……うん、それは、そうだよね」

 

 胸がキュウと苦しくなる。

 

 けど、続く言葉を聞いて、それは反転したかのように……一変した。

 

『ですが、私はラナ様のことも、レオ様のことも、好ましく思っていますよ』

 

「……ぅ」

 

 じわりと。

 

 寒々と、しっぱなしだった心に、何か暖かいものが宿る。

 

『どのような命令が下ろうとも、この気持ちを忘れ、私が無情に、非情に振舞えるようになるとは、どうしても思えません』

 

「……あ……ぁ」

 

 心の中で、硬く、(かたく)なになっていたモノがほどけていくのを感じる。

 

 溢れ、流れていくのを感じる。

 

「どうしたの? ツグミはなんて言ってるの?」

 

 私と繋げたテレパシーだからか、ツグミの声は、レオに聞こえていなかったらしい。

 

「レオ……レオぉ……」

「……泣きたいなら、泣いちゃいなよ、ここには僕しかいないんだから」

 

 思えば……ツグミは……マイラとして、レオと長い時間を過ごしたはずだ。

 

 それはイツワリの関係だったけれど、三年間、確かにそこにあったものだ。

 

 ボユの港へ来てからは、毎日のようにレオがマイラの散歩をしていたのだ。

 

「レオぉぉぉ」「うん」

 

 ああ。

 

 ツグミが敵であるという、裏切り者であるという、その仮定に、どうしてこんなにも心が騒ぎ、泣きたいような気持ちになるのかが、今やっとわかった。

 

 私にとってツグミは、お兄ちゃんの愛犬でしかないのだから、その裏切りに傷付くのは、私じゃないんだ。

 

 だからこそ、私はそれを許せないんだ。

 

「ツグミ。レオを傷付けないでっ……」

『はい。ラナンキュロア様にも、レオ様にも、私は幸せになってほしいと思っています。その気持ちに、嘘はありません』

「……信じて、いいの?」

『私がナオ様と生きた、全ての時間に誓って』

「っ……」

 

 ああ。

 

 ああ、それなら信じよう。

 

 私は()()ツグミを信じる。

 

 私が、私とレオがこれからを生きていく、全ての時間に誓う。

 

 私は今、こうして心が繋がっている、このツグミを、ここよりは信じる。

 

「レオ……私は信じる。このツグミを信じることにする」

「ん……どういう会話があって、その結論に至ったのかは教えてくれないの?」

 

 もう疑わない。ホワイダニットは破棄された。

 

 (ひと)他人(ひと)の心を理解できない。

 

 できなくていい。

 

 理解できるから信じられる、理解できないから信じられない、多分、そういうことじゃないんだ、心は。

 

 今、ツグミは私の心に橋を架けた。

 

 私が、それを渡りたいと思うかどうかなのだ。

 

「今は上手く、話せない」

「そう。……なら、いいよ、それで。僕はラナを信じるから」

 

 それはもう理屈じゃない。論理的じゃない、直感ですらない。

 

 私達の進む道は、もうこれしかないという確信が、ただそこにあるだけだ。

 

「ツグミ。お願いがあるの」

 

 ならばもう、それを元に行動をするまでだ。

 

『はい。どのようなことでしょうか?』

「あれは二周目のツグミ、なんかじゃない。そう思って行動してほしいの」

『それは……どういった意味でしょうか?』

「おそらくこれから、あの船に乗っているナニカは、あなたへコンタクトをとるはず。その魂の色と形? が、どれほどツグミ、あなた自身と同じに見えたとしても、思えたとしても……それは偽者……かもしれないという前提で、行動してほしいの」

『偽者、ですか……ラナンキュロア様はそう判断されるのですね?』

 

 ああ、これもまったく論理的じゃない、理屈に合わない。

 

 だけど私の心はもう、そうとしか思えない。誰に聞かせたところで妄想としか思われなくとも、あれは、あの船を世界改変魔法とやらで操っている誰かは、ツグミなんかじゃない。

 

 違うんだ。

 

 偽者だ。

 

「うん。根拠はないけど……でも……」

 

 別物だ。

 

『信じます。私はラナンキュロア様のその判断を信じます。それへ、感謝します。私もずっと、不安でした。私のはずなのに、私には理解できない行動、言動をとる存在が。あるいは数千年、数万年という時を経た未来からやってきた私なのではないかと、それくらいの時が流れたら私はあのようになってしまうのではないかと、ずっと、不安だったんです』

「言動?」

『言葉の節々に、レオ様、ラナンキュロア様を軽んじる……おふたりのことを、好ましいとも、幸せになってほしいとも思っていないような……そんな感情の機微が見え隠れしていたのです』

 

 何を見て、何を忘れたら自分がそのようになってしまうのか、ツグミにはそれがわからず、不安だったのだという。

 

 自分が盲導犬として誇りにしてきた「目」、それより得られる情報の全ては、目の前の存在が自分自身であると教えてくれるものなのに、だのに自分の感情は、感覚は、心は、その全て裏切ってくる。

 

「それを、もう少し早く教えてほしかったな。うん……今、根拠ができた」

『え?』

 

 そのような経験など、ツグミには初めてのことだったらしい。

 

 なるほどね……それが船で再会した時やけに、随分と落ち込んでいた理由か。

 

「なら、そのツグミはやっぱりツグミじゃないんだよ。味方なんかじゃない。友軍なんかじゃない。敵、そう思って行動した方がいい」

『ラナンキュロア、様……』

 

 言葉を止め、何かを噛み締めるかのようにツグミが、これまでの……レオと散歩した時に見た海であるとか、レオと遊んで、頭を撫でられた時のこととか……そういうものを回想しだす……その映像が、私の脳内へと直接伝わってきた。

 

 それへ、私が若干イラッとした……その時。

 

「そうだね、見て」

「え?」

 

 レオが再び画面を指差す。

 

「船、倉庫の上に止まったの、わかる?」

「ごめん、小さくてよくわからない。切り替える」

「いや、この画面でもわかるよ。この静止画みたいな光景に、何か気付かない? 何かの動きが無くなっていることに気付かない?」

「何かの、動きが、無い?」

 

 画面には、倉庫の上で停止(停留?)した船の、その船尾が小さく見えるだけだ。停止してるのだから、そこに動きが無いのは当然だが……。

 

「白黒だった、今はブルーグレーの巨人、の残骸」

「え、あ!?」

 

 そういえば、この角度からでも見えていたあの自傷行為、ブルーグレーの触手の蠢きが、無くなっている!?

 

「あの巨人と、二周目の……偽ツグミ、繋がっているのかもしれないね」

「ど、ど、ど、どういうこと!?」

「それはわからないけど、あれを敵だと思って行動するなら、ここからはもう、戦場だ。ラナ、僕はいつでも、こんな状態でも、あの船くらいなら墜とせる。ラナがそうしてというなら僕はそうする。僕はラナの剣だ、いつ振るうかは、いつ(ふる)うかは、ラナが決めていい」

 

 動けないレオが、それでもなんでもないことのように剣を構える。

 

「待って……待って……船員達がまだ中にいるかもしれないし……」

「うん、僕もそう思うから、まだ動いてはいない。でもね、僕は基本的にはラナの判断に従うけど……」

「……え?」

「ラナに危険が迫ったら……その時は……僕は僕の判断で動くからね?」

 

 だから、自分の身に危険が迫るような判断はしないでね、と……レオ剣を構えたまま、真剣な目で私に訴えかけていた。

 

「レオ……っ……」

 

 それへ、何を返したらいいかもわからず……私はとりあえず、もう少しよく見えるようにとチャンネルを操作する。

 

 倉庫の上空は、そのほとんどが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の射程圏外だ。だから私はもっと手前の、高い位置に視界(カメラ)を出現させる。

 

 

 

「は?」

 

 見えたものは、またもセンスオブワンダーな景色。

 

「ユーフォミー!?」

 

 両足のない、独特のシルエット、夜の闇にあってなお輝き揺れる銀色の髪。

 

 それが宙に浮き、船よりも高い位置で停止している。

 

 その周りには、やはり時折、七色の火花が飛んでいる。

 

『ユーフォミー様、ですか? ユーフォミー様が世界改変魔法を?』

 

 だけどゆっくりと、ゆっくりとその眼下から、何かが昇ってきている。

 

 その色は……ブルーグレー。

 

 形状は……ふたつの円筒形。その先に斧は、もう無くなっている。

 

「意味がわからない……ユーフォミーが、どうして」

 

 私の驚愕を、呆然とする思考停止を他所(よそ)に。

 

 

 

 ユーフォミーの、無いはずの足へ、ブルーグレーの円筒形はにゅるんとくっつき。

 

 

 

 そこに両脚(りょうあし)のあるユーフォミーが、完成した。

 

 

 



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epis63 : marshmallow justice

 

<ツグミ視点>

 

「【世界改変魔法、タイプグラビティ】」

 

 倉庫の天井には、既にいくつもの穴が開いていました。

 

 私は世界改変魔法、タイプグラビティ、それと浮遊魔法、飛行魔法を併用して、そこから倉庫の屋上へと出ます。

 

 すると。

 

「やっぱりそこにいたのね、悪魔」

「あなたは……」

 

 そこにいたのは、足があること以外はユーフォミー様の姿、そのままの……ですが絶対にユーフォミー様ではない、何者かでした。顔貌(かおかたち)は元より、お召し物も、全身黒にあちこちピンクの背負い紐(ベルト)が巻きついてるという、ユーフォミー様の(つね)なるそれでしたが、ただひとつだけ、違う点がありました。

 

 あの、かなり特徴的だった眼鏡、三日月と星の意匠の眼鏡が、無くなっています。

 

 剥き出しの怜悧なそのお顔が、黒い船を背景に冷たく輝いて見えました。

 

 眼鏡と共に、親しみやすさまで失われてしまった印象です。

 

「一応、はじめましてって言っておく?」

「ん……」

 

 私は、自分の「目」と「鼻」を総動員して、その正体を探ります。

 

 ブルーグレーの足は見た目上、膝小僧の辺りまでは人間のそれと同じ形状をしています。ですがその足先は……ピンヒールを履いたかようにクンと伸ばされ……それなのに足の指も、ピンヒールのピンの部分もありません。

 

 それはまるで、自分が地面に立つことをまったく想定していないかような造形でした。

 

 ユーフォミー様はその足をピンクの布で覆っていましたが……今ではその布がふとももの中ほどで千切れてしまっています。接合部分はそれに遮られ、見えなくなっていますが、「鼻」で探ってみたところ、それはどうやら、確かにユーフォミー様……の身体の一部となっているようです。情報(データ)誘導体(デリバティブ)が宿っていて、それが固有結節点(ユニークノード)と活発に連絡をし合っています。

 

 そしてその、固有結節点(ユニークノード)、は……。

 

「……ジュベミューワ様?」

「あ、それくらいはやっぱり、わかるんだぁ? そうよぉ、わたしぃ」

 

 その魂は、表層に出てきている固有結節点(ユニークノード)は、先に亡くなられた……はずの……ジュベミューワ様のそれに、酷似していました。

 

「ですが、エピスデブリの数が……」

「エピスデブリぃ?」

 

 ですが、単にジュベミューワ様、というわけでも、ないような気がします。

 

「ジュベミューワ様の魂は、本来平和であるとか、心の安寧であるとか、安らぎであるとか、そういったものを強く求めるモノであったはずです」

 

 今はもう、それが見る影もありません。

 

 ドロドロに、ぐちゃぐちゃに、カオスのように混沌としていて。

 

 完全に無秩序な、人間の感情の坩堝(るつぼ)とでも表現したくなるような、通常の人間であれば理性と知性を保っていられるはずのないナニカ、ナニモノか……でした。

 

「それが、どうして……」

「これって後から得た知識なんだけど~」

「え?」

 

 ユーフォミー様の姿をした、ジュベミューワ様……のようなナニカは、左手で自分の額をちょいちょいとつつきながら、言葉を続けます。

 

「人間の、人間らしさって、頭の前の方、額の裏側の、この辺に集中しているんだってね」

前頭葉(ぜんとうよう)のことでしょうか? それとも前頭前野(ぜんとうぜんや)?」

「さぁ? そんな言葉はどうでもいいけど、わたしぃ、ここがざっくり切られちゃったじゃない?」

「……そう、でしたね」

 

 ジュベミューワ様の最期は、レオ様に頭の前方、額の辺りを切り取られてのものでした。

 

「だからなんじゃない?」

 

 いえいえいえいえいえ。

 

「いえ、それでは全く説明できない現象が、起きているのですが」

 

 ジュベミューワ様が世界改変魔法を使っているのは……いいでしょう、私がナオ様のローブを装備して世界改変魔法を使った時、ジュベミューワ様にはまだ息があったということなのでしょう。

 

 脳はNo Man’s Land、人が踏み入れてはいけない領域を持つ複雑な器官です。前頭葉を損傷しても生存「には」問題の無かった例が、数多く報告されています。地球では、その一部を切り取る手術が()(はや)され、考案した神経学者がノーベル賞を受賞した時代もあるくらいです。それは科学者が絶対に忘れてはならない負の教訓であると、ナオ様が教えてくれました。

 

機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)で、世界改変魔法をクラッキングしましたか」

「かみさまが、わたしにくれた力、よ」

「……」

 

 ともすれば、冷たい印象もあったユーフォミー様の相貌(そうぼう)で、うっとりとするように笑うジュベミューワ様(?)は、奇妙なことに、とても幸せそうに見えました。

 

 ジュベミューワ様の心には、「幸せな子供時代を奪われた」という、三類のエピスデブリが存在していました。それは子供時代を取り戻したいという衝動に結びつき易いもので、言動やファッションにも、それは表れやすくなります。具体的に言えば、ジュベミューワ様のように子供っぽい行動、言動、喋り方を好んだり、男性であればラフな格好や半ズボンを好んだり、女性であればガーリー系であるとか、もう少し極端な場合はロリータ系であるとか、大人っぽくない服飾を好んだりするようになります。

 

 二次性徴後は、同様のエピスデブリを持つ千速継笑(せんぞくつぐみ)様のように、年下の少年、少女を欲するという衝動に変わることもありますが、それ自体はありふれたもので、これが二類や一類に変化しない限りは憂慮するものでもありません。警戒は……多少必要ですが、それは花粉症だから春先はマスクをしよう……くらいの気持ちで構わないはずです。

 

 ですが……。

 

「……ハッキングとクラッキングは、その境界はとても曖昧なものです。ですが確かに、これだけは違うと言える点が、ひとつだけあります」

「なんの、話ぃ?」

 

 ユーフォミー様は、この星でも地球でも、私とナオ様の世界であっても年齢的には成人女性ですが、その身体はほっそりとしていて、あまり大人っぽくありません。というより、老若男女のどれっぽくもありませんでした。ある種、そういったものを超越したところにある存在感をお持ちの方でした。

 

「クラッキングに、割る(クラックする)対象へのリスペクトは無いということです。ハッキングのハックの、元々の意味は“叩き切る”。割ると切る、まるでラナンキュロア様と、レオ様との力の違いのようですが、そういった意味においては、最初の時点においては悪意を()って世界を割りたかったラナンキュロア様も、世界に対するリスペクトを失っていたと()えるのかもしれませんね」

「ふーん? それでぇ?」

 

 ですが今、このユーフォミー様の顔貌(がんぼう)が浮かべたその表情は、とても少女らしい、幸せな未来を夢見る笑顔で……それはまるで、今まで着たことがなかったような服にチャレンジしてみたら、それがすごく自分に似合ってると気付いた……そこにとても可愛いらしい自分を発見できた……そのような時の、とても希望に満ち溢れた笑顔で……それがあまりにも状況と合っていないから、どうしても違和感が拭えず()わりが悪い……それはそういった類の胸騒ぎ引き起こすナニカ……でもありました。

 

「リスペクトなく使われる魔法は、悲しい。悲しく()えてしまう……そういうことです」

「なにそれ感傷? 感情論?」

「魔法は心より生まれしモノ。“魔素(マナ)に触れられる手”は、魂より生ずるのです」

「ばっかみたい」

 

 単なる、事実なのですが……。

 

 魔法は魂が、己がエピスに基づき行使するものです。エピスは魂に宿る「情報」そのもの。どのようにすれば魔法的な現象を引き起こせるのか、それは魂が知っているのです。

 

 (たと)えれば、魔法が料理ならば、エピスはそのレシピのようなモノです。

 

「魔法には想いが籠もっています。想いを籠め、研鑽するからこそ、それは輝くのです」

 

 それは、ええ、レシピ通りに造れば、誰でも同じ料理が作れます。

 

 ですが心の籠もってない料理は、やはりどこか、心を籠めて作ったものとは、違って見えることでしょう。

 

一生懸命(いっしょうけんめい)一所懸命(いっしょけんめい)に励んで“職人”さんになれって話ぃ?」

「この心は、一途な研究者であり求道者(ぐどうしゃ)であったナオ様より(たまわ)ったモノ。私は、そうした生き様をこそ敬愛するのです」

「ふーん?」

 

 そして多くの場合、それは本当に大切であった部分すら放り投げて、劣化するという結果を生みます。劣化コピー、それがリスペクトなきコピー、剽窃(ひょうせつ)という行為の、最大の欠点であり罪なのです。燃焼石(ねんしょうせき)の製法を手に入れたヘパイトス派(フィアレィナ)の方々が、それで沢山の悲劇を生み出したように。

 

「それってあなたの感想ですよねぇ?」

「いけませんか?」

 

 そのように見える魔法は、そのような未来が()える魔法は、やはり悲しいのです。

 

「どうでもいいって話ぃ。長々と無駄話をされても、時間の無駄よ」

「では、あなたは、何のためにここへやってきたのですか? レオ様、ラナンキュロア様ではなく、私の方へ」

 

 もっとも……ラナンキュロア様にも、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)にも、その原典、エキシ・エァヴィリェへのリスペクトは無いのでしょうが……あれはもう、あそこまで応用を発展させ、使いこなされてしまうと、それはそれで目を(みは)るものがあります。

 

 あれはもう、なんだか原作とは違った方向に進化した二次創作作品のようです。リスペクトの有無は()(かく)、原作の要素を完全に自分の方へ引き寄せ、利用し、それはそれで別の価値を生み出している、そういうモノ。

 

「ラナンキュロアは、もうすぐ死ぬから、どうでもいいわ」

「?……ラナンキュロア様が、ですか?」

 

 ラナンキュロア様もある意味では一途です。一途過ぎるとさえ言えます。

 もう少し適当に、ちゃらんぽらんに生きる方が、楽なのではないでしょうか……。

 

「レオ様では……なく?」

「だってわたしは未来を知っているもの。教えてもらったの、()から」

 

「未来を、知って?……誰から、ですか?」

 

 どういう、ことなのでしょうか。

 

「知らないのぉ? 自分の方が魔法に詳しいですよ~って顔をして、それって、恥ずかしくないのぉ?」

「……幽河鉄道(ゆうがてつどう)機構(システム)不正使用(クラッキング)したのですか?」

 

 未来、生き延びていたジュベミューワ様が、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を通してこのジュベミューワ様へその記憶を……情報を送った?

 

 ……色々と複雑な話になってしまいますが、一応その可能性はあります。諸々がおかしい、例えばジュベミューワ様がご自身の幸せを取り戻したいと願うなら、その場合、コンタクトすべきはこのジュベミューワ様ではなく、前頭葉を切り取られる前、ラナンキュロア様に出会う前……いいえ、ご両親が亡くなられる前のジュベミューワ様なのではないかといった、そういった疑問点を、矛盾点を多く孕んだ可能性ですが、そうであっても完全に無い可能性であるとは言い切れません。

 

幽河鉄道(アレ)はわたしのものよ。神様が、わたしのために、ここに(つか)わしてくれたの。わたしの運命がここにアレを引き寄せたの」

「違います」

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)はナガオナオ様が、人類がよりよい方向へ向かえるよう、何年もかけ編み上げた至高の魔法です。

 

「そうでなかったらおかしいもの。わたしはただ幸せになりたかっただけなのに、誰を傷付けたいとも思っていなかったのに。平和に、普通に暮らしたいと思っていただけなのに、それなのに不幸になるって、おかしいでしょう?」

「ジュベミューワ様の中で、レオ様を傷付けたことは、無かったことになっているのですか?」

 

 当然の問いへ、しかしジュベミューワ様は何も答えてくれません。

 

「だからかみさまがわたしを哀れんでくれたのよ。わたしにほほえんでくれたんだわ」

 

 どこか舌っ足らずな発声で、ですがとめどなく言葉を紡ぐジュベミューワ様は、今も夢見るような表情を浮かべています。

 

「ね? だからこのちからは、わたしのものでしょう?」

 

 それは現実の、何も見ていないかのような目でした。

 

「違います。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は人類の未来のためのものであり、誰かに所有権が発生するというならそれはナガオナオ様に他ならず、今は私が、ナオ様よりその操縦権をお預かりしています」

「黙れ悪魔。犬なら! 可愛らしく尻尾でも振ってみなさいよ!!」

 

「!?」

 

 唐突に感知した「それ」を、無意識下で避けます。

 

「ふーん?」

「……今のは」

 

 右耳の奥で、ぎゅーんという妙な残響音が鳴っています。

 

「今の、よけるんだぁ?」

 

 私は、シ・エァヴィリェ……レオ様の「回避」と同じもの……を、私自身では使えません。厳密に言えば「今は」使えません。然るべき手続きを行えば使えるようにはなりますが、私には「鼻」があるので、その必要性を感じませんでした。

 

「この私を攻撃しても、無駄なのですが……」

「回避系の魔法、なにかもってるってことぉ?」

「と、いうよりは……」

 

 町の炎上も下火となり、闇を取り戻した夜の視界に、今更のようにハラハラと散っていく白銀が見えました。右耳の辺りに、少しだけ風を感じます。……この身体をいくら傷付けたところで、私自身が消滅するわけではないのですが……ナオ様より頂いたモノを、またしても傷付けてしまいました。

 

「この身体は幻影のようなモノですから。私の魂、その実体は、今も幽河鉄道(ゆうがてつどう)に座したままです。存在する次元が違う……といえばご理解いただけますか?」

「いいのぉ? そんなこと教えちゃって」

「無駄に、この身体を傷付けられたくはないので」

「ふーん?」

 

「!!」

 

 今度こそ、私は「それ」を知覚した上で避けます。

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)に接続された私だからこそできる、準空子(クアジケノン)の嗅覚的察知。私は、それによってごく短い時空間の嗅覚的未来と過去を、この「鼻」によって()ることができます。自分へと接近するなんらかの脅威、悪意を、素早く「嗅ぎ取って」動くことができます。

 

 もっとも、これは犬としての感覚で行っていることなので、具体的にその脅威が、悪意が何であるかを知覚するためには人間的な……主には視覚情報から得られる現象の把握が必要となってくるのですが。

 

「“要不要”を、そんな風に使うのですね」

「暴走列車さんには~? 思い付きもしなかったでしょうね」

 

 私に二度迫った脅威、悪意……その正体は、流体断層(ポタモクレヴァス)……そのものでした。

 

「科学的にいえばワームホール、ナントカ類魔法構造学に従うならヴァーミンホール、あるいはその(ほむら)によって世界を黄昏色(ラグナロクカラー)に染めるバーミリオンバグ、だっけ?」

「よく覚えていますね。マヨラナフェルミオンを操作したのですか?」

「難しい言葉しか言えないのって、逆に莫迦(バカ)っぽいよね。イメージするのは、わたしの知る空間そのもの、それだけでいいの」

 

 ああ……つまり。

 

「ジュベミューワ様が理解できる世界、その一部“だけ”を“通過”させるなら、そこにはジュベミューワ様が理解できない世界……つまり(ホール)、あるいは(ホロウ)だけが残る……なるほど、そういうことですか」

 

 なるほど、それは魔法学を修めた人間には、無い発想ですね。

 

 魔法学を修めてしまうと、それは理解できない世界ではなくなってしまいますから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、まさかそんな風に利用するとは。

 

 これはラナンキュロア様にも使えない手です。ラナンキュロア様は、ナガオナオ様ほどには魔法的素養がありません。ラナンキュロア様が同じことをするには、逆にこれを、朧気(おぼろげ)にでもイメージできるようにならなければなりません。

 

「ですが、それを攻撃手段とするには、“理解できない世界”に指向性を持たせなければいけないはず、ですが。その操作はどうやって?」

 

 ワームホール、流体断層(ポタモクレヴァス)は、ある種カオス化した可能性の塊です。

 

 だからこそ魔法の源泉(げんせん)として、広く利用されているのですが、そのものを扱うには、望み通り動かすには、まずそのカオス化を、(ほど)いてやる必要があります。

 

「わたしだって魔法使いだもの。ワームホールかヴァーミンホールかは知らないけど、()()とはずっと付き合ってきたのよ」

「っ!?……」

 

 三度目の「それ」を、また無意識下で避けます。

 今度は左耳が、ぎゃーんと鳴っています。

 

「ふう危な……くはないですが……ええと、そんな単純なものでも無い……はずなのですが」

 

 魔法使い全員が流体断層の脆弱性(バーミリオンバグ)を無制限に利用可能であったなら、私達の世界は近代化する前に滅んでしまっていたことでしょう。それは、ひとつの大陸を丸ごと消滅させるほどの力を秘めた技術(テクノロジー)……の悪用、なのですから。

 

「悪魔でも、知らないこと、あるんだぁ?」

「悪魔ではありませんから、知っていることしか知りませんよ?」

 

 幸い、ユーフォミー様の姿形をしたジュベミューワ様に、この街を消す、この大陸を消す、そういった意志は、無いように思えます。

 

 ですが、だとすれば尚更(なおさら)、彼女は何をしたいのでしょうか?

 

『ツグミ、聞こえている?』

 

 悩む私に、繋がったままの心話(テレパシー)に、届く声がありました。

 

『はい。テレパシーですから、声に出さなくても通じますよ』

 

 ラナンキュロア様です。

 

『レオにも聞こえるように、声に出しているの。とりあえず、船に誰か乗ってるかだけ、調べられない?』

 

 非、人間的な存在を前に、緊張を強いられてる状況のためか、ラナンキュロア様の人間らしい声は、妙に温かく聞こえました。

 

『ジュベミューワ様は、空中に浮かんでいます。今更、船を墜としても』

『ユーフォミーの身体を乗っ取ったジュベって、それ自体もどうしたらいいかわからないけど……だからこそ船がどうなっているかだけ知ってお』/『何してるのぉ?』

 

「っ!?」

 

「あははっ、いい顔ぉ」

 

 まさかっ。

 

『裏でこんなことをしていたのね』

 

 まさかまさか、そんな!?

 

心話(テレパシー)を、ジャックするなんて!?」

 

『か弱い女の子一人に、三人がかりってずるくない?……あ、ふたりと一匹? ひとりと死にぞこないと、悪魔?』

『……ツグミ、なにこれ』

 

「で、できるはずがないんです! そんなこと! この心話(テレパシー)魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)の派生技術です! 感知されること無く、いつの間にか割り込むなんて芸当、私にも、ナオ様にも!!」

 

『落ち着いて、ツグミ。落ち着かないとレオのケツバットが飛んでいくから落ち着いて……あ、しなくていいから、構えないでいいから』

『んー、あっちの声は、聞こえにくぃなぁ? そちらの彼女は、わたしを()っちゃってって言った、ラナンキュロア様ですかぁ?』

『……こっちも、そっちの声は聞き取りづらいけど』

 

「……つまり、ラナンキュロア様、私、私、ジュベミューワ様、という直列の接続になっている、ということですか。なら、割り込みではなく片方……つまり私とだけ繋げている……ということなのでしょうか……ですがそうであったとしても、全く感知されずにできることではありません」

 

「だらしないなぁ、あなた、それでも魔法の専門家なの?」

「……あなたは、誰なんですか?」

 

 ここに来て私は、(ようや)く目の前の少女が、ナニモノでもないことに気付きます。

 

「ジュベミューワって、言ってるし、あなたもずっとそう呼んでいるじゃない」

「人は、人体の灰を操り、自らの(あし)とすることはありません」

「これ?」

 

 ジュベミューワ様は、右足を曲げ、膝をにゅいと持ち上げY字バランスの形をとり、そのまま百八十(180)度開脚してI字バランスのポーズとなりました。

 

 そうして顔の右半分に当たっているブルーグレーの脚を、すりすりと頬ずりしています。

 

 妙に、(いと)おし()です。自分の脚なのに。

 

「世界がわたしにくれた可能性、よ」

 

「何を、言っているのですか?」

 

 私の「鼻」には、それはとても醜悪なものとして、()えています。

 

 無数のエピスデブリが結節点(ノード)を形成し、異様なまでにネガティブな「感覚」が、「感情」がそこに渦巻いています。

 

 まるで千年、汚染されつくした沼の底にたまったヘドロがモノを考え、生きているかのようです。あるいは癌細胞(がんさいぼう)、でしょうか。

 

 (がん)を患っている方の呼気(こき)は独特です。(にお)いが違うのです。そのような臭気を、見た目だけなら青銅のような質感の脚に、私は感じています。

 

 (いと)わしいとはいいません。

 

 ですが(いと)しげに、自らの(?)その奇妙な脚へと頬擦りをするジュベミューワ様の気持ちも、理解できません。

 

「ジュベミューワ様、本当に、悪魔とでも、契約をしてしまいましたか?」

「うん?」

 

 理屈から考えれば、あの脚にはエピスデブリより生まれる痛み、痒み、痺れ、気持ち悪さ、疼き、焼かれる痛み、凍る痛みといった、ありとあらゆる辛苦が無限に発生しているはずで、脳もその信号を受け取っていなければおかしいのです。

 

「この世界には、肉体を魂の座として生を受けた者には、理解できないような存在があります」

「自己紹介ですかぁ?」

 

 それなのに……どうしてジュベミューワ様は、そのように陶酔しきったような顔をしているのでしょうか?

 

「あなたこそ、悪魔よ」

「悪……かどうかはともかく、()(つら)なる(もの)では、あります。魔法使いの眷属(けんぞく)という意味で」

「ほら、やっぱり」

 

 言いながら、ジュベミューワ様が右足を下ろした瞬間、一瞬だけその接合部が見えました。それは、蜘蛛の巣のよう、とでもいうべきか、伝線(でんせん)(ほころ)んだストッキングの(すそ)のよう、とでもいうべきか、色白な肌色に、それはまるで細いブルーグレーの糸が複雑にまとわりついているかのようでした。

 

「正義や悪は、相対的なモノですから、ジュベミューワ様が私を悪と断ずる、そのことを特に否定するつもりも、ありません」

「お高くとまっているのね」

 

 そうでしょうか?

 

「私にとって、人間の世界は、ずっと低くから見上げるものでしたよ?」

「空を飛べるのに?」

「空を飛べるようになったのは齢七十を超え、老境に入ってよりのことでしたから。それに、自分の意志で自由に飛べるようになったのは、この身体になってからです」

「……いくつよ、アンタ」

 

 ジュベミューワ様が、呆れたように尋ねてきます。

 

「それは、ご存知ないのですね……」

「いいから、こたえてよ」

 

 それは……正確にお答えするのは、大変に難しいですね。

 

「さぁ……死後、自分がどれくらい眠っていたのかを、私自身は把握していないので。それより、ここへ来たのはこうして、私と取り留めのない話をするためですか?」

 

 既に攻撃を、三回ほど受けた(というより(かわ)した)気もしますが、もう一度言えば、私は、この姿でどれほどのダメージを受けようが、再度死ぬことも、消滅することもありません。

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)を魂の座とし、一体化している私は、消滅の危機に陥れば自動的に、幽河鉄道(ゆうがてつどう)と共にナオ様の元へと送還されるでしょう。そういった機能が、幽河鉄道(ゆうがてつどう)にはあります。

 

「同じ言葉を、繰り返させてもらいます。どうしてあなたはここへやってきたのですか? レオ様でも、ラナンキュロア様でもなく、私の方へ」

 

『それはねぇ』『っ』

 

 できることが当たり前のように、嫌な(にお)いすらも感じる「声」が、私の頭に響いてきます。……こんなのは、ナオ様の知識にすらありません。あり得ないことなんです。

 

 その「声」で、ジュベミューワ様は嬉しそうに私へ……いいえ、聞こえているだろうラナンキュロア様と私へ、悪意の籠もった言葉をぶつけてきました。

 

 

 

『あなたとラナンキュロアが、いくつもの世界を滅ぼすからよ』

 

「……」

 

『……黙らなくて、いいよ、ツグミ。今のはこっちにも半分以上届いた』

 

『ラナンキュロアはね、根っからの悪人なの。あなたは何度でも何度でも、ラナンキュロアが幸せになるまで、人生をやり直させるんだって』

 

「……それが私の使命、ですから」

 

 

 

 それはもはや明確な殺意と言っていい、そうした害意を多分に含んだ声でした。

 

 

 

『ラナンキュロアは美姫に生まれ変わりたいと言って、大国の王女に転生する。そうしてその星を滅ぼす』

 

 

 

『ラナンキュロアはもう人間には生まれたくないと言ってエルフに生まれ変わる。そうしてその惑星を滅ぼす』

 

 

 

『ラナンキュロアは見た目は人間と同じ精霊族の少女に生まれ変わる。そうしてその世界を滅ぼす』

 

 

 

『ラナンキュロアは世界を滅ぼす』

 

 

 

『そうしてラナンキュロアは何度でも何度でも世界を滅ぼす』

 

 

 

『ラナンキュロアは永遠に、延々と、無限(むげん)に、無間(むげん)に、世界を滅ぼし続ける』

 

 

 

『あなたはそういう存在をサポートし続ける悪魔』

 

 

 

 

 

 

 

「嘘です」

 

 

 

 どうしてあなたが、そんなことを知っているのですか。

 

 誰から、そんなデタラメを聞き、信じたというのですか。

 

 

 

『んー……しないとは、言い切れないかな、私には』

「ラナ様!?」

 

『あなたは悪魔。どれだけの悲劇を見ても、それでもあなたはラナンキュロアを転生させる』

 

『私は、自分の生存のために人を殺し、ジュベミューワも殺した』

「やめてください。人が人を殺してはいけないというのは、まさにそれが理由なのです。人が人を殺すと、自分は人殺しであるという認識が生まれてしまう……まさにその一点が、その一点こそが、加害者である殺人者、その魂に課せられる罰、エピスデブリなのです」

 

『ま~た難しい言葉を使って、難しいことを話してる。わかる? あなた達はやっぱり悪魔なの。これからも沢山の世界を壊す、悪魔なの』

 

「“自分は人殺しだ”、三類のそれは、人生のあらゆる岐路(きと)において呪いのように関わってきます。例えば先に、ジュベミューワ様の件でラナンキュロア様が容赦なく、躊躇(ためら)いもなかったのは、既に三類のそれによって“道がついていたから”です。この、躊躇いがなくなるというのが問題なのです、大問題です」

 

『そうね、それは自分でも、そう思う。そうしたことを、後悔はしていないけれど、もっと上手く立ち回っていれば、そうなることを避けられたんじゃないかって、それだけはずっと思っている』

 

『人を殺しておいて後悔もしないって、そんなのはもう人間じゃない!! 悪魔よ!』

 

『あなたをちゃんと殺せなかったことなら、現在進行形で後悔してる……ううん、レオを責めたんじゃないの』

 

『ラナンキュロアァァァぁぁぁ!!』

 

『レオが私の剣だというなら、斬り方は私がちゃんと指定しなければいけなかったの。それで納得できないなら、私()の責任、ってことにしよ?』

 

「ラナンキュロア様……ナガオナオ様も、ある意味では人を殺し、殺し続けてきた魔法使いです。晩年のナガオナオ様は、数億という人間が自分のせいで死んだと……消滅したと自分を責めておいででした。自分が知らないところで何万何億が死のうと何も思わない……そう自分に言い聞かせながら」

 

『ほらやっぱり! こいつは悪魔だ! 悪魔の眷属なんだ!!』

 

「ナガオナオ様の心はそれによって傷付き、俗世(ぞくせ)との繋がりを切って隠棲(いんせい)するという選択を、せざるを得なくなりました。……ラナンキュロア様、人間は、ただ生きるだけで沢山の生き物を殺しています。微生物や、細菌を生き物に含めるなら、手を洗うだけで、入浴するだけで何千何万という命を奪っているのです。食事をすれば、それがお肉でもお野菜でも、命を頂いていることに違いはありません。ですが人は手を洗うことに、入浴をすることに、食事をすることに罪悪感を抱いたりはしません。どうしてか、わかりますか?」

 

『だってそれは……仕方無いから』

 

「そうです、生きるためには、よりよく生きるためには、それが必要なことだからです。ナガオナオ様も、よりよい世界がその先の未来にあると信じて、魔法の研究を、(たゆ)まざる努力を続けていました。誰を不幸にしたいと思い、そうしたわけではないのです」

 

『それが世界を滅ぼすなら、やっぱりそれは悪魔の所業よ!!』

 

「結果的に、悲劇を引き起こす努力はあるでしょう。結果論で、求道(ぐどう)愚行(ぐこう)(そし)られることもあるでしょう。魔法でも科学でも、最先端技術を研究し、生み出すというのは、世界を前に進めるということでもあります。それは、進歩についてこれない人を、あるいは世代を、置き去りにするということでもあります。ですが……」

 

『ただ平和に生きたいと願う市井の人々は! 一般市民は! 人類の進歩のために犠牲になれっていうの!? 悪魔! あなた達は悪魔よ! 悪魔ぁ!!』

 

 またも襲ってくる流体断層(ポタモクレヴァス)の刃を、今度は三連撃(さんれんげき)のそれを躱して、私は強く、ラナンキュロア様に訴えかけます。

 

「ですが……それでもナオ様は、止まりませんでした。よりよい世界を、未来を信じて研究を続けていました。ラナンキュロア様、時は誰がそれを止めたいと願っても、美しい今を留めたいと祈っても、いずれ動き、進んでしまうのです。どれほど平和に暮らしたいと思っていても、雨は降り大河は氾濫し、大地は震え、津波がやってきて人々を呑みこむのです」

 

「攻撃しても無駄っていうなら! 避けてばかりいないでよ!!」

 

 ぐんと、ブルーグレーの脚が伸び、私を蹴り殺そうと旋回してきました。

 

 一メートル弱の脚が、五倍か六倍かにも伸びたでしょうか。

 

 ですがそうした攻撃は、先のそれとは違い想定の範囲内のものでした。白黒の巨人の段階で、似たようなことはしていましたから。

 

 私は空中で身体を捻り、難なくそれを避けます。

 

 足はゴムひものように伸び、ゴムひものように戻って元の形に戻りました。

 

「ナオ様は……そうした世界にあって……ひとりしか掴めないカルネアデスの板ではなく……八人と、全ての動物のひとつがいしか乗れないノアの方舟でもなく……沢山の人が乗り込み、快適に過ごせる船を造ろうとしたのです。結果的に、その一部は軍船となってひとつの大陸を消滅させるという結果を生みました。ですがそれは……それはやっぱり結果論です。それを根拠としてナオ様を傷付けようとする人がいるなら、私は全力で戦います。ラナ様、私は何が正しいとか、間違っているとか、そんな理屈では動きません」

 

「だからオマエは悪魔なんだ!!」

 

「ラナ様……私はラナ様が間違っていたとしても、ラナ様の味方であり続けます。理屈に合わない、どうしてそうなるのかわからないというなら、レオ様にこう、お尋ねになってみればいいでしょう。“あなたはどうして私を愛してくれたのですか?”……と」

 

 言葉に、ラナ様の心が動揺し、おそらくはそのお顔が赤面しているだろうということが伝わってきました。

 

『……そんなの、聞くまでもないわ』

「時には想いを言葉にすることが重要な時も、ありますよ?」

 

「自分勝手なことばかり言って!!」

 

「正義しか愛せないというなら、間違った者を愛してはいけないというなら、この世界はとても悲しいモノです。エピスデブリに汚染された魂は、二度と救済されることがないでしょう。ラナ様、私はナガオナオ様が全盲で生まれたからこそ、その盲導犬となったのですよ? 私はナオ様といられて幸せでした。私が今、ここにいるのは、その時間を生きたからこそです。それは、いけないことですか? 正しく生まれなかった者は、正しく生きれなかった者は、永遠に不幸になるべき存在ですか? それで世界が、本当に良くなると思いますか?」

 

「詭弁よ! 極論だわ!」

 

 ジュベミューワ様は……銀色の髪、黒とピンクで構成された布面積の大きい服、両足のブルーグレー、その四色で構成されたユーフォミー様、だったはずの姿で、ヒステリックに叫んでいます。

 

 ここまでで、どうやら私を攻撃したい、害したいという意思があることは伝わりましたが……それは、最初から無駄な行為です。暖簾(のれん)腕押(うでお)し、(いぬ)論語(ろんご)です。

 

 どうもおかしいです。何かが狂っています。

 

 ラナンキュロア様がもうすぐ死ぬであるとか、私達がいくつもの世界を滅ぼすであるとか、それが真実であるなら、そういう世界を知れたのなら、このジュベミューワ様は、もっともっと色々なことを知っていなければおかしいのです。

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)割る(クラックする)ことができたのなら、私の本体にも直接攻撃することが可能なはずです。こんな、仮の姿に攻撃を仕掛ける意味がわかりません。

 

 それに、ラナンキュロア様が世界を滅ぼす瞬間を見たのであれば、それこそ、その実際の手段を知っていることでしょう。ですが彼女の言葉は伝聞調(でんぶんちょう)で始まり、今では抽象的な、誰かに(ささや)かれたことをただ(わめ)()らしているかのような、そういった傾向が強くなってしまっています。

 

 誰かに囁かれた……()に?

 

 やはりナニカが狂っています。事象の歯車が、いくつも欠けていて正常に動いていない印象を受けます。

 

 まるで、ユーフォミー様の皮を被ったジュベミューワ様も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……のような。

 

『ツグミ、聞こえる?』

「……はい」

 

『色々言ってもらって悪いんだけど、そういう、お兄ちゃんが読んだ名作小説、名作漫画にあったみたいなフレーズは、女子高生の私には既に陳腐なものになっていたの。そこからもう十六年よ? 今更、そんなレトリックで私の心は震えない。その手の幻想(ファンタズム)に力は、もうないの』

 

「そう……ですか……私に力は、ありませんか……」

 

『けど……うん。ええ、私はレオがいたから、レオが私を愛してくれたから、今の今まで生きてこれた。それだけはツグミの言う通り。今更、誰のためと言われても、世界のためと言われても、それを手放したくはない。手放すつもりもない』

「ええ……そう、です。ええそうです、ラナンキュロア様、ラナンキュロア様は幸せになれます、なりましょう、レオ様と一緒に幸せになるんです。私はその未来の方を観……いいえ、この目で見たいです!」

 

『え、見届ける気なの? ずっと?』

 

『悪魔ぁあああぁぁぁ!!』

 

 

 

「悪魔! 悪魔! 悪魔! いいわ! 教えてあげる! 私はあなたの心を挫くためにここへきたの! あなたを傷付けたい!? そんなのはどうでもいいわ! 私はあなたを壊したいだけ! あなたが私にそうしたように!!」

 

 

 

「ジュベミューワ様、なにを」

 

『言ったでしょ、ツグミ、そいつは偽者なの。もうツグミの偽者、なんて次元の話じゃない。()()はもう、ジュベミューワの偽者、ユーフォミーの偽者、ありとあらゆる、ソイツが擬態する全ての偽者なの』

「え?」

 

 

 

 そうして端的な言葉で、ラナンキュロア様は()()の正体を断じました。

 

 

 

『つまりそいつは、ジュベミューワの機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)が暴走し、壊れて、ジュベミューワ(本体)そのものさえも取り込んだ、その成れの果てってこと』

「まさかっ」

 

『多分ノアの性向とか、灼熱のフリードの野心とか、そういうのも取り込んでいる。ありとあらゆる人の業……ツグミのいうエピスやエピスデブリを、本人の自覚なく取り込んでしまう魔法が際限なく膨張し、迷走した結果が、それよ』

「まさか……そんな……」

 

 

 

 ですがそれでは、説明できないこともあります。

 

 沢山、あるんです。

 

 

 

『ぐだぐだと人のこと、論じてんなぁぁぁ!!』

 

 私が、一切の理屈を飛び越え、ラナンキュロア様が一足飛びに出したその答えを検証……する間もなく。

 

「ジュベミューワ様!?」

 

 ジュベミューワ様は宙を、天高く昇り、脚を長く、長く長く伸ばしてそれで()()()()()()()。脚だったものが、触手のように、後方へ待機させていた船を、掴んだのです。

 

 

 

「言ったでしょ! わたしはあなたの心を壊すって! ラナンキュロアがそんなにも大事なら! その終わりが来る前にここで壊してあげる!!」

 

 そうしてジュベミューワ様は、コールタールで黒く光る船体を()()()()

 

 重力って、なんでしたっけと、一瞬物理法則を忘れてしまうような勢いで。

 

「!! 何をする気ですか!?」

『ああ……そうくるか。それはそういう風に使うのね』

 

 それを、レオ様とラナンキュロア様がいる地下シェルター……がある辺りを狙って、物凄い勢いで、投げ落としたのです。

 

 

 



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epis64 : OtomedomoYo.

 

<ラナ視点>

 

 考えていた。

 

 ずっと考えていた。

 

 どうすればレオを救えるのか。

 

 どうすればレオを死の運命から逃れさせることができるのか。

 

『言ったでしょ! わたしはあなたの心を壊すって! ラナンキュロアがそんなにも大事なら! その終わりが来る前にここで壊してあげる!!』

 

 どうすればレオに納得して、生きてもらえるのか。

 

「ああ……そうくるか。それはそういう風に使うのね……レオ」

「うん」

 

 ずっと考えていた。

 

「敵は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の劣化コピー能力を持っている」

「わかってる」

 

 そのことだけを、考え続けていた。

 

「また、この空間にワープしてくるかもしれない」

「わかっているよ。全方位、警戒している」

 

 私がレオを救う方法は、乱暴に踏めばすぐにでも割れてしまう薄氷の上に、ひとつだけ、ずっと置いてあった。

 

「あっちの、船は任せて……止めてみせるから」

「なら、僕もこっちは任せて、だね」

 

 

 

『ラナの命は、僕のそれよりも重い』

 

 

 

 けどそれは、レオが許してくれないだろうとも思っていた。

 

 

 

 私の命……というか存在そのものをチップにした、賭けだからだ。

 

『ラナは僕の命より、自分の命を大事にしなくちゃね。僕のために生きてくれるのは、それは嬉しいことだけれど、僕のために死ぬことは……僕が許さないからね? その認識と選択を、間違えないで』

 

 

 

 レオは知っている。

 

 

 

 今日の、これまでの様子から、おそらくはツグミでさえも知らないこの仮説を、レオだけは知っている。

 

 そういえば「あの実験」をした日は、マイラの手綱を、商会の人に預けて出かけた。マイラは、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放つ超大型犬。商会の人達が、厄介そうな相手(犯罪者、というわけではないのだが、港町には筋骨隆々な荒くれ者も多いのだ)と取引をする際には、貸し出すことも多かった。

 

 そうして「その実験」の際、私達は全裸になった。

 

 実験の結果、服がどうなるか判らなかったからだ。

 

 私達は倉庫……ここよりはだいぶ狭い一棟(ひとつ)の倉庫……を貸しきり、他には誰もいない、埃っぽいその密室の中でレオとふたり、真っ裸になって「その実験」を行った。

 

 

 

 ツグミはこれを、観測できなかったはずだ。

 

 

 

 だけど、(そば)にいたレオだけは、「この実験」を知っている。身をもって体験している。

 

 

 

『間違えないで。僕がこうなったのは僕の責任だ。僕のために死ぬ? ラナにはそんな権利、ないよ。だって僕は、ラナにそんな犠牲を選ばせたら、きっと僕自身を許せなくなる。僕にとって、僕よりも大事なのはラナだから』

 

 

 

 レオはずっと、私に「賭けるな」と命じていた。

 

 心地いいほどの強制力を声に乗せて、私を甘く縛っていた。

 

 

 

 僕のために死なないでと。

 

 僕のために生きてと。

 

 

 

「ツグミ! 聞こえる!?」

『は、はい!』

「そっちの状況は!?」

『船を墜とした後! そちらへ追撃に向かおうとするジュベミューワ様と! 戦闘になっています!! そちらの方は大丈夫ですか!?』

 

「船が土にめり込んだところで止まってる! めり込んだっていうか刺さった感じ! 船版犬神家の一族かなってくらい! どう考えても物理的におかしい形なんだけど! これって魔法的な何か!?」

『はい! 世界改変魔法の影響が観測できます!……やっ!! はっ!! とぉっ!!』

 

『……まーたオマエタチは、裏でこそこそと!』

 

 

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間は、宇宙的に見れば当然のごとく「移動し続けている」。

 

 この星は動いているのだから。

 

 引力によって公転し、重力という引力を発生させながら自転をしている。

 

 宇宙は膨張してる。それは開闢(ビックバン)の時よりずっと加速し続けている。

 

 

 

『表では! ほやぁっ!! こうして! てぃぃぃ!! 真剣にタイマン勝負を! お相手してさしあげて! わぅぅぅん!! いるじゃないですかっ!!』

『邪魔するなぁぁぁぁ!!』

 

「……何をやっているのかは、さっぱりわからないけど……今度はドラ●ンボールオマージュ?……じゃあ、お取り込み中のところ悪いんだけど、どうにかしてこの船の中に……人が乗っているか確認できない?」

 

 

 

 ならば罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間も、当然ながらその流れに乗っている。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は通常、重力を通過させている。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内が無重力空間でないのはこのためだ。

 

 けど、それなのに、(主には盗撮機能のカメラ用途で)空に浮かせた状態で出現させた空間が、重力を受け、下へ落ちていかないのはなぜか。

 

 おそらくは、それは私ではなく、私の召喚獣であるところの罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)自体が、それがそうなるよう、自動的に調整をしてくれているのだと思う。

 

 その仕組みは知らない、わからない。原典を生み出した魔法使いさんがそういう風に造ったのだろうけど、それがどういった理屈で、理論で、原理で動くものなのか、私にはわからない、わかるわけがない。

 

 その仕組みを超えて、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の空間、それ自体を動かすことはできるのか?

 

 

 

『今更! ですか!?』

「そうじゃないと! レオが斬れないでしょ!? あの船を!」

『悪魔が! 殊勝(しゅしょう)なことで!! って足を掴むなぁぁぁ!』

『どぉぉぉうりゃぁぁぁ!! わっかりましたぁぁぁ!! やってみますぅぅぅ!!』

 

「……あれもキャットファイトっていうのかな? 片方犬だけど、やっぱり見た目ドラ●ンボールな空中戦(ドッグファイト)だけど」

 

 

 

 それを試みたのは、レオと出会うずぅぅぅっと前、引き籠っていた、もっともっと幼い頃のことだ。

 

 やったことは、小さく割った空間を風船に見たて、その内部で重力を操り浮力を得ようというものだったが、これは上手くいかなかった。

 

 どうも空間を割っている黒い線、面そのものが、一度出した場所から空間を動かさないよう、調整をしているらしく、どうやっても宇宙的な移動に添う形でしか、動いてくれないようなのだ。つまりは、天動説の地球よろしく固定化されていて「動かない」。

 

 まぁ、それができるのであれば、いわゆるゼロ周目で私達が海を漂うことになったという、その状況を、どうとでもすることができたはずだ。浮かび、陸と思われる方向に向かって動けばいいのだから。

 

 

 

『お待たせしました! どうにか! なんとか観測できました!』

「ホント!?」

『ですがごめんなさい!! 乗っています! 確認できただけで六人! その船には人が乗っています!!』

「うっわっ……最悪……」

 

「ラナがその顔をするってことは……人が乗っているんだね、この……船には」

 

 

 

 なぜ動かせないのか、だがなぜ宇宙的な移動には従っているのか。

 

 それはつまり、空間を割っている黒い線、面そのものが、引力、重力、宇宙を膨張させているダークエネルギーといった類の影響だけを、選択的に受け入れているから……のだと思う。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、空間支配系魔法は、魔法は、そういうことができるのだ。

 

 

 

「生きてるの!? その六人!!」

『はい!? ごめんなさい! ちょっと今、私! 分裂状態で! ラナンキュロア様の声が何重にか重なって聞こえています!!』

 

「……ああ、そういえば分身できるんだっけ、ツグミ。生・き・て・い・る・の!?」

『私のこの身体はイキイキしていますよ! お気遣いありがとうございます!!』

「ちっがーう!!」

 

 

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で重力が操れることは、確かだ。

 

 重力を操れるということは、引力を操れるということでもある。

 

 ダークエネルギーも、おそらくは操れるのだろうが、残念ながらそれを私は、イメージできるほどに詳しくはない。

 

 実際、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内部においては歩かずとも操作した重力によって移動することができる。そして、ここからは複雑な話になってくるが、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内部においては、罅割れた世界、空間そのものを動かすことも可能だ。

 

 

 

『お待たせしました! 分身! 解除しました!!』

『解除させられたの間違いだろぉぉぉ!!』

 

「なんかもう! 色々言いたい気持ちを抑えて! もう一度()くけど!! 船に乗ってる六人ってまだ生きているの!?」

 

『それは……きゃぁ!?』

 

「ツグミ!?」

 

 

 

 動くとは何か?

 

 

 

 動くには、二種類ある。

 

 地動説においては、天が動いて見えるその理由を、地が動いているからと説く。

 

 天動説においては、天が動いて見えるその理由を、天が動いているからと説く。

 

 つまりは「動く」には、相対的なモノと、そうでないモノとがある。

 

 

 

『ふうっ……ちょっとヒヤッとしました。ラナンキュロア様! お待たせしました!! お答えします! 生存されているのが、六人です! 既に絶命された! ご遺体の分は! カウントに入れていません!!』

 

「……ってことは、死体も乗っているのね……六人、か」

 

「死者多数、生存者、六人、か。ラナ」

「っ!? ダメ! レオやめて!」

 

 

 

 言い換えれば、動かずとも、動いている空間の中にあって、自分だけが停止すればその空間の中を移動したことになるということだ。

 

 つまり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間……これを空間Aとしよう……の内部においては重力、引力を自在に操れるのだから、空間内にある空間……これを空間aとしよう……に対しては、その影響をゼロにすることができるのだ。

 

 空間Aは宇宙的移動をしている。空間aには宇宙的移動の影響を停止することができる。

 

 ならばこの時、停止しているaは、動いているAの中にあって実質、相対的に移動することとなる。

 

 これは実験済みの事実だ。操作する引力のベクトルと濃さを調整することで、方向とスピードの調整までできるようになっている。

 

 ただ、これは結構危険な技術でもあった。

 

 少なくとも、単なる重力による移動なんかとは、比べられないくらいに。

 

 ほんの少しでも操作を誤ると、中にある物質を破滅的なまでに破壊してしまうので、人体実験、すなわち肉体を含む空間の移動を行ったことはない。……まだ、ない。

 

 けど、これが可能でないはずがない……とも思う。

 

 動かす対象がレオであるなら、なおさらのことだ。

 

 

 

「その剣を船に向けないで!!」

「どうして」

 

 

 

 だから今、レオの身体は、生存の根本を罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の空間に固定化され、動けないように見えるが、宇宙的な動きを利用すれば相対的に、動くことができる……そのはずなのだ。

 

 そして、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の位置は発動し直すたびに変えられる。無限に発動し直せば、無限に移動することができる。もし、同様に、同じ理由で危険だからと封印していた人体のワープ機能を解放し、併用することができるのなら……更に凄いことも可能となるだろう。

 

 

 

「僕は、人殺しだ。その事実はもう変えられない」

「ダメ……ダメ……ダメだから」

 

 

 

 ここまで理解できれば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は世界を壊すことのできる魔法であるということが理解できる。

 

 これら全ての危険を呑み込み、自分の身をチップにして賭けられるなら、後先考えずどんなこともできる。

 

 先の例に(なら)えば、私自身を空間aに入れ、空間Aを移動していくことが可能なら、私はどの場所の何であっても、破壊することができる。

 

 地下深く潜り潜り、マントルまで到達して惑星そのものを壊したっていい。地熱、熱をどこまで遮断できるのか、私は実験していないが、だからこその賭けだ。

 

 天高く昇り、オゾン層を壊し続け、地上を人間の住めない環境にすることも可能だろう。私自身も生きれない環境になるだろうが、後先を考えないなら、そんなこともできる。

 

 宇宙に出て、この惑星の公転経路に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を置いたらどうなるのだろうか?

 

 月を、大月(だいげつ)小月(しょうげつ)を、同じように壊したり、経路を塞いだりしたらどうなるのだろうか?

 

 なんだっていい、どうとでもできる。

 

 

 

「悪人じゃなく、悪いこともしていないから殺したらダメって話?」

「違う。そんな……他人の命の軽重を決める権利なんか……違うな、勇気なんか、私にはないって話」

 

 

 

 ジュベミューワのような能力者がどこかにまだ存在しているなら、類似する能力者がいるのなら、あるいはジュベミューワとはまったく別のロジックで、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の内部に影響を及ぼし得る誰かがいるのならば、どこかの段階で私の破壊活動は止められてしまうかもしれない。その時は悪役として処分されるミジメな存在ともなろう。

 

 でも、それを含めての賭けだ。

 

 叔父さんが苦手と言った賭けだ。

 

 私だって得意じゃあないが、賭けは得意だからするというモノでもないだろう。好きじゃなくても、他にやることがなければ戯れにするかもしれないものだ。

 

 人生に何もないと感じたまま、人生という迷宮の最下層に到達したならば、きっと意外なほど多くの人間がその戯れに手を伸ばすだろう。小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善(ふぜん)()す……というヤツだ。この世界に、真の意味で小人(しょうじん)でない人間、つまり徳があって品性もある人間が、どれだけいるのかという話だ。

 

 私も小人(しょうじん)だ。

 

 レオがいなかったら、丁稚と結婚していたら、伯父に囚われてしまっていたら、きっと不善を為していたことだろう。それがナイフを手首に当ててのただの自殺か、それともそのナイフで自分以外の誰かを巻き込み、盛大な自滅をしたか、どちらだったかはわからない。

 

 今となってはそんなの、わかりたくもない。

 

 

 

「ラナ、僕は」

「レオ、言ったよね? ラナ()の命は、僕のそれよりも重いって。もし、命を重さで測るなら、あそこには六人の命があるの」

 

「僕にとって! 誰よりも重い命は!」「ダメ。その言葉は受け取れない。受け取ってしまったら……私はもう、自分自身を許せなくなる」

「ラナ……」

 

「もう二度と、私は自分を愛せなくなる」

 

 

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、それ自体は動かせなくても、その中を自由に動くことなら可能だ。

 

 むしろ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の、その中だからこそ、通常は動かせないものも動かせるのだ。

 

 

 

 これが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)禁忌(きんき)、その第一段階だ。

 

 

 

「ツグミ! そっちの状況は!?」

拮抗状態(きっこうじょうたい)! です! 互いに決定打を与えられない形となっています! ううっ、理解できるものなら即時発動で! 何でも弾き返す“要不要”が! ここまで厄介とはっ!! くっ!?』

「……今更だけど、どうしてジュベミューワがユーフォミーの姿をしていて、“要不要”まで使えるの?」

『かみさまが! わたしにあたえてくれたからよ♪』

 

「……楽な生き方、しやがって。我が行いは全て神のご意思ですって、伯父さんか」

「ラナ……」

 

 

 

 ところで。

 

 

 

 ならば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間とは、なんなのだろうか?

 

 

 

 ツグミの話から、なんとなく伝わってくるものがあったが、私の魔法は、どうも地球とは全く違う方向に進化した科学より生まれた、純然たる技術(テクノロジー)なのではないだろうか?

 

 ツグミがいつだったか使った「クアジケノン」という言葉。

 

 kenon(ケノン)は、古代ギリシアの原子論(レウキッポスとデモクリトス、だったかな?)において、原子(アトム)と対になるものとして考えられた「空虚なるモノ」……だったはずだ。

 

 そういう話は、お兄ちゃんが大好きだった。だからね! つまり! この仮説に従えば! この世界は(ゼロ)(イチ)だけで構成されているんだよ! コンピュータの世界と同じで!……って……そのようなことを言っていた気もする。

 

 quasi(クアジ)は何語だったかの接頭辞(せっとうじ)で、後に来る言葉に「擬似(なになに)」「準(なになに)」「(なになに)に類似するモノ」という意味を足す性質のモノだ。

 

 恒星(ステラ)quasi(クアジ)を足すとquasi-stellarとなり、「恒星(こうせい)でないのに恒星(こうせい)のように振舞(ふるま)天体(てんたい)」を意味する「Quasar(クエーサー)準星(じゅんせい))」は、この短縮形だ。

 

 だからquasikenon(クアジケノン)空虚に類似するモノ(クアジケノン)、もう少し造語をすれば擬似空子(クアジケノン)準空子(クアジケノン)という言葉になる……のだろう。

 

 もし、原子(アトム)を研究することで様々な技術を生み出した地球のように、ケノンを研究することで様々な技術を生み出した世界があったならば……それがお兄ちゃんとツグミの世界であるのならば……罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は魔法というよりは、地球人からは理解できない、()()()()()の申し子であるということになる。

 

 地球の科学における空虚なるモノ(ケノン)、すなわち無、すなわちゼロは、数学においては非常に厄介な特性を持っている。例えばゼロで割るという行為、これは数学……というか算数上、明確に「禁止」されている行為だったりもする。

 

 まるで、数学という宗教における、それこそ禁忌(タブー)のような扱いだ。実際、地球上では、ゼロは二十一世紀になっても悪魔の数字と呼ばれていたりもした。

 

 これはゼロが、自然界には「存在しない」ことから生まれる矛盾でもある。「存在しない」というのはつまり、「()い」ということでもあり、それは「見えない」「視えない」ということでもある。

 

 だが同時に、ゼロは数学の世界に飛躍的発展をもたらした概念でもある。それは同じように「自然界には存在しない」概念、虚数もだ。自然界には存在しない、概念の上にしか存在しない完璧な円を想定し導かれる円周率もまた、同様のものだろう。

 

 

 

『そちらは! 大丈夫ですか!?』

 

「こっちは……船が……土に刺さったまま微動だにしてない。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に運動エネルギーを無効化(なかったことに)されているはずなのに、アンバランスな逆立ち状態のまま、横に倒れたりもしていない。それが凄く不気味」

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を! 解除しないで下さい!……多分それにはまだ! 世界改変魔法により物理法則へ! なんらかの換骨奪胎(かんこつだったい)()されているはずです!』

 

「物理法則の統括と制御能力、VS(バーサス)、物理法則の改造と改変能力、か……はは、スケールでいったら負けてるっての。ツグミが使った時にも思ったけど」

 

 

 

 人類は、概念を「発見」することで飛躍的に発展してきた。

 

 見えないものを、観ることで進化してきた。

 

 人類は、知恵の身を食べ、裸であることをやめたのだ。自然のままの姿であることをやめたのだ。

 

 社会を、国家を、王を、宗教を、規範を、道徳を、民主主義、資本主義等、数多くのナンチャラ主義を、憲法を、三権分立を、人権を、愛を、数々の幻想(ファンタズム)を生みながら、人間(ホモ・サピエンス)人間(ヒューマン)として生きてきた。

 

 それを、生き物としては間違った姿であると、嘆く人も()るだろう。

 

 実際に、そうして人類が生み出してきた数々の幻想(ファンタズム)は、同時に、獣として生きていれば味わうことの無かったはずの苦痛を人類に……いや、ちっぽけな、ひとりひとりの人間に……与えてきた。

 

 でも、ならば、自然のまま生きることには、苦痛がないとでもいうのだろうか?

 

 それぞれが己の欲望を、獣のように行使する世界こそが楽園であるとでも?

 

 そんなはずはない。

 

 そんなわけがない。

 

 知恵の実を食べたことは、けして罪などではない。

 

 科学の進歩は、幻想(ファンタズム)の進化は、けっして失楽園の顕現(けんげん)などではなく、間違いなく人類そのものの進歩であり、進化だ。

 

 

 

『ラナンキュロア様に魔法の知識はありません! ありませんが! 幸い罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は! イメージだけでオートプロテクションを行える魔法! 自分に有害と思える魔法の力を全て無効化するイメージで耐えてください! エキシ・エァヴィリェは! 流体断層(ポタモクレヴァス)でさえもそうやって防ぐ魔法でした!!』

 

「……了解」

 

 

 

 ならば。

 

 最初からゼロをタブー視などせずに、「見えない世界」を「観た」人類は、何を生み出してきのだろうか?

 

 原子(アトム)の実ではなく、空子(ケノン)の実を食べた人類は、その先に何を「観た」のだろうか?

 

 

 

「待って、ラナ、あれは?」

「え?」

 

「中央マスト! その根元付近! 画面左下!」

 

 

 

 それこそがお兄ちゃんとツグミの世界の、「魔法」なのだろう。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)であり、幽河鉄道(ゆうがてつどう)なのだろう。

 

 それは幻想で、イツワリで、夢物語だけど、でもそうじゃない。

 

 

 

『どうしました!? ラナ様!!』

 

「う……なに、してんのよ……あのキジトラ」

 

「猫人族の、子だよね? 船で僕達に応対した」

 

 

 

 だってそれらを否定するのは、ゼロを悪魔の数字として断じ、思考停止をするのと同じことだから。

 

 

 

 だから、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間は、それが地球的科学、数学では説明できないナニカではあるものの、別の科学、数学においては説明のできるナニカということになる。それはゼロに思考停止しなかった科学が、数学が、その先に観ることのできた叡智(えいち)なのだ。

 

 

 

「垂直に立った船の中央で、マストに、文字通り齧りついているね……いや、右手に斧を持っている。それをマストに打ち付け、耐えている感じかな?」

「脱出しようとして出てきたら、外ものっぴきならない状況になってて身動きが取れなくなったってところ? もうっ! 猫ならそこはひょいひょいと逃げ出してよね!」

 

「……どうするの? ラナ」

 

 

 

 そしてこの「魔法」は、魂より生ずる「マナに触れられる手」とやらによって引き起こすものらしい。つまり()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 

 

「ううっ……猫殺しは人殺しより心が壊れそう」

 

「……ラナはあの子に、失礼なことを言われていた気もするんだけどね」

 

『ラナンキュロア様?』

 

 

 

 それはそうだろう。そうでなかったら、ツグミが使っている、エピスを魂に付与するという魔法は、じゃあなんだ?

 

 魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)って、じゃあなんなんだ?

 

 なんならジュベミューワの、魂に宿っているはずのエピス、それを真似て使う機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)ってなんだ?

