魔法至上主義は「劣等生補正」に打ち勝てるのか? (どぐう)
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退学編
第1話


 ㅤ司波達也は、本家から一員と認められてこそないが、一応四葉の血縁者で、現当主の四葉真夜の甥だ。

 ㅤそんな彼は、国立魔法大学付属第一高等学校――通称、魔法科高校へ妹の深雪と共に入学した。この兄妹が進む道の前には少しも平穏は無く、波乱だけがはっきりとした形で現れるのだ。ㅤそれは高校でも同じで、校内には一科と二科の壁が生んだ根深い差別問題を発端とするトラブルがあり、それは日々を昏く覆い尽くしていた。

 ㅤある日、第一高校は、「学内の差別撤廃を目指す有志同盟」に放送室を占拠される。彼らは生徒会と部活連に対し、対等な交渉を要求。結果、講堂にて公開討論会が実施されることになった。

 

「一科と二科がほぼ同数……。意外だな」

 

 ㅤ討論日当日。座席の埋まり具合を見て、達也はしみじみと呟く。風紀委員である彼は、有志同盟の行動を逐一警戒しなければならなかったのだ。

 

「それだけ、この討論会が生徒の関心を集めているということだ。ま、真由美目当てのヤツも居るかもしれんが……」

 

 ㅤ誰に言ったでもない達也の呟きに、返事が返ってきた。言葉の主は、風紀委員長の渡辺摩利だ。

 

「ファンが多いですからね……。あの人は……」

 

 ㅤ蠱惑的な小悪魔スマイルを思い出してしまい、思わず達也は頭を振る。「本当の性格」を知っている彼にしてみれば、あの表情は厄介事を呼び寄せる予兆だ。ㅤ何か面倒な事が起こらなければ良いが……。彼は切にそう願う。けれども、残念なことに彼の予感は当たってしまうことになる。

 

 ㅤ第一高校生徒会会長、七草真由美は凛々しい佇まいで演説をしている。その清廉な雰囲気の前には、どんな反論も跳ね返されてしまうだろう。

 

「――人の心を力尽くで変えることは出来ないし、してはならない以上、それ以外のことで、出来る限りの改善策に取り組んでいくつもりです」

 

 ㅤ力強く言い切る真由美の言葉によって、万雷の拍手が起こる。紛れもなく、会場の空気は一色に染まっていた。

 ㅤしかし、一礼した彼女がマイクの前から去ろうとした時、異変は起こった。一人の一年生が急に壇上に現れ、横からマイクを奪い取ったのである。

 

「諸君! 論点をずらした姑息な話術に騙されるな!」

 

 ㅤ開口一番、彼はこう叫ぶ。それによって拍手は途切れ、妙な静寂だけがこの場所を包む。会場内の誰もが呆けた顔で、少年を見つめることしか出来なかった。ㅤ達也もそのうちの一人だったが、彼の心を占めるのは動揺ではなく意外感だった。というのも、彼はこの少年についての情報を、この場にいる誰よりもよく知っていたからだ。

 

 ㅤ少年の名は、津久葉夜久。彼は、冷凍保存されていた四葉真夜の卵子を基にして生まれた。正真正銘、現当主の息子である。ㅤ苗字が分家のものなのは、彼は生後すぐに津久葉家に預けられた為。その理由は簡単で、彼の固有魔法が母親の「流星群」ではなく、母の姉が持っていた「精神構造干渉」であったからだ。ㅤ望まれて生まれた子ではあったが、愛されはしなかった。それが、夜久という少年だった。

 ㅤ達也にとっては従兄弟に当たる彼が、自分と同じ学校に入学していることは元から聞かされていたし、校内で偶に姿を見かけることも勿論あった。だが、彼がいつも行動を共にしているのは、入学してすぐに達也達二科生に因縁を付けてきた、あの森崎駿のグループ。それが意味するところは、津久葉夜久は「普通」の一科生だということ。

 

「そもそも、差別の始まりは当人らの意識などではない! 単なる制服の発注ミスであり、それを隠蔽する為に、差別を黙認しているに過ぎない。普通ならば、生徒会はすぐにでも学校側に抗議し、各二科生の刺繍代を負担する予算案を審議すべきなのだ。それが出来ないというのなら、独立組織というのも名ばかりで、彼らは単なる職員室の走狗と言わざるを得ないだろう!」

 

 ㅤしかし、彼はこうして「同盟」側を擁護するような演説を行なっている。その辺りが、達也には腑に落ちなかった。

 

「環境が差別を作る。勿論、予算の不平等、一科生を優遇する項目が書かれた生徒会則……それらも、原因の一部ではある。けれども、我々は原点に立ち返るべきなのだ。考えてみたまえ! 何故、『花冠』と『雑草』という言葉が校内に蔓延ったのかを!」

 

 ㅤ夜久の言動は勢いだけの部分もあり、事前に草稿を練っていたに違いない真由美のものとは違い、言葉の端々に粗さが目立っている。だが、その粗雑さが人々の心を動かし掛けているのも、事実ではあった。

 

「――それは、『平等に花が咲かない』からなのだ! ……そこを無視して、問題は解決しない。私立ではなく国策の学校である以上、教育の機会は誰もが得る筈のものなのだから。十師族であれ、第一世代であれ、魔法の才のある若者を優秀な魔法師に育てる……。それなのに、第一高校では入学前から『補欠』の烙印を生徒に押し付ける。つまり、本学のアドミッションポリシーは間違いなく不履行! 一科にしろ、二科にしろ、生徒が悪いのでは決して無い。傲慢さを隠そうともしない、このシステムが変わらない限り、確実にこの国の魔法教育は衰退する!」

 

 ㅤ懸命に声を枯らす夜久の姿を見ながら考え込んでいた達也は、ようやく合点がいった。

 ㅤ彼は本心から魔法師社会を憂いているのではない。単なる逆張りだ。きっと、このように騒ぎを起こす事で母親の関心を引きたいのだろう。ㅤ硬直状態から立ち直った風紀委員達に、夜久が引き摺られて行く様子が、達也の居る場所からよく見えた。それを無表情で眺めながら、彼の短絡的な行動の空回り加減を達也は嗤った。けれども、同時に背反する感想も浮かぶ。

 ㅤそれは、感情のままに行動出来るというのは、どれ程幸せなことか本人は知らないだろう……ということだった。

 

 

 

 

 

 

 ㅤ数日後、夜久は四葉本家に呼び出されていた。理由は言うまでもなく、先日彼が第一高校で起こした騒ぎについてである。

 

「貴方にも困ったものだわ……。冬歌さんには、ちゃんと釘を刺したはずなのだけれど」

「魔法絡みの騒ぎは二度とやめてくれ、でしたから。今回はそうではありません」

 

 ㅤ夜久は朗らかな表情のままで、皿に盛られたアーモンドクッキーを摘む。しかし、アーモンドの欠片が刺さったのか、すぐに顔をしかめた。

 

「それに、相手は七草ですよ。特に問題は無いでしょう。他の二十八家に喧嘩を売るならともかく」

「……貴方ね、退学処分になったのよ? もう少し、己の行動を省みようという気持ちにはならないかしら」

「ずるいですよね、アレ。相手が七草だったから、追い出されちゃったんですよ。もしも、おれが四葉を名乗っていたら、なあなあで済まされたに違いありません」

 

 ㅤ認知しないことに対する当てつけなのか、と真夜は思った。怒りで眉が僅かに動こうとするのを押し留めて、何とか猫撫で声を作る。

 

「……それは仕方ないことなのよ? 貴方を守る為にしていることなんだから」

「へぇ。それはどうも」

 

 ㅤそれに対し、彼は生返事を返すのみだった。何故ならば、紅茶に入れたレモンスライスの果肉を、ティースプーンでほじくるのに夢中だったからである。

 

「……それで? 次はどこに通う気なのかしら? 私としては、もう家に籠っておいてくれた方がずっとマシなのだけれど」

「まだ決めてないですね。まぁ、一応学校には行きますよ」

「何処でも良いけど、貴方の為に使用人や家は用意しないわよ」

「別にどうぞ。寝床は自分で探します」

 

 ㅤ親子とは思えない冷え切った会話が、ただ続く。

 

「――次こそは、まともに通ってくれることを願うわ。問題ばかり起こされて、こっちもたまったものじゃないんだから」

「起こしたくて起こしてる訳じゃないですからね。おれの周りが悪いんじゃないですか?」

 

 ㅤ悪びれた様子も無く、夜久はヒラヒラと手を振って部屋を出て行った。控えていた葉山がそっと扉を閉じると、真夜は大きな溜息をついた。

 

「……こんなのばかりで、やってられないわ」

「そうは仰いますが。叱られたとしても夜久様は、息子の立場で奥様にお会いできることが嬉しくて堪らないのでしょう。微笑ましいではありませんか」

「あの子を息子だと思ったことは一度も無いわ」

 

 ㅤ冷たい声で真夜は、葉山の言葉を払い落とす。

 

「子供が出来れば、幸せになれると思ったのだけど。そんなことは無かったわね。ただただ、苛つくだけ」

「せめて、『流星群』を引き継いで頂ければ良かったのですがね……」

「姉さんと同じ魔法を持って生まれたら、それはもう姉さんの子供だわ。結局、私は自分の子供を産めなかった……」

 

 ㅤ爪のささくれをめくりながら、真夜は本音を零す。それは身勝手な言い分だったが、魔法師の価値観としてはそこまでおかしいものでも無かった。

 ㅤ魔法の特質は次の世代に遺伝する。そうでなければ、調整体魔法師などは簡単に開発できない。真夜の子供であれば、物質の構造に干渉する魔法を持っていてもおかしくはない。けれども、夜久はその期待には応えられなかったのだ。

 

 ㅤ四葉深夜が司波達也を愛せなかったように。

 ㅤ四葉真夜もまた、自身の息子を愛せなかった。

 

 

 

 

 

 

 ㅤ啖呵を切って出てきたものの、おれは途方に暮れていた。お母様や分家の後ろ盾なく、転校するというのは困難なことだ。二高や三高どころか、地方の魔法科高校へ手続きしたところで、七草家が妨害してくるに違いなかった。葉山さんの話でも「あちらの御当主は、相当に御立腹なそうです」らしいので、容赦はしないということだろう。

 ㅤ転校しないにしても、本家に篭りたくはない。働き口を探す必要があった。CADは手元にあるので、裏界隈で「汚れ仕事」はできる気がするが……そうなると、お母様が黒羽辺りを動かして、その業者ごと潰してしまうだろう。おれのことを見てくれないお母様は、おれの魔法だけはよく見ている。第四研の魔法の中でもトップクラスの価値を誇る「精神構造干渉」は、四葉家にとって何が何でも隠さなくてはならないものの筈だ。

 ㅤそんな時、ポケットに入れた端末が震えた。送ってくる人なんていないと思っていたが、一体誰からだろうか。

 

「森崎から?」

 

 ㅤ意外な人物に、おれは目を見開く。確かに、彼とは友人だった。しかし、特別仲が良かった訳ではない。ㅤ入学直後の騒ぎや、美人の司波深雪に忖度するクラスメイト達などのおかげで、「魔法至上主義な上、二科生に見下した態度を一貫して取り続ける奴」はA組内では少し浮いた存在だった。そのため、何となく一緒にいただけである。俺もどちらかといえば、「魔法が使えない奴は気の毒」という思想だから、森崎には少し同情していたが。

 ㅤ彼からのメッセージは、「今から会えないか?」という簡潔なもの。そして、添付データとして地図が付いている。ここに集まろうということか。押してみると、第一高校前のファーストフード店だった。メニューはどれもリーズナブルな値段で、学生がよく利用している。

 ㅤおれは「今山梨だから、ちょっと待って」と送り返した。ここから東京まで、だいたい一時間程度。それまで待っているとは思えないが、一応戻ることにした。どちらにせよ、今の家からは引き上げないといけない。荷造りをする必要もあった。

 

「――どんな頭していたら、退学処分受けた日に山梨に行くんだ。どうかしてるだろ」

 

 ㅤてっきり帰ると思っていたが、まだ森崎は店にいた。メッセージを送った時間から、二時間が経過しているにも関わらず。というのも、リニア特急代が勿体無いので、ちまちま乗り換えてキャビネットで帰ったのだ。そのために、普通よりも時間がかかっている。

 

「コーヒー一杯で粘ったせいで、店員がさっきから何度も僕の背後を歩いてたんだぞ」

「悪い悪い、現実逃避も兼ねてね」

 

 ㅤ魔法師にとって、魔法科高校を出る以外の選択肢はほぼ無いに等しい。せいぜい、古式系の道場くらいだ。つまり、人生ドロップアウト確定である。

 

「本当のところは、そこまで気にしてないけど。おれは別に習わなくても、魔法は使えるし。得意だから」

「……お前は、すごいよな」

「なんだよ、急に」

 

 ㅤ森崎は、ぽつりと呟いた。おれは内心首を傾げつつ、彼に言葉の先を促した。

 

「お前は、魔法師社会の現状をシンプルに述べただけだ。差別は、存在していると。なのに、退学処分って……悔しいだろ」

「まぁ、討論会の邪魔はやっぱ良くなかったんじゃないの。七草家、めちゃくちゃ怒ってるし。日頃の行いもまぁ良いとは言えなかったしな」

 

 ㅤそう言って、コーラをストローで勢いよく吸う。疲れた体に人工的な甘みが沁みる。

 

「それでも、僕はなんだか悔しい。僕よりも実技成績の良い奴が、こんな風に学校を去るなんて」

 

 ㅤだから、ウチに来ないか。森崎はそう続けた。

 

「それ、大丈夫なのかよ。お前ん家、百家傍流だろう。七草から文句言われたりしないか?」

「逆にそのレベルの家のことを、十師族は歯牙にも掛けないだろうよ。それに、おそらくだが……。ほとぼりが冷めたら、どこの家でもお前を拾うと思う。ナンバーズお抱えにするなら、魔法科高校を出てなくても問題はないだろうからな」

「……は? どういうことだ? 七草家に喧嘩を売った奴をわざわざ呼び寄せるって、どこかおかしくないか?」

 

 ㅤ森崎は一体どういう推理をして、そんな結論に至ったのだろうか。これでは、ポンコツ探偵も良いところだ。ㅤ

 

「簡単だよ。――才能があるからだ。僕が、お前を待っていたのだってそうだ」

「才能……。おれの、その才能だかのために、2時間も待っていたのか?」

「あぁ。……僕は信じたいんだ。お前が、また表舞台を歩ける可能性を。それは、魔法師の才能至上主義を裏付けることだ――津久葉! 頼む、僕のところに来てくれ!」

 

 ㅤ森崎はテーブルに擦り付くくらい、頭を思い切り下げた。勢いがよかったため、ゴツッと鈍い音もしている。プライドの高い彼がここまで、ここまでやるのか。

 

「……わかったよ」

 

 ㅤお母様もいきなり、森崎家を潰すことはしない筈だ。裏側の人間と違い、表側に生きる人間達をいきなり踏み潰すのは不自然なこと。しばらく、身を潜めるにはちょうど良い。

 ㅤでも――とおれは、心の中で思う。おれには才能よりも欲しいものがあるというのに、多くの人々は「才能」こそが喉から手が出るほどに欲しいものなのだ。なんという皮肉だろう!



