沙耶アフター -Saya's Song- (伊東椋)
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Saya.またあの世界に

本作品は、2009年に別サイトにて投稿された作品です。


 夢。

 そう、それは夢。

 あの時に感じた体温も、味も、音も、光景も、そしてあの痛さも……嬉しかった痛さも、すべてが夢だった。

 そして今感じるものが、現実。

 夢の中で感じたものとは程遠い、もっと残酷なこの感覚が本当の感覚。体温はおそろしいほどに冷えて、あたしはまるで氷の中に閉じ込められているかのように寒さを感じている。

 血が流れ、さっきまでものすごく感じていた痛さも、今ではもう雨に打たれる寒さ以外に感じなかった。

 人生を数えるほどしか生きていないあたしでも、この出血量は致死量だというのはよくわかった。

 自分の身体から生気が抜けていくのも。

 うっすらと開いた瞳から見る光景は、ひどいものだった。

 ぼやけていて、よく見えない。

 だけど、恐怖はなかった。

 このままでは死んでしまうとわかっても、怖いとも思わなかった。

 寒くても、全然凍えることはなかった。

 苦しみも、ない。

 理由はわかっていた。

 あたしはあの夢――いや、あの世界で、もっと温かくて、優しい、そんな世界を知ったからだ。

 あの世界に、戻りたかった。

 もっともっと、あの世界で楽しく過ごしたかった。

 でもあたしはあの世界をクリアしてしまった。

 数えられないほどに経験したゲームオーバーではない、最後まで成し遂げた想い。

 リプレイを繰り返して、やっと手に入れた終焉。

 あたしはそれで良かったと思ったはずだった。

 でも……

 

 ――忘れられない……!

 

 あの優しかった世界を、痛みを、温もりを、幸せを…!

 大好きだった彼を……!

 

 『沙耶』

 

 彼の声が聞こえた。

 幻聴か。

 幻聴でもなんでも良い。彼の声が最後に聞こえるならば。

 その声が、あの世界の記憶を思い出させた。

 

 

 

 あの世界で、あたしは地下迷宮で彼とともに……理樹くんとともに秘宝を目指して影の執行部という敵を倒しながら進んでいた。

 その途中で、あたしたちは弁当を広げていた。休息だったと思う。そしてその弁当はあたしから理樹くんへの最初で最後の手作り弁当だった。

 あたしは下手な誤魔化しを言いながら顔を赤くして、理樹くんもあたしに色々とツッコんだりしてくれて、恥ずかしかったけど楽しかった。

 そして落ち着いたころ―――あたしは彼と話をした。

 「ねぇ、理樹くん」

 「なに? 沙耶」

 あたしの作ったのり弁当を食べながら、理樹くんがあたしのほうを見る。

 「この地下に眠る秘宝ってなんだと思う?」

 「金銀財宝のようなものじゃなく、革新的なものなんでしょ?」

 「そう」

 あたしが頷くと、理樹くんは箸を空に持ちながら、考える仕草でう~んと唸った。

 「うーん、なんだろうね……UFOの推進エンジンってのはどう?」

 「なるほど。それは革新的だわ。アメリカもロシアも躍起になるわけだ」

 どこかのスパイ映画のような内容を言ってみる。まぁあながち間違いではないし、実際あたしたちは本物のスパイだ。

 「え? 本当にそうなの?」

 あたしの言葉に、理樹くんはきょとんとした表情になる。

 「さぁ、どうだろうね。見てみるまでは」

 「沙耶はなんだと思うの?」

 「んー」

 目を瞑り、しばし考える。

 「あたしの推測ではね……」

 

 

 「秘宝は、タイムマシン」

 

 

 理樹くんがまた驚いた表情をする。

 「それってUFOよりすごくない?」

 「でも、それぐらいすごいものでもなければ、世界中からスパイなんて送り込まれてこないわよ?」

 「それもそうだけど……タイムマシンねぇ……。 もしほんとに実在するなら、使ってみたいよね」

 「理樹くんはいつに行きたい?」

 「そうだね。 百年ぐらい未来に行って、文明の進展が見たいかな」

 理樹くんは想像を膨らませて、幼い子供のようにちょっと楽しそうに微笑んで、言葉を紡いだ。

 「それこそ、車は空を飛んでいるかもしれないし、宇宙旅行も賑わっているかもしれないし、ゲームだったら完璧にバーチャル体験できるようになるんじゃないかな」

 理樹くん、まるで子供ね……。

 あたしはそう思うと、クスッと笑みをこぼしてしまった。

 「それは楽しそうだけど、あたしは嫌かな……」

 「どうして?」

 「地球が滅んでるかもしれないじゃない」

 「あ、そうか、それは考えてなかったなぁ……」

 「未来に着いた途端、すぐ死ぬなんて馬鹿げてるでしょ」

 「そうだね」

 理樹くんはあははと頭を掻きながら笑う。あたしもクスリと微笑んだ。

 「じゃあ、沙耶は未来じゃなく、過去に行きたいんだね」

 「…………」

 ――そう、だね。あたしは未来なんかより、過去に行きたいんだ。

 「そうね」

 顔を俯かせて、少しばかり遠い目になった。

 「もし、できたら……小さいときに戻りたいかな」

 過ぎ去った時は二度と戻らない。

 過去に戻ってやり直せるほど人生は甘くないことだって知っている。

 でも……

 そんな固いことはなしで。

 子供のように、あの時の小さいころみたいに、願わせてよ。

 「そしてやり直したい」

 「でもそれだと僕たちは出会えないよ。それでもいいの?」

 「それはやだな」

 力なく、あたしはあはは……と笑う。

 「じゃあ、理樹くんも一緒にどう?」

 「……それもいいかもね」

 少しだけ夢のように思う。

 いや、こんな深い地下迷宮が学校の下にあるんだ。その奥にタイムマシンだって、なんだって、ありえそうだ。

 「さぁ、理樹くん。そろそろ行きましょう。お弁当は食べ終わった?」

 「あ、うん」

 理樹くんは空になった弁当箱の蓋を閉じた。ちゃんと最後まで食べてくれたんだねと、あたしはちょっと嬉しかった。

 「手に入れるわよ」

 拳銃を構え、あたしは理樹くんと一緒に地下迷宮の探検の続きを再開する。

 「地下に眠る、秘宝を……!」

 

 

 そしてあたしは、あたしたちは、闇の執行部部長・時風瞬を倒し―――

 秘宝を、手に入れた――

 あたしが、望んだ秘宝を……

 ガラスの向こうで、理樹くんは必死にあたしの名前を叫んで、呼んでくれている。

 拳銃の矛先を頭にぴったりと付けたあたしに。

 あたしの名前を何度も、何度も呼んでくれた、理樹くん。

 ありがとう……

 楽しかったよ。

 泣いちゃいけないはずなのに、あたしの涙はとまらなかった。

 もっと、彼がいるこの世界で楽しく過ごしたかった。

 手に入るはずだった、だけど手に入れない、青春を―――

 あたしは最後にありがとうと彼に伝えて、精一杯の笑顔で別れを告げた。

 そしてあたしは引き金を引いた―――

 

 

 そして、世界は終わり。

 現実に戻ってきた。

 あたしはもう助からないだろう。

 土砂に身体のほとんどが埋もれて、自分でもわかるくらいの大怪我をして動けない身では、あたしに助かる術などない。

 もう、いいんだ……

 あたしはここで死ぬんだ。

 最後に、あの世界を体験できて、そして思い出すことができて……

 嬉しいなぁ。

 あたしはこの現実の世界とも別れるために、瞼を閉じようとした―――

 

 

 

 

 ―――あきらめるのか?―――

 

 

 

 閉じかけた瞼が、不意にかけられた声によって止まる。

 だれ?

 あたしは、この声を前も聞いたような気がする。

 そう、あたしをあの世界に誘ってくれた、あの声……。

 

 

 ―――すべてを諦め、すべてを捨てるのか?―――

 

 ―――その思い出も、これから訪れるであろう人生を、お前は捨てるのか―――

 

 好きで捨てるわけじゃない。

 だって、あたしはもう助からないんだ。

 あの世界には戻れないんだ。

 

 

 ―――そうだ。確かにあの世界には戻れない―――

 

 ―――だが、あの世界と似たこれからの世界に行くことができる―――

 

 あの世界と似た、これからの世界……?

 

 ―――そう。すべてをあきらめなければ、これから先、お前にはあのような世界が訪れるだろう。これからお前が生きる人生には、悲しいことや苦しいこと、楽しいことや嬉しいこともあるだろう―――

 

 ―――だがそれらを全部含めて、あの世界と似たこれからの世界、お前の青春がこの先にあるんだ―――

 

 ―――そして、お前を待っているやつもいる―――

 

 あたしを、待っているやつ…?

 

 ―――お前を待っているやつを、お前は裏切るのか―――

 

 そんなの、知らないッ!

 あたしを待っているやつって誰なのよっ!

 

 ―――お前もよく知っているはずだ―――

 

 あたしが、よく知っている…?

 

 ―――あきらめたら、すべてが終わる。だが、あきらめなければ時は再び動き出す―――

 

 ―――生きろ―――

 

 ―――生きて、これからの世界でお前を待っているやつらのもとへ来いッ!―――

 

 生き……る……。

 

 ―――見せてみろ―――

 

 あたし、は……

 

 ―――タイムマシンなんてなくったって―――

 

 あたしは……!

 

 ―――お前自身の手で、お前の未来を、青春を掴みとれッ!―――

 

 

 

 あたしは、生きたい……!

 

 

 

 

 その時、降りかかっていた闇に光が射し込んだ。

 あたしは必死に、その光に向かって手を伸ばした。

 まだ死にたくない。

 あたしは、これからも生きたい。

 そして、あたしを待ってくれているヒトに、会いたいんだ…ッ!

 あたしは―――!

 

 

 「おぉーいッ! いたぞーッ!」

 

 伸ばした手が光に届いた途端、どこからか誰かの声が聞こえた。

 あたしはうっすらと開いた目で、ゆっくりと視線を動かした。ぼやける視界の中、何人かの大人たちがそこにいた。ヘルメットをかぶった、いつかテレビで見たレスキュー隊のような格好をした人たち。知らない人たちばかりだったけど、この人たちは自分を助けに来てくれたのだとわかった。

 「発見しました。まだ息はしています」

 「助け出せ。いいか、必ず助け出せ!」

 土砂を掘り、岩をどけ、懸命にあたしを助けようとする。

 そして目の前に、膝を折って、大きくて温かい、あたしが知っている手が、あたしの頬に触れた。

 「しっかりしろ、あやッ! 今……、今すぐ、助けるからな…ッ!」

 「お、とう……さん…」

 視界に、父の顔があった。

 最後に見た父の驚愕の顔は土砂崩れとともに消え去ったが、父はその顔を泥だらけにして、あたしの目の前に現れてくれた。

 お父さんの眼鏡にヒビが入っていて、髪もグシャグシャになっていたけど、父は少なくともあたしよりは無事だった。

 父のかけられる声が聞こえる。あたしは、父の声を聞いて、そして顔を見れて、身体が溶け込むような感覚に落ちた。

 安心感が自身を包み、父の声も遠くに聞こえてくる……。

 あたしは遠のく意識の中で、最後に囁いた。

 

 「りき、くん……」

 

 それを最後に、あたしの意識は闇の底に落ちた。

 



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Riki.少女の名前

本作は、原作のネタバレを含みます。ご注意ください。


 僕の目の前には、横倒れになったバスがある。

 それは、まるで非現実のような光景だ。

 しかし紛れもない現実なのだ。

 崖から転落した修学旅行生用のバスは火の手をあげて燃えている。そしてその周りには散乱した学生たちの私物やバスの窓ガラス、破片、色々なものが散らばっていた。

 僕と鈴は必死にみんなの救助に専念した。バスが転落して、僕たちはこことは違う別の世界で、僕と鈴が成長するきっかけをもらった。そして僕たちは強く生きることを誓って、ここに戻ってきた。

 横倒れになって燃えているバスの中に残っている人間は一人もいない。ガソリンに炎が引火するのを止めていた恭介は、みんなの最後にバスから離した。

 だけど恭介の身体は予想以上にひどかった。シャツは恭介の血で真っ赤に染まり、素人が見てもかなりの出血量だというのがわかる。

 こんなに血を出しちゃ、死んじゃうんじゃないか……と、僕の背にゾクリと悪寒が走る。

 鈴は僕の肩越しからぐったりしている血だらけの恭介を見て、まるで子猫のように震えている。鈴の「理樹……」という震える声が僕の耳に聞こえた。

 「恭介が……恭介が……」

 「落ち着いて、鈴。 大丈夫、心配しないで」

 青ざめた顔で、恭介を見て震えている鈴の肩に手を添えて、僕は鈴の正面から出来るだけ優しく声をかけた。

 僕の声にすこしは安心したのかどうかはわからないけど、鈴はとりあえずコクリと頷いてくれた。

 そして絞り出す声で、鈴は言う。

 「……頼む、理樹。 恭介を……助けて、くれ……」

 「大丈夫! 僕が助けるよ! 恭介は絶対に助かる!」

 「ホント……か?」

 「もちろん。だから、鈴も恭介が助かるように祈ってて。 僕も、恭介を助けるよう頑張るから」

 「……わかった。 神様に……祈る……」

 「そう。神様に祈ってて」

 「恭介……ッ」

 鈴はぎゅっと手を合わせて、震える声で顔を俯けた。本当に神様に祈るように、手を込めて、祈り続ける。

 僕は再び恭介のほうに振り向いた。とりあえず、恭介には止血が必要だ。その出血をまず止めなくては、身体からどんどん大切なものが失われてしまう。

 「何かないか、何か……」

 僕はなにか傷口をふさぐものがないか探す。布でもなんでもいい。とにかく、なにか血を止めるものを……!

 「悪いんだけど、鈴! 一緒にあの中からなにか布みたいなものを探してくれないかな。 とにかく血を止められるものを……!」

 「わかった!」

 横転したバス。散乱した生徒の私物やガラスの破片。そして漏れ出たガソリンの川。いつ引火して爆発してもおかしくない危険な場所だ。だけどあそこに戻らなければ、恭介は助からない。

 「……いや。鈴はここにいて」

 駆けだそうとした鈴を、僕は手で制する。

 「なんでだっ! 早くしないと恭介が……ッ!」

 あの惨状を見て気付いた。いや、最初からわかっていたはずだった。あそこにはガソリンの川が流れている。それも、さっきより明らかに量を増している。

 危ない。あれが爆発したら、本当に助からない……。

 そんな所に鈴まで連れていくことはできない。だから僕は一人で行くことにした。

 「僕が……」

 今にも爆発してしまいそうなところに飛んでいき、目的の物を探す。あそこなら絶対にあるはずだ。

 僕が地に足を踏みしめ、今まさに駆けだそうとしたとき―――

 

 

 「あなたが行くことはないわ」

 

 

 誰かの、どこかで聞いたような、そんな少女の声が聞こえた。

 「―――え?」

 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

 僕と同じく驚いてその娘を見ている鈴と同じ僕たちの学園の女子の制服を着ている。金髪の長髪が揺れ、鳥のような白い羽が目立つ。青空のような純粋な蒼い瞳。僕はこの瞳を見たことがある。いや……彼女自身を知っている気がした。彼女の陶器のような傷一つない白い肌が、僕たちのバスに乗っていないことを物語っている。

 「……間に合って良かった」

 彼女はボソリと呟く。

 僕が彼女のことを思い出そうとする直前、目の前に白いものを差し出されて、一瞬だけ思考が止まった。

 「これを使いなさい」

 それは探し求めていたものだった。

 それのおかげでなんとか恭介の傷口に巻きつけ、止血することができた。これで恭介もきっと助かる。みんな、無事だ。

 僕は少女のほうに振り向く。少女は無表情に、黙って僕の顔を見返した。お互いになにも喋らない。僕はただ、少女を観察した。

 本当にどこかで見たような容姿。その顔。だけど、思い出せない……。さっきは思い出せそうだったのに、何故か今となっては記憶がおぼろげだった。

 そんな僕の顔を見て、少女はすこしだけ唇を噛んで俯く仕草を見せた。

 「ど、どうしたの……?」

 「……なんでもないわ」

 顔を上げた少女は、気の強い表情に戻っていた。

 聞いたことのある声。だけど思い出せない。

 「あの……。 さっきはありがとう」

 「……………」

 何故だろう。彼女はすこし悲しそうな目をしていた。

 なにか言いたげに彼女は口を開きかけるが、止めた。

 そういえば彼女はなんでこんなところにいるのだろうか。見るからに彼女はクラスでは見かけたことがないから、おそらく別のクラス……つまり、僕たちのバスとは別のバスに乗っていた子だろう。

 もしかして、僕たちを助けに一人でここまで来てくれたのだろうか……?

 気がつくと、彼女は背を向けて立ち去ろうとしていた。僕は慌ててその背中に呼び掛ける。

 「あっ。 ちょっと待ってよ!」

 「……もうすぐ救助が来ると思うわ。 あと少しだけ我慢してね」

 「そうじゃなくて、きみはどこに行くの?」

 「……これ以上は用はないからね」

 「でも……」

 「……またね、……理樹、くん……」

 彼女はそう言って、僕を一瞥――またその悲しそうな目で――してから、その金髪の長髪を靡かせて去っていった。最後に小さくなった彼女の声が僕の名前を呼んだ気がしたけど、僕はずっと、その場に立ち尽くして彼女の背を見送ることしかできなかった。

 

 

 その後、彼女の言う通り時間がそんなにかからない内に救助の人たちがやってきてくれた。僕たちは全員助けられ、町の病院へと搬送された。

 恭介が重傷だったけど、献上的な応急処置のおかげで命に別状はなかった。僕や鈴をはじめとして、事故にあったクラスメイト全員が病院に入院することになった。

 恭介はもちろん、僕と鈴を庇ってくれた謙悟や真人、そして小毬さんやリトルバスターズのみんなも、助かった。

 「理樹、元気か?」

 ベッドで本を読んでいた僕のところに鈴が入ってきた。僕の頭に巻かれた包帯はまだ取れないけど、みんなよりは怪我は軽い。怪我が軽いのは、僕が二番目で、そして鈴が一番怪我が軽かったため、鈴はこうして歩きまわることもできている。

 鈴の腕に巻かれた包帯が痛々しいが、目立つ所といえばそこだけだった。

 「うん。鈴は?」

 「あたしもだ」 

 鈴はニコリと微笑むと、僕のベッドのそばにあるイスに腰掛けた。腰を下ろし、イスに座ると同時に鈴の髪留めの鈴(すず)がチリンと鳴った。

 「理樹……まだ頭の包帯は取れないのか?」

 「うん。 先生の話によるとあと三日は経てば取れるって言ってたよ」

 「そうか、まだ痛むのか?」

 「ちょっとだけね。でも痛み止めや薬も飲んでるから、大丈夫だよ」

 「そうか。 良かった」

 鈴は本当に安心してくれたかのようにホッと安堵の表情を見せてくれた。

 「謙吾や真人たちのところにも行ってきた」

 「へぇ。 どうだった?」

 「相変わらず馬鹿どもだった。 真人は恭介や謙吾の次にジュウショーだったくせに筋トレしようとしてすごく痛がってた。それでもよくわからんことを喚いていて看護師の制止も聞いていなかったな。 ま、最後はあたしの蹴りで解決したが」

 病室で「俺の筋肉はこんなことで負けやしねー!」などと言って筋トレしようとする真人の姿が思い浮かんだ。

 「あはは……駄目だよ、鈴。 真人も怪我人なんだから、重傷とわかっているのに蹴るなんて」

 「だけどあれくらいしないと静まらなかった。 それにあの馬鹿はあれくらいで死なない」

 鈴の言うことも頷けちゃう部分があるのも事実だった。

 「謙吾も腕の包帯が取れてなかったな。 筋トレしようと暴れる真人を呆れた目で見てるだけでなにもしなかったな」

 「そっか。 ……恭介は?」

 「あいつは本当に一番ジュウショーなのか? ベッドで笑いながら漫画読んでたぞ」

 最後に「きしょかった」と言う鈴を見詰め、僕は笑う。

 「あはは、恭介らしい。 でも……」

 一番重傷だったはずなのに、そうは見えなかったということは良いことなのだ。それだけ恭介も回復しているということだ。

 「それで持ってきた」

 「え、なにを?」

 「これだ」

 言って、鈴が掲げたのはズシリと重々しそうなものが入ったビニール袋だった。その中から、鈴は一冊の本を取り出して、僕に手渡した。

 「漫画?」

 これは確か、教室や寮の部屋で恭介がいつも読んでいた、恭介の大好きな漫画だったと思う。

 「恭介からだ。 『一日中ベッドなんかに寝てばかりだと暇だろう?持ってけ。暇つぶしにはなるぞ』って。 ちなみに恭介のオススメだそうだ」

 ありがたい。病院の生活というのはこれ以上の暇はない。一日中ベッドに寝て、出歩きまわることもできない。鈴みたいにできたとしても、病院の中で暇をつぶせるところなどそうそうない。どちらにせよ、暇なのは変わらない。こうして本を読んでたけど、恭介からの漫画は本当にありがたかった。

 「ありがとう。 鈴も読んだら?」

 「ん。あたしはいい」

 「え? でも暇じゃない」

 「大丈夫だ。 あたしには場所があるからな」

 「場所?」

 「この病院、中庭があるだろう。 そこに可愛い猫たちがいてな。 そいつらと遊んでるから全然平気だ」

 「へ、へぇ……」

 こんな病院の中庭に猫なんかいるんだ……。というか、それは良いことなのだろうか?

 でも、鈴が良いなら、良いかもしれない。

 「それじゃあ理樹。 あたしはそろそろ行くぞ」

 たぶん今話してた中庭にかな?

 「うん。 見舞いに来てくれてありがとう」

 「礼はいい。 それより……」

 「ん?」

 鈴がもじもじと言い淀む。その頬は朱色に染まっていた。

 「早く治せよ、理樹」

 「うん」

 鈴は恥ずかしそうに言いながらも、はっきりと言葉を僕に向かって紡いでくれた。

 僕が微笑んで応えると、鈴は逃げるように、髪留めの鈴をチリンと鳴らしながら、部屋を出ていこうとした。ドアを開けて退室する鈴に、僕は声をかける。

 「そうだ鈴! 恭介に『漫画ありがとう』って伝えておいて!」

 僕の声に足を止めた鈴は「わかった」と言葉を残してから、部屋を出ていった。ドアが閉じられ、僕はまた一人になった。

 鈴が立ち去ると僕は早速漫画本が詰まったビニール袋を僕の目の前の布団の上に置いて、中身から一冊の漫画本を取り出した。

 「学園革命スクレボ……」

 その漫画のタイトルは、前に恭介が大好きな漫画として、恭介から聞いたことがあるタイトルだった。

 僕は入院生活の間、恭介のオススメの学園スクレボの漫画に読み耽った。恭介が薦めるのがわかる。これは本当に面白かった。どんどん漫画の中の世界に、その主人公のスパイの少女と謎の敵の集団との戦い、そして少女の葛藤は、読者の感情移入を大いに誘った。

 だけど僕はこれを読んでいくうちに、まるで本当にその世界に僕がいたかのような錯覚に度々陥られることになった。

 なんといっても、このスパイの少女を、僕は知っている―――

 僕は最初、この漫画を読み始めたころ、主人公の少女の名前を見た。

 

 『朱鷺戸沙耶』

 

 朱鷺戸沙耶。

 トキドサヤ。

 僕はこの名前を、知っている―――

 

 あれ……?