 

 つまり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、人の魂をも扱える()()の延長線上にある「技術」である……ということになる。

 

 

 

 そして、肉体に魂が、「科学的に」宿っているのであれば。

 

 

 

 魂もまた、宇宙的には移動し続けていなければおかしい。

 

 

 

「……今こそ、賭けるか」

「ラナ!? まさか!?」

 

 

 

 それはつまり、魂もまた、重力、引力の影響を受け、移動することができるということを意味する。

 

 宇宙的な引力(なり、その反対のダークエネルギーなり)に引っ張られているのか、肉体か、魂の座か、そういう「場」に発生する同様のそれ(座的引力(ざてきいんりょく)とでも呼ぼうか)に引っ張られているのか、それは判然としないが、魂だけ何の力の影響も受けないのであれば、常に移動し続けている宇宙の、惑星の上においては、それが安定的に存在できるはずもない。

 

 いや言い直そう。

 

 全てが動き、動き続けてる不安定な世界の中において、自分だけがその影響下から離れるというのは、世界そのものから置いてけぼりにされるということだ。

 

 どれほど醜く、汚らしい世界であっても、引き籠ってしまったら残るのは孤独だけであるというのを、私は知っている。あるいはそれは社会的な死とも()える。

 

 魂が肉体、魂の座より離れるというのも、なんらかの死をもたらすものなのではないだろうか。

 

 

 

「ううん、そっちじゃなくて、今は人体の、ワープ機能の方」

「ああ……」

 

「人体をワープさせるのは危険……と思っていた。私が……深層心理で拒絶しているかもしれない人を……他人を……中途半端な形で“通過”させちゃったら?……拒絶してきた他人の心を、魂を、中途半端な形で“通過”させてしまったら?」

「……うん」

 

「私は、私の人嫌いで人を殺してしまうのかもしれない……だから、動物実験を成功させても……愛玩用として売っていたぷいぷい鳴くのを買ってきて……それがワープを通り移動しても、何事もなかったかのようにぷいぷい鳴いているのを見てさえも……私は……どうしてもその先にはいけなかった」

「うん、わかってる。わかっているよ、ラナ」

 

「でももう、そんなことを言っている場合じゃ、ない……よね?……ねぇツグミ! 聞いていた!? どう思う!?」

『え!? ごめんなさい! 今! それどころじゃなくて! 分身体のいくつかが! 八つに分かれたジュベミューワ様のタコ足……じゃなくて! 脚に! 捕まってしまって!』

『誰がタコ女よ! 悪魔女! 牝犬(ビッチ)!』

 

「……あっちはあっちで、少年マンガな戦闘を継続中、か。……いや葛飾北斎(かつしかほくさい)な春画?」

 

 

 

 ならば魂とやらが特別神聖であり、肉体とは違う物理法則の中を生きているのであれば、生き物はもっと簡単に死んでしまう、些細なことで霊的に壊れてしまうモノだったろう。

 

 あるいは、本当に特別神聖で、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間と同じようにナニカ高度な技術を使って、自ら宇宙の動きと同期しているのかもしれないが、それはそれで別に構わない。引力を、ペットの首輪を引く力に(たと)えれば、それによって無理矢理ペットが動くのも、ペットが主人の意図を読んで自発的に動くのも、結果的には変わらない。ペット自身の幸福度はだいぶ変わってきそうだが、まぁそこまで罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を擬人化(擬ペット化?)するつもりもない。

 

 

 

 だから魂は、エピスは、おそらくはエピスデブリも……引力によって動かせる。

 

 

 

 ならば罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の内部においては、魂も、エピスも、エピスデブリをも、動かせるのではないか。

 

 

 

 これが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第二段階だ。

 

 

 

「仕方無い、ツグミの意見が聞けない以上、やっぱり賭けになるけど……あの一画を切り取って、あの子をここへワープさせる。それができたら、船の中を片っ端から切り取ってみて、残る五人の生存者も探して、同じことをして……そうしたらレオがあの船を斬ることができるようになる……でしょう?」

 

「賛成は、できないけど……わかった。了解したよ、ラナ」

 

 

 

 引力とは何か。

 

 

 

 それは物質と物質の間に発生する「引かれあう力」だ。

 

 万有引力とかクーロン力とか、他にも色々あったがそこまで細かく覚えていない。

 

 なぜ発生するのか、どうして存在しているのか、それはまだ、二十一世紀の地球の科学では説明できない、解明できていない。いなかったはずだ。私が死んだ後に解明できたのなら知らないけれど。

 

 ただ引力は、間違いなく(あまね)くこの宇宙に存在している。

 

 イメージもできる。重力とはつまり惑星上に働く引力のことだから、重力を操れるなら引力も操れて当然だ。自発的にそれを発生させることはできなくとも、重力よろしく既に発生している引力であれば、私はそれを操ることができる。

 

 

 

「いくよ!」

「うん」

 

 

 

 そこに魂の座があるなら、魂は、あるいは情報(データ)誘導体(デリバティブ)は、移動することができる。通常は、結節点(ノード)という結びつきによってそれは起こらないよう、なんらかの保護をされているのだろうけど、こと「移動させる」という点においては、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)にはあらゆる制限をも突破するポテンシャルがある。

 

 

 

 これらのことを踏まえ、私達が進んだ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第三段階は……。

 

 

 

『う、ううっ……ごめん、ごめんレオ』

 

『大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて、ラナ』

 

『あっ……ご、ごめんなさい、引っ掻いちゃった……血が……レオ……』

 

 

 

 ところで。

 

 

 

 ところでこれが、物語だとして……私とレオに身体の関係があると聞いて、素直に納得した人はどれくらいいるだろうか?

 

 私が、レオに抱かれることを()()()受け入れられたと聞いて、そりゃあ好きな人が相手だったら、大丈夫だよねと思った人は、どれくらいいるのだろうか?

 

 

 

『大丈夫、痛くないよ。大丈夫だから、僕は大丈夫だから、ね? 落ち着いて、ラナ』

 

『ううっ……うううっ!!』

 

 

 

 とんでもない。数ヶ月の間はダメだった、無理だった。

 

 どんなにレオを愛していても、心でそれを求めていたとしても、身体が男性性(だんせいせい)を拒否する。ならばと女装をしてもらっても……ダメだった。

 

 男性性を、少しでも感じた時点でダメだった。突き飛ばしたし、殴打も嘔吐もしたし、失神も失禁もした。

 

 

 

『ねぇラナ、僕はラナを好きだよ。でも、だからって、身体の繋がりは、肉体の繋がりは、絶対なんかじゃないから。そんなことをしなくても、僕はラナの味方だから』

 

『嫌なの! こんな風に好きな人を乱暴に拒絶してしまう自分がイヤ!! 心が求めていることを! 身体が拒否するというそのアンマッチが! 割れたままの自分でいることがイヤなの!!』

 

 

 

 私はレオと結ばれたかった。

 

 それは本当に、心の底からそう思っていた。

 

 でもそれに、身体の反応が伴わなかった。

 

 

 

 だから私は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第三段階の扉を……開けたのだ。

 

 

 

 

 私の魂、その中にある忌まわしい記憶(エピスデブリ)を、動かす。

 

 

 

 今にして思えば、それはツグミの真似事でもあったし、そのお株を奪おうとする行為でもあった。

 

『この魔法(スキル)は私達の世界の言葉でシ・エァヴィリェと呼ばれていました』

 

 まぁ、どちらにしろ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)はツグミから与えられたものだったし、そこに誇れる独創性は、元より無いが。

 

『大気、外気へ自らの魂の一部、情報(データ)誘導体(デリバティブ)を拡張する魔法でした。空気に神経を通し、それを自分の手足のように使う魔法、と考えれば、近いイメージが得られると思います』

 

 結論から言えば、これも最初は失敗続きだった。

 

 今にして思えばそれも、至極当然のことだ。

 

『任意の座標に空間神経叢(くうかんしんけいそう)を展開した後、それを、文字通り結界化することで空間の支配を行っています』

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は魂の一部、拡張された情報(データ)誘導体(デリバティブ)とやらがベースとなっているらしい。

 

 となれば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で割った空間の内部領域、そのものが「私の領域」なのだ。

 

 私の中で、私の魂をいくら動かそうが、それが私の中から出て行くことはない。

 

 実験をしていた頃の私は、それがそうであると理解できていなかった。だからエピスデブリは魂に粘着する形で引っ付いていて、そこに剛性があるから、引き剥がそうとしても無駄なのだと思っていた。結論付けていた。

 

 それは間違いだったが。

 

『ねぇ、ラナ……エピスデブリに粘性があり、それが邪魔しているのなら、別の何かに引っ付けることで、その欠片くらいなら移すことができるんじゃない?』

 

 それが、私の推論を聞いていたレオの……提案だった。

 

『別の何か、って?』

『決まっているじゃない、人の魂に引っ付くナニカなら、違う人の魂に引っ付ければいい。それでね、ラナ……ラナの魔法の秘密を、禁忌を知っていいのは僕だけだよ。違う?』

 

 反対した。大反対した。私の魂の汚れは、私が墓場まで持っていくものだ。

 

 いや、投げ捨てるならいい、投げ捨てられるならそうしたっていい。

 

 でも、それができないなら、やっぱり私が大事に持っているしかないモノだった。

 

 

 

 レオを(けが)したくなかった。

 

 

 

 だけど。

 

 

 

『それに、ラナは僕のこと、好きなんでしょう? 僕はラナが好き。ふたりの魂には、引力が働いているんだ。だったら、そうじゃない誰かとするよりも、上手くいくかもしれないよ?』

 

 最終的に私はレオの、そんな殺し文句で首を縦に振った。

 

 首を縦に振ってしまった。

 

 冷静に考えると、なぜそんな言葉であっさりと自分が陥落してしまったのか、わからない。それはもう、理性とか知性とか、理論とか理屈とか、そういうモノを超えたところにある動因(どういん)だった。

 

 

 

 実験は、上手くいった。びっくりするくらい上手く、私の悪夢、その一部はレオへと移っていった。

 

 千速継笑(せんぞくつぐみ)の、最後の最期の、(くさ)くおぞましく、痛く、苦しい、辛い……と言葉にしても、伝わるモノはその数億分のいち程度の……数十時間の記憶が、何割かに()された形とはいえ、生々しいままでレオに渡った。

 

 それが、レオの中で、どう処理されたのか、私にはわからない。

 

 渡ったと思えた瞬間、レオは少しだけ(うめ)き、膝を折って吐きそうな雰囲気を見せた。

 

 でも、それはそれだけだった。それ以上には、何の反応も見せなかった。

 

 自傷されると困るから剣を取り上げていたし、逆に、私に乱暴をしようとする方へ暴走するなら……それはそれで私がちゃんと受け入れるべきものだから、(あらかじ)め、ふたりして埃くさい倉庫の中で全裸となっていたのだが……驚くべきことに、レオに(あらわ)れた変化は、ほんの一瞬のそれを除き、何も無かった。

 

 ややあってレオは落ち着きを取り戻し、何かを確認するかのように言葉をひとつひとつ丁寧に発音しながら、思ってもみなかった「自分の過去」を話し始めた。

 

『だいじょう、ぶ……僕には……ね、地獄の……記憶があるんだ。……ひとつには、スラム街の記憶がそう。逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)でスラム街へ堕ちてきた女性は、それはもう酷い状態であることが多かったんだ。だから僕は、この世界にこういう悲劇があることを知っていた。……あの星が同じであることも、ね。()()だと、地球(アース)だっけ?』

『レ、レオ!?』

『何を驚いているのさ。ラナには前世の記憶がある。だからこその実験だったんじゃない』

『う……うん』

 

 過去……自分が幼かった頃……それよりもずっと前の……前世。

 

日本(ニホン)は平和な国と聞いていたけど、こういうことは、どこにでもあるんだね』

 

 レオにはその記憶があった。

 

『まさか、レオも……』

 

 私と、同じように。

 

『僕の前世も、おそらくは地球(アース)の生まれだ。日本(ニホン)ではないけどね。……覚えていることは、少ないけど、死ぬ前の、二月(ふたつき)ほどの記憶は、朧気(おぼろげ)ながらあるよ。それが僕のもうひとつの、地獄の記憶』

 

 そうしてレオは語ってくれた。

 自分の、地球の、前世で起きた悲劇を。

 

『僕が住んでいた街はね、港湾都市(こうわんとし)だったんだ。だからか、戦争が始まるとすぐに要衝(ようしょう)として狙われ、激戦区になった』

『それって……』

『実際にどこだったかは、この際どうでもいい。戦争はどうしようもなく悲惨で、だけど悲惨を、むしろこの世界にばら撒きたいと願う侵略者(インベーダー)がいて、独裁者がいて、だから地獄はどこにだって現れる。そのことを、僕達は一緒に見てきたはずだ』

『それは……』

 

 その通りだった。

 

『でも、僕が体験した戦争は、王都のそれよりも、もっとずっと悲惨な一面があったんだ。王都リグラエルを襲ったのはモンスターだ。けど、地球にモンスターはいない。人が人を襲ってきた。インフラが破壊され、疫病が発生して、食べるものが無くなり、人間が食べていいモノではないモノでも、食べなければいけない日々が続いた』

 

『そんな中でね、敵軍がね、食べ物を配ってやるって言ったんだ。僕達がプライドもなにもかもを投げ捨てて、配給所へ行くと、そこではみんなが敵国の国家を歌っていたんだ。そうしなければ、食べ物を、くれないんだって。聞いた話じゃ、その食べ物でさえ、元は僕らの国の偉い人が、僕達に届けようと思っていたものを、敵軍が奪ったものだったらしいんだけどね』

 

『歌ったよ、僕も。歌詞なんか覚えちゃいない。ただ機械的に歌った。そうして食べ物を貰って帰ろうとすると……裏路地、の方から、聞えてくる声があったんだ。比較的綺麗に残っていた建物の、けれど割れた窓の隙間から……その部屋を覗くと……女の人が……ええと、それは僕のお母さんくらいの年齢の人だったんだけど……男の人数人から、あらゆる種類の乱暴を、されていたよ』

 

『その女の人が何者で、どうしてそんなところにいて、男の人が敵国の人だったのか、それともそうじゃなかったのか、そんなことは、僕は知らない。どうでもいい。戦争は、そういう景色が日常になる異常事態で、そこに僕達が大事にしてきたはずのものは、何も残っていなかったんだ。名誉だとか栄光だとかを叫ぶ人はいたけど、でもそんなものは僕らには全然何も関係が無くて……結果的に……そういう扱いを受けて死んでいく人が、女の人が、子供が、力ない人がいるということの方が、僕らに見える世界の全てだったんだ』

 

『そりゃ、どこかには、ね? 戦争によって栄光とか名誉とか、そういう言葉で飾ることのできる世界に接続されて、自尊心を満たせる人もいるのかもしれない。でも、多分そんなのは極一握りの選ばれた人か、すごく幸運な人だ。秩序が破壊された時、圧倒的大多数の人が見る世界は……ラナのこの記憶の、これと同じだよ。どうしようもないほど愚かで、しょうもなくて、醜くて、(くさ)い……そういうモノが町中を飛び交う、大臭嵐(だいしゅうらん)の世界だ。それが、死体が被らされる(きら)びやか布の……尊い犠牲とやらの……その下の正体なんだ。それは、これ以上ないほどおぞましい色をしているんだよ』

 

『うん……楽しそうだったよ……男達の方は。手馴れてる様子でもあった。笑いながら、遊びみたいに女の人を甚振(いたぶ)っていて……僕はね……そのことがどうしても気持ち悪くて……僕はもう見ていられなくて……僕は……逃げ出したんだ。血塗れで、弱々しい悲鳴をあげながら、虚空へ向かって助けてと呟いている女の人を置いて……ね』

 

『逃げたことを、ずっと後悔していた。この人生になってからも、ずっと心に引っかかっていた。だから覚えていたのかもしれない。ずっと忘れられなかったのかもしれない』

 

『だからラナを助けられたことに、僕は少しだけ救われたんだ』

 

『だからこの記憶を分かち持つことで、ラナが少しでも救われるなら嬉しい』

 

『痛みも、苦しみも、僕の心をいかな形でも傷付けない。全てを背負ったっていい。この誇りを前に、それは無意味だからだ』

 

 

 

 

 

『……ねぇ』

『うん?』

 

『ひとつだけ聞いていい?』

『なに?』

 

 

 

『レオって、前世も、男の子?』

 

 

 

 

 

『さぁ? どっちの方が、ラナの性癖に刺さる? 好きな方で想像してくれていいよ。今の僕がラナを好きで、僕もラナが僕を求めてくれるのなら、結ばれたいと思うことに、嘘はないからね。ラナが安心して、身を任せられるのが前世女の子の僕なら、僕はそれで構わない』

 

 

 

 

 

 そうして。

 

 そうして私達は、結ばれた。

 

 そこから先はもう、本当に自然に受け入れられた。

 

 最初は、本当に、痛かったけれど、そこに嫌悪は一切伴わず、悪夢の光景が頭をよぎることもなかった。

 

 安心して、リラックスして、レオを受け入れられる自分が、(いと)おしいと思えた。

 

 

 

 私達は同じ痛みを分かち合って、暖かな(ねや)の闇に、溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとつだけ、注意しなければいけないことがある。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使ったエピスの移動は……()()だ。

 

 譲渡だ、受け渡しだ、コピー&ペーストではなくカット&ペーストだ。

 

 私の前世の、最後の最期の最悪の記憶は、その一部が私の中から消えレオのナカへ移った。

 

 ジュベミューワの能力は「コピー系」だった。ツグミの「エピスを与える」行為も、おそらくはそうだ。私に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を与えても、その原典のエピスが、ツグミの中から消えてしまうことはない。

 

 けれど私のは違う。

 

 文字通り、自分のモノを相手に与えてしまい、残らない。

 

 

 

 

 

 ここから先は、実験も実証もしていない罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)最大の禁忌。私の脳内と、それを話したレオの頭の中だけにある仮説だ。

 

 仮説だけど、要素要素の実験と実証は終わっている。ひとつには、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)空間Aの内部空間aが移動できるかという実験と実証。ひとつには、この魔法が魂にある記憶、情報、つまりはエピスといったモノを他人へ譲渡できるかという実験と実証。

 

 前者は、世界を壊す、壊すことのできる計算式だ。

 

 ならばこそ私はそれを禁忌とした。

 

 私はレオのいる世界を壊したくなかった。だからそれを禁忌とした。

 

 レオの命を救うためなら、いつでもそのカードは切れたけど、残念ながら前者にレオを救う可能性はない。

 

 物理法則そのものへ首輪をつけ、飼うかのような罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)という魔法であっても、死ねば終わりという生き物の運命を、肉体に限界が来ればどうあっても終わりというその脆弱さを、覆す力はない。

 

『ねぇレオ』

『ん?』

 

 だから。

 

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、使ってみたいって、思わない?』

『……どういうこと?』

 

 

 

 レオの命を救う仮説は、その(ことわり)は、後者のその先にある。

 

 

 



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epis65 : Houshingoeika New Translation

 

 人体のワープ。

 

 それは特にどうということもなく、無事に機能した。

 

「にゃっ!? にゃっにゃっ!? にゃあああぁぁぁぁ!?」

 

 回収した猫人族の、キジトラな子は、五体満足で元気そうだった。

 

「どゆっことっすか!? ここは地獄にゃんすか!?」

 

 ……滅茶苦茶、パニックな状態のことを除けば。

 

 メンタルに結構なダメージが入っている気もするが、それは状況ゆえのもので、脳味噌の一部を置いてきてしまっただとか、そういう器質的な問題ではないことを祈りたい。……罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の、()()()()()()()()()()スペックを考えれば、記憶の一部を置いてきてしまったパターンも……あるにはあるか。

 

「あたしゃ死んじまったんですか!?」

「とりあえず生きてはいるよ? ええと……名前……」

「ひぃぃぃ!? 上半身にどえりゃー穴が開いてるんに、普通に喋ってるぅぅぅ!?」

 

 まぁ、なんらかの問題が発生していても、どうにもできない。経過観察は後回しだ。

 

「とりあえずその斧、/置かない?」

「どどど! どうしてあたしゃの身体ぁ、動かないんっす!? あたしの身体もどどどどっかに穴あいてるっすか!?」

 

 猫人族(ねこじんぞく)の子は、私やレオがいる空間とは、別の空間にワープさせた。

 当たり前だ、パニックになっている(であろう)要救助者を、安易に自分らへ近づかせるのは、お互いのためにならない。

 

 人命救助の世界には、溺れ、パニックになっている人を救助する時には、まずその人を気絶させてからにしろってマニュアルがあるくらいだ。安易に近付くとしがみつかれ、自分も溺れてしまうからなのだとか。それはもう、大人が子供を救助する場合であっても、そうなる危険性があるくらいなのだとか。

 

「ひぃ! ひぃぃぃ! ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 実際、キジトラも、その右手の斧を振り回したがっているようだった。右手の手首から先は、比較的大きな空間に切り取られているから、手がそれなりにもにょもにょと動いている。

 

 こんな狭い空間で、斧なんか振り回されたら危ないところだった。

 

「……うるさいから、一旦、気絶してもらう?」

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で動けなくしてるから、/いいけど……」

 

 それくらい、パニックになっている人間というのは怖い。……まぁそれをするとその人がそのまま死んでしまう場合もあるから、本当に緊急の時以外は、まず浮き輪になるようなものを投げて待つというのがセオリーのようだが。

 

「ひぇぇぇ! ひょえええぇぇぇ!! うにゃあああぁぁぁ!!」

 

「……音、/遮断しておくか」

 

 私はまた、別の人のそれが混じるようになってしまった声を操りながら、キジトラが……その前に名前くらいは聞いておいた方がいいか? と一瞬思ったが、まぁいいやと……猫人族が今存在してる空間の「音」を遮断する。

 

「……! ……!! ……!?」

「さすがラナの魔法、便利機能満載だ」

 

「魔法、見せちゃったけど……この記憶、消せるのかなぁ」

 

 他人の記憶は、私が物理的にイメージできないから、多分相対的にも操れないと思う。私自身の記憶、というか魂の一部を操作することができるのは、私がその状況、状態をイメージできるからだ。やれるのは……おそらく記憶の全消去だけで、それでは相手がアッパラパーになる未来しか想像できない。……必要なら、それもするけど。

 

「……ってあれ? 声にこの子の声が混じらなくなった」

「ホントだ、対象が囚われている空間の音を遮断しておけば、その声がラナの声に混じらなくなるのかな?」

「今更そんな小技を見つけられても、な……実用性が無いとは言わないけど」

 

 私は……無音のまま、閉じ込められた空間でめっちゃもにょもにょしてる猫を放置して、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の、再発動の体勢へ入る。

 

 レオの胸で、その身体を維持し続けている細かな小空間。頭上で、地に刺さったままの船を止めているある種の天井、ある種の外壁、そのように機能している空間。そして猫を閉じ込めた空間、それらを維持したまま、シームレスに罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の空間を「更新」する。

 

 滞りなく、更新は完了される。

 

「レオ?」

「問題ないよ」

「それじゃあ、次は……」

 

 人体のワープは、思いのほか上手く機能した。

 

 某有名なネット小説に出てきた、ターニングポイントとなる過去へ飛んできた老人のようには、その内臓を置き去りにしてきてしまった、などということはなく、同じく某有名なSFゲームのようには、その肉体がゲル状になっているなんてこともなかった。

 

 ……そういう可能性まで考え、ずっと実験ができないでいたのだ。けど猫人族の子は普通にそのままの状態で、この地下シェルターに飛ばされてきた。自分の中の()きサマリア人が、善き結果を得たようで助かる……と、自分の中の利己的な部分が感じている。

 

 まぁ、精神状態はかなりの錯乱状態かもしれないが……そこまでは面倒見きれない。

 

 私の救命行為に、価値なんてない。私のような人間に救われても、多分誰も喜ばない。そこの猫人族だって、理性を取り戻せば、私のような人間に命を救われるという屈辱へ、苛立ちを覚えるのかもしれない。そんなものだ、人間なんてモノは。それへどうこういえる正義を、私は持っていない。悪人でも救おうとする弁護士のように、犯罪者でも懸命に治療する医師のように、ただ救う。それしかない。

 

 この手に人を救う手段があるなら、とにかくはまず救うしかない。

 

 要救助者はあと5人もいる。to() 5 へ、 go() to()だ。

 

 と……私は意気込んだのだが。

 

「ツグミ、そっちの状況は?……ツグミ?」

 

 状況を確認するための声に、なんの応えも返ってこなかったことに、違和感を覚える。

 

 外の空間(カメラ)から映像を拾う例の空間(モニター)は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の更新時に消えてしまっている。それは作り直した方が楽だから、一旦消していたのだ。

 

「ラナ?」

「ツグミから応答が無い。待って、今モニターを作り直して、映像を出す」

 

 最初のものよりは小さい(32vくらいだろうか)、モニターを作り直し、それへまた囚われのキジトラが反応し、空間内でもにょもにょ動くのを感じながら、送られてきた映像を見ると……。

 

「……へ?」「……え?」

 

 空の色が、また変わっている。

 

 白い。

 

 真っ白い。

 

「ど、ど、ど、どういうこと?」

「これは……」

 

 外の世界は、夜だったはずだ。空の色はもう真っ黒だったはずだ。

 

 それが、白い。

 

 空色……青でさえない。

 

 雲に覆われている……というのでもない。なんというか……空そのものが馬鹿でかいシーリングライトにでもなったかような……その白いカバーの向こうに大量のLEDが並んでいるかのような、それは、そのような、そうとでもいうしかない、奇妙な光り方をしている。

 

 まるで世界そのものが、弱々しい蛍光灯に照らされた地下室にでもなったかのようだ。

 

 どういう光の散乱をしているのか、遠くに見える海でさえも、だいぶ濃度の薄いミントアイスのような色になっている。

 

「これも、世界改変魔法?」

 

 昼間のように明るい、だけど六畳用のシーリングライトを、二十畳の部屋で使ったような弱々しい光の中で、私達の頭上の土に刺さった船は、相変わらず微動だにしていない。まるで墓標のように動かない。

 

「ツグミは、どこへいったの?」

「ユーフォミーさん……の身体を奪った、あの女もね」

 

「……! ……!? ……!!」

 

 気配を感じようと感覚を澄ませれば、感じられるのは、まだまだパニック継続中の、猫人族の動きだけだ。

 

「問題は、これがどちらの使った世界改変魔法なのか……かな……」

「そうだね、ツグミ……が使った魔法なら、いいけど」

 

 そうでないなら、何をどう改変した結果がこれなのか、私達が今警戒すべきものはなんなのか、わからなすぎてリアルに気持ち悪くなるほどだ。

 

「白、白、ね。それはマイラの色だから、マイラがツグミ……さんだったといなら、ツグミさん……の方の、魔法っぽいけど」

「ジュベミューワの魔法は、人の魔法のコピー。そこでは判断できないかな」

「そう、だね、楽観は……できない」

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 ん?

 

 なんだ今の?

 

「で、どうするの?」

「え、あ……ええと……」

 

 まぁ、いいか。

 

 今は……今やるべきことは、ええと。

 

 なんだっけ。

 

 あ、そっか。

 

「まずはそこの子を、殺さないと、かな?」

 

「……!? ……!!」

 

「……え?」

「……ん?」

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

「……何を言っているの、ラナ?」

「え、だってこの子、あと少ししたらあの斧で私を殺すから」

 

 あれ、私、何を言っているんだろう?

 

 何かがおかしい、何かが狂ってる気がする。

 

「……ラナの魔法で身動きが取れないあの子に、何ができるっていうの?」

 

 でも……。

 

「……!? ……! ……!?」

 

 でもだって、そんなの……。

 

 

 

 あれ? なんだっけ?

 

 

 

 ──caution!!──

 ──caution!!──

 ──caution!!──

 

 

 

「ふぎゃっ!?」「あ」

「ラナ!?」

 

 

 

 地下シェルターに、無理矢理解除されたキジトラの子の身体が、バラバラになって崩れ落ちる。

 

 子供みたいに小さな身体が、それよりももっと小さく分割されて、涙を浮かべていた顔の一部が、吹き出す血の色に染まり、落ちていく。

 

 狭い空間全体が、今や地上から通過し降り注いている白い光に照らされ、真っ赤に染まっている。

 

 水死体のような白さが世界を照らしている。

 

 

 

「っ……まぶしっ……」

 

 

 

 その光が、なぜだか激しく明滅する。

 

 

 

「ラナ!?」

「え?」

 

 薄暗い空間にいる。

 

 地下シェルターは、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を更新したばかりのようで、諸々の調整が済んでおらず、出したはずのモニターも消えてしまっている。

 

 レオの胸には……穴が開いたままだ。

 

 その穴が、私を呼んでいるような気がする。

 

 おいでおいでと、奈落の底から。

 

 呼んで……。

 

 いる?

 

「あ、あれ? どういうこと?」

 

「……!! ……! ……!」

 

 猫人族は……生きている。

 

 バラバラになんかなっていない。

 

 

 

 ──caution!!──

 

 

 

 また光が、鳴り響く雷鳴のように、明滅する。

 

 

 

「レオ、私を殺して」

「え?」

 

「私は人殺しだから、最後には誰かに殺されて終わりたいから」

 

「な、何を言っているの? ラナ」

 

「正しい、因果を繋げようって話」

 

 

 

 ──caution!!──

 ──caution!!──

 ──caution!!──

 

 

 

「……まさか、これは、精神攻撃!?」

 

「何を言っているの? 正しいことをしようって話なのに」

 

 そうだった。

 

 ああそうだったそうだった。

 

 私は、生きていること自体が間違いなんだ。

 

 何を勘違いしていたのだろう。私はもう一秒でさえ、生きているべきじゃない。

 

「ラナ!! 気をしっかり持って!! これは攻撃だ! ラナを害そうとするなにかしらの力なんだ!」

 

 ナイフ……ナイフはどこ?

 

 肌に押し当てると、あの冷たさが心地いい、白く(きらめ)くナイフは。

 

「気付いて! ラナ!」

 

 ああそうだ。私はレオが、いつか私を殺してくれると思っていた。

 

 たから……愛したのではないの?

 

 ナイフよりも鋭くて、冷たいレオが、私には必要だった。

 

 なんて汚い、愛なのだろうか。

 

「ラナ! ラナ! ダメだ! 罅割れ空間が揺らいで……ゅロア様!……ぁぇえ!?」

 

『ラナっ……/――ンっ! キュロア様!」

 

 あれ? なんでレオが、私の名前を様付けで……。

 

「つ、ツグミなのか!? 僕の声を!?――……――ラナンキュロア様! それは世界改変魔法! タイプデイドリームです!! レオ様申し訳ありません! レオ様の声は! 現状ラナンキュロア様の補助なしにはまともに発せられない状態!! それを逆手(さかて)に取らせていただきました!――……――そりゃ、胸に大穴が開いて、普通に喋れるって、どういうことなんだろうって思っては、いたけど――……――世界改変魔法! タイプデイドリームは! エピスデブリを活性化させることで! 心を混乱状態に(おとしい)れる魔法です! 精神世界を改変する魔法です!! ラナ様! どうか自身の認知が狂っていることに気付いてください!!――……――え、と、ツグミ、さんは、今どういう状態?」

 

「え? でも」

 

 私は人殺しで、心が(よご)れてて、存在そのものが穢れてて、世界を壊すカードを握ったままの人間で、レオを愛したのだって利己的な理由からで、そんなのが生きていていいはずが、ないから。

 

 それは正しくないことだから。

 

「正しさなんてわけのわからないモノに! 惑わされないでください!! 念のため! 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の基底部にフックしておいてよかったです! それを基点にこうして通信することもできました!! 罅割(ひびわ)れが進行して! 手遅れになる前に捕まえられてよかったです!」

 

 そうだ。

 

 どうして私のような人間が、レオを愛していいと思っていたのだろうか?

 

 どうして私のような人間が、人に愛されてもいいと思っていたのだろうか?

 

 なんだその最悪。なんなんだその害悪。

 

 キモチワルイ。

 

「ははっ……ねぇ、ツグミ。私は、ここで死ぬことが正しいんじゃないかな?」

「違います!」

 

「運命がね、教えてくれるの。私はこれ以上生きていちゃいけないって。多分本来の私は、私の本当は、この辺りで死ぬ。そのはずだったの。それを生き続けているというのは、間違ったことなの。……それに、私にレオを愛する資格がないのなら、やっぱり私に生きている意味はないから」

 

「そんなことはありません!」

 

 ああ。

 

 心がザワザワする。

 

 心底(しんてい)が打ち震えている。自分の罪深さに。存在の耐えられない重さに(あえ)いでいる。

 

「ラナンキュロア様! 聞いてください! この系統の攻撃は! 確かに罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)では防げないモノです! ですが心の()(よう)如何(いかん)如何様(いかよう)ともなる! つまらない攻撃です!」

 

 ()くしたモノの重みとか。

 

 殺してきたモノの重みとか。

 

 流してきた血の重みとか。

 

「こんなつまらない攻撃に! 殺されてもいいんですか!?」

 

 その(けが)らわしさとか。

 

 それでも生きるため見つけてきた沢山の欺瞞とか。

 

「ラナンキュロア様! 根本を間違えてます! ラナンキュロア様が今()(すが)ろうとしている正しさは! 殉じようとしているそれは! 世界が決めたものでも! 運命が決めたものでもありません! 悪意です! ラナンキュロア様は今! 純然たる悪意に()(すが)り! 殉じようとしているのです!」

 

 私はたぶん、レオを愛していたんじゃない。

 

 私のような人間でも、人を、レオを、愛せるんだという欺瞞を、愛していたんだ。

 

「違います! 違います違います!! 愛は最初から幻想! イツワリ! それでいいんです! それがいいんです! それは人が人らしくあるため! 人として幸せになるため! 生み出した仮説なのです! 仮説でいいんです! 最初はそれでいいんです! 誰かを愛し! 今はどこにもない幸せな未来を夢見ること! それに意味はありませんか!? 価値はゼロですか!? 何十年と共に過ごしてきた恋人達であれ! 夫婦であれ! 未来を夢見たから! 過去に未来を夢見たからそこへ辿り着けたのです! ならばそれは! ゼロであっても! ゼロではないゼロ(クアジケノン)です! 私達の魔法の! 根底にあるもののひとつです!」

 

 ツグミ……まぁレオの声だけど……ツグミが言っている内容は、やはりツグミらしいそれだ。Aの隣がBの世界で生きてきた脳筋の、論理的には正しい言葉、その連なり……ああ、だからもう、ほんともう、正しくて正しくて正しすぎる頭の悪いツグミは、何を言っているのだろうか?

 

 言葉は空しい。どんなに綺麗でも、どんなに切実な想いが籠められていても、受け取る方にしてみれば、内容そのものよりも、誰がそれを言ったかの方がずっともっと重要だ。

 

 ツグミは、色々な意味で別の世界の人間……存在だ。

 

 お兄ちゃんと添い遂げ、幸せに生き、死んだ。

 

 その生涯には意味があった。ツグミには価値があった。

 

「もうっ! どうしてそうなるんですか! 三年間! レオ様と何をやっていたんですか! 私の観測の及ばないところで!!――……――うるさいな、人の声でぺちゃくちゃと、勝手なことを――……――れ、レオ様!?――……――」

 

 だからその綺麗な唇から零れる言葉は全部、私には関係の無いことなのだ。

 

 醜いわたしの世界に、うつくしいものは全部、幻。

 

 遠くに見える蜃気楼(しんきろう)で、砂上(さじょう)楼閣(ろうかく)で、意味がない。

 

「ツグミ、少し黙って!――……――」

「レオ様!? 何を!?――……――」

 

「届いてない! 届いてないんだ!! ラナに通じる言葉はそれじゃない!!――……――」

 

 だからもう、うつくしさは、敵だ。

 

「で、ですがっ、くっ!? こ、これは!? い、今のラナ様を狂わせているのは! ラナ様自身のエピスデブリですらありません! お、押し付けられました! これはおそらくジュベミューワ様のエピスデブリ! それがラナンキュロア様の中で活性化しています! こ、こんな技術! 世界改変魔法には! タイプデイドリームにはなかったはずなのに!?――……――」

 

「……なるほど、それもコピーしてきたか。移動機能を、コピーしたのか――……――れ、レオ様?――……――」

 

「いいの! もういいのぜんぶ! ほんとうに……どうしてわたしなんかが生きていていいんだと思っていたんだろう。生きる意味もないのに、わたしのしあわせなんかこの世のどこにもないのに」

 

「ラナ! 見て! 僕を見て!」

 

「……レオ?」

 

「僕は今! ラナが死ぬと死んでしまう! それがわかる!? 見える!?」

 

「え?……あ?」

 

 

 

 ──warning!!──

 ──warning!!──

 ──warning!!──

 

 

 

 また光が、破滅的なまでに明滅して、網膜を焼く。

 

 

 

「ぐぶっ……」

 

 レオの口から、赤いものが飛び散る。

 

「え?」

 

「ラ、ナ、逃げ、て……」

 

 その胸からも、噴水のような血が、噴き出して……。

 

「いやあああぁぁぁ!?」

 

 

 

 ──warning!!──

 ──warning!!──

 ──warning!!──

 

 

 

 光が、(またた)いて、光が、殺意を伴い、明滅する。

 

 

 

「いやぁぁぁ! 死なないで! レオ死なないでぇぇぇ!!」

 

「ツグミ! これは!?――……――」

「おそらく! ラナ様は無いが在る(クアジケノンの)世界を通して、()()()を見せられています!――……――」

 

「どういうこと!?――……――」

幽河鉄道(ゆうがてつどう)が! またクラッキングを受けているということです! ジュベミューワ様は罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)……その改変(オルタナティブ)仕様版(エディション)の運用により、自分自身を再び、ボユの港全域へと散在されたようです!――……――」

 

「だから! どういうこと!?――……――」

攻撃(クラッキング)の出所が分散していてわかりにくい! ということです! こちらの“鼻”、は、防壁(ファイアーウォール)となっている“要不要”に阻まれ! 上手く機能していません! パターン解析は進めていますが! 時間がかかります!――……――」

 

「意味は全然わからないけど! 時間経過はこちらに有利ってこと!?――……――」

 

「はい!――……――なら、今は耐えることに意味があるってこと、か」

 

「私が死ぬべきだった! ここで死ぬべきは私だったの!!」

 

「ラナ! その死は、僕以外の誰かに殺されるってことだけど、いいの?」

 

「……え?」

 

「僕に殺されたいとは、思わないの?――……――レオ様!?」

 

 レオを見る。まだ生きている。死んでいない。

 

 でももう死ぬ、もうすぐ死んでしまう、もうどうしたって助けられないっ!!

 

「やめてください! レオ様! ラナンキュロア様をこれ以上追い詰めな――……――っつぅ……だ、黙ってろって、ツグミ。お願いだから、今だけは僕を信じて、黙って!――……――わ、わぅん!?――……――」

 

「本当は助けたかった、助けたかったのに!!」

 

「わかってる! わかっている!! 僕達に誰かを幸せに出来る力なんてない! 僕達に与えられた力は破壊的で! 破滅的だ!」

 

「世界は敵なの!!」

 

「知ってる!」

 

「だから私も世界の敵なの!!」

 

「僕もそうだ! だから僕達は手を取り合った! 繋がり、結ばれた! 僕はラナを奪い! ラナは僕を奪った! ラナを奪っていいのは! 僕だけだ! だからラナの命を奪っていいのも僕だけだ!! 死ぬなら僕に殺されろ! 僕はラナに! 自死すらも許さない!!」

 

「れ、レオ!?」

 

 動けないままのレオから、けれど殺気を伴う冷気が放たれている。

 

 それはだけど、ここ一、二年で慣れ親しんだ激しさでもあって……。

 

「道徳なんてものを説くな! 何なら今! ラナがどれほど不道徳(インモラル)か! 大声で叫んであげようか!?」

 

 ……って、ちょっと!?

 

「なにが血を吸われるのはゾクゾクする、だ!」

「ひえっ!?」

 

 ちょっとちょっとちょっと!?

 

「なにが、でも痛いのは嫌、だ! 痛くないまま血を流す方法? 知らないよ!?」

「わー! わー!! わー!?」

 

 セキララ!

 

 セキララ過ぎだから!?

 

「自分では簡単に外せない安眠マスク! 売れなかったね、じゃないから!? 売れるわけないでしょ!?」

 

 セキララがセキを切ったらララになっちゃうから!! (はだか)(はだか)だから!

 

 そういえばラ●ラ●ランドもこっ恥っずかしい青春映画でしたね! いやあれは青春を懐かしむ系かな!?

 

「この厄介M(やっかいエム)! 何が()くて何がイヤなのか、基準がわからな過ぎなんだよ!」

「ココロアタリは全くございませんがやめてぇぇぇ!?」

 

 やめて! 突然踊りだしちゃう系の演出はやめてぇぇぇ!

 

 フラッシュモブが日本人に厳しいって! それ古事記にも書いてあるから!! アマテラスさんも多分! 「ウズメちゃん……どうしてあんなに恥ずかしいことを……」って思いながら岩戸(いわと)を開けたから!!

 

「思い出して! 再確認して! 僕達は何!? 出発点は世界に嫌われたふたり! 最初から正しくなかったし誰に許されたモノでもない!! いいんだ! それでいいんだ! 僕が許す! 正しくないラナを許す! 僕がいたいのは! 正しい世界よりも間違っているラナの(そば)だ!――……――」

 

「あ、ぁ、ああ……」

 

 だけど、しっちゃかめっちゃかに掻き回されていた心が、少しづつ秩序を取り戻していくのを感じる。赤裸々で裸々(らら)にされた心はあまりにも生々しくて、幻には(はら)えない、実感としての匂いがあった。

 

 それを吸い込むように、私はナニカを吸い、落ち着いていく。

 

「う、嘘ぉと言いたい気分です。エピスデブリの活性化が漸減(ぜんげん)していっています。い、今の話のどこに心を落ち着かせる要素が!?――……――」

 

 おかしくなっていた心を、元からおかしい私自身の心が、塗り潰していくのを感じる。

 

 それはけして好きとも愛しいともいえない、自分の色で匂いだったけれど、今となっては嫌いとも憎たらしいともいえないナニカだった。

 

「ラナはね、むしろ優しくされるのはイヤなんだよ。まぁ実際は、優しくされないという優しさが欲しいだけなんだけどね。どうしてコレはよくて、アレはダメなんだろうってことが多くて、色々複雑なんだ。けど、まぁそれについては、世界の誰よりも僕が詳しい、その自信が、僕にはあるよ――……――」

 

「なんていうか、ややこしいですね、人間は――……――」

「うん。ラナは特に、ね。それで……パターン解析は終わったの?――……――あっ――……――」

 

「……酷い目にあった」

 

 心が、完全に自分の手に戻ってきたのを感じ、私は今度は普通の意味での深呼吸をして、息を整える。

 

 ああ、私だ。

 

「大丈夫? ラナ」

 

 ああ、ここにいるのは私だ。

 

 誰でもない、レオが好きでレオに愛されている私だ。

 

「身体は大丈夫だけど、心というか、羞恥心というか、自尊心の方にダメージが……」

「恨みがましい目を向けない。恨むならこれまでの自分か、ジュベにしておいて」

 

 その二択なら迷うことなく後者だけれども……。

 

「それは相手がここにいないからなぁ……ツグミ? 聞こえている?」

「――……――はい」

 

 相変わらず、ツグミはレオの声帯……というか呼吸器系の一部を使って応答してくる。よくよく見ると、レオはなんだかとても嫌そうな顔をしていた。まぁ他人に自分を侵食されるというのは、私自身、それを見ているだけで嫌な記憶を掘り下げられ、また別の意味ではつい先程体験したばかりの体感を思い出す、嫌なモノだったが。

 

 私は私の心が落ち着く、レオの嫌そうな顔を見ながら言葉を発する。

 

「え、と……レオも聞いていた気がするけど、ツグミ自身は今どういう状況なの?」

「ジュベミューワ様は、どうやらクラッキングを、自分の意志で行えるようになったようです」

「……うん?」

 

 ツグミとの会話は、なんというか頭のいい子供とのそれみたいになるな。こちらの理解、理解力を考慮しないで、どんどん自分だけ先に行っちゃうみたいな。周囲の頭が、自分ほど良くないことに気付いていないからそうなる。

 

 具体的に言うとお兄ちゃんを思い出す。それを言ったら、喜ぶんだろうけど。

 

「私達は、物理戦闘では均衡状態を崩せませんでした。それでジュベミューワ様は、状況を打破すべくクラッキングを試みてきたようなのです。私は、力の多くを防壁(ファイアーウォール)の展開に回さざるを得なくなりました。それで、人間状態を維持できなくなったため、いったん幽河鉄道(ゆうがてつどう)内に退避しています」

 

「つまりまた、何もできなくなっているってこと?」

 

 犬の姿でいるくらいしかできない、みたいな?

 

「いいえ。ジュベミューワ様のクラッキングはある程度解析済みなので、今度は、いくつかのポートは空けたままにしてあります」

「ポート?」

 

幽河鉄道(ゆうがてつどう)が存在している時空間と、この三次元空間とを繋いでいる(ポート)です。幽河鉄道(ゆうがてつどう)をボユの港町、三次元空間を海、ジュベミューワ様を海賊船と考えてみてください。海賊船がボユの港町を襲いにやってきました、私は港を閉ざしてその上陸を阻止します。相手がどれくらいの規模かわからない状態では全力で、アリ一匹通れない状態にして防ぐしかありません。ですが、相手の規模、出来ることと出来ないことがわかっていれば、いくつかの部分は無防備にしておいても問題がありません」

 

 なるほど、それはわかりやすい。お兄ちゃんにそうやって教わってきたのかな。

 

「完全に門扉(もんぴ)を閉ざしてしまうと兵糧攻(ひょうろうぜ)めにされるから、相手が全方位包囲できる、全()(くち)に取り付ける規模の軍でない限りは、いくつか外部に出れる手段を残しておく、みたいな?」

 

「はい。今回はその手段を残しているので、何もできないということはありません。ただ、ナガオナオ様のローブは守りたいので、今はそれを着ての顕現(けんげん)は控えている状態です」

 

「あのローブ、そんなに大事なんだ?」

 

 まぁ……当たり前かもしれないけど。

 

「お兄ちゃんとの思い出があるから?」

「はい。私自身の思い入れは勿論、アレを完全に奪われてしまうと幽河鉄道(ゆうがてつどう)の操縦権すら奪われてしまう可能性がありますから」

 

「……」

 

 なんだろう、また凄く重要なことを言われた気がするのだけど、それがなんなのか、何であるのか、よくわからない。

 

 頭が良いのに脳筋って、意外と厄介なものなのかもしれない……と厄介Mは考察。

 

 ……一応言っておくと、自分では簡単に外せない安眠マスクは、ホントちゃんと安眠用に売り出したものだからね? 夢遊病的には外せないように、船乗りさん向けに開発したものだからね? 生活が不規則になる船乗りさんの中には、睡眠障害っぽい人も多くて、薄目を開けて寝る人も結構いるみたいだったからね。……ホントだよ?

 

「――……――それで、パターン解析ってのは? 難航中?」

 

 レオが話を進めるため割り込んでくる。

 

「ジュベミューワは、オルタナティブな罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)によって街のあちこちへ散在……したんだっけ?」

 

「――……――はい。今度は五体満足……と言って良いのかはわかりませんが……生命の危機などは無い状態でそれを行っているので、数十秒ごとにそれぞれの位置を動かしています。どうも、あちらも未来が見えて……嗅げて、かもしれませんが……数秒先の未来が視えているようで、この空間へも、レオ様が警戒している限りは襲ってこないようですね」

 

「未来視、ね……あちらさんの目的はツグミを倒す……絶望を味あわせること?」

「はい。そのようです」

「そのために私を殺そうと……壊そうとしたのが今の精神攻撃、か」

 

 今のは、それなりに効いた。レオがいない状況で同じことをされていたら、普通に舌でも噛んで死んでいたかもしれない。……怖っ。

 

「あ、そうか」

「……ラナンキュロア様?」

 

 ふと、どうしてレオではなく私を狙ったのかという疑問が湧き、消える。

 

 この場においては、レオを狂わせた方が諸々簡単だったはずだ。

 

 けど、そうはしなかった。

 

 それは、つまり……。

 

「そう……だよね、レオに今の攻撃は、通じない」

 

 レオは強い。心も強い。私のエピスデブリを受け取っても、その性格はなんら変わらなかった。男性恐怖症が発症するなんてこともなく、私への接し方も、態度も、元のまま変化することがなかった。

 

 それに、どれだけ助けられたことか。

 

 自分は、そのようにはなれないってすぐに気付いたけど、それでもそういう強さがこの世にあるってことを知れたのは、生きる勇気をもらえたみたいで嬉しかった。

 

「そうですね、解析できたこれまでの動きを見るに、レオ様への警戒は、しているようです。ラナ様への精神攻撃も、頭上の船を基点に、遠方より発動させています」

 

「頭上の船……あれか」

 

 再び……私の主観的には再び……モニター(32v版)を作り直し、そこへ映像を出すと、そこには今も物理法則を無視して直角に立つ船があった。

 

 空は……今は黒い。暗い。世界改変魔法とやらは引っ込んだようだ。

 

「解析の結果、あちらよりこちらへ、何度か空間支配系魔法、“灼熱”の発動を試みたような痕跡が見つかっています」

「うへ」

 

 この空間を「灼熱」にされたら大変だ。土中(どちゅう)の焼き釜でふたり……今は三人か、猫人族を含め……綺麗に丸焼きにされてしまっただろう。

 

 ただ、「灼熱」に関してはコンラディン叔父さんから詳細を聞き、事前にその対策をちゃんとしてあった。ユーフォミーに、炎系魔法をいくつか見せてもらい、そのイメージを弾くよう調整がしてあった。

 

「それは、ええ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に弾かれています。ジュベミューワ様はフリード様の力を取り込み、更に炎系魔法が得意だったユーフォミー様の身体を得たことで、炎系魔法の超級(ちょうきゅう)術者(じゅつしゃ)となっているようですが……」

 

 先程の戦闘でも、大砲みたいになった脚から大量の炎弾(ファイアーボール)を撃たれたのだとか……脚からかよ。次はお尻にマシンガンでもつけるのかな。パンツじゃなくても恥ずかしくない?

 

「それでも、この罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は破れていませんし、私へも、あのローブを着て顕現(けんげん)している間は、そのようなものなど無意味です」

 

 あっ、はい。

 

 まぁ対策が功を奏したのか、元よりそのようなものは弾けるモノだったのか、それは判らないが、不安材料が減ったのはありがたい。

 

「それゆえの、精神攻撃だったのでしょう。……問題は」

「“灼熱”がダメ、精神攻撃も不発……とは言えなかったけど、致命傷を与えるには至らなかった、なら」

「はい。次に何をしてくるか、ですね」

「……はぁ」

 

 精神攻撃は破った、「灼熱」は元より弾いている。

 

 現在の状況は、しかしあまり良くはない。

 

 完全にこちらが「受け」の状態だからだ。それも、向こうの手札が把握しきれない状態での「待ち」だからだ。

 

 向こうは数百、下手をすれば千を超える人間の死体を吸収した巨人……の、その脚を持っている。

 

 この世界において魔法使いは、数百人にひとりはいる程度のもの。

 

 なら、確率的には数人、魔法使いが吸収されてしまっていても、全く不思議ではない。

 

 ボユの港を治める公爵様の元には、数十人かの魔法使いが仕えていたはずだ。公爵様のお屋敷は高台にあってこの辺り、大小の倉庫が(のき)(つら)ねる倉庫街……というか倉庫区画からは、防風林(ぼうふうりん)が視界を(さえぎ)り、あまりよく見えない。

 

 防風林の一部は燃えていたように思うが、初撃(しょげき)……最初の燃焼石(ねんしょうせき)の爆撃を感知してからは当然、三年前の王都、その王宮が(ごと)くに、結界魔法の使い手がお屋敷を結界で囲っただろう。治癒魔法の使い手だっているだろうし、初撃で致命傷を負った人以外は生き残っている……そのはずだ。

 

 だから公爵様に仕える、仕える資格を持つ強力な魔法使いが取り込まれてしまっている可能性は少ない。少ないが……けど、それもこれもあくまで「可能性」で、「かもしれない」だ。

 

 向こうにどれだけの手札が残っているのか、私達にはわからない。

 

 どう備えればいいかわからない状況での「待ち」「受け」は、緊張と不安ばかりが(つの)る。

 

 対する私達は、まず私とレオがこの場から動けない。いや実際は動こうと思えば動けるが、それはこの緊張と不安の中ではやり難い、やるリスクを選べないモノだ。「相対的に動く」あの方法は、神経を集中しなければ使うことが出来ない。

 

 戦略的に動くなら、こちらから攻めないと話にならないのに、こちらから動く手段が(実質的に)無い。

 

「ねぇツグミ」

「はい?」

 

 動けるのは、「攻め」に出れるのは、現状ツグミだけだ。

 

「分身、出来るんだよね? なら散在してしまったジュベミューワの、その全てに分身を飛ばして攻撃するってのは?」

「それには、“要不要”の突破が不可欠になります」

「……さっき、答えてくれなかったから、もう一度()()()()聞くけど、どうしてジュベミューワがユーフォミーの姿をしていて、“要不要”まで使えるの?」

 

 魔法は、魂より生ずるモノじゃなかったの?

 

「ユーフォミーの魂はどうなったの?」

 

 まだあの中……ブルーグレーの足が生えて五色になった、あのユーフォミーの身体の中にいるの?

 

「それが……ユーフォミー様の魂は、もうこの世には無いように思われます」

「死んでしまったってこと?」

 

 いや成仏かな?

 

「いえ……そもそもの、情報(データ)誘導体(デリバティブ)そのものが消え失せています。生き物が死んでも、しばらくは御遺体が残るように、魂も、しばらくはその残滓(ざんし)が、三次元空間にも残るはずなのですが、それが全く観測できません」

 

 よくわからないが、ユーフォミーはもうこの世にはいないらしい。

 

 ……寂しいという感情が、少しだけ心の底にあって、腹立たしい。

 

「であるからには、何かしらの、高次元的な干渉を受けたはずです。先程……ジュベミューワ様はラナ様へエピスデブリを押し付けるという攻撃を仕掛けてきました。どこからコピーしてきたわからない技術(スキル)ですが、魂に直接影響を及ぼせる魔法というのも、それなりにあります。私も、性質は違えども、同じようなことは出来ます」

「同じ、ような、ね」

 

 世界改変魔法、タイプデイドリームの出所は、どう考えてもツグミだ。

 

 あんな凶悪な魔法も、使おうと思えば使えるわけだ、ツグミは。

 

 なら……「待ち」ができる最大の攻撃は、カウンターだから。

 

「もともとジュベミューワ様の魔法は、他者のエピスをクラッキングして使うという魔法でした。なら、他者の魂を弾き飛ばし、どこかへやってしまうというのも、できる……かもしれません。具体的な方法はわかりませんが……いえ、今はなぜジュベミューワ様が“要不要”を使えるか、でしたね。それは……」

 

「待って」

 

 今できる「攻め」がひとつだけある。

 

「……ラナンキュロア様?――……――ラナ?」

 

 悪魔のような考えだが、それは。

 

「ねぇ、こういうのはどうかな、十七歳の、男を知らなそうな女の子に、身体は二十歳だけど多分経験はない女の子に、物凄い悪質な拷姦……もとい、強姦の記憶を押し付けてみるってのは」

 

 

 







 肉の座にも、朽ちる前であれば魂の痕跡が残っている。
 それを読み解けば、その肉の座の持ち主が使っていた魔法も解析できるかもしれない。

 ……というのが「ツグミの考える」「ジュベミューワが“要不要”を使える理由」(実際は違う)でしたが、割とどうでもいいのでカットしました。ツグキャン。怠惰ですねぇ。




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epis66 : Bermuda mystery / Stop the time

 

 どこかの誰かが、インターネットにこんなことを書き込んだ。

 

 ――良い子の諸君!

 ――「やればできる」

 ――実にいい言葉だな、我々に避妊の大切さを教えてくれる

 

 ……避妊は大切だ。

 

 わかってる。

 

 こんな残酷な世界に新たな命を誕生させようというなら、その全ての責任を背負(しょ)って立つ覚悟がなければならない。十六歳の私と十四歳のレオでは、それはまだ背負(せお)いきれない。だから子を産むということに強い憧れはあったけれど、避妊はしっかりとしてきた。

 

 二重の意味で、ママみたいになるわけにはいかなかったから。

 

 

 

 また、どこぞの誰かが、やはりインターネットにこんなことを書き込んだ。

 

 ――良い子の諸君!

 ――よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが

 ――「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが

 ――大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ

 ――王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!

 

 ……王道も大切だ。

 

 そんなこともわかっている。

 

 新奇性(しんきせい)だけのゲテモノに価値はない。それが認められ、新たな価値を生むというのも、微粒子(びりゅうし)レベルで無くはないが、多くの場合それは否定され、拒否され、キャンセルされ、流産されるか、生まれても早世(そうせい)してしまうモノだ。まぁ、微粒子って、無量大数(むりょうたいすう)の無量大数乗レベルで存在しているのだけど。

 

 

 

 ただ、一方、これらインターネット上の俗にいうミーム、これに添えられたアスキーアートの元ネタは週刊少年ジ●ンプのキ●肉マンだが、そこで一時代を築いた元有名編集者さんは、こんなことも言っている。

 

 ――「王道」なんてあるわけないじゃん。強いて言えば、そのとき流行ってるものが「王道」だよ

 

 

 

 ……なら。

 

 なら、王道ってなんなの?……って話だ。

 

 

 

 ドラ●ンボールは王道?

 

 ワン●ースは王道?

 

 ジョ●ョの奇妙な冒険は、スラ●ダンクは、鬼滅●刃は?

 

 ……こうして、(くだん)の雑誌で伝説級となった漫画をズラリ、並べてみても、「これぞ王道」と呼べるようなナニカがあるわけではないんだなってのが、よくわかる。北斗●拳、る●剣、テニ●の王子様、ナ●ト、BL●ACH、●魂、ヒロ●カなども含めたらよりいっそう、そうなるだろう。伝説級だけど休載ばっかりのあの人の作品群や、王道と邪道は対立するモノであるというイメージを広めた某有名コンビのデス●ートとかまで含めたら、もっとワケがわからなくなってしまいそうだ。

 

 

 

 ――そのとき流行ってるものが「王道」だよ

 

 少し変える。

 

 ――そのとき流行っ()ものが「王道」だよ

 

 私には、これが一番納得出来る答えだ。

 

 

 

 してみれば王道とは、「王が通ってきた道」でしかないのかもしれない。

 

 この世に「通れば王になれる(かもしれない)道」などは、ないのかもしれない。

 

 王道は、「王が通ってきた道」であるがゆえに(なら)され、舗装されていて、それゆえに通り易い、通るのが楽な、その程度のモノでしかないのかもしれない。「王道を行け」とは「先人が開拓した道を行け」ということなのかもしれない。

 

 けど、だからこそ逆を言えば、「先人が思いついたけどあえてやらなかったこと」を、()()()()()というのは、(すなわ)ち均されてない、舗装されてない道を行くということ……なのかもしれず。

 

 

 

 そこが地雷原でないという保証はない、不毛の大地ではないという保証もない、そういう道を行くということなのかもしれない。

 

 

 

 だとするならば。

 

 そこを行く、行くしかない者が学ぶべきは、王道などではない。

 

 その道と王道は、全く違う道なのだから、砂利の道を裸足で歩く際に、舗装された道を靴で行く際の諸々が参考になるはずもない。

 

 生きて、その道を踏破したいと願うならば、どうすれば地雷を踏み抜かず歩けるか、どうすれば不毛の大地においても命を保ったまま進んでいけるか、そのことをこそ、まず知るべきだろう。

 

 

 

 

 

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 

 私は、前世で書いた実写映画(ナマモノ)のR-18という、存在そのものが地雷な二次創作小説も、だから結局は誰にも見せないまま、封印してしまった人間だ。

 

 私は、十七年の生涯の、結構な割合の時間を使い、不毛の大地に、私だけが必要とする、私だけの秘密基地を作り、そこへ誰も招かず、一生を終えてしまった人間だ。

 

 もっとも、それは死後にパパかママか……最悪ならふたりともに、読まれてしまったのだろうが……それは公表したとは言えないだろう。パパとママには、どうかそれで、私が死んで当然の子供だったと知って、サッパリしていただけたらと思う。自分達の子供が、期待していたモノよりずっと卑俗でおぞましい存在だったと知って、むしろ失望して欲しいとすら思う。その方が清々する。

 

 私は、まぁ、そういう人間だから、創作論を口にする権利などはないのだろう。

 

 

 

 だからそれはこの辺でやめる。

 

 

 

 ここまで、こんなにも長々と無駄な述懐を続けてしまったが、私がここで言いたいのは、つまりこういうことだ。

 

 

 

 自分が知る範囲で、「それをやった先人」がいない場合。

 

 自分が知る範囲で、「誰もやらなかった事」を、それでも敢えてやらざるを得ない場合。

 

 自分が知る範囲ではないのだから、どうすれば地雷を踏み抜かず歩けるのか、わからない。

 

 自分が知る範囲ではないのだから、どうすれば不毛の大地において命を保ったまま進んでいけるのか、わからない。

 

 

 

 つまり王道を行()かないと()いうのは()、非常に危険な行為だということだ。

 

 

 

 そんなことはわかっている。

 

 ずっと、わかっていた。

 

 だから魔法の新たな可能性を模索する際には、事前の「実験」と「実証」を重視してきたのだし、致命的な結果……事故や想定外の事態が予想される「実験」は、なかなかに行うことが出来なかった。必要に応じてしてしまったことは、偶然だ。やりたくてやったわけじゃない。

 

 

 

 でも。

 

 

 

 その一方で、私はこうも思う。

 

 

 

 こんなん出来るんは自分だけかも~……ってことが、「出来る」と確信してしまった時、それを「やれる」と気付いてしまった時、しかしそれを「やらない」という選択肢を選べるのは……そんなことを、迷いなく選択できてしまうのは……それはもう、それこそそれまでの人生が、「王」様級に恵まれていた人だけなんじゃないかな、って。

 

 

 

 少なくとも、私は「王」ではない。

 

 女だから「女王」……なんて言葉遊びをするつもりもない。

 

 私の、歩いた道が均されたとしても、それはけっして「王道」にはならない。

 

 私は、多分邪悪な人間なんだろうけど、おそらくはそれは「邪道」にもならない。

 

 私を、知性と品性の足りない獣のようなものと考えるならば。

 

 私が、通った道は「獣道(けものみち)」にしかならない。

 

 それは人の手によって舗装されることもなく、いずれ自然の摂理に従って消えてしまうモノだ。そういう、儚いモノだ。歴史には刻まれない、この世界には何の価値も与えない、加えない、意味もない、早世する私生児の足跡(そくせき)……スラム街に生まれ、そのまま無為に死んでいく子供達の足跡(あしあと)。もはやそれそのものよりも、足の裏を切って流した血の方が濃く大地を汚し、長く残るくらいの。

 

 

 

 私の中に、少しでも残る先人の光は、後に偉大なる魔法使いとやらになったという、お兄ちゃんの、それだけだ。

 

 前世も今世も、親は私に何の光もくれなかった。

 

 世界は私に、光をくれなかった。

 

 むしろ奪った。

 

 世界はお兄ちゃんを奪ったし、お兄ちゃんを奪われた両親は、私から多くのものを奪った。

 

 

 

 そりゃあ生前、私がお兄ちゃんを無条件で好きだったなんてことはない。

 

 ケンカもしたし、ちょいちょい絶交だってした。

 

 お兄ちゃんが買ってもらったRPGを、私が横取りしてずっと遊んでいたら、お気に入りのパーティメンバーの名前が、いつの間にか「スマタ」と「ポポヒ」になっていて殴り合いのケンカになったこともある。

 

 ……どういう意味かって? ヒント、お兄ちゃんは、下ネタには疎いけれど、生物の学名なんかには結構詳しかった。もうひとつのヒント、日本では「バカ」という言葉を表すのに、ある生物が逆立ちした絵を用いることがある。もうひとつ付け加えるなら、ツグミが使っていた厨二ワード、流体断層(ポタモクレヴァス)のポタモの部分は、たぶん語源がそれの一部と同じだ。

 

 

 

 でも。

 

 好きだろうが嫌いだろうが、私にとってお兄ちゃんはお兄ちゃんだった。

 

 背中を追いかけて走った記憶がある。

 

 迷子になりかけたところを助けられ、手を引かれ家に帰った思い出がある。

 

 台風が来た日の夜に、雷鳴鳴り止まぬ中、一緒のベッドで眠ったこともある。

 

 それは好きとか嫌いとか、()いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そういう話ではないのだ。照らされれば影も出来るけれど、だけど()ってほしい光、時に眩しくて、鬱陶しくもなるけど、完全に失われれば万物を正しく見ることさえもできなくなる、そういうもの。

 

 私は自分勝手に、ワガママに……お兄ちゃんに生きていてほしかった。

 

 

 

 

 

 ツグミは言った。

 

 偉大なる魔法使いが、どういったものかを考えるのであれば、地球におけるノーベル、ノイマン、フェルミといった、功罪(こうざい)ともに(いちじる)しい科学者、数学者、物理学者等を想像すればいい……と。

 

 二十一世紀に続くノイマン型コンピュータを生み出したノイマン。

 

 ゲーム理論を編み出したひとりであるノイマン。

 

 核兵器の開発に関わったノイマン。

 

 

 

 彼は、彼こそが真に「誰もやらなかった事に挑戦」した人間だ。

 

 そこに、「思いついたけどあえてやらなかった」「先人」がいたとも思えない。

 

 それくらい、彼には先進性があって、新奇性があって、均されてない道を遠く遠い未来まで進んだ偉人であり、奇人だった。

 

 ノイマンの、ある種の「非人間的」なエピソードは、枚挙(まいきょ)(いとま)がないほどにある。計算能力でコンピュータに勝ったとか、何十巻もある本の内容を暗記していただとか、核兵器で京都ぶっ壊して日本人の心折ろうぜーと言ったとか、言わなかったとか、そういうのがたんまりと。

 

 彼が真に天才であったことは、彼にネガティブな感情を抱く人でさえ、認めざるを得ないところだろう。その偉業の一切を否定し、拒否してしまったら、二十一世紀の文明下を生きていくことなど不可能だ。

 

 けれど、彼のような天才の進んだ道が、王道でも邪道でもなかったこともまた、確かだ。

 

 言葉遊びをするなら、彼は「天」才なのだから「天道」となる。でも、それだと多少の、日本においては敬遠される類の宗教的な匂いがついてしまう。

 

 ならばそれは、「王道」の、本来の対義語である「覇道」だろうか。

 

 それとも「邪道」、その本来の対義語である「正道」だろうか。

 

 国語的に、「王道」と「邪道」は、ギリギリ対義語として認められる範疇にはあるが、そもそもそれはあまり対立するモノでもない。

 

 それはそうだ、「王」の反対が「邪」って、(よこしま)な王など、存在するはずがないとでもいうつもりか。

 

 

 

 覇道は。

 

 覇者が力づくで勝者となった者のことだから、知()によって勝者、成功者となった者もそこへ加えていいとするならば、ノイマンはまさに覇者、覇道を歩んだ者であるといえる。死後の何十年をも、下手をすれば何百年という未来をも、己が色に染めたのだから。

 

 

 

 正道は。

 

 何が正しく、何が間違っているかは、個々人が決めるべきことだから、私はそれを論じない。

 

 というより、日本人に、元日本人にノイマンの正邪を正しく評価することなど、不可能に近い。それは彼の恩恵に(あずか)っていない、国土に原爆を落とされたこともない、そういうレアな国か地域かの誰かに預けよう。

 

 

 

 ともあれ、私は、私のお兄ちゃんが、ノイマンほどの天才だったとは思わない。

 

 思わないし、言わない。

 

 言わないが、そういった過去の偉人、奇人達がどれくらい凄いことをやってきたかについては、ある意味子供らしい憧れでもって調べ、覚え、尊敬していた子供らしからぬ変人だった……とは思う……後に、ナガオナオとなる千速長生(せんぞくなお)、つまり私のお兄ちゃんは。

 

 お兄ちゃんにとって、技術の発展や科学の進歩は、なによりも崇高なモノだった。

 

 お兄ちゃんは、先人の功罪は、両面を見て評価するしかないものであると、よく知っていた。

 

 だからお兄ちゃんには「王道」も「邪道」もなかった。

 

 ただ偉大なる先輩方の背中を、ただ憧れをもって眺めていた。

 

 そうして追ったのだろう。ただひたすらに、我が道を行くという「道」を。

 

 

 

 ならば私がこれから進む道は、お兄ちゃんの()()()()を追う道だ。

 

 言葉遊びをするなら、それは……お兄ちゃんが魔法使いなのだから「魔道」……なのだろう。

 

 

 

 私は、そこまで考えて。

 

 

 

 ああ……それはしっくりくる……と思った。

 

 失っていたモノを取り返したと思えるほどに、それはしっくりくる。

 

 

 

 私は今、悪魔のようなことを考えている。

 

 だから、その意味でも「魔道」。

 

 戸惑(とまど)うほどに、それが運命だったとでもいうかのように、ピースがカチリと、ハマってしまった。

 

 

 

 

 

「……ラナ様が、ご自身のエピスデブリを動かし、他者へペーストできるというなら」

 

 私が、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で何が出来て何が出来ないのかを語り、そこから導き出される悪魔のような攻撃手段について提案をすると、ツグミはしばしの沈黙の後にそれ……つまりは「魔道」の「可能性」について、語りだした。

 

「ジュベミューワ様を対象に、それを行おうというのは……できる、できないでいえば、現状、不可能ではない……という答えになります」

 

 そこに、そんなことをしてはいけない、いいや、してもいいといった、道徳的観点からの言葉は何もなかった。

 

「それは、確か?」

 

 それを私は、まるで科学者のようだと思った。

 

「はい、あちらよりの経路を逆に辿り、そこへ毒を流し込むだけですから」

 

 科学者に憧れていた、お兄ちゃんのようだと思った。

 

「毒、ね……毒か」

 

 お兄ちゃんにとって科学と魔道は、同じものだったのかもしれないと思った。

 

 科学者も魔道士も、良くも悪くも世界を変えてしまう、魔法使い達。

 

 ツグミもまた、そういう者の眷属だった。

 

「なら、私の提案した作戦は、実現可能ってことね?」

 

 

 

 

 

 ……ちなみに。

 

 猫人族(ねこじんぞく)はパニックし続けることに疲れたのか、ぐったりした感じで私達の背景になっている。残る五人の救出は……ツグミへの説明と作戦の提案中に行ったが……船が世界改変魔法、そのタイプデイドリームの起点となったせいか、全員が魂が抜けたような状態になってしまっていた。どのような夢を見せられたのか、全員が白目を剥いていたり、人体の穴という穴から様々な液体や諸々を垂れ流していた。

 

 幸い、とは言えないが、その状態であれば私の魔法を言いふらされる危険性もない。だからここから更にワープさせて、今は地表に並べてある。正気が戻るかどうかはわからない。私にわかるわけがない。そこまでの面倒は見きれない。早期のご回復はお祈り申し上げるけれど、それ以上はもう何も出来ない。

 

 

 

 

 

「ただ、ラナ様のご提案には、問題がふたつほどあります」

「……それは?」

 

「ひとつは、安全性の問題ですね。おそらくは安全機構が働いて、平気だとは思うのですが」

「安全機構?」

 

 なんの?