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第2話

 ㅤ森崎は格好良く、おれを呼び寄せた訳だが。ㅤ彼の家の力では、再び学校にねじ込むことは流石に不可能だった。復帰なり転校なりするにしても、七草家を上手く宥めつつ、あちらにそれなりの対価を渡す必要がある。ボディガード業を本業としている家に、そこまでの交渉スキルがあるとは思えなかった。

 

「親に相談くらいはしとけよな」

 

 ㅤおれの言葉に、森崎は身を縮こませた。

 

「すまん……」

 

 ㅤなんと、あの日の出来事は森崎一人の暴走であった。ㅤ魔法師業界は狭い。だから、例の事件は、誰もが知るものである。子供が一高生である親ならば尚更。そこに、自分達の息子が「渦中の人物」を家へ連れ帰ってきたのだ。ひどく驚いた事だろう。

 

「それでも、置いてくれるっていうんだから。心広いよな、お前の親父さん」

「あぁ、自慢の親父だ」

「そうか」

 

 ㅤおれは父親を知らない。お母様の冷凍卵子に最も適合する精子を、とにかく国内外を問わずにかき集めたらしい。結果的に日本人だったので、おれの髪と瞳は黒いのだが。ㅤだから、父親を誇る息子というのはどこか「フィクション」のように感じられる。本当に存在するのか……という感想が先行して浮かんだ。

 

「ただ……親父が言うには、『頼まれた』のもあるらしいが」

「頼まれた? どこから?」

 

 ㅤお母様……は多分ないだろう。葉山さんがどこかの筋を通して、か? 微妙なところだ。下手なことをすると、四葉の秘密主義は崩れてしまうだろう。しかし、おれには四葉くらいしか関係の深いものはない。

 

「あぁ、一色家だ。……お前、どういう知り合いなんだ?」

「……一色、いっしき……? ――あっ!」

 

 ㅤ一色家といえば、師補十八家の一つ。一条家と同じく、北陸に地盤がある。そして、「神経への干渉」を主に研究している家だ。ㅤそんな家と関わりがあっただろうか、と考える。しばらくして、やっと「ある事」を思い出した。

 

「アイツか! 金髪ツインテ!」

 

 ㅤようやく思い出した。一色愛梨とは、一緒の私立小学校に通っていた。ツンと澄ました表情をよくしていたのを覚えている。

 ㅤその学校は、珍しく魔法因子を持つ子供を多く受け入れているところで、魔法科高校対策の魔法塾も兼ねた小中一貫校だ。おれは素行があまりにも悪かった為、中学には上がれなかったのだが。

 

「だが……そこまで関わりはなかったぞ?」

 

 ㅤ同じクラスになったことはあるので、もしかしたら何度か話したことはあったのかもしれない。こちらがそんな認識なのだから、向こうだって言わずもがな。親密な関係なわけが無い。なんなら、完全なる他人だ。

 

「じゃあ何で頼んでくるんだよ?」ㅤ

「わからん……」

 

 ㅤおれもその問いには、首を傾げるしかなかった。

 

 ㅤ次の日、その答えが分かった。というのも、一色愛梨が、わざわざ森崎の家まで足を運んできたからである。

 

「――お久しぶりね、夜久くん」

 

 ㅤ数年ぶりに見る彼女は、当たり前だが子供ではなかった。髪型こそ金髪ツインテールに変わりはなかったが、モデル然とした体型のために「可愛らしい」よりも先に「クール」という感想が浮かぶ。

 

「どうも。ま、座れよ」

「お前の家じゃないけどな――その。一色さんのお話を聞く限りでは、ちょっと直接手は出せないけれど……って感じですよね。でも、コイツに助ける価値、あります?」

 

 ㅤ森崎は「コイツ」のところで、おれを指さした。自分は助けたくせに、よくわからない奴である。ㅤ愛梨は目の前の紅茶をゆっくりと飲み、少し喉を潤わせた。そして、あっさりとこう言い放つ。

 

「だって――私たちの『神経攪乱』に近い魔法を持つ魔法師、マークしないわけないでしょう」

「……!?」

 

 ㅤ確かに、小学校時代の喧嘩でよく使っていた魔法があった。それは精神干渉魔法の一種であり、簡単な催眠で手足の感覚を弱める魔法だ。効果としては「神経攪乱」に似た状態になる。それを使うと、大柄な子供相手でも十分渡り合えた。弱い魔法だったから、CADなしでも十分使えるのだ。ㅤ魔法は堂々と使っていたので、見られていてもおかしくはなかったが。まさか、警戒までされていたとは。

 

「安心して。取って食う訳ではないわ。貴方の魔法は、私たちのそれとは違うことはわかっているもの」

 

 ㅤ緊迫した空気を和らげるように、愛梨は微笑みを浮かべる。

 

「そりゃあそうだ。同じな訳ないだろ。精神干渉魔法だぞ」

「精神干渉魔法!? お前、使えるのかよ!」

 

 ㅤギョッとした顔を浮かべる森崎。そういえば、まだ彼は知らなかったか。

 

「……魔法の詳細については、どうでもいいわ。ただ、似た魔法を持っている以上、あまり良くない生活をしてほしくないのよ」

 

 ㅤプロセスが異なっているものの、最終的な状態が似たようになる魔法同士を区別する――これを目で見て判断するのは、専門家でも中々難しい。ㅤもちろん、起動式を見比べれば一目瞭然だ。しかし、名家の殆どは自分達の魔法を公表しない。その為、特殊な魔法は一緒くたにされがちである。中途半端に知識のある人が勘違いをする……というのも良くある話だ。

 

「犯罪とかに使われてしまうと、とんだ風評被害ですからね」

「えぇ。だから、森崎家の動きは私達にとってもありがたかったの。――貴方の判断だったのでしょう? 先を見通す力があるのね」

「いやぁ……ははは。それほどでも」

 

 ㅤ頭を掻く森崎。実際には衝動的にやったことだというのに、良い感じに着地させようとしている。腑に落ちない。

 

「それに、ボディーガード業のお家ですものね。バカなことをしでかした、この男の性根を叩き直すのにも良いんじゃないかしら?」

「確かに……ウチの仕事をするのはアリかもしれませんね。こればっかりは、親父や伯父に聞かないとわからないところではありますが」

「その辺は、後で改めて打診させてもらうわ。多少の資金援助なども出来ると思うから」

 

 ㅤ勝手に話が進んでいく。おれはよく分からないまま、2人の会話を聞くことしかできない。

 

「しっかり頑張るのよ。貴方、もう後がないんだから」

 

 ㅤ愛梨はおれに叱咤激励をして、森崎の家を後にした。彼女がどういう立場でいる認識なのか、おれは気になってしまう。

ㅤそして、本当に森崎の家業の手伝いをすることになってしまったのだった。

 

 

 

 

 ㅤ愛梨は帰路に着くリニア特急の中で、一色家が独自に調査した夜久のデータを改めて読み直していた。ㅤ高校で「やらかした」夜久は、小学校時代の所業もとんでもなかった。とにかく我儘で、思い通りに進まないと気に食わない。周りの子供に喧嘩を売るわ、授業を妨害して走り回るわで、無茶苦茶だったのである。その中でも特に酷いのが、魔法の不正使用。当時の彼は、気に入らないことがあれば、すぐに魔法を使って不満を表出させていた。

 

(CAD無しであのレベルは優秀だったんだろうだけど……)

 

 ㅤ現代魔法というものは、CADを介して発動されるのが常だ。この「なんか腕に巻いてる機械」を使わない限り使えない、と非魔法師などであれば思い込んでいる。しかし、実際はそうではない。自力で世界の情報にアクセスし、書き換えることができれば、CADは必要ないのだ。とはいえ、魔法に慣れたA級魔法師でも、自力での発動は苦手とする人は多い。

 

「……彼は養子なのよね」

 

 ㅤデータには、夜久は津久葉家の「養子」とある。おそらく、元は一般家庭の出身。あの問題児っぷりだ。きっと、本当の親は彼を持て余したのだろう。それゆえ、魔法師家系に引き取られた。

 

(第一世代から生まれたにしては、奇跡のレベル。だからこそ、家柄コンプレックスなのでしょうね。魔法師の家に入ったって言っても、津久葉なんて家……大した家ではないでしょうし)

 

 ㅤ実力は、一条将輝にだって匹敵するレベルかもしれない。それに、第一高校の入試成績も実技一位で通過している。筆記試験を一つも回答しなかったせいで、総代を逃しているだけだ。

 ㅤ愛梨には、夜久の気持ちを慮ることは難しい。「一」の数字を冠している彼女は、誇り高くいるべき立場だ。それが自分と共にいるエクストラの少女を傷つけることだと分かっていても、自らの出自を心から愛している。

 

「それにしても……お父様は一体、何が目的なのかしら?」

 

 ㅤ夜久達には、自分がさも事情を知っているかのような態度を取ったが。実のところ、愛梨の持つ情報は少ない。「津久葉夜久を裏から援助する」と決めたのは、当主である彼女の父だ。

「事情を尋ねても、教えてはくれなかったし……」

 

 ㅤ少なくとも、何か関係がある。そもそも、「神経攪乱」に似た魔法だから云々というのも変だ。この魔法はインデックスには掲載していないものの、古い文献を漁れば情報は手に入る。そこまで神経質になるようなことではないはずなのに。ㅤ

 

「……隠し子、とか」

 

 ㅤ一色本家にいる子供は、3人。愛梨と弟が2人だ。子供は、皆ブロンドの髪をしている。当主夫人が日本に帰化した英系貴族だからだ。ㅤ夜久の髪は、濡羽のような黒。母の関係者だとは到底思えない。

 

「あり得ないことはないわ。それならば、お父様は自分の責任と感じるかもしれないわね……」

 

 ㅤ愛梨はそう結論づけた。推測が正しかったとしても、特に父親に対する怒りはない。父のことは尊敬しているし、自分達家族はみんな幸せだ。それだけで、いい。ㅤただ、彼女の心配は杞憂にすぎなかった。一色家当主は不貞を働いてなどいなかったし、夜久が愛梨達の兄や弟にあたるのではないかというのも全くの事実無根。

 ㅤしかし、ここにはもっとおぞましい事情があった。まだ、愛梨はそのことを知らない。

 

 

 



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第3話

 ㅤ森崎家の手伝いとして、ボディガードの仕事を手伝うことになり、おれはそれなりに楽しく過ごしていた。

 ㅤボディーガード業は、四葉の「ガーディアン」とは全く方向性が異なる。要人の身の安全を守るのが最優先なのは確かだが、加害者は確保して警察に引き渡さねばならない。殺してしまったら、やはりマズいのだ。それに、役所には事前に届出を出す必要もある。武器にしろ魔法にしろ、あんまり過剰な戦力は持ち得ない。だが、体を麻痺させる精神干渉魔法「感覚遮断」は、襲撃者を傷つけることなく無害化させることに最適なもの。そのため、おれは思ったよりもすんなりとコミュニティに馴染むことができた。

 

「――夜久くんは筋がいい! 隠しているCADをすぐ操作するの、なかなかコツがいるんだけどねぇ」ㅤ

 

 ㅤ森崎の叔父、隼平が明るい声で言う。多忙な当主に代わり、彼がボディガード業の総括をしているのだ。

 

「いやぁ、特化型はまだ全然上手く扱えなくて」

 

 ㅤおれはちゃんと謙遜する。愛梨が言ったことを素直に受け入れた訳ではないが、ここでやらかすと後がないのは分かっていた。

 

「――叔父さまもお世辞言うんじゃないわよ。下手くそじゃないの」

 

 ㅤ棘のある発言をしたのは、ひっつめ髪にナチュラルメイクの少女。パンツスーツに身を包んでいる。少女は、森崎あやめ。隼平の姪で、高校二年生。彼女も護衛の仕事をしている。

 

「駿くんもどうしちゃったのかしら。『退学処分者』をウチに連れてくるなんて」

 

 ㅤそして、どうもおれのことが気に入らないらしい。

 

「あやめ、やめないか。……駿は友達思いなだけだ」

「じゃあ、叔父さま達はどうなの? ただ一色家に頼まれて、断れなかっただけでしょう?」

「それは……」

 

 ㅤどれだけの金が動いたのかは詳細は知らない。だが、駿に聞いたところによると、かなりの額を援助してもらえることになったらしい。

 

「あんな子供の言い訳みたいな言い分、信じるつもり? 世間体を気にして、ウチに押し付けただけじゃない! どうせ……っ!」

 

 ㅤそこから先を、あやめが口にすることはなかった。隼平が、彼女の頬を打ったからだ。

 

「やめなさい」

「……いいわよ! もう知らない!」

 

 ㅤヒステリックな声で叫び、彼女はどこかへ走り去ってしまった。その場に残され、おれ達は佇むばかり。

 

「すまない……年頃で、神経質なところがあってね」

「いえ」

 

 ㅤおれとしては、特に文句などはない。関係があるのは四葉であって、一色ではないのだから。

ㅤしかし、おれを援助する理由は側から見れば奇妙なものなのか。全く気づかなかった。では、一色家はなぜそんなことを?

 

「クイック・ドロウも初心者の割に、よくできているよ。これから、もっと伸びるはずさ」

 

 ㅤそう言って、隼平はどこかへ行ってしまった。あやめの母に相談するつもりかもしれない。

 

「……ごめん」

 

 ㅤ振り向くと、そこには駿がいた。バツの悪そうな顔をしている。

 

「お前が謝ることじゃないだろ」

「ありがとう。だが、あやめ姉さん……最近様子がおかしいんだ」

「そうなのか? ――……ところで、魔法師じゃないよな?」

 

 ㅤ気になっていたのはそこだ。仕事の間も、魔法を行使しているようには見えなかった。特殊警棒こそ素早く取り出していたが、CADは使っていなかったのではないか。

 

「あぁ、伯母さんの連れ子で。姉さんだけ非魔法師だ。それに……」

 

 ㅤあんまり魔法師のことをよく思ってないんだ。ㅤそんな言葉を、彼は続けた。

 

「おいおい、大丈夫かよ。学校のときみたいな態度とってたらお前、家で揉めごとばかりになるだろう」

「僕が嫌なのは、才能もないのに僕達ブルームと肩を並べたような気持ちでいる奴だ」

「ふーん、なるほどな」

 

 ㅤ一応の線引きは、駿の中でもあるらしかった。

 

「護衛の仕事は、魔法だけじゃないとは思うが……やっぱり、気にしてるんだろうな」

 

 ㅤ彼の言葉に、おれも頷く。あやめのことはまだよく知らないが、気の毒だと思った。一族の中で孤独を感じ、生きていくなんて。おれの中にある虚しさとはまた違うだろうが、マイナスの感情を日々抱えているに違いない。

 ㅤ彼女のために、何かできないだろうか。おれは柄にもなく、そんなことを考えてしまった。

 

 

 

 

 

 ㅤあやめは自室で膝を抱え、先ほど吐いた言葉を反芻していた。自分は間違ってない、と思いたい。だけど、きっとそうではないのだ。苦しくてたまらなかった。

 

「うぅ……」

 

 ㅤどうしてこんなつらい思いをしなくてはならないんだろう?

 彼女は今まで、何度も何度も……このことを考え続けている。ㅤ母は魔法師だが、父は自分と同じ非魔法師であった。家族3人で暮らしていたときは、魔法力が無いことなんて気にならなかったのに。それが、父の事故死で全て変わってしまった。暮らしていく為に母は実家に戻った……魔法師ばかりの家に。

 

「私だって、魔法を使いたいよ……」

 

 ㅤ一人だけ、非魔法師。その事実は、あやめに疎外感を与えるのに十分だった。何とか森崎の家に馴染みたくて。志願して、護衛の仕事に混ぜて貰った。毎日体を鍛え、必死に皆に食らいついているつもりだ。前は運動なんてほぼしなかったというのに。ㅤけれども、気を遣われているのを肌で感じる。魔法を使えないから。

 

「それなのに……アイツはあっさり馴染んじゃって」

 

 ㅤ夜久の事情について、駿が家に連れ帰って来た時に聞いた。偉い魔法師の子供に喧嘩を売って、魔法科高校を退学させられたらしい。

 

 ㅤ――凄いやつなんだよ! コイツの魔法の才能が真っ当に評価されないなんて、僕は絶対に納得いかないんだ!

 

 ㅤ従兄弟が叔父達に説得を続けるのを、あやめはあの時ぼんやりと眺めていた。その「退学処分者」の素行の悪さからして、独断行動ばかりするなどで、きっとこの家でも浮くのだろうな……と容易に想像できたからだ。

 ㅤあれよあれよという間に、夜久は森崎家の護衛任務に携わることになる。クイック・ドロウをはじめとするCAD操作こそ不慣れだったが、魔法の発動スピードが速いのか、特に遅れを取ることはなかった。そのため、足を引っ張ることも大してなく、周りからもすぐプロの仕事仲間のような扱いを受け出した。

 

「……納得いかない。頑張っても、才能がないとどうしようもないなんて」

 

 ㅤそう呟いたとき、部屋の扉がノックされた。あやめはハッとして、立ち上がる。こんな弱々しい姿を人に見られたくなかった。

 

「……えっ」

 

 ㅤ扉の向こうにいたのは、夜久であった。嫉妬や気まずさ、色々な感情がないまぜになり、あやめは俯いた。

 

「入っていいっすか。その……ちょっと、おれなら悩みを解決できるんじゃないかなって思ってて」

 

 ㅤ軽く言い放たれたセリフ。彼女は屈辱にワナワナと震えた。

 

「なによ、ふざけてるの……」

「ふざけてない」

「その言い方がふざけてるって言ってんの! 貴方なら、本当に私の苦しみを無くせるの!? 魔法、使えるようにしてくれるの!? できないでしょ!」

 

 ㅤ悔しかった。ポッと出の新入りに、哀れまれていることが。

 

「……できる」

「……バカなこと言わないで」

 

 ㅤ縋りたくなるような嘘も、ついてほしくなかった。ポロポロとあやめの目から涙が溢れる。しかし、夜久は気にせずに話し始めた。

 

「本当にできると思うんだよ。魔法師と非魔法師の違いは、魔法演算領域の有無だけ。後天的に精神領域に埋め込めば、簡単に実現できる……」

「理論上の話とか、そういうのでしょ。どうでもいいわ」

「いや、成功例を一つ知っている」

 

 ㅤえっ、とあやめは目を見開く。

 

「詳しくは知らんが、普通に魔法科高校に通えているからな」

「もしかしたら……私でも?」

 

 ㅤ希望という名の光が、今の彼女を照らしていた。だから、夜久の言葉の真偽を確かめることや、「精神を弄る」とはどういうことなのか考えることもできなくなっていた。冷静さを奪われていた。

 

「わかんないけど、やってみる価値あるんじゃない? そういうことやってる研究所、ツテあるしな」

 

 ㅤあやめは知る由もないが、第四研のことである。夜久は、四葉深夜が昔行った「人造魔法師製造実験」を再現するつもりなのだ。ㅤもちろん、彼にしてみれば純粋な善意ではある。しかし、これは地獄への道だ。善悪の区別というものが、夜久には少しも分からないのだった。

 

