にちかに美琴様だけは絶対に渡さん。 (バナハロ)
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プロローグ
欲しいものが目の前にあった時、人は無力。


にちか、まだアイドルになる前です。


「だーかーらー! ここはミニ立ち絵写真がベストだから!」

「はーあ⁉︎ ここにこそうちわを置いて何が置いてあるか見やすくするべきでしょ!」

 

 とあるCDショップ店で、やかましい男女の怒号が響き渡る。閉店時間中だから良かったが、開店時間中なら少なくとも客は逃げて行っていただろう。

 

「うちわとかオタク丸出しなもん挿しといたら一般客は敬遠すんだろうが! 美琴様のファン増やす努力をしようとは思わねーのか⁉︎」

「だからってあんま美琴様の写真を設置し過ぎると、それはそれで一般客は引いちゃうに決まってんでしょうが!」

「それはありませーん! 見ろよこの美しいフォルムとフェイス! これを見て引くような客は出禁だボケ!」

「それはファンからファンじゃない人への押し付けでしょ⁉︎ そういうの美琴様にも迷惑だからさっさとファン辞めて死んで!」

「それはそうですねごめんなさい! でも立ち絵の写真にします!」

「ダーメーでーすー! うちわにしまーす!」

 

 店内に響き渡る程の口喧嘩だ。素直に謝る所は謝っているのに口調が荒いのはどうかしているし、実際いい加減にして欲しくなった店長が、奥から顔を出した。

 

「……またやってんの君ら?」

「店長、言ってやって! こいつバカだから! 店そのものをオタクにしようとしてるから!」

「バカはあんただから! お姉ちゃんにもバカって言われてるからこの人!」

「どっちもバカでしょ」

 

 当然の感想である。今、2人が揉めているのは、CDショップの商品棚。緋田美琴というアイドルの移籍が決まり、今ある事務所で最後のCDを出す事になったので、それの棚の飾り付けについていた。

 揉めているのは、飾り付けた棚にうちわを置くか、緋田美琴と斑鳩ルカの写真を切り抜いて紙製のスタンド状にしたものにするかで言い争っていた。

 

「店長なら分かるでしょ! 居酒屋で例えるなら、看板に本日のおすすめメニューを載せるか、本日のおすすめメニューの写真を載せるかですよ!」

「う、うん?」

「で、写真を載せるなんてあり得ないことをしてるのがこいつです! 文字の方が売れるのに!」

「だーかーらー! ここは美琴様の顔を多くの人に覚えてもらい、最悪このお店で買ってもらえなくても興味を抱いてもらうのがベストなんだよ!」

「必要以上のプッシュは逆効果の可能性もあるって鬼滅やラブライブで学ばなかったの⁉︎」

「俺そんな捻くれてねーから! ラブライブは興味ないけど鬼滅の刃は大好きです! ゲーセンにフィギュアが大量にあるのは喜ばしい限りだバカめ!」

「鬼滅と美琴様を一緒にしないでくれる⁉︎ そんなリスキーな手段を取らせたくないの、美琴様には!」

「だからうるさいって君ら」

 

 割とギリギリな話に食い込んできたので、店長が仲裁する。……が、二人の勢いは止まらない。

 

「テメェに鬼滅の何がわかんだよ! クラピカが船乗ってる間に何回、表紙に顔出してると思ってんだ! それだけやりゃ興味なかった人も興味惹かれんだよ!」

「あーそうわかった。そこまで言うなら、店長に決めてもらおうよ!」

「え?」

 

 嫌な予感がしたが、遅かった。お前らほんとに意見が割れて喧嘩してたの? と思うレベルの息の合いようで腕を掴まれる。

 

「おー上等だコラ。絶対に店長も、写真派だから」

「いやちょっ」

「そんな絵ばかりで文字が少ない本ばかり読む教養の少ない人じゃないから店長は」

「や、そない言われても」

「テメェ今のは全国の漫画家敵にまわしたぞコラ」

「漫画より本の方が教養は身につくでしょ」

「最近の漫画はイラスト付きで科学の勉強が出来たり筋トレの勉強が出来たりすんだぞ。バカにすんな」

「じゃあよく漫画読んでるけど、青葉はそれを活かしてるわけ?」

「何でもかんでも活かせると思ったら大間違いだぞバカめ」

「言ってる事めちゃくちゃなんですけどー! そんなんだから、あんたの案には乗りたくないのわかんない?」

「じゃあお前こそ本読んでんのかよ! どうせうちわなんて『美琴LOVE』くらいのことしか書かねえだろ? ていうか、LOVEって単語も書けねえか」

「書けるから! バカにし過ぎでしょそれは!」

 

 なんてやっている間にも、二人は店長の腕を離さない。若い子に嫌われてはいない、と思えば悪い気はしなかったが、それでも巻き込まないで欲しい。

 

「とにかく、写真の方が良い!」

「うちわにはちゃんとCMになる事、書くから!」

「何書くの?」

 

 しれっと口を挟んだ。どうせ逃げられないなら、早く終わるように仲裁することにした。

 

「ん? アルバムの曲リストと、その中でも特におすすめ」

「はいテメェふざけんな! おすすめもクソも美琴様の曲は全部、神曲だろうがあああああ‼︎」

「ファンだったら贔屓にしてる曲くらい作ったら⁉︎」

 

 むしろ炎は燃え広がってしまった。

 

「じゃああんたはジャンプの漫画全部好きなわけ⁉︎」

「ジャンプと美琴様は違ェだろうがよ! 俺は美琴様のありとあらゆる曲を全て愛している!」

「つまり、昔の曲も今の曲も大差ないって言いたいわけね。上から目線になってるわけじゃないけど、アイドルとして成長してるのも認めないんだ!」

「いや俺は当時の良さ、そして今の良さをトータルで判断してリザルト出してるから! あの頃のあどけない美琴様も天使なんだよ!」

「何その四次元萌えみたいな言い方! キモっ!」

「お前だって小学生の時の美琴様の妄想とかしてたろ! どんな感じだったのかなーみたいな! 卒業するのは今の美琴様だ」

「いやでも発売するのは過去の曲も入ってるわけだし、おかしくないから!」

 

 などとヒートアップしていく中、店長がまた間に入る。

 

「あーもう分かった分かった! じゃあ、うちわに写真と選曲、両方入れりゃ良いだろ!」

「「……ええ、共同制作はヤダ……」」

「その既に出来てる棚は誰と誰が作ったんだ⁉︎」

 

 それを言われた二人は、顔を見合わせる。そして、全く同じ顔をして店長を見た。

 

「「九割俺(私)。……アアン⁉︎」」

 

 ……本当に息が合うのか合わないのかわからない二人である。聞いた話によると、2人は小学校一年生からの付き合いらしい。だからこそズカズカ言える間柄なのだろうが……しかし、わざわざバイト先まで一緒にすることはないだろうに。

 

「青葉はほとんど棚を木材から作ってただけでしょ⁉︎」

「にちかだってその人が作った棚に色彩つけただけじゃねーか!」

 

 そこまでやればお互いの功績を認め合っても良いだろうに、つーかどこから持って来たんだその木材、といろいろ思うところはあったが、もう気にしないことにした。

 

「とにかく、うちわに写真を貼るように。その上でリストを作ること。良いね?」

「えー、やですよ。こいつと共同とか」

「そうですよ! 絶対うちわにした方が……」

「給料下げるよ」

「うちわの右4分の1くらい美琴様にして、逆側を斑鳩ルカさんにしようか」

「真ん中にリストで決定ね」

 

 すぐに手のひらを返して作業に戻り、店長はまた巻き込まれないうちに出て行った。

 

 ×××

 

 その後も四度の喧嘩を繰り返して、何とか棚を完成させた二人は、そのまま二人で帰宅。二人の家同士はそれなりに遠くて徒歩30分ほどの距離があるものの、一宮青葉は遅くなった時、にちかを家まで必ず送っている。この辺に買い物に来た、という言い訳を使って。

 

「じゃ、俺今日はセブンで一番くじ買って行くから」

「なんの一番くじ?」

「ワンピース」

「ふーん……お子様」

「はぁ⁉︎ 今や大人の方が見てる人多いっての!」

「知りませーん! アニメや漫画に夢中になってる時点で子供でーす!」

 

 そのまま、また口喧嘩が勃発しそうになった時だ。玄関が開く音がした。

 

「……2人ともうるさい。近所迷惑だよー?」

「あ、お、お姉ちゃん……」

「ごめん、はっちゃん」

「いつも、にちかの事送ってくれてありがとうね、あおちゃんー」

「いや送ってるわけじゃないから。買い物のついでにこっち来てるだけで」

「ふふ、そうだったねー」

 

 いや、事実だから、と訂正する前に、さっさと玄関の方へ向かい、家の中に入りながら最後に「べっ」と自分に舌を出すにちかが目に入った。

 

「あの野郎……や、まぁ別に送ってやったわけじゃないし別に良いけど別に」

「ごめんね。あの子、まだまだお子様でー」

「いや、はっちゃんが気にする所じゃないよ。身体が成長しても中身が成長しない奴は一定数いるから」

「ふふ、自分で自分の事を分かってるのね、あおちゃんは」

「お、俺は違うから! マジで別ににちかがどうとかじゃなくて、一番くじの為に……」

「うんうんー、分かったからあおちゃんも早く帰りなさい。こんな夜遅くに未成年がウロウロしてたら危ないよー?」

「違うからね!」

「分かったからー」

 

 もうすぐ日付が変わる時間である。本当ならはづきとしても夕飯くらいご馳走してあげたいが、もう他の弟や妹は寝ているし、起こすのは忍びない。

 

「じゃあ、また」

「駅まで送ろうかー?」

「いや大丈夫。帰りにタクシー捕まえるから。はっちゃんだって夜遅く徘徊するのは危ないでしょ」

「ふふ、ありがとうー」

 

 年上とは言え、女性への気遣いも忘れることなく言うと、はづきは笑顔で頷きながら手を振った。

 

「じゃあ、気をつけてねー?」

「うん。ありがとう」

 

 挨拶だけして、二人は別れた。

 ようやくの帰路についた青葉は、少し疲れ気味に腰を叩く。青葉の家に、親はいない。海外で仕事している為、前に住んでいたマンションで一人暮らしだ。

 だから、割と忙しい毎日を送ってはいるのだが、その原動力は一つだけ。

 ……そう、緋田美琴への愛である。部屋にもポスター、タペストリー、写真、フィギュア、缶バッチなどがアホほど置いてある。

 幼い頃から歳上のお姉さんが大好きではづきにもよく懐いていたが、たまたまMステを見た時に出て来た緋田美琴を見てから、それはもうかなり加速した。

 グッズを買い漁るために、お小遣いをねだるために肩叩きから始まり、お使い、掃除、洗濯、料理、ゴミ捨て、靴磨き、車洗い……などと、ちょっと意味分からないレベルで家事をマスターし、ご近所からは虐待に見えるレベルだったらしく「やめてくれ」と懇願された程だ。

 仕方ないので、その後はにちかと一緒に新聞配達もこなしたし、親が「イギリスで暮らす」と言われた時「イギリスには美琴様いないよ?」と返したりした。

 とにかくそれくらい、緋田美琴が好きだった。

 その為にも、今は生活を安定させないといけない。親からの仕送りがあるとはいえ、いつまでも親からもらったお金を貢ぐわけにはいかない。趣味で使うお金くらい、自分で稼ぎ、親に心配させないようにしなくては。

 

「……明日も学校かぁ……」

 

 なんて呟いている時だった。

 

「ねぇ、良いでしょ姉ちゃん。ちょっと付き合っれよ〜……」

「いえ……困ります。急いでるので」

「一杯だけらからさ、一緒にろうよ。奢るから」

「だから、奢るとかそういう話ではなくて」

「振られらんらよー! 記念日前に、彼女にぃ〜!」

「知りません」

 

 目に入ったのは、酔っ払いに絡まれている女性。帽子とサングラスで顔を隠しているが、年上の美人オーラが隠しきれていない。青葉のセンサーも全てビンビンに反応していた。

 正直、見過ごしたい……が、ワールドトリガーでも言ってた。「再び主の前に立つ時に、己に恥じる所があるかどうかだ」と。緋田美琴は主ではないが、次の握手会で自分に恥じる所があってはならない。

 気合を入れると、二人の元に割って入った。

 

「お、おいおい〜こんな所にいたのかよ〜」

「「え?」」

 

 でも、やっぱり普通に怖かったので演技を入れることにした。知り合いの体で入ったが、どういう設定で行くか……いや、悩んでいる暇はない。とにかく何か言わないと。

 とりあえず間に入った後、男の方を向いて、震えた様子で言った。

 

「んだよ、ガキィ……カンケーねーらろぉ?」

「す、スミマセン。この人……お、俺の……」

「お前の?」

 

 何が適切か……母親……は無理あるし、姉でもちょっとアレだし……教員……いやこんな頭を茶色くした教員はいないだろうし……あー、早く答えないと……! と、悩んだ結果、答えた。

 

「俺のカノジョなんで!」

「「……は?」」

 

 その反応、とてもよくわかる。自分の身長は女性の口元までしかない自分が何を言っているのか。けど、訂正すれば知り合いではないということさえバレる。

 なので、突き通すことにした。

 

「だ、だから……スミマセンけど遠慮してもらえると……!」

「何すぐバレるうそぉ、ついれんらぁ! 殺すぞコラァっ!」

「こ、殺さないで下さい! ……こ、骨折くらいならまぁ良いので……」

「っ……い、いやろうせ暴力振るうなら死人に口無し状態にしれぇんらけろよぉ……」

「ひぇっ……! わ、わかった! じゃあせめて遺言だけ書かせてください!」

「なんぇ甘んじて殺される事も許容してんだよ!」

 

 想像を絶するバカ解答の連呼に、少しずつ男も酔いが覚めて来たらしい。チッ、と舌打ちをした後、男はため息をつく。

 

「……もういいわ。邪魔したな」

 

 それだけ言うと、男は立ち去っていった。なんとか、殺されることも腕を折られることもなく撤退してくれた……そのことにホッと胸を撫で下ろす。

 怖かった……腕の太さも身長も自分より上。文字通りの大人と子供、酔ったままでも喧嘩になれば殺されてもおかしくなかっただろう。

 それでも女の人の前、ということでなんとか腰を下ろすことだけは堪えていると、後ろから声をかけられた。

 

「大丈夫?」

「は、はい……ん? あ、いやそれ俺のセリフです!」

「ふふ、そうだね。助けてくれたんだから。お礼、言わないとね」

 

 というか、この声。聞き覚えがある気がする。なんかその聞き覚えがある声より低い気がしないでもないが。

 すると、その女性は帽子とサングラスを外した。

 青葉は、完全に油断していた。ありえるありえないの話ではない。何となく「温泉に入りたいなー」って言ったら、地面から地下温泉が噴き出して来た……そんな感覚だ。

 短いココア色の髪と金髪の毛先、クールな視線、凛とした顔立ち、女性にしては高い身長、それでいて女性だとはっきりわかる体型……ずっと、ずーっと憧れて来た女性。

 

「……ありがとう。お礼はー……そうだな。一緒に写真くらいなら、良いよ」

 

 ……家に腐るほどグッズがあり、何回もライブに行き続け、何枚もCDや写真集を購入し、何回も握手会のチケットを外して来た人。あれだけ見て来て、何故たかだか帽子とサングラス程度も見抜けなかったのか、自分の目をくり抜いて顔認証付き義眼に切り替えたい衝動にさえ駆られていた。

 

「……あれ、もしかして……私のこと知らない?」

 

 緋田美琴……憧れの人物が、目の前にいた。

 混乱どころの騒ぎではないが、オタクの心理なのだろうか? 真っ先に頭に浮かんだのは、自分のセリフ。

 

『俺のカノジョなんで!』

 

 自分が追い掛けている、アイドルを……カノジョ呼ばわり……! 

 直後、思わず走り出した。

 

「ちょっと⁉︎」

 

 走った先にいたのは、さっき絡んでいた男の方。すぐに追いつき、手首を掴む。

 

「待って!」

「っ、な、なんだよ……まだ何もしてない……警察にチクる気なのか?」

「俺を殺して下さい!」

「はッ⁉︎」

 

 何言ってんの? と声を漏らすが、当たり前の反応である。

 

「何急に⁉︎ さっきまで死にたくないって言ってたじゃん!」

「言ってた! でも今は違う、死ぬべきだった!」

「待て待て待て落ち着け! まず何があったか話せ!」

「あなた好きなアイドルとか女優は⁉︎」

「え……あー、大崎甜花。自慢じゃないけど、あの子が出てる雑誌全部持ってる」

「……誰?」

「殺すぞコラ!」

「おう、良きかな! 殺せ!」

「おう! じゃねえわ! 良いから何があった⁉︎」

「その子に何も言わず嘘で夫婦だってわけわからん宣言したらどう思うよ⁉︎(超飛躍)」

「殺す」

「つまりそういうことです!」

「……いや、でもそれ以上に俺は『再び主の前に立つ時に、己に恥じる所があるかどうか』を信念に良い年してアイドルを追ってる! 殺しは出来ない!」

「さっき殺そうとしてたのに⁉︎ ……てか、ワートリ読んでんの?」

「あれは、俺も酔ってたから! 読んでる! とにかく、殺さないから! てかお前怖いわ! もうこっち来るな!」

「あっ……!」

 

 今度は逃げられてしまった。どうしたら……と、ガクリと膝をつく。残念ながら、自殺する勇気なんかない。酔っ払いに絡まれている女性の間に入る勇気はあるのに。

 絶望していると、その青葉に声が掛けられる。

 

「……どうしたの? 大丈夫?」

「おぎゃー⁉︎」

「……生まれたて?」

 

 憧れの声が耳に響き、振り返りながら両手で後退りしてしまう。背中を電柱に強打し、後頭部をぶつける。

 

「いった! 頭いった!」

「大丈夫?」

「いや心配しないで下さいこっちに来ないで下さい弁明させて下さい!」

「うん。まず落ち着いて」

「は、はい! ……お、落ち着く……落ち着くとは……? 落ちて、着く……つまり、ど、土下座ですか⁉︎」

「まずは深呼吸しよう」

「っ、は、はい……」

 

 深呼吸、と言われて、とりあえず呼吸することにした。軽く息を吸い込んで……と、両手を広げて息を吸った直後だ。その辺を飛んでいた小蝿が口の中に飛び込んできた。

 

「っ、ぇほっ、げほっ……ぇげほっ……おぉえっ……!」

「大丈夫? どうしたの?」

「くっ……口の、中に……虫が……!」

「……お水飲む? 自販機あるし、買って来ようか?」

「っ、い、いえいえいえいえ! 美琴様に物を恵んでもらうなど、言語道断不可能奇妙の得手不得手!」

「……ふふっ、面白い子だね。君は」

「お、お褒めにいただき光栄でございマッスル、めっちゃモテたい!」

 

 頭の中がグッチャグチャになってしまっている。嬉しいやら申し訳ないやらで頭の中が鞄の中に突っ込んだままにしたイヤホンのようにグッチャグチャに絡まって来た中、奇跡的に一方を引っ張れば解ける状態になったかのように、大事な事を思い出した。

 

「っ、そ、そうだ! 美琴様!」

「美琴で良いよ」

「先程は、彼女とか訳のわからない思い上がったゴミカスオタクの戯言をほざき散らかしてしまい、大変申し訳ございませんでした!」

「うん。そんなこと、気にしないで。……無理あったけど、私を助けてくれるためでしょ?」

「いえ、ファンとして崇拝するアイドルを恋人と他人に言うなど、言語道断不可能奇妙の得手不得手!」

「何それ。流行ってるの?」

「幕○志士です。とにかく、ファンにあるまじき失態をしてしまった以上、俺はもうファンではいられません! ……なので、失礼します……」

「うん。だから落ち着いて」

 

 ガッ、と両手を包まれるように握られ、肩がプレステのコントローラーより激しく震え上がる。

 

「はわっ……み、美琴様に、お手を……!」

「ファンだったらさ、私の話、聞けない?」

「き、聞けます!」

「うん。良い子」

 

 褒められた事に頬を赤く染め上げるが、舞い上がるのを抑える。美琴からの命令だ。

 

「とりあえず、立ってくれる?」

「はっ、はいっ……!」

「何処か……ゆっくり話せる所、行こっか」

「ゆ、ゆっくり話せる所⁉︎」

「カフェ……は、君声大きいからダメか。公園で良いかな?」

「深夜の公園で、二人⁉︎」

「嫌?」

「い、嫌ではありませんが……」

「じゃあ決定」

「で、でも二人きりで公園に行くのはまずいんじゃ」

「いいから」

「っ……は、はひ……」

 

 なんで、なんで? と、困ったようにアタフタしている間に、近くの公園まで移動した。歩いている間、会話はなかった。頭の中で「なんだこの状況」と思わないでもなかったが、それ故に心は落ち着いて来た。

 さて、とりあえずベンチに腰を下ろす。並んで座っている現状だけでも、胸の中はドギマギしてしまっている。

 

「ふぅ、ここで良いかな。まずは……ありがとう。助けてくれて。あの人、しつこくて正直、とても助かったよ」

「っ……い、いえ、そんな……」

「あと、ファンの人だったんだね。最初はアンチの人かと思ったよ」

 

 言われたから思い出す。「いや心配しないで下さいこっちに来ないで下さい弁明させて下さい!」なんて言ったら、確かにアンチっぽいかもしれない。

 

「いつも、応援してくれてありがとう」

「……は、はい……」

「ファンの人の矜持……なのかな。さっき、君は私を恋人と呼んだことにとても責任を感じていたけど、何か変なアクションを起こすようなことはしないで欲しいな」

「え……でも」

 

 まぁ自殺は流石に言い過ぎだったが、ファンは卒業しないといけないのかも……なんて少し思っていた。あの会話がブワーだと広まれば被害を一番、被るのは美琴だし、同じファンのにちかにも申し訳ない。

 

「芸能界に長くいるとね、人との出会いっていうのをたくさん感じるんだ。同じユニットにいるのに、番組に呼んでもらえる人と呼んでもらえない人……それには世間の評判も勿論、あるけど、他にもその番組のディレクターとかMCの人と知り合いだったりとか、そういう事情からって事もあるんだ」

 

 そういう事もあるのか、とまぁ考えれば理解できる事に頷いて返事をする。

 

「だから、君がたまたま私を助けてくれたのも出会いなんだよ。その出会いが、私を応援してくれるファンの子に嫌な思いをさせ、私自身も応援してくれる子を一人減らす出会いにはしたくないな」

「……は、はい……」

「私にとっては、助けられた出会い。君にとっては、応援するアイドルを助けた出会い……それじゃだめかな?」

 

 ……そうだ。見方を変えれば……というか、普通に考えて良い事なのだ、今回のこれは。何せ、応援するアイドルをわかりやすい形で助けられたのだから。

 何より、他のファンの為に美琴を応援しているわけじゃない。美琴が好きだから応援しているのだ。だから、例え自分であってもファンを減らすようなことはしちゃいけない。

 

「……すみません。一人で変に、暴走してしまっていました……」

「ううん、大丈夫。気持ちは嬉しいから」

 

 ニコッと微笑まれ、顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。やはり、隣の女性は綺麗だ。憧れの女性と会話できている……というだけで、胸がいっぱいなのに、この至近距離で自分にだけ向けられた笑顔。ファンサービスどころの騒ぎじゃない。

 それにも関わらず、美琴はさらに追い討ちをかける。

 

「それで、君にお礼がしたいんだけど……」

「っ⁉︎ い、いえいえいえ! 当たり前のことをしただけなので!」

「でも、君ホントは怖かったでしょ?」

「そ、そんな事は……」

「だから、名前を教えてくれるかな?」

「名前⁉︎」

「うん。お世話になった子だから、覚えておきたいんだ」

「……」

 

 確かにこれ以上にないお礼だ。ファンを大切にする、とは言っても、顔と名前も一致しないのは当たり前だ。ピム博士が無数の蟻に名前を一々、つけられないのと一緒で、アイドルもファンの名前と顔を全て把握はできない。

 その中で覚えてもらえるなんて、もうなんかもう嬉しさのあまりに脳汁が脳天から噴射しそうなものだ。

 

「美琴様が……俺なんかの事、覚えてくれるんですか……?」

「うん。……あ、でも悪いけど、握手会とかの当選で贔屓にしたりは出来ないよ」

「も、もももちろんです! 所詮は一ファンの一人なので!」

「うん。……じゃあ、聞かせてくれるかな。名前」

「……一宮、青葉です……」

 

 名乗った。名乗ってしまった。これは果たして、ファンとして許されるのだろうか……いや、少なくともにちかには話せない、と全力で感じている以上は軽々しく言って良いことではないのだろう。

 

「一宮青葉、ね……うん、覚えとく」

「あっ、ありがとうございます……!」

「それはこっちのセリフだよ。……じゃあ、そろそろ帰らないと」

「は、はい! ……あの、駅まで送りましょうか?」

 

 それは決して下心があってのことじゃない。さっき酔っ払いに絡まれた所だし、一人には出来なかった。

 だが、美琴は首を横に振る。

 

「大丈夫、タクシー拾うから」

「あ、そ、そうですね。では、失礼します」

「うん。また、会えたらね」

 

 そう言われて、そのまま青葉はいまだに信じられなさそうな様子でフラフラと帰路につく。

 しかし、この時の青葉は知らなかった。この数日後に、想定より遥かに早い邂逅を果たすことになるとは。

 

 



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知らぬが仏。

 少し前にとあるアイドルの熱愛発覚の記事を読んだ時、別に青葉は何も腹を立てることはなかった。そもそも青葉がアイドルを好きな理由は、単純にその追っているアイドルが綺麗だからであり、おそらく今後、美琴が婚約者を作っても「幻滅したのでファンやめます」とはならないだろう。

 だが、それは自分の場合。他のファンがどう思うかは分からない。そのため、青葉も万が一、自分がアイドルと知り合いになるような事があったとき、他のファンの人達からあらぬ誤解を受けない立ち振る舞いをするように考えていた。万が一、ファミレスで相席になった場合とか、電車で席を譲った時とか。

 ……しかし、この前のそれは、どんな立ち振る舞いをしたって関わり合ってしまう場合だ。

 それを差し置いても、やはり超嬉しかったので、翌日になっても青葉はテンションが高かった。

 

「……」

「……鬱陶しいんだけど。何? そのキラキラオーラ」

 

 一緒に登校していたにちかが心底鬱陶しそうに言う。そんないつもの憎まれ口にも、青葉はキラキラした笑みで返す。

 

「ふふ、人はな……正しいと思った行動を為せば、いつか必ず……報われるんだよ」

「……キモっ」

「好きなだけ暴言を吐くといい……今の俺には、その全てを聞き流す器量と覚悟がある」

「いやホントきもい。どうしたの?」」

「どうしたのだろうね……俺は、どうしてしまったのだろうね……」

「うざっ……」

 

 にちかから見れば「何かあったか聞いて?」と言われているような気分だった。

 

「別に、興味ないし聞かないから」

「むっ……」

 

 それが気に入らなかった青葉は、むすっと口をへの字にする。言うつもりなんて元より無いが、興味がないと言われると腹が立つ。

 

「良いのかなー。俺しか知らない美琴様の情報、握っちゃってるんだけどなー」

「はいはい嘘嘘。それより、昨日夜遅かったけど、数学の課題やったの?」

「当たり前じゃん」

「流石。じゃ、見せてね」

「じゃねーよ! 毎度思うんだけど、なんで俺がお前に宿題見せなきゃいけねんだよ⁉︎」

「仕方ないじゃん。私、青葉より多くバイトのシフト入ってるし」

「っ……し、仕方ねーな……」

 

 七草家の家庭の事情は、昔から付き合いがある青葉も知っている。言い方は悪いが、学生の一人暮らしが許されている一宮家と違って決して余裕ある家ではない。にちかの給料も、少しだけ家計に当てている。

 なので、それを言われると宿題を見せる事も断りづらい。

 

「でも間に合うのかよ。教室着いてから見せて」

「余裕でしょ。写すのは早いから」

「や、それは良いけど、先生に見つかるなよ」

「分かってるからー」

 

 そんな話をしながら、二人は校舎に入った。

 しかし、やはりどうにも昨日は良いことがあったものだ。誰にも言うつもりはないが、ぶっちゃ自慢したいという衝動はある。特に、にちかには。

 けど、それだけにその続きで言われる言葉は想像出来る。「ずるい!」「私も助けたい!」だ。

 割と「アイドルになりたい」と思う程度には、アイドルに強い憧れがあるにちかは、マジで深夜の徘徊してもおかしくない。

 なるべく自慢したい意欲を抑えるために、話を逸らした。

 

「そうだ。今日のバイト、ちゃんと結果教えろよ。昨日作った棚、どんくらい注目されっか」

「決まってんじゃん、売れるでしょ! 私達が作ったんだから」

「ちょっと楽しみになって来たわー。まぁ、九割俺のおかげだけど」

「は? 私の飾り付け案が九割だから」

「おいおい、冗談言うなよはっちゃんの愛き妹。百歩譲っても俺が八割だろ?」

「はぁ? 八割はこっちだから。あの色合いと左右対称に敢えてしない不均一なバランスの良さを生み出してのは私だから」

「でも棚の上にCDのジャケット写真を飾ろうって言ったの俺だから」

「いやそんな一部の功績を挙げられても全体的なトータルクリエイトした人の功績にはあやかれないから」

「……」

「……」

 

 ケンカしながら登校した。

 この日の青葉は、浮かれていたので気付いていなかった。にちかの様子が、少しだけいつもと違う事に。

 

 ×××

 

 放課後、にちかは急ぎ足でバイト先に向かう。昨日、姉から聞いた話が頭の中で反復する。

 新たなプロデューサーが283プロに来て、アイドルのプロデュースを担当する事になる、と。

 283とにちかがバイトしているショップは取引先の関係でもあるため、挨拶回りでここに来るかもしれない。

 前々から、誰にも……それこそ姉妹や青葉にも相談出来なかった夢を叶えるチャンスかもしれない。

 それを、実行するチャンスだ。何の幸運か、今日のバイトではいつも絡んで来る青葉もいない。

 

「急がなきゃ……!」

 

 最悪に備えて、ガムテープやスマホの準備も終えているし、後はなるべく早く行って、今日シフトに入っているメンバーも把握しておきたい。

 そう心の中で決めながら、とにかく走ってバイト先に向かった。

 

 ×××

 

 今日のバイトはにちかのみ。その為、帰りも別々だった。教室を出る時に一応、声でも青葉が掛けようとしたが、にちかは居なくなってしまっていた。バイトに行く時だろうと普通に帰る時だろうと、割と友達と駄弁ってから帰宅するのに、今日に限ってさっさと出て行ってしまっていた。

 どうしたんだろ、と思わないでもなかったが、青葉は気にする事なく一人で帰宅。今日は野菜の詰め放題を近くのスーパーでやっているのだ。

 そのままスーパーに立ち寄ってそれを済ませて、ついでに半額の鯖を購入して帰宅した。

 暮らしているマンションの真下に到着すると、ふと目に入ったのは引っ越し屋のトラック。そういえば、二週間くらい前にお隣の人が引っ越して行った所だ。

 

「もう誰か来たんだ……」

 

 なんて呟きながら、青葉は階段を上がる。後で挨拶しないとなーなんて思いながらエレベーターで上がる。やはりというか何というか、お隣に住人が来ていた。

 挨拶しようか悩んだが、引っ越し中は控えた。さて、そんな事よりも、今は買って来た食材を冷蔵庫にしまう所からだ。

 せっせと食材をしまうと、部屋に戻って美琴グッズの手入れ。つい昨日、本人と出会ってしまったというのに、そのグッズを余裕で手入れしてしまう。まぁ、あんな機会は二度とこないだろうし、現実が見えていると言えば見えているのだが。

 ……そうだ。昨日、美琴の頭の中にはしっかりと自分の名前と顔が刻まれた……やはり、普通に嬉しい。

 

「うへ、うへへ……」

 

 にちかが見たら「うわぁ……」と、罵倒さえせずドン引きしかしないであろう笑みをこぼしながら、とりあえず手入れをする。埃一つでも付けるわけにはいかない。

 グッズの量が量なので、気が付けば日が沈む時間まで行っていた。

 そろそろ飯食うか……と、思って、台所に向かう。もう引っ越し屋はいなくなったようで、隣は静かなものだ。

 普通、引っ越して来たら挨拶に来るものだろうに、カケラの音沙汰もない。太い隣人である。

 夏休みや冬休みには、青葉の両親もマンションに帰ってくるので、ご近所同士ではなるべく仲良くしたいと考えている青葉は、とりあえず挨拶のお品代わりに食べ物を持って行くことにした。マナー的には引っ越して来た人が挨拶に来るべきなのかもしれないが、既に住んでいる人から挨拶に行っては行けない、なんてルールはないのだ。

 持って行って迷惑しない食事と言えばカレーだろう。本当は焼き鯖にしようと思っていたのだが、まだ豚肉の残りがあったのを思い出し、カレーに変更した。

 自分の両親のために最初に覚えた料理がカレー。冷めてもうまいどころか、寝かせればさらに上手くなるという、経過ターンに応じてバフがつく優れもの。三色バランス良く栄養も摂れるため、料理を覚えようと親に子供が修行を申込み、まず教わるのがこれだろう。ちなみに甘口である。辛いの食べられないから。

 

「……ふぅ、よし」

 

 料理を終えて一息つくと、それをタッパーに入れてサンダルを履く。家を出て、お隣のインターホンを鳴らした。

 

「……」

 

 しかし、返事がない。というか、人の気配がない。誰か越して来たよな……? と、眉間にシワを寄せる。もう寝ているのか、もしくは出掛けているのか……いや、にしても普通は引っ越しの日は家にいるだろう。

 何にしても、返事がないなら渡せない。部屋に引き返し、自分のカレーを食べる事にした。

 

「ふぅ……」

 

 美琴のライブDVDを見ながら、食事を終える。……このままカレー渡さなかったら、やっぱ焼き鯖にしとけば良かった、と少し後悔しつつ、青葉はライブを眺めた。

 ……アイス食べたくなってきた。そんなわけで、DVDを止めて玄関を出たときだ。

 

「あっ」

「えっ?」

 

 ジャージ姿で汗だくの緋田美琴が、隣の部屋に入ろうとしていた。

 

「ふぁっ⁉︎」

「あれ、君……」

 

 思わず玄関に引っ込んでしまった。

 心臓がバクバクと膨らんだら縮む。他の臓器に当たっているんじゃないか、と思う程の伸縮だ。

 なんで、なんで、なんで? 訳が分からない。握手会以外で二度と会うことなんてない、そう思っていたのに、どうして。いや、分かるにはわかる。けど信じられない。

 だって……まさか引っ越して来たのが緋田美琴だ、なんて思えるはずがない。

 

「っ⁉︎ っ……⁉︎ ーっ⁉︎」

 

 とにかく心を落ち着けようと深呼吸するが、むしろ過呼吸に陥りそうになる。なんだこれ、何があったらこうなるの? 俺ここ最近で良いことしたっけ? なんて頭の中で色々と考え込む中、それをこじ開けるようにノックの音が聞こえる。

 

「ガンッ……タンクッ⁉︎」

「えーっと……一宮くん、だったかな……って、なんか悲鳴聞こえたけど……大丈夫?」

「っ、だ、大丈夫です! いえ大丈夫ではありませんが……え、な、なんで⁉︎」

「私も驚いてるけど……とりあえず、開けてくれる?」

「っ、は、はい! すみません……!」

 

 人と話す時に扉越しとはなんて失礼な……と、猛省しながら扉を開ける。おそるおそる、ゆっくりと開けると、隙間に見えたのは、やはり緋田美琴。それも、ライブ中にしか見れない「汗だくver」である。

 

「ジィィィムシュナイパアアアア⁉︎」

「うん、落ち着いて」

「お、おちちゅきまひゅ……!」

「深呼吸」

「っ……すぅ、はぁ……」

「うん、OK」

 

 ……いや、まだ全然、落ち着いていなかったが、それでも何とか強引に落ち着かせる。

 

「ここ……君のマンションだったんだね」

「は、はひ……スミマセン……」

「ごめんね、挨拶遅れて」

「……」

 

 そういえばさっき、自分は挨拶がなかったくらいで「太い隣人である」って……。

 

「死にます」

「うん。それはちょっと勘弁して。私の周りで人死にとか、悪い噂たつ」

「み、美琴しゃまの周り……うへへっ……じゃなくて! わ、分かりました……延期します」

「いや中止にして」

 

 止められてしまった。しかし、困った。こんなの、ファンとして許されないだろう。自分は本当になんて罪深い運の良さを発揮してしまうのか。

 引っ越したい……が、そんなことを言えば「こっちに来なさい」と怒られるかもしれない。

 一方の美琴は何も考えていないのか、いつもの爽やかな笑みを浮かべて言う。

 

「じゃあ……これからもよろしくね」

「っ……は、はひ……」

 

 情けない……と、顔に手を当てる。疲れて帰って来ている美琴はスマートに挨拶できるのに、結局自分はこのザマか、と。

 ……ん? 疲れて? と、そこで小首を傾げた。そういえば汗だくだけど、もしかして休日にトレーニングか何かだろうか? 

 だとしたら……甘口カレーが火を吹く! 

 

「あ、み、美琴様!」

「様はやめて欲しいな。隣人だし。どうしたの?」

「あ、あの……実は先程、引っ越して来た方に渡そうと思っていたものがあって……」

「……引っ越しの挨拶を、先に住んでた人がしてくれるの?」

「? へ、変ですか?」

「……少し、変かな?」

「え、でも……」

 

 挨拶無しだからって、こっちが挨拶しないのはおかしい、と、言いたかったが、それは逆に「お前が挨拶しねーから俺がしたんだよ」と言っているような気がした。

 そんな恐れ多いこと、美琴には絶対に言えない。

 

「ひゅっ……すみみゃせん……引っ越してくる人なんてぇ……て、自分より年上だと思って、こちらから挨拶にいってゃ方が良いかなって……」

 

 噛みまくりだが、なんとか言い訳を並べた。しかも割と無理がある言い訳を。キョトンとしている美琴に、とりあえず押し切るように告げた。

 

「あ、あのっ……とにかきゅっ、待っててくぢゃしゃい!」

「うん?」

 

 タッパーに入れてある奴、鍋の中に戻さないで正解だった。3秒で持って来て、差し出す。

 

「これ、カレーです! もう冷めちゃってますけど……あっためれば美味しいと思うので!」

「……手作り?」

「は、はい……あっ、そ、そっか……」

 

 ファンの人の手作りはダメか、と理解する。何せ、何を入れられているか分からないから。渡した相手が隣人ともなれば尚更だろう。

 

「すみません……なんでもないです……」

 

 すごすごと玄関に入ろうとしたときだ。くすっと笑みを浮かべた美琴が、声をかけて来た。

 

「いただこうかな。ちょうどお腹空いてたし」

「え……い、良いんですか?」

「うん。それに、ちゃんとした栄養は貴重だからね」

「?」

 

 忙しくてご飯食べる時間がない、ということだろうか? それは大変だ。ファンとしてはまず体を大事にしてほしい所だが、口を挟める立場にない。まぁ、たまに美琴から頼まれたときなら、こうしてお裾分けするのも良いだろう。

 

「じゃあ、今後ともよろしくね」

「は、はい……! よろしくお願いします!」

 

 隣人が美琴になった……そんなラッキーにも程がある現実を前に、各々の部屋に別れた後も、青葉はうきゃっほいと転げ回……る事なく、むしろドッと冷や汗をかき始めた。

 やばいやばいやばい普通にやばい普通に考えて。こんなの……他のファンにバレたら、袋叩きに遭うのはまず美琴だろう。周りから見たら「一人のファンを贔屓するな」と言ったところか。偶然なんて信じられるはずがない。

 何より、にちかもだ。これをもしにちかに言えば……割とマジで「あんたがうちの子になって。私がそっちの娘になるから」とか言いながら、二人でトラックに撥ねられに行きかねない。

 

「……」

 

 良いことと言えば良いこと……なのだが、それ相応のリスクはきっちり含まれている。

 これは……しばらく安心出来ない。そう思いながら、ひとまずアイスを買いに行くのはやめた。

 

 ×××

 

 翌朝。洗濯物を終えてベランダに干した。つい気になり、隣の竿を見たが、まだ何も干されていない。まぁ引っ越し直後だし、洗濯物が溜まるということもないのだろう。

 隣に、あの美琴様が……そう思うだけで、少し興奮してしまうが、この状況を少しでも長くする為には理性的にならないといけない。気を鎮めた。

 なるべく見ないようにしながら、あとは出していくゴミだけ持って部屋を出た。

 ゴミ捨て場にゴミを放り、ネットをかぶせる。……この中に、美琴様のゴミはあるのだろうか? 

 

「って、俺の馬鹿!」

 

 そういうのは考えるな! と、頭を自分で殴る。昨日は美琴に手料理を食べてもらえた。今後もそんな日々が続くかもしれない。ならば、それを少しでも長く持続させるためには、信頼が大事だ。男の欲望は引っ込んでいろ! 

 そう強く胸を叩いて決心し、とにかく学校に向かっ……。

 

「あれ、一宮くん?」

「ガンキャノン!」

 

 声を掛けられ、背筋が伸びきってしまった。ギッギッギッ……と、ロボットのような動きで振り返ると、そこにいたのは緋田美琴。早朝ランニングでもしていたのか、半袖短パンにサングラスにサンバイザーと薄着だ。……それ故に、威力は分厚いものとなっている。

 

「グフッ……フライ、ト……タイプ……!」

「おはよ……大丈夫?」

 

 後ろにぶっ倒れそうになるのをなんとか堪えた。そうだ、隣人として過ごすなら、他の人に自分が美琴のファンであることを知られないようにしなくてはならない。

 

「だい、じょうぶです……! おはようございます」

「うん。これから学校?」

「は、はい……」

 

 ……でも、ちょっと目のやり場に困る。薄着なだけあって、たわわに実ったパイの実二つが視界に映るたびに引き寄せられてしまう。

 

「み、美琴様は……」

「さん」

「え?」

「美琴さん、にしてくれる?」

 

 そういえば、前々から注意されていた。前々、というか、昨日からだが。

 しかし、そんな馴れ馴れしく呼んで良いものなのか……アイドルとファンという関係なのに……いや、ファンであることを欺くためには必要かもしれない。

 ゴクリ、と唾を飲み込んでから、勇気を振り絞るようにポツリと漏らす。

 

「……み、美琴しゃん……」

「うん。何?」

「っ……」

 

 微笑まないで。爆ぜちゃう。

 

「と、トレーニングですか?」

「うん。体力は必須だからね。……そっちは、今から学校?」

「は、はい」

「頑張ってね」

「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」

「うん、声大きい」

「あっ……す、すみません……」

 

 これで今日、授業中は眠れなくなってしまった。昨日の夜は美琴が隣に寝ていると思うだけで眠れなかったというのに。

 

「あ、そうだ。昨日のカレー、美味しかったよ」

「っ! た、食べていただけましたか……⁉︎」

「うん。ちょっと甘かったけど」

「そ、それはー……すみません。俺甘口しか食べられないので……」

 

 しかし、今にして思えばお隣さんにあげる用ならば、むしろ辛さは無くとも甘味は控えめにしておくべきだったか。

 

「すみません……」

「ううん、本当に美味しかったから。私、甘口のカレーを美味しいと思ったの初めてだよ」

「っ……〜〜〜っ!」

 

 嬉しさのあまり、顔が赤くなるほど熱くなる。憧れの人に、自分の料理をほめられる……それが、これ程までとは。両親と七草家以外に披露するタイミングがなかったが、その中でも群を抜いて嬉しかった。

 

「あ……ありがとうございます! 今後も精進します!」

「うん。頑張ってね」

 

 まるで料理の師匠と弟子のような挨拶をして、美琴は部屋に戻った。

 朝から良いことがあった……! と、青葉はウキウキした様子で学校に向かった。

 その妙なハイテンションは、学校に着いても相変わらずだった。クルクルと回りながら教室の中に入り、スライディングしながら教室の椅子に着席。足の一本を軸に回転を続け、止まった頃には脚を組んだ状態で着地していた。

 

「……あれ」

 

 そこで気が付いた。にちかと今日、一緒に学校に来ていない。別に待ち合わせしているわけでもないのでそういう事も珍しくないが、ふと気になってしまった。

 まぁ、割と寝坊することも多い子だし、今はとりあえず気にしないでノートとシャーペンを取り出す。

 せっかくなので、またご飯を食べてもらえる機会があった時のために、レシピを考える事にした。

 大人向けのカレー……と言えば、やはり辛いカレーだろう。元料理人の母親に料理を教わっていたこともあって、それを作るのは難しくない。

 ただ、自分の作った料理を自分で食べられないのが問題だ。

 ……いや、待て。逆に考えろ。それはつまり……辛ささえ克服すれば問題ないのでは? 

 

「よし……!」

 

 今日から毎日、ハバネロのスナック菓子を食べることを決心したときだ。教室の扉が開かれ、先生が入って来た。

 

「はい、全員席座れー。ホームルーム始めんぞー」

 

 いつものノリの声音でそう言う女性担任はとても美人で、ぶっちゃけ好みだったりするわけで。

 だが、今気になるのはそっちではなく、先生が来ても教室に姿を見せないにちかの方だ。

 

「あれ……おい、一宮。七草はどうした?」

「知りませんよ。なんで俺に聞くんですか」

「いつも喧嘩してるから」

「……」

 

 その「喧嘩するほど仲が良い」を前提とした物言いはイラっとするが、グッと堪える。何にしても、心配ではあった。一応、幼馴染だし。

 

「じゃ、俺探して来ますよ」

「バカなのか? これから授業だぞ」

「大丈夫です。俺、成績良いんで」

「そういう問題じゃないから」

「先生、外にアベンジャーズ」

「えっ⁉︎」

 

 騙されてるアホ教師を無視して、逃げるように教室から出て行った。

 そのまま昇降口を出て、校門に向かう。

 はづきから連絡がない、それはつまり、いつもと変わらない様子と言うこと。休みなら休みと自分には伝えてくれるのだ。あの面倒見が良いお姉さんは。

 さて、それはさておき、にちかが何処に行ったか、だ。まぁすぐに理解できる。学校サボってまで行きたい場所は、おそらくアイドル関係。だが、グッズの発売日は青葉も全部押さえているし、従って見逃しはない。

 ……つまり、密かに憧れを抱いていた、アイドルになりたいと思っている方の事。

 何がきっかけか知らないが、昨日さっさと教室を出たことから察するに、その手のチャンスが来たのかもしれ……! 

 

「おはよーございまーす」

「遅刻だぞー」

「すみませーん」

 

 ……校門から、門の前に立っている先生に挨拶しながら、普通に入って来た。自分の姿を見るなり「あっ」と声を漏らす。

 

「何してんの? サボり?」

「……お前、なんでいんの?」

「え? 今日、開校記念日か何か?」

「……」

 

 今、開校記念日は休みになんねーよ、という、ツッコミさえ出て来ない。さっきまでの自分のテンションが恥ずかしくなる程度には、頭の中が真っ赤だった。

 その真っ赤になった顔を見て、意地悪くほくそ笑んだにちかは、下から覗き込むように聞いてきた。

 

「……もしかして、来ないから心配してた?」

「! し、してねーよ!」

「心配してくれたんだー? わざわざ、学校までサボろうとして探そうとしてくれたんだ?」

「してねーっつーの! お前がどうなろうと知ったことかよ!」

「はいはい。分かった分かった。じゃ、早く教室行くよー」

「何偉そうにほざいてんだまな板コラァーッ!」

「は、はぁ⁉︎ 誰がまな板⁉︎ 82はあるから!」

「ないね! そんなんじゃお前良いとこ75くらいだろ!」

「そ、そんなに小さくないから! てか、言って良いことと悪いことあるでしょ⁉︎ そっちだって『トムホの筋肉カッコ良いな……俺も鍛えよ』って半年前に言って未だにもやし体系の癖に!」

「ま、まだ育ってねーだけだよ!」

 

 なんて、いつもの口喧嘩が始まったときだった。何かに気づいたような声を漏らす。

 

「あっ……」

「あ? アベンジャーズで騙される教員可愛すぎるの略? なんでお前そのこと知ってんだよ」

「……」

 

 なんていつもの口喧嘩が始まった時だった。

 いち早く気づいたにちかが黙り、青葉は片眉を上げる。その眉毛は、頭を後ろからガッと掴まれることで元に戻った。

 

「おい……何教員を騙して授業サボります宣言して幼馴染の女子と教員を騙した話を肴に盛り上がってんだコラ」

「……」

「おはようございます。寝坊して申し訳ありません、先生」

「おはよう、七草。教室早く行け」

「はい」

「じゃあ俺も……」

「お前は生徒指導だコラ」

 

 連行された。

 やはり、年上の美人さんと言っても、ここまで怖い人は少し苦手である。その点、美琴はやはり見た目も中身も良い人だった。たかだか学校に行くだけでも「頑張って」とエールを送ってくれる。

 実を言うと、他の仲良い近所の人達も言ってはくれるのだが、美人で芸能人で、助けられたとは言え高校生のガキにも優しく接してくれるなんて、それはもう相当である。

 

「……うん。やっぱり俺、美琴様一生推そう」

「何急に。怖っ」

 

 そんな話をしながら、生徒指導室で怒られた。

 しかし、この時はまだ知らなかった。緋田美琴という女性を。今後、抱える苦労は今の比にならなくなるのだが……今の彼には、知る由もなかった。

 

 



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羊頭狗肉
生活力と見た目は関係ない。


 なんか、臭う。そんな風に思ったのは、それから一週間ちょい経過した日曜日だった。

 しかし、それはおかしい。何故なら、自分は部屋を週一で掃除しているからだ。不潔なのは好きではない。

 今は隣に美琴も住んでいるし、それは尚更だ。なので、どこから臭いがするのか、とても気になっていたままバイトに出ていた。

 

「ふーん……異臭ねぇ……」

 

 そんな相談を、同じようにバイト中のにちかに漏らしてみた。

 

「知らないけど、どうせどっかにネズミの死骸でもあんじゃないの?」

「何その発想。マンションの五階にそんなもんいてたまるかよ」

「だって他に考えられないでしょ」

「考えられるわ。トイレの詰まりとか、野菜のダストシュートとか、ゴミ箱とか……」

「でもその中になかったんでしょ?」

「まぁ……」

「じゃあ死骸」

「やめろ。怖ぇーよ」

 

 ため息をつきながら、棚にCDを並べていく。実際、あの臭いは不愉快だ。別に潔癖症というわけではないのだが、四六時中その臭いが漂って来ると流石にキツい。

 既に、もう6月中旬で梅雨の季節。風向きによっては窓も開けられない季節では、中々厳しい。

 ……というか、窓を開けても漂って来るってどういう事なのだろうか? 

 

「あ」

「何?」

 

 何か思いついた、とでも言うようににちかが声を漏らす。

 

「あれじゃない? マンショントラブルってヤツ」

「あー……音がうるせーとか? 臭いの話だぞ?」

「や、最近は結構ズボラな人が多いんだって。この前、テレビで見たよ。隣の部屋の人がゴミを溜め過ぎて、アリとかGとかが自分の所まで来ちゃうんだって」

「え、何それ。クッソ有害じゃん」

「だからトラブルになるんだって。その害虫を集めてる部屋の人も自分が不潔だって認めたくないから、必死に隠そうとするらしいよ」

「そんな奴は死んじまえば良いのにな」

「青葉のとこもそれじゃないの? 青葉、綺麗好きだし、あり得ない話ではないでしょ」

「あー……どうだろ……」

 

 と、言いかけた青葉はハッとする。隣に住んでいるのは美琴。そしてもう反対側には誰も住んでいない……つまり、そんなの美琴しかいない。

 

「そんなことはあり得ない。何も知らない奴が知った風な口を叩くな」

「え……何その断言……ていうか、隣に誰か引っ越して来たんだ」

「え? あ、ああ。まぁな」

 

 そういえば、まだにちかには隣に誰か引っ越して来たことを言っていない。だって美琴だから。言えば、自分は惨殺される。

 

「そんなに庇うってことは……もしかして」

「っ……!」

「めっちゃ美人な年上のお姉さんとか?」

「……」

 

 大当たりである。検索件数は変わっていないが。とりあえず頭の中でホッと胸を撫で下ろしておいて、頷いた。

 

「うん……まぁね」

「でも、美人なほどズボラだからな〜。お姉ちゃんも家だとスーツのまま寝ちゃうし」

「それは疲れてるからじゃねーの? また、家事でも手伝いに行こうか?」

「助かる。私の部屋も掃除して?」

「それはテメェでやれ」

「えー、良いじゃんー。私、最近忙しいし」

「え、またバイトのシフト増やしたの?」

「え? ……あー、ううん。ちょっとね」

 

 もしかしたら、別のバイトでも始めたのかもしれない。大家族の七草家だし、はづきも毎日のように働いていて、家ではスーツで寝るくらい疲れているみたいだし。

 作業をしながら、隣のにちかが話を逸らした。

 

「でも、そういうのって、美人だからどうとかじゃなくて、普通に言った方が良いと思うけど? 実害が出てるわけだし、マンションの管理人さんも困るんじゃない?」

「違う。多分、俺の部屋のどこかでネズミが死んでる。お隣さんの所為じゃない」

「なんでそんなに頑ななの……」

 

 美琴の所為に、なんて出来るはずがない。そんな事をするくらいなら、首に電動ドリルを当てても良い。

 

「そういえば青葉。最近、またうちにご飯、持って来てくれたでしょ」

「え? あ、ああ。ちょっとカレー作り過ぎたから」

「それ、食べたけど……珍しいよね。ピリ辛作るとか」

「え……そ、そう?」

「そうでしょ。甘口しか食べれないお子様じゃん」

「……」

 

 そう言えば、その通りだ。お陰でお子様という憎まれ口に反応する余裕も無かった。

 

「ま、まぁ俺もそろそろ……大人の味、ってやつを知っとこうと思ってな……」

「ふーん……ま、どうでも良いけど」

 

 とりあえず、ほっとする。バレたら終わる。

 しかし、辛いカレーというのは本当に作るの大変だった。スパイスとかたくさん買って、バランス良く調合して……で、その上で種類が種類だけに棚の中にしまうのも大変だったので、今週はゴミが多かった気がする。

 

「……」

「どしたの?」

「や、なんでも……とにかく、もう少し部屋の中を見て回ってみるわ。もしかしたら、何かの死骸があるかもしれないし」

「それあったらあったで怖くない?」

 

 なんて話しながら、バイトの時間を過ごした。

 

 ×××

 

 帰り道、今日も夜なのでにちかを七草家まで送ってから、青葉も帰路についた。

 異臭の原因……心当たりがあった。というより、一瞬だけ美琴を疑った。と、いうのも、まだ一週間ちょいだから偶然と思いたい所だが、ゴミ出しをしている美琴を見たことがなかった。

 洗濯を三日に一回はしている青葉だが、その最中も隣の部屋の竿に洗濯物が掛かっているのも見たことがない。

 異臭の原因……もしかしたら、なんて思ってしまった。だが、そんなはずはない。何せ、自分が憧れた女性だ。

 

「……大丈夫、大丈夫……」

 

 そう譫言のように呟きながら、マンションに到着した。今日は、店長が自分とにちかが作った棚のおかげでCDが大きく売れたので、ケーキを買ってくれた。それを食べるのが非常に楽しみである。

 そんな事を思いながら、自動ドアの奥に抜けて、エレベーターの前に向かう。

 すると、エレベーターの前には緋田美琴も立っていた。

 

「ん……あ、一宮くん」

「あ、こ、こんばんは……」

「うん。遅いんだな?」

「バイトしてて……」

「そうなんだ。お疲れ様」

「い、いえ! 美琴様もこんな時間まで……!」

「さん」

「あ、はい……み、美琴さんもこんな時間まで……レッスン、でしょうか? お疲れ様です」

「ありがとう」

 

 挨拶すると、エレベーターの前に並んで待機する。こうして横に並んでいるだけで、良い香りが隣から漂って来る。

 やはり、こんなお姉様の部屋が臭いわけがない。おそらく、自分の部屋にネズミでも侵入したが、あまりに部屋が綺麗過ぎて核反応を起こして死んだのだろう。

 そう判断していると、エレベーターが来た。そこで、思春期の男子は気がつく。エレベーターに乗ると、まず密閉空間に二人きりになってしまう。

 

「……お、俺……階段で行きます」

「? どうして?」

「き、鍛えてるので!」

「ふふ、そっか」

 

 笑顔でそう呟かれ、相変わらずの美しさに頬を赤らめて逃げるように階段を駆け上がった。これで、明日から部屋に戻る際は毎日、階段で上がらざるを得なくなった。鍛えてる、なんて言ってしまった以上は、鍛えないと嘘になる。美琴様に嘘をつくなど、あって良い話ではない。

 シュタタタタッと高速で五階まで駆け上がり、到着する。エレベーターはもう到着していて、美琴の姿はない。正直、また会えるんじゃないか、なんてちょっとだけ期待していた自分がいたが、まぁ仕方ない。

 さて、とりあえず今日は寝て、明日は死骸があるかどうかを探さなくては……なんて思いながら、玄関を開けようとしたときだ。

 悍ましい臭いが届いた。思わず鼻と口を覆ってしまう。涙が出そうになるほどの臭い。え、近くでリアルバイオハザードでもやってんの? と言わんばかりの臭気だ。

 

「っ……⁉︎」

「あ、一宮くん」

 

 そんな中、声が掛けられた。顔を向けると、美琴が自分の部屋の扉を開けて立っている。

 

「……どうしたの? 口元覆って。具合悪い?」

「っ……い、いえ……」

 

 今朝はこんな強烈じゃなかった……まさかとは思うが、本当に自分の部屋に死骸があるのか……それとも、美琴の部屋の扉が開いているからか。

 それでも根性で「美琴の前で口元を覆うのは失礼」と判断し、手を外す。

 何一つ理解していない美琴は、相変わらずのクールな笑みを浮かべながら、手元にタッパーを握って持って来た。

 

「そういえば、この前のカレーのタッパー、まだ返してなかったよね?」

「……あ、はい」

「これ」

 

 言われてそのタッパーを受け取る。一週間後に返されても……と、思わないでもないが、とりあえず気にせず受け取る。

 ふと、そのタッパーを見下ろす。見て一発でわかった。洗ってはあるが、水洗いだ。角にカレーの残りが染み込んでいる。

 

「……」

「一宮くん?」

 

 ……もう、認めざるを得ない。この人、掃除が出来ない。

 残念に思う前に、何とかしないと、という風に思った。今はまだ隣の自分だけだが、上下の住人にも気付かれる。

 

「美琴様、いや美琴さん」

「ん?」

「部屋を掃除、させてください……!」

「え、どうして?」

 

 分かんないのかよ、と思っても飲み込む。

 

「俺に見られたくないものがあったら洗濯機に放り込んで下さって結構ですし、俺が掃除している間は手に鈍器を構えていても良いので、お願いします……!」

「良いけど……部屋、別に何もないよ?」

「なら尚更、掃除しやすいです。とにかく、お願いします……! 変な事したら通報しても良いし、盗撮が怖かったらスマホとか預かってくれた上で、持ち物検査をしても良いのでお願いします!」

「なんでそんなに必死なの……?」

 

 そりゃ必至にもなる。実害もあるし、美琴にも害は出るだろうし。

 

「……まぁ、でもそこまで言うなら……」

「ありがとうございます!」

 

 掃除をする側がお礼を言うという愉快な絵になりつつも、青葉はまず下準備に移ることにした。

 手元にある紙袋を美琴に手渡した。

 

「では、これを下の階の方にお願いします」

「? 何これ?」

「こんな時間に掃除なんてしたらうるさいし迷惑なので、菓子折りです」

「……ケーキ? 食べて良いの?」

「いえ美琴さんにじゃなくて、下に住んでる人に、です」

 

 本当は後でゆっくり食べるつもりだったのだが仕方ない。下の階の人は一人暮らしなので、ケーキも一切れ分で十分だ。

 

「なんで私が?」

 

 誰の部屋だよ、というのを飲み込んで理由を言った。

 

「あなたの部屋掃除を見知らぬ俺がしてるってバレないためですよ」

「あ、なるほど」

 

 ケーキを受け取り、階段を降りる美琴を横目で見つつ、まずは自分の部屋に引っ込んだ。

 まずは着替え。ジャージに着替えた上で、マスクを装着。雑巾、洗剤、松井棒、毛叩き、40リットルゴミ袋、バケツを用意した。掃除機くらいは部屋にあると信用し、それらを持って美琴の部屋に入る。

 憧れの女性の部屋、という事で緊張したが、それらを全て臭気が打ち払う。

 意を決して扉を開けると、紫のオーラが見えそうなほどの臭いが襲いかかってきた。

 そして、視界に入るのはゴミ袋の山。廊下の半分を支配するように山積みにされているそれは、見るだけで挫けそうだ。

 

「っ……や、やるしかない……!」

 

 気合を入れるように胸を叩いて、突入した。よくよく見たら、ゴミ袋の中は全然、分別されていないし、袋の外にゴミ処理センターの人からの貼り紙が貼られている。おそらく、分別が原因で持って行ってもらえなかったのだろう。

 固まる……が、己の変態スイッチをオンにする。美琴の生活ゴミに塗れられるのならご褒美だ。

 

「うへへ……!」

 

 ニヤリとほくそ笑みながら、まず窓を開けてから処理を開始した。

 分別は後回し。とりあえず、ほったらかしになっているゴミを袋に詰める。コンビニ弁当やカップ麺、ゼリーにプロテインなどばかりだが、ちゃんと燃えるゴミ燃えないゴミ、そこからさらに細かく分けていって、両手を高速で動かしていく。

 

「ケーキ、渡して来たよ」

「ありがとうございます!」

 

 お礼だけ言って、リビングから処理をしている時だ。カサカサカサっ……と、何か小さな影が見える。

 長い触覚、六本の足、小判のようなフォルム……なんだろう、なんて思うまでもない。

 

「〜〜〜っ! ゴッ……グ……!」

「? ああ、また出た」

「また⁉︎」

「えいっ」

 

 直後、美琴は無表情でスリッパでそれを叩き潰す。その男らしすぎる仕草もまた素敵だったが、潰したスリッパを燃えないゴミの袋に入れられてしまう。

 

「ちょーっ! スリッパは燃えるゴミですよ!」

「? ……あ、分別とかちゃんとするんだ」

「そりゃしますよ! じゃないとゴミ、持っていってもらえないんですよ⁉︎」

「……‥それで私のゴミだけやたらと残ってたんだ」

「……」

 

 聞かないようにした。とりあえず、潰された亡骸をティッシュでくるんでゴミ箱に放り、さらにゴミ処理を続ける。

 そのまま、およそ30分。あまりの手際の良さで、落ちているゴミは全て袋に放り込み終えた。

 

「よし……まず第一段階」

「すごい……久々にリビングの床見たかも」

「……」

 

 大丈夫、まだ全然平気。むしろ美琴が使い終えた割り箸とか見て少し興奮した。

 続いて、今度は床や机、壁や窓などだ。そのためには、袋が邪魔だ。

 なので、一度ゴミを外に出すことにした。大丈夫、自分の部屋の前なら他人の迷惑にはならない。

 部屋から出すついでに、燃えるゴミの袋、燃えないゴミの袋、ミックスされている袋など種類ごとに置く場所を分けていく。

 

「……手伝おうか?」

「いえ、大丈夫です」

「トレーニングになりそうだし……」

「分別わかります?」

「……待ってるね」

 

 ゴミ袋を外に出し終えたので、引き続き部屋の中。よくもまぁ一週間でここまで汚せるものだ、と思う程度には汚かったが、逆に一週間にしては、というレベルなので問題ない。

 まずは高い所から。埃を床に落とし、洗剤を使って窓を拭き、壁も拭き、続いて机や椅子などを磨き、最後に床。

 

「美琴さん、掃除機ありますか⁉︎」

「え、どうだろ……どっかあると思うけど」

「……」

 

 おそらく寝室か、或いは買うだけ買って使われていない家具を押し込んでいる倉庫の中か……どちらにしても、探すだけでも苦労しそうだ。

 

「取ってきます……!」

 

 自分の部屋の掃除機をとりに行った。

 目に見えるゴミを吸った後は、雑巾で床を拭く。とにかく、とにかく手と足を動かし続け……ようやく人が住める程度に綺麗になったのは、1時間半経過したあたりだった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ……」

 

 疲労のあまり、床の上で大の字になって寝転がる。マスクを外し、呼吸を整えた。ようやく、呼吸をして良い空間に思える程度には綺麗になった。

 しかし、汚かった……こんな時間に、しかもバイトの後にこんな重労働するハメになるとは……いや、自分からやらせてくれ、と言った事だが、それにしても疲れた。明日は昼まで寝てしまいそうだ。

 だが、まだ終わりではない。ミックスされたゴミを分別しないといけないから。

 

「……わぉ、すごい。綺麗になってる」

 

 そんな中、声が聞こえる。顔を上げると、ジャージ姿の美琴が首からタオルをぶら下げてずぶ濡れの様子で立っていた。

 外は雨なのに、トレーニングに行ったのだろうか? 何にしても、せっかく掃除した廊下の床が濡れてしまう。

 

「美琴さん……床、濡れてる……」

「水くらい平気でしょ」

「いや木製の床ですから! ダメになっちゃいますよ!」

「あ、そっか。じゃあ……シャワー浴びてくる」

 

 自分から「掃除したい」と言ったので「そもそも人が掃除してる間にトレーニング行くな」という苦言は控えておく。

 これからシャワー浴びるなら、自分は部屋に戻った方が良い……が、その前に気が付いた事がひとつ。この人、手料理もしない。コンビニ弁当ならまだマシだが、カップ麺とゼリー飲料の割合がやたらと多いのは許されない。

 

「美琴さん……」

「ん?」

「もう晩御飯食べました?」

「うん」

「……何を?」

「カ○リーメイトとプロテイン」

「……台所借りますね」

「え、いやいいよ。大変でしょ? バイトの後に掃除してくれて」

 

 なんでそんなに他人事なのか。勝手に掃除させてくれ、と言った立場とは言え、誰の所為だと思っているのか。

 

「慣れてるので大丈夫です……!」

「でも、もう食べたし……」

「いいから食べなさい!」

「わ、分かったよ……?」

 

 つべこべ言わさなかった。おそらくバスルームに入る美琴を眺めつつ、青葉は渋々、立ち上がって冷蔵庫を開ける。

 

「……は?」

 

 何もなかった。スポドリとゼリー飲料くらい。あ、栄養ドリンクもあった。

 これもう冷蔵庫いらないじゃん……と、思う程に閑散とした中身だ。

 しかし、飯を作ると言ってしまった。なので、自室から食材を持ってきた。残念ながら、カレーは練習し過ぎて食材を切らしている……というか、時間も時間なので軽く炒め物にすることにした。

 食材をいくつかを持って、あとフライパンや菜箸、鍋など料理器具があるか怪しいので、それを持って美琴の部屋へ。後になって「自室で作ったもの持ってきゃよかったのでは?」と思ったのは内緒だ。

 そのまま、炒め物と並行作業で味噌汁も作っていると、ペタペタと歩く音がする。

 部屋に入って来るなり、美琴の湯上がりシーンが見えた。

 

「ふぅ……さっぱりした……良い香り」

「ありがとうござ……」

 

 褒められて、少し嬉しくて実際、お礼を言いかけた口が止まった。湯上がりしたばかりの美琴が、なんだかとても色っぽく見えてしまったからだ。

 今の今まで、掃除中とあまりの部屋の汚さにデバフが掛かっていた美琴の美人オーラにギャップを添えたバフがついた。

 思わず、ポーっと頬を赤く染めてフリーズしてしまう。

 

「? どうかした?」

「っ……い、いえ……あ、美琴さん。お皿はどこにありますか?」

「あ、うん。今出す」

「お願いします」

 

 そればっかりは何処にあるか分からないので、理由にして目を逸らす。忘れていたが、憧れのアイドルなのだ。色っぽく見える姿で立たれると、元に戻ってしまう。

 出してもらったお皿に、盛り付けると、続いてお椀にお味噌汁を注いだ。

 

「どうぞ」

「ふふ、美味しそう」

 

 机で待っている美琴の前にお皿を置くと、用意したお箸で箸を伸ばしてくる。

 しかし、青葉はそれを自分の方へ引いて避けた。

 

「え……」

 

 ぐうぅぅ〜……っと、お腹の音を鳴らすと共に絶望的な顔になる。胸は痛むが、言わなきゃいけないことは言わないといけない。

 

「……約束してください。今後、掃除か料理、どちらかはキチンとすると」

「え……どうして?」

「困るからです! 色々と!」

「面倒臭い」

「直球ですか!」

「だって、そんな暇があるならトレーニングやレッスンしたいし」

「そんな暇って……そもそも家事は暇だからするものではなく、生きる上での人間の習性としてあるべきものです!」

「……お腹すいちゃったな?」

「ザクッ……か、可愛らしく小首を捻ってもダメです!」

 

 食材を取りに行った時から決めていた。香りが強いものを調味料に使おうと。そうすれば、普段ロクなものを食べていない人の嗅覚を刺激できる。普段の美琴なら「じゃあそれいらない」となっていたのかもしれないが、今なら香りが良過ぎてこれを食べたくて仕方なくなっているだろう。

 

「じゃあ……一宮くんがやってくれない?」

「は?」

「今日みたいに。掃除も、料理も」

「……」

 

 この人は本当に何を言い出すのか。

 

「もちろん、タダとは言わないから……」

「だ、ダメです! ファンがお金もらってアイドルの部屋に来て家事なんて……許されません!」

「むぅ……強情」

「いやお金払ってまで家事したがらない人に言われたくないです!」

「うーん……じゃあ、こういうのは?」

「……なんですか」

 

 何を言い出すのか分からないので、最低限の警戒心を募る。美琴は立ち上がると、床に腰を下ろして正座をした。

 嫌な予感がして、すぐに冷や汗をかいた。

 

「っ、や、やめて下さいよ。土下座なんて……!」

「良いから、おいで」

「?」

 

 おいで、ということは、自分に何かするつもりだろうか? 少し何をされるのか警戒しながら美琴が手で指し示す場所に立つと、手を差し出された。

 頭上に「?」を浮かべながら手をとった直後、グンッと引っ張られた。まさか物理的且つ強引な手段に出られると思っていなくて、バランスを崩してしまった。

 転ばされ、頭が柔らかいものの上に落ちる。二つある、柔らかくも張りがあるそれは、幼い頃にはづきに何度もしてもらったのですぐに分かった。

 太もも……つまり、膝枕。さらに添えられる、頭の上の柔らかい手……撫でられている……! 

 

「リッ……ク、ドム……!」

「これは、今日の分の報酬」

「グフッ……グフフ……」

 

 柔らかいとか気持ち良いとかでも心臓爆速すぎて一生眠れないとか、頭の中でグルグルと煩悩が渦巻く。それはそうだろう、憧れのアイドルの膝枕である。死んじゃう。

 

「……引き受けてくれたら、もっとイイコト……してあげちゃう」

「っ⁉︎」

 

 それはつまり、セック……あ、いやそれは別にいい。えっちなことしたい訳ではない。

 青葉が美琴としたいイイコトと言われると……同じバイト先で仕事について揉めたりとか、好きなアイドルについて語り合ったりとか、お互いの小さなことで相談し合ったりとか……いや、その辺は美琴の報酬として馴染まない。バイトとか絶対無理だし。

 他だと……一緒に映画見たり、ゲームしたり、お祭りとか海とか初詣とか行ったり。

 そんな事が、許されて良いのか? 良いのだろうか⁉︎ いや、良くない! ファンとアイドルの関係で、隣人同士でバレようがないからって有り得ない! 

 しかし……! 

 

「私のために……一肌脱いでくれる?」

 

 膝枕の上から繰り出される甘い声音が、少しずつ青葉の理性を溶かしていく。ダメなのは分かっているのに「お言葉に甘えちまえよ」という悪魔が囁く。

 

『大丈夫だって。バレやしねーよ。このマンション、エレベーターとフロントと裏口、非常口、屋上にしか監視カメラはねえし、大丈夫だってマジで』

 

 そういう問題じゃない。というかこの悪魔、監視カメラの位置についてやたらと詳しいな。そりゃそうだ。オタクだってバレないように、監視カメラを意識してグッズを買って来たから。

 というか、天使はまだ来ないのだろうか? 

 

『お待ちなさい!』

 

 やっとだ。ヒーローは遅れてやってくるというものだ。君の意見を聞こう。

 

『あなたはこのまま美琴様を放っておけるのですか? 実際、取り引きを断ってしまえば、彼女はまたあのダメダメな私生活に逆戻りですよ?』

 

 どっちの味方なのだろうか? と思いつつも、それは確かにある。そうだ、報酬に気を取られていたが、元はと言えばその話。自分の部屋にも実害が出かねない以上、受ける他ないのだ。

 問題は、報酬だ。そこだけに目線を向ければ良い。自分が望む報酬のどれもが、ファンとして越えるべきでない一線を超えている……つまり、答えは決まっているのだ。

 この膝枕も、もう二度とない。だが、普通は一度もない。名残惜しくとも、溶かされかけていた理性を再び冷やして固めると、鋼の意志を持ってして膝から退いた。

 

「報ッッッ酬は、無しで良いのでッッ……料理も掃除も、やらせていただきます……!」

「え、良いの?」

「……で、でも……流石に食材と、掃除にかかる費用はッ……美琴さんに持っていただけると……!」

「勿論」

 

 結局、甘やかしただけのような気がする……そう思ってしまったのを飲み込みながら、とりあえずおかずを差し出した。

 

「どうぞ……」

「ありがとう。じゃあ、いただきます」

 

 ちょっとだけ冷めてしまった炒め物とお味噌汁を、美琴は食べる。

 結局……自分はしばらく美琴の為に掃除や料理をするだけになってしまった。今のままずっとここで暮らすなら良いが、結局それは美琴の為にならない。付き合っているわけでもないのに、なんで掃除に料理をしてあげないといけないのか……もし、両親が海外から戻って来たとき、どうするのか。

 考えれば考える程「美琴に言い包められた」という、気持ちが沸々と湧いてくる。

 

「……」

「一宮くん」

「?」

 

 肩を落としている自分に、美琴が声を掛けてくる。何? と視線で問いかけながら顔を上げると、いつも挨拶する時の笑みより少しだけ幸せそうな表情で言った。

 

「美味しいね、一宮くんの料理は」

「っ……」

 

 でもまぁ、推しがこんなに幸せそうな顔してくれるならいっか、と思考を放棄した。

 

 



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口は隠し事の元。

 翌朝、頼むから夢であってくれ、と思いながら部屋の前を見たが、やはり美琴の部屋から出て来たゴミ袋はあった。

 正直、ガッカリしなかった、と言われれば嘘になる。完璧だと思っていた美琴が、家事が出来ない……或いはしない人種だったなんて。

 けど、逆に言えばどんな人だって得手不得手はあるものだし、やりたいことやりたくないことがあるのかもしれない。青葉にとって、やりたい事は美琴とイチャイチャする事で、やりたくない事はにちかとイチャイチャする事だ。

 それが、美琴にとってレッスンと家事、と思えば受け入れるしかない。それに、それが美琴の全てではない。

 そう前向きに捉えつつ、青葉はゴミ袋を持って家を出た。朝、学校に行く時間より少し早い時間だ。

 一応、心配になったので、インターホンを押した。数秒後、ジャージ姿の美琴が出て来る。これから走り込みのようだ。

 

「……あ、おはよう。一宮くん」

「おはようございます」

「どうしたの?」

「あ、はい。ゴミ捨て、忘れないように伝えておこうと思って」

「あ、わざわざありがとう」

「あと、美琴さん。昨日、作ったお味噌汁、火に通してくださいね。ダメになっちゃうので」

「えー……」

 

 なんでそんなに面倒臭そうな顔をするのか。どんだけ料理嫌なのだろうか? 火にかけるくらい、料理でさえないと思うのだが……。

 

「俺がやっても良いですけど、そしたらゴミ捨てお願いします。俺も学校なので」

「うーん……じゃあ、後で温めるよ」

「……温めずに腐ったらもっと大変なことになりますからね」

「う、うん……?」

 

 生返事は許さん、と言わんばかりの気迫で伝えた。どちらにせよ、飲まれなかったら今夜のうちに回収しておこうかなーなんて思いながら、今日の分のゴミを捨てに行った。

 

 ×××

 

 さて、色々あったが、朝から美琴に出会えたので、今日は良い日である。なんだかんだ、憧れのアイドルのお世話と考えれば、やはり悪いことでもないので、やはりこれから色々と楽しみではある。

 少し小躍りしたくなるのを必死に抑えていると、後ろから1番聞きたくない声を掛けられた。

 

「なんで朝からテンション高いの? 怖っ」

「っ」

 

 そうだ、忘れてた。自分と美琴の関係は誰にも知られてはならない。その筆頭がこの幼馴染だ。

 

「いや、別に……てか、なんでテンション高いって分かるんだよ」

「分かるから。何年の付き合いだと思ってんの?」

 

 いやそんなにしょっちゅう一緒だったわけでもない。別のクラスになったらアイドルの話題以外で全く話さなくなったこともあるし、小中ともに修学旅行は別々だった。林間学校は一緒だったが。

 ……うん、割とやっぱりずっと一緒だったかもしれない。それだけに、テンションの上がり下がりには気をつける必要がある。

 

「で、何か良いことあったの?」

「ねーよ。朝から良いことなんて起きるか」

「ふーん……美人のお隣さんに挨拶されたとか?」

「それはあった」

「あったんじゃん」

「そんなんで一喜一憂出来るか。にちかは? なんか疲れてるっぽいけど」

「別に何もないけどー? ……あ、ねぇそれよりさ、課題見せてよ。英語の」

「またかよ。お前土日何してたんだよ」

「踊ってた」

「せめてバイトしとけよ!」

 

 なんで趣味に全開のにちかのために、苦労して片づけた課題を見せないといけないのか。

 日曜日は自分と一緒でバイトではあったが、それでも午後からだったろうに。

 

「仕方ねーな……」

「あ、もちろんお姉ちゃんには内緒で」

「はいはい」

 

 一応、宿題の貸しはガンガン溜まっているが、それがいくら積もっても美琴の部屋に割と出入りしている、なんてバレたら虐殺は免れないだろう。

 ……聞いてみるだけ聞いてみようか。

 

「そういえばさ、にちか。この前ふと思ったんだけど」

「何?」

「美琴さんに、実は家事も何でもしてくれる家政婦的存在の男の人がいたらどうする?」

「……何その想定?」

 

 うん、導入が雑過ぎた。確かにどんな想定だろうか? なんとか自然な流れにするために言い訳を考えていると、すぐににちかがつぶやいた。

 

「あー……もしかしてあれ? いつもの『もし、美琴様が○○だったら』妄想シリーズ?」

「え? あ、あーそうそう」

 

 普段、オタクゲージが最大に溜まると、二人でこの手の妄想をする。ずっと昔から一緒の二人は、割ときつい妄想の出し合いもしていて、一番ドギツかったのは14歳の時に話していた「もし、美琴様がドMだったら」というものだ。

 そのため、にちかは顎に手を当てて真剣に考え始めた。

 

「……美琴様が、私生活は実は全然ダメ、って意味なら可愛いかも……」

 

 実際、実にダメなわけだが、そこに幻滅することはないと分かってホッとした。まぁその辺の価値観は青葉と同じなのかもしれない。

 

「でも、そんな男がいたら生かしちゃおけない」

「……」

 

 やはり、絶対に自分のことは言えない。なんなら隣に住んでいる事さえバラせそうになかった。

 

「青葉はどんな妄想した?」

「……え?」

 

 そうだった。他人の意見を聞いた以上、自分も言わなくては。……だが、妄想も何も実際にやっているのである。なんて言ったら良いのか分からず、とりあえず浮かんだことを言った。

 

「えー……まぁ、例えば……俺ならー……こっちが時間潰して家事してやってんのに、平然と何食わぬ顔でマラソンしにいかれて、帰って来た頃に『もう終わった?』って幼馴染感出して言われたい」

「……えっ」

「? 何?」

「解釈違いって……初めてじゃない? 美琴様なら、家事をしたら労ってくれると思うけど……」

「……」

 

 しまった。実物を見たが故の解釈を言ってしまった。実際、あの人は慣れてくると労ってくれるかは微妙である。お礼くらいは言ってくれそうだが、最初にギブアンドテイクを持ちかけて来た時点で、割と他人に借りを作りたくないタチなのかもしれない。

 そんな事よりも、今は誤魔化さなくては。

 

「……や、たまにはクールさを前面に押し出した冷たい美琴さんも良いかなって……」

「ていうかさ、青葉はいつ美琴様のこと『さん』付けで呼ぶようになったわけ?」

「っ……」

 

 再び「しまった」と冷や汗をかく。さん付けは美琴の方から言われた呼び方。当然の事ながら、新鮮な事だろう。

 

「い、いや……アレだよ。最近、ちょっと高校生という青春の代名詞の真っ最中に、女性を様付けで呼んでいる自分を客観視しちまってさ……心の中で様を付ければ崇拝してる事に十分なるんじゃねえかなって……」

「何それ? 中二の時、青葉から様付けするようになったのに?」

「お、俺も大人になったってことだよ」

「それはないから」

「どういう意味だコラ⁉︎」

「いつまでも子供って今に決まってるじゃんー」

「お前が言うな! いつまでも宿題にしてもなんにしても人に甘えて来やがって!」

「私は良いのー。妹だし?」

「はっちゃんのな⁉︎ 俺にとっちゃただの生意気な腐れ縁のバカだよ!」

 

 なんて、ワーキャーとはしゃぎながら、二人は学校に向かった。

 

 ×××

 

 緋田美琴は、レッスンルームにいた。早朝、せっかくなので言われた通りお味噌汁を火にかけて飲んだ。相変わらず美味しかったけど、5分ほど無駄になった。その時間、少しでも早朝のストレッチ出来たのに……。やはり、ファンと言っても所詮は子供。アイドルである自分の気を引きたいだけかもしれない。

 少し、ため息をつきながら、美琴は283事務所のレッスンルームを独占し、レッスンを続ける。学生が多いこの事務所なら、午前中は使いやすいのだ。

 

「ふぅ……」

 

 8時半過ぎにここに到着してからずっと身体を動かしていたので、流石に疲れたので休憩。

 一息つきながら、天井を見上げる。ここに移籍して来てから、早一週間ちょい。割と使い心地の良いレッスンルームは、移籍して良かったと思える。

 ……まぁ、今後組まされるユニットメンバーは自分含めて二人。その相方の子も、つい最近この事務所で試験を受けて合格した子らしい。

 なんにしても、それはつまりこれから芸能界という過酷な環境に身を置く子だ。可能な限り、親切にしてあげなければ、大丈夫、ここ最近で高校生くらいの子の接し方は理解した。

 

「美琴ー……あ、やっぱりここか」

 

 そんな中、レッスンルームに入って来たのはプロデューサー。

 

「あ、プロデューサー。どしたの?」

「いや、随分と長いことレッスンしてるから心配になったんだけど……今日は顔色良いんだな」

「え、そう?」

「そうだよ。……自分で気付いていなかったのか?」

「……ていうか、普段顔色悪い?」

「や、まぁ悪いってほどじゃなかったんだけど、良くもなかったから」

 

 そういえば、確かに頭が割とクリアに働いている気がする。

 

「朝、お味噌汁飲んだからかな……」

「え……普段は飲まないのか?」

「え? あー……うん」

 

 一応、隣に住んでいる子が作ってくれた、なんて事は黙っておいた方が良いだろう。昨日の夜も晩御飯は美味しいもの食べられたし、その辺が効果を発揮しているのかもしれない。

 

「ちゃんと、ご飯食べてるのか? 動く割に顔色悪いこともあるし、お昼の時間になってもなかなか降りて来ない事もあるし、食べたと思ったら10秒飯だし、割と心配してるんだが……」

「大丈夫。ちゃんとするから」

「する……って事は、してなかったって事か?」

「や、あれだよ。言葉の鞘って奴」

「綾、な。切れ味ある発言を控えてるのか?」

 

 しかし、困った。このままだとレッスンを止められかねない流れだ。

 

「今だってほら、ちゃんと休んでたし……一応、ベテランだからペース配分は考えてるから。……だから、平気」

「じゃあ、今日のお昼ご飯は?」

「……カロリーメイト」

「美琴、今日は俺と食べに行こうか。奢るから」

「ええ……レッスンの時間……」

「というか、来なさい! ちょっと話しておくことがある!」

 

 仕方なくため息をついた。このままだと、今後も休まされる時間が増えるかもしれない。

 でも、わざわざお弁当を持参するのも面倒臭い。どうしたものか考える中、やはりお隣の力を借りるしかない気がした。

 

 ×××

 

 帰り道、にちかは青葉と二人で駅まで向かっていた。

 にちかは、アイドルになっていた。まだ研修先だし、デビューはまだだが、オーディションには合格し、事務所でレッスンを受けている。

 で、青葉も今日はバイトなので、駅まで一緒に行くことになった。

 そのユニットなのだが……自分は、あの憧れの緋田美琴と組んでいる。もう最高だ。これからのレッスンも、美琴と一緒である。

 だが、それ故に……隣の男にそれはバラすわけにはいかなかった。美琴のファンであった日数なら自分より上。部屋に飾ってあるグッズも自作したものさえある、割と行くところまで行ってるオタクだ。

 そんな彼に、自分が美琴とユニットを組んでいると知られたらどうなるか? 

 

「ねぇ、青葉。仮になんだけどさ。美琴様と美琴様の大ファンがなんやかんやでユニットを組むことになったら?」

「え? 美琴さん次第だけど……フォークで穴あけて醤油、ニンニク、生姜と一緒に袋に放り込んで揉み込み、30分放置。その後に片栗粉を塗してカラッと揚げた後にアマゾンズの群れに放り込む」

「何言ってんの?」

 

 との事だ。早い話が殺すということだろう。美琴さん次第、と言っているが、彼に美琴の意思を確認する術はないし、自分の口から言った程度では信用されないだろう。

 これは、姉にも自分がアイドル始めたことは、青葉には絶対に言わないように口止めしておかなければ。

 

「てか、急にどうしたの?」

「や、なんとなく。美琴様も移籍したし、もしかしたらそういうこともあるかもって」

「あー……美琴さんの移籍先って、283だっけ? 新人アイドル多いし、あり得なくもないのか」

「うん」

「ま、その時は俺とお前で鉄槌を下そうぜ」

「う、うん! キッツイのをね!」

 

 とりあえず乗っておきながら、脳裏では大量の冷や汗をかいてしまった。この男、やる時はやる。小5の時の林間学校で、自分の八雲なみのストラップをクラスの男子に華厳の滝に投げ捨てられた時、この男も滝の中に飛び込んで取りに行ってくれたのだ。

 今にして思えば無事だった理由が分からないが、とにかく行動力の化身なのだ、このバカタレは。

 それ故に、殺されてもおかしくない。そのためには、しばらくの間は誤魔化すしかなかった。

 

「あ、そ、そうだ。青葉」

「んー?」

「今日の、物理の課題なんだけど……」

「……また写しか?」

「う、うん……ダメ?」

「や、お前今日バイト休みじゃん。なんで?」

「えっ? あ、あー……姉妹の世話があって……」

 

 ここの所、レッスンがある日は彼に頼ってしまっている。アイドルのレッスンが思っていた以上に厳しくて、家に帰るとすぐに安眠してしまうのだ。

 しかし……似たような言い訳をするにも、流石に青葉でもバレるかも……と、思っていると、青葉は割とマジで心配しているような表情で聞いて来た。

 

「もしかして、お前……」

「っ、な、何……?」

「エンコーでもしてんのか? 家計の為に」

「……」

「やめな?」

 

 この男……と、眉間に皺が寄り、気がつけば手が出ていた。

 

「最ッッッ低!」

「じ、冗談……」

「でもダメだから!」

 

 全く、この男はデリカシーが本当にない。普通、いくら何年もの付き合いと言ってもそういう事は言わない。

 ちょうど駅の近くまで来たので、そのままツカツカとレッスンに向かった。まぁ良い、そういう事を自分に言えるのも今のうちだ。そのうち、自分はビッグになってセクハラ発言なんてさせないようになってやる。

 明日の仕事は、その第一歩目だ。

 

 ×××

 

 その日の夜、バイトを終えた青葉は軽く伸びをしながら部屋に戻った。朝、干した洗濯物をしまい、畳んでタンスにしまいにいく。

 晩飯は〜……今日は、炒飯にする事にした。……美琴はまだ帰っていないのだろうか? というか、美琴はちゃんと食材は買っているのだろうか? 流石に憧れのアイドルのためとはいえ、何もかもお金を払ってあげる、なんてバカな真似はしない。

 何にしても、今のうちに自分のやる事を済ませておくことにした。夕食、宿題を済ませ、あとは風呂……と、思ったところで、インターホンが鳴った。

 

「? はーい」

 

 応答すると、相変わらず心臓に悪いクールビューティーフェイス……緋田美琴だ。

 

「っ、み、美琴さん……どうしました?」

「晩御飯、作ってもらいに来た」

「……食材、買いました?」

「あっ」

「……」

「い、今から買ってくるね」

「スーパーあと10分くらいで閉店ですよ」

「えっ……そ、そんなに早いの? まだ23時だよ?」

「24時間やってるのはコンビニくらいです」

「……」

 

 なんか色々と予想通り過ぎた。自分から「ちゃんと飯を食え」と言い出したのだが、まぁ今回は仕方ないだろう。

 

「明日はちゃんと買ってくるように」

「あ、あー……待って」

「なんですか?」

「その……今から買ってくるから、もう少し待って」

「え、いやだからスーパー閉まりますってもう」

「コンビニにも食材売ってるし。伊達に長くコンビニに通ってないよ、私」

 

 自慢できることじゃない、と切に思いながらも飲み込んだ。代わりに必要なことを一言。

 

「高いですよ。コンビニのピーマン一袋が、スーパーのピーマン二袋分だったりしますし」

「良いよ、別に」

「……」

 

 良くはないのだろうが……まぁ、理由は分からないけど、自分の料理に魅了された……という事だろうか? なら嬉しい。

 ……自分も付き合うべきだろうか? いや、アイドルと買い物なんて許されない。食材の選び方とか教えてあげたい所だが、それは今度にする他ない。

 

「じゃあ、待ってますね」

「うん。ごめんね、夜なのに」

「い、いえいえ……」

 

 謝られると、申し訳なくなる。憧れの人が相手だからだろうか? なんにしても、もう少しリラックスして会話できるようにならなくては。

 そのまましばらく待機する事、約25分。その間にお風呂を済ませると、インターホンを再び鳴らされたので応対した。

 

「お待たせ」

「いえいえ」

 

 適当な挨拶をして、自分もサンダルに履き替えて部屋を出る。案内されるがまま、改まって美琴の部屋に入った。

 今日、捨てられる日でなかったゴミ袋はあるものの、やはり改めて見ると憧れの女性の部屋なので、緊張気味に喉を鳴らしてしまう。

 一日で臭いの全てが取れるわけではないが、昨日よりは大分マシである。改めて見ると……物がない部屋だ。机と椅子くらいだろうか? 電子レンジや電気ポットだけはしっかりあるあたり、本当に料理する気がないのはよく分かってしまった。

 

「食材、台所に置いてあるから」

「あ、は、はい……」

 

 言われるがまま、エコバッグの中を覗いた。ピーマン、タケノコ、ニンジン、じゃがいも……他にも野菜数種類と、豚肉と鶏肉。割と量あるが、何日か分も買ってきたのだろうか? 

 だが、逆に足りないものもある。

 

「……調味料は?」

「超魅了?」

「されてますけど違くて。塩とか胡椒とかです」

「……あっ」

「……」

 

 お願いだから、これ以上、力の抜けるような姿を見せないで欲しい。ギャップ萌えですませる範囲にも限度がある。

 

「もう一回、行こうか?」

「いや、もういいですよ……今日の分はうちから出します」

「ごめんね」

「いえ、平気です」

 

 そう、謝られる事ではない。こっちだって、憧れの人に手料理を食べてもらう、なんてファンにあるまじきことを許されているのだ。

 そう思い直すことにして、自身の胸に手を当てて落ち着かせると、今夜使う調味料を部屋に取りに行った。

 もう、メニューは決めた。時期外れの食品が置いてあるのは、流石コンビニと言うべきか。タケノコがあるなら、あの料理がベストだ。

 取ってきたのは、酒と醤油、砂糖に塩胡椒、あと胡麻油にオイスターソース、片栗粉。

 肉を細切りにした後、醤油と酒と片栗粉で下味をつけると、タケノコを湯通ししておきながら、ピーマンと、あとにんじんと玉ねぎもオリジナルで加え、細切りにする。

 ごま油を敷いたフライパンの上で野菜を炒めながら味付けしていると、ふと視線に気が付いた。台所の向かい側で、机に座っている美琴がこちらを見ていた。

 

「……な、なんですか? トレーニングは?」

「ん? ううん。料理出来る男の子、カッコ良いなって」

「ハイ⁉︎ ッ……ゴッ、グ……!」

 

 そんな風に微笑まれ、思わず尻餅をついてしまう。手元から菜箸が離れてしまい、ヒュンヒュンと回転しながら宙を舞った菜箸は目に直撃した。

 

「オッゴ……め、目が……目がああああ!」

「……大丈夫?」

 

 一人で何をしているのか、と誰もが思う所だし自分でも思うが、なんとかヨロヨロと立ち上がり、料理を再開する。まずは、箸を洗う所からだ。

 

「み、美琴さん……お世辞は結構ですから……」

「お世辞じゃないよ。本当にそう思う」

「っ……や、やめてください……」

「……照れなくて良いのに」

「照れますよ! 本当に俺、美琴さんの事、大好きなんですから!」

「っ……あ、ありがと……」

「?」

 

 今度は、美琴が少しだけ頬を赤らめる。そちらこそ照れないで良いのに、と思わないでもない。こんな事、言われ慣れているだろうに。

 とにかく、簡単に褒められてしまうと、普通に気恥ずかしくなる。

 

「褒めていただけるのは嬉しいですけど……その、やっぱり恥ずかしいので……味だけ褒めてくれれば……」

「……うん。そうだね」

 

 それだけ話して、黙々と料理を続けた。

 さて、15分が経過した頃、ようやく完成した。いつもより自動的に味付けが丁寧になった。

 

「お待たせしました」

「青椒肉絲……相変わらず、良い香りする料理を作ってくれるね」

「慣れれば、誰だってこのくらい作れますよ」

「そっか」

「それより、白ご飯ないんですか?」

「え? ……ああ、大丈夫。さっきコンビニで白米買って来た」

「だからコンビニ飯はやめましょうよ!」

「だってコンビニにお米売ってなかったんだもん」

「あっ……あるわけないでしょ……」

 

 この人、普通にただの世間知らずに見えて来た。薄々勘づいてはいたが、あまり周囲のことに興味がないタイプなのかもしれない。

 世間について自分だって知っているわけではないが、お米がコンビニに売っていると思っていた時点で中々である。

 もぐもぐと青椒肉絲に箸を伸ばし続ける美琴を眺めつつ、コホンと咳払いしてから提案してみた。

 

「美琴さん、お米って何キロで売ってると思います?」

「それくらい知ってる。10キロ」

「マラソンの途中でそれを買って走ったら、倍の体力がつくと思いません?」

「……」

 

 少し驚いたように目を丸める。目を丸めているのに、手と口は止まっていなかったの可愛い。

 

「……鋭いね」

「そ、そうですか?」

「ちなみに、買ったお米は炊いてくれる?」

「流石に自分でやってくださいよ!」

「手、冷たい……」

「無洗米にすりゃ良いでしょ!」

 

 思わず大声を出してしまった。やはり、憧れの人にでも、知りたくないところの一つや二つあるものだが、その面が自分が得意であり、培って来た部分と真逆であるのは中々、堪えるものがあった。

 ……いや、ポジティブになるのだ。まだまだこのくらい何のこれしき。逆に言えば、自分がお隣さんでなければ早死にしていたのかもしれないのだ。

 これから、たくさん栄養があって美味しいものを食べさせれば良い。社会不適合者を保護したと思えば良いのだ。

 

「……よし、頑張るぞ!」

「っ、ど、どしたの急に?」

 

 いつの間にかコンビニで買って来た白米の上に青椒肉絲を乗せて食べていた美琴が肩を震わせてしまい、すごすごと「なんでもないです……」と座り直した。

 その青葉を見て、美琴はクスッと微笑んだ。

 

「変なの……」

「っ……」

 

 その、控えめで小さな何気ない笑みが、やはりとても綺麗で。色々と知りたくないことは多かったが、それでも現状が幸せであることを改めて噛み締めた。

 

「あ、そうだ。一宮くん」

「っ、な、なんですか?」

 

 不意に声をかけられ、ちょっとだけ肩をビクつかせつつ、顔を上げた。

 

「明日、お弁当を作ってもらっても良いかな?」

「え……べ、弁当……ですか?」

「うん。プロデューサーに、ちゃんと食べろって怒られちゃって……。量はそんなにいらないから。お腹いっぱいになると動けなくなっちゃうし。おにぎり二つとかでも良いから、用意してくれると助かるかな」

 

 もしかして、割と仕事に支障が出ているのかもしれない。だとしたら、断るわけにもいかないが……。

 

「……お弁当箱持ってるんですか?」

「多分、探せば」

「食べ終わったら探して下さい。あと食材、いくつかいただいていきますからね」

「うん。よろしく」

 

 まぁ、お弁当くらい別に構わない。量があると動けなくなるそうだし、本当におにぎりだけで良いかも……いや、せっかくだしおかずと米を少量ずつにしよう。

 

「明日のお仕事もレッスンですか?」

「ううん。明日はトークイベント。地方の学校で」

「ええ……良いなぁ」

 

 平日のトークイベント……つまり、地方の学校とかだろうか? なんにしても、青葉は参加できない催しである。学校をサボっても、その学校には入れないのだから。

 

「うちの高校にも来ないんですか?」

「うーん……どうだろう。プロデューサーに聞いてみないことには……でも、来て欲しい?」

「勿論ですよ!」

「こんなに近くにいるのに?」

「それとこれとは話が別です! ステージの上の神々しい美琴様は、それはそれで好きなんです!」

「そ、そっか……」

「あ、でも美琴さんからうちの高校に来たいって言うのは無しで。この関係バレたくないので」

「ふふ……そこは冷静なんだね」

 

 そりゃそうだろう。命が賭かっているし、美琴の人生もかかっている。今の関係がエスカレートすれば、まず間違いなく周りにバレるのは明白だった。

 

「じゃあ、明日よろしく」

「はい」

 

 約束して、とりあえず食事を続けた。

 

 



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悪気はなかった。でも仕方なかったわけでもない。

 青葉が家事に興味を持ったのは、何も小遣い稼ぎのためだけでは無かった。それがきっかけではあったが、何より単純に料理や掃除など全てをこなせる母親を尊敬したからだ。

 そして、家事をこなせばこなす程、今まで母親が感じていた苦労を理解するようになり、それと同時に父親に家事をさせるようにもなった。

 だが、まだ経験していないことがひとつ……それは、お弁当作りである。誰かの為に、朝早く起きてお昼ご飯を作る……それがいかに大変かを知るのに、今日のそれは良い機会だった。

 料理人の母親に教わって来た九年間と、一人暮らしになってからの三ヶ月弱での経験から、まず間違いなく弁当のために作ったおかずは全部入らない。弁当箱の大きさから見ても、それは明白だ。皿の上に盛り付けるのと、小さな箱に敷き詰めるのでは訳が違う。

 だから、朝ご飯とお弁当が同じものになる理由がよく分かった。

 トークイベント、と仰っていた。あまり辛いものは入れない方が良いだろう。細かいスケジュールを聞いたわけではないので詳しい事は分からないが、お弁当を要求して来た以上「午前中に集合し、昼に現地到着し、昼飯。午後からトーク」と言ったところか。

 ならば、まず辛いものは控えた方が良い。また、美琴のように運動大好きな人なら、座っているだけの時間は疲れそうだ。同じユニットの子とおかずのシェアの可能性も考え、少量ずつのもの。当たり前だが、体重も気にしないといけない。歯にくっつくものもなし。

 ……と、いう作戦を昨日のうちから立てていた青葉は、お弁当の準備を終えた。

 

「よし……!」

 

 完成したので、蓋を閉めて昨日のうちに預かっておいた箸をつけて、風呂敷に包む。

 それを持って、部屋を出ると隣の部屋に持って行った。インターホンを押すと、青葉だとすぐにわかったようで、応答はなく直接玄関が開いた。

 

「おはようございます。お弁当です」

「ありがとう.朝早くから」

「早弁しちゃダメですよ?」

「しないよ」

「後程、感想お願いします」

「うん」

 

 良かった、受け取ってもらえた、とちょっとだけ安心する。向こうから頼んできたのだから当たり前なのに、変に緊張してしまうあたり、やはり憧れの女性が相手なだけある。

 

「では、失礼しま……」

「あ……まって」

「?」

 

 止められたので、閉めようとする扉を止める。

 

「なんですか?」

「この前、お味噌汁、飲んだ日、身体の調子、良かったんだ」

「そりゃそうでしょう。栄養満点のスペシャル味噌スープですから。あれ一杯で朝の活力、全て漲りますよ」

「うん。……それで、一宮くんがよければ、なんだけど……」

「? 何ですか?」

「毎朝とは言わないから、その……朝ご飯も作ってくれると嬉しいな……」

「ッ、ゲルッ、ググッ……!」

「ど、どうしたの?」

 

 思わず咳き込んでしまった。毎朝じゃない、とは言われたものの、プロポーズに酷似した台詞を抜かされたからだ。

 だが、大丈夫。心を落ち着かせる。毎朝とは言わないから、と前振りとして言われている。それは単純にプロポーズ回避とかではなく、労力を気遣ってのことだろう。

 ポジティブに捉えよう。それほど自分のお味噌汁が誉められているのだ。

 

「っ……ふぅ、落ち着いた」

「え、落ち着いてなかったの?」

「要するに、今日も何か食べたいと?」

「うん」

 

 うん、じゃないよ可愛いな、と思いつつもため息を吐いた。まぁ別に良い。思ったより弁当早く出来たし、時間に余裕はある。

 

「……わかりました」

「ありがとう」

 

 それだけ話して、朝食を作りに行った。

 

 ×××

 

 七草にちかは、ソワソワしていた。それはもう、青葉が見ていたら引く程ソワソワソワソワしていた。

 何故なら、今日は美琴とのお出掛け……ではなく、初めて一緒の仕事だ。埼玉県の奥の方で、小学生の子供達を相手に色々と話をする事になった。

 当然、まだまだ新米アイドルの自分ではなく、どちらかというと美琴メインのイベント。正直、それでも全然構わない。プロデューサーも、勉強のつもりでその仕事を入れてくれたのかもしれない。

 さて、今はその行きのバスの中。隣の席には当然だが、美琴がいる。

 

「み、みみっ……美琴さん!」

「何?」

「じ、実は私……車内でお腹空くかな、と思ってお菓子持って来たんです! 食べませんか?」

「ん、ん〜……帰りにもらおうかな」

「あ……そ、そうですよね! 太りますもんね!」

「ん? あー……うん」

 

 そういうわけではないのだろうか? いや、美琴がそう言うなら太るからなのだろう。それなら仕方ない。……正直、じゃがりこ食べたかったが。

 

「そ、そうだ。美琴さん!」

「? 何?」

「私、前から美琴さんの大ファンで……見て下さい! グッズとか自作してるんですよ!」

 

 言いながらにちかが見せたのは、スマホに映っている写真。ローダーと呼ばれる、通常はトレーディングカードを入れるプラスチックのケースを加工し、美琴の写真が入った大きめのストラップのようにしていた。

 

「すごいね……にちかちゃんが作ったの?」

 

 正直、ほとんど青葉にやってもらった。昔から色んなものに手を出していた青葉は、ガンプラ作りも自分でよくやっていたこともあって手先が器用な奴で、こういうのを作れる。

 でも……まぁ美琴と青葉が出会う事なんてないだろうし、そのときは自分が青葉に唐揚げにされている時だろうし、言ってしまうことにした。

 

「はい! 私が作りました!」

 

 正直者である。少しは自分も手伝ったし。それを聞いて、美琴はニコニコと微笑んだ。

 

「そっか……ありがとう。嬉しいな。にちかちゃんも、いずれ作られる側になるかもね?」

「そ、そんな……私なんかが……」

 

 で、でも……もしそうなったら……ニヤけるほど嬉しいかもしれない。アイドル志望として、それほど光栄なことはない。

 ……その時は、青葉も自分のグッズを作るのだろうか? いや、作る。そして、にちかの姉妹や兄弟に配るだろう。

 

「ちなみに……オリジナルグッズって、よく作るの?」

 

 問われて、にちかは少し狼狽える。自分は購入したモノで満足する事も多いが、青葉は多く作る。今後、青葉にまた作ってもらえるとして、これから先、自分はそれを美琴に絶対、見せたくなる事だろう。

 その時に備えて「よく作る」と言うべきだろうか? いや……しかし、さっき思わず嘘ついてしまったし、これ以上、敬愛する方に嘘を重ねるのは……。

 少し悩んだ挙句、とりあえずふと思いついた最適解を出した。

 

「最近、作り始めました!」

「そうなんだ」

「み、美琴さんも好きな推しとかいたら、私が作りますよ!」

「ありがとう」

 

 これで、これからにちかは家でグッズ作りの練習をしなければならなくなってしまった。

 だが、まぁ望む所だ。宿題はともかく、グッズ作りはそろそろ青葉に頼らないようにならなければならないと思っていた。

 

「……」

 

 少し、美琴は考え込むように顎に手を当てる。やがて、美琴はふと思ったように言った。

 

「作り方とか……教えられたりする?」

「えっ⁉︎」

 

 これは……もしかして疑われているのだろうか? あ、いやいやまさか。というか、作り始めたばかりって言ったし、大丈夫なはずだ。

 

「あ、いえ……まだ作り始めなので……」

「私も一緒に作って良いかな?」

「ええっ⁉︎ お、推しがいるんですか⁉︎」

「ん? んー……にちかちゃんの」

「わ、わわっ……私⁉︎」

 

 一気に顔が真っ赤に染まる。そんなの……他のファンにバレたら八つ裂きにされる! と、思ったが、自分はよくよく考えたらユニットの一人だった。むしろエモいと思われるかもしれない……。

 が、そこでふと想像する。まだ、にちかのグッズなんて世に出回っていない。つまり、自分のグッズを作るにはプライベートで写真を撮り、それを現像し、加工するしかない。

 ……それを、自分自身の手でやらないといけない。

 

「で、でも自分のグッズを作るってちょっと羞恥プレイが過ぎるというか、何というか……」

「大丈夫。これから、にちかちゃんもそういうのに使う撮影、たくさん受けるんだから。慣れておかないと」

「っ、は、はい……」

 

 そう言われると仕方ない。……願わくば、その時が来ない事を祈るだけだ。やはりなるべくなら避けたい所だ。

 そんなにちかの内心を見透かしたように美琴は、顎に手を当てたまま唸ったように呟いた。

 

「うーん……じゃあ、何か前払いとかしないとね」

「え? い、いえそんな……!」

「そうだ……最近の若い子はこういうのが好きなんだっけ」

 

 急に言われて、にちかは頭上に「?」を浮かべる。が、どんなのであっても遠慮しなくては。欲しがりさんだと思われたら印象が悪い。

 なんて言ったら失礼にならないか考えている間に、美琴はにちかの肩を抱いた。

 

「ふぇっ?」

「おいで」

 

 その腕に力を込められ、自分の身体を真横に倒される。そして、にちかの頭は美琴の膝の上に倒された。

 柔らかい部分に、ふわりと頭が乗せられる。

 

「っ、っっっ⁉︎ みっ、美琴ひゃんっ⁉︎」

「ふふ、どう?」

「よ、柔らかくて張りのある硬さがあってとても心地良……じゃなくて!」

「良いんだよ、そのまま寝てて」

「はっ、はわわわわっ……!」

 

 何が気になるって、太ももと一緒に自分の顔をハンバーガーしているバスト。スライムが二体、横並びして降って来ているそれに、非常に視線が吸い寄せられる。

 耳に当たるか当たらないか、スレスレの所で弾力が特徴的な揺れを繰り返していた。

 

「どう?」

「き、気持ち良……」

「すみませーん、急カーブしまーす」

 

 そんな声が、運転手さんから漏れた。その直後、車内が大きく揺れた。

 

「うわっ、と……!」

 

 美琴の上半身は前のめりに倒れ込んだ。

 直後、にちかを包んだのは、地球だった。まるで、母なる海。深く広大な生物の源を産み落とした深淵なる神秘に顔から飛び込んだような……そんな世界を体験した。

 

「っ、とと……大丈夫? にちかちゃ……にちかちゃん?」

「……」

「あれ、おかしいな。呼吸……というか、応答がない……」

 

 失神した。

 

 ×××

 

 学校に来てから、青葉は少し退屈そうにしていた。にちかの奴、今日は学校が休みらしい。物理の授業が今日なくて助かった。昨日、貸したままにしてしまっていたから。

 まぁ、何にしても、とりあえずにちかがいない学校を堪能する。あのうるさい奴は一々、自分に食いかかって来るから、たまにはこんな日があっても良いだろう。

 

「ん〜……眠い」

 

 伸びをしながら、そんな風なことを思う。朝早起きしたからだろうか? 母親の苦労を知ってしまった。

 お昼まではまだまだ時間がある。美琴は喜んでくれると嬉しいが……まぁ、大丈夫だろう。

 

「帰って来たら……いや疲れてるだろうし、明日かな」

 

 明日、感想でも聞いてみよう、そう決めて、青葉はとりあえず授業中のノートを取った。なんで休んでるのか知らんけど、授業の板書くらいにちかも必要だろう。

 帰り、家に寄ってやる事にして、とりあえず眠気は堪えた。

 

 ×××

 

 バスは小学校の近くに止まった。ちょうどお昼頃なので、先にお昼を取ることになる。

 小学校の空き教室で、スタッフみんなで食事を摂る。その中で、普通にお弁当が用意されていたわけだが、美琴は持参したお弁当を取り出した。

 

「わっ……美琴さん、手作りですか⁉︎」

 

 にちかが隣でキラキラした瞳を見せながら聞いて来た。手作りは手作りだ。自分のじゃないけど。

 しかし、それを言えば「じゃあ誰の手作り?」となるのは明白だ。

 

「うん」

「わっ……す、すごい……」

「? まだ蓋開けてないよ?」

「あ、いえ……好きな人の手作り弁当……というだけで少し……」

 

 嬉しい、思わずそんな直球で言われると照れが隠しきれなくなる……が、その反面で「これむしろ男子高校生の手料理なんだよなぁ……」という残念な感想がそれを抑える。

 まぁ、それはさておき、さっきバスの中でお菓子を遠慮したのは、お昼が食べられるようにだ。それほど、割とお昼が楽しみだったりしていた……のと同時に、同じ部屋の中にいるプロデューサーにも視線でアピールしておく。

 バッチリそれを受け取ったようで、プロデューサーも頷きながら自分の食事をしていた。

 とりあえず、風呂敷を広げてみる。すると、まず目に入ったのはブレスケアとキシリトールのガムだった。

 

「? それが……お昼ですか?」

「う、ううん。お昼の後のケアのためにね」

「な、なるほど……勉強になります」

 

 流しておいた。自分が入れたことにしなければならないから。

 それ故に、美琴は少しだけ「そんなに臭いのキツいおかずにしたの?」と勘繰ってしまう。

 とりあえず蓋を開けると、中に入っていたのはタコさんウインナー二本、卵焼き二切れ、ほうれん草のバター炒め少量、うさぎのりんご、そして鮭の炊き込みご飯が入っていた。

 どれも少量ずつであり、食べてもお腹いっぱいにはならない程度。というか、ちょっと食べるのが勿体無いくらい可愛いおかずで纏められている。

 

「わっ……み、美琴さん……可愛いおかずですね……!」

「う、うん……」

 

 恥ずかしい。24歳にもなって割と恥ずかしい。何より、これを自分のために自分で作ったことになっているのが恥ずかしい。

 ……いや、まだ大丈夫。誤魔化せる。これが自分の趣味と思われないようにするには、もうこれしかない。

 

「実は、にちかちゃんと一緒に食べようと思って」

「え……い、良いんですか……⁉︎」

「勿論」

「あ、ありがとうございます!」

 

 うん、これなら自然な流れだ。

 

「み、美琴さんの手料理なんて……そ、そうだ。食べる前に写真……!」

「どうぞ?」

 

 なんてやっている中、少し罪悪感。だってそれ、自分が作ったのではなく、お隣に住んでいる可愛い男子高校生作だから。

 カシャっと写真に収めると、改めて食事にした。

 

「じゃあ、いただきまーす!」

「召し上がれ」

 

 話しながら食事にした。

 とりあえずウインナーから摘んで口に運ぶ。そういえば……手作りのお弁当なんていつぶりだろうか……。

 

「ーっ……」

 

 美味しい。それと同時に、なんだか懐かしい気がする味……そうだ、小学生の時は、よくこれを母親が作ってくれていた。昔を思い出してしまう。もしかしたら、これが「お袋の味」というものなのかもしれない。

 少し感慨深くなっていると、ふとにちかが声を漏らす。

 

「お、美味しい……」

「ほんと? 良かった」

「けど……」

「え?」

 

 けど、なんだろうか? もしかして、口に合わなかったか、それとも気を遣っていたのか。心なしか、少し眉間に皺を寄せて咀嚼しているように見える。

 

「なーんか……食べなれた味のような……」

「……えっ?」

 

 この男子高校生が丹精込めて作ってくれた料理を、食べ慣れている? いやまさか。彼女はまだタコさんウインナー現役バリバリの年齢だろうに……。

 そこで、美琴は思わずハッとした。もしかすると、この子の感性は似ているのかもしれない。まさか……。

 

「もしかして……おふくろの味、とか?」

「え? ……もしかして私、美琴さんにバブみを感じていた……?」

「……」

 

 そうだった。バブみとは何のことか分からないが、その弁当作ったの自分ということになっているんだった。

 

「ごめん……な、何でもない……」

「でも言われてみれば……確かに昔から食べたことある気がする味だし……そ、そうかも……」

「気の所為だよ」

「え? ア、ハイ」

 

 なんとか気の所為にしておいて、食事を続けた。

 しかし、あらためてお弁当を見ると、ふと思ったのは、特に口臭を気にするものは入っていないということ。強いて挙げるなら、鮭の炊き込みご飯? ピンとこない。

 そもそも、美琴は基本、歯ブラシを持ち歩いているので必要ないアイテムだ。

 何だろう……と、少し不思議に思っていると、にちかが耳打ちするように小さな声で聞いて来た。

 

「あの……美琴さん」

「何?」

「良かったら、なんですけど……後でブレスケア、もらっても良いですか……?」

「? どうして?」

「あの……私、歯ブラシとか持って来てなくて……」

「……」

 

 もしかして、この子の為? と言うより……備えあれば憂いなし、という奴だろうか? そこまで気を回さなくて良いのに……本当にお母さんか何かなのだろうか? 

 

「……」

 

 まぁ、何にしても気遣いは嬉しかった。バスの中で話した時から考えていた事を実行するべきだろう。にちかから教わったグッズの作り方で、自分が作ったものを青葉にあげれば、少しはご飯を作ってくれているお返しになるかも……と、思い教わることにしたのだが、それに色をつけてにちかもセットにしてあげても良いかもしれない。

 そんな風に思いながら、美琴はとりあえず食事をすすめた。心なしか、少しだけバスでずっと座りっぱなしだった疲れも取れて元気になった気がする。今日のお仕事、完璧にこなしてみせる。

 

 ×××

 

 放課後、青葉は七草家に立ち寄ったが、家ににちかはいないと言われた。学校サボって何しているのか知らないが、とりあえず風邪ではない事にホッとしつつ、はづきに連絡を取り、職場まで預けに行くことになった。

 電車で移動し、その建物に来てみる。「283」のロゴが入った窓がやたらと目を引いてしまう。

 さて、どうするか。はづきは忙しいのか、出て来ていない。かと言って、よりにもよって283事務所の場所は階段でしか行けない二階。入った瞬間、通報とか全然、あり得る。

 どうしたものか悩んでいると、背後から声をかけられた。

 

「あれ、もしかしてアオちゃん?」

「? ……あ、ユイシス!」

 

 背水火力バカのような呼び方をしてしまったが、それが昔からのお互いの呼び方なのだ。

 ユイシス、と呼ばれているように、本名は三峰結華。メガネをかけた大学生で、マッチングアプリでも使ったのか、と思うほどに青葉と趣味がマッチングしている、一応年上のお姉さんだ。

 出会ったのは、去年の冬のグラブルフェス。受験生とか、そもそも成績が良い青葉は何一つ気にすることなく遊びに行った時、たまたま知り合った人が同じ騎空団の人で仲良くなってしまったのがきっかけだった。

 

「久しぶり〜!」

「ホントな! 最近、イベント行っても見かけないんだもん」

「ごめんねー、色々忙しくてさぁ」

「何してるのこんなところで?」

「ん、仕事」

「あれ、今年大学生じゃありませんでしたっけ?」

「大学生だよ? ……あ、言ってなかったっけ」

「?」

「三峰は、なんと今年からアイドルになったのです!」

「……は?」

 

 あ、アイドル? と小首を傾げたのも束の間、すぐに恐る恐る口を開いた。

 

「アイドルって……え、美琴様と同じ?」

「そうそう、そのアイドル」

「ど、どうして⁉︎」

「スカウトされちゃったんですよー」

「すっげー! なんで⁉︎ 綺麗だから⁉︎」

「そうなんだけど‥……面と向かって言われると、やっぱり照れますな〜」

 

 ポリポリと頬をかいてはにかむ姿を見ると、アイドルにスカウトされるのも納得する可愛さがある。

 

「え、じゃあ……事務所って、283?」

「そう。……だから、頼めばもらえるよ。緋田美琴様の、サイン」

 

 それは、あまりにも魅力的な提案だ。三峰様とお友達になってて良かったやったーと狂喜乱舞していた所だ。つい二週間くらい前の自分なら。

 だが……今では、サインなら料理を作ると言うだけで貰えそうだ。その上で……。

 

「お願いします!」

「任された!」

 

 貰える美琴のサインは全て貰っておきたかった。

 さて、結華も仕事らしいし、そろそろこの辺りでお別れだろう。それに、ちょうど良い。

 

「じゃあさ、ユイシス」

「何?」

「悪いんだけど、これはっちゃん……じゃない、はづきさんに渡して欲しいんだけど……」

「何これ? ……ていうか、はづきちさんと知り合いなん?」

「うん。10年くらいの付き合い」

「へ、へぇ〜……そうなんだ」

「で、はづきさんの妹と同じ高校なんだけど、今日休みだったから授業のノート」

「あ、なるほど。了解了解。三峰におまかせ」

「じゃあ、よろしくお願いします」

 

 それだけ話して、ノートを預けた。

 

 ×××

 

「たっだいまー!」

 

 にちかが事務所に戻ると、はづきが出迎えてくれた。

 

「おかえりなさいー。どうだったー? 初めてのお仕事ー」

「カッコよかった! 美琴さんが!」

「うん、そうじゃなくてねー?」

 

 当の美琴は、上のレッスンルームで自主練中である。本当はにちかも混ざりたい所だったが、姉から呼び出しのチェインをもらって仕舞えば仕方ない。

 

「雰囲気とか、空気とか……やっていけそうー?」

「も、勿論! やらないとなんだから!」

 

 やっぱりそういう話か、とにちかは理解する。姉は自分がアイドルをやることに反対している。少しでも厳しい現実を見せて諦めさせる腹のような気がしてならないのだ。

 

「……そう」

「そ、それで? 話はそれだけ?」

「ううん、詳しい話は後で聞くからー」

「え?」

 

 その話じゃなかったんだ、とすぐに落胆する。しかし、だとしたら他になんの話があるのだろうか? 

 その内心の質問に答えるように、はづきは机の引き出しから数冊のノートを取り出した。

 

「はい、これー。アオちゃんから、今日の授業ノートー」

「え、あ、ああ。休んだから?」

「そー」

「っ……」

 

 わざわざマメな男である。別に、届けてくれなくても良かったのに。昔からだ。喧嘩して、意地の張り合いをして、割と怪我に発展する殴り合いも子供の頃はしたのに、たまにそういう変な気回しをしてくる辺りが、どんなに喧嘩しても嫌いになれない所である。

 なんだかんだ、宿題も見せてくれるし、それを姉に内緒にもしてくれている。

 

「……何なの、あいつ」

「そういう事言わないのー。お世話になってるんだからー」

「その分、私だってお世話してるもーん」

「も〜……」

「あいつ、昨日なんて言ったと思う? 人がレッスン行くのに『エンコーでもしてんのか?』だってよ⁉︎ 女の子に!」

 

 親しき仲にも礼儀ありである。……まぁ、思春期真っ最中だった頃には、お互いに美琴でちょっとエッチな妄想をしていなかったわけでもないが。

 しかし、姉はその愚痴に取り合ってくれなかった。

 

「それはちゃんとアイドルの事、アオちゃんに言わなかったからでしょー?」

「っ……だ、だって……美琴さんとユニット組んでるのバレたら……カラッと揚げられる……」

「揚げられないからー……」

 

 いや流石にそんな猟奇的な殺され方はしないだろうが、何をされるかなんて分かったものではない。

 

「というか、アオちゃんだってむしろ安心するんじゃないのー? 他のファンならまだしも、にちかが相方って分かるならー」

「それはない!」

「……も〜……まぁ、にちかがそう言うなら良いけど〜……」

 

 はづきの言うとおりである可能性は確かに十分ある。だが、その可能性が外れたら終わりである。殺されないにしても、確実に嫌われる。そうなれば……。

 

「っ……」

「とにかく、宿題は渡したから。ちゃんとお礼、言うようにねー」

「……は、はーい……」

 

 ノートを鞄に入れてから、トボトボとレッスンルームに向かう。美琴にこの後、色々指導してもらう予定だから。

 美琴に、相談してみようか? ……いや、美琴にプライベートのことで面倒は掛けられない。やはり、自分でどうするべきか考えたほうが良い。

 どうせ、本格的にデビューが始まればバレる事だ。何なら、今現在、バレていない事が奇跡なのだ。なんか向こうは向こうで最近、美琴の見方が少し変わって来たみたいなのか、前までほどのギラギラした感じはないが、それは今のにちかには助かる。

 

「はぁ……」

 

 どうしよう……なんて思いながら、とりあえずレッスンルームに入った。

 

 



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頼りにされることに快感を覚える奴は心が広い。

 土日が学校休みというのは最高……でもない。ここ最近、青葉には迷いがあった。

 以前までは、バイトをする理由もグッズを貯める理由も、憧れのアイドルを少しでも身近に感じたいからだった。好きだから、そして応援したいから。

 勿論、アイドルである以前に、一人の女性。そのため、盗撮や盗聴などのストーカー行為は行わず、あくまでも法が許す範囲で。

 しかし……今の自分の生活は……。

 

「ごめんね、プロデューサーがどうしても休めって言うから、今日は部屋の掃除でもしようかなって」

「……いえ」

 

 そのアイドルの部屋で、一緒に部屋を徹底的に掃除していた。元々、家具が少ない部屋で、あのゴミ袋の山を一週間で破棄した事もあってそんなに苦労はしていない。

 だから本当なら手伝うこともないのだろうが……まぁ、約束だし、呼んでくれたのなら答えるだけ。

 掃除を手伝うことが不満なのではない。……単純に、少し距離が近すぎることが困ってしまっていた。

 わざわざグッズとか買わなくても、インターホンを押すだけで姿を見るどころか会話も出来る。

 わざわざ握手会のチケットとか狙わなくても、一緒に掃除をするなり料理をするなりすれば触れ合える。

 わざわざ……あ、いや、ライブは別。あの躍動感は隣人じゃ味わえない。

 いやそんなことよりも、だ。彼女のファンであることは揺るがないし今でも好きなのだが、このやりきれない感情はどこに向けたら良いのか。

 

「……ん?」

 

 掃除機をかけていると、ソファーの下に光るものが目に入る。拾い上げると、一円玉だった。

 

「えっ」

 

 お金が普通に落ちている、だと? とりあえず拾おうと屈むと、さらにその奥にも十円玉と五十円玉、そしてレシートが落ちているのが見えた。

 

「あの、美琴さん。お金落ちてますけど……」

「え? いくら?」

「61円」

「あー……あげる」

「は⁉︎」

「なんか……買った時のお釣りだと思うし、それくらいならお駄賃」

「いやダメですよ! なんですかお駄賃って⁉︎」

「や、なんだかんだでタダでお世話になっちゃってるし……それくらいはねぇ?」

「ねぇ? じゃない……というか、何にいくら使ったとか、ちゃんと家計簿つけてないんですか?」

「ないよ、そんなの」

「ええ〜……」

 

 一人暮らしの人、全員がつけているわけではないのだろうが、少なくとも青葉はつけている。基本的に生活費は親からもらっているわけだし、その辺はしっかりしないといけない。

 それが、家計簿どころか家事さえまともにしていない美琴であれば、お金の流れを把握していないどころか、通帳記帳もしていなさそうで少し不安になる。

 

「美琴さん、家計簿付けましょう」

「え〜……また面倒臭そうな……」

「自分が何にお金を使ったか、くらいは把握しておくべきです! いつの間に通帳からお金がなくなっていた、なんて事になったらどうするんですか!」

「たまにあるよ。そういうの」

「あるの⁉︎」

「後から冷静に思い返すと、レッスン用のシューズ代とかに消えてたわけだけど……」

「そういう時、通帳に記帳しておけば楽でしょう⁉︎」

「いやまぁないならないで仕方ない感あるし……」

「ありません!」

 

 本当に一人暮らししてきたのだろうか? もしかしたら、貯金ということもあんま考えていないのかもしれない。

 まぁ無理矢理やらせることでもないのだが、少しくらいキッチリさせた方が良いのは間違いない。

 こういう人にしっかりさせるには、メリットを提示するのが一番だ。

 

「美琴さん」

「何?」

「旅行とか、行きたいと思ったことは?」

「あんまないかな」

「ですよね。そ……え、ないの?」

「うん」

「……じゃあ……遊びに行きたいなーとか……」

「それも特に……」

 

 手強い……。仏教徒の無欲とは違う厄介さを感じる。

 いや、待て。自分の目線で言っているからダメなのだ。ここは一つ、女性が喜びそうなもので考えよう。

 一番、身近な女性……つまり、にちかが日頃、欲しがっているもの……美琴の写真やグッズ! 

 

「美琴さんのグッズとか欲しいとかは?」

「え、私が私のグッズ?」

「……なんでもないです」

 

 自分の中でもトップクラスのアホ解答だった。

 その青葉に、美琴は何一つ理解していない表情で尋ねてきた。

 

「なんで急にそんな事を? 旅行とか行きたいの?」

「そりゃ行きたいですよ。俺の場合はバイト代と家計は別にしてますけど……でも、そうやって文字に起こすことで、いくら使えるかとか早い段階で予定立てられるんですよ。今も、夏に向けてお金貯めてますし」

 

 美琴のライブへの旅費のためだが。

 

「うーん……でも、私の場合だと、急にトレーニング器具が壊れたりした時くらいしかお金使わないし……予定とか崩しちゃうことのが多いかも」

「そういうのをカバーする為に、修繕積立金とかあるんですよ」

「シューゼン……?」

「……」

 

 例えを作って教えた方が良いかもしれない。

 とりあえず、青葉は掃除中に発掘した紙とペンを借りて、円を描いた。

 

「見て下さい。美琴さん。これを、美琴さんのお給料……仮に、10万円としましょう」

「え、そんなんじゃこのマンションに住めないよ?」

「例えの話なんですみません」

「う、うん?」

 

 封殺してから、その円形の中心から少しずつ線を引いていく。

 

「ここからここまでが、食費。ここからここが水道光熱費、ここまでが家賃……こういう風に区切るんです。この辺は全て固定費。本来ならお店を経営する時に使われる費用ですが、ここでは『生きる上で必要な費用』という意味で使います」

「うん?」

「それに追加して、この余った部分。これが、美琴さんが自由に使えるお金、ということになりますよね?」

「……3万円だけ?」

「ですから、例えなので聞いてて下さい」

 

 再び封殺し、さらに線を引く。

 

「この3万円から、先ほど美琴さんが仰っていた『備品が壊れた際の修繕費』を区切るとします。……でも、例えばその備品が壊れたのが……給料日を毎月25日として、20日に壊れたとします。こうなったら、残り3万しか使えないわけですが、この3万円を他のことに使ってしまった。しかし、22日までには修理したい。……そういう時のために、さらに自由に使えるお金から『万が一の時の為』という事でキープしておく事を『修繕積立金』と言います」

「ふーん……」

 

 今は例えで「修繕」にしたが、それに限った話ではない。早い話が保険を自分の中で立てているだけである。

 

「なんだか……難しいね?」

「え、どの辺がですか?」

「でも……一人暮らしのエキスパートの一宮くんがやった方が良いって言うなら、私も倣った方が良いのかな?」

「え、エキスパート……うへへ」

 

 褒められた気がして、嬉しそうにはにかむ。まぁ、まだ一人暮らしを始めて四ヶ月だが。

 

「ちなみに、一宮くんは旅行、何処に行きたいの?」

「え⁉︎」

 

 油断した時にそんな質問をされてしまった。言えない、美琴のライブがある場所でついでに観光しているなんて言えない。

 なんかさっきの言い方だと、割と旅行慣れしているみたいだ。

 

「そ、そうですね……こ、今年は……海に行きたいです」

「……一人で?」

「えっ? あ、あー……」

 

 去年は、にちかと海に行った。二人で、とかじゃなくて家族で。

 というか、普通に考えて海に一人で行く奴はいない。バカヤロー! と叫びに行く熱血男くらいだろう。

 しかし、美琴に嘘をつくわけにもいかない。とりあえず、誤魔化すように目を逸らしながら返した。

 

「い、いや俺は海に行ったら、とにかく青い水面を眺めるのが好きなんです。なんか綺麗だし、自分の心に残った汚れが洗われるような気がして……なので、別に一人でも全然、いけます!」

 

 嘘ではない。外でのんびりするのも嫌いじゃないから。

 しかし、美琴は「ふぅーん……」と、声を漏らすと、ちょっとだけ残念そうに答えた。

 

「そっか……じゃあ、水に浸かるのは好きじゃないのかな?」

「い、いえそんな事ないですよ!」

「なら、行く? 二人で、海」

「行きます! いえダメです!」

「ど、どっち?」

「アイドルとファンが二人で海なんて許されません!」

「ううん。ユニットの子も合わせて三人で」

「もっとダメでしょ! あの男は一体誰なんだって、当然そうなりますよね⁉︎」

「身持ちが固いね」

「美琴さんはもう少し固めて下さい!」

 

 というか、憧れのアイドルと海なんて、ちょっと何をしでかすか分からない。いや流石に性犯罪になるような事にはならないと思うが、それだからこそ何をするのかわからないみたいなとこあった。

 

「でも……そっか。それなら、やっぱり私は家計簿はつけなくても良いかな」

「はい?」

「あまり趣味とかもないし、お金もトレーニングに使う分と洋服と……あと整髪料とか以外に使う事ないから。固定費以外が全部、修繕積立金になっちゃうかなって」

「……」

 

 そっか、と青葉は理解する。そういえば、元々の話はそこから来ているんだった。

 

「え、ていうか……趣味とか、無いんですか?」

「うん。……いや、強いて言うなら、作詞作曲とか」

「……あ、素敵な趣味があるじゃないですか」

「でも、最近はあまり出来てないかも」

 

 確かに、部屋の中に楽器はない。でも素敵な趣味だとは思う。結局、仕事な気がしないでもないが、趣味の範囲なのだろう。

 どんな曲を作ったのか聞きたかったので聞いてみた。

 

「楽器とか、持ってないんですか?」

「キーボードならあると思うけど……寝室に」

 

 寝室は、さすがに入っていないから見ていなかった。というか、なんにしてもマンションで作曲は無理だろう。

 結局……それって無趣味ってことなんじゃないの? なんて思ってしまった。

 

「さ、掃除しよっか」

「あ、そ、そうですね」

 

 そう言えば掃除中だった。あんまり長時間、美琴の部屋に居座るわけにもいかないので、さっさと掃除をしないといけない。

 とりあえず掃除を再開し、落ちているゴミを分別し、また落ちていた小銭は美琴に預けて……と、手を動かすこと20分。ようやく終わった。

 

「ふぅ、こんなものかな」

「お疲れ様です……」

「? どうしたの? 元気ない?」

「いえ……大丈夫です」

 

 なんか……掃除すればするほどお金とかゴミとか散らばっていて少し「なんでこの人、歌もダンスも完璧なのに私生活は出来ないんだろう」と思ってしまったり。家事なんて青葉でも出来ることなのに……。

 

「具合悪い?」

「だ、大丈夫ですよ?」

 

 いや……だめだ。心配かけさせては。こういう時こそポジティブだ。もし、家事スキルとか無かったら、こうして知り合えても無かったかもしれないから。

 元はと言えば、カレーを持って行ったあの時が全ての始まりだ。それがなければ、おそらく自分は今も臭い思いをして、ただただ美琴に対して失望感のみを抱いていたことだろう。

 

「じゃあ、俺は部屋に戻りますね」

「あれ、もう?」

「はい。ファンとアイドルの関係なので、必要以上に距離を縮めるわけにはいかないので」

「相変わらず真面目だね」

 

 そうじゃないと、理性が保てない。エッチな意味ではなく、色々と美琴とシたいことは多くあるのだ。

 それを我慢するためにも、一定の距離感は必要だ。

 

「真面目とかじゃないです。……では、失礼します。お昼ご飯食べる時にまた呼んでください」

「う、うん」

 

 それだけ挨拶して、足早に部屋を立ち去った。

 自室に戻ると、ホッと一息つく。やはり、生活感皆無と言っても、憧れの女性の部屋に入るのは、少し気疲れする。幸せな時間が疲れにならないわけでは無い。

 今日は一日、休みの美琴は、お昼と夕飯も全て自分にお願いして来るだろう。その時も可能な限り足早に去らなくては……と、思っている時だった。

 ピンポーン、とインターホンの音が鳴り、肩が震え上がった。

 

「っ……な、何……?」

 

 また美琴? 頼ってもらえるのは嬉しいけど、少し休ませて……と、思いながら応答すると、インターホンは玄関からではなく自動ドアからだった。

 

『青葉ー! 宿題助けてー!』

「……」

 

 にちかだった。少し、顔を見てほっとしてしまった。この間抜けヅラ……それこそ、整った顔ではあるのに、どこか馴染んだ顔を見ると、やたらと安心して力が抜ける。

 

「入……」

 

 ……れよ、と言おうとした時だ。待てよ? と、青葉の口が止まる。もし……にちかが隣の部屋からちょうど出てくる美琴と出会ったら……ホッとするどころか気が一時も抜けない時間になりかねない……! 

 

「……待ってろ。迎えに行く」

『えー、開けてよー』

「俺が迎えに行けば、すぐにエレベーター乗れるだろ?」

『あ、そっか』

 

 よし、バカでよかった。結局、待ち時間は変わらないのに。

 ホッとしながら、すぐに部屋を出た。エレベーターに乗り込み、下に降りる。……さて、後は美琴が部屋から出てくるかどうか、そして出て来たとして、その時間とかち合わないかだが……基本的に自室にいることが少ない美琴なら、確実に部屋を出ることだろう。

 ……つまり、時間が被った際に自分が選択するべきルートは二択。階段か、エレベーターか。にちかにエレベーターって言っちゃったが、そんなことは知ったことではない。

 

「……いや」

 

 おそらく、エレベーターで正解だ。トレーニングバカの美琴なら、階段から移動する……! 

 そう確信し、エレベーターを使った。

 

「にちか」

「遅い! ていうか、結局エレベーターの待ち時間一緒だよね、これ?」

「騙されると思ってなかった」

「なっ、ぬ、ぬけぬけと……む、ムカつく……!」

「宿題、教えてもらいてーんだろ」

「っ……ち、違う……宿題全部やってもらいたいの、私は!」

「テメェ、余裕ある日くらい、自分でやりやがれ!」

 

 なんて話をしながら、エレベーターに乗り込んだ。

 

「んー、青葉の部屋、超久々」

「そういやそうか」

「ちゃんとコーラ用意してあるー?」

「ある」

「ポテチは?」

「昼前だろが」

「ホント、お母さんみたいな人」

「当たり前のこと言ってるだけだ」

 

 なんて話している間に、エレベーターは5階に到着する。降りた直後だ。ふと耳に入った、コツコツ、という階段を降りる音。

 

「……」

「青葉?」

 

 この足音……いつも、聞いている美琴の足音。後数秒早かったら、玄関前でしっかりと会っていた。

 

「部屋、開いてるよ」

「はいはい」

 

 中に入った。まぁ、気付かれずにすれ違ったのならありがたい。とりあえずホッとして良いかな、と思いながら、二人で部屋に入った。

 

 ×××

 

「はふぅ〜……終わったぁ……半分……!」

 

 そう後ろに大の字になりながら寝転がったにちかは、天井を見上げる。

 

「そう、まだ半分だからな?」

「分かってますよー。……はぁ、ていうか宿題出過ぎじゃないの?」

「ほとんど人の写してんだろ、出来る時くらい自分でやりやがれ」

「へいへーい……」

 

 まぁ、基本的ににちかなら明日の朝に「ホームルーム中に写させて!」とか抜かすはずなので、自分でやろうとしていること自体が珍しい。

 何かあったのかなーと思っても、まぁ特に茶々は入れなかった。

 そんな時だ。ぐうぅぅ……と、にちかのお腹から派手な音が鳴り響く。

 

「青葉ー、お腹減ったー」

「少しは恥ずかしそうにしろよ……JKだろ仮にも」

「今時、お腹鳴ったくらいで恥ずかしそうにするJKいないから」

 

 そうガハハと笑って寝転がったまま大口開けてあくびをする。これは、死んでも隣の部屋に美琴が住んでいるなんて言えやしない。自分もつい一週間くらい前は隣に美琴が住んでいるからと言って、おならやゲップをしたくなった時は外に行ってマンションから出て近くの公園まで我慢してかまして来たが、今ではもうそれもやめている。

 

「何食べたい?」

「うーん……ビーフシチュー」

「無理だわバカ」

「えー、じゃあ麻婆豆腐」

「なんで時間かかる上に割と出費が大きくなる奴ばっか選ぶんだよ……普通に炒め物で良いか?」

「仕方ないなぁ」

「そもそもここ俺の家だし、食費も俺が出してんだからな」

 

 文句を言われる筋合いはない。せめて美琴のように食材費はそっちが出しているなら分かるが……と、思っていると、眉間に皺を寄せた様子でにちかが青葉を見ていた。

 

「……青葉って、そういうの気にするタイプだっけ?」

「え? あ、あー……」

 

 そうだった。たまに飯食っていくときくらいで気にしなかった、昔は。しかし、今では隣にいる美琴のお金で買った食材で美琴のご飯を作るという改めて口にしてみてもよく分からない事をしているので、変なとこ敏感になってしまっている。

 

「いや、時間がかかって面倒だから……」

「時間なら平気ー。今日は宿題終わらせるまで帰らないってお姉ちゃんに言ってあるし」

「ふーん……何、はっちゃんと喧嘩でもしたか?」

「……してない」

「したのかよ……」

「してないし。……一方的に怒られたから」

「へぇー、ザマミ」

「言っとくけど、きっかけは青葉の宿題を丸写ししてるのバレた所為だから。お姉ちゃん、甘やかした青葉にも雷落とすみたいなこと言ってたから」

「なんで俺まで怒られんの⁉︎」

 

 納得いかない……と言わんばかりだが、前々から「にちかを甘やかさないで」とは言われていた。いつも喧嘩ばかりしていて甘やかしている自覚がない青葉が悪いのだろう。

 さて、とりあえず昼飯を作ろうと思った時だ。インターホンが鳴った。

 

「あれ、お客さん?」

「かも」

 

 とりあえず応答しようと玄関を開けて外を見た時だ。

 

「一宮くん、お昼ご飯作って」

 

 マラソン後で汗だくの美琴だった。

 

「ーっ……!」

「え、一宮く……!」

 

 思わず扉を閉めてしまった。そうだった、昼飯作るって言ってた。

 しかし、今部屋の中には自分と同じレベルの美琴狂いにちか……つまり、そんな生活感あふれる美琴がいるだけでも、青葉の生命の危機……! 

 それをさらに追い打ちかけるように、リビングの奥からにちかが顔を出す。

 

「どうしたの? なんかすごい勢いで玄関閉めた音聞こえたけど」

「いやちょっと、変な力入っちゃって。良いからちょっと部屋で待ってて。もうひとつ大問解いとけよ。俺、食材買ってくる」

「ええ……めんどくさい。てか何買うの?」

「あ、あー……牛肉」

「ビーフシチュー⁉︎」

「違う」

「えー……じゃあ今すぐご飯が良い」

「解いておいてくれれば、次の大問は俺がやってやる」

「任せて!」

 

 すぐにリビングに引っ込んだ。よし、やはりちょろい、と思ってから、改めて玄関から出た。外では、美琴がちゃんと待っている。

 

「どうしたの?」

「すみません……ちょっと客が来てまして」

「あ、ほんと? じゃあ、お昼今日は遠慮しようか?」

「何食べる気ですか?」

「ん、カロリーメイト」

「俺が作ります」

「え、いやいいよ。人来てるなら……」

「い、い、か、ら」

「う、うん……」

 

 美琴の食生活を正せるのは自分だけ、という確かな使命感はあった。

 そのまま一度、部屋を出て美琴の部屋に入った。さて……速攻で終わらせなければならない……! 

 すぐに部屋に入ると料理に取り掛かった。高速で下処理をする。卵を割ってかき混ぜると、その中にニンニクをすりおろし、鶏ガラスープの素、醤油を少量、加えて混ぜる。

 その後に、フライパンにごま油を敷いて、肉を炒めた後に卵を加えて米を入れて長ネギを入れ、最後に塩胡椒を加えて炒飯を完成させた。

 

「出来ました!」

「めっちゃ良い香り……ふふ、美味しそう」

「お待たせしました」

「じゃあ……これ、報酬」

「なんですか?」

 

 言いながら美琴が冷凍庫から出したのは、パ○コだった。一つで二人食べられるボトル状のアイスだ。

 

「え、い、良いんですか?」

「勿論」

「じ、じゃあ……いただきます!」

「それはこっちのセリフ」

 

 それはその通りかも、と思いつつも、アイスを貰って部屋に戻った。

 ただいまー、と部屋の中に入ると、にちかが顔を出した。

 

「おかえり……って、お肉は?」

「あっ」

 

 そうだ、買い物行くって言ってたんだった。

 

「あ、あー……面倒になって引き返してきた」

「え、何それ」

「代わりにアイス買って来たから、半分あげる」

「まぁ良いけど……」

「大問、終わった?」

「うん。簡単だった」

「なら、すぐ飯作っちゃうわ」

 

 言いながら、青葉は再び台所に立つ。さて、何を作るか……この短い時間で別の料理を連続で作るとか、ここは料理屋か? と思わず眉間にシワが寄せていると、その青葉ににちかが声をかける。

 

「ね、青葉」

「ん?」

「炒飯が良い」

「え……なんで?」

「隣から、ごま油とニンニクの香りが漂って来てて……青葉がいつも作る炒飯の匂いと一緒な気がして」

 

 ギクッ、と肩を震わせる。気がするんじゃない、全く同じだ。

 どうする、断るか? いや、不自然だ。さっきビーフシチューだのを断ったのは時間がかかる上に費用が嵩むからだが、炒飯はそのどちらも満たしていない。

 

「い、良いけど……」

「やった。青葉の炒飯、最近食べてないから嬉しい」

「っ……」

 

 それはつまり……自分の炒飯はたまに食べたくなる程度には美味しいということだろうか? 