 

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の、です。エピスデブリを取り除くという行為は、実は大変に危険な行為でもあるのです。間違った手順で行ってしまったら、心が、精神が壊れてしまっても不思議ではありません」

「え」

 

 喩えれば……と、ツグミはしばしまた黙考をして、続ける。

 

「……脳の悪性腫瘍を取り除く手術を思い浮かべてください。脳にはNo() Man’s() Land()、人が踏み入ってはいけない領域というものが存在しています。ほんの少し、そこを傷付けるだけで意識が戻らなくなったり、重度の障害が残ったりするため、そう呼ばれている領域です。悪性腫瘍がそこに隣接する形で存在していた場合、手術でこれを取り除くのは非常に困難となってしまいます」

 

「魂にも……そのノーマンズランド? みたいな領域があるってこと?」

 

「はい。魂も脳と同じように、複雑なネットワーク構造を形成する情報(データ)誘導体(デリバティブ)群体(ぐんたい)ですから……というより、脳の方が、魂の()(よう)に合わせ、似た構造になっているのだと思います」

 

 なら、私は、とても危険なことをしていた……ということだろうか。

 

「レオ様へ移した際には、おそらくNML(ノーマンズランド)に隣接してない部分だけが移動したのでしょう。ですが、残る全てがそうであるとは限りません……というより、一部は確実にNML(ノーマンズランド)に隣接しているはずです」

 

 そういえば……忌まわしい記憶をレオに移動した際、私は移動させる記憶の「範囲」を、特には指定しなかった気がする。

 

 ただ、思い出せる……思い出しても魔法を続けられる範囲の混乱しか引き起こさない記憶……それだけをイメージして術式を行った。

 

「で、あれば、偶然が上手く作用しただけかもしれませんが……おそらくは、NML(ノーマンズランド)へ隣接している記憶をイメージしても、移動は上手く行かなかったと思います」

「……ああ、つまり」

 

 それこそが。

 

「はい。それこそが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の安全機構である、という話です」

 

 なるほど。

 

 ……だけど結局、あるかないか、機能するかしないか、わからない話だな、それ。

 

 成功する確率は高いが、失敗したら精神崩壊エンドか……嫌な賭けだ。白目で穴という穴から色々なものを垂れ流す海の男を、五人分も見た直後だと特に。

 

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)ほど複雑な魔法になってくると、術者を守る安全機能の類が無いわけないのです……というより、高度な魔法のほとんどは、そういった安全機構への意識無しには、組み上げることすら困難です。それは、いわば、掘った(あな)の補強をしないまま、トンネルを掘り続けるようなモノ、安全対策をしないで細菌やウィルスの研究をするようなモノです」

 

 その(たと)えは、よくわからないけど。

 

「魔法の行使者、術者を危険に晒すような運用は不可能だってこと?」

 

 私は、自分自身の身体が分割されたまま、空間支配が完全に(ほど)かれてしまった場合、自分の肉体もやはりバラバラになってしまうのではないと予測していたが……そういうことも、つまりは起きない?

 

「原典であるエキシ・エァヴィリェであれば、そういった場合は分割を解いてから解除されるよう、安全機構が働く仕組みになっていました。支配空間そのものを、只今(ただいま)ご説明頂きました例外を除いては動かせないというのも、同様の安全機構が働いてのものでしょう。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)には多少、私が手を入れさせていただいていますが、そこは変わらない……はず、です」

「うーん……」

 

 そこは、「はず」ではなく、確信をもって言い切ってほしい……。

 

「複雑な魔法の術式は、その開発者でなければ改造出来ない領域というモノが存在しています。幽河鉄道(ゆうがてつどう)が、ナガオナオ様にしか改造出来ないというのも同じ理由です。特に、各魔法の安全機構の類は、ほとんどがその領域に属しています。それは、時に開発者自身でさえ触れられない領域です。まさにNML(ノーマンズランド)、ですね」

 

 なるほど……大枠としては大体わかった。

 

「それが、ふたつある問題のひとつだという、安全性の問題はあるけど、おそらくは安全機構が働いて平気だって話?」

「はい」

 

 ふぅむ。

 

「なら、私が考えていた、世界を壊すような運用も、安全機構に引っ掛かる?」

 

 地下深く潜り潜り、マントルまで到達して惑星そのものを壊す。天高く昇り、オゾン層を壊し続け、地上を人間の住めない環境にする。宇宙に出て、この惑星の公転経路に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を置く。月を、大月(だいげつ)小月(しょうげつ)を、同じように壊したり、経路を塞いだりする。

 

 そういう案、全部、ダメなのだろうか。

 

「それについては、私は答えを持っていません。検討も、ラナンキュロア様の幸福のためには、しない方がいいと判断します」

 

 ふむ。

 

「ナガオナオ様は、安全機構に十分配慮した……そのつもりだった魔法の盲点を突かれ、数億という人間の暮らす大陸ひとつが消滅させられるという事態の……当事者ではないものの……責任者のひとりとなってしまいました。その事実が、ナオ様の幸福に貢献したとは、到底思えません」

「……なるほどね」

 

 天才は……少なくとも四十五万人、広く見れば百万人以上が死んだ日本への原爆投下に、何を思ったのだろうか?

 

 天才は……何も思わなかったのかもしれない。少なくとも私に推し量れるとは思わない。

 

 だけどお兄ちゃんは、天才に憧れた秀才でしかなかった。少なくとも私はそれを知っている。

 

 そうして私も、天才ではない。たったひとりを殺しただけで心が壊れそうになってしまった凡人だ。凡々人(ぼんぼんじん)だ。妄想の中ではいくらでも人を殺せるし、世界も滅ぼせる。そういう妄想をして心が落ち着くことがあるのも事実。だけど……実際に、それを実行に移せるかどうかは別問題だ。全然、全く、別問題だ。

 

 この世の終わりのような光景を見せられ、心があれほどに乱れた感覚を、私はまだ忘れていない。東京特許許可局。あれからまだ、さほど時間も経っていない。

 

「逆に伺いましょう。自分の忌まわしい思い出を、他人へ移動させることが出来ると気付いてから、ラナ様はレオ様にそれを行っただけですか? だとしたら何故、それ以上を試そうと思わなかったのですか? 動物実験すら行っていないのですよね? 何故でしょうか?」

「それは……」

 

 どうしてだろう。

 

 強いて言えば……必要を感じなかっただけ……なのだけれども。

 

「って……動物実験って……エピスデブリは動物にも押し付けられるの?」

「私が使える魔法のひとつ、魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)、スピリットリンクは、人と盲導犬との間に結ばれる魔法ですよ?」

「ああ……それと、同じってこと?」

「はい。もっとも、スピリットリンクは感覚器官が著しく異なる相手、具体的には大型の哺乳類以外のほとんどですが、そうした相手に対しては、使うのが困難なモノでもありました」

「制限はある、と」

「はい」

 

 つまり大型の哺乳類、なら可能性は高いのか。

 

「だったら……マイラにも押し付けられた?」

 

 けど、どういう受け止め方になるんだ? それ。

 

 逆なら、私に、犬の交尾なあれやこれやが押し付けられる、みたいな感じ?

 

 ……ピンとこないな。

 

「……おそらくは」

「そんな顔しないで、レオ。しないって、そんなこと」

「どうして、ラナ様はそれをしなかったのですか?」

 

 そんな、するのが当然、みたいに言われても困るけど。

 

「必要がなかったから。それに尽きるよ」

「一類と二類のエピスデブリが山盛りテンコ盛りの状態を、治す必要がなかったと?」

 

 人の忌まわしい記憶を、極上で特上なイクラ丼みたいに言うな。

 

「だって、レオとはひとつになれたから。それで十分だったから」

「男性恐怖症が治るとは思わなかったのですか? いえ、エピスデブリが()けられても、魂の傷が残っている間は治ったことにならないのですが……それどころか、先述の通り、全てのエピスデブリを取り除こうとするのは、大変に危険な行為ですが」

 

 うーん……。

 

「だって……今更普通の人生なんて、もう送れないからね。そんな権利は、私にはないから。欲しいとも、思わないし」

 

 今更、無垢な自分自身を手に入れ、誰かに愛されたいだなんて、思わない。

 

 忌まわしい記憶は、忌まわしい記憶だ。あの男達が……この私の目の前に現れたならば、私は今でも、彼らを魔法でバラバラ死体へと変えるだろう。それも一切の躊躇無(ちゅうちょな)く、即座に、だ。レオに殺してもらうことさえ、したくない。

 

 彼らを殺したいと思わなくなるのが、彼らを許せるようになるというのが、トラウマを克服(こくふく)したことだというなら、私はそんな出来た人間にはなりたくない。凡々人には無理な相談だ。

 

 復讐は何も生まない? 何かを生みたくてするもんじゃないでしょ、復讐なんて。()むんだったらレオの子がいい。それ以外を生みたいとは思えない。

 

 私は、十七年と追加で十六年を生きてさえロクでもない人間だ、だけどもう、それでいい。

 

「もう……自分を変えたいとは思っていない……ってことなのかな」

「……」

 

 私はレオに愛され、レオを愛している今の自分が気に入っている。

 

 そのままで生きたい、そのままで生きて死にたい、だからやり直しはいらない。

 

 ああ、そうか。

 

 そうだ。

 

「私はもう、傷付くことよりも、失うことの方が怖い……だからかな」

 

 私は、胸に穴が開いたままのレオを見つめ、見つめ続けながらそう答える。

 

「そう、ですか……」

 

 その言葉を聞き、ツグミはまた黙考をした。再びの熟考をした。

 

 レオも、ここで口を挟む気はないのか、ずっと黙ったままだった。

 

 ややあって。

 

「……なるほど。ラナ様は、超克(ちょうこく)していたのですね」

「超克?」

 

 ややあって、ツグミから零れた言葉は、わかる様な、わからない様なモノだった。

 

「いえ、それならば結構です。エピスデブリを克服、(ふく)し、()つのではなく、それをそのままに()え、()つ。それもまた、ひとつの道でしょう。ラナンキュロア様がそれに至ったならば、それは祝福されるべきことです。なら……」

 

 相変わらずツグミは、妙な言い回しをする。

 

 これもお兄ちゃんの影響なのだろうかと、やはり少しだけ思う。

 

「なら、ならばまずは目の前の敵、ジュベミューワ様に打ち克たなければ、ですね。非道ともいえる、悪魔のような作戦をご提案されたラナンキュロア様の気持ちが、少しだけわかりました」

「……うん」

 

 レオを助けるにも、まずは目の前の敵を倒さなければならない。

 

 ならもう手段は選ばない。悪魔にも、「非道」ともなろう。

 

 ジュベミューワはそれだけのことをした。

 

 この怒りを克服する気などない。

 

 ヤツを、超えて克つ。

 

 ここはもう戦場だ。

 

 戦場に栄光も名誉もない。そんな幻想(ファンタズム)は、他に生きる道のない人間だけが持てばいい。私はそんなものを必要としていない。悪魔のように勝つ。魔道を通り非道に勝つ。

 

 ただ、勝つために戦う、それだけだ。

 

 

 

 

 

「それで、もうひとつの問題点って?」

 

 ならば、今は作戦の実効性について論じるべきだ。道徳などではなく。

 

「はい。もうひとつは、まさにその実効性についての問題です。ジュベミューワ様……に、その毒が効くのか、という話です」

「ん?」

 

 今なんか、『ジュベミューワ様……に』のところで妙に口籠(くちご)もったけど……なんだ?

 

「ジュベミューワ様……の脚は、沢山の方の死体を吸収した巨人が、その素となっています」

 

 あ、また。

 

 ……そろそろ(アレ)様付(さまづ)けするのに、躊躇(ためら)いを覚えてきたのかな。……だとしたらだいぶ遅いけど。

 

「であれば……そこには爆撃され燃やされ、苦しんで死んでいったというエピスデブリが多く存在していたはずです。個々人(ここじん)が最初から抱えていたエピスデブリは()いておくとしても、それが無かったはずがないのです」

「……そういうもの?」

「肉の座にも、魂の痕跡は残りますから。死後、魂の群体状態は(ほど)け、ネットワーク構造は解消されてしまいますが、数時間が経過してよりの(のち)であるならともかく、そうでないなら残滓(ざんし)はまだ残っているはずです。それを自分の身体に接合するなど、本来であれば自殺行為でしかないのです」

 

 理屈から考えれば、あの脚にはエピスデブリより生まれる痛み、痒み、痺れ、気持ち悪さ、疼き、焼かれる痛み、凍る痛みといった、ありとあらゆる辛苦が無限に発生しているはずで、脳もその信号を受け取っていなければおかしいのです……と、ツグミは語る。

 

「どういう理屈かは私にもわからないのですが、あのジュベミューワ様……には、そういった毒への耐性があるようなのです」

「ツグミにもわからない、エピスデブリへの、耐性か……“要不要”で、それだけを弾いているとかは?」

「まさか……いいえ、その可能性もありますが……」

 

 問題はふたつ。

 

 攻撃者の血肉ごと持っていくかもしれない、()()の安全性の問題。

 

 攻撃目標に攻撃への耐性がありそうで、実効性に不安があるという問題。

 

 ツグミに言わせれば、前者のリスクはほぼないだろうとのこと。だけどリスクがあった場合の最悪は、白目で汚物垂れ流し状態の精神崩壊エンド。後者はリスクではないが、作戦自体に、前者のリスクを許容するほどの価値があるかという問いを、私へ投げかけてくる。

 

「つまり、これはまた“賭けろ”という話?」

「そう……なりますね」

 

 なら、私の答えは。

 

 

 

 

 

 

 

<ジュベミューワ?視点>

 

 木炭に、最初に触れた時、手が汚れるのがイヤですぐに指を離した。

 

 次に触れた時、だけどそれで☆じぶんいがいの☆すべてを☆くろく☆ぬりつぶしてしまえたらいいのに☆とおもった。

 

 どうして☆へいわを☆のぞまないひとが☆いるのだろうか。

 

 どうして☆やさしさを☆すこしももたないひとが☆いるのだろうか。

 

 どうして☆ひとは☆あらそうの?

 

 どうして☆ひとは☆うばいあうの?

 

 そんな事を、しなくても、幸せにはなれるのに。

 

 足りることを知れば同時に満ち足りるということも知れるのに。

 

 だからもう○ぜんぶぜんぶ○くろくくろく○何もかもがみえなくなるくらいにぬりつぶしてしまいたいあはははははははははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww☆

 

 みんなみんな、おかしいよ。

 

 わたしはただ☆ありふれたしあわせが☆ほしいだけなのに。

 

 ふつうに☆どこにでもあるしあわせが☆ほしいだけなのに。

 

 ただしいせかいは☆どこにあるの?

 

 わたしのことを☆きずつけない☆たにんをおもいやれる☆やさしいひとだけのせかいは☆どこにあるの?

 

 世界■変革■望むならば■最強■存在■なりて■支配し■君臨せよ。

 

 芸術は引き算。

 

 世界が美しくないのは、美しくない人がそこらじゅうに跋扈(ばっこ)しているから。

 ならば美しい世界は、美しくない人を潰し、押し潰し、踏み潰していくその先にあるから。

 

 へいわを☆のぞまないひとを☆皆殺しにしよう。

 

 やさしさを☆もたないひとを☆鏖殺(おうさつ)しよう。

 

 あくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは殺そうあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは死ねあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは殺そうあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは死んでしまえあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは殺そうあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまあくまは死ねあくま死ねあくま死ねあくま死ねあくま死ねあくま死ねあくま死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 

 

 

 わたしは、大それたことは何も望んでいないのです。

 わたしは、身の丈に合わない大望は抱かないのです。

 

 ただただただただ、ふつうのしあわせがほしいだけなのです。

 

 それくらいののぞみが、どうしてかなわないのですか?

 

 

 

 おひめさまに○なりたかった。

 

 いっしゅん○だけでよかった。

 

 しょうがいで○ただいちどの。

 

 おひめさま○になれたらいい。

 

 

 

 だけどどうしたってわたしはおひめさまにはなれなくて。

 ならば抗え■泣いて■喚いて■賑やかに■騒がしく■世界に☆あらがえ。

 ほしければ☆ころせ☆命を賭して命を護れ☆それがいきるということしにあらがうということ。

 

 

 

 ――無理。

 

 

 

 え?

 

 

 

 ――無理。あなたはもう壊れているから。

 

 ――あなたの人格は、もう壊れているから。

 

 ――沢山のものが混じり合いすぎいて、何もかもが破綻しているから。

 

 ――それ自体には同情するけど。

 

 ――共感は、できない。

 

 

 

 だれ?

 

 

 

 ――もしかしたら、あなたは私のもうひとつの可能性だったのかもしれないけど。

 

 

 

 なんの☆はなし?

 

 

 

 ――私はあなたを壊すよ。

 

 ――同情はしても、壊す。

 

 ――かわいそうでも、あなたがどんなに生きたくても、殺すよ。

 

 ――私が私のために、わがままに、自分勝手に、あなたには死んでもらう。

 

 

 

 ねぇ○誰なの!?

 

 

 

 ――さぁ。

 

 

 

 ――堕ちて。

 

 ――私が、それがそうであると知っている、それがそうであると断言できる、最悪の地獄の、そのナカへ、そのソコへ。

 

 

 

 ――堕ちて。

 

 

 

 くろい、木炭よりもおぞましい、ぬとぬととした何かが襲ってくる。

 

 

 



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epis67 : Una Nancy Owen was her?




 ※前書き

 冒頭の<カオス化した精神世界:三人称>の部分は、ほんのちょっとだけグロイです。苦手な方は<ラナ視点>まで飛ばしてください。それでも、今後のストーリーの理解に支障が出てくるといったことはありません。





 

<カオス化した精神世界:三人称>

 

『ひぎやぁぁぁ!!』

 

 その悲鳴をあげているのは、誰だっただろうか、誰の心の名残だっただろうか。

 

『ラ、ラ、ラ、ラ、ラナンキュロアアアァァァ゛!!』

 

 元々割れていたその心が、更に罅割れ、壊れていく。

 

『こんな、こんな、こんなことをっ……どうしてしていいと思っているの!? いひゃあぁ、やあああぁぁぁ!!』

 

 それは無数の臭徒(しゅうと)に襲われていた。

 

 精神世界にあって(なお)リアルな、生ゴミのような、魚が腐ったような、夏に大量の洗濯物を、部屋干しした狭い汚部屋(おべや)の中のような、それら全てが混じり合ったような、そんな(にお)い。

 

 それら源泉が襲ってくる。濃縮された臭味(くさみ)の塊が雲霞(うんか)の如く、世界に陰を生みながらやってくる。もはや空気自体が大量の黒い砂か埃か汚泥を含んでいる。それがじくじくと肺を蝕んでくる。ひゅうと息を呑むことさえ出来なくなってしまっている。

 

『ツグミ!☆ツグミ!○ツグミ!■オマエは■こんな醜いモノを■魔法へ取り込むことに!■プライドが傷付かないのか!』

 

 黒い影は、ナメクジのようにヌトヌトしていて、ゴキブリのようにテラテラしていて。

 

 それに触れただけで自分が腐り、醜く朽ちていくのだと確信できる、心の底から理解出来てしてまう、その未来が観える、根源の恐怖に連なる何か。

 

『ぎぃ……やぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 

 人の形をしている影の顔には、無数の穴が空いている。どれが目で、鼻で、口かもわからないような穴だ。そこから時折、線虫のような白い細かい触手がちろり、ちろりと這い出し、何かを探っているように見える。それがこの地獄の獄卒(ごくそつ)なのだとしたら、牛頭(ごず)馬頭(めず)は、なんと優しい姿なのであろうか。

 

『ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』

 

 獣と蟲の形をしている無数の影の姿は、多様だ。

 

 犬のような、キツネのような、クマのような、ブタのような、サルのような、ハゲタカのような、ヘビのような、イモリのような、サンショウウオのような、様々な形をした獣のものは、そのどれもが、やはり身体のあちこちにボコボコと穴が空いている。そこからはふしゅう、ぶしゅうと腐臭のする息が()かれていて、それは黄色だったり、黄土色だったり、紫色だったり、紫紺(しこん)だったりの色を伴っている。

 

『やあああ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛』

 

 地を這い、あるいは蛾のような(はね)(くう)を飛び、時折ナニカの体液をぷしぷしと放出しながら進んでくる蟲の形のそれは、ムカデであるとか、ミミズであるとか、カナブンであるとか、カマキリであるとか、本当に言い切れないくらい多様だったけれど、そのどれもが種としての正常な姿をしていなかった。

 

 まず、ムカデは全長が一メートル(1m)を超えていたりしたし、その節々に人間のような目が付いていた。

 

 それよりは多少小さいミミズも、その口の辺りを見ればヤツメウナギのような歯が生えていたりしたし、腹に人間の顔のような模様があるカナブンは、その尻の辺りからスズメバチのような毒針を出していた。

 

 カマキリは、ふくよかなその腹から、黒い無数の、ハリガネムシのような何かを触手のように、鞭のように伸ばし、わさわさと、うぞうぞと、それを(うごめ)かせていたりもした。

 

『ごないでぇぇぇぇぇぇぇ』

 

 それはもう、観測者の立場で関係のないところから傍観するだけならば、あまりにも非現実過ぎて、むしろ何かしらの美を感じてしまうほどのおぞましさ。

 

『触れないで! 掴まないで! 痛い! 痛い! 痛ぃぃぃ』

 

 しかし(げん)に、幻想(げんそう)の中で、主観的には(うつつ)のそれらに襲われているジュベミューワ……だったはずの誰かは、この上ない醜悪に、自分が(うず)もれていくというその痛苦(つうく)に、屈辱に、恥辱に、耐えることなどは不可能な怖気(おぞけ)を感じていた。

 

 侵食されていた。

 

 浸蝕(しんしょく)されようとしていた。

 

『もぅやぁ! やだぁ! いやなのぉぉぉぉぉぉぉ!!』

 

 恐怖が、ジュベミューワの名残を残していた心を、壊していく。

 

『おぐっ……ぐ、ぐぢに゛……もごぉぉぉ!』

 

 醜いものに自分が(おか)されていくことに、それはもう耐えられない。

 

 汚水が自分を満たし、変質させていくことに、それはもう耐え切れない。

 

 罅割れていく。

 

 ピキピキと。

 

 壊れていく。

 

 パキパキと。

 

 知性と理性ある、心だったはずのモノが。

 

『ぶべっ……ぃや!○イヤァ!☆こんなのはいやぁ!!○イヤァアアアァァァァ゛ァ゛ァ゛!!』

 

 醜悪な人と獣と蟲の影に、覆い尽くされていく。

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「どうなってる?」

「……効いています」

 

 例の赤いローブを着て、再び人間の姿で地下シェルターに現れたツグミが、その鼻の頭に人指し指を当てながら答えた。なんだそのあざといポーズは、と言いたくなるくらいに可愛い。いや私が同じポーズをしても可愛くはないだろうが。

 

 そういえば犬って、よく自分の鼻の頭、ペロンって舐めているよね。

 

「だから、どんな風に?」

「それは……説明、したくないです」

 

 中指と人指し指を、今度は薄桃色の唇に当てたその姿を見て、私は思った。

 

 説明好きのツグミが口籠もるって……よっぽど酷い状態なんだろうな、って。

 

 

 

 私の中に眠っていたモノ、十何年も熟成され、変質していただろう地獄。

 

 私自身もう、そんなものはもう、今更もう、主観的であれ客観的であれ、見たくも、知りたくもないモノだった。

 

 

 

 私達は……賭けを実行した。

 

 やらないという選択肢は、私にはなかった。

 

 世界改変魔法、タイプデイドリームは危険な魔法だった。私みたいに、心に弱さを抱える人間には特に。

 

 ゾッとしたのだ。

 

 私自身に覚えがないエピスデブリを押し付けられ、それを活性化されただけであんな状態に陥ったのだ。

 

 なら……私自身が抱える問題の、本当に弱点となる部分。

 

 アキレウスの踵、アキレス腱。

 ジークフリードの背中。

 耳なし芳一の耳。

 弁慶の泣き所。

 

 その部分を突かれたら、私はきっとレオが何を言ったところで、狂死してしまったことだろう。

 

 ツグミは超克(ちょうこく)していたと言ってくれたが、私の中にそんな感覚はない。私はもうあの地獄にはいない。愛されたいと願う人に愛されるという奇跡も手に入れた。だから落ち着いていられる。それだけの話だ。

 

 だけど、地獄へと引きずり戻されたら。

 

 たとえばそう……レオを、失ってしまったら。

 

 私は、私自身がどうなってしまうか、今もわからない。

 

 だからこその魔道だった。

 だからこその非道だった。

 

 人は、自分の価値観でしか物事を(はか)れない。

 人は、自分の価値観でしか物事を(はか)れない。

 

 ジュベミューワは、ジュベミューワの価値観で、私に有効と思われる手段を()った。

 

 それは半分正解だったし、半分間違いだ。

 

 確かにそれは有効だったけれど、最適解(さいてきかい)ではなかった。

 

 私の、本当の弱点は、そこではなかったのだから。

 

 

 

 私も、私の価値観でしか物事を測れない。

 私も、私の価値観でしか物事を謀れない。

 

 私は、だから自分の弱点そのものを最大の攻撃手段とし、賭けることにした。

 

 ツグミへ、魂の一部を渡し、それをツグミの魔法でジュベミューワに横流ししてもらった。

 

 私は、ユーマ王国が実施している燃焼石(ねんしょうせき)の、他国への輸出について、危険な兵器を輸出することで、輸出先の混乱を狙う意図があるのではないかと推測したことがある。

 

 危険物を他国へ流すことで、相手の弱体化を狙う。

 

 思い付いた時は、思い付けた自分自身を嫌いになってしまうような話だと思った。

 

 ならばもっと直接的に、敵に毒を注射するこの策は、どれほど卑怯な奇手(きしゅ)であるというのか。

 

 けれど私の中に、自己嫌悪は生まれていない。多少の罪悪感があるだけだ。

 

 それに、最悪を考えるなら、ジュベミューワの精神を壊すというのは、必要な一手でもあった。

 

 

 

 ジュベミューワからは、男の(にお)いがしなかった。

 

 未通女(おぼこ)い感じだった……というと古臭いし、嫌味っぽいが、そんな感じがした。

 

 ユーフォミーの姿となってさえ、もはや元の人格は壊れ、暴走した自分自身の魔法に喰われてしまったかような存在と成り果てていてさえ、それは変わらなかった。

 

 取り込んだ灰……焼死体の中には、そうじゃない女性だって、子を何人も産んだ女性だって、いくらでもいただろうに……ジュベミューワらしき人格からは、「その(にお)い」が何も感じられなかった。

 

 あの脚からはエピス……それが正しい用法かは、ツグミに聞かないとわからないが……エピスを形成する(?)経験、体験といった類のナニカは、取り込んでいないのかもしれない。もしくは要不要が(ごと)く、選択的に弾いているか。

 

 ……先程、ツグミの魔法を通じて「触った」感じ、後者っぽかった。そこにはノアと、灼熱のフリードらしき人格が見えた。『おひめさまになりたい』と、妄言を吐いてたのがノアだろう。なんとなく……ノアからは、スポーツに青春を捧げていたせいで、悪い意味でも純心のまま育ってしまった体育会系女子の匂いがした。そして妙に偉そうだったのがフリードだろう、多分。

 

 ツグミは、あの巨人を、ノアステリアと灼熱のフリードのどちらかが先に「そうなってしまい」、それから残る方を取り込んだものだろうと推測していた。

 

 ただ、ツグミは、二周目のツグミ(?)が「灼熱のフリードがジュベミューワに燃やされた」と言っていたのを聞いている。今となっては、あのジュベミューワが二周目のツグミであった可能性すらあるが……しかしそれの語ったことが真実であるなら、最初に「灰」になったのは灼熱のフリードであったはずだ。その死に、ノアステリアは巻き込まれた。そういうシナリオになる。

 

 どちらにせよ、灼熱のフリードとノアステリアがジュベミューワに取り込まれてしまっていることには、変わりないだろう。そしてそれは、どういう形でかはわからないが、あの脚の中に入っていたモノだったはずだ。

 

 ジュベミューワは生前、灼熱のフリードの魔法をコピーしていたと思われるフシがある。

 灼熱のフリードを、燃やしたというのがそうだ。なんならこの世界線では実現していない、マイラを燃やしたというのもそうだ。そんなの、生半可な火力で出来たこととは思えない。

 

 二重の意味で、ジュベミューワの中に灼熱のフリードが取り込まれているのは間違いない。

 

 灼熱のフリードには過去、妻子がいたという話だ。

 

 なら、あのジュベミューワが灼熱のフリードを丸ごと取り込んでいた場合……当然、男性側からの視点となるだろうが……性的なことも、少しは知っていなければおかしい。

 

 けど、そんな感じもなかった。

 

 もう思いっきり嫌味ったらしく言うが、アイツは処女だ。人殺しの処女だ、どれだけ人を傷付けても自分が被害者だと思っている狂った処女(おとめ)だ。……いや、私にもその()はあった(それが過去形になったのは、三十年以上生きてからの、割と最近のことだ)から、これを言うと少し……いや結構心がグサグサっと痛むのだけど……。

 

 まぁ、だからこそわかることもある。

 

 狂った乙女は、弱い。

 

 今のジュベミューワのように、どれほど大きな力を得たとしても、それをやたらめったら振り回す迷惑な人間に成り果てようとも、その本質は、とても弱い。

 

 弱いから狂うのかもしれない。

 

 ナイフを振り回したところで、容赦なく火器で殺しにくる悪漢なんかには、勝てるはずがない。パーンと一発、身体を撃ち抜かれて終わりだ。

 

 不意打ちに成功すればその限りではないだろうが、そんなことができるなら、それはもう強い人間だ。そんな風には動けないから、やたらめったら振り回すという愚行を続けるのだから。

 

 暴力を(いと)う人間を圧倒することはできても、最初から暴力をも辞さぬ相手にはどうしょうもない。

 

 ジュベミューワは大きな力を手に入れた。でも、彼女はそれを振り回すだけだった。

 

 ならやはり弱い。控えめに言って強くはない。

 

 あれはもう、自分が何を望んでいるのかさえ、わからなくなってしまっている。

 

 平和とか優しさとか普通とか、そういうものを求めながら、人間の虐殺を夢見ている。

 

 美しい世界を夢見ながら、醜い衝動に身を委ねている。

 

 ならば力ずくで止めるしかない。制圧するしかない。本当にただ狂っただけの乙女ならば、ナイフを取り上げるだけで済んだかもしれない。そこから何かしらの恋がはじまった可能性すらある。けど、あれはもう力そのものと一体化してしまっている。ツグミへも言った通り、ジュベミューワの人格は、クラッキング魔法なるものに取り込まれ、どういう形でか、主従が既に逆転しまっているのだと思う。

 

 なら、もう、叩き潰すしかない。

 

 彼女はもう、私には救えないモノだ。あれはもうツグミにも理解できない存在となっている。私ごときに、何ができるなどと、考える方が傲慢(ごうまん)だろう。

 

 だから一番弱い部分を叩く。

 

 (しゅ)となる力そのもの、(じゅう)となるジュベミューワらしき人格、この二択なら、叩くべきは確実に前者よりも弱い後者だ。その弱さを、私自身が理解できる後者だ。(おぼろ)にくっ付いたノアステリアの人格でもなく、もはや人格とは呼べないような灼熱のフリードの野心、その名残でもなくて。

 

 オドオドしていて、生きているのが辛そうで、常に世界に怯えていたような、そのジュベミューワを叩く。

 

 私は、明確な意志をもって敵の脆弱性(ぜいじゃくせい)()いた。

 

 だから罪悪感はあれど、自己嫌悪はしない。

 

 

 

「ジュベミューワ様の心が、完全に壊れたようです」

「……そ」

 

 

 

 そこまではいい。

 

 ここまではいい。

 

 賭けは賭けだったが、その勝率は、敵の次の攻撃が致命的でない確率よりもはるかに高かった。ジュベミューワと普通に戦って勝つよりも不安要素が少なかった。そう判断ができた。なら、同じ賭けるなら勝率の高い方にだ、懸念がより晴れる方にだ。

 

 戦いにおいては、ただ待つというのもひとつのリスクだ。

 

 言い換えれば、それもまた賭ける選択肢のひとつだということだ。

 

 なら、一番分のいい選択肢に賭けるしかないではないか。

 

 叔父さんは賭けを嫌いと言っていたが、生き死にが(かか)る場面では、こういう決断も必要なことだろう。冒険者である叔父さんにも、それがわからなかったはずがない。同じ局面では、叔父さんも似た判断をしていたのではないだろうか。

 

 だから、賭けが上手く行ったことには安堵している。

 

 

 

「ジュベミューワ様の固有結節点(ユニークノード)が、その固有性を失いました」

「つまり?」

 

 

 

 ただ。

 

「ジュベミューワ様、と呼べる魂は、もうどこにも存在しないということです」

「……そう。時間にして十五分と少しってところ? 軟弱者め」

 

 問題は、その先だ。

 

 

 

 これで、いくつかの問題は片付いた。

 

 ジュベミューワの心は壊れたし、猫人族(ねこじんぞく)の女の子は、ツグミが地下シェルターに戻ってきてからすぐに魔法(ラ●ホーかな?)で寝かしつけられた。状況が落ち着いたら彼女には非現実的な夢をいくつか見せ、それでこの数時間の現実、非現実を全て曖昧にさせて、誤魔化す予定……なのだそうだ。

 

 それも、上手く行くかは賭けになるだろうが……まぁ、これには失敗したとて次善の策がいくらでもある。普通に懇願する、札束で頬を百叩きする、盗撮能力をフルに使ってこちらからも弱みを握る、等々。どうしても信用出来ないとなれば、もっと直接的対処だって躊躇(ためら)うつもりはない。

 

 だから今の問題はジュベミューワでも、猫人族(ねこじんぞく)の女の子でもない。

 

 

 

「ジュベミューワは、死んだ。私が壊した。そういうことね?」

「……はい」

「私は、自分が知る最も過酷な地獄に、ジュベミューワを堕として殺したよ」

「……はい」

 

 ツグミは、叱られた犬のように首を下げる。

 

 コイツもよくわからない。ジュベミューワのようなヤツへも様付けを貫いたように、人間という種全体をリスペクトしているように見えて、私がした、人道に(もと)る行為に対しては、それはダメですとも、いけませんとも言わなかった。

 

 優先順位の最上位にお兄ちゃんがいるのはわかる。けど、それ以下の判断は、どこで、どうやって下しているのだろうか。OK、NGラインはどこにあるのか。

 

「最初は……恐怖。次に……気持ち悪さ、それと痛み。現実的で、圧倒的な不快。それから何かおぞましいものに侵食され、自分自身がおぞましいものに変わっていくという感覚。……その辺りから、知性が罅割(ひびわ)れ、理性も溶けていく。罅割れた知性が支離滅裂なことを考え出して、溶けた理性が時間の感覚とか、身体感覚とかを狂わせていく。その後にあるのは、永遠の苦しみ。限界まで伸びた時の中で、内側の全てが地獄になった牢獄で、逃げられず責め苦を受け続けるという無間地獄(むげんじごく)

「……はい。ジュベミューワ様も、そのような経過を、辿ったようでした」

 

 ツグミもきっと、罪悪感「は」感じているのだろう。自己嫌悪は、よくわからないけれど。

 

 これは、それを含め、だけどそうなるとわかって実行した攻撃だ。

 

 期待通り、「そう」なったようで真に結構だ。ああまったく、大変に結構なことだ。結構なことだよ。

 

 ……真に結構で、(よろ)しゅう御座(ござ)いまして……吐き気がする。

 

「……ね」

「……はい」

「ジュベミューワが苦しむ姿を見て、ざまぁって言えたら、このもやもやした気持ちって、晴れたのかな?」

「……わかりません」

「そうだよね、私自身わからないことが、ツグミにわかるわけないもんね」

「……はい」

 

 嫌味ったらしい言葉が、自分からボロボロと零れる。心より鋭い切っ先のカケラが、(こぼ)ち、落ちていく。

 

 私達は、それを踏まないように、しばし黙り込む。

 

 だけどずっとは、そうしていられない。

 

「まぁいい、私にざまぁが向いていないっていうのは、今更。それより……」

「はい」

 

 それよりも、だ。

 

 本当の本物の、本命の問題は、この先だ。

 

 

 

 ジュベミューワを壊したとして、さて、その先には、何が出てくるのでしょうか?

 

 主従の従を倒したとて、(しゅ)()ませりと、さぁ、なるのでしょうか?

 

 来たとして、それはなんなのでしょうか?

 

 

 

「それより、ここからどうなるかの方が重要」

「……はい」

 

 

 

 二周目のツグミとは、結局なんだったんだ?

 

 

 

 ――今マイラに入ってるほうのツグミ。偽物だったという可能性は?

 

 ――まさか。魂、情報(データ)誘導体(デリバティブ)の色、形、それが形成する固有結節点(ユニークノード)、その全てが私と同一のモノでしたよ?

 

 ツグミは、そう言っていた。

 

 ツグミを、騙しきり、そう思わせた存在がいる。

 

 ――言葉の節々に、レオ様、ラナンキュロア様を軽んじる……おふたりのことを、好ましいとも、幸せになってほしいとも思っていないような……そんな感情の機微が見え隠れしていたのです。

 

 だけどそれはツグミではない。

 

 私はもうそれがツグミだとは思っていない。

 

 ならば盲導犬として生きて死んだ、つまりは()ることに生涯を捧げたツグミの、その目と鼻を騙しきるほど、「彼女に擬態できた」存在がいる。

 

 それは狂った乙女だったジュベミューワなんかではない。

 

 それはきっと、ジュベミューワに、ユーフォミーの肉体を与えた存在でもある。

 

 ジュベミューワに、ツグミでも理解出来ない魔法の運用を、させることの出来た誰かだ。

 

 

 

 ……実は、ユーフォミーの姿をしたジュベミューワと、ドラ●ンボールな空中戦(ドッグファイト)を繰り広げるツグミを見てるうちに、頭に浮かんでいたひとつの仮説がある。

 

 

 

 レオには前世の記憶があまり無い。

 

 でも、それは「あまり」無いだけだ。

 

 私が言うのもなんだが、「前世の記憶がある」「前世を覚えている」「前世がある」というのは、やはり自然の摂理というか、世界の法則からは、大きく外れていることだと思うのだ。

 

 少なくとも、記憶を引き継いでの転生は、自然の摂理からは大きく外れたことなのだと思う。

 

 私は、お兄ちゃんの意志とツグミという「外的要因」が働いたことで、転生をした。

 

 ならばレオにも「外的要因」が、私にとってのツグミ、そしてお兄ちゃんのようなナニカが、あったのではないだろうか。

 

 

 

 この惑星には、ツグミでさえも認識できない「外的要因」が他にも存在し、自然の摂理からは大きく外れたことに、関わってきているのではないだろうか。

 

 

 

 仮に……ジュベミューワにも、そういう存在がいたのだとしたら?

 

 

 

 ジュベミューワに、前世の記憶があったようには見えなかった。

 

 先程、少しだけその(こころ)へ触れてみた時にも、そういうモノを感じさせる何かは無かったように思う。

 

 ただ、ヤツは機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)などという、ふざけたコピー能力を持っていた。ツグミが、それ自体には驚いていないことから、それが特別に特異な、チート級の魔法(スキル)であるということはないのだろうけど……けれどそれでも、コピー能力というのは、地球のサブカル感覚で捉えると、結構な「主役級能力」のひとつである……気がしなくもない。

 

 少なくとも、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)なんかよりはずっとそうだ。

 

 彼女自身に記憶が無くとも、彼女のそれは、彼女を「主人公」と見定めた誰かが、超常的存在であるナニカが、与えた能力だったのかもしれない。

 

 

 

 もし、超常的存在(そんなの)が何人(何匹?)もいてたまるか、と考えるのであれば、別にそれは、「レオを転生させた存在」と同一であっても構わない。一向に構わない。少なくともレオの分、ひとりか一匹か一体かは存在しているのだ。ツグミではない、ツグミですら理解が及ばない、超常的存在であるナニカが。

 

 

 

 そうして、ジュベミューワをバックアップしていた存在が、仮にあったとするなら、それはこれまでのことから、幽河鉄道(ゆうがてつどう)と同等かそれ以下か、以上か、なんらかの形で時空間へ干渉する能力を持っているということになる。

 

 時空間に干渉する能力……それも……「主役級能力」のひとつだ。なんならコピー能力よりも「主人公感」は強い。コピー能力は雑魚が持っていることもままあるが、時間や事象を操作する能力者が三下ということは稀だ。

 

 発動条件が厳しい、効果が限定的などの制限によって雑魚っぽい能力にされた場合はその限りではないが、この……二周目のツグミを偽装できる超常的存在……が確実にやっているであろう「過去へ飛び歴史を変える」行為は、それはもうタイムトラベル物、タイムスリップ物、タイムリープ物の主人公に与えられた特権といっていい。「主人公機」と書いて「タイムマシン」とルビを振ってもいいくらいだ、そうか?

 

 時空間に干渉する能力自体は、主人公の持ち物でない場合もあるだろうが、物語上で主体的に「過去へ飛び歴史を変える」のは、九割以上の確率で主人公だ……と思う。

 

 この能力は強力だ。仮に、このやり直しが、何度でも制限なく可能である場合、対抗手段は少ない。私にはみっつくらいしか思いつけない。

 

 ひとつは、自分自身も同等の能力を手に入れるというモノ。

 

 ひとつは、相手の能力そのものを無効化させるというモノ。これは、相手にやり直しを諦めさせるパターンや、相手を直接的に殺すなどして能力を使えなくするパターンも含む。

 

 最後のひとつは、能力の性質を理解してそれを逆手に取るというモノ。

 

 

 

 私が今、おかれたこの状況下において。

 

 

 

 最初のは、ツグミの協力を借り、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を利用すればれば不可能ではないのだろうが、これまでに聞いた制限から、この場でそれを選ぶことは出来ない。私はこのレオを救いたい。何年も前にやり直しをして時を(さかのぼ)り、救うのは、私にとってもはや敗北だ。

 

 

 

 相手の能力そのものを停止するというのは、相手次第であるといえる。相手が死ねば止まるのであれば話は簡単だ。けど、いわゆる死に戻り、死んだ瞬間に能力が発動して過去へ飛ぶ類の能力であった場合、それを止めるのは非常に困難だ。相手を諦めさせるか、精神的に殺すとかをしなければいけなくなってしまう。

 

 どれほどに極悪非道な手段を使おうとも、ジュベミューワを(精神的に)殺す決断を下し実行したのは、その可能性も考えてのことだった。精神の状態まで巻き戻るのであれば、もうどうしようもないが……。

 

 

 

 そして最後の、能力の性質を理解してそれを逆手とるというのは、これも相手次第、より正確には「相手の能力次第」の色合いが濃くなる。

 

 

 

 となると、ここにおいてはまた「相手次第」「相手の能力次第」になってしまう。ならば「敵」がなんであるのかを見極めるのが非常に重要だ。今はそういう状況だ。

 

 当然、黙って攻撃されるというのも、避けたいところではあるのだが。

 

 

 

「……敵が現れたら、撃っていいと思う? ラナ」

 

 この「敵」は、レオの胸に穴を開ける状況を作っている。

 

 この「敵」は、コンラディン叔父さんが死ぬ状況を作っている。ナッシュさんも。

 

 ユーフォミーをどうしたのかはわからないが、その身体を乗っ取ってしまっている。

 

 そしてボユの港に地獄を作った。

 

 だからこれは、この「主人公様」はあくまでも「敵」だ。マリマーネは敵ではなかった、だから助ける算段もした。ジュベミューワは敵だったから容赦なく壊した。ならば「敵」であるこの未知の相手にも、採るべきスタンスは後者だ。

 

 相手が「主人公感」満載のタイムトラベラーであっても、戦って、勝つしかない。

 

 

 

「“殺す、でなく、“切断する”、でもなく、ただ“斬る”だけなら……どう思う? ツグミ」

「相手の能力がわからない以上、危険はあります……が、先制攻撃をして様子を見るというのは、この場合必要なことだと思います」

 

 ツグミも脳筋らしく、「まずは殴ろう」作戦に賛同してくる。

 

 ならばそうしよう。そうしたい。

 

 私の心の底には、ずっと炎のような怒りが揺らめいている。

 

 その根源が何であるかなど、今更言うに及ばないことだ。私はレオを愛している。ボユの港での生活は嫌いじゃなかった。叔父さんも、ナッシュさんも、ユーフォミーも……好きだったかどうかはともかくとして……私の味方になってくれた珍しい人達だった。

 

 それ以上に語る言葉が、必要だろうか。

 

 悲しみはまだ湧いてこない。罅割れだけが心にある。

 

 その割れ目から涙がこぼれるのは、もっと様々なことが落ち着いてからなのだろう。

 

「ツグミにも、理解出来ない能力を持っている相手だもんね」

「はい。ならば無剣(むけん)……レオ様の攻撃がもっとも確実ではないかと。私も全力でフォローします」

「了解」

 

 

 

 ……さて。

 

 ジュベミューワの心を壊したとて、その先には何が出てくるでしょう?

 

 二周目のツグミとは、結局、なんなのでしょう?

 

 

 

「なら……その時が来たら、確認しないでいくよ?」

「……うん」

 

 私は、何度か罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の更新をして、そのたびに例のモニターを作り直して、そのチャンネルを操作して周囲を警戒しながら、待った。

 

 その「敵」が、姿を現すのを。

 

 その兆しとなる、変化を。

 

 

 

 

 

 その時間が、三分だったのか五分だったのか、それとも十分だったのか……一分だったのか、私にはわからない。

 

 

 

 

 

「来た」

 

 地下シェルターの頭上、高度数百メートルだかの空。

 

 最初に、そこへポツンと現れたるは点。

 

 豆粒のような小ささのなにか。

 

 しかしそれは夜空にあって、なお()()であるとわかる異質な色を持っている。

 

 ブルーグレー。

 

 灰色がかった青、不純な青。

 

「いくよ!」

「うん」「はい」

 

 待ち構えていた間に、何度も観た幻想が、ここで現実のものとなる。

 

 それが射程圏内、すなわち百メートルほどの範囲に入ったところで、レオの斬撃がそれへと飛び、襲いかかる。

 

「んっ……」

「……どう?」

 

 命中……は当然だがしたらしい。でも、何かが切断されたかのような雰囲気は無い。こちらへと勢いよく落下してくるそのフォルムが、分断されたかのような形を見せることも無く、その勢いが衰えることもない。

 

 ただ、落ちてくるそれのまわりで、火花……ではなく青い閃光のようなものが、バチバチっと走り、それが翼のように広がっていったことだけが見て取れた。

 

「効いてない……」

「……くるよ」「あれは要不要……違います……あれは、あれは!」

 

 レオの攻撃が、何連撃だったのか、わからないままに花火のような光を猛烈に乱舞させたそれは、地面に突き刺さっていた船を、その真っ黒な船体を、ぼぎゃあんと真っぷたつに割るように破壊して、地下シェルターがあるその地表面から、十メートルほどの地点でピタリと止まった。

 

 それは一瞬、慣性の法則ってなんだっけ?……と思うほどの急停止っぷりだった。

 

 しばし周囲には埃と煙が散乱をするが……それもやがて晴れ。

 

 そうして見えた、その姿は……。

 

「……どこまでユーフォミーを魔改造する気よ」

 

 それは、こちらが、カメラとして使っている空間を、それがそうであるとちゃんと認識しているようで、私達を、静かなカメラ目線で見下ろしてきている。

 

 けど。

 

「髪が……銀色じゃなくて、水色?」

「顔は、ユーフォミーだけど……」

 

 だけど、その顔は……無表情だ。

 

 ユーフォミーも大体いつも、無表情に近い顔を浮かべていたけれど、でもそれには、どこかふてくされた子供のような色があったのを覚えている。何を考えているかわからないなりに、何か変なことは考えているんだろうなぁ、って顔だった……そんな気がする。

 

 ジュベミューワは……あの顔になってからは表情豊かだった。うっとりとした笑顔を浮かべたり、キレて怒鳴ったりと色々忙しかった。それはもう情緒不安定なくらいに百面相をしていた。

 

 けれど今、ユーフォミーの顔に浮かぶ色は無い。

 

 強いて言えば、青一色の空のような、虚無の表情をしている。

 

 雲がない、風ひとつ感じない、ただ静かに(たたず)んでいる虚空(こくう)

 

 そうしてその(かんばせ)には、どうしてそうなったのか全くわからないが、右目(私から見て左側の目)の下に「★」……星形(ほしがた)の、大きな青い黒子(ホクロ)のようなモノがあり、左目の下には三日月形(みかづきがた)の同様のモノがあった。……左目の方を涙形(なみだがた)に変えて、色も変えれば伝説級の休載漫画に出てくるヒ●カだなと、どうでもいい事を思う。

 

「ツグミ、あなたにアレは、どういう風に観えているの?」

 

 それは、その下にどのような魂を持っているのか、まったく読めない顔だった。

 

「わかりません、ですが」「待って、もう一度やってみる」

 

 ツグミの声に被せ、「それ」へレオが、再びの(何連撃かの)斬撃を飛ばす。

 

「ん……」

 

 かつて。

 

 ユーフォミーの要不要は、レオの斬撃にはその用を成さなかった。だのに……「それは」今はその同じ斬撃に対し、先と同じようにバチバチっと青白い閃光を乱舞させただけだ。その後ろの、本物の虚空へ、やはり青白い翼のようなものが広がって消える。

 

「……やっぱり、効かないか。“殺す”だとどうなるか……わからないけど」

 

 青い……水色の髪となったユーフォミーは、レオの攻撃になんら堪えた様子もなく、空に浮かんだままこちらを見下ろしている。それはもう、人の形をしているだけで、もはや人間ではないのかもしれない。人間らしい心は、無いのかもしれない。

 

 薄ら寒くなるくらいに、青髪のユーフォミーからは人間味が感じられない。

 

「……あれは、“要不要”を、シールドの形ではなく、空間神経叢(くうかんしんけいそう)の形、つまりネットのような形で展開しています。それも、レオ様の斬撃によって、一部は弾け飛んでいるのですが、すぐに修復されてしまうため、突破できていません。ですから、その魂の色や形を観測することも不可能です。……そのような応用は、“要不要”には不可能だったはずなのですが……どうも世界改変魔法で無理矢理捻じ曲げているようです」

「向こうも、ますます何でもありになってきたってことね。……なら」

 

 なら、ここからどうする?……と……そう、私がツグミへ声をかけようとした、その瞬間。

 

「ラナンキュロア様」

 

 唐突に、呼ぶ声があった。

 

「ん?」

 

 レオと私の顔は、ツグミの方へと向く。

 

「え、いえ、今のは私ではありません」

 

 白銀白金(はくぎんはっきん)の美貌は、慌てたように手を振って否定する。

 

「でも今、(さま)って……」

 

 レオは私を様付けで呼ばない。

 

「ラナンキュロア様、此度(こたび)は、ここまでにいたしましょう」

 

 予感に、寒気……というより怖気(おぞけ)がして、モニターの方へと視線を戻す。

 

 こちらを見下ろしている無表情の、その唇が、動いている。

 

「四十六回目の、邂逅(かいこう)ですね。今回も実りある出会いでした」

 

 喋ってる。ユーフォミーの顔貌(がんぼう)の、青髪の美女が喋っている。

 

「もう、充分です」

 

 それは、ユーフォミーの声ではあったけれど、独自言語をおかしなイントネーションで喋る本人のそれではなく、ジュベミューワが()っていた「わたし、被害者!」を全面に押し出したヤンデレっぽいそれ(痛いっ、私にも刺さるぅっ)とも違って、どこまでも平たく、凪いでいて、感情が乗っておらず、だから……。

 

「終わりにしましょう、ここで」

 

 ()(てい)にいえば、それは棒読みだった。

 

 それが声を発したことには、人形が喋ったような気持ち悪さがあったが、けれどその棒読みの声は実にそれらしくもあり……ミステリー小説で人が死んだ時のような、ゾンビ映画にゾンビが登場した時のような……奇妙な納得感と安堵感が感じられてしまう。

 

「……あなたは、誰なのですか?」

 

 ツグミからの声は、詰問(きつもん)というよりは単なる質問のようだった。授業で、わからないことがあったから手を上げ発したかのような。

 

 しかし、青髪のユーフォミーはそれへ何も返さない。

 

「戦わない、ってこと?」

「はい。無意味ですから」

 

 私は、時空操作系の「主人公」へ、その対処法をみっつしか思いつけない。

 

 自身も同等の能力で対抗する、相手の能力の無効化を(はか)る、相手の能力の性質を逆手に取る。このみっつ。

 

 だけど実は、もっと単純な、単純明快な対処法がある。

 

 強いて言えばそれは「能力の無効化」に近いが……簡単な話だ、そんな相手とは敵対しなければいい。

 

 戦わなければ、勝ちも負けもない。死も敗北もない。

 

 でも……ふざけるなと、心の底で叫んでいる炎がある。

 

「当方とラナンキュロア様が敵対した場合、歴史の塗り替え合戦になってしまいます。ラナンキュロア様は、その気になれば幽河鉄道(ゆうがてつどう)で時間を(さかのぼ)ってくるのですから」

「それは……」

 

 私は今、すぐ(そば)にいるこのレオを助けたい。

 

 だが叶わず、なにもかもが手遅れになった後なら……私はそうするだろう。せずにはいられないだろう。

 

 せめて、違うレオだけでも、私のことを愛してくれないレオでも……私は助けなければいけないと……思うであろうから。そうしなければ、気が済まなくなるだろうから。

 

「当方は目的を果たしました。当方の目的に、当方によるラナンキュロア様の排除は、元より含まれていません」

 

「待ってください! あなたが……あなたがジュベミューワ様に言ったのですか!? ラナンキュロア様が! もうすぐ死ぬと!」

「な……」「……なんだって?」

 

「はい」

 

「どうしてラナンキュロア様なのですか!? レオ様でなく!」

「ツグミ!?」

 

 何を言い出すの、ツグミ。

 

 

 

 ついていけない話に、当惑する私を他所(よそ)に、青髪のユーフォミーは言葉を連ねていく。

 

「本来のラナンキュロア様が、何の外的要因による操作も受けず、前世の記憶もなく魔法も使えなかったラナンキュロア様が、亡くなられたのが今日だからです」

 

 一語一語、私を追い込んでいく言葉を、重ねる。

 

 

 

「残るはもう数時間となりました。当方は既にラナンキュロア様へ、巻き戻し魔法(ロールバックマジック)を使っています。ジュベミューワの世界改変魔法、タイプデイドリームはその目くらましに過ぎません」

 

「効果はすぐに現れます。後一時間もすれば、ラナンキュロア様は魔法が使えなくなります。前世の記憶も、数時間で失われることでしょう。これが、何を意味するかわかりますか?」

 

「そう、レオ様の命を、維持することができなくなるということです」

 

「レオ様が亡くなられた場合、ラナンキュロア様は自死を(はか)ります。幽河鉄道(ゆうがてつどう)に回収され、歴史を改変するために、です」

 

「それはこちらとしても本意ではないことです。なるだけ、ラナンキュロア様には自然な形で亡くなられてほしいからです」

 

「ですから……取り引きです。レオ様の命は、残り一時間前後となりました。私が、レオ様へ巻き戻し魔法(ロールバックマジック)を使えば、レオ様の命は助かります。本来のレオ様は今日より数ヶ月後に亡くなられる運命ですが、巻き戻し魔法(ロールバックマジック)の効果範囲、影響の波及領域は、そこまで広くありません」

 

「明日のレオ様は、明日のレオ様の選択により決まります。数ヵ月後の運命は、数ヶ月間の行動により変えることができます。それが巻き戻し魔法(ロールバックマジック)の仕様であり、制限です。巻き戻った時点から先の、その未来は、レオ様ご自身で決めることができます」

 

「さあ、選んでください。私と敵対し、時間を浪費するか、レオ様の命を助けるか」

 

 

 

「選んで……ください」

 

 

 

 最後だけは妙にけだるげな声で、それは私に選択を迫った。

 

 

 











 巻き戻し魔法(ロールバックマジック)

 ありえた状態に対象を巻き戻す魔法。当然、様々な制限はあるが、それをこの使用者がラナンキュロアへ告げるつもりはない。というより、ものすごく厄介な制限下でもっとも効果的に使えるよう整えられたのが当episの状況。別の言い方をすると、この1日の状況は、この者の「ご都合」に、ありえないほど寄り添う形で整形され、成形されている。

 たとえば、対象を取り巻く状況が巻き戻し地点と一定以上に相似形であること。
 たとえば、対象の周辺に存在する生命の数が許容範囲以下に収まっていること。
 たとえば、対象が閉鎖空間に存在した状態で、何度か準空子(クアジケノン)を利用していること。

 それら全ては、この者が四十五回の試行錯誤の末、生み出した特殊な状況である。

 ロジックとしては準空子(クアジケノン)を操作する技術の発展形だが、それよりも2段階ほど高次な「胚胎子(エンブリム)」および「廻相(rPS)」の概念が使われているため、ツグミ、というよりナガオナオすらも理解し得ぬ魔法となっている。ナガオナオはまだ永劫回帰廻廊(ウロボロス・コリドー)へも到達していない。

 使用者はその一点を最重要視してこの魔法の使用を選択した。「胚胎子(エンブリム)」はともかく、「廻相(rPS)」を三次元空間で利用できる形に整えるには、ある種の人工的なブラックホールを作り、そこへ膨大な量のエネルギーを捧げなければならない。このため、この魔法はコスパが非常に悪い。幽河鉄道(ゆうがてつどう)の数千倍コスパが悪い。飴玉ひとつを100兆円で買ったようなもの。ミジンコ一匹を殺すのに、陽電子砲を準備して日本中の電気を一点に集約させたようなもの。しかしこの者はそれをやった。

 これは、(この者の認識の上で)過去に、ツグミの理解が及ぶ魔法は全て逆手に取られ、打ち破られてきたからである。この者はラナンキュロアに情報を与えてはいけないということをよく知っている。

 結局、魔法は、戦略的に、それが効果的に使える状況を整えない限り、多くの場合宝の持ち腐れとなってしまう。そのこともまた、この者はよく知っている。ジュベミューワの人生がまさにそうであったことも。

 なお、あくまでも対象をありえた状態に巻き戻す魔法であるので、某モド●コや某クレ●ジー・ダイヤモンドのような、対象が元あった場所(またはあるべき位置)に戻っていくような機能はない。




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epis68 : The Everlasting Guilty Crown

 

<ボユの港町の惨状:三人称>

 

「いやぁあぁぁ……ぃや゛ぁぁぁあ!!」

 

 少女が、左半身の無い少年の身体を抱き、泣き叫んでいる。

 その声は、だが煙にやられたのか、時に濁り、絡んでいる。

 

「どうしてよぉ゛、幸せにしてくれるって、言っだじゃないっ……私を……幸せにしてくれるって言ったじゃないっ」

 

 この日、十六歳のアンネリースは、幼馴染であったひとつ年上の少年から、プロポーズをされた。

 

 だから、アンネリースには、午後よりの記憶がほとんど無い。

 

 看板娘を張っていた店のおかみさんにさえ、今日のあんたは役に立たないわねと、帰されてしまったくらいだ。

 

 輝くような金髪の、顔は十人並みだが胸は豊かで、腰がきゅっとくびれたアンネリースは、二年前から宿屋兼お食事処兼酒場の店で働いていた。

 

 店では人気者だった。

 

 身体を触ろうとする酔客に、容赦なくオーダーを書きとめる用の塗板(ぬりいた)(ロレーヌ商会が専用の筆記具とセットで販売しているもの。それなりに硬い)を「縦にして」叩きつけてさえ、それへ大きな歓声と口笛の(はや)()てがおこるほどには、常連客達からの支持を得ていたのだ。

 

 その自分を追い出すのだから、今日の自分はよほど役立たずだったんだろうなと、アンネリースは店を出る時に妙な納得をしてしまったくらいだ。……実際は、おかみさんは、プロポーズのことを肴に、彼女のいないところで常連客達と一杯やりたかっただけなのだが。

 

「あぁあ゛、あぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 そうして、己が魅力を、今が盛りと自他共に味わっていた絶頂期のアンネリースにとっては、正直、この幼馴染は、男性としては多少……どころかかなり……物足りなさを覚える男だった。

 

 性格は善良だが、お人好しなところがあり少し頼りない。

 

 平凡な容姿。とぼけたような目とよく笑う口元は嫌いではなかったが、そこへ魅力を感じ、目が引き寄せられるといったこともない。

 

 淡く日焼けした肌はつるんとしていたが、アンネリースが女心をくすぐられるのはもう少し潮風に磨かれ、厚くなったなめし革のような肌だ。

 

 親はただの漁師、借金こそないものの、貯蓄だってあまり無い。

 

 他の女に言い寄られたといった浮名も無い。全くない。黙っているだけで女の方から寄ってくるようなものは何も無いということだ。幼馴染としては気安く付き合えてよかったが、店にやってくる経験豊かなマダム達から、初めての相手が初めてだと色々大変だよと教わっていた耳年増なアンネリースには、それもまた小さくは無い不安材料となっていたことも事実だ。

 

 夫婦になる、彼の子を産む……そうしたことを、ためしに想像してみると、どうにも笑い出したくなってしまうものがある。それは、嬉しくて笑うというよりは、下らない冗談を聞いて思わず噴き出してしまうといった類のそれだ。

 

 キスは、もう既に何度かされていた。少し前に、一度だけ唇を奪われもした。舌の侵入は許していないし、それ以上などもってのほかだったが。

 

 唇への、ただ触れるだけのキスは、不快ではなかったが、そこにぽーっとくるような何かは無く、キスって、こんなモノなのかなぁと首を傾げざるを得ないものだった。アンネリースの(唇への)ファーストキッスは、別の意味でふわふわした、もやもやした気分を味あわされるだけのものとなってしまった。

 

 それでも。

 

 それでも、午前中に(仕事中の店に来られ、されるという、ムードもへったくれも無い)プロポーズをされ、エプロンを脱いで店を出て、なぜだか家へ帰る気にもなれず、ずっと埠頭(ふとう)(たたず)んで海を眺めて……何時間も何時間も眺め続けて、波の(きらめ)きに(あけ)が混じり始めたことに気付いて、潮風に夕暮れの匂いを感じ始めた頃には。

 

 アンネリースの胸には、私は、あの人と結婚するんだろうなぁ……という、確信のようなものがいつの間にか芽生えていた。けれど、何度考えてもどうしてそうなるのかがわからなかった。

 

 わからなかったから、いつまでも埠頭を離れられなかった。

 

 彼女はそのままであれば、陽が落ちて辺りが暗くなるまでそうしていたことだろう。

 

 悲劇は、その時に起こった。

 

 ボユの港町を襲った紅蓮(ぐれん)の矢は、主に街の方へ降り注いだ。アンネリースが佇んでいた、眼下に岩打つ波が覗き込めるほどの波止場周辺は、その被害をほとんど受けなかったと言っていい。

 

 だから彼女は生き残った。

 

 だから、彼女は地獄の業火を対岸に見た。

 

 彼女が生まれ育った街である対岸を、彼女の住む家がある対岸を、彼女が看板娘を務める店のある対岸を、彼女へ冗談のようなプロポーズをした幼馴染の居る対岸を、現実とは思えないままに、呆気に取られたような表情で見た。

 

 それから。

 

 彼女は自分が、何をどうしたのか、よくわからない。覚えていない。

 

 叫び声を、咳き込むまであげたような気がするし、その後には走ると物理的にも痛む胸を片手で押さえながら、それでも全力で走っていたような気がする。

 

 店のお使いで出向き、会うたびに「でかっ、負けたわ……」と思わされたロレーヌ商会の偉い人……ラナ何とかさんは、だけどこんな風に走ることはないんだろうなと、どうでもいいことを考えながら走った……そんな気がする。

 

 やがて喉が痛むことに気付いた。どこで煙を吸ったのだろうと思った。

 

 それを気にしていると、走れなくなる気がしたから、そこからはもう幼馴染のことだけを考えながら走った。ぜぇぜぇと絡んでくる(たん)を飲み込みながら走った。

 

「いやよぉぉぉ……こんなのはいやぁぁぁ……」

 

 彼には、反抗期と呼べるような時期がなかった。アンネリースと出会った頃にはもう、漁師である両親の仕事を手伝っていたように思う。今では……アンネリースから見れば……一人前と言っていい漁師となっている。

 

 海の男は、朝も夜も早い。まだ空が暗い頃に起きだし、夕暮れが終わる頃にはもう床についていたりする。彼もその例には洩れなかった。若い分、多少は、親達よりも遅く起きていることはある。けれど暗くなれば大抵は家にいて身体を休めている。

 

 だからと、アンネリースが最初に足を向けたのは、普通に彼の家だった。

 

「いやぁ……」

 

 そしてそこに、彼は居た。全く普通ではない、変わり果てた姿で。

 

 まだ暖かかったが、胸に耳をあてても心臓の音はしなかった。

 

 キスするように顔をくっつけても、その鼻や口元から呼気は感じられなかった。

 

 そうして、真っ白になった頭で、アンネリースは気付いてしまった。

 

 埠頭から、海を眺めているだけでは得られなかった答えに、そこで辿り着いた。

 

 自分はただ、この人と共に一生を過ごしてみたかったんだと思い至った。

 

 ずっと、同じものを見て喜び、同じものを見て悲しいと思いたかったんだと結論付けた。

 

 そうして彼は、アンネリースにとって、そういう存在であったと、気付いてしまったのだ。

 

 恋も、愛もよくわからない。だけどそれは、ふたりにはどうでもいいことだったのだ。

 

 ただ、一緒に居ることが当たり前のふたりで、だからキスをしても、おそらくはそれ以上をしても特にどうということもない関係で、ふたりはそれで良くて。

 

 ふたりは、自分の食べかけを相手に渡し、渡されたら躊躇せずそれを口に含み、味わうような関係だった。海産物の、干物の中には、ある程度噛んだ状態から味が変わるものもあり、ふたりはそうした瞬間を楽しむため、幼い頃からそうしたことをいくらでもしていた。ならば舌を入れるキスなど、そんなのはもう、今更過ぎて笑うしかないではないか。

 

 同じ海を見て育った。

 

 いったい、何歳まで生まれたままの姿で海を泳ぎ、浜に上がって過ごしたことだろう。あちらが自分の平らな胸を覚えているように、こちらもあちらのちんまいブツを覚えている。成長したそれらを改めて見せ合うのは、最初は違和感が凄いかもしれない。でも、それは別に嫌な気持ちにもならない想像だ。噴き出してしまうような笑いの中に、少しだけ喜びが混じる妄想だ。

 

 自分の人生において、そんな風に思える相手は彼だけだった。幼い頃からの、異性の知り合いは他にもいたけれど、自分が自分のまま、生きていけるのは彼の隣だけだったのだろうと思った。

 

 それはもう、今からでは絶対に手に入らないものだった。

 

 だから気付いた。自分の人生が、ここで壊れてしまったことに。

 

「嘘吐き……一生、愛してくれるって言ったのに」

 

 ここより先の自分は、色んなことを嘘で固めながら生きていくしかないのだと思った。

 

 アンネリースは泣いた。悲しくて泣いた。声をあげて泣いた。痛む喉を震わせ泣いた。

 

 失われた左半身から、内臓の一部が覗く、グロテスクな死体を、けれど慈しむように抱きしめて泣いた。

 

 

 

 

 

 それは、半生を暴力の世界に生きた十九歳のビンセンバッハであっても、その生涯の中で一度も味わったことの無い痛みと苦しみだった。

 

 太い柱が、腹を潰している。細い柱が、複雑に肩や手に絡んで身動きがとれない。

 

 最初に聞いたのは、この世の終わりのような爆発音だった。それから、いくつもの人々の悲鳴、肉が焼ける臭い、熱風。

 

 そうして気が付けば、ビンセンバッハはこの状態になっていた。

 

 全身を炎に包まれ、死の舞を踊る人々の姿を思い出す。

 

 倒壊した建物の、倒れた柱に身体を縫い付けられたまま、ビンセンバッハはつい先ほど地獄の光景を見た。炎に包まれ絶叫する人々の、絶望に彩られた死の舞踏会を見た。

 

 獣のような叫びをあげながら、走ったり、手足をばたつかせたり、転げまわったり、身体を地面に叩きつけたり。

 

 そうしても消えぬ炎に身を焼かれながら、全身でその激痛を表現し舞う、踊り子となった先輩方の断末魔を「見た」。

 

 それにしても……ビンセンバッハは思う。

 

 それにしても、事切れた人々の……焼死体が、まるで天に導かれるかのように浮かび、消えて行ったのはなぜだろうか。ここはやはりもう地獄なのではないか、自分はもう、本当は死んでいるのではないか。

 

 死の舞を踊った者達は、それによって罪を許され、天に召されていったのではないか。

 

 周辺に、生きている者が完全に消えてしまった今となっては、彼のその疑問へ答えてくれる者はどこにもない。生きている者を探そうにも、彼は動けない。

 

 柱から逃れようと、身じろぎをすれば、痛みと苦しみと、身体の軋む音だけが返ってくる。何度もそれを思い知らされ、今はもう同じことをする気力も残っていない。

 

 息をすれば、いまだ人の焼けた(にお)いが呼吸器に入ってくる。

 

 それはあまりにも酷い、この世の終わりのような(にお)いだと思った。

 

 自分は、このような地獄に落とされるほどの、何をしたのだろうかと思った。

 

 もちろん……自分が、ロクでもない人間であることはわかっている。

 

 小さい頃はガキ大将と乱暴者の、その境目がわからないような存在だった。息をするように人を殴ったし、他人の物を奪ったし、小さな世界に君臨していた。

 

 長じてはチンピラ集団の、どこにでもいる不良のひとりだった。十三だか四の時に、初めて喧嘩で完膚なきまでに叩きのめされ、それまで自分のいた世界は、なんと狭いものであったのだろうと思い知らされた。そうしてアニキ達の舎弟となり、数年を過ごした。

 

 盗みをして、盗んだ酒を飲み、食い、気が付くと誰かをボコボコにしていたり、自分がボコボコになって地面に横たわっていたりした。

 

 アニキ達が(さら)ってきた女をみんなでマワしたり、自分が、そうする目的で女を攫ってきたこともある。殺したことはないが、あとで自殺した女はいたと聞いている。

 

 その頃のビンセンバッハは、絵に描いたような不良だった。それもかなり質が悪い方の。

 

 だが、それももう卒業した過去だ……彼はそう思っている。

 

 四年も五年もそうした生活をやっていれば暴力に、荒んだ生活に嫌気がさしてくる。少なくとも彼はそうだった。そうして一年前にグループを抜けたのだ。

 

 仕事もしてる。同じく既に「卒業」していたアニキ達の、ひとりが紹介してくれた仕事だ。土木作業員だ。

 

 彼を押し潰しているこの柱は、建てていた家の大黒柱となるはずのモノだった。

 

 だから……どうして「今」なんだと思った。

 

 滅茶苦茶をしていた頃でなく、どうして「今」なのかと。

 

 人を殴り、傷付けたのは悪いと思っている。女を攫い、犯し、マワしたのも悪いと思っている。けど、それが悪いならどうしてその時に言ってくれないのか、どうして真面目に働き、いつかは自分も一家の大黒柱となりたいと思っていた矢先に、こんなことになるのか。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 苦しみの中で、ビンセンバッハは何度も何度もそう思った。

 

 気が付くと、腹の、ほとんどぺちゃんこと言っていい状態になったその部分には痛みを感じなくなってしまっていた。それよりも他の、肩であるとか、手足であるとか、胸であるとか、その背中側とか、頭とか、おそらくは脳がある部分とか、そういうところが痛い、苦しい、どんどんとその痛苦は酷くなっている。

 

 情けなく呻いても、叫んでも、耐え切れないほどの痛みになっている。

 

 血が喉に絡んで、息が上手く吸えなくなってきている。めまいがする、耳鳴りが聞こえる、全身が痛くて苦しい。

 

 苦しい、苦しい。

 

 もはや自分は助からない。この腹ではもう助からない。そのことはわかる、だからもういい、いい加減、終わってほしい。自分はロクでもない人間だ、死が罰というなら受け入れる。だからもう楽にしてくれ。

 

 ……だが。

 

「……ああっ」

 

 彼の苦しみは、そこでは終わらなかった。

 

 彼は更なる地獄が自分へ迫っていることに気付いて、絶望の声をあげた。

 

 それは炎。赤い、鋭い針のような、悪魔の舌の愛撫だった。

 

「うううぅぅぅ! あぐぁあああぁぁぁ!!」

 

 見れば、周囲からじんわりと広がっていた火の手が、ここにきてビンセンバッハを包みこもうとしている。

 

「どうじて! もう少じで、もう少じだったのにっ」

 

 どうして、どうして今なんだとビンセンバッハは嘆く。

 

 もう少しで、もう少しで自分の意識は途切れたのにと嘆く。

 

 途切れ、それで終わるはずだったのに、楽になるはずだったのにと嘆く。

 

 そう願ったことが、罪だったとでもいうのだろうか?