「少し……考えさせて」

「いいよ。これはおれにもメリットがあるから、受けてくれると嬉しいけど」

「メリット?」

「手伝ってくれる人がいたら、研究が進むから……褒められるかも、って」

 

 ㅤ夜久は照れたようにはにかんだ。あやめはそれをみて、かわいらしい笑顔だと思った。

 

(なんだ、意外とかわいいところもあるのね……)

 

 ㅤあやめは微笑みを返した。闇に呑まれかけていることに、気づかないまま。魔法演算領域を植え付ける為には、精神領域のどこかにスペースを空けなければならない。人間らしさを生み出す器官の一部を潰す必要があるのだ。つまり、「感情」は失われてしまう。

ㅤ心と魔法……一体、どちらが大切なのだろうか。

 

 

 

 

 ㅤ司波深雪は、同じクラスだった間に夜久と話したことは一度も無かった。ㅤそれどころか、高校入学までの間ですらほぼ会ったことはない。四葉の使用人達が、徹底して彼と出会わないように手を尽くしていたからである。夜久は「何をしでかすか分からない危険人物」であり、深雪に対しても危害を及ぼすかもしれないと彼らは警戒していたのだ。

ㅤしかしながら、深雪自身は夜久に対してそこまで悪印象を抱いていない。それは、ある時に彼と交わした会話が理由だった。

 

「――お母様にそっくりだ」

 

 ㅤ本家に滞在していた際のこと。村の周辺を深雪は少し散歩していた。兄の顔を見たくなかったのだ。部屋に居れば、嫌にも目にすることになるから。ㅤ行く当てもなく、ぶらぶらと歩き続ける。すると、不意にそんな風に声を掛けられたのだ。

 

「貴方は……」

 

 ㅤ濡羽のように黒い髪。深淵よりも昏い瞳。それらを持つ少年。美しい見た目なのに、どこか悲しげで消えてしまいそう。何故か、深雪の心もギュッと締め付けられた。

 

「ねぇ、お母様にそっくりだね」

 

 ㅤ目の前の少年は、深雪の戸惑いは意にも介さず、同じ内容の言葉を繰り返すばかり――しばらく考えて、彼女はようやく少年の正体に気づく。

 ㅤ深雪の叔母――真夜の息子の、夜久。分家である津久葉に預けられている筈だが、今は本家にいるようだ。確か、小学校で問題を起こし過ぎて、中学は通信にせざるを得なかった……という話ではなかったか。それもあって、今は第四研で研究の手伝いをさせられているという話も聞いた覚えがある。

 

「お母様って……もしかして、叔母様のことかしら」

 

 ㅤそう言ってから、彼女は不思議に思う。ㅤ叔母と自分の母は双子だから似ている、というかそっくりだ。しかし、深雪は深夜にそこまで似ていない。「雰囲気がそっくり」とは良く言われるが、裏を返せば「顔は似ていない」ということ。つまり、深雪が四葉真夜に似ているはずがなかった。

 

「うん。同じくらい、辛そうなんだもん」

 

 ㅤ少年――夜久は、深雪の頬にそっと触れる。

 ㅤあたたかい……と彼女は思う。不躾な行為だというのに、不思議と嫌ではなかった。

 

「辛そう……かしら?」

「お母様がおれに会いたくない時と同じ匂いがする。君も、誰かに会いたくないんだね」

 

 ㅤ匂いという形容は、四葉ではよく使われるものだ。精神干渉魔法に非常に高い適性のある魔法師は、精神の微妙な動きを五感で感じ取ることができる。

 ㅤだが、感情まで嗅ぎ取ることは難しい。精神干渉魔法への、夜久の高い才をそれは示していた。

 

「わたし、実は……」

 

 ㅤつい、深雪は自分の気持ちを吐き出す。

 ㅤ兄が怖いのだと。母の言いつけを守って、使用人として扱う自分のことを、兄は軽蔑してはいないだろうか。もし、そうだとしたら……。

 

「すべて見透かされてるように感じるの。わたしの嫌なところ……気づいていたら、どうしよう?」

 

 ㅤ達也の目が、怖い。あの目で見られると、「司波深雪」の全てが知られてしまうのではないか……そんな恐怖ばかりが募る。

 

「いいなぁ。こんなに好きだから、会いたくないなんて」

 

 ㅤ思いがけない言葉に、深雪は混乱する。ㅤ好き……って、言葉通りの好きだということなのか。そんなことない、自分は自分の身が可愛いだけなのだ、違うのだ、と主張する。嫌な人間に思われたくないだけだ。

 

「ふーん。……いつか、分かるよ」

 

 ㅤ意味深なセリフと共に、夜久はどこかに行ってしまった。あっ……と思い、追いかけようとする。しかし、頭に靄がかかったようになり、上手く前に進めない。何か魔法を掛けられたのだ。

ㅤ深雪は呆然としたまま、しばらくそこに突っ立っていた。

 

 ㅤ数年後、第一高校にて。

ㅤ座学の時間、深雪は前方のぽつんと空いた座席を見る。そこは、夜久が使っていた席だった。

 

(――結局、貴方のいう通りだったわね)

 

 ㅤ深雪はテキストを解く手を止め、あの日のことを思い返す。彼の言葉通り、本当に兄について分かる時が来た。

 ㅤ沖縄での数日間は、兄妹の関係を大きく変える出来事だった。達也の抱える秘密。達也から深雪への大きな愛。それは、彼女を素直にさせるのに十分だった。

 

(変われた、わたしのように。叔母様は……いつか、彼を見てくれるのかしら)

 

 ㅤ達也と嬉しそうに歩く自分の姿は、きっと夜久も目にしていたことだろう。もしかしたら、そこに彼自身と母親を重ねていたかもしれない。今になってそれを想像し、彼女は心を痛めた。

 ㅤ彼の感情が希薄だったら、苦しむことはなかっただろうか。だが、感情が上手く働かないことだって悲しいことだ……深雪は兄を見て、いつもそう思う。だが、夜久のように感受性が強すぎるのも、きっとつらいことの筈。世の中のほんの些細なことが、彼を傷つける棘になる。

 

(あの時……そして、今も。わたしは、どうしたらよかったの?)

 

 ㅤ四葉家の次期当主に最も近いとはいえ、今の深雪には何の力もない。また、達也の神の如き力も、夜久を助けることはできない――深雪はそっとため息をつき、再びテキストに目を落とした。

 



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第4話

 ㅤ呑気な夜久をよそに、彼が引っ掻き回した第一高校内は少しずつ様相が変わり始めていた。

 ㅤ討論会の一件は、ニュースで取り上げられ、今や魔法師業界以外も知るところとなっていた。生徒の誰かが、タレコミでもしたのだろう。

ㅤただ、夜久のことについては伏せられており、「エガリテ」のメンバーが矛盾を突いたというストーリーで進んでいた。これについては、「未成年情報の保護」に基づいた処置だが、少しは四葉家も手を回している。

 

 ㅤ七草真由美の演説は横槍を入れられてしまった訳だが、内容に関して言うと彼女に瑕疵があったということはない。草案がもとより決まっており、それを読むほかなかったのだから。それどころか、出来るだけ生徒たちに寄り添ったものに近づけた――本人的には。

 

 ㅤそれなのに、「七草家がワッペン変更に圧力を掛けていた」という謎の陰謀論が世間を駆け巡った。訳知り顔の反魔法系コメンテーターが、自身の持つ番組等で吹聴したからである。そのために反差別運動は激化していた。一高内でも現生徒会役員や風紀委員の解任を求め、署名運動が行われていた。

 ㅤしかし、活動の高まりの割には、暴力的な事案というのは鳴りを潜めていた。一科生でも退学処分になるのだ、あんまり派手なことをやるとマズイと分かったのだろう。実際、夜久に感化されてか特別閲覧室に侵入した二科生は、同じように退学させられていた。

 

「あーーーー! もうやってられない……私、スケープゴートにされただけじゃない〜!」

 

 ㅤ第一高校、生徒会室。そこでは、真由美が頭を抱えて、うだうだと泣き言を言っていた。

 

「会長を侮辱する奴らは許せません! アイツら……!」

 

 ㅤ真由美の様子を見て、服部がいきり立つ。しかし、彼の肩を誰かがぽんと叩く。

 

「落ち着け、服部。……皆の怒りが尤もだということは忘れちゃいけない」

 

 ㅤ服部の肩を叩いたのは、摩利であった。ㅤ真由美の親友である彼女だから、もちろん今の状況を良しとしている訳ではない。だが、二科生達の気持ちも無視は出来ないと思っていた。

 ㅤ差別に対して「くだらない」と日々感じていた摩利は、ワッペンの真実に酷くショックを受けたのだ。この事実を知っていたという真由美に「なんとかできなかったのか」と問い詰めもした。

 

「しかし……」

「摩利の言う通りよ。はんぞーくん」

 

 ㅤ反論しようとする服部を真由美は止める。

 

「私も結局、『差別する側』だったのよ。だって、今考えれば……もっとできることはあった」

 

 ㅤ真由美の心は、後悔の念で埋め尽くされていた。その場しのぎの対応で、なんとか乗り越えようとした「ツケ」が今回ってきたのだから。

 

「会長……」

「――ですが、このまま『エガリテ』の要求を飲む訳にはいきませんよ。会長が退任してしまえば、魔法教育を推進する筈の魔法科高校で、反魔法主義者が大手を振って活動しているのを黙認することになります」

 

 ㅤ暗い雰囲気になったところで、達也の冷静な声が割り込んだ。

 

「確かにその通りです。先日も、深夜に特別閲覧室へ生徒が侵入したという事件がありましたし。しかも、記録キューブを手にして。流出目的でしょう」

 

 ㅤ達也の言葉に重ねて、鈴音がそう言った。

 

「閲覧室のデータって……流出すると大変なことになるものなんですか?」

 

 ㅤあずさが、そっと首を傾げる。小柄な彼女のその小動物のような動作に、場の空気が少し和む。ㅤ鈴音も薄く笑みを浮かべて、あずさの問いに答えた。

 

「魔法大の原則非公開の文献ですし、出回ると結構面倒なことになると思います。けれど、許可さえあれば、誰でもアクセスできるデータでもありますから。ただ……2年の応用魔法学で5、あるいは3年で4以上の成績でないと申請書が出せないのです」

 

 ㅤああ、と皆が納得する。基本、理論と実技の成績は比例する。実技ができないのに理論が取れるというのは、かなり珍しいことなのだ。結果として、資料室のデータは「一科生しか見れないもの」となってしまっていた。

 

「定員が一学年100人の時代なら、それも良かったのかもしれませんが。無理に2倍に増やしたために、あちこちで問題が出てきているんですね」

「そうなのよね……」

「お兄様……」

 

 ㅤ深雪が悲しそうな顔をする。達也が、あまりにもあっさりと「二科生の増員は失策だ」という旨を述べたからだ。

 

「そんな顔するな、深雪。定員が増えていたから、お前と同じ学校に通えているんだ。別に悪いことだけでもないさ」

「……私だって、全てがいけなかったとは思いたくないの。そうじゃなかったら、私達は……達也くんに出会えなかったんだから」

「それに、服部の伸びた鼻がへし折られることも無かっただろうな」

「ちょっと、渡辺先輩!」

 

 ㅤ摩利の言ったことに動揺する服部。そのあと、彼は気まずそうな顔で達也を見た。

 

「……あれは、自分の態度を見直す良い機会になった」

 

 ㅤしおらしい態度の服部に、女性陣は温かい目を向ける。

 

「こんな風に。少しずつ、皆の意識を変えていかなくちゃいけないわね。――みんな! 大変だけど、これから頑張っていきましょ!」

 

 ㅤつとめて明るい声で、真由美はそう告げた。空元気が混じっているのは、誰の目から見ても明らか。ㅤだが、これからも何とか生徒会を存続させねばならないのだ。彼女にとって、ここが踏ん張りどころであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ㅤあやめに話を持ちかけて、しばらく経った日のこと。彼女はちゃんと答えを出したようで、「魔法師になりたい」と伝えてきた。ㅤおれが断るはずもなく、研究所の人間に連絡して第四研へと運んでもらった。とはいえ、すぐ「精神構造干渉」を掛ける訳にはいかない。さまざまな検査が必要なので、報告が来るまでしばらく待たなければならなかった。

 ㅤ翌日、急に秘匿回線を通して端末に電話がかかってきた。思ったより早い。ゴーサインかと思い、わくわくして取る。

 

「ご無沙汰しております、夜久様」

 

 ㅤ電話をかけてきたのは、使用人序列3位の紅林であった。彼は調整施設の総括をしている人間で、技術部門総責任者でもある。

 

「どうしたの、何かあった」

「夜久様の持ち込んだ実験体ですが……洗脳の跡が見られました。使用された魔法は『邪眼』。ただ、手品タイプですね」

 

 ㅤマインドコントロールに使われる「邪眼」には、二種類存在する。光波振動系魔法と精神干渉魔法の二つだ。ㅤ手品タイプと呼ばれるのは、前者。催眠術の一種で、光信号を人の知覚速度の限界を超えるスピードで点滅させ、相手の網膜へ投射する。そこに指向性を持たせた指示を送り込むことで、思考パターンを刷り込む。理屈としては、サブリミナル効果に近い。

 

「へぇ、それは知らなかった。何を指示されていた?」

「電子金蚕がセットされた機械を自宅のCAD調整機に繋げるよう指示されていたようですね」

「指示って……誰に?」

「ブランシュの人間です。実験体が吐いた名前を調べたところ、データベースにヒットしました」

「……ちょっと見てくる」

 

 ㅤ電子金蚕というのは、SB魔法の一種である。電気信号に干渉して、機器を狂わせるのだ。調整機に繋いでいたのであれば、それで調整したCADは不具合を抱えてしまうことになる。

 ㅤ慌てて、調整機が置いてある部屋へと向かう。裏を覗くと、明らか怪しい小さな黒い箱が置かれていた。線から引き抜き、ポケットに入れる。

 

「――調整機にきちんとつながっていなかった。これは運が良かったな」

「一応今のCADは使わないようにしてください。FLTに来て頂ければ、替えを用意しますので」

 

 ㅤFLTの本社まで足を運ぶのは面倒だが、仕方がない。折角なので、新しい機種を貰おうか。

 

「話が逸れてしまいましたね。それで、とりあえずは実験をストップして、ブランシュにスパイとして投入し続けようと思うのですが。このまま、反差別運動が魔法師排斥運動にシフトしていくと厄介だという話は、四葉家内でも議題に上がっていますので」

「えっ。人工魔法演算領域を植え付けてからでもいいだろう。四葉関連のことについては、話せないように強いマインドコントロールを掛け直せば良い」

「いえ、その点ではなく。別の問題です。いきなり魔法が使えるようになることは、あまりにも不自然なことでしょう」

 

 ㅤ確かに紅林の言う通りだ。非魔法師が魔法師になるなんて事例、彼らが食いつかない訳ないのだから。ㅤそもそも成功するかも定かではありません、とも彼は続けた。そこに関しては、認識に食い違いがないこともない。おれは成功すると確信している。

 

「……そのブランシュの潜入の件なんだが。おれじゃダメか?」

「夜久様が?」

「おれは例の件で、反魔法師団体にも顔が売れている。話を持ちかければ、すぐに入れてくれると思う。内側から工作するにはもってこいだ」

 

 ㅤ世話になっている森崎家にどう言うかが問題だが、その辺りは考えている。あやめに「魔法師が憎い。自分が信じる活動をしたい」といったようなメッセージを実家に送らせるのだ。

ㅤ身内から反魔法主義者が出るなんて、とんでもないスキャンダル。なんとかしなくてはならない。そこで、おれが名乗りを上げれば良いだけ。

 

「まぁ……駄目な訳ではないと思いますが」

「どうせ、黒羽に回す筈の仕事だろ。おれがやってもいい。花菱さんに言っておいてくれ」

 

 ㅤ人造魔法師実験も反魔法団体の対処も結果を出したい。

 ㅤお母様を喜ばせたい。頭のどこかで無理とわかっていても、「えらいね」と言って欲しかった。だから、頑張り続けなくてはならないのだ。

 

「……承知いたしました」

 

 ㅤ思うことは多くあっただろうが、彼はおれの言うことを呑んだ。こちらの思う通りに話が進んで、ありがたい。

ㅤ実は、このことに首を突っ込む理由は他にもあった。それは、少し前に遡る。

 

 

「退学させられた所に、再び足を運ぶとは思わなかったな。……それで、深雪ちゃんだけ? 兄貴は?」

 

 ㅤ第一高校のカフェテリアで、おれはある人物と向き合っていた。それは、意外な人物でもあった。

 

「私一人よ。お兄様は今、図書室の奥に篭っているらしいの。少しの間なら、バレないはず」

 

 ㅤそう、司波深雪である。なぜか、彼女に「会えないか」とメッセージで呼ばれたのだ。大して話したこともないのに。気になったので、誘いに乗ることにしたのだ。

 

「その前に別の誰かにバレそうだが」

 

