恋のライバルだとは認めない! (花宮@)
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一章 〜始まり〜
一話 『始まり』


「エミリア様が帰ってきますよ、オリーバーくん」

 

「……本当か?レム!!」

 

事務的に言ったレムの言葉に、オリーバーは反応する。

 

「はい、今はラインハルト様といるらしいです」

 

「……そうか。ラインハルトか。なら安心だな」

 

オリーバーは安堵の息を漏らす。そして、少し嬉しそうな表情を浮かべる横でレムは言いづらそうにこう言った。

 

「……でも、後もう一人いるらしいです。」

 

「……ん?もう一人とは?」

 

レムは言いづらそうに、言おうとした直後。

 

「あ、レムここにいた。ラムが呼んでいたわよ」

 

「……お帰りなさいませ。エミリア様」

 

「うん。ただいま、レム。ってあれ、オリーバーもいたんだね」

 

「ああ、そうだ。今エミリアはラインハルトと一緒にいるって聞いたんだけど……」

 

「ええ、いたわ、先別れたところ。そしてもう一人の話した?」

 

「いえ、これから言うところだったんですが……エミリア様から直接言った方が早いですよね……なら、レムはこれで失礼して姉様の方に行ってきます」

 

そう言って、レムはどこかへ行ってしまった

 

「それでもう一人って?」

 

「あ、あのね、私が危ないところを助けてくれたのよ。本当に命懸けで…」

 

「…俺がいない間にそんなことが……」

 

オリーバーは今日、エミリアとは別行動だった。

だからエミリアがどんな目にあったのか知らないのだ。

 

「それでそいつは何処にいるんだ?」

 

「今は……寝てる。だから明日……」

 

「…わかった。今日は遅いからもう寝るか」

 

そう言ってエミリアとオリーバーは自室へと戻った。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

翌日。エミリアを助けた恩人に会う為客間に行く。そこには……

 

「エミリアたんも無事で何よりだよ」

 

「……たん?」

 

エミリアのことを変な呼び方をする男がいた。

エミリアは疑問符を浮かべながら、その男を見る。

黒髪の男。背は普通で、目つきが悪く、顔立ちはお世辞にもいいとは言えない。

 

「(……こいつ本当にエミリアのこと助けたのか?)」

 

疑心暗鬼になる。この男がエミリアを救ったとは到底思えないからだ。

 

「あ、オリーバー、来てたの」

 

「聞いてください、エミリア様、オリーバーくん、あの方に酷い辱めを受けました、姉様が」

 

「聞いてちょうだい、エミリア様、オリーバー、あの方に監禁凌辱されたのよ、レムが」

 

「……そうなのか?エミリアの恩人だから優しくしようとしてたんだけど……」

 

そう言いながらオリーバーは男を見る。男は侵害だ、とでも言うように顔を歪めている。

 

「あなたたちにそんな悪ふざけ……スバルならやりそうだけど、できるはずないじゃない。ラムもレムも、病み上がり相手に遊び過ぎないの」

 

「はーい、エミリア様。姉様も反省していますわ」

 

「はーい、エミリア様。レムも反省したと思うわ」

 

いつも通りの双子の会話にオリーバーはため息を吐きながらも、オリーバーは男に向かってこう言った。

 

「……ところで君の名前は……」

 

「あ、俺の名前はナツキ・スバル!よろしくな!」

 

「そうか。俺の名前はオリーバーだ。よろしくな。スバル」

 

「おう!よろしくな、オリーバー」

 

こうしてオリーバーとスバルは出会った。

 

 

△▼△▼

 

 

 

あれから数日が経った。ナツキ・スバルは使用人としてロズワール邸に働くことになった。仕事は悪いらしいが、周りにも馴染んでいるし、エミリア達との仲もよいし、心配することは何もないと思っていた。……ただ一つを除いて……

 

「その後のスバルくんの様子はどんなもんだい?」

 

 時刻は夜――すでに太陽は西の空の彼方へ沈み、空にはやや上弦の欠けた月がかかる頃、その密やかな報告は行われていた。

 

 一見して執務室、と判断できるそこは屋敷上階中央の一室だ。

 革張りの椅子に腰掛け、最初の問いかけを作ったのは藍色の長髪に、青と黄のオッドアイを双眸に宿した柔和な面持ちの男性――ロズワールだ。

 

「あの啖呵から五日――いや、四日と半日か。そろそろ見えてくるものもある頃じゃぁないかね?」

 

「そうですね。――全然ダメです」

 

「俺もラムの意見に同意するわ」

 

ラムとオリーバーの意見がピッタリと合うことなんて滅多にない。それほど、ナツキ・スバルという少年は異端児だった。だが、ロズワールはそんなことを気にした様子もなく、口元を歪めて笑いながらロズワールはこう言った。

 

「ふむぅ。君たちがそう言うってことは相当ひどい状態なんだろうねぇ」

 

「バルスは本当に何もできません。料理もダメ、掃除も下手糞、洗濯を任せようとすると鼻息が荒い。どれも任せられません」

 

「それは使用人として由々しき事態だねぇ、特に最後」

 

ロズワールは苦笑いをしながらもそう言った一方でラムの言い分にオリーバーはうんうんと頷きながら、ロズワールに対してこう言った。

 

「……ところで俺何で呼ばれたんだ?ラムはスバルの教育係だから分かるけど」

 

オリーバーが言う通り、今この場には教育係のラムがいる。なら、ここにオリーバーがいる要素など皆無に等しい。

 

「……オリーバーくんを呼んだのはエミリア様のことさ。彼ちょっと特殊だーぁからねぇ」

 

「……確かに」

 

ロズワールの言葉に素直に同意する。これもかなり珍しい光景だ。それほどあの少年は少しばかり……いや、かなり異質だ。そもそもエミリアのことが好きなだけで可笑しいのだ。

 

「それでラムにオリーバーくん、肝心の話だ。――間者の可能性はどうかな?」

 

声音の調子は変わらないまま、ロズワールは笑みを崩さず問いかける。主語のない問いかけだ。ラムは目を閉じたまま、ロズワールに向かってこう言った。

 

「否定はできませんが、その目はかなり弱いと思います」

 

ラムの意見にオリーバーは頷きながら、オリーバーはロズワールに向かってこう言った。

 

「俺もラムと同じだ。そもそも、あいつが間者ならあんなことしねーよ。……もしあいつが間者だったら間抜けすぎる」

 

それが現時点のオリーバーのナツキ・スバルの評価だ。少なくとも、エミリアに対して危害を加えるような気配はない。

それどころかエミリアに好意的でさえある。

だが、それでも警戒するべき相手なのは変わりがない。だが、警戒というのは……

 

「まぁ、焦るわよね。恋のライバルが出来たわけだし。しかも一生出来ると思ってなかった相手に」

 

冷酷に、ラムはそう言ったが事実だ。エミリアは美少女だ。だが、彼女を惚れる人なんて一人もいない。あの美しい美貌を持ってして、モテモテにならないのは原因がある。それはエミリアが『嫉妬の魔女』と外見が似ているからだ。だから誰も彼女に近づこうとはしない。

しかしそんなエミリアにスバルは普通に接していた。

 

「……そう、だな」

 

現時点でエミリアに危害は加えないと判断はしている。しかし、恋のライバルという点なら話は別だ。

 

「オリーバーくんも大変だねぇ」

 

楽しむようにロズワールは笑う。実際楽しんでいるに違いない。

 

「……後、もう一つあるんだけどレムに目を離すなよ。あいつ……スバルのことすげぇ警戒してるし」

 

「……ええ」

 

オリーバー。の言った言葉にラムは短くそう返した。ラムにしては歯切れの悪い言葉だった。レムは、ナツキ・スバルのことをあまり快く思っていない。むしろ嫌悪さえ抱いている。

 

「まぁ、あいつにはバレてねぇけど……」

 

エミリアの恩人であるスバルのことを軽率に殺すなんてしないとそう思っているが、レムは意外と短期なところもある。レムがナツキ・スバルに何を疑っているのかはオリーバーには分からないが。

 

「……そろそろ俺はエミリアのところに行く。……お前らは二人でやることあるんだろうし」

 

と、そう言いながらオリーバーは自分の部屋に帰っていった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

「彼は本当に善意の第三者……だと、オリーバーくんとラムの話を聞くとそう感じるねぇ」

 

「はい。ロズワール様」

 

今、耳元で囁かれ、桃色の髪を大人しく撫でられるのはラムだ。先まではオリーバーがいたのでこんなことはしてなかったが、二人っきりになったのでラムは思いっきりロズワールに甘える。そんなひと時がラムは好きだった。

 

「それならそれでもいいんだけどね、オリーバーくんも恋のライバルが出来るだなんて思ってなかっただろうし」

 

「……そうですね」

 

ラムもロズワールもオリーバーの恋は叶うとそう思っていた。最も、あの少女は恋愛に疎く、鈍感すぎるのがあれだが、それでも時間をかければ二人は結ばれるとそう思っていた。そこに現れたのが……

 

「スバルくんっというわけだ。しぃかし、彼もめげないねぇ」

 

執務室の窓から見下ろせるのは、屋敷の敷地内にある庭園だ。少し背の高い柵と木々に囲まれたその場所は、外から見えない代わりに屋敷の窓からは非常によく見渡せた。

 その月明かりを盛大に受ける庭園の端、そこに銀髪の少女と黒髪の少年が談笑している姿がある。そこに現れたのが先まで一緒にいた銀髪の少年……オリーバーが現れる。二人とも火花を散らしているのがここからでも分かった。

 

「微笑ましいものだ。ああいう情熱はもう私には持てないものだよ」

 

「アレぐらい追ってきてくれた方が女は嬉しいものですよ」

 

 独白のつもりだったのかもしれない言葉に返答すると、ロズワールは意外そうにこう言った。

 

「ひょっとして、意外とスバルくんを高評価してる?」

 

「……全然ダメですが、悪いとは思いません。仕事に関しても物覚えは悪くないし、ただ知らないだけだから」

 

 不満を瞳に宿すラム。彼女の少し温度の冷えた答えにロズワールは曖昧に笑い、髪を梳いていた手で彼女の頬をそっとなぞりながらこう言った。

 

「私の立場としては、邪魔するべきなんだろうけどねぇ」

 

 黄色の瞳だけで庭を見下ろし、ロズワールはそうこぼす。それに、

 

「三人とも子どもですから、放っておいても何も起きませんよ」

 

「それは言えてる」

 

 かすかな笑声が執務室で重なり、少年と少女の逢瀬を見下ろしていた窓の幕が引かれる。

 ――その後の執務室の様子は、月すら見ることは叶わなかった。

 

 

△▼△▼

 

 

「おい!オリーバー!エミリアたんと俺の二人の会話を邪魔すんな!」

 

「会話?スバルが一方的に話してるだけのように見えたけど」

 

トゲトゲしい言い方でオリーバーはスバルを攻撃する。スバルはそれに言い返せないのかぐぬぬと歯ぎしりをして黙ってしまう。

 

「オリーバー、あんまりスバルをイジメちゃだめよ?」

 

「別にイジめてなんかいないさ。事実を言っただけ」

 

そう言って肩をすくめるオリーバー。それを見たエミリアは苦笑いをする。

 

「もう、何で仲良く出来ないのかしら……」

 

エミリアの言葉に、オリーバーは一瞬だけ考え込むような表情を見せ、すぐに顔を上げる。

 

「残念ながらこいつと仲良くなるのは無理だと思う。諦めてくれるのなら仲良くなれるけど」

 

「それは俺のセリフ!」

 

オリーバーの挑発に、またスバルが反応する。それを見ていたエミリアは首を傾げながら、

 

「ーー?何を諦めるの?」

 

「え!?いやぁ……その……」 

 

まさかの問いに、スバルは言葉を詰まらせる。しかし、そんな二人を見て、オリーバーはため息をつく。

 

「はあ……全く、エミリアは相変わらず鈍感なんだから……」

 

エミリアと長くいるオリーバーはとっくのとうに気付いている。こんな方法では、彼女に自分の気持ちを伝えることなんてできないということを。だから、

 

「え?ど、どういうこと……?」

 

「…何でもない。あいつが意味不明なことを言うのはいつものことだろ」

 

「なるほど」

 

困惑するエミリアを尻目に、オリーバーがそう言うと、エミリアは納得したように頷く。そして、

 

「……じゃあ、私は行くね」

 

「あ、ちょっと待って!エミリアたん!デートの件忘れないで!」

 

「……デートって何だ?」

 

スバルの叫びに、オリーバーが眉をひそめ尋ねる。

 

「二人で出かけること!」

 

スバルはそう言いながら勢いよく自分の部屋に戻っていく。 

 

「……は?」

 

残されたオリーバーはポカンとした顔をし、この場にオリーバーだけが取り残された。その後理解するのに数秒かかり、

 

「……はああああっ!?」

 

大声を上げたのだった。

 

「……明日は絶対に邪魔してやる」

 

ブツブツとそう言いながら、オリーバーは自分の部屋へと戻ろうとしたが……

 

「あ、そうだ。ベアトリスにおやすみって言いにいこう」

 

最近行ってなかったし、部屋に行こう、と思いながら扉を開けた。

 




二章は駆け足で終わらせると思います。


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二話 『宣戦布告』

二話目で宣戦布告する


「ベアトリス!」

 

ばんっと扉を開くと、ベアトリスは不愉快そうに眉を顰める。

 

「お前といいあの人間といい何で扉渡りを破ってくるのかしら!」

 

「……そういう特性なんじゃねーの?」

 

オリーバーは適当にそう言っていると、また扉が開かれる。

 

「うーい、ちゃんと寝たかよ、ロリっ子。あんまし遅くまで起きてると、成長ホルモンが分泌されなくて小さいままになんぞ……ってうわ……」

 

スバルはオリーバーを見た途端顔を思いっきり歪めた。それは先までの会話だ。エミリアとデートする件で、オリーバーに文句言われる前に逃げるようにデートの件を教えたのだが、今ここで鉢合わせてしまったら……。

 

「……そろそろ俺行くわ。おやすみ。ベアトリス」

 

「……あれ?」

 

スバルは何か違和感を感じた。だって絶対にエミリアの件で何か言われるとそう思っていたのに。だが、言われないのであればそれでいい。むしろ好都合だ。このまま部屋に戻ってしまおうと思った矢先だった。

 

「んじゃ、とっとと寝ろよ、おやすみぃ」

 

スバルはベアトリスにそう言うと、扉を閉めようとする。しかしそれを遮るようにベアトリスはスバルに向かってこう言った。

 

「…なにか用事があってきたんじゃなかったのかしら?」

 

「んにゃ、別に。寝るから挨拶しようと思っただけ。ドア三つぐらい開けていなかったら諦めようと思ったけど、一発目で見っけたから」

 

「相変わらずどんな勘してるのよ、こいつ……」

 

疲れたようにベアトリスはため息を吐く。オリーバーもスバルも扉渡りは効かない。二人ともどうして扉渡りが効かないのか原因は分からない。

 

「……ささっと行くのよ」

 

「へいへい」

 

スバルはベアトリスの言葉に従い、部屋を出る。部屋を出る直前、

 

「――ベティーには関係のないことよ」

 

とだけ、寂しげな声が聞こえたような気がしたのが少し気がかりだったが。

 

「つって、聞き返そうと思ってドアを開けると」

 

開かれた扉の向こうは様変わりし、単なる客間へと戻っている。

 

「……なら、いいか」

 

もう一回そのことを追求するのもいいものかと思ったが、明日がエミリアとのデートなのだ。少しでも長く寝て体力を回復させたいところだ……と思っていたのだが、

 

「………」

 

「あ、あの……オリーバーさん……?」

 

睨みつけるようにオリーバーはスバルを待っていた。

 

「明日のデートの件」

 

「……え?」

 

「俺がじゃ………ついていってやるよ」

 

「今邪魔って言いかけませんでしたかね、オリーバーさん」

 

「そんなこと言ってねーよ」

 

明らかに嘘だと分かるが、ここは敢えてスルーすることにした。だって重要なのはーー

 

「デートっていうのは二人でするものだから!お前がいたら意味がないから!」

 

「……じゃあ、エミリアに聞いてみる?」

 

「……え?」

 

スバルが唖然していると、ちょうどそこにエミリアが通りかかった。

 

「あら、オリーバーにスバルまだ寝てなかったの?」

 

「ああ。ところで明日エミリアとスバルってお出かけするんだろ?俺もついて行っていいかなぁ~なんて」

 

「私は全然構わないけど…」

 

「駄目!俺はエミリアと二人で行くの!」

 

冗談じゃないとでも言いたげにスバルは大声で叫ぶ。するとエミリアは不思議そうな顔をした。

一体なぜそこまで頑ななのだろう?と思っている顔だ。あれだけ好きオーラが露骨なのに。エミリア以外にはもう周知の事実なのに。だが、ライバルに情けを掛ける暇なんてオリーバーにはない。故に……

 

「……そうか。残念。そこまで言うのなら諦めてやるよ」

 

「え?」

 

意外にも、あっさりとオリーバーは引き下がった。スバルはポカーンとした顔をしていると、

 

「じゃあ、スバルがデートした後に俺ともデートしたら納得する」

 

「はぁ!?駄目!絶対に駄目!」

 

「自分はいいけど俺は駄目なんてそんな我儘通用するっと思ってるのか?」

 

「ぐぬぅ……ッ!」

 

ぐうの音しか出ない正論である。確かにそれはそうだ。自分の身勝手が通るわけがないのだ。だけど、

 

「はいはい」

 

手を叩き、エミリアは仲裁に入る。

 

「そこまで言うのなら明日のでーとの件も無しにするわよ!スバル!仲良く三人で行きましょう?ね?」

 

「う……」

 

エミリアにそう言われてしまうと、それ以上反論することが出来ない。仕方がなくスバルは渋々了承する。

 

「分かった……。エミリアたんがそう言うなら……」

 

「じゃあ、決まりね。明日楽しみにしてるわ」

 

そう言って、エミリアは自室へと戻って行った。残されたスバルとオリーバーは……

 

「んじゃ、そういうことだから」

 

「……お前のせいで…‥俺とエミリアたんのラブラブデートが……!」

 

恨み言を言いながら、スバルはオリーバーを睨む。そんな言葉にオリーバーは言い放つ。

 

「どうしてライバルを邪魔するのがいけないんだよ?とゆうか、俺は妥協案を出した。それを否定したのは他でもないお前だろ?」

 

「……そうだけどさぁ……」

 

それでも、スバルとしては折角のチャンスを逃してしまったことが悔しくてしょうがなかった。

 

「俺はエミリアが好きだ。お前なんかに絶対に渡さない」

 

それはまさしく本気の告白だ。唐突な宣戦布告にスバルは驚きながらも、オリーバーに対して言い返す。

 

「……俺だって、エミリアが好きなんだ」

 

「………そうか」

 

それだけ言うと、オリーバーは部屋に戻っていった。スバルも部屋に戻ると、ベッドにダイブして先のことを考える。色々あったが、結局、デートの件はなしになってしまった。

 

「(何とか隙を見て2人っきりになろう)」

 

デートが駄目になった以上、どうにかしないと。このままでは本当にエミリアは取られてしまうかもしれない。……いや、取られるだろう。そんな予感があった。何せ、相手はスバルよりエミリアと一緒にいる。

 

「……てゆうか、一緒にいるなら一日ぐらい譲ってくれても良くねぇ!?」

 

スバルが仕事している間も、オリーバーはエミリアに勉強を教えるという仕事があるから、ずっと一緒なのだ。それを思うと無性に腹が立ってくる。

 

「くっそ!何とか明日は隙を見て、二人きりになるぞ……!」

 

そんな決意をして、スバルは眠りについた。




一方オリーバーはーー

「(エミリアとスバルのデートを邪魔したし、今度はどうしよう?思い出話でマウント取ればいいのか?)」

とか考えていた。 


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三話 『死に戻り?』

夢を見た。

 

ーー愛している。愛してる。愛してる。愛してる。

 

エミリアと似たような顔でエミリアと似たような声で、愛の言葉を囁く。それがオーリバーには耐えられなかった。その言葉はエミリア本人の口から聞きたい。『偽物』では駄目なんだ。だというのに……

 

「助けてあげて」

 

「は?」

 

夢の中で魔女……『嫉妬の魔女』が泣いている。……今はサテラなのかもしれないが。

 

「お願い、貴方だけなの。彼を…ーーーくんを助けられるのは」

 

「おい、待ってくれーーー!」

 

そこでプツンと意識が切れた。

 

目が覚めると、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 

「何だよ……!あの夢……!初めて見たぞ……?」

 

何かの予兆だろうか?だとしたら、非常に不味いことになるかもしれない。しかし、今日はエミリアとスバルで出掛ける日だ。どうしようもない不安を抱えながら、オリーバーは着替えて食堂に向かった。

 

 

△▼△▼

 

 

「(………戻ってる…)」

 

間違いなくあの日……ナツキ・スバルと出会ったあの日に戻っていた。つまり、お出掛けの件も無しになったというわけだ。

 

「(…嫉妬の魔女が気をつかってくれた……わけがないよなぁ……)」

 

オリーバーは『死に戻り』という能力がある。文字通り死んだら時間が巻き戻る。そのことに気付いたのはエミリアを庇って死んだ後のことだった。そもそも……

 

「……助けるって何を助ければいいんだよ……それに……」

 

これは『死に戻り』と言っていいのだろうか?どちらかと言うと、これはループしている、と言った方が正しいのかもしれない。

 

「……って!今はそんなことどうでもいい!問題は……!」

 

問題は嫉妬の魔女……サテラが言った『助けてあげて』の方だ。……オリーバーが助けるのは命より大事なエミリアとパックしかいない。それ以外は全て他人でしかないのだ。勿論、ベアトリスもラムもレムも大事な人達だ。だが、命を投げ捨ててまで助けたいか、と聞かれると……答えはNOである。だが、生きてほしいとは思っている。……スバルのことはライバルではあるが、死んでほしいとは思わないし、ロズワールも胡散臭いし、信用できる人物ではないと思っている。しかし、それでも死んでほしくはないとそう思っている。

 

「(……いっそのこと、エミリアが願ってくれたら楽なのに)」

 

そうしたら例え違う世界線でも、自分は彼女の為に死ぬだろう。それだけの想いを彼女に抱いている。最も、エミリアは優しいからそんなこと願うことなんて絶対にしない。それが分かっていながら、ついそう考えてしまう。

 

「オリーバーくん」

 

「うおっ!何だよ!レム」

 

不意にレムに話しかけられてオリーバーは驚く。レムは申し訳なさそうな顔をして、こう言った。

 

「すいません。驚かせてしまって……。昼食の準備が出来ましたので、呼びに来たんです」

 

「あ、ああ……分かった」

 

そう言って部屋を出ていくレムを止める。そういえば、と。

 

「……なぁ、レム」

 

「何でしょう?」

 

「………あんまり感情的に動くなよ」

 

そう言うと、レムは驚いたような表情を浮かべてオリーバーを見つめる。 

 

「お前がスバルを見る目は敵対心が剥き出しになってんのは見てたら分かる。……まぁ、確かにスバルは怪しいけど」

 

「っ!?」

 

レムはオリーバーの言葉に息を飲む。そんな様子にやっぱりなと思いつつ、続ける。

 

「スバルは確かに怪しいけどーー軽率で動くんじゃねーぞ」

 

と、そこまで言い終えたところで、また扉が開く。

 

「レムー。ラムが呼んでるぞー!」

 

「……っ!!は、はい!今行きます!」

 

スバルの声を聞いてレムは慌てて部屋から出ていった。

 

「(これで少しは変わればいいのに)」

 

そう思いながら、オリーバーは食堂に向かった。



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四話 『鎖の音』

あれから数日屋敷のことを出来る限り観察していた。

 

特に変わったところはなく、いつも通りの日常が過ぎていた。だから少しだけ楽観的でいた。もしかして知らず知らずのうちに回避していたのでは?と。

 

「……(とゆうか、そうであってくれ)」

 

祈りにも似た願望を抱きながら、扉を開こうとした瞬間……

 

「オリーバー」

 

「……ん?どうした?ラム?」

 

「今日はラムもレムもバルスの勉強を見に行けないからバルスの勉強の監督を見に行って貰えない?」

 

ラムの申し出に、オリーバーは一瞬迷った表情を見せたが……

 

「まぁ、いいよ」

 

「助かるわ」

 

「にしても、珍しいよな。レムはともかく、ラムが文字を教えるだなんて」

 

「……バルスが文字を覚えたらラムの仕事も減る。とゆうことは必然的にレムの仕事も減る。だから仕方がなく教えてるだけ。それ以上もそれ以下もないわ」

 

「ふぅーん……そっか」

 

そう言ってオリーバーはその場を離れた。

 

 

「エミリアたんじゃなくて何でオリーバーなわけ?」

 

部屋に着いて早々、スバルはそう言った。エミリアではなく、オリーバーが来たことに不満があるようだ。

 

「悪かったな。俺で」

 

「本当に!恋のライバルに教えて貰うとかなんの罰ゲームですかって話だぜ」

 

「恋のライバル……俺、エミリアのことが好きって話したっけ?」

 

一周目は自分から宣戦布告したが今回は宣戦布告なんてしてなかった筈。そう思って聞いたのだが……スバルはこう言った。

 

「いや!分かるだろ!普通に考えて!とゆうかラムから聞いたし!」

 

「まぁ、いいけどさ……別に隠してることじゃねーし」

 

そもそも、オリーバーがエミリアのことを恋愛的な意味で好きというのはロズワール邸にいる全員……本人以外にはもう周知の事実なのだ。

 

「……まぁ、そんなこと今はどうでもいい。今どこやってるんだ?」

 

「……今は基本のイ文字ってやつを書いて覚えてるとこ。この童話集がほぼイ文字でできてる話の寄せ集めって話だし、これ読めるようになんのが今のとこの目標ってとこ」

 

不満そうにスバルはそう言ったが、オリーバーは気にすることなく、ふっと、一つの文字を見つけた。

 

「……これ何の落書き?」

 

「落書きじゃなくて……母国語なんだけど……やっぱり伝わらないよなぁ……」

 

「母国語、か……複雑な形してるな」

 

「ここだってイ文字とロ文字とハ文字があるんだろ?それと一緒だよ」

 

「……なるほど?」

 

確かに言われてみればそうかもしれない。にしても……

 

「……これ何って書いてあるの?」

 

「ナツキ・スバル参上って書いてある」

 

ドヤ顔で言われたが、読めないので意味がない。だが、スバルが嘘を吐いているようでもないし、そんなに重要なことでもないのでオリーバーはスルーした。

 

「……そうか。なら、いいけどよ」

 

「………にしても、オリーバーじゃなくてエミリアたんだったらデートに誘ってたのになぁ」

 

ポツリと、後悔でもするようにスバルはそう言った。一周目のときは誘うのに成功していた。……結果的にオリーバーが邪魔したわけだが。

 

「(……まぁ、今回も邪魔するつもりなんだけど)」

 

そういう状況になるのなら、例え、今回みたいに戻っても止めると思う。そう思いながら……

 

「…別に、デートなんていくらでも誘えるだろ」

 

ただの皮肉を込めた言葉。明日戻るかもしれないのに、そんなことをしても無意味なのに。だけど、スバルはこんなこと知らない。また繰り返すことなんて知らない。そう思ったら思わず言ってしまった。

 

「……そう、だな」

 

スバルは俯きながらそう言った。予想外の返事にオリーバーは躊躇ってしまう。てっきり、『いつでも誘えねぇよ!二人っきりじゃねーと!』ぐらい言われると思ったのだが、あまりにも予想外のトーンで返され、オリーバーは戸惑ってしまった。謎の沈黙が続いたが、それを破ったのはスバルの方だった。

 

「……ところでさ!オリーバー、俺ここ分からないんだけど教えてくれない?」

 

「え……?あ、うん」

 

 

不自然なほどに明るい声でスバルはそう言った。無理している感じがこっちにも伝わってくるが、あえて見て見ぬフリをした。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「………明日なんだよな。夢を見たのは」

 

スバルに文字の勉強を教え、ノルマが終わり、寝る時間になった。

 

本来なら寝る時間だが、今回は屋敷を出来る限り観察していた。しかし、何の異常事態もなかった……と思う。

 

「……じゃあ、起きないのか……?」

 

そんな簡単に行くのだろうか、そう思う。それに今回もしも、失敗してももう一回魔女は……嫉妬の魔女はオリーバーの夢の中に出てくるのだろうか?嫉妬の魔女が考えることなんてオリーバーには分からないし、出てこない可能性だってあり得る。

 

そう思うと、胸はざわざわする。だからオリーバーは警戒をしながら部屋に出た。部屋から出ると………

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

「は……?」

 

苦しそうな表情を浮かべているスバルがいた。そしてスバルの左半身が、肩から千切れていることに気付いた。

 

「……っ!」

 

スバルは血だらけで倒れていて、それでもまだ息をしていた。だからオリーバーは必死だった。スバルに治療魔法をかける。だけどこんなの気休めにしかならない。オリーバーの治療魔法では簡単な傷ぐらいしか治せないのだ。治療魔法をかけている間にも無慈悲にも鎖の音は響く。それが耐えられなくなった。

 

「……早まるなっと言った筈なんだけど!レム!」

 

「っ……ぁ?」

 

スバルの動きが止まる。止まったのは息を引き取った訳ではなく、レムという言葉に反応したからだ。

 

「……姉様にバレる前に始末したかったのに失敗しました」

 

現れたのは鉄球を持ったレムの姿だ。それを見たスバルは訳がわからず、混乱する。

 

「……っ」

 

目の前の光景をオリーバーもスバルも理解したくなかった。だというのに……

 

「っ、あ……」

 

また武器が振り下ろされる……今度は頭蓋を砕かれた。

 

「あ……」

 

そこでナツキ・スバルは息を引き取った



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五話 『契約』

「……っあああ……!」

 

夢が覚めたように、スバルは目を覚ます。全身汗まみれで呼吸も荒く、視界もぼやけていた。

 

「「お客様?」」

 

二つの声が聞こえる。それは今のスバルには聞きたくない声だった。

 

「……っ、ぁ、ぅ……!」

 

その二人のメイドは心配するような顔でこちらを見つめてくる。だけど、今のスバルには何も信じられなくなった。信じて裏切られた。そんな記憶が蘇る。

 

「「……お客様?」」

 

二人の声が聞こえる。でも、スバルはもう何も考えられなかった。

 

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「……何でこんなことになってるんだ?エミリアすら追い出して、俺は一体何をしているんだ……?」

 

スバルは頭を掻きむしりながらそう言った。頭が痛い。吐き気が酷い。気分が悪い。そんな状態で先、エミリアに自分のこと……『死に戻り』のことを明かそうと思った。しかし、出来なかった……のではなく、言えなかった。言おうとしたらスバルの心臓は黒い掌に鷲掴みされたような感覚に陥ったのだから。

 

「……俺一人で抗うしか選択肢はないのかよ……」

 

酷い話だ、とスバルは自分のことながらも思った。

 

「ーー随分と腑抜けた面をしてるのよ」

 

「……ベアトリス。言いすぎだろ」

 

そんな時、二人の声が聞こえてきた。ベアトリスにオリーバーだ。

 

「……ベアトリスにオリーバー」

 

「……俺の名前……エミリアから聞いたのか?」

 

驚くようにオリーバーがそう言うと、スバルは静かに首を縦に振る。

 

「……ああ、そうだ」

 

本当は違うのだが、エミリアが言っていたと言う事にしておこうと思い、嘘をつく。

 

「……そうか」

 

オリーバーはそう言ってそれ以上は特に追求しなかった。そんな様子を見てからスバルはこう思う。

 

「(……オリーバーは味方…だよな……?)」

 

オリーバーは前のループでスバルのことを助けようとしてくれた。だから今回も大丈夫だとそう思う。そして問題は……

 

「にーちゃと、あの小娘に言われて面を拝みにきたのよ」

 

「パックと……エミリア?」

 

「目覚めてからのお前の様子がおかしいから、最初に目覚めたときにベティーがなにかしたんじゃないかって疑っているのよ。失礼な話かしら」

 

心ないスバルの言葉に傷付けられたはずのエミリアは、それでもなおスバルの心を慮っていたというのだ。彼女はスバルの変調の原因が直前に接触していたベアトリスが遠因でないかと考え、直接ベアトリスに訴えかけたのだという。

 

エミリアの気遣い――それはほんのわずかにだけ、スバルの荒れ果てた心に温かみを残した。だが、その心配は見当違いも甚だしい。

スバルの豹変の原因はベアトリスと無関係だし、こればかりはもはや誰がなにをしてくれたところで解決する問題でもない。

 

「わかった。もういいよ。お前の話はわかったから、もう消えてくれ。お前は謝りにきてくれた。それで十分だ」

 

「どうしてベティーが謝らなくちゃならないのかしら。まず、そこを訂正するところから始めないと帰るに帰れないのよ」

 

「でも、あれ八つ当たりみたいなものだろ?」

 

「お前は黙っておくのよ」

 

ジロリとベアトリスはオリーバーを睨みつける。オリーバーは「はぁ」とため息をつく。オリーバーとベアトリスの組み合わせは今までのループで一回しか遭遇したことがない。だからスバルにはわからない。この二人がどんな関係なのか。

 

「大体、お前は何でついてきたのかしら?」

 

「……エミリアに失礼な事を言った奴の顔を拝みに、かな」

 

ベアトリスは呆れたように肩をすくめるが、スバルは肩を震え上がらせる。エミリアに失礼な事を言った自覚があるし、今回のことで亀裂が生まれ、オリーバーがスバルのことを殺しにくるという可能性もゼロではない。

 

「……冗談だよ。スバル。だからそんなに怯えないでくれる?俺がエミリアに怒られる」

 

「えっ……」

 

スバルは思わず顔を上げる。オリーバーの顔は笑っていた。本当に冗談だったようだ。それに安心したスバルはほっと息を吐く……のと同時に、ベアトリスは鼻を摘み、やがて彼女は不愉快さを盛大に瞳に宿してスバルを睨み、

 

「面が辛気臭くなっただけじゃなく、ずいぶんと濃くなっているのよ」

 

「――は?」

 

「臭いの話かしら。鼻につく、最悪の香りなのよ。あの双子とはしばらく会わない方が賢明かしら」

 

 鼻をつまみ、手を振って悪臭をアピールするベアトリスにその言葉に驚くオリーバー。そしてスバルは二人の様子に気づかずに、自分のことを指差す。

 

「……俺そんなに匂う?」

 

「魔女の臭いなのよ。鼻が曲がりそうかしら」

 

 『魔女』というキーワードを呟き、頭の片隅がふいにうずき始める。

 その単語には覚えがある。つい最近、そんな単語を目にしたはずだ。それは、

 

「しっとのまじょ」

 

「今の世界で、魔女と言われてソレ以外のなにがあり得るのかしら」

 

「…どうして、その臭いを俺から感じる?」

 

「さぁ? 魔女に見初められたか、あるいは目の敵にされたのか。どちらにせよ、魔女から特別な扱いを受けるお前は厄介者なのよ」

 

「顔も名前も知らない相手に特別扱いってのは、ゾッとしねぇな」

 

 肩をすくめるベアトリスは、それ以上の話題すら不快だと暗に態度で示している。その頑なな拒絶の姿勢にスバルは口をつぐみ、今の断片的な情報を整理しながら思考の海へ潜り始める。

 

 魔女。しっとのまじょは世界中から憎悪され、恐怖され、誰しもが名前を出すことすら忌避するお伽噺に残る世界的有名人だ。

物語性すらない物語に語られた部分でしか、スバルがその存在に対して得ている知識は存在しない。

 

当然、出会った記憶もなければ、何がしかの接触を持った覚えもない。魔女の残り香が染みつくような事態など、体験もしていないのに理不尽な話だった。

 

ベアトリスはその縦ロールを手で大きく撫で付け、

 

「なにもないのなら、行くのよ。後の用事はこいつにでも任せればいいかしら」

 

「……丸投げかよ……まぁ、いいけどさ」

 

ベアトリスはオリーバーの言葉に返事もせずに踵を返す。オリーバーはそれを咎めようとはしない…のだが、そんなベアトリスに声をかけたのだが、

 

「待って」

 

他でもないスバルの声がそれを遮った。

 

「……まだ何かあるのかしら」

 

不愉快そうに、しかし律儀にベアトリスは振り返る。そんなベアトリスにスバルは口を開く。

 

「お前、俺に悪いと思ってるんだよな?」

 

と、スバルは意地悪く問いを投げつけた。

ある程度、賭けになるかもしれない手段ではあるが、何もしないよりマシだと心が訴えかけるのに従った。嫌そうな顔を浮かべるベアトリスに、スバルはシーツを軽く叩いて再度、

 

「お前は俺に、悪いと、思ってる。イエスかダーで答えろ」

 

「思ってないのよ」

 

「パックに言いつけるぞ」

 

「ぐ……。すこぉぉぉしだけ、思ってみることもあるかもしれないかしら」

 

パック、と突きつけるとベアトリスは簡単に屈服した。

ベアトリスは少し不満げな表情でスバルを見つめていた。

その視線に居心地の悪さを感じながらも、スバルは続ける。

 

「それじゃあ、お願いがあるんだ」

 

「……聞くだけ聞いといてあげるのよ」

 

スバルの言葉に不機嫌そうに唇を尖らせながらも応じるベアトリスに片目をつぶりながらもその会話を静かに聞くオリーバー。そんな二人の反応を尻目にスバルは告げる。

 

「一晩……いや、明後日の朝まででいい。俺を、守ってくれないか」

 

自分より年下にしか見えない少女に懇願するには、あまりにも恥知らずな選択に他ならなかった。スバルの持ちかけた願いにベアトリスはしばし黙り、

 

「曖昧な物言いなのよ。狙われる理由でもあるのかしら」

 

 至極当然な質問を返してくる。

 ベアトリスはスバルを白眼視したまま、部屋の中をくるくると歩き始め、

 

「そも、もめ事をこの屋敷に持ち込まれるのはゴメンなのよ。ベティーにとってこの屋敷は、なくてはならない場所なのかしら」

 

「……俺の方からなにかする気はない。かかる火の粉を払いたいだけだ」

 

「それさえ他人任せな癖に、ずいぶんと立派な志なのよ」

 

「今回に限り、返す言葉もねぇよ」

 

 俯くスバルにベアトリスは嘆息する。

そのまましばらく、無言の時間が室内を流れた。ベアトリスはベッド脇の椅子に腰掛けて、こう言った。

 

「……手を出すのよ」

 

「え?」

 

思わず呆気にとられるスバル。彼女はそんなスバルの右手を苛立たしげに取ると、その傷だらけの手の甲を見て顔をしかめ、

 

「気持ち悪い。自傷癖まであるなんて、救いようのない変態かしら」

 

「その言葉はロズワールのアイデンティティーだろ。……俺なんぞ、ちょっと青春が過剰に漏れ出ただけの厨二病患者だ」

 

「意味がわからないのに、救いようのなさが深まったのだけわかったのよ」

 

吐息して、ベアトリスはスバルの右手の傷口を隠すように掌を上に向けさせ、その掌に自身の小さな掌を重ね合わせる。

自然、誘われるままに指と指が絡み合うように手を握り合い

 

「汝の願いを聞き届ける。ベアトリスの名において、契約はここに結ばれる」

 

 厳かに、そう告げるベアトリスの姿にスバルは言葉を失った。

そして、絡み合った掌から伝わってくる圧倒的な熱量。それは掌を伝ってスバルの全身へ行き渡り、活力の失われていた体にふいに檄を叩き込む。

 

 ふいに熱くなる体の反応に戸惑いながら前を見ると、ベアトリスは心底不本意だとでも言いたげな目でスバルを睨みつけ、

 

「たとえ仮でも契約事は契約事。儀式に則った上で結ばれたそれは絶対なのよ。お前のわけのわからない頼み、聞いてやるかしら」

 

感謝するがいいのよ、と最後にそう結び、ベアトリスは下からなのに上から目線でスバルを堂々と見据える。

 

「ベアトリスって……本当にちょ……優しいよな」

 

オリーバーが横で笑いながらそう言うと、ベアトリスはフンッ!と鼻を鳴らした。

 

「勘違いするんじゃないかしら。ベティーはこの屋敷を守る義務があるのよ。だから仕方がなく助けてやるのよ!それに今チョロいって言いかけなかったかしら!?」

 

「言ってないよー。本当ベアトリスは可愛いですねー」

 

「うぅ~!!お前なんか嫌いなのよ!」

 

ぷんすかと怒り出すベアトリスに頭を撫でながら優しげに見つめるオリーバー。そんな二人のやり取りにスバルは思わず吹き出してしまう。それは、スバルの心に張り付いていた緊張の糸が切れた瞬間でもあった。

 

そのスバルの笑い声にベアトリスは不機嫌そうな顔のままだったが、オリーバーは気にした様子はなく、スバルにこう言った。

 

「ラッキーだね。スバル。俺に持ちかけられたらどうしようもなかったけど、ベアトリスがいれば君を守ってくれる。……本当に良かった」

 

何処か含みのある言い方にスバルは違和感を覚えたが、ベアトリスは気にした風もなく、

 

「当たり前かしら。ベティーと契約した以上は、……不本意だけど守ってみせるのよ」

 

「……やべぇ、幼女に泣かされそう……」

 

「プッ、幼女だって……!」

 

「……幼女とか言うんじゃないのよ。それにお前も笑うんじゃないかしら!」

 

オリーバーの失笑にベアトリスがまた怒るが、その会話にスバルは笑みをこぼす。レムのことも何も解決出来てないし、エミリアにデートの約束も出来ていない。それでも今はほんの少しだけ、救われた気がしていた。



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六話 『死に戻り』

「助けてあげて」

 

また、そんな夢を見た。あの日と同じ悪夢だ。嫉妬の魔女が……サテラがオリーバーに願い事を言うだなんて、きっと誰も信じてもらえないだろう。オリーバー本人ですら、今見ているこれは現実なのかと疑うほどなのだから。

 

 

△▼△▼

 

 

 

 

「……戻ったのか」

 

四日前と同じ夢だった。もう戻れないと思っていたのに、戻れた。

 

「(……とゆうことはもう……)」

 

これは、きっとスバルが死なせないようにしなければいけないということだ。

 

「(……どうして嫉妬の魔女がそんなことするのか訳がわからない……けど)」

 

単なる気まぐれではない。それだけはオリーバーの中では確実だ。とゆうか、そうとしか考えられない。

 

「……ささっと、スバルのところへ行こう……」

 

そう言いながらオリーバーは扉を開けた。

 

 

 

 

だが、事態は思わぬ方向に動く。何故なら――、

 

「おい、スバル。ご飯持ってきたけど……食べれるか?」

 

「……いらない」

 

場所は最初スバルが目覚めた部屋だ。エミリアに頼まれ、オリーバーはスバルに食事を持ってきた。だが、スバルは死んだ魚のような目をして食べるのを拒否した。

 

「……そうか」

 

可笑しい、という気持ちは当然ある。スバルは一周目と二周目はこんなことしてなかったから。ベアトリスと契約することもなかったし、何かに怯えていたことも引っかかった。それはまるであの『地獄』を体験しているようにも思えたからだ。

 

「(……もしかしたら)」

 

オリーバーはふと思ったことがある。それは、『死に戻り』のことだ。オリーバーはスバルに死に戻りの話をしたことがないし、スバルだって知らない筈だ。

 

「なぁ、本当にどうしたんだよ?先までベアトリスに笑っていた迫力はどうした?」

 

「……」

 

スバルは答えない。もう何度目だろう。はぁ、とため息を吐くのと同時に扉が開かれる。

 

「……スバル」

 

入ってきたのはエミリアだ。彼女は悲しげな顔をしながらスバルを見つめている。

 

「……エミリアたん」

 

「……やっぱりご飯食べないのね……」

 

「悪い……」

 

「ちょっとでも食べないと、体に毒よ?辛いかもしれないけど」

 

「胃が受け付けねぇんだ。……エミリアたんが、『あーん』って食べさせてくれるんなら、食べれるかも」

 

スバルの言葉にエミリアは食事の載った盆を膝に乗せ、匙を手にしたエミリアがスバルを見ている。

 匙にはスープがすくい取られ、まだかろうじて温かみの残るそれはスバルの口元を目指し、ゆっくりとこちらに近づいていた。そしてその行動にスバルは勿論、オリーバーも固まる。

 

「……な、何を!?エミリアたん!?」

 

「何を……ってスバルが言ったんでしょ?」

 

エミリアは平然とそう言った。助けでも求めるようにスバルはオリーバーを見るが……

 

「今回だけだぞ」

 

今回はしょうがない、と妥協していた。もはや、スバルに逃げ道などなかった

 

「あ、あーん」

 

「はい、ごくん。次々いくわね。はい、はい、はい、はい、はい」

 

「早いよ!?初あーんなのに余韻もクソもないな!?」

 

あーんというのは本来は少しだけ間をあけて行うものなのだが、スバルのツッコミに構わずどんどんとエミリアはスバルに食事を運んでくる。それを何とか飲み込んでいった。

 

「はい、これで最後」

 

最後の一口をスバルは飲み込む。

 

「……ご馳走様でした」

 

「お粗末さまです」

 

ニコニコ笑いながら言うエミリアと顔が赤いスバル。余韻は無かったが、やってもらったのは希望のあーんだ。嬉しいに決まっている。

 

「……にしても、大した量を食べてないのに……お腹が満たされてる。……何でだ?」

 

「しばらくちゃんとしたもの食べてないから、胃がびっくりしないようにって。ラムが言い出して、レムが作ったの。良い子たちなんだから」

 

まるで姉妹を自慢するようなエミリアの言葉。複雑そうに見つめるオリーバー。そんなオリーバーの様子に気づくことなく、エミリアはこう言った。

 

「さて、それじゃスバルにご飯も食べさせたし、あんまり長居しても疲れさせちゃうだろうから、戻るわね」

 

「なんなら隣で一緒に寝てくれてもいいよ?」

 

「元気になってきたみたいでなにより。でも、私も色々とやらなきゃなことがあるのです。これから勉強しないといけないし」

 

片目をつむって茶目っ気を詫びるエミリアにスバルは残念そうな表情をしながらこう言った。

 

「分かったよ。ありがとう、エミリアたん」

 

「うん、じゃあね。行きましょう!オリーバー」

 

そう言ってエミリアとオリーバーは出て行く。ここからは一周目と二周目とで同じだ。エミリアに勉強を教えて、休憩する。何も変わらない。何も変わらないからこそ――

 

「……エミリア。自習しといてくれ。…トイレ、行ってくるから」

 

「え……?あ、うん」

 

勉強を教える前にやるべきことがある。オリーバーはそう思いながら、エミリアを部屋の中に押し込んだ後、結晶石に話しかける。

 

「おい、パック」

 

「はいはーい。呼んだ?」

 

パッと小猫が姿を現す。灰色の毛並みに青色の瞳の可愛らしい姿の猫だ。そして、エミリアとオリーバーの保護者だった。

 

「エミリアよろしく頼むな。俺は、ちょっと話してくるから」

 

「……リアに嘘ついてまで何をするつもりだい?」

 

「分からなくていい。これに関しては言えないんだ。エミリアにもパックにも」

 

「リアにも僕にも言えないこと?まぁ、無理強いはしないけど」

 

パックとエミリアはあの頃から一緒にいる仲だ。だから、エミリアはパックのことを信用しているし信頼もしている。

だが、それでもパックは言えないのだ。この事は誰にも言わない……のではなく、言えない。

 

「……エミリアを頼む。絶対に俺の後をつけさせるなよ」

 

「……そんな器用な真似リアにできると思うかい?……まぁ、いいよ。ボクは君たちの味方なんだから」

 

「助かるよ」

 

それだけ告げると、オリーバーは向かう。――ナツキ・スバルのいる部屋に。

 

 

△▼△▼

 

 

「どうしたんだよ?オリーバー。何かあったのか?」

 

スバルはベッドに腰掛けながら、オリーバーを見つめていた。先ほどまでの悲しげな表情は完全には消え失せてはなかったが、マシになっている。

 

「お前と話がしたかった。……エミリアには勿論、他の奴にも言えないそんな話を、今からお前にする」

 

「そっか……。で、どんな話をしたいんだ?」

 

オリーバーはゆっくりと深呼吸をする。もう覚悟は決めた。ここで全てを話してしまおう。

 

「……もし、見当違いも甚だしかったら即座に忘れていいから」

 

そう前置きをしてオリーバーは口を開く。――例え、ここで死に戻りと言って魔女が出てきてもそれでも良かった。その方が気が楽になる。

 

「まず、聞きたい。お前は、何回死んだ?」

 

「は?」

 

普通なら死んだ数なんてゼロに決まっている。だけど、オリーバーは知っている。今回のループで明らかにレムとラムに怯えていることを。こんなの初対面ではないし、前回のループでレムがスバルのことを殺していることもオリーバーは知っている。つまり、それは前回のループを知っているからでは?というのがオリーバーの予想だ。

 

「答えろ」

 

「死んだ数って……ははっ、何の冗談だよ?」

 

「俺は真剣なんだ。ふざけた回答は求めてない」

 

オリーバーがそう言うとスバルは戸惑うようにオリーバーを見る。目の前の少年は本気だ。本気な目をし、スバルの回答を待っている。

 

「……」

 

「早くしろ。時間は有限なんだ」

 

「……何でだよ」

 

「……は?」

 

「なんで、そんな事を聞くんだよ……?」

 

救いを求めるように手を伸ばしてくる。その手が震えているのは何故なのか、なんて聞かれなくてもオリーバーには分かっていた。

 

「……死に戻り」

 

「……?!」

 

スバルの目が大きく開かれる。だが、それだけだ。世界の色は変わらず、エミリア達に告げたようにはならなかった。ただ、スバルは口をパクパクさせながら、信じられないという表情でこちらを見ていただけだった。

 

「何でそれを……っ!?」

 

「俺も、お前と同じだから」

 

「……っ!」

 

淡々と告げた言葉にスバルは息を呑む。信じられないとでも言いたげにオリーバーを見つめながら、

 

「……じゃあ…お前も……俺と同じように…死んでいるのか……?」

 

「それはちょっと違うな。よく分からないけど嫉妬の魔女に助けてあげてーって言われて……ここに戻ってきた」

 

「……は?」

 

訝しげな表情を浮かべるスバルにオリーバーは淡々と説明を続ける。説明を全部受けた彼は……

 

「そうか……」

 

「……だから全部覚えてるよ?エミリアとのデートの件も、レムの件も何もかも」

 

オリーバーは知っている。信用していた人に裏切られ、そして戻されて、また地獄を味わう苦痛を。オリーバーはその苦痛に耐えきれずに何度も死んだ。だけど、それでも死に戻った。頭がどうしようもなくおかしくなりそうになりながら、それでも耐えて耐え抜いてきたのだ。

 

「……でも、それだけだ。次のループで俺が覚えているかは分からない。そもそも、どんな条件であの嫉妬の魔女が現れるか分からないし」

 

オリーバーはただ事実を述べた。実際、嫉妬の魔女が次オリーバーに夢の中に現れるのだろうか?という不安がある。前回はたまたま運良く出てくれただけで、次は来てくれる保証はない。

 

「……だからスバル。協力しようぜ?俺はお前を助けてやる。そして、この呪いのような状況から抜け出すんだ」

 

「……ああ」

 

そしてオリーバーとスバルは握手をする。それは、とても暖かった。

 

「じゃあ、こっちからもレムの行動は警戒しておくから……」

 

そう言いながら、オリーバーはエミリアのところへと戻ろうとした直後、

 

「あ、ちょっと待って!」

 

「…‥なんだ?スバル」

 

「……ありがとう」

 

ストレートにお礼を言われ、オリーバーは戸惑う。ありがとうだなんて言われることなんてしていない。むしろ謝る方が正しいはずなのに。

 

「……ありがとうだなんてお礼を言われるほどのことじゃ……それにあのとき助けられなかったし」

 

その罪滅ぼし、という訳ではない。ただ、単純に、スバルはエミリアの恩人だ。恋のライバルではあるが、それでも恩人としても、恋のライバルだとしてもオリーバーはスバルを助けてあげたかったのだ。だけどーー

 

「(……もし、仮に嫉妬の魔女が来なかったら……)」

 

諦めていたと思う。死に戻ってまで、レムに勝とうとはしない。だって、それはとてつもなく、苦しいとオリーバーは知っている。抗えば抗うほど、苦しみが増えるだけだ。

 

「……じゃあな」

 

それだけ告げると、オリーバーは部屋から出ていってエミリアとパックがいる部屋へと急いだ。

 

 

△▼△▼

 

 

 

「悪い!エミリアにパック!」

 

「オリーバー……トイレ随分長かったわよね?大丈夫……?」

 

「あぁ、大丈夫だ。気にすんなって」

 

嘘をつくのはオリーバーには苦手だ。だけど、人を疑うことを知らないエミリアを欺くことは容易だった。

 

「リア、だから言ったでしょ?オリーバーは大丈夫だって」

 

エミリアの隣にいたパックがそう言う。その言葉に、エミリアは少しだけ納得してなさそうな顔をしたが、うんと返事をする。

 

「……本当にごめんって。本当に腹下したんだよ……」

 

「じゃあ、今日はレムに頼んでお腹に優しいメニューにしてもらう?」

 

「……それもいいかもしれない。…スバルも喜びそうだな」

 

何気のない会話をしながらオリーバーは椅子に座りながらこう言った。

 

「じゃあ、勉強再開しようか」

 

そう言いながら、オリーバー達は机に向かった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「まさか、オリーバーまで同じ境遇だったとは……」

 

スバルは一人取り残された部屋で呟いた。まさか、自分以外に死に戻りをしている人物がいたなんて思いもしなかった。

 

「……」

 

ただ、オリーバーの言葉を思い出す。『次覚えているのかはわからない』と。その言葉に不安はあったが、同時に嬉しくもあった。

 

先までの気持ちはすーっと軽くなり、前向きな考えができるようになっていた。それはきっと、彼も同じなのだろうとスバルは思った。そしてもう怖いものは何もない……と思っていた。



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七話 『馬鹿な男』

運命の日がやってきた。スバルにも、オリーバーにも運命の日だ

 

「ねぇ、オリーバー!スバルがいないの!」

 

ふっと、エミリアが慌てたようにそう言った。あの日から毎日のようにエミリアは客間に通っている。

 

「……ああ……今日は多分、禁書庫にいるから大丈夫だよ」

 

「え?禁書庫に?とゆうことはベアトリスと一緒?」

 

「ああ、そうなるな」

 

「……どうしてそう言い切れるの?」

 

困惑気味に、エミリアはそう言った。エミリアの言い分は最もだ。だから──、

 

「……そんなに信じられないのなら証拠を見せてやろう」

 

扉を開ける。そこには──。

 

「それでいいでちゅかちらー。ちょっと難しすぎまちゅなのよ?」

 

「ちょっちゅねー。ちょっちょボクにはむじゅかししゅぎて、わかんにゃいかもしれないでちゅー」

 

「………」

 

緊張感のかけらもないやりとりにオリーバーは思わず無言になった。

 

「……ってエミリアたんにオリーバー!?」

 

「うげっ、もしかして今の聞いていたのかしら?ベティーはこいつのレベルに合わせてあげただけだから勘違いするじゃないのよ!それに毎度毎度どうして扉渡りを破れるのかしら!?」

 

「さぁ?それは俺が聞きたい。にしても……何二人揃っての赤ちゃん語。ここにパックいなくて良かったな」

 

パックがいなくて良かったな、という言葉にベアトリスは心底安心し、スバルは青ざめる。何せ──、

 

「えーっと……私もうそろそろ寝るわね」

 

エミリアがいたからだ。好きな人にこんなところ見せるだなんて罰ゲームみたいなものだ、思いながらオリーバーは呆れる。ましてや、明日死ぬかもしれないのに。何処までも呑気な男だ、思いながら、

 

「ど、どうしよう……!エミリアたんに変なところを見せてしまった……!」

 

「それはもう今更だ。諦めろ。事情は明日に説明すればいいだろ。……おやすみ」

 

そう言ってオリーバーはスバルをフォローしたようでしてない言葉を残し自分の部屋に戻った。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

小鳥の鳴く声が聞こえてくる。カーテンの隙間からは朝日が差し込んできている。

 

「(……夢を、見なかった……)」

 

起きて一番に思ったのはそのことだ。嫉妬の魔女が愛の言葉を囁いた後、涙を流しながらも、『助けてあげて』とそう言われたのだ。だというのに今回は来なかったのは──

 

「(……乗り超えたのか?スバル)」

 

元々、ベアトリスの扉渡りは、他の人には来れないシステムだ。故に、あそこにいたらスバルは死なない。──寧ろ、一発で行けるオリーバーやスバルが異常なのだ。 

 

「ぁぁああぁああああぁぁぁぁあああぁぁあ――ッ!」

 

そんなとき、叫び声が聞こえてきた。

それは、ラムの声だった。

 

急いで駆け付けると、そこには全員いた。エミリアもパックもベアトリスもロズワールもスバルも勿論、ラムも。そして──

 

「……は?嘘だろ?」

 

──彼女に縋りつかれながら、レムが息を引き取って横たわっていた

 

「……どうして?」

 

オリーバーは不意にそう言った。だが、誰も答えることはできない。答えられるわけがないのだ。だってこの場にいる全員犯人がわからないからだ。

 

「おそらくは魔法によるものだぁね。魔法より、呪術寄りに思えるけどねぇ」

 

扉の隣に立っていたロズワールが不意に推測を口にする。指を立て、藍色の長髪は普段のゆるみ切った表情をわずかに引き締め、

 

「死因は衰弱によるものだ。眠っている間に生気を奪われ、ゆぅっくりと鼓動を遠ざけられて、そのまぁま眠るように命の火を吹き消されている」

 

「……呪術」

 

呪術という言葉に反応したのはスバルだった。オリーバーには全く記憶にないが、スバルにはあるみたいだ。

 

「でも……一体誰が……」

 

スバルの言葉に全員がスバルに視線を集中させる。 

 

「……ずいぶんと、真剣に悩んでいたようだねぇ?」

 

少し高い位置から、ロズワールがスバルを見下ろしてそう呟く。青と黄色のオッドアイは、まるでスバルの品定めでもするかのように細められており、自然と内心を見透かされる不愉快さにスバルだけでなく、オリーバーも眉を寄せた。

そんな自分の不作法に気付いたのだろう。ロズワールはすぐに居住まいを正すと、スバルに対して目礼し、

 

「失礼したね。私も少々、気が立っているようだ。さぁすがに、可愛がっている使用人がこんな目に遭わされたと思うと、ね」

 

いつも通りの調子でロズワールがそう言ったのでオリーバーには分からなかった。ここで感情が見える口調で言っていれば、また違ったのかもしれないが、今はただ淡々としていた。

 

「火で炙り、水で犯し、風で刻み、土に沈める。私の全力で持って、犯人の人間には相応の返礼をしたいと思っていてね。――そこのところ、君はどう思うかな、ナツキ・スバル君」

 

「──は?」

 

オリーバーは思わずそう漏らす。ロズワールの言葉は──まるでナツキ・スバルを疑っているような言葉だ。それはロズワールだけではなく、ラムもベアトリスもパックもエミリアすらスバルを疑っている……ように見えた。しかし、

 

「……こいつは犯人じゃねーよ」

 

「おやぁ?エミリア様以外の件では基本的に口を挟まないオリーバー君が口を挟むとは珍しい」

 

「その言い方だとまるで俺が酷い奴じゃねーか。……俺だってエミリア以外の件も口を挟むこともあるよ」

 

だが、ロズワールの言葉も本当だ。オリーバーは基本的に、エミリアの害になると判断したこと以外口にしない。なら、何故、口にしたのか?と聞かれたら──。

 

「(こいつが、死に戻りをしているっと知っているから)」

 

それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。そんな様子のオリーバーにロズワールはゆっくりと口を開く。

 

「だが、彼が何かを知っている。それは事実じゃないかぁーな?」

 

「……」

 

だが、スバルは何も答えない。当たり前だ。言えないのも当然だ。言えば最後、嫉妬の魔女がやってくる。

 

「スバル」 

 

はっきりと、スバルの名を呼ぶエミリア。

押し黙るスバルの態度に、拭い切れない疑念を抱いた証拠だ。そんなエミリアの当たり前の反応にオリーバーは少しだけ物寂しく感じる。

 

 

スバルは何かを言いかけた瞬間、スバルは苦しそうに声を上げる。

 

「スバル!?」

 

憂いの悲痛な声を聞き、スバルは苦しそうにうずくまる。

 

「(死に戻りのことを考えていたのか?)」

 

オリーバーはそう思い、ため息を吐く。思考すら許さないとは酷い話だ。そう思っていると、ラムは苛ついたように

 

「……何かを知っているのなら洗いざらい話なさい!」

 

当然の暴風に目をつむった直後、

 

「いづ……っ!」

 

 頬を鋭い痛みが突き刺し、スバルは思わず掌で顔を覆っている。

 

「……っ!」

 

その光景を見たくなかった。オリーバーは息を呑んだ間にも魔法は斬撃のような鋭さを一閃、スバルへ届くまでの進路上の壁と扉を切り裂き、頬を裂いたときのような一撃を叩き込んでくる――それが、ふいに消失した。

驚き、声を詰まらせるスバルとラム。そんな二人の間で、

 

「――約束は、守る主義なのよ」

 

 呟き、スバルの前に立ったのはベアトリスだった。

 

「屋敷にいる間、この人間の身の安全はベティーが守るかしら」

 

「ベアトリス様……!」

 

憎たらしげに、ラムはベアトリスを見つめる。その視線を受け、ベアトリスは小さな肩をすくめながら、

 

「ロズワール。お前の使用人がお前の客人に無礼を働いているのよ。屋敷の主として、そのあたりはどう判断するのかしら」

 

 水を向けられ、ロズワールは一瞬だけ眉を寄せる。が、すぐにいつもの余裕を取り戻すと、片目をつむって肩をすくめ、

 

「確かに誠に遺憾なことだとも。できるなら私もすぐに彼を客人として改めて歓待したい。その胸の内を吐き出し、身軽になってくれたのならすぐにでも」

 

「……こいつは昨晩、ベティーの禁書庫にいたのよ。だからこの一件とは関係ないはずかしら」

 

「事態に重きを置くべきはすでにそこにない。ベアトリス、君もそぉれぐらいは十分に承知しているはずじゃぁないかね?」

 

 交渉は決裂し、ロズワールは肩をすくめたそのままに両手の掌を上へ向ける。その掌にふいに、色とりどりの輝きが複数浮かび上がるのが見えた。

 

そんなロズワールのパフォーマンスにベアトリスはその可愛らしい鼻を小さく鳴らし、

 

「相変わらず、小器用な若造なのよ。少しばかり才能があって、ちょこっとだけ他人より努力して、ほんのわずかだけ家柄と師に恵まれた……そんな程度で、器用貧乏から抜け出せたとでも思っているのかしら」

 

「そぉっちこそ、相変わらず手厳しいねぇ。もっとも、時間の止まった部屋で過ごす君が、常に歩き続ける我々とどれほど違えるか――試してみたいと、思ったことがないといえば嘘になるとも」