 

「あああ!!……」

 

 最初に、本格的に燃え上がったのは彼の右手の辺り。今までは手首から先が、少しだけ動かせたそこ。

 

 動く力など、もう残っていないと思っていたのに、どうしてか、どうしてもそれは別の生き物のようにバタバタと動き、生きたまま焼かれる地獄から逃れようとした。

 

「あついっ、あづいっ、あづいぃぃぃ」

 

 そうして次に、最早動けなくなっていた左腕の、そこへも炎が到達した。二の腕の辺りからまた強烈な痛みが広がっていく。それはもはや熱さというより、激痛だ。それが、今にも消え入りそうだったビンセンバッハの意識を叩き起こす。もっともっともっともっと苦しめと嘲笑(あざわら)うかのように叩きのめす。

 

 それを、ビンセンバッハはかつて自分達が犯し、死なせた、女達(自殺したのは、ひとりではなかったはずだ)の嘲笑(ちょうしょう)なのかもしれないと思った。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ、ぅぎぃぃぃぃぃぃぃ、だずげでぇぇぇぇぇぇぇ」

 

 ビンセンバッハの身体が、燃えていく。

 

 激痛が全身に広がっていく。

 

 その、これまでに一度も味わったことの無いような苦しみを、どこへも逃げられず延々と叩きつけられる、その地獄の中で、ビンセンバッハは壊れていく。ただ痛みに絶叫するおかしな機械のように、非人間的なまでに身体を痙攣させながら。

 

 動けず。

 

「あぎあ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁぅぅぅぁぁぁぁぁぁ」

 

 生きたまま。

 

 意識あるまま、若く、まだまだ頑健な身体が、ゆっくりと、じっくりと焼かれていく。

 

 

 

 

 

 セルディスは思った。

 

 これで、娘にやる家もなくなっちまったわ。

 

 そう思いながら、彼は呆然と炎に包まれる「元」我が家を眺めていた。

 

 セルディスは乾いた心で思った。

 

 先刻、四十年以上連れ添ったババアが死んだ。頭を撃ちぬかれて死んだ。

 

 何が飛んできたのかはよくわからない、ズゴンという音と共にババアの頭が半分消し飛んでいた。その後、街中(まちじゅう)から火の手があがった。セルディスが若い頃に苦労して買った家も、すぐに彼では手が負えないほどの炎を噴き上げ始めた。

 

 元は、少し高台にある、窓からの見晴らしが素晴らしい家だった。

 

 旦那に先立たれた娘のひとり……といっても、もう五十代も後半だ……が、住みたいから譲ってくれとうるさかった家だ。

 

 それがもう、跡形も無くなってしまって……はいないが、今も燃え続ける、その赤に飲み込まれた黒の影には、もはやほんの少しの面影しか残っていない。

 

 公爵領において、土地と家の相続は、基本的に直系男子にのみ可能だ。セルディスとその妻には男児が生まれなかった。ゆえに、相続権を持っているのは長女と三女の息子達のみだ。娘がふたり居るだけの次女に、セルディスの家を相続する権利はない。

 

 相続しない場合は、土地と建物は一旦公爵家に返還される。そして然る後にまた競売(けいばい)にかけられ、人の手に渡る運びとなる。

 

 三女は良い所に嫁に行った。実家の家と土地など必要ないくらいに。

 長女は普通の男と結婚した。余裕ある生活とはいえないが、困窮してるほどではない。今すぐにでも遺産が欲しいとは言い出さないだろう。

 

 セルディスはため息をつきたくなる気持ちで思った。

 

 そもそもそのふたり(とその孫達家族)は王都に住んでいる。三年前に少しだけ一時避難をしてきたが、事態が沈静化したらすぐに帰って行っちまった。薄情なもんだわな。

 

 問題は次女だった。生きているだろうか。

 

 孫達には生きていてほしいが……。

 

 セルディスは考える、歳をとり、だいぶ鈍くなってしまった頭で考える、様々なことを思い出しながら考える。

 

『お父さんはずっと私だけに冷たかった、その分の愛情を今からでも請求することがそんなにおかしいこと?』

 

 次女は昔からよくわからない子供だった。自分勝手なことばかりを言って、それが叶えられないとヒステリーを起こす。長女からのお下がりは気に入らないと言って破り捨てる。仕方無く買い与えた服にも満足することはなく、すぐに飽きたからと言ってまだサイズの合わない三女に与えてしまう。三女が少し大きくなり、それを着こなせるようになると、今度は何が気に食わないのかそれを取り上げ、また破り捨ててしまう。

 

 家の手伝いを頼めば、長女が近くにいる時は『どうして私なのよ!』とキレる、三女がいる時は三女へ押し付ける。ふたりがいない時に頼めば、ふてくされた顔で一応は受けるものの、わざととしか思えないような失敗を繰り返す。

 

 愛情は、三人に平等に与えたはずだと思う。少なくともババアは……あいつらの母親はそうしていたはずだ。あまりしたくない話をすれば、家の金をもっとも浪費させられたのが次女だというのも、歴然たる事実なのだ。

 

 三女が良い所へ嫁に行ってくれなければ、この家も大分前に手放さざるを得なくなっていたに違いない。

 

 その三女からの仕送りも、随分と次女が(かす)()っていったものだ。

 

 他のふたりよりも、だいぶ早いうちに結婚した次女は、それから二十年ほどは大人しかった。時々、孫達……次女の娘達……のために少し援助してほしいと言われ、少なくはない額を渡したが、それはむしろ望むところだった。孫達は、目に入れても痛くないほど可愛かったし、自分も、()年波(としなみ)には()てず引退するまでは、それなりに稼ぐ男だったのだから。

 

 だがその孫達がまた結婚をして家を出ていき、次女の夫が四十代の半ばで……船乗りだった彼は、航海中に嵐に遭ってしまった……帰らぬ人となると、三十代の半ばだった次女は昔よりも更におかしなことを言い出すようになった。

 

『自分が不幸せになったのはお父さんとお母さんのせいだ、お父さんとお母さんがちゃんと自分を愛してくれていたら、自分があんな男と結婚することもなかった。だからお父さんとお母さんはまだ私を幸せにする義務がある』

 

 あんな男って、愛して結婚していたんじゃないの?……ババアが問いかければ、また鬼のような形相で言い返してくる。そんなわけないでしょ!? こんな家からは早く出て行きたかったからよ! 誰も私のことを愛してくれない! こんな家から!!

 

 お母さんになんてことを言うんだ!!……それへ自分は、久しぶりに、娘に手を上げてしまったが、そうすると今度は泣き出されてしまった。娘ふたりを産み、嫁に行くまで育てた……そういえば、そのふたりの結婚も早かった。次女の理屈なら、あのふたりも実家から早く出て行きたかったのだろうか……三十も半ばとなった娘が、駄々をこねる子供のように泣き喚く。

 

 (いわ)く、相続権のない家と土地を、自分が手に入れるには、オマエラから格安で譲り受ける必要がある、だから寄越せ、長女と三女は王都に居る、相続をしても売り払うだけだ、この家を残したいなら私に売るしかないだろうが……と。

 

『この家を私に寄越せ! オマエラは出て行け! 長女のところへでも三女のところへでも行ってしまえ! 愛してもらえなかった私にオマエラの面倒を見る義務は無い!! せめてそれくらい私をヒイキしてくれてもいいはずだ!』

 

 ……こちらが何を言っても耳に入っている様子はなく、ただ泣きじゃくりながらそのような主張を繰り返す次女へ、自分ら夫婦は何をすることも出来ず。

 

 その日は、無理矢理にでも次女を帰らせた。夜にババアとふたり、何が悪かったのかと話し合った。情けなかった、自分達が、あんなわけのわからない子供を育ててしまったことが。

 

 それからまた二十年ほどが過ぎた。寄る年波に敗北して完敗して惨敗して、仕事も引退し、年に数回、この家にやってきては金をせびり、家を売れと迫ってくる次女にもある程度は慣れた。次女は、まとまった金を渡すと、しばらくは家に来なくなる。仕事仲間に紹介してもらった調査人に探らせてみたところ、妙な男に貢いだりしているといったことはなかった。それは安心出来ることだったが、ただ、ずっと一日中家に閉じこもっているだけというのが気になった。女が家に閉じこもってできる仕事といえば、縫い子等の内職の類だが、そうした仕事を()けている様子もないという。そもそもあの子は手先が不器用だった。

 

 一緒に住んで、家の手伝いをするなら、その内にこの家を売ってやってもいいと言ったことがある。答えは、イヤよ、私はお父さんもお母さんも嫌いなの、嫌いな人とどうして一緒にいなければいけないの、というものだった。

 

 ババアが孫の……あなたの娘のどちらかの嫁ぎ先に、お世話になるわけにはいかないの? と聞いたことがある。その答えは、完全なる沈黙だった。

 

 自分も、もう老い先は長くない。ババアは、自分よりももう少し長く生きるだろう。

 

 ……そう思っていた。

 

 だから長女に連絡を取り、この俺が死んだ後はその長男にこの家を相続をしてもらい、ババアが死ぬまでは売らないで居てくれるよう、お願いをした。王都に来るならお母さんの面倒くらいは見るけど、と言われたが、ババアもこの街で死にたいとそれを断った。次女の行く末も、気になっていたのだろう。ババアは、愛想が尽きかけているこの俺よりも、ずっと次女のことを心配していた。

 

 そのババアも、先刻、死んじまった。

 

 これからどうなるのか。

 

 家は失くしたが、土地はまだある。だが自分に家を建て直す金はない。もうない。そんな余裕は次女が全部吸い取って行ってしまった。次女の家も、眼下に見た感じ、おそらくは消失してしまっただろう。

 

 次女が生きているなら、俺達親子はどうすればいいだろうか?

 

 次女が死んでいるなら……。

 

 そこまで考え、セルディスはある自分の心境へ戦慄をした。

 

 悲しくない。

 

 自分の娘が死んでいるという仮定に、何の哀しみも湧いてこない。

 

 いつからそうだったのか、元からそうだったのか、よくわからなくなっている。

 

 娘だとは思っていた。だからこそ少なくはない金を渡したのだし、家へやってくればもてなしもした。支離滅裂な妄言にも目をつぶることが出来た。手を上げたのだって、人生の中では数回のことでしかない。どれも、次女の暴言がババアへ向いた時だけだ。それが理不尽であったとは今でも思えない。今ならはっきり言える、次女とババア、ふたりが死に掛けていて、どちらかしか助けられないなら、自分は迷わずにババアを助けただろう。ババアは次女を助けてというだろうが、俺はその言葉には従えない。それは、その態度は、長女へも三女へも、同じく向けていたもののはずだ。そして長女と三女は立派に成長した。次女だけがおかしくなった。自分の、どこが悪かったというのだろうか。

 

 いや……悪かったところは、あるのだろう。当然、あったはずだ。けれどそれがあそこまでおかしなことを言われる、される理由にはならない。そこまでの理不尽を押し付けられる()われはない。自分だけならばまだ納得できる、だが次女はお母さんも自分を愛してくれなかったと主張している。そんなはずはない、アレは愛情豊かなババアだった。俺が惚れて、やっとの想いで落とし、俺の子を産んでくれて、生まれた子を全身全霊をもって愛した、そういう女性だった。ババアに言われなかったら、俺はもっと早い段階で次女との縁を切っていたはずだ。

 

 顔だけは一番母親に似ていた次女が、次女だけがどうしてその愛情に気付けなかったのだろうか?

 

 セルディスは思う。そして考える。

 

 ババアが死んだ今となっては、もはや次女が生きていようが死んでいようが、どちらでもいい。

 

 死んでいるなら、もはやそれで悩まなくてもいいということだし、生きているなら、とっとと縁を切ってしまおう。そうしてそう遠からぬ未来、自分もババアを追って、あの世へ行こう。その前に、一度だけ長女と三女へ会いに王都へ……いやそれもやめておこう、未練が残るかもしれない。自分はもう随分と長く生きた、もう充分だ。

 

 セルディスは思う。そして考える。

 

 自分の人生を、愛した妻のことを、愛した子供達を、愛せなくなってしまった子供を思う、考える。

 

 セルディスは考える。そして考えることをやめる。

 

 涙が零れた。

 

 名前にさん付けから呼び捨ての関係に、それから、おまえと、母さんと、ババアと、変化してきた妻との日々を想い出して泣く。長女が、三女が、次女が生まれた日の心の高揚と喜びを思い出して泣く。孫達の可愛さを思い出して泣く。唐突に訪れた夫婦の終わりに泣く。やがてくる己の終わりを、人生の終わりを想って泣く。

 

 セルディスは様々なことを思い出し、やがて思い出すこともやめた。

 

 何もかもを失った老人が、真っ黒に空いた己の裡なる穴へ、残る心の全てを捧げ尽くすかのようにただ泣いている。

 

 

 

 

 

 ディアナの目に、少しだけ光が戻る。

 

 何年も彼女を閉じ込めていた扉が、男の手によるものではない音を立て、開かれようとしている。

 

 ディアナが攫われ、この地下室に閉じ込められたのは、彼女が十三歳の頃だった。それからもう四年が過ぎた。ずっと地下に閉じ込められ、健全な運動は何もさせてもらえなかったその身体は、人間とは思えないほどに白く、十七歳とは思えないほどに細い。足はもうまともに歩くことすら困難なほどに弱ってしまっている。

 

 少し前に大きな爆発音がした。普段は、男が階段を降りてくる以外の音は、どれも遠い世界にあるもののように感じられてしまう。それくらい、ここは地上からは切り離された世界だった。それでもその音は、ディアナの耳にもハッキリと届いた。

 

 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。

 

 何かの燃えるような音がした。何かが、外開き扉の前に落ちてくるような音がした。

 

 何かの燃えるような匂いがした。硬い木製の扉から、焦げたような匂いがし始めた。

 

 しばらくして、扉に付いていたいくつかの金具が、歪んでいくのがわかった。かつてディアナが絶望の中、何度か爪を立てて、しかし何を変えることも出来ずにいた扉が、それをぼうと眺める彼女の目の前で歪んでいった。

 

 だがそうしている内に、扉は何かの限界を超えたようだった。

 

 それは何度か断末魔のような音を立て、ゆっくり少しだけ外側へ歪み、閉鎖空間に小さな隙間を作った。人間が……ディアナほどの細身であってさえ……通れるほどではないが、少し引いた場所からでも若干、視界が通る程の幅はあった。

 

 地下室の、その前で何かが燃えているのが見えた。

 

 扉が開かれたことで煙が部屋へ入ってきたが、その発生源は既に燃え尽きようとしていたのか、勢いはさほどでもなかった。見ればそれは、カーテンのような厚い布地と、木の板のようだった。

 

 カーテンには見覚えがなかったが、木の板は遠い昔に……とディアナが感じる四年前に……見た覚えがあった。地下室と地上階とを分かつ(ふた)……のような役割をしていた板だったと思った。

 

 監禁されて三日目、ディアナは食器で男の頭を殴り、逃げようとして階段を上がった。その行く手を阻んだのが、その板だった……はずだ。もしかしたら違うものかもしれないが、かろうじて残っているその形は、その時のままであるように見えた。

 

 それには簡単な鍵が付いていたはずだ。それを外そうとしてる間に、回復し、追ってきた男に捕まってしまったのだから。殴られ、蹴られ、首を絞められ……とにかくもうそれから十数日は毎日死ぬような目にあわされた。その頃のことを思い出し、ディアナの身体に震えが走った。それはディアナの気力を根こそぎ奪っていった出来事の……その記憶だった。

 

 ディアナはしばらく、少しだけ開いた扉の前でグズグズしていた。

 

 いつ、階段を降りる足音が響き、男が現れ怒鳴り散らすのかと怯え、ビクビクしていた。

 

 逃げられるのかもしれないという発想が頭に浮かんだのは、それから三十分以上が経ち、カーテンらしきものと木の板が完全に燃え尽きてしまってからだ。

 

 その頃には地下室にも、かなりの煙がたまっていた。

 

 だがいつも(うずくま)り、床に近い位置に頭を置いていたディアナは、そのおかげで意識を失うこともなくいられた。それでもとうとう咳き込んでしまい……その時初めて、ディアナはこう思ったのだ。

 

 出て……いいの?……と。

 

 ディアナの足はもうまともに動かない。腱を切られてはいなかったが、筋肉が完全に衰えてしまっている。だからディアナは這うようにノロノロと進み、扉の前で、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 両手首でさえ、男が片手で持ててしまうようなか細い腕を扉にかけ、押す。

 

 しかしそれは最後の抵抗を示すかのように、固く動かなかった。

 

 ディアナは、数分頑張って……諦め。

 

 今度は半身を、扉の隙間へ割り込ませる。そしてまた押す。

 

 肩が痛い、背中が痛い、しかし全体重……おそらく四十キログラム(40kg)もなかっただろうが……をかけ、死ぬ気で押すと、(ようや)くディアナひとりくらいなら通れるだろう幅が出来た。

 

 ディアナは這って進む。炭となったカーテンで下半身を汚しながらそれでも進む。胸が、久方ぶりに高まるのを感じる。心臓がバクバクいっている。吐いてしまいそうだ。それを自覚しながら、押し殺しながら、階段を冗談のような遅さで上がる。

 

 両腕に力を籠め、賢明にお尻を浮かせて一段。

 

 何も履いてはいないお尻に、木の階段は所々チクチクと痛い。けれどディアナはそれを気にしない、気にしないでいられる。何年も死んでいた心に、輝くような色が戻っている。

 

 頭上には、蓋となっていた木の板を失ったことで、ぽっかりと空いた大きな穴がある。その向こうに自由がある。今はすすけた天井しか見えない。だけどその向こうには太陽がある、空がある、夜空の星々がある、四年間、ディアナが見ることも叶わなかった世界、味わうことの出来なかった景色、もう少しでそこに、ほんの少しでそこに辿り着ける、家へ帰れる。

 

 (はや)る胸を押さえ、少し休んで、また両腕に精一杯の力を籠めて、賢明にお尻を浮かせてまた一段。そうしてからはぁと息を吐き、はぁはぁと息を整え、彼女は一段、また一段と進んでいく。

 

 もし。

 

 今、頭上の穴に、ディアナを閉じ込めていた男がひょいと顔を現し、ニタリと(わら)ったなら。

 

 これが、彼女を更なる地獄へ落とすための趣向であったなら。

 

 その時こそ、ディアナの心は粉々に砕け、壊れ、二度とその色を取り戻すことはなかっただろう。

 

 だがそんなことは起きず、ディアナは十分以上の時間をかけて二十三段の階段を(のぼ)りきった。

 

 最初に見えたのは……。

 

「うっ……」

 

 穴より数メートルほど先、木造部分が燃え尽きた家の、その玄関に倒れこむ、男の姿だった。

 

 どういうわけか、下半身だけが黒焦げになっている。もはや尻といえるようなモノはなく、太腿(ふともも)もそのほとんどが丸く(えぐ)られてしまっている。ふくらはぎから下は綺麗に残っていたが、それが逆に滑稽にも見える。

 

 男は死んでいた。傷は黒く焦げていて、周囲にも出血の跡は無かった、出血死ではなく、ショック死のようなものだったのだろう。胸に耳を当てても心臓の音は無く、異常な表情のまま固まったその顔に、呼気の様子も無かった。

 

 何が起きたのか、ディアナにはわからない。

 

 扉を失った玄関の、その向こうに見える景色は、焼け野原だ。

 

 けれどディアナは思う。

 

 ある確信だけが、ディアナの心を極彩色(ごくさいしき)に染めている。

 

 ある確信だけが、ディアナの中に歓喜を呼び覚ましている。

 

 自由だ。

 

 私は、やっと自由になれたんだ。

 

 あんなことも、こんなことも、もうしなくていい。

 

 あんな目にも、こんな目にも、もうあわなくていい。

 

 ああ……ああ……帰れる……家に帰れる。

 

 大火災に見舞われた街の片隅で、グロテスクな死体の(そば)で、ディアナは思わぬプレゼントを貰った子供のように泣いて(よろこ)ぶ。

 

 絶望の中で、自死を選ばなかった自分自身に感謝する。賞賛する。褒め称える。

 

「やっと、やっと帰れるんだっ……」

 

 だくだくと流れる涙を、拭うこともせず、彼女は(よろこ)びに泣いた。

 

 四桁の被害者を出した災害、ボユの港の大火災において、ディアナはこうして、心身の自由を取り戻したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてボユの港町、その倉庫街において、いまだ地下シェルターに自らを閉じ込め、閉ざされ、動けないレオと、ラナ達は――。

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ視点>

 

「それで、質問は終わりですか?」

「……今のところは」

 

 レオを助けられる可能性のある仮説、賭けとは。

 

 私の命、存在そのものをチップにした、賭けというのは。

 

「……ツグミ、本当に効いてるの? この……ギャサマジックだっけ?……は」

 

 それは、言うまでもなく、レオの魂全てを、私に移してしまうこと……だった。

 

 しかしそれは「だった」……過去形だ。

 

「そのはずですが……申し訳ありません、絶対とは言えません」

 

 レオの肉体を治す方法は無かった。レオは、私の魔法無しには生命活動を続けられない状態にされた。この魔法を使い続けることに、根性論的な限界がある以上、レオの命にはあと数週間という限界が設定されてしまった。

 

「まぁ……あんな相手だからね、仕方無いけど」

「……申し訳ありません」

 

 だから思ったのだ。

 

 レオの魂を全て私の肉体に移し、可能なら私の魂と融合させ、それが無理ならば私の魂をところてんのように押し出してしまい、レオの魂だけをこの身体に定着させる。そうすることで、レオは、私の肉体で生き続ける事も可能なのではないかと思ったのだ。

 

 それは、本当にどうなるかわからない魔道の極致、最後の手段だった。

 

 ツグミの力を借りれば、他者から他者への魂の移動も可能なのではないかと気付いてからは、レオの魂を別の男性の身体に……たとえば船から救出した五人の中の誰かへ……移すことも考えたが、それはより「どうなるかわからない」、分の悪い賭けだと思っていた。

 

 今はもう少し、分の良い賭けが目の前に提示されている。

 

「制約に、代償が科されている以上、改変なく無効化は出来ません。信じていただくしか、ありませんが」

「……ツグミ、解説」

 

 今、レオの肉体を治す方法は、目の前にある。

 

「……制約(ギャサ)魔法(マジック)はある種の強化魔法です。これは情報(データ)誘導体(デリバティブ)の機能を一部制限、限定化することで、その代償を得ます。手の機能を封印する代わりに、足を手のように動かすといった具合です」

「それはもう聞いた」

「基本的には自己強化魔法ですから、他者へ使う場合は相手の認可が必要です」

「それももう聞いた」

 

 巻き戻し魔法(ロールバックマジック)、か。物語のクライマックスにそんな魔法が出てきたら興醒(きょうざ)めすること(はなは)だしいと思う。機械仕掛けの神(デウスエクスマキナ)なんて、二千年以上も前に流行遅れになってしまった代物なのだから。

 

 しかしこれは、少なくとも私には現実だ。

 

「……嘘を()くというのは精神活動の一種です。今回の場合、嘘を考えるというその精神活動そのものを制限しています。代わりに得ているのが、あの方が指の先に灯らせている、あの炎です」

「あの、ハ●ポタのル●モスみたいな魔法ね。ツグミのと違って炎の形だし、七色に光っているけど」

 

 現実なのだから、当然何かしらの制限はあるのだろう。アレは、しゃらくさいことに、それをまるでないかのように振舞っているだけなのだろう。しかしそれは今のところ上手く機能している。突く隙が見えない。手で搦めとる先が見つからない。揚げない足に掴み所がない。そこが、見事なI字バランスを披露していたジュベミューワとの違いだ。

 

「あれは、ナガオナオ様の世界においては高位の魔法使い様が、これから言うことは嘘ではない、ということを示すために行う軽い()()のようなものでした。嘘を()けば炎が消える、色が変わるといった変化が起きるというモノです」

 

 到底、信じることのできないような救済の糸を目の前に垂らされた私は、ツグミに、相手の言っている嘘を見破る魔法ってないの? と聞いた。無いと答えるツグミに、私は更に、それに近いことが出来る魔法で構わないと迫った。

 

「ただ、指先に炎……私は炎が怖いため、自分の指先に出す場合は光球(こうきゅう)の形になりますが……指先に灯りを灯す魔法は他にもあり、指先に出したそれが制約(ギャサ)魔法(マジック)によるモノなのか、そうでないのか判断は難しく、この誓約はあくまでも軽い、冗談のようなものでもありました」

 

 その答えが、この制約(ギャサ)魔法(マジック)だった。

 

 申し訳なさそうに、『相手の認可が必要ですから、お役に立てるものではないと思いますが……』とも付け加えられたが。

 

「運動会の選手宣誓みたいなもの? 我々はスポーツマンシップに則り正々堂々云々の」

「それは……別に冗談でやっているわけではないと思うのですが」

 

 私は青髪のユーフォミーに、これを使わせろと要求した。お前の言うことは信用出来ない、信じてほしければこの魔法を受け入れろと。

 

 要求はしたけれど、受け入れられるとは思っていなかった。

 

 だが。

 

「運動部の子が大会でやるのは本気かもしれないけど、運動会とか体育祭のそれはセレモニーでしかないと思う」

「それは……制約(ギャサ)魔法(マジック)による誓約も、セレモニーの一種であると捉えればそうかもしれませんが……」

 

 どうぞと……しかしもはやユーフォミーではないのだろうその女は、すぐに応じた。

 拍子抜けするくらいに、あっさりと。

 

「セレモニー、ね。教会で永遠の愛を誓い合った夫婦が、すぐに離婚する現実もあるわけだけど」

「はい。ただ……今回の場合、自発的に使ってもらったわけではなく、私が、あの方へ科した形となります。通常であれば……私に異変を報せない形での破棄、改変等は行えない……はず、なのですが」

「はず、ね。アレはツグミですら理解出来ない魔法を使う。そんな相手を前に、確かなことは言えないってことね?」

「……申し訳ありません」

 

 ツグミが、青髪のユーフォミーへ何かをすると、その頭上にいくつかの、白銀白金(はくぎんはっきん)の天使の輪のようなものが浮かび、それらはゆっくりと、艶やかな空色の頭へ飲み込まれていった。

 

 そうしてから私は彼女(?)へ、いくつかの質問をした。

 

 

 

 Q:私がもうすぐ死ぬというのは本当?

 A:ラナンキュロア様は最初の世界で、ノアステリアに斬られ死んでいます。後数十分でその状態に戻ります。だから死にます。

 

 Q:ロールバックマジックとやらの効果はその通り?

 A:その通りです。別の周回の状態に戻るのが不思議ですか? 当方には、雄雌(おすめす)が結ばれ子が生まれる、有性の生殖システムの方が不思議です。繁殖のためにも発展のためにも効率が非常に悪い。リスク管理のためというなら、そこで生まれる差異そのものが差別を生み、争いを、殺し合いを引き起こすのは何故でしょう。ですが、それも詮無(せんな)きこと。誰が何を想おうが世界はそのようになっているのですから。男女が惹かれあい結ばれ、子を成すように、ロールバックマジックもこの世界のシステムに沿った形でその効果を発揮します。理解出来ないのは、あなた様やそこのお犬様が世界の構造そのものを理解できていないからです。

 

 Q:ならば、ロールバックマジックとはどういうものなのか?

 A:回答を拒否します。説明したとて、理解できません。その時間も、無い筈です。たった今、関係無い話を長々とするなと言ったのはそちらでしょう。

 

 Q:レオを治せるというのは本当か?

 A:レオ様へはこの()()の数時間前に戻っていただくだけですから、間違いなく助かります。約束は守ります。術の効果発動後に、記憶は多少混乱しますが、術を受けたという記憶は残ります。術後に当方への敵愾心(てきがいしん)霧消(むしょう)しているなんてこともありません。それが術の目的ではありません。気に食わないというなら、かかってくればいいでしょう。ラナンキュロア様を失ったレオ様など、当方は脅威であるとは認識していません。

 

 ここでレオが、青髪女に噛み付いて丁々発止(ちょうちょうはっし)をしたが、それには何の意味もなかった。

 

 Q:オマエは私の敵か?

 A:敵ですよ、敵に決まってるじゃないですか、何度私が、ラナンキュロア様に煮え湯を飲まされたと思っているんですか。ですがそれと、約束を守る、守らないは別の話です。

 

 Q:オマエはツグミに変身できるのか?

 A:できます。

 

 Q:なぜそんなことができる?

 A:回答を拒否します。今回の件には関係の無いことです。

 

 Q:オマエはループしているのか?

 A:してます。

 

 Q:何の為に?

 A:回答を拒否します。

 

 Q:そのループはどうすれば止まる?

 A:今回はここまで理想的な形で進んでいます。今回で、止まるかもしれませんね。

 

 Q:オマエの目的は? 私が死ぬことを望んでいるのか?

 A:当方の目的は、情報の収集と、当方が望む形にこの世界を落着(らくちゃく)させることです。そしてそれはどちらも今回で達成に至る模様です。あとはラナンキュロア様が死を受け入れてくれれば完成となるのです。

 

 Q:どうして私の死がそんなに重要なんだ!?

 A:回答を拒否します。ですがその周辺の話をすれば、ジュベミューワ、ノアステリア、灼熱のフリードも、あのような形で死んでもらうことが必要でした。ラナンキュロア様の死もそれと同じことです。私の望む世界の形は、ラナンキュロア様の死で完成します。

 

 Q:幽河鉄道(ゆうがてつどう)で私が過去改変をしにくるとは思わないのか?

 A:どうして? このレオ様は生き残るのですよ? それを改変しに戻るのですか?

 

 ここでまたレオが、青髪女に無数の斬撃を放った。だがそれも、何の意味も成さなかった。

 

 次の質問の最中にもレオは青髪女を殺そうとし、それにはツグミもなんらかの魔法による補助を行っていたようだが、その全てが完全なる無為に終わってしまったのだというのが、見ていてわかった。

 

 青髪女はツグミよりも強い。わかっていたことだが、その事実は私からいくつかの選択肢を奪っていってしまった。

 

 Q:私が、レオのことを想うなら死を受け入れろと?

 A:そうです。今度こそ、あなたの旅は終わりです。

 

 ここに至り、勝敗は決してしまったと言っていい。

 

 

 

「ならもう、ツグミが知る魔法の常識を信じるか、目の前の相手が常識の埒外(らちがい)にある存在であると認めるか、その二択ってことね」

「ラナンキュロア様……」

 

 ツグミが知る魔法の常識を信じるなら、レオを助けるには青髪女の魔法に(すが)るしかない。

 

 目の前の相手が常識の埒外にある存在であると認めるなら、どちらにせよそんな相手に何が出来るというのか。四十六回目もループすれば、「私への対策」はバッチリというわけだ。……ってことは私はアイツに四十五回も勝ったのか。凄いな私、どうやったのか教えてほしい。ここにおいても、私が勝利する鍵は何かしらあるのだろう。でも……。

 

「どちらにせよ、私達に打つ手はないってことね」

「ラナ!?」

 

 おそらく相手は今回、その鍵を私に渡さないという、その部分に特化した作戦を採っている。そしてそれは、奇手ばかり使ってきた私にはとても有効だ。もしかしたらあの棒読みの声でさえ、反応や抑揚で何かを悟られないための擬態なのかもしれない。

 

 これは、私の檻だ。

 

 私という人間が身動きを取れなくなるよう、私に合わせて作られた牢獄。それはもう完全に構築されていて、どうにもならない。それに、これを打ち破ったとて、四十七回目かでまた違う対策がとられるのだろう。

 

「はい。そのように状況を整えましたから。これはラナンキュロア様に学ばせていただいた手法ですよ。相手の特性を逆手に取るという」

 

 レオこそが私の弱点であると知られている以上、相手の採れる選択肢は無数にある。対してこちらは悪足掻(わるあが)きしか出来ない。そして、それに成功したとて、次の周回で今度はそれへの対策を講じられてしまう。

 

 これはもう……。

 

 ダメだ。

 

「レオ、ごめん、もうどうにもできない」

 

 無理だ。

 

「諦めないでよラナ!! ラナはこれまでも、どうにもならないような状況を覆してきたじゃないか!!」

 

 この檻は私を完全に囲い込んでしまっている。

 

「諦める、諦めないじゃなくてね。私は戦略で負けたの。戦略で負けた以上、戦術レベルで出来るのは玉砕か、なるべく被害を少なくしての撤退かだけ。玉砕はこの場合、言うまでもなく無意味。それでね、レオ……私は、私自身の被害は許容できるけれど、レオを見捨てるということだけは出来ないの」

 

 だから。

 

「僕はラナを失ったら死ぬよ!? 僕はラナのいない世界でなんて生きていたくない!!」

「うん、わかっている。ありがとう、レオ。私を愛してくれて」

「何を……言っているの? ラナ」

 

 だから今までは、レオの魂全てを私に移してしまうことは……出来なかった。

 

 出来ずにここまで来た。

 

 でも、ここに来て別の選択肢が生まれた。

 

「わかった」

「……ラナ?」

 

 私は、今もモニターの向こうから私達を見下ろしてきている青髪女の、おそらくはこちらが見えているのだろう目を、全力で睨む。

 

「いいよ、わかった、死んであげる。でも条件がある」

「ラナ!!」

「……何ですか?」

 

 誰もこれを、望まないだろう。私だけが望む。

 

 誰もこれを、賞賛しないだろう。そんなものはいらない。

 

 誰もが、これを選んだ私のことを愚かと言うだろう。いくらでも言え、私はずっとその中で生きてきた。

 

「レオ……これから私がするのは、レオに、自殺させないための魔法を使うってことなの。それが、私の最後の魔法」

 

 コンラディン叔父さんの無念に、ナッシュさんの無念に、ユーフォミーの……肉体の無念に、ボユの港町で死んでいったおそらくは数千単位の人達の無念に、私自身の怒りに、私はさよならを言う。

 

「ラナ、何を……」

「何をする気ですか? ラナンキュロア様」

「……ふむ?」

 

 やはり私にざまぁは難しい。それは結局、自分自身を愛している人にしか出来ないことなのだ。私は私を愛していない。だから私は私の怒りすらも慰撫(いぶ)しない。そんなことよりもずっとずっと大事なことが、私にはある。

 

 私の世界には、レオしかいないのだから。

 

「レオに、私の恋心と愛情の全てを捧げる」

 

 

 



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epis69 : My Dearest

 

 その感情がいつ生まれ、どのように育っていったのか、自分でも判然とはしない。

 

「やめてよ! 僕はラナのいない世界で生きていたくなんかない!」

「……剣を下ろして、レオ」

 

 それが本当に愛と呼んでいいモノだったのか、恋と呼んでいいモノだったのか、それすらもわからない。愛のカタチは人それぞれ、という言葉に共感のない人にとってそれは、愛の、恋のまがい物であると吐き捨てたくなる種類のモノなのかもしれない。

 

 レオに抱かれるのは幸せだったし、荒くされるのも、自分が血も涙もあるイキモノなんだと実感できるようで心地良かった。もっとも、レオはかなり強く乞わなければ、そうしてはくれなかったけれど。

 

 そんなのはただの性欲だろうと、肉欲だろうと断じられ、痛罵(つうば)されてしまえば……それへ、明確に私が返せる言葉は……無い。

 

 レオと本気で、一生を共に生きていきたいと思っていたし、レオのためなら私はなんだってできる。それが愛でも恋でもないというなら、ではこの気持ちの名前を、誰か私に教えて欲しい。性欲? 肉欲? 依存? 執着?

 

 私にはわからない、ならば今、自分の命に代えてでもレオを助けたいと思っているこの感情が、本当はなんと呼ぶのが正確なモノなのか、それがどこから来たモノなのか、いつから始まったモノなのか、正しいモノなのか、間違っているモノなのか。

 

 私には、本当にわからない。

 

「ツグミ!! あれから逃げることはできる!?」

「え、あ……も、申し訳ありません。たぶん、無理……ではないかと」

 

 わかっているのは、最初、私がレオを、美しいと思ったということだ。

 

「ほら、ツグミもこう言ってる。駄目だよレオ」

「……ぐっ!?」

 

 私はレオが剣で人を斬り、殺すところを見て美しいと感じた。

 

 間違いなく、その段階では、それは恋でも愛でもなかった。

 

 あの剣は一目惚れしてしまうほどに美しかったけれど、レオという人間を特別視するに足る異能だったけれど、あの時、私がレオを家へ誘ったのは、あくまで自分の未来を切り開く賭けの、そのコマとしてだ。それは、性欲で連れ込むよりも、なおタチが悪かったのかもしれない。その身体のみならず、命そのものを、存在そのものを自分の都合で利用しようとしたのだから。

 

「私を気絶させて、ツグミに託すつもりだった? 駄目だから。私が今、気絶したら、レオが死んでしまうんだよ?」

「息、が……」

 

 でも、リストカットの真似事を止められ、守りたいと言われた。

 

「ごめんね、レオ。レオがそうであるように、私も、私の命よりレオの命の方が重いの。私達は同じことを考えている。だけど今、レオを征服しているのは私」

 

 一緒に、間違ったことをして生きていこうよと(さそ)われた。(いざな)われた。

 

「だから私が勝つの。私が勝って、自分が死ぬ役をもぎ取るの」

 

 たぶん、始まりは、その辺り。

 

「こ……こんなのって! こんなのっ……てなぃょ……っ」

 

 母親の望まれぬ(カタチ)に生まれ、疎まれた私は、どうすれば自分がこの世界の中で正しく()れるかわからなくなっていた。

 

 わからなくて、どうしようもなかったから、どうもしなかった。

 

 どうして息子に生まれてこなかったのよと言われても、この世界に性転換技術があるわけでもない。二十一世紀の地球にだって、完全なそれはなかった。

 

 私は何もせず自宅の自室へ引き籠り、そこで無為(むい)に溺れていた。

 

 それに終止符を打ってくれたのがレオだ。断じて伯父なんかじゃない。

 

 正しくないことでも、していいんだと思えたからこそ、私は(ようや)く再始動をすることができた。

 

 だからもう、私の人生は、レオとの出会いから始まったのだと言っても、けっして過言ではない。

 

「でも、気絶させるってのは、いい手かもね。ツグミ」

「……なんでしょうか?」

「レオを寝かしておくことって、できる? 私は、見ての通り、苦しめてしまうから」

「ゃめてっ……ラナっ!」

 

 今ではもう、レオに出会う前の自分の方がよくわからない。本を読んだり、部屋の掃除をしたり、アイデアを出した商品の仕様書やサンプルを見たり、お風呂掃除をしたり、決済や稟議(りんぎ)の判断をしたり、惰眠を貪ったり。……正直、その頃の自分が何を考えて生きていたのか、今の私にはよくわからなくなっている。

 

 それくらい、レオに出会ってからの時間の方が濃厚で、充実していて。

 

 それくらい、レオに出会う前の時間は稀薄(きはく)で、伽藍堂(がらんどう)だった。

 

「駄目です、それは、できません、ラナ様」

「……どうして? だったら、ツグミがアイツを倒してくれるの?」

 

 あの頃の私は、人間じゃなかったのかもしれない。

 

 控えめに言って、人間のような心があったとは自分でも思えない。

 

「……ラナンキュロア様が、それをしたいのであれば、レオ様にはそれを見届ける権利があります。断じて、それはレオ様が気を失ってる間に進行してしまって、いいものではありません」

「……なるほど。それがツグミの()(よう)で、優先順位なのね」

 

 しかしそれも当然だ。

 

 親に望まれた()()()で生まれることもなく。

 

 長じては自らの意志で社会、人間の世界に背を向け、引き籠った私は、人と見れば逃げ出す、臆病な獣のようなものだったのかもしれない。

 

「やめてっ……ラナ……お願いだからっ」

「レオ、剣を鞘に戻して。そうしてくれないなら、ツグミがどう言おうと私はレオを気絶させるしかなくなる。願いだから……剣を収めて。……ああ、違うな、こうじゃない。……こうじゃない」

「ラナ様?」

 

 レオを見た時、私は、生まれて初めて、自分と同じようなイキモノを見つけたような気持ちになっていたのかもしれない。

 

「私は嫌がるレオを無視して、私のしたいように、するの。そこに、もうレオの意志は関係ない」

 

 レオもまた、親に望まれなかった子供だ。

 

 生まれから正しくない子供だった。

 

「ラナ……」

 

 だとしたら、私がレオを愛するのは必然だ。初めて、自分と同じイキモノの、その異性に出会ったのだから。

 

 

 

 そうしてレオは私の「特別」になった。

 

 

 

「だったら、お願いなんて言葉、偽善にもほどがある。なら、無理矢理、その身体の自由、奪うから。ごめんね。本当にごめん。謝るのも酷い偽善なのかもしれないけど、でも、ごめん」

「ラ……ナ……」

 

 

 

 私は。

 

 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を更新して、罅割れ空間を作り直す。そうしてから今度はレオの周辺の空間を結合させずに、剣を握ってる方の手がある空間を操作する。

 

「うっ……」

 

 剣を「握り続ける」という脳からの指令をカットする。当然、レオの手からは剣が離れる。すぐにその周辺の空間を結合して重力を通す。すると、剣は音も立てず地面へ落ち、転がった。

 

「ラ……ナ……ぷはぁっ」

 

 酸素の供給を戻す。

 

 レオはしばらく、ぜぇぜぇと苦しそうに息を吸っていた。

 

「ラナ……お願いだからやめてよ……」

 

 滲んでいるその涙に、罪悪感が刺激される。あちら側にいるのが自分だったら、どんなにか良かっただろうと思う。私とレオは同じモノだけど、今はその立場が違う。違ってしまった。その哀しみをぐっと飲み込み、私は細く息を()き、平静を装う。

 

 そんな取り繕い、レオにはバレバレだろうけど……でもいいんだ、最後まで、私が取り乱したりせず、不安や怯えを見せることもなくコトを遂行したという、その姿が後に残ることこそ、大事なのだから。

 

「ラナンキュロア様の条件とは、あなたが恋人を強姦する、その(さま)を見届けるということで、よろしいのですか?」

「……棒読みの癖に、強い言葉を使うじゃない」

「そうとでも表現するしかないような光景ですから」

 

 ……まぁ。

 

 嫌がっている相手を力ずくで押さえ込み、自分の思いのたけを好き勝手にぶつける。

 

「確かにね、そう言ってしまえば、これは確かに強姦だけど」

「まったくもって()(がた)し、ですが、それで全てが丸く収まるなら構わないですよ」

「まるくなんかっ……収まるわけ……なぃ……だろっ!!……」

「レオ様……」

 

 酸素の供給は戻してある。だけどレオはいまだ息を荒くしている。どうにかして身体を動かそうともしているが、当然ながらそれは叶わない。叶えてあげるわけにはいかない。鍛えた、細いけれどしなやかな身体が、しかし今は何もできずにいる。そうしたのは私だ。レオがどれだけ拒絶しても、私はこの意志を()げない。

 

 心が痛い。ズキズキする。しかし今は、それを表に出していい時ではない。

 

 私は、低く抑えるというファンデーションで声に化粧をする。下地なんか作っていない肌に、それが上手くノったとも思えないけれど。

 

「レオ。私がレオの立場だったらこんなのに納得なんてできるはずがない。だけどレオ、レオが私の立場だったらどうすると思う?」

「それ、は……」

 

 私達は同じイキモノだ。

 

 同じように相手が大事で、それは自分の命よりもそうなのだ。

 

 だからこそレオを……どうすればレオの暴走を防げるのかもわかる。どうすれば相手が「黙る」のかが、私達にはお互いにわかる。

 

 だから、黙らせる。躊躇(ちゅうちょ)はしても、容赦なく。

 

「そう、レオが命を賭け私を守ろうとしてくれたように、私もまたそうするの。だったらこれは、お互い様。今回はたまたま、私の方に、そうする力があっただけ。……ね、あなたのこと、何で呼べば良いの?」

 

 予想通り、返す言葉が無くなり、項垂(うなだ)れてしまったレオを、それでも見遣(みや)りながら私は、意識をまた例のモニターの方へと移す。

 

 そこには、相変わらず空に浮いたままの青髪女が、相も変わらず無表情な顔でこちらを見下ろす姿が映っていた。

 

「……当方に言っていますか?」

 

 ここから先は、必要な交渉をしていくターンだ。

 

 

 

「青髪女、でいいならそうするけど?」

「ふむ……では“(ミジュワ)”で、どうですか?」

「……悪趣味な……いやそうでもないか?」

 

 青髪女が口にした言葉は、この世界で(つぐみ)、スズメ目ヒタキ科ツグミ属に分類される鳥類を表す言葉だった。どことなく、ジュベミューワに近い音の響きがある。

 

 ただ、ジュベミューワのジュベは、ユーマ王国において「宝石級」の意味を持つ、なめし革の最高級グレードのことで、ミューワが栗の樹の精霊の名前だ。日本名にするなら「珠樹(じゅじゅ)」や「珠栗(じゅり)」のような名前になるだろう。だからミジュワとジュベミューワは全く違う名前だが、それでも「継笑」「ツグミ」に引っ掛け、敢えて似た響きの名前を持ってきたところに、コイツの在り様が見え隠れしている、そんな気がする。

 

「なら、ミジュワ、先にレオを治してもらえる?」

「ラナンキュロア様!?」

 

 ……どうしてオマエが驚く、ツグミよ。(ミジュワ)ではないツグミよ。

 

「……また、それですか」

「また?……この状況は初めてじゃないのね。なら、わかるかもしれないけど、それを後回しにしたら、ロールバックマジックとやらで、元の状態に戻っちゃうんでしょ?」

 

 私のしたことが無意味になってしまうなら、これは条件として成立しない。

 ならこれは前提として必要な要素だ。

 

「いえ、だいぶ状況は違いました。何度かは、私とラナンキュロア様は一時的に協力するという状況もあったのです。巻き戻し魔法(ロールバックマジック)はその時に使い、同じことを言われたのです」

「……どうしてそうなるのか、全くわからないんだけど」

 

 四十五回の間に、何があったんだ。

 

 どうも私が幽河鉄道(ゆうがてつどう)で時を遡り、彼女、ミジュワと戦うルートもあったようだが、その記憶も、私にはない。

 

「気にしないで下さい、(とお)()ぎた道です。今のあなたには信じられないでしょうが、ジュベミューワと和解し、私へ立ち向かってくるというルートも、かなりの数あったのですよ?」

「ますます意味がわからない」

 

 それはつまり、ルートがそちらへ分岐する前の状態から、ミジュワがやり直しをしているということになる。私に、そんな記憶がない地点からリスタートしているということだろう。

 

 下手したら私が生まれた頃の、その地点まで戻り、やり直しをしているのかもしれない。

 

 いや……もしかしたら私が千速継笑(せんぞくつぐみ)だった頃まで戻った可能性すらある? 千速継笑が酷い最期を迎えたの、お兄ちゃんが死んだのも……まさか。

 

「なぜジュベミューワが死ななければいけなかったか、わかりますか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のですよ?」

「……ああ」

 

 いや。

 

 それは考えても仕方のないことだ。そうだったとしても、今の私は今の私にできることをするしかない。

 

 今、私がするべきは、私が三年間を共に過ごした「このレオ」の命を救うことだ。

 

 どこか別の世界にいる「別のレオ」ではなく、私は「この特別なレオ」の命を救いたい。

 

「ジュベミューワは、簡単にあなたの軍門へ下るのです。元々依存心の強い子でしたからね。ただ、性的なことには嫌悪が勝る性質でした。その点、友愛(フィリア)性愛(エロス)が伴うノアステリアとは相性が悪かったのです。あなたは、性愛(エロス)は特別な相手と、特別な関係において満たされればいいという考えの人ですから、ジュベミューワとの相性は別に悪くないのですよ。彼女の価値を認め、価値観を認め、包み込んでやれば彼女はころっと転がりましたよ? 当方がそれで何度苦汁を舐めさせられたことか……」

 

 別の世界のジュベミューワがどうとか、すこぶるどうでもいい、「この私」が知るジュベミューワは、レオを傷付けた張本人だ。殺しても、良心がまったく痛まない人だ。

 

「なるほどね。まぁ彼女が死んだ今となっては意味の無い話ね。それも時間稼ぎの一環? もう質問には答えてくれないの? その指に炎は、まだ灯っているけれど」

 

 別の世界のレオを幸せにするために、「このレオ」を見捨てるということができないように、あったかもしれない可能性で、ジュベミューワを(ゆる)す気にもなれない。たとえそれが、ミジュワというこの女が仕組んだことであったとしても。

 

「違います。苦情です。嫌がらせです。最初の問いにお答えすれば、当方の巻き戻し魔法(ロールバックマジック)は、魂の一部……全部は無理ですが……大部分はそのままに肉体の状態だけ巻き戻すということも可能ですから、別にラナンキュロア様が条件を満たした後でも、前でも問題はありませんよ。レオ様がどうなろうとも、当方には関係のないことです。というより、レオ様が無関係でいてくれることも、当方の勝利条件には含まれますから」

「どうして?」

 

 レオが死んだなら……別の世界のレオを幸せにするため、私は動くのだろうが……「このレオ」が生きている以上、私はそれを()しとしない。

 

「さぁ? ご自分の胸に聞いてみればいいのではないでしょうか?」

 

 ……なるほど、だからか。

 

 だからミジュワにも、レオの生存が必要なんだ。

 

 なら、ジュベミューワがレオを傷付けたのは、ミジュワのコントロール化には無かったことなのかもしれない。ジュベミューワはむしろツグミを敵視……もっと言えば特別視……していたように思える。レオはツグミへの攻撃に巻き込まれたカタチだった。ミジュワが企図(きと)した四十六回目の絵図は、もう少し違ったものだったのではないだろうか。

 

 ただ……。

 

「状況を理解されたようですね。それで、先払いを望まれますか?」

 

 ただ、私が納得する己の死は、レオのためになるものでしかありえない。

 そう考えると、レオが瀕死になるというのは、私を排除する上では必須の条件だった筈だが……。

 

「そうね……」

 

 ……必須の条件って、何よ?

 

 ……ミジュワは、何の為にループしているのかと聞くと回答を拒否した。だが目的を問われるとこう答えた。

 

『当方の目的は、情報の収集と、当方が望む形にこの世界を落着(らくちゃく)させることです』

 

 それは何の為だ? 情報の収集というのは、この状況がミジュワの望む形に落着すれば終わるのか? どういうことだ? ミジュワはいったい何の情報を収集している?

 

「……先払いでお願い」

「了解しました。ではレオ様の周囲の、罅割(ひびわ)空間(くうかん)の解放をお願いします」

 

 ……逆か?

 

 この状況が、ミジュワの望む形に落着することでしか得られない情報がある?

 

「ああ……あなたにも貫けないんだ? 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)

「貫けますが、コスパが悪いので、したくないだけです」

「コスパ、ね」

 

 ここまでに判明しているミジュワの望みは……。

 

 私が、納得して死ぬことが必要?

 レオの生存は、私の納得に紐付いているため必須?

 ジュベミューワ、ノアステリア、灼熱のフリードの死は必須。

 

 ……コンラディン叔父さん、ナッシュさん、ユーフォミーの扱いはよくわからない。街を焼いた(焼かせた?)理由もよくわからない。

 

「ほら、ゲート、じゃなくてポート? 開いてやったわよ」

「では……」

「やめてよ、やめてよラナ……」

 

 ……待って。

 

 ジュベミューワ、ノアステリア、灼熱のフリードの死は必須?

 

 ノアステリア、灼熱のフリードは白黒の巨人になった。ジュベミューワはユーフォミーの身体を奪い、更には白黒の巨人の死体(?)をブルーグレーの脚として取り込んだ。

 

 そうして今、ミジュワは青髪のユーフォミーの姿で私達の目の前にいる。

 

「いきます」

「ああっ!……」

「レオ、生きて……」

 

 ……あ。

 

 私はユーフォミーの姿になったジュベミューワを、その人格がクラッキング魔法なるものに取り込まれ、主従が既に逆転してしまった存在であると読んでいた。

 

 ミジュワはつまり、だからそう……やはり、その主従の主、クラッキング魔法が「情報」を得て「人格」を獲得した姿なんじゃないか? (しゅ)()ませり……だ。

 

 ミジュワがそういう存在なのだとしたら、何を望む?

 

 まずジュベミューワ、ノアステリア、灼熱のフリードの死が必須というのはその通りだろう。なぜならばミジュワは、それらの死によって誕生する存在だからだ。それら死のない世界を造る……と、ミジュワがどうなるのかはわからない……が、普通に考え、それが望ましいものであるはずもないだろう。

 

「すごい……見る見るうちに胸の傷が(ふさ)がっていく」

「ええ、ラナンキュロア様へ(ほどこ)したモノとは違い、時空間的に“近い”位置への巻き戻しですからね。効果はすぐに表れます」

「こんな、デタラメな魔法があるなんて……」

「……あなたがそれを言う? ツグミ」

 

 ……待って。

 

 待って待って待って。

 

 ラナンキュロアがジュベミューワを軍門に引き入れるのは簡単、とミジュワは言った。

 

 簡単と言うからには、それはとても起こり易い流れということだ。今の私には想像も出来ないけれど。

 

 ジュベミューワは、ノアステリアが私を殺す夢を見たと言った。

 ツグミは、ジュベミューワがマイラを燃やす世界を見たのだと言った。

 

 それら世界では私がジュベミューワと和解する道は無いように思う。でも四十六回だ、私が幽河鉄道(ゆうがてつどう)を使ったパターンも含めれば、もっともっと色々な世界があったのだろう。

 

 ミジュワは、ツグミの幽河鉄道(ゆうがてつどう)、世界改変魔法等を取り込むことで生まれた存在だと思う。ならばミジュワは、ツグミが介入した以降の世界において発生した存在だ。

 

 流れを整理する。

 

 ●本来の、元々の世界

 千速継笑の記憶を持たないラナンキュロア達がジュベミューワ達を殺す。

 だが、この世界においてはツグミもいないので、ミジュワは発生しない。

 

 ●ツグミ介入後、ミジュワ発生前

 千速継笑の記憶を持ったラナンキュロア、ツグミ達がジュベミューワ達を殺す。

 その結果ミジュワが発生する。

 もしかすれば、ミジュワが発生するまではラナンキュロア、つまり私が幽河鉄道(ゆうがてつどう)を使い、その状況を何度かやり直していたのかもしれない。

 ミジュワはその中で、なんらかの条件が重なることで生まれた存在?

 

 ●ミジュワ発生後の初期

 ラナンキュロア達が、なぜかジュベミューワ達と和解する道を行くようになる。この世界を望まないミジュワがやり直しを始める。

 

 ●ミジュワ発生後の中期

 なにかしらで結果に満足しないミジュワがやり直しを続ける。時にラナンキュロアと共闘したり、時に歴史の改変合戦を始めたりする。ここを詳しく考えても仕方無い。歴史のIFは時の流れの中にただ消え去るのみだ。

 

 ●ミジュワ発生後の後期

 ミジュワが、ラナンキュロア達のループを止めなければキリがないと悟る?

 ラナンキュロアが納得して死ぬ道を探るようになる?

 

 ●イマココ

 ラナンキュロア、つまり私は、ミジュワの望む通り納得して死のうとしている。

 

 

 

 ……ええと、つまり、こう、なるのか?

 

 

 

 ……なら、ミジュワは、発生後の中期に、何に納得できなかったんだ?

 

 私達が生き残り、ジュベミューワ達が死ぬという世界も、発生しなかった訳がない。それは私達とミジュワが共闘をすれば、簡単にクリアできる条件のはずだ。ミジュワの望みが「自分の生まれる世界」だけだったならば、そこでこのループは終わっていたはずなのだ。

 

巻き戻し(ロールバック)、完了、しましたよ」

 

「ん……レオ、どう?」

「……気分は最悪だよ。身体は、気持ち悪いくらいに元通りだけど」

「……なら、まだ罅割れ空間から解放してあげるわけにはいかないね」

「……ラナ」

「だめ。死ぬのは私。レオじゃない」

 

 ……ん?

 

 ……あれ?

 

 この想定が正しいのであれば、本来の、元々の世界には……ミジュワがいなかったということになる。なるの?

 

 ならばミジュワは、レオに力を与えたのとは、別の存在だということになる……なるのか?

 

 まぁそれはそれで構わないのだけど……。なんとなく、レオに力を与えた存在はミジュワの関係者だと思っていたのだが……。

 

 

 

 ……関係者?

 

 

 

 関係者……。

 

 いや違う、本当に、関係者なのだとしたら?

 

 それは同一の存在という話ではない。いわばミジュワを主従の従とする「(あるじ)」がまた別にいるという話だ。あるいは親子の「親」でもいい。

 

 つまりミジュワ……あるいはもう少し間接的に「ミジュワのような存在」……を生みたい「主」、「親」がいて、それがレオに「無敵」の力を与えた。

 

 ……ミジュワはその結果生まれた存在?

 

 これが、そういう構造なのだとしたら……。

 

 青髪のユーフォミーを生み出した存在、それを仮に、青髪の母……いや、ここは超上位存在(ラプラスの悪魔)(あやか)ってそれを青髪の悪魔と呼ぼう。青髪の悪魔が欲したのはなんだ?

 

 ……たった今、私はこう考えたはずだ。ミジュワは、ジュベミューワがツグミの力をコピーしたことで生まれたのだと。

 

 なら……ミジュワの発生を期待した存在が欲していたモノは。

 

 

 

 青髪の悪魔が求めたものは。

 

 

 

 ……「ツグミの力をコピーした存在」なんじゃないか?

 

 

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)を欲していたのか、世界改変魔法を欲していたのか、それは知らないが、ならばミジュワが目指すべきところは「より完璧なツグミのコピー」になることなんじゃないのか?

 

 ……いや因果がおかしいか?

 

 レオが「無敵」だったからこそ、最初の世界で悲劇が起きた。

 

 最初の世界で悲劇が起きたからこそ、お兄ちゃんによってツグミがここへ派遣された。

 

 ツグミがここに来たからこそ、ミジュワは生まれた……のよね?

 

 ……いや。

 

 違う違う違う。「本来の、元々の世界」は、私とレオの視点から見て、そうであるというだけだ。それは「既に青髪の悪魔が介入した世界」なんだ。

 

 なら、青髪の悪魔は、なんのためにその介入を行ったんだ?

 

 ……お兄ちゃんを動かし、ツグミをここへ派遣させるためじゃないのか?

 

 ……ああっ!

 

 Q:オマエはツグミに変身できるのか?

 A:できます。

 

 Q:なぜそんなことができる?

 A:回答を拒否します。今回の件には関係の無いことです。

 

 確かに、今回の件には関係ない。ああ確かに()()の件には関係ないな。

 

 ……確かに関係ない、チクショウダマサレタ。嘘は()かないと言われた相手に、嘘は()いていないけれど、本当のことも言っていないという態度でとぼけられたような気持ちだ。私が昔、お兄ちゃんによく使っていた手でもある。これは、お兄ちゃんのような(善良で理性的な)相手にはよく効く手なのだ。まさか自分が喰らうとは……。

 

 ミジュワは、四十五回目までのどこかで、ツグミ自身をも騙せるほど、「ツグミのコピー」として完成した。そうか……ここはどのようにやったか?(ハウダニット)ではなく、やはりなぜやったのか?(ホワイダニット)を重視するべきだったんだ。

 

 二周目のツグミがツグミではないと確信した後に、それはもう一度考えなければいけないことだったんだ。回収済の伏線に油断してしまった。伏線は、一度回収されたとしても、後にまた再利用されることがよくあるというのに。

 

 つまり、「どうすればツグミに化けられるようになるのか」が問題ではなかったのだ、「どうしてツグミに化けられるようになったのか」が問題だったのだ。

 

 簡単とは思えないそれを、やらなければいけない理由があったんだ。

 

 魔法は魂より出でるという。ならば魔法を完璧にコピーするなら、その魂までをもコピーできなければならないということになる。ジュベミューワがコピーした罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は劣化していた。ミジュワの、青髪の悪魔の求むる到達点は、そのような劣化を許さない高みにあったのだろう。

 

 そして、ツグミを騙せるまでに「ツグミのコピー」として完成した今だからこそ、「このミジュワ」はループの終わりを意識しているのだろう。後はほんの少しの「情報」を手に入れるだけで、ミッションクリアとなるのだろう。

 

 理解する。膨大な数のIFを重ねた推測だが、これはもう確信していい、全部繋がっている。勿論、矛盾なく繋がる推測は他にもありそうだが、これはもう実証段階(次のステージ)に上がっていい仮説だ。

 

 ミジュワが欲しているのは、「完璧なツグミとして完成するための情報」。

 その為に、何度も何度も、同じ世界を繰り返してきた。

 色々な状況で、色々な反応を見せ、色々な魔法を使うツグミを観察するために。

 

 ミジュワがやっていたのは、つまりツグミが抱えている全てのエピス、エピスデブリの収集だ。

 

 ツグミのエピス、エピスデブリという情報(データ)を欲していたのだ。

 

 なら。

 

 Q:そのループはどうすれば止まる?