 そんな風に言われると、如何に相手がにちかでも……いや、ライバルであるにちかが相手だからこそ、やはり少し照れてしまうわけで。

 

「あ、もしかして今、照れた?」

「っ、て、照れてねーよ!」

「わっかりやすー。ていうか、しょっちゅうお姉ちゃんとかに褒められてんのに、何今更照れてんの?」

「照れてねえって言ってんだろ! そこまで照れてることにしたい理由を30字以内で述べよ!」

「いや、顔真っ赤にして怒鳴ってれば誰だって照れてるようにしか見えないと思うけど」

「これは怒りによるブーストだから!」

「いや知らない知らない。いいから作って」

「どの立ち位置から言ってんのお前⁉︎」

 

 ……話しながら、全く同じ料理を二度連続で作ることになった。

 同じように卵にニンニクと醤油と鶏ガラスープの素をぶち込み、ネギを刻み、肉だけハムに変えて炒めた。

 フライパンを振るうことで、米が宙を舞って大波のように一回転し、フライパンに着水。

 

「相変わらず、美味しい料理を美味しそうに作るよねー」

「カッコ良いからな」

「その発言がカッコ悪いから。モテたくて料理始めたみたい」

「……」

 

 モテたくて料理を始める、か……と、青葉は少し頭の中で嘲笑する。世の中の男……特に男子大学生はそれで料理を始める事も多いらしい。

 それは……ハッキリ言って大正解である。自分はそんなつもりで料理を覚えたわけでは無いが、その結果、料理が美味ければお隣の美人アイドルのお部屋にお邪魔し、家事を任される程度には気に入ってもらえている。

 

「……頑張れ、全国の男子……!」

「何言ってんの?」

「極めれば……それを活かす機会は必ず現れる!」

「たまに出るその独り言、怖いからやめた方が良いよ」

「……ごめん」

 

 いや、ホントたまに口から出てしまうこの癖は直したい。

 とにかく、さっさと仕事をしよう。炒飯を完成させて、机の上に置いた。

 

「はい、お待たせ」

「はい、よくできました」

「八つ裂きにすんぞコラ」

「約束だからね。次の大問やってね」

「おまえほんと、良い立ち位置にいやがんな……」

 

 甘え上手というかちゃっかりしているというか……まぁ、もうこういうのにも慣れたものだ。

 そのままスプーンを用意し「いただきます」と挨拶して食べ始めた。すると、ふと目に入ったのはにちか。炒飯を見下ろして、くんくんと鼻を鳴らす。

 

「毒の入った柿を見分けるゾウの真似事してる暇があったら、冷める前に食えや」

「いやそんな真似してないし……じゃなくて。やっぱお隣の炒飯みたいな匂いと似てるなーって」

 

 似てるというか一緒だ。まぁ、口が裂けても言えないが。

 

「偶々、同じレシピの人がいただけでしょ」

「え……そ、そんな事あるの?」

「あるわ。この匂い、ごま油とすりおろしニンニクだから。全然、あるから」

「う、うん?」

 

 勢いで押し切った。お隣に料理を作りに行ったのは百歩譲ってバレても良いが、お隣の表札が「緋田」なのは隠さなければならない。

 

「それより、さっさと食ってアイス食って宿題やって帰れ」

「ぶー、せっかく幼馴染が部屋まで遊びに来たのに、何その言い方ー」

「勉強しに来たんだろが。バカ言ってねーでさっさと食え」

「……あ、そうだ。青葉」

「何?」

「後で、美琴さんグッズ作るの手伝って」

「良いけど、お前一人で作れるだろ」

「いやほら、ちょっと色々……改めて手順とか細かいとこ確認したいというか……」

「あそう」

 

 まぁ良いけど、と思いながら、とりあえず食事を進めた。

 しかし、今回は何とかなったが、少し警戒しないといけない。最近、数は減っていたとはいえ、にちかが家に来ることはよくあることなのだ。

 今後は、なるべく鉢合わせしないように上手いこと調整しよう、そう思いながら、とりあえずその日は宿題を見た。

 

 ×××

 

「いやー、今日は頑張ったー!」

「毎日頑張っとけよ」

 

 なんとか宿題を終わらせ、にちかは再び大の字になって寝転がった。久しぶりに自分で宿題をやったこともあって、かなり体力を使った。

 

「晩飯食ってくか?」

「んー……いいや。私だけ美味しいもの食べるの、お姉ちゃん達に悪いし」

「なら、カレーでも作るから持って帰れよ」

「……良いの?」

「良いって。ピリ辛カレー研究中だから、それで良いならだけど」

「仕方ないなぁ、そんなに食べてほしいなら食べてあげる」

「分かった。綺麗に一人分だけ足りなくしてやる」

「わ、わー! 嘘嘘! 正直、私ピリ辛のが好きだから、青葉のカレー食べたいです!」

「じゃ、も少し待ってて」

「部屋見てても良い?」

「どんぞ」

 

 それだけ言って、にちかは青葉の部屋に入る。割とこの部屋は好きだ。漫画、ゲーム、フィギュア、美琴グッズなど、どれを見ていても飽きないから。特に、美琴関連のものは。

 こんな風に退屈しない部屋に、自分の部屋もしたいところだ。

 漫画を読む……前に、姉に電話しないといけない。今日の晩御飯、青葉がくれるという話だ。

 スマホを手に取り、電話を掛ける。

 

「もしもし、お姉ちゃん?」

『にちか、どうしたのー?』

「青葉がカレー作ってくれたんだけど……もうご飯の準備とかしちゃった?」

『まだだけどー……もー、また勝手によそのお宅のお世話になってー……』

「じゃあお姉ちゃんだけ食べないのね?」

『そうは言ってないでしょー? もー……アオちゃんいる?』

「いるよ」

『替わってくれる?』

「はーい」

 

 仕方ないので、スマホを台所まで持って行く。

 

「青葉、お姉ちゃんから電話」

「え、なんで?」

「いいから、はい」

 

 言われるがまま、青葉はスマホを受け取った。

 

「もしもし……あ、うん。いや俺もカレーの気分だったから、ついでだから。そんな気にしないで。次、そっち行った時にはっちゃんがご飯作ってくれれば全然……うん。え、いや違くて。全然、宿題の件で媚び売ってるとかじゃなくて。うん……はい、はーい……分かってる、もう甘やかさないから。じゃあ、替わるね」

 

 なんとなくイヤな予感がする会話を耳にしながら、スマホを受け取った。そういえば、宿題の件で怒られていたことをすっかり忘れていた。

 

「もしもし?」

『じゃあ……もうみんなアオちゃんのカレー、楽しみにしちゃってるから、早めに帰ってくるようにねー?』

「はーい」

『次からは、もう少し遠慮するように。親しき仲にも礼儀アリだから』

「大丈夫、親しくないから」

『またそういう事ー……ていうか、そういう問題じゃないのー』

「分かってるって。じゃ、後でね」

『うんー』

 

 それだけ話して、電話は切れた。

 

「じゃ、青葉。美味しい奴、よろしく」

「うるせーよ」

 

 にひっと冗談めかしていいながら、青葉の部屋に向かった。ウキウキしながら部屋の中を見て回っていると、漫画が目に入った。

 

「あ、この漫画懐かし……」

 

 そんな事を呟きながらしばらく漫画を読んでいると、青葉の寝室にまでカレーの良い香りが漂ってくる。

 この香りを嗅ぐとお腹が空いてくるのは本当に不思議だが、それほどまでに香ばしいのだから仕方ない。

 本当なら今すぐいただきたい所だが、姉妹達の為にも持って帰らなければならない。

 

「おーい、出来たぞー」

「はーい」

 

 普段なら「これ読み終わるまで待ってー」なんて言ってしまうところだが、この香りには抗えない。

 部屋を出ると、いくつかのタッパーに小分けにされたカレーをリュックに入れた青葉が目に入る。

 

「……ウ○バーイーツ?」

「金もらってねーけどな、俺」

「欲しいの?」

「お前の分だけ有料にしてやろうか」

 

 なんて話しながら、にちかがリュックを背負う。そこで、青葉はハッとしたように固まった。

 どうしたのだろうか? さっきもインターホンで喋っている時、急に口を止めたこともあった気がする。

 やがて、何を思ったのか、すぐに提案して来た。

 

「にちか、何で来た?」

「歩きー。自転車、下の子が使っちゃってて」

「なら、送って行くよ。チャリの後ろに乗せて」

「え、良いの?」

「はっちゃんに挨拶もしたいし」

 

 まぁ、そう言うなら特に断る理由もない。楽出来るし。

 青葉と一緒に部屋を出て、靴を履いた。しかし……まぁ昔からだが、なんだかんだ面倒見は良い男だ。はづきには「甘やかしすぎ」と昔から言われていたが、それが別に悪いわけではないと、にちかは思ったりする。だって、自分は少なくとも助かっているし。

 とにかく、もう少しこの甘いままの青葉と一緒にいられると嬉しいなーなんて思いながら、エレベーターに乗ろうとした時だ。玄関の扉が開く音。青葉のお隣の部屋だ。

 そういえばどんな人が住んでるんだろ、と思いつつ、後ろを振り向いた時だ。

 過去にない反応速度で青葉が隣から消え去って、その人の上半身に飛びついた。

 

「青葉⁉︎」

 

 思わず声を上げてしまう。何をいきなりしているのか? どこかで見たことある体型な気がするが、何にしても女性相手であることは顔を見なくても分かった。

 

「何してんの⁉︎」

「す、すまん……ちょっと、コアラ病が」

「コアラ病って何⁉︎」

 

 ツッコミを入れているが、背中にカレーを背負っているので止めることはできない。飛びついた青葉が飛びつかれた方に何か話している。

 

「……な、なんで今急に出てくるんですか……!」

「い、いやこっちのセリフ……」

「あ、あいつ……美琴さんのファンなんですよ……! バレたら俺殺されちゃうから、すみませんが部屋に戻って下さい……!」

「で、でも……私の晩御飯は?」

「……もうお腹すいちゃったんですか? いつもより時間早いですけど……」

「うん……カレーの良い匂いがして……」

「っ……わ、分かりました……50分後に伺いますので、それまで待ってて下さい」

「そんなに?」

「今からあいつ家に送って来ないとなんで……」

「仕方ないね……」

「すみません……ん? 俺が謝る立場なのか?」

「待っててあげるから、行ってらっしゃい」

「では……とりあえずこのまま部屋に戻って下さい……」

「うん」

 

 何を話していたのか知らないが、まとまったみたいでコアラ病のまま部屋に戻り、ほんの数秒後に青葉が出て来た。

 

「……お待たせ」

「セクハラ男……」

「はぁ? 何処が」

「全部でしょ! 急になんで飛びついてんの⁉︎ あの人女の人でしょ⁉︎」

「飛びついて……あっ」

 

 そっか、と今更、自覚したように顔を赤くする。そして……何を思ったのかその場で膝から崩れ落ち、両手を床につく。

 

「俺は……あのお方に対してなんてはしたない真似を……」

「……そんなつもりじゃなかったのは分かったし、セクハラって言ったのは謝るから早く立ってくれない?」

 

 流石にあれが美琴なら耳からカレーを飲ませても済まさなかったが、そうでない青葉の好きそうな美人さんなら別になんでも良い。二人でよろしくやってくれ、という感じだ。……いや、付き合われるとご飯作ってくれなくなるかもしれないので困るが。

 

「本当に許してくれるの?」

「うん。だから早くして」

「よっしゃ、もう撤回は無しだからな!」

「はいはい」

 

 そこまで喜ぶことでも無いだろうに……と、思いつつも、もしかすると青葉ってにちかが思っている以上ににちかのことが好きなのかも、と思い、少しニヤつきながらエレベーターに乗った。

 さて、そのまま下に降りて、青葉が自転車を取りに行く。戻って来たので、後ろのお尻が痛くなる所にお尻を乗せた。

 

「よーし、じゃあ出航ー!」

「部屋でワンピース読んでたろ?」

 

 声の割に、大人しく背中にしがみついた。昔、にちかだけ自転車を持っていなくて、一緒に遊んでいた同級生はみんな自転車を持っていた頃。自分を後ろの席に乗せてくれたのは、いつも青葉だった。

 今日一日一緒にいた上に、昔のシチュエーションを不意に思い出し、少しテンションが上がってしまう。

 

「青葉ー! 飛ばせぇ〜!」

「やだよ、カレーの蓋、開いたらどうすんだ」

「いけいけー!」

「あれ、お前暴走族志望だった?」

 

 今はまだアイドルやってて、相方が美琴だなんて言う勇気はないけど、いつかは言わなくてはいけない事だ。

 その時は……もしかしたら許してくれるかも、なんて今は思えてしまったりした。

 そんな風に思いながら、とりあえずギュッと背中にしがみついた。

 

「やっぱりお前、胸82もないよな」

「事故起こしたい?」

「嘘嘘嘘」

 

 でも逆の立場なら許さない、とも心に決めた。

 

 



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一飯千金
身体は使い捨てには出来ない。


 最近、レッスンの調子がすこぶる良かった。毎日、ちゃんと朝飯も昼飯も夕食も手料理を食べているからだ。

 だから、以前よりも自主練に身が入るし、自主練でなくても最高の練習になっている気がする。

 まさか、食生活を少し整えるだけで、ここまで身体の調子が良くなると思わなかった。体重は少し増えたが、自分でも分かる。増えたのは脂肪ではなく筋肉だ。

 いつのまにか、美琴は自分から朝ご飯をねだる様になっていた。

 今日も、お隣のインターホンを押しに来た。

 

「おはようございます」

「おはよう。朝ご飯、良いかな?」

「はいはい……」

 

 出て来た青葉が、応答してくれる。一応、寝癖も整えられているし、顔も洗った後みたいだし、制服にも着替え終えていた。

 

「なんか……眠そう?」

「そんな事ないですよ。何が良いですか? 朝ご飯」

「色々買ってあるから、お任せで」

 

 話しながら、美琴は部屋の中に青葉を招き入れる。

 

「……」

「一宮くん?」

「なんですか?」

「いや、今日はちょっと口数少ないなって」

「そ、そうですか?」

「うん」

「あー……昨日、夜遅かったからかもしれませんね」

 

 右手でポリポリと頬をかきながら、何かをごまかすように笑みを浮かべている。

 ……遅かったのなら、仕方ないのかな? と、ちょっとだけ思いつつ、とりあえず朝ご飯を待つことにした。

 正直、美琴は一宮青葉という人間をあまり知らないし、興味も持たないようにしている。自分のファンである、という点はわかるが、それ故に「一宮くんのことをもっと知りたいな」なんて言えば「いいえ、ただの1ファンである俺なんかに興味持っちゃダメです」と怒られそうだ。

 ただ、恩人ではあるため、今もウィンウィンの関係を保つと言って、彼には家事をしてもらっている。本当のウィンウィンならばこちらも何かしら彼のためにしてあげたい所だが、彼がこのままの方が良いというのだから仕方ない。

 そう自分に言い聞かせ、改めて声をかけた。

 

「そっか。じゃあ、朝ご飯お願い」

「はい」

 

 ドライにそう言うと、とりあえず自分はシャワーを浴びることにした。

 実際、彼自身もあまり自分のことは喋らないし、自分の部屋に招くこともしない。本当に、ちゃんと一線引いてくれている感じだ。

 だからこそ、美琴も必要以上の干渉はしない。他人にあまり興味がない美琴にとって「持ちつ持たれつ」の関係は非常にありがたいものだから。

 

 ×××

 

 気付かれなかった、と少し青葉はホッと胸を撫で下ろしながら登校していた。

 実を言うと、昨日の昼頃から左手首……特に親指の付け根あたりの調子がおかしい。赤く腫れ上がってしまっていて、動かすと痛みが走る。

 全く使えないわけでも無いが、フライパンを持つことさえ厳しくて、今日の朝食は左手は使わずに右手だけでフレンチトーストを作って差し上げたほどだ。

 考えてみれば、単純に考えて二人分の食事を毎日、二回に分けて作っているわけだし、当然と言えば当然かもしれない。

 

「青葉ー、おはよ」

「おはよー、アオちゃん」

 

 そんな中、ふと後ろから声がかけられ、反射的に手首をポケットにしまう。立っていたのは、にちかとはづき。珍しく一緒のようだ。

 

「おはよう。二人一緒?」

「うん。お姉ちゃん、今日いつもよりゆっくりだから」

「いつも、にちかの面倒みてくれてありがとねー」

「いえ」

「ち、違うよお姉ちゃん! 私が青葉の面倒見てるの!」

「そういう台詞は一回でも俺を宿題で楽させてから言え」

「ほんとにー」

「ば、バイトでは私の方が仕事出来るし!」

「はぁー⁉︎ テメェより俺のが店長に褒められたんだろうが!」

「私の方が褒められないのは、店長が『にちかならできて当然』って思ってくれてるからだから!」

「二人ともー? 外で喧嘩しないー」

 

 声をかけられ、二人はハッとする。周りの視線を思いっきり集めてしまっていた。

 

「はぁ……青葉の所為で朝から恥ずかしい思いした」

「こっちこそ朝からはっちゃんに恥ずかしいとこ見られた……」

「あんたの恥ずかしいとこなんて、お姉ちゃんは昔から見てるでしょ。一緒にお風呂とか入ってたし」

「今でも入りたい」

「アオちゃん?」

「何言わすんだにちかコラァッ!」

「勝手に言っただけじゃん今のは!」

「二人とも?」

「「ごめんなさい」」

 

 そんな話をしながら、三人で歩いていた時だ。ふと思ったようににちかが青葉に聞いた。

 

「ていうか、青葉。左手どうしたの?」

「えっ?」

 

 そんな言葉が聞こえ、思わず狼狽えたような反応を見せてしまう。

 

「な、何の話?」

「や、隠したじゃん。左手」

「隠してねーよ」

「昔からだよね。怪我、隠すの。親にも隠してたし」

「け、怪我って何⁉︎ てかいつ俺怪我すんの⁉︎」

「アオちゃん?」

 

 ビクッと肩が震え上がる。普段は寝てるかぼんやりしているかのはづきだが、怒った時は本当にヤバい。

 

「手、見せてー?」

「え、ど、どうしても?」

「……にちか」

「ラジャ!」

「あっ、てめっ……!」

 

 後ろからしがみつかれホールドされてしまう。

 

「柔らかくねえ胸が当たってんぞ! 恥ずかしくねえのか⁉︎」

「お姉ちゃん、絞めちゃダメ?」

「後にしてー」

「どうせならはっちゃんに拘束されたかったー!」

 

 なんてやっている間に、はづきは青葉のポケットの中にある左手首を掴み、引っ張り出した。

 朝、見た時より腫れ上がっているそれを見て、はづきとにちかは「うわっ……」と声を漏らし、青葉は目を逸らす。

 

「どうしたのこれ?」

「き、記憶にございません……」

「は?」

「や、ほんとに! なんか昨日くらいから変に腫れて来てて!」

「うわー……でも、キモいくらい腫れてんじゃん……」

「にちか、テメェ言い方!」

「アオちゃん」

 

 真剣な声音で声を掛けられる。左手首をぎゅっと握ったまま、はづきは聞かん坊を諭すような声で続ける。

 

「放課後、病院行きなさい」

「え……やだ」

「ダメですー」

「だ、大丈夫だよ。どうせ寝てる時に、腰の下に手を置き過ぎただけだって」

「ダウト。青葉、昔から寝相は良いから寝違えたこととか無いし」

「にちか、テメっ……!」

「……分かりました。じゃあ、私が放課後、迎えに行きますー」

「えっ、いやいいよ! そんな迷惑かけるくらいなら自分で……!」

「信用出来ません」

「こ、この前カレー作ってあげたんだし、それでチャラだ!」

「この前、カレー作ってくれたんだから、それくらいの世話は焼かせなさいー」

「……」

 

 何もかもが裏目に出ていた。もう逃げ道はない。にちかに頼っても多分、適当なことばかり言うだろうし……他の家に迷惑かけるくらいなら素直に行くって言えばよかったな……と、少し後悔しそうになったが、冷静に考えた。

 ……これはつまり、はづきとデートである。普段、美琴という理想の女性と近くにいながらも、決して二人きりで出かけることの出来ない関係に、少しだけ悶々としていた時に、このチャンス。別の女性とはいえ、逃す手はない……! 

 

「分かった! 楽しみだな、病院!」

「お姉ちゃん。脳外にも連れてったら?」

「どんなに腕の良いお医者さんでも、匙投げると思うよー?」

「え、はっちゃんまで俺のことそんな風に思ってたの……?」

 

 少しショックを受けながら、とりあえず学校に向かった。

 

 ×××

 

 一度、美琴は事務所に戻って来た。お昼にお隣の男子高校生に作ってもらったの青葉特性弁当も食べ終えて、またレッスンに戻ってから、にちかが来る少し前くらいの時間までレッスンして、また戻って来たところだ。

 これから、にちかとユニットとしてのレッスン。それまで身体を休めないといけない。

 ラウンジ代わりのリビングのような場所の扉を開けようとすると、ちょうど良いタイミングで扉が開かれ、頭を衝突しそうになるが、それを寸前の所で避けた。やはり、身体の調子が良い。

 

「あ、すみません、美琴さん〜」

「はづきさん……お出掛けですか? 珍しいですね」

「知り合いの子の病院に付き添うんです〜」

「そうですか」

 

 病院に付き添う、ということは、近所の小学生とかだろうか? 逆に小学生以外だと、ちょっとその子の神経を疑うレベルである。隣に住む高校生なんて、一人暮らしどころか他所の家の自分の部屋の家事までしてくれるというのに。

 

「なので、すみません。失礼します〜……あ、電話」

 

 駆け足で廊下を歩きながら「ごめんねー、今仕事切りが良いとこまで終わったから……え、急がなくて良い? ダメだよー。急がないと病院閉まっちゃうかもだし……」なんて話しながら、事務所から出て行く。

 なんだか……仕事だけでなく、プライベートでも忙しそうな人だなぁ、なんて思いながら、扉の向こうに入って飲み物を飲んだ。

 

「ふぅ……」

 

 一息。ここ最近、この事務所のアイドル達をようやく覚えられるようになって来た。今更ながら、やはり可愛い子達が多い。しかも、どの子達も華がある。踊りも歌も両方、自分と同じレベルというつもりはないが、それでも応援したくなる子や、ファンが増えるのも頷けてしまう子達が多い。

 今いるのは、あの四人組だ。

 

「透せんぱーい、これ調理実習で作ったカップケーキ〜♡」

「美味しそうじゃん、くれるの?」

「あげる〜。小糸ちゃんも、はい」

「あ、ありがとう……!」

「円香先輩のは無いよ〜?」

「別にいらない」

「ひ、雛菜ちゃん……! 意地悪したらダメだよ……! 円香ちゃん、私の半分、あげるね……!」

「いい。小糸、全部食べな」

「で、でも……」

「私は食べて来たから。さっき」

 

 あの中で一番、最後に事務所に来た泣きぼくろの子がそう言うと、空気が冷たくなる。主に、一番爽やか……というより、何も考えてなさそうな子が「は?」と声を漏らす。

 

「誰と?」

「……なんでもない」

「日直って言ってなかった?」

「日直は日直」

 

 なんか……少しずつ、ギスってきたので、敢えて全員が座っているソファーの方へ歩いた。喋った事ない人が急に現れれば、まず黙るだろう。

 そう思い、飲み物のコップを持ってさりげなく四人の近くに座る。

 

「いや別に浅倉に隠してたわけじゃなくて」

「やば〜、円香先輩言い訳くさ〜い♡」

「雛菜もそう思う?」

「さ、三人とも、落ち着いて……!」

 

 ダメだった。この四人、マイペースにも程がある。

 もうこのまましれっと部屋から逃げることにして、とりあえず飲み物を持って廊下に出た時だ。

 ゴチン、と何かがぶつかる音。何かと思って覗き込むと、前にいたのはにちかだった。

 

「わっ、にちかちゃん。ごめん」

「痛た……み、美琴さん⁉︎ 大丈夫です、ご褒美です!」

「ご、ご褒美……?」

 

 いや、そんなことよりも、あの修羅場ににちかを放り込むわけにはいかない。

 

「にちかちゃん、レッスンまで少し時間あるし、カフェでも行かない?」

「えっ、み、美琴さんとですか⁉︎」

「ご馳走するよ」

「い、いえそんな悪いです!」

「気にしないで。行こう」

 

 それだけ声を掛けて、近くのカフェに入った。

 さて、まぁ別に緊張したわけでも無いが、勢いで言ってしまった。誘った以上、何か話さないといけない。

 飲み物を注文し、席に着く。すこし、にちかは緊張気味だ。というか、普通に考えたら急に呼び出されたみたいに感じで、怒られるかも、と思ってしまうだろう。

 

「あ、あの……美琴さん……」

「ごめんね、緊張させちゃって」

「いっ、いいいいえ! 緊張なんてしてないです! む、むしろ超リラクゼーションタイム入ってます!」

「そっか……なら良かった」

 

 嘘くさいが……こういう時の誤解の解き方が分からない。コミュニケーション能力の無さを少し痛感してしまった。

 どうしようか困ってしまったが……まぁ、考えてみれば、元々本当に説教のつもりでもなんでもない。適当に理由を話そう。

 

「ごめんね、急に。事務所で、ノクチルの子達がなんかギスギスしてたから、あそこにいづらいかなって」

「あ……そ、そうだったんですね……! あの子達、困りますよねー! いつもなんか四人で固まってて、話しかける隙も入る間も無いっていうかー」

「うん。神秘的というか……オーラがあるよね。四人とも」

「は、はい! カッコよくて、憧れの的と言いますか……!」

 

 自分には無いものを持っている……というのが、美琴には少し羨ましかった……が、今はそれよりも、にちかが気になる。なんか汗かいている。まだレッスンが始まってもいないのに。

 

「にちかちゃん……もしかして疲れてる?」

「えっ? い、いえ……まぁ、その……」

 

 あ、ほんとに疲れてるんだ、と思ってしまった。まぁでも、それならレッスンが始まる前に聞いてあげた方が良いかもしれない。

 

「実は……その、私の友達が……なんか、原因不明で手首が痛いって騒いでて……」

「手首?」

「親指の関節辺りが意味分かんないくらい痛いーって、ちょっと大袈裟なくらい。相手にしたくなかったんですけど『文字が書けねえ!』とか喚いて……仕方ないから、私が代わりにノート取ってあげたんです」

「そうだったんだ……ふふ、優しいんだね、にちかちゃんは」

 

 言うと、不意ににちかは顔を赤くしながら目を見開く。

 

「っ、そ、そんな事ないですよ! これくらい普通ですって! ……あとで甘いもの奢ってやろう」

「え?」

「い、いえ、何でもないです!」

 

 自分なら、そんな鬱陶しい奴に構う時間があったらレッスンに当てる。何があったか知らないが、怪我の原因の痛みの理由なんて99%自業自得だろうに……。

 すると、ヴーッヴーッとスマホが震える音。にちかのスマホだ。

 

「あ、すみません……お姉ちゃんからです」

「はづきさん?」

「お姉ちゃんが、そいつの病院に付き添ってあげてて」

 

 それでさっき出て行ったんだ、と理解する。というか、そのお友達はにちかだけでなくにちかの姉とも交友があるのが意外だった。

 

「うわっ……」

「どうかしたの?」

「腱鞘炎だそうです。手首の使い過ぎ……らしくて」

「ふーん……その子、何してる子なの?」

「帰宅部ですよ。……まったく、何したんだか」

 

 帰宅部でケ、けん……拳闘炎? なんて、確かによくわからない。というか、その拳闘炎がよく分からない。そもそも、使いすぎということは、何かの練習であったとしてもオーバーワークであることは否めない。

 つまり、自業自得である。

 そんな中、ハッとしたようににちかが顔を上げた。

 

「あっ……す、すみません、美琴さん。変な話しちゃって……」

「ううん。たまには、愚痴くらい付き合うよ」

「い、いえ……もう、大丈夫です!」

「そっか……なら、良いけど」

 

 まぁ、彼女がそう言うのなら良いのだろう。そう思うことにして、しばらく二人で色々と話してから、レッスンに向かった。

 

 ×××

 

「はぁ……腱鞘炎かぁ……」

「もぉ〜……何したのー?」

 

 病院から移動し、薬と湿布をもらって帰宅していた。途中まで同じ方向なので、はづきと青葉は二人一緒に、である。

 何したのか、なんて聞かれても、特に思い当たることはなかった。

 

「特に何も……あっ」

「?」

 

 嘘だった。そういえば、ここ最近は何度もフライパンやら何やらの調理器具を振るっている。

 朝、美琴の朝飯とお弁当の分と、夜に自分の晩飯と美琴の晩飯。おかげで自分の朝食は毎朝、パン一枚になってしまっていたのも良くなかったのかもしれない。

 

「何か心当たりでもあるのー?」

「や、心当たりというか……まぁ、ある」

「何ー?」

「教えなーい」

「ダメ。高校生で一人暮らししてて、私達もアオちゃんの事、心配してるんだからねー」

「……」

 

 そうだ、あんまりはづきに気苦労かけてはいけない。とりあえず、言うべきところは言っておこう。

 

「まぁ、ちょっと最近、料理に凝ってて……その練習をやり過ぎた感じ」

「……美琴さんグッズをバカみたいに作り過ぎたとかじゃないんだー?」

「え? あ……」

 

 そっちのが良かったかも、と思ったが、とりあえずそのまま料理にすることにした。

 

「じゃあ、しばらく……治るまでの2〜3週間は料理は禁止します」

「えっ……な、なんで?」

「当たり前でしょー? 腱鞘炎の人に包丁なんて使わせられませんー」

「っ……」

 

 それはその通り……や、料理をするときのみ両利きになるし、料理を練習するときに何度も指を切って来たので、今更恐れることはない。

 従って、今後も美琴の料理を作ることは難しくないだろう。

 

「よかったー、両利きで」

「言っとくけど、逆の手で料理するのもダメだからねー」

「えっ、な、なんで……?」

「当たり前でしょー」

「や、なんで分かるの……?」

「アオちゃんの考えてることなんてお見通しですー」

 

 怒られ、思わず黙り込んでしまう。……まぁ、別に同居しているわけでもないし、こっそり料理したってバレないか……なんて思っている時だ。

 

「にちかなら毎日、アオちゃんの小さい変化に気づくし、しばらく観察をお願いしちゃおっかなー?」

「……」

 

 こっそり料理するのも諦めた。にちかセンサーは恐ろしいもので、青葉の都合が悪い情報だけを読み取る力は誰よりも上だ。本当に性格が悪い。

 そのまま、二人で駅に到着した。

 

「ありがとう、はっちゃん。わざわざ付き添ってくれて」

「気にしないでー? そう思うなら、完治までちゃんと大人しくしててねー?」

 

 致し方ないか……と、ため息をつき、渋々ながら従う事にした。

 さて、そのまま帰宅し始めた。もう夕方……ただでさえ忙しいだろうに、わざわざ付き合わせてしまって申し訳ない。

 

「はぁ……あっ」

 

 そこで、ハッとした。美琴のご飯、どうしよう、と。包丁も握れなければフライパンも持たない。このままでは、彼女の役には立てない……。

 焦りが脳内を包み込む。そうなれば、おそらく彼女にとって都合が良いだけの自分は、せっかく隣に住んでいるのにこの2〜3週間、干渉出来なくなる、

 

「っ……いや、諦めるのは……」

 

 まだ早い。ここ最近の調理器具は便利なものが多いのだ。ならば、明日はちょうど休みだし、IK○Aあたりで買い物した方が良いかもしれない。

 そう決めて、とりあえず今晩の晩御飯を考え始めた。

 

 ×××

 

 包丁が使えない青葉は、どうしたものか顎に手を当てる。ネギを刻むくらいなら許してもらえれば、うどんや蕎麦で済む。

 しかし、それが美琴の栄養になるかは分からない。ここ最近は暑いのでたまには良いのかもしれないが……。

 

「はぁ……どうしよ」

 

 悩みながら、とりあえず自分の晩飯はカップ麺で済ませた。明日、便利器具を買うまでカップ麺か外食しかない。

 悩みながら、とりあえず宿題をやることにした。机に座ってノートと教科書を広げる……が、そこで問題発生。授業中もそうだったのを忘れていた。文字が書きにくい。

 にちかに「もう少し綺麗な字で書けよ! 読めねえ!」「はぁ⁉︎ 読めるでしょ!」「読みづれえんだよ! これ6?」「0」「これは9?」「y」「これ7?」「1」「こういうことになんだろうが!」「代わりに書いてもらってるだけでもありがたく思ったら⁉︎」「いつもお前が見せてもらってる宿題は誰の分だ⁉︎」「おい、聞き捨てならねーな。宿題写してるって?」と、先生に連行されながらも、写してもらったが、今はそのにちかがいない。

 

「どうすっかな……」

 

 このままじゃ何も出来ない……あれ? もしかして、手を封じられると人間って何も出来ない? と、悩んでしまっている時だ。ピンポーンとインターホンが鳴り響く。

 よりにもよって、いつもより早い。とりあえず応答するため、玄関を開けた。

 

「はーい」

「こんばんは、一宮くん。ご飯……良いかな?」

「あ、はい。今行きます」

 

 話しながら、ポケットに左手を隠しつつ、サンダルを履いて部屋を出た。

 今更ながら思ったのは、美琴の部屋にうどんか蕎麦があるのか。なかったら作れない。

 

「美琴さん、うどんか蕎麦かそーめんあります?」

「そーめんならあるよ。最近、暑いもんね」

「良かった。今日……それでも良いですか?」

「良いけど……珍しいね。『そんなの夏を乗り越える体力を作れません!』とか言うかと……」

「あ、あー……た、たまには良いかなって……」

「……うん。まぁ良いけど」

 

 なるべく心配かけさせたくないし、どうせ今日と明日の朝飯だけの間だ。明日の朝は……カルボナーラトーストでも作ろう。

 そう思いながら、とりあえず台所に立ち、手首からサポーターを外して手を洗う。料理の基本である。

 その直後だった。

 

「そうだ、一宮くん。そーめんなんだけど……え」

「あっ」

「どうしたの、その手」

 

 自分、隠し事が下手すぎる……と、ため息が漏れた。

 仕方ないので、事情を説明する。美琴に嘘はつきたくないから。すると、美琴は顎に手を当てて少し悩ましそうにつぶやく。

 

「そっか……一宮くんも腱鞘炎なんだ」

「も?」

「あ、うん。事務所の子の友達も腱鞘炎らしくて。大変みたい」

「い、いえそんなことありませんよ。ちょっと片腕が使えなくなる程度です」

「でも、その子、学校で板書も出来ないって言ってたし……一宮くんも大変でしょ? 料理とか出来る?」

「そ、そーめんくらいなら出来ますよ。明日には、片手が使えなくても料理できる調理器具買いに行きますし、今日の所はそーめんで……」

「……」

 

 だが、美琴は意味深に黙り込む。思わず、青葉は緊張してしまう。もしかしたら、本当に切られてしまうかもしれない……と、寂しく思える。なんだかんだ好きなアイドルに自分の手料理を食べてもらえるのは嬉しかったのだ。

 何とかしてもう少し関係を続けてもらうために何か言わなきゃと思って脳内を考え込んでいると、美琴が「じゃあ……」と声を漏らし、口から心臓が飛び出そうになる。

 そんな青葉に構わず、美琴は続けた。

 

「食べに行こっか。たまには」

「……ヒょえ?」

「いつものお礼に、ご馳走するから」

 

 つまり……二人で、外出? と思うと、少し顔が赤くなる。

 

「だっ……だだっ、ダメです! そんな一人のファンとお出掛けなんて……!」

「ご飯食べるだけだから。それなら、いつもしてる事でしょ?」

「い、いつも一緒に食べてないでしょ! 作るだけ作って退散してるんですから……それに、俺が飯を作るのは美琴さんのアイドル活動を応援するためなんです! アイドルとしてやっていくには、健康な食生活は絶対条件だから、微力ながらお力添えしているわけでして……!」

 

 一緒に外食なんて、料理を作ったのが自分じゃない以上は不要なファンサービスとなってしまう。いや、行きたいのは山々だが。

 すると、美琴はそれを理解したのか、クスッと笑みを浮かべて次の一手を打った。

 

「うーん……じゃあ、一緒に行ってくれないなら、私今日はご飯食べない」

「ふぁっ⁉︎」

「あーあ、明日大変だろうな。晩御飯も朝ご飯も食べないで一日は。でも、一宮くんが来てくれないって言うなら、仕方ないね」

「……」

 

 き、汚ぇ……! と、思わず唖然としてしまう。この人、なんでそこまでするのか不思議なものだ。

 しかし、そんな風に言われては仕方ない。何かあっても困るし、一緒に行かざるを得ない。

 

「わ、分かりましたよ……」

 

 カップ麺は食べた後だが、育ち盛りの男子高校生だからまだまだ全然、食べられる。

 その上で、少しだけ青葉はやはり嬉しかった。何せ……憧れのアイドルと、二人きりでお食事に行けるのだから。

 

「じゃあ、待っててね。今、準備しちゃうから」

「は、はい……」

 

 ソワソワしたまま、とりあえず外で待つ事にした。

 

 ×××

 

 変装した美琴は、青葉を連れて出掛けた。ファミレスまで歩くと、適当な席に座ってメニューを見る。割と時間も時間なので、人がいないのは幸いだった。

 

「何食べる?」

「ふぁっ……え、えと……」

 

 ガチガチに緊張されている。既視感があるのは、自分のユニットメンバーとそっくりだからだろう。もしかして、自分のファンってこういう子達が多いのかと思ってしまう。

 

「ふふ、そんなに緊張しないで。取って食べるわけじゃないから」

「美琴さんになら食べられても……あ、いえなんでもないです」

 

 なんかよく分からないが、同じようなことを言われた気がする。

 まぁそんな事はさておき、とりあえず何を食べるか、である。適当に二人でメニューを眺めつつ、とりあえず青葉が選びやすいように美琴から食べ物を決めた。

 

「じゃあ……私は、これにしようかな。オムライスのビーフシチューソース」

「……好きなんですか?」

「ん、んー……何となく。一宮くんも、好きなの頼んで」

「は、はい……す、好きなもの……好きなもの……」

「遠慮しなくて良いから」

「……」

 

 釘を刺しておいた。彼の事だ。どうせ遠慮して唐揚げ三つとかにしかねない。

 彼が望むなら、本当はなるべく干渉しないように……そう思っていた。それが正解なのかもしれないし、青葉もその方が精神的に助かるのかもしれない。

 しかし、彼が片手が使えなくなったと聞いて、やはりちょっとだけ心配だった。

 何せ、今日まで調子が良かったのは、もしかしたら彼の食事があってのことかもしれないから。

 ならば、少しでも早く手首を治してもらい、また料理を作れるようになってもらいたい。その為にも、まずは必要以上に無理するのは回避してもらわねば。

 後は……自分に料理を作ってもらったお陰で怪我したのかも……と、少なからず責任は感じている。

 ……何より、それに関する文句を何一つ、自分に言う様子を見せないのが、ちょっとだけ怖かった。

 自分の生活を心配してくれているが、美琴だって青葉の事は少し心配なのだ。

 自分でも、彼にそんな感情を芽生えさせていることが意外だと感じている。

 

「一宮くん」

「っ、な、なんですか?」

「私、一応大人だからね?」

「わ、分かってますが?」

「……なら、少しは甘えてね?」

「え、家事何も出来ない人に何を……や、はい。お気持ちだけいただきます」

 

 おそらく、二人でのお出かけでいまだに頭が回っていなかったのだろう。ポロッと言っちゃいけない言葉が漏れた。そこで訂正しても、もう遅い。

 おかげで、美琴の中にあったプライドが久し振りにアイドル関連以外で顔を出した。

 ちょうど明日、お休みだ。目にもの見せてやる……と、強く闘志を煮えたぎらせ、とりあえずその日はフォークで難なく食べられるパスタをご馳走した。

 

 



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女性の方がプライドは高い。

 翌日、青葉が目を覚ましたのは「ピンポーン」という呼び出し音が耳に響いたからだ。時刻は7時。いつも通りの時間だが、昨日の夜に「明日の朝は自分で用意するからいいよ」と美琴に言われたので、久しぶりにゆっくり寝ようと思っていたのだが、お陰で誰が来たのかすぐにわかった。

 おそらく、にちかだろう。また宿題の救援要請だろうか? まぁ今回は青葉が腱鞘炎だし、代わりにやらされるようなことはない。

 何にしても、にちかが相手なら別におしゃれする必要もない。寝癖も整えず、顔さえ洗う事なく扉を開けた。

 

「ふぁ〜い……」

「おはよう、一宮くん」

「あ、美琴さん。おは……は?」

「ふふ、寝起き?」

 

 ドッと嫌な汗がイチゴの粒のように流れた。羞恥と普段のズボラな面がバレ、速攻で扉を閉めた。

 

「一宮くん?」

「待ってて下さい! 1分で戻ります!」

「う、うん?」

 

 扉越しにそう言うと、すぐに準備に取り掛かった。まずは着替え。10秒で終わらせた。そして洗顔。これも10秒。その後に歯ブラシ。これは1分以内のどれだけの時間を使っても意味ないので、30秒で済ませた後に、ガムで誤魔化すことにした。

 そして最後の10秒で髪を梳かす……と、思ったが、今日に限っていつもよりハードな寝癖がついてしまっていた。

 

「っ……!」

 

 大慌てで髪をスプレーでシュッとやって櫛を通す……が、とても間に合いそうにない。

 仕方ないので、近くにあった帽子を被って玄関に出た。ギリギリ1分である。

 

「っ、お、おまたせ……しました……!」

「……」

 

 なんとか誤魔化せただろうか? んなわけあるか、とすぐに脳内で打ち消す。何せ、室内で何故か帽子をかぶって来たのだから。

 隠しているのがバレバレだったのだろう。すぐにクスッとらしくなく意地悪い笑みを浮かべた美琴は、青葉の頭上に手を伸ばし、帽子を手に取った。

 ピョコン、と突然生えた雑草が生えるように、寝癖が立っていくのが分かり、顔を赤くして両手で頭を覆った。

 

「っ、み、見ないでくださいよ……」

「君にも、そういう所があるんだね」

「い、いつもは違いますから! いつもはもっと最低限の身だしなみを……!」

「そっか」

「流さないで下さいよー!」

 

 驚いた。意外と意地悪い……というか、昨日ちょっとファミレスで、いつもにちかとかはっちゃんに言うような生意気が漏れた時から、割とそんなやり取りが増えた気がする。

 ……でも、なんだろうか? こんな良い歳して寝癖まみれの自分を憧れの人に見られ、良いようにいじられ、恥ずかしいはずなのに。なぜか嫌と言えない何かが胸の奥にあった。

 そんな青葉を見て、再びクスッと微笑んだ美琴は、青葉の頭に手を置いて撫でる。それにより、青葉の顔は真っ赤に染まる。

 

「っ、み、美琴しゃん……!」

 

 口を開きかけた青葉の目線に合うように少しだけ屈むと、ウインクをしながら笑みを浮かべて告げた。

 

「一宮くん。寝癖、直したげようか?」

「っ……え、えっと……いえ、あの……」

「嫌?」

「嫌じゃないですけど……そういう話ではなく……」

「じゃあ、素直に従おうね」

 

 素直に、と言われても心臓に悪過ぎる。というか、朝食をあやかりに来たわけではないのだろうか? 

 そんな自分の心の中の疑問も無視して、美琴は青葉の両肩に手を置いて、部屋の中に入ってくる。

 マズイ、と青葉は冷や汗を流した。部屋の中ならまだ良いが、自室に入れるわけにはいかない。あそこには……美琴グッズが大量に眠っている。

 それを……見られたら流石に引かれるかもしれない。自作までしているレベルだ。

 

「洗面所は……ここ?」

「あ、はい」

「うちと一緒だ」

 

 間取りが一緒だから、すぐに理解したらしい。マンションの便利な所だろう。

 そのまま連行され、洗面所へ。元々、美琴の方が背が高いので、もう普通に鏡の前で髪を梳かしてくれる。

 あの憧れの美琴が、自分の髪を……と、胸の奥がドキッと跳ね上がる。

 

「ふふ、肩の力抜いて。全部、私に任せてくれて良いよ。……アイドルだからね、この手のルーティンは一宮くんより得意だと思うよ?」

「っ……は、はひ……」

 

 何故、この女は色っぽい声で、別に色っぽくないことを、色っぽく言うのだろうか? おかげで、力は抜けるどころか全身が強張ってきた。 

 その間にも、美琴の寝癖直しは進む。サッ、サッと櫛を通され、プシュッとスプレーを軽く吹きかけられ、指を通しながらまた櫛で梳かされていく。

 

「サラサラな髪だね。もしかして、結構気を使ってる?」

「い、いえ……シャンプーとリンスくらいですけど……」

「じゃあ、地が良いのかな。羨ましいな」

「お、俺なんかより美琴さんの方が……!」

「私はもう24だから、ケアは色々してるんだよ?」

「だから、素敵なんですね……!」

「ありがとう」

「……」

 

 なんだこれ。何今のやりとり、と頭の中で悩ませる。なんか……なんか恥ずかしい。髪型のことは「握手会に行けた時、言おうと思っていた言葉ランキング7位」だったが、予想以上に気恥ずかしさが優った。

 

「すみません……」

「本当に嬉しいよ。気にしないで。……整髪料とかつけてる?」

「あ、いえ、そういうのは大学生になってからかなって……高校じゃ禁止されてるので」

「そっか……じゃあ、一足先に大人になってみよっか」

「……へ?」

 

 どういう意味? と思ったのも束の間、美琴はわざわざ部屋から持参して来てくれていたワックスを手に出し始めた。

 

「えっ……い、いえそんな美琴様の手を俺の髪の毛なんかのことで汚すなんて……!」

「気にしない。様もやめる」

「っ……は、はひ……」

 

 キリッとしているのに色っぽい声で耳元で囁かれ、また頬が赤く染まる。

 モサッ、と髪が軽く持ち上げられ、鏡の中の自分の髪がイジられていく。あまりにも、なんか情けない顔をしていて、見ていられなくなった。

 逃げるように視線を逸らし、しばらく俯く。

 

「はい、出来上がり」

 

 言われて肩をぽんっと叩かれる。顔を上げると、立っていたのはクラスのリア充がよくしているネオウルフと呼ばれる髪型だった。少しボサボサに見えて、でもどこかシュッと整っている。

 

「これが……俺?」

「男の子の髪をいじるのは初めてだから慣れなかったけど……うん。やっぱり、雰囲気変わるね」

「……」

 

 M・A・J・I・K・A、と変な反応が漏れる。今まで、自分のおしゃれにお金をかけたことなんてなかった。恋人が仕事、と言う人のように、恋人はサブカルだったからだ。

 ……けど、なんかちょっとだけカッコ良くなった自分を見て、オシャレをする男の人の気持ちがわかってしまった。

 

「ふふ……自分でセッティングしたのにいうのもなんだけど、似合ってるよ」

「っ、ゃっ……ぇっ……あっ、ありがとう、ございます……」

 

 もう「この人急にどうしたんだろう」と思うこともできなかった。

 その放心状態に近い青葉に、美琴は笑みを浮かべたまま続けて言った。

 

「今日はこの後どうするの?」

「え……あ、えっと……IK○A、いこうかなと……」

「じゃあ、ついて行くね? その手だと大変だと思うし」

「ぁ……は、はい……」

 

 生返事に近い形になってしまったが、頷いてしまった。

 

 ×××

 

 朝食は、いつものように青葉が準備した。しかし、いつもより放心状態であった為、バターを乗せたパンを焼いただけと言うシンプルなもの。

 そのまま、美琴はほとんど介護をしている気分で外出した。実際、介護のようなつもりではいる。彼の手を怪我させてしまったのは自分だし。

 今朝の短い時間で、何となく彼の事が少し分かった気がした。彼は、思ったより完璧じゃない。勝手に、家事もできて高校生で一人暮らしして、バイト出来る程度には成績にも余裕があり、身嗜みにも気を遣っているものだと思っていた。

 しかし、まぁ本当の所は、家事や成績はともかく、自身の身嗜みに関してはまだまだ。整髪料は大学生になってから、と言うように、まったく興味がないわけではないのだろう。

 自分の前では完璧な所しか見せていないが、完璧に見せているだけで完璧ではない。

 その気持ちが、少しだけ分かる。自分もライブで完璧な踊りと歌を披露しているが、常日頃からそれに近づこうとしているから。

 

「……はっ、俺は一体、何を……⁉︎」

「あ、戻った」

 

 正気に戻ったようで、いきなり声を上げた。しかし、既にタクシーの中である。

 

「えっ、た、タクシー? なんでー……?」

「覚えてない? 一緒にIK○Aに行くって言ってた話」

「一緒にって……誰と誰が?」

「私と、一宮くん」

「なんで⁉︎」

「ついて行くって言ったら『はい』って言ってたよ?」

「えっ⁉︎」

 

 嘘ではない。正気ではなかったとはいえ。

 

「そ、そんな俺がそんな有り得ないそんな……!」

「そんなって言い過ぎだよ。……まぁ、もう来ちゃったから。諦めてね」

「い、いや諦めるって……仮にも、一ファ……むぎゅっ!」

「……ファンって言葉を使っちゃうと、アイドルがお忍びでファンと買い物に来てる事、バレちゃうよ?」

 

 こそっと耳打ちするように言う。理由は分からないが、耳元で囁くと彼はやたらと顔を赤くする。もしかしたら、たまに聞く「耳が弱い」という奴なのかもしれない。

 またフラフラし始める。まだ記憶は消える前だろうか? 何にしても、今のうちに確認をとっておきたい。

 耳元で、再び囁いた。

 

「ちなみに……一宮くんは、ファンとしての矜持のために、一緒にわざわざ付き添ったアイドルを家に追い返すような事、する子なのかな?」

「っ、ぃ、ぃぇ……」

「じゃあ、今日は1日、一宮くんに付き合っても良い?」

「ど、どうぞ……」

「決まり」

 

 よし、と大人ながらに汚く約束を取り付けさせ、そのままタクシーの中で到着を待った。

 

 ×××

 

 さて、なんやかんやで目的地に到着。二人でIK○Aの中に入り、中を見て回る……のだが、青葉はやたらと緊張してしまっていた。

 冷静に考えると、やはり現状はデート中の男女……それも、自分が美琴に髪型と私服のコーディネートを受け、その美琴もサングラスと帽子を装備している事もあって、完全にアイドルのお忍びデートだ。

 

「……」

 

 いや、どちらかというとアイドルやってる姉と弟、と言った方がしっくり来るかもしれないが……とにかく、緊張していた。

 そんな緊張は完全に美琴には伝わっていない様子で、辺りをキョロキョロと見回しながら呟いた。

 

「インテリアショップか……久しぶりだな。来るの」

「っ、そ、そうなんですか……?」

「うん。あんまり家具とか買わないし」

 

 思い返してみれば、部屋に家具は少なかった。フライパンも重たくて初心者に扱いにくい鉄製だし、本当にここに来ることはなかったのだろう。

 

「み、美琴さんは……インテリアとか、興味無いんですか……?」

「うん。あんま家にいる事ないし」

 

 それは逆に「なんで今日に限ってうちに来たんだろう」という疑問を産ませたが、まぁ今は置いといて話を進める。

 

「でも……せっかく良い部屋なのに……観葉植物とか置いてみたりは?」

「うーん……お世話するの面倒だから」

 

 そういえば、家にあんまりいないんだっけ、と思い出す。

 

「家だとトレーニングも激しく出来ないし、プロデューサーに『休め!』って言われないと休まないから……」

「……それ、大丈夫なんですか?」

「何が?」

「あんまり頑張り過ぎても、身体壊しちゃうんじゃ……」

「……一宮くんに言われてもなぁ……」

「うぐっ……」

 

 それはその通りだろう。手首を壊してしまったのだから。

 

「べ、別に無理をしたつもりは……」

「自覚がない方が良くないんじゃない? こういうのの場合」

「うぐっ……」

 

 割と口では歯が立たなかった。少しだけ凹んでしまった青葉に、ちょっとだけ思うところがあったのか、クスッと微笑んだ。

 

「それに、私は大丈夫。……いつも、何処かの誰かさんが美味しいもの、食べさせてくれるから」

「っ……〜〜〜っっ!」

 

 嬉しさのあまり、また頬が赤く染まってしまう。本当にこんな感じでたまに褒めてくれるから、今後も頑張ろうと思えてしまう。

 やはり、料理は今後も作るしかない。怪我してるとか関係ない。いや、あるけど、ここで便利なものを購入してしまえば、その心配もなくなる。

 

「よし、掘り出し物、掘り出すぞ!」

「う、うん?」

 

 そう気合を入れながら、ようやく調理器具が売っている場所に到着した。

 こうして見て回っていると、やはりこのお店の商品は面白い。発想力もさる事ながら、何より実際にそれが置いてあった時のシチュエーションを想像出来るくらいシンプルだ。

 料理下手でも、簡単に素早く微塵切りが出来るものや、ハンドルを回すだけで皮剥きができるものなど、様々である。

 まぁ、青葉にはどれも必要ないものだが。意外と腱鞘炎も馬鹿にできない症状で、ハンドルを回すのも何回もやっていると悪化しかねない。

 ……というか、今更ながら思った。腱鞘炎で料理とか基本、無理じゃない? と。

 いや、ダメだ。諦めては。まだ何かあるはず……。

 

「そ、そういえば、美琴さんは料理とか全く出来ないんですか?」

 

 なんか考えるのが怖くなって、誤魔化すように聞いてしまった。後になってから「あれ、これ出来るって答えられたら俺は尚更何のために料理を……」となって焦ったが、そんなの関係ない美琴は答える。

 

「ん? んー……まぁ、出来なくはないよ?」

「えっ……」

 

 ヒヤッとした……が、すぐにホッとすることを言ってくれる。

 

「でも、自分で作るより食べに行ったりとかした方が美味しいし……そもそも、作ったり食べに行ってる時間が勿体無いし」

 

 どこまで切り詰めた生活をしているのか……と思ったが、よくよく思い返してみれば、自分が料理している間、美琴は雑誌をよく読んでいる。あれもおそらく、以前まで自分とユニットを組んでいた子達の情報収集だろう。

 ライバルとしてなのか、それとも単純に気にかけているのかは分からないが、きれいに時間を有効利用されている。

 そんなことよりも、だ。それはつまり……。

 

「俺の料理は……お店より美味しい、って事ですか……?」

「うん。ファミレスとかコンビニよりも全然」

「……」

 

 それは褒めているつもりなのだろうか? 冷凍レトルトレンチンと比べられても……と、落胆しかけたが、とりあえず褒め言葉として受け取っておく。何にしても、ゼリーやカロリーメ○トと比べれば食事の速度は落ちるわけだが、それでも自分に料理させてくれていると言うことは「速度を落としてでも食べたくなる味」というふうに捉えた方が賢明だ。

 

「人生、ポジティブに生きないとなぁ……」

「一宮くん、たまに関係ないこと漏らすのは何なの?」

「あ、す、すみません……」

「いやいいけど。……それで、何か良いのあった?」

「あ、いえ……」

 

 面白いものはあったが、今使えそうなものは、今のところ見当たらない。もう少し力を使わないで使えるものあれば……と、思っていると、美琴が顎に手を当てたまま聞いて来た。

 

「……どんなのが欲しいの?」

「え?」

「こう……必要最低限のものとか。料理する過程で」

 

 言われて、顎に手を当てる。そういえば、考えていなかった。パッと思いつく感じで必要なものを上げていく。

 

「長ネギを刻む奴……ですね。味噌汁とかソーメンとか、片手で作れる料理に使えますから。あとは、お刺身切れる奴とか。いやあればですけど……あとは、というかボタン一個で食品を角切りにできるモノがあれば……」

「流石にないんじゃないかな……」

「ですよね……」

 

 やはり、必然的に無理という判断が出てしまった。

 

「ま、まぁでも大丈夫ですよ。俺も、料理上手なんで。あ、あとあれだ。揚げ物関係の何かがあれば……アジとかキノコとかの天ぷらなら、包丁なくても作れるし……」

「揚げ物……分かった。じゃあ、探して来るね」

「え、あ、はい」

 

 そう言うと、美琴は別行動を始めてしまう。いや、別に全然寂しくなんかない。寂しくなんかないけど、ちょっとだけ残念に思えてしまった。

 まぁ、でも効率的ではあるし、その方が気も楽だ。何せ、他の人にバレる心配はないから。

 なので、ホッとしながら自分も買うものを探し始めた時だ。

 

「あれ、アオちゃん〜?」

「ワホギャホバホ⁉︎」

 

 聞き馴染みのある声が聞こえ、背筋が伸びてしまった。恐る恐る振り返ると、そこにいたのは七草はづき。

 

「あ、は、はっちゃん⁉︎ なんでここに……!」

「作り置きに使うタッパー買いに来たんだけどー……なんでそんなに驚いてるの?」

「え? あ、あー……いや、まぁ……」

 

 ……言い訳を考えると……やはり、料理器具を買いにきた、と言うべきだろう。事実だし。驚いている本当の理由は美琴と一緒なのがバレたかと思いそうだったからだが、それは言わない方が良い。

 

「そ、その……調理器具を買いに」

「ん?」

「違うんです聞いてください!」

 

 目の下の影が濃くなったので、慌てて敬語で弁解した。

 

「はっちゃんが危ないからダメだって言うなら、危なくない調理器具を買えば良いかなと思って……」

「むー……まぁ、そういうことならー……いや、フライパン使っちゃ結局、手首に負担かかるよ?」

「鍋使うんです! 揚げ物の時とか!」

「ふぅ〜ん……アオちゃんがちゃんと自分の身体のことも考えてるなら良いけどー……」

「俺だってバカじゃないから。ちゃんと、考えてるから」

 

 ふんすっ、と胸を張ると、はづきは笑顔で「はいはい」と流す。実際、成績はそこそこ良いのだからバカではない。日常生活に生かされているかは疑問だが。

 とりあえず、コソコソ料理するハメにならなかったことにホッとしつつ、続いて聞いてみた。

 

「一人で買い物?」

「ううん。あとにちかも一緒だよー」

「げっ……あいつもいんのかよ……」

 

 厄介なことになりそうな気がした。というか、普通に危険だ。美琴とにちか、そしてはづきが同じ空間にいるのはどう考えても危険だ。

 

「で、どんなの探してるのー?」

「揚げ物関係。天ぷらとかなら、包丁使わなくてもいけるでしょ」

「あー……なるほどねー。……あ、それなら、面白いのがあったよー?」

「え、どれ?」

「こっちおいでー」

 

 言われるがまま、はづきの後をついて行った。

 

 ×××

 

「揚げ物、か……」

 

 美琴は顎に手を当てて、店内を見て回る。正直、料理をしない美琴にとって揚げ物なんて面倒なものはもってのほか。

 従って、どんなものが便利かはイマイチわからない。なので、とりあえず揚げ物関連って書かれているものを見て回っていた。

 そんな中「あっ」と見覚えのある緑色のショートヘアが視界に入った。

 

「にちかちゃん?」

「え? ……ぁっ、み、美琴さん……⁉︎」

「どうしたの? こんな所で……」

「わ、私のセリフですよ! ここに家で出来るトレーニング器具はないと思いますよ?」

「そうなんだ……それは残念」

 

 あったら良いな、とは思っていたので、ちょっとだけショックだった。まぁ別にそれが目的ではなかったので別に構わないが。

 

「私はお姉ちゃんの買い物の付き添いです。……うち、ご飯は作り置きが多いので、そのタッパーとか。……まぁ、幼馴染がたまに晩ご飯、お裾分けとかしに来てくれるんですけど」

「へぇ〜……」

 

 もしかして、この前の腱鞘炎の子だろうか? 最近、高校生の間では料理と腱鞘炎が流行っているのかもしれない。

 

「にちかちゃんは料理とかしないの?」

「え、わ、私もしなくはないですけど……でも、幼馴染のアホタレがやたらと上手で……男の癖に……ちょっと、やる気失せました」

 

 訂正、高校生ではなく男子高校生の間だけのようだ。

 そんな中、おそらくトレーニング器具を本気で買いに来たと思われたのだろう。その後「しめた!」と言わんばかりににちかは目をキラキラと輝かせて言った。

 

「そ、そうだ。美琴さん! 私と一緒に回りませんか? 良かったら、おすすめの家具とか紹介しますよ!」

 

 家具には興味なく、揚げ物で使うものを見に来た……のけど、まぁ見て回るくらい良いだろう。

 

「分かった。その前に、私も見るものがあるから、とりあえずそれを見てからでも良い?」

「も、勿論です! ……え、ですから筋トレ用品はありませんよ?」

「分かってるよ。揚げ物の調理器具欲しいなって」

「揚げ物……そういえば、美琴さん料理も得意でしたもんね!」

「え? ……あーうん」

 

 そうだった。普段、持って行っていたお弁当、全部自分が作ってることにしてるんだった。

 思い出したので、とりあえず話を合わせておく。

 

「まぁね」

「じ、じゃあ……先にそっちから見ましょう!」

「うん」

 

 話しながら、元々探す予定だったものを探しに行った。

 歩き回りつつ、そういえば、と思った美琴がにちかに聞いた。

 

「はづきさんは一緒じゃないの?」

「あ、はい。別で買うもの探してます。私は私で欲しいものがあったりするので」

「どんなの?」

「え、えーっと……小物を作る小道具に使えそうなものとか、ですかね?」

 

 そういえばグッズを作れるんだっけ、と今更になって思い出す。教わる、と約束をしている事も思い出した。

 

「そっか。じゃあ、そっちも私一緒に見ようかな」

「ぜ、是非お願いします!」

 

 グッズ作り……正直、面倒臭そうだし興味もないが、お世話になっている青葉のためだ。頑張るしかない。

 ま、それより先に今は青葉に料理を作ってもらうためのグッズだ。ちょうどその場所に到着したので、見て回ることにした。

 ふと目に入ったのは、おたまだった。しかし、底が網状になっている。

 

「ねぇ、これ何に使うの?」

「ん? それは……え、えーっと……あ、お姉ちゃんが似たような奴使ってました。多分、揚げた揚げ物の油を切るためのものだと思います」

「へぇ〜……油切らないとダメなんだ」

「へ? そ、それはまぁ洗い物大変になると思いますし……え、ていうか、美琴さんは切らないんですか? いつも」

 

 しまった、と美琴は内心でドキッと胸を高鳴らせる。料理の味と知識が比例していないのは致命的だ。

 

「あ、ああ……お母さんがやってたのってそういう意味だったんだ……いや、私もやってたけど、あまり興味なかったから真似だけしてた」

「あ、な、なるほど! 分かります、私も意味はよく分からないけど数学とか勉強してますからねー」

「ふふ……面白いこと言うね」

「えっ、そ、そうですかっ?」

 

 言い得て妙、なんて笑顔で思いながらも……今はこれがプレゼントに適しているかどうかだ。

 

「こういうの……みんな持ってるのかな?」

「さぁ……お姉ちゃんは持ってるので何とも……」

「……」

 

 持ってて当たり前……いや、判断を急ぐ必要はない。だって別に美琴が買うわけでもないから。後から彼に教えてあげれば良い。

 そう思いながら、もう少し見て回っている時だった。ふと顔を向けると、青葉の姿が視界に入った。

 

 



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割と人間は盲目的。

 感動した。まさか、こんなに便利なものがあるとは。なんて、青葉は感激していた。

 目の前にあるのは、ゴムの花の形をした半透明のもの。それを使えば、小皿の蓋にすることができる。ゴム製だから、それなりに伸縮自在なのだ。

 従って、漬物とかの取り置きに便利だ。……まぁ、一人暮らしの青葉にはあまり関係ないが。それでも、隣のはづきには大いに関係あるものだろう。

 

「はっちゃん、これ良いんじゃない?」

「そうだねー。これなら少なくとも、小さいタッパーはいちいち買う事ないかもねー」

「こういう珍しいもの買ったら、下の子達は興味持ってお手伝いもしてくれるようになるかもだし、買っちゃえば?」

「でもー……うち家族多いから、このサイズ程度だとあんまり意味ないかなー」

「あー……そっかぁ」

 

 そうだ、少量ずつ盛るおかずでも、そのお椀の数が増えれば結局多くなる。そしておかずを取り分ける際、やはり大きなタッパーに入れておいて、そこから小分けしていくだろう。

 そうなると、蓋の出番はあまりないかもしれない。

 

「じゃあ、いらないのかもなぁ……」

 

 なんて少し残念そうに呟きながら、何となく身体を捻っているときだ。ふと視界に入ったのは、こちらを見ている美琴だった。

 

「!」

 

 マズイ、とすぐに青葉は冷や汗をかく。見られたか? はづきが。だとしたら非常にマズイ。いや、はづきを見られる分には構わない。

 しかし、はづきが美琴に気付く可能性が高いことがかなりマズイ。冷や汗をかきながら、慌てて対処しなければならない……が、二人できた相手に目が合ったのに何もしないわけにはいかない。

 とりあえず、はづきに声を掛けることにした。

 

「ごめん、はっちゃん」

「んー?」

「俺、ちょっと知り合いと一緒に来てるから、挨拶だけしてくる」

「そうだったんだー。じゃあ、ここで別れる?」

「え、いやいいよ。ちょうど別で探すもの探そうって話だったから。けど、今目があっちゃったから、挨拶くらいしたほうが良いかなって」

「まぁ、任せるよー」

 

 ポケモントレーナーが「目と目があったら戦闘開始」と言うように、知り合い同士も目と目があったら挨拶した方が良い気がする。

 そう決めると、もう一度挨拶だけしようと目を向けた……が、もうそこに美琴の姿は無かった。

 

「あれ……」

 

 いなくなっちゃっていた。まぁ、いないものは仕方ない。

 とりあえず、後回しにしてはづきと一緒に店内を見て回ることにした。

 

「ごめん、いなくなっちゃった」

「そっかー。じゃあ、もう少し一緒に見て回ろうねー」

 

 話しながら、二人で調理グッズを探す。はづきはそれなりの大きさのタッパーを手に取った。

 

「うん……やっぱり、これかなー」

「いつも使ってる奴?」

「そー。安くて長持ちするからねー」

「俺も一つ買おうかな……」

「? アオちゃんも使うことあるのー?」

「あー……」

 

 言えない。もしかしたら家をあけることがあった時、お隣さんのアイドルにタッパーを渡すハメになるかもしれない、なんて口が裂けても。

 この関係がいつまで続くか知らないが、夏休みに入れば林間学校がある。二泊三日で、外に泊まりで旅行。その時に使えるかもしれない。

 

「うん。たまにお隣とかにカレーのお裾分けとかするから」

「ふふ、ホントご近所と仲良くできるんだねー」

「ギスっても良い事ないから。こっちは高校生のガキ一人だし、何かあった時に助け合い出来るようにしときたいから」

 

 それは正直、嘘である。残念ながら、ご近所トラブル的な意味では、自分が美琴に助けられる事はほぼ無いだろう。タッパー購入の都合が良い言い訳を並べてみたに過ぎない。

 

「ふふ、しっかりしてるねー。にちかにも見習って欲しいなー」

「まったくだよ」

「宿題の件は写させたアオちゃんも悪いからね?」

「う、うん……だから顔の影濃くするのやめて……」

 

 怒ると本当に怖いのだ。この幼馴染の姉は。……いや、というか幼馴染はこの姉だってそうか、と思い直す。昔からの付き合いだ。

 

「じゃ、次はアオちゃんの探し物だねー」

「いや、俺のはいいよ。特定の何かがあるわけでもないし、一緒に探しに来てる人いるし。……はっちゃんも、買い物早めに切り上げて、たまの休みくらいゆっくりしたいでしょ?」

「そっかー……じゃあ、ごめんね。ありがとう、一緒に見て回ってくれて」

 

 それだけ話して、別れた。お互いに真逆の方向へ歩き出し、なんか別の道を行くライバルのようだなーなんて思いながら、顔を上げた時だ。

 視界に入ったのは、商品棚を眺めている美琴の姿。横に誰かいるが、美琴の影になって見えないが、まぁたまたま知らない人と一緒に同じ商品を見ているだと思うのでスルー。

 それより……もし美琴がこちらを見て、自分だけでなく後ろのはづきにも気付いてしまったら……。

 はづきと美琴は同じ職場。283という芸能事務所なのだから。知り合いに会えば、挨拶の一つくらいするだろう。そして、そうなればはづきに自分と美琴が知り合いということがバレる。

 もしバレれば、さらにそこからにちかへ……。

 すぐに青葉はその場で旋回し、はづきの後を追って片腕にしがみついた。

 

「っ、あ、アオちゃんー? どうしたの?」

「や、やっぱりもう少し一緒に回りたいなって。こんな機会、中々ないし!」

「ふふ……もう、ホント甘えん坊なんだからー」

「にちかよりマシでしょ」

「はいはいー」

 

 そのまま二人揃って回り始めた。

 

 ×××

 

 にちかは、幸せだった。まさか、偶然出会った憧れの人と一緒に、I○EAデートできるなんて。

 正直、嬉しいの一言に尽きる。これも運命なのかもしれない。自分と美琴は、切っても切れない縁の中にある……そう強く確信してしまう程度には、幸福の渦の中にいた。

 なので、気が付かなかった。時折、美琴が何かに気付いたかのように方向転換している事に。

 

「にちかちゃん、そういえば私……ちょっと、しゃもじ見たい」

「しゃもじ⁉︎ なんでそんなピンポイントなものを……⁉︎」

 

 なんか言い訳臭く見たいものを提案しているのも気の所為なのだろう、と少し曇りメガネのままついて歩く。

 本当にしゃもじを置いてある場所に到着し、眺め始めた。

 

「さすがに、しゃもじに工夫も何もなさそうだね」

「はい。カラフルではありますけど……わっ、見て下さいよ。青のしゃもじとかあるんですねー」

「うん……やっばり、しゃもじは白が良いかな」

「そうですね。しかも、白って普通に炊飯器とセットですし、ぶっちゃけ何売ったんだここ? って感じですよねー!」

「あ、黄色もアリかも……」

「で、ですよね! 何も白だけが正解ではないですからねー!」

 

 慌てて肯定した。なんで自分はいちいち、一言多いのか、と焦りながらも笑顔で受け答えする。

 そんなにちかが少し焦りながらも会話する中、何一つ気付いている様子のない美琴は「あっ」と声を漏らした。

 手に取ったのは、持つ所がやたらと太いしゃもじだ。

 

「すごいね。これ……取手がスタンドになってて、机の上に立つんだ……」

「へぇ〜……自立するしゃもじってことですか? それは面白いですね」

「買っちゃう? これ」

「えっ⁉︎ いや、流石にしゃもじだけ買ってもうちにあるし使わなさそうな感じは……」

「そっか……残念だな。せっかくお揃いにできると思ったんだけど……」

「と思ったけど、家で歌の練習する時、マイクの代わりになるので買っちゃいましょう!」

「マイクの、代わり?」

 

 思い付きで肯定してみたものの、我ながら意味不明だ。そんなアイドルごっこする子供みたいな真似、遅くとも小学生で卒業しなければならないだろうに……。

 恥ずかしくなってなんて言い訳しようか考え始めている時だ。目の前の美琴が、しゃもじを握って口元に運び、控えめに「あー」と声を漏らす。

 

「ふふ……確かに、マイクっぽいかも。面白いね、にちかちゃん」

「っ、い、いえいえ! ……え、今面白かったですか私⁉︎」

「じゃあ、二人で買って、これで自主練しよっか」

「は、はい!」

 

 なんかよく分からないけど、褒められた上に各々で同じ特殊な自主練を約束してしまった。

 小学生の時、星○飛行でランカちゃんごっこをしてた時、マイクの代わりにしゃもじを握らせてくれたバカ幼馴染に感謝である。

 さて、そのしゃもじもカゴに入れて、さらに見て回り始めた……その時だった。自分の肩に、美琴が手を回す。

 

「にちかちゃん、お手洗い行きたいな」

「あ、は、はい! 行きましょう!」

 

 また急に行き先が変わった気がしたが、気にせずににちかは後に続いた。

 近くのトイレまできた。さて、ここで問題がひとつ。カゴをどうするか、だ。トイレの中に持ち込むわけにはいかない……かと言って、トイレの外に放置も良くない。別に買ったわけでもないので盗られても大きな支障はないが、一々、取りに戻る必要がある。

 そのため、別にそもそもトイレに行きたかったわけでもないにちかは、見張り役を買って出ることにした。

 

「美琴さん、私ここで待ってますので、先に行ってきてください!」

「ありがとう」

 

 にこりと微笑んで、傍にカゴを置いてトイレに入っていった。

 さて、しばらく待機。ちょうど良いリラクゼーションタイムである。ちょっと心臓がもたない。

 ……少し前まで、幼馴染と一緒に追いかけていたアイドルと、今ではこんなに近い距離で買い物デートしてるなんて……と、未だに信じられない心地でいた。

 ハッキリ言って幸せだ。だが、それを強く感じるほど、その幼馴染へ申し訳なさが強く出て来てしまう。

 自分だけ良い思いしているようで、なんだか悪い。本当なら紹介してあげたいが、青葉のことだ。どうせ「ファンにユニットメンバー紹介するとかバカなの? 死ぬの?」と怒られる。

 何より、そもそもユニットメンバーになってしまったことさえ、可能な限り隠さないと消されてしまうのだ。いつかは打ち明けるにしても、タイミングを測らねばならない。……なんだかんだ、悪い奴ではないので嫌われたくないし……。

 そう思っている時だった。

 

「あれ、にちかじゃん」

「キラッ⁉︎」

「え、なんで急にランカちゃん?」

「えっ……な、なんであんたここに……⁉︎」

「にちかー、こんな所で何サボってるのー?」

「お、お姉ちゃんも⁉︎」

 

 今、一番会っちゃいけないアホタレと出会してしまった。姉はともかく、なんで青葉がここにいるのか。

 

「買い物だよ。手がこんなんなっちゃったから、まともに料理も出来ないし」

「あー、お姉ちゃんに怒られたのに料理まだする気なんだー。いっけないんだー?」

「残念でしたー。もう許可もらってまーす」

「ちぇーっ」

「アオちゃん、お手洗い良いの?」

「あ、そ、そうだった。待ってて」

 

 言われるがまま、青葉ははづきの代わりに持っていたカゴを置いて、トイレに引っ込んだ。

 にちかの隣で待機するはづき。姉妹揃って荷物番である。

 

「お姉ちゃん、なんで青葉いるの?」

「さっき言ってたでしょー?」

「いやそうじゃなくて……マズイって。美琴さんもここにいるし、もし鉢合わせしたら……!」

「え、み、美琴さんもいるのー?」

 

 流石にはづきもマズイと理解する。単純に、あの緋田美琴と青葉が出会うだけでも問題だ。おそらく青葉は、興奮のあまり絶叫して絶命するかもしれない。

 

「その美琴さんは、今どこなのー?」

 

 聞かれたにちかは、無言でトイレを指差した。つまり、にちかはサボりではなく、美琴の付き添いでトイレの前に来ている。

 

「にちか、私の荷物見ててー」

「あ、うん。お姉ちゃんは?」

「中に入るー。美琴さんの足止めするから、アオちゃんが出てきたらにちかが連れ出してくれるー?」

「えー……せっかく美琴さんとデートだったのに……」

「そのカゴの中のしゃもじ買ってあげるからー」

「っ……し、仕方ないなぁ」

「ていうかなんでしゃもじー?」

「し、しゃもじじゃなくてマイク!」

 

 なんのこっちゃ? みたいな顔をされるが、自分と美琴だけの秘密である。

 

「じゃ、よろしくねー」

「うん」

 

 言われるがまま従うことにした。

 さて、姉も中に入り、一人でしばらくのんびりする。すると、先に出て来たのはやはり青葉だった。

 

「ふぃ〜……あれっ、まだいたんだ。はっちゃんは?」

「うん。トイレ」

「てか、お前誰まってんの?」

「たまたま会った友達」

 

 友達、なんて気やすい呼び方をしてしまって申し訳ないが、それくらいしか思いつかない。

 

「長いな。ウンコとかじゃねえの?」

「殺すよ。というか、自殺したくなるよ」

「え、ドユコト……?」

 

 美琴がいることをバラせない理由、追加である。この男なら自殺とか言いかねない。

 まぁそんな事よりも、だ。今は青葉と店内を見回る必要がある。

 

「ね、青葉。どっか見に行かない?」

「いや、いい」

「は?」

「荷物番してないといけないから」

「……」

 

 仮にも幼馴染でアイドルやっているJKが誘っているというのに……なんなのか、この男は。

 だが、今はそんな場合ではない。グッと堪えて話を進める。

 

「いいから行こうよー。どうせすぐお姉ちゃんも出てくるしー」

「いや、はっちゃん出て来てもにちかの友達は困るでしょ。お腹下してたら、長いこと荷物放置することになっちゃうし」

「いや大丈夫だから。多分、ついでにメイクとかしてるんだと思う」

「てか、すぐ出てくるなら待ってりゃ良いじゃん」

 

 この男、割とごねてくれやがる……と、思わず焦りが顔に出る。そんな中、にちかイヤーがとらえた姉の声。一人で喋るわけがないので、おそらくもう既に美琴と一緒にいるのだろう。

 つまり、少なくとも美琴は個室から出ている。その時点でピンチ……! 

 そう強く判断したにちかは、強引な手に出ることにした。

 

「青葉」

「何?」

 

 直後、正面からハグをした。

 ハグ……それは、二人が思春期の中でも特に思春期だった、中学二年の夏の話。

 二家族で海に行った時、ハンパに知識があった二人は、まだ見ぬ成長期をお互いになじり合った末「じゃあどっちのが成長したか、ハグで確かめようじゃねえか!」と謎の解決策を提案。

 ハグをした結果、水着姿であった事と、確かな柔らかさと硬さを実感し、妙な空気に。

 その場に現れたはづきにちょっと斜め上な勘違いでこっぴどく叱られ「もう二度と間違いは起こさない」と約束し、その場は治った。

 つまり……はづきが現れ、これを見られたら終わりなわけで。

 

「バッ……何して……!」

「じゃあ、早く二人で店内見て回って」

「なんでそこまで……え、俺のこと好きなの?」

「いいから早く!」

 

 とりあえず、見られないためにもその場を移動した。

 ギリギリ、トイレから出て来た大人組を避けるような形で、なんとか見られることなくその場を後にできた。

 

 ×××

 

 さて、それからも、まるで見えない何かと闘うように買い物を続けた四人は、しばらくして七草姉妹が帰宅の時間となり、解散。

 従って、青葉はそろそろ美琴と合流しないといけない……のだが。

 

「連絡先交換してねえじゃんよ……」

 

 普通に失敗した。そもそも、一緒に出かけること自体、想定していなかったし、急な用事は玄関から出てインターホンを押せば伝えられる距離に済んでいるし、必要とすることがなかった。

 というか、自分は全然、自分が欲しい商品について見れていない。いや、それはこの際、後回しだ。まずはせっかく付き合ってくれている人に合流しないと……と、思っていると、ピーンポーンパーンポーン、と店内アナウンスが流れた。

 

『○○市よりお越しの、一宮青葉くん、一宮青葉くん。お姉さんがお待ちです。至急、迷子センターまでお越し下さい』

 

 ……は? と、声音が漏れた。

 

 ×××

 

「ああいう呼び方やめて下さいよ!」

「だって、一番早いかなって」

「恥ずかしさも一番でした!」

 

 と、思わず声を荒立ててしまう。

 現在、迷子センターで合流してから、小腹が空いたので二人でホットドッグを食べている。

 こうしている絵はデート感あるのだが、やはりどこまで行っても歳と身長差的に姉弟に見えてしまうが、それは好都合。

 ……それ故に、迷子センターという手段が使えたのは納得いかないわけだが。

 

「もー……死ぬほど恥ずかしかったんですけど……」

「どうして?」

「……俺が迷子になった、みたいになってたからじゃないですかね?」

「なんで疑問系?」

 

 いや、まぁぶっちゃけ実際、多分周りにとっては「しっかり者の弟とポンコツな姉」に見えたのではないだろうか? まぁ、恥ずかしかったのは「周りの人にめっちゃ注目されたから」なのでどっちでも良いが。

 

「それより……美味しいね。ここのホットドッグ。パンカリカリで……マスタードも濃いし」

「はい。コ○トコのホットドッグもこんな感じですよ」

「コ○トコ?」

「え、知らないんですか? 海外の冷食とか食品とか売ってる大型のお店です。賞味期限超短いけど、50個入りのパンの袋とか売ってますよ」

「50。つまり、それ一袋で」

「50日分の朝食は賄えません。賞味期限短いって言いましたよね?」

 

 というか……その発想、少し納得がいかない。自分が毎朝作ってあげてるのに、結局は楽な方が良いのだろうか? 

 少しむすっとしていると、それに気付いた美琴が不思議そうな表情で聞いてきた。

 

「どうしたの?」

「いえ、別に。……ただ、俺が作った飯より、やっぱりパンのが良いのかなーと思って」

「……」

 

 少し、我ながら面倒臭いことを言った自覚はあった。実際、時間がない時とかはパンだけの方が良い事もあるのだろう。

 しかし……それでも、やはりちょっとだけ納得出来なかったりした。

 すると、美琴は少しだけ目を丸くする。心なしか、ほんのり頬が赤い。やがて、何を思ったのか、その驚いている表情のまま聞いてきた。

 

「君……もしかして、よく『可愛い』って言われない?」

「言われないですよ!」

「……ほんとに?」

「ほんとに! てか、男が言われるセリフじゃないでしょそれ!」

「……まぁね」

「……え、てかそれ……俺が今、可愛かったってことですか?」

「うん」

「……や、やめて下さいよ……別に嬉しくないですし」

「わ、嬉しそう」

「嬉しくないですってば!」

 

 正直、可愛いという言葉自体は嬉しくない。美琴に褒められたことが嬉しいだけだ。

 

「まぁ、照れないで」

「照れさせた人が何言ってるんですか……はぁ、とりあえず、食べ終わったら買い物、再開しましょう。まだ何も進んでませんし……」

「それなら、いくつかメモしておいたよ」

「へ?」

「いや、元々そういう予定だったでしょ」

「……」

 

 そういえばその通りだ。完全に忘れていたが。

 

「え……でも、美琴さんが覚えてて下さったんですか?」

「え……失礼の極み?」

「あ、いえそういうつもりじゃ……」

「一宮くんは忘れてたの?」

「え……あ、あー……は、はい……」

 

 恥ずかしい……と、頬を赤らめて俯く。自分のものを買いに来たのに、自分はそれを忘れてにちかやはづきと楽しんでしまっていた。

 

「くすっ……一宮くんも、そういうとこあるんだね」

「わ、笑わないで下さいよ……!」

「ううん。ただ、私も忘れずに買い物は出来るからね」

 

 なんか含みがある言い方だったが、とりあえず間違ったことは言われていないので、笑顔で受け流した。

 

「じゃあ、どんなのがあったのか、聞いても良いですか?」

「うん。感謝して聞いてね」

「あ、あはは……」

 

 苦笑いを浮かべてしまった。

 さて、一つ目のプレゼンが始まる。

 

「最初に見つけたのは、底が編み状になってるおたまかな」

「ああ……油切るためとかですか?」

「すごい……すぐ分かるんだ」

「分かりますよ。……うちだと、チラシの上に菜箸で移して使ってますね」

「……そんなので代用になるの?」

「なりますよ。鍋とかに溜まった古くなった油を片付けるのもチラシとかで拭き取れます」

「ふーん……そうなんだ」

「でも……俺、今片腕使えないですし……揚げ物には確かに使えるかも……」

 

 片手に紙を用意し、片手に菜箸を握って食べ物を乗せるのは腱鞘炎では無理だが、おたまで掬うのならいける。

 アリだ。買ってしまおうか。まぁ、実物を見てみないと何とも言えないが……まぁ、見てみるしかない。

 

「それ、後で見に行きましょう」

「うん」

「他に何かあります?」

「勿論。……あとはね……」

 

 と、いろいろ話を聞いて、買いものを早めに片付けた。

 

 ×××

 

 さて、買い物を終えて、いよいよ二人は帰宅。部屋に到着し、二人で青葉の部屋に入る。

 

「ありがとうございます。タクシー代まで出していただいて……」

「気にしないで良いよ。元々、私の為だから」

 

 そう言われても、やはり気にする。まぁ確かに自分だけのためなら、完治するまでの間は料理なんてしないで本当に買い食いで済ませていただろう。

 確かにそう言われると、7〜8割は美琴のため感は否めない。

 

「お礼に、晩御飯ご馳走しますよ。何か食べたいものありませんか?」

「ホント? ……じゃあ、やっぱり揚げ物かな。それこそ、天ぷら蕎麦とか」

「分かりました。暑いですし、冷たいの?」

「うん」

 

 とはいえ、包丁が使えない以上、かき揚げは無理。というか、野菜全般厳しい。

 まぁ野菜に関しては、ミニトマトで誤魔化すとして、問題は天ぷらの中身である。アジ、舞茸は確定として、他にもう一種類欲しい……。

 なんて思いながら、とりあえず食材の確認をする。晩飯にはまだ早い。

 

「うーん……ししとうとかなかったかな……」

 

 そんな呟きをしながら、青葉は冷蔵庫の中を漁りつつ、チラリと美琴を見る。今日は本当にお世話になった。荷物も持ってもらってしまっていたし、今日は助けられた日、という感覚がすごい。とてもお世話になってしまった。

 ちょっとだけ不思議だったりする。美琴がここまで自分に世話を焼いてくれるのは珍しい。急にどうしたのだろうか? 

 

「一宮くん」

「なんですか?」

「何か手伝おうか?」

「え、いやいいです」

 

 断ってしまったが、やはりちょっとやたらと気に掛けられている。いつもなら「手伝おうか?」なんて言葉は出てこない。

 ……もしかして、腱鞘炎を気にしているのだろうか? なんかそんな気がしてきた。

 

「あの、美琴さん」

「……何?」

 

 あれ、なんか少し不機嫌……なんて思いつつも、構わず続けた。

 

「腱鞘炎は、ホント自滅だと思ってるので、そんな気になさらなくて良いですよ? 美琴さん、普段ならこの時間トレーニングとかしてますし……行ってきてください。俺のことなんてホント気にせず……」

「この時間、一宮くんも普段は掃除してるでしょ?」

「……まぁ、それは」

 

 もしくはバイト。だが、まぁ確かに少なくともこの時間に晩飯の準備をすることなんかないが。

 

「たまには、年上らしい所見せておきたいって思ったから、少しはお手伝いしてるだけだよ。別に私、家事全く出来ないわけじゃないから」

 

 なんか……急に家事出来る、みたいなこと言い出された。そんな中、思わずハッとする。もしかして、この人……「え、家事何も出来ない人に何を……や、はい。お気持ちだけいただきます」というセリフを気にしているのでは……。

 そんな風に思えてしまったので、とりあえず青葉は言ってみることにした。

 

「じゃあ……掃除機だけ適当で良いのでかけてもらっても良いですか?」

「分かった。家事、出来るからよく見てて」

「アッハイ」

 

 そう返しつつも、今後は口に気をつけよう、と思った。そもそも、自分は基本的に口が悪い。それは、にちかの前の自分が素だからだ。

 だから、油断するとつい憎まれ口がぽろっと落ちてしまう。仮にも憧れの人にそれはマズイだろう。

 そう強く決心し、とりあえず「あの小言を気にして家事出来るアピールする美琴」の可愛さにしばらく悶えた。

 

 



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人は無意識に通りたくない道を避ける。

 腱鞘炎の日々はまだ続く中、いよいよ最大の難敵が現れた。……そう、期末試験である。

 問題自体は難しくない。むしろ楽勝だ。どの科目も平均以上は余裕である。だがそれは、解答用紙に先生たちが読める文字を書ければの話だが。

 

「右手むずい……」

「頑張ってー」

 

 青葉の部屋で、にちかに勉強を教えながら利き手じゃない方の手で文字を書く練習も兼ねていた。

 しかし……まぁ書けない。というか、書きにくい。字とかヘビみたいに歪むし、ひらがなや数字じゃないと文字にもならない。

 

「……はぁ、マークシート式になんねーかなー」

「無理でしょ。学校の試験でマークシートって画期的過ぎるよ」

 

 ……それは思った。でもこういう時のために少しは検討してくれると嬉しい。

 

「思ったんだけどさ、学力測るのに文字書く必要なくね。なんで分かってるものを一々、書かせないと気が済まないわけ?」

「や、だからわかってるかどうかをテストするんでしょ?」

「分かってる人にとっては無駄な作業なんだよね」

「何その頭良い人アピール。うざっ」

「いや、俺が普通でにちかがバカなんじゃね?」

「勉強にしか頭の良さが活かされない人に言われたくないでーす」

「は? 俺の賢さは至る所で発揮されてるだろ」

「どの辺?」

「あの辺とか」

「だからどこ」

「やっぱその辺かも」

「自分でもわかってないんじゃん。しょぼー」

 

 なんて話しながらも、とりあえず勉強を進める。こういう時、日頃から割と宿題をこなす程度には勉強してて良かったと思う。これで内容も理解できていなかったら悲惨だ。

 

「……ていうか、どうしても左手で書けないの? テストの日だけなら使っても良いんじゃないの?」

「いやいや、高校に入って五科目が分身の術を使った上に、期末は保健体育もだよ? その上、英語とかスペルの書き損じだと思われたら終わりだし」

「ふーん……」

「治るまで待ってくれりゃ良いのに」

「あとどのくらいで完治?」

「医者には1〜2週間って言われてる」

 

 長い。何とか色々と工夫してフライパンを振るったりすることがないように料理をしてお隣さんに振る舞っている。

 お昼のお弁当までは流石に厳しくて、そこだけ妥協してもらっているのが申し訳なかった。

 ちなみに今日、青葉の部屋で勉強をしているのは、隣の美琴がいないからだったりする。

 

「ふーん……私も腱鞘炎には気をつけよーっと」

「にちかの勉強量じゃ一生ならないから安心しろ」

「いや、勉強じゃなくて」

「バイトのシフト的にもならねーよ」

「ムカつく……」

 

 そもそも、にちかが腱鞘炎になっても、他に家族がいるので家事的には問題ないだろう。

 そんな話をしながら勉強をする中、青葉の右手からペンが落ちた。

 

「あーもう、無理。休憩しよう」

「根性なさすぎじゃない?」

「おやつあるけど食うか?」

「私も休憩にする!」

「はい、根性なし二人目なお前」

「うん。それで良いからお菓子!」

 

 プライドが高いのか皆無なのか分からなかったが、まぁにちかはそういう奴である。

 立ち上がり、棚からポテチ、そして冷蔵庫からコーラを取り出して机の上に並べた。さて、疲れた時には何か摘むのが一番だ。

 それを見て、偉そうに腕を組んだにちかは、おちゃらけたような口調のまま答えた。

 

「良いラインナップ。80点をあげよう」

「残りの20点なんだよ」

「勉強で疲れてるのに、チョコレートがないのってどうなんですかねー?」

「いやコーラあるのにチョコ入れてもどっちかの甘さが消えるだけだろ」

「……」

 

 確かに、という表情になるにちか。採点した側が間違えるケース、中々ない。

 少し焦っているのを必死に隠すように強がった表情を浮かべながらも目を逸らして、ポテチに手を伸ばしながら頷いた。

 

「ま、まぁそれも一つの答えではあるかもね? こういうのは点数をつけるのがナンセンスっていうかね?」

「いや勝手に点数つけたのはお前だろ」

「問題は味だから。いただきまーす」

「市販品に点数をつけようとしちゃうお前の頭は赤点だけどな」

「うるさいんですけどー! 一々、ワンランク上の嫌味を言わないと気が済まないわけ⁉︎ 厨二臭い言い回しして、気持ちと性格が悪い!」

「お前が言うなっつーの! 人の家のおやつ食ってる分際で!」

 

 なんて話しながら、二人でポテチとコーラを摘む。隣に誰かいたら声が響いていてもおかしくなかった。

 そんな中、にちかは小さくため息をつく。……ここだけの話、青葉の部屋に来たのは、何も勉強のためだけではなかった。

 決心したのだ。この前、一緒に買い物した時に思った。やはり、どうせバレる。そして、バレる時に一番最悪なのは、美琴と一緒の所を現行犯で見つかることだ。

 そんなことになるくらいなら、先に話しておいた方が良い。

 

「すぅ……はぁ……」

「何の深呼吸?」

「うるさい」

 

 余計な所に気付く暇があるなら、黙っていて欲しい。珍しく真面目な話をしようとしているのだから。

 

「青葉、ちょっと話したい事が……」

「やっべ、腹痛ぇ。ちょっとトイレ……」

「……いってら」

 

 正直、それはそれで助かる。もう少し心の準備をしたいから。

 そのままトイレに行く青葉を眺めながら、にちかは天井を見上げる。大丈夫、幼馴染とはいえお互いの部屋に普通に入れる仲なのだ。きっと許してくれるはず……。

 そう思っているうちに、トイレを流す音が聞こえてくる。いよいよだ。

 

「ふぃ〜……今朝から出そうで出ないのが続いてやがったからな……」

「女の子の前なんですけどー。仮にもー」

「仮にも女の子が足開いて寝転がってんじゃねーよ」

 

 本当に気が抜けるようなことばかり言う男である。ちょっと決心が揺らぐ。

 だが、言わないと、と胸に手を置く。……や、まぁ今じゃなくて良いと言われれば良いのだが、早い方が良い気もするし。

 そんなにちかの気も知らず、青葉は続けて聞いた。

 

「そういやさぁ、にちか。なんか包丁使わない良い料理ない?」

「えっ……な、なんで?」

「や、そろそろ揚げ物とか蕎麦とかも飽きて来たし、何か良いのないかなって」

「あ、あー……」

 

 仕方ないので、話に乗る。とりあえず、話すのは後にしよう。

 

「お寿司は?」

「作れるか、そんなもん。包丁の次に握って、両手が忙しくなってんだろうが」

「そっか。そもそも手を使えないんだもんね。……え、てかどうやって揚げ物とかしてんの?」

「全部右手で」

「文字書けないのに?」

「や、揚げ物なんて卵割って溶いてその中に食材ぶち込んで出したら衣塗して揚げるだけじゃん」

「溶く時も片手で出来んの?」

「椅子に座ってボウル太腿に挟んでる」

「……きたなっ」

「え、どの辺が?」

 

 いや特に何処がとかはないが、とにかくなんか嫌だった。

 

「でも、意外とそんな簡単に出来るんだ。揚げ物」

「料理って別にそんな極めようとしなければそんな難しいもんじゃねーよ。お前だってやったことあんだろ」

「や、私は家で料理する時、炒め物とかしか作らないから。揚げ物とかめんどくさいしー」

「俺がはっちゃんの妹ならこうはならなかったろうな……」

「そりゃあ、私みたいにはなれないでしょー」

「バカの日本代表かよ」

「はあー⁉︎ 何処が!」

「全体的にだよ!」

「宗教的過ぎるでしょ!」

「抽象的な?」

「わ、わざとだから! 言い間違いだから!」

「それ相反する言葉だぞオイ」

 

 段々、ムカついてきた。というか、そっちが「案が欲しい」と言い出したのに、何故こっちがなじられないといけないのか。

 

「ホント、青葉ってムカつく……年上の女性の前だけ礼儀正しくするとことか本当気持ち悪いし」

「うるせぇ。そもそも勉強教わった上にお菓子まで出してもらってる立場で駄々こねるな」

「別に私からお菓子食べたいって言ったわけじゃないもーん」

 

 そう返しながら、再びポテチを摘んだ。

 いつの間にか、青葉に話すべき事は頭の中から抜け落ちていたが、二人はそのまま勉強を再開した。

 

 ×××

 

 さて、その日の夕方。そろそろにちかも帰宅する時間になったので、軽く伸びをする。

 青葉の左手が使えないので、今日は夕食はご馳走してもらうのはやめておいた。それやったらはづきにバレて怒られる。今のうちに、甘えるのは回避しないといけない。何故なら、夏休みに宿題を半分は写させてもらう予定だから。

 

「じゃ、青葉。またよろしく!」

「たまには自分で勉強しろボケ」

「気が向いたらね!」

「気を向かせろや!」

 

 そんな声を最後に、にちかは玄関を後にした。

 そのまま階段を使って下に向かう。アイドルになって筋力もつけることにしたので、昇り降りは階段で行くことにしているのだ。

 

「……あっ」

 

 そこで、ふと気がつく。結局、アイドルやってる事も、それで美琴とユニットを組んでいることも言い損ねた。

 ……今から引き返そうか? いや、めんどくさい。別に今日しか機会がないわけでもないし、次で良いだろう。

 そう思いながら階段を降りていた時だ。1階と2階の踊り場で、人とぶつかりそうになってしまった。

 

「あ、すみませっ……」

「いえこちらこ……あれ、にちかちゃん?」

「えっ⁉︎」

 

 静かな大人びた綺麗な声音……間違いない。緋田美琴だ。顔を向けると、予想通りの人が笑みを浮かべている。

 

「み、みみっ……美琴しゃん⁉︎」

「ふふ、こんにちは。……もしかして、私に用事あった?」

「あ、いえ。ここに私の幼馴染が住んでて、試験勉強しに……え、ていうか……美琴さん、ここに住まわれてるんですか?」

「うん。……あ、そっか。そもそもまだ住所とか教えてなかったっけ」

 

 この天然感……やはり、この歳上可愛い、なんて思いつつも、衝撃的である。青葉と同じマンションに暮らしているなんて……青葉はこのことを知っている? いや、知っていたらもっと自分に鬱陶しい程のアピールをして来ているだろう。

 一度だけそんなことをされたこともあったが、あれ以来、特にないし「同じマンションにいることは知っていたとしても、一回も顔を合わせたことはない」というのが妥当か。

 言わなかったのは、オタクの矜持だろう。気持ちは分かるので、黙っておく。

 

「ていうか……にちかちゃんの幼馴染もここに住んでるんだ」

「は、はい! まぁ……幼馴染というか、腐れ縁ですけどね」

 

 自分で幼馴染と言ったことも忘れて、薄い胸を張りながらそんな事を返す。

 

「成績良い奴だから、今日も勉強を教わっ……」

 

 そこで、口が止まる。なんか、男に勉強教わるってカッコ悪い気がする。とはいえ、全く教えてる、というのも全く嘘なので……半分だけ嘘にした。

 

「ま、まぁ科目によって教わったり教えたりしていますね」

「へぇ〜……そうなんだ。すごいね」

「は、はい!」

 

 褒められちゃったー♪ と、ほぼ嘘エピで嬉しくなりながら、ふと美琴が手に持っているチラシが目に入る。おそらく、ポストから持ってきたものだろう。

 その中には市内の夏祭りのチラシも入っていた。

 

「わ……懐かしい」

「? 何が?」

「あっ……す、すみませんっ。チラシの中に夏祭りの案内が入っていたので……毎年、行ってるんですよ。私とお姉ちゃんと、その腐れ縁の奴で」

「へぇ〜……仲良しだったんだ」

「いえ、仲良しと言うよりライバルです」

「う、うん……?」

 

 別に良くはない。基本的に喧嘩が多いから。

 

「じゃあ、今年もその子と一緒に行くの?」

「あー……まだ約束はしていませんけど……」

 

 そこで、ハッとする。なんだかんだ楽しい思い出が多かった夏祭り……美琴と行けるなら、もっと楽しいのでは? 

 美琴のファンではあるが、ユニットメンバーでもある自分なら別に行っても問題ないだろう。

 むしろ、青葉もはづきとデート出来て良い気分になっているはずだ。

 

「あ、あああのっ、美琴さん!」

「何?」

「よ、よよっ……良かったら、私と一緒に……行きませんかっ⁉︎」

「え、良いの?」

「は、はい! むしろ、今年はあんなバカより美琴さんと一緒に行きたいです!」

「私は良いけど……その子はにちかちゃんと一緒に行くつもりなんじゃない?」

「だーいじょぶですよっ。お祭りは三日間やりますし、別の日に構ってやればそれで平気ですから!」

 

 というか、なんなら別に行かなくったって良い。毎回、結局どの屋台で遊ぶにしても競い合いになるし、楽しいより疲れるのが上だ。

 

「むしろ、自慢してやりたいんですよねー。私、美琴さんとお祭りデートしちゃったーみたいな? あいつも美琴さんの大ファンなので、絶対に羨ましがると思うんですよね!」

「そうなんだ」

 

 そう呟いた美琴は、顎に手を当ててちょっとだけ考え込む。やがて、何か思いついたのか、人差し指を立てた。

 

「なら、その子も呼んであげたら?」

「えっ⁉︎」

「私も実はお世話になってる人がいるから、その子も誘ってあげたくて。……でも、その子もアイドル二人と一緒だと緊張しちゃうと思うから、もう一人誰か誘ってあげたくて……ダメかな?」

「そ、そういうことなら……」

 

 ……まぁ、自分がついていれば、あのバカタレも美琴の前で舞い上がったりはしないだろう。

 

「分かりました! 楽しそうですね」

「うん。じゃあ、スケジュール確認したら、また連絡するね」

「お願いします!」

 

 それだけ話して、その場はお別れした。

 さて、そのイベントをこなすには、一つだけ必ずクリアしなければならない課題が出来た。

 ……つまり、青葉に自分がアイドルであることと、美琴のユニットメンバーであることを話す必要がある。

 明日、全ては明日。そう気合をこめながら、とりあえず帰宅した。

 

 ×××

 

 にちかが家に帰り、ポテチとペットボトルを片付けた青葉は、軽く部屋を掃除する。潔癖症とかではなく、単純にポテチの食べかすが落ちているかもしれないからだ。

 さて、それらを終えてから、今日の晩飯はどうするか少しだけ考える。にちかの案で「もう、たまには焼肉で良いんじゃないの?」と言われた。

 確かに、焼き肉なら片手で十分ではある。……まぁ、野菜を切る手間があるわけだが。

 だが、その野菜も腱鞘炎になってから、焼肉用にカットしてある野菜セットを買っておいてもらってあるから問題ない。

 

「よし、決めた」

 

 そう決めた時だ。ピンポーン、とインターホンが鳴り響く。応答すると、美琴が立っていた。

 

「あ、こんばんは。早いですね、今日は」

「うん」

「晩御飯、ちょっと待ってて下さいね。今、買い物行ってきますから」

「あれ、どうして?」

「たまには焼肉なんてどうですか? 俺が全部焼きますから」

「あー、うん。良いよ。じゃあ、一緒に食べない?」

「っ、い、いえ! アイドルとファンですので、俺は焼くのに徹します!」

「え……いや、ちょっとそれは申し訳なさすぎるからいいよ」

「し、しかし……ファンとして」

「ていうか、目の前で焼肉食べられて耐えられる?」

「……」

 

 無言の返事が「無理」を示していた。もはや新手の拷問である。

 それを把握した美琴は、にこりと微笑みながらトドメを刺すように告げた。

 

「たまには、一緒に食べよう?」

「はい……」

 

 しょぼんとした返事の割に、嬉しさが隠しきれていなかった。

 さて、ホットプレートを出し、焼肉用のトングを出し、自宅用焼き肉セットを用意すると、美琴の部屋に入った。おまけで、焼きそばも冷蔵庫から取り出しておいた。

 部屋の中に入ると、美琴はお肉を冷凍庫から出していた。意外と協力的で少し驚いてしまう。もしかしたら、焼肉好きなのかもしれない。

 

「じゃ、焼こうか」

「あ、はい」

 

 さて、先に朝の残りの白米だけ二人分、用意してから食事開始。二人揃って菜箸で肉を摘み、温めたプレートの上に乗せた。

 ジュワ〜っと、空腹が増す香りが室内に充満する。

 

「ん〜……美味そう」

「焼肉なんて久しぶりだな……」

「そうなんですか?」

「うん。ずっと、10秒飯とかそんなのばかり食べてたから」

「ダメですよ? ちゃんと、栄養とらないと」

「分かってる。だから、一宮くんには感謝してるんだ。本当に」

「な、なんですか急に……」

 

 そんなこと急に言われたら、嬉しさのあまり核反応を起こして死んでしまう。

 

「実はね、ついさっきこれから私とユニットを組む子とばったり出会したんだ。このマンションに、友達が住んでて一緒に勉強してたらしいんだけどね」

「へぇ……!」

 

 それは興味深い。それと同時に危なかった。自分とにちかがその子と鉢合わせしていたら、おそらく狂喜乱舞している。

 

「その子と毎年、お祭り行ってたらしいんだけど、今年は私と行きたいって誘ってくれて」

「そうなんですか」

「で、よかったら、一宮くんも一緒に来ない?」

「え……なんでそうなるんですか?」

 

 そんなのダメに決まっているだろうに。美琴の隣の部屋に住んでいるだけでも、気がついたら首と胴体が離れている、となってもおかしくないだろうに、その上ユニットの子と三人でお祭りなんて、殺されたって仕方ない。

 

「ダメですよ。俺みたいな行くところまでいってるアイドルオタクと、そのアイドルがみんなでお祭りなんて……」

「うーん……でも、そのユニットの子は毎年友達とお祭り行ってるらしいし、私の所為でそのイベントを無くしちゃうのはそのお友達がかわいそうな気がして……で、その子も私のファンらしいから、誰かもう一人いてくれた方が良いなって」

「……な、なるほど」

 

 分からなくもないが、本当にファンならその子は来ないという判断をするはずだ。

 それならば、ここは許可しておいて、催しがなくなったら「残念だったね」で済ませれば良い。その子が来なければ、この話はご破産なのだから。

 

「わ、分かりました。……あ、焼けましたよ」

「ありがとう」

 

 肉をトングで挟み、美琴のお皿の上に乗せた。

 

「いつですか?」

「二日目の予定だよ」

「了解です」

「はふっ……美味しい。やっぱり久しぶりだな、こういうの」

 

 仕事上の付き合いで焼肉とか行かなかったのだろうか? ……いや、あんまり行かなさそうではあるが。

 

「あ、こっちも焼けましたよ」

「ありがとう」

「あ、玉ねぎとピーマンもオッケーです。野菜もちゃんと食べてくださいね」

「うん」

「あ、そうだ。これうちから持ってきた焼きタレです。使って下さい」

「あ、ありがとう」

 

 机の上に置きっぱなしにしていたそれを差し出すと、また良い塩梅にプレートの上が煙を吹く。

 

「お、こっちも良いですよ」

「うん、待って。一宮くん」

「あ、食べ切れませんか? でしたら、焼きタレに浸した肉をご飯の上に置いて少し放置すると良いですよ。焼きタレが白米に染み込んで美味しくなるので」

「いや違くて。やってみるけど」

 

 ? じゃあなんだろう? と、不思議そうにしていると、すぐに美琴が口を開いた。

 

「一宮くんも食べなよ」

「え? あ、あー……そうですね」

「いつもそんな感じなの?」

「いえ、俺もあんま焼肉行ったことないのでつい……」

「そうなんだ?」

「はい。幼馴染とかとは言ったことありますが……そいつ、超わがままの甘えん坊なんで、俺が代わりに焼いてあげてたりしたんです」

「そっか……じゃあ、今日くらいは私が一宮くんを甘やかしてあげないとね」

「へ?」

 

 どういう意味? と小首を傾げた頃には遅かった。目の前に差し出されたお箸の間には、お肉が摘まれていた。

 

「はい、あーん……」

「……わえ?」

「食べない? お肉」

「っ、え……あ、あーん⁉︎」

「そう、あーん」

 

 遅れて顔が赤くなった。なんでいきなり食べさせ合いっこに⁉︎ と、オーバーヒートしそうになる。

 

「な、なんっ……えっ、い、いくらですか⁉︎」

「いやお金は取らないけど」

「そ、そんな気持ちは嬉しいんですけどやっぱりこんな所でそんな事をするのは普通に気恥ずかしいというか……!」

「こんな所って……私の部屋だけど。汚い?」

「い、いえ汚くなんかないです! 掃除してるの俺ですし、壁も床も天井も舐められるくらい綺麗です!」

「じゃあ、食べて。……それとも」

 

 そこで、敢えて間を作るように黙る美琴。その後、少しだけ上目遣いになり、小首を傾げながら聞いてきた。

 

「私に食べさせてもらうのは、嫌?」

「っ……」

 

 ずるい、ほんとに。そんな事を言われたら、もうオーケーするしかない。うっかり恋に落ちてしまいそうな程に美しい上目遣いで言われたら、もはや反論する気力も湧かない。

 顔を真っ赤にしたまま俯きつつ、無言で控えめに口を開けた。

 

「あーん?」

「あ、あーん……」

 

 微笑まれながら言われ、それに合わせて口を開き、お肉を収めてもらう。美味しい気はするが、味なんて分からない。

 何も察していない美琴は、心なしかいつもよりニコニコした様子で聞いてきた。

 

「どう?」

「っ、お、おいひいです……」

「ふふ、良かった」

「っ……」

 

 この人……もしかしたら天然タラシなのでは? なんて女の子みたいなことを考えながら、青葉は無言で肉を咀嚼した。

 

 ×××

 

 さて、夕食が終わった日の夜。青葉は寝ようと思ってベッドの上で寝転がると、にちかからチェインが来てることに気がついた。

 

 ムキムキにちか『お祭り、今年も行く?』

 

 そうだ、去年まではにちかと行っていたんだ。今年もまぁ付き合うくらい構わない。

 

 ギャリック砲山﨑『良いよ。けど二日目は無理』

 ムキムキにちか『えっ、なんで?』

 

 あれ、何か不味かっただろうか? 

 

 ギャリック砲山﨑『約束しちゃった』

 ムキムキにちか『そっか。じゃあいいや』

 ギャリック砲山﨑『え、他の日なら空いてるけど』

 ムキムキにちか『行きたいの?』

 ギャリック砲山﨑『お前が誘ってきたんだろうが!』

 

 なんでこっちが誘った、みたいになっているのか。思わず「!」をつけてしまった。

 

 ムキムキにちか『ま、行ってあげても良いよ?』

 ギャリック砲山崎『だからなんで上からだよ』

 

 とはいえ……まぁ一緒に回って楽しかった事も多いし、特に断る理由はない。

 

 ギャリック砲山﨑『とりあえず行こうか』

 ムキムキにちか『うん。あ、妹とかも連れて行って良い?』

 ギャリック砲山崎『良いよ』

 ギャリック砲山崎『はっちゃんも来る?』

 ムキムキにちか『多分、無理。仕事』

 ビックバンアタック大澤『りょかい』

 ムキムキにちか『なんで名前変えたの?』

 

 マジかー、とおもったが、まぁ仕方ない。とりあえず、当日は自分がお父さんになったつもりで、にちかを含めた子供達の面倒を見よう、と覚悟を決めた。

 

 ×××

 

「あーあ、マジかー」

 

 そう呟いたのは、当たり前だが時同じくしてチェインをしていたにちか。青葉とのチェインを切って、すぐに美琴に名前を直して連絡をした。

 

 七草にちか『こんばんは。お疲れ様です。にちかです!』

 七草にちか『残念ながら、私の友達無理みたいです。』

 

 送ると、すぐに既読がつき、返事が来た。

 

 緋田美琴『そっか。こっちの子はOKもらったよ』

 

 それはそれで申し訳ない。やっぱりキャンセル、なんて美琴の口から合わせられない。

 

 七草にちか『じゃあ、私はお姉ちゃんを誘ってみますね』

 緋田美琴『なるほど。それは良いアイデアかもね』

 

 褒められた! と、直球で嬉しくて、ベッドの上で脚をパタパタと動かした。

 

 七草にちか『では、私と美琴さんとお姉ちゃんとお知り合いの方の四人ですね!』

 七草にちか『楽しみにしています!』

 緋田美琴『私も』

 緋田美琴『じゃあ、おやすみ』

 七草にちか『おやすみなさい!』

 

 そこでチェインのやりとりは終わった。

 しかし、知り合いの人って誰だろう? もしかして……過去のマネージャーとか? だとしたら、それはそれで楽しみだ。前の事務所の時から美琴のファンではあったので、美琴を支える立場の方にも当然、興味はある。

 今からウキウキしながら、とりあえず試験に備えることにした。

 

 



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頑張った先の報酬は、予想以上のものを。

 期末試験の日。腱鞘炎も治ってきて、普通に右手の練習なんて必要ないんじゃないか、と思った時には遅い。アルファベットくらいなら右手で書けるようになってきたこの頃。

 念には念を入れて重たいものは持たないようにしているが、包丁くらいなら握れるようになってきた。

 従って、久しぶりに手料理を振る舞う相手は決まっていた。

 

「はい、はっちゃん。特製、手巻き寿司弁当!」

「ふふ、ありがとー」

「良いなー、お姉ちゃん」

 

 手料理を食べた早さで言えば、お隣の美琴の方が早かったが、最初に作ったお弁当ははづきへのものだ。

 早起きし、巻き寿司のお弁当を作った。ちゃんと、保冷剤もつけてあるし、保冷バッグに入れたし、昼までなら保つだろう。

 わざわざ早めに家を出て、はづきが家を出る前に、七草家で待ち合わせしたのだ。

 

「病院にも何度か付き添ってくれたから、包丁使えるようになったら、まずはっちゃんに飯作んないとって思ってたんだ」

「そんな、気を使わなくて良いのにー」

「気遣いじゃない、礼儀だよ」

「何カッコつけてんの? キモー」

「うるせーよ」

 

 ちなみに、にちかと青葉は試験の日で午前で終わりなので、弁当無し。本当にはづきのために早起きしたのだ。

 

「じゃあ、アオちゃん。ありがとねー」

「それこっちのセリフ」

「またねー」

 

 はづきと別れ、にちかと二人で学校に向かう。

 さて、そこで青葉はここ最近、にちかの様子がおかしい事に気が付いていた。最近、なんかやたらと何か言いかけてはなんかタイミング悪くて話が逸れてしまう。

 

「あの、青葉……」

「にっちー!」

 

 そんな中、後ろから声がかけられる。にちかのお友達だった。

 

「おはよ」

「おはよう。相変わらず仲良いね、二人」

「は? 全然?」

「じゃ、俺先に行ってんぞ」

「あ、うん」

 

 友達同士の方が良いと思って、気を遣った。まぁ、何度も延期してる話だし、話したいことではあっても急いでいるわけではないのだろう。

 それより、今は今日の期末試験のことだ。教室に着いたら、復習しておきたい。

 

 ×××

 

「終わったー!」

「終わった……」

 

 試験が終わった二人のテンションには差があったが、それは直接、出来に反映しているのは誰の目にも明らかだった。

 

「え、なにお前。出来なかったの? あれだけ人に教わっておいて?」

「……違うし。出来てるか不安な科目が多いだけだし」

「それを出来なかったと言うのでは?」

「う、うるさいな……! そっちはどうなの?」

「出来たよ?」

「優等生アピールうざっ」

「そっちが聞いてきたんだろうが!」

 

 本当に身勝手な物言いである。冗談とは分かっているが、よくポンポンとそういう発言が出て来るものだ。

 

「今日はどうすんの? またどっかで勉強するか?」

「当たり前じゃん。明日も試験あるし」

「俺は別に勉強しなくても良いんだけどな。余裕だし」

「教えてよー」

「今から教わって明日に反映出来んのかよ」

「ヤマカン! 出そうなとこ教えて!」

「……」

 

 どこまでも不真面目な幼馴染である。小学生の頃は、むしろ青葉が不真面目でにちかが真面目な方だったのに。

 そもそも、出そうなとこなんて分からない。なるべく無駄な所に労力をかけたくない青葉は、試験範囲は全部網羅している。

 だが……まぁ、何やら最近、忙しそうなにちかの事だし、手伝うのは構わない。

 

「別に良いけどよ」

「やったー!」

「でも、その前に、だ。最近、なんで忙しそうにしてんのか教えろ」

「あ、あー……」

 

 なんだかんだで、宿題やら課題は結局、青葉のを写していたし、文字が書けなかった時は青葉が解いたものをにちかが2人分、写していた。

 まぁ良いっちゃあ良いのだが、いい加減理由くらい教えて欲しいものだ。

 

「まぁ良いけど……どの道、私も言うつもりだったし」

「あそうなの?」

「うん。実は私……」

「あー待った。勉強すんなら飯も食うだろ。その時で良いか?」

「……良いけど、そんな長い話じゃないよ別に」

「いや、でも大事な話なんだろ?」

 

 このタイミングで言うつもりだった話……まあ十中八九、その話だと予測はしていた。

 

「うん」

「なら、のんびり話せる場所で話した方が良いっしょ」

「……まぁ」

 

 というか、普通に腹が減り過ぎていた。試験期間で半休なので、さっさと飯が食いたい。

 

「サイゼで良いか?」

「えー……もっとオシャレなとこにしてよー」

「いや、オシャレさと金額は比例して上がるから。味はそれに限らないのに」

 

 たまに「え、この味で900円?」ってラーメン屋もある。横浜ラーメンに多いから、割と青葉は新たなラーメン屋に入る時は開拓者の心地になっている。

 

「えー、少しくらい高くても良くない?」

「良くねーよ。……つか、お前は金あんの?」

「あ、あー……」

 

 急に口が止まるにちか。珍しい。こういう時、なんでも言い返してくるのに。

 すると、すぐににちかはにへらっと笑って言った。

 

「実は……この前部屋の中で、二年前に無くしたと思っていたお年玉を見つけまして……」

「え、そんなことあったのお前」

「今のにちかちゃんは、ちょっとだけリッチにちかなのです!」

「相変わらず頭悪い英語の使い方してんな」

「うざっ!」

 

 なんだろう、リッチにちかって。

 

「……ウハウハにちかの方が良いかな」

「知らねーよ。好きにするか自由にするか勝手にするかしとけよ」

「全部一緒じゃんそれ」

「じゃあ、スタバかなんかにするか?」

「や、サイゼでいいや」

「結局かよ!」

 

 なんて話しながら、駅前のサイゼに来た。

 席に案内してもらい、とりあえず勉強の前に飯にすることにした。

 

「俺ペペロンチーノでいいや」

「私、ミラノ!」

「じゃあ頼むぞ」

 

 ボタンを押す。すぐに店員さんがきてくれたので、青葉がメニューを指差しながら注文する。

 

「お待たせいたしました、お伺いいたします」

「ペペロンチーノとミラノで。あと、ドリンクバー……あ、にちかもいるか?」

「いる!」

「二つで」

「畏まりました」

 

 それを終えて、店員さんは店の奥に引っ込む。それを眺めながら、青葉はとりあえずドリンクバーを取りに行くことにする。

 

「青葉、私はアイスティーで!」

「はいはい」

 

 全く、ちゃっかりした奴だ……と、ため息をつきつつも、とりあえず取りに行ってあげることにした。少し前の自分なら「ふざけんな! 自分でいけ!」となっていたところだが……美琴の面倒を見るようになってからだろうか? なんか一々、小さい事では気にしなくなった。

 

「……」

 

 とはいえ、なんか使いっ走りみたいで腹は立つので、何か混ぜてやろうかと考えながら、二人分のコップを用意する。

 ふと辺りを見回すと、やはりというかなんというか、学生が多い。みんな勉強しているのだろう。まぁ自分らもそのつもりで来たのだが。

 ……そうだ。というか、さっきにちかは自分の試験結果に不安を抱いていたけど、青葉の問題用紙を見せれば自己採点出来る。

 

「まぁ、一応俺が見てた時は解けてたし……大丈夫だろ」

 

 中間程度には解けているはずだ。

 そんな風に思いながら、とりあえずにちかの飲み物は紅茶とコーラのミックスにして席に戻った。

 

「お待たせ」

「さんきゅー」

「さっき試験の結果、自信なさげだったけどさ、もしあれなら俺の問題用紙見せようか?」

「なんで?」

「や、自己採点すれば良いかなと思って」

「いや、なんで青葉の問題用紙が必要なわけ?」

「今日の科目超できたからほぼほぼ合ってると思うし」

「だからその優等生アピールうざい」

「優等生なんだから仕方ねーだろ」

「……うざっ」

 

 勉強が出来ればその辺、マウントが取れる。こればっかりはマウントを取られるほど勉強していない方が悪いので、気持ちよく取らせてもらいたいものだ。

 

「ていうか、どっちにしろ無理だし。私、問題用紙に落書き以外何も書いてないし」

「……お前本当に学生?」

「うるさいでーす。もう終わったことは気にしませーん」

「あっそー」

 

 まぁ、確かに自己採点した所で結果が変わるわけではない。

 にちかは呑気に取ってきてもらった飲み物を口に含む。直後、ブフォーッと飲んだものを噴き出され、顔面に掛かった。

 

「ちょっ、きったねーな! 何してんだお前⁉︎」

「げほっ、えほっ……こっちのセリフだから! なんか混ぜたでしょこれ!」

「混ぜてねーよ。コーラティー作ってみただけ」

「混ぜてるじゃん! ……おぇっ、口の中にっ……コーラのぬめりと紅茶のベタベタ感が……」

 

 咳き込みながら、にちかは青葉の飲み物を取り上げ、ズズッと飲む。

 

「あっ、それ俺の!」

「責任とって!」

「お前が紅茶飲みたいって言ったから取ってきたんだろうが!」

「コーラティーなんていうオリジナルブレンドは望んでなかったし!」

「はっ、バカめ! 俺に任せたらそういうことになるに決まってんだろうが!」

「じゃあ次は私が青葉の飲み物取りに行く!」

「誰がこの流れでそんなもんをテメェに頼むか!」

 

 なんで少しずつ騒がしくなっていったが、周りの視線に気づいたにちかが、青葉から奪った飲み物を飲みながら背もたれに寄り掛かる。

 それに伴い、青葉も確かにゲロまずいコーラティーを口に含みながらそっぽを向いた。

 

「おっえ……」

「自分で取ってきたんだから、自分で処理しなよ」

「うるせぇよ……」

 

 まぁ、全く予想できない展開ではなかったので、何も言わずに飲み続けた。というか、これもう一気に流し込んだ方が良い気もする。

 

「にちか。俺がもし吐き出したら、後のことは頼む」

「一気に飲むのは勝手だけど、片付けは絶対にしないから」

「あの……これ、そもそもにちかが俺にとってこさせた……」

「あー、スプライト美味〜」

「……」

 

 やっぱりやめておいた。チビチビ少しずつ減らし、なんかもう話があるとかそんなの気にしている場合ではなくなった。

 

 ×××

 

 さて、食事を終えて、そのまま勉強に入った。本当に青葉はヤマカンっぽそうなポイントを教えさせられ、とにかく面倒を見た。

 で、そろそろ帰宅の時間。帰らないと、お隣さんが帰って来るかもしれない。

 

「そろそろ帰るかぁ」

「ん〜」

 

 伸びをしながらそう言うと、伝票を手に取った。なんだかんだ、長居してしまった。昼から夕方まで。途中でピザを頼んだりしていなかったら追い出されていたかもしれない。

 

「ねぇ、青葉」

「ん?」

「話、あるんだけど」

「……あー。そういやそんなの言ってたっけ」

 

 忘れてた。

 

「何?」

「……なんか話しづらいんですけど」

「いやもういいから早く話してや。帰って寝たい」

「え、勉強するんじゃないの?」

「こんだけすりゃ十分でしょ。あとは家でゲームすれば……まぁ、60点は硬いかな」

 

 残念ながら、80点だの90点だの目指すつもりはない。面倒臭いし。それに、得意な科目なら必要以上にやらなくてもケアレスミスさえしなければ点は取れる。

 

「で? 話って?」

「あ、うん……まぁ、言うの少し恥ずかしいんだけど……」

「馬鹿野郎。保育園のお泊まり会で、揃っておねしょしてクラスから超からかわれただろ。もう恥ずかしがることなんかねーよ」

「いやそんな生まれたての時と比べられても困るんだけど」

「え、生まれたてなのか? 保育園児って……」

「知らないけど」

「や、てかそんなんいいから言えよ」

 

 言われて、にちかは本当に少し気恥ずかしそうに頬を赤らめて、目を逸らす。なんだろう、このにちからしくない女の子っぽい顔。

 ……が、やがてにちかは吐き出すように言った。

 

「実は、私……一ヶ月くらい前から、アイドルになった」

「……は?」

「それで……その、忙しくて……レッスンとかしてて、青葉に宿題とか、うつさせてもらってた」

「あ、あー……そうなんだ。良かったじゃん」

「え?」

 

 ……なんだ? その意外そうな顔、と青葉は眉間に皺を寄せる。

 

「お前、ずっとアイドル志望だったろ。言わなかったけど、ダンスとかスゲー真似してたし、カラオケもたまに行くとガチで歌うし」

「え……わ、分かってたの?」

「え、お前俺のことどんだけバカだと思ってんの?」

 

 ポカンとしているにちかを前にしながら、青葉は立ち上がり、伝票を取った。

 

「ま、それならここは俺が奢ってやる」

「え?」

「オーディションか何かに合格したってことだろ? なら、こいつはそのお祝いだ」

「……カッコつけなくて良いから」

「やっぱ自分で出すか?」

「あーうそうそ! いや絶対揶揄われると思ってたから、つい照れ隠しが……」

「俺をなんだと思ってんの」

 

 なんだかとってもホッとされてしまった。青葉が立ち上がったので、そのままレジの前に移動し、ベルを鳴らす。

 

「でも、美琴さんのファンだから、応援はしないよ」

「余計なこと言わなくて良いから! 分かってるから!」

「お前が美琴さんに並ぶレベルのアイドルになったら、話は別かもだけどな?」

「あ、そのことなんだけど……」

「お待たせいたしました。伝票、お預かり致します」

 

 店員さんが会話を遮って入ってきた。

 

「お会計、2300円でございます」

「2300……あーねえわ。3000円で」

「3000円、お預かり致します。700円のお返しです」

「どうも。ご馳走様でした」

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

 

 挨拶を終えて、お店を出た。伸びをしながら、青葉はくぁっと欠伸をする。

 

「うし、帰るかー」

「あ、待って青葉。その前にもう一……」

 

 と、言いかけたところで電話が青葉にかかって来る。スマホを見ると、緋田美琴の文字。この前のI○EAの一件以来、連絡先を交換しておいたのだ。

 まぁ、電話なら美琴と話してるなんてバレないだろうし、何より美琴からの電話をスルーはできない。応答することにした。

 

「ごめん。電話」

「あ、うん」

「もしもし? み……」

 

 危なかった。いきなり名前を呼ぶところだった。……いや、しかし名前を呼ばないわけにもいかない。

 何かこう……名前じゃなくて、苗字でもなくて……そうだ。はづきと同じような呼び方をすれば良いんだ。つまり、この場合は……。

 

「みっちゃん?」

『もしも……え、今なんて?』

「……な、何でもないです……」

 

 ……我ながら今のは無い。なんて馴れ馴れしい呼び方をしたのか。仮にもファンとアイドルだろうに。

 全力で後悔していると、電話の向こうの美人なお姉さんがとんでもないことを言った。

 

『私は良いよ? みっちゃんでも』

「な、何言ってんですか! 俺が無理です! 死にます!」

『そっか……残念だな。少し嬉しかったんだけど。私の事、あだ名で呼ぶ人は少ないから』

 

 そんな風に言われると、少し申し訳なくなる。なんだかプレゼントをあげ騙ししたみたいで。

 

「せ、せめてまたの機会でお願いします……」

『ふふ、約束ね?』

 

 なんかとんでもない約束をしてしまった気がする……と、少し後悔しながらも、青葉は話を進めた。

 

「それで、急に電話なんてしてどうしたんですか?」

『お腹すいた』

「はい?」

『何時から、帰ってくる?』

「……」

 

 これが、自分とにちかの憧れのアイドルである。お腹すいたからってお隣の年下の男子高校生にご飯の催促……やはり、にちかには言えない。

 とりあえず「頼ってもらえてるんだから良いじゃん!」と、ポジティブに捉えて、話を続けた。

 

「すぐに戻りますよ。今、駅前のサイゼの前なんで」

『分かった』

「何かリクエストとかあります?」

『うーん……暑いし、冷たいものとか?』

「冷やし中華」

『良いね。それで』

「食材あるんですか?」

『きゅうりとトマトと……あと、焼きそば用の麺なら』

「まぁ良いか。じゃあ、それ出しといてください。あと、海苔とハムと卵も帰ったらすぐ作るんで」

『分かった。じゃあ、よろしくね』

「うい」

 

 それだけ話して電話を切った。さて、そうと決まれば帰らないといけない。

 スマホをポケットにしまうと、にちかに声をかけた。

 

「ごめん、にちか。俺、今日はもう帰らないと」

「や、てか今の電話の相手誰? どういう関係?」

「は? ……あー」

 

 そうだった。なんか手料理を振る舞うみたいな話になってしまっているのが、第三者のにちかにも筒抜けだ。

 

「や、まぁそんな気にするほどのことじゃないよ。たまに飯作りに行くってだけ」

「……や、分かんないよ? 私、断片的にしか聞いてなかったし、ホームズじゃないから会話だけで完璧な推論も立てられないけど……なんかいつも作ってる、みたいなベテラン味を感じた」

「気のせい」

「ほんとに?」

「……」

 

 なんでホントこんなとこだけ鋭いのか。逆ギレに近い苛立ちが勝り、とにかくここにいるのはまずい気がした。

 

「とにかく、待ってるから行かないと」

「や、こんな心配されても困るかもだけど、大丈夫なわけ?」

「大丈夫だから。じゃあな」

「あ、ちょっと……!」

 

 逃げるようにその場を後にした。

 

 ×××

 

 さて、早足で帰宅し、青葉は美琴の部屋のインターホンを押す。

 

「すみません、お待たせしました」

「ううん、こっちこそごめんね。急がせちゃったみたいで」

「いえ。すぐ作りますから、美琴さんはトレーニングでもして……」

「みっちゃん」

「え?」

「みっちゃんって呼んで」

「い、嫌ですよ! 恥ずかしいから!」

 

 何を言い出すのかこの人は。

 

「えー、さっきは呼んできたのに?」

「あ、あれは知り合いの前だったから、美琴さんが電話かけて来られた時、知り合いが近くにいたからですよ!」

「あー……名前を伏せるためだったんだ……。でも、良い機会だと思うけどなー」

「何のですか」

「例えば、またこの前のI○EAの時みたいに、出掛ける時に私の名前呼ばない時、みたいな?」

「……いや、まぁそう言われるとそうかもしれませんが」

「じゃあ良くない?」

 

 どんだけあだ名に舞い上がってんだよ、と思っても口にしない。まぁ……タネを蒔いたのは自分だし、どこかで折れた方が良いのかもしれない。

 

「……じ、じゃあせめてファンとして、二人きりの時は美琴さんで良いですか?」

「良いよ」

 

 よっしゃ、かかった、と内心でガッツポーズ。どうせ、美琴といる時なんて二人きりなんだし、ほぼノーリスクである。

 

「ふふ、楽しみだね。明後日のお祭り」

「あ……い、今のなし!」

「ダメ」

 

 やっちまったああああ! と頭を抱えた。バカは自分である。

 

「ふふっ……お祭り、楽しみにしてるね。あと冷やし中華も」

「はいはい……今作りますよー」

 

 しょぼんと肩を落としながら、青葉は料理に移った。

 

 ×××

 

 さて、試験が終わった。お祭りの予定は三日間。前夜祭が平日金曜で、試験の日と被っている日。

 で、今日はその翌日……つまり、みんなで集まる日だ。夕方からお祭りで、青葉は約束の時間までのんびりと待機していた。

 残念ながら、甚平を着るつもりはない。分かっているからだ。男が夏の風物詩に寄り添った格好をしても需要がないことを。

 その為、今は部屋の掃除をしていた。やることが無いと、つい掃除かゲームをしてしまう。

 今は干してある布団をしまう前にパンパンと叩いている時だった。お隣から声を掛けられる。

 

「一宮くん、一宮くん」

「? ……あ、美琴さん」

 

 壁から顔を少しだけ乗り出していた。

 

「どうしました?」

「浴衣の着付けとか出来る?」

「え? ……あ、今日浴衣着てくれるんですか⁉︎」

「うん。今日、一緒のユニットの子と約束したから、午前中に買って来たんだ」

「み、美琴さんの浴衣……た、楽しみです! 絶対、お似合いだと思います!」

「ありがとう」

 

 そのユニットの子ナイス! 同じように推すわ! と強く決めた。こんな幸福なことが起こるなんて、いつか自分は死ぬんじゃないだろうか? いや、死んでたまるか。命を狙われても生き残ってやる、と強く決意し……。

 

「でも、お店の人に教わった浴衣の着方、忘れちゃったんだ。分かるなら、教えて欲しいなって……」

「……」

 

 そうだった、そういう人だった。いや、残念ながら今の自分は落胆することなんかない。何せ、着付けさえしてしまえば、浴衣姿を見れ……ん? 着付け? 

 

「え……てことは……今、その首の下……」

「あ、うん。裸」

「ぶふぉっ!」

 

 思わず吹き出してしまう……と、同時に変な勘繰りしてしまった自分を恥じた。裸と言うより下着姿なのだろうが、どちらにしても同じことだ。

 

「ち、ちょっと! なんて格好でベランダ出てるんですか!」

「大丈夫、周りから見えないように配慮してるし」

「そういう問題ですか⁉︎」

 

 お願いだからそこのとこはしっかりして欲しい。好きなアイドルが下着でベランダ出れるとかちょっと脳の処理が追いつかない。

 

「せ、せめて上だけでも何か着てください!」

「? なんで一宮くんがそこまで必死に言うの?」

「美琴さんが好きだからです!」

「え……あ、うん。ファンだもんね……ごめん。次から気をつける」

 

 今更顔を赤くされても萌えない。恥いるポイントがおかしい。

 

「ていうか……着付けって……俺、どうしたら良いんですか」

「あれ、一宮くんなら着付け出来ると思ったんだけど……」

「出来ますけど……」

「あ、やっぱりできるんだ」

 

 にちかやその姉妹の着付けを、はづきと一緒に何度もしたものだ。

 

「そこじゃなくて。着付けするってなったら、裸のまま美琴さんのこと見ることになるでしょ……」

「や、浴衣を身体に羽織る所は出来るから、そこから先、帯の結び方教えてくれれば良いよ」

「……」

 

 まぁ、それなら確かに問題ない。下着は見えないかもしれないから。

 

「……分かりました」

「じゃあ、玄関から入っておいで。それまでに羽織っておくから」

「は、はい……」

 

 そんなわけで、青葉は一度、部屋に戻り、サンダルを履いて隣の部屋に行く。

 一応、インターホンを押すと、部屋から「どうぞー」と声がしたので入った。

 

「お邪魔します」

 

 中はクーラーが効いている。自分の部屋は節電しているので、少し快適だった。

 そのままリビングに入ると、黒基調の金魚柄の浴衣を身に纏った美琴が立っていた。

 

「お願い、一宮くん」

「……」

「一宮くん?」

 

 ……気の所為だろうか? なんか……似合うより先にエロいという感想がきた。身体に吸い付くようにボディラインを強調してまとっている浴衣……それが、あまりにも立派に胸、腰を突き出し、お腹をへっこませている。特に胸。

 ……なんだろう。いや、似合ってるけど、それ以上になんかえっちすぎる……手で浴衣がはだけるのを押さえているからだろうか? 

 

「一宮くん!」

「っ、な、なんですか……?」

「どしたの? 顔赤いけど」

「っ、い、いえ……その、余りにも(エロくて)似合ってて……」

「ふふっ……ありがとう。本当に可愛げがあるな、一宮くんは」

 

 だめだだめだ。こんな純粋な人を……それも、憧れのアイドルをそんな目で見るな。煩悩を頭の中で焼き殺し、何とか目を逸らして対処した。

 

「帯、何処ですか?」

「あ、うん。あっち」

「じゃあ……言う通りに手を動かして下さい」

「分かった」

 

 そう言いながら、美琴は椅子に掛かっている帯を手に取るため、自分にお尻を向けた。

 直後、再び青葉はフリーズ。……何故なら、お尻もなんかえっちだったからだ。浴衣越しなのに、割れ目が見えてる気がする。

 

「……」

「これ、一応途中まで覚えてるんだけど、そこから先が……」

「…………」

「確か……ここをこうして、それでここを……こう」

「…………」

「で、一宮くん。この先なんだけど……一宮くん? 鼻血出てるよ?」

「…………我が一生に一片の悔い無し……」

「え……ちょっ、生きてるのその量? 床が殺人現場みたいに……」

 

 結局、美琴は自分で調べて着付けをした。

 

 



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独占欲ではなく羨ましさ。

いつも誤字報告してくださる方、本当にありがとうございます。今後は誤字報告されないよう頑張りたいと思います。でもあったらごめんなさい。


 緋田美琴は、不思議だった。何故、こういう事になるのか。まさかの展開に、思わず柄にもなく「運命」というものを呪いたくなるほど。

 高校生というのは、今にして思えば純粋な生き物だ。それは、ここ最近で関わるようになった二人の現役から強く感じていた。七草にちかも、一宮青葉も、美琴から見れば純粋で可愛い生き物だ。

 ……その二人が、初めて見る顔で、目の前でいがみ合っている。

 

「「ガルルルル……!」」

「二人とも知り合いなの?」

 

 唸り声を上げる二人に、思わず美琴は狼狽えてしまった。

 何故こんなことに……それは、つい数分前に遡る。

 

 ──ー

 ──

 ー

 

「じゃあ、行こっか。一宮くん」

「は、はい……」

 

 と、少し緊張気味に答えた青葉は、実際、緊張していた。それが正直、美琴には不思議だったが、考えてみれば青葉にとって自分は少なくとも青葉にとっての、理想の女性。

 それが浴衣を着ていれば、照れるのも当然なわけで。出会った時の新鮮な彼を少し思い出してしまった。

 ……ちょっとだけ、たまに強烈な生意気を漏らす彼を揶揄ってやりたいかも、なんて思ってしまったが、また赤い水溜まりを作られても困る。

 ここは、歳上として恥ずかしくない行動をとることにした。

 

「ふふ、大丈夫……一宮くん。待ち合わせ時間までまだあるし……歩きながら、ゆっくり落ち着こう」

 

 そう言いながら、とりあえず子供を落ち着かせる、という事を考えて、手を繋いであげてみることにした。指先を地面に向けて、指と指が絡み合うように繋ぐ……まさか、これを俗に言う「恋人繋ぎ」というものだとは夢にも思わずに。

 

「コッファアァァッ……!」

「え、なんでさらに喀血するの……?」

 

 ぶっ倒れて痙攣し始めたので、仕方なくおんぶしてあげることにした。

 お祭り会場は、わざわざ電車で移動する必要もない場所なので、そのまま徒歩で向かう。

 浴衣、というのは歩き慣れないものだが、普段のアイドルのダンスレッスンで培われる体幹が役に立ち、なんとかおんぶしたまま転ばずに歩くことが出来た。

 さて、待ち合わせ場所までもう少し……この辺で、そろそろ青葉を起こしておかないといけない。おんぶのまま合流は、少し気が引ける。

 

「一宮くん、起き……」

 

 そこで、口が止まった。もし、おんぶなんてしている間に目を覚ましたら、彼はまた喀血でもしてしまうんじゃないだろうか? ただでさえ、お祭りに来るだけでも意を決しているというのに。

 とりあえず、近くの電柱の前でしゃがみ、もたれ掛からせるように立たせて下ろし、改めて声を掛けた。

 

「一宮くん、一宮くん」

「……んっ……」

 

 ぬぼーっと目を覚ます。うっすらした瞳を自分に向けた。……こうして見ると、普段のテキパキした家事力とは無縁の子供に見える。普段は割と家事的にも家計簿的にも大人っぽく振る舞っているけど、こういう時はまだまだ若々しい学生みたい……なんて思っていると、青葉は自分の方にもたれかかってきた。

 

「一宮くん?」

「はっちゃん……どうしたの今日は……またカレー作りに来て欲しいの?」

「違うよ。はっちゃんじゃなくてみっちゃん」

「みっちゃん……? みっちゃん……みっちゃん⁉︎」

 

 不意に覚醒する。ようやく目の前にいる人物が、はっちゃんなる人物ではなく美琴だと理解したようだ。

 

「み、美琴さん……すみません、寝てました⁉︎」

「うん」

「なんで寝てっ……あっ、そ、そうだ。なんで急に恋人繋ぎなんてしたんですか!」

「恋人繋ぎ?」

「あの手の繋ぎ方ですよ!」

「ああ……あれ恋人繋ぎって言うんだ。なんで?」

「いや知りませんしどうでも良いです!」

 

 恋人っぽい……のだろうか? あ、もしかしたらあの繋ぎ方なら、離せばハートを作れるから? いや離しちゃってるしそれ。

 なんて関係ない部分が気になっている中、青葉はお説教を続ける。

 

「人前でああいうことされると困ります! ただでさえ、今日は美琴さんお祭りに合わせて変装してないのに!」

「ごめん。でも……一宮くんが照れなかったら私も手を繋ごうとは思わなかったよ?」

「っ……そ、それは……すみません。あまりにも綺麗だったんで」

 

 素直な子だ。まぁ、怒ってるわけでもないし、気にしているわけでもないので別に良いのだが。

 

「でも、分かった。そこまで言うなら、少しは気をつけるね」

「そうして下さい」

 

 どうせ、もうにちかの所へ合流するので、特に問題もないわけだが。……いや、一つだけあった。

 

「さ、行きましょう。美琴さん」

「……」

 

 みっちゃん呼び……と、少しだけ思ったが……まぁ、後でも良いだろう。正直、どうでも良くなってきちゃったし。

 それよりも、さっさとお祭りに行くことにした。

 

「うん。行こう」

「はい!」

 

 そのまま二人で待ち合わせ場所に向かった。

 一応、場所は駅前のコンビニの前。そこで一人、緑色のショートカットをソワソワと揺らしている影が見えた。

 

「そういえば、美琴さん」

「何?」

「相方の子ってどんな方なんですか?」

「ん、一宮くんと同い年の子だよ。身長もほとんど同じくらいで、可愛くて元気で面白くて……あれ、一宮くんとその辺も同じだね」

「っ、こ、光栄です……」

「? ……ああ、うん」

 

 一緒に褒めてしまったことに後から気が付いたが、まぁ気にしない。というか、そんなんで照れちゃうのがまた少し可愛い。

 

「でも、仲良くなれると思うよ。趣味も合いそうだし……やっぱり、何処か一宮くんと似てるし」

「そうですか」

「ちなみに、もう目に見える範囲にいるよ」

「えっ、マジですか⁉︎」

 

 言うと、元気にキョロキョロと探し始めた。そんな中、ふと首を止める。

 まさか、分かったのだろうか? と、思ったのも束の間、青葉は美琴の背中に隠れてしまった。

 

「? どうしたの?」

「すみません……ちょっと知り合いが」

「嫌いな人とか?」

「いや、実はそいつにお祭り誘われてたんですよ。ただ、美琴さんからのお誘いの方が早かったので断っちゃったんですけど」

「そうなんだ。それは悪いことしたな」

「い、いえいえ! そいつとは毎年行ってるんで別に気にするようなことでもないですよホント」

「ふーん……」

 

 なんか、最近どこかで聞いたことあるような話だ。まぁ、幼馴染なんて世の中にたくさんいるって事くらいは、もうここ最近で理解しているので何も言わないが。

 なんにしても、バレたくない理由は理解したし、そのまま歩く事にした。

 

「で、見つけた? 私のユニットの子」

「いえ、まだ……ていうか、ちょっとすみません。そいつも美琴さんのファンなので、正直そいつに見つからないようにするのに必死で……」

「おーい、にちかちゃん」

「そうそう、にちかの奴……え?」

「あ、美琴さ……え?」

 

 反射的だったのだろう。自分の背中から、青葉が顔を出した。そして、にちかと目が合った。

 

「青葉」

「にちか」

「「…………は?」」

 

 急に隕石が落ちてきたような、そんな感覚だった。

 

 ー

 ──

 ──ー

 

 で、今に至る。まぁ、今にして思えば、なんか色々と腑に落ちた。にちかと青葉がよく言っていた幼馴染とはお互いのことなのだ。

 にちかが友達を誘っても予定が合わないわけだ。何せ、美琴が予定を入れてしまったのだから。

 

「テメェ、アイドルのユニットって美琴さんのことかよ!」

「あんたこそなんか最近、らしくない料理作るなって思ったら……美琴さんのご飯とか作ってたわけ⁉︎」

「お前と違って家事ができるんでな! お隣さんとして助け合いすんのは当然だボケ!」

「つまり、腱鞘炎の時は美琴さんのお手を煩わせたってことじゃんそれ! ファンとして恥ずかしくないわけ⁉︎」

「お前こそファンの癖にユニット組むとか恥ずかしくねえのか! 故郷滅ぼされても部下であり続けたベジータより情けねえ野郎だな!」

「そっちだって散々、偉そうなこと言って癇癪起こしながら、結局キラに助けられたイザークより情けないし!」

「良いじゃああああん、イザークは! なんだかんだブーステッドマン二人も倒したんだぞ、イザーク!」

「私はディアッカ派だしー!」

 

 段々、話が逸れる……が、正直、美琴は新鮮だった。にちかはともかく、青葉の口調が自分の知らない感じになっている。……いや、何ならこれが素なのかもしれない。普段、たまに漏れる生意気な面の根源を見ている気がした。

 ……とはいえ、このままというわけにもいかない。人の注目もだいぶ集めてしまったし。

 

「二人とも、落ち着いて」

「「落ち着きます」」

 

 美琴の言葉を無視出来ない阿呆二人は、パッと黙って美琴の方を見た。

 

「とりあえず……にちかちゃん。はづきさんは?」

「あ、すみません。お姉ちゃんは途中から合流するそうです」

「そっか……じゃあ、先に回ろっか。二人とも、自己紹介はいらないよね?」

「いえ、回りません」

「えっ」

「俺も」

 

 どういう意味? と、美琴が片眉を上げる中、青葉とにちかは続けた。

 

「こんなファンの風上にもおけない人と、一緒にお祭りなんて回れません!」

「意見があったなマリモ! 俺もお前とは一緒に回らねえよ!」

「「そういうわけですから、行きましょう美琴さん!」」

 

 話しながら、二人は同時に真逆の方向へ向き、美琴の片腕を引くようにした。お陰で美琴は微動だに出来ず、二人は後ろにずっこけそうになる。

 で、ジロリと睨み合った。

 

「その汚い手を美琴さんから離してくれない?」

「テメェこそその汚い性根で美琴さんに関わるんじゃねえ」

「は? あんたに言われたくないんですけどー。大体、今日は元々、ユニットでお祭りデートするって催しなんだけど?」

「テメェいつも宿題写させて勉強教えてやってんだろ。借りを返す時だぞコラ」

「男の癖に何小さいこと気にしてんの⁉︎ ここは女の子に譲るのが男でしょ!」

「都合の良い時ばっかり男女を主張して来るんじゃねーよ! そういうところが汚ねえっつってんだ!」

「ふ、二人とも落ち着いて……」

「「落ち着きました」」

 

 なんだろう、これは。飼ってる犬がメチャクチャ仲悪い、みたいな? 