 

互いの言葉には互いに思うところがあるのだろう。それはオリーバーが二人の会話に割り込むことができないほどに強いものだ。だが、そんな二人の会話は──

 

「どうでもいい、そんなのは全部、どうでもいいのよ!」

 

地団太を踏み、そのやり取りに割り込んだのはラムだった。全員の注視を受けながら、彼女はスカートの裾をギュッと握りしめ、

 

「邪魔をしないで、ラムを通して。レムの仇を……なにか知っているなら、全部話して。ラムを……レムを助けて……」

 

泣きそうな声で、懇願するようにラムは言う。

だが、それは許されないことだ。ラムの願いは、叶えられない。

故に、スバルにはそれに返してやれる言葉がない。だんまりに対して与えられるのは、激昂と失望が宿る見えない刃だ。しかし、それはまたしてもスバルに届くことなく遮られ、

 

「ごめんね、ラム。私はそれでも、スバルを信じてみる」

 

エミリアの声だ。ラムの激情を受け止め、なおも揺るがぬ声音にラムは言葉を詰まらせ、

 

「……エミリア様まで……」

 

ラムの小さなつぶやきは、ひどく悲痛に満ちていた。

 

「スバル、お願い。……あなたがラムを、レムを救ってあげられるなら、全部話して?」

 

そこに込められた慈しみの感情に、オリーバーは

顔を俯かせる。

 

「……」

 

スバルは何も答えない。答える気力すら、今のスバルにはないのだ。

 

「ごめん――」

 

そう言い残し、スバルは後ずさるに任せてエミリアから距離を置く。

一瞬、スバルを止めようと伸びかけたエミリアの手。それはスバルに届くよりも先に、繰り出された風の刃の迎撃へと回されることになり、結果、その場の誰もがスバルの足を止めることは叶わなかった。

 

「スバル――!」

 

呼び止める声を振り切り、スバルは廊下を形振り構わず突っ切る。背後、魔法力のぶつかり合いが発生しているのに関わらずも、だ。

 

「……逃げるのは普通だな」

 

オリーバーもこの状況ではそれが正しい判断だと思う。ただ──

 

「……え!?オリーバー!?」

 

「……ごめん!エミリア」

 

オリーバーはスバルと話したいことがいっぱいあった。けれど、今はそれどころではない。だが、今ここで見失ったら──

 

「(きっと、一生後悔することになる)」

 

初めての死に戻り仲間だ。初めての恋のライバルだ。本当は嬉しかった。死に戻りの仲間ができたことも嬉しかったが、それより──

 

「(恋のライバルが出来て……)」

 

厄介だとそう思っていたけど、それ以上に嬉しさが勝った。だから──

 

「(ここで死なせるわけには──!)」

 

いけない、とそう思った。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

どれぐらい時間が経っただろうか。

息も絶え絶えになりながら、オリーバーは走る。

 

「っ……」

 

身体中、汗まみれだ。喉も乾いて仕方ない。

 

「くそ、どこにいるんだよ……」

 

スバルの姿は見つからなかった。頭をフル回転して必死になって考える。彼が行きそうな場所を。

 

「……無我夢中に逃げてるなら、周りは見えていない……」

 

なんとなく、あそこなような気がする。オリーバーの勘がそう告げている。

 

「こっちか!」

 

確信があったわけではない。だが、今は少しでも可能性があるほうへ、全力で駆け出した。そして、その先で見た光景は、

 

「……ああ、やっぱりここだったんだね」

 

予想通りの場所に彼はそこにいた。

 

「オリーバー……何でここに」

 

「なんとなくだよ。ここにいるかどうかは正直賭けだったけどよ」

 

ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返し、額に流れる汗を拭いながら、オリーバーは言う。

そんな彼の様子を見て、スバルは何を思ったのかはオリーバーには分からない。ただ、彼は悲しそうな目をして、

 

「何で……放っておいてくれねーんだよ……」

 

「放っておけるかよ。こんな状況で……そんなことできるかよ」

 

スバルは俯き、拳を強く握ったまま、何も言わなかった。そんなスバルに対して──

 

「俺はお前のことを信用してる」

 

「それは死に戻りがあるからか……?」

 

震える声で、スバルは言う。だが、それにオリーバーは首を横に振った。

 

「──確かにお前は怪しい奴だし、正直死に戻ってなかったら俺も怪しんでたと思う。でも…それでも、信じてみたいと思ったんだよ。死に戻ったとか関係なしに、お前のことを信じたいってな。…エミリアの恩人だし」

 

それは本心だった。オリーバーにだってそんな時期があったから。だから放っておけない。例え、スバルがどんな決断をしたとしてもオリーバーは逃げない、と思う。

 

「…………」

 

そんなオリーバーの言葉に、スバルは俯いたまま、オリーバーに背を向けた。そんなスバルの様子に構わず、オリーバーは──

 

「………なぁ、ナツキ・スバル。逃げろ。ベアトリスもきっと……「──ようやく見つけたのよ」

 

突然の第三者の声に、二人は同時に振り返る。そこには、

 

「──ベアトリスか」

 

「随分と手間をかけさせてくれたのよ」

 

苛ついたようにベアトリスは言った。そんなベアトリスの様子にスバルは驚いたようにこう言った。

 

「まだ、俺との契約を守ってくれるのか……」

 

「契約は契約。どちらかが倒れるまでそれは有効なのよ。……そう考えると、まともに期限を決めなかったのは失敗だったかしら」

 

込み上げる感情に言葉を見失ったスバル。ベアトリスとオリーバーはそうして黙り込むスバルを眺める。そんな二人に対し、スバルは震えた声で口を開く。

 

「戻れない俺を、どうしてお前は……?」

 

「気まぐれなのよ。せめて目の届かないところで死んでくれないと、ベティーの夢見が悪くて困るかしら。――この期に及んで尻込みしているようじゃ、それも望み薄な気もするのよ」

 

優しさを消し去り、ただ厳しさだけを込めた言葉に切りつけられる。

つまらないものでも見るようなベアトリスの視線は渇き切っていて、知らずスバルは喘ぐように喉を鳴らしていた。

 

「……俺が、逃げるのを選べば……」

 

「屋敷の連中に見つからないよう、手助けぐらいはしてやるのよ。そのあとでどこへ行方をくらますかは、お前の勝手にするといいかしら」

 

それはベアトリなりの譲歩だった。

おそらく、スバルがここで捕まれば殺されるのだろう。それをわかっていて、ベアトリスはスバルを見逃そうとしているのだ。

 

「そうだな。ささっと逃げろ。その後の保証は…残念ながら出来ねーけど」

 

オリーバーはそう言いつつ、ため息を吐く。折角、死に戻り仲間なんてものが出来たというのにここでみすみす逃してもいいのだろうか、と。しかし、これ以上、この人間を苦しめたくない。恋のライバルが出来たとしてもこれから笑い合える可能性なんて微塵もない。それなら──

 

「……じゃあな、スバル」

 

──オリーバーはナツキ・スバルと別れることに決めた。トラウマを持った人間がそうやすやすと死ねるものじゃない、と思いながら。

 

「そうだ。せっかく拾った命だ。……だから――使い方は、俺が決める」

 

だけど、そんな声が聞こえ、オリーバーは嫌な予感がした。だから──

 

「お前……まさか馬鹿なこと考えてるんじゃねーだろうな?」

 

オリーバーの言葉にスバルは答えない。──否、答えなかったのではなく、

 

「下がるかしら」

 

ふいに低い声で呟き、ベアトリスがスバルの方へ回り込んだからだ。彼女は掲げた手でスバルの動きを制し、その愛らしい顔立ちに警戒の色を濃く刻んで周囲に視線を走らせた。

 

「べあ……」

 

「黙るのよ」

 

 問いかけは即座に切り捨てられ、スバルもまた彼女の警戒の原因を探るように視線をさまよわせる。ベアトリスがなにを感じて、なにに警戒しているのか、そんなの聞かないまでも分かる。

 

「――ラム」

 

彼女の姿は高空、高々と伸びる大木のその頂上にあった。太い枝を足場とし、幹に手を添えて体を支えるラム。彼女の視線とスバルの視線が絡み合い、思わず息を呑んだ瞬間、それは大地を削ってスバルたちの周囲に土煙を巻き上げた。

 

「……っ!」

 

スバルを庇うようにして、オリーバーは吹き荒ぶ土砂を浴びながら、その風圧で後方に押しやられる。その衝撃に顔を顰めながらも、

 

「大丈夫か?スバル」

 

「ああ……」

 

そんな光景にラムは鼻で笑うようにこう言った。

 

「はっ。エミリア様以外を庇うだなんて、オリーバーも丸くなったものね」

 

「何か勘違いしてねーか?ラム。俺はエミリアの為にこいつを庇った。──ただそれだけさ」

 

オリーバーはそう言ったが、本当は今の行動はエミリアの為ではなく、スバルのために動いたのだ。──だがそれを口にするつもりはない。する時間もないし、恥ずかしいからだ。それに今はそんなことが問題じゃない。

 

「……それより──こいつに何を聞いても無駄だ。こいつはレムのことについては何にも知らねーからな」

 

そんなオリーバーの言葉にラムは苛立ったようにオリーバーを睨みつける。スバルは相変わらず、だんまりを決めこんでいる。だけど──。

 

「……何だその表情」

 

スバルには諦めや絶望などではなく、何かの感情が渦巻いているように見えたのだ。

 

「……おい、どうしたんだよ」 

 

「……お前のおかげで、決心がついた。ありがとな」

 

「……は?」

 

スバルの言っていることが意味がわからない。困惑するオリーバーの目の前で、スバルは前に立とうとする。それを──

 

「お前、死にたいのかしら?」

 

ベアトリスが止める。ベアトリスの言葉にスバルは振り返り、そして──

 

「ビヨーン」

 

豪奢な縦ロールを二本、両手で掴んで思い切り伸ばした。手を離す。髪が大容量のままに大きく弾んだ。

 

「うん、なかなか快感」

 

「な、な、な、な……」

 

 目を見開き、唇を震わせて、ベアトリスがわなわなと振り返る。スバルはそんな彼女に「な?」と首を傾げてみせる。と、

 

「なにをしてやがるのかしら!? こんな状況で、死にたいのかしら!?」

 

「バカ言うんじゃねぇよ、死にたくなんか欠片もねぇ。死ぬのなんざ本当に、人生の最後にいっぺんだけでいい。本気で、そう思う」

 

言いながらベアトリスの肩を引き、たたらを踏む彼女の前に出る。

 正面、立っているのは唖然とした顔でこちらを見つめるラムだ。彼女は前に出たスバルに警戒を高め、その唇を噛みしめるようにして、

 

「いい、度胸だわ。やっと観念したってこと?」

 

「観念とは少し違うな。言うなれば……覚悟が決まった、ってとこか」

 

「――なにを」

 

スバルの意図がわからずに、顔をしかめるラムとオリーバー。そんな二人にスバルは手を合わせ、深々と頭を下げた。

 

「悪かったな。俺がヘタレてたせいで、ずいぶんとお前を悲しませた」

 

「――! やっぱり、レムのことをなにか」

 

「いや、悪いけどそれは本気でわからん。正直、わからないことだらけだ。けど」

 

言葉を区切り、スバルは顔を上げる。

ラムはじっと彼のことを見据えていた。スバルはそんなラムのことを見つめながらこう言った。

 

「わかんねぇことだらけなのを、知っていこうとそう思ったよ」

 

「今さら! なにを!」

 

スバルの決意表明に、しかしそれを戯言だとしか感じられないラムは吠える。彼女は地団太を踏むように足を振り下ろし、

 

「レムはもう、死んでしまったの!もう、取り返しがつかないの! 今さらなにかがわかったところで、あなたになにができるっていうの!?」

 

「なにかができる、なんてかっちょいいことは言えねぇ。なにもできなかった結果がこの様だかんな。説得力なんてゼロなのは俺が一番わかってる」

 

「あなたに、ラムと、レムの、なにがわかるって言うの!?」

 

「なにもわからねぇよ、知ろうとしなかったからな。肝心な部分はなんにも知らないまんまだ。だけどな」

 

言って、スバルはラムの瞳を真っ直ぐに見返す。

その視線を受けても尚、ラムはスバルのことを睨むが、スバルはラムに向かって深く頭を下げる。そして、 気持ちを吐露するように、スバルは素直な想いを口にする。

 

「お前らだって、知らないだろうが」

 

「なにを……」

 

俺が!お前らを!──大好きだってことをだよ!

 

何を言っているのか、ラムにもベアトリスにも分からないだろう。死に戻りを知っているオリーバーですらその言葉の意味は理解できない。

 

「何を言ってるんだよ、お前……!」

 

そんなオリーバーの言葉より前にスバルが駆け出す方が刹那だけ早い。

ラムに背中を向け、ベアトリスとオリーバーの横を通り過ぎ、スバルの体は全力のスピードに乗って――崖の方へと向かう。

 

「待って――!」

 

背後、少女の甲高い悲鳴のような声が響く。

それがどちらの少女の声だったのか、今のオリーバーには分からない。それでも──

 

「あの馬鹿……!」

 

やっと分かった。ナツキ・スバルの目的が。

自分の身を守る為ではなく、周りの笑顔のために自らを犠牲にしてでも、彼女たちを助けようとしていたのだ。そんな男の行動に──、

 

「馬鹿だろ。ナツキ・スバル」

 

心底呆れたような声でオリーバーはそう零した。

 

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

頭蓋の砕かれた死体を前に、膝をつくベアトリスの姿があった。

 

 高所からの落下に、人間の肉の体は衝撃に耐えかねて砕け、黒髪はその中身を地べたにぶちまけ、死に花を真っ赤に咲かせていた。 

 

「……酷い死に様」

 

オリーバーはそう言いながらも、

ベアトリスの隣に立ち、血溜まりの中に沈むその死骸を見下ろす。それはオリーバーだけではなく、ラムもそうだった。 

 

「最後の最後まで、わけのわからないことを言って……もう、何も……」

 

転落死し、大の字に地面に転がるスバルの傍らに立ち、吐き捨てるようにラムはそう言った。

整った身嗜みは乱れ、制服の端々に引っ掛けた鉤裂きが目立つ有様。意識的に無表情を形作る横顔にはやり切れない複雑な感情と、怒りが浮かんでいる。

 

スバルの死を惜しむ――というよりは、その結果に激しい怒りを覚えている顔だ。ラムは乱暴に自分の頭を掻き、それから振り返る。

 

「これも全て、予定通りですか、ベアトリス様にオリーバー。こうして、ラムの行く手を阻むことがあなた達の……っ」

 

「――――」

 

口早に非難を始めようとしたラムの表情が強張り、言葉が途切れる。彼女の視界に映るのは、いつの間にかすぐそばまで来ていたオリーバーだ。

彼はこちらを見上げながら、こう言った。

 

「――違うよ。ラム。俺もベアトリスもこんなこと……」

 

ただ情けなく、そう言ったオリーバーとただ涙を流すベアトリス。その二人を見てラムも言葉を詰まらせながらもラムは再びスバルの死体を見て、

 

「何が、大好き――本当に、救えない話だわ」

 

ラムは唇を強く噛み締めながら、そう小さく漏らした。







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八話 『膝枕』

夢を見た。

 

「──助けてあげて」

 

また、嫉妬の魔女が涙を流し、オリーバーにそう言ってくる。その手を取り、オリーバーははっきりとこう言った。

 

「ああ……」

 

──絶対に助けてやる、とオリーバーは心に誓った。

 

「……戻った」

 

条件がよく分からなかった。この前──二周目のときはスバルが死んだ後の記憶はないが、今回はある。泣くベアトリスと、怒るラムの記憶しかないが。しかし──

 

「(……あんな意味不明な死に方……)」

 

ベアトリスも、ラムもスバルの言い分と全く合っていない意味不明な行動に動揺していた。それは当たり前だ。死に戻りを持っているオリーバーだからこそ分かった行動であり、他の者なら気づかない。しかし、それを抜いてもナツキ・スバルは大馬鹿だ。ベアトリスをラムをレムをそして──エミリアと笑い合えるそんな未来を望んだのかもしれない。

 

「(……本当、馬鹿なやつ)」

 

エミリアやラムやベアトリスはともかく、自分を殺したレムまで救おうとするなんてどうかしている。

 

「……でも、悪い気はしないよ、ナツキ・スバル」

 

少しだけ昔の自分を思い出し、オリーバーは笑みを浮かべた。

 

 

 

しかし、ナツキ・スバルはあの時……一周目の流れを沿ったような行動をし始めた。それは一周目の時に見た無駄に元気でうるさくてうざったいナツキ・スバルそのものだった。だが──

 

「(無理している感じがこっちに伝わってくる……)」

 

それがオリーバーには分かる。ナツキ・スバルは必死なのだ。必死にあの時の自分を取り繕うとしているのが分かって痛々しく感じた。

 

だから、なのだろう。

 

「おい。ナツキ・スバル」

 

「……オリーバーか」

 

いつものような笑顔はなく、洗面所で飲食物など体に入れた端から全て吐き出している。出てくるのは黄色がかった胃液だけだ。

 

「……汚いな……」

 

オリーバーはため息を吐く。三周目のときオリーバーが死に戻りのことを告白してなかったら、今頃ナツキ・スバルはきっとオリーバーにも演技をしていただろう。

 

スバルというと、オリーバーの目の前で水をガブ飲みし、それを嘔吐いているだけだった。こんな状態になるまで我慢し続けていたのかと思うと怒りさえ覚える。怒りの矛先はスバルではなく、何もできなかった自分自身に対してだ。だからオリーバーはスバルに対してこう聞いた。

 

「──何でそこまでして、頑張るの?そんな気持ち悪い演技をしてまでここにいたいの?ここの屋敷に来たのループ含めたら10日間ぐらいだろ……?」

 

オリーバーの言葉に、ナツキ・スバルは顔を上げる。そして口元を拭きながら言った。 

 

「お前には分からないさ。俺の気持ちなんて」

 

ただ悲しむように、そう言うだけだった。そこにいつもの張り付いた笑みはなく、本心で言っているように見えた。

 

「……だろうな。自分の気持ちを無理矢理押し込めてこんな気持ち悪いことしているお前の気持ちなんて……っ!」

 

分かりたくもない、と、言うのは簡単だ。でも、言えない。言えないのは──きっと、自分も同じだから。

 

「……見つけた」

 

不意に、銀鈴の声が聞こえた。振り返るとそこには弾む息を整えるエミリアの姿がある。これが自分の為に走ってくれたのだったらどれほど良かったのだろう、と思う。だけど──。

 

「おやおやぁ、エミリアたんから俺をご指名とか嬉し恥ずかし珍しい!なんでも言って、なんでも命じて! 君のためならたとえ火の中水の中、盗品蔵の闇の中だってもぐっちゃうよ!」

 

指を天に向けて腰を振り、リズムに乗ってポージングするスバルの姿を見てオリーバーはため息を吐く。

 

「(先まで吐いてた奴の台詞だとは思えない……)」

 

「……ってちょっと待って!?この場にオリーバーがいることも忘れてた……!もしかして走って来たのってオリーバーの為!?」

 

スバルの焦った声。これが一周目ならきっと、オリーバーだって言い争っていたかもしれない。だけど──

 

「違うよ。今日は……お前だよ。……俺は邪魔だろうから部屋に戻るわ」

 

そう言ってオリーバーはその場を離れることにした。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「エミ……「しーっ」

 

エミリアは口に人差し指を添え、静かにするように促す。エミリアの膝にはスバルがいる。つまり、膝枕だ。エミリアに頭を撫でられ、幸せそうな表情をして寝ている。

 

「幸せそうだな……」

 

「ええ、幸せそう」

 

エミリアはニコニコと笑いながら、またスバルの頭を優しく撫でる。

 

「……エミリア様」

 

また別の声が聞こえた。今度はレムの声だ。指を当てるエミリアの仕草にレムはその口を閉ざした。ショートカットの青髪を揺らし、レムは部屋の中をゆったりと見回す。それから客間の床に直に座り、その膝の上にスバルの頭を乗せるエミリアの傍らへ歩み寄ると、

 

「スバルくんは、寝ているだけですか?」

 

「そう。ふふ、ほら見て、子どもみたいでしょ。頭、撫でるとホッとしたみたいな顔するの」

 

面白がるようにスバルを撫で、エミリアはレムに同意を求める。レムはそんな彼女の求めに静かな首振りで応じ、

 

「今日は、スバルくんにこれ以上の仕事はできそうにありませんね」

 

「そうね、今日はお休み。働き始めて二日で休んじゃうなんて、すごーく悪い子。元気になったら、お仕置きしてあげてね」

 

 小さく笑い、エミリアはそのままスバルの顔を弄る作業へ戻る。そして、

 

「オリーバーくん……いいんですか?」

 

「……?何でここでオリーバーが出てくるの?」

 

遠慮するようなレムの声と、何のことだが分からないエミリアの声。その二人の声を聞きながら、オリーバーはこう言った。

 

「いいよ、今回は。でも……レムに一つ言いたかったことがあるんだった」

 

「奇遇ね。私もあるわ」

 

エミリアとオリーバーはクスクスと笑うと、二人揃って、レムにこう言った。

 

「こいつはいい奴だよ」

「スバルはいい子よ?」

 

告げられた言葉に、レムは深々とした礼で応じる。それから一瞥も残さずに扉に向かい、三人を残してレムは客間を出た。

 

「……分かってくれると、いいのだけど」

 

エミリアはぽつりと呟く。そしてもう一度スバルの頭を優しく撫でてやった。するとまるで猫のように、気持ち良さげな表情をしていた。

 

 

△▼△▼

 

 

 

「よぉ、好きな女の前でみっともなく鼻水垂らして、長時間膝枕させていたナツキ・スバルじゃないか」

 

「それやめてくれる?!てゆうか、これ屋敷のみんな知ってるの?!」

 

翌日、顔が赤いスバルに対してオリーバーは茶化すようにそう言った。と言っても、オリーバーなりの気遣いだった。昨日のことを気にしているだろうと思っての発言だった。

 

「ああ、多分全員……知ってると思うよ?」

 

「えっ……恥ずかしすぎるんだが……?!」

 

スバルが羞恥心から悶える姿を見ながら、オリーバーはため息を吐いた。

 

「別にいいだろ。膝枕ぐらいみんなに知られたって。俺だって昔エミリアに膝枕されてた時あるし、逆にしてあげた時もあるし」

 

そう言うと、スバルは目を丸くし、焦ったような声で、

 

「まじ!?え……俺もしてあげた方がいいかな……?いや、エミリアたんが俺の膝に来るとか……!」

 

「うわぁ。人って必死になるとこんなに気持ち悪いんだ。反面教師として心に刻んでおくよ」

 

オリーバーはそう言ってため息を吐くが、スバルの言葉に嘘はないのを確認し、心のどこかでほっとしていたのも事実だった。

 

 

 

 

翌日。

レムが焦ったように、ベアトリスと言い争いをしていた。いつもは冷静沈着なレムにしては珍しい様子だった。

 

「後はお前の好きにすればいいのよ」

 

そう言ってベアトリスはこの場から去っていく。レムはというと──。

 

「──必ず助けます」

 

レムは決意したかのようにそう言った。



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九話 『戦い』

「は?あいつ村に行ってたの?レム連れて?」

 

翌日、眠たかったオリーバーは早めに寝ていたので、事件に気付くことはできなかった。その間に起きた事件に戸惑いを隠せなかった。そもそも、

 

「(俺……協力するって言ったのに全然状況把握してないじゃん……)」

 

今更気付くとか恥ずかしい話すぎるだろっと思いながら、オリーバーは自分の頭をガシガシと掻き、とりあえずスバルのところに行くと、会話するパックとスバルの姿があった。声を掛けることを戸惑った。何せ、二人はエミリアの話をしているからだ。ここからでは少ししか聞こえなかったがここだけははっきり聞こえた。

 

「……エミリアを巻き込みたくない?……それは俺も一緒だけど」

 

しかし、エミリアはそんな選択をスバルが選んだと知ったら怒るだろう。だが、二人共エミリアのことを思って言っているのだ。それは分かる。しかし

 

「……蚊帳の外って感じでなんか嫌なんだよな」

 

オリーバーもエミリアも蚊帳の外は嫌だ。特にエミリアはそうだろう。自分の知らないところで問題が解決するだなんて許せないはずだ。そして、自分もそうだ。だから、

 

「……ごめんね。パックにスバル」

 

オリーバーは小声で謝り、ベアトリスに近づいてゆく。──あの悲劇を二度と繰り返さない為に。

 

 

△▼△▼

 

 

「ベアトリス頼みがあるんだけど」

 

「何なのよ?」

 

不機嫌そうにベアトリスは答える。まるで厄介ごとを持ち込んできた、みたいな表情だ。

 

「何だよその表情。これに関しては、お前にも得があるぞ?とりあえず話だけ聞いてくれよ」

 

「……聞くだけは聞いてあげるのよ」

 

どうせろくでもない事だろうけど、と言いながらも、ベアトリスは耳を傾ける。それを見ながらオリーバーは口を開く。

 

「パックの気を逸らすことって出来る?あいつが今すぐ何かしようとしても止めれるくらいの」

 

「……そんなこと無理なのよ、お前自分で何を言ってるのか理解しているのかしら?」

 

ベアトリスは呆れ顔になるが、オリーバーは真剣な表情のままこう言った。

 

「分かってるさ。でも……お前も、本当は納得してないんだろ?パックのやり方は精霊としては正しいけど、エミリアには合ってないもんな」

 

「……」

 

ベアトリスは何も言わなかった。しかし、否定しないということは肯定したことになる。

 

「だから頼むわ」

 

「……分かったのよ。ただし、失敗したら責任取らせるから覚悟するといいのよ」

 

「オッケー。鼻からあいつの目を欺けるとは思ってない。とりあえず思う存分モフモフすればそれでいいぜ!」

 

「…にーちゃを……?」

 

その言葉を聞いた途端ベアトリスの表情が変わる。それは怒りではなく、嬉しを隠しきれないような笑みだ。

 

「……気は進まないけど、お前の頼み聞いてやるのよ、決してモフモフに釣られたわけじゃないかしら!」

 

「はいはい」

 

オリーバーはそう言いながら、ベアトリスの頭を撫でる。すると、ベアトリスは不機嫌な顔をしながらもまんざらではなさそうだ。

 

「じゃあよろしく」

 

オリーバーはそう言うと、部屋を出ていく。

 

「…………」

 

ベアトリスは少しの間考える素振りを見せるが、すぐに立ち上がって、

 

「まったく世話が焼けるかしら」

 

ベアトリスはそう呟くと、オリーバーの後を追うように出て行った。

 

 

△▼△▼

 

 

「え……?」

 

事情を全部エミリアに話した。パックには内緒だと釘を打って。

 

「なんで、それを早く言わなかったの?」

 

エミリアは泣きそうな顔で、声を震わせる。そんな顔を見たかったわけではない。だけども、エミリアの言い分は正論だ。

 

「早く言わなかったも何も、俺は今初めて知ったんだよ。スバルとレムの呪いのこと。俺は行くけどエミリアはどうする?」

 

どうするって言っておいてなんだが、エミリアの答えなんて分かっていた。だけどオリーバーはあえて聞いた。エミリアの口から聞きたかったからだ。

 

「私も行きたい!絶対にレムとスバルを…助けに行くわ」

 

予想通りの返事にオリーバーは満足げに笑みを浮かべる。

 

「じゃ、行こうぜ。パックには内緒な?」

 

──その場にいない、協力者に感謝しながら、オリーバーはエミリアを背負って空を飛んだ。

 

 

 

 

 

「来てみたはいいものの……何だこれは」

 

鬼化したレムは殺意ましましでスバルを攻撃していた。スバルも間一髪のところで交わしていて正直ヒヤヒヤしかしない。

 

「でも……ラム抱えてるからまだマシっという感じか」

 

空を飛びながら、エミリアを背負ったオリーバーはため息を吐く。

 

「早く降りましょう!」

 

エミリアの焦った声。だがオリーバーは首を横に振る。

 

「駄目だ。あいつらがどんな反応するか分からない以上、ここで降りるわけにはいかない。」

 

下手したら、レムは更に暴走してしまうかもしれない。それは避けたい。それに──

 

「……魔獣……多いな……先にこっちを排除した方が……」

 

「──オリーバー!」

 

エミリアの声が聞こえると同時に、何かが飛来してくる。

 

「ッ!?」

 

咄嵯の判断でそれを交わす。そしてオリーバーはそれが飛んできた方向を見る。そこには──

 

「……え?ラム?」

 

ラムはそのままレムに向かって突進していく。その行動に驚いたのかレムは一瞬動きを止めて鉄球を置き、その体の確保に腕を伸ばす。

 

爪の伸びた指を小器用に動かし、レムはその血まみれの腕に姉を抱きとめる。刹那、その殺意だけに濡れていた表情にさっと穏やかな色が浮かぶ。

 

「……っ。今だ!今ならきっと──!」

 

ウイルガム排除するチャンスだ、とオリーバーは地上に落ちた。

 

「よーし、やろう」

 

「ええ」

 

エミリアとオリーバーの合体技。エミリアが放つ氷柱を、オリーバーが風の刃で切り裂いて飛ばす。すると、魔獣は次々に切り刻まれていく。

 

「は?!エミリアたんにオリーバー……!?何でここに…」

 

スバルもこれには驚いている様子だった。

 

「スバル、説明は後よ」

 

「ああ、今はあれを倒すことに専念しよう」

 

二人は同時に走り出す。そしてそのまま魔獣を倒してゆく。エミリアの放った氷柱が敵を貫き、オリーバーのフーラで敵の体を斬り裂いてゆく。

 

「オリーバー、後ろ!!」

 

「ッ!?」

 

声がして、振り向くと、巨大な魔獣が立っていた。

 

「──逃げるぞ」

 

オリーバーはエミリアを抱え、その場から離れる。その様子に

 

「う、羨まし……じゃなかった!そっちにまた行った!」

 

そんなスバルの叫びを聞いてオリーバーはエミリアを下ろし、

オリーバーはエミリアに目配せをする。エミリアはそれに応えるように、魔法を唱える。

 

「──アル・ヒューマ!」

 

放たれたのは氷の柱。それは的確に魔獣を貫き、絶命させようとするが……

 

「──しぶといな」

 

まだ動く魔獣を見てオリーバーは舌打ちをした。だが、エミリアはまだ諦めていないようで再度魔法を放つ。

 

「アイス・リンク!」

 

地面から生えてくる氷の壁。それに阻まれ、魔獣の動きが止まる。その間にエミリアはレムとラムに話しかけた。

 

「大丈夫!?ラム、レム」

 

「エミリア……様」

 

ボロボロ状態のレムにエミリアは駆け寄って抱き起こす。

 

「……無理しないで。レム。」

 

「──どうして」

 

「ん?」

 

エミリアはレムを起こす。そんなエミリアに対し、レムは絞り出すような声で言った。

 

「どうして……レムを……放っておいてくれなかったのですか……?」

 

それは悲痛な叫びだ。そんな言葉を聞いてオリーバーは──

 

「助けたいから助けに来た。それだけだよ」

 

それがオリーバーの本音だ。理由なんてない。ただ助けたかっただけなのだ。スバルだけじゃなく、レムの呪いも解くためにエミリアも巻き込んだ。だから──

 

「……だから生きて貰わねーと。」

 

どうせ説教されるなら、全員が笑い合える未来じゃないと意味がない。しかし、レムは──

 

「姉様と、スバルくんがきてしまっては意味がない。レムが……レムがひとりでやらなきゃ……傷付くのは、レムだけで十分で……ましてや…エミリア様やオリーバーくんまで来るなんて……」

 

それは紛れもなく、レムの本音だ。敬愛した姉も来てスバルもやってきてましてや、オリーバーやエミリアまでやってきた。そんなの罪悪感で心が押しつぶされてもしょうがない。そんなレムの言い分にスバルはこう言った。

 

「じゃあもう遅ぇよ、俺もラムもズタボロだよ!下手したらお前よりひでぇよ!」

 

誇張でもなんでもなく、事実としてそうだろうことをがなるスバル。ラムはなにか思うところがあるのか、その会話には参加してこない。しかし、レムは俯きながらもこう言った。

 

「レムの、レムのせいなんです。レムが昨晩、躊躇したから……だから責任はレムがとらなくちゃ……そうでなきゃ、レムは姉様に、スバルくんに……」

 

「ちょーぱん」

 

「――!?」

 

 がつん、と骨と骨がぶつかり合う固い音がする。鋭い痛みに一瞬だけ視界が点滅し、レムは意味がわからずに額を押さえている。『鬼化』していない今の肉体は、人間の強度とさほど変わらない。打撃を受けた額はかすかに腫れ赤くなっている。レムは状況が分からないように目を白黒にさせているが、スバルは変わらぬ口調でこう言った。

 

「とりあえず、バカかお前は。いや、バカだお前は」

 

「バルス。割れた額がまた割れて再出血してるわよ」

 

「俺もバカだよ、知ってるよ!でも、お前の妹はもっとバカな!」

 

口を挟むラムにそう言ってから、スバルは流血する頭を振る。そう、スバルはレムに頭突きをしたのだ。しかも全力で。それこそ血が噴き出るくらいに。

 

「色々とお前はバカだけど、特にバカなことが三つある。わかるか?」

 

「なにを、言って……」

 

「まず一つ目のバーカ! 俺を助けられなかったとか言ってることー!」

 

びしっと指を一本立てて、スバルは言う。

 

「目ぇかっぽじって超見ろ。俺の元気な益荒男っぷりが見えるか?ちょびっと体のあちこちに白い傷跡が残っちゃいるけど、傷は男の勲章だから問題なし。よってお前の負い目はそもそも間違いだ、バーカ!」

 

「でも、だから、そもそもレムが躊躇しなかったら、手を伸ばすことをすぐにしていれば、そんな傷を負うことだって……」

 

「はい、『たられば』で物事を語んな! そして二つ目のバーカ! 全部自分で抱え込んでたったひとりでやろうとしたことー!」

 

「───ッ」

 

「ひとりで考えるんじゃなく、色々と周りを頼れよ! 口がきけないわけじゃねぇだろ。俺みたいに心臓を握られてるわけじゃ──」

 

そこまで言いかけて、ふいにスバルの表情が苦いものに変わる。自然と身を前屈みにして、苦しげに息を整えながらスバルは、

 

「今のでダメとか……は、判定厳しくねぇ?」

 

その言葉にオリーバーはため息を吐きながらも、周りを見渡す。時間稼ぎに使っていた氷の壁が溶け始めている。そしてエミリアが必死に魔法を放ち続けるも、魔獣の動きを止めるには至っていない。 

 

「……っ、スバル!レムの説教は後だ!今はこいつらをどうにかしないと!」

 

オリーバーの言葉にスバルは説教モードを辞めて真顔になって頷き、スバルはラムに向かってこう言った。

 

「ラム、村の方向……いや、この際、結界の方でいいや。どっちに走れば抜けられる?」

 

「前の群れさえ抜けば、あとは左に向かって全力疾走だけど、どうする気?」

 

ラムの問いにスバルは「うーむ」と長いうなり声をこぼし、

 

「レムをオリーバーに突き飛ばし、ラムをエミリアに突き飛ばして俺はひとりで結界の彼方まで無情にも逃げ去る――というシナリオはどうだ?」

 

「魔女の臭いでウルガルムを引きつける囮になるから、その間にラムたちに逃げろと。わかったわ」

 

「俺のツンデレをあっさりと暴くのやめてね!?」

 

スバルの叫びを無視してラムはレムへと振り向く。だが、それに納得しなかったのは──

 

「駄目よ!スバル!それなら私が囮に……」

 

「いえ、エミリア様とスバルくんの手には煩わせません……レムが……」

 

エミリアとレムだ。ふたりとも自分の命を差し出そうとする。スバルは即座に否定した。

 

「駄目だ!俺じゃねーと……」

 

「……魔女の匂いなら、俺が囮で行ける」

 

オリーバーの言葉にスバルは目を大きく開き、しかしすぐに首を横に振った。

 

「悪いが却下だ。オリーバーよりきっと俺の方が濃いはずだから」

 

その言葉にオリーバーは反論はしない。それは事実だ。『魔女の残り香』は確実にスバルの方についているだろう。

 

「……だから行くぞ!」

 

「どうして……そこまで……?」

 

レムの問いかけにスバルは一瞬だけ瞑目し、それから指を一本立てて笑い、

 

「俺の人生初デートの相手だ。見捨てるような薄情はできねぇな」

 

言って、その指を立てていた手でレムの髪をそっと撫で、

 

「んじゃま、ちょっくらやってくるとするわ。――レムを頼んだぜ?オリーバー。エミリアたんもラムを頼む」

 

「……スバルも、無事に合流できるのを祈っているわ」 

 

「……信じてるからな、スバル」

 

「……万が一でも死なないことね」

 

エミリアとオリーバーとラムの声援を受けて、スバルは笑う。

 

「任せろ!――必ず生きて帰ってくるさ!」

 

そう言って、スバルは左に走り出す。それを見てから、オリーバー達はスバルが駆け出したのとは逆方向にオリーバーたちは走る。その様子に、

 

「オリーバー…飛べたはずじゃ……?」

 

「飛べるさ!でも、エミリアは飛べないし、飛ぶのも疲れるんだよ!」

 

そう言ったラムに向かってオリーバーは叫ぶ。レムとは言うと、何度もしきりに振り返っている。

 

「おい、レム。振り返るな」

 

レムを担ぎながら、オリーバーは注意する。

 

「そんなことしたら、あいつの努力が全て無駄になる」

 

「でも……っ!」

 

「そうよ……私も納得してないけど……」

 

走りながら、エミリアがぼやくように呟いた。その言葉にオリーバーは苦笑いをする。二人の気持ちは分かる。オリーバーだって納得していないのだ。だけど──

 

「信じるしか、ねぇだろ」

 

「……そうね。レム。振り返っちゃ駄目よ、……傷になる」

 

エミリアに担がられて、ラムは小さく首を振り、そう言った。そして──

 

「──お姉ちゃん!!」

 

不意にレムが大声でそう言った。思わずオリーバーは立ち止まる。立ち止まったのは心が訴えかけるままの叫び声だったからだ。とっさにレムは身をよじってオリーバーの腕から逃れ、地面に落ちたレムは体を転がし、後ろを見た。

 

「オリーバー!?」

 

突然のことにエミリアは驚く。それはラムも同じだ。ラムは唇を引き結び、目を押し開いている。そんな二人にエミリアも走るのをやめてただレムとオリーバーを見る。そんなレムとオリーバーの視線はスバルだ。

 

彼の正面に立ちはだかる、強大な肉体で壁を作るウルガルム。他の同種に比べて一際大きなその体は、あるいは群れの頭なのかもしれない。

 

「……スバルくん!!」

 

その声はスバルに届いていたのだろうか。オリーバーには分からない。ただ、まるでその声に応じるかのように――走るスバルが左手で、鈍い輝きの剣を抜き放ったのだけがかろうじて見えた。そして──

 

「シャマク!」

 

叫んだ瞬間、スバルの全身から黒煙が立ち上った。途端に周りは見えなくなる。これでウルガルムの視界は、黒い霧で閉ざされているはずだ。

 

「……」

 

オリーバーは何のためにここにいるのだろう、と思う。このままスバルに任せていいものだろうかと、自問した。だが、答えは出ない。とりあえず今は──

 

「……って、あれは……」

 

空から降り注いだ炎弾がウルガルムに直撃する。その光景を見ながら、オリーバーはしばらく呆然としていたが──

 

「あの魔法……ロズワールの奴…?」

 

その言葉にラムは冷静な表情から一変し、エミリアの腕から下りてラムは慌ててロズワールに向かってこう言った。

 

「お手をお煩わせして、申し訳ありません」

 

「いんやぁ、いいとも。そぉもそも、これは私の領地で起きた出来事だ。収める義務は私にある。むしろ、よくやってくれていたとも」

 

労いの言葉に頬を赤くして、ラムは胸を押さえながら厳かに頷く。その二人のやり取りを横目にしながら、オリーバーは深くため息をこぼした。そして──

 

「――スバルくん!」

 

唐突に、飛び付いてきたレムの抱擁を受けて「ぐぇ!」とスバルは悲鳴を上げている。

 

「よかった……。無事で本当に……」

 

「おい、レム。今それどころじゃねーだろ……って駄目だ。完璧に聞いてねぇ」

 

「スバル……大丈夫かしら……?」

 

エミリアも心配そうに見ている中、レムはそんな二人の様子には目もくれず、ただスバルだけを見つめていた。その様子にオリーバーはもう一度大きく嘆息を漏らす。そして、

 

「……あ、駄目だ……意識が……」

 

こくん、とスバルは意識をなくしたのと同時にロズワールはオリーバー達に向かって──

 

「話は全てベアトリスに聞いている。事情は後ほど聞くとして、まずはこの場をなんとかしようじゃぁなーぁいか」

 

と、ロズワールはそう言った。

 

 

△▼△▼

 

 

結果として、魔獣の件は解決した。エミリアもパックもスバルもレムもラムもベアトリスもロズワールも死ななかった。ただ──

 

「…怒ってる?パック」

 

「……怒っているよ」

 

オリーバーの問いかけに、パックはそう返した。そんな彼に、オリーバーは少し困った顔を浮かべながら言う。

 

「……ごめん」

 

「ベティーから話は聞いたし、オリーバーの気持ちは分かったけど──それでも僕はリアとオリーバーには危ない目に合って欲しくはなかった」

 

パックの答えにオリーバーは顔を背ける。確かに自分は未熟な存在だ。まだ大人じゃない。でも── ふっと、思い出したのは先ほどの光景だった。

 

「……でも、俺もエミリアも蚊帳の外は嫌だ」

 

「……」

 

「エミリアを守るって約束したんだ。だけど守るってただ危険なところに行かせないってことじゃないよ。エミリアがやりたいことを応援して、支えて、一緒に戦うってことだろ」

 

「……」

 

「だから、俺はエミリアに事情を全て話した。俺がエミリアの立場なら黙って行くスバルも黙ってるパックもどっちも腹立つし」

 

それは紛れもなく、オリーバーの本音だ。その言葉にパックは諦めたかのようにため息を吐き、

 

「分かったよ、でも、今度みたいな無茶をしたら許さないからね?」

 

「うん、ごめん。そして、ありがとな、パック」

 

オリーバーの言葉にパックは笑い、その笑みにオリーバーは安堵の息を漏らす。そして──

 

「……ところでオリーバー、あれはいいの?」

 

「……え?」

 

パックが指差した方向に目を向けると──そこにはエミリアとスバルが話していた。いつも通り、スバルから一方的に。

 

「……良くはない」

 

オリーバーはそう答えて、二人の元へと行ってしまった。そんなオリーバーの様子にパックは、

 

「……恋のライバルが出来て大変だなぁ」

 

と、何処か嬉しそうな声で呟いたのであった。

 

 

△▼△▼

 

 

「折角、いいところだったのに!」

 

「いいところ?スバルが一方的に話してるようにしか見てなかったけど」

 

オリーバーがそう言うと、スバルはうっと言葉に詰まる。この会話も久しぶりだ。

 

「とにかく、俺はエミリアたんと一緒にデートに行くぞ」

 

と、宣言するスバルに、オリーバーは小さく嘆息を漏らすと、こう言った。

 

「なら、別の日に俺と遊びに行こうぜ?エミリア」

 

「……私は構わないけど」

 

「はぁ!?駄目駄目!」

 

まるで、一周目の再現をしているかのように同じことを言うオリーバーとスバル。一周目とほとんど変わらない。火花を散らし、エミリアを取り合う図は変わらない。だが今回は──

 

「……あ、なら、三人で行けばいいじゃないかしら?」

 

エミリア自ら提案してくれた。その発言にスバルは渋い表情を浮かべ、オリーバーは笑顔でエミリアにこう言った。

 

「いいアイディアだな!」

 

嬉しそうにそう言ったオリーバーと、不満そうなスバル。だが、エミリアはスバルに向かって

 

「えーっと……駄目かな……?スバル」

 

上目遣いで、そう言われ、スバルは顔を赤くし、狼狽え、そして──

 

「とんでもない小悪魔だ…EMKだ……!そんな目で言われたらうんとしか言えない!」

 

と、意味不明なことを口走りながらも、承諾した。そんなスバルを見て、エミリアは微笑むと、 ──ああ、やっぱり好きだなぁ。

と、オリーバーとスバルは改めてそう思ったのだ。

 




二章はこれで終わりです。次は3章……と言いたいところですが、番外編を挟みます。


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番外編
『マヨネーズ 〜前編〜』


それは魔獣の森での一件が落着し、スバルとエミリアとオリーバーの約束が交わされた日から三日ほど経過した朝のことだった。

 

「――もうダメだ。限界だ。耐えられない。実家に帰らせていただきます!」

 

 叫び、食卓を叩いて立ち上がる。

 突然に大声を出されて静かな朝食が中断し、その場にいた全員がスバルを見上げた。

 その全員からの注視を受けた上でスバルは両手を広げ、食堂にいた一同に訴える。

 

「……急にどうした?頭がおかしくなったのか?スバル」

 

オリーバーが辛辣なことを言ってくれるが、今のスバルにそのツッコミ返す余裕はない。それどころか

 

「ああ、もう、ダメだ」

 

 弱々しく呟き、額に手を当てて力なく椅子に崩れ落ちる。そんな彼の様子に、傍らで給仕をしていたレムも心配そうに眉を寄せながら駆け寄ってきた。

 

「大丈夫ですか?スバルくん……なんだか、顔色が悪いようですけど……」

 

「……いや、わりぃ。ちょっと寝不足でさ。でも!しょうがないんだって!」

 

頭を振り、再び立ち上がって拳を握る。そしてスバルはちらりとエミリアの方を見ながら、

 

「大丈夫? なにかあるなら話して。なんでもしてあげる――的なこと言ってくんねぇの、エミリアたん」

 

「スバルの行動にイチイチそうやって反応してあげると疲れちゃうもの。あんまりそんなことやってると、今に誰からも相手にされなくなっちゃうんだから」

 

「ぐふぅ、手厳しい。でもその横顔も可愛い……くそぅ」

 

悔しげに歯がみするスバルに、他の面々からは呆れたような視線が向けられる。

だが今はその程度の冷遇など、なんということもない……と、思われたが、

 

「はい、はい! レムはなんでも聞きます。やります。申しつけてください。そしてうまくやった暁には頭を撫でてくださっても構いませんよ」

 

 溌剌と、尻尾を振る子犬のようなデフォルメが見えそうなレム。その態度を見てラムはまた複雑そうな表情でため息を吐くが、スバルは震える指をテーブルに伸ばした。その様子に、

 

「………本当に体調良くねーみたいだな。」

 

「そ、そうね……」

 

そんなスバルの様子に、エミリアとオリーバーも困惑気味に応じるしかない。なんだかんだ言ってオリーバーもエミリアもお人好しであり、こういう時スバルを放っておくことが難しい性分なのだ。故に、エミリアは

 

「まさか、呪いの後遺症とか……」

 

 最悪の想像を口にして、エミリアとオリーバーが顔を見合わせる。それからエミリアは憂いを瞳に宿して己の銀髪に手を入れ、その中から灰色の小猫を摘まみ出した。

 

惰眠を貪っていたらしかった小猫が二本の指で摘ままれて食卓の上へ。目をこするパックはスバルの顔の前に座らされ、すんすんとピンク色の鼻を鳴らし、

 

「うーん、リアとオリーバーが心配するような感じはしないよ? マナが空っぽだから生気は相変わらず弱々しいけど、それ除いたらいつもと一緒だよー」

 

「ふーん…なら、この症状について説明出来なくね?仮病には見えねーし……ホントに体調悪いだけなのか?」

 

パックの言葉を受け、オリーバーが腕組みしながら疑問の声を上げる。それはエミリアもレムも同じだったようで、三人から注視される形になったところで、

 

「指先の震えに浅い呼吸。まーぁるで依存度の高い薬物への禁断症状のようじゃない」

 

 困惑に眉を寄せるエミリアの右斜め前、テーブルの上座に座るロズワールが顎に手を当てながらそうこぼす。

 スバルの症状をちらと見ながら、ロズワールは小さく顎を引き、

 

「依存症に陥りやすい類の薬物を使用すると、その薬物の効用が切れたときにそういった症状が出る。王都でも、使用は強く禁じられてるけーぇどね」

 

「薬物?お前そんなものに手出してたの?もし、本当なら自首してこいよ、スバル」

 

「おいやめろ。俺のこと犯罪者扱いすんじゃねぇ。俺は無実だ!……いや、禁断症状なのは確かなんだけど!」

 

そんな矛盾した発言をするスバルに、一同はさらに怪しげなものを見る目つきになる。

 

「氏素性の知れない輩だとは思っていたけど、禁制薬品に手を出していたとは見損なったわ、バルス。レム、どいて、そいつ殺せない」

 

「お前即俺を見限ったな。それでこそラムって感じだが」

 

そんな会話をした後に、スバルはため息をこぼしながら、

 

「………ーズが、足りない」

 

食堂の全員の視線を一身に浴びながら、スバルはテーブルに突っ伏したまま、右手の中のパックのモフっ子ぶりを堪能したまま、かき消えるような声で囁く。

 

「――え?」

 

 わずかにでも聞き取れたのは、すぐ側に身を寄せていたエミリアだけだ。他のみんなは首の角度の問題で聞き取れない。

故に、スバルはもう一度繰り返す。今度は先ほどよりも大きな声を出した。

 

「――マヨネーズが足りねえ!!」

 

聞き覚えのない単語に、全員が首を傾げた。

 

 

その後の話し合いは心配したことを後悔するほどにくだらないものだった。最も、スバルにとっては重要なことではあるのだが、オリーバーにとっては戯言と大差なかった。

 

だから途中から全く話を聞いていなかったオリーバー。それがいけなかったのだろう。

 

「――で?オリーバーくんはそれでいいかなーぁ?」

 

「……え?あ、うん」

 

話の流れがわからず、思わず素直に返事をしてしまう。それを確認してから、ロズワールは笑みを浮かべて、

 

「ほぅ、じゃぁオリーバー君はマヨネーズに合うものを作ってくれるんだねーぇ?」

 

「……は?」

 

ロズワールの発言に、オリーバーは眉を顰め、 そして次の瞬間、自分がどんな要求を突きつけられたのかを理解した。

 

「俺はやらねーぞ!?」

 

「いや、今『はい』って言ったよねーぇ?嘘はいけないよぉ」

 

「う、ぐ……!そ、それは……」

 

適当に返しただけ、と正直に言えるはずもない。オリーバーが言葉を詰まらせている間に、エミリアは目をキラキラにさせて、

 

「オリーバーの料理、久しぶりだからすごーく楽しみ!」

 

「ほぉーらエミリア様もこう仰られていまーぁすよ?オリーバーくん」

 

ニヤニヤと楽しむように笑うロズワールと純粋に手料理を喜ぶエミリアに挟まれ、オリーバーは完全に逃げ場を失う。それでも、嫌だった。

何が悲しくて、マヨネーズとかいうよくわからない調味料のために自分の料理を作らなければいかないのだ。

そもそも、何で自分なんだろうか。そんなのレムでもラムでもいいではないか。

そう思っていると、

 

「ラムはちゃんとロズワール様に言ったわ。オリーバーが嫌ならラムが作る、と。でも、オリーバーは自分でやると言ったのよ」

 

「お、おう……そうか……」

 

ラムがこちらの考えを読んだかのように釘を差してくる。つまり、話を聞いていなかった自分が悪いということをラムは言いたいらしい。

 

「オリーバー、駄目?」

 

上目遣いに潤む瞳。一体そんなの何処で覚えてきたというのだろう。

そうやって見つめられたのでは、断れるものも断りきれない。横で拗ねているスバルがいた気がするが今のオリーバーには関係ない。

 

今はエミリアの期待に応えるのが最優先事項だ。

 

「……わかったよ、やりゃーいいんだろ。やりゃーよ」

 

はぁ、とため息をつくと、エミリアは花咲くような笑顔を見せた。その表情に、不覚にも胸の鼓動が高まってしまう。

 

惚れた女にはとことん弱い。それがオリーバーの弱点でもあった。

 

「……じゃあ、料理はオリーバーくんに任せてその調味料はスバルくんと姉様とレムとで頑張りましょう!スバルくん、早速レシピを教えてください!」

 

「――え?」

 

「――え?」

 

向かい合ったまま、レムとスバルは固まって動けない。

 ぽかんと口を開けて、阿呆のようにただただお互いを見つめ合うだけだ。そんな反応にオリーバーは冗談めかして、

 

「まさかレシピが分からないとかそんなこと言わないよなー?」

 

そんな言葉を言ってみるも、スバルは動かない。

 

「……え、冗談だろ?」

 

とオリーバーの声だけ食堂に響いた。

 

 

△▼△▼

 

 

「あんだけ食べたいって言ってたレシピを覚えてないとかバカじゃねーの?」

 

「…それがなくちゃ生きられない、なんて大言を口にしておいて、その作り方もわからないなんて呆れた話だわ」

 

ラムとオリーバーの辛辣な言葉に、スバルはぐうの音も出ずに黙り込むしかない。

結局、スバルがあの後マヨネーズのレシピを思い出せず、食事の終わった食卓の片づけを行いながら何か思い出せるかも、と思い至ったところで、三人は口論に満たない言い争いをしている最中だった。

 

「……レムに感謝しろよな。スバル。お前の為にレムは頑張ってくれてるんだから」

 

「……うん、そうだな……」

 

オリーバーの言葉に、スバルは申し訳なさそうにこの場にいないレムの方を見やる。

彼女は今、マヨネーズ作りをする為に屋敷の仕事をこなしている。

 

 

恋する乙女と言うよりはスバルに依存気味であるレム。彼女の献身的な行動に、時々オリーバーは恐怖すら感じることがある。

だが、それだけ尽くしているのに報われていないレムに、ほんの少し同情も感じていた。

 

「……まぁ、それだけエミリアが魅力的ってことだな」

 

オリーバーは苦笑しながら、小さく呟く。それならしょうがないと思いつつ、レムの気持ちを思うと、複雑な心境になってしまう。

 

そうこう考えている内に、バンッ!と扉が開く。

 

「スバルくん!姉様!オリーバーくん!」

 

 開かれた扉の向こうで息を切らし、顔を明るく輝かせるレムの笑顔。

 息を弾ませ、肩を揺らすレムは食堂が片付いているのを見ると満足げに頷き、

 

「食堂のお片付けも終わっていますね。――では、午前中のお仕事は終わりです」

 

「……午前中の仕事?おいおい、まだ予定時間まで二時間近くあるぜ?」

 

終わっているというのはレムが一人で屋敷の仕事を全部こなしたということになる。いくらレムでも、それは無理だと思ったが――。

 

「……いや、ちょっと待って……お前鬼化したな?」

 

ヘッドドレスの向こう側から、美しい光沢の純白の角が覗いていたのでオリーバーが指摘すると、レムは微笑みながら、

 

「はい!一刻も早くスバルくん達と『まよねーず』作りたくて!」

 

あまりにも健気で返って怖く感じてしまったのはオリーバーだけではなかったようだ。ラムもスバルも若干引きつった顔で、

 

「……鬼化までさせて……オーバーワークさせないための手段が聞いて呆れるわ」

 

「いや、これはお前の育て方にも問題あっただろ」

 

 顔を向かい合わせ、互いの落ち度を意地汚く指摘し合おうとするラムとスバル。オリーバーはため息を吐きながら、

 

「……どっちもどっちだと俺は思うけどな……」

 

そんなオリーバーの小さな呟きは、二人の耳に届くことはなく、ただレムが首を傾げるだけだった。

 

 

 

仕事も終わり、残るは昼飯を作るのとマヨネーズを作るだけだ。そこでふっと疑問に思ったことを質問した。

 

「……ところで、スバル。そのマヨネーズとやらは何の料理に合うんだ?」

 

「マヨネーズは何でも合うぞ。いや、マジで」

 

即答だった。あまりの早さにオリーバーは一瞬面食らう。何故そんなに自信満々に言えるのか不思議だし、そもそも――

 

「何でも……ってそれ一番困るんだけど?」

 

「いや、本当に何でもいい。オリーバーの得意料理とかない?」

 

「俺の……得意料理?」

 

いきなりそんなこと言われてもパッとは思い浮かばない。作れるは作れるが、それだと断定できるほど自分の料理に思い入れはないのだ。だが――、

 

『この料理、すごーく美味しい!』

 

エミリアが初めて自分が作った料理を食べてくれた時の言葉を思い出す。

あの時の感動は忘れられない。

何せ、生まれて初めて他人から褒められた瞬間だったし、料理を振る舞うのもあの日以来だ。

 

 

「……なら、あれだ。オムレツかな?」

 

「おぉー、いいじゃん!」

 

スバルが嬉しげに手を叩く。そしてレムも目をキラキラさせながら、

 

「じゃあ、スバルくん、姉様!早速マヨネーズを作りましょうか!」

 

レムの言葉にスバルとラムは同時に頷いた。



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『マヨネーズ 〜後編〜』

――マヨネーズ作りは熾烈を極めた。

 

 

 一進一退の攻防、といえば聞こえはいいが、勝敗ははっきり言って全敗。

 いくつものタマゴを犠牲にして、積み上がるのは累々とした失敗作の山。

 

否、山ではなく、なんだか黄色っぽかったり白濁としていたりで、目にするのも嫌になるような訳のわからない液体の海だ。

 

「………なぁ、本当にマヨネーズとやらは作れるの?俺のオムレツは全員分作れたけど」

 

オムレツは作り上げられたがマヨネーズは全然出来上がってなかった。しかも――。

 

「………なんか、スバルよりレムとラムの方が原型出来上がってね?」

 

目の前の惨状を見てオリーバーが呟くと、二人は揃って否定するように首を振った。

 

「いえ、形は出来上がってますが、味は全然です……」

 

「えぇ、見た目だけはどうにかなったけれど、肝心の中身がまだまだだわ。しかも油を少しずつ足して、ソルテとペッパで味を調節。掻き混ぜるのは根気がいりそうだから、ラムには向かない仕事だわ」

 

そう言いながら、ラムはため息をつく。

 ラムとレムの器、そのどちらにも微量ながら粘度の高い物体が生まれ始めているが、正直、これを調味料にするのは抵抗がある。

 

「……どうすんだよ、これ。もう諦めたら?マヨネーズ」

 

「いや、諦めないから!俺は絶対にマヨネーズを作る!」

 

そう言って拳を振り上げるスバルだが――。

 

「そうは言っても。お前のが一番美味しくなさそうだぞ」

 

マヨネーズがどんなものなのかはオリーバーも見たことがないのでよく分からないが少なくとも見た目だけで言うのなら一番美味しくなさそうなのはスバルの作ったものだった。その言葉にラムはスバルにこう言った。

 

「これが料理をするものとしないものとの違いよ。些細な知識の有無なんて問題にもならない。付け焼刃がなんの足しにもならないことを知るがいいわ」

 

「料理っつったって、お前の料理なんて蒸かし芋ぐらいしか見たことねぇけど!?」

 

咄嗟に出た反論の言葉だったのだろうが、そんなのはラムには全く効かない。ラムは平然とした表情で鼻で笑っている。それを見かねたレムが――。

 

「大丈夫です。スバルくんはスバルくんの思った通りのやり方をやってください。料理をするレムからすれば不合理で、理屈に合わない上に、正直タマゴに対して申し訳ないなぁと思わなくもないですけど、それもスバルくんの生き方ですから」

 

「久々にきたな、遠回しな毒が!俺の生き方にまで言及するのやめてくれる!?マヨネーズ作りでそこまで判断されたくねぇよ!」

 

と、あまりフォローになってないことを言っている。最も、レムからするとスバルをフォローしているつもりなのかもしれないが。

 

「……俺はここらでエミリア達の元に戻るわ。じゃあな」

 

「それじゃ、ラムも。バルスのことはレムに任せるわ」

 

そう言いながら、二人は去っていく。後ろからスバルが文句が聞こえてくるが無視することにした。

 

 

 

△▼△▼

 

 

――昼食の時間になった。その間はエミリアのところで勉強を教えたりしていた。その間エミリアは目をキラキラにさせて『何を作ったの?』とか聞いてくるが……ネタバレになるのでそこは沈黙を取った。

 

そして今は昼食なのだが――。

 

「あいつら来ねーな……何かお前もお前で蒸かし芋準備してるし」

 

食堂に行くと、ラムが蒸かし芋の準備をしていた。作らない、と言っていた筈なのに。これではオリーバーが作った意味がないじゃないか、というのを目で訴えていると、

 

「蒸かし芋は保険よ。オリーバーの作るオムレツがマヨネーズと合うのか分からないし。いざとなればあんな調味料無しでも食べれるわ。蒸かし芋は」

 

自信満々の態度だ。まぁ、ラムの蒸かし芋は別品であるし、そこは疑ってはいないのだが……

 

「まぁ、いいけどよー……んなことよりレムとスバルが来ねーと……ってあれ?ベアトリスは?」

 

「ベアトリス様なら最初からいないわよ。バルスのよく分からない調味料なんて食べたくも無いじゃない?」

 

「ふぅーん……。なるほどねぇ。エミリア、ちょっと俺探してくるわ」

 

そう言って立ち上がる。だがその時だった。

 

「お待たせー!みんな揃ったかな?」

 

そんな声とともに扉が開かれる。そこには――。

 

「……今かよ。タイミング悪すぎんだろ……まぁ、いいか」

 

ベアトリスより、今はマヨネーズを食べたいという気持ちの方が大きくなった。何せ、スバルとレムの表情が自信満々だからだ。

 

「ん……何だか二人ともすごーく自信満々ね……?」

 

「ふっ。当たり前だぜ?エミリアたん!何せ、完全体のマヨネーズが作れたからな!レムのおかげで!」

 

「い、いえ……レムじゃなくて……これはスバルくんのお陰で……」

 

遠慮がちにそう言ったレム。そのレムの言葉にオリーバーはため息を吐き、

 

「そんな謙遜すんなよ。スバルよりレムの方が形になってた訳だし。ここでレムが自信満々に言い切ってくれないと困るんだけど」

 

そう言うと、レムは恥ずかしそうにして、

 

「わ、わかりました……それでは……僭越ながら。このマヨネーズの味は保証します」

 

その言葉にオリーバーは微笑み、

 

「レムがそこまで言うのなら俺も安心だ」

 

「んー……私はちょっと不安、かな……レムが言うのだから美味しい筈だけど、やっぱり……」

 

未知の調味料を食べるのは怖い、と言わんばかりのエミリア。その気持ちは痛いほど分かる。しかし――。

 

「んー、このままじゃ、拉致があかねーな。よしっ!オリーバーお前食べろ!それで感想を言ってくれ」

 

スバルはそう言ってオリーバーを指名する。突然ではあったがオムレツを作ったのはオリーバーである。故に――。

 

「………まぁ、オムレツを作ったのは俺だしな。食うよ」

 

オリーバーはそう言い、席に着く。テーブルには既にオムレツがある。自分で作っといてなんだが、なかなかの出来栄えだと思う。そう思いながらオムレツをナイフで切り、マヨネーズを付けて口に運ぶ。

 

「ど、どうですか……?」

 

「ど、どう?」

 

レムとエミリアの問いかけに、 オリーバーは、飲み込んでから言った。

 

「……旨いなこれ」

 

心の底から思ったことを口にする。オムレツとマヨネーズの相性は抜群だった。卵の甘味と酸味が口の中で絶妙にマッチしている。これならば、レムが自信を持って出してもおかしくないレベルだろう。

 

そしてそんなオリーバーの言葉を皮切りに全員が食べ始める。ロズワールも「これはおいしいねぇ」と貴族級の舌も満足させられたようだし、エミリアも、

 

「すごーく美味しいわ。もちろん、オムレツも美味しいけどマヨネーズもすごーく美味しい!」

 

と、目をキラキラにさせながらそう言った。その言葉を聞いてオリーバーは照れくさくなりながらも、

 

「ん。そうか。あ……エミリア、口元マヨネーズついてるぞ」

 

そう言いながらオリーバーは手でエミリアの口を拭ってやる。それを見ていたスバルが、

 

「……ず、ずりぃ!」

 

という声が響いたが周りはマヨネーズの美味しさに感動して誰も聞いていなかった。

 

 

△▼△▼

 

 

昨日はいろんなことがあった。スバルと一緒にベアトリスのところに突撃し、ベアトリスにマヨネーズとオムレツを振る舞った。最初は嫌そうな顔をしていたベアトリスも食べてみると目をキラキラにさせていたし、大成功だろう。

 

それに加えてラムの蒸かし芋とマヨネーズの組み合わせも絶品だった。今後、この組み合わせが流行りそうで楽しみだ。

そして、今は朝。今日は早く起きすぎてしまった。いつもなら二度寝するところだが、そんな気にはなれず、散歩することにしたのだが――。

 

「バッカじゃねぇの、お前!?」

 

そんな声が風呂場の方から聞こえてきた。その声の主はスバルのものだった。

よく分からないがとりあえず声がする方

へと足を運ぶ。するとそこにはスバルとレムの姿があった。

 

何故かスバルはレムに対し怒っており、レムはその剣幕に押されていた。

 

「………何だ…?この状況。レムが何かしたのか?とりあえずスバルは服を着た方がいいのでは……?」

 

下の部分はタオルで覆われているが、上半身は裸である為、何となく、スバルの方が悪いことをしているように見えてしまう。

 

「……そうだな」

 

そう言ってスバルは不機嫌のまま服を着替えようとしていたのでレムを連れて廊下に出てレムに事情を聞くことにした。

 

「で?どうしたんだ?何でスバルはあんなに怒ってるんだ?」

 

「じ、実は……スバルくんがマヨネーズをどっぷり浸からなきゃ死ぬ、と言っていたのでそんなスバルくんの為にマヨネーズ風呂を作ったんです」

 

「…………は?待って、意味が分からん。マヨネーズ風呂……?」

 

マヨネーズ風呂とかいう聞いたこともない単語に困惑するが、レムの話を聞けば聞くほど理解出来なくなっていくが、とりあえずわかったことは――。

 

「……今回に関してはレムが悪いと思うぞ……」

 

レムの話を聞き終えたオリーバーの第一声はそれだった。レムに悪気がなかったとしても、今回はレムに非があるように思えたからだ。そんなことを思っていると、スバルが服を着て扉を開けたので、

 

「あ……スバル。俺は何も見なかったことにしとくから程々に説教してくれな……」

 

それだけ言い残してオリーバーは部屋に戻っていった。余談だがスバルの説教はエミリアに嗜められるまで続いたらしい。




リゼロ三期おめでとう!今からすごーく楽しみなので急いでこの話を書きました!