 ふと、頬に一線の暖かさが伝った。ちょっと指で触れてみると、指の先が濡れていた。

 それは、涙だった。

 何故僕は涙を流しているのだろう?

 この名前を見た瞬間、僕は泣いていた。

 一筋の雫が、頬を伝う。

 「沙耶……」

 名前を呟いてみると、ますます懐かしい思いが胸の中に満ちていく。

 そしてそれが一層の涙を誘った。

 一瞬だけ、脳裏によみがえった、少女の面影。

 一人の少女。

 なにか、大切なものを忘れているような感覚に、僕は理解できなくて、泣いた。

 

 



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Saya.近くて遠い

 あたしはあの世界で理樹くんと一緒に過ごした。

 理樹くんと出会い、理樹くんをパートナーとして、秘宝を求めて地下迷宮を探検し、闇の執行部と戦い、そんな日々。

 楽しかった―――

 理樹くんと過ごせたあの世界。

 リプレイを繰り返し、それでもずっとずっといつまでも、理樹くんが好きだった。

 大好きだった。

 会うたびに、その想いは膨らんだ。

 そして理樹くんもあたしを愛してくれた。

 あたしも愛してた。

 これからも理樹くんと過ごせたらどんなに良いだろうと思ったこともあった。

 だけどあたしはわかっていた。理樹くんがあたしと出会うルートは終わりしかない。バッドエンドしかないってことは、知っていた。

 だってあたしはあのゲームの世界に紛れ込んだ、イレギュラーな存在でしかない。すでに主人公とヒロインは存在している虚構の世界に、あたしが紛れ込んで、理樹くんを誘っただけ。

 元々あの虚構世界は、あたしの生きる世界ではなかった。

 何故ならあたしの生きる世界は無いはずだったから。

 だから、あたしは理樹くんと、お別れした。

 秘宝を生物兵器と願い、終焉を迎えさせたのも、あたし。

 あたしは退場する。

 そして理樹くんと、さよなら。

 一瞬でもあの青春を駆け抜けられただけでも良かった。

 ありがとうと言い、あたしはあの世界から退場した。

 そしてあたしは……記憶だけを、想いだけをタイムマシンに乗せて、元の現実世界に還ってきた。

 あの虚構世界の記憶だけを受け継いだあたしは、なんとか救われた。

 記憶だけを受け継いだあたしは、再び彼と再会できる日を待った。あの土砂崩れから助けられ、あたしは父とともに祖国の日本に帰国した。

 あたしが日本に帰ってきたときには理樹くんに会うことはできなかった。理樹くんの家は、理樹くんの両親が亡くなったことで理樹くんは親戚筋の家に移ったらしい。

 あたしは理樹くんと出会える日をどこまでも待った。

 成長し、あの虚構世界のあたしに近付いたあたし。あたしの手にかかれば理樹くんの学園を探しあてるなんて造作もないことだった。学園の名前も場所もあの世界で既に知っていたから、覚えている名前と場所を探しあてれば良いだけの話だった。

 そしてあたしは理樹くんの学園に入学した。

 初めは、そして上級しても、あたしは理樹くんとは別のクラスだった。理樹くんはたぶんあたしのことは覚えていない。あたしから一方的に行っても理樹くんは困るだけだろう。まだ、理樹くんの中ではあたしは初対面の人間なのだ。

 いや、正確にはこの現実世界でもあたしと理樹くんは幼いころに出会っているから初対面ではない。日本から離れ、あの事故に合う前、あたしは日本にいたころ、近所の仲の良い男の子の友達とサッカーをしたりして遊んだ記憶があるからだ。その男の子こそ、理樹くんだった。

 どちらにせよ、現実世界での幼いころにあたしと出会ったことも、虚構世界で出会ったことも、理樹くんは覚えていない。

 ある日、廊下で理樹くんとすれ違ったことがある。すれ違った理樹くんを一瞥したあたしの目は、一体どんな目をしていたのだろうか……。

 あたしはその時を待った。

 待ち続けた。

 そして、運命の時が来た。

 修学旅行で、理樹くんたちのクラスが乗っていたバスが崖に落ちる事故が起きたのだ。あたしのクラスが乗っていたバスは後続だったから、その光景を目のあたりにすることになった。

 理樹くんは、ああやってあの虚構世界に行ったのかもしれない……。

 それでも、理樹くんが乗っていたバスが崖下に転落した時、あたしは気が気でなかった。落ち着いてなんていられなかった。

 だからあたしは、緊急に停車したバスから一人降りて、崖下に落ちたバスに向かったのだ。

 何ができるかわからない。たとえそこに行ったとしても自分がどこまでできるのか多可が知れている。

 だけど、それでも行きたかった。

 止まらなかった。

 そしてあたしはそこで―――理樹くんと、初めて出会い、言葉を交わした。

 理樹くんはやっぱりあたしのことを覚えていないようだった。

 つい、ある言葉を言いそうになったけど、これを言ったら理樹くんはきっと困惑するだろう。

 だから、ぐっと抑えた。

 そしてあたしは逃げるようにして、理樹くんのもとから去った。

 理樹くん……

 大切な人は、近くにいて遠かった。

 

 



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Riki.探し物

 あの事故から日が随分と経つと、クラスにもだんだんと以前の光景が戻りつつあった。

 みんなは怪我を治して次々と退院し、学園生活に復帰している。

 「おかえりー!」

 「退院おめでとー!」

 また一人、クラスメイトが戻ってきた。先に復帰したみんなに暖かく迎えられ、クラスはこれでほとんど全員が帰ってきたに等しい。

 最初は僕と鈴が一番軽傷だったためにみんなより一足早く学園に戻ることができたけど、その時の教室の殺風景な光景は今も鮮明に思い出せる。鈴と二人で寂しさも乗り越えた今、こうしてリトルバスターズのみんなと過ごす日常が戻ったのも、凄く嬉しいし、楽しい。

 そして最後に恭介も帰ってきた。上の三年生の教室から綱を伝って窓から登場という相変わらずだったけど、それが僕たちのいつもの日常が完全に戻ってきたということを知らせてくれた。

 だけど僕はただ一つ、心に引っかかるものというか、気持ちが晴れない部分を抱えていた。

 あの病室で恭介から借りた漫画。その漫画の登場人物の名前。

 トキドサヤという名前。

 この名前を思い出すたびに、胸がきゅっと締め付けられるような感覚になる。

 その名前を呟くものならば、暖かい懐かしい想いの味が染みわたる。

 不思議だった。

 それは退院して学園生活に戻り、みんなとの日常が戻った後も、ずっと続いたのだった。

 あの日、恭介が帰ってきた日の夜、僕は寮で恭介の部屋に行って、あの漫画を返した。

 「恭介、これ返すよ。 ありがとう」

 借りていた漫画とは別の漫画に読み耽っていた恭介は、漫画から目を離して僕のほうに振り向くと「ああ」と微笑んで僕の返した漫画を受け取った。

 「どうだった? 面白かっただろう?」

 「うん、恭介がハマるだけのことはあるね。 凄く面白かった」

 僕がそう言うと、恭介はまるで子供のように本当に嬉しそうに

 「だろう? この面白さが共有できるなんて、やっぱり俺の見越した通りの男だったな、理樹」

 と、ニッと白い歯を見せながら笑った。

 「あはは……」

 自分の好きな漫画が他人に面白いと言われたことが本当に嬉しいみたいだった。

 「特に主人公の女スパイが最後、敵のラスボスを倒すところなんて痺れるぜ」

 「まぁ……パートナーの人が気の毒だったけどね」

 やっとの思いで主人公の女スパイは強敵のラスボスを倒すに至るのだが、その過程には女スパイのパートナーの苦労もあった。なんだかそのパートナーの苦労がリトルバスターズでの僕の境遇に似ていて、親近感が沸いた。

 「そこも燃えるところだろう。 ま、アクションも良いがギャグ要素も最高だっただろう」

 「うん」

 恭介はその後もその漫画の内容の面白いところやお気に入りのところを楽しそうに僕に話した。

 そんな中、僕はある思いに耽っていた。自分で漫画を読んでいるときも感じていたことだったけど、こうして改めて恭介によっておさらいをすると、どこまでもこの漫画の内容が他人事ではないように聞こえてくるのだ。そして、とある思いが徐々に膨らみ、やっぱり、あの名前が思い浮かぶばかりだった。

 「……恭介」

 「ん。なんだ、理樹」

 弾む声で語っていたのを一旦止めて、恭介は僕の問いかけじみた声に応じる。

 こんなことを恭介に聞いてどうするんだ、と自分でも思った。

 だけど口が勝手に動いていた。

 「この主人公の女スパイだけどさ……その……」

 それ以上が喉に引っかかるみたいに中々出ない。別に出さなくても良い気がするが、よくわからない。心無しか、恭介が真面目な表情で黙って、僕の言葉を待っているみたいだった。

 「…………ッ」

 その瞬間、僕の口はぐっと紡がれた。

 一拍の沈黙を置いて、僕は首を横に振っていた。

 「……ううん、なんでもない」

 「……そうか」

 「うん、ごめん……」

 「謝ることなんてないさ」

 恭介はフ、と微笑すると、僕に横顔を向けた。

 僕は恭介に何を聞こうとしたのだろう。自分でもよくわからない感覚に混乱しかけてしまう。僕はとりあえず、この場から逃げるように立ち去る。

 「そ、それじゃ恭介。 また……」

 「待て、理樹」

 背を向けた僕に向かって、恭介の声が投げかけられる。ピタリと足を止めた僕は恭介の方に振り返った。

 そこにいたのは、腕組みをして、微かに口元を微笑ませた恭介だった。

 「理樹、探し物っていうのは案外近くにあるものなんだぜ」

 「え?」

 「近くにありすぎて、気付かない。 だがあるきっかけで、いきなり思い出すこともある」

 「……恭介?」

 「だから理樹。 周りをよく見ろ」

 「……………」

 「そうすれば、なにもかも解決するさ」

 さっきの、恭介の何か言いかかっていた僕への答えなのだろうか。僕のことなど、恭介はお見通しなのだ。僕が内に閉まった思いでも、恭介は僕に『答え』てくれる。それが申し訳なくもあり、有難くもあった。

 「……ありがとう、恭介」

 「また漫画、なにか読みたいのがあったらいつでも貸してやる」

 「うん。 それじゃ、おやすみ……」

 「ああ、おやすみ」

 恭介はきっと漫画の続きを読むことに再開したのだろう。僕が部屋のドアを閉じる間際、その隙間から見えたのは、再び漫画を読み始めて、無垢な微笑を見せる恭介の横顔だった。その横顔が隙間に消えて、ドアがバタンと軽快な音を立てて閉じられた。

 ずっと引っかかっているこの気持ち。きっとこの答えが近くにあるのかもしれない。

 恭介はそれを僕に教えてくれた。

 僕はドアの向こうで漫画を読んでいるであろう恭介に感謝しながら、その場から離れ、真人が筋トレして待っているであろう寮の部屋へと帰った。

 

 

 部屋に戻った僕は、とりあえず明日の宿題をやろうと机に向かった。後ろでルームメイトの真人が「フ、フ」と筋トレをしていたが、それもいつもの日常風景だった。

 「お、なんだ理樹。 宿題か?」

 「うん」

 カバンを開けながら、僕は答える。

 「そうか、じゃあ……」

 「写すのは駄目だよ、真人。 ちゃんと自分の力でやらなきゃ」

 「ガーンッ! これから俺の言おうとしていたことをズバリ当てやがった!」 

 「いつものことだからね。 ……まぁ、これがいつものことって言ってる時点でもう色々と駄目なんだけど……」

 「そんな固いこと言わずにさ。 見せてくれよ理樹~」

 「もう……っ。 たまには自分一人の力でやってみれば………って、あれ?」

 「どうした理樹?」

 カバンを漁っていた僕は、ふと気付いた。

 さらにカバンの奥まで、隅々までゴソゴソと漁ってみるが、やっぱりない。

 「……ノート、教室に忘れてきちゃったみたい」

 「それじゃあ宿題写せねぇじゃねえか」

 真人の場合だと、やっぱり写す前提なんだね……。

 「僕の場合だと宿題が出来ないってことだね。 ……仕方ない、教室まで取りに戻ろう」

 「こんな時間にか?」

 真人の言うとおり、もう外はどっぷりと夜闇に浸かり、寮の規則でもすでに外出は禁じられた時間帯だ。

 でも、ノートを取りに行かなくては明日の宿題ができない。こっそりと学校に侵入して取りに行くしか手はない。

 「うん、仕方ないからね……。 悪いんだけど、真人……」

 僕がなにを言いたいのか、真人はちゃんとわかっていた。

 「ああ、行ってこい。 見回りか何か来ても、俺がなんとか誤魔化しておくからよ」

 「ありがとう。 任せるよ」

 「お礼は宿題でいいぜ」

 「はいはい、わかったよ」

 僕は溜息を吐くと、真人を部屋に残してこっそりと廊下に出た。そして夜闇の下の学校へと侵入し、夜の学校という雰囲気があるも、なんとか教室に至る廊下まで来ることに成功した。

 「こんなところ、見回りの風紀委員に見つかったら大変だな……。 早く戻ろうっと」

 風紀に厳しいと評判のウチの学校の風紀委員に警戒しながら、僕は教室に向かって小走りで廊下を駆け抜けようとした。

 

 だけどその時―――

 

 

 ――パンッ!

 

 

 その風船が割れたような軽快な音に、僕は無意識にビクッと肩を震わせて足を止めてしまった。

 音の聞こえたのは、前方だった。そしてその先を見てみると、そこは闇に支配された廊下。

 だけど廊下の闇のずっと向こう、ぽっと灯る光が見えた。たぶん、遠くの教室に明かりが点いているのだろう。

 誰かいる?

 僕の足が方向転換して、光が点るずっと廊下の先の教室へと足を忍ばせた。その教室は、僕たちの教室だった。

 僕はおそるおそる、僕たちの楽しい日常が繰り広げられる馴染みの教室を覗いた。いつもの教室も、夜間ということもあってなんとなく未知な空間に思えた。

 「…………」

 頭だけを教室に覗かせてみると、一瞬――ウチの制服を着た一人の少女の背中を隠すほどの長髪が見えた。

 「え?」

 しかし、それも本当に一瞬。瞬きをした時にはバツンと天井の電気が落ちると、あたり一帯が完全に闇に支配された。なにかが動く気配、机がガタガタと何かにぶつかる音だけが聞こえた。

 闇に目が慣れるまでじっと待った後に、僕はようやく教室の電気を点けた。

 そこはいつもの教室。しかし確かに誰かがいたのだろう。綺麗に並べられていたはずの机が一部だけズレていた。きっと犯人(?)は相当慌ててここから机にぶつかりながら出ていったと思われる。

 そりゃそうだ……こんな時間に教室なんかにいて誰かに見つかったら慌てて逃げたくなる。それに僕だって今や同じ身分だ。

 一瞬だけ見えた少女の後姿。どこかで見たような……?

 しかしどうしても思い出せない。あの名前と言い、上手く思い出せないもどかしさはもう懲り懲りだった。

 とりあえず僕はズレた机を直してから、自分の机に向かった。

 そういえば……教室にいたあの娘、僕の机の前にいたような……?

 一瞬だったから確証はないけど。

 僕は机の中から目当てのノートを取り出して、教室を出ようとした。

 「あれ?」

 ふと、出入り口のそばに何かが落ちていた。

 拾ってみると、それは生徒手帳だった。

 きっとさっき教室にいた娘が、慌てて出ていった際に落としたのかもしれない。僕はこの出入り口の反対側にいたから、彼女はやっぱりここから出ていったのだ。

 落とし主に返してあげないと。そうしたら僕までこの時間に教室にいたことがバレるかもしれないけど、お互い様だ。

 名前を見てみる。そこには―――

 

 ○○○ あや

 

 この名前は初めて聞いた名前だった。ウチのクラスにはいない。学年は同じだけど、きっと別のクラスだろう。

 そして名前の横に貼られた生徒の顔写真に、僕は目を剥いた。

 「……この娘って」

 見覚えがあった。この娘は――あの事故で、崖下のバスの近くで、僕たちのところまで来てくれた女の子。

 そしてそれ意外でも何故か見覚えがあるような気がする、不思議な感覚を抱かせる少女。

 「……あや」

 下の名前を呼んでみる。

 やっぱりこの名前だけは初耳だった。

 だけど、この凛々しくもあり、そして美少女でもある、その写真に写る少女の顔は、あの名前を見た時と同じ感覚を僕に抱かせた。



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Saya.再会

 好きな人を影から見てるって、ちょっと乙女チックじゃない?

 ……と言っても、あたしの場合は本来のその意味とはちょっと違うのかもしれないけど。

 でもそう思わなくちゃ、寂しい気持ちになる。

 廊下の生徒たちが行き交う中、人混みに紛れたあたしは、気がつくといつも彼ばかりを見てしまっている。

 自分でもわかってる。自分のしていることがなんだか虚しいこと。

 でも……別に良いじゃない。

 あたしはあたし。あの世界とは違って女スパイではないし、ただ一つ、あの世界と同じなのは、恋する少女だということ。

 でもつい、彼がこちらを見ようとすると、あたしは咄嗟に身を隠してしまう。彼に見つかるのが何故か不安だった。

 そしてあたしはまた、彼の姿を遠くから見詰めている。

 また今日も……

 また……また……

 

 

 ある日の夜、寮の部屋からの外出は禁じられた時間、あたしは夜の校内にいた。

 あの世界の時とまったく変わらない光景。あたしは確かにここで、銃を片手に影たちと闘っていたんだ。

 そして―――理樹くんと出会う。

 またあの時の世界みたいに、こうして夜の校舎内を徘徊していれば彼と出会えるかな、なんて淡い期待を僅かに持ちながら考えてしまう。そんな考えをしてしまう自分に苦笑し、そしてすぐにそれをやめてしまう。

 つい、彼との思い出に浸りたくて夜の学校に来てしまった。あたしってなんて未練がましい女なのかしら、と自分で自分を罵ってみる。

 太ももに忍ばせているのは本物そっくりであっても実弾は入っていない、エアガン。

 子供のころ、父の仕事の都合で海外を転々とし、あたしはその中でも一発の銃弾より人の価値が低い国に滞在したことがあり、当時の子供だったあたしは銃という武器に興味を持った。

 その国で己が生き残るための銃の使い方を教えてもらい、子供のころからあたしは銃の扱いに慣れていた。

 趣味、と言っても良いのかもしれない。

 日本では銃刀法違反になるから、本物は持ち込んでいない。代わりにエアガンを装備している。ちなみにあたしの改造が施してあるから、規制ギリギリの本物に近い代物だ。迂闊に撃てば本物並みの威力だって難しいことではない。

 夜闇の学校は雰囲気が出ているが、あたしは特に恐怖を感じなかった。普通の生徒なら怖くて肝試しに絶好であると考える輩もいるだろう。

 だけどこんな夜の学校は、自分の懐かしい思い出以外の何物でもなかった。

 不意に、あたしはとある教室の前で足を止めた。

 「ここは……」

 そこは、あの世界では『入口』だった場所―――

 すなわち、理樹くんのクラスの教室だった。

 

 さすがにこうも真っ暗では何も見えないので、電気を点けてみる。出入り口脇にあるスイッチに手をかけて、教室に光を満たし、闇の世界から遮断した。

 綺麗に整理整頓された机。

 「……………」

 あたしはゆっくりと思いに耽るように教室内を歩いた。時折、机を撫でながら、半周ほど歩いた。

 と、そこであたしは一冊のノートが置かれた机に辿り着いた。

 そのノートの名前を見て、あたしはこの席が誰の席なのかを知った。

 「……へぇ。 ここが、理樹くんの席なんだ」

 彼の名前が記載されたノートを手に持ちながら、あたしは呟いた。

 机の中に教科書や辞書、ノートを置いていく者もいる(彼の隣の席は色々なものでごちゃごちゃだった)が、ここにノート一冊だけというのもちょっと変だ。意図的に置いていったというより、ただ忘れたと考えるのが妥当だった。

 「ふふ。 理樹くん、ノート忘れてるよ……」

 あたしはくすっとノートに書かれた彼の名前に微笑みかけた。

 そしてノートを机の中に入れてあげる。

 ノートを机の中に入れて、顔を上げて教室の全体を見渡す。前方に見える大きな黒板。

 あの裏に、『入口』はあった。

 「……またここの全部の机をピラミッドみたいに重ねたら現れるかしら」

 そんなことを呟いてみたりする。

 「……………」

 おもむろに、あたしはスカートの端を一瞬だけ上げると、そこに忍ばせていたエアガンを取り出した。

 そして黒板に向かって、引き金を引く。

 

 ――パンッ!

 

 軽快な音とともに放たれたBB弾はヒュンと空気を切って、黒板に跳ね返った。黒板の面に当たったBB弾は半分に分裂し、破片が飛び散った。

 「………」

 特に意味なんてない。

 ただ……撃ちたかっただけ。

 「……理樹、くん」

 あたしはそっと理樹くんの机を撫でる。

 ぽた、と。

 なにか雫のようなものが机の面にじわりと浮かんだ。

 「………あは」

 また、ぽたぽた、と。

 同時に目元から頬に至る部分が、暖かく感じる。

 あたしはその瞳からぽろぽろと涙という雫を流しているということに自覚した。

 あの日を、大好きな彼と闇が支配する影たちの世界である廊下で影たちと戦い、教室で机を並べたり、必死に地下迷宮への扉を探して、銃を持って彼とともに地下へと侵入したこと。

 すべてが、この教室がすべてを思い出させた。

 「理樹……くん……」

 流れる涙は止まることを知らない。

 ただその場に立ち尽くし、顔を伏せて雫をいくつも落とすだけだった。

 

 「……!」

 

 そんな時、首筋に視線を感じた。

 ふと視線が刺さるほうを見てみると、そこには見慣れた人物がいた。

 「(り、理樹くん…ッ?!)」

 何故か、理樹くんが教室の出入り口からそっと中を伺うところだった。

 そして一瞬だけ、理樹くんの瞳にあたしが映ってしまった瞬間―――

 あたしはまるでスパイ並みの身体能力で彼の視界から一瞬で消えるように滑りこみ、並べられた机に当たりながらも、あっという間に教室の電気を消して、慌ててその場から出ていった。

 机に当たった腰や腕の所々に鈍い痛みを感じるが、今はそれどころではない。

 というかやっぱりあたしは――彼から逃げてばかりだった。

 「(こんなのじゃ――いつまでも理樹くんと一緒になれるわけないじゃない…ッ!)」

 あの『約束』を、こんな自分では果たせない。

 涙の雫を後ろに流しながら、あたしは闇の中を駆け抜けた。

 

 彼と自分の涙、そして―――彼と出会うきっかけとなったとあるモノを残して。

 

 

 

 翌朝の学校。

 一時限目の授業が終わり、束の間の休憩時間。クラスメイトたちの談笑が沸く中、あたしは睡眠不足の眠気に身を委ねることにした。机に突っ伏して、瞳を閉じる。

 きっとあの時、あたしの姿は理樹くんに見られてしまっただろう。

 変な娘だと思われたのかもしれない。

 だってあんな時間に、クラスメイトでもない子が教室にいるなんて。

 どう見ても変じゃない。

 理樹くんはきっと、あの忘れ物のノートを取りに来たのね。

 ……ちょっと考えれば理樹くんがノートを取りに来ることなんて可能性として気付けたはずなのに、結局気付かなかったあたしは馬鹿だ。

 ……寝よう。

 考えたくなかった。今は、この睡眠不足の緩んだ頭をどうにか休ませてあげなければ……

 「――さん。 ――さん」

 まどろむ意識の中、あたしは微かに自分の苗字を呼ばれているのに気付いた。瞳をゆっくりと開けて、顔を上げてみると、そこにはクラスメイトの女の子がいた。

 「――さんに用がある人がいるよ」

 「…………」

 あたしはぼーっとする意識の中、そんなあたしを見てちょっと困った表情になるクラスメイトの指を指す方向をゆっくりと見た。

 教室の出入り口。そこに、一人の男子生徒がいる。

 「―――ッ!!」

 眠気が一気に醒めた。

 教室の出入り口で誰かを待っている男子生徒。それは紛れもなく、私の恋する相手だった。

 「理樹くん……」

 そこに立って、あたしに気付くとニコリと微笑んだ彼は、正真正銘の直枝理樹だった。

 

 

 「……何の用かしら?」

 内心は今にも崩れ落ちそうで、表面上は足をぐっと立てて平静を装う。

 あくまで赤の他人のフリで、距離を近づけすぎないように。

 「えっと……。 きみに渡したいものがあったんだ……」

 無愛想な顔をしているあたしに戸惑っているのか、理樹くんはすこしだけ困った顔をした。

 「渡したいもの?」

 あたしは眉を顰めて、怪訝な表情になる。

 「うん。これ……」

 理樹くんが制服の内ポケットに手を入れてなにかを出そうとしている。

 あたしはその瞬間、猛烈な既視感に襲われた。

 もし、あたしの予想通りだとしたら……

 どうしよう。

 あたしは平静を保てるだろうか…?