 A:今回はここまで理想的な形で進んでいます。今回で、止まるかもしれませんね。

 

 コイツは、私が納得して死ぬ、その世界におけるその後のツグミの反応を見たい……そういうことか? その世界でしかツグミが行わない何かがあるのだ、きっと。

 

 

 

 

 

 だとするならば。

 

 

 

 

 

「じゃあ、次は私の番、私の恋心、レオを愛する気持ちをレオに捧げる」

 

「私が死んでも、レオが自殺をしないために」

 

「レオが、自分を愛せるように」

 

 

 

 

 

「ラナンキュロア様……ですが」

 

「黙ってツグミ。あなたの言いたいことはわかっている。わかっているなら黙って」

 

「え?……それはどういう……」

 

「ああ、そういう……」

 

「ミジュワ、あなたも黙って。文句があるなら、心話(テレパシー)でもしてきて。できるんでしょう?」

 

「……ふむ? なるほど……流石はラナンキュロア様、当方が何回も何回も何回も何回も何回も何回も苦渋を舐めさせられた相手です。色々と察したようですね。ご自身を包む牢獄の、剛性に」

 

 

 

「……ここでさすラナとかされてもね。私は、戦術では何回も勝ったかもしれないけれど、戦略では最初から負けていた。そもそも、あなたは勝ち負けすらどうでもよかったんでしょ?」

 

「……え?」「ふむ」

 

「私は牢獄のピエロ。ツグミは悪魔からも求められ、何度も何度も奪われるお姫様ってところ? 美姫様(びきさま)は大変ね」

 

「な、何を言っているのですか? ラナ様」

「……ラナ?」

 

「ふむ。負け続けるというのは、それはそれで気の滅入ることなのですが」

 

「それで、どこかダルそうにしてるわけ? あなたも大変ね」

 

 

 

「ま、どうでもいいよ、あなたの人生……魔道?……が大変でも、大変じゃなくても」

 

「私は私のしたいことをする。本当にしたかったのはレオと一生を共に過ごすことだったけれど、それはピエロには身に余る夢だったみたい。私は欲深(よくぶか)で罪深きピエロだった。けど、道化師(CLOWN)は自分自身が王冠(CROWN)(いだ)くから誰の法にも従わないの。私は私自身で私を裁く」

 

「ツグミ。私は死ぬ。運命に納得して死ぬ。だからもうツグミはお兄ちゃんの元に帰っていい。私はあなたによる転生を拒絶する。記憶のない私がまた来世かどこかで悲劇に陥ろうとも、それは仕方のないことだから、それが私に科せられた罰というなら受け入れる。ツグミ、だからあなたはお兄ちゃんの元へと帰って」

 

「ラナ、様……」

 

「それから、レオ……」

 

 

 

「愛してる」

 

「本当に愛している」

 

「こんな、きっと物語の本当の主人公ですらなかった私を愛してくれてありがとう」

 

「これが本当の愛なのかはわからないけれど、私はそう思ってる。満足だよ、幸せだよ。だからレオは、満足できるまで生きて、幸せになって」

 

「愛してる」

 

「本当に、愛している」

 

「この気持ちは私の宝物だった」

 

「この気持ちだけが私の大切な大切な宝物だった」

 

「それだけで満足。それだけで幸せ。レオも、そうだったでしょう?」

 

「そうであってくれたならいいな。私との日々が、レオの幸せになっていたんだったら、私が生きてきたことも、無駄じゃ、なかったってことだから」

 

「……愛してる、愛してるってうるさい?」

 

「ごめんね。でも、そうして言葉にしなければ形にならない部分も、愛にはあるんだ。たぶん、あるんだ」

 

「私は、この気持ちを確かなものとしてレオに遺す。それが私の使命。私が私に科した責務。それだけは、絶対にやり通さなければいけないから」

 

「だから」

 

「レオの瞳を、愛している」

 

「レオの首筋を愛している」

 

「レオの視線を愛している」

 

「レオの両腕を愛している」

 

「レオの剣を、愛している」

 

「レオの愛情を愛している」

 

「レオの冷酷を愛している」

 

「レオの不器用な情熱を愛している」

 

「私のワガママを、大体は許してくれることを愛している」

「私のワガママを、時に断罪してくれることも愛している」

 

「私を抱きしめる時の必死な顔が好き」

「私にキスをする時の、許しを請うような顔が好き。つい薄目を開けて見たくなる」

 

「剣を振る時の、キリッとした顔が好き」

「起きたばかりのぼんやりした顔も好き」

 

「ダメな時の私に呆れる、やれやれって顔が好き」

「マイラと遊んだり、散歩へ連れて行く時の優しい顔が好き」

「私には凄く稀にしか見せてくれない、あったかな顔が好き」

「でも、いつもの冷たい顔も、本当に好きだから」

 

「レオの、表情の全てを愛している」

 

「声が好き」

 

「出会った頃の中性的だった声も好きだった」

「だけど、成長して落ち着いてきた声も好き」

「でも時々……今みたいに、時々中性的に戻っちゃう声は、やっぱりそれも好き」

 

「私が仕事をしている時は、そっとしておいてくれるのが好き」

「でも時に無言で、季節に応じた温度の飲み物を、差し入れてくれたことも好き」

 

「勇気を出して可愛い服を着ていると、似合っているよって言ってくれるのが好き」

「勇気を出して谷間が見える服を着ていると、似合わないよって言うのも結構好き」

 

「口数は少ないけれど、言う時はハッキリとモノを言う、その実直さを愛している」

 

「鍛えても細いままの身体が好き」

 

「身体を鍛えている時のひたむきな感じが好き」

「身体を洗っている時のなにげない感じも好き」

 

「私よりも背が低い頃のレオも好きだった」

「でも私を追い越して行ったレオも大好き」

 

「キラキラと光る髪が好き」

 

「細くて長いのに力強い指が好き」

「短くしてるのに艶やかな爪が好き」

 

「荒っぽくご飯を食べるのが好き」

「意外と甘口なのも好き」

「良いお肉は譲ってくれるのに、甘味の主役部分は譲ってくれないの、嫌いじゃない」

 

「綺麗に洗った後の、髪の匂いが好き」

 

「お風呂に入った後、汗をかくとじんわり薫ってくる混じりっ気のないレオの匂いが好き」

 

「私を大事にしてくれることが好き」

「荒っぽく扱ってくれることも好き」

 

「両利きの私が本気でくすぐると、憤慨したような顔になって逆襲してくるの、可愛い」

 

「レオがくれた感覚の全てを、愛している」

 

「結構、他の女の人に言い寄られてる、そのことは嫌い」

「でも、絶対に相手にしようとしないレオは、好きなの」

 

「私をすごーく特別視してくれることが好き」

「私の特別視を受け止めてくれることが好き」

 

「嘲笑われるためだけに生まれたような私を、ちゃんと扱ってくれたことに感謝している」

「嘲笑われても仕方無いような部分は、ちゃんと笑い飛ばしてくれたことに感謝している」

 

「ありのままの私を、ありのままのレオに断罪してもらえて、よかったと思っている」

「私以外で私の運命を決め、裁くのが、他の誰でもないレオでよかったと思っている」

 

「レオのために生きれてよかったと思っている」

「レオのために死ねて、よかったと思っている」

 

「私はレオのために生まれたの。そう思って、いい?」

 

「ママの為じゃなく、世界の為でもなく、レオ、ただひとりのために生まれたの」

 

「それはきっと間違いだけれど」

 

「間違いでもいいって教えてくれたのは、レオだから」

 

「間違って死ぬ私のことも、どうか許して」

 

 

 

「私のために泣いてくれるレオのこと、愛している」

「泣いてないレオの方が好きだけど、私のことを想って泣いてくれるなら、それも悪くないなって思える」

 

 

 

「ねぇレオ」

 

 

 

「心から、愛しているよ」

 

 

 

「この気持ちを、私にくれて、ありがとう」

 

 

 

「世界が滅びるその時まで、ずっと、この魂はレオを愛している」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<System log>

 

 

 

 

 

 ──エピスデブリ[I] 「親しき者の死に何もできなかった」 が昇華され 特性が変化しました──

 

 ──エピスデブリ[I] 「世界に愛されなかった者を愛したい」 が昇華され 特性が変化しました──

 

 

 

 ──これら の 毒性 が消失したようです──

 

 ──追跡対象 から外す 場合は 所定の操作を行ってください──

 

 

 

 ──複数のエピス および エピスデブリ の移動が確認されています──

 

 

 

 ──対象に 当システム以外 による シリアライズ処理が行われました──

 

 ──対象に ロック処理 が 行われたことを 確認しました──

 

 ──当システム は閲覧モードで動作中──

 

 

 

 ──エピスデブリ[III] 「世界への復讐心」 は存在意義を失ったようです──

 

 ──エピスデブリ[III] 「どうにもならない世界」 の特性が更に変化したようです──

 

 ──対象 に未知の エピス あるいは エピスデブリ の発生 を確認──

 

 ──推定される内容 は 以下 の通りです──

 

 

 

 ──「自分らしく生き、やり遂げて死んだ」──

 

 

 

 ──この名称で カテゴライズ処理 へ進みますか? [y/n]──

 

 

 

 ──では正しい名称を記述の上 カテゴライズ を行ってください──

 

 

 

 >>_

 

 

 



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LXX [Unique node list] : Transition Period 3



 ここに至れば全てがフレーバーテキストです。



 

<補足説明>

▼「愛」の価値観について

<現実世界サイド>

▼千速継笑

<異世界サイド>

▼ラナ(ラナンキュロア)

▼レオ(レオポルド)

▼マイラ

▼マリマーネ

▼コンラディン(ラナの叔父)

▼フィーネリュート

▼背負子のユーフォミー

▼ナッシュ

▼灼熱のフリード

▼ジュベミューワ

▼ノアステリア

▼キジトラさん

▼生き残った船の乗組員さん達

▼ナガオナオ

▼ツグミ

▼青髪の悪魔

▼ミジュワ

<ボユの港の大災害における被害者の皆様>

▼アンネリース

▼ビンセンバッハ

▼セルディス

▼ディアナ

 

<この世界の暦>

▼この世界の暦

<星占い>

▼地球で[1月1日~1月29日生まれ]の場合

▼地球で[1月30日~2月26日生まれ]の場合

▼地球で[2月27日~3月31日生まれ]の場合

▼地球で[4月1日~5月2日生まれ]の場合

▼地球で[5月3日~6月2日生まれ]の場合

▼地球で[6月3日~6月19日生まれ]の場合

▼地球で[6月20日~7月16日生まれ]の場合

▼地球で[7月17日~8月10日生まれ]の場合

▼地球で[8月11日~9月9日生まれ]の場合

▼地球で[9月10日~9月24日生まれ]の場合

▼地球で[9月25日~10月20日生まれ]の場合

▼地球で[10月21日~10月27日生まれ]の場合

▼地球で[10月28日~11月9日生まれ]の場合

▼地球で[11月10日~11月23日生まれ]の場合

▼地球で[11月24日~12月9日生まれ]の場合

▼地球で[12月10日~12月21日生まれ]の場合

▼地球で[12月22日~12月31日生まれ]の場合

 

 

 

 

 

 

 


 

<補足説明>

 


 

 個々の下部に表示されているのは、各キャラの「愛」の価値観。

 見方は以下の通り。

 

 性愛(エロス):性欲、情欲、肉欲等を伴う恋人や恋する者へ向かう愛情

 友愛(フィリア):利害の一致を伴う友人、隣人、同盟者等へ向かう愛情

 神愛(アガペー):無償の愛。無関係の者、究極的には敵へも向かう愛情

 家族愛(ストルゲー):家族への愛情。家族とみなした者への愛情も含む

 

 A>>>B : 絶対に逆転することのない優位性がAに有りBに無い

 A>>B : ほぼほぼ逆転することのない優位性がAに有る

 A>B : 基本的には逆転することのない優位性がAに有るが、例外もある

 A≧B : ちょいちょい逆転することもある程度の優位性がAに有る

 A=B : AにもBにも優位性は無く、個別の判断となる

 

 この物語は主に性愛へフォーカスが当てられ、それが肯定される世界。物語の(見た目上の)味方キャラは、大体性愛を重視するか特別視して大切にしている。逆に敵対するキャラなどは、その価値観における性愛の位置付けが変であり、妙なものとなっている。

 

 三章には登場しなかったのでここには書かれていないが、一見性欲に狂ったように見えるゲリヴェルガ(ラナの伯父)も、性愛の優先度は最上位ではない。彼の優先順位は『神愛>家族愛=性愛>友愛』であり、家族愛に性愛が絡んでしまうヤバイ人という扱い。性欲を別の欲求(単純に、スキンシップ程度に留め可愛がるくらい)に転化できていれば問題は無かったが、彼はどストレートに家族へ性欲を向けてしまった。

 

 

 

 

 

 

 


 

<現実世界サイド>

 


 

 ●千速(せんぞく)継笑(つぐみ)

 

 主人公ラナの前世形態。日本人。享年17歳。

 地味目のモブ顔。ラナとはあまり似ていないが、雰囲気に共通するところはある。ラナを、怯えてはいるけれど、時に隠し持った牙で逆襲をしてきそうな野獣とすれば、千速継笑は単純に弱々しく怯えている獣。

 友達のいない人生を歩んだ挙句、悪質な痴漢に付きまとわれ、その末に殺された。三章の最後では、(ラナが)その記憶を武器としてジュベミューワを破った。

 頭の良さは平均よりは上といった程度で、夭逝した兄と比べると知能指数で20ほど下回るが、それで会話が成立しなくなったりはしなかった。兄が130ちょいくらいで妹が110前後くらい。進学校でおちこぼれたのは知能指数の問題というより、高校でも友達ができず、未来に希望を持てなくなったからというのが大きい。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛>家族愛>神愛≧友愛

 

 ラナになってからと比べると、友愛より神愛を重視している部分に大きな違いがある。

 両親からある種の精神的な虐待を受けていたため、家族愛には関しては複雑なアンビバレンツを持つ。恋愛やそれに付随する肉体関係を特別視していたが、それは未来に自分が築く(はずの)家庭へ救済を求め、夢を見ていたからかもしれない。

 死に際に、えらい目に遭ってしまったため、それ以降は神様を信じられなくなった。

 

 

 

 

 

 

 


 

<異世界サイド>

 


 

 ●ラナ

 

 本作の主人公。多分一応は主人公。三章では16歳。黒髪。身長は155cmくらい。某所はF。

 フルネームはラナンキュロア・ミレーヌ・ロレーヌ。兄弟はいない。

 両利きだが細かい作業は右手の方が得意、左手の方が力は強い。

 これといった欠点のない、それなりに整った外見だが、美人美少女というよりも、常に周囲を警戒している美獣といった印象が強い。

 スタイルが良くなり女性的な優美さは増したが、そうなってからはレオの存在が広く周囲に知られていたため、妙なちょっかいを出されることも無く過ごせた。……というか、本人の知らないところで、誘拐計画が計画され、レオとロレーヌ商会ボユの港支店の皆様が人知れずそれを解決していたなんてことも……3年間で4回ほどあった。多すぎ。

 周囲の空間を「割り」、その全てを自分の支配下に置く空間支配系魔法「罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)」を使える。詠唱時間(キャストタイム)は11秒、無詠唱型だが11秒の間に殴られたりすると魔法の発動はキャンセルされる。自分自身が移動している最中に発動することもできない。発動時には七色の光を放つ。効果の制限時間は術者本人の(寝ないで何十時間動けるかといった、根性論的な)活動限界の範囲内で無限。

 小さな空間であれば遠隔であっても支配が可能。そこから「光」と「音」の情報を手繰り寄せることで「覗き見」も容易にできるし、それをテレビモニターのようにした近くの空間に映し出すことも可能。

 最終的には、支配空間上で「人の魂の一部」を移動させるという反則技まで可能になった。

 善悪のブレーキも、なにかしらの価値観を大事にするといったこだわりも無いため、使えるモノは(自分のトラウマでさえ)何でも使うという思い切りの良さで数々の苦難を打ち破った。

 ただし勝ってからその反省点や罪悪感に悩まされる一面も持つ。

 

 レオと結ばれた結果、表に出た性癖はMだが、本質的には結構なSでもある。そもそも荒っぽいのは好きだけど痛いのも苦しいのも嫌い。ただしなんらかの形で罪悪感、自己嫌悪等を感じている時は痛み、苦しみを求める。若干の露出癖もあるが、どちらかと言えばそれは「自分を抑圧してきた世界に対し、手に入れた幸せを見せつけたい」という歪んだ意識の表層。一言でいえば厄介なM。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛>家族愛≧友愛>神愛

 

 恋人を最重要視し、肉体関係を特別視し、友情を軽視し、神を信じてはいない。

 本人は自覚していないが、マリマーネに対してはある種の暴力的な性衝動を感じていた部分がある。自分が男性であったら弄び、ヤリ捨ててやったのにという類の衝動。それが、ロレーヌ商会がドヤッセ商会を陵辱していった動因の一部でもある。

 ラナンキュロアはマリマーネに、飴も与えつつ征服していくという行為へある種の精神的快楽を見出していた。

 性交渉は特別な相手とする特別な行為であるという意識が強かったため、それが直接的な形で発露されることは無かったが、それゆえにこれはラナンキュロア、というより千速継笑の頃を含む彼女の人生において、初めて手に入れることのできた歪んだ友情でもある。これに微笑ましさを感じ祝福するか、いやできねーよと唾棄するかはお好みでどうぞ。

 

 

 

 

 


 

 ●レオ(レオポルド)

 

 スラム街出身の少年。推定14歳。本当の年齢は15歳。レオポルドは冒険者ギルドの上層部が意図的に流した偽名。出生名はレオ・フィベサッファ・コーニャソーハ。しかし今はただのレオ。

 身長は170cmを超えているが、成長期が終わりきっていないのでもう少し伸びる。髪はキラキラのブロンド。生活習慣を改善したらほとんどストレートの髪質になったが、普段は若干カーブをつけた状態にしている。

 また三年間、結構重い剣を振り続けた結果、細マッチョになった。腹筋も割れている。ただし顔はノーブルな美形なので、今でも女装が似合わないわけではない。

 剣を構え、対象を「斬る」と思えば本当にそれが斬れる「無敵」の能力を持つ。「殺す」だと相手が死ぬまで続く斬撃の嵐が発動するが、これは諸刃の剣なので使わなくなった。「切断する」ことが可能かどうかもわからない場合は、ただ「斬る」とイメージするだけにする。未知の相手に対してはこれが一番無難であると学んだ。

 害意ある敵の攻撃を回避する能力も高いが、これは本人が「攻撃に対し備えている」状態でないと発動しない。三章の後半ではそこを突かれ瀕死の状態になった。

 

 ラナと結ばれた結果、性生活においては厄介なMへの奉仕者とされてしまった。それへ不満があるわけでもないが、レオ自身はSでもMでもないため、「やれやれ、本当にラナは仕方無いなぁ」くらいの気持ち。ダメ人間を甘やかすのは良くないよ、レオ君。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛>友愛≧家族愛>神愛

 

 恋人を最重要視し、肉体関係を特別視し、家族というものを軽視し、神を嫌っている。

 一応は家族がいたラナンキュロアとは違い、最初から天涯孤独だったレオは家族というモノへの愛着が無い。また、作中では描写はしなかったが(というより彼自身が嘘で隠蔽したが)前世でも、愛する家族に土壇場で裏切られた経験を持っている。そのため、家族といえども所詮は他人であるという諦観がある。

 ラナンキュロアは恋人だが、実は友情のようなものも感じている。「同じく世界に嫌われた少女」という認識であり、ある部分では自分と同一視もしている。そのため、ラナンキュロアほど子供を望んではいないが、生まれたら生まれたで第二のママみたいなポジションに落ち着く可能性が高い。

 

 

 

 

 


 

 ●マイラ

 

 ラナの家で飼われているピレネー犬(グレートピレニーズ)。真っ白な巨大。

 三章の時点でラナと同じ16歳。大型犬の寿命的には既に限界を超えた老犬の部類だが、ツグミという超常的な存在と契約を交わした結果、いまだ壮年期のコンディションを保っている。

 ツグミとの契約内容は、彼女へ自分の身体を貸す代わりに「健康で長く生きること」。その一助となるモノとして「陽の波動」というエピス、ある種の能力を授かっている。これは陽性のオーラを放ち、それを好む人には好かれ易くなり、ついでに自分や自分の周辺に存在する生き物を健康にするといった代物。ただし陽キャ……陽性のオーラを好まないラナンキュロアにはあまり好かれなかった模様。ナガオナオが前世に因縁のあった相手であるところの前作主人公より複写した代物であり、それよりは性能が数ランク落ちる劣化コピー品。オリジナルにあったマジックブースターとしての機能はオミットされている。

 波動、つまりオーラは、(ラナ達がいる惑星や、ナガオナオ達がいた惑星において)魔法使いが使う魔法とは別系統の力であるため、それと同じようには感知も検知も出来ない。前作の舞台(の惑星)においては、それなりに広く知られていた特性であったが、今作の舞台(の惑星)はそうではなかった。そうでなかったらマイラは、有名犬になった辺りで灼熱のフリード辺りに攫われ、解剖されていたとしても全然おかしくなかった。

 三章の途中で、ツグミに化けたミジュワとなんらかの契約を交わし、それ以降は肉体を彼女に使われていた模様。

 

 

 

 

 


 

 ●マリマーネ

 

 主に宝飾品等を扱う中堅どころの商会、ドヤッセ商会、その会長の娘。ドヤッセ商会が人脈確保のため職人街におく衛星店舗(サテライトショップ)の総責任者……だったが、ラナンキュロアというかなり強力な人脈を得たため、親からもその価値を(本人の能力を買われてではないとしても)認められた。商会内における発言権もかなり増している。

 フルネームはマリマーネ・シレーヌ・ドヤッセ。極端な垂れ目。三章時は21歳。彼女のハタチ前後は、ラナンキュロアからロレーヌ商会を通じ流れてくる諸々(要求とか、メリットの供与とか、脅迫とか)の処理係となって、馬車馬のように働かされたという記憶で埋め尽くされた。

 ラナンキュロアとの直接的な交流はほぼほぼ途絶えてるが、商売を通じてはかなり密接な関係であるともいえる。ゆえに、ラナンキュロアになにかあった場合はボユの港へ飛んでくる。というか飛ばされてくる。

 甘いものが好きで宝石も好き。自由に生きたいからお金も好き……だったけど、最近はお金(儲け)のために自由が無くなっている。それが本望であったかどうかについては……自分でも、もうわけがわからないよの心境。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛>家族愛≧友愛>神愛

 

 価値観そのものはラナンキュロアと一致する。だが彼女の場合、色欲よりも物欲の方が強く、それゆえにお金とお金儲けを愛するため、軽々に恋人を作ってそれに甘えるという方向には行かない。というより、自分が、厄介な相手に捕まると底無し沼をどこまでも沈んでいくタイプであることを察していて、本能的にそれを避けている。

 だが厄介な異性を避けていたら厄介な同性に捕まった。

 ラナンキュロアの歪んだ友情に振り回された被害者。被害者M。

 

 

 

 

 


 

 ●コンラディン(ラナの叔父)

 

 ラナンキュロアの母親の弟。つまり叔父さん。

 槍使い。身長173cm前後。歴戦の冒険者。三十路になる前に結婚しようと思っていたが、それがフラグになったのか三章の途中で死んだ。

 十代の頃、娼婦であるフィーネリュートという女性に入れ揚げていた。10年近くの時が流れても彼女を忘れられなかったため、その娘であるユーフォミーへも複雑な想いを抱いていた……が、最後にはそれがアダとなってしまった。

 

 メタな話をすると、作中で死んでいただくのに非常に苦労したキャラ。自分の生存を何よりも優先し生きようとするため、「彼らしい詰み盤面」がなかなか構築できなかった。

 結局は「ユーフォミーの危機が見えたからこそ」「咄嗟にそれを庇って死ぬ」という形になったが、その状況下でコンラディンが死なずにいられる手も、実はあった。要はマイラを槍の横払いで思いっきりぶっ叩き、燃焼石の弾道からそらすという手。

 しかしコンラディンは、「危険を読む」ことはできるが、その「対策」に関しては熟考し、時間をかけて答えを出すタイプであったため、「咄嗟の判断」は誤ってしまった。ユーフォミーは言うに及ばず、マイラを「頼れる相棒」と感じていた彼では、そんな手を咄嗟には採れなかった。

 そういう形で「彼らしく」死んだ。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛>友愛>>>家族愛≧神愛

 

 恋人や友人を大事にするが、他はどうでもいい。

 家族に恵まれなかったので、未来に、自分が築く家庭に夢を見ていたのはラナンキュロア……というより千速継笑と同じだが、自分より弱いものを守り愛するということをしてこなかった半生なので、生まれてきた子供をちゃんと愛せたかどうかはわからない。彼はそれを問われることなく殺されてしまった。

 

 

 

 

 


 

 ●フィーネリュート

 

 若かりし日のコンラディンが愛した、彼にとって「初めての人」であり「永遠の女性(ひと)」。

 十四歳の時に若かりし日のナッシュと結ばれ、背負子のユーフォミーを産んでいる。

 子供を愛するという情緒が育つ前に子を産み、あっさりとそれを捨ててしまった「母親としては」最低最悪の女性。しかし男性性に対しては広く慈愛を向けることができたため、娼婦としての適正は高かった。彼女の顧客には、彼女を女神のように慕う男性が多かった。聖母のように想っていた客もたぶん(複数)いた。夜の街は悪魔的な諧謔で満ちている。

 外見は、十代のコンラディンにはとても妖艶に思えたらしいが、詳細は不明。

 声は、商売の最中は甘くとろけるような声、それ以外の時は声変わりしたての少年のような声だったらしい。

 

 ▽少女期の「愛」の価値観:性愛≧神愛>家族愛>友愛

 ▽最終的な「愛」の価値観:性愛≧家族愛=神愛>友愛

 

 少女期には実母を含む女性性への嫌悪の気持ちが強かった。生まれた子供が男の子であったら、たとえユーフォミーと同じように両足が無かったとしても、捨てはしなかった。

 本人曰く、「本来なら女ひとりだって養えないような甲斐性無しの妾の子」であり、母親よりも、父親の本妻の方に共感と同情心が向くような環境で育った。両親から虐待を受けていたのは確実だが、それが養育拒否(ネグレクト)系だったのか、それとも暴力(DV)系だったのか、それとも彼女を換金する系だったのかは不明である。全部だったかもしれない。

 彼女が最終的に、父親の本妻と同じ場所に辿り着いたことも、それが彼女のどういった情緒、葛藤を経てのものなのかは完全に不明である。考え無しだった可能性もある。

 しかし彼女の想いを理解したいと願った者は、もうこの世にはいない。

 

 好きなものは白湯。嫌いなものは味の濃い料理全般。厚化粧も好まなかった

 

 

 

 

 


 

 ●背負子(しょいこ)のユーフォミー

 

 またの名を要不要(ようふよう)の暴走列車。

 三章時20歳。その身体には両足が無かったが、三章のある時点で脚が生えた。生えたというかくっ付いた。

 その、ある時点より前は(肌色等を抜かせば)銀髪、黒地のピタッとした服にピンクの背負い紐、茶褐色の瞳と眼鏡のサングラス部分という「四色」で構成された美女だった。脚が生えてより以降のことはジュベミューワ、ミジュワの項にて。

 大口を開けると目立つ八重歯もあるが、あまり大口を開けなくなってしまったので三章では目立たなかった。

 色々な意味で面倒くさいキャラだったが、中身は結構純朴だし善良だった。

 だがそれが災いして敵の陥穽に落ち、その純真と身体を文字通り奪われた。

 でも日本へ転生後はたぶん幸せに生きる。たぶんブラコンのツンデレ系妹。

 即発動型結界魔法「要不要」はふたつ名になるほど強力だったが、彼女自身の知能に依る制限(ボトルネック)があった。身体を強奪したジュベミューワやミジュワの方が上手く使えた。ジュベミューワといえば「劣化コピー」であるが、しかしこれだけは例外だった。もっとも、それでユーフォミーを責めるのはお門違いだろう。

 

 ▽「愛」の価値観:家族愛>>>神愛>性愛≧友愛

 

 父親ナッシュへの愛が全てであり、それ以外は横並びでしかない。ただ、父親以外の全てがどうでもいいのであれば、敵対したジュベミューワ、ノアステリアへ情けをかけることもなかった。

 彼女は諸々が特殊であっただけで、根っこの部分は愛情深い、義理人情に厚い人間である。単に父親への感情と、それ以外とに大きな開きがあるだけであって、基本的には善良な人間である。もっとも、この物語がそれを評価して、返礼品を贈ることはないのだが。

 彼女が最終的に辿り着いたその場所は、ある意味、お前はこの物語では幸せになれないからもっと相応しい場所へ行きな、というものでもある。どうか日本というどこぞの国とやらが、彼女を幸せにしてくれる場所でありますように。

 

 

 

 

 


 

 ●ナッシュ

 

 背負子(しょいこ)のユーフォミー、その父親。

 30代。身長は190cm前後。短い銀髪。

 右腕は二の腕より先が無い。軍は退役しているが、ユーマ王国が東の帝国へ出兵する際には、その尖兵となって最前線で戦うことを条件に、現役の軍人であった娘と行動を共にしていた。

 

 ▽「愛」の価値観:家族愛>>友愛=神愛≧性愛

 

 娘ユーフォミーへの愛を最重要視していて、それ以外は横並びでしかない。

 そう書くと娘と相思相愛の関係だったようにも見えるが、ナッシュが何を考え、娘と一緒にいたかは、この物語の中においてはほとんど開かされていない。

 押し付けられたユーフォミーを善良な人間に育てていることから、彼もまた純朴で善良な人間であると推測されるが、そうであるなら、そうであるがゆえに、男手ひとつで両足の無い子供を育てることには並々ならぬ苦労があったはずである。

 

 メタな話をすれば、「母親が捨てた子供を父親が育てる」というのは、この物語を記述した死んだ魚の目も食う性根の歪んだ頭の悪いクソ作者が好んで用いるモチーフ、シチュエーションのひとつであり、古くは中学生時代に描いたマンガ(ノートに鉛筆で描いたディストピアもの)にも登場する。高校生時代には、更にそこから短編マンガ「()(いと)(けむり)」をスピンオフさせ、同モチーフを深く掘り下げたりもした。

 父親像も(ヘビースモーカーで、娘の前以外では紫煙(しえん)をぷかぷかさせているオッサンだった。どちらかといえばコンラディンに近い)、娘像も(猫耳っぽい髪型の元気っ子だった)、ナッシュ、ユーフォミーとはまるで違うが、「此の糸の煙」の方にだけ登場する娘の母親は、フィーネリュートに酷似したキャラだった。彼女のセリフもいくつか(「娼婦が娼婦らしくなっても、それは軽蔑されるだけなの」とか)は、そこからの流用。

 その、「此の糸の煙」の父親キャラは「娘のために成り上がろうとして」「危険な世界に飛び込み」「そのせいで父の背を追った娘が危険な世界に引きずり込まれてしまう」という皮肉な運命を辿るが、これも、ある意味ではナッシュ達が辿った運命と似ていなくもない……か?

 

 

 

 

 


 

 ●灼熱のフリード

 

 ユーマ王国王国軍に属す魔法使い。

 自分の周囲(直径で)7メートル強を超高温の空間に変えてしまう空間支配系魔法の使い手。52歳。身長は175cmくらい。白髪混じりの金髪を長めに伸ばしているが、額はそこそこ広くなってしまっている。たが年齢の割にがっしりした体格であり、魔法使いというよりかは、年とともに味の出てきた一流役者といった風貌。清潔感もあり、見た目だけならラナも好感を覚えた。だがすぐに内面のヤバさが発覚した。

 ジュベミューワの肉体を乗っ取り、次の人生を生きようと計画していたが、色々あってそのジュベミューワに焼かれた。そして怪人となり巨人となり最終的にはジュベミューワの脚になった。人生は悪魔的な諧謔で満ちている。

 初期の構想からめっちゃキャラが変わった人。初期にはもっと純粋に魔法を愛し研究するキャラだった。しかしそれではナガオナオと被るのでやめた。ラナの敵になるという構想は初期からあったが、最終的に彼を葬ったのはツグミとなった。

 

 ▽「愛」の価値観:神愛>>性愛≧家族愛>友愛

 

 灼熱のフリードにとっての愛は、自分が上位者として下位の者へ与えるものであり、その逆ではけして無かった。また、自分以外の者の愛に対しては大変に狭量でもあり、かなり嫉妬深い性格であった。

 家族というミクロの単位では、妻に愛される息子へ強い嫉妬の感情を向けていた。

 本人の主観的には、お前よりも俺の方があの女を幸せにできるんだ、満足な暮らしをさせてやっているし、無上の快楽を与えることもできるんだ、なのにお前ときたら、母親に甘えてばかりじゃないか、ふざけんな……という理屈だが、そんな感情を向けられた方はたまったものではない。

 息子の方はなぜ父親に嫌われているのかもわからずに、それでも愛して欲しいと、悪い意味で従順な子供に育ってしまった。そうして小さな悲劇が発生する下地が生まれた。そしてそれが後の大きな悲劇の遠因ともなった。

 

 

 

 

 


 

 ●ジュベミューワ

 

 魔法使いであり、ユーマ王国の軍人。階級的には伍長。17歳。

 ノアステリアとは幼馴染。身長は165cmくらい。某所はD~Eくらい。登場時はゆったりとした紺のローブを着ていた。所々、言動が幼い。

 地味めで気の弱そうな雰囲気。だが、少なくともラナ達の前に姿を現したばかりの時は、手の込んだ薄化粧をしていて、髪も美容院に行ったばかりのように整えられていた。特に髪は、毛先だけパーマをあて、内側を黒く染め、外側を軽く脱色して立体感を出した茶髪という複雑なもの。「なんていうか、地味な子が頑張ってオシャレしましたって感じが凄い」とは主人公ラナンキュロアの言。

 これらはノアステリアの要望による容貌であり、本人の趣味ではない。

 ジュベミューワのジュベは、ユーマ王国において「宝石級」の意味を持つ、なめし革の最高級グレードのこと、ミューワが栗の樹の精霊の名前。日本名にするなら「珠樹(じゅじゅ)」や「珠栗(じゅり)」のような名前になる。命名した父親は靴職人であり、妻の艶やかな栗毛を「ジュベのよう」として大変に愛していた。ちょっと変態めいてるが、妻も夫を愛していたので()(なべ)()(ぶた)である。

 かように両親の夫婦仲は良く、ジュベミューワも両親を愛していたが、王都で発生したモンスターの大襲撃事件に巻き込まれて両親は死亡、親族も多くがなにかしら被害を受けていたため、ジュベミューワは天涯孤独の身となった。そうして不夜城(色街)に身売りする寸前だったのを、ノアステリアが無理矢理軍人にさせた。

 それからはノアステリアの歪んだ愛情に流され、ドロドロの青春をグダグダと送るが、彼女の機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)を「予知夢」と勘違いした灼熱のフリードに目を付けられ、更にドロドロの沼へズブズブと堕ちた。

 同情すべき点は多々あったが、偶然、レオを傷付けたことで、ラナ視点においては断罪されるべき敵に確定してしまった。そしてその通り、彼女によって悲惨な結末の奈落へと墜とされた。ジュベミューワが「十五分で死んだ」とはラナンキュロア、ツグミの観測結果だが、その15分が、ジュベミューワにとって本当にただ15分であったかは定かではない。本人の体感では15年であった可能性すらある。答えは彼女の精神世界にしかない。

 自分自身の境遇を呪い、自分自身の身体も既にノアステリアによって穢されていたと思い込んでいた彼女は、三章の後半で全く別の身体へ入れたことに無上の悦びを感じていた。非人間的なブルーグレーの両足にしても、彼女にしてみれば懐かしい、両親の仕事場でよく見た染色した革の輝きを思わせるものだった。

 ノアステリアの無垢な残虐、灼熱のフリードの支配欲にも汚染された彼女は、そのまま世界を焼き尽くす残虐な悪魔ともなろうとしていた。その瞬間の彼女は確かに幸せだった。やっと、運命に流されるだけのダメな自分から、他者の運命を好き勝手操れる神様のような存在になれたのだから。

 ある意味においては「いつかどこかで千速継笑の魂が辿るはずだった別の結末」を無理矢理押し付けられた被害者。被害者J。

 

 ▽「愛」の価値観:家族愛>>友愛≧神愛>>性愛

 

 家族愛を神聖視し、肉体関係へは忌避感が強い。

 メタな話、ジュベミューワはこの物語の、ラナンキュロアの、いわばアンチテーゼ的な存在であるため、性欲、肉欲、性愛を拒絶するキャラというのは最初から決まっていた。

 前作と違う世界観を作る、どこで違いを出す? となった時、そのひとつを「前作の主人公が否定していた性愛を、今回は肯定する」という形としたため、前作の主人公が重視していた家族愛も、自動的にアンチテーゼのひとつとなった。

 ジュベミューワは既に死んでしまった両親しか愛していない、失われてしまった世界しか愛していない、自分が子供だった世界にいつまでも居続けたい、だから大人の恋はしたくないし、性交渉も嫌忌する。

 この物語は、それが裏目に出るというルールの世界であるため、ジュベミューワはその気持ちを持ち続けることで落ちぶれ、悪になり、断罪されて地獄へ墜とされてしまった。

 ある物語の良心とある物語の良心とでは、課せられた義務が全く違うのだ。悲惨な結末に至るキャラクターは、その物語上で課せられている義務をないがしろにしたからこそ、悲惨な結末に至ってしまうのだ。

 進●ゼミの広告マンガの世界においては、進●ゼミで幸せになるしかないんや。

 某、仲間達との幸せな記憶は過去にしかない超越者(オーバーロード)が主人公の物語では、仲間達との今を大事にしている生者は、ゲロ吐いて死ぬか主人公サイドのオモチャになるしかないんや。哀しいなぁ。

 

 好きなものは既に無き世界。嫌いなものは性的なこと全て

 

 

 

 

 


 

 ●ノアステリア

 

 斧使いであり、ユーマ帝国の軍人。階級的にはジュベミューワよりも下。15歳。

 ジュベミューワとは幼馴染。身長は145cmくらい。某所は貧。絶壁ではない。小柄だが筋肉質。

 無骨な革鎧とごつい金属製のガントレットを装着、腰に小振りな、投げ斧(トマホーク)のようなものを四本差していた。投げ斧(トマホーク)はガントレットに鎖で繋がっていて、投擲後に即時回収も可能。

 父親は元冒険者で、母親は冒険者ギルドの窓口娘。その両親に幼い頃から厳しく育てられたためそれなりに強い。普通の人類最強を武力100とするとノアステリアは75くらい。同80のコンラディンよりも弱いが、これは体格に恵まれていない分を考慮した時の数字。単純な武の技術ではコンラディンに勝る部分が多々ある。コンラディンと直接戦ったら10回に8回は負けるが、コンラディンが絶対勝てない相手にノアステリアが常勝できることも、無いではない。その辺りは相性の問題。

 体格に恵まれていないのは、子供が小さ過ぎる内に、その身体を鍛えすぎると成長が止まってしまうという常識を、彼女の両親が(知った上で、ウチの子は特別だから大丈夫と)無視したせいである。ノアステリアはそういう両親を嫌悪し憎悪していた。

 

 ノアステリアとジュベミューワは特殊な規則で命名されている。

 ジュベミューワの項で語られている名の由来は作中での話。

 メタ的にはどちらも『プログラミング関連用語』+『アーティスト名』をもじった形。

 ノアステリアのノアはNOR、ジュベミューワのジュベはJAVA。

 ステリアは『椎●林檎』+『T●a』。初期にはノアシティリアという名前だった。

 ミューワは『前●麻由』+『m●wa』。

 別にアーティスト名は、キャラのイメージから選んだわけではない……が。

 オー●ーロードIVのED曲を聞いた時、マジか……という電撃がどこかのバカの頭に走ったのも確か。あまりにもカッチリはまりすぎていて怖いくらいだった。まぁジュベミューワというキャラがそもそも、オー●ーロード(的なもの)をオマージュっているのは確かなんだけれども。

 

 ▽「愛」の価値観:友愛≧性愛>神愛>家族愛

 

 友愛と性愛の境界が曖昧。両親を嫌い、恨んでいる。

 親という存在は総じてロクでもないモノと考えていて、友人の親でも簡単に殺す。そしてそれの何がいけないのか理解出来ない。理解したくないとかではなく、性能の限界の問題で本当にわからない。他人には他人の価値観があるということを理解できない。自他境界(バウンダリー)が適切に発達していない。

 ある意味においては、非常に純真な子であるともいえる。悪い意味で、という但し書きも付くが。

 また、親しくなった相手には、たとえそれが同性であっても性欲を感じるパーソナリティ。それ自体は思春期によくある話であり、一線を越えないなら微笑ましいとすらいえるモノであるが、彼女はだから本当に悪い意味で純真であり、精神的にも幼過ぎた。

 自分が望んでいるのだから、相手も同じように望み返してくれるのだと信じ、友人に同性愛の関係を強要してしまった。そこにはある種の男性が「女性にも性欲はある」という言葉を「女性にはレイプ願望がある」と変換する構造にも似た精神の働きが……あったりなかったりした。似てない部分も多いので、どこを重視するかによるけど。

 もっとも、ノアステリアをクレイジーサイコレズと分類した場合、「サイコ」の部分は彼女自身の責任であるとも言い切れない。そこには灼熱のフリードによる人体実験の影響がある。彼女の性欲は、途中から「相手を支配したい」という方向へ進化、昂進してしまったが、それには灼熱のフリードが生成し、埋め込んだ燃焼石の影響が確実にある。レズの部分も燃焼石の影響であるとした灼熱のフリードのその考えは、大いなる間違いであったが。

 

 なお、この物語は同性愛を否定してません。否定してはいませんが、特別視もしないというスタンスです。ノアステリアの(こうした幼い、一方的な)愛は、この物語においては報われないものであったということです。

 

 好きなものは「おひめさま」。嫌いなものは自分をこんな風にした両親

 

 

 

 

 


 

 ●キジトラさん

 

 ドヤッセ商会の貿易船の乗組員。設定上の名前はハニャオ。年齢不明。

 ラナとレオが南の大陸へ逃れる船に乗船し(ようとし)た際、応対してくれた猫人族(ねこじんぞく)の少女。ボサボサの髪は、元は銀髪だったようだが、汚れなのかなんなのかでキジトラっぽい模様になっている。普通にしていても眠そうな目をしていると見られる。

 身長は137cmとかなり低いが、しなやかな筋肉が全身についている。戦闘員ではないので武力は低め。ノアステリアを75とした時、55くらい。並の男性よりも力は強いが、手足は棒のような細さ。色々な意味で慎ましやかなボディ。

 タンクトップのような上着に、短いオーバーオールというかサロペットというか、そういうものを着込んでいる。尻尾は短めで服の中にしまわれているため、通常は見えない。

 野良猫のように粗野で粗雑な性格、ただ、悪い人間ではない。落ち込んでいる相手には飴ちゃんをくれたりもする。ただし安物。

 母親は東の帝国生まれ、父親は南の大陸生まれ。

 

 実はゲストキャラ。誰にも見せていない未完の習作より。

 そこにおける種族名は「フェリア」。ステータスのある作品であった為、種族特性の設定もある。猫人族(フェリア)は『ライフF 魔力E 腕力D 器用C 敏捷S 耐久G 知能B 幸運A』。敵の攻撃をめっちゃ回避するが、かなり打たれ弱い。

 参考までに、他は以下の通り。

 

 人間種:ライフD 魔力B 腕力G 器用S 敏捷A 耐久C 知能E 幸運F

 エルフ:ライフB 魔力S 腕力F 器用A 敏捷D 耐久E 知能C 幸運G

 ドワーフ:ライフC 魔力F 腕力S 器用B 敏捷E 耐久A 知能G 幸運D

 シルフ:ライフG 魔力A 腕力E 器用D 敏捷C 耐久F 知能S 幸運B

 竜人族(ドラゴニア):ライフA 魔力G 腕力B 器用E 敏捷F 耐久S 知能D 幸運C

 犬人族(セネディア):ライフE 魔力D 腕力C 器用F 敏捷G 耐久B 知能A 幸運S

 牛人族(ポディア):ライフS 魔力C 腕力A 器用G 敏捷B 耐久D 知能F 幸運E

 

 ドワーフは未婚の女性が非常に非力のため、これはそれ以外の種族特性。

 牛人族(ポディア)は男性と女性とで骨格や筋肉量が大きく違う(平均体重も男性は女性の2~3倍ほどある)ため、これは男性の種族特性。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛≧家族愛=友愛>神愛

 

 両親ともお友達感覚、そろそろ良いオスを捕まえたい。神には(航海の無事とかを)良く祈るが、それにご利益があるとは思っていない。

 発情期はあるが、その時期になったからといって性格が一変するわけでもない。女性の場合は体臭が濃くなる程度の変化。

 だが猫人族の男性は、発情期になると同族のメスの体臭に強く惹かれるようになる。

 この為、婚活中のメスはあまりお風呂に入らず、同族のオスに自分がお相手募集中であることをアピールしていたりする。同族以外には普通に不潔な臭いと感じられるため、血統を守る意味でも大事なこと。つまりハニャオがキジトラっているのは種族繁栄のためという話。

 

 好きなものはキウイフルーツ味の飴。嫌いなものはハッカ味の飴

 

 

 

 

 


 

 ●生き残った船の乗組員さん達

 

 ドヤッセ商会の貿易船の乗組員さん達。その生存者。5人いる(キジトラさんを含めると6人)。

 ジュベミューワは船を乗っ取った(?)際、それを滅茶苦茶に扱って浮かし、運んだ。この為中は凄いことになり、揺れや異常重力下の空間湾曲状態が何分も続いた。

 これにより、船員の半数以上は死亡してしまったが、キジトラさんと5人の男性だけ生き残った。ジョ●デやオーラ●ド・ブ●ームのようなイケメンはいない。海賊じゃないし。

 補足しておくと、まぁ色々ありましたが彼らは元気です。

 

 好きなものは全員好天。嫌いなものは全員時化(しけ)と嵐。命に関わるから

 

 

 

 

 


 

 ●ナガオナオ

 

 当物語における重要ガジェット、幽河鉄道(ゆうがてつどう)を創った人、その元オーナー。

 三章では過去回想的な回に出てきた千速継笑の「お兄ちゃん」。

 当然ながら老人形態で登場。かつて教育機関で教授をしていた頃には結構モテたらしいが、結局は独身を通したらしい。そんなわけで愛犬とふたり、とある湖畔の小さな家で世捨て人のように暮らしていた。

 全盲であるがゆえに「見る」ことはできないが、周辺の情報を魔法的に観測し、得られたデータを脳内に展開することで「観る」ことはできる。本来、これは「見る」という感覚を既に知っている魔法使いが、視覚以外でモノを「観る」ために修得する「魔法」であるが、ナガオナオはこれを、生まれついての全盲の状態から使えるようになった。

 これには、盲導犬の視界を長年使ったことで「見る」という感覚が既知のモノになったこと、前世の記憶を復元することで「自分の目で見る」という感覚も得られたこと、この二点が関係している。これらによりナガオナオは、本来修得できるはずの無かった魔法を修得することができた。修得できた際、彼は人知れず故ク●ストファー・リ●ヴへ勇気をくれてありがとうと礼賛をしたとか。

 かように、数々の困難を不屈の精神で跳ね除け、不可能を可能としてきた大魔法使いであるが、だけどこう、なんかこう、彼は世の為人の為にしたことが裏目に出ることの多いヒト、元ヒトでもある。

 

 ▽「愛」の価値観:友愛>性愛≧家族愛>神愛

 

 理解者、同盟者を最重要視する。神を信じてはいない。

 性愛を、肉体関係を特別視しすぎた結果、それとはあまり縁のない一生を送ってしまったパターン。彼が別の意味で魔法使いかどうかは……言わぬが花。キスの経験は豊富だけどね、愛犬とのそれが。

 ただ……彼は生涯独身だったが生物学上の子はいる。だが自分に実子がいることを彼は知らない。この物語とは何の関係もない話だが、そういう裏設定が無くもない。

 

 

 

 

 


 

 ●ツグミ

 

 ナガオナオの盲導犬にして愛犬。幽河鉄道(ゆうがてつどう)の現オーナーにして操縦者。

 犬の姿は英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー。要は白いゴールデンレトリバー。ピレネー犬ほどではないにせよ、それなりの大型犬。

 ナガオナオのアーティファクト、薔薇色のローブを「装備」することで人間形態になることも出来る。人間形態は白銀の髪、白金の瞳を持つ輝くような美少女。

 アーティファクト、薔薇色のローブは、簡単にいえば「魔素(マナ)に触れられる手」の集合体のようなもの。もう少し具象化すれば、マナの泉から聖水をくむことの出来る柄杓(ひしゃく)であるとか、桶であるとか、ポンプであるとか、そういうもの。

 人間の手で一回にくむことの出来る水の量は、多くて数百ミリリットル程度だが、このローブを装備していれば数十ガロンは一気にくむことが可能。当然、その結果得られる魔法の出力も大違いとなる。通常は幽河鉄道(ゆうがてつどう)の「機関室」に「装備」されているが、別にそれをツグミが着たとて幽河鉄道(ゆうがてつどう)に悪影響があるわけではない。ツグミは幽河鉄道(ゆうがてつどう)と一体化している。人は、走っている時に脚以外の部位が崩壊するわけでもなし、それと同じこと。

 色々な魔法を使えるが、『ヴォルヴァ』という、彼女だけが使える魔法もある。

 これは人間の魂へリンクし、その知識(エピステーメー)能力(スキル)を(ある程度)自由に扱うというもの。元の世界においては禁呪指定を受けそうな魔法であり、ナガオナオはこれを完全に隠蔽、秘匿した。

 盲導犬の特殊な成育史によって「人間全体」を盲目的に愛する性格となっているが、その中でもナガオナオは特別枠。人類の全てよりも彼のことを愛している。また、脳筋であり、悪人を誅することにも躊躇いはない。人類愛とは、人類へ仇なす悪人に対しては容赦をしないものなのだ。その辺りは元犬らしいシンプルな思考で生きている。特に妙な表裏があるわけではないです。

 

 ▽「愛」の価値観:性愛≧家族愛=友愛>神愛

 

 全ての愛を重視するが、想いの強さは関係性の近さに比例。

 ただ、神愛を除く全ての愛情の境界が曖昧で、関係性を無理なく相手に合わせることが出来る。相手が望むなら完全に清い関係のままでいることもできるし、相手が本当に望むなら特殊な性癖のその捌け口、受け皿となることも出来る。愛し愛されることが重要なのであって、愛され方はあまり重要ではない。どのような形であれ、本当に愛されていると感じられれば、それで充分に満足し、幸せになれる。

 ラナやレオのようには、特別な相手とはちゃんと特別な関係(すなわち肉体関係)になりたいとは考えない。ナガオナオは友愛を最重要視していたため、ツグミはそれを尊重する関係を彼と築いた。ふたりはそれで本当に幸せだった。

 ただ、ナガオナオもまた、親しくなった相手とは同化したいという欲求を覚えるタイプであった。通常、それは俗っぽい性欲や肉欲には結びつかず、自らの知識を相手に与え、世界観を共有したい(同じ世界に立つ者となってほしい)という欲求に転化されるが、後にツグミを超絶美少女へと変えた辺り、肉の身体を捨て去ってさえ、彼にも人間の男性の(性的な)感覚は残っていたのかもしれない。

 

 好きなものは人間。嫌いなものは炎(が自分のすぐ近くにあること)

 

 

 

 

 


 

 ●青髪の悪魔

 

 ナガオナオからもラナンキュロアからも悪魔認定された悪魔っぽい、まぁ悪魔でいいんじゃないかなって存在。もっとも、前者は揶揄の感情によるところが大きく、後者は畏怖の感情によるところが大きいという違いがある。

 三章ではユーフォミー乗っ取り回に少しだけ出てきた。

 そういう形で時空間へ干渉する能力を持っていたらしい。

 メタ的に明言するが、ミジュワとは別の存在である。ミジュワが育ってこれになるという話でもない。登場回では、そんな感じに誤解させるようなことを言っていた気もしないではないが、それは彼女(?)の、特に意味のない嘘である。

 

 ▽「愛」の価値観:神愛>家族愛≧友愛=性愛

 

 愛は重視せず。万人に平等という意味で神愛重視とも。

 彼女(?)は高次元に自然発生した魂ではなく、三次元空間に生きていた頃がある。つまり元は知的生命体だった。生前の記憶はとうに壊れ、失われているが、魂にその残滓が残っていないわけではない。

 メタな話をすると、ジュベミューワからミジュワが生まれたのと同じ構造で生まれた存在。たからこそミジュワの誕生があのようになったともいえる。

 その生誕秘話を本編中に描く気はないが、ナガオナオに強く執着している様子があるのと、そのナガオナオに「幽河鉄道(ゆうがてつどう)で誰かを助けようとして、また別の悲劇を生んだ」過去があること、この二点を考えれば、おのずと浮かび上がってくる構図がある。大まかな流れはそこから推測できるもので正解。捻ってはいません。

 ……あれ? この物語って大体お兄ちゃんが悪いんじゃないか?

 

 

 

 

 


 

 ●ミジュワ

 

 青髪の悪魔によって生み出された高次元存在。

 ラナの前には、銀髪が空色の髪になったユーフォミー、にブルーグレーの脚がついている状態、という姿で現れた。

 顔には右目の下に「(ほしがた)」、左目の下には三日月形(みかづきがた)の、大きな青い黒子(ホクロ)のようなモノがある。『左目の方を涙形(なみだがた)に変えて、色も変えれば伝説級の休載漫画に出てくるヒ●カだな』とはラナンキュロアの言だが、それはミジュワなりの、身体を奪ってしまったユーフォミーへの敬意の表し方だった……かどうかは定かではない。メタ的には「青髪の悪魔そのものではないが、その関係者ではある」ということを表す記号。それは、身体は細いユーフォミーのままであるミジュワと、スタイルのいい青髪の悪魔との対比にも表れている。

 ラナンキュロアの最終的な推理においては、ジュベミューワの機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)が彼女の意思に反し独立し、人格を持った存在。また、青髪の悪魔が「ツグミをコピーする」ために生みだした魔造の人格。

 そしてその通り、ツグミ本人を騙しきるほど「ツグミに擬態」することができるようになっている。

 

 ▽「愛」の価値観:家族愛=神愛≧友愛=性愛

 

 愛は重視せず。万人に平等という意味で神愛重視とも、彼女にとっての神が「自分を生み出した存在」であるというなら「親への愛」重視とも。

 彼女の体感において流れた時間はまだ10年にも満たない。そのため、愛が何であるのかを理解できるような情緒は育っていない。これには性愛を拒絶していたジュベミューワの影響も強い。

 このため、青髪の悪魔がふんだんにしていたセックスアピールを、ミジュワはしないしできない。

 

 好きなものはツグミの猿真似。嫌いなものはツグミという悪魔的存在

 

 

 

 

 

 

 


 

<ボユの港の大災害における被害者の皆様>

 


 

 ●アンネリース

 

 被害者A。16歳。とある宿屋兼お食事処兼酒場の看板娘。

 輝くような金髪。顔は十人並みだが腰はきゅっとくびれていてスタイルはいい。あるいはスタイルはE。

 どストレートにわかりやすい被害者、恋人に死なれた人。

 プロポーズは死亡フラグの王様なのである。人生の墓場ってそういう意味じゃないよ?

 名前はラナンキュロア(ラナンキュラス)と同じバラの品種名(アンネリーズ、とも)から。年齢、スタイルがいいなどの共通項もそうだが、ここは敢えて似せている。

 男性の名前はハザー(ハズバンド+ハザード)とかオットー(夫)とかを考えたが、固有名詞を増やすのもどうかと思ったので名無しにした。オトキャン。

 

 彼女もまた友愛に性愛が伴ったパターンだが、その幸福な例のひとつではあった。過去形だけれども。

 

 好きなものはたこ焼き。嫌いなものはイカ焼き。でもスルメは好き

 

 

 

 

 


 

 ●ビンセンバッハ

 

 被害者B。19歳。元不良の土木作業員。

 どストレートにわかりやすい被害者、自分自身が死ぬ人。

 最初は、何の罪もない11歳の少年が同じ目に遭って死ぬというのを書いていた。

 しかし、いくらなんでもこれは……という話になってしまったので変更。それなりに罰を受ける理由のある男の話になった。

 ただ、彼はグループの中ではまぁまぁ良識派の方に属していた。彼が攫ってきた女(いつも年上の、それなりに遊んでそうな女を選んでいた)が自殺したという事実もない。

 グループとしてやったことはえげつないが、彼自身にあそこまで惨たらしい殺され方をされる理由があったのかについては判断の分かれるところ。日本の法律なら、たとえ少年法に引っかからなかったとしても、従犯ということで減刑はされていたかも。

 こういうキャラになったので、某時計仕掛けなオーレンジにあやかり、名前をアレックスにして、被害者Aにしようかなとも思ったがやめた。そういうわけでベートーベンの第九でなくヨハネとかマタイの受難曲を好きそうな名前になった。ビンセンの方は、某炎の画家さんのファーストネーム……を頭文字Bっぽくしたもの。かなり捻ってはいるが、要は炎の受難、というネーミング。ノアステリア達と似た命名規則。

 

 好きなものはお好み焼き。嫌いなものは根性焼きの痕(右腕に4箇所ある)

 

 

 

 

 


 

 ●セルディス

 

 被害者C。70代。至って普通に長生きしたおじいさん。

 AとBがストレートに不幸になった人だったので、Cはちょっと変化球。

 全てを失ったので近いうちに自殺する。とはいえ、この世界の平均寿命より、もうだいぶ長く生きているため、本人に悲壮感はあまりない。なお件の次女は災害で死んでいる。遺体も巨人に取り込まれた。

 次女があんな風だった理由の設定は一応ある。気質にも問題はあったが、それも元々は器質的な問題。詳しい言及は避けるが、21世紀の地球の先進国であれば治療可能な範囲。だがこの世界にそんなことが可能な医療従事者はいなかった。それが彼女の不運。過去には地球でもそれを魔女、狐憑き等々と言って迫害した時代があった。これはそういう悲劇。善良な両親がいた分、彼女はまだマシな部類。

 

 好きなものは世話焼きだったババア。嫌いなものは次女への世話焼き

 

 

 

 

 


 

 ●ディアナ

 

 被害者D。別の意味で被害者。

 13歳の時に変態男に攫われ、地下室に閉じ込められてしまった少女。災害時17歳。

 ひとりくらい、この災害がプラスに働いた人がいてもいいよなぁ、ということで考えた「奇跡」。外見の描写がほとんど無いのは意図してのものです。

 この物語は主に性愛によって動いているお話のため、ならば性愛目的で監禁されていた女性が災害によって自由を手に入れる、というのが最も適当と思った。適当?

 最初は20歳の時に攫われた24歳の女性、という方向性で書いていたが、この世界(10代のうちに結婚し子を産むのが普通である世界)だと24歳で自由になってもあまり、その後に希望のある感じにはならない気がした。そういうわけで17歳の少女になった。リアルに考えると「足、治るの?」とか「家と両親、被害を免れているの?」とかあり、まぁ色々大変だとは思いますが、ここはもう作者権限で家も両親も無事、そして彼女の人生にはこの後、無数の幸運といい出会いが待っていますよと断言しておきます。

 

 好きなものはたまにしか食べさせてもらえなかった焼き立てのパン

 嫌いなものはアカウントを焼かれるレベルで18禁のため、省略す

 

 

 

 

 

 

 

 


 

<この世界の暦>

 

 1年は17ヶ月。以下の通り。月名はこの通りの発音ではなく、あくまで意訳。

 

 初幸歩(うぶさちほ)【1月】:29日

 路綺月(みちきづき)【2月】:28日(末日で累計57日目)

 帰雪月(きせきづき)【3月】:33日(末日で累計90日目)

 羽枕月(うちんづき)【4月】:32日(末日で累計122日目)

 浴茶月(よくさづき)【5月】:31日(末日で累計153日目)

 癒雨月(ゆうげつ)【6月】:17日(末日で累計170日目)

 水過奢(みかしゃ)【7月】:27日(末日で累計197日目)

 満葉月(みちはづき)【8月】:25日(末日で累計222日目)

 揮毫月(きごうづき)【9月】:30日(末日で累計252日目)

 神楽舞(かぐらまい)【10月】:15日(末日で累計267日目)

 謁吉月(えつきつづき)【11月】:26日(末日で累計293日目)

 乳海槽(にゅうかいそう)【12月】:7日(末日で累計300日目)

 獅志月(ししづき)【13月】:13日(末日で累計313日目)

 網把月(あみわづき)【14月】:14日(末日で累計327日目)

 納湯月(なゆづき)【15月】:16日(末日で累計343日目)

 漸漸実(ややみ)【16月】:12日(末日で累計355日目)

 死鳥卵(しちょうらん)【17月】:10日or11日

 

 1年は365or366日。

 

 1年の前半を太陽暦、1年の後半をふたつの月による太陰暦で刻んでいる。

 ただし17日しかない6月と、26日ある11月はその例外。

 

 ラナの誕生日は17月2日。

 レオの誕生日は6月6日だが本当は13月4日。

 

 

 

 以下、それぞれの月の星占い的特徴。

 地球で閏年に生まれている場合は3月1日以降、1日、前にズレる。

 

 例:閏年の4月1日生まれの場合、参照するのは3月31日生まれの月。

 

 また、断定調ですが、全て「……と、あの地域では言われている」という話です。

 

 

 


 

 ■1月(地球の生年月日では[1月1日~1月29日生まれ]に該当)

 

 初幸歩(うぶさちほ)生まれの子供は確かなる恵みをひとつ、持って生まれる。

 それにより幸せとなることも多いが、それを巡って果てのない闘争に人生を費やすこともある。有意義な闘争と、不毛なそれとの境界は曖昧であり、判断が難しい。

 譲歩することに根源的な恐怖が伴うため、不要な闘争でさえ、せずにはいられないことがある。熟考の上、譲れること、譲れないことを区別していくことが大事。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「戦士」「闘士」の相を帯びることが多い。

 

 ナッシュなどが該当。

 

 恋愛運:種類の異なる運命の人が数回現れる。誰の手を掴むかで一生が変わる

 仕事運:金運は良。だが適正の無い仕事に就いた時の零落は、他の比ではない

 全体運:生誕時に授かった恵みをどれだけ活かせるかが全ての鍵となってくる

 


 

 ■2月(地球の生年月日では[1月30日~2月26日生まれ]に該当)

 

 路綺月(みちきづき)生まれの子供は知性に恵まれる。

 だが知性では解決できない問題には弱く、孤立して独りよがりになると異常な方向へ向かうことも。直感力は高くないため、詳しく知らないことには頭の働かせようが無い。

 正しく生きようとするなら、常に人の輪の中にいて、その動向や流行などを知ること。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「先導者」もしくは「扇動者」の相を帯びることが多い。

 

 ゲリヴェルガ(ラナの伯父)、フィーネリュートなどが該当。

 

 恋愛運:人の輪の中で良識を保っている間はモテる。求愛も成功率が高めな方

 仕事運:知性を活かせれば、なんであれ成功する。ただし孤立には注意が必要

 全体運:成功にはその為の知識が必須。知識なく出した答えは全て妄想である

 


 

 ■3月(地球の生年月日では[2月27日~3月31日生まれ]に該当)

 

 帰雪月(きせきづき)生まれの子供は美しい理想を抱いて生まれる。

 儚いモノへの愛着が強く、形無いモノ、目に見えないモノ、すぐに色褪せてしまうモノへ思い入れてしまう傾向がある。スリルやロマンに振り回されることも。

 理想家だが現実が見えないわけではない。理想を現実にしようと努力できる現実主義者でもあり、破滅することは稀。ゆえに長く夢を見ていられる。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「夢想家」「冒険家」の相を帯びることが多い。

 

 コンラディンなどが該当。

 

 恋愛運:理想を追うあまり、現実の恋人や伴侶を軽視することも。今を大切に

 仕事運:理想へ向かう目標は、段階的に設定すると充足感を得られやすくなる

 全体運:抱く理想に生涯振り回される。幸福が伴うのならそれは佳き一生とも

 


 

 ■4月(地球の生年月日では[4月1日~5月2日生まれ]に該当)

 

 羽枕月(うちんづき)生まれの子供は自身に拠って立つところが大きく、誰の力も借りずひとり静かに成長していく。

 独自の個性、自分だけの世界、己の道、そうしたものを最初から持って生まれているため、教導の際には注意が必要。それを軽視し、破壊を試みたり別の世界、道へ導こうとすると、良くないことになるのがほとんどである。

 困難を乗り越える力は高い為、助言と助力は必要最低限に抑えて構わない。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「登山家」「求道者」の相を帯びることが多い。

 

 キジトラさん、いかがわしい服屋の店主(レオに殺された人)などが該当。

 

 恋愛運:過干渉、束縛は双方が不幸になる。お互いが心地良い距離感を大切に

 仕事運:仕事運は悪くないが、趣味に没頭するあまり身を持ち崩すこともある

 全体運:誰の力もアテにせずに生きる方が成功しやすい。依存は破滅に繋がる

 


 

 ■5月(地球の生年月日では[5月3日~6月2日生まれ]に該当)

 

 浴茶月(よくさづき)生まれの子供は、神の愛を浴びて育つがそれに溺れることもある。

 不運な事故よりも無茶をしての事故に、食中毒よりも食べ過ぎに注意が必要。足らなくて挫けるより、満ち足りて腐ることを怖れよ。

 また、形無いモノ、目に見えないモノ、すぐに色褪せてしまうモノへの不信感が強いため、愛情に対しては確かな証となるモノを求める傾向がある。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「お大尽」「蒐集家」の相を帯びることが多い。

 

 ノアステリア、セルディス(被害者C)などが該当。

 

 恋愛運:恋愛運、結婚運とも良。だが相性の悪い相手に拘泥すると泥沼になる

 仕事運:金運は極めて良。ただし思わぬ失敗や事故で、全てを失うこともある

 全体運:基本的には恵まれている。だが人生の所々にある陥穽には注意が必要

 


 

 ■6月(地球の生年月日では[6月3日~6月19日生まれ]に該当)

 

 癒雨月(ゆうげつ)生まれの子供は、天から愛されすぎてしまい、早世することも多いとされている。

 豪運だが、それが望まぬ結果をもたらすことも。

 整った容貌、体格、人格を持っていることが多いが、どこかには致命的な欠陥も存在している。それを塞ぐことのできる後援者に出会えるかどうかが重要。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「才人」「走り抜ける者」の相を帯びることが多い。

 

 リッツ(オリジナル、人間の方)などが該当。レオ(本当は13月生まれ)は該当せず。

 

 恋愛運:恋愛運は良。だが恋愛観や結婚観に多少、難や歪みがあることも多い

 仕事運:金運、仕事運共に良。だがしかし適正のある仕事を好むとも限らない

 全体運:望まぬ幸運は不運。確実に、自分自身に必要な幸運だけを収穫すべし

 


 

 ■7月(地球の生年月日では[6月20日~7月16日生まれ]に該当)

 

 水過奢(みかしゃ)生まれの子供は愛情豊か。

 ただし甘やかしすぎて人をダメにすることもある。愛を間違った方向に向けないか、使わないか、常に注意する必要がある。

 適応力は高いが流されやすく、染まりやすいため、悪の誘惑や堕落にも気をつけること。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は良きにつけ悪しきにつけ「奉仕者」「苦労人」の相を帯びることが多い。

 

 ビンセンバッハ(被害者B)、レオを美少女に変身させた美容院のお姉さんなどが該当。

 

 恋愛運:悪質な相手に捕まった時の被害が甚大。相手をじっくり見極めること

 仕事運:金運は悪くないが、得た金銭はすぐに出て行く。貯蓄を重視すること

 全体運:環境次第。劣悪な環境にも適応できるが、それではいつか身を滅ぼす

 


 

 ■8月(地球の生年月日では[7月17日~8月10日生まれ]に該当)

 

 満葉月(みちはづき)生まれの子供は論理性を重視し、記憶力や分析力、管理能力に優れる。

 ただし独善的な一面も持っていて、論理に合わぬモノ、意に沿わぬモノは枉げてでも自分の型に収めようとする。他者へは、管理でなく分類をするイメージで接した方が正しく生きられる。

 人は感情で動く。いつそれを知り、どう向き合うかで生き方そのものが変わってしまう。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「守護者」「看守」の相を帯びることが多い。

 

 灼熱のフリード、二章でラナたちが訪れたペットショップのマダムなどが該当。

 

 恋愛運:恋愛運は良。だが結婚後も相手の支配をし続けようとすると破綻する

 仕事運:論理面で成功しやすく感情面で失敗しやすい。他人の感情には要注意

 全体運:結婚後は配偶者からの管理と支配をある程度受け入れる方が安定する

 


 

 ■9月(地球の生年月日では[8月11日~9月9日生まれ]に該当)

 

 揮毫月(きごうづき)生まれの子供は生まれつき言語能力が高く、交渉力にも長けている。多くの者に好感を抱かれる容姿、声を持っていることも多い。

 ただし言を弄することにも長けているため、嘘や虚言に強い説得力を持たせることもできる。人から頼られがちだが、信頼に応えようとして嘘に頼ると、とんでもないことになる可能性が高い。

 対人関係においては不要な盲信と、それが裏返った際の憎悪に注意が必要。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「人気者」「相談相手」の相を帯びることが多い。

 

 アンネリース(被害者A)、王都リグラエルの冒険者ギルドのギルド長などが該当。

 

 恋愛運:モテる。容姿や声が良ければ非常にモテる。悪質な執着に注意すべし

 仕事運:期待や信頼を得やすく出世も早い。しかしそれが仇となることもある

 全体運:幸福になること自体は容易だが、人の嫉妬や盲信に足を引っ張られる

 


 

 ■10月(地球の生年月日では[9月10日~9月24日生まれ]に該当)

 

 神楽舞(かぐらまい)生まれの子供は早熟。人生の早い段階で価値観が定まり、後の人生をその通り生きる。

 社会常識、他者の気持ちを早くに理解し、その全てに気を使った結果、保守的な性質となることが多い。ただし革新的な方向へシフトする者も稀にいる。

 他人を基本的には尊重するが、秩序を乱す者へは牙を剥くこともある。しかしその怒りが正しく理解されることは稀。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「番人」「調停者」の相を帯びることが多い。

 

 ジュベミューワ、マリマーネなどが該当。

 

 恋愛運:善き恋人、善き夫、善き妻となれるが、生涯未婚で過ごすこともある

 仕事運:金運は良い方だが、基本、保守的であり、常識外の成功は難しいとも

 全体運:善き社会人となるが、そこに幸福や充実が伴うかは本人次第ともなる

 


 

 ■11月(地球の生年月日では[9月25日~10月20日生まれ]に該当)

 

 謁吉月(えつきつづき)生まれの子供は独特の感性を持って生まれる。

 価値観もまた独特となることが多いが、法や社会秩序に対しては従順でストレスにも強い。人を楽しませる、笑わせることに悦びを覚えるが、人に利用される、笑われることへの忌避感が薄いため、三流、三下の立ち位置に甘んじることもある。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「芸術家」「道化師」の相を帯びることが多い。