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『ペトラの恋』

ペトラ・レイテはナツキ・スバルが好きだ。最初は嫌いだった彼が、今や愛しくて仕方がない。とにかく、好きなのだ。しかし、ライバルがいる。一人目は──スバルと同じく、屋敷の使用人のレムというメイドだ。レムはペトラと同じく、スバルに好意を抱いている。

 

同じところに住んでいる、ということは即ち、レムの方からアプローチをかけることも容易いということだ。ペトラから見ても最大のライバルになる存在──だとそう思っていたが、

 

「もう一人……」

 

もう一人いる。その少女はラジオ体操でスバルの隣にいた女性。ペトラも数日前にチラッと見たがそれはロープ越しでも震える程に美しい、とそう思ってしまった。そしてそんな彼女と話している時のスバルはデレデレだ。あれは完全に惚れている。間違いない。

 

しかし、ここで挫けるのがペトラではない。

何よりあの二人は付き合ってはいない。それに数日あの二人を観察していたが、スバルの方が女性に顔を赤くすることはあっても、逆に女性の方がスバルに対して顔を赤らめることは一度もなかった。つまりまだチャンスはある。

 

「…負けない……!」

 

ペトラは気合いを入れるため自分の頬を両手で叩く。そしてベッドから起き上がり着替えると家を出て行った。

 

──出て行った先にいたのはスバルとあの女性ではなく、銀髪の男性だった。ペトラはその姿を見たとき言葉を失った。何故なら凄く、イケメンなのだ。

まるでお伽噺に出てくる王子様のような風貌をしていながら、その雰囲気はどこか冷たさを感じる。それでいて優しい感じもある。そんな不思議な青年だ。

 

「……あの」

 

ぼーっとしていると、その男性が声をかけてきた。

 

「え?あ!すいませんっ!!」

 

慌てて頭を下げる。すると男性は首を傾げながら言った。

 

「あ、君がペトラって言う子かな……?スバルに聞いた」

 

「そ、そうなんですか!?」

 

思わず聞き返す。嬉しかった。好きな人が自分の話をしてくれたということが。

 

「俺の名前はオリーバー。今日はあいつの体調が悪いらしいからさ、ラジオ体操は中止だって伝えに来たんだ」

 

「そ、そうなんですね……分かりました」

 

オリーバーと名乗った青年は「じゃあ俺はこれで」と言って去って行く。ペトラはその背中を見ながら思う。

 

「(…かっこよかったな……)」

 

あれで、スバルの恋心が消えたわけじゃない。しかし、カッコいいと思ったのは事実だ。ペトラの心の中で、オリーバーに対する興味が大きくなっていった。

 

 

 

 

「昨日はごめんな!ちょっとばかり体調崩してしまって!」

 

翌日、いつものようにラジオ体操が再開された。周りから何か言われているが、特に気にしていない様子でスバルは元気よく挨拶をする。そんなスバルに、ペトラは話しかける。

 

「……ねぇ、スバル」

 

「ん?どうした?ペトラ」

 

スバルの視線がペトラと視線が合う。それだけでドキドキしてしまう。しかし、そんな気持ちを抑え込み、ペトラは質問をした。

 

「昨日──スバルが体調崩したって知らせてくれた人は来てないの?」

 

「ああ、あいつのことか……いないけどどうかしたのか?まさか惚れたのか?オリーバーに」

 

ニヤニヤしながら聞いてくる。その表情にペトラは不満になる。だってペトラが好きなのは目の前にいる──スバルだからだ。

 

「別にそんなんじゃないけど……ただどんな人なのかなって思っただけ……」

 

「どんな奴……?まぁ、いい奴だよ……あいつが俺の恋のライバルという点を除けば…」

 

「ライバル……?」

 

ペトラは疑問に思い首を傾げる。

そんなペトラの様子を見て、スバルは少し照れ臭そうにしてこう言った。

 

「そう、ライバル。絶対に負けられない相手」

 

「……へぇ~」

 

ペトラはスバルの言葉を聞いて一つの可能性を思い浮かべる。その可能性に気付いた時、ペトラは自然と口角が上がっていった。

 

 

翌日。ペトラはオリーバーを探していた。オリーバーはスバルとは違い、そんな頻繁には村には来ない。だが、今日はいる、という目撃情報が入った。だからこんなのチャンスだと思って探していたのだ。

そして数分後、見つけた。村の外れにある森の中に彼はいた。木陰に座っている彼の姿はとても絵になっている。まるで一枚の絵のようだ。

 

「あの……すいません」

 

「ん、君は……確かペトラちゃん……だったよね?」

 

「はい!覚えていてくださったんですね!」

 

「うん。スバルが君達の話よくするし」

 

その言葉にペトラはまた嬉しくなる。だって、スバルは自分のことを話してくれた。どんな話かは知らないけども、それでも嬉しかった。そしてペトラは本題に入る。

 

「あの……オリーバーさんはスバルと恋のライバルだと聞きました。それは本当ですか?」

 

ペトラの問いに、オリーバーは驚いたような顔をしながらも、オリーバーはこう言った。

 

「……ああ、そうだよ、でもそれが……?」

 

「……じゃあ、協力しませんか?」

 

「えっ!?」

 

ペトラの提案に、オリーバーは目を見開き、驚く。そしてペトラは続けて言う。

 

「恋のライバルなら私に協力してくれますよね?」

 

それは交渉だった。ここで断られればそれまでだし、深く深掘りはしない。そんなペトラに対し、オリーバーはしばらく悩んだ末、答えを出した。

 

「──とゆうことはペトラちゃんはスバルのことが好きということでいいの?」

 

「はい、好きです」

 

ペトラのはっきりとした言葉にオリーバーは言葉に詰まりやがて、──ふぅ、と息を吐いた。

オリーバーは立ち上がり、ペトラの前まで来ると、こう言った。

 

「分かった。なら、協力しようか」

 

「はい、オリーバーさん」

 

こうして、二人は手を組むことになった。

 

 

 

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

 

 

「(まさかこんなことになるなんて)」

 

オリーバーはふぅとため息を吐く。ペトラとの話し合いの結果──オリーバーは村に行くことが多くなったし、買い出しも今までより増えた。

 

「…最近オリーバー、ペトラといることが多いけどエミリアたんを諦めたのか!?エミリアたんを諦めるのは大歓迎だけどペトラに乗り換えるのか……!まぁ、ペトラはいい子だもんな」

 

オリーバーがペトラと一緒にいることが増えたのを見てスバルは勘違いしている。その様子にオリーバーは盛大にため息をこぼした。

 

「え……?何?」

 

「お前本当鈍感だよな?」

 

スバルは鈍感なのだ。なので人の好意にも中々気が付かない。だからこそ、スバルはペトラの気持ちにも全くと言って良いほど気付いていなかった。

 

「(……こいつ異様に自己評価も低いしな……)」

 

スバルもエミリアも自分を好きになってくれる人などいないと思っている節がある。それがオリーバーにとって何より歯痒く、そして腹が立つ。

 

「……エミリアについてはお前の方が危惧しとけ。これから好きなときにエミリアと一緒にいられるとは思わないことだな」

 

「……え?どういうこと?」

 

意味が分からないと言った表情でスバルは聞く。その様子にオリーバーは呆れながら、こう言った。

 

「自分で考えろ!」

 

「なんで怒られたの俺!?」

 

そんなやり取りをしながら、オリーバーはペトラのことを考えていた。

 

「(ペトラちゃんがスバルのことを好きなら応援したいけど……)」

 

こんな風に勘違いされているし、スバル本人はペトラのことを可愛い妹分としか見てない。それではペトラにとっては辛いだろう。だから早くどうにかしてやらないと、と思いながらオリーバーは

 

「はぁ……」

 

「どうして人の顔を見てため息を……?」

 

ため息をつくオリーバーにスバルは首を傾げた。

そして、オリーバーは決心する。

ペトラのために、そして自分のために。ペトラとスバルが付き合うということはライバルが減るということ。スバルに関してはもう一人いるが、そっちは──。

 

「(……なんとかなるだろ。多分)」

 

オリーバーはそう楽観的に考えていた。

 

 

ペトラとオリーバーの二人が手を組んでから数週間後。二人の関係は良好だった。

最初はどうなるかと思ったオリーバーとの関係だったが、意外と上手くいくもので、今では二人で一緒に買い物に行ったり、遊んだりする仲になった。

そしてある日。

 

「あの、私のこと、ペトラって呼んでいいですよ?」

 

「え……?突然何?」

 

唐突にペトラは言う。だが、ペトラは真剣だった。

 

「だって私のことペトラちゃんって呼ぶ人オリーバーさんだけなんだもんっ」

 

少し拗ねたように言うペトラにオリーバーは胸を撃ち抜かれたような感覚を覚える。だが、これが恋心ではない。エミリアとは全く違う思いが溢れて来るからだ。そんな不思議な感覚にオリーバーはペトラに向かってこう言った。

 

「……分かったよ。じゃあ、俺のことも呼び捨てで構わないよ?」

 

「うんっ、ありがとう!オリーバー」

 

無邪気に笑うペトラにオリーバーは思わずオリーバーはペトラの頭を撫でてしまった。ペトラは不機嫌そうに、

 

「子供扱いしないでください」

 

とは言うものの、嫌そうな素振りは見せなかった。そんなやり取りをして、二人は笑い合った。

こんなこと考えられなかった。今までだったら村にも行かなかっただろうし、村の子と仲良くなるだなんて思ってもみなかった。それも──

 

「……癪だけど、あいつのおかげなんだよなぁ」

 

スバルがいたからこんなにペトラと打ち解けられた。それは事実だ。感謝はしているが、絶対に口に出して言ってやるつもりはない、と思いながらオリーバーはペトラの隣を歩いた。

 

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「最近、ペトラ、あの兄ちゃんといる機会多いけど何でー?」

 

ある日の朝。いつものようにみんなと遊んでいた時にペトラの友達であるリュウカがそう聞いて来た。その問いに対してペトラは笑顔を浮かべると、

 

「もしかして恋だったり?」

 

メイーラが面白がるようにペトラを茶化す。その言葉にペトラはうーんと首を傾げながらもこう言った。

 

「これは恋心じゃないかなぁ」

 

勿論、オリーバーのことは好きだがそれは恋心ではないことをペトラは知っていた。そう断言できるのは──

 

「(本気に好きになる気持ちを知ってしまったから)」

 

オリーバーに対する感情は親愛だ。スバルと一緒にいると、ドキドキするし、浮かれてしまうけどオリーバーといると安心出来るのだ。それに──

 

「オリーバーとは協力相手なの」

 

自分の恋を実らせる為の協力相手。その言葉に嘘偽りも無い。だって最初は本当にただの協力相手のつもりだったのだから。でも、今は──

 

「恋愛感情はないけど……今は本当に大切な人だよ」

 

ペトラはそう言って微笑んだ。



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『レムの平凡な日々』

レムの朝は早い。

 

まだ日も地平線から顔を出していない時間帯に目を覚まし、一息するまもなく身支度開始。

 

顔を洗って最後まで残っていた眠気共々洗い流すと、手早く着替え、とある部屋に行く。そこは姉であるラムの部屋ではなく──

 

「おはようございます」

 

小さな声と共に扉を開けるとそこには無防備に寝ている少年の姿があった。その寝ている姿が愛おしい。

 

「スバルくん、ふふっ、かわいい」

 

我ながら、盲目だなぁとレムは自分で思う。しかし、それだけスバルが好きなのだ。だってスバルは自分のコンプレックスを解いてくれた存在だ。そのとき、今まで狭い世界で生きてきたレムが広い世界に飛び出したような感覚を覚えた。スバルと一緒にいるだけで心が温かくなる。こんな気持ちは初めてだった。

 

「……って、いけない。もうすぐ、仕事の時間になる」

 

スバルの頬を指先で軽くつつきながら名残惜しそうな表情を浮かべるレムだが、そんな事をしている場合ではないと自分に言い聞かせ、そっとその場から離れる事にした。そして──。

 

「おはようございます。姉様」

 

今度は姉の部屋へと入っていく。──姉の姿は美しかった。ラムはレムの双子の姉であり自慢の姉だ。優しく慈悲愛に溢れ美しく凛々しくそして強いという完璧な存在。それがラムだ。

 

レムはラムにあきらかに劣っていると感じている。容姿も、能力も、何もかもがラムの方が上なのだ。だけど、

 

「少しだけ、前向きになれたから」

 

他の誰でもないスバルのお陰で。レムは前を向いて歩いていけるようになった。そう思いながらレムはラムを起こす。

 

「姉様、そろそろ時間ですよ?」

 

「うーん、後五分……」

 

レムの呼びかけに対して、ラムは寝ぼけ眼のまま、寝返りを打ちつつレムに背を向けた。本当ならレムだってラムのことを起こさず、そのままにしてあげたいと思うが、そういう訳にもいかない。

 

「起きてください……姉様。そんな風にしていると、スバルくんが可哀想ですよ?スバルくんまだ病み上がりですし」

 

「……どうしてバルスの為にラムが起きなくちゃならないの?」

 

そう言って、ラムはもう一度寝返りを打ってレムに背中を向ける。レムはそれを見て苦笑いを浮かべるしかない。

 

「姉様……でも……はい。分かりました。レムもこれ以上姉様を起こすのは心苦しいですし、スバルくんと二人で仕事をしてきます。姉様はどうか寝てて……」

 

「……気分が変わったわ。起きる」

 

「えっ!?」

 

先ほどまでレムの言葉を聞き入れなかったラムが、急に覚醒すると、ベッドから降りてレムにこう言った。

 

「さぁ、レム。着替えさせて」

 

「……はい!姉様!」

 

自分が愛されていることを再確認して嬉しくなった。

 

「……レムは幸せ者です」

 

そう言いながらレムはラムの髪を梳かす。ふっとレムは自分の髪を触った。ラムと瓜二つの容姿。髪の長さも同じ。違うのは瞳の色ぐらいだろう。だが、最近は──

 

「姉様はレムが……髪を長くしても変に思われないでしょうか?」

 

「それはラムに変に思われないかっと言っているの?それとも別の誰かに変に思われないかっと聞いているの?それによってラムの答えが変わるわ」

 

「……ええっと……スバルくんに……変に思われないでしょうか?」

 

「……」

 

ラムはため息を吐きながらも、レムに向かってこう言った。

 

「バルスに言われたの?」

 

「い、いえ……姉様の髪を梳かしてたらそう思っただけで……」

 

「──エミリア様の髪は長くて綺麗だものね」

 

やはり、姉には敵わないなっと、レムは苦笑いを零す。

 

「……勿論、レムは伸ばしても可愛いわ。だからこそ、バルスを引き裂いてやりたいわ」

 

「ひ、引き裂く……姉様はスバルくんのことが嫌いなんですか?」

 

「ラムがバルスを嫌いなのとレムにバルスが釣り合うかどうかは別問題よ」

 

ハッキリとそう言ったラムにレムはまた苦笑みを零すしていると、

 

「おーい。ラムー。ロズワールが呼んでるぞー」

 

オリーバーの声が聞こえる。そんなオリーバーの声にラムは慌てて身支度を整えていく。

 

「レム。行ってくるわ。ロズワール様を待たせるのは悪いし」

 

「はい。姉様!」

 

そしてラムはロズワールのところに向かっていった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「はぁ。スバルくん可愛い……!」

 

今庭園でスバルはエミリアと話していた。その光景を見ながらレムは悶絶している。そんな光景に、

 

「腹ただしい奴なのよ」

 

「……そうだな」

 

「ベアトリス様にオリーバーくん」

 

レムは二人に視線を向ける。そこにはベアトリスとオリーバーがいた。二人はレムに近寄ると、庭園に見える二人の様子をため息を吐きながらも見つめる。

 

豪奢でフリルを多用された藍色のドレスを着用し、その過剰装飾が似合う愛らしい顔立ちをしている少女と、銀色の髪で瞳はレムと同じ青色で、凛としていて、スラッとした長身の少年だ。正に、可愛いと凛々しいの黄金コンビという感じだった。しかし、

 

「……まぁ、お二人とも姉様には敵いませんが」

 

「今……ベティーは屈辱されたのかしら?この小娘に!」

 

「俺もなんかイラっとしたぜ……でも、ラムに敵わないのは自分で分かってるけども」

 

ベアトリスの言葉に同意するようにオリーバーが言う。そんな二人の言葉にレムは

 

「ええ、そうです。姉様にはどんな方でも敵いません。ベアトリス様にもオリーバーくんにもいいところはあります。だから落ち込まないでください」

 

「別に落ち込んでないし、ベティーは更に惨めになったのよ!」

 

怒っているベアトリスに対し、レムは『申し訳ございません』と腰を折って、

 

「もしかしてお腹が空きましたか?朝食まで後少しなのでもうしばらく……」

 

「何でベティーが腹立ってる=お腹が空いたになるのかしら!?最近のお前、姉妹の姉と同じでベティーに対して遠慮がなさすぎるのよ!それもこれもあの人間がこの屋敷に来てからなのよ」

 

ベアトリスの言葉にレムは頭を捻らす。

スバルが来てからの自分は確かに変わってしまったと思う。以前はこんな風に感情を表に出さなかったし、他人に興味はなかった。だけどそれは──

 

「……まぁ、それは否定しねーけど、ベアトリスも変わったと思うぜ?あいつの影響で」

 

「はい!レムもそう思います」

 

オリーバーとレムの肯定する言葉にベアトリスは可愛らしい顔を歪め、不満気に頬を膨らませる。そんなベアトリスにオリーバーは頭を撫でて、

 

「んー、可愛いなー。ベアトリスは!」

 

「むきゃー!ベティーに触っていいのはにーちゃだけかしら!」

 

そう言ってベアトリスはオリーバーの手を払い除けると、そのままレムに対してこう言った。

 

「もう禁書庫に戻るのよ」

 

そう言って、ベアトリスはさっさと歩いていく。そんなベアトリスの後ろ姿を眺めながら、レムは一つ思い出す。

 

「ベアトリス様!朝食の準備が出来たら呼びますね!」

 

そんな声はベアトリスが手をヒラヒラと振ったことで、届いたことが分かった。そんなベアトリスに対し、

 

「やっぱり変わってるじゃん。あいつ、朝食に来ることなんてほとんどなかったのに」

 

オリーバーの言葉にレムは完全同意だった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「わっ。今日は、レムがお茶を入れてくれるのね?」

 

エミリアは嬉しそうな表情をしてレムを見つめてくる。銀色の長い髪と紫紺の瞳。ラムが至高の存在と思っていたレムでさえ見惚れるほどの美少女だ。

 

「どうぞ。エミリア様にオリーバーくん」

 

「うん。ありがとう。レム」

 

「ありがとうな。レム。……にしても今日はスバルやラムじゃないんだな。ちょっと珍しくねーか?」

 

オリーバーは少しだけ嬉しそうにそう言った。スバルかラムが焼き菓子とお茶を二人に持って行くことが多いが今日は違う。何せ──

 

「姉様とスバルくんは買い出しです。二人にはもっと仲良くなってもらいたくって、レムが我儘を言いました」

 

そんなレムの言葉にオリーバーは驚きながらこう言った。

 

「…あいつらもう仲良しだと思うんだけどなぁ。お互い頑なに認めないだろうけど」

 

オリーバーの言葉にレムとエミリアは苦笑いを浮かべる。確かに二人とも素直ではないところがあるし、特にスバルに関しては天邪鬼な部分もある。

 

「でも、私もスバルとラム仲良しだと思うわ」

 

エミリアのその言葉にレムとオリーバーは顔を合わせて微笑み合う。そして、

 

「そういや、レムはお茶飲まねーの?」

 

「いえ、レムは給仕の立場なので」

 

「でも、スバルもラムもいつもお茶飲んでいくけど……」

 

エミリアのその言葉にレムは戸惑いながらも、

 

「──では、お言葉に甘えて」

 

本来使用人が客人と同じ立場なんて絶対に駄目だろう、とは思っている。しかし、ラムもスバルもしているのなら、そっちの気持ちを優先すべきだとレムは思っていた。しかし、

 

「「「………」」」

 

三人とも無言だ。元々、この三人は積極的に喋るタイプでは無い。レムはラムのような積極性も、スバルのような活発性も持ち合わせていないのだ。本来ならここはレムが何かを言うべきだと思う。しかし、何を言うべきか分からない、そんな自分が不甲斐ない。

 

「偶にはこうしてゆっくりお茶をするのもいいものね」

 

そんなとき、エミリアが口を開いた。それを受けてレムは思わずエミリアの顔を見る。エミリアの表情は嘘偽りなく、本当に楽しそうだ。

 

「ああ、そうだな。スバルの話は……悔しいけど面白いし、ラムの勉強のアドバイスも教える身としては参考になるけど、こんなのんびりする日々も嫌いじゃない。昔のこと思い出すし」

 

オリーバーの言葉にレムは『昔?』と首を傾げる。すると、オリーバーは少しだけ寂しげな表情をしてからこう言った。

 

「……レムも知ってる通り俺らって、ハーフエルフじゃん?だから、他の人間達からは疎まれてたんだよ」

 

「……えぇ、そうですね」

 

レムはその話を知っている。というより、ここの住民でそのことを知らない人はいない。ハーフエルフは世界から疎まれ、近づいてはいけない存在と言われ、差別され、迫害される。それが当たり前なのだ。

 

「正直言って、レムだってエミリアが王選候補じゃなかったら俺らと関わってなかっただろ?」

 

「……それは、そう、ですね……すみません」

 

ここで、嘘をついても意味がない。レムは素直に肯定した。

 

「別に謝ることじゃないよ。当たり前だと思うし。それに、エミリアが王選候補者に選ばれて、スバルがやってきてさ、そこから色々あって、今は結構楽しい生活してるわけだけど……本当悔しいけど全部あいつのお陰なんだよな」

 

「……オリーバーくん」

 

オリーバーはエミリアのことが好きだ。それはロズワール邸にいる全員が知っていることだ。……肝心の本人には伝わらないが。

 

「あいつが来なかったら、エミリアもベアトリスもラムもレムとの関係なんて変わっていなかった。あいつが来たことで、俺たちの世界は変わったんだ」

 

オリーバーの言葉を聞いて、レムは頷く。確かにスバルがやってくるまでは、エミリアのことをレムはよく思ってはいなかった……というよりあまり興味がなかった。今の関係になったきっかけはスバルにある。

 

「だから、感謝しているんだ。スバルに。……こんなこと絶対に本人の前で言うなよ?」

 

「ふふっ、分かったわ。オリーバー」

 

「はい。分かりました。オリーバーくん」

 

嬉しそうにそう言ったエミリアとレム。そして、その後、オリーバーとエミリアとレムは他愛もない話をしていた。

 

「さてと、そろそろ勉強を再開するか。……楽しかったよ」

 

「ええ、私も」

 

「レムもです。では、レムは仕事に戻ります」

 

そう言いながらレムはエミリアの部屋を出ると、廊下を歩き出す。

 

「(オリーバーくんはエミリア様のことが好き。そして──レムはスバルくんのことが好き)」

 

本来なら、オリーバーとレムは協力しなければならない立場だろう。だが、レムはオリーバーの恋路を応援する気はなかった。理由は単純。エミリアの気持ちがどうであれ、スバルはエミリアに思いを寄せているから。

 

「(……きっとレムは……エミリア様が好きなスバルくんが好きなんでしょうね……)」

 

そんなことを思っていると、

 

「……はぁー!疲れたー!」

 

「はっ、へなちょこね。バルス」

 

そんな二人の声が聞こえてくる。そんな二人の声に笑みを零し、レムは二人に近づいっていた。

 

 



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『エミリアのすごーく嬉しい一日』

「うん。勉強終わり!」

 

エミリアはうーんと背伸びをしていると、コンコンとノックの音が聞こえる。そこには──

 

「エミリア様。お茶を持ってきました。……今日はお一人ですか?」

 

メイドのラムが部屋に入ってくる。彼女はティーポットから紅茶をカップに注ぎながら、クッキーもテーブルの上に載せた。

 

「ええ、今日はオリーバーはスバルと一緒に買い出し……って言ってたけど、大丈夫かしら?ほら、オリーバーって…容赦がないから」

 

オリーバーはスパルタなところがある。勉強は勿論、芸術や歌や料理など、色々と厳しいのだ。だが、その厳しさのおかげで、エミリアの教養は日々磨かれているのだが……

 

「まぁ、大丈夫でしょう。それにあの二人なんだかんだ言って仲がいいですし」

 

そう言いながら、ラムはクッキーを一口齧り、紅茶を飲む。使用人としては決して褒められたものではないが、これがエミリアにとっての日常だった。

 

「そうだけど……あの二人、よく言い合いしてるでしょう?」

 

「……してますね。ラムとしては基本的にどうでもいいことなのでスルーしていますが」

 

ため息を吐き、ラムは紅茶を飲み干しながらそう言ってエミリアを見ながら

 

「エミリア様が気にする必要性はないかと。あの二人はなんだかんだ言って仲が良いですし、二人なりに上手くやっていますよ」

 

「そうなんだけど……」

 

「何か気になる点でも?」

 

「……ちょっとだけ。ほんとにほんの少しだけだけれど」

 

エミリアは少し間を置いて、

 

「私あの二人に嫌われているのかしら?」

 

「……は?」

 

ラムは何を言っているのか分からない、と言った顔をしながらエミリアを見てこう言った。

 

「どうして、そんなことを思うんですか?」

 

「だって……最近私のこと、避けてる気がして」

 

「…避けてる?」

 

「うん。目が合うとすぐ逸らすし、話しかけても何故か顔を赤くするし」

 

その言い分にラムは呆れたようにため息を吐き、目の前の少女を見つめる。そんな反応にエミリアは不安になりながら、

 

「えーっと……私、変なこと言っちゃったかな?」

 

「……バルスとオリーバーがエミリア様のことを嫌っていることなど決してあり得ません」

 

きっぱりとした口調で言うラム。エミリアはその言葉を聞いても、不安そうに紫紺の瞳を揺らす。そんなエミリアの様子にラムは──

 

「……そんなに心配なら直接本人たちに聞いてみればいいじゃないですか。それではっきりしますよ?」

 

そう言った直後、扉をノックする音が聞こえる。エミリアが返事をすると、扉が開かれて二人の少年が入ってきた。その二人とは先まで話題になっていたオリーバーとスバルだ。

 

「エミリアたん!今帰ったよ!」

 

「……なんか雰囲気暗いな。どうかしたのか?」

 

いつも通り明るい笑顔を浮かべるスバルと、この空気を察しているようで眉間にシワを寄せているオリーバー。そんな対照的な二人にエミリアは困ったような表情をする一方でラムは……

 

「エミリア様が二人に話したいことがあるそうよ」

 

「ラム!?」

 

とんでもないことを言うものだからエミリアは驚いてしまう。だが、当の本人は素知らぬ顔でお盆を持って、

 

「ラムはもう行きます」

 

と言って部屋を出ていってしまった。残されたエミリアは困惑しながら二人を見る。そしてスバルと目があった瞬間、彼は慌てて目をそらしてしまった。

 

「(やっぱり避けられてる?)」

 

エミリアは悲しげに俯く。そんな彼女に気づいたのか、オリーバーが近づいていき、

 

「で、何の話?」

 

優しく、穏やかな声音で問いかけてくる。そんな彼にエミリアは意を決して、口を開く。

 

「あ、あのね……二人とも、最近私のことを避けているような気がして」

 

「……」

 

エミリアの言葉を聞いた途端、オリーバーとスバルは固まってしまう。二人の様子にエミリアはやはり嫌われていたのかと思いながら、

 

「ごめんなさい……。私が何か悪いことしちゃったよね?教えてくれれば直すようにするから……」

 

そう言って頭を下げようとするエミリアだったが、その前にオリーバーの手が伸びてきて、彼女の頬に触れる。いきなり触れられたことでエミリアは驚き、固まる。一方のオリーバーは無言のまま、じっと彼女を見つめると……

 

「嫌ってるわけがないだろ?お前を嫌うなんてありえない」

 

「そうだぜ。後オリーバー、エミリアたんと距離が近い。離れろ」

 

そう言ってスバルはオリーバーを押し退ける。そのことにムッとしながらもオリーバーはエミリアから離れる。一方、スバルはエミリアの側に寄り添うようにして立ち、

 

「俺たちはエミリアたんのこと嫌いになったりしないよ?だから安心して?」

 

「本当?」

 

不安げに見上げてくるエミリアに対してスバルは満面の笑みを浮かべながら言う。

 

「勿論!」

 

「じゃあ、何で昨日と一昨日は避けたの?」

 

「そっそれは……」

 

エミリアの問いにスバルが言い淀んでいると、オリーバーが代わりに答えてくれた。

 

「ごめん。これの用意しててさ。決して、エミリアのことをないがしろにしたとかそういうんじゃない」

 

そう言って取り出したのは──

 

「わぁ……綺麗」

 

エミリアが感嘆の声を上げる。そこには赤い薔薇が三本入っていた。

 

「俺が提案したんだよ」

 

誇らしそうに胸を張るオリーバー。だが、その横でスバルは不満そうに、

 

「俺も提案しそうになっただろうが!お前と提案が重なるとか気持ち悪かったけど!」

 

そう文句を言うが、それをオリーバーは鼻で笑う。

それから二人は睨み合い、バチバチと火花を散らし始める。そんな二人にエミリアは慌てながらも、

 

「え、えっと……ありがとう。二人共」

 

そう言ってエミリアは微笑む。その瞬間スバルとオリーバーは言い争いをやめてから顔を赤くして、

 

「EMT……!オリーバー、エミリアたんが天使の微笑みを!」

 

「今更何言ってるの?エミリアが天使なことぐらい最初から分かっていただろう?」

 

「それはそうだが、やっぱり目の前で見ると破壊力が凄まじいぞ!?」

 

そう言って二人はひそひそと話し始める。よく分からないが、喜んでくれているようだ。エミリアはそれを見てクスリと笑った。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「ん?リア、これは?」

 

「あ、パック。ふふっ、スバルとオリーバーから貰ったんだ」

 

そう言ってエミリアは嬉しそうな表情を浮かべる。それを見たパックは嬉しそうに、

 

「へぇー!良かったね。でも……赤い薔薇三本かぁ。オリーバーもスバルも中々洒落たことをやるじゃないか」

 

「……?薔薇がどうかしたの?」

 

不思議そうにするエミリア。そんな彼女にパックはニコニコと嬉しそうに

 

「さぁ?本人に聞いてみたらどうだい?もうそろそろで時間だから帰るねー」

 

と言って去っていってしまった。

エミリアは首を傾げるが、まあいいか、と思いながら、ベットに潜り込むのであった。

 

余談だが、その後二人がエミリアに呼び出され、薔薇の意味を教えて欲しいと言ったら、二人とも真っ赤な顔で逃げてしまったのはまた別の話である




赤い薔薇の花言葉はそれぞれで調べてね!


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『スバルとオリーバーのエミリア語り』

「よぉー!オリーバー!」

 

ハイテンションで、そう言ったスバルの声にオリーバーはうんざりとした表情をしながらも、振り返る。

 

「何?」

 

「ちょっと話そうぜ!」

 

と、そんなことを言いながら、スバルがオリーバーの肩に腕を回す。

それを鬱陶しそうな顔をしながら振り払うオリーバーだったが、……なんだかんだ言って付き合ってくれるあたり、面倒見が良いやつだなとスバルは思う。

 

「それで?なんの話をするわけ?」

 

「俺ってさ、ここに来てからもう一ヶ月ぐらい経つじゃん?」

 

「そうだな」

 

「だからオリーバーと話したいなーって」

 

スバルの言葉にオリーバーは嫌そうに顔を歪めた後、大きくため息をつく。

 

「俺は別に話すことないんだけど……」

 

「まぁ、いいじゃねぇか!なんかこう……暇だしさ!少しくらい付き合えよ!」

 

「……暇だからかよ。……はぁ、分かったよ」

 

渋々といった様子だが了承してくれたオリーバーを見て、スバルは笑みを浮かべると、「じゃあこっち来いよ!」と言って歩き出す。

そして人気のない場所まで移動した二人は向かい合うように座り、オリーバーは不機嫌そうに頬杖をしてこう言った。

 

「で?話って何?」

 

「屋敷のみんなの話はどうだ?」

 

その言葉にオリーバーは驚くも、すぐに興味なさげに鼻を鳴らす。

 

「みんなの話って何?そんなことして何の得が?」

 

「得も何もねーけど、俺と仲良くなれるチャンスだぜ?恋のライバルとはいえ、オリーバーとももっと仲良くなりたいしなー」

 

それは紛れもなく、スバルの本音だ。オリーバーとスバルはエミリアのことが好きな恋敵だ。しかし、その点に目を瞑ればスバルはオリーバーと仲良くなりたいと思うし、一緒にいる時間が増えれば増えるほど、親近感を覚えるようになっていたのだ。

 

「そうか……まぁ、お前がそう言うのならしょうがねーな……エミリアにも言われたし」

 

「へぇ~、エミリアたんから?」

 

「ああ。相変わらずエミリアは俺らの好意に気付いてくれねー鈍感だけど、そこがいいよな」

 

「分かる」

 

全力同意だ。あの無垢さがたまらない。……鈍感すぎるのも玉に瑕だが、そこもエミリアの魅力だとスバルはそう思っている。

 

「でも、正直なところ、もうそろそろ気づいて貰いたいとこもあるんだよな」

 

「だよなー」

 

そんなフワフワとした会話だ。恋のライバルとは思えないそんな和やかな雰囲気だ。それは好きな人がエミリアだからだ、というのもあるだろう。

……ただ、それ以上にこの二人が互いに嫌いではないということが大きいのかもしれない。

 

「……んで、話が逸れたけど、結局何を話したかったわけ?」

 

「ん?ああ、そうだな……。例えば、オリーバーから見てエミリアたんってどんな感じの子だと思う?」

 

「どんなって言われてもな……」

 

少し考えた後、オリーバーは答える。

 

「一言で言うなら愛おしい。あの紫紺の瞳を見れば吸い込まれそうになるし、声を聞くだけで心が落ち着く。それに笑顔を見ると癒されるし、性格も素直で優しくて可愛くて、たまにポンコツになる所とか最高だし……」

 

「わかる!分かるぜ!」

 

オリーバーのエミリア語りは終わらない。そしてスバルもエミリア大好きな人間なので共感できる部分が多すぎて止まらない。故に、この二人はエミリアことになると最強で最悪なコンビなのだ。

 

「後は……不器用な部分もあるけど、努力家でもあるから素直に応援してあげたくなるっていうか……そういう面があるし」

 

オリーバーの言葉にスバルはうんうんと頷く。確かにエミリアにはそんな一面があった。普段はドジっ子属性なのに、いざと言う時は本当に頼りになって、そのギャップ萌えがまた素晴らしい。

それにエミリアは、誰かの為に一生懸命になれる女の子だ。そんな彼女だからこそ、スバルはエミリアのことを好きになったのだ。

 

「分かる。分かるぜ……!それに、エミリアたんといえば……」

 

そして、二人によるエミリア談義は白熱していく。それはいつしか、エミリアの良いところを褒め称える会になっていた。

 

……それから一時間が経過した頃。

 

「後お前と会う前にあった出来事を言うと……そうだな、エミリアがメイド服を着てた話でもするか」

 

「は?エミリアたんのメイド服……!?」

 

それはなんとも聞き捨てならない情報だった。美少女がメイド服を着ている姿はレムとラムがいるから見慣れている光景ではある。

しかし、それがエミリアのメイド服となればその価値は計り知れない。

それを見たい。是非見たかった。

 

「アンネローゼが俺とエミリアのことを使用人だと勘違いしたみたいで……って聞いてる?スバル」

 

「えっ、ああ!もちろんだぜ!」

 

慌てて取り繕うように返事をするスバルを見て、オリーバーは不思議そうな表情を浮かべるが、すぐに興味を失ったのか、話を戻す。

 

「まぁいいや。それでさ、その時のエミリアが凄い可愛いかったんだよ」

 

マウントを取ろうとするかのようにオリーバーは言う。その言葉に一抹の苛立ちを感じるスバル。だが、そこはぐっと堪え、余裕のある笑みを浮かべると、こう言った。

 

「へ、へぇ……そっか」

 

「後、それと……」

 

そこからもオリーバーのエミリアトークは続く。そして、その話を聞きながらスバルは思う。

 

「(……こいつは俺と同じだ)」

 

エミリアのことが大好きで仕方がない。それだけオリーバーのエミリアに対する愛情も強いのだ。エミリアに対する愛は負けていないとスバルは思う。しかし、時間というのは残酷だ。

 

どれだけ好きでもどれだけ思っていても、思い出だけは覆せないし、スバルが出会う前エミリアとオリーバーがどんな会話をしていたのかも知らない。

 

……悔しいが、オリーバーの方がエミリアとの時間は長いのだ。それだけはどう足掻いても覆せない事実だ。そして、今、オリーバーのエミリアへの想いの強さを再確認したスバルは、思わず口にしてしまう。

 

「なぁ、オリーバー。俺はエミリアのことが好きだ」

 

冗談で言っているわけではない。それはオリーバーにも伝わっているはずだ。

 

「……知ってるよ。とゆうか、あんな口説き文句を並べといて、気付かないのなんてエミリアぐらいしかいねーよ……まぁ、エミリアに関しては生い立ちとか色々あるとからしょうがないと言えばしょうがないのだけれど」

 

そう言ってため息をつくオリーバーと何も言わずにただ黙っているスバルに対し、オリーバーはこう言った。

 

「まぁ……今日は楽しかったよ、久々にエミリアのこと沢山話せたし。こんなこと語り合う相手パックぐらいしかいなかったし」

 

オリーバーの言葉に嘘はないと思う。……それでもやはり、どこか寂しさを感じてしまうのも本音だった。

 

オリーバーと別れて部屋に戻る途中、スバルは考える。……自分はエミリアの一番になりたい。他の誰よりもエミリアに必要とされたいし、頼られたい。その為にはもっと強くならなければならない。

 

……エミリアにとって安心できる存在になれなければ意味が無いのだ。

だから、スバルは決意する。オリーバーとエミリアについて語り合ったあの日、自分の気持ちは改めて本物だと確信できた。

だからこそ、自分に出来ることを精一杯頑張ろうと、ナツキ・スバルは決意したのだ。



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『王様ゲーム』

書き直しました。書き直す前はあまりにも文章が拙かったので……。


ある日、それはスバルの思いつきから始まった奇跡のことだった。

 

「エミリアたんってさぁ、王様になるために勉強中なわけじゃん?」

 

食事が終わってしばしの歓談中、屋敷の主立った面子が顔を合わせる食堂の中央で、スバルの口にしたその問いかけは静けさの間を縫ってやけに通った。

 

「え?……うん」

 

急になんの話かと首を傾げつつも、エミリアは素直に肯定する。そんなスバルの様子にオリーバーはため息を吐き、

 

「また奇妙なことでも思いついたのか?」

 

「いや、頭の片隅にはずっとぼんやり残ってたさ。そういや、俺の隣でピーマン嫌そうな顔で食べてる女の子って、下手したらそのうちに王様になっちゃうようなどえらい立場の子なんだよなって」

 

「緑の悪魔、ピーマルのことは言わないの」

 

叩いた軽口の返礼に、額を彼女の指で突かれる。小さな鋭い感触にスバルは額に手を当てる。その様子にスバルは満更でもない様子だ。その様子にオリーバーが不機嫌になっていると、

 

「しまりのない顔だわ」

 

と、ラムが嫌味を言いながら、スバルの前を通る。その言葉に自分の頬をこねつつ、スバルは子どものように「イーッ」と歯を剥き、

 

「妙なタイミングで通りがかって、人のにまにま面とか目撃してんじゃねぇよ。あと、食後のお茶をロズっちにしか持ってこないとかえこ贔屓が過ぎますー」

 

「えこ贔屓?これははっきり、ラムの中での優先度の問題よ。ロズワール様が一番で次にエミリア様や大精霊様。越えられない壁の向こうに深々と掘られた穴を潜って突き抜けた先に……まあ、バルスとオリーバーがいてもいいかしらね」

 

「そこまで上位陣と水をあけられた経験はさすがに俺もねぇよ!?」

 

「え?俺こいつと同等なの?……まじで?」

 

無表情のままさらりと告げられた評価に、オリーバーの顔から血の気が引く。ラムの優先順位は分かっていたつもりだが、まさかスバルと一緒にされるとは思ってなかった。しかし、そんなことお構いなしというようにラムはスバルとオリーバーの叫びを堂々と聞き流し、そのまま滑る動きでロズワールの下へ。上座で本に目を落としていたロズワールがそれに気付き、彼女の差し出す紅茶を慣れた手つきで受け取って口元へ運ぶ。舌に乗せ、それを味わい、

 

「うーん、やぁっぱり食後にはラムのお茶がないとどぉーにも落ち着かないもんだよねぇ。この一杯のために、生きてるってーぇやぁつ?」

 

「身に余る光栄です」

 

 静々と、あくまでロズワールに対しては従順な姿勢のラムの態度。これだけ待遇の差をはっきりと見せてもらうと、いっそイチャモンをつける気も失せるから不思議なものである。かといって、不満を呑み下したところでスバルとオリーバーの鬱屈とした気分が解消されるものではもちろんないわけだが。

 

「あまり怒らないでください。姉様に無理を言ったのはレムですよ、スバルくんにオリーバーくん」

 

言いながら、不服そうな顔つきのスバルとオリーバーをたしなめるのは厨房から歩み出る給仕姿の少女――その両手に大きめの盆と、人数分の茶器を乗せて運ぶレムだ。彼女は振り返るスバルに微笑みかけながら盆を軽く持ち上げ、

 

「スバルくんにはぜひ、レムの淹れたお茶をと思いまして。改めて姉様に手ほどきしていただいて、準備させてもらいました」

 

「ほっほーう、なるほど見上げた奉仕精神だぜ、レム。お前の覚悟、味わわせてもらう!」

 

「はい、そうしてください。姉様の監修の下、全力で血を吐く覚悟で、たとえ二度とお茶を淹れられなくなったとしても構わない。この一杯に全てを賭けるという意気込みで淹れさせてもらいました。さあ、飲んでください」

 

「こんな何気ないティーブレイクにそんな魂削りそうな気構えで!?」

 

スバルが目を白黒させている間にも、レムはオリーバーとエミリアにも同じものを運んでいく。最後に残った一人分は、スバルの目の前に静かに置かれた。

 

「……うん、美味い。レムのお茶ってほんとおいしいわ」

 

「ああ……本当に」

 

「エミリア様、オリーバーくん……ありがとうございます。……それでスバルくんは…?」

 

期待を込めた視線が注がれる中、スバルは黙ってカップを傾けた。香り高い一口を飲み、ゆっくりと息を吐いて、

 

「……うんウマい! 確かにいつもと一味も二味も違うような気がするような気配がしないとも限らないと言い切れないような雰囲気を醸し出しつつもほんのりといい感じな風になってること山の如し!」

 

「それってつまりおいしいの?どうなの?」

 

勢い任せにコメントするスバルに首を傾げながらそう聞くエミリアと呆れたようにため息を吐くオリーバー。そんな二人に対し、レムはスバルにこう聞いた。

 

「スバルくん、スバルくん、お茶はいかがでしたか?」

 

「お?ウマいぜ!やっぱり気持ちが入ってると飲み口も変わるな!」

 

「ホントですか!……それと、なんだか体が熱っぽくなってきたりしていませんか、スバルくん」

 

「熱っぽく……?いや、そんな変化はないと思うけど」

 

首を傾げつつ、スバルはレムの発言の眉根を寄せる。

 

「……まさかお前……」

 

そこで何か気付いたのかうわっと顔を歪め、オリーバーは一歩身を引く。その反応にスバルは困惑し、

 

「え?なに、オリーバーどうしたの?」

 

「オリーバーくん、何もないですよね?」

 

「あっ、はい」

 

レムの顔が怖かったので、オリーバーは即座に首肯し、またため息を吐く。そんな彼の様子などお構いなしとばかりに、レムはスバルに笑顔を向けたまま話を続けた。

 

「スバルくんが喜んでくれたならなによりです」

 

「顔と台詞と目の色とさっきの質問が合ってない気がすっけど?」

 

「そんなことないです。それより、お茶の味にご満足いただけたんなら、向上心を発揮したレムのことを褒めてくれても構いませんよ?」

 

「思い出したように愛い奴だな! 別にいいけど。近ぅ寄れい」

 

ちらちらと賞賛を求めるレムを手招き、身を寄せてくる彼女の青髪を掌で撫でる。見えない尻尾を振る彼女は幸せそうに目をつむり、鼻を小さく鳴らしてすり寄っている。そんな二人の様子に──

 

「じー」

 

「そうやって無言のじと目で睨んできてても、美少女の美ってものは薄れないもんだよね。……どったの?」

 

「どったの、じゃないわよ……お話、途中で切られるとすごーく気になっちゃう」

 

「お話?」

 

「ほら、あれだ。王様がどうとか言ってたやつ」

 

エミリアの代わりにオリーバーがフォローを入れる。それでようやくスバルは話の趣旨を理解して、

 

「エミリアたんって、王様を目指してるわけじゃん?」

 

「その件、さっきと同じ流れになる気がするんだけど……」

 

「こっからルート分岐すんの。で、王様っていうならさ、能力的なもんももちろん必要だけど、それと同じぐらいに心構え見たいなもんもあるべきじゃん?」

 

「心構え……」

 

予想外のスバルの言葉に二人はお互いの顔を見合わせて、そして同時にスバルの方を見ながら二人とも『一理ある』と頷いた。スバルは「でしょ?」と言いながら、

 

「人の上に立つ覚悟、思いを背負うという重圧に耐える精神。そしてなにより、己の信念を貫き通す強い意思――!王を名乗るからには、それらの要素が必要不可欠なのだと俺は主張したい!」

 

 拳を固く握りしめて、席から立ったスバルは声を大にして演説する。自然、食堂の中にいる面子の視線がスバルに集まり、愉悦・呆れ・驚き・慈愛といった複雑な感情の数々を浴びながら周りを見渡す。

そんな周りの様子に察してかおずおずと、そのスバルにエミリアが手を上げ、

 

「スバルの今の意見はわかるけど……それを主張してどうしたいの?」

 

「簡単な話さ。王様を目指すエミリアたんには今の要素が欠かせない。んだらば、ちょいとその王の気構えってやつを鍛えてみたりしないかい?」

 

「えっと……?」

 

話が読めずにエミリアは首を傾げる。だが、それはその場にいる全員も同じようで、特にオリーバーは訳が分からないと言った表情で眉根を寄せている。そんな周りの様子をスバルは邪悪な笑顔を浮かべて、行儀悪くも座椅子に足を乗せて一段高みへ。その高さから部屋の中を見回し、指を天に突きつけてポージングすると、叫ぶ。

 

「ここに第一回――チキチキ『ロズワール邸王様ゲーム』の開催を宣言する!!」

 

「……少しだけ感心してたのに結局、変なことを提案するんだな」

 

呆れたようにオリーバーは呟く一方でエミリアは状況が飲み込めていないのか、ぽかんとした顔で首を傾げていた。

 

 

 

△▼△▼

 

 

王様ゲームとは、簡単に説明するならば、くじ引きによって選ばれた参加者が王様となり、命令を下すことができるゲームである。

 

「要はただお前が遊びたかっただけだろ。何、心構えとか言ってんだよ」

 

説明を終えた後、オリーバーは呆れて言うが、オリーバーは内心ワクワクしていた。エミリアと同じくハーフエルフな為エミリア程ではないが差別されがちだった彼は、こういう娯楽に飢えていた。口では乗り気じゃないが仕方なく……という感じだが、今一番ノリノリなのはオリーバーだ。

 

「クジ、できました」

 

「うし、拝見……うん、問題ないな。これでいこう!」

 

スバルはレムが差し出してきたクジを確認している。木製の菜箸風の道具に番号を振り、王様印のもののみスバルの手製でパックのデフォルメ絵が描かれている。注意深く見てもクジにそれとわかる細工や特徴はないことも確認、問題なく進行できるはずだ。

 

「パックを引いた人が王様ってことでいいの?」

 

「そ。で、王様は名乗り出て番号を指名。このとき、王様以外の人は番号を見られないように注意な。それがわからないのが楽しいんだから」

 

「あら。それじゃバルスを狙ってこき使う命令が出せないじゃない」

 

「お前みたいなのがいるから発生したルールだよ!名指しも禁止な!」

 

 叩きつけるようにラムに言って、スバルは吐息をこぼしてからざっとテーブル周りを見やる。食後の団欒時、当然のように全員が顔を合わせている。エミリア、レム、ラム、ロズワール、オリーバー、そしてパックにスバルと――。

 

「あれ、おい、ベア子どこいった?さっきまで確かに隅っこで、オムライス風のメニューから必死でグリンピース的な野菜を除けてたよな?」

 

「ベアトリス様でしたら、さっきスバルくんが椅子の上に立とうとしたあたりでいそいそと食堂から出ていかれましたよ?」

 

「あのドリルロリ……和を乱すやっちゃな。うし、ちょっと待ってろ」

 

言い置き、スバルは駆け足に食堂を飛び出す。

そしてきっかり二分後、

 

「うーい、戻ったぞー」

 

「ホントにお前のヤマ勘はどうなってやがるのかしら!?ベティーは巻き添えはごめんなのよ!」

 

「はいはい、かまってちゃんほどそうやって憎まれ口を叩きます。さって、これで全員揃ったよな」

 

食堂に戻ると既に人数分の割り箸が用意されており、準備万端だ。ベアトリスは不満そうにしながらも、せめての平穏を得るために、パックの隣に座る。

 

「よし、んじゃ始めようぜ!王様誰だ!」

 

スバルの声と共に一斉にクジを引く。オリーバーは『四番』だったので残念ながら王様ではない。そして最初に王様になったのは――、

 

「あ、私だ……」

 

エミリアだった。エミリアはおずおずと手を挙げて、

 

「……えっと、これでどうしたら?」

 

「エミリアたんが王様なんだから、もうここでどどーんと独裁しちゃっていいんだよ。二番が王様の頭を撫でるとか、二番が王様の手を握るとか、二番が王様の膝枕で眠るとか、二番が王様に『はい、あーん』ってしもらうとか、二番が王様と熱々デートの約束をするとか……」

 

「じゃあ、二番が王様の夕食からピーマルを取って全部食べるで」

 

「ぬおおお!誘導失敗!二番俺だー!」

 

そんなスバルの言葉にオリーバーは呆れたようにまたため息を吐く。今日はいつにも増してテンションが高いなぁと思いつつ、自分も楽しんでいる自覚があるオリーバーはそれ以上何も言わなかった。

 

「もっとも、夕食にピーマンが出なければ俺にはなんの負担もないけどな!」

 

「レム。夕食はピーマルをふーぅんだんに使ったメニューを希望するよーぅ。食卓が緑色に染まるよーぅな、そーぉんな晩餐が望ましーぃじゃなーぁいの」

 

「ロズワールてめぇ……王様ゲームの趣旨飲み込むのが早いじゃねぇか!」

 

「だって面白そうだものねーぇ」

 

にやにや笑うロズワールを見て悔しげに歯噛みするスバル。普段はスバルの味方であるレムも、今回ばかりはロズワールの味方だ。

 

「……まぁ、とにかく、二回戦だ!二回戦!」

 

ヤケクソになったスバルはクジを引いて席に戻る。

王様に選ばれたのはラムだった。

 

「……そうね、一番がラムの部屋を掃除すること」

 

淡々とした声で告げられた命令に、オリーバーは嫌そうに顔を歪めながら、

 

「げっ……俺一番だ……最悪……絶対に埃が一つでも落ちてたら凄い勢いで怒るだろ」

 

「ラムもそこまで畜生じゃないわよ、埃が落ちてたらぶちのめすだけ」

 

「畜生の意味を一回辞書で調べ直してくれ!」

 

「そういうのいいからこの王様ゲームが終わったらラムの部屋を掃除しなさい」

 

王様の命令は絶対なので、オリーバーは渋面を作りながらも、

 

「…分かったよ、分かった……じゃ、次行こう、次。王様誰だ!」

 

半端ヤケクソ気味で、オリーバーはくじを引いた。その次の王様はパックだった。

パックは結構腹黒いところがあるので油断できない。自分の番号は五番。どうか当たりませんようにと祈ったが、

 

「えっと……うーん、じゃあ、五番が二番のことをあーんって食べさせる……かな?」

 

「はぁ……!?」

 

またしても、オリーバーが当たってしまった。しかし、今度は前回みたいにただ自分が損をするわけではない。むしろ、相手次第では得になる。

 

エミリアならパックに感謝するし、ラム、レム、ベアトリスでもオリーバー的には問題はない。オリーバーは祈るような気持ちで、

 

「……俺、五番なんだけど……二番は?俺があーんってするのは」

 

「…はぁ!?最悪なんだけど!?」

 

嫌そうにそう叫んだのはスバルだった。彼はオリーバーと目が合うなり露骨に表情をしかめる。その反応だけでオリーバーは理解してしまった。

 

「………最悪」

 

本当に心の底から嫌そうにオリーバーは呟くが、スバルも願い下げだ。誰が好き好んで男相手に『あーん』なんてしてもらわなくてはいけないのか。

 

しかし王様の命令は絶対なのだ。レムが鬼気を震わせ、オリーバーを睨みつけていたとしても、ベアトリスとロズワールとラムが笑いを堪えていたとしてもエミリアとパックが苦笑いしているのだとしても、王様の命令には逆らえない。

 

「……」

 

覚悟を決めて、オリーバーは息を吸う。そしてスバルを見据えると、

 

「ほれ、食え」

 

「い、嫌に決まってんだろうが!何が悲しくて野郎同士で『あーん』し合わなきゃなんねぇんだよ!」

 

「うるせぇ!早くやらねーといつまで経っても終わらないだろ!」

 

「オリーバーの言う通りよ、バルス……ふふっ……

 

「今笑ったよな!?笑ったよね!?」

 

「笑ってないわ……ふふっ……

 

「声漏れてるんですけど!?」

 

「ラムの言う通りだーぁよ。観念したーまぁーぇ」

 

そう言いながらロズワールは笑い、ベアトリスは笑いを堪えるのに必死になりすぎて顔が真っ赤になっている。

 

そんな二人の様子に、エミリアが困り笑顔を浮かべているのを見て、パックは楽しげに口元を押さえて肩を揺らし、レムは羨ましそうな目でオリーバーたちを見ていた。

もうどうしようもない空気の中、オリーバーは諦めの境地で、スバルを見る。それは死んだ魚のような目だった。

 

「おい、さっさとしろよ。王様の命令なんだから」

 

「…………ちくしょう……ッ!!」

 

絞り出すようにそう言って、スバルはテーブルに肘をつく。そして口を小さく開くと、

 

「……はい、あーんってしたぞ!これでいいかよ!はい!王様誰だ!」

 

ヤケクソ気味にそう言ってスバルはくじを引く。そして――、

 

「ディスティニー、ドロォォォォォォォ!」

 

その気持ちは王様になった途端、どうでも良くなった。先のあーんも、もはや忘れた。今はただ、命令をしたい。

 

「よっしゃ!三番が俺の頭を撫でろ!」

 

もっと過激な命令を出しても良かったのだが、前回が前回だけに、ちょっと自重してみた。

 

「げっ……ベティーが三番なのよ……!」

 

「ええ…ベア子か。まぁ、オリーバーよりマシだけど」

 

「……まぁ、頭を撫でるぐらいなら……いいのよ…本当はにーちゃにして欲しいんだけど……」

 

ぶつくさと文句を言いながらもベアトリスは立ち上がり、スバルの隣に立つ。そして、その小さな手をそっと伸ばし、

 

「ほら、さっさと終わらせるわよ」

 

「お、おう……頼むぜ」

 

その言葉と共に、ベアトリスの手がスバルの頭に伸びる。そして――

 

「うーむ、エミリアたんにやってもらいたかったが、ベア子にしてもらうのもこれはこれで悪くない……いや、むしろ……アリだな……ッ!」

 

ベアトリスは一瞬で手を引っ込めて、嫌そうに顔を歪めながら、

 

「王様誰だ!……なのよ」

 

「無言はやめてくれないかな!?」

 

スバルが叫ぶが他のみんなは無視し、次の王様ゲームが始まった。パックの絵が記されたそれを掲げるのは、スバルの隣に座るレムだった。

 彼女は常なら極力無表情を保とうとしている顔の中、その瞳を爛々と輝かせ、

 

「レムです。王様です。やりました、スバルくん。王様です」

 

「いや、嬉しいのはわかるけどテンション上がりすぎだろ!もっとサクサク命令出していかなきゃ回転率が悪くてしょうがねぇよ。……で、王様、ご命令は?」

 

「あ、そうですよね。レムとしたことが、うっかりでした」

 

 見えない尻尾を激しく振るレムがしゅんと下を向き、それからすぐに勢いを取り戻して顔を上げる。そして彼女はスバルをガン見したまま、

 

「では、スバ……二番が王様をぎゅーっと抱きしめるというのはどうでしょうか」

 

「誰狙いなのか超わかりやすかったけど、俺二番じゃないからね!」

 

スバルが自分のクジを見せると、レムがまるでこの世の終わりとでも言いたそうな顔でその場に崩れ落ちる。それを見てオリーバーは自分の運の無さを呪った。何せ――。

 

「俺……二番だ……」

 

王様ゲームのルール上、レムを抱きしめないといけない。しかし、彼女の狙いはスバルの一点のみ。つまり、彼女が望んでいるのはスバルとの抱擁であって、オリーバーではない。

 

オリーバーは絶望に打ちひしがれながらため息を吐き、

 

「レム、俺が二番だ。ささっと済ませよう」

 

「……うぅ……どうしてオリーバーくんが……二番なんですか……!」

 

「そんなこと俺に言われても困るんだけど……ほら、さっさとやるぞ。俺だって早く解放されたいんだから」

 

「は、はい……そうですね……」

 

そう言いながら、オリーバーはレムを抱き寄せる。すると、レムはその小柄な体躯からは想像できない力でオリーバーを強く抱きしめ、その腕の中にオリーバーの顔を押し込んだ。

 

「え……?嫌がってたのはレムじゃなかったのか……?」

 

予想外の行動に戸惑うオリーバー。だが、そんな彼の疑問など意にも介さず、レムはぎゅっと強く抱きしめ続ける。何だこれ、と困惑するオリーバーだったが、

 

「これはオリーバーくんじゃなくてスバルくん、これはオリーバーくんじゃなくてスバルくん、これはオリーバーくんじゃなくてスバルくん、これはオリーバーくんじゃなくって…… 」

 

呪われたようにブツブツ呟き出した。小さく、低く、その声は呪いのように繰り返され、そして数秒後、

 

「……もういいです。スバルくんだと思って我慢しましたけど……やっぱり駄目です、耐えられません。スバルくんじゃなきゃダメなんです!」

 

「知らんがな!恨むなら二番だと言った自分を恨め!そして俺を巻き込むな!」

 

理不尽にも程がある。何もオリーバーも好きでこんなことをしたわけではないのだ。にも関わらず、恨みの矛先を向けられるのは堪らない話であるし、オリーバーだってレムじゃなく、エミリアに抱きしめられたかった。

 

だが、そのことを本人の前で言うのはどうかとオリーバーが思っていると、レムがふらりと立ち上がり、

 

「……次行きましょう」

 