 

 今正にあたしの目の前に現れたものが―――

 

 あ れ だ と し た ら

 

 あたしは―――

 

 「これ、落ちてたんだ。きみのだよね?」

 「………………」

 あたしの目の前に差し出されたもの。

 それは―――あたしの生徒手帳。

 あたしと理樹くんの、二人のきっかけ。

 リプレイをするたびに、わざと生徒手帳を落として理樹くんに拾わせて、あたしのところまで持ってくるように仕向けてきた、あたしと理樹くん二人のゲームのスタート地点。

 頬を指で抓りたい気分だった。

 これはゲームではない。夢でも、虚構でもない。

 現実に起きた出来事だということを、確かめたかった、

 「…………」

 今、あたしはどんな顔をしている?

 あたしの足は震えてない?ちゃんと立ってる?

 あたしは今、大丈夫?

 「……あの?」

 「……ええ、あたしのよ」

 あたしは理樹くんから自分の生徒手帳を受け取る。

 自分でも不思議なくらいに、その手は落ち着いていた。

 受け取ったものは、確かにあたしの生徒手帳だった。

 それにしてもいつ落としたんだろう。

 意図的に落としたこともないし、大体生徒手帳なんて使うこともないから全然気にしていない。ブレザーの内ポケットにでも適当に入れておいてそのまんまなのが普通だ。

 いつ落としたなんて知らない。

 でもまさか、あの世界と同じ方法で理樹くんとこうしてまったく同じシチュエーションに合うなんて。

 まさかこれもゲームだなんて、つい疑ってしまう。

 「ありがとう。 わざわざ届けに来てくれて」

 ニコリと微笑んで、あたしは笑顔でお礼を言う。あの時とまったく同じように。

 「あ、あときみさ……」

 理樹くんはなにか言いたげだった。一度、頬をぽりぽりと掻いて言おうか否か戸惑っていた様子だったが、やがて彼は口を開いた。

 「あの時……修学旅行の事故のとき―――……ど、どうしたの?」

 「え……?」

 突然、理樹くんが硬直したと思うと、驚いた様子であたしを見詰めながら、そんなことを聞いてきた。あたしは理樹くんが言っていることがわからず、え?と間抜けな声で聞き返してしまった。

 理樹くんが何故、そんなことを言ったのか……

 あたしが、あたし自身が十分にわかっていたはずだった。

 あたしは―――平静を保ってなんかいなかった。

 無愛想にできていなかった。

 落ち着いてなんかいなかった。

 あたしは――

 

 

 泣いていた。

 

 

 丸くなった目からツゥッと頬に伝う涙。あたしは今更のように自分が泣いていると気付かされた。

 あたしは本当は、生徒手帳を渡されたときから――ううん、もしかしたらこうして理樹くんのそばにいたときから、平静じゃなかったんだと思う。

 身体は小刻みに震え、涙はぽろぽろと落ちていく。

 泣きだしたあたしに理樹くんは慌てた。周囲のクラスメイトや廊下にいた生徒からの視線が集まり、理樹くんはますます動揺する。

 「あ、あの……?」

 理樹くんが困っている。

 あたしは袖でぐいぐいと目元の涙を拭うと、まるで別の生き物のように勝手に動いた手が咄嗟に理樹くんの腕を掴んだ。

 「え?」

 「……ッ!」

 あたしは駆けだす。理樹くんの腕を引きながら。

 泣きながら理樹くんを引っ張って走るあたしの姿は滑稽かもしれない。

 束の間でしかない休憩時間もそろそろ終わりを告げようとしている中、あたしは構いもせずに理樹くんを連れていく。

 そんな滑稽なあたしが駆け抜けて辿り着いた場所は――

 学校の裏庭だった。

 ここに来るとあたしはあの世界の記憶を特に思いだす。

 何故ならこの場所はあたしにとっては特別な場所だから。

 「…………」

 涙はすでに枯れていた。

 頬に残った涙の跡を、ぐいっと袖で拭き取る。

 理樹くんの腕の裾を握ったままのあたしは、そのまま理樹くんのほうにゆっくりと振り返った。

 理樹くんは突然あたしがここに連れてきたことに驚いているだろうなと予想していたけど、理樹くんの反応はあたしの思ったこととは違っていた。

 理樹くんは息を呑む表情で裏庭を見渡していた。空を仰ぎ、そして周りを見る。

 さらに最後にあたしのところに視線を止めると、理樹くんはなにか言いたそうに口を微かに動かしたが、なにを言って良いのかわからないといった風に沈黙した。

 「なに? どうかした?」

 いきなり連れてきてどうかした?という質問はないかもしれないが、あたしは聞いた。

 「なんで、僕をここに?」

 「……別に。なんとなくよ」

 「……あの、さ」

 「……なに」

 「ひとつ、訊きたいことがあったんだ」

 「さっき言いかけたやつ? ……ごめん。あたしがいきなりわけもわからず泣きだしたせいで」

 「ううん、それとは違うんだ……。 これは……それよりずっと前から感じていたすべての原因だと思う」

 「……り」

 理樹くん?と、つい名前を呼んでしまいそうになったところであたしは辛うじて口を噤んだ。

 そして理樹くんは、意を決したように、あの言葉を、あたしに投げかけた―――

 

 「僕たち、いつか会ったことない?」

 

 「………ッ」

 その時のあたしは、さっきよりは、はっきりとわかった。

 あたしは、また泣きそうになった。

 理樹くん…と、あたしは心の中で呟いていた。

 そう、あたしが今、心の中で呟いた理樹くんが……

 

 今目の前に、そこにいた。

 



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Riki.沙耶

 僕は、強烈な既視感に襲われていた。

 学校の裏庭。僕は昨夜教室に落ちていた生徒手帳を、持ち主に届けに、休み時間にその持ち主の少女の教室へとやってきた。

 彼女はやっぱり、あの修学旅行のバスの事故の現場で出会った女の子だった。

 あの日以来、僕の心になにかを引っかけさせた、不思議な少女。

 恭介の漫画に出ていた登場人物の名前と絡みあったように、この少女の存在が頭に疑問符として浮かぶ。

 その疑問符が、モヤモヤした感覚が本人の少女を目の前にすると、すこしは晴れてしまう。

 なんだろう、この気持ちは。

 そして突然、泣きだしてしまった彼女は僕を連れて、裏庭にやってきた。僕と少女は裏庭にいた。

 後ろから休み時間の終了と授業の開始を予告するチャイムが鳴る。

 それでも僕と彼女は、裏庭から教室に戻ることはなかった。

 僕は不思議な既視感と共に、裏庭を見渡した。ゆっくりとあたりを見渡す。この学園に入学して馴染みのある裏庭。……そのはずなのに、なんでこんなにも懐かしい気分にさせられるのだろう。

 彼女は怪訝気味に僕を見ていた。そんな彼女に、僕はなにかを言いたかったが、これは言って良いのか戸惑われた。

 「なに? どうかした?」

 なにか言いたそうな僕に気付いた彼女が投げかける。

 「なんで、僕をここに?」

 「……別に。なんとなくよ」

 「……あの、さ」

 「……なに」

 「ひとつ、訊きたいことがあったんだ」

 この不思議な既視感。

 「さっき言いかけたやつ? ……ごめん。あたしがいきなりわけもわからず泣きだしたせいで」

 「ううん、それとは違うんだ……。 これは……それよりずっと前から感じていたすべての原因だと思う」

 なにかが、脳裏に浮かぶ。

 しかしやっぱり中々思い出せない。

 だから言葉にできなくて、また沈黙してしまった。

 でも、このおかしな感覚を言葉にするのなら、こうだ。

 「僕たち、いつか会ったことない?」

 「…………ッ」

 それを言った途端、彼女が泣きだしたような気がした。

 涙は流していない。

 しかし、僕にはそう見えた。

 そして僕は―――初めて、思い出した。

 いつの間にか僕の心の中には、あの名前が浮かんでいたんだ。

 「……沙耶?」

 それはずっと引っかかっていた恭介から借りた漫画の登場人物の名前。

 その名前と彼女の輪郭が結びついた。

 漫画で読んだその名前とは関係なく、僕は彼女を見たときから、そんな名前が心の中に浮かんでいた。

 

 この感覚はなんだ?

 

 何かを忘れているのに、どうしても思い出せない。

 

 僕の脳裏に、まるで電流がビリビリと走り、ノイズが鳴り響いた。途切れ途切れの映像が、現像される。まるで古い映画のフィルムのように。

 ザザ――ザザザ―――

 

 『……じゃ……ないわ………あなた、……』

 フィルムは本当に途切れ途切れ。

 映像も音も、思い出してくれない。

 『……日々、訓練……よ……』

 僕は、このフィルムに映っている娘をやっぱり知っている。

 

 

 「理樹……くん……ッ!」

 噛みしめるように、彼女は僕の名前を呼んだ。僕はそれで、脳内の映画館から現実に戻った。

 「今……沙耶って……」

 生徒手帳で見た名前は『あや』だった。

 だけど、なんでだろう。彼女の名前を、『沙耶』という名前だったことを、僕は知っている。

 「理樹くん……!」

 気がつくと、僕の身体に暖かいものが飛び込んできた。

 彼女は僕に抱きつくと、僕の背に両手をまわして、ぎゅっと抱きしめてきた。僕の鼻と口の前に彼女の頭とリボンがあり、ほのかな女の子の良い香りが鼻をくすぐる。僕の胸に顔を埋める彼女から「理樹くん……理樹くん……ッ!」と、何度も僕の名前を呼ぶ声が。

 「理樹くん……聞いて……」

 「…………」

 「びっくりするかもしれないけど、聞いてほしいの……」

 「……うん」

 「思いきったことを言うから……」

 「うん」

 「あたし、理樹くんのことが―――好き……ッ!」

 「…………」

 

 ああ、そうだ。

 

 思い出した。

 

 僕もこの子のことが好きだったんだ。

 

 「……沙耶」

 「…………」

 「……僕はきみのことを、沙耶って呼んでいた気がする」

 「…………」

 フラッシュバックする埋められたはずの、いや、最初からなかったはずの記憶。

 それは、あの事故で、ほとんど失われた別の世界の、一つの記憶。

 いつもそばにいた。

 いつも一緒にいた。

 あの学園で。

 この裏庭で。

 あのゲーセンで。

 あの地下迷宮で。

 僕は、彼女と二人でいた。

 この世界では、会って間もないけど。

 今までずっとあったおかしな感覚は、彼女への素直な気持ちへと変わっていった。

 それが、答えだった。

 そして、僕は言う。

 「僕も、沙耶が言った気持ちと同じだよ」

 「……ほんと?」

 「……うん」

 「……嬉しい」

 彼女は――沙耶は僕の襟元を掴むと、そのまま壁際へと押し込んだ。僕の背中が壁に当たり、そして目の前には、上目づかいに見詰めてくる沙耶の綺麗な瞳があった。

 「……理樹くん、思い出して……くれた、の……?」

 「……全部は思い出せない」

 あの事故で、虚構世界で思い出せることといったら、恭介たちとの記憶しか残っていない。

 でも……

 「でも、僕が沙耶を沙耶って呼んでたこと。 沙耶と一緒に過ごしていたことは、確かに覚えてる。 そして――」

 僕は、はっきりと言う。

 「僕が沙耶のことを好きだってことも」

 「―――ッ!」

 いきなり、僕の唇は塞がれた。

 そして同時に暖かくて柔らかい感触が僕の唇を包む。

 襟元を掴んだ沙耶が、その沙耶の唇が僕の唇と合わさっていた。

 長い間、短い間、どちらかわからないほど、時間の流れがわからなくなるほど。

 そんなキスが、二人の間に紡がれた。

 そしてそっと互いの唇がどちらともなく離れる。

 僕が見下ろすと、沙耶のぐっと紡がれた唇と、頬が桃色に染まっていた。

 「……理樹くん」

 沙耶のふんわりとした桃色に照らす唇から、僕の名前が漏れる。

 「……沙耶」

 僕も呼びかけると、沙耶は顔を上げてくれた。

 沙耶の瞳は本当に綺麗だった。

 その瞳に映っているものは?

 それは僕だった。

 「沙耶、おかえり」

 沙耶は目を大きく見開いたが、やがてふわりとした柔らかい微笑みを見せてくれた。

 「……ただいまッ」

 壁と沙耶に挟まれた僕は、また沙耶に唇を塞がれると、そのまま僕は沙耶に抱き締められた。

 暖かい感触。あの感覚の答えが、大切なものが、そこにあった。

 

 

 

                   ●

 

 

 タイムマシンで過去に。

 

 身はあの世界で滅びとも、想いは、魂は、記憶だけはタイムマシンに乗せて。

 

 また会いに行くよ。

 

 新たな青春と、大好きな彼に。

 

 ただいま。

 



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Saya.リトルバスターズ

 なによりも温かった世界。

 手に入れることができないはずだった青春の日々。

 虚構であっても、あたしたちにとっては確かに現実だった世界。

 元々イレギュラーだったあたしが世界を去れば、そのままあたしは記憶の中から末梢されることだろう。

 わかっていた。初めから。

 それでもあたしはその道を選んだ。

 そしてあたしは彼と出会い、彼と過ごし、たくさんの幸せをもらった。

 でも同時に幸せを知ることは悲しみと絶望を得ることも知った。

 本当に好きだった彼、二人でいることが幸せだった彼から別れることは、こんなにも悲しいものだったなんて知らなかった。

 笑顔で別れなきゃいけないのに、泣き顔で別れてしまいそうになった。

 それでもあたしは引き金を引いて、あの世界から自ら退場したのだ。

 たくさんの思い出を、ありがとうと感謝を思いながら。

 

 現実世界に戻ってきたあたしは、あの世界の経験をきっかけに、もう一つの可能性を見出す世界へとたどり着くことができた。

 もう一つの世界。あたしのなくなるはずだった命が救われるという未来。

 あの世界での記憶をあたしは完全に覚えているわけではない。

 欠片として確かに一つ一つのものなら頭の中にある記憶を持って、あたしは、あの世界のあたしの時になるまでに成長した。

 理樹くんはやっぱりあの世界のあたし関連の記憶がなかった。

 またあたしに襲いかかった悲しみと絶望。

 でも、あたしは待ち続けた。

 これは、あたしの願いでもあったのかもしれない。

 あたしを覚えていない理樹くんなら、あたしの望み通りに、普通の学生として理樹くんと出会い、普通に恋をするチャンスがあるということだったからだ。

 でも、あたしは遠くから彼を見ているだけで、実際には行動に移せなかった。滑稽でしょう。クールなスパイでなければ、普通の女子だったら好きな男の子にも声をかけられないあたしって。

 ずっと、ずっと前から好きだった。本当に好きだった。

 だから――悲しみと絶望があった。

 

 あのリプレイを繰り返した世界の中で、あたしへの記憶を理樹くんが思いだしてくれたあの裏庭。

 理樹くんはまた、この裏庭であたしのことを思い出してくれた。

 本当に、嬉しかった。

 理樹くんはあたしのことはほとんど覚えていない。

 でも、理樹くんの心が、あたしへの気持ちだけを確かに覚えていてくれたんだ。

 あたしは再び理樹くんと、真の再会を果たすことができた。

 

 

 その日の放課後、あたしは理樹くんにあることを伝えようとした。

 携帯からメールを送って、裏庭で理樹くんを待つ。

 理樹くんはあたしのことを思い出してくれた。

 全部はやっぱり思い出せないけど、理樹くんはあたしを好きだっていう気持ちだけは思い出してくれた。

 あたしは嬉しかった。

 そしてあたしは、あの時に交わした【約束】をただ果たすためだけに、理樹くんをここに呼びつけた。

 「落ち着け、あたし……」

 ドクドクと鼓動する心臓に手を当てて、ふぅ、と息を吐く。

 「ただ、あの時の約束を果たすだけ……。そうよ……」

 緊張を必死に緩めようと努める。

 深呼吸するあたしに、理樹くんの声が投げられた。

 「沙耶っ!」

 「ッ!!」

 心臓がドキンと跳ねあがるかと思った。

 「り、理樹くん……」

 「ごめんね。 待たせて」

 すこしだけ息を切らして、理樹くんが詫びる。たぶん急いできたんだろう。彼を見れば一目瞭然だ。

 ちなみに理樹くんはあたしのことを「沙耶」と呼んでいる。

 それはあの世界での呼び名。今の現実に生きるあたしにはちゃんとした本名があるのだが、しばらくはその名前で呼ばれても悪くない。

 「べ、別に。 そんなに待ってないわ……」

 「そっか。 良かった」

 理樹くんの笑顔が眩しい。

 あたしにまたこんな笑顔を向けてくれるなんて、あたしもつい浮かれてしまいそうになってしまう。

 その内側から沸き起こる何かをぐっと抑え、あたしはまた一つ、深く息を吸って吐いてから、理樹くんの前にまっすぐと向き合った。

 「あ、あのね、理樹くん。 じ、実は―――」

 さぁ、言え。あたし!

 あの【約束】を、果たすときだ!

 この時を、ずっと待って―――

 「沙耶。 僕からも沙耶にお願いがあるんだ」

 「…………」

 口をパクパクさせてなにも言葉が出なかったあたしは、理樹くんに先手を許してしまい、結果的に理樹くんにそのまま流されることとなった。

 「ついてきてくれるかな」

 そう言って、理樹くんはあたしの手を引いた。

 理樹くんに手を引かれながらあたしは、あぁなんでさっさと言わなかったんだあたしの馬鹿……と涙を流すのだった。

 

 理樹くんが連れてきてくれたのは、女子ソフトボール部の部活動が片隅で見られる学校のグラウンドだった。

 そこには、野球部ではない野球部みたいな連中がいた。その連中は、理樹くんの友達だった。

 「――です」

 理樹くんの隣から一歩前に出たあたしは、ここにいる皆の前で自己紹介した。

 クールに、かつ冷静に挨拶を済ませることができたあたしだが、内心はドキドキだった。

 なにせこの人たちは理樹くんの友達……。緊張するなと言う方が無理だ。

 「よろしくねぇ~」

 「わふー! ないすーとぅーみーちゅー! よろしくお願いしますなのですーっ」

 理樹くんの友達たちは、あたしを快く歓迎してくれた。

 あっという間にあたしと理樹くんは囲まれてしまった。こんなの、初めてだった。

 「よろしく」

 あたしは彼らに笑顔で応えていた。

 事の始まりは、さっさと言うべきことを言えなかったあたしの手を引っ張ってくれた理樹くんが、あたしの手を引きながらこんな言葉を言ったことだった。

 「沙耶も僕たちのリトルバスターズに入らない?」

 それは突然だった。手を引かれるままに彼に連れられ、自分自身を内心で罵っていたあたしを我に返させたのがその言葉だった。

 「…リトルバスターズ?」

 首を傾げるあたしに、理樹くんは楽しそうにうんっと頷く。

 「そう! 楽しいよ」

 「……リトルバスターズ、ねぇ」

 おぼろげながら、あの世界での記憶の一片としてすこしだけ覚えている。

 理樹くんが、学園でも有名だった、変な集団・リトルバスターズの一員だということを。

 あの時のあたしはスパイとして共に活動する予定のパートナーのことを知ろうとして、その調査の一環としてリトルバスターズという単語を確かに耳にしたことがあった。

 直訳すると、小さな討伐者たち。ちょっと物騒なネーミングだが、なにを目的になにをする集団かわからず、最終的に変な集団として結論付けていた。

 「リトルバスターズはみんなで遊ぶためのものなんだよ」

 「遊ぶ?」

 「そう」

 「それだけ?」

 「それだけで十分だよ。 時々バスターズのみんなで、主に恭介が提案したミッションで遊び倒すんだよ」

 「恭介……?」

 「あ。恭介って言うのは、僕たちリトルバスターズの頼れるリーダーなんだ」

 「ふぅん……」

 「恭介は凄いんだ。 いつも面白いミッションを考えたりしてくれて、全然飽きないんだよ。 それに昔から、恭介は僕たちの頼りになるリーダーで……」

 理樹くんが楽しそうに、恭介という人物に関して声を弾ませて語りだした。

 そんな恭介という人物を楽しそうに語る理樹くんを見て、あたしはその恭介という人物が羨ましいと思うようになっていた。

 これはきっと、嫉妬かも。

 「ふふ。 理樹くんはよっぽどその恭介って人が大好きなのね」

 「ま、まぁね……。あはは……」

 「あたしより恭介って人を取るの?」

 「そ、そんなことないよっ! そもそも沙耶と恭介に対する『好き』は、意味が違うわけで……!」

 理樹くんは一変して慌てた様子を見せる。顔が赤い。あたしの手を握る理樹くんの手がちょっとだけ強張った。ちょっとからかってみただけなのに、あたしはそんな理樹くんの面白い反応を見て、もっといじめてやりたいと思っていた。

 「ふぅん」

 あたしはニヤリといやらしく笑ってみせる。

 「それじゃあ、あたしに対する理樹くんの『好き』って、どういう意味……?」

 「さ、沙耶…っ!?」

 理樹くんの顔がまるでトマトのようにカーッと真っ赤になっていく。言ったあたしも照れてしまったが、理樹くんの可愛い顔を見て、つい吹いてしまった。

 「あはは……っ! 理樹くんって、面白いわね……」

 今までからかわれていたことにようやく気付いた理樹くんは、「も、もう……!」と、ちょっと怒っている様を装った声をあげた。

 「さ、沙耶……!」

 「あはは、ごめんなさい理樹くん」

 「も、もう。 あんまりからかうと、僕も怒るよ?」

 「だからごめんなさいってば、理樹くん」

 顔を赤くした理樹くんが可愛いと思ったあたしだった。

 こんな瞬間が、あたしにとっては本当に嬉しかった。

 