 とりあえず……美琴としては、可能なら三人で回りたい。……いや、はづきも来るから四人か。

 なので……まぁ、せっかく好かれていることだし、ここは好かれている者の特権を活用させてもらう。

 

「私は三人で回りたいんだけど……ダメかな?」

「分かりました。では、にちかを追い出して知り合いの三峰さんって方をお呼びします」

「えっ」

「は? 追い出されんのはあんただから。私も妹誰か呼ぶ」

「三人ってそうじゃなくてね……」

 

 こほん、と咳払いすると、美琴は慈愛の笑みを浮かべる。そして、二人の頭の上に手を置いた。

 

「にちかちゃんと、一宮くん。二人と一緒に回りたいな?」

「……まぁ」

「……美琴さんがそう仰るなら」

「ふふ、良い子だね」

 

 笑みを浮かべたまま、頭を数回、撫でてあげる。2人とも納得がいかない様子ながらも、大人しく撫でられた。まぁ、決まったようなものだ。

 

「じゃ、行こっか」

「「はい……」」

 

 美琴を間に挟んで、二人と一緒にお祭りに向かった。

 

 ×××

 

 さて、JKとDKに挟まれて、美琴はお祭り会場へ。これが成人女性にとっての「両手に花」という奴なのだろうか? 

 

「美琴さん、あそこの屋台の焼きそば、美味いですよ! 別に安いってわけでもないですけど、他の屋台の焼きそばとはわけが違います!」

「あんたがそう思うのは焼き加減と青のりの微調整が完璧とか、素人には分からない点を評価してるからでしょ。舌自慢はツイスタでして」

「ああ⁉︎」

「それより美琴さん、あそこのお店のたこ焼き、美人が相手だとサービスしてくれますし! 去年、私がいたからサービスしてもらえたんです!」

「去年、サービスしてもらえたのはお前の姉貴がいたからだろバーカ。思い上がってんじゃねーよボケ」

「はぁ⁉︎」

 

 ……まぁ、普通に二人とも仲が悪いわけだが。

 しかし、このくらいの喧嘩なら美琴にとっても子猫が戯れているようなものだ。微笑ましいので、とりあえず結論を出してあげる。

 

「じゃあ……二つとも買ってみようか。近い、たこ焼きの方から買って、次に焼きそば屋に行こう」

「「はい!」」

 

 うん、やっぱり素直で可愛いものだ。可能なら仲良くしてもらいたいけど……なんか本人達の問題っぽいし、触れない方が良い。

 列に並んでいる間、とりあえず、と言うようににちかに聞いてみた。

 

「そういえば、にちかちゃん。試験はどうだったの?」

「え? あ、はい。まぁまぁ、ですかね……」

「なーにがまぁまぁだよ。昨日の分は俺にヤマカン張らせた癖に」

「う、うるさいから! 美琴さんの前で余計なこと言わないで!」

「え、大丈夫なのそれ。夏休みに補習でレッスン時間潰れたりしない?」

「だ、大丈夫ですよ! ちゃんと課題とか出してますし」

「俺から写したやつをな」

「っ、だ、だーかーらー!」

「……あ、もしかして、前ににちかちゃんとうちのマンションですれ違った時って……」

「うっ……は、はい。アホ……青葉に勉強教わってました」

「テメェ、誰がアホだコラ! お前の方がアホだろどう考えても!」

 

 ということは、と、美琴は少し意外そうに青葉を見る。

 

「もしかして、一宮くんって成績良いの?」

 

 それを聞かれて、青葉は心底嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべた。

 

「はい! こう見えて、評定平均は4.1です!」

「へぇ、すごいね」

「体育は2だけどね。学年が始まる時のスポーツ検査、毎回下から数えた方が早いし」

「そこ! 余計なこと言ってんじゃねーよ!」

「中学の時なんて、球技はぶられてたもんね? いない方がマシって言われて」

「だからうるせーっつーの! こっちだって出ないで済んでラッキーだったわ!」

「そうなんだ。少し意外だな。なんでもできると思ってたのに」

 

 それを聞いて、今度はにちかがニヤリとほくそ笑む。

 

「なんでも、なんて出来ませんよ。社会と数学は毎回3ですし、芸術も手先が器用ではあるけど感性が終わっててひどい時2ですし、体育は授業態度良いのに毎回2ですし、ちょっと小賢しいくらいですよ、そいつ」

「お前、夏休みの宿題自分でやれよ」

「ほら、ちょっと言い負かされそうになるとそういうことしか言えないし?」

「絶対見せんわ。どんなに仕事忙しくなってもな」

 

 なんていうやり取りを、美琴は微笑みながら眺める。ちょっとだけ、二人が羨ましかった。もうまんま思ったことを口にしているようなやり取りだ。一緒に長くいるからこそ、お互いの事がよく分かっていて、ぽんぽんと情報が出てくるのだ。……まぁ、今の所、弱点しか出てないが。

 とにかく、その「喧嘩するほど仲が良い」を地で行っているような二人が、少しだけ羨ましかった。

 

「次の方いらっしゃい。……おっ、お姉ちゃん美人だなあ。サービスしてやるよ」

「ありがとうございます。たこ焼き8個入り、1パックお願いします」

「はいよ。じゃ、1個サービスな?」

 

 三人でシェアするので、1パック注文。強引におまけを詰め込んでくれた。

 そのまま三人で、今度は焼きそばの出店の前へ並ぶ。すると、今度はにちかが美琴に聞いた。

 

「あの……今、ふと思ったんですけど……」

「何?」

「なんで美琴さんは青……アホ葉にどんなことをお世話になってるんですか?」

「おい、お前なんで言い直した今」

 

 それ気になるか、と美琴は少し狼狽える。これは……どこまで話して良いのだろうか? 一応、料理のことはバレてしまったが、部屋の掃除とかしてもらってる、とか言っても良いのだろうか? 

 いや、確実にまた喧嘩になる。なんとか誤魔化さないと……と、顎に手を当てて考え、とりあえず一番話しても問題なさそうな上で、一番最初の思い出を話した。

 

「最初は、酔っ払いに絡まれてたところを助けてくれたんだ」

「え? 嘘ですよー。そいつにそんな度胸ないです」

「……」

 

 それを聞いて、青葉は少し目を逸らす。その反応を見て、にちかは本当のことだと察した。

 

「え、ほんとに?」

「……なんでそんなの覚えてるんですか……」

「覚えてるよ。大事な思い出だからね」

 

 まぁ、今さっき思い出した話だが。どうやって助けてくれたんだっけ……と思い出す中、にちかが意外そうな声を漏らす。

 

「……青葉、ホント?」

「ホントだよ」

 

 あ、少し興味持った、と美琴はホッとする。この件に関してなら、今だけでも少しは仲良くできるかもしれない。

 

「そんなこと、私に一回も言わなかったじゃん。それは隣に住んでるの黙ってたのとはわけが違うから、言ってくれてもよかったのに」

「や、なんかあって言わなかったと思うんだけど……なんだっけか」

 

 そうだ。確か……知り合いの体で入ってきて……思い出した。

 

「確か、彼氏のふりして助けに来てくれたんだよね」

「は?」

「……あっ」

「え? ……あっ」

 

 後になって「彼氏のふりはヤバそう」なんて思った時には遅かった。もうにちかの表情は真逆になっている。

 

「何してんの青葉。彼氏のふり? ファンがアイドルの?」

「うるせーな! 声かけた時は美琴さんだって知らなかったんだよ!」

「いや、それにしたって彼氏のフリって……この年齢差で。キモっ!」

「じゃあお前ならどうすんだよ! 見捨てんのか⁉︎」

「彼女のフリ!」

「お前も一緒だろうが!」

 

 なんてまた喧嘩に発展してしまう。もういいや、と美琴は二人のやりとりを聞きながら焼きそばを購入した。

 

 ×××

 

「いけないいけないー、遅くなっちゃった……!」

 

 小走りでそう呟くのは、事務所から慌てて飛び出したはづき。慌てた様子でお祭りの会場に向かう。

 一応、にちかには遅れると言っといてもらったが、今からでも大丈夫だろうか? 

 とりあえず、チェインでやりとりした待ち合わせ場所である、お祭りの会場から少し外れた小さな公園へ大急ぎで向かっていると、やたらと騒がしい声が耳に届いた。

 

「だから言ったろうが! あそこは右のくじにしとけって! そうすりゃ、リンゴ飴のくじを三回もやらずに済んだんだよ!」

「だからって三回目で三個入りを引いた青葉もおかしいから! 流石にリンゴ飴一晩で二つは女の子的に洒落にならないし!」

「お前は少しは太った方が良いんじゃねえの? その貧相な鳥取砂丘、少しは波つけてやれよ!」

「はーあ⁉︎ そっちこそ、甘いものはやめておいてその二つともお姉ちゃんにあげたら⁉︎ 細身ってだけで筋肉より脂肪のが多いだらしない身体、少しはマシになるんじゃないの!」

「テメェ、人の身体的特徴を口にすんな!」

「あんたが言うな!」

 

 ……なんで、青葉がいるのだろうか、と思う前に、まず人前で喧嘩している妹達に少しだけイラっとしつつも、意外にも思った。青葉は、憧れの人の前であんなはしたなく怒鳴るタイプではない。つまり、まず間違いなく憧れの人にもはしたない姿を見せられる、ある程度の仲の良さはあると見て良いだろう。

 つまり、知り合い同士……どういう関係か気になるが、そろそろ良いだろう。美琴も困っている。

 

「はい、二人ともそこまで〜」

「「おぶっ⁉︎」」

 

 とりあえず、その二人の頭にゲンコツした。

 

「いったいな……あっ、お姉ちゃん」

「美琴さん、お疲れ様です〜。すみません、問題児二人の面倒を見させるような形になってしまって……」

「お疲れさまです。大丈夫ですよ。楽しかったので」

 

 本当にそう思っているのか、いつものクールな笑みを浮かべながら答えてくれた。

 実際、二人のバカな喧嘩も見ているだけなら、慣れてくれば楽しく思えてくるものだ。

 とはいえ、注意しないわけにはいかない。

 

「コラー、二人ともー? 美琴さんと一緒にいられて楽しいのは分かるけど、あんまり迷惑かけちゃダメだよー?」

「……うぐっ」

「ご、ごめんなさい……」

 

 素直に謝る二人を見て、美琴は少し驚いたようにはづきを見上げた。

 

「すごいですね、はづきさん……すぐに二人に言うこと聞かせられるなんて」

「長い付き合いですからねー。……そういえば、アオちゃんと美琴さんはお知り合いだったんですねー」

「はい。いつも、助けてもらっています」

「そうなんですかー。実は、うちもたまにおかずとか分けてもらっちゃったりしてましてー……」

「美味しいですよね。一宮くんの手料理」

「ほんとにー」

「あの……ところで」

 

 そう言いかけた美琴は、ふと青葉を見た。急に見られてキョトンとした青葉だが、すぐにはづきに視線を戻して聞いた。

 

「アオちゃんって……彼の事ですか?」

「ブフォッ!」

「はいー。昔からそう呼んでいますー」

「……ふーん?」

 

 再び青葉を見る美琴。いやな予感がしたのか、青葉は「っ、な、何ですか……」と警戒した様子で聞いた。

 案の定、美琴の表情はいたずらっ子のようにニヤリとほくそ笑む。そして、手元のたこ焼きを箸で摘んで、青葉の口元に運んだ。

 

「はい、あーん……アオちゃん?」

「っごふぁっ……!」

「んなっ……⁉︎」

 

 吐血する青葉。げほっ、けぼっと咳き込みながら、顔を真っ赤にした涙目で抗議するように美琴を見上げる。

 

「なっ……何いきなり言って……俺を殺したいんですか⁉︎」

「食べないの? アオちゃん」

「ぐっふぉぁ!」

「冷めちゃうよ、アオちゃん」

「ガッファ!」

「よくそんな新鮮なリアクションを連発できるねー……」

 

 はづきのツッコミは尤もだった。……が、正直、それ以上に意外なのは美琴の方だ。こんな風に、誰かを茶化すこともあるんだ……と、少しだけ変に感心してしまった。

 

「ほら、アオちゃん。もう、血はいいから。食べて?」

「っ、ど、どうしても……ですか?」

「うん」

「っ……〜〜〜!」

 

 真っ赤になった青葉は、もうほとんどパニック状態で口を開けた。ほとんどヤケクソだ。

 

「あー……」

「あーん!」

「バフン⁉︎」

 

 直後、真横からタックルの勢いでにちかが滑り込み、青葉を弾き飛ばすと共にたこ焼きを食べた。

 

「ってぇな! お前殺すぞマジで!」

「おいしいです、美琴さん〜」

「良かった」

「聞いてんのか!」

 

 怒る青葉と、今度は美琴から食べさせてもらっているにちか。まぁ……にちかがアイドルになると言い出した時から、青葉と美琴が知り合ったらこうなるんじゃないか、と何となく思っていた。

 あんまりそういう面をユニットメンバーに見せるのは如何なものかと思うが……でも、まぁどの道、青葉とにちかが美琴の前だけ器用に喧嘩しないなんて無理だ。早めに本性を出した方が良い気もする。

 

「……はいはいー。とにかく、二人ともそこまでー」

「うぐっ……お、お姉ちゃん……」

「美琴さん、二人がまた問題を起こしたら、遠慮なく言って下さいねー」

「ふふっ……はい。そうさせてもらいます」

 

 笑顔でそう答えてくれた。まぁ、流石に今日1日、ずっと二人の喧嘩に挟まれるのも、それはそれでしんどいのだろう。

 まぁ、その辺の調整をするのは自分の役割……と、割り切ったはづきに、青葉が立ち上がりながら声をかけた。

 

「とりあえず、座って。はっちゃん。色々と買ってあるから、まず腹ごしらえしてよ。その後で、またお祭り見て回ろう?」

「ありがとー」

「……はっちゃん?」

 

 そんな中、ふと声を漏らしたのは美琴だった。不思議そうに小首を傾げて、青葉とはづきを見る。

 

「あ、はいー。もう昔からアオちゃんは私の事、はっちゃんって呼んでくれてるんですー」

「……ふーん?」

「えっ……な、なんですか?」

 

 ジロリと睨まれる青葉と、睨む美琴。なにかあったのだろうか? 

 

「ふーん……はづきさんは良いんだ?」

「え? あ、いや……そんなつもりは」

「みっちゃん」

「え?」

「は?」

 

 にちかの反応を無視して、美琴は青葉に詰め寄る。

 

「みっちゃん呼びは?」

「え……いや、恥ずかしいんですけど……」

「だ、ダメですよ美琴さん! そんな親しげな呼び方……羨ましい……!」

「アオちゃん。外では他人にバレないようにカモフラージュするんでしょ?」

「いやあの……にちかの前でそれは……ていうかしれっとアオちゃんって呼ぶのやめてくださ」

「みっちゃん」

「脈絡なく『みっちゃん』をねじ込んでくるのやめてくださいよ!」

 

 だが、もう止まりそうにない。今にも頬をつねられそうだ。

 

「っ……み、みっちゃん……」

「ふふ……よし、アオちゃん」

「青葉ああああああああああ⁉︎」

「うるせーよにちか! どうしろってんだよ!」

「じゃあ、たこ焼きと焼きそば、いただくねー」

 

 中々、美琴と青葉、そしてにちかは面白い関係になりそう……そう思いながら、はづきはたこ焼きをまずはもらった。

 

 



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奴に美琴様は絶対に渡さん。

ここまでがチュートリアルです。


 お祭りの会場では、さらに四人に増えて回った。……が、正直、青葉としては居心地が悪いと言えば悪い。女性三人に男一人……しかも、そのうちの二人は青葉が大好きな年上のお姉さん。

 なので、正直楽しさと同じくらい、変な気まずさも入り混じって……。

 

「美琴さん美琴さん、青葉はお姉ちゃんのこと大好きなので、二人で回りましょうよ! あそこの金魚掬いやりません?」

「テメェにちかコラァッ! 何勝手なことほざいてんだ八つ裂きにされてェのか!」

「落ち着いて、アオちゃん。……ほら、わたあめ一口食べる?」

「いや、美琴さんも! アオちゃん呼びやめて下さい! ……あと、口の周り、ベタベタしてるのついてますよ」

「あー! 青葉! 美琴さんの口、拭こうとかどんだけハイレベルなセクハラ⁉︎」

「違ぇよ! お前は黙ってろ!」

「みっちゃん、でしょ?」

「すみませんけど、美琴さんも口閉じてて! 拭けない!」

 

 うそ。気まずさを感じられない程度には忙しい。とりあえず「ふぅ……」と、一息ついてのんびり歩いていると、その青葉に後ろからはづきの声がかかる。

 

「お疲れ様ー、アオちゃん」

「いや、ほんとに……」

「大変だよねー、しっかり者はー」

 

 それは、さりげなく美琴を「しっかり者ではない」と言っているようだ。まぁ実際その通りなのだが。

 

「どっちか片方ならもう少し楽なんだけどね……」

「ふふ、アオちゃん、面倒見は良いからー」

「いや、俺の場合は甘やかしてるだけでしょ。……はっちゃんにはもう言っちゃうけど、お隣さんの部屋の掃除と飯を代行して作る関係って何?」

「あ、あははー……」

 

 まぁ、楽しいし嬉しいので嫌というわけではないが。

 

「美琴さん、美琴さん。金魚掬い!」

「うん。やってみよっか」

「あっ、テメェざけんなコラァッ⁉︎ 俺もやるからな!」

「ダメー! もう美琴さんと二人って決めましたー!」

「お前が決めただけだろがい!」

「じゃあ、三人でやったらー? 勝った人には、私がお祭りで何か一つ、ご馳走するよー」

「マジでか!」

「やる!」

「頑張らないとね」

 

 はづきが援護して、三人で金魚掬いを始めた。実を言うと、青葉は金魚掬いはかなり得意だ。なので、この戦い……そもそも負けようがない。

 しかし……それ故に全力なんて大人気ないことは出来ない。軽くやれば良い。

 

「おじさん、三人分!」

「はいよ」

 

 青葉がお金を出した。会計も面倒だろうと思い、三人まとめてだ。そこで、ピンときた。これ、後でお金をもらわなければ、カッコよく美琴に奢ってあげたことになってしまうのでは? 

 

「アオちゃん、いくら?」

「いえ、大丈夫です。ここは俺が出します」

「マジ? ラッキー」

「……」

 

 そうだった。美琴の分だけ奢ってにちかの分は出さないという事は流石に出来ない。

 

「……まぁ良いか」

「やったねー!」

「私はちゃんと払うよ。アオちゃん」

「えっ」

 

 そ、それは困る。というか、誰のためにお金を出すと言い出したと思っているのか。

 

「え、いや先程の焼きそばはご馳走になってしまいましたし、ここは俺に払わせて下……!」

 

 言いかけた青葉の唇に、美琴は大人の笑みを浮かべて人差し指を当てる。力も何も使っていないのに、無理矢理口を塞がれた気分だ。

 そのまま、片方の瞳だけ閉ざした美琴は、色っぽい唇を開き、静かに告げた。

 

「こういうときは、大人に格好つけさせて?」

「っ……は、はひっ……」

「……」

 

 負けた。この人、可愛いくて美しいだけでなくカッコ良すぎた。言ってる事は「自分の分は自分で出す」と言っているだけなのに。顔を真っ赤にしてショートしかけていると、にちかがニヤリと笑みを浮かべて手を挙げた。

 

「あ、じゃあ私が出しますよ! 美琴さんの分!」

「はっ⁉︎ てめっ……!」

 

 すぐに理解した。こいつも同じようにイケメン狙いか……! と。本当にワガママで傲慢な奴……と、奥歯を噛み締めながらなんとか止める手立てを考えていると、美琴がすぐにキョトンとした顔と口調で聞いた。

 

「え……なんで?」

「……イエ、ナンデモナイデス」

 

 むしろ理解できない、という感じで聞かれ、すぐに無理を悟ったにちかだった。

 

「ぷふっ……」

 

 思わず笑いを噛み殺すと、にちかが睨みつけてきたが、どこ吹く風である。自業自得だ。

 さて、ポイを受け取り、ゲームを開始した。

 

「よーい……スタート!」

 

 はづきの声で金魚掬いを開始した。

 とりあえず、にちかに負けるのだけは嫌なので、先手必勝と言うように一匹目を掬いにかかった。

 ヒュッと風を切る音と同時に、金魚をお椀に乗せる。

 

「おお……アオちゃん、上手だね」

「そりゃまぁ、結構祭り来てますからね!」

 

 そう答えつつ、にちかを見る。「褒められたぜ。ザマミロ」なんて思っている時だった。今度はにちかが、風を切って金魚を掬い上げる。

 

「わ……にちかちゃんも上手……」

「ふっふっふー、実は得意なので!」

「なーにが得意だよ。俺から毎年教わってるだけじゃねーか」

「得意は得意だし!」

「俺の方がお前より得意だから!」

「師匠なら弟子に抜かれる事を喜べば⁉︎」

「だーれが師匠だ! ちょっとコツと技術と精神力を教えてやっただけだろうが!」

「立派なマスターアジア!」

 

 なんてやってる時だった。「あっ」と声を漏らした美琴。二人揃って間にいる美琴に視線を落とすと、一匹も掬うことなくポイに穴をあけていた。

 

「……難しいね」

 

 直後、バカ二人の目が光る。これは……教えてあげるチャンス! 

 

「「私(俺)が、良かったら教えますよ! ……ああ⁉︎」」

 

 また被り、思わず二人とも立ち上がった。

 

「お前、さっきから何なの? マジでなんでそんな無駄に競ってくるわけ?」

「は? こっちのセリフだから。美琴さんに色目使わないでくれる? 鬱陶しそうにされてるの分からない?」

「それお前の方だから。元々、今日は俺がお祭りに誘われてんだぞコラ」

「はー? そもそもお祭りに参加する企画は私と美琴さん発信だから」

「……」

「……」

 

 二人とも、その場ですくっと立ち上がる。

 

「わかった。お前一回、立場分からせてやった方が良いやつみたいだな」

「それはこっちのセリフだし。ちょっとマジむかついてきた」

「はっちゃん、これ持ってて」

「私のも」

「はいはいー」

 

 ぽいをはづきに預けると、二人は少し金魚掬いの台から離れた。

 その様子を眺めながら、美琴ははづきに聞いた。

 

「あれ……平気なんですか?」

「平気ですよー。マジ喧嘩になっても、なんだかんだ二人とも怪我するような事はしませんからー」

「仲良いんですね」

「昔から一緒ですのでー。それより、私がコツとか教えましょうかー? ちょうど今、ぽいが二つ空きましたのでー」

「お願いします」

 

 漁夫られていた。

 

 ×××

 

 さて、三人で仲良く金魚を一匹ずつもらった後は、また仲良くお祭りを見て回る。

 すると、次に美琴の目に止まったのは、射的屋の屋台だった。

 

「そういえば……これもお祭りでは定番だよね。やった事ないけど」

「やってみましょう! 面白いですよ」

「ほんと? じゃあ……」

 

 やってみようかな、と美琴が言いかけた時だった。射的は得意じゃないにちかが横から口を挟んだ。

 

「騙されちゃだめですよ。美琴さん。あの景品の中で欲しいものありますか?」

「あ、そ、そうだな……確かに、微妙かも」

 

 まぁ、確かに大した景品は見えない。どちらかというと、銃を撃つのが楽しくてやるものだから、当たり前と言えば当たり前だが。

 

「青葉の奴、自分が得意なものを見せて『美琴さんにすごいと言われる』『美琴さんにティーチングして悦に浸る』の一石二鳥を狙っているだけですから」

「テメェ……自分は射的出来ないからって……!」

 

 つまり、そういう事でもなくはないわけで。でも一番はやっぱり、美琴にお祭りを楽しんでもらうためだ。

 ……が、まぁそう言われてしまっては仕方ない。嘘ではないし。

 諦めようとしたところで、美琴が口を挟んだ。

 

「アオちゃんのすごい所、か……いつも見てるけど、外ではあんまり見た事ないかも」

「えっ?」

「うん。やってみよっかな」

「美琴さん⁉︎」

「やった! やりましょう! おうそこの、指を咥えて見てやがれハッハッハーッ(裏声)」

 

 思わず煽った直後だ。悔しげに握り拳を作っていたにちかが、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「……る」

「え?」

「私もやる!」

「おーおー、勝手にしろ。お前には教えてやらんけどなーGAHAHAHA☆」

「ぐぬぬっ……」

 

 悔しげに唸るにちかに、さっき喧嘩したばかりだからかいつもの五割り増しくらいのウザさで煽る。

 その青葉に、隣から美琴が肩をトントンと叩いた。

 

「アオちゃん」

「はい?」

「意地悪はダメ」

「……はい」

「「ぷふっ……!」」

 

 にちかだけでなく、はづきも吹き出していた。

 

「じゃあ、やろうか」

 

 と、お金を出して、はづきも交えて四人で射的を開始した。撃ち方と狙い方を教えてから、お手本と言うように、青葉が一つ落とす。なんか、よく分からない……ドラゴンボールの置物? をとった。帰ったら飾るだけ飾ってみよう。

 

「こんな感じ? アオちゃん」

「そうですけど……あの、ほんとその呼び方……」

「あ、ホントだ。当たった。……ありがとう、アオちゃん」

「……いえいえ」

 

 特攻ダメージによって、すぐに黙らされてしまう。

 それを見てむすっとしたにちかが、反対側から美琴に耳打ちした。

 

「あんな偉そうにしてますけど青葉の奴、中一の時にスマホほしくて、射的屋さんの屋台のおじさんのスマホ撃ち抜いて怒られてましたよ」

「ある意味すごいね……」

「でしょ? 俺の精度」

「褒められてないよ、アオちゃん」

 

 はづきが横から口を挟む。

 美琴が当てた景品だが、少し動いた程度でまだピンピンしていた。

 

「でも……落ちないな」

「クレーンゲームと一緒ですよ。一回で取るんじゃなくて、当ててずらして落とすんです」

「なるほど……」

 

 そんな話をしながら、ゲームを続けた。少しずつ美琴の狙撃で、デビ太郎のよく分からないフィギュアのようなものを狙い、ずらして行く。

 ……そして、ようやく台座の奥にデビ太郎がはみ出た。

 

「おっ、いよいよじゃないですか?」

「でも……あと一発しかないよ」

「ダメそうなら……俺の弾も使って下さい。まだ二発残ってますから……あっ」

 

 言ってから後悔した。二発残っているタマって、金的を連想してしまうのではないか……と。

 案の定、それを連想したバカがゴミを見る目でこちらを見ていた。

 

「うわ、最低」

「そういう意味じゃねーよにちかコラァッ!」

「アオちゃん、女性に対しては言い方を気をつけようねー?」

「そ、それはごめんなさいでした、はっちゃん!」

 

 と、いいようにいじられる中、美琴はキョトンとした顔で瞬きを繰り返す。

 

「えっと……どういう意味?」

「「「えっ?」」」

「弾でしょ? なんで女の人の前で言っちゃダメなの?」

「「「……」」」

 

 まさか、この人……男の股にぶら下がる二発の球をご存じない? いや、ご存知でも連想してない? 純粋が過ぎるのではないだろうか? 

 ……いや、しかし、だ。ある意味ではむしろアイドルの理想系とも取れる。下ネタなんて元々、言う人ではないだろうが、全く連想しないという汚れのなさは、まさに偶像と呼べるだろう。

 それを理解した直後、青葉は美琴に向き直った。

 

「俺、あなたを一生、推します」

「ありがとう?」

 

 そんな話をしながらも、青葉はちょっとだけ危機感を抱いていた。玉二つ、からタマキンを連想しないのは、少し汚れがなさすぎるのではないだろうか? 24歳で。

 このままでは、万が一にも身の程を知らない性欲モンキーに誘われた際、意味も分からずのこのこついて行ってしまうかも、と心配になってしまう。

 

「あ、落ちた」

「おめでとう、お姉ちゃん。これ、景品」

「ありがとうございます。……アオちゃん、取れたよ!」

「万が一の時は俺に言ってくださいね。そいつの一族を壊滅させるから!」

「な、何の話……?」

「気にしないで下さい、美琴さん。青葉はたまに見えない何かと会話を始める病気なんです」

「そ、そうなんだ……?」

「にちか、殺すぞ」

「実際、そういう節あるよーアオちゃんはー」

 

 はづきにまで言われては、頷かざるを得なかった。

 

 ×××

 

 さて、さらにそのまま青葉とにちかは、美琴を取り合うようにしながらも四人でお祭りを回った。

 何をするにしても競い合いを始め、ヨーヨー掬い、あんず飴のピンボール、型抜き、くじなどとどっちが上で戦利品美琴とイチャイチャする権利を得られるか、競争していた。

 だが、流石は大人の美琴。基本的に他人にも自分にも無関心なとこがあるとはいえ、競い合いの景品にされても不快感を表に出す事なく、微笑ましそうに二人を眺めていた。

 

「大丈夫ですかー? 美琴さん」

「はい。大丈夫ですよ、全然。楽しいですし」

「そうですかー」

 

 気にかけてくれたのか、はづきが聞いて来るが心配無用だ。実際、楽しいのだから。こんな風にお祭りを見て回るのなんて本当に久しぶりだし、なんならプライベートで他人と一緒にいることさえなかなかある事ではない。

 

「……」

 

 ちょっとだけ、青葉が家計簿をつける理由も分かってしまったり。

 思ったより、財布の中身は減っていた。楽しくて夢中になってしまうと、財布に入れておいたお金がいつの間にか減っている。

 

「はづきさん」

「なんですかー?」

「家計簿って、つけた方が良いと思いますか?」

「え、つけてないんですかー……?」

「やっぱり……つけた方が良いんですね……」

「は、はい……一人暮らしならば、管理はしっかりした方が良いと思いますけどー」

「……」

 

 また今度、青葉やにちかと出かける機会があった時のために、少しは管理してみようか……なんて思ってしまった。特に、浴衣なんて予想外の出費だ。今月が残り6日くらいだから良かったが、月初めだったら厳しかったかもしれない。

 そんな事を真剣に考えていると、隣のはづきが聞いてきた。

 

「美琴さんは、アオちゃんといつ頃からの付き合いなんですかー?」

「一ヶ月ちょいくらい前からです。……お恥ずかしい話ですが、酔っぱらいに絡まれているところを助けてもらってしまって。それが、偶然にも私のファンの子だったので、正直とても嬉しかったです」

「そうなんですかー。そこから、ちょいちょい会うようになったんですかー?」

「いえ、まぁそれが知り合うきっかけではありましたが、その後、なんの因果か彼の隣の部屋に私が引っ越してしまって……それで、まぁ色々と話すようになりました」

 

 今にして思えば、割と迷惑をかけた。異臭の件とか特に。ああいうの、自分では気付かないのだから困る。

 

「ふふ、アオちゃん……良い子でしょうー?」

「はい。たまに生意気が漏れますが……でも、今日のにちかちゃんとのやりとりを見て思いました。あれが素なんですね」

「そんな事ないですよー?」

「え?」

 

 ちょっと意外な返事が来た。てっきり、自分には猫をかぶっているものだと。

 

「あの子、にちかにだけは口が荒れますけどー、基本的には礼儀は弁えてる子ですよー? たまに漏れる生意気も素ですけど、礼儀正しくて世話焼きな面も素ですー」

「……そうなんですか」

「はいー。たまにうちに持ってきてくれるおかずとかも、善意からだと思いますー。……だから、うちもちょっと申し訳ないな、と思わないでもないわけですがー……」

 

 その気持ちは少し分かる。前は無理させて腱鞘炎にさせてしまったわけだから。……今にして思えば、腱鞘炎になったにちかの友達って青葉のことだったんだなぁ、と少し申し訳なさが加速する。それと同時に、I○EAでは本当に危なかったんだな、という事も。

 でも、昔から付き合っているからかもしれないが、はづきからここまでの評価をされている青葉を、美琴は少し見つめてしまった。……まだ、アイドルとして大人気、と言われるほどでもない自分のどこが良いのか、ちょっとだけ気になってしまったりも。

 

「……あの、変な事を聞いても良いですか?」

「なんですかー?」

「一宮くんは、いつから私のファンなんですか?」

「え? ……どうだったかなー。確か、一回だけたまたまネットの動画で見て、それからずっと追いかけてたと思いますけどー……少なくとも、中学に上がる前から?」

「……そうなんですか」

 

 となると、遅くとも4年前から。……そんなに、追いかけてもらえてるんだ、と嬉しさが込み上げてくると同時に、不思議さもあった。

 青葉も、その隣のにちかも、今でも自分を応援してくれている。それを思うと、頑張ろうという気概が込み上げてきた。

 

 ×××

 

 さて、そうこうしている間に、お祭りも終わりの時間が近づいて来た。花火は最終日だけなので、残念ながら見られない。

 四人とも帰り道を歩いていた。

 

「ふぅ……楽しかったー! ……青葉さえいなければー」

「は? それこっちのセリフだから」

「コラ、二人ともー? 美琴さんがいるときくらい、最後だけでも仲良くしなさいー」

「はーい」

「やだー」

「……にちかー?」

「あー、嘘嘘」

「ふふ、二人とも、仲良いんだね」

 

 状況を分かっているんだか分かっていないんだか分からない美琴がそんな事を言う。

 少しだけむすっとしながらも、美琴の前ならば、と二人は押し黙った。

 そんな中、美琴が二人に笑みをこぼした。

 

「でも、本当に今日は楽しかったよ。私、誰かとこんな風にお祭りに行ったの、多分中学か小学生以来だから。……こんなに、楽しいものだったんだね」

「美琴さんは、お友達いなかったんですかー?」

「いえ、いたにはいましたが……遊んでる暇があったらレッスンをしたい性分でしたから」

 

 ストイックなんだな、というのは青葉にも分かっていた事だ。じゃなきゃ、あんな食生活にはならない。

 

「……だから、今の私が『友達』って言える人、にちかちゃんとアオちゃん……あとは事務所の人達くらいなんだ。……その全員と集まって遊べたんだから、とても楽しかったよ」

「み、美琴さん……」

 

 にちかが声を漏らしたのと同様に、青葉とはづきも感動してしまう。

 

「……また、このメンバーで遊びに行けると嬉しいんだけど……二人はどうかな?」

 

 はづきはOKする前提で、敢えて青葉とにちかに聞いた。すると、二人は改めて顔を見合わせる。

 そして、今更ながら少し照れくさくなり、お互いに目を逸らした。

 

「……まぁ、俺は別に……」

「私も……美琴さんが言うなら……」

「じゃあ、決まりだね」

 

 にこっと微笑んだ美琴は、二人の手と手を取った。

 

「じゃあ、約束」

「「は、はい……!」」

 

 新手の宗教を見ている気分だったはづきだった。

 さて、そうこうしている間に、にちかとはづきの家の近くに到着した。

 

「じゃあ、私達はここでー」

「……美琴さん、そこのバカに変なことされたら、すぐ私に言ってください。大丈夫です、私……やると言ったらやる女なので」

「しねーよクソボケ」

「ふふ、またね」

 

 それだけ話して別れ始めた時だった。軽く手を振って、二手に別れ始めた時だった。

 

「あっ、待って!」

 

 にちかが急に声を発し、二人を待たせた。なんだ、まだ何か文句あんのか、と青葉が足を止めながら、不機嫌そうに顔を向ける。

 

「……何?」

「いやあんたじゃなくて。……あの、美琴さん」

「何?」

 

 美琴を見ていたにちかが、なんかやたらと恐る恐る質問した。

 

「あの……これは一応なんですけど……そういえば、何度か美琴さんのお弁当を摘ませていただいたことがあると思うのですが……」

「うん?」

「それ作ったの……実は青葉だったりします?」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 これ、ヤバいのでは? と、その場にいた三人は即座に理解した。にちかは緊張気味に且つ真っ直ぐと美琴を睨んだ。

 こんな目を見たら……これから、ユニットメンバーとしてやって行く仲になるのに、嘘は言えない。

 

「……ごめん。誰かに、男子高校生にご飯作ってもらってる、なんて言えなくて」

「……」

「……ほんと、ごめんね……?」

 

 項垂れたまま、にちかは何も言わない。代わりに睨みつけた先にいるのは、青葉だった。

 

「……青葉ァ……!」

「え、お、俺……⁉︎」

「…………ないから……!」

「あ?」

「あんたには、絶対に美琴さんは渡さないから……!」

 

 腹の底から滲み出すような声に、青葉は気圧される。だが……青葉も同じだ。自分が食生活とかを見ないと、絶対に美琴は健康に活動出来ない。

 

「こっちのセリフだバーカ! お前にだけは、美琴さんは絶対に渡さんわ!」

「べー!」

「ふ、二人とも……」

「行きましょう! 美琴さん!」

「私も送る!」

「にちかー?」

「うぐっ……お、お姉ちゃん離して……!」

「いい加減にしなさーい?」

 

 そのまま二人は別れた。この日から、青葉とにちかの仁義なき戦いは幕を開けたのだった。

 

 ×××

 

「なんか……ごめんね。一宮くん」

「いえ……こちらこそすみません……変な事に、巻き込んでしまって……」

 

 帰り道、青葉と美琴は微妙な空気になってしまっていた。

 

「ううん……余計な嘘ついたの、私だから」

「いえ、どうせすぐに言ってましたよ、俺も。『俺が作ったってバレたら困るから嘘ついて下さい』って」

 

 今にして思えば、自分の大切な人に嘘をつかせるなんて最低だ。大きなため息を口から漏らしながら、青葉は顔を片手で覆った。

 

「……すみません」

「じゃあ……二人の、責任だね」

「……」

 

 美琴に微笑まれたが、青葉は肩を落としたままだった。

 すると、その美琴は青葉の手を取った。

 

「でも、私は……にちかちゃんも一宮くんも、仲良くなって欲しいな。……せっかく、私の別々の友達が知り合い同士だったんだから」

「……まぁ、努力はします」

「うん」

 

 そんな話をしながら、のんびりと夜の街を歩く。月明かりが川沿いを照らし、サァッ……と、夏には嬉しい心地良い風が、二人を包み込む。

 

「ふふ……それにしても、にちかちゃんと一緒の時の一宮……アオちゃんは全然、口調も話す内容も違うんだね」

「いやあの、呼び直さなくても結構ですので……ていうか、そうですか?」

「そうだよ」

「……なんか、ちょっと恥ずかしいですね。あんまり、知られたくなかったかもしれません、それ……」

「ふふ、でも……ああいうアオちゃんも可愛いと思うよ?」

「いや、やめて下さいよそういうの……」

 

 そう言いつつも、嫌じゃないのが困ってしまった。頬を赤らめて、控えめに俯く。

 

「じゃあ……青葉、でどう?」

「っ、し、下の名前、ですか……?」

「君だって、最初から私のこと、下の名前で呼んでたでしょ?」

「……ええ、まぁ……」

 

 正直、最初から下の名前で呼んでたから、というのが大きい。好きなアイドルを苗字で呼ぶ奴はいないだろう。

 まぁ……今日1日、散々「アオちゃん」と呼ばれたし今更、下の名前で呼ぶのを拒むのもよく分からない気はする。

 

「……わ、分かりましたよ……」

「うん。じゃあ……よろしくね、青葉」

「…………うへへ」

「笑顔、漏れてるよ?」

「っ、いっけね……!」

 

 嬉しさが漏れてしまっていた。実際、嬉しいのだから仕方ないのだが。

 

「で、青葉は私のこと、みっちゃんって呼んでくれないの?」

「ぶふぉーっ!」

「今日、なんだかんだでずっと名前呼ぶの避けてたし」

 

 バレバレだった。可能な限り避けて来たのだが、流石は長く芸能界にいるだけはある嗅覚と聴覚をしていた。

 ……だが、年上の方を「みっちゃん」は正直、恥ずかしい……というより、畏れ多い。

 

「っ……よ、呼ばなきゃ、ダメですか? その……8個も上の人を、ちゃん付けは……」

「はづきさんのことは呼んでるのに?」

「うぐっ……ま、まぁ……それは……」

「……」

「……」

「…………」

「……わ、分かりましたよ……」

「うん」

 

 腹を括るしかないような沈黙が続き、青葉は渋々、頷いた。

 

「……み、みっちゃん……」

「うん、青葉」

「……俺は、好きなアイドルとなんて事を……」

「もうそれ今更じゃない?」

「そうですね……」

 

 顔が真っ赤なままの青葉とは対照的に、美琴はニコニコと笑顔を浮かべて満足げに伸びをしていた。

 その姿が月明かりに照らされ、青葉は少し頬を赤らめる。……やはり、えっちだ。今まで楽しんでいて忘れていたが、何故か青葉には浴衣姿の美琴がえっちに見えてしまう。布面積は夏にしては広いはずなのに。

 っ、と……だからだめだ。そういう目で見たら。それこそ、にちかに反撃の隙を与えるようなものなのだから。それに、一応は悪いと思っている手前、美琴に対してやましい気持ちは抱いてはいけないし、やましいことがあってもいけない。

 

「よし、じゃあまずは、にちかちゃんと仲直りだね」

「は、はい……」

 

 そのまま二人でのんびり歩いて、ようやくマンションに到着した。二人で自動ドアを開ける。

 青葉の予想通り、普段から鍛える気満々の美琴は自然に階段に足が向いていた。

 

「あの、美琴さん。階段で行きます?」

「うん。今日は、トレーニング出来なかったし、歩ける所では歩いておきたいからね」

「……そ、そうですか……」

「青葉はエレベーターでも良いよ?」

「い、いえ……俺も階段で行きます」

 

 せっかくなので、少しでも長く一緒にいたい。それに……浴衣で階段を上がるのは中々、ハードだ。

 慌てて後を追い、青葉は美琴の横についた。

 

「あの……腕に掴まってください」

「ありがとう。……ふふ、本当に優しいね」

「いえ……」

 

 片腕に手を添えて来る。胸の先端が、ふにっと肘に当たり、思わず青葉は背筋が伸びた。

 こ、この柔らかさ……い、いや。確証はない。童貞だし、こういう経験があったわけでもないので、絶対はない。

 ……しかし、しかし、だ。ブラにワイヤーが入っていることくらい知っているが、それにしてはこの感じ……柔らか過ぎないだろうか? 

 思わず、チラリと反射的に胸元に目を向けてしまった時だ。浴衣と浴衣の隙間から、胸元が見えた。乳首が見えたわけではない。しかし「そこに布地が無かったら、もうニプレスかスリングショットしかありえない」という位置にも布地はなかった。

 

「え」

「どこ見てるの?」

「っ‼︎‼︎」

 

 しまった、と慌てて正面に顔を向ける。大量に冷たい汗が流れた。真横から、ジトーっとした視線が向けられている気がするし、実際向けられていた。

 ヤバいヤバい、と慌てて弁解する。

 

「い、いやっ……み、見てません! 見てませんが……ち、ちょっと気になって……!」

「見てるじゃん、それ」

 

 全くである。もう弁解は諦め、素直に謝罪をすることにした。

 

「っ……ごっ……ごめん、なさい……肘に当たって……気になって……」

「……あ、ごめん。私の不注意か」

 

 少し離れた美琴は胸に当たらない範囲で肘に掴まり直す。さっきのようなジトーっとした視線は無くなった。

 

「ごめんね。男の子だもんね」

「い、いえ……こちらこそ……スミマセン……」

「ううん、平気。それより、浴衣ってやっぱり慣れないね」

「え、ええ……歩きづらいですよね」

 

 話題を逸らしてくれたので、ありがたく乗っておいた。このまま別の話になってくれれば……なんて考えている横で、美琴はキョトンとした顔で答えた。

 

「いや、そうじゃなくて」

「え?」

「浴衣の下って、下着をつけちゃいけないんでしょ? 夏には快適だけど……やっぱり、スースーするなって」

「…………えっ」

 

 今なんて? と、青葉は思わず聞きそうになったのをグッと堪えた。言えば、さっきの話を元に戻す気配がしたからだ。

 しかし、特に何も考えていない美琴は、そのまま何食わぬ顔で続けた。

 

「あれ、知らないの? 浴衣の下って何も身につけないんだって」

「え……そ、そうなんですか? ……いや、そんな事より……え、てことは……」

「あれ、胸に肘、当たったんでしょ? 分からなかった?」

「い……いや、待って下さい。それ以上は言っちゃ駄」

「今、下着つけてないよ私」

「なんで言うの⁉︎」

 

 人の話聞けよ、と思ったが口には出来ない。何故なら、脳内に映し出されたのは、今日一日の思い出。

 今日、一緒に帰宅してお互いの呼び名を改めた時も、射的をした時も、金魚掬いをした時も、公園で一緒に買ったご飯を食べた時も、にちかと出会い頭に喧嘩して困らせてしまった時も……先ほど、肘が胸に当たってしまった時も、全てノーブラノーパン。

 そして何より……今日、ベランダで呼び出され、そして部屋に招かれて着付けをした時も、あの薄い布の下でさえノーパンノーブラ……。

 考えれば考えるほど、脳内は真っ赤に染まっていった。

 

「え、にちかちゃんとかもそうだったんじゃ……あれ、青葉? 鼻血が……青葉⁉︎」

 

 オーバーヒートし、その場で真っ赤になって鼻血を噴射しながら気絶してしまった。

 言えない。にちかには絶対に言えない。やましい事をしないし考えないと思った時には、やましい事をしていた。

 墓にまで持っていく秘密がフルオートで増える中、とりあえずこの成人女性は自分が守らないといけないと強く思った。

 

 



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今回、青葉死す。決闘スタンバイ!

すみません。前回の嘘でした。今回までがチュートリアルでした。安易に気絶でオチつけるとこうなるんですね。


 翌日。青葉が目を覚ますと、見慣れているのに見慣れない天井だった。自分の部屋の天井かな? とはどこか思えないがそっくりな感じ……なのだが、何にしても変な感じだ。

 とりあえず身体を起こすと、薄い毛布が一枚だけかけられていた。……というか、ソファーの上だった。

 自分の部屋のソファーはこの位置に設置していない。

 ベランダを見ると、窓が開けられている。真夏だからって、朝からクーラーを入れるわけにもいかないのだろう。そのベランダの窓の右上には、自分の父親が好きでつけっぱなしになっていた風鈴がない。つまり……。

 

「えっ、どこここ……」

 

 自分の部屋じゃない、と思った時には遅かった。逆方向に顔を向けて視界に入ったのは、食卓の近くでスポーツドリンクを飲んでいる汗だくの美琴の姿だった。

 

「あ、起きた」

「っ⁉︎ み、美琴さん⁉︎ ここって……まさか」

「美琴さん?」

「っ……み、みっちゃん……」

「うん」

 

 そうだった。昨日、そんな話をしていた。

 訂正すると、満足そうに頷いてから改めて話を続けられた。

 

「? 私の部屋だけど?」

「なんでこんなところにっ……あいたっ!」

 

 慌てて立ちあがろうとしたが、ソファーの前にある小さな机に小指の先端をぶつけた。

 

「こっ……ふ……!」

「大丈夫?」

「っ、は、はい……あの、なんで……俺はここで……?」

「昨日、鼻血出してぶっ倒れたまま起きなかったから、仕方なく。……もしかして、チョコでも食べすぎてたの?」

 

 鼻血……? と言われて思い出したのは、昨日の事だ。そうだ。確か目の前の人……浴衣の下……。

 それを思い出し、一気に頭がくらくらするほど熱くなり、顔が真っ赤に染まる。

 

「み、美琴さん! ダメで……!」

「美琴さん?」

「……み、みっちゃん。ダメですよ! そ、その……下着つけないで、出掛けたりしたら!」

「え? や、だから浴衣とか着物って、下には……」

「それは昔の話です! 『お前』って言葉は本来、神様に使うから、お客様に使っても語源的には間違いないって言ってるのと同じですよそれ!」

「へぇ……そうなんだ」

「感心するポイント違くて! とにかく、次にお祭り行くときは気を付けてください!」

「うん。……ふふっ、次、か。今から楽しみだね?」

「ーっ、み、みこ……みっさん!」

「何その呼び方?」

「すみませんね、慣れてなくて!」

 

 本当にこの人は! と、顔を赤くして怒る。どうして男を翻弄するようなことばかり言うのだろうか? なんだか遊ばれている気がしないでもない。

 そこで、青葉はハッとする。そうだ、そういえば美琴は今日、午後から仕事なのだ。お弁当はいらないけど、そろそろいつも通り朝食を作らねば。

 

「……今、朝ご飯作りますね」

「うん。よろしく。……あ、でもその前にお風呂入ってきたら? 昨日、そのまま寝ちゃったから、汗かいてるでしょ」

「あー……そうで……あっ、す、すみません! 汗だくのままソファーだけじゃなく毛布まで……!」

「気にしないで良いよ」

「す、すぐシャワー浴びますね!」

「うちの使っても良いよ?」

「いや流石に……」

 

 遠慮します、と言おうとした時だ。リビングの扉が開かれると同時に、にちかが入ってきた。

 

「……なんで美琴さんの部屋で一泊したファンの風上にもおけない人が、美琴さんの部屋でシャワー浴びる話になってるわけ?」

「……なんでいんの?」

「あんたこそなんで泊まってんの?」

「いや俺は……」

 

 説明しようとした所で、口が止まった。なんて言えば良いのか? まさか昨日、ノーパンノーブラでいた、なんて言えるはずがない。問題は山積みだが、何より言ってはいけない理由として「どうやってそれを確認したの?」となってしまう。

 肘に胸があたった上、その感触から思わず振り向いてしまってチラ見してしまった、なんてバレたら、割とマジで暗殺されるかもしれない。

 だが、無言もまずい。何か言わないと……と、頭の中で考える中、美琴が口を開いた。

 

「ああ、ごめんね、にちかちゃん。実は私、昨日ノー……」

「チラス!」

「むぐっ⁉︎」

 

 余計な事をほざかれそうだった口を慌てて塞ぎに行った。

 

「昨日の事は言っちゃダメなやつですよ……! やると言ったらやる女に昨日のことを知られたら……!」

「っ……」

 

 コクコクと頷いてくれたので、ホッとして手を離す。その青葉の肩を、後ろからにちかが掴んだ。

 

「何いきなり美琴さんのこと襲ってんの?」

「お、襲ってねーよ!」

「襲ってたじゃん! ……そういえば、思い出した。前に青葉の家で勉強してた帰り、いきなりお隣さんの顔面にしがみついた事もあったよね」

「なんでそんなこと覚えてんだよ!」

「もしかして、日常的にそういうことしてるわけ⁉︎」

「してねーっつーの! これもそれもごく稀な例だよ!」

「ごく稀でもダメだから普通そんなの! ファンの癖に!」

「ファンのくせにユニットメンバーになった奴に言われたくねーわ! つーか、そもそもこんな朝早くからお前何してんだよ⁉︎」

「ユニットメンバーの私が、お隣さんである事を利用してファンのくせにアイドルの部屋で寝泊まりする変態を捨て置けるわけないじゃん!」

「誰が変態だコラ……!」

「そこまで、二人とも」

 

 ヒートアップする中、さっきまでケンカをニコニコしながら眺めていた美琴が間に入った。

 

「とりあえず……青葉。そろそろ朝ご飯、食べたいな」

「っ、そ、そうですね……!」

「にちかちゃんも。心配してくれるのは嬉しいけど、青葉はそんな立場を利用するような子じゃないでしょ。それは、にちかちゃんが一番分かってると思うんだけどなー」

「っ……は、はい……」

 

 怒られてしまい、二人とも大人しくなる。そして、お互いに顔を向け合った。……まぁ、二人とも何よりもまずは「美琴のため」を思って動く。

 従って、何も言わずに言う通りにした。青葉はまず自分の部屋に戻り、シャワーと着替えを済ませに行った。

 

 ×××

 

 さて、部屋から戻りながら、自分もついでに朝飯を食べようと思い、いくつか食材を冷蔵庫から出して美琴の部屋に戻る。

 中に入ると、にちかはいなくなっていた。

 

「美琴さ……み、みっちゃん……?」

「何?」

「にちかはどこですか?」

「帰ったよ?」

「え、なんでですか?」

「午前中、本当は妹さん達の面倒を見る予定だったのをバックれたんだって。はづきさんから電話かかってきて怒られてたよ」

「あいつホントロクでもねえな……」

 

 まぁそのきっかけを作ってしまったのは青葉なわけだが。

 

「朝ご飯、今作りますね」

「ありがとう」

「俺もついでに食べちゃいたいので、いくつか食材持って来ちゃったんですけど……何か食べたいものとかあります?」

「うーん……お任せで」

「はいはい」

 

 美琴は「おまかせと言ったくせに作ったら文句言う人種」ではないので、それでも困りはしなかった。一応、聞きはしたものの、普通にメニュー考えながら食材持って来ちゃってたし。

 朝ご飯を作り始める間、美琴は一度、リビングを出た。

 

「シャワー浴びてくるね」

「えっ……は、はい……」

「覗いちゃダメだよ?」

「の、覗きませんよ!」

 

 そうだ。元々、おそらく美琴は走り込みから帰ってきたとこだった。この炎天下だし、入らないわけにはいかない……のだろうが、ちょっと今だに気恥ずかしい、同じ屋根の下で片方が裸になっている、という感じが。

 特に、昨日でノーパンノーブラの浴衣姿の美琴と一緒に歩いていて体型が割と分かってしまったのだ。一層、悶々としてしまう。

 覗きたい、と思ったのは一度や二度じゃない。でもその度に他にあるありとあらゆる理性を総動員させて、身体を動かさなかった。

 

「……」

 

 顔面をグーでそこそこの強さで殴って煩悩を覚まさせた。

 

「曇一つねえ……Thank you so much……ベストフレンド‼︎」

 

 なんて呟きながら、また手を動かした。

 サラダ、焼き魚、お味噌汁を用意し、白米を御茶碗によそって、続々と食卓に並べて行く。雲一つ無くしたから、いつもの倍速で用意が進んだ。

 さて、サラダと箸も食卓に並び、お味噌汁をお椀に注ぎ、後は魚を……と、思った時だった。

 

「青葉、青葉ー」

「はい?」

 

 何かと思って顔を向けると、リビングと廊下を阻む扉の隙間から顔を出している美琴が見えた。

 

「なんですか? もうご飯出来ますけど……」

「今からリビング通るけど……良いって言うまでこっち見ないでね」

「え……」

 

 嫌な予感がビンビンにする。元々、ズボラな性格のこの人だ。いつかはこんな日が来る気もしていた。

 

「っ、わ、分かりました……」

「うん。ありがとう」

 

 察したら、何も聞かずに顔を背けるのが紳士的ムーブというものだ。もうすぐ魚は焼きあがってしまうので、この際だからしゃがんで魚が焼かれているコンロの中を覗き込む事にした。

 

「……おお。良い感じ……」

 

 なんて思っている時だった。ぶううぅぅぅぅん……と、耳に響く嫌な音。蚊ではない。蚊なら殺してしまいである。

 となると、何か……そう、蜂である。そして虫は、青葉の弱点でもあった。

 

「ぴゃあああああああああ‼︎」

「っ⁉︎ あ、青葉……⁉︎」

「みっ、美琴さっ……みっちゃ……美琴さんっ……た、たすっ……助けっ……!」

 

 心配して顔を出した美琴のお腹に、情けなく腰を抜かしながら這いずって出て来た青葉は抱きついて、押し倒してしまう。

 

「ひっ……はっ、蜂っ……! 死んじゃう、アナフィラキシーショック!」

「お、落ち着いて青葉……!」

「無理無理無理無理! ほんっっっと虫だけは……!」

 

 何せ、保育園にいた頃に刺されたのだ。というか、やたらと保育園の時は虫の被害に遭ったことが多く、ムカデにも咬まれて、給食で最後に取っておいたメロンに蝿が止まり、下駄箱で自分の靴を開けると誰のいたずらかゲジゲジとダンゴムシのてんこ盛りが出て来て、極め付けはお泊まり保育で気分が悪くなった友達の介抱をトイレでしていたら、カサカサとゴキブリが出て来て上履きの上に乗ってきたり……などと。

 とにかく、ダメなのだ。虫は。

 そんな中、ふわりと頭上に何かが乗せられる。柔らかいけど、何処かハリがある……手だろうか? 

 

「大丈夫だよ、青葉。あれミツバチだし、すぐ出て行くから」

「……い、いや蜂は蜂なので……!」

 

 撫でられている、と今になって自覚したが、怖いものは怖い。何せ、刺されたら痛いのだから。

 しかし、自分の頭を撫でてくれている美琴は「んー……」と声を漏らした後、静かに告げた。

 

「じゃあ……私と最初に会った時、酔っ払いに絡まれてたの助けてくれたでしょ? その時は、怖くなかった?」

「? こ、怖かったですけど?」

 

 なんだろうか、急に。まさか、蜂よりも酔っ払いの方が怖いとかそういう話? それはない。だって、蜂には土下座も命乞いも通じないから。

 

「私は、あの酔っ払いの人と同じで、人間で成人してて青葉より背が高いけど……私のことは怖い?」

「い、いえ……怖くないですけど……?」

 

 いや、可愛すぎて怖いとか綺麗すぎて怖いとか無防備すぎて怖いとかは色々あるが。

 しかし、まぁ全然普通に接する事はできるし、むしろ怖いと思うことの方が恐れ多い。

 

「それと一緒。ミツバチも、こっちから何もしなければ刺さないし、何もないとわかればそのうち出て行くから。……だから、落ち着いて」

「っ……」

 

 言いたい事を理解した。蜂は怖いものかもしれないが、その中には怖くないものもいるし、その怖くないものが今入ってきた種類の蜂、と言うことだろう。

 その後に、さらに落ち着きに拍車をかけるように、背中にも手を回された。一定のリズムで、ぽむっ、ぽむっ……と背中を叩かれる。

 

「……落ち着いた?」

「…………は、はい……」

 

 なんとか、気を取り戻した。それによって、しつれいながら意外な顔をしてしまう。

 それに気付いたのか、美琴は青葉に「何?」と視線で聞いてきた。

 

「あ、す、すみません……その、ちょっとだけ……意外だったので……」

「? ……ああ、慣れてるなって?」

「……は、はい……」

「まぁ、昔からユニット組んだ子、年下の方が多かったからね。初ライブ前に声かけてあげる事も多かったから」

 

 なるほど、と青葉は当たり前のことを理解した気がした。この人もこんな生活してるけど大人なんだな……と、今更になってしみじみと思った。

 

「ふふ……でも、青葉こそ意外だな」

「え、何がですか?」

「意外と、大胆な真似するんだね」

「? ……あっ」

 

 改まって、今の状態を理解した。上半身に服を着ているとはいえ、薄い黒のタンクトップのみの美琴のお腹に、顔を埋めている。

 何より困るのが、美琴の下半身は黒のパンツ一枚だった。つまり、自分は下着姿のアイドルに情けなく虫にビビり散らかして甘えてしまっているわけで。

 

「ふふ、甘えん坊さん。また虫が出たら、私に言ってね。助けてあげるから」

「……ー〜〜〜っっ⁉︎」

 

 オーバーヒートした。口を半開きにし、吐血しそうになったが、美琴の身体を汚すわけにいかない、と踏み留まる。

 代わりに口から漏れ出したのは、魂だった。

 

「……ぽえっ」

「? 青葉?」

 

 白目を剥いて失神した。

 

 ×××

 

 さて、そろそろレッスンの時間……なのだが、珍しくレッスンルームはおろか事務所にさえ現れない美琴に、ジャージ姿で待機しているにちかは少しだけ不安そうにしていた。

 実際、不安なのはそれだけではないが。昨日、余りにも態度が悪かったので、はづきに何度も叱られたのに、朝も怒られて少し気に掛かってしまっていた。

 ……ちょっと世話、かけさせてしまったし、後で甘いものでもご馳走しようかな……と、思っていると、ようやく事務所の扉が開かれた。

 

「おはようございます」

「おはようございますー」

「あ、美琴さん! おはようございます!」

 

 秒で忘れて出迎えに行った。

 

「おはよう、にちかちゃん」

「大丈夫でしたか? あのバカ助に何かされませんでしたか?」

「……大丈夫だよ」

 

 珍しく視線を逸らして答えられたのが気になったが、美琴がそう言うのなら信じた方が良いのだろう。

 

「そんな事よりごめんね、ギリギリになって」

「い、いえ! 遅刻したわけではありませんし……それより、何かあったんですか? 珍しくギリギリでしたけど……」

「うん。青葉が蜂を怖がって気絶しちゃってね……」

 

 そういえば、青葉は虫が苦手だ。この時期が苦手な理由も虫嫌いからきているし、妙な綺麗好きも害虫を排除したいと思っているからだ。

 そこで、にちかは思いついた。

 ……これは、青葉の株を下げるチャンス……! 

 

「あー……あいつ、男の癖に虫苦手ですからねー! ホント、情けないというかなんというか……苦手ならまだしも、怖がるってダサいですよね。女の人が平然と虫潰せるのと同じくらい性別の壁、超えちゃってますよねー!」

「私、ゴキブリくらいなら潰せるんだけど……女性らしくないのかな?」

 

 し、しまったあああああああ! と、頭の中でムンクの叫びの如く両頬に手を当てるにちか。というか、美琴さん虫潰せるの? 嘘でしょ? とギャップ萌えが起こり始める。憧れの女性ならどんな性質も萌えに変換されるのだ。オタクは。

 いや、そんなことよりも弁解しなくては。

 

「あ、いえよく考えたら、女性でも虫と戦えるのは、堂々としててカッコ良いなー!」

「ふふ……そっか。ありがとう。じゃあ、着替えて来ちゃうね」

「は、はい……じゃあ私、先にレッスンルームに居ますね!」

「うん」

 

 そのままにちかはダンスレッスンの部屋に向かった。

 とりあえず、ホッと胸を撫で下ろす。ついうっかり地雷に足を踏み入れそうになったが、ぎりぎりで避けられた。

 足を開いて柔軟ストレッチをしながら、しかし腑に落ちない……と、言わんばかりに悩む。

 しかし……青葉は虫嫌いではあるが、気絶するほどだったっけ? と、小首をかしげる。確かに木にしがみつくコアラのように、はづきに抱きついていたし、はづきがいない時はにちかにさえ助けを求める事もあった。

 ……でも、触りでもしない限り、気絶することなんて……いや、まぁ良い。あのバカはもう敵なのだ。

 青葉がいない事務所での時間は、自分と美琴がイチャつける最高の時間なのだ。そして……明日のテスト返却日に自慢する……! 

 そんな風に思っていると、レッスンルームの扉が開かれた。

 

「お待たせ。背中押そうか?」

「あ、は、はい!」

 

 たとえば、これだ。二人で密着して柔軟体操……あの男には一生無理な芸当だろう。

 ゲスい欲望やえっちな事を口にはするものの、実の所ウブ過ぎて思いつくだけでそういう事をしたいという欲望もないし、いざそういう空気になっても度胸がないので出来ないのはわかっている。身体に触れることさえままならないだろう。

 あと普通に運動できないから、彼自身も交ざりたがらないはずだ。

 

「お……にちかちゃん、柔らかくなったね?」

「えへへ……これでも、毎日お風呂あがりに柔軟しているので……」

「偉いね、じゃあもう少し強く行くよ?」

「はい! ……えっ?」

「よいしょっ……」

 

 あががががががが! と、脳内で奇声を発する。痛い。全然、もう少しじゃない。え、ヒバニーからすぐエースバーンになった? と、とにかく涙が浮かぶ。

 だめだこれ。流石に、流石に言わないと股裂ける。アマイマスクになる。

 そんな風に思って、口を開きかけた時だ。やたらと至近距離にあった美琴の美人な甘いマスクから、色っぽい声音が耳の中から脳に届いた。

 

「どう? イイ感じ?」

「はい、とっても!」

 

 反射的に答えた自分を頭の中で刺し殺しながら、ガッツで乗り切った。

 さて、終わった後は交代。ガニ股になるのを必死に抑えながら、美琴の背後に立つ。

 

「ふふ、にちかちゃんホントに柔らかくなったね」

「は、はい……」

「私も、負けていられないな」

 

 明日、ルフィみたいになってたらどうしよう……と、ふらふらした足取りになりながら背中に手をつけた。

 大丈夫、頑張れる。こうして美琴の背中に触れられるのは自分だけなのだ。青葉に言えば絶対、羨ましがられる。そう思えば頑張れる……! 

 

「じゃあ、押しますね」

「うん。強めでも良いよ」

「はい……!」

 

 そんなわけで、グッと押した。しかし、流石の柔軟性。大人になるほど硬くなると言われているが、美琴の身体は綺麗に少しずつ床に接着されるように吸い付いて行く。

 

「ねぇ、にちかちゃん」

「はっ、はい⁉︎ 強すぎますか⁉︎」

「あ、ううん。柔軟はこのままで。……あの、もし……仮に、なんだけど」

「はい」

「にちかちゃんに、とっても好きな男性アイドルがいたとして」

「……は、はい?」

 

 急になんだろうか? 

 

「にちかちゃんはついその男の人がパンツ一枚の時に抱きついてしまって」

「あの……どんな例えですか?」

「分かるけど、最後まで聞いて?」

「アッハイ」

「絶命しちゃったとする」

 

 いや、ほんと何の話だろうか? そんなショック死、あってたまるか。

 

「どうやったら、戻って来れる?」

「いや絶命したのに戻って来れるはずが……」

「ごめん、絶命は言い過ぎかも。呼吸してないで白目を剥いてる状態」

「それ絶命なのでは……?」

「ごめん、答えてくれる?」

 

 しかも声音が真剣だし。何一つ理解出来ないが……まぁ、たまには美琴にもそういう下らない話をしたくなることがあるのだろう、と思い、乗ることにした。

 

「そうですね……それ以上の刺激を与える、とかでしょうか?」

「それ以上……なるほど」

「えっと……なんだったんですか? この話」

「何でもないよ」

 

 本当になんだったのか……なんて少し別のことを考えていたからだろうか? 背中に置いていた手を、滑らせてしまった。

 

「きゃっ……!」

「おっ、と……!」

 

 そのまま顔を美琴の肩の上に置いてしまう。

 

「す、すみません……!」

「ううん。こっちこそごめんね。押してもらってる時に、変なこと聞いて」

「い、いえいえ! 面白かったですよ?」

「ふふ、なら良かった。……あの、それよりさ」

「? はい?」

「手を、離してほしいな。流石に恥ずかしい」

「?」

 

 言われて、視線を手がある下に向けた直後だ。美琴の両胸を、ガッツリ掴んでしまっていた。

 

「っ、す、すみませっ……柔らかっ……あ、いやすみません……!」

「いいよ、ホント。気にしなくて。私の不注意でもあるから」

 

 慌てて離れたが、両手にはいまだにずっしりした感触が残っている。……大きかった。そして、重かった。とても自分と数センチしか差がないとは思えない。

 ……もう一度触りたい〜……と、思ったが慌てて首を横に振った。今はもうユニットメンバーとはいえ、元ファンとして矜持は失えない。

 

「じ、じゃあ、もう一度押しますね」

「うん。お願い」

 

 とりあえず、柔軟を続けた。……これは、流石に黙っていよう。でも、向こうがその手の切り札を出してきた際のカウンター罠として一生忘れないようにしよう。

 お陰で、この時のにちかは「それ青葉にされたんですか?」という疑問を浮かべる事はなかった。

 

 ×××

 

 レッスンを終えた美琴は、今日は足早に帰宅した。普段はにちかと一緒に帰る事もあるのだが、どうやらにちかも姉に甘いものを買ってあげたいと別行動したので、普段より早く事務所を出ることが出来た。

 すぐに電車移動を終えると、タクシーを呼んでマンションまで足早に移動する。

 そして、部屋の中に慌てて入った。リビングのソファーでは、相変わらず身体の力が抜けている青葉の姿が目に入った。

 

「っ……」

 

 確か……強い衝撃を与える、だっただろうか? 男の子にとって、お腹に抱きつく以上の衝撃……考えてみたが、すぐににちかが答えを教えてくれた。

 その為、それを実践する。……どんなに鈍い美琴でも、多少は恥ずかしいし勇気も必要だったが、やらないわけにはいかない。人命に関わるのだから。

 

「っ……ふぅー、よし……」

 

 覚悟を決めると、青葉の手を取った。そして、緊張気味に自身の方に伸ばさせ、そして近づけていき……むにゅっという感触が美琴にも伝わった直後だった。

 ぱちっ、と唐突に青葉の瞳が開かれた。ロボットの目覚めのように覚醒され、思わず美琴はその手を離して、若干後ろに仰け反ってしまう。

 

「あれ……みことさん……じゃない、み……みっちゃん……?」

「おはよう……青葉」

 

 本当に素直な良い子だ。こんなアホな手段が通じてしまう程度には。

 が、それ故に青葉は美琴の顔を見上げると頬を赤らめる。思い出しているのは、気絶する前の出来事だろう。

 直後、その場で唐突に土下座し始めた。

 

「すみませんでした美琴さん!」

「あ、落ち着いて。みっちゃんで……」

「俺を、通報して下さい! やっては……やってはいけない事をしでかしてしまいました!」

「うん。でもわざとじゃないんでしょ?」

「わざとではありませんが……しかし!」

「なら、落ち着いて。わざとじゃないなら、気にしないから。……ね?」

「…………でも、俺は……」

 

 ……本当に、自分のどこに惚れてそんなに自身を律する事ができるのか、と不思議だ。

 あの時は確かに驚いたし恥ずかしかった。けど、自分のお腹の前で震えていた青葉を見て、それどころじゃない事を察したのだ。

 酔っ払いにさえ強く出れる彼が怯えていたのだから落ち着かせた、それだけの話だ。

 そんな時だった。ドオオォォォォンッッ……と、腹に響くような音が耳に届いた。二人とも、何事かと思って顔を上げる。ちょうど、窓の方から聞こえてきた。

 

「…………わ」

「……そっか。今日か」

 

 音の主は、花火。本日はお祭り最終日……つまり、花火の日だ。ドン、ドォォン……と、爆音で太鼓が鳴っているような音に、少しだけ二人とも魅入ってしまう。

 そんな中、ちょうど良い、と思った美琴は、青葉の手をひいた。

 

「青葉、出よう。ベランダ」

「え?」

「多分、絶景だよ。花火」

 

 言われるがまま、青葉は美琴と一緒にベランダへ出た。

 自分で言っておいてなんだが、本当に絶景だった。空へ何発もぶちかまされる火薬の花は、何度も何度も散っては咲き、咲いては散る。

 

「すごいね……これ、毎年やってるんだ?」

「は、はい……」

「にちかちゃんも、一緒に見たかったな」

 

 が、向こうは向こうで姉妹で仲直りしているかもしれないし、邪魔は出来ない。

 

「……来年こそは、にちかちゃんもはづきさんも一緒だね」

「……そうですね」

「ならさ、通報なんてするわけに、いかないよね?」

「っ……そ、それは……まぁ……」

 

 ニコリと微笑んで見下ろすと、青葉はハッとして俯いてしまった。

 

「い、意外とずるいんですね……」

「青葉の聞き分けがないから」

「…………」

 

 ちょっと悔しげな顔になった。生意気可愛い、というたまに聞く言葉の意味がようやく分かった気がする。

 

「じゃあ、もう気にしない?」

「……は、はい……」

「うん。良い子」

 

 頭を一撫でしてあげた直後だった。自分のお腹からぐうぅぅと情けない音が鳴る。

 横を見ると、青葉が意外そうな顔で自分を見ていた。恥ずかしい音を聞かれてしまった……が、まぁ気にするような事でもないので、誤魔化すように笑顔だけ浮かべた。

 

「締まらないね……」

「み、みっちゃんのお腹も、鳴るんですね……」

「鳴るよ、それは」

「……じゃあ、何か用意しますね。花火見ながら食べられる奴」

「花火、終わっちゃうよ?」

「30分くらい打ちっぱなしなので大丈夫ですよ。今始まったばかりですし」

「流石、地元の子」

 

 それだけ話し、青葉は部屋の中に引っ込んでしまう。その背中を見た後、再び花火に目を向ける。

 ……何か、さっきまでの感動が、少しだけ小さくなった気がした。同じ花火を見ているはずなのに。

 もしかして……と、思った時には、自然と背中を追っていた。

 

「……あ、青葉」

「? なんですか?」

「何作るの?」

「んー……30分しかありませんし、ちょうど面白いと思って買ったパンがあるので、ホットドッグでも……」

「私も……手伝える?」

「……え?」

 

 自分でも、その気になっているのに驚いた。けど、普通に考えれば、普段食事を代わりに作ってもらっているのは、美味しいからという理由以外にも、作ってもらっている時間をトレーニングに回せるから、というものがある。

 けど、今はトレーニングしないし、花火をただ一人で見ているくらいなら、彼のお手伝いをした方が良い……そんな気もした。

 自分でさえ意外に思ってしまっているのだから、当然、青葉も意外そうな顔をしているわけで。

 

「え……いや、変なアレンジ加えられると食べられなくなりますよ?」

「……つだう」

「え?」

「絶対に手伝う」

「良いですけど……」

 

 お腹に抱きついちゃったことで謝るくらいなら、そのたまに出る生意気で謝ってほしいと思わないでもなかった。

 さて、そんなわけで、青葉の部屋へ。なんだかんだ、青葉の部屋に来る機会はそう多くないので、いまだに新鮮に感じることはある。

 

「じゃあ、俺はウィンナー焼くので、パンを焼いてもらっても良いですか?」

「うん。任せて」

「パンの方が早く焼き上がるので、その後はレタスを挟んでおいてください。焼きすぎると熱くてレタス挟めなくなるので、気をつけて下さいね」

「分かった」

 

 と、テキパキと役割分担をする。出してもらったパンとレタスを受け取り、まずはトースターに入れた。

 待っている間、暇だったので青葉の手元を眺める。慣れた様子で、大きなソーセージを二本、フライパンの上で転がしていた。フライ返しで押し付けるように焼き、表面をカリッとするように焼き上げる。

 腕をまくり、エプロンも何もしていない姿で真剣な眼差しを火に向けている姿は、確かに料理できる男子がモテる、という噂にも頷ける。

 

「手慣れてるね」

「もう毎日作ってますから」

 

 声をかけても平気なんだ、と思っていると、パンが焼きあがった音がしたので、取りに戻った。

 お皿の上に二つ、乗せると、あらかじめ入っていた切れ込みにレタスを挟まないといけない。

 

「青葉、レタスって……」

「適当に手でむしって下さい」

「え、そんなんで良いの?」

「はい」

 

 まぁ、そういうわけなので、レタスを手で割いてパンに敷き詰めてみる。想像したのは、前にI○EAで食べたホットドッグ。どちらかというと、ソーセージのが多いくらいの感じで……と。

 

「出来たよ」

「じゃあ、ケチャップとマスタードを冷蔵庫から出して下さい」

「うん」

 

 言われた通り、それを出して流しの横に置いた。なんか……良い匂いしてきた。

 

「よし、こっちも上がり。パンもらっても良いですか?」

「うん」

 

 レタスが入ったパンを渡すと、器用にフライ返しに乗せたソーセージを落とすことなく持ち上げると、パンの亀裂に転がり込ませた。それを二度も成功させているあたり、偶然とかではないのだろう。

 あとは、マスタードとケチャップを程よく掛けるだけ。ボトルを二つ手に取った青葉は、ホントどこでそういう技術を身につけるのか気になるレベルで、置いてあるパンに向けて左右対称に斜め上からボトルの口を向け、揺らしながら二匹の蛇を描いた。

 

「す、すごいね……」

「そんな事ないですよ。慣れです」

「私でもできるかな?」

「慣れれば」

「やってみても良いかな」

「どうぞ」

 

 せっかくお手伝いしたんだから、この辺もやってみたい。

 

「まずは片方ずつから盛った方が良いですよ」

「了解」

 

 言われた通り、マスタードから手に取った。

 

「まずは少しずつ中身を端に出してみてください。それで、どのくらいの強さで握ると、どのくらいの量が出てくるか把握してみて下さい」

「ソースをサラダにかける時、特に意味もなく渦巻きにする感じ?」

「あ、はい」

 

 なるほど、と美琴はマスタードを手に取った。すでに形を成しているホットドッグの端から、少しずつ蛇行させていく。綺麗に、黄色い竜が出来上がった。

 

「……上手ですね」

「思ったより簡単だね……」

「じゃあ、今度は逆の手で」

「……うん」

 

 そうだ。両手でやるには、利き手じゃない方も使わないといけない。

 今度はケチャップを持って、少しずつ垂らす……が、聞き手じゃない方は力加減が非常に難しい。何より怖いのは、握り過ぎでケチャップがジェット噴射する事だ。

 なので、無意識に握る力は弱くなってしまうのだが……それはそれで、ケチャップの思う壺。

 

「あれ……中々、出ないなこれ……」

「あ、みっちゃん。上に向けない方が……!」

 

 詰まってる? と思うと、何故かひっくり返した時に強めに押してしまうのであって。

 ビュピュッと、少量のケチャップが噴射された。顔に飛沫が掛かりそうになり、反射的に目を閉ざしてしまう。

 

「……だ、大丈夫ですか⁉︎ 今、タオル……」

「ふふ、やっちゃった」

「っ……」

 

 ちょっと気恥ずかしくて、頬を赤らめたまま笑みを浮かべた。照れ隠しのつもり……なのだが、何故か青葉が頬を赤らめて目を背けてしまう。

 

「? 青葉?」

「……ほんとなんでそんな可愛いんすか……」

「え?」

「っ、い、いえ……なんでも。タオル持ってきます」

 

 聞こえなかったが、なんでもないと言うのなら、今はスルーした方が良いのだろう。

 台所から立ち去った青葉を横目で見つつ、再びケチャップを垂らし始める。青葉ほど綺麗ではないが、ちゃんと蛇行させた……が、散った飛沫のおかげで、黄色の龍が血反吐吐きながら飛んでいるみたいになってしまった。

 

「みっちゃん、はい」

「ありがとう。食べよっか。花火、終わっちゃうよ」

「そ、そうですね」

 

 なんだかんだ、後10分で花火は終わりだ。

 青葉と一緒に、今度は青葉の部屋のベランダに出た。二人で立ったままベランダの手すりに両肘を置いて、空を見上げる。

 

「うん……やっぱり、二人で見た方が綺麗だね」

「え……それで、お手伝いしてくれたんですか?」

「バレた?」

「っ……そ、そりゃ……今の聞いたら、わかりますよ……」

 

 また照れている。こういうファンの子の反応を見るたびに、また明日もレッスン頑張ろう、なんて思えてしまった。

 

「青葉」

「な、なんですか?」

「写真撮ろっか」

「え?」

「にちかちゃんには内緒で」

 

 そう言いながら、半ば強引に青葉と腕掴み、引き寄せるとそのまま肩に手を回した。

 反対側の手で、スマホを構える。花火が映るように調整し、ホットドッグも胸前に寄せた。

 まだ自分の顎くらいまでしか身長がない未成年の少年と、マンションのベランダでツーショット……こんな写真、283事務所以外の人間には見せられない。

 

「撮るよ?」

「は、はい……」

「笑って?」

「っ……無理です……」

「こちょこちょ」

「ひゃはっ⁉︎」

 

 脇の下に指を差し込み、笑みを浮かべた一瞬を狙った。写真を撮り終える。

 

「な、なんてタイミングで撮るんですか⁉︎」

「いや、笑わないから」

「絶対、変な顔してたじゃないですかー!」

「ふふ、大丈夫。笑ってはいるから」

「変である事は否定しない時点でお察しですよ!」

「消したかったら取ってみたら?」

「あっ……こ、このっ……!」

「あんまりジャンプすると、ホットドッグ落とすよ? せっかく作ったのに」

「どこでそういう悪知恵覚えてくるんですかもー!」

 

 なんてやりながら、今では283事務所関係者と家族と青葉以外に友達がいないと思っていたチェインのトプ画に、後でこっそりと変更した。たった一人、連絡先を残している奴がいたのを忘れて。

 

 ×××

 

「……病んだ」

 

 



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蝸角之争
幼馴染は兄弟より似る。


 この真夏の半休日でも、基本的に美琴の生活ペースは変わらない。暑さにかまけて自主練やトレーニングを疎かにするほど甘えてはいないのだ。

 今日も、美琴はランニングを終えて帰宅し、すぐにプロテインを飲む。ゴリマッチョになったら困るが、若さが衰えてくる年齢でもあるので筋力のキープは今まで以上に敏感になる必要がある。

 

「んっ、ごくっ……プハッ」

 

 元々、味なんて気にしない性格だが、やはりプロテインは美味くない。ここ最近……というより一ヶ月半ほど前から作りに来てくれている男子高校生の手料理に比べれば、何もかもが中途半端な味だ。

 それでも飲むのは、多くの人を歌と踊りで魅了するためである。

 そのためには、清潔さも少なからず必要なので、すぐにシャワーを浴びることにした。

 洗面所に入ると、ジャージとその下に着ていたTシャツを脱いで、下着も外す。運動する分には邪魔だが、魅了する分には十分すぎる胸が露わになった。

 つい最近、これの形を保つためのものが不要な伝統的衣装に身を包んでお祭りに行ったら、男子高校生に怒られたのを思い出し、ちょっとだけ笑みを浮かべる。

 ノーブラとわかったときに自分の胸元に目を下ろしていたが、彼も男の子だということだろう。あと多分大きい方が好みだ。

 もう10年、この世界にいるからか、それくらい分かる。なんなら、もっといやらしい視線を向けてくる男は多くいたから、あれくらいは可愛いものだ。

 ……いや、まだ分からない。彼はまだ高校生。これから先、もっとえっちになる可能性はある。

 

「それは……困るな」

 

 呟きながら、バスルームに入った。

 今よりもう少しすけべになるくらいならまだしも、あんまりいやらしい視線を向けてくるような子になられても困る。はづきがいるから大丈夫とは思うが、まぁ普段、食生活を整えてもらっているし、自分も彼の事は気にかけておこう。

 そんな風に思いながら、頭につづいて体を洗う。

 

「……ふぅ」

 

 青葉と言えば、にちかも同じだ。あの子でさえ自分に対し、たまに頬を赤らめながらチラチラと見てくる。もしかして、今時の女子高生も巨乳好きなのだろうか? 

 まぁ、割と一緒にシャワー浴びた事もあったので、気にする事もないのかもしれないが。

 何にしても、とりあえずユニットメンバーとして仲良くしておきたい。あの子も人のモノマネは上手なので、今後もダンスとかどんどん上手くなるかもしれない。

 さて、シャワーを浴び終えた。そろそろ彼がお昼ご飯を作りに来てくれる時間帯だ。今日は試験結果の返却らしい。散々だった学生時代を思い出しながら、身体の水気を拭き取って、新しい下着を付ける。

 

「……あ」

 

 私服を持ってバスルームに入るの忘れてた。彼がたまに来るのだから、ここ最近は気をつけていたのに……でもまぁ、ちゃんと家に入る時もインターホンを押してくれるし、下着のまま廊下に出ても平気だろう。

 廊下に出て、寝室に入った。とりあえず、とにかく暑いので薄着でいることにした。

 タンクトップと、太ももの半分くらいまでの長さしかない短パン。クーラーはなるべくならつけたくないので、窓を全開にして薄着でいることにした。

 

「ふぅ〜……」

 

 青葉が来るまで少し休んでようかな、と思い、ソファーに座った。そこで目に入ったのは、お祭りの時の戦利品だった。そういえば、ずっと机の上に置きっぱなしにしていた。デビ太郎の置物と……金魚を。

 

「……そういえば、金魚って餌あげないとだよね……」

 

 後先考えずに遊んでいたから、飼育する環境がない。どうしようかなーなんて考えていると、良いタイミングでインターホンが鳴った。

 

「あ、きた」

 

 パタパタと出迎えに行く。学生服姿の青葉が立っていた。

 

「おかえり」

「すみません、お待たせしま……な、なんて格好してるんですか⁉︎」

「えっ、部屋着?」

 

 なんか急に怒りながら目を背けた。この子、たまによく分からないのだ。

 

「う、上着きてくださいよ! なんで俺が来るのわかっててそんな薄着でいるんですか⁉︎」

「え、ダメ? このくらいなら良いかなって……」

「せめて上からシャツ一枚くらい羽織って下さいよ!」

「うーん……まぁ良いけど」

 

 さっきまで「すけべにならないように」とか考えていてこの行動だった。二人の基準は大きくずれてしまっている。

 仕方なく、部屋に一度戻って、シャツを一枚羽織ってから出た。

 

「はい。これで良い?」

「……また太ももが気になるなぁ……まぁ、さっきよりは良いですけど」

「えっち」

「お、男はみんなそうなんです! むしろ隠れてコソコソ見る奴よりマシでしょう!」

「まぁ、そうだね」

 

 それはその通り。見ないようにしながら、青葉は部屋に入ってくる。

 

「ご飯、何が良いですか?」

「うーん……冷たいもの」

「最近、そればっかりですね……マグロの漬け丼でどうですか?」

「良いね。それで」

「はいはい」

「あ、その前に」

「?」

 

 金魚のことを相談しないといけない。

 

「この子、元気ないんだけど、どうしよう?」

「え……お祭りの日からずっとこのまま?」

「うん。忘れてた」

「俺が預かります! そういうのは言ってください! 生き物ですよ⁉︎」

「ご、ごめんなさい?」

 

 また怒られてしまった。……というか、そっか。生き物か、なんて当たり前な事を実感してしまった。

 

「えっと……どうしよう」

「俺の部屋に水槽出してるんで、とりあえずその中に入れます」

「なんか……ごめんね」

「俺じゃなくてこの子に謝って下さい!」

 

 せっかく部屋に入った所なのに、すぐに出て行ってしまった。何も出来ないのは分かっているとはいえ、ちょっと任せっぱなしは申し訳なかったので、美琴も後を追って青葉の部屋に入る。

 この前は気づかなかったが、本当に水槽が日に当たらない部屋の隅に置いてあって、その中で金魚が漂っていた。

 その中に、金魚が入った小さな袋の水ごと、新たな金魚が投入された。

 後に続いて、青葉は餌を蒔いた。死にかけていた金魚だが、餌が目の前にふよふよと落ちてきて、なんとか口にする。

 そのまま、元々いた方と一緒に餌を回収するように食べ始めた。その様子を見て、少しほっと胸を撫で下ろした。

 

「生き返った……」

「じゃなくて、美琴さん」

「みっちゃん……」

「大人が話をするときはまず聞きなさい」

 

 え、大人と子供の立場が逆転する事ある? と思ってしまったが、実際してるし、珍しく割とマジで怒っている様子に反論出来なかった。

 

「いや、正直俺も美琴さんが金魚持ってるの忘れてたし、美琴さんが水槽とか持ってるわけないって考え付かなかった俺にも落ち度はあると思いますが」

「は、はい……」

「ちゃんと持て余すものがあるときは言ってください。金魚一匹程度なら、うちでも引き取れますので。俺は美琴さんと違って後先考えて行動してるので、私生活で困ったことがあれば、まず俺に相談をして下さい」

 

 なんかもう言ってることが普通に保護者のようにさえ感じてきた。一人暮らし生活はむしろ自分の方が長いはずなのだが……いや、長いだけだ。正しく一人暮らしをしているのは、むしろ短いはずの青葉の方だろう。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 反論の余地もなく、私生活において大人が学生に謝るというシュールな絵ができてしまった。

 その姿を見て、逆に申し訳なくなってしまった青葉は、少しだけ恥ずかしくもなってきて、目を逸らして頬を赤らめながら呟いた。

 

「……まぁ、分かってくれれば結構ですが……なんか、こちらこそ偉そうにすみません……」

「ううん。……それより、一つだけ良いかな?」

「はい?」

「せっかくの思い出だから……その、水槽は一緒だけど、私も一緒に飼わせて欲しいな。餌代も半分出すし、水槽の掃除も必要な時は手伝うから」

 

 言うと、青葉は少し驚いたように目を丸める。そして、ちょっとだけ照れたように頬を赤らめた。

 

「い、良いですよ……」

「ありがとう」

「せっかくなので、少し金魚のこと見ていってください。その間に飯、作りますから。たまには、うちで食べていってください」

「うん」

 

 言われるがまま、水槽に一番近い席に座った。青葉が料理をしている間、金魚だけでなく部屋の中を見回した。

 間取りは同じ……はずなのに、やはり別の部屋に見える。特に、テレビの棚。ゲーム機と、それに登場するキャラクターなのか、フィギュアが数体並んでいた。黒いモジャモジャ頭の、変なマスクをつけた赤い手袋に黒いコートを着た男、その隣のは知っている。スパイダーマン。もうさらに隣には、ガンダムっぽいロボットがいる。……あれは、プラモデルだろうか? その隣にはリザードンとヒトカゲが腕を組んで背中を向けてあって仁王立ちしている。

 ……意外にも、美少女フィギュアのようなものはなかった。

 ベランダの脇には観葉植物が置いてあって、壁にはカレンダーが下げられていて、本棚は漫画本が詰まっているが、所々にワンピースやドラゴンボールのキャラクターのフィギュアが設置されている。

 

「……」

 

 こうして見ると、彩りが自分の部屋とは全く別物に見えてしまって仕方なかった。

 こういう部屋で暮らすのも案外楽しそうかも……なんて一瞬だけ思ってしまったが、そもそも自分はあんまり部屋にいない。今日だって夕方からレッスンだ。

 だからやっぱり無縁かな……と、思いかけた時だ。でも、あのお祭りでとったデビ太郎はどこかに飾っておきたい。思い出だから。

 ……どこが良いだろうか? なるべく目につくところが良いのだが、自分の部屋はシンプル過ぎて置き場所が分からない。

 

「……ねぇ、青葉」

「なんですか?」

「この前、お祭りでとったデビ太郎あるでしょ?」

「はい」

「あれ、どこに飾ったら良いかな?」

「え……それは……い、インテリア的な意味で?」

「インテリアというか……なるべく目に付くところで、あっても不自然じゃなくて、何かあっても汚れない場所が良いんだけど」

「……」

 

 少し、青葉が黙った。何かあったのかと顔を向けると、なんかやたらと嬉しそうな表情をしている。

 

「? 青葉?」

「っ……い、いえ、なんでも……そうですね。寝室はいかがですか? 机の上とか」

「私の部屋に机ないよ。使わないし」

「じゃあ、ベッドの脇とか」

「私、布団だし、枕元に置いたら寝ぼけて踏んじゃいそう」

「タンスの上とかは?」

「開け閉めの振動で落ちちゃいそうで……デビ太郎、あんま安定感ないから」

 

 申し訳なく思いながらもことごとく断ってしまったが、青葉は真剣に顎に手を当てて考えてくれている。

 

「……家具が少ないと、中々難しいですね。そういうの考えるの。テレビも床に置いてましたよね」

 

 テレビ台とかあれば、その上に置けるのかもしれない。ちょうど、テレビを見る時に目に入るし、毎日視界に入る場所だ。

 

「じゃあ……今度、買いに行こうかな」

「え?」

「テレビを置く台」

「……」

 

 なんか、ホントに感激されてしまっていた。目をキラキラと輝かせて、自分をものすごく涙目で見ている。

 

「青葉?」

「い、いえ、なんでも……分かりました。俺夏休みだから基本、空いてるので、美琴さんが行ける時に」

「うん。……美琴さん?」

「……みっちゃんが行ける時」

「うん。楽しみにしてるね」

 

 約束して、そのままとりあえずご飯まで待機した。

 ……そういえば、自分のファンを名乗る割に美琴のグッズがないのは何故なのだろうか? と思ったが、とりあえず気にしないようにして。

 

 ×××

 

 その次の終業式の日。今日が終われば夏休みというが、午後は半休なので実質、今日から夏休みである。

 なので早速、その日にCD屋のバイトを入れていた青葉とにちかは、相変わらず喧嘩が勃発していた。

 

「はーあ⁉︎ だからなんであんたはそうセンスがカケラもないわけ⁉︎ そこは、もっと不均一さを出して見栄えを逆に良くするパターンでしょ! 眼帯がなんで厨二に受けてるか分かってんの⁉︎」

「お前こそデュオユニットだからこその均等さを多少なりとも保とうとは思わねえのか! これじゃあ8:2だぞコラ! 蕎麦かよ!」

「蕎麦良いじゃん! 美味しいし、春夏秋冬あらゆる季節で食べられるし! あんたの、6:4とかコントローラどこ握るか悩むだけだし!」

「バッカ野郎、あれがなきゃスマブラも出てねーだろうがよ⁉︎ ……いや、スマブラだけじゃねえ。3Dマリオとゼルダ、どう森、他にも色々、全ての原点だぞ!」

 

 と、徐々に話が逸れるのもいつも通りだ。

 青葉は昼から入っていたが、にちかはレッスンがあったので夕方から参戦し、閉店時間になって会議が始まった。

 ちなみに、SHHisのCDの販売開始は一ヶ月後である。まだ電話でそういう話が来ているだけで、店長が誰かと詳細を話したわけでもない。

 

「お前ら何の話してんの?」

 

 話に割って入ったのは店長。大きな声でなんか騒いでいるから肩を挟んできたのだろう。

 

「決まってるでしょう。SHHisの新CD売り場の会議です」

「またやってんのかよ」

「「やりますよ! 美琴さんの心機一転デビューですよ⁉︎」」

「お、おう? そっちの緑の子はその片割れじゃなかったか?」

 

 それはその通りだが、青葉にとっては「ちょっとあれだけ喧嘩してた相手を目の前で応援するのは恥ずかしい」であり、にちか的には「ちょっと自分を店員として推すのは恥ずかしい」である。

 

「「とにかく、美琴さんです!」」

「うん。まぁ分かった。とにかく、程々にな?」

「そうだ、店長はどっちが良いと思いますか⁉︎」

「え、また俺に聞くの?」

「こういうのは第三者じゃないと選べないので」

「いや待って待ってもうホント勘弁して」

「美琴さんとにちかの身長差をそのまま反映させ、ほぼ均一に見えて実は6:4にするか!」

「おい、一宮! 勝手にプレゼン始めんな⁉︎」

「実際のアイドルとしての経験差と性能差を活かして8:2にするか!」

「性能差とか自分で言うな! 俺はお前ならもっと上を目指せると思ってる!」

「「どっち⁉︎」」

「どっちも人の話を聞け!」

 

 最初は良かったのだ、店長にとっては。アルバイトとはいつでも決まって人が入るわけではない。一番少ない時期でバイトが三人しかいない時は地獄だったりもする。

 なので、高一から二人も新しい若い子が来るのは嬉しかったし、二人ともやる気があったし今でもあるので、店にとってはこれ以上にないほど、助かっている。

 しかし、ちょっとあり過ぎるのが問題だ。夜、日付が変わるまで平気で残るし、人を巻き込んで新卒から1年くらい経った社会人に見習って欲しい程の白熱した会議が繰り広げられている。

 特に、青葉は手先が器用で小道具とか作る事も出来るし、にちかも負けじと頑張って爆発的な伸びを見せてきた。

 ガロウと金属バットかこいつら、と思わないでもないが、とにかくその熱意は困るが……でも、若い子がやりたい事をしているのなら、止める事もないのかもしれない。

 

「はぁ……もう、分かったから。俺なら、一宮くんと同じかな」

「ほら見ろ見たかオラザマーミロハッハッハー(裏声)」

「どんだけ見れば良いのそれ⁉︎ なんでですか店長!」

「だって……七草さんだって、同じデビューだろ? 実力差もキャリアも関係ない。一緒に表に立つんだから、一緒に隣に立っとけよ」

「……て、店長……」

「そーそー。大体、美琴さんだけ贔屓するようなことしたら、怒るのはお前以上にお前の周りの奴に決まってんだろ」

「うぐっ……」

 

 なんだ、と店長は意外そうに目を丸くした。案外、青葉もそういうこと考えてたのか、と。

 流石、幼馴染。仲悪く見えるけど、ちゃんと相手のことも考えてあげてる……と、ホッとし始めたのだが。幼馴染ならではの越えちゃいけない一戦もあるわけで。

 

「ていうかお前、アイドルになったくせに自分の店で自分が大きく取り上げられるのが恥ずかしいだけだろ」

「‼︎‼︎ ッ……〜〜〜ッ、あ、あ〜〜お〜〜ばぁぁああああ‼︎」

「図星かよ! ていうか待て、トンカチは置け! それは流石にヤバいから!」

「……じゃあ、ちゃんと戸締まりしてから帰れよ」

 

 逃げるように店長はお店を出た。

 ……さて、残された青葉とにちかは追いかけっこを始める。

 

「にちか、悪かったから! 俺が悪かったから、ハンマーを置け!」

「それ禁句、私ハンマー大好きなんだから……」

「それは殴られる側のセリフだろうが!」

「じゃあ言って」

「言うかあ!」

 

 なんて話しながら騒いでいる時だった。青葉のスマホが鳴り響く。画面を見ると、緋田美琴の文字があった。

 

「待った! 美琴さんから電話!」

「尚更、出させるかああああ‼︎」

「良いのか? ここで俺を殺したら、美琴さんはここに来る。そしてここに来れば店長の証言もあって犯人はお前だと示されるだけだぞ!」

「! ……け、刑事ドラマの被害者もそうやって命乞いすれば良いのに、と思われるレベルの物言い……!」

 

 そう呟きながらも、にちかは足を止めてトンカチを置いた。さらにありがたく思いながら、青葉は応答するために足を止めてスマホを手にする。

 その直後だった。

 

「もしもし……」

「なんてなああああああ‼︎」

「ぐぉああああああああ⁉︎」

 

 綺麗な飛び膝蹴りが青葉の腰に入り、前方に転がり、壁に突っ込まされた。

 

「これでチャラにしてあげる」

「……すごく痛いんですけど……」

「あ、もしもし美琴さんですか?」

「勝手に出るな!」

 

 手から落ちたスマホを拾ったにちかは、無視して会話し始めた。

 

『あれ……にちかちゃん?』

「はい。にちかです!」

『こんな時間に青葉と一緒?』

「今日はバイトも入ってまして……はい。CDショップで。それより、バカに何か御用ですか?」

『うん。晩御飯、まだかなって思って部屋のインターホン押したんだけど、反応なかったから。……青葉は?』

「あの……その前に、一点だけ良いですか?」

『何?』

「……いつから、青葉を呼び捨てするようになったんですか?」

「おい、そこはいいだろ」

 

 青葉が身体を起こして言うが、んなわけがない。

 

「いいわけないでしょ、羨ましい! 私だって美琴さんと親密になりたいー!」

「なってんだろ、プライベートでお祭りにまで行くユニットメンバー! 俺だって美琴さんと一緒に歌とダンス踊りたいー!」

「あんた下手じゃん、両方。やめといたら?」

「……そうだな」

『私は気にしないよ?』

「して下さい! セミと鈴虫くらい聞きなじみに差があります!」

 

 美琴の言葉ににちかは反論した。実際、青葉の歌は酷い。中学の時、合唱コンクール三年連続でサボったくらいだ。ダンスも一度だけ、アイドルのモノマネとかしてみたが、なんかもう動物の求愛ダンスの方がまだ華麗に見えるほどだ。

 

「とにかく、私のことも呼び捨てでお願いします! ……あ、なんならにっちーとかでも……」

『うーん……でも、にちかちゃんは「にちかちゃん」って呼んだ方が、私の中で可愛いイメージがあるかな?』

「……!」

 

 何それ嬉しい。要するに、自分に合った呼び方……それも美琴の感性でしてくれているというわけで。

 

「し、仕方ないですねー。とっても嬉しいので、にちかちゃんでお願いします」

『うん。……それで、そろそろ青葉に代わってもらえるかな?』

「はーい」

 

 機嫌が良くなったにちかは、青葉にスマホを手渡した。

 

「青葉、美琴さんから」

「分かってるわ」

「電話越しに告白とかしたら殺すから」

「しねえよ! どんな身の程知らずだ俺は!」

 

 話しながら、電話に出た。

 

「もしもし、みっちゃん?」

『うん。今夜……』

「待って」

「なんだよ」

 

 ガッと肩を掴んだ。

 

「何その呼び方……お祭りの時だけじゃなかったの……⁉︎」

「めんどくせーな! なんか流れでこうなったんだよ!」

「ずーるーいー! 私もその呼び方……恐れ多いかな」

「なら絡んで来るなや!」

「でもあんた結局、身の程知らずじゃん」

「それは……そうだね!」

 

 なんて話して、青葉は美琴との会話に戻った。

 

「もしもし……あ、晩御飯ですか? はい……あ、すみません。すぐ戻ります。はい……バイトで、はい。あ、何かリクエストとかあります? ……分かりました。了解です。はーい……」

 

 すぐに電話を切った青葉は、ポケットにスマホをしまう。

 

「にちか、今日は帰ろうぜ。美琴さんの晩御飯作んないとだし」

「ていうか、今更だけどなんであんたが代わりに晩御飯作ってんの?」

「普段の食事をカ○リーメイトがゼリー飲料で済まされるからだよ」

「……」

 

 あり得そうではある。それなら、まぁ……むしろ食事を作ってあげるのはむしろ良い判断な気もしてきた。……お弁当の一件は許していないが。

 さて、それとさっき電話した時にもう一つ確認しておくことがあった。

 

「もう一ついい?」

「帰り、歩きながらでも良いか?」

「すぐ済むから」

 

 そう言うと、自分のスマホを取り出して青葉に見せつけた。

 

「この美琴さんのトプ画はどういう事?」

「……」

 

 帰り道は、ほとんど尋問に近かった。

 

 ×××

 

 さて、マンションに帰ってきた。……にちかも一緒に。

 

「みっちゃん、すみません。遅くなりました!」

「大丈夫だよ。遅くまでお疲れ様」

「美琴さん、お邪魔します」

「にちかちゃんも食べて行くの?」

「はい! 羨ま……狡……ムカつ……妬まし……羨ましいので!」

「結局、原点に戻ってんぞ」

 

 なんて話しながら、青葉はすぐに部屋に上がって手洗いうがいを済ませて台所に引っ込む。

 その様子を眺めながら、にちかは美琴と食卓についた。

 

「そういえば……私、美琴さんのお部屋って初めてかも……」

「あんまり面白い部屋でもないよ。家具とか少ないし」

 

 言われた通り、シンプル極まりない部屋だ。目に入る限りだと、ソファーとテレビとトースターと椅子と机だけ。雑誌は部屋の角に山積みにされていた。

 そんな中、ふと視界に入ったのはトースターの横。お祭りの射的屋で取ったデビ太郎が飾ってあった。

 

「あ、でもあれは飾ってあるんですね」

「うん。思い出だからね。……でも、金魚は青葉に預かってもらってる」

「うちにしか水槽がありませんでしたからね」

「え……お隣同士でペット飼うって……家族絡みの付き合いでもやったことないんだけど……」

 

 ジロリと青葉を睨むが、青葉は目を逸らして調理に集中する。

 まぁ、ご飯はちゃんとしたもの作ってもらわないと困るし、にちかも食いかからずに話題を続けた。

 

「そうなんですかー。……でも、なんでトースターの前なんですか?」

「飾るとこなくて。これを機会に少しインテリアにもチャレンジしてみようかなって思って。今度、青葉と家具を見に行くんだ」

 

 直後、また青葉はビクッと肩を震わせる。あの野郎、何処までも何処までもセコイ。

 

「……へー。それは楽しそうですね。……ねぇ、抜け駆け青葉?」

「違うよ、にちかちゃん。私から誘ったの」

「……むぅ」

 

 何それ楽しそう、と思わないでもない。というか思う。超行きたい。行こう。青葉にだけ良い思いさせられない。

 というか、仮にそうだとしても誘ってくれない時点で抜け駆けなのだ。

 

「私も行きたいです!」

「ダメ!」

「青葉には聞いてない! ……良いですか? 美琴さん」

「うん。もちろん」

「やったね!」

 

 ニヤリとほくそ笑むような笑顔を、青葉に向けた。料理中の青葉は、小さく舌打ちをする。

 

「ちっ……せっかく二人きりだったのに……」

「ふふ、青葉……前までは二人で出かけるなんてダメとか言ってたのにね?」

「うっ……そ、それは……まぁ」

 

 その気持ちはにちかにもわかる。そして、それが徐々に緩む気持ちも。少なくとも、一ヶ月は青葉は憧れのアイドルの日常に溶け込んでいるわけだから。

 ……だからこそ、写真を思い出させて蹴る作戦は割とうまく行くはず……! そう思い、意地悪を笑みを浮かべてやった。

 

「えー? じゃあもう、ユニットメンバーの私だけが付き添って、ただのファンの男子高校生は部屋でおとなしくしてた方が良くないー?」

「ほざくな評定平均2.9」

 

 まさかのカウンターパンチに、美琴が反応してしまった。

 

「え……にちかちゃん、3いかなかったの?」

「なんで美琴さんの前で言うの!」

「俺は4.3だったから」

「ホントにムカつく!」

「え……青葉、頭良いの?」

 

 聞かれた青葉は、頷いて答えた。

 

「いえいえー? 俺はただ当たり前のことを当たり前にやってただけですよ? むしろ、それが出来ない奴が4.0も超えられないわけでしてね? そこのナメックにちかのように」

「色だけで人に蔑称を付けるな!」

 

 本当に腹立つ男だ。人をからかう時ばかり饒舌になりやがって……いや、割と普段から饒舌ではあるが、それが煽りのパラメーターに傾くのだ。

 そんな時だった。少し悲しそうな笑みを浮かべた美琴が、寂しそうに呟いた。

 

「そっか……私も、最高成績で3.9だったけど……当たり前のことが出来てなかったのかな……」

 

 笑いが漏れた。頭の中で。口に出したら美琴を笑った、みたいになってしまうので必死に堪えた。もちろん、笑いの対象はキッチンに立っているアホである。

 案の定、しまった────! みたいな顔をしていた。

 

「い、いえいえいえ! 美琴さんの場合はアイドルやってましたし仕方ないですよ!」

「ちょっと成績良いからってああいう言い方して、最低ですよねあいつ」

「……」

「否定して下さいよー!」

 

 悲痛な声音をあげる青葉を眺めながら、ザマーミロと言わんばかりにほくそ笑むにちか。これは美琴からの好感度も下がったに違いない……と、思って美琴を見たのだが、いつもの不敵で素敵な笑顔を浮かべたままニコニコしている。

 この人……ほんとに青葉のこと気に入ってるんだな……いや、毎日お世話してもらっていて気に入らないわけがない、という見方も出来るが。

 すると、その美琴がにちかに声を掛けた。

 

「ねぇ、にちかちゃん」

「っ、な、なんですか?」

「青葉って……にちかちゃんには割とズバズバ言いたいこと言うよね」

「まぁ、付き合いは長いですからね」

「……私、ああいう友達いたことないからわからないんだけど……どんな感じなの?」

「むかつきますよー。……いや、最近はもう腹も立ちませんけど。デリカシー無いし、一々、突っかかってくるし、手を上げる事もありますし」

 

 でも、これだけ長く付き合いが続いているのは、やはりそれだけが理由じゃない事もちゃんと分かっていた。クラス替えしても、中学に上がった時も、結局疎遠になる事もなかったから。

 

「まぁでも……ストレス発散に近いものはありますね。もうお互い……それこそ本当にデリカシーがない……例えば『ヤらせろ』だとか『ブス』だとか言わない限り、何言われても特に何も感じませんから」

「ふーん……ちょっと、羨ましいな」

「え、何がですか?」

「私も……あんな風に男の子に言いたいこと言われてみたい」

「そんなことになったら、私は青葉を殺してしまいますよ……?」

「……うん、やめとく」

 

 やめとく、とは言っているが、美琴の視線は明らかに「どうやって言わせよう」と考えていた。

 とりあえず……美琴は三人で集まるときは、刃物を持ち歩かないよう注意することにした。

 

 



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互角の攻防。

 そんなこんなで、休日。テレビを乗せる台を購入するため、外出する日。そんな日でも、青葉のルーティンは乱れない。まぁ、ルーティンというか、隣のお宅のお世話だが。

 どちらかというと毎朝、早朝ランニングしている美琴に合わせるが青葉のルーティンだった。

 その朝食、後自分の部屋の洗濯物などを片付け、ようやくいつもと違う事をする。分かっていることだけど、一応聞いてみた。

 

「みこ……みっちゃん、テレビの大きさと、どの辺に設置する予定か、そして置く場所の範囲とか測りました?」

「え、まだ」

「ですよね。今から決めてもらえれば、測りますよ。メジャー持ってきました」

「青葉、嬉しいけど一言余計だよ?」

「え、そ、そうですか?」

 

 正直、意識的に言っているわけではないのが困ってしまった。

 だからこそ、直した方が良い癖のような気がして聞いてみた。

 

「あの……どういったところが、ですか?」

「別に、直してほしいとかじゃないから」

「え、そ、そうなんですか?」

「うん」

 

 ……じゃあなんで言ったんだよ、と思ったのも束の間、通じていないのを理解したように、少し照れ笑いを浮かべた美琴が微笑みながら言った。

 

「なんて……にちかちゃんと青葉みたいなやり取りをしてみたかったんだけど……難しいね」

「え……あ、そ、そういうことですか⁉︎ 無理ですよ!」

「え、どうして?」

「だ、だってにちかに言うようなこと、みこっ……みっちゃんに言えませんし!」

「言いにくかったら、みこっちゃんとかでも良いよ?」

「いやその方が言いにくいです! ……じゃなくて!」

「じゃあ……なんで逆ににちかちゃんには言えるの?」

「なんでって……付き合いが長いし……なんかこう……本気でリテラシー的な意味合いでやばいこと言わなきゃ縁とか切られそうにないし……」

「じゃあ分かった。私もそういうこと言われなければ、縁切らないから」

「あの……あなたホント何言ってるんですか?」

「一回だけ」

「……」

 

 なんか折れそうにないので、もう言うしかないのかもしれない。当たり前だが、失礼にも限度はあるし「ヤらせろ」だの「ブス」だのは論外。というか、崇拝する女神に「ブス」と言えるわけがない。

 ……そうか。にちかに言っているようなことを言えば良い。その上で、あまり貶してるような内容にならないように改変する。

 そんなわけで、指を差して少しだけ頬が赤くなってしまいながらも言ってみた。

 

「そ、そのおっぱい、本当に85なんですかー? 本当は88くらいあるんじゃないですかー?」

「……」

 

 すると、美琴はむっと少し考えた後、自分の胸を隠し、ドン引きしたような表情を浮かべた後、声を低くして返した。

 

「……最低」

「……けぇへ」

「あれっ? にちかちゃんって、こんな返しして……あ、青葉?」

 

 いしきはとんでいった。

 

 ×××

 

「で、青葉が倒れた、と?」

「うん……」

「まぁ、それならここに置いて行きましょう」

「いやそういうわけにも……」

 

 少し反省した。今更になって、ちょっとアホな事をした自覚はあった。ちょっと冗談が強烈過ぎたのかもしれない。

 

「大丈夫ですよー。こいつバカですし、すぐに目を覚ましますって」

「いやいやいや……そうでも……」

 

 ない、と言おうとした口が止まる。前に半日以上寝ていた事があるので、実際放置しても戻らない可能性はある。だが、その時は自身を触らせることで息を吹き返した。

 つまり、それを言うわけにはいかないのだが、割とマジでにちかは青葉を置いて出掛けたがっている事だろう。

 ……また触らせればいけるかな。でも、にちかの前でそれをやるのは……あ、そうだ。

 

「にちかちゃん」

「なんですか?」

「さっき青葉と話してたんだけど……まずはテレビを置く場所を考えないといけなくて」

「……確かにそれは大事ですね。まぁ、これだけものが少ないと、どこに置いても良い気がしますが」

「う、うーん……とりあえず、テレビの大きさだけでも測っておきたいかな」

「分かりました! 私やりますよ! 高さ、横幅、奥行きで良いですか?」

「あ、うん」

 

 横幅だけのつもりだったとは言えない。より正確に言えば、そもそもそんな細かく想定出来ていなかった。

 だがまぁ、とりあえずやってもらう。その間に、青葉を起こす。大丈夫、青葉の手を取り、身体の一部を触らせるくらい、5秒もかからない。

 そう思って、とりあえずジッとにちかを眺めた。すぐにでも起こせるように、だ。

 しかし、にちかはこちらをじっと眺めていた。

 

「? にちかちゃん?」

「メジャーとかありますか?」

「あ、うん。青葉が持って来てくれた奴なら……はい」

「ありがとうございます」

 

 そうだった。測るためのアイテムを渡さないと、長さなんて測れるわけがない。

 

「あの……美琴さん。何かありました?」

「な、何が?」

「いえ、さっきこっち見てたので、ご用でもあったのかなって」

「ごめんね、にちかちゃんが可愛かったから。耳に髪をかけるのも、綺麗だね」

「ーっ、えへっ、えへへっ……あ、ありがとうございます、美琴さん……! でも、美琴さんの方がとてもお綺麗です!」

「ありがとう」

 

 すごい、褒められて照れ、嬉しさ、そして謙虚さにここまでバランス良くリアクション取ってくれる子、中々いない。可愛い。

 さて、テレビの採寸をにちかが測っている間に、寝ている青葉の手を取った。それを自身に近づけた時だ。

 ……なんか、鼻がむずむずする……。

 

「……へっ、へ……へっくちゅっ!」

「ッ‼︎」

 

 思わずくしゃみをしてしまったと思ったら、口に何か入って変な語尾になる。

 だがそれより気になったのは、青葉が急に身体を起こしてしまったことだ。そして、辺りを見回す。なんだろう、彼に何か刺激を与えた覚えはないのだが。

 

「あれ……みっちゃ……」

 

 自分の方へ顔を向けた直後、ふと顔を赤くする。そこで、美琴はふと気が付いた。さっき口の中に入った異物……もしかして、青葉の指……。

 寝てる男子高校生の指を咥えるなんて、と恥ずかしさが頬を真っ赤に染めた。お陰で弁解が遅くなり、青葉もオーバーヒートした。

 

「……どういうことなの…………」

「あ、青葉⁉︎」

「え、起きたんですか? ……寝てるじゃないですか」

 

 やってしまった……と、美琴はため息を漏らしてしまった。

 

「いや、今一回起きたんだけど……また寝ちゃって」

「もー、美琴さんと出掛ける日に何度も寝るなんて、クソですね」

 

 言わないであげて、私の所為だから、と思っても言えないのが辛い。

 

「もうホントおいて行った方が良いんじゃないですかー? もしかしたら、疲れてるだけかもしれませんし?」

「でも……にちかちゃんだったらどう? 約束してたのに置いたままいなくなられたら困らない?」

「そんなの、こいつの自業自得ですしー」

 

 そう言いつつも、ちらりと倒れている青葉に目を向けるにちか。そして、しばらく黙り込んだまま寝顔を眺めた後、小さくため息をついた。

 

「……はぁ、分かりました。起こしてみましょう」

「ありがとう。起こせるの?」

「寝てる時も、美琴さん関連のニュースには敏感ですから」

 

 そう言うと、にちかは青葉の耳元に口を寄せ、そして囁くように告げた。

 

「……美琴さん、引っ越すって」

「やめて⁉︎」

「おはよう。良い歳して寝坊助」

「……にちか? なんか今、ものっそい衝撃的なニュースを聞いた気が……」

「気の所為だから。それより、早くテレビのサイズ測るの手伝って」

「お、おう? ……あ、みっちゃん。すみません、寝ちゃって……みっちゃん?」

「えっ、み、美琴さんどうしたんですか?」

「……いや、平気……でも10分くらい放っておいて」

 

 高校生二人に心配されてしまった。何故なら、今美琴は真っ赤にした顔を両手で覆って後ろで寝転がっていたから。

 そんな……そんな簡単な衝撃で良かったんだ……と。なんだか起こすために体触らせようとしてた自分が非常に恥ずかしくなった。正直、実際に触られた時より恥ずかしい。こんな大恥をかいたのは久しぶりだ。

 とりあえず、アイドルなりの切り替えという事で、別の事を考えて恥ずかしさを打ち消そうと、頭の中を高速で動かしていると、ふと思ってしまった。

 ……そういえば、気絶した時以上の衝撃を与えたら起きるわけだけど……もしかして、彼にとって自分の引っ越しは指を咥えられる以上の衝撃、という事なのだろうか? 

 

「……あ、むり……」

「「何がですか?」」

「だから放っておいて。お願いだから」

 

 ちょっと……好かれ過ぎていて、逆に恥ずかしい……なんて、久しぶりの情緒に陥ったまま、頭の中で新曲のダンスを復習して塗り替えた。

 

 ×××

 

 さて、採寸と切り替えも終えてマンションを出た。別に高級な家具が欲しかったわけでもないので、近所の家具屋さんへ向かった。

 美琴は変装用のサングラスを装着し、お店に入る。

 

「テレビを置く台……だよね。どんなのが良いかな」

 

 聞かれて、青葉とにちかは顎に手を当てる。せっかく、美琴がアイドルのトレーニング以外に興味を持ったこの機会……ついでだ。他の物も見て回って、視野を広げたい。

 そこまで、二人とも強く思ったのだが、余計な体型分がつくのだ。

 

 ──もう一人いるバカより良い物を探して美琴にアピールしながら! 

 

 と。

 そんなわけで、まずは青葉が美琴に声を掛けた。

 

「そういえば、みっちゃん。布団で寝てると仰っていましたけど、ベッドとかは考えてないんですか?」

「え、どうして?」

「ベッド、良いですよ。寝る所以外に装飾がつきますし、ぬいぐるみとかも飾れるので」

「そうなんだ……青葉はベッドに何か飾ってるの?」

「はい! 俺は……!」

 

 言いかけたところで口が止まった。自分がベッドに飾っているもの……緋田美琴の写真がデカデカと印刷されたクッション枕。まぁ頭を乗せて寝ているわけではないが、ベッドの角に立てるように飾り、朝イチで目を覚ましたらまず目に入るようになっている。

 ……でも、それを本人に言うのはちょっと恥ずかしかった。

 

「……枕を」

「それ布団でも飾れない? ていうか、枕って飾るって言うのかな」

 

 嘘は言わなかった。枕の用途で使ってはいないから。

 その様子を見ながら、にちかはほくそ笑む。ふっ、物を飾りというアプローチは自滅に繋がるんだ、と同じクッションを飾っているにちかは学んだ。先手必勝のつもりだったのだろうが、毒味の役割を果たしてくれてありがとう。

 

「美琴さん、ベッドの利点はものにもよりますけど、ベッドの下に引き出しがつけられるんですよ」

「引き出し? タンスじゃダメなの?」

「ダメって事はないですけど、部屋のスペースが空くじゃないですか。その分、たくさん物を置いたり出来ますよ」

「え、あんまり物置きたいわけでもないし……」

 

 そうだった。そもそも美琴は美琴オタクじゃない。美琴が出てる雑誌、CD、DVD、写真集を買って収納する必要はないし、美琴のライブで購入した限定品を傷つかないよう保存する事もない。

 そんなにちかを見て、絶好のキラーパスが飛んできたようにニヤリとほくそ笑んだ青葉は、今度こそと言うように提案する。

 

「ベッドなら、ベッド脇に電気スタンドとか置けますよ。ホテルみたいな感じで。その上に物を置くのは割と便利で、スマホの充電、電気スタンド、目覚ましとか……あと朝使うもの置いとくだけで、とても便利になりますよ!」

「む……なるほど。スマホを枕元に置けるのは良いかもね」

「はい!」

 

 ようやくまともなプレゼンできた! と、青葉は目を輝かせ、にちかはマズイと爪を噛む。

 少しノッた美琴は、顎に手を当てて朝使うものを考えてみる。

 

「歯ブラシとかあったら便利かも……」

「え、は、歯ブラシですか? 俺、歯磨き粉つける前に歯ブラシ一回流す人なんですけど……みっちゃんは流さないんですか?」

「あ、そっか。じゃあ、化粧ポーチ?」

「いやあの、化粧しないから分からないんですけど、朝イチでするものなんですか? 想像ですが、顔洗ってからーとか……朝飯食ってからってイメージのが強くて……」

「……じゃあ、青葉は何置いてるの?」

「えっ、お、俺はー……寝る前に読んでた漫画とか……」

「そっか……私は漫画とか読まないから、あんまりいらないかな」

「……」

 

 人の生活に合わせた家具をすすめるのって難しいなぁ……と、青葉が押し黙るのを眺めながら、にちかはニヤリとほくそ笑んだ。実用性という攻め口は良かったが、肝心なところが分かっていない。今こそ、さっきの切り口が使えるだろうに。

 

「美琴さん、そういう時は写真を飾ると良いですよ。嫌な事があった時とか、その日の夜に目に入ると元気がもらえますし、逆に朝、辛い日とかもそれを見ると勇気がもらえます!」

 

 自分もつい最近、そういう事があった。……期末試験当日、試験結果配布日、通知表が帰ってくる終業式に、美琴のライブの生写真を見て元気をもらっているという部分は丸々カットして。

 それを聞いて、少しだけピンときていないのか、美琴は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「写真……例えば?」

「家族とか、友達とか……ゆ、ユニットメンバーとかです!」

「……」

「っ!」

 

 青葉が「こいつ……!」という顔をするが、もう遅い。ユニットメンバーを押すために間を置いた上に、おそらく青葉の立ち位置で一番、当てはまる友達は真ん中にして印象を薄める作戦に出た。

 止めようにも「ありかも……」と、思ったのか、美琴はスマホの写真を選び始めてしまう。

 

「じゃあ……これ、現像しようかな」

「ど、どれですか!」

「わ、わーわー! みっちゃん、にちかの写真なんてそんな……!」

 

 見せてもらったのは、この前ベランダで撮った青葉とのツーショット写真だった。

 

「なんで青葉なんですかー!」

「こっ、こここ困っちゃうなー……俺なんかの写真でそんな元気もらえるか微妙ですしー」

「何まんざらでもなさそうな顔してんの⁉︎ それが一番、直近の思い出ってだけだから!」

「まぁ、少なくともにちかとの写真より良いと思われてるだけで俺としてはもう弾け散らんばかりの光栄に身を包まれてるよね」

「弾けて包まれんの⁉︎ そ、そもそも美琴さん、なんで青葉なんですか⁉︎」

 

 聞かれて、美琴は顎に手を当てる。

 

「うーん……確かに一番新しい思い出っていうのもあるけど……でも、青葉が一番近い距離で心身共に応援してくれてるから。……だから、青葉との思い出が良いかなって」

 

 にこりと微笑まれ、にちかは固まった。確かに、青葉は物理的にも一番、近くで応援しているし、食事も作っているから援護射撃的な意味合いでの応援も青葉は大きい。

 そんな風に言われては、にちかは何も言えなかった。……まあ、どうせドヤ顔している青葉にはボロクソに言うが……と思って横を見ると、青葉は顔を背けていた。……まるで、赤くなったのを隠すように。

 

「……あんたが照れても全然可愛くないんだけど。いつもみたいに煽ってくれた方がマシ」

「……うるせーよ」

「え、可愛くない? こういうとこ」

「うるさいです!」

「まぁ、でもベッドは今度かな。そんなにお金ないし」 

 

 結局か、と思う余裕もなく、美琴の後に続いて見て回った。

 

 ×××

 

 さて、そうこうしている間に、テレビを置けそうなスタンドを見に来た。元はと言えば、デビ太郎も一緒に飾るための台を見に来たわけだし、せっかくなら良さげなものを選びたい。

 色々並んでいるものを見て、美琴が声を漏らす。

 

「うーん……どうしよっか」

「デビ太郎だけ飾るんですか? それはそれで寂しい気もしますね……」

「え、そう?」

「あ、いえ。私はそう思っただけなので」

 

 思ったより共感してなくてにちかは困ってしまったが、美琴は顎に手を当てたまますぐに呟く。

 

「確かに……青葉のテレビは華やかだもんね……」

「いやいや、あいつはオタク趣味なだけですよー。美琴さんはゲームとか興味ないでしょう?」

「まぁね。……でも、そうだな……じゃあにちかちゃんの写真でも飾ろうかな?」

「えっ⁉︎ な、なんでですか⁉︎」

「せっかくだから」

 

 どんなせっかく⁉︎ と、思う前に……想像してしまった。なんかテレビの前に自分の写真飾られるのは普通に恥ずかしい。

 そんな中、青葉がまた口を挟んだ。

 

「みっちゃんは、DVDとかのデッキは無いんですか?」

「あるけど……どうして?」

「あるなら、テレビの下に置けると便利ですよ。配線をテレビに繋がないと使えませんし」

「あー……なるほどね」

「まぁないと思いますけど、ゲームもやるなら置き場所確保しないといけないから、テレビより広めの台座買った方が良いと思いますし」

「美琴さんがそんなのやるわけないじゃん」

「いや、今後の話。家具はその場の勢いで買うもんじゃないだろ」

「あー……そっか。じゃあ、どうですか?」

「えー、あー……どうだろ」

 

 考えてなかったんだな、とすぐに青葉は察しても口にしない。この人、本当に基本的にはアイドル関係以外に興味ないらしい。

 

「青葉とにちかちゃんはゲームとかするの?」

「まぁ、割と」

「私は青葉に誘われないとしません」

「嘘こけ。コテンパにしてやった日はずっと練習してんだろお前」

「し、してないし!」

「実力の伸びが夏期講習でメキメキアップ並みだよ」

「じゃあ……私もやろうかな」

「いやそんな金掛かるしやめた方が良いですよ。やりたい時はうちに来てくれれば全然、一緒にプレイしますし」

「ほんとに?」

「いやあんた何、さりげなく自分の部屋に美琴さん呼んでんの? そもそもファンとアイドルの関係わかってる?」

「お前が言うな」

 

 なんてまた喧嘩が始まった間に、美琴はどれにするか選び始めた。

 実際……DVDくらいは見られるようになりたい。自分のLIVEディスクが出た時の反省会用に。

 あと……念には念を入れて、デッキもう一つ分入るようにしたい。

 

「……うん。大きさはそんなものかな……」

 

 あとは、デビ太郎を置くのだが……それだけ置いても寂しいと言うし、他に何か置いた方が良いのだろうか? 

 美琴が黒の棚を指差して青葉に声を掛けた。

 

「青葉、これなんてどう?」

「テメェマジ……あ、はい。良いと思います。ただ、黒だとデビ太郎目立たないんじゃないかな、とは思いますけど」

「あー……なるほどね」

「色調で言えば、俺はグレーを選ぶかな……みっちゃん、派手なイメージないので」

「なるほど……」

「はー? あんたセンス足りなくない?」

 

 そこで競うように口を挟んだのはにちかだった。

 

「美琴さんなら、むしろ白でしょ。白って明るい色ではあるけど、美琴さんの部屋は周りも白だから馴染むし。美琴さんの綺麗で真っ白なイメージが超出ると思いますよ!」

 

 最後の部分は美琴に向かって言っていた。それに対し、美琴は笑顔で答える。

 

「ありがとう。そうだな……確かに、白も……」

 

 そう言いかけた直後だった。青葉は、にちかがにやりとほくそ笑んだのを見逃さなかった。

 

「待って!」

「な、なに?」

「みっちゃん、せっかく最初に買ったインテリアが周囲に溶け込むような柄で良いんですか? それに、テレビの近くでカレー食べて飛沫が飛んだら、白だと汚れ目立ちますよ」

「あ、あーそっか。汚れた時とかもあるのか……」

「大丈夫です。美琴さん。家具は古くなるほど、汚れるほど味が出てくるものです」

「あ、そうだね」

「だからってあからさまに汚れやすい色を選ぶ事ないですよ」

「うん、分かった。二人とも落ち着いて」

 

 ちょっと、青葉とにちかが白熱し始めたので落ち着かせた。よくもまぁ二人ともそんなに口が回るものである。まぁ、二人の言う事も別に間違いではないのだろうが。

 でも……こう言ってしまっては申し訳ないが、両方ともピンと来ない。

 

「……うーん……」

 

 考えてみたら、そもそも自分はなんで棚が必要なのかをもう一度思い出した。そうだ、デビ太郎……つまり、思い出を飾る為だ。だから、もし今後その手のグッズが増えた時、今デビ太郎に合うものを買っても、後になって合わないものを飾るだけなのだから、あまり意味はなさそうだ。

 

「二人とも」

「「なんですか⁉︎」」

「もう少し見て回ろう」

「分かりました。少し待っていて下さい。俺が最高の一品を用意してきます」

「は? 10年早いから。それを用意するの私です!」

 

 なんで息合わない方向に息が合うのか。そもそも、思い出を飾るものを買うのに、二人がいないと意味がないだろうに。

 笑顔を浮かべたまま、美琴は二人に自分の考えを言った。

 

「うん。気持ちは嬉しいけど、三人で見て回りたいな」

「なんでですか?」

「これは俺とにちかの、みっちゃんへの愛を競う戦いでもあるんですよ?」

「でも、これから買う棚はみんなで遊んだ思い出をまた並べていきたいなと思っているから、三人で考えて欲しいなって」

「「…………」」

 

 言われて、青葉とにちかはハッとして目を丸め、そして目をお互い別々の方向に逸らして頬を赤らめる。

 

「……まぁ、みっちゃんが言うなら、そうします……」

「足引っ張らないでよ、アホ葉」

「お前が言うな」

「じゃ、行こっか」

 

 キュン死寸前の笑みによって二人を引き連れて、見て回り始めた。

 

 ×××

 

「あ……これ。人をダメにするクッション!」

 

 急にそんな声を上げたのはにちかだった。それにより、美琴と青葉はそっちに顔を向ける。置いてあったのは、大きくて四角いクッション。見るからにもこもこしそうだ。

 が、形状よりその名前が気になった美琴は、キョトンと小首をかしげる。

 

「何それ?」

「腰を下ろすと、人の形にフィットするんですよ。ほら、大きくて形がない形してるから」

「なるほど……でも、なんでダメになるの?」

「気持ち良過ぎて立てないんですよ! これに座ったら」

「そんなに?」

「という売り文句ですから」

 

 意外とクリアな事を言うにちかは「そうだ」と声を漏らした。

 

「気になるなら、座ってみてはいかがですか?」

「え、いいのかな」

「結構、座ってる人いますよ。お試しで」

「流石に枕投げとかしたら怒られますけど」

「俺とにちか、小学生の時にそれやって怒られたしな」

「あーあったあった……って、美琴さんに余計なこと教えなくて良いから!」

「ふふ、二人の小学生時代のビデオとか、見てみたいな」

「「やめて下さい!」」

「て事はあるんだ?」

「「……」」

 

 にちかは「はづきにビデオ見せないよう言っておかなきゃ」と、そして青葉は「家にある思い出ビデオが詰まってる押入れに鍵かけなきゃ」と強く思ったりしている間に、美琴は座ってみることにした。

 

「じゃあ……座ってみようかな」

 

 そう言って、お試しで腰を下ろしてみる美琴。お尻をクッションの上に乗せ、体重を預けるように背中をかけた時だった。

 ふと「あれ、これ良い」と率直に且つ切実に思った美琴の表情を、見逃さなかった。

 そのまま、ホッ……と天井を見上げている。

 

「……ほんとだ。ダメになっちゃいそう……」

「「ンッ……!」」

 

 美琴より先に、高校生二人がダメになっていた。珍しくだらけているのに、やはり何処か気品と持ち前のクールさが漂っている姿を見て、二人とも思わず惚れなおしてしまうレベルだった。

 

「ほんと……何しても美しい……」

「新たな一面を見せてくれるたびに惚れ直させられる……」

 

 本当なら写真も撮りたいくらいなのだが、一応店内のためそうも行かない。

 どっちが切り出す? みたいなやり取りを視線でした後、にちかが「座ったら?」と言ったのを考慮し、青葉が言った。

 

「……あの、みっちゃん……そろそろ」

「もう少しだけ」

「え、いやこれ売り物ですし怒られ……」

「お願い、青葉。……あと、五分だけ」

「……」

 

 残念ながら、もう美琴はダメになってしまっていた。そして、そんな美琴に、まるで娘が甘えるように上目遣いで懇願されてしまえば、当然青葉のハートにもクリティカルヒットするわけで。

 

「し、仕方ないですねー」

「アホかあんたは!」

 

 隣のにちかが青葉の頭を引っ叩いた。

 

「お店で五分もクッションを試してたら迷惑だよ!」

「ちょっとくらい良いじゃないか、お母さん!」

「なんで夫婦みたいな呼ばれ方しないといけないわけ⁉︎ あんたが夫とか絶対に嫌!」

「みっちゃんだってたまにしか来ない所に来てはしゃいでるんだよ!」

「このタイミングでその呼び方、ほんとに娘っぽいからやめて!」

 

 だめだ、この男バカすぎた。もう完全に甘やかす気満々である。

 ……それならば、ここは自分しかいない、とにちかは覚悟を決める。美琴が嫌がるような事はしたくないが、これも美琴のためだ。

 

「はい、青葉。攻守交代。これで美琴さんを動かせたら、美琴さん愛は私の勝ちだから」

「…………は?」

 

 その一言で、魔法が解けた。

 

「待てコラ! それテメェ狡ィぞ!」

「知らないから! 自業自得でしょ⁉︎」

「このっ……!」

「はい、退いて!」

 

 強引ににちかは青葉を退かして、美琴の前に立ち塞がった。

 

「美琴さん! そろそろ……」

「にちかちゃん」

 

 相変わらずサングラスの奥でとろんとした瞳を向けた美琴は、にちかに向けて両手を広げた。

 

「おいで?」

「行きます!」

「お前の方が早ェじゃねェか! ふざけんな⁉︎」

 

 にちかは美琴の足の間に座り、後ろから抱き抱えられた。直後、背中のパイ圧と抱擁により、クッションに直接触れていないのに、美琴以上にとろんとした顔になる。

 

「おっふぅ……」

 

 陥落まで、僅か0.2秒だった。

 ダメだ、このクッションと美琴のコンビは強過ぎる。少なくとも自分とにちかには特攻ダメージが入り、藍染に護廷十三隊くらい歯が立たない……というか、にちかテメェ羨まし過ぎんだろ、と諦めかけていた時だ。

 

『一体いつから、鏡花水月を遣っていないと錯覚していた?』

 

 幻聴が聞こえた気がした。その時には遅かった。美琴の手は、自分にも向けられる。

 

「青葉も、おいで?」

「っ……!」

 

 これ、行くしかないのか? 行っちゃった方が良いのか? この女の花園に! そりゃ羨ましいとは言ったが、こんな所で美琴とほぼゼロ距離で甘えてしまって良いのか? 

 いやいやいや、良いわけがない! そもそも、入ったらまるで百合に挟まる男みたいで一番やっちゃいけない事だ。

 でも……身体が、言うことを聞かない……! と、キュッと目を瞑った時だ。

 

「お客様……店内でそのような事はご遠慮願いますか?」

「「「……」」」

 

 店員さんの無月で、にちかも美琴も無言で立ち上がった。

 

 ×××

 

 さて、改めて棚探しを再開し始める事、10分。美琴は足を止めた。

 

「みっちゃん?」

「どうかしたんですか?」

 

 それに気付いて青葉とにちかが声を掛ける。美琴の視線の先にあるのは、木製の台だった。足は黒い鉄製で二段になっていて、条件はそれなりに満たしているものだが……割と素朴なものだった。

 

「これ……良いかも」

「なるほど……アンティークな感じですか」

「よっしゃ。今度こそ白黒つけたら」

「いや、競争はもういいから」

 

 腕まくりして分離し始める二人を美琴は止める。にちかも青葉も「なんでそれが気に入ったんですか?」と思って視線で聞くと、美琴はその台に手を置いて答えた。

 

「なんていうか……ちょっと木製って良いなって思って……よくよく考えたら、私はこれから思い出になるものをこの台にどんどん並べていくと思うし、デビ太郎に合わせて決めちゃうと結局、後からミスマッチになると思うんだよね。……それなら、あんまり色調とかは気にしないで、これからたくさんの思い出が木になりますように……って意味合いで、木製のものにしたいなって思ったんだ」

「美琴さん……」

「みっちゃん……」

 

 二人揃って、思わず感動したように目を潤ませる。……それと同時に、家具を買うだけでそんな想いを込めてしまうなんて、ちょっとこの人可愛過ぎやしませんか? と、胸の奥をキュンキュンさせる。

 その美琴は、言ってから少し恥ずかしくなったのか、ちょっとだけ赤らめた頬をポリポリと掻いた。

 

「て、わけなんだけど……どうかな?」

「「優勝です」」

「な、なんで泣いてるの……?」

 

 こればっかりは二人とも競い合う事なく親指を立てて涙を流した。

 さて、そうと決まれば購入手続き。その辺は当たり前だが美琴がするので、にちかと青葉は少し離れた場所で待機。

 少し、二人とも感動してしまった。美琴が、まさかあんな風に思ってくれているなんて。

 それに引き換え、自分達はどうだろうか? 互いに負けないように意地を張るばかりで、美琴のことを考えてあげられていなかったのではないだろうか? 

 今日も、馬鹿みたいに競い合いにはなったが、競う前に優先すべき事は美琴である。

 

「……ねぇ、青葉」

「別に、言わなくても分かってるわ」

「……そっか」

「俺の勝ち。なんで負けたか、明日までに考えといてください」

「違う!」

「冗談だよ。……今後は、少しは喧嘩控えねえとな」

「うん。私達がギスって美琴さんがつまらない思いしてたら、意味ないし」

「……ん」

 

 流石、幼馴染。お互いの主張など手早く丸めて、すぐに今後を決めた。まだ夏休みは始まったばかり。もしかしたら、三人で出掛けることもあるかもしれないのだから。

 そんな風に思いながら、店の前で待っている二人が頭の中で握手をした時だ。

 

「お待たせ」

 

 美琴が戻って来た。……大きな段ボールを持って。思わず、青葉は半眼になる。

 

「……手で持って帰るんですか?」

「他にどんな手が……?」

「車で来たわけでもないのになんでそういうことするんですか⁉︎ 郵送とかあったでしょう!」

「大丈夫。そんなに家遠くないし、持てるよ」

 

 この人は本当に……と、少し呆れてしまう。……だが、そこで閃いた。これはチャンスかもしれない。男っぽさをアピールできる。

 

「っ……じ、じゃあ俺が持ちますよ」

「えっ」

「いやいいよ、別に。一人で持てるから」

「しかし、男として女の人に重たいものを持たせるわけにはいきませんから」

「ありがとう。……じゃあ、交代交代で持とうか」

「はい! 先に俺が持ちますよ!」

「ふふ、お願い」

 

 よっしゃ、と青葉は気合を入れる。

 その様子を眺めながら、にちかは不安げに声を掛けた。

 

「あ、青葉……やめといたら?」

「なんでだよ。女の人にこんな重いもの持たせられるか」

「いやでも私達そういうの青葉に期待してないから。お姉ちゃんにも手伝い断られてるじゃん」

「それ中一の時の話だろ? もう3年も経ってんだから大丈夫だって」

 

 そう言いながら、青葉は美琴が一度、地面に置いたダンボールの持ち手に指を絡める。

 

「よし、せーのっ……!」

 

 だが、びくともしない。あれ? と、青葉と美琴は小首をかしげる。

 

「どうしたの?」

「いやちょっと……大丈夫です」

 

 今度は両手の指を絡める。が、やはり持ち上がらない。いや、少し浮いたが、本当に少しなので地面に擦ってしまう。

 

「青葉?」

「いやほんと大丈夫なんでっ……」

 

 それでも、強引に両腕に力を入れ、上半身全体で持ち上げようとした直後だった。

 ゴキッ、と鈍い音がする。青葉の腰から。

 

「「えっ」」

「あっ」

 

 そのまま、青葉はダンボールに手をついたまま動けなくなる。心なしか、プルプルと身体が小刻みに震えていた。

 

「今すごい音したけど……平気?」

「……」

「……青葉?」

「……身体が、起こせない……」

「え、腰?」

「……」

「だから言ったじゃん……」

 

 ため息をついたにちかは、青葉の脇腹に容赦なく指を差し込んだ。

 

「ひゃふっほごっ……⁉︎」

 

 くすぐったさと痛みが同時に襲ってきて青葉は倒れそうになるが、それを美琴が支える。

 

「にちか……テメェ……!」

「自業自得でしょ。言ったじゃん、やめといたらって」

「……はい」

「えっと……どういうこと?」

 

 状況を理解できていない美琴が聞くと、にちかは真顔で答えた。

 

「青葉、運動音痴が過ぎるんです。まぁ、上半身だけでも見れば分かりますけど、ガリガリのヒョロヒョロですよ。昔から運動が苦手な奴で、握力に至っては小3から21キロのまま変化してませんから」

「え……」

 

 軽く引いたような視線が、美琴から向けられ、青葉の胸に突き刺さる。

 

「それでなんで持とうとしたの?」

「……お、男として……」

「たまにこういう見栄っ張りが出ます。アホなので」

「……」

 

 冷ややかな視線が美琴から向けられる。青葉は涙目だった。

 今度は美琴が説教するように青葉に告げる。

 

「……青葉、無理しなくて良いから。人には得手不得手があるんだから、見栄とかで無理するのはやめて。怪我されると困る」

「…………すみません。食事的に困りますもんね……」

「別にそれだけじゃないけど……まぁ良いや」

 

 そう呟いてから、美琴は青葉の腰をさすってあげながらしゃがんで、下から覗き込むように青葉を見た。

 

「立てる? 歩ける?」

「行けます。全然……」

「ほんとに?」

「……うそかも」

「はぁ……もう」

 

 さて、どうするかだが……まぁ、普通にタクシーがベストだろう。そう思って、美琴はスマホを取り出した。

 

「タクシー呼ぶね」

「あ、待ってください、美琴さん」

「ん?」

 

 にちかがそれを止めた。

 

「戒めの意味でも、ここは青葉にとって一番、罰になる形で帰りましょう」

「? 何?」

「テメっ……にちか、何する気だコラ⁉︎」

「耳貸してください」

「うん」

「どんだけ鮮やかなシカトしてんだ!」

 

 こしょこしょ、と美琴の耳元でそれを告げるにちか。嫌な予感がする……と、青葉の頬を冷たい汗が伝った。

 さて、その2分後。にちかがダンボールを持ち……そして、青葉は美琴が持った。お姫様抱っこで。

 

「おろして──────ー!」

「ダメー」

 

 崇拝するアイドルからのお姫様抱っこ、男が女性にお姫様抱っこされることへの客観視、それも真っ昼間からが重なり合い、青葉は羞恥で真っ赤に染まり上がった。

 怪しさがないわけではないが、辱めが9割を占める。

 

「じゃあ、帰りましょうか」

「うん。……にちかちゃん、大丈夫?」

「大丈夫です! ムキムキにちか計画、継続中ですので!」

「ふふ、そっか」

「いっそ殺せえええええええええ‼︎」

 

 一人騒ぐ青葉だが、美琴には効かない。むしろ、笑みを浮かべて、青葉にウインクを至近距離から放った。

 

「青葉」

「な、なんですか……⁉︎」

「騒がない」

「……は、はひっ……」

 

 ダメだった。勝てない。にちかとしても「羨ましい」より「ザマーミロ」が大きく勝っている。

 心臓がバックバクいっている青葉は身動きが取れない。腰の痛みで抵抗さえ出来なかった。

 それを抱えたままの美琴は、歩きながらにちかに声を掛けた。

 

「ちなみに、にちかちゃん。青葉って虚弱体質だったりするの?」

「いえ? 普通ですよ。ただただ運動不足です。泳げませんし、走ったら1分もたたずに息切れしますし、自転車は坂道を上がれません」

「それはー……ちょっと心配になるレベルだね。仮にも若人なのに」

「食事も3食揃ったバランスは摂っていますが、食べる量は少ないですし、太ってないのはその影響だと思います」

「お前何ここぞとばかりに余計な情報ツラツラと詠唱してんだ⁉︎ 覚えとけよホント!」

「青葉、静かに」

「は、はひ……!」

 

 黙らせてから、美琴は少し考え込むように空を見上げる。

 

「うーん……でも、それはそれで心配だなぁ。私とは違う意味で不健康だよね……」

「そうですね」

「うん。早朝にしてるランニング、青葉も一緒に走ろっか?」

「「ええっ⁉︎」」

 

 予想外の展開に、にちかまで声を漏らしてしまった。

 

「普段、私が面倒見てもらっちゃってるからね。私もお返ししてあげないと。……良かったら、にちかちゃんもどう?」

「! い、良いですね!」

「お、俺無理ですよ! そんなの、絶対迷惑かけ……」

「青葉」

 

 反論しかけた青葉を、美琴が黙らせる。そして、再びウィンクをしながら、言い聞かせているみたいなのに優しい声音で諭した。

 

「返事は?」

「……は、はひ…………」

 

 過去一番キツい夏が、始まろうとしていた。

 

 




長くてすみません。やってるうちにネタが浮かぶとついやり過ぎてしまう。次からは一万文字以内には収めたいと思います。


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最後に役に立つのは己の肉体。

 夏コミに非常に興味がある青葉だったが、行ったことはない。何故なら、熱中症で倒れる自信があるからだ。

 身体が弱いわけではない。インフルエンザの経験はないし、食べるもの食べてるから病気には強い。

 けど、本当に体力がない。環境の変化には弱かった。そんな青葉に新たな日課が増えようとしていた。

 

「……」

 

 現在、朝5時48分。正直、嫌な事がある日に限って目覚ましが鳴るより早く目が覚めてしまうのだ。

 だが、布団から出ようとしない。普段は起きたら朝の支度をほぼ自動的に始めるのだが、今日は動けなかった。

 ……何故なら、早朝ランニングに行くからだ。別に長時間行くわけでもない。

 今日は美琴は朝から事務所に行くので、早朝6時5分に部屋の前で集合。開始した後は、にちかの家の前に行って呼び出し、しばらく走った後はにちかの家の前に戻って来て、そこから二人のマンションに戻る。これを、6時40分までに終わらせ、帰って来て朝ご飯。その間に美琴は身支度をして、7時40分に家を出るそうだ。

 

「やだぁ……」

 

 ……そんな声が漏れる。正直、憂鬱だ。面倒臭いわけではないのだが、やはり苦手な事を好きな人に見られるのは気恥ずかしい。

 だが……そんな風に思えば思う程、時は早く進むものなのだ。ピンポーン……と、赤紙が家に届く。

 

「……」

 

 応答しないといけない。でも……勇気が出ない。これから、自分はボロカスになるまで走らされると思うと恐怖しかない。

 もう一度、インターホンが鳴った。耳を塞いで、布団の中に篭る。すると、布団の中に巻き込まれたスマホが光った。

 

 緋田美琴『起きて』

 緋田美琴『行くよ』

 

「……」

 

 そもそもまだ6時なので5分前なのだが、そんなのお構いなしと言わんばかりの様子だ。

 ……いや、でも自分のために時間作ってくれてるし……このままってわけにもいかない。

 仕方なく、返事をしてからもそもそと動き出した。朝飯を食う時間はないので、歯磨きと着替えを済ませた。

 口の中の感覚の気持ち悪さがまだ残っていたので、キシリトールのガムを噛んで部屋を出る。

 

「お待たせしました……」

「ううん、時間ぴったり……素敵な私服だね?」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 急に褒められ、少し頬が赤くなる。美琴と出かける時は変な格好は出来ないので、常に身だしなみには気を配ってはいるのだが、何故今日に限ってお褒めの言葉をいただけたのだろうか? 