「……そうだな」

 

もはやレムに何を言っても無駄だと悟ったオリーバーは素直に同意を示す。そして、次の王様ゲームが幕を開けるのだった。

 

「おっと、ついに私が引いたよ。いざ王様となると……なーぁんだか、案外なにを命令すべきか迷うものだーぁね」

 

 『王様』クジを持ち、ひらひらと振りながら微笑するロズワールにオリーバーは冷や汗を流す。

 

「(……何か俺先から当てられる回数多いし、こいつが王様だとロクなことにならない気がすんだよな)」

 

どうか、自分の『五番』は外れていますように。そう願っていると、

 

「じゃ、三番がタバスカ入りのミルクでも一気飲みでいこーぉか」

 

「おのれ狙ったように、ロズワールぅ!!」

 

「よっし!俺じゃなかった!俺じゃなかったぞ!」

 

「はい、バルスのちょっといいとこ見てみたいー」

 

喜ぶオリーバーの横でまるで打ち合わせしていたみたいな速度で対応したラムが斑に染まったミルクを持ってくる。それをスバルに差し出し、

 

「ほーら、ささっとやっちゃいなよ」

 

「く……っ!自分はやらねぇからって余裕ぶって!」

 

「でも、俺、先まで地獄を体験したからこんなもん、軽い軽い。さっきのに比べれば楽勝だぜ!」

 

オリーバーはそう言いながら笑う。そしてスバルは覚悟を決め、そのカップを手に取り、

 

「な、ナツキ・スバル、いきまーす!」

 

そう言いながらスバルは一気に中身を飲み干したのだった。

 

「ぷはー……って、辛い辛い辛いぃ!?がぅ、おぼ、喉が……焼け……あぶどぅるっ!」

 

 焼ける喉を押さえてスバルが崩れ落ち、半泣きになりながら飲み干したカップをテーブルへ叩きつける。

 

「どうだ、オラァ! やってのけたぞ、オラァ! 文句あんのか、オラァ!」

 

「いやいやーぁ、じゅーぅぶんだとも。口直しは禁止として、それじゃーぁ、次のゲームにいってみよーぉか」

 

「てめぇ、次は吠え面を……王様だーれ――ディスティニィィィィ、ドロオォォォォォォォ!!」

 

 ロズワールへの怒りから次のゲームへの希望へ移行し、王様を引き当てたことへの歓喜がそれを打ち消す。

 高らかに『パック』の描かれたクジを掲げ、スバルは目を爛と光らせ、

 

「よし! 二番だ!二番は王様の頭を胸の中に抱き入れる!最低でも次のゲームまでそのままだ!どうだ!」

 

 エミリアを凝視してスバルは叫ぶ。ゲーム参加者は八人名で、スバルが王様として抜ければ七人中女性率は四人。エミリアが一番だが、レムであっても王様の役得。ラムでもまぁ、よし。そして二番のくじを掲げたのは、

 

「お前俺に何か恨みでもあんのかよ――!?」

 

「知らないし、ベティーが聞きたいぐらいかしら!」

 

またしても当たったベアトリスにスバルが絶叫し、絶叫が返される。しかし、王様ゲームは絶対である。

 

「ほら、さっさとくるがいいのよ。とっとと次にいって、ベティーも今度こそにーちゃにお願いするかしら」

 

「ガッカリしたままお邪魔して……うわ、ホントに小せぇ!なにこのロリ、マジ完全に犯罪の絵面じゃん……どうしたの、お前。状態異常『貧乳』とかにでもかかってんのって痛い痛い痛い痛い!!」

 

「次にふざけたこと抜かしたら、お前の頭皮の時間だけ加速させてつるっぱげにしてやるかしら。ほら、王様だーれだなのよ!」

 

 なんだかんだで、一番乗り気でなかったベアトリスがノリノリになり、オリーバーは微笑ましい気分になる。そうこうしているうちに、次の王様は、

 

「……え、俺?やっと俺王様になれた!」

 

オリーバーは目を輝かせて、パックが書かれたクジを掲げながら、

 

「じゃあ、次のゲームまで五番が王様に……膝枕をする!っていうのはどう?」

 

オリーバーはそう言いながら先ほどのスバルと同じようにエミリアをガン見し、期待に満ちた眼差しを向ける。すると、

 

「……わ、私五番だわ……」

 

そう言いながらエミリアは五番と描かれたくじを掲げる。

その言葉を聞いた瞬間、オリーバーはガッツポーズをし、スバルは羨ましそうな目で、

 

「ず、ずるい!俺もエミリアたんに膝枕されたい!」

 

「もう……膝枕ぐらいでそんな騒がないの。ほら、おいで」

 

そう言ってエミリアは自分の足を畳み、そう言った。そんなエミリアに対し、オリーバーはスバルの方を見ながら

 

「じゃ、エミリアの膝にお邪魔して……」

 

そう言いながらオリーバーはエミリアの膝枕へと飛び込む。そしてその感触を楽しみながら、

 

「……ああ……王様ゲーム最高……」

 

オリーバーは至福の表情を浮かべる。地獄から天国の感覚だ。その上、… スバル(恋敵)にイチャイチャ……とは少し違うかもしれないが、それでも仲の良さを見せつけるような行為なのだから。

 

一方のスバルはというと、その光景を面白くないといった様子で眺めながら、

 

「もういいだろ!はい、王様誰だ!」

 

スバルの言葉に、オリーバーは渋々立ち上がり、くじを引いた。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

何十回と続く王様ゲーム。それをダイジェストでお送りすると、

 

 

「今度こそ……! スバルくんが……いえ、五番が王様の額に口づけを……!」

「俺じゃないっていうか、やたら接触を求めてくるな!?」

「あ、私だ。それじゃレム、ちょっとおでこにチューするから……」

「おでこにチューってきょうび聞かねぇな!」

「……レム、いいなぁ……」

 

 

「六番が屋敷の中庭……は狭いね。ちょっと裏の山の結界を確認してきてもらおーぅか。軽く、十往復ばかり」

「死ぬわ! 病み上がりになんて真似を……お前、俺狙ってやってんじゃないだろうな!」

「……さぁ、どうだろーぉうね?」

 

 

「やたっ……!ついにベティーが王様になったかしら!なら……にーちゃ……えっと……そう!四番が王様にお腹をモフモフさせるのよ。気が済むまで!」

「こう見えて腹筋割れてます、俺!」

「お前、ベティーに恨みでもあんのかしら!?」

「俺の方がブチ切れしたいわ! なんだお前、俺と仲良しさんか!?」

「いや……本当に。口ではなんだかんだ言ってるけど、お前らって相性いいよなー」

「「冗談じゃない!誰がこいつなんかと!」」

「息ぴったりじゃん……」

 

 

「お、二回目の王様だ!そうだな……二番が三番に愛の告白とかどうよ!」

「ラムが三番ね」

「レムが姉様に愛の告白……!ちょっと待ってください。伝えたいことが多すぎて、頭が混乱しています。まず、姉様の可愛さについて語りましょうか。それとも愛らしさですか? あるいは可憐さか美しさか性格かそれとも姉様の全ての話をしますか!?」

「ラムに魅力がありすぎて困るとはまさにこのことね」

「……それ自分で言うの?」

 

 

と、ダイジェスト的に流してもわりと悲喜こもごもな結果が繰り返された。

 そしてゲーム自体も二十ゲームほどに突入し、疲労感や達成感からそろそろお開きにしようかという流れになりかけたところで、

 

 

「王様、私っ。えっとね、えーっとね……どうしよっかなー」

 

クジを引き、王様を引き当てたエミリアがひどく楽しげに唇に指を当てて悩む。その頬がわずかに上気して赤くなっており、少なくない彼女の興奮を示しているのがわかる。やけに色っぽい仕草と相まって変な気分になるスバルとオリーバー。そして──

 

「じゃ、六番がぁ……異性をイメージに合った動物にたとえる?」

 

「六番俺だけど……それって、なんの意味が?」

 

「む。いーの。ほら、スバル! 早く、早く!」

 

 首を傾げるスバルの前で、エミリアが小さくテーブルを叩いて急かす。なんとも彼女らしくない態度に困惑するが、スバルは顎に手を当ててわずかに悩むと、

 

「まぁ、ラムが猫でレムが犬。ベア子が熊で……エミリアたんが兎かな」

 

「それ、どういうイメージ?」

 

「どんな獣耳付けたらみんな似合うかなと思った結果。気紛れなラムがネコミミで、従順なレムがイヌミミ。寂しがりで可愛いエミリアたんがウサミミで……ベア子はベアーって付いてるからクマミミでいいんじゃね的な」

 

「今、ベティーだけ完全に適当だった気配がしたかしら!」

 

「こんなこと真剣に悩んでも仕方が……あれ、エミリアたんなにを」

 

憤慨するベアトリスをスバルが適当に流すと、しまりのない笑みを浮かべたエミリアが両手を掲げる。持ち上げた手を彼女は「えへー」と笑いながら振り、

 

「あんまり細かい造形は得意じゃないんだけど、これでどーだっ」

 

「これでって……おお!」

 

輝きが散り、エミリアの手の中に光が収束する。そして目を見張るスバルの視界に映り込んだのは、エミリアの銀髪に突如として出現した――透明質のウサギの耳を模したカチューシャだ。

目を凝らして見て初めて氷でできているとわかるそれは、スバルのイメージした通りの愛らしさで彼女を飾り立てており、

 

「冷たいわね」

「これって、スバルくんのイメージしてくれた……?」

「正直、納得いかないのよ……」

 

 ウサミミを装着したエミリア同様、スバルのイメージしたそれぞれの獣耳の氷カチューシャが女性陣の頭部に出現していた。

 ピンと尖ったネコミミがラムの奔放さを、垂れたイヌミミがレムのいじらしい健気さを、丸いクマミミがなんだかんだで甘いベアトリスの気質をそれぞれ反映されていた。

 

「……全員似合ってはいるけど……何かエミリアの様子おかしくないか?」

 

オリーバーが疑問を口にすると、レムが口を開く。

 

「エミリア様の様子がおかしいのは、きっと『ファネルの実』の効果です」

 

「ファネルの実?」

 

 スバルの疑問の声にレムは「はい」と頷き、自分のエプロンドレスのポケットから小さな木の実を摘まみ出し、

 

「これがそうです。このファネルの実をすり潰して、粉末状にしたものを摂取すると……なんと、自分に素直になってしまうという効果があるんです。驚きですね」

 

「なるほど、驚きだ。……で、なんでエミリアたんがそれを摂取するようなことに?」

 

「たぶん、レムがスバルくんにファネルの実入りのお茶を飲ませようとして、間違えてエミリア様に出してしまったからじゃないかと……あ、スバルくん、ぐりぐりは痛いです、痛いです!」

 

「悪い子にお仕置きだ!ってか、最初にお茶出したときの反応はそういうことか!」

 

「なぁに、そうやってすーぐに二人で仲良くしちゃって……ずーるーいーっ」

 

拳骨をレムの頭に押しつけて、ぐりぐりとお仕置き行動するスバルを見て、エミリアが唇を尖らせながら体を揺する。彼女は拗ねた顔つきでこちらから視線を外し、

 

「優しくしてくれたと思ったら、そんなんだもの。すごーく期待ばっかりもたせて……ひどい。ひどい。ひーどーいーっ」

 

「なんかよくわかんない勢いでご立腹なんだけど、どうしたらいい!?」

 

困惑気味のスバルの問いかけに、ラムが冷静な声で

 

「そうね、バルス……とりあえず、この状況を作ったのはバルスなんだからうまいことやりなさい」

 

「それがいいと思うかしら。にーちゃ、こっちきてベティーとお茶でもするのよ」

 

「こうしてるリアも可愛いけど、今は離れてた方が無難かなぁ。じゃあ、あとは任せたよ、スバルにオリーバー」

 

「そーぉれじゃ、わーぁたしも書類仕事に戯れる作業へ戻ろうかなーぁっと」

 

「お前らの仲間甲斐のなさにはビックリしたよ!もう頼らねぇよ!」

 

 ぞろぞろと役目を放棄して逃げ出していく面子を見送ると、食堂に残るのはオリーバーを除けばエミリアとレムとスバルの三人だけだ。

 

「……この人数で王様ゲームって出来るの?スバル」

 

「……まぁ、なんとかなるんじゃねえの?俺はもう……終わりたいけど……」

 

「俺も……とゆうか、ささっと部屋に帰りたいしさっさと終わらせて帰ろうぜ」

 

二人がそう言った発言にエミリアは不満げに眉を寄せ、 彼女は頬を膨らませると、テーブルに突っ伏してスバルとオリーバーの方へ上目遣いをしながら、

 

「ねぇ、二人とも……王様ゲーム……しよ?」

 

 

小首を傾げ、顔を赤くし、艶かしく囁いたその声音の破壊力たるや凄まじかった。

スバルは思わず息を飲み込み、それから彼女の可愛らしさに負けないように己の心を奮い立たせ、オリーバーは顔を赤くし、照れたように頭を掻きながらエミリアに、

 

「ああ……もう分かったよ、分かった。エミリアがこんなにおねだりしてくるとか珍しいからやってやるよ」

 

「俺もやるよ!エミリアたん!さすがに断れないからな!」

 

「エミリア様とスバルくんがやるのならレムもやります」

 

「やった!ありがとう、オリーバー、スバル、レム、大好きっ」

 

嬉しげに破顔して立ち上がるエミリア。

彼女がはしゃいでニッコリと笑うその姿にスバルとオリーバーはまた赤面し、レムも若干ではあるものの、恥ずかしそうに身を捩った。

 

「じ、じゃあ、王様誰だ?」

 

そう言いながら四人はくじを引く。そして王様は――。

 

「やったーっ!私が王様だよ!」

 

満面の笑みを浮かべ、エミリアは手の中の割り箸を握り締める。

そして彼女は、嬉しそうに、

 

「えっと……じゃあ、一番!一番が王様の頭撫でて」

 

「あ、俺が一番だ……!」

 

嬉しそうに、スバルが片手を上げて名乗り出る。

その言葉にエミリアは瞳を輝かせて、彼の方へ向き、 スバルは彼女に向けて手を伸ばした。エミリアはその手に自分の両手を添えるようにすると、 優しくスバルの手の平が彼女の頭部に触れる。

 

エミリアの髪の毛は柔らかく、絹のように滑らかだ。

それを指先で軽く摘むようにして撫でると、エミリアはくすぐったそうに笑う。

 

その笑みに見惚れるスバルと面白くなさそうにするオリーバー。そんな二人の様子に気づかないまま、エミリアは気持ち良さそうに目を細め、そしてそのまま、

 

「え、エミリアたん?」

 

「すぅすぅ……」

 

幸せそうに寝息を立て始めた彼女に、スバルは困惑の声を上げる。

だが、眠りに落ちてしまったエミリアは起きる気配がない。

彼女の頭に乗せていた手を外すと、

 

「……ど、どうする?誰かが部屋まで運ぶか?」

 

そう言って、スバルはチラチラとエミリアの方を見るが、

 

「いや、俺がする」

 

答えたのはオリーバーだった。しかし、スバルも一歩も譲らず、

 

「いやいや、ここは俺に任せてくれよ」

 

「駄目だ。俺が……」

 

火花を散らすように睨み合う二人。

そんな彼らに、レムがそっと近寄り、

 

「スバルくん、オリーバーくん、拉致があかないので王様ゲームで決めましょう。エミリア様を誰かが運んでいくのか」

 

彼女は既にくじを引いていた。その姿を見てオリーバーとスバルもくじを引く。そこに書かれていたのは2の文字。

つまり、ハズレである。これでスバルが王様だとまずい――!と焦るオリーバーに、

 

「……あ、レムが王様ですね」

 

と呟く。その途端、よしっと、ガッツポーズをするオリーバー。そんな中レムは――、

 

「………では、二番がエミリア様を運んで一番は王様と一緒にここの片付けをしましょう」

 

オリーバーはレムに感謝した。先の抱きつき事件の怒りも忘れながらオリーバーは勢いよく手を挙げながら、

 

「よしっ!王様の命令は絶対だもんな!なら、運ぶわ!俺が!」

 

そう言って、オリーバーはエミリアの体を軽々と抱きかかえる。

その光景に歯軋りしながらも、スバルは自分の番号ではなかったので渋々レムにこう言った。

 

「……ああ、分かった。王様の命令は絶対だもんな……レム、片付けをしよう」

 

「はい!スバルくん!」

 

彼女はスバルの番号がわかっていたんじゃないのだろうか、と思えるほど、いい笑顔で返事をしたレムに少しだけ疑問を抱きつつ、 二人は仲良く食堂の後始末を始めた。

それを見届けてから、エミリアの部屋に向かう途中、

 

「……んん、オリーバー」

 

彼女の寝言が聞こえてきた。その愛おしい少女の声に微笑むと、

 

「……好きだよ、エミリア」

 

小さく、誰にも聞かれないようにオリーバーは呟いた。



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『レムとオリーバー』

本編が行き詰まったので番外編を書きました。今回の話はレムとオリーバーの話です。2人の絡みは2章では全く書けてなかったので


 

 

今日もレムはスバルのことを観察している。

最近はこうしてずっと眺めていることが増えて来たし、レム自身もその時間が至福だと感じているようだった。ただ一つ、彼女の中でどうしても気になっていることがあるとすれば……それは、

 

「(……エミリア様と一緒だ……)」

 

エミリアと話している時のスバルは最高にキラキラしていて顔も赤く、とても楽しげな様子でエミリアと話すその姿にレムの心境は複雑になる一方だった。

 

「(……スバルくんがエミリア様のことが好きだということはよく分かってるけど……)」

 

彼はエミリアに恋をしている。

その事実は疑いようがないほど明白なことであり、今更そこに嫉妬をしても意味がないことくらいレムにも分かっているのだが……

 

「(……こんなこと、レムが思える立場じゃないことはよく理解しています。でも……それでもやっぱり悔しいです)」

 

自分の知らないところで彼が誰かと仲良くしていることに対して、どうしようもないほどの焦燥感を抱いてしまう自分がいるのだ。そしてそんな自分勝手な感情を抱いている自分に嫌悪感を抱くレムだったが、

 

「……あれ?レム」

 

不意にそんな声が聞こえてきた。それは愛しい人の声ではなく、

 

「………オリーバーくん」

 

「そんな顔すんなよ。スバルじゃないから落胆するのは分かるけどさ」

 

そう言って苦笑する少年の名前はオリーバー。エミリアと同じく『客』扱いされている存在であり、レムとはそれなりに長い付き合いがある相手でもある。

 

「…スバルは……エミリアと一緒か」

 

はぁ、と露骨にため息をつくオリーバーにレムはどうすればいいのか分からず困ってしまう。だが、

 

「……なぁ!レム。お前ってさ、スバルのこと好きなんだよな?」

 

「……はい好きです。当たり前です」

 

即答だ。当然すぎる答えなので考えるまでもない。しかし、

 

「なら、今の光景どう思ってんの?お前にとっては不快以外の何物でもないんじゃねぇの?まぁ、俺も不快だけど」

 

そう言いながら、レムの顔色を伺うように視線を送るオリーバー。オリーバーはエミリアのことが好きだ。だから、今のこの光景は面白くない。だってオリーバーとスバルは恋のライバルなのだから。

 

「確かに今の状況は少し嫌です。でも……」

 

「でも?」

 

「レムには止める権利なんてありません。だってエミリア様には勝てませんから」

 

それは紛れもなく本心からの気持ちだった。だってレムはエミリアみたいにスバルのことをあんな風にドキドキさせることができないし、ましてやあんな素敵な笑顔を引き出すことなど到底できないだろうし、そもそも立場が違う。

自分はただの使用人だし、相手はいずれ王になるかもしれない人なのだ。最初から勝負にならない。

 

「……勝てない、ね。よく分かってるんじゃん。エミリアの可愛さは反則レベルだしなぁ」

 

うんうんと何度も首を縦に振るオリーバー。オリーバーはエミリアのことが好きだからこそ彼女の魅力を理解している。その上でレムが言った言葉の意味も正しく理解していた。

 

「でも、レムはそれでいいわけ?このままだと絶対に後悔することになると思うぜ?」

 

真剣な眼差しで告げられるオリーバーの言葉。それはきっと彼の優しさから出たものだろうとレムは思う。彼はレムのことを心配してくれているのだ。だけど、そんなこと分かりきっていることだ。

 

「そんなことわかっていますよ。それでもレムは……」

 

「本当に?それ本気で言ってる?お前はそれで納得してんの?」

 

「な、納得してますよ!ちゃんと考えて結論を出したんです!」

 

嘘である。本当はこんなこと全然考えていない。本当は好きな人を独占したいし、他の人に目移りして欲しくないし、もっと一緒にいたいし、いつも側に居て欲しいし、他の女の人と話さないで欲しいし、エミリア様と話す時よりももっとドキドキして欲しいし、もっともっと自分を好きになってもらいたいし、もっともっと……自分のことを見つめてもらいたいとそう思っている。でも、そんなこと口に出せるはずがない。だって、

 

「……レムは一度スバルくんに殺意を向けました。そんな女がそんなこと言えるわけないじゃないですか」

 

下手したらスバルのことを殺してしまうところだったのだ。そんな自分なんかが独占したいとか言う資格はないと思っている。それに、もし仮にそんなことを言ってしまったら、

 

「(レムの好きなスバルくんじゃなくなっちゃう気がする)」

 

だから言えない。言えるわけがない。だからレムは自分の想いを必死に押し殺す。胸が張り裂けそうなほど痛くて苦しいけれど、それでも……

 

「馬鹿じゃねえの?お前」

「えっ……?」

 

しかし、オリーバーから放たれた予想外の一言にレムは思わず呆然としてしまう。

すると、オリーバーはそんなレムの様子を見て深いため息をつきながら頭を掻き、 そしてオリーバーはこう言った。

 

「だーかーら。お前、マジで大馬鹿だよ。スバルがエミリアのことが好きだってことは見てりゃ分かるじゃん。なのになんで諦めちゃうんだよ。そんな簡単に捨てられるような感情なのかよ、お前がスバルに対して抱いてるものは」

 

「そ、それは……その……」

 

「違うだろ。お前がスバルに抱いているものはそんな生半可なものじゃないはずだ」

 

その言葉にレムは何も言い返せなかった。それはそうだ。だってオリーバーの言っていることは正しい。

レムはスバルのことを愛している。だけど、そんなレムの愛はエミリアに負けてしまっている。エミリアの方が圧倒的にスバルに想われている。それが事実。だから、

 

「…レムはこれでいいんです。エミリア様には敵いませんから」

 

「………エミリアには敵わないのは周知の事実。……あいつは世界一可愛いから」

 

常識だろ?と言わんばかりの表情を浮かべるオリーバー。レムはその言葉にも反論できなかった。レムから見てもエミリアは美少女だ。姉のラムを至上の存在として崇めているレムだが、それでもエミリアは別格だと思う。だから、

 

「……その言葉に異論はありません。姉様を一番美しい女性だとレムは思っています。そしてエミリア様はそれ以上に綺麗な方です。そんな方にレムが勝てる道理なんてありません」

 

「まぁ、才能とかはラムの圧勝だけど」

 

それはどうしようもない事実。だってエミリアは歌は下手だし、嘘は下手だし、家事全般は壊滅的だし、容姿と性格以外は欠点だらけなのだから。でも、

 

「エミリアは欠点だらけだけど、一生懸命なんだよ。誰よりも努力家なんだ。だから俺はあいつのことが好きだし、尊敬してる。でもさ……」

 

「でも?」

 

そこで一旦言葉を区切るオリーバー。それから彼はレムの顔を見据えながらはっきりとした口調で告げる。

 

「俺、レムのことも正直言って尊敬してる。だってレムは家事全般完璧にこなしてるだろ。それもほぼ一人で。ラムも身体のことがあるとはいえ、ほとんど家事ができない状態だし、俺がどれだけ頑張っても限界がある。それをお前はやってるんだ。それってすごいことじゃん」

 

「……でも、姉様には遠く及びません」

 

ラムには及ばない。それは揺るぎない真実だ。スバルに言われてレムも少しは前向きになれたけども、それでもラムの足元にも及ばないのが現実だし、これだけは例え、スバルであっても否定はさせない。

 

「まぁ、あいつはな……正直あいつが側にいたら自信なくなるのも分かる。だってラムって天才だし」

 

その通りだ。ラムは間違いなく天才。だから自分がいくら足掻いても絶対に届かない。それくらいレムにだって分かっているし、そんなのこの屋敷に来る前から分かりきっていたことだ。

 

「でもさ、俺、レムの料理好きだな。だってうまいし、掃除も凄く綺麗で丁寧だし」

 

「………ありがとうございます。オリーバーくん」

 

その言葉に嘘偽りがないことはレムの目からしても明らかだった。だからこそ、素直に感謝の言葉を口にすることができた。

 

「やっぱり優しいですね。オリーバーくんは」

 

「え?そう?スバルより俺に乗り換える?」

 

冗談めかして告げるオリーバーの言葉にレムは苦笑しながら、

 

「……エミリア様にいいつけますよ?」

 

「それでエミリアが嫉妬してくれるなら本望だね、でも、残念ながらエミリアは全然気にしないんだよなこれが」

 

そう言うとオリーバーは肩をすくめてみせる。

確かにエミリアはそういうところがある。自分の魅力に無頓着というべきか、異性からの好意に対して鈍感というのか。ともかく、そういったところがエミリアにはあるのだ。

 

 

だが、それもしょうがないことなのだろう。彼女は今までずっと『嫉妬の魔女』と容姿が酷似していたからこそ、他の人からは嫌われていたのだ。そのせいで自分のことをちゃんと見てくれる人はほとんどいなかった。

 

自分に好かれる人なんていない、自分は誰にも愛されない、そんな思い込みがあったのかもしれない。

だけど、今は違う。

 

 

「スバルくんは、エミリア様のことが好きですから。そしてレムはそんなスバルくんが好きなので」

 

「ふーん……よく分からん。好きな奴なら独占したいもんじゃないの?普通好きなら独占したいとか思わない?」

 

 

独占したいとは思う。自分だけのものにしたい、自分だけを見てほしい。

 

誰もが思うこと。想い人に対する感情はきっとみんな同じだし、レムも同じ気持ちを持っている。

だけど、レムが望むものはそんなものではないのだ。

 

「スバルくんは……好きです。大好きです。言葉にいい表せないほどに愛しています。でも……」

 

「でも?」

 

「スバルくんはレムの英雄なんです」

 

「英雄……?」

 

怪しげに眉をひそめるオリーバー。そんな彼にレムは静かに首肯すると、 レムは語る。

 

「あの日、スバルくんはレムのことを救ってくれた。レムが絶望に押し潰されてしまいそうになった時、レムを救い上げてくれた。それがどれほど嬉しかったことか……きっとスバルくんにも分からないでしょう」

 

あの時の光景は今でも鮮明に思い出せる。姉に何もかも負けているレムに優しく手を差し伸べてくれて、レムの心を救ってくれた。

 

自分はスバルに対して殺意を持っていたのにそれすら笑って許してくれた。

 

その優しさにレムは救われた。その温もりにレムは恋をした。その笑顔にレムは心を奪われた。そして――もっと彼のことを知りたいと思った。

 

「…そう。レムはスバルのこと英雄だと思っている……と。ふーん……過大評価もいいところだろ………ってスバルなら言いそうだな」

 

「スバルくんがそう言ってもレムはスバルくんが英雄だと胸を張って言えます。だってレムはスバルくんのおかげで今こうしていられるのですから」

 

「……そう」

 

その言葉に否定も肯定もせず、ただ短く返事をするオリーバー。彼はそのまま黙り込むが、

 

「英雄ねぇ。スバルが英雄……か」

 

「はい!スバルくんはレムの英雄です!そしてそれは……きっと、世界中、全ての人が認めます!」

 

彼はいつか英雄になる男なのだ。過大評価なんてとんでもない。それは断じてレムの妄想なんかではない。

だって、レムは知っているのだから。

彼がどれだけ優しい人間なのかを。

 

だからレムはスバルがどんな醜態を晒したとしても、それを受け入れる。

例えそれがレムにとって許容できないものであったとしても、彼を信じて受け入れる。だけど――。

 

「だけど、最後には立ってもらいます。弱音を吐いてもスバルくんなら絶対に立ち上がるって信じていますから」

 

そう。何度倒れても、泥だらけになっても、血反吐を撒き散らしても、這いつくばってでも、絶対に諦めない。

だって、レムは知っているのだから。

レムの英雄は絶対に挫けないということを。

 

「……途中まで都合のいい女ムーブかましてたくせに……唐突に鬼畜な発言するなぁ、レムは」

 

「――?そうですか?」

 

「自覚なしかよ……スバルも苦労するわ、これじゃあ」

 

やれやれと肩を落とすオリーバー。そんな彼を不思議そうに見つめるレムだったが、

 

「まぁ、レムがそう思っているなら別にいいけども……」

 

「……?はい。レムはスバルくんのことを信じていますから」

 

「信じるのは勝手だけども……」

 

はぁ、とため息を吐くオリーバーにレムは首を傾げた。



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『幼児化』

とある日の昼下がり。天気も良く、絶好の散歩日和だった。

そんな日に、オリーバーは庭園で一人日向ぼっこをしていた。

 

短めの銀色の髪に雪のような白い肌に透き通るような青い瞳。どこか中性的な顔立ちをした美少年である。

 

「……エミリアと一緒にいることも悪いことではないけど、たまには一人でほのぼのするのも悪くはない」

 

そんなことを呟くと、後ろからガサっという音が聞こえてきた。

 

「誰だ!?」

 

そう言って音のした方を振り向くとそこには──

 

「………」

 

見慣れた少年がいた。しかし、見慣れた…と言っても、違和感はある。否、違和感どころの話ではなく、その様子は異常であった。だって、

 

「……お前縮んでねーか?」

 

そんな言葉にびくりとスバルは身体を震わす。いつも通りではないそんなスバルの様子にオリーバーは大いに戸惑い、そして焦った。

 

「……ここは何処……?」

 

泣きそうな顔でスバルはそう言った。しかし、オリーバーとしては何と答えればいいのか全く分からなかった。

 

「……ここはロズワール邸でここでお前は使用人してたわけだけど……」

 

「しよう、にん?」

 

不思議そうに首を傾げるスバルを見てオリーバーはますます困惑する。オリーバーとスバルは恋敵だ。スバルのことを嫌ってはいないがあまり好きでもないし、むしろエミリアとオリーバーとの間に入り込んでくる邪魔者だ。しかし、今のスバルには──

 

「……名前は?」

 

「……ああ、名前か。名前は……オリーバーだ」

 

「オリーバーか……よろしくな!」

 

満面の笑みを浮かべて手を差し出してくるスバルに対してオリーバーは動揺を隠しきれないまま手を握り返した。そう、今のスバルは心なしか可愛い。こんなこと、絶対に口に出して言うつもりはないけど。そう思いながらチラッとスバルの方を見ると、興味津々に屋敷を見ている。そんな様子に──。

 

「先までオドオドしてた奴とは思えないな」

 

「いやー、だってオリーバーと話してみても全く怖くないんだもん。最初は睨まれてる……?っと思って恐縮しちゃったけど。それにオリーバーとも仲良くなりたいしな」

 

「……小さくなっても、その軽口は健在なんだな……小さくなった分、ましにはなってるけど」

 

そんなオリーバーの呟きはスバルには届かなかった。そんな時──

 

「あれ……?オリーバーと……」

 

銀鈴の声が響く。その声にオリーバーは嫌な予感がした。しかし、その嫌な予感は──

 

「綺麗だ………」

 

キラキラとしたスバルの目によって、的中してしまったのだ。そんなスバルの様子にエミリアは、

 

「す、スバル……?」

 

エミリアは小さくなったスバルに戸惑いを隠せない様子だ。しかし、スバルはエミリアの美しさに目を奪われている。

 

「ど、どうしてスバルが小さく……?」

 

「さぁ?分からん。しかも記憶がないし」

 

オリーバーがそう言った直後、スバルはキラキラとした目をして、エミリアの元へ駆け寄った。

 

「えっと、お姉ちゃんの名前……なんて言うんですか?」

 

少し緊張気味にそう言ったスバルの言葉にエミリアは思わず頬が緩んでいる。そして、スバルの視線に合わすように、

 

「私の名前はエミリア。ただのエミリアよ」

 

優しい声でそう答えた。それで嫉妬することなんて決してないし、小さくなるとみんな甘くなる。これも一種の魔法のようなものなのか?と思いながら、オリーバーは二人の様子を見ていた。

 

「エミリア……エミリアお姉ちゃん」

 

「……お姉ちゃん……!ふふっ」

 

エミリアは嬉しそうに微笑む。そんな様子が想像外だったのか、顔を赤くするスバルとため息を零すオリーバー。

 

「……ったく、デレデレなのは小さくなっても変わらないんだな」

 

呆れながらもどこかほっとしている自分がいた。それはきっとこの光景が好きだからだろう。

そして、エミリアとスバルはお互いに見つめ合っている。どうやらお互いを気に入ったらしい。そう思った瞬間、オリーバーは少しだけ寂しい気持ちになった。それが何故だか分からないけれど。

 

そんなとき──。

 

 

「エミリア様!スバルくんがいないんです!どこにいるかわかりますか……!?」

 

 

「げっ……」

 

勢いよく、レムは庭園に現れたと思ったら固まった。理由は明白であり、そこには小さくなったスバルがいる。愛する人が突然小さくなったことに驚き、レムは口を開けて固まったのだ。

 

「スバル、逃げるぞ」

 

面倒くさいことになる前に何とかしようとしたかったが──

 

「……スバルくん、かわいい……」

 

ぽつりとレムはそう言った。ヤベェ、とオリーバーは思う。これは非常にマズイ状況だ。

 

「おい、エミリア……こいつ何とかし……ろ?」

 

そう言ったが、もう手遅れだった。何せ、レムがスバルに近づいて行ったからだ。しかも、鼻息を荒くしながら。そんなことをしたら――。

 

「……ひぇっ」

 

案の定、というべきかスバルはレムを怖がりオリーバーの後ろに隠れてしまう。そんなスバルの反応にレムはショックを隠せなかったように膝から崩れ落ちる。

 

「何でオリーバーくん……!?エミリア様ならまだ分かるけど……!」

 

「おい。どういう意味だよそれ」

 

ただ、レムの言うことも少しは理解出来た。エミリアの方に懐くと思っていたスバルがまさか自分の後ろに隠れたのだから。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。そんなことを思っているとエミリアが口を開く。

 

「スバル、レムは怖くないから大丈夫よ。ほら、出て来て」

 

「うぅ……」

 

エミリアに優しく言われてもスバルはなかなか出てこない。そこでエミリアは、

 

「大丈夫。レムはスバルのことになると少しだけ暴走しちゃうことあるけど、いい子なのよ。だから、怖くないわよ」

 

「少しか……?」

 

エミリアの言い分にオリーバーは疑問を抱く。あれを少しだと言うのは無理がある気がする。しかし、エミリアに諭されたスバルは、

 

「……ほんとう……?」

 

「え、ええ……本当よ。だから、出てきてくれないかしら……?」

 

スバルは恐る恐る出てきた。そして、エミリアの顔を見る。すると──

 

「……うん、よく出来ました」

 

エミリアは笑顔を見せて頭を撫でた。それに安心したスバルはゆっくりとレムの方を見た。その様子にレムは──

 

「…あぁ……もう可愛いです!もうこれは国宝級ですね……スバルくん……!」

 

マシンガントークをしながらスバルの方へと詰め寄る。

 

「……ひえっ」

 

やっぱり怖いものは怖いのか、またオリーバーの後ろに隠れてしまった。そんなスバルにレムは悶絶しながら、

 

「……はぁ……はぁ……お持ち帰りしたい……」

 

そう呟いた瞬間、オリーバーはレムに恐怖を抱かずにはいられなかった。

 

「うん、分かった。お前、今日はスバルに近寄るな。近寄ったら何か良からぬことが起きる予感がする」

 

「レムはただスバルくんのことを膝枕してあげたり、お風呂に一緒に入ったりしたいだけなんですよ!?」

 

「膝枕はともかく、風呂に入るってなんだよ!?変態かよ!!」

 

思わずツッコミを入れずにはいられない程の発言。恋は盲目だと言うが、ここまでくると狂気すら感じてくる。というより、ただの犯罪である。

 

「……ラム早く来て」

 

この事態を収拾できる人物が来るまで、そう願わずにはいられないオリーバーであった。

 

 

「………どうしてこんなことに……」

 

オリーバーは頭を抱えながら目の前の状況を見つめていた。それは今まさに起ころうとしていることだった。

 

「あのーエミリア……レムの前でスバルを抱き上げるのはちょっと可哀想じゃないかな……?」

 

オリーバーの言葉を聞いてもエミリアはスバルを下ろすことはしなかった。

それは何故か──。

 

「嫌だ!エミリアたんの膝の上がいいんだもん!」

「いや、でも……」

 

オリーバーはレムの方を見ると、レムは自分の胸に手をおいて悶えて……いや、苦しんでいるような表情をしていた。

 

「この光景は可愛い……!でも、でも……!レムは我慢出来ない……!」

 

レムはまるで狂人のようにぶつぶつと独り言を言い始めた。そんなレムを見てオリーバーはドン引きしてしまう。

 

「……場所を変えようか」

 

このままだとレムが暴走しかねない。そう思ったオリーバーはとりあえずこの場所から離れようと決めた。

 

「あっ……」

 

レムが名残惜しそうに声を出したが、それは聞かなかったことにした。そして、スバルを連れてその場を離れようとしたとき──。

 

「エミリア様……?一体何を……?」

 

そこに現れたのはラムだ。どうやらレムの暴走を止めてくれる人物がようやく来たようだ。

 

「あ、ちょうど良かった。レムの様子がおかしいんだけど、どうにかならないかな?」

 

「は?レムが……原因は……って聞くまでもないわね」

 

はぁ、と露骨にため息を吐きながらラムはスバルを見る。そして、何かを悟ったように、

 

「エミリア様。レムのことはラムに任せてください。エミリア様も勉強を再開して……バルスは……オリーバー、任せたわよ」

 

「はい!?」

 

まさかの指名にオリーバーは驚く。確かにレムの相手はしたくないが、何故自分がそんなことをしなければならないのか。

 

「えぇ……俺がやるの……」

 

「当たり前でしょう。オリーバーしか適任がいないのだから。ほら、早く行って」

 

オリーバーは仕方ないと諦めてスバルと向き合う。

 

「おい、スバル、エミリアは勉強をする。エミリアに嫌な思いをさせたくなかったら大人しくするぞ」

 

「……エミリアたんがいいのぉ……エミリアたんの膝の上がいいのぉ……」

 

完全に幼児退行してしまったスバルにオリーバーは頭を抱える。こうなってしまえば手遅れだ。そうなると、次に取るべき行動は一つ──。

 

「よし、そっか。お前はエミリアに嫌われたいわけか。それなら俺は全力でサポートしよう」

 

「うぅ……ごめんなさいぃ……」

 

オリーバーの脅迫によりスバルは泣く泣くエミリアから離れる。これでスバルをエミリアから離すことに成功したオリーバーだが──。

 

「スバルくん……そんなにレムのこと嫌いなんですか……?ぐすん」

 

今度はレムが泣き出しそうになっていた。

 

そんなレムにスバルはオリーバーの後ろに隠れながら、

 

「べ、別に嫌いじゃないけど……なんか怖い……」

 

その言葉を聞いたレムは絶望した表情を浮かべた。

 

「そりゃあ、鼻息荒げて迫られたら誰でも怖くなるだろうな……」

 

流石にこれはフォローできない。オリーバーは呆れながらもスバルを慰める。

 

「ほら、もう大丈夫だ。レムには……今は近付くな。ラム、レムをよろしくな」

 

涙目なレムを置いてオリーバーはスバルと一緒に部屋を後にする。そして、廊下に出ると、

 

「おやぁ?」

 

「げっ……ロズワール」

 

そこにはロズワールがいた。顔を歪ませるオリーバーとは対照的に笑みを浮かべるながらロズワールはこちらに向かってくると、

 

「どーぉしてスバルくんが小さくなっているのかーぁな?」

 

「分からん。スバル自身も覚えていないらしい」

 

「ふむ。まあ、大方予想はつくけれどねぇ」

 

 

そう言って、ロズワールはスバルの頭を撫でる。すると、スバルはビクッと体を震わせた。どうやら今のスバルにとって、ロズワールも恐怖の対象になっているようだ。

 

「随分と怖がれているみたいだねーぇ」

 

「そりゃあ、急にピエロメイクの男が現れて、頭を撫でられれば誰だって怯えるだろ」

 

「酷い言い草じゃーぁないか。これでも私はここの主人だよ?」

 

そう言われても、とオリーバーは困った表情を浮かべる。正直、エミリアに後ろ盾をするロズワールのことをオリーバーはあまり信用していない。それに――。

 

「それより、予想出来てるってどういうことだ?何か知っているのか?」

 

そう言うと、ロズワールは意味深に笑う。そして、

 

「恐らくだけど、ミーティアの影響だと思うよ?」

 

「……ミーティアってそんなことまで出来るのか?何でもありじゃん」

 

ミーティアとは魔法が使えない人でも魔法のような効果を得ることができる道具だ。

それは、回復薬だったり、武器防具、魔導具など様々だ。

 

「スバルくんの幼児化が戻るのも時間の問題じゃないかなぁ?後は、オリーバーくんに任せることにするよぉ」

 

そう言って立ち去ろうとするロズワールに、

 

「何でそんなこと言い切れるんだ?お前、何か知ってるんじゃないのか?」

 

オリーバーは疑問をぶつけるが、ロズワールは表情を変えずに

 

「さぁて、どうかなぁ?ただ一つ言えることは……今戻しても、レムの怒りは全部オリーバーくんに向かうんじゃないかなぁ」

 

「……何故!?」

 

それは流石に理不尽過ぎる。しかし、ロズワールは笑いを堪えながら、

 

「だーあってスバルくんは今はオリーバーくんとエミリア様に懐いているからねぇ。エミリア様は割り切れるとしても、オリーバーくんは無理だろうねーぇ」

 

その言葉を聞いて、オリーバーは黙ってしまう。だってレムが八つ当たりしてくる図が容易に想像出来てしまうから。ラムよりマシだとは思うが、レムも十分怖い八つ当たりをしてきそうだ。

 

「それに、私も面白そうだからこのままの方がいいかなぁ」

 

「鬼畜だ……」

 

オリーバーは呆れたように呟いた。

ロズワールと別れた後、オリーバーはエミリアの部屋に行くことにした。

 

 

△▼△▼

 

 

こうして数日が経ち、スバルは元に戻った。前日の最後は、レムにも懐いていたし、スバル側も幼児化していた記憶がなかったようで、何も問題なく終わった。

ただ、

 

「……記憶が無くなっていたのならあんなことやこんなことも出来たのでは……!?」

 

と、つぶやくレムの目がギラギラで怖かったことをここに記しておく。結局、何故そんなミーティアがこんなところにあったのかは分からないままだった。

 

「(……本当に何であんなところに、あったのだろうか)」

 

そんなことを思いつつも、ここ数日のエミリアとレムの幸せそうな顔を思い出して、これで良かったと思うオリーバーであった。

 




本編が行き詰まったので番外編です。七章でスバルくんがショタ化したのにみんなに可愛がられるどころか死ぬスバルくんが可哀想すぎたので書きました。

いずれこの小説も七章まで行くつもりはしていますが何年後になるやら……


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『ゼロカラアヤマツイセカイセイカツ』

スバルくん誕生日おめでとう。


始まりはいつだって唐突だ。

 

「ね、ねぇ……オリーバー……?」

 

ベットに押し倒されても尚、小首を傾げるエミリア。

 

「もう無理だよ。エミリア」

 

我慢の限界だった。オリーバーは焦っていたのだ。別に、恋のライバルが出た訳でもないのに。だから何故、自分がこんなに焦っているのかオリーバー本人にすら分からない。それにーー

 

「(ここからどうすればいいのかわからねぇ)」

 

そしてオリーバーは内心焦っていた。ベットに押し倒したはいいものの、その後のプランはノープランもいいところだ。ただ押し倒すだけじゃあ駄目なのだ。エミリアが自分を好きになってくれなければ意味がない。

 

「オリーバー……?」

 

ベットに押し倒されたのにエミリアはこれからすることがなにかをわかっていない。綺麗な銀髪が乱れ、紫紺の瞳をパチクリさせているだけだ。その無垢さが、今のオリーバーにとっては毒以外の何物でもなかった。

 

「あのさ、俺……」

 

心臓が爆発しそうなほど鼓動している。緊張と興奮が入り混じり、口から言葉が出そうもない。それでも言わなくてはならないことがある。言えなくては男が廃る。

 

「好きだ。エミリアのことが好きだよ」

 

オリーバーはついに想いを伝えた。ずっと伝えたかった言葉を遂に口にしたのだ。しかし返事はない。彼女はキョトンとした表情でこちらを見つめているだけだ。

 

「…私もオリーバーのこと好きよ……?」

 

エミリアは不思議そうにそう言った。だが、彼女の『好き』はあくまで友愛の意味だ。異性としてではない。それはわかっているし、理解もしている。それでも……

 

「違うんだ……。俺はエミリアのことを女として好きなんだよ」

 

「……!?」

 

エミリアは目を大きく見開いたまま固まってしまった。まさか自分が告白されるとは思ってもいなかったのだろう。当然の反応だ。

 

「ごめん……。困らせてるのはわかるけどさ、この気持ちだけは伝えないと後悔すると思ってたんだ」

 

オリーバーはエミリアの手を取り、自分の胸へと当てさせた。 

 

「ほら、こんなにもドキドキしてる。エミリアを見てるとこうなるんだ。エミリアが好きで好きで堪らないんだ!」

 

「……ぁ」

 

真っ赤になるエミリアの顔を見て、オリーバーは更に愛しさを募らせていった。そして彼は覚悟を決めたように息を吐く。

 

「エミリアが好きだ。付き合って欲しい」

 

オリーバーの告白を聞き、エミリアは大きく深呼吸をした。

「わ、私ね……その、恋愛とかそういうのよくわからないんだけど……」

 

「分かってるよ、そんなこと。エミリアの境遇が複雑なことを理解してるし」

 

エミリアは世界を半分飲み込んだ『嫉妬の魔女』と容姿が瓜二つというだけで迫害され続けてきたのだ。その辛さを想像することなど容易い。だからこそ彼女を幸せにしてやりたいと思うのだ。

 

「……ゆっくりでいいからさ、俺の事意識してくれると嬉しいかな……」

 

「う、うん……」

 

顔を赤くしながら俯き気味に答えるエミリア。その姿はとても可愛らしくて、つい抱きしめたくなってしまう。だがここで暴走してはならないと、理性を総動員させる。

 

「ありがとう。じゃあ、今日はもう遅いから部屋に帰るわ」

「そっか……また明日ね?」

「ああ、おやすみエミリア」

「うん、おやすみなさいオリーバー」

 

こうして二人は別れた。オリーバーは自分の部屋に帰りながら思う。

 

「(これまだチャンスあるよな)」

 

そう思い、口元を緩ませる。エミリアのあの赤い顔を思い出し、思わずにやけてしまう。だから──

 

「(絶対振り向かせてやる!!)」

 

そう意気込んで、オリーバーは眠りについたのだった。

 

 

△▼△▼

 

 

そしてその翌日……、

 

「オリーバーくん、機嫌が良さそうですね?どうかしたんですか?」

 

「まぁ、ちょっとな……にしても、今日の買い出し多くねーか?」

 

オリーバーは本来エミリアと同様『お客様』扱いで最初の頃はエミリアと同じく、『オリーバー様』と呼ばれていた。だが、それはオリーバー自身が拒否した、という訳だ。因みに、エミリアもそうして欲しかったようだが流石にそれは拒否されていた。

 

「はい。今日は安いんです。」

 

「へぇ、そっか……」

 

レムともそこそこ仲良くなったオリーバー。最初の頃は中々心を開いてもらえず、苦労していたが今ではある程度心を許してくれている。

 

「……そういや、その傷大丈夫か?」

 

オリーバーはそう言いながら、先、レムが犬を噛まれていた事を思い出した。幸いにも大事には至らなかったのだが、その時の怪我がまだ治っていないのではないかと心配になったのだ。

 

「……いえ、大丈夫です」

 

「……そうか」

 

──これがオリーバーとレムの最後に交わした会話だった。

 

 

 

翌日。

 

「ぁぁああぁああああぁぁぁぁあああぁぁあ――ッ!」

 

その悲痛に満ちた叫び声は屋敷中に響き渡った。そしてそれを聞いたオリーバーは思わず飛び出した。

 

「どうしたんだ!?」

 

オリーバーは声のする方に走る。そこには──、

 

「レム……?」

 

倒れ伏すメイドの姿があった。もう息はなく、既に息絶えているようであった。

 

「嘘だろ……?そんな……」

 

隣ではラムが泣いている。当たり前だ。最愛の妹が死んだのだから。

 

「……」

 

これ以上は何も言えない。ラムを慰めることはできない。そう思ったオリーバーはその場を後にした。

 

「どうして……なんでだよ……!」

 

ーーオリーバーには死に戻りを持っている。だから……何度でもやり直せる。

 

「………でも」

 

あの日から決めていた。死に戻りを使うのはエミリアの為だけだと。例えそれが自分にとってどんなに辛い結果になろうと構わない。……そう決めたはずだった。

 

「くっ……!!」

 

だというのに、頭から離れないラムの泣く声と、レムの笑顔。そして……

 

「オリーバー……」

 

「エミリア……」

 

二人を守れなかった後悔は計り知れないものだった。ラム程ではなくても、エミリアだって辛いはずだ。

 

「……(でも、もう無理)」

 

エミリアの為にしか使いたくない死に戻りの能力を封印する。そうしないと、心が壊れてしまうからだ。

 

 

 

アーラム村の子供達とレムが死んだ後は特に何もなかった。オリーバーも死に戻りをする気力が湧かず、いつも通りの生活を送っている。

そして、それからしばらく経ったある日。

 

「は?エミリアが長年、世界を苦しめてきた邪悪の徒、魔女教の大罪司教『怠惰』を討伐しただって?」

 

オリーバーは信じられない、といった様子で聞き返す。これがエミリア本人から聞かされた言葉ならまだ信用性はあった。しかし、今聞かされた言葉はロズワールからのものだ。

 

「嘘くさい。本当にエミリアが倒したのかよ」

 

「エミリア様のことを疑うなんて君らしくないね」

 

「……だっていつ討伐する時間があったんだよ?討伐したの昨日だろ?昨日は俺と一緒に勉強してたんだぞ?」

 

エミリアが討伐したという証拠がない以上、信じることはできない。それに、エミリアが大罪を倒せるとは思えない。

オリーバーの言葉を聞き、ロズワールはやれやれと首を振る。

 

「信憑性がないのはわかるけどねーぇ、世間ではそうなっているんだーぁよ」

 

確かにその報せに王国は沸き、功績は遠く他国まで知れ渡ったと聞いている。その活躍はまるで英雄譚に出てくる勇者ではないか。

 

「……いや、エミリアならしそうだけど……流石に昨日は無理だろ……」

 

「いいじゃないか。どっちにしろ、エミリア様の評判は上がった。君にとっても悪いことではないはずだーぁよ」

 

その言葉にオリーバーは反論できなかった。

 

 

 

轟々と燃えざかる炎。王都が火の手に包まれ、

人々は逃げ惑っていた。

 

「……何だよ……っ!これ!」

 

パックにエミリアのことは任せたのは良かったものの、これは予想外だった。

 

「……魔女教の仕業……なわけねーよな…?」

 

魔女教は全員エミリアが倒したということになっている。

 

「……ちっ」

 

何処かで聞いた声が聞こえる。だけど、何処で会ったのかは思い出せない

 

「誰だ?お前……」

 

「さぁな。にしても……ここにあの子がいると思ってたのに…ハズレか」

 

男は落胆した様子だった。その声に見覚えはある。だけど何処で聞いたかは思い出せない。

 

「本当に誰だよ!」

 

「にしても……お前、いつも……エミリアの隣にいるやつだろ?」

 

問いに答えることはなく、男はそう言って、嫉妬の混じった目でオリーバーを見つめた。ゾクっと寒気が走るのを感じる。

 

「…いい身分だよな?何もせずにあの子の傍にいられて……!」

 

「……はぁ?お前、何を言っているんだ……?」

 

急に意味不明なことを言い出す男。だが、男は止まらない。

 

「そういや、あの時の問いに答えてなかったな」

 

「……?何の話だ……?」  

 

オリーバーには心当たりがなかった。

男が近づいてくる。何かがおかしいと直感的に感じた。

 

「俺はエミリアのことが好きだ。あの子のことを、愛している」

 

「……は?」

 

急な言葉に、オリーバーは戸惑う。エミリアと面識があるのだろうか?

 

「だから、お前みたいなのが隣にいて……ムカついたし、殺したくなった」

 

「先から何の話を……」

 

意味不明な言葉ばかりで、オリーバーにはこの男が言うこと何もわからない。そう思っていると──。

 

「ーーそこまでよ、悪党」

 

鈴のような綺麗な声で制止される。振り返るとそこにはエミリアがいた。

 

「エミリア……」

 

男の雰囲気がガラリと変わる。それはまるで愛おしい人を見るような視線だ。

 

「私のことを、知っているの?」

 

名前を呼ばれ、意外とばかりに眉を上げたエミリアの反応に男は吹き出した。

 

「何がおかしいの?」

 

「いや、ごめん。なんていうか、嬉しくて、かな。君がその、なんだ。全然変わってなかったのが、報われたような気分になって」

 

「どういう、意味? あなた、私とどこかで……?」

 

エミリアは首を傾げ、記憶を巡っている。オリーバーはそれを不気味に感じながらもじっと男を見る一方で、エミリアは男を警戒しているのがわかる。だけど、この男がエミリアに危害を加えられるようなことはないだろうと、直感的に理解できた。

 

「あなたは……」

 

「リア、ダメだよ、相手の話をまともに聞いちゃ」

 

「――パックか」

 

 何か、記憶を巡ろうとするエミリアを遮ったのは、エミリアの肩にふいに出現したパックは男に向かってそう言った。

 

「気安く呼んでくれるもんだね。これだけ派手にやらかしてくれて、いったい、どんな風に落とし前を付けるつもりなのかな?」

 

「落とし前は付けるさ。お望み通りな。――逃げる方法なんて、どこにもないし」

 

「――?潔いんだね?怪しいなぁ」

 

男は手を上げて奇妙な服を開けて無抵抗さをアピールした。そして三人に向かってこう言った。

 

「今から、俺が話すことは、全部頭のおかしい奴の妄言だ。忘れてくれ」

 

「――え?」

 

「今、王都を燃やしてる炎は俺が起こした。王都だけじゃなく、この炎は国中を焼き尽くそうとしてる。誰にも防げなかった。これは国や、国を守る騎士の失態さ」

 

男に語る言葉にエミリアは勿論、オリーバーも戸惑った。

 

「何言ってるの?お前……そもそも、エミリアとは何処で……」

 

その疑問に、男は答えることはなく、ただ淡々と話を続ける。

 

「ラインハルトの、『剣聖』って名誉も地に落ちる。親竜王国ルグニカを守るはずの盟約ってのも、どこが起点になったかわからない以上、龍も救いようがない。これは、何度もやって試したから間違いない。結局、ラインハルトも龍も、体は一個なのさ」

 

「国中を燃やした?あなたが?それは、国を滅ぼそうとして?」

 

「いいや、違うよ。これが、君を王様にする、たった一個のやり方だからさ」

 

「――は?」

 

意味が分からない。この男は何を言っているのか? そんなオリーバーの疑問を無視して、男は続ける。

 

「国を滅亡へ追いやる終の炎――この厄災をばらまいた張本人を、ラインハルトでもなく、神龍でもなく、君が討ち果たすんだ。残った王選候補者の誰にも、これ以上の功績を作ることはできない。君は、四百年の停滞を壊し、世界を救った英雄だ!」

 

「そんな、わけない……あなた、何を言ってるの!?やめて、全然わからない!何を言ってるのか、わからない!!」

 

エミリアは自分の頭を抱え、耳を塞ぎ、男の言葉を聞くまいとする。その瞳に涙が溜まり、白い頬を伝い落ちるのを見て、オリーバーは反射的にエミリアの元へ駆け寄ろうとするのだが……、

 

「──邪魔するな」

 

小さく男はそう言った。エミリアにもパックにも聞こえない声で。瞬間、オリーバーは思わず足を止めてしまう。

 

「わからなくていい。わからなくていいんだ。あとのことは全部、君の周りの奴らが勝手に祭り上げてくれる。君は、君の望みをそこで叶えればいい。そのためだけに、俺はこうやって国を焼いたんだ。何もかも、君のために」

 

「嘘よ、嘘、嘘! だって、私は……あなたは、どうして、私を……」

 

 身に覚えのない献身に、望んだ覚えのない捧げものに、エミリアは慟哭する。

エミリアの悲しみは仕方ない。エミリアが理解できないのも仕方ない。エミリア以外眼中になかったオリーバーですら目の前の男の思考が理解できない。

 

「――俺を見ろ、エミリア。俺を見て、俺を憎んで、俺を刻み込め」

 

「あなたは、誰、なの?あなたは、どこの、誰なの……?」

 

両手を広げ、ゆっくりと歩み寄る男にエミリアは震える声で言った。その問いかけを受け、男は目をつむりながらこう言った。

 

「――俺の名前はナツキ・スバル」

 

「すば、る……」

 

震える声でエミリアはその言葉を言うと、男は愛おしそうに微笑み、エミリアにこう言った。

 

「――魔女教大罪司教、『傲慢』担当、ナツキ・スバルだ!」

 

「大罪司教……!」

 

渾身の名乗りを上げ、スバルと名乗った男は全身の力を足に込めて地を蹴った。

 

「世界を焼き焦がし、国を揺るがし、英雄を殺し、そして――」

 

「――――」

 

「――君に、殺される男だ」

 

スバルは薄く微笑んだ。膝からその場に崩れ落ち、スバルは支えもなく倒れ込み、転がった。

 

エミリアに届くこともなく、その横を無様に、石畳を受け身も取れずに転がっていく。

 

「どうして?」

 

ぽつりと、エミリアは呟いた。

今にも涙がこぼれ落ちそうなほど瞳が潤んでいた。そんな問いに答えることはなく、ただ一つ。

 

「愛してる」

 

最後にそう言い残して、男は動かなくなった。

 

 

△▼△▼

 

 

「……は」

 

夢が覚めた。見慣れた天井の下、ベッドの上で目覚めたオリーバーは汗をびっしょりとかいていた。

 

「はぁ、はあ……なんだ、今の……」

 

夢の中で見た光景を思い出し、オリーバーは汗を拭きながら、冷えていく、心臓の鼓動を感じ取る。

 

「……スバル」

 

夢の中とはいえ、確かに聞いた名前を口に出してみる。

オリーバーの知っているナツキ・スバルじゃなかった。だってオリーバーの知っているナツキ・スバルはもっと──、 そこまで考えてオリーバーは首を振ってその考えを捨てた。もう考えるのはやめた。

 

「……所詮夢は夢だ」

 

そう、所詮夢である。それ以上でもそれ以下でもない。嫌な夢だったのは分かってはいるが──それでも、

 

「……夢の中の俺とエミリアいい感じだったなぁ……」

 

と、呟きながら、ただ幸せな夢を求めてオリーバーは二度寝と洒落込むのであった。



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二章 〜怠惰と記憶〜
一話 『留守番』


オリーバーにとっての朝というのは寝る時間のことであり、少なくとも精力的に活動しているような時間帯のことではなかった。しかし、今は──

 

「あい、最後に腕を天に伸ばしてフィニッシュ――ヴィクトリー!」

 

「「ヴィクトリー!!」」

 

両手を掲げて締めの台詞を口にするスバルに、大勢の声が追従してラジオ体操が終了する。歓声が上がるのを聞きながら、オリーバーはため息をつく。

 

こんなこと、一ヶ月前なら絶対にあり得なかった。そもそもルグニカにはラジオ体操という概念自体が存在しないのだ。

けれど、今ではもうすっかりお馴染みとなってしまった光景だった。他でもないナツキ・スバルの

発案によって始まったこのラジオ体操も、もう十回近く行われているだろうか。

 

そしてもう一個定着しているものがある。そっち目的でオリーバーも参加している部分はあるのだが。

 

「スバルー、体操終わった!」「スタンプ、スタンプ押して!」「イーモ! イーモ!」

 

「だぁぁ!朝っぱらからわらわら集まんな、うるせぇ!マジ元気だなお前ら、若いって素敵!焦んなくてもスタンプは逃げねぇよ、並べ並べ」

 

子供らの相手をするスバルの姿を眺めながら、エミリアを見る。今のエミリアはフードに銀色の髪を隠してはいるが、その美しさは隠せない。

 

「んじゃ、エミリアたん、お願い」

 

「――はいはい、どうぞ」

 

 真後ろに立っていたエミリアが、手にしていた小袋をスバルへと手渡し、苦笑とも微笑ともつかない形に唇をゆるめていた。

 手渡された包みを開くと、中から出てくるのは細巻き程度のサイズに削られた生の芋だ。その細い芋の登場に子どもらが黄色い声を上げ、スバルはその甲高い嬌声に応じるように芋を掲げ、

 

「よし、じゃ、押すぞー。出せ出せぃ」

 

「……あいつって本当、器用だよな」

 

スバルは基本なんでもできる。絵も裁縫も料理もレムやラムには劣るものの、ちゃんと出来ている。……少なくともエミリアとベアトリスよりは上だろう。

 

「ええ……そうね」

 

感心した様子で芋を見つめるエミリアの姿にオリーバーは少し複雑な心境を覚える。どうして複雑な気持ちになったのか。そんなこと自分でも分かっている。だけどそれは口に出してはいけない感情なのだ。だからオリーバーは胸の奥底にしまい込む。そんなことを考えていると、

 

「……ん?」

 

視線を感じた。振り向くとそこにはペトラがいた。無表情のままじっと見つめられていて、なんだか居心地が悪い。

 

「……どうした?ペトラ」

 

オリーバーがそう言うと、ペトラは不機嫌そうに隣にいるエミリアに舌を出してオリーバーの袖を引く。

 

「ちょ、ペトラ!?」

 

後ろからエミリアの困惑する声が聞こえてくるが、ペトラは気にせず袖を引っ張ったまま歩き出す。

 

「ちょっと待ってくれよ、おい」

 

彼女はそのまま人気のない場所まで移動し、そこで立ち止まった。一体なんだというのか。訳が分からず眉根を寄せていると、ペトラはじろりと睨みつけてきて

 

「……どうしてお姉ちゃんとスバルが一緒にいるの?それを阻止するためにオリーバーがいたんじゃないの?」

 

「……ああ、なるほど。そういうことね」

 

ペトラとオリーバーは協力相手だ。ペトラはスバルのことが好きでオリーバーはエミリアのことが好き。つまり、利害は一致しているのだが──。

 