 

 そして今、あたしはリトルバスターズとかいう集団に歓迎され、バスターズのメンバーの大半を占める女性陣から質問攻めを受けていた。主に理樹くんについてだったから、正直答えるたびに恥ずかしかった。

 あたしが理樹くんについての質問に答えるたびに、きゃーという黄色い声や、ひゅーという茶化すような誰かの口笛が聞こえる。そして外野のほうでは理樹くんがなんかごつい男友達の間で縮こまっているかのように小さくなっていた。

 「お。なんだなんだお前ら。一体どうした」

 初めて聞く声。みんなが振り向いた先には、一人の男がそこにいた。たぶん三年生の先輩だ。

 「恭介。 遅かったね」

 へぇ、あの人が理樹くんの大好きな恭介さんか……。

 やっぱりちょっと嫉妬するかも。

 彼、初めて見たあたしが見ても格好良いと思えるし、ルックスも良い。対して理樹くんは女の子みたいな顔だし、なんか……

 「……なにやら同志の匂いがします」

 「――ッ?!」

 悶々としてたあたしのすぐそばで、日傘をさした少女が呟いていた。

 あたしが驚いて振り返ると、日傘のその娘は、あたしにペコリとお時儀をすると、そのまま離れてしまった。

 「悪いな。ちょっと今読んでる漫画にハマッててな。それ読んでたら、気がつくとHRが終わっていてな……」

 「お前はなにしに学校に来てるんだ、馬鹿兄貴」

 「で? 俺がいない間に、一体これはなんの騒ぎだ? ……ん?」

 恭介さんが、あたしのほうを見る。

 「その娘は?」

 「あ、紹介するよ恭介。 彼女は……」

 「理樹くんのガールフレンドデスよっ!」

 「は、葉留佳さん……っ?!」

 「ほほう」

 彼の口はしがニヤリと吊り上がったと同時に、その目がキラーンと妖しく輝いた。

 「理樹。 お前も隅には置けないな」

 「う、うう……」

 どっと笑いが起きて、またみんなに茶化される理樹くん。見ていて、なんだかちょっとかわいそうに見えたけど、面白いのは変わりない。

 「なるほど。 で、新メンバーってことだな?」

 「う、うん……。 どうかな……」

 「もちろん大歓迎さ。 だが、俺たちリトルバスターズには簡単に入れるもんじゃない。 それなりの試練が必要だ」

 「ああ……やっぱりやるんだ。 あれ……」

 「?」

 理樹くんが呆れたような顔になる。

 それにしても恭介さんの声、初めて会ったはずなのにどこかで聞いたような……

 そんな思考も、「よし、入団テストを行う」という声によって遮られた。

 いつの間にか、目の前には恭介さんが得意げに立っていた。

 「今から俺が問いかける質問の内容に上手く答えることができたら合格だ。 いいな?」

 「面白いわね。 いいわよ」

 「よし。 では……」

 場のシンとした空気に、微かな緊張が繋がる。

 一拍置いて、質問の内容が紡がれる。

 

 「ある夜の校舎内で、仮面をかぶった男は一人の少女に唾を掛けられました。 さて、その唾をかけられた男の心境は?」

 

 「エクスタシー」

 

 「合格!」

 

 それからあたしは、めでたく理樹くんたちのリトルバスターズに正式に入ることになった。

 



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Riki.ゲーセンにて

 沙耶が恭介の入団テストに無事合格して、リトルバスターズに正式に入った日。

 僕たちリトルバスターズの面々は、沙耶を新しメンバーに加え、沙耶の歓迎会と称して早速遊びに出掛けることになった。

 街中には学園の生徒たちの遊び場が多くあり、僕や鈴、恭介たちも買い物や遊びでよく足を運ぶ。

 学園から最も近い所にあることで生徒にも人気があるゲーセンに、僕たちはいた。

 「さて。 なにがいい?」

 おもむろに、恭介が聞いてきた。

 「う~ん。 そうだね……」

 見渡してみると、色んなゲームがたくさんある。気がつくと、みんなそれぞれのゲームへと散らばっていた。小毬さんとクドはお菓子を取るゲームの前で中身のお菓子に注目していたり、真人はボクシングゲームの前で何故か上着を脱ぎ捨ててやる気満々に筋肉を自慢するも謙吾に悟られてお金がないことに気付いてショックを受けていたり、葉瑠佳さんと来ヶ谷さんはいつの間にかゾンビを撃つゲームにハマッてるし、みんな自由に行動している。

 「……あいつら。 自分勝手に始めやがって……。 新メンバーの歓迎会ってことを忘れてないか?」

 「あはは……。 ごめんね、沙耶……」

 「えっ? あ、べ、別にかまわないわよ……!」

 「(沙耶、緊張してるなぁ)」

 みんなでこうして遊ぶなんてことは、沙耶にとって初めてなのかもしれない。沙耶は相当緊張している様子で、顔が赤い。戸惑いがちの沙耶がなんだか可愛かった。

 「どうする理樹?」

 「う~ん、そうだね。 沙耶、なにか遊びたいのある?」

 「……えっ! ちょ! ホ、ホワット?」

 「……緊張しすぎだよ、沙耶。 落ち着いて」

 「き、緊張なんかしてないわよッ!」

 どう見ても、ドキドキバクバクの緊張ぷりなんですけど……。

 でもせっかくゲーセンに来たんだ。何かで遊んで、沙耶を楽しませてあげたいんだけど。

 「あちらはいかがですか?」

 背後からの声に、僕と恭介も振り返る。閉じた日傘を持った西園さんが、胸の所まで上げた手でピッと指を指している。その指の方向を見てみると、そこにはゲーセンの定番ともいえる、ぬいぐるみがぎっしり入った大きな箱、いわゆるクレーンゲーム機があった。

 中にあるたくさんのぬいぐるみは動物やアニメのキャラクターなど、可愛いぬいぐるみがたくさんだ。実に女の子らしい。

 「うん。それがいいね! 行こう、沙耶」

 「ク、クレーンゲーム? ふ、ふん……! こんなのであたしを楽しめると思ってるの? あたしはやっぱりあのゾンビを撃ち殺すゲームがぴったりだわ! まぁでも理樹くんがどうしてもって言うなら、最初はあれで遊んであげる! まっ! あんな機械ごときであたしを満足できるかどうかはわからないけどねっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いよっしゃぁぁぁぁぁっっ!! とっったぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 沙耶さんは思い切り楽しんでいた。

 クレーンゲーム機に食いつくように熱中している沙耶さんの姿に、僕たちは驚きを隠せなかった。

 「なんだこいつ! こわッ!」

 「凄まじいですね」

 「……ああ。 こいつはさすがの俺も恐れ入るぜ……」

 猫のレノンを頭に乗せた鈴、特に驚いていないように見える冷静な西園さん、ひと汗垂らす恭介。

 そして苦笑する僕。

 みんながみんな、沙耶の興奮っぷりには誰も付いていけていなかった。

 まぁ、沙耶が楽しんでいるようだから、僕は嬉しいけど。

 「かーーーーっっ! これ、最高っっ! 笑っちゃうくらいばんばん取れちゃうなんて、あたしってば超天才ーーーっっ!! スパイからこっちに転向しても良いくらいじゃないかしらっ!? これならフリーでも食っていけるわぁぁーーーっっ!!」

 興奮しすぎて、色々とわけのわからないことを口走ってる沙耶。

 「ふふふ……さぁて、次はどいつを頂こうかしら……?」

 沙耶の目がまるで危険な誘拐犯のような目に変わる。

 「お前か……? ふふ、そんなに怖がっても無駄よ……。あたしの手にかかればちょちょいのちょい………よっと……よっしゃ! またまた取ったーーーーっっ!! ほら見なさい! 逃げても無駄なのよあーはっはっはっ!!」

 誰がどう見ても、思い切り楽しんでる!

 これで満足しなかったと言われれば沙耶を満足できるゲームなんてこの世に存在しない。

 「ちょっと! なにか要望はあるかしらっ?! そこのゲェェェストッ!?」

 一瞬だけ、たじろぐ僕たち。

 「……折角だ。 なにか取ってほしいものはないか? 鈴」

 「あ、あたしかっ!?」

 ビクリと肩を震わせた後、ここで振るのかと言いたげに恭介をじろりと睨む鈴。ゆっくりと沙耶の方に視線を移した鈴は、ハァハァと荒い呼吸で目を不気味に輝かせている沙耶の姿を見て、まるで子猫のように震えてしまっている。

 「鈴……?」

 「……怖い」

 あえて言おう、僕も怖い。

 「……あっ!」

 と、その時。突然鈴の頭の上から飛び降りたレノンが、タタタと沙耶のいる場所。クレーンゲーム機の前まで走っていってしまった。

 「こ、こらレノン! そっちへ行くな! しぬ気かっ!」

 鈴の制止する声も虚しく、レノンは闇のオーラ漂う場所へと行ってしまった。

 「……くっ!」

 ぐっと拳を握りしめる鈴。黙って立ち止まってしまった鈴の顔を覗き込むと、鈴の決意染みた言葉が紡がれた。

 「……理樹」

 「な、なに?」

 「……あたしは、行かなければならない」

 「ど、どこに?」

 「……あたしはレノンを助けにいかなきゃならないんだ。 レノンは……あの魔の世界に行ってしまった……」

 沙耶のほうを見てみると、確かに不吉なオーラをドロドロと漂わせている沙耶(しかも笑ってる)のそばに、レノンがいた。何故だろう、沙耶がとっても魔王に見える。なにも悪いこともしてないし起きてもいないのに。

 「止めるな理樹っ!」

 僕は何も言っていない。

 「……もし、あたしが戻らなかったら」

 ふわっと翻るポニーテール。チリンと綺麗に鳴る髪留めの鈴(すず)。そして、微笑んでいる鈴のどきりとする程の綺麗な横顔。

 「あいつらを……猫たちを、よろしく頼む」

 そう言い残して、本当に優しい笑顔で、鈴は僕に背を向けて、駆けていった。

 「鈴っっっ!! よせぇぇぇぇっっ!!」

 鈴の実兄のノリノリの声。離れていく鈴の後ろ姿に手を伸ばしながら、涙を流さんばかりに声を振り絞る恭介の姿。さすが兄妹といったところだろうか。

 そして鈴はレノンを連れ戻すべく、異様な空気が流れているクレーンゲーム機のほうへと駆け抜けていったのだった―――

 

 

 

 

 

 

 「見ろ、くちゃくちゃ可愛いだろ」

 そう言って、鈴は大きな猫のぬいぐるみを自慢するように見せつけてきた。その猫のぬいぐるみがドルジに似ているのは気のせいだろうか。

 「よ、良かったね。鈴……」

 「ああ。 あいつはいい奴だ!」

 鈴は本当に嬉しそうにドルジ似の大きな猫のぬいぐるみを抱き締めながら言った。

 ちなみにぬいぐるみは沙耶さんがクレーンゲームで取って、それを鈴がプレゼントとして貰ったものだ。

 「あなた、どれか欲しいものある?」

 「うみゅ……。 あ、あの……ね…ね……」

 「ああ、あの猫のぬいぐるみね」

 緊張する鈴のことを察して、沙耶はすぐに理解して鈴の欲しがっていた猫のぬいぐるみをいとも簡単に手に入れてしまった。

 「はい。あげるわ」

 「なに…!? い、いいのか…っ?」

 「ええ。あたしからのプレゼントよ」

 「で、でもこれ……」

 「気にしないで。 あたしはもうこれだけいっぱいあるんだし。それに……これからよろしくってわけで。その……」

 「……ありがとう、あや。 あやは、いい奴だ!」

 「え……」

 輝くような笑顔を振りまく鈴と、顔を赤くした沙耶の、二人の光景は僕にはとても微笑ましいものだった。

 

 ……ということだ。

 そして沙耶は……

 「ゲームスタート」

 まだやっていた。

 「そこよ……そう、そこ! そら、いけっ! ……いよっしゃ! とったどーーーっっ!」

 本当にこれ以上ないってくらいに楽しんでいるなぁ。

 「理樹。お前もなにか取ってもらったらどうだ?」

 「それさ、普通逆じゃない?」

 クレーンゲームって、普通は男のほうが彼女のために取ってあげるべきだと思うんだけど。

 「なぁに気にするな。理樹、お前は女装が似合うほど女の子っぽいんだ。なにも問題はない」

 「それ、僕にとってすごく気になる言い方なんだけど! ていうか女装なんかしたことないしっ! って西園さん、なんで鼻血吹いてるの!」

 「……失礼しました。 お気になさらず」

 「いいから、とりあえず行ってこい」

 恭介に背を押され、僕はとりあえず沙耶のところにやってきた。沙耶はクレーンゲームに相変わらず夢中で、僕が来ても振り向きすらしない。

 「あ、あのさ沙耶……」

 「あら理樹くん。ちょうどいいわ。あなたもなにか欲しいのある?」

 「え、えーと。 別に、特にないけど……」

 「遠慮しないで。 さっきは棗さんにもあげたし、理樹くんにもなにかプレゼントしても良いのよ。 ほら、好きなの言ってみて」

 「うーん……それじゃ、その手前のストラップで」

 いいのか、僕。

 普通は男のほうから女の子にプレゼントするべきじゃないのか?

 まぁ……今の沙耶の状態だったら、そんな倫理、無駄だと思う……。

 「そんなのどうでもいいわっ! それよりあの奥の一番でかいぬいぐるみを取ってあげるわ!」

 「じゃあ聞かないでよ……」

 ……って、なんだろう。こんなこと、前にもあったような…。デシャヴってやつだろうか。

 「さーて……どこを挟んでやろうかしら…。これでどうだっ?!」

 見事に挟まれる、哀れ大きなぬいぐるみとこのゲーセンの店員。

 「やったぁぁぁーーーッッ!! あたしってば超天才ーーーーっっ!! アイ・アム・ザ・ゴッドッッ!! あたしのことはクレーンゲームの神とお呼びなさいっ! あーはっはっはっ!!」

 まったくその通りです、クレーンゲームの神様。

 

 結局、最後まで沙耶は一人でクレーンゲーム機に熱中したのだった。

 

 

 

 もう日が暮れ、僕たちは夕日に照らされて影を落としながら、帰路の川岸を歩いていた。

 「たくさん取ったね……」

 僕は隣を歩く、ぎっしりと入ったぬいぐるみの袋を抱えて楽しそうな表情をしている沙耶に声をかけた。

 「こんなの、ちょろいもんよ」

 その声は楽しそうに弾んでいた。

 僕はそんな沙耶の声と表情に、安堵と嬉しさがあった。

 「楽しかった?」

 「うん。 満足満足」

 「それは良かったよ」

 沙耶が楽しめたなら、やっぱりそれで良い。

 僕はそう思った。

 「沙耶、ありがとね」

 「な、なによ理樹くん。いきなり……」

 「鈴に猫のぬいぐるみをくれたでしょ」

 僕たちの目の前を、リトルバスターズのメンバーが歩いている。そしてその中で、小毬さんと談笑している鈴がいた。その胸には、沙耶がクレーンゲームで取った猫のぬいぐるみが抱えられていた。頭にレノン、そして胸にドルジ似のぬいぐるみを抱えた鈴の横顔は、とても嬉しそうだった。

 「ああ…」

 沙耶は鈴の背中を見て、クスッと笑う。

 「別にあれくらい。お礼を言われるほどでもないわ。ただ……こんなにいっぱいあるんだから、その中の一個をあげただけだし……」

 「それでも、沙耶は鈴にプレゼントしてくれた」

 「う、うう……」

 沙耶は恥ずかしそうに鼻の上を朱色に染めて、いっぱい入ったぬいぐるみの袋をぎゅっと抱きしめた。

 「それに僕も楽しかったよ。沙耶があんなにクレーンゲームに熱中するなんて、びっくりした。でも沙耶、すごく楽しそうだったから、僕も楽しかったよ」

 「……そう」

 抱えた袋から目だけを出して、チラと僕のほうを見る。

 「……本当に?」

 「うん。素敵な一日だったと思えるくらい」

 「……でも、あたし一人が夢中になって……」

 「みんなも僕と同じだよ。沙耶とゲーセンに行って、今日はみんな、楽しかったと思ってるよ」

 「…なら、いいんだけど……」

 「沙耶は、どうだった?」

 「え?」

 「楽しかった?」

 「………」

 つかの間の沈黙が降りる。

 あの世界からこの世界に戻ってきて以来、真に再会できた僕たち。そして沙耶をリトルバスターズに介入して、みんなで初めて遊んだ今日。

 「そんなの、もちろん………すごく、楽しかったわよ」

 照れながら言う沙耶の顔は、朱色に染まっていた。それが夕陽のせいかどうかはわからない。

 沙耶は確かに、リトルバスターズのメンバーとなったのだ。

 



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Saya.暖かさ

 

 ゲーセンから帰ってきたあたしたちは寮の前で解散となった。理樹くんはもちろん男子寮に帰り、あたしもクレーンゲームで取ったたくさんのぬいぐるみを抱えて自分の部屋へと帰ってきた。

 「ふぅ……」

 ドサッと音を立てるほど、袋いっぱいに入ったぬいぐるみの袋を机の上に置く。

 「にしても……さすがに取り過ぎたわね」

 机の上に置いた袋から溢れんばかりのぬいぐるみを見て、苦笑する。

 ちなみにこの部屋にいるのはあたし一人だ。あたしの部屋はルームメイトがいないので事実上あたし個人の部屋となっている。

 別に友達がいないというわけではない。自分で言うのもなんだけど、あたしはむしろクラスでは人気者の立場にある。誰に対しても気さくに、明るく振る舞う優等生を演じている結果、勝手にあたしの周りには大勢のクラスメイトが集まっていた。

 だからあたしが個人部屋なのは、ただ人手が合わなかったというか、そもそもあたしは一人部屋のほうが好きだからむしろこの状態が好ましいから……べ、別に何度も言うけど友達がいないってわけじゃないのよっ?全然寂しくなんかないんだから…っ!

 ……友達、か。

 でも実を言うと、本当の意味で友達と呼べる人は今までいなかったのかもしれない。クラスの人気者と言っても、クラスにいるあたしは仮面をかぶった役者のようなものだ。もちろん周りに集まってくれるクラスメイトたちには感謝しているが……なんというか、あたしが友達と呼べる存在はいない。

 唯一、理樹くんしかいない。あたしが本当の意味で親しく、そしてそれ以上の関係を持っている人は。

 

 ――コンコンッ。

 

 「!」

 部屋のドアをノックされた。

 「誰?」

 ドア越しにいるだろう誰かに向けて声を投げかける。そしてすぐに相手の言葉が返ってきた。

 「アヤさ~ん。 私です~」

 聞き覚えのある声。あたしの部屋に来る人なんて見回りに来る寮長しかいないはずだが、確かにその声の主をあたしは知っていた。しかも最近聞いたばかりの。

 とりあえずあたしはドアに近寄り、向こうにいる人物を迎えるため、ドアを開いた。

 「わふっ。 アヤさん、ハローですっ」

 ふんわりとした真っ白な帽子。亜麻色の長髪。くりっとした丸い瞳。そこにいたのは背の小さな、白いマントを付けた女の子。リトルバスターズの一員で、理樹くんの友人の一人でもある、理樹くんのクラスメイトのクォーター、能美クドリャフカさんだった。

 「あら、いらっしゃい。どうしたの?」

 彼女がここに来るなんて初めてのことだ。あたしはすこしだけ驚いて、なんでここに来たのかを彼女に問うた。

 「わふー。 アヤさんをお迎えにあがりましたのですーっ」

 「お迎え?」

 その単語に、あたしはきょとんとなる。

 対して目の前の彼女は、「はいっ」と、本当に楽しそうな笑顔でニコニコと微笑んでいるばかりだった。

 「……ああ、あたしにも遂にお迎えが来たのね。 まだやりたいことはたくさんあったけど、これも天のお導き……。 仕方ないわね……」

 「わふーっ?! アヤさんはご臨終なさるのですかーっ!」

 「あぁ、今までありがとうお父さん。 先に逝ってしまう親不孝の娘を許して……」

 「わーふー! だ、だめですーっ! アヤさんかむばーっくですぅ!!」

 「……って、そろそろツッコんでくれないかしら」

 「わふ?」

 きょとんと首を傾げる目の前の彼女が、まるで子犬のように愛らしい。

 「……アヤさん、死んじゃうのでは」

 「冗談に決まってるでしょう。 まったく、ツッコミがいないと終わらないじゃない……」

 「わふぅ……。 ごめんなさい、なのです……」

 しゅんと落ち込む彼女。まるで本当に垂れてる犬耳が見えてしまうみたいだった。

 「ううん、……こっちこそ、ごめんね」

 クスッと微笑んで、ごめんねと謝ると、彼女もまたすぐに笑顔に戻ってくれて、あたしはほっと安堵するのだった。

 「それで、あたしに何か用なのかしら」

 「あ、はいっ! え、えっと、実はですねっ。 アヤさんを、私たちのお泊り会にご招待なのですー!」

 「ああ、それでお迎えってことなのね」

 「はいっ」

 にっこりとした笑顔で頷く能美さん。

 そう、あたしは今日、理樹くんの招待でリトルバスターズに入団したのだ。

 この集団に入って何かが変わるのかなと思ったけど、早速何かあるみたいだった。

 「アヤさんもいかがですか?」

 「………」

 ここで断る理由もない。

 でもこんなのは初めてだから、ちょっと戸惑ってしまう。

 それでもあたしは――

 「…………」

 あたしがどんな顔をしていたかわからないけど、きっと恥ずかしい顔をしていたと思う。そんな顔で、あたしは無言で頷いていた。

 それを見て、能美さんがぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。

 「良かったです~。 では早速レッツゴーです!」

 「あ! ちょ、ちょっと待って!」

 「はい?」

 「ちょっと持ってくるものがあるから……」

 そしてあたしは机のもとに戻る。そして机の上にどっさりと置かれたアレをまた抱えて、彼女のそばへ。

 「お手伝いしましょうか?」

 「このくらい大丈夫よ。 さ、行きましょう」

 あたしはそれを胸に抱えて、彼女と一緒に部屋を後にした。

 

 

 あたしが招き入れられたのは、リトルバスターズの女性陣が集った部屋だった。

 「あ、いらっしゃ~い。待ってたよ~」

 ドアを開けて最初に迎えてくれたのは、ほんわり少女の神北さんだった。

 「みんな~。あーちゃんが来たよぉ」

 どうやらあーちゃんというのは、あたしのことのようだ。ちょっと恥ずかしい。

 「いらっしゃい」

 「新人大歓迎!」

 彼女たちは笑顔であたしを歓迎してくれた。

 ちょっとだけ、胸がほわっと温かくなった。

 「さぁ、アヤさんもこちらへ」

 能美さんの小さな手に引かれ、あたしはお菓子を囲んでいる女性陣の輪へと誘われた。

 「それではぁ。あーちゃんの歓迎会を始めたいと思います~」

 神北さんの力が抜けるようなまったりとした号令に、あたし以外の女性陣が、しゃかしゃか鳴らしたりドンドンパフパフと鳴らしたりと少し騒がしい程度で一斉に盛り上がる。

 「リトルバスターズ新入おめでとう~」

 「おめでとなのですーっ」

 「ゆっくりしていってね~」

 「あ、ありがとう……」

 それは今日、理樹くんたちのリトルバスターズに入ったあたしの歓迎会だった。でも見渡すと理樹くんたちがいないから(女子寮だから当然だけど)、女性陣だけの歓迎会みたいだ。