 今日は、紺のセミワイドパンツの上に白いTシャツ、そして黒のサマージャケットを着込んで来た。……身長が足りなくて、少し背伸びしてる子供みたいになってる気がして怖かったが、そんな事もなさそうだ。

 それが少し嬉しくてはにかんでいると、冷たい声が飛び込んできた。

 

「ごめんね、ぬか喜びさせて。今のは皮肉だよ」

「え?」

 

 ピシッと凍りつく。え、美琴に皮肉言われた? とショックを受けるが、美琴は構わず続けた。

 

「……これから走りに行くのにオシャレしてどうするの」

「ダメなんですか?」

「ダメになるよ。服が」

「えっ」

 

 それは困る。高いお金出して、欲しかったゲームソフトを我慢して、正直オシャレはよくわからないながらにも自分で調べて購入した服なのに。

 

「汗だくになるし、服も傷むし、汚れるし、何も良い事なんてないよ」

「え、そ、そうなんですか?」

「うん。だから、着替えておいで」

「……は、はい……」

 

 そ、そうなんだ、と青葉は理解する。でも、どんな格好が良いだろうか? いや、普通に考えて美琴と同じジャージだろう。

 そこで、ふと閃く。美琴もジャージで、青葉もジャージ……つまり、ペアルックなのでは? と……。

 そう思うと楽しくなってきた。すぐに青葉は着替えに戻る。もっとも問題は、家にジャージなんてあったっけ? って感じなのだが。

 

「学校指定のジャージなら……」

 

 ……いや、それどちらかと言うとにちかとペアルックになりそうだ。

 他にジャージあったかなーと思いながら探している時だ。目に入ったのは……謎なヒロインXのジャージ。ゲーセンで取れそうだったから取ってみただけで使っていない奴。

 

「……でも、普通に恥ずかしいな……」

 

 しかし、そもそも運動なんてする気がなかったので他にジャージはない。

 

「……しゃあない」

 

 大丈夫、美琴がFGOなんて知ってるわけないし、見た感じは普通のジャージなので何も言われないはずだ。

 なので、着替えを済ませて、下半身はジャージが無いので適当な半ズボンを選んだ。暑いし。

 

「よし、行けます」

「……」

「っ、な、なんですか……?」

「ほんとに足細いね……なんか」

「あんま見ないでくださいよ……恥ずかしい」

「あんまりすね毛も生えてないし……もしかして、成長期とか来てない?」

「あんま見ないでくださいよ!」

「ふふ、ごめんごめん」

 

 成長期が来ていない自覚はあるのだ。背が低いわけでもないが、毎年同じずつしか背が伸びない。

 

「でも、運動しないから伸びないんじゃない? 子供の成長には適度な運動も必要らしいし。……ま、私は小さいままでも気にしないけど」

「良いんです、俺は。もう女の子にモテたい、みたいな願望は消しましたし。むしろ背が低い方が、美琴さんと一緒にいる時に姉弟と思われて都合が良いです」

 

 恋人と思われても嬉しいと言えば嬉しいが、それはファンが抱いて良い感情ではないし、一番迷惑なのは美琴の方だろう。

 

「ふふ……そんなに気にしなくても良いのに」

「しますよ。……こうして一緒に表を走るだけで、どこで誰が狙っているか分からないんですから……!」

「大丈夫、まだマンションの敷地内だから」

「すぐに外出るでしょ……」

 

 話しながら、自動ドアを出て外に出る。美琴がアキレス腱を伸ばし始めた。そっか、準備体操か、と理解して青葉も真似して運動する。

 

「青葉、アキレス腱短い。怪我する」

「あ、は、はい……すみません」

「あと、勢いをつけて規則的にやらない。ぐぐぐっ……と、ゆっくり伸ばす」

「わ、分かりました……!」

 

 言われるがまま、青葉はゆっくりと足首と脹脛を伸ばしていく。

 続いて、屈伸を始めたので、それに合わせて屈伸をした。美琴のペースに合わせればなんとか出来そうだ。

 今度は伸脚。膝に両手を置いて左右に体重をかける。既にレッスンに……そしてアイドルとしての活動に関係する事だからか、美琴の表情は真剣そのものだった。

 続いて、さらに膝を曲げて深く伸脚。

 

「あと、伸脚を深くするときは踵を浮かせないで、伸ばしてる方のつま先は上に向ける」

「わ、分かりました……わっ、と……!」

「フラついても良いけど、ちゃんと足は伸ばすようにね」

「は、はい……!」

 

 踵をつけて爪先を上に向ける……これが中々、難しい。ついお尻が地面に着いてしまうのだ。

 

「……仕方ないな。まったく」

 

 すると、美琴が呟いて立ち上がり、青葉の背中に回った。

 そして、両肩に手を置き、支えてくれる。

 

「はい、伸ばして」

「あ、す、すみません……!」

「怪我すると大変だからね」

「……っ」

 

 やっぱり、ちょっと恥ずかしい。情けないところを見られているから。でも、その反面でやはりちょっと嬉しかったり。あの、憧れのアイドルが自分の肩に手を置いて……。

 たまに忘れそうになるが、こうしてふとした時に思い出す事で初心に戻れる。自分は今、恵まれているのだ。

 そして、この恵みは一方的なものではなく、美琴の生活を支えるギブアンドテイク。ならば、可能な限り彼女の望みは応える。

 

「じゃあ、次は前後に体倒して」

「は、はい……!」

 

 気合が入った。彼女が自分の為に運動に付き合わせてくれるのなら、こちらも応えるべきだ。全力で。

 

「じゃ、回旋」

「はい!」

 

 次は、二人で身体を回し始めた。脚を大きく開き、腰を軸に前に倒した後、右から上半身を振り上げ、真後ろへ……と、思った所で、ふと美琴を見てしまった。……身体を後ろに反らすことで、胸部を真上に突き上げる美琴を。

 

「……」

「青葉?」

「っ、い、いえ……」

「準備運動は集中しようね。怪我したら大変だから」

「は、はい……」

 

 控えめに頷いて、準備運動を続けた。

 

 ×××

 

 さて、走り始めた。まずは最短ルートでにちかの家に向かう。場所はお祭りの時のルートを覚えているので、そこを走る。

 美琴は、いつもより真剣だった。本当に怪我などに気を配っているから。運動不足の子供が急に運動し始めたら、大きな怪我をするかもしれないからだ。

 それに、青葉は前に腱鞘炎になっている。また自分がついていながら病院のお世話になるようなことになるのは嫌だ。

 

「ふぅ……青葉、平気?」

 

 走り始めてから5分ほどが経過し、声をかけながら隣を見ると、青葉の姿はなかった。

 え? と思って後ろを見ると、既に青葉が走るペースは徒歩と変わらないレベルでヨタヨタとふらついていた。

 

「え、嘘でしょ?」

「ひぃっ……ふぅ……」

 

 慌てて引き返し、隣に立つ。割と本気で心配になってしまった。

 

「だ、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……! ここまではアップが終わった程度なので」

「うん。今そのアップ代わりのランニング中なんだ。まだ終わってないんだよ」

「と、とにかく、大丈夫です!」

 

 急に根性出してきたな、と思わないでもないが……それでも、彼が頑張ろうとしているのなら、美琴は少しは付き合わないといけない。

 ……たまには、こちらが頼られる立場になって、年上らしくしたい。そう思い、ペースを合わせて走った。

 

「あの、美琴さ……んっ」

「何?」

「先に、行ってくだ、さい……! 俺は後から、ゆっくり行くので……!」

「……」

 

 まぁ、確かにこのままでは自分の早朝ランニングの意味はあまりないが……でも、こちらが付き合わせた手前、そんなわけにはいかない。

 

「青葉、私の事は気にしなくて良いから。頑張ることに集中して」

「は、はひ……!」

 

 予定よりは遅くなってしまいそうだが、無理に速度を上げれば彼は間違いなく死ぬ。とりあえず、にちかに連絡だけはしておいた。

 

 ×××

 

 ランニングを終えて、朝ご飯まで作ってもらった美琴は、そのまま事務所に向かった。その後は、プロデューサーのコネで取って来てもらった雑誌の撮影。にちかと一緒にそれをこなし、夕方からレッスンだ。

 お昼を終えて、車に乗せてもらって移動している途中、美琴がスマホで調べ物をしているのに、運転中のプロデューサーが気がついた。

 

「美琴、何調べてるんだ? 次の振り付けのコツとかか?」

「あ、まぁ似たような感じかな」

「プロデューサーさん、レディのプライベートに踏み込むのはセクハラですよー。ねぇ、美琴さん?」

「え? いや別にどっちでも良いけど」

 

 相変わらず、にちかと美琴はあまりにも共感し合えない関係である。よくもまぁそこまで空振りし合えるものだと、逆に感心してしまうものだ。

 

「じゃあ、何を調べてるんだ?」

「1日で筋肉痛を完治させるマッサージのやり方」

「そんな便利な技があるわけがないだろ……というか、筋肉痛なのか? 意外だな。夏葉あたりに頼んだらどうだ?」

「いや、私じゃなくて」

「? え、じゃあ誰なの?」

「それは……」

「み、美琴さん……!」

 

 答えようとした美琴を、横からにちかが止める。

 

「美琴さん……青葉の事はなるべくなら、言わない方が良いのでは?」

「なんで?」

「いや、割と異端な関係ですよ、美琴さんと青葉は。……そもそも、成人女性と未成年の高校生ですから」

「うーん……確かに。でも、こういうのは隠してた方が大変じゃない?」

 

 何かボソボソ話しているが、何の話だろうか? 

 

「……それはそうですけど」

「隠すくらいなら、言っちゃったほうが良いよ」

「だ、大丈夫でしょうか……」

「ダメなら、その時はその時だよ」

 

 話はまとまったようで、すぐに美琴が結論を出した。

 

「実は、お隣の子なんだ。高校生の」

「え、こ、高校生?」

「うん。……実を言うと、私がここ最近、お弁当持って来れてたのとか、体調がすこぶる良かったのは、全部その子がご飯とか作ってくれたからなんだ」

「そうだったのか……」

 

 良いお隣さんもいたもんだ……というか、ご両親がよく許してくれているものだ。

 

「けど、その子……極度の運動不足で、それで今朝一緒にランニングしたんだけど……ちょっと、疲れ方が異常だったから、マッサージしてあげたいんだ」

「そういう事だったのか……その子にお礼言わないとな……機会があれば」

「あると思いますよー。私と幼馴染で、お姉ちゃんとも知り合いですし、一回くらいは顔を合わせる事もあるかも」

「へぇ……じゃあ、その時には挨拶しないとな」

 

 にちかの言葉を聞きながら、プロデューサーは割とマジで菓子折りを考えていた。そんなまだ未成年の子の肩に、ユニットメンバーの未来がかかっていると知ったから。

 

「その子、名前は?」

「青葉だよ」

「綺麗な名前だな……」

「お姉ちゃんはアオちゃんって呼んでます」

「可愛い子だよ。名前も、中身も」

「いやいや、可愛くはないですよー」

 

 なるほど……と、聞きながら、プロデューサーは情報を整理する。その子は美琴の部屋の隣に住んでいて、名前は一宮青葉。料理……というよりお弁当にまで気が回せるあたり、家事全般得意なのだろう。その上、アイドルに言われる程可愛い子で運動は苦手だけど、おそらくにちかと同い年で若く伸び代もある、と……。

 ……そんな女の子、他の事務所に取られる前に、うちでスカウトしたい、と強く思ってしまった。なんだ、その属性の盛りかたは。家庭的な女の子、というだけで大受けしそうなものだ。もちろん、その子にその気があるのなら、だが。

 まさか、料理が出来て美琴の部屋に入れて、可愛いとまで言われる子が男って事はないだろう。

 

「今度、会わせてくれるか?」

「良いけど……どうして?」

「色々とお礼したいからな。あ、良い筋肉痛に効くマッサージなら知ってるから、後で教えてあげる」

「ありがとう。助かる。にちかちゃんにも、後でマッサージしようか?」

「お願いします! じゃあ、私も美琴さんにさせて下さい!」

「良いよ」

 

 なんて話しながら、事務所に到着した。

 

 ×××

 

 さて、その日の夜。青葉は死んでいた。脚の激痛で。バイトがないのは幸いだった。あったら、レジカウンターから動く事はなかっただろう。

 とにかく、今日は一日、部屋から出る事はなかった。お陰で宿題はほぼ片付いたのはラッキーと言えるだろう。

 とはいえ、部屋の掃除も布団干しも出来なかったので、トータルでは損している。

 それでも後悔はしていない。美琴のためならば、これくらいのダメージなんともないから。

 とりあえず、そろそろ帰ってくる頃だろう。動けるようになっておかなくては。

 そう思って、立ち上がろうとした時だった。良いタイミングでインターホンが鳴り響いた。

 

「はーい……いでで」

 

 鍵を開けて扉を開けると、にちかとセットで美琴が立っていた。

 

「こんばんは。脚は平気?」

「晩御飯!」

「平気ですよ。挨拶くらい小学生でも出来んぞにちか」

 

 そもそも、にちかは何しに来たのか。またご飯食べていくつもりなのかもしれない。

 

「にちか、家で飯とか作ってやらんで良いのか?」

「いや、すぐ帰るよ? けど、その前に宿題借りようと思って」

「お前ほんとスゲェな。せめて夏休み後半に来いよ」

「夏休み後半に焦って宿題やりたくないし」

「前半に複写を頼みに来る方が性格悪いけどな!」

「勿論、報酬はあるよ? ……なんと、美琴さんがマッサージをしに来てくれました!」

「好きなだけ宿題持って行け! ……いやダメだろ、アイドルにマッサージされるファンとか!」

「いや、青葉。今の聞いちゃったら、流石にその本音と建前は無駄」

 

 美琴が苦笑いを浮かべながら口を挟むが、青葉は首を横に振るう。

 

「建前ではありません、マジでダメだと思ってるんです!」

「でも、マッサージはして欲しいんでしょ?」

「それはそうです!」

「じゃあ、話は早いね。ソファーあったよね? そこで横になって」

「うぐっ……し、しかし……今朝のランニングでもかなり遅くなって迷惑かけてしまいましたし……!」

「うーん……じゃあ、マッサージさせてくれないと許さない」

「えっ⁉︎」

 

 なんかもう面倒臭くなったようなことを言われたが、効果は覿面だった。従うしかなく、二人分のスリッパを用意した。

 

「宿題ならさっきほぼ終わったし、マジで好きなだけ持って行って良いよ」

「ありがと!」

「別にいい……っとと」

 

 疲れでヨロめく青葉の肩を、隣から美琴が支える。

 

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です……」

「無理しないで。他に人がいる時くらい」

「は、はい……!」

 

 ……やはり、幸福感が異常だった。もう嬉し過ぎて「やっぱり今くらい甘えちゃおう」と思ってしまい、そのまま部屋の奥に案内した。

 勉強していたのは食卓なので、その上にプリントやらノートが広がっている。それらを青葉が片づけ始め、科目ごとにファイルにしまった。

 

「はい、にちか。これ数学ⅠでこっちがOCⅠで、これ英Ⅰ……これ日本史と世界史。自由研究と読書感想文はまだ終わってないから。以上かな?」

「……え、この科目全部一日で終わらせたの?」

「動けなかったからな」

「すごいな……青葉、本当に勉強できるんだ」

「まぁ……そうですね。うへへ……」

 

 ぶっちゃけ、簡単な問題ばかりだった。休みが長いのだから忘れないようにやるためのもの。基礎問題しか出ていない。そのため、青葉にとっては楽勝が過ぎるので、普通にアニメ見ながら解いてた。

 それなのに褒められると嬉しくて、変な笑いが漏れてしまった。

 その横で、にちかが宿題を鞄に入れながらお礼を言う。

 

「いやー、ありがとねー青葉」

「じゃあ、青葉。ソファーで寝転がって」

「あ……は、はい」

 

 いよいよ、マッサージの時間だ。美琴のマッサージ、普通に楽しみだ。何せ、今朝は準備体操でかなり細かく指摘された。それはつまり、それなりに人の身体について精通しているという事だ。

 少し痛いかもしれないが、痛みより美琴に身体を触ってもらえるのがちょっと嬉しい……なんて考えながら、ソファーの上で横になった。

 

「青葉、背中に乗っかっても良い?」

「え、乗っかるって……?」

「跨った方がやりやすいなって。……重いかな?」

「いえ、美琴さんが重いなんて事は絶対にないので、どうぞ踏んで下さい」

「跨るだけだよ?」

 

 話しながら、美琴は青葉の腰の辺りにお尻を置く。青葉は興奮で変な声が漏れそうになった。実際、普通は漏れてもおかしくない所だろう。腰とはいえ、自分は今、憧れのアイドルのお尻に触れているのだから。

 しかし、そうはならなかったのは……憧れのアイドルのマッサージが、拷問のように痛かったからだ。

 

「ッッッ‼︎」

 

 いってえええええ太もも捥げる────ーッッとなるのを全力で噛み殺す。マジで意味わからんくらい痛い。いやマジでこれ取れちゃう。肉が。ただでさえ傷んでるのに、さらに痛みが激しく増した。

 そこで、ふと理解した。にちかが来た真の目的。色々とらしくない事していると思ったが、全ては自分を痛めつけるためか! 

 ふと、顔を上げると、にちかは「計画通り」と言わんばかりの笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 こいつ……と、思いながら下に目を逸らすと、にちかの脚が目に入る。なんか、所々赤くなってて、若干震えている。こいつも痛みをもらったようだ。

 

「どう、青葉? 気持ち良い?」

 

 それを聞かれて、ハッとする。いや、痛めつける事だけが目的じゃない……にちかとどちらがこの痛みに耐えられるか、それを勝負しているのだ。

 上等だ、と強く思った。にちか、お前にだけは絶対に負けられない、なんて強い意志を秘めて、マッサージに耐える。

 

「めっちゃ気持ち良いわ。マッサージとかあんましてもらった事なかったけど、こんなに良いものなんだなーうん」

「ほんと? 良かった……」

 

 美琴からも嬉しそうな声が漏れる。それを聞けるなら、拷問に遭うくらい構わない。

 

「でも……おかしいな。プロデューサーは『少し痛いくらいじゃないと効いてない』って言ってたんだけど」

「え?」

「もう少し、強めにいくね」

「ゑっ?」

 

 メキッ♡ と、快音が骨伝いに聞こえた。

 

「オッゴ……!」

「どう?」

「ち、ちょうど……少し痛いくらい、です……!」

「分かった。じゃあ、このままいくね」

「は、はひ……!」

 

 そのまましばらく、脚をマッサージされる。激痛に耐える中、美琴が少し声を漏らした。

 

「それにしても……青葉の脚は、本当に細っこいね。あんまり強く揉むとそれだけで折れてしまいそうだな」

「やっちゃって良いですよ。美琴さん」

 

 何でいちいち、余計なことを言うのか。というか、いつまでいるのか。あんまり居座っても不自然だろうに。

 

「お前うるせーよ。つーか帰れよ」

「は? 帰るわけないじゃん。青葉がどれだけ耐えられるか見ものだし」

「耐えるって何? ホワッツ? その言葉が出る意味がわからない。気持ち良過ぎてこのまま安眠しちゃいそうだから。むしろなんでお前耐えるって言葉が出て来た?」

「いやあんた自分客観視出来てんの? その格好、見れば見るほど情けないから。逆エビゾリ決められる寸前みたいじゃん。耐えられるのかなーって。むしろ、さっき少し痛いくらいって言ってたのに、安眠すんの? めちゃくちゃじゃん」

「いや俺こう見えて痛みには強いから悪いけど。だから痛みを気持ち良さに変換出来るから。だからこれむしろご褒美だから」

「何そのマゾっぽいセリフ。気持ち悪っ」

「ねぇ、二人とも」

「「はい」」

 

 崇拝する女性が一回口を挟むだけで二人とも黙るあたり、本当にすごいものだ。

 

「……私にも、同じくらい言って良いんだよ?」

「「それは無理です」」

「どうして……」

 

 ちなみに翌日、青葉の脚は全快していたので、同じように走って同じように足を痛めて、同じようにマッサージしてもらう日々が続いた。

 

 ×××

 

 その日の夜、にちかは家でドラマを見ていた。一人、ダラダラとソファーの上で寝転がりながら。

 夏休みというのは、なかなか良いものだ。前から知っていた事だが。何が良いって、勉強という一つのストレスがない事だ。しかも、今日はその解答を手に入れ、既に半分を片付けた後だから、この日は本当に伸び伸びと清々しく夜を過ごしていた。

 

「にちかー、ダラダラしてるけど、今日はランニング行ったのー?」

 

 そんな中、にちかにそんな声が投げかけられる。しかし、その問いにも楽勝だ。

 

「行ったよー、朝。お姉ちゃんも見てたでしょ?」

「じゃあ勉強はー? 宿題、またアオちゃんの後半になって写さないとダメーみたいなのはやめてよー?」

「大丈夫ー。もう半分終わってるからー」

 

 その直後だ。リラックスし過ぎていて、思わず失言に気づくのが遅れた。ハッとして顔を向けた時には遅かった。はづきは、鬼の形相で腕を組んでいた。

 

「まさか……夏休み序盤から、アオちゃんの写したのー?」

「え……い、いや自力で……」

「じゃあ、今から部屋を物色しても良いのねー?」

「だ、ダメ……!」

「どうしてー? 見られて困るものでもあるのー?」

「へ、部屋散らかってて……!」

「いつものことでしょー?」

「と、とにかくダメだから! 妹を信じられないの⁉︎」

「……」

 

 ため息をついたはづきは、スマホを取り出した。そして、電話を掛ける。

 

「もしもし、アオちゃんー?」

『すみません、はっちゃんからです。……はい?』

「ごめんねー、夜遅くに。美琴さんと一緒だったー?」

『あ、いや気にしないで。今、美琴さんの部屋で洗い物してるだけだから』

「じゃあ、単刀直入に聞くけど……にちかに宿題貸したー?」

『……』

「うん。明日、お説教するからねー」

 

 メチャクチャ怒られた。

 

 



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永遠に続く関係などなく、変化する。

 夏休み中は基本的に、青葉はバイトを多く入れている。もう少しで林間学校というのもあるが、何より少しでも親から送られてくるお金を使わないためだ。親は不自由しないお金を送ってくれるが、青葉は親になるべくなら頼らないようにしたい。もしかしたら、これはこれで反抗期なのかもしれない。

 さて、そんな青葉は、今日はにちか無しの一人でバイトをしていた。ここ最近は毎日のように朝から走っているので、全身の痛みに耐えながらのお仕事だ。

 

「……はぁ、死ぬー」

「そう言いながら、いつも熱心に仕事してくれるよね」

 

 そう言うのは店長だった。青葉の後ろで、肩に手を置いて言う。

 

「大丈夫か?」

「はい……これも、健康になるためです」

 

 店長には「少しは体力つけようと思って走り込みを始めた」と言ってある。嘘ではないし、美琴の事も伏せられるので良い言い訳だった。

 

「ま、そりゃ良い事だけどな……」

「とりあえず、お腹をナイフで刺されてもナイフの方が折れる肉体を目指します」

「目指すのは自由だから。頑張って」

「はい!」

 

 冗談のつもりだった、とは言えないが。

 

「でも、それなら明日からがちょっと不安だなー」

「俺、林間学校ですからねー」

「よく働いてくれる子がいなくなると、その後が怖いのよ。何の因果か、大体バランス良く働いてくれる子と全然、働かない子が集まるからな、店は」

「お土産、買ってきますよ」

「マジか」

「ハ○サブレとか」

「そんな日本のどこでも買えるものいらねーよ……」

 

 なんて話しながら、とりあえず仕事をしている時だった。

 お店に新たなお客様。現れたのは、スーツの男性と……緋田美琴だった。

 ズキッ、と胸の奥が痛む。あの大人な男の人は……美琴の彼氏とかだろうか? 

 

「ごめんな、美琴。ちょっと待ってて」

「うん。よろしくね」

 

 美琴は、サングラスをして顔は隠している。そこでハッとして、慌てて青葉は目を伏せた。

 マズイ、まさかバイト先に来るなんて……。とにかく、お互いに知り合いであることは隠さないといけないし、なんなら自分は店の奥に引っ込んでた方が良いかも……。

 そう思い、青葉は奥に引っ込もうとした……が、隣にいた店長が声をかけて来た。

 

「一宮、レジ頼むわ」

「あ、はい」

 

 え、なんで? と思ったのも束の間、店長はレジ裏から出て、スーツの男の方に向かった。

 

「お久しぶりです、283さん」

「お久しぶりです。今度発売されるCDの件で……」

「あ、はい。伺っております。どうぞ奥へ」

 

 あ、事務所の人か……というか、彼氏だとしたらデート中なのにスーツで出掛けるわけないか、と思い直す。

 とりあえず、何にしても美琴に正体はバレない方が良い。CDだけでなくDVDも売っているこのお店は、DVDに関しては空箱を棚に置いて、商品自体はレジの奥に置いてあるので、それを整理するフリをして逃げた。何か買う時には、レジの前に呼び出し用のベルがあるし、すぐに駆けつけられる。

 

「……」

 

 ちょっとだけ、美琴の方を見た。おそらくだが、あの283の人がここに来たのは営業だろう。今度、CDを出すという話があるから、それについてだろうか? 

 だが、こう言っちゃなんだが、普通そういう営業にアイドルを連れ回すものなのだろうか? いや、時と場合によるのだろうが、既に決まった話にまで連れ回すものではない気がする。それも、こんな小さなCDショップに。

 つまり、本来なら別の時間に来る予定だった所だが、どうしても時間が取れなくて今日きたのだろう。

 つまり、あのレッスン大好き美琴にとって、今の時間はロス以外の何物でもない。……にも関わらず。

 

『うん。よろしくね』

 

 と笑顔で答えていた。

 

「……どういう関係なんだ〜……」

 

 ……あの、基本的に他人に興味がない美琴が、心を揺らしているように見えた。気になる、気になる……! 

 少なくとも、それなりの信頼関係があるのは間違いない。……いや、あの男がマネージャーだろうとプロデューサーだろうと、いなければ何も始まらない人であることは分かっているのだが。

 ステージの上で輝き続ける(アイドル)と、その輝きを得るために陰ながら奮闘する(スタッフ)。二人の関係は徐々に信頼を越え、親密になり、やがて生物的反応により真愛を求め……やがて新婚へ……。

 

「そうなったら、俺は死んじゃう……」

 

 ゴヌッと壁に頭突きを放つ。というか、なんかおかしい。考えてる事が。いや、少し前までは「仮に美琴が結婚しても、また素晴らしいライブが見られるなら祝福したい」と思っていた。だって、アイドルだって人間なのだから、三大欲求は当然ある。

 ならば、恋愛くらい認めたって良い事だろうに……と、思うのだが、今はどうだ? なんか納得いかないし狡いし羨ましい! 

 

「グヌヌヌっ……!」

 

 唸り声を上げながら、再び美琴の方へ視線を移す。DVD売り場にある、ライブDVDを流しているテレビを眺めながら、顎に手を当ててブツブツと呟いていた。

 真剣な美琴も美人である事この上ないのだが、今はそれに見惚れるより悩みがむくむくと広がるばかりだ。あの、綺麗な横顔が、誰かに取られると思うと……。

 

「すみませーん」

「っ、は、はい……!」

 

 すると、呼び出しの声が聞こえた。レジの向こう側にいる美琴を見ていたはずなのに、レジの前にいるお客様に気がつかなかった。

 

「お、お待たせ致しました」

「マ○ベル作品見たいんですけど……おすすめとか順番ってありますか?」

「え? あ、あー……はい。では、売り場までご案内致します」

 

 ダメだダメだ、仕事に集中しなくては。頭を横に振るいながら、青葉はレジの後ろから「御用の方はこちらのベルを鳴らしてください」の立て札を置いて、その女性客と棚に向かった。

 

 ×××

 

 このお店に美琴が来たのは、普通にプロデューサーの用事のついでだった。CDの初回購入特典でブロマイドをつけるという話。

 そのために、少しでも多くの人にSHHisの曲を広めたいが為に、プロデューサーの知り合いの方々、一人一人に意見を聞いて回っているのだ。

 本当に自分達のために尽くしてくれる、最高の人だなーと思う。献身的な感じ……自分の隣に住んでいるファンの子に匹敵するものを感じる。いや、フットワークの軽さはそれ以上か。仕事として尽くしてくれる以上、ファンという枷がある彼よりも助けられている気がする。

 それだけでも、こちらの事務所に移籍して良かった、と思える程だ。私生活も仕事も支えてくれる人がいて、美琴としては助かるばかりだ。……周りから見たら、いつか刺されるよあんた、と思わないでもないわけだが。

 今はしばらく店内で時間潰し……と、思っている時だった。

 

「こちらにマ○ベル作品は並んでおります」

「こんなに沢山あるんですねー」

「伊達に10年以上、続いてませんから」

 

 ふと、隣の列から聞き覚えのある声。顔を向けると、青葉が接客していた。

 え、なんでいるの? もしかしてバイトとか? と、少しだけ狼狽える。でもまぁ、別にバレたって構わないだろう。自分だって今は客のようなものだ。

 でも仕事の邪魔は出来ない為、美琴はとりあえず……仕事中の青葉を観察することにした。この割とバカな少年はちゃんと仕事しているのだろうか? 

 もしかしたら、普段はあまり見られない姿が見られるかも、という意味でも一度は見てみたい。

 

「それで……どれを見たら良いんでしょうか? 私、ちょっと流行に乗り遅れてしまって」

「そうですね……どれも面白いんですが……少々お待ち下さい」

 

 そう言うと、青葉はスマホを取り出していじる。その後、すぐに画面を見せた。アベンジャーズの集合だ。

 

「この中で、見た目だけで良いので気になるヒーローはいますか?」

「え? えーっと……じゃあ、この黒い豹のヒーロー?」

「ブラックパンサーですか……カッコ良いですよね。自分も好きです」

「は、はい……! なんか、ヒーローなのに猫耳生やしてるのが可愛くて……!」

「分かります。性能は全然、可愛くないですが」

「えっ」

「では、これを見ましょう」

 

 それを聞いて、美琴も「えっ」と声を漏らしそうになる。自分も決してアベンジャーズシリーズに詳しいわけではないが、見る順番が複雑というのは聞いた事がある。

 なのに、そんなんで決めて良いのだろうか? 

 

「そ、そんな感じで決めてしまって良いんですか……? なんか、みんなはアイアンマンを見ろって言うんですけど……」

「それも間違いじゃないし、正しいとは思いますよ。でも、なんとなくアイアンマンに興味出ないから、当店にお越しいただいて、相談してくださったのでしょう?」

「は、はい……」

「けど、まぁ所詮は映画ですからね。なんとなく気になったヒーローを見て、さらに興味が出たらブラックパンサーが出るシヴィルウォーを見て下さい。それをまた別のキャラが気に入ったっていうのがあったら、そのキャラクターの単独作品を見てください。そんな感じで少しずつ輪を広げれば良いと思いますよ」

「でも……分からなくなったりしませんか? 話の続きとか……」

「でも順番通りに見てたら、ブラックパンサーの映画を見るのは、13〜14個目くらいになっちゃいますよ」

「えっ」

 

 それを思うと、美琴も少し理解してしまう。確かに、一番興味ある作品をそこまで待つのは苦痛かもしれない。

 

「気になる作品から、好きなように見た方が良いです。どの道、全部見れば話は繋がりますし、そこまでしなくても良いや、と途中でやめてもブラックパンサーは見られますから。自分もシヴィルウォーから見ましたけど、今ならトニースタークの失踪から、サノスのパッチンまで説明出来ますし」

 

 ……それを聞いて、美琴はちょっと驚いた。甘過ぎるくらいに世話焼きな青葉だけど、ちゃんとお客様の目線に立って接客出来るものなんだな、と。

 なんだか……意外な一面を見た気がする。

 

「……ご丁寧にありがとうございます」

「いえいえ。せっかく、お金をかけて時間を使って映画を楽しんでいただくのですから、これくらいは全然」

「いえ、正直……アイアンマンとかキャプテン・アメリカをオススメされると思っていましたから。そう言ってもらえて嬉しいです」

「自分なら、そうオススメされた方が良いなって思っただけですから。前に、バンシィが活躍するところが見たくてユニコーンをTSUT○YAで借りようとしたら、友達が『いやユニコーンだけ見ても話わかんないと思うから逆シャア見ろ。で、逆シャアだけ見てもチンプンだから、ZZ、Z、初代を見ろ』ってうるさくて……」

 

 確かにそれは鬱陶しいかも、と美琴は頷く。どんどん見るものを増やされると、途中で飽きてしまいそうだ。

 しかし、女性客の方は別の所を拾った。

 

「バンシィ、お好きなんですか?」

「え、ご存知なんですか?」

「勿論。私も大好きですから。あとリディも」

「分かります。綺麗でしたよね、途中までは!」

「ふゆはむしろ、ぐれた時の方が好きです」

「あーそれも分かるかも。『ガンダム、ガンダム、ガンダム……!』って唱えながら、バンシィに銃を撃ちまくってるとことか好きでした」

 

 ……なんか、少しずつ雑談に変わっていった。というか、なんか楽しそうだ。自分と接するときともにちかと話す時ともなんか違う。

 ……もしかして、趣味が合う相手と話しているからだろうか? あと相手の女の子、マスクと帽子をかぶってるけど、事務所で見たことあるような気がする。

 いや、そんなことよりも、だ。納得がいかない。あの男が、にちかと話す時に砕けるのはわかる。付き合いの長さや年齢もあるから。だから、いまだに自分と話す時はちょいちょい緊張するのも良い。

 しかし、何故初対面の客にもあんなフランクに話せるのはおかしい。それも、おそらく見た目からして年上の女性相手だろうに。少なくとも、自分と話している時よりは緊張していない。

 

「……」

 

 納得いかない。

 そんな風に思っていると、その女性客が時計を見た。

 

「あら、もうこんな時間。すみません、そろそろ行かないと」

「そうですか。じゃあ、レジへご案内致します」

「はーい」

 

 そのままレジに向かう二人。その背中をさりげなく追ってしまった。近くの適当な棚を見ながら、チラリと青葉を見る。慣れた手つきでバーコードを読み込ませ、袋に詰めながらお金をもらい、お会計を済ませた。なんか、料理中の手つきと同じ感じで終わらせていた。その女性客は出て行き、今は青葉一人である。

 ……声を、かけようか? いや、青葉は嫌がるかもしれない。プロデューサーに認知されるのも困るとか怒るかもしれないから。

 でも、知った事じゃない。何となく、納得がいかないので。

 

「あ……」

 

 と、声を漏らしかけた時だ。

 

「では、ありがとうございました。お邪魔しました」

「いえ、よろしくお願いします」

 

 プロデューサーと店長さんが頭を下げながら挨拶しつつ、レジの奥から顔を出す。

 青葉の横を通り過ぎる。

 

「お邪魔しました」

「ありがとうございました」

 

 挨拶も欠かさない。……なんか、普段の喀血したり鼻血出したりにちかと喧嘩したりが嘘みたいな振る舞いだった。

 

「……」

「美琴行……どうした? なんか機嫌悪そうだけど」

「何でもないよ。行こう、プロデューサー」

 

 話しながら、さっさとバイト先から出ていくために、プロデューサーの肘を掴んで引っ張るように出ていった。

 

「み、美琴? 何か……」

「何でもない」

「そ、そうか……そういえば、前に美琴が言ってた『青葉さん』って子はいなかったのか? にちかと同じバイト先だったよな?」

「いたよ」

「え、ホントに⁉︎」

「でも、今はその人の話はやめて」

「う、うん……?」

 

 そのまま、二人はショップを出て行った。

 

 ×××

 

 その日、バイトが終わってから青葉は家に帰り、悶々としていた。何に悶々としているか、そんなの決まっている。バイト中に来た美琴が立ち去る寸前、プロデューサーと腕を組んでいた(ように見えた)ことだ。

 なんだろう、あれは。一体、どういう関係なんだろう。普通、仕事上の付き合いだけで腕組みなんてするだろうか? いやしない。女の子と付き合ったことなんてないし、恋愛にクソの興味もないがそれくらいは分かる。

 ……いや、今の自分の乏しい想像力でさえこれだ。もしかすると……もう、子供が出来ているのかもしれない……! 

 

「アガああああああああああ‼︎」

 

 頭を抱えて部屋の中央で悶える。なんでか、なんでか嫌だ! 美琴が幸せならOKだと思ってたのに! 自分はこんな卑しい人間だったのか、と死にたくなる。

 ……そうだ、これはきっと自分が勘違いしているからだ。美琴にとって自分はドラえもんみたいな便利道具なのに、いつからか少し距離感を勘違いしていたのかもしれない。

 その解消のためには、幼馴染に頼むのが一番だ。

 すぐに電話をした。2コール目で出て、

 

「もしもし、にちか⁉︎ 急で悪いんだけど、往復ビンタしてくれない?」

『え……何言ってるの?』

「あれ、にちか。声が随分と綺麗で大人っぽくなったな……声変わりした?」

『うん。私だよ、美琴』

「……え?」

 

 慌てて画面を見るが、間違いなく電話の相手は「ムキムキにちか」になっている。

 

『にちかちゃん、はづきさんのお手伝いしてるから、私が代わりに出ちゃったんだけど……』

「…………」

『えっと……なんで往復ビンタ?』

「……すっ、すみません……失礼します……」

 

 流石に羞恥心をくすぐられるどころか踏み躙られた。何も信じられなくなり、電話を切ろうとした時だった。

 

『あ、待って。青葉』

「…………ふぁい」

『私で良ければやろうか? 往復ビンタ』

「え……い、いやダメですよ! アイドルがそんな警察沙汰になるかもしれないことは!」

『え、いやにちかちゃんもアイドルだし、アイドルじゃなくてもダメだと思うけど……』

「と、とにかく、結構です!」

『そ、そっか……私には、頼んでもらえないんだね……』

「え……」

 

 ……な、なんだろうか? その反応は。もしかして……。

 

「え、俺のことそんなにビンタしたいですか……?」

『え? ……あー、いや違くて。……ただ、羨ましかったから』

「ビンタが?」

『うん。ビンタから頭離そう』

 

 じゃあ何が羨ましいのだろうか? 本当に分からないので、電話を挟んでポカンとしてしまっていると、すぐに美琴が言った。

 

『私以外の人と青葉の距離感が』

「え……隣に住んでるのに?」

『違うよ。そうじゃなくてね……』

 

 そう美琴が答えた直後だった。その奥から『あれ?』と声が聞こえる。

 

『美琴さん、私のスマホですよねそれ?』

『あ、うん。見たら青葉の名前で震えてたから、出たほうが良いかなって』

『あ、すみません……なら、もうしばらく電話してて下さい。唾飛ばしてくれても全然、良いので』

『うーん……じゃあ、少しだけ良い?』

 

 そう言うと、美琴は青葉に声をかけた。

 

『私はね、青葉にもっとこう……フランクに……』

『やっぱりダメー!』

『えっ』

 

 なんか急に止められた。正直「もっとこう……」の先は聞こえなかったが、にちかが焦っているのなら、これはチャンスだ。

 

「みっちゃん、もっとお喋りしましょう! 俺、みっちゃんともっとお話ししたいです!」

『えっ……ほ、本当?』

「本当ですよ! むしろ、みっちゃんと会話するのが、俺の人生の楽しみなのです!」

『……そっか。ふふ、ありがとう』

 

 少し嬉しそうな声が聞こえたが、青葉に気にしている余裕はない。それよりも、にちかを言い負かして美琴とのお喋りタイムを得なければ。

 

「そうだ、みっちゃん! 今日の晩御飯は何が良いですか?」

『うーん……じゃあ、コロッケ』

「お任せ下さい! 極上のカニクリームコロッケをお口に入れて差し上げましょう」

『ふふ、楽しみにしてる』

『はい、そろそろ終わりー!』

『おーい、引っ込めにちかコラー!』

『あんたが引っ込めー!』

 

 なんて、そもそも青葉は自分が何を悩みにしていたのかも忘れて、にちかと徐々にまた口喧嘩が始まりそうになった時だ。その三人のもとに、また新たな声が加わる。

 

『おーい、そろそろ帰れよ二人ともー。もう、21時過ぎてるんだから。特に美琴、最近は常識の範囲内で居残り練習してるのに、帰るの遅くちゃ意味ないぞ』

 

 ……プロデューサーの声を聞いて、一気に思い出した。そうだ、あの腕組みはなんだったのか。そして、そもそもどういう関係なのか。

 

『じゃあ、今から帰るね。青葉』

『あ、ダメですよ美琴さん! また青葉のご飯を食べるなんて……せめて私も』

『にちかー? 今日の晩御飯当番、にちかでしょー?』

『あっ、待っ……』

 

 そのまま電話は切れた。

 ……いや、まぁ大丈夫だ。どうせ後から確認するタイミングは来る。今はー……とりあえず、明日の林間学校の準備を進めることにした。何かしていないと発狂する。

 

 ×××

 

「ただいまー」

 

 隣の部屋のインターホンを押して、第一声がそれだった。最近は、自分の食事のために遅くまで起きてくれている青葉のために、21時には居残りを止めるようにしている。何より、頑張った後のご飯は格別で楽しみだったりする。

 すると、控えめに隣の部屋の扉が開かれ、青葉が顔を出す。

 

「……お、おかえりなさい……」

「ごめんね、毎日。良いかな、ご飯」

「は、はい……あの、うちで食べて行きませんか?」

「良いの?」

「はい」

 

 話しながら、そのまま青葉の部屋に入る。……なんか、緊張がいつもの倍くらいになってる。この子、本当にどういう情緒なのか。

 

「……青葉?」

「な、なんですか?」

「何かあった?」

「い、いえ……く、クリームコロッケ、作っちゃいますねっ」

「うん?」

 

 最初から自分の部屋で食べるつもりだったようで、仕込みが終えられている。……けど、不思議なのはカレーの匂いも漂っている事だった。

 

「カレー?」

「あ、はい。ちょいちょい言ってたと思いますけど、明日から修学旅行なんで、美琴さんの明日のご飯だけでも作りおこうと思って」

「あー……そういえば、言ってたね」

 

 そう言う通り、部屋の中央には大きめの鞄も用意されている。既に準備は終わっているようだ。

 

「あと、金魚のご飯もお願いしますね。合鍵渡すので」

「あ、うん。任せて……え、合鍵?」

「はい。いや、勿論あとで回収しますよ。両親がスペアに置いといたものですから。……移すのも面倒でしょう?」

「じゃあ……」

「でも……寝室だけは見ないでくださいよ。本当に」

「分かってるよ」

 

 その辺は青葉も守ってくれている。一度も入りたいと言うどころか話題にも出さない。

 さて、そんな話をしながら、青葉は料理を開始する。美琴はその間、のんびり金魚を見学して待つことにした。自宅での食事を誘ってくれたということは、話す事があるという事だろう。

 なら、美琴は待つだけだ。

 フヨフヨと、金魚は水中を漂う。何を考えているのか分からないが、口をぱくぱくさせている。

 ちょっと可愛いかも……と、思う反面、これどっちが自分が掬った金魚だか分からない。

 

「……名前つけてあげたいな……」

 

 そのためには、何処かに差があるか探してみたが……あ、若干、模様が違う。黒っぽい模様があるのとないのがいたので、黒い方をアオちゃん、模様がない方をにっちーと名づけることにした。

 そんな事を考えながらのんびりと水槽の中身を見学する事しばらく、ようやく後ろからお母さんみたいな声がかかった。

 

「ご飯ですよ」

「はーい」

 

 そんなわけで、美琴はお手伝いしようと台所に行こうとすると、もうすでに食卓に食事が並んでいた。

 コロッケとキャベツ、あと漬物、お味噌汁に白米。それが二人分。

 

「おお、美味しそう」

「召し上がって下さい」

「うん。いただきます」

 

 二人で手を合わせて挨拶をする。まずは一口、早速おかずから口にする。美味しい。サクサクした中から流れ込んでくる滑らかな舌触りのクリーム。ホクホクだ。

 

「はふっ……おいひい……!」

「ゴホッ、ガフっ……!」

「? 青葉?」

「あの……急にキャラに合わない可愛い言い方するのやめてもらえませんか……食事も喉を通らないので……」

「っ……ご、ごめんね?」

 

 なんかちょっと嬉しかった。金魚を穏やかに眺めて、テンションが上がってしまったのだろうか? 

 でも……そういうリアクションも、青葉と付き合いを続けていくには、アイドルとして気をつけないといけないのだろうか? 

 

「でも、本当に美味しいよ?」

「……ありがとうございます」

 

 とりあえず褒めてみると、青葉はちょっとだけどこか悩みが見え隠れしている。

 ……悩みも、相談してくれないのかな……と、少しだけ思っていると、青葉が口を開いた。

 

「あ、あの……みっちゃん」

「何?」

「こんなことを聞いては大変失礼かもしれませんが……」

 

 失礼を承知で聞いてくるなんて珍しい……と、思っていると、青葉は真剣な眼差しで聞いて来た。どうやら、悩みを打ち明けてくれるようだ。

 

「今日、CDショップに来られたスーツの方と、付き合ってたりするんですか……⁉︎」

「え……何その質問?」

「いえ、お店を出る時、腕を組んでいるように見えたので!」

「組んでないけど?」

「え?」

「え、組んでるように見えたの?」

「は、はい……!」

 

 ……酷い誤解だ。そもそも、美琴としては青葉が自分にだけ硬い接し方しかしてくれない事に苛立ってあのような行動に出てしまったわけだが……まぁ、でもそんな事もない気がしたりしなかったりするので、今はやめておくことにした。

 

「いや、あれはさっさとお店出たくてプロデューサーを引き摺り出しただけ。組んでたわけじゃないよ」

「……そうなんですか?」

「うん」

「……そ、そうでしたか……」

 

 すると、青葉は少しホッとした。まぁ、プロデューサーも自分のために尽くしてくれてるし、頼り甲斐があるなーと思うことも多いが、別に恋愛的な目で見たことはない。というか、初恋もまだだし、恋愛感情ってよく分からない。

 何にしても、とりあえず大人しくホッとさせることにした。美琴は箸を置いた後、青葉の両手を包み込むように握り込んだ。

 

「ごめんね、青葉。ファンの子を不安にするようなことをしちゃって」

 

 すると、青葉はボッと火が出るように顔を赤くする。そして、視線を逸らして呟く。

 

「い、いえ……俺は美琴さんが結婚報告をしても受け入れる覚悟があるので、気になさらないで下さい」

「え、じゃあなんでそんな事聞いたの?」

「……え、あ……いや……その……」

 

 思わず聞いてしまうと、さらに赤さが増した。りんごか何かかと思う程に赤くなってテンパってしまう。

 なんだろう、この感じ。なんか……過去最大級にこの子可愛いと思ってしまった。しかし……今のやり取りのどこにそこまで赤くなる要素があったのだろうか? 

 不思議に思っている間に、青葉はテンパったまま言った。

 

「やっぱり往復ビンタお願いします! このゲス野郎って罵りながら!」

「ええ……」

 

 なんでそこに戻ってくるのか分からないが……まぁ、もう仕方ない。ここは落ち着かせるために手を打ったほうが良いと判断した。

 そう決めると美琴は立ち上がり、青葉の前に立った。

 

「じゃあ、往復ね?」

「お願いします……!」

 

 そう呟くと、美琴は右手を振りかぶる。青葉がキュッと目を瞑ったのに合わせ、その頬に手を振り抜いた。直撃の直前、速度をゼロに落として。

 ふわっ、と柔らかい頬に手が当たった直後、青葉は目を開く。それに合わせて、逆の手でも頬に手を当てた。

 

「はい、往復」

「……けへ」

「明日から、気をつけて行っておいでね?」

「…………きゅう」

「え、あれ?」

 

 気絶してしまった。

 

 



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旅先でだけやらかす奴っているよね。

 林間学校とは、校外学習と同じようなものである。お泊まりで勉強をしに行き、たまに出掛けて現地を班ごとに見て回り、夜は肝試しなどの催しもやる……まぁ、早い話が夏休みの間も、友達と仲良くするための催しだ。

 さて、そんな日の朝、青葉は荷物を持ったまま美琴に挨拶だけする。

 

「じゃあ確認です。カレーは?」

「温めて食べる」

「お昼は?」

「コンビニ弁当。ゼリーで済ませない。なるべく栄養を摂る」

「金魚は?」

「朝と夜に二度、ご飯をあげる」

「はい。よく出来ました」

「あの……私、大人……」

「じゃあ、よろしくお願いします」

「うん」

 

 なんていうか、完全にその辺は舐めていた。何せ、青葉は美琴の代わりに家事をしているだけで、美琴に家事を教えているわけではない。

 

「じゃあ、行って来ます」

「うん、気を付けてね」

「はい!」

 

 そのまま青葉はマンションを出た。今までが嫌だったというわけでないが、憧れのアイドルと離れ離れの生活が3日だけ始まるのだが、思いの外、嫌ではない。

 これから、どうしても感じてしまっていた緊張感から解放される、と思っているのか、謎の安堵もあったりした。

 何にしても、この三日間は羽を伸ばそう、と青葉は伸びをしながら出発した。

 そのまま学校に到着する。にちかは寝坊したらしいので先に来た。

 時間ギリギリになってにちかが滑り込んできて、で、しおりに書かれていることをつらつらと詠唱する発足式を終えて、バスの中に乗り込む。

 そのバスが出発してすぐの事だった。

 

「うわ、スマホ忘れた……」

 

 そう呟いたのは、バスの中の青葉。やってしまった。多分、顔洗う時に洗面台の前に置いたまま放置してしまったのだろう。

 ソシャゲのログイン出来ねーと思いながらも、まぁ仕方ないか、と思い直すことにした。だってないものはないし。

 ただ、自由行動の日はちょっと困るかもしれないが……迷子にならなければ平気だ。

 そんなわけで、ぼんやりと青葉は窓の外を見上げる。残念ながら、青葉は一人席。バスが走り始めて秒で酔った隣の席の男の子が教員の隣に行ってしまい、一人で暇そうにしていた。

 ……漫画でも持ってくれば良かっただろうか? 何にしても、ちょっとなんかモチベーション下がって来た……と、思った時だ。いつの間にか、景色は山の中になっていた。

 

「おっ……」

 

 土地勘について詳しいわけではないので、この辺の山々がなんて名前かは知らない。

 けど……綺麗だということはわかった。美琴にもお裾分けしたいなーと思ってスマホをポケットから取り出そうとしたが、入ってなかった。

 

「……あ、そっか」

 

 忘れたんだった。……やばい、スマホがないのって割と不便かもしれない。

 そんな中、クラスメートが窓の外を指差す。

 

「ねぇ見て! あの川めっちゃ綺麗!」

「ホントだ! 妹に送ってやろ」

「なんだお前。シスコンか?」

「そうだよ!」

「そうかよ⁉︎」

 

 なんて声音が聞こえてくる。……くそ、羨ましい。自分も送りたいが……残念ながら、送るための媒体がない。

 そんな中、前の席からにちかの声が聞こえてくる。

 

「わぉ、ホントに綺麗だ。美琴さんにも送ろーっと」

「にっちー、美琴さんってユニットの?」

「そう!」

 

 あの野郎……と、青葉は奥歯を噛み締める。中々、やってくれるものだ。こうなった以上は、自分も負けるわけにはいかない。

 

「よっしゃ……!」

 

 鞄から取り出したのは、班員が回ったお寺や神社などを記録するためのデジカメ。班内の撮影係なのだ。

 こいつで……自分も撮ってやる。もちろん、写真の速度では勝てないことはわかっている。だからこそ、自分は画質と多様性で勝負する。

 色んな景色を撮って、にちかが撮りそうもないものも撮って、それで任務を終えてやる。

 そう強く決めながら、青葉も窓から景色を撮り始めた。

 

 ×××

 

 翌日。目を覚ました美琴は、くぁっと欠伸をする。いつものルーティンで、もう目を覚ましたらまず顔を洗い、歯磨きをして、ジャージに着替えてしまう。まずは走り込みだ。今日も、青葉とにちかと一緒に……と、思いながら、お隣のインターホンを押そうとしてしまった。

 

「……あ、そっか」

 

 今日はいないんだった。ここ最近は毎日走っていたので忘れていた。まぁ、よくよく考えたら昨日から出発したのだから、昨日も走りに行っていないわけだが。

 まぁ、前までは一人だったのだし、問題はない。むしろ、ここ最近は青葉にペースを合わせていたので、汗のかき方が少ない気はしていた。たまにはガツガツ行きたい。

 さて、そんなわけで、走り込みを開始した。いつものルートを、遅過ぎず速過ぎずのペースで走る。

 

「ふぅ……」

 

 ……なんだろう。いつも聞いていた騒がしい喧嘩の声がしないのが、なんか物足りない。

 もしかしたら、あの騒がしさを自分はどこか楽しく感じていたのかもしれな……いや、普通に割と楽しいと思っていたし、今更思うことではない。

 じゃあ……今のこの感じはなんだろうか? もしかして……少しだけ寂しいのかもしれない。

 

「……終わっちゃった」

 

 いつもより速く走ってしまったからか、いつもより早く終わった。でもまぁ、今日は午前中から仕事だし、ちょうど良いのかもしれない。

 そんなわけで、とりあえずシャワーだけ浴びることにした。……そういえば、ともう一つ悩みがあったことを思い出す。

 昨日から、にちかからは多くチェインがきたが、青葉からは一通も届いていない。何回かチェインを送ったのだが、既読さえつかなかった。

 にちかに「青葉は?」と聞いたが「いますよ?」とは言っていたが。

 

「……はぁ」

 

 もしかして……割と自分は青葉にとって重荷だっただけなのかもしれない……と、少しだけ傷つく。

 というか、彼は自分の何処を気に入ったのだろうか? 家事は出来ないわけではなくしないだけ、その上で隣で一人暮らししている男子高校生に頼っているような24歳だ。

 ……こんなの、好かれるはずがないのかもしれない……。なんて、少しナイーブになって来てしまった。

 

「……はぁ、仕事行かないと」

 

 とりあえず、切り替えよう。我ながら、仕事する時の集中力は他のどれにも負けるつもりはない。仕事になれば、嫌なことは考えなくて済む。

 

「……よし」

 

 気合いを無理矢理、ねじ込むように声を漏らすと、出発の準備をした。

 

 ×××

 

 さて、一方。林間学校2日目となった青葉とにちかは、今日は自由行動の日。他の班員二人と一緒に、鎌倉の街並みを見学していた。

 

「おお〜……見てあれ。ワッフルだって!」

「あ、それこの前食べ○グで見た! 超美味いらしいよ」

「入る?」

「入るか!」

 

 悲しいかな、四人が興味あるのは、鎌倉の歴史的な神社やお寺より、あくなき食欲を満たす食物だった。

 本当に四人とも、美味しいワッフルがあるカフェに入る。

 

「ワッフルかぁ……サクサクしてるらしいよ」

「俺、ワッフルって袋に包装されてる奴しか食った事ねえわ」

「私もー。青葉が作った奴しか食べた事ない」

「え、お前作れんの?」

「一宮は逆に何なら作れないの?」

「食材が手に入らない奴は作れない、かな」

「「カッケー」」

「気持ち悪いでしょむしろ……」

 

 にちかには駄々滑りだったが、青葉のキザな台詞は他の班員である半田くんと陰田さんはノリノリな返事をした。

 そんな中、半田が三人に質問した。

 

「てか、お前ら夏休みの宿題やった?」

「俺はやった。読書感想文も終わったし、あとは自由研究だけ」

「早ぇーな……」

「ちょっと全身が痛くて身動き取れない日があったからな……」

「何それ。呪われたのか」

 

 いろいろあったのだ。走り込みだとか、走り込みだとか……あと、走り込みだとか。

 

「私も終わったよー。ていうか、さっさと終わらせないと後がめんどーじゃん?」

 

 そう言ったのは陰田。青葉以上の成績を誇る彼女は、特にFate……ではなく歴史が好きで日本史と世界史、地理などの社会系の成績は学年トップである。

 

「ちっ……優等生どもめ……今度、写させろや」

「やだ」

「拒否」

「ケチ……七草、お前は?」

「えっ、わ、私はー……」

「俺の写してたら、それを姉にバレて怒られて、教科書の問題を解くタイプの宿題だけやり直しくらってたよ」

「「うーわ……」」

「う、うるさいなー! 見せてくれた青葉だって、同罪って言われて怒られてた癖にー!」

「やってないよりマシだから」

 

 それはその通りなので、にちかは何も言い返さずに押し黙る。すると、その四人の元にワッフルが運ばれて来た。ケーキのように、大きめの丸く薄いワッフルが一枚。これを四人で割り勘する。

 

「おお〜、美味そう」

「それな。香ばしい香り……」

「ふおお……写メ、写メ」

「ツイスタにあげるのはやめてね。先生に見られたらアウトだから」

 

 なんて話を聞きながら、青葉は顎に手を当てる。美味しそう……確かにそれはそう。もし、これを舌で盗み、美琴さんの前に出してあげられたら……喜んでもらえるのでは? 

 そう思うと、やる気がもりもり湧いて来た。とりあえず、鼻腔に神経を集中させる。

 ……バターの香り。それと、添えられているハチミツも仄かに香り、完璧なブランド。

 

「……写メ写メ!」

「そこ、うるさい。集中させて」

「な、何に……?」

「香り」

「ガチ勢かよ! てかなんでそんな本気なんだよ⁉︎」

 

 そんなツッコミを無視して、写真を撮り終えたらしいので、青葉もデジカメで写真を撮った後、青葉はフォークとナイフに手を伸ばした。

 

「じゃあ、俺が切り分けるよ」

「よろしく、シェフ」

 

 なんて話しながら、青葉はフォークとナイフを使い、ワッフルの触感を確認する。外側はさくさく、内側はふわふわしてそうだ。

 

「華麗な手つきね……」

「青葉、女子力高いから。気持ち悪いほど」

「気持ち悪いとか言う必要ある?」

 

 そう返しながら、青葉は四等分、きれいに切り分けた。それを、各々のお皿に乗せる。

 

「よし、食うか!」

 

 と、半田のセリフで、全員で食べ始めた。

 

 ×××

 

「あっ、しまった」

 

 美琴は思わず声を漏らした。鞄の中にお弁当が入っていない。今更になって、そういえば青葉から今日はお弁当をもらっていないことを思い出す。そりゃそうだ、いないんだから、

 朝も、一応彼から言われていたので自分で卵かけご飯を作ったんだった。途中で混ぜるのが面倒になって、半端な状態で食べたら美味しくなくなってしまったが。

 

「どうした? 美琴」

 

 午前中の仕事が終わり、事務所に戻って来た美琴にプロデューサーが聞いた。

 

「お弁当、忘れちゃって」

「なんだ、珍しいな。お隣の子からもらえなかったのか?」

「うん。林間学校にいっちゃったから」

「あーそっか。にちかと同じ学校だもんな」

 

 さて、どうしよう……まぁ、たまにはコンビニで良いのかもしれない。青葉も、自分が料理をしないことを見越してか、普通に「せめて栄養食以外でお願いします」と言っていたし、それで行くしかない。

 

「コンビニで買ってこようかな」

「たまには食べに行くか? ご馳走するぞ」

「ほんとに?」

「本当だよ。近くのファミレスで良いか?」

「うん」

 

 二人で事務所を出た。まぁ、たまには良いだろう。青葉もファミレスなら許してくれると思うし。

 そのまま近所のファミレスに入る。……まだ、青葉から連絡はない。というか、既読も付かない。……もしかして、事故でもあったのだろうか? なんか心配になって来た。

 そうこうしているうちに、ファミレスに到着した。

 

「何食べる?」

「え? あ、あー……どうしようかな」

 

 せっかくなら、普段青葉が作ってくれるものを選んで、食べ比べしてみても良いかもしれない。

 

「この……マグロの漬け丼で」

「渋いの選んだな……って、思ったけど、美琴は俺と同い年くらいだもんな。若い子の方が接する機会が多いから、つい忘れちゃうよ」

「ふふ、分かるな、少し」

「あ、そっか。美琴も若い子の方が多く接してるのか」

 

 にちかと青葉の事だ。特に、青葉には接するというより介護してもらっているレベルだ。

 ……まぁ、もしかしたら、その介護も嫌がられているのかもしれないが。少しだけ思い出して気落ちしている間に、プロデューサーが注文をしてくれた。

 

「で、美琴。何か悩んでるのか?」

「え?」

「仕事中は流石の集中力だったけど、ちょいちょい休憩とか時間空いた時に、悩ましそうな顔してたから」

「……わかっちゃうんだ」

「一応、プロデューサーだからな」

 

 そういう所、察してくれるのは嬉しい。本当は青葉の生態について詳しいはづきにでも相談しようと思っていた事だが、青葉と同性のプロデューサーでも十分、乗ってくれるかもしれない。

 

「……じゃあ、良いかな?」

「ああ、なんでも言ってくれ」

「実は……ここ最近、青葉から連絡がないんだ……昨日から」

「なん……あっ、そっか。林間学校か。もしかしたら、スマホの使用は禁止されてるんじゃないか?」

「……でも、にちかちゃんからはたくさん写真来てて……ていうか、それに青葉映ってるし」

 

 またチェインが届いた。ワッフルと一緒に写っている四人の写真が。……楽しそうなものだ。こんな顔、自分と一緒の時はお祭り以外で見た事がない。

 

「……考えてみれば、青葉って私と一緒の時だと、やたらと緊張して……なんか、私がいることで気を使わせちゃってる気がするんだ……。普段は私のこと好きだとか、ファンだとか言ってくれてるけど、結局本音は……なんか、面倒臭いことさせてくる女、みたいに思われてる気がするんだ」

「……そんなこと、ないと思うぞ」

「……どうして?」

「その子、ファンなんだろ? それなら、美琴に対して面倒臭いなんて思う事ないと思うぞ」

「でも……」

 

 でも、それは青葉と接した事がないから言える事な気がする。

 

「……仮に、美琴の言う通りだとしても……その子にとって美琴は自分が応援するアイドルだからね。緊張しても仕方ないと思う」

「そういうもの、なのかな……」

「どうしても、その子ともっと仲良くなりたいなら……そうだな。ちょっかいとか出してみたらどうだ? もちろん、常識と大人の範囲内で」

 

 プロデューサー的には、そもそもファンの人とそこまで距離を近くしないで欲しいというのはあったが、それはなんかもう今更感ある関係っぽいしスルー。

 アドバイスをもらった美琴は、顎に手を当てる。

 

「でも……チェインの返事がないのは、やっぱりちょっと寂しいな……」

「家に忘れたとかじゃないのか?」

「……それはないと思うけど……彼、しっかり者だし」

「そっか……」

「……」

 

 そういえば、考えていなかった。スマホを忘れていた可能性。ないと思う、とは言ったものの、言い切れない。結構、うっかりするタイプだし、考えてることを口からぽろりと出す事も少なくないから。

 ……そういえば、合鍵を預かっていた。帰ったら、金魚の餌をあげるついでに電話してみようか。

 そんな風に思っていると、料理が出て来た。

 

「お待たせいたしました。マグロの漬け丼と、カルボナーラでございます」

 

 美味しそうだ。見た目は青葉が作るものとほとんど一緒に見える。

 

「……美味しそうだな、漬け丼も」

「? 一口食べる?」

「い、いやいや……いいよ、別に。さ、食べよう」

「うん」

 

 そのまま二人で食事を始める。一口、口に入れる。そこで、ふと異変に気がつく。美味しい、美味しいけど……なんか、こんなもん? みたいな。なんというか……普段、ふりかけご飯を食べてる人が食べたい白米、みたいな……なんだろう、この満足しない感じ。

 

「どうした? 美琴」

「ん……ううん、なんでもない。……ちょっと、満足しないだけ」

「足りないのか?」

「いやそういうんじゃなくて、こう……青葉の作った奴と比べると、そうでもない気がして……」

「まぁ、ファミレスは誰にでも受け入れられるように尖った味わいじゃなくオーソドックスな感じにしてるからな。……そんなにその子が作る料理は美味いのか?」

「うん」

「……じゃあ、もしかしたら、その味をいつも食べてたから、普通の味じゃ満足できなくなってるのかもな」

「え……私、贅沢病?」

「ど、どうだろうな……?」

 

 そういうつもりで言ったんじゃなかった、と言うようにプロデューサーは呟くが、少しだけ美琴は「そうかも……」と思ってしまっていた。ウ○ダーやカ○リーメイト→青葉の作った手料理と、大人の階段をエレベーターで飛ばして経験して来たのだから、割と味覚がバグっても仕方ないのかもしれない。

 ……もう、もしかしたら身体が青葉を手放せなくなっている気がして仕方ない。

 だとしたら……やはり、仮に実は嫌われていたとしても、そのまま距離を置きたくない。とりあえず、帰ったら彼の部屋で携帯を鳴らしてみよう。で、プロデューサーが言うように、かまちょ作戦をやってみよう。

 そんな風に思いながら、しばらく食事を続けた。

 

 ×××

 

 その日の夜、鎌倉では肝試し大会が始まっていた。なんの因果か、青葉とにちかがペアで回ることになる。

 二人の番になるまで、二人は待機場所で体育座りをする。

 さて、ここで問題が一つ……これだけは、お互いにバレないようにこれまで細心の注意を払って来た。詳しくは中三の時、別々のクラスになったわけだが、お陰でその年は中学の金銭のやり取りが発生しない文化祭は一緒に回らなかった。その年まで、毎年のようにお化け屋敷でビビり勝負をしていたわけだが。

 ……つまり、去年のうちにお化けが苦手であることを克服したことにしてしまえば、今年は勝てる……! 

 

「いやー、始まったなー肝試し。ま、俺は全然怖くないけどー」

 

 先制攻撃を放ったのは青葉。あくまで顔には出さないようにしながらそう言うと、にちかはすぐに答えた。

 

「あーそう。まぁそうだよねー。ここのスポット、別に心霊スポットとかじゃないし」

「それなー。ていうか、心霊スポットってあれだよね。その名前が安いよね。なんだよ、心霊スポットって。心霊にスポットライト当てんのかよ。倒せちゃうよそれだけで」

「そもそも、心霊スポットって言い方が安いよね。なんかそういうパワースポット的なもので人集めようとしてる村おこし的な意志をひしひし感じるよね。本当はそんなのいないのに」

「うんうん。心霊スポットにいくら人集めても意味ねーのになぁ。だってパワースポットと違って金取れねーし」

「そ、そうそう」

「うんうん」

「……」

「……」

 

 あれ? と、二人とも小首を傾げる。こいつ……まさかビビってない? いや、そんなはずない。何せ、中二のお化け屋敷では学生が作ったレベルのお化けにすらビビり散らしていた奴だ。

 つまり……虚勢を張っている。ならば、こちらも張って向こうを萎縮させる……! 

 

「そうかそうか、お前もう二年前とは違うんだな。実は俺もそうでさぁ、今じゃ毎日、深夜三時に鏡の前に魔法陣を書いて蝋燭ともして、霊とマイムマイムしてるよ」

 

 直後、にちかは頭の中で唖然とした。こいつ、いつの間にそんなステージに登ったの? と、愕然とする。

 このままでは、毎日23時には寝て、もしうっかり心霊番組を見てしまったら、はづきの布団に潜り込んでいる自分は押される。

 ……ならば、こちらはそれ以上の虚勢で押し返す……! 

 

「何、あんたその程度? 私は、毎日こっくりさん呼んでお姉ちゃんの今日の下着の色、教えてもらってるし」

 

 今度は青葉が頭の中で愕然とした。まさか、そんな危なく洒落にならない真似をしているとは。自分はそんな真似はできない。恐ろし過ぎる。二重の意味で恐ろし過ぎる。

 そんな時だった。二人の間に半田が割り込んだ。

 

「よう、お前ら。何震えてんだ?」

「「震えてないからマジぶっ殺すぞ!」」

「お、おう……?」

 

 口を揃えて言った二人だが、すぐに半田が話の内容を言った。

 

「なら良いわな。さっき旅館の人が話してるのを小耳に挟んだんだけどよ、ここ……ヤバいらしいよ」

「「……」」

 

 な、何が? と、二人して冷や汗を流す。その二人に、さらに追い打ちをかけた。

 

「出るんだって。女のお化けが」

「「え……」」

 

 言われて、にちかと青葉は固まった。

 

「なんか、つい最近らしいんだけどな。そいつが現れるようになったの。夜な夜な『……コトミ、コトミ……』って呟きながら、この辺を徘徊すんだってよ」

「い、いやいやいやいや! そんな話、信じられるわけがねーだろ! れ

「そ、そうだよ! てか、誰なのコトミって⁉︎」

「百歩譲って本当だとしても、恨まれてんのはそのコトミって人だもんな!」

「そうそう、私達には無関係だから!」

 

 なんて語った直後、二人の手は半田の肩に置かれる。

 

「「でも、お前は殺す」」

「ええっ⁉︎」

 

 拳が脳天に直撃させた。

 ……だが、ビビらされた怨みを晴らしたところで何にもならない。というか、もうなんか普通にやばい。なんだろう、コトミと呟く女って……もしかして「この世に存在する東京の上に住んでいる埼玉県人を皆殺しにする」の略? 

 それとも、自分達の前世の名前が「コトミ」とか? 

 何にしても、嫌な予感ばかり膨らんでは消えていく。

 

「次、一宮七草コンビ!」

「「は、はい!」」

 

 呼ばれて、二人は反射的に立ち上がった。……人を殺すのにちょうど良い石を持ち上げて。

 

「お化け殺す気かお前ら⁉︎ それは置いていけ!」

 

 との事で、二人は出発した。

 

 ×××

 

 帰宅の途中で晩御飯を購入した。なんか青葉のご飯が食べられないなら高いお金払う事ないな、なんて思ってしまい、結局ウ○ダーとカ○リーメイトを購入する。大丈夫、ゴミさえ捨ててしまえばバレない。

 さて、五階まで上がった美琴は、少し深呼吸して青葉の部屋に入った。なんか……家主がいない家に入るのは、気がひける。……というか、緊張する。

 そのまま美琴は中に入りながらスマホを取り出す。どうせ金魚に餌をあげないといけないし、これはそのついで……と、思いつつ、青葉のスマホを鳴らす。

 すると、ヴーッヴーッと震える音。それに少しホッとした。本当にスマホを忘れたらしい。……その反面「他所の土地に行くのに連絡手段忘れるとかアホなの?」と思わないでもないが。

 なんにしても、とりあえず美琴は電話を切って、金魚の餌をあげにいった。

 

「ふふっ……にっちー、アオちゃん。ご飯」

 

 少し笑みを浮かべながら、餌をこぼす。……こういうところを見ると、やはり生きてるんだな、と思う。にっちーだかアオちゃんだか分からないが、悪いことをした。

 そんな風に思いながら水槽を眺めている時だ。ヴーッ、ヴーッとスマホが震えた。自分のではなく、青葉の。

 

「……」

 

 ちょっとだけ気になり、スマホを見にいくと、にちかの名前が入っていた。にちかが相手なら出て良いかな……というか、スマホを忘れたことを知らないのだろうか? 

 とりあえず、出てみることにした。

 

「もしも……」

『青葉⁉︎ どこで何してんの⁉︎ もうみんな宿戻るよ⁉︎』

「え……ごめん。私。美琴」

『はっ⁉︎ ……え、美琴さ……な、なんっ……間違っ』

「いや、あってるよ。青葉、スマホを家に忘れていっちゃって」

『あー……なるほど。道理で見てないと思いました……』

「何かあったの?」

 

 なんか尋常じゃない感じがしたけど、問題だろうか? 

 

『実は……今、肝試しが終わった所なんですけど……青葉、迷子になっちゃって』

「え、知らない土地で……夜中に、携帯無しで?」

『はい……』

「……」

 

 なんでこう……バカなんだろうか? 自分より余程、危なっかしい男だと思う。

 なんにしても、今ここで自分に出来ることはない。いる場所が違うのだから。埼玉と鎌倉……まさか青葉がここにいるわけがない。

 だから、必然的とこう答えざるを得ない。

 

「今からそっちに行くから、待ってて」

『そこから鎌倉まで来るつもりですか⁉︎』

「すぐ行くから」

『落ち着いて下さい! こっちで何とかしますからホント!』

 

 大騒ぎしていた。

 

 ×××

 

「にちかー……俺が悪かったー……出て来てくれー……」

 

 涙目で青葉はフラフラと湖周辺を歩いていた。宿泊施設自体は大した所ではないが、湖近くにあるのは最高だと思っていた。窓から見える景色は綺麗だから。

 でも、こうして夜に出歩かされると、やはり割としんどいものだ。何がって……怖い。お化けがいると聞いていたのだから、そんな所を一人でうろうろさせられていれば気が滅入る。

 今にも泣きそうに歩く中、ふと耳に声音が届く。

 

「…………コト、ミ、コト、ミ…………」

「ッ⁉︎ ッ⁉︎ ッ⁉︎」

 

 ゾワゾワっと背筋が伸びる。聞き間違いだ。聞き間違いじゃないはずがない……でも、鳥肌が止まらない……! 

 

「……ト、ミコ、ト……ミ、コトミ……」

 

 ていうか……なんか、声近づいて来てない? と、冷や汗が滝のように流れる。まさか……こっちに来てる? 嘘でしょ? と、青葉は冷や汗を流す。

 やばい、死ぬ、パニックになるな、と言い聞かせても……ダメなものはダメ……いや、待て。こんな分かりやすくビビり散らしている姿を万が一にも美琴に見られたら、それこそ情けなさ過ぎる。

 そうだ……自分の後ろで美琴がひよっていると思え……! そうすれば、勇気がもりもり湧いてくる! 

 

「よっしゃああああああ‼︎ 幽霊だろうがお化けだろうがかかって来やがれえええええ‼︎」

 

 叫びながら、先制攻撃をぶちかますために声の方へ走った。ガサガサッと揺れる草むらの中、動く影を発見。そこに向かって開幕ドロップキックを……! 

 と、思いながら身体を浮かせ、両足を揃えたときだ。

 

「美琴美琴……アン?」

「死ねええええええええええ‼︎」

「ぎゃああああああああああ⁉︎」

「ってあれ、斑鳩ルカさ……ぶべっ⁉︎」

 

 避けようとしたら、木の枝に顔面が直撃し、空中でひっくり返る。そのまま地面に落下し、気絶した。

 

 ×××

 

「チッ……なんだってンだ……ん?」

 

 蹴られるかと思ったら、勝手にひっくり返って失神したバカそうな男子高校生に目を落とす。ジャージ姿で、その高校の名前の刺繍が入っていた。

 ……というか、この男……どこかで見たことあるような……そうだ。

 

「こいつ……」

 

 美琴と一緒にチェインのトプ画に映っていやがったガキ……! いずれ探し出そうとは思っていたが、まさかこんな所で……! 

 どうする? 起こして尋問? ……いや、そもそもこんな所にジャージ姿でいるところを見るに、おそらく学校のイベントだ。ならば、アイドルである自分がこんな夜中に外で会っていることを見られることはマズ過ぎる。

 とりあえず……学校名とジャージに入った名前だけメモしておいて、近くの宿を探して届けることにした。

 名前は……一宮。しかと覚えさせてもらった。

 

 



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真のファンなら、どちらが応援になるかを考えろ。

 教員にドチャクソ怒られた青葉なので、とりあえず謝り倒した。

 そんな話はさておき、今日はその翌日。いよいよ、鎌倉ともおさらばする日。昨日の自由行動でいくつか美琴にお土産写真も出来たし、帰るのが楽しみになってきた。

 で、今はお土産を買うターンである。

 

「青葉、青葉」

「んー?」

 

 にちかに横から声をかけられる。何? と聞くと、続きを言った。

 

「美琴さんのお土産……どっちが喜んでもらえるか勝負ね。勝った方が、最初に美琴さんにお土産話を聞かせる権利を得る」

「言ったな?」

「勿論」

 

 そんなわけで、お土産チョイスバトルが始まり、散った。

 さて、どんなものにしようか? おそらく……にちかの勝負する場所は、アイドルになってから少し余裕が出来た金銭と女性ならではの着眼点から攻めてくる。

 ならば、青葉はそこで勝負はしない。自分にあってにちかにないもの……つまり、知識で勝負する……! 

 なんて割と失礼なことを考えながら、青葉はお土産を見て回った。

 ……いや、もしかしたら、お土産だけじゃ足りないのかもしれない。それらを渡す演出も重要になるかも……なんて考えながら、青葉とちょうど同じ時に同じことを考えているにちかの思考は、少しずつ変な方向に曲がっていった。

 

 ×××

 

 その日の夜、美琴は一人で帰宅した。昨日は取り乱してしまったが、なんか女性におんぶされて連れて帰って来られたらしい。その事に、少し安堵した。

 普段、自分に「しっかりしろ」と抜かしていながらも、自分だって肝心なところ抜けてるじゃん、と言いたくなるザマだ。

 というか、言う。今日、帰って来たらプロデューサーのアドバイス通り、かまちょでもしてみることにしているので、少しワクワクして来ていた。

 

「ふぅ……」

 

 マンションに戻って来たので、まずは金魚の餌でもあげようかな……と、思い、青葉の部屋の鍵を開けた時だ。

 パンッ、パンッ! と、クラッカーの音が鳴り響く。

 

「「おかえりー!」」

 

 そう挨拶してくれたのは、自分の大事な若いユニットメンバーと、ほぼ家政婦のようになっている少年。少し驚いてしまった。いや、まぁ確かに帰って来たところだが……もしかして、二人も自分に会えなくてどこか寂しかったとか? 

 可愛いところしかないが、改めて可愛いところがある、と思い、クスッと微笑んでしまった。

 

「それ、私のセリフじゃない?」

「そうですね」

「では、改めて。ただいま戻りました!」

「お帰りなさい」

 

 そう言いながら、靴を脱いで中へ入る。

 

「青葉、だいじょぶだった? 迷子」

「え、なんで知ってるんですか?」

「私が言ったー。肝試しでビビって逃げてましたよーって」

「び、びびびビビってねーし! てめーだってわけわかんねー嘘こいてビビり散らしてただろ⁉︎」

「あんたの魔法陣に言われたくないんですけどー!」

「姉の下着をコックリさん使って調べてた嘘に言われたくねーわ!」

「はぁー⁉︎」

「はいはい、そこまでにして」

 

 そんな中、パンパンと手を叩いて間に入る美琴。久しぶりのやりとりが見られて嬉しい限りだが、とりあえず狡い。自分も言いたい事を言わせてもらいたい。

 

「なんにしても、携帯忘れて迷子になった青葉の方がカッコ悪いよ?」

「なんでみっちゃんまでそんなこと言うんですかー⁉︎」

「事実だから」

「ほら見ろー!」

「ぐぬぬっ……」

 

 悔しげに唸る。……てっきり「それこそ家事の一つもまともに出来ない24歳に言われたくないです」とか期待したのだが……まぁ、初手からうまく行くなんてことは無いだろう。

 

「そ、それより、みっちゃん。もう晩御飯出来てますから、食べましょう」

「あ、うん。その前に、にっちーとアオちゃんの餌……」

「あげました」

「え、まって。それ誰の名前です?」

「金魚」

「なんで私とこいつの名前なんですか⁉︎」

「にちか、言っても無駄だ。もうこの人、決めちゃったから」

 

 良い名前だと思ったのだが……まぁ、美琴も知り合いがペットに自分の名前をつけていたら嫌かもしれない。とはいえ、にっちーとアオちゃんをやめるつもりはないが。

 さて、ご飯は出来ていると言うことなので、とりあえず三人で席についた。食卓に並んでいるのは、天ぷらそばだった。エビや野菜のかき揚げなどは各お皿に並んでいて、どれも美味しそうだ。

 

「ふふ……久しぶり……の、この感じ……!」

「みっちゃん、涎」

「は? 美琴さんが涎垂らすわけないじゃん」

「……そうだな。ごめんね」

「え、なんで急に素直……」

 

 まだ少し美琴に夢を見ているにちかが青葉に食ってかかる間に、美琴は涎を拭く。しかし、仕方ないのだ。もう美琴の舌は、青葉の料理並み、或いはそれ以上に美味しいもの、もしくは10秒で食べ終えられるもの以外は受け付けなくなっている。決して食べられないわけではないが、ちょっと何か物足りないと感じてしまう。

 まぁ、何にしても、早く食べなければ。いただきます、と三人で手を合わせると、食事を始めた。

 

「……あむっ……んっ、美味し」

「ふふ……」

「? 青葉? 何急に笑ってんの? 気持ち悪っ」

「うるせえタコ助。……いや、美琴さんに美味しいって言ってもらえるの久しぶりで……ちょっと、嬉しかったり?」

「あんた本当女々しい……気持ち悪い」

「ふふ、じゃあもっと言ってあげるね。青葉のご飯、美味しいよ。一口噛むだけで、ジューシーな揚げ物の……えーっと、あれ……なんか、旨味? が溢れ出して」

「いやあの……無理しないで結構ですので」

 

 そう言いつつも、青葉は少し嬉しそうにはにかんでいる。本当に可愛い男の子だ。本当に女の子なんじゃないの? と気になるレベルで。

 その美琴に、少しむすっとしたにちかが声を掛けた。

 

「み、美琴さん! お蕎麦はどうですか? 私が茹でたんですよ」

「そうなんだ。じゃあ一口……」

 

 呟きながら、箸で三人分、山盛りに盛られた蕎麦をつまみ、汁につけて啜る。……うん、普通に美味しい。

 

「おいしいよ。茹で過ぎとかもないし」

「ほ、ほんとですか⁉︎ ……えへへ、良かった」

「まぁ、3秒多く茹でたお陰で、若干舌触りが柔いけどな」

「細かっ。うざっ。青葉だって、エビフライ少し焦がしてたじゃん」

「お前がトッピング用の長ネギで目をやった代わりに切ってたからだろ!」

 

 長ネギも人によっては切っていると目に来るらしい。まぁ、そもそも料理をしない美琴には関係のない話だが。

 それよりも、二人がわざわざ自分のために料理をしてくれたこと自体が嬉しかった。大人が高校生の子達にチヤホヤされているみたいで周りの人には見せられないが、家の中だけなら最高かもしれない。

 

「……ふふ、そうだ。二人とも。鎌倉はどうだった?」

 

 聞かれた直後、二人は目を輝かせた。え、何? と、少しヒヨりながらも蕎麦を啜っていると、二人は椅子の下においてあるカバンの中から、袋を取り出した。

 

「その質問に答える前に、一つお願いします」

「? 何?」

「「これ、お土産です!」」

 

 差し出された紙袋を受け取った。お土産……わざわざ、買ってきてくれたんだ、と少し嬉しくなってしまったが……何故、このタイミングなのだろう? 

 

「ありがとう……?」

 

 お陰で、少しだけ戸惑ってしまう。何か意図がありそうだが……まぁ、なんにしても、開けてみよう。

 

「じゃあ……にちかちゃんのから開けようかな」

「はい来た! 勝った!」

「バカ、ちげーよ! テメーのがみっちゃんの利き手に握られてたからだっつーの!」

 

 何かまた競っているようだが、今は無視して開ける。にちかの紙袋を開くと、中に入っていたのは箱。それを開けると出て来たのは……さくら貝のピアスだった。

 それも貝そのものではなく、貝のかけらを使って三日月型に型取られ、金色の縁を付けることで少し高級感が出ているものた。

 下品なゴージャス感ではなく、美琴にとても似合いそうなものだ。

 

「わ……綺麗」

「ですよね? へっへーん、スマホで調べて『お土産買って良いのはここからここまで』の範囲を無視して買いに行った甲斐がありました!」

「ありがとう……早速、つけても良い?」

「は、はい!」

 

 せっかくなので、美琴はすぐに耳につけてみる。アイドルをやっているだけあって、いろんなピアスをつける機会があった事もあり、すぐに付けることができた。

 

「どう?」

「おっふ……」

「ぐっほ……」

 

 二人にクリティカルしたようで、大ダメージを受けたように机の上で額に手を当てて俯く。

 

「え……へ、変?」

「それは……人間と呼ぶにはあまりにも美し過ぎた……」

「自分で買って来たお土産ながら……自分の目を潰すに等しい行為だった……」

「……あ、ありがとう……?」

 

 なんかよく分からないが……とにかく、褒められているのだろう。ちょっと耳が重いけど……でもふと窓に映った自分を見る限り、確かに綺麗に見えるかもしれない。

 これは、プライベートで使いたいな、と心に決めつつ、にちかを手招きする。

 

「にちかちゃん、おいで」

「へ……?」

「写真、撮ろう?」

「い、良いんですか⁉︎」

「? 勿論?」

 

 むしろダメである理由がない。こちらから誘っているのに。

 

「青葉、撮ってくれる?」

「あ、はい」

 

 言われるがまま、青葉は美琴からスマホを受け取る。そして、こちらにスマホを向けた。

 それに伴い、美琴はにちかを隣に置いて、髪を耳にかけてピアスが見えるようにポーズをする。こんな仕草だけで少し照れてしまったのか、青葉は頬を赤らめる。

 それでも堪えて、慎重に声をかけた。

 

「じ、じゃあ……二人とも、撮りますよ」

「うん」

「へっ、よろしく」

「はい、チーズ」

 

 ピロン、とスマホ独特のシャッター音が聞こえた。

 

「撮れた?」

「はい、もうバッチリ!」

「あとで、青葉にも送ってあげるからねー?」

「ん、もらっとくわ」

 

 にちかの皮肉を無視する青葉からスマホを返してもらい、画面をにちかと一緒に見てみた。確かに綺麗に写っている。手先が器用なだけあって、どうやら写真を撮るのも得意らしい。……まぁ、半分で切れて美琴しか写っていないわけだが。

 

「青葉あああああああ!」

「美琴さん、送って下さい。その見返り美人のようにも見える美人さん」

 

 にちかからの猛攻を冷静に捌きながらおねだりされるが、そういうわけにはいかない。だって、美琴の欲しいものは来ていないわけだから。

 

「青葉。ちゃんと撮って。そしたら送ったげる」

「は、はーい……」

 

 そんなわけで撮り直してもらった。

 さて、次は青葉のプレゼント。にちかの女の子らしいプレゼントも良かったけど、青葉からのものも楽しみだ。

 紙袋を手に取る。……予想は出来たが、なんとなく食べ物っぽい。青葉は料理出来るし、当然ながら舌も繊細かつ敏感だから、当然と言えば当然だ。

 中を開けると、素敵なことに貝殻の形をしたパイ生地のお菓子が入っていた。

 

「おお……美味しそう」

「ですよね? ちゃーんと、色んなお店を回って吟味しましたから。全部の店を見て回って、鎌倉っぽさ、試食による味見、みっちゃんに見合うものか、それらをトータルで見て判断して買って来ました」

「え……青葉そんな貧乏くさい事してたの?」

「バカ野郎、冷やかしと一緒にすんな。俺はちゃんと味を見て回ってるんだ。実際、ネットで調べただけじゃ分からない事も多かったんだぞ? なんかビターな味わいとか言う割に甘過ぎたり、しらすせんべいって書いてあるのにエビの風味の方が強かったり」

 

 どれだけガチで選んだのか……と、少し心配になる中、にちかが横から口を開いた。

 

「ていうか、あそこ美味しかったじゃん、ワッフル」

「あーまぁね。でもあれお土産買って良い商店街の範囲外だし」

「真面目か」

「お前が不真面目なんだよ」

「あ、でもあそこも美味しかったよね。途中で食べたさーたーあんだぎー」

「分かるわ。鎌倉なのになんか美味かったよな。……あ、俺はあれ、途中で食べた肉まんも美味かった。鎌倉なのに」

「……二人とも食べてばかりだね?」

 

 言われて、二人ともハッとする。というか、それもお土産話の一つなのではないだろうか……とか、色々と思う所はあったが、一番気になったのは……。

 

「ねぇ、青葉」

「なんですか?」

「たくさん食べたね?」

「そ、そうですね?」

「普段、運動しない癖に」

「……」

 

 頭が良い青葉は、何を言いたいのかすぐに理解した。

 

「ふ、太ってませんよ⁉︎」

「見た目はね?」

「な、中身も!」

「太らない体質って奴?」

「そ、そうそれです! なので、俺が太るなんてことは……!」

「良いこと教えてあげるね、青葉」

「な、なんですか……?」

「そんなものは存在しないんだよ」

 

 嫌な予感がした時には、もう遅いものだ。普段、動いているにちかは素早く美琴の意図を読み取る。青葉の背後を取って、身体をホールドした。

 

「テメッ、にちかっ……!」

「青葉じゃ力比べ勝てないでしょ。私相手でも」

「良いのかなー! 林間学校で陰田から宿題借りてたの、ついうっかりはっちゃんに滑らせちゃいそうだなー!」

「は? その程度で私の美琴さんへの忠誠が消えるとでも?」

「にちかちゃん」

「はい!」

「宿題はちゃんとやらないとダメ。余計な課題増やされて、もっとレッスンの時間取れなくなるよ」

「……」

 

 ちなみに、経験談である。

 まぁ、そんな話はさておき、美琴は青葉の席に向かう。両腕は封じられているし、そもそも身体をホールドされているため、青葉は動けない。

 足を振り上げれば抵抗はできるが、青葉は自分に暴力を振るうような子ではないのは、美琴もよく知っていた。

 ……つまり、詰みである。

 

「や、やめて下さい美琴さん……!」

「みっちゃん」

「俺がガリガリのヒョロヒョロなのは知ってるでしょ! だから、お肉なんてつかない……!」

「青葉」

「っ、は、はい……!」

「動いちゃダメ」

「…………は、はひ……」

 

 はい、封じた。そのままゆっくりと手を伸ばし、制服のシャツを捲りあげ、露出したお腹にずむっ、と指を当てた。確かに見てくれは痩せている。……が、痩せている割には柔らか過ぎた。

 

「…………」

 

 真っ赤な顔を両手で覆いたがっているが覆えないため、抵抗も諦めてにちかの前でうなだれる青葉。ちょっと、弱ってる青葉には唆られるものがある、なんて思っても言わない。

 なんにしても、結論は出たようなものだ。にっこりと微笑んだ美琴は、死刑宣告のように静かに告げた。

 

「明日からダイエット、頑張ろうね?」

「…………はい……」

 

 明日はちょうど休みだ。しごく時間はいくらでもある。

 

 ×××

 

 にちかを家まで送った青葉は、結局お土産勝負のことなど忘れてしまっていた。

 なんだかんだ、旅後は疲れる。これは今日は早めに寝ようかなーなんて考えながらエレベーターに乗って五階まで上がると、玄関の前で美琴が待っているのが見えた。

 

「おかえり」

「あ、ただいまです?」

 

 何か用だろうか? わざわざ待っててくれるなんて。

 

「どうかしたんですか?」

「ん、うん。にちかちゃんとは、離れてても割とチェインでやりとりしてたんだけどさ。何処かの誰かとはスマホ忘れたから、本当に久しぶりに話す気がするんだ」

「え? 2日ぶりでは?」

「うるさい。大人が話してる時に茶々を入れない」

「はい」

 

 なんか怒られた。……というか、少しだけ頬が赤い気がするのは気の所為だろうか? 

 

「だから……今晩は、一緒に色々お話ししたいな?」

「え……」

「嫌?」

「……嫌じゃないですけど……」

 

 なんだろう、それどういう意味だろうか? なんか……「会えない間、寂しかった」って言われてる気分なんだが……オタクのキモい妄想だろうか? 

 うん、きっとそうだ。だって、美琴にとって自分はただの便利枠のはずなのだから。オタクがアイドルのストーカーとか刺殺とか事件も増えているし、その辺は気をつけないと。

 だから、変に意識はするな。

 

「分かりました! 今夜は眠れないかもしれませんよ?」

「ふふ、それでキツいのは青葉だよ?」

「あ……明日、ダイエットでしたね……じゃあ、程々で」

「それは、私次第かな」

「美琴さん次第なんですか⁉︎」

 

 なんて話しながら、美琴の部屋に入った。この部屋に入るのも久しぶり……という程でもない日数なのに、確かに美琴が久しぶりと言ってた理由が分かるほど、懐かしく感じた。

 緊張感まで戻らなかったのは幸いだったかもしれない。

 

「コーヒー飲む?」

「あ、はい。俺やりますよ。砂糖と塩間違えられたら堪らないので」

「ふふ、間違えて欲しいの? それとも素でなめてる?」

「え……いや本気で心配して……」

「分かった。明日の走り込み倍ね?」

「ええっ⁉︎ し、死んじゃいますよ!」

「大丈夫、若いんだから」

「若さは不死身ではありませんが……!」

「とりあえず、コーヒーミルクで良いのかな?」

「は、はい……」

 

 そんなに失礼なことを言ったのだろうか……と、青葉は肩を落とす。

 

「青葉だって、忘れ物とか迷子とかのおっちょこちょいはやらかす癖に」

「うっ……そ、その話はもういいですよ……」

「ていうか、どうやって宿に戻ったの? 普通に先生と合流したとか?」

「あ、はい。……一瞬だったので覚えてないんですが……」

「え、何が一瞬?」

「意識を保ってたの」

「……え?」

 

 言えない、良い年してお化けが苦手なんて。そこはもう勢いで誤魔化すとして、続けていった。

 

「斑鳩ルカさんに助けてもらったんです。……まぁ、あの人が不審者に見えてドロップキックをかまして失敗したわけですが」

「え……」

 

 不審者ではなくお化けに見えたわけだが、その辺は脚色。お化けが苦手なんて知られないためにも。

 

「ルカとあったの……?」

「え、はい」

「……だ、大丈夫だった?」

「え、何かする人なんですか? 財布は取られてませんでしたよ?」

「そうじゃないんだけど……」

 

 なんだろう、あまり良い関係ではなかったのだろうか? 美琴とにちかは仲良さそうだったし、前のユニットメンバーとも仲良いものだと思っていたが……。

 

「……まぁ、大丈夫かな。多分」

「え、な、なんですか。そんなヤバい人なんですか?」

「助けてもらえたんなら平気だよ。多分」

「え、なんか怖いんですけど……」

「大丈夫」

 

 そういえば自分はその時、ジャージ姿だった。学校名と名字が載ったジャージを。

 

「あの……美琴さん。俺はどうしたら……」

「でも、にちかちゃんから電話があったときは心配したんだよ? 迷子になったって聞いて」

「そういえば、なんで俺がスマホ忘れたの知ってたんですか?」

 

 にちかに揶揄われないように黙ってたのに。

 

「ちょうど、金魚にご飯あげに鍵開けた時に電話が来たんだ。にちかちゃんが、青葉を心配して」

「あの野郎……」

「そんな言い方しちゃダメだよ。ほんとに心配してたみたいだったから」

「うっ……常日頃、いろんな人に食生活を心配されてそうな癖に……」

「今、私の話じゃないでしょ」

「はい……」

 

 それはその通りだが、なんでたまに正論を吐くのか。

 

「まぁでも、何にしても助けてもらってしまったわけですし、お礼くらいしないとですよね」

「え」

「え?」

「いや……いいんじゃない? そこまでしなくても」

「ダメですよ。斑鳩ルカさんがいなかったら、俺今頃はまだ湖沿で彷徨ってたかもしれないんですから」

「それはないよ」

「? 何故ですか?」

「そしたら、私が探しに行ってたから」

「え、鎌倉まで?」

「距離の問題じゃないよ。青葉が無事かどうかの問題」

 

 言われて、少し青葉は頬が赤く染まる。なんか……本当にこう……この人の最近の発言は、勘違いだとわかっていてもギョッとしてしまう。

 

「……あまり、心配かけさせないでね?」

「あ、はい。すみません……あ、心配かけさせたお詫びではありませんが、みっちゃんのために鎌倉のスイーツの味を盗んできたので、いくつか作りますよ」

「ふふ、ありがとう。太らない範囲でお願いしようかな」

 

 料理が得意で本当に良かった……と、強く思ってしまう。ホント、人生何がプラスに作用するかわからないものだ。

 ……そうだ。そういえば一つ、確認しないといけないことがあった。

 

「そういえば、みっちゃんはちゃんとご飯食べました?」

「え? あー……うん。食べたよ」

「本当に?」

「うん。カレーも1日で食べちゃったからね。プロデューサーとファミレスに行ったりとか」

「……そうですか」

 

 まぁ、一人で食べるわけがないとは思っていたが……男といったのか、と少しショックを受ける。……いや、だから別にそれくらい構わないだろうに。

 

「プロデューサー、ご馳走してくれたんだ。それも自腹で。……この前、新しい掃除機買ってお金ないって言ってたのに。少し、申し訳なかったな」

「……そうですか」

 

 プライベートなことまで知っているなんて、随分と仲が良いらしいが、自分には全然関係のない話だ。美琴にだってプライベートはあるし、そもそも仕事の関係であるプロデューサーとの仲が良好であることは良いことだ。

 

「そういえば、プロデューサー私がマグロの漬け丼食べるか聞いたのにいらないって言ってたな……もしかして、マグロとか苦手だったりするのかな?」

「…………そうですか」

「聞いてる?」

「……」

 

 ……聞いてはいる。でも……聞きたくない、なんて思ってしまったりしていた。

 なんだろう、この不愉快さ。自分はそんな面倒臭いタイプのファンだったのだろうか? 自分への情けなさと気持ち悪さが融合し合い、自己嫌悪に陥る。

 でも……その自己嫌悪と美琴は関係ないのだ。ならば、何か言わなければならない。

 

「……仲良いんですね、プロデューサーさんと」

「え? まぁ……そうだね。誰にでも向き合って接してくれるし、歳も近いから話しやすいし」

「…………俺も、あとせめて5〜6年くらい早く産まれてれば……」

 

 そのくらいなら……なんだろうか? 自分と美琴の関係はファンとアイドルだし、年齢なんて関係ないだろうに。

 ……なんだ、なんだこの感じ。自分のこの勘違いしちゃってる感はなんだろう。まさか、ファンでありながら精神疾患に等しい感情を生み出しているのではあるまいな。

 

「……みっちゃん」

「何?」

「死ねカスって言って下さい」

「え、やだ……」

「お願いします! それで目が覚めます」

「嫌だよ。死んで欲しくないから」

「いや本気で死ねって言われたら俺立ち直れませんけど……そうじゃなくて、冗談くらいの感覚で良いので……」

「それでも嫌」

「なんで⁉︎ 言っておきますが、俺程度の料理の腕なら、そこら中にたくさん……」

「私、青葉の料理だけじゃなくて、青葉が好きだから」

「……はへ?」

 

 今なんて? と、青葉は変な声を漏らす。それに構わず、美琴は微笑みながら続けた。

 

「だから、青葉のこと好きだよ」

「ひぇっ……」

「にちかちゃんと同じくらい。……だから、死ねなんて言えない」

「……」

 

 にちかと同じくらい、つまり深い意味はないにしても、嬉しかった。無料のデリバリーメイドサービス程度、というわけではなかったのだから。

 思わず、その込み上げてくる嬉しさに、さっきまで抱いていた嫉妬が綺麗さっぱり無くなった。

 

「……すみません。落ち着きました」

「何かあったの?」

「あー……」

 

 どうしようかな……と、悩んだ青葉は、言うことにした。心配かけさせるな、と言われたばかりだし、くだらない事でも隠し事するのは良くないと思って。

 とはいえ、あまり直接的な言葉は使わないことにした。

 

「なんか……ちょっと、羨ましくて。プロデューサーさんが。……俺と違って年が違うなら話も合いそうですし……」

「嫉妬してたの?」

「なんではっきり言うんですか⁉︎」

「ホント、可愛いね」

「っ……〜〜〜!」

 

 ホント、イキイキした様子でいじられてしまっていた。その青葉の頭を、美琴は追い打ちをかけるように軽く撫でる。

 

「み、みっちゃん……!」

「ふふ、可愛い子」

「うるさいです!」

 

 こんなに意地悪する人だっただろうか? 思わず、青葉はふいっと頬を膨らめて目を逸らす。

 その時だ。ふと、気がついた。目を逸らした先に置いてあったゴミ袋の中。うっすら透けているそこに書かれていた文字は「10秒メシ」の煽り文句だった。

 

「……」

 

 一気に、自分の中で何かが冷めていくのがわかった。要するに「オカンスイッチ」が入れられた。

 無言のまま立ち上がった青葉は、その袋の方に歩く。

 

「? 青葉?」

「……」

 

 美琴の言葉にも反応することなくゴミ袋の前にしゃがみ込むと、それをハッキリと視界に入れた。ウ○ダーINゼリーと書かれている。

 

「……」

 

 チラリと美琴の方を見ると、美琴はそっぽを向いてしまっている。というより、視線を外して逃げている。

 

「…………美琴さん」

「みっちゃん……」

「美琴さん」

「……はい」

「こっち見て」

 

 言われて、美琴はギギギッとぎこちない動きで青葉を見る。

 

「これは?」

「……もらいもので」

「これは?」

「…………」

 

 大量に冷や汗を流した美琴は、誤魔化すように言った。

 

「そ、その……青葉の漬け丼とファミレスの漬け丼に差があり過ぎて……これなら、ファミレスで食べるくらいなら、ゼリーでも良いかなって……」

「…………」

「……す、スミマセン……」

「俺に謝られても困ります」

 

 正直、そのセリフは嬉しかったが、それとこれとは話が別である。

 

「言いましたよね、俺。ちゃんと食べてって」

「はい」

「ていうか、美琴さんに聞きましたよね。ちゃんと食べましたか? って」

「はい」

「で、美琴さんなんて答えましたか?」

「……食べた、と」

「お説教のお時間です!」

 

 嘘までつかれるとは心外だ。ただでさえ長い間、ろくな食べ物食べてなかったのだから、今後は「一日くらい良いでしょ」なんて事はないのだ。

 すると、美琴は苦笑いを浮かべながら青葉の前に立つと、青葉の手を取った。

 

「それより……青葉。私、もっと鎌倉の話を聞きたいな」

 

 その爽やかな笑みは、ファンであるなら誰しもイチコロにしてしまう程、素敵でクールな笑みだった。

 それ故に、青葉はその手を思わず取ってしまった。……ガッと手首を掴んで。

 

「……誤魔化されませんよ。ファンサービスより自己の身体にサービスをしてください」

「…………はい」

 

 このとき、美琴が少し嬉しそうな表情をしている事にも気付かず、お説教は夜まで続いた。

 

 



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悪戦苦闘
姉に敵う弟などいないが、妹に敵う兄もいない。


 夏休みもいよいよ中盤。相変わらず、青葉は美琴のお世話をする日々が続くが、それには良くも悪くも慣れて来た頃、それ故に元々がダメダメだった事と、まだまだ10代の若さがあることもあり、青葉の体力は知らず知らずのうちに育って来た。

 それ故に、早朝の三人でのマラソンも少しずつペースアップして来て、今ではにちかにとってはそれなりにちょうど良いペースで走れるようになって来た。

 今日もマラソンを終えて美琴の朝食を作り終えて仕事に送り出し、一息ついていた。

 そんな中、青葉はマンションの自動ドア前のポストから郵便物を取り出す。部屋に戻ってからその郵便物を見ると、チラシやら何やらの中に一枚だけハガキが入っていた。

 

「……母さん達からだ」

 

 裏面を見ると、そこに載っていたのは父親と母親、そして姉の三人の写真と一言欄。

 まずは母親のメッセージから見た。

 

『そろそろアイドルオタクは卒業出来ましたか? あなたがその気なら、私達はいつでも転校させる準備はできています』

 

 すぐにシュレッダーにかけたくなる内容だったので、さっさと次のメッセージである父親へ。

 

『元気か? お前も美琴様も。俺も日本に残りたいって言ったら、母さんに筋肉ドライバーを喰らわせられた事を、今でも思い出します。生活に不自由があったら遠慮なく言うように』

 

 青葉のことを気にした内容を書いてくれていた。が、父親の仕事の都合で海外に行くのに、父親が日本に残りたいとか言ったら、そりゃ喧嘩になるわ、と今でも思うので無視。

 そして最後、姉の一文。

 

『元気か? にちかとは上手くやれてるか? 料理が面倒になって、まさか飯を冷凍レトルトで済ませたりしてないだろうな?』

 

 初めての、それも高校一年生からの一人暮らしなので心配なのは分かるが、そんな事していないから安心して欲しい。

 続きを読んだ。

 

『私は一度、戻ってお前の様子見に行くからな。このハガキが届くくらいの夜には日本に着くから、ちゃんと駅まで迎えに来いよ』

 

 え、と頭の中で冷や汗をかく。え、来るの? 姉が? ここに? と。

 マズい、何がマズいって……お隣さんとの関係だ。知られる、知られないの次元ではない。知られるしかない。

 ……というか、最悪……「お隣さんとのそんな特殊な関係をするために一人暮らしを許可したんじゃない!」と怒られるかも……。

 

「なんとかしないと……」

 

 呟きながら、青葉はとりあえず部屋の片付けを始めた。

 別に散らかっているわけではない。ただ、掃除している時が一番、考えがまとまるのだ。

 さて、どうするか。このハガキが届く頃……つまり今晩だろう。美琴が何時頃に帰って来るかは知らないが、姉が帰ってくる前に晩飯を作ってしまえば、とりあえず今日の飯は問題ない。……いや、明日の朝の分も作ってしまえば尚のことだろう。

 ……しかし、美琴も遅くまで練習しているため、そこは正直賭けだ。ならば、姉の帰国時間を少しでも遅くさせるしかない。

 

「……お使い頼もう」

 

 それも、大量に。洗剤と食材とボディソープと……と、買わせるものを考えながら、青葉は掃除を続けた。

 

 ×××

 

 その日の夜、美琴は駅に到着した。あとは、歩いてマンションに向かうだけ。

 しかし……青葉から不思議なチェインが届いていた。「今日は、早めに帰って来てください」らしい。

 勿論、自主練をした上で急いで帰って来たわけだが……青葉がこうして自分を急かすのは珍しい。

 ま、世話になっている身だし、早く帰るくらい良いか、と思うことにして、帰宅し始めた時だ。

 

「おーう……姉ちゃん……お一人ぃ〜?」

 

 なんか、酒臭い声が聞こえる……と、嫌な予感がする。ふと振り返ってしまったのは、迂闊だったかもしれない。顔を真っ赤にして足元をふらつかせた「いかにも酔っ払い」という男が立っていたから。

 

「……何か御用ですか?」

「おおう……おぇな……良い歳して、彼女に振られちまってなぁ……」

 

 知らない知らない、と思っても、離してくれそうにない。真っ赤なままの顔で、自分の方へ歩み寄って来る。

 面倒なことになっちゃったな……と、少し困っていると、その男は自分に手を伸ばして来た。

 

「なんだぁ、その面倒なことになった、みてえなツラはぁ〜!」

「っ……!」

 

 やばっ、なんかこいつ手が早い……と、身構えた時だ。その自分達にかけられる声。

 

「お、お姉ちゃーん、こんなところにいたんだー」

 

 なんか、前にもこんなことがあった気がする。そんな声音だった。だが、自分が知っている声にしては少し高い。

 そちらに顔を向けると、茶髪の長い髪を靡かせた、サングラスの女性がスーツケースを横に置いて立っている。自分より背が高い女性は、アイドル以外で久しぶりに見たかもしれない。

 誰? と思ったのも束の間、その女性は自分の腕を引く。

 

「あの〜……この人、私の彼女なので、すみませぇん」

「……えっ」

 

 それは無理ありでしょ、と心底思う。なんだろう、このデジャヴ感。前にもこんなことがあった気がする。

 案の定というかなんというか、男はすぐに食いかかる。

 

「女同士で何言ってんだぁ! てか、さっきお姉ちゃんって言ってたろうが貧乳がぁ!」

 

 そう怒鳴りながら男は自分ではなく、その女性に掴み掛かる。

 が、その手を女性はガッと掴んだ。

 

「えっ」

「……彼女でも姉妹でも良いから、そこで手を打っとけよおっさん」

「えっ」

 

 口の崩れ方に、美琴も狼狽えてしまった。というか、オーラがやばい。

 

「な、なんだお前……殺すぞコラァっ!」

「……」

 

 言いながら、男は掴まれていない方の拳を振るって来る。それに対し、女性は普通に避けると、ニヤリとほくそ笑んだ。

 

「速度は重さ……」

「あ?」

「光の速さで蹴られたことはあるかぁ〜い?」

 

 直後、女性の廻し蹴りが、男の腕を巻き込んで直撃した。

 

「げへっ……!」

「……」

「遅いねぇ〜」

 

 急におどけた口調になった。絶対にキャラを作っている。……ていうか、この人はなんなのか気になる所だ。

 ポカンとしていると、その女性は自分の方に振り返る。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「いえいえ、私もあなたにお願いがあって助けましたから」

「?」

 

 頭上に「?」を浮かべていると、女性はスマホを自分に見せた。マンションの名前……というか、自分のマンションだ、

 

「? それが?」

「私のマンション……探してくれませんか……?」

「……はい?」

「四ヶ月ぶりに帰って来て、どこだか忘れちゃいましたー……」

「……」

 

 度胸があって実際、強く完璧に見えるのにこのポンコツさ加減、なんかどこかで見た気がする。

 

「ちょうど私のマンションも同じなので、よかったら一緒に来ます?」

「お願いします! ……日本人も捨てたもんじゃねーな」

 

 なんか最後に地味な毒が漏れた気がしたが、そのまま二人でマンションに向かった。

 

 ×××

 

 青葉は部屋で料理の仕込みをしていた。この際、食材は自分の家のものを使い、美琴には食べてもらう。とにかく、今後とも料理当番を任せていただくためだ。

 ……にしても、思ったより来るの遅い。このままでは、姉が帰って来てしまうかも……と、思っているときだ。

 インターホンが鳴り響いた。

 

「あ、きた!」

 

 すぐに飛んでいった。ちょうど仕込みも終わったし、あとは食材を持って行って、隣でカレーを作るだけだ。

 とりあえず、床に食材が入った鍋を置いてから、慎重に外の美琴に声をかける。

 

「みっちゃん?」

「青葉……」

「念のため確認です。付近に茶髪ロングでイキったサングラスをかけた強面のノッポ女はいますか?」

「え……あ、やっぱり本当にお姉さんなの?」

「え?」

 

 何その予想外の返事? なんて思った頃には遅い。ガチャっと、扉に鍵が差し込まれる音がする。

 そして、回される。慌てて玄関を力づくで閉めようとしたがもう遅かった。パワーゴリラにより、勢いよく扉が強引に開かれた。

 

「青葉ああああ! 誰が『茶髪ロングでイキったサングラスをかけた強面のノッポ女』だああああああ‼︎」

「ごめんなさいいいいいいい⁉︎」

「あ、本当にお姉さんだったんだ……」

 

 思いっきり部屋に入るなり襲い掛かられる。逃げようとしたが、襟首をガッと掴まれ、引き込まれ、首に腕を回されてこめかみに中指や関節をグリグリと押しつけられる。

 

「ごめんなさいはどうしたコラ!」

「言ったじゃん!」

「何回言っても良いだろうがクソガキャアアアアアアア‼︎」

「いだだだだだ! めり込む、こめかみめり込んで目ェ飛び出るって!」

 

 何が痛いって、別に急所に直撃していることじゃない。単純に力で押してくるから、普通に痛いパターンだ。

 というか、姉が美琴に姉弟ではあることを話したのは分かったが、美琴から姉にはどこまで話したのだろうか? 

 そんな風に浮かんだ疑問に、まるで答えるように姉は続けた。

 

「テメェ、憧れのアイドル様のお宅に何度もお邪魔して飯食わせて掃除までして合鍵まで渡したらしいな⁉︎ そんな不純異性交遊をさせるために一人暮らしを許可したわけじゃねーんだぞコラァッ⁉︎」

「なんで全部言っちゃうんですかああああああ⁉︎」

「ごめんね、お姉さんだから平気だと思って」

 

 全然、平気じゃない。昔からだ、この姉がこんなにガサツなのは。その反動で自分はなるべく手は簡単に出さないようにしているまである。

 そんな時だった。自分と姉の間に、食材が入った鍋が横に置いてあることに気がついた美琴がやんわりと口を挟んだ。

 

「あの……その辺で許してあげてくれませんか? 青葉、今日も晩御飯作ろうとしてくれていたみたいなので」

「いえ、今日は許すわけにはいきません。……この野郎、要するに親からの仕送りの金を使って他人のご飯作ってたわけですよね?」

「いえ、私の家の食材で作っていただいているので、そんな事ありませんよ」

「え……そうなんですか?」

「はい。お陰で、私の食材選びのスキルも上がりました」

 

 それはその通りだ。ここ最近はちゃんと安いものを買うようにしてくれている。まぁ高いものを買って青葉が困るわけでもないが、教え甲斐は確かにあった。

 

「で、でも、家事とかも下着とか見てしまったんじゃないですか⁉︎」

「いえ、流石に洗濯くらいは自分でしてますし、その辺は気をつけてますよ。……というか、最近は掃除も自分でしています」

 

 それもその通り。家具が少ない部屋だから、掃除も楽なのだ。青葉は今のところ、一回も美琴の下着が置きっぱなしになっている所を見たことがない。……まぁ、見たらそもそも鼻血出して死んでてもおかしくないので、なるべく余計なところは見ないようにしているというのもあるが。

 

「とにかく、姉ちゃんが心配してるようなことにはなってねーよ! 俺は姉ちゃんの800倍は頭良いんだから!」

「おっしゃ、今脳細胞死滅させてやらァッ‼︎」

「わ、わー! 嘘嘘ごめんなさい!」

「あの、ですからその辺にしてください」

 

 ふと、いつの間にか美琴が姉の腕に手を置いていた。少し力が入っているのか、震えている。

 

「……むぅ、しゃーねーな」

 

 もしかして……青葉のために怒ってくれたのだろうか? 確かに姉の暴力は割と困るのだが、美琴が口を挟むのが意外だった。

 あ、もしかして……と、すぐに青葉は合点がいった。

 

「そうだよ、姉ちゃん。みっちゃんお腹空いてるみたいだから、早く離して」

「やっぱりもう5分ほどやっちゃってどうぞ」

「みっちゃん⁉︎」

「よっしゃあ! 殺したるわ! そもそもその呼び方なんだコラァッ⁉︎」

「やーめーれー!」

 

 本当に5分間グリグリされて、ようやく解放された。頭痛は未だに脳内に響いており、少しズキズキする。

 

「ああもう……酷い目にあった……」

「自業自得だろ」

「それより青葉、ご飯。早く」

「みっちゃんには一体何が……」

 

 まぁ、でももうバレた以上はとりあえずご飯にして良いだろう。自分の部屋の食材を使ったものを用意してしまってるのでまずいとは思ったが、すぐに誤魔化す道はある。

 

「みっちゃん、今日はうちで食べて行ってください。姉の事も紹介しておかないといけませんし」

「わかった」

「おいおい、久々の姉ちゃんとの再会なのに、水入らずじゃねーのか?」

「久々の再会でヘッドロックした奴に言われてもな……てか、時差ぼけとかねーの? さっさと寝たら?」

「お前が寝るか?」

「う、嘘です……」

「てか、まだ飯食ってねーし。腹減ったー」

「はいはい……」

 

 なんか……ワガママな妹とおとなしい妹が二人いる気分だった。

 

 ×××

 

 さて、青葉が夕食を作っている中、待っている美琴に姉が挨拶した。

 

「ご挨拶遅れました。私は一宮夏子です。大学一年生……といっても、アメリカのですが。弟が普段、お世話になっております」

「あ、はい。私は緋田美琴です」

「私の方が年下なので、敬語なんて使わないで結構ですよ」

「……そう?」

「はい」

 

 などとやりながら、お互いに自己紹介を終える。よくよく見れば、青葉とよく似ているような気がする姉だ。特に、目元。口調や性格の割に、サングラスを外すと目はパッチリしているが、そこが青葉とそっくりである。

 ……とはいえ、趣味嗜好は全然、違う気もするが。

 

「緋田さんは……うちの弟とはいつからの付き合いで?」

 

 ……下手に嘘はつかない方が良いかもしれない。

 

「6月頃だよ」

「そんな前からか……」

「ごめんね。青葉、家族にそういう話してないと思わなくて、正直な子だから」

「正直だけど、言わない方が良いと思ったことは言わないタイプですから」

 

 それを聞いて、少し複雑そうな表情を浮かべる。なんか……周りの人の方が青葉のことをよく分かっているみたいで、ちょっとだけ複雑だ。

 まぁ、実際の所、自分よりは長く付き合っているわけだし、仕方ないとは思うのだが……。

 ……でもなんか、複雑だ。

 

「あ、ちなみにあいつ、たまに毒が漏れるでしょう? そういう時は、私がさっきやったみたいにぐりぐりとかが良いですよ。すぐに言うこと聞きます」

 

 ……ていうか、この人は割と青葉にそういう暴力を振るっていたのだろうか? なんか、青葉が海外について行かなかった理由も分かる気がする。

 

「いや、私はそういう野蛮なこと彼にはしないので、大丈夫だよ」

「……ふぅん」

 

 露骨に含みのある言い方をしてしまい、キュッと夏子の視線が鋭くなる。

 

「ま、それだとあいつ言うこと聞かねーけどな。何回言っても墓前に備えた饅頭は食うし、人の部屋でポロポロお菓子こぼしながら食うし、にちかと連携して人が楽しみに取っておいたミルクプリン食うし」

 

 そんなこと言われても、美琴にはピンと来ない。そういうことする子には見えないし、百歩譲って本当だとしてもそれくらい美琴は気にしないから。

 

「そっか。でも私の知ってる青葉はそんなことしたことないし、むしろよくご飯も作ってくれるから、あんまり関係ないかな。子供っぽいとこは確かにあるけど、親切だし、丁寧だし、たまに良い匂いするし、なんにしても手を上げることはないかな」

 

 すると、今度はむすっとし始める夏子。そして、何を思ったのか薄い胸を張って語り始めた。

 

「ま、私も青葉に昔はよく懐かれてたけどな! 一緒にゲームしてやったりな! たまにゃ、徹ゲーも付き合ってやったしよ!」

「……だから青葉、背が伸びなかったんじゃない?」

「……え」

 

 確か背を伸ばすには睡眠も大事、とか聞いたことある。まぁ普通に運動不足とか他の要因もあったと思うが、それも原因になっている可能性もあるだろう。

 ……まぁ、ゲームを一緒にしたというのは羨ましくないわけでもないが。

 

「あ、あいつは元々インドア派で運動しねーからだろ! 姉なら、あいつの嫌がることはさせたくないしな!」

「いやさっきヘッドロックしてたくせに……え、ていうか、普通にお祭りとかいったよ、私。青葉も楽しそうにしてくれてたし」

「……うぎぎっ……!」

 

 少しずつ悔しそうな唸り声を漏らし始める夏子。そんな時だった。青葉が自分達に声を掛ける。

 

「カレー、出来たけど……え、なんでそんなギスってんの?」

「青葉、ちょうど良い所に来た!」

 

 カレーのお皿を持って来ていたので、美琴が手伝うためにお皿を取りに行く中、夏子が青葉に声をかける。

 

「何?」

「青葉、私とこの人、どっちが好きだ⁉︎」

「みっちゃん」

 

 速攻答えられた直後、夏子は指をゴキゴキと鳴らし始める。

 

「ひぇっ……いやそんな風に脅されても、今こうして手伝ってくれる人とくれない人がいる時点で差が出るのは明白というか……」

「……」

「ふふ、スプーンも用意するね」

 

 さらに追い打ちをかける美琴。すると、その後ろから夏子が立ち上がった。

 

「机、まだ拭いてねーから私がやってやんよ!」

「え、いやいいよ別に」

「なんでだよ⁉︎」

「や、だって疲れてるでしょ」

「お前言ってることメチャクチャじゃねーか!」

「いや態度の問題だから」

「む、ムカつく……!」

 

 そのまま三人分のカレーを運び終え、三人で改めて食卓を囲む。

 いただきます、と挨拶して食べ始めた。

 

「二人とも、自己紹介しました?」

「うん。したよ」

「なら良かったですけど……じゃあなんでそんなギスってたんですか?」

「お姉さんの暴力が目に余ったから、ちょっと大人気なく色々言っちゃっただけ」

「ですよねー、うちの姉ちゃん本当にガサツで……まぁ、そのガサツさで助けられる事もあったりするんで文句言えないんですけど」

「……そうなんだ」

 

 そう言えば、自分もさっきそれで助けられた。……ちょっと威力が高すぎた気がしないでもないのは置いといて。

 

「俺が中学生の時ですかね……クラスメートにみっちゃんの写真キーホルダーを公園の木の上に隠されたことあって、その時に通り掛かった姉ちゃんが、廻し蹴りで木を揺らして取ってくれたんですよ」

「へぇ〜……」

「そうだぞ、感謝しろ!」

「その後、姉ちゃん足痛めて俺が家でマッサージしたんですけどね」

「う、うるせーな! 木を蹴っ飛ばして無事で済む足があるかよ⁉︎」

「あと、昔はよく擦り傷作って帰って来てたから、消毒液かけるのも苦労したよね。わんぱく過ぎて」

「テメェこそ人のこと言えんのかよ⁉︎ ビビリの癖にいつも態度だけ大きくしやがって⁉︎」

「方向音痴の癖にアウトドア派な奴に言われたくねーわ! 小四の癖に小一の弟に学校まで案内させやがって!」

「お前こそ、中学生にもなって一々、姉に体育のサボりを注意させるんじゃねーよ!」

 

 ……と、少しずつ喧嘩がヒートアップしていく中、少しだけ美琴はむすっとしてしまう。なんか……蚊帳の外感がすごいというのもあるが、何より青葉が最初に世話を焼いていた歳上は自分ではなかったことが、何となく苛立った。……まぁ、確かに手慣れてはいるなと思ったが。

 なので、話に混ぜてもらおうと声をかける。

 

「……青葉、青葉」

「あ、すみません。みっちゃんの事を忘れるなんて……」

「つーか、さっきから思ってたんだけど、その呼び方なんだよ?」

「え、美琴さんがそう呼んでって」

「え……24にもなって、みっちゃん……?」

「……悪い?」

 

 鼻で笑われ、少しイラッとしてしまう。……いや、まぁ確かにそれも歳下に呼ばれてると思うと、思うところが無いわけでもないが? 

 

「そうだぞ、姉ちゃん。はづきのことも、俺いまだにはっちゃんって呼んでるし」

「そ、そりゃそうだけどよ……ぷふっ」

「そんなにおかしいなら、俺も姉ちゃんのことは婆ちゃんって呼ぼうか?」

「ああ⁉︎」

「ぷふっ……!」

「何がおかしいんだ美琴コラァッ!」

 

 いや、今の返しは面白かった。思わず素で笑ってしまう程度には。

 

「ふふ……お婆ちゃん……」

「よーし殺す! 覚悟しろ」

「は? みっちゃん殺そうとしたらその前にお前殺すよ」

「は? 殺されんのはお前だから。元を断ち切るに決まってんだろ」

「あ、はい。すみませんでした……」

 

 謝らせているのを眺めつつ、笑いをそろそろ堪えた。ここで笑ったら、また喧嘩になるから。

 ……にしても、婆ちゃん。口調も、なんか一昔前のレディースのヤンキーみたいだし……。

 

「……ぷふっ」

「てめええええええ‼︎」

「やーめーれー! みっちゃんも少しは堪えて!」

「ごめんごめん」

 

 結局、喧嘩にはなった。

 

 ×××

 

 さて、食事を終えた後、青葉はすぐに洗い物。その間、夏子は風呂に入り、美琴は何となく帰らずに残っていた。

 そんな中、洗い物をいつの間に終えたのか、そしていつの間に淹れたのか分からないが、青葉がコーヒーを目の前に置いてくれた。

 

「どうぞ。インスタントですけど」

「……ありがとう」

「すみません、美琴さん。無礼な姉で」

「気にしてないよ」

「あんなんだけど、悪い奴じゃないんです。ガサツなのも、根源は仮面ライダーに憧れて『悪い奴はとりあえず殴る』の精神から来てるだけですし……実際、俺よりも頼りになる姉ですよ。運動も、英語だけなら勉強も」

「……」

 

 あんな口喧嘩してても、ちゃんとフォローするところはしてあげるあたり、やはり良い子だ。……まぁ、その子から彼女の恥部もほとんど出ていたわけだが。

 とはいえ……だ。今にしても思えば、確かに彼の姉っぽいポイントはいくつもあった。何より、助け方。知り合いのフリをする辺り、本当に似た者姉弟と言うべきだろう。

 

「ありがとう。でも、それなら早めに私との関係がバレたのは良かったんじゃない?」

「え、なんでですか?」

「だって、お姉さんにバレないようにご飯作りに来るとか無理でしょ?」

「……まぁ、それは……」

 

 どうせ青葉のことだから、自分にも話さずに隠密行動に移るに決まっている。チェインの段階で何も言ってくれなかったのが良い証拠だ。

 

「普通にバレた上でご飯作りにこれるなら、それはそれで良いかなって」

「……そうですね……」

「うん。だから、明日のご飯もよろしくね」

「はいはい……」

 

 話しながら、美琴はコーヒーを飲む。そんな時だった。お風呂場から声が届く。

 

「あーおーばー! 私の鞄から洗顔取ってくれー!」

「なんでボディソープとシャンプー持っていって洗顔忘れんだよ!」

「しゃーねーだろ! はーやーくー!」

「わーったよ!」

 

 せっかく一緒にコーヒーを飲んでいたのに、青葉は一度、席を立ってしまった。姉の開きっぱなしになっているスーツケースを漁る。

 適当に服やら何やらを引っ張り出して探す姿を見て、一応声をかけた。

 

「洗顔とかなら、内側のポケットとかじゃないの?」

「うちの姉ですよ?」

「あー……なるほど」

 

 つまり、カバンを力技で締める人なのだろう。なんだか……苦労しているなぁ、としみじみ思ってしまったり。

 そのままガサガサと宝探しをする中、ふと気になるものが目に入る。下着類とかだ。

 

「あの……青葉?」

「なんですか?」

「下着とか普通に触ってるけど……大丈夫なの?」

「何がですか?」

「や、だって……私のノーブラを知った時とかすごく顔真っ赤にしてたのに……」

「姉の下着を見たって何も感じませんよ……」

「そ、そうなんだ……?」

 

 あ、じゃあなんで自分のノーパンノーブラにはそんなに反応したの? と、弟や兄がいない美琴には分からない疑問が芽生えてしまった。

 ……つまり、そんなこと気にするような仲じゃない、ということだろうか? だとしたら……羨ましい。というか、本当に青葉は自分以外にはなんでもぐいぐい行ける人だ。

 そこで、ふと気がついた。気が付いてしまった。

 

 ──自分ももっとポンコツになれば、もっと構ってもらえるんじゃね? 

 

 と。

 そういえば、プロデューサーの助言を思い出した。少しかまちょしてみれば良い、という。

 ……うん、そうだ。それだ。それしかない。

 

「青葉」

「あ、あった。なんですか?」

「私、頑張るから」

「え、何を?」

 

 頑張ることにした。

 

 



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どうしてこうなった。

 さて、翌日。青葉は目を覚ますとすぐに着替えを始めた。昨日、話した感じだと姉は一週間、ここにいるつもりらしい。

 正直、急だったので何も用意出来ていないが、まぁしゃあないだろう。

 着替えを終えると、歯磨きもして家を出ようと、ドアノブに手をかける。

 

「はよー……青葉ぁ……」

「おはよ。悪いけど出掛けるから、もう少し寝てて良いよ」

「どこ行くんだ?」

「マラソン。みっちゃんと」

「は? 私も行く」

「……」

 

 眠くて微妙に頭が回っていなかったことを後悔した。そう来るか、と考えれば当たり前のことに冷や汗をかく。

 まぁでも、この姉は操りやすいので問題ないと言えばないのだが。

 

「じゃあ準備して来て」

「おうよ!」

 

 すぐに目の前から消えたのを良いことに、すぐ玄関から出た。さて、朝の準備の早さで言えば美琴は自分より早いし、さっさと呼び出す。

 インターホンを押すと、今日は珍しい事にすぐに返事はなかった。

 

「あれ、どうしたんだろ……」

 

 というか、姉が玄関から出てくる前に早めに来てほしい……と、思っていると、ガチャっ……と、扉が力無く開かれた。

 

「おはようございます、みっちゃ……んっ⁉︎」

「ほはよ〜……青葉ぁ〜……」

 

 欠伸をしながら出て来た美琴は……上半身に着ているパジャマは、肩まではだけていて胸の谷間がしっかりと見える。その上、裾が長いのでパンツは見えていないが、ズボンも見えていない。つまり、何も履いていないように見える。

 

「っ、み、みこっ……なんっ……⁉︎」

「ふぁひがぁ……?」

「何が、じゃないですよ! し、下履いてください……!」

「履いてるけど……?」

「いや履いてるならパンツでも良いって話じゃなくて……!」

「見る?」

「ちょっ、何捲って……!」

 

 両手で目を隠そうとした時だ。指と指の隙間から見えたのは、美琴の長い裾のTシャツの下。黒のレースという大人向けの下着……などではなく、なんかやたらと短い黄緑色の短パンだった。

 

「……へ?」

「ふふ、言ったでしょ? 履いてるって」

「っ……〜〜〜っ! み、みっちゃん!」

「ごめんね、寝惚けてた」

「寝惚けてる人があんなテクニカルなイジリを出来るかー!」

「待ってて。すぐ着替えちゃうから。中で待ってても良いけど?」

「な、中って……え、えっち!」

 

 そんな真似をすれば、着替えているシーンが見えてしまう……と、思ったのだが、美琴はキョトンとわざとらしく小首を捻る。

 

「いや、中で待つなら待つで、私は寝室で着替えるけど……」

「え? あ……」

「えっちなのはどっち?」

「っ……か、帰る!」

「ふふ、ごめんごめん。謝るから、帰らないで」

 

 というか、どうしたのだろうか? 今日の美琴は。なんからしくない発言が多い気がするが……まぁ、でも……いや全然マゾとかじゃないけど、いじられるのは正直、嫌じゃなかったりしなくもない気配を感じるっぽいので何も言わないが。

 とりあえず、姉の方が出てくるの早い気がしたので、青葉は美琴が来るのを本当に玄関で待つことにする。

 

「……ふぅ」

 

 しばらく待機していると、美琴がようやくやって来た。

 

「お待たせ」

「待ってませんよ?」

「ふふ、紳士だね。行こっか」

 

 そんな褒め言葉に、少しだけ頬を赤らめつつも、青葉は二人で部屋を出る。すると、部屋の前で夏子が待っているのが見えた。

 

「……よう、青葉? なんで置いて行った? ん?」

「……」

「私と二人で走りたかったからじゃないの?」

「あ?」

「ふふっ……」

 

 やはりというかなんというか……ギスり始めていた。というか、美琴の煽りがちょっと嫌な予感がする。なんでこの人、今日はこんなに煽るのだろうか? 不思議どころか、ちょっとよく分からない。

 けど……まぁ、とりあえず後一週間で姉は帰ってしまうわけだし、必要以上に仲良くさせる必要もないと思うことにして、二人を促した。

 

「二人とも、とりあえず行きましょう?」

「……わーったよ」

「そうだね」

 

 ……そんなわけで、三人でマンションの前に移動した。まずは軽くストレッチをしてから走り始める。

 いつも通りのペースで美琴の後ろを青葉が走り、さらにその後ろをゲストの夏子が走る。

 そんな中、後ろから声がした。

 

「青葉、大丈夫か? そんなペースで走って」

「平気だよ。このくらいなら」

「いや、だってお前この半分の速さで走っててもバテてたじゃねーか」

「それは去年までの話だろ。俺はもう……みっちゃんによって生まれ変わったのさ」

「……私がいくら運動に誘っても乗ってこなかったクセに……!」

「それはしょうがないでしょ」

 

 実際、仕方ないのだ。当時は美琴に夢中でグッズ集めに必要な資金集めが一番だったが……今となっては、ぶっちゃけグッズなんか買うのがアホらしいくらい近くにいられるのだから。

 昔はやる気にならなかったけど、今はむしろやる気になってしまっているのだ。

 

「でもまぁ、まだまだ遅いけどな。……ほれ、先行くぞー?」

「姉ちゃんのペースで走って良いよ別に」

「ふざけんな! 一挙に走んぞコラ!」

「いや勝手にしてくれて良いんだけどさ……」

 

 そのまま走っていると、七草家の前に到着。すでに準備体操を終えたにちかが立っていた。

 

「おはようございます……って、なっちゃん!」

「久しぶりだなぁ、にちか」

「久しぶり! え、どうしたの? なんで?」

「このバカがちゃんと一人暮らししてっか見張に来たんだよ。案の定、お隣さんと変な関係持ってやがった」

「あー分かる分かる。ファンの癖にアイドルとお隣さん同士で暮らすとかないよねー」

「う、うるせーよ……!」

 

 肩で息をしながらそう返す。この二人は普通に仲良い……というか、青葉制裁部隊として昔から二人は組んでいた。

 

「はっちゃんは元気か?」

「元気だよー。この前は、宿題写しただけで怒られたし」

「相変わらず硬ぇなぁ、はっちゃんは」

 

 と、話し始める。まぁ……こんなんと昔から付き合っているわけだから、優しい年上のお姉さんが好きな女性のタイプになってしまうわけで。

 何にしても、仲良くしてくれているのなら助かる。とりあえず、青葉はこっそりと美琴に声を掛けた。

 

「……いきません?」

「良いね」

 

 二人を置いて走り始めた。

 早朝ランニングを始めてまず思ったのは、やはりこうして外を走るのは気持ちが良い。

 最初こそ疲れで気持ち良さを楽しむ余裕さえなかったが、今ではそれなりに朝の風景を楽しむことが出来る。

 こんなに暑い外を走っているのに、流れる汗が不愉快じゃないなんて、少し前の自分では考えられなかった。

 ……それと同時に、昔姉に遊びに誘われた時に乗っておけば、この気持ち良さをもっと早くから知れたのかも、と思わないわけでもなかったり。

 そういう意味では、たまに帰って来た時くらい、少しは家で姉に優しくしてやった方が良いのかも……なんて思った時だ。

 そこで、ふと青葉は思ったので美琴に声を掛けた。

 

「そういえば……美琴さんはご実家に帰ったりしないんですか?」

「あー……あまり考えたことなかったかも。アイドルで忙しくて。でも、毎年チェインでやり取りはしてるよ」

「あー……それなら安心ですね」

 

 まだ青葉は半年経ってないからかもしれないが、とりあえず写真で顔を見られれば十分だ。特にホームシックのような感情もない。

 ……いや、家から離れているのは親だし、むしろそっちがホームシックを感じるのでは? こういう時、感じるのはホームシックと呼ぶわけではないのだろうか? 

 

「美琴さん、家が恋しいわけじゃないホームシックってなんて言うんですかね?」

「え? いや知らないけど」

 

 ……ファミリーシック? なんか語呂悪いし、なんならファミリーが死んだみたい……なんて考えていると、隣の美琴がキョトンとした様子で声をかけて来た。

 

「もしかして……寂しいの?」

「え、いや全然?」

「……強がってない?」

「ないですけど?」

 

 いやほんとにそんな気はない。たまに連絡すれば十分だし、あんまりもの寂しさを感じるようなことはないのだが……しかし、美琴は何を勘違いしたのか隣で自分の手を握って来た。

 

「まだ高校一年生だもんね。私も一人暮らし始めた時は寂しく思ったこともあったよ」

「え? いやだからほんと……」

「いつでも、私に甘えてくれて良いからね。……ハグまでなら許しちゃうから」

 

 それを聞いて、大きく狼狽えた。ハグ? それはつまり……その抜群のスタイルが自分と密着する? それもゼロ距離で? 