「あんなやり方じゃスバルに誤解されるぞ?いいのか?」

 

「……むぅ」

 

子供扱いを嫌がるペトラだが、その仕草はやはり子供っぽくて可愛らしい。思わずオリーバーはペトラの頭を撫でる。すると、ペトラはますます不愉快そうな顔になり、

 

「何するの」

 

「お前って本当可愛いな。心配しなくても、俺はペトラのことを応援しているし、レムのことだって俺が何とかする。……こっちはハードルが高いけどな」

 

肩をすくめてみせると、ペトラは目を丸くして驚いたような顔をした後、照れくさそうに頬を染めた。

オリーバーはペトラを利用して、エミリアを手に入れて、ペトラはオリーバーを利用してスバルを手に入れる。この関係は互いに納得しているし、それで問題はない。しかし――、

 

「でもね!今日はスバルがね!」

 

今日もいつも通り、ペトラの愚痴は止まらないみたいだ。

 

「……はぁ。今日もまた聞かされるのか……」

 

この関係が始まって以来ずっと続いていることだから慣れたといえば慣れたが、それでも面倒臭い方が勝つ。しかし、オリーバーもオリーバーでエミリアの愚痴も聞いてもらっているので我慢するしかない。結局、この話が終わるのも一時間経った後だった。

 

 

△▼△▼

 

 

「今もど……「王都に行くんだろ? 俺、ついていくから!」

 

ペトラの愚痴を聞き終わり、オリーバーがエミリア達の元に帰った報告をした矢先、いきなり遮られた上、とんでもない発言をする。

突然の事で呆気に取られていると、

 

「あ、おかえりなさい。オリーバーくん」

 

「あ…オリーバー」

 

レムがいち早くオリーバーの存在に気付き、エミリアも気付く。どういう状況なのかいまいちピンッと来ず困っていると、

 

「オリーバー。今話し合いの途中なんで」

 

スバルが不満気にそう言った。その言葉にオリーバーはため息を吐きながら、

 

「話し合いの途中……って言ってもなんか、エミリアが困ってるように見えるんだけど。どうせ、スバルが何かエミリアに無茶言ったんだろ」

 

オリーバーの言葉にスバルは口籠る。どうやら図星のようだ。エミリアの方を向くと、エミリアは何とも言えない表情をしている。そんな二人にため息を吐きながらも、オリーバーはスバルに向かってこう言った。

 

「お前、身体万全じゃねーだろ。そんな身体で囮以外で何に使える……ああ、ごめん。万全な状態でも囮にしか使えねーな」

 

言い返す言葉がないのか、スバルは悔しそうな顔をして黙り込む。そんなオリーバーの言い分に、

 

「お、オリーバー……今のは言い過ぎよ!スバルは私の恩人なのに……」

 

「……俺は事実を言っているだけだよ、エミリアだってスバルに無茶して欲しくないだろ?」

 

「それは、そうだけど……」

 

エミリアは俯きながら呟く。その様子にオリーバーは少しやり過ぎたかと思い、バツの悪い顔になる。そんな二人に対してスバルは、

 

「エミリアたんもオリーバーも分かってねぇよ、俺は無理も無茶も無謀も大嫌いだから、自分のキャパシティ越えたことはやらねぇ」

 

いっそ堂々とした開き直りの宣言に、「でも」と言葉を継ぎ、

 

「手の届く位置にあるなら話は別。それがしかもエミリアたんのことならなおさら。な?わかっておくれよ」

 

「……そんなの分からないよ…」

 

そうは言うがエミリアの顔には迷いの色が見える。この様子では、しばらく説得しなければいけないだろう。そんなエミリアの様子に、

 

「はいはーぁい、そーぉこまで」

 

と、場の空気を叩き壊すように、文字通りに手を叩いたのはロズワールだった。彼は目の前の二人のやり取りを感慨深げに眺めていたが、

 

「どーぉにも話に進展が見られないから、わーぁたしがちゃかっと片付けよう。――スバルくんは王都についてきたまえ。これ、主命令ね」

 

「ロズワール!?」

 

「やたっ! 話せるぜ、ロズっち!」

 

 渋っていたエミリアとオリーバーの意見を蔑にするロズワール。その言葉にエミリアとオリーバーは不意を突かれた顔で、スバルは歓喜の表情でサムズアップして応じる。が、それらの反応に対してロズワールは「ちっちっち」と指を振り、

 

「たーぁだぁーし、スバルくんが王都についてくるのはあーぁくまで治療目的。王選云々っていうのとはぜーぇんぜん別のお話。おわかり?」

 

「治療……?」

 

意味がわからない、と首をひねったまま立ち上がろうとして――正座の足が痺れていたのか盛大に前に倒れ、それをとっさに隣にいたレムが首根っこを掴んで引き止める。

 

「ぐえぇ! ……ナイスアシスト、レム。でも次回はもうちょっとうまくやって」

 

「むぅ、撫で撫ではお預けですか……」

 

喉をさすりながら辛口コメントのスバルに、しょんぼりしたレムが後ろに下がる。それからスバルは改めてロズワールに向き直ると、先ほどの発言の真意を問い質すように「で?」と身を乗り出し、

 

「治療目的ってどういうこと?言っちゃなんだが、傷なら痕が残った以外は基本的に完調してるぜ?若干、リハビリの余地があるのは認めるけど」

 

 伸ばした両腕をぐるぐると回して、スバルは自身の健在ぶりをアピール。が、その肉体が万全でないのはオリーバーを含め、屋敷の全員の知るところだ。

 

「そんな下手な演技で隠せるとでも思ってるの?哀れになるから辞めてくれない?」

 

「お前今日はやけに俺に辛辣だな!?」

 

「俺を何も言わずに置いていったのだからこれぐらい許されるでしょ」

 

オリーバーの容赦ない言葉にスバルは思わず叫ぶのにオリーバーは反論する。その言葉にスバルではなく、何故かエミリアが罰が悪そうな顔をすした。その表情に違和感を覚えたオリーバーだったが、ロズワールはそれを無視して、

 

「隠してもだーぁめ。君の体に後遺症が残ってるのはみんな知ってる。枯渇した状態でボッコの実を使用したこと。ウルガルムの牙を受け、その肉体に多すぎる呪印を刻まれたこと――要因としてはこれらが主だけど、それが原因で君の体の中のマナの循環は今、非常に流れが悪い。ドロドロだ」

 

「……そんな見えないもんで調子が悪いって言われてもな」

 

「スバル。肉体に満ちるマナはまさに生命線なの。その流れが滞るってことは、命の循環に支障をきたすっていうこと。……お願いだから、ちゃんと聞いて」

 

 不調を見抜かれたことでばつが悪いのか、イマイチ真剣味の感じられないスバルにエミリアはそう告げる。その想いが通じたのか、スバルは「ごめん」と小さく謝り、

 

「俺の体がピンチなのはわかった。で、それが王都で治療って話とどう繋がる?」

 

「君の体の治療には、水のマナのエキスパートの力がいる。スバルくんはさっきまでいた使者の方には会ったのかな?」

 

「背の高いネコミミぶりっ子か。正直、得意なタイプじゃなかったけど」

 

「あの子が、王都でもとびっきり優秀な水のマナの使い手だーぁよ。その力を借りれば、君の体の不調を回復することもできるだろうとね」

 

 ロズワールの言葉にスバルが露骨に嫌そうに顔をしかめる。

 

「フェリス来てたんだ。久しぶりに話したかったな……」

 

残念そうにオリーバーは呟く。オリーバーはフェリスのことは嫌ってはいない。……エミリアは苦手ならしいけど。そんな様子のオリーバーに、

 

「あの子に借りを作ってまで、君の治療をする機会を作ってくれたんだ。エミリア様の思いやりには甘えておくべきだと、思わないかねぇ?」

 

「ほぇ?」

 

「ちょっと、ロズワール!それは……」

 

迂闊にも、とは言えない確信犯ぶりにエミリアは憤慨してロズワールに詰め寄る。しかし当のロズワールは涼しげな顔でエミリアの怒声を聞き流し、

 

「エミリア様もあの子のことは得意じゃなーぁいんだよ。だーぁけど、スバルくんの体のことがあるだろう? それで健気にお話に付き合って、どーぉにかこーぉにか譲歩を引き出して、君の治療の話をつけた。いじらしい方だよねぇ?」

 

「ロ・ズ・ワ・ア・ル!」

 

 裏事情を完全に暴露されて、エミリアは一音ごとに切りながら彼を呼ぶ。銀髪が怒りに揺らめき、顔に憤怒と恥辱で血が上っているのをはっきり感じる。そんなエミリアの様子に、お構いなくスバルはエミリアに向かってこう言った。

 

「エミリアたん、マジで?」

 

事の真偽を確かめようとしているスバルに、再びエミリアはばつが悪く顔を背け、

 

「だって、スバルの体が治らないのは私のせいでもあるもの。この屋敷にきたのだって、もともとは私を庇ってくれたのが原因だし……それに、魔獣の森の一件だって私が囮になるって言ったのにスバルがやってこうなったわけだし…だから、これはほんの恩返しっていうか、損失に対する正当な補填っていうか……」

 

「エミリアたん、言い方が固い。なんか事務的な感じがして感動が遠のく」

 

 早口で自己弁護するエミリアに、スバルが手振りで突っ込みを入れる。そんな彼にエミリアは「とにかく!」と力強く言って、

 

「スバルはあれだけ頑張ったんだから、その分の恩返しを受ける義務があるの。そうでなきゃ今後、対等に顔を合わせていけないじゃない。これで毎朝、スバルのことを見るたびに変な罪悪感を覚えなくて済む、と思えば私のためなのよ」

 

「そのパターンも久々だけど、毎朝そんなこと思ってたの!?」

 

「思ってないわよ! 感謝してたけど!」

 

もうメチャクチャだった。

どうにもこうにも、エミリアは自分の考えを誰かに話すのが本当に苦手な性分だ。そんな不器用なところがオリーバーは好きなのだが。──それはきっとスバルも同じだろう。そんなこんなで、

 

「そーぉれじゃ、話はまとまったね。スバルくんも王都行きに同行。もろもろの準備に明日一日を当てて、明後日の朝には出発…それでいーぃ?」

 

「わかったわ」

「意義なーし」

「……俺もそれで構わない」

「承知しました、ロズワール様」

 

 ロズワールの締めの言葉に、室内にいた全員がそれぞれの応答。そうして、ロズワール邸の王都行きの方針は定まった……と思われたが、

 

「あ、あの……ロズワール様」

 

と、そこで控え目に挙手をしたのはレムだ。彼女は全員の視線が集まる中、申し訳なさげな表情を浮かべている。

 

「どーぉしたの、レム」

 

「……使用人の分際で出過ぎた真似だとは思うのですが……実は少しばかり……我儘が……ありまして」

 

どこか言いづらそうに言葉を濁すレム。彼女の言葉にロズワールは鷹揚にうなずき、

 

「いいとも。何か困ったことがあれば、なんでも言ーぃたまえ。遠慮はいらない。使用人が不安を取り除くのは、主である私の務めでもある」

 

「ありがとうございます……。では、一つお願いしたいことが……」

 

ロズワールの言葉に小さく頭を下げてから、レムはゆっくりと顔を上げる。その瞳には強い意志と、そして隠しきれない焦燥の色が浮かんでいた。

 

「──オリーバーくん」

 

「え?俺?」

 

唐突に話を振られ、オリーバーは自分を指さして目を丸くする。そんな彼にレムは真剣な眼差しのまま、真っ直ぐにこう告げてきた。

 

「姉様と一緒に屋敷に残って貰えませんか?」

 

と、そう言った。その言葉にオリーバーは――、

 

「嫌だね。ぜっーたいにお断りだ。なんで俺がそんなことを……とゆうか、レムが屋敷に残ってラムが王都に行けばいいじゃん。今までそうだったじゃん」

 

即答だった。恋敵が好きな人と一緒に王都に行くのに、自分は留守番をするだなんて選択肢はオリーバーの中にはないし、譲れない。これが誰の頼みだったとしても。しかし、レムは

 

「それは……その……」

 

顔を赤くし、スバルの方を見るレム。その反応を見てオリーバーは盛大にため息を吐いた。そうしてから、気を取り直すように首を振り、

 

「だいたいなぁ……」

 

「レムがこんなに頼んでるのに留守番しないとか……お前はそれでも男かよ!」

 

と、横合いからスバルが割り込んでくる。その言葉にオリーバーが言い返そうとした直後――

 

「まぁまぁ、オリーバー君。今回は諦めたまえよぉーぅ。それに、今回行くメンバーには私も含まれているんだろう?だからもし屋敷に何かが起こったら対処出来ないんだよねぇ、それにレムが珍しく我がままを言っているわけだし」

 

「ぐ……」

 

ロズワールにまで言われてしまい、オリーバーは口をつぐむ。

確かにロズワールの言うとおりだ。彼が同行するとなれば、屋敷の守りは手薄になる。ラムとベアトリスが留守番するとはいえ、もしものことを考えるなら戦力は多い方がいいだろう。特に、先日のような襲撃があった以上、用心しておくに越したことは無い。

 

それに、確かにロズワールの言う通り、レムが我儘を言う事例は珍しい。

 

「……ああ、もうわかった!分かったよ!留守番すればいいんだろ!?すれば!」

 

半ばやけくそ気味に答えるオリーバー。それを聞いてレムの顔はぱあっと明るくなり、スバルはうざいぐらいにガッツポーズをしてこう言った。

 

「まぁ、安心すればいいぜ!エミリアたんは俺が守るから」

 

胸を張って、鼻を高くして宣言するスバルに対してオリーバーは湿った視線をスバルに送って、

 

「……エミリアがスバルを守るって言った方が正しいし、お前が出来ることなんてエミリアの周りを邪魔することだろ」

 

「言い方酷ぇ!!」

 

ショックを受けて落ち込んでいるスバルを無視してオリーバーは盛大にため息を吐きながら、こう言った。

 

「本当に大丈夫かね……」

 

嫌な予感がオリーバーを襲う。それがただの気のせいであって欲しいと思いながらも彼は窓の外を見つめていた。

 

 

 

△▼△▼

 

 

「じゃあな!エミリアたんは俺に任せろ!」

 

王都に出発前、見送りに来たオリーバーにまたそう宣言するスバル。それにまたオリーバーはため息を吐き、

 

「……だから、エミリアがお前を守るの間違いだって。もっと言えばエミリアを守るのはレムの役目だろ」

 

呆れたように言うオリーバーに対し、レムは頷く。

 

「はい!レムはエミリア様の護衛ですから。でも、スバルくんをお守りするのもレムの役目です。エミリア様の役目ではありませんよ?それにいざとなったら大精霊様もいますからスバルくんは何もしない方がいいかと」

 

「ぐっ……ぐうの音も出ない……」

 

レムの言葉に言い返すことも出来ず、スバルはその場で膝をつく。

 

「もう、スバルったら大袈裟なんだから……それより──」

 

エミリアはオリーバーの方へと向き直ると、彼の顔を見ながら微笑みかけると、

 

「屋敷のことお願いね?」

 

「……任せろ」

 

エミリアの言葉を受けてオリーバーは力強く首肯した。オリーバーも文句は言ってはいたが、オリーバーも屋敷のことが大切だ。不安が無いと言えば嘘になる。だが――、

 

「え、エミリアたん!そろそろ……」

 

焦ったようにエミリアを呼ぶスバルの声を聞き、彼女は慌てて竜車に乗り込んだ。

 

「じゃあ、行ってくるわね」

 

「……行ってらっしゃい」

 

「ん、留守番よろしく頼むぜ!」

 

「留守番、よろしくお願いします、オリーバーくん」

 

「オリーバーくん、留守番頼んだーぁよ」

 

それぞれが別れを告げる中、オリーバーはため息を吐きながらも見送ったのであった。

 

 

△▼△▼

 

 

スバル達が王都に行った一時間後でオリーバーは後悔していた。その原因は言うまでもなく、エミリアと一緒に王都に行けなかったことである。

 

「……いつもならラムが王都に行ってレムが屋敷に残ってたのに」

 

それもこれも全て惚れた男のためだ。そのささやかな願いを断ち切るほどオリーバーは非常ではないのだが。

 

「……あの野郎……やけにウキウキしてたな」

 

恋敵が行かなくなると言うことは即ち、邪魔者が消えるということ。スバルが妙に嬉しそうな様子を見せていたのは、そういうことだったろうし、行く際に見せたドヤ顔も腹が立つ。まさか、このままエミリアのことを取られるのではないか、と不安になっていると、

 

「…そんな悲観的にならなくてもエミリア様は本気にしないでしょ。バルスの普段の行いが悪いから」

 

心をよんだかのように、ラムはそう言って蒸かし芋をかじた。ちなみにこの蒸かし芋は、ラムの得意料理である。

 

「……よく分かったな?」

 

「顔に出てあったわ。エミリア様程じゃないけどオリーバーも分かりやすいわよ」

 

淡々とそう言ってラムはお茶を飲んでいる。オリーバーは苦笑いを浮かべながらも、

 

「……まぁ、そうだけどさ。何となーくだけどあいつ何かやらかしそうなんだよな」

 

それがオリーバーが懸念していたところだ。エミリアのことで暴走して何かヘマをやらかさないか不安である。そんなオリーバーの言い分にラムはこう言った。

 

「…ロズワール様とレムにさえ迷惑をかけなければバルスがどうなろうとラムにはどうでもいいことだけどね」

 

「俺だってエミリアに迷惑かけなきゃあいつのことなんてどうでもいいわ」

 

そんな評価を聞いたらスバルはきっと『ひでぇな!?』と言って反論するだろうが、今この場に本人はいないので、誰もツッコミを入れる者はいなかった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

「よぉ。ベアトリス。今日の一日目は蒸かし芋だぞー」

 

そう言って禁書庫に通じる扉を勘で開けると、ベアトリスは不満そうにこう言った。

 

「……相変わらず一発で入ってくる……本当お前といい、あの人間といい腹立つ奴ばかり……」

 

「そんなこと言っていいのかよ?俺に無礼なこと聞くと、一週間ぐらい蒸かし芋地獄になるぜ?それでいいのなら別にいいけど」

 

そんなオリーバーの言葉にベアトリスは何を感じたのだろうか。少し黙った後、

 

「……お前も、あいつが来てから大分変わったかしら……1番変わったのは姉妹の妹だけど」

 

そんなことを言いながらベアトリスはため息を吐く。

 

「そうか?」

 

オリーバーは首を捻り、そう言うと、ベアトリスは再びため息を吐きながらこう言った。

 

「……あんなに他人に興味なかったお前……いや、雑じり者の娘とにーちゃ以外興味がなかったお前があの人間が来てからベティーにやたら絡みにくる。……どういう風の吹き回しなのかしら」

 

「……」

 

エミリアとパック以外には興味がない。その言葉は事実であり、嘘偽りはない。だが──それは、

 

「……何か勘違いしてるけど、俺はスバルに出会う前からお前のこと気にかけてたし、もっと話してみたいって思ってたよ?だってパックと仲良いし。まぁ……やたらと絡みに行くようになったのはスバルが主な原因なのは否定しないけども」

 

そう言ってオリーバーは笑う。ベアトリスは驚いたような表情を浮かべ、 やがて、顔を赤く染めるとそっぽを向いてしまう。

そんな反応が可愛らしくて、オリーバーは思わず微笑むのだった。

 

「本当、ベアトリスは可愛いなぁ」

 

そうしてオリーバーはベアトリスの隣に腰掛け、一緒に蒸かし芋を食べる。普段なら何か言われるが今回は何も言わずにベアトリスは食べていた。

それから、二人は他愛のない会話をして──楽しい時間を過ごしたのだった。



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二話 『事情』

あれから数日が経ったが、毎日蒸かし芋地獄にはならなかった。理由は単純でオリーバーが蒸かし芋に飽きたし、別の料理を作ってみたくなったからだ。幸いロズワール邸には食材が豊富にあったし、サンドウィッチぐらいなら作れた。屋敷に来る前も、料理担当だったオリーバーは料理が嫌いじゃないので時々レムとラムのことを手伝うこと多々あった。

 

しかし、レムの料理の美味さはオリーバーと比較にならない程なのでオリーバーは上には上がいると思い知らされた。

 

ラムの料理の腕はレムより数段劣るが、それでもオリーバーよりも十分上手いし、何よりラムの蒸かし芋と紅茶に関しては本当に凄かった。蒸かし芋と紅茶だけで言えばレムよりも遥かにうまいんじゃないかと思うほどだ。

 

「そう考えると…料理できる人って大事だわ」

 

そう思っていると、竜車の音が聞こえる。きっと帰ってきたのだろう。オリーバーは玄関へと向かい、扉を開ける。そこにはやはりエミリアとロズワールの姿があった。

 

「お帰りエミリアにロズワール……ってあれ?レムは?スバルは治療に専念してるから分かるとして」

 

「ただいま。オリーバー……レムは、スバルの付き添いよ」

 

目を伏せ、そう言ったエミリアに違和感を持つオリーバー。一体どうしたと言うのだろうか。

 

「えっと……エミリア、どうしたんだ?」

 

おずおずとそう聞くと、エミリアはまた目を伏せながら話そうともしない。……どうやら、触れてはいけなさそうだ。

 

「そうか……ならいいけど。なるべく、早く帰るように言ってくれない?やっぱり俺レムの料理の方が好きだわ」

 

「うぅーん、それはちょっと無理かーぁな。私としても、そうして欲しいんだけどねーぇ、スバルくんの容態が安定するまでは、ね?」

 

「まぁ、そうだけど」

 

確かにロズワールの言う通り、スバルが回復するまでは仕方ないとは思うし、スバルが好きなレムが万全な状態のスバルになるまでは帰りそうにもなさそうだ。だが──

 

「……エミリアとスバルなんかあったの?ロズワール」

 

「それは……私の口からではとても言えることじゃぁないねーぇ」

 

そう言われれば引き下がるしかない。それにエミリアからも、これ以上は踏み込んで欲しくないという雰囲気を醸し出している。

 

「それにオリーバー君は今がチャンスなんじゃなぃかな?」

 

「……チャンスって何のこと……?」

 

「エミリア様を独り占めするチャンスのことだぁーよ」

 

オリーバーにしか聞こえない声で、囁くようにそう言ったロズワールの言葉にオリーバーは少し黙った後──。

 

「……んなことで独り占めにしてもな」

 

エミリアが落ち込んでるときに独り占めとか、流石に空気読めてないだろう。そう思いながらも、オリーバーはエミリアを見る。すると──。

 

「…………」

 

エミリアは無言で俯いていた。顔は見えないが、何となく、悲しみに満ちている気がした。

 

「……あー……俺ラムの手伝いしてくるわ」

 

この場にいたくなくて、オリーバーはその場から立ち去った。

 

 

△▼△▼

 

 

「……本当に話してくれないの?」

 

夕食を終え、オリーバーはエミリアにそう聞いた。夕食を食べた後も、尚も口を開かないエミリアにオリーバーは痺れを切らし、

 

「……スバル関係だろう?」

 

「!……どうして、それを」

 

驚いたような表情を浮かべたエミリアを見てオリーバーは

 

「……あ、本当にそうなんだ」

 

と呟いた。エミリアの反応からして、本当のようだ。…エミリアがここまで落ち込むなんて珍しい。

 

「……ねぇ、エミリア」

 

「うん……」

 

「何か悩んでるなら相談に乗るぞ?……まぁ、俺で解決できるかどうかは分からないけどさ」

 

オリーバーはそう言ってエミリアの隣に座ると、頭を撫でる。エミリアはされるがまま、じっとしていた。そしてゆっくりと口を開く。

 

「あのね、オリーバー……私、怖いの」

 

「怖い?……何が?」

 

「どうしてスバルが私に対してこんなに優しくしてくれるのか分からなくて、怖くて、不安になるの」

 

エミリアの言っている意味が理解できず、首を傾げる。

 

「……どういうことなんだ?別に普通だと思うけど」

 

「だって、私は……スバルに何もしてあげられてないもの。いつも助けられてばかりで──。王都のことも、魔獣のときも……そして今回のことで確信したの。スバルは私の元にいたらきっとすぐ無茶する。だから──私はスバルと離れるべきなの」

 

「……スバルって何かやらかしたの?」

 

オリーバーの質問にエミリアは答えることはない。きっと、答える気がないのだろう。だけども、

 

「……そっか。まぁ、俺はあいつの味方ってわけじゃないからエミリアの好きにしたらいいんじゃない?」

 

「えっ……?」

 

エミリアは驚いてオリーバーを見つめる。その視線にオリーバーは肩をすくめて、

 

「エミリアがそうしたいのならそれでいいよ」

 

実際そうだ。スバルがいようといまいと、オリーバーがすることは変わらない。

 

「でも、エミリア。教えてくれ。スバルは……お前に何を──」

 

「……言えないわ。言ったら、困らせてしまうもの」

 

エミリアの言い分にオリーバーは首を傾げながらこう言った。

 

「困る?俺が?俺は別に困らないし、隠し事される方が嫌なんだけど。言わないのならそれでもいいよ?クルシュさんのところに行って聞いてくるから」

 

「それはダメ!」

 

エミリアは慌てて立ち上がった。そしてオリーバーの腕を掴む。そんなエミリアを見てオリーバーは、

 

「……なら話して。このままだと俺クルシュさんに迷惑かけることになるし」

 

「……分かったわ。……あのね」

 

そこから告げられた言葉はオリーバーにとって許しがたく、そして予想外だったものだった。

 

 

△▼△▼

 

 

「そうか……ごめん。辛いことは話させちゃって」

 

「ううん……」

 

そう言ったエミリアの瞳には涙があった。きっと、今の今までずっと我慢していたのだろう。だけど、

 

「エミリア……今は泣いていいんだ。溜め込まずに吐き出せばきっと楽になる」

 

「……うん」

 

エミリアは静かに涙を流し始めた。そんなエミリアの背中をさすりながら、オリーバーは怒っていた。原因は言うまでもなく、スバルだ。エミリアがここまで思い詰めていることにも気付かずに、のうのうと過ごしているであろうスバルに腹が立ったのだ。

 

 

翌日。ロズワールに相談し、エミリアに内緒で竜車を手配してもらった。行き先はスバルのいる屋敷──クルシュ・カルステンの屋敷である。

 

「悪いな。ロズワール。急にこんなこと言って」

 

「そーぉれは構わないけれど、どーしたんだい?」

 

「……エミリアのことだよ」

 

ロズワールはそれを聞くと、意味深な笑みをしながらオリーバーにこう言った。

 

「あーぁ、なるほど。そういうことねーぇ」 

 

「分かってんなら聞くなよ……もう行くぞ。」

 

そう言ってオリーバーはロズワールの返事も聞く前に去っていった。



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三話 『自殺』

ナツキ・スバルはバカだった。あのときの自分はどうかしていたと、どうしてこうなったのだろうと、自分のことを責めた。オリーバーが来ないことに浮かれて、エミリアを守れるのは今このときだけは自分だけだとそう思っていた。恋敵の方がスバルより強くてカッコいいことぐらいスバルには分かっていた。

だからバカみたいな意地を張り、エミリアに迷惑をかけて、挙句の果てに傷付けた。

 

「……ああ」

 

その愚かさに気付いてももう遅い。

もう取り返しなどつかない。

 

それでも諦めるわけにはいかないのだ。

だってエミリアが好きだから。彼女のためなら何でもすると誓ったから。だから諦めることなんてできない。絶対に、何があっても。

 

「…………」

 

だが、どうすればいい? 何をすればこの事態を打開できるのか分からない。そもそも打開するべきなのかさえ疑問である。

 

「……随分と変わったなナツキ・スバル」

 

ふいにそんな声が聞こえてきた。

顔を上げると、そこには──

 

「オリーバー……?ど、どうして……?」

 

軽蔑したような目で見下すオリーバーの姿があった。

 

「エミリアがお前のせいでどれだけ苦しんでいると思っている」

 

「………っ」

 

「俺にはお前がエミリアを苦しめているようにしか見えない。お前は……エミリアに相応しくない」

 

二度目だ。ユリウスの模擬戦でもそう言われ、そして恋敵であるオリーバーにもそう言われた。

違うんだと弁解したかった。

けれどそんなことは許されない。

 

「オリーバーくん……?」

 

「レムか」

 

そこに現れたのはレムだった。

彼女はどこか呆然とした様子で、目を丸くしている。

 

「ええっと……オリーバーくんどうしたんですか?」

 

「……今思い出したけど、お前もスバルと一緒にいたんだよな?なら、何故止めなかったの?分かってただろ?部屋から抜け出したこと」

 

「それは……」

 

レムの表情が曇った。

何か言いづらそうな素振りを見せているのだが、

 

「レムは……悪くない。悪いのは……全部俺なんだ」

 

スバルはそれを遮ってそう言った。

自分が勝手にやったことだ。責任は全て自分で背負うべきだ。

 

「……悪いっていう自覚あったんだね。でもさ、それでどうにかなる問題じゃない」

 

オリーバーの言葉の通りだろう。

今の状況はスバルの行動が招いた結果であり、それが解決されるかどうかは分からない。むしろ悪化する可能性の方が大きいかもしれない。

 

「……話は全部エミリアから聞いた。……こんなことになるぐらいなら俺も行けばよかったわ。そしたら行かせてなかったし」

 

そんなオリーバーの言葉に不意によぎったのはユリウスの言葉だった。

 

『オリーバーは君とは違って冷静だし、エミリア様の隣に相応しい……と私はそう思っている』

 

そんな言葉を言われて、スバルは怒ったのだ。エミリアの隣に相応しくないことぐらい分かっている。だが、それでも譲れないものがある。だからこそ、意地を張ってしまった。

その結果がこれだ。

 

結局は自分の身勝手な行動でエミリアを傷つけてしまったんだ。

 

「……」

 

言葉もない。

何もかもが上手くいかなくて、頭がおかしくなりそうだ。いっそこのまま狂ってしまいたいほどに追い詰められていた。

 

「……レム、クルシュさんによろしくって伝えといて。フェリスとは会ったけどクルシュさんは外出中だったから会えなかったしさ」

 

「……分かりました」

 

オリーバーは踵を返し、その場から立ち去る。

その背中にスバルは何も言うことができなかった。引き止めることもできず、ただ黙って見送ることしかできなかった。

 

「……」

 

もう無理なのだろうか。

全てが終わってしまうのだろうか。

このままではエミリアを失ってしまう。それだけは嫌なのに、どうしようもなく無力感が胸を埋め尽くしていく。

 

「……挽回しないと」

 

オリーバーよりスバルの方が役に立つと、そう証明しなければならない。エミリアと話したい。エミリアの特別になりたい。エミリアとずっと一緒にいたい。そんな欲望ばかりが募っていった。

 

 

△▼△▼

 

 

手綱を引きながら、オリーバーはため息を吐く。まさかあんな風にナツキ・スバルが腐っているとは思ってなかった。得られたのは失望感と怒りだけ。

 

「……あー、クソ。最悪だよ」

 

こんなことなら行かなければ良かった、と

後悔しても遅い。

今更何を言っても仕方がない。

 

「……あいつがエミリアの騎士だって?ふざけんなって話だ」

 

何が騎士だ。エミリアに釣り合うはずがない。そんな男にエミリアを任せられるわけがない。

 

「……俺が、守るしかないじゃん」

 

エミリアのことが好きだから絶対に諦めることはできない。

例え相手が誰であろうと、どんな障害があろうとも乗り越えなければならない。惚れた女の為ならば、どんな犠牲を払ってでも守ってみせる。

 

「……」

 

決意を新たにした次の瞬間、ふいに雰囲気が変わったと感じる。

まるでこの場の雰囲気が丸ごと変わったような感覚だった。オリーバーは手綱を引くのをやめて、

 

「……ここで休憩しよう」

 

そう言ってオリーバーは地竜の頭を撫でる。この地竜は物覚えが早く賢かった。おかげでこうしてオリーバーの命令をすぐに理解してくれる。そんなことを考えていると、ふいに音が聞こえてきた。

 

「……あ?」

 

ガサッと音が聞こえ、何かがいると感じた。嫌な予感がして、オリーバーは地竜を見たその時だ。

 

「……え?」

 

地竜の頭が吹き飛んだ。そして、血飛沫を上げながら倒れる。

 

「……嘘だろ?」

 

信じられない光景に思考が停止する。頭が真っ白になる。

──何が起きた? ──誰がやった?

 

「……っ」

 

頭の中で地竜のことを謝ってオリーバーはアラーム村を目指して無我夢中で走り出す。何故、という言葉が頭の中に埋め尽くされているが、そんなことお構いなく、オリーバーは走ってゆく。そして──。

 

「……着いた」

 

気付けばもうすぐでアーラム村が迫っていた。村の入り口が見え、そこには──

 

「……え?」

 

死体があった。大人も子供の死体も関係なく転がっていた。一体、誰がこんなことを……と思いかけた時──。

 

「……ぺ、ペトラ……?」

 

地面に倒れ伏している小さな女の子の姿を見つけた。慌てて駆け寄り抱き上げると、もう息はなかった。いつもみたいにスバルのことでオリーバーに惚気る姿も、明るい笑顔はどこにもない。恐怖で顔を歪めて死んでいた。

 

「……っ…」

 

オリーバーは走る。

村の中を駆け回り、誰かいないか探す。しかし、誰も見つからない。全員、殺されていた。

 

「……ろ、ロズ、ワール……邸は」

 

屋敷に向かえば、まだ残っているかもしれない。そう思ったオリーバーは走った。だが──

 

「雪……?」

 

空から降ってきた白い物体。

ありえない現象だった。この季節に降るはずのない雪が降り始めたのだ。しかし──

 

「……パックの仕業か……」

 

その可能性が一番高いと思った。そしてパックがこんなことをする以上──

 

「……エミリア死んだのか……」

 

すとん、と落ちてくるように納得できた。今の状況を考えればそれ以外考えられない。

 

「……エミリア」

 

エミリアのところに行けるわけがなかった。だって彼女は死んだのだ。パックがそう知らせているのだ。

 

「……ちくしょう!」

 

オリーバーは叫ぶ。

叫んだところで何も変わらない。

だけど叫ばずにはいられなかった。自分の無力さを呪わずにはいられない。これでは自分もナツキ・スバルと変わらないじゃないか。結局、エミリアを守れなかったんだ。

 

「……死に戻りを……」

 

するしかなかった。何処に戻るのかは分からないが、やるしかない。エミリアがいない世界で生きていく意味などなかった。だから、もう一度やり直すしかない。

 

「……俺は、君のためなら何でもできるよ」

 

そう呟いてオリーバーは走る。早く死なないといけない。一刻も早く死んで、エミリアの側に──。

 

「………っ、あ」

 

気づけば崖のそばまで来ていた。下を見れば凄まじく深い谷底が広がっている。落ちれば即死だ。

そうすれば死ねるはずだ。

 

「エミリア」

 

最後に彼女の名前を呼び、一歩踏み出した。

そして、そのまま落下していった。



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四話 『怠惰』

「オリーバー……?」

 

ラムの声が聞こえてくる。

しかし、今のオリーバーには返事をする余裕はない。

 

「どうかしたの?オリーバー。変な顔して」

 

不思議そうに首を傾げながら、ラムはそう言った。たった二日しか会ってないのに随分と久しぶりな感覚だ。そんなラムに対し、オリーバーはこう言った。

 

「……エミリア達って……帰ってきてるよな…?」

 

「何寝ぼけたこと言ってるの?昨日帰ってきたじゃない」

 

呆れたようにため息を吐きながら言ったラムの言葉にオリーバーは思い出す。これがスバルと会う前日だということを。

 

「……ここからか」

 

スバルに会いに行く時間なんてなかった。そんなことをしていたらエミリアがパックがラムがベアトリスが村の人達が地竜が死んでしまう。

 

「……オリーバー?」

 

「え、ああ。ごめん。少し考え事しててさ……」

 

誤魔化しながら立ち上がると、ラムはじっと見つめてきた。

 

「……え?何?」

 

「本当に大丈夫?」

 

心配そうな声音。いつも毒舌なラムがこんなことを言うとは珍しい。それほどまでに自分は酷い顔をしているのか。

 

「……うん。大丈夫。ありがとう」

 

「そう……ならいいけど」

 

納得いかない様子だったが、これ以上追求するつもりもないらしい。それが今はありがたかった。

 

 

 

 

昼食を終えて、オリーバーは部屋で一人ベッドに横になっていた。スバルには会いに行けない。会いに行ったら、みんなが死ぬ。

 

「せめて子供達と屋敷のみんなだけでも……」

 

助けたい。

その思いだけが募っていく。だが、どうすることもできないのだ。自分は何もできなかった。

 

「……今度はせめて……っ」

 

エミリアの盾になって死にたい。あんな無意味な自殺をするぐらいなら彼女を守って死にたかった。そう思っていると、

 

「オリーバー?」

 

扉の向こうから聞こえるそれに、オリーバーは慌てて起き上がり扉を開き、

 

「ど、どうかした?」

 

「うーん……ちょっとね……」

 

歯切れの悪い言葉。何か言いにくいことでもあるのか、エミリアはなかなか口を開こうとしてくれない。

 

「エミリア…?何かあったのか?」

 

エミリアが口を開くよりも先に──。

 

「なぁるぅほぉどぉ……こぉれはこれは……」

 

男の声がした。聞き覚えのない声に二人は声がする方に振り向くと、そこには痩せぎすの男がいた。

 

身長はオリーバーよりもやや高く、深緑の前髪が目にかかる程度の長さに整えられている。頬はこけており、骨に最低限の肉と皮を張りつけて人型の体裁を取っている、と表現するのが適当に思えるほど、生気が感じられない肉体の持ち主だ。

 

そしてその男が何者なのかオリーバーには分からない。それは隣にいるエミリアも一緒だろう。

 

「……貴方は…?」

 

エミリアは恐る恐るといった調子で尋ねると、それを見つめて、男は音を立てて唇から指を抜くと、

 

「これはこれは、失礼をしておりました。ワタシとしたことが、まだご挨拶をしていないではないデスか」

 

エミリアの問いに応じるように、男は色素の薄い唇をそっと横に裂き、禍々しく嗤うと、ゆっくり丁寧に腰を折り曲げ、

 

「ワタシは魔女教、大罪司教――」

 

 腰を折った姿勢のまま、器用に首をもたげて真っ直ぐオリーバーとエミリアを見つめ、

 

「『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 

名乗り、両手の指でエミリアを指差し、男は――ペテルギウスはケタケタと嗤った。

オリーバーはエミリアの前に立ち、目の前の敵に対して身構える。何の動きをするかは分からないが警戒するに越したことはない。

 

「……一体そんな奴が何の用だよ……?」

 

「決まっているのです!見るのデス!風体も!出自も!まさしく、魔女への冒涜!ワタシたちにとって見過ごすことなどあってはならない存在!これは、試練の時なのデス!」

 

「……」

 

言葉は出なかった。何一つ理解できなかった。

しかし、この男がまともでないということだけは分かる。そして、こいつは危険だ。それだけは分かった。

 

「……。エミリア、下がって」

 

「オリーバー!?」

 

驚く彼女の腕を引いて下がらせ、オリーバーはペテルギウスを睨みつけるが、ペテルギウスの表情に変化はない。ただ、不気味に微笑んでいるだけだ。

 

「おや?おやおや?貴女が相手してくれるのデスか?」

 

「……お前が誰かなんて知らないし、興味もない」

 

「あぁ、そうですか。残念です。しかし、貴方の匂い……貴方もしや『傲慢』なのでは?」

 

オリーバーの言葉にもペテルギウスはまるで堪えていない。それどころか、勝手に話を進めている始末だ。

 

「……何の話を……」

 

「代われるものならワタシが代わりたいほどに!この身を差し出せばサテラの御心に適うならば、喜んで捧げましょうに!!」

 

突然狂乱し始めたペテルギウスに、オリーバーは困惑する。きっとペテルギウスが言っているのは魔女の籠愛のことで即ち、『死に戻り』のことだろう。確かにこれのおかげで今ここにいる。これがなかったらきっとエミリアの隣には立てていない。しかし──

 

「……嫉妬の魔女に愛されたいとか……気持ち悪い」

 

オリーバーは吐き捨てるように叫ぶと、拳を強く握りしめる。一周目に見たあの村の惨状はこいつらがやったのだろうか?だとしたら許せない。絶対に許さない。

 

「……村」

 

一周目の時、村は悲惨な状態になっていた。嫌な予感をしつつ、オリーバーはペテルギウスに問いかける。

 

「……村には手を出してないよな!?」

 

「村?ああ……彼らは『怠惰』でしたので殺しましたよ?まぁ、仕方のない犠牲デスね。必要な犠牲だったと思いマス」

 

その言葉を聞いた瞬間、エミリアは手を口で覆って驚き、怒りを露わにしている一方でオリーバーは──。

 

「……ッ!!よくもっ!」

 

オリーバーもまた怒りに身を震わせていた。村人を皆殺しにしたのだ。一周目で見た村の人達の死体を思い浮かべ、胸が苦しくなる。

 

「なんで……どうしてだよ!お前の目的は魔女じゃなかったのかよ!?何で村の奴らまで……!」

 

こんなこと、一ヶ月前なら考えてなかった。一ヶ月前の自分なら同情することはあっても、助けようとはしなかっただろう。でも、今は違う。

 

「エミリアを殺そうとするのも、村の人たちを殺したのも俺は絶対に許さない!絶対だ……!」

 

それが自分の願いだ。だから、そのためにオリーバーは動く。

 

「あぁ……素晴らしい!貴方はやはり勤勉デスね。魔女の寵愛を受けるに相応しい存在デス!しかし……」

 

「黙れ。俺の前であの忌まわしき魔女の話をするな」

 

オリーバーは嫉妬の魔女が嫌いだ。世界を半分飲み込んだ魔女のことを、オリーバーは憎悪している。だって、嫉妬の魔女のせいでエミリアはオリーバーは迫害された。嫉妬の魔女が銀髪でハーフエルフだからという理由でオリーバーとエミリアは差別され続けた。そんなの壊れるのが当たり前なのに、それでも彼女は耐えた。

エミリアは優しかったから。そんな優しさに惹かれて、オリーバーは彼女を守ると決めた。だから──。

 

「……逃げろ。俺を、置いて」

 

「え?」

 

「ラムとベアトリス……ベアトリスは逃げるか分かんないけど、そのときはパックでも使って一緒に逃げろ」

 

「そんな……ダメだよ!オリーバーも一緒に逃げよう……?」

 

オリーバーの提案にエミリアは首を横に振る。その言葉にオリーバーは小さく笑みを浮かべると、ペテルギウスの方へと視線を向けた。

 

「……」

 

そして、静かに深呼吸すると、オリーバーはペテルギウスに向かってゆっくりと歩き出す。それにエミリアは慌てるが、そんな彼女にオリーバーは優しい声音で告げる。

 

「大丈夫。すぐに戻る。約束する。エミリアを泣かせるようなことはしない」

 

「でもっ!」

 

 

エミリアが泣きそうな顔で叫ぶが、オリーバーはギュッと抱きしめると優しく頭を撫でる。

 

「心配しなくていいよ。あいつは倒して戻ってくる。……さっき言った通り、すぐに終わらせてくる。信じて欲しい」

 

オリーバーの言葉にエミリアは何か言い返そうとするが、それを遮るようにペテルギウスが叫んだのと同時にオリーバーは早く行けっと促す。エミリアは戸惑いながらもラムたちがいるところへと走ってゆく。

 

「来ますか!なら、ワタシは貴女を倒しましょう!そして、サテラにお伝えします!ワタシこそが、彼女の愛を受け取るに相応しい存在であると!!」

 

ペテルギウスの言葉にオリーバーは鼻で笑う。どうやら、こいつは勘違いをしているようだ。

 

「…そうか。なら、始めよう」

 

オリーバーとペテルギウスは同時に駆け出した。

 

 

△▼△▼

 

 

「……これで終わり?何か拍子抜け」

 

オリーバーは呆れたようにため息をつきとどめを刺そうとするのに対し、ペテルギウスは何故か余裕そうだった。

 

「それは違いマスよ!ワタシはまだ終わっていない!!」

 

「はぁ?」

 

何を言ってるんだとばかりにオリーバーは眉間にしわを寄せてとどめを刺した。

 

「……」

 

先までの狂気な笑顔のまま、ペテルギウスは死んだ。あまりにもあっけない幕引きに、オリーバーは何とも言えない気持ちになる。

 

「……本当に終わったのか?」

 

疑問を口にするが、答えてくれる相手はいない。ただ、嫌な予感がしていた。それに──。

 

「……あれ、何で」

 

ポタポタと涙が流れ落ちてゆく。別に悲しくはない。むしろ嬉しいくらいだ。それなのに何故、泣いているんだろうか?その理由が分からず、オリーバーは困惑するばかりだった。そんな時──。

 

「怠惰ですねぇ」

 

女の声が聞こえて、オリーバーバッと振り向くのと同時に血が吹き出た。

 

「……え?」

 

何も分からず、オリーバーは倒れ伏す。痛みすら感じられないほどに、突然の出来事にオリーバーは混乱するしかなかった。ただ──。

 

「……エミリア」

 

愛おしい少女の名前を呼んで、オリーバーは目を閉じた。

 



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五話 『絶望』

「──オリーバー?」

 

ラムの声が聞こえてくる。また死に戻ったのか、と思いながら目を開けるとそこにはラムがいた。

 

「……ここは?」

 

「……厨房だけど。それぐらいも分からなくなるほど低脳になったの?」

 

いつも通りの毒舌を聞きながらも、オリーバーは周囲を確認して、オリーバーはラムに向かってこう言った。

 

「……そうか。うん……ごめん。ラム。ちょっと……村に行ってくる」

 

「は?」

 

オリーバーの発言にラムは驚く。だが、オリーバーはそのまま厨房を出ていく。

 

「ちょっ、待ちなさい!どういうことよ!?」

 

ラムの叫び声が聞こえるが、今のオリーバーには届かなかった。

 

 

 

村は悲惨な状況ではなく、オリーバーが知ってる村の光景だった。

 

「……戻ってこれた」

 

安堵するように呟き、オリーバーはゆっくりと歩き出す。目指す場所は一つだけだ。

 

「あー!!オリーバーだ!」

 

子どもたちの声が聞こえてくる。

オリーバーはそちらに視線を向けると、子供たちに囲まれる。

 

「ねぇ!オリーバー遊ぼうぜ!!」

 

「オリーバーは今から俺と遊ぶんだよ!お前らは引っ込んでろって」

 

「ちげぇよ!オリーバーは俺と遊ぶんだ!」

 

「違うもん!あたしとだよ」

 

口々に騒ぎ出す子どもたちに、オリーバーは困ったような笑みを浮かべる。オリーバーはスバルのような子どもに好かれるような体質ではない。どちらかと言えば、怖がられるタイプだろうと思っているのだが──。

 

「ペトラが教えてくれたんだ!オリーバーは優しい人だって!」

 

「ペトラが?」

 

一人の少年の言葉にオリーバーは聞き返す。すると、他の子たちも次々に言葉を発した。

 

「ペトラが言ってた!オリーバーは怪我したら治してくれるし、良いことをした時は褒めてくれるって!」

 

その子の言葉にオリーバーは思わず苦笑いする。実際、ペトラはスバルのことが大好きで色々と話してくる。それにオリーバーはペトラのことは嫌いじゃない。だから、ペトラに頼まれれば大抵のことなら引き受けているし、愚痴も聞いているだけだ。しかし、

 

「…そうか。ありがとう」

 

褒められるのは悪くないし、それをわざわざ正すのもどうかと思ったのでオリーバーは素直に受け取っておいた。

 

 

△▼△▼

 

 

あれから数日、村を観察していたのだが結局、ペテルギウスは姿を現さなかった。何故あのときは来たのに今回は来ていないのか。それは分からないが、オリーバーとしては都合が良い。そう思いながらオリーバーは扉を開ける。そこには、

 

「よっ、ベアトリス」

 

部屋に入ってきたオリーバーを出迎えたのは一人の少女。彼女はオリーバーを見ると不機嫌そうな表情をする。

 

「何なのよ、用があるのならささっと言って帰るのよ」

 

そんなベアトリスに対して、オリーバーは特に何も言わず、椅子に座るとベアトリスを見つめて、

 

「……あのな、ベアトリス。ちょっとお願いがあるんだよ、報酬はパックだ」

 

パック、という言葉にベアトリスは即座に顔を上げる。

 

「……にーちゃが報酬?……それで何をすればいいかしら?」

 

現金なことだと思いながらも、オリーバーは言葉を続ける。

 

「……エミリアとパックと一緒にいてあげてほしい」

 

その言葉にベアトリスは嫌な顔をしながら、こう言った。

 

「にーちゃはともかく、何故雑じり者の娘とも一緒にいないといけないのかしら」

 

「俺ら運命共同体じゃん?」

 

「いつからお前とベティーが運命共同体になったのかしら。勝手に決めるんじゃないかしら!」

 

ベアトリスは怒りながら立ち上がる。だが、それに対して

オリーバーはベアトリスの頭を優しく撫でる。

 

「本当、可愛いなぁ、ベアトリスは」

 

もう数えきれないほどこのやり取りをしているが、飽きないものだ。

 

むしろ、回数を重ねるごとにあまり抵抗されなくなってきている気がするので、

やはりベアトリスは……

 

「ツンデレだな。うん」

 

「誰がツンデレなのかしら!というか、早く手をどけるのよ!」

 

「はいはい、分かったよ」

 

そう言って手を離した直後、雰囲気が変わる。その空気が何なのか、オリーバーには分かる。

 

「……頼むわ!ベアトリス!」

 

そう言ってベアトリスの返事も聞かずに部屋を出る。そして、そのまま屋敷に出て村に行くと、

 

「……いつものアーラム村だ……」

 

安堵するように呟く。なら、何故あんな雰囲気になっていたのか。オリーバーはその理由を考えるが、答えは出ない。そんなとき、

 

「あー!スバルだー!」

 

「どうしたの?スバル」

 

子供たちの声が聞こえてきた。振り返るとそこには、フラフラと歩くスバルがいた。

 

「……どうして……なんで、ここにいるんだ……」

 

そう言うと、オリーバーはゆっくりと歩み寄っていく直後、スバルは無言で倒れた。

 

「ちょっ!?大丈夫かよ!」

 

慌てて駆け寄ると、スバルは死んだ目をしていた。何故村に戻って来たのか、何故レムと一緒じゃないのか。言いたいことも聞きたいことも沢山ある。だが、今はこの状態だ。

 

「ねぇ、スバル大丈夫なの?」

 

子どもたちが心配そうに声をかけてくるのに対し、オリーバーはこう言った。

 

「大丈夫。うちには凄くいい治療師がいるから!だから屋敷に行ってくるよ、次会ってる時にはきっと元気さ」

 

そう言って子どもたちに別れを告げると、オリーバーはスバルを背負って走り出した。

 

 

△▼△▼

 

 

「……んぅ」

 

小さく声を上げてスバルは目を覚ます。そこは見慣れた自分の部屋の天井だった。

 

「……あれ、俺……確か……村に」

 

そこまで考えてスバルは思い出す。自分は村に帰って来たこと、そこで倒れてしまったことを。すると、

 

「起きたか」

 

ベッドの横にある椅子に座っていたオリーバーが不機嫌そうに話しかけて来た。久しぶりの再会にスバルはビクッと体を震わした。オリーバーとは一周目のあのとき以来会っていない。だから、怖くて仕方がない。しかし、オリーバーは

 

「……エミリアって本当優しいよな。こんなどうしようもない奴の傷を治してやるなんて」

 

「エミリアが……?」

 

その言葉にスバルは驚きながら体を起こす。そして、オリーバーはスバルに向き合うと、彼は真剣な表情でこう言った。

 

「お前はエミリアの恩人だ。だから──もういいんだよ、ナツキ・スバル」

 

「は……?」

 

突然の言葉に、意味がわからず呆然とする。だが、オリーバーはそんなスバルに構わず続ける。

 

「エミリアの言う通りだ。お前はエミリアの側にいたら絶対に無茶するし、迷惑をかけるだろうし、それに──」

 

「ふざけんじゃねえぞ!!テメェに何が分かるんだよ!!」

 

スバルはオリーバーの胸ぐらを掴むと、怒鳴りつけるように言った。

 

「俺はエミリアを助けたいんだ!そのためなら何でもする、どんなことでもするつもりだ!エミリアを救えるなら命だって惜しくはない!エミリアが救われるなら俺の命なんか安いもんなんだよ!」

 

「…………」

 

「それなのに、どうして俺を止める!?エミリアを助けるなっていうのかよ!」

 

叫ぶスバルに対し、オリーバーは何も言わずただ黙っている。その態度にさらに苛立ちを募らせるが、やがてオリーバーは静かに口を開いた。

 

「そういうところだよ」

 

ため息を吐くオリーバーと、憤慨するスバル。二人の視線が交錯するが、先に折れたのはオリーバーの方だった。

 

「…もういいんだよ、スバル。エミリアは俺に任せろ」

 

その言葉の意味を理解するよりも早く、スバルの頭に血が上った。

 

「あの子は俺と一緒にいなきゃいけないんだ!俺が守ってあげないと、助けてあげないといけない子なんだよ!」

 

そう言って再びオリーバーの胸ぐらを掴み、思い切りスバルはオリーバーを睨み付ける。

 

「なんでそれを分かってくれない!?どうして止めるんだ!俺はエミリアを助けたいだけなのに!」

 

その叫びにオリーバーは再び大きなため息をつく。そして、呆れたような顔をしながらこう告げた。

 

「──確かにお前はエミリアのために沢山尽くした。でも、それってエミリアが頼んだの?違うだろ」

 

「……っ!」

 

「エミリアは、何も言ってないだろ」

 

その一言に、スバルは言葉を詰まらせる。それはそうだ。スバルは自分勝手にエミリアを助けようとしているだけだ。彼女本人からすれば、ただの自己満足に過ぎない。

 

「今までは結果がいい方に転んだから良かったんだ。だけど今回に関してはお前が無様に負けたせいで、エミリアの顔に泥を塗ったんだぞ!?」

 

反論なんて出来ない。オリーバーの言っていることは正しい。だが、それでも……

 

「……後、これも聞きたかったことなんだけどさ。レムは?」

 

レムっという言葉にビクリと体を震わすが、すぐに冷静になって答える。

 

「……レムは、もういない」

 

「え?」

 

「……死んだよ……俺のせいで」

 

そう言ってスバルは俯く。俯いたってどうにもならない。そんなの分かっているはずなのに、どうしてか顔を上げられずにいる。すると、

 

「バルス起きたの?」

 

「……ラム…」

 

部屋に入って来たのはラムだった。彼女はスバルの姿を見ると小さく目を見開きそしてジッと見つめてくる。その視線に居心地の悪さを感じていると、

 

「ラム、レムが死んだそうだ」

 

「……!?」

 

オリーバーの言葉に、スバルは思わずオリーバーを見る。それは自分の口から言わないと駄目なのではないか。そう思ってスバルが口を開こうとすると、

 

「……レムって誰のこと?」

 

ラムが表情を変えずにそう言った。その言葉に、オリーバーは驚いたように目を見開かせ、

 

「……どういうことだ?」

 

「だから、レムって誰のこと?」

 

「何言って……お前の妹だろ!?」

 

声を荒げてスバルが叫ぶと、ラムは無表情のままこう言った。

 

「──妹なんて知らないわ」

 

理解できなかった。否、理解したくなかった。目の前の光景が信じられず頭が真っ白になる中、オリーバーだけが冷静に状況を分析していた。

「……覚えてない……っということは白鯨の仕業か……?だけど……」

 

「そんなことどうでもいい……!おい、ラム!お前、本当に忘れたのか…!?」

 

スバルの言葉に、しかし、ラムは首を傾げるだけだった。

 

「そもそもラムは一人っ子よ」

 

「────ッ!!」

 

その瞬間、頭の中で何かが弾けた気がした。

 

「おい!?スバル!?」

 

突然スバルが飛び出していったことに驚きながらオリーバーが呼び止めるが、スバルはそれを無視して駆け出す。

 

「──スバル?」

 

不意に銀鈴のような綺麗な声音で名前を呼ばれ、振り返るとそこにはエミリアがいた。

 

「エミリア……」

 

「エミリア!?何で……ベアトリスと一緒じゃ!?」

 

「一緒だったけど……居心地が悪かったから抜け出して来たの。それより……どうして戻ってきたの?」

 

「行こう、ここにいちゃいけない」

 

踏み込み、エミリアの問いかけを無視してスバルは手を差し伸べる。その強引な態度にエミリアは薄く目を見開き、わずかに身を引いてスバルと距離を取る。縮めたはずの分を広げられ、眉を寄せるスバルにエミリアは首を振り、

 

「行くって……どこに。いえ、なんのために」

 

「ここじゃないどこかならどこでもいい。なんのためかって聞かれたら、お前のためにって俺は……」

 

「また、それなの?」

 

エミリアはため息混じりにそう言うと呆れたような視線を向ける。その目に宿る感情を読み取ることが出来ず、スバルが戸惑っていると、エミリアは悲しそうに目を伏せて続ける。

 

「私のためとか、そんなの、全部嘘だって知ってる。本当は自分が助かりたいだけでしょう?スバルにとって私は、ただの道具でしょう?」

 

そんなこと思っていない、とは言い返すのは簡単だ。しかし、そんなこと言って信じてくれるだろうか。それに、今はエミリアを助けることが最優先だ。

 

「……そうだな。……でも、ここから離れた方がいいと言うのは俺も同意見だ」

 

先まで黙っていたオリーバーがそう言うとエミリアは少し意外そうな顔をする。

 

「オリーバーまでそんなこと……」

 

「ここは危険だ。お前は知らなくても、俺は知っている。だから、早く離れよう」

 

「……?何を言っているの?」

 

意味の分からないことを言うオリーバーにエミリアが困惑している。それを尻目にオリーバーは

 

「……こいつが信じられないのなら俺を信じればいい。俺が、必ず守ってみせる」

 

そう言ってオリーバーがエミリアの手を差し伸べる。その姿はまるで王子様のようで──。

 

『断じて、優しさに甘えて縋りつき、足を引くものであってはならない』

 

うるさい。

 

『君は彼女の――エミリア様の側に、いるべきではない』

 

うるさい。

 

『エミリア様の隣にはオリーバーがいるべきだ。彼は君より強い。彼に任せれば、きっとエミリア様を救えるだろう』

 

そんなユリウスの言葉ばかりが蘇る。最後のセリフは妄想なのか本当に言われた言葉なのかは分からないが、何度も夢の中で聞いた言葉だ。理解なんてしたくなかった。必死に否定し続けてきた。だというのに。

 

「……そっか」

 

今更理解出来た。否、本能では理解はしていた。だけど、心が追いつかなかった。確かにオリーバーの方がエミリアを守るに相応しい。自分なんかよりもずっと強くて、頼りがいがあって……

 

「……オリーバー」

 

差し出された手に自分の手を重ねようとするエミリア。その光景に、胸が締め付けられるが、それを見ているのが辛い。だが、それでも……

 

「……ああ、もう!こうならヤケだ!」

 

「は?」

 

スバルの行動にオリーバーが素っ頓狂な声を上げる中、スバルはエミリアの方に視線を向けて、

 

「エミリア。俺は、未来を見てきた。知ってるんだ。どうしてかっていうと、俺は……俺は……」

 

「……っ!辞めろ!スバル!」

 

オリーバーの悲鳴が聞こえてくる。だけど、スバルは止まらなかった。もう何もかもがどうでも良くなったのだ。嫉妬の魔女が来たって知ったことか。故にナツキ・スバルは──

 

「『死に戻……」

 

全てを打ち明けようと、それを口にした瞬間にやはり停滞は訪れた。

 

目論見通り、世界の動きは徐々に停滞し、やがて静止する。途端に景色は色を失い始め、それまであったはずの音の全てが消える。風の音が、息遣いが、心臓の鼓動が、遠ざかり遠ざかり、戻ってこない。五感のなにもかもを意識が置き去りにし、スバルは世界から孤立する。

 

――そして、その孤立したスバルをひとりにはさせまいと、求めてすらいない慈愛の掌がゆっくりと姿を現した。それは、温かくも冷たくもない手だった。触れているはずなのに触れられていないような不思議な感覚だ。今までみたいな激痛ではなく、優しく触られているのが返って気持ち悪い。

 

「……っ、スバル……」

 

オリーバーの声が聞こえる。それは怒りだろうか、悲しみだろうか。それとももっと別の何かなのかもしれない。

 

「…あ?」

 

意外と早く色が戻ってゆく。そのことに驚きながらも、スバルは自分の手を見て、次に目の前にいるオリーバーを見てエミリアを見た。彼女はどんな反応をするのかが怖い。しかし、もう後には引けない、と思いながらスバルは彼女の言葉を待つ。

 

「………」

 

ふいに、エミリアの体が前のめりにスバルの方へ寄りかかってきた。思わず手を差し伸べ、彼女の体を受け止める。掌に温かく、柔らかな感触があることにスバルはわずかに動揺し――、

 

 びしゃり。

 

「――え?」

 

 びしゃり、びしゃり、びしゃり。

 

「――えみりあ?」

 

 びしゃりびしゃりびしゃり、びしゃ。

 

 

抱きとめた、エミリアの、口から、血が、大量に、溢れて。エミリアの体は、力なく、倒れた。

 

「ぁ……?ぅ……ぇ……?」

 

なんで、エミリアが、こんな、血だらけになって、倒れてる?おかしい、だって、さっきまで、普通に話してて、それで、突然、なんで?わからない。理解出来ない。頭が回らない。どうして──。

 

「……お前が死に戻りのことを告白しようとするから魔女が嫉妬してエミリアを殺したんだ」

 

「は?」

 

オリーバーの言葉の意味が分からず、呆然としていると、

 

「俺は死に戻るよ、スバル。俺が死んだらお前も多分嫉妬の魔女……ではなく、サテラがお前のことを戻してくれるからさ」

 

「なに……言ってんだよ……?」

 

「じゃあな」

 

そう言ってオリーバーは笑いながら、その場を後にする。待ってくれ、という声が出ない。伸ばした手が空を切る。そのままエミリアの死体を抱きかかえると、スバルは再び時間が止まった世界で独り取り残される。

 

「エミリア……エミリア……エミリア……!」

 

何度呼んでみても返事はない。エミリアは死んだのだ。エミリアの死を嘆き、絶望するスバルの耳に再びあの音が届く。

 

「……ッ!?」

 

途端、視界が真っ黒になり、スバルは気を失うように暗闇へと堕ちていく。

 

 

△▼△▼

 

 

愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる

 

エミリアと似たような声で、エミリアと似たような容姿で魔女が愛の言葉を囁いてくる。気持ち悪かった。その言葉はエミリアから聞きたいのに。否、エミリアがこんなこと自分に言う訳がないが、それでもこの魔女の口からは聞きたくない。しかし、

 

「…助けてあげて」

 

涙を流した魔女はスバルの手を握る。こんなの振り解けばいい。しかし、振り解けなかった。『嫌い』だと言えなかった。そんな言葉嘘でも言えなかった。

 

 