 「歓迎会って言っても、いつもの集まりとは特に変わりませんけどね……」

 「まぁ、確かにな」

 「みおちんも姉御も、そんなこと言わずに~」

 「いつもこうやって集まってるの?」

 あたしは聞いてみる。

 「まぁ、いつもと言えばいつもですね……」

 「こうやって皆で集まって、楽しくお菓子を食べながらお喋りするんだよぉ」

 「……甘い。 ウマイ……」

 「でも太る。 ちなみに小毬君の体重は『ほわぁぁぁぁっっ!!(小毬)』」

 顔を真っ赤にして慌てて来ヶ谷さんに飛び付く神北さん。そんな神北さんに対して来ヶ谷さんは楽しそうだ。そして周りからもどっと笑いが起こる。

 「もうっ! ゆいちゃぁ〜んっ!」

 「はっはっはっ」

 つい、あたしもクスッと口元を緩めていた。

 そしてまた、胸の中がほわっと暖かくなる。

 またこの感覚。

 この輪の中にいると、感じるようになる暖かさ。

 これは、なんだろう――

 「あーちゃんも、どうぞ~」

 「ありがとう。……そうだ」

 あたしは神北さんからワッフルを受け取ると、持ってきたアレを、みんなの前に出した。みんなの視線がこの一点に集中する。

 「あれ、あーちゃん。それって、今日ゲーセンで……」

 「これ、皆さんに配ろうと思って……」

 恥ずかしそうにあたしがそう言うと、みんなの表情が一瞬だけぽかんとなる。うう、恥ずかしい…。

 「でもいいの? これ、あーちゃんが取ったのに…」

 「い、いいのよ! あたしはこんなにいらないし……、だからその…、みんなにあげるわっ!」

 キョドッてるよ、あたし…。

 落ち着け。

 「……えっと。 これは神北さんに! で、これは棗さん! これは能美さんで、それは……」

 と言いながら、あたしは次々とぬいぐるみを彼女たちの手元に渡していく。

 神北さんはペンギンのぬいぐるみ。棗さんにはまた猫のぬいぐるみ。能美さんには犬で、来ヶ谷さんにはゾウ、三枝さんにはパンダで、西園さんにはクジラだ。

 みんなは沈黙している。

 「(うう……こんなこと、しなきゃ良かったかな…)」

 あたしはチラリと、彼女たちを伺う。 

 そして……

 

 

 「ありがとうっ!あーちゃん。ペンギンさん、大事にするよぉ〜」

 「わふーっ! これはベリーベリーキュートなのです〜っ!」

 「…あ、ありがとう、あや……」

 「ふむ、ありがたく頂いておこう」

 「パンダパンダコパンダコパンダコパンダーーッ!」

 「……ありがとうございます」

 

 

 「………」

 みんなはそれぞれのぬいぐるみを見せ合ったりして、あたしは渡して良かったと思った。

 「見て見て、ペンギンさんかわい~」

 「……この猫、レノンに似てる…」

 「わふー。この犬さんも可愛いですよ~」

 「ふふふ。パンダは見た目は可愛くてとても人気がある動物だけどその実態は凶暴で陸上最大の肉食獣である熊の仲間であり彼らはその愛しさを罠に近付いてきた人間たちをパクリとそれはもうその鋭利な爪で残酷に切り裂き食べて人間たちを抹殺しこの世の世界の笹を支配するのが彼らパンダの陰謀なのだーっ!」

 「西園女史、見たまえ。立派なゾウさんだろう…」

 「……なんだか来ヶ谷さんが仰ると卑猥に聞こえます」

 あたしが取ったぬいぐるみ、あたしがプレゼントしたぬいぐるみを見せあい、談笑する光景。

 

 

 ―――あたしがここにいて、胸の中に感じる暖かさ。

 

 

 「あーちゃん。今日は楽しんでよぉ~」

 「お菓子もたくさんありますよ」

 「今日は寝かせないぜー!」

 

 

 ―――それはあたしが掴んだ、『暖かさ』

 

 お菓子を囲み、トランプで遊んだり、談笑したり、あたしが理樹くんのことでからかわれたりもしたけど、何もかもが楽しい時間だった。

 時間を忘れ、甘いお菓子に舌を打ちながら、あたしは輪の一筋となって、彼女たちと楽しく過ごした。

 あたしが今まで手に入れることができなかったもの。

 あの世界でも無かったもの。

 

 ―――そこにはあたしが望んでいた、『暖かさ』があった。

 



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Riki.ゲーム・スタート

 沙耶とみんなでゲーセンで遊んだ翌日。

 学園の敷地内に並ぶ木々の葉が微かなそよ風に揺られてざわざわと音を鳴らし、無限に広がる真っ青な空は太陽の光が照りつく快晴の大空だった。白いハトが日の光を浴びながらパタパタと真っ青な空の中に飛び立つ。そんな空の下、学生たちの一見静かで穏やかではある授業の風景があった。

 しかし実際には授業中に寝ている者、早弁している者、教科書を装って漫画を読んでいる者が少なからずはいた。

 そして理樹もまた意外と、そんな一人だったりする。

 「……ん?」

 ポケットの中でぶるぶると震える僕の携帯。黒板にチョークを叩きながら説明する先生の背をチラリと確認してから、僕はこっそりとポケットから震える携帯を取り出した。

 普段の授業中にも、授業中に暇を持て余した来ヶ谷さんのメールが来たり、ミッションを提案した恭介のメールが来ることもある。こういうのは珍しくない。

 でも、差出人の名前を見たとき、僕はすこしだけ驚いた。

 「……沙耶」

 彼女からのメール。

 それは初めてのことだった。

 

 

 Re:理樹くんへ

 本文

 昨日は楽しかったわ。実は夜にも神北さんたちと過ごしたの。みんないい人たちばかりね。

 

 

 「(へぇ……)」

 僕は感嘆の息を漏らした。

 既に沙耶がここまでリトルバスターズに打ち解けているなんて。だけど、これはもちろん嬉しいし、沙耶にとっても良いことのはずだ。僕は安堵とともに、心地よい嬉しさに浸った。

 「(それは良かったね。きっとみんなも沙耶がリトルバスターズに入ってきてくれて嬉しいんだよ。これからもみんなと僕も、よろしくね……っと)」

 送信ボタンを押して、文章を打ち込んだメールを彼女に送る。

 つい笑みをこぼしてしまいそうになるけど、授業中に一人笑っているのも変だ。鈴に見られようものなら軽蔑されてもおかしくない。

 でも、嬉しくて、笑いたくなった。

 ぶぶぶ。

 送信してから差ほど時間も経たないうちに、返信メールが来た。

 「どれどれ……」

 

 

 Re:もちろんよ。

 本文

 もちろん。こちらからもよろしくね、理樹くん。あたし、こういうの初めてだったけど、きっとこれから楽しい日々が待ってるんだなって思えるの。だからこれから毎日をみんなで楽しく過ごしたい。もちろん理樹くんとも。

 ……そうそう、理樹くん。あのね、そのことでもあるんだけど、ちょっと理樹くんに伝えたいことがあるんだけど…

 

 

 「伝えたいことって、なんだろう?」

 首を傾げ、僕は「伝えたいことって?」と書いてメールを送った。

 そして、すぐにまた返信が来る。

 

 

 Re:それは…

 本文

 それはその……昼休みに直接言うわ。だから昼休みに二人だけで会えないかしら。

 

 

 沙耶は昼休みに僕と二人きりで会いたいと言ってきた。

 何か僕に伝えたいことがあるらしい。

 なんだろうと思いつつ、僕は了承する意思をこめたメールを送信した。

 「……なんだろ、伝えたいことって」

 僕はふと教室の天井に視線を仰ぎながら、携帯を閉じた。

 と、その時。あまりに唐突に、また携帯が震えだしたのだからちょっとビクッと驚いてしまった。正に不意打ちだった。

 また沙耶からかな、と思ったけど、今度は違った。

 「恭介……?」

 差出人はお馴染みの名前が、恭介の名前が液晶画面に表示されていた。

 「恭介までなんだろ……」

 中身を見る。

 「………へ」

 そんな声をつい漏らしちゃったけど、それは普段の恭介を知っているなら、そんなメールの内容なんていつものことと言えばいつものことだった。

 ただ、沙耶との約束がまた後になっちゃうなぁということだった。

 

 

 昼休み、全員集合せよ。というのが恭介のメールだった。

 それはちゃんとリトルバスターズの全員に届いたようだ。もちろん新入りの沙耶も含めて。

 昼休みの教室には、恭介をはじめとしたバスターズの全メンバーの面々が集まっていた。

 その面々の中、約一名だけ不機嫌そうな表情をしている。たぶん予定をズラす羽目になったせいだろう……ごめん。

 「……なんで理樹くんが謝るのよ」

 「いや、なんとなく……」

 「……別に、怒ってないわ。 どうせいつでも伝えることができるし、また放課後があるから。 それに……こんなの今に始まったことじゃないし」

 「え?」

 「なんでもないわ」

 ぷいっと顔を背ける沙耶さん。う~ん、やっぱりすこし怒っているような……。

 「よし。 全員揃ったな」

 みんなの前に出た恭介は、みんなの顔を見渡すと満足そうに頷いた。

 「では始めよう」

 「……ちょっと待て。 なにを始めようってんだ」

 いつもの唐突さを見せる恭介に、真人が止めに入る。

 「何かを始める前に、その何かをまず俺たちに教えろよ」

 「まぁ、恭介がこうして俺たちを集めるとなれば、ほぼ察しはつくがな」

 真人の隣で、いつもの剣道着姿の謙吾が続ける。そうだ、謙吾の言うとおり、恭介が僕たちを集めるといったら、大体やることは決まっているのだ。

 それはすなわち―――ミッション。要は、“遊び”だ。

 恭介はいつも僕らのリーダーとして、楽しいことを提案してくれて、僕たちが飽きることなく遊ぶことができる。

 「ああ。 実はこれをやりたいと思う」

 恭介が何かをみんなの前に見せつけるように出した。みんなの注目が集まる。

 「なんだそれ?」

 「知らないのか? エアガン他サバイバル道具だ」

 「いや、見ればわかるけど……」

 恭介がみんなの前に出したのは、外見はごつごつとした物騒なもの、マシンガンや銃のような形をしたもの―――というか銃そのものだけど。所謂エアガンという奴だ。まさかこの日本で本物なんか持ってたら即捕まっちゃうよ。でも、恭介ならやりかねないような気がするのは何故だろう。

 「エアガンに、弾丸であるBB弾は一つの銃に平均三〇〇発は用意してある。 あとゴーグルもあるぞ」

 「―――で、これをどうしろと。 まさか……」

 「ああ、そのまさかだ」

 恭介がニヤリと笑う。

 「これより、リトルバスターズの諸君でサバイバルゲームを敢行したいと思う! もちろん、全員参加だ」

 「ええええっ?!」

 「……今度は一体なんの漫画の影響だ、馬鹿兄貴」

 「ふ。前々からサバゲというものをやってみたいと思っていてな。 だがお前たちの分を揃えるには多少の時間と費用がかかってな。 手間がかかって、ようやく今に至ったわけだ。 過酷な戦場という場所と状況で互いに撃ち合い、勝利を目指す! これほど男の血を騒がせるものはないぜっ!」

 リトルバスターズの大半が女子だけどね。それを言うの無粋だ。

 「ということで、さっきも言ったようにこれは全員強制参加だ。 不参加も、わざと負けてさっさと辞退しようというのも許さん。 戦死したものには当然罰ゲームを設ける! 何より俺が手間かけた努力と金が無駄になることだけは避けたいからな」

 最後に本音が出たよ、恭介……。

 こういう正直なところと少年みたいなところが恭介なんだよね。

 「ではさっさと始めるぞ。 時間制限(タイムリミット)は昼休みの終了チャイムだ。 まずルールを説明する。 二軍に別れ、どちらかの軍(チーム)のメンバーが全員やられるか、廊下に置いた空き缶を、守る側と蹴る側を決めて、その缶の行く末次第で勝負を決する!」

 「ちょっといつか遊んだ缶蹴りを含めたみたいだね」

 「その通り。全員がやられるまで……だけというのが少々面白味が足りないからな。ちょっとこういうのも入れてみたわけだ」

 「で、チーム分けはどうするんだ?」

 「クジで決める。みんな、思う存分引け」

 恭介はメンバー分のクジを握りしめてその手を差し出した。用意が良い。

 そして僕たちは恭介によって用意されたクジ引きによって、チームが決まった。

 引いたクジの先端に青・赤いずれかの色が塗ってあれば、どちらかに分かれる寸法だ。

 

 青軍

 僕(直枝理樹)

 沙耶

 鈴

 クド

 西園さん

 謙吾

 

 赤軍

 恭介

 来ヶ谷さん

 真人

 小毬さん

 葉留佳さん

 

 赤軍のほうが一人少ないけど、なんて言ったって赤には恭介や来ヶ谷さんまでいるんだ。妥当なハンデだと思う。なので、チームはこのまま決定された。

 ちなみに勝負の決め手の一つとなる缶を守る側は、青軍である僕たちに決まった。全員やられない限り、又は缶を狙ってくる赤軍から缶を制限時間内に守り切るか全員を倒せばこっちの勝ちだ。

 恭介たち赤軍は三階の端からスタートするみたいで、赤軍は三階へと向かった。そして互いの準備が出来れば、携帯に合図として電話の着信音が鳴る。

 「とりあえず向かってくる恭介たち赤軍を前線で対抗する防衛線と、缶のそばで缶を守る防衛線を編成しよう」

 僕はみんなをまとめ、作戦を練る。

 「まず前線は……僕と謙吾、あと身動きが素早い鈴が良いかな。クドや西園さんはいきなり最前線で戦う役なんて悪いけど荷が重いと思うし、二人には缶を直接守ってもらおう。あと沙耶も、残ってて。あと……」

 「ちょっと待って、理樹くん」

 「え?」

 「理樹くんの考えもあながち間違いじゃないけど、それよりもっと良い戦力分けがあるわ。この配置より、まず缶を守る場所は理樹くん、あなたがいなさい。そして前線には宮沢君と棗さん」

 「えっ? ちょっと待ってよ。沙耶は?」

 「あたしに考えがあるわ。こっちのほうが本格っぽいし、結構相手を楽しめることもできるかもよ。特にあの恭介さん……にならね」

 「どういう……」

 「とにかくあたしは一人で別行動を取るわ。安心なさい。こう見えてもあたし、こういうの得意なのよ」

 「そ、そんなの……。 だってこれはチームで行動したほうがいいんじゃないかな。一人っていうのはあまりに危険……」

 「だから、あたしに考えがあるって言ってるのよ。理樹くん、信じて」

 「…………」

 沙耶のその綺麗で空のように蒼い瞳は真剣に、そして鋭利に輝いていた。そして妙に自信に満ちた沙耶の言葉に、何故か僕はまったく疑惑の余地がなかった。

 「……わかった。 沙耶の思ってる通りにやろう」

 「ありがと、理樹くん」

 「……いいのか、理樹」

 今まで静観していた謙吾が横から入る。

 「うん。 僕は沙耶を信じるよ」

 「……そうか。 お前がそう言うなら俺は何も言わん。 このチームのリーダーはお前だしな」

 「えっ? 僕がリーダーなの?」

 「当たり前だ。 お前以外に誰がいる」

 僕の言葉に、謙吾が当然と言わんばかりの表情を浮かべる。

 「そりゃ、僕なんかより謙吾や、なんとなく沙耶のほうが……」

 「なんとなくってなによ……」

 沙耶がジトッとした瞳で見詰めてくる一方、謙吾は小さく溜息をついた。

 「……あのな、理樹。 自覚してないのかどうかは知らんが、お前は確実に以前より強くなっている。 お前こそが恭介に次ぐリーダーにふさわしいんだ。 それは全員が承知しているはず。 あの日を境に、お前は強くなったんだろ」

 「…………」

 「だからリーダーであるお前の言葉も、行動も、すべて俺は信じる。 だから何も言わん。 わかったな」

 「……わかったよ、謙吾」

 その時、携帯の電話の着信音が鳴った。

 ミッションスタートだ。

 いや……

 

 「ゲーム・スタート」

 

 沙耶の言葉が、妙にはっきりと聞こえた。

 

 

 

 

 ゴーグルを装備し、それぞれエアガンを抱えながら、サバイバルゲームが始まった。

 まず僕たち青軍は、赤軍に一番近い三階と二階を通じる階段を先に確保する。恭介たち赤軍のスタート地点である三階の端の反対側にも階段があるから、もしそこを使われたら裏側から攻められる可能性がある。だから反対側の階段まで通じる廊下を遮断するためにも近い階段を確保しなければならない。

 足の速い鈴と運動神経抜群の謙吾なら出来ないこともない。

 二人は真っ先に、目標の階段へと向かった。

 「……とりあえず来てみたが」

 「……誰もいない。 あたしたちが一番乗りか?」

 「だといいがな。 まずはあの階段を確保し、同時に反対側から通じる階段への道を遮断する。 階段を確保し、三階に―――」

 その時、謙吾は嫌な悪寒を背筋に感じた。

 「―――ッ!」

 階段の影からユラリと現れた巨体。赤いバンダナ。ごつい拳銃のような形状のエアガンを二丁装備した真人だった。

 「伏せろッ!」

 「にゃっ?!」

 謙吾に後頭部を掴まれ、ぐいっと鈴は頭を掴まれる。その頭上を真人の放ったBB弾が通り過ぎた。

 「――ちっ。侮ってた……」

 「へへっ、謙吾よぉ。 運動神経が良いのはお前だけじゃねぇんだぜ?」

 「く……。 真人に先を越されるとは」

 そもそも階段に近いのは真人たち赤軍のほうだ。いくら運動神経が良い謙吾や足の速い鈴を向かわせたって、謙吾と相対するくらいに運動神経の良い真人が相手だと、無理はない。

 「へっ、謙吾っちよぉ、油断は禁物だぜ? だからこうなるのさ。 俺様を舐めると酷い目に合うってことを今思い知るがいいぜ。 なんて言ったって、俺様は筋肉という運動神経をとったら何も残らねぇんだからなぁッ! ―――って、俺なんか自分で言ってみてすっげー悲しい気分になったんだけど!?」

 「ふん。 やはり馬鹿は馬鹿ということだ」

 「んなッ! なんだとテメェッ!」

 「所詮真人一人相手ならば、俺一人でも十分だ」

 「へ……っ。 上等じゃねぇか。 本当なら俺はこんな小細工より自分の筋肉で直接戦いたかったんだけどよぉ……。 恭介の奴が格闘戦は禁止だって言いやがった。 もしルール違反をしたら俺の負けだ。 どんな経緯であれ、謙吾に俺が負けるなんて、許されねぇ」

 「ふ、安心しろ。 お前は正当なルール上で見事な敗北を喫することになるからな」

 「へっ! お前だって竹刀がなきゃ俺様にかなわねぇくせに!」

 「ほう、言ったな?」

 「どっちも得意分野で戦えないのはお互い様だっ! 決着をつけるぜ、謙吾!」

 「望むところだ」

 ジリジリと対立する謙吾と真人。まるで二人の炎が燃える背景に竜虎の姿が見えるみたいだった。

 「……お前ら、あたしを無視するなっ!」

 鈴の声さえ、二人には聞こえない。

 もうそこは二人の世界なのだ。

 「手を出すなよ、鈴。 ここは俺が引き受ける」

 「そうだぜ、鈴。 男同士の戦いに女が水を差すもんじゃねぇぜ」

 「……もう知らん。 勝手にしろ、この馬鹿ども」

 鈴は呆れたように二人の場から離れていき、レノンと戯れることにしたのだった。

 そしてジリジリと対立していた両者が、遂に動き出す。

 「いざ尋常に勝負!」

 「いっくぜぇぇ―――っっ!」

 両者の互いに撃ち合う銃撃戦の発砲音が幾重に重なった。

 

 

 「……始まったみたいだ」

 遠くから聞こえ始めた銃撃戦の音が、戦いの激しさを物語っていた。

 「あわわ……。 こ、こわいですぅ……」

 銃撃の音を聞いて、クドがまるで小動物のように震えだす。まるで犬の耳と尻尾が付いていてそれが震えているようにも錯覚してしまう。

 「大丈夫だよ、クド。 きっと謙吾たちが食い止めてくれる……」

 僕はクド、そして拳銃をただ本と一緒に正座した膝の上に抱えている西園さんとともに、ここにある缶を防衛している。沙耶はどこかに行ってしまい、もし裏側から敵が攻めてきたら僕が一人で戦わなければならない。

 「……大丈夫。 僕が、きっと守るから」

 「わ、わふ……」

 クドの頬がぽっと朱色に染まるが、クドは慌ててそれを隠すように顔を伏せた。

 「……どうやら向こうでは、宮沢さんと井ノ原さんあたりが戦っているんでしょうね」

 「でも他にもいるはずなのに……。 もし複数であそこから攻めてくるとしたら、謙吾と鈴はやられたと思う。なのにこうしてまだ銃撃戦の音は聞こえる。 ということはやっぱり反対側から攻めてくるかも……!」

 「……まぁ、しかし。 大丈夫でしょう……」

 西園さんはいつも大人しい娘で冷静だけど、こんな時まで冷静だった。

 「どこかに消えてしまった直枝さんの大事な人は何か考えがあると仰ってましたし、それに何より……直枝さんが信じているのですから、私も信じますよ」

 「西園さん……」

 西園さんは黙って、特に表情も変えないで、その場に静かに佇む。

 「ありが―――」

 「おや。 大事な人という部分はやはり否定なさらないんですね」

 「……ッ! な、なな…ッ!」

 顔を真っ赤にして慌てる僕を見て、西園さんが微かにクスリと笑ったような気がした。

 その時、今まで聞こえていた銃撃戦の断層が、また一段重なったように聞こえた。

 「え――?」

 向こうの銃撃戦が激しさを、増していた。

 

 

 階段付近で戦闘を展開しているのは、青軍側の謙吾と赤軍側の真人。そして―――

 「ふにゃああっ?! な、なんでくるがやがっ!」

 「何を言う、鈴君。 私も立派な赤軍の兵士の一人だぞ?」

 「な…ッ!? 何故、来ヶ谷が……!」

 「ばーか、謙吾。 俺がいつ一人でここに来たって言ったよ。 だから舐めるな、って言ったろうが」

 「く……ッ!」

 謙吾と真人が銃撃戦の繰り広げて間もない時、突然階段から新たな影が現れたのだ。レノンと戯れていた鈴だったが驚異の反射神経で奇襲をなんとか避けることができた。

 「恭介め。 やってくれるな……」

 真人一人ならまだしも、来ヶ谷まで加わるのだとしたら、戦力比を考えると相当な苦戦を強いられる。来ヶ谷は本当に忠者ではない。俺でさえ敵う相手かわからない。なのに、こっちは鈴と自分を含めて数的には二対二でも、来ヶ谷を“一人”として数えるのはあまりに愚か…!