 頬を真っ赤に染め上げた青葉は思わず俯いてしまう。何度か胸に腕とかが当たったことあるからこそ、少し想像出来てしまった。

 そんな青葉を見て、美琴はクスッと微笑む。

 

「ふふ、照れてる」

「ーっ⁉︎ か、からかってたんですか⁉︎」

「ハグする? 今」

「っ……み、みっちゃん!」

 

 やはりなんか今日は意地悪ばかりされる……と、食いかかろうとした時だ。真後ろから飛び蹴りが二つ、炸裂した。

 

「「人を置いてイチャイチャしてんじゃねええええええ‼︎」」

「ぐおああああああああ⁉︎」

 

 にちかと夏子のキックで前方に大きく転がるハメになった。

 

 ×××

 

 ランニングが終わった後は、美琴と夏子はシャワーを浴びて、青葉は汗だけ拭いて隣の部屋で朝食とお弁当を用意する。

 そのあとで美琴が出て来て朝食を終えると、その美琴に弁当を渡して自室に戻った。

 

「ただいまー」

「……」

「待ってて、姉ちゃん。俺もシャワー浴びちゃうから」

「ん、おお」

 

 そのままシャワーを浴びに洗面所に入る。さっさと服を脱いで汗を流しながら、少しだけ困ったように苦笑いを浮かべた。

 なんか……さっき朝食を作っている時も、いいように美琴にいじられてしまったが……どうかしたのだろうか? 別に良いけど、そういう事をするタイプじゃないと思っていたが。

 何かあったのか、それとも……と、そこで理解した。もしかすると……本当にホームシックなのは美琴の方なのでは? なんて思ってしまった。

 あり得ない話ではない。これまで割とストイックにやって来ている美琴だし、自分の部屋に姉が来たことにより「私も会いたいな……」とか思うようになってしまったのかもしれない。

 

「……何それ可愛すぎんだろ……」

 

 ギャップ萌えどころの騒ぎではない。天地がひっくり返りでもしたのだろうか? と不思議に思う程だ。

 それならば……帰って来た時、甘やかしてあげた方が良いかもしれない。元々、立ち位置はお母さんみたいなことしてるわけだし、出来そうではあるが……しかし、具体的にどうしたら良いか……と、思いながら洗面所から出た。

 着替えを終えてリビングに入ると、姉がクーラーをガンガンに効かせてソファーに寝転がっていた。

 

「姉ちゃん、クーラーこんな早朝から入れないで」

「飯ー」

「聞いてる?」

「うーるせーなー。姉ちゃんが帰って来てる時くらい、クーラー使わせろよなー」

「……」

 

 今月の電気代が多いのは姉の所為だから、と両親に言い訳することを先に考えておきながら、朝食を作り始めた。

 まぁ、せっかく姉が帰って来ている、という点は分からなくもないので、せっかくなら好きなものを作ってやろうと思い、アスパラガスの肉巻きを作ることにした。

 それと、なんかじゃがいもを炒めたくなったのでそれも剥き、炒める。味噌汁も新しく作り、米は昨日の残りがある。

 

「姉ちゃん、今日どうすんの?」

「お前について行く」

「買い物行くだけだよ。今日はバイトもないし」

「それでも良いんだよ。何のために帰って来たと思ってんだ」

「……親の監視網をくぐり抜けて好き放題するため?」

「お前どんな風に私を見てんだよ! 3分の1は合ってるが」

「合ってんじゃん」

「一番は、お前のことが心配だからに決まってんだろ」

「……」

 

 ……いやさっき飛び蹴りした癖に……なんて、少しだけ思ってしまったり。スーツケースの中身も結局、青葉が片付けたし、朝飯の催促もしつこいし……。

 

「姉ちゃん、ちゃんと友達できてる? 大丈夫?」

「お前に心配されるために来たわけじゃねーよ!」

「何かあったら言いなよ? 母さんとか父さんに」

「うるせーよ!」

 

 なんて話しながら、いよいよフライパンで焼き始めた時だ。姉が見ているテレビがCMに入った。ウマ娘のコマーシャル。そして、映っているのは、スーパークリーク。

 

「……これだ!」

「何がだ?」

 

 これらしかった。

 

 ×××

 

 その日の夜、今日も美琴は居残り練習を終えて帰宅の準備。事務所でシャワーを浴び終えて更衣室に入ると、にちかが大急ぎで荷物を纏めている所だった。

 

「すみません、美琴さん! 今日は、うちの姉妹みんなとなっちゃんとご飯食べに行くことになったので、お先に失礼します!」

「分かった。……あれ、じゃあ青葉も?」

「はい。一緒ですよ」

「え……」

 

 じゃあ、私の今日の晩御飯は? と、狼狽える中、にちかは足早に出ていってしまった。

 どうしたものか……と、悩みながらスマホを見ると青葉からチェインが来ている。

 

 ピスタチオ一宮『すみません。今日の晩御飯、急遽食べに行くことになったので作れません。申し訳ありませんが、ご自身で用意して下さい』

 ピスタチオ一宮『ちゃんと、お弁当でも良いので料理を食べるようにして下さいね』

 

 来てた、一時間ほど前にチェインが。まぁ、昔から家族絡みの付き合いをしていたらしいし、久々に再会したらそういう事もあるのだろう。

 と、そこで美琴はハッとする。これ……もしここで敢えてウ○ダーとかで食事を済ませたら、構ってもらえる上にご飯も作ってもらえるのでは……? と。

 そうと決まれば、しばらく家に帰らないで事務所でウ○ダーでも飲もう。

 

「よし……!」

 

 更衣室を出て、美琴は軽く伸びをした。すると、鼻腔を刺激する良い香り。中に入ると、プロデューサーがインスタントのちゃんぽんを食べていた。

 

「あれ、何食べてるの?」

「げっ……ま、まだいたのか。アイドル……」

「?」

「これ、恋鐘が実家に帰った時のお土産なんだ。今日、残業だから食べようかなと思って。……食べるか?」

 

 ちょうど良い。ウ○ダーを買いに行く手間が省ける。インスタント麺なら、青葉も怒るだろうし。

 

「うん。食べたい」

「みんなには内緒な? これ、俺の夜食だし、恋鐘が俺にくれたものだし」

「うん」

 

 頷いて答えると、プロデューサーはちゃんぽん麺を作るためにキッチンに立った。しばらく待機していると、すぐに机の上に出してもらった。

 

「ふふ、美味しそう」

「美味いよ、実際」

 

 そんなわけで、食べ始めた。……そういえば、まだ青葉にちゃんぽんを作ってもらったことはないので、これなら物足りなさを覚えることもなさそうだ。

 ズズズッと啜る。美味しい。インスタントラーメンにしては、ちゃんぽんっぽい味わいが強く出ていた。……まぁ、そもそもリ○ガーハットしか食べたことがないので偉そうなことは言えないわけだが。

 

「美味しい」

「だろ? インスタントとは言え、さすが長崎産だな」

「うん。……青葉にも食べさせてあげれば……対抗心燃やして、もっと美味しいもの作ってくれるかも」

「は、はは……」

 

 アリだ。たまに東京の方の駅構内でご当地グルメ展みたいな所で買ってみようかなーなんて考えていると、プロデューサーが声をかけて来た。

 

「最近はどうなんだ?」

「何が?」

「その……お隣の子とは」

「ああ……うん。良い子だよ。相変わらず」

「そっか……でも、誘っといてなんだけど、今日はインスタント麺なんかで良かったのか?」

「今日、青葉はにちかちゃんとはづきさんとご飯行ってるから。お姉さんが海外から帰って来て、久しぶりだなって。あそこ、昔からの付き合いだから」

「そうなのか……」

 

 ちょっとだけ、羨ましかったり。北海道出身の自分とは無縁なのだ。昔からの付き合いというものは。

 でもまぁ、みんながみんな同じわけがないのは当たり前なので、今日くらいは仕方ないだろう。

 

「ちなみに……本当にしてるのか?」

「何を?」

「や、その……かまちょ?」

「ああ……うん。してるよ」

「そ、そうか……言った俺が言うのもあれだけど、程々にな?」

「うん。でも大丈夫、なんかまんざらでもなさそうだから」

「そ、そうか……」

 

 なんか、割とホントたまに嬉しそうだったし。もしかしたら、面倒見が良いというより、面倒を見るのが好きなのかもしれない。

 

「美琴はちなみに、どんなちょっかいを出したんだ?」

「裾が長いTシャツと、寝巻き用の短い短パン履いて朝に会ったりとか……かな?」

「酷いことするな……もっとこう、子供っぽいちょっかいとかさ」

「え……子供っぽい方が良いの?」

「だって面倒見が良い子だろ? あんまり肌を露出したり、誘惑するようなちょっかいは引かれるかもよ。……それに、アイドル的にも控えてほしいし」

「……そっか」

 

 言われてみればそうかもしれない。しかし、子供っぽく……元々、子供の頃もちょっかいを出す方ではなかったので難しい。

 少し考え込んでいると、プロデューサーが代案を出した。

 

「例えば……そうだな。料理を手伝ってみて、少し失敗するとか」

「え……やだ。美味しくないものが出来たりとかしたら」

「いや、砂糖と塩間違えるとかじゃなくて。飲み物を注ぐ時に、入れ過ぎて零しちゃった、とかそんな感じの奴だよ」

「……なるほど」

 

 つまり、ちょっかいというより、失敗してやらかすパターン。アリな気がする。

 

「分かった。やってみるよ」

「でも、取り返しのつかなくなるようなことはするなよ?」

「うん」

 

 要するに、物を壊したりだとか、怪我をさせたりだとか、そういうのは控えないといけないという事だろう。

 今のうちにどんなちょっかいをかけるか、色々と考えながら、とりあえず麺を啜った。

 

 ×××

 

 さて、夜。美琴はしばらく部屋でのんびりする。……いや、のんびりでもなかった。ちゃんぽんを食べた上で青葉の手料理を食べ切るのは無理な気がしたので、少し運動して来た。

 あとは、青葉が帰ってくるのを待つだけ……と、思っていると、自分の部屋のインターホンが鳴る。

 

「はーい?」

『一宮です。……ちゃんと晩御飯食べたか、一応確認に来ました』

 

 わざわざお隣さんが晩御飯を食べたか否か、確認するために来てくれるなんて……と、介護されているという実情に気付くことなく、美琴はドアを開けた。

 

「ごめん、インスタントラーメンで済ませちゃった」

「……」

 

 すると、青葉は2〜3度鼻を鳴らす。そして、やがて「もしかして」と声を漏らして聞いて来た。

 

「事務所で食べたんですか?」

「え……なんで分かるの?」

「インスタントラーメンとかカップ麺の残り香って部屋の中に充満するから。でも、みっちゃんの部屋からそんな匂いしないし」

 

 こ、この料理馬鹿……と、美琴は冷や汗をかく。探偵か、とツッコミを入れたくなるような文字通りの嗅覚だ。

 

「それに、みっちゃん少し汗かいてるし、遅くまでレッスンしてたんでしょう? それで、プロデューサーさんが差し入れをしてくれた、と言ったところですか?」

 

 なんだろうか、その当たらずとも遠からずな推理。そういえばこの子、成績は良いんだった、と今更になって思ってしまったり。

 

「まぁ、たまにはそんな事もあると思いますし、それに関しちゃ怒りませんよ。元々、俺が急に飯作れないって言ったのが原因ですし。そんなわけで、今日の所は……」

 

 えっ、と美琴が内心でたじろいだ直後、目の前の青葉も「あっ」と何かを思い出すように声を漏らすと、決心したように唾を飲み込む。

 やがて、顔を真っ赤にしたままこちらへ一歩踏み出し、美琴の頭に手を伸ばした。

 

「よ、よく正直に言ってくれましたぁ……良い子良い子……」

「……」

 

 ちょっと脳の理解が追いつかない。えーっと……自分は今、何をされているのだろうか? 良い子良い子とか言われながら、頭を撫でられてる? あれ? それは所謂……良い子良い子? つまり……撫で撫で? 24歳の成人女性が? 男子高校生に? 

 それを自覚するのとほぼ同時。なんか……ふと、ここ数年、会っていない母親の事を思い出してしまった。

 そして、男子高校生に撫でられて母親を思い出している自分を、らしくなく客観視してしまった。その結果……。

 

「ーっ⁉︎」

「え……」

 

 爆テレした。

 一気に顔が真っ赤に染まり、青葉の方が驚いて手を離してしまったくらいだ。

 

「えっ……あっ、えっ……いまっ、頭っ……」

「え、なんですかその意外すぎるリアクション……こっちの方が恥ずかしいと思うんですけど……」

「っ……!」

 

 このガキ、こっちの気も知らないで……! なんて頭に血が昇ってしまった。もうからかうからかわない以前に、普通にわけわかんなくなった結果……思考を放棄した。

 とりあえず……嫌ではないし、もう少しお願いしちゃおう、みたいな。

 

「あ、青葉……」

「な、なんですか?」

「…………し」

「え?」

「……も……もう、少し…………」

「……何を? 良い子良い子?」

「……」

 

 敢えて口にするのは恥ずかしいのだが……もしかして、わざとだろうか? 

 

「……いじわる。口で、言わせるつもり……?」

「え、や、ほんと何を?」

「っ……だ、だから……そ、その……そう。撫で撫で……」

「え……いや恥ずかしいし、流石にちょっとアレだったから今回きりにしようと思ったとこなんですけど……」

「……」

 

 そんなの許されない。というか、口で言わせておいてなんで意地悪を言い出すのだろうか? 

 そう思った時には、青葉の手首をガッツリ美琴は掴んでいた。

 そして、半開きになっていた玄関を開き、青葉を自分の部屋の中に入れて、閉める。

 

「えっ……えっ……えっ?」

 

 そのまま、青葉の真横に右手を通して扉に手をつく。それと同時に、反対側の左手でこっそりと鍵を閉めた。

 

「え……あの……ぇっ……へ?」

「撫でて」

「か、壁ドンされながら……?」

「訳わからないこと言ってないで撫でて」

「……」

 

 ……正直、自分でも何を言っているのか分からないが仕方ない。だって、撫でて欲しいのだから。

 顔が赤くなっているのが鏡を見なくても分かってしまったが、さっきの撫で撫ではやたらと胸の奥で満たされる何かがあった。青葉がたまにする突拍子のない言動は自分を従わせられるものが多くて困る。

 プロデューサー、インスタントラーメンを食べさせてくれてありがとうと言う感じだ。

 少しだけヒヨった様子の青葉も頬を赤らめると、自身の頭上に手を伸ばす。そして、さっきよりはぎこちない手つきで美琴の頭を撫で始めた。

 

「ぃっ……良い子、良い子……?」

「……」

 

 ……確信した。この人、性別を間違えて生まれた母親気質の男子高校生だ。だから、よほどしっかりした人じゃないと、関わる女性を全員、ダメにする。恋愛的な意味ではなくて人をメロメロにするタイプだ。

 とにかく、危険である。なんかプロデューサーはちょいちょい青葉に会いたいみたいなことを言うが、何の間違いかでこの子を事務所の子達に会わせたら、全員がダメにされる……! 

 そう強く思うと同時に、美琴は思った。

 

 ──でも、自分はダメにされてるし関係ない話だよね。

 

 と。

 

「……青葉(お母さん)

「なんですか? てかなんて言った?」

「たまによろしく」

「え、な、何を?」

「ふふ……もう、意地悪だな。青葉さんは」

「誰がおばさん?」

 

 どんな聞き違いをしているのか知らないが、美琴は微笑んで誤魔化す。少し青葉はそれを見て頬を赤らめるが、美琴は気にする様子一つ見せずに笑顔を浮かべたまま続けた。

 

「その……ま、また……お姉さんにも、にちかちゃんにも、はづきさんにもバレないように……頭、撫でてね」

「……え」

「じゃあ、また明日ね」

 

 それだけ話すと、美琴は玄関の鍵を開けた。そのまま流れるように青葉は部屋を出て行く。

 その背中を眺めながら、美琴は晩御飯を作ってもらうのを忘れてシャワーを浴びた。

 

 



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ポリシーと自己満足は紙一重。

 それから数日が経過し、青葉には新たな日課が増えた。しかも、過去最大級にデカすぎる日課。いや、行動自体は小さいけど、メンタル的には大きすぎる日課だ。

 

「青葉……」

「は、はい……?」

「撫でてくれたら……今日の仕事、やる気出るなって……」

「は、はいはい……」

 

 少し恥ずかしいのか、頬を赤らめながら少しだけ屈む美琴。その頭に、恐れ多いと思いつつも、青葉は手を伸ばした。

 サラサラな髪に覆われた小さな頭の形を実感してしまった。いや、まぁ普通の形をしているわけだが。

 しかし……なんと言うか、本当に変な癖をつけてしまった。我ながら、何を思ってクリークの真似をしようと思ったのかカケラも分からない。変な扉を開けてしまったような感じだ。

 

「ありがと。じゃあ、行ってくるね」

 

 今は朝食を作り終え、部屋に帰ろうとしている所。これからすぐに部屋を出るので、そんな挨拶をしてくれた。

 ……少し照れてるのが、また可愛いと思わざるを得なかった。なんだろう、この人……これまで、どういう情緒で育って来たのだろうか? 

 とりあえず、自分も顔を真っ赤にしながら美琴の部屋から出る。この関係……このまま続けても良いのだろうか? なんか……なんだろう。この、18禁の動画をツイスタとかで目に入ってしまった時に似た罪悪感は。

 

「……はぁ」

 

 ため息が漏れる。しかし……それにしても、美琴の髪は綺麗だった。サラサラで良い匂いして色鮮やかで……正直、このまま髪フェチになってしまうかも、と思う程だ。

 ……そんな人の頭を撫でる日課ができて、早5日。いや正直、撫でさせてもらえるのはとても嬉しいのだが……しかし、なんかこう……慣れない。気恥ずかしい。死んじゃう。

 自分は一体、どうしたら……なんてことを考えながら、自室に戻る。中では、姉が相変わらずダラダラしていた。

 

「姉ちゃん、朝飯何が良い?」

「パフェ食いたい」

「朝飯って言ってるでしょ」

「いや今じゃなくて良いから」

 

 じゃあ今言うなよ、と思ったが、まぁ明日で姉はアメリカに戻ってしまうし、別にそれくらい構わないだろう。

 

「良いよ。食べに行こうか」

「……なぁ、青葉」

「? 何?」

「お前、美琴さんのこと好きだろ」

「え?」

 

 不意にそんなこと言われ、少しドキッとする。……いや、まぁ好きなのは当然でもあるわけだが。何せ、ファンだし。……逆に、なんで今、ドキッとしたのだろうか? 

 

「勿論?」

「いや、ファンだからとかそういうんじゃなくて」

「……えっ、じゃあどういう意味?」

「女の人として好きだろ」

「…………えっ」

 

 まるで手品の種を人前で明かされたような嫌な胸の高鳴りが発生し、口から内臓的なものが飛び出るかと思った。

 好き? 自分が? 美琴を? それも……恋愛的な意味の? ……いやいや、いやいやいやいや……いやいやいやいやいや! 

 

「ないないない! ファンとアイドルだぞ? その辺、弁えてるから俺は。たかだか、部屋の掃除してご飯作ってあげてお祭り行って取った一緒に金魚飼ってるくらいの関係で勘違いして恋に落ちてたまるかよ!」

「十分じゃね?」

「そんな事ないから!」

 

 いやまぁ正直、自分も言ってて憧れのアイドルとそれだけの経験をしたら惚れない方がおかしい気がしないでもないが……。

 でも、それは認めちゃいけないし、認められない。絶対に嫌だ。忘れちゃいけない。ファンと、アイドルなのだ。

 

「とにかく、俺別に好きじゃないし! あ、いやそりゃ大好きだけど……そうじゃなくて……!」

「まぁお前がどんなに否定しようが、美琴さんと話している時のお前はとても楽しそうで幸せそうな笑顔をこぼしていたし、飯を作ってやってる時も、一緒に走ってる時も、頭を撫でてやってる時も、無意識に初恋でもしてるように頬を赤らめていたのは変わらねーから」

「嫌な事を長ったらしく言ってんじゃねーよ! ……てか、なでなでの事なんで知ってんだよ⁉︎」

「姉だから」

「や、厄介な生き物め……!」

 

 なんでそんなところまで鋭いのか……と、奥歯を噛み締める。というか、普通に恥ずかしさで顔が赤くなる。

 

「まぁ、もう好きになったもんは仕方ねーだろ」

「なってねーよ!」

「はいはい。けど、姉として言っとくぞ」

 

 そう言うと、夏子は珍しく真剣な眼差しで自分に問い聞かせた。

 

「好きなアイドルに迷惑がかからないような己を律して、そもそも変な感情は抱かせないようにする……それがお前のファンとしてのルールだな?」

「……まぁ」

「でも、大前提のアイドルが迷惑に思っていなかったとしたら、そりゃ自己満足になる。それは分かっとけよ」

「っ……」

 

 それは正しいのかもしれないが……美琴だって自分に好きになられたって迷惑に決まっている。そもそも、8歳差なのだから。

 

「あともう一つ、人を好きになる事は決して悪い事じゃねえ。むしろ当たり前のことだ。だから、自分がどうするべきか、よりどうしたいか、を優先しろ。この先、美琴さんが誰かと結婚なり交際なり始めた時、後悔したくなけりゃあな」

「……」

 

 黙り込む青葉。思わず吐き気がした。もし……誰かと美琴が結婚する、なんて話になった時を想像してしまったから。

 なんか……嫌だ。絶対に。なんか嫌だ。狡い。羨ましい。ムカつく。

 シンプルな嫉妬心がいくつも漏れ出したことを自覚し、さらに自分が嫌になってしまった。

 その青葉に、夏子は続けて言った。

 

「お前のことだから、どうせ面倒臭い自己嫌悪してるかもしんねけーどな、むしろこの状況で惚れなかったら、お前ホモだと思われるまであるから」

「い、いや……でも……ファンがアイドルに恋とかすると、事件が起こることも……」

 

 何せ、そういう一方通行の恋情からファンはさまざまな事件を起こして来たのだ。ましてや、ストーカー殺人のような事もあるし、そう簡単に認められない。

 しかし、姉はそれを聞くと、キョトンとした顔で聞いて来た。

 

「え……お前、美琴さんに恋したら、何か事件でも起こすつもりなのか? レイプとか?」

「し、しねーよ! ただ、そういう事件は多いから……!」

「そんな例がいくつあろうと関係ないだろ。お前が事件を起こすかどうかなんだから」

「……」

 

 それもその通りでした。あれ……じゃあ、自分の心持ち次第で、アイドルに恋をするのは自由なのか? なんて少し揺らいできてしまった。

 

「……や、でもアイドルに恋するファンとかキモくない?」

「そんな理由で諦められるんなら、確かにお前は美琴さんのこと好きじゃねーわな」

「……」

 

 一瞬、それで良いじゃん、とも思った。しかし、そうなると将来、他の男に美琴が取られる……絶対に嫌だ。

 え、絶対に嫌なの? 幸せならOKです派じゃなかった? あれ……でも、嫌だ。なんだこれ、なんだこの感じ? と、頭を抱え始めてしまった。

 そんな青葉に、夏子は面倒になったような口調で聞いてきた。

 

「ていうか……向こうはどうなんだよ」

「? 何が?」

「だから、好かれてるーって感じ、しねーのか?」

「しないよ。俺なんてみっちゃんにとって、家事をしてくれる都合の良い男だよ」

「マジかお前……」

 

 なんか変な返しをされてしまった。しばらく困った顔をした夏子は、少しため息をつくと別のことを聞いて来た。

 

「じゃあ、もし向こうがお前のこと好きだったらどうすんだ?」

「え……いやそんなことは2000%ないから……」

「もしもの時」

 

 もし……もし、美琴が自分のことを好きだったら……? そんな事、考えたこともなかったが……好かれてる、好かれてる……あの美琴が……と、頭の中で真剣に悩んでみたが……中々、想像出来ない。

 その為、もし自分が片思いした場合を想定してみる。自分がもし人を好きになったら……やはり、その人のために尽くそうとするだろう。

 だから、美琴の立場で青葉に気があるとしたら、家事や金魚のお世話をする……。

 

「……え、つまり……俺を頼ろうとしないで、家事とか自分でやり始める……? 俺、いらない子……? それは困るな……」

「えっ」

「お、俺みっちゃんに好かれないようにしないと……!」

「……」

「いや……でも逆に言えば、それをされていないということは、俺はみっちゃんに好かれてないって事だよな……」

 

 ……嬉しいけどちょっと複雑。まぁでも、仕方ないだろう。女神と人間の関係なのだから。

 というか、なんなら好かれなければ、一生ファンのまま家事でサポートさせてもらえるのでは? と、思ってしまったり。

 とりあえず、嫌われずとも好かれない、の位置をキープしなくては。

 

「よし、好かれないように頑張らないと……!」

「……なんでこんなバカになっちゃったんだよ……」

 

 なんか色々と混乱していて、変な所に落ち着いてしまった。

 その青葉に、少しだけ考え込んだ夏子が、仕方なさそうに言った。

 

「そういや、青葉」

「何?」

「私、明日には向こうに戻るけどよ」

「うん?」

「餞別に何か寄越せ」

「何その急な厚かましさ……」

 

 藪から出て来た棒が話の腰を折りにきていた。

 

「そういうの自分で言っちゃダメでしょ……」

「うるせぇ。何か寄越さねえと父ちゃん達にお前と美琴さんの事、言うぞコラ」

「わ、分かったよ……」

「適当に百均とかで済ませても口滑らすからな。なるべくアメリカでも使えるようなおしゃれグッズとかだと、口の硬さはジブラルタルにまで上がる」

「わかりづれーよ」

 

 そう言いつつも、真剣に考える事にした。言うと言ったら本当に言う女だ。無下には出来ない。

 ……というか、姉や母親はともかく、父親は自分と同じアイドルオタクだ。万が一にもバレれば、羨ましいあまりに父親と二人暮らしが始まる可能性も……。

 にちかあたりに、相談してみることにした。

 

 ×××

 

 その日の夕方、283事務所では、ちょうど仕事が終わって解散したところだった。美琴とにちかが帰宅していると、にちかのスマホが震え出した。

 

「あ、すみません。美琴さん。電話です」

「うん」

 

 言いながらポケットのスマホを見ると、青葉からだった。この野郎、自分と美琴だけの幸福な時間を邪魔するつもりか、グーパン顔にいきますか? なんて考えながら無視する事にした。

 

「何でもないです」

「え、いや思いっきり震えてるけど……もしかして、青葉から?」

「そうですけど……」

 

 あれ、なんかちょっと美琴さん嬉しそうな顔してる? と、にちかは少しだけ引っ掛かった。

 そんなにちかの気も知らず、美琴はそのまま続けた。

 

「じゃあ、私が出ようか?」

「っ、だ、ダメです! それなら私が出ます!」

「そう?」

 

 なんでそんな美味しい思いを青葉にさせるのか。あり得ないのですぐに応答した。

 

「もしもし?」

『あ、にちか? 明日暇?』

「明日? なんで?」

『姉ちゃん、明日の夜に飛行機乗っちゃうから、その前に何か渡したくて』

「あ、私も何か渡したいな。行く」

『りょかい』

 

 ちょっとイラっとしながら応対したが、それはむしろ言ってくれて助かった。ちょうど休みだし、またしばらく会えなくなるのなら、何か渡しておきたい。この前、食べに行った時はこちらの家族の分も出してもらってしまったし。

 

「あんま時間ないよね?」

『そう』

「じゃあ場所はいつもの?」

『そう。時間もいつも通り』

「りょかい」

 

 そこで電話は切れた。いつも通り、とは普段、よくお互いの姉妹にプレゼントを買いに行く時の場所と、それを買うための集合時間の事だ。

 さて、とりあえず今のうちにどんなものが良いかを考えている時だった。隣の美琴が声をかけて来た。

 

「どこか行くの? 青葉と」

「あ、はい。一緒になっちゃんの餞別にプレゼント買いに」

「私も行って良い?」

「良いですよ!」

 

 反射で答えてしまった。もちろん、拒否する理由がないわけだが。そうなると、むしろ青葉は邪魔なわけだが……いや、当日は自分と青葉のセンスの差を美琴に見せつける……! 

 少し明日が楽しみになりながら、美琴と帰宅した。

 

 ×××

 

 マンションまできて、とりあえず部屋がある5階にまで来た美琴は、まず青葉の部屋のインターホンを鳴らした。

 すると、相変わらず2秒もたたずに応答がある。

 

『はい?』

「青葉、ご飯食べたい」

『了解しました』

 

 それだけ話すと、すぐに青葉は出て来た。

 

「何が食べたいですか?」

「うーん……暑いし、冷たいものならなんでも」

「なるほど。お任せあれ」

 

 ……なんか、いつもよりテンション高い? まぁ、可愛いが。

 とりあえず、二人で中に入る。玄関の鍵を閉めるなり美琴は青葉の前で少し屈んだ。

 

「ね、ねぇ、青葉……その、いつもの、お願い……」

 

 やはり、この歳になって頭のなでなでを所望するのは普通に恥ずかしい。

 でも、もうダメだ。それを求める身体になってしまっているのだから。

 なので、少しソワソワしながら聞いたが、青葉は真横を通って靴を脱ぎ、部屋に上がってしまった。

 

「え……」

「いつものって、なんですか?」

「……え?」

「早くご飯だけ作って帰らせてください。明日、朝早いので」

「…………え」

 

 少し、泣きそうになってしまった。急に、どうしてそんな態度を取るのか……もしかして、何か嫌なことをしただろうか? 

 いや……身に覚えがない。なんだかんだ、なでなでしてくれる時も楽しそうにしてくれていたのに……。

 

「……あ、青葉……?」

「冷たいもの、ですよね? すぐ終わるからラッキー」

「…………」

 

 なんだろう……その態度は……と、胸の奥がズキっとする。もしかして……嫌われてしまったのだろうか? 考えてみれば、自分は青葉に良くしてもらっているのに、何かしてあげた事は一度もない気がする。そんなんじゃ、愛想を尽かされて当たり前と言えば当たり前だ。

 ……いや、まだ間に合う。なんだかんだ、彼は自分のファンなのだ。ならば……こちらから何かお手伝いでもすれば良い。

 

「青葉、ご飯作るの手伝おうか?」

「一人でやった方が早いので結構です」

「……じ、じゃあ、料理中にマッサージとか……」

「調理中に身体に触れられるのは普通に危ないのでやめてください」

「……」

 

 ちょっと泣きそうだった。良い年した大人が。そのままスゴスゴとリビングのソファーに座り、少し気まずそうにテレビを見る。

 その間、青葉は料理をしていた。……ふと、そちらをチラリと見ると、なんか向こうも泣きそうな顔している。あの子……どういう情緒なのだろうか? 

 気になるが……とりあえず、ご飯が出来るまで待った。しばらく待機していると、ご飯が出来たようで良い香りが漂ってくる。

 

「っ……」

 

 じゅるり、なんて涎が出そうなほど良い匂いなのだが……ちょっと気になるのは、冷たいものと言ったはずなんだけど……と、机の上に置かれたものを見ると、案の定真逆の羽付き餃子だった。

 

「え……あ、青葉?」

「なんですかっ?」

 

 ちょっと得意げな顔だ。可愛いが、意味がわからない。

 

「冷たいものって言ったと思うんだけど……」

「なんで俺がみっちゃんのリクエストを受けないといけないんですかー」

 

 なにそのわざとらしい意地悪な物言い可愛い、と思っても口にできない。明らかにいつもと様子が違う。

 

「あの……でも、リクエスト聞いて来たのは青葉じゃなかった?」

「文句があるなら、食べなくてどうぞー」

「あ、うそうそ。いただきます」

 

 そうだ、元はと言えば自分は作ってもらっている立場。文句を言って良いわけがない。

 それにこの餃子、色合いも出来もかなり良い感じだし、普通に美味しそう極まりない。

 ……節電中でクーラーも効いていない中、これを食べると思うとちょっとアレだが。というか、青葉も汗だくで作ってるし。

 とりあえず一口……と、箸で摘み、口へ運ぶ。一口で入れると、思わず目を見開いた。この味……思っていた餃子と違う。中に、チーズが入っている……! 

 トロトロで熱々の白いチーズが糸を引き、口の中でとろける。

 

「美味しっ……す、すごい……パリパリ、ジューシーな食感は食べたことあるけど、それは追加しトロトロなのは初めて……」

「で、でしょ⁉︎ いやー、ただあったかいもん出すだけじゃ、ちょっと意地悪が過ぎるかなって思って、新食感を探して……あっ」

「えっ?」

 

 やべっ、と口を塞ぐ青葉。それを眺めて、美琴は「え、なんなの?」と小首を傾げる。

 ……もしかして、この割と子供っぽい男は、自分に美味しいものを食べさせたかったのだろうか? 思えば、ここ最近は「何食べたい?」と聞かれてもほとんど冷たいもの、しか答えてなかった。

 だから……少し、拗ねてたのかも。冷たいものと言えば、蕎麦や冷やし中華やお刺身ばかりだったから。

 つまり……もう少し、仕込み甲斐と栄養がある料理を作りたかったのかもしれない。

 ……なんていうか、本当に可愛い子だ。

 

「青葉、美味しい」

「だ……だから?」

「本当に美味しい。味も、食感も、全部」

「聞いてないけど?」

「だから……その、撫でて?」

「それは嫌」

「な、なんで……」

「早く食べ終わってください。さっさと洗い物終わらせちゃいたいんで」

「……」

 

 ……しかし、なんていうか……青葉も無理してるんだな、なんて思ってしまった。

 それならば、自分のやることは決まっている。

 

「青葉、青葉」

「撫でませーん」

 

 箸で餃子を摘むと、それを青葉に向けた

 

「はい、あーん……」

「えっ……あ、あーん⁉︎」

「そうだよ?」

「い、いやいやいやそれはみっちゃんのものですしみっちゃんが使った箸ですし俺みたいな奴がそれを通して口づけをするのはちょっと如何なものかと言うか普通に気恥ずかしいと言うか勘弁してほしいというか……!」

 

 ……なんか、すごい早口になったと言うか……まぁ、理解した。この男の子、冷たい演技をしても簡単に崩せる。

 

「食べないの?」

「お、俺はもう晩飯済ませましたので……」

「……そっか。私の口付けは汚いか……」

「そ、そんなことないです! 聖水です!」

「ふふ、じゃあ……あーん?」

「うっ……」

 

 とにかく押せば良い。押そう。そう思いながら、とにかく餃子を差し出す。……そして、やがて顔を赤くした青葉は、俯きながら目を閉じて、口を近づけて来た。

 

「あ……あーん……んぐっ」

「美味しい?」

「……まぁ、俺が作ったので」

「ふふ……一緒に食べよ?」

「…………は、はい……」

 

 もはやこっちのものと言えるだろう。

 そのまま、青葉に「あーん」と餃子を食べさせ続けつつ、自分も食べる。……でも、やはり足りない。

 ここ一週間毎日、朝、走る前、走り終えた後、朝食の後、帰って来て夕飯の前、そして夕飯の後と撫でられていたからだろう。頭の温もりが足りない。

 

「青葉」

「な、なんですか?」

「撫でて?」

「わ、分かりま……あ、いえ撫でません」

「撫でて?」

「い、嫌です……!」

「撫でて?」

「た、食べて下さい早く……!」

「……」

 

 強情である。何があってこんな頑なになっているのか知らないが、もうこうなったらなりふり構っていられない。

 そう思った美琴は、一度わざわざ席を立つと、青葉の隣に腰を下ろし、そして……隣に身を倒し、膝の上に頭を置いた。

 

「撫でて?」

「食べた後、横になると盲腸になります。今すぐやめなさい」

「……はい」

 

 急に声音がマジになり、すごすごと体を起こした。結局、撫でてもらえなかった。

 

 ×××

 

 心が痛かった青葉は、翌日になってもそのままだった。というか、思った以上に依存されている。なでなでに。

 というか……好かれ過ぎず嫌われない距離感の保ち方って難しい。あれじゃあただの嫌な奴になっているような……ていうか、利益も不利益もない関係って難しい。今朝、ランニング前も撫でるのを拒否するの少し心臓に悪かった。

 なんて思って待ち合わせ場所に来ると、にちかだけでなく美琴も一緒だった。

 

「なんでだよ!」

「嫌なわけ?」

「嫌じゃないけど……」

 

 にちかに詰め寄られ、青葉は目を逸らす。……いや、ちょっと気まずい。美琴は美琴で変にソワソワし……てない。いつものクールな美琴だ。……あれ? 美琴っていつもクールだったっけ? クールな人がなでなで所望する? 

 なんかもうわけわからなくなって来た中、何も知らないにちかが拳を空に突き上げた。

 

「よし、じゃあ……行こー!」

「ふふ、行こうか。青葉?」

「は、はい……」

 

 三人は駅の中に入って、電車に乗り込んだ。ちょうど三人分、空いてる席があったので、そこに腰を下ろす。美琴、にちか、青葉の順番で。

 

「にちかちゃんと青葉は、どんなもの買おうと思ってるの?」

「私はー……ハンカチとか、ですかね? 向こうでも使えるものにしたいけど、あんま高いものだと気を遣わせちゃう気がして」

「良いかもね。……でも、あのお姉さんハンカチとか持ち歩くの?」

「人からもらったものは比較的、大事にしてくれるので、使ってくれると思いますよ」

 

 それはその通りだ。ああ見えて綺麗好きなのだ。掃除は下手くそだが。……その影響で、青葉の掃除スキルが上がったとかいう話は置いておいて、美琴は続いて青葉に顔を向けた。

 

「青葉は?」

「俺はー……そうですね」

 

 自分ならどうするか……と、顎に手を当てる。青葉も一応、考えては来た。

 

「そうですね……俺は、ヌンチャクにしようかなと……」

「……え、なんで?」

「いや、海の向こうはここより治安悪いらしいですし。それなら、武器とかが良いかなって。姉ちゃん、強いから初めて使う武器も使えますし、夏油のこと好きですし」

「……いや、それはちょっと……」

「ふっ」

 

 にちかが得意げな顔をする。何その顔? と青葉が小首を傾げる中、美琴に告げた。

 

「こいつ、昔からなんですよ。贈り物のセンスが致命的にないの」

「そ、そうなんだ……」

「な、なんでだよ! 向こうでも使えるし、身を守る術としては完璧だろ⁉︎」

「まず空港の検査で引っかかるんじゃない?」

「木製だから平気だ!」

「鎖が鉄でしょ」

「ていうか、そんなのこれから行く場所に売ってるの?」

「おもちゃならあると思いますよ」

「いやおもちゃじゃダメでしょ」

「うちの姉ちゃんは、木の枝で木刀を折れます」

「それ武器要らなくない?」

 

 言われて、青葉は顎に手を当てる。確かにその通りかもしれない。

 

「……じゃあ、何が良いかな。エアガンとか?」

「なんで武器ばかり持たせるの?」

「あの姉、割と隙だらけだからです。小6にもなって知らない人にお菓子あげるからって言われてついていって、そのおじさんをコテンパンにして警察に突き出したくらい隙だらけなんですよ?」

「え、隙なさ過ぎない?」

「枕投げも昔から二人がかりで勝てなかったよね」

 

 そう言う意味で言っていないのだが……いや、まぁでもにちかはともかく、美琴までそう言うなら考え直した方が良いのかもしれない。

 

「……じゃあ、防犯ブザーとか」

「うん。一緒に考えよっか。現地で」

「ぷーくすくす、高校生にもなって一人でプレゼントも渡せないとかダッサー」

「いつもお世話になってる人のお姉さんだし、私からも何か渡したいかな。青葉にお姉さんのことを聞いて」

「ま、まぁ人の意見を聞く事でさらに良いアイデアが出るってものですよねー!」

 

 踏みかけた地雷を慌てて土の下に戻すにちかを無視して、青葉は頷いて答えた。

 さて……なんか、普通に美琴も一緒に回る事になったが、考えてみればそっちも問題ない。流石に美琴もにちかの前で「撫でて」なんて言い出すとは思えないから。

 とりあえず、今日は青葉もなるべくにちかから離れないように行動する事にした。

 

 



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メテオストライク。

 さて、そんなわけで早速、プレゼント選びを開始した。三人でショッピングモールの中をのんびりと見て回る。

 

「うーん……何にしようかな」

「実用性って面は私も良いと思うし、好きなのにしたら?」

「好きなのが一番、迷うんですよね……」

「まぁ、そのために私たちがいるから。好きなお店入ってみなよ」

「ありがとうございます」

 

 お礼を言いながら、お店の中を見て回った。まずはにちかの買い物から。確か、ハンカチだっただろうか? 

 

「にちか、お前どこで布買うの?」

「ハンカチを安っぽい言い方するのやめてくれる? というかそれ、全国のハンカチ職人に殺されると思うけど。二階の」

「ああ、あそこ。俺もそこで買おうかなぁ」

「は? 真似しないでくれない?」

「ハンカチ買わなきゃパクリじゃねーだろ」

 

 なんて話をしていると、美琴が二人の会話に混ざる。

 

「なんか……二人ともすごいね」

「「何がですか?」」

「いや、今声そろったとこもだし……あと、二階のって言っただけでどのお店かわかっちゃうのとか」

 

 そんなことを羨ましがられても困る。正直、自慢できることでもない。何せ、要するにこれまで子供の頃からずっと一緒にいたのがにちかと言う事だ。人間関係に進歩がない、という風にも取れる。

 

「私はできる事なら美琴さんと阿吽の呼吸になりたいです!」

「それはこっちのセリフだ! お前とそんな関係になったって、マジギレはっちゃんから逃げる時くらいしか使えねえよ!」

「でもそれ一番、役に立つよね。私と青葉の間では」

「……確かに」

「やっぱり良いなぁ……」

「「やめて下さい!」」

 

 正直、困る。本当にそんなんじゃないから。昔からよく「お前ら本当は付き合ってんだろ?」みたいなことは言われて来たが、本当にそんなんじゃない。友達としてはアリだが……お互い、本当にタイプじゃない。

 代わりと言ってはなんだが、青葉には一つだけ最近、特技が増えた。

 

「でも俺、みっちゃんが最近、何を欲してるかは察せるようになりましたよ」

「は? 何そのけしからん関係。殺すよ」

「なんでそれだけで殺されんだよ……」

「だって、私は察せないもん」

「お前は調子こいて地雷踏み抜きまくってるだけだろどうせ」

「そ、そんなことないから!」

 

 心当たりあんのかよ、とにちかの反応を見ながら思っていると、その青葉の手首が引かれる。

 顔を上げると、美琴が少しソワソワした様子でこっちを見ていた。

 

「え……青葉、ほんとに私が何考えてるのか分かるの?」

「いやそんな精密には分かりませんよ。真顔で『椎茸栽培したい』とか思われてたら絶対わかりませんし」

「じゃあ……今、私がして欲しいことは?」

「えー……」

 

 そんなの分かるわけない……というか、して欲しいことなんてあるのだろうか? どちらかと言うとこちらが付き合ってもらっている立場なのに。

 まぁでも、美琴が当てろと言うのなら、青葉はそれに従うだけだ。顎に手を当てて真剣に考え、とりあえず言ってみた。

 

「……ご飯作って欲しい、とか……?」

「……」

 

 あれ、怒った? と、青葉は冷や汗をかく。なんか、思ったより冷たい顔に……と、思ったら、ニヤニヤと底意地悪い笑みを浮かべたにちかが口を挟んだ。

 

「違うでしょー、青葉さぁん。本当に美琴さんのこと分かってるんですかぁ〜?」

「うるせーよ! 分かってねえわけがねえだろ⁉︎」

「模範解答はズバリ……トレーニングしたい、ですね⁉︎」

「……そっちか」

「そっちでしょー。ですよね、美琴さん?」

「……帰るよ?」

「違うんですか⁉︎」

 

 あわわわ、と焦るにちかだが、美琴の視線の先にいるのは青葉。すごく睨まれている。

 え……そんなに自分、悪いことした? と、思わず青葉は冷や汗をかいてしまう。

 そんな話をしていると、にちかの目的のお店に到着した。もう買うものは決まっているので手早くにちかは漁りはじめた……のだが。

 

「あれっ、ない」

「ハンカチあるじゃん。ほら、この幾何学的な奴とか良くない?」

「センス皆無男は黙ってて。……どうしよ」

 

 予想外だったのか、他のものを見る……が、どれもピンと来ないらしい。青葉にとってはどれも似たようなものにしか見えないのだが……まぁ、金出すのはにちかだし黙っておく事にした。

 すると、後ろにいた美琴が口を挟んだ。

 

「じゃあ……二手に分かれたら?」

「「え?」」

「それで、二人が大好きな勝負。どちらがプレゼントに適しているか、私が判定するから。勝った方は……そうだな。飲み物奢ってあげる」

「「マジですか⁉︎」」

 

 美琴が奢ってくれる飲み物……つまり、飲めない。永久保存版だ。買うものを探しながら、飲み物を腐らせないで保存する方法も考えないといけない。

 

「じゃあ、スタート」

「「よし、行くか!」」

 

 さっきまで話していた内容を何もかも忘れて、二人はそのままお店を飛び出した。

 

 ×××

 

 さて、青葉は一人でお店を見て回る。そもそも、自分がプレゼントを選べない理由がない。何故なら、姉の事を一番詳しいのは自分だから。

 何せ、自分の姉の上に、あの姉は割と分かりやすいから必要なものとかの実用性に絞れば簡単に割り出せるはずなのだ。

 そんなわけで、そのショッピングモールに内設されているAE○Nに来た。ここなら何かしらあるはずだから。

 ……そういえば、美琴の誕生日ももうすぐなんだよな、とふと思い出す。あと2〜3週間くらい。何か買ってあげたいわけだが……困った事に何も思いつかない。いや、あの部屋に必要なものはいくらでも思いつくが、あんまり高すぎでも気を使わせてしまうーとか考えるとキリがないのだ。

 ……さっきの、美琴がして欲しいこと、にヒントがあったのかもな……なんて、もっと深く考えりゃ良かったと少しだけ反省していると、後ろから声をかけられた。

 

「青葉」

「? あ、美琴さん。どうしたんですか?」

「いや、勢いで審査員なんて引き受けちゃったから、少し時間を持て余しちゃって。青葉を探してたんだ」

「俺?」

「そう」

 

 にちかじゃなくて? いや光栄だが、百歩譲っても二人を探していて、片方見つけた……じゃないのだろうか? もしかしたら、リップサービスを効かせてくれたのかも……なんて思っている間に、いつの間にか商品棚を適当に見ている青葉の隣に美琴は立っていた。なんか……ちょっと怖い。

 その感じた畏怖は当たっているのか、スッと手を繋がれてしまった。

 

「さっきの問題の答え、分かった?」

「問題……ああ、してほしい事ですか?」

「そう。……なんだと思う?」

「な、何と聞かれても……」

 

 なんだろうか。して欲しい事……というか、少しずつ美琴は頭をかがめ始めている。

 それを見て、なんとなく察してしまった……のだが、それはダメだ。自分は美琴に好かれずとも嫌われない立ち位置にいなくてはならない。それをしたら、好感度が上がってしまう気がする。

 

「わ、分かりませんなー……あの、ところで俺、プレゼント選ばないといけないので……」

「ふふ……察しが悪いな。それとも、わざと意地悪をしているのかな? 大人に対して」

 

 いや大人が子供に対して撫で撫でをせがまないで下さいよ、と思っても口にしない。それは多分、嫌われる。

 

「ていうか、ここ外ですよ? まずいでしょ、部屋じゃないと……」

「あんまり関係ないかな。ステージの上に立つかスキャンダルを起こさないと、人は基本的に他人に興味を示さないし」

「芸能界特有の価値観はやめてください。と言うか、まさにこれはスキャンダルの種だと思うのですが……」

「……でも昨日、部屋の中でも撫でてくれなかったよね?」

「……」

 

 それはその通りだ。と言うかどんだけ撫でてほしいんだよ、と少し狼狽える。

 

「……さ、どうぞ?」

「いやどうぞじゃなくて……ていうか帽子あるし」

「取れば良いでしょ」

「そうですけど……」

「一撫で、一撫でで良いから」

「わ、分かりましたよ……!」

 

 おのれスーパークリーク……! と、逆恨みをしながら、美琴の帽子を外して手を伸ばした時だ。

 

「冬優子ちゃーん! 美琴さんが男の人と手を繋いでるっすー!」

「「‼︎」」

 

 脱兎の如く……ついでなので、美琴と真逆の方向に逃げ出した。

 

 ×××

 

「いないじゃない。あの緋田美琴が男子高校生となんてあり得ないでしょ」

「ホントにいたっすよ〜」

「バカ幻覚見てないで、さっさと買い物終わらすわよまったく……」

「む〜……」

 

 ……と、いう会話を青葉は近くの布団コーナーから聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。おそらく……283事務所のアイドル、だろうか? なんにしても、今はもう少し動かないほうが良い。

 ホッとしたと同時に、少しだけ胸の奥が痛んだ。あの冬優子と呼ばれた人のセリフが反復する。

 

『男子高校生となんてあり得ないでしょ』

 

 やはり、あり得ないのだ。自分と美琴がそういう関係になる、なんて事は。そんなことはわかっていたはずなのに……なんでこう、胸が痛むのか。

 その上、なんかこう……所望されて仕方なさそうに撫でようとした時、思わず変にすんなり撫でようとしてしまった。もしかして……自分も美琴を撫でたがっているのかもしれない。昨日もなんか、ちょっと惜しい事した気になってしまっていたし……。

 

「っ……」

 

 まさか、姉の言う通り、本当に身の程も知らず美琴に恋をしたと言うのだろうか? そんなの……絶対に認めたくない。

 やはり、好かれずとも嫌われない距離感を保つしかない……と、思っている時だ。ふと手元が目に入った。……美琴の帽子が握られた手元が。

 

「ーっ……!」

 

 これは、美琴の帽子……つまり、美琴の頭についていたもの……と思うと、少し匂いを嗅ぎたくなる。

 だが、だめだ。抑えないと。そういう目で見ると、好きが加速してしまう。なんとか抑え、帽子を鞄にしまっ……。

 

「……ちょっとだけ」

 

 良い香りした、と思いながら鞄にしまい、またプレゼントを探しに行った。

 にしても、美琴には困ったものである。まさか、あそこまで撫でて欲しい欲望が高まっているとは……ほんとうに大人だろうか? ……いやむしろ大人になるまで親にあまり甘えて来なかったが故なのかもしれない。

 ……とはいえ、でもやはり自分が身の程知らずに思われるのは百歩譲って良いとしても、美琴が自分に撫でられる事で男子高校生をたぶらかしていると思われるのは我慢ならない。

 そう思う事にして、青葉はとりあえず無○良品の店に向かった。ここもマルチに色んなものが置いてある為、プレゼントを選ぶには良いかもしれない。

 

「よし……!」

 

 気合を入れて、再び商品を探しに行った。

 

 ×××

 

「あれ、にちかちゃんっす!」

「え?」

 

 店内を見て回っていたにちかは、ふと後ろから声をかけられた。顔を向けると、そこにいたのは芹沢あさひと黛冬優子。

 

「あ、あさひちゃんと……冬優子さん?」

「お疲れ様、にちかちゃん♡ どうしてここに?」

「ちょっと買い物に来てて。冬優子さんは?」

「私も似たようなものです」

「ねぇねぇ、にちかちゃん!」

 

 挨拶もない自由なあさひは、相変わらず好奇心旺盛な瞳で聞いて来た。

 

「美琴さんって、高校生くらいの人と恋人なんすか⁉︎」

「えっ?」

 

 何そのダイレクトアタックな質問。LP8000ワンパンで削られるまである。

 その横で、冬優子がやんわりした口調で告げた。

 

「ごめんね、にちかちゃん。変なこと聞いて。聞き流して良いからね?」

「どうして冬優子ちゃんは信じてくれないんすか⁉︎ 私は本当に見たっすよ!」

「えーっと……何を?」

 

 ニコニコしたまま聞いてみると、あさひはそのまま続けた。

 

「美琴さんが男子高校生くらいの男の子と手を繋いでたっす!」

「……どこで?」

「ちょうどその辺っす!」

「……」

 

 あのクソ野郎……と、にちかは額に青筋が浮かぶ。抜け駆けのつもりか、それとも……まさか、身の程知らずにそんな恋情を抱いていやがるのか。

 どちらにしても、許されない。

 

「ありがとう、あさひちゃん」

「何がっすか?」

「ちょっと金属バット買ってくる」

「え?」

 

 光の粒子となって消え去った。

 

 ×××

 

 さて、青葉は目的のお店に到着した。なんか、こう……手持ち無沙汰感がやばい。暇なのではなく、手元が。なんだろう、この感じ。さっき、撫でるのをお預けされたからだろうか? 

 いかん……なんか、自分も自分でかなり美琴の頭を撫でるのが楽しかった可能性出て来た。

 だめだダメだ。今は買い物中だ。それも、姉のために。

 そう。そんなことより、何にするか、だが……やはり実用面で考えるしかない。

 ここで一つ、思ったのは……飛行機に持って行けるもの、と言う事だ。つまり、金属は軒並みアウト。あの飽きっぽい姉のことだし、むしろ飛行機の中で時間を潰せるものが良いかもしれない。

 そんなわけで……。

 

「なんかのパズルとか良いかも……」

 

 こいつマジでバカである。

 これなら、頭の弱い姉なら解くのに時間掛かるだろうとか、暇つぶしにもなるとか、色々と利点を考えてしまった。

 でもこのお店にあるかな? ありそうではあるけど……なんて思いながら、青葉は店内を見ていると、普通に置いてあったし、なんならいくつかサンプルが置いてあり、それに夢中になっている子がいるのが見えた。

 

「おい、まだ解けねーのか?」

「う、うるさいな……! もう少し待ってよ」

「や、もういいだろ……さっさと買い物済ませねーと夏葉がダイエットの量倍にしちまうぞ」

「でも解きたいの! チョコアイドルがチョコのパズル解けないとか……!」

 

 背が低い女の子と、金髪の女子高生っぽい子が二人で板チョコのパズルを解いていた。ブロック状になっている板チョコの形状を利用して、いくつかの形に分けてピースにして、テトリスのようにピッタリ当てはめる奴。

 そんなに難しいパズルじゃないと思うんだけど……と、思いながら、後ろからその様子を覗き込む。

 

「あれ〜……な、なんで?」

「や、知らんけど。次のトライで出来なかったら置いていくからな」

「ええ〜……うう、樹里ちゃんが冷たい……」

「いいから早くしろよ!」

 

 ……厳しいお姉さんだな、ヒントくらいあげれば良いのに、と思ったので、しれっと後ろから声をかけてみた。

 

「それ、角から埋めると解きやすいよ」

「え?」

「ほら、真ん中とかと違って形決まってるから。そこに当てはまりそうな形を選んで入れて、そこから埋めてみ」

 

 言われるがまま、その女の子は角から埋める。少し小首を捻りながらもサクサクと埋めていき、そして……。

 

「あ、で、できた!」

「おお……やったじゃねえかチョコ!」

「あ、ありがとうございます!」

「気にしなくて良いよ。完成させたのは君だから」

 

 そう言いながら、ふと少女を見下ろす。そして、なんかちょうど良い位置にある頭と、あの人と同じ茶髪を重ねてしまい、思わず手が出た。

 

「よく頑張ったね」

「え……」

 

 つい、知らない子の頭を撫でてしまった。ポカンとする茶髪の子と金髪の人。遅れて、青葉も思わず「あっ」と声を漏らす。

 

「あっ、ご、ごめん! つい、いつも頭撫でてるもんだから手が……!」

「あ、いや気にしなくて良いけど……」

「なんだ、妹でもいんのか?」

「いや成人女性を……」

「「えっ」」

「だから、決してロリコンじゃないから通報しないで!」

 

 本気の弁明のつもりだった。しかし、むしろ弁明の方がイラつかせたようで。プハッと吹き出した金髪を捨て置いて、茶髪の方が憤慨した。

 

「だぁれがロリだー!」

「え?」

「私、17歳! ピチピチのJKだよ!」

「いやいや、その身長でそれは無理でしょ。そもそも17歳がサンプルのパズルに夢中になるかよ」

「ぐうの音も出ねえな、チョコ……ぷふっ」

「う、うううるさーい!」

 

 金髪にも怒る少女は、立ち上がると自身の胸を両手で掬い上げる。……ていうか、大きい。

 

「こんなに大きい小学生がいる⁉︎ こっちの子より大きいよ!」

「え、あ、ほ、ほんとだ……?」

「おいこら、不要な比較してんじゃねーよ!」

「じゃあ……え、ほんとに歳上だったの……?」

「「お前は年下かよ!」」

 

 ヤバいことをした。ただでさえ、この年頃の女の子は事あるごとにセクハラと言いたがる男女不平等主義者。ソースはにちか。

 そんな人の頭を撫でるなんて……事案になりかねない。

 

「すみませんでした訴えないで!」

「いや、まぁ訴えはしないけど……勘違いされてたみたいだし……」

「けど、気を付けろよな」

「はい! ……あの、ところで……逆にあなたは本当に高二なんですか?」

「ブッ殺すぞ!」

「し、失礼しました……!」

 

 怒られたので、お店から出た。なんかあのお店で買いづらくなってしまった。他のものにするか……と、すごすごと歩いていると、トントンと後ろから肩とたたかれる。

 ヤバい、怒るために追いかけて来たのかも……と、恐る恐る振り返ると、美琴が立っていた。真顔で。

 

「げっ」

「ふーん……私以外の子の頭は撫でてあげるんだ」

「あ……いや、今のは違……」

「……ふーん」

 

 まずい、と冷や汗が大量に流れた。そんなつもりじゃなかったのだが、まさかこんな事に……というか、自分で自分を理解した。なんだかんだ言って、自分も美琴の頭を撫でるのが嫌じゃなかったということなのは間違いない。

 だが、だからって……これ以上、美琴の可愛いところを感じたら、好きになってしまう……! 

 

「あの、みっちゃん……こ、ここじゃちょっと……ほら、さっきみたいに周りの視線とかあるし……」

「じゃあ来て」

「え?」

「ていうか、連れて行くけど」

「……えっ?」

 

 直後、グイッと肘を掴まれる。その握力はにちかと昔やった握力勝負など比にならない。メキッ☆ と、漫画のギャグパートなら確実に骨を折られている威力のものだった。

 それだけでは終わらない。美琴は、自分の方に青葉を引き寄せると、そのまま腰に手を当てて担ぎ上げた。

 

「ちょおっ、み、みっちゃん⁉︎」

「今度は逃さない」

「いやさっきの逃げたわけでもないし、人見てるし!」

「すぐ人目がつかない所に行くから」

「人目がつかないところで何する気⁉︎」

 

 本当にすぐそこへ行く。丸太のように担がれている上に美琴の背中側に上半身が来ているため、どこに向かっているのかはわからない。

 しかし……怖いのが、この通路……確か、トイレに行く通路じゃ……と、思っていると、何処かの扉の中に入った。

 その中の、一部……「開」と「閉」の文字が刻まれた赤と緑の押しボタン。つまり……多目的用トイレ。それを理解すると同時に、扉が閉められた。

 

「何する気ですかホントに⁉︎」

「他人の視界から消える」

「はっ……?」

 

 ポスっ、と降ろされた。確かにこれなら誰にも見られないが……いや、そもそもここはその為に使うものじゃない。

 

「はい、撫でて」

「いやいやいや……」

「……だめなの?」

「そもそもなんでそんな撫でられたがるんですか……?」

 

 ちょっとやりづらくてそんなことを聞くと、美琴は少し頬を赤らめたまま言った。

 

「……だって、昨日もさっきも結局、お預けされたし……それに、他の人は撫でられるし……」

「や、そうじゃなくて、一体何がみっちゃんをそうさせるんですか?」

「……」

 

 無言で黙り込む美琴。……が、やがて何かを思ったのか、ポツリポツリと言葉を漏らしはじめた。

 

「……癒されたかったの」

「え?」

「今まで……それこそ成人するまで、頑張って来たけど……たまにしんどくなる時があって……でも、青葉がいるだけで、とても頑張れるんだ」

「な、なんで俺?」

「…………お、お母さんみたい……だから……」

「……え、誰が?」

 

 思わずタメ口で聞いてしまった。この人、男子高校生を相手に何を言っているのか。

 聞くと、案の定な答えが真っ赤な顔と一緒に返ってくる。

 

「…………青葉が……」

「え、どの辺が?」

「温かい手料理も、撫で撫でが気持ち良いとこも、ダイエットでたまに必死になるところも、全部が……」

「最後の貶してますよねそれ」

「あ、でもにちかちゃんと喧嘩してる所は子供っぽいから……90%かな」

「いや細かい数値まで求めてないので」

 

 というか、なんだろう、そのとっても恥ずかしいカミングアウト。何を言われてるのかさっぱり分からない……反面、自分を癒しにしている、と言う気持ちは伝わって来た。

 まぁ、この様子だと手料理やら撫で撫でやら受けたのは最後に実家に帰った時なのだろうし、自分の名前を売るために騙し騙されることも多いのだろう。

 ……確かに、自分も多少、役得と思う事はあるものの、基本的には美琴の体調を心配していろいろ世話を焼いて来た。

 なのに……自分は、その美琴の支えとなっていた立場を自ら放棄しようとしていた。

 

「……はぁ」

 

 少しため息をついて呼吸を整える。そうだ、好きになるとかそんなもんは全部、自分の事情。報われないと分かっていながら片想いすれば良いだけのことだ。好きになったとしても、その気持ちを押し殺す……! 

 その上で、彼女の完璧なパフォーマンスのために全力で美琴を支えてやる……そのためには、なんでもする。

 そう強く決めて、美琴の頭に手を置いた。

 

「すみません、みっちゃん。なんか俺、ファンとしてどうあるべき、みたいな変なのに、必要以上に躍起になっていたみたいです」

「……うん」

「明日からは、またみっちゃんの為に何でもしますから。犯罪以外。……なので」

 

 そこで言葉を切ると同時に手を離す。少しだけ美琴が「え、もう終わり?」と言うように顔を上げた。

 その耳元に顔を近づけ、囁くように続けた。

 

「……続きはまた帰ってからで」

「っ……な、なんで……?」

「多目的トイレの独占はダメ」

「……ほ、本当に意地悪だな……」

「え、撫でてあげるのに……?」

 

 そのまま二人でトイレを出ると、にちかが扉の前を通った。

 

「う〜……バカ殺す前にトイレ……は?」

「あ」

「おおう、もう……」

 

 今日何なの? と、青葉の中で「厄日」という言葉の意味をしみじみと実感させられた。

 

 ×××

 

「冬優子ちゃーん、まだ信じてくれないっすかー?」

「まだ言ってるわけ? しつこいのよ」

 

 黛冬優子と芹沢あさひは、二人で列に並んでいた。買い物を終えた時点でなんか抽選券をもらったので、回してから帰る所だ。

 

「本当に美琴さんがいたっすよー。しかも、男子高校生くらいの人と手を繋いで」

「だいたい、ふゆくらいの年齢ならともかく、24歳の女性が男子高校生なんてナンパしてたら、それもう犯罪よ? そんなリスキーな行為、事務所では一番、新入りでも芸歴は一番長い人がするわけがないでしょ」

「ナンパ……って感じじゃなかったと思うっすけど……」

 

 少なくとも、あさひの目には仲良い……というより、何かお願いしてるように見えた。

 あの高校生とどんな関係なのか気になる所だが……まぁ、後で聞けば良いだろう。

 そんな風に思っていると、いよいよ二人が福引を回す番。一等は、泊まりの温泉旅行、二等でさえレジャー施設の無料券だ。

 冬優子としては、温泉旅行でたまにはゆっくりお湯に浸かりたいくらいだが……まぁ、あさひが一緒だとそうも行かないのだろう。というか、そもそもあげるつもりだし、どっちでも良い。

 

「あさひ、引いて良いわよ」

「良いんすか?」

「どうぞ」

 

 まぁ、そもそも当たるなんて思っていない。なんなら、スポーツドリンク二本とかで分け合うんでも全然……なんて思いながらスマホをいじっている時だった。

 やたらと耳に響く、カランカランというベルの音が耳に響いた。

 

「大当たり〜! しかも、一等と二等同時! ……勘弁してよ。おめでとう、お嬢ちゃん!」

「どうもっすー!」

「……どんだけよ、あんた……」

 

 ホントわけわからない子だった。なんなら少し怖いまである。

 そのまま列を外れて、とりあえずチケットを見てみる。両方とも人数は1〜4人まで利用可能。期限は両方とも9月中旬まで。温泉は一泊二日らしい。

 ……ただ、既に八月中旬。両方ともスケジュールに捩じ込むのは無理だ。

 

「いやー、あるんすね。こんな事」

「全くね。……で、どっちにするの?」

「え?」

「両方は無理よ。あんたが家族と行くのか友達と行くのか知らないけど、スケジュール的に……」

「? 冬優子ちゃんと当てたんだから、冬優子ちゃんと行くっすよ?」

「っ……」

 

 こいつはホントいつの時代の無自覚イケメン系主人公になったのか。耐性がなかったらどんな女の子でも落とせそうだ。

 

「……勝手に決めないでくれる?」

「そうっすね! 愛依ちゃんも誘わないとっすから!」

「……」

 

 誰と一緒に当てたか、とかは関係ないようだ。それはそれで恥ずかしいが。

 

「……ていうか、ふゆ達と行くなら、なおさら無理よ。両方は」

「えー、じゃあ冬優子ちゃん決めて下さいっす」

「え……なんでよ」

「私が引いたからっす!」

 

 よく分からないが……どうしたものか、と冬優子は悩む。……どちらの方が自分の負担が少なくて済むか、だが……一見、プールの方が大変そうではあるが、一泊二日の温泉の方が……。

 ……それに、まぁ……あさひと愛依なら温泉でゆっくりするよりプールではしゃぐ方が楽しめるんじゃないか? と、いうのも10%くらいあって。

 

「じゃ、プールで」

「良いんすか⁉︎」

「ん」

 

 さて、これから休める日はとことん休もうと決めつつ、問題は余りのチケットだ。

 

「じゃあ、こっちどうする?」

「うーん……あっ、じゃあ私もらって良いっすか⁉︎」

「良いけど……何に使うのよ」

「これで美琴さんから男子高校生の正体を教えてもらうっす!」

「……ま、勝手にしたら?」

 

 正直、まだ信じられていない冬優子は、スルーしておいた。後日、謝り倒したのは別の話。

 

 



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交渉と情報収集は巧みに大雑把に。

 青葉が歩けないレベルの腹痛を発症し、それを見つけた美琴がトイレに慌てて駆け込み、ドアを閉められなくなってしまったため、止むを得ず用を済ませた……というのが二人の言い分だった。

 信じられるかっ、というのが正直な感想だったが、美琴を疑うことは出来ないし、青葉は信じても信じなくても殴るので問題ない。

 実際、殴った。

 

「……青葉、生きてる?」

「(気絶)」

 

 弱々な生き物であっただけあって、今はフードコートで寝かされている青葉に美琴が気遣ったように声を掛けたが、寝ているので聞いていない。

 その正面のにちかは、ジト目のまま美琴を眺める。すぐに美琴は疑われている、と理解したのだろう。微笑みながら答えた。

 

「別に、にちかちゃんが思ってるようなことをしたわけでも、そう言う関係なわけでもないよ」

「……美琴さん」

 

 すぐに分かった。美琴は、青葉を庇っている。流石ににちかもえっちなことをしていた、なんて思っていない。けど、多目的トイレに二人で入っている時点でだいぶ特殊な状況であることは理解してほしい。

 じゃあ何してたんですか? と聞きたいが……でも、しつこく食い下がると嫌われるかもしれない。それだけは死んでも避けたい。

 

「ただ、その……ちょっと、恥ずかしい事してただけでね……」

 

 この人、隠すつもりがあるのだろうか? そこで寝てるバカの顔面に再びグーパンをダンクしたくなる。

 

「……何してたんですか?」

「えっ……そ、それはヒミツで……」

 

 美琴のヒミツって言い方可愛いけど、それとこれとは話が別……と思っていると、美琴は微笑みながら、にちかの頭に手を置いた。

 

「だから……青葉のこと、許してあげて欲しいな」

「はう……み、美琴しゃんが……あ、頭を……!」

「……良い?」

「は、はひ……」

 

 返事をすると、美琴はホッと胸を撫で下ろしている。

 正直、胸の奥に食い込むほど気持ちの良いご褒美だったが……しかし、それでも青葉と美琴の関係は気になる。なんか今日、やたらと青葉が自分に食ってかかってこなかったのも関係している気がする。

 とりあえず、決めた。今はそれで納得するが、二人が何をしているのか突き止める。

 ……羨ましい内容だったら、やっぱり青葉は許さん。そう決めて。

 

 ×××

 

 なんやかんやあったが、プレゼントの購入を終えて、にちかとはづきと姉のお見送りを終えた。最後、空港で送り出す時にハグをされ、耳元で「男見せろ」とか言われたが、余計なお世話である。

 というか……本当に騒がしい姉だった。この一週間でほとんど自分は誰かしらのお世話しかしていなかった気がする。

 お風呂の準備に飯三食に洗濯や布団、あと最後に家出る時、スーツケースに荷物を詰めたのも自分。ハッキリ言って、あの姉が家に来て役に立ったことなんて一つもなかった。

 

「ただいまー……あ、そっか」

 

 でも……それでも、久々に誰かと一緒に暮らしてたからだろうか、もう家に帰って来ても誰もいない部屋に、少しだけ物寂しさを感じてしまったり。

 騒がしい奴だったけど……でも、いないよりマシだったな……と、ちょっとだけため息をつきながら、電気をつけて中に入った。

 

「……はぁ」

 

 帰られてから、ホームシックに近い感情を漏らすなんて……自分も、まだまだ大人にはなれていないみたいだ。

 相変わらず人間とは、物を失わないと近くの物の大切さを実感出来ない。銀魂で言っていた通りだった。

 ……今日は晩飯、カップ麺でも良いかな……とか思っていると、インターホンが鳴った。

 そうだった……隣にも大きな子供が住んでいるし、お世話しに行かないと……と、思い、応対した。

 

「はい」

「青葉……あれ、どうかした?」

「いえ、別に?」

 

 っと、ダメだ。寂しさなんて顔には出さない。10年近く親元を離れている人の前でそんなカッコ悪いことはしない方が良い。

 

「何食べたいですか? 今日は買い物に付き合ってもらってしまったので、好きなもの作りますよ」

「……じゃあ、あれかな。たまには……シンプルに野菜炒めとか」

「……そんなので良いんですか?」

「青葉の料理は全部美味しいから」

 

 ……ちょっと元気出て来た。むんっ、と気合を入れた青葉は、すぐに部屋を出て隣の部屋に入る。

 そうだ、とりあえず仕事をして美琴に尽くせば、そのうち寂しさなんて忘れる。

 そう思って、手洗いを済ませた。

 

「青葉」

「はい?」

「……そ、その……いつもの……」

「……はいはい」

 

 なんで今更、撫でられるのを恥ずかしがるようになったのか……いや、今日の自分の行動を客観視すれば、そりゃ恥ずかしくもなるだろうが。

 そのまま、頭を撫でてあげると、少しだけ美琴は嬉しそうにはにかむ。なんでこの人、ホントこんなに可愛いのか。最近はクールさなんて微塵も感じなくなって来た。

 ……そろそろ良いだろうか? あんまり遅くにご飯を食べると太ると聞いたことがある。美琴の体型に影響を及ぼすのは嫌だし、そろそろ作ってあげたい。

 

「……みっちゃん、そろそろ……」

「もう少し……」

「え? いやお腹空いてないんですか?」

「……お腹より頭」

「ボクシングの構えの話?」

「良いから。……結局、ずっと我慢して来たんだから……」

 

 ……なんだろうか、そのちょっとエッチな言い方は……。というか、どちらかというと撫でて欲しいのはこっち……と、思っても口にしないで撫で撫でを続けた。

 ダメだ、なんか撫でてて楽しくなって来てしまった。姉がいた時の騒がしさとは、違った何かに満たされる。

 とりあえず、料理だけでも先に作らせて欲しいので、何かなでなでを中断できる言い訳になるものを探す。……そうだ、いつまで玄関にいれば良いのだろうか? なんかすごくシュールなことになってる気がする……。

 同じことを思ったのか、美琴は微笑みながら部屋の奥を指差した。

 

「青葉、とりあえず……奥においで」

「はぁ……良いですけど、とりあえず料理作りますよ?」

「作りながら撫でて」

 

 この人は本当に何を言い出すのか。

 

「いや危ないし衛生的でもないのでダメです」

「え……私の頭、汚い?」

「じゃなくて。髪の毛が料理に入ったりしちゃうでしょ」

「……むぅ、じゃあ撫で撫でが先」

 

 ……ダメだ、中断させてもらえない。というか……このままだと母性が弾ける……! 男なのに母性? と自分でも思うが仕方ない。どうしよう、なんだろうこの感じ。自分と美琴は一体、どういう関係なのか。

 そんな焦りが出て来ている間に、美琴は撫でられながら少し屈んだ。それと同時に、青葉の腰の辺りにしがみつく。おかげで、太ももあたりに胸が直撃している。

 少し高めの抱っこに、思わず狼狽えてしまった。

 

「ーっ、み、みっちゃん⁉︎」

「抱っこしてあげる。撫でてると移動できないと思うから」

「い、いやあの……!」

 

 いやいやいやいややめてやめてやめてやめて! と、パニックになる。

 太ももとはいえ胸の感触はバッチリ当たってるし、なんなら自分のナニが美琴の顔の前に……あ、やばい。勃ってきた。

 

「降ろしてください! 恥ずかしいので!」

「ふふ、私もなでなでされてるからおあいこ」

「いや本気で意味分かんないんですが⁉︎」

「それより手、止まってる……ん? 青葉、ポケットに何か入れてる?」

「ーっ!」

 

 ヤバい、テントの骨組みがバレたか……! と、言い訳を考え始めた直後。ごすっと後頭部に何かが直撃した。扉の上の壁にぶつかった、とわかったのは後ろにひっくり返り始めてからの事だった。

 当然、それを抱えていた美琴もひっくり返る。

 

「わ、やばっ……!」

 

 美琴が慌てて声を漏らしたのが聞こえた。なんとかしてあげたいが、なす術がない……と、思いながら、キュッと目をつむると、衝撃はあったものの痛みはほとんど感じなかった。

 顔面は何か柔らかいものに包まれている……。

 

「痛た……大丈夫?」

「むぎゅぎゅ」

「ああ、喋れないよね。ごめん」

 

 身体を支えてくれていた両腕が離された事で美琴に庇われていたことを理解した。なんかとても良い匂いするし。

 身体を起こしながら、上に乗ってしまっていることを自覚したので、とりあえず謝った。

 

「す、すみません……みっちゃん……! 重いですよね?」

「全然、重くないよ。普段、ちゃんと食べてるのか気になるくらい」

「みっちゃんよりはちゃんとしたもの食べてますから……」

 

 というか……自分が謝ったのはどちらかと言うとこんな風に異性と密着させてしまった事だ。こんな風に守られるなんて、ファンとしてあるまじき行為……でも柔らかかったなぁ……って、いや煩悩は死ねゴミが、なんて思いながら身体を起こし、まず目に入ったのは美琴の胸だった。

 え、あれ? と、青葉は冷静に考える。今、自分は身体を真っ直ぐ起こしたはず……顔の向きも変えていない。と言うより、変えられなかった。なんか柔らかいものに挟まっていたから。

 ……は? つーか、挟まってたってなんだろう。人の身体に挟まれる部位なんて、足の間か腕と脇腹の間か、或いは……。

 

「あの……青葉」

 

 自覚しかけた直後、少し恥ずかしそうな声がかけられる。ハッとして美琴の顔を見ると、赤らめた頬のまま美琴は告げた。

 

「あんまり胸を見られるのは……その、流石に……恥ずかしいかな……」

 

 言われて、自分がさっきまでむけていた場所……そして、顔を埋めていた場所を理解した。

 つまり、美琴の……自覚した直後、拳を構えた。自分の顔の横に。そして一息つくと、一切の加減も遠慮もなく拳は火を吹いた。

 

「クタバレセクハラゴミが‼︎」

「青葉⁉︎」

 

 自分への攻撃にも関わらず、本能が手加減をさせるようなこともなく顎を穿ち、一撃で意識を持っていった。

 

 ×××

 

 目を覚ますと、時刻は21時手前だった。顔の前にあるのは机とテレビだが、それ以上に気になるのは顔の下の柔らかいもの。

 何か……嫌な予感が……。

 

「目、覚めた?」

「え?」

 

 頭上からの声……まさかこれ、膝枕か……と、理解した直後、再び拳を構えようとしたが、それを美琴が止める。

 

「はい、ダメ」

「み、みっちゃん……! だめです、俺みたいなゲス男は自らの手で己を裁かなければ……!」

「あのさ、青葉。前々から言おうと思ってたんだけど……それ、やめて? 誰の為にもなってないから」

「……え?」

 

 なんかグサリと刺さる言葉が放たれ、ちょっと泣きそうになった。

 

「さっきのも今のも、私が勝手にやった事だから。なのに、触ったっていう事実だけを見て自分を傷つける青葉は……ちょっと、見たくないから」

「でも……」

「でも、じゃない」

 

 ピシャリと言葉を遮られ、ドキッと胸が高鳴った。もしかして……怒られているのだろうか? 

 

「それで青葉に何かあったら、私が嫌だから。青葉は私のファンなのに、私に嫌がらせするの?」

「え、い、嫌がらせ……?」

「私が嫌だって思ってる事をしてるから」

「……」

 

 そう言われると、その通りかもしれない。まだ自分は、どうやらファンの矜持だのなんだのに拘っていたのかも、と思うと、少し恥ずかしくなってくる。

 

「分かった?」

「……は、はい……」

「うん。じゃあ、そろそろ晩御飯、お願いしようかな」

 

 怒られてしまった……と、思う反面、少しだけ嬉しかったりした。美琴が「自分を傷つける青葉は見たくない」と言ってくれたことが。

 もしかしたら……自分は、少しは美琴にとって「都合が良い男」だけではない程度の関係にはなれたのだろうか? 

 だとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない……。

 

「よし、今日はとびきり美味い野菜炒めを作りましょう」

「ふふ、楽しみにしてる」

 

 話しながら、その日の夜は二人仲良く距離感が謎過ぎるお隣さん同士で食事をした。

 

 ×××

 

 翌朝。今日も早朝のマラソン。青葉は朝早く目を覚まし、始めて二週間ほど経過した日課の準備に移る。まずは着替えて、顔を洗い、歯磨き。

 そのまま、もう一つの寝室にいる姉を起こしに行った。

 

「姉ちゃん、ランニング……あっ」

 

 そうだった。いないんだった。……なんか、朝からちょっと恥ずかしい思いを一人でしてしまった……。

 まぁ別に、誰も見てないし良いか、と思いながら、髪も整えて準備を完全に終えて、部屋を出た。

 そのままの足で美琴の部屋のインターホンを鳴らす。すると、すぐに扉は開かれた。

 

「おはよ、青葉。ごめん、ちょっと髪整えてないから……」

「え、今までも整えてませんよね? 走ればどうせグチャグチャになるし、走り終えたらシャワー浴びるからって言って……」

「……あ、そっか。そうだったね」

 

 そう呟くと、美琴はすぐに出て来た。ジャージへの着替えは終わっている様子だった。

 

「じゃ、行こっか」

「はい……!」

 

 二人でエレベーターに乗った。下に降りながら、青葉はチラリと隣の美琴を見る。すると、美琴もこちらを見ていた。

 

「いつものですか?」

「うん」

 

 話しながら、美琴はかがみ、青葉は手を伸ばして頭を撫でる。

 

「みっちゃん、これで今日も頑張れますか〜?」

「ふふっ……うん。とっても。青葉も、抱っこしようか?」

「いえ、俺は別に甘えたいわけではないので……」

 

 さて、そのまま二人で撫でり撫でられし合いながら、エレベーターを降りる。

 

「そういえば……もう夏休みも後半なんですよね……」

「そうだね。何処か行った?」

「いえ、ものの見事に何処にも……ていうか、知ってるでしょ」

「まぁね。……どこか行きたいの?」

「まぁ……せっかくなんで」

 

 なんて話しながら頭を撫でつつ、自動ドアをくぐってマンションの外へ……出るとにちかが準備体操していてすぐに二人とも離れた。

 

「あ、来た。おはよーございます! 美琴さん、セクハラ魔人」

「おいこら」

「おはよう……早いね?」

「はい! 早く目が覚めたので!」

 

 本当に目が覚めている様子で、にちかの目はギラギラしている。まるで、小さな違和感も見逃さない探偵のように。

 

「じゃあ、私達も準備体操するから、待ってて」

「美琴さんの準備体操は私、手伝いますよ!」

「俺をいちいち、ハブった言い方しなくて良いから」

 

 少し嫌な予感を胸に潜ませながらも、そのまま走りに行った。

 

 ×××

 

 さて、美琴とにちかは事務所に来ていた。今日は午前も午後もレッスン。近いうちにライブがあるため、その練習である。

 一度、お昼を挟むため、美琴とにちかは二人で事務所で食事。バッキバキのお昼時だからか、周りには他のアイドル達も食事をしていた。

 そんな中でも、美琴は相変わらずお隣さんの愛妻弁当を事務所で摘んでいた。

 その様子をジトっと眺める視線に気づき、顔を向ける。

 

「えっと……にちかちゃんも食べる?」

「いえ、あんな奴のお弁当はうちにお裾分けくれた時以外、食べません」

「あ、そう?」

「へー、このお弁当……美琴さん、誰かに作ってもらったっすか?」

「うん。実を言うと……え?」

 

 ふと声がして適当に答えてから気付いた。今の、にちかの声じゃないし、なんなら、にちかから来たとは思えない質問だ。

 顔を向けると、そこにいたのは芹沢あさひ。ダンスの才能はとても素晴らしいと美琴も思う子だ。

 

「あさひちゃん、だよね? どうしたの?」

「あ、はい! 私、美琴さんにお話があるっす!」

「私に?」

 

 なんだろう、とにちかと顔を見合わせる。まぁ、別に他のユニットの子とはいえ、邪険にするつもりはない。

 

「何?」

「昨日、レ○クタウンで手を繋いでた男の子誰っすか⁉︎」

「ほわっ……⁉︎」

「ぴえっ⁉︎」

「やは〜⁉︎」

「真乃……めぐる……⁉︎」

「ジャスティスV⁉︎」

 

 周囲にいたほとんどのメンバーが反応した。あまりに大きな声での情報漏洩に、にちかと美琴は反応する隙さえ無かった。

 

「え……美琴さんが、男の子と……?」

「そ、そんなイメージなかった……」

「小糸ちゃん、雛菜にもそれちょうだい〜?」

「意外……」

「こ……恋人って事ですかぁ〜〜〜⁉︎」

 

 やばい、興味を持たれた。面倒な事になる前に、さっさと話を逸らしたほうが良い。

 

「……何それ知らない。何の話?」

「え? いや、昨日いたっすよね? 二人で」

「いないよ」

「むぅ……冬優子ちゃんの言う通り、やっぱり隠すっすか……」

 

 ……今更になって思った。失敗した。確かに声はかけられてのだし、さっさと認めて場所を移すべきだった。

 だが、もう見間違いだと言ってしまった。なら、このまま突き通すしかない……と、思った時だ。

 あさひが、懐から封筒を取り出し、小声で囁くように言った。

 

「これ……実は昨日、福引で当てたんすよ」

「何それ?」

「温泉チケット」

「……で?」

「教えてくれればあげるっすよ?」

「いや、別に温泉なんて……」

 

 と、言いかけたところで、ふと青葉との会話を思い出す。そういえば、あの子どこかに行きたがっていた気がする……なら、良い機会かもしれない。

 

「……それ何人行ける?」

「えーっと……四人っすね」

「話してあげるから……そうだな。屋上に行こうか」

「え、話すんですか⁉︎」

「にちかちゃんも来ない? 温泉」

「行きます!」

 

 秒で釣られていた。そのまま三人で屋上に向かった。

 中々、珍しいメンツで地面に腰を下ろして食べ始める。

 

「……で、なんだっけ」

「あの男の子っす! 彼氏とか?」

「それはないから、あさひちゃん」

「え? にちかちゃんには聞いてないっすよ?」

 

 他意はないのだろう。にちかもそれが分かっていて苦笑いを浮かべていた。……ちょっとイラッとしているように見えなくもない。

 

「ま、家がお隣同士ってだけだよ、残念ながら彼氏とかじゃない」

「えー、そうなんすかー? じゃあなんで手を繋いでたっすかー?」

「それ、私も気になります」

 

 ……そういえば、にちかにとってはそれも大ニュースだったのかもしれない。何せ、青葉と手を繋いでいた、と言う話なのだから。

 

「……あれはー、握力測ってた。お互いの。青葉が『握力なら負けません』とか言うから」

「あいつ……ならやりそう。変なきっかけで」

「へぇ……変な人っすね」

「うん。変なんだ。あの人」

 

 ごめん、青葉、と頭の中で謝ってしまった。……なんとなく、変と思われたままなのは嫌だったので、弁解もしておくことにした。

 

「でも、良い人なんだよ。このお弁当、私のために作ってくれたんだ」

「へぇ……男の人が?」

「うん。美味しいよ」

「一口もらっても良いっすか?」

「嫌」

「え、い、嫌なんですか美琴さん?」

 

 思わず口を挟んでしまったにちかだが、美琴は「当然」と言わんばかりの様子で頷く。

 

「だって、私が食べる分、減っちゃうし」

「え……意外と小さいっすね……そんなに美味しいんすか?」

「美味しいよ。あげないけど」

 

 言われて、あさひは真顔のまま美琴を眺める。何? と、視線で問うと、あさひは「あっ」とにちかを指差した。

 

「後ろ、蜂っす」

「えっ⁉︎」

「にちかちゃん、落ち着いてこっちおいで」

「は、はい……!」

 

 慌てる事なく、慎重に美琴の方に移動し、美琴は蜂がいると思われる方向に視線をやるが、そこには何もいない。

 

「あさひちゃん、蜂どこ?」

 

 尋ねると、あさひの左頬がリスのように膨らんでおり、代わりに自分のお弁当のミートボールが減っていた。

 

「確かに絶品っすね!」

「……はぁ、もう……」

 

 普段の冬優子やプロデューサーの苦労を見ていればわかるが、本当に自由な子だな……と、呆れ気味に鼻息を漏らす。

 まぁ、食べられてしまったものは仕方ない。怒るより活かした方が良い。

 

「分かってると思うけど、今の話、他言厳禁だから。絶品のミートボール食べた以上は秘密にしてもらうから」

「了解っす!」

「まったく……数少ない栄養源なのに……」

「そ、そうだよ、あさひちゃん。美琴さんにとって、青葉のお弁当は生命線なんだから」

「? どう言う事っすか?」

 

 理解していないように小首を傾げたので、美琴は続けて言った。

 

「私、料理しないし、その私のために手軽な栄養食以外のものを用意してくれる貴重な人なの。だから、手放すわけにいかないってだけ」

「自分で作れば良いんじゃないっすか? 作れないわけじゃないんすよね?」

「……」

 

 まぁ、それはその通り……というか、意識して「料理しない」と言う言い方をしたわけではないが、よくそんなところに食いついてくるものだ。

 とはいえ、別に隠すようなことではないので言った。

 

「私が作っても美味しくないから。美味しくないなら、ウ○ダーとかでも良いし」

「じゃあ……美琴さんはその人と結婚するんすか?」

「……え?」

「ふぁっ⁉︎」

 

 なんか急に話がぶっ飛んだ。思わずにちかも声を張り上げてしまうほど。

 

「な、なんでそんな話になるの⁉︎」

「え、だって……要するに美琴さん、その人のこと手放したくないんすよね?」

「……え、そんなこと言った?」

「違うんすか? なんかそんな感じかなって思ってたんすけど……」

 

 そんな言い方をしたつもりはない……が、その方が問題な気がして来た。何せ、無意識でそう聞こえるような言い方をしてしまった、と言う事だから。

 なんだか気恥ずかしくなり、少しだけ頬を赤く染めた。というか……実際、あの人がいなくなったら自分はどうするのだろう? 今更、ゼリー飲料の味に戻れるだろうか? 

 いや……そうでなくても、なでなでやら何やらを失った後とか、少し考えたくない……。

 

「……」

 

 でも……結婚とか急に言われても……あれ、でもするしかない? いや、世界は広いし、青葉はまだ高校生だ。焦ることは無い。青葉が結婚できる年齢になるまでに、似たような人がいないか探せば良いし、というか……そもそも結婚なんて考えていない。

 

「美琴さん」

「ん?」

 

 すると、隣のにちかが声をかけてきた。やたらと真剣な表情で。

 

「青葉と結婚なんてしないでください……! 他の男ならまだしも、青葉はダメです……!」

「どうして?」

「憎たらしいからです、あのアホが」

「……」

 

 まぁ、それは置いといても、元々結婚なんてする気はない。

 

「いや、しないよ。流石に」

「……なら良いですが」

「じゃあ、私もう行くっすね」

「うん。……もう一度、釘を刺しておくけど、誰にも言わないようにね」

「了解っす!」

 

 本当に自由な子で、そのまま屋上を出て行ってしまった。

 まぁ、結婚なんて自分には縁のない言葉だ。何せ、料理はしない、部屋の掃除も程々、ゴミの分別は毎回、青葉に怒られるし、そもそも家にいる時間が勿体無いと考えるタイプだ。

 ……まぁ、最近は少しだけインテリアに興味も出て来たわけだが、とにかく家に帰って来た夫を温かく出迎えてご飯とお風呂の用意を済まして労う……なんて事をするつもりはない。

 その自分に、にちかがジト目で続けて言ってくる。

 

「……本当に結婚とかないんですよね?」

「ないよ。私がエプロン姿で夫を出迎える、とか想像出来る?」

「想像してみたら超可愛かったわけですが……」

「え、そ、そう……?」

 

 むしろ、にちかを好きになっちゃうかも……なんて思っていると、にちかは「でも」と続けた。

 

「夫が専業主夫、美琴さんが働きに出る……ってパターンもあるかもしれないじゃないですか」

「……」

 

 ……なるほど、と美琴は顎に手を当てる。アイドルとしての仕事を終え、疲れた体に鞭打って自主練も兼ねて家に帰ると、エプロンをした青葉がおたまを持って出迎えてくれ「ご飯にする? お風呂にする? ……それとも、ナデナデ?」なんて言ってくれる……。

 

「…………それなら結婚もアリかも……」

「美琴さん⁉︎」

「あ、じ、冗談だよ……」

「……」

 

 まずい……つい口走ってしまった所為か、すごく睨まれている。なんとかして誤魔化さないと……と、思いつつ、とりあえず誤魔化すことにした。

 

「そ、そういえば、にちかちゃん。さっきもらったチケットだけど……熱海伊豆山温泉ホテルだって」

「……へぇ、そうですか」

「あと二人誘えるけど……青葉も誘って良いかな?」

「……どうぞ。あと一人はお姉ちゃんでも良いですか?」

「うん」

 

 少し釈然としてなさそう……だが、もうこのまま誤魔化すしかない……あ、そこで思い出した。

 

「伊豆熱海と言えば……一緒に海水浴とかも出来ちゃうかもね?」

「……!」

 

 あ、反応した。やはり子供だ。

 

「海水浴……つまり、美琴さんの水着を間近で……」

 

 うん、まぁそう言うことなわけだが……あれ、にちかって男子高校生? と少し不安になったりした。

 ……あれ、でも青葉も一緒ってことは……そっか。青葉に自分のプライベートな水着姿を見られるわけか……。

 少しだけ……楽しみと思う反面……何故か、新しいものを買っておこうという気になった。

 

「にちかちゃん」

「なんですか?」

「今度、一緒に買いにいこっか。水着」

「マジですか⁉︎」

「マジ」

 

 約束した。少しでも良い水着を買おう。……男の子なら、どんなのが好きかな……と、思いながら、食事を続けた。

 

 



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人は見た目ではなく中身と言うけれど、人の中身を知るくらいの関係になるにはまず見た目から入るため、結局見た目がスタート地点。

「え、温泉ですか?」

 

 翌朝、青葉とマラソンを終えて朝食を作ってもらった時に声をかけた。

 

「うん。一緒に来ない?」

「俺も、ですか?」

「そう。近くに海あるし、楽しめると思うよ」

 

 それを聞いて、青葉は少し腕を組んで考え込む。海、か……と、一瞬楽しみになる……が、それはつまり……目の前に下着同然の姿の美琴が現れると言うわけで。

 

「……俺、そんなことになったら死んじゃいますよ?」

「え、し、死ぬの……?」

「死にます。色々な感情が高まった挙句、爆発します」

「ば、爆発……?」

 

 多分、爆発する。顔を真っ赤にして内臓から弾け飛ぶ。過去にそんなことがあったわけではないが……あと、普通に自分の裸を見られるのも恥ずかしい。運動をし始めたとはいえ、ヒョロガリだし。

 それにー……もっと海水浴に行くなら嫌な理由はあるのだが……まぁそれは言えない。

 ……もっとも、青葉の弱点を知っている人間にとってそれは察しがつくというものだが。

 

「青葉もしかして泳げないの?」

「お、おおお泳げないわけがないでしょう!」

「ふふ……何処までも可愛い人だな君は」

 

 その褒め言葉、嬉しいけど恥ずかしいからやめて欲しい。

 真っ赤に染まった顔を俯いて隠しながら、青葉はポツリとつぶやく。

 

「そういうのやめて下さいよ……ちょっと、変に舞い上がっちゃいますから……」

「舞い上がって良いんだよ?」

「嫌ですよ! ただでさえ男なのに……か、可愛いで褒められて喜んじゃうとか……」

 

 好きな人に褒められるなら、やはりカッコ良いとかが良い……いや、まぁ8つも歳離れてるし、自分みたいなちんちくりんのガキが何言ってんだ、と思われるかもしれないが……と、思ってると、美琴が微笑みながら言った。

 

「大丈夫、私は青葉に男の子的な格好良さ、とか求めてないから」

「……」

「……?」

 

 あ、やばい。地味に効いた、今の一言。分かっていたこととはいえ、割とはっきり言われると死にたくなる……。

 地味に肩を落とした青葉が気になったのか、すぐに美琴が声をかけて来た。

 

「青葉? どうかした?」

「あ……いえ、なんでもないです……」

 

 ……まぁ、どうせ叶わない恋なのだし、気にしても仕方ない。そう、気にしない。そもそも、自分が美琴の隣に並んだとしても、月とスッポン。考えても悩んでも無駄だ。

 ……しかし、かっこよさってなんだろうか? 

 

「……」

「青葉?」

「っ、あ、す、すみません」

「何か悩んでる?」

「いえ、そんなことないです」

「なら良いけど……ご馳走様」

 

 そこで、美琴は食事を終えた。なら、洗い物しないといけない。

 

「じゃあ、食器類洗っちゃいますね」

「うん。よろしく」

 

 しかし……カッコよさか……と、今まで考えたことも無い議題に思案に暮れた。

 とりあえず……知り合いの中で一番、それに詳しそうな人に後で聞いてみることにした。

 

 ×××

 

 今日の美琴は一日お休み。なので、たまには趣味の作詞作曲でもしようと思っていた。

 が、そこで洗濯物が溜まっているのを思い出し、洗濯を回し、今は待機中。

 その間、少しだけさっきの青葉の表情が気に掛かった。なんだか、ちょっとだけ本気で傷ついたような表情になった気がしたが……あの時、何あったっけ? と思い返す。

 可愛いと言ったこと? いや、嬉しそうにしていたし、そうではないと思う。何せ、喜んでたし。喜んでいる顔は本当に分かりやすくて可愛らしいものだった。

 

「となると……」

 

 男の子的な格好良さを求めてないと言ったことだろうか? でも、青葉がそういうの気にするのは少し意外な気がしないでもないが……。

 まぁ、それなら謝ったほうが? いや、でも別に謝ることでもない気がする。だって、実際カッコ良いより可愛いの方が強いし……いや、助けてくれた時は少しカッコ良くもあったが……手段自体はカッコよくなかったが。うん、やっぱりかわいい。

 でも……青葉が少しショックを受けてるのなら……と、思っていると、洗濯完了の音が響いて来た。

 

「……あ、干さないと」

 

 と、いうわけで、洗濯物を洗濯カゴに入れに行った。サクサクとそれを済ませ、ベランダに出ると……隣のベランダから声が聞こえて来た。

 

「うん、そう。……だから、お願い。今日、急で悪いんだけど……空いてる?」

 

 青葉の声だ。友達と遊ぶのだろうか? まぁ、あの人も高校生だし、それくらい普通なのだろうが……。

 

「ユイシスの協力がないと無理だってー。ほら、サブカル的な感じで良いからさ。午前中だけで良いから」

 

 ユイシス? あだ名だろうか? 結構、砕けた様子で話しているが、仲良さそうな感じに聞こえる。

 

「うん、そう……だから、お願い。俺みたいな顔でも、ファッション誌の巻末カラーを飾れるくらいのイケメンファッションにしてほしくて……いや、行けるって。だってイケメンじゃなくてもその辺に気を遣えばイケメンに見えたりするじゃん。……え、す、好きな人がいるわけじゃないって! ……ただ、まぁ……ちょーっと、気になる人がいないわけでもない感じ的な?」

 

 それを聞いて、少し美琴は目を丸くする。気になる人……とは、やはり好きな人の事だろう。学生時代、恋バナ好きなクラスメートがよく話していた。

 青葉にもそんな人が……と、思いつつも、少しだけショックを受けてしまったり。何故だろう。別にあのくらいの年頃なら恋愛の一つや二つ、不自然でもなんでもないのに……と、初恋もまだな24歳は思ってしまった。

 

「ほ、ほんと? 良いの? サンキューマジで。大好き、超愛してる」

 

 さらに巨大な衝撃が美琴の中で走った。あ、愛って……まさか、好きな人ってそのユイシスさん? ていうか……もう、付き合ってる? 

 ……そっか、青葉にはもう、恋人がいたんだ……と、何故か変にショックを受けてしまった。

 

「え? あ……そっか。ごめん、アイドルだもんね。その手の冗談はもうダメな奴か」

 

 メキッ、と洗濯物を干すのにハンガーを軋ませてしまった。冗談かよ、と。……いや、それなら尚更気になる。電話の相手アイドルなの? ていうか、そんな冗談を気軽に言える関係って何だろう。

 

「うん、うん……わかった。じゃあ、10:30に渋谷で……え、嘘。わざわざそこまでしなくても……いや、ありがたいよ。じゃあ、お礼用意しないとね。うん。はい、はーい」

 

 そこで電話を切ったらしい。しかし……相手は女の人らしい。しかも、アイドルの。なんか……納得がいかない。自分とはアイドルとファンだからって一線引いてる癖に、他のアイドルの人とはそんな風に話すのか、と。いや、にちかみたいな例もあったりはしたが、アレは幼い頃からの仲なので別案件。

 何にしても……うん。納得がいかない。

 

「……確か、10:30に渋谷だっけ……」

 

 とりあえず、さっさと洗濯物を干し終えて、着替えをする必要がある。

 

 ×××

 

 部屋を出た青葉は、渋谷の待ち合わせ場所で待機。スマホゲーをぽちぽちしていると、遠くから「アオっちー」と独特の呼び声が聞こえる。

 顔を向けると、そこには三峰結華と……なんか自分どころか美琴より長身のイケメン女性が立っていた。

 

「あ、おーっす、ユイシス……と」

「お待たせー。女の子を待たせないあたり、高得点を差し上げよう」

「ふふ、初めまして。可愛い王子様……結華に聞いていた通り、面倒見が良さそうな男の子だね」

「は、初めまして……」

 

 急に褒め言葉から始まったぞこの人……と、思う反面、あんまりちょっと嬉しくない。美琴ならまだしも、他の女の人に可愛いとか言われても……面倒見の良さも、身につけようと思ってつけたわけではないし、なんならその自覚もない。

 

「白瀬咲耶です」

「あ、はい。一宮青葉です」

「それで……好きな人との外出用の洋服が欲しい、と?」

「そう……まぁそうですね。いや別に好きな人というわけではなく、単純にちょっとだけ気になる人がいるようなというか……」

「え、全然それ単純じゃないけど」

「ふふ……青葉は照れ屋なんだね?」

「い、いえ……そういうわけでは……」

 

 ただ、叶わぬ恋なのに「好きな人がいる」と言ってもし応援でもされてしまったら申し訳なくなるだけだ。今回、服を選んでもらっているのだって、仮にも美琴と遠出する男として、恥ずかしくない格好をするためだし。

 

「それより、早く行きましょう。あんまり人前でしたい話でもないので」

「そうだね。じゃあ……さくやん。おすすめのお店を」

「私の、で良いのかい?」

「うん」

 

 確かにー……女性だけど、カッコ良い洋服とか知ってそう。流石、アイドルの人脈である。

 そのまま三人でお店に向かった。

 

「……」

 

 一人、後ろからつけてる人がいるのにも気が付かずに。

 

 ×××

 

「……あれ、お……おかしいな……」

 

 服を見回り始めてから、早一時間。中々、服が決まらない。咲耶の見立ては正確で、かなり似合っているのだが……どれもピンと来ない。

 何故だろうか? なんというか……何度見ても、やはりなんかこう……しっくり来ない。

 

「……俺、カッコ良いですか⁉︎」

「うん、まぁ……カッコよくあるよ?」

 

 結華が青葉を見てそう言う……が、なんとなく気を遣われている気がする。変……なのだろうか? 

 

「いや、ほんとに変ではないし似合ってるんだけど……なんか、あおっち感がない」

「何それ」

「いや……なんていうか……着飾ってるみたい」

「酷い⁉︎」

 

 直球にも程がある物言いだった。大体、服なんてどれも着飾るためのものだろうに……。

 

「……そうだ。ちょっと待っててくれるかな」

 

 そう言うと、咲耶は服を選びに戻った。その間、結華は青葉の服装をじっくりと眺める。

 

「……何が悪いんだろう。似合ってるんだけどな……」

「あの、似合う似合わないはこの際、置いといて、カッコよく見えればそれで良いんですけど……」

「えー、だってアオっち全然カッコ良くないし……」

「えっ」

 

 地味に効いた。なんてこと言うのか、この人は。

 

「青葉はどちらかと言うと……やっぱり、なんていうか……艦これで言う雷ちゃんとか浦風ちゃん的な感じだから……」

「あの……全然、嬉しくないし困るんですけど……」

「でも、背伸びしてもむしろ変に浮いちゃうだけだと思うよ?」

「うぐっ……」

 

 そんなに自分は子供っぽいのだろうか……いや、まぁ童顔であるのは認めるが。にちかと良い勝負である。

 

「……俺ってそんなに男っぽくないですか……」

「別に気にすることじゃないと思うけど? さくやんだって、女の子らしく見えないでしょ?」

「まぁ……」

「好きな人のために男らしくありたい、っていうのはわからなくはないんだけどね……そうだな。青葉なら、爽やかな服装のが良いんじゃないの?」

「爽やかって……」

 

 ……まぁ、確かにちょっとダメージジーンズとかを履きたかったとかは似合わないかも……なんて思っていると、咲耶が戻って来た。

 

「お待たせしてしまったね。これ、着てみてくれないかい?」

「あ、ありがとうございます」

「お、新しい奴?」

「そうさ。彼に似合うかもしれないと思ってね」

 

 言われるがまま、受け取って着てみることにした。試着室の中に入り、青葉はその私服を広げてみる……少し、色が明るいが……結華が言っていた通り、爽やかに見えてシンプルなものを選んでくれていた。

 さて、それをすごすごと着始める。黒のTシャツと、青のワイルドパンツ……シンプルだけど、ダボダボのズボンがなんだか男らしくてカッコ良い。

 

「……ど、どうですか?」

「おお……似合う! しっくりもくるけどこれ……」

「本当ですか⁉︎」

「え? あ、うん。でもこれ……」

「いや、実は俺もこれすごく気に入ってまして。なんかこう……ワイルドな感じ? 流石、元モデルの方ですね」

「いや、だから……」

「これ、買います!」

「……」

 

 すると、二人は急に青葉に背中を向けて、何かひそひそと話し始めた。

 

「ど、どうすんのさくやん……あれ、レディースのボーイッシュ服でしょ」

「う、うん……もしやと思って持って来たんだが……まさかあんなに気に入られてしまうとは……」

「……言ったほうが良いよ? 頼ってくれた人が何も知らないであれ着て恥かかせるのはちょっと……」

「でも……私が今まで勧めた誰よりも似合っていると思うんだが……」

「それは三峰もおもうけど……でも、相手がどんな人か知らないけど、気付かれて指摘されたら恥かくのは……」

「……そっか。うん、分かった」

 

 何を話しているのか知らないが、青葉はもう決めたのだ。これを買うと。今から美琴に褒められると思うと、少しワクワクしてしまうが、それは当日まで取っておく。

 そんな青葉に、咲耶が頬をポリポリとかきながら言った。

 

「あー……なんだ。一宮くん。その前に一つだけ良いかな?」

「なんですか?」

「その服……実は、その……ボーイッシュ服……つまり、男の子っぽいレディース服なんだ」

「……え、どゆこと?」

「だから、その……メンズ服っぽいレディース服というか……」

 

 言われても、今まで上っ面だけでオシャレをして来た青葉にはイマイチわからない。家にある服も、雑誌に乗ってるやつと似てる安いのを適当に買っただけだから。

 言われたことを冷静に頭に入れて考えてみたが……要するに、答えは一つだった。

 

「つまり……男の子っぽい格好ってことですよね?」

「うん、まぁね……」

「じゃあこれで良いです!」

「えっ」

「これ、気に入りました!」

「……」

 

 よく分かっていないが、とにかく男っぽいならこれで決定! という思考だった。

 そうなってしまうなら、もはや二人に止める術はない。顔を見合わせた結華と咲耶は頷き合うと、黙認する事にした。

 

 ×××

 

「……なるほど」

 

 その様子を、美琴は後方から眺めていた。後をつけたわけではなく、単純に渋谷に行くというのでなんとなく気になって自分も不思議と渋谷に行きたくなってしまった。

 その一緒に待ち合わせした相手が、自分と同じ事務所のアイドルだったことに驚き、何故かちょっとむすっとしてしまったが、そのままついて行ったら試着会が始まった。

 話や様子を見ている感じ、わざわざ自分と出かける洋服を買いに行ってくれたらしい。

 その時点で嗚咽が出るほど可愛かったわけだが……そのまましばらく、三人の様子を眺めた。

 

「一宮くんは、どんな洋服を着たいとかあるかい?」

「ジ○ニーズにいてもおかしくないレベルのイケメンになれればなんでも良いです」

「整形したいのかい? 大丈夫、君の顔はコンプレックスを感じるような顔はしていないよ」

「いや違いますけど……いや、違くなくても白瀬さんに言われても気を遣われてるようにしか感じませんよ」

 

 ……なんか、移動中もとても仲良さそうにしているのが、やはり気に入らない。というか、二人とも普通に年上で美人でアイドルなのに、何故自分よりも遠慮なさそうに話しているのか。

 面白くない、面白くないが飛び出すわけにもいかないので、そのまま適当なブティックに入る三人を眺める。

 そのまましばらく、咲耶が持ってくる服を青葉は着ていた。

 どの私服を着ても確かに青葉には似合っていたが、しっくり来ないで選び直しが続いた。

 すぐに分かった。しっくり来ないのは似合っていないからだ。というか、青葉がジ○ニーズみたいな服を着たってカッコ良くなるわけがないだろうに……。

 

「……」

 

 口を挟んでしまおうか? というか、青葉の私服選びなんて自分もした事がないのに、普通に羨ま狡い。

 それでも、耐えて眺めていると、咲耶がまた洋服を持って来た。着替え始めたので黙ってしばらく待機していると、シャッとカーテンが開かれた。

 

「……ど、どうですか?」

 

 その恥ずかしそうな聞き方は本当に何なの? と思う反面で、美琴も思わず言葉を失った……が、これ……レディースの服では? と思わないでもなかったり。

 

「おお……似合う! しっくりもくるけどこれ……」

「本当ですか⁉︎」

「え? あ、うん。でもこれ……」

「いや、実は俺もこれすごく気に入ってまして。なんかこう……ワイルドな感じ? 流石、元モデルの方ですね」

「いや、だから……」

「これ、買います!」

「……」

 

 騙すつもりだったのか、それとも本当に似合うと思って持って来たのかは分からないが、青葉はノリノリだ。

 ……何にしても……うん、本当によく似合っている。あれなら、美琴としては良いと思う。女の子に見えるわけではないし、よく似合っているから。

 

「……なんで似合うのかは分からないけど……」

 

 しかし、目の前の青葉ははしゃいでいる。咲耶に「それレディースの服だよ」と言われても、よくわかっていない様子で「これを買う」と言ってしまっていた。

 もしかして……青葉は、本当は女装がしたいのかも……? 

 

「家に、お下がりあったかな……」

 

 そんなことを考えながら、本当に服をレジに持っていく青葉を眺めてる。

 さて、そのまましばらく、三人の様子を眺めた。青葉は二着ほど洋服を購入して、午前中だけ、というお話だったのでそのまま解散することになる。

 駅前で、青葉は咲耶と結華に頭を下げる。

 

「すみません、本日はお世話になりました」

「ううん、気にしないで。……私も、楽しかったよ」

「ね。アオっちも良いの見つかって良かったし……」

 

 そう言う2人に、青葉は鞄の中から紙袋を取り出して手渡していた。

 

「これ……ホントは会った時に渡そうと思ってたんですけど、お礼です」

「お、何何?」

「すみません、買いに行く時間がなかったもので、俺の手作りなんですけど……」

「「え?」」

 

 何が入ってる? と、美琴は目を凝らす。だが、距離は20メートルある上に、駅ということで人混み、それも紙袋越しだ。

 見えるわけがないが、分かる。手作り、の時点で何が入っているのか。食べ物か……! 

 

「…………私に、だけじゃないんだ……」

 

 変な言葉が漏れる。七草家ならともかく、他の人にもご飯作ってあげるんだな、と。なんで、モヤっとするんだろうか。

 と、思っていると、咲耶と結華が紙袋を開いて中を取り出した。そこにあったのは、綺麗にビニールにラッピングされている何か。双眼鏡を取り出して中を覗くと……クッキーだった。

 

「わっ……可愛い」

「すごいな……」

「……」

 

 ……お菓子なんて、自分も作ってもらったことない。なんだろう、このイライラとモヤモヤ……拾ってきた犬がすぐに懐いてくれて自分が特別だと思ってたら、割と誰にでもそうでした、みたいな……あの男……もしかして、誰に対してもおかんなのだろうか? 

 なんかもう色々とモヤモヤしたまま、美琴は帰宅した。

 

 ×××

 

 青葉は、それはもうご機嫌で部屋に戻った。なんだかんだ、楽しかったーと伸びをする。何が良かったって、ちゃんと目当ての服が手に入ったことだ。ボーイッシュだかなんだか知らないけど、要するにカッコ良い服装ということだろう。

 それなら、自分には何の問題もない。……なんなら、今着替えてしまおうか。それで、その姿を美琴に見てもらっても良いかも……。

 と、思い、着替え始めた時だった。インターホンの音が鳴り響いた。

 

「?」

 

 お昼の催促だろうか? そういえば、お昼の時間は少し過ぎてしまっている。今日はお昼作れないかもしれないです、とチェインで言っておいたのだが……まぁ、急な話だったので今からでも全然、問題ない。

 応答すると、予想通り美琴が立っていた。

 

「お昼ですか?」

「うん」

「すぐ行きますね」

 

 それだけ話して、青葉はサンダルを履いて隣の部屋へ移った。

 

「何かリクエストはあります?」

「クッキー」

「了解しまし……うん?」

 

 今、小学生みたいなリクエストが聞こえた気がする。

 

「今、なんて?」

「だから、クッキー」

「何言ってるんですか?」

「クッキー、クッキー」

「いやそんな連呼されても……青いモンスターでもそこまで言いませんよ?」

「良いからクッキー」

「ダメです。美琴さんの食生活を整えるために俺は食事を作るんですから」

「……じゃあ、食後にクッキー」

「どんだけ食べたいんですか……」

 

 本当に子供みたいに見えてきた。……というか、自分は美琴が大人っぽく見えるところを見たことがあっただろうか? タバコも酒も嗜まないし、そういうわかりやすい面は抜きにしても……いや、はづきとか年齢が近い人に対しては普通に大人の対応してたし、全くないっていうのは言い過ぎだったかもしれないが……。

 や、それにしても……とりあえず言葉を飲み込んだ。なんか、ちょっとだけ不機嫌に見える。

 部屋に上がって台所に上がると、美琴が自分に振り返って頭を下げた。

 

「青葉」

「……またですか?」

「うん」

 

 まぁ、それくらい構わないが……と、思いながら頭を撫でてあげる。可愛いものだ、本当に。……子供っぽくて。

 なんかこの人……自分と会ってから幼児退行してない? なんて思ってしまった。

 

「青葉」

「はい?」

「青葉が撫でて良いのは、私だけだから」

「え、いや逆ににちかの頭なんて撫でたら、手首切り落とされる気が……」

「いいから」

 

 ……もしかしたら……夢で、青葉が他のアイドルのファンになる夢でも見たのだろうか。で、隣に引っ越してきて頭を撫でてあげる的な? 

 思わず、青葉は屈んで自分より少しだけ背が低くなっている美琴に合わせるように屈み、目線を合わせた。

 

「大丈夫ですよ、みっちゃん。俺は、緋田美琴さんだけのファンです。浮気はしません。……なので、俺が頭を撫でるのも当然、みっちゃんしかいませんから」

「……青葉……」

 

 少し頬を赤らめる美琴。流石に直球で言われれば顔を赤くするらしいが、青葉も言ってから恥ずかしくなり、頬が赤くなる。

 

「……青葉なのに真っ赤。自分で言って」

「あ、あはは……締まりませんね……」

「……可愛い」

「また言う……そろそろ、ご飯で良いですか?」

「うん。青葉も一緒に食べない?」

「じゃあ……いただきます」

 

 と、いうわけで、料理を作ることにし……ようとした所で、また美琴が「あっ」と声を漏らした。

 

「待った、青葉」

「なんですか?」

 

 振り向くと、美琴がリビングの方に手招きをする。そちらへ行くと、ソファーや机の上に衣服がきれいに折り畳まれて置いてあるのが見えた。

 

「なんですか?」

「私のお下がりでよければなんだけど……いる? 洋服」

「え……み、みっちゃんのですか……⁉︎」

「うん」

 

 そんな……美琴の身体に密着されていた洋服を……もらえる? 何それ、興奮で死んじゃう。

 いや、まぁ実際もらえるとしたら観賞用としてショーケースを買うまであるわけだが。

 

「な、なんで突然……?」

「え? あーいや……あれ。ボーイッシュな服、好きかなって」

 

 つまり……着ろと? というか、ほんとなんで突然……もしかして、今日自分が私服を買いに行ったことを知っているのだろうか? あまりにタイムリーなタイミングではあるが、まぁそういうこともあるかと思う。

 それよりも……着るのか、と少し困る。美琴の私服なんて、気恥ずかしくて着れる自信がない。

 

「まぁ、ちょっと用意したから、見てみてよ」

「え、いやあの……」

「何、私が選んだ洋服は着れないの?」

「っ……」

 

 また少し不機嫌になられてしまった。

 いや、そういうわけではない……と、言いたいところだが、まぁ見るだけ見ても良いかも……と、思いながら、青葉は適当な私服を手に取り、広げてみた。ロングスカートだった。

 

「……は?」

「大丈夫、夏でも履ける素材だから」

「……」

 

 この人は……普段、可愛い可愛いと言うが……まさか、自分に女装させようとか思っていたのだろうか? 

 ……なんか、初めて美琴に対して腹を立ててしまった。

 

「青葉なら似合うと思うよ?」

「……やっぱりクッキー無しです」

「えっ、ど、どうして……?」

「……」

「あれ……もしかして、怒ってる?」

「そんなに俺は男らしくないですか」

「あ、う、嘘嘘。冗談だから待って……謝るから許して」

「絶対に嫌です」

 

 でも三分後、普通に許した。

 

 



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文面のみでは誤解を生むので、SNSでの喧嘩は不毛。

「えっ、お姉ちゃん無理?」

「当たり前でしょー? 私とにちかが泊まりで出かけちゃったら、誰が他の姉妹の面倒見るのー?」

 

 まさかのお断りを受けてしまった。というか、そんなことを言われたらにちかもちょっと遠慮したくなってしまう。

 自分だけ楽しむ、というのは少し申し訳ない……のだが、それを見越したようにはづきは言った。

 

「私達のことは気にしなくて良いから、楽しんで来なー?」

「え、でも……」

「良いからー」

 

 ……そこまで言うなら仕方ないのかもしれない……せめて、お土産はたくさん買ってこようと心に決めて、改めて考え込んだ。

 

「でも……じゃあ後1人行けるんだけど、どうしよう……」

「プロデューサーさんはー?」

「えー……なんで?」

「アオちゃん、男の子でしょー? 今は何も言ってないけど、女の子三人と男の子一人が続くと、少しいづらさを感じちゃうんじゃないのー?」

 

 その可能性はあるかもしれない……が、逆に「あの青葉だよ?」とも思う。

 

「いやいやー、あの美琴さん以外の異性はみんな女と思ってない男だよ? それはないってー」

「じゃあ……例えば、この事務所でいえば、千雪とか夏葉さんとか……あと、冬優子さんとかに会ったら?」

「……まぁ、上がるかも?」

 

 性癖が小学生と同じなだけある。年上のお姉さんが大好きな青葉らしい。

 

「そういう事。それに、プロデューサーさんも青葉に会いたがってそうでしょー?」

「……まぁ」

 

 たまに聞いてくる。青葉のことについて色々と。その度、適当な返事をしていたが……でも、自分がプライベートな旅行でプロデューサーとお出掛けか〜……と抵抗がないわけでもなかった。

 

「じゃあ……一応、美琴さんと青葉に聞いてみるね」

「もちろん、それは大事だよー?」

 

 話しながら、とりあえずレッスンの時間まで待機した。

 

 ×××

 

「と、いうわけなんですけど……良いですか?」

 

 レッスンが終わり、美琴の部屋。話をするついでに食事を食べて良いとのことなので、みんなで青葉特製お好み焼きを食べていた。

 

「俺は良いけど……みっちゃんは?」

「私も構わないよ」

「えー……まぁ、二人が良いなら?」

 

 ……残念ながら、二人とも断るつもりはないようだ。

 

「俺も、プロデューサーさんには挨拶しておきたいと思ってたんだよね。うちの子がお世話になってるし」

「おかんか、あんたは」

「青葉……あまりプロデューサーに恥ずかしいこと言わないでね?」

「美琴さんも娘ですか?」

 

 なんか二人の関係が自分の知らないうちに遠くへ飛んで行ってしまっている気がする。

 

「じゃあ、プロデューサーさん呼びますね」

「青葉はプロデューサーになんで会いたいの?」

「そりゃ……まぁ、俺がみっちゃんの面倒を見れるのは、家の中だけですから。現場ではよろしくお願いしないといけませんから」

「それが恥ずかしいんだけどな……生活リズムのことは言わないでね?」

「嘘はつけませんから」

「ねぇ、言わないでね?」

「……」

 

 なんだろう、この二人は。夏休みに入ってから、何か加速している気がしてならない。

 

「……」

 

 ……羨ましい。そのやり取り。なんか……腹立つ……美琴とイチャイチャしやがって……。

 

「青葉、ソースかける?」

「ん? ああ、頼むわ」

「はい」

 

 直後、トローリと垂らされた。茶色の山が。

 

「テメェ、かけすぎだろうが⁉︎」

「ごめーん、力入れ過ぎちゃった。雑魚……青葉と違って握力あるから」

「今なんて言い間違えた? なんて言いかけたコラ⁉︎」

「かけてもらって何文句言ってんの?」

「テメェから言い出した事だろうが⁉︎」

 

 ふんがー! と憤慨する馬鹿を捨て置いて、隣の席の美琴に声を掛けた。

 

「美琴さん、マヨネーズいりますか?」

「かけ過ぎない? 大丈夫?」

「大丈夫です。ナメク……青葉にはわざとやったので」

「テメェわざとかよ⁉︎」

 

 話しながら、ちゃんと美琴には程良い量のマヨネーズを掛けた。

 

「はい」

「ありがとう」

「いえいえ! なんでもあのソースくらいで発狂するタコ助より、私を頼って下さい!」

「お前ほんと殺すからな!」

 

 喧しい。バカのくせに。……とにかく、腹が立つ。美琴が青葉に取られそうで。

 なので、ひとまず青葉に嫌がらせしつつ、話を進めることにした。

 

「……で、まぁプロデューサーも一緒で良いというのなら、明日改めて話しておきますね」

「うん。よろしくね、にちかちゃん」

「はい! 任せて下さい!」

「……ちっ、調子乗んなよ。ウンコカス」

「青葉、食事中」

「うっ……す、すみません……」

 

 ……ふっ、ザマーミロとほくそ笑む。食事中にウ○コは普通にない。

 

「まったく……やっぱり青葉もまだまだ子供だね。温泉じゃ、私がちゃんと面倒見ないと」

「いや、みっちゃんこそ旅先だからって変に油断しないでくださいよ」

「しないよ。というか、出かけた時に気が抜けるのは私より青葉の方でしょ? にちかちゃんとセットだと特に」

「うぐっ……ひ、否定出来ねえ……」

 

 と、なんかいつの間にか自分がまた置いてけぼりにされていた。

 これは……もはやプロデューサーの手を借りてでも二人の仲を引き裂くことも考えないといけない……なんて考えていると、青葉が席を立った。

 

「すみません、お手洗い行ってきます」

「うん。廊下出てすぐ……」

「いや、自分の部屋まで戻ります」

「えっ」

 

 どうせ、青葉のことだから美琴が普段使っている所は使えないとかそんなとこだろう。

 まぁ、いなくなる時間が伸びるのはありがたい。いなくなった隙に、にちかは美琴に聞いた。

 

「ところで、美琴さん」

「何?」

「……青葉と、何かありました?」

「えっ……ど、どうして?」

 

 あれ、今狼狽えたように見えたのは気の所為? いつも冷静沈着でクールな美琴が? 

 しかし、気の所為だったのか、すぐにいつもの様子に戻った美琴が小首を傾げた。

 

「何もないよ。どうして?」

「いや……なんか、前より仲良くなってるなーって……」

「まぁ……少しは仲良くなるかもね。毎日、顔合わせてるし」

「……」

 

 それは……まぁその通りなのかもしれないが。……羨まずるい。

 

「そうだ、にちかちゃん。それより、水着買いに行くのは明日で良いの?」

「あ、はい。明日でお願いします」

 

 明日、二人で水着を見に行く。普通に楽しみだ。少なくとも、バカッタレ青葉よりは早く美琴の水着が見られるわけだから。

 

「ふふ……良い奴、選ぼうね」

「は、はい……!」

 

 美琴に水着を見てもらえるのだ。気合を入れないわけがない……のだが、美琴が若干、頬を赤らめているのが気になる。……この人は、誰に見せるために水着を選ぶのだろうか? 

 

 ×××

 

 さて、翌日。二人は待ち合わせ場所に集合し、そのまま水着を買いに行った。

 のんびりと歩いてお店に向かう。お店は美琴が選んだお店だ。仕事関係で良いと思ったお店を知っていたので、そこにしたらしい。

 

「どんなお店なんですか?」

「んー……ちょっと、大人向けかも」

「えっ……そ、それって……アダルトって事ですか⁉︎」

「え、そうだけどなんで英語で言い直したの?」

「……」

 

 そういう意味じゃない、でも大人向けと言われてそっちの意味を想像してしまった自分が憎かった。

 顔を真っ赤にして辱めを噛み締めている間に、サクサクと美琴が進んでしまったため、慌てて後を追う。

 大人向けと言われたので露出度が高いものが多いのかと思ったが、実際はそうでもない。ワンピースタイプのものや、パレオなど布地を増やしているものも多い。

 まぁ、考えてみれば美琴は別に露出度が高いものが好みとか、誘惑したくなる異性がいるわけではないはずなので、そんなに男を挑発するよう且つにちかが心配になるような水着は着ないだろう。

 

「……ふぅ」

 

 なんか……ほっとしたようなため息が漏れてしまった。

 さて、そんな中、美琴がまず見に行ったのは……露出度が高い派手な色のビキニだった。

 

「ちょっ、ま、待った〜〜〜!」

「えっ、な、何?」

「そ、そそそそんな派手な水着を着るおつもりですか⁉︎ ダメダメダメですよ!」

「どうして?」

「どうしてって……それは、まぁ……ちょっと、露出多いですし……派手ですし……」

 

 というか、そんな純粋な目で聞いてきて欲しくなかった。この人、割と隙大きい人なのでは? と、心配になる程。

 いや正直、にちかとしては見てみたいが、それ以上に他の男……というか、バカとプロデューサーにそれを見られるのが嫌だ。

 

「……やっぱりそっか……少し、派手だよね。大人と言っても、別のお店みたいになっちゃう」

「は、はい! とにかく、それはちょっと……」

「じゃあ、こっちかな?」

 

 そう言いながら美琴が手に取ったのは、地味な黒……の代わりに、布地がさっきより少ない。……というか、そもそも水着において黒は地味じゃない。

 

「あの、それも……」

「ダメ?」

「というか、その……ビキニが良いんですか?」

 

 ビキニでも露出度控えめとかはあるが、やはり基本的にはお腹や背中が大きく空くものが多い。……そして、美琴の魅力は胸だけでなく、その曲線美。女性でさえ惚れ惚れする完璧な凹凸を局部だけ布で覆い、自慢できる部位をきっちり出したりなんてしたら……ていうか、単純に青葉は死ぬのでは? 

 それが分かっていないのか、美琴はにちかの質問に少しだけ頬を赤らめる。

 

「……うん。何となくむっつりすけべなのは分かってるから、喜んでもらいたいし……」

「……どっちに?」

「え、どっちって? ……ああ、どっちだろうね?」

「……」

 

 つまり、どっちかということか、とすぐに理解する。……どっちでも罪は重いが、マズイのは青葉の方だ。まぁ、まさか青葉ってことはないだろう。ガキと大人だし。

 ……とはいえ、少し探りを入れてみることにした。

 

「ちなみに、青葉はむっつりじゃありませんよ。美琴さん以外にはオープンですけべです」

「へぇ……そうなんだ。じゃあ……どんな水着でも大丈夫そうだね……」

「……」

 

 ……はい、ギルティ。いっそ暗殺でもした方が身のためかも……なんて思ってしまった時だ。

 

「……いや、でもせっかく見せるなら喜んでもらいたいし……やっぱり、ちゃんと選ぼう」

「……」

 

 ……いや、まぁあの馬鹿と決まったわけじゃないし、何よりこんな風に楽しみにしている美琴の邪魔は出来ない。

 でも……ちょっと青葉なんかのために協力は出来ないので、嫌がらせも兼ねて聞いてみることにした。

 

「……本人に聞いてみたらどうですか?」

「え……本人って、どうやって?」

「私が写真撮りますから、それを送ってです」

「……なるほど」

 

 なんで「アリかも……」みたいな顔をしているのかはわからないが、とにかく写真を送ることになった。

 

 ×××

 

「……うーん、温泉かぁ……ここ、割と色々あんだな」

 

 青葉は本屋から買ってきた旅行雑誌を手に取り、周りにどんなものがあるか調べ始めた。

 スマホで調べれば良くない? というのはアホな意見である。スマホに載っている旅行の記事がダメ、というわけではない。ただ、結局の所、あれは無料で見れるもの。ビジネスとして書いたものに敵うはずがない。

 レビューサイトは論外。サクラとアンチとバカしかいないから。

 つまり、良い情報を得るには、やはり金を払うことが重要だ。

 そんなわけで、パラパラと雑誌をめくっていると、スマホが震えた。美琴からだ。

 

「? みっちゃん?」

 

 なんかもう普通に「みっちゃん」と呼ぶのが当たり前になってきていたが、とにかく中身を見た。

 そこに映っていた美琴は、真っ赤な水着に身を包んだ自分が映った鏡を撮っている姿だった。

 

「ゴッファア……!」

 

 吐血して後ろにひっくり返った。まさかである。急に不意打ち。というか、なんだその派手な水着は。けしからんこの野郎、と頭が真っ赤になる。

 いや、大丈夫。まだ致命傷だ。このくらいなら耐えられる。強引に体に鞭打って、ひっくり返ったのを起こす。

 

 みっちゃん『どう?』

 

 その美琴から、さらに一通のチェインが届いていた。どう? じゃねーよ、まず脈絡を説明しろ、と思わないでもなかったが、青葉は堪えて感想を言う。

 少し派手に見えないわけでもないが……でも、よく似合っている。エロくて。何がエロいって、たまによくTwitterに流れてくる自撮り系エロ画像のようで。なので、とりあえず褒めておくことにした。

 

 一宮千手観音『お似合いだと思います』

 みっちゃん『ありがとう』

 

 お礼を聞きながら、青葉はとりあえずスマホを遠ざける。残念ながら、ちょっと今のは刺激が強過ぎた。というか、今更だけどアイドルのプライベートな水着写真なんて持っていて、自分は大丈夫なのだろうか? 

 何にしても……とりあえず、保存して家を出た。向かう先は写真屋だ。

 

 ×××

 

 一方、その頃。とりあえず、一枚目に選んだ水着を着てもらって写真を撮ってみたが、青葉からは端的に「お似合いだと思います」しか来ていなかった。

 ちなみにもう着替えを終えて、私服のまま別の水着を選んでいる。

 

「……派手だと思われてないのかな。止められると思ったんだけど……」

 

 そう呟きつつチェインの画面を見ていると、少し気恥ずかしくなってきた。何故だろうか? 水着とかの撮影くらい何度もしているのに、青葉に見せるのはちょっとだけ恥ずかしかったり……。

 ……というか、青葉の部屋には似たような写真やポスターが貼られているのだろうか? そう思うと、なんかちょっと……うん。恥ずかしい。

 

「……ま、いいや」

 

 呟きながら、美琴は新たな水着を選ぶ。どんなものが良いだろうか? せっかくなら、バリエーションを揃えたい。

 そう思っていると、水着を選ぶにちかの姿が見えた。そのにちかは、ジーンズっぽい短パンの水着を見ている。

 ……そうか、ボーイッシュ……と、美琴は頷く。

 

「……よし」

 

 とりあえず、それを着てみることにした。

 

 ×××

 

 外は炎天下、従って青葉が外を歩くときは日傘が必須だったが、今年はなくても出歩ける。もしかしたら、早朝ランニングの成果かもしれない。

 ……とはいえ、暑いものは暑いので、帽子をかぶってはいるのだが。本当に引きこもりにはキツい季節である。

 とりあえず、もう少しでカメラのキ○ムラが内設されているスーパーに着く。……という所で、またスマホが震えた。

 また美琴からの写真である。……黒い布面積はさっきより多い胸を隠す水着に、下半身はジーンズ生地の短パンのような水着。その短パンの隙間からも、黒いパンツのような水着が見えている。

 ……つまり、えっちだ。

 

「ごっふぁっ……!」

 

 太ももが露出されている上に、ボーイッシュな水着がよく似合ううっすらと割れた腹筋が、謎のえっちさを醸し出し、終いにはその上の巨乳とクールな顔立ち……思わず鼻血が出そうになった。

 というか、なんなのだろうか? さっきから。もしかして、何か試されてる? 

 保存しながら、それを聞こうとしたが、美琴からまたすぐメッセージが飛んできた。

 

 みっちゃん『どう?』

 

 いや、だからホント「どう?」じゃなくて……なのだが、まぁとりあえず感想は述べておく。

 

 一宮千手観音『お似合いだと思います』

 

 とりあえず、涙が出そうなほど似合っていたので誉めておいた。

 

 ×××

 

「……」

 

 全く同じ文面が送られてきて、美琴は少しだけむすっとする。この子、適当に言っていないだろうか? 

 そんな風に思いながら試着室から出ると、にちかが試着室の列に並んでいるのが見えた。

 

「にちかちゃん、それにするの?」

「あ、はい。これなら私でも似合うかなと思って」

 

 そう言うにちかの手元にある水着は、オレンジ色の水玉のビキニ。年相応の可愛らしい水着をチョイスしていた。

 

「うん。似合うと思うよ」

「ほ、ほんとですか⁉︎」

「もちろん。見てあげるから、着てみたら?」

「は、はい……!」

 

 本当に可愛いユニットメンバーだ。素直だし、元気だし、まだまだアイドルとしては未熟だけど、一生懸命だから。

 そんな事を思いながら、しばらく待機。すると、すぐにカーテンが開かれた。そして、上から薄いパーカーを羽織っている。

 

「ど、どうですか……?」

「うん。なんか、とても似合ってると思うよ。……そのUVカット……かな? のパーカーも良いね」

「は、はい……!」

 

 超嬉しそう。やはり、高校生って可愛い。283事務所の子とか見ていると特に思うが、まだまだみんな純粋なものだ。

 なんて思いながらも、あのパーカーもありかも……なんて思ってみたり。肌の面積は減るが、肌が透けて見えるほど薄い生地のものなら、少しは意識してくれるだろうし……何より、疲れた彼の身体にパーカーを被せてあげられれば、少しは年上っぽく振る舞えるだろう。

 

「……じゃあ、後はパーカーに似合う水着を探さないと……」

「え、へ、変ですか? 私の……」

「あ、ううん。にちかちゃんじゃなくて、私。パーカー良いなぁって思って」

「つ、つまり……ペアルックですか⁉︎」

「え? あーうん」

 

 適当な返事をすると、にちかが「やったー、これにしよーっと!」と元気にカーテンを閉めて元気に着替えを始めたので、美琴は自分の水着を選びに戻った。

 

 ×××

 

 写真の現像のために、青葉はUSBにスマホを繋ぎ、パソコンを操作する。現像したい写真を選ぶのだ。

 その途中だった。その青葉のスマホが再び、震える。言うまでもなく、美琴からだ。

 ちょっと……見るのが怖かったりするのだが……大丈夫だろうか? 店内……それもパソコンの操作中に吐血でも鼻血でもして掛かったら、賠償金がいくらになるか。

 でも、美琴からの連絡を未読無視は出来ないので、すぐに見てみると……。

 

「おぉう、もう……」

 

 純白のビキニの上に、生地が薄く肌が見えるように透けている白のパーカー、そしてその下の下半身に垂らされた、白のパレオ……今までで一番、肌面積が少ないのに、今までで一番、エッチに見えるのは気の所為だろうか? 

 だが、それでも不思議と性的興奮が起こらないのは、美琴という女性の清楚さに拍車をかけている白い水着のおかげだろう。

 まるで真夏なのに雪の妖精とも呼べるそれを見て、青葉は……喀血するのを必死に飲み込んだ。なんだこの美しさは。奇跡か? 

 

 みっちゃん『どう?』

 

 や、ほんと申し訳ないけど「どう?」じゃない。本当に斬新な暗殺方法である。

 なんとなく水着を選んでいる、というのは分かったが、やはり死にそうになって来てしまう。というか、むしろ殺しに来てる? と思うほどだ。

 今の感想を全部伝えたいが……水着を選んでいる時に長文なんて送っても仕方ない。端的に感想を伝えよう。

 

 一宮千手観音『お似合いだと思います』

 

 とりあえず、現像する写真を一枚追加して、送っておいた。

 心を落ち着かせるために、目を閉じて深呼吸。今日だけで、美琴の水着姿のバリエーションが三つ……少し刺激が強すぎるし、なんなら幸福すぎてこのあと、死ぬのでは? なんて変な勘ぐりを入れてしまいそうになる。

 

 みっちゃん『もういい。当日、覚悟してね』

 

 ×××

 

 一宮千手観音『お似合いだと思います』

 

「……」

 

 ……気にいらない。本当に気に入らない。適当というか、淡白というか……一体、誰のために選んでいると思っているのか。もしかして、近くなり過ぎてアイドルの水着とはいえそんな大袈裟に喜ばなくなったのだろうか? 

 ちょっと腹が立ったので、皮肉めいた返事を送って水着を選び始めた。彼のリアクションを見てから決めるのには、当日になって水着の自分を見てまた大量の出血を起こさないように……という狙いもあったのだが、そっちがその気ならもう知らない。

 黙って美琴は水着を選び始めた。

 

「美琴さん、美琴さん!」

 

 何も知らないにちかが、ニコニコした様子で駆け寄ってくる。

 

「美琴さんに似合いそうな水着、ありました!」

 

 本当は協力するつもりなんてなかったはずのにちかだが、自分の水着を褒められたこともあって完全にそれを忘れ、美琴に協力していた。

 

「ありがとう」

「い、いえいえ……」

 

 お礼を言うと、にちかは嬉しそうに頬を赤らめてはにかんだ。可愛い。

 さて、その持ってきてくれた水着だが……上下で色が違うタイプの水着だった。胸を隠すビキニは白で、後ろで結ぶ紐のみ緑、下半身は南国の葉を想起させる黒とグレーの変わった柄で、紐は同じように緑の水着だった。

 地味でもなければ派手でもない、綺麗な水着。そして極め付けは、半透明のグレーのパーカーもセットだったことだ。

 

「……良いかも」

「で、ですよね⁉︎ ……えへへ」

「着てみたい。借りるね」

「どうぞどうぞ。……よっしゃ。美琴さんとペアルック、ザマミロ青葉」

 

 後半、何を言っているのか聞こえなかったが、とにかく試着しに行った。とりあえず、私に塩対応をしたことを後悔しろ、なんて頭の中で思いながら、美琴は試着室に入った。

 

 ×××

 

「はぁ……」

 

 美琴に未読無視されてしまった青葉は、放心気味にスーパーで夕食の食材選びを終えて帰宅していた。

 なんか……もう生きる望みはない。長ったらしい感想を言った方が良かった、ということだろうか? いや、しかし直球で「えっちですね」なんて言えるはずがない……。

 でも……こんな風になるなら、言うだけ言ってみても良かったのかも……と、思いながら時計を見た。もう夕方。美琴は出掛けるから昼いらないと言って出て行ったが、夜はどうするのだろうか? 

 まぁ、一応その時に備えて帰っておこうかな……と、決めて、マンションには戻る。

 エレベーターで上がりながら、青葉はポケットの薄い紙袋を開いた。中には、美琴の写真が三枚入っている。

 

「……」

 

 ……うん、やっぱりファンなら思ったことを全部、言えば良かった。

 そんな風に後悔していると、エレベーターが到着した。そして、その前で美琴が待っていた。

 

「あれ、青葉……」

「っ……!」

 

 慌てて、手に持っていた写真を背中に隠す。大丈夫、ドアが開く前に隠したから見られていないはず。

 

「何処に行ってたの?」

「い、いえ……まぁちょっと散歩に……」

「ふーん……まぁ良いけど」

「……」

 

 少し気まずい……けど、こういうのは自分からだ。エレベーターを降りながら、美琴に声を掛けた。

 

「あ、あのっ……み、水着ほんとにお似合いでした!」

「……ふーん。まぁ、なんでも良いけど」

「うっ……」

 

 今更言っても遅かったようだ……というか、言葉をまとめてから言うべきだったか。こんな言葉、美琴は言われ慣れている。

 

「す……すいません……」

「別に、怒ってない。アイドルが身近にい過ぎて褒め言葉が淡白になられても、気にするほど子供じゃないし」

 

 めっちゃ気にしてるやん、というかやっぱり言うべきだった奴だこれ、と後悔する。

 

「いや、その……実を言うと、別にそんな隠したわけじゃ……」

「ていうか、今何隠したの?」

「……えっ?」

 

 ヤバっ、と青葉は狼狽える。隠したとこ見ていたか……いや、大丈夫。落ち着けば誤魔化せる……なんて思っている間に、美琴はエレベーターに乗り込んで来て、距離を詰めてくる。青葉は後退りし、背中を壁に強打した。

 

「ほ、ほんとに似合ってると思ったんです! 一枚目は少し派手とは思いましたが、みっちゃんの抜群のスタイルが前面に出てて……」

「いや、誤魔化されないから。見せて、それ」

「二枚目は、みっちゃんならではのクールさと活発さを活かしたボーイッシュな新しいイメージは俺の中でみっちゃんの新しい可能性を模索させ……」

「っ……い、良いから。だから誤魔化されないから」

 

 言いながら、美琴に手首を掴まれる。何故、誤魔化されないのか。やはり、アイドルに褒め殺しは無謀か……! 

 

「ちょっ、ほ、ホントこれはダメです! 勘弁して下さい……!」

「やだ」

「分かった、今日の晩御飯、なんでも作るから! 例えそれが人肉ハンバーグだとしても!」

「食べないしそんなの」

「か、カクテルも作ります! 飲めないならノンアルでも!」

「うるさ、い!」

「あぅ……!」

 

 強引に手を上に上げられ、手元から紙袋が舞い、中から写真がヒラヒラと舞い落ちる。

 

「? 何これ、写真?」

「……」

 

 拾った美琴が写真を見た直後、青葉は凍りついた。……流石にキモがられるかも、と……。

 

「い、いやあの……それは、違くて……」

「……」

「そ、そう! ファンとして、誰も持っていないみっちゃんグッズが欲しかったと言うか……決してストーカー的なアレではなくてですね……」

「……」

「そ、そう! 本当に似合ってたからつい形あるものにしておきたくて! だから、コレクションです、コレクション!」

「……」

 

 美琴はプルプルと肩を震わせている。流石にドン引きされたか……と、人生を諦めながらため息をついたときだ。

 

「…………目は?」

「え?」

「……三着目は?」

「……」

 

 写真を持ったままそう尋ねてくる美琴の顔は、真っ赤だった。意外にも。何故か青葉にとっては分かっていなかったが、美琴にしてみれば、さっきまでの誤魔化すようにほざいていた言い訳が全て本音である事、そしてそれだけの長文をあの短文にこめていた、という風に理解してしまった。実際、本音だし。

 流石の青葉も「あれ? これもしかして照れてる?」と思ってしまった。だが、許される……というか、そもそも勘違いだった事を解くチャンスだ。

 

「みっちゃんの清楚さ、清潔さ、そして清さの全てを色気と共にプレゼンした超時空シンデレラ。まるで天使がたまの休みに下界の海でバカンスを楽しむかのような装いでした」

「……そ、そっか……ちょっと表現が気持ち悪いな……」

 

 あ、今度は引かれた、と軽く死にたくなる中、美琴は少し頬が赤くなったまま青葉に顔を向けた。

 

「ごめんね。青葉、ちょっと態度、悪かったね」

「い、いえ……別に、気にしていませんよ。あの、それより……引いてませんか?」

「え、ああ……あのポエム?」

「褒め言葉のつもりだったんですが⁉︎」

「ふふ、冗談。……引いてなんかないよ。嬉しかった。……流石、私のこと大好きなだけあるね?」

「ぴょえっ⁉︎」

 

 なんでダメ元で恋してるの知ってんのー⁉︎ と思ったのも束の間、すぐに美琴はキョトンと小首を傾げて言う。

 

「あれ、違った? それとも、ファン辞めちゃった?」

「あ、あ〜……そ、そんな事は、東京ドームがある日突然、巨大メロンパンになるのと同じくらいありえないので……」

「くすっ……何それ?」

 

 そういう意味か、とほっと胸を撫で下ろす。バレてたら困る。

 その青葉の前で、美琴は写真を青葉に手渡して返した。

 

「はい」

「あ、ありがとうございます……」

「……でも、当日の水着はこれよりもっとすごいから……気をつけてね?」

「っ……は、はひ……」

 

 この天然タラシ……と、思っていると、美琴はエレベーターのボタンを押し、一階を選んだ。

 

「あ、そういえば何処行くんですか?」

「部屋ににちかちゃんがいるから、お菓子買ってこようと思って」

「じゃあ、うちにあるの食べます?」

「……良いの?」

「はい」

「じゃあ……みんなで食べよっか」

 

 そんなわけでお菓子パーティーが始まり、写真の現像がにちかにもばれて揉めた。

 

 



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勘違いは尾を引く。

 熱海と言えば、熱海温泉と言われてもおかしくない有名な観光スポット。それに伴い、温泉まんじゅうやら何やらと、日本の心とも言える和菓子がその近くで販売されている。

 それだけでなく、近くには海もあり、なんかもうここにいるだけでなんでもできそうな気がする。まぁ、真夏に温泉というのは割と季節外れ感はあるわけだが……。

 さて、そんな場所に、プロデューサーは何の因果かアイドルと一緒に行くことになってしまった。プライベートで。

 

「いや、まぁそれだけなら良いんだけど……」

 

 なんでも、にちかの幼馴染且つ美琴のプライベートの世話役と噂の青葉さんと言う方に会えるらしい。

 正直、気まずいが……まぁ、でも良い機会だ。別れ際……時間があったらアイドルにスカウトしてみたいものだ。

 そんな風に思いながら車を集合場所まで転がした。

 

「よし、着いた……」

 

 もう既に三人とも来ていた。緋田美琴と、七草にちか……そして、おそらくあのボーイッシュな服装にショートヘアで、中性的な顔立ちの女の子が青葉さんだろう。アイドルのプロデューサーをやってるだけあって、自分の目は誤魔化せない。あの服装は、男装に見えてボーイッシュな女の子用の服だ。

 ……こう言っては申し訳ないが、にちかより背が高いのに胸はなく、あまり色気もない。顔立ちは可愛くもあるのだが……西城樹里タイプだろうか? 