 ㅤもちろん、これは冗談に過ぎない。精神干渉魔法「記憶固定」によって、リアルタイムで目撃者の記憶を改竄している。「司波深雪と津久葉夜久がいる」という具体的な情報を、「女子生徒と男子生徒がいる」という抽象的なものとして認識させるのだ。ㅤ残ってしまう魔法の使用記録は、あとで深雪が生徒会のコンピュータ経由で消去してくれるという。本来、監視システムの介入コードは一生徒が知り得るものではない。けれども、データ管理担当の講師に尋ねると、あっさり教えてくれたのだそう。大方、深雪の美人ぶりにコロリといったのだろう。

 

「そんなに時間があるわけではないから、本題に入りましょう。――夜久さん、貴方は魔法を上手く使える人の方が偉いって……思うかしら?」

 

 ㅤわざわざ呼び出してそれか、と言いたくなった。しかし、彼女の表情は真剣なもの。どこか気迫を感じさせる。適当な返事をすれば、怒ってしまうに違いない。少し考えて、ちゃんと答えを返す。

 

「一般社会ではどうか知らないが。少なくとも、魔法師界隈ではその通りだろうさ」

「そうね……私も貴方も魔法をちゃんと使えるから、四葉でそこそこの立場にいる。それを忘れたことは無いわ」

 

 ㅤ次期当主候補の深雪は言わずもがな。我儘放題のおれであっても、四葉を放逐されたりはしていない。いざという時に達也を止められる存在は貴重なのだ。他にも当てがいない訳ではないが、数が多いに越したことはない。価値があるから、四葉の一族でいられるのだ。

「だからこそ、お兄様の力を多くの人が理解してくれないことに対して不満があるけれど」

「その話題はやめておこう」

 

 ㅤおれが「誓約」で、達也の分解のレベルを制御しているのだ。どんなコメントも、自分が言うべきことではないと思っていた。

ㅤちなみに、おれが素直に「誓約」を兄妹に掛けてやったのは、分家への切り札になるからだ。たまに「解除するぞ」と脅して、溜飲を下げている。黒羽や新発田などの当主らの顔色が一気に真っ青になるのは、いつ見ても面白い。

 

「そうね。――それで、ここ最近の校内の動きには……戸惑っているのよ」ㅤ

「え?『魔法の才能に関してとやかく言うこと』がタブー化すれば、少なくとも兄貴が校内で見下されることは無くなるぞ?」

「そうじゃないわ。そういうことじゃ、ないの」

 

 ㅤ深雪は何か複雑な思いを抱えているようだった。

 

「こうなってみて、ようやく分かったの。私はお兄様の才能を、皆に認めてもらいたいだけで……魔法力の優劣で評価されない世界が来て欲しい訳じゃないってことを」

 

 ㅤ随分と自分勝手な話ではあるが、その気持ちはなんとなく分かる気はした。

 ㅤ駿も常日頃から、似たようなことを言っているのだから。自分の力を評価してくれる場所を失いたくない、自分が優れた存在であることを実感していたい――醜くも、人間らしい感情だ。深雪はそれが、兄のことに偏っているだけで。

 

「ふーん。で、どうしたいの?」

「エガリテを止めたいわ。でも、どうしたらいいか分からないの」

「反魔法主義者は、生徒会役員や風紀委員を警戒しているんだろう? 放っておいても、深雪ちゃんの兄貴ならやるんじゃないか?」

「お兄様は、『エガリテ』の活動について特に気にしていないみたいなのよ」

 

 ㅤ深雪の安全を一番に考える筈の達也が動かない理由はちゃんとあった。エガリテ及びブランシュは、主戦場を魔法科高校から別の場所に移しているからだ。

 

「なるほど。今の世論は、反魔法主義者らを後押ししてるからな」

 

 ㅤ何も知らない非魔法師が勝手に叩いてくれるのだ……ブランシュがわざわざ動くことはない。それなら、達也としても変に藪をつついて蛇を出すようなことはしないだろう。

 

「分かった。手伝うよ」

「……まさか、本気でやるつもりなの? こんなの、性格が悪い子の愚痴に過ぎないのよ?」

 

 ㅤ自分で言い出したくせに、深雪は驚いた顔をする。おれは、彼女に優しく笑いかけた。

 

「鏡でも見てみろよ。『本気です』って顔を、一番している癖に」

 

 ㅤ今も昔も、彼女は兄のことが大好きなのだ。達也が活躍できる場面を作り出す為ならば、なんだってするだろう。戦争だって、起こすかもしれない。

 

「――それに、深雪ちゃんの性格が悪いことなんか前から知ってる。昔、教えてくれたじゃないか」

 

 



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第5話

 ㅤ精神構造干渉魔法の第一人者は、四葉深夜である。

 ㅤそして、伯母様の死後に同じ魔法を持つおれが、彼女の研究を受け継いだ。遺された膨大な研究レポート、そのすべてがおれにとって愛しいものであった。ㅤ精神を勝手に作り替えるという冒涜的な行為――だが、そこには純粋な知的欲求に基づいた美学があるのだ。

「……そうでもなければ、お母様が厭うこの魔法のことを受け入れられる訳がない」

 

 ㅤ自分の右手のひらを見つめ、おれはそう呟く。

 ㅤ四葉家の研究テーマを追い求めることは、母親のためではなく、もはや自分の生き甲斐になっていた。もちろん、研究が進むことによって、お母様が喜んでくれたら、それはそれでうれしいのだが。

 

「――研究というものは。本来は、楽しんでやるものなのかもしれないわね」

 

 ㅤそう伯母様が零した日のことをよく覚えている。

 ㅤ第四研で、一緒に研究所をしていた時期――中学生の頃、本家で謹慎をしていた時だ――があった。ㅤ暇をもてあましていた謹慎生活。退屈なのであれば、第四研で研究の手伝いをするのはどうだ、と紅林さんに勧められたのだ。おれのためというよりは、本家にやってくる同年代の子供たちのためだったと思う。放置しておいたら、彼らに絡みだすと使用人達は「本気で」心配していたのだ。

 ㅤただ、当時の叔母様は体調を崩しがちで、研究もあまり進んでいなかった。それもあり、おれに引き継ぎをさせておこうと思ってはいた筈だ。

 

「伯母様は楽しんでいる訳じゃないみたいだ。匂いで分かる」

「そうね、楽しいと思ったことは一度もないわ」

「じゃあ、どうして続けているの」

 

 ㅤおれが尋ねると、彼女は作業の手を止めた。

 

「……罪を重ねるためよ。もっと悪いことをすれば、『あの日』の罪が薄れるんじゃないかって」

「あの日?」

「えぇ」

 

 ㅤそして、伯母様は過去を語り出す。いつも同じように

 ㅤもうやめて、と叫び出したくなる。

 ㅤだって、それを聞いてしまったら……自分が悲劇の象徴だと思い知らされるのだ――

 

「――嫌な夢をみた」

 

 ㅤ間借りしている森崎家の客間で、おれは目を覚ます。

 ㅤ伯母様が生きていた頃の思い出がフラッシュバックする。今までに何度夢で繰り返しただろう。そして、その度に伯母様の口を閉ざすことが出来ずに飛び起きる。ㅤため息と共に気分の悪さを飲み込み、屋敷の食堂へ向かう。今日の朝食は、和食だろうか。

 

「おはよう」

「おはよう、駿」

 

 ㅤ駿は既にテーブルについていた。ㅤ端末で教科書を読んでいたようで、画面には魔法構造学の基本魔法式が映し出されていた。

 

「こんな朝から勉強か? 真面目だな」

「お前と違って、高校生は忙しいんだよ」

 

 ㅤ2人して大笑いする。すっかり「退学ジョーク」も鉄板になった。ㅤそうこうしているうちに、食堂には駿の親戚や森崎家に雇われている見習いボディガードなど、皆がどんどん姿を見せはじめる。ここは若者向けの食堂なので、だいたい同世代ばかりで気楽だ。

 

「おはようございます……あれ、あやめさんは?」

「姉さん」

 

 ㅤそんな時、駿の姉である速水はやみが食堂に現れた。彼女は魔法大の一年であり、たまに家の仕事を手伝っている。

 

「部屋に居なかったから。ここにいると思ったんだけど……」

「まだ、来てないですよね」

 

 ㅤおれはもちろん行方を知っているのだが。ㅤたぶん、第四研の部屋で眠らされていると思う。

 

「今までも家出はあったからなぁ。その類じゃないのか」

「そうかしらね」

 

 ㅤ駿の言葉に納得したのか、速水は頷いた。

 ㅤしばらくすれば、四葉で勝手に作ったメッセージを森崎の人間が読むことになる……はずだったのだが。ㅤ一週間経っても、そんなことは起きなかった。あやめが長期間帰ってこなくても、森崎家は平穏なまま。何もなかったかのように、日々は過ぎていった。

 

「……ちゃんと送ったんだよな?」

 

 ㅤ痺れを切らして、紅林に電話で確認をする。だが、向こうも驚いている様子だった。

 

「勿論でございます。それは、夜久様も確認されたかと」

 

 ㅤ確かに、おれはメールをしたためて送るまでを見届けている。花菱さんが無視して、黒羽に仕事を回していたら嫌だからだ。

 

「……握りつぶした?」

「その可能性が濃厚ですね。所詮は非魔法師……世間からの少々のバッシングを計算に入れても、わざわざ大事にする必要性は感じなかったのかもしれません」

「仕方ない。すぐに実験をやろう」

「夜久様!?」

 

 ㅤどちらにせよ。反魔法主義に正攻法で対抗するには、向こうが大きくなりすぎたのだ。

 

「非魔法師が魔法師になるなんて珍事を起こしでもしないと、世論はもう変えられないだろう。……実際、お母様もわかってる筈だぜ? 黒羽を動かして斬首戦術をしたところで、『魔法師による報復』にしか見えないことくらい」

 

 ㅤ結局のところ、「強い魔法師はズルい」という理屈なのだ。まぁ、実際にズルいので尤もではあるのだが。

ㅤでも、その「ズルい側」に入れる可能性が自分にもあると分かったら。バッシングが止まるのは明白だった。

 

「……どこの仕業に見せかけましょうかね」

「どこでも。新ソ連でも、USNAでも……なんなら大亜連合でも」

 

 ㅤ魔法師強化系の研究所を一つ潰して、その跡地に明らかな魔法反応を残せばよい。その反応の持ち主は死亡しているが……調査をしてみると、非魔法師だと分かる。答えはもう一つしかないだろう。

ㅤなんと、魔法師になってしまっていたのだ……。

 

「新ソ連の旧ベラルーシ領にある、ニュークリア・マジック研究所などは。魔法事故による放射線汚染の可能性があれば、確実に国際魔法協会は動きます。ついでに『ブランシュ』の繋がりも工作で匂わせておけば、勝手にストーリーを作ってくれるでしょうし」

 

 ㅤ紅林はすぐに案を出してくれた。おれも「それで行こう」と頷いた。

ㅤ結局、花菱や分家の力を借りることにはなってしまうが。諦めるしかないだろう。おれがそれなりに自由に動かせるのは、第四研関連のことだけ。それほど「四葉深夜の後継者」は重要なのだ。

 

「しかし、よろしいのですか? せっかくの実験体たちを一回きりの手品に使ってしまって。……特に、持ち込んだ森崎家の縁者。それなりに思うところがあって、ここへ連れてきたのでしょう?」

「……いいんだよ。一介の非魔法師が、魔法史に名を残す魔法師になれるんだぜ? 本人も本望だろうさ」

 

 ㅤそう言って、おれは電話を切った。端末をテーブルに置き、ぼんやりと宙を眺める。ㅤこれからする事は、とても悪いことだ。夢が叶って喜ぶ人を、残酷にも死に追いやる。分かっていない訳ではなかった。

 

 ㅤ消えない「生まれてきたこと」という罪。ㅤこの罪はどれだけ悪事を働けば……薄れるのだろうか?

 ㅤ伯母様はどうだったのだろう。最期に罪の数を数え、安心して眠りについたのか。こっそり教えてくれたらよかったのに。そう思った。

 

 

 

 

『新ソ連旧ベラルーシ領のニュークリア・マジック研究所で起きた大規模爆発。実験装置の暴走か。』

『新ソ連原子力魔法研究所の暴走事故の原因は、装置内部に微量の残留想子が残っていたことから、魔法によるものと判明。

ㅤ実験装置が何らかの魔法に呼応してしまい、中性子バリア等の防御魔法、安全装置による緊急ストップでは対処できない暴走が起きたのではとみて、急遽編成された国際魔法協会の調査チームが数日前から現場入りしているという。

ㅤ調査チームに参加した専門家らによると、術者とみられる人物は、研究所で死体として発見されていた女性であった。身元は不明であり、現在も調査は……』

 

『新ソ連原子力魔法研究所にて死体で発見された魔法師の女性は、驚くべきことに非魔法師として登録されていた。

ㅤしかし、調査チームは、術者が間違いなくその女性であると述べており、「非魔法師が魔法を使えるようになったとしか考えられない」とコメント……』

 

『新ソ連の原子力魔法研究所では、暴走事故の起こった核分裂反応エネルギー動力炉の実験のほか、放射線による魔法因子操作の研究が行われていたことが明らかになった。実験には、多くの非魔法師が「自主的に」参加していたという……』

 

 

「ふむ……」

 

 ㅤ現在、世間を賑わしている魔法事故。ㅤそれらの記事を、達也は幾つかまとめて流し読みした。

 ㅤ素直にまとめれば、「新ソ連の研究により、非魔法師が奇跡的に大事故を引き起こせるほどの魔法暴走が可能な演算領域を獲得した」ということだ。しかし、そんな虫の良い話があり得るとは彼には到底思えなかった。ㅤそれに、そもそも記事の記述も肝心な部分はあいまいだ。言ってしまえば、いわゆる「ゴシップ」と同じレベルに信憑性がない。「報道の自由」をお題目に、マスコミの偏向報道が21世紀前半よりも強い時代とはいえ……多くの人々がこれを事実と受け止めているのは驚きだと彼は感じた。

 

「……いや、『信じたい』のか。魔法師が後天的に生まれる可能性を」

 

 ㅤどの国でも、魔法師の数は圧倒的に足りない。ㅤ政府は魔法師を増やしたいと常々考えている。日本国内での反魔法主義問題の発端となった魔法科高校定員数引き上げ政策だって同じだ。

 ㅤもちろん、非魔法師やBS魔法師だって「魔法師であること」による恩恵を受けられるのならば受けたい。ㅤ今後スタートする研究に協力することを条件に、司直の手を逃れるという反魔法主義団体の動きは、今や多く見られた。利害が一致しているのだ。

 

(……そんなに良いものではないはずだがな。魔法師というものは)

 

 ㅤ達也がそんなことを考えていた時、部屋のドアを叩く音がした。

 

「――お兄様、深雪ですが……今、よろしいですか?」

「あぁ、構わないよ。どうした?」

 

 ㅤドアを開けてやると、妹がかわいらしく顔だけを覗かせた。

 

「そろそろ、お茶にしませんか? 今日は、腕によりをかけて……ザッハトルテを焼いたんです」

 

 ㅤそれを聞き、達也は「珍しいな」と思った。ㅤ深雪はお菓子作りも得意としているし、手作りのクッキーやショートブレッドを出してくれることも多い。だが、ホールケーキをわざわざ何でもない日に作る? おかしくはないけれども、どこか違和感があった。

 

「行きましょう、お兄様」

 

 ㅤ達也の手を引いて、深雪は嬉しそうにリビングへと歩いていく。鼻歌まで歌って。

 

(なにか俺には分からないような、個人的に嬉しいことがあったのだろう)

 

 ㅤそう結論付けて、達也は考えるのをやめた。ㅤだが、深雪が嬉しくなるのは、いつだって達也に関連すること。つい先ほど、彼女は夜久から『約束は果たした』というメッセージを受け取っていたのだ。

 

 

 

 

 ㅤ四葉家当主、四葉真夜は研究所から届いたレポートに目を通していた。

 

「精神領域に作る人工魔法演算領域を特定の魔法式専用に限定すれば、常人並みのスピード・作用範囲・干渉力を実現できる。しかし、94%の確率で演算領域は暴走……こんなピーキーな人造魔法師、実用化できる訳ないわ」

 

 ㅤデータ流出に備えて特殊印紙に印字されたレポート束を、さっさとテーブルの端におしやる真夜。

 

「しかし、奥様。以前の人造魔法師実験と比較すれば、明らかに進展してはいますから……夜久様の成果は素晴らしいものでしょう」

「そう。貴方が言うのなら、そうなのかもしれないわね」

 

 ㅤ適当な返事に、葉山は「奥様」と窘める。けれども、真夜はそっぽを向いたままであった。

 

「ところで、第四研に元々あった実験体以外に、あれが持ち込んだ実験体があったわよね」

「森崎家の縁者ですな」

「結局、新ソ連での工作には使ってないのよね? どうしたの?」

 

 ㅤ人造魔法師に仕立て上げたあやめを利用することを、夜久は最終的にはやめてしまっていた。というより、やめざるを得なかったのだ。

 

「自ら命を絶ってしまったのです。『夢が叶ったのに、何も感じない』と呟いて」

 

 ㅤ演算領域を埋め込むために、情動を司る精神領域を全て消し去った。そのせいで、あやめは「心」を失ってしまったのだ。

 

「うふふ……ふふふ、ふふっ……あーっはっはっは!」

 

 ㅤ葉山の説明に、真夜は笑った。腹を抱えての大笑いだ。

 