△▼△▼

 

 

視界が戻った時、目の前には心配そうな顔をしたレムがいた。

 

「スバルくん、大丈夫ですか?」

 

「…レム」

 

「はい。スバルくんのレムです。どうしましたか?」

 

生きている。自分が殺したようなものだ。なのに彼女はこうして生きている。

だから──

 

「……スバルくん?!」

 

もう、目の前のそれだけは手放さないように、スバルは決断したのだ。



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六話 『絶望に抗えば』

深い池沼のようにはまって行く、底なしの闇。そんな場所でオリーバーは一人、無表情で死を待っていた。早く死にたかった。エミリアをパックをラムをベアトリスを村の人達を助けたかった。

 

「早く、死にたい」

 

そしたら死に戻れる。ループ出来る。何度も繰り返して、皆を助けられるようになる。早く死にたい。死んでしまいたい。今は苦しいけど、でもこれで終わりだ。

 

「あ……」

 

息ができなくなる。呼吸が出来なくなる。そしてまたオリーバーは無様に死んでゆく。雪が積もった闇の中で。

 

「…………あ」

 

目を開くと、そこには怪訝そうに見つめるラムの姿があった。つまり──。

 

「……戻った」

 

これでまた、繰り返すことが出来る。全員を救うために、もう一度。

 

「……オリーバー?どうかしたの?変な顔してるわよ?」

 

心配そうな声色で言うラムに、オリーバーは申し訳なく思う。自分が死に戻るたびに彼女は自分のことを心配する。ラムは毒舌だが、優しいところがあるのだ。その優しさにいつも自分は甘えてしまう。

 

「大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけなんだ」

 

オリーバーの言葉にラムはいつも通りの表情に戻った。そして言う。

 

「ならいいんだけどね」

 

そう言ってラムは、昼飯の準備をする。それを手伝いながら、オリーバーは決意する。

 

「次はもっと上手くやろう」

 

今度はちゃんとやる。誰一人死なせないように。皆を助けるために頑張ろう。そう思いながらオリーバーは皿を洗いながらこう思う。

 

「………俺一人犠牲になれば」

 

それは誰にも聞こえないような小さな呟きだった。

 

 

△▼△▼

 

 

翌日、オリーバーは事前に対策をした方が効率が良いと思い、事前に避難を促そうと、村人達に話しかけようとしたのだが──

 

「俺の話聞いてくれるか……?」

 

銀色のハーフエルフはあまりいい印象は持たれていない。

そのため、村人たちは彼に近づかなかったし、エミリアもそうだ。なら、せめて

 

「……子供達だけはせめて──」

 

大人はダメでも、子供ならまだ希望は持てる。だからオリーバーは子供達に声をかけようと、村の方に──

 

「……ん?」

 

ふと、違和感を覚えた。何かおかしい。昨日見た光景とは違う気がする。しかし、何がおかしいのかそれがわからない。

 

「オリーバー……?」

 

不意にペトラの声が聞こえる。その声にハッとなり、

 

「ペトラ」

 

「どうしたの?オリーバー……?」

 

ちゃんと動いている。ちゃんと話している。ペトラは生きている。それだけでオリーバーは嬉しかった。

 

「よかった……。ペトラ無事だったんだな……」

 

「どうしたの?何かあったの?」

 

オリーバーの様子を見てペトラが心配してくる。それに安心しながらオリーバーは言った。

 

「いや、なんでもないよ。それよりペトラは……」

 

瞬間、おぞましい雰囲気が村を包んでゆく。これはまずいと、直感的に思ったオリーバーはすぐに行動を開始した。

 

「おい!皆逃げろ!」

 

大声で叫ぶ。そしてすぐにオリーバーは走り出す。ペトラの手を引いて走る。背後から悲鳴が上がる。村の人達が死んでゆく。途中、子供達が泣きそうな目でこっちを見ていた。それを見たオリーバーは──。

 

「…っ!おい!お前ら!ペトラの手を繋げ!絶対に離すんじゃねぇぞ!!」

 

オリーバーの言葉にペトラ以外の子供たちは素直に従う。それを確認すると、オリーバーはペトラ達を連れて、屋敷の方へと走る。

 

「……いいか?お前ら。東棟にある……一番奥の部屋にエミリアの部屋があるからそこに行け。そしたらエミリアは助けてくれる。あとはどうにかしてくれ」

 

涙目で子供達は、必死にうなずく。その様子に、オリーバーは微笑む。

 

「よし……いい子だ」

 

そう言って頭を撫でて子供達を逃がす。

 

「……さて」

 

振り返ると、そこには魔女教がいた。黒いフードを被った集団がいる。そして中心にいるのは──。

 

「…なるほど、これはこれはぁ……」

 

男は色素の薄い唇をそっと横に裂き、禍々しく嗤う。その光景を見るのは二度目とはいえオリーバーにとっては吐き気すら覚えるものだった。

 

「…ペテルギウス・ロマネコンティ…!」

 

「おやぁおやぁ?私の名前を、知っているとはなんたる勤勉!素晴らしい!実に、実にぃぃ!!貴方は、選ばれた存在なのですぅぅ!!!」

 

狂ったように笑いながらペテルギウスは言う。そんなペテルギウスに対してオリーバーはこう言った。

 

「…俺が相手だ。覚悟しろよ」

 

その言葉にペテルギウスは笑う。それはまるで小馬鹿にしたような笑みだった。

 

「…何で何だろうな」

 

不思議と、ペテルギウスを見ると悲しく思えるのは。まるでどこからか──。

 

『オリーバー』

 

温かい声が聞こえてくる。しかし、その声が何なのか、オリーバーにはわからなかったが、

 

「(今はそんなことどうでもいい!)」

 

今は目の前の男を倒す。そう思い、オリーバーは拳を構える。そして、戦いが始まった。

 

 

△▼△▼

 

 

フードの集団はあっさりと対処出来た。問題はペテルギウスである。彼は非常に厄介な能力を持っていた。見えざる手。それが彼の力。

 

「くそ……っ!」

 

見えない手に掴まれてオリーバーの動きは鈍くなる。それをペテルギウスは嘲笑う。それが腹が立つ、だがオリーバーは何も出来ない。これではまた死んでしまう。それだけは嫌なのに──。

 

「何故貴方は本気を出さないのですぅ?」

 

何を言っているのか分からなかった。ただ、ペテルギウスは言う。

「何故貴方は本気で私に挑まない!?まさに怠惰!!」

 

「……っ」

 

否定出来ない。今回のことはオリーバーが油断した結果だ。だからといって、このままだと負けてしまう。どうすればいいのか考えていると、

 

「─そこまでよ」

 

銀鈴のような声が響く。

 

「……エ、エミリア……」

 

愛おしい少女の声。絶対に彼女だけには巻き込みたくなかったのに……しかし、もう遅い。彼女はオリーバーの前に立ち、ペテルギウスを見据えていた。



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七話 『願い』

「え、エミリア……」

 

絶対に巻き込みたくなくって遠ざけたのに、何故彼女がここに──。

 

「オリーバー。私のことを想ってくれるのは嬉しいけど、私だってオリーバーを守りたい。もう、守られてばかりはイヤなの」

 

「ま、守られてばかり……?そんなに守ってるか?」

 

「うん。いつも、守られているよ」

 

そんなにだろうか、と思う。どっちかと言うと、いつも守られているのはオリーバーの方だ。いつだって彼女の方が強いのに。あの時も、守れなかったのに。だから開き直ってエミリアもこれから戦闘に巻き込んでいこうとあの時決めたのに──、

 

「(……あれ)」

 

その時ふっと違和感を感じた。何故今回はエミリアを巻き込みたくないっと思ったのだろう。以前の自分ならエミリアを戦闘に参加させたはずだ。それなのに、どうして──。

 

「……って今はそんなことより!子供たちは!?」

 

「大丈夫だよ。子供たちはパックと一緒だから」

 

「そうか……。いや、でも……」

 

「オリーバー。私はあなたと一緒に戦う。あの夜に誓ったじゃない」

 

エミリアの言葉に、オリーバーは押し黙る。そして少し考えた後、

 

「……分かった」

 

元々エミリアは頑固だ。一度決めたら、それを覆すのは難しい。それにここで争っていても仕方がない。

 

「ありがとうオリーバー」

 

エミリアはそう言って微笑む。その笑顔にドキリとするが、すぐに切り替えてペテルギウスの方を見る

 

ペテルギウスは呆然とエミリアを見ていた。そして──、

 

「…愛に!与えられた愛に対し!ワタシは、我々は、勤勉をもって応えなくてはならないのデス! 故に試練、試練を与える。試練をぶつける。この世界、この時代、この日々に、この時間に、この一瞬に、この刹那に、ワタシが魔女の寵愛を受けたことに意味を見出すために、愛に愛に愛に愛に愛に愛に愛に愛に愛に愛ににににににぃいぃぃ!!」

 

狂ったようにペテルギウスは叫ぶ。魔女の籠愛。それは歪んだ愛情だった。まるで──。

 

「はっ。嫉妬の魔女に愛されたいとか本気で気持ち悪いし、お前のことなんて嫉妬の魔女は認識しねーよ。愛してるのはいつも……」

 

愛を囁かれるのはいつもオリーバーとスバルだけだ。望んでなどいない。一番欲しい相手からは貰えていない。でも、嫉妬の魔女──サテラの手は解けなかった。嫌いだと言えなかった。言えたらどれだけ良かったのだろう。でも、身体が魂が拒絶していた。だから、

 

「嫉妬の魔女はお前なんか愛していない。あいつは……」

 

スバルとオリーバーが何故死に戻りしているのか、その理由は知らない。それでも、使えるものは何だって使う。それが、オリーバーのやり方だった。

ペテルギウスが何か言っている。しかし、オリーバーはそれを気にせずに魔法を発動させた。

 

 

最初はエミリアだけ生き残ってくれていたらそれで良かった。だけど今は違う。大切な人が増えたから。エミリアにラムにベアトリス、皆守りたいと思うくらいには大切に思っている。

 

「(だから──)」

 

負けるわけにはいかない。絶対に。

 

△▲△▲

 

 

戦いが始まってから数分が経ったが、オリーバーの方が圧倒的に有利だった。エミリアが前衛で攻撃し、オリーバーが支援する。その連携は完璧だった。

 

「(……うん。いける)」

 

オリーバーは確信した。このまま戦えば勝てると。だが、思い出したのはこの前の──正確には死に戻りをして、初めて出会ったときのこと。

『怠惰ですねぇ』そんな声が聞こえて死んだ。故に、ペテルギウスには何か裏があるはずなのだ。

 

「(……このままだとこいつは撃退出来るけど死ぬ……)」

 

それでは駄目だ。まだ情報が足りない。オリーバーはペテルギウスの攻撃を避けながら、隙を見て反撃しつつ考える。

 

「(……そもそもこいつは──)」

 

何なのだろう。こいつが死んだ時涙が出た。理由は分からないけど、悲しかった。そんな感情を抱く理由が分からなかった。

 

「……でも、もう遅いよ」

 

もう、駄目だ。オリーバーはそう思った。だから、エミリアだけでも逃がそうとした時──、

 

「オリーバー!危ない!」

 

エミリアの声が聞こえると同時にオリーバーの視界が回転した。そして地面に叩きつけられる。

 

  「……え?」

 

何が起きたか理解できなかった。ただ、エミリアが、自分のことを助けてくれたということだけは分かった。

 

「……エミリアは……っ」

 

慌てて周囲を確認すると血塗れで倒れているエミリアの姿があった。その光景を見た瞬間、頭が真っ白になる。

 

「エミリア……!!エミリア!!」

 

駆け寄って抱きかかえる。そして必死に呼びかけるが──

 

「オリ、バー……」

 

「無理に喋ろうとしないでくれ!今すぐ治療魔法を……!」

 

「どこを見ているんデスかぁあああ!?」

 

その時、ペテルギウスの叫びと共に見えざる手のような攻撃がオリーバーを襲った。

 

「ぐっ……」

 

ギリギリ防御出来たものの、衝撃までは殺せず吹き飛ばされてしまう。

 

「オ、リ……い、ば……」

 

「待ってろ。エミリア……すぐに助ける……!」

 

オリーバーは立ち上がり、エミリアの治療を開始する。しかし、傷が深いせいか中々上手く治せない上に攻撃も激しくて集中できない。

 

「くそっ……」

 

「い……きて……」

 

不意にエミリアが呟いた。生きて?何を言ってるんだ。オリーバーはエミリアを助けるためにここにいるのだ。それなのに、彼女は何故──。

 

「あい……して、るわ……」

 

エミリアがそう呟いた瞬間、エミリアの身体が軽くなってゆくのを感じた。元々軽かった彼女の身体が更に軽くなってゆく。

 

「あ……あぁ……」

 

言葉を失った。目の前で起きたことを信じられずに呆然と立ち尽くす。

 

「どうして」

 

どうして自分なんかを庇ったんだ。オリーバーは泣きたくなった。自分は彼女に何も返せていないのに。そんな自分が彼女を失うなんて。

 

「………何でだよ。エミリア……俺お前に何も……」

 

言えていない。好きだということも、先言われた愛してるの言葉すら返せていない。それなのに、こんな形で終わりなんて……。

 

「その上、生きてって死に際に言ってくるなんて……酷いじゃないか……」

 

生きてくれと、エミリアは言った。他の誰でもない孤独から救ってくれた少女からそう言われた。しかし、

 

「………ごめんね」

 

初めてエミリアとの約束を守れないかもしれない。それに、

 

「…どうせ、パックが来る」

 

なら、いいかと、オリーバーは諦めたように笑った。だってパックが来てペテルギウスもオリーバーも終わりだ。エミリアが死んだ時、オリーバーとパックの命も更に言えば周りの人たちの命を落とす。それに、

 

「……愛してる……か」

 

きっとエミリアの愛してるとオリーバーの愛してるとでは種類が違う。しかし、それでも嬉しいものだ。最も──

 

「……こんな状況じゃなかったらの話であって……」

 

そもそもエミリアはもう死んでしまった。ならば、この場はどうすればいいのかなんて一つだ。

 

「……愛してるよエミリア」

 

オリーバーは泣きそうな顔を浮かべて、ぎゅっとエミリアの身体を抱きしめながらオリーバーは──

 

「……ごめんね。エミリア。約束守れなくて」

 

これからオリーバーは死ぬのだ。エミリアの意志を背く形になるのは心苦しい。しかし、オリーバーには考えられなかったのだ。エミリアがいない世界で生きていくことなど。だから、彼は──

 

「君を守ることが俺の幸せだから……」

 

パックを待っている時間すら今は惜しい。いつのまにかいなくなっていたペテルギウスなんて今はどうでも良かった。オリーバーはフラフラとした足取りで厨房まで行って静かにナイフを手に取って心臓に突き刺した。

 

「(エミリア………俺が必ず……)」

 

意識が朦朧としていく中、オリーバーはそう思いながら静かに目を閉じた。

 



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八話 『ゼロから』

「す、スバルくん……!」

 

レムの方に振り向けるはずもなく、スバルはただレムの手を握って、逃げ続けた。──やがて、二人は息を切らして立ち止まると、荒い呼吸のまま向かい合った。

 

「す、スバルくん……急にどうしたんですか?」

 

「ごめん……」

 

急に逃げ出したらレムだって困惑するだろう。それは申し訳なく思う。しかし、

 

「………2回目なんだよな」

 

オリーバーが死んだせいでまたゼロからレムを説得しなければならない。生憎、一回目はレムの返事を、聞けないまま嫉妬の魔女に戻されてしまったが。

 

「(……でも今回は大丈夫だよな……?)」

 

ゼロからのスタートだがスバルは覚悟していた。ここで何が何でもレムを説得すると決めていた。

だってレムはこの世で一番自分のことを肯定してくれて、信じてくれているから。だから──。

 

「レム。逃げよう……」

 

「え……?」

 

レムが戸惑っている。当たり前だ。急に逃げようだなんて説明もなしに言われたら誰だって驚く。だけど、今のスバルには説明する余裕がない。

 

「俺と一緒に逃げてほしいんだ」

 

「ど、どうして急に……?」

 

「……急な話なのは本当に悪いと思ってる。でも、大丈夫だ……逃げてもきっとオリーバーがなんとかしてくれる。だから俺はお前のことを……」

 

オリーバーが村やエミリア達のことを救ってくれるのなら、スバルはもう用済みだ。こんなところでもうレムを死なせるわけにはいかない。

 

「ど、どうしてここでオリーバーくんが……?」

 

「それは時が経ったらわかる。だから今は俺と一緒に……そう、カララギまで一緒に逃げよう?」

 

一番先に思いつくべき提案だった。スバルがいなくても、オリーバーがなんとかしてくれる。スバルなんて邪魔になるだけだ。

 

「……でも」

 

「……レム、選んでくれ。俺かオリーバーかを」

 

自分でも卑怯だと思った。けど、これが一番いい選択なのだ。そして、その答えは決まっているはずだった。なのに、

 

「……スバルくん」

 

優しく、レムは自分の手を握る。それで確信した。レムは自分と一緒に逃げてくれる。だが、レムは──。

 

「レムはスバルくんと一緒に逃げることは出来ません」

 

「……は?」

 

何を言っているのか分からなかった。そんなはずはない。レムは絶対に一緒に来てくれる。今までずっと一緒だったじゃないか。これからだってずっと一緒で──。

 

「…だって……未来のお話は、笑いながらじゃなきゃダメなんですよ?」

 

泣き笑いのような表情で、レムはかつて――スバルが語った言葉を口にしたのだ。

 

「……っ」

 

賭けに負けた。スバルはレムを説得出来なかった。レムを連れて逃げるという賭けに負けてしまったのだ。しかし、

 

「……い、今は笑えないかもしれない!だ、だけど……時が経ったらエミリアともオリーバーともラムともベアトリスともペトラ達とも笑い合える未来がある……!」

 

オリーバーが全部を救ってくれる。今は無理でもきっと皆が笑って過ごせる日々が訪れる。

 

「だからその時まで待っていればいい!みんな幸せになれる!そうだろ!?」

 

自分で言っておいてなんだが、こんなの許せる筈がない。逃げたらそれは裏切り者。一体どの面下げてオリーバー達に会いに行くつもりなのか。しかし、

 

「スバルくん……」

 

「だからレムも今だけは我慢してくれ……!お願いだ……」

 

情けない声で懇願するしかなかった。それがどれほど卑怯だと分かっていた。レムの好意を利用し、自分の願いを押し通す最低の男だと理解していた。しかし、これしか今は手がない。故にレムには甘えることしか出来ないのだ。そんな空気の中レムは口を開く。

 

「……スバルくんの言う通りです。オリーバーくんはスバルくんより強いし、賢くて優しい人ですから、きっと全部うまくいきますよね」

 

レムの評価は正しい。オリーバーは強くて優しくて、頼りになって──だからスバルなんて必要ないのだ。

 

「もう悩んだんだ。苦しんだ。俺が行ったところでオリーバーの……エミリアの迷惑にしかならない」

 

そんなのもうとっくに気付いていた。でも気付かないフリをしていた。エミリアの隣にはオリーバーの方が相応しい。それを認めてしまうことが怖かったからだ。でももう認めるしかない。

 

「みんなに散々言われたもんな……」

 

お前はもう必要ないと。エミリアにもオリーバーにもクルシュにもフェリスにもプリシラにも他の人達からも言われた。だから、

 

「もう俺には何も残されてねぇよ……」

 

何もかも失った。もう残っているものなんて何一つとして残っていない。だからこの手で出来ることといえば、レムと一緒に逃げることだけだった。

 

「だから逃げよう……!俺と一緒に……!」

 

「スバルくん……」

 

「頼む……一緒に逃げてくれ……」

 

「……」

 

沈黙が流れる。その沈黙は痛く、おぞましい。そんな沈黙の中レムは言葉を紡ぐ。

 

「スバルくん……それでもレムは…スバルくんと一緒に逃げられません……」

 

「なんでだよ……!?」

 

レムの言葉にスバルは叫んだ。どうして分かってくれないのか。レムですらオリーバーの方を選ぶのか。

 

「……スバルくんと逃げたらエミリア様や姉様やロズワール様やベアトリス様やオリーバーくんに顔向け出来ません。例え、みんなが許してくれたとしても」

 

正論だ。だけど、

 

「でも……お前も俺も行ったところでオリーバーに負担をかけるだけだ……」

 

それはもう前回のことで分かっていた。自分が余計なことをしたせいでオリーバーが死に戻りをしてしまった。これ以上の重荷を背負わせるわけにはいかない。

 

「だから俺と一緒に竜車でも借りてカララギにでも……!」

 

「スバルくん」

 

レムの呼びかけにスバルは黙る。彼女は真っ直ぐな瞳で、

 

「レムは、スバルくんと一緒ならどこへでも行きたい。レムは、スバルくんと一緒ならどんな苦難だって乗り越えられる。レムにとって、スバルくんと一緒が一番幸せなんです」

 

「……レム」

 

「レムはスバルくんと一緒ならどこにでも行けます」

 

「なら……っ!」

 

ならばこの手をとればいい。そしたらスバルはレムに一生を誓い、レムはスバルと永遠に共に過ごすことが出来る。そうすればきっと幸せになれる。

 

「でも……それはレムの好きなスバルくんじゃないんです」

 

何を言ってるのか理解出来なかった。ゆるゆると顔を持ち上げて、スバルは呆然とした瞳で彼女を見る。レムはスバルに悲しげな微笑を向けたまま、それでも毅然とした瞳でこちらを射抜いていた。その意気に圧倒されるスバルに彼女は続ける。

 

「スバルくん。なにがあったのか、レムに話してください」

 

首を振る。無理だ。それをしたら、レムは死ぬ。

 

「話せないのなら、信じてください。きっと、レムがどうにかしてみせます」

 

 首を振る。無理だ。それをさせたら、レムは死ぬ。

 

「……でも、せめて今は戻りましょう?ゆっくり時間をかけて、落ち着いて考えればいい考えも浮かぶかもしれません」

 

首を振る。無理だ。それをさせてしまったら、みんなが死ぬ。

 

「……無理だ……もう……」

 

「諦めるのは簡単です。……でも」

 

アキラメルノハカンタン

 

その言葉を聞いた瞬間ナツキ・スバルの何かが切れた。

 

「……ふざけるな……!諦めるのが簡単なわけねーだろ!簡単に諦めたら……っ」

 

「スバルくん……?」

 

「俺が今までどれだけ頑張ってきたと思ってんだよ……!必死こいて……!死に物狂いで……!」

 

簡単に諦められるのならもっと早くエミリア達を諦めていた。だが出来なかった。だからずっと頑張り続けた。

 

「俺は……エミリアが好きなんだ……!あいつの笑顔を守りたかったんだ……!なのに……!」

 

もう何もかも分からなくなった。自分はどうしたいのか。どうすべきなのか。何が正しい選択なのか。全てがぐちゃぐちゃになって、もう何が何だか分からないのだ。

 

「エミリアにはオリーバーがいる。なら、邪魔者の俺なんていらないじゃん…」

 

当て馬もいいところだ。そんな奴がいなくなって清々するだろう。それぐらいのことは分かっている。そんな最低な男を誰が好くというのだろうか。

 

「エミリアにはオリーバーの方が相応しい。俺なんかより、ずっと……」

 

それが事実だった。オリーバーにはエミリアが必要だ。エミリアにはオリーバーが必要なのだ。そしてその二人には自分など不要。だから──、

 

「あんな惨めな騎士宣言も、エミリアへの恋心も、全部捨ててやるよ……」

 

そう、全てを捨ててしまえばいい。もうエミリアの側にいることなんて出来ない。エミリアを守ることなんてできない。否、守れる資格なんてない。

 

「俺なんて……いなくても変わらないんだ……」

 

スバルがしたことといえばエミリアの約束を破り、エミリアの騎士だと勝手に名乗り、エミリアの顔に泥を塗っただけだ。そんな男のどこが彼女に相応しいと言えるのか。

 

だから、これでよかったのかもしれない。自分の気持ちにケリをつけることが出来た。これでもまだ未練はあるけど、それでも踏ん切りがついた。

 

「だから……っ。お願いだからレムだけは俺と一緒に逃げてくれ……!お前まで失ったら……俺は……っ」

 

涙が溢れそうになるのを堪えて、スバルは懇願した。こんな最低なことを告白した後で一緒についてくる可能性なんて無に等しい。しかし、それでもスバルはレムだけが最後の希望なのだ。

 

「……ごめんなさい、スバルくん。それは出来ません」

 

しかし、そんな希望はレム自身によって打ち砕かれた。

 

「そう、か」

 

だが、これ以上の抵抗をする気力もない。スバルはレムの言葉を受け入れて、

 

「結局、レムもオリーバーを選ぶのか」

 

分かっていたことじゃないか、と、スバルは自嘲気味に笑みを浮かべる。するとレムは首を振って、

 

「……レムはオリーバーくんを選びません。レムが愛しているのはスバルくんだけです」

 

何を言っているのか、とスバルは顔を上げる。レムはスバルの視線を受けても怯むことなく、 彼女の瞳は真っ直ぐにスバルを見つめている。

その瞳にスバルは息を呑む。

 

「な、何言って──」

 

「──レムも考えてみました」

 

と、縋るようなスバルを見つめたまま、レムは瞑目してそう呟く。

 彼女はその整った面をわずかに上に傾け、

 

「カララギに到着して、まず宿舎を借ります。生活の基盤を作るために家は欲しいところですけど、手持ちのお金のことも考えると無理はできません。まずは安定した収入を得る方法を見つけてから」

 

 指をひとつ立てて、先ほどのスバルの未来予想図に付け足すように彼女は語る。

 

「幸い、レムはロズワール様の計らいで教育を受けていますから、カララギでもいくらか仕事を見つけるのは容易だと思います。スバルくんは……肉体労働を探してもらうか、レムの身の回りの世話をしてもらうことになるかもしれませんね」

 

 小さく笑い、レムはスバルがなにもできない点をそう茶化してみせる。

 この世界の教養が浅く、技能に関しても丸っきり無能のスバルに対しては正しい評価といえるだろう。

 

「収入が安定したら、もう少しまともな住む場所を見つけるべきです。スバルくんにはその間、他の仕事に就くことができるよう勉強してもらって……実際に働くことができるようになるまで、一年かそれぐらい。スバルくんに頑張ってもらって、そこはもっと早く独り立ちしてもらいましょう」

 

二本立ての指を立てて、レムはさらに続ける。

 

「それから、ふたりで暮らすための住居を用意しましょう。二人で住んでも問題のない大きさの家がいいですね。そこで一緒に暮らして、子供を作ります。男の子でも女の子でも、どちらでも構いません。三人でも四人でも、レムたちの家族は多い方が楽しいでしょう?」

 

「……」

 

まるで、これから先の人生を想像させるような言葉の数々に、スバルは何も返せない。ただ、呆然とレムの顔を見るだけしかできなかった。

 

「…きっと楽しいことばかりじゃないですし、こんなに想像通りにうまくいくことばかりじゃないと思います。男の子が生まれなくて、女の子ばかりが続いてしまってスバルくんが家庭内で肩身が狭くなることもあるかもしれません」

 

「……レム」

 

「でもでも、子どもたちが大きくなってスバルくんを邪険に扱うようなお年頃になっても、レムはスバルくんの味方です。ご近所では有名なおしどり夫婦なんて言われてしまって、ゆっくり、同じように時を過ごして、老いていって……」

 

「……れむぅ」

 

「スバルくんにはごめんなさいですけど、できればレムに先に逝かせてください。ベッドの上で、スバルくんに手を握られて、子どもたちやその子どもたちに囲まれて、静かに『レムは幸せでした』って、そう言って、見送られて……」

 

 顔が、上げていられない。

 レムの語る未来予想図が、スバルの心を静かに、優しく、傷付けていく。

 

「幸せに、幸せに……人生を、終えることができるんです」

 

「そこまで……ッ」

 

 弾むような、聞いていてむず痒くなるような、胸の奥底を掻き毟りたくなるような、そんな悲痛な幸せに満ちた未来をレムが締めくくる。

 聞き終えたスバルの胸の中に残ったのは、言葉にはできない類の哀切に満ちた激情だった。

 

「そんなの……っ、俺だって……っ」

 

そんな幸せな人生があるならば、レムと共に歩みたい。レムの言う通り、スバルも彼女を看取って、彼女との思い出を抱いて生きたい。だというのに、

 

「そこまで思ってくれるのなら何でこの手を……」

 

取ればレムの先の願いは叶うのだ。スバルの望みは叶ってしまう。なのにどうしてレムはこの手を取ってくれないのか。

 

「スバルくんが笑って、その未来を望んでくれるなら……レムはそうやって死んでも良かったと本気で思います」

 

 スバル以上の悲しみを堪えて、それでも微笑む彼女には届かなかった。

 愕然と、その痛切なまでの微笑を見つめてスバルはようやっと理解する。

 たとえどれほど取り縋ったとしても、レムのこの意思を覆すことはできないのだと。

 

 自分はもう本当にどうしようもないほどはっきりと、賭けに負けたのだと。

 

「――――」

 

 ずっしりと、肩に重いものが圧し掛かるような疲労感が襲いかかった。

 そのままその場に崩れ落ちてしまいそうな脱力感、かろうじてその無様だけはどうにか堪えて、スバルは自分の顔を掌で覆いながら絶望する。

 

 レムに同行を断られてしまった。自分の気持ちは伝えた。しかし、レムの意思を変えることはできなかった。

これ以上何を言っても、レムは首を縦には振らない。

それはもはや揺るがない事実としてスバルの前に突きつけられていた。

 

このまま、一人で逃げてしまおうか、とスバルは思う。

そうすれば少なくともこの現実からは逃げられる。オリーバーが全員を救い出して、ペテルギウスを殺してくれてエミリアもベアトリスもラムもパックもロズワールもアーラム村の人達も無事なハッピーエンドを迎える。

 

そしてエミリアに謝って、和解も出来る。今までの関係には戻れなくても、これからの関係をやり直せるかもしれない。

それが最善だ。何も間違っていない。

 

だというのに。

 

「スバルくん」

 

揺るぎのない瞳でレムが見つめてくる。

彼女の表情には一切の迷いはなく、スバルの未来を心から願っているように見えた。

 

「レムは知っています。スバルくんはこんなことで諦めない人です」

 

レムの言葉に、スバルは指の間から彼女を見返す。

レムはその視線を受けてさらに力強く、こう言った。

スバルの手を取り、強く握りしめたままだ。

 

「……やめろ」

 

「きっとまだ、何か方法があるはずです。レムはそれを信じています」

 

「……やめろ」

 

「大丈夫。きっと、きっと何とかなります。レムも頑張りますから」

 

「頼むよ……」

 

懇願するように、泣き出しそうになりながらスバルは呟いた。

けれど、レムはそれを振り払うように首を左右に振ってスバルの手を、優しく握ってくれている。

 

それが耐えられなくなったスバルは叫ぶようにこう言った。

 

「俺はただ、自分の都合をお前に押しつけた最低な男なんだよ……!!」

 

「スバルくんはレムを助けに来てくれた。レムに姉様以外の拠り所を、居場所を与えてくれた。それだけでレムは十分です」

 

「違う……俺は……」

 

もっと、もっと他にやるべきことがあるはずだ。みんなが笑顔で過ごせる世界を作るために、もっとやれることが。

 

「……俺はこの程度の男なんだよ!自分勝手で、自己中心で、周りに迷惑をかけるだけのクズなんだ……ッ。そんな俺が、レムのためにできることなんて、何ひとつありゃしないんだ……!」

 

血を吐くような叫び声を上げて、スバルはその場に膝をつく。

だが、レムはそれでもスバルの手を離そうとしなかった。 

 

「そんなことありません。スバルくんはレムの英雄です」

 

「違う……!英雄なんて立派なもんじゃない……!」

 

英雄がこんなのであっていいわけがない。

スバルは自分が、レムが信じてくれているような、皆に希望を与えるような存在じゃないことを自覚している。

 

「俺はただの卑怯者だ……。自分の都合で動いて、自分に都合の良い結果だけを求めて、それで失敗したら他人のせいにする……そういう人間なんだよ……ッ」

 

「そんなことは……」

 

「あるさ。あったんだよ……」

 

レムの否定を遮って、スバルは続ける。

 

「自分のためだけに動いた結果があのザマだよ。全部台無しにしたし、折角の居場所も自分で壊した」

 

自業自得だ。エミリアの為、などと綺麗事を口にしておきながら、その実自分の欲望を満たしたいだけだった。

 

「だからもういいんだ。オリーバーに全部任せて俺らは逃げよう。このままじゃ、どうせ俺たちは死ぬだけだ。だったらせめてレムだけでも……」

 

エミリア達は何が何でも助けるだろうがレムの命まではオリーバーだって保証できない。なら、せめて彼女ぐらい安全圏に逃がすべきではないのか。

 

「……レムは」

 

青髪が揺れる。俯くスバルの前で、レムもまた地面に両膝をついて、彼と向き合う形になる。

 

「レムは、スバルくんと一緒にいると決めたんです」

 

その決意は揺るがず、レムははっきりとそう口にする。

 

「……」

 

「でも……レムは逃げるのなんてスバルくんじゃないと思います。エミリア様を諦めるのなんてそんなのスバルくんらしくないです」

 

エミリアの恋心を持ったが故に、エミリアに迷惑をかけたのにレムはそう言ってくれる。

 

「それがレムの好きなスバルくんです。レムの知るスバルくんは、どんなときだってレムに手を差し伸べてくれる、優しい人なんですから」

 

そう言ってくれるレムに、しかしスバルは首を横に振った。

 

「……駄目だ。お前にそこまで言わせるほど、俺は凄い奴なんかじゃない」

 

「……」

 

「俺なんかよりオリーバーの方が凄い。あいつはきっと上手くやる。俺と違ってあいつは強いし、頭もいい。俺がいなくなったって、オリーバーがいるなら大丈夫だろ?」

 

オリーバーを信頼している。オリーバーの方がエミリアの隣にふさわしいというのにスバルなんか付け入る隙間なんてものはないのだ。

 

「…………だから俺は」

 

そこで言葉を切って、スバルは顔を上げた。

レムの瞳を見つめ返し、握られた手を強く握り返して、

 

「お前と逃げたい」

 

卑怯にも、スバルは自分の願いをレムに押しつけた。

エミリアのことが好きなくせに、それを忘れて、彼女の気持ちを無碍にして、レムだけを選ぼうとしている。

それはあまりにも身勝手で、最低な行為だとわかっているのに。

 

「お前だけが俺の……」

 

3回もレムを死なせた。それはスバルだけが分かっていることで、彼女は知らない。もっといい方法はあった。もっとうまいやり方もあった。だからこんな方法しか思いつかなかった。

 

「俺の側にいて、欲しいんだ」

 

最低な告白だ。彼女の想いを利用して、彼女の好意を踏みにじっているのだ。ナツキ・スバルは何処までも最低で、救いようのない男なのだと改めて思う。

 

「……スバルくん」

 

それでも、レムはこんな最低な男に微笑んでくれた。そして受け入れてくれると思って顔を上げると、

 

「ごめんなさい」

 

先と同じことを繰り返した。

レムは立ち上がり、握っていた手を離す。拒絶されたと悟った。

 

「……そう、だよな」

 

こんな最低な告白をされて、誰が喜んで受け入れると言うのか。

 

「俺みたいな奴よりオリーバーの方を選んだ方がいいもんな」

 

泣きそうになる。けれど、泣く資格などない。これは自分が招いた結果でしかないのだから。

 

「……レムはオリーバーくんを選びません。レムが愛しているのはスバルくんだけです……って、先も言いましたよね?いくらスバルくんでも怒りますよ?」

 

怒ったように言うレム。けれどその表情には微塵の怒りも感じられない。

いつも通りの、優しく柔らかい笑顔だ。

 

だけど、スバルには言葉の意味が理解できなかった。愛していると言うのなら何故スバルと逃げてくれないのか。そんなスバルの考えを読み取ったかのように、レムは言った。

 

「スバルくんと生きていけるなら……スバルくんが、逃げようと思ったその場所にレムを連れていこうと思ってくれたことが、今は心の底から嬉しい。嬉しいです。――でも、ダメなんです」

 

胸に手を当てて、レムはスバルが差し出した逃避のチケットを破り捨てて、それでも万感の思いを込めて頬を染めながら俯く。

 逃げて、逃げて、逃げた先で、さっき彼女が語った夢物語のその成就がなることを、他でもない彼女自身がわかっている。

 幸せだと、そう断言するその物語を、しかしそれでも彼女が否定するのは、

 

「だってきっと、今、一緒に逃げてしまったら……レムが一番好きなスバルくんを置き去りにしてしまうような気がしますから」

 

「――――」

 

 なにを、言っているのだろうか、レムは。わからない。スバルには彼女の考えが読めない。

 

「諦めるのは簡単です。──でも、スバルくんには似合わない」

 

断言するように、彼女はスバルの手を取ることなく告げてくる。

 

「……何、で」

 

「── スバルくんがどんなに辛い思いをしたのか、なにを知ってそんなに苦しんでいるのか、レムにはわかりません。わかります、なんて軽はずみに言えることじゃないのもわかっています」

 

「――――」

 

「でも、それでも、レムにだってわかっていることがあります」

 

「――――」

 

「スバルくんは、途中でなにかを諦めるなんて、できない人だってことをです」

 

 目の前で悲嘆に暮れて、全て投げ出して、今まさに諦めを口にした男に対し、レムは恥じることなく、恐れることなく、揺らぐことなく言葉を紡ぐ。

 

「レムは知っています」

 

「――――」

 

「スバルくんは未来を望むとき、その未来を笑って話せる人だって知っています」

 

「――――」

 

 レムと逃げた先の、きっと穏やかで安楽に満ちているはずの世界を、罪悪感と後悔でぐしゃぐしゃの顔で語った男に対し、レムは嘲笑うこともなく、失望することもなく、真っ直ぐな目のままで言葉を紡ぐ。

 

「レムは知っています」

 

「――――」

 

「スバルくんが未来を、諦められない人だって、知っています」

 

 噛みしめるように、俯くスバルにレムはそう言い切る。

 彼女の瞳には真摯な輝きだけがあり、そこにはスバルのことを心底信じ切った色だけしか浮かんでいない。

 

 その激しく強い輝きにスバルは圧倒される。

 だって、それは彼女の思い違いでしかない。滑稽なほどの勘違い、スバルという人間を買い被りすぎた発言でしかないのだ。

 

 レムの瞳に映るスバルがどれほど高潔で、誇り高い人格者なのかはわからない。

 けれど、本物のスバルはそんな大層な人間であるはずがない。

 

 弱音を吐き、逆境に挫け、見るも無残な己の小ささを自覚し、敗北感に塗れて逃げ出そうとする――それが、ナツキ・スバルだ。

 

「ちが……俺は、そんな人間じゃない……俺、は」

 

「違いません。スバルくんはみんなを……エミリア様も、姉様も、ロズワール様もベアトリス様もオリーバーくんや他の人のことも、諦めてなんかいないはずです」

 

 強い語調で否定される。だが間違いだ。スバルは彼女らを投げ出した。

 

「諦めた、諦めたよ。全部拾うなんてどだい無理なことだった……俺の掌は小さくて、全部こぼれ落ちて、なにも残らない……ッ」

 

「いいえ、そんなことはありません。スバルくんには――」

 

 どこまでも、どこまでも、彼女はスバルの諦めを否定してみせた。

 どうしてこうまで、ここまで醜態をさらしたスバルのことを、そのスバルの非を認めようとしないのか。彼女にはスバルがどう映っているのか。

 

 それがあまりにも不愉快で、耐え切れなくなって、

 

 ――お前が、どれほど、なにを言おうと。

 

「――お前に! 俺のなにが!! お前に俺のなにがわかるって言うんだ!?」

 

 激情が、胸に内側で燃えたぎる炎が、灼熱の赤が勢いよく噴き出す。 怒声を張り上げ、スバルはすぐ脇の壁に拳を叩きつける。固い音、砕けた拳から血の赤が壁に散り、掌でそれを乱暴に広げ、

 

「俺はこの程度の男なんだよ! 力なんてないのに望みは高くて、知恵もないくせに夢ばっかり見てて、できることなんてないのに無駄に足掻いて……!」

 

 誰にだって、なにかひとつぐらいは取り柄がある。

 そしてそのひとつの取り柄を伸ばして、相応の場所に誰もが行くのだ。

 ――だが、ナツキ・スバルにはそれすらない。それすらないのに、望みの場所の高さだけは分不相応に高すぎて。

 

「俺は……っ! 俺は、俺が大嫌いだよ!!」

 

叫んで、叫ぶ。吐き出してしまえば楽になるだろうと、そんな風に自分を甘やかすことを止められなかった。

ナツキ・スバルは、弱い。自分のことが、一番に許せないほどに。

 

「いつもヘラヘラして自分では何も出来ないくせに文句を付けるのだけは一人前だ!そうやって、口先だけの男なんだ、俺は。失望したか?見限ったろ?」

 

こんな自分が嫌で、でもどうしようもなくて、何もかもうまくいかないこの世界に絶望した。

 

「失望なんかしません」

 

「──」

 

なのに、それでもレムは真っ直ぐな瞳のままに告げる。

 

「失望なんてしません。絶対に」

 

「……なんで」

 

その言葉があまりに意外で、スバルは思わず問いかけていた。するとレムは少しだけ恥ずかしげに目を伏せて、

 

「レムは、スバルくんがレムを救ってくれたときのことを、覚えています」

 

「……」

 

「あのときの気持ちは忘れません。レムにとってそれは、どんな宝物よりも大切なものです。レムの胸の中に大切にしまい込んでいます。だって、あれはレムとスバルくんだけの秘密だからです」

 

その笑みにスバルはまた圧倒される。

 

「エミリア様も姉様もロズワール様もベアトリス様もオリーバーくんにも言っていません。レムとスバルくんだけが知っている、スバルくんとの思い出です。レムは、その記憶を大切にしているんです」

 

「……」

 

「スバルくんは、レムを救ってくれました。レムを暗闇の中から連れ出してくれました」

 

レムの声が震えている。彼女は涙目になっている。そんなレムを見てスバルは俯きながら

 

「どうして……っそんなに……」

 

その先は、喉の奥につかえて出てこない。

そんなスバルをまっすぐに見つめたままに、レムは言った。

 

「だってスバルくんは、レムの英雄なんです」

 

 先言われたことと同じことを言われた。しかし、その言葉は確かにスバルの心に響いた。

 どんな悪条件を重ねられても、どんな欠点をひけらかされても、そのたった一言にはそれら全ての悪意を跳ね返すだけの願いが込められていた。

 

 そして、スバルは遅まきに失して、ようやく気付いた。

 

 勘違いをしていた。思い違いをしていた。間違ってしかいなかった。

 彼女は、レムだけは、スバルの堕落をどこまでも許容してくれるのだと思い込んでいた。どんなに弱くて情けない醜態をさらしても、許してくれると勘違いしていた。

 それは誤りだ。間違いだ。致命的な愚かさだ。

 

 ――レムだけは、スバルの甘えを絶対に許さない。

 

なにもしなくていいと、大人しくしていろと、無駄なことをするなと、みんながスバルにそう言った。

 誰もがスバルに期待なんかせず、その行いが無為であるのだと言い続けた。

 

 ――レムだけは、そんなスバルの弱さを許さない。

 

 立ち上がれと、諦めるなと、全てを救えと、彼女だけは言い続ける。

 誰もスバルに期待しない。スバル自身すら見捨てたスバルを、彼女だけは絶対に見捨てないし、認めない。

 

 それは、ナツキ・スバルが彼女にかけた『呪い』だった。

 

「──ッ」

 

息が詰まるような苦しさを堪える。胸を押さえ、込み上げる感情の波を抑える。スバルの醜態を見守るレムは、やはり優しく微笑んでいて。

 

「…あの薄暗い森で、自我さえ曖昧になった世界で、ただただ暴れ回ること以外が考えられなかったレムを、助けにきてくれたこと」

 

「――――」

 

「レムとエミリア様とオリーバーくんが囮になるっと言ったのに自ら囮になって魔獣に立ち向かっていってくれたこと」

 

「――――」

 

「勝ち目なんてなくて、命だって本当に危なくて、それでも生き残って……温かいままで、レムの腕の中に戻ってきてくれたこと」

 

「――――」

 

「目覚めて、微笑んで、レムが一番欲しかった言葉を、一番言ってほしかったときに、一番言ってほしかった人が言ってくれたこと」

 

 スバルが彼女にかけた『呪い』の数々が、彼女の口から語られる。

 その『呪い』は深く優しく、彼女の心を信頼という名の鎖で雁字搦めにして、今もこうして彼女を縛りつけている。

 

「ずっと、レムの時間は止まっていたんです。あの炎の夜に、姉様以外の全てを失ったあの夜から、レムの時間はずっと止まっていたんです」

 

 壮絶な過去の片鱗を口にして、レムはスバルをじっと見つめる。

 そこには寸分狂うことのない信愛が込められていて、

 

「止まっていた時間を、凍りついていた心を、スバルくんが甘やかに溶かして、優しく動かしてくれたんです。あの瞬間に、あの朝に、レムがどれだけ救われたのか。レムがどんなに嬉しかったのか、きっとスバルくんにだってわかりません」

 

 だから、と胸に手を置くレムが言葉を継ぎ、

 

「――レムは信じています。どんなに辛い苦しいことがあって、スバルくんが負けそうになってしまっても。世界中の誰もスバルくんを信じなくなって、スバルくん自身も自分のことが信じられなくなったとしても――レムは、信じています」

 

 語り、一歩、レムが間合いを詰める。

 手の届く距離で両手を伸ばし、レムが俯いて動けないスバルの首に腕を回した。引き寄せる力は強くないのに、無抵抗のスバルは為す術なく彼女に抱きしめられる。

 身長差のあるレムの胸に頭を抱かれて、真上から声が降るのを聞きながら、

 

「レムを救ってくれたスバルくんが、本物の英雄なんだって」

 

「……ぁ……」

 

「だから、レムは信じます。どんなに辛くても苦しくても、スバルくんなら必ず乗り越えてくれるんだって」

 

「……どれだけ頑張っても誰も救えなかった」

 

ぽつり、呟く。それはずっと抱えてきた不安。

誰にも話したことのなかった、本当の気持ちだ。

 

「レムがいます。スバルくんが救ってくれたレムが、今ここにいます」

 

「なにもしてこなかった空っぽの俺だ。誰も、耳を貸してなんかくれない」

 

「レムがいます。スバルくんの言葉なら、なんだって聞きます。聞きたいんです」

 

「誰にも期待されちゃいない。誰も俺を信じちゃいない。……俺は、俺が大嫌いだ」

 

「レムは、スバルくんを愛しています」

 

 頬に触れる手が熱く、間近でスバルを見つめる瞳が潤んでいる。

 その姿が、彼女の在り方が、その言葉の真摯なまでの『本当』を肯定していたから、

 

「俺、なんかが……いいの、か……?」

 

 何度挑んでも、何度やり直しても、その都度全てを台無しにした。

 みんな死んだ。手が届かなかった。みんな死なせた。考えが足りなかった。

 

 空っぽで、無力で、頭が悪くて、行動すら遅くて、誰かを守りたいという気持ちすらもふらふら揺れる半端もので。

 そんな自分でも、いいのだろうか。

 

「スバルくんが、いいんです」

 

「――――」

 

「スバルくんじゃなきゃ、嫌なんです」

 

 自分でも信じられない自分を、信じてくれる人がいるのなら。

 ナツキ・スバルは、戦ってもいいのだろうか。

 

 ――運命と戦うことを、諦めなくてもいいのか。

 

「空っぽで、なにもなくて、そんな自分が許せないなら――今、ここから始めましょう」

 

「なに、を……」

 

「レムの止まっていた時間をスバルくんが動かしてくれたみたいに、スバルくんが止まっていると思っていた時間を、今、動かすんです」

 

 なにもしてこなかった過去を、なにもできなかったこれまでの日々を、無為に過ごしてきたそれらの時間を悔やみ、恥じ、諦めに変えようとしていた。

 そのスバルにレムは微笑み、

 

「ここから、始めましょう。一から……いいえ、ゼロから!」

 

「――――」

 

「ひとりで歩くのが大変なら、レムが支えます。荷物を分け合って、お互いに支え合いながら歩こう。あの朝に、そう言ってくれましたよね?」

 

 隣り合って、未来を笑いながら語ろうと、スバルは言った。

 寄りかかって、支え合って、そうやって歩いていこうとスバルは言った。

 

「かっこいいところを、見せてください。スバルくん」

 

 かっこ悪いところばかり、見せ続けてしまったから。

 彼女に、消えることのない『呪い』をかけたのはスバル自身なのだから。

 

 スバルにはその責任を、果たす義務があるのだ。

 

「……レム」

 

「はい」

 

 呼びかけに、彼女は静かに応じる。

 顔を上げる。前を見る。レムの瞳を見つめる。穏やかで、優しげで、スバルの口にする答えを待っている。

 だからスバルは、彼女が愛してくれたナツキ・スバルでありたいから。

 

「――俺は、エミリアが好きだ」

 

「――はい」

 

 スバルの告白に、レムは全てわかっていたような微笑のままで頷く。

 その微笑に、彼女の優しさに、スバルは残酷だとわかっていながら、

 

「エミリアの笑顔が見たい。エミリアの未来の手助けがしたい。邪魔だって言われても、こないでって言われても……俺は、あの子の隣にいたいよ」

 

エミリアの恋心を捨てると言ったくせに、なんて都合のいいことを言っているのだろう、と自分でも思う。

 

それでも、変わらないその気持ちを、レムの気持ちを受け取った今、再確認する。

 でも、その募る思いの感じ方は、以前のそれとは違っていて。

 

「好きだから、って気持ちを免罪符にして、なんでもかんでもわかってもらおうって思うのは……傲慢だよな」

 

「…………」

 

「わかって、もらえなくてもいい。今、俺はエミリアを助けたい。辛くて苦しい未来が待ってるエミリアを、みんなで笑っていられる未来に連れ出してやりたい」

 

 だから、

 

「手伝って、くれるか?」

 

 手を差し出して、すぐ傍にいるレムに問いかける。

 差し出された彼女の気持ちに、応じられないのだと答えておきながら、卑怯だとわかっていながら、彼女の想いを利用しているのだとわかっていながら、それでも大切な人の未来を諦められない自分を、彼女が愛してくれていたから。

 

「俺ひとりじゃ、なにもできない。俺はなにもかも足りない。真っ直ぐ歩けるような自信がない。弱くて、脆くて、ちっぽけだ。だから、俺が真っ直ぐ歩けるように、手を貸してくれないか?」

 

「スバルくんは、ひどい人です。振ったばっかりの相手に、そんなことを頼むんですか?」

 

「俺だって、一世一代のプロポーズを断られた相手に、こんなこと頼みづらいよ」

 

そんなことを言って苦笑すると、レムも同じ表情で笑う。

互いにひとしきり笑い合い、それからレムは姿勢を正し、優雅にスカートを摘まんでお辞儀をすると、

 

「謹んで、お受けします。それでスバルくんが――レムの英雄が、笑って未来を迎えられるのなら」

 

「ああ、見ててくれ、特等席で」

 

 差し出した手を彼女がとり、誓いを交わしたレムをスバルは引き寄せる。

 小さく「あ」とレムの声が漏れ、小柄な彼女の体はスバルの胸の中に収まった。その柔らかく、熱い、自分を好きでいてくれた女の子の存在に感謝して、

 

「――お前の惚れた男が、最高にかっこいいヒーローになるんだってところを!」

 

 胸の内が、熱い。

 抱きしめたレムが、スバルの胸に顔を押しつけて、その表情を隠している。

 息遣いが熱い。擦りつけられる額が、頬が熱い。きっと、彼女の瞳から流れ出している涙が、一番熱い。

 

「はい――」

 

震える声でレムが呟き、その言葉を最後に二人はしばらく動かなかった。

互いの体温を感じながら、スバルはその柔らかさと温かさが感じる。

 

──今でもスバルは自分のことが嫌いなままだ。自分の弱さも、醜さも受け入れて、それでも未来に進んでいけるほどの強さはない。

 

 でも、そんなスバルを好きだと言ってくれた子がいるから。

 そんなスバルであっても、好きだと思ってもらいたい子がいるから。 

 そしてこんなスバルであっても負けたくないと思う相手がいるから。

 

無謀だと理解している。相手はスバルより遥かに強い。それはもう圧倒的に。勝ち目なんてゼロどころかマイナスに近いほどに。

 

だけどそれでも、挑まなくてはならないときがある。戦わなくてはいけないことがある。

だって好きだから。

 

ここから始めよう。ナツキ・スバルの物語を。

 

――ゼロから始める異世界生活を。




エミリアの膝枕回と同じぐらいこの話が好き。


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九話 『分からない思い』

白鯨戦はカットです。


「……オリーバー?」

 

ラムの声が聞こえてくる。一体どれほどこの声を聞いただろうか。

 

「……うん。大丈夫」

 

目を開けるとそこは見慣れた景色だった。ふっと、ラムがこっちを見ていることに気付いた。その視線にオリーバーは冗談を仄めかすように、

 

「……何?ラム。そんなにじっと見つめて……あ、もしかしてロズワールから俺に乗り換えた?」

 

なんて軽口を叩いた。するとラムの表情は歪み、

 

「……ロズワール様からオリーバーに乗り換えるだなんて天地がひっくり返ってもあり得ないわよ気持ち悪い。自意識過剰にも程があるんじゃないかしら」

 

いつも通りの毒舌で返され、オリーバーは苦笑しながらこう言った。

 

「ちょっとしたジョークじゃん。そんな本気で怒んなくても……」

 

「ラムはロズワール様一途よ。他の人に靡くつもりなんてさらさらないわ。それこそ、世界が滅んでも」

 

「へいへい」

 

ロズワールには恩はある。ハーフエルフである自分のことを差別しないでこの屋敷に住まわせてもらっているし、色々と面倒みてもらった。だが、ロズワールに惚れるのはよく分からない。確かに整った顔立ちはしているが、それだけだ。性格は中々に悪い。

 

「………あんな男何処がいいんだが」

 

「ラムの前でロズワール様の悪口を言うだなんて……死ぬ覚悟が出来てるのかしら?」

 

「あ、冗談だからさ!ホントやめてね!?マジで怖いから!」

 

こんなことしている場合ではないのに。早く、エミリア達を助けないといけないのに。だというのに、ずっとここでラムとくだらない話をしていたいと思う自分がいることに気付いて、オリーバーは苦笑する。

 

「……ラム、ありがとう」

 

「………急に何?頭がおかしくなったの?」

 

心底嫌そうな顔を向けられた。

ラムの言葉にオリーバーはゆっくりと笑った。

そうだ、今はこんなところでゆっくりしてはいられない。

今度こそ、彼女達を助けるために。

 

「……頭なんておかしくなんてねーぜ。俺はいつだって正気だよ」

 

「そう……」

 

呆れたように、ラムが呟くのと同時にオリーバーは皿を持ちながら、

 

「じゃあ、ささっと昼飯の準備しようぜ」

 

「………そうね。オリーバーとあんなくだらない話をしていたせいで……エミリア様にいいつけるわ」

 

「……ちなみにどんなことをエミリアに?」

 

恐る恐る聞くと、ラムは一瞬黙り込み、それから無邪気に微笑む。

 

「そうね、オリーバーがラムにセクハラしてきたって言うかしら」

 

ラムはそう言いながら、スタスタと歩き出す。その背中を見ながら、オリーバーは思う。

 

「……ほんとありがとう」

 

小さく呟いて、その後を追った。

 

 

△▼△▼

 

 

昼食を食べ終わり、オリーバーはペテルギウスの対策を考えていた。まずは、アーラム村からペテルギウス・ロマネコンティを遠ざけることだった。つまり、ペテルギウス・ロマネコンティにこちらの動きを察知されないことだ。

 

「……でも、俺も結構死に戻ってるし、魔女の匂いも染み付いてる…よなぁ」

 

それはもうどうすることもできない。それに

 

「…まだ分からない」

 

ペテルギウスの強みが何なのか。女の声が聞こえ、オリーバーが死んだことは分かっているがそれだけだ。

 

「………あいつもしかして死んでねーのか……?」

 

あのときは確かに自分の手で殺した。だけども、あのときペテルギウスは余裕の笑みを浮かべていた。故にペテルギウスはあのとき完全には死んでいないと言った方が正しい。そこから考えられる可能性は──

 

「……憑依」

 

そう考えるしかなかった。もし本当にそうだとしたら厄介だ。

 

「………厄介すぎる。何で怠惰なのにこんなに勤勉なんだよ」

 

とりあえず、ペテルギウスの対処は面倒臭いということだけは分かった。となると、次にすべきなのは──

 

「……とりあえず、村の人達を助けねーと……」

 

助ける義理なんてない。子供達ならともかく、大人を……ハーフエルフを差別した者たちをどうして助けなければならないというのだ。

だが、それでも、エミリアならこの選択をする。例え、みんなに虐げられようとも自分を犠牲にしてまでも村人を助けるだろう。エミリアは馬鹿だとそう思う。でも、

 

「そんな女に惚れた俺がもっと大バカ野郎か……」

 

エミリアのことを考えるだけで胸の奥が熱くなる。やっぱり自分はエミリアが好きなのだと再確認させられる。

 

「スバルなんかに負けたくない」

 

スバルが今どうしているかは知らない。もしかしたらエミリアを諦めているかもしれない。それならそれでもいい。だけど

 

「もし、またライバルになると言うのなら──」

 

その時はまた今までの関係に戻れるだろうか?なんてことを考えて、オリーバーは自嘲気味に笑う。

 

「……好きだから簡単には譲れないよな」

 

好きだからエミリアの隣は譲れないし、譲るつもりもない。オリーバーは決意を固め、部屋を出た。

 

 

△▼△▼

 

 

「……あいつをどうやって倒すかな」

 

オリーバーが持っている武器は魔法攻撃だ。

 

「……パックがいてくれたら……いや、そんなこと言っててもしょうがない」

 

オリーバーは気合いを入れ直す。問題は山積みだ。ペテルギウスを倒す問題もあるし、村の人たちのことも心配だ。そして、

 

「………エミリア」

 

エミリアを死なせてしまった。今は死に戻ってなかったことになっているが、エミリアは自分を庇ったことで死んだという事実は変わらない。

 

「だから俺は……ペテルギウスを倒す」

 

エミリアを殺したペテルギウスを許さない。必ず、この手で殺す。

 

「……絶対に、殺してやる」

 

オリーバーは拳を強く握りしめた。

 

 

数日が経ったが全く信用してもらえなかった。子供たちは信じてくれたが大人達は中々信じてくれなかった。

 

「……ここで死にたいのかよ」

 

思わずため息をついたところで、ラムがやってきた。ラムは苛立ちを隠せない様子で露骨にため息を吐いている。

 

「……ん?ラム。その親書は何?」

 

手に持っている親書を見て尋ねるとラムはイライラしながら答えてくれる。

 

「白紙の親書よ」

 

「……白紙?じゃあ、届ける意味なくね?」

 

オリーバーの言葉にラムは

 

「そうね。………バルスは何を考えてるのかしら」

 

苛立ちを隠せないように、ラムはオリーバーを置き去りにして自分の部屋に行ってしまった。やがて、

 

「……え?何そのフード。出掛けるの?」

 

白いフードを深く被ったラムが部屋から出てきた。

 

「ええ。ちょっと、ね」

 

ラムはオリーバーの質問には答えずにそのまま歩き出した。

 

「……俺は行かないほうがいい……よな」

 

一人残されたオリーバーは呟いた。ラムが何を考えているか分からなかったが、きっと何かあるのだろうし、そこに自分がいても邪魔なだけだ。

 

「…今は俺が出来ることをするまでだ」

 

まずはペテルギウス・ロマネコンティの動向を探ることだ。そうすれば対策も取れるはずなのだから。

 

そしてエミリアの姿を思い出す。エミリアは毎回巻き込んだ。だってエミリアは頑固だから。危ない目に遭わせたくないのに、エミリア自身がそう望むからそうしてきた。だけど──。

 

「(今回は違う)」

 

もう二度とエミリアを死なせるわけにはいかない。自分のせいでエミリアを失うことなどあってはならない。

 

だからこそ、オリーバーはペテルギウスの情報を探り、戦う術を身に付けなければならない。

 

「……って言ってもなぁ」

 

どうしたものかと頭を悩ませながら、オリーバーは村の中を歩いていくと──。

 

「…ハーフエルフは関係ねぇだろうが!」

 

懐かしい声が聞こえてきた。多分、絶対に再開なんて出来ないとそう思っていた相手がいた。

 

「………スバル……?」

 

見間違えるはずなどない。あれはナツキ・スバルだ。

 

「(……どうして)」

 

どうして戻ってきた。エミリアが遠ざけたのに自分が突き放したのに。まだ懲りてないと言うのか。

 

「………いや、違うか」

 

スバルの目は本気だった。あの腐った目ではなく、強い意志を感じさせる目がそこにはあった。

 

「………何でだよ」

 

先日までそんな目をしていなかったじゃないか。一体、どんな経験をしたらそうなってしまうんだ。

 

「……負けそう」

 

エミリアを取られる。スバルにエミリアを奪われるかもしれない。それだけは嫌だ。絶対に渡したくはない。

 

「……だと言うのに」

 

どうしてこんなにも震える。奪いたくないと言うのなら今からエミリアと逃げればいい。それが一番確実で簡単な方法だと言うのに、足が動かない。

 

「……エミリアはそんなこと望まないか」

 

エミリアは優しい。誰よりも優しく、そしてお人好しだ。自分だけが助かる真似なんて絶対にしない。そんなのオリーバーが好きなエミリアではない。

 

「………本当、俺は馬鹿野郎だ」

 

エミリアの意志を無視し、二人で逃げることなんて出来るはずがない。オリーバーはそう想いながら拳を握りしめて、

 

「好き」

 

ただその一言だけを伝えたかった。伝えたくて、でも伝えられなくて、また繰り返す。

エミリアのいない世界は寂しくて、つまらない。エミリアがいないのならば生きていても仕方がないと思うほどにオリーバーはエミリアを愛している。

 

「でも、それはきっとスバルも同じなんだろうな」

 

エミリアが死んでしまったのであれば、オリーバーと同じように、スバルもまた絶望しているはずだ。なのにスバルの目はまだ諦めていないように見えた。

 

「……負けるかよ」

 

エミリアの笑顔が守れるのならそれで良かったというのに最近では傲慢になってきている。エミリアの傍にいたい。エミリアの隣は誰にも譲れない。

 

「……だから、俺はペテルギウスを殺す」

 

オリーバーは決意を固める。エミリアに悟られないようにしながらペテルギウスの情報を集めるために動き出すことにした。

 

 

△▼△▼

 

 

「……くそっ!」

 

あれから三時間が経過していた。ペテルギウスに関する情報を集めようと頑張ったが、これといった情報は手に入らなかった。

 

「……しかも夕方になったし」

 

結局、何も出来なかったことに落ち込みながらもオリーバーは屋敷に戻ろうと──。

 

「……え、エミリアとパックとペテルギウスが戦ってる!?」

 

その光景を見て思わず叫んでしまう。無理もない。エミリアとパックがペテルギウスと戦っているのだ。

すぐにオリーバーは走り出した。エミリアを助けに行くため、ペテルギウスと戦うため。

エミリアを死なせてはいけない。エミリアを失いたくない。そう思うと自然と身体は動く、

 

「……終わってた」

 

既に戦いは終わり、そこにいたのは氷漬けになったペテルギウスと、泣いているエミリアだけだった。

 

「エミリア!無事か!?」

 

オリーバーは慌てて駆け寄る。するとエミリアは泣き顔のまま、

 

「お、オリーバー……」

 

「大丈夫か?何処か痛いのか!?待ってろ……今すぐ治療魔法を……」

 

「ち、違うの……。そうじゃなくて……私……」

 

エミリアはオリーバーに抱きつく。突然のことにオリーバーは戸惑うが、エミリアは構わず、

 

「……分からないけど、すごーく悲しくて……」

 

と呟いた。

オリーバーはエミリアを抱き締めていると、

 

「お二人とも……僕がいること忘れてない?」

 

そう言ったのはパックだった。パックは呆れたような表情でこちらを見ており、

 

「全く、オリーバー以外だったらすぐさま凍らせてたよ」

 

と、物騒なことを言っていた。そんな言葉に苦笑いをこぼし、それからゆっくりとエミリアから離れた瞬間──。

 

「……え」

 

音が、聞こえた。闇に飲み込まれるような感覚に陥る。

 

「オリーバー!?」

 

エミリアの驚く声が聞こえる。でも、それに返事をする余裕なんてなくって。

 

「助けてあげて」

 

最後に聞こえたのは涙を流しながらそう言った嫉妬の魔女(サテラ)だった。

 

 

△▼△▼

 

 

「じゃあ、ラムは行ってくるわね」

 

声が、聞こえる。聞き覚えのある声で、よく知っている人の声だ。

 

「ラム…」

 

「何?どうかした?」

 

「……いや、何でもない」

 

そう言いながらもオリーバーは頭の中で考える。

あの時、嫉妬の魔女に飲み込まれて、また戻ってきたのだ。それは即ち……

 

「(スバルが死んだとゆうことか……)」

 

その事実が重くのしかかる。情報なんて集める暇なんてなかった。一刻も早く、スバルと再会をしなくてはならない。

そう思いながらオリーバーは、

 

「俺も行く」

 

「……正気?オリーバーが来ても村の人達はオリーバーのことを歓迎しないと思うけど」

 

「いや、行く。迷惑をかけるつもりはないし、ラムの邪魔もしない」

 

オリーバーがそう言うと、ラムは露骨にため息を吐きながら、

 

「好きにすればいいと思うけれど、後悔しても知らないから」

 

「分かってるさ」

 

オリーバーは歩き出す。村の方へと向かって。

 

 

案の定、村の人達はオリーバーを歓迎などしなかった。むしろ憎悪の視線を浴びせられた。

 

「……そんなことどうでもいい」

 

もう慣れていることだ。今更傷つきもしないし、気にすることじゃない。

それよりも問題はスバルの方だ。スバルの目は相変わらず諦めていなかった。まだ何か手段があると思っている。

 

「……ナツキ・スバル。……久しぶりだな」

 

と、ややシリアス風に話しかける。するとスバルは驚いた顔をして、 こちらを見た。

 

「お、オリーバー……」

 

「……なぁ、スバル。どうして戻ってきた?どうしてお前は傷つく選択肢ばかり選ぶんだ?」

 

これに関しては、魔獣やレムのときからずっと思っていたことだ。だってレムはスバルのことを殺したのだ。だから今はともかく、あの時点では助ける理由など皆無だった筈だ。だというのに、ナツキ・スバルはレムを救った。

 

「……なんでだよ」

 

思わず呟いてしまう。オリーバーには理解出来ない。何故そこまで出来るのか。自分の身を削ってまで他人を助けることが出来るのか。

 

「そんなの簡単だよ……みんなのことが好きだから」

 

「好きだからここまでやるの?命かけて?」

 

「ああ、そうだよ。当たり前じゃん」

 

そう言って笑う。あまりにも簡単に言い放つものだから、オリーバーは少しだけ腹が立った。

 

「俺にはその考えが理解出来ない。レムとかお前のこと殺したのに。……普通自分を殺そうとした奴なんて助けたいとは思えないだろ」

 

「でもレムは俺を助けてくれた。レムは優しい子なんだって俺は知ってる。だから……!」

 

そう言ってスバルは拳を握りながら、

 

「……レムの悪口を言うのは俺が許さない」

 

「……別に悪口を言っているわけじゃないんだけどな」

 

オリーバーはレムのことは嫌いではないし、どちらかと言うと好感を持てる方だとは思っている。だが、それでも、やはり彼女のしたことは許されないことだ。

最も、スバルが気にしていないというのならそれまでの話なのだが。

 

「……やっぱり、お前の考えはよく分からない」

 

そう言いながらオリーバーはため息を吐き、それからスバルを見つめて、言った。

 

「俺はエミリアが好きだ。大切だし、誰よりも守りたいと思える存在だ」

 

「…………」

 

「そしてエミリアの幸せこそが俺の幸せなんだよ……だから、お前がエミリアを泣かせたことまだ許してない。……とゆうか許す気もないし」

 

それは本音だった。エミリアが泣いているのを見て、心の底から怒りを感じた。

しかし、

 

「だけど、それとは関係なく、今はペテルギウスの問題が先だ。あいつらは危険な存在だし、エミリアを殺した奴だ。絶対に許さない」

 

オリーバーはそう言った。

すると、スバルは真剣な表情でこちらをじっと見てきた。

 

「……俺も、エミリアのことが好きだ。エミリアの笑顔を守りたいと思ってる。またなれるだろうか。恋のライバルに」

 

その言葉に、オリーバーは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに笑いながら、

 

「そもそも、俺お前のこと恋のライバルだと認識した覚えないぞ。俺はお前のこと、友達としてしか見てないし」

 

オリーバーがそう言うと、今度はスバルの方がキョトンとする番だった。

 

「え、そうなの?」

 

意外そうに言ってくるスバルに対して、オリーバーは呆れたように、

 

「……だって初めてだったし」

 

「なにが?」

 

「誰かと仲良くなるの。俺、今までエミリアとパック以外とは関わらないようにしてきたから。お前が来るまでは。……だから感謝はしてる。ありがとな」

 

「あ、うん……どういたしまして」

 

急に礼を言われて戸惑いながらも返事をするスバルにオリーバーは続けて、

 

「でも、それとこれとは話が別。エミリアにちゃんと謝れよ」

 

その言葉にスバルは力強く首を縦に振った。

 

「ああ、そのつもりだ。でも今は──」

 

「……そうだな。あいつ──、ペテルギウスをどうにかしないとな」

 

そう言った途端、もう一つの影が現れる。

 

「久しぶりだな。オリーバー」

 

「……この声は……」

 

現れた人物の名は、ユリウス・ユークリウス。最優の騎士と呼ばれる男であり、アナスタシア・ホーシンの騎士である。

 

「ユリウス……どうしてこんなところに?」

 

「アナスタシア様に頼まれたのさ。君達の力になって欲しいとね」

 

「ふぅん……そっか。助かるけど……」

 

チラッとスバルの方を見ると、凄く不満そうにこちらを見ていた。

 

「あの時のことは俺が悪いから謝るけど、俺お前のこと嫌いだから!エミリアにキスするし!」

 

「は?キス?……ユリウス?ちょっと話聞かせてくれないか?」

 

キスという言葉に反応するのはオリーバーも同じである。彼はユリウスに詰め寄り、

 

「ねぇ、どういうことなの?ねぇ?ユリウスくーん?」

 

目が一切笑っていない状態で問いただす。すると、

 

「キスと言っても掌だ。当然の嗜みであろう?」

 

「………何だ。掌かよ。紛らわしい言い方しないでくれよ、スバル」

 

「お、お前……っ!いいのかよ!?掌とはいえキスだぞ!キス!お前エミリアたんのこと好きなんだろ!?」

 

「そりゃ好きだけど、それとこれとは別だよ。いいじゃん。掌くらい」

 

スバルは納得いかないという感じだったが、それ以上は何も言わなかった。実際、オリーバーには分からない。たかが掌でキスをしたからといって、何故そこまで怒るのだろうか。

 

「唇だったら流石に怒るけど、掌ぐらいなら俺もやったことあるし」

 

えぇ!?