 あれで聞いた話だと面倒見が良く家庭的と言うのだから、人間は見た目じゃわからない生き物である。

 

「お待たせ」

 

 とりあえず声をかけると、三人とも顔をこちらに向けた。

 

「おはよう、プロデューサー」

「おはようございまーす」

「おはようございます。初めまして、一宮青葉です。にちかと美琴さんがお世話になっております」

 

 ものすごい保護者宣言を受けた気がした。この子、聞いてた通り変わっているかもしれない。

 

「ちょっとー、何その挨拶? あんたは私の何なの?」

「ご飯作ってあげて宿題写させてあげてたまに部屋の掃除も手伝ってあげる存在」

「り、立派な保護者だな……」

「ちーがーいーまーすー!」

 

 声は女の子にしては低いが……まぁ、こういう子も見たことあるし、無い話ではないだろう。

 

「まぁ……二日間よろしく」

「はい」

「じゃあ……早速行こうか」

 

 そんなわけで、車に乗り込んだ。まぁ、女性三人……しかも、一人は初対面とお出掛けは中々、ハードかもしれないが、温泉の間は男女別れるし、その時にゆっくりすれば良い。

 今日は久しぶりに羽を伸ばす……と、伸びをしながら車を開ける。

 

 乗り込もうとした直後だ。にちかが後ろから声をかけた。

 

「私、美琴さんの隣で良いですか?」

「はー⁉︎ テメェふざけんな! 俺だよ隣は!」

 

 えっ、とプロデューサーは声を漏らしかけた。なんか……思ってたタイプと違う声音が聞こえた。というか、今「俺」って言った? と。

 

「ふざけんなー! そもそも、誰のお陰で温泉に行けると思ってんの⁉︎」

「お前じゃねえだろ! みっちゃんだろ!」

 

 え? みっちゃん? と、小首をかしげる中、ケンカは続く。

 

「ここはお前普段の借りを返すとこだろうが! どんだけ宿題見せてやったと思ってんだ⁉︎」

「過去の話をいつまでも引きずんないでくれる⁉︎」

「そうやって過去の話を振り返ることをしねえからいつまで経っても成長しねえんだろタコ!」

「過去にこだわっていつまでもウジウジしてるから高一にもなってファーストキスもまだなんでしょバカ!」

「お前に言われたくねえわああああああ‼︎」

 

 なんて喧嘩が始まった。なんか……俺っ娘だし、口は荒いし、割と子供っぽいし……樹里の妹、と言った方がまだ頷ける。

 すると、その二人の間に美琴が入った。

 

「じゃあ……私が助手席に行くね。それなら良いでしょ?」

「「……」」

「じゃ、行こっか」

 

 とのことで、美琴が助手席に乗り、出発した。

 

 ×××

 

 高速道路に乗り込み、青葉はにちかと大人しく後部座席で待機する。なんか一ヶ月半くらい前に腰を痛めたらしいプロデューサーだが、普通に運転してくれていた。お礼をしなければならない。

 さて、運転を始めてからプロデューサーが曲を流してイントロクイズが始まったわけだが……。

 

「二人とも最初の1秒で当てるのやめろよ……」

「「美琴さんの曲を流す方が悪い」」

 

 283事務所に来る前の曲が流れるが、二人とも秒殺だった。ちなみに来た後の曲を流されても瞬殺である。

 

「ふふ……二人とも、流石だね」

「にちかのアホには負けられませんから」

「は? こっちのセリフだから」

「ちょっとクイズにするのは無理あったな……普通にうちの事務所の子達の曲流そうか。聞きたいユニットとかいる?」

「SHHis」

「え、いややめてよ。普通に恥ずかしいから……」

「にちかの恥とか知らんわ。SHHisで」

「やめて下さいよ、プロデューサーさん」

「じ、じゃあ……とりあえず、イルミネから流すか」

「ええっ⁉︎」

「よしっ……!」

 

 SHHisの曲が聞きたかったが……まぁ、まだデビュー間もないしそんなに曲も多いわけではないので、仕方ないと言えば仕方ない。

 そのまま歌が始まる。それをのんびり聞きながら、青葉は窓の外を眺めた。

 

「向こうに着く頃にはお昼過ぎるんだけど……何か食べたいものはあるか?」

「あ、それなら俺、お昼作って来ましたよ。お弁当」

「え……わ、わざわざ?」

「? はい。もしかしたら現地で食べることもあるかもって思って、少なめにしときましたけど」

「ふふ……流石」

 

 美琴が嬉しそうに微笑んでくれる。余計なお世話かな〜……と、少し不安だったが、正解のようだ。

 

「何作ってくれたんだ?」

 

 プロデューサーに聞かれた。

 

「回鍋肉弁当です」

「え、それ割と量……」

「使い捨ての容器に入れて来たんで、小さいですよ。その場で捨てられますし、弁当箱もかさばりません。勿論、箸も割り箸です。食べるところにゴミ箱がなかった時のために袋も持ってきたので、その時は俺に渡して下さい」

「……なるほど、これがギャップ萌えか」

 

 このオッサン、今酷いこと言わなかった? と、青葉は軽く眉間に皺を寄せる。

 けどまぁ、美琴のプロデューサーだし、噛みついたりはしないが。

 

「回鍋肉かぁ……私も食べたことないかな」

「青葉の回鍋肉、美味しいですよ。青葉が作った料理で美味しくなかったのは……砂糖と塩を間違えたチョコくらいですし」

「お前がすり替えたんだろうが! 自分より美味いチョコを作られるの腹立つからって!」

「なんの話ー?」

「よしわかった! ぶっ飛ばす!」

「コラ、二人とも暴れない」

 

 美琴に止められ、大人しくなる。しかし、本当ににちかにはムカつくものだった。

 

「つーかお前、夏休みの宿題やったのかよ」

「……自由研究なんだけど……共同にしない?」

「大学の卒業研究じゃねーからこれ。無理だわ」

「じゃあ写させて!」

「とかほざいてますよ、プロデューサーさん」

「……今度、事務所の学生で補習でもするか……」

「青葉! 余計なこと……!」

「私は学生じゃないから関係ないよね?」

「じゃあ俺と出掛けましょう!」

「良いね」

「ダメ!」

 

 なんて騒がしくなりながら、車は目的地に向かっていった。

 

 ×××

 

 パーキングエリアに停まった。本来なら止まる予定ではなかったが、まぁそういう場合にここは止まる理由なんて多くない。

 

「…………酔った……」

「雑魚」

「黙り散らせ……」

 

 にちかにそう言いつつも、その口調に覇気はない。思わず美琴は心配になってしまった。

 

「だ……大丈夫?」

「大丈夫ですよ、美琴さん。こいつ、三回に一回は車酔いしますから、いつもの事です」

「この前の林間学校は平気だったの?」

「は、はい……なんか、奇跡的に」

「三分の二を引き当てただけだから、奇跡でもなんでもないでしょ」

 

 にちかが余計な口を挟むが、反論の気力もなかった。ヘロヘロの様子で車から降りると、美琴が青葉の身体を横から支えた。

 

「平気?」

「うっ……す、すみません……」

「美琴さん、そいつほっといても平気ですよ。しょっちゅう酔ってるから、ほっとけば治るので」

「そんなわけにいかないよ」

 

 ……正直、甘えておきたいが、それは少しカッコ悪い。だから、格好つけておきたい。

 

「い、いえ……みっちゃんもお手洗いとか、すませてください。俺は少し休めば平気ですから……」

「でも……」

「まぁ、そんなに心配してくださるのなら……」

 

 と、すぐに手のひらを返そうとしたときだ。

 

「じゃあ、俺がついてるから、美琴とにちかは休んで来な。10分後に……あそこのベンチに集合。それで良いか?」

「……」

「……」

 

 プロデューサーのセリフに、青葉は黙り込んでしまう。確かにそれなら全部丸く収まるが……いや、全然残念じゃない。今更「やっぱりみっちゃんが良いです」なんて言えないし、仕方ない。

 

「お、俺はそれで良いですよ……」

「……ふーん」

「え?」

「私もそれで良いけど」

「そうか。じゃあ、にちか。美琴と一緒に見てきな」

「は、はい……!」

 

 そのままにちかは美琴の手を引いて、まずはトイレに向かってしまう。少し、美琴が心配そうな表情で自分を見ていた気がしたが……気の所為だろうか? 

 青葉はプロデューサーがサービスエリアの脇にあるベンチに連れて行き、休ませてくれる。

 

「ふぅ……大丈夫?」

「は、はい……」

 

 いや、ホント別に全然、残念なんかじゃない。プロデューサーがいるし、こうなるのは必然である。

 

「もし、良かったらなんだけど……」

「はい?」

 

 そのまましばらく、青葉はプロデューサーと二人で待機し続けた。

 少し……むずむずしたまま。

 

 ×××

 

 お手洗いを終えて、ハンカチで手を拭きながら美琴は一息つく。青葉……なんか、弱々しい子だな、と思わないでもないが……せっかくなら、自分が面倒を見たかった。何せ、普段は自分が甘えることが多いのだから。

 そんな風に思いながら、サービスエリアから外を眺める。山の中にあるからか、立体的な緑が広がっている。

 

「……」

 

 綺麗だな、なんて思ってみたり。今まで仕事で、こういうサービスエリアに来ることもあったが、トイレだけ借りて車の中で自分のダンスやユニットメンバーの動画を見ているだけだったので気が付かなかった。

 ……チケットをくれたあさひには感謝しないといけないが……そもそも、以前までの自分ではこういうのに参加することはなかっただろう。旅行なんて、している暇があったらレッスンに費やしていた。

 そう言う意味では、割とのんびりした空気の283事務所の子達とプロデューサーや、たまに面白いことや鋭いことを言ってくれるにちか、そして色々な楽しみを教えてくれた青葉には感謝した方が良いかもしれない。

 

「……」

 

 だからこそ……青葉の助けになりたい、と言うのはあったが……と、思いながらベンチの方を見ると、青葉の隣でプロデューサーが何か話していた。

 あれ……よく考えると、この二日間、撫でてもらうタイミングなんてないのでは……? 

 そう思うと、撫でて欲しい欲が一気に流れ出るのだから困ったものだ。

 いや待て、まだにちかは出て来ていない。今がチャンスだ。

 

「プロデューサー」

「? あ、美琴。もう良いのか?」

「うん。私が青葉についてるから、トイレ行ってきたら?」

「あー……じゃあ、頼む」

「了解」

 

 よし、うまくいった。プロデューサーがトイレに行ったのを見て、美琴は青葉の隣に座る。

 

「青葉、大丈夫?」

「は、はい……最悪よりはマシになってきました……」

「じゃあ、頭撫でて」

「……」

 

 青葉の視線が少しだけ呆れたものになる。が、美琴は見逃していない。その割に、ちょっとだけ嬉しそうに頬を赤らめているのも。

 

「……しゃあないですね」

「……」

 

 なんだろう、その言種。なんやかんや自分だって撫でても悪くなさそうなくせに。なんで美琴だけが撫でて欲しくて仕方ない甘えん坊、みたいな扱いを受けないといけないのか。

 

「……別に、撫でたくないなら撫でなくても良いけど?」

「うっ……そ、そういうこと……」

「ふふ、どうする?」

 

 かわいい。唸ってる……というか、迷ってる。とはいえ、これで変に拗れたら撫でてもらえなくなるし、それでは本末転倒だ。

 

「ちなみに、私は撫でてほしいな……」

「っ……」

「青葉は?」

 

 聞くと、青葉はまた頬を赤らめる。言うか言うまいか悩んでいるのだろう。……が、やがて青葉は諦めたように顔を真っ赤にしたままため息をついた。

 

「はぁ……俺も、撫でたいです……」

「うん。じゃ、よろしく」

 

 そう言って美琴は青葉が撫でやすいように頭を下げた。その美琴の頭に、青葉が手を伸ばしかけた直後だ。

 

「あ、いた! 美琴さん!」

 

 後ろから声を投げかけられ、二人ともビクッと背筋を伸ばして離れた。にちかがこちらへ駆け寄ってきていた。

 二人の姿が目に入るなり、烈火の如くブチギレる。

 

「青葉ああああ! なに、美琴さん占領してんの⁉︎ パンチするよ!」

「っ、や、やってみろやコラ! こちとら病人だぞ⁉︎」

「酔った程度で病人扱いとか恥ずかしくないわけ? 大体、もう顔色良くなってきてるじゃん!」

 

 顔色が赤く戻っているのは全く別の要因なわけだが、実際元気にはなっているので言い訳は立たない。

 

「ほら、中見に行きましょう美琴さん! 車酔いの人は置いて!」

「え、で、でも……」

「あれだけ元気になってたら放っておいても大丈夫ですから!」

 

 そのまま流されるまま、美琴は連れて行かれてしまった。美琴の頭と青葉の手には、撫でられ損ねた……あるいは撫で損ねたと言う感覚なき感触だけが残った。

 

 ×××

 

 さて、再び車に乗った。青葉がぼやぼやしている間に、にちかが美琴の残り香を堪能するとか言って助手席に座った。

 従って、後ろの席には青葉と美琴が座っている。もどかしかった、手を伸ばせば撫でられる距離なのに、お互いに何も言えない感じが。

 そんな二人はさておき、そのままサクサク進んでお昼時になった。ビニールシートを敷いて飯にする。

 

「どうぞ。お弁当です」

「おお……え、どこで買ってきたの?」

「いや自作ですけど……」

「プロデューサーさん、これくらい青葉は当たり前ですよ」

「うん。手が込んでる」

 

 そう、まぁ当たり前と言えば当たり前なのだが……作らない連中が何を抜かすか、と。

 とりあえずスルーして、公園を眺めた。

 

「しかし、良い景色の場所ですねー」

「うん。そうだね」

「こんなところで回鍋肉弁当……贅沢だな……」

「私は冷たいものがよかったけどねー。暑いし」

「よし、お前だけ氷でも食ってろ」

「あーうそうそ!」

 

 なんて話しながら、食事をする。

 

「おお、おいしい」

「当たり前ですよ。俺が作ったものですし」

「じ、自信満々なんだね……」

「俺、実力がある癖に謙虚なフリとか無自覚とか嫌いなんですよね」

「うん。私も青葉のご飯がないと生きていけない程度には好きだから、自信持って良いよ」

「え、いやいやそんなそんなみっちゃんを完全に満足させるにはまだまだ精進が足りないと言うか、俺みたいな半人前が……」

「青葉、キモい」

「んだとにちかコラァッ!」

「いや今のブーメランは怖すぎるだろ……」

 

 プロデューサーもドン引きしてしまった。言ってから自分でもおかしいとは思ったが……まぁ、仕方ない。

 そのまま食事を続け、食べ終えた。ゴミ箱はなかったので、青葉がそれらのゴミを袋に入れて回収する。その袋を、プロデューサーが預かった。

 

「それもらうよ」

「え、いやいいっすよ」

「いいから、年下の子にゴミ持たせるほど、男として落ちぶれてないよ」

「? は、はあ……」

 

 や、自分が女ならともかく、男でそんな扱いを受けても困るのだが……まぁ、良いか、と頷いておく。

 

「ありがとうございます?」

「この後はどうするか?」

「少し、身体を動かさない? 青葉の運動、今朝はしてないし」

「えっ……お、俺お腹の具合が」

「いや青葉が作った弁当でそれは無理あるでしょ……」

「にちか、お前こういう時に限って褒め言葉使うのやめてくれる?」

 

 やばい、と青葉は狼狽える。やだ、走りたくない。普段の、早朝という比較的涼しい時間のトレーニングならともかく、真夏のバッキバキの日が昇っている真っ昼間は地獄だ。

 

「熱中症が怖いので嫌です!」

「青葉」

 

 その青葉に、美琴が声を掛ける。そして、にこりと微笑んだ。

 

「みんなで遊ぼう?」

「……はい」

「はい、決まり」

 

 そのまま、青葉は巻き込まれるように、運動に付き合わされた。

 

 ×××

 

 さて、ようやく公園を出て、目的地に到着した。先に、まずはホテルから。借りたのは二部屋。

 

「では、401号室と、402号室ですね。お出かけの際は、鍵をフロントにお戻し下さい。……では、ごゆっくりお過ごしください」

 

 と、お馴染みの台詞を聞いて、四人は荷物を持って部屋に向かう。エレベーターを待っている間、青葉は少し冷や汗をかいていた。

 正直……部屋が一番、気まずい感じはある。何せ、普通に考えて男女別れて二部屋だから。つまり、知らないおじさんといきなり一泊になるわけだ。

 でも、まぁ初対面の人と関わるのは初めてじゃないし、たまには落ち着いた空気で美琴やにちかについて語り合うのも悪くない。

 そんなことを考えながら、4階に到着した。

 

「三人とも、海は何時から行こうか?」

「早めに行かないと、もう日が沈んじゃいますよ?」

 

 現在、13時45分。メインは温泉とはいえ、夕方から行っても意味がない。

 

「じゃあ、部屋に入ったらすぐ?」

「そうですね」

 

 との事で、男女別れることにした。青葉はプロデューサーと一緒に部屋に入る。ここ最近、男性と一緒にいるのはバイト以外では久しぶりだ。

 

「ふぅ〜……どうしようかな。下半身、もう水着着ていっちゃおうか……」

「あ、良いすねそれ。楽だし」

「そうしちゃおうか……って、い、一宮さん⁉︎ なんでこっちきてんの⁉︎」

「え……なんでって……」

 

 確かに隣に住んでてもしょっちゅう出入りしているとはいえ、同じ部屋で寝るわけには行かない。

 

「ダメだって! 年端も行かない子が成人男性と一緒の部屋なんて!」

「え……」

 

 な、なんで? と、小首を傾げる。別にそんなこと気にしなくても良いだろうに……。

 

「え、別に良くないですか?」

「良くないよ! アイドルだからって遠慮してる? 気にすることないから、二人の部屋入っておいで」

「え、いやアイドルとか関係なくて……」

「とにかく、ダメだから! ……まったく、ボーイッシュにも程があるよ」

 

 背中を押され、追い出されてしまった。え、何がダメだったんだろうか……? もしかして、あの人も人見知りとか? 

 よくよく考えたらあんまりプロデューサーのこと知らないし……まぁとりあえず、美琴やにちかの部屋に入って、あの人のことをよく聞いてからでも良いかもしれない。

 そう決めて、隣の部屋の扉を開けた。

 

「すみませ……あっ」

「えっ」

「は?」

 

 扉を開けると、美琴が着替え中だった。こちらに背中を向けたままズボンを脱いでいて、上着の裾のお陰で下着こそ見えなかったものの、それでも本来、布がある領域の太ももが見えていたので、普通にえっちだ。

 

「死ね覗き魔!」

「グハッ……!」

 

 にちかのスーツケース投擲によって、部屋から追い出された。

 バタン! と、勢いよく扉は閉められ、青葉は部屋の前で大の字に寝転がる。

 ……まぁ、今のはノックしなかった自分が悪い、と反省し、とりあえずチェインに「着替えが終わったら連絡ください」とだけ送って待機した。

 一瞬だけ自決を考えたが、そういうのはやめろって前に美琴に言われたし、グッと堪える。

 しかし……もう着替え始めてるあたり、プロデューサーと同じで水着に着替えていくつもりなのだろうか? もしかしたら、メチャクチャ海を楽しみにしてるのかも……と、思うとなんか激烈に可愛く思えてきてしまったが、今はそれよりも謝罪することを考えて、とりあえず待った。

 さて、10分後ほど。チェインが来たのか、スマホが震えた。画面を見ると「良いよ」の文字。

 今度はノックをした上で「どうぞ」の声を待ち、慎重に扉を開けると、にちかが腕を組んで待っていた。

 

「殺す前に聞いてあげる。何?」

「いや、まずはみっちゃんに謝らせてくれませんか……?」

「……ん」

 

 言われるがまま部屋の中に入る。さっきまでの私服に着替え終えていた美琴が、ちょっとだけ頬を赤らめた様子で待っていた。

 

「あ……青葉……」

「す、すみませんでした……みっちゃん。まさか……あんなに早く着替えてると、思わなくて……」

「ううん、気にしないで」

「……」

 

 ……ちょっとしか顔を赤くしていないあたり、自分が男として見られていないことを実感し、少しだけ複雑だったり。

 それでも気にしないようにして、青葉はちらりとにちかを見た。

 何を問いかけているのかすぐに分かった様子で、にちかは不満げながらも答えてくれた。

 

「……ま、美琴さんがそう言うなら、許してあげる」

「……ごめん」

「で、どうしたの? ていうか、なんで荷物ごと持って来たの?」

 

 美琴に言われ、青葉はポリポリと頬をかきながら答えた。

 

「あー……その、プロデューサーが『年端も行かない子が、俺と一緒の部屋はダメだ』って……」

「え……」

「は? ドユコト?」

「俺だってわかんねーよ」

 

 にちかの疑問に、青葉は困った様子で答える。

 

「で、二人は何か知らないかなーと思ってきたんですけど……」

「いや、私も分からないよ。そもそも、事務所を移したの私だって最近なんだから」

「私も知らない。美琴さんより期間短いし」

 

 そうか、そういえばそうだった、と納得してしまった。しかし……それなら困った。まさか同じ部屋で寝るわけにもいかない。自分ならともかく、美琴に悪い噂が立つのは嫌だから。

 すると、美琴が立ち上がって言った。

 

「私、話してこようか?」

「……良いんですか?」

「青葉が入ったら追い出されちゃうでしょ? 一応、大人だし、私が話すよ」

「待ってください、美琴さん!」

「?」

 

 急ににちかが止める。「何?」と、美琴だけでなく青葉も同じように振り返ると、にちかは「まさか……!」と言わんばかりの表情になったまま、恐る恐る口を開く。

 

「もしかして、プロデューサーさんって……ゲイなんじゃ……」

「「!」」

 

 言われて、青葉と美琴は目を見開いた。確かに、ない話ではない。今まで同性愛者に会ったことがなかったから驚いてしまったが、あのプロデューサーはやたらと理性的だし、アイドル達の水着を見ても照れない。

 

「……そっか。じゃあ、二部屋じゃ足りなかったかも……」

「今から新しい部屋は取れないですよ?」

「そうだね……どうしようか」

 

 三人とも腕を組んだり、顎に手を当てて真剣に悩む。そんな中、美琴がふとスマホを見下ろした。

 

「あ……時間ないかも」

「そうですね……青葉、とりあえず着替えちゃって、荷物もここに置いて先に遊びに行こっか」

「あ、ああ……分かった」

 

 そうだ、今はとりあえず楽しまないと損だ。

 

「じゃあ……すみません。お手洗い借りますね」

「うん」

 

 自分の粗末なものを見せるわけにも行かないので、個室で着替えた。

 

 



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スタミナは歳を取ることに減っていく。

 さて、海である。夏のビーチというものは、本当に暑いがワクワクする場所だ。

 理由は青葉にもわからない。泳げないし。けど、海に来て遊べる、だから青葉はウキウキだった。何より楽しみなのは、美琴の水着。ファンとしてこんな良い思いしてしまって良いのだろうか? と不安になる程だ。

 さて、ホテルで着替えを終えたので、車の中で着替えるような真似はすることなく、四人でビーチに出る。

 

「おおー! 海めっちゃキレー!」

「ふふ、ほんとだね」

 

 女子二人の感嘆の声を聞きながら、パーカーを着たままの青葉は同じくパーカーを着ているプロデューサーとビニールシートを敷いた。その上に荷物を置き、とりあえず青葉は腰を下ろそうとした……が、その青葉の腕を美琴が引く。

 

「ほら、青葉も見たら?」

「あっ……は、はい……!」

 

 気に掛けてくれるのは嬉しいが、あまりはしゃがないで欲しい。撫でたくなっちゃう。

 でもまぁ、確かに綺麗だ。透き通るような青が広がっていて、少し潜るだけで魚が見えそうなものだ。まぁ潜ったら溺れちゃうので潜らないが。

 

「美琴さん、泳ぎましょう!」

 

 そう言ったのはにちか。上着とスカートを青葉の方へ脱ぎ捨てて、水着姿になった。

 それをキャッチして、青葉は綺麗に畳んでにちかがいつの間にかシートの上に置いた荷物の上に重ねた。

 

「ふふ、そうだね。行こっか」

 

 そう言うと、美琴は上に来ていたカーディガンのボタンを外した。青葉の目に入ったのは……薄い透けるような生地のパーカーの下から、うっすらと見えるビキニ。

 何より、目前で解放されたことにより、青葉のキャパはオーバーヒートした。

 

「ふふ……どう、かな。青葉?」

 

 薄らと赤らめる頬。自信があるように見えて、照れているのもすぐに理解できた。

 言わないと、何か褒め言葉を。で、でも……写真と違って、目の前に実物があるインパクトは……もはや無限大。

 

「っ……!」

「青葉、鼻血でも吐血でも良いけど、まず言うことがあるんじゃないの?」

 

 なんかすっごい薄情なセリフに聞こえるが、それは裏を返せばそこまでして自分に褒められたいということだろう。

 言いたいことはたくさんある。呆れるほど。だが、そんな時間はないし……何より、美琴にはこの一言で伝わるだろう。

 そう思い、薄れゆく意識と、鼻から溢れ出る血を無視して、言い放った。

 

「お似合いです……」

「ふふ、ありがとう。じゃ、おやすみ」

「おやすみなさい……」

 

 失神した。

 

 ×××

 

 目を覚ましたのは、それから僅か20分後くらい。身体を起こすと、隣にいるのはプロデューサー。

 

「起きた?」

「あ、はい……」

「えーっと……大丈夫?」

「大丈夫です……良いもの見れただけですので」

「う、うん……」

 

 そう言いながら、青葉は身体を起こす。目の前には広く青い海が透き通るように広がっている。

 泳げる人にとっては、なんかもう軽く深いところまで潜って息が続くまで潜水でもするのだろうが、残念ながら青葉にはそれも叶わない。

 

「ん……しょっ、と」

「……行かないの?」

「行きません。遠くから見てれば満足するので」

 

 そう言いながら、海辺ではしゃぐにちかと美琴を眺める。にちかはまぁいつも通りだが、美琴が割と楽しそうにしているのがちょっと意外だったり。なんか、本当にはしゃいでいるように見える。

 ……まぁ、中学の時に地元から出てきて、それからずっとストイックに頑張って来たから、こんな風に遊んだことはあまりないのかもしれない。

 

「本当か? 気を遣ってないか?」

「大丈夫です」

 

 というか、本音を言うと普通に恥ずかしいから。裸を見られるのが。

 美琴と毎朝トレーニングしてるとはいえ、まだまだガリガリで貧弱な身体だから。……特に、美琴どころかにちかにも筋肉で劣ってるとかカッコ悪い。

 まぁ、ぶっちゃけにちかと二人なら遊んじゃうけど。美琴にそのカッコ悪いとこを見せたくないから。

 すると、その目を覚ました青葉に気が付いた美琴がこちらへ駆け寄ってきた。その、引き締まった抜群のスタイルの美琴が……水着のままこちらへ。

 

「っ……プロデューサーさん」

「何?」

「俺を殴って下さい」

「え」

「煩悩を打ち払う為に。早く!」

「いやいやいや、そんなこと出来ないでしょ!」

「分かりました、じゃあ蹴ってください!」

「もっと出来るか!」

 

 なんてやってると、美琴はいよいよ青葉の目の前に来てしまった。その青葉の前で、膝に手を置いて屈んでくる。

 

「起きたんだ。青葉」

 

 声をかけられても、頭の中に入らない。気になるのは割と近くにある美琴の綺麗なお顔と、その下の布地が少なく多い肌、そして……胸の谷間。

 その美琴は「もう一回、気絶したし平気でしょ?」と言わんばかりに手を伸ばしてくる。

 

「じゃあ、遊ぼっか?」

「っ……〜〜〜っ!」

 

 また鼻から出血しそうになる。……が、美琴はそんなの気にしない。青葉の腕を引き上げて、強引に立たせる。

 

「ほら、おいで」

「い、いいです! 俺ここで荷物見てます!」

「それは俺がやっとくよ」

「だって」

「テメェ余計なことほざいてんじゃねーよブッ殺すぞ⁉︎」

「え……い、一宮さん?」

 

 早くしろ! 私を殺したいのか⁉︎ と叫ぶ二番隊隊長の気分だった。

 

「青葉、立って」

「は、はい……」

「もしかして、まだ照れてる?」

「もしかしなくてもわかるでしょ……目の前に理想の女性が水着でいるんですよ?」

 

 今、頑張って鼻血が出ないように頭の中で過去に見たホラー映画の怖かった部分ハイライトで流して堪えている……と、言おうとした時だ。

 何故か、美琴は頬を赤らめていた。ちょっと驚いたように目を丸くして青葉を眺めた後、困ったように目を逸らす。

 

「あ……ありがと……」

「みっちゃん? 顔赤いですよ?」

「っ、そ、そう……?」

 

 もしかして……熱中症だろうか? と、青葉の世話焼きな面が顔を出し始めた。

 

「みっちゃん、大丈夫ですか? 頭とかクラクラしていませんか?」

「えっ……し、してないけど……」

「無理はしないでくださいね。この炎天下の中、遊び続けて熱中症でぶっ倒れた人も少なくないんですから。これ、スポドリです。保冷バッグに入れておきました」

「う、うん。ありがと……」

「あとこれ、はい。塩分チャージと……あと、みっちゃんが食べたいって言ってたレモンの蜂蜜漬けもありますよ。大丈夫です、ちゃんと3日前から漬け込んでおきましたので」

 

 と、とにかく労う。けど、美琴は「とりあえず」と言うように青葉の肩に手を置く。

 

「大丈夫だから、落ち着いて。青葉」

「落ち着いてますよ?」

「うん。じゃあ、そんな心配しないで。ちょっと……ストレートに『理想』って言われたから、気恥ずかしかっただけだよ」

「そ、そうですか……え、みっちゃんが?」

「私をなんだと思ってるのかな?」

 

 あ、地雷踏んだのかも、と思い、押し黙る。

 そんなやり取りを眺めながら、プロデューサーはいつの間にか隣に座っていたにちかに声を掛けた。

 

「……えっ、ホントの姉妹か何か?」

「それを言うなら、下僕とお姫様です。不愉快な比喩はやめて下さい」

「お、おう……」

 

 思った以上に冷たい反応が返ってきて少しヒヨるプロデューサーを無視して、美琴は青葉の手を取った。

 

「それより、泳ごうよ」

 

 正直……誘ってもらえるのはありがたいし嬉しい。でも……ダメなのだ。泳げないのだから。浅瀬で水をパチャパチャやるしかない。

 そういうので楽しめると思わないし、とりあえず断るしかないのだが……まぁ、泳げないとかダサい所は知られたくないし、別の理由を言った方が良い。

 

「え……いや、いいです。にちかと遊んだ方が楽しいと思いますし」

「そんな事ないよ。泳げても泳げなくても関係ないよ」

「ぶふぉっ! な、なんで……」

「にちかちゃんから聞いた」

「テメェええええ‼︎」

「いや高校生にもなって泳げない方が悪いから」

 

 このやろっ……と、奥歯を噛み締める中、美琴が強引に青葉の腕を引いた。

 

「ほら、行こう?」

「いや……俺は」

「上着も脱いで」

「ちょっ、みっちゃん……!」

 

 強引に美琴は青葉の上着を脱がせてくる。あ、やばい。好きな人に服脱がされるのって割と悪くな……いや、そんな場合じゃなくて! 

 

「は、恥ずかしいから……!」

「大丈夫、ちょっとヒョロヒョロでお腹が柔らかいだけでしょ?」

「それが恥ずかしい……ってか、わざと言ったでしょ今!」

「うん」

「っ……」

 

 この人……なんか珍しく今日は意地が悪い……と、思っていながらも、上半身が露わになる。普通に気恥ずかしい……とか思ってるときだった。

 

「え……男?」

「は?」

 

 プロデューサーから声が聞こえる。なんだろう、今のリアクション。まるで、女と思っていた人が男だったーみたいな……。

 

「え……いや、なんでもない」

「あ、もしかしてプロデューサー、青葉のこと女の子だと思ってた奴ですかー?」

「……」

「え……嘘」

「は?」

 

 にちかが茶化すように言った直後、プロデューサーが黙り込み、青葉が眉間にシワを寄せる。

 

「……もしかして、部屋追い出したりとかしたのって……」

「……違うよ? 全然、旅行が終わったらスカウトしようとか思ってなかったよ?」

「分かった。殺すわ。真夏の熱海温泉殺人事件だわ」

「いやだって! 二人から名前と性格しか言わなかったから! 料理上手で世話焼きで家庭的って聞いたら女の子にしか聞こえないだろ!」

「……確かに! なんで性別言わなかったんだよにちかァッ⁉︎」

「いや、勘違いしてるなんて……ぷふっ、思わなかったし……!」

「よーし殺す!」

 

 なんなんだこの事務所は! 服装見れば男だってわかるだろ! と憤慨しながらにちかに襲い掛かろうとしたが、後ろから腕を掴まれる。

 

「ほら、良いから。行こ?」

「で、でもみっちゃん! こいつら……!」

「時間、勿体無いから。青葉、ただでさえ寝てたし」

「っ……わ、分かりましたよ……」

 

 後で覚えとけ、的な視線を向けて、にちかとプロデューサーの前から立ち去った。

 

「……美琴さん、俺そんなに男に見えないですか」

「明日は明日の風が吹く」

「全然意味違います。難しい言葉使おうとしないで良いですよ」

「……ごめん」

「いえ、俺の方こそ……」

 

 思わず毒を漏らしてしまうと、美琴に謝られてしまったので、青葉も謝った。いけないいけない、こんな風に八つ当たりをしてしまっては。

 せっかく、美琴が楽しませようとしてくれているのだ。こっちも切り替えなくては。

 さて、そんなわけで海に浸かる。波が足元までざざぁっ……と打ち上げられ、サンダル越しに指先に触れる。

 冷たい……そして、やはり綺麗だ。足の爪がしっかりと見えている。

 

「青葉、せっかくだし……泳ぎの練習とかしてみる?」

「え、いや……」

「泳げた方が、もしもの時良いでしょ? 来年もし、一緒に海に行くようなことがあったら、もっと楽しめるかもよ?」

「っ……じ、じゃあ……」

 

 まぁ、目上の方に「教えてあげるよ?」なんて言われてしまえば、お言葉に甘えるしかない。

 ……とはいえ、やはり青葉も少し緊張はしてしまうが。美琴と至近距離もそうだが、溺れたらどうしようと言う意識が強く働いてしまう。

 それを見透かしてか、クスッと笑みをこぼした美琴が青葉の両肩に手を置いた。

 

「大丈夫、私がついてるから」

「料理もしない人に言われましても……」

「分かった。見捨てるね」

「う、うそです!」

 

 そのまま二人で手を繋いで少しだけ深い所に行く。

 

「じゃあ、まずは潜ってみよっか」

「ええ……しょっぱいから……」

「飲め、なんて言ってないでしょ。潜ってみないとだよ。泳ぐには顔水につけるしかないんだから」

「……はぁ、わかりました」

「大丈夫。私も一緒に潜るから」

 

 深呼吸をしてから、青葉は顔を海面に向ける。目を開けるのはまだ怖いので、目を閉じたまま……と、思っていたが、目に入ったのは前に立っている美琴の足。透き通るほど綺麗な水なだけあって、ばっちりと御御足が見えてしまう。

 目が離せない。とても、自分が寝ている間もにちかと遊んでいたとは思えないくらい綺麗な脚。

 目を逸らさなくなったまま腰を下ろして、顔を近づけていく。そのまま水面に顔を付けることができたが、青葉はただただ水の中で美琴の脚を見ていた。

 水も滴る良い男、と言うが、それは違う。水も滴る良い美琴、である。や、水に触れずとも美琴は綺麗だが。

 とにかく、砕け散っても良いほど綺麗……なんて思ってる時だ。ドボンっ、とその足が膝を軸に曲がって、美琴の綺麗な顔が目の前に現れた。

 綺麗……なんて言ってる場合じゃない。その視線はとってもジト目だったからだ。完全に足を見ていたことがバレている。

 

「……」

「……」

 

 ヤバい、と目を逸らしながら、青葉は顔を水面から出す。だが、ほぼ動きをシンクロさせて美琴も顔を出した。

 

「……えっち」

「うぐっ……」

「そう言う所は男の人っぽいんだ」

「す……スミマセン……」

 

 考えてみれば、美琴は自分と同い年くらいの時には、既に芸能界にいたのだ。その手の視線に敏感で当然である。

 肩を落としてしまっていると、美琴がポツリと呟くように言った。

 

「まぁ……青葉になら、見られても良いケド……」

「え……?」

 

 なんで? と思って視線を戻すと、美琴は頬を赤らめて目を逸らしてしまっている。

 この人、もしかして……自分に性的な目で見られても良いと思ってるほど、自分を男として見ていない、ということだろうか? 

 

「……はぁ」

「え……な、なんでため息つくの?」

「いえ、別に……」

 

 なんか……叶わない恋と知っていても結構、キツい。少し死にたくなっていると、美琴が青葉に頭をかがめた。

 

「ま、まぁまぁ……私の頭でも撫でて、落ち着いたら?」

「……それは撫でられたいだけでしょ……」

「嫌?」

「……少し目を閉じてください」

 

 まぁとりあえず……なるべく人目につかないようにさりげなく手早く撫でよう……と、思った時だ。

 

「はい、そろそろダメでーす」

「ぐふぉっ……!」

 

 にちかが混ざってきて、その後は三人で暴れた。

 

 ×××

 

 さて、途中で荷物番を青葉とチェンジし、プロデューサーも一緒にエンジョイした。

 夕方になって来たので、とりあえず順番でシャワーと着替え。シャワーは当たり前だが、男女別。先に女子がシャワーを終えて車で着替えた後、今度は荷物を見ていた男子が終わらせる。

 

「この後、どうする?」

「ここに来るまでに結構、面白そうなお店とかあったし、車戻してから食べ歩きとかしませんか?」

「良いね」

 

 にちかの案で、一度ホテルに戻る……のだが、割とやるべきことが多かった。荷物を部屋に戻して、水着を干したりと色々。

 つまり、部屋で少しまったりする時間が増えてしまったわけだが、そうなると当然、体力がない奴は……。

 

「……俺、部屋で待ってます。疲れたんで……」

「ええー……」

 

 プロデューサーが困ったような声を漏らす。体力の限界が来たようだ。

 

「ほら、行かないと。美琴もにちかも待ってるぞ?」

「にちかはどうでも良いし……疲れちゃったので……」

「はぁ……」

 

 とにかく無理。流石に疲れた。もう寝たいくらいだ。久しぶりにはしゃいだ気がするから。

 そんなわけで、青葉は少し部屋の中でいつまでもだらけている時だった。コンコンとノックの音がする。

 

「あーい」

 

 プロデューサーが返事をすると、にちかが開口一番で文句を言った。隣には美琴も控えている。

 

「遅いですよ! こう言う時は男の人が待たされて『お待たせ』って言われて『今きたとこ』って答えるとこですよ!」

「す、すまん……一宮くんの体力が切れたみたいでな……」

「……あー、まぁあいつはいつもこうですから。置いて行っても良いでしょ」

 

 前に旅行に行った時も、基本的にメインを終えたら部屋から出なくなり、仕方なく姉に運んでもらってたほどだ。

 すると、今度は遅れて美琴が顔を出した。

 

「どうしたの?」

「青葉が充電切れだそうです」

「あー……そっか。体力ないんだもんね」

「俺のことは置いていって下さい……」

 

 そう言うと、美琴は顎に手を当てたまま黙る。やがて、すぐ提案するように聞いてきた。

 

「じゃあ……おんぶしよっか?」

「はぁー⁉︎」

「マジですかお願いしますいや結構です駄目です!」

「ふふ、無理しなくて良いよ?」

「「ダメだから!」」

 

 デュエットで止めたのはにちかとプロデューサー。当然の反応である。

 

「青葉だけ良い思いするなんて許しません!」

「一応、アイドルだからな美琴⁉︎」

 

 前者はともかく、後者はその通りだろう。だから青葉も本能と理性のデッドヒートを繰り広げていたし。

 

「それなら、俺がおんぶするか? 一宮くん」

「えっ」

「そうだよ、青葉。そうしたら?」

 

 男のおんぶとか絶対に嫌だ。死んでも。

 

「わかった、わかりました。俺も行きますから……!」

「うん、良い子」

 

 まぁ、美琴が誘ってくれている時点で断るのは論外なわけだが。

 そんなわけで、ホテルを出る事にした。そのまま四人でのんびりとホテルがある道を降りて、商店街のようになっている場所に到着した。

 近くに海があるからか、海産物で作ったお菓子や温泉に合わせた和菓子などが売っているお店が数多くある。

 さて、まぁ来たからには舌で味を盗むことにしないと勿体無い。

 

「とりあえず……みんなで回るか?」

「そうですね。ゴチです、プロデューサーさん!」

「おいおい……いや、まぁ良いけどな。ただし、一人一つずつだぞ?」

「私も良いの?」

「もちろんだ、美琴」

「ありがと」

 

 大人の自分まで奢ってもらえると思っていなかったのだろう。

 さて、青葉はどうしたものか……正直、人を女だと思う人に借りは作りたくないが……この流れで断ってしまうと、他のメンバーも遠慮してしまうかもしれない。

 まぁ、せっかくなので機会があればもらってみることにした。

 さて、そんなわけで全員で街を見て回った。

 適当に入ってみたお店で、にちかが声を上げる。

 

「おお……見てください、美琴さん! イワシせんべいだそうです!」

「え、それ美味しいの?」

「さ、さぁ……でも、大人の人ってこういうの好きじゃないですか?」

「どうだろ……」

「試食ありますよ」

「じゃあ、食べてみよっか。青葉もどう?」

「じゃあ……いただきます。ホモ……プロデューサーさんもどうぞ」

「あの、性別間違えてたことは謝るので勘弁してもらえませんか……?」

 

 喧しい、と青葉は頭の中で言いながら、煎餅を手に取る。……そんなに、自分は女の子らしいのだろうか……と、思いながらにちかを横目で見る。目に入ったのはミニスカート。

 ……いやいやいや、いやいやいやいや……と、首を振りながら、青葉は三人とほぼ同時にせんべいを口にした。

 

「……苦ぁ」

「結構、イワシ感強いな……」

「大人向けなのかもね」

「イワシの風味を薄いせんべいにして上手く閉じ込めてあるし、香りも生臭くない干物みたいで不愉快じゃない……うん、イワシのせんべいって感じ。美味しい」

 

 一人だけガチすぎる感想を言っていた。こういう味もあるのか……と、思いながらも、青葉はチラリと美琴を見る。あまり美味しそうに食べているようには見えない。

 自分は好きだが、美琴が好きじゃなかったら意味はない。

 そのまま店内を見て回った後、お店を出て別の店へ……と、基本的に女性陣が先導してお店を選んでいた。

 ……というか、割と疲れが足にきてる。せめて自分を置いても良いから、何処かでのんびりさせて欲しいものだが……。

 と、思っていると、足湯を見つけた。そういえば、今日はそもそも温泉がメインだ。

 

「あの、すみません。俺疲れちゃったんで、そこで休んで行っても良いですか? 後から合流するんで」

 

 言うと、にちかが直ぐに答えた。

 

「勝手にどうぞ。行きましょう、美琴さん。プロデューサーさん」

 

 プロデューサーに声をかけたのも、まだ奢ってもらってないからだろう。そういう意味でも、一人になれる時間はありがたかった。

 

「う、うん」

「一人で大丈夫か?」

「大丈夫ですよ」

 

 一応、気にかけてくれたが、笑顔で見送った。あまり、気を使われるのは好きじゃないし、ホントそもそもいなかった人、として扱ってもらえれば幸いだ。

 さて、そんなわけで、青葉は一人で足湯で待機した。

 

 ×××

 

 だいぶ疲れが溜まってたんだな、と美琴は青葉のことを思い返して思う。まぁ、元々の体力のなさは折り紙つきだし、そもそもホテルの中でも眠たそうにしていた。

 でも……その反面、ちょっとだけ寂しい。やはり、青葉と一緒に見て回りたい節はあったから。

 そんなわけで、何か軽くお菓子でも買って隣に行ってあげることにした。

 で、タイミングを見計らっていたわけだが……中々、にちかと離れる口実が思いつかない……というか、ない。

 このまま行ったら、絶対ににちかとプロデューサーもついてきて二人きりにはなれない。二人きりじゃないと、撫でてもらえない。どうしたら……。

 そんな風に思っている時だった。

 

「そういえば、にちか。はづきさんへのお土産とか買ったのか?」

「あ、まだ」

「俺も買いたいから、一緒に選んでくれないか? はづきさんなら、どんなのが喜ばれるのか知りたいし」

「仕方ないですねー。奢り、もう一品で」

「は、はは……まぁ、良いけどな」

 

 そう話しながら、プロデューサーが自分の方に顔を向け、耳元で囁いた。

 

「一宮くんのこと、気になってるだろ?」

「っ……わかるの?」

「わかるよ。俺も心配だからな。高校生でしっかりものって言っても、まだ子供だし……一応、気にかけてやってくれないか?」

 

 そういう「気になる」ではなかったのだが……ありがたい。そのまま離脱して、青葉の元に向かった。

 自然と、足が早足になり、やがて走り出す。なんだかんだ、今日は早朝しか撫でてもらっていない。

 やっと撫でてもらえる……いや、なんなら彼は撫でるために一人になった可能性さえ考えてしまう。

 途中で温泉饅頭を購入し、足湯のところに戻ると……青葉は、項垂れるように座り込んだまま船を漕いでいた。

 

「っ……も、もう……隙だらけなんだから……」

 

 あんな真似して、隣に置いてある鞄を持って行かれたらどうするつもりだったのか。

 本当に、可愛げしかないというかなんというか……まぁ、なんでも良いが。とりあえず、青葉の隣に腰を下ろし、青葉の肩に手を添えて自分の方にもたれ掛からせる。

 肩の上に青葉の頭が乗せられる。こうして見ると、プロデューサーが女の子と見間違えるのも良くわかるほど可愛らしい寝顔だ。……思わず、撫でられるどころか撫でたくなるほどに。

 

「……みっ、ちゃん……」

 

 寝言だろうか? 自分が夢に出ている? と、冷や汗をかく。なんか、どうせ怒られてそうな気がしないでもない……と、思った時だ。

 

「……好きです……付き合って下さい……」

「……ふぇい?」

 

 思わず、変な声が漏れた。今、なんて言った? と言わんばかりだ。え、す、好きって……付き合うって……ど、どういう意味? と、分かっている疑問が頭の中に浮かぶ。

 あ、ヤバい。なんか変に意識してしまいそう……と、思った時だ。

 

「な、なーんちゃってー! 嘘嘘ー! 全然、好きとかじゃないでーす! す、すすすすみません変なこと言っちゃってー!」

「……え、起きてる?」

「いや、好きと言えば好きなんだけど……で、でもやっぱアイドルとファンは付き合うべきじゃないですしそういうつもりだったんじゃなくてついぽろっと漏れちゃっただけで……」

 

 ……えっとー……要するにどういうことだろうか? というか、夢の中の自分はどう答えるのか……。

 なぜか少しドキドキしながら待っていると、また青葉から声が聞こえた。

 

「……え、もう彼氏いる……ですか?」

 

 は? と、美琴の眉間にシワが寄る。

 

「俺は……都合の良い家政婦? ただの家事ロボットとしか見てなかった……?」

「……」

 

 おい、その夢の中のみっちゃんを連れて来い、と今度は苛立ちを表に出した。

 

「そ……そうですよね……俺なんてそんなもんですよね……すみません、16のガキが思い上がって……はぁ……ぐすっ」

「そんな事ないよ!」

「わひゃあっ⁉︎」

 

 思わず大声を挟むと、青葉は目を覚まし、驚きながらも横に転がり、足湯の中に落下した。

 

「あっづぁっ⁉︎」

「えっ」

 

 足だけに触れていたものが全身を包み込み、慌てて青葉は足湯から出て来た。

 

「し、死ぬ……! 死ぬかと思った……え、な、なに? 何事⁉︎」

「ごめん、大丈夫?」

「み、みっちゃん……? なんでここにいるんですか?」

 

 基本的に、見た夢すら覚えていないことの方が多い。だから青葉も綺麗さっぱり抜け落ちていた。

 しかし、そんなこと知る由もない美琴は、むしろ少し怒った様子で青葉に告げた。

 

「そんな事より、青葉。私、青葉のことそんな風に思ってないから」

「そんな風……? え、なんでここにいるのって?」

「違う。私むしろ青葉のこと好きだから」

「ひょえっ?」

 

 急に顔を真っ赤にした理由は分からないが、とにかく言わないと。

 

「都合の良い家事ロボットみたいになんて思ってないから」

「今度は真逆の表現!」

「良いから聞いて。……とにかく、次そんな寝言言ったらホントに嫌いになるから」

「え……」

 

 地味にショックを受けている様子の青葉を無視して、美琴は続けて畳み掛けた。

 

「とにかく、私が青葉を嫌いになる、なんてことはないから。それだけは忘れないで」

「は、はい……」

「ほら、隣座って」

 

 とりあえず、体を拭いてあげないといけない。夏とはいえ、風邪をひく。隣に座らせると、頭にカバンから取り出したタオルをかけてあげた。

 

「わぷっ……」

「軽く、拭いたげる」

「あ、す、すみません……でも、自分で」

「ダメ」

 

 笑みを浮かべながら、美琴は青葉の頭をわしゃわしゃと拭いてあげると、続いて服を捲って背中を拭く。

 

「あの……恥ずかしいんですけど」

「背中は届かないでしょ?」

「そ、そうですけど……」

「前も拭こうか?」

「イ、イヤです!」

 

 そのまま二人で足湯に浸かったままのんびりして、頭を撫でられるのを忘れた。

 

 



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大人数派か少数派か。

「ん〜……気持ち良かったぁ〜……!」

 

 そう伸びをしながら、浴衣姿で歩くのはにちか。買い物から戻った後、海に入ったこともあって念入りに頭と身体を洗い流した。

 さっぱりしたし疲れも取れたし、やはり温泉が売りのホテルの温泉は違うものだ。

 そのにちかの隣から、同じように浴衣姿の美琴が声をかけてくる。

 

「うん、気持ちよかったね。にちかちゃん」

「はい! ホント、チケットを譲ってくれたあさひちゃんには感謝しかありませんねー」

「そうだね。お土産も買って帰らないと」

 

 この後は食事の予定しかないし、そうなれば部屋で美琴といちゃいちゃである。

 ようやく二人きりになれる……と、元々二人できたかったにちかは、少しだけソワソワしていた。

 さて、そんな風に思いながら歩いていると、美琴がにちかに声を掛ける。

 

「にちかちゃん」

「なんですか?」

「にちかちゃんって、青葉のこと好きだったりする?」

「……は?」

「ああ、うん。その表情でよくわかった」

 

 いないと困るけど好きではない、というのが一番、しっくり来る表現だろうか? ここ最近、お互いに隠し事とか色々あってよくわかった。やはり、性格は合わない。趣味はあっても、どうしても相容れない部分があるのだ、あいつとは。

 まぁそんなことより、今問題に思っているのは、なぜ美琴がそんなことを聞いてきたか、だ。

 

「なんでですか?」

「ちょっとだけ、気になったから。青葉って、私にばかり構ってて他に好きな人とかいないのかなって」

「あいつにそんな情緒ありませんよー」

 

 茶化すように言いながらも、にちかは理解していた。青葉の好きな人? 目の前のべっぴんさんしかいねーよ、と。

 見ていれば分かる。あの男は今、完全に美琴に恋している。オタクの面倒臭い矜持によって何とかそれを隠そうとしているが、長年一緒にいる幼馴染の目は誤魔化せない。

 だからこそ……それを美琴に知られてはならない。もし美琴に気づかれ、OKしたら普通に困るし、OKされなくても二人の間に亀裂が入ると美琴の体調に不安が残る。

 つまり……ふたりには、しばらくこのままでいてもらわないと困るのだ。

 

「そもそも、青葉は基本的にただのオタクですよ? 好きなアイドルやアニメのイベントかバイトがないと外に出ないし、彼女作りなんてとっくに諦めてるんじゃないですかねー」

「……そうなんだ」

「……」

 

 なんでちょっと嬉しそう? と、小首をかしげる。なんだろう、その嬉しそうな顔。あ、嘘だよね、冗談だよね? と、にちかは冷や汗をかいた。

 

「じゃあ、もうしばらく面倒見てもらっても平気だね」

「……そっちか」

「そっち?」

「いえ、なんでもないです」

 

 残念だったな、青葉。君はどこまでも美琴にとってはただのお隣さんだ、とホッとした。

 そんな話をしながら廊下を歩いていると、廊下のベンチで真っ赤な顔の青葉が寝転がっているのが見えた。

 

 ×××

 

「湯当たりするまで頑張るなよ……」

「はぁ……す、すみません……お風呂は好きなんですけど、長風呂は苦手でして……」

「どこまでもおもしろい奴だな君は」

 

 そんな声が聞こえてきたのは、斑鳩ルカが仕事でこのホテルにチェックインした直後のことだった。

 覗き込むと、なーんかどこかで見たことあるような男が、こちらは確実に見覚えあるガキがベンチにいた。ガキの方は間違いない、あの美琴と一緒に写真に写っていた奴だ。……なんか顔を真っ赤にしてベンチに横になっているが、湯あたりでもしたのだろうか? ザマーミロ。

 

「待っててな。部屋から飲み物持ってきてあげるから」

「あ、りがとう……ござい、ます……」

「いいから」

 

 それだけ言うと、男の方は立ち去る。ちょうど良い機会だ。少し話でもしてやろうか……と、思い、少年の方に近寄った。確か、一宮青葉……だっただろうか? 学生証を見たときに覚えておいてよかった。

 

「オイ」

「はっ……はぁ、はぁ……はい……?」

「話があんだけど」

「……え、だれ……ですか……?」

 

 ……なんか、辛そうだ。少し心配になってしまった。いや、別にこの男がどうなろうと知ったことではないはずなのだが……。流石にこんな状態の男の子に詰め寄れるほど人でなしではない。

 

「……ちっ」

 

 仕方ない、少しでも話を聞けるように、鞄からスポドリを取り出した。飲み掛けだが、男子高校生ならそんなの気にするほどウブではないだろう。

 

「おら、こいつ飲め」

「え……す、すみません……」

「で、お前に聞きたい事が……」

 

 と、言いかけた時だった。他所から聞き馴染みのある声が聞こえてくる。

 

「じゃあ、もうしばらく面倒見てもらっても平気だね」

「……そっちか」

「そっち?」

「いえ、なんでもないです」

 

 美琴……! とすぐに理解し、慌てて逃げた。なんでこいつと美琴が同じホテルに? まさかこいつら……と、ルカは冷や汗をかき、移動する。

 とにかく姿を見られたら厄介だ。そのまま指定の部屋に向かっていると、飲み物を置いてきたことに気がついた。

 

「あ、しまっ……!」

 

 戻ろうと思って後ろを見ると、美琴と後その新しいユニットメンバーの七草にちか……そして、一宮青葉が並んでベンチに座っているのが見えた。

 

「ふーん……知らない人にもらったんだ」

「はい。わざわざ気にかけてくれたみたいで……ぶっきらぼうな口調の割に優しくしてくれてたので、多分ツンデレなんだろうなぁ」

 

 勝手にツンデレにするな! と、頭の中で床に拳を打ちつけた。ムカつくあのガキ! 

 

「具合悪くて顔は見えなかったんですけど……今度、お礼させて欲しいです」

「っ……」

 

 そんな純粋な笑顔で言いやがって……と、ルカは顔を背け、さっさと自室に向かう。そんなつもりでやった行動じゃない。美琴とどんな関係か聞き出そうとしただけだ。

 

「チッ……」

 

 とはいえ……憎みづらい奴だ。奥歯を噛み締めながら立ち去った。

 

 ×××

 

 さて、夕食の席に集まった。ビュッフェ形式で、好きなように好きなものが食べられるわけだ。

 

「俺、キッチンに立っちゃダメかな」

「良いんじゃない?」

「美琴。乗せるな」

 

 話しながら、とりあえず料理を取りに行く。プロデューサーが残ってくれたので、三人で取りに行った。

 さて、青葉は顎に手を当てて悩む。ホテルの飯……ビュッフェであっても美味いのだろうし、実際美味いのだろう。

 だからこそ、これはチャンスだ。美琴が気に入った料理の味を舌で味を盗み、家で再現する……! 

 そのためにも、ファーストフェイズではあまり料理は取らない方が良い。少なめで軽いものにして、みんなで食べるってなった時、美琴が何を気に入ったかを把握し、セカンドフェイズでそれを自分も食べる……! 

 そう作戦を立てて、すぐに動き出した。まずは……少なめに料理を摂ること……と、思い、ポテトを二本だけ乗せて席に戻ろうとした時だった。

 

「青葉、何食べるの?」

「え? あ……」

 

 美琴に捕まってしまい、お皿を見られてしまった。お皿の上に乗っているのを見られ、美琴は声を漏らす。

 

「え、それだけ?」

「あ、いやこれは……」

「もしかして、湯あたりでまだ具合悪い?」

「そ、そんなことはなくて……」

「部屋で休む?」

「イ、イヤです! みっちゃんとご飯食べたいです!」

「っ……」

 

 あ、また恥ずかしいこと口走った。おかげで美琴は目を丸くして頬を赤らめる。

 ドン引きされたのかも……と、少し狼狽えたのも束の間、すぐに笑みを浮かべた美琴は言った。

 

「ふふ、そっか。私もだよ」

「っ……」

 

 今度は青葉が顔を赤くする番だった。そういう、男を翻弄するようなことを、よりにもよって美琴が言うのはやめて欲しかった。心臓に悪いから。

 が、美琴はすぐに近くの料理のトングを持ち上げて続けた。

 

「でも、そのためにはもっとたくさん取らないとね」

「え、いやこれは……」

「だいたい、いつも栄養はきちんと摂れって言っているのは、青葉の方だよ?」

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言いながら、お皿に山盛りで盛られてしまった。まさか、ファーストフェイズから躓くことになるとは……。

 こうなったら、もう仕方ない。覚悟を決めて食べることにした。

 すると、隣の美琴が青葉のお皿をとり、代わりに自分の皿を差し出してきた。

 

「じゃあ、今度は青葉が私の料理選んで?」

「お、俺ですか?」

「うん。交換こ」

 

 なにその24とは思えない遊び心可愛い、とギャップ萌え爆裂波が青葉の中で巻き起こる。マジでJKか、とツッコミを入れたくなる。

 

「じ、じゃあ……僭越ながら……」

「ふふ、よろしく」

 

 言われるがまま、とりあえずざっと見た感じで三色バランスよく栄養を取れるように、料理を盛り付けた。

 最後に飲み物だけ用意して席に戻るとプロデューサーが料理を取りに行き、戻ってきた。料理だけでなく、お酒を持って。

 

「え、飲むんですか?」

「ああ。今日は一応、プライベートだからな」

「それ……焼酎ですか?」

「詳しいな。……飲んだことあるのか?」

「ありませんよ。……あ、嘘」

「……え、あるの?」

「酒を使う料理もありますから。母親がどんな風に変化するか捉えるためにも、味を覚えろって一舐め」

「な、なるほど……」

 

 割とガチで叩き込まれていたからこそだ。

 すると、にちかが口を挟んでくる。

 

「そんなことより、食べましょうよー」

「お、そうだな。じゃ、いただきます」

 

 プロデューサーの挨拶で、全員で挨拶して食べ始めた。

 さて、確かに冷静に考えてみれば、これは美琴チョイス。そう思うと、食べるのが普通に楽しみになってきた。

 

「あー……んっ、美味し」

「うん。私のも美味しいよ。青葉がえらんでくれたから」

「ええー⁉︎ ず、ずるいです、美琴さん! なんで青葉とそんなアホカップルみたいなこと……!」

「青葉がお皿にポテト二本しか乗せてなかったから」

 

 すると、にちかはキッと自分を睨みつける。テメェ上手くやりやがったな、と言わんばかりの目つきだ。

 

「俺別に何もしてねーよ」

「どーだか。結構、計算高いし、バカのくせに」

「お前よりはバカじゃねーし、そんなつもりじゃねーし。まずは胃袋から掴もうと思っただけだし」

「あたりじゃん」

「いやそうじゃなくて……」

 

 ……いや、口にすると邪魔されそうだ。青葉が選んだ料理を盛り付けているとはいえ、気に入られればそれを食べて味を盗めるし、今は気にせずに食べた方が良い。

 口に料理を運んでいると、美琴がじっとこちらを見ていた。

 

「美味しいですよ?」

「ふふ、良かった」

 

 ……気恥ずかしいんだけど、と青葉は目を逸らして食べ続ける。すると、プロデューサーさんが声を掛けてきた。

 

「一宮くんは……美琴の日常を支えてくれてるんだっけ?」

「あ、はい。いや、支えてるってほどじゃないですよ。食事を作ってる程度ですし」

 

 謙遜しておく、余計なことは言わないようにして。実際、食事だけだ。

 

「食費もみっちゃんが買った食材使ってますし」

「そうなのか。……でも、みっちゃんって呼んでるんだな?」

「そ、それはー……美琴さんが男子高校生をたぶらかしてる、みたいな噂を流されないために、呼び方にカモフラージュを……」

「あ、結構一緒に出掛けることもあるのか?」

「ま、まぁ……必要なものを買いに行ったりすることもありますし……食材をコンビニで買ってたりとかしてましたからこの人」

 

 やばい、割と喋るだけでボロが出てた。なんとか事実を言って誤魔化してみたが……大丈夫だろうか? 

 頭撫でてる、とかその辺は言わずにいなしていると、にちかが横からしれっと口を挟んだ。

 

「ちなみに当然、普段美琴さんが持ってきてたお弁当も青葉のお手製ですよ。美琴さんのために朝早く起きて作ってるそうです」

「あ、そうなるのか……え、そ、そんなことまでしてるのか?」

「えっ、ま、まぁファンなので」

「……ファンというか……うん、まぁそうか……むしろ、ファンならではか……」

 

 プロデューサーが納得してくれたので、ホッとしてからジロリと青葉はにちかを睨む。余計なこと言ってんじゃねーよ、と言わんばかりだ。

 そんな中、美琴が口を挟んだ。

 

「青葉はホントに良い子だよ。お祭りに行った時も着付けとか手伝ってくれたし、ノーパンノーブラで行ったことも叱ってくれたし」

「「は?」」

「はいみっちゃんちょっと黙って」

「えっ、どうして?」

「分からなくて良いからちょっと黙って下さい」

 

 らしくなく辛辣なことを言ってしまったが、それよりもこのピンチを乗り切ることが大事だ。

 

「えっと……どういうこと?」

「遺言は?」

「待て待て、落ち着け。着付けって言われても帯の結び方教えただけですし、ノーブラノーパンは家に帰ってから知った事ですから、決してやましいことは何もありません!」

「うん。青葉に、特にやらしい気持ちがあるわけじゃないから」

「そうですか、美琴さん。で、青葉。まずなんでノーパンノーブラに気づいたの?」

「……」

 

 言えない、肘でおっぱい突っついちゃったなんて言えない。当たっちゃっただけ、と言えばプロデューサーはわかってくれるかもしれないが、にちかはダメだ。

 どうしよう……と美琴に助けを求めようとしたが、そもそも黙ってろ、と言ったのは自分だ。なんとかしないと。

 と、思っているときだった。

 

「それは、青葉の肘が胸に当たったからだよ」

「「は?」」

「みっちゃん! さっきから口が羽のようですが⁉︎」

 

 何なのほんとに! と顔を向けると……心なしか、顔が赤い。え、照れてる? と思ったのも束の間、片手に握りしめているコップは……プロデューサーのものだ。

 

「って、おい。美琴それ俺の焼酎……!」

 

 プロデューサーも気が付いて手を伸ばしかけるが、飲んでいるものを今、止めても仕方ない。

 そこで、青葉はふと思い返した。この人……そういえば成人女性なのに、今まで「飲んで帰るから晩御飯いらない」と言ったことは一度もなかった。

 それが飲めないのか飲まないのか分からないが、確実に言えることは一つだ。

 ……飲み慣れていない人が、焼酎なんか飲んだら確実に酔っ払う。

 

「あと……青葉はなんだかんだトレーニングも付き合ってくれるし、普段の家事の手際も良いし、本当に良い人だよ」

 

 すごく分かりづらい事に、美琴の口調はいつもと変わらない。少し早口になってるかな? ってレベル。

 だからこそ、青葉としてはなんか困ってしまった。分かりづらい。あとギャップが可愛い。酔ってる見た目で口調全く変わらないって……。

 それに萌えていたから、止めるのが一歩遅くなった。

 

「それに何より、青葉は毎日私の頭撫でてくれるから。アレのおかげでここ最近、めちゃくちゃ調子良いくらいだから」

「「えっ」」

「おぉう、もう……」

 

 もう「しまった!」というより「なんでそうなるの……」と顔を手で覆うしかなかった。

 二人の視線が青葉に向けられる。特に片方は殺気出てるし。ヤバい、この旅行で沈められるかも……と、大量に冷や汗をかく。

 

「い、いや……まぁ、それはぁ〜……」

「だから……もう青葉は私のものだから」

「うきょっ⁉︎」

「絶対、二人には渡さないから」

 

 斜めの席に座っているので、青葉は抱きしめられるような事は無かった。しかし……それはそれでちょっと胸が痛いというか疲れがヤバいというか……なんにしても、すごく居心地が悪い。

 いや、何にしてもここは一刻も早く美琴を休ませるべきだろう。

 

「みっちゃん……そろそろ部屋に戻ろうか……」

「え、どうして? まだ全部食べてないよ」

「美琴さん、他に青葉とどんな事したんですか?」

 

 しかし、その前ににちかが口を挟んでしまった。席が遠い青葉は止める術も無く、聞くしかない。食事中、用事もなく立つな、という母親の教えがこれでもかというほど出ていた。

 

「あと? あとはー……」

 

 公開処刑が続いた。

 

 ×××

 

 さて、そうこうしているうちに食事を終えた。途中で美琴が焼酎を飲み続けたこともあり、プロデューサーとにちかが部屋まで連れて行き、青葉は一人で食事を先に終えた。にちかに、なんか美琴に近づかせてもらえなかったから。

 どうしよう、と少し悩んでしまいながら食事を続けていると、青葉の元にプロデューサーが帰ってきた。

 

「あ、おかえりなさい」

「もう食べ終わっちゃったかな?」

「あ、はい」

「そっか」

「……」

 

 ……少し気まずい。何せ、お隣さん同士と呼ぶには親密過ぎる関係がバレたわけだから。

 二者面談より緊張した様子でドギマギしていると、すぐにプロデューサーから声をかけてきた。

 

「気にしなくて良いよ。さっきのことは」

「え?」

「君のお陰で美琴の調子が良いのは事実だろうし、撫でたりとかご飯作ったりとかはマンションでの話なんだろ?」

「まぁ、一応……」

「ランニングも早朝だし、にちかも一緒らしいし。……ただ、まぁあんまり表立って親密な様子を周囲に見せるのは、可能な限り控えてもらいたいかな」

「は、はい……」

 

 頷いて答えつつも、ほっと胸を撫で下ろした。良かった、関わるのを禁止とかされなくて。

 

「どうする? 先に部屋に戻るか?」

「あー……どうしましょう……にちかに殺されるかもしれないし……」

「大丈夫だろそれは……」

「いや、にちかってバカだからなぁ……なんか、すみません。隠し事してた所為でこんな空気にしちまって」

「まぁ、隠し事ってのはいつかバレるもんだからなぁ」

「結構、簡単な奴なんで、何か奢れば機嫌治ると思いますけど……」

「だと良いけどな……」

 

 そのためにも、まずはあまりにちかを刺激しない事だろう。じゃないと、殺されかねない。

 

「でも、すみません……俺、割と変な汗かいたんで風呂もっかい入ってきます……」

「え、大丈夫か? またのぼせたりしないか?」

「それまでには出るので大丈夫ですよ」

「そっか。なら良いけど」

「では、お先に失礼します」

 

 それだけ話して、青葉は部屋に戻った。

 しかし……美琴は酒を飲まないと聞いていたが、あんなに弱いとは思わなんだ。焼酎コップ一杯程度であんなに酔うとは……ちなみに、青葉は家で日本酒とワインを何度か試飲していたが、全然酔わなかった。

 とりあえず、青葉は風呂の準備をして部屋を出た。

 

「はぁ……流石に死ぬかと思った……」

 

 肝を冷やしたどころの騒ぎではない。こうしていると、ちゃんと美琴のためだと割り切って仕事をしていた甲斐があった。……にちかには通じていないが。

 ま、にちかはアホだしどうせすぐに忘れる。ダメなら宿題でも見せれば良いだろう。

 そんな風に思いながら、のんびりと温泉に向かった。一日に二回も温泉に入れるなんて……中々、贅沢だ。

 少し鼻歌なんて歌いながら施設内を歩く。

 到着すると、さっさと全裸になって中に入った。大浴場内に人はいない。つまり、貸切状態。

 その事が少し嬉しくて、鼻歌は続行される。SHHisの曲だ。

 一応、マナーはマナーなので軽く身体を流してから、いきなり露天風呂に突入。湯船に浸かる。

 

「おお〜……!」

 

 おっさんみたいな声が漏れた。気持ち良いとはこのことか、なんて哲学的な感想が漏れる。二度目とはいえ、プロデューサーが一緒の時は少し気を遣ってしまっていたので、ここまで声を漏らすことはできなかった。

 ……しかし、と、青葉はほっと一息つきながら、海の方角を見下ろす。もう夜なので真っ暗な海が、点々とした灯りによって輝く街の先に見える。あれだけ綺麗だった景色が、少し怖く見えてしまった。

 それを眺めながら、青葉は思った。なんか……思ったよりこの旅行、テンションが上がらない。いや、上がるとこでは上がったり、上げてたりしてた訳だが……なんか、にちかやプロデューサーがいると思うと、少しだけ美琴と話しづらかったりする。いや、いない方が良かったというわけではないが。

 ただ、撫でれなかったり、いつもの様子で話せる事が話せなかったり、バレちゃいけないことに対しヒヤヒヤしながら言葉を選んだり、リラックスできているかを考えるとそこまでではない気がする。せっかくの旅行なのに。

 ……お隣さん、という都合の良い関係も、割と第三者が入ると楽じゃないのかもしれない……なんて、子供らしくなく思ってしまう。

 

「はぁ……みっちゃんと、二人きりになりたいなぁ……」

 

 外なのに裸で一人しかいない解放感から、そんな呟きが漏れた時だ。

 

「え……青葉?」

「…………はえ?」

 

 完全に油断していた。壁の向こうから、今一番聞きたかったけど今一番聞きたくない声が聞こえてきた。

 

「えっ……み、みっちゃん……?」

「う、うん……」

「き、聞こえました……?」

「…………うん」

 

 温泉に入っているとか関係なしに、青葉の顔は真っ赤になる。やばい、誤魔化さないとマセガキだと困らせてしまう、と思い、すぐに弁解する。

 

「あ、いや……い、今のは違います! 冗談ですからね⁉︎ 別に俺……たまに独り言で適当なことをほざく癖があって……だから、今のも違くて……!」

「っ……そ、そっか……違うんだ」

「え……」

 

 な、何その残念そうな感じ? と、少しだけヒヨってしまったり。が、すぐに分かった。撫でてもらいたいからだ。

 

「あ、あー嘘です嘘です! 二人きりになりたいのは本当です!」

「そ、そっかー……ふふっ」

 

 嬉しそうな声を……いや、そりゃそうだ。撫でて欲しいんだから。それなら、今のうちに上がってしまって、対面で話せた方が良いだろうか? 

 そう思って立ちあがろうとした時だ。

 

「じゃあ……今、二人きりだし……少し、お話ししない?」

「え……」

 

 あれ、この人分かっていないのだろうか? あり得る。あんまり賢いイメージない人だし。

 

「嬉しいですけど……頭、撫でられませんよ?」

「? 分かってるよ?」

「え……じゃあなんで?」

「? 青葉と二人でゆっくりしたいからだけど?」

「……」

 

 ……ダメだ、一旦温泉に肩まで浸かるのやめよう。のぼせる。

 そう思って、温泉の縁に腰を下ろし、足だけつけた。

 

「……青葉は、嫌?」

 

 そのセリフは……どんな顔をして言っているのだろう、なんて思ってしまったり。

 水面に映っている自分と同じ顔してたら嬉しいなぁ、なんて思ったりしたのだが、まぁ美琴の事だ。それはないだろう。

 

「嫌じゃないですよ」

「なら、話そうよ」

「は、はい……」

 

 少し、嬉しいけど緊張する。これも、裸の付き合いという奴なのだろうか? 壁の向こう側に裸の美琴がいる……と、思うと少し興奮するが、それ以上に温泉の向こう側にいる好きな女性と、二人きりでこうして話せるシチュエーションが、少しちょっと良いなって思ってしまったり。

 

「……ていうか、みっちゃん。酔いは平気なんですか?」

「あー……うん。酔い覚ましのために、にちかちゃんが『温泉行ったら?』って……」

 

 にちかがそんな風に言うなんて……一体、何があったのだろうか? いや、まぁ想像出来るが。酔った美琴が乱れてにちかが流石に照れてしまったのだろう。

 

「アルコールちょっと抜けて、落ち着いてたときに青葉がきたんだ。……すごいね、酔ったらあんな感じになるんだ……まだちょっと頭痛いし……」

「あ、それならあとでしじみのお味噌汁、ご馳走しますよ」

「え、ここで作れるの?」

「いえ。インスタントのお味噌汁さっき買ったので。二日酔いに効きますよ」

「ありがと」

 

 こんな時にも、主婦力は忘れない。正直、別にこの時を予測して買ったわけではないが、まぁ役に立ったのなら何よりだ。

 

「……ね、青葉」

「はい?」

「良い機会だから聞いておきたいんだけどさ」

「はい」

「私の、どこが好きなの?」

「バフォ!」

 

 思わず吹き出してしまった。なんてこと急に言い出すのか。というか、叶わぬと知っているとはいえ、何故割と本気で恋していることを知っているのか。ていうか、何その強引な告白のさせ方? と、様々な考えが頭を渦巻く中、とりあえず返事をする。

 

「っ、な、なんでそんな急に……!」

「え、急だった? ファンだって話は前から聞いてたと思うけど……」

「……」

 

 この野郎、いいように弄びやがって……と、羞恥心が込み上げてくる。

 

「で、どうして私のファンになってくれたの?」

「好きだからですけど?」

「いや、そういうんじゃなくて」

「?」

 

 それ以外に何があるのか。アイドルが好きになる理由なんてその一言で事足りるのだが……どうも、向こうはそれではお気に召さないご様子だ。

 

「私の、どこが好きになったのかなって。きっかけとか」

「きっかけ……ですか」

 

 そういえば、その辺の話していなかったっけ……と、思い出す。まぁ聞かれなかった、というのもあるし、わざわざ話すことでもなかったというのもあったが。

 

「でも、割とありきたりな理由ですよ? 歌って踊ってる姿がかっこよかったからですし」

 

 あんまり面白い理由ではない自覚はあった。大体、みんなそこか顔から入るだろうから。アイドルの場合は若干、顔の方が多いかもしれない。

 ……が、壁の向こうからちょっとだけ真剣な声が聞こえてくる。

 

「……もう少し詳しく」

「え?」

「詳しく」

「詳しくって言われても……俺、素人だからそんな総評とかできませんよ」

「そうじゃなくて。……青葉が私を好きになったきっかけを、もう少し」

「え……カッコいい以外に、ですか?」

「そう」

 

 そんなこと言われても……と、顎に手を当てる。

 

「言われ慣れてるかもしれませんが、歌も上手でカッコ良くて綺麗で……それで、いつも完璧で」

 

 青葉が一番好きなのがそこだった。他のアイドルに比べて、格段にレベルが違う。それは、私生活でのストイックさを見て余計に好きになった点でもある。

 

「いつも、人一倍の練習をされてますよね。その結果だと思いますが、俺が今まで見てきたどのアイドルよりも、歌とダンス上手だし、ミスもないし……なんか、すごいなーって思って」

「……」

「それから段々、あと顔もスタイルも……知り合ってからは中身も好きになってきてしまって……あっ」

 

 ……やばっ、それほとんど告白じゃん、と口を塞ぐ。つい語り過ぎてしまった。オタクか、俺は。いやオタクだった。と、全力で焦り焦ってしまう。

 だが、ここで慌てて弁解してしまえば、あの割とピュアな24歳はまた傷ついてしまうかもしれない。

 どうしよう、と頭の中で言葉を探す中、ふと違和感。美琴から、未だ何一つコメントがない。こっちが色々と喋ったのに……なんかこう、それに対してあったりしないのだろうか? なんてちょっとだけ不満げに思ってみたり。

 だが、すぐにそれに応えるようなタイミングで美琴は言った。

 

「……青葉」

「はい?」

「先、上がるね」

「え?」

 

 ……もしかして……ドン引きされたのだろうか? ちょっと……というか、普通にショックで、少し泣きそうになってしまったまま、その場で温泉に浸かり続けた。

 

 ×××

 

 お風呂から上がった美琴は、バスタオルを身体に巻いて、そのまま鏡の近くにある椅子に腰を下ろした。ドライヤーをかけるためとか、そういう理由ではなく、頭がクラクラするからだ。

 そんなに長時間、浸かっていたわけではない。ただ単純に……爆テレによる体温の上昇のおかげだった。

 

「〜〜〜っ……!」

 

 多くの人を、完璧な歌とダンスで魅了したい……それが、まさかこんなところで……そして、こんな身近にそれで魅了されていた人がいたとは。

 自分にも少なからずファンはいたのだろうけど、いつも他のユニットメンバーの方が売れる事が多い美琴が、一番意識していた点を肯定してくれた事が馬鹿みたいに嬉しかった。

 それと同時に、少しだけ胸が高鳴った。彼に対する思いが、少しだけ強くなったような、そんな感覚を自覚した。

 

「……っ」

 

 もっと、もっと彼から話を聞きたい。今はつい逃げてしまったが、自分に対し、他に何を思っているのか、その辺を詳しく聞きたい。

 そのために……この旅行が終わったら、また出掛けたいかもしれない、こうして旅行に。いや、旅行じゃなくても良い。二人で出かけられるのなら、何処へでも。

 そう決めて、とりあえず落ち着いてきたので着替える事にした。身体と頭を拭き終え、頭を乾かし、化粧水をつけて……などとやって、ようやく着替えた時だ。

 財布が裾から転がり落ちた。拾い上げて中を見ると「あっ」と声を漏らす。あんまり入っていない。千円札が二枚ほどくらいしか。

 おろせば良いか、と思わないでもないが、ちょっと使いすぎな気がしないでもない。

 

「……」

 

 ……今まで、何も考えずにお金を使ってしまったが、このペースで使っていたら、青葉と二人で出掛ける時用のお金がなくなる。

 そういえば……前に、家計簿をつけることも勧められたっけ……なんて思い出してしまった。

 

「……」

 

 ……ちょっと、付け方を教わってみてもいいかもしれない……それなら、青葉と出掛ける口実にもなるかも……そんな風に思いながら、とりあえず着替えを終えてお風呂を出た。

 

 



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拘束されていたものが解き放たれた時、素面以上の何かが出る。

 一応、今回の旅行は温泉旅行なので、翌日もまず早朝から温泉に入る。勿論、男女別で。これ、第1ポイント。

 その後で、朝食を食べた。今回の旅行の食事の席では、ほとんど隣の席は男女別。美琴の正面の席に座るのはプロデューサーだったりで、少し会話しづらかったりする。これが第2ポイント。

 その後は、男女別の部屋に分かれて外出の準備。この当たり前だけど部屋が別になっているのが地味に第3ポイントである。

 そして、いざ2日目の海へ。せっかく水着に着替えたのに、思春期の少年が照れで慣れるまで直視出来ないのが第4ポイントになり、その後の観光、スタミナ切れの虚弱少年が一人で足湯に浸かって第5ポイント。

 帰りの車の中では、後ろの席に女性陣、前の席に男性陣で第6ポイント……これが、2日連続で続いたわけだ。

 にちかを先に家まで送ってから、今度は二人が住んでいるマンションに寄った。

 

「じゃあ、一宮くん。美琴。今回はありがとうな」

「いえ、俺がお招きしたわけではないので」

「じゃあ、またね。プロデューサー」

 

 挨拶だけして、二人はそのままマンションの中へ入った。その間、無言。少し気疲れしたのか、何も話すことなくエレベーターに乗り、五階まで上がる。

 そして、何も言わないまま二人で美琴の部屋に入った直後……美琴は頭を屈め、青葉は両手を広げ、めっちゃ頭を撫でられ、撫でまくった。

 

「よーしよしよしよし!」

「んっ……久しぶり……!」

 

 ようやくの解放感が、二人を派手になでなでさせ続けた。髪形が崩れる勢いで撫でられるが、そんなもの美琴はお構い無し。

 喉を撫でられている猫のように気持ち良さそうな表情でされるがままになって、青葉の肩に額を置いておいた。

 

「……ずっと待ってた。これ……」

「俺も、その……こうしてたかったです……ずっと」

「ふふ、いつになく素直じゃん」

「俺はいつも素直です」

「嘘。何かに我慢して、中々要望は言わない癖に」

「……そうですね」

 

 そういう意味では素直ではないかもしれない。まだ帰ってきて、靴を脱ぐことさえせずに撫で撫でしながら、そんな事を話す。

 

「でも、私はそういうとこも好きだよ」

「っ……き、急になんですか」

「ん……それより、撫でて」

「……は、はい……それより、中上がりません?」

「そうだね」

 

 そのまま、二人で靴を脱いでリビングまで歩く。そのまま青葉がソファーに座ると、美琴は隣の青葉の膝の上に座った。

 

「おっ、と」

「重い?」

「……すみません。非力なもので」

「ふふ、正直者。じゃあ、足開いて。間に座る」

 

 元々、近すぎる距離にいたこともあってか、二人とも触れ合えなかった時間が(たった二日とはいえ)長過ぎてオーバーヒートしていた。

 青葉の前に座った美琴を後ろから抱き締めつつ、背中に顔を埋めて頭を撫でる。

 

「よしよし……昨日から今日まで、よく耐えました」

「にちかちゃんとずっといて、青葉とあんまり話せなかったから」

「にちか、みっちゃんのこと大好きですから。あんまり邪険にしないであげて下さいね?」

「……今も、にちかちゃんに優しいんだ」

「はっちゃんに、色々と頼まれてますからね」

「でも、甘やかすなとも言われてるよ?」

「難しいんです。その境界線」

 

 難しい上に明確な答えはなく、曖昧なものが多い。にちかが今後、どうアイドルとして頑張っていくのかは知らないが、もしかしたら辞めることになった時、勉強もしておいた方が良いのは分かるし、それには宿題を写させるのは良くないこともわかる。

 でも、やはり放っておけないのは、性分なのかもしれない……なんて思っていると、撫でてない方のお腹に回している手をきゅっと握られた。

 

「じゃあ……私ももう少し、甘やかして欲しいな」

「朝ご飯、お弁当、夜ご飯、撫で撫で以外になにをご所望で?」

「家計簿」

「え?」

「家計簿。私もつける。……次は、青葉と二人で出かける時のためのお金、貯めておきたいから」

「……」

 

 驚いた。まさか……前に一度、言った事があるとはいえ、美琴がそんな風に言い出すとは。

 いや、それ以前に、だ。それを実感したということは……もしかして、お金ないのだろうか? 

 

「生活費、大丈夫ですか?」

「大丈夫。多分。でも、大丈夫じゃなくなるかもだから……」

「やるなら、やり方を教えるだけです。他人のお金まで管理するつもりありませんよ」

「む……やっぱり私には厳しい?」

「いや流石に結婚してるわけでもないのに、お金の管理はちょっと……」

「……」

 

 それは普通の恋人同士でもやることではないだろう。流石に責任が重い。

 

「じゃあ……教えてもらおうかな。夏休みの宿題、にちかちゃんにも教えてるんでしょ?」

「まぁ、はい」

「私にも教えて。お勉強」

 

 意外とやる気なのが驚きだが、まぁ自分も毎朝ランニングに付き合ってもらっている身だ。断る理由がない。

 

「分かりました。いつにします?」

「明日……は、私が仕事だし、明日の夜」

「……疲れて帰ってきて大丈夫ですか?」

「大丈夫。……誰かが労ってくれれば?」

 

 言いながら、美琴は真後ろに体重をかけた。背もたれになった青葉の顔を避けて肩に頭を置き、真横からチラリと青葉を見る。

 普段の青葉なら、膝の上に乗ってきていた段階で爆発しているところだが、今日は違った。久しぶりブーストで、精神的にも少し強くなっていた。

 

「……分かりました。でも、やっばりやめたは無しですよ?」

「ん」

 

 返事をした美琴は、そのまま身体を横に倒した。ソファーの上で、青葉は美琴と一緒に身体を横にする。狭い範囲の中、美琴の後頭部が目の前にある状態で、身体はモロに密着している。

 

「どうしたんですか? 頭撫でてる時に、急に倒れると危ないですよ」

「ね、青葉」

「はい?」

「二人きりの時だけで良いからさ……タメ口で、話してくれないかな?」

「え、なんでですか?」

「私より……にちかちゃんとの距離感のほうが近いみたいで、少しだけ羨ましいから」

「……」

 

 普段の青葉なら「いえ、そんな恐れ多いです! 僕が如きチンカスが、美琴さんのような女神にタメ口だなんて! それは神に弓を引く行為に他なりません!」とアホみたいに力説するところだっただろう。

 しかし、今日の青葉は美琴に対してさえ、少し軽口が漏れてしまっていた。

 

「……どうしたの、みっちゃん。今日はいつもよりも甘えん坊ちゃんじゃん」

「ふふ……お母さんのありがたみを思い出したからね……」

「男子高校生にお母さんって言ってる自覚ある?」

「年は関係ないよ。そういう世界で生きてきたから」

 

 芸能界も実力主義なのかな? なんて思っている時だ。くあっとあくびが漏れそうになったので手を当てた。

 

「眠いの?」

「……まぁ、旅行なんて久しぶりで疲れたし……」

「ふふ、じゃあ……」

 

 呟いた美琴は、体をモゾモゾと回転させて青葉の方に向ける。

 

「寝ちゃいな? たまには、私がお母さんやるよ?」

「いや俺は別にホームシックとかじゃないんで」

「じゃあお姉さん」

「本当にいるからやめて。姉とこうしてるのなんて想像するだけでも気持ち悪い……」

「でも、お姉さんが帰ったばかりの時は少しだけ寂しそうだったよね?」

「……」

 

 なんてこった、この人割と意地悪い……いや、と言うより、意地悪とかじゃなく反射で言ってる。

 そんな気はなかったのだが……まぁ、他人にそう思われたのなら仕方ないと思い、青葉はそのまま美琴の腰に手を回した。

 

「……でも、ここみっちゃんのソファーだよ」

「後で布団に運んであげるから」

「そうじゃなくて。俺の部屋隣だから」

「気にしなくて良いよ、一泊くらい」

「……そう。じゃあ他人に知られた時の言い訳も考えておいてね」

「ふふ、任せて」

 

 そんな話をしながら青葉は瞳を閉ざし、美琴が青葉の頭を撫でた。

 

 ×××

 

 翌朝。青葉が目を覚ました時、まず目に入ったのは美琴の胸元だった。

 

「えっ」

 

 な、なんでー……なんて思うまでもない。そういえば、昨日の夜……帰ってきて、恥ずかしいテンションのままお互いにお互いを甘えさせあって……終いには、た、タメ口で……添い寝まで……! 

 

「ほぎゃー!」

「え、な……何? びっくりした……」

 

 美琴が目を覚ましてしまったので、慌てて布団から這い出る……が、床に落ちていた消しゴムのようなものを踏んづけて転び、背中を壁に強打する。

 

「いっづぁっ……!」

「何してるの……朝から……?」

「い、いえ、その……ちょっと、朝イチで死にたくなることを思い出して……」

「? 何?」

 

 死にたくなることって言ってんのに何食わぬ顔で聞いてくるスタイルには驚いたが、そうも言っていられない。昨日話したことは全部、忘れてもらわねば。

 

「みっちゃん、昨日のことは全部忘れて下さい!」

「二人の時は敬語やめるって約束」

「それを忘れてほしいと願っているのですが⁉︎」

「やだ」

「やだ⁉︎」

「それより、朝ご飯。一緒に食べよう」

「え、いやあの……その前にですね、敬語の件……」

「やめて。敬語」

「有無を言わさねえ! 畜生、なんで俺がちょっとおかしいときに限ってそんな大事な約束をしちまうんだ!」

 

 みっちゃん、と呼ぶきっかけもそうだった気がする。弱味を握るのが上手い……というより、そういう時に限って弱みを握られる自分が憎い……。

 なんて、頭の中でぐるぐると回る中、美琴は布団から出て伸びをする。

 

「朝、なんでも良いからね。仕事だから納豆以外なら」

「あ、あの……‥じゃあせめて昨日の妙なテンションは忘……」

「もう……朝からうるさい……」

「えっ」

 

 そう言った美琴は寝惚けているのか、青葉の方に体重を預けてきた。

 

「ちょっ……み、みっちゃん……⁉︎」

「あふぁごふぁん……や、ほのふぁへに、ランニングか……」

「そ、そうだけど……何して……!」

 

 何せ、真夏の寝巻きなこともあってかなりの薄着、袖さえない状態のハグだ。胸がもろに自分の胸に当たり、頭が真っ赤になる。

 

「じゃあ……着替えふぁひほへ……」

 

 欠伸混じりにそう言った美琴は、そのまま離れると立ち上がり、伸びをする。相変わらず半開きの眠たげな眼差しで伸びをした後、青葉の方をふと見下ろす。

 その後……にこっと何故か微笑まれて。そのあまりにもだらしないはずなのに美しすぎる仕草に、思わず青葉の胸の奥は高鳴って。

 ……そして、何を思ったのか、その場で着替え始めようと上半身の服を捲り上げ始めて脳がオーバーヒートして。

 

「何してんだあああああああああ‼︎」

 

 鼻血が出ているのも気にする余裕なく、慌てて乳首が見える前にその服の裾を真下に引っ張り下げた。

 寝ぼけていて力が入っていなかったのだろう。力じゃ敵わないと思ったからこそ、力いっぱい真下に下げたのが仇になった。キャミソールの肩の部分がぐーんと伸びて、胸と胸の谷間が思いっきり顕になる。

 

「あれええええええ⁉︎」

 

 やばい! と、手を離そうとした時だった。ガッとその手が掴まれる。その掴まれた先にあるのは、緋田美琴(覚醒)。珍しく照れた様子で、顔を真っ赤にしていた。

 

「あ……み、みっちゃん……」

「……えっち」

「えっ、それ俺が?」

「は?」

 

 今の返しは、自分でも良くなかった自覚があった。気がついたときには、美琴のビンタが炸裂していた。

 

 ×××

 

「す、すみませんでした……」

「いや、私こそごめん……」

 

 話しながら、早朝ランニングする二人は、とりあえずランニングの時は三人で走ることにしたので、にちかの家に向かう。

 しかし、美琴には不思議だった。前々から、たまに青葉に薄着なとこを見られること……或いは、ノーブラのまま近い距離にいることもあったが、多少恥ずかしいだけ……いわば、水着の撮影などと同じ感覚だったはずだ。

 だけど……さっき寝ぼけが回復した直後に胸の谷間を見られた時は、恥ずかしさのあまり嫌なことを言ってしまった。

 何故だろうか、そんな恥じるところでもないのに。

 その青葉は、自分に「えっち」からのビンタを浴びた事で、少ししょぼんとしたまま後ろをついてくる。

 少し……気まずいな、と思わないでもない。そんな感情、青葉と一緒の時に初めて抱いたかもしれない。

 でも、大丈夫。もうすぐ、にちかの家に着く。あの子なら、青葉と喧嘩して空気をリセットしてくれるはず。

 

「はっちゃん? にちかいる?」

 

 青葉がインターホンを鳴らし、返事があった姉からの声を聞く。しかし、その向こうから聞こえてきた声は……。

 

『昨日の旅行で疲れたから、今日は無理だってー』

「は?」

『ていうか、脹脛が限界とか言ってるよー?』

 

 ……なんで大事な時にあの子は……と、美琴は思わず額に手を当てる。もう本当に困ったものとしか言いようがないレベルだ。

 

「分かった。ごめんね、朝早く」

『大丈夫〜。じゃあ、走り込みがんばってねー』

 

 この気まずい空気のまま走り込みを再開してしまった。

 だが、残念ながら急に発生した気まずい空気というのは長く続かないものであって。

 

「やばっ……今日、朝から暑すぎ……」

「だ、大丈夫……?」

 

 いつもより早くフラフラし始めた青葉が気になって仕方なかった。

 

「一度、休んだら?」

「いえ……ただでさえ、みっちゃんにペース落としてもらってるのに……そんなわけにはいきません……」

「敬語」

「ペースダウンは許されるのに敬語はダメなの……?」

「大丈夫、青葉のペースで良いから。私にとって早朝のマラソンは準備運動だから、遅くても大丈夫」

「わ、分かりました……ありがとうございます」

「敬語」

「……」

 

 何度言ったら分かるのか、このバカは。とても成績優秀者とは思えない学習能力の無さである。

 

「ほら、ゆっくり。息整えて」

「ふぅ、はぁ……よし」

「じゃあ、再開」

「はい!」

「……」

「返事くらい良いだろ……」

 

 そんな事はあったものの、とりあえず二人でそのまま走り切った。

 さて、そのままお互いにシャワーを浴びてから、朝ご飯の準備。青葉が作ってくれたカルボナーラトーストを食べながら、美琴は少し幸せそうな声を漏らす。

 

「ん……青葉のご飯、久しぶり」

「一昨日のお昼もそうだったでしょ」

「やっぱ作りたてとは違うよ」

「……」

 

 ちょっと嬉しそうにしている。ホント、ポーカーフェイスが全然、出来ていない可愛い男の子である。

 

「今日の仕事は何時までですか?」

「……」

「……じゃなくて、何時まで?」

「夕方。昨日と一昨日、出来なかった分の自主練してくるから、21時過ぎる」

「その後で、家計簿の付け方覚えられるんで……ますか? じゃなくて、覚えられる?」

 

 ……不慣れだ。そういうとこも可愛いが。

 

「じゃあ、明日?」

「明日はオフなんで……なん?」

「いや、夕方まで。自主練しないで帰るよ」

「みっちゃんが一番大事にしているのはアイドルでしょう? 無理にやれとは言いませんけど、我慢しろとも言いませんよ?」

「……」

 

 ……ちょっと驚いた。まさか、そんな言い方してくれるなんて思わなかった。正直、この歳になって勉強するくらいならレッスンしたいというのはあった。やるなら休みの日が良い。

 

「じゃあ……次の休日でも良いかな?」

「勿論」

「ありがとう」

 

 そうと決まるのとほぼ同時にパンを食べ終えた時だ。ふと、時計を見ると出発の時間だ。

 

「歯磨きしないと」

「皿洗いは俺がしておきますので、磨いてきて下さ……み、みが……磨きなさい?」

「ますますお母さんみたいそれ」

「……」

 

 もし、青葉が結婚してしまったら、その養子になろうかと思ってしまう程度には手放したくなかった……というか、青葉が結婚なんて許したくないまである。

 

「ね、青葉」

「はい?」

「結婚願望とか……ある?」

「え……な、何その質問」

「……」

「まぁ……どうでしょうか。少し前まではみっちゃんが嫁って言って、金がかかる結婚なんて考えてなかったけど……」

「え……あ、ああ、ファンってこと」

 

 ……何故、今、自分は少しドキッとしたのだろうか? と思ったりしてしまったわけだが、まぁ気にしない事にした。

 その間に準備をする。歯磨きの後は着替え、レッスンもあるのですぐに落ちる程度の化粧……などと準備を終えて部屋を出ると、ちょうど青葉がキッチンから出てきた。

 

「……はい、お弁当」

「ありがとう」

 

 こうしていると、推しを「嫁」と呼ぶオタクの気持ちがわかってしまうくらい、甲斐甲斐しい子である。

 

「……じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい……というか、部屋に俺も戻らないと」

「その前に」

「……はいはい」

 

 玄関で、青葉は美琴の頭に手を伸ばし、撫でてあげる。美琴も実に気持ちよさそうに目を閉じて、それを堪能した後、二人で部屋を出た。

 

 ×××

 

 夕方。美琴が言うには、今日は夜までレッスン……との事なので、青葉はそれに合わせて夕食を作ることにする。

 自分の夕食は先に済ませることにしたので、とりあえず適当に冷蔵庫の中を漁る。ここ最近……といっても3日前以前だが、美琴の帰りが遅くなる日は、青葉は自分の夕食を練習台にして、修正点を見つけてから美琴に提供するようにしていた。

 今日もそれで行こうと思い、何を作るか冷蔵庫の中の食材と相談していると、インターホンが鳴り響く。

 

「? 誰だろ」

 

 出てみると、そこに立っていたのは美琴だった。

 

「え、早い?」

「ふふ、仕事が向こうのディレクターの都合で中止になっちゃって、自主練も早めに始められたから、早めに帰って来ちゃった」

「そ、そういうのは早めに言って下さいよ……」

「敬語使ってる間は早めに言ってあげない」

「それとこれとは別でしょ……まだご飯、何作るかも決めてませんよ」

 

 話しながら、とりあえず美琴が部屋に上がろうとしたので招き入れつつ、後ろから抱きつくように肩に頭を置かれたので、撫でてあげる。

 

「……迷惑? せっかく早く帰ってきたのに……」

「……そんなことないよ。嬉しい」

 

 拗ねたように言われてしまったので、笑顔でそう言う。驚きはしたけど、普通に嬉しいというか、ちょっと顔を見て安堵してしまったというか……少し、笑みを浮かべてしまった。

 

「何か食べたいものはある?」

「なんでも良いよ」

「じゃあ……天ぷら?」

「良いね」

「待っててく……待ってて。今作るから」

 

 そう言って、青葉は台所に立った。その青葉に、美琴が横から声を掛ける。

 

「……青葉」

「はい?」

「ご飯の前に……もう少し、撫でてくれる?」

「良いですけど、お腹空いてないん?」

「空いてるけど……でも、構って欲しい」

 

 なんだそれ可愛すぎか、とクラッと頭に来る。この人、旅行終わってから容赦無くなってきた。

 

「……待ってて。お米だけ先に炊いちゃうから」

「はーい」

 

 そればっかりは時間がかかる。……というか、まだ炊いていなかったことに少しだけ後悔。ちょっと気を抜きすぎた。

 サクッと米を研いで炊飯器にぶち込んでボタンを押している間に、美琴はテレビの周辺を眺めている。

 

「何か見たいテレビあるなら、見ててどうぞ」

「うん。ありがと」

 

 ボタンを押して、青葉も美琴の隣に座った。美琴は青葉の方に体重を預ける。

 

「そういえば、時間が空いたなら家計簿の付け方、教えようか?」

「やだ」

「え」

「今日は……このままで」

「そ、そうすか……」

「それより、次はどこに遊びに行くか決めよう」

「え、あ、遊びに行くんですか?」

 

 思わず声を漏らす。そんな話聞いて……いや、何回かしてた。してたが……社交辞令かと思っていた。

 その反応は地雷だったようで美琴から少し冷たい声音が漏れる。

 

「は? 敬語。いかないの?」

「い、いえその……」

「行きたくないならそれでも良いけど……」

「い、行きたくはあります……ある、けど……」

「じゃあ行こうよ」

「でも……この前の旅行は四人だったからあれだけど、俺みたいなのとみっちゃんが二人で歩いてたら、まずいんじゃ……」

「今更じゃない?」

「い、いや遊びに行くってことは買い物とかではなく観光地やアミューズメント施設に行くわけであって、そんな所に行ったらもう言い訳も立ちませんよ⁉︎」

「敬語」

「……」

 

 なんでそこは絶対に訂正してくるのか。少し狼狽えていると、美琴は少し真剣な眼差しで聞いてきた。

 

「にちかちゃんとは、二人で遊びに行ったこととかなかったの?」

「あるけど……」

「例えば?」

「中学の時の先生がデ○ズニー狂いで年パス持ってて『シーのアップルティーソーダがバカ美味い』って言ってたから、確かめに行ったことならある、かな」

「その時、にちかちゃんと付き合ってた?」

「やめてよ……にちかと付き合うくらいならはっちゃんに告ってフられる」

「じゃ、私と二人で出かけても問題ないよね」

「いや、付き合ってない男女がデートした、とかじゃなくて、アイドルとファンだから!」

 

 この人、長いこと芸能界にいるのにどうしてそんなに呑気なのだろうか? 

 

「でも、にちかちゃんと今でもたまに二人でCD屋のバイト、遅くまで残ってるよね?」

「まぁ……」

「じゃあ問題ないね」

「あります! それは仕事だから!」

「でも、たまににちかちゃんの家までわざわざ料理持って行くこともあるよね?」

「あるけど……」

「なら、問題ないね」

「ごっ……」

 

 そ、それはどう反論したものか、と少しだけ迷ってしまったり。お隣さん同士のお裾分け、なんてレベルではない。何せ、自転車で20分はかかる距離へのお裾分けだから。

 

「わ、分かったよ……」

「なるべくなら、学生が行きそうなところが良いな」

「なんで?」

「私、学生時代の友達とそういうとこ、行ったことないから」

「……」

 

 アイドル一筋だったからこそ、行かなかったのだろう。興味がなかったからなのか、それとも我慢してきたのかはわからない。

 どちらにしても、そんなふうに言われて断れるわけがなかった。

 

「……遊園地とかどうですか?」

「うん。楽しそう」

「じゃあ、調べておきます……と言っても、デ○ズニーは旅費もかかるしダメー……だよね?」

「任せるよ?」

「いや、俺が死ぬから」

 

 中学の時と違って、たまに遠出して遊びに行くお金を親がくれるわけではない。

 今は自分で稼いでいる以上、大事に使わないといけない。

 

「青葉」

「はい?」

「お腹すいた」

「はいはい」

 

 作るために立ち上がろうとすると、美琴も退いた。

 

 ×××

 

 翌朝、青葉は今日もランニングと思い、着替えと歯磨きを終えて部屋を出て隣の部屋のインターホンを押す。

 

「みっちゃんー、マラソン行こー」

 

 まるで磯野を誘う中島の心地だった。タメ口を強制され始めたので、もうとてもアイドルとファンの関係に見えないだろう。

 しかし、今日は珍しく返事がない。いつもなら青葉よりも早く起きていることもあるのに。

 さては……寝坊だろうか? なんて普通のことを思い当たり、待つことにした。

 

「……」

 

 せっかくなので、この時間の間にストレッチ。勿論、下の階に響かない程度で。

 あらかた終えたあたりで……ふと、玄関が気になる。やはり、応答がない。まだ寝てる? 昨日は夕食食べた後、頭を撫でてすぐに解散したし、寝坊するような要素はなかったはずだが……まぁ、たまにはそんな事もある。

 もう少し待つことにした。

 

「……」

 

 さて、10分経過。流石に遅い。もう一度、インターホンを押した。

 

「みっちゃーん、ランニングのお時間ですよー?」

『……何その言い方』

「あ、出た。行かないの?」

『……今日は、ちょっと……』

「え、体調悪い?」

『……』

 

 心なしか、声が震えている。体調崩したのなら、見てやらないといけないのだが……まぁ、仕方ない。

 

「もしあれなら、俺見ますよ」

『いや……そうじゃなくて……』

「?」

『…………昨日と一昨日の夜のテンション……死にたい…………』

 

 それを聞いて、青葉は意外そうに目を丸くする。なにその理由かわいい、とか、爆テレしてる美琴の顔レアだから見たい、だとか色々あるが、思わず口走ったのは言っちゃいけない言葉だった。

 

「え、今までの素面じゃなかったんですか?」

『……青葉は普段の私があんな風に見えてるんだ』

「や、可愛いもんは可愛かったから……」

『今日は朝ご飯いらない』

「えっ」

 

 仲直りまで、その日の夕方までかかった。

 

 



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唯春の夜の夢のごとし
ダメな奴、と呼ばれる大体の奴の所以は碌なことを言わないから。


 家計簿には、別に決まった付け方があるわけではない。だから、青葉が教えてくれた方法も「青葉流」らしい。

 それを、今日も少しずつ事務所でつけていると、その美琴に声が掛けられる。

 

「あ、珍しいな。美琴。勉強か? ……何に備えての勉強?」

「違うよ。家計簿つけてるの」

 

 そう言いながら、片手に持っているレシートをぴらぴらと見せる。その直後だった。プロデューサーが、片手に持っていた缶コーヒーを落とした。

 

「か……けい、ぼ……?」

「うん? あれ、知らない? 家計簿」

「知ってるけど……美琴が?」

 

 あまりの衝撃に、今まで見たことない顔になっていた。そんなに意外ですか、と少しだけイラっとする。

 

「美琴が、家計簿……?」

「え、何?」

「……すごいな、一宮くん……」

「私は褒めてくれないの?」

「ああ……うん。いや、偉いぞ美琴」

「私は子供?」

 

 褒められた。いや別に褒められたいわけでもないが。

 とりあえず、それをつけ終えてノートを閉じると、その美琴は軽く伸びをする。家事とはいえ、こういうデスクワークは好きではない。

 とりあえず、明日は朝早いのだ。夏休みの休日は、全部青葉に使うことにしたし、自主練が終わったら、早めに帰ることにしている。

 

「じゃあ、お先に失礼します」

「うん。お疲れ様、美琴」

 

 最近、自主練の時間が短くなった。それは、手を抜いているからじゃない。割と満足いくレベルに行くまでが早くなっているからだ。

 練習時間が短くなったのに上達を感じられる事に、少しだけ不思議に感じながらも帰宅した。家に戻れば、温かい食事を用意してくれている少年が待っている。

 

 ×××

 

「おかえりなさい! 晩御飯、今用意するね」

 

 天使、と美琴は浄化されそうになってしまった。可愛い男子高校生が出迎えてくれている辺りに、少しだけ満たされてしまう。

 

「何食べたい?」

「じゃあ……今日は、とんかつ」

「い、意外とこってりしたものいくのね……任せて」

 

 そう答えながら、青葉は台所に行く。その前に、その青葉の肩に手を置いた。

 

「その前にやる事」

「あ、は、はい……」

 

 言われて、少しだけ控えめに青葉は自分の頭に手を置いた。優しく、それでいてしっかりと包み込むように頭を撫でられる。

 

「ん〜……♪」

「……満足?」

「もう少し……」

「良いけど、とんかつでしょ? 作るのに時間かかるよ」

「そっか……明日、朝早いもんね」

「……本当に行くんですか?」

「敬語」

「アッハイ」

 

 というか、行くに決まっている。それが楽しみで頑張ってきたのだから。

 

「行くよ。嫌? 青葉はデートいくの」

「そ、そうじゃないけど……デートって言うのはダメ。名義上は『今後、テレビで遊園地のレポに行くかも』っていう相対を備えた取材なんだから」

「はいはい……」

 

 ファンとしての矜持か、それとも他人にバレた時の備えか、そういう設定だ。「じゃあなんで男子高校生と一緒に行くの?」という問いには「男子高校生から生の声を聞くため」と答えておく。

 

「……遊園地、ですか……」

「青葉は嫌?」

「嫌じゃないけど……」

「じゃあ、明日楽しみにしてるね」

「……は、はい……」

 

 話しながら、青葉は自分から離れてとりあえず料理しに行った。

 

 ×××

 

 翌朝、早朝からお出かけである。青葉と美琴は家を出て、遊園地に来た。一応、美琴はサングラスや帽子をかぶっていて、ハッキリ言って変装しているのにアホほど似合っている。

 

「……あまり来たことなかったけど、結構騒がしいとこなんだね」

「そりゃまぁ、家族連れかカップルがたくさん来る場所ですし」

「じゃあ……私達はどう見えるかな?」

「えっ、ど、どうって……」

 

 いや、いやいやいや、と、青葉は首を横に振るう。そんなに自分は自惚れていない。

 

「そ、そうですね……女王様とペットとか……」

「……」

 

 あれ、と少し青葉は冷や汗をかく。美琴が少しむすっとしているからだ。流石に今のは卑屈過ぎたかも美琴のむすっとした顔可愛い……と思ったので、慌てて弁解した。

 

「う、嘘です! お嬢様と召使い……!」

「……」

「ま、間違えた、親子!」

「一番ムカつく」

「ええっ⁉︎」

 

 ヤバい、でも正直何に怒ってるのか分からない……と、冷や汗をかく。

 

「ダメなの?」

「な、何がですか……?」

「普通にデート中の男女に見えちゃ」

「……」

 

 クリティカルヒットした。主に、嬉しさと申し訳なさに。この人、まさかとは思うが自分に……いや、恥ずかしい勘違いはやめよう。アイドルとファンという関係を抜きにしても、24歳と16歳。無理がある。

 ……けど、まぁそう見えるだけなら問題ないだろう。少なくとも青葉は、その……デートのつもりでないわけでもない可能性があることもあるわけで。

 

「……まぁ、じゃあ……それならそれで……」

「え、不服?」

「あ、いえ……い、いきましょうか」

「うん」

 

 そのまま、二人で遊園地内を歩く。

 

「で、青葉。まずは何したら良い?」

「えっ?」

「遊園地での遊び方」

「遊び方……」

 

 あまり考えた事はないが……まぁ、自分がにちかと遊ぶ時は、やはりジェットコースターから。

 しかし、頭が良い青葉は分かっていた。あれはジェットコースターから、という決まりがあるのではない。興味がある乗り物から乗る、という順路なのだ。

 

「みっちゃんが興味ある奴から乗ろうよ。それが、一番楽しめると思うな」

「……そっか。流石」

「いやいや、そんな褒められるようなことでは……」

「さ、行こっか。まずはあれ」

 

 言いながら美琴が指差したのは、メリーゴーランドだった。

 

「……へっ?」

 

 何その意外なチョイス……いや、もしかしたらあんまり意外でもない? ……でも、意外でもないけど予想外ではあった。

 思わず呆けてしまうと、美琴が不安そうに顔を覗き込んでくる。

 

「嫌?」

「嫌じゃないですけど……え、あれで良いんですか?」

「うん。ちょっと興味あった」

 

 それを聞いて、思わずキュンとしてしまう。この人、本当に24歳だろうか? 

 

「っ、な、何その興味可愛い……」

「えっ?」

「あっ、やべっ……声に出ッ……!」

 

 しまった、ついオタクの気持ち悪い包み隠さない部分が出……! と、顔を赤くして口を塞ぐ。

 流石にドン引きされたかも……と、隣を見ると、美琴はらしくなく顔を赤くしていた。

 

「……えっ?」

「……か、可愛かった?」

「あ、ええまぁ可愛くないみっちゃんを見た事ないと言うのもありますが……」

「っ……そ、そっか……結構、恥ずかしいね。褒められるの」

「えっ……」

 

 い、いつものことじゃないの? と片眉を上げる。が、美琴は照れたように頬をポリポリと掻く。

 

「普段、スタッフさんには褒められるけど……でも青葉に褒められるのとは違うから」

「えっ……な、なんで?」

「なんでって……」

 

 すると、また少しカァッと頬を赤らめる美琴。えっ、何その反応、と思う間も無く、美琴は青葉の手を引いて歩き出した。

 

「ほら、早く乗ろう」

「えっ、お、俺も乗るの?」

「え、これ1人で乗るもの?」

 

 というか、二人で乗るのなんて文字通りのバカップルでしかない。

 

「いや、前ににちかと二人で乗った時はかなり浮いてましたし……それに、一人は乗らないようにしないと、写真とか撮れないよ?」

「……じゃあ、別にいいかな」

「え?」

「一人で乗っても楽しくないし」

「……」

 

 ……がっかりされてしまっている。いや、やはり乗るべきなのか? しかし、周りの目線が……そもそも高校生にもなってこんなもんに乗るのも恥ずかしいのに、それが24歳の成人女性と一緒なんて尚更だ。

 いや、でも、しかし……美琴を楽しませるのが、自分の仕事……! そもそも、貴重な休日を自分のために費やしてくれているんだし、自分が恥ずかしいなんて舐め腐った理由で躊躇してどうする……! 

 

「いや……でもなんか久しぶりに乗りたくなってきたなー」

「! じ、じゃあ……乗る?」

「……そ、そうね。乗ろうか」

 

 なんか自分が乗りたい、と言ったみたいになってるのは解せないが……まぁ、とにかく乗る。

 二人で列に並ぶ。その時点で周りには小学校低学年くらいの子しかいないわけだが、美琴は気にした様子を見せない。

 

「どんなのに乗る? 馬? 人力車みたいな奴?」

「人力車って……まぁ、人力車は無理だと思いますよ」

「じゃあ、馬ね」

 

 すごく楽しみにしている。というか、一緒に乗ると言っていたが、それは自分と同じ馬に乗るのか、それとも別々の馬に乗るのか。まぁ……正直、別々で乗ると一人でメリーゴーランドに乗りにきたように見えそうなので、一緒の方が恥ずかしくなさそうだが。

 

「えっと……別の馬に乗ります?」

「? 一緒でしょ? 二人乗りの馬あるし」

 

 それならそれで良い。しかし、馬にもいろいろとバリエーションがある。普通に疾走しているような馬もあれば、前脚を上に上げて、若干斜めっているものも。

 さて、そうこうしているうちに自分達が乗れる番になった。

 

「これにしよう」

「はいはい」

 

 美琴が選んだ馬は、その前足を若干、上げたものだった。

 

「これ乗るなら、背が高い方が後ろのが良さそうですね」

「じゃあ私……あれ?」

 

 そこで、美琴が声を漏らし、なんだろう? と、青葉は顔を上げる。

 

「青葉……背、伸びた?」

「え?」

 

 言われてみれば、少し目線が合ってきた気がする。いつも頭を撫でるときは無条件で屈まれていたので気が付かなかったが、もしかしたら伸びて来たのかもしれない。

 

「……」

「っ、な、何ですか?」

「背は伸びたけど……お母さんっぽさが上がっただけで、あんまりカッコ良くなってないね」

 

 イラッ☆ と、額に青筋が浮かぶ。久しぶりに美琴にムカついた。

 

「一人で乗るか?」

「あ、ごめん。嘘嘘。乗ろう。ほら、前乗って。まだ私の方が大きいし」

「謝った自覚ないのかしら」

「あれっ、な、何かまずかった?」

 

 ……だが、まぁ二人用に一人で乗せるのもあれだし、仕方ない。まだ自分の方が背が低いし、そうでなくても青葉は弱々なので、前に乗るしかないのだ。

 で、馬に跨り、棒を掴む。その後で、後ろから美琴がむぎゅっとなる。しかし、これは端的に言って失敗だった。

 ……背中に、ただでさえ夏服越しの胸が押しつけられるわけだから。

 

「っ……あ、あの……みっちゃ……えっ」

 

 ていうか、顔も近い……! と、頬が赤くなる……が、美琴の顔も赤い。

 

「ふふっ……青葉、顔真っ赤」

「そ、それあなたが言う……?」

「でも、良いかも。メリーゴーランド」

「こ、こっちは心臓に悪いんだけど……」

 

 なんて話している時だった。横から係員が声をかけてくる。

 

「あの、すみません」

「「はい?」」

「中学生以上のお客様の二人乗りは危険なので、ご遠慮願えますか?」

「「…………」」

 

 そこで、ふと冷静になる。周りから、ヒソヒソ声が耳に届き、周囲を見渡す。

 

「パパ、あの人達ラブラブ!」

「そうだな、若いな」

「すごいわね……私、学生時代どんなにいちゃついててもあそこまではなかったわ」

「私もちょっとそもそもメリーゴーランドを乗る発想がなかった」

「「〜〜〜っ」」

 

 結局、そのまま馬だけ別れて乗って、しばらく周りの人の目線を集めた。

 

 ×××

 

「ごめん……」

「いえいえ……」

 

 普通に冷静になってしまった二人は、真っ赤な顔のまま遊園地内を移動する。少し気まずいのだが、まぁ青葉的には分かってた結果でもあるので、あんまり気にしていない。むしろ、その……顔の近さとパイ圧の方がドギマギしている。

 しかし、美琴は「青葉が止めたにも関わらず強行して恥をかかせた」ことが少し恥ずかしさとして響いていた。自分はこうなることも予測できずに……いや、なんなら胸を押しつけて至近距離にいたかったのかと思われてるかも……と。

 まぁ、どんな形であれ、青葉は美琴が凹んでいるのを察知したので、元気付けることにした。

 それをするには、テンションが上がる乗り物が一番だ。

 

「みっちゃん、ジェットコースター乗ろう」

「良いけど……大丈夫?」

「何が?」

「酔ったりしない?」

「大丈夫。連続で乗ったりしなければ」

 

 それだけ話して、二人でジェットコースターの列に並んだ。

 せっかくなので、青葉は聞いてみることにした。

 

「そういえば、みっちゃんはジェットコースターもあんま乗った事ないの?」

「うん。小学生ぶりくらい」

「へぇ〜……じゃあ、驚くかもね」

「何が?」

「結構、今のジェットコースターすごいから」

「それは楽しみだな」

「怖かったら、俺の手を握ってても良いから」

「ふふ、考えておくよ」

 

 冗談のつもりで言ったのだが……本当に握られてしまったらどうしよう。むしろ青葉の方がドギマギしてしまうかもしれない。可愛過ぎて。

 

「……あの、やっぱり握らないで。ちょっと恥ずかしいから」

「……」

 

 思わず言ってしまうと、少しだけ美琴はむすっとする。そして、横からそっと手を繋いできた。

 

「っ……な、何……?」

「じゃあ、今手を繋いじゃう」

「ごっ……!」

 

 な、なんだと……というか、ここ最近の美琴は本当になんだろうか? なんか……すごい前より距離が近い。少し前なんてやたらと甘えたがったと思ったら爆テレして目を逸らしてたりしたのに……。

 

「っ……手、柔らかっ……」

「え、そう?」

 

 やばい、なんか今日、思ったことが口に出てしまう。

 

「あ、いや……変な意味じゃなくて……」

「青葉の手も柔らかいね。ふにふに」

「……ゲーム機とペンライトしか握ってこなかったものですから」

「じゃあ、今度からは別の何か握ったら? 鉄アレイとか」

「そ、そうすね……」

「私はこのか弱い手好きだけど」

「バカにしてるでしょ」

「ふふ、可愛くて良いと思うよ?」

「……」

 

 少しは身体を鍛えないといけない……背は伸びてきたが、身体は弱いとかちょっと嫌だ。

 さて、そうこうしているうちに、ジェットコースターを乗る順番になった。席に乗り込み、二人で横並びになる。

 うぃーんっ、と、上から安全バーが降ってきて、身体を固定される。この瞬間が、なんだかモビルスーツに乗って出撃するみたいで好きーとは言わず、青葉は前を見た。

 その青葉の手に、上から手が乗せられる。

 

「っ」

「手、繋いでてくれるんでしょ?」

「ふぁひゅっ……」

 

 思わず変な吐息が口から漏れた直後だ。ジェットコースターが、発進した。思わず、乗せられた手を握り返してしまう。

 高速で動くジェットコースターに乗りながら、思わず考えてしまった。

 自分はそんなに朴念仁じゃない。あらゆる理性を総動員させて「そんなわけない」と言う可能性を探せば探すほど、美琴が距離を詰めてくる。

 そして「そんなわけない」と言う可能性をどんなに広げても出てくる最強の杭が、どうしても抜けない。

 ……つまり「好きでもない男に、ここまでするか?」という事だ。

 勿論、美琴は普通の環境で育っていない。中学から一人暮らしを始めて、東京で芸能界に身を置いていたから、価値観も何もかもが違うのは分かる。

 だが、それでも。ここ数日の美琴の自分に対する態度や接し方を見ていると、自分のことが好きなんじゃないだろうか? なんて自惚れそうになってしまう。

 ダメだ、捨てないとそんな考えは。そんな風に思うと、自分ももう少し素直に好意を伝えようかな、なんて思ってしまう。まぁ、伝えるわけにはいかないわけだが……。

 

「……」

 

 恐る恐る隣を見ると……真顔のまま爆風を受けている美琴の顔が目に入った。勿論、美しい……美しいのだが、恐らく髪はボサボサになっている事だろう。

 何故か、ちょっとだけ気が楽になった。普段に比べてグチャグチャな美琴を見たからかもしれない。

 まぁ、なんにしてもそのまま少し落ち着いて……そして、ジェットコースターは元の位置に戻って来た。

 

「ふぅ……帰って来た。終わったね」

「はい……」

「あんまり声上げてなかったけど、もしかして楽しくなかった?」

「あ、ううん。ちょっと……爆風に煽られてるみっちゃんの顔見てた」

「……ちゃんとジェットコースターを楽しんでよ」

 

 あ、ちょっと照れた。と言うより、恥ずかしがったのかもしれない。美琴の頬が赤く染まる。

 可愛い……が、好きな女性を必要以上に辱めるのはちょっとあれだし、何より嫌われるわけにはいかない。弁解しなければ。

 

「あ、いや……ジェットコースターじゃないとそう言う顔見れなかったから、そういう意味じゃジェットコースターを楽しんだと言っても差し支えないのでは?」

「……は?」

 

 ちょっと弁解の仕方を間違えた。ジト目になった美琴が、自分の頬に手を伸ばして引っ張り回してくる。

 

「生意気な口」

「いふぁふぁっ! ふぁ、ふぁんへ……!」

「でも……うん。それくらい生意気な方が、周りには恋人同士っぽく見えるかもね?」

 

 そう言って、ピンっと手を離される。頬がじんじんと赤くなり、少しだけヒリヒリする。

 

「そ、それならつねらないでくださいよ……大体、これ言い出したの俺じゃなくて、俺の顔をジェットコースターで見ながら爆笑してたにちかですし……」

「……」

 

 あれ、またちょっとむすっとした……と、青葉は冷や汗をかく。何かまずい事言っただろうか? 

 その心配は当たりだったようで、すぐに美琴は席を立ち、青葉の手を引いた。

 

「行こ。次」

「え、もう?」

「そう。早く」

「あの……何か怒っ」

「怒ってない」

 

 すごく食い気味……怒ってる人以外でその反応速度は見たことがないのだが……と、困惑しつつも、そのまま美琴とジェットコースターを後にした。

 

 ×××

 

 さて、次に行く場所は美琴が決めた。本当に思う、自分は何かミスしただろうか? と。

 

「……恐怖の館……」

「あんまり怖くなさそうだよね」

 

 いや怖そうだよ、と青葉は強く思う。何が怖そうって、見た目はなんの変哲もない病院にしか見えない所だ。

 

「ここはにちかちゃんと来たことあるの?」

「……はっちゃんが審判で、びびり勝負をした事なら……」

「ふーん……どっちが勝ったの?」

「開始五分で二人揃ってパニクって頭と頭を衝突、揃って失神して、途中で抜けるハメに……それ以来、絶対に寄り付かなくなったかな」

「そっか。じゃあ安心だ」

「何が⁉︎」

 

 この人、絶対怒ってる! と確信してしまう。いや、本当にダメなのだ、こういうの。女々しい、と笑いたければ笑うが良い。虫とお化けはマジでダメだ。恐怖での失神……或いは、生理的に受け付けないものを見たことによる失神を経験するくらいなら、まだ炎天下の中、死ぬほど走って失神した方がマシ、と言い切れるほど苦手だった。

 

「あ、あの……みっちゃん、本当に怒」

「ってない」

「早いんだよなぁ……」

 

 ここまでのリアクションを見せて怒ってなかったら、それはそれで怖い。

 いや、男として情けない自覚はある。でも、ダメなものはダメなのだ。……いや、これも訓練だと思え。変な男にまた美琴が絡まれていたら、助けられるように。

 よし、そう思えば、勇気が出てきた! ちょっと足震えてるけど! 

 なんて思っている時だった。後ろから、そっと肩に手を置かれる。置いたのは、言うまでもなく美琴。思わずふと顔を上げると、爽やか過ぎる笑みを浮かべて微笑んでいた。

 

「大丈夫、私がついてるから」

「っ……は、はひ……」

 

 それ言うの、男女逆じゃね? と、笑う奴は実際やられてみれば良い。そんな薄い価値観の壁などゴールテープと同じレベルで素通りし、惚れてしまうから。そして、そんなこと言われた自分以外の男は全員殺す。

 なんて、割と情緒不安定になりながら、そのままお化け屋敷に入った。中は、夏なのに涼しい。でも全然嬉しくない。なんか冷ややかだから。

 

「……な、なんか寒気が……」

「怖いかもしれないけど、殺されはしないから大丈夫だよ」

「あなたの恐怖は死ぬか死なないかなんですか⁉︎」

 

 スパイかよ! と、脳内で反復した直後だ。何か、耳に響く低く小さな音。嫌な予感がして、思わず隣の美琴にしがみついてしまう。

 

「ひゃうっ⁉︎」

「どうしたの?」

「い、今なんか音が……」

「怖いなら、もっとくっ付いてなよ」

「ひょえっ……⁉︎」

 

 ぐいっ、と青葉の肩を抱いて自身の方へ引き寄せる美琴。思わず胸の奥がドキっと高鳴る。この人、可愛いだけでなくカッコ良すぎる……ほんと、なんでこんな完璧なの……と、胸の奥がドキドキと激しく鳴り響く。

 

「ふふ、身長は伸びてもまだまだ可愛いね」

「な、なんでそんないらんこと言うか……」

「はいはい。良いから、私から離れないで」

「うぐっ……は、はい……」

 

 さて、そのあとはもうものすごい頼り甲斐だった。青葉は情けないことにへっぴり腰になりがちだったが、美琴がリードしてくれるので少し安心して移動出来た。

 ……一方で、美琴は悶々としていた。それはもう、こんな予定じゃなかった、というように。

 なんというか……この子、ギャップの塊か、と思ってしまう。あれだけオカン属性がついていて、まさかのお化けが怖いとか……いや、もうホント今まで自分の方が頼っていた少年が、今だけは身を預けるレベルでこちらに頼り切りになっている……ほんの意地悪であった感は否めないが、これが事務所の黛冬優子や三峰結華がよく言っている「分からせ」というものだろうか? 

 つまり……ちょっと、悪くない。頼られてる現状が。

 

「青葉、だいじょぶ?」

「だっ、だだだだ大丈夫ですけど……」

「もしあれだったら、おんぶしよっか?」

「い、いやいやいやいやいや……さっ、さささ流石にしょこっ……そこまで情けなうぃ姿を見せるのは……!」

 

 こんな状態でも、男の子としての矜持を保とうとする子がなんかもう本当に可愛いものだった。

 

「無理しなくて良いからね。ダメな時はいつでも……」

「だ、だいじょぶだから……」

『オオオオオオオオ‼︎』

「ぴょいっ⁉︎」

 

 どんな悲鳴……うさぎなの? と、美琴はこぼれそうになる苦笑いを抑える。

 そのまま、少しエスコートしてる気分でお化け屋敷内を回る。

 ……そんな時だった。事故は起きた。

 

『イガラム!』

「ひょえええええええ⁉︎」

「っ⁉︎」

 

 青葉がまた驚かされ、自分へのしがみつき方が変わり、青葉の手が自身のお尻にダイレクトアタックした。

 ちょっ、と美琴は頬を赤らめる。よりにもよって、親指がお尻とお尻の間に食い込み掛けている。それはダメ。普通に恥ずかしいし……その、何? 痺れるような何かが……。

 

「ちょっ……あ、青葉っ……んっ……!」

『イガラッパ!』

「ひゃほっ⁉︎」

「ちょっ……待って……!」

 

 さらに奥へ食い込む親指。ほんとにダメな奴、そこは自分でもいじった事ない……いや、別に快楽とかじゃないが。他人にそんなところを掘られる感じが普通に変な感じがするだけな感じ。

 スカート越しなので、これ以上深くはならない……が、親指が食い込むという事はパンツも食い込むわけで。単純に気持ちが悪い感じをさりげなく直せない、というのもあった。

 

「あ、青葉……落ち着いて……!」

「み、みっちゃん後ろおおおおおおお!」

『イガラッパッパッ!』

「うわっ……ひっ……⁉︎」

 

 さらに奥へ親指が入る。……ていうかこの子、ちょっと爪が長い。このままじゃ最悪……スカートが裂かれるかも……! 

 そう思ったので、ちょっと早歩きにすることにした。お尻に異物を抱えながらもなんとか怯える青葉を落ち着かせつつ移動し、なんとかお化け屋敷をクリアした。

 お化け屋敷から出てきた後、ふと視界が明るくなり、改めて自分と青葉の姿を見てみると……青葉は、コアラみたいに美琴の横からしがみついていた。

 

「……っ、っ……!」

「……お、終わった……? 思ったより大した事なかったな」

「……青葉っ……!」

「っ、あ、ごめん。……みっちゃん、顔赤いよ? あ、もしかして割と怖かっ」

 

 ビンタした。

 

 ×××

 

 結局、なんでビンタされたのかは教えてくれなかったが、その後もお昼を食べて遊園地を回って……と、満喫し、最後の最後だ。

 

「あとこれ、乗りたい」

 

 そう言って美琴が見上げていたのは、観覧車だった。

 

「えっ」

 

 思わず青葉は狼狽える。何せ、これを最後に乗るって……デートの定番すぎる。

 つまり……と、変な妄想を繰り返してしまうが、それを慌てて否定する。大丈夫、バカは高いところが好きっていうし、多分そういう事……。

 

「って、みっちゃんはバカじゃないだろ!」

「え、何急に?」

「あっ、いや……の、乗ろっか」

「うん」

 

 そのまま二人で、観覧車に乗る。幸いというなんというか、空いていたのですんなりと乗ることができた。

 ゆっくりと高い位置に回るゴンドラの中で、青葉と美琴はのんびりとする。いざ、こうして二人きりになると、やはり少しだけ緊張してしまう青葉だった。

 何せ、もうこのシチュエーション、完全にデートだからだ。いや元々デートのつもりだったとはいえ、なんかこう……もうデート感溢れるデートだから緊張する。

 

「き、綺麗ですねー……街並み」

「うん」

「……」

 

 あ、やばい、と青葉は押し黙った。こういう時、何を話せば良いのかわからない。何せ、自分はただのオタクだから。こんなシチュエーションがあるなんて、考えたこともなかったのだ。

 

「ね、青葉」

「はい?」

 

 そちらから話しかけられるのは、正直有難いかも……なんてホッとしていると、美琴は少し不安げな表情で尋ねてきた。

 

「ぶっちゃけ、私とにちかちゃん、どっちが好き?」

「え……何か試されてる?」

「うん。好きに答えて良いから、本音で答えて」

 

 うんって……と、少しため息が漏れる。試す側が一番、認めちゃいけない部分だろうに……まぁでも、そんなつもりはない、なんて言われるよりは気が楽ではあるのだが。

 さて、どっちが好きか、という問いだが……。

 

「あんまり知り合いの友好関係に優劣つけるのは好きじゃないけど……好きなのはみっちゃんだよ」

「……ホントに?」

「え、疑われてるの?」

「だって……今日、ずっとにちかちゃんと遊園地で遊んでた時のこと話すから」

「え、そう?」

「そうだよ」

 

 確信を持った様子で言われ、思い返すと……まぁそうかもしれない。遊園地で遊んだ相手がにちかしかいなかった、というのがあってこそなのだが。

 

「だから……ちょっと、不安で」

「え、不安って……何が?」

「……」

「……」

 

 黙られたのが、ある意味では答えになっていた。思いつく限り、一つしか思いつかない。

 でも……本当にそうなのだろうか? これ……聞いてみても良いものなのか? いや、良いわけがない。そうじゃない可能性もあるし、どちらであったとしても、この関係は変わる。お隣さんでは済まなくなるのは明白だ。

 

「……」

 

 仮に、万が一、美琴が自分を好きだったとして付き合ったとしても、それが咎められるのは自分ではなく美琴だ。

 誰がどう見たって「芸能人がファンの高校生を弄んでいる」ように見えるだろう。美琴の活動の支障になるのは明らかだし、いらない悪評が漂うのも耐えられない。

 つまり……現状を回避して今まで通りの関係に残る方法は一つ……逃げだ。

 

「見てくださいあれ、東京タワー!」

 

 赤いただの電波塔を指差してみた。ボケと景色のハイブリッド……少なくとも、自分が今まで関わってきた人間ならツッコミを入れる……と、思った時だ。

 正面にいる美琴が、自身の両手を包み込むように握り、強引に引っ張ってきた。

 

「デート中だよ。こっち見て?」

「っ……す、すみません……」

「敬語もダメ」

 

 羞恥心から少しだけ苛立っているのか、赤い顔のまま今までたまに漏れてた敬語もスルーしていたのに、この時になって急に注意されてしまった。

 どうする、何を言うのが正解? やはり、自分のことが好きかを聞いてしまう? それとも、好きだーとか言ってしまう? 

 どちらもダメだ。どちらも本当に言いたい事、聞きたいことではあっても、今後に支障が出る。

 だが……誤魔化すようなこと言えば、今の美琴にはバレてしまうかもしれないし、何を言えば……なんて考えてしまっている時だった。

 自分を握っていた美琴の手から、するっと力が抜ける。

 

「……ごめん。変なこと聞いたね。こんなこと、言うつもりじゃなかった」

「え?」

「忘れて?」

 

 そう言いながら微笑む美琴の笑みは、明らかに無理をしていて、それでいて何処か寂しげで……その上で、今までこんなに見たくない美琴の顔は初めてで。

 反射的に、今度はこちらから手を握り返し、胸の中に引き寄せてしまった。

 

「っ……」

「えっ……」

「……あっ」

 

 抱き締めてから思った。何してんだ自分は、と。セクハラどころの騒ぎじゃないどころか、外でこんなことして、もし美琴のストーカーがいてこんな所を見られたらどうするつもりなのか。自分は間違いなく夜道に刺される。

 

「ご、ごめっ……これは、違っ……」

「……この後は?」

「……このあと?」

 

 ひらがなになってしまった。え、何それ……えっと……この後を望んでるって……こと? いや、でもまさかそんな……そもそもこの後なんて何も考えて無……あ、あー……ていうか、胸に当たってる胸柔らかい……ていうか、自分の母親にハグされた時はこんなに胸を感じる事はないのに、何故美琴の時は感じるのだろう……いや、そんな事どうでも良くて……! 

 と、頭の中でぐるぐる回った結果、悩み抜いた末の最適解を繰り出した。

 

「あ、あー……えーっと……あれだ。俺の娘になります?」

「……んっ?」

 

 長い長い観覧車一周ツアーの始まりだった。

 

 



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16歳と24歳の思春期。

 はー? と、美琴は頭上に「?」が大量に浮かぶ。一体、何を言われたのか、理解できなかったという顔だ。

 だってわけわかんないし。なんだ、娘になるって。娘とは、要は自分の子供のこと。自分も、両親にはそれなりに溺愛されていたと思う。中学生で東京に行くことを許してくれたくらいだ。

 甘えさせてくれて、美味しいご飯を用意してくれて、耳掃除もしてもらって……あれ、てことはつまり……それを、青葉はしてくれるということだろうか? 

 青葉が甘えさせてくれて、美味しいご飯を作ってくれて……耳掃除! 

 

「じゃあ、なる。娘」

「いや、冗だ……えっ?」

「えっ?」

 

 こいつ今なんつった? と、片眉を上げてしまう。冗談? いや、言い切ってない。先に撤回させる。

 

「もう遅い。私のお母さんになるんでしょ?」

「なんでお母さん限定……お、お父さんって線は……」

「嫌。お母さんのが甘えやすい」

「なんでや……」

「じゃ、まずは……耳掃除して」

「その年で耳掃除頼むの⁉︎」

 

 歳とか関係ない。大事なのは、甘えられるか甘えられないかである。

 

「大体、耳かきないし……」

「はい」

「なんで携帯してるの……」

「女の子だから」

 

 それだけ言うと、美琴はそれを手渡し、帽子とサングラスを外し、観覧車の中で青葉の膝の上に頭を置いた。

 

「はい、よろしく」

 

 そう、年齢なんて関係ない。そんなこと言い出したら、自分は今の今まで八つも年が離れた少年にご飯作ってもらって掃除もしてもらって家計簿の付け方まで教わってしまっている。

 だから、いちいちそんなのもう気にするようなことではない。しばらく目を閉じて掃除してもらえるのを待機していると、ふにっと耳たぶに手が置かれる。

 

「っ……」

 

 耳掃除……それと膝枕。思ったより恥ずかしいかも……と、少し頬が赤く染まる。というか、割と無防備なこの格好……歳下の少年に見下ろされる自分の横顔……なんか、割と普通に恥ずかしく思えてきた。思えてきた、というか実際、恥ずかしい。

 ……でも、悪くないとか思っちゃっている。割と普通に気持ちが良い。彼の太もも、柔らかいし……なんて少しうっとりしている中、ふと違和感。……なんか、耳たぶをずっとモチモチと触られている。

 

「……」

 

 流石にそうまじまじと触られていると恥ずかしいんだけど……と、思い、声をかけた。

 

「あの……青葉、何してるの?」

「っ、あっ……ご、ごめんなさい! ……その、綺麗な耳してるなって……」

「っ……み、耳に綺麗とか、あるの……?」

「いや、分かりませんけど……でも、掃除するとこなんてないけど……」

「……じゃあ、しばらくこのままね」

「え……あ、あの……観覧車なのに外見ないの……?」

「見えるよ。空なら」

「あ、う、うん……」

 

 ……悪くない。いや、本当に悪くない。こうして誰かに甘えるのは本当に久しぶりだ。もう完全に心が溶かされてしまった気がする。

 さらに、ふわりと頭の上に手を置かれる。優しく柔らかく……包まれるように。

 それを堪能するように目を閉じ、全身の力を抜いている時だった。

 

「あの……みっちゃん」

「……ん?」

「……ごめんなさい。限界です」

「え?」

 

 反射的に目を開き、視線だけ上に向けた。

 顔が、真上から降りてきて、頬に柔らかい感触がふれた。

 

 ×××

 

 我慢の限界だった。俗な言い方だが、もうどうしようもない。

 好きで好きで仕方なくて、そんな人が全身全霊を以て自分に甘え、膝の上に頭を置き、子猫のように甘えている……そんなのを見て、理性を保っていられる理由がない。

 頬に、唇をつけて離す。キスされた美琴も、頬を赤くして自分を見上げているが、自分もおそらく頬を赤らめてしまっている。

 

「あお、ば……?」

「……ごめんなさい」

 

 分かってる。青葉は、やってはいけないことをしてしまった。それも、観覧車なんていう逃げ場の無い場所で。

 だから……もう終わりだ。そう完全に全てを諦めようとした直後だ。今度は、美琴が青葉の頬に唇をつけた。

 

「っ……え」

「ふふ……そっか。じゃあ、なる?」

「え、な、何が?」

「恋人」

「…………えっ」

 

 また顔が赤くなる。ビックリした。欲情してキスをしてしまった男に、そんな提案をしてくるなんて。

 

「だ……ダメですよ……アイドルとファンで、そんな関係……」

「でも、私のこと好いてくれてるんでしょ?」

「っ……いや、それはファンとしての好きで……」

「ファンとして好きなのに、キスしちゃうんだ」

「ーっ、あ、あんま言わないで下さいよ……!」

 

 自分でも恥ずかしいのだ。あんなキザな真似をしてしまうなんて。

 でも……あの状況で、あんな愛おしい美琴を前にキスするなという方が無謀な気もする。

 

「それに、ファンとアイドルってよく言うけどさ。私のお母さんも私のファンだけど、家に帰ったら美味しい手料理もらって膝枕とかしてくれてたよ。ファンならみんな平等じゃないよ、残念だけど」

 

 特別な関係のファンは少なからずいる、ということだろう。プロデューサーとかもその中の一人かもしれないし、それは分からなくはない。

 でも、それが周りに許される関係は限られているはずだ。親、兄弟、親戚、仕事上の人、それから……と、数えている間に、さらに美琴は続ける。

 

「だから、私が好きな人に対して他のファンの方達と違う扱いしても、全然変じゃないよ」

「…………ひょえ?」

 

 今なんて? と、片眉を上げてしまった。しれっと挟まれた一言が非常に気になってしまった。

 

「え……あ、あの、今なんて……」

「変じゃないよ。全然」

「えっ……いやそこではなく」

「? ……ああ、私が好きな人?」

「……あ、それ俺のことじゃなかったり?」

「いや?」

「え……じ、じゃあ……」

「好きだよ」

 

 好き、好きと言うのは……えーっと、あ、面倒見てくれるから、とか? と、思い、確認する。

 

「そ、そうだよね。流石に毎日飯作ってくれる都合の良い男、嫌いにはならないよねっ」

「いやそうじゃなくて。普通に好き」

「あ、あー……まぁ、俺もにちかとかはっちゃんも大別すると好きな部類だし、要はそういう……」

「今のを聞いてビンタしたくなるほど好き」

「いだだだだ! 太ももつねるのやめてや!」

 

 ビンタじゃないじゃんそれ! と悲鳴に近い声が上がる。

 半ばパニックになっている青葉に、美琴はジロリと鋭い視線を向け、そして膝枕されたまましれっと告げた。

 

「だから、アイラブユーってこと」

「ぷえっ……」

 

 変な言葉が口から漏れた。ホント、自分の漏らす悲鳴はどこの国の言語なんだろうとは思うが、今はそれどころではない。

 ……いや、まだ喜ぶのは早い。あの美琴の事だ。もしかしたら……。

 

「あの、英語分かんないんだし、意味をよく調べないで使わない方が良いよ」

「……」

 

 ヒヤッとした。真夏の個室なのに。背筋が伸びるほど。その後にはもう遅い。下から起き上がった美琴が、今度は唇を自分の唇に重ねた。

 

「んんっ……⁉︎」

 

 軽く触れて、少し押しつけられて……そして、離れた。もう何が起こったのかさえわからない。今、自分は憧れの人に何をされたのか。

 唇を中心に、顔がやたらと熱くなる。どう考えたって、何をされたのかなんて一つしかない。

 ……つまり、唾液の交換会である。

 

「っ……な、何して……!」

「えー、分かんない? 次、舌入れようか?」

「お、女の子……というか、女性がそんなこと言っちゃいけません!」

「なんで言い直したの?」

「い、いや女性を子供扱いはってなんか変な保身が……いや、そうじゃなくて……!」

「? ……あ、大丈夫。初めてだから」

「いやだからちょっ、すんません黙って!」

 

 ダメだ、喋らせたら。そうじゃなくて、しか言えなくなる。失礼ながらに口調を乱しながらも落ち着き、胸に手を当てる。やばい、マッハだ。全速力で走ったってこうはならないほど。

 なんとか嬉しさと羞恥から吐きそうになるのを押さえつけ、睨むように顔を見て尋ねた。

 

「……なんで、そんな……」

「だって、私の『好き』を分かってくれないから……」

「や、だからって……普通にLOVEとか言えば良かったでしょ!」

「言ったよ」

「……言ってましたね」

 

 ただ、自分が全力で気の所為だと思おうとしていただけだ。そんな片鱗、もう何度も見てきたのに。

 

「……すみません……」

「別に気にしてない。……で、青葉もキスしてきたってことは好きなんでしょ?」

「なんでハッキリ言うの!」

「え、好きじゃないのにキスしたの?」

「い、いや……そんなことは……!」

「じゃあどうなの?」

「…………す、好きです……」

「ふふ、知ってる」

 

 ……死ぬほど恥ずかしい……崇拝しているアイドルに恋慕を抱いた上に、本人に知られるとか羞恥プレイにも程がある。

 

「……で、どうするの?」

「え……な、何が?」

「付き合う? 両想いだけど」

「あ……い、いや、あの……でも、良いのかな……」

「良いの」

「俺なんかと……みっちゃんみたいな、高嶺の花が……」

「私から見たら、青葉の方が高嶺の花だよ」

「っ……か、揶揄うなよ……」

「本音だよ。私には、そこまで他人につくすことができないから」

 

 ……いや、自分も別につくしてるつもりは……あるか。結構。

 でも、良いのか……いや、この際だ。もう疑問を全部ぶつけてしまおう。

 

「……で、でも……8歳差ですよ? 俺ら的に問題がなくても、周りから見たら……風評被害を受けるのはみっちゃんだよ」

「大丈夫、うちの事務所には二股容認してる人達いるし」

「えっ」

 

 な、何その爛れた関係……と、冷や汗をかく。それが許されてるなら、確かに歳の差くらい何でもなさそう……いや、それ以外にも問題はある。

 

「に、にちかにはなんて言うんですか⁉︎ 俺、殺されるよ?」

「大丈夫。言わないしバレなければ。はづきさんには言っておけば、さりげなく助けてくれそうだし」

「……」

 

 それはその通りかも……あいつ、バカだし鈍いし……と変に納得してしまう。

 

「もう質問終わり?」

「あっ……え、えっと……!」

 

 いや、付き合いたくないわけではないが、今後について考える必要はあるし、そう言うのは付き合う前に決めなければならない。

 他に問題……年齢差はクリアされ、にちかのことも平気で……あとは……そう、マンションのお隣同士だ。しかも料理を作り作られの関係……ほとんど同棲に近い。

 つまり……そうだ。

 

「お、俺まだ16歳なのでエッチなことは出来ませんが良いんですか⁉︎」

「えっ……」

「……あっ」

 

 すっごくしにたくなりました、まる。

 思わぬ自爆に青葉は真っ赤にしてその場で顔を覆った。

 

「……な、何でもないです……」

「……えっち」

「うごっ……!」

 

 仕方ない。男子高校生だし、誰だって人と付き合ったらそういうことを考えてしまう。思春期でその手の事に興味が出ないのは、ルフィくらいのものだろう。

 

「……す、すみません……」

 

 顔を真っ赤にして俯いている時だった。また膝から身体を起こした美琴が、耳元で囁くように言った。

 

「……そういうのは追々、ね……」

「ーっ!」

 

 おそらくこれが海外の漫画であれば「BOMB‼︎」と音が出そうなほどに真っ赤になった。

 な、なんだ今のは……ヤらしさと、色気と、清楚さと……なんか、黒と紫と白が入り混じりましたーみたいなよく分からない威力……美琴でも大人の女性という事だろうか? 

 それ故に、ちょっとだけ邪推してしまう。

 ……もしかして、経験が? 