 「ふ。悪いが、謙吾少年。 そこを退いてくれないかな」

 「断る!」

 「ほう、予想はしていたが即答とはな」

 「……うぐぅ」

 新たに現れた来ヶ谷が鈴を前に立ち塞がる。鈴はきっと今にもすぐに逃げ出したいと思っているだろう。だが、ぐっと足を踏み入れて、自分の隣に立って共に対峙してくれている。そう、強くなったのは理樹だけじゃない。理樹と共に強くなった奴を、俺は知っている。

 「……鈴。大丈夫か」

 「く、くるがやは正直恐いが……。 い、いやっ! これくらい平気だっ!」

 「…そうか」

 つい、フッと微笑んでしまう。

 「では、共に戦おう。 力を貸してくれ、鈴。 一緒にこいつらを倒すぞ。 決してここを通すな」

 鈴と共に己の武器を構える。それは不慣れであっても、守るものがあれば、そんなの関係ない。

 「…ふふ、そういうの好きだよ、私は」

 「へへ。 謙吾に鈴、覚悟しろよ」

 それぞれの笑みを浮かべる来ヶ谷と真人。

 「ここを通すわけにはいかん。 理樹は俺が守る!」

 「きみたちが守っているのは缶ではないのか?」

 「同じことだ!」

 「よし、ではお姉さんも手加減なしで行かせてもらおう。鈴君、私が勝った暁にはここを通るついでにきみも頂いておこう……ふふふ……」

 「ふ、ふざけんなボケェェェーーッッ! そんなことさせるかぁーーっっ! ふかーっ!」

 「ああ、可愛いな鈴君は……」

 「いいからさっさとおっぱじめようぜ」

 「……まったく、急かすなきみは。 ……では、いざ」

 「来いッ!」

 ぐっと両足に力を込めて、その場に固まる二人。その二人に向かって、真人と来ヶ谷が同時に、足で地を蹴って飛びだした―――

 



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Saya.二人の因縁

 恭介の提案によって始まった缶蹴りサバイバルゲーム。

 僕たち青軍は缶を制限時間内までに死守するか相手軍のメンバーを全滅させれば勝ち。恭介たち赤軍は制限時間内までに僕たちが護る缶を狙うか、僕たちを全滅させれば恭介たちの勝ちだ。

 戦力比で言うと、メンバーの数的には僕たちのほうが一人多いが、向こうは恭介に来ヶ谷さん、真人など強者ぞろいだ。こっちの頼れる戦力と言えば、謙吾や沙耶くらいしかいない。

 勝負は正直言って僕たちがすこし不利な状況だ。

 「な、なんか謙吾と鈴が向かった階段あたり、ますます激しくなってない!?」

 「……どうやら来ヶ谷さんあたりが参戦したんでしょうね」 

 「く、来ヶ谷さんが……ッ?!」

 どうやら向こうの階段では謙吾と鈴、真人と来ヶ谷さんが対峙しているらしい。それによって戦闘はますます白熱化している。

 来ヶ谷さんは本当に強い。謙吾と鈴で敵える相手だろうか。

 「……直枝さん。ご心配には及びませんよ」

 「西園さん……」

 「直枝さんはお二人を信じて、お二人をあそこに行かせたのでしょう? なら、直枝さんが信じなくてはどうするのですか」

 「…………」

 「私は信じます。 直枝さんが信じたお二人ですからね。 きっとお二人は大丈夫です」

 「…そうだね、西園さん」

 そうだ。僕が信じなくてどうするんだ。

 仲間を信じるんだ。

 でないと、僕たちは勝てない。

 「万が一、宮沢さんと棗さんが敗北するようなことがあっても、私も……戦いますよ」

 「に、西園さん…!」

 「……罰ゲームは嫌ですからね」

 「ありがとう、西園さん」

 どこまでも冷静な西園さんが、とても頼もしく見える。

 普段は僕たちのマネージャーとして、そして中庭で静かに本を読んでいて、あまり活発な娘ではない西園さんが、ここまで言ってくれるなんて。

 僕はギュッと、エアガンを握った。

 「……ここまで敵が来たとしても、僕が守るよ」

 西園さんは無言で、コクリと頷いてくれた。

 「……私的には恭介さんあたりが来てくれたら良いのですが」

 「えっ? なにか言った、西園さん」

 「いえ、なにも」

 西園さんが、ふと三階のある天井を見上げる。

 「……ここまで来れるでしょうか。果たして」

 缶の周りで、僕とクドが敵が来た時に備えて言葉を交わしているとき、西園さんは天井を見詰めながらそんなことを呟いていた。

 

 

 三階。

 謙吾たちと来ヶ谷たちが戦闘を繰り広げている階段とは、反対側の階段から通じた三階。

 もしここの階段から回り込まれたら理樹たちは背後から狙われる形となる。

 ここをおさえるのも重要だった。

 「ふわぁぁぁぁっ!!?」

 ほんわりふわふわ少女、小毬が不慣れな機関銃型エアガンを構えて、気が抜けるような声をあげながら引き金を振り絞っていた。オートモードにした機関銃からは連続的に何十発もの弾丸が吐き出される。

 「ふえええっっ! 当たらないよぉぉぉっっ!」

 小毬が涙目でそう訴えながら機関銃を撃ち続ける。その相手は素早い動きで見事に弾丸を避けていた。彼女に向かって撃っているはずなのに当たらない。その、彼女は―――

 「まだまだね……」

 フ、と笑った可憐な少女は、金髪の長髪をふわっと靡かせる。彼女の姿を一瞬見失った小毬は辺りを見渡した。気付いた時には、もう遅かった。相手は眼と鼻の先にまで既に近づいていた。

 「ふぇっ!?」

 小毬の動きを封じるように、沙耶が手に持った拳銃を小毬が持つ機関銃に固定するように押し当てた。

 「……ま、あなたみたいな初心者にはオートにしてとりあえず撃ちまくれば良いって感じなんでしょうけど。 やっぱり当たらなきゃ全然意味ないわよね」

 「あ、あーちゃん……」

 「ごめんね、神北さん。 昨夜は楽しかったわ」

 もう一方の片方の懐に忍ばせていた拳銃を取り出し、小毬の胸に押し当てる。

 「あ、あーちゃ……ッ!」

 軽い発砲音が小毬の胸から奏でられると、その身体が倒れ込む。コーン、コーンと、弾丸のBB弾が廊下の上に落ちて跳ねた。沙耶の足元で目をぐるぐる回した小毬を見下ろした沙耶は「ごめんね……」と謝罪の言葉を囁いた。

 そんな沙耶の背後に、ザッと足を鳴らすもう一人の敵。

 「おのれあやちんッ! こまりんをよくもーっ!」

 ハチマキを巻いた如何にも楽しそうな葉留佳が二丁の拳銃型エアガンを構える。沙耶は即座に振り返り、沙耶が振り返ったと同時に放たれた弾丸を、沙耶は巧みに避けた。靡いた沙耶の長髪に、弾丸が空を切って通過した。

 「こまりんの仇だぁぁぁっ!!」

 次々と放たれた弾丸を避け、沙耶は廊下の上を転がる。

 「そこだっ!」

 「……!」

 葉留佳が沙耶の避ける先の予測地点に弾丸を発砲する。沙耶は鋭い反射神経でそれをなんとか避けた。

 「むぅ…。やりますネー。あやちん……」

 「三枝さんもね」

 「―――でやっ!」

 また葉留佳の放った一発の弾丸を、沙耶はまるで鷹のように飛び上がって避ける。

 「今だッ!」

 「!」

 沙耶に弾丸を避けられると、葉留佳は即座にポケットから大量のビー玉を撒き散らした。沙耶の着地地点に大量のビー玉が散らばる。

 「く……ッ!」

 「フフフッ。 撒いたビー玉で転んだスキにあやちんを狙い撃っちゃうデスよッ!」

 「……舐められたものね」

 「へ?」

 ニヤリと笑った沙耶は、空中で一瞬にして拳銃を下に構えると、自分の着地地点に散らばったビー玉に向かって引き金を引いた。放たれた銃弾が一つずつ正確にビー玉を弾き飛ばす。

 「な、なんですとぉぉッ?!」

 頭を抱えてガーンと衝撃に打たれる葉留佳。その隙を狙って、沙耶は着地するや否や、二丁の拳銃の内、一丁を前に突き出すように構えた。葉留佳がハッとなって対抗するように拳銃を向ける。二人の引き金が同時に引かれ、銃声が重なった。

 シン、と静寂の後、ガクリと膝を折る沙耶。対して葉留佳は「ふ、ふふふ……」と嫌らしい笑みを浮かべる。

 「……ぐふ。 ガクリ」

 わざとらしく言いながら倒れる葉留佳。沙耶はそれを見届けると、くるくると二丁の拳銃を手の中で回す。

 「さて……」

 沙耶はチラと廊下の先を見る。各々の教室から今回のサバゲを観戦する生徒たちの視線も意に反さず、沙耶はただ、無言で二人の屍を背に、その先へと歩を刻んでいった。

 二人の屍を築いた場所からすこしの間離れた場所で、沙耶は立ち止まった。

 「……そこにいるんでしょう? 出てきたら?」

 沙耶の呼びかけに応えるように、何処からか……いや、静かに、廊下の片隅。影の奥から美形の微笑を浮かべる美少年が現れた。リトルバスターズのリーダーにして現在敵軍のリーダー、棗恭介だった。

 「さすがだな。 余裕で二人も倒したか」

 「……当然よ。 あんな雑魚、あの時の夜の校舎内での戦いに比べたら屁でもないわ」

 「ほう」

 「まだ“影”たちのほうが、張り合いがあったってもんよ」

 「…………」

 奇妙な空気が流れる。いや、“二人”の間にとってはかつてあった空気であり、懐かしい空気でもあった。

 「まさか、またあなたとこうして正面から戦うことになるなんてね」

 スッと、沙耶の開かれた蒼い瞳が恭介の真剣な顔を映し出す。

 

 「ねぇ、闇の執行部部長さん?」

 

 「…………」

 二人の間に流れる静寂とどよめく空気。クスッと笑みを浮かべた沙耶。そしてフッと無表情を崩した恭介によって、空気は変わった。

 「いつから気付いてた?」

 「んー。 なんとなく最初から、かな」

 「そうか……」

 恭介は面白いものを見つけた子供のように、腕組みしながらくっくっくっと笑った。

 「このゲームを提案したのも、あたしを狙ってたことでしょ?」

 「別に。 前々からこんなことをしてみたかったのは本当だ。 偶然だろ」

 どうだか。沙耶はゆっくりと息を吸い込んだ。

 「……聞きたいことがあるわ」

 「なんだ」

 「……なんであたしに、あれをくれたの?」

 ずっと気になっていたこと。

 あたしは、遂にそれを聞いてみた。世界を創造した張本人に向かって。

 「……俺は約束を果たしただけだ。 俺に勝ったら望み通り秘宝を譲る。 それだけの話だっただろう」

 「……あ、あたしが望んだのはッ」

 確かにあたしはあの時、あの世界で秘宝を望んだ。

 だけどあたしが望んだのは―――自らをエンディングに迎えるためのモノ。

 あたしが望んだ秘宝を手にしたと思ったら、本当はそうではなかった。あの時あたしが望んだ秘宝ではなかった。だから、あたしは今ここにいることができている。

 「……だがお前がこの世界を望んだのも確かだ」

 「あたしが望んだ……」

 あの世界でもこの世界でもない狭間で聞いた『声』を思い出す。理樹くんと過ごす世界を望んだのは誰だ。あの時叫んだのは、手を伸ばしたのは一体誰だった。

 それは紛れもない―――自分自身だ。

 「お前はあの世界でなにを得た? なにを知った? 決して手に入るはずがなかったものを見て、知り、聞いて、感じて、なにを思った? お前はあの世界で理樹とともに世界の秘密を探り、そしてあそこまで来ることができた。 そしてお前はあの世界から……」

 「……あたしには」

 彼の言葉を遮るように、あたしは拳を握り締めながら、口元から言葉を振り絞る。

 「あたしには、勿体ないほどの世界だった。 あれ以上の幸せを得るのは、我がままかと思ったくらいに……」

 白い頬に、生温いものが一筋に伝う。

 「だからあたしは、もう十分だよって……ッ! ありがとうって……! あたしは……」

 「……だが、お前はまだ望んでいる」

 「…………ッ」

 「だからお前は俺の声を聞いて、未来を掴み取ろうとしたんだろう。 そしてここまで来た」

 「あたしは……」

 「……だからお前は、――“また”。 そして、“最後”に、この世界に……」

 「――――ッ!」

 「自分でも気付いているんだろう。 この世界は……」

 「言わないでッ!!」

 張り叫んだ声の後、シンと重く落ちる、二人の世界。ここにはまるで二人しかいないような重たい空気が流れていた。

 「……大丈夫よ 。言われなくたって、そんなことわかってる。 最初から……」

 「知ってて、お前は最後まで……なにが願いなんだ」

 「……あたしの、願いは……」

 ぎゅっと、胸を掴む。

 「……こんな身体になって出来ないことを……」

 ぐいっと頬を走った涙腺を拭い、強い光をその蒼い瞳に宿す。

 「この世界で、あたしは……! あたしの願いは―――!」

 

 

 

 

 「……そうか」

 なにも言わず、なにも肯定も否定もしない。

 ただ、「わかった」と頷くだけ。

 「……好きにすればいい。 ここはお前の世界だ。 最後までやれ」

 「……ええ。 そうするわよ」

 「……くくっ」

 「な、なによ…っ」

 「いや、なんでもない。 くく」

 「な、なんか腹立つわね…ッ。 それよりいいの?」

 「ん?」

 「あなた、負けるわよ?」

 「は? ―――うおっ!?」

 ピュン、と咄嗟に避けた恭介の頬をかすめて、一発の銃弾が飛ぶ。避けられた彼女からはチッという舌打ちが漏れた。

 「い、いきなりなにすんだお前っ! あぶねーだろうがっ!」

 「うるさいわねこの(21)の変態っ! あの時のリプレイ分の溜まった恨み、今ここで晴らしてもらうわ!」

 「てめ…ッ! まだ根に持ってやがるのか……ッ!」

 「うるさいッ! 死になさいこの(21)の変態野郎!」

 「誰が(21)で変態だぁっ! お前こそ、Mの変態だろうがっ!」

 「なんですってぇぇっ?! もう許さないわっ! 喰らえ時風ッ!!」

 「俺は棗恭介だぁぁぁぁっっ!!」

 互いに拳銃を構えた二人が、駆けだした。

 「ふ、あの時は理樹が壁になっていて思うように撃てなかったが……。 今回はそうはいかないぜ!」

 「ふん…! どうせあなた、あの時の女装理樹くんを見て、あ、ちょっといいかも……なんて思ってたんでしょ?」

 「お前、俺をどこまで変態だと思っているんだ」

 「そこまで変態ってことよ!」

 「こうなったら手加減はしないぜ?」

 「望むところよ! 正々堂々決着をつけてやるわ!」

 お互いを罵倒しながら、二人の激しい銃撃戦が三階の廊下で繰り広げられたのだった。

 

 

 廊下に銃声と火花が重なり、散る。教室から一歩でも出れば死ぬと錯覚するほど、三階の廊下は二人の戦場と化していた。

 「く……!」

 撃ち放った銃弾が、恭介(元時風)の方にまっすぐ吸い込まれるが、恭介は素早い動きでそれを避けた。まるで残像が残るような素早さだ。まるで本当にあの時の時風瞬と戦っているみたいだったけど、実際本人なんだから、当然だった。

 「やっぱり強い……ッ!」

 「今度はこっちからだ」

 「!」

 いつの間にか背後に回っていた恭介に、あたしは咄嗟に身を避けた。「く……!」と、ゴロゴロと転がったあたしは、すぐに体勢を立て直した。

 「―――ッ!」

 避けたあたしの頬を銃弾がかすめる。あたしの頬からツゥッと血が伝った。

 「これでお互い様だな」

 「そうね……」

 お互いに正面を向かい合い、ジリジリと対峙する二人。

 ぐいっと頬の血を袖で拭ったあたしは、微かに口端を吊り上げた。

 「……楽しいわ。 とっても」

 「そりゃあ良かった。 これは遊びであり、真剣勝負だからな。 俺たちのミッションはいつもそうだ」

 「……ええ。 だから、あなたたちのこんな遊びに加えてくれただけでも、あたしは本当に嬉しいし感謝してる」

 「…………」

 「……行くわよ、時風。 いえ……棗恭介。 決着を付けるわよっ!」

 あたしの真剣そうな瞳を見て、恭介は沈黙に浸ると、フッと微笑んだ。一丁の拳銃を構えた。

 「いいだろう。 来い」

 「はぁっ!」

 あたしは床を足で蹴って駆けだすと、二丁の拳銃を即時に構えて、何発もの銃弾を撃ち放った。

 しかし恭介は涼しい顔でそれをすべて避ける。

 「ち! ちょこまかと……」

 「どうした? 全然当たらないぞ」

 「当てるわっ!」

 視線の先、恭介の銃口が光った。

 「ぐ…ッ!?」

 咄嗟に避けようとしたが、あたしの足を一発の銃弾がかすめた。その影響で、足は重心を僅かに崩す。あたしはたまらずそのまま転倒してしまった。その拍子に自分の手元から肝心の拳銃を手放す。

 「(しまった……!)」

 倒れたあたしの目の前で、ジリと足を踏みしめる恭介。見上げると同時に、額に冷たい感触が触れた。

 「ゲームセットだ」

 「―――ッ!」

 恭介の指が、引き金に触れる。

 あたしは覚悟し、眼を瞑った。

 ―――と、その時。

 

 「沙耶ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――っっっ!!」

 

 彼の声が、聞こえた。

 「―――!」

 「り、理樹くん…ッ!?」

 咄嗟に視線を向けると、その先には駆けこむ理樹くんの姿があった。その手には拳銃が握りられている。その光景を見た時、懐かしい感覚が一瞬だけあたしの中を駆け巡った。

 「恭介ッ!!」

 理樹くんが走りながら、あたしのそばにいる恭介に銃を構える。

 「……理樹ッ!」

 恭介もあたしに向けていた拳銃の矛先を理樹くんの方に向け直した。しかし―――

 「く…ッ!」

 どうしてかわからないけど、いや、ただ甘いだけかもしれない。恭介はやっぱり理樹くんに対しては撃てないみたいに一瞬ではあるが戸惑いが生じた。でも、あたしにはその一瞬で十分―――!

 「理樹くんっ! 撃って!」

 あたしの声より先か後か、理樹くんの拳銃から一発の銃弾が放たれた。

 「ぐ…ッ!」

 しかしそれは恭介に当たらなかった。身を呈して避けた恭介は床に倒れこむ。そして転がって、そのまま立ち上がろうとする。

 「沙耶!」

 「理樹くん、ありがとう!」

 落としてしまった拳銃を拾い上げたあたしは、すぐさま拳銃を構えた。

 「く…!」

 恭介はまだ体勢を整えることができていない。

 「オシマイよ、棗恭介ぇぇぇっっ!!」

 放たれる、銃弾。

 そして。

 

 ―――ピシッ。

 

 恭介の胸に、一発のBB弾が跳ねかえった。

 そしてそのまま宙に一瞬浮いた恭介は、仰向けに倒れていった。

 「…………」

 倒れた恭介のそばでころころと転がるBB弾。あたしは、倒れて動けなくなった敵大将を見下ろしながら息を整えた。理樹くんも走ってきたせいか、肩を上下させている。

 「……や、やった」

 「すごい、沙耶。 あの恭介を倒すなんて」

 「理樹くんのおかげよ。 ありがとう」

 理樹くんのそばに近づくと、あたしはニッコリと笑顔を向けた。そうすると、理樹くんは顔を真っ赤に染めたが、理樹くんも微笑んで頷いてくれた。きっとあたしも理樹くんと同じように顔を赤く染めているだろう。

 「でも、理樹くん。 下は大丈夫なの?」

 「うん。 缶はクドと西園さんが守ってるし、向こうの階段では謙吾と鈴が頑張ってる」

 「……ちょっと、理樹くん。 それじゃあ危ないわよ? もし階段を突破されて缶まで敵が来たら、そんな二人じゃ―――」

 「大丈夫だよ。 だって僕はみんなを信じているから。 もちろん、沙耶も含めてね」

 「う……ッ!」

 く…ッ。そのセリフと笑顔が反則なんだって……!