 

素っ頓狂な声をあげて、信じられないという顔で見てくるスバルを横目に、オリーバーはため息を吐きながら、

 

「……行くか。ユリウスにスバル」

 

先までくだらない話をしていたとは思えないほど、オリーバーの声は冷たく、そして鋭いものだった。

 

「ああ……そうだな。スバル、君は大丈夫か?」

 

「ああ、準備万端だぜ。エミリアや子供達も避難させたし、後は俺たちがやるだけだ」

 

そう言って、スバルは拳を握りしめながら、

 

「ペテルギウスを倒す」

 

拳をぎゅっと強く握って、覚悟を決めたように言った。



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十話 『動揺と解決』

「――お前の言ってることも、俺には同じぐらいさっぱりだったからよ!!」

 

 渾身の右ストレートが狂人の顔面を直撃――我慢に我慢を重ねた鬱憤がついに爆発し、痩身を大きく吹き飛ばす。

 

「スバル、ナイスパンチだわ」

 

パチパチと拍手をしながらオリーバーは背後から出ていく。それに続くようにして、ユリウスも前へ出た。

 

「さぁて、待たせたな。ペテルギウス・ロマネコンティ。……お前を倒す」

 

そう言いながら、オリーバーが剣を構えると、それに呼応してユリウスが構えを取る。

しかし、肝心の相手は立ち上がる気配すらなく、こう言った。

 

「いったい、なにを……アナタは、なにをしているのかわかっているのデか!?ワタシは大罪司教、魔女の恩寵に与る大罪司教なのデス!そのワタシを、同じく寵愛を受けるアナタが殴りつけるなど……!」

 

「言語道断ってか? 悪いがそのあたりの話は聞き飽きたよ。お前と信じるものに関しての話し合いをするつもりはもうない。魔女なんざ、クソ喰らえだよ、ペテルギウス」

 

「…………ッ!」

 

その言葉に、ペテルギウスは怒りに満ちた表情を浮かべると、突然、両手を広げて叫び始めた。

 

「よいデス!わかったのデス!アナタが、アナタが魔女の寵愛を、恩寵を、忘れたというのであれば、知らぬ存ぜぬと言い切るのであれば、ワタシはワタシに与えられた愛をもって、その不敬を償わせるだけデス!わからないわからないわからないわからないらないらないらないらないらないないないないないないないいいいいいいい!!何故!何故に!愛を拒絶するのか!その真意がわからない!」

 

「五月蝿いな……ユリウス、ささっと終わらせよう」

 

「了解した」

 

そう言うと、二人は同時に走り出した。

先に仕掛けたのはオリーバー。彼は一瞬にして間合いを詰めると、そのまま剣を振り下ろす。

 

「……ったく、俺は剣じゃなくて魔法が得意だってのに……」

 

愚痴をこぼしながらも、彼の剣さばきには一切の迷いがない。狂人に向かって振り下ろされる刃は、確実に相手を捉えるだろう。しかし、相手は狂人である。

 

「愚かな……!そのような攻撃では、このワタシの攻撃は……っ」

 

「うん、知ってる。……だから後は任せるよ、ユリウス」

 

次の瞬間、オリーバーの身体は大きく後方へと飛び退くと、入れ替わるようにユリウスが前に出てきた。

 

「ああ……任された」

 

彼はそう呟くと同時に、目にも止まらぬ速さで剣を振るう。それを見ながら、スバルは叫ぶ。

 

「じゃ、お前と気分共有ってのもうんざりだ。――とっとと、終わらせようぜ」

 

「ああ、そうしよう」

 

 降り注ぐ漆黒の魔手を斬り上げが消し飛ばし、返す刃が真横から迫る掌を両断。消失した腕が粒子となり、影へ散っていくのを見届けて、ユリウスは笑い、

 

「君の目で、私が斬ろう。――我が友、ナツキ・スバル」

 

 

 

 

激突はすでに数合、数十合にも及び、スバルは剣と掌が鎬を削り合うのを、体中に走る激痛に耐えながら見つめ続けていた。

 

 ユリウスの剣――虹色をまとう刃は『クラリスタ』という六属性の複合魔法によって強化されており、ペテルギウスの放つ『見えざる手』という権能にもその切っ先を届かせる結果をもたらしていた。

 

 斬撃が繰り出されるたびに両断される魔手が霧散し、塵となって影から消える。原理のほどはわからないが、その虹の剣撃の前には『見えざる手』の修復は及ばないらしく、影をひとつ、またひとつと失うたびに、狂人の表情に激怒が宿るのが見てとれた。

 

「笑えないのデス、冗談ではないのデス、あってはならないことなのデス! そのような手立てで、ワタシの愛を……忠誠を、蔑にしようなどとぉ……!」

 

怒りに任せてペテルギウスは無尽蔵と思えるほどに膨れ上がる影から腕を伸ばし、ユリウスの腕を、足を、頭を、手当たり次第に狙い撃つ。

 応戦する刃がそれらを迎え撃ち、あるいは身を翻して回避行動をとり、最優の騎士が戦場を踊るように――文字通り、剣舞を舞いながら駆け抜ける。

 

「はぁあああ!」

 

裂帛の気合いとともに放たれた袈裟懸けの一撃が、ついに狂人の左腕を肩口から切断。勢いのままにその右腕も断ち割らんと、さらに一歩踏み込んでゆく。

 

「………そろそろ、トドメを刺せる……かな?」

 

ぽつりとつぶやいて、スバルは全身に力を込める。

痛みは変わらず、むしろ傷口が増えて熱を増しているような感覚すらあるが、そんなことはどうでもよかった。

今はただ目の前の戦いに集中したい。

 

 

そう思って視線を向けた先で、ユリウスの振るった途端、ペテルギウスは力なく倒れた。否、それは倒れ込んだのではなく、地面に這いつくばるように膝をついたのだ。

 

「……ッ!…………ぐぅう! ワタシの、ワタシの愛は、こんなものではないはずなのにぃいい!!」

 

絶叫しながら頭を押さえ、苦悶の声をあげるペテルギウス。そして次の視線はスバルに注がれ、

 

「あなたの身体を──!!」

 

直後、その視界を埋め尽くすほどの黒い腕が伸びてくる。

それらはまるで意思を持つかのように動き回り、瞬く間にスバルを取り囲むと、その身体を握り潰さんと襲いかかってくる。

 

「……あーあ、乗っ取ちゃった」

 

それを眺めながら、オリーバーは呆れ声で嘆息したが、ペテルギウスは聞こえないように、

 

『やはり、アナタの肉体はワタシを収める器としての素養がありマス! さすがのアナタも、こうなることまで想定してはいなかったはずデス! あぁ、あぁ! あぁ! アナタ、怠惰デスね?』

 

 脳の隣に寄り添ったのではと疑うほど、至近でペテルギウスの狂笑が響く。

 ついで、スバルの肉体はスバルの意に反して、こちらへ向かって走り寄ってくるユリウスへと右手を伸ばす。そのまま、スバルの影が膨れ上がり、その内から噴き出す『見えざる手』が視認の手段を失ったユリウスを目掛け――、

 

「うぶぇっ」

『――あぁ?』

 

 ぐらり、とユリウスへの凶行へ及びかけたスバルの肉体が上体を揺らがした。熱に浮かされたような浮遊感がふいに頭蓋を大きく震わせ、姿勢を維持できないままにスバルはその場に受け身も取れずに倒れ込む。

 そうして倒れ込んだスバルの手から、握られていた対話鏡がこぼれ落ち、床に転がって乾いた音を立てる。

 

 

『対話鏡越しに位置がわかればこのぐらいは、ネ。それにしてもスバルきゅんてば、自爆覚悟の作戦練るにゃんて、本当にお・ば・か・さ・ん♪』 

 

聞き慣れた悪戯な声が鼓膜に届く。それは鏡越しにこちらの状況をずっとうかがっていたフェリスであり、スバルの指示通り――ペテルギウスの憑依の合図と同時に、スバルの肉体を尋問した魔女教徒と同様の『人形』へと変えたのだ。

 もっとも、スバルの意識は健在であり、肉体の自由を奪うにとどめた限定的な水のマナの暴走に過ぎないが。

 

「……精神状態が保てなきゃ、『見えざる手』も出しようがねぇだろ?」

 

『まさ、か……まさかまさかまさかまさかささささかかかかかか、ワタシが……ワタシがアナタの体を乗っ取ることすらも読んでこれを!?』

 

スバルが言った言葉の意味を理解して、ペテルギウスが悲鳴じみた叫びを上げる。

 

「……最初聞いた時は無謀すぎると思ったけど、意外とうまくいったな。まぁ、こいつがチョロすぎるのも一因だろうが……」

 

ため息を吐きながら、オリーバーは肩をすくめてみせる。ここまで来たら消化試合もいいところだが、最後の仕事が残っている。

 

「俺は死に戻りをして……」

 

瞬間、魔女の匂いがした。もう二度と嗅ぎたくなかったはずの、死の臭いが鼻腔を刺激してくる。そして暫くして――

 

「……あぁがぁ! 戻ってきたぁ!!」

 

 そんなスバルの絶叫とともに、ペテルギウスも出てくる。恐らく、魔女に拒絶されたのだろう。これでようやく終わりだと、オリーバーは安堵のため息を漏らし、そして

 

「…君に勇姿は譲るよ。オリーバー」

 

「おいおい。ユリウス……そんな気遣いはいらねーよ」

 

オリーバーがそう言ってもユリウスは『いや。君に譲ろう。これは……スバルと約束したものだからね』と言われた。意味が分からなかったが、悠長にしている暇もない。

 

「……ユリウスがそんなに言うのなら……分かった」

 

剣を構えてペテルギウスを殺そうとしようとした瞬間、

 

「お、オ……リ……バ……ア……」

 

その声に、視線を向ける。そこには、まだ完全に死んでいないペテルギウスの姿があった。

 

その顔は血まみれで、瞳は虚ろになりながらも、しかしなお強い意思が宿っている。その口から紡がれるのは、怨念ではなく、呪いの言葉でもない。ただ純粋な願いと、想いだった。

 

「どうか……い、生きて……ください……オリ……バー様……!」

 

その言葉は激しく、オリーバーを困惑させた。それはオリーバーだけではなく、スバルもユリウス同じ気持ちだ。

 

「……何を言っているのか分からない。でも……」

 

涙が溢れてくる。どうしてこんなにも胸が痛むのだろうか? その答えを知っている気がする。それがなんなのか思い出せないけれど、きっと大切なものなのだと、確信できる。

だから、

 

「さようなら。……来世では幸せになってくれ」

 

それだけを口にして、オリーバーはペテルギウスの心臓に刃を突き立てた。

 

 

 

 

動かなくなったペテルギウスから剣を引き抜くと、そのまま崩れ落ちるように倒れ込む。

それを見届けてから、オリーバーはただペテルギウスの屍を見下ろす。そして湧きあがった言葉は──

 

「……ごめんなさい」

 

謝罪の言葉だけが、自然とこぼれ落ちた。何故謝ったのだろう。相手は魔女教の大罪司教だ。殺すべき悪であるはずなのに。

それでも、何故か心の底から申し訳ないと思っている自分がいる。いつから自分はこんなに腑抜けになった。エミリアを殺したペテルギウスが許せなくて、殺しに来たというのに。どうして、今さら、こんな……。

 

「……くそっ」

 

込み上げる感情を抑えきれず、オリーバーは拳を握りしめる。側にスバルとユリウスがいるのに、今は気持ちが抑えられない。

 

 

この二人には聞かせたくない言葉を、吐き出してしまいそうだ。

 

「………ごめん。ちょっと、一人にしてくれないか?」

 

そう告げると、二人は互いに目配せしてから、何も言わずにその場を後にしてくれた。気を使ってくれたのかもしれない。二人の配慮に感謝しながら、オリーバーはペテルギウスの亡骸を見つめ続ける。

 

「……どうしてこんな気持ちになる?お前は俺の敵じゃなかったのか?」

 

自分に問いかけるが、答える者はいない。

この感情が一体何なのか、自分でもわからないし、わかりたくもない。だから──、

 

「戻ろっかな……」

そう呟いて立ち上がると、オリーバーは歩き出したときだ。

 

「あああ………あああ、あああああっ!!」

 

背後から聞こえる絶叫に振り向くと、そこには信じられないものを見た。ペテルギウスの肉体が動き出し、そして立ち上がっていたのだ。

 

「嘘、だろ?」

 

右半身は潰れて骨が露出し、頭部は頭の皮が剥がれて赤と白が交互に散る。右足が脛下から存在せず、だらりと下がった四肢は生命の存在が微塵も感じられない。

 死者だ。死体だ。死骸の悪足掻きだ。なのに、その男は立ち上がった。襲われる!と本能的に思ったが襲ってこないどころかペテルギウスはオリーバーの存在を無視し、何処かに行こうとしている。

 

「おい……待てよ!」

 

オリーバーの声が聞こえていないわけではないだろうに、無視して歩みを進める。

 

「まさかあいつスバルのところに……」

 

このまま放置すれば、間違いなくペテルギウスはスバルを襲うだろう。

 

「行かせるわけにはいかねぇよな」

 

オリーバーは剣を構えてペテルギウスを追いかけた。

 

 

△▼△▼

 

 

事態は最悪だった。

ペテルギウスが生き返り、そしてオリーバーをスルーしてスバルの元へと向かっていく。

 

「……くそ! なんでだよ!?」

 

叫んでも状況は変わらない。それなら何か手を考えないと。

 

「そうだ、パックだ!! パックを呼び出して……」

 

パックなら何とかしてくれるのではないか。そんな淡い期待を込めて、パックを呼び出すが、

 

「くそっ!繋がらない!肝心なときに!」

 

実際、パックは強いが肝心なところで使えないし、役に立たない精霊だ、と悪態を突きながらも、自分のことを見守ってくれたり、ベアトリスを交渉する際には必須だから役に立たないこともないと、かなり評価を改めていたりしていたところで、この始末である。オリーバーは舌打ちをしながらも髪を掻き上げながら、

 

「もう待てないからいっそのこと……!」

 

やるしかないのか?とオリーバーは思う。嫉妬の魔女を呼べば、ペテルギウスを止めることができるかもしれない。しかしそれは──

 

「……っ」

 

オリーバーは自分の胸に手を当てる。そこに宿るのは、あの時の痛み。エミリアに死に戻りを告白してそしてエミリアを死なせた過去とあのときの痛みがトラウマとして刻まれている。

──あれがまた来るのか? 嫌だ。もう二度と味わいたくない。でも、

 

「ペテルギウスを止められなければ、もっと辛い思いをすることになるんだろうな」

 

だから、オリーバーは手を心臓に当てて、

 

「ペテルギウス!俺は死に戻ーーー」

 

言いかけたとき、魔女は現れる。心臓を直に掴まれたような衝撃がオリーバーを襲い、全身から汗が流れ落ちる。これは恐怖だ。この感覚をオリーバーは知っている。だけど!

 

「嫉妬の魔女………いや、サテラ、お願いだ……目の前の男を殺してくれ……!!」

 

その言葉に、ペテルギウスの表情が変わる。彼はオリーバーを見て、それから自分の胸に触れる。すると彼の肉体に変化が起きた。左半身から黒い炎が噴き出し、それがペテルギウスの体を包み込む。

 

「おおおぉぁああああああッ!!!」

 

絶叫と共に、ペテルギウスの体が黒に染まっていき、やがて絶叫は止まる。

ゆっくりとこちらを振り向いたペテルギウスは何が起きているのかわからないように目を瞬かせていた。

 

「あ……あ、ああああああっ!!」

 

叫び声を上げるペテルギウスは消えていく。そして、その姿は完全に消失したのだった。

 

「……これで本当に終わりだ」

 

そう言いながら、オリーバーは振り返ることなく、その場を離れていった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

「オリーバー」

 

元といた場所に戻ると、ユリウスが心配そうに声をかけてきた。

 

「大丈夫だったか……」

 

「ああ。大丈夫。釈然とはしないけど……ところでスバルは?」

 

「今はエミリア様が側にいる」

 

「………そうか」

 

それだけ言って、オリーバーは黙ったまま空を見上げた。それに釣られるようにして、ユリウスも見上げながら、

 

「……すまない。君がエミリア様のことが好きなのはわかっているのだが」

 

申し訳なさそうな顔で言う。それに対してオリーバーは何も言わず、ただ黙っていた。黙った理由は特にない。

だが、言うべきことはある。

 

「…俺さ、油断してたんだと思う。エミリアを好きになる物好きなんて、俺ぐらいしかいないと思ってた」

 

だから恋愛もゆっくりじっくり、時間をかけて距離を詰めていこうと思っていた。なのに、その想いはスバルによって砕かれた。

 

「悔しかったよ。俺以外にエミリアの魅力に気付いた奴がいたのが。……嫉妬はしたけどそれ以上に嬉しくなったけど、同時にこう思った。絶対にあいつよりも先に告白してやりたいって……って思ったけど……「ふーんだ!お姉ちゃんばっかりずる〜い!」

 

ペトラの声が聞こえて、そちらを見ると彼女は頬を膨らませながらスバルの腕を掴み、エミリアを睨みつけている。睨みつけていると言っても子供らしい可愛らしさがあって、全然怖くはない。むしろ微笑ましい光景だ。

 

「……ぷっ」

 

その光景にオリーバーは思わず笑ってしまった。そして、笑い終えた後に口を開く。

 

「……本当に騒がしい連中だな」

 

そう言いながら、オリーバーは三人に近づいていった。



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幕間 『竜車での一幕』

 

 

 ――からからと、竜車は静かな音を立てながら街道を進んでいく。

 

 加護に守られた竜車にあって、振動と風の影響はほとんど感じられない。

快適な乗り心地の中、

 

「なんかさ……ペトラ、近くない?」

 

「そんなことないよ? なにか問題でもあるの、スバル」

 

 そう言ってくりくりの眼でスバルを見上げるのは、赤みがかった茶髪を揺らす少女――ペトラだ。彼女はスバルの左隣の席に座り、出発からこっちずっとスバルの手を握ってべたべたと寄り添ってきている一方で──、

 

「おい、エミリア。こいつに何か言われたか?」

 

ジロッとスバルの方を睨みつけるのは、正面に座る銀髪の少年──オリーバーだ。

整った顔立ちには不機嫌さを隠そうともせず、眉間には深いシワが寄っている。それも当然だ。好きな女の子が別の男と二人きりで話をしていたのだ。しかも相手はエミリアに酷いことを言った男である。

オリーバーはエミリアのことを愛している。故にエミリアがスバルのことを許しても、はいそうですかとはならない。

しかし、

 

「う、ううん……別に……」

 

顔を赤くし、視線を逸らすエミリアの反応を見る限り──『別に』では済まされない雰囲気だ。その反応を見たオリーバーはますます苛立つが、

 

「むっ……やっぱり、ここの竜車に乗る前に何かあったんだ……」

 

ペトラが顔をしかめて呟いた言葉にエミリアは慌てて、

 

「ペトラ。さっきまではえっと、違うのよ。ほら、スバルとはしなくちゃいけないすごーく大事なお話があったの。別にひとり占めなんてしてたんじゃなくて」

 

「べー。わたし、お姉ちゃんにはぜったいにまけないから」

 

おろおろとするエミリアをさらにおろおろさせるペトラの発言にスバルは状況が飲み込めないように首を傾げているがオリーバーは深くため息を吐く。

 

「(……はぁ)」

 

ペトラはスバルのことが好きなのだ。その好きは家族に対する愛情ではなく、異性として、恋慕の情を抱いている。肝心のスバルには全くと言ってもいいほど伝わってないが、この様子だと、これから先もずっと伝わらないままだろう。それは非常に喜ばしくない事態であり、オリーバーとしてはなんとしても避けたいところだが、現状はどうしようもない、と思っていると、

 

「あー、その、エミリアたん……すごく、大事なお話があるんですが」

 

「うん、なぁに?」

 

 自身の銀髪に指を入れていたエミリアが、ゆっくりと首を巡らすスバルの方へ向き直る。

すると、スバルは姿勢を正してエミリアの目を見つめると、

 

「ものすごく言いづらいことなんだが、聞いてほしい。もちろん、実姉にもいずれ報告しなくちゃとは思ってるんだが……最初は、エミリアたんに」

 

「……うん?」

 

 口ごもり、要らない前置きをしてしまうスバルにエミリアは困惑顔。その二人のやり取りを見て、オリーバーは

 

「……実姉?……ラムのことか……?」

 

と、疑問符を浮かべる一方でスバルはさらに続ける。

 

「実はレムの話なんだよ。レムがその、俺のことを……な、なんとなくわかるじゃん? それで、あんな告白しておいて勝手っちゃ勝手なんだけど……」

 

「スバル、落ち着いて。なにが言いたいのかわからなくなってるし、すごーくスバルが一生懸命なのはわかってるから。ね、良い子だからゆっくり」

 

「良い子だからってなんか凹む評価! いや、俺が男らしくねぇ。ああ、スパッといくぜ。あのですね、実はレムも俺を好きだって言ってくれてるので、エミリアたんが俺を好きになってくれた暁にはこう……二人揃って俺のもの、というか!?」

 

 勢いに任せて二股宣言。エミリアはぽかんとした表情でスバルを見つめていたが、

 

「……は?」

 

最初に言葉を発したのはオリーバーだった。その声は怒りで震えているように聞こえる。

 

「お前、今最低なこと言ってんぞ」

 

二股宣言を本人の目の前でやるというのはあまりにも常識外れの行為だ。

そして、オリーバーにとって一番許せないのは──、

 

「何なんだよ!二股って……!エミリアならエミリア!レムならレム。どっちとも付き合えばいいとか、そういう問題じゃねえだろ!」 

 

オリーバーはエミリアを愛している。エミリアだけを愛すると決め、今まで生きてきた。だから目の前の男の行動が許せない。エミリアを一途に想い続けたオリーバーには、それを軽薄な態度で踏み躙ろうとする男が心底理解できなかった。

だがしかし──そんな彼の怒りに対して、

 

「あ、あのね……オリーバーにスバル……」

 

エミリアがおずおずと挙手をする。そこには怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ困惑の色だけが浮かんでいた。その表情にスバルは困惑し、オリーバーに至っては怒りすら忘れてしまいそうになる。

 

 

 そして、次の一言こそスバルとオリーバーの理解を本当の意味で越えた言葉で――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

「――レムって、誰のこと?」











不思議そうに、困惑して、彼女はそう口にして首を傾げた。その仕草と言動に、彼女らしい冗談めいた素振りが欠片でも見えたのならまだマシだ。だが、しかし、

「……私も知らない。そのレムって言う人」

ペトラまでがそう言って首を傾げる。その言葉を聞いた瞬間、オリーバーとスバル頭を思い切り殴られたような衝撃を受けた。

「………冗談……ではないな」

エミリアとペトラはこんなタチの悪い冗談を言わない。つまり、本当にわからないのだ。

「……スバルのこともう怒れなくなった」

スバルのあんなふざけた発言を怒れずにいるのはスバルが絶望的な表情をしているし、オリーバー自身、それどころではなくなってしまったからだ。

「レムのことも覚えていないとすると………それは」

──白鯨のせいか、と一瞬思ったがスバルとクルシュ達が白鯨討伐に向かってそして見事に勝ったという報告を受けている。だとすれば別の要因だ。そこで、オリーバーは一つの可能性に思い至る。

「まさか……暴食か?大罪司教が何かしたのか……?」

エミリア達がレムの存在を忘れてしまっているのは、何らかの原因があって彼女の記憶は消されたとなると、原因は暴食以外に考えられない。

「………でも」

ここで一つの疑問が湧き上がる。何故オリーバーとスバルはレムのことを覚えているのだろうか。それが不思議でならない。

「………どうして」

その疑問を解こうと思考を巡らせたが、答えは見つからなかった。



ーーーー

あの後の記憶は曖昧だ。王都に着き、そこからどう行動したかあまり覚えていない。だが。

「おい!レム!しっかりしろよ!!」
気がつけばレムが寝ている場面を眺めていた。何度もスバルが必死にそう言うがレムは起きない。

「なんでだよ!!なんで、目を覚まさねぇんだよ!!」

「落ち着け」

錯乱状態のスバルの肩に手を置く。それに驚いたように振り返った彼は、今にも泣きそうな顔だった。

「これが落ち着いてられるわけねぇだろうが!レムが起きねぇんだぞ!?」

「わかっている……。だが……焦っても何も変わらない」

「……くそっ」

悔しげに唇を噛むスバル。その様子からレムがどれだけ愛されていたかがわかるし、オリーバーも同じ気持ちだった。だからこそ、今のこの光景が辛い。

「……レム」

ここにはレムの他にも沢山の人がいる。沢山の人がたおれている。

「………るぞ」

「……は?」

スバルはそう言いながら短剣を自分の首元に突きつける。その行為を見てオリーバーは慌てて止めるが、スバルは止まらない。

「おい!お前!何するつもりだ!」

「俺はエミリアもレムもどっちも助けたいんだよ!」

そう言いながらスバルはレムの方に向き直り、そのまま短剣を突き刺す。

「スバル?!」

エミリアが悲鳴のような声をあげる。だが、スバルは気にせずそのまま続けた。そして──、

「これで……!」

そんなスバルの声を最後に闇に飲み込まれていった。



ーーーーーーー


愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。

何度も聞いた言葉だ。嫉妬の魔女がオリーバーに愛の言葉を囁いてくる。もううんざりとする程に。そして、今もまた──。

「ごめんね」

「……は?」

涙を流し、嫉妬の魔女……サテラはそう口にする。その姿に思わず間抜けな声で返事してしまう。一体どういうことだ。何を謝る必要があるというのだ。そう思った途端、霧が晴れてゆくみたいに意識が鮮明になっていった。



ーーーーーー


「は!」

「す、スバルにオリーバー!?ど、どうしたの!急に立ち上がって……大丈夫?」

エミリアの心配するような言葉を聞き流し、辺りを見回す。そこは竜車の中だ。つまり、

「……助け出すのは……無理か」

落胆したように呟く。これが夢だったら良かったのにと思う。しかし、先程の感覚が夢ではないと告げている。

「……最悪だ」

そんなスバルの言葉がオリーバーの心情を代弁していた。


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幕間 『オリーバーの誓い』

 ――寝台に横たわる彼女の表情は安らかで、まるでただ眠っているだけのように思えた。

 

「……暴食……」

 

暴食のせいでレムの『記憶』と『名前』が失われた。それがわかった時、オリーバーは酷く冷静だった。それはスバルが酷く動揺しているのを見たからかもしれない。動揺する人を見ると逆に自分は落ち着くことがある。だから、なのだろうか。

 

「俺……レムを助けられなかった」

 

そのスバルが放った一言にオリーバーは息を呑む。まさか、彼がそこまで取り乱すとは思ってなかったからだ。それほどまでにレムのことを大事に思っていたということだろう。

 

「……正直驚いた。お前らってそんなに仲がいいとは思ってなかったわ」

 

オリーバーから見た2人の関係はレムの一方的な片思いという感じだった。最も、レムはその好意を隠そうともせずにアピールしていたがスバルはエミリアのことが好きだし、レムもそれを知っている。だが、エミリアは恋愛感情が分からないし、スバルもスバルで肝心なところでヘタレで進展がないので修羅場とかそういったことは起こっていない。だが……

 

「……」

 

今目の前にいる彼はどうだろう?レムを想う気持ちが強く、胸がはち切れそうなような趣きでレムを見ている。そんなスバルを見てオリーバーは、口を開く。

 

「お前さ、レムとエミリアを同時に手に入れるってそう……言ったじゃん。あれって本気なの?」

 

その問いにスバルははっきりと答えた。

 

「当たり前だろ。俺は本気で両方手にいれるつもりだよ」

 

「……最低だな」

 

オリーバーが呆れたようにそう言い放つと、彼は自嘲するように笑ったが、

 

「でも……それなら俺が遠慮する必要はねぇよな」

 

そう続けたオリーバーにスバルは目を向ける。その視線を受けてオリーバーは静かに、そしてはっきりと自分の気持ちを口にする。

 

「俺はエミリアが好きだ。誰よりも大切にしたいと思ってるし、ずっと側にいたいと願っているし、エミリアがスバルのことを受け入れるのならそれでもいいと思う。……でも、俺は……やっぱりエミリアが好きなんだよ」

 

そう言い切った後、オリーバーはスバルの目を見る。スバルは何も言わず、ただじっとこちらを見つめていた。

 

「……エミリアがスバル選んだとしても別に恨んだりしない。むしろ祝福してやるよ。……だけど、お前がエミリアもレムを選ぶのなら俺だって遠慮するつもりはない。どっちもなんてそんな甘っちょろいこと考えているお前のことなんかぶっ飛ばして……絶対に振り向かせてみせるから」

 

それは決意だった。エミリアがどちらを選んだとしても構わない。自分は彼女を支えようと思う。彼女が幸せならそれで良い。しかし、もし、スバルがどっちも選ぶと言うのならば話は別だ。そんな中途半端な奴にエミリアを任せるわけにはいかない。だから、

 

「これは二度目の宣戦布告だ。次は容赦しねえぞ」

 

そう宣言してオリーバーは部屋から出ていった。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

一人残されたスバルは大きくため息をつく。そして、彼の言葉を思い返す。

 

「エミリアが好き……か」

 

オリーバーがエミリアのことが好きだというのは知っていたし、宣戦布告を受けたこともあるのは事実だ。だが、一度目の宣戦布告は本気ではなかったし、そもそもスバルのことをライバルだと思っていたかどうかすら怪しいものだった。しかし、今の言葉は──、

 

「あいつ……本気なんだな」

 

オリーバーは本気なのだ。エミリアもレムも選ばないと言った自分に怒りを覚えながらも彼はそれを呑み込んで、その上で堂々と勝負を仕掛けてきた。そんな彼を前に自分が逃げられるはずがない。

 

「…俺は……」

 

エミリアとレム、どちらか片方しか選べない。そんな選択を突きつけられた時、一体自分はどうすればいいのか。2人とも大切で愛おしい存在。それは間違いないし、どちらも失うことはできない。どっちもナツキ・スバルにとってかけがえのないものだ。

 

元々、スバルの中では1番はエミリアだった。エミリア一途で今まで生きてきて、これからもそのつもりだった。だが……

 

「……あんな風にレムに立ち直られたら……な」

 

思い出すのはあの時のことだ。エミリアもラムもベアトリスもレムもみんな死んでしまった。

 

そんな絶望の中、死に戻り、せめてレムだけでも助けたい。そんな思いでレムのことを必死に説得したが、レムは否定し、立ち向かってきた。レムの覚悟に圧倒され、スバルの心は折れかけた。

 

その時、レムが言ったのだ。『諦めるのは簡単です。……でもスバルくんには似合わない』と。その言葉を聞いて、スバルは最初は怒った。ふざけんなと怒鳴った。でも、レムの悲痛な叫びを聞き、レムの想いを知り、スバルの心は揺らいだ。でも、あのときのスバルには分からなかった。

 

どうしてこんな自分すら信じていないような奴のことを信じてくれるのか。どうしてレムはスバルのことを信用するのか。そう問いかけたら、レムはこう言った。

 

 

 ――だってスバルくんはレムの英雄なんです。

 

涙を流し、嗚咽混じりに彼女は叫んだ。スバルに救われたのだと、レムを助けてくれたのがスバルだったからこそレムはスバルを信じるのだと。

レムにとってはラムが全てだった。

 

レムの世界は狭くて、レムにとって大切なものはラムだけだった。その世界に現れたのがスバルだった。スバルはレムを救い、希望を与えてくれたと言ってくれたから。そしてそんなレムもスバルのことを救ってくれたから。故に――。

 

「……だからレム、待っててくれ……!暴食を倒して必ず、お前を……お前の英雄が必ずお前を迎えにいく!」

 

そうナツキ・スバルは宣言した。

 

ーーーーー

 

 

「スバル。大丈夫かしら?」

 

エミリアはそう言いながら心配そうに俯いている。

 

「……大丈夫だろ。今は1人にしてやれ」

 

オリーバーはそう言いながら、ため息を吐く。ため息を吐いたのはつい先の出来事を思い出したからだ。

 

 

 クルシュとフェリスとヴィルヘルムとエミリアとスバルとオリーバーで話し合い……と言う名の状況の確認の話だ。話は暴食についてとエミリア陣営とクルシュ陣営の同盟の取り消しから始まった。

 

勿論、オリーバーもスバルもそれに反論した。しかし、

 

『同盟はお互いの利益があるから結ぶもの。このまま魔女教に狙われ続けるエミリア様に協力しろと?それでクルシュ様がこれ以上 傷付かないってスバルきゅんとオリーバーきゅんは約束できる?』

 

そう言われ、スバルとオリーバーはなにも言えなかった。クルシュも記憶を無くし、魔女教にはもう関わりたくないっと思っても仕方がない。しかし、

 

『今はまだ私には分からないことばかりです。何一つ以前の自分を思い出すことができません。皆様にとっても私と接することは戸惑いばかりだと思います。それでも今の私を尊重してくださる皆様にまずは感謝を。フェリスが私を本心から心配して 私の手を引こうとしてくれていることは分かります。あなたの言葉に従って安全な道を歩くこともできる。でも何も知らないまま流されるのは嫌なんです。何かを選ぶなら誰かの言いなりではなく自分の意思で選びたい』

 

そう、クルシュは真っ直ぐな目で言った。その言葉にオリーバーは相変わらず立派な人だと思った。

 

オリーバーは記憶を無くす前のクルシュ・カルステンとはあまり話したことはない。しかし、彼女が素晴らしい人物であるということは知っている。彼女はどんな状況に陥っても己の意思を貫くことができる強い女性だ。それは記憶を無くす前も後も変わらない。

 

「ほんと凄い人だな……ああいう人が王になる器なのかもしれない」

 

ぽつりと何気なく、呟いた言葉はオリーバーの本音だった。彼女のように強い人間こそが上に立つべきなのだとオリーバーは思っている。だが、エミリアもそうだ。クルシュと同じく、王戦に出ているし、オリーバーもエミリア陣営だし本来ならオリーバーはエミリアのことを応援しなくてはならない。だが――、

 

「(なって欲しくないだよな……エミリアに)」

 

それは紛れもなくオリーバーの素直な気持ちだった。

エミリアの境遇は分かっているし、オリーバーも同じ気持ちだ。『差別がなく平等な国を作りたい』というのもオリーバーが求めて止まない理想の一つでもある。だが、しかし、エミリアは王の器ではないと思っているのだ。

 

 

エミリアは優しい女の子だ。困っている人を放っておけないし、優しく手を差し伸べることができる子だ。だが、それが王に向いているかと言われれば違う気がする。王に必要なのは優しさだけではなく強さが必要だ。民を導くためには強靭な意志と覚悟が必要で、それを持っている者こそ王に相応しいのだ。

 

 

無論、エミリアにも意志はあるし強さもある。だが、彼女はハーフエルフだし、嫉妬の魔女と容姿がそっくりということもあって、エミリアのことを否定する声も少なくはない。そんな彼女を王が認めるのかと問われたら答えは否だ。

 

「(俺は別にエミリアを王にしたいわけじゃない。ただエミリアには幸せになって欲しいだけだ)」

 

エミリアが王になって幸せになるというのならそれは応援するし、反対する理由もない。しかし、現状ではエミリアが王になってもロズワールに利用されるだけで幸せになれるとは思えない。ロズワールのことだ。エミリアのことは道具としてしか見ないだろう。

だから――、

 

「………そんなことさせねぇよ」

 

オリーバーは誰にも聞こえないように小さく呟く。

オリーバーが王選に参加する理由はエミリアを王にするためではない。エミリアをロズワールの魔の手から守り抜くためだ。そのためにオリーバーはここにいる。

 

「……オリーバー?どうかした?」

 

不意にエミリアの声が聞こえて、オリーバーは我に返る。どうやら考え込んでいたせいで黙り込んでしまったようだ。

なんでもないと首を横に振り、誤魔化すとエミリアは不思議そうに首を傾げていたが、

 

「さ、もう寝ようぜ。明日も早いしな」

オリーバーが促すように言うと、エミリアはコクリと首肯した。

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

そして翌日、オリーバーたちは早朝から出発した。クルシュ邸の前に並ぶ竜車は六台。中にはロズワール領から共に逃げてきたアーラム村民がすでに乗り込んでおり、誰も乗っていない最後の一台がエミリアとスバルとオリーバーが乗るためのものだ。

 

「(……何でこの三人……)」

 

ペトラがいてくれたらまだマシだったかもしれないが、いないものは仕方がない、と思っていると、

 

「寂しくなってしまいますね」

 

 静かに、竜車の列を眺めていたスバルの背後から声が届く。

 首だけで振り向く先、オリーバーの方を見ているのはクルシュだ。長い緑髪を湿った風に撫でられながら、目を伏せる彼女にスバルは軽く頭を下げる。

 

「長居しても事態の進展がないし、ずるずるお世話になりっ放しでもしょうがないからさ。――本当なら、ゆっくり静養でもしてるべきなんだろうけど」

 

 拳を開閉し、スバルは自身の体調を鑑みながら苦笑する。思い返せば当初、ススバルはこの屋敷へは悪化した体調の回復のために訪れたのだ。そこへはロズワールの裏の意思が介在しており、癪ではあるがあの道化のその願いは見事に達成した形になる。建前は破綻し、達成したそれも踏みにじられた形だが。

 

「ナツキ・スバル様にその意思がおありでしたら、当家としてはいつまで滞在していただいても構わないのですが……そうも言えませんよね」

 

「厚意は嬉しいですし、学ぶ点も多いとは思うんですけど、こっちも片付けなきゃなんない課題が山積みで。白鯨のことも『怠惰』のことも、互いの状況が落ち着いてからじゃないと丸ごと商人勢に持ってかれかねませんから」

 

「アナスタシアさんに?まぁ、あの人商人だしな」

 

アナスタシア・ホーシン。

『鉄の牙』商会の代表取締役であり、自身も王戦候補者である彼女は、今回の事件では貢献度が一番高いと言っていい人物だ。白鯨討伐という四百年の月日を経た偉業を成し遂げたクルシュ陣営――しかし、当主であるクルシュが受けた被害もまた軽視できない。

 『怠惰』討伐の主軸となったスバルたちエミリア陣営もこれは同じであり、事情に精通するロズワール抜きで事態が進行するのは良い兆候ではないし、被害もクルシュ陣営程ではないがスバルとオリーバーにはある。

 

「………レムもいなくなっちゃったしな」

 

ぽつりと、スバルは誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。その呟いた声にオリーバーは何も言えずに、

 

「………俺、先に乗っているわ」

 

一言だけ残して、竜車へと乗り込んだ。

 

 

ーーーー

 

 

カラカラと車輪の音を立てながら竜車が動き出す。

揺れる車内でエミリアとスバルとオリーバーの三人は、気まずい沈黙に息苦しさを覚えていた。

 

「(……空気が悪い……何か言わねーと)」

 

だが、オリーバーには昔から友達が少なく、こういう場面で上手く場を盛り上げる術を彼は知らないし、そもそも自分は話す側ではなく、聞き手に回るのが多い。そんな自分がいきなり話を振ったとしてもエミリアたちの困惑を招くだけだ。

かといって、このまま黙っていても状況は好転しないし、オリーバーは決意を固め、口を開く。

 

「「「……あ、あの!」」」

 

三人の声が重なった。そのせいで三人は気まずい沈黙に舞い戻り、互いに顔を見合わせて困り果てる。

 

「……え、エミリアかスバルから先に……」

 

「い、いや……俺はいいからエミリアたんかオリーバーが先に……」

 

「え、う、ううん……私はいいからスバルかオリーバーが先に……」

 

三人とも譲り合いを始めてしまい、また沈黙が戻る。そんな空気をぶち壊したのは──、

 

「なんだかひょっとして、話題がなくて困ってたりします?もうこの、重苦しい沈黙というかそういうのに僕耐えられないんですが」

 

 

第三者の言葉だった。そんな声にスバルは露骨に嫌そうな顔をしながら、

 

「さらっと入ってきてなにを言い出すんだよ、お前。っていうか、いたの?」

 

「ひどいですねえ!? いるに決まってるじゃないですか!僕がそもそも、どんな条件でナツキさんに協力したか覚えてないんですか!?」

 

御者台にて竜車の御者を務める彼は、車両と御者台を繋ぐ連絡口から傾けた顔を差し込んで、静まり返る車内の様子に言及していた。そしてオリーバーは首を傾げながら、

 

「スバル、誰こいつ?なんか変な奴だけど」

 

オリーバーが胡乱げな目つきで問う。するとスバルはいたずらっぽい笑みを浮かべ、

 

「さぁ。俺にもさっぱりだ」

 

「ナツキさんは僕のこと、一体どう思ってるんですかねぇ!!」

 

大仰に嘆いてみせる男だったが、スバルはすぐに真面目な表情になると、

 

「ま、冗談はさておくとして。こいつの名前はオットー・スーウェンだよ」

 

「オットー?どこかで聞いたような気がするが……」

 

記憶を探るように顎に手を当てたオリーバーに、オットーは慌ててこう言った。

 

「そんなこと今はどうだっていいでしょう! それより、ナツキさんはちゃんと覚えてますよね!?」

 

 オットーの物言いにスバルは首を傾げ、「あーあー」と何度か頷き、

 

「あー、思い出した思い出した。そうそう、確かロズワールに会わせてほしいって話だったよな。……しかし、なんていうかあれだな」

 

「なんです?」

 

「いや、男に走るだけならまだしも、相手がロズワールっていうのはどうなのかなって思ってさ。……あ、俺はノーマルだし、エミリアたんがいるから狙われても困る」

 

「え……お前ロズワールのことが好きなの?……引くわー」

 

ドン引きするオリーバー。しかし、オットーは必死になって反論する。

 

「そういう話じゃないはずなんですけどね!あんた、僕のことなんだと思ってたりするんですかねえ!?」

 

「賑やかし系商人?」

 

「イロモノ扱い!!」

 

 心底心外だ、とでも言いたげに目を剥くオットーに、スバルは笑い声を上げる。その様子を目の当たりにし、オリーバーも釣られて笑顔になった所でエミリアが目を丸くし、

 

「なんだか……二人ってすごーく仲良しなのね。びっくりしちゃった」

 

素直な感想を述べるエミリアに、スバルは顔を顰めて、

 

「おいおい、エミリアたんてばそんなのよしてよ。こんな金に飢えた亡者と一緒とか……俺は君からの愛にだけ飢えた亡者だよ」

 

「亡者じゃん!亡者じゃん!っていうか、僕は亡者じゃないですけど!」

 

「オットー、うっさい」

 

騒ぎ出す行商人にため息をこぼして、スバルは立ち上がるとつかつか前へ。そして連絡口の蓋を掴むと、

 

「あ、ちょっと、そうやってすぐに僕を邪魔者扱いして――」

 

「はい、シャットアウト!」

 

パタン、とオットーを連絡口の中に閉じ込めると、スバルは再び席に戻り、エミリアとオリーバーはそんなスバルをきょとんと見上げていて、

 

「「ぷっ」」

「ひはは」

 

二人の吹き出した様子がおかしくて、スバルもまた笑う。そして、そのまましばらく三人でひとしきり笑った後、

 

「…気まずい空気を読んで黙るとか、俺らしくなかったな」

 

「そうね、スバルらしくない。私の知ってるスバルはもっといつも元気で、無茶で、こっちの気持ちなんて全然関係ないぐらい気持ちよく騒がしい人だもん」

 

「そうだな。スバルも黙ってるから俺が話題振るとからしくもないことしようとしたし。やっぱりお前の空元気がねーと落ち着かねーわ」

 

「空元気って!エミリアたんがやんわりと言ってくれたのにオリーバーがストレートすぎるんだけど!?」

 

叫ぶスバルだが、オリーバーは平然としたもので、

 

「ま、この空気にしたのはオットーっていう商人なわけだけど。……感謝しろよ、あいつがいなかったら絶対気まずかったぜ」

 

「ああ……そうだな、すげぇ癪だけど、あいつには感謝しないと」

 

そう言いながらスバルはさり気なく、エミリアの隣に腰掛けていた。その仕草に対抗するようにオリーバーもエミリアの隣に座る。真ん中になったエミリアはこの状況が分からないようにこう言った。

 

「あ、あの二人してどうしたのかしら。なんか距離が近い気がするのだけど」

 

エミリアはそんな風に呟き、スバルとオリーバーはお互い目配せをする。

 

「本当にな。お前は向かい側に座ってたら?狭いだろうし」

 

「オリーバーこそ向こうに行けよ」

 

「「…………」」

 

火花を散らし始める二人。それをエミリアは不思議そうな顔で見つめていたのだが、やがて、

 

「ふふっ」

 

小さく笑い声を上げ、エミリアは笑顔を見せる。その笑顔が綺麗なものだから、スバルとオリーバーは同時に頬を赤らめ、そして同時に黙ってしまう。それに不思議そうに首を傾げるエミリアだったが、

 

「そういや、レムのこと誰が担ぐんだ?」

 

話を逸らすように、オリーバーはそんなことを言った。

 

「…それは俺がやる。オリーバーにもオットーにも絶対に任せられねぇ」

 

きっぱりと、スバルはそう断言するものだからオリーバーは呆れたような表情になり、

 

「そうか。うん。お前って本当最低な男だよなぁ……」

 

「なんで!?今の話のどこに最低な部分があったんだよ!?」

 

叫びを上げるスバルに、オリーバーは指を立て、

 

「好きな女の前で他の女の話するところとか、マジ最悪だわー」

 

「え!?ちょ、それ違う……いや、違わないけど!そういう意味じゃなくて、俺はただ純粋にレムのことを心配して……!」

 

「はー?先二股するってエミリアの前で宣言してたじゃん」

 

オリーバーの言葉にスバルは言葉を詰まらせる。だってその通りだから。何も言い返せないし、言い訳すらできない。

 

「うぅ……くそぉ。正論すぎて反論できねえ。っていうか、オリーバーに言われると普通以上に腹立つ……!!」

 

故に負け惜しみのような台詞を吐くことしかできず、スバルは歯がみしながら俯くしかない。しかし、

 

「……私、レムのことが記憶が抜けてて話の内容に付いていけないんだけど……とりあえず、スバルって浮気性なのね」

 

エミリアの発言に、スバルはうっ、と言葉を再び詰まらせた。そして、

 

「そう。スゲェ浮気性。こんなの辞めとけよ、エミリア」

 

それはオリーバーの本音だった。オリーバーはエミリアのことが好きだ。だからナツキ・スバルという人間が許せない。これがエミリアを一途に見ている男ならまだ考えたかもしれないし、認めてやったかもしれない。しかし、あろうことかナツキ・スバルはエミリアの前で二股宣言をしたのだ。

そんな奴にエミリアに渡したくない。それがオリーバーの正直な気持ちだ。

 

「(………告白は先に越されたけど)」

 

それでも譲れないものはある。そう思いながら、オリーバーはスバルとエミリアを見る。二人は、

 

「私のこと好きって言ったくせに」

 

「わりと一途なつもりでいたはずなんだけど、あんだけ尽くされて心動かない奴ってもはや血も涙もないと思うんだよね」

 

「まぁ、確かに……何ならスバルよりレムの方がスバルのこと好きじゃない?」

 

それが事実であり真実だとオリーバーも思う。実際、レムはスバルに好意を抱いているのは確定していたし。ただ一つの誤算があると言えば、

 

「(……こいつが何かレムに凄く本気なこと。ペトラ…本当に厄介な奴好きになったな……)」

 

内心でそう嘆息するオリーバー。しかし、今更引くつもりはない。オリーバーはペトラを応援してエミリアを自分のものにする。それだけだ。

 

「………レムには悪いけどな」

 

「ん?なんか言ったか?」

 

ぼそりと呟かれた言葉に反応するスバル。それにオリーバーは何でもないと首を横に振ったのと同時に、

 

「あ、あの……もう着きましたよ」

 

オットーがそんな声を上げた。どうやらいつの間にか村に着いていたらしい。そのことに気づかず言い合いをしていた自分に少し恥ずかしくなった。



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3章 〜聖域と真実と魔女〜
一話 『戻った先』


車内での話し合いは円滑に進んだ。

 もともと、半日近い時間の猶予が持たされた移動だ。語るべきことは多くとも、それをすり合わせるだけの時間も十分にあった。

 互いに数日間の情報を交換し、最後にはオットーも交えて今後の方針が練られた。

 結果、話し合いがまとまってみれば、

 

「結局、ロズっちと顔合わせて話しなきゃまともに方策も練れねぇんだよな」

 

 なんだかんだ、話の帰結は最初の時点に戻るよりない。

 つまるところ、エミリアの陣営の保有能力や戦力を把握しているのはロズワールだけであり、彼を交えなくしてエミリア勢は立ち行かないのだ。

 

「まぁ、聖域に向かったラムがロズワールと合流してりゃ、自然と屋敷の方にもご帰還願えるだろーよ。したらまず、横っ面ひっぱたいてそれから話し合いだ」

 

「雇い主のはずの辺境伯に対して、ずいぶんと攻撃的ですね、ナツキさん」

 

「それぐらいやっても許される権利が俺に……そしてそれぐらいやられてくれなきゃ許されない罪が奴にはあると俺は思う」

 

 振り返ってロズワールのやらかした所業を思えば、スバルが一発で済まそうというのがどれだけ穏当な判断なのかわかろうというものだろう。現にオリーバーはスバルの言葉に、

 

「一発でいいのか?オレは三発くらい殴っても足りないと思うぜ?」

 

などと物騒なことを言って、あの温厚で優しく、人を傷つく所を許容できないエミリアですら、今回の件に関しては容認しているのだ。

ともあれ、話し合いがそんな形でまとまって、いざ領地での話し合いを目前、森を抜けて村へ戻ってみて――すぐ、スバルたちは異変に気付いた。

 

 見慣れた村の風景、人気のないそれはペテルギウス攻略に向けて、住人たちを避難させた直後の殺風景さそのものであり、逗留していた討伐隊の姿もない現状は以前のそれよりもさびれている。

 もっとはっきり端的に述べれば、村人の戻った形跡が見当たらないのだ。

 

「見た感じ誰もいませんよ、ナツキさん。荒らされたとかそういうんじゃなくて、誰も戻っていない感じです」

 

 竜車を降りて、村人たちと軽く村内を見て回った感想をオットーが口にする。彼とは別グループで見て回ったスバルも、遺憾ながら同意見だった。

 静けさのあまり、以前のペテルギウスらの手による村人虐殺のフラッシュバックがスバルとオリーバーの全身を襲ったが、それらが思い過ごしであるのだけは確認できた。

 だが、それではかえって別の問題が発生してしまう。

 

「ラムが言ってた『聖域』ってのは確か、こっから七、八時間の距離って話だったはずだが……王都で三日も居残ってた俺らより、帰りが遅いってどういうことだ?」

 

「魔女教を討伐できたっていう状況が把握できてないから、警戒してるんじゃ?」

 

「領地見捨ててロズワールが? 俺の想定だと、『怠惰』とロズワールが真正面からやり合ったら十中八九ロズワールが勝つ。真正面からやらないのが『怠惰』のやり方だと思うけど……それにしたって、偵察ぐらいするだろ」

 

 空すら飛べるロズワールなら、襲われた自領の偵察ぐらい簡単にできるはずだ。そして偵察する意思があれば、魔女教が一掃された屋敷周りの安全が確保されていることぐらいは確認できるはずだ。それがないということは、

 

「慎重策をとってるか……」

 

「『聖域』でなにか、問題でも起きてる……?」

 

「後、ロズワールが動けないほどの事態が起きてる可能性もありうるな。ラムならロズワールの方を優先させるはずだから怪我でもしてるんじゃね」

 

オリーバーの言葉にエミリアとスバルはなんとも言えない表情を浮かべた。

 

「俺の知らないところで怪我されたら俺が殴りづらくなっちゃうからその線は消してくれよ頼むから」

 

「いや、怪我したとしても殴れば良くね?俺は遠慮なく殴るぜ?」

 

オリーバーは本気でそう言っているようだったがスバルは苦笑いをしながらこういった。

 

「いずれにしても、どうにかしなきゃだ。……とりあえず、屋敷の方に戻ろう。レムを落ち着かせてやりたいし。オットー、お前も泊まる場所ないだろうから屋敷だ」

 

「うええ!?へ、辺境伯のお屋敷で御厄介に!?そんなとんでもない状況に与るくらいなら、竜車で寝泊まりする方がいっそ気楽なんですが!」

 

「うるせぇ、大人しく巻き込まれろ――!」

 

オットーの泣き言をねじ伏せ、スバル達は再び竜車に乗り込みながら、数十分――街道の先に見えてくるのは、

その荘厳さが懐かしいロズワール邸だ。

 

「遠目に見るより、実物ははるかに大きいですね⋯⋯ますます、場違いな予感が」

 

「ここまできてビビるなっての。ビビる相手も戻ってきてねぇだろうしな」

 

オットーの弱音に、強がりを返しながら、スバルたちは改めて屋敷へと近づく。

 

「……まぁ、ロズワールは戻ってねーし、気楽に行ったら?後……やっぱりお前何処かで見たような気がすんだけど…」

 

ふと思い出したようにオリーバーがそう言うが、オットーはこう言った。

 

「………僕はただの商人です。それ以上でもそれ以下でもありませんよ。はい」

 

冷たく、突き放した言葉に、オリーバーは言葉を詰まらせ、スバルとエミリアは首を傾げた。

 

 

 

△▼△▼

 

 

レムを背負い、スバルとエミリアとオリーバーは共に屋敷の玄関に向かった。オットーは竜車と、パトラッシュを厩舎に連れていく間にスバル達が中の準備を済ませておく手筈だ。

 

「ふと思ったけど、出かけるときに鍵かけた記憶ないな。泥棒とか入ってない?」

 

「お留守番⋯⋯じゃないけど、ベアトリスがいてくれたから心配いらないと思う。ノックしてみたら、出迎えにきてくれたりしないかしら」

 

オットーとのやり取りに触れず、エミリアがらしくない冗談を口にするが、オリーバーは無反応だ。そんなオリーバーの様子に二人は顔を見合わせる。

 

「な、なぁ、エミリアたん……やっぱりオリーバーの様子おかしくないか?」

 

「ええ、私もそう思ってたわ。オットーくんに心当たりでもあるのかしら」

 

ヒソヒソと話し合ってみるが、結論は出ない。仕方ないので、直接聞いてみることにした。

 

「おいオリーバー!なんかあったんなら話せよ。さっきからずっと黙ってるじゃねえか」

 

スバルが呼びかけると、オリーバーはゆっくりと振り向いて、 そして、こう言った。

 

 

「……あの商人のことあんまり信用しない方がいいかもしんないぞ」

 

「……あ?」  

 

その言葉の意味をスバルはすぐに理解できなかった。だが、それはエミリアも同じだったようで、彼女は眉を寄せてオリーバーに問いかける。

 

「どういうこと?オットーくんを疑う理由があるっていうの?」

 

「……オットーって何処かで聞いた名前だったんだけど思い出したんだよ。あいつ、町一番の権力者の娘を……確か辱めたんだっけな?」

 

「はぁ!?」

 

突然の爆弾発言に、スバルは驚きの声を上げた。

 

「な、何言ってんのお前!エミリアたんの前でなんてこと言うんだ!!」

 

「だって本当だし。なんでも、町で一、二を争う美人を無理矢理犯そうとしたところを見つかって、ボコられたらしいぜ」

 

「ね、ねえ、オリーバー、犯すってなに?」

 

「エミリアたんは知らなくていい単語だから。ほら、行くよ」

 

スバルは強引に話題を打ち切って、玄関に向かう。

背後ではオリーバーが何かを呟いていたようだったが、スバルは聞かないことにした直後、

 

「──話は終わりましたか?皆さん」

 

玄関前に立っていた少女が、こちらに声をかけてきたのだ。

 

「――お帰りなさいませ、エミリア様にオリーバー様、お戻りになられるのをお待ちしておりました」 

 

両開きの大扉の向こうに立つのは、完璧なカーテシーで三人を出迎える女性だ。

 

 

煌めく長い金髪に、宝石のように透き通る翠の瞳。長身をクラシックスタイルのメイド服に押し包み、女性的な清楚さを見事な着こなしで体現した女性だった。

年齢は二十歳前後、どこから見ても非の打ち所がないメイド――唯一の問題は、彼女がロズワール邸に所属する、たった二人のメイドのどちらでもないことだけ。

その見覚えのないメイドにスバルは硬直するが、

 

「……相変わらず、フレデリカは固いな。俺のこと様付けで呼ぶのやめろって言ったじゃんか」

 

その隣でオリーバーが親しげに話しかける。

すると、フレデリカと呼ばれた女性は、微笑を浮かべたまま、

 

「申し訳ございません。私はロズワール邸のメイドですから」

 

「そういうところ。ラムなんて俺に様付けで呼んだりしねーのに。そういうところはラムから学んだ方がいいんじゃねーの?」

 

「ええ、そうね。……本当は私のも様なんてつけなくていいのよ?」

 

オリーバーの言葉にエミリアまで便乗する。だが、フレデリカは困ったように、

 

「……流石にエミリア様を呼び捨てにするのは……ってちょっと待ってください。ラムはまさかエミリア様まで呼び捨てに……!?」

 

「流石にそれはないよ?でも、俺は考えといてよ。呼び捨ての方がフレンドリーな感じしてよくない?」 

 

「……考えておきますわ」

 

と、そこでフレデリカが会話を切り上げ、スバル達に向かってこう言った。

 

「長旅で疲れておいででしょう。まずはお部屋へご案内を⋯⋯」

 

「牙怖ッ!」

 

高く、高く、ロズワール邸の空にナツキ・スバルの絶叫が響き渡っていた。フレデリカの微笑、それは異様な存在感を放つ牙だらけの口で台無しだった。

 

 

△▼△▼

 

 

 

「スバルのバカ!女の子になんてこと言うの!ちゃんと謝りなさい!」

 

「お、おやめになってくださいまし、エミリア様。いいんですわ。初対面の方に驚かれてしまうのは慣れていますもの」

 

「いや、フレデリカ、こいつを甘やかす必要はねえぞ」

 

スバルを叱るエミリアに、それを宥めるフレデリカだが、そこへオリーバーが発言した言葉にエミリアが頷く。

 

「ええ、そうよ。スバルを甘やかすと図に乗るんだから。ちゃんと反省させなくちゃ」

 

「本当にごめんなさい!」

 

土下座。全力の謝罪である。そんなスバルの必死な様子に、フレデリカは優しく笑いながら、 その尖る牙が覗く口を、開いた。

そして、そこから紡ぎ出された声は――。

 

「大丈夫ですよ。私、これでも結構寛容な方なので。」

 

「あ、あれ?なんか思ってたのと違う……」

 

優しい口調で許してくれたフレデリカに、スバルは顔を上げるが、フレデリカは裾を摘まみ、優雅に一礼して、 

 

「改めまして、以前こちらでお世話になっておりましたフレデリカ・バウマンですわ。どうぞよろしくお願いしますね?」

 

「そういえば俺が屋敷に来る少し前に辞めたメイドがいたって………」

 

「一身上の都合でお暇を頂いていただけですわ。そしてラムに呼び戻されて戻ってみればお屋敷はもぬけの殻。幸い旦那様の執務室にあった手紙で状況は把握できましたけど。私が戻った時 屋敷の厨房や庭木は荒れ果てて酷い有様でしたわ」

 

「割と誠実な理由!」

 

ラムの家事能力は壊滅的だし、レムがいなくなったからこんな有様になったのだろう。

 

「(……まぁ、あいつ本気出さないしなー。鬼化したら話は別だろうけど)」

 

ラムの戦闘力は恐らく、エミリア陣営の中では群を抜いている。

彼女が本気を出せば屋敷を綺麗に掃除することなど容易いことのはずだ。

しかし、彼女は滅多に力を使わない。最初は妹のことを配慮して妹を引き立たせるために力を使わないと思っていた。だが、最近になって分かったことがある。彼女の力は、決して無駄には使われていないということだ。

 

彼女が家事を本気でしないのもレムがどうとかではなく、ただ単純に面倒だからなのだ。

ラムの怠惰ぶりが改善される日が来るとは思えない。ただ、ラムがいたことでオリーバーは助かっている部分の方が大きく、今更そのことに文句を言うつもりもないのだが――とそんなことを考えていると。

 

「……オリーバー?」

 

いつのまにか話が終わっていたらしい。

エミリアに呼ばれ、そちらの方を見ると、そこにはエミリアとフレデリカしか

 

「……あれ?スバルは?」

 

「スバルはベアトリスの所に行ってるわ。なんでも聞きたいことがあったみたい」

 

「そうか。……ちょっとトイレ、すぐ戻る」

 

「早く戻ってきてね?」

 

「へーい」

 

エミリアの言葉に手を振り、廊下に出てから、オリーバーはふぅと息をつきながら扉を開ける。そこはトイレではなく、

 

「よっ、ベアトリスにスバル」

 

――禁書庫だ。オリーバーが登場したことによってベアトリスは元々眉間に皺が寄っていたが、さらに深くなった。一方、スバルは手を挙げて、「よう」と挨拶してくる。

 

「ベアトリス、久しぶり」

 

「……それでベティーに何の用事かしら」

 

腕を組みながら不機嫌そうに言うベアトリスに、スバルは頭を掻きながら口を開く。

 

「――そういやお前、外の騒ぎに気付いてたわりにはノーリアクションだったのな」

 

そのスバルの言葉に、それまで本に目を落としていたベアトリスの視線が持ち上がる。彼女の透徹した眼差しに自分が映るのを感じながら、スバルは小さく息を呑み、

 

「お、お前が知らん顔してる間、外はけっこう大変だったんだぜ?得体の知れない連中が屋敷を囲って……」

 

「やめるのよ」

 

「……この話いるか?」

 

2人の会話についていけず、オリーバーが思わず突っ込みを入れると、スバルは無視をしながらこう言った。

 

「王都からからくも援軍を連れ帰った俺がいなきゃ、今ごろどうなってたことか。しかも、俺の方も俺の方ですんなり帰ってこれたわけじゃ……」

 

「やめるかしら」

 

「だからその話をする意味あるのか!?」

 

「こいつの言うとおりなのよ。――弱虫」

 

ベアトリスが静かに告げると、スバルは顔を歪め、髪を掻く。それはもっとこの話をしていたい、とも取れる表情にも見えた。

 

それはベアトリスに自慢したいとかではなく――何か別の感情があるようなそんな感じがした。

そして、それを見抜いたように、ベアトリスは言葉を続ける。

 

「そんな話がしたいのなら、ささっと去って欲しいのよ」

 

「………悪い。本当はこんな話する気なかったんだけどさ。――ベアトリス……お前は……」

 

一呼吸置き、それからスバルは、 自分の胸の奥底に仕舞い込んでいた言葉を吐き出す。

 

「レムを覚えているか?」

 

「…………」

 

その問いに、オリーバーは息を呑んだ。レムは今『暴食』の権能で眠っていて周りの人たちからも記憶が消されている。

つまり、彼女がレムのことを知っているはずがないのだ。なのに何故スバルは彼女にレムのことを訊いているのだろうか、と思っていると。

 

「……」

 

ベアトリスは目を伏せた。まるでレムのことを知っているような素振りに、オリーバーは驚く。

そして、ベアトリスは答えた。

静かな声で、だがはっきりと、彼女はこう告げる。

 

「答えたくないのよ」

 

「……答えたくない…?」

 

覚えてない、覚えているの話ではなく、答えるのが嫌だとはどういうことなのか。

オリーバーには理解できなかったが、それはスバルも同じようで、困惑しながらベアトリスを見つめこう言った。

 

「答えたくないって何だよ!?今の質問は、YESかNOのどっちかしか答えがないだろ?」

 

「イエスもノーも意味がわからないかしら。それにベティーの答えはそれこそ同じなのよ。答えたく、ない」

 

「答えに、なってねぇって言ってんだよ!」

 

 腕を上から下へ振り下ろし、スバルはベアトリスの前に一歩、強く踏み込む。

 脚立に座る少女はその激しい挙動にも目を向けず、固く唇を引き結んでいた。

 

「俺がお前から聞きたい言葉は、そんなんじゃないんだよ!」

 

「お前が聞きたい言葉を、どうしてベティーが言ってやらなきゃならないのかしら。……あまり騒がないでほしいのよ。書庫が、乱れるかしら」

 

「お前……ッ!」

 

勢い込み、スバルはベアトリスに近づく。オリーバーは慌てて止めに入ろうとするが、それより早くベアトリスは本を閉じると、

 

「ベティーはお前の都合のいい道具じゃないのよ」

 

そう言うと、ベアトリスは空間が超常的な力によってねじ曲げられた。スバルとオリーバーには本能的に察することができた。そう察せた理由はわからないままだったが、

 

「俺を追い出す気かよ。まだなにも聞けてねぇってのに……これで俺が引き下がるだなんて、本気で思うのか!?」

 

「お前が聞きたいことを、聞きたい言葉を、どうしてベティーが話してやらなきゃならないのかしら。身勝手を……傲慢に振舞うのはやめてほしいのよ」

 

「それはないじゃねーの。ベアトリス」

 

今まで黙っていたオリーバーが、2人の間に割って入る。

そして、彼は頭を下げながらこう告げる。

 

「俺、無知だし、魔女教とかも全く知らないし、暴食のことも全然わかんないし、スバルとベアトリスが何の話をしているのかもいまいちわかってないけどさ……」

 

顔を上げ、オリーバーは真っ直ぐに2人の目を見ながらこう言った。

 

「ベアトリス、お前は……レムを覚えているの?そして……何処まで知っているの?」

 

その問いに、ベアトリスの瞳が微かに揺れた気がした。

 

「…………」 

 

その沈黙は、答えが出ないのか、それとも言いたくないのか。

そのどちらかなのか判断がつかず、オリーバーは不安げな表情を浮かべる。

そして、ベアトリスは小さく息を吐き、こう告げた。

 

「――お前達の今の質問は、『暴食』に喰われた誰かのことを問い質す言葉なのよ」

 

「――! やっぱり、お前は……」

 

「こんなこと、暴食の権能を知っていれば見当がつくかしら。ロズワールもにーちゃも知っていることなのよ」

 

ベアトリスの言葉に、オリーバーは首を傾げる。やっぱりベアトリスはレムのことを知っている。その事実に間違いはない。だが、何故彼女は答えないのか。

答えたくないと言うのは、ベアトリスなりに辛いのだろうか。それとも、レムのことをどうでもいいと切り捨ているのだろうか。――後者じゃないとは思いたいが。

 

「……もう、いいかしら。ささっと出ていくのよ!お前達!」

 

そう叫ぶと、また空間がねじ曲がり始める。今度は先程よりも大きく、オリーバーとスバルの体も一緒に飲み込まれそうになる。

しかし、それを必死に堪え、オリーバーは叫んだ。

彼女の名を呼び、

 

「ベアトリス――!」

 

と、名前を呼んだ瞬間、オリーバーとスバルは禁書庫の外に放り出された。

 

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

 

ベアトリスに放り出されたスバルとオリーバーは、そのまま地面に転がった……のではなく、思いっきり人とぶつかっていた。

 

「痛ぇえっ!?」

 

尻餅を突き、ぶつけた腰をさすっていると、人を下敷きにしていることに気づいた。

 

「あぁ、ごめん。大丈夫か!?……ってオットーか。なら、いいや」

 

下にいたのがオットーだったことで安堵する。彼ならばまあいいだろうという感覚で納得し、立ち上がる。

 

「その反応は酷くないですかねぇ!?」

 

抗議の声を上げるオットーだったが、すぐに立ち上がり服についた汚れを払う。

 

「……ごめん、ごめん、冗談だってば。んで、何やってんの?」

 

「こっちの台詞ですよ。僕はトイレに行って戻ってきたら、いきなりナツキさんとオリーバーさんが飛び出してきて、ぶつかってきたんですよ」

 

「おぉう……マジでごめんな」

 

「謝るなら精神誠意、僕に対して謝罪してくださいよ。今度からもっと優しくしてくれるとかで構いませんから」

 

「うん、それは無理だ」

 

「即答しないでもらえますかね!?」

 

「うーん、俺は考えとくよ」

 

即答で無理と言ったスバルと少し考えてから答えたオリーバー。この差は一体なんなのだろうか。とオットーは思ったが、口に出すのは控えておいた。

 

「んなことより、ささっとエミリア達と合流しようぜ」

 

「そうだな、そうしよう」

 

そう言って三人は歩き出した。



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二話 『いざ、聖域へ』

 

 

部屋に戻り、ベアトリスとの会話を思い出す。

結局のところ、レムについての話は聞けなかった。やはり、彼女は何も話そうとはしなかったのだ。

そして、オリーバーの問いに対しても、ベアトリスははっきりと答えることはなかった。

 

「……ベアトリスは何であんな表情して……」

 

何故、あんなに辛そうな表情を浮かべていたのか、それが気になって仕方がない。ベアトリスにとって、レムはどのような存在だったのだろうか。どんな想いを抱いていたのだろうか。

 

何も感じていない、ということはないと思う。……思うと言うか、思いたくないだけだが。そう思っていると、

 

「本当にベアトリス様の禁書庫に立ち入れるんですのね」

 

フレデリカが紅茶を注ぎながら呟いた。その反応にスバルは

 

「なんだよ?疑ってたのか」

 

「はい。オリーバー様はともかく、貴方は信用できませんでしたわ。ですけれど、今はもう疑いはありません。何せ、エミリア様がスバル様とついでにオリーバー様がどれだけ頼りになるかそれはそれは言葉を尽くしていただいたので」

 

「俺、ついで?」

 

不満そうに言うオリーバーに対し、フレデリカは小さく微笑みを返し、

 

「ええ。オリーバー様が頼れる方なのは存じておりましたから。それにスバル様のこと私あまり知りませんでしたし。それにオリーバー様がついで、と言いましたが、スバル様と同様オリーバー様のこともそれはそれは熱く語ってくれましたわ」

 

「ち、ちょっと!ち、違うわよ!スバルにオリーバー!た、確かに二人の話をしたのは事実だけど、べ、別にそんなに長く話してはいないわよ!」

 

「いや、でも、エミリア様のあの話を聞いたらオリーバーさんとナツキさんも意外と隅におけませんねぇ」

 

オットーの言葉に、スバルは悔しそうに何故その場に自分はいなかったんだと嘆き、

 

オリーバーは照れくさそうに頬を掻いていた。

その光景を見て、フレデリカは小さく笑い、エミリアはごほんと咳払いをして、

 

「もうフレデリカ!話の続き!」

 

「はいはい。分かっていますわ。……それで行き止まりになることのないように話し合いを」

 

「行き止まり?どういうこと?」

 

聞き返すスバルに、エミリアがこう言った。

 

 

「スバルがベアトリスと会えてもあの子が質問に答えてくれるかは別でしょ?ほらスバルもベアトリスもすごーく意地っ張りだから」

 

「表現が可愛すぎる気がするけど確かに」

 

同意するオリーバーに、 エミリアは更に言葉を続ける。

 

「私もロズワールと話したいことがたくさんある。だからフレデリカにお願いしたの。聖域の場所を教えてって」

 

「……フレデリカが教えてくれるってのか?」

 

「エミリア様に根負けしてしまいました。できるだけ口外しないように言いつけられているのですけど」

 

そう言いながら、フレデリカは苦笑いを浮かべる。

だが、すぐに真剣な顔になり、

 

「ただ少しだけ準備にお時間を頂きたく。2日ほどでしょうか」

 

「まぁ、そりゃ、そうだろうな。揃って屋敷空けるわけだし、色々と用意がいるだろうし」

 

オリーバーは納得しながら、そう言ったがフレデリカは首を横に振って、

 

「いえ、私は屋敷に残りますので同行は出来かねます」

 

「え……?じゃ、どうやって……行けばいいの?」

 

スバルは困惑しながら尋ねるが、オリーバーも同じ気持ちだ。スバルと同じ気持ちとか、気持ち悪い気しかしないが。

 

と、思っていると、オットーは『ふふふっ!』と声をあげる。その反応にオリーバーは思わず、

 

「な、なんだよ?オットー」

 

「察しが悪いですね、ナツキさん、オリーバーさん」

 

オットーは楽しそうに、二人に向かって笑った。その笑みにオリーバーは首を傾げるが、スバルはオットーが何を言いたいのかを理解したようで、

 

「あぁ!つまり聖域までオットーがフォローしてくれると。少しでもエミリアに協力的に接してその後ろ盾のロズワールの印象を良くしようっていう魂胆で」

 

「……なるほど……」

 

オリーバーは理解したが、正直言って、そこまでやるのかと思った。

確かにロズワールは辺境伯で貴族の中では最上位に近い地位にいる人間である。彼に気に入られれば、今後の活動がやりやすくはなるかもしれない。

 

商人として、その辺りの打算的な考えはオリーバーにも理解できる。

が、それでエミリアが利用されている、と思うと素直には頷けない部分はあるものの、

 

「下心見え見えのお前の好感度は高いぜオットー」

 

「ナツキさんに言われると釈然としないんですが!」

 

そんな会話をしている二人に対して空気の悪いことを言うのは気が引けるので黙っておくことにする。

 

「ってことで俺たち四人で聖域の話を聞くよ」

 

「承りました」

 

フレデリカは頭を下げ、それから 小さく息を吐き、 彼女はこう言った。

 

「これよりお話ししますのは口外無用のクレマルディの聖域の場所と入り方。そしてその聖域に行くにあたって忘れてはならない名前、ガーフィールという人物にお気を付けください」

 

「ガーフィール……ああ……ラムにぞっこんな奴か……会ったことはないけど」

 

そういえば、以前ラムが話していたような気がする。レムの数少ない感情を露わにし、気軽に接することのできる相手だとか。

「そいつがどうかしたのか?」

 

オリーバーが尋ねると、フレデリカは表情を引き締めて、

 

「…… 聖域においてエミリア様たちが最も注意して接しなければならないのがその人物ですわ」

 

そう、フレデリカは告げた。



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三話 『聖域の魔女』

 

2日後、オリーバー達は聖域に行くことになった。欠伸をしながら廊下を歩いていると、

 

 

「あ、ペトラにスバル」

 

「あ、オリーバー様……おはようございます!」

 

「おー、オリーバーおはよう」

 

 

気だるにそう言ったスバルと嬉しそうにそう言ったペトラにオリーバーは手を上げて、

 

「おー、お二人ともおはよう。……あ、そっか。今日からか。ペトラがここの屋敷で働くの」

 

「はい!そうです!」

 

 

メイド服に身を包み、胸を張る少女を見てオリーバーは感慨深げに言う。好きな男の為に、一生懸命働く女の子の姿というのはやはり見ていて応援していたいし、先からペトラがスバルのことをチラッチラッと見ている様子は微笑ましい以外の何者でもない。

 

 

ただ、スバルがペトラの気持ちに気づいていないのがなんとも言えないところではあるが。

 

「……本当、お前はもっと鋭くなった方がいいよ」

 

「え?急に何?」

 

呆れたように肩を落とすオリーバーにスバルは疑問符を浮かべ、首を傾げる。察しが悪すぎるのも考えものだ。

 

「……そろそろ時間では?」

 

と、ペトラが時計を見ながらそう呟いた。彼女の言葉にオリーバーは頷き、

 

「本当だ。じゃ、ささっと行くかー」

 

「ああ、そうだな」 

 

そう言って三人は足早に歩きだした。

 

 

 

△▼△▼

 

 

 

ペトラとフレデリカの見送りを受け、オリーバーたちは竜車に乗り込み、エミリアの隣にさっと座るオリーバー。それに負けじと、スバルは反対側に素早く腰を下ろす。

 

本来ならスバルとオリーバーがバチバチとした空気になりそうなものだが――。

 

「……パック……」

 

自身の、結晶石を見て悲しげな表情をするエミリアを前に言い争いなど出来るはずもない。故に二人は、

 

「エミリア……大丈夫か?」

 

 

と、心配の言葉をかけるしかないのだ。

スバルの声に、エミリアは少しだけ顔を上げ、

 

「う、うん。大丈夫よ……!」

 

「顔は出さないだけで契約の繋がりは感じるし、しばらく顔を出さない時もあったけどさ、その時だってエミリアのことちゃんと見守ってくれてるし、今回も大丈夫だろ」

 

オリーバーの励ましに、エミリアはぎこちなく笑いながら、

 

「う、うん。そうよね!パックは私のことを一番に考えてくれるものね!私も信じないと…!私がこんなんじゃオリーバーとスバルを守れないもんね!」

 

ぐっと両手を握って決意を新たにする彼女。

そんなエミリアの様子にオリーバーは苦笑しながら、

 

「…エミリアは俺が守るよ。後ついでにスバルとオットーも」

 

「あ、そうね。オットーくんのことも忘れちゃ駄目よね……」

 

エミリアは一瞬、オットーの名前を忘れていたようだったが、すぐにハッとして訂正してきた。

 

「………不憫なオットー……エミリアたんに忘れられるとは……」

 

「お、オットーくんには言わないであげて……」

 

そんな会話をしていると、突然エミリアとオリーバーの結晶石が光りだした。青く、怪しく輝くその輝きに、オリーバーは目を見開く。

 

「何だこれ!?」

 

そう叫ぶのと同時に、オリーバーは気を失った。

 

 

△▼△▼

 

 

「おや、起きたかい?」

 

目が覚めると、オリーバーは椅子に座っており、目の前には見知らぬ女がいた。

 

恐ろしく美しい女だった。

透き通るような白い肌に、腰まで伸びた純白髪。

そして、宝石のような双眸がこちらを見ていた。思わず息を飲むぐらいには美少女だった。

 

「君があの子の幼馴染か…ふふっ、気に入った。あの女は嫌いだけど君は嫌いじゃない」

 

「………あんた誰だよ」

 

警戒を露わにするオリーバーに対して、彼女はくすりと笑うと、

 

「僕の名前はエキドナ。……強欲の魔女と名乗った方がいいかな?」

 

「………は?強欲って……!」

 

「オリーバー。こいつに話は通じない」

 

食いかかろうとしたその時、隣にいたスバルがオリーバーの腕を掴み、耳打ちしてくる。その表情は真剣そのものだった。

その表情に気圧され、オリーバーは口をつぐみ、

 

「……これ何のお茶?」

 

「……飲まない方がいいぜ」

 

「そんな言い方は傷つくなぁ。僕はこれでもか弱い乙女なんだよ?」

 

ぷんすか、と可愛らしく怒ってみせるエキドナ。

確かに、見た目はとても可憐な少女に見える。彼女が『強欲の魔女』と名乗っていなければの話だが。

 

「で、何のお茶なの。これ」

 

「体液だってよ」

 

さらっと言うスバル。その答えに、オリーバーはカップを落としそうになる。

体液、という単語から想像できるものは一つしかない。

つまり、 この液体は――。

 

「……汚い!汚すぎる!なんちゅうもん飲ませようとしてたんだ!?」

 

大声を上げるオリーバーに、エキドナは肩をすくめて、

 

「それで……だ。ナツキ・スバルにオリーバー」

 

「無視かよ」

 

オリーバーの言葉を無視して、エキドナは二人に向き直る。

それから、 にんまりと、妖艶な笑みを浮かべて言った。

 

「問答を交わすのに必要なのは互いの存在だけ。余計な無駄は省くとしよう。言葉だけあればいい」

 

「言葉ねぇ」

 

オリーバーは腕を組みながら、目の前の魔女を睨む。

エキドナはそれに構わず、淡々と語り始めた。

 

「君の知りたい欲を、好奇心を、強欲を僕は肯定しよう。さぁ、君は何を聞きたい?飢餓から世界を救うために天命と異なる獣を生み出した魔女ダフネのことかい?世界を愛で満たそうと人あらざる者たちに感情を与えた色欲の魔女カーミラのことかい?争いに満ちた世界を嘆きながらあらゆる人たちを殴り癒やした憤怒の魔女ミネルヴァのことかい?それとも安らぎをもたらす、それだけのために大瀑布の彼方へ竜を追いやった怠惰の魔女セクメトのことかい?幼さ故の無邪気と無慈悲で咎人を裁き続けた傲慢の魔女テュフォンのことかい?ありとあらゆる英知を求めて死後の世界にすら未練を残した知識欲の権化、強欲の魔女エキドナのことかい?それともそれら全ての魔女を滅ぼし 自らの糧として世界を敵に回した嫉妬の魔女、あの忌むべき彼女のことかい?」

 

「ち、ちょっと待って!情報が多すぎる!てか、全部知りたいけども!」

 

オリーバーは慌てて制止する。

エキドナは目を細め、 オリーバーの反応を見て楽しんでいる様子だった。それに若干の苛立ち、焦燥を覚えながらも、

 

「えっと……じゃあまずは……」

 

「ぐっ……!」

 

聞こうとすると、スバルが胸を押さえ、苦しみ出した。

 

「え?何!?」

 

慌てるオリーバーに、 エキドナはスバルを一別すると、

 

「思ったより早かった。さすがに適合者は馴染むのが早い」

 

「何を言ってる…!?」

 

「お茶を飲んだろ?あれで怠惰の魔女因子に働きかけて君の抵抗力を強くしたんだよ。……どうやら、怠惰の魔女因子は一つじゃないみたいだけどね」

 

「――?」

 

エキドナは何を言っているのか。

オリーバーは困惑するが、それを意に介さず彼女はスバルを見つめると、 愉しげに笑い、そしてスバルの首を優しく撫でて、

 

「誤解しないで欲しいのだけど僕は別に君を使って悪さをするつもりは一切ないよ。寧ろ、二人のことを好ましく思ってるよ」

 

ニッコリと微笑み、エキドナは言う。

それは、 魔女に相応しい、 邪悪な笑顔だった。

 

「だから僕は君たちの味方だ」

 

「ふーん、俺らの味方ってことはエミリアの味方ってことになるぜ?」

 

エミリア、という言葉にエキドナは最大に顔を歪める。

 

「…あんな子を味方にした覚えがない。むしろ、僕の敵だ」

 

そう吐き捨てるように言った。先までの感情が分からないエキドナと違い、明確な嫌悪が見て取れた。

オリーバーはそんな彼女に少し驚きつつ、

 

「……エミリアのこと嫌いなの?それって……」

 

「別に嫉妬の魔女の容姿がそっくりなのは関係ないよ。僕はあの女が嫌いなだけ。ただそれだけさ」

 

オリーバーの言葉を遮り、エキドナは断言する。あまりの勢いに、オリーバーは何も言い返せなかった。

 

「そうか……ふーん。じゃ、聞きたいことは何もないや。俺は」

 

「俺も。早くエミリアと合流したいので帰る方法教えてくれ」

 

え!?ち、ちょっと待ってくれ!僕は強欲の魔女だよ!?何でも知ってる!何でも答えられる!ほら!何かあるだろう!?」

 

必死に食い下がるエキドナに、 スバルは面倒くさそうな表情を浮かべ、オリーバーは、

 

「悪いけど、エミリアを悪く言う人に教えを乞うつもりはないんで」

 

「…俺もエミリアを悪く言う奴は許さない。後単純に興味がない」

 

はっきりと拒絶の意思を示す。

その言葉にエキドナは絶句しているが、二人は気にせず、

 

「まぁ、お茶会はまたの機会にしてやるから。今回は帰る方法だけ教えて」

 

「そうだな。二度と来たくないけどな」

 

「……死者に…それも魔女に…そんな簡単なことのように約束を取り付けるのか………こんなお茶会初めてだ…」

 

項垂れ、ぶつぶつと呟くエキドナ。

だが、すぐに立ち直ったらしく、

 

「本当に帰るなら対価をいただこうか」

 

「……対価?」

 

怪しく笑うエキドナに、スバルは警戒を強める。

しかし、エキドナはいつもの笑みを浮かべたまま、 二人に近づき、 そっと、手を伸ばし、

 

「君に求めるのは誓約かな。この茶会の出来事の口外禁止。それが条件だ」

 

耳元で囁き、 二人の頬に触りながら、

 

「それと折角だ。お土産を持たせてあげるよ。君にこの聖域の試練に挑む資格を与えよう。こっちは……もう既に試験に挑む資格は持ってるようだけど」

 

「………俺、持ってるの?初耳なんだけど?」

 

オリーバーの問いに、エキドナは笑う。それは魔女の微笑みだった。

 

「何で試験を挑む資格を持っているのか、それはまたここに来ればわかるよ」

 

そう言いながらエキドナは二人の額に自分の指を添える。すると二人の体が淡く光だし、エキドナはそれを見届けてから、

 

「じゃあ、また来るといいよ」

 

そんな魔女の声だけが頭の中に響いた。

 

 

△▼△▼

 

 

「……ん?ここは……」

 

「おっ、オリーバー、気付いたか?……ったく、ここまで運ぶのに苦労したんだぞ?」

 

目が覚めたオリーバーに、スバルが呆れ顔で言う。

辺りを見回すと、そこは竜車ではなく、墓標が立ち並ぶ墓地だった。

 

「あれ?俺たちは確か……竜車で……」

 

「ああ、お前は気絶してたし、ここで休ませてたんだよ。ささっとエミリア達と合流しよう」

 

「……そ、そうだな」

 

誰かと話していた記憶があるのだが、思い出せない。誰と話をしていたのかも、何をしていたのかも。

 

「なぁ、オリーバー、聞いてる?」

 

「え?ああ、ごめん。今行くよ」

 

スバルに声をかけられ、オリーバーは歩き出し、墓場へと出ようとしたとき、

 

「そんな所から堂々と!いい度胸してんじゃねぇか余所者!穴だらけのマグマリンが笑うってやつか!?」

 

突如として現れたのと同時にスバルとオリーバーの体が宙に浮く。このままでは落ちる――!と言ったところでスバルはパトラッシュが支え、オリーバーは自力着地に成功する。

 

「ナイス判断なんだけどちょっと複雑……」

 

頭の良い地竜に感心しつつも複雑な気分になるオリーバーだったが、すぐ気持ちを切り替えて、

 

「で、だ。お前は……あ、もしかしてフレデリカの関係者か?」

 

「は?何でお前の口から姉貴の名が?」

 

目の前の少年は怪しげに目を細め、睨むようにこちらを見る。下手したら今にも殴りかかってくるんじゃないかというほどの殺気が感じられた。

 

「……もしかして……君がガーフィール?」

 

「……何で俺様の名前を知っている?」

 

「そりゃ、フレデリカに聞いたからなんだけど。後、ラムからも」

 

「ラムからァ?」

 

ラム、という言葉に反応し、更に目つきを鋭くするガーフィール。それにオリーバーは若干気圧されるも、

 

「うん。ラムからも」

 

「……ラムは、俺様のことなんて言ったんダァ?」

 

期待するかのように、ガーフィールは問う。

オリーバーは少し考える素振りを見せ、そして、 言った。

 

「ベタ惚れって言ってた。ラムが魅力的すぎて困るわー、みたいなこと言ってたわ。最初は嘘だと思ってたけど……この反応は嘘じゃないみたいだね」

 

実際そんなことを言っていた。うざい、と言いつつ、満更でもない様子だったのを覚えている。……満更でもなかったのはきっとレムも関係しているのだろうけど。

 

 

「そ、そっか……へぇ……そうなのか……」

 

照れたような表情を浮かべ、嬉しそうに頬を掻くガーフィール。先までの雰囲気は消え失せ、年相応の反応を見せていた。

 

「まぁ、だからさ……こっちの話聞いてくれないか。ラムに免じて」

 

「……その名前を出されたら聞くしかねぇじゃねェか……」

 

と、ガーフィールは素直に降参した。



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四話 『聖域』

「僕……完全にやられ損なんですが……この怒りを何処にぶつけたらいいんですかねぇ?」

 

「うっせぇ馭者だな。謝っただろうが」

 

「謝ったってまさかさっきの”悪ぃボンクラ早とちりだった”って半ギレのことじゃありませんよね!?そもそも…」

 

オットーのお説教を聞きながら、オリーバーは――。

 

「エミリア……」

 

横に居る少女の名を呼ぶ。

返事はない。ただ静かに寝ているだけだ。

 

「……その髪…噂のエミリア様だろ?ロズワールの野郎が抱えてる銀髪の半魔」

 

「……半魔……合ってるけどさぁ……」

 

『銀髪の半魔』というのは間違ってないし、合っているので、なんとも言えないところだ。

 

「それとオメェも……噂のオリーバーで?」

 

「……俺、噂されてんの?何処に?」

 

エミリアと違い、オリーバーはそんなに有名ではない。エミリア陣営ではあるが、そこまで目立っている訳でもない。

 

「そりゃ、俺様もラムやロズワールの野郎に聞くまでは、お前の名前なんざ知らなかったよ」

 

「でしょうね。俺はエミリアと違って影が薄い者でしてねー」

 

銀髪のハーフエルフの時点で『影が薄い』と言うのは間違っている気がするが。そんなことを思っていると――。

 

「んん……」

 

横で寝ていたエミリアが小さく声を上げ、ゆっくりと目を開けた。そして、ぼんやりとした瞳のまま周りを見渡しながら、ガーフィールの方に目を向けると、目の色を変えて、

 

「誰!?……言っておくけどスバルとオリーバーには指一本触れさせないわ!」

 

「待ってエミリアたん!嬉しいけど男としてすっげぇ複雑だし大丈夫だから!」

 

「そうだぞ、エミリア。俺がエミリアとついでにスバルを守るから」

 

「んなァ、警戒しなくても俺様は何もしねェよ」

 

退屈そうにそういったガーフィール。スバルはエミリアの迎撃態勢をほどかせるとガーフィールに向き直って彼を示し、

 

「あれはガーフィール。エミリアたんが倒れた直後に竜車に襲い……もとい、乗り込んできた。迎えってわけじゃないだろうけど、今は『聖域』まで同行中」

 

「ガーフィールって……この人が? フレデリカの言ってた人?」

 

「なんって言われてたのか気になっけど、それは後回しにしておくとしようぜ。そら、そろっそろ村に到着しちまうっからよ」

 

 先のスバルと同様の感慨を覚えるエミリアに対し、ガーフィールは状況を整理する時間も与えずに顎をしゃくる。

 

その彼の示す通り、行く先にはどうやら森が開け、目的地である村の外観が見えてきたようで――。

 

「歓迎するぜ、エミリア様とその御一行」

 

あまり歓迎されていないようにそう言ったガーフィールの言葉にオリーバーは顔をしかめていると、

 

「ロズワールは聖域なんて気取って呼んじゃあいるがここはそんなお綺麗な言葉の似合う場所じゃねぇ。半端者の寄せ集めが暮らす行き詰まりの実験場だ」

 

「行き詰まり……?」

「半端者……」

「実験場……?」

 

オリーバーとエミリアとスバルの声が重なる。それぞれ別の観点で疑問を抱いた三人だが、しかしガーフィールはそれに応えることなく、

 

「……着いたかァ」

 

そんなガーフィールの呟きと同時に、竜車が止まったのと同時に、

 

「戻ったのね。ガーフ。随分遅い到着だったわね」

 

 

竜車の扉の向こうから聞こえたのはラムの声だ。落ち着いた口調ながらどこか棘のある響きを持つ声音であり、今聞くと安心感すら覚えてしまう。

ラムはゆっくりとスバルの方を見ながらため息を吐き、

 

「……何処ぞのバルスか存じ上げませんが遅すぎる到着で失望したわ。あぁ期待したラムがバカだったわね」

 

「存じ上げませんって言うんなら最後までその設定を貫けよ!」

 

ラムとスバルのいつも通りのやり取りにもはや安心感さえ覚えてしまうエミリアとオリーバーだった。




オットー、誕生日おめでとう。そして明日は3期(仮)が来るかもしれない日ですね!

 三期とリゼロの新しいゲーム出てきて欲しいですよね〜〜(リゼロスはサ終しちゃったので……)

 これから更新を再開していく予定です。


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五話 『拍子抜けな合格』

――ロズワールがいる部屋にラムが案内し、エミリアとスバルは入ってゆくのを見届けながら、オリーバーは――、

 

「何で、エミリアとスバルは一緒で俺はこの2人なんだ……?」

 

今オリーバーはガーフィールとオットーと共に、部屋の中にいる。オリーバーもエミリアとスバルと一緒にロズワールに会うつもりであったのだが、何故かラムに止められた。

 

 

ラム曰く、『ロズワール様の命令』らしい。勿論、不満もある。何故自分だけ除け者なのか? という疑問もあるが、それ以上に不満なのは――。

 

「何でこんな奴と……」

 

「こんな奴ってなんだよ! てめぇ!」

 

オリーバーの言葉に反応したのは、ガーフィールだ。彼は怒りを隠そうともせず、拳を振り上げている。だがその隣にいるオットーはそんな彼を宥めるように、「まあまあ」と言いつつ手で制していた。

 

 

「……別にお前のことじゃねーよ。そっちの男の方だよ」

 

「……それならいいけどよう……」

 

「ちょっと待ってくださいよ!?こんな奴って僕のことですか!?」

 

2人の会話を聞いて声を上げたのはオットーである。

しかしオリーバーはその抗議を無視し、改めて室内へと目を向けていると、

 

「あ、エミリアとスバルが来たな」

 

部屋の入口から聞こえてきた声に振り向くと、そこには確かにエミリアの姿があった。彼女はそのままこちらへ歩いてくる。何処か覚悟を決めたような表情を浮かべる彼女の姿に、

 

「……どうしたの?エミリア。なんか顔色悪いぜ?」

 

オリーバーはそう問いかけるが、エミリアは何も答えずに、ため息を吐いただけだった。戸惑うオリーバーに、

 

「……私、覚悟をきめたわ」

 

「え?」

 

「もう逃げない。私は私の運命と戦うことにする。だからあなた達にも手伝って欲しいの」

 

真剣な眼差しで言う彼女に、オリーバーは話がついていけず首を傾げるしかない。一体何を言っているのかわからないが、とりあえず何かを決意したということだけはわかった。

 

「……よくわからんが、俺に手伝えることがあるんだったら手伝うぞ」

 

と、それだけは言った。

 

 

△▼△▼

 

 

エミリア曰く、『聖域の試験』を受けるらしい。正直、オリーバーには試験を受ける意味がよくわかっていないのだが、彼女が決意を固めたというならば、それを信じ、見守るだけだと思っていた。

 

 

そして『聖域』の試験は『ハーフ』しか受けられるらしい。つまり、オリーバーも受ける資格があるわけなのだ。

 

 

「その様子はエミリア様のことが気になっている顔じゃの」

 

 

横合いから幼い少女――の見た目をした中身はいい大人のリューズが声をかけてきた。最初見た時はかなり驚いたものだが、今では慣れたものである。

ガーフィールとは会ったことはなかったが、リューズとは一回だけ面識があるし。

 

「ええ。気になってますよ。エミリアには辛い思いはして欲しくありませんから」

 

 

そう答えた直後。

 

「墓所の灯りが、落ちちまったぞ!?」

 

不意にスバルの声が上がった。そちらを見ると、彼の言う通り墓所内の明かりが全て消えていたのだ。試練が起きる間は光を放つという話だったが……。

 

「……っ!エミリア!」

 

「オリーバー!?」

 

 

スバルの制止する声を無視して駆け出す。無我夢中に墓所内を走り抜け、最奥部まで辿り着くと――、

 

 

「エミリア!」

 

 

倒れる彼女を抱き起こす。すると、 《まずは己の過去と向き合え》 そんな言葉と共に視界が黒に染まってゆく。気がつけばそこは薄暗い空間で――。

 

「え……?」

 

目の前にはエミリアが凍っている。自分の目の前で凍り、静かに眠っている横で――。

 

「ごめんな。俺が弱いせいで……」

 

その氷像の前に佇む少年がいた。彼は膝をつき項垂れたまま動かない。それが自分だと気づくのに時間はかからなかった。でも、こんな記憶知らないし覚えていない。なのに何故? と混乱していると

 

「おや。来たんだね」

 

背後からの聞き覚えのある声に振り返ると、そこには――。

 

「誰?」

 

そこに立っていたのは白髪の少女だ。年齢は十歳前後だろうか? 彼女はオリーバーを見つめながら微笑み、

 

「これが君の過去さ。君の記憶の欠片だ」

 

と告げてくる。意味が分からない。そもそもここはどこなのか? どうして自分はここにいるのか? 疑問だらけだ。しかし、今はそれどころではない。

 

「……ああ、あの時の魔女か」

 

そう呟いた瞬間、オリーバーの脳裏に甦る光景があった。それはお茶会の出来事だ。

 

「思い出したんだね。……さて、君は試練を乗り切れるかな?」

 

「……過去って言われても……この光景だけ見せられても何が何だかわかんねーよ。まさかこれが乗り越えるべき壁だってのかい?」

 

そうだとしたら随分と舐められたものだ。こんなもので自分のことを試せると思っているなんて。だが、

 

「……よく分からんけど、これが乗り越える壁なら、俺はこんなもの簡単に超えられるぜ」

 

オリーバーの言葉に、エキドナは口元に笑みを浮かべた。

 

「そうか。なら、合格にしてあげるよ」

 

「……え?おいおい。本当に合格なの? なんかあっさり過ぎて拍子抜けなんだけど……」

 

「そうでもないと思うけど。……試練は三つさ。本当は一つめの試練の方が難しいんだよ。でも、君の場合は一つ目より二つ目が難しいだろうと思って、甘めに設定しておいたんだ」

 

エキドナはそう言った直後視界が黒く染まっていった。



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六話 『ロズワールの思惑』

 

 

――見事に試験は合格となった。スバルも試練は合格した。しかし……エミリアは不合格だ。三人中一人だけが不合格。その事実に落ち込んでいて、何と声をかけるべきなのか悩む。

 

一人だけの、不合格なんてメンタルをやられている。

だからオリーバーは、エミリアに何も声をかけないことにした。今はそっとしておくべきだと、そう判断したからだ。

 

 

△▼△▼

 

「……オリーバー。ここにいたの」

 

「ラムか。どうした?」

 

オリーバーは今エミリアの寝室にいた。エミリアは昨夜から眠り続けていて、全く起きる気配がない。

 

「……いやらしい」

 

オリーバーの返答にラムは冷めた目を向けてくる。だが、それも仕方ないだろう。何故なら、今のエミリアは寝巻き姿なのだ。つまり彼女の下着姿がモロ出しになっているわけで……。

 

「寝込みを襲うなんて、サイテーね」

 

「いや、違う! 俺はただエミリアのことが心配で……」

 

「ハッ!」

 

ラムはオリーバーの言葉を鼻で笑い、エミリアの枕元へと歩み寄った。そして、エミリアの寝顔をジッと見つめながら、

 

「エミリア様は、乗り越えられるのかしら?……この試練に」

 

「さあ、どうだろうな。……でも、エミリアは乗り越えられるよ」

 

 

それは何の確証もない、ただの希望的観測でしかない。だがオリーバーはそう信じていた。

 

何故なら自分は知っているからだ。エミリアがどれだけ強い子なのかを――。

だからきっと乗り越えられるはずだと、そう思っているのだ。

そんなオリーバーの答えにラムは何も返さず、ただ静かに眠っているエミリアのことを見つめていたが。

 

「ん……んん……」

 

不意に、エミリアがゆっくりと目を開けた。そして、ぼんやりとした眼差しのまま周囲を見渡している。

 

「エミリア、大丈夫か?」

 

「……オリーバーにラム……?あれ……私……?」

 

「試練の途中で倒れたんだよ。覚えてない?」

 

オリーバーの言葉に彼女は少し考え込むと、すぐに目を見開いて顔を青ざめさせた。

 

「わ、私、試練に失敗……?ご、ごめん、なさい……私……」

「落ち着いてエミリア。大丈夫だよ」

 

オリーバーは震える彼女の肩に手を置きながら優しく声をかける。すると、彼女はゆっくりと深呼吸し、それから改めて口を開いた。

 

「今日はもうゆっくり寝な。試練は明日もある。……だから、今日はゆっくり休むんだ」

「オリーバーの言う通りです。エミリア様」

 

エミリアは二人の顔を交互に見つめると、やがて小さく頷いてから再びベッドに横になった。そんな彼女に布団をかけ直しながら、オリーバーはラムへと視線を向けると、

 

「エミリア様の今の状況じゃ試練を合格するだなんて到底無理ね」

 

ラムの突き放すような言い方。だが、それは事実だ。普段ならエミリアのことを悪く言われたのなら誰であろうと言い返すオリーバーだが、今回ばかりはラムに何も言い返せない。

 

信用すると言ったくせに。でも、エミリアのこの状況を見たら、どうしても――

 

「………でも、ロズワール様はそれを望んでいる」

 

ぽつりとつぶやかれた言葉。ラムはエミリアの寝顔を見つめながら、 その横顔にはどこか複雑な感情が入り混じっているように見えた。

 

しかし、それよりも――、

 

「ロズワールが望んでる?試練に失敗するのを……?」

 

「ええ。ロズワール様はこう思っている。エミリア様は試練を失敗すると。そしてラムもそう思うだけ」

 

淡々とそう言ったラム。試練に失敗し、エミリアが傷つくことを望んでいる。それがロズワールの本心なのだろうか? だが、ラムは続ける。

 

「……ロズワール様がそう考えている理由はラムの口からは言えない。でも……ラムはその思惑を……」

 

そこまで言って、ラムは口を噤んだ。

そして、エミリアの寝顔をじっと見つめたまま黙り込んでしまう。

オリーバーはそんな彼女の横顔を見つめながら、

 

「思惑を……なんだ?」

 

「言えない。これはロズワール様の望みだから……それを叶えるのが、ラムの役目よ。……今の状態のエミリア様じゃどう転んでもロズワール様の思惑通り事は進む。それがいいことか悪いことかなんてラムには判断がつかないわ」

 

そう言ってラムは出ていく。オリーバーはそんなラムの背中を見つめながら、ふとエミリアの寝顔へと視線を向けながら。

 

「最悪俺が……」

 

エミリアの代わりに試練を合格し、彼女の名誉を守る。

その決意を固めたのだった。――その決意がロズワールの思惑通りだとも知らずに。

 

 

△▼△▼

 

 

――最悪な光景だった。

 

 

「スバル!スバル!」

 

自分のことを一切見ないエミリア。彼女の瞳には、自分ではなくナツキ・スバルしか映っていない。

 

「え、エミリアたん、俺はここだよ」

 

「え?うん。知ってるわよ。ふふっ。変なことを言うのね。スバル。……それより、早く行きましょう?」

 

そう言ってスバルの腕を引くエミリア。彼女の瞳は真っ直ぐにスバルを見つめている。オリーバーは見えていない。

 

「嫌だ……」

 

自分ではない恋敵(スバル)を見つめているエミリア。そんな光景、耐えられるわけがなかった。二人の姿が、どんどん遠ざかっていく。

――嫌だ。待ってくれ。行かないでくれ! そう叫んでも、声は届かない。やがて二人の背中は見えなくなり、オリーバーだけが一人取り残されて、

 

『お前は一生そうだ。お前の恋が実ることなんて、ない』

 

どこからかそんな声が聞こえた。オリーバーは振り返るが、そこには誰もいない。ただ深い闇があるだけだ。

 

「俺は……俺は……」

 

スバルには勝てないのだろうか?自分の恋は実らないのだろうか? そんな考えが頭の中をぐるぐる回り続ける中、次第に意識が薄れていき――。

 

 

「はっ……!?」

 

オリーバーは飛び起きた。そして、周囲を見渡しながら荒い息を整える。

 

「ゆ、夢……か」

 

最悪の気分だった。あんな夢を見るなんて最悪としか言いようがない。しかも内容が内容だ。エミリアの想い人はスバルで、自分はただそれを遠くから見ているだけだなんて――そんな悪夢を見てしまった。

 

「……何なの、この夢は……」

 

最悪の気分だ。こんな光景を、正夢にしたくない。

 

「………でも、もし、正夢になったら……?」

 

スバルが、エミリアの想い人になったら。そうしたら自分はどうなる?どうなってしまうのだろう?

 

「怖い………」

 

オリーバーはその恐怖に身を震わせながらも起き上がった。



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七話 『記憶』

起き上がったのはいいものの、辺りには、誰一人いなかった。エミリアも、スバルも、ラムさえも。

 

「みんなどこに……?まさか、俺だけ置いていかれた……?」

 

不安が押し寄せてくる。オリーバーは、何か嫌なものを感じながらも聖域内を歩き回ったが、誰一人としていない。

 

「(……今思うと俺、ずっと蚊帳の外だ)」

 

話し合いにも参加できず、ただ、蚊帳の外にいる。

 

「(……もう、嫌だよ、こんな生活)」

 

自分の存在価値を見失いかけていた。自分は何が出来るのか全く分からない。

 

「死にたい……」

 

死んだところで『死に戻り』が発動するのはわかっている。

しかし、もう限界だ。こんな生活を続けたくない。そんな時だ。

 

「……え?」

 

光だ。死に戻りとは違う別の光がオリーバーの体を包み込み──

 

「ようこそ。オリーバー。僕のお茶会へ」

 

──まるで、夢の中にいるかのように、意識が遠のいていく中、見えたのは……

 

「……エキドナ……?」

 

「ああ。僕のことを、覚えていてくれたんだね」

 

「……また、お前の夢か?」

 

「そうだよ。ここは君の夢の中だ。そして僕がこの夢の主催者さ」

 

エキドナは優雅に紅茶を飲みながら笑う。その笑顔は相変わらず胡散臭いものだったが。

 

「俺を呼んで何のつもりだよ」

 

「そんな睨まないでくれよ。怖い怖い」

 

「茶化すな。何の用だ。俺は、もう疲れたんだ」

 

「そうかい?」

 

そう言いながら、エキドナはオリーバーに近づいてゆく。そして、オリーバーの頬を優しく撫でた。

 

「何の真似だ」

 

「いや、ただ、君が少し可哀想だと思ってね。だから、こうして夢の中に招待したのさ」

 

「……可哀想?俺が?」

 

「ああ、可哀想だ。君はずっと蚊帳の外だからね、しかも好きな女は別の男に夢中。報われない恋だ」

 

エキドナは、オリーバーの耳元で囁く。その吐息がこそばゆくて、思わず身をよじる。

しかし、エキドナは逃さないとばかりにオリーバーを押し倒して、

 

「な、なにすんだよ!?」

 

「君が可哀想だから、慰めてあげようと思ってね。さて、どうする?このまま、僕とやるかい?」

 

誘惑するように、エキドナはオリーバーを押し倒して、唇に指を這わせた。

思わず唾を呑むオリーバー。このまま流されてしまえば、楽になれるかもしれないと、そう思ってしまったから。

 

「このまま、楽になれば君は救われる」

 

エキドナは、オリーバーの耳元で囁く。それはまるで、悪魔の囁きのように。

しかし──、

 

「そういうのやるのだったら二人っきりの時にやってくれないか?」

 

ナツキ・スバルの声だ

オリーバーが振り向くと、スバルは不機嫌そうな顔で立っていた。

 

「おや。何だい?その不機嫌そうな表情は……もしかして僕が取られるとでも思ったのかい?」

 

「は?別にお前がオリーバーを押し倒していようがどうでも良いよ。ただ……」

 

スバルは、オリーバーに手を差し伸べて、言った。

 

「こいつは俺のライバルだからな」

 

ハッキリと、そう言い切った。

その宣言にオリーバーは思わず呆気に取られる。そして、エキドナも意外だったのか、目を丸くし──笑った。

 

「ライバル、か。まさか君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ。このまましちゃえば、好きな女は君の物にできたかもしれないのに」

 

「うるせぇ。俺は正々堂々、オリーバーと勝負するって決めてんだよ」

 

スバルはオリーバーの手を引いて起こしながらエキドナにそう宣言する。

その表情は、どこか清々しいものだった。

エキドナもそれは同じようで、いつもの胡散臭い笑顔ではなく、心の底から楽しそうに微笑んでいた。

 

「お前……なんで……」

 

「あ?」

 

「だって、お前はエミリアが好きなんだろ?なのに……今のを止めない方がお前にとって好都合だったんじゃないの?」

 

今、オリーバーの脳内には、スバルに対する疑念が渦巻いていた。

何故、スバルはここまで自分に構うのか。それが不思議でならなかったから。

だが、そんなオリーバーに、スバルは指を突き付けながら言う。

 

「勘違いすんなよ、オリーバー。俺はエミリアが好きだし、お前のことは敵だと思ってる。でもな」

 

そして、スバルは言ったのだ。その真っ直ぐな瞳で言葉を紡ぐ。

 

「エキドナに思い通りになるお前なんて見たくねぇんだよ」

 

「………そう」

 

オリーバーは、スバルの真っ直ぐな瞳を直視できず、思わず目を逸らしてしまう。そして、ぽつりと呟いた。

──ありがとう……と。

 

「あーあ。結構君のことを気に入っちゃってたのに、残念だな」

 

エキドナは本当に残念そうに肩をすくめた。クスクスと、笑いながら。

 

「とゆうか、お前……なんで、俺を呼んだんだよ」

 

「ふふっ。言っただろう?僕のお茶会にようこそって。君を招待した理由は、君が可哀想だと思ったからだよ。オリーバーの記憶が消えているからね」

 

「……っ!え、エキドナ……!それは……!」

 

「記憶?」

 

スバルはその言葉に激しく動揺し、エキドナはそんなスバルを、心底楽しそうに見やり、オリーバーは何が何だかわからず首を傾げる。

そして、エキドナはスバルの動揺など気にも止めず言ったのだ。

 

「ナツキ・スバルに頼まれたから記憶を消したんだ」

 

「え、な、なんで……?」

 

オリーバーは混乱する。何故スバルがそんなことをしたのか理解できないから。

そんなオリーバーに、スバルは目を逸らしながら言う。まるで、言いたくないことのように。

 

「……どうしてナツキ・スバルがそんなことをしたか、知りたいかい?」

 

「あ、ああ……」

 

「それはね──」

 

エキドナが、オリーバーに何かを耳打ちしようとした瞬間。スバルは、オリーバーとエキドナの間に割り込み──、

 

「やめろ。オリーバー、聞くな。聞いたらダメだ」

 

スバルはオリーバーを庇うように立ち、エキドナを睨み付ける。その目は鋭く尖っていた。まるで、敵を見るかのように。

しかし、エキドナもそんなスバルの睨みに臆することなく続ける。

 

「おや?何故だい?ナツキ・スバル。オリーバーは知る権利があるはずだ」

 

エキドナの言葉に、スバルは激昂する。それはまるで威嚇するように。

だが、エキドナも引かない。それどころか、挑発するような言葉を投げかける。

 

「君との契約は結ばれなかった。ならオリーバーの記憶を戻すのは僕の自由だ。それとも、結ぶかい?僕と契約を」

 

「っ!」

 

エキドナの言葉に、スバルは唇を噛みながら悔しそうに俯く。そんな二人のやり取りに、オリーバーはついていけない。

だから何も言えない。

 

「さて、どうする?ナツキ・スバル」

 

「お、俺は……一人で……辛いのは一人だけで十分だ」

 

辛いのは一人。その言葉が、オリーバーの中に――、

 

「……ふざけんな」

 

――怒りを、灯した。ギロリと、スバルを睨む。

その瞳に宿るのは、確かな怒りだ。

そしてオリーバーは、そのままスバルの胸ぐらを掴み、

 

「お前一人が辛い思いしてると思うなよ……!」

 

そのまま、スバルを引き寄せ、怒鳴りつける。

 

「お前はいつもそうだ!自分の中で勝手に決めて、俺には何も相談しない!一人で抱え込んで!」

 

今まで溜め込んでいた、スバルへの怒りが、一気に爆発したのだ。

その勢いに、スバルはたじろぐことしかできない。エキドナも驚いているのか微動だにしない。

 

「……エキドナ。俺の記憶を戻せ」

 

そして、オリーバーはエキドナにそう言った。その言葉に、スバルは目を見開いているが、エキドナは、

 

「いいのかい?」

 

と、オリーバーに確認を取る。しかし、オリーバーは迷いなく頷いた。その行動にエキドナはクスクスと笑う。

 

「……やっぱり面白いね。君は」

 

「うるせぇ。早くしろ」

 

「はいはい。オリーバー、目を閉じてくれ」

 

エキドナに言われるまま、オリーバーは目を閉じる。そして、エキドナが頭に触れた瞬間――。

 

「────」

 

──オリーバーの意識は、闇の中に沈んだ。




エキドナって記憶消せるか知らないけどエキドナなら出来そうじゃね?と思ったので書きました。もし、原作で何かそういう描写があったら教えてください


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八話 『ありうべからざる今を見ろ』

お久しぶりです。仕事が大変で全く書けていませんでした……


――そこには辛い記憶しかなかった。

一回目はガーフィールに殺され。

二回目は大兎に殺され。

三回目はロズワールに殺された。

 

一つ一つが短くまるで掻い摘んでいるかのように。まとめられ、感情を整理する暇もなく流れていく。

 

殺された記憶に裏切られた記憶。それは決して無視できるものではなく。

オリーバーの心を苛むには十分だ。

 

「はっ、ははは……」

 

笑おうとして、力なく肩を落とす。

今だけは、笑う気力も湧かなかった。

ナツキ・スバルが自分の中の記憶を必死にして消した理由も分かり、自分の愚かしさも改めて痛感して。

そして、今はただ、泣きたかった。

泣いてしまえば、少しは何かが楽になるような気がしていたから。

だが、そんな感傷に浸っていたのはほんの一瞬でしかなく――

 

「そうだよ。俺一人が辛い思いをすればいい。俺一人が犠牲になれば、それで世界は救われる。俺一人の命で済むんなら、それはそれでいいじゃねえか……」

 

ナツキ・スバルはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。記憶の中のナツキ・スバルはそれしか手段はないと、思っている。だからオリーバーの記憶を消したのも頷けるし、実際、オリーバーだって忘れたい記憶だらけだし、その選択肢は間違っていないと思う。

だけど。

 

「……俺は……死に戻りをする度に記憶を消される方がこええよ」

 

死に戻りをするのは辛いし怖い。だけど、記憶が消されるのも怖いんだ。

それがオリーバーの本音だった。

恐怖を乗り越えて、オリーバーは立ち上がった途端――。

 

『――ありうべからざる今を見ろ』

「っ!?」

 

頭の中に、声が響いてきた。魔女の声がしてまた視界が暗転していく――。

 

 

△▼△▼

 

 

「だから……オリーバーは殺されたの?そんな……理由で……?」

 

場面が変わる。美しい銀髪を乱暴に揺らし、少女は怒りを露わにしていた。

 

「そんな理由とは何だ!俺たちはあの男に殺されそうに……」

 

ギロリと睨みつけながら、男は怒鳴りつける。

 

「(……こ、こんなの知らない…)」

 

オリーバーは記憶を探ろうとしても、全く記憶は出てこない。

当然だ。だってオリーバーの身体は男に殺されたのだから。

 

「『ハーフエルフ』の分際で、俺を睨みつけるとは……いい度胸だ!」

 

男が少女を殴ろうとする。その拳が少女の顔面に当たろうとしたところで――

 

『僕の娘を殴ろうなんて、いい度胸だ』

 

パックが、男を殴り飛ばした。

 

「がっ……!?」

 

パックの拳は男の顔面にめり込み、男はそのまま地面に倒れ伏す。

 

『オリーバーのこともだ。僕は許さない。絶対に、許さない』

 

 

そんな彼の怒り共に視点が切り替わり、パックが男に向かって何度も拳を振り落とす。

その一撃一撃に込められた怒りは尋常ではなく、オリーバーの背筋も凍るほどだった。

 

パックが男に対して何度も拳を振るう。一発、二発、三発と。

そして――四発目で、男の身体は一気に弾け飛んだのと同時に、視点が変わっていく。

 

 

△▼△▼

 

 

「俺様がァ、許さないぜェ、あの野郎」

 

 

怒りに震えるガーフィールが獣化をして、目の前にいたオリーバー蹴り飛ばす。

オリーバーは無抵抗に蹴り飛ばされ、地面を転がっていった。

 

 

「おめぇは、悪くねェ」

 

ガーフィールは獣化した足でオリーバーを踏みつける。骨の軋む音がして、オリーバーの口からもうめき声が漏れた。

だが、そんなうめき声を無視して、ガーフィールは続ける。

 

「だがァ、俺様ァ……あの野郎を許せねェ。殺す。だから、邪魔すんな。俺様ァ、あの野郎をぶっ殺してやらねェと気が済まねェ」

 

ガーフィールはそう言い切ると、オリーバーを解放して、そのまま走っていく。

 

「だ、だめ……ガーフィール!」

 

 

オリーバーが呼び止めるが、ガーフィールは止まってくれない。そして血が噴き出す。オリーバーは知らない。何をして、何を言ってガーフィールを止めればいいのか。

記憶を必死に探っても、答えは見つからない。

その答えが知りたくて、オリーバーは手を伸ばすが――

またも暗転していく。

 

 

△▼△▼

 

 

――ここは何処なのだろう。意識が混濁して、何もわからない。だが、一つだけ分かったことは……

 

「誰……?」

 

声が聞こえてくる。誰かが、自分に対して声をかけている。

その声には聞き覚えがあるし、とても安心する。だけど声の主が誰かわからない。

 

「オリーバー」

 

優しく名前を呼ばれるけども、誰なのかはわからない。そして、自然と顔が赤くなっていくのを感じていく。いったい、誰が自分を呼ぶのだろうか。どうしてだろうか。なぜだろう。わからない。

 

わからないけども、とても幸せな気持ちになった。

この幸福感を、もっと味わいたい。そう思えたのだ。

その声の主に手を伸ばそうとするが――

暗転した世界は明るくなる前に。

 

 

「――オリーバー」

 

そんな少女の声が聞こえてきた。



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