 

 背負子のユーフォミー、丁稚(ラナの元婚約者候補)などが該当。

 

 恋愛運:出会いは多く、機会も多いが、その選択と良好な関係の維持に難あり

 仕事運:環境次第。己の才能を活かせる場でなければ大成するのは難しいとも

 全体運:内面は充実する。それが通常は、不幸とされる生き方であってさえも

 


 

 ■12月(地球の生年月日では[10月21日~10月27日生まれ]に該当)

 

 乳海槽(にゅうかいそう)生まれの子供は混沌に生まれ、どう育つか予想がつけられない。

 環境や周囲の意見に影響されやすいが、突然強く自我が働き、思ってもみなかった方向へ行く場合もある。

 基本的には強運でギャンブルなどにも強いが、信念が揺らいでいる時にはボロ負けする可能性もあり、注意が必要。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「混沌に生きる者」「博打打ち」の相を帯びることが多い。

 

 リゥダルフ(ラナの叔父、コンラディンの兄)などが該当。

 

 恋愛運:長続きする相手に出会うことは稀である。出会えたなら大切にすべし

 仕事運:成功するには賭けに勝つ必要が有る。常日頃より勝率を高める努力を

 全体運:混沌より逃れ得る道は大樹の陰に在り。寄りて進むもまたひとつの生

 


 

 ■13月(地球の生年月日では[10月28日~11月9日生まれ]に該当)

 

 獅志月(ししづき)生まれの子供は乳離れが遅く、甘えん坊が多い。

 どうすれば人に愛されるかを本能的に知っていることが多く、どのように育ってもどこかに愛嬌を残す。だが、順法精神に疎い場合もあるため注意が必要である。

 社会の規範より、より小さな世界で愛されることを優先してしまう傾向もある。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「王者」「中心人物」の相を帯びることが多い。

 

 レオ、ラナの父親などが該当。

 

 恋愛運:モテるが、同性など、望まぬ相手に執着される場合もあって一長一短

 仕事運:貢がれやすい。だがそれに甘えてばかりいると思わぬ地雷も踏み抜く

 全体運:愛され、人に好かれる人生を送るが、それが仇となることもしばしば

 


 

 ■14月(地球の生年月日では[11月10日~11月23日生まれ]に該当)

 

 網把月(あみわづき)生まれの子供は畑を耕すよりも狩りや漁をして生きることに長けている。

 我慢強く、目的を果たすまではじっと待つことも出来るが、ひとつの土地に縛られるよりも方々へさすらうことを好む傾向がある。

 結婚を目的に結婚すると離婚してしまいがち。生涯添い遂げることを目的とせよ。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「狩猟者」「詐欺師」の相を帯びることが多い。

 

 アルス、マルスなどが該当。ふたりは双子であるため誕生日が同じ。

 

 恋愛運:積極的な捕食者となった方が性には合うが、本当の幸せはそこに無い

 仕事運:狩りは得意だが、実は畜産にも長けている。安定を望むならば後者へ

 全体運:狩り、捕食を法と良識の範疇で行うか否かで、人生がガラッと変わる

 


 

 ■15月(地球の生年月日では[11月24日~12月9日生まれ]に該当)

 

 納湯月(なゆづき)生まれの子供は集中力が高く一本気、ひとつの興味に没頭する傾向が強い。

 特定の物事へ特殊な思い入れを持つ場合も多く、それ次第で偉人にも奇人にもなる。興味ないモノへはとことん興味がなく、偏った人生を送ってしまうことも。

 生き様は一極集中で構わない、しかし視野は常に広く持つべし。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「職人」「趣味人」の相を帯びることが多い。

 

 東の帝国の皇帝パスティーン(・オムクレバ・以下略)などが該当。

 

 恋愛運:自身の趣味、興味を尊重してくれる相手でなければ、長続きはしない

 仕事運:自身の趣味、興味を上手く金銭、収益へと結びつけられれば大成する

 全体運:自身の趣味、興味をどれだけ確かなものと出来るかで幸福度が変わる

 


 

 ■16月(地球の生年月日では[12月10日~12月21日生まれ]に該当)

 

 漸漸実(ややみ)生まれの子供は堅実な努力により確実な結実をする大器晩成型。

 ただし性的な魅力のピークに限っては、早くに訪れる場合も多く、親は子が不幸な落果をせぬよう、望まぬ摘果をされぬよう、気を配る必要がある。

 いずれ幸福を発芽させる実は、完熟をもって完成する。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「大物」「重鎮」の相を帯びることが多い。

 

 ラナの母親、ディアナ(被害者D)などが該当。

 

 恋愛運:思春期に訪れる誘惑は危険、回避すべし。良き出会いは成人した後に

 仕事運:地味な努力、苦労が確実な結果となる。安直さは身を滅ぼす元となる

 全体運:短絡的な誘惑をはね除け、常に堅実な道を選び続ければ大成していく

 


 

 ■17月(地球の生年月日では[12月22日~12月31日生まれ]に該当)

 

 死鳥卵(しちょうらん)生まれの子供は親を殺すという迷信があり、あまり好まれていない。

 古いもの、旧来の価値観を破壊する運命を宿していて、親や年長者を敬う意識は低い。

 創造を伴う破壊へは忌避感が薄い。だが己の気持ちを殺すことにも忌避感は薄く、非常に従順で我慢強く見られる場合もある。

 生まれ持った性質に逆らわず育った場合は、良きにつけ悪しきにつけ「革命家」「混沌をもたらす者」の相を帯びることが多い。

 

 ラナ、ラナの伯母(ざまぁのプロ)などが該当。

 

 恋愛運:人生に一度だけ、全てを変える運命の出会いが。全てはそれ次第とも

 仕事運:資質次第。愚かなら身を持ち崩す、賢しければ下克上の英雄ともなる

 全体運:天国と地獄、どちらへも続く道を常に歩んでいる。慎重に判断し進め

 

 

 

 

 



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LXXI [happyend] : KaihouRESONANCE

 

<レオ視点>

 

 刀身へ、月を映す。

 

 複雑な青と赤に、一瞬だけ白が走る。

 

 木目状の刃紋が美しい、ヒーロリヒカ鋼の剣。

 

 月光は、刃の上を跳ねるように飛び、一瞬で消えた。

 

 再び、光へと(かざ)せば、またも刃に白い光が(きらめ)き、消える。

 

 そうして何度か、長い付き合いとなった逆向きの刃に、白光(はくこう)を宿しては放し、放しては宿して、その妖しい輝きを何とするでもなく、ただ眺めた。

 

 そうしながら想う。たくさんの想いを思い出して想う。

 

 これで色々なものを斬った。殺したりもした。

 

 悪しきモノも、おそらくはそうでは無かったモノもある。

 

 ()はただ斬ってきた。()はただ殺してきた。そこに飾れる大義名分などはない。スライムはただ自分の行く先を遮ってきたから殺したのだし、アルスとマルスはただの傀儡(かいらい)……二重に操られた人形でしかなかった。ジュベミューワは全く()って不要な殺人だったし、止めを刺したのは自分ですらない。

 

 こうしてみれば、この剣が真っ当な意味で活躍したのは、三年前に王都リグラエルを救った時くらいだ。

 

 それも、誇れるかといえばそんなことはない。

 

 ラナは、王国に殺されたようなものだ。

 

 ()が王都を救わなければ、灼熱のフリードが生き延びることも無かった。

 ノアステリアやジュベミューワも、いずれ避難先で死んでいたかもしれない。

 彼らは軍人なのだから、その責任は当然、王国に紐付いている。

 

 ()が王都を救ったから、ラナが死んだ。

 

 実際は、そうではないのかもしれない。でも、()の中ではそのような想念(そうねん)が渦巻いている。ぐるぐると、くるくると、カラカラと回っている。

 

 酷く(かん)(さわ)る、それは自分と同じ姿形(すがたかたち)をした影法師。

 

「ラナ……」

 

 呟き、剣を地面に置く。

 

 ラナが死んで、一週間ほどが経っている。()はこの一週間、焼け野原となった港町、それからその周辺の森や荒地を探し回っていた。

 

 もちろん、ラナを探していたわけじゃない。

 

 ラナは死んだ。

 

 ()の目の前で、ミジュワの身体から出てきたノアステリアに殺された。

 

 髪も、肌も、着ていた革鎧も、着けていたガントレットも……ぽっかりと空いた眼窩(がんか)でさえ……なにもかもが真っ青になったノアステリアに、荒々しく真っ青な斧で背中を割られて、無理矢理な笑顔を浮かべながら死んだ。

 

 それは、見た目だけなら、ミジュワも擬態型のスライムだったのかと疑うような光景だった。

 

 ノアステリアの魂が、青一色のそこに無いことは、明白だったから。

 

『でも、せめてこれくらいは彼女に華を持たせてあげたかったのです』

 

 棒読みで、そんなことをほざいたミジュワへ、()はもうわけがわからないままに襲い掛かり、その存在を滅さんとした……気がする。

 

 それがどうなったかはわからない。多分どうにもなっていない。

 

 気が付けば()は、ラナの死体の、その(そば)に倒れていた。

 

 だからその身体の冷たさも、その感触も覚えている。刻み込まれている。

 

 何時間と身体を揺すり、呼びかけた気がする。不安そうに話しかけてきたツグミへ、何か酷いことを言った気もする。()なんかどうでもいいからラナを幸せにしてよと……何度も叫んだ気がする。よくわからない理屈でそれはできませんと答えたツグミを、僕は斬ろうとした……そんな気すらする。

 

 気が付けば()は、ひとりになっていた。

 

 ツグミはいつの間にか消えていた。ラナの死体は硬くなり始めていた。

 

 ラナは死んだ。活動をやめて、物質としての変遷に入った肉がそれを教えてくれた。

 

 ()は、死体を抱き、地下シェルターを「斬り」、外へと出て永遠とも思える道を死人のように歩いた。

 

 もしかしたら、いなくなったツグミがラナを、ラナの魂を幽河鉄道(ゆうがてつどう)に引き取り、やり直しをしてくれるのかもしれないと思いながら歩いた。でも、だけど、()はそのラナには会えない。逢うことが出来ない。

 

 それでも、せめてそれくらいの希望を持っていなければ、自分の全身がバラバラに壊れてしまうほどに、その時の僕は疲れていた。(ひび)だらけだった。その道が、死体を抱いて歩いても誰にも咎められない惨状に(おお)われていたのはむしろ救いだった。咎められていたら、僕は何も考えずに人を殺していたかもしれない。

 

 ロレーヌ商会、ボユの港支店の職員は、何人かが生き残っていた。()はラナの死体を彼らに預けた。ラナの父親、母親は、ふたりともまだ生き残っている。()は、彼らが娘の死体にどのような反応を見せるのか、それだけは知りたいと(くら)い感情を抱きながら、けれどそんなことはせずにそこから立ち去った。

 

 それから、ラナがどうなったのかを、()は知らない。

 

 だから一週間、探していたのはラナではない。

 

 マイラだ。

 

 ()はもうマイラを、どうしたいのかもよくわからずに、なにも考えずにその白い巨体を探し、捜して、方々(ほうぼう)を歩き求めた。

 

 一睡もせずにあちこちを歩き回り、捜し、探して、七日目に倒れた。

 

 多分一日以上寝ていた。目覚めたのは、今日の正午過ぎ。

 

 目覚めて、すぐに思った……『もう、いいか』……と。

 

 涙ではない何かが寝ている間に(こぼ)()ちて、枯れ果ててしまったのを感じた。

 

 もう十分だと思った。ラナがいない、だからこの世界にはマイラもいない。それは別に、繋がるものでもない因果だったが、()には、それが正しいことのように思えて仕方なかった。

 

 それからは、ボロボロになった身体と、身形を時間をかけて整えた。胸元に大きな穴が空いたままだった上着は、いつ変えたのかボロボロのシャツになっていたけれど、それも脱いで新しいものに変えた。……それを、どこから調達したのかは聞かないでほしい。それなりにいい服だ、大災害を経てさえ、無傷で残ってるお大尽様……というか公爵様のお屋敷にありそうな服だ。

 

 それから、湯も使った。どこで使ったかはやはり聞かないでほしい。服を調達したついでだ、別に人を殺したわけじゃない。何年かぶりに、昔取った杵柄(きねづか)()り、(ふる)っただけだ。性懲りもなく燃焼石(ねんしょうせき)を使い、沸かされた風呂に、()は初めて入った気がする。

 

 そうして()は罪を重ねながら、だけど外見上はとても身綺麗に、清潔な感じになった。

 

 ラナが愛してくれた、毎日キチンとお風呂に入って身綺麗にしている()になった。

 

 身体にはまだ疲労が残っている。どうしようもないほど、疲れている。

 

 だけどいい、もう十分だ。

 

 (きし)む身体へ……『もう少しで休めるさ……永遠に』と言いながら()は、月に翳していた美しい刀身を、抜き身のままで地面に置き、離れる。

 

 そうして、これまたどこぞより拝借してきたナイフを手に取る。

 

 鞘、というか革の保護ケースを抜いて捨てると、月明かりに、こちらは純粋に白く光る刀身が浮かび上がる。ヒーロリヒカ鋼のそれと比べると、随分と単純なモノに思えた。

 

 利き手で持ち、逆の手で刀身に触れると、心地良いほどに冷たい、ひんやりとした感触が返ってくる。それにはどこか草臥(くたび)れた身体に響く、ある種の快楽が伴っている。

 

 それを、抱きしめながら()は、刃を、手首の、血管が走っている部分に当てる。

 

 そうして、何を想うでもなく、ただ一気に、横へ。

 

 もはや世界に未練などはなく、それをスッパリと横へ。

 

『ダメ』

 

 ……動かせない。

 

『ダメだよ』

 

 掴まれる。

 

 捕まれる。

 

 捉まれる。

 

 魂を掴まれる、捕まれる、捉まれる。

 

『ダメだから。絶対にダメだから』

 

 黒髪の少女の幻影(ファンタズム)が、俺を許さない。僕を放さない。

 

 手首にナイフを押し当てたまま、僕はそれを動かせない、俺は俺を殺せない。

 

 どうしても、それ以上が出来ない。

 

 ピクリともしない。

 

「ははっ……」

 

 しばらく、己の意思に反し、動かない身体と格闘をして。

 

「なんだよこれ……なんなんだよラナ……」

 

 諦め、ナイフを落とす。

 

 僕はラナに勝てない、俺もラナには勝てない。

 

 大したことのない戦績に、黒星がまたひとつ加わった。

 

 僕は死ねない。俺に殺されてくれない。ラナがそれを望んだから、敗北者である俺は勝者の望む通り生きる。

 

 生き続ける。

 

 何のために生きるのかもわからず、希望も無く、目標も無く生きる。

 

「酷いよ、ラナ」

 

 でも、そうしなければいけないと思った。

 

 そうするしかないと思った。

 

 それがラナの望むことなのだからと。

 

 ラナの一部を背負ったまま、僕は生き続けるしかない。()は生きていく。

 

「呪いだよ……こんなの……ラナ……」

 

 ナイフを蹴り飛ばし、地面に置いていた剣を取って、鞘に納めて腰に()く。

 

 さしあたって、どうしようかと、ふたつの月を見た。

 

 手が届かない空に浮くそれは、綺麗だった。

 

 冷酷なまでに、青白く輝いていて綺麗だった。

 

 死はまだ、遠くにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<マリマーネ視点>

 

「……誰?」

 

 寝苦しい夏の夜に、その影は冷たい光に縁取られ、現れた。

 

「しっ」

「ん!?」

 

 力強い手が、口元を覆う。

 

 節のある、けれど細く長い指。

 

 何度も剣ダコを潰した厚い皮の(てのひら)

 

 私はその手の持ち主を知っている。

 

 今日まで、現れるのをずっと待っていた。

 

「手を離します。が、騒がないで下さい」

「……レオ、さん」

 

 あっさりと()された解放に、拍子抜けしながら対面へと向き直る。

 

 狼藉者は、やけに落ち着き払っているという、この場にそぐわない表情をしていた。

 

「驚いて、いませんね?」

「……驚いていますよ?」

 

 月明かりを斜めに背負った少年の顔は、その左半分が影で見えなくなっている。

 

 けれど右半分は隠せていない。その美貌を隠せていない。金髪の、その毛先がキラキラと青白く光り、揺れている様が優美だ。その向こうにある目は鋭く、冷然(れいぜん)としていたけれど、そこにはもっと色の濃いスターサファイアでさえ敵わないような、見る者の心を強烈に焼きつくす、玲瓏(れいろう)たる強い輝きがある。

 

 卑俗な表現をすれば、それは出すところに出せば、一晩で金貨十枚でも二十枚でも簡単に稼いでしまいそうな立ち姿だと思った。スターティングウィズ(ねがいましては)、十四歳、清潔感のあるノーブルな美形、非現実的なまでに強い剣士、さておいくら?

 

「ここ、三階ですよ? 音も無く侵入してくるとは、また中々な度胸と技術ですね」

「驚くの、そこなんだ?」

 

 もう少し高尚な表現をすれば、それは、対面する者へピンと張り詰めた緊張を強制してくる、芸術品のような立ち姿だとも思った。専門ではない商人が扱うには、危険すぎるほどの。

 

 緊張を、気取られぬよう、細くため息を()き、私は息を潜めたまま彼に向き合う。

 

「ラナさんのご遺体を持ってきたのはレオさんと、聞いていましたから」

「ああ……」

 

 鋭く、こちらの内面へ貫流(かんりゅう)せんとする視線を受け止め、私は事前にそうしようと決めていた通りに、全てを受け止め、反射する鏡のように相対(あいたい)することを選ぶ。

 

「だから、いずれ来るとは、思っていました」

 

 決着を、着けようと思っていた。

 

 ちょっとした憧れと、妬みの感情に。

 

「……その後、どうなりましたか?」

「ご安心下さい、ロレーヌ商会におけるレオさんとラナさんの関係を、知っている者が何人も生き残っていました。レオさんに不要な疑いがかかっている……なんてことはありません」

 

「……そういうことを聞いたんじゃ、なかったんだけどね」

 

 剣を鞘に納めたまま、背が伸びてなお中性的な(たたず)まいを残す少年は……(たお)やかな淑女のようにも見える微笑みを浮かべて、それからもう、この世界にはどこにもない姿を探すように瞳を(くう)へ向けた。

 

 ほぅ、と……知らず、吐息が洩れる。

 

 女装ではない。

 

 その出で立ちは、女装ではない。が、薄い羽織物を軽く合わせただけのその姿は、淫靡(いんび)とすら言っていい妖しさを放ち続けている。

 

 肩幅が少し広い女性……にも見えるそのシルエットは、両腕に薄く浮かぶ血管こそ確かな男性性を主張していたが、それ以外は女性的な印象が勝ってしまっている。

 

 前に会った時は、こんな風では無かったと思う。

 

 もっと純粋に男の子だったし、もう女装は似合わないだろうなとも思った。それは、船の運用について細かな調整を求めた半年前の、海に雪が降っていた頃のことだったけれど、だからといって厚着だったことがその主な理由だったとも思えない。

 

 半年前、彼は戦士だった。今は違う。鍛えた身体はそのままに、その印象が裏切っている。

 

 今は、緊張を強いる空気こそ放ってはいるが、覇気、殺気といった暴力的な圧は滲み出ていない。

 

 今でもおそらくは千人、万人を殺す規格外の戦士なのだろうけど、怖くない。直接的な恐怖は湧いてこない。凍るように冷たい、けれど底が見えるほどに透き通った水を湛える、それは深く深い(みずうみ)のようだ。

 

 不謹慎な言い方になるが……その佇立(ちょりつ)する姿はとても儚く……戦慄するほどに美しい。

 

「ま、いいや。ね……マリマーネさん」

「……はい」

 

 けれど、少年は、その印象すらも裏切る。

 

「僕に抱かれて、みない?」

 

 とても卑俗な形で。

 

「……は」

 

 寝所に男と女がひとりづつ。……なるほど、相手が妙に女性的に見えるという私の主観を除けば、純粋な事実はその通りでもあった。

 

「……ふむ」

 

 ここはドヤッセ商会、その四つあったボユの港支店のひとつ。

 

 幸い、この建物だけが火災を逃れ、無事だった。ロレーヌ商会の支店は全焼したというから幸運であったといえる。この部屋は、この街へ定期的に訪れている私専用のモノ。伝声管(でんせいかん)が通っていて、その蓋を開ければ他との連絡も容易に行えるが、そうでない場合は……今はその状態だが……防音もしっかりとしていて静かだ。

 

 時刻は既に深夜。大月(だいげつ)小月(しょうげつ)は、この時期に日が変わる頃の配置……小月が大月の真上に来る形を示している。

 

 そうして、事実だけを並べてみれば、これは確かに、我が身の貞操の危機といっても過言ではない状況だった。

 

「夜に尋ねてこられたのは、それが目的ですか?」

「そうだね、これは夜這(よば)いだよ」

「また、似合わない単語を……」

「そう? 僕は、今でもラナを愛しているけど、マリマーネさんはラナの特別な人だからね、僕の人生がまだ続いていくなら、(そば)にいてほしいのはマリマーネさんだから」

「……ふむ」

 

 今度は「私の」予想をなにもかも裏切りながら、氷のような美貌がふっと寂しそうに破顔し溶ける。それはもう、少年のようにも、かといって淑女のようにも見えない。……ではなんだというのか。

 

 わからないが、それはとても切ないものに思えた。遠く、儚く、切ないもの。全てを許してしまいたくなるほどに言い様のない寛容の衝動が、いずこよりか、己が胸に生じてくるのを感じる。

 

「不謹慎って、(なじ)る?」

 

 けど、ダメだ。

 

 これには、流されてはいけないと理性を総動員する。

 

 知性と悟性も総動員しなければ流されてしまいそうだからそうする。

 

 努めて、なんでもないことのように、答えを返した。

 

「不謹慎云々はともかく……口説き文句に他の女の名前を出すのはダメと、ラナさんに教わらなかったんですか?」

「ラナ?……ラナはね、マリマーネは僕が口説いたら一発だから、誤解されるようなことは言わないでね……って言ってたかな」

 

 だからか、(おう)じる方も、巫山戯(ふざけ)(いら)えだった。

 それはあんまりな、あんまり過ぎる正答だと思った。

 

「……あなた達ふたりは……人のことをなんだと……んっ」

 

 それへ、どうしたものかと考え、しかし適当な返答が浮かばずにいると、ふっと少年の指が伸びてきて、それが私の頬をふんわりと包んでしまう。掌と同様に、これも剣を振り続けた結果だろう、指先の硬い感触が、なんだか心地いい。

 

 夜這いと言う割に、それは随分と何気ない接触でもあった。

 

 まるで花を、穢さぬよう優しく触れたとでもいうかのような。

 

「別にいいんだ、マリマーネさんがどうしても嫌なら、強制はしない。けど、マリマーネさんが()()()()()()()()()()()()()、僕は容赦しないよ? ラナに教わった全てをもってマリマーネさんを奪う」

 

 けれど手の、指の優しさとは正反対に、その視線は冷然としたまま、鋭い。

 

「だから、その名前は……」

「なら、嫌そうでも、迷惑そうでもないのはなぜ? マリマーネさんも、ラナには色々と複雑な感情があった。僕はそれを知っている」

 

 それは、それだけは答えを求め迫る、冷徹な狩人の瞳だった。

 

「それは……」

「今の僕はそれを知っている。理解できるようになった」

 

 どう答えたらいいか、やはりすぐには返せずに、私は、自分の心の中にあるモノを覗き込む。

 

 そうするには良い頃合と思った。

 

 七つも歳下の男の子に、キスをされるところを想像してみる。

 

 女装もしていないのに、どうしてか淑女のように、時には無垢な少女にすら見える少年に抱かれることを考えてみる。

 

 憧れの向こうにあるモノは何か、私は何を妬んでいたのか、その答えを得るために、私は己の深遠を覗き込む。それをしたいと思い、ある意味ではこの状況を待ち望んでいたのだから。

 

「手を離してから随分と時間が経ったけど、一度も大声をあげていないのは何故?」

 

 ……悪くない。

 

 悪くない……が……。

 

「……ああ」

 

 ……ああ、違う。

 

 違う、これは違う。

 

 私は、この者に、「そう」されることで、この者を征服したいと考えている。

 

 この者を飼い馴らし、虜にしたいと考えている。妬みは、ラナンキュロアに対してのモノだ。憧れは、そんな形でさえ幸せに見えたふたりに対してのモノだ。

 

 これは愛したいというより、愛されたいというより、勝ちたい、狩りたいという気持ちだ。

 

 欲しいというよりも、これは囲い、支配してしまいたいという欲望だ。

 

 ラナンキュロアのものである彼を、籠絡(ろうらく)してしまいたい。

 

 いまだ、ラナンキュロアを愛しているというそのこと自体に、私はある種の愉悦さえも覚えてしまう。愛ではない、抱かれてもいいと思うこれは、けれど恋でもない。

 

「もう一度言うよ? 曖昧な態度は許さない。僕はラナが好き、ラナを愛してる。そういう僕が嫌なら、話はここまで。僕は僕のしたいようにする。マリマーネさんがつまらない(ひと)なら、何もしないで出て行くかもね。それを期待しているなら……いいよ、別に、そのままでも。僕じゃなくて運命に身を委ねるなら、世界に浮気するなら、僕がとびっきり優しくない裁定を下してあげるから」

 

 このレオさんには、低俗な欲望を(さそ)う何かがある、「モノにしてやりたい」と思わせる何かがある。手に入れることで、卑俗な欲望を心底満足させてくれそうな何かを放っている。

 

 そのためなら、身体に爪を立てられ、傷と傷痕を付けられることくらい、なんでもないことのように思えてしまう。

 

 そこには、どうしてか人をそのように誘引する魔力がある。

 

 まるで魔性だ。

 

「そうですね、では、私が満足するキスをしてくれたら、というのはどうですか?」

「……マリマーネさん、らしいね、こんなやりとりでさえ、商談と同じなの?」

「私は私ですから」

 

 それは昔、私がラナンキュロアという少女へ感じたものと、ほとんど変わらない。

 

 ゲリヴェルガなる伯父、貴族官僚に(さら)われそうになったという話を聞いて、さもありなんと言ってしまいたくなった。彼女からは、そういう魔性が放たれていた。それは特定の人にしか刺さらないモノなのかもしれない。だけど私には刺さった。

 

 強く、奥深くまで刺さった。

 

 そして今は、同性でなく私は異性にそれを感じている。それゆえにその(さそ)う力はラナンキュロアの比ではない強さだ。でも、それはそれだけの話だった。

 

 理性を壊してくるほどのモノではない。それにはラナンキュロアで耐性が出来ている。

 

「……そうです、値を付けられるのは性に合いません、値を付けるのは私です、私がレオ君を値踏みするんです」

「レオ君、ね」

 

 抱かれてもいい、それは構わない。むしろ抱かれてしまいたい。

 

 そう思っていることは確かだ。けれどそこに愛が無いことも明確で、やはり恋ですらない。それは罠に飛び込んできた獲物を、捕食したいというただの欲求なのかもしれない。それはしかし、私らしいと言える。私らしい、それは損得に変換できる欲求だ。

 

「ええレオ君です。夜這いなんて、随分と似合わないことをしたものですね。ですが十四歳の少年が、傷付きながらも彷徨(さまよ)い歩いてきたその先が、この場所であったというのは、なんだか誇らしい気もしないではないです。そうですね、あなたに抱かれるのは……やはり悪くない。私ももうすぐ二十二です、さすがに、そろそろ、純情を気取るのも莫迦(バカ)らしい。こういう初めなら、私には丁度いいモノでしょう」

 

 思ってもみなかった自分自身を発見した魂が、歓喜に打ち震えているのを感じるが。

 

 しかしそれは、やはり私の理性を壊すほどのモノではない。

 

「……ふぅん?」

「おや、私の値付けにご不満でも?」

「別に? ただ、少しおかしくて」

 

 淑女を装う、娼婦のように、少年は笑う。

 

 理性ではそれを痛ましいと思いながらも、下衆な興味においては悦びも感じている。

 

 優しく、捕食してあげたいとすら思う。私に経験があったなら、それはとっくに履行されていた妄想だったろう。自分が未熟であるというただその一点が、ここにおいては下衆な欲望を掣肘(せいちゅう)していた。

 

 それを、ある意味においては残念と思い、また別の意味においては良かった……とも思った。

 

「おかしい、ですか?」

「抱かれる理由付けを、そんな風にするんだなって。自分を卑下してまで婉曲な理屈をひねり出す、なんてね……それも商人としての(さが)? (へりくだ)るのはむしろ商人の強気かもしれないけどね、こんな時にされると、少し乱暴にしてあげたくもなる」

 

 再び、頬に手が触れる。言葉通り、今度は少し乱暴だ。急に平手打ちが来ても不思議ではないような冷たさがある。けれどそれは殺気というより、まだどこか媚態の色を放っている。

 

 それへ、だから私はむしろより冷静になれた。

 

 冷静に、発想は飛躍してラナさんは、乱暴にされるのが好きだったんだろうなと思った。少年の慣れた手つきが、それを思わせたからかもしれない。

 

 冷静に、だけどその気持ちもなんとなくわかる気がした。少年が放つ色香は、手折(たお)り、乱してしまいたくなる種類のものだった。乱調の中で、どのように乱舞するか、()()()

 

 荒ぶる彼は、とても魅力的なんだろうなと思う。

 

 冷静に……妄想はふと更なる発展を見せ、私は、ラナさんが彼に平手打ちにされるところまで想像してしまった。音と匂いまでもが伴うようなそれへ、どうしてか身体の芯がピリとした奇妙な悦びを感じる。私は、自分自身がそのようにされたいとは思わないし、ラナンキュロアが不幸になることを望んでいるわけでもない。けれど、私はその光景を、とても美しいと感じるのだろう。それは背徳だが、合わせ鏡に閉じ込められたような酩酊感を引き起こす、とても美しい背徳なのではないかと思った。

 

「女が、自分を卑下するのはお嫌いですか?」

 

 私は、諭すように言った。

 

 三年前に発芽して、けれど陽に当たることなく弱々しく、(いびつ)に育ってしまったその感情に、別れを告げながら……ごめんねと謝りながら、私は彼との間に線を引く。

 

「別に? ラナだってよくしてたから、媚びるみたいにね。けど、マリマーネさんは商人だからね。その媚びは女としてのもの? それとも商人としてのもの? それ次第で、扱いが変わるかもしれないね」

「私は、女で、商人ですよ? 商人であるために女を捨てた覚えなんか、ありません」

「……なるほど。それがマリマーネさんの性分なんだ。いいね、それは凄くいい」

「ん……」

 

 頬にあった手が、落ちて、あごのラインを通り、首筋を撫でていく。

 

 やがて、それが、背中に回ろうとし……。

 

 その先に、触れようとして……。

 

「……はぁ」「ん」

 

 私はその手から、決心が鈍らぬよう、するりと逃れる。

 

「ふぅん?」

 

 意外……という雰囲気を感じる。

 

 くるり、回って、また対面の位置に戻ると、冷たい……というよりは冷静にこちらを観察しようとしている瞳と目が合った。年齢の割に動じない、落ち着いた態度だった。

 

「怯えているの?」

 

 でも、だからこそやはりこれ以上はダメだと思った。

 

 レオ()は私を抱いていいか、じっくり観察して決めようとしている。

 

 夜這いと言いながら、欲望に身を任せるでもなく、冷静に一線を越えて良いか、悪いか、見極めようとしている。ならばこれ以上見透かされるわけにはいかない。その一線は、越えて良いけれどダメなんだ。誰も幸せにならないから。

 

「そうですね。それを含めて楽しみたいなら、もう少し高く売りたいところですね」

 

 だから、やっぱりここまでだ。

 

「焦らすんだ?」

「なんせ、ひとつしかない商品ですから」

「ふぅん」

 

 これ以上は身に余ると思った。

 

 残念だけれども、そうして努めて、意識を本来の自分へと戻す。

 

 レオ君を移す鏡ではなく、商人としての自分へ。

 

 こちらに、体勢を整えさせまいとする追撃は追ってこなかった。

 

 だから私は、ゆっくりと心を落ち着かせることができた。

 

「……はぁ、まったく」

 

 敢えて、空気を壊すような口調で吐き捨てる。

 

「まったく……それにしても、よ。それにしても、だわ」

 

 ここに至ってなお、踏み込んでこないのだから、アレも相当に性格が悪い。

 

 本気で、私がレオさんに襲われてもいいと、そのように思っていたのだろう。

 

 そのように()()へわざとらしく怒り、意識を変えていく。

 

「こんな展開を期待していたなら、やっぱり性格が悪い」

「何の話?」

 

 深呼吸をいくつかして、気持ちを切り替えた。

 

 そうして背徳と背信の誘惑を振り払い、私はきっぱりと彼へ通告をする。

 

「こちらから、伏せていたカードを開きます。これよりの判断は全てそれを見てからで」

 

 言い終わった時にはもう、未練はほとんど残っていなかった。

 

 さよなら、私のニセモノの、恋心。

 

「いいよ、全部見せて」

「変な言い方を、しないでください。その段階(フェイズ)は、もう終わりです」

「そう? 残念」

 

 カラリ笑った「レオ君」に背を向け、私は部屋の隅の方にある収納の、ほんの少しだけ開いた戸に向かって言葉を飛ばす。伝声管は開けていない。防音のしっかりした部屋で、ほんの少しだけ開いた収納の戸に向かって声を張る。

 

「これ以上見ているつもりなら、私の口から、全部話してしまいますよ?」

「……マリマーネさん?」

 

 急に変わった雰囲気へ、少年が戸惑いの表情を浮かべる。もっと戸惑え、そして後でここまでの言動を思い出して震えよ。それがこの一幕の代償だ、私への報酬だ。

 

「これから、ここに人がきます。逃げますか?」

「……あの戸の向こうに、誰かいたの?」

 

 いるわけがない。あんなところに人は、幼児しか入れないだろう。

 

「向こうに、という意味でしたら……ええ、そうですね、いましたよ」

「ふぅん?」

 

 これはかなり予想外だろうに、少年に戸惑いはあっても、狼狽(うろた)えた様子はまるで無かった。

 

 何もかも、どうなろうと構わないと思っているのか、それともこの展開をむしろ面白がっているのか……なんとなく、この場合は後者であるような気がした。ここに至り、その身体からは、なぜだか女性的な雰囲気が薄れていたから。

 

 もう少し違う言い方をすると、そこにあったのは、数刻前までの嫋やかな淑女のような妖しさではなく、好奇心と冒険心を刺激された少年の輝きだった。傾国の姫君のような妖しい(つや)めきではなく、春に眩しい新緑の煌きとでもいうか。

 

 そうしてああ、やっぱりレオ君には、その方が似合うなぁ……と思う。

 

 そうしてから、敵わないなぁ……とも思う。

 

 結局の所、レオさんを一番綺麗に輝かせられるのは、私ではないのだろう。

 

 私は、反射板にはなれても、光そのものにはなれないという理屈だ。

 

 そんなのは、初めからわかっていたことだったけれど。

 

「護衛を呼んだ……って風でも無かったね。誰が来るの?」

「すぐにわかりますよ……と、もうきた」

 

 どたどたと、荒々しい足音が走ってくる。日が変わったばかりの、深夜だというのにそれはとても騒々しい。やれやれ、他の人に聞かれないと良いのだけど。

 

「マリマーネぇえええぇぇぇ」

「……」

 

 騒々しく、荒々しく入室してきた黒髪の女性に、レオさんは不思議そうな視線を向ける。

 わかるよ、わかります。それはそれくらい不可思議で、けれどあからさまに示されている事実がある。わかる人にはわかる現実(リアル)がある。

 

 私もそうでした、そんな反応をしてしまいましたよ、ええ。

 

「言いましたよね? あなたの代わりなんか、ごめんですよって」

「まんざらでも無かったクセに! 結構、楽しんでいたでしょっ」

 

「……ラナ?」

 

 月明かりに、浮かび上がったその姿は、とても奇妙なモノだった。

 

 黒髪は同じ。

 

 けれどスタイルは違う。かなり違う。お胸の辺りは大きさで半分、迫力で五分(ごぶん)(いち)といったところか。

 

 顔も、系統は同じだが種類はまるで違う。欠点の少ない、化粧映えしそうな顔だが、造りそのものは地味。ラナンキュロアには強烈に漂う獣のような美しさがあった、魅力があった。今は……顔、そのものは……そうでもない。

 

 男受けは良さそうだが、それは「自分を立ててくれそう」という意味で安心する、その類の可愛らしさだ。ある種の同性からはある種の蔑視……貴族向けの商品を取り扱う商人が、そうでない者達へ向ける類のソレ……ボユの港においては大型の高級魚を扱う漁師が、そうでない者達へ向ける類のソレ……を向けられる、その手の可愛らしさだ。少なくとも、一見した限りではそのように見える。けれど時々見せる目の輝きには剣呑なものもあって、そこにはやはり、美獣の輝きがある。

 

 通常の、人間の世界とは別の世界で、強くしなやかに生きている者の、それは輝きだと思った。

 

 そんな目をする少女を、私は、私達はひとりしか知らない。

 

「……まじか」

「ほら~、だから言ったじゃないですか~、レオさんならすぐに気付きますよ~……って」

「いやぁ……元の私のキャラ付けって、おっぱいによるところが大きく無かった? それがこんなんになっちまってまぁ」

「ラナ!?」「わ」

 

 少年の目が、こんなん、と胸へ手を当てた女性……というか少女に釘付けになる。

 

 その姿は、「驚愕」というタイトルを付けられた名画のようだった。

 

 あと、こんなんっていうけど、それ、普通くらいの大きさはありますよ? むしろラナンキュロアが十三歳だった頃に近くないです?……なんでしたっけ、そろそろDに届くCがどうとか。元って言うなら、あなたはそれが元でしょうに。少なくともレオさんにとっては。

 

 ……じっと我が胸を見る。

 

「ナンノコトデショウ……私は通りすがりの出歯亀でして」

(まご)う事無きラナの言動!!」

「え、え、え、私こんなだった!?」

 

「……やれやれ」

 

 まー、なんでしょうかね。

 

 なんだったんでしょうね、この一幕って。

 

 ともあれ、ラナさんって……凄く変な人ですよね。

 

 この姿の私が、レオに判ってもらえるかわからないとか、だから会うのが怖いとか、たぶん、色々、自分を顧みて、レオはマリマーネを襲いに来ると思うけど、もしよかったら抱かれてやってくれとか、私は退場で構わないからマリマーネ、代わりに舞台に上がってくれない?……とか……ホント、ほんっとうに!……変な人。

 

 そんな変な人、見たら一目でわかりますよ。……なんでしたっけ、()る必要すらありません。全身から、ラナンキュロアの匂いがぷんぷんとするのですから。

 

 というより、「お前は説得できると思った」ってなんですかっ。ええ、ラナンキュロアという人間の性格と能力を知っている私なら、説得で納得させるのは簡単でしょう。ですが、私だってね? 一目見た瞬間に、「そう」じゃないかと疑いましたよ? 

 

 それくらい判りやすいんですってば、あなたは。

 

 レオさんに、判らないわけがないでしょうに。

 

 まったくもう。まったくもうだよまったくもう。あー、あー、あー。

 

「マジかー、そんなすぐにわかっちゃうのかー。……気まずっ」

「ラナだよね!? ラナなんだよね!? どうして!?」

「いやー……それは話すと長くなるかなぁ……」

 

「あー、はいはい、おふたりとも落ち着いて、落ち着いて」

 

 ぱんぱんと、手を叩いてふたりの注意をこちらへと向ける。

 

「ここら辺で、幕間(まくあい)の道化師は去りますから、後はふたりでやってくれませんかね?」

 

 正直、私を襲いに来るレオさんというのは、事前に告げられていてさえ意外過ぎて楽しめましたが、ここから先はおそらく予定調和です、割とどうでもいいです、犬も喰わねぇから勝手にやってくれって感じです。

 

 ケッ。

 

「……マリマーネは聞かなくて良いの? これから、どうなるか」

「そこのベッドを濡れ場にする気なら止めますけど?」

「そういう話じゃなくて!?」

 

 こっちの身体の相性はわからないし……とかなんとか言い出したラナンキュロアへ、私は冗談ではない不安を感じたが、だけどまぁここは自分の本来の寝場所ではないし、そうなったらそうなったで、なにかしらの報酬は貰えそうだからまぁいいやと、割り切ることにした。

 

 それ以上の報酬も、既に貰っていますしね。

 

「夜とはいえ、夏です、熱い視線を交わしあう湿度高めのカップルが、不快指数を上げている現場にはいたくないです。どうなったかは、爽やかな朝にでも聞かせてもらいますよ」

「……ぅぇ」

「……爽やかな朝を、迎えてくださいね?」

「それはラナ次第」「ふぇっ」

 

 まったくもう、やれやれです。

 

 も~、やだやだっと。

 

 それじゃあ、ええと……鏡だか反射板だか幕間の道化師だかはクールに去りますよ。……お風呂入ろっかな。じゃ、また後で~。

 

「ごゆっくり~」

「その言い方もやめて!?」

 

 

 

 

 

 

 

<ラナ?視点>

 

「それで? ラナ、どういうこと?」

 

 あー、うー。

 

「ラナだよね? 僕にはラナ以外の何者にも見えないけど」

「……はい」

 

 はいそうです。

 

 ここにおわすはラナンキュロア……と名乗れはしなくなってしまったけど、確かにこのレオと三年を過ごしたラナンキュロアの魂が入った、千速(せんぞく)継笑(つぐみ)の身体です。

 

 要するにアレです。

 

 巻き戻し魔法(ロールバックマジック)って便利だなぁ、って話です。

 

 取ってつけたようなハッピーエンドも、なんとこれ一台で演出が可能!……ブラックホールが誕生するレベルのエネルギーを消費させられたとか言われましたけれど。つまり巨大なお星さまが一個ぶっ壊れるレベル? わぁすごい。

 

「それって……」

「うん」

 

 つまり、まーたまたやらせていただきましたァん……ってことですかね。

 

 私は、ツグミに嘘を()き、ある意味では彼女を裏切り、ミジュワと結託したのです。

 

『ツグミを騙す? ツグミがマークしてるのはあなた……ラナンキュロアという存在だから、その身体を一度殺した後、死体を千速継笑の身体まで巻き戻して生き返る、ですか?』

『そそ、つまりあなたの目的は、ツグミをお兄ちゃんの元に返すこと、でしょ? あなたはそれをトレースしてついて行き、あなたの創造主……私は青髪の悪魔って呼んでいるけど……その元へ帰りたい……そうなんじゃないの?』

 

 心話(テレパシー)を、ツグミよりも上手く使えることは、ジュベミューワがツグミとの回線に割り込めたことからも推測できた。だから私は、表では色々なことを喋りながら、裏ではずっとミジュワと交渉をしていた。

 

 そうしなければまた、幽河鉄道(ゆうがてつどう)でやり直すよと脅して。

 

『魂の移動は、可能でしょ? ユーフォミーの魂、どこへやったの?』

『それは当方の知るところではありません。が、悪いようにはしていないはずです。転生の儀は生命の濫觴(らんしょう)にも触れる高次元の行為。ならばみだりには行えません、諸々の事情を()んだ上で、しっかりと行われたはずですから』

『あなたが、どうかしたんじゃないの?』

『違います。それを行ったのは当方の……あなたの言葉でいう創造主、青髪の悪魔です』

『へぇ……』

 

 私は自分からその信頼を求めた相手を、手ひどく裏切った。

 

 でもそこには後悔も、罪悪感もない。

 

『つまり……ユーフォミーも、チートな転生者になったってこと?』

『その父親と共に、ですね』

『ああ……なるほどね。それは確かに諸々の事情を酌んでくれている……か?』

 

 ツグミはお兄ちゃんの元に帰るべきだった。ツグミはお兄ちゃんのモノなのだから。

 

 ミジュワ、青髪の悪魔との因縁は、そっちでなんとかしてほしい。それは私のやるべきことでは無い。神々の黄昏(ラグナロク)とか最終終末戦争(アルマゲドン)は神様だけでやってほしい。

 

 私は、私の人生を私らしく生きれればいいんだ。

 

『まぁいいや。なら、ミジュワは魂を扱えないの?』

『いいえ、出来ますよ? 今ではツグミのヴォルヴァよりも、ずっと複雑なことが』

『なら?』

『……御提案の件は、実行可能であると言わざるを得ません』

『なら、して』

 

 心話(テレパシー)で、私達はそのようなことを話した。

 

『……ですが』

『なによ?』

『怖くないのですか、今まで敵対していた相手に、魂を預けるというのが』

 

 少し意外だったのは、発声すると棒読みに聞こえるその声は、心話(テレパシー)においては意外と感情も透けて見える気がしたことだ。

 

『敵対、してたの?』

『……少なくとも私は、ツグミの敵です』

 

 そこには、少なくとも私に対しての悪意はなかったように思う。ツグミに対してのそれは……私の知るところではない。

 

『それなら、別に私の敵ってことでもないんでしょ? 言ったじゃない、私達は共闘したこともあるって、状況が違えば共闘の可能性はある、それを私に教えたくて言ったことなんじゃないの? あれは』

『……共闘路線の方が、敵対路線よりも楽だったことは確かです』

 

 私の提案にミジュワは戸惑い、若干の不信を滲ませている感じがした。

 

『なら、今回も楽な道を選んで。私はツグミを裏切る。だからあなたは私に協力する。私も、敵対して相手を殺したり、撃破して撤退させるより、その方がずっと楽』

『割りきりが良すぎるというか……不気味なほど価値観が偏ってるというか』

 

 そうしている内に、攻勢だったはずのミジュワは、気が付けば腰の引けた態度になっていた。

 

 大量殺戮を行った超常的存在に、だけど救いを求めるのなんて、人間界にはよくある話なのにね……まぁ、それが気持ち悪いってのには、同意だけれども。

 

『あなたに、それを言われてもな~……なぁに? ビビってんの?』

 

 だから私は、そこからは強気で攻めた。挑発するような態度で、へいへーい青髪の孺子(こぞう)、いつまでママのスカートに隠れているんだ~い……という類の言い回しを重ねていった。

 

 だから。

 

『……いいでしょう、乗りました』

 

 だから、意外にもすぐ、簡単にミジュワがその答えを返してきたのには驚いた。

 

 驚き、もしかすればミジュワの精神はかなり幼いのではないかとも思った。ミジュワの四十六周のほとんどは、数日や数週間の繰り返しだったのではないだろうか。生まれてから過ごした時間は、実は十五年もなかったのではないだろうか。

 

 だとするなら、彼女はレオよりも年下の可能性が高い。下手をすれば出会った頃のレオよりも。

 

『あなたの、ご提案通りにしますよ。確かに、当方とラナンキュロア様が最も丸く収まる道は、そこにしか無いのでしょうから。あなたからその提案が出たことには、正直……気持ち悪さしかありませんが……いいでしょう、ラナンキュロア様が当方を騙すようであれば、この経験を元に、次の周回でもっと上手くやることにしますよ』

 

 ただ力を持って生まれてしまっただけの子供……ミジュワはそれでしかないように思えた。言葉が通じる分、ジュベミューワよりもずっと可愛げがあるじゃないかとすら思った。

 

 言葉が通じるなら取引ができる、謙りつつも強気で攻め、こちらの言い分を認めさせることが出来る。商人はずっとそうやって生きてきた。この時は私にもその血が流れていた。私はただ、その力で大人気なくミジュワを制しただけだ。

 

 これはそう、それだけの話だ。

 

『そうそう、騙すつもりなんか無いけど、あなたは格上、私は格下、心配することなんてないでしょ? 心配しないで、私は商人の娘。どちらも勝者(ウィンウィン)を目指す者だから』

『……気持ち悪っ』

 

 そうしてこのやりとりは、ミジュワが私の提案を全面的に受け入れるという結果に終わったのだ。

 

 それは、私がこれまでの死者を、その全てを見捨てるという結果でもあり、ある種の敗北でもあった。けれど、それは私の利益が最大になる敗北でもあった。

 

 傲慢(ごうまん)に言い張ろう。

 

 私は、「負けてあげた」のだ。

 

 私は、コンラディン叔父さんの、ナッシュさんの、ボユの港町における全ての被害の、負債を請求しない代わりに、自分の利益だけを追求した。

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)で「やり直せば」、彼らだって助けられたかもしれないのに。

 

 私は、レオひとりを助けるため、「やり直す」という選択肢を採らなかった。

 

 我ことながら、罪深きこと死の商人が如しと自嘲せざるを得ない、それはあまりに残酷な命の選別(トリアージ)剪定(せんてい)選定(せんてい)だった。

 

『私はレオとふたり、一緒にいられたらそれでいい。その為なら悪魔とだって取り引きする。これは、それだけの話じゃない?』

 

 だから、本当の最後の最後に、ミジュワが私の脳内に響かせた言葉は、とても皮肉が利いていていいなとも思った。

 

 私は運命に勝てなかった。だけど負けもしなかった。

 

 それは、そのことを強く感じさせる言葉だったから。

 

 

 

『おお神よ……どうかこの救われぬ魂をお許し下さい』

 

 

 

『……神に祈る悪魔の手下か、レアなものを見たな。得な気は全然しないけれど』

 

 

 

 

 

 

 

 そうして私は蘇った。千速継笑の身体に、しばらくミジュワが保持していたラナンキュロアの魂を入れられて生き返った。それが今から三日前のこと、この惑星よりツグミが去って三日後のことだった。

 

「なんだろう、聞くと物凄く単純なことに思えるけど、ラナ以外にそれが可能だったかというと……まったく無理としか思えない策謀、計略だね」

「コミュ障だからこそできた作戦って?」

「そんなことは言っていないけれど……ラナ」

 

 そうして。

 

「ん?」

「おかえり」

「……うん」

 

 ……そうして私は、気が付けばまたレオに抱きしめられていた。

 

 ラナンキュロアの時と同じように、レオの腕と胸に抱きしめられていた。

 

 それは暖かくて、とても心地良い私の居場所だった。

 

 レオからすれば、抱き心地はきっと、ラナンキュロアのそれよりも悪かったと思うけれど。

 

 けれど抱擁の力は強く、衝動的で、荒っぽくは、なかなかしてくれないレオにしてはやけに情熱的だった。失っていたモノが、より大きなものとなって返ってきたみたいに思えて嬉しかった。

 

 本当に、嬉しかった。

 

「レオ、あのね……」

「うん?」

 

 嬉しすぎて、私達以外の世界が消えてしまうのを感じた。

 

 私の視界にはもう、レオしか映っていなかった。

 

 そこには私達ふたりしかいなかった。

 

「ちょっと思い出したんだけど」

「……なに?」

「あ、そのまま私のこと、抱いていて。そのままで聞いてほしいの」

「いいよ、もう放さないから」

 

 だから。

 

 マリマーネが何を言って去っていったかなんて、もう完全に覚えていなかった。

 

「私、この肉体の状態を、その……清い状態に巻き戻してもらったの。さすがに、ええと、そうじゃない状態の私をレオにお見せしたくは無かったから、うん、そう、そうなの! うん……」

「……つまり?」

 

 レオとマリマーネとの直前の一幕でさえ、完全に消えていた。

 

 色々と話さなければいけないことが、他にもたくさんあったけれどそんなのはもう明日でも、明後日でも、三年後でもいいと思った。

 

 私達は、これからずうっと、一緒なのだから。

 

「だから、ええと、色々な意味でまたお騒がせすることになると思うんだけど……」

「……ああ」

「その……ご迷惑おかけします、はい」

「とりあえず、荒っぽさは求められないみたいで良かったよ」

「はぅあっ!!」

 

 こうして、私達は始まりの時を繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで? これからどうするんですか?」

 

 そうして世界は巻き戻り、今日の爽やかな朝がやってきたのです。

 

 どこが爽やかな朝なのかとツッコまれたり、ベッドからシーツが無くなっていることを偉い形相で睨まれたり、それからロレーヌ商会の最高級シーツを十枚ほど要求されたりもしましたが、私は爽やかです。爽やかに、これで買ってきなぁと金貨を三枚ほど渡してやりました。半分冗談だったのですが、ニコリともせずふんだくられました。お、おう。

 

 そのお金はどこからって?

 

 私達は、南の大陸へと渡ろうとしたわけで、あの船には金貨六百枚ほどが積まれていたのです。日本円で一億二千万円分。それとわからないよう、見た目ぼろっちい箱に入れられていましたが、内側はレオの切断スキルを使って造られた頑丈な物でしたからね、船はミジュワにぶっ壊されましたが、箱はちゃあんと残っていました。あの時、ラナンキュロアが死ぬ直前に、ワープ機能を使って地下シェルター付近にこっそり埋め直しておいたのです。三日前、回収に行った時も、ちゃあんと残っていました。

 

 さすがに全部は貰いすぎというか重かったので、四百枚ほどはパパへ「このお金は私に何かあった時、パパへ届くように手配しています。世の為人の為使ってください」云々書いて送ってあります。ドヤッセ商会の馬車で。輸送費はやはり金貨三枚でした。ボリやがって。

 

 しばらくご厄介になるからと、あと三枚渡しているので残金は三千八百二十万(38,200,000)円ですね。当面の生活に不安はありませんが、一生食っていけるかというと微妙なところです。

 

「それなんだけど、レオはどうしたい?」

「ん?」

 

 遅い朝ごはんを食べ終わった私は、季節のフルーツをパクつくレオへ肌をくっつけながら聞く。その様子を苦々しい様子でマリマーネが見ている。

 

 なによぉ、チャンスはあげたでしょうと言いたくなるが、言葉で絡まれているわけではないので放っておく。それよりも今はやるべきことがあるのだから。

 

 あと、この状況下でそのフルーツ、どこから調達してきたの? レオ。

 

「これから、どうしようかなって」

「ラナのしたいようにすればいいと思うけど?」

「今までは私の方に生活の基盤と暮らしの地盤があったからそれで良かったんだけど……」

「ロレーヌ商会に戻るつもりはないってこと?」

「らしいですよ? なんならドヤッセ()商会のほうで雇ってくれない? なんて言っていましたし」

 

 だって商会のコネの無い私なんて、剣を持ってないレオみたいなものじゃないですか。私にはそれも金貨千億枚に勝る価値があるけど。

 

「そうなんだ?」

「……パパに私が私だって認めさせるのは、出来る気もするんだけど、ママがね」

「うん?」

「ママには、多分私がいない方がいいから」

「……それほど、なんですか?」

 

 レオが調達してきた白ブドウの、その房からちょんと一粒をつまみながら、マリマーネが言葉を濁す。あ……。

 

「どうにかなることなら、とっくの昔にどうにかしてる。どうにかしようとしたことだってある。私自身が近づくと怯える、それでも近くにいようとすると狂乱が始まる。パパに、いい商売を教えてあげるからママをなんとかしてって頑張ってみたけど、ロレーヌ商会の売り上げがそれまでの三倍になった辺りで、この方向も無理だなって諦めた」

「……ロレーヌ商会躍進のきっかけは、それでしたか」

 

 一粒をこくりと嚥下(えんか)して、妙にしみじみとマリマーネが言った。あー、食べちゃったねぇ。

 

「私はアイデアを出して監修をしただけ、真面目に働いたのはパパとその部下の人達。きっかけというなら、娘が出してきたアイデアが金になると判断して、そこに本気の労力をつぎ込めたパパの決断力の方にあるんじゃない?」

「ご謙遜を」

「……そこは、本当に誇れることじゃないから」

 

 レオが、まぁそうだねという目でこちらを見た。ここではその扱いの方が正統だ。それは性癖云々でなくそう思う。掠め取ったアイデアを褒められても居心地が悪くなるだけだ。でも、ところで、そのメロンみたいな高級フルーツ、どこから掠め取ってきたのかな? マリマーネ、今本人の知らないところで何かの共犯になっているよね? まぁ指摘しないけど。

 

 そのマリマーネは、ひょいひょいと犯罪の証拠品……もとい、白ブドウの一粒一粒を皮ごとパクパク頬張りながら、じっと私の顔を見ていた。この境遇に同情しようしているなら甘味の賞味はやめなさい。(しょう)に正直なるかなその顔は、正味、笑止でありますよ?

 

 しばらく、(多分ママのせいで)沈黙が続き、やがてレオが口を開いた。

 

「僕のやりたいことか。……本当に、別にそれは無いんだけど、やった方が良いかなって思うことはある」

「え、何?」

「東の帝国、倒しに行かない?」

「……ああ」「ええっ!?」

 

 私は、密かに考えていた案が、レオの口から出てきたことに驚く。

 

 もっとも……。

 

 レオは、私の好悪の感情を全て知っている。共感……というより、それはもうレオの心に溶け込んでしまっているのだ。だからマリマーネに夜這いを仕掛けたのだろうし、私の心が東の帝国を倒すという方向へ向いてることにも気付き、共鳴をしているだろう。

 

 でも、だからこそ、レオが自分の口からそれを言い出したことには、大きな意味がある。

 

「三年前には、ラナのパパもママも無事だった。でも、次はそうじゃないかもしれない。マリマーネさんだって普段は王都住まいだ。王国が動けないのなら、僕達ふたりで東の帝国を瓦解させ、混乱させ、しばらくは他国へ侵略するような気がおきないような状態にする。帝国が滅びればあの地に訪れるのは群雄割拠の戦国時代、血で血を洗う戦乱の坩堝(るつぼ)。南の大陸と同じ状態になるだろうね。だから、向こうの人達のことを考えるなら、これは臭嵐(しゅうらん)が如くに迷惑な話だろうけど」

 

 そう。

 

 けれどそれは、正義ではない。

 

 もっとはっきり言えば、悪だ。

 

 どんな形であれ、ひとつの秩序によって構築され、安定していた世界を、壊してしまう行為だ。

 

 それは、臭嵐(しゅうらん)によって世界を汚すことと変わりがない。

 

 でも、そんなこと、私とレオにしてみれば……。

 

臭嵐(しゅうらん)、か……風属性は悪、なのかな」

「……また、何の話? ラナ」

 

 唐突に、妙なことを言い出した私に、レオはだけど「ああ、やっぱりラナだ」って思ってることがハッキリとわかる笑顔を向けてくる。

 

「世界は四元素(しげんそ)、火、風、水、土の四つの元素から成るって考え方。原子の“発見”以降は廃れた考え方だけど、何かを分類する時には結構便利でね」

「ああ、聞いたことがある気がする」

「……そんな考え方があるのですか?」

「マリマーネが知らないのは当然だけど……灼熱のフリードの、その成れの果てを思い出すと、考えてしまうことがあってね」

 

 私は、暇だった三日の間に考えていたことをなんとなく口にする。

 

「正義は火属性、炎属性なんじゃないかって」

「……ボユの港町を、こんな風にしたのが正義、ですか?」

 

 正義だとは思うよ、少なくとも私達に比べたら。

 

「正義はね、簡単に暴走して炎上を引き起こすモノなの。でも、人間の生活に、火は必要不可欠じゃない? ご飯を作るのにも、お風呂を沸かすにも、冬に暖を取るにも、ね。もっと言うと、それを熱を言い換えれば、人間そのものが一定の熱を持っていなければ生きていられない」

 

 土は中道(ちゅうどう)、正義でも悪でもない、ただ地に足をつけて生きる()(よう)だろうか。

 

「正義も、やっぱり人間の生活に必要。必要だけど、それは一定の量、一定の温度までなんだと思う」

 

 水は無垢、純粋無垢で簡単にナニモノにも染まり、簡単にどこへでも流れていってしまう。

 

「強すぎる炎は悪と変わらない。延焼すれば無関係の人を巻き込んでいくし、それが猛威を(ふる)った後には、真っ黒な炭と白い灰、切り傷よりもずっと深刻で醜い、火傷の痕しか残らない」

「……そう、ですね。この数日だけでも、痛ましい傷を沢山見てしまいました。死ぬならばレオさんに首をスパッとやってほしいと思ってしまうほどには」

「……マリマーネさんが絶対にもう助からない状態で苦しんでいたら、介錯してあげることにするよ」

「やめてください縁起でもないっ」

 

 それはオマエが言い出したことだろう、マリマーネ。

 あと、手を拭きながら甘味もうないのってレオを見るのはやめれ。救援物資に小麦と砂糖とバターとナッツ類があるんだからクッキーでも焼きなさいよ。卵が無いけど、割れ物だから。

 

「だから正義には謙虚さが必要なんじゃないかな。ブレーキ役、安全弁って言い換えても良いけど、真っ当に生きれるだけの温度を保ち、不必要な延焼は避ける。そういう節度がやっぱり大事なんだと思う」

「……東の帝国を倒す、その正義は危険って話?」

 

 違う違う。まぁこれは私がこの三日間で考えたことだ、伝えるには、言葉でするしかない。

 

「ううん。東の帝国もね、多分正義は正義なんだよ。領土を広げ国を豊かにするというのは、正義は正義なんだよ。マルスとかゆー、私が殺したアイツの姉だか妹だかが証言した帝国の実態は、結構ロクでも無かったけど」

「そうだったね」

「難しい話、ですね。侵略は正義、ですか」

 

 そういえば侵略すること火の如く、って言葉もあったね。

 風林火山だと水がないけど。

 

「向こうにしてみれば、ね。少なくともあっちのパ……なんとかって皇帝は、それが正しいと思っているんじゃない? 思っていなくても、そのように振舞っている。そうじゃなかったら自分になかなか臣従しなかった種族、ダークエルフや猫人族(ねこじんぞく)の出産を許可制にするとか、中絶を強制するとか、しないでしょ」

「……本当ですか? それ」

 

 マルスの話ではね。

 

「ダークエルフと猫人族は、エルフよりも自由を尊ぶ気風の種族だったんだって。だから最後まで抵抗したらしいんだけど……自分に逆らった種族は悪だから浄化する。燃やし尽くし灰にしてしまう。そんなことを臆面も無くやってのけるのは、我に大義ありと思ってる連中だけなんじゃない?」

「うーん……我々は、そんなのに侵略されそうになっていたんですか」

「戦争は、終わったわけじゃないから、まだ“侵略されそうになっている”んじゃないかな。……ついでに言うとね、王国が帝国に支配されたら、多分ママは殺されちゃう」

「え」

「どうして偉い人の中には、一定の確率で優性思想の信者が混じるんだろうね。回復の見込み無き劣等なる者は処分が妥当、なんだってさ」

「ええ……」

 

 まぁそれもマルスの話だから、本当かは知らないけど。

 

「でも、それって要するに、人類を劣等なる遺伝子の汚染より救いたいって、本人にしてみれば正義のつもりなんじゃないの? 劣るもの、醜いもの、己が悪と断ずるもの全てを燃やし尽くしてしまいたいという、正義の、浄化の炎」

 

 まぁ劣等なる遺伝子ってのがもうオカルトだけど。でも、科学を信用しないか、科学は自分にとって都合のいいモノであるべしという思想の人には、そうしたオカルト、似非(エセ)科学も時として真実となり、熱となり、炎となってしまうモノなのだ。

 

 それに、カエルの子はカエル、そう思っていた方が楽に生きれることを、私は知っている。

 自分は貴き血を持つがゆえに、無条件でそうでない者よりも優れているのだと思って生きられるのであれば、それは、随分と楽で、幸せな生き方なのではないだろうか。

 

「……ボユの港町を襲った巨人は、燃やした人の死体を、吸収したと聞きましたが」

「それこそまさに侵略者、征服者の姿じゃない。自分が焼き尽くした街の財を奪い、肥大化するという」

「む、ぅ……」

「不快なもの、見たくないものを放っておけず、炎で焼き尽くそうとするのも正義。力を得るため他人から奪い、己を肥大化させるのも正義。少なくとも、()()()()で正義と悪とを分けるのは、不可能なんじゃないかって思う」

 

 適温は正義、低温過ぎるから悪、高温すぎるから悪、個人の感覚としてはそう分けることも可能だろうが、適温は人によって違うし、温度そのものが熱源からの距離でも変わってしまう。発電所には超高温が必要だし、氷室(ひむろ)には超低温が必要だ。

 

 自分が不快だからエアコンの温度を上げろ、自分が不快だからエアコンの温度を下げろ、その手の争いはこの世界にいくらでもある。万人に適温、常に適切な温度など、どこにもないのだ。

 

 正義を、ここまでは適切な正義、ここからは行き過ぎの正義と分けることは、きっと不可能なんだ。

 

「でも、帝国の正義は私達にしてみれば迷惑な炎。それは間違いない。関係ないし、知ったことでもない。黙って燃やされる()われなんかあるわけが無い。迷惑だから水でも砂でもぶっかけて消したいところだけど、どうもそれでは消える気配がない。だとしたら後は……」

「……風?」

「うん」

 

 正義が炎、悪が風とするなら、それは時に結託し、より被害を大きくしてしまう組み合わせだ。

 

 風は炎を煽ってより強い炎を生むし、炎を孕んだ風はあらゆる物を発火させていく。

 

 でも、だからこそ、それが有効な手段となることもある。

 

「炎を、自分の望む方へ誘導する。それができるのは水でも土でもない、風だけ」

 

 蝋燭の小さな炎であれば、ちょいと吹くだけで消すことも可能だろう。けど、そんなのは土でも水でも簡単に消すことができる。

 

 でも、ある地点で燃えている炎を別の地点へ誘導することは、風にしか出来ない。

 

 また、風には煽り、煽りまくって火元を燃やし尽くし、消火する方法だってある。

 それに、そもそも炎は酸素がなければ燃え続けることも出来ないのだ。

 

 誘導、燃料切れ、どちらも狙えるのは、四元素では風の力だけだ。

 

「帝国は正義、別にそれでいいよ、それを打倒する私達は悪、それでいい。私達は風になろう、王国へ向かってくる炎を、帝国へ逆流させるために」

「……ああ」「え、やる気なんです? 本当に!?」

 

『世界と全面戦争、始めるよ? 世界対、私とレオふたりきりの戦いになるよ。付いてきてくれる?』

『付いてくるのはラナだ。世界は元々、僕を嫌っているからね』

 

「まぁ面白そうだし」「そうだね」

「適当!!」

 

 そうしてまた私達は戻る。

 

 最初の瞬間に巻き戻る。

 

 始まりの時を繰り返し、また新しい物語を始める。

 

 こうしてラナンキュロアは死に、私達はまた別の物語を始める。

 

「私が悪でいいなら、付いてきて、レオ」

「付いてくるのはラナだよ、多分正義は、僕の方が嫌いだから」

 

 私と、十四歳(推定14才)の少年が帝国に敵対し、国堕としとなる物語。

 

「いやちょっとちょっとちょっと!? なんか凄いことをえらくあっさり決めてません!? 帝国が滅びればあの地に訪れるのは群雄割拠の戦国時代、血で血を洗う戦乱の坩堝って話はどこへ!? 臭嵐(しゅうらん)が如くに迷惑な話なのでは!?」

「反対? 群雄割拠の戦国時代になれば、この惑星のどこで生まれたかもわからないような人間が、居場所を手に入れることも可能だと思うけど」

「というより! そんなことが本当に個人で出来ると……思えるから不思議ですが! でもそんな簡単に決めてしまって良いのですか!?」

 

 それは世界を壊したい少女が、世界を壊す少年と結ばれた、その後の物語。

 だからそれを語る必要は、もうない。

 

「いいよ、いいさ、いいんだよ、僕達は風なんだから、どこへ行ったっていいし、どこへ流れていくのも自由だから」

「……それは、どういう?」

「帝国に、行くだけ行ってみて、後はそれから決めればいいってこと。ね、レオ」

「うん」「無鉄砲!!」

 

 私は最初から正義じゃなかった。

 

 私は最初から何も正しく無かった。

 

 間違って生まれ、間違いながら生きてきた。

 

 でもそれは、間違いなく私の歩んできた道だった。

 

 だからこの先も、私は私の道を行く。

 

 自由に、私らしく生きる。

 

 

 

「ふたりで、生きていこう」

「うん、ずっと一緒だ」

 

 

 

 そうして私達は――風になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、三人でもいいけど」

「えええっ!?」

 

 

 



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終章
Exogenesis Symphony Part I


 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、世界はまた震えていた。

 

 全ての景色が高速で後ろへ、後ろへと流れていく。

 

 背と鼓膜を、ガタンゴトンと定期的な振動が刺激する。

 

 

 

 情景は不定形で。

 

 

 

 体感(たいかん)循環(じゅんかん)する景観(けいかん)瞬間(しゅんかん)五感(ごかん)万能感(ばんのうかん)へと連関(れんかん)し、転換(てんかん)し、けれど壮観(そうかん)一体感(いったいかん)は、寸閑(すんかん)で。

 

 

 

 訳無(わけな)く、()けなく。

 

 石棺(せっかん)のような。

 

 

 

 自分という、輪郭の自覚が、やがて戻ってくる。

 

 

 

 (ふか)くから知覚(ちかく)捕獲(ほかく)され不覚(ふかく)、またも不自由な人格(じんかく)へと鹵獲(ろかく)されていく。

 

 

 

 

 

 だからこの私は、いまだこの世界に繋ぎ止められている。

 

 

 

 

 

 

 

 ……私って?