 涙目になりながら顔を見上げると、美琴は少し頬を赤くして頬をポリポリと掻いた。

 

「なんて……今のは無しで。ちょっと……恥ずかしかった」

 

 いや、それはなさそうだ。……それと同時に、処女でもそういう色気が出せる辺り、大人の女性ってすごい……と、ちょっと驚く。

 そんな青葉に、美琴が微笑みながら聞いてきた。

 

「それで、どうするの?」

 

 ……ダメだ、もう断れない。ていうか、最後のダメ押しの威力が高過ぎた。もう思考がそもそも定まっていない。

 

「っ……よ、よろしくお願いします……」

「うん。よろしく」

 

 そんなわけで、付き合う事になった。

 

 ×××

 

 さて、遊園地から帰宅し、二人はいつものマンションに入った。普通に帰ってきただけなのに、恋人になったと思うだけで、なんだかやたらと緊張する。

 

「……お、お邪魔します……」

「そんなに緊張しないで」

「するよ……」

 

 だって、カップルで夜におうちに入るって……もうえっちじゃん、と少し思う。いや、もちろんそんなことをする気はないのだが……こう、やはり変な想像がどうしても漏れてしまうのだ。

 

「さ、ご飯お願い。私、シャワー浴びて着替えてくるから」

「その前に手洗いうがいして」

「あ、うん。わかった」

「あの、本当に外食じゃなくて良かったの?」

「良いの。青葉のご飯が一番美味しいから」

「ひょっ……」

 

 ダメだ、勝てない。いや勝ち負けの問題でもないが。

 二人で洗面所で手洗いうがいをすると、そのまま美琴が部屋の中に戻り、青葉は料理の準備。

 ……ん? 着替え? と、一瞬思ったが、まぁ真夏の遊園地にいた格好のまま晩御飯を食べたくない、と言う気持ちはわかる。汗だくだし。

 しばらく野菜の皮むきをして肉を切り終え、焼く前の仕込みをしていると、美琴が戻ってきた。

 

「青葉、あとどれくらいで出来る?」

「記念日だから凝ったもの食べたいって言うから、少し時間はかか……って!」

 

 顔を上げながら話すと、そこにいた美琴が思いっきり部屋着でギョッとする。Tシャツなんてだるんだるんで、胸の谷間が見えていた。

 

「み、みっちゃん! 服装!」

「? 服が何?」

「いや、は、肌出てるから! 胸の辺りとか! 隠して!」

「いや、家にいるのにブラなんてしてられないし、もう恋人になったんだから良いでしょ」

「うぐっ……!」

 

 い、いやまぁ正直、クッソ眼福なわけだが。確かに今はファンとアイドルである以前に恋人同士なのだし、少しいやらしい目で見ることくらいは許されるだろうし、美琴も今まで使っていた気を使わなくなるのもわかる。

 

「青葉ももう少し、いやらしい目で見ても良いんだよ?」

「み、見ないよ!」

「……でも、私は見てくれた方が嬉しいかな。歳、離れてるし、こんなおばさん、本当は女として見られてないのかもって思っちゃうから」

「っ、そ、そんなこと……!」

 

 ない、と言おうとしたが、それを決めるのは自分ではなく美琴だ。つまり……少しは正直に相手をどう思うか、何処が好きなのか、性的な意味合いでどの辺りに興奮するか、失礼にならない程度……いや、少しくらい失礼でも伝えるのも大事かもしれない。

 恋愛って難しいかも、なんて今更なことを思いながら、青葉はコホンと咳払い。

 そして、手を洗ってから美琴の方に歩み寄った。

 

「そ、そんな格好してると、こんな事もしちゃうぞ!」

 

 勇気を振り絞りそう叫ぶと、ダボダボのTシャツの裾を翻した。まぁ胸やパンツはちょっとあれだが、水着姿を見ていることもあってお腹くらいは平気でしょ、と思ったからだ。

 ……だが、下から顔を出したのは黒のレースだった。

 

「へっ……?」

「……そ、それは流石に恥ずかしいかな……」

「ず、ズボンは……?」

「これから履くとこ」

 

 目の前にある、うっすらと割れた腹筋と、その真下のボディラインを綺麗に表した太もも、および黒のレース。

 それは、青葉の罪悪感と興奮の二刀流を呼び覚まし、そして……。

 

「ぐほっ」

「あ、青葉っ?」

 

 鼻血を出してぶっ倒れた。

 

 ×××

 

 食事を終えて、二人は少しのんびり過ごす。いや、もう本当の意味でのんびりしていた。何故なら……。

 

「青葉の膝、柔らかい……」

「変なこと言わないでや……」

 

 まるで縁側で膝の上に子猫を乗せたまま日向ぼっこをしている老人のようになっていたからだ。

 

「あの……みっちゃん。ぶっちゃけ聞きたいんだけど……」

「ん?」

「俺なんかの何処が好きなの?」

「ん……」

 

 まぁ本当に猫だったら懐かれてもおかしくないことをしてきたが、それでも恋愛的に好きと思われることをした覚えはない。背も美琴より低いし、顔だって幼い。運動は出来ないし、趣味は女っぽい。

 ……正直、青葉の気持ちに前々から気づいていて、普段から世話になってるから付き合ってやろうかな、って可能性もゼロじゃない気がする。

 すると、美琴は撫でられながら答えた。

 

「自分の気持ちに気づいたのは、ついさっきだよ」

「え?」

「キスされた時」

「…………ゑ?」

 

 キスされた時って……ついさっきじゃん、と思ってしまう。逆にそれまでの、手を繋いだりとか耳掃除してとか、そういう時は違ったのだろうか? 

 

「前々から、青葉とにちかちゃんの関係が羨ましく思えてたから、好きだったんだと思う。ていうか、今でも羨ましいし」

「えっ……お、俺と喧嘩したいって事……?」

「いや、だって青葉……今でも私には遠慮してるし」

「……」

 

 それはそうかもしれないが。やはり付き合いの長さと年齢の壁は大きい。そんな簡単にはいかない。

 

「でも、仲良いのが羨ましいのは、好きってことかなって。キスされた時、それが明確に分かっちゃったから」

「そ、そうですか……」

「だから、今すぐに口で言うのは……難しいかな。まぁ、パッと挙げると、面倒見が良くて一生懸命で人のことよく見てて愛おしい所?」

「あ、あの……もう結構です」

 

 痛烈に恥ずかしい思いをしてしまった。そんな誇れるようなところじゃないところを全肯定された気がする。

 少し照れていると、膝枕をされたままの美琴は「ん〜……」と唸りながら顎に手を当てる。

 

「ていうか……そうだな。私の事、あだ名で呼んでくれてるし、青葉にも何かあだ名が欲しいよね」

「えっ、き、急に何?」

「いや、私も青葉のこと変わった呼び方したい」

「あ、青葉でいいですよ。そもそも、憧れの人に名前を覚えてもらってるだけでも奇跡なんですから……」

「いや名前を覚えてるどころか彼女なんだけど」

「あ、そ、それはそうですけど……でも、みっちゃんに名前呼ばれるの好きだし……」

「……」

 

 言うと、美琴は少し黙り込む。

 

「……わかった。青葉がそう言うならそれで良いよ」

「うん。ありがとう」

 

 そのまましばらく、美琴の頭を撫で続ける。……幸せ、幸せだ。憧れの女性と二人きりで、膝枕をしてあげられるなんて。普通じゃ考えられない事だろう。

 ……でも、なんだろう。良い事がありすぎて、逆になんかこの先が不安になってきてしまうのだが……まぁ、根拠のない不安なんかにドギマギさせられても仕方ない。

 

「青葉?」

 

 すると、下から声を掛けられる。

 

「何?」

「大丈夫?」

「な、何が?」

「少し、不安そうだったから」

「い、いや……そんなことないけど」

 

 顔に出ていたらしい。ダメだ、その辺に不安を抱くことを知らない美琴に察されるわけにはいかない。ただでさえバカなのに、それ以上不安にさせてどうするのか。

 だが、美琴はまるで何もかもを見透かしているような笑みを浮かべて、青葉の顔を見上げ、口を開く。

 

「……もしかして、青葉……」

「っ、な、何……?」

「たまには甘える側が良いの?」

「……」

 

 本当に愛すべきお馬鹿さんである。バカワイイをここまで体現している人は中々いない。

 

「いや、何でもない。そろそろ部屋に戻るよ」

「え……せっかく付き合ったのに?」

「え……いや、どうせ隣ですよ?」

「泊まっていかないの?」

「……いや、だから隣ですよ?」

「……」

 

 え、何その不満そうな顔……と、少しドキッと胸が高鳴る。いや、泊まりとか流石にちょっと……その、付き合い始めてしまった今、自制心が保つかどうかが本当に……。

 いや、もしかしたら誘われているのだろうか? しかし、そんなつもりなんて無かったから、ゴムも購入していない。

 

「と、泊まりって……流石にちょっと……」

「嫌?」

「嫌じゃないですけど……で、でも、その……ま、まだ付き合って1日も経ってませんし……そういうのは早いというか……」

「え、でも青葉、結構もう私の部屋泊まってない?」

「気絶してでしょう。ハナっから泊まるつもりだったわけじゃなかったし……」

「嫌? 泊まるの」

「や、だから嫌じゃないけど……」

 

 すると、美琴は顎に手を当てたまましばらく考え込んだ後、身体を起こして青葉と腕を組んだ。胸が当たったことによる興奮が生んだ油断が致命的だった。

 

「? なんですか?」

「私の方が力強いし、このまま今日は離さないね」

「なんて言うフィジカルの暴力!」

 

 なんてゴリ押しをかますつもりなのか。本当に逃げられなくなりそうだ。

 

「お、お風呂はどうするんですか⁉︎」

「私はシャワー浴びたから。青葉は……明日の朝にして」

「炎天下の中で遊園地にいたのに、同じ布団に入るつもり⁉︎」

「ん、んー……」

 

 すると、何を思ったのか、美琴は小さく唸りながら青葉の方へ少し身を寄せ、そして首筋に顔を近寄せる。

 少しぞくっとしてしまったのに、自然と身体が逃げようと動くことはなかった。

 

「……うん。臭わないよ。大丈夫」

「っ、い、いやだからそう言う事じゃ……!」

 

 ていうか、この人は本当に何を考えているのか。……いや、何も考えていないんだろうな、とすぐに察する。

 その間に、美琴は身勝手に話を進めてしまう。

 

「勿論、一緒の部屋で寝よっか」

「わぉっ⁉︎」

 

 平然と無茶を言う人だ、本当に。というか、その強引さ……まさか、この人は既にゴムを用意してるんじゃないだろうな、と勘繰ってしまう。

 

「え、いやだからそういうのは早っ……!」

「布団、隣にもう一枚、敷いておかないと」

「や、そういう問だ……え、別?」

「え、布団別じゃないと狭くない?」

 

 ……何を舞い上がっていたのか。というか、美琴がそんなどすけべな女なわけがない……。

 

「あ……別っ、し、死ね俺……」

「? 青葉?」

「なんでもないです……」

 

 羞恥心が、青葉の胸を締め付けた。

 

 ×××

 

 斑鳩ルカは、当たり前のことを忘れていた。

 

「今は学生は夏休みに決まってンだろ……」

 

 だから、あの一宮青葉とかいうガキの学校を見つけても無駄である。来ないのだから。

 こうなったら、やはりもう夏休みに青葉を見つけるのは不可能だ。つまり、あいつを捕まえて美琴とどういう関係かを問いただすなど無理だ。

 こうなったら、9月になるまで待つしかないか……しかし、自分も暇ではない。平日ともなれば尚更だ。

 

「……いや、9月しかないなら、その日に行くしかねーだろ」

 

 とりあえず、平日に一日だけ休みをとり、その日にあの男を今度こそ捕まえる。

 ……もし、万が一にもあのバカと美琴がやましい関係を持っているのなら……。

 

「……」

 

 許されない。そう決めながら、青葉の顔を思い返し、小さく舌打ちした。

 

 ×××

 

 夜中。

 

「すぅ、すぅ……」

「…………」

 

 隣では、とっても綺麗で淡麗なお顔が、とっても静かで綺麗な寝息を立てている。

 

「……すぅ、すぅ……」

「………………」

 

 眠れるわけがねえええええええ、と、青葉は悶々とした。隣を見れば、何故かこちらに体を向けて眠っている。

 ……おかげで、さっきまでのノーブラ胸元が見える。どんなに頑張っても目がそっちにいってしまった。

 その上で、顔だ。本当に綺麗な容姿をしている。こんな美人さんが、まさか目の前で眠っているなんて……あ、ヤバい。ムラムラしてきた。

 

「……」

 

 ……いや、ばかやろう。おそらく、美琴だって誘っているわけではない。周りに避妊具もないのに。つまり、単純に信用してくれているのだ。それなのに、それに対して仇で返すつもりか、自分は。

 そう言い聞かせ、深呼吸。よく見ろ、美琴を。自分にこんな愛おしい人を穢せるのか。

 よし、落ち着いた。今度こそ、本当に眠る。……でも、せっかく付き合った日に一緒に眠っているのだ。彼女の為にも、一つ記念を用意してあげたい。

 そう決めた青葉は、一瞬体を起こし、そして……頬に軽く口づけをした。

 

「……おやすみなさい」

 

 そう言うと、自分の顎に右ストレートを決めて失神させた。

 その、僅か五秒後……避妊という知識がない美琴は、実はガッツリ誘う気でいたので、普通に目を開いた。

 結局、された事といえばえっちとは程遠い、唇どころか頬にされたキス……なのに、美琴の頬は真っ赤に染まっていた。

 

「……えっち」

 

 負け惜しみのようにそう言いながら美琴はモゾモゾと動き、青葉の隣に移動する。

 男子高校生って、こんな純粋な寝顔を浮かべてるんだ……と、微笑ましくなってしまう。……まぁ、自分の胸と顔を交互にガン見していたことにも気付いていたわけだが。

 でも、彼が我慢したのなら、自分も我慢するべきだろう。そう思い、同じように頬にキスをして目を閉ざした。

 

 



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オカン系でも男の子。

 夏休みも残り僅か。その上、美琴の休日はもっと僅か。なので、空いている日は可能な限り一緒にいたいという美琴の案で、今日明日の休日は遊びに行く上になるべくなら一緒にいることにした。

 ……で、睡眠中は、なんか当たり前のように同じ部屋で寝ていた。いや、同じ部屋で寝るならまだしも……。

 

「すぅ、すぅ……」

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。……」

 

 せっかく別の布団で寝ているのに、美琴は転がって自分の背中にしがみつき、抱き枕にして来ている。お陰で煩悩を打ち払うのに平家物語を詠唱しないといけないレベルだ。

 

「んみゅっ……あお、ば……」

 

 本当にやばい。何がやばいって、感触と吐息である。もう、憧れのアイドルの全身を全身で感じさせられている。

 ……いや、アイドルではない。もう彼女なのだ。八つも上の。だから、別に少しエッチな目で見るのも悪くな……! 

 

「や、ダメダメダメダメ!」

 

 ダメだ、おっぱいガン見は! と、自身を律する。ちょっと気になって触って揉んで堪能したいと思うのは自由だが、それを行動でしてしまうのは違……。

 

「あおば……朝ご飯、巨大マシュマロ二個で……」

「ああああああ!」

 

 押し付けられる。この人わざとやってるんじゃないだろうな、という感じだ。ダメだ、揉みたい。ちょっと……ちょっとだけ……なんて思いながら、青葉は身体をモゾモゾと動かす……が、身体をガッチリとホールドされていて動けない。

 

「……あ、ていうか、おしっこしたい……」

 

 ヤバい、トイレどうしよう、と冷や汗をかく。何せ、腕力では勝てないから抜けられない。

 

「み、みっちゃん起きて! トイレ行きたい!」

「ん〜……」

「あれ、すんなり……」

 

 この人、もしかして……と、少しジト目になったが、漏れてしまう。後回しにして用を済ませた。

 さて、改めて寝室に戻り、扉の隙間から中を覗くと、やはり美琴は起きていた。しかも、さっきまで青葉が寝ていた場所に身体を移している。

 

「んん……青葉の、残り香……」

「……」

 

 ……もしかして、あれが素の美琴なのだろうか? いや、と言うよりも……なんか、自分が彼女を壊してしまったような気がしないでも無いが……。

 何にしても……この野郎、起きて人のことからかってやがった、というのはすぐに分かった。

 

「……」

 

 あれが、自分の初彼女……と、普通の人にとっては歴史的快挙のはずなのに、なんだろう……なんか、自分も美琴も普通のカップルにはなれない気がしてきた。

 けど、まぁもうそれでも良い。とりあえず、声をかけることにした。

 

「何してんの?」

「っ」

「いや分かるけど。起きてたんでしょ」

「……っ」

 

 あ、顔赤くなった、と青葉は少しほっこりする。

 

「逆セクハラだよそれ。別に良いけど」

「うっ……わ、わざわざ言わなくても……」

「じゃ、着替えて来るから。マラソンの準備しててね」

「う、うん……」

 

 照れた様子で頷く美琴。……まぁ、やられた分はやり返してやらんと。なんて思いながら、マラソンの準備を始めた。

 

 ×××

 

 しかし、と青葉は困ったようなため息を漏らす。恋人関係になってからと言うものの、本格的に緋田美琴という女性の方がわかってきた気がする……と、

 マラソンを終えて、自分の部屋でシャワーを浴びながらつくづく思った。

 まあ、別に悪い人じゃないし、何なら良い人だ。だから自分は好きになった。憧れ、と言う点を抜きにしても、可愛いとこあるし、ダメなとこがあっても年上っぽくないわけでもない。

 ……だが、やはりダラシない所の中には男として困るところも多くあるわけで。

 とりあえず朝食の準備のために、シャワーと着替えを終えてから美琴の部屋に向かって扉を開けると……目に飛び込んできたのは、頭をタオルで拭きながら、下半身パンイチ、上半身は肩を治す紐の部分が腕のほうに落ちているキャミソール姿の美琴だった。

 

「あ、青葉。早いね」

「みっちゃん! 下履いて!」

 

 慌てて顔を背けながら声をかける。……が、当の美琴はキョトンと小首を傾げた。

 

「何慌ててんの?」

「下! ズボン!」

「別に良いでしょ。夏だし、もう付き合ってるんだし」

「そ、そういう問題じゃないよ! 付き合ってるからこそ、エチケットというものを……!」

「えー、自宅にいるのに?」

「自宅にいてもシャワー浴びてる時に玄関の鍵を開けっぱなしにするな!」

「あー……それはごめん」

 

 言いながら、美琴はスタスタと裸足のまま寝室の扉を開ける。

 

「私、着替えるから。朝ご飯よろしくね」

「も、もう……!」

 

 ホント、そういうとこだらしないと言うかズボラというか……でも、家でくらいキチッとしたくないと言う理由もわかるので、これ以上は言えない。

 次からは、やはり一応インターホンを押そう、と思いながら、台所に立つ。冷蔵庫の食材を引っ張り出して、美琴の朝食を作る。

 炒飯で良いか、と思って、ハムとネギと卵を用意する。

 ハムを切っていると、美琴が出て来た。キチッとしたキャミソールにボディラインを強調するようなスキニー……その隙間から、おへそが出ている。

 

「っ……お、お似合いですね……」

「ありがとう」

 

 まぁ、出かける時は上に何か羽織るだろうし、今は良いか、暑いし、と思っておく。

 とりあえず調理に集中して手を動かしていると、何やら背後に気配。珍しく、美琴が手元を覗き込んでいた。

 

「……どしたの? 毒とか入れないよ?」

「そんな心配してないよ。何かな、と思って。朝ごはん」

 

 せめて手伝いに来たーとか言って欲しかったー……なんて一瞬だけ思ってしまったが、まぁその辺は自分の役割だし気にしない。それに……このまま生活力皆無なら……一生一緒にいてくれるかもしれないし……なんて、割と鬼のようなことを思いながら、続いてネギを切り始める。

 高速で包丁を切り落とし、2秒で一本を刻むと、後ろから「おお〜……」と声を漏らした。

 

「テクニカル」

「このくらい、慣れてる人なら犬でも出来るよ」

「人なのに……イヌ?」

「なんでもないです」

 

 自分でも何言ってるかわからなかった。……というか、今日は熱心に手元を見てくるが……どうしたんだろう。

 卵をボウルに片手で割って溶きながら声をかけた。

 

「あの、ほんとどうかした? そんなにお腹減った?」

「うーん……ごめんごめん。そうじゃない」

「包丁使ってる場で遊ぶの危ないから。大人しくテレビでも見て待っていなさい。我慢出来ないなら、りんご剥いてあげるからそれを摘んでいるように」

「……ほんとにお母さんみたい。じゃあ、それで」

 

 言われて、青葉は野菜室に入ってるりんごを取り出し、手早く包丁で六等分に切り、ウサギを作ってお皿に並べた。

 

「はい、どうぞ」

「……かわいい。ありがとう。ママ」

「はいはい」

 

 これでようやく……と、思っていると、自分の隣でりんごを咀嚼し始めた。

 

「なんでここで食べるの」

「んー、だって……おいしっ。私、青葉に構って欲しかっただけだから」

「……そ、そう」

 

 その、とってもかまちょな所も可愛くて困る。

 

「でも、気が散るので席についてください」

「けちー」

「唯一の取り柄なんだから、集中してやらせてよ」

 

 料理人の息子として不味いものは出せない……と言うのもあるが、何より自分なんかが美琴の役に立てる事なんて無い。生活力になってやるくらいなのだから……なんて思っていると、後ろから肩を叩かれた。

 

「? 何?」

「手止めて。一瞬」

「はいは……んっ」

「んっ……」

 

 振り返った直後、唇に、唇を重ねられた。

 

「っ……な、何急に……!」

「唯一の取り柄じゃなくて、たくさんある取り柄のうちの一つだよ」

「〜〜〜っ!」

 

 顔が赤くなる。カッコ良くて、綺麗で、素敵な慈愛に満ちた笑みと同時に、頬に手が当てられる。

 

「っ……ば、バカ……」

「じゃあ、先で待ってるから。美味しいのお願いね」

「は、はい……」

 

 打ちのめされたような声音を返しながら、そのまま調理を続けた。

 とにかく、こう言うところだ。この人の困るところは。生活力がなくてデリカシーもほとんどなくて自分に対しては恥じらいもほとんどないのに……こうやって、人をたらし込ませる天才の所だ。

 ……はぁ、とため息をつく。この人を前に、自分は男らしくいられる自信がない。

 

 ×××

 

 朝ご飯も食べ終えた。食後のコーヒーを青葉が用意し、二人はのんびりと過ごす。

 

「今日はどうしよっか」

「プールは?」

「いや、変装できないしそれはちょっと……」

「でも、この前の海じゃ、にちかちゃんとばかり泳いで、あんまり青葉と泳げなかったから」

「泳ぎ教えてくれたので大丈夫です」

「私の水着、見たくない?」

「っ……ず、狡いですよ……」

「見たいんだ。えっち」

 

 こ、こいつ〜……! と、奥歯を噛む。

 

「寝たふりして逆セクハラしてくる人に言われたくないです」

「うっ……だ、だって……青葉とくっついていたかったし……」

「暑くないんですか?」

「暑かったけど、それが何?」

「……」

 

 ダメだ。この人にレスバで勝てることはない。何を言われても照れる自信がある。

 そこまでして自分にくっついていたいってなんでよ……と、頬が赤くなる。

 

「じゃあ、プールで良いの?」

「え、いやそれは良くないです。やっぱり周りにバレるのは良く無いから、顔を隠せる場所じゃないと」

「むー……じゃあ、二人で水風呂入る?」

「な、なんでですか! そ、そんなえっちな真似は……」

「え? いや水着で」

「……」

「えっち」

「うっ……うるせ〜……」

 

 もう嫌だこの人……と、涙目になった時だ。美琴はコーヒーを飲み干し、椅子を立った。

 

「じゃ、着替えてくるね」

「え?」

「水着」

「い、いやいやいや! 入らないから!」

「えー、でも私が青葉の水着見たいし……」

「無理無理無理! ……あ、そ、そうだ。出掛けましょう!」

 

 そうだ、出掛ければ良いのだ。そうすれば肌を露出させる事はない。

 

「何処に?」

「え、えーっと……とりあえず、散歩とか! 俺、着替えてくるから!」

「あ、うん」

 

 それだけ話して、自室に戻った。もうシャワーを浴び終えて着替えは済んでいるのだが、とりあえず間を置くためだ。じゃないとなんか色々とマズい。

 そもそも、美琴の今の格好もアレだし、どちらにせよ落ち着く時間が欲しかったりする。

 こんな調子で生活してたら、理性がいくつあっても足りない。

 

「……ふぅ」

 

 とりあえず、今日出掛けるところをこの時間稼ぎの間に考えなくては。あまり肌の露出をしないで済む服装で……なんて思っている時だ。そうだ、夏の風物詩にひとつだけ肌を隠したくなる奴があった。

 

「……これだ」

 

 呟きながら、準備をした。そのまま本当に着替えも始めて小学生の時に使ってた道具も用意して、ようやく準備が出来たので美琴を呼びに行った。

 

「みっちゃん、準備出来た!」

『ん。上がって』

 

 今度はちゃんとインターホンを押す。中に入ると、美琴が目を丸くしてしまった。何故なら……青葉の服装が上下ジャージの上に、虫取り網と虫籠を持っていたから。

 

「昆虫採集に行こう!」

「虫苦手じゃなかった?」

「……」

「て言うか、絶対に嫌だ」

 

 すぐにダメ出しをされてしまった。というか、そうだった。虫苦手だった自分。モスキート対策に厚着をせざるを得ないと思ったのだが……と、部屋に引き返していく。

 

「着替えてきます……」

「いってらっしゃい。じゃあ、行くのはプールね」

「ええっ、け、結局ですか……⁉︎」

「行きたいもん。暑いし」

「……」

 

 仕方なさそうに、青葉はため息をついた。本当、虫取りなんてなんで言い出したのか自分でもわからない。

 でも、自分の案がダメ出しされた以上、反論もしづらいし……と、ため息をつくしかなかった。

 

「分かりましたよ……」

「ふふ、行こっか」

「うん」

 

 そんな話をしながら、青葉はまた部屋に戻った。

 こうなった以上、プールでもなるべく。男らしく威厳を保ちつつ、理性を保てるようにしなければ。

 

 ×××

 

 この時期のプールは基本的に混んでいる……それも、子供が多く騒がしい。

 青葉は、一人で更衣室から少し離れた場所で待機していた。スマホとかの貴重品は置いてきたが、その他はバッチリ持ってきた。クーラーボックスと、中のお弁当に飲み物。塩分チャージのラムネも入れて、栄養面での準備だけは万端である。

 後は……そう、メンタル面での準備なのだが、今のうちに他の客の大人の水着姿をめっちゃ見ていた。今のうちに見ておけば、美琴の水着姿が飛び込んできても大きく狼狽えることはないだろう……と、思っての事だ。

 あの人、胸大きい。あの人、腰細い。あの人、水着の隙間から毛がはみ出て……あ、見たらダメな奴……なんて思いながら見回している時だった。

 

「いふぁふぁふぁふぁっ⁉︎」

「何女の人ばっか追ってんの?」

「っ……ふぃ、ふぃっひゃん……!」

 

 むすーっと、頬を膨らませて立っている目の前の女性は……ビキニの上に、薄いUVカットのパーカーを着て、サングラスを頭上にかけて立っていた。

 

「すけべ。露出が多いから嫌だとか言っておきながら、他の女の子の水着は見るんだ」

「ち、ちがっ……くはないへほ……!」

「バカ、えっち、浮気男」

「ほ、ほへんふぁふぁい!」

 

 びんっ、とつままれた頬を離される。

 そうだった。普通に考えれば、どう考えても周りから見たら薄着の女を目で追ってるヤバい奴だった。

 さて、改めて美琴の水着姿を見るわけだが……まーオーバーキルである。他の女性客なんて比較にもならないレベルの。

 

「……お、お似合いですね……やっぱり」

「もう遅いし」

「いや、本当だよ。さっきのは……!」

「じゃあ、口だけじゃなくて行動に移してよ」

 

 拗ねている、子供みたいに。そうなったら、もう言うことを聞いてあげたほうが早いのだが……しかし、行動に表すとはどうしたら良いのだろうか? 水着が似合っていると褒めるのに行動を表すと言うのは……もう勃○を見せるしか……いや、ダメだ。捕まるし、引かれる。

 美琴を見ると、目を閉じて少しだけ唇を尖らせている。怒っています、という仕草なのだろうか? 

 何にしても水着を褒めるための仕草……と、そこで理解した。そうだ、せっかくの水着なのに、パーカーを羽織ってしまっている。

 そういうことか、と理解した青葉は、美琴の上着に後ろから手をかけ、少しずつ脱がせてあげた。

 

「……は?」

「せっかくの水着なんだし、隠さないで見……へぶっ⁉︎」

「な、何してんの⁉︎」

 

 ビンタされた。後ろにひっくり返ってぶっ倒れる中、美琴は慌ててパーカーを羽織り直す。

 

「ほんとすけべなんだから……!」

「何故、ホワーイ……?」

「それより、早く泳ごう」

「あ、結局脱ぐんじゃん」

「……」

 

 カチンときた様子の美琴は、赤くなった顔のまま真顔になった。そして、持参した鞄の中から取り出したのは、日焼け止めクリームだった。

 

「うん。脱ぐ。これ塗らないといけないから」

「あー、じゃあとりあえず俺達も座れる場所を……」

「塗って」

「は?」

「塗って。背中届かないから」

「…………ハ?」

 

 ……塗る? 日焼け止めクリームを? 自分が……美琴の背中に? 

 と、頭がショートする。なんだろう、塗るって……というか、日焼け止めクリームってなんだっけ……? 

 日焼けとは、太陽が放つ紫外線が肌に直撃し、黒く焦がすこと。肌の色を変えるくらいならみんなやるかもしれないが問題は人によって皮が剥けたり、炎症を引き起こしたりすること。

 故に、それに対し対策するために、身体にクリームを塗ることでそれらを防ぐ……ものによっては、肌が黒くなるものを止めずに被害を止めるクリームもあるらしい。

 当然のことながら、肌への悪影響を防ぐ為のものなので、肌は直接塗る必要がある。そして、塗るためにはまさかクリームを浴槽に溜め込んで全身浸かるわけにはいかないので、手の上に垂らしたクリームを肌の上に引き伸ばすようにして塗る必要がある。

 ……つまり、クリームを塗ると言うことは、肌に触れると言うことである。

 

「無理でしょ!」

「じゃあ、他の女の人見てたこと許してあげない」

「ええっ⁉︎」

「ていうか、にちかちゃんとかはづきさんに全部言っちゃう」

「なんて的確な脅迫を!」

 

 ダメだ、そんな事になったら、殺されるじゃ済まない。行方不明にされる。

 で……でも、自分が……美琴の生肌に触れる……抜群のスタイル、美しいくびれと、すらっとした背中……そこに、自分が……。

 

「はい」

「っ……」

 

 しかし、美琴は考える暇を与えない。日焼け止めのボトルを強引に手渡してきた。

 し、仕方ない……元々、男らしくあろうとも思っていた。これからもしかしたら、マッサージとかすることもあるかもしれないし、こんなところでヒヨってはいられない。

 

「あ、あの……せめてもう少し人気のない所に移動してから……」

「……分かった」

 

 それは了承してくれて良かった。更衣室の前だし。

 まぁ、そのままとりあえず二人で移動。そんなに大きなプールでもないし、客も家族客かカップルしかいないので、すぐに取れた。

 今は日陰が狭い場所だが、日焼け止めを塗ったらすぐに泳ぎに行く。また休む、となった時にはここは日陰になっていることだろう、と青葉が読んでのことだ。

 今のうちに持ってきたクーラーボックスは狭い日陰の中に入れておいた。

 ……さて、そんな事よりも、だ。塗らないといけない。

 

「……はい、よろしく」

 

 美琴は背中にかかってる分の髪をかき上げた。

 仕方ない……と、青葉は覚悟を決めて、日焼け止めクリームを手に垂らし、馴染ませた。

 震える手をなんとか抑えながら、背中に手を当てた。固くて……柔らかくて……張りがある背中……これが、緋田美琴の背中……と、変に興奮してしまう。

 

「……んっ、冷たっ……」

「も、もういいですか……?」

「肩と腰がまだ」

「えっ……そ、そこは届くでしょ」

「じゃあ言う」

「……ず、狡い……!」

 

 しかし、仕方ない……と、ため息をついた。仕方なく、肩にクリームを塗り始める。力がある、とわかる肩の筋肉……それと、ツヤツヤの腰……手の感触を伝って、緋田美琴という人間の身体を覚えてしまう……。

 柔らかくて、硬くて……「ああ、鍛えている女性の体ってこんな感じなんだな」なんて実感してしまう。

 

「……」

 

 いつの間にか夢中になって美琴の身体を塗っていると、美琴が声を漏らした。

 

「あの青葉……お腹は、自分で濡れるから……」

「え? ……あっ」

 

 いつの間にか、頼まれていないところにも手を当ててしまっていて。慌ててさらに真っ赤になって手を離した。

 

「ご、ごめっ……!」

「いや、いいけど」

「……うう」

 

 しまった……と、青葉は俯く。やってしまった。やはり憧れの人の前で正気を保つのは難しい……と、反省。次からやばいと思ったら自分の顔面を殴らないと。

 少し肩を落としていると、その自分の頬に唇が当てられた。

 

「っ……!」

「気にしないで。ほら、泳ぎに行こう?」

「は、はい……」

 

 ……ダメだ。やはりこの人の前では男らしく、なんていられないのかもしれない。美琴は他に取り柄がある、と言ってくれたが、大人しく家事に徹することにしよう、と決めた。

 

 ×××

 

 さて、まぁ問題はあったが、二人でそのままプールの中で泳ぎ始めれば、青葉もさっきまでの事なんて忘れられるわけで。

 

「青葉、泳げるようになったじゃん」

「は、はい……少しずつだけど……」

 

 ダサいゴーグルをつけているが、まだ水中で目を開けるのは怖いので仕方ない。

 

「ふふ、すごいじゃん」

「ありがとう……親切に教えてくれた、みっちゃんのおかげだよ」

「ふふ、そっか」

 

 話しながら、二人で一度プールから上がった。そろそろお昼の時間だ。

 狙い通りに日陰になっていた場所に腰を下ろし、お弁当を開けた。

 

「今日のお弁当何?」

「時間なかったから酢飯には出来なかったけど……はい。海鮮丼」

 

 言いながらお弁当箱を開けると……米の上にサーモン、ノリ、ネギ、マグロ、ほたて、ネギトロ、イカなどが細かく刻まれて乗っている。

 

「おお……美味しそう。ちゃんと冷えてるし……」

「醤油も持ってきたから。使って」

「ありがとう」

 

 話しながら食べ始めた。一応、泳がない時はサングラスをしてもらっているので、顔は隠れていると思うが……大丈夫かな、と周囲を見回しつつ、会話を途切れさせないために聞いた。

 

「美味い?」

「うん。美味しい」

「良かった。ちゃんと食べないと死んじゃうから。こう言う炎天下の日は。あとこれ、塩分チャージにスポーツドリンク……あと、糖分のためにブドウも持ってきた」

「……ほんとにお母さんみたい」

 

 喧しい、と青葉は思いつつも口にはしない。しかし……やはり青葉は困ってしまう。美琴を前に、男らしくあろうとするのは簡単じゃない……。

 ま、そもそも年齢差があるのだから、その辺は焦っても仕方ない……と、思いながら、一度弁当箱を置いた。

 

「ごめん、トイレ行ってくる」

「あ、うん」

 

 そのまま一度、その場を後にした。

 少し肌寒い。今日はよくお風呂に入らないと、明日は風邪を引いてしまうかも……と、思いながら、トイレに入る。

 ふと……自分の股間が目に入る。考えてみれば……もし、エッチなことをすることになったら……何も、自分が裸を見るだけでなく自分の裸を見られることになるわけで……え、いや死ぬほど恥ずかしいこれ。

 しばらくはやめておこう……と思いながら、青葉はトイレから出て下の場所に向かうと……美琴が、海パンの男二人に囲まれていた。

 

「ねぇ、良いでしょ?」

「俺らと遊びに行こうよ」

「悪いけど、人を待ってるから」

 

 ……ナンパかよ、と青葉はため息を漏らした。勘弁して欲しいものだ。まぁ……美琴の美しさはサングラスからも漏れてるわけだから分かるが。

 それと同時に、ちょっとだけキッパリと断ってくれたことが嬉しかったりする。

 何にしても、間に入らないといけない。

 

「ちょーっ、待った待った待った!」

「あ? なんだガキ」

「今、お兄さんこの人と話してるんだけどな」

「俺だから、連れは。だからここは引いて」

「え、連れって……彼氏かと思ったら、弟?」

「確かに似てるかも。でもこの歳で姉弟でプールに来るとか」

「それな。シスコンか?」

 

 二人揃って笑われる。青葉は面倒臭そうにため息をついた。何かいたら、全然人と話をするつもりはなさそうだ。

 

「……みっ……姉ちゃん行こう」

「え、あ、うん」

「いや行くなや」

「殺すぞシスコン」

 

 ……しつこい、と青葉はカチンときた。

 

「人呼ぶぞコノヤロー」

 

 そう言った直後、男が胸ぐらを掴んできた。

 

「ちょーっ、ま、まってまって! 殴るのはやめて! いや、殴っても良いけど、手を殴るのはやめて」

「手を殴る奴がどこにいんだよ⁉︎」

「いや料理人にとって手は命だから。顔も口の周りはやめてね。舌が狂う」

「じゃあ何処なら良いんだよ!」

「脳天、ボディ、足、背中、おでこ?」

「広いのか狭いのか分かんね……!」

「は? どこもダメだから」

 

 すると、唐突に美琴が間に入った。

 

「この人、殴ったら私が許さないけど」

「えっ、いやそれは……」

「黙ってて」

 

 騙され、美琴はキッと男達を睨む。二人は少し威圧された様子で、その場を立ち去った。

 

「ふぅ……危なかったぁ」

「……ふふ」

 

 え、何で笑っているのか、と少し青葉は困る。相変わらず最低な助け方……出会った時から何も変わっていない。殴られる前提で、殴られる側が殴る箇所を指名する始末……笑われてもおかしくない……と、思っていると、美琴はサングラスを頭上に上げて、青葉の頬にキスをした。

 

「っ……⁉︎」

「そういうところもあるから、私はあなたのことが好きなんだよ」

「……」

「さ、引き続きご飯食べよう」

 

 話しながら、二人で食事をした。

 

 



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仲良くしようよ。

 食事の後は、再びプール。そんなに広いプールではないが、狭いわけでもない。プールの種類は、ざっと見て四つ。流れるプール、競泳プール、ウォータースライダー、子供用プールの四種類だ。

 子供用に用事はないし、競泳も嫌だ。流れるプールでさっきまで泳ぎの練習をしていたので、いよいよウォータースライダーである。

 ジェットコースターは別に苦手ではないが、ウォータースライダーはその限りではない。何せ、下が水だから。

 泳げなかった自分が、身体が不安定な状態のまま入水するのは割と普通に泳げるか不安で怖かったりする。

 ……のだが。

 

「ウォータースライダー……面白そう」

 

 美琴が爛々としてウォータースライダーを見上げていた。困った……この人、青春時代を捧げてきただけあって、子供っぽさがこれでもかと言うほど火を吹いていた。

 

「あ、みっちゃん。あそこでかき氷売ってる」

「ウォータースライダー、面白そう」

「そういえば、今日の夕方は降水率20%だって」

「ウォータースライダーがとても面白そう」

「みっちゃん前髪切った?」

「ぶちたい」

 

 え、ぶ、ぶつの? と狼狽える。その青葉の手を掴んだ美琴は、微笑みながら言った。

 

「行こうよ、一緒に」

「えっ……逃げられなくさせてから聞くことそれ……?」

「うん。お願い、断られたくないし」

「それは脅迫と言うのでは……」

 

 とんでもないことを言うものだ、この女性も。本当に鬼か何かなのかと勘繰ってしまうほどだ。

 

「で、流れない? 一緒に」

「え……いや、だから流れた後水の中にいるのは怖いので……」

「大丈夫、私がいるから」

「……この男たらし」

「アイドルだからね」

 

 ……だめだ、そんな風に言われると、なんとかしてもらえるかも、なんて思ってしまう。

 まぁ……仕方ない。彼女のわがままを聞くのも、男の務めだ。

 

「分かったよ……絶対、溺れないようにしてよ」

「分かってる。……安心して」

 

 ちくしょう、安心しちゃう……と、悔しそうに涙目になった。

 さて、そんなわけで、ウォータースライダーの階段へ。下から見るとそうでもないのに、実際に階段を登ると高く見えるのはウォータースライダーかバンジージャンプくらいのものだろう。

 二人でコツコツと足音を立てて階段を上がる中でも、美琴は手を離してくれない。ギュッと握られてしまう。

 

「……あ、サングラスはどうするんですか?」

「今更、抵抗しなくて良いよ」

「いやほんとに」

「ほんとに早く行こう」

 

 ダメだ、勝てない。というか、フィジカルで負けている時点で勝ち目がない。そのまま一番上まで来てしまった。

 こうなれば、もはや覚悟を決める他ない。緊張したまま、一番上で待機した。大丈夫、美琴なら助けてくれる……と、暗示をかけていると、ウォータースライダーの注意書きを美琴が眺めていた。

 

「青葉、二人で滑るにはどっちかがどちらかの脚の間に入らないといけないみたいなんだけど……」

「あ、うん」

「私の間に入ったら?」

「あー……」

 

 まぁ、あんまもう大差ないとはいえ、身長差的にはそうなっても……いや、待て。てことは……胸が、背中にあたるかもしれない、ということだろうか……? 

 無理無理無理。テンパって着水の中に泳げなくなる。

 

「い、いやいや、俺が後ろになるよ」

「良いけど……どうして?」

「いや、その……お、男だから、後ろのが良いでしょ、そういうのは!」

「まぁ、青葉がそれが良いならそれでも良いけど」

 

 よっしゃ、と小さくガッツポーズ。何なら、後ろから頭撫でてあげようかな、なんて思っていると、流れる順番になった。

 まずは美琴が座り、その後ろに青葉が座る。

 

「弟さん、お姉さんをしっかりと抱えてくださいねー」

「え?」

 

 抱えるって……抱き抱える的な意味……? と、狼狽える。ていうか、弟でも姉でもない……なんてヒヨっていたからだろうか? 後ろから背中を押され、強引にくっつかされる。

 

「っ……せ、背中綺麗……!」

「ありがとう?」

 

 しまった、口から出てしまった。と言うか、プールの後なのに良い匂いで、柔らかいのに柔らかすぎないで、目の前に美し過ぎる抜群のスタイルが自分の目の前にあって、そしてその綺麗な声音が自分に声を掛けている……味覚を除いた全てで、緋田美琴を感じてしまった。

 

「ーっ……」

「あの、青葉?」

「っ、な、なんですか?」

「お尻に何か硬いの当たってるんだけど……何これ?」

「ひゅえっ⁉︎」

 

 ぎゅっと握られた。美琴のお尻に当たってしまっていたソレを。しまった、興奮が強過ぎたか……! と、思っている場合ではない。男の急所を興奮状態で握られるとかどんなプレイなのか……! 

 涙目になりながら、その見方の手首を掴んで対抗する青葉。

 

「ちょっ、手、離して……!」

「え、これ青葉の一部なの? あれ……もしかして……」

「いってらっしゃーい」

 

 直後、背中を係員に押され、流された。思ったより流れが早いが、それどころじゃない。

 

「わっ、すごっ……!」

「み、みっちゃん、手放して……!」

「ご、ごめっ……うわっ!」

 

 タイミング悪くカーブ。そのお陰で、さらに強く握られてしまう。

 

「っ……! み、みっちゃん……!」

「もしかして、怖いの?」

「ちがっ……手、手……!」

「あ、ごめん。痛かった? ていうか……男の人のって本当に硬くなるんだね」

「っ……!」

 

 この人、何も分かってない。多分、精々手を握られるのと同じと思っているのだろう。今まで男の人と関わって来なかったのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

 ……だからこそ、ちょっとそういうのは仮にも彼氏側として勘弁してほしい。

 

「は、離してくれないと二度と撫でてあげないから!」

「え……」

 

 そう叫んだ直後、ようやく足と足の間から手が離れ、それと同時に水の中にドボンと着水した。

 何とか溺れることはなく、そのまま泳いでプールサイドから上がった。……さて、ついカッとなって、美琴にはキツイことを言ってしまった……。

 いや、まぁ実際、あの質問は割とマジで恥ずかしかったわけだが。でも……美琴もわざとではない……知識不足なんだから悪意はなかった……と、自分の中で言い聞かせた。

 とりあえず、年上に対しあんな言い方をしてしまったことを謝らないと、と思って後ろを見ると、美琴は目から上だけ水面から出して、ブクブクと息を漏らしていた。

 

「みっちゃん?」

「……」

「上がらないと、次の人困っちゃうよ」

「……」

 

 こういうところでの事故は多く、それが起こらないためにウォータースライダーの監視員は、階段の上と下のプールの二箇所にいる。

 すると、美琴は渋々と水中から若干、顔を出し、恐る恐ると言うように聞いてきた。

 

「……怒ってない?」

「……」

 

 その、怒られている時の子供のような仕草を24歳の憧れのアイドルがしていることに、なんだかとてもキューンと来てしまって。

 正直、プールから上がった後も少し文句言おうと思っていたのに、全部吹っ飛んでしまった。

 

「……怒ってないから、早く上がって」

「……撫でてくれる?」

「撫でてあげる」

「……」

 

 言うと、ようやく美琴は遅れてプールサイドから上がった。

 

「でも、そんなに強く握ってないのに……痛かったの?」

「そういう問題じゃないの。みっちゃんだって、胸とか触られたら嫌でしょ? 要はそういうこと」

「そうなんだ……でも、私は青葉になら、触られても良いよ」

「は?」

「……」

 

 何その純粋で真っ直ぐな目……いや、実際の所、青葉もウォータースライダーの中で流されながら掴まれている間、最後の最後まで固くなったものが戻ることはなかった。

 ……いや、むしろ快楽に近い何かがあったり……自分で触るのと、こんなに違うものかと……。

 

「死ね!」

「えっ、何してんの?」

 

 拳で自分の顔面を殴った。何を考えているのか、自分は。憧れのアイドルで穢れのない彼女に対し、R18展開になるようなことは考えちゃダメだ。

 ……でも、ここまで純粋な子が今後、芸能界でやっていくなら……むしろ、少しは男の穢れを教えてあげた方が良い気も……って、だからR18になるような事は考えるな、と強く頭を揺さぶる。

 

「青葉?」

「ごめん……みっちゃん。もう大丈夫」

「なら良いけど……あんまり自分を傷つけるようなことはやめて」

「うん」

 

 よし、理性が勝った。今度こそ、落ち着いた。……さて、今のウォータースライダーはあまり楽しめなかった。あんなハプニングがあって溺れなかったし、もう恐る理由はない。

 

「みっちゃん、もう一回行く?」

「良いの?」

「うん」

「じゃあ……行こっか」

 

 とのことで、またウォータースライダーの上に向かった。

 

 ×××

 

 熱を帯びていた。手の中に。まるで、エリンギときゅうりを足して割ったようなものを丸々触ったような感触と形が、いまだに手の中に残り続けていた。

 海パン越しに触れただけだと言うのに、ここまで鮮明に手の中に熱と形が残るなんて……と、隣にいる青葉には察されないよう顔には出さないが、耳は赤く染まっていた。

 今まで学生の時に聞こえてきた同級生の会話や、共演した女優さんやアナウンサー同士の会話を小耳に挟んだ時は「彼氏と昨日、久々にシたわー」とかそんな話が聞こえてくるたびに何の自慢なのか分からなかったが、今では分かる。

 自分の身体に自分の好きな人が性的興奮を催してくれる事は、彼女にとってとても嬉しいことだ。

 

「なんか、落ち着いて見ると景色良いな、このウォータースライダー。プール内を一望できる」

「ふふ、そうかもね」

 

 ……もうすぐ、彼の夏休みも終わってしまう。アイドルという仕事をしている以上、土日に確実に休みが取れるわけでは無いし、彼も平日にその手の行為に及ぶのは嫌だろう。

 つまり……夏休みが終わるまでに、経験しておきたい。

 

「うん。今日にしよう」

「? 何が?」

「今日、うちに泊まってよ」

「良いけど、明日休みだっけ?」

「うん」

「じゃあ、晩御飯はみっちゃんの好きなもんにするね」

「ありがとう。あ、帰りにドラッグストア寄っても良い?」

「良いけど……どこか痛むの?」

「ううん。安いから、色々」

「みっちゃん……俺が教えた買い物のコツ、覚えてくれて……」

 

 感動しているアホの子に適当な笑顔を返すと、ちょうど自分達の番になったので、またウォータースライダーを降りた。

 

 ×××

 

 さて、プールでの遊びを終えて、いよいよ帰宅。着替えを終えた青葉は、髪を軽くドライヤーで乾かした後、荷物を持って更衣室を出た。

 集合場所はプールの前。近くにアイスの自販機があるので、食べて待っている事にした。

 ショリショリと咀嚼しながら待っていると、美琴の声が背後からかけられる。

 

「青葉。帰ろ」

「あ、うん」

「……何食べてるの?」

「アイス。食べる?」

「うん」

「何が良い?」

「これ」

「へ?」

 

 直後、青葉が手に持っているアイスに口をつけ、齧られてしまった。わざわざ、青葉が口にしている部位を狙って、である。

 

「ん、おいし」

「み、みっちゃん……」

「青葉の唾の味」

「み、みっちゃん!」

「ほら、帰ろ」

「も、も〜……」

 

 そういうとこ……ホントに狡い、と思いながらも、そのまま帰宅し始めた。そんなに遠いところではないが、近くもないのでそこそこ歩かないといけない。

 プールでアホほどはしゃいで疲れた身体でクーラーボックスを持って歩くのは、少々キツい。

 

「ごめんね、青葉。今度、私も自転車買うね」

「いや、どうせあんま使う機会ないと思うし、いいよ」

「えー、でも青葉とサイクリングとかしたい」

「……にちかとやった事ありますけど、疲れるだけだよあれ。当時、金なくて寄り道とか出来なくて、目的地に行って少しはしゃいでから帰るの面倒になってうちの親に迎えにきてもらいましたし……」

「それ、お金がなかったからでしょ?」

 

 それはその通りだが……でも、あの時の埼玉から小田原まで自転車で行って死んだ日の思い出はいまだに消えていない。

 

「お金が前よりはある今、またやったら、好きなものとか食べられて楽しいんじゃない?」

「……」

 

 それはまぁ……そうかもしれないが。それに……美琴なら、途中で「疲れたー!」「もう嫌だー!」って駄々をこねることもないだろうし……。

 

「じゃあ、9月の連休、行ってみよっか」

「うん。お金、貯めとかないと」

 

 なんて話していると、ドラッグストアに到着した。ここで美琴が買うものがあるらしいし、立ち寄らないといけない。

 

「何買うの?」

「んー、予防接種……みたいな?」

「難しい言葉使おうとしない方が良いよ?」

「生意気」

「いてっ」

 

 デコピンされてしまったが、今の会話で予防接種という言葉が出てきている時点で大分キている。頭に。

 

「それより、青葉。今晩のジュース、選んできてよ」

「え?」

「うち、切らしてるから」

「は、はぁ……良いけど……」

「じゃ、よろしく」

 

 それだけ話して、美琴はそそくさと買い物に向かう。

 

「……」

 

 いけないこと……良くないこと、そんなことは分かっている。でも……あんなあからさまに不自然な態度を取られたら、何を買うつもりなのか気になる。普段、買い物の時に別行動なんてしたがらない癖に。

 それに……もし、レッスンで居残りして痛めた足を、さらに無理して今日、プールに来て、その処置のためにプールに来ていたのだとしたら心配だ。と言うか、この可能性が一番濃厚である。

 だから……ごめんなさい、とジュースだけ手に取ってあとをつけた。

 美琴が歩いて行った先は、医療品コーナー。やはり、どこが悪いのだろうか……? とっても気になり、様子を見ていると……美琴が手に取ったのは、ゴムだった。輪ゴムとかヘアゴムじゃなくて、意味深な方の。

 

「っ……」

 

 えっ、と声が漏れそうになるのを、必死に抑えた。発声すればバレる。

 まさか……え、あの人……や、ヤる気(直球)? え、でも……まさか、いやまさかまさか。あの美琴がまさかそんな……そもそも、あの人がゴムの存在を知っているはずがない。頭の弱さで言えば、自分どころかにちかより数段下だろう。

 多分……美琴は、そう。水風船。それと勘違いしている。なんで医療品コーナーに水風船があるんだろう……的な。

 間違いない……と、思っていると、美琴は箱の裏面を見た。

 

「……コ○ドームって、サイズあるんだ……」

 

 ダメだ、買いに来てた! と、唖然とする。マジかよ、まさか……自分、このあと喰われてしまうのだろうか……? 

 ど、どうしよう。や、嫌じゃないけど……でも、嫌じゃないのとやって良いのかは別だ。て言うか、やっぱりちょっと勇気はない。裸を見る勇気よりみられる勇気がない。

 ま、まぁでも大丈夫。サイズわからないって言ってたし……青葉も初めて知ったが、冷静に考えればサイズはあって当たり前だ。何せ、もし破けたり、逆にぶかぶかだったりして赤ちゃんが出来てしまったら、ごめんなさいでは済まないのだから。

 それなら……大丈夫かな、と思っていると、美琴は自分の手を半開きにする。

 

「……これくらいだったよね」

 

 やめろ! 人の掴んだナニの触感で大きさを確認するな! と、困ってしまった。

 

「どのくらいかな……定規とか売ってるかな、ここ」

 

 本格的に計るんじゃない! と、思いつつも、青葉はとりあえず逃げる。自分の方に来るのかもしれない。

 と言うか……だめだ。あの感じ、多分買われる。どうしよう、泊まりに来いってそういうことか、と理解してしまう。したくなかったけど。

 どうしたものか……もう、受け入れるしか……いや、でもやっぱり普通に恥ずかしい……。

 なんて思いながら、飲み物を先に購入してしまった。そのジュースをクーラーボックスに入れると、その後に続いて美琴がレジに並んでいた。

 

「……」

 

 なんで自分にバレずに買いものしたくて、自分の真後ろに並ぶのか分からないが……見ないふりをしてあげた。

 しかし……どうしよう、それは根本的な解決にならないし、正直もうどうしようもない気がする……。

 なんて思っている間に買い物を終えた美琴が歩み寄ってくる。

 

「お待たせ。そっちは買い物終わった?」

「あ、うん……?」

「じゃ、帰ろっか」

「……あ、あの……俺、寄り道しないといけないんだ」

「何処に? 荷物多いし、ついていくよ」

「え、あ、あー……そういえば、最近にちかの家に飯とか作りに行ってないし、たまには顔出そうかなーって。だから……」

「行く。私も」

「えっ⁉︎ あ、あーでも、今日はやめておこうかなー……」

 

 やばい、今ちょっと怒ってた、と冷や汗。まぁ、彼女の前で他の女の子の家に行くとかよくなかったかもしれないが……家族ぐるみの付き合いなのだから、ちょっとは顔を出しておかないと、というのも一ミリある……。

 とにかく、次の言い訳を考えている間に、お店の自動ドアに向かっていると……先に扉が開いた。入ってきたのは、斑鳩ルカだった。

 

「ルカ」

「美琴と……テメェ……!」

「……あっ」

 

 真顔の美琴、憎たらしい表情を見せるルカ……そして、青葉はパァッと嬉しそうな表情になった。

 

「い、斑鳩ルカさん……!」

「知ってるの? 青葉」

「は、はい! もう、二回も助けてもらってるんですよ!」

 

 速攻で彼氏モードからお隣さんモードになりながらも、青葉の脳裏に浮かんでいるのは、その助けてもらった時。鎌倉で保護してもらったこと、そして温泉でのぼせた時に介抱してもらったこと。

 

「あ? そりゃ、別にオマエのためじゃ……」

「ありがとうございました。その時は。……あ、俺、一宮青葉って言います。よろしくお願いします!」

「オイ、人の話聞いてんのか」

「俺のためとかそんなん関係ないですよ。助けてもらった以上、お礼は言います」

「……い、いらねェよ。そんなモン、テメェの自己満足だろうが」

 

 中々、お礼を受け取ってくれない。照れているのだろうか? 割とツンデレ感ありそうな人ではあるし……。

 まぁ、何にしても元美琴の同僚だし、何か積もる話もあるかもしれない。

 

「あ……じゃあ、お礼にご飯食べていきませんか? 実はうち、美琴さんのお隣に住んでて、今日も晩御飯ご馳走する予定だったんですけど……せっかく、元同じユニットメンバーが揃ったんですから。……美琴さんも、良いですか?」

「「は?」」

「え?」

 

 死ぬのにもってこいの夕方が、始まりを迎えた。

 

 ×××

 

 大人数が一箇所に集まって楽しめる食事といえば……そう、たこ焼きである。たこ焼きはみんなで焼き、作りたてを食べられ、しかも美味しいと言うパーティー御用達の食事だ。

 その上、普通に作れば「結局銀○この方が美味いじゃん」と、無粋なことを言う連中も現れるかもしれないが、タネを作るのは青葉。つまり、手作りを美味しく食べられる。

 そんな楽しいひとときになるはず……だったのに。

 

「……」

「……」

「……や、焼けましたよ……?」

 

 青葉が一人で焼いて、各々の皿に乗せて、黙々と全員で食べていた。空気の重さが異常に感じるまである。

 それでも、誘った身として、とりあえず話題を振ってみた。

 

「お、お二人はいつぶりくらいなんですか?」

「……一ヶ月くらい?」

「三ヶ月二週間一日ぶりだろうがよ」

「へぇ、すごいねルカ。よく覚えてたね」

「バカにしてんのか?」

「? 褒めてるじゃん」

「悪かったな! 細かく覚えてて!」

「悪いなんて一言も言ってない」

「……」

 

 なんでそんな喧嘩腰なの……そして、なんで美琴もそんなに歓迎していないのか。二人のひと時を邪魔されたから? しかし、今後まだまだ二人で食事なんていくらでも機会はあるし、むしろ旧友との再会は大事にするべきな気がするが……。

 

「あ、た、たこ焼きどうですか? 今日のは自信作ですよ」

「マジぃ」

「えっ……」

「男の手料理なんて食えるかよ」

 

 どすっ、と。胸に何かが突き刺さった気がした。というか、胸に穴が空くかと思った。小学生の時、料理始めたてでにちかに言われて以来のコメントに思わず喀血しそうになると、美琴が片手に持っている箸をメギッとへし折った。

 

「……は? 青葉の料理に、今なんて言ったの?」

「だから、不味いっつったんだよ。銀○このが美味ェわ」

「ルカ、とうとう舌もおかしくなっちゃったんだね」

「んだと……!」

「じゃあもう食べなくて良いから、もう帰っ」

「わ、わーわー! ちょっと落ち着いて! みっちゃん、俺は平気だから!」

 

 なんでこんなに仲悪いの⁉︎ と、なんかもうこっちが泣きたくなってきた。何があったのか知らないし、もしかしたら喧嘩別れのようになってしまったのかもしれないが……でも子供じゃないんだからここまで表に出すのはやめてほしい。

 と、とにかく、せっかく招いたのにこんなつまらないままでは良くない。美琴には後でたくさん構ってあげるとして……その助けられた話で盛り上がろう。

 ……いや、ただ話題を振るんじゃダメだろう。可能な限り、二人が不愉快に感じないようにしないと……。

 

「そ、そう。確か最初に会ったのは、鎌倉でしたよね。肝試しで迷子になった時、お化けと勘違いした斑鳩さんを見て気絶しちゃって……」

「……ダッセェ」

「そ、そうなんですよー。この前、知り合いとお化け屋敷に行った時もビビりまくってしまってて〜」

「青葉、怖がりだもんね」

 

 美琴がそう相槌を打つ。ナイス、と青葉は内心で親指を立てる。多分、何も考えていないんだろうけど、二人で行ったことがバレたら最悪だ。

 

「だから、美琴さんみたいな頼りになるお隣さんがいて、とても助かってるんですよ」

「……ふふっ」

 

 美琴が少し嬉しそうな声を漏らす。うん、可愛い。褒められて表に出すほど喜んじゃうの本当に。

 が、そこにルカが口を挟んで来た。

 

「何処をだよ」

「え?」

「お前は美琴に何処を助けられてんだよ。たこ焼きのタネ作ったのもお前だろ。美琴の何処がお前の助けになってんだ?」

 

 やはりそう来た。だが、青葉もバカではない。いや、肝心なところではバカなのだが、こういったピンチには慣れっこだ。

 

「そうですね……俺、両親が海外に勤めていて、俺は日本に残って一人暮らしをしているので、お隣の方と仲良くしてくれている……それだけで、とても助けられていますよ」

「……チッ」

「青葉……」

 

 今度は感動し始める美琴。この人、本当何も分かってないんだな……と、呆れてしまった。

 まぁ……実際は、仲良くどころか付き合ってさえいるのだが……まぁ、そこは言わぬが花である。

 今ので、美琴と自分が仲良い理由も、何もかもが誤魔化せたことだろう。お隣さん……にしては少々、仲良すぎるかもしれないが、一人暮らし同士で年の差があるなら、多少はないこともないだろう。

 これでどうだ……と、思っていると、美琴が援護射撃をかましてくれた。

 

「……私も、青葉がお隣になってくれて助かってるよ。ご飯とか作ってくれるから、前より健康になった気がするし、身体の調子も良いから」

 

 ナイス、と青葉は内心でガッツポーズ。美琴にも役に立ってることが知られれば、これ以上怒られることもあるまい。……まぁ、そもそも何が原因で二人が仲悪いのかは知らないので、的外れの可能性も十分あるのだが。

 

「……チッ、まぁ良い」

 

 やがて、ルカはため息をついてそう吐き捨てた。そのルカのお皿に、美琴がさらにたこ焼きを置く。

 

「ちゃんと食べて、ルカ」

「あ?」

「青葉の料理、本当に美味しいから」

「……」

 

 言われて、ルカは少し嫌そうな顔をしながらも、箸でたこ焼きを摘み、ふぅーふぅーと息を吹いてから、カリッと咀嚼する。ちょっと息を吹く姿、やっぱ可愛……美琴に睨まれたので思考を止めた。

 数回、噛んでから、ようやく全部食べ終えてから、ルカは頬を赤くし、ポリポリと掻きながら目を逸らしつつ答えた。

 

「……まぁ、悪くはねェ」

「でしょ?」

「ありがとうございます」

「う、美味くもねえし、お前を認めるつもりもねえぞ!」

「はいはい」

「はいはい」

「お前らぶっ飛ばすぞコラ!」

 

 なんてやりながら、そのままたこ焼きパーティーは何とか楽しいまま幕を閉じた。

 一時はどうなることかと思ったが、とりあえず隠すべき所は隠せたし、美琴とルカもアレ以上、仲が悪化することもなかった為、ほっとしておく。

 

「……そろそろ帰るわ」

「うん。またね、ルカ」

「また何か食べたくなったらきてください」

「……ああ」

 

 それだけ話しながら、青葉は一度、洗い物の手を止めて、美琴と一緒に玄関まで見送りにいく。

 

「……あ、その前に手だけ洗って良いか? 結構、汚れてる」

「ルカ、たこ焼きひっくり返すの下手くそだったもんね」

「うるせェ」

 

 ソースとかがついてしまっていた手を洗いに、洗面所に入るルカ。何があって二人が解散したのか、それは多分あんまり良い理由では無いのだろうから、聞かない方が良い。

 でも、今日だけでも楽しくやれたのは本当に良かった……と、青葉が少しホッとしている時だった。洗面所の扉が強く開かれた。

 

「っくりした……!」

「ルカ、近所迷惑」

「……オイ」

 

 え、なんか怒ってる? と、冷や汗をかく。洗面所にキレる要素があるか? まさか、洗濯機の中に入れた美琴の水着を見た? 人の部屋の洗濯機を勝手に開けるな……とか思っていたら、ルカが突き出してきたのは、ゴムの箱だった。輪ゴムでもヘアゴムでもなく、意味深な方のゴムである、

 

「……なんだこれ、オイ……!」

「えっ、あ……なんっ……」

「あっ」

 

 なんで洗面所に置いとくんだそんなもんー! と、青葉は唖然としながら隣を見た。

 が、今は攻めている場合ではない。攻められる寸前だからだ。

 

「お前ら……まさか、付き合ってんのか……?」

「っ!」

 

 当然の質問である。今まで嘘はつかずに凌いできたのに、こうなったら仕方あるまい。

 

「そ、そんなことないですよ! ……え、てかみっちゃん、彼氏いるの?」

「みっちゃん?」

「あしまっ……!」

 

 ヤバい、つい呼んでしまった! ていうか、間違えるほどクセになってた! 

 

「……っ、そうか、テメェらそういうことか……ククッ、クククッ……!」

 

 なんか変な笑みを漏らしたルカは、ジロリと青葉を睨む。ひえっ、と声が漏れそうになった。

 その青葉を、隣から美琴が抱き抱える。思わず年上のお姉さんの包容力に安心してホッとしてしまったが、目の前のルカの熱は上がる。

 

「お前……!」

「何? 私と青葉がどんな関係でも……ルカには関係ないでしょ」

「っ……!」

 

 それはその通りだけど今一番言っちゃいけない奴────ー! と、青葉は唖然としてしまった。

 言われたルカは何も言えなくなってしまい、そのままヨロヨロと後退りする。そして、手に持っていたゴムの箱を握り潰すと、その辺に放り投げた。

 

「……病んだ」

 

 その言葉を最後に、二人の間を抜けて玄関から出て行ってしまった。

 残された青葉と美琴は、しばらく佇むしか無い……が、やがて隣の美琴が青葉の手を掴んだ。

 

「……青葉、先に見られちゃったけど……その、シたいなって……」

「ごめん……今日は勘弁して下さい……」

「え?」

 

 胃が痛くなったまま、青葉は部屋に戻ることにした。

 

 



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どうせいつかバレることは隠すな。

 夏休み最終日になったわけだが、残念ながら青葉は少しその物思いに耽る余裕はなかった。……何故なら、斑鳩ルカに悪いことをしてしまった気がしてならないから。

 元ユニットメンバー、という存在がどういう存在なのか、アイドルになったことがない青葉には分からない……が、少なくともあそこまで怒るということは、ルカにとって美琴は大事な存在なのは間違いない。

 だから、なんとかしてもう一度、説明する機会を設けさせて欲しいのだが、連絡先さえ分からない状況だ。

 なんとかしないと……と、思っているにも関わらず、だ。その元ユニットメンバー本人の美琴はというと。

 

「青葉、青葉ー」

 

 ベランダで洗濯物を干している青葉に、隣の部屋のベランダから声をかけてくる。

 

「夏休み、今日で最後でしょ? 遊びに行かない?」

「……」

 

 ほんと、マイペースもここまで来れば長所だ。何一つ気にしていないのだろう。

 まぁ、美琴にそういう感慨とかいう感性がないのはなんとなく分かってきた。青葉が好かれたのも、きっかけを言えば美琴にとって使える存在だったからだ。

 

「……申し訳ないけど、今日はもう無理」

「どうして?」

「にちかの宿題手伝うから」

「……は?」

「仕方ねーでしょ。昨日の夜、泣いて頼まれちゃったんだから。あのままじゃ、うんって言うまで電話かかって来そうだったし」

「……ふーん。私もお邪魔しても良い?」

「え〜……邪魔しない?」

「しないよ」

 

 すごい……かけらも信用できない。にちかの「次はちゃんと宿題やる」と同じくらい信用できない。

 

「じゃあ、邪魔する度に一日に撫でる回数減らすから」

「えっ」

「どうする?」

「……遠慮するね……」

 

 邪魔する気満々かよ、と普通に困ってしまった。この人、かまってちゃんにも程がある。

 まぁでも、引いてくれるなら良い。とりあえず、今日はにちかと勉強……と、思っていると、隣からまた拗ねたような声が聞こえてくる。

 

「じゃあ良いよー。私ももう、二度と撫でさせてあげないから」

「はぁ?」

「……彼女が隣に住んでるのに、他の女の子との勉強優先する人に撫でさせる頭はないから」

「……」

 

 それは困る……けど、まぁ……何だろう。

 

「わかった、わかりましたよ……部屋に来ても良いけど、邪魔だけはホントやめてよ。早く終わらせたいから」

「……青葉がにちかちゃんとイチャイチャしないなら」

「え、いやした事ないよ」

「した事ない事ないから」

「えっ」

「私、まだ羨ましいと思ってるから。にちかちゃんとの口喧嘩」

 

 なんだろう、それ、と青葉は冷や汗をかく。口喧嘩が羨ましいって……もしかして。

 

「……え、俺と口喧嘩したいの?」

「そうじゃないけど……」

「おっぱいお化け」

「は?」

「あ、いや嘘です……ダメだ、やっぱ無理。みっちゃんに暴言は。なんか恐れ多くて」

「……」

 

 今、ちょっと言っただけでも、割と胸が痛い……いや、ある種ちょっと興奮したけど、それ以上に申し訳なさが強い。

 

「……そっか」

「まぁでも、みっちゃんがいてくれた方があいつにとっては良いかもしれんし、せっかくだから一緒にいよっか」

「うん」

 

 そんな話をしていた時だった。インターホンが鳴り響いた。にちかが来たらしい。

 

「ごめん、にちか来た」

「うちでやる?」

「いや、流石に俺の部屋でやるよ」

「分かった」

 

 とりあえず、にちかを出迎えに行った。自動ドアを開けてあげることしばらく、エレベーターが上がってきて、自分の家のインターホンが鳴り響く。

 玄関を開けに行くと、にちかと美琴が二人で並んでいた。

 

「はい、宿題」

「開口一番、押し付ける気満々で手渡してんじゃねーよ。ちゃんとはっちゃんに言ってあるんだろうな?」

「あるわけないじゃん。バレないうちに終わらせたいから、早くして」

「お前ホントどの立ち位置からどんなスタンスで語ってんの? どういう人種?」

「そんな事言ってー、美琴さんが一緒なのは宿題をやるって青葉から聞いてたから、そのためにお茶とか入れてくれるって言ってたからだよ。……つまり、私が宿題やってなかったおかげで美琴さんが青葉の部屋に入るのに……そんな態度で良いの?」

「何そのすげぇ言い分」

 

 にちかにも、美琴と付き合い始めたことは言っていない。隠さないといけないので、微笑みながら美琴に声をかけた。

 

「すみません、美琴さん。こんなアホタレのためにわざわざ……」

「……別にいい」

 

 あれ、と青葉は冷や汗をかいた。なんか……美琴は美琴で大変、ご機嫌斜めである。ついさっきまで普通に話してたのに……と、何があったのか気になるところだが、とにかく二人とも部屋に招き入れた。

 

 ×××

 

「だーかーらー! おまっ、なんで英語の課題丸々やってねーんだよ⁉︎」

「英語きらーい」

「好き嫌いの問題じゃねーだろ! 一日で終わる量かこれ⁉︎」

「それは青葉の態度次第でしょ」

「ぶっ殺すぞ!」

 

 ……気にいらない、と美琴はお茶を入れながら不機嫌そうにムスッとする。幼なじみが大事なのはわかる。その為に、時間を使ってあげるのもわかる。

 でも……やっぱり、自分には遠慮しているのに、にちかにはあそこまでズケズケとモノを言っているのが腹立たしい。

 付き合いの長さ、と言われても、納得いかない。せっかく付き合ったのに……仲良くなれた気がしない。

 

「ったくよー、ただでさえ英語は量あるんだから、あんま手間かけさすんじゃねーよ……」

「この単語何?」

「自分で調べろ! ただでさえこっちは教えるとかじゃなくて、まんま解き直してやってんだから!」

「けちー」

 

 ……羨ましい(直球)。

 そう思ったので、美琴は淹れた二種類のお茶を二人の前に置いた。

 

「はい、お茶が入ったよ」

「ありがとうございますー」

「ありがとうござ……」

 

 青葉の口が止まる。にちかのお茶は冷えた麦茶、そして青葉のお茶は温かいお茶パックを使った緑茶だったからだ。

 

「……な、なんでホット?」

「いらないなら、飲まなきゃ良いんじゃない?」

「そーだそーだ」

「……いや、いるけど……」

 

 ふんっ、と美琴はそっぽを向く。腹立たしい。本当に腹立たしいから、どうしても腹立たしくて腹立たしい。

 

「ま、まぁ……良いけど……」

「ありがとうは?」

「あ、ありがとうございます」

 

 ……なんで敬語なのだろうか? いや、関係を隠すためだからわかるけど……尚更、腹が立つ。にちかとは気安く接しているのに、自分との距離は離れたような気がして。

 隣に座った美琴は、問題集を横から覗き込んで

 

「青葉、この問題分からないの?」

「え? いや、分かりますよ」

「教えてあげようか?」

「大丈夫です」

 

 ……いつもなら叩きそうな憎まれ口が来ない。隠そうとするのは分かるけど……でも、やっぱりムカつく……意地でも、意地悪言わせてやる。

 そう思った美琴は、わざとニヤリとほくそ笑んで言った。

 

「でも、青葉より私の方が勉強できるし」

「……それ、チーターよりカタツムリの方が足速いって言ってるのと一緒ですよ」

 

 きた、本音……! でもその言い草は流石に看過できないから怒ろう、そう思った時だ。

 自分の前に、にちかの張り手が青葉の顔面を穿った。

 

「美琴さんに何言ってんのぶっ飛ばすよ⁉︎」

「ぐぇっ!」

 

 綺麗に首がグルンっと回って後ろにひっくり返る青葉。

 

「て、てめぇ……それが人に物を手伝ってもらってるやつの態度か……!」

「それがお茶を淹れてもらった人の態度かー!」

 

 ちょっと引いた。よく今日まで幼馴染続けられたな、と思うほどに遠慮がなかった。

 ……が、でも青葉にも怒っているので何も言わないでおいたが。

 身体を起こした青葉は、首を左右に倒しながら立ち上がった。

 

「……ちょっと湿布貼ってくる……お前マジ覚えとけよ」

「べー」

「て、手伝おうか? 青葉」

「お願いします……」

「み、美琴さん! 大丈夫ですよ、元はと言えば美琴さんに失礼をかましたあいつが悪いんですから」

 

 ……少しでも一緒にいたいわけだが……まぁ、それを言うわけにはいかないことくらい分かる。

 そのため、それっぽく答えてみた。

 

「でも、晩御飯作ってもらえなかったら困るから」

「む、むぅ……」

 

 美琴の健康を維持しているのが青葉であることがうまく活きた。にちかもそれなら、黙らざるを得ない。

 そのまま二人でリビングを出た。場所は元両親の寝室。ここに救急セットがあるらしく、それを青葉は引っ張り出すと中から湿布を取り出した。

 その無防備な背中に、美琴は後ろから抱きつく。

 

「っ、み、みっちゃん……?」

「かまって」

「え?」

「かまって。私にも」

「いや……そう言われても……」

「にちかちゃんばかり、狡い」

 

 ギュッと、両手に力を込める。彼の肩の上に顎を乗せて、とにかくしがみついていると、その美琴の頭に青葉の手が載せられた。

 

「あとで、にちかが帰ったら時間作るから」

「やだ」

 

 元々、美琴が今日、お休みをもらったのは、夏休み最終日くらい青葉とのんびりする為だ。

 事前にいわなかった自分も良くないが、それでもまさかにちかが来ることになってるなんて夢にも思わず、正直、色々納得いっていない。

 

「ええ……じゃあ、どうしたら良いの」

 

 どうしたら……それは勿論、それ相応のご褒美が欲しい。今まで一ヶ月近くも一緒にいて、それでいてやってこなかった恋人らしいこと。

 そんなの数える程しかないが……まぁ、その中の一つくらいは良いだろう。

 

「……お風呂」

「え?」

「一緒にお風呂、入りたい」

「…………ヱ?」

 

 正直、口にするのは死ぬほど恥ずかしかった。だから、青葉に見せていない顔は真っ赤だ。

 でも……まぁ、エッチな真似はしないながらも、普通は恋人しかしないことをしたい。隣に住んでいて夏が終わろうとしてるのに、何もないのは少し嫌だ。

 

「……いや、そ、それは……」

「じゃないと、次はにちかちゃんの前でこうしちゃう」

「えっ」

 

 こうしちゃう……それは、ハグのこと。流石にハグまでしてしまえば、もうバレること間違い無いだろうが……でも、青葉の保身的な作戦は結局、いつになったらコソコソしなくて済むのか分からない。アイドル引退するまでなら、具体的な数字が見えて来ないし、青葉が成人するまでなら長すぎる。

 せめて、二人しかいない空間でくらい、好きにさせて欲しいものだ。

 やがて、青葉はしばらく黙り込んだ後、観念したように答えた。

 

「……水着着用。それなら良いよ」

「裸は?」

「まだちょっと……恥ずかしいです」

「……わかった」

 

 それだけ話した後、美琴は借りてきた猫のように大人しくなった。

 

 ×××

 

 当然のことながら、張り手は普通に効いたので、はづきに電話をしてにちかの宿題を手伝っていることはチクった。

 で、夜の19時半。一回、晩御飯を挟んだものの、ようやく終わった。

 

「終わったー!」

「ホントにやっと終わった……」

「お疲れ様、二人とも」

 

 労ってくれる美琴だが、青葉はその美琴の顔が見られなかった。見れば、この後を思い出してしまうから。

 

「じゃあ、にちか。そろそろ帰れ」

「えー、少し休ませてよー」

「俺を休ませてくれ。明日から学校だぞコノヤロー」

「ぶー」

 

 そして、はづきにたっぷり怒られてくれ、と念を送る。この野郎がちゃんと宿題やってりゃ、そもそもこんな事にならなかったのだ。

 

「晩飯、妹達にも食わすんだろ? タッパーに入れてやるから」

「どーもー」

 

 そう言いながら、多めに作った晩御飯をタッパーに入れ始める。そのタッパーを紙袋に詰めた。

 

「ほれ。タッパーは返さなくても良いから」

「ありがとう。久しぶりだな、青葉のカレー」

「そんな久しぶりだからってはしゃがれるレベルだからありがたく食えよ」

「もっと謙虚になれー」

 

 喧しい、と青葉は内心で呟く。こうしてなんか変なテンションになっていないと、後にあるイベントの事を考えてしまう。考えると、顔に出てしまう。

 

「じゃあ、にちかちゃん。また事務所でね」

「あ、は、はい!」

 

 それだけ話すと、とりあえずにちかを玄関まで送った。

 二人で帰宅するにちかを見送った後、ふと静かになる。何とか気づかれずにやりきった……と、ホッとする青葉。……そして、青葉に甘えたい欲が表に出始めた美琴。

 そのまま、美琴は青葉の胸の中に顔を埋めるようにかがみ、腰に手を回してハグをした。

 

「っ、みっちゃん?」

「撫でてー」

「……まだ早いよ。にちかが忘れ物取りに来たらどうするの?」

「大丈夫……来ないよ」

「い、いやあいつ意外と予測不能なところがあるから……」

 

 ウダウダと言い訳臭いことを男らしくなく言っているのが癪に障ったのだろう。ぐいっ、と引っ張られ、頬に唇をつけられた。

 

「っ……み、みっちゃ……!」

「撫でて?」

「……い、良い子良い子……」

「ふふ、よく出来ました」

 

 どっちが子供だか割とマジで分からない……と、上から目線で撫でられる美琴と、めっちゃ照れながらも「良い子」と子供に接するようなセリフを漏らす青葉。

 そんな時だった。

 

「青葉ー、忘れ物し……」

「「あっ」」

「…………は?」

 

 16歳の少年にキスし終えたばかりの距離間に顔を置いて頭を撫でられながらハグしている24歳の女性と、24歳の女性にキスされたばかりの距離に頭を置いて頭を撫でてあげながらもハグされている16歳の少年が目に入っている事だろう。

 お陰で、にちかはドサッと紙袋を落とす。

 

「え……み、美琴さん……? 何、してるんですか……?」

「あー……甘え……むぐっ」

「じ、実は美琴さんが、ホームシックだって言うから、たまにこうして甘えさせてあげてるんだよ! 事務所じゃ他の子の目もあって大っぴらに甘えられないって言うしー!」

 

 口を塞ぎながら秒で誤魔化した。マズイ、刺される……いや、そうで無くても、こいつの口の軽さは異常なのでどうなるか分かったものではない。

 ……だが、そもそもにちかは現実を見ない能力にも秀でているわけで。

 

「そ、そうだよねー! ビックリしたわー、つい二人が付き合ってるのかと思っちゃったよー」

「そ、そうそう。忘れ物ってどれだ? 取ってきてやる」

「ノート」

「おいおい〜、そんなもん忘れちゃダメだろ〜。このうっかりさんめ☆」

「てへっ」

 

 なんて、少し変なテンションになっていた時だった。隣の美琴が、しれっと口を挟んだ。

 

「ちなみに、もし付き合ってるとしたら?」

 

 何を聞いてんだこの人! と、青葉は唖然とする。すると、にちかは顎に手を当てたまま答えた。

 

「ちょっと……分からないです」

「? 分からない?」

「青葉の安否がちょっと」

 

 ヤバい、と青葉だけでなく美琴も冷や汗をかく。殺しかねない、というか殺されちゃう多分。

 

「そ、そっか……」

 

 聞かなきゃよかった、と言った表情になる美琴。これは、本当に青葉の言う通り隠していた方が良い奴だ。

 

「じゃ、ノートだけ取ってくるね」

「いや、俺が見てくるから。待ってて」

「わ、分かったー」

 

 それだけ話して、とりあえず青葉はリビングに戻った。……にちかが、ジト目でその背中を追っていることにも気が付かず。

 

 ×××

 

 とりあえず確証は掴まれなかった、と青葉はホッと胸を撫で下ろしながら、リビングの椅子に座り込む。美琴は部屋に戻ったし、とりあえず青葉は軽く伸びをした。

 しかし……と、青葉は肩を軽く叩く。ここ最近で、美琴の周りの人間にバレそうになる……或いはバレるピンチが二つ……何かの凶兆な気がしないでもない。

 何が怖いって……なんか、身の危険が……いや、あまり気にしても仕方ないかもしれないが。

 

「いや……憶測で焦っても仕方ないか」

 

 そうだ、落ち着こう。色々あったが、明日からは学校だし、普通に考えればむしろ自分と美琴の関係がバレる可能性のが低いはずだ。一緒にいる時間も減るし、デート出来る時間も限られる。ただでさえ、美琴はアイドルなのだから。

 だから、せっかくだし一緒にいられる時間を大切にすることに集中した方が得な気がする。

 そう決めて、青葉がとりあえずシャワーでも浴びようとした時だ。玄関が開く音。やばい、鍵閉め忘れてたか、なんて思いはしたが、焦りはしない。部屋に入ってきた人物が分かるからだ。

 

「青葉ー」

 

 入ってきたのは美琴。寝巻き姿で立っている。

 

「みっちゃん。どうかしたの?」

「? お風呂、一緒に入るんでしょ?」

「……あっ」

 

 忘れてた。一気に頭の中からピンチが吹っ飛んで、新たなピンチを認識した。

 

「い、いやあの……今度に……」

「にちかちゃんに電話するね」

「あー嘘嘘! や、で、でもお風呂、俺沸かしてない……!」

「夏だし、水風呂で良いよ?」

「み、水着は⁉︎ どう見ても私服じゃんそれ!」

 

 そう言った直後、バサっと美琴はパジャマのボタンを外し、ズボンを下ろす。……その下から出てきたのは、水着だった。

 

「き、着てきてる……」

「青葉は、約束守ってくれないの?」

「……はぁ、わ、分かりましたよ……」

 

 仕方ない。まぁ、裸ではないし、水風呂なのだからプールのようなモノだ。……うん、そう思った方が良い。

 

「分かりましたよ……水着履き替えてきます……」

「裸でも良いよ」

「怒るよえっち」

「お、女の子に対してエッチは酷いよね……?」

「喧しい、えっち」

 

 この人、本当は意地悪い性格してるのかもしれない。

 そのまま自室に戻り、水着を引っ張り出した。そのまま履き替え終え、部屋を出る。

 

「じ、じゃあ……一緒に入ろうか」

「ん」

 

 脱いだパジャマを抱えて、水着姿のまま立っていた美琴と脱衣所に入る。

 

「そういえば、青葉の部屋のお風呂初めてだね」

「う、うん……」

 

 何処の部屋も同じマンションなら洗面所は大差ねえだろ、といつもなら思うことも思えないくらい緊張していた。

 

「先に入って水溜めておくね」

 

 既に裸の美琴が、先にバスルームに入る。その様子を眺めながら、青葉は頬を赤らめた様子で上のTシャツを脱ぐ。

 ……やっぱり、恥ずかしい。これ、入らないとダメ……いや、ダメだ。なんか、変態的なことをしているわけでないのに、エッチなことをしている気分で申し訳なくなってしまう……。

 

「青葉?」

「っ、は、はい?」

 

 お風呂場から、美琴が顔を出した。

 

「どうして、一緒に入らないの?」

「っ、あ……い、いや……」

「……そんなに、嫌?」

 

 そう問う美琴の瞳は、少し涙が浮かんでいるように見えて。ダメだ、やはり泣かすくらいなら少しくらい恥ずかしいのも耐えないとダメだ。

 

「い、いやいや、ちょっと緊張してただけ。……みっちゃん、その……綺麗だから」

「……ふふっ、ありがと」

 

 あ、少し照れた……というか、もしかしたら、美琴もそれなりに気恥ずかしくはあるのかもしれない。

 ……だから、青葉も気合を入れた。一緒にバスルームに入った。湯船には水が溜められている。……さて、まずは洗わないと。

 

「先にみっちゃんが洗って。水着の下も洗うでしょ」

「もう洗って来たから」

「……シャワー浴びるの二度目なの?」

「だから、私が青葉の背中流すね」

「ほえ?」

「だから、背中」

 

 つまり……洗ってくれる、ということだろうか? なんだろうそれ、死んじゃう。

 

「い、いやあの……恥ずかしいからいいです……」

「えー、せっかく一緒に入ってるのに?」

「っ……」

 

 こ、こいつ……涙目になるのずるい、と少し奥歯を噛む。

 

「じ、じゃあ……お願いします……」

 

 そう言いながら、シャワーの前に椅子を置いて座った。その背後に、美琴も椅子を置き、壁に掛かっているブラシを手に取って座った。

 

「いや、先にシャンプーか」

「そうだね。じゃ、やったげる」

「え、いや頭は届くよ」

「いいから」

 

 そう言って、シャンプーを手に垂らした美琴は、泡立てて青葉の髪に乗せる。わしゃわしゃと髪を洗ってもらえる。……気持ちが良い。美容院以外の他人に髪を洗ってもらえるのなんて、本当に幼稚園ぶりくらいだろう。

 

「あ〜……気持ち良い」

「ふふ、痒いところはございますか?」

「あ、美容院っぽ……おえっ、口にシャンプー入った」

「じゃあ、口閉じてて」

 

 でも……本当に気持ち良い。それに……なんだろう、ちょっと……甘えるのも悪くないなって思えてきた。人に身を委ねて、自分がやるべきことをやってもらう……それが、何だか楽しい。

 

「流すよー」

「あ、うん……」

 

 頭からシャワーを流してもらった。

 

「リンスかトリートメントもつけるね」

「あ、うん」

 

 そのままさらに髪を流してもらった。なんか……思ったよりヤラしい感じはしない。水着を着ているし、自分は美琴の身体に触れないし、触られるのも背中や髪なら変な感じはない。

 

「みっちゃん」

「ん?」

「気持ち良いよ」

「……」

 

 そのまま、美琴に身を委ねた。

 

 ×××

 

「みっちゃん」

「ん?」

「気持ち良いよ」

「……」

 

 この子は、誘っているのだろうか? と、美琴は思ってしまった。こちとら、無防備で華奢な背中を前に、割と我慢して頭を流してあげていたというのに。

 美琴も予想外なのだ。まさか、ここまで青葉とその手の行為をしたい、と思ったのは。

 だから、水着で一緒にお風呂は割と恋人しかしない妥協案になると思っていた。

 でも……まさかそんな恍惚とした表情で「気持ち良い」なんて言われるとは思わなかったし……そんなこと、言われたら……少し、疼いてしまう。

 

「……青葉は、本当にえっちだね」

「ん〜……ん? 何が?」

「なんでもない」

 

 でも大丈夫、まだそんな慌てるような段階じゃない。……それに、好きな人の背中を流すって、なんか奥さんっぽくて良い気がする……。

 

「いやいや……奥さんって……」

「え? オクトパス?」

「……ここ、すごい汚れてる。洗ってあげる」

「あ、ほんと? 背中汚れるようなことしたたたたた! 擦り過ぎ擦り過ぎ! 皮剥けるって⁉︎」

「皮ごと落としてあげる」

「怖っ⁉︎ ……あ、嘘ごめんなさい!」

 

 めっちゃ手を動かしてやった。こいつ、耳が悪すぎる。

 しばらく手を動かす。なるべく変な気分にならないよう、心頭滅却。青葉が嫌がるような事はしたくないし。

 

「せっかくだし……腕とか脇腹も洗うね」

「い、いやその辺は流石に自分でやるから!」

「遠慮しなくて良いのに」

「するよ! 良いから、先に湯船に入ってて!」

「うん。……水風呂の時も湯船って言うの?」

「知るか!」

 

 怒られちゃったので、美琴は浴槽に入る。水風呂に入るのは正直初めてだから驚いたが、割とプールと全然違くて普通に冷たい。これ……あとで少し温かいお湯でシャワー浴びないと風邪引くかも……と、思いつつ、しばらく待機。

 なるべく青葉の方は見ないように配慮し、待機。終わったかな? と思って顔を向けると、青葉が少し困った様子でこちらを見ていた。

 

「あの……俺はどこに座れば」

 

 何せ、青葉も身長伸びてきたし、成長期の男子と成長期を過ぎ去った女性が入るのは、相当密着しないと無……密着。

 

「おいで、青葉。どこでも座ったら?」

「え、どこって……なんで足伸ばしながら言うの」

「おいで」

「だからどこに……」

「おいで」

 

 言いながら、美琴は自分の太ももを叩いた。

 

「いや……いやいやいや! 流石に無理だって……!」

「にちかちゃ」

「す、座らせていただきます!」

 

 そんなわけで、青葉は指先を水面につける。ゆっくりとそのまま少しずつ足を水の中に沈めていく。

 そして……お尻をそのまま美琴の太ももの上に置いた。なんか……改まってその状況になってみると……なんか、それ以上の状況に感じてしまう。

 

「あの……青葉、別に良いけど……」

「ん?」

「何で体こっちに向けてるの?」

「え? ……あ、こ、こういうことかと……ごめん!」

「や、だからそのままで良いよ」

「あ、だから力技は狡いって……!」

「少し前出るね」

「え、ちょっ……!」

 

 無理に美琴の方を向いて座っていたこともあって、青葉はかなり強引に膝を立てて座っていた。

 なので、中心に寄ることで、青葉の膝は美琴の腰に絡むように折り曲げられる。

 

「青葉、重くなった」

「ふ、太った?」

「ううん、逞しくなった。……だから、ちょっとこうして向き合うの、恥ずかしいね」

「……どうせ少し前の俺は貧相でしたよ」

「中身はお母さんだけど」

「どうしよう、どちらにせよ彼氏扱いされてない……えうっ⁉︎」

 

 ぐちぐちうるさい男を、正面から抱きしめた。胸が潰されるような感覚……もう、直撃である。押し付けようとしているのではなく、ハグをしているだけだ。

 

「彼氏と思ってなかったら、こんなことしないよ?」

「……」

 

 ……ちょっと、恥ずかしいことを言ってしまったかも……でも、本音だ。自分だって、こういうことをする相手くらい選んでいる。

 と……思ったのだが、青葉から返事はない。

 

「青葉?」

「…………」

 

 あれ、ていうか……背中が熱い……水風呂なのに、なんか温かい液体が……あれ? なんか……水風呂内が、赤……。

 

「あ、青葉……あれ、なんか鼻血すごい」

 

 失神させてしまった。

 

 ×××

 

 さて、失神した青葉の処置はその後、すぐにこなした。身体を拭いてあげて、髪を乾かしてあげて、着替えも済ませてあげて(やらしい気持ちなんてなかった。いやホントに)、布団の中に入れてあげた。

 さて、そして今度は自分の着替えである。少し反省しつつ、美琴は水着を全て外す。これはー……まぁ、青葉に洗ってもらうとして、改めて体を拭き終え、そして下着を……。

 

「あっ」

 

 下着……待ってくるの忘れた。やばい、困った。ノーブラどころかノーパン……ま、いっか、青葉今寝てるし、と思いながら、美琴は青葉を寝かせている布団の中に入った。

 

 



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黒幕な彼女。

 さて、まぁ普通に美琴は睡眠の時間……の、予定だったのだが、美琴は欲求不満だった。

 恋も性欲も知らなかった成人女性が、24歳になって初めての彼氏……それも、隣に住む一人暮らしの男子高校生。フィジカルでも自分の方が上であり、はっきり言ってしまえばいかようにも出来るわけだが、それでもしなかったのは彼を大切に思っていたからだ。

 しかし……それにも限度がある。一緒にお風呂に入り、水着でハグをして、失神しているとはいえ海パンからパジャマに着替えさせ、その上ノーパンで一緒の布団……。

 

「…………眠れない……」

 

 悶々としてしまって眠れなかった。隣で無邪気な顔をしている少年に、今すぐにでも襲い掛かりたいが、それは出来ない。

 だから、その悶々としたものだけが美琴の中に居座り続けてしまっていた。今更になって、自分はようやく女性になれたような気がしてしまい、何だか気恥ずかしい。

 どうしよう、と美琴は青葉の寝顔を眺めながら、胸の奥で「ドッドッドッ」と鳴り響く鼓動を必死に抑える。

 

「……」

 

 落ち着け、と何度目か分からない事を自分に言い聞かせる。特に、明日は青葉は学校なのだし、夜更かしはさせられない。

 でも一緒に寝たい。あんまりない機会になるかもしれないし。そう決めた美琴は、とりあえず目を閉じた。

 

 ×××

 

 さて、翌日……学校が始まっても日課は変わらない。青葉は、早起きしてランニングの準備……を、しようと思ったのが、隣を見てビックリした。美琴が寝ていたからだ。

 

「っ、あ……そ、そっか……泊まりか」

 

 そうだった。昨日、一緒にお風呂に入って……それで……と、思ったところで思い出した。気絶してしまったのだ。美琴と水着のままハグをして。

 今思い出しても気絶しそうなものだが、それでも落ち着いて隣の美琴を眺める。相変わらず大きな胸は、下着をつけていないのか、さらに強調されてしまっている。

 それを見ないようにする中、ふと気がついたのは……美琴の顔色だ。なんか……少し赤い気がする。胸を見ていたのがバレたのかと思ったが、寝息を立てているのでまず間違いなく寝ている。

 しかし、とすると何故、顔が赤いのか? 暑いのか、それとも……と、考えている間に、美琴が目を覚ます。

 

「んっ……」

「あ、おはよ」

「……」

 

 少しボーッとしている。昨日、夜更かしでもしたのだろうか? いつもよりぼんやりしている時間が長い。

 

「みっちゃん? 走りに行かないの?」

「んー……今、準備する……」

「……みっちゃん、動かないで」

「え?」

 

 その美琴の額に手を当てた。その後で、自分の額にも手を当てる。

 

「やっぱり……熱い。熱あるでしょ」

「え……そうかな。分からないけど……」

「昨日、ちゃんと寝れたの? 水風呂入った後、体とか拭いた?」

「……あんまり」

「ダメでしょ、寝ないと」

「誰の所為だと思ってるの?」

「え、お、俺なの?」

 

 身に覚えがない。いや、何にしても、だ。熱があるのなら、何とかしてあげないと。

 

「……とにかく、今日はマラソン駄目。ちゃんと寝てて」

「でも……お仕事……」

「俺から連絡するから」

 

 話しながら、青葉はプロデューサーに電話する。前の旅行で連絡先を交換しておいて良かった。

 

『もしもし?』

「あ、プロデューサーさん? 朝早くにすみません」

『大丈夫だけど、どうかした?』

「美琴さん、風邪ひいちゃったみたいで……今日、お仕事なんですよね?」

『え……一宮くんのご飯、毎日食べてて?』

「俺もびっくりですよ……ちゃんと毎日、丹精と栄養を込めて料理してたのに……少しショックです……」

『セクハラかもしれないけど……お腹出して寝てたとか?』

「かもしれないですね」

 

 実際は一緒に寝ていたのでそれはないと言えるが、しれっと肯定していた。

 

「でー……仕事の方は……」

『分かってる。休んでもらうよ。……というか、一宮くんに面倒見てもらうようになってからマシになったとはいえ、まだまだ頑張りすぎる時あるから、たまには休ませてあげて欲しい』

「了解です」

 

 となると……学校とか休んだ方が良いのかもしれない。というか、体調悪い時に美琴から目を離すのは少し怖いまである。

 

「じゃあ、とりあえずよろしくお願いします」

『はいよ、わざわざ連絡ありがとう』

「いえいえ」

 

 それだけ話して、電話を切った。

 

「……ふぅ」

 

 さて、一息つきながら……とりあえず、青葉は伸びをする。今日は学校を休むことにした。

 

「そろそろ、食事用意してやらんと……」

 

 そう呟きながら、台所に入る。とりあえず……卵粥か、と決めて、料理を始めた。

 ネギを軽く刻んで添えて、ミツバを上に乗せて……と、少し見た目にも凝ってから、とりあえず部屋に戻った。

 

「お待たせしまし……は?」

「……あ」

 

 着替え中だった……いや、正確には着替えを終えていた。

 

「何してんの?」

「いや……仕事」

「今のみっちゃんの仕事は寝ることでしょ!」

「や、やだよ……アイドルの仕事だし、少し熱があるくらい……」

「だーめー!」

 

 部屋を出ようとする美琴を止める。

 

「熱あるのに仕事に集中できるわけないでしょ!」

「そ、それはそうかもだけど……でも、今日は久しぶりに丸一日レッスンに費やせる……」

「……その分、元気になるのが遅れて集中してレッスンできる日が来るのが遅くなるけど良いの?」

「っ……口が上手いね……」

「いや事実だから。休ませたい口実だと思ってんの?」

 

 実際、風邪ひいてる時に料理の練習して母親にドチャクソに怒られたものだ。

 とにかく、無理はいけない。無理をするべき場面というのは、あくまで健康な時だ。

 なんて思っていると、いつの間にか手が届く。歩み寄ってきていた美琴は、キュッと袖をつままれた。

 

「……じ、じゃあ……私を休ませたいなら……今日は学校、行かないでよ……」

「え?」

「…………」

 

 ……それはー……どういう意味で言っているのだろうか? いや、そのまんまの意味なのだろうけど……だからこそか。24歳の女性が赤くなった顔で荒げた吐息のまま告げたその台詞が、元々休むつもりだった青葉の精神を全て持っていった。

 

「……や、休んで……看病させていただきます……」

「ありがとう……けほっ、けほっ……」

 

 今日も理性を抑えるのが大変そうだ。

 

 ×××

 

 さてさて、そんなわけで看病してもらう事になった美琴は、朝食だけもらって、またパジャマに着替えた。その間、青葉は洗い物をしてくれている。

 しかし……さっきのは少し子供っぽ過ぎただろうか? ちょっとだけ気恥ずかしいが……でも、本心だ。仕事にも行けない、青葉もいない、では落ち着かないしつまらない。……あとは、まぁ……普通に寂しい。

 寝るだけなので、普通に下着は外しておいた。

 

「……」

 

 熱の所為だろうか? 普段から何も考えていないからか、逆にこう暇な時間が出来てしまうとよくものを考えるようになってきてしまった。

 それは、今後の不安とかではない。トップアイドルになれるのか、とかでナイーブになったりしているわけではない。もちろん、環境問題やら金銭面でどうなるやらとか、元相方と彼氏がギスギスしてるとか、そんなことじゃない。

 

「……私の今の暮らし……もしかして、すごく恥ずかしいのかな……」

 

 今更だった。とってもとっても今更だった。

 美琴の頭の中に浮かんでいるのは、成人女性が男子高校生に、生活面全てフォローしてもらっている事という人としての事から、好きな人の前でパジャマのままノーブラで、寝癖だらけの髪と目ヤニがついた顔のままいるのは恥ずかしい気がする……なんて当たり前なことに思い当たった。

 自分は……もしかして、彼氏の前で全然女の子らしく出来ていないのでは……なんて女の子のようなことを思ってしまっていた。

 そんなタイミングで、青葉が部屋に入ってくる。

 

「みっちゃんー、ちょっと良……」

「っ、あ、青葉……見ないで……!」

「え、まだ着替え中だった?」

 

 言われて思わず青葉も扉の向こうに身を隠した。

 

「い、いや……着替えは終わってるけど……」

「じゃあ……どうしたの?」

「そ、その……寝癖だらけだから……恥ずかしくて……」

「……え、今更何言ってんの?」

 

 今更……や、確かにさっき見られたばかりだけど……でも、そういう事じゃない。今、恥ずかしいと思っているんだから、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「でも、みっちゃん。タオル持ってきたけど……寝汗とかかいてない? パジャマもそれなら前から着てた奴でしょ? 取り替えた方が良いんじゃないの?」

「うっ……」

 

 流石、面倒見の鬼と家事全般のプロのハイブリッド。正論の一斉掃射を前に、何も返す言葉がない。

 で、でも……ただでさえ恥ずかしいのに……身体を拭いてもらったり、着替えを手伝ってもらうのはちょっと……いや、ある意味ではチャンスでもあるけど……。

 

「わ、分かった……入って……」

 

 言いながら、でも恥ずかしかったので、布団の上で両膝を揃えて曲げて右側に束ね、お尻をつける座り方をしながら、パジャマのボタンを少しずつ外していく。

 

「お邪魔します……」

「じゃあ……お願いします……」

「え、何が……」

 

 言いながら、パサっと肩から寝巻きを外し、床に落とした。

 

「え、な、何してんの⁉︎」

「いや……体、拭いて着替えを手伝ってくれるって言うから……」

「いや持って来るだけのつもりだったんですが⁉︎ 誰もそんな手伝うなんて言ってないでしょ!」

「……え?」

 

 ……あれ、そうだっけ? と、小首をかしげる。というか……そりゃそうでしょ、という感じが今になって思えて来た。確かに、なんか……早とちりしていたかもしれない……。

 その早とちりの内容が内容だけに、顔がさらに真っ赤になっていった。

 

「っ〜〜〜! ば、バカ……!」

「え、それ俺がみっちゃんに言われるの⁉︎ ていうか、服着てよ!」

「っ……え、えっち……!」

「俺がなのそれも⁉︎」

 

 慌てて上のパジャマを着込んだ。死ぬほど恥ずかしい。少し気まずくなったまま、しばらく沈黙……が、やがてすぐに青葉が告げた。

 

「じ、じゃあ……着替えとタオル、ここに置いとくね」

「っ……拭いて、くれないの……?」

「は?」

 

 自分も、言っておいて「は?」と声を漏らす。何を言っているのか……と、頭が熱くなっていく。思考が定まらない。何もかもが分からなくなって来た。

 そんな中、恥ずかしいはずなのに……なんか拭いてもらいたくなってきて、パジャマをまたパサっと落とす。

 

「い、いやいやいや! 拭きませんから!」

 

 断られた事に、少しだけカチンときた。昨日、背中を流してあげたのに……そんなに嫌かこの野郎、と頬を膨らませる。

 

「拭いて」

「えっ……な、なんで」

「背中だけで、良いから……じゃないと、熱があがっちゃうなー」

「……わ、分かったよ……」

 

 ため息をつきながら、青葉はタオルを持ったまま自分の後ろに座る。それと同時に、脱いだばかりのパジャマを持って自分の胸を隠すように被せた。

 

「ち、ちゃんと……隠して下さい……」

「……拭いてくれるの……?」

「今日だけだからね……!」

「……ありがとう……」

 

 本当は向こうだって照れているのに……ほんと、優しい人……と、頬がさらに赤く染まる。

 そのまま、背中を拭いてもらう。本当はボサボサの頭を見られるのも、そもそも汗だくの自分を見られるのも恥ずかしいのだが……でも、拭いてもらうのはちょっと嬉しい……。

 

「んっ……」

 

 背中を、思ったよりゴシゴシと拭かれる。こうして身を預けると、青葉は思ったよりひ弱ではない事が思い知らされる。もちろん、決して全く力強いわけでもないが、やはり男の子という事だろう。

 

「痒いところは?」

「な、ないよ……」

「じゃあ、左腕上げて」

「え? あ、は、はい……ひゃうっ⁉︎」

 

 上げた直後、脇の下まで拭かれた。決してくすぐったいわけではなかったが、ちょっと驚いてしまった。

 

「あ、青葉っ……なにして……!」

「いや、こういうとこに汗も熱も溜まるから」

「そうじゃなくて……!」

 

 ていうか様子がおかしい……と、思ってふと後ろに視線を向けると、その顔は真剣そのもの。どうやら、おかんモードに入ってしまったようだ。

 

「はい、次反対」

「あ……う、うん」

「ちゃんと前は隠すように。女の子が男の人に軽々しく肌を見せちゃいけません」

「拭いてる人が何言ってるの……!」

 

 早く……早く終わって……! と、羞恥心が顔を出す反面、そこそこの力とは言え、基本的には肌を傷つけないように優しく拭いてくれている絶妙な力加減から、少しでも長く拭いてて欲しい……なんていう安堵感が自分の中でせめぎ合っていた。

 しかし、それも長くは続かない。脇から脇腹、そして腰も拭き終えた青葉は「ふぅ……」と一息ついて、タオルを美琴の横に置いた。

 

「終わり。あとは自分で出来るね?」

「っ……う、うん……」

「じゃ、拭き終わったらすぐに持ってきたパジャマに着替えるようにね。30分くらいしたらこの部屋来るから、それまでに終わらせておいて」

「ありがとう……」

 

 この野郎……絶対に熱上がったよ……と、思いつつも、とりあえず従っておいた。

 逆に言えば、あと30分は部屋に訪れない。その間に、下半身も拭いてしまおう。そう決めて、立ち上がってズボンとパンツを脱いで、全身を拭き始めた。

 さて……まぁ、でも……背中を見られる機会はなかったわけではない。ステージ衣装やドレスで背中が開いたものもあったし、いまさら照れるようなことではないかもしれない。

 そう思うことにして、とりあえず今はさっさとやる事を終えた。

 

「……はぁ、頭……クラクラする……」

 

 ぼんやりとするしボーッともする……少なくともこれは青葉の所為だ。

 そのまま着替えを終えて布団の中に入る。……身体を拭くくらい30分もかからないんだから、早く来てくれれば良いのに……と、思わないでもないが、そのまま一人で待機。

 恥ずかしさも少しずつ消えていって、寝た方が早く治るかな……と、思って目を閉ざす。

 

「……」

 

 そういえば……洗濯とかも彼がしてくれるのだろうか? だとしたら……下着も、見られるかもしれない……? 

 ……いや、背中や脇腹を触られたのに今更下着くらい……いや、それとこれとは話が違う……どうしよう、少し恥ずかしいかも……。

 なんて頭の中がまた回り始めてしまった。……ダメだ、一人になるとなんか色々考えてしまう。……いや、青葉がいても色々、考えてしまいそうだが……寝よう、寝てしまおう。

 そう思って目を閉ざした。

 

「……」

 

 ……眠れない。なんか、目が冴えて来ていた。今、何時だろう……青葉はあとどれくらいで戻って来るだろう……。

 なんて思いながら時計を見ると、まだ出て行ってから12分しか経っていなかった。

 

「うそ……」

 

 ダメだ、暇過ぎる。風邪ひいている時に眠れないとこうなるのか、なんて思ってしまった。

 構ってもらおうと思い、声を上げた。

 

「あ……青葉〜……」

 

 聞こえていないのか、返事はない。というか、大きな声が出せない。……少し寂しいかも、なんて思ってしまったり。

 体調を崩すのは初めてではないが、今までは一人が当たり前だったのであまり寂しさを感じたことはなかった。……なんだかんだ、ルカが来てくれたこともあったし。

 だが……青葉がいるのが当たり前になった今、改めて一人の無力感を感じてしまっていた。

 

「……もう無理……」

 

 無理してでも構ってもらおう……そう決めて、美琴は立ち上がってノロノロと歩き始めた。

 少しフラフラする……やっぱり、これ熱上がっているとしか思えない……。それでも、なんとかしてリビングの中に入ると……目を丸くした。布団が敷かれていた。

 その布団の枕元にはストローがついたポカリがコップの中に注がれている。その隣にはタオルが二枚とか、あと冷えピタとかが置いてある。

 

「……え?」

「あ、みっちゃん。眠れないの?」

 

 声をかけてこられたその顔を見て、少しホッとしてしまう。部屋の中にいてくれたんだ……と。

 

「みっちゃんの部屋、窓ないから。清潔感がある部屋の方が治りも早いと思うし、リビングで寝た方が良いと思って」

「……」

 

 まさか、30分というのは……自分のために? ていうか、まだ10分だけどほとんど準備終わってるのは何故……? 

 いや、そんな事どうでも良い。なんていうか……迷惑かけてるのに嬉しくて、ハグしたくなってしまった。フラフラとした足取りで両手を広げた時だ。足元の布団に足をもつれさせて、前のめりに倒れ込んでしまった。

 

「ちょっ、あぶなっ……!」

 

 慌てて青葉が抱きかかえてくれる。前にも似たようなことがあった気がしたが……今回は、受け止めてくれた。

 

「お、重ッ……! な、何やってんの⁉︎」

「失礼」

「た、体重を尚もかけ続けるのはやめてー!」

 

 思いっきり身を預けてやった。もう胸が当たってるとか気にせず、ギューっと力を込めてしまう。

 

「みっ、みっちゃん……! どうしたの?」

「ん……ありがと。嬉しかったから……」

「じゃあ……寝てて? 熱上がるよ」

「……ん、じゃあ……寝かせて?」

「は……はいはい」

 

 言われて、青葉は自分の身体を支えたまま寝かせようとしてくれた。当然、青葉も身を低くする必要があるわけだが……その時、少しだけ両腕に力を込めた。

 

「うおっ……⁉︎」

 

 それにより、バランスを崩した青葉は、美琴の上に寝転がってしまう。風邪で弱っているとはいえ、青葉より力はある。ホールドした。

 

「み……みっちゃん……⁉︎」

「少し、このまま……」

「え? いや……この間にみっちゃんが脱いだパジャマと布団洗っちゃおうと思ってたんだけど……」

「……青葉」

 

 改まったように名前を呼ぶ。ノーブラの胸を押し付け、顔が真横にあり、どう見ても高校生を襲っているようにしか見えない絵面なのに……真上から退こうと思えない。

 

「な……何?」

 

 多分、青葉は顔が真っ赤だ。照れてる時の声を出している。おかんモードは止まってしまっている様子だ。

 

「……私のために、ありがとう」

「いや当たり前のことしてるだけで……」

「でも……青葉とこうしているのが一番の薬になるんだ」

「え……」

「だから……お願い。もう少し、こうさせて欲しいな」

 

 ……なんかもう、甘えたくなってしまった。自分のためにあくせく動いてくれるのはありがたいけど。……でも、一緒にいてくれることが一番の薬なのだ。

 

「……わ、分かったよ……でも、俺が下だと、身動きが……」

「じゃあ……」

 

 そう言いながら、青葉を抱きしめながら横に転がった。

 

「……横」

「っ……あ、あの……まぁ良いか……」

「じゃあ……おやすみなさい」

 

 それだけ話して、二人で目を閉ざした。

 

 ×××

 

 死ぬほど興奮しているのは、男子高校生ならではのことだろう。ダメだ、もうムラムラする(直球)。

 どうしたら良いのだろうか? この場は……切り抜けたい。やらないといけないことがあるから。でも……抜けられない。

 

「はぁ……」

 

 どうしよう、と悩みに悩んでいると、美琴が抱き締めたまま頬に頬擦りして来る。

 ああああああ! と、声が漏れるのを抑えた。起こしてしまうから。でも自分の息子はもう起きている。

 死ぬ、死ぬほど恥ずかしい! でも抵抗出来ない! どうしよう! と、頭が真っ赤になる。

 

「ん〜……」

 

 離してほしい。お願いだから。じゃないと……理性が……なんて思っている時だ。さらに寝ている美琴は告げた。

 

「んっ……あ、おば……ルカとキスしてるの、見た……」

 

 どんな夢見てるの⁉︎ と、思わず真顔になる。興奮も冷めた。この野郎……自分が浮気する男に見えるというのか……。

 ……いや、最近Twitterとかで流れてくるムカつく漫画の広告には、復讐系の胸糞漫画で仕返しのために恋人の前であえてキスをしたりするクソ女……みたいな流れもあったりするし……いや、流石にルカはそんなことしないか。

 何にしても……まぁ、漫画とフィクションは違うよね、と思うことにした時だ。

 スマホが音を上げた。

 

「ピポピポピポー!」

 

 思わず驚いて奇声が漏れてしまった。す、スマホか……と、ほっと胸をなで下ろす。

 とりあえず電話に出ると……にちかからだった。

 

「も……もしもし?」

『美琴さん、風邪引いたの?』

「あー……う、うん」

 

 一応、学校には青葉が風邪を引いたと言っておいた。……が、にちかは勘づいている。長い付き合いだし、

 

「そう。面倒見てる」

『美琴さんと二人で一つ屋根の下とか断罪ものなんですけどー』

「じゃあ、ほったらかして学校行った方がよかったか?」

『は? 死にたいの?』

 

 よし、とほっとした。まぁこうやって誤魔化せると思えたから、何も問題ないわけだ。

 本当は二人きりがよかったわけだけど……まぁ、このまま一日ってなると理性的にやばい気がしたし仕方ない。

 

「にちかも手伝ってくれない? 流石に、身体拭いてあげるとか、そういうの出来ないからさ」

『当たり前じゃん。指一本でも美琴さんに触れたら殺すから』

「はいはい」

 

 後は、にちかが家に来るまでに、この状況を何とかするだけだ。

 

「ん〜……うるさい……目、覚めちゃった……」

「えっ」

『は?』

「青葉……風邪で寝てる女性の横で電話なんて……ダメでしょ、青葉……」

 

 何でこの人は穏便に済みそうなところにリ○ルボーイ落としに来るのほんとー! と、思わず唖然とする。

 

『ねぇ……寝てる女性の横って?』

「み、美琴さん寝てるんだよ。風邪に効く特効薬は睡眠でしょ?」

「まだ話してる……そういうことするわるい口には……」

 

 そう言いかけた時には遅かった。寝惚けている美琴は、自分の口に唇を重ねた。

 

「っ……⁉︎」

「こうしちゃうから……」

『ねぇ……今なんか「ちゅっ」って聞こえんだけど……唇に何があったの?』

「唇切っちゃって、その血を吸ってただけだよ!」

「なに〜……まだ吸って欲し……」

 

 口を塞いだ。手で。ちょっとほんとこの人困るこういうとこ。

 

『……行くから』

「え?」

『午後からそっちにすぐ行くから。覚えてて』

「……」

 

 そのまま電話は切れた。

 やばい……さっきまでとは全く別の意味で心臓がドキドキしている。破裂しそうだ。にちか……包丁とか持って来ないよね……? と、嫌な汗がどっと浮かんだ。

 その真っ青な顔色の自分に、美琴が手を添える。そして、何一つ邪気のない慈愛の笑みを浮かべて告げた。

 

「青葉……もう少し、一緒に寝ようよ……?」

「……」

 

 これは……果たして落ち着かせようとしてくれているが故のセリフなのか、それとも単純に一緒に寝たいだけなのか……いや、考えるまでもない。寝たいだけだ。

 それ故に、青葉はふっと笑みを浮かべた。この野郎、本当に……。

 

「寝ません。やる事を済ませてきます」

「え?」

 

 起き上がり、とりあえず洗濯物から始めた。

 

 



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夜道で不審者っぽい人が背後からついた来た時は「SM判定○ォーラム」を歌いながら歩けば撃退出来る。

 あの野郎ぶっ飛ばす、そうにちかが心に決めたのは、電話が終わったそのあとすぐだった。

 何があったのか知らないが、確実にやましいことがあったのは明白だ。最悪の想定では……キスをしてやがる……! 

 

「アイドルとキスとか……許されないから悪いけど……!」

 

 そう言いながら校舎を出た時だ。校門前で出待ちしているサングラスに帽子の女が異様に目についた。誰か、なんてすぐにわかった。美琴と仕事する上で少し知り合った女性だ。

 

「何してるんですか」

「うおっ⁉︎ な、七草にちか……⁉︎」

 

 斑鳩ルカ……元美琴の同僚の女性が、そこに立っていた。

 

 ×××

 

 さて、青葉はそろそろ美琴の服を変えないといけない……が、着替えシーンを見るわけにもいかないので、用意したものを持って美琴に届ける。

 

「みっちゃん、着替えて」

「ありがと……」

「それと、汗すごいから拭きな」

「……着替え手伝ってくれないの?」

「ば、バカなこと言ってないで早く着替えて。風邪、治したいんでしょ」

 

 まったく……そういう思春期の男の子を揶揄うようなことを、風邪引いている時まで言うのはやめていただきたい。

 さて、それはともかく、そろそろ始業式が終わる頃。……つまり、にちかが来るまで時間がない。

 美琴は今はリビングで眠ってもらっているし、後は清潔感を保つと同時に、何とかして青葉の身の潔白を示さなければ……まぁ、実際潔白なわけだが。

 大丈夫、にちかには付き合っていることはバレていないし、誤魔化しようはいくらでもある。

 洗濯機を回し終えてから、そろそろ着替え終わったかな? と、思い、リビングをノックする。

 

「どうぞー」

「みっちゃん、そろそろまた寝て」

「あ、うん……」

 

 着替え終えた美琴が布団の中に入る。

 

「青葉、喉乾いた」

「はいはい……ポカリ?」

「うん……」

 

 ストローをつけたコップを口元に運ぶ。はぷっ、とストローを咥えた。……女性が何かを咥えてる絵って、どう足掻いてもあどけなくなってなんか可愛い……と、狼狽えている間に、飲み終えた美琴は枕に頭を置く。

 

「じゃ、おやすみ。起きたらいつでも声かけて。何でもするから」

「じゃあ……手、繋いで?」

「え、なんで?」

 

 いや、にちかが来るまでに誤魔化しにくくなるから、手を繋ぐのはちょっと……と狼狽えるが、美琴は少し拗ねた様子で、布団に半分だけ顔を埋めて答えた。

 

「だって……青葉、あくせく働いてくれてるけど……私と一緒には、いてくれないから……」

「……」

 

 そ、そりゃ確かに洗濯したり、飲み物や食べ物を用意したり、濡らしたタオルを周回したりはしてたけど……。

 ……でも、美琴は弱々しい瞳ながらも、自分をじーっと眺めている。

 

「……」

「……だ、だめ……?」

「っ……」

 

 ダメなんて言えるわけがなかった。項垂れつつも、笑顔を浮かべながら美琴の隣に腰を下ろした。

 

「寝るまでだかんね」

「ふふ……ありがと」

 

 頼むから、まだにちかは来るなよ……と、願いながら美琴の横で手を握った。

 

「……ふふ、青葉がいてくれれば、すぐに治りそう……」

「勿論。早く元気になって」

「えー……でも、もう少し体調崩したままでも、甘えられそうなのに……?」

「普段から甘えん坊でしょ」

「むぅ……成人女性に言う言葉じゃない……」

「成人女性らしくなってから言ってください」

 

 ……まぁ、青葉的にも甘えてもらえなくなるのは困るので、このまま大人しい大人の子供なままでも何一つ問題ないが。

 そんなことを思いながら、握っていない方の手で頭を撫でてあげる。すると、美琴は少し気持ちよさそうに目を閉ざした。

 ……このまま眠ってくれると嬉しいな……なんて思いながら、撫でてあげることしばらく、ようやく寝息を漏らし始めた。

 

「……綺麗な寝顔」

 

 ……まぁ、起きてる時にこんな事言えないよなぁ……なんて、自分のチキンさにほとほと嫌気が差す。

 なんだかんだ、自分と美琴の関係を引っ張ってくれているのは、美琴だ。男として情けない。

 だから……まぁ、なんだ。寝てる時くらい、自分も勇気を振り絞りたい。

 そう思い……寝ている美琴の額にキスをした……ところでインターホンが鳴り響いた。

 

「っ! も、もうきたか……!」

 

 仕方ない……とりあえず、応対しなくては。美琴は眠ってくれたし、とりあえず手を離してそのまま応答しに行った。

 

 ×××

 

「……」

 

 美琴は、ぼんやりと薄目を開ける。頬が赤く染まる……青葉から、キスをされた……たったそれだけで、なんかやたらと嬉しくて恥ずかしくなってしまった。

 いや、キスなんて初めてじゃないのに……こうして自分が寝ていると思ってくれている時にそういう事をされると、改めて愛されている、という実感が湧いてしまう。

 

「……ふふっ」

 

 来客らしいが……まぁ、にちかちゃんだろう。もう来たか、とか言ってたし。まぁ、でも青葉は誤魔化すのが上手だから、多分平気……なんて思っている時だった。

 

「……えっ、な、なんで斑鳩さんまでいるの……?」

「いちゃ悪ィのかよ」

「ていうか、は? 青葉、美琴さんと付き合ってるってマジ?」

「い、いや付き合って無……」

「ウソついてんじゃねェぞ。この前、水風船持ってたろォが」

「や、それは……」

「え……てことは、まさかもう美琴さんと……!」

「や、違……!」

 

 なんの話かいまいち聞こえないが、声音から察するに青葉が攻められているのは確かなようだ。

 ならば、自分がなんとかしないと……そう思い、ヨロヨロと立ち上がって扉を開けた。

 

「ま、待って……にちかちゃん……と、ルカ?」

「み、美琴さん……⁉︎」

「……美琴……!」

「あーもう、みっ……ことさん、寝てないとダメだって……」

 

 慌てて青葉が美琴に駆け寄ってくれ……ようとしたが、その肩にルカとにちかが手を置き、そして強引に力を込めて後ろに引き倒し、代わりに二人が駆け寄ってくれた。

 

「だ、大丈夫ですか美琴さん⁉︎ ポカリ買って来ました!」

「あのゲス男に何かされたか? こんなボロボロになるまで……」

「いや、違っ……」

「とにかく、寝てないとダメです!」

「運んでやる。おい、七草、足持て」

「わ、分かってます……!」

「ちょっと待って……!」

 

 玄関に背中を強打し、動けなくなっている青葉を置いて、そのまま二人に運ばれてしまった。

 さて、布団の中。リビングの天井を眺める。青葉、大丈夫かな……と、心配になるが、わざわざお見舞いに来てくれた二人に気を遣ってしまい、少し困ってしまう。

 ……というか、何故二人は青葉にそんな冷たく当たるんだろう? 

 

「ふ、二人とも……青葉は……」

「帰りました。私達に託して」

「だから、美琴。して欲しいことがあれば言え」

「じゃあ……青葉を呼んで」

「「……」」

 

 当然だ。二人が嫌なわけではない。でも、青葉の方が良い。

 

「……それはダメです。青葉はしばらく出禁なので」

「あのチャラチャラした奴のことはもう忘れろ」

「……そっか。青葉なら、私の要望は叶えてくれたんだけどな……」

「「……」」

 

 言うと、二人とも黙り込む。そして、顔を見合わせた後、ルカが廊下へ出て行った。

 

「……チッ、あの野郎かよ……」

 

 残ったのは、にちか。少し複雑な表情を浮かべたまま、にちかは美琴に尋ねた。

 

「あの……美琴さん」

「何?」

「……青葉と、付き合ってるんですか?」

 

 ……これは、どう答えれば良いのだろうか? 多分、青葉は自分と付き合っていることを周りに隠したがっているはず。

 でも……仮にもユニットメンバーに嘘をつくのは、ちょっと違う気がする。にちかもにちかで、自分のことをすごく慕ってくれているのは分かるから。

 

「……ねぇ、にちかちゃん」

「な、なんですか……?」

「私と青葉が付き合ってたら……そんなに嫌?」

「そ、そりゃ嫌ですよー! あーんな意地悪でひ弱ですけべな奴! 美琴さんの身が心配……というか、さっき水風船あったって言ってましたけど……だ、誰かとご経験が……?」

「水風船?」

「っ……い、いえ、ですから……」

 

 そんなの買ったっけ? と、小首を傾げたのも束の間、すぐににちかは頬を赤らめたままポツリと呟く。

 

「そ、その……ゴム……」

「……ああ、コンドーム?」

「は、ハッキリ言わないでくださいよー!」

「あれまだ使ってないよ。青葉、逃げちゃうから」

「え……てことは、やっぱり青葉と使うために……」

「……あっ」

 

 しまった、と唖然とする。まぁ、青葉なら上手く誤魔化せるでしょ、と思って、開き直ってしまった。

 

「うん。ぶっちゃけ、付き合ってる」

「……8歳も差があるのに?」

「? 関係ある? それ」

 

 多少はあるかもしれないが……でも、そんなに気にしない。青葉が相手だから。

 

「な、なんで青葉なんですか⁉︎ よりにもよって……!」

「え、にちかちゃん青葉のこと好きなの?」

「え? 全然?」

「え? じゃあなんで?」

「だ、だって……み、美琴さんのファンとして……同じファンのバカに取られてると思うと……」

 

 アイドルのファンになったことないから分からないけど……そんな複雑な思いをするところなのだろうか? 

 しかし、何にしても、その認識は少し困る。

 

「にちかちゃんは、もう私のファンじゃなくてユニットでしょ?」

「あ……」

「だから、青葉もにちかちゃんのこと羨んでると思うよ」

 

 多分、と心の中で付け加えながら、美琴は真っ直ぐとにちかを見る。すると、にちかは少し垂れたように頬を赤くしたあと、渋々ながら頷いてくれた。

 

「し、仕方ないですね……」

「それにしても、青葉とルカ遅いね」

「あ、そ、そうですね……あ、もしかして逢引してたりとかー?」

「は?」

「ひっ……⁉︎」

「探しに行こう」

「ちょっ……ね、寝てないとダメですって!」

 

 進撃した。

 

 ×××

 

「オイ」

「は、はい……?」

 

 廊下に叩き出されていたら、声を掛けられて顔を上げた。ルカが自分を見ている。なんだろう、殺されちゃうのかな、なんて思っていると、そのまま襟首を掴まれて玄関から外に引っ張り出された。

 

「ちょーっ、靴、靴!」

「うるせェ」

 

 そのまま、さらに外の手すりに追いやられ、上半身だけ外側に押し出される。やばい、本当に殺されるかも……と、思っている間に、ルカは自分に声を掛けた。

 

「なんか言うことあんだろ」

「え……あ、じゃあ殺すならここじゃなくて山奥にしてください。殺人現場が美琴さんのマンションになっちゃうんで」

「そうじゃねェよ!」

「え……まさか、遺書書かせてくれるんです?」

「それも違ェ! てかなんで殺す前提⁉︎」

「いや今、殺されそうなので」

「……チッ」

 

 舌打ちしながら手を離される。

 

「そういうんじゃなくて、人として言うことあンじゃねェのか?」

 

 改まって聞かれて、ハッとする。そうだ、命を諦める前に言うべきことがある。

 

「……すみませんでした。騙すつもりはなかっ……いや、あったけど、バレるつもりはなかったんです」

「テメェそれ謝ってるつもりか?」

「いや、もう嘘はつきたくないので」

「っ……」

 

 それは本当。まぁ信じてもらえるかはさておきだが。

 

「……でも、実際の所、俺と美琴さんはアレを使うような行為は何一つしていません」

「信用できるか」

「じゃあ逆に聞きますけど、斑鳩さんは目の前で美琴さんが全裸で寝てたら襲えますか?」

「アア⁉︎ ……いや、割と襲えないかもしれない……」

「そういうことですよ」

 

 相手を大事にしている時こそ、その辺慎重になるのだ。チキンとかではない。

 そこで、ハッとするルカ。どうしたんだろう? と、小首を傾げたのも束の間、ルカが真っ赤な顔で自分を睨み始めた。

 

「えっ、な、何? なんでまた怒る?」

「なんで私が美琴のこと好きみたいに言ってんだテメェはああああ!」

「ち、違うんすか⁉︎」

「チッッッゲェェェェよ‼︎ マジぶっ殺すぞ! ホントにそこから風を感じさせて風にすンぞテメェ⁉︎」

「あ、殺すなら山奥でおなしゃす!」

「殺しづれェンだよそのキャラ!」

 

 しまった、怒らせるつもりじゃなかったのに! と、頭を抱える。そのまま、ルカは青葉から離れ、のっしのっしと階段の方へ向かってしまう。

 

「あれ、どこに行かれるんですか?」

「帰るんだよ!」

「あ、ま、待って下さい」

「まだなんか用あんのか?」

「いや押しかけてきたのはそっちですけど」

「テメェほんとに殺したくなる性格してやがんな!」

「や、ですから殺すなら」

「山奥には行かねえ!」

 

 よし、足は止めたな、と把握し、すぐに言うべきことを言った。

 

「俺の事は嫌っても結構です。……でも、俺は斑鳩さんに恩があります。……だから、美琴さんと俺のことで仲悪くして欲しくないです」

「……チッ、この野郎」

 

 まぁ、別に自分なんかの所為で険悪になっているとは限らないわけだが。でも、だとしたら申し訳ないから。

 特に、この前のは結局、最悪の形でバレてしまったわけだし、その辺はやはり考えないといけない……なんて思っている時だった。玄関が勢いよく開かれた。

 

「あ、青葉……!」

「っ、み、みっ……ことさん⁉︎ なんで外出て……!」

「逢引してるの?」

「してねーよ! なんだいきなり⁉︎」

「……だって、にちかちゃんが逢引とか言うから……」

「にちかテメェ!」

「テメェ……美琴だけじゃなく私にもそのつもりだったのか?」

「そんなわけがねえでしょうに!」

 

 と、ツッコミを入れつつも……少し、冗談っぽい言い方。多分、少しはマシな関係になったと思う……と、ほっと胸を撫で下ろしているときだ。風邪ひいているとは思えない力強さで、ぐいっと美琴に引っ張られた。

 

「うえっ? み、みっちゃ……」

「ルカ、この子は私のだから……何が起きたって渡さないからね」

「……ア?」

 

 ……良くない、その返しは良くない、と強く思ってしまった。そんな事を言ったら、またルカは怒るんじゃ……と、恐る恐る顔を上げると、ルカは不愉快そうに舌打ちをするだけだった。

 

「いらねーよ、そんなの」

「あ、そう?」

「そォだよ。帰るわ、なんか元気そうだし」

 

 ……いや、元気ではない。身体はさっき握手してた時より熱いし、多分熱が上がっている。

 でも……美琴が何か言いたそうにしているのを察し、敢えて黙った。

 

「ルカ」

「あんだよ」

「来てくれて、ありがと」

「……チッ」

 

 返事はせず、代わりに片手だけあげて、ルカは立ち去っていった。

 

「ベジータっぽいな」

「お前はいつかゼッテー殺す!」

「山奥?」

「じゃねえっての!」

「なんか仲良くなった?」

「なってねーよ!」

 

 そのままルカは帰宅して行った。

 

 ×××

 

 さて、ルカとにちかが帰宅した後、美琴はまた目を覚ました。外はもう暗く、部屋の中には青葉しかいない。

 布団の横で、ずっと本を読んでいる。……本というか、自分の写真集。

 

「……なんで横でそれ読むの?」

「っ、あ、ご、ごめん……起こした?」

「いや、起きたら見えた」

 

 ……なんか思ったより恥ずかしい。水着とか割と際どい格好させられているし……自分が「見られる」と思っている時はまだしも、警戒していなかった時に見られると頬が赤く染まる。

 

「……体調は平気?」

「うん。大丈夫……」

「お腹空いた? なんか作るよ。てか食べなさい」

「ありがとう……」

 

 と、いうわけで、青葉は台所に向かう。……やはり、起きると動き始めてしまう……それが、少し困る。なんか……ちょっと寂しくて。

 ……よし、決めた。今晩も泊まってもらおう。そして……全力で構ってもらおう。

 そう決めて、とりあえず待機した。……さて、戻って来てくれた。

 

「とりあえず、お粥にしてみたよ」

「ありがと……食べさせて」

「はい……え?」

「あー……」

 

 口を開いて、青葉の方に向ける。青葉は、頬を赤らめて少し目を逸らした。何を照れる理由があるのだろうか? と、美琴が好きな人の無防備な口内を見て、なんかちょっと興奮して気恥ずかしさを覚えるのは、まだ先の話だ。

 

「あーん……」

「あむっ……あふっ」

「あ、ごめん。熱いよ」

「はふっ、はふっ……!」

 

 火傷するほどじゃないけど、熱いものは熱い。何とか飲み込んでから……良いことを思いついたので、言ってみた。

 

「次は、ふーふーしてよ」

「ふーふーって……い、息を吹きかけて冷ますやつ?」

「そうそれ」

「っ……い、良いけど……嫌じゃないの? 俺なんかの息が……」

「? なんで?」

 

 嫌になる理由がないどころか、青葉と一緒にいられない仕事中はビニール袋に息を溜め込んで定期的に吸引したいくらいだ。

 

「じゃあ……ふーっ、ふーっ……」

「……」

「ふっ……な、何?」

「いや……ふーふーしてる青葉、可愛いなって」

「は、恥ずかしくなるからあんま見ないでよ……!」

「大丈夫、キスしたくなってるだけだから」

「そ、それ全然大丈夫じゃないんだけど……」

「お腹すいたー」

「は、はいはい……あーん」

「あー……んっ、美味しい」

「ど、どうも……」

 

 美味しい……甘えられる時に甘えるの、割と最高かもしれない。目を閉ざして、また食べさせてもらっていると……青葉が自分の顔を見て「あっ」と声を漏らした。

 

「? 何?」

「動かないで」

 

 何……? と、胸の奥でドキッとしてしまう。え、まさか……キスされるのだろうか? ちょっ、う、嬉しいけどそんなちょっと熱があがっちゃうから……なんて思っていると、頬に手を当てられ……そして引っ込めた。

 

「ご飯粒」

「……あ、ありがと……」

「24歳児って、みっちゃんみたいな人のことを言うんだろうな」

「……」

 

 青葉が言う? と、少しむすっとしたので、されると思ったことをしてやることにした。頬に手を当てて、唇を押しつける。

 

「んっ……⁉︎」

「っ……」

 

 すぐに口を離したが……青葉は真っ赤である。相変わらず、照れやすい子だ。

 

「……キスで照れる子に、子供とか言われたくない」

「っ……すぐやり返したがるそう言うとこも含めて言ってるんだけど……」

「もう一口いく?」

「キスの単位を口にするのはやめましょうや!」

 

 でも口を使うから良い気がしないでもない……なんて思いながら、とりあえずのんびりと食事を終える。

 食べ終えてから、美琴は少し体を起こしたままソファーにもたれ掛かった。この後は……どうしようかな、と少し悩む。この後ももっと甘えたいけれど、青葉の事だし「早く寝ないと治らないよ」って言われそう……いや、風邪を逆手に取ろう。

 今の甘えん坊モードの美琴なら、行ける……! 

 

「ふぅ〜……洗い物終わり。みっちゃん、そろそろ俺……」

「青葉、歯磨きしたい」

「あ、取って来るよ」

「うん。……で、青葉がして」

「ん?」

 

 どういう意味? と、分かっているくせにそんなことを聞きたがるような顔。笑顔でもちろん、告げた。

 

「私の歯磨き、青葉がして」

「どんなプレイ⁉︎」

「あーうー、具合悪いー。両手が動かないー」

「あっ、そ、そういうこと……!」

 

 せっかくの機会なのだ。甘えないと勿体無い。美琴は目を閉ざすと、アーン、と口を開いて青葉に向ける。

 

「……」

「?」

「仕方ない……」

 

 覚悟を決めているのだろうか? 何故か、少しだけ黙ったまま青葉から返事はなくなる……が、やがて、自分の口の中に毛先が少しだけ硬い集合体が入って来る。

 

「ふわっ……?」

「……どうした?」

「ほ、ほへん……ひょっほ、変な感じがひへ……」

 

 なんだろう、くすぐったいと言うか、こそばゆいというか……幼稚園の時に母親に磨いてもらっていた時は、こんなのなかった……。

 

「ところでさぁ、みっちゃん……」

「っ、な、何……?」

「阿良々木くんが言うにはね」

「誰?」

「口内を他人にいじられる……それはつまり、体内という普段、いじられない場所をブラシで触られることもあって、快楽が生じるらしいよ」

「……へっ?」

「……一体、どんな快楽なんだろうね?」

 

 ……なんだろう、急に……。と、身構えていると、急にハッとした青葉は、なんか少し頬を赤らめる。そして、声音の雰囲気をガラリと変え、続けて言った。

 

「と、いうわけで、お仕置きです」

「はへ……?」

「歯磨きが終わるまで動いたら、今日は寝るまでみっちゃんの写真集を横で読むから」

「えっ……そ、それは恥ふかひ……」

「知りません」

 

 そのまま、口内を磨かれる。正面から自分を見据えている青葉が、口内を覗き込んでいいようにしてくる……しかも、くすぐられるような快感とセット……あ、ヤバい。ちょっと恥ずかしい。

 

「ひゃううっ……ふぁっ、ひやっ……!」

「変な声出さない。……にしても、綺麗な歯並びですね」

「っ、は、はふはひ……!」

「病人の立場を利用して人をからかった罰です。甘んじて受け入れて下さい」

「ほ、ほんな……!」

 

 というか……ちょっと、身悶えが止まらない。両足の指先がピンと伸びて、両手は布団をぎゅっと握り締める。胸が過去にない踊り方をし、正直に言うと……ちょっと悪くないカモ……。青葉にいじられている24歳、と思うと尚のこと。

 

「っ……ふぁっ」

「もうちょい上向いて……あ、うん。オッケー。まぁ、食べた量が多くないから、あんまり食べかす多くないね」

「う、うるふぁい……!」

「はい、次いーってして」

「っ……ぃ、ぃ〜……」

 

 ……そのまま、シャコシャコと歯を磨かれる。歯茎に毛が当たったり当たらなかったりして……ちょっと、やっぱりくすぐったい……でも、嫌じゃなくなってきてるのが困る。

 やはり……甘えさせてもらえるのは、ちょっと良いかも……なんて思っている時だった。

 

「……よし、終わり。よく動かなかったね」

「へ……ほ、ほう……?」

「うん? お口、ゆすいできて」

「……」

 

 も、もう終わり……と、少し名残惜しくなる……どうしよう、恥ずかしいのに、お世話されるのは悪くない……。

 そのまま青葉と一緒に立って洗面所に向かい、口をゆすいだ。

 さて、あとは体を洗うだけ。まぁお風呂には入らないので、体を拭くわけだが……残念ながら流石にそれは引き受けてくれず、拭き終えてから改めて布団に入った。

 あとは眠るだけだ。

 

「青葉」

「んー?」

「寝るまで……隣にいてくれる?」

「うん」

 

 そのまま美琴は目を閉ざした。今日……ずっと面倒を見てもらってしまったが……意外と悪くない。いつか自分も家事できるようになりたい、とは思っていたが、なんかもう青葉に全部、面倒見てもらうのも悪くない気がしてきた。

 明日は仕事に行かないと……今日の遅れは取り戻す。それに……頑張ってくれば、それだけ青葉のご飯は美味しくなる。

 

「青葉」

「寝てよ、早く。治らないよ」

「明日、風邪が治って仕事行って帰ってきたら、美味しいもの食べたい」

「あーごめん。明日はバイトだから遅くなる」

「……は?」

「え?」

 

 ……てことは……病み上がりで頑張って帰ってきても……晩御飯が食べられない……? 

 

「カレー作り置きしておくから、あっためて食べてよ」

「……カレーなら良いか」

 

 うん、カレーなら問題ない。そんなことを思いながら、今度こそ目を閉ざした。

 

 



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空前絶後
アホの子には伝わらない。


 少しずつ新学期が始まってから、気温は低くなっていった。秋という季節の過ごしやすさは歳をとるとよく理解できて、何をするにも適している。

 この時期に趣味を見つけられる人も多いのではないだろうか? なんて、少しらしくなく情緒的なことを思う美琴だが……そういえば、と青葉のことを思う。今年は青葉にとっても人間関係的に大きな変化があったわけだが、美琴がきっかけで新しい趣味とか見つけてくれたりするのだろうか? 

 何せ、少なくとも自分は掃除や家計簿をするようになったのだし、青葉にも何かあるかな……そう思い、声を掛けてみた。

 

「青葉ー、今暇?」

『……学校なんですけど。授業中に「便所っす!」って抜け出したの初体験なんですが?』

「じゃあ暇だね。秋になったけど、何か趣味とか出来た?」

『会話のキャッチボールって難しい……』

 

 よくわからないけど、話せるのなら聞きたいことだけ聞いてさっさと切れば良い。

 

『で、なんですか? 趣味?』

「そう。特に、私と関わる様になってから出来た奴」

『えらく直球だな……』

 

 あるのかな、と少しワクワクしていると、望み通りの返事が来た。

 

『出来ましたよ』

「おっ、何何?」

『飽きられない様に、季節モノの料理やテーマを決めた料理を作ること……かな』

「……ん?」

 

 え、結局料理? と言う意味の声を漏らしたのだが、青葉は気付かない。

 

『そうだ、今晩は秋の味覚にするんで期待しててね。みっちゃんのために作るから』

「ねぇ、青……」

 

 言い掛けたところで、後ろから声がかかる。

 

「緋田さん、お願いします」

「あ、はい。ごめん、休憩終わった」

『うん。じゃあ、またね』

「うん」

 

 とりあえず……少しちょっと気に入らなくはある。なんか……自分ってあんまり青葉にとって影響を与えた人物になれていない様な気がして来た。

 なんか……ちょっと寂しいかも……と、思いながら仕事をした。

 

 ×××

 

 学校が終わり、青葉は帰宅。成績が良いのも考えものかもしれない。基礎が出来ているから、すんなりと知識が入る。

 まぁ、ていうか……だからこそ初日をサボってもあんま怒られなかった。成績と生活態度は関係ないと言うが、あるということがハッキリ証明されたわけだ。勉強してる奴はしっかりしてるし「隣の家のお姉さんの風邪の面倒? 大変だったねー」とのことだ。

 しかしー……学校で少し困ったことと言えば、美琴の件だ、電話かかってこられた。学校が始まってから、二日に一回はかかって来る。

 別に嫌なわけではないけど……保健室とか便所とか、結構無理が出て来た。付き合う前だから当たり前だけど、夏休み前はそんな感じじゃなかったのに……。

 でも……美琴からの電話を無視するわけにはいかない。あの24歳児のしゅんとした顔を思い出すともうだめだ。なんとかしてあげないといけない、と使命感が湧いて出る。

 それに、もうすぐ美琴の誕生日だし、頑張らないと……なんて、少し悩みながら歩いていたからかもしれなかった。ボーッとしたまま歩いていた。

 

「……あ?」

「⁉︎」

 

 赤信号に……気が付かなかった。

 

 ×××

 

「と、いうわけで、全治一ヶ月です。……ま、一ヶ月で済んで良かったですね」

 

 あぶねえ! と、車に撥ねられる寸前で止まり、バランスを崩して後ろにひっくり返り、受け身を取ろうとして失敗し、ついた腕が変な方向に曲がり、利き腕である右手が天に召された。

 その説明を受けて、とりあえず病室へ。何が面白いって、撥ねられてないのに結局骨にヒビが入り、腕を包帯でぐるぐる巻きにされたことだ。

 いろいろと説明を受けて、入院の必要はないことになり、一先ず病院を出る。

 

「……あっ」

 

 そこで思い出す、隣の部屋の24歳児。あの人のご飯はどうしよう……と、らしくなく頭をひねる。また美琴に食事を作ってあげられない期間が生まれてしまった……と、ちょっと困った表情になりつつも、とりあえず連絡しようとスマホに手を伸ばした時だ。見る暇がなかったスマホに大量の通知がきていた。

 

『青葉、事故って本当?』

『何があったの?』

『返事出来ないほど?』

『返事してくれないと困るよ』

『お腹すいたな』

『お願いだから返事くらい欲しいな』

『安否の確認くらいしたいかな』

『もしかして……死んじゃった?』

『分かった、私も死ぬね……』

 

 なんかすごい病んでる! と、思って慌てて電話をしようとした時だ。目の前でキキー! っと甲高い音を漏らしてタクシーが止まる。

 

「青葉!」

「わぉっ⁉︎」

「……あ……ぶ、じ……?」

 

 扉を開けて飛び込んで来たのは、美琴。顔を真っ青にして慌てて現れた。

 

「いや……そんな心配される様なことにはなってないけど……」

「ーっ!」

「ほわっ……⁉︎」

 

 ぎゅうっ、と抱き締められる。お腹の辺りに顔を埋められ「逃がさない」と言わんばかりに腰に手を回して締め付けられた。

 

「ちょっ……み、みっちゃ……」

「……」

「…………ごめんて」

 

 無言のままとにかく抱きしめられ続けられ、思わず謝ってしまう。だが、力が緩むことはなかった。他では巻き込まれていないが……正直すこし痛い。

 でも、何より痛いのは胸かもしれない。こういうことされると、改めて余計な心配をかけさせてしまったことを実感する。

 

「……大丈夫? 痛いとこない?」

「うん……今は腕くらい」

「交通事故って……何があったの?」

 

 聞いてはくるが、お腹の前から離れる気はない様で、ずっとしがみついている。

 

「……ボーッと歩いてたら、車に撥ねられそうになって……避けようとして身体変に回して転んだ」

「……撥ねられてないのに、骨折したの?」

「う、うん……いやヒビ」

 

 超恥ずかしいが、事実なので仕方ない。すると、少しだけ気が抜けたのか、美琴は顔を上げた。

 

「……転んだだけ?」

「う、うん……?」

「それで……骨折?」

「や、だからヒビ。ていうか、恥ずかしいからあんま言わないでよ……」

「……」

 

 ……あれ、と青葉は冷や汗を流す。なんか少し、美琴の視線が……と、思ったのも束の間、伸びてきた両手が、青葉の頬をつねった。

 

「そんなアホなことで心配かけさせないで」

「ふぉ、ふぉへんふぁふぁい……!」

「もう……全然、事故じゃないじゃん……」

「ふ、ふひふぁへん……」

 

 謝ると、手を離した美琴は青葉の反対側の手を掴む。

 

「帰ろ?」

「え、いやあの……恥ずかしいんですけど……」

「また転ぶかもしれない人、手を繋がずに歩かせられませんー」

「うぐっ……!」

 

 まぁ……仕方ないか、と肩を落とした直後だ。……若干、繋いでいる美琴の手が震えているのを感知した。

 本当に心配かけさせてしまったな……と、少し反省する。不安にさせてしまったのなら、その責任を取るのも自分だ。

 

「ごめんね、みっちゃん。心配かけて」

「まったくだよ。ホント、死んじゃわなくてよかっ」

「でも、片手になっても料理は出来るから。だから毎日のご飯の心配はしないで」

「……」

 

 これで少しは安心してくれただろう。自分は美琴にとって生命線。ご飯ちゃんと食べて欲しい……と、思ったのだが、握られている手がなんかミシミシ言い出した……。

 

「青葉」

「な、何? あの、痛い……」

「青葉は、まだ私が青葉のこと料理の腕しか見てないと思ってるの?」

「え、いやあの……」

「ホント、青葉って人をイラつかせるよね。それとも……私って普段、そんなに冷たいかな」

「そ、そんなつもりは……ていうか、もう反対側の手も折れちゃうよ……」

「……」

 

 お、怒らせてしまったのかな……? と、恐る恐る隣を見る。もうプンスカ! と言う音がしそうなほど怒っていた。

 

「……よしっ」

「ごめんなさ……え?」

「決めた。今日から治るまでの間、私が家事やる」

「え、いややめて」

「やめない。ていうか、なんでやめてって言うの?」

「いや……なんか怖くて……」

 

 掃除はまだ良い。洗濯も……まぁ平気だろう。中表に干すとか、洗濯ネットに入れるものもあるとか、その辺は教えれば良い。

 ……だが、料理はちょっとどうなるかわからない。アレンジャーだと困るのだ。

 

「ダメ、私が作る」

「ど……どうしても?」

「どうしても」

 

 ……だめだ、意志が固い。もうこうなったら自分にはどうすることも出来ない。

 

「……分かったよ」

「あと、私が青葉の部屋に泊まるから」

「えっ……どうして」

「いいから」

「……」

 

 有無を言わさない迫力が、そこにはあった。仕方なく、青葉は飲み込むしかなかった。

 あらためて歩きながら、美琴は手を繋いでくれる。……なんか気恥ずかしい。いや、改めて客観的に今の自分を見ると、恋人と言うより……やはり姉と手を繋いでいる弟に見える気がして……。

 

「青葉?」

「っ……は、はい……」

「恥ずかしがらないで。……大丈夫、今後は私がおねえさんだから」

「ええ……なんかそれはそれで……」

 

 正直、もうお姉さんな感じはないから、なんかお姉さんと呼ぶのは気恥ずかしい気もする。……てか、恥ずかしいと思ってるのバレてるし。

 

「……恥ずかしいのは男子高校生にお世話されてる24歳もだと思うけ、ど⁉︎」

「何?」

「なんでもねっす!」

 

 また強く握られた。

 

 ×××

 

 さて、家に到着した。付き合う前に隣に住み始めたとは言え、マンションの隣同士に恋人が住むと言うのは、センシティブ判定をもらってもおかしくない状況……なんてこともちろん、美琴は知らないしわかってもいない。

 とにかく、今日は歳上として美琴は面倒を見てあげないといけない。そして……今日こそ分からせる。料理の腕だけで青葉を見ているわけではないってことを……! 