 「ッッ……。 負けちまったぜ……」

 ムクリと起き上がる敵大将。

 「恭介、大丈夫?」

 「ああ、平気だ。 だが、俺が戦死(リタイア)とはな。 負けたぜ……」

 「どう? 沙耶、凄いでしょう」

 「ああ。 さすが理樹の女だけあるな」

 「ちょ、ちょっと恭介!」

 理樹くんがわたわたと慌て、恭介が笑う。

 そんな光景を見て、あたしはクスッと笑った。

 「また、理樹くんに助けてもらったわね……」

 「えっ? なにか言った沙耶」

 「なにも。それより理樹くん。早く下に戻りましょう」

 「そうだね。 それじゃ恭介……」

 「ああ。行ってこい。 頑張れよ」

 「急ごう、沙耶」

 「ええ」

 ぎゅっと、あたしは理樹くんの手を握る。その時、理樹くんが恥ずかしそうに慌てた。

 「さ、沙耶……!?」

 「何よ、理樹くん」

 「て、手……」

 「急ぐんでしょ?」

 「そ、そうだけど……」

 理樹くんがチラチラと顔を赤くしながら恭介を見る。そして周りからの他の生徒たちからの視線もある。

 「ほら、行くわよ」

 「あ、ま、待って……!」

 手を握り合い、走りだす二人。理樹くんの手を引いて、走るあたし。何か目を細めて去りゆくあたしたちを見詰めながら、恭介が何かを呟いていた。

 「……惨めだな」

 彼の声は、誰の耳にも届いていない。

 

 

 下に戻ったあたしたちは、とても驚くことになった。なんと階段付近で長らく戦闘を続けていた宮沢くんと棗さんだったが、井ノ原くんと来ヶ谷さんコンビに勝ったのだという。普段小物を使うといったら宮沢くんのほうが僅かに有利だったせいなのか。

 それにしても井ノ原くんは小道具が本当に苦手だったのが災いした。おかげで宮沢くんが勝つことができたのだから。

 そして来ヶ谷さんに対しては……説明を拒否した棗さんに代わって、宮沢くんが呆れ半分で説明してくれたのだけど、その内容は、実は勝負の最中、棗さんは善戦したもののやっぱり不利的状況だったらしく随分と来ヶ谷さんに追い詰められていたらしい。そして追い詰められていた棗さんが思わず転ぶと、翻ったスカートに反応した来ヶ谷さんが即座に棗さんのパンツを覗き込もうと戦闘を一時放棄したらしい。その隙をついて、怒った棗さんが来ヶ谷さんを攻撃。

 棗さんに倒された来ヶ谷さんはとても満足そうな顔をしていた(宮沢くん談)、ということだった。

 まぁとにかく……これで敵軍のメンバー全員を倒したことによって、缶は守られ、あたしたち理樹くんチームの勝利で、このゲームは終わった。

 そしてあたしは罰ゲームの会議を始めた皆の輪から抜け出し、理樹くんに放課後二人で会うように伝えた。

 こうして、あたしたちの昼休みは終わりを告げた。

 



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Riki.約束と世界の秘密

 お昼休みにみんなで興じた缶けりサバゲーの後、昼休みの終了チャイムが今まさに鳴ろうとした間際。教室に戻ろうとした僕のところに沙耶はやってきて、去り際に僕の耳元にこう囁いた。

 「放課後、裏庭で待ってるから。 二人だけで会いましょ」

 僕が沙耶の言葉に返そうとすると、昼休みの終わりを告げるチャイムの音色がそれを遮った。

 それだけを言い残し、沙耶は颯爽とまるで天の川のように流した長髪を靡かせて自分のクラスへと帰っていった。その後の午後の授業中の僕は、放課後が気になって待ち遠しくて仕方がなかった。

 そして放課後。

 HRを終えて、生徒たちがガヤガヤと教室を出て、ある者は残り、ある者はクラブ活動に出かけ、ある者は寮へと帰る生徒で溢れた。そして僕は真人に今日の野球の練習は用事で休むと伝えておいて、廊下に出ていく他の生徒に続くように教室を後にした。

 学園の裏庭。そこに、一人の少女が、沙耶が僕を待っていた。

 ここは人通りも少なくて陰がかかってじんみりとしたところだけど、それが逆に僕と沙耶の二人だけの空間のように感じてむしろ良い場所だ。他の人は立ち入らない、ここに来るのは僕と沙耶ぐらいの人間だけ。僕と沙耶だけの特別な場所。本当にそう言えるぐらい、ここの裏庭には彼女とのいろんな思い出があるんだ。

 「沙耶。来たよ」

 「…………」

 「……沙耶?」

 「―――へっ? あ、あぁっ! う、うんっ! お、遅かったじゃないの理樹くん! 女の子をま、待たせるなんて……ッ!」

 「へ? あ、うん。 ごめん……」

 「べ、別にい、いいいいけどねっ!」

 どうしたんだろう。沙耶はずいぶんと動揺しているみたいだった。顔も赤いし、何をそんなに慌てているのだろうか。

 「…………」

 「…………」

 動揺した姿を見せたかと思ったら、今度は黙りこんでしまった。顔が赤いのは変わりないけど、唇をむすっと紡ぎ、怒っているような瞳でテキトーな方向を見ている。

 僕にとってなんだか耐えがたい空気だった。だから、僕はこの空気を溶かすためにも口を開いてみた。

 「あ、あの……沙耶?」

 「理樹くんっ!!」

 「はいっ!?」

 突然大声で名前を呼ばれて、僕はつい驚いてしまって何故かピシッと直立不動になってしまった。

 「……ぁ」

 パクパクと口を開閉するだけで、肝心の言葉が出ない。それに気づいた沙耶はますます顔を赤くして、僕に背を向けるとブツブツとどんよりオーラを放ちながら身を縮込ませてしまった。

 「……こんなことも言えないなんてあたしってばなんてヘタレなのかしら……これが元スパイなんて笑わせるわね………言葉が出なくて口だけを動かしちゃうなんて私はどうせ金魚の末裔よ………ブツブツ……」

 「さ、沙耶? とりあえずさ、自分を自分で貶めるクセはやめたほうがいいと思うよ…?」    「放っといて」

 「いやいや……」

 「……落ち着け、あたし。深呼吸よ、深呼吸……。スーハー……スーハー……」

 深呼吸を始めた沙耶。そして深呼吸を終えるや、沙耶は自分の頬をパンッと両手で叩くと、赤くなった頬を向けて僕に言った。

 「理樹くんっ! 落ち着いて聞いて!」

 うん。沙耶も落ち着いて話してね。

 「り、理樹くんをここに呼んだのは他でもないわ。 そ、その……本当は昼休みにも言おうとしたんだけど、というか実を言うと前々から言おうとしてたんだけど……今、言うね……」

 何故かわからないけど、僕は沙耶がこれから言おうとしていることがとても大切なことで、聞き捨てることはしてならないと思った。

 「あたしと、デートしない?」

 それは、大好きな人が贈る、とても嬉しい最高の申し出。

 「…………」

 沙耶はそれだけを伝えると、顔を真っ赤にして視線をそらした。僕はと言うと、その言葉にただただ嬉しくて、胸の中に広がる温もりに浸っていた。

 「……どう、かな」

 沙耶がチラと視線を向けて、聞いてくる。

 僕はどう答えるのか。

 そんなの最初から決まっている。

 「うん。 わかった」

 「本当?」

 「うん。 そういえば沙耶とはまだ二人きりになったことがなかったね。 よし、二人だけでデートしよう」

 「……うんっ!」

 その時の沙耶の満面で眩しすぎる、そして可愛い笑顔を、僕は忘れない。

 

 

 そして僕らは初めてデートした。あの虚構の世界でも、沙耶が言うには訓練の後に羽を伸ばす意味でゲーセンに二人だけで行ったことはあるが、あの時はまだ僕たちは恋人同士ではなかったらしいし、ちゃんとしたデートというのは今までにやったことはないみたいだった。

 僕はあの世界での記憶はあまり覚えていない。

 でもむしろ僕はこれが初めてのデートで良かった。

 だってもしあの世界で僕らがすでにデートをしたとすれば、今の僕はそのデートの記憶さえ忘れていたかもしれなかったから。

 僕と沙耶は二人で街に出かけた。前にリトルバスターズのみんなで遊んだゲーセンにも行った。そこでやっぱり沙耶はクレーンゲームに夢中になって、あの時と同じくらいの量のぬいぐるみを取ってしまった。きっとここのゲーセンの店員は悲鳴を上げている頃かもしれない。

 「ふふ」

 可愛いぬいぐるみをたくさん取れて嬉しいのか、沙耶は口元を緩ませていた。

 「満足?」

 「いいえ。 まだまだ全然物足りないわ。 だってまだデートは続いているんだもん」

 そんな沙耶の言葉に、僕も口元を緩めてしまう。

 「……それとさ、実は僕さっきから気になってるんだよね」

 「なに?」

 「……沙耶、私服ないの?」

 そう、沙耶は今も制服姿だった。ちなみに僕は普通の私服だ。沙耶とデートする前に、僕は一度寮に戻って私服に着替えてきたんだ。でも戻ってみると、沙耶は制服のままだった。沙耶も寮に一度戻ったはずなんだけど、着替えに行ったんじゃなかったんだと思った。

 「……そ、そうよねぇ。彼氏は私服なのに彼女はいつもの制服っていうオシャレの欠片もないデートを舐めてる格好なんておかしいわよね。 どうせあたしは空気も読めないオシャレもできない駄目な女よ。 ほら、笑いなさいよ。 この無様な彼女を彼氏として笑っちゃいなさいよ。 そしてとことんいじめたら? ほら、笑いなさいよ。 あーはっはっはっ!」

 「……沙耶って、やっぱりM?」

 「さらに陥れることを言うなんてさすがあたしの理樹くんねコンチクショーッ! げげごぼうぇっ!!」

 「わぁっ! 女の子がそんなのダメだよ!」

 「ううう……。 し、仕方ないじゃないのよぉ……理樹くんとデートするのに相応しい服が見つからなかったのよ……。 やっぱりデートするからには彼氏には可愛いと思われる服装がいいじゃない? でも……デートを誘うことばかり考えててそこの所の準備が全然できてなかったのよ! あたしって本当に無様よね? 笑いたければ笑えば? ほら、笑いなさいよ。 あーはっはっはって!」

 「いやいや……」

 そっか、沙耶はそこまで僕とのデートを前から考えていたんだ。そこまで考えてくれていた沙耶の想いに僕は感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 ちょっとくすぐったい気持ちになるけど、その気持ちが素直に嬉しい。

 「でも、制服姿の沙耶も可愛いと思うよ」

 「げげごぼうぇっ!」

 「なんで吐くのさ!?」

 「理樹くんが変なこと言うからよ!」

 沙耶が顔を真っ赤にして、喰いかかるように僕に言葉を吐きかける。

 「そ、それじゃあ僕、いいこと考えたよ! これから沙耶の服を買いに行こうよ!」

 「はぁ?」

 なに言ってんだこいつ、みたいな顔を遠慮なくぶつける沙耶だったが、僕は気にしないことにした。

 「僕が見て一緒に選んであげるからさ」

 「り、理樹くん……で、でも……」

 「きっと沙耶が着るものならなんでも似合うと思うけどね」

 「げげごぼうぇっ!」

 また吐き出す仕草を見せる沙耶だったが、それが沙耶の照れ隠しであることは僕もさすがに理解していた。

 そして戸惑う沙耶の手を引いて、僕たちは洋服屋へと足を運んだ。

 女の子しか入らないような雰囲気が立ち込める店内。今時のファッションからお店のオススメ等、様々な服が飾られ、彩られている。僕は先導して、沙耶と服を選んだ。僕がこれいいんじゃない?という服を、沙耶は様々な反応を見せたが、一着一着試着室に持っていって全部着て試してくれた。次々と試着室の開くカーテンからいろんな服装で登場する沙耶は、やっぱりなにを着ても似合っていた。

 「ど、どう……? に、似合う……?」

 「うん。 とっても」

 「そ、そう…。 良かった……」

 「それじゃ、次はこれ」

 「ま、まだ着るの? も、もう…っ。クス…」

 最初は小恥ずかしそうにしていた沙耶だったけど、段々試着していくうちに慣れてきたのか、途中から沙耶もノリノリでまるで沙耶のファッションショーみたいになっていた。

 フリルの付いたゴスロリみたいな服装から、ヘソを見せたちょっと大胆なものや、スカートが短いもの、地味な落ち着いた感じの服装まで、沙耶はどれも完璧に着こなしていた。

そして一時間後、いろんな服を着た中で選んだ一着を買って、僕たちはお店を出た。

 「ありがとう、理樹くん」

 「ううん。 でも本当に沙耶はそれで良かったの? なんだか僕一人が選んだみたいだったけど……」

 「いいの。 だって理樹くんが選んでくれた服なんだから」

 買った服が入った袋を抱えた沙耶は本当に嬉しそうだった。ぎゅっと抱きしめられる袋が羨ましい気もする。ちなみにゲーセンで取った商品は僕が抱えている。

 「これで、次のデートはその服を着れるね」

 「…………」

 「楽しみだよ」

 「そうね……」

 寂しそうに微笑む沙耶。その瞳が何故か悲しい色に見えた。

 夕暮れが降りかかってきたころ、僕と沙耶の影が長く伸びた。もうこんな時間なんだ、と僕は今さら気付かされた。服を選んでいて結構時間が経ったみたいだった。

 

 ぎゅっ。

 

 どちらともなく、僕と沙耶の影が一筋、繋がった。手のひらを握り合った僕たちは、互いに見詰め、微笑み合った。そして、僕らは夕日に向かって歩いていく。その暖かい手を繋ぎながら。

 「ねぇ……理樹くん。デートの最後に観覧車、乗らない?」

 沙耶が指さすほうには夕日の光を浴びて浮かび上がった観覧車の姿があった。この街のシンボルとしてある観覧車はカップルのデートスポットとしても有名だ。僕はすぐに頷いていた。

 「そうだね。 行こう、沙耶」

 「ええ、理樹くん」

 夕日を浴びた二つの影が、繋がったまま観覧車のほうへと歩いていった。

 

 

 観覧車に乗った僕たち。山に沈もうとする夕日の光が街をオレンジ色に染まり、上から見る景色は本当に素晴らしいものだった。

 「綺麗ね……」

 窓ガラスに手を当てて、街を見下ろした沙耶が呟く。

 「夜だったらもっと素敵なんでしょうね……」

 「そうだね。 でも寮の門限があるから、そんな時間帯までここにはいられないけどね……」

 僕も沙耶と同じく窓ガラスの向こうに広がる夕焼けに染まる街を見下ろす。

 「それは、残念ね」

 「―――でも、学校でも素敵な景色が見られる場所、僕は知ってるよ」

 「え?」

 「だから今度、連れていってあげる」

 「……ねぇ、理樹くん」

 なに?と沙耶のほうに振り返ると、一瞬、ちょっとだけ寒気がするような風がザァッと吹き通ったような気がした。寒気といっても悪寒ではない。どこか神秘的な意味で。僕が見た沙耶は、夕焼けで茜色に染まり、美しく、まるで天使のような神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 「……今度、じゃなくて、今夜行きましょう」

 「……今夜?」

 沙耶の神秘的な雰囲気に圧倒されながら、僕はなんとか言葉を返した。

 「そう、今夜」

 僕はまるで絶対服従を誓った主の前にいるかのように、従うしかない。

 「今夜、あたしをそこに連れていって」

 だから僕は、それを受け入れた。

 

 

 僕と沙耶の初めての本当に楽しかったデート。でもまだ終わらない。夕日が沈み、どっぷりと闇が浸かっても、星空が輝いても、僕らはまだ寮に帰っていなかった。

 ここは学校の屋上。本来は立ち入り禁止だけど、特定の人物のみの特等席となっている場所。

 ここから見る景色はこの学園の隠れた秘密だ。屋上から見渡せる街の景色。そして上に広がる満天の星空。ここで、僕は誰かと一緒に過ごしたような気がするけど、思い出せない。でも、今は沙耶とここにいる。沙耶と一緒にいる。それだけで良かった。

 「いい風ね……」

 屋上に吹くちょっと冷たい夜風に揺られ、沙耶は髪をそっとおさえる。

 僕はそんな彼女を見てどきりとなった。

 「ど、どう沙耶?」

 「そうね。 ここから見渡せる街の光景も確かに素敵だし、上の夜空も本当に綺麗」

 沙耶は静かにそう言いながら、夜空を仰いだ。

 僕はその時、何故か変な気持ちがふつふつと生まれてくるのを感じていた。

 よくわからない。違和感。何とも言えないこの感覚はなんだろう。

 それは何故か今の彼女を見て、感じるものだった。

 柵のほうに歩み寄る沙耶に、僕も後に続く。柵に捕まった沙耶は、そっと柵の向こうに広がる街を見渡した。僕は、そんな彼女の姿を横から見詰めていた。

 その時、沙耶の無機質な横顔から、言葉が紡がれた。

 「……理樹くんはさ。 あの世界…あたしと初めて出会った世界のこと、覚えてるんだよね?」

 唐突に言い出した彼女の言葉に、僕は内心少々戸惑いが生じたけど、表に出すことはなく、口を開いた。

 「……少なからず、だけど。 でも覚えていない方が多いんだ、ごめん。 唯一はっきりと思い出せたのは、沙耶が好きだっていう気持ちだけなんだ……」

 「ううん。 それだけで十分なの。 ありがとう」

 「僕のほうこそ、こんな情けない僕を待っていてくれて、ありがとう……」

 僕が思い出すまで、沙耶はずっと僕のことを待っていたんだ。沙耶より僕のほう大好きな人にお礼を言わなくちゃいけない人間なんだ。

 「……理樹くん。あのね」

 ドクン、と鼓動が高鳴る。胸が苦しくなるくらいに。

 そしてさっきから感じた異様な違和感というか、言いようのない感覚。

 これは、そうだ。嫌な感じだ。

 僕はこの先の彼女の紡がれる言葉が、紡がれてほしくないような気がした。

 「あたし、あの世界で何度もリプレイを繰り返したことがあるの」

 「沙耶……?」

 「何度も何度も死んで、また振り出しに戻る。どれもこれも同じ世界で、本当にゲームそのものなの。 どこも変わらない、まったく同じ世界」

 この場の僕らがいる雰囲気がまったくの別世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。

 「あたしは何回、何十回、百回と繰り返される世界に飽き飽きしてたの。本当にウンザリして、今やってるゲームを途中で捨てちゃいたいぐらいに。 でもね……ひとつだけ違ったの。 世界は何度やっても同じでも、それだけがいつも少しずつ違っていったの」

 僕は沙耶の言っていることが半分も理解できていないと思う。でも、僕の耳にはすんなりと沙耶の言葉がよく通って聞こえる。

 「それが、あなたなの。理樹くん」

 「……………」

 「リプレイを繰り返す世界は同じでも、理樹くんだけは違ったの。いつも別の世界での記憶を微かに覚えてくれているみたいな仕草を見せてくれたし、世界が変わるごとに連れて成長の速度も上がっていった。そして何より……あたしのことを僅かにでも覚えてくれた、好きだって言ってくれた、あの世界のときは本当に嬉しかったの」

 沙耶の瞳の緑に、じわりと滲む雫があった。

 「そしてあたしの胸の中も変わっていった。世界を繰り返すたびに理樹くんへの想いは膨らんでばかりで、どうしようもないくらいに理樹くんのことを好きになってたの」

 「沙耶……」

 「あたし、理樹くんが好き」

 正面に振り返った沙耶の顔が、間近に見える。

 「大好き」

 柵にかけていた沙耶の手が離れ、その手が僕の胸にあてられた。そしてスッと距離を縮めた沙耶の唇が僕の唇を塞いだ。驚くくらい柔らかくて暖かい唇から、沙耶の小さな舌が入ってきて、お互いの舌が求め合うように深く絡み合った。

 紡ぎ合った唇を通して絡み合った舌はお互いの存在を確かめあうように絡め合い、相手の蜜を味わい、相手を感じる。どのくらいの時間が経ったのか忘れる程に。相手を感じるその感覚すら溶かすようで、頭の中が真っ白になる。深く絡み合い、互いの吐息がかかる。唇を離したお互いの唇と唇の間から、白い線が細く引いた。

 まだ頭の中がぼやけている感じの中、僕はぼうっとしたように沙耶を見下ろした。ほのかに頬を朱色に染め、柔らかかった唇を煌めかせた彼女を見て、本当に愛しいと思えた。

 僕は彼女が愛しくてたまらなくて、彼女を抱きしめた。

 僕の胸から沙耶の声が聞こえる。

 「……好きなの」

 「うん。僕も好きだよ」

 「……大好きだから」

 「うん。僕も、沙耶が大好きだ」

 「………ねぇ、理樹くん」

 「なに?沙耶」

 僕は沙耶を見る。僕の胸から顔を離した沙耶は、口をゆっくりと開いた。

 それは―――

 「……あたしの本当の名前で、好きだって言って」

 「………………」

 沙耶。

 これは彼女の本名ではない。

 あの世界で過ごした彼女との記憶では、僕は彼女を確かに沙耶と呼んでいた。

 しかしそれは、虚構世界での、虚構の名前。

 でも、知らないわけじゃない。

 沙耶とまたこの世界で出会ったきっかけになった生徒手帳にちゃんと彼女の名前は書いてあった。確か、あの時見た名前は確かに沙耶ではなかった。

 「…………」

 あれ。

 おかしいな。

 なんで思い出せない?

 確かに“沙耶”ではない名前を僕は見たはずだ。

 なのに、何故思い出せない?

 じゃあ僕に問おう。

 何故僕は彼女と出会ってから、“沙耶”としか呼んでいない?

 他のみんなは確かに沙耶を別の本名で呼んでいた。

 ……本当にそうだったか?

 よく思い出してみろ。

 僕が沙耶と呼んでも、みんなは何も言わなかったじゃないか。

 あれ。でもみんなはちゃんと沙耶のことを沙耶じゃない本名で呼んでたよね。

 ……本当か?

 それは正しい記憶なのか? 

 もしかしたら思い違いじゃないのか?

 いや、確かにそうだったんだ。

 でも、あれ……?

 なんで……?

 どうして?

 なんで、こんなことも思い出せない?

 「………………」

 僕の信じられないと言ったような蒼白な顔を、“沙耶”は悲しげな表情で見詰めていた。

 「……もう、いいの。理樹くん」

 頭をおさえる僕の手に、そっと沙耶が手を触れる。

 「私、もう十分だから」

 「……そんなの」

 「もう、十分だよ……」

 その時、僕は咄嗟に異変に気付いた。どうしてかわからない。ただどうしてか気になって僕はここから見渡せる街の光景に視線を移した。屋上から見渡せるはずの街の光景がまるで霧のようにスーッと透けるように消えていく。

 夜空もまたその星空の輝きを失い、徐々に真っ白な世界へと変えていった。こんな非現実的な現象が起きるはずがない。

 いや、僕はこの世界を―――知っている…!

 あの時と、同じだ。恭介の声に背を押され、鈴とともに校門を駆け抜けたあの時と……!

 「―――沙耶ッ!」

 僕は沙耶のほうへと振り返った。沙耶は……寂しそうな表情で、そこに立っていた。

 「私ね……約束を果たしたくてこの世界をつくったの」

 「沙耶、そんなのって……」

 「理樹くんは覚えてないかもしれない。 でも、あたしははっきりと覚えてるの」

 約束。

 それは、本当に大事な、かけがえのない約束。

 「あの時、時風を追う間際に、約束した……」

 「……………」

 僕の脳裏に、一瞬の電流が走った。そして火花が散ると同時に、彼女の言葉が真っ白な景色から浮かび上がる。

 

 

 

 ―――いつか連れていくからね、デート。だから待ってて―――

 

 

 

 「―――ッ!!」

 「……最後に理樹くんと約束通りにデートできて良かったわ。ありがとう」

 「さ……」

 いつの間にか僕たちの周りのすべてが真っ白な世界に覆われていた。霧のような白があたりを包んで、それがすべてを消しているかに見えた。

 そして、沙耶も……

 

 「今なら言えるよ。口が裂けても言えなかったこと」

 

 「いや、口裂けるかもしれないけど」

 

 「裂けてもいいから言うよ」

 

 白い霧に覆われ、ゆっくりと遠ざかっていく沙耶の姿。真っ白になっていく世界に、大切な人が消えていく……。

 

 「ばりばり裂けるよ」

 

 「血だらだら流れるよ」

 

 「それでもいいから言うよ」

 

 彼女が、僕のもとから消える――

 

 「心から……好きだよって」

 

 もう見えなくなった彼女の姿。だけど彼女の声だけは最後まで聞こえていた。

 「沙耶ぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁっっっ!!」

 彼女を必死に呼びかける僕の声を最後に、世界は終焉を迎えた。そして僕は結局あの世界と同じだった世界から、今度こそ本当の現実世界へと引き戻されていった。

 



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Saya&Riki.沙耶の唄

 Saya.

 

 あたしは理樹くんと過ごした世界から退場して、現実世界に戻ってきた。

 そしてあたしはそのまま死ぬ運命だった。

 だけどあたしは声を聞いて、生きたいと必死に願って、手を伸ばした。

 そしてあたしは確かに助かったんだ。

 

 でもね……

 

 あたしの身体は起き上がることができなくなったの。

 

 あの世界で交わした理樹くんとの約束。

 折角現実に戻ってきたのに、生き抜くことができたのに、こんな身体じゃ理樹くんとの約束なんて果たせることができるわけがなかった。

 だからあたしは、強く願ったんだ。

 

 理樹くんと会うために……

 

 理樹くんと過ごすために……

 

 訪れるはずが無かった青春を手にするために……

 

 そして理樹くんとの約束を叶えるために……

 

 

 あたしは、“世界”を創造した。

 

 いつから気付いていたかはわからない。最初からかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それさえもわからない。

 ただあたしは理樹くんとの約束を果たすために走っていた。

 

 約束を果たせれば、そこでおしまい。

 

 それで良かった。

 

 だってさ。

 

 もう十分、あたしはあの世界で理樹くんから幸せをもらったんだよ。

 

 これ以上は我儘になっちゃう。

 

 そしてあたしはもう……

 

 我儘なほど、十分すぎる以上に、幸せだった。

 

 女スパイなんかじゃない普通の女の子として青春を過ごせて、みんなと楽しく過ごせて、そして理樹くんと過ごせて。

 

 もう思い出したら涙が出ちゃうくらい、楽しかったんだ。

 

 役目を果たして終焉を迎える世界が真っ白に染まっていく中、消えていくあたしに理樹くんが必死にあたしの名前を叫んで、手を伸ばしてくれている。

 でもあたしはその理樹くんの手に伸ばすことはもうできない。

 これじゃあ、前と同じだ。

 今度こそ笑顔で別れようと思ったのに、また涙が出そうになる。

 でもあたしは、前にできなかったことを為すことができた。

 それは笑顔で別れること。

 理樹くんの姿が、遠ざかる……

 

 必死にあたしを呼ぶ理樹くんに、あたしは言った。

 

 「ありがとう、理樹くん。ばいばい……」

 

 そうして世界そのものであるあたしは、帰るべき場所へと帰った――

 

 

 

 

 

 Riki.