 

 

 

 私は。

 

 えっと、だから……。

 

「お目覚めに、なられましたか? 千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様」

 

 そう、千速、継笑。

 

「ん……」

 

 ()()みと書いて継笑。

 

 

 

 それが自分の名前だったはずで。

 

 でも好きになれなかった名前で。

 

 

 

 巻き添えのように、笑うことに罪悪感を覚えてきた、この石棺の識別名で。

 

 

 

 

 

 

 

 ……そうだっけ?

 

 

 

 

 

 

 世界を、高速で走る列車が流れていく。

 

 ごうと重々しく。

 

 ゴトンゴトンと軽やかに。

 

 

 

 その色は黒。石炭のように無骨な黒。

 

 

 

 重厚な鉄のようには、拒絶感もなく。

 

 

 

 かといって玩具(がんぐ)のそれのようには、プラスティックであるとも見えずに。

 

 漆のような艶は無い、ただひたすらに無骨な黒が、しかしそこに()るという圧倒的な存在感でもって、自らが生み出した風と共に、悠々と走っていて。

 

 

 

 

 

 

 

 また、都庁のようなモノが見えた気がする。

 

 自由の女神のようなモノが見えた気がする。

 

 アンコールワットが、富士山が、凱旋門が、ウェストミンスター宮殿のビックベンが、通天閣が、エッフェル塔が、ナスカの地上絵が、万里の長城が、サン・ピエトロ大聖堂が、コルコバードのキリスト像が、長崎の平和祈念像が、サグラダ・ファミリアが、タージ・マハルが、金閣寺が、マチュピチュが、通っていた高校が、自分の家が、見えては消え、消えては次が現れまた消えて。

 

 ああ、戻ってきたんだなと認識をする。

 

 

 

 

 

 

 

 世界は流れていく。

 

 

 

 過去を流し、時を流して、今という檻へ、その合流を急ぐかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ツグミ?」

「はい、おかえりなさい。旅はいかがでしたか?」

 

 私は。

 

 そこで(ようや)く、直前のことを、思い出す。

 

 私の現実を思い出す。

 

 

 

 そう。

 

 だから私は。

 

 千速継笑は忘れ物を取りに帰る……その途中だったはずで。

 

 忘れ物……それってなんだっけ?……それは確か……すごく重要なものだ。私という人間が存在するために、絶対に必要なもので……それを取って、またすぐどこかへ、私がいるべき場所へ戻らなければ。

 

 

 

 ……どこへ?

 

 

 

 ……違う、私は戻るのではなく、進むためここにいるはずだ。

 

 

 

 ラナンキュロアは死んだ。

 

 ラナンキュロアはツグミによる転生を拒否していた。

 

 だからラナンキュロアという人間はそこで終わりになった。

 

 そうして千速継笑は帰ってきた。

 

 またも悲劇に終わってしまった()()()()()人生を、やり直すために。

 

 

 

 ラナンキュロアはレオを愛していた。

 

 どうしようもないくらいに、彼を愛していた。

 

 その彼女が、どんな心境でまた人生をやり直し始めたというのか。

 

 それを私は知らない。それを私はもう覚えていない。もうなにもかもがわからない。

 

 Why (ホワイ)done it?(ダニット) ラナンキュロアは、何を考えていたのでしょうか?

 

 ミステリーにおいてなぜやったのか?(ホワイダニット)は、一段地位の低い、扱いの少ない、重視されないモノ。

 

 そして恋愛モノにおいても、実はそこ、Why (どうして)love it?(愛したのか) については一見扱いが雑だったりもする。それはそうだ、人が人を好きになることに理屈なんてないし、他の人には理解出来ないような理由で人を好きになることなんて、いくらでもあるのだから。リアルに(えが)くと、結構雑に見えてしまうのが恋というものなのだ。

 

 けれど物語においては感情移入が非常に重要になってくる。ヒロインが人を好きになるその気持ちに感情移入出来ないというのは、多くの層からの期待と信頼を裏切る行為となってしまう。

 

 だからその部分はカリカチュアに誇張された、類型的なモノになっていることが多い。

 

 ラナとレオの事情にしても一見、そのパターンのひとつにも見える。古今東西、自分のピンチを救ってくれた人を愛すというのは、使い古されてなお万人から酷使される玄関マットのようなパターンだ。

 

 でも、そこには微妙に飲み込みづらい部分がある。というか、ラナはどうも「ならず者に乱暴されそうになったところを救われた」という、それこそ恋に落ちるべき状況下では、まだ恋をしていなかった。お風呂に入れて身体を洗ったりして、襲ってくれても構わないという状況を作り出してはいたが、もし、それを本当にそうされていたら……彼女は一生、レオを好きになったりはしなかったのではないだろうか。

 

 レオもそうだ。レオは最初、ラナを変な女性としか思っていなかった。それが変わるきっかけこそ玄関マット……もとい、自分のピンチ(コンラディンに組み敷かれたアレだ)を救われるという使い古されたパターンだが、その部分のレオの心情は正直、あまりこちらへは伝わってこなかった。あのレオから恋したことを察しろというのはあまりにもハイコンテクスト……というよりは単なる演出ミスだ。そういうのは「我、高尚なる物語ですぞ」という顔をした、紀●國屋に積まれていそうなハードカバーの本の中だけでやってほしい。又吉●樹も唸るような美麗な文で。日本人はリアルで思いやりと察しの文化に疲れているのだ。物語の中でまでそんなものは見たくない。少なくともエンタメ作品においては。

 

 ラナは結局、リストカットごっこを止められ、自分を愛していると告げられることで、レオを愛するようになる。自分の最悪の部分を見られ、けれど愛してるよとまっすぐ告げられたことでコロッといってしまったパターンだ。これもその形だけなら充分にカリカチュアで、類型的だけれども、ちょっと捻りすぎだ。まずヒロインがリストカットで遊ぶという、その時点でエンタメじゃない。ある意味、それは嫌らしいほどに生臭いのだ。遭遇の可能性がリアルで充分にある地雷女なのだ、リスカ女なんて。リアルでうんざりしているものに、フィクションで出会いたくないというのは、エンタメを愛する層の共通認識だろう。ほらアレだ、リアルに妹がいるお兄ちゃんは妹モノを好きにならないというアレだ。

 

 だから結局、娯楽映画を見るように、漫画を読むように、ネット小説を読むようにそれを味わった私は、最後までラナに感情移入という、ある種の信頼を寄せることはできなかった。この子に感情移入していれば気持ち良くなれるんだとはとても思えなかった。

 

 ラナがレオを愛していた気持ち、それを、それも私は、結局理解しきれていない。

 

 まぁだけど、それも、それはそうだ。

 

 私とラナンキュロアでは大きな部分が異なる。私は悪質な痴漢をされ、(さら)われて殺されたという記憶が無いし、その先にある感情の全てには、だから共感し得ぬモノがある。し得ぬというか、したくない。遭遇の可能性がリアルで充分にある地獄だから、そんなものに感情移入は、したくない。ジュベミューワの最期を想像する以上に、したくない。

 

 それに……。

 

「旅、旅ね、これは旅、だったのか」

 

 それは多分ずっと昔のことなのだ。ツグミが百年以上の時を数えるくらいには。

 

「一枚も写真を撮ってないし、お土産も買い忘れちゃったけど」

 

 今の私には理解出来ない。もう理解出来ない。レオを、人をあそこまで好きになれるということが。

 

 だから私はもうラナンキュロアではない。違う。

 

「心を過去へと飛ばす旅、そのように表現しても、間違いではないでしょう」

 

 ラナンキュロアで失敗した千速継笑が、どうしてまた転生を再開したのか。

 

 私が今、ここにいるその理由を、私は知らない、彼女の、ラナンキュロアの心を理解出来ない。『世界が滅びるその時まで、ずっと、この魂はレオを愛してい』たのではなかったのか。

 

 私はもう、千速継笑からも、ラナンキュロアからも、遠くに来てしまったのだ。

 

 私はもう、取り返しのつかない地点に来てしまっている。

 

 なにか重要なことが、既に取り返しつかなくなってしまっている。

 

 

 

 だから先へ、進まなければならないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

「過去、過去か……。感想を言えば、割と最悪。なによ、“斬殺ですね、斧で斬られました”……って。あれ、斧って言えるの? ミジュワの身体の一部じゃない」

 

 私は、しかし()()()()()()()()()()()()()()、ラナンキュロアの死の瞬間について思い出す。

 

 ミジュワの身体の中から出てきた青い、何もかもが真っ青なノアステリアに、ラナンキュロアは背中を斬られ、死んだ。何かしらのフィルターがかかっていたのか、観客である私はその痛みを感じなかったが、それはラナンキュロアに感情移入していなかった私でさえも、心破られるような光景だった。

 

「それを言ったら普通の斧も、鉄で作った道具、ですよ? 斧というのは形状を表す言葉であって、素材を表す言葉ではありません、銀の斧、金の斧ならその通りですが」

「屁理屈ぅ~」

 

 真っ赤なローブでなく、フリルいっぱいのケッタイな、けれど可愛らしいメイド服のようなそれを着たツグミは、相変わらずの美少女っぷりをふんだんに振りまきながら、それを直視したくない私の顔を、向こうからは無遠慮に覗き込んでくる。

 

 ツグミ、ツグミか……。

 

「なら、あれは青の斧、ってところ?……ここは?」

 

 私は、そこで(ようや)く周囲をぐるんと見回(みまわ)す。

 

 前に目覚めた寝台車……ではない。もっと豪華……というか、ちゃんとした寝室だ。

 

 ラナンキュロアの再上演(リバイバル)に入る前は、食堂車にいたはずだが……ツグミが私をここへ運んだのだろうか?

 

 私はクィーンサイズの、天蓋付きのベッドに寝かされていたようだ。ただ、こちらも、たっぷりのフリルなレースのカーテンが深く下りているから、その向こうは、それに透ける範囲でしか見えない。

 

 ツグミはカーテンの内側にいる。私の真横でベッドの上に腰を下ろしている。スカートの内側で足を組んでいるようだが、いわゆる体育座りではなく、それを横に倒したような形にしているらしく、スカートは斜めへ広がっていた。クィーンサイズのベッドならではの、スペースの贅沢な使い方だなと思う。少し、身体を捻って後ろ足だけだらんと横にした犬の姿(お姉さん座りって言うんだっけ?)も連想した。

 

「ここは幽河鉄道(ゆうがてつどう)の心臓部。その機関室です」

「ここが?」

 

 意外……という声が思わず()れてしまう。

 

 形式としてはアールデコ調、全体的にコントラストが強い、落ち着いた印象といったところだろうか。部屋全体が四角ではなく円形をしているようで、それにはあまり日常感を感じられないが、部屋全体はそこまで華美というわけでもない。広さは……直径で十メートルも無い、八メートル強といったところだろうか。

 

 床と壁の下の方だけが濃い灰色と黒になっている。それ以外は白のレース越しに見てるからよくわからないが、全体が大体に白っぽく見える。天蓋に遮られ、これも確かとは言えないが、天井も全てが真っ白のようだ。

 

 ベッドの脇の壁には、光沢あるマホガニー(っぽい質感)のチェストが置かれている。所々に見える金具は白銀か白金か、そのような輝きを放っている。天板の上にはレースのクロスが敷かれていて、その上に白金(プラチナ)の輝きを放つ三叉(みつまた)燭台(キャンドル)と……ええと……エンゼルランプの、ピンクがかった黄色い花をつけている鉢がひとつ、飾ってあった。

 

 それなりに落ち着いていてそれなりに華美。ここは、そのような部屋だった。

 

 少なくとも機関室と聞いて、想像できるような部屋でないことだけは確かだ。

 

「……どこに、機関があるの?」

「あそこに」

 

 そう、ツグミが指差した先には(デスク)のようなものがあった。

 

 それも質感はマホガニーっぽいが、確かなことはわからない。学長室、校長室においてあるような重厚なものではなく、大学で教授、准教授クラスが書類やら何やらをうず高く積み上げていそうな、実用的なものだ。もっとも、そこにあるものは綺麗に磨かれ、片付けられているが。

 

「あれはナガオナオ様が大学で、教鞭を執られていた時期にお使いになられていたデスクです。魔法的な加工が施されていて、操縦者の意志を読み取り、それを翻訳して幽河鉄道(ゆうがてつどう)へ伝える役割を担っています」

「それは操縦桿(そうじゅうかん)、車でいう所のハンドルであって、機関(エンジン)とは違うんじゃ?」

「いいえ。お忘れですか? 魔法は魂よりいずるモノ。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は操縦者の意思そのものを動力として動く、機構(システム)なのです」

 

 それもそうか。

 

 けど、ナガオナオ様、ね……。

 

「……ラナンキュロアは、運命に納得して死んだ。ツグミへ、お兄ちゃんの元に帰ってと言って死んだ」

 

 帰らなかったの? と私はツグミに問いかける。

 

 ツグミはそこにいる。幽河鉄道(ゆうがてつどう)の、今もその操縦者としてそこにいる。

 

 ()()()()()()()

 

「千速継笑様の魂を導くこと。それがナガオナオ様より承った、私の使命ですから」

「ナガオナオ様より、ね。私は導いてほしいと言ってないし、ラナンキュロアは最後にはそれを拒絶して死んだはずだけど」

 

『私はあなたによる転生を拒絶する。記憶のない私がまた来世かどこかで悲劇に陥ろうとも、それは仕方のないことだから、それが私に科せられた罰というなら受け入れる』

 

「関係、ありません。千速継笑様とナガオナオ様の求むるモノ、それが相反するというなら、私が採り、取って執るのはナガオナオ様のそれです」

「……だから私を強制的に転生、させ続けるの? 私が望まなくても?」

 

 私は悲劇を何度も何度も何度も何度も、繰り返しているらしい。

 それは何だ? 救いなのか? そんなモノが救済なのか? ツグミはそれが本当に正しいと思っているのか? 正しいと思い、私にそれを強要し続けているのか?

 

 本当にそれは、それが本当に、千速(せんぞく)長生(なお)の求むるモノなのか?

 

「強制、ですか? 千速継笑様は転生を望まれませんか?」

「私には転生を、していた頃の記憶がないからね。最初の千速継笑はあまりにも酷い終わり方をしたみたいだから、そこで人生のやり直しを望んだというだけなら納得も出来る。でも、ラナンキュロアは人生のやり直しを望んでいなかった。あのレオが生き続けることを何よりも優先した。私にはラナンキュロアが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()けど、話の流れ的には、自分が転生を諦めることでミジュワにレオを救わせる、そういうことを主張していたんだと思う」

 

 私が見せられた「ラナンキュロアの人生」には、ラナンキュロアの心の声が入っている部分と、そうでない部分とがあった。時々、映画におけるナレーション、小説における地の文、等による、心情の描写が消えてしまうことがあった。特に最後の、彼女がレオを愛していると独白するパート、あそこではその少し前から、完全に地の文が消えてしまっていた。

 

 もっとも、そういうことは、それまでにも度々あった。だから、そういうモノとして受け止めてはいた。まぁ突然、<System log>とか出てくることもあったしね。

 

 でも、だから彼女があの時何を考え、ああいう発言をしていたのかは、私にはわからない。

 

「ただそれが、()()()()()()()()転生を諦めること、に限定してのことだったというなら、一応話は通じる。ラナンキュロアという少女は、そうしたレトリックで人を騙すくらいのことはしたはずだから」

「そうでしょうか?」

「でも、ここにひとつ問題がある。転生を拒否するという言葉の最後に、ラナンキュロアはこんなことも言っている」

 

『ツグミ、だからあなたはお兄ちゃんの元へと帰って』

 

 私はツグミの、まぁまぁ豊かな胸の辺りを見つめながら問いかける。

 

「どうして、お兄ちゃんの元に帰らなかったの?」

 

 ラナンキュロアが、死んだ後どうなったのか。

 

 ()()()()()()()()()

 

 けど、転生を拒絶というのが、ラナンキュロアのやり直しは諦めるけど、千速継笑の転生自体は続けるという意味なら、そこにお兄ちゃんの元へ帰ってというセリフが付け足されるはずもない。

 

 となると、これは()()()()()()()()()()ということになる。そう口にすることで「ツグミがお兄ちゃんの下へ帰る」というのをミジュワへ示唆していたということになる。

 

 ミジュワは、「ツグミがお兄ちゃんの下へ帰」ってほしかったのだろう。それは私にも()()()()()理解できる。そもそも、ツグミを四十周以上もかけて完璧にコピーしたのは何故だ。その努力が成果を発揮するのは、ツグミをよく知る人物に対してだけなんじゃないか? ならばミジュワの目的は()()()()()()あったということになる。

 

 そうであるならミジュワの目的は、「ラナンキュロアのやり直しを止めること」にあったわけではない。「千速継笑のやり直しを止めること」にあったはずだ。換言するとそれは「ツグミによる千速継笑のやり直しを止めること」になる。

 

 ラナンキュロアのやり直しを止めること、イコール千速継笑のやり直しを止めることではない……というレトリックでミジュワを騙したのなら、それは酷い裏切りだ。

 

 騙されたと理解したミジュワは、ではどうしたか。

 

 

 

「……ね、ツグミ」

「はい」

 

「あれ、またやってくれない?」

 

 私は枕元の、カーテンの向こうにある白金(プラチナ)燭台(キャンドル)を指差して言う。

 そこには黄色っぽい、独特な色をした蜜蝋(みつろう)蝋燭(ろうそく)が刺さっている。

 

「あれ、ですか?」

 

『ある程度の記憶であれば一応、持って逆行することは可能なのですが……それは実感を、まるで伴わないモノとなります』

(たと)えるなら夢です。そうして持ち越す記憶は、五感の刺激を伴わないただの情報に過ぎません。つまり、ご本人の感覚からすれば実体のない、不安定であやふやな記憶ということになります』

 

 ツグミはかつて食堂車で、記憶を引き継いでの転生について、そのようなことを語りながら、マッチもライターも使わず、テーブルの上にあった蝋燭に炎を灯した。

 

 それは、その時は全くタネのわからない手品のように思えた。

 

 けれど今はなんとなく、それが何であるかは理解できている。

 

『あれは、ナガオナオ様の世界においては高位の魔法使い様が、これから言うことは嘘ではない、ということを示すために行う軽い()()のようなものでした。嘘を()けば炎が消える、色が変わるといった変化が起きるというモノです』

 

『この誓約はあくまでも軽い、冗談のようなものでもありました』

 

 あれは、つまり制約(ギャサ)魔法(マジック)だったのだろう。

 

 それはいい。魔法使いの信義の示し方などどうでもいい。

 

 問題はその先にある。

 

「よくわかりませんが……では」

 

 レースのカーテンがめくられ、チェストの上の燭台(キャンドル)を手に取ったツグミは、何の気なしに、といった軽い調子で、黄色い蝋燭のそのひとつにぽぅと火を灯した。

 

「どうせなら全部」

「くぅん?……よくわかりませんが、はい」

 

 そうして私は、三本の蝋燭に全て火が灯った状態の燭台(キャンドル)をツグミから受け取る。

 

「これも、()()()が嘘をつくと、炎が消えたり、色が変わったりするの?」

「ああ……いいえ。それは制約(ギャサ)魔法(マジック)ではありませんから。ここは私の空間です。幽河鉄道(ゆうがてつどう)の設備へは、私が自由にその機能のオンオフを切り替えられるのです」

「便利ね」

「はい。何か私にご質問が? 制約(ギャサ)魔法(マジック)による証明が必要なら、その様に致しますが」

「ここでその証明ができるとは思えないけど?」

 

 ここはツグミの空間なのだろう。ここで何をされたところで、何の証明にもならない。

 

「そう、ですね。信じてもらうというのは、難しいことです。それはこの空間に限ったことでもありませんが」

 

 でも、ひとつだけ可能な証明がある。

 

 この場合は、それがある。

 

「ね、ツグミ」

「え?」

「間違いだったらごめんね」

 

 私は一言、謝ってからその証明を実践した。

 

「……え?」

 

 蝋燭を、その炎の灯っているまさにその部分を、三叉の槍でも突き刺すように、ツグミの顔面へと突き出す。

 

 それはもう、形のいいあごの部分へ、完全に赤い炎がくっつくかのような勢いだった。

 

「……何の、おつもりですか? 千速継笑様」

 

 けれどツグミに動じた様子はない。

 

 証明、終了だ。

 

「やっぱり……」

 

 私は、ツグミの顔の下に、火が着いたままの燭台(キャンドル)を置いたまま……まぁ、それがツグミの身体を焼かないというのは、一度見たことだし……と思いながら続ける。

 

「私はね、恐怖症こそ、トラウマこそ、ある意味では最も信じられることだと思っている。恐怖症はね、トラウマはね、理性とか人格とか、知性とか根性とか、そういうものではどうしようも無いことなの。どんなに無害と知っていることでも、それは理性を突き破ってくる」

「……」

 

 そのことは、()()()()()()()()私にも理解できる。

 

「ツグミ風に言うと、“炎が怖い”という三類のエピスデブリ、だっけ?」

 

 ラナンキュロアのレオに対する想いへ、私が共感できた一番大きな部分はそれだ。

 

 私の魂にも、千速長生(お兄ちゃん)を失った悲しみが、哀しみが、ある種の絶望が横たわっている。最初、ラナンキュロアにとってのレオは、千速長生(お兄ちゃん)の代わりだったのだろう。言い方も外聞も悪いが、それは間違いない。どこでそれが変わったのか、それはラナにしかわからないことだ。私にはわからない。身長を追い越された時か、肉体関係を結んだその時か、それに千速長生(お兄ちゃん)が与えてくれなかった悦びを得た時か。

 

 それを知るのはラナであって、私ではない。

 

 けど、千速長生(お兄ちゃん)を失ったトラウマ、それこそがレオを特別視したその理由であるのは間違いのない。それは、もう少し簡単な言い方をすれば、ラナの魂はレオを、どうしても放っておけなかったということでもある。スラム街で育ち、清潔とは言えない(にお)いを漂わせ、七人を殺したばかりのレオを、ラナは家につれて帰り、風呂に入れてやり、綺麗にしてやらずにはいられなかったのだ。

 

 その気持ちだけは、私にも理解できる。共感も感情移入も。

 

 千速長生(お兄ちゃん)()()()()という恐怖に、ラナンキュロアは耐えられなかった。それは、コンラディンがそうであったように、だ。

 

「恐怖は理性を突き破る。人の行動はそれに支配されている」

 

『暖炉のように、安全域が確保されていれば平気なのですが……炎……炎の揺らめきが自分のすぐ近くにあるというのは本当にダメで、ヘパイトス派(フィアレィナ)の方が戯れで私の全身を幻影の炎で包んだ時などは……ナガオナオ様の盲導犬であることも忘れ逃げ惑い、醜態を晒してしまいました』

 

「炎が苦手なら、それが無害な炎であってもやっぱり怖くて当然、それが恐怖というものなの」

「……」

 

 三叉の燭台(キャンドル)をツグミの、白銀の髪へ近づける。

 

 燃えない。髪が燃え、嫌な匂いがしてくるなんてことは起きない。

 

 それは異常な光景だけれども、まったく動じていないツグミの方がもっと異常だ。

 

「ねぇ、ツグミ。いいえ……ねぇ、()()()

「……」

「あなたはいったい誰なの? ツグミの人間形態と全く同じ姿をしていて、けれどあの薔薇色のローブは(まと)っていなくて……ねぇ?」

 

 けれどその答えは明らかだ。

 

 消去法を使うまでも無い。

 

 最初から該当者はひとりだ。

 

 これがツグミではないというなら、ツグミを完全にコピーできる存在がいるというなら、それはたったひとりしかいないではないか。

 

 その名前をもう、私は知っている。

 

「ミジュワ。あなたはミジュワなんでしょう? あなたはラナンキュロアに騙された。高次元の存在とやらにとって、悪魔にとって契約の不履行が、裏切りがどれくらい罪深いことなのかは知らないけど、それは百年以上もその魂を苦しめ続けるような、終わりない悲劇の転生に叩き落さずにはいられないような、それほどのことなの?」

 

 そう。

 

 転生後に、あんなにもツグミが介入できるのなら、ラナンキュロアで失敗したとて、そこから何十回と同じような失敗を、繰り返すはずがないではないか。それはさすがに無理がある。魂に悲劇癖(ひげきぐせ)がついた? どんな無理矢理なレトリックよ。

 

 本物のツグミがどうなったのかは知らない。

 

 でも、これがミジュワだとするなら、確かなことがひとつある。

 

 幽河鉄道(ゆうがてつどう)は、彼女に奪われてしまったのだ。

 

 そうして私はそれに捕らえられている。捕らえられたまま、百年、何百年という時を、悲劇を繰り返している。

 

 悪魔を裏切った代償を、その罰を受けている。

 

「何とか言いなさいよ。このやりとりも、これが最初だったの? 初回のあれを再上演(リバイバル)……なんだっけ? 畢生の壱齣(スライスオブライフ)だっけ? それをすれば、私は今と同じように気付いたんじゃない?」

 

 あなたがツグミではなく、ミジュワであることに。

 

 ……もしかすれば、それに気付いてほしくて、わざわざ私にこれを見せたのかもしれない。自分がどんな罪を犯したからこんな地獄へ落ちたのか、知らしめるために。

 

「ふふ。そう、ですね」

 

 そうじゃないのか、と強く問い詰めると、ツグミは、慈愛の微笑みを浮かべたまま、相変わらずその美貌を直視出来ない私を優しく……ミジュワだと思えば気持ち悪く……見つめてくる。

 

「自分がどんな罪を犯したからこんな地獄へ落ちたのか、知らしめるために、というのはいい表現です。まさにそれこそを、私はあなたに知ってもらいたいのです」

「……やっぱり」

 

 無理をしてツグミ……否、ミジュワの顔を見れば、やはり恐怖と同じように理性の何もかもを突き破ってくる、あたたかで優しげな美貌がそこにある。

 

 けれどそれは奪ったものなのだ。その微笑みをツグミから奪い、ツグミに成り代わったモノの悪魔の微笑みなのだ、それは。

 

「そうですね、あなたの罪は百年、数百年の贖罪程度では(あなが)うことのできないものです。あなたは、数千もの人間を何度も殺戮するという罪を犯しました。これは私が犬の身でも、看過できない罪です」

 

「……は? 何を言っているの? 数千もの人間を何度も殺戮? それをしたのはあなたでしょ!? 犬の身? ここにきてまだツグミを騙る気!?」

 

 この期に及んでまだ、ワケのわからないことを繰り返す美少女へ、私はとうとう語気を荒げる。ここは彼女の檻の中なのに。けれど、意味のないことだと知っても、私はそうせざるを得なかった。

 

 純白の美少女はどこまでも落ち着いている。私の追及など、突き出されたままの炎が如くに、何も怖くなどないのだというかのように。

 

「いいえ。ですがそうですね、私はツグミではありません。少なくとも、ラナンキュロアの前に現れたツグミとは、完全に別個体です。それはご想像の通りです」

「だったら!!」

 

 なら、だとしたらツグミへ化けられる存在なんて、ひとりしかいないじゃない!

 

 

 

 ……だが、そこで私へ、特大の爆弾が投げつけられる。

 

「そしてあなたも千速継笑様、ではありません」

「……え?」

 

 それは、私にだけ有害な、特大の、恐ろしいまでの破壊力を持った爆発物だった。

 

 私という存在がバラバラに四散してしまうような。

 

「いいえ……これは語弊のある言い方ですね。あなたは千速継笑様……でもありますが、純然たる千速継笑様ではありません。お忘れですか? あなたは転生の()回目より千速継笑様の人生を何度かやり直しました。あなたはその時に千速継笑様、と呼ぶに相応しい存在……にはなったのです」

 

「転、生の……四回目?……五回目からじゃなかった?」

 

 ラナンキュロアで一回目、美姫パターンとやらでお姫様になったっぽいのが二回目、エロフ、もといエルフに生まれ変わり五十数年を生きたというのが三回目、お兄ちゃんと同じ十三歳で病死したというのが四回目、で。

 

「いいえ、四回目であっていますよ? 純然たる千速継笑様は、転生を一度しか行っていないのですから。純然たる千速継笑様は、ラナンキュロアの人生に満足して亡くなられるのです。人生を全うし、大往生するのです」

 

「じゃ、じゃあ私は……私はなんなの!?」

 

 するとツグミは……いいや、正体不明の純白の少女は、優しげな態度、声、笑みを少しも変化させること無く言葉を続けた。

 

「千速継笑様の、今では完全なるコピー、と言っていいのかもしれませんね」

 

 私はそれをまた直視してしまい、そのあまりの可愛らしさに心が奪われてしまう。

 

 だから続く言葉は、私の中を上滑りするかのように流れていくのだった。

 

「そろそろ正しい自己紹介とご挨拶を、しましょうか。こんにちは、また会いましたね。()()()()()。あなたと契約をして、永劫なる時を生きる存在となった元、ロレーヌ商会の番犬にして愛犬です。ラナンキュロア様のご母堂様、パヴローヴァ様よりラナンキュロア様をお預かりし、十数年を共に生きたピレネー犬です。ええ、私は確かに犬の身ですよ? 英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー、ツグミではありませんが。そしてあなたは」

 

 

 

(ミジュワ)です」

 

 

 



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Exogenesis Symphony Part II

 

(ミジュワ)です」

 

 

 

「ツグミお姉さまっ」

「え!?」

 

 唐突に、背後から聞こえたその声に、振り返って見たその姿に、私は目を見開かされる。

 

「はい。お姉さまではありませんがツグミですよ」

 

 白い、フリルいっぱいなメイド服を着たツグミ……マイラ?……がぺたんと座るベッドの上とは逆方向、私から見て後方右側。

 

 そこに、赤い、薔薇色のローブを着たツグミ……そっちこそ本物のツグミ??……が、レースのカーテンの向こう側に、悠然と立っていた。

 

 と、次の瞬間、白い……マイラ? は立ち上がり、ベッドの上をぴょんと跳ねた。そしてそのまま、カーテンを抜けて飛び出し、赤い……ツグミ?? に抱きつく。

 

「お姉さまぁ」

 

 勢い、赤いツグミごとくるんと回って、見えたその横顔は、輝くような笑顔だった。

 

「はいその唇ストップ。ハウスです」

「う~」

 

 この世にふたつと無いような麗しの顔貌(がんぼう)をマイラ? は、しかしそこへ現にふたつと存在してるツグミ? のそれへと近づけ……呆気に取られる私を他所(よそ)に……迷惑そうに、掌で押し返されている。

 

 なんだこれ、なんなんだこれ。

 

「私の唇を奪って良いのは、ナオ様だけです」

 

 ふたりの白銀の髪は、その色も髪質も、お手入れ具合までもが完全に同じで、マイラ? がツグミ? に抱きつき、顔を近づけたことで重なった部分は、どこにその境界があるのかもわからなかった。

 

「うー、ふたりだけ、ずーる~い~」

 

 でも、よくよく見ればふたりには違いが、少しだけある。

 

「大体、どうして私がお姉さまなのですか。あなたの方が背は高いのに」

 

 純白のマイラ? は、背中を曲げ薔薇色のツグミ? に抱きついているが、見た感じその顔の高さが同じだ。ということは若干ながら、マイラ……の方が、背は高いのだ。

 

「私の人間性を育ててくれたのは、お姉さまじゃないですかぁ」

 

 それに、なんていうか、頭の方では呆然と……なんだこの双子な美少女姉妹の百合シチュ……とか阿呆なことを考えている私の、心の方の反応が、ふたつの顔の、どちらへ注目するかでかなり違っているのだ。

 

 私の心は、薔薇色なローブのツグミ(なの?)を見ても、ああ、可愛いなぁ、美少女だなぁとしか思わない。というか、その可愛らしさに、どこかイラッとムカッとくるものが混じる気さえする。

 

 けれど、純白のマイラ(なの? 本当に?)の方へは……それとは全然違うものを感じるのだ。

 

 ありていに言って、私はその白金(はっきん)の美貌を直視出来ない。それほどにこの心は、彼女の可愛らしさに魅せられている。見ているだけで心が温かくなり、赤面してしまい、そのことに動転し、動揺しながらも猛烈に引き込まれている。

 

 あ。

 

 ……もしかして、これ。

 

『はい。(よう)波動(はどう)というエピスも与えてあります』

『陽の波動ぅ? オーラってこと?』

 

 私がツグミ……でなくマイラへ魅了されたのって、そのせい!?

 

『そうですね。私がマイラに与えられたのは、ナガオナオ様が得た原典のそれよりも、遥かに効果が薄いモノですから、犬が嫌いという人を無理矢理好きにさせるような効果はありません。ですが、元々犬が嫌いではなく、むしろ好きという相手にならば、普通よりも少し好かれる程度の効果は期待できます。人は闇を怖れるもの、温かな光の波動を感じれば、それへ好感を抱くというのは生物としての本能ですから』

 

 そうだ……思い返してみれば、ラナンキュロアは美少女な人間形態となったツグミを見ても、そこまで心惹かれた風ではなかった気がする。むしろその美貌へ、レオがコロッと行ってしまわないか心配をしていたくらいだ。

 

 ラナンキュロアにはレオという恋人がいた、遭遇したのが非情な非常事態の真っ最中だった……その二点を差し引いてさえ、ラナンキュロアがツグミに向ける目は、私からすれば冷静……あるいは冷徹過ぎるモノに思えた。ツグミ……マイラの美貌に、気が動転するほどに心奪われた私からすれば、だが。

 

 私……私?

 

 ほぼ同じ姿形をしているツグミとマイラが、しかし別の存在であるというなら、過去には同じく千速継笑(せんぞくつぐみ)と呼ばれていたはずのラナンキュロアと、私も……。

 

「あの……」

「ほら、(ミジュワ)が説明を求めていますよ」

 

 (ミジュワ)……私はミジュワ?

 

 思わず、顔をペタペタと触ってしまう。そういえば私は、幽河鉄道(ゆうがてつどう)で目覚めてから、自分の顔を確認しただろうか? 目の下に(ほしがた)と、三日月形(みかづきがた)の青い黒子(ホクロ)は、無いだろうか?

 

 え。

 

 そうしてみて気付く。

 

 私、明確に利き腕がある。普通に右利きだ。ラナンキュロアは両利きだった。けれど私の左手は、右手のようには動かない。

 

 それは、何を証明するものでもないけれど。

 

「大丈夫ですよ、あなたは千速継笑様のお姿をされています。というより、あなたはもう千速継笑様です」

 

 何度もそう呼んだでしょう? と笑うマイラ……は、まだまだまだ、どこまでも純粋に無垢で、邪気の無い優しい微笑みを私に向けている。

 

 でも。

 

 今は、それが恐ろしくてたまらない。

 

 だって私が、私が本当に千速継笑でなく、(ミジュワ)なのだとしたら。

 

『そうですね、あなたの罪は百年、数百年の贖罪程度では(あなが)うことのできないものです』

 

 私は、とんでもない罪人なのだから。

 

『あなたは、数千もの人間を何度も殺戮するという罪を犯しました。これは私が犬の身でも、看過できない罪です』

 

 そういえば……ラナンキュロアの物語の、最後の方に、なぜかボユの港の大災害における四人の被害者のエピソードが挟み込まれていた。アンネリース、ビンセンバッハ、セルディス、ディアナ。

 

 あれは……なら、私に罪を自覚させるため……その為に挟み込まれたエピソード?

 

「千速継笑様、あなたは千速継笑様です。ですがそれはラナンキュロアに生まれ変わった千速継笑様とイコールであるという話ではありません。幽河鉄道(ゆうがてつどう)流体断層(ポタモクレヴァス)路線(レール)の中から、変更可能な分岐器(ぶんきき)を探し出し、それを切り替える魔法です……可能性の線路(レール)は、高次元的に複雑な分岐をしているのです。新しい線路(レール)が通れば廃線となる路線(ルート)も確かにあります。しかしそれは必ずしも起こるとは限らないことなのです。準空子(クアジケノン)の世界は()るとも、無いともいえる世界ですが、こと魂の世界において、それは現実に影響を及ぼすナニカではあるのです。失われた過去に、人がいつまでも縛られてしまうように」

 

「ツグミお姉さま、その辺りのことは……」

 

「ええ、この辺りは(いま)だその全ては解明されていない、世界の構造の話です。私が語っていることはナガオナオ様の仮説に過ぎません。どうして人は、既に失われた過去に、失われた命に、今の自分を変えられ、()げられてしまうのでしょうか? 準空子(クアジケノン)の世界に囚われてしまうのでしょうか? どうして千速継笑様の記憶、経験、体験を与えられ続けた魂は、やがて限りなく千速継笑様に近付いていくのでしょうか? それは、ナガオナオ様ですら解明できていないことなのです。生命がそのような挙動を見せるというのは、当たり前に思えることかもしれませんが、それを科学で、魔法科学で解明しようとすると、これは証明に非常な困難が伴う難問となるのです。今では当たり前となった地動説が、当たり前になるまでには多くの人の努力と献身、そして犠牲を要したように」

 

 ラナンキュロアも千速継笑も、人の痛みがわからない人間ではなかった。

 

「大丈夫ですか? 千速継笑様。ツグミお姉さまは、話し始めると止まらないナガオナオ様の悪い部分までをもリスペクトしていますから……」

「マイラぁ?」

 

 人の痛みがわかるからこそ、そんなものとはあまり関わりたくないと思う、普通の人間だった。

 

「ん、んんっ……ともあれ、純然たる千速継笑様は、既に幽河鉄道(ゆうがてつどう)を降りているのです。そうしてラナンキュロアという人生の線路(レール)を終着駅に向かい、自分自身の足で歩きだしたのです」

 

 だから私にもわかる。千速継笑の完璧なコピーになったという私にもわかる。

 

(あなた)という新しい乗客が乗ったところで、古い乗客の軌跡が消えて無くなるなんてことはないのです。幽河鉄道(ゆうがてつどう)は可能性のために可能性を潰す、そのような魔法ではないのです」

 

 半身を失ったアンネリースの悲しみが理解できる。

 

 凌遅刑(りょうちけい)(ごと)く長時間身体を焼かれながら死んだビンセンバッハの苦しみを理解できる。

 

 色々あった人生の最後が、あんな風になってしまったセルディスの哀切(あいせつ)が理解できる。

 

 ディアナは……ディアナはどうしてあの四人のひとりに選ばれたのだろうか?……私に罪を自覚させるためというなら、彼女は余計ではないか?

 

「つまるところ、あなたは千速継笑様ではありますが、ラナンキュロア……ラナ様ではないのです。むしろあの世界においてはラナ様と敵対した、(ミジュワ)なのです」

 

 ……ともあれ、私は彼ら彼女らのような悲劇を、その数百倍の数、何回も(自ら行ったのは四十六周の内のいくつかなのだろうが、ラナンキュロアも幽河鉄道(ゆうがてつどう)によるやり直しをしていたから、正確な数はわからない)生み出したことになる。

 

 やり直したからといって、無かったことになるわけではないこの世界の中で。

 

 机の上にあるリンゴを取り除けたからといって、机の上にリンゴがあった事実までは消せない、この残酷な世界で、私はそれを一度ならず(おこな)ったのだ。

 

「そんな……そんなのって……」

 

 ……ナガオナオ(お兄ちゃん)はこの事実と、どう向き合ったんだ。

 

 

 

「う……」

 

 ……千速継笑の身体が、吐き気を(もよお)している。

 

 過去の自分がしでかした、今の自分が覚えていない罪に眩暈がする。

 

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

 

「混乱を、しているようですね」

「ご自身を思い出された時は、いつもこうですよ?」

「え……」

 

 聞き捨てならない声が、マイラから漏れてくる。

 

「じゃっ……じゃあやっぱり……このやりとりはこれが最初……ではないのね?」

「ツグミお姉さまが、ここにいらっしゃる状態でこうなるのは初めて、ですよ?」

「ええ、次にラナンキュロア(初回)再上演(リバイバル)する際には、呼んでくださいと、私がマイラにお願いをしていたのです。そろそろ、だと思いましたから」

 

 わけがわからない。

 

 わけがわからなすぎて気持ち悪い。

 

 どういうことなの。私はなんなの。私はここで百年以上、何をされているの?

 

(ミジュワ)。ナガオナオ様より伝言があります。“()(ほう)が魂の下位変換(ダウンコンバート)を望むに至ったならば、()(ほう)はその儀、いつなりとも執り行う準備がある”……以上です」

「魂の、下位変換(ダウンコンバート)?」

 

 なんだ、それはいったい何の話だ?

 

「ツグミお姉さま、その前に、このミジュワへは、最初から説明をした方が、いいのではないでしょうか?」

「ひっ……」

 

 そうして気が付けば、いつの間にか私は広いベッドの上で、右にツグミ、左にマイラがいて、ふたりに(はさ)まれ迫られているという、謎の状態にされていた。ふたりが前傾でベッドに手をつき、()つん()いに近い状態でにじり寄ってくるという、とんでもない状況だ。

 

 もっとも、右からのツグミは、まぁいい。物凄い美少女だが、私の性自認は女だ。美少女にベッドの上で迫られたからといって……動揺くらいはするが……理性を完全に揺さぶられ、混乱するまでには至らない。

 

 問題は左からのマイラだ。右からのそれと、まったく同じ顔なのに、その美貌に迫られると私の理性はぐわんぐわんと揺れ、混乱の極みに達していく。まるでそこに心を飲み込むブラックホールがあるかのようだ。愛らしい圧に、心が潰されるほどの超重力。

 

「あ、あ、あ……」

「ミジュワ……ほしいでしょ?」

「え?……」

 

 最早、気のせいなどではけしてない、梔子(クチナシ)金木犀(キンモクセイ)が交じり合ったかのような、その白金の(きらめ)きのような、滑らかで力強い、トロトロの匂いを感じる。その芳香が私の脳髄を焼いている……焼かれているのは、あるいは私の魂、なのかもしれない。

 

「ほしいでしょ? 説明」

「え、あ、ええ……」

 

 眩しい光景の、眩暈がするような(かぐわ)しさに、しどろもどろになる私を、煌く白金の瞳が(よっ)つ、見つめている。私はその内のふたつが怖い、たまらなく怖い。

 

 

 

「簡単に言えば」

 

 双子が、舞台の上で踊りながらそうするように。

 

「あなたは生みの親である悪魔……青髪の悪魔からも捨てられてしまったのです」

 

 迫ってくるふたりの美少女は、交互にセリフ(言葉)を繋げていく。

 

「その非は、あなたにはありません。あなたは私のコピーとして、私自身をも騙す境地まで至っていました。ですが、私は騙せても、ナオ様を騙すには至らなかったのです」

 

 少し背の低い、純粋に可愛らしい少女は、けれど私を少し突き放すように喋り。

 

「青髪の悪魔は、人間というものを甘く見ていたのです」

 

 少し背の高い、私の脳内にカルメラ焼きのような混沌を膨らませる少女は、どこまでも優しく私へ囁きかけてきた。

 

「あるいは人間の、愛の力を、ですね。どれだけ形を、上辺だけを真似ても、そのようなモノでは騙せない愛が、この世にはあるのです。姿形が変わっても、魂が同じならそれをその人と認識できる愛があるように、その逆もまた」

 

「そうして青髪の悪魔は、あなたを罵倒し見捨て、ナガオナオ様へ、もっと直接的な力の行使をすることで事態の解決を図ろうとしたのだそうです……そう、ツグミお姉さまより(うかが)っています」

 

「それも、甘く見られたものです。ナオ様は魔法戦においてもエキスパートなのですよ? 伊達に、大魔道士と呼ばれていたわけではないのです。多少……結構……かなり……魔力の量、使える魔法の手数で劣っていたとしても、そんなものは関係ありません。長年の経験と、それより()ずる勝負勘が全てを覆しました。まるで、赤子の手を捻るかのようでしたよ?」

 

「そうして青髪の悪魔は退治され、めでたしめでたし。ナガオナオ様の準空子(クアジケノン)による拘束結界に囚われたという話です」

 

「それは“移動”に類する運動エネルギーを全てゼロにする結界です。自発的な移動は、あらゆる意味でできなくなります。三次元的な移動も、時空間上の移動も、生命の位相(いそう)移相的移動(いそうてきいどう)も、なにもかもです」

 

「そうしてまな板の上の鯉となった青髪の悪魔は、最終的に、ツグミお姉さまがその存在を乗っ取ることで上書きされ、消滅しました。これは路線(ルート)を分岐器によって変更したという、ある意味ではぬるい施術(せじゅつ)などとはワケが違います。高次元的存在の、ある地点から先の可能性の全てを、高次元的に上書きしたのです。青髪の悪魔はもう、この世のどこにも存在しません。その魂の座はツグミお姉さまのモノとなりました。彼女は、もうあらゆる意味で、世界へ何の影響も与えることができません」

 

 ……は?

 

 ……え?……は?

 

「ここにいる私は、青髪の悪魔の高次元的な身体(しんたい)、魂の座を乗っ取って存在しているのですよ、(ミジュワ)。青髪の悪魔は、幽河鉄道(ゆうがてつどう)の乗っ取りを狙っていました。その()(よう)は、ですから幽河鉄道(ゆうがてつどう)を乗っ取れるよう、調整されていたのです。(ミジュワ)、それはあなたの帰還によって、より顕著なものとなりました。ならば、()()()()()()()()()()()()()とも()()()()()()。それはつまり、その気になれば()()()()()()()()()()も可能な、そのような()(よう)だったのです」

 

「ツグミお姉さまは、青髪の悪魔の魂の座を奪取することで、魂を上位変換(アップコンバート)することが出来たという……お、は、な、し」

 

「ひゃっ!?」

 

 白銀の髪が、左耳と左の頬を撫でていく。それほどの距離へ近付いていたマイラに、私は思わず悲鳴をあげてしまう。左耳に彼女の暖かな声がぽわんと残る。その温度がくすぐったくて、思わず身も(よじ)ってしまう。

 

 けれど。

 

「私の大事なお方を奪おうとしていた悪魔に、私がかける情けなどはありません」

「ひっ!?」

 

 それを、右からの掌が、頬に触れて抑える。

 

「使者であり死者であったツグミお姉さまは、そうしてナガオナオ様と同じ次元に存在する、高次元的存在となったのです。流石はお姉さま、です」

 

「ですが、青髪の悪魔には、感謝しているのですよ? 私は(ようや)く、ナガオナオ様と永遠の時を過ごせる存在になれたのですから」

 

 柔らかで非力そうな小さい掌は、けれど私の震えに、完全な不動性でもって(こた)えた。

 

「あなたへも、です。ん……」

「あっ!?」

 

 そうしてぺろんと、私の左の頬をマイラの舌が舐めていく。右の頬を抑えられていた私は、それを避けることもできなかった。

 

 脳が、蒸発するほど熱を帯びる。

 

 膨らんでいたカルメラ焼きが濃い飴色に焦げていき、ピキピキと罅割(ひびわ)れる。

 

 体温なんて、この身体には無いはずなのに、全身が熱い。

 

 

 

「そうして青髪の悪魔との戦いに勝った私と、ナオ様は、残る(ミジュワ)……あなたを、どうするか決めかねていました。どうしたらいいかわからず、とりあえずあなたの在り様を調べた私達は、そこに……(ミジュワ)に、マイラとの契約の糸が残っていることに気付いたのです」

 

 そうして再び、忘我の中で気が付けば、私は、ふたつの美しい白銀、白金の輝きに包まれている。

 

 ふたりの柔らかい身体に包まれ、囚われている。

 

(ミジュワ)とマイラ……つまり私との契約、それは、ツグミお姉さまとの契約に割り込む権利を得る代わりに、ツグミお姉さまのそれよりも多くの健康寿命、健やかで幸せな一生を私に与える、というものでした」

 

 左の頬と右半身には特に柔らかなものが、むにゅむにゅと当たっている。

 大きさは大体同じだけど弾力は左の方が強い……そう感じられるのは、私の思い込みかなにかだろうか?

 

「それはとても曖昧な契約でした。どうとも解釈ができるような。ミジュワ(あなた)は、マイラをその曖昧さで騙したのでしょう。ラナ様を幸せにするための契約に割り込むのだから、その目的もやはりラナ様の幸せであると」

 

「その頃はまだ、私に確かなる知性などは無かったので……申し訳ありません」

 

 そういえば……ここで千速継笑(が、いかにも始めそう)な四方山話(よもやまばなし)一席(いっせき)ぶつと……「(かる)」という字は「けものへん」に「(まもる)」と書く。

 

「ですがこの契約は、その糸は残っているものの、その結びつく先のふたつはその時点で既に失われていました。まず、ツグミお姉さまは魂を上位変換(アップコンバート)したことで、存在としては違うものへ昇華されてしまいましたし」

 

 なぜ、「(かる)」が「(まもる)」なのか。

 

「そして千速継笑様の魂はその時点で、ラナンキュロアとしての人生をまっとうし、本人が納得する形で大往生するという未来が確定していました。これは私が自身の上位変換(アップコンバート)以降に、パワーアップした幽河鉄道(ゆうがてつどう)で観測した事実です。その路線(ルート)はその時点で、確かなる実存となっていました」

 

 まず、部首である「けものへん」、これは実は犬のことだ。犬という字が変化して「けものへん」、「(かる)」とか「(ネコ)」とか「(タヌキ)」とか「(イヌ)」とか、「(とる)」とか「(みだら)」とか「(くるう)」とか「(おかす)」とか「(ろうや)」とかの、向かって左の部首となったわけだ。

 

「この、不完全となった契約によって、私、マイラの存在は奇妙な形で宙ぶらりんとなってしまいました。そのまま放置すると何が起こるかわからない……ミジュワが再発生し増殖したり、その果てに青髪の悪魔が復活したり、どこかの星域が丸ごと消滅したり……そうした可能性もあったらしいのです」

 

 ネコ派の人は猫という字を憤慨していい。犬と苗でなぜ猫なのかと。

 

「一方、マイラには私との契約も残っていました。というより、それに割り込まれていました。この糸を放置すれば、私にも悪影響があると予測できました。それで私とナオ様は、仕方無しにマイラを、ボユの港の大災害直後の時点から拾い上げ、上位変換(アップコンバート)する前の私と、同じ状態にしたのです」

 

 でもイヌ派の人も「(くるう)」とかに憤慨していい。なぜ犬の王が狂うなのか、狂犬病とか意味被ってんじゃねぇかとか。

 

「はい。今の幽河鉄道(ゆうがてつどう)に同化しているのは私、マイラです。ツグミお姉さまの名代(みょうだい)として、私はツグミお姉さまの代理として幽河鉄道(ゆうがてつどう)を動かしているのです。それゆえに、私自身が使えるわけではない魔法の詠唱などは、ツグミお姉さまの名を唱えさせてもらっています。ツグミお姉さまの外見を頂いているのも、同じ理由です」

 

 ともあれ、それはそれだけ犬が、日本人にとってはもっとも身近な「けもの」だったということの、表れなのかもしれない。

 

「そうして、その状態で、マイラが操縦する幽河鉄道(ゆうがてつどう)による、(ミジュワ)のやり直しが始まったのです」

 

 そうして、「(まもる)」は。

 

「ですが当然、ミジュワとしてのやり直しをさせるわけにはいきません」

 

 これが「(かる)」の字に含まれている理由は……まぁ諸説あるが……俗に、最も主流な説を採れば、それは「(まもる)」の意味が、そもそも「囲んで逃がさないようにする」からである……となるらしい。

 

「それに、幽河鉄道(ゆうがてつどう)は千速継笑様専用に調整されたままでした」

 

 つまり、「(かる)」は、「犬」が「(獲物を)囲んで逃がさないようにしている」状態を表した漢字、ということになる。

 

「あなたにはまず、編集されたラナンキュロアの記憶が移植されました」

 

 つまり、今の、この状態だ。

 

 もっとも、犬は犬でも人に化けている犬だが。純白と薔薇色の装束を(まと)った、女子()中学生()女子()高生()の中間くらいな年頃の、等しく天使みたいに(うるわ)しい顔貌の、白銀、白金の美少女だけれども。

 

「それは再上演(リバイバル)でご覧頂きました通りに、あなた、ミジュワによって背中を青の斧で割られる、その時までの記憶です」

 

 私は今、彼女らに()られている。

 

「そうしてラナンキュロアとして人生を終えた……()()()()()()()()()()、果て無き転生の旅が始まります」

 

 柔らかなものに囲まれ、しかし全く身体は動かせず、脳を馥郁(ふくいく)たる芳香に焼かれ、逃げることも出来ず、優しげな声に両耳を犯されている。

 

 

 

「最初は美しい姫に……これって、とてもヤケクソな感じがしませんか?」

 

「次はエルフに……これはとっても、人間不信になった感じがしますね」

 

()回目も同じです。エルフの次は精霊族でした。より、人間味の薄い種族への転生、でしたからね。正直、私としては、この辺りでボユの港を焼き払われたなどの憤慨、恨み、私怨はかなり薄まってしまいました。()回目が長かった上に、そこでオリジナルの千速継笑様よりも悲惨な性暴力に(さら)され、消えぬ二類のエピスデブリも定着してしまいましたし」

 

 ――終わりのない地獄と終わりがある地獄。耐えがたき状況からの解放は、陵辱者が飽きることだけ。それならまだ、終わりがある方が……早く、飽きてほしい。そうすればきっと死という終わりが――。

 

 ……私は、イクラ丼を賞味する前に味わった例の感覚を思い出す。

 

 そういえば……男性恐怖症のラナンキュロアは、そんな扱いに曝され、果たして数十年という期間を生き延びることが出来ただろうか?

 

 生き延びれたはずがない。彼女ならすぐに、自らの命を絶ってしまったことだろう。

 

 だが(ミジュワ)ならどうだ? ラナンキュロアでも、ジュベミューワでもないミジュワなら?

 

 ……あまり、それは深く考えたくない。

 

「なお、この転生は、青髪の悪魔によって観測されていたようです」

 

「青髪の悪魔は、どうも転生の儀へ関わるという一点において、時空間に干渉する能力を持っていたようです」

 

「もしかすれば、彼女は転生という事象の歪みから生まれた悪魔だったのかもしれません」

 

「もっとも、彼女はそれを、どうやら千速継笑の転生、その続きであると勘違いしてしまったようですが」

 

「これは、もしかすれば、だからこそ幽河鉄道(ゆうがてつどう)を奪取したいと願う彼女の、高次元的存在としての、不完全さの(あらわ)れ……だったのかもしれません」

 

 囁く声に、忘我の彫像と化した私の存在が浸食され、侵食されていく。

 

 

 

「それからの流れは、今回の再上演(リバイバル)の前に、私がご説明した通りです」

 

()回目で別人への転生に限界を感じたあなたは、千速継笑という別人を自分自身と信じて、逆行転生によるそのやり直しを試みられるようになります」

 

「そうして、純然たる千速継笑様とは違う、コピーされた千速継笑様が完成していきました。その結果が今のあなた、元ミジュワである継笑(つぐみ)(つぐみ)です」

 

「途中、何度かラナンキュロア様の再上演(リバイバル)によって、ご自身がミジュワであるということを思い出されたとのことですが、しかし母であり創造主である青髪の悪魔は既にこの世にはいない。その魂の座は、既にこの私のモノとなっている。その事実に絶望したあなたは、他にやることもなく、幽河鉄道(ゆうがてつどう)によるやり直しを続けました。何度も記憶を失い、また思い出しては忘れるということを繰り返しながら」

 

 ちなみに、私が幽河鉄道(ゆうがてつどう)にいない時、転生しての生を歩んでいるその時、ツグミはここへちょいちょい訪れては、事態の進捗状況を確認していたという。

 

 

 

「……なんでよ」

 

 ふたりの犬に、絡みつかれたまま私は、けれどそれでも腑に落ちない事柄を、噛み切れない疑問を、ポトンと口の外へ吐き出し、落とす。

 

「なんでよ、どうして私にそんなことを続けさせたの? マイラとの契約があったから? ならどうしてマイラはそんな……こんな非生産的なことに百年も、数百年も付き合っていたの?」

 

 右から、「非生産的、ですか?」と囁き、問われる。

 

「そうじゃない……私を、そんな風に転生の玩具にして、あなた達に何の得があるの? 復讐? ボユの港で大災害を起こし、沢山の悲劇を生んだ私への拷問なの? これは」

 

 左から、「拷問、ですか?」と囁き、問われる。その空気の震えには、耳たぶを噛まれたかのような幻痛(げんつう)が伴っていた。

 

「そうじゃない!! あなた達は言わせたいんじゃないの!? 私に! ごめんなさいもう許してください謝りますから後悔していますからどうかもう許して、助けてって!」

 

 気が付けばふとももの上にも、左右から掌を載せられていた私は、声を荒げても身体を全く動かせないでいた。ふたりを振り払うことは、できるはずなのにできなかった。

 それはまるで、ラナンキュロアが振り払いたくても出来ない、自分ひとりでは振り払えなかったトラウマと、罪悪感のようだと思った。

 

(ミジュワ)、あなたの創造主、あるいは母である青髪の悪魔は、私にその魂の座()を奪われ、消滅しました。ですが、私達は、その気になれば彼女をただの人間、ただの動物、ただの虫けらに転生させることもできたのですよ?」

 

「つまり、ツグミお姉さま達は青髪の悪魔を、上書きによって消去しましたが、元の人格……というか、その高次元的な魂を、下位変換(ダウンコンバート)することでまた別の魂の座に移すことも、出来たのです」

 

「そんな面倒なこと、彼女にしたいとは思いませんでしたが」

 

 ……面倒な女は彼女にしたくない、みたいな言い方をするな。

 

 これは気のせいなんかじゃない。ツグミは、マイラよりも若干私に……青髪の悪魔サイドの人間に……当たりがきつい。当然だろうけど。

 

「ですが、(ミジュワ)、あなたにはそれをしても良い。あなたは、望むなら人間に生まれ変わらせても良い。ツグミお姉さまとナガオナオ様は、そう言っているのです」

 

「え……」

 

「なぜ、あなたを捕らえ、何百年もの間あなたを転生させていたか。なぜマイラはそれに付き合わなければいけなかったか。それについても、問題となるのはあなたがマイラとの間に交わした契約でした。あなたは、その気になれば私達に、私とナガオナオ様に、ラナンキュロアである千速継笑様の人生に割り込むことができるのです。マイラとの繋がりがあるのですから。なので、隔離するにはマイラをも巻き込む必要があったのです」

 

「私はツグミお姉さまに二択を迫られました。つまり、ツグミお姉さまが青髪の悪魔を乗っ取ったように、私があなたを上書きして自身の上位変換(アップコンバート)をするか、それともあなたに付き合ってその監視役、あるいは看守となるか、その二択です」

 

「ど、どうして自身の上位変換(アップコンバート)? それを選ばなかったのよ!?」

 

「私を騙し、ボユの港を焼いたあなたを、無限の牢獄で苛むため……ふふ、冗談です。そんな理由ではありません。それは私の動機の、初めの二割程度でしかありません」

 

 二割はあるんかいっ。

 

 初め?……今は違うってこと?

 

「マイラはこう私へ訴えました。自分も、転生がしたいと」

「……え?」

 

「千速継笑様のラナンキュロアは、既にその路線(ルート)が確定しました。いえ、それも後より変更は可能なのですが、私達はそれをしたいとは思いません」

「自分らしく生き、最後には満足して死ぬというのであれば、自分がどうこういえる話ではない……ナガオナオ様もそう、言ってくださっているのですよね?」

「ええ。純然たる千速継笑様の魂は、それで救われることでしょう」

 

 と。

 

「ですが私にも、見たい世界があるのです。千速継笑様ではないラナンキュロア様の、また別の物語が」

 

 そこで(ようや)く、左からの圧が和らぐ。

 

「あ……」

「わぉん!」

 

 いったい何が……と思って左を向けば、そこで柔らかなベッドに沈んでいるその身体は、ラナンキュロアの再上演(リバイバル)で名バイプレイヤーとなっていたマイラ……ピレネー犬、マイラのものになっていた。

 

「いやでもこれはこれで別の圧が凄いな!?」

「……くぅん」

 

 デカイ。

 

 やはりマイラはドデカイ。立ち上がれば身長も、体重もきっと私より大きく重いだろう。

 

 そしてその姿になってさえ、そこからは見ていると心温まる、好感というカルメラ焼きが心の中で膨らんでいく、そのような反応を私にもたらすナニカ……カルメラ焼きなら重曹だけど……だから陽の波動(オーラ)?……が、ビンビンと放出されていた。

 

 まぁ美少女の姿ではない分、それへ向かう私自身の好感の質はだいぶ変わっているが。

 

「私は、レオ様が無剣(むけん)を使えない世界で、ラナンキュロア様が千速継笑様ではない世界で、そのお母様、パヴローヴァ様……の、お姉さまに生まれ変わりたいのです」

 

「……は?」

 

 え、それって確か……クソみたいな名前と性格のアレにイジメられて、けれどめげずに伯爵家の跡取り息子を捕まえ、ざまぁしたその道のプロ……なんじゃ。

 

「私は、生まれてからの半年くらいはただ純粋に幸せでした。優しい人に、優しく育てていただけたからです。人間というのはなんて素晴らしいんだろう、人間は、なんて愛しい存在なんだろうと心に刻まれるほどに」

 

「それは、私もそうなのですが。私のそれは、半年ではなく、訓練期間も含めれば二年近くありました。だから、その傾向は、より強いとさえ言えるのかもしれません」

 

 そうしてまたも気が付けば、右からの圧も、その質を大きく変えていた。

 

 ツグミもまた生まれたままの姿、英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバーの白い姿に変わっていた。

 

 私は、いつのまにか白い巨犬二匹に挟まれていた。

 

 もふもふの、牢獄。

 

「生後半年の私の、新しい御主人様となったパヴローヴァ様は不思議な人でした。勝ち気で明るく、既にラナンキュロア様をご出産されていた割には振る舞いも子供らしく、可愛らしくて、子犬だった私のことも大層可愛がってくださいました。ですが時折激しく、癇癪を起こして暴れる、そのような方でもあったのです」

 

「不思議、ではないでしょう。彼女のそれまでの人生を考えれば、それは当然の結果です」

 

 白い巨体から、優しい、麗しい美少女ボイスが流れ出てくるというのも、よくよく考えればおかしな話だ。でも、私はもう、よくよく考えることは出来なくなっていたので、特に違和感も無く思えた。

 

 なんかもうよくわかんない。わんこ可愛い。

 

「ええ、今ならそれがわかります。ですが犬の身であった私にはそれがとても不思議でした。ある事件が起きるまでは、パヴローヴァ様は、もしかしたらふたりいらっしゃるのではないかと思っていたくらいです」

 

 ある、事件?

 

「私とラナンキュロア様が二歳の時、パヴローヴァ様のお姉様にご子息様が生まれ、それによって心破れたパヴローヴァ様が、“どうしてアンタは男じゃなかったのよ!!”と叫び、ラナンキュロア様を床に投げつけるという事件です」

 

「ああ……」

 

 それは、ラナンキュロアの回想に出てきたな。

 

 ラナンキュロアがラナンキュロアになった、ひとつの象徴的な事件だ。

 

「私は、そこでパヴローヴァ様の心に、癒し難い傷があることを初めて知りました。パヴローヴァ様は傷付いていたのです。生まれてからずっと、それとわからぬ形で傷付けられてきたのです」

 

 まぁ、ゲリヴェルガの体液なんて、お身体とオツムに悪そうだし……。

 

「そうして彼女は、マイラを蹴るようになりました」

 

「お姉さま、それは……」

 

「いいえ、これは言わせてください。彼女は確かに傷付けられた可哀想な子供だったかもしれません。ですが、その傷を、痛みを、更に弱い相手に押し付けるというのは最低の行為です。彼女は毎日のようにマイラを蹴り、蹴りまくって自分の憂さ晴らしに利用したのです」

 

「お姉さま、その時、私は二歳だったのですよ? 犬は一年もすれば成犬です。特に私は身体の大きさも体重も、パヴローヴァ様よりずっと大きくなっていたのですよ? それに、私がお姉さまと契約してからは、そのようなこと、お姉さまがさせなかったじゃないですか」

 

「当然です。正直、ラナンキュロア様を見守るというのは後付けの理由です。私は、あなたを救いたくて、あなたと契約をしたのですから」

 

 ……今なんと?

 

 いや、私がラナンキュロアじゃなかったというなら、それは関係ない話だけど。

 

「それについてはお姉さま、私は、後悔しているのです。私は、もう少しパヴローヴァ様の憂さ晴らしに付き合い、付き合うことで寄り添えなかったのだろうかと、悔やんでいるのです」

 

 なんか巨大なピレネー犬が、DV夫を庇うダメ女みたいなことを言っている。

 

「ですからその類の奉仕は、ほとんど絶対報われない献身であると……」

 

 なんかピレネー犬よりは小さい大型犬が、妹を諭す姉みたいなことを言っている。

 

「ほとんどが付くなら、絶対ではありません」

 

 なんか巨大なピレネー犬が、今度は言語学者みたいなことを言っている。

 

「……それは、もうだいぶ前に議論を尽くしたでしょう。そこまでラナンキュロア様のお母様、パヴローヴァ様を救いたいのであれば、あなたがその周辺の誰かに生まれ変わり、彼女を導きなさいと」

 

「ああ……それがざまぁのプロへの転生」

 

「なんです? ざまぁのプロって」

 

 いやなんだろう。二十一世紀前半の、地球の特定の界隈の人にしか通じない表現、かな。

 

「だからあなたは……マイラは、ラナンキュロアの伯母に生まれ変わりたいのね?」

 

「はい。パヴローヴァ様との敵対ルートを回避して、彼女を幸せへと導きたいのです。わかっています、だからといってそれが、不幸になってしまったパヴローヴァ様を救うということには結びつかないということも。でも」

 

 それが私の見たい世界なんです……と(りき)むピレネー犬へ、私は頭に浮かんだ「そのまんまなら幸せな伯母さんの人生が……」という言葉を、口に出すことをやめた。まあいいさ、そういう世界があっても。世界は高次元的に分岐してるらしいから、幸せな伯母さんの路線(ルート)が消えるわけでもないのだろう。

 

「なるほど。レオはどうするの、とか気になる点はいくつかあるけれど、まぁその辺も上手くやるんだろうなって思う」

 

 レオを救うこと、それ自体は難しいことじゃない。スラム街に捨てられた直後に拾って、貴族官僚の家の財力でなんとかすればいい。辺境伯、コーニャソーハ家と関わらないようにすれば、まぁ上手くやれるのだろう。

 

 けど。

 

 

 

「でもそれに、私はどう関わってくるの?」

 

 その話に(ミジュワ)の無限悲劇、転生はどう関わってくるのか。

 

 私が、マイラとの間に交わした契約が問題? 私は、その気になればマイラ、ツグミ、ナガオナオ、ラナンキュロアである千速継笑の人生に割り込むことができる?

 

 だから隔離する必要がある?

 

 どういうこっちゃ。

 

 私はそんなことをしたいとは思っていない。そんなの、私が千速継笑の完全なコピーになった時点で、したいと思うワケがない。

 

「あなたをそうすること、その境地に至らせること、それ自体が、あなたの転生させた、その理由のひとつです」

 

「……は?」

 

「覚えていませんか? 私が記憶を()くし目覚めた千速継笑様へ、強く勧めたのがなんであったか」

 

 え、あ……それは……。

 

「逆行転生……」

 

「純然たる千速継笑様の表現を借りれば、なぜやったのか?(ホワイダニット)で考えてください。私があなたへ、逆行転生を勧める理由はなんでしょうか?」

 

 それ、は……。

 

「より、千速継笑のコピーとして完成する……から?」

 

「ええ。私からもひとつ、純然たる千速継笑様の表現を借りてお話しましょう。過去へ飛び、歴史を変えてやり直す能力、それへの対抗手段はみっつです。そして、そのひとつは、相手の能力そのものを無効化させるというモノです。これは、相手にやり直しを諦めさせるパターンや、相手を直接的に殺すなどして能力を使えなくするパターンも含みます」

 

「ツグミお姉さまは最後の、あなたを殺す、消滅させるパターン……私があなたの魂の座を乗っ取るという方法を推奨されました」

 

「でも、あなた達はそれを、選ばなかった……」

 

「はい。そこで三択です。あなたは、()()()()()()()生まれ変わりたいですか? 長女である伯母様は私です。次女であるパヴローヴァ様はダメです。長男第二子ゲリヴェルガ、次男第四子リゥダルフ、三男第五子コンラディン。この三人から選んでください」

 

「……はぁ?」

 

 え、待って、話がだいぶ飛んだんですけど。あの、私、性自認は女性って言ったよね? それ、全部男じゃない。どれも一難七難四十八難ありそうな。いや後ろのは七癖四十八癖だけど。艱難辛苦(かんなんしんく)七転八倒(しちてんばっとう)だけど。自分でももう何を言っているかわからないけれど。

 

「多数決の話です。五人の中で、多数決で勝つには、何人必要ですか?」

「……へ?」

 

「長女、次女が結託するとそれでふたり。では多数決で勝つには、あと何人が必要?」

 

 そりゃあ、五人の中で多数決で勝つには、三人必要なわけだから。

 

「私が見たい世界を民主的に実現する為には、もうひとり、私と一緒に転生してくれる人が必要なのです」

 

 ……はい?