「はっ、かわいそうな子! 心が何かも分からないのに、姉さんの研究を引き継いだなんて!」

 

 ㅤ狂ったように笑い転げる真夜に一礼し、葉山は書斎を去った。

 

 

 



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第6話

 ㅤ第四研の現トップである夜久が、四葉深夜の研究を引き継いで行った「人造魔法師製造実験」。ㅤ以前の実験同様、精神領域をデリートして、そこに仮想魔法演算領域を植え付けるというものだ。ㅤただ、魔法演算領域の精度は、魔法師由来のものに比べて悪い。出力、スピード、演算規模はやはり以前と同様になってしまうことが予想できた。そのため、夜久が考えた工夫は「演算領域の一点特化」である。

 ㅤ簡単に言えば、使える魔法を四系統八種内の一つに絞るということ。イメージとしては、BS魔法師――いわゆる異能持ちだ。

 

「……ただ、一点特化にしたせいで想像以上に扱いにくくなるとは。これじゃあ、国防軍の欠陥強化兵士と変わらない」

 

 ㅤ収集したデータを整理しつつ、夜久はぼやく。彼は「外泊」と称し、しばらく第四研に入り浸っていた。人造魔法師製造実験のためだ。

 ㅤ術式のアップデート、深夜以上に「精神構造干渉」に適性のある術者、ほか様々な要因から……ほぼ全ての実験体が命を落とすことなく魔法師化した。

 ㅤしかし、作製された魔法師の出来は微妙。まず、無意識下でのエイドス改変が多く見られる。使える魔法を絞ったせいで、それなりに魔法力が出せるようになった弊害だった。しかも、改変により常に想子が活性化するため、隠密行動にもあまり向かない。街路にある想子センサーにすぐ引っかかってしまうだろう。

 

「国防軍の実験施設で『魔法師』を強化して作った兵士と、元非魔法師が同じレベルになるのはそこそこ成功なのだろうけど」

 

 ㅤ彼の独り言に対して、夕歌がそう返した。彼女は、戸籍上は夜久の姉である。要は、津久葉家の人間ということだ。

 

「成功な訳ないだろ」

「何よ、人が慰めてあげたのに」

 

 ㅤ2人はそこまで仲良しな訳ではない。だが、夕歌はかなり夜久に迷惑をかけられてきたので、これでも彼女は親切な方である。

 

「……はぁ。まぁ、『あの子』は死んじゃったものね。そうなると思っていたけれど」

 

 ㅤあやめのことであった。つい先ほど、魔法が発動できた(というより、勝手にエイドス改変が起きて火花が散っていた)というのに、目を離した間に自殺を図ってしまったのだ。

 

「……姉貴は予想ついてたのかよ」

「えぇ。僅かな希望に縋って、叶うかもしれない未来を想像していたのに心がピクリとも動かない状況に対して、理性的に区切りをつける……そういうことってあるんじゃないかしら」

「理性的に、区切り……」

「自分が以前と同じ存在ではないことを理解し、未練がなくなったとでも言えばいいかしら……難しいわ。私が、心を失くした訳じゃないもの」

 

 ㅤ夕歌は苦心しながら、弟のために説明をした。しかし、夜久はあまりピンと来ていないようだ。

 

「……そうか。――そろそろ、向こうでは作戦開始だな」

 

 ㅤ新ソ連のニュークリア・マジック研究所崩壊に必要な人造魔法師は、既に移送している。花菱の選んだ戦闘魔法師や分家の子供たちが色々と仕事をしている頃だろう。

 

「上手くいったら……お母様、喜んでくれるかな」

 

 ㅤ夜久がそう言うのを聞き、夕歌は顔を引き攣らせる。

 

「そうかもしれないわね。でも、直接訊ねるのは無粋だから、葉山さんにでも聞きなさいよ」

「……うん」

 

 ㅤこの夕歌の忠告が、的確なものであったことは間違いない。ㅤ真夜は確かに喜んだ。しかし、それは夜久の異常性についてであったのだから――自身の姉と同じ「人の気持ちを理解できない」という罪を犯したことへの。

 

 

 

 

 

 

 ㅤ実験は、後味の悪い結果に終わってしまった。ㅤ感情を失うということは、自死を選ばなくてはならないほど……あやめにとって納得のいかないことだったのだろうか。

 ㅤ心とは。精神とは、一体なんなのだろう。失ったら、逆に何も感じないはずなのに。どうして?

 

「――なんだか、ずっと上の空ね。貴方……仕事中って自覚はあるの?」

 

 ㅤおれの目の前に座る女――愛梨が、呆れたように言った。彼女は急に「一日、ボディーガードをしろ」と押しかけ、おれを買い物に同行させたのだ。そして、今は個室のあるカフェで休憩をしていた。

 

「別に……」

「まぁ、いいわ。考え無しに退学させられるような行動をする人間ですもの。どうせ、私たちには到底理解できないようなことを考えているのね」

 

 ㅤ勝手に解釈して、うんうんと頷く愛梨。

 

「……貴方に話しておきたいことがあったの。これを見て頂戴」

 

 ㅤ愛梨はバッグから端末を取り出し、ファイルを開いた状態でテーブルに置いた。

 

「なんだこれ?」

「遺伝データ。貴方のね」

「勝手に調べたのかよ……PDには載っていないはずだ」

 

 ㅤ現代のパーソナルデータには、遺伝データは紐付けされない。そういう法律が存在するからだ。つまり、何かしらの方法でおれの皮膚片等を採取して、勝手に鑑定に回したのだろう。

 

「ちなみに訴えたところで無駄よ。十師族ほどじゃあないけれど、ウチだって『忖度』される家だし」

「やらない。二度も同じようなことするのは、芸がない」

 

 ㅤ愛梨は「本当か?」と言わんばかりの胡乱な目つきで、こちらを見つめた。

 

「……まず、話は17年前に遡るわ」

「随分と前だな」

「一色の血縁に『緋色』という家があるの。そこの一人息子である光が、当時15歳という若さで亡くなった。理由はシンプルで、虚弱体質ゆえの突然死ってところ」

 

 ㅤ多分、緋色家は一色家の遠縁なのだろう。分家にいちいち別の名前をつけるのは四葉だけで、他ではあまり聞かない。

 

「……この人なのだけどね」

 

 ㅤそう愛梨は続け、端末の画面を指差した。

 

「貴方と50%、一致しているのよ。つまり……」

「つまり?」

「親子ということになるわね。貴方と死人が」

 

 ㅤ流石におれも話が呑み込みきれず、無言になってしまう。父親の正体は知らないし、これからも知る必要は無いと思っていたが……死んだ人間が父ですよと言われれば戸惑う。

 

「お父様は、貴方が小学生の頃に『似ている』と思って調べたそうよ。緋色光は、珍しく精神干渉魔法に高い適性を見せていたから」

 

 ㅤ前に森崎の家に愛梨がやってきた時のことを思い出した。「神経攪乱」に似ているだけでなく、精神干渉魔法であることも理由にあったのか。

 

「それで、どうしてなんだ? 死んだ人間が子供を作れる訳ない。カラクリがあったんだろ?」

「えぇ。緋色光が亡くなった夜……実は遺体が盗まれているのよ。魔法因子を持つ生殖細胞目的の裏組織の仕業だと見ているわ」

 

 ㅤ随分とキナ臭くなってきた。犯人はもちろん、四葉の実力部隊なのだろうが。前から狙っていたとしたら、中々である。

 

「その事件、特に公表されてないよな?」

「する訳ないじゃない。死体とはいえ、身内をみすみす攫われたなんて……大不祥事よ」

 

 ㅤそれに、あの頃は「数字落ち」になる恐怖をよく知るものがまだ多かったわ、と愛梨は続けた。ㅤ身内を守れなかったことで実力不足と見做されたら……と思ったのだろう。なるほど、詳細を隠すはずだ。

 

「一色家というか……お父様は当主になってから、『その事件』をずっと追っていたみたい。私も事情を聞いたのは、つい昨日のことだけれど」

「ふーん」

 

 ㅤ愛梨はずい、と身を乗り出し……おれを睨みつけた。

 

「……貴方、何者なの?」

「何者って……出自も曖昧で、養子になった先でも馴染めていない、ただの16歳だ」

「……じゃあ。中学の3年間、貴方はどこで何してたって訳? 一度も家に戻っていないまま、第一高校に入学しているなんて」

 

 ㅤ言える訳が無かったし、言う気もなかった。

 

「答えなさいよ」

 

 ㅤさらに愛梨は凄む。それに対する答えとして、おれはCADを取り出した。

 

「なに? やるっていうなら……」

 

 ㅤ彼女もCADに手を添えた。ここが個室とはいえ、一応公共の場であることは忘れているようだ。人のことは言えないが。

 

「……いいえ。やっぱり、やめておくわ」

 

 ㅤ途中で正気に戻ったのか、愛梨はCADを構えるのをやめた。

 

「名のある生まれじゃない人達。つまり……『一般の方』の中には、過酷な過去が往々にしてあるということを忘れていたわ。ごめんなさいね」

「……」

 

 ㅤなんとも腹の立つ言い回しだ。コイツを南アメリカやアフリカの無政府地帯に放り込んでやろうか、とさえ思った。

 

「私の言いたいことはそれだけよ。それでは」

 

 ㅤさっさと席を立って、愛梨は行ってしまった。取り残されるおれ。

 

「……アイツ、金払ってないぞ」

 

 ㅤ本人が言うのだから、育ちはいいはずなのに。仕方なく、2人分の料金を支払って店を出た。ㅤ帰ったら、駿と模擬戦でもするか……と考えながら、帰路に着く。その途中で、奇妙な黒い人影を見つけた。

 

「夜久くん。久しぶりだな」

「ゲッ。前世紀SF野郎だ」

「……一体、誰がだね」

 

 ㅤ影の正体は……四葉分家、黒羽家当主の黒羽貢であった。

 ㅤ親バカで子供自慢しか話のネタがないという面白味がない人物なうえ、1970年代くらいのSFを未だに読むという骨董趣味の変人だ。彼が、なぜこんなところにいるのだろうか。

 

「……アンタ以外にいるわけないだろ。ところで、日本に戻ってきてたんだな」

 

 ㅤほんの数日前まで、新ソ連にいたはずだ。

 

「ああ、東欧経由で帰ってきた。――あと、口の利き方には気をつけたほうがいい。そういう、人を舐めた態度だから退学になったりするんだ」

 

 ㅤ説教と共に、彼は封筒を差し出す。開けてみると、記録媒体がチラリと見えた。

 

「何だよ? どういう風の吹き回しだ?」

「公安や内調が、『魔法師』の反魔法主義者をかなり検挙している。お前のことをそう思っているやつは、今や少ないが……気をつけておけ」

 

 ㅤ貢はそう言い残し、ふたたび影と同化して言った。ㅤスパイ小説フリーク過ぎて、不可解な行動ばかりするので困ったものだ。子供でもないのに。

 

「……帰るか」

 

 ㅤ封筒をポケットに捩じ込み、おれはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 ㅤ森崎の屋敷に戻ると、何か大変なことが起きていた。

 

「――あっ、夜久! 戻ってきたか!」

 

 ㅤ駿が気づいてこちらに手を振る。彼は疲れた顔をしていた。

 

「どうしたんだ?」

「……見てくれ。謎の女が、あそこで座り込みして帰らないんだ」

 

 ㅤ確かに、彼が指差す先には1人の女性が座り込んでいた。屋敷の玄関前に堂々と座っており、一向に退く気配はない。

 

「ただ座ってるだけで、魔法も暴力も使わないから手が出せん」

「警察呼べばいいだろ」

 

 ㅤパニックでそんな簡単なことも分からなくなってしまったのか、とツッコミをいれる。しかし、駿は被りを振った。

 

「『森崎あやめ』を出せ、と言っててな。『この家を出て行ったきりで、もうウチは関与してない』といっても聞かない」

「……!?」

「ちょっと、警察を呼ぶのはなぁ。行方不明のまま、被害届も出さずにいる訳だから。色々探られたくない」

 

 ㅤ表向きは「一人暮らしをさせた」で通っているあやめ。もちろん、死んでいる。それを知るのは、おれだけであるが。

 

「……その、反魔法団体と繋がっていたらしくて。ウチも繋がっていると思われないよう、色々対処しないといけなかった」

 

 ㅤやはり握りつぶしていたか。想像通りであった。

 

「じゃあ、その辺りの雑誌記者か?」

「けどなぁ、座り込みなんかするか?」

「……しないよな」

 

 ㅤ一体何が目的なのか……考えている時、裏口側から森崎家の使用人――ボディーガード見習いが現れた。

 

「写真照合でようやく分かりました。彼女は『壬生紗耶香』。魔法科高校2年の……二科生です」

「へ?」

 

 ㅤ明らかに接点がなさすぎる。まだ、おれや駿目的の方が納得できるくらいだ。

 

「……やっぱり、反魔法主義団体関係だな。二科生ならあり得る」

「あぁ、エガリテとかいう?」

「なんで、お前が知ってるんだ? 僕も風紀委員会のミーティングで、オフレコとして言われただけだぞ?」

「あっ、それはその……一色のやつが」

 

 ㅤ口を滑らせてしまい、慌てて愛梨をダシに使う。ㅤ本当のところは、元から知っていただけだが。そういえば、深雪も知っていた。兄から聞いたのか。

 

「そうか」

 

 ㅤ幸い、駿は突っ込んではこなかった。

 

「だが、とにかく厄介な話になってきたぞ……どこにいるのか知らないし、親父は『絶対に今は連絡を取るな』と言ってる」

「あぁ、今は下手するとしょっ引かれる可能性があるのか……」

 

 ㅤさっき貢が忠告してきた理由がわかった。

 

「わかった。……おれがなんとかする」

「お前、どうする気だ?」

「アイツと話して、一緒に探してみる。見つかったら御の字……見つからなかったら、『これ』だ」

 

 ㅤCADを取り出してみせれば、駿は大体のことを理解したようだった。

 

「助かる……そろそろ、僕は九校戦の準備もあるからな。――捕まるなよ」

「最悪、切ってくれたらいい」

 

 ㅤ気にするなという風に手を振り、おれは壬生紗耶香の方へ歩みを進めた。

 ㅤそもそも……おれが殺したようなものだ。落とし前は、自分自身で付けなければならない。そして、どうして彼女は死んだのか――理解したかった。ㅤ葉山さん曰く、おれは「お母様の地雷を踏んでしまった」みたいだから。

 

 




ㅤこの夜久に関わってくる「緋色」という家は、魔法科原作続編である「キグナスの乙女たち」に登場しています。第三高校側だし、メインは茜やリーレイなのであんまり話に出てこないのでは?と踏んでますが、詳しく描写があると死ぬ(設定すり合わせの点で)。


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第7話

 ㅤ壬生紗耶香は、おれの顔を知っているようだった。退学処分の一件は、有名だからだろう。もしかしたら、現場を目撃していたかもしれない。

 

「アンタ、何しに来たんだよ」

 

 ㅤずっと玄関前にいると邪魔だ、という真っ当な正論をぶつけ、おれ達は少し離れた公園に来ていた。近隣の建物のせいで日当たりが悪くなってしまった場所で、いつも人はあまりやってこない。話しにくいことを話すにはうってつけだった。

 ㅤおれの問いかけに、彼女は気まずそうに俯いた。しかし、すぐに顔を上げて反論する。

 

「あの子のことが気になって……」

「へぇ、『ブランシュ』で知り合ったのか?」

「……えぇ、そうよ。あまり仲良くはなかったけどね――あの子は、組織内でもかなり急進的なメンバーだったから。『魔法師は、非魔法師に徹底的に管理されなければならない変異動物だ』っていう持論で」

「……?」

 

 ㅤ魔法師になりたがって嘆いていた姿とダブらず、おれは目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「知っているでしょうけど、実は『ブランシュ』って魔法資質を持つ人間も多かったから……。普通にコミュニティ内で孤立していたわ」

「ふーん」

 

 ㅤ家庭内だけでなく、縋った反魔法団体すら、彼女の居場所ではなかったのだ。

 

「本人は孤立すればするほど……魔法師との溝が深まれば深まるほど、自分の考えが正しいから反発しているのだと思い込んでた」

「何か言ってあげなかったのか?」

「いいえ。私含め大多数のメンバーは、魔法の才で差別されないことをまず望んでいたし……その延長線で、魔法師や非魔法師を問わず魔法にまつわる様々なことを皆で共有したいって感じだったもの。スタンスが違いすぎた」

 

 ㅤ一見、紗耶香らの見据えていたことはそう悪くないように思える。だが、これはかなりまずい。コミュニティの「共有意識」が行き過ぎれば、犯罪に手を染めることも厭わなくなる。実際、そうなっていたのだろう。

 

「じゃあ、やっぱり納得いかないぜ。わざわざ嫌なやつに会おうとする理由が」

「だからこそ……会いたかったの。わたしも、今は一人だから」

 

 ㅤそれを聞いて、おれは「ある事」に気づく。

 ㅤそういえば、何故……紗耶香は自由に出歩けているのだ? 反魔法団体に参加していた魔法師なら、少なくとも行動に制限が掛けられていてもおかしくないのに。

 

「私の父親は、国のちょっと偉い人で……。私が仲間の情報を証言で売って、司法取引をしたっていうテイにしたみたい」

 