 

 沙耶が、彼女が完全に消えてしまった僕がいる場所は、本当になにもない真っ白な世界だった。

 もうすぐ僕も現実へと引き戻されるだろう。

 でも僕はそんなこともどうでも良い風に、跪いて、泣いた。

 何度も彼女の愛しい名を噛みしめながら。

 「沙耶……沙耶ぁ……」

 僕の震える声が彼女に届いたかどうかはわからない。

 だけど。

 

 

 ありがとう たくさんの

 

 ありがとう 思い出を

 

 

 彼女の歌が聞こえる……。

 凛と通った、とても綺麗な、彼女の歌声……

 

 

 これ以上はもう我儘になる

 

 ありがとう君たちの 中にある輝きを

 

 

 真っ白な世界の中、彼女の歌声だけがあたりを包む。

 僕は彼女の歌に聴き耽っていた。

 

 

 

 こんなにくれたらもう十分だよ―――

 

 

 それは、彼女の心。

 彼女の気持ち。

 彼女の歌声に押されるように、僕は真っ白な世界に覆われていった。

 

 

 それは世界のすべて。

 

 僕のすべて。

 

 彼女のすべて。

 

 それは―――沙耶の唄。

 

 

 

 

 

 「―――――」

 目を覚ました僕の視界には、真っ白な天井と、鼻には病院特有の薬品の匂いが張りついた。

 病院の個室で、僕はベッドに寝ていた。

 僕の枕もとには、恭介から借りたという鈴から受け取った学園革命スクレボという漫画が置いてある。

 上半身を起き上がらせ、僕はただ、窓から射し込む朝日に目を細めた。

 視界を真っ白に覆う朝日の光が、あの世界を埋め尽くした真っ白な世界そのものを思い出させた。

 そして僕はハッと気付いた。

 すべてを思い出した。

 それは現実にあったかのようにリアルで鮮明に、はっきりと記憶にあった。

 そして僕はあの名前を口にする。

 「沙耶……」

 大好きで愛しい僕の彼女。

 だけど、彼女はどこにもいなかった。

 「………ッ」

 額に手を当てて、僕はあの世界での記憶を思い出していた。

 沙耶と再び出会えたこと、沙耶とゲーセンで遊んだこと、リトルバスターズのみんなでサバゲーをしたこと、二人でデートしたこと、何もかもが確かに“在った”んだ。

 僕は彼女のことをはっきりと覚えている。

 あれは僕たちにとっては確かに現実だった。たとえ虚構だったとしても、恭介たちの時のように、僕らにとっては現実だったんだ。

 僕は自然とベッドから降りて、スリッパを履き、病室から出ていった。

 あの修学旅行でのバス転落事故から、僕たちはみんなこの病院に入院している。

 看護婦やお医者さん、別の患者さんたちが行き交う長い廊下を、頭に包帯を巻いている以外目立った部分は見られない僕は、スタスタと足早に歩いていた。

 どこに向かうは自分でもわからない。

 だけど、なんとなく行かなきゃいけない場所があるような気がする。

 僕が捜しているものが、この病院のどこかにあると思えた。

 理由はわからないけど。

 とにかく僕は、そこに行き着いた。

 とある一角の目立たない隅にある病室。僕の病室や、他の患者さんたちとはどこか違う、特別な雰囲気が漂う病室だった。所謂設備が整っていそうな感じの病室だ。まずドアが違う。僕らのより大きくて、立派に出来ている。まるで特別な患者を入れている病室みたいだった。

 そしてその病室にいる入院患者の名前が書かれたプラカードに、視線を移した。

 名前は―――

 

 

 ○○ あや

 

 

 ――あや。

 ここが、目的地だと僕は悟った。

 僕はドアにおそるおそる手をかけ、そしてぐっと握って、意を決してドアをガラリと開けた。

 ドアを開けると、やっぱりそこは特別な雰囲気を纏った病室だった。

 個室らしいが、僕の個室よりずっと広くて、しかも電気が点いていないのか夜のように薄暗い。おまけに窓のカーテンまで完全に閉めていて、日の光は細々と入ることも許されない。

 そして不可解に聞こえる音。

 ピッ――ピッ――と聞こえる、電子音。

 そして暗闇に慣れた僕の目がうっすらと、その先にあるものを徐々に捉えることができた。

 闇の中から僕はゆっくりと吸い込まれるかのように足を踏み入れていく。

 歩くたびに、不可解な電子音が大きく聞こえてくる。

 ピッ――ピッ――ピッ――

 これ、どこかで聞いたことないか?

 僕はこれを知っているはずだ。

 病院ならすぐにわかるはず。

 薄暗い病室の中、歩を止めた僕は、あるものを目の前にした。

 それは、色々な電子機器に囲まれたベッドに寝込んだ一人の少女だった。その眠っているような穏やかな表情に、閉じた瞼はピクリとも動かない。金髪の長髪が広がり、布団から出た細い腕には栄養点滴用のチューブが繋がっている。

 口と鼻には酸素マスクのチューブが繋がって、それが彼女のベッドを囲む電子機器に繋がっている。いくつかの線やチューブが彼女の体に繋がっていて、その中の一つの電子機器からはピッ、ピッ、ピッという電子音が聞こえている。それは心臓の心拍音を表す機械の一つだった。

 「……………」

 僕は呆然とするように、ぺたんと床に膝を付け、ベッドに静かに寝ている少女の顔を近くで覗き込んだ。

 それは、見間違いもない……彼女だった。

 「沙耶……」

 あの世界では朱鷺戸沙耶と名乗っていた僕の大切な人。

 変わり果てた姿で薄暗い空間のベッドに寝ていたのは、僕のかけがえのない女性(ヒト)だった。

 僕がそばに来ても、ようやくこうして現実に再会できても、彼女は絶対に目を覚ますことはなかった。

 



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Aya.帰還

 あたしは幼いころ、よく近所の男の子の友達と遊んだことがある。

 あれはお父さんと一緒に、お父さんのお仕事の関係でまだ海外を転々とする前のこと。あたしは祖国の日本に暮らしていた。

 幼かったあたしはやんちゃというか、女の子にしては珍しい活発な子供だったと思う。普通のあの歳の女の子ならおままごととか好きそうだけど、あたしはいつも男の子たちに紛れて野球やサッカーなどで遊んでいた。

 そしてそんなあたしの遊び相手は、いつも一緒に遊んでくれる近所に住む一人の男の子だった。

 「……ん」

 「起きたかい、あや」

 昼寝から目を覚ますと、いつもお父さんがあたしの寝ぼけた顔を優しい表情で覗いてくれていたことを覚えている。

 「お父さん、あたし、変わった夢を見たの」

 「またあやの好きな男の子の夢かい?」

 「うん。でもね、それだけじゃないの。前の地下の迷路で冒険じゃなくて、普通で楽しい生活。あたしの好きだった男の子の他にも、いっぱいあたしの周りにお友達がいたの。すごく楽しかったよ」

 「そうかい。きっと、あやにもいつかたくさんの友達ができるだろうね」

 「あとね、お父さん。 えっとね……」

 「ん? なんだい」

 「えへへ。 あたし、その好きな男の子とデートしたの二人だけで。 とっても楽しくて、幸せだったよ」

 「そうか。きっとあやの好きな男の子もあやと同じ気持ちだったんだろうね。…おっと」

 こうしてあたしとお父さんがお話しているとき、彼は来る。

 「あや、りきくんが来たみたいだよ。行っておいで」

 「うん!」

 あたしは喜んで、お父さんに「行ってきまーす」と残し、お父さんから「行ってらっしゃい」と返されて、あたしの一番の男の子のもとへと駆ける。

 「りっきく~ん。 お待たせぇ~っ!」

 あたしは、一番のお友達である一人の男の子、りきくんを呼び掛けた。

 「こんにちは、あや」

 「こんにちは、りきくん」

 家の前で待っていたりきくんと笑顔であいさつを交わした。

 「今日はなにして遊ぶの?」

 「今日はね…」

 あたしの問いに、りきくんは自分の家から持ってきたサッカーボールを抱えてみせる。

 あたしとりきくんはサッカーボールを持って近所の公園で遊ぶことになった。あたしはまるで男の子のようにりきくんとサッカーをした。りきくんに負けないくらいに遊ぶあたしは傍から見れば全然女の子らしくないかもしれないけど、それでも別にかまわなかったし、りきくんと遊んでいて本当に楽しかった。

 「いぇーい! また一点よ~!」

 あたしが蹴ったボールが木と木の間に定めたゴールへと転がっていった。

 「あ、あやは本当に強いね……」

 あたしの後ろで息を切らしているりきくんが言う。

 「情けないわね、りきくん。男の子でしょ?」

 「うう…」

 振り返ったあたしが言うと、りきくんはすっかり落ち込んでしまった。そういうところも可愛いんだけどね。

 「あ、あやが強すぎるんだよぉ」

 「なに言ってるのよ。 いい?りきくん。 あたしは女で、りきくんは男なの。 男は普通何事も女に負けちゃいけないの。 第一男のプライドってりきくんにもそれぐらいあるでしょう?」

 「そんな男女差別的なこと言われても……。 というかそれ、あや自分で女ということを卑下に見てるでしょ……」

 「まっ、仕方ないわよね。 どちらかといえばあたしがヒロインを護るナイトで、りきくんは絶対ナイトに護られるお姫様だもの」

 「僕ヒロインッ!?」

 「当たり前よ。だってりきくん、女の子みたいだもの。あたしより」

 「そんなあっさりと……」

 「ほら、りきくん! りきくんが女の子みたいだって言われたくなかったら、男だってことを証明したいなら、このあたしからボールを奪ってみせなさい!」

 「よ、よぉし……! 僕も男だ。 本気でいくよあやっ!」

 「カモーン、りきくん!」

 そして、あたしはりきくんと日が暮れるまで遊び倒すんだ。

 日が暮れるのが嫌だった。何故なら日が暮れれば友達とばいばいしてお家に帰らなきゃいけなかったから。

 また明日、って言って、りきくんとまた明日遊ぶ約束をするんだ。

 そんな日々が、あたしがお父さんのお仕事の都合で海外に飛ぶことになるときまで、ずっと続いていた。

 

 

 「いよっしゃぁぁぁっっ!!取ったぁぁぁっっ!!見たか天才きってのあたしをぉぉぉっ!!」

 対闇の執行部との戦いに備えるための訓練の後、初めてのデートで理樹くんと街のゲーセンで遊んだUFOキャッチャー。あたし一人が馬鹿みたいに夢中になってて、理樹くんはあたしのすぐそばから見ていたんだっけ。

 理樹くんがあたしのスカートをたくしあげてパンツ丸見えにされているのに気付かないぐらいに夢中になってた気がするわね……。

 それでも、理樹くんと話したこと、歩いたこと、すべて楽しかった。

 あの子供のころみたいに。

  

 理樹くんと遊んだ日々。

 理樹くんと過ごした時間。

 理樹くんといて幸せだった瞬間。

 すべてがそこにあった。

 あたしが知らない国で事故にあうとか、虚構世界とか、そういうの無しで。

 本当の世界で、それだけあれば良かったのに。

 

 

 でも、あたしはもう無理。

 

 疲れた。

 

 もう十分だよ。

 

 思い出を。

 

 幸せを。

 

 こんなにもきみがくれたんだから。

 

 たとえその世界が虚構だったとしても、あたしにとっては現実と変わりなかったんだから。

 

 だから、それでいいの。

 

 ありがとう。

 

 

 ……もう、いいよね?

 

 

 →いい

  だめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だめだよっ!

 

 

 え…?

 

 振り返ると、そこには子供のころの理樹くんがいた。

 あれ?理樹くん……?でもなんで子供なの……?

 ていうか、あたしもあの頃と同じ……子供になってる。

 

 「―――沙耶。…ううん、あや。一体……いつまで帰ってこないつもりなの?」

 

 涙目の理樹くんがぎゅっと前に両手を握りしめながら、あたしに言う。

 

 「僕ね…日が暮れるのが嫌いだったんだ。だって日が暮れると家に帰らなくちゃいけなかったから。楽しい時間が終わって、あやとばいばいしなきゃいけなくなっちゃう。でも、明日になればまたあやに会える……だから僕はあやに手を振ることができた。また明日、って言って別れることができた。でも……今のあやは、このままだとずっと会えなくなってしまう」

  

 ……………。

 

 「そんなの嫌だ。それなら、僕はずっとあやのそばにいる。あやの手を握って、ずっと離さないよ!」

 

 ……そんなの、我儘よ。理樹くん。

 

 「あやだって、我儘じゃないか……」

 

 ……ッ。

 

 「あやは僕といるの、嫌なの?」

 

 ……馬鹿。

 そんなわけ、ないじゃない……

 

 「……あや。 泣いてる…?」

 

 理樹くんに言われた通り。

 あたしは、泣いていた。

 ぼろぼろと涙をその瞳からこぼしながら、あたしは叫ぶように口を開いた。

 

 ―――そんなわけあるはずないじゃないっ! あたしだって理樹くんとずっといたいよ! 理樹くんとずっと手を繋ぎたいよ! ずっとその手を放したくないよ! 理樹くんと離れたくないっ! でも……でも、無理なのよ……ッ!

 

 「なんで無理だと決めつけるの…ッ!? そんなの、あやが諦めてるだけじゃないか!」

 

 なに言ってるのよ!あたしのことなにもわかってないくせにっ!勝手なこと言わないでくれるっ!?

 

 「僕はあやのことを全部知ってるつもりだっ!笑ってるあやも、泣いてるあやも、怒ってるあやも、可愛いあやも、全部全部知ってる! あやのすべてを、僕は知ってる!」

 

 嘘よっ!

 

 「嘘じゃないっ!現に、僕は今わかる。あやは――僕と同じ気持ちなんだっ!」

 

 理樹くんの手が、あたしに向かって伸ばされる。

 

 「さぁ。あや、こっちに来て!こんな世界から本当の意味で抜け出して、今度こそ帰るんだっ! 元の世界に向かって、駆けだしてッ!」

 

 駆ける……。

 

 目の前の理樹くんは、今の理樹くんだった。

 制服を着た、あの時と同じ理樹くんがあたしに手を伸ばしている。

 その優しい微笑みと一緒に。

 

 ――帰る……

 

 あたしは……

 

 

 元の世界に――理樹くんがいる世界に―――帰りたい…ッ!

 

 

 あたしの靴底が、何もない真っ白な地を蹴る。

 あたしは、駆けだす。

 駆ける―――

 手を伸ばす理樹くんに向かって、駆けだしたあたしは手を伸ばし、そして――

 理樹くんの柔らかい手を握った瞬間、その握られた手から眩しい光が世界を覆い尽くす勢いで溢れ出し、あたし自身が光に呑みこまれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ………。

 

 ………。

 

 ………。

 

 微かに視界に入ったのは、白い天井。頭はぼーっとしていて、自覚がはっきりしない。

 ただ、自分の手に、柔らかい温もりが感じる。

 耳に聞こえるのはピッ、ピッという電子音。初めて嗅ぐのは薬品のほのかな匂い。瞳をゆっくりと動かし、そして――

 あたしの大切な人を、見つける――

 「……あや」

 あたしの手を両手で包むようにずっと握っていた理樹くんは、あたしが目覚めたことに気付くと、ガタリと椅子から腰を浮かせて、あたしの顔を覗き込んだ。その表情は安堵と嬉しさに紛れていた。

 「あや……僕だよ。わかる?」

 微かに理樹くんの目がうっすらと何かで滲んでいるのがわかるけど、あたしは微笑んで答えた。

 「……おはよう、理樹くん。 ううん……ただいま、理樹くん」

 「おかえり、あや……」

 記憶通りの、ただ眼の下に涙を浮かばせながら優しい微笑みを浮かべる理樹くん。あたしの手がまたぎゅっと理樹くんに握られ、あたしは動かない身体をベッドに沈めたまま、理樹くんの手の温もりのみに感覚を預けたまま、あたしは理樹くんに微笑みかけた。

 あたしは、現実へと、帰ってきた。

 理樹くんのもとに―――

 

 

 

 Epilogue....

 

 

 街中でも大きなここの病院には施設の広さもあって大きな中庭がある。蒼い空から射す日の光が、車椅子に座るあたしに暖かい居心地を提供してくれた。

 そんなあたしの座る車椅子を押しながら話しかけてくれるのは、あたしの大切な人。

 彼はあたしに色んな話をしてくれた。

 彼の学園でのお話。子供のころの、幼馴染たちと遊んだときのお話や、その幼馴染たちと結成したグループのお話。リトルバスターズという団体が今もあって、それでみんなと一緒に毎日遊んで楽しい時を過ごしているというお話。猫好きの素直になれない可愛い幼馴染。お菓子が大好きでかなりドジな女の子。犬みたいで英語が苦手な女の子。イタズラ好きで明るい女の子。クールでカッコいいけどたまに変なことをする女の子。いつも本を読んでいる女の子。竹刀を振るう友達想いの幼馴染。筋肉が自慢の面白い幼馴染。みんなの頼りになるリーダーの幼馴染のお話。

 彼はそれらのお話を楽しそうにあたしにいつも語ってくれて、あたしも楽しかった。

 学園が終わると彼は毎日あたしのもとに来てくれて、毎日のようにその日に起こった出来事や面白いこと、悲しいこと、楽しいことを教えてくれる。そしてまたいつもどおりにそんな話を聞いて彼と笑い合っていたあたしは、何気なくこんなことを言った。

 「本当に楽しそうで羨ましいわ――」

 それは確かに本音であり、事実だった。

 同時に何気ない一言でもあった。でもこれを言った瞬間、彼は一度真剣な表情になって、そしてまた微笑んでくれて、あたしにこう言ったんだ。

 「あやも、僕たちリトルバスターズの仲間になろうよ」

 それは、どこかで聞いたことがあるセリフで、そして胸の中が凄く暖かくなった。

 その言葉の向こうに。

 その未来に。

 あたしは確かに、あたしの、あたしたちの青春を垣間見たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「だ、大丈夫かしら…」

 制服のスカートを掴み、内股をモジモジとさせたあたしに、理樹くんは笑って言った。

 「安心して。きっとみんな歓迎してくれるから」

 「ならいいけど…。で、でも……」

 「なに、あや? 緊張してるの?」

 「な、なに言ってるのよ…!このあたしが今さら緊張してるわけないじゃない…!子供のころから長い間眠ってて理樹くん以外の人たちとうまく馴染めなかった今までのあたしとは思わないでよねっ!退院して、この学園に入って、そんなのもう関係ないんだから!これはむ、武者震いよっ!」

 「武者震いって……」

 「な、なによ!ど、どうせあたしはあがり症の恋人以外の人には馴染めない惨めな女よ!笑うがいいわ。ほら笑いなさいよ。あーはっはっはって!」

 「う〜ん…それじゃあさ」

 「な、なによ…」

 理樹くんはニコリと反則的な笑顔で、あたしに指をぴんと伸ばして、さらりと言ってくれた。

 「あやがリトルバスターズに入ったら、今日はあやとデートしよう。勿論みんなと遊んだ後になるけどね」

 「……………へ?」

 「ね?」

 首を傾げて微笑む理樹くん。停止するあたし。

 「……あや?」

 「……げ」

 「げ?」

 「げげごほぼうぇっ!」

 「うわぁっ!?」

 そして吐くあたし。

 顔を真っ赤にして、理樹くんに迫る。

 「な、なに言ってるのよ…!」

 「あ、あや。僕とデートするの、嫌なのかな…」

 「う…。いや、嫌ってわけじゃないわよ。ただ……ええいもうっ」

 「あや?」

 「そんな、あたしがリトルバスターズに入ろうが入るまいが、あたしは理樹くんの彼女なんだからデートぐらいいつだってしてあげるわよっ!」

 顔を真っ赤にしながら、理樹くんの鼻先まで指を立てて、あたしはなにを口走ってるんだろうか。まぁ嘘じゃないけどさ……。

 …って、理樹くんまで顔赤くしてどうするのよ。ますますこっちまで恥ずかしくなるじゃない。

 「……そうだね、あや」

 だからその笑顔が反則なんだってぇっ!あんたはどこまで可愛いのよ!むしろ逆に彼氏のほうが可愛いって気付いちゃって、なんだか傷ついてくるんですけどーっ!?

 ―――って、むぐっ!?

 「ん……」

 あたしの唇に、理樹くんの唇が重なる。

 「ん、んむ……」

 そしてふわりと離される二つの唇。ぽーっとしたあたしに、理樹くんの笑顔が眩しくあたしの視界に輝く。

 「ありがとう」

 「きょ、きょげーーーーーーーーっっ!!」

 なにもかも沸騰したかのように、あたしは叫んだ。

 とりあえず色々と自分でも意味不明になったあたしを宥めて、理樹くんはあたしの手を掴んで、駆けだした。

 「さぁ行こう、あや。みんな待ってるよ!」

 「ちょ、ちょっと理樹くん……!」

 理樹くんに手を引かれて、あたしも駆けだした。駆けだした二人が向かった先は、学校のグラウンドで、理樹くんが言っていたリトルバスターズという団体の人たちのところだった。

 「遅かったな理樹。 ……ん? その女子生徒は?」

 「うん、恭介。 紹介するね」

 理樹くんは隣に立つあたしの肩に触れて、口を開いた。

 「今日からリトルバスターズに新しく入る、新メンバー。 そして、僕の彼女です」

 「…………」

 あれ? みんな、なんだか黙っちゃったけど……

 と、思っていたら。

 「ええええええええええっっ!!」

 スゴイ驚かれた。

 「あ、あの……よ、よろしくお願いします……!」

 がばっと頭を下げるあたし。

 そんなあたしに、みんなが笑顔で歓迎してくれる。

 「こちらこそよろしくだよぉ。 新メンバー大歓迎~」

 「わふー。 リキの彼女なのですーっ」

 「ふむ、少年もやるなぁ……」

 「理樹くんやるーっ」

 みんなの笑顔に、あたしは歓迎された。そしてみんなにからかわれる理樹くんの姿も見ることができた。あたしたちを囲むみんなが、そこにいた。

 

 青春が。

 

 未来が。

 

 暖かさが。

 

 そこにあった。

 

 

 そして、理樹くんが。

 

 そばにいてくれた。

 

 

 ―――あたしの現実世界(みらい)が、そこにあった。

 

 こんな幸せな世界と青春に巡り合わせてもらったあたしはこの言葉を口にしよう。

 

 ありがとう。

 

 そして―――

 

 これからもよろしくね、理樹くん。

 

 

 Fin.

 




ご愛読ありがとうございました。


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