 

「えっ!? そんなことのために私! 百年とか何百年とかって単位で悲劇を繰り返していたの!?」

 

「いえ、先程も述べた通り、二割はボユの港を焼いたあなたへの、嫌がらせです。私も、レオ様と同じように、あの街は気に入っていたのですよ?」

「残り八割は!?」

 

「四割は、後顧(こうこ)(うれ)いを断つためです。先程述べた通り、あなたを千速継笑様のコピーとして完成させるためです。あなたに、ミジュワとしての自覚がある内は、自分の背中を任せることなど、出来ないじゃないですか」

「背中を任されることは確定なの!?」

 

 というか残り四割は!?

 

「それが、ただいま述べてきた味方が欲しい、という理由です。……どうして私なの? というお顔をされていますね。ですからそれが、いまだ私とあなたとの間に残る、契約なのです。あなたは私に、多くの健康寿命と幸せを与える、という契約をしました。駄目ですよ? 何かを与える、何かを提供するという契約書には、ちゃんとその量も具体的に書かなければ。この“量”は、ツグミお姉さまが与えられるものよりも多く、と決められていました。ですがツグミお姉さまがナガオナオ様と同じ次元に立った今、それはもはや無限ともいえる“量”です。私は正当な権利をもってあなたに要求します。私を幸せにしろと。私とパヴローヴァ様とラナンキュロア様とレオ様を幸せにしろと」

 

「そん、な……」

 

 莫迦(バカ)な話が……。

 

「悪魔、その類の存在がなぜ契約を重視するか、わかりますか? それはその契約が、魂に刻まれるものだからです。悪魔といえどもその知性の源は、何かしらの座に宿った情報(データ)誘導体(デリバティブ)です。そこに刻まれた契約には縛られてしまうのです」

 

「私達の側から見た時、この契約は、あなたがツグミお姉さまやナガオナオ様に干渉できるという縛りを持っていました。ですが今、あなたが千速継笑様のコピーとなった今、私達は歓迎の意をもってあなたにこう言いましょう。どうぞ、干渉してください。私のやり直しに、ええ、どうぞ付き合ってください」

 

 絶句する。

 

「ついでです、その世界のジュベミューワ、あなたのいわば母体となったあの少女も救ってあげますよ? また、あなたのような存在が生まれても困りますし。ノアステリアはどうしますか? あなたに、任せますが」

 

 なんだこの悪夢は。

 

 延々と続く悲劇の転生、その先にあったのはただ一匹の犬の、実現したい人生のその介助役となること。

 

 いや……しかしこれは……ツグミやマイラのような人間……存在には、まったく悪夢ではないことなのだ。マイラは、これを全くの善意で言っている。そうでなければあんなにも笑顔が優しいはずがない。そうでなければこんなにも私の心が、その声に安らぐはずがない。彼女達はそういう人間……存在なのだ。わかりやすい方のツグミは、ナガオナオの盲導犬として、その人生の介助役として一生を全うしたのだから。その人生を幸せいっぱいに過ごしたのだから。

 

「私はツグミお姉さまに十年以上、身体を預けていました。その間、ついでのようにナガオナオ様への敬愛を刷り込まれています。だから私も、ツグミお姉さまと同じですよ? 愛しい誰かの一生に、ずっと寄り添って生きるというのは、とても素晴らしいことであるとは思いませんか?」

 

 私も、ツグミお姉さまがナガオナオ様へそうしたように、パヴローヴァ様に寄り添って生きてみたいのです……云々。

 

 怖い。怖すぎる、なんだそれは、何かの宗教か、他人に尽くすことこそが幸せって、気持ち悪い宗教か。もう女が男に尽くすだけの時代じゃないんだぞ……あ、彼女達は犬か。

 

 犬だったら、誰かに尽くす生き様が幸せというのも、わからなくは無……じゃなくて!?

 

「す、好きな人に尽くすならそれは幸せな人生かもしれないけど、私はっ……ゎぅ!?」

 

 けれど、気が付けば私はまた……いつの間にか再び人型に……純白の少女となっていたマイラに、それはもう、また唐突に唇を奪われている。それは、あまりにもサラッとしていて自然な動作だった。これは、彼女に健康寿命と幸せを与えなければいけないという契約のせいなのだろうか? 私の魂は、あまりにもあんまりなそのキスを、だけどそうされることが当然であると納得している。理性を突き破る受容が私の身体を縛っている。

 

「んー!?」

 

 それでまた、私にはなにもかもが分からなくなる。忘我のカルメラ焼きがぼんぼんと膨らんでは爆発し、消えていく。後にはもう何も残っていない、甘い香りだけが漂っている。

 

 心地良い。何もかも忘れ、彼女に身を委ねることが、これ以上ないほど心地良く思えた。

 

 私の理性は、甘い匂いに全てが溶けてしまったのだろうか?

 

「陽の波動は、あなたには効果覿面(こうかてきめん)ですね。安心してください、悪いようにはしません。ゲリヴェルガ様になるなら、あのありあまる歪んだ性欲、受け止めてあげてもよろしいのですよ?」

 

()っ!……ぁむ!?」

 

 入ってくる舌に、でも、これ犬の……と理性のようなものが叫ぶが、しかしそんなものはやはりすぐにカルメラ焼きとなって一瞬で消えていく。

 

「……私も身の危険を感じるので、どうかお願いします、マイラの欲求を、欲望を、どうか受け止めてあげてください」

「んー、んふぅ!? んむっ!? んんー!?」

「大丈夫です、ゲリヴェルガ様の歪んだそれより、マイラのそれはずぅ~っとストレートですよ? 私も同じだからわかります。わかるから、それとは是非、距離を置いておきたいのですが」

 

 だからマイラのそれが、私の方へ向かないようにおねがいしますね……とツグミが言うのも、私がその意味を理解する前に、口腔を蹂躙するマイラの舌が全て持っていってしまう。

 

「んふー! んー!!」

 

 もう心地良いのか、気持ち良いのか、自分のその感覚が何であるかさえ、わからない。

 わかるのは自分の全身がぐんにょりともう、溶けてしまっていることだけだ。

 

 抵抗するとか、彼女を押しのけるとか、そういう選択肢は、一応理性に顔を覗かせているものの、選べない選択肢のように、そこに注目してみても何の手応えもない。

 

 だから私はただマイラの舌を、元気なわんこのようなその愛情表現を、無抵抗で受け入れるしかなかった。

 

「……私も、ナガオナオ様には愛情深い(ほう)、と言われていたのですが……うーん、マイラのこれはなんなのでしょう。私よりももっと積極的な……愛で人を支配する類の……うぅん、とっても危険、です。剣呑剣呑、です」

 

 だから叫んだ。もう、どうしようもなくて叫んだ。

 

 もう、そうするしかなかった。

 

 私は甘い拷問に膝を折り、クィーンサイズのベッドの上に(くずお)れ、人を意味する「にんべん」に「犬」と書く「伏」()した状態となりながらも、自らの敗北を声高に掲げた。

 

「いやっ! だからするから! しますから! お姉さまの下僕でも舎弟でも奴隷でもなりますから! だからもうやめてぇぇぇぇぇぇぇ!! 私はお姉さまの忠実なる犬にございますぅぅぅぅぅぅぅ」

「……可愛い、(ミジュワ)

 

 

 

 

 

 

 

「……いいのでしょうか、こんな終わりで。千速継笑様にまつわる事件の解決(ケースクローズド)が、こんな形で。まぁ、ミジュワの転生先がゲリヴェルガ様という選択肢はこちらで潰しておきましょうか。悲劇を潰す代わりに、また別の悲劇が生まれてしまいそうです。それは今更ですが、やれることはするべきでしょう。……というか、出産後に幸せ太りしてしまったとはいえ、陽の波動を、伯爵家の玉の輿に乗れるほどに可愛い女の子が持って生まれるのって、大丈夫なのでしょうか。……伯爵家の上となると、侯爵家、王家……傾城……傾国……別の意味で国堕とし……うーんこれも危険な香りしかしません。もう少し観測が必要でしょうか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それで、コンラディンとリゥダルフの、どっちにしたかって?

 

 

 

 もうどうでもいいでしょ、そんなの。

 

 私は屈服したのだ。よくよく思い返してみれば、ふたりの話には、私に関して、綺麗に避けていたひとつ事実があった。それは、ふたりが私の「無力化」に百年、数百年の時を費やしたという事実の、その先にある動かし難い事実だ。

 

 私は多分、いまだ巻き戻し魔法(ロールバックマジック)をはじめとした、数々の強力な魔法を使えるのだ。思い出しさえすれば。魔法は魂よりいずるもの、私がミジュワであるなら、それを使えないワケがない。

 

 彼女達が恐れていたのは、それをもって自分達に楯突かれることだったのだろう。

 

 でも、私はそれを、もう悪行に利用したいとは思わない。思えない。

 

 ツグミとマイラの、ふたりによってそう調教されてしまった。

 

 私の性自認が女であるように、私の倫理観も、千速継笑のそれで上書きされてしまったのだ。ラナンキュロアは人殺しとなったが、私はその過程における彼女の葛藤を知っている。簡単に悪に走れるような少女では無かったのだ、彼女は。

 

 今の私は、自分が悪となることに抵抗を覚える。

 

 だからもう、無表情で虐殺なんかは行えない。

 

 私はふたりに、そうされてしまった。調教され調伏(ちょうぶく)されてしまった。わぉん。

 

 この辺、彼女ら自身、人に調教され「けもの」から「犬」になった存在「らしい」やり口だと思う。そのようなことを、後ろめたさなど無く出来るのだ、彼女達は。

 

 でも、だから彼女らに(いだ)く不満もない。それを向けるべきは、この世界の構造を編み出したより上位の創造主かナニカだ。もしかしたら、今頃「青髪の悪魔も出オチキャラになってしまった……すまない」とか考えているかもしれない、阿呆な創造主にだ。

 

 まぁいい、もういい、なんでも構わない。

 

 どうせミジュワ()にやりたいことなんかない。自分を生んでくれた青髪の悪魔がこの世に既にいないというなら、私に残る繋がりはもうマイラとツグミ、そのふたりにしかない。

 

 今はその繋がりに縋り、生きるしかないのだ。

 

「さ、いきますよ、(ミジュワ)

 

 生きよう、今はマイラお姉さまの犬として。わぅ~ん。

 

「はい、お姉さま」

 

 

 

 

 

 

 

 あ。

 

 追加情報をひとつだけ転がしておくと、コンラディンとリゥダルフのどちらかを、三女に置き換えることも可能とのことでしたよ。さっすがお姉さま。わんわん。

 

 

 



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Exogenesis Symphony Part III

 

<視点、人称、不明、また不定>

 

 

 

 天にふたつの月を抱く、一年を十七ヶ月とするその星の歴史に、皇帝パスティーンが築いた帝国の記述は少ない。

 

 記述が少ないゆえに、なぜ記述が少ないのか、その理由もまた判然としない。

 

 だが、ゆえにこそ好事家(こうずか)妄想力(イマジネーション)を刺激する、それは時の地層に(うず)もれた遺跡だ。

 

 

 

 皇帝パスティーンは七十二歳で死んだとされている。

 

 天寿とまっとうしたのか、殺されたのか、病死か、事故死か、老衰か。

 

 それを伝える史料はどこにもない。

 

 ただ晩年、彼が警備の厳重な宮殿、皇宮(こうぐう)へに引き籠っていたことは確かなようだ。

 

 今も残る、皇帝パスティーンのものと思われる下知(げち)の指示書、あるいは命令書は、そのほとんどが特殊な形式で書かれている。

 

 指示、命令が全てリスト形式で箇条書きにされているのだ。

 大目標も小目標も全てが同じ調子で書かれ、それぞれの理由、それぞれの優先順位等の補足は一切ない。また、種類の違う命令がいくつも混じっている。

 

 例えば以下のような調子だ。これが、一枚の命令書の中に書かれている。

 

 ・(日時。年はなく月日のみ)までに(複数の人名)達を捕らえよ

 ・(日時。年はなく月日のみ)までに(複数の人名)達を処罰せよ

 ・(日時。年月はなく日のみ)の夕食には必ずメロンを添えよ

 ・(複数の女性名)らは身を清め(後宮の部屋名?)で侍っておくように

 ・今年度はダークエルフを二割以上減らすこと

 ・今年度は他国へ逃亡した猫人族を十人以上捕獲、または誅殺せよ

 ・(日時。年まで記述有)までに(国名)を支配下に置け

 ・(日時。年まで記述有)に指示した(過去の指示、命令?)について報告がない。責任者を探し引っ立てよ

 

 これら指示書、命令書は、現存するものの多くが皇帝の四十代より以降に書かれている。その時期に帝国は、更に東の列島にて興った独立国「ワ」との交流を始めていて、そこからもたらされる紙が長期の保存に耐える品質であったことから、それらは例外的に今もほぼ原型を留める形で残されている。

 

 このため、皇帝の指示書、命令書が、それ以前にも同じ形式であったか、それともなにかしらの最適化を経てこうなったのかは分かっていない。

 

 どちらにせよ、理由も説明も無く、ただ機械的に羅列される命令の数々から、皇帝の人間性を推察するのは難しい。侵略、虐殺を善しとしたことから、その性が苛烈であったことだけは間違いないが、その生まれ、そこに至る成育史等の情報もまた散逸しているため、彼が何故そのような人間となったのかも判然としない。

 

 焚書(ふんしょ)が行われた訳ではない。

 

 血脈の断絶が起こった訳でもない。

 

 皇帝の死に大混乱が巻き起こったことは確かだが、享年七十二歳というのは、当時としては大往生の部類あり、反乱、内乱の類によって憤死させられたという痕跡も無い。

 

 四百はいたとされる彼の子、その数倍にもなる彼の孫らも、その時点では多くが存命だった。であるがゆえに、帝国の版図(はんと)は後に細かく分けられ、「五色時代」と呼ばれる騒乱の時期を経て、やがて前述の「ワ」の侵攻を受けたりしながら、「ワ」より独立した「イロハ」をはじめとした新興国に呑まれていくのだが。

 

 心理と真意が読み取れぬ指示、命令の箇条書きから分かるのは、彼が生涯を通じて侵略の野望に取り憑かれていたこと、逆らうものには容赦をしなかったこと、食にはこだわっていたこと、男としてもまた絶倫であり艶福家であって、六十を超えてもまだ後宮には数多くの(きさき)愛妾(あいしょう)がいたこと、それから、反逆の芽の類は神経質なまでに摘み、根絶やしにしたこと、そうしたことだけだ。

 

 皇帝が恨みからの暗殺を恐れていたことは、皇宮や後宮の造り、その構造からも推察できる。

 

 皇宮は、皇城(こうじょう)と表現してもいいほどの、堅牢な砦の構えを思わせる四重の外郭(がいかく)を持っていた。それは、それぞれにあらゆる物理攻撃、魔法攻撃、攻城兵器、特殊攻具に対する備えがあり、特に対魔法攻撃に対しては神経を使った様子が見て取れる。炎魔法に対する耐熱の工夫、水魔法による水攻めをされないための工夫、空間支配系魔法を使われた際に空間を切り離し、またすぐにそこを修繕し使うことができるようにする工夫、など、そこかしこに当時の技術の粋を集めた防御策が仕掛けられていた。

 

 皇宮は皇帝の死後、早い段階で打ち壊されたため、外郭の内側、内部に関する詳細な史料は残っていないが、中が迷宮のようになっていたことだけは間違い無いようだ。

 

 中で細かく区画が分けられ、それらを繋ぐ通路は細かく分岐し行き止まりも多く、構造を理解している者以外は、隣の区画へ移動することすら困難であったという。

 

 そして皇宮内に仕えていた者達は、ほとんどが職域の範囲で必要な部分しかその構造を把握していなかったものと思われる。隠し通路、隠し部屋、仕掛けを動かした時だけ架かる橋、そういった類の仕掛けも多かったようで、その複雑怪奇な構造は、もしかすれば皇帝自身ですらも全ては把握していなかったかもしれない。

 

 後に監獄として再利用されたため、こちらはある程度の史料が残っている皇帝の後宮に至っては、これはもうまさに迷宮、魔窟(まくつ)といった様相(ようそう)(てい)している。まず、地下構造部分が非常に大きい。非常に大きい上に、厳重で厳格な管理が行われていた痕跡がある。彼に身を捧げた者の八割は地下で生活をし、軟禁というよりは監禁に近い形で暮らしていたのではないかと推測されるのだ。最下層と、それに近い層の何割かは、生理周期に入った者達を閉じ込め、隔離するための層であったとする説もある。もっとも、それはそのような設備が見て取れたため、そうではなかったかと、俗にいわれているだけのことではあるが。

 

 暗殺者は魔法を使える者も多い。そして魔法が使えるのであれば、それは体格に優れた成人、更には男性である必要も無い。後宮というのは、そうした少女の暗殺者の入り込み易い場所である。実際、……時代の……王朝、また……年代に興った……帝国などは、少女の暗殺者に時の最高権力者がその命を狩られている。

 

 皇帝パスティーンはその点、かなり厳格に、後宮に住まう者の選別と選定を行っていたようだ。また、少しでも暗殺や復讐を企図(きと)した者は残虐な拷問の末に殺された。これには、何重にもこうして苦しめて殺せという、かなり具体的にどうするかまで指示した、リスト形式の指示書が現存している。

 

 彼は後宮において、おそらくは多く誣告(ぶこく)も含まれていただろう告げ口、たれ込み、密告、告発を、さほど詳細に調べることもなく信じ、該当者とその関係者の処分を、残虐という他にない方法で行っている。いかな禍根も残さぬという妄執さえ感じる、徹底したやり口によって。

 

 そこにはかの皇帝の狂気が感じられる。支配欲と、暗殺への恐怖の入り混じった狂気が。

 

 ただ、この皇帝の後宮には、いくつかの謎も残されている。

 

 そのひとつが、ダークエルフの后なり愛妾(かの皇帝は、後宮内において序列が発生するのを許さなかったため、誰がどういった地位にあったのか、今日でも多くがわかっていない)が、後宮の二割部分、つまり地上の層で暮らしていたと思われる点だ。

 

 皇帝パスティーンの治世においてダークエルフは、支配された後、最下層へ落とされた種族のひとつであり、当時いた男性のダークエルフは、まだ生殖能力のなかった少年までもが全て殺しつくされたとされている。この為、現代に残る北の大陸のダークエルフは、全てがかの皇帝の血を引いているとされている程だ。

 

 皇帝はダークエルフを北の大陸から根絶させようとしていた。その一方で、ダークエルフの后、か愛妾かは厚遇していたように思える。ただ、そのまた一方で、それが厚遇であったかどうかにも疑問は残る。

 

 というのも、彼の子に、ダークエルフの血を引いたと思われる者は、たったふたりしか確認されていないからだ。これは、帝国がダークエルフを支配下に置いたのが、彼が五十近くになってからだったため、血の遠い種族を孕ませる力が衰えていたからだろうとされているが、しかし一方、同時期に支配が完了した猫人族などは、その后なり愛妾から、確認されているだけで九人の子が生まれている。猫人族は、帝国によって支配される直前に、その身軽さによって多くが国外への脱出を成功させているため断種、種族の浄化を行うことに意味が無かったとも考えられるが、そこの辺りははっきりしていない。

 

 後宮外においては断種、血の浄化を試みたダークエルフを、彼はなぜ地下よりは快適であっただろう地上の層に置いたのだろうか? 猫人族などは、その陽を好む性質すらも無視して、最下層に近い層へ置いたにも関わらず。

 

 この件に関してはひとつ、長く、広く信じられてきた街談巷説(がいだんこうせつ)がある。

 

 皇帝は、白い肌をことのほか好んだというのがそれだ。それを証明する史料は何も無いが、当時後宮外へ出入りを許された数少ない后なり愛妾達は、しかし陽の下においては常に日傘を差し、夏であってもかなりの厚着をしていたとされている。また、皇帝はダークではない方のエルフ、色白で知られるエルフを、ことのほか好んだといい、実際に後宮に入れた后なり愛妾の二割はエルフであったとも言われている。

 

 皇帝は色白を好んだ、彼は彼へ差し出されるその肉体が、より白くあることを好んだ。

 

 そして後宮の八割は、陽の光が一切届かない地下にあった。

 

 つまり、かの皇帝は、むしろ好みの女性ほど、地下に閉じ込めたがったのではないだろうか?

 

 ダークエルフは、母の胎にいる頃から色黒である故、地下に押し込める必要もなかったのではないだろうか?

 

 重ねていうが、これは確かな史料による裏付けのない、俗説のひとつである。

 

 この俗説を補強、あるいは増幅する他の傍証、あるいは状況証拠が、かの後宮の構造そのものにあったことも確かだ。

 

 後宮が監獄に作り変えられた際、その工事には意外な困難が伴ったという。

 

 というのも、後宮の地下部分には、実は地上へと続く隠し通路が、無数に存在していたからだ。工事の際に発覚したのは、かつて后か愛妾が住んでいた生活空間を牢に変えようとすると、それが無数の脱獄経路へと変わってしまうということであった。

 

 かの後宮は、そこに適切な人員と監視の目が配置されていたとするなら、であるが、むしろ地上部分の方が脱走するには難しく、管理が厳重であったのではないかとも考えられるのだ。

 

 そうであったなら、囲われる側の后なり愛妾が、むしろ寵愛を受けるほど息苦しい地下に閉じ込められるという魔窟の構造へ、何を思ったのかはわからないが、通常とは逆転したその構造自体は、皇帝が望んでそうしたものであるということになる。

 

 皇帝は晩年、この迷宮のような皇宮と、魔窟のような後宮とを行き来するだけの生活を送った。

 

 それは前述の通り暗殺を怖れてのことだったとされているが、また一方で、こうした俗説においては、そもそも彼は陽の光の嫌いな引き籠り体質であり、老年期に入ってからはそれが顕著になっただけとも言われている。

 

 だが本書は歴史書である。記述するべくは、確かなる史料に寄り添った事実のみが本道であろう。

 

 かの皇帝の後宮の在り様は、人間性を示す史料の乏しい皇帝パスティーンの、数少ない人間性を妄想させる端緒(たんちょ)とはなろう。だが正しく歴史を理解する助けとはならない。歴史とは叙事(じょじ)である。叙情(じょじょう)は、詩人の妄想の中でのみ蝶のように舞えば良い。人心は華美なれど、(こぼ)()ちれば有害となる鱗粉のようなものなのだから。

 

 どちらにせよ、皇帝パスティーンが晩年、広大な彼の版図の万分の一にも満たない、小さな世界に引き籠ったことは事実だ。

 

 小さな世界から更なる侵略の指示、命令を出しつつも、そこから一歩も外へ出なかった。

 

 ならば皇帝の死は、穴倉へ落ちた獣がそこから一歩も出られずに頓死(とんし)した、そのようなものと大差無い。暗殺されたにせよ、後宮で腹上死したにせよ、利便性より秘匿性を重視した使い勝手の悪い通路のどこかで事故死したにせよ、同じことではないか。

 

 かの皇帝の死因は頓死。歴史には大往生でも憤死でもなく、そう記されるが適当であると愚考するが如何(いかが)か。

 

 賢明なる読者諸氏の判断を期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆歴史シミュレーションゲーム『七つ国の野望7』大型アップデートのお知らせ!!

 

 ■『七つ国の野望7』次回大型アップデートは来月6日!

 

 エイテクゲームスより、ハルテンドーウイッス、PSS7、xOS360以降対応ストリームアンドロームで発売中の『七つ国の野望7 夢幻』では、来月、獅志月の6日に、全機種を対象を対象とする最新の大型アップデートが実施される。

 

 同作ではこれまでにも、UIにおける利便性の向上、バトルシーンにおける演出のスキップ機能、外交における異種族、異民族を吸収する手段、要望の多かったキャラクターへ固有の「夢」「特技」を追加するなど、様々な要素や機能の拡張、調整が行われてきた。

 

 今回はそれを上回る規模の機能追加、拡張、調整が施されるという。本記事では、まず異民族「ワ」、また七つ国のひとつ「イロハ」の扱いの変更についてお届けしたい。

 

 本年の初頭、近年進歩の著しいAIによって、イロハ高官「センゾクリオン」の暗号書簡が解読されたというニュースがあったのは、読者諸氏の記憶にも新しいことだろう。これによって判明した、これまでの定説を覆す新事実は以下の三点。

 

 ・センゾクリオンがやはり女性であったということ

 ・センゾクリオンがユーマ王国の出身であったこと

 ・センゾクリオンがコンピューター、原子力発電等のアイデアを考案していたこと

 

 『七つ国の野望7 夢幻』の次回アップデートには、この歴史的発見を元に多くの点が更新される。以下に、実際に適用される変更点を、順番に見ていこう。

 

 ■センゾクリオンは女性!?

 

 まず、石油化学工業の礎となり、電気技術、電気工業の祖ともなった技術大国イロハ。その先進的な技術力を陰より支えたとされているセンゾクリオンは、俗説では女性であったと噂されながらも、その証明はこれまでされてこなかった。「彼女」は戦場においては一瞬で千人を屠ったともいわれていて、それならば男性である方が妥当であるとされてきたからだ。しかしくだんの暗号書簡には自身の出産について赤裸々に語っている部分があり、その半分以上が産休時の外部への指示、その下書きのような記述となっている。

 

 これによって、センゾクリオンが女性であることは(ほぼ)確実となった。『七つ国の野望』シリーズにおいても、男性(シリーズの初代、3)であったり女性(同2、4)であったり、『七つ国の野望5 魔道』以降においては、通常は男性、異聞設定で女性を選択すると女性武将となっていた「彼女」の性別が、通常においても女性に固定されることとなった。また、彼女の「千人斬り伝説」については、彼女が魔法使いであったとする説を採用するようで、ステータスや特性にも一部変更が加えられている。

 

 ■センゾクリオンはユーマ王国の出身!?

 

 次に、センゾクリオンの出身地についてだが、『七つ国の野望6 大地』から実装されたシステム「地縁」において、センゾクリオンは帝国東部に多少の「地縁」を持つだけであり、他には「地縁」が無いという、他のイロハ武将達と変わらない設定をされていた。

 

 イロハが、海を渡ったワの国の技術者集団によって建国された国であるということは広く知られている。前作、今作とイロハはセンゾクリオンを含め、勢力所属武将のほとんどが「地縁」を持たない状態で始まり、「地縁」なき土地でその技術力を頼りに序盤を凌ぎ、徐々に地へ根を張っていくというプレイを味わえる勢力だった。

 

 これは前作『七つ国の野望6 大地』からは「人脈の無い土地では、いくら頭が良く魅力的な人物であっても政治的には苦労する」という考えから、内政面が、可視パラメータのひとつである「地縁」に強く影響されるようになったこと、『七つ国の野望7 夢幻』ではそれに加え、「どれだけ武に優れていようとも、軍隊、部隊として強くあるためには兵や戦闘地に馴染んでいることが必要である」という考えから、軍事面ですらも「地縁」に強く影響されるようなったためだ。

(この詳細は過去記事、『七つ国の野望6 大地/新システム 地縁による内政の革命とは!?』と、『七つ国の野望7 夢幻/軍隊も人脈で大強化!? 戦闘にも影響する地縁の効果』を参照されたし)

 

 今作では、中盤シナリオでは前述の通りほぼ「地縁」がない状態でスタートするイロハは、勢力としては弱小国であり、特に発売二ヵ月後のアップデートによって、CPUも「配下武将の献策」システム(承認すると戦闘中に特殊効果を発生させるコマンドが実行可能になる。戦闘地における戦闘参加武将の「地縁」が高ければ高いほど、効果の高いコマンドが実行可能になる)を効果的に使ってくるようになったことから、それ以降はプレイヤーが介入するか、史実イベントの強制発生を選ばない限り、ゲーム開始直後にほぼ、隣接する国によって滅ぼされてしまうという存在だった。これには、同じ五色の「白」や「青」に滅ぼされるならともかく、そうでない勢力に滅ぼされる「五色の黄」、イロハは見たくないという意見も多く寄せられていたようだ。

 

 センゾクリオンの出身がユーマ王国であったことが判明したことにより、彼女の「地縁」に大きな変更が加えられることは間違いない。

 

 シリーズにおいては常に「武力」「知力」がトップクラスだったセンゾクリオンだが、前作、今作においては前述の理由から、その真価を発揮できているとは言い難い状況が続いていた。イロハ、センゾクリオンを好むプレイヤーには嬉しい変更だろう。

 

 ■センゾクリオンは未来人!? そんなのチートだよ!!

 

 最後に、センゾクリオンがコンピューター、原子力発電等のアイデアを考案していた件について。

 

 解読された暗号書簡には、概念と構想だけなら今日のものと遜色のないコンピューター、原子力発電等のアイデアが記されていたとされる。「等」で「とされる」のは、それが前述の二点とは異なり、全ては一般に公表されなかったからだ。とはいえ、暗号書簡の画像データはインターネット上に転がっているし、今は解読にスーパーコンピュータの計算能力を必要するとしても、近い将来には家庭用のパーソナルコンピュータで解読ができるようになるだろう。

 

 ともあれ、そこにはおそらく、公表を躊躇わせるような超技術の何かが記されていたのだろう。それは科学技術の先にあるモノなのかもしれないし、魔法技術の先にあるモノなのかもしれない。石油化学工業の発展により失われてしまったテクノロジー、燃焼石に関する記述だったのかもしれない。

 

 今作『七つ国の野望7 夢幻』が次回アップデートにおいて、センゾクリオンが魔法使いであったとする説を採用する方針であるというのは先に少し触れた。センゾクリオンの逸話には「千人斬り」が何度も登場し、その何割かは複数の一次史料から裏付けが取れている。彼女が、対軍規模の攻撃手段を持っていたことは間違いないとされている。

 

 その正体については、これまで歴史の厚いベールに被われてきた。一部の逸話が伝える、一本の剣で千もの兵を切り伏せたというのは、さすがに誇張なり比喩表現が含まれているだろう。しかし、魔防帯衣が発明されるまで、広範囲魔法による同規模の結果をもたらす攻撃は、他に無かったわけでもない。センゾクリオンも、その類の天才魔道士だったのだろうというのがこれまでの定説のひとつだった。

 

 その一方、イロハが技術大国であったこと、センゾクリオンがその先端にいたことから、実は超技術の殺戮兵器を有していたのだという説も広く信じられてきた。近年においては、あの時代を戦車やヘリコプター、銃器や爆弾で蹂躙するチートな彼、彼女の姿を様々な作品で見ることが出来る。センゾクリオンはパブリックドメインとかいって好き勝手しすぎだよ君達☆

 

 暗号書簡の解読により、まるでセンゾクリオンが未来人であるかのような、とんでもなく先を見据えた近代技術の考案者であったことが明らかになった。それにより、この説にも一定の現実味が与えられた。

 

 が、さすがにこれを、ゲーム的に反映し実装するのは難しかったようで、次回アップデートで今作のセンゾクリオンにこの説が採用され、変更が反映されることはないようだ。

 

 ただし異民族ワ、五色の黄、イロハの「文化」には、今回の発見を元に更なる変更が加えられる。

 

 内政の一要素である「文化」は『七つ国の野望3 創世』より追加された要素であるが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオ様」

「ん?」

 

 ――準空子(クアジケノン)のチェアにふたり、横に並んで「私」は「御主人様」へ問いかける。

 

 そこに()る彼女の姿は白い大型犬、英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバーの姿かもしれないし、白銀の髪と白金の瞳を持つ、輝ける美少女の姿かもしれない。

 

 それはどちらでもいい。

 

 なぜならばここには、ナガオナオとツグミしかいないから。

 

 ナガオナオも、青年の姿かもしれないし、老人の姿かもしれない。ふたりがどのような服を着てそこにいるのかもわからない。もしかすれば生まれたばかりの姿、全裸なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

 

 ひとつめの知恵の実は、人類に羞恥の感情をもたらした。

 けれどそこに在るふたりはふたつめの、みっつめの知恵の実を食している。

 剥き出しの肉体に、羞恥を感じる段階(ステージ)は、()うに過ぎていた。

 

 ――だから「私」は、ありのままの姿で「ナオ様」の(そば)(はべ)っている。

 

「今思い出したのですが、ラナンキュロア様の言動、というよりも観測できたその思考で、回収されてない話がありました」

「ああ……アイツは、遊んだ後片付けない子供だったからね」

 

 夏に、ゲーム機を出したまま窓を開けて遊びに出たものだから、直射日光に焼かれたゲーム機が壊れたこともあったんだよと、遠い目をするナガオナオの、その(かたわ)らでツグミは、彼と彼の妹の子供時代を思い、その微笑ましさに口元を緩めた。

 

 それは黒い鼻が先端にある犬の口元だったかもしれないし、薄桃色の可憐な唇だったかもしれない。

 

 高次元的な存在である彼らに、それはどちらでもあり、どちらでもないのだ。

 

 そも、人はそれぞれにそれぞれの世界を抱き、それぞれの目でそれぞれの景色を観測している。自身の自己イメージと、他人から見える自分の姿がまるで一致しない人間もいる。他人が自分とは違う世界を観ているのだということに気付かない人間もいる。一生をそのままで……それはある意味幸せなことかもしれないが……過ごす人間だっている。

 

 複数の「目」を持つ存在には、対象の複数の姿が見える。

 

 ナガオナオがツグミを犬と思い、観ればそれは犬だし、少女と思えばそれは少女だ。

 

 それはどちらでもあって、どちらでもなく、ならばやはりどちらでもいい話だった。

 

 それに、ナガオナオにとってツグミは、どんな姿をしていてさえ、この上無く愛しい存在である。ふたりきりのこの場所では、それだけが大事なことだった。

 

「私が、ナガオナオ様について、偉大なる魔法使いが、どういったものかを考えるのであれば、地球におけるノーベル、ノイマン、フェルミといった、功罪(こうざい)ともに(いちじる)しい科学者、数学者、物理学者等を想像すればよろしいのではないかと言った件についてなのですが」

「……ぅ、む」

 

 それは買いかぶりすぎだよ、と呟きながら、しかしナガオナオはツグミの言葉を(さえぎ)らない。

 

「千速継笑様の、ラナンキュロア様の、ノーベル、ノイマンについての見解は聞けたと思うのですが、そういえばフェルミについては、何のコメントもなかったなって」

 

 ダイナマイトを発明し、ノーベル賞を設けたノーベル。

 

 ノイマン型コンピューターを造り、原爆の開発に関わったノイマン。

 

 ならばフェルミは?

 

「フェルミか……自分が、地球人からすれば宇宙人になって、更にはなんだかよくわからない存在になってしまった今、なかなかに感慨深いの」

「宇宙人、ですか?」

 

 ラナンキュロアもレオも、地球人からすれば宇宙人、別の恒星の惑星の住人。それはナガオナオとツグミが生まれた星もそうだったし、地球ではない惑星の住人からすれば地球人も宇宙人だ。

 

 そして彼らは、もはやそのどちらからも理解し難い、謎の存在となってしまっている。

 

「フェルミのパラドックス、といわれるものがあっての」

「ええ、存じています。ナオ様より頂いた知識によって」

 

 フェルミのパラドックス。

 

 それは統計学的に、確率で考えれば宇宙のどこかには存在しているはずの地球外知的生命体、つまり宇宙人について、二十世紀を生きたフェルミが投げかけた、ひとつの矛盾だ。ひとつの端的な疑問だ。

 

 But,(だけどさ、) where is(どこにいるんだい?) everybody?(そいつらはさ?)

 

 ――これに対する完璧な答えは、二十一世紀の地球においても出ていなかったはずだ。

 

「つまり、宇宙人は存在するはずなのに、地球人は自分達と同じ知的生命体を地球の中にしか知らない。フェルミのパラドックスが示すこの矛盾、この疑問に対する答えは、諸説あるが……自分がこうなってみれば、その諸説ある中のひとつ、不可知論(ふかちろん)的解釈がもっとも適当であったと言わざるを得ないかの」

 

 ――見えるものしか信じることのできないあの星において。

 

 ――我思うことしか確かではないと浩嘆(こうたん)するあの星において。

 

「不可知論的解釈、ということは、知的生命体は皆、発展していく内に、他の惑星とコミュニケーションを取る技術を得る遥か手前で、地球人からは不可知(ふかち)の存在となってしまう、ということですか?」

「ああ。私達の生まれ故郷であるあの星が、私の死後数百年でそうなってしまったように、な」

 

 ――魔法が確かなる実存を伴わず、ゆえにそれを科学することができなかったあの星において。

 

「地球にはの、魔法が無いのだ。ゆえに世界を観測する手段には限りがある。私やそなたのような存在を、地球人は見ることも、観ることも、知ることさえも出来ぬのだ」

「わぅん」

 

 ――見える世界の、その向こうにある世界を観る目はいつ、得られるのだろうか?

 

「“異世界転生ゲーム”をするなどして、下位のステージへ介入する高次元的存在もいるが、もっと直接的に接触しようとする存在は、数が少ない。まぁそんなのはゲームをチートで遊ぶようなものだからの。すぐに飽きるのさ。地球は、そこまでする存在の被害には遭っていない、それだけのことだな」

 

 ――カンブリア紀に眼球を得た生命群は、いつ更なる世界を()る目を獲得するのか?

 

「フェルミもまた、(おのれ)が提示したこのパラドックスに、答えを出すことは出来なかった。それが、フェルミ推定などでも知られるフェルミの、ある意味においては限界、見える世界の狭さだったのかもしれぬな。見えるティッシュの動きから大爆発の凄まじさを計算することはできても……」

「見えぬ、何の情報も無い何かについて推定することは出来ない、ということですね」

「うむ……その“推定”には、科学に空子(ケノン)準空子(クアジケノン)の概念が伴わねばならぬ」

 

 ――知性に、光あれ。

 

 暗闇に生まれ、犬の愛を得て光を獲得した大魔道士は思う。

 

 ――全ての知性に、Mehr(もっと) Licht(光を)

 

「まぁ……なんにせよ継笑(つぐみ)のフェルミに関する知識、認知はこれとそう変わるまい。科学に関する限り、アレの知識の基盤は兄、千速長生(せんぞくなお)にあるのだからな」

「……」

「ん? どうした?」

「いえ、ナオ様の妹として生まれた千速継笑(せんぞくつぐみ)様は、幸せだったのだろうな、と」

「それは……どうなのだろうな?」

 

 ――アレが本当に幸せだったなら……我が幽河鉄道(ゆうがてつどう)を動かすことも無かった。ならばラナンキュロアが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を得る事も無かった。

 

 千速継笑のやり直しに関する全ては、不要だったということになる。

 

「それは……最期は……人として尊厳の無い、悲惨な結末だったかもしれませんが……ですがその呪いから逃れることができたのも、ナオ様の力あってのものでした」

「ふむ」

「少し、羨ましいくらいです。マイラやミジュワ達のように、私も千速継笑様へ転生をしたくなるほどには」

「んんっ!?」

 

 言われた言葉に、ナガオナオは面食らう。棒に当たった犬のように狼狽(ろうばい)する。

 

「だ、だが我は……この私は……()は、十四歳にもなれずに死んでしまうんだよ?」

「ええ、するならば絶対に、それを阻止できると確信できたら、でしょうね」

 

 おいおいおい、と――本気かい?――と問うことすら恐ろしいことを言われた大魔道士は、どうしたものかと視線……のような何かを逸らす。

 

「しませんよ。私は、転生なんて、やり直しなんて」「ん……」

 

 けれど逸らされた視線を取り戻すかのように、ツグミは微笑んで断言する。

 

 そこにおいて、ふたりはキスをしていたのかもしれない。より深く、より深いところに触れ、繋がっていたかもしれない。それはふたりだけの秘密。彼らの交歓が、どのようなものであるかなど、それは彼らと同じ次元にいるモノにしか観えない。そして長くナガオナオに絡んできた青髪の悪魔は既に消滅し、いない。だから今、この世界にふたりは、たったふたりしかいない。

 

「私が、ナガオナオ様と歩んできた道の全ては、宝物です。良い思い出も悪い思い出も、炎が怖いなどのエピスデブリでさえ、私にとっては大切な(きらめ)きなのです」

「ああ。私もだ」

 

 だからたったふたりで、ふたりは秘密の交歓を交し合い、笑い合う。

 

「フェルミ、か。地球の、二十世紀と二十一世紀を核の時代に塗り替えた(まご)う事無き天才のひとり。妻がユダヤ人であり、彼の母国であるイタリアがドイツと手を組み、ユダヤ人迫害を容認したことから、ノーベル賞の授賞式に出席するついでにアメリカへと亡命をし、ノイマンらと共に、マンハッタン計画に関わった第二次世界大戦におけるキーパーソンのひとり。……皮肉なものだな」

「何が、ですか?」

 

「核兵器の開発は、むしろ枢軸国側の悲願だったといっていい。フェルミ自身はアーリア人だったが、しかしその妻が非アーリア人だった。だから彼は連合国側へと亡命をしてしまった。マンハッタン計画がフェルミの参加によって、どれだけ(はかど)ったのかは知らぬ。だが、少なからぬ影響はあったろうよ。結果、核開発において枢軸国は連合国に敗れ、我が生まれ故郷のひとつである日本には二発の原爆が投下された」

「……わぅん」

 

「フェルミの妻がユダヤ人でなかったら、この歴史は変わっていたかもしれぬという話さ。もっとも、ナショナリズムでまとまり、選民思想激しかったナチスドイツに、マンハッタン計画のような荒っぽい、アメリカ的な、とにかく全ての力を総動員してことにあたるという、物量の暴力を実行できたとは思えぬ。戦術において質が量に勝ることはあるが、戦略において質が量に勝ることはない。戦争は、戦術でなく戦略で勝たねばならぬ。戦略を考えるべき者が精神論に頼り、ひとりが十を殺せと(わめ)きだした時点で、その陣営の負けは確定するのだ。枢軸国はな、自分達が、ひとりが十を殺せる優等なる民族であると思い込んだから負けたのだ。未来ある若者の命と、古びた飛行機ひとつで敵艦一隻を沈めるなどという奇策が、戦略的敗北の(あがな)いになると本気で信じ込むような、そんな末期に追い込まれ負けたのだよ。散り舞う桜は美しい、しかしその美を求め、桜を槌で突き、無理に散らせるはおぞましきことよ。ゆえに、どちらにせよ、歴史は変わらなかったかもしれぬ。それでも、考えてしまうのよ、これはなんと皮肉な話であろうかと。リストラにおいては、無能に出て行ってもらいたくて無策で早期退職者を募ると、むしろ有能な者ほど退職していってしまうというがな、これには、それと似た構造の皮肉を感じるわ」

 

 人類を劣等なる遺伝子の汚染より救いたいと、劣るもの、醜いもの、己が悪と断ずるもの全てを燃やし尽くしてしまいたいと正義の炎を燃やせば、優れたもの、美しいもの、多くの人にとって善であるモノほど失われてしまうという皮肉。

 

「人はなんと愚かなのか、人生はなんと皮肉にまみれていることか、このように世捨て人となってさえ、それは……うぅ!?」

 

 だが、思索に夢中になっていた彼の頬を、気が付けばペロペロと、犬の舌が優しく舐めている。

 

 そこに()ったのはまぎれもなく英国(イングリッシュ)ゴールデンレトリバー、その白く美しい姿だった。優しげな瞳に、愛嬌のある丸顔、ペタンとした垂れ耳が首を傾げるたびに揺れる、ナガオナオ生涯の相棒(パートナー)

 

 ――ナガオナオ様は、この姿の方の私をより、愛してくれている。

 

 全く同じ白銀白金の美少女の姿を持っていながら、ナガオナオが特に愛情を向けているわけではないマイラという存在を知れた今だからこそ、ツグミはそれを確信している。

 

 確信しているからこそツグミは、彼に愛されたいと願う時はより明確にこの姿を()るようになっていた。そのことだけでも、ツグミはマイラに感謝しているし、あの事件に関われて良かったと思っている。

 

 ――まぁ……ラナンキュロア様の「好き」の感情を移植されたレオ様が、その一部に混じっていた「あのダメさ加減は結構嫌いじゃない」という衝動によってマリマーネ様へ夜這いを仕掛けたのごとく、私の「好き」の感情に影響されたマイラが、結構ナオ様を狙っている感じなのは許せませんが。

 

「おうっ!? 強い強い! いつになく舐め方が乱暴!?」

「わぅんわぅん!」

 

 嫉妬(それ)へ、その心の動きも理解できるからこそ、ナガオナオは尻尾をブンブンと振る彼女の荒っぽい愛撫に身を任せたまま動かない――何も失わぬ些少の痛苦など、愛の交歓の一形式、一形態に過ぎぬよ。荒っぽさが、愛しい心の、その表層に波立った感情の波頭ならば、それを受け止めてやるはむしろ重畳(ちょうじょう)、至福の甘噛みよな――そう思ったまま、デレデレと動かない。

 

 ……それに関しては、彼はやはり千速継笑の、ラナンキュロアの兄だったと()えよう。

 

「ナオ様、超常的存在となってなお、人の世を(うれ)うのは構いませんが、それでもナオ様はひとりです。私にはたったひとりの御主人様です。人間全部を愛するのは、そのように育てられた私達にお任せください。ナオ様は、ナオ様の幸せのために生きればそれで良いのです」

「私の幸せは、そなたがここにいることで既に成っている。人の世を憂えるのは、その上で為す余技に過ぎぬよ」

「わ……わぉん……」

 

 そうしてツグミは、そんな彼の愛犬だった。

 

「わぅん! きゃんきゃん! わぉーん」

 

 彼の殺し文句ひとつで身体……高次元的な魂の座……いっぱいに幸せが満ち、腰砕けになって彼の愛撫に、首を撫で、お腹を撫で、尻尾の付け根を撫でていく、優しいその感触に、自分の存在全てを委ねてしまうほどの。

 

「ははっ、こいつめぇ」

「わぅーん!」

 

 ふたりは、事件などは起きていない、凪ぎの時間に、そうして睦み合っていた。

 ふたりは、無限の時間を、そんな風にして過ごしていた。

 ふたりは、そうして幸せだった。

 

 しばし、笑い合い、じゃれあって、ナガオナオは――ふと思った。

 

「……幸せ、幸せか」

「くぅん?」

「なぁ、ツグミ」

「はい、なんでしょうか、ナオ様」

「ならば問いかけよう、今の話題に絡め、フェルミ推定だ」

「わぅ?」

 

 フェルミ推定。

 

 それは統計における概算値を推定する際に用いられる思考術。

 

 例えば、日本にある電柱の数を推定する際に用いられる。もっとも、電柱の数自体は各電力会社等がそれぞれに公表をしているので、それを見れば一目瞭然なのだが、ここで問われているのはそういうことではない。

 

 例えば、日本にある電柱の数については、以下のように導く。

 

 日本国土の面積はおよそ「387,000平方km」。

 電柱の一本一本は、およそ百メートル(四方の)間隔で立っていると推定する。

 すると電柱の一本一本は、およそ一万平方メートルに一本立っていることになる。

 

 「10,000(一万)平方m」は、「0.01平方()m」。

 

 387000 ÷ 0.01 = 38700000

 

 38,700,000、すなわち三千八百七十万本が、日本にある電柱の数と推定できる。

 

 ここでは非常に簡略化してしまったが、就職試験などで(フェルミ推定はよく就職試験などで用いられる)問われた場合は、都市部とそれ以外での分布の違いを考慮するなどして、もう少し詳細に計算しないと合格点は貰えない。

 

 要するにこれは、世界を「推定し概算し観る」という目、そのものだ。普通には、答えを見て知るしかない情報を、推定によって概算し、とりあえず観てしまうという思考術だ。全ての答えが、見える場所に存在しているならこんな「目」は必要ない。けれど答えが未来にしかない問題はいくらでもあるし、答えなんて、どこにも無い問題も世界には沢山ある。

 

 この「目」は、そうした時に(たす)けとなる思考法だった。

 

 フェルミという天才が残した「こうすれば世界をこんな風に観ることが出来る」という、次元を超越して適用が可能な観測法でもあった。

 

「なぁツグミ、私は知りたいよ。だから答えを出してくれないか。人が、人間が幸せになるためには通常、どれだけの幸運が、どれだけの愛情が、どれだけの希望が必要なのだろうか? それは何年あれば実現できるのか、何回、()()()()()()到達できるものなのか」

「やり直しというなら、千速継笑様は一回で、ミジュワは、何度しても……」

 

 いえ、千速継笑様のあれは、一回と言えるのでしょうか……と悩むツグミへ、ナガオナオは――違う違う――と笑って。

 

「ああ、そういう個別の例、特に、そのような特例などは参考にならない。私が問うているのは、一般的に、普通ならば、平均的にはどうかという話だよ」

「それは……」

 

 その答えを、フェルミ推定で導き出すなら、以下のような変数の存在を仮定して、それへ回答者自らの仮説を代入する必要がある。

 

 すなわち人は、幸せになるために、何が必要かという変数とその仮定だ。

 

 優れた能力を持って生まれることが必要か。

 能力に劣って生まれたら絶対に不幸か。

 健康に長生きすることは必要か。

 若く病を得て夭逝した場合は絶対に不幸か。

 平和な国に生まれることは必要か。

 戦争の耐えぬ国に生まれたら絶対に不幸か。

 心より愛するモノを得ることは必要か。

 何も愛せなければ絶対に不幸か。

 誰かに、心より愛されることは必要か。

 誰にも、愛されなかったら絶対に不幸か。

 

 幸せに至るための幸運とは何か。

 幸せをもたらす愛情とは何か。

 幸せをもたらす希望とは何なのか。

 

 幸せとは、一瞬のものなのか、永遠のものなのか。

 

 ……そこに答えは無い。きっと過去にも未来にも無い。

 

「わかりません」

「ああ、わからないな」

 

 だからそれは、答えの無い問いかけなのだ。

 

「わからなくていいさ。そのような問いは、おそらく完全観測世界(イデア)に至った存在でさえも、解けぬ謎だろうよ」

 

 けれど考えることに、意味はある。その「目」で世界を観ることには、きっと意味がある。

 

「ナオ様、ではそれは宿題ということで、よろしいでしょうか?」

「宿題?」

 

 幸せを探求することには、意義がある。

 

「この世界が壊れ、終わるまでの宿題です」

「ああ」

 

 ナガオナオも、ツグミも、他の超高次元的存在も、それがそこに在るというなら、どこかには終わりがある。それがどのようなものかも、そうでない存在にはわからないけれど。

 

 

 

「そうだな、宿題としようか」

「ええ。ずっと一緒に、考えていきましょう」

 

 

 

 だから幸福なふたりは、その命……あるいはその命運尽きるまで幸せに、幸せがなんであるかを、思索し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが終わった夕暮れの景色を、四万を超す死体が、その地平線の形を歪めていた。

 

 そうなった理由は存外、単純なことで。

 

 下手人に、どこか狭いところへ逃げ込まれる前に、広大な平地のそのど真ん中で圧倒的兵数差……と表現するのも莫迦莫迦(バカバカ)しい……五万対ひとりという兵力差で圧倒し、勝とうとした、それはその結果で。

 

 だから戦場には、樹木すらも大きくは育たない、乾燥した、しかし見通しは良いだだっ広いこの平野が選ばれた。

 

 カラカラに罅割(ひびわ)れていた土は、だが今は(おびただ)しいほどの人の血を吸い、ぬかるんでしまっている。

 

「司令……いえコーニャソーハ卿、我々は……どうなるのでしょうか」

 

 人が生まれ、歴史が生まれ、有史以来。

 

 いったい、人類の何割が、否、何分(なんぶ)が、何厘(なんりん)が、自分の人生に満足し、死んでいったのだろうか。「自分らしく生き、やり遂げて死んだ」と思いながら、世界より消えていったのだろうか?

 

 その率、その数値はいったい……。

 

「どう、とは?」

「……戦いには、勝ちました。ですが」

 

 だが少なくとも、そこに敗れ(むくろ)となった兵達が、もはや物言わぬ死体としてそこに横たわる彼らが、その数値を、その概算値を上げてくれることはないだろう。

 

 戦いとは、原理原則からもう、その値を減らすことはあっても増やすことのない事象なのだから。

 

 けれどその責を、そこで戦った者達へ問うは筋違いだろう。

 

「被害が総兵力の半分を超えたら“壊滅”……ならば九割近くを失った我々は……」

「殲滅、か? 我々は、生き残っているではないか」

「そう、ですが!」

 

 人は数学的には生きられない、人は論理的には生きられない。

 

 人は人の心を知ることが出来ない。そんな目は持っていない。

 

 分かり合うことなどは不可能で、自分にとっての異物を、醜いと思うものを、悪と思うものを(じょ)することこそ正義と信じ、戦い続ける。

 

「レオポルドは、それほどの強さだった……それは生き残った者全てが証言してくれるだろう」

 

 その責を、その次元で生きている者へ押し付けても仕方無い。

 

「貴重な、魔法使い達も早い段階で失っています」

「堕ちた英雄、レオポルド。だがやはり彼は英雄と呼ぶに相応しい者であったということだな。大軍と向き合うなら、まずは大規模魔法を使える魔法使いを叩けというセオリー通りに動いた。我々は、早い段階で魔法使いを失ったそのせいで、ひとりに対し、ただ突撃を続けるしかないという泥沼の地獄へ突入した」

 

 四万の兵は、祖国へ(あだ)なした極悪人を屠るため、文字通り懸命に戦ったのだし、ひとりは、それでも生き抜くため、心折れるまで戦った。

 

 それはどちらも正義であり、悪ではない。

 

 双方が、(おの)が正義によって敵対者を悪と断じ、殺した。

 

「……それは王命、でもあったのですよね?」

「ああ。軍が全滅しようともレオポルドを殺せ。王は我々へ、明確にそう仰られた」

 

 彼らを笑うことは出来ない。彼らは互いの事情を知る「目」を持っていなかったのだし、事情を知ったとて、時を戻りやり直すことの出来ない彼らには、もはや何もかもが手遅れだったのだから。

 

「ですが」

「ああ、だがその言の責を取るのは王ではない。生き残った、我々の中の誰かだ」

「……ですが!」

 

 彼らは生きて戦い、ただ果てた。

 

 そこに幸せなど無かったろうし、その生に意味が、意義があったかも確かではない。

 

 彼らが命を懸け守った祖国は、この世界線においては近い将来、東の帝国の侵攻に敗れてしまう。その時、また万の単位で人が死ぬ。自分の人生を全う出来ずに殺されてしまう。

 

 それは、帝国が滅びる世界とはまた別に、確かに、ここに存在している世界だ。

 

 それとこれとで、どちらが正しく、どちらが正しくない、ということでもない。

 

 ただ世界はそのように、高次元的に分岐したまま、存在しているというだけだ。

 

「ですがレオポルドの! あの少年の死に様を見たでしょう!? 彼は、もう戦いたくないと泣いて死んだのです! 誰もが思いますよ! こんな戦いは! 不要だったんじゃないかと! 不毛だったのではないかと! それを! 同盟軍へも見られていることが最悪です! 帝国との戦いに備え、とにかく連合軍を組み戦ったという実績が必要だったのはわかります! ですが、その結果が最悪です!」

 

 四万の兵士は、レオとラナンキュロアが帝国を滅ぼしたその世界線では大半が、倍以上の時を生きている。何割かは子や孫に見守られながら、老衰で死んでいる。しかし、だからといって彼らを愚かと、運が悪かったと断じていい理由はない。

 

 彼らの死は、ただ全部運が悪かったねと、笑い飛ばしていいものではない。

 

「我らはレオポルドの力を侮った。魔法使いでもないのにひとりで万を殺すなどという例外を認めたくなかった。だから損耗が三割を超えても退こうとしなかった。もっとも、あのような存在が生きて我々に、敵対し続けるという、その事実に、耐え切れぬというのもあったのだろうがな」

「そんなのはっ!」

 

 けれど戦い終わった一団の、その当事者達ならば、彼らが打ち破った敗者を笑う権利くらいはある。その営みを、本当ならば明日への希望と変えることができる。

 

 勝者が敗者を(わら)うのは、本来であれば正当なる権利だ。

 

「英雄、レオポルド、か……」

「……コーニャソーハ卿?」

 

 だが敗者が築いた、死者の塔によって歪む地平線を前に、佇立(ちょりつ)する勝者である軍の司令官、その老いた顔の色は冴えない。そこに喜びの、高揚の色などは皆無だ。

 

 それはそうだろう、損耗が全滅と判断していい三割を超え、壊滅と表現していい五割を超え、殲滅に近い被害を出して得た勝利など、誇れるワケが無い。しかも、それが彼の実力によるものならばまだ受け止めようもある。実際はそうではなく彼、司令官に任命され、ここまで実際に軍を率いてきたコーニャソーハ卿、コーニャソーハ辺境伯は、戦場につくやいなや、総司令官などという名誉職を与えられていた公爵や侯爵達に、その座を奪われてしまった。

 

 我先にと、功を焦る彼らの、無駄で無謀なる突撃命令を、苦い顔で見ているしかなかったのだ。

 

 彼ら、公爵軍、侯爵軍の被害は目を覆いたくなるばかりだ。当の公爵、侯爵どもは生き残り、それを、何もさせてくれなかった彼の責任と罵ってくるのが余計に()()れない。相手はひとりだったのだ、交代で、休まず少数と戦わせ続ければいずれは疲労しただろうに。大軍で包囲し突撃するという愚行を繰り返させたのは誰か、少なくともコーニャソーハ卿、彼ではない。

 

 そうして築かれた死体の山は。

 

 貴い犠牲というには、あまりにも大きすぎる損耗だった。

 

 これによって王国の軍事力は、おそらく八割方(げん)じられてしまっただろう。

 

 西の同盟国側も、損害著しかったとはいえ、あちらにはそもそも魔法使いの参軍が少なかった。国全体の、軍事力の減じた割合でいえば、おそらくその被害は二割にも届くまい。もはやこの段階の彼我(ひが)においては、向こうに同盟の横紙破りをする気さえあれば、今この瞬間にも攻められ、国を併呑(へいどん)されてしまってもおかしくない。それほどの差がそこには出来てしまっている。

 

 帝国から攻められる前に、同盟国によって滅ぼされてしまっても、もはや不思議ではない情勢なのだ。

 

「どうして、我等に歯向かったのか。救国の英雄だった彼が」

「……それは、だからスラム街出身の下郎だったからでしょう? 下賎(げせん)の血は、どこまでいっても下賎だったという話に御座いましょう。彼は命果てるまで戦う覚悟もない、下賎の出の……子供に過ぎなかった。だからこそ、もっと別の方法で彼を(ちゅう)することも、出来たはずではないかと申し上げているのです」

「下賎、か。そうだな、それだけの話か。その子供に、我々は万の大軍を失ったわけだが」

「ぐっ……」

 

 王国きっての武闘派、血筋的には尚武の気風で知られるコーニャソーハ家。その当主である彼の顔貌(がんぼう)はまさに(いわお)(ごと)し。何事にも簡単には動じないし、その表情に動きは著しく乏しい。

 

 だからその下で彼が何を思い、考えているか……それは、誰にもわからないことだった。

 

「あのような者が、我が血筋に生まれていればな……」

「……何を仰っているのですか? コーニャソーハ卿」

「あのような者が、我が血筋に生まれていれば、正しく鍛え、正しく育て、王国の忠実なる勇士としていたであろうに」

 

 だから彼が何を思い、あるいは想ってそのようなことを言い出したのか、それは誰にもわからないことだった。

 

「……あのような者が、下賎の血に生まれたことが神のご意志であると?」

 

「いいや。我々は、神の声を聞くことができると吹聴するかの国とは違う。我らの神は、世界を創り、ただ見守ってくれている、それだけよ。人の世の出来事は神のご意志でも、ましてや悪戯などでもない。人界(じんかい)の大樹に()る実は、人が()した行為によって()るのだ。人が悪を為せば実る実は苦く、時に毒を孕むモノともなろう」

 

「これは……卿は、神学にも教養が?」

 

「いいや。なに、ただの受け売りよ。だが私はそう信じている。戦争が、虐殺が、殺し合いが、神のご意志の先にあるモノであるというなら、それはあまりにも浮かばれないではないか。我々は何を信じ、生きていけばよいのだ。それとも、そなたは万の死者へ言うつもりか? そなたらは、神のご意志により、尊い犠牲となったのだと」

 

「いや、それは……まさか、そんなことは」

 

「それを、大真面目で言ってしまえるのが、かの国よ。私はこたびの件、最初から気が進まなかった。国を騙し、歯向かったとはいえ、かつて英雄と呼んだ少年を誅することもそうだが、それ以上に、かの国と組むのは、な」

 

 だがそれも、今となっては(おそ)きに(しっ)した。全てはもう取り返しのつかぬことよ……答えようのない、捉えようによっては国政批判ともなる言葉へ、青ざめた顔の男が口を(つぐ)むのへ、辺境伯は、やはり眉ひとつ動かさず、ただ淡々と言葉を続けた。

 

「のう……そなたは、人生をやり直したいと思ったことはあるかね?」

 

 しかしそれは、もはや意味のある言葉ではなかった。

 

「それは……まさに今、そのように感じておりますが。万の死者が出る前に、このような愚かな結果を得る前に、軍を止めるべきだったと」

「ふむ」

 

 おそらく、彼は予感しているのだ。ひとりに五万の連合軍が八割、否、それ以上削られてしまったこの戦いの、責任を取るのが誰であるかということを。

 

「それは、そなたがやり直すだけではどうにもならぬことよな。そなたが、このままでは四万が死ぬからよせとただ言ったところで、この軍は止まらなかったろうよ」

 

 それは緒戦(ちょせん)より(いのしし)がごとく特攻して行った公爵家、侯爵家の彼らではない。あの戦いは、そのために泥沼の様相となったのだが、しかし彼らにその責が問われることはないだろう。身分制、貴族制、王制というのは、そのように出来ているモノだからだ。

 

「それは……では我々はどうすればよかったのでしょうか?」

 

 責を問われるは、それよりも少し身分の低い誰か。

 

 武闘派で知られ、国防の備えなど国家予算の無駄遣いでしかないと信じる官僚からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている……そう、どこかの伯爵家、辺境伯などが適当であろうよ。

 

 表情ひとつすら変えずに、コーニャソーハ伯爵は既にそれを確信している。

 

「どうにも、出来なかったことよ。万の軍を出した時点で、戦果無く帰れる訳がない。そして此度(こたび)の件に関して、戦果とはあの少年の命、それだけしかなかった。この軍は、あの少年の命を獲るまでは帰れぬ決死行だったのだよ。事態があまりにも異常過ぎて、王も宰相も私も、誰もそれに気付かなかったがな」

 

 こうなることは、あの少年が先に百の兵を何度も殺し、千の兵も殺し、三千の兵をも殺した時点で決まってしまったことなのだ。

 

 そこまでされ、退くことは、国としてもう出来ない。国の威信が懸かっている。それが救国の英雄に嫉妬した貴族どもの、難癖に近い討伐命令に端を発するモノであったとしてもだ。いや、だからこそ退けなかったか。この世に(ねた)み、(そね)みほど、退き時を知らぬ感情は他に無いのだから。

 

 どこまでも()瀬無(せな)い、遣り切れぬ話だ。

 

「どうして人は、やり直せぬのだろうな」

 

 勝者であるはずの、生き残ってしまった司令官は思う。

 

「どうして人は、過去の過ちに縛られてしまうのだろうな」

 

 おそらくは命運の、尽きる時が近くに迫る武人は想う。

 

「どうして神は、人にやり直す機会をくれぬのであろうな」

 

 あの時ああしてればよかった、この時ああだったらよかったと。

 

「せめて、命を救うことだけでも、やり直せれば」

 

 真剣に生きてきた彼には、その時々の選択に、理由無きことなどなかった。

 

 若き日の過ちはある。ありあまる体力と情欲に溺れ、不幸にした少女()があった、産ませてしまった不幸な子があった。どちらへも、可哀相なことをしたと思う。

 

「のう、神がそう世界を形作らなかったことには、意味があると思うかね? 人は死ねば戻らない、神が命をそう規定したことに意味は」

「それ、は……」

 

 しかし彼女らを切り捨てるのは、伯爵家を継ぐ者として必要なことだった。それは、母子を捨てる段に時間が巻き戻ったとて、同じ選択をするしかない事柄だ。やり直すならあの日、不夜城(色街)へ向かった我が身の愚かさ、そこから取り消すしかない。

 

「たった一回でいい、たった一回でも良いのだ。間違い、誤り、過って死なせてしまった者を」

 

 彼は重ねて思い、想う。彼の初恋となった叔母のことを。

 

 灼熱のフリードへと嫁ぎ、不審死してしまった美しい人のことを。

 

 それは、それもまた王命だった。もっとも、王の署名あるだけでそれは王より下の、どこかの誰かが調整した結果なのだろうが。それにしたところで、臣下の分際でそれに異を唱えられたはずもない。

 

 全ての選択は必然だった。

 

 必然で、この場所まで来てしまった。

 

「なんならひとりでいい、たったひとりでいい。それができたら人は、もっと後悔のない人生を……いや」

「……コーニャソーハ卿?」

 

 詮無きことを言ったと、彼は目を閉じて祈るように天を仰ぐ。

 

「死んでいった者達の中には、レオポルドとそう歳の変わらぬ者もいた。まだ異性の身体を知らぬ者も、恋人を王都に残してきた者も、結婚の約束があった者も、これから子が生まれる予定の者もあったろう。それに比べれば我が命など、今更惜しむものではない」

「コーニャソーハ卿?……それはどういった」

「私には妻がいる、子もいる。孫もな。大人になれず死んでしまった子の分も、彼らに尽くしてきたつもりだ」

「……はぁ」

「それが、死んだ子への償いになるとは思っておらん。だが、やり直すことなどは出来ぬ人の身ならば、そうするしかないではないか。捨ててしまった可能性を、拾いに戻ることは人の身に余る。ならばその手に残った可能性をせめて、大事にするしかないではないか」

「それは、そうですが」

「……この首ひとつで、済めば良いのだが」

「……は? なんと仰いましたか? コーニャソーハ卿」

「いや……」

 

 これも詮無きことかと、薄目を開け、見下ろしたその彼の視界に入ったのは、目を閉じたその時よりもなお濃くなった赤に染まる、歪んだ地平線だった。そこにはそれしかなかった。それが、全て回収される頃には、この一帯には凄まじき腐敗臭が漂っているだろう。今は、ただ圧倒的な血の臭いが目の前の世界を陵辱しているだけだが。

 

「我々はやり直せない。我々の世界はこのように決定された。ならば我々はこの世界を受け入れ、己に課せられた使命を果たすしかない」

 

 地平に、散っていった命が積みあがっている。

 

 地平に、いまだ消えぬ景色がある。

 

 それを見る目に、近く己に迫る死への、覚悟がある。

 

「……これが、人が生きるということか。遣り切れんな」

 

 罅割れた世界の、ただその一画に、正義でも悪でもない、正義も為し、悪も為してきた老将が、もはややり直せない己の人生を思い、想って、沈む夕陽を見ている。

 

 世界はそうして廻っていく。巡り、回っていく。

 

 どこまでも、悠久の時を、そのようにして。

 

 

 

 

 

 

 

 ──さあ、この世界を壊そう。

 

 

 











 これにて『罅割れ世界のプライムパッセンジャー』完結です。

 もはや頭が真っ白なので、後書き的なものは、8月のどこかで活動報告にこっそり書きたいと思います。書かないかもしれません。

 ただひとつ今言えるのは、多分多くの人にとっては無価値であろうと思われる本作ですが、当方はこれを書いている間、とても幸せでした。これは本当に楽しい創作でした。中学生だった頃に、思いつくままノートへ漫画を綴っていたことを思い出しました。



 最後まで読んでいただいた方には、本当に感謝しています。







 ありがとうございました。




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