 ㅤこんなの父親の保身よね、と紗耶香は自嘲したように言う。ㅤ彼女の父は内調や公安にも顔が利くような立場のようだ――そう考えながら、おれはポケットごしに封筒を抑える。

 

「もう、メンバーは私が裏切ったと思ってる筈。……何もかも無くなっちゃった」

「それで……森崎の屋敷まで来たってか。嫌われ者同士、傷を舐め合おうと」

「……別にそういうわけじゃないわ」

 

 ㅤ彼女は食い気味に否定し、黙り込んだ。そして、口を再び開く。

 

「ただ、魔法師としてじゃなくて……単なる非魔法師の人間として、悔しい気持ちを共有したかっただけ」

「……アンタは非魔法師なんかじゃないだろ。今も魔法科高校に在籍して、CADも持っている。それのどこが」

 

 ㅤ本当に納得がいかないなら退学すればいい。

 ㅤいや、彼女は心から「自分は非魔法師のように虐げられている」と感じているのだ。なんと、傲慢なことなのだろう。

 

「――違うわっ! 私はこれまでずっと、差別されてきた、嘲笑われた! 『お前なんか眼中にない』と、あしらわれた! ……どうして、こうなっちゃうのよ」

 

 ㅤ魔法師と非魔法師の狭間で、苦しむ少女の本音がそこにはあった。

 ㅤその時、ドカンとおれの脳内に衝撃が走った。「森崎あやめが死んだ理由」も同じだ――魔法を使えるようになっても「魔法師になれる」とは限らない! その事実に気づいて、人生を終わらせたのだ。感情を失っていたからこそ、死を恐れることなく。

 ㅤせっかく叶えた夢も、彼女にとっての良き未来を呼び込むことはできなかったのだ。

 

「……アンタの苦しみは分かったよ。じゃあ、同じ場所に送ってやる」

 

 ㅤCADに指を走らせる。精神干渉魔法『ユーフォリア』。多幸感による酩酊状態を起こす霊子波を想子波動を通して放つ魔法。これの良いところは、その想子波動に「暗示」を重ね掛けできる点。載せたのは「死のイメージ」。

 ㅤユーフォリアが効果を見せる間は、死がプラスイメージのまま増幅し……最後は精神に引っ張られて体が事切れる、筈だった。

 

「……なんで」

 

 ㅤ魔法発動どころか、魔法式が一瞬で霧散した。だが、目の前の人間にそんな芸当が可能か? あり得ない。

 

「……!」

 

 ㅤ何者かが紗耶香の背後に現れた。自己加速術式を使ったような素早さだ。そして、彼女の首に手刀を当てて、流れるように気絶させる。突然出現したその人間は――

 

「――司波達也……! どうしてここに」

「それはこっちのセリフだ。まさか、壬生先輩が殺されかけることになるとは。頼まれて見張ってただけだったんだが」

「頼まれて?」

「先輩の父親は内閣府情報管理局の人間だが、昔は軍人でな。友人の風間少佐に娘のことを相談したらしい。それで、しばらく監視しておこうとなったようだ」

 

 ㅤしかし、達也は本当に「見ているだけ」だったのだろう。先程こそ介入したが。多分、死んだら怒られるからだろう。怒られるどころじゃ済まないかもしれない。

 

「なんで最初から止めなかったんだ?」

「森崎は俺を敵視しているからな……面倒ごとは避けたかった」

「あっそ」

 

 ㅤ達也は紗耶香を持ち上げ、荷物抱えにした。もう用はないと言わんばかりに、さっさと歩き去ってゆく。だが、途中で彼は足を止めた。

 

「一つ、助言しておく。『他者の感情を理解すること』は、そう簡単なことではない。自分の中にある理論を、他人にそのまま適用できると考えているうちは……叔母上も、お前を憎み続けるだろうさ」

 

 ㅤおれは、それにどう答えたのか覚えていない。

 ㅤこの日を境に、数日もの間……この出来事をふとした時に記憶から取り出しては、考え続けていた。達也の言うことが、間違っていないような気がしたから。

 

 

 

 

 

 

「……二科生にも刺繍が付くんだとさ。夏休みが終われば、全員に『平等に花が咲く』ようになっちまう」

 

 ㅤ夏休み前のこと。二人で街に繰り出して遊んでいた時、駿がそんな風にぼやいた。

 

「おれが演説を邪魔した影響で?」

「それ以外無いだろ」

「そうか……」

「まぁ、変わるのは刺繍だけだ。特に講師も増えないし、僕の立ち位置だって変わらない」

 

 ㅤたぶん、皆に花が与えられても、「雑草」と「花冠」という言葉が消えることは無いだろう。語源が失われても、差別は続く。残念ながら。

 

「一科生と二科生のケジメを付けたがる風紀委員っていう立ち位置か?」

「いいや。努力を怠らない真面目な生徒って立ち位置だ」

 

 ㅤ退学しているものだから、あまり学校での駿を知らない。とはいえ、わざわざ嘘を言うこともないだろう。彼も成長しているのだ。ㅤ知らない間に、先に行かれているような複雑な気持ちになる。おれはといえば、何も成長できていないというのに。

 

「そうか。――そういえば。九校戦だな、そろそろ」

 

 ㅤいきなり話題を変えたが、駿は特に文句は言わなかった。

 

「あぁ。僕は2種目出るんだ。スピード・シューティングとモノリス・コードに。多分、直接観戦できるかも……」

「チケットなんか買ってたか?」

 

 ㅤ九校戦チケットはすぐに売れてしまうので、販売開始時刻に備えて待つのがマスト。彼にそんな様子は見られなかった。出場するのだから、そもそも必要が無いのは分かり切っていた。ㅤわざわざ、自分で買う気にもなれなかったのでおれも買っていないし。誰か買うだろうから、余りでも貰おうか……くらいの気持ちだ。

 

「……あぁ、まだ伝えてなかったな。つい先日、とんでもない大物から九校戦中の護衛依頼が来たんだ」

 

 ㅤ誰だと思う?といった風に、彼はそこで一度言葉を切った。

 

「誰だ……?」

「閣下だよ。あの、九島烈閣下!」

「なんで……別に頼まなくても、自前で用意できるだろうに」

 

 ㅤ明らかに、おれ目的としか思えない。九島烈は何の目論見でこういうことをしたのだろうか。

 

「分からん。けど、お前が絡んでいることは分かる」

 

 ㅤ流石に簡単に推測できることだ。おれは舌打ちをしたくなる。

 ㅤ一色が絡んできたくらいまではよかった。愛梨とは小学校が同じだった事実もあるので、魔法に目をつけていたと言う説明もそれなりに納得できる。ㅤしかし、あの「閣下」までが話に入ってくるとは。厄介なことになってきた。おれに「何らかの秘密」があることが浮き彫りになってしまう。

 

「……」

 

 ㅤどうしたものか、とおれは空を見上げる。雲一つない透明な空は、特に答えを出してはくれなかった。

 

「あのさ、夜久」

「なんだよ」

「僕は百家傍流の人間だ。幸い、そこそこの魔法力には恵まれたけど……何者になれる訳でもない――才能の無い奴は、才能を持つ奴のもとに下るしかない。だけど、中学までは僕が一番でそんなの見つからなかった。自分が一番すごいと思っていた」

 

 ㅤだから天才に出会えてよかった、駿はそう呟く。

 

「お前と一緒に過ごして……やっぱり魔法師の才能至上主義は正しいと分かった。それで、僕はすごく納得もした」

「……?」

「自分の立場が、才能相応だと理解できたから。お前のように無茶が許される人間じゃないんだってな」

 

 ㅤ入学直後の深雪絡みの騒ぎのことを指しているのだとすぐ分かった。

 

「この世界は残酷だよな……。今なら、おれもそういう気持ちに少し共感できる」

 

 ㅤ魔法師になりたいと泣いた少女。非魔法師でも魔法師でもいられないと苦しむ少女。才能の終わりを見た少年。母からの愛を受け取れないでいる自分。

 ㅤ世界は、欲しいもの全てを与えてはくれない。

 

「……夜久。お前が何者なのか、僕は聞かない。だが、困った時はいつだって助けたいと思ってる」

「お前に助けられるかねぇ? 逆に助けてもらう側になるんじゃないか?」

 

 ㅤニヤリと笑い、そう言ってやる。駿は苦笑し、「そうかもな」と返してきた。ずいぶんと、大人の対応だ。

 ㅤ子供のまま置いて行かれてしまったような喪失感がないでもない。ほんの少しだけ、退学したことを後悔した。

 

 

 




これにて、入学編ならぬ退学編は終了です。

次からは、九校戦の裏でバタバタしたりする感じですね。もちろん森崎は酷い目に遭う(理不尽)

(2024年1月8日追記)この時点では九校戦編考えてなかったので、結局あんまり森崎は出番なかった。メチャクチャ嘘です。


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九校戦編
第1話


久しぶりに感想をもらえて嬉しかったので初投稿です




 九島烈は、新秩序を作り上げた人物だ。

 十師族という序列を確立し、そのシステムは今も運用されている。また、魔法師としての力量も一流で、その強さから「最高にして最巧」と謳われた。

 しかし、最近は「耄碌している」というのがもっぱらの評判である。

 

「──老師の主張は、ある時期から急転換してるもの。そう言われるのも無理はないわ」

 

 愛梨との定期的な顔合わせの際のこと。彼女はそう教えてくれた。最初こそ「護衛」という名目での呼び出しだったが、今や「来い」の一言で済まされている。

 だから、こうして密閉されたキャビネットの中に2人でいても、浮ついた空気になることはない。愛梨も何を目的でそういう態度なのだか。

 

「ある時期?」

「えぇ、末の孫が生まれた後くらいからね」

 

 九島家の家族構成は流石に把握していた。確かおれの一つ下の代であったはずだ。

 

「その孫と『魔法師の職業選択は自由だ』の論、どう繋がるんだ?」

 

 近年、九島烈は「魔法師自由権論」を提唱している。そして、それこそがボケたと言われる所以だ。

 実質的な休戦中であるとはいえ、未だに大亜連合との戦端は開かれたまま。戦時体制に「魔法師は魔法師でなくても良い」訳がないのである。

 

「体が弱いのよ。だから、老師はかなり溺愛しているという話。いずれ戦争が起きた時……戦場へ引き出されることを心配してるんじゃないかしら」

「へぇ……」

 

 私情に塗れた、なんとも言えない話だ。

 

「じゃあ、九校戦の挨拶なんかじゃ……やっぱメチャクチャなこと言ってるのか? スポンサー、国防軍なのに」

「えぇ、2年くらいそんな感じよ。それで今年はとうとう……軍側が案内役兼護衛を用意しない、と言ってきたらしいわ」

 

 遠回しの出禁に対して、九島烈は「自前で用意する」と返したようだ。結局、回り回って森崎の家に護衛依頼がやってきた。

 

「十中八九、目的はおれだろうな」

「えぇ」

 

 もしかしたら遺伝データも入手してるのかも、と愛梨は嘆息した。本来、そんなホイホイ手に入るものでもないのだが。

 

「でも…… そもそも貴方を護衛チームに入れる気はないから安心して。御当主の方も、手伝いをしてもらってるだけの人を面倒ごとに関わらせるのは悪いと言ってるし」

 

 御当主、は文脈的に駿の父親のことだろう。

 

「別に変なジジイに会うだけだろ? 気にしないけどな」

「貴方が良くても、こちらが困るのよ。前に自分が何したか覚えてる?」

 

 すっかり忘れていたが、確かにそうだ。

 おれとしては、もうやるつもりもない。だが「お母様に怒られたから、次はしない」と、どう説明したものか。

 

「大人しくしておくことね」

 

 九校戦にそこまで執着もないから、首を突っ込む気は元々なかった。しかし、勝手にこちらの行動を制限されることは、やはり気に食わない。

 

「頼み方ってものがあるだろう」

「あら。私はお願いをしているんじゃないわ。決定事項をお伝えしてるの。『関わるな』とね」

「おれが一色家の意向を聞き入れる必要があるのか?」

「実質的には私達が援助している立場だわ。話を聞くべきだと思わない?」

 

 そうだろうか。別に一色家に恩はそこまでない。

 確かに、路頭に迷っていたときに声を掛けてくれた駿は、だいぶ良いやつだと思う。森崎家のコミュニティの中にも、彼がいたから馴染めたのだ。おれの魔法の才だけでは、偏見を持たれたままだったかもしれない。だから、彼のアドバイスなら聞き入れても良いだろう。

 

「なるほど」

 

 だが、一色愛梨──おれを御すことができると思ったら大間違いだ。

 

「おれを一族扱いする予定があるってことだろう? 早ければ、十師族選定会議の頃にお披露目でもする気か。今は証拠集めの最中で、面倒ごとを起こされては困る……と」

 

 もしかしたら、愛梨は婚活も指示されてるのかもしれない。おれを確実に取り込むために。それは少し可哀想だと思った。

 

「それは」

「実のところ、おれも自分探しの途中でね。思惑に乗るわけには行かない」

「……自分探し? 貴方、まさか」

 

 何かに思い至ったようだ。彼女も馬鹿という訳ではないということであろう。

 

「そのまさか」

 

 彼女の右手の親指が折り曲げられる。形作られたのは「四」を意味する形。それを見て、おれは黙って頷く。

 

「確証はあるの?」

「おれの魔法。それだけが証拠だ」

「えぇ……」

 

 呆れ顔の愛梨。どうやら、妄言を言ってると思っているようだ。失礼なやつである。

 

「──いいわ、協力する。お父様にも黙っておく。もしも、当たりだったら……私にも得があるもの」

「得?」

「貴方と結婚しなくて済む」

 

 やはり、ハニートラップを命じられていたらしい。今まで、随分雑だった気もするが。

 

「十師族昇格対策も大変だな」

「立場ある者にはそれなりの苦労もあるの。──それでも、そうなりたい?」

 

 強く首を縦に振る。当たり前だった。

 どんな面倒ごとがあったとしても「四葉真夜の息子」という肩書きは魅力的だ。繋がりを証明したい。

 

「分かったわ。……何か必要なものはある?」

「大漢崩壊ごろにこちらへ移ってきた華僑集団のデータが欲しい。一応、可能そうなら潜入もするつもりだ」

 

 司波達也に指摘されたこと。「『他者の感情を理解すること』は、そう簡単なことではない」とは、どういうことなのか。

 それを知るためにも、確かめなければならない。お母様の過去はどういうものだったのか。本当の意味で寄り添うために、やらなくちゃいけないことがある。自分はどうして生まれてきたのかを知らないと、何も始まらない。

 

「……なんとかしてみる」

「了解。じゃあ、九校戦には関わらないから」

 

 上手く話がまとまった。愛梨はホッとした顔をしている。少しだけ、納得がいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 司波深雪は不機嫌だった。なぜなら、せっかくの休みにも関わらず……大好きな兄と2人きりの時間を邪魔されたからである。

 

「達也兄さん! 久しぶり! ──あっ、すみません……深雪さんもこんにちは」

「達也さん、深雪姉様。お久しぶりですわ」

 

 客は、黒羽の双子であった。近々、東京で任務があるということで、こちらに顔を出してきたのである。ただ、親戚とはいえ、この2人のことを深雪はあまり好きではなかった。達也を慕っているだけの文弥はともかく、亜夜子は歳が近いため厄介なのだ。いつも何かとライバル意識を向けてくるので、気疲れしてしまう。

 夜久の方がずっとマシなのではないだろうか、と深雪は思っている。使用人達は、彼の悪口をかなり言っているが。

 

(わざわざ挨拶なんか来なくていいのに……)

 

 貼り付けた笑顔の裏で煮えたぎる激情に気付いているのか、いないのか。客人は呑気に手土産を渡してきた。チラリと中身をチェックする。そこそこ良いものであったので、少しだけ機嫌を直す。

 

「これは名古屋限定のお菓子なんです。東京では売っていないので、是非と思って」

「ありがとう」

 

 リビングへと2人を招き入れる。HALを操作して、4人分の紅茶を淹れようとした──普段は自分の手で用意するが、まぁこの2人相手なら良いかと考えたのである。

 

「あ、お待ちになって……姉様。わたくしもお手伝いいたしますので、深雪姉様の淹れたお茶が飲みたいわ。香り高くて美味しい、と以前達也さんが仰っていたんですもの」

「深雪、頼めるか?」

 

 歯軋りしたくなるのを何とか堪える。

 敬愛する兄が言うのだから、紅茶を淹れること自体に否はない。そもそも、大した手間でもないのだ。腹が立つのは亜夜子にである。言外に「客に半端なものを出すのか」と指摘されたような気がした。もちろん、本当にそういう意図があったのかは分からない。単に、自分の性格が良く無いだけの可能性もある。

 

(本当に……亜夜子ちゃんとは合わないわ)

 

 性格の不一致。それが、黒羽と関わることを煩わしく感じさせるのだった。

 気を取り直して、紅茶を淹れる。柔らかなハーブの香りが広がると、少しホッとした。テーブルまで運び、ささやかなお茶会が始まる。

 

「東京近郊で任務なんだな。どのあたり、とかは聞いてもいいのか?」

 

 ストレートの紅茶を一口飲んで、達也はそんなことを姉弟に尋ねた。

 

「中華街辺りです。大漢崩壊のときに日本へ脱出した華僑達が根城にしている地区ですね」

 

 食い気味に文弥が答える。元より、説明したくて仕方がなかったのだろう。

 

「そこで何か厄介なことが起きているの?」

「まぁ、厄介といいますか──この前、反魔法主義団体が絡むゴタゴタがありましたよね?」

「やはり、四葉が関わっていたのか」

 

 達也は納得したような顔をしている。だが、深雪にはいまいち繋がりが見えなかった。

 

「流石は達也さん。お見通しでしたのね」

 

 深雪はイラッとした。けれども、自分の持つ情報が足りないから仕方がない……と気持ちを落ち着ける。

 

「一応、話を整理しておきましょう。実は──」

 

 文弥が説明してくれた内容はこのようなものだ。

 反魔法主義団体の暴走を止めるため、魔法技能が劣る者たちへ「夢」を見せなくてはならなかった。そのため、新ソ連旧ベラルーシ領のニュークリア・マジック研究所を破壊したという。そして、非魔法師から作製された人造魔法師による「魔法事故」を意図的に起こすことで、非魔法師と魔法師に大きな隔たりなど存在しないのではないか……と社会に疑念を与えた。

 

「元々、その研究所には四葉が魔法演算領域についての先行研究を一部提供していました。つまり、関わりがあったわけです。だから、師族会議辺りは、本当に非魔法師が魔法師になったなんて信じていません」

 

 人造魔法師実験は、四葉の中でも極秘中の極秘プロジェクトだ。だから、非魔法師が魔法師になる事象を目の当たりにしているのは、当たり前だが四葉家内にしかいないわけである。

 師族会議の理解は「偶然起きた魔法事故を奇貨として、四葉家がなんらかのトリックで世論を上手く変えた」というものだ。研究所と結びつきがあった四葉ならば、実験体の名簿を書き換えられたかもしれない……ということである。実際は、四葉が一から十まで工作している訳なのだが。

 

「非公式にですが、各家から四葉に感謝状も届いています。ただ……その『感謝された』という情報が外に漏れたみたいで」

「四葉が感謝されているなんて珍しいからな」

 

 反魔法主義団体の勢いを削いだのが四葉かもしれない、という推測が一部に出回った。そして、反魔法主義団体のスポンサーはだいたいが中華系。そのため、今の四葉家はチャイニーズマフィアに探りを入れられている状態なのである。

 

「しばらくすれば落ち着くと思います。だけど、こんな時に……夜久さんが華僑に接触し始めたという情報が入りまして」

「えっ、どうして?」

「分かりません。けど、夜久さんの考えていることが分かった試しなんてありませんから……」

 

 つまり、黒羽の双子に課された使命は「夜久を穏便に連れ戻すこと」という訳だ。

 

「僕の『ダイレクト・ペイン』で気絶させて、連れ帰ろうと思っているんですが……上手く行くのかどうかは、賭けです」

 

 穏便という割には、だいぶ暴力的な手段ではないか。深雪は内心で思う。ただ、2人も苦労しているのだなと思い、心からの「がんばってね」が素直に口から出たのであった。

 





久々に読み返して「こんな話だったんだ」と思いました。


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第2話

 続きを書きたかったのですが、卒論に追われてそれどころではなかったです。すみません……。




 大漢崩壊は、四葉の悪名を世界に轟かせるきっかけとなった出来事だ。極東の島国、その一集団が戦局を左右する存在にもなり得るという事実。それは、人々を震え上がらせるのに十分であった。

 そして、その発端は四葉家現当主──四葉真夜を襲った悲劇である。もちろん、概要自体はおれも知っている。伯母様の語った過去は、悪夢という形で常に纏わりつくものとなっているから。中華街へ足を向けるということは、夢の内容を改めて思い返すかのような作業だ。辛いが、やるしかない。

 だが、華僑集団に潜入すると簡単に言ってもそう上手くいくものではなかった。そもそも、中華系の人間とのツテもないし、スパイ活動に慣れているわけでもない。

 その上、愛梨は「頼み事」を完遂してくれなかった。データにアクセスできなかったのだという。

 

『ウチの家は風通しの良い家庭なの。隠し事をしたままコソコソするようなこと、あまりしたことないのよ。あなたの秘密一つ抱えるので精一杯』

「ふざけんな。真面目にやれよ」

 

 通話越しに彼女はぬけぬけとそう言い放った。出来なかったことを報告するときにまで、自慢を付け足せるとは。少し感心してしまった。

 

『その代わりと言ってはなんだけど』

 

 端末に送られてきたのは、警察の事件資料であった。ざっと眺めると、どうやらレリックの盗難案件らしい。消えたレリックは「一時的な魔法式保存」に特化した勾玉。その特殊性に目をつけられて、大学研究所への移送途中にチャイニーズマフィアの強襲に遭い、その後行方がわからなくなったのだという。

 

『この研究所の先生、かなり昔からウチの家と関わりがあってね。だから、協力依頼をされてて。潜入は難しくても、中華街付近で調べ物をする良い理由にはなるんじゃないかしら』

 

 このような経緯もあり、おれは地道に中華街の店を周って、まずは失せ物探しの真似事を始めた。愛梨に文句こそ言ったが、おれだって腹芸は苦手だ。自然を装うなら、別の目的に夢中になっておく方が安心だと思った。

 

「……本当に見つかるのか?」

 

 意気揚々と聞き込みを始めたが、素人がそう簡単に情報を掴めるわけもなく。話を聞くためだけに、何度も中華料理屋に足を運ぶ羽目になった。炒飯は美味かったが、「なんでこんな仕事請けたんだ」と後悔の念が生まれた。四葉の訓練を受けていても、おれは研究畑の人間である。黒羽の双子のように気配を消して探ったり、人と交渉をしたりするスキルは持ち合わせていないのだ。

 

(わざわざ素人にやらせるってことは「仕事をした」という体裁を繕う為だけの案件だな……これ)

 

 体よく面倒ごとを押し付けられただけと気づく。おれは間抜けだ……と無力感にも苛まれる。もう全てが嫌になってきて、投げやりになってきた。お母様のことも何もかも考えたくない。なんなら、達也の助言が正しいとも限らない。しかも、大漢崩壊前後のアレコレを知ることが、本当にお母様に寄り添うために必要なのか。

 

(とりあえず、一色の奴に怒鳴り込みにいくくらいはさせてもらおう。それくらいやらないと気が済まない……)

 

 ちなみにいまは九校戦の真っ只中。つまり、九校戦会場にある第三高校本部に行くということだ。冷静であれば踏みとどまれることも、頭に血が上った状態ではどうにもならなかった。駿にだけ「気が向いたからお前を見に行く」とメッセージを入れ、おれは会場へと急いだ。観客席に行かなければチケットは必要ない。

 九校戦は富士演習場の南東エリアのみで行われるとはいえ、そもそも敷地自体は広大だ。目的のスペースを見つけるだけで一苦労である。情報端末の案内だけを頼りに進んでゆく。テントが見えた。赤い制服を着た人間が出入りしているので、ここが三高スペースなのだろう。いるかいないかは分からないが、とりあえず覗いてみることにした。

 テントへ行こうとした時、おれは微かな違和感に反応して振り向いた。大量の想子が撒き散らされる会場内でも知覚できた「おれを狙う」魔法の兆候。幼少期から四葉で叩き込まれた訓練通り、咄嗟にCADに指を走らせる。そして、強力な領域干渉を掛けた。

 普段ならそのような下準備はしない。よほどの術者に襲われでもしない限りは、すぐにでも攻撃魔法を発動して反撃する方が手っ取り早い。だが、今回は相手が悪かった。

 

「黒羽文弥……!」

 

 おれは歯噛みする。あのイヤな予感は、間違いなく「ダイレクト・ペイン」の兆し。黒羽の長男お得意の魔法だ。流石に生身で食らえば、おれでもただでは済まない。

 きっと前から跡をつけていたに違いないが、彼の存在には全く気づかなかった。だいぶ遠くから見張られていたのだろう。そして、問題が起きそうになって慌てて対処した。そんなところだろうか。乱闘になっての事態悪化を恐れたか、失敗を悟った彼はすぐさま撤退したようだ。

 

(興醒めだ……もう帰ろう)

 

 上手くいかない日は何をやっても上手くいかない。そう思い、踵を返そうとした……突如として、競技場の方から大きな物音が。続いて悲鳴が広がる。誰がが叫んでいるのも聞こえる。

 おれは状況が飲み込めず、ぼんやりと目の前で目まぐるしく変化する光景を眺めていた。すると、テントの方が騒がしくなる。気づけば、担架に載せられた生徒が運ばれるところだった。その生徒の顔を見て、おれは目を剥く。

 

「一色!?」

 

 無骨な青い担架の上には、見慣れた金髪の少女が寝かせられていた。普段の高慢ちきな表情はなりを顰め、青白い顔のまま血を流している。状態はかなり悪そうだった。そのまま、愛梨はテント内に運び込まれる。敷地内の軍病院に移送する用意が整うまで、人目を遮るつもりなのだろう。

 

「……おい一色! しっかりしてくれ! 聞こえるか、おれの声!」

 

 テントに向かって何度も呼びかける。まるで縋るかのように。なぜそうするのか。自分でも理由はわからなかった。先程までは、文句を言おうとしていたにもかかわらず。

 日本人離れした可愛い顔して、マウント癖という大きな欠点を抱えていて。アプローチの演技は下手にも程があり、人を家臣扱いしかできない。正直良いところなど、殆ど無いというのに。

 

 今、おれは愛梨のことを心底心配している。死んでほしくないと思った。

 

 初めての感情に混乱したおれは、すっかり「津久葉夜久」が世間でどういう立ち位置なのかも忘れていた。ふと我に返ると、そこには大量の臨戦態勢の三高生たち。明らかに犯人扱いされている。おれは黙って両手を挙げた。

 

「──いや、おれはやってない」

 

 三高生の通報でスタッフを呼ばれ、混乱を避けるためと別場所へ連れて行かれた。ここは軍の施設の一室だ。そこで、おれは国防軍の人間から簡単な取り調べを受けていた。

 流石にこのような事件は警察に介入させるのではないかと思ったのだが、やはり向こうも痛くもない腹を探られたくはないようだ。現場検証や事情聴取などを一通りこちらで終わらせてしまいたい、という思いが伝わってくる。

 

「CADに触れたのは監視カメラに映ってて、しかもその時間の想子センサーは反応してる! だから、魔法を発動した理由を聞いているんだ」

「九校戦やってんだぞ。こんなに飛び交ってて反応してないわけないだろ。おれのCADとは限らない」

「ならばCADを提出しろ!」

「拒否する。個人情報だから」

 

 ずっとこのような会話がループしていた。ループしすぎて初めは敬語だった担当者も痺れを切らしてざっくらばんな物言いに変わっている。

 

「あの……君は怪しすぎるが。現場になったクラウド・ボール用コートとは、いくらなんでも距離がありすぎるのも確かだ。」

 

 クラウド・ボール新人戦決勝で起きたことは、事故とされたようだが、どう考えても事故で片付けられない事案だった。愛梨ともう1人の選手が対戦している最中、突如として天井が崩落。中にいた2人が下敷きになったというもの。

 

「あの場所からは、コートどころか選手控えスペースも見えない。それはこちらも把握している。CADを提出してもらえば解放すると、もう何度も言ってるだろう。いい加減、分かってくれないか?」

 

 確かにCADを見せれば一発。履歴を通して、使用された魔法が分かるからだ。しかし、それはできない。おれがセットしている起動式の半分近くは精神干渉魔法であり、あまり見られたくなかった。

 

「そこまで分かってるなら、CADを見せる必要はやはり無い筈だ。おれは粘るぞ。真犯人が見つかるまで」

 

 両手を頭の後ろに組む。背もたれに体重を預ける。極め付けに、机の上に足を置く。

 

「お喋りを聞くのは結構好きだ。お前の話も面白いと良いな」

 

 常に人当たりの良い笑顔を浮かべていた相手の顔が、急に酷く歪む。煽りはお気に召さなかったようだ。そこから、1時間ほど最初と同じやりとりが続く。いや、続いてもいなかった。諦めたのか、今や雑談のフェーズに入っている。

 

「……最近の高校生は生意気なのかな。あっ、高校生じゃないんだっけ」

「……」

「そもそもねぇ、こういう取り調べ担当でもないのに仕事押し付けられて。下っ端は嫌だよ」

「……」

 

 本当にずっと彼は話し続けている。飽きもせずに。「話せ」と言ったのはおれだが、だいぶ嫌になってきた。

 

「そもそも自分はどちらかというと魔工系でね。畑違いだし……」

 

 その時、彼の情報端末から通知音が。確認するや否や、彼は立ち上がって扉を開けた。

 

「帰っていいってさ」

「……どうも」

 

 軽い会釈のみで出て行こうとしたところ、さっと行手を阻まれる。おれの目の前に差し出されたのは名刺だ。シンプルデザインのそれには「国防陸軍第101旅団・独立魔装大隊 真田 繁留」とだけ書かれていた。裏を返すと手書きで連絡先が。

 

「良ければ連絡してくれ。国防軍のはぐれ部隊だが……十師族と全く関わりがない部署とも言える。君を悪いようにしないさ」

「結構。話が面白くなかった」

「ははは、それは残念」

 

 名刺をポケットにねじ込み、出口へと急ぐ。自販機が置かれているちょっとした歓談スペースにたどり着いた時、見覚えのある人物の姿を見つけた。

 

「なんでここに……!」

「お前は本当にトラブルメーカーだな」

 

 呆れ顔の駿がソファでコーヒーを飲んでいた。

 

「それと……お前は」

「一条将輝だ。よろしく」

 

 三高のエースではないか。異変が起こった時は、CAD片手に鋭くおれを見ていた男だ。

 

「お礼言っとけよ。一条はお前の解放を手助けしてくれたんだ」

「お前が?」

「明らかに怪しくはあったが、愛梨さんを心配するあの態度は本物だったからな。それに一色家と津久葉に関わりがあることも元々聞いていたし」

 

 どうやら、駿がおれの無実を訴えて(気まぐれに送ったあのメッセージを証拠としたらしい)、関係各所を駆けずり回っている時に一条と出会ったらしい。そして、お互いの情報を提示し合って話を纏めたようだ。

 

「……そうだ! 一色の容態は?」

「一命は取り留めた。まだ意識は戻っていないし、怪我もだいぶ酷いようだが……」

 

 その話もしに来たんだ。一条は居住まいを正し、おれを真っ直ぐ見つめた。

 

「混乱を防ぐために事故としているが……あれは、事故なんかじゃない。そして、君は犯人でこそなくても『愛梨さんが狙われた』原因である可能性は高い。その辺りも明らかにしないと、また彼女は襲われる」

 

 恐らく、一条は真犯人に繋がる情報を持っている。そうでなければ、こんな言い方はしないだろうからだ。その上で、おれにも彼女を守ることに協力してほしいと彼は思っている。

 

「一色のことはそんな好きって訳ではないけど」

 

 駿がギョッとした顔をする。一条もあからさまに顔を歪ませた。

 

「それでも、助けないって理由にはならないだろ」

 

 死んでしまったら悲しい。襲われることが予見できるのに指を咥えて見ていたい訳ではない。それだけだ。

 

「まぁまぁ……取り敢えず場所を変えようか。ここだと人に聞かれる」

「そうだな」

 

 途端に表情を変えた駿と一条。2人とも生温かい視線を寄越してきたことは気になった。

 

 

 

 

 

 

 九校戦は選手・スタッフ共に拘束期間が長い。だが、辺鄙な場所にある国防軍の演習場が会場となっているため息抜きが出来る場所は殆ど無い。唯一と言って良いのが、高官用に造られたホテルのラウンジにある喫茶店だ。だが、選手やスタッフらが足を運ぶことは少ない。メニュー単価が高額だからだ。しかし、比較的裕福な家の生徒はそれをものともせずに利用する。

 今日は、ほのかの提案で深雪と雫も一緒にティータイムと洒落込んでいた。

 

「聞いた? あの津久葉くんの話」

 

 ほのかが紅茶に角砂糖を溶かしながら、そう口火を切った。

 

「うん。また事件を起こしたって聞いた」

 

 雫がケーキをぱくつきながら答える。彼女はこの話題に大して興味は無かったが、親友の話だからと耳を傾けてはいた。

 

「流石に巻き込まれただけなんじゃないかしら」

 

 さりげなく、深雪は夜久を擁護する。隠されてはいるが一応身内なので、簡単な経緯は文弥や達也から聞いて既に把握していた。事故が起きたタイミングで、夜久は何故か三高スペース近くを彷徨いていたため怪しまれて連行されたという流れを。

 

「でも、わざわざ来る必要もない。怪しいよ。何か企んではいたのかも」

「それはそうだけど……」

 

 深雪が文弥から聞いた話によると、夜久は中華街では「中華料理屋で延々と炒飯を食べる」という、何をしているのか謎の行動ばかりしていたようだ。その後、いきなり九校戦会場に向かったという。「思いつきで行動しているとしか思えない」と、文弥は結論づけていた。

 

「まぁ、あの時みたいに変な演説でもしようとしたのかな。懲りないよねぇ」

「懲りないといえば、森崎くんもそう。また、津久葉くんのことで色々な所に食ってかかってた」

 

 夜久が退学させられた時、森崎は職員室に抗議を入れていたのだ。それは、あまりにも苛烈なもので「これ以上やると君の内申にも影響がある」と、教員が脅して止める程であった。

 今回も九校戦スタッフや三高の一条将輝らに話しかけて、夜久を助けようと奔走。それどころか「あの」九島烈に面会しようとまでしていたらしい。流石に制止させられていたが。

 

「アイツは遊びに来て迷子になっただけだ!とずっと言ってたよね。仮にそうだとして、なんで森崎くんが知ってるんだろう」

「確かに」

「雫もほのかも知らない? どうやら、彼は森崎くんのお家で今お世話になってるそうよ。お兄様が言っていたわ」

 

 雫とほのかはお互い、顔を見合わせた。

 

「え、そんなに仲良いんだ……」

「私たちには理解できないけれど……彼にとっては親友なのかしらね、多分」

 

 深雪は森崎にあまり好感を持っていない。敬愛する兄を馬鹿にしたからだ。しかし、言動の割に繊細なあの夜久と、未だに付き合えているということで、それなりにはまともな人物なのだろうとは評価していた。

 

「退学しても見捨ててない、っていうのは凄いかも。友達の為に損することを厭わない、ってイメージ無かったし」

「そうそう。どちらかというと、野心が空回って失敗する印象」

 

 とはいえ、3人とも達也に近しいため、森崎とは全く関わらない。だから、すぐに話題は別のものへと変わった。

 

「それにしても。一色さんたち、大丈夫かな。懇親会の時、あの子はちょっと感じ悪かったけど……それでも、怪我は心配だよね」

「うん、天井が崩れるなんて……」

 

 クラウド・ボールのコートは、すっぽりと覆うように透明の壁や天井が付けられている。魔法で慣性が増大したボールがぶつかって割れることを防ぐため、見た目の割に丈夫な素材で作られている。下敷きになれば、かなり苦しい思いをした筈だ。彼女らは胸を痛めた。

 

「……大きな声で言えないけど、本当に事故なのかな。あんなことが起きるなんて、おかしくない?」

 

 ほのかが周りを確認し、声を顰めてそう言った。

 

「この後も何かあるんじゃないか、って怖くて……」

 

 3人の中でも、ほのかは特に不安を感じがちだ。息抜きを言い出したのも、人目につかないところで自分の思いを正直に吐露する機会を求めていたからかもしれない。

 

「九校戦継続のために事故で済ませてる可能性もある。でも、捜査をしていないとは限らない」

「パニックを防ぐために情報封鎖している可能性もあるから……」

 

 それに、何かあったらお兄様がきっと守ってくれるわ。深雪はウインクと共におどけてそう言った。

 

「そうだね。達也さんがいれば安心」

「うん、そうだよね! よかった〜」

 

 ほのかは、ホッとしたように笑みを浮かべた。

 



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第3話

 施設の外を出ると、もう夜になっていた。かなり長い間事情聴取されていたのだ、と改めておれは思う。さっきまで聞き取りを担当していた軍人も同じだけ拘束されていたと気づき、少し気の毒に感じた。だからといって、今後コンタクトを取る気はないが。

 

「……夜だから人は少ないと思うが。あまり目立つようなことするなよ。帽子は目深に被っておけ」

 

 どこで調達してきたのやら、黒いバケットハットを駿から差し出される。そして、サングラスも。

 

「何これ」

「身内が九島烈閣下の護衛で、ずっと会場待機なのは知ってるだろ? アイツらの私物から奪ってきた」

 

 たしかによくよく見ると、帽子もサングラスもブランド物だ。しかも、きちんと手入れされている。誰かのお気に入りの品なのだろう。

 さながら芸能人ばりの変装をさせられた上で、移動することになった。軍の施設内ですら話せない内容をどこで話すのだろうかと思っていたが、高官用ホテルの一室を一条は押さえたらしい。彼の案内で、ホテルの方へとぞろぞろ向かう。裏口から入って中に進んでいくところで……意外な人物に遭遇した。

 

「あれ? 貴方は……」

 

 鈴を転がすような声がした。深雪だ。後ろに女子が2人いる。彼女の友達だろう。

 

「し、司波さん!? どうしてここに」

 

 おれが何か言うよりも早く、一条が喉をひっくり返したような奇妙な声を上げた。そんなに動揺するとは、余程おれを誰かに目撃されたくなかったのか。

 

「私たちは食後のティータイムをしていたんです。もしかして、一条さんたちも?」

「そ、そうそう! そうなんです、他校の友人と親睦を深めたくて」

 

 野郎3人で茶を飲んでどうするんだ、と思ったが黙っていた。チラリと駿の顔を見たが、彼も「何を言ってる?」と言わんばかりの顔をしている。同じ気持ちのようだ。

 

「では、我々はこれで……外、暗いんでお三方とも気をつけてください」

 

 一条は強引に話をまとめると、おれ達に「行くぞ!」と言わんばかりにアイコンタクトを送ってくる。面白い男だ。

 

「──……で、茶は飲むのか? おれはやってもいいぞ」

「するわけない」

 

 エレベーターに乗り込んだ途端、格好付けをやめた一条。ただ、耳が赤くなっている。変なことを言っていた自覚はあるらしい。

 

「早く行くぞ」

 

 フロアに到着すると、さっさと廊下を進み始める。おれと駿も後に続いた。

 用意された部屋はロイヤルスイートであった。この時期にすぐ押さえられるとは、やはり十師族直系のコネは強力だと思った。そして、これくらいの無理をおれの時も通したのだろう。

 

「時間もない。すぐ本題に入らせて貰う」

 

 一条は端末を取り出し、部屋のモニターに接続した。すぐさま情報が浮かび上がる。

 

「──『イムギ』。大亜連合高麗に本部を置く、反魔法系のマフィア。まぁ、あちらの人間でアンチ現代魔法でない──つまり、日本の魔法師体系に反感を抱いてない奴は稀だが」

「面倒なのが出てきたな……」

 

 遣り口が残虐なことで有名で、四葉家の座学でも要警戒と挙げられる団体だ。

 

「あぁ。ここまで大掛かりな報復アピールをするのも、あっちの界隈の特徴といえる」

「報復ってなんだ? 一色さんが恨みを買うなんて思えないが……」

 

 確かに、あの界隈に狙われる理由は分からない。コミュニティ内の揉め事くらいならともかく。

 

「俺も気になったんだ。だから、一色の御当主に聞いてみた。すると『ひとつだけ心当たりが』と」

 

 モニターの表示が分割され、別の資料がポップする。おれには見覚えがあった。

 

「レリック盗難案件……」

「津久葉、君が探っていたものだ。そして、君の顔はそれなりに売れている。探れば簡単に分かる……バックに一色家が付いていることも」

 

 元々、あれは断る予定だった仕事だという。常日頃から関わりの深い相手ではあったが、案件を一つ断るだけで崩れる関係性でもない。しかも、中華街は一色家にとっては土地勘が無い場所であり、調査をしても上手くいかない可能性の方が高かった。

 

「それをアイツがわざと受けるよう言い出した……って言うのか」

 

 スッと血の気が引く感覚。体の体温が下がっていく。自分が消えてしまいそうで怖くなって、手のひらを何度も開けたり閉じたりした。

 

「あぁ。君と何らかのやりとりがあったと判断して、御当主も黙認したようだ。実際、あったんだろう?」

「……あった」

 

 今思えば、くだらない理由だった。本当にやるべきことなのかもハッキリしないまま、自分の欲求を充足するためにしたこと。詳細など何も言えない。言えるわけがない。おれは俯く。

 おれたちのやり取りを黙って聞いていた駿が、絞り出すような声を上げた。

 

「そ、それって……夜久のせいで、一色さんはあんなことになったってことか……!?」

 

 縋るような目をしている。それが怖くてたまらなかった。友達の信頼を既に裏切っていることは、自分が一番よく知っている。

 

「それ、あの子があんな目に遭っても仕方ないくらい……お前にとっては、お前にとってだけは重大なことだったんだよな? そうだよな……? なぁ……」

 

 口を噤むしかなかった。駿の方を見ることも、出来ない。

 それだけで彼は理解してしまったようだった。なんとなくで七草家の令嬢に喧嘩を売った時と何ら変わらない……気まぐれに過ぎないことを。あの演説なら、それで構わなかった。「退学」という形で、おれがちゃんと対価を支払ったから。でも、今回はそうでない。

 

「ふざけるな!」

 

 おれの体が持ち上がる。駿が胸倉を掴んできたのだ。

 

「お前も見ただろう……。崩れてきた天井のせいで、手も足もメチャクチャに潰されていたのを。女の子だぞ?」

「……今の医療なら長くて半年あれば元通りだ。魔法治療ができれば、もっと早い」

 

 大して傷は残らない。お母様が未だに抱え続ける呪いのようなものだって、特に出来る要因などないだろう。それだけが救いだった。

 

「……っ! 僕はそんなこと聞いてない!」

 

 床に思い切り転がされる。勢い余ってテーブルの脚に頭を強かに打ち付けた。

 

「痛い……」

 

 頭を抱えて呻くおれ。ふと顔を上げると、駿はとても悲しそうな表情をしている。もう怒っていなさそうなのが、不思議だった。

 

「夜久……お前は親友だ。今までも、これからも……ずっと。だけど、今のお前とは顔を合わせられない。このままじゃ……嫌いになってしまう」

 

 彼はそう言い捨て、こちらに背を向けた。一条に「あとはよろしく」と言うやいなや、さっさと部屋を去っていく。

 おれと一条だけが客室に残される。共通の知人を失ったため、かなり気まずい。しかも、仲違いの瞬間まで見られた。

 

「……うーん。まぁ、あの……君も悪かったところが大いにあると個人的には思うような。──ただ、もう起きたことは仕方ない」

 

 一条はおれをそんな風に慰めると「この部屋は自由に使ってくれて構わない」と言った。

 

「とりあえず、今日はもう休め。色々言ったけど、あまり考え過ぎずに……」

 

 彼も部屋をそそくさと去っていく。一人残されると、広い空間ゆえに寂しく感じる。寝室の方に行ってみた。そこも同じように広くて、がらんとしている。引き寄せられるようにベッドに入り、布団を被った。視界が暗くなり、ようやく安心できた。

 目を瞑ると、様々な考えが頭の中で浮かんでは消える。伯母様の言葉を、ふと思い出した。

 

(もっと悪いことをすれば、『あの日』の罪が薄れるんじゃないかって……)

 

 おれもそう思っていた。お母様の代わりに、別の誰かを傷つけること。世界に少しずつ、どうしようもない理不尽を与える。でも、まだ足りなかった。だって「四葉真夜」の哀しみは、そんなちゃちなものじゃない……。

 本来、一色愛梨に降り掛かった悲劇は喜ぶべきことのはずだった。おれが引き金であるのならば、尚更。それなのに、なんだか悲しくて堪らなくて。けれども、悲しみ方すら間違っているらしい。答えの出ない問題を考えてるうちに、意識を手放した。

 

『──』

 

 ピピピ……という電子音が微睡みを邪魔する。すぐ止まるだろうと我慢するが、いつまで経っても静かにならない。眠っていられなくなり、仕方なく目を開けた。カーテンの向こう側がぼんやりと光っている。

 

「……もう朝か」

 

 そして、未だに音は鳴り続けていた。出所はポケットに入れっぱなしの端末。画面には見覚えのない着信通知。

 

「もしもし……」

『一条だ。大変なことが起きた。時間がないから手短に言う。──愛梨さんが攫われた。最悪の事態だ』

 

 その言葉で、一気に目が覚める。

 見せしめはあれだけでは終わらなかったのだ。それどころか、まだ本番が存在した。

 

『集中治療室から病棟に移すところで、何かが起きたらしい。まだ詳細は分からない』

「……そんな」

『俺は今金沢に帰っている最中だ。戻り次第、一色家とウチの合同捜索隊を指揮することになっている』

「えっ、お前……新人戦は」

 

 今日はアイス・ピラーズ・ブレイクが開催される日だ。一条家の「爆裂」とかなり噛み合う競技で、代表に選出されている筈だった。

 

『棄権した。なぜなら、俺は十師族直系で……有事の際には動く責任がある。そういう立場だ』

 

 そして、君は何もするな……と、一条は続けた。

 

「はぁ!? 何言ってるんだよ」

『君も昨日思い知っただろう。いたずらに事を起こして、愛梨さんに災いが降り掛かった。正直、津久葉……君は不確定要素だ。しかも、悪い方向に転がる可能性のある』

「……」

『彼女を案ずる気持ちが少しでもあるなら、じっとしておいてくれ。じゃあ』

 

 そのまま通話は切れた。おれはあまりの屈辱を感じ……端末を床に叩きつけた。

 

「ふざけるなっ!」

 

 一条将輝とおれに、何の違いがあるというのか。実質的には同じ十師族直系。なぜ、こんなことを一方的に言われなくてはならないのだ。

 

(それに……間に合うわけがない)

 

 早く動かないと、きっとお母様の時と同じになる。居場所を出来るだけ早く把握しなくてはならない。うかうかしている時間はなかった。

 

「……行こう」

 

 出来る人物に心当たりがある。今、愛梨の誘拐を知る者の中で……おれだけが奴を知っているのだ。転がるように部屋を飛び出す。向かうは九校戦会場の──第一高校本部。

 朝早いが、学生たちは既に準備の為に待機している筈だ。案の定、お目当ての相手はすぐに見つかった。テントの外で作業をしていたから。あちらもおれに気付き、怪訝な顔をしながらも近づいてきた。恐らく、面倒ごとの予感がしたのだろう。もちろん、それは大正解だ。

 

「……おい、手伝え」

「断る」

 

 けんもほろろの対応。予測はできていたが、ここで退く訳にはいかなかった。

 

「今のおれにはお前が必要なんだよ……司波達也!」

 

 おれが探していたのは従兄弟の達也である。彼に「精霊の眼(エレメンタル・サイト)」を使わせねばならなかった。

 

「おれたちの変数概念は同じだ。見つけられる筈なんだ……分かるだろう?」

 

 伯母様の後継として、同じ魔法を持つおれが兄妹にあの「誓約(オース)」を行使した。その影響で達也と深雪、おれの情報次元座標の感覚は同期している。つまり、おれと繋がるエイドスについて、イデア上で達也も知ることが出来るのだ。そして、彼はその位置を正確に探知する力を持つ。

 

「だからといって、何故協力せねばならない? 俺は今忙しい」

「待てよ!」

 

 背を向ける彼に追い縋った。周りからの視線を感じる。こんなところで騒いでいるので、当たり前だろう。

 

「……帰ってくれ。周りの迷惑になる」

「嫌だ!」

「帰ってくれ」

 

 堂々巡りの押し問答が続き、少しずつ野次馬が集まってきていた。

 

「──夜久に協力してやってくれないか、頼む……!」

 

 おれたちとはまた別の声がした。また、その声の主をよく知っている。

 

「駿……」

 

 昨日はあんな風に見限った癖して、心配そうにおれの隣にやってきた。彼は周りを気にしながら、声を潜めて言う。

 

「きっと……一色さんのことだろう。朝、俺も聞いた」

 

 駿も知っていたとは意外だった。あんな話を聞いた彼なら、何か行動を起こすと思っていたから。

 

「俺には力がない。何もできないから、ここにいる。でも、お前はそうじゃないんだろう? そして、そのお前が俺じゃなくて司波を選んだ……」

 

 頼む、と駿は達也に深く頭を下げる。周囲からどよめきが起こった。当然だ、二科生にこんな態度を取る彼の姿など誰も見たことがない。

 

「司波には起動式の内容を読み取る力があるんだろう? 多分、夜久はその力を必要としている……──なぁ、司波。僕のバカバカしい見栄で、今まで見下してすまなかった。自分の頭で良ければ、いくらでも下げる。どうか……」

「正直な所。森崎には何の隔意もない。ゆえに謝罪を受け取る必要もないし、彼に協力する理由もやはり無い」

「受け取ってもらえないのは分かっている。それでも頼んでるんだ……」

 

 駿はまだ頭を上げようとしない。それどころか、床に座り込んで頭を擦り付けんばかりだ。おれもおずおずと彼の真似をした。

 

「いや、もういいか? それに、俺は深雪のCADを見てやらないといけない。それは何よりも優先されるべきことだ」

「──待って。お兄様」

 

 突然、深雪がそこに現れた。兄が巻き込まれたという騒ぎを聞きつけて、駆けつけてきたに違いない。アイス・ピラーズ・ブレイク用の仮装──巫女装束に身を包んでいるため、普段よりも人外じみた美しさが強調されていた。

 

「夜久くんを手伝ってあげて欲しいの」

「深雪……。だがな」

 

 彼女は達也に薄く微笑みかけると、おれの方に近づいた。そして、衣装が汚れるのも厭わず膝を地面に付ける。

 

「ほら、顔を上げて……私でも分かるわ。『哀しい匂い』が」

 

 深雪は自らの手のひらで、おれの頬を包むようにした。ひんやりとした冷たさが伝わる。

 

「ねぇ、それは本当に大事なこと? 私