 

「……青葉」

「は、はいっ」

「脱いで。服。洗濯する」

「え、いや明日休みだし」

「休みだから?」

「いや、別に夜、洗濯する事なくない?」

「……なるほど」

 

 そういうものか、と少し反省。ならば、今は洗濯はやめておく。

 

「じゃあ……お腹空いた? ご飯にしよっか」

「い、いやそれするには心の準備が欲しいかな……」

「……え、なんで?」

「……みっちゃんは、どんな料理作れるの?」

「なんでも作れるよ。作ったことないけど」

「……」

 

 そう、レシピ通り作れれば問題ないはずだ。そして、そのレシピはスマホで調べれば良い。

 ……さて、そのためにも、まずは青葉におとなしくしててもらわないといけない。

 

「青葉、ソファーでゆっくりしてて」

「え、いやあの……大丈夫? 本当に……」

「大丈夫」

 

 大丈夫ったら大丈夫だ。さて、とりあえず……唐揚げとかどうだろうか? 青葉が作った奴美味しいし、いつものお返し。

 まずは鶏肉を切らないといけないわけだが、一応スマホで調べてみる。

 

「……」

 

 まずは肉を漬け込むタレを作るのだが……そこに加えるにんにくをすりおろすらしい……。

 

「……スリオロス……?」

 

 すって……おろす? どこに下ろすのだろう? それも、すって……? と、眉間に皺を寄せる。

 

「あ、あの……みっちゃん?」

「何?」

「なんか全然動いてないけど……大丈夫?」

「大丈夫だから。じっとしてて」

「あ、はい」

 

 青葉の手を借りるわけにはいかない。すりおろす、とはよく分からないが……あまり時間をかけるわけにはいかない。とりあえず、別の食材を見ることにした。

 次は……醤油、大匙一杯。

 

「…………オオサジ?」

 

 たくさんって事……だろうか? いや、一杯ならむしろ少なめ? ……分からない。

 もっと分かりやすいとこ……あ、そうだ。鶏肉を切れば良いんだ。これは絶対必要だから。

 そう決めて、冷凍庫から鶏肉を取り出した。カチンコチンである。

 

「これ……切れるのかな……」

 

 まぁ、包丁を信じるしかない。袋から取り出し、鶏肉を切る……と思ってまず上から包丁をあてがう。

 大きさは……一口サイズらしい。

 

「一口……?」

 

 これは試行錯誤を繰り返すしかない。ここから小さくするには、上下左右に切るしかないだろうから。

 そんなわけで、まずは真上から半分にしてみることにする。

 

「よっ……あれっ」

 

 切れない。硬い。流石に包丁を小まめにキコキコと動かして切ることは知っているが、それでも全然、きれなかった。

 

「んっ……!」

 

 体重を乗せるが、それでも少し刃先が減り込むだけ。中々、切れない。

 

「ふんっ、ぐぐっ……!」

 

 もはや足を浮かせ、両手をまな板の上の鶏肉に減り込ませた包丁に乗せている時だった。

 

「ちょっ、な、何やってんの⁉︎」

「切ってる。いいから座ってて」

「座ってられないから! 切り方くらい教えさせて、怪我する!」

「……じゃあ、それだけ教えて」

 

 怪我は困る。レッスンに影響するから。

 

「まずこの鶏肉、凍ってんじゃん。解凍しないと」

「それどうやるの?」

「レンチン。でも、若干凍ったままの方が切りやすいから、うちのレンジだと二分弱くらいで良いと思う」

「分かった。もう大丈夫、ありがとう」

「いや最後まで聞いてよ!」

「ダメ」

 

 残念ながら、そうはいかない。どうせ青葉のことだ。このまま自分が主体で料理をすることにさせそうだし。

 

「あ、あとちゃんと指切らないようにね! 肉とか切るのに夢中になると割とあるから!」

「分かってるから、休んでて」

 

 とにかく、自分でやる。やらないとダメだ。言われた通り、レンジでチンしてから切り始める。

 

「おお……ほんとだ」

 

 スイスイと切れる。ちゃんと言われた通り、指に気をつけて切る。これで怪我したら、本当に怒られるかもしれないし。

 時間は掛かりながらもなんとか肉を切り終える。さて……一口サイズ、とのことだ。

 一口サイズとはどれくらいなのか? それはもちろん、一口で食べられるサイズの事だ。しかし……もう何度かキスもした仲とはいえ、青葉がどれくらいのサイズの肉を一口で食べられるかわからない。

 

「しかも今、手を怪我してるし……」

 

 それは関係なくない? と、他人が聞いたら思うことを呟きながら、測ってみることにした。自分の口で。

 

「あむっ」

「何してんの!?」

「もぐもぐ……ふぇ?」

「ちょっ、吐き出しなさい! 鶏肉生で食えないから!」

「……え?」

 

 今、嫌なこと聞いた、と冷や汗を流す。

 

「鶏肉生どころかレアでも食えないから! 最悪、食中毒じゃ済まなくなるって!」

「ちょっ……え……」

 

 でも……ということは、青葉の前で吐き出さないといけない? と、また冷や汗をかく。それは女の子的にちょっと無理……なんて思っている時だ。

 

「あーもうっ、口開けて!」

「え? ……むごっ!」

 

 強引に口の中に手を突っ込まれ、肉を取られた。恥ずかしいとかじゃない、もう酔っ払いが介抱されているのと同じ感覚だろう。

 鶏肉をまな板の上に置いた青葉は、そのまま真剣な表情で自分に言う。

 

「みっちゃん、口ゆすいで。俺も詳しいわけじゃないからなんともだけど、食中毒菌が残ってるかもだから」

「え……う、嘘」

「イ○ジン用意するから、とにかく水で口内洗浄して待ってて!」

「わ、分かりました……」

 

 仕方なく待機することになった。

 

 ×××

 

 一応、口をゆすいでモ○ダミンやらイ○ジンやらと片っ端からぶち込んで口内を洗浄し、一応は事なきを得た。

 なんか……余計に疲れさせてしまった気もするな、と少し反省。その結果、青葉の監視のもと、料理をすることになってしまった。

 

「揚げ物するにはエプロンして。俺の貸すから。あと水は油の中に入れないように。ヤケドするよ。最悪顔を」

「え、怖い」

「だから気をつけて」

 

 だけど、割とアドバイスをもらって良かったかも……と、思うことが多かった為、何も言えない。というか、揚げ物は自分には早かったかもしれない。

 とはいえ、やると決めたからには作る。言われるがまま唐揚げの調理を続けた。

 

「……そう、フォークで一刺しずつして……それで中まで味を染み込ませる。うん。上手」

「そう? 上手?」

「うん」

「っ……そ、そっか」

「次は、ボウルの中でタレの中に肉入れて揉み込む。ビニール袋でやる人もいるけど、俺は素手でやった方が良いと思うから、そうしてみよっか?」

「分かった」

 

 とのことで、美琴は言われた通りに素手で揉み込む。触った感じ、ぬちゃぬちゃしていて決して触り心地が良いとは言えないが、青葉はいつもこれをしてくれていると思えば苦ではない。

 さて、そのまましばらく言われた通りに手を動かす。油の中にお肉を投入する。

 

「少しだけ強火で揚げてから、弱火にして。その方がカラっといくから」

「分かった」

「揚げ物をしてる最中は目を離さないように」

「うん」

 

 言われたことは守る、と言うのが料理をする上での約束だから、美琴は黙って言うことを聞いた。

 途中で弱火に変更。火を通さないと食中毒案件らしいので、ここで少しずつ揚げていく……ということらしい。

 と、そこで質問。

 

「青葉」

「んー?」

「どうやって中に火が通ってるか分かるの?」

「あー……難しいとこだけど、菜箸で摘んで少し上げてみると、なんかこう……じゅくじゅくした感覚が来ると思うから、その時。今日は俺が見てるから、頃合いになったら言うよ」

「わ、分かった……」

 

 さて、そのまましばらく待機。菜箸で唐揚げを突っついたりして揚げ物を続ける。

 数分してから、また青葉が様子を見にきた。

 

「……うん。そろそろかな」

「完成?」

「の前に、少し菜箸で摘んで持ち上げてみ」

 

 言われて美琴は一つ、箸で摘んで油の中から取り出す。じゅくじゅく……と言っていたが、どんな感覚なのだろうか? 体験した事ないから、感じ取れるのか不安だったが……と、半信半疑気味に、指に神経を集中させると……確かに「じゅくじゅく」と表現したくなるような振動のようなものが伝わって来る。

 

「おお……ホントだ」

「分かる? 俺最初の頃全くわからなかったんだけど」

「分かるよ。確かにじゅくじゅく言ってる気がする……」

「なら、火が通ってるって事」

「もう上げちゃって良いの?」

「いや、最後にもっかい強火にして。強火→弱火→強火がカラっと揚げるやり方だから」

「分かった」

 

 なるほどね、と美琴は少し理解しつつ、火を強める。……なんか、弱火だったものを強火にすると、少し驚いてしまう。大丈夫なのだろうか? 

 

「あの……青葉?」

「すぐ終わるから集中して」

「あ。うん」

「少し目を離すと焦げて固くなるから」

「えっ、ラジャー」

 

 とのことで、改めて集中する。その唐揚げはちょっと食べたくない。

 しばらく鍋の中を眺めたあと、すぐに青葉が言った。

 

「よし、火を止めて」

「うん」

「あとは余熱で十分……はい」

「?」

 

 手渡されたのは雑誌。何に使うのだろうか? と片眉を上げる。

 

「何これ?」

「盛り付けるときは、油を切るためにこう言う雑誌の上に乗せんの」

「いや、そうじゃなくて」

「何?」

「この雑誌の表紙、水着の女の人が映ってるんだけど……まさか青葉の趣味じゃないよね?」

「は? ……あ、いや違うって! 親父がだいぶ前に買ってたヤングマガジンだから!」

「ほんと?」

「ほんと!」

 

 へにゃっ、とアホ毛は力無く萎れ、美琴の瞳には若干の涙が浮かびつつも睨む。やばい、浮気されたと思うと怒るより悲しくなる。

 

「そ、そもそも俺がみっちゃんが載ってない雑誌買うわけないでしょ⁉︎」

「じゃあなんで取っといてたの?」

「揚げ物とか、あと窓拭く時に使えるから! 新聞紙や雑誌のインクが!」

「……なら良いけど」

 

 まぁ、青葉らしい理由だし嘘ではなさそうだ。ひとまず信頼して、料理を進める。と言っても、油の中から唐揚げを出すだけだが。

 箸で摘み、少し振って油を切ってから紙に乗せる……それを繰り返す。その時だった。

 

「……あっ」

「どしたの?」

「お米、炊いてない」

「ああ、それは俺やっといたから」

「え?」

「あと、キャベツも切っといた」

 

 そう言う通り、お皿の上にキャベツが盛り付けられていて、唐揚げを置くスペースもあけてあった。

 

「……どうやってキャベツ切ったの?」

「I○EAで買ったカット機。乗せてこれ下ろすだけでスパッと切れるけど人の手も切れるから気をつけて」

「っ……」

 

 ……手際が良い。流石、青葉……と、思う反面、複雑だった。なんでやっちゃうの、と……いや、やらないと唐揚げ食べた後にサラダを食べて、さらにその後に白米を食べることになっていたと思うから仕方ないのだが。

 ……でも、なんか複雑だった。

 

「……」

「あ、あれ? なんで怒ってるの?」

「私の仕事……」

「ま、まぁ最初は慣れてないから、仕方ないよ。メニューの要領良い作り方とかは、明日から教えるから」

「……今日教えてくれれば良かったのに……」

「全然、話聞かなかったぢゃん……」

 

 ……なんか、思ったより家事って大変そう……なんて、今更ながら改めて実感してしまった。早くも挫けそうになってきたが、その美琴の頭を青葉が優しく撫でる。

 

「大丈夫、すぐに怪我なんて治して、俺がまたやるから。そんなに心配しないで」

「っ……あ、青葉……」

 

 やはり、複雑だった。絶妙に分かっていない感じが。そして……それにやはり甘えたく思ってしまう自分が。

 でも、それじゃダメだ。今後も任せてもらえるように……せめて、青葉がこういう時くらいは任せてもらえるように。

 

「青葉」

「ん?」

「私……頑張るから」

「うん。ありがとう。……さ、冷めないうちに食べよっか?」

「……うん」

 

 この後、美味しくできたからか、めちゃくちゃに褒められた。

 

 ×××

 

 その日の夜、青葉と美琴は今日も一緒に寝ていたが、同じ布団には入っていなかった。美琴の寝相ダイナミック裏拳スマッシュが直撃すれば腕もタダでは済まないので、青葉はベッド、美琴は布団で寝ている。

 そんな中、青葉の頭の中では重大な危機に面していた。つまり……明日の美琴の誕生日、どうしよう……である。

 この腕では、手作りケーキは作れないどころか、飾り付けもままならない。美琴は夜まで自主練して来るのだろうが、それでも間に合わないものは間に合わないだろう。

 にちかとルカに協力してもらう? いや……無理だ。嫌われているし、おそらく各々で用意するだろう。……なんなら、自分だけ誕生日会省かれる可能性もあるが……。

 

「……いや」

 

 それだ、それを逆手に取ろう。明日の夕食はケーキは無し。どうせ食べてくるし、太らせてしまうだけだ。

 用意すべきは、会場とプレゼント……そして夕食だ。心配してくれている美琴には悪いけど、年に一度の生誕祭くらいは無理をしないわけには行かない。それがファン兼彼氏の役目と言えるだろう。

 

「……よし」

 

 そうと決めれば、今のうちに作戦を立てるため、こっそり起き上がっ……。

 

「どこ行くの?」

 

 ……ばれた。なるべく音立たないようにしてたのに。

 

「いや、あの……トイレに」

「なら私も行く。危ないから」

「そ、そうですか……」

 

 明日、休みだし美琴がいない間に考えることにした。

 

 



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手がかからない人間はいない。

 さて、美琴の誕生日当日。青葉はいつものルーティンで早く目を覚ましてしまう。で、そのまま顔を洗って髪を梳かし、そして食事を作る。何を作ろうか? やっぱり、朝だし軽くベーコンを焼いたりとか……なんて思いながら、準備をしている時だった。

 ふと……なんか、視線を感じる。かなり冷たいと言うか「何してんの?」みたいなジト目と言うか……。

 ふと悪寒がした方を見ると、そこにいたのは美琴だった。

 

「……あ、おはよ。みっちゃん。朝ご飯今作るから……」

「作らなくて良い」

「え?」

「ていうか、何してんの? 人が休めって言ったのに」

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

 そうだった。家事は、右手が治るまでは美琴にやってもらうという話だった。正直……美琴に頼むのは不安でしかないのだが……まぁ、こうなると美琴は譲ってくれない。

 

「ご、ごめんごめん。もうクセになってて……」

「まぁ良いけど。とにかく大人しくしてて。朝ごはん、私が作る」

「あの……せめて見てるから。昨日みたいな真似されると怖いから……」

「……どうぞ」

 

 なんで少し不服そうなの……と、思いつつも、二人でそのまま朝食を作り始めた。

 ていうか……待機していると、やはり気になる。この人が刃物使うと、もう心配で心配で……。玉ねぎとキャベツを切っているだけでハラハラする。

 そのままなんとか食材のカットを終えた美琴は、フライパンに油を敷く。

 

「あ、油使い過ぎ……」

「え、じゃあ戻す?」

「いや戻すと余計、大惨事に……」

「じゃあどうしよう?」

「だ、だいじょぶ! 油入れ過ぎたくらいなら平気だから!」

「そうなんだ……じゃあ、このまま……」

 

 フライパンに食材を投入しようとする。キャベツをむんずっと鷲掴みにして。

 

「待って待って! キャベツは火の通りが早いから最後に入れないと! ベーコンや玉ねぎが焼き上がったときには黒焦げになってる!」

「あ、そ、そうなんだ。危なかった……」

「あと、敷いた油はフライパンを傾けて全面に広げよう!」

「わ、分かった」

 

 素直に従ってくれてはいるのだが、やはり……こうしていると不安で仕方ない。心臓がドキドキと高鳴ってしまう。

 そのまま、食材を順番にフライパンの中へぶち込む。炒めるだけ……なのだが、なんだろうか。この不安は。

 

「あ、みっちゃん。強火のまま焼くと焦げちゃうから……」

「う、うん……」

「あと、調味料。慣れてない人は早めに入れないと焦げてから入れることになる」

「わ、分かった」

「それ砂糖! 見分けつかないなら一回舐めて!」

「え、あ、ごめん……塩、塩……あ、ない……」

「弱火にして! 部屋から持ってくるから!」

「うん、よろしく……あ、ココアパウダーとか隠し味で入れてみる?」

「野菜炒めの隠し味にココアは新鮮だな!」

「じゃあやってみる?」

「皮肉だよ今のは!」

 

 ダメだ、少しずつ疲れが増してきた。この子……いや大人だった。……いや子でいいや。この子、何でこんなんで上京するとか……てか、どうやってしていたのか……? 

 寮? 事務所の? いやない話ではないのだろうし、自分は事務所の寮に詳しくないから分からないが、基本飯は勝手に出るのではなく自炊するものなのではないだろうか? 

 自炊でこの子が生きていけるはずがないし……はっ、まさか……パパ活で、食い繋いできた……? 

 

「みっちゃん、今までみっちゃんが身体を許したおじさんを教えて! 全員煮込む!」

「青葉、過去一番でキレそう」

「ひょえっ!?」

 

 流石に「あ、違うんだな」とすぐに理解した。

 

「……何を思ったか知らないけど、青葉以外にそんなことあり得ないから」

「う、うん……?」

「だから、二度と言わないで」

「は、はい……」

 

 怒られてしまった。こっぴどく。肩を落としていると……ふと焦げ臭さが鼻腔を刺激。

 

「……って、みっちゃん焦げてる焦げてる! 弱火でも焦げることある!」

「え、あっ……ど、どうしよう。強くする?」

「加速させてどうすんの!? もう火、止めて!」

「わ、分かった……!」

 

 と、慌ててガスを止めた。火が止まり、お皿を用意してその上に野菜炒めを乗せる。……真っ黒な火山のようになった炒め物を。

 それを見るなり、美琴は肩を落として申し訳なさそうにつぶやく。

 

「……ごめんね。コンビニで朝ご飯、買って行って?」

「いただきます」

「え?」

 

 箸を出して、一口。うん、美味くはない。でも……全部食べる。それが、作ってくれた人に対する礼儀だ。

 ……まぁ、炭のような味なので割とキツいとこはあるけども。ちょっと食べ終えるのにはこれ単品じゃ無理だ。

 

「白米も欲しいな」

「あの、無理して食べなくても良いよ? 体壊すかもだし……」

「世界で一番、みっちゃんには言われたくないセリフ」

「は?」

「あ、嘘嘘。でも……俺も、料理が上手くなるまでに、母さんとかにちかにたくさん食べてもらってたから……だから、今度は俺の番」

「……」

 

 我ながら、カッコつけ過ぎだっただろうか? わざわざ口にする辺り、自分に酔ってると思われるかもしれないけど……でも、事実だし、察しの悪い美琴には言わないとわからない気がしたから、言ってみた。

 少し不安になっていると……目の前の美琴は、両手を広げてハグとキスをかまして来た。

 

「んぅっ……⁉︎」

「んっ……」

「っ、み、みっちゃん……何を……⁉︎」

「ん、好きになっちゃったから。また」

「っ……な、何いきなり恥ずかしいこと……」

 

 思わず吐血しそうなほど照れてしまった。いきなり過ぎて困る。

 

「ふふ、青葉……私より大人っぽいのに、お子様だよね」

「……え、みっちゃんよりは大人だけど……」

「私の方が大人だから。20歳超えてるし」

「20歳はハタチって言うんだよ?」

「……この口?」

「いひゃいいひゃい!」

 

 とうとうつねられてしまった。酷い……と思いつつも、とりあえず言った。

 

「……とりあえず、食べちゃうね」

「うん、ありがとう」

「それは俺のセリフ」

 

 作ってもらった側が礼を言うべきなのだ。でも白米は欲しい。なので、炊飯ジャーから白米をよそって、それと野菜炒めを改めて机の上に持って行った。

 

「そういえば、みっちゃんの分は?」

「私はいらない。不味そうだし」

 

 それを自分の前で言える勇気は讃えることにしつつも、注意しておいた。

 

「不味くても自分で食べてみないと、料理できるようにならないよ」

「別に良いよ。青葉と一生いるし」

「ッ、ゲホッ、ゲホッ……!」

「? え、どうしたの?」

 

 一生って……と、頭を抱えるが……それは結婚という意味……なのだろうか? ……いや、流石にそこまで考えるのは早過ぎる。多分、どちらかというと家事的に便利だから依存されているのだろう。

 ……にしても、だ。この野郎、そういうプロポーズ的なことを平気で……と、眉間に皺がよってしまう。

 

「……と、とにかく……一緒に食べよう。俺とご飯なんて食べたくないって言うなら……まぁそれでも良いけど」

「……その言い方はずるいよ」

 

 正直、その自覚はあるけど……でも、それほど美琴と食事をしたかったのだ。自分が楽するためとかではなく、普通に料理を覚えてほしい。……万が一、美琴が自分より好きな男の人を見つけた時のためにも。

 

「じゃあ、私もご飯よそってくる」

「うん」

 

 そのまま二人で食事にした。不思議なものだわ拙い味付け、拙い焼き加減、拙い盛り付けにも関わらず……とても美味しく感じるのだから。

 ……そうだ、朝から世話を焼かされていたから忘れていたけど、言うべきことがあった。

 

「みっちゃん」

「ん?」

「誕生日おめでとう」

「ふふ……ありがとう」

 

 もっとも、プレゼントを先にもらったのは自分であったが。

 

 ×××

 

「……ふぅ」

 

 如何にアホでマヌケでひ弱な彼氏が怪我していようと、流石はオンオフがしっかりした百戦錬磨のアイドルである。美琴は今日のレッスンも集中力を乱すことはなかった。

 でもね、オンオフがハッキリしているってことは、当然オフの時は集中力を途切れさせているわけであって。

 

「………………」

 

 ソワソワソワソワ、と落ち着かない様子で休憩中にグルグルと半径1メートルほどを歩き回っていた。

 青葉は「俺は腕こんなんだから、プレゼントだけ買っておくね。だから、事務所の人が祝ってくれるならちゃんとゆっくりしてくるように」と言ってくれたが……本当にそんな悠長にしていて良いのだろうか? 

 

「あの……美琴さん、何かあったんですか?」

 

 あまりに落ち着きがなかったからか、にちかに声を掛けられてしまった。

 

「うん……昨日、青葉がね……」

「ああ、骨折したんでしたっけ? 転んで骨折るとか私笑っちゃいましたよー」

「私も、笑ってあげられた方が良かったのかな……」

「あ、あははー……じ、冗談です……心配ですね……」

 

 本当に心配だ。あの子、とても弱々しいから。歩いてる時、足首を捻って脱臼しないだろうか? 階段を降りる時、踏み外して頭蓋骨陥没しないだろうか? エレベーターに乗る時、ドアに挟まってカリオストロ伯爵にならないだろうか? 考えれば考えるほど嫌な想像が脳内を敷き詰めていく。

 そんなネガティブになっても何も変わらないのはわかっているのだが、どうしても考えてしまっていた。

 ……と、いうわけで、それをしないで済む方法は一つだけだ。

 

「にちかちゃん」

「はい?」

「やろう、レッスン」

「え、あの……まだ休憩入って2分……」

「大丈夫」

「そうですね! 大丈夫です!」

 

 集中力のギアを強引に一段階上げて、レッスンを再開した。

 

 ×××

 

 さて、今日は美琴の誕生日パーティーをしなければならない。そのために買い物に来た。何を買うかは決めている。本当は折り紙で飾りを作りたいところだが、この手では無理だ。

 その為、買って済ますしかない。用意するのはくす玉、クラッカー、蝋燭、ケーキ、プレゼント、風船……などなど。

 早速、買い物をするために鞄と財布とスマホを持って家を出た。エレベーターに乗って降りていく。

 

「まずは……そうだな。パーティグッズからかな」

 

 そうと決まれば、ドンキだ。最近、FGOにも出た奴。見た目も小さくて三頭身くらいで似ている。

 ここなら、くす玉もクラッカーも風船もあるだろう。蝋燭はケーキにつくだろうし、ケーキは先に買うとダメになるかもしれないから後回し。

 まずはここでパーティグッズを得た後で、次はプレゼント。最後にケーキだ。

 

「ふーむ……」

 

 飾り付けのイメージは出来ている。美術の先生と感性が合えば5評価は硬いのだ。それを活かせば良い。後は、欲しい色があるかどうか、というところか。

 そんなわけで、まずはくす玉から選ぶことにした。と言っても、これはあまりバリエーションはない。

 つまり、選ぶのは条件に合うもの。部屋の天井の高さは下調べしておいたので、あとはケーキを食べている最中に使えるものを揃えるのがベストだろう。

 

「……これだな」

 

 文字は家で書こう。小学生の時に書道で使っていたものがあったはずだ。

 引き続き、クラッカーやら風船やら……と、カゴに入れてレジに持って行った。

 基本的にどれも大きさはそうでもないので、持参した鞄の中に収まる。計画通りだ。次はプレゼント……と、思って店を出た時だ。

 

「わぉっ」

 

 足元の段差に気付かずすっ転びそうになった。やばい、今転んだら手はつけない。片手は折れてるし、片手は肩から下げている鞄を支えないといけないから。

 ここは潔く顔面を犠牲にして転ぶしかないか……と、目を瞑ったときだ。後ろから両肩を引かれて転倒を回避できた。

 

「あっぶなー、大丈夫?」

「っ、あ……ゆ、ユイシス……!」

「おーっす。どしたん、片手?」

「転んで折れました」

「転ん……え、それで?」

「は、はい……」

 

 まぁそういう反応されるわな、と思いつつも、とりあえずお礼しなければ。

 

「すみません、ありがとうございます」

「ううん。それより、その腕で買い物? 安静にしてたら?」

「いえ、今日知り合いが誕生日なので、そうは行きません」

「あー、なるほど。じゃあ、三峰も手伝ってしんぜよう」

「え?」

 

 手伝うも何も……と、思っている間に、結華は青葉の肩から鞄を取ってしまう。

 

「ちょうど暇してたんだよねー。欲しい漫画の発売日間違えちゃっててさー」

「あーそれ稀によくあります」

「だよねー……ん? な、何その矛盾に満ちたセリフは? いや、まぁそういうわけだから、手伝うよ」

「え……でも」

 

 美琴がいるのに他の女性と二人きりは……と、遠慮してしまいたくなる。とりあえず断らないと、と思い、理由をつけて遠慮することにした。

 

「スミマセン。その知り合いって、彼女の誕生日でして……だから、その……ユイシスに手伝ってもらっちゃうと……」

「あ、あー……そういうね……てか、彼女いたんだ」

「っ、ま、まぁね……」

 

 大丈夫、美琴であることさえバレなければ。高校生で彼女がいるくらい不自然なことではないことだ。

 

「ちなみに、何あげるか決めたの?」

「はい!」

「何?」

「『誰でも出来る、簡単調理本』!」

「ごめん聞き間違えたかも、もう一回言ってくれる?」

「『誰でも出来る、簡単調理本』!」

「うん、ついて行かせて」

「なして⁉︎」

「その遠回しに『女子力皆無だから勉強しろ』って言うようなプレゼントは絶対ダメ」

 

 それはそうだけど自分の相手はその自覚があるし、その上で勉強しようとしているのだ。何も問題はない。

 

「それに、そういう意図がないにしても……ちょっとロマンが足りないでしょ」

「え、そ、そう? 実用的だと思ったんだけど……」

「実用性より思い出でしょ、そういうのは」

「思い出って……写真とか?」

「それはロマンチック過ぎる」

「???」

 

 だめだ、分からん。どういうことなのだろうか? 思い出っていうと……あ、分かった。

 

「デ○ズニーのペアチケットとか? 俺そんなお金ありませんよ」

「違う。思い出を作る方向じゃなくて……マフラーとか手袋とかネックレスとか、そういうの」

「え……それ思い出ですか?」

 

 物じゃん、と思ったのも束の間、すぐに結華は「ちっちっちっ」と人差し指を軽く振りながら答えた。

 

「甘いなぁ……ただの物じゃないんだよ、そういうのは」

「はい?」

「誕生日会、楽しい思い出……それを締め括る身につけるプレゼント。それを今後、身につけるとしたら……嫌なことがあるたびに、そのプレゼントを見ればアオっちのことを思い出して『頑張ろう』って気になるかもよ?」

「えー……」

 

 ……要するに精神論……と、一瞬呆れたが、でもまぁ確かにこういうのは気持ちかもしれない。

 

「大丈夫、現役JDの三峰がいるから、良い物ちゃんと選んであげる」

「……」

 

 いや……それ結局、一緒に来ることに……と、思ったのだが。逆に考えれば、手が増えたことになる。ケーキは買って済ませる予定だったが、手伝ってもらうことも可能なのではないだろうか? 

 自分のレシピで調理してもらえるなら願ったりだ。

 

「あ、あのっ……ユイシス」

「何?」

「今日、空いてますか?」

「うん?」

「でしたら、ケーキ作りも手伝ってもらえませんか?」

「え……良いの? 部屋入って?」

「あ、あー……そっか」

 

 やはり、ケーキは諦める他ないのだろうか……なんて、ため息をつきつつも、でもまぁとりあえず買い物には付き合ってもらうことにした。

 

 ×××

 

「みっ……美琴さっ、ちょっ……待っ……!」

「はい、休憩終わり」

「いやっ……まだ、10秒しか……ォェッ」

 

 嫌なことは考えたくない美琴は、休憩時間を返上してレッスンしていた。にちかを巻き込んで。

 

「大丈夫、若いんだから。ほら、立って」

「ひっ、膝がっ、ハードゲイ……!」

「そうだね、ハードかもしれないけど頑張ろう」

 

 美琴の容赦ない圧に対し、にちかは。

 

「は、はい……!」

 

 根性を見せていた。美琴の言うことは絶対である、という感じだ。だがまぁ、根性で体が動くのは最後の最後だけであって。

 

「……あ、無理……」

「? どうしたの?」

 

 目の前でにちかは倒れてしまった。だが、美琴も辞めるわけにはいかない。じゃないと……あー、来た。ほらほら、頭の中で青葉が今、坂道で転んで転がり落ちてバイクに撥ねられてゴミ収集車の中に頭から突っ込まされた。

 

「っ……ダメだ、やっぱりレッスンしよう」

「……あの、さっきから何がトリガーになってるんですか……?」

 

 なんて話している時だった。コンコン、とノックの音。入って来たのはプロデューサーだった。

 

「お邪魔す……うおっ⁉︎ に、にちか大丈夫か⁉︎」

「……(無言)」

「にちかが無言⁉︎ マジでやばい奴だろこれ! 美琴、何があった⁉︎」

「何も……レッスンしてただけだよ?」

「レッスンしかしてなかったのか!」

 

 察しの良いプロデューサーだった。都合よくなのか、それともプロデューサーたる所以なのか、ちょうどうちわを持っていて、それでにちかを仰ぎながら壁際に置いてある飲み物に手を伸ばす。

 

「ほら、にちか飲め! そんな無理すんなよ⁉︎ ライブ近いわけでもないのに……!」

「だい、じょぶ、です……!」

「Die job death? 死ぬことがにちかの仕事じゃないぞ!」

「は? なんですか、それ……親父ギャグの、つもりですか……!」

「よし、生き返ったな」

 

 中々、にちかの扱いを心得ている……のだろうか? ……いや、そんな場合じゃない。身体を動かしていないと……また、青葉が飛行機に乗ってよそ見運転していたら隕石に衝突して死んだ。

 

「よし、レッスンしよう」

「唐突だな⁉︎ 美琴、少しは休めって前々から言ってるよな⁉︎」

「大丈夫、休んだ。47秒」

「正確!」

「ていうか、私がレッスンしないと青葉が死んじゃう」

「……え、なんで? 人質?」

 

 頭の中でっていう意味なのにツッコミを入れられてしまった。……もっとも、頭の中で死なれても嫌だから美琴はゴネているわけだが。

 

「なんかよく分かんないけど……美琴、青葉くんが心配なら電話してみたら?」

「あ、そっか」

 

 休憩時間がようやく確保された。

 

 ×××

 

「ふぅ、良いものが買えてよかったです……」

「ホント? なら、三峰も手伝った甲斐があったというものですよー」

 

 プレゼントを買い終えた二人は、のんびりとショッピングモール内の階段を降りていた。

 

「ユイシスが手伝ってくれたおかげです。何かご馳走しますね」

「いや年下に奢って貰うのはちょっと……特に、まだ高校生でしょ?」

「あ……じゃあ、何か作りますよ俺」

「や、だから部屋に行かないってば。てかその腕で料理出来るの?」

「じゃあどうしたら良いんですか?」

「いいよ、そんな気を使わなくて」

「あ、じゃあうちにある一番くじでダブったヤマトのフィギュアいります?」

「欲しい! え、良いの?」

「はい。お礼ですので」

「よっしゃー!」

 

 どうせ売る予定だったのだ。保管用とかそういうの考えないから。

 借りが返せるのなら良かったなーと思いながら階段を降りている時だった。ポケットのスマホが震え始める。引っ張り出そうとすると、変なとこが引っかかって落としそうになってしまった。

 

「うわっ……あれ?」

「ちょっ、危なっ……!」

 

 スマホを取ろうとしたが、取り損ねた挙句に前のめりに倒れそうになってしまう。つまり、階段落ちである。

 やばっ、これは腕二本目逝ったか……と、覚悟を決めた直後だ。正面から走り込んだイケメンが、ふわっと自分を抱き抱えた。

 転がりそうになった体が急停止する。鞄の中から購入したパーティグッズが落下し、階段の下に転がっていったが、それを気にする余裕がなかった。

 

「っ……な、何……?」

「ふふ、大丈夫かい? お転婆な傷だらけのお姫様」

「ひゅっ……」

 

 自分を受け止めたのは、見覚えのある顔。美琴と同じ283プロのユニット「アンティーカ」の高身長イケメンモデル出身アイドル……白瀬咲耶だった。

 

「し、白瀬さん……?」

「ふふ、久しぶりだね青葉」

「あれ? さくやん?」

「や、結華」

「咲耶さん、急にどうし……あれ、結華ちゃん?」

「きりりんも」

 

 さらに追加されたアイドルは、幽谷霧子。何故か腕に包帯や湿布を貼っている若白髪アイドルである。

 二人とも、流石現役JKアイドルなだけあってとても綺麗で可愛い。

 

「す、すみません……ありがとうございます……」

「ふふ、気にしなくて良いさ。ただし、これからはちゃんと気をつけるように」

「は、はい……」

 

 とりあえず、お礼を言いながら下ろしてもらう。その二人に、結華が聞いた。

 

「二人とも何してるの?」

「少しショッピングしていただけさ」

「あの……結華ちゃんは、その子と何を?」

「あ、初めまして。一宮青葉です。三峰さんとはドルオタ仲間でした」

「あ、はい。私は……幽谷霧子です……」

 

 何であの人、自分を女扱いするんだろう、と思いつつも、まぁプロデューサーも最初は女だと思っていたみたいだしスルーする。流石に女だとは思われていないと思うけど……まぁ良いか、と思うことにした。女扱いも、美琴に可愛い可愛い言われ過ぎて慣れた。

 

「その腕……何かあったのかい?」

「まぁちょっと……」

「ギプスさん……ズレちゃってるよ……? 治してあげる……」

「あ、すみません」

 

 腕を吊るしている布を元に戻してくれた。というか、ズレる前よりも綺麗に直してくれた。

 

「ど、どうも……」

「きりりんは病院でボランティアもしてるんだよー?」

「へぇ……す、すごいですね……」

 

 もしかしたら、怪我人の処置とか慣れているのかもしれない。

 

「それで、結華は何を?」

「あーうん。アオっちが彼女の誕プレで悩んでたからアドバイスあげた。そのお礼にフィギュアもらいに行くとこ」

「ふふ、そっか」

「すみません……あ、じゃあ白瀬さん達にも何かお礼を……」

「大丈夫さ、そんなに気を使わなくても」

 

 なんて話していると、結華が「あっ」と何かに気がついたように声を漏らす。

 

「てか、何か落としたよね」

「あ……ほんとだ」

「あ、いや自分で拾うから……」

 

 いいですよ、と言う前に、結華と霧子が階段を降りて拾ってくれた。落としたのはくす玉とか風船とかクラッカーとか。

 慌てて自分も拾おうとするが、咲耶に止められてしまう。

 

「おっと、階段で慌てると危ないよ。特に、そそっかしい子には注意が必要になるからね」

「っ、す、すみません……」

 

 仕方ないので引き下がる。その落ちているものを結局、二人に全部拾われて手渡されてしまった。

 

「す、すみません……」

「ううん」

「それより……この荷物って、パーティでもするの……?」

「あ、はい。知り合いの誕生日パーティーをするんで、飾り付けの道具をと……」

 

 すると、三人とも顔を見合わせる。そのあとで、なんかやたらと心配そうな顔を揃って向けられたと思ったら「まさか」とでも言わんばかりに聞いてきた。

 

「まさか……君、その腕で飾り付けを……?」

「そうですけど……え、なんで?」

「「「……」」」

 

 割とマジで何が悪いのか理解していない青葉であったが、咲耶と霧子の前で一回、結華に至っては二回、転びそうになっているところを見られている。基本的に良い子三人にとっては心配の的である。

 

「手伝わせてくれないかな?」

「う、うん……ちょっと、心配……」

「三峰も……いや、お礼とかちょっとはしゃいでる場合じゃなかったりするし……」

「え……いや……」

 

 断った方が良いのはわかっていたが……ダメだ。そこで押しが強くなれないのが内弁慶の悪い所であって。

 それに、これで手作りケーキの可能性も出た、と思うとメリットがあるお話にもなってしまって。

 

「わっ……分かりました……」

「よし、行こうか」

 

 そのまま連行された。

 

「あ、そう言えば電話……」

 

 スマホの画面を見たが、もう電話は切れていた。

 

 



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理解はしたけど納得はしていない。

 さてさて、飾り付けとケーキ作りを手伝ってもらうことになったわけで、二人から四人になった青葉一派は、そのままデパート内の移動を始めた。

 ……とはいえ、もう何回も転んでいるアホな男の子を一人で歩かせるのはなんか不安だと判断されて……。

 

「……たかだか一つ下の階に降りるのに、エレベーター使わなくても……」

「ダメだから。もう何回転んでると思ってんの?」

「怪我してる人は、なるべく楽な道を選んだ方が良いよ……?」

「無理してはいけないよ。それで悪化したら、君の周りの人たちも悲しむ」

 

 と、まぁ三人のアイドルに言われてしまう。

 しかし……ドルオタとしては、推しではないとはいえ、やはりこの状況が一番、休まらない。……というか、アイドルオタクでなくとも、これだけアイドルに囲まれて落ち着いていられる奴なんていないだろう。それは女性でも同じだと思う。

 

「俺の理性って、実はかなり強いのかもしれない……」

「何言ってんの?」

「あ、エレベーターさん来たよ……」

 

 とのことで、とりあえず乗り込もうとした直後だ。半歩分、エレベーター内に入った所で、扉が閉まってきた。

 

「え、ちょっ……うごっふぉ!」

「あ〜〜〜! ボタン押し間違えてしもうた! 大丈夫と⁉︎」

「わぉ……しかも怪我人じゃん〜。恋鐘ひどー」

「わ、わざとやなかよ⁉︎」

 

 いや、まぁ腰にしか当たっていないし、折れている手首は平気だと思うが……これ、悪化はしているのだろうか? 

 

「ちょっ、大丈夫⁉︎」

「なんて事だ……この子は恋鐘と同じタイプなのかな?」

「当たったのは腰だったから、怪我は平気だと思うけど……」

「いや、平気です……もうこういうの慣れてるんで……」

 

 起き上がりながら返事をする。

 

「あれー? ていうか、咲耶達?」

「おや……摩美々と恋鐘?」

「えっ?」

 

 顔を上げると、またアイドル……というか、アンティーカが揃った。何なのだろうか、この街は? と、思わず眉間に皺を寄せる。

 

「……俺今日死ぬんかな」

「死なせないさ。その為に、私達が付き添っている」

 

 いやそうじゃなくて、と思ったのも束の間、恋鐘が咲耶に尋ねた。

 

「こん子、知り合いと?」

「少しね。骨折してるのに、彼女の誕生日の為に飾りつけと手作りケーキを作ると聞かないものだから、手伝ってあげることにしたんだ」

「え……それ逆にまずくな」

「なるほど! じゃあ、うち達も手伝うばい!」

「バカじゃないのー?」

 

 当然のツッコミが摩美々から炸裂するが、他のメンバーは聞いちゃいない。唯一、聞いていた結華が、摩美々に肩を組んだ。

 

「気持ちは分かるけど、やないとホント危ないんだよね。あの子、今日一日で二回転んで一回挟まってるから。放っておいたら死んじゃいそう」

「スペランカー?」

「うん、もうそれ」

「そ、そんな弱くないですよ俺!」

 

 流石に黙っていられなくて声を上げるが、二人ともどこ吹く風。咲耶に立たせてもらってしまいながらも、とにかく言った。

 

「だ、大丈夫ですよ。そんなお手伝いなんて。三人も付き合って下さりますし……」

「いや、トドメはうちが刺したようなもんだし、手伝わせて欲しかね!」

「い、いえ……そんなに広い部屋でもないですし、そこに六人は窮屈……」

「うち、これでも料理作るとは得意やけん! ケーキ作りなら任せて欲しかね!」

「ただ挟めば良いってもんじゃないんですよ? 今みたいに」

「わ、分かっとーけん!」

 

 断らせないつもりか、と視線をずらす。その先にいるのは結華。

 

「実際、料理は上手だよ?」

「……俺より?」

「男子高校生なんかに、うちは負けんばい!」

 

 ほほう、と少し眉間に皺を寄せる。よりにもよって、自分にそれを言うとは、と少し笑みが溢れる。

 

「言うじゃないすか。じゃあ、来て下さい。その腕、見せてもらいますが……俺のレシピについてこれなかったら、カポエラ600回やってもらいますから」

「そっちこそ大したレシピじゃなかったら、ゲートが開くまで魔術ん練習してもらうけん!」

 

 同レベルの約束をして、そのまま六人で一階の食品売り場に入った。

 

 ×××

 

 さて、買い物を終えて飾り付けタイム。部屋に入って青葉の指示通りにみんな準備を手伝ってくれる。

 

「その風船、後2ミリ上」

「細かいんですけどー」

「ご、ごめんなさい……」

「……いや、別に良いけどー」

 

 こうして手伝ってもらえるのは非常にありがたい。見ていて思うのは、意地悪な空気を作るだけ作って実は良い子なのが摩美々のようだ。ブツクサ言いながらも、仕事は人一倍丁寧だ。

 

「青葉、くす玉はどうしたら良い?」

「あ、それは自分が文字書いてからなんで大丈夫です」

「そうか……では、何したら良い?」

「では、幽谷さんと折り紙の鎖をお願いします」

「了解した」

 

 咲耶は、進んで手伝いをしようとしてくれる。指示を仰いで、常に何か手伝おうとしてくれていた。積極的な姿勢はこちらも気兼ねしなくて済むから助かる。

 

「ふふ、折り紙さん……綺麗。青葉くんの配色、とっても素敵だね……」

「い、いえ……そんな。料理の盛り付けをする感覚で何となく並べてるだけですから……スミマセン、指示細かくて」

「ううん……彼女さんに、喜んでもらえると良いね……?」

「はい」

 

 優しく微笑んでくれる霧子は、とても手際が良い。手先が器用というか何というか、鎖を作るのにサクサクとスナック感覚でこなしてくれる。

 

「おーい、アオっちー。生地こんな感じでオッケー?」

「あ、はい。上手ですね、ユイシス」

「まね。こがたんも見てくれてるし」

 

 結華は結華で料理を代わりにしてくれているが、元々知り合いだった事もあってとても素直に聞いてくれる。この人がいなかったら、自分は協力自体してもらえなかっただろう。

 そして何より、だ。この人との出会いが一番大きい。

 

「むむむ、なるほど。ここでシークワーサーば入るるったい」

「それで少し酸っぱさ加えてるんですよ」

「ほへー、最近ん男子高校生からは、スイーツ作りん勉強が出来て嬉しかね」

「いえいえ、こちらこそちゃんぽんについてとても詳しく知れたので良かったです。本当に料理上手なんですね」

「そりゃ勿論ばい。特に長崎ん名産やったら任せといて!」

 

 すごく勉強になった。もう変に競っていたことなど忘れて。九州には行ったことないから、母親に教わったことくらいしか知らないし、本当に嬉しい。これで美琴に食べさせてあげられる料理にもさらにバリエーションが増える。

 

「じゃあ俺、あれ知りたいんですけど! 皿うどん!」

「あーあれ?」

「なーんか俺が作ると麺がシナシナになるの早い気がするんですよね」

「あれにも実はコツんごたーもんがちゃんとあって……」

 

 なんて少し夢中になり始めた時だ。後ろから両肩に手が置かれる。結華だった。

 

「はーい、アオっちー? いいからまず準備をするー」

「え? あ、は、はい?」

「……ダメでしょ。三峰、こういうパターン知ってるから。何故か急にタイミング悪く仕事を早めに切り上げた彼女さんが帰って来ちゃって、それで修羅場んなる奴」

「いやー、それはないでしょ。だってみっちゃん、仕事一筋だし」

「「「「みっちゃん?」」」」

「あーいや、彼女のあだ名」

 

 お相手を知らない四人が顔を上げてしまったので、慌てて目を逸らす。危ない危ない、つい美琴のことを言う所だった。

 まぁとにかく、美琴はまずアイドル、自分は二の次だし、早めに帰ってくることなんてない。ただでさえ今日は誕生日、祝ってくれる相手はにちかを筆頭に何人もいるだろうし、流石に早退なんてことは……と、思いながらなんとなくスマホを見たときだ。

 

「……あっ」

 

 めっちゃチェイン来ていた。合計で94件。全部美琴。ていうか、今も着信来ている。

 

「やばっ……ごめんなさい、電話出ます!」

 

 慌ててスマホを取り出して、玄関から出ながら応答した。

 

「はい、もしも……」

『なんで出ないの?』

「……ごめんなさい」

 

 声が……病んでる。疲れている時の元気がない感じと、この前の病院で心配された時の声が混ざってる感じ。

 

『謝罪はいいから。なんで出なかったのか言って』

「ち、ちょっと忙しくて……」

『なんで?』

「そ、そのー……ゲームしてて……」

『片手で?』

「スマホの」

『スマホ見てたならなんで一回くらい返事くれないの? 私よりゲームが大事?』

「あ、あーうそうそ! ゲーセンのクレーンゲーム……」

『は? 外出てるの? 怪我してるのに? 何してるの?』

「じゃなくて、パソコン! 最近のオンラインクレーンゲームを!」

『……何隠してるの?』

 

 まずい、怪我してるって結構、言い訳の時に困る。どうしよう、と何か頭で考えていると、後ろから部屋の扉が開く音がした。

 

「青葉ー! ケーキんパイ生地ん事なんやけど……」

「あ……」

『……は?』

 

 最悪のタイミング……と、青葉は大量に冷や汗を流す。その様子を見て、恋鐘は一発でやらかしたと……理解しなかった。

 

「? 誰かと電話中?」

「あ……い、いや……」

『女の人と、一緒にいるんだ……』

「いや、これは……」

『代わって』

「え?」

『一緒にいる人と代わって』

 

 まずい、思った以上に切込隊長だった。まさかの浮気(だと思っている)相手に説き伏せに行くとは。

 

「ち、違うって! これはホント手伝ってもらってるだけで……!」

『だから何を? 怪我してるくせにバイト行ってるの?』

「そ、それは……サプライズ……」

『……バカにしてる?』

「ち、違う違う! え、えっと……あの」

 

 今言ったら嘘くさいだろうか? しかし、やはりそれしか思いつかない。事が拗れたら正直に言った方が良い。

 ……一応、粘ってみようか? 

 

「帰って来たら絶対ちゃんと話すから」

『やだ。今』

「っ……あー」

 

 どうしよう、と汗を流すしかない。こうなったら、もう正直に話すしかないか……と、諦めかけた時だ。

 

「もしかして、浮気と間違われとー?」

「え? あ、ま、まぁ……」

『ちょっと、私と話してるんだけど』

「じゃあ、うちがビシーッと言うちゃるけん! 変わって!」

「えっ」

『ほら、言われてるじゃん』

 

 電話越しに声を聞かれるほど大きな声で、何故か自信満々な声で手を差し出されてしまった。

 

「いやあの……それはちょっと……」

「よかけん貸して!」

「あっ」

 

 スマホを取られてしまった。

 

「もしもし、青葉の友達の……え? 違う違う、浮気やなかばい。ほんなこて。飾り付けんお手伝い……あ、これ言うちゃつまらん奴? ええい、背に腹は変えられんし、とにかく青葉ば信じんねえ!」

 

 すごく力説してくれるのはとてもありがたい……けど、果たしてそれに対して美琴はどんな反応をするのか……というか、そもそもこれ美琴と恋鐘はお互いのことわかっているのだろうか? 

 なんかいろんな不安が胸の中を渦巻いていると、恋鐘がズイっとスマホを手渡してきた。

 

「っ、は、はい」

「話、まとまったけん。ちゃんと謝らんねえ」

「す、すみません……」

 

 飾り付けの手伝いとか言いかけていたし、もしかしたら察されているのかもしれない……とりあえず、応答した。

 

「も、もしもし……」

『……帰ったら説明してもらうから』

「は、はい……」

 

 怒ってはいるみたいだけど、落ち着いていた。恋鐘のゴリ押しの強さにビックリした。これくらいアグレッシブでないと、アイドルは務まらないということだろうか? 

 

『じゃあ、また後で』

「あ……ま、待って」

『何? レッスンの途中なんだけど』

 

 いやそっちから連絡して来たくせに、というのは置いといて、だ。仮にも恋人として言うべきことは言わないと。

 そう思い、少し頬を赤ながらも言った。

 

「お、俺はちゃんと……みっちゃんのこと……ぁ、愛してりゅから……」

『……』

「……」

 

 やっぱり、日本人ってそもそも恋愛に向いていないんじゃないだろうか? 海外映画のように「I love you」なんてサラッと言えない。てか、英語はずるい。だって「アイラブユー」だろうと「アイラビュー」噛んでもそれっぽく聞こえるし。

 案の定、電話の奥から「くすっ」と微笑むような声が聞こえる。

 

『私もだよ』

「っ……そ、そう……」

『でもだからこそ後でちゃんと説明してもらうから』

「は、はい……」

 

 まぁ、そうですよね……と、変に納得しながらも、とりあえず電話を切ろうと思い、別れの挨拶をしようとしたときだ。

 

「青葉、飾り付けそろそろ終わるよ」

「青葉ー、一度バランス見てー」

「アオっちー、チーズケーキもう良いのー?」

「あ、青葉くん……鎖も完成したよ……?」

『……何人いるの?』

「……」

『うん、何にしても問い詰めるから。覚悟しておいて』

 

 ……手伝ってもらっている立場で申し訳ないが……まずはそろそろ帰ってもらった方が良いのかもしれない。

 神様による怪我人にも容赦ない壁を前に、なんかもう色々と泣きそうになってしまっていた。

 

 ×××

 

 さて、誕生日会の飾り付けが終わった。それに伴い、アンティーカの皆さんをマンションの前まで見送った。

 

「すみません、皆さん……貴重な休日に、顔も知らない俺の彼女のために」

「構わないさ、楽しかったからね」

「全くなんですけどー。ほんと疲れたー」

「まみみん、そういう心に少ししかないこと言わない」

「ふふ……私も、楽しかったよ……?」

「スイーツ作りんコツも教わったし、充実出来たけん! 霧子、次ん誕生日、楽しみにしとってよ?」

 

 みんなそう言ってはくれるが、何となく気を遣われているのもわかる。予定外なのは間違いないし、何よりアイドルユニット丸々、無償で手伝ってもらって良いわけがない。せめて誕生日パーティーに参加してもらいたいところだが、彼女とのパーティーでそれは無理だ。というか、そもそも彼女が誰か知られるわけにもいかないし。

 つまり、ギャラを用意しなければわからないわけだが……金なんて渡してそれが広まれば、それこそアウトだ。

 青葉にだけ出来る、青葉らしい御礼でなくてはならない。

 

「よし、じゃあその日までに腕直して、俺が幽谷さんのケーキを作りますよ!」

「ふーん」

「「「「「あっ」」」」」

「え?」

 

 グワシッ、と肩を掴まれた。なんかやたらと冷たい声が聞こえて、ギッギッギッ……と、振り返ると、殺意の波動を目から漏らした美琴が自分を睨み散らしている。

 

「本当に尻軽だよね、青葉は」

「え……や……あの……」

「え、待って……彼女って……」

「ちょっ……え? 高校生と……?」

「美琴さんが? ……え、美琴さんが?」

「ほえ〜〜〜⁉︎ 美琴、彼氏おったと⁉︎」

「「「「そこ?」」」」

 

 一人だけ何もわかってない奴がいたが、それを気にしている場合ではない。肩がミシミシいってるし。

 

「……五人も連れ込んでたんだ、私に黙って」

「皆さん進んで協力してくださったんです!」

 

 なんて騒がしくなって来る。どうしよう、と焦っていると、恋鐘が間に入った。

 

「まぁまぁ、とりあえず落ち着かんねえ!」

「……何?」

「美琴ん誕生日ば祝いとうして、ばってん怪我しとーけん誰かん力ば借ったくて盛大に準備したっさ。そがん美琴ば愛しとー男が、浮気なんて卑怯な真似するわけなかやろ!」

「……口ではどうとでも言えるから。青葉、年上のお姉さんが好きだから」

「じゃあ、美琴は人ば巻き込んでまで準備ばしてくれた青葉ん気持ちば無下にする気?」

「っ……そ、それは……」

 

 すごい、と青葉は目を丸くする。あの頭が弱いのに圧が強くて理屈の外から青葉をレスバで完封する美琴を、圧と気持ちでさらに打ち勝っていた。

 感心していると、ジロリと恋鐘は青葉にも目を向ける。

 

「青葉!」

「っ、は、はい!」

「男やったらシャキッとせろ! 悪かことは何もしとらんやけん、堂々とあったこと話せば良かと!」

「す、すみません⁉︎」

「分かったら、後は若い二人でイチャイチャせんね!」

 

 なんかついでに怒られてしまったが……でもその通りかも……と、美琴と青葉は顔を見合わせる。

 

「ごめんね、青葉」

「い、いえ……俺の方こそ……」

「あの、ほんと皆さん……お手伝いありがとうございました。今度、お礼をしに参ります」

「気にしないで」

「お土産話は隣の彼女に聞くからー」

「……」

 

 あ、これ後日、色々と被害受けるの美琴の方だ、と理解したが、とりあえず見送った。

 さて、そんなわけで、部屋に戻った。正直……予想より早かったな、と思わないでもないが、それを聞けば「何? 都合悪かったわけ?」となる気がしないでもないので、余計なことは言わない。

 部屋の中に入ってから、先に靴を脱いで言った。

 

「ちょっと待ってて!」

「なんで?」

「用意するから!」

「……んっ」

 

 よし、と中に入り、クラッカーを手に持つ。が、当たり前のことながら、片手でクラッカーは鳴らせない。

 どうしたものか、と思ったのも束の間、口で良い。手で持ち、紐を咥え、首を横に振って鳴らす……完璧だ。

 

「良いよー!」

「はーい」

 

 返事が聞こえたので待機。数秒後、部屋のドアノブが下がったのを見計らい……一気に鳴らした。首を横に逸らし、紐を思いっきり引く。

 

「ハッフィーぶぁっ⁉︎」

「ありが……え」

 

 当然のことながら、爆音が耳に直撃した。パンっ、という可愛い銃声も、耳元で聞けば普通の銃声であって。

 キーンと脳にまで響いて後ろにひっくり返ってしまった。

 

「み、みみが……」

「ミミガー? 美味しいよね」

「……そうね」

 

 投げた。

 耳がいまいち回復しない中、美琴が周囲を見回しながらつぶやいた。

 

「すごいね……随分、綺麗に飾り付けてくれたんだ」

「あー……う、うん……と言うより、やってもらったんだけど……俺は指示させてもらっただけ」

「じゃあ、やっぱ青葉デザインだね。嬉しいな」

「っ……う、うん……」

 

 まぁそうだけど……なんかやたらと恥ずかしくて頬が赤く染まる。あまりその手のデザインをした事があるわけではないから、褒められると少し嬉し……いや、あるにはあった。店の棚のデザインとか。

 

「け、ケーキ食べよっか」

「うん。……あ、晩御飯は?」

「あ……食べてくると思って用意してない……」

「え、なんで?」

「にちかとかに祝ってもらう、みたいな話は……」

「あ、断って来ちゃった。青葉が浮気してると思ったから」

 

 ……ごめん、にちか、と割とマジで謝る……。明日は青葉の方から美琴に言っておこう、と強く決めながらも、とりあえずそうなれば何かを用意しなければならない。

 

「じゃあ……ピザでも取ろうか」

「珍しい。青葉が言うなんて」

「そんなことないよ」

「そんなことしかないよ」

「……そうかも」

 

 確かにあまり外食とかしない。自分で作った方が美味いし金も掛からないし健康にも良い。外食に負けている所なんて何一つないが……でも、だからこそこうなってみると、外食の重要度を理解してしまう。

 

「みっちゃんの部屋、チラシとかある?」

「あー、あるよ。揚げ物の時のために取っとけって青葉が言ってたし」

「偉い偉い。じゃあ、それ出して」

「偉い? じゃあ、やる事は?」

「……はいはい」

 

 そういえば、今日はまだ一回も撫でてあげていなかった。わざわざ向かい側の席に座っていたのに歩いて自分の隣に来て肩の上に頭を置いて来た。本当に24歳の貫禄がない彼女である。禿げるほど可愛い。

 

「良い子良い子」

「んっ……」

「何か食べたい味とかある?」

「え……なんでも良い」

「ハーフアンドハーフ?」

「何それ?」

「別の味がピザに半分ずつついてるの」

「じゃあそれで」

 

 なんかあんまりこだわりがない様子……というより、ピザより頭ナデナデということだろうか? それなら……まぁ、早めに食事にした方が良いだろうし、スマホで注文しよう。チラシをとっておいてくれたことを誉めた意味がない。

 

「……うーん」

 

 久々に宅配ピザを見るけど、なかなか面白い発想をしたものが多い。自分ならピザに照り焼きなんてかけたくないが、それを期間限定などではなく当たり前みたいに載せているあたり、もうずっと前からある発想なのだろう。

 

「ふーん……ね、みっちゃん。どんなのが良い?」

「んー……あ、スマホでも買えるんだ」

「うん」

「じゃあ……二人で一種類ずつ選ぼっか」

「みっちゃんが好きなの選んでよ。みっちゃんの誕生日なんだから」

「二人で選びたい」

「……わかったよ」

 

 まぁ、二人で選んだ方が楽しいというアレなのかもしれない。せっかくなので美琴の要望通りにしよう、と思いスマホの画面を一緒に見ることにした。

 

「……はい、これ」

「ありがと。……この四種のチーズって何? なんでチーズそんなに乗せるの?」

「チーズにも種類があるからだよ」

「そっか……じゃあ、私それで」

「え、これ?」

 

 意外なチョイスを……と、思いつつも、四種のチーズは自分も大好きだ。正直、これを選ぼうと思っていたほど。

 でも、せっかくだしもう片面は別のに……と、思った。

 

「ね、青葉」

「ん?」

「四種のチーズって何入ってるの? 裂ける奴とかキリ?」

「いやそういうんじゃなくて。てか、ピザ屋のチーズにそんなの入ってたらガッカリだよ」

「じゃあ……粉チーズとか?」

「いやそういうんじゃなくて。店にもよるけど……ここのは、レッドチェダー、クリーム、カマンベール、パルミジャーノらしい」

「レッド……? ウタ?」

「違くて」

 

 ていうかウタ知ってるんだ、と思ったが、まぁ流行の曲を抑えていてもおかしくないし、気にしない。

 

「レッドチェダー。結構そのまま食べられる事もある奴だよ。あとは、溶かしてフライドポテトの上に乗せたり、グラタンにぶち込んだらとか色々。てか、スーパーにも普通に売ってると思う」

「ふーん……じゃあ、カマンベールは?」

「それもスーパーによくある奴。白カビの。クリーミーで熟成させると濃厚になるやつ」

「へぇ〜……色々あるんだね、チーズも……」

「意味もなくカッコ良い名前ついてるわけじゃないよ」

 

 ゴルゴンゾーラとか、絶対目を見てはいけない化け物みたいな名前だし……なんて思いながら、チーズを眺める。

 

「俺はモッツァレラで良いかな」

「どれ? ……あ、良いね。美味しそう」

「じゃあ、注文するね」

「ん」

 

 今時、電話でなくてもスマホで注文できてしまうのは、良いとこなのかそうでもないのか。

 なんにしても、しばらく待機する。割と待たないといけないわけだが、まぁその間に出来ることはしてしまおう。

 

「……あ、そうだ。みっちゃん、お風呂沸かしてくるね」

「ん……まだ早くない?」

「いや、先に入っちゃった方が良いかなって」

「大丈夫」

「うん……えっ? 何が?」

「後で入るから、今はゆっくりしたい」

「……そっか」

 

 ここぞとばかりに甘えてくれているのかもしれない。なら、今はとりあえず自分ものんびりすることにした。

 それからしばらくして、インターホンが鳴り響く音。それに伴い、立ち上がって受け取りに向か……おうとしたが、美琴がそれを止めた。

 

「私が行くよ。怪我してるんだから」

「すみません……あ、これ俺の財布です。せめて出させて下さい」

「……ありがとう」

 

 それだけ言って、美琴にピザをとりに行ってもらった。戻ってきた美琴は、机の上にビザの箱を乗せた。

 

「では、開けます」

「うん」

 

 美琴が開けると、香ばしい匂いが一気に部屋の中へ充満する。これなのだ、ピザの醍醐味は。チーズと生地から発生する香ばしさのハーモニー……一気にお腹が空いてしまう。

 

「食べよっか」

「うん。あ、いやその前に取り皿だけ取ってくるよ」

「待って。私が行く」

 

 一々、変わってもらってしまうのは少し申し訳ないけど、でも任せる他ない。自分が動こうとすると怒られると思うから。

 そのままお皿を持ってきてくれて、今度こそ食べることにした……が、その前に。部屋の電気にかけてある紐を手にした。

 

「じゃあ、みっちゃん」

「ん?」

「誕生日おめでとう!」

 

 キュッ、と紐を引くと……小さなくす玉が割れた。パカァっと割れて出て来たのは、青葉が筆で書いた「みっちゃん、誕生日おめでとう」の文字。

 

「お……すごい」

「ふっふー、すごいっしょ? ドンキで買った」

「へ〜。色々売ってるんだ、ドンキ」

「え、行ったことないの?」

「うん。欲しい物なかったから」

 

 変わった人だ……と、思いつつも、まぁあそこに美琴が興味出そうなものはないし、仕方ない。

 

「くす玉ってもっと大きいのだと思ってたけど、ちょうど良いサイズのもあるんだね」

「いろいろあるから今度見てみたら、ドンキ」

「青葉も一緒なら」

「え……ドンキデートって新しいな……」

「嫌?」

「……分かった。それより、食べよう」

 

 話しながら、ビザを手に持つ。もうすでに切り込みが入れられていて食べやすくなっている。

 まずはモッツァレラから……と、齧ってにゅーんと引き伸ばす。モッツァレラのピザの楽しみは、丸くて白い部分を齧って引き伸ばすに限る。

 

「あ……美味い……!」

「ホントだ……四種のチーズ、思ったよりチーズだね。色んな」

「う、うん?」

 

 自分とは違って四種のチーズから手をつけた美琴が呟く。

 なんでそんなに可愛い語彙力なのか分からないが、とにかく可愛い24歳。まぁ、四種のチーズの感想言うの難しい気持ちは分かるので何も言わないが。

 

「俺もそっち食べて良い?」

「うん。私もそっち食べたい」

 

 よっしゃ、と手を四種のチーズの方へ伸ばすために、一旦手元のピザを取り皿の上に置いた直後だ。青葉の口に美琴が、自分の食べかけのピザを突っ込んできた。

 

「むぎゅっ⁉︎」

「美味しい?」

「お、おいひいへほ……!」

 

 まさかの間接キスかよ、と不意打ちは勘弁してほしかった。普通に気恥ずかしい。

 

「も、もう……いきなりは、やめてよ……」

「じゃあ、青葉のも一口ちょうだい?」

「あ、うん」

「いや、新品じゃなくてそっち」

「……う、うん……え? なんで?」

「いいじゃん。あーん」

「まぁ良いけど……」

 

 仕方なく口元まで運ぶ。すると、美琴はあむっと齧った。……なんでこの人にあーんで食べさせてあげると餌付けしている気分になるのか。

 

「ん、美味しい」

「今度は俺がもっと美味しいの作るから」

「待ってる」

「じゃあ、今度まずはイタリアにでも行かないと……」

「やっぱりダメ」

「えっ」

 

 ダメなんかい、と思ったが、まぁ自分みたいな弱キャラがヨーロッパに行けば、確実に歩く財布と思われてカツアゲ恐喝のオンパレードだろう。やめておこう。

 そのまま、二人でチーズだらけのピザを食べていく。しかし、誤算だったのは思ったより早く食べ終わってしまったことだ。

 

「あれ……もうないの?」

「一枚って割と小さいんだね……俺はお腹いっぱいだけど」

 

 ケーキは別腹で。次からは二枚頼んだ方が良いかもしれない。

 

「まぁ、今日はこれだけじゃないから。ケーキも、みんなに協力してもらった」

「そうなんだ。それは楽しみだな」

「じゃあ今用意するね」

「いや、それは私がするから。場所教えて?」

「……冷蔵庫です」

 

 ……なんか、違う。誕生日をお祝いする側なのに、なんでもやってもらってしまって……いや、無理に「いや俺がやります」なんて言えば怒られるのは目に見えているので致し方ないのだが……。

 何にしても、決心した。

 

「みっちゃん」

「な、何?」

「俺、来年は怪我しないでお祝いするから」

「う、うん?」

 

 心に決めた。

 さて、ケーキタイム。正直、青葉も味見をしたわけではない。というか、もし味見をして「ここもう少しこうしてください」なんて点を見つけたら、それは作り直しを意味する。手伝ってもらっている手前、そんな無礼は出来なかった。

 だから、ちょっと自分が想定している味になっているかソワソワしながら、用意されたチーズタルトを披露した。

 

「じゃん! チーズタルト! ……あっ」

「え、またチーズ?」

「……」

 

 そうだった。完全に油断した。今日は割と頭が回らない日らしい。

 

「ご、ごめん……」

「いや、大丈夫だよ。嬉しいから」

「……そう言ってくれるのも嬉しいけど……」

 

 料理人の息子で料理が趣味でこのザマは流石に死ねる。

 

「はぁ……まぁ、美味いと思うから食べて」

「うん。じゃあ切るね」

「うん……え?」

 

 切るって……美琴が包丁を使う、という事だろうか? 

 

「いやいいよ、俺がやる」

「え、どうして?」

「不安で仕方ないから」

「……私だってこの前、料理したんだけど」

「だから余計に心配」

「む、バカにし過ぎじゃない? 切るだけでしょ?」

「そのちょっとこ慣れた中級者感出そうとしている感じがより一層の不安を掻き立てます」

「なんで説明口調?」

 

 とはいえ、本当に不安……よりにもよってタルトにしてしまった物だから、割と切るの難しいのだ。

 ……あ、そうだ、とそこで知将青葉、閃く。そうだ、ちょうど自分も怪我しているし……ここは手伝って貰えば良い。

 

「じゃあ、二人で切ろっか」

「え」

「?」

「……二人で、ケーキを?」

「うん? ケーキっていうかタルトだけど」

 

 え、何かダメだろうか? と、青葉は小首を傾げる。これなら、青葉が無理することも美琴がグチャグチャにする事もなくチーズタルトを切れる。

 

「よし、決まり」

「ふふ……うん、決まりね」

「うん。じゃあ……」

「ケーキ入刀みたいだね」

「……いぇへ?」

 

 ……そういえば、確かに二人でケーキを切ると言われれば……。

 さっきの戸惑いはそういうことか、と理解するのと、今の美琴がやたらとニヨニヨしているのに気付くのが同時だった。

 

「や、違っ……!」

「気が早いんだね、青葉。まだ結婚できる年じゃないのに予行練習なんて」

「違うって! そんなつもりじゃな……」

「照れなくて良いんだよ?」

「照れてるけど図星のそれじゃないから!」

「ふふ、ほら……早く切っちゃおう」

 

 完全に弄ばれていた。割と青葉に対しては意地悪なとこがある美琴は、それはもう楽しそうに笑みを浮かべながら告げた。

 

「ちなみに……私は、練習のつもりでやらせてもらうからね」

「〜〜〜っ!」

 

 それ将来、結婚するつもりがあるって意味か……! と、頬が真っ赤に染まり、集中出来ない。

 包丁を握る手を包み込むように美琴の手が添えられる。おかげで緊張が大きく高まった。

 包丁の先端をタルトにつけると、少しずつ差し込む……が、プルプルと震えてしまっていた。

 ……ダメだ、このままだと作ってもらったケーキがぐちゃぐちゃになる……そう判断した青葉は、瞳を閉じると同時に、口を機械的に動かした。

 

「? 青……」

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌……」

「え、な、何……怖っ」

 

 そのまましばらく詠唱して気を落ち着かせる。心頭滅却、拳禅一如、明鏡止水、精神一到……料理、それ即ち死した生物で作り上げる、生命活動の源也。他の生物の命を喰らい、自身の生命期間を増幅させる儀式……。

 故に、調理に邪心も煩悩も不純もあってはならない。そこにあるべきは、只ひたすらなる生への感謝と敬意のみ……! 

 

「南無阿弥陀仏!」

「えっ」

 

 青葉とそれを握る美琴の手が消えた。無音が部屋の中を支配したのも束の間、遅れて風を切り刻むような音が響き渡った。気が付けば、ケーキは6等分に切れていた。そこには、一ミリの凹凸もない。

 

「よし、切れた」

「や、今……何したの?」

「切っただけだよ?」

「うん、聞かないことにするね。あとそれ本番でやったらその場で離婚するから」

「う、うん?」

 

 と、いうわけで、ケーキの実食に入った。切ったものを皿の上に乗せてから食べてみる。一口……と、先端をフォークで切って食べてみると……。

 

「ーっ! 美味!」

「ホント……美味しいね」

 

 自分が予想した通りの味になっていた。ここまで再現度を高くしてくれるとは……と、驚いてしまう。

 

「すごいな……」

「青葉のレシピなんでしょ?」

「うん。でも、ここまで再現されるとは……月岡さんすごいな……」

「今度、お礼しないとね」

「うん」

 

 そして、そのためにもまずは怪我を治さないといけない。本当に今日からはしばらく安静にしないと、と改めて決めた。

 ……さて、そろそろ良い頃だろうか? 本日、最後のメインイベントに入る。

 

「じゃあ、みっちゃん」

「? 何?」

「これ……俺一人で選んだわけじゃないけど……」

 

 鞄の中から、綺麗にラッピングされた袋を取り出す。そして、美琴に手渡した。

 

「誕生日プレゼント」

「ありがとう……あけて良い?」

「もちろん」

 

 アドバイスをもらって選んだわけだけど、やっぱり喜んで欲しかったから高いのにした。具体的には、バイト代一ヶ月分くらい。

 とはいえ、値段自慢はダサいのでわざわざ言わないけど。

 

「え……ていうかこれ、G○CCiの袋じゃん」

「え、知ってんの?」

「知らない女の人はいないと思うけど。高かったんじゃないのこれ」

「そ、そんな事ないから!」

 

 ……今思えば結華も賛成していた割に苦笑いしていたけど、もしかしてこれ有名なブランドのものなのだろうか? 

 少し肝を冷やしている間に、美琴は中を開けた。

 

「わ……コート?」

「う、うん。姉ちゃんが『冬の運動は汗で風邪引くこともある』って言ってたの思い出したから……その、レッスンとかライブの合間とかに着れるかなって……」

 

 いや、正直どんな現場で歌って踊るのか想定出来ていないから、机上の空論感は否めないが……でも、そうでなくてもこれから冬、プレゼントはこれからの季節に使えるものが良いって結華が言っていた。

 だからまぁ、実用性とプレゼント性を兼ね備えた上で、デザインも優れたものにした。そこは結華と一緒に選んだ。マジで。

 でも……美琴が気にいるかどうかは定かじゃないわけで……。

 

「ど、どうかな……?」

「着てみても良い?」

「あ、うん、どうぞ」

 

 白いけどシンプルなコートだ。雪合戦でもしない限り、雪に降られても目立たないだろうし、何より美琴くらい中身も真っ白に綺麗な人なら、きっと似合ってくれる……と、思う。

 そんな風に思いながら、美琴がコートを羽織るのを眺めた。

 身に纏ったその姿は……素人の自分が選んだにも関わらず、雑誌に載っていても遜色ないくらいとても似合っていて。

 

「どう、かな?」

「とても……似合ってると思う」

「……ふふ、ありがと。大事にするね」

 

 これは、来年の美琴の誕生日にも気合い入ったものをあげないと、と強く決めた。

 

 ×××

 

 パーティの後は、当然ながら後片付け……だけど、今日は美琴の部屋で寝ることになった。

 で、お風呂。美琴が「頑張って準備してくれたんだから、先にお風呂入って」と半ば強引に自分を風呂に入れてので、骨折用のギプスにカバーを巻いてお風呂に入る。

 片手で頭と体と顔を洗い終えて、湯船に浸かる。

 

「ふぅ……」

 

 喜んでもらえてよかったな、とホッとする。自分がプレゼントするには背伸びしすぎた自覚はあるけど、でも初心者家事セットよりは確実に良かった。

 とりあえず、明日も休みだし、にちかを呼んで今日やるはずだったパーティーでも開こうかな……ていうか、なんなら自分は出掛けようかな、なんて思いながら作戦を立てている時だった。

 風呂の扉が開いた。

 

「……は?」

 

 あまりにも自然に開き過ぎて、一瞬飲み込みかけてしまったほどさりげなく開かれた。

 そして……バスルームに入ってきたのは……美琴しかいない。

 

「青葉」

「ちょおっ……⁉︎ な、何してん……!」

「入るよ。お風呂」

「は……⁉︎」

 

 普通に全裸だし……え、なんで? と、パニックになる中、美琴は普通に身体を流し始めた。

 

 



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思春期二人。

 一言で言う。美琴とお風呂に入っています。

 

「??????????」

 

 な、なんでェ────ー? という感覚が拭えないのだ。現在、すでに体も頭も流し終えた美琴が同じ湯船で後ろから抱えるように青葉の背側に座っているが……緊張で口から内臓的なものが漏れ出そうだ。

 一応、美琴は浴槽にもたれかかっているし、青葉の背中は丸くしているので何も当たってはいない……が、それでも死にそうなほど心臓バックバクだ。

 

「あ、あの……みっちゃん、何かあったんですか……?」

「うん」

「あ、あったの?」

「ついさっきね」

「え……そ、そんな最近?」

 

 ついさっきって……例えば、なんだろうか? あ……まさか……。

 

「こ、こっそりエロ本買っちゃった、とか……?」

「絞めるね」

「う、嘘嘘! ジョークです!」

 

 何がまずいって、どんな技であれ絞めるという事は身体が近付く。……もし、背中に胸が当たるようなことがあれば……もう、弾け飛ぶ自信がある。

 

「じ、じゃあ……何が……」

「だって青葉……アイドルとばっか知り合いになるから」

「え? そ、それは偶然で……」

 

 不安にさせてしまった、のだろうか? いや……まぁ、青葉でも不安になる。美琴は芸能人だから、イケメン俳優との絡みも多いだろうし……逆に青葉なんて見た目はチンチクリンのクソガキだ。いつ飽きられてもおかしくない。

 なんて謝ろうかな……なんて考えているうちに、後ろから耳元で囁かれた。

 

「だから、私のモノにしておきたいんだ。……色々な手段で」

「え……」

 

 そう呟きながら、美琴は後ろから両手を回し……そして、青葉の首元にキスをした。唇の柔らかい熱が首を中心に全身へと広がっていく。

 

「えっ……」

 

 キス、というより少し噛まれ、吸われている感じだ。柔らかい唇の奥から、固い歯が甘噛みするように立てられる。痛いのに……痛くない。割と、悪くない……。

 いや、悪くないとかではない。いったい、何をされているのか? 

 

「な、何して……」

「マーキング」

「ま、マーキングって……」

 

 こ、これはまさか……たまにツイスタの漫画で見掛ける「キスマークをつける」というやつだろうか……? それも、あえて他人に見える位置に。なんか、自覚すると死ぬほど恥ずかしくなってしまうが……。

 そんな風にドギマギしている間に、後ろの美琴はさらに囁く。

 

「……一つじゃ足りないよね」

「い、いや足り……んっ」

 

 噛まれるたびに嗚咽が漏れる。なんか、こう……何故だろう。変な気持ち良さを感じてしまうのだ。

 お湯に浸かっているのに鳥肌を立てている間に、美琴の攻撃はさらに続いていく。

 

「あと……五箇所は欲しいな……」

「ちょっ、やめっ……」

「ふふ、可愛い……」

 

 マズい、と青葉は冷や汗を浮かべるしかない。食われるどころの騒ぎではない。襲われる、と確信を持って言えた。

 いや……別に嫌というわけではない。むしろ、その……めっちゃヤりたい(直球)。

 何せ、自分の憧れの女性なのだ。その人が彼女になっているだけでも奇跡なのに、その上でその上の行為を出来るとか……男なら誰でも夢見るシチュエーションだ。

 けど……でも、普通に心の準備は必要である。特に、自分は童貞だし、可能な限り美琴とは清純なおつきあいをさせていただきたいと思っていた。

 でも……このままだとそうはいかない。多分……食われる。

 

「あ、あの……みっちゃん、やっぱりこんなこと……」

「……青葉は嫌? 私とそういうの」

「い、嫌とかじゃなくて、良くないんじゃないかな、と思うんだけど……」

「どうして?」

「どうしてって……そ、それは……!」

 

 ……倫理的に、とか、そもそもアイドルでしょ、とか浮かぶのに、何故か何を言っても言い訳臭くなる気がしてしかたなかった。

 何か言わないと……と、頭の中で考えるが、その間にも後ろから美琴が首や肩にキスマークをつけて来て思考に集中なんて出来ない。

 

「……ふふ、もう7つ目……もしかして、嫌って口で言ってるだけ?」

「っ、ち、違っ……!」

「ふふ、むっつり」

 

 こ、こいつ〜……! と、顔が熱くなる。悔しくて歯痒い思いをしているのに、言い返せない。だって、実際ヤりたいしむっつりだから。

 何か言い返さないと、と考えるのだが……ダメだ、脳が溶ける。思考が出来なくなる。本当にこのまま身を美琴に委ねてしまおうか……なんて思い、瞳を閉じたときだ。

 そんな中、胸の奥底で見えたのは、数日後のありえるかもしれない未来。新聞に大々的に載った美琴の顔だ。

 

『人類最強に可愛いアイドル緋田美琴、未成年の男子高校生に手を出し、逮捕。本人曰く「私達は真剣に付き合っている」』

 

 その未来が見えた直後、目を見開いた。アイドル活動の妨げに……自分がなって良いはずがないから。

 

「そんな事……させてたまるかあああああああ‼︎‼︎」

「えっ、急に何……」

「ダークネスフィンガアアアアアア‼︎‼︎」

「青葉⁉︎」

 

 真横から自分で自分のこめかみを掴み、風呂の壁に叩きつけて気絶させた。

 

 ×××

 

「……そんなに嫌だったのかな」

 

 まさか、自分の頭を掴んで壁に叩きつけてまで気絶を取るとは思わなかった。もしかして……ファンだ何だ言っていたけど、異性としての魅力を感じていたわけではないのかも? なんて思ってしまう。

 さて……残念だけど、このままでは風邪を引いてしまう。怪我している青葉の足にも良くないだろうし。

 

「仕方ないなぁ……」

 

 ため息をついてから、美琴は青葉の身体を持ち上げた……のだが。自分の胸に青葉の背中……‥いわば生肌同士が付着したことによって、美琴の頬が少し赤く染まる。

 なんか……思ったより恥ずかしい。胸、という異性間であまりにも違う部分が当たっているからだろうか? これは、青葉がヒヨってしまうのも分かる……。

 

「……先に私だけ着替えよう」

 

 そうしよう。もちろん、濡れても良い服に。青葉を脚だけは濡れないように放置して風呂場を出た。

 まずは自分だけ着替えを済ませてから、裸の青葉を回収した。湯船から引き上げ、おんぶしてあげた時だ。

 

「……?」

 

 なんか、腰と背中の狭間に硬いけど柔らかくて熱い不思議な感触。……なんだろうか、これは? 

 まぁ、後で確認するとして……で、湯船から出たのでそのまま体を拭いてあげる。まずは頭から。で、首回り、肩に脇の下、背中……それから胸と拭いていく。全く筋肉がないが、脂肪もない落書きみたいな体を拭いていく中……ふと気が付いた。

 

「……男の子の乳首って、小さいんだな……」

 

 もし、青葉が起きていたらツッコミが飛んできそうな呟きだった。

 でも、この人母乳とか出ないのに、何故乳首なんてついているんだろう? と、少し不思議に思ってしまったり。

 まぁ、それよりも早く拭いて風邪引かないように服を着せてあげないと。そう決めて、美琴は青葉の体を引き続き拭き……始めたところで、目に入った。入ってしまった。そり返った陰部が。

 

「っ……こ、これ……!」

 

 もしかして、さっきまで背中に当たっていたのって……と、すぐに察してしまった。男の子のこれってこんなに腫れ上がるんだ……と、変に感心さえしてしまうくらい。

 よくよく考えれば、自分がこれからしようとしていた行為は、これを美琴の一番恥ずかしい場所に当てる行為だ。そう思うと、尚更青葉がビビっていた理由が分かってしまう。

 それと同時に……自身の痴女っぷりに少し羞恥心を覚えてしまったり……。確かに、青葉がやたらと敏感になるのも分かる。

 

「……でも」

 

 青葉を自分のものにするには、やはりその行為はしないといけない。そうだ、これは予行演習だと思おう。青葉は寝ているのだから、恥ずかしくない……そう自分に暗示をかけながら、下半身もタオルで拭いてあげ、パンツを履かせてあげた。

 さて、そのまま洋服を着せてあげて、おんぶして部屋に連れて行った。

 

「まったく……私の誕生日なのに……」

 

 まぁ、ほとんど自分の所為だけど。……でも、今後はいつかまたその手の行為をするかもしれないわけだし、いつかは慣れて欲しい。

 でも……それはまた今度だ。自分もちょっと改めて青葉の裸を見てヒヨってしまったから。

 

「……はぁ」

 

 ため息をつきながら青葉と一緒に眠る事にして、そのままベッドに持ち帰った。

 寝かせて自分も隣に寝転がってから、寝顔を眺める。……こうして見ると、はだけた胸元から自分がつけたキスマークが見えていてちょっとえっちだ。いや、えっちなのは自分であったが。

 何にしても……今更になってまたものすごいムラムラが頭の中を支配し始めた。なんか、こう……もう少し自分の性欲を満たせるものが欲しい。

 

「……私って、もしかしたら性欲強かったのかも……」

 

 というか……他の成人女性は一体どうやって性欲を晴らしているのだろうか? 

 

「……聞いてみようかな」

 

 桑山千雪とか激しそうだし、アリかもしれない。

 なんて失礼なことを考えつつも、だ。今日のはどうしよう、なんて考えている時だった。

 

「みっちゃん……?」

「っ、あ、青葉……?」

 

 ぬぼーっとした顔のまま目を覚ました。思ったより起きるのが早い……が、かなり寝ぼけているのか、目が半開きである。

 

「青葉、起きちゃっ……んっ……!」

「んっ……」

 

 キスされた。唇を通して舌を入れられる奴。青葉らしくない濃厚なそれを、青葉らしくなく青葉からして来た。

 不意打ちのあまり、思わず頬をあからめてしまう。

 

「ぅ、ど、どうしたの急に……?」

「なんか……可愛いなっ、って……ぐぅ」

「……」

 

 この野郎、寝惚けながら人のムラムラを刺激してくれやがって……と、美琴は容赦することをやめた。睡眠中のバカの上で、四つん這いになった。

 

 ×××

 

 翌朝、青葉が目を覚ますと、なんか肌寒かった。というか……服を着ていない? 自分の身体を見下ろすと……思わずゾッとした。胸や肩、腕に大量のキスマークがある。

 

「……えっ」

「どうしたの?」

「ひえっ?」

 

 なんか横から声が聞こえ、隣を見ると……美琴が寝ていた。裸で。

 

「っ、な、何て格好で寝てるんですか⁉︎」

「どうして?」

「どうしてって……か、風邪引くよ! ちょっと待ってて、今上着を……!」

 

 慌てて青葉は布団から出た……が、肌寒さが増した。下半身がパンツ一枚だった。

 

「きゃああああ!」

「ふふ、相変わらず女の子みたいな反応だね」

「ち、ちょっとまって! おかしいおかしい! 何があったの⁉︎」

「……覚えてないの? 昨日の夜のこと」

 

 全く覚えていない……と、頭を押さえた時だ。ズキっと痛みが走る。これは……おそらく、自分の記憶を消すために行なった一撃。つまり、それだけの事が美琴との間にあったということ。

 何があったのか……この全裸の状態、そして上半身裸の美琴……ま、まさか……自分はついに……。

 い、いや流石にそれはない。ならば記憶を失う理由がない。自分の美琴への愛は確実に……せめて自分が18を過ぎてからじゃないと、手を出したりはしない。

 ……つまり。

 

「みっちゃん! 俺に何したの⁉︎」

「……何したと思う?」

「……ま、まさか……!」

 

 ぎ、逆……と、何をされたのか理解してしまった時には遅かった。両手を自分の首に当てた。

 

「うおおおおお!」

「ちょっと待って何してんの⁉︎」

「死ねええええ俺ええええ‼︎」

「な、何もしてないから! ちょっとイタズラのつもりで、裸にして一緒に寝てただけだから!」

「そんな慰めは結構です! 殺します!」

「しまった、とんでもないことしちゃったな……!」

 

 許されない。歳の差カップル……それもアイドルが、万が一周りにもそれがバレた時には、どれだけ清廉潔白な付き合いをしていたか、が大事だ。ただでさえ危ない綱渡りをしているのに、本当に普通のカップルと同じことをしてしまったら、それはもう終わりだ。

 

「本当に嘘だから落ち着いて」

「そう思うなら上を着てくれる⁉︎ みっちゃんのおっぱいを見てるだけでも、俺は万死に値するから!」

「あ、ごめん……でもほら、何かしてたら、私の胸にも青葉のキスマークとかついてるでしょ?」

「むっ……そ、それは……」

 

 見ないようにしてはいたが、それはそうだ。あの爆乳を前に自身の性欲をフル開放すれば、確実にしゃぶりつく。

 それは、眠っていても同じことだろう。寝ていようが何だろうが、外部から幸せな感触をもらえれば、きっと覚醒するだろう。自分なら。

 

「じゃあ……ほんとに何もしてないのね?」

「してないよ。いや、強いて言うなら脱がしたけど」

「……えっち」

「それも男の子のセリフじゃないよね」

 

 喧しい、と沸々と怒りが込み上げてくる。この野郎……という事は、何があったか知らんけど変な仕返しのために人をいじって来たということか。それも……かなりデリケートな話題を使って。

 

「……みっちゃん」

「ん?」

「分かってる? 俺とみっちゃんが付き合うの、実はどれだけリスキーなことなのか」

「え……リスキーなの?」

「そうだよ。みっちゃん、自分のこと分かってる? 未成年と付き合ってんだよ?」

「……あの、もしかして怒ってる?」

「当たり前でしょ」

 

 この人は本当にアイドル活動以外の全てを舐めている。頭が悪いからか、考えが足りない……と言うより、考えられないのだろう。

 

「とにかく、怒られるじゃ済まないことはやめて。このキスマークだって……もし他の人に見られたら、どうなるか分かる?」

「……青葉のファンが悲しむ?」

「いないよ! あんたほんとのバカか⁉︎」

「え、酷い」

「もしかしたら、みっちゃんの彼氏が俺だって勘繰られるかもしれないでしょ! ただでさえ同じマンションに住んでるんだから!」

「……なんで?」

「人は妄想するのが好きだから! 有る事無い事、刺激的なら何でも言いふらすんだよ!」

 

 ただでさえ、割と根も葉もある話だ。勘繰られる=命取りになるという事は理解していただきたい。

 

「せめて、俺が成人するまで待って。……もしくは、みっちゃんに恋人がいてもおかしくないと思われる年まで待って」

 

 女性アイドルと言っても、流石に20代後半になれば恋人がいても叩かれたりしないだろう。むしろいない方が心配されるまである。

 何とか力説すると、ようやく美琴はしょぼんと肩を落として謝った。

 

「ごめんね」

「っ……わ、分かれば良いけど……」

 

 ……なんていうか、素直に謝られるとこっちが申し訳なくなるのはおかしいのに、この人にはそんな魔力がある。元々、子供がそのまま大きくなったような性格だからだろう。普通に羨ましい。

 まぁ、何にしても、これで話は終わりだ。

 

「じゃあ、早く服着ておいで。朝ごはん作るから」

「う、うん……」

 

 それだけ話して、自分もとりあえず寝癖だらけの頭を治すために、洗面所に向かった。

 鏡を見ると、映っているのは自分の顔と裸の上半身。ケンシロウのようにかっこよく北斗七星になっているわけではなく、淫らの証のようにキスマークがいくつもある。

 ……よくよく考えたら、ここに美琴が口をつけたんだよな……と、ちょっとだけ頬が赤く染まる。

 

「……」

 

 胸にキスされた……のなら、ここに口をつければ間接キスになるのでは……? なんて、今更童貞臭いことを思った。

 とりあえず……腕にもついているので、まずはそこから……と、思い口を近づけるが、ピタッと動きを止める。

 ……美琴のキスマークに自分の口を重ねるとか、それは勿体無いことしていないか? なんて思ってしまった。

 おかげで半端なところで動きを止めた直後だった。

 

「髪、梳かさないと……ん?」

「げっ」

 

 美琴が入って来た。一番、恥ずかしいタイミングで。当然のことながら、美琴はニヤリとほくそ笑む。

 

「……なんだ、ホントは青葉もキスして欲しいんじゃん」

「い、いや……こ、これは……!」

「さっきまでお説教してたのに……キスマークに間接キスしたがるほど」

「ち、違っ……いや、仮にそうだとしても、しちゃいけない事だから!」

「分かってるよ。……でも、嫌なことしたわけじゃなくてホッとしたかな」

「っ……〜〜〜!」

 

 全力で顔が赤くなる。偉そうに年上に向かって説教していたくせに、自分は隠れてそれを晴らそうとしている……なんだろう、その赤っ恥。

 

「っ、う、うるさいな! 俺はみっちゃんと違って思春期なの! 普通、高校生の体にキスマークなんてつかないから!」

「ふふ、ごめんごめん」

「も、もう朝ごはん作るから!」

「あ、待って。まだ寝癖治ってないよ」

「うぐっ……そ、そうだった……」

 

 そうだ、もともとそれをしに来ていたのだ。ほとんど同棲になっているからこそ、生活感はあまり出さずに身嗜みを整えることが大事だと思うから。

 

「せっかくだし……私が整えようか?」

「え、な、なんで?」

「全部、家事とかお願いしちゃってるし」

「……じゃあ、お願いします……」

 

 そのまま美琴に髪を整えてもらった。

 

 ×××

 

 朝ご飯を食べ終え、着替えも終えて、とりあえずのんびりと伸びをする。どちらかというと美琴の部屋で過ごすことの方が多いから、もう青葉の服がたまに部屋に置いてあったりするのはセーフなのだろうか? 

 まぁ、それよりも、今は今日をどう過ごすかだが。

 

「みっちゃん、今日はどうするの?」

「にちかちゃんに誕生日祝ってもらうよ。昨日、帰って来ちゃったから」

「あそう。じゃあ……俺は部屋に戻るから」

「えっ、一緒に祝ってくれないの?」

「いやにちかが嫌がるでしょ……」

 

 殺されかねないレベルだ。一緒に斑鳩ルカがいるかは知らないが……ただでさえ割と微妙な関係になっているのに、キスマークがついた今は……と、焦っているときだ。

 ピンポーン、とインターホンの音が鳴り響いた。何かと思って顔を向けると……モニターの奥には、にちかの顔。

 

「にちか⁉︎」

「あ、来た」

「こんなに早く来るの⁉︎ とにかく、俺もう部屋に戻るから!」

「えー……まぁ、確かに朝ご飯は食べ終わったばかりだけど……」

「……」

 

 ……その目をやめて欲しい。ていうか、そもそも人くるなら先に言って欲しい。

 

「じ、じゃあせめて着替えて来るから! 先ににちかのことお願い!」

「うん、分かった」

 

 それだけ話して、慌てて走って部屋を飛び出て隣に移った。

 ……とはいえ、だ。どうしたものか。胸元と首周りのキスマーク……どう考えたって夏が終わった直後に隠し切れるものじゃない。

 とりあえず……首回りを隠すようにマフラーを巻いて、あと長袖長ズボンに着替えて、手袋も装備した。

 

「…………暑い」

 

 こんなの溶けちゃう。というか、死んじゃう。汗が流れるなんてものではないだろうが……こんな状態で料理なんて作ったら不衛生かもしれない。

 

「よし……行くのは控えよう」

 

 その日は、部屋で引きこもった。

 

 ×××

 

 なんだかんだ骨折している身なので、家で安静にしているのは間違ったことではないだろう。

 夕方までぼんやりしつつ、とりあえずそろそろ晩飯作ろうかな、と思って立ち上がった時だ。ピンポーン、とインターホンが鳴り響く。誰だろ、と思って外に出ると、待っていたのは美琴だった。

 

「みっちゃん……にちかは?」

「帰ったよ。ルカと一緒に来てたから」

「そうですか……良かった」

「いや、良くないよ」

「え?」

 

 ……あれ、もしかして怒っているのだろうか? なんか心なしかむすっとしているような……。

 

「……青葉、どうして部屋に来てくれなかったの?」

「え? あ、あー……いや、その……首元のキスマークとか隠し切れなくて……」

 

 一応、マフラーとか手は尽くしたがダメだったのだ。メールで「やっぱ行けません。ごめんね」と送ってはおいたのだが……。

 

「待ってたのに……まぁ、結局食べに行ったりしたから良いけど」

「ご、ごめんって……ほ、ほら、一応骨折してる身だし……」

「それは、そうだけど……でも、待ってたのに」

「ち、チェイン見た?」

「見てないよ。にちかちゃんと一緒だったし」

「……」

 

 仕方ない。とりあえず、今夜は美琴の好きなものを作ろう。

 

「ごめんね。みっちゃんが食べたいもの作るから怒んないで。……何食べたい?」

「ていうか、それもだめ」

「え?」

「朝ご飯も作られちゃったけど、本当なら私が用意するつもりだったんだから」

「……」

 

 そっちも思い出してしまったか……と、もう諦めるしかなかった。

 

「分かったよ……じゃあ俺、横で見てるから。何作るの?」

「青葉の好きなもの」

「じゃあ……今日は、生姜焼きとか?」

「分かった」

 

 そのまま美琴を横で見ながら二人で晩ごはんにした。

 

 



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潜入ミッションはどれだけ溶け込めるか。

 ある日の平日……今日の美琴は休みで、自主練する為に事務所のレッスン室を借りようとしたのだが「ダメだ、休め!」と怒られたため、仕方なく外を散歩していた。

 しかし、プロデューサーにも困ったものだ。まさか、そんなに自分を休ませたがるとは……いや、休息が大事な事くらいプロとして把握しているけれど、今の自分は青葉に体調と栄養を管理してもらっている。だから、少しくらい無茶したって問題ない。

 ……それに、青葉は最近、帰りがいつもより遅いし、一人で家にいても面白くない……。

 そんなわけで、今日も公園とか土手でレッスンしよう、と思っていた時だった。

 

「一宮、あと何買うの?」

「パクチー」

「えー、アレくさいから苦手なんだけど」

「馬鹿野郎、あれがあるのとないのとでカレーのスパイシーさは大きく変わるんだよ」

「いや、そんな本格さいらないでしょ……」

「カービィで言うなら、ワドルディがいるかいないかの差だよ」

「それはやばいね!」

 

 ……クラスの女子と思われる子と、一緒に街を歩いていた。今の時間は授業中だろうに……と、眉間に皺を寄せる。

 

「にちかも言ってたけど、料理のことなら俺に任せてよ。インドの学校かって勘違いするような香りを漂わせてやるから」

「さんきゅ。楽しみにしてる」

「お前らも作れるようになるんだからな?」

 

 は? と、握り拳を作った。料理ってどういう事だろうか? 制服が似ているところを見ると、おそらく同じ高校のクラスメート。まさか……自分というものがありながら、クラスの女の子と家でお料理教室? 

 

「っ……」

 

 あれ、と自分でも驚いた。なんか……怒るより寂しくなってしまった。そういえば……自分はあの子の学校の姿とか何も知らない。いや……知ろうとしなかった。自分のお世話さえしてくれれば良いと思っていたから。

 でも……それは本当にカップルと言えるのだろうか? 自分は青葉のことが好きだけど……なんだか、何も知らない自分に嫌気がさしてしまう。

 

「……」

 

 というか……もしかしたら、それは青葉も一緒なのかもしれない。美琴の仕事のこととかあまり聞いて来な……いや、食管理の都合上、プロデューサーには色々聞いているだろうし、全然一緒ではない。そこは平気……だと思いたい。

 とりあえず……帰ることにした。何にしても、帰ったら問い詰める。

 

「はぁ……」

 

 ため息を漏らしながら、とりあえず帰宅した。なんか、レッスンする気分ではなくなってしまったから。

 

 ×××

 

「ただいまー」

 

 それから何時間経過しただろうか? いや、実際には一時間半くらいなのだが、美琴には五時間くらいに感じた頃、ようやくそんな声が耳に届いた。

 ぴくっと耳が反応し、自動でツカツカと玄関まで出迎えに行った。

 

「……おかえり」

「ごめんね、遅くなって。今から晩御飯……」

「食べてきたんでしょ」

「え?」

「良いもん、別に」

 

 そう言いながら、美琴は青葉の腕を引く。そして、強引に部屋の中に連れ込むと、そのままソファーの前に移動。そして、無理矢理座らせて膝の上に頭を置いて寝転がった。

 

「私もう食べたから。青葉と一緒に食べれないなら意味ないし」

「え、普通に会話始める?」

「頭」

「え? あ、よしよし……」

 

 頭を撫でてもらいながらそう言ってやる。実際、食べちゃったし、もうクラスの子と食べるような話を聞いてしまったので、今から自分のためだけにご飯を作ってもらうのは嫌だ。青葉の手料理を食べるなら、やはり一緒が良い。

 

「……あの、ていうか何も食べてないんだけど……」

「いや、いいからそういうの」

「いやそういうのって……お腹空いたから何か作らせて……」

「じゃあ、土手沿いで一緒にいた子と何してたの」

「土手沿い?」

 

 惚けているつもりだろうか? ちょっとイラッとした。これが、浮気をした男の反応というやつだろうか? 確かに、殺傷事件になるのも頷ける。

 

「ふーん……惚けるんだ」

「いや土手なんて俺行って……あ、いや通りはしたけどさ」

「……」

 

 全然、惚けていなかった。苛立ちで、頭の中だけとは言え早とちりでイラッとしたことに、またイラッとして……それが、少し八つ当たり気味に芽生えてきて。

 

「え、なんで知ってんの?」

「……見てたから」

「もしかして、浮気してるとか思ってる?」

「……」

 

 バレた。どうせ問い詰めるつもりだったし、別に良いが。

 

「違うの?」

「違うよ! 俺がみっちゃん以外の人に鼻の下を伸ばすとでも⁉︎」

「でも、はづきさんにはデレデレしてるよね?」

「はっちゃんは良いの! 大人の女性で幼馴染だから!」

「は? 良くないけど」

「……うん、良くないね」

「何今の」

「何でもないです……」

 

 こいつ舐めてる? と青筋を額に浮かべている間に、すぐに続きを話した。

 

「でもあれはほんとただのクラスメートだから!」

「でも、カレーがどうこう話してたよね」

「あれはうちのクラスの出し物だから! 文化祭の!」

「へ?」

「へ? じゃなくて! 文化祭だってば。うちの店、超本格ジャパニーズカレー店やるの」

「……」

 

 なんだろうそのカレー屋、と気になったが……それよりも、今聞きなれない単語があった。

 

「文化祭って何?」

「嘘でしょ?」

「え……ごめん?」

 

 しかし、ピンと来ない。

 

「高校の時なかった? 学校によっちゃ中学でもあると思うんだけど……」

「覚えてな……あ、いやあった……かも?」

「マジかよ……」

 

 あまり学校の行事なんて覚えていないのだ。どうでも良かったから。青春は全てアイドル活動に捧げてきたから。

 

「学内でやるお祭りだよ。各クラス、各部活、各委員会で出し物出して、お祭りすんの」

「へー。……あ、それでカレーの話してたの?」

「そういうこと」

「……」

 

 全然、浮気じゃなかった。なんだか疑ってしまって申し訳ない……と、沸々と罪悪感が芽生えてしまう。文化祭の存在を知らなかったとは言え、自分は青葉を信用していなかったことになるから。

 そんな自分の心の中を見透かしたように青葉は小さくため息をついた。

 

「はぁ……そっか。俺って、みっちゃんにとっては浮気してもおかしくない人なんだ……」

「あ……いや、違……」

「まぁ良いけどね……所詮、男子高校生と大人の恋愛ですしー」

「お、大人とか子供は関係ないから……そんなしょんぼりしないで」

 

 どうしよう、落ち込ませてしまった。というか、自分も少し考えが足りなかったのかもしれない。クラスメートと二人で出かける機会くらい、普通の高校生ならいくらでもあるのだろう。

 とにかく、謝らないと……と、なんとか言葉を探していると、膝枕のまま頭を撫でてくれている青葉は、美琴の鼻を摘んだ。

 

「ふがっ」

「なんて……嘘だよ。気にしてない」

「え?」

「ちょっとだけショックだったけど……でも、みっちゃんの職場と違って、こっちは異性が多くいるからね。分からなくはないよ。不安になるのも」

「……」

 

 やはり、優しい。いや、甘いと言うべきか? ……でも、それが青葉の良いとこなのかもしれない。

 本当に申し訳なくて、少し肩を落としてしまっている反面……ちょっとむすっとしてしまった。

 

「……てことは、今私を揶揄ってたの?」

「え、あ……は、はい?」

「そっか。じゃあお仕置き」

「えっ、お、俺がお仕置きされるの……?」

「年上に意地悪したから」

 

 そんなわけで、撫でてもらいながら青葉の首の後ろに両手を回し、ぐいっと自分の顔の前まで抱き寄せ……そして、キスをした。目を開けたままなので、青葉が顔を真っ赤にしているのがよく分かる。

 ぷはっ、と離してあげながら、青葉の両頬に両手を当てた。

 

「ふふ、人を辱めた人には、辱めた罰だね」

「ちょっ、もう……ほんと、あまえんぼの癖に……」

「そもそも不安にさせたのは青葉だし」

「ていうか、逆にあの時間に何してたの。土手で」

「え?」

「今日休みだよね? ……まさか、自主レッスンとか言わないよね?」

「……」

 

 ピタリと自分を撫でていた手が完全に静止する。

 あ、やばい流れ……と、美琴が冷や汗を流す番だった。そういうとこ厳しいのだ。この子は。

 

「……ふーん、なるほど。そういう感じね、みっちゃんは」

「え、いや、あの……」

「それで人の文化祭の現場を見て浮気と思っちゃうんだ」

「……」

 

 ……大ピンチである。まさかの逆転。なんとか誤魔化さないと、と考え込む。

 

「……あ、いや……えと、違くて……」

「そういえばカップ麺食べたんだよね?」

「え? あ……う、うん」

「じゃあ、今日の晩御飯は俺の分だけだし、自分の部屋で食べるよ」

「あ……待っ」

「香りをいつもの三倍くらい濃くしたカレーにしよっと」

「っ……そ、そんな……!」

 

 そんなの……後でお腹が空くに決まっている。食べたと言ってもたかだかカップ麺。お腹いっぱいになる量ではないのだ。

 

「じゃあ、またね。みっちゃん」

「あ、ちょっと……」

 

 立ち上がって帰ろうとしてしまう。まずい、そんなまさか料理上手特有の嫌がらせをされてしまうことになるとは。

 

「ま、待って。謝るから、私にも一口……!」

「何が悪いか分かってる?」

「……隠れてレッスンしようとしたこと……」

「無理しちゃダメ。休む日は休む。俺も休む必要がある時に休まないで腱鞘炎になったりしてるから。わかった?」

「……はーい」

 

 まるで、母親とわんぱく坊主のような絵面だった。16歳と24歳が。

 さて、その日の夜は二人でカレーを食べることになった。

 

 ×××

 

 それから数日間の間、青葉は放課後にはクラスメート達にカレー作りを教えていたりしている。

 あまり予算がないので、本当ならレシピだけ……と言いたい所なのに、最初に作ったカレーが好評だったからだろう。女子力を求める女子生徒達はわざわざ自腹でその日の練習用のカレーの材料を買ってまで教えを請いてきた。

 まぁそこまでされたら致し方ないので、青葉も教えてあげたりしていた……それは、美琴にも理解してもらっている。

 

「ごめんね、みっちゃん。今日も遅くなって」

「平気」

「すぐご飯の支度するから。何食べたい?」

 

 帰って来て、ご飯の準備……と、青葉は動き始める。その青葉を眺めながら、美琴はジトっと半眼になる。

 

「? な、何……?」

「青葉、ちょっと……」

「え……やだ。俺、浮気なんてしてないよ?」

「違くて。来て」

「あ、頭? 分かった」

「うん、撫でても良いから来て」

 

 撫でても良いからって……と、少し呆れる。撫でて欲しいと思っているのはそっちだろうに。まぁ良いけど。

 そのまま美琴の前まで行くと、何を思ったのか美琴は自分の前でしゃがんだ。

 

「はい、良い子良い子」

「んっ……」

 

 相変わらず撫でられるだけで気持ち良さそうな顔する人だな……と、思っている時だった。美琴は青葉のワイシャツを掴み、ズボンの中から引っ張り出し、お腹を露出させた。

 

「っ、き、キャアアアア!」

「それ女の子の反応」

「な、何いきなり⁉︎」

「柔らかくない? お腹」

 

 ペタペタと触ってくる。人差し指でぷにぷにと突っついたり、親指と摘んできたり。お願いだから恥ずかしい気持ちをわかっていただきたい。

 

「や、あの……」

「もしかして……太った?」

「え?」

 

 恥ずかしさが一気に飛んだ。ビシッ、と全身が硬直し、頭の中が真っ白くなる。

 

「ふ、太ってません!」

「なんで敬語なの」

「や、痩せてる!」

「でも、お腹柔らかいよ?」

「い、いやそれは……」

「ちょっとごめんね」

「え……」

 

 お腹に触れていた両手を腰に回してきて、ぐいっと持ち上げられてしまった。抱っこである。

 男子高校生が抱っこされる……という絵面を思い出し、再度羞恥心が込み上げてきた。

 

「ち、ちょっと! 降ろして!」

「うん、重い」

「おごっ……!」

「なんでこんなに太ったの?」

「げふっ……!」

 

 また羞恥心をショックが塗り替えた。ハートに亀裂が入り、手に何か持っていたら、ゴトッと落としていたかもしれないくらいの衝撃だった。

 いや……まぁ、考えてみたら全然当たり前の話なのかもしれない。お昼と夕食の間にカレーを作る時間があった。

 いや、自分の分は作っていないのだが、指導する側の味見役として結構食べてた。

 その上、育ち盛りの美琴の分のご飯も……。

 

「……」

「心当たりあるんじゃん」

「……はい……」

 

 痩せないと……でも、ただでさえ早朝ランニングに付き合っているのに、これ以上の運動はちょっとしんどい……。

 

「ダイエットね」

「嫌だ!」

「ダメ」

「いーやーだー!」

「もう……ワガママ」

 

 運動は嫌だ。やはり基本的には苦手なのだ。体育の成績だけは毎回2だから。

 

「間食やめれば?」

「え、いやそれは仮にも料理を教える側の人間として出来ない。ちゃんと味見して評価を下さないと。最近は男子も来るし」

「じゃあ夜も走る?」

「やだ!」

 

 絶対に嫌だ。走ると疲れるし、大変だから。

 

「……青葉。でもそのままだと太ったままだよ?」

「学祭終われば元に戻るから!」

「食欲は元に戻らないかもよ?」

「えっ……」

 

 それはつまり……学祭が終わった後も食べすぎるかもしれない、と言うことだろうか? 

 ……あり得る。料理の練習にかこつけて、間食をもっさもっさと貪る。

 

「……うう〜」

「それとも青葉は、私と走りに行くのが嫌?」

「……」

 

 その言い方はずるい。断れなくなる。美琴とは例え火の中水の中あの子のスカートの中、どこにいったって楽しいものだ。

 

「……わ、分かったよ」

「うん。決まりね。今から」

「今⁉︎」

「とりあえず、外出るのは大変だと思うから、足を持ってあげるから腹筋」

「え……そ、それはちょっと」

「大丈夫、50回で良いから」

「そんなに⁉︎」

「少ないから。ほら早く」

 

 そのまま強引に連行され、床に押し倒される。襲われる、なんて思ったのも束の間、すぐに膝を曲げられて揃えられ、ホールドされた。

 

「はい、腹筋」

「え……あの、勘弁して欲しいんだけど……」

「1」

「や、あの……」

「1」

「や、1じゃなくて」

「次の1までにやらやかったら、60回に増やすから」

「わ、分かりました!」

 

 そんなわけで、上半身を持ち上げる。大丈夫、10回くらいならいけるはず……そう心に言い聞かせて、上体起こしを始めた。

 

「そういえば、青葉」

「1……2、え、何?」

「文化祭、私も行って良い?」

「や、良いけど……3っ、でも、彼女って……バレたら、4……やばいからっ……!」

「え、なんで?」

「腹筋させてお願いだから!」

 

 もう限界が近づいてきた。下している時よりお腹痛い。て言うか、運動中に会話すると余計に疲れるだろうに……この人、自分でそれをさせておいて何故、その辺を察してくれないのか。

 

「……5っ……ろ、6……」

「え、もう限界?」

「い、いや……あと、4回はいきたい……」

「いやあと44回は行って欲しいんだけど」

「……ぐふっ」

 

 心が折れた。無理。あと約10倍は無理。

 

「や、やめようやっぱり……」

「はい、7?」

「お願い……せめて、休憩……」

「7〜?」

「わ、分かった……今日は寝る時膝枕+ナデナデ追加してあげるから……」

「6?」

「何で減るの!」

 

 この体育会系みたいな煽りと筋トレ、なかなかキツい。自分と同い年の運動部はみんなこれを乗り越えているのだろうか? もはや尊敬の念すら起こる。

 

「……もう、仕方ないなぁ」

 

 そう呟いた美琴は自分の両足の裏に両手を伸ばし……そして、胸を足にむぎゅっと押し付けた。

 直後、目が覚醒した。柔らかいこの感触……柔らかい脂肪の奥に備えられた硬い大胸筋が二段構えで襲い掛かるハーモニーに、下半身の一部が覚醒した。

 

「み、みみみみっちゃん⁉︎ 何して……」

「男の子っておっぱい好きだって聞いたから」

「子供の知識で大人のやる気スイッチを押すな! あ、いやそれより離れて……!」

「やだ。終わらせないと離れない」

 

 憎たらしいほど可愛い。

 でも、まずい。下半身のそれは、仰向けだとかなり目立つ。もし……それに美琴が興味を持ってしまったら……。

 

『青葉、なんかテントみたいになってるよ? (ツンツン)』

 

 24歳の無知シチュが完成する! 興奮するけど許されない! 

 そう判断した青葉は、フルスロットルした。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎‼︎‼︎‼︎」

「おお、すっごい」

 

 終わらせた。

 一気に後になってズキっとお腹に痛みが響く。メチャクチャにお腹に効いた。これ明日筋肉痛確定……だが、守った。自分の憧れの人に、自分の汚いものを見せると言うクソみたいなシチュエーションを。

 

「お、思った以上の効き目だね……」

「ぜぇ、ひぃっ、ふぅ……」

「でも、おっぱいくっついただけで加速出来るって事は、普通でも出来るよね」

「えっ」

「明日からはちゃんとやること。このえっち」

「……」

 

 これだから体育会系は……と、思わず頭の中で悪態をついた。

 

 ×××

 

 さて、夕食の時間。二人で四川風麻婆豆腐を食べていると、改めて美琴は聞いた。

 

「で、文化祭だけど、行っても良い?」

「ああ、うん。良いけど、一緒に回らないよ」

「……なんで?」

「えっ、いや大騒ぎじゃ済まないから」

 

 アイドルが高校生と付き合っている……なんてことが公になれば、大衆に焼き殺される。美琴が。

 

「大丈夫じゃない?」

「その楽観的な感性は一周回って羨ましくもあるけど、絶対に無理。アイドルでなくても、未成年と付き合ってるってことで犯罪だから。その上、ほぼ同棲みたいになってんだし」

「ええ〜……」

「罰受けるのみっちゃんだよ。万が一、書類送検で済んでもアイドルは確実に終わりだし、そしたらみんなを歌と踊りで魅了することも出来なくなるよ」

「……むー」

 

 言うと、納得していなくとも従うように唇を尖らせる。

 

「……じゃあ、付き合ってるってバレなきゃ良いんだよね?」

 

 全然、従う気もなかった。

 

「無理でしょ! 俺は例えどんな格好しててもみっちゃんだと見抜くから!」「他の人ならそうとも限らないんじゃない?」

「いや……変装するにしても、みっちゃんはカッコ良くて綺麗で可愛いパーフェクト人類なんだから、どんな格好でもバレるって!」

「ワイルドなら?」

「は?」

 

 それは想像したことなかったが……でもそんな服あるのだろうか? 

 しかし、なんかやたらと自信ありげな顔で自分を見ているが……。

 

「青葉のお姉ちゃんの服、借りられる?」

「……え?」

 

 なんか言い出した。

 

 ×××

 

 さて、食事を終えてから青葉の部屋に入った。

 確かに青葉の姉は今でこそ落ち着いた服を着ているが、少し前までは中々、活発そうと言う意味で露出度の高い服を着ていたものだ。

 ……ただ、それを美琴が着るとなると……。

 

「どう?」

 

 今、着ている美琴の服は、青い縦縞のブラウスに黒のジーンズ。胸元にサングラスを掛けている……のだが、エッチだ。どエッチだ。あまりにも。

 

「好き。そんな姿は他の男に見せられない」

「え〜……」

「写真だけ撮らせて」

「あ、うん。どうぞ」

 

 写真を撮ってから別の服を選んだ。

 続いての服は、ダボダボのトレーナーと黒いスラックス。大きく露出度が高いわけでもないが、問題は下半身。ピッタリタイプのスラックスなだけあって、下半身の完璧なお尻と引き締まった足が完璧に見えてしまう。

 

「ダメダメ! そんなカッコ良いみっちゃん見せられない! でも写真撮らせて」

「うん」

 

 そんなわけで、また写真を撮って別の服に着替える。

 次は、ジーンズ生地の短パンに長い黒のソックス、上半身はグレーの迷彩柄のTシャツで、ブカブカのパーカーを肩まで羽織らず袖だけ通して着こなすラッパーっぽいスタイル。

 絶対ダメ。短パンと靴下の間に挟まれたムチムチ太ももがちんちん爆裂波。

 

「ダメだよ! 太もも出すとこを男どもに見られるたびに目潰しして回らなきゃいけないじゃん!」

「……何なら良いのそれ?」

「うっ……」

 

 いや、それを言われると申し訳ないのだが……でも、どれもダメだ。むしろ美琴だと思われない為には、それなりにオシャレを嗜む人が選ぶようなものではなく、ちょっとダサいくらいのもの……いや、そんな姿を他人に見させるのはアイドル的にダメだろう。

 つまり……やはりこれしかない。

 

「やっぱり来ちゃダメ痛たたたた!」

「ひーどーいーぞー」

「仕方ないでしょー!」

「……あ」

「え?」

 

 何か思いついたらしいが……何故か嫌な予感してしまった。人間というのは不思議なもので、良い予感は当たらないのに嫌な予感は確実に当たるものなのだ。本当クソである。

 

「青葉ってお姉さんと同じ高校?」

「え? うん」

「じゃあお姉さんの制服貸して」

「……は?」

 

 なんかすごいこと言い出した。

 

 



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ポジティブさと頭の悪さは紙一重。

 せめてクリーニング出させてからにしてください、とお願いした青葉だが、結果的に許可を出していることに少し後悔していた。何故なら、クリーニングから制服が返ってきたからだ。

 

「……」

 

 やはり、これを美琴に着せるのは犯罪臭がする気がする。今からでもやめてもらおうか? 

 ……いや、絶対に無理。そんなこと言ったら拗ねられて小突かれて責められて学祭当日に何をされるかわかったものではない。

 諦めて持って帰ることにした。さて……これ、どうしようか。やはり、青葉としては着てほしい。死ぬほど学生服の美琴は見てみたい。

 でも、やっぱりちょっと迷いがある。なんか、こう……自分から持ちかけた話でもなければ思いついたわけでもないのに、何故か罪悪感がある。

 

「……はぁ、ほんとずるい人だなぁ……」

 

 なんで、自分がここまで人を騙しているような罪悪感に咎められなければならないのか。絶対おかしいと思う。

 ため息をつきながら家に到着したので、とりあえず部屋にぶら下げておいた。さて……今日はどうしようか。美琴は夕方まで戻ってこないし、今日は割と暇だ。

 とりあえず、小腹が空いたし軽く飯でも作ることにした。

 

 ×××

 

 夜になり、美琴が帰って来て食事を終えた。

 

「じゃあ、俺そろそろ寝るね!」

「学生服は持って帰って来た?」

「……」

 

 誤魔化せなかった。この人は一体どこに記憶容量を使っているのか。

 

「あるんだ。じゃあ着たい」

「一応聞きますけど……本気で着て来るつもりですか?」

「うん」

「……学生の学祭に?」

「うん」

「その学校の制服着て?」

「うん」

 

 ……ダメだ。意志が固い。いや、むしろ硬い。カッチン鋼だほとんど。だが……バレた時が取り返しがつかない。てかバレる。こっちは毎日にちかと喧嘩していて、そのくせ成績トップクラスなだけあって教員の間では有名だというのに、その近くに美琴なんていう超絶美少女がいたら、それはもう目立つだろう。

 

「明日、事務所に着て行ってみようかな……」

「やめて下さい!」

 

 どんだけ気に入っているのか。この人の感性絶対おかしい。いや、まぁ似合うとは青葉も思うのですが。

 ……そうだ。それならば、一度着てみて恥ずかしさを自覚すれば良いのかもしれない。

 

「……あの、せめて一回着てみたら? ここで」

「え、ここ?」

「や、サイズが本当に合うかわからないじゃん?」

「まぁ良いけど……」

 

 言われるがまま、美琴は着替え始める。ロングスカートを脱ぎ始めたので、慌てて止めた。

 

「ちょーっ! な、何してんの⁉︎ まだ俺いるし!」

「一緒にお風呂入った仲だし、良いでしょ?」

「よ、良くないから! せめて着替えを持って来てからにしてよ!」

 

 この人の羞恥心はどうなっているのか……いや、元々無い可能性もある。だってアホだし。いや、でも頭を撫でていた時とか最初は照れていたから、

 

「仕方ない……」

「仕方ないのはそっちだから!」

 

 渋々、美琴は別室で着替えに行った。どこまで不本意なのか。……いや、まぁ確かに一緒にお風呂まで入ってるのに照れるポイントではないのかもしれないが……。

 

「はぁ……」

 

 まぁ、でも外で……それこそ、うちの高校の学祭とかに学生服で出掛けるとかよりは全然マシだろう。ここなら少なくとも誰にも見られないし、問題ない。

 ……本当に問題ないだろうか? いやだって、逆に言えば誰もいない二人きりの部屋で、成人アイドルにコスプレさせているわけであって……。

 

「……うん、もう帰ろう」

 

 なんか今日はダメだ。そして明日になったら制服を没収して埋めよう。

 なんて作戦を立てている時だった。

 

「青葉ー」

「っ、は、はい?」

 

 もう着替え終わったの? と、顔を向けると、思わず目を見開いてしまった。学生服姿の美琴……クリーム色のベストと、長袖のブラウスに、制服のスカート……にちかと同じ制服を着ているはずなのに、にちかとは比較にならないくらいエロい。

 なんだこれ、と冷や汗を流す。にちかでは膨らんでいない部分が激しく主張されているだけでなく、むちむちの太ももがスカートの下から出ている。

 

「〜っ……!」

 

 スタイル抜群の成人女性が制服を着るとこうなるのか……と、目を背けてしまう。布面積は多いのにエロいのおかしい。

 そんなこっちの気も知らず、美琴はいつものニコニコした表情のまま聴いて来た。

 

「どう?」

 

 どうもこうもない。エロい。

 

「エロい」

 

 言っちゃった。口にお札貼りたい。すると、美琴は少しほんのりと頬を赤らめ、一瞬だけ目を丸くした後、すぐに笑みを浮かべてクスッと微笑んだ。

 

「……えっち」

「ごふっ……!」

 

 血を泣きそうになった。なんだろう、その経験豊富そうな女性の顔とセリフ……! ホント、顔が良い人ってずるい……! 

 なんか癪に思えてしまった青葉は、小さく奥歯をかみながら呟いてしまった。

 

「そっちだって処女の癖に……」

「……じゃあいる? 処女」

「な、何言ってんの急に⁉︎」

「いつ欲しい?」

「し、知らない!」

 

 この人は本当に……いや、まぁ今のは自分発信だし仕方ない。とにかく、話題を逸らしてしまおう。

 

「に、似合ってはいるけど、やっぱりコスプレ感があるかなーって……そのまま出掛けるのはやめた方が良いんじゃない?」

「似合ってる?」

「え? うん、まぁ……」

「じゃあ、これで出掛けようよ」

「ねぇ、会話して」

「良いじゃん。双子コーデ」

「いや年齢差的にはギリギリ姉弟なんじゃ……」

「双子」

「あっはい」

 

 顔は似ても似つかないわけだが……まぁ、美琴は言い出したら聞かないし仕方ない。

 いや、でも出掛けるのは嫌だ。

 

「でも、出掛けるのはやっぱさ……」

「お散歩行こうよ。今から」

「聞いてよ」

 

 なんでこの人こんなに推してくるのか。もしかして、羞恥心を感じる心が無いのか? 

 

「いや、勘弁して欲しいんですけど……」

「ほら、行こう」

「いやほんと聞……」

 

 ぐいっと腕を絡まれ、引っ張られた。

 ほぼ強制的に部屋から出され、本当にそのまま二人で散歩に行くことになってしまう。

 

「あの……散歩ってどこまで行くの?」

「うーん……そういえば、レッスン用の下着がダメになってきちゃったから、また新しく買わないと」

「なんでそれなんだよ⁉︎ よりにもよって!」

「いや、そこそこ大きいと揺れて困るから。まぁ大きい方が男の人は好きみたいだから仕方ないと思うんだけど」

「必要な理由じゃなくて、なんで俺と一緒の時かって聞いてんの!」

 

 スポブラとは言え、下着である。というか、自分は今まで彼女がいたことなんてないので、スポブラなら平気とか、そう言う概念もよく分からない。自分なら運動用のパンツを履いていても可能な限り見られたくない。

 

「青葉は嫌? 好きな子の下着を一緒に選べるわけだけど……」

「〜〜〜っ、い、嫌では……ない、けど……」

 

 ていうかご褒美だが……でもやはり憧れの人にはその辺、神秘的な物で隠して欲しかったと思わないでもなくて。

 

「私はいいよ。青葉になら何を見られても」

 

 好きな人の前だとここまでオープンになるんか、と少し困ってしまうまであった。

 まぁ、何にしてもこの良い年して他の人の顔色を窺えない珍しい大人子供は止められない。大人しく付き従うことにした。

 さて、本当にマンションから出てしまった。確かに学生服姿の美琴は似合っているが……こうして背景込みで見ると、やはり少し浮いている。コスプレしている人が街をそのまま歩いているわけだから、その手のイベント中とは訳が違う。

 その美琴は、大人びた顔なのに無邪気に見える笑みで微笑みかけて来た。

 

「どう? 若く見える?」

 

 ダメだ、こんなアホなことしているし聞かれているのに可愛くて仕方ない。なんだこの成人女性。

 

「可愛い……」

 

 思わず口に漏れてしまった。全然聞かれたことと別のことを言ってしまったことに後から気付き、慌てて弁解しようとしたのだが……。

 

「っ〜〜〜! っ……そ、そう……アリガト……」

 

 なんで普通に褒めただけの時が一番、照れているのか。この人の感性は絶対におかしい。なんならこっちにまで照れが移ってくる。

 

「い、いえ……」

「……」

「……」

 

 困った。今更になって初々しい空気が流れるとか、よくわからないことになってきた。

 というか、今になって思うのは、本当にこんな綺麗な人なのに、今まで恋人とかいなかったんだろうなぁ……なんていう感慨深さ。それを自分が崩してしまったような罪悪感もあるけど、もう気にしないようにしている。

 とりあえず……20代の女性に学生服を着させている時点で、どう考えてもこの初々しさはおかしいので空気を変えることにした。

 

「そ、そうだ。みっちゃんは、俺がもしにちかと浮気とかしたらどうする?」

「青葉を殺して私も死ぬし、なんなら今から殺しそう」

「……ごめんなさい」

 

 振る話題を間違えた。わずか数秒で初々しさから殺伐とした空気に変わってしまう。

 

「え、何。浮気するつもりなの?」

「いやまさか……」

「したら本当に許さないよ。悪いけど。初めて好きになった男の子にそんな裏切られ方したら、正気でいられる気しないから。で、どうなの? 正直に白状するなら今のうちだよ?」

「いや本当にないから! ごめん、俺が悪かったから勘弁して! 怖い怖い怖い!」

 

 目が秒で虚になってしまって、それはまた謝り倒した。なんか、色んな方面に情緒が激しく揺れ動くので、結構神経使わされる。可愛いけど。

 ……なんて思っていると、隣からむぎゅっと腕を組まれた。

 

「っ、え……?」

「……君は、私のだからね。フラフラしないように捕まえておかないと……」

「……あー……ダメだー、可愛いが過ぎるー……」

「怒ってるんだけど」

 

 それがまた可愛すぎて、もう目を閉じて堪能するしかなかった。

 

「今の、録音したい……」

「分かった。おちょくってるんだ。歳下なのに生意気」

「いだだだだ! 腕折れる、腕折れるって!」

「潰したほうが、手綱は握りやすいかな」

「何怖いこと言ってんの⁉︎」

 

 この人、もしかして少し病んでいるのだろうか? と思わないでもないが……とりあえず勘弁してもらう事にした。

 

 ×××

 

 さて、そのままさらに人が多いところまで来てしまった。それに伴い、周囲の人は美琴のことをチラ見するようになる。やはり浮いていた。25歳の学生服は。

 だが、本人は一切気にしていない。一応、伊達メガネで変装はしているものの、それを無にする素敵な笑みで声をかけてきていた。

 

「ふふ、青葉。なんだかドキドキしてきたよ。母校でもない高校の制服で外出なんて……」

「俺もだよ……ドキドキと言うか、ドギマギというか……」

 

 というか、ファンなら遠目から一発で美琴と分かりそうな物だが……大丈夫だろうか? 少なくともバレたら自分は消されるだろう。

 ミッション・インポッシブル。絶対にしくじってはならないミッションだ。

 

「なんだか、学生の頃を今から体験してるみたいだな。あの頃に後悔とかないけど……もう少し周りに目を向けて、友達とか作ってたら今、もう少し青葉に迷惑かけなかったのかな……って思わないでもないかな」

「……」

 

 ……まぁ、確かに常識があまりにもない。炊事洗濯家事全般出来ないし、掃除も出来ると言っても、指導してようやくゴミ捨てや掃除機を覚えただけ。窓拭きとかそう言うのはやらない。

 でも……今、それを聞いてちょっと拗ねたくなった。

 

「……でも、みっちゃんが最初から家事出来たら、俺も世話焼く必要なくて仲良くとかならなかったと思うよ」

「……そっか。そうかもね」

 

 残念ながら、自分の取り柄はそれだけだと理解しているので、正直このダメさ加減に救われているとこはあるかもしれない。

 

「……ありがと、みっちゃん。もう一生、そのままダメでいてね」

「ふふ、生意気が過ぎると腹立つだけだよ?」

「痛だだだだ! 腕折れる、腕折れるってだから!」

 

 またギリギリと締め上げられている間に、スポーツ用品のお店に到着した。

 正直、青葉はあまりここが好きではない。スポーツが好きじゃないからだ。特にダンベルとかプロテインとか見るとちょっとだけ嫌気がさす。

 とはいえ、まぁ今日は自分の買い物ではないため、普通に付き添うが。

 

「じゃあみっちゃん、俺他のところ見てるから、終わったら呼んで」

「ダメ」

「なんで……」

「一緒に買い物来てるから」

「女性用の下着買いにきたのに……?」

「一緒に選んで」

 

 ……まぁ、もう仕方ない。なんか有無を言わさない感じだし。それに……まぁ、レースだのなんだのついているものよりマシだろう。

 

「はいはい……」

「カッコ良いのと可愛いの、どれが好み?」

「あんまえっちじゃないの」

「下着だよ?」

「……」

 

 ダメだ、どんなに考えても美琴の下着って時点でえっちだ。これをすけべと言わずして何がすけべなのか。

 もうこうなったら……目を閉ざして行動するしかない。

 

「お、あった。どんなのが良いかな?」

「何も見えない……」

「え? ……なんで目閉じてるの」

「見てはいけない……」

「……」

「いだだだ! 力技やめて!」

 

 瞼を人差し指と親指を当てて強引に開かせにきていた。もう失明させられてもおかしくない気がして、観念して目を開いた。

 

「わ、分かったから待ってって……」

 

 とりあえず、この人を満足させないといけない。その場所の下着を見ると……なんか、思ったより見られた。どれもスポーツウェアみたいなデザインと生地で、変に意識することはない。

 

「なるほど……」

 

 ……なんか、ちょっと納得。これは恥ずかしくないのかもしれない。

 

「どれが良いと思う?」

「うーん……まずは性能で選んだら? これだけ種類あるんだし、何かあるでしょ」

「あー、うん。じゃあ……」

 

 と、見て回る。普通に運動も出来ない青葉に女性物の下着のことなどなおさらわかるわけがないので、とりあえず待機することにした。

 しばらく待っていると、すぐに美琴が指を差して言った。

 

「あれだ。いつも買ってるシリーズ。あのアイコンならなんでも良いよ」

「分かった」

 

 分かりやすく左胸の下のあたりに小さなマークが入っている物を見る。どんな色が良いだろうか? 

 スポブラ……あまり見られても恥ずかしくないタイプのアスリート向け下着、と言うことだろう。あまり派手な色はダメだ。外にランニングとかする時、白いシャツを着ることもあるだろうが、透けてしまうから。

 派手、と言うか黒とか赤とか、そう言うのがダメ。ブラ透けが大好きな自分としては、それを他人に見られると思うだけで腹が立つ。

 

「……」

 

 つまり、薄い青とか黄色とかそう言うの……それならば、あまり目立たないし、なんなら似合うだろう。……いや、黄色は似合わない。イメージ違う。

 そんなわけで、水色を手に取ってみた。

 

「これとか……?」

「……なんか大人しい色じゃない?」

「嫌なの?」

「嫌じゃないけど……まぁ、青葉が選んでくれた奴だから大丈夫か」

 

 そう言われると少し胸に刺さる。適当に選んだ、と言うわけではないが、自分基準で選んでいたから。美琴が選んで欲しいのは、似合うか否かだろうに。

 

「試着してみるね」

「え、試着するの?」

「? 下着買うんだよ? するでしょ」

「俺はしないけど……」

「……あ、そっか。男の子だもんね」

「なんだと思ってたの?」

 

 そんな話をしながら、とりあえず試着室に向かった。

 

「じゃあ、つけてみるから待ってて」

「え、ま、待つの?」

「うん?」

 

 なんで待つ必要が……せっかくなら、何か健康増進調理器具があるかも、と思ったので店内を見てみたかったとこあるのだが、まぁそう言うなら仕方ない。

 美琴の後に続いて、試着室の前で待った。美琴は中に入り、着替えを始める。

 しかし……試着室、ということはこの薄い布一枚の向こうで、上半身裸になっていると言うことだろう。

 なんか、人類ってすごいな、と思わないでもない。自分なら恥ずかしくて絶対に無理だから。

 

「……」

 

 というか、これ試着室に盗撮カメラとか置かれていたら、危ないのではないだろうか? 

 特に、ここはランジェリーショップなどではなく、スポーツ用品のお店。男性客もこの試着室を使うわけで。

 

「みっちゃん待った!」

「え?」

 

 シャッとカーテンを開けると、もう上は裸になっていた。下着はつけているから、それは外でも普通にアウトである。

 

「もう……青葉。まだ私着替えてないよ。えっちだな」

「っ……ご、ごめっ……!」

「ほら、早く閉めて」

 

 そう言いながら、美琴は青葉の手を引いて中に入れながら、カーテンを閉めた。

 危なかった。他の人に見られたくないばかりに、自分で他の人に見せびらかしてしまうところだった。

 とりあえず、カーテンが閉ざされたことにホッとし……。

 

「ってなんで俺まで中に入れるの⁉︎」

「チャンスかと思って」

「何の⁉︎」

「今、出たらまた私の裸他の人に見られちゃうかもよ」

「このっ……バカの癖に小賢しい真似を……!」

「この口?」

「ふぉへんふぁふぁい!」

 

 頬を抓られつつも、だ。ちょっとピンチだ。何せ、下半身は学生服、上半身は下着姿だ。それは、まるでアホな学園系ラブコメでよく起こるラッキースケベのワンシーンのようで。

 

「っ、お、俺向こう見てるから!」

「どうぞー」

 

 との事で、着替えが終わるまで待つことにした。……狭くてちょいちょい体と体がぶつかる。と言うか、異様に柔らかいところが当たっている気がするのだが……わざとじゃないだろうな? なんて思いつつも、とりあえず周囲を見回す。

 とりあえず、監視カメラ的なものはなさそうだ。

 

「はい、終わった」

「あ……ど、どうも」

「どう?」

 

 振り向くとそこにいたのは、下着姿の美琴。すぐに後悔した。スポーツ用ブラとはいえ、試着するのは美琴なのだ。どんな物であってもエロくならない理由がない。

 

「ーっ……!」

「似合う?」

「っ、お、俺出るから着替えてて!」

 

 限界だったので、逃げることにした。

 試着室から出て、煩悩を振り払うためにお試し用器具の元に向かった。ダンベルがあったので、それを持ってフライパンを振う真似をしながら頭を冷やす。

 やはり、下着を買うとか自分が参加して良い物ではない。破壊力が宇宙中の気を集めた元気玉レベルだ。

 こんなの、もう死んじゃう。

 

「……」

 

 ……。

 …………。

 …………。

 

「……大きかったな、かなり……」

 

 いくら一度はお風呂に入った仲とはいえ、やはり思い出すとこの煩悩は抑えられない。

 まぁ、正直青でも十分だったが……なんか、イメージ的に守りのイメージが強くて攻めの似合う色ではない。ガノタで言うところの「好きなMSはザク」と牽制する奴みたいな。

 もっと、安定を崩して似合う色はない物だろうか? 

 そう思いながら、気が付けばさっきの下着コーナーに戻っていた。

 

「……」

 

 料理でも、たまに大事になるのがバランスの良い味ではなく尖った味。一つの料理でも、口に入れる度に若干、味が変わったりするのが相手を飽きさせない料理を作ることにも繋がる。

 エロくて、尚且つカッコ良さ……その二つを求める色はなんだろうか? そう思って見ていると……目に入ったのは、美琴が選んでいたロゴのコーナーの一つ隣。同じロゴではあるが、カラーリングが違う。これはもうほとんどオシャレな大胸筋矯正サポーターだ。

 その中でも目を引いたのは、黒と紫のスポブラ……いや、サポーター? 中取って、おっぱいサポーターを選んだ。

 黒基調で紫も含まれているもの。二色というオシャレさ、10割カッコ良い黒と3割カッコ良く7割エロい紫……そして、10割エロい美琴の胸が複合されれば、それはもう無敵だ。

 それを手に取って、試着室に向かってみる。ふと、試着室から出てきた美琴が、また学生服姿で出てきた。不意打ちKOされそうになったのをガッツで堪える。

 

「あれ、青葉?」

「あっ……や、えと……」

 

 今思った。これなんて言って渡せば良いのだろうか? 「改めて似合うと思った下着持ってきました!」って変態臭しかしない。

 どうしよう、と悩んでいると、美琴は何もかも見透かしたようにクスッと笑みを浮かべると、青葉が持ってきた下着を受け取った。

 

「ありがと。えっち」

「……うるさい」

 

 今更だけど、周りから見たらどう見えているのだろうか? 学生服を着た成人女性に下着を選ぶ同じ学校の制服を着た男子高校生……店内の客が少ないのが幸いだった。

 結局、美琴は二着とも買ってた。

 

 ×××

 

 帰り道。色々とその後もカフェとかに寄ってから帰宅。美琴は気にしていない様子だったけど、青葉は全力で気になって仕方なかった。

 やはり、この格好で学園祭は危険だ。なんとかして誤魔化さなければならない。

 

「あー、楽しかったね。青葉」

「そ、そうね……」

 

 頭の悪さもここまで来ると長所だなぁ、と思わないでもない。

 

「どうだった? 制服デート」

「た、楽しかったけど……心臓がもたないどころじゃないから……」

「ふふ、スリル満点。この様子だと、学祭はもっと楽しそう」

 

 仕方ない、と小さくため息をつく。結果でこの人の親ではないが、甘やかしてきた結果だ。

 

「……ね、みっちゃん」

「何?」

「やっぱり、学生服で学祭はやめておこうよ」

「……どうして?」

 

 落ち着いて言葉を選んだ方が良い。一番の理由は最初に言わないと伝わらない。結論から述べるのと同じだ。

 

「もしバレた時、みっちゃんが職質されるようなことになって欲しくないから」

「え……し、職質?」

「普通の一般客が来るとはいえ、普通は私服で来るし、うちの高校となんの関係もない人が制服で着たら、怒られるじゃ済まないと思う。アイドルがそれはまずくない? 歌やダンスで魅了なんて、一生出来なくなっちゃうよ」

「……」

 

 効いている。まずは脅し。心苦しいけど、事実を言えば信じる。その上で、次に畳み掛けるはメリットだ。

 

「その代わりに、学祭以外なら制服デートで済むと思う。例えば……遊園地とか、水族館とか、そう言うの。行こうよ。制服で」

「……良いの?」

「もちろん、変装はしてね」

「分かった。じゃあ当日はやめる」

 

 よし、なんとかなった。ほっと胸を撫で下ろしつつも、我慢してもらうばかりでは申し訳ない。

 

「ありがと、みっちゃん」

 

 そう言いながら、頭を小さく撫でた。その直後、美琴の目が見開く。それと同時に、魔が良いのか悪いのか、マンションに到着してしまった。

 

「青葉」

「え、なに?」

「今日は制服のまま二人でいよう」

「え……」

 

 この後、死ぬほど甘えられた。

 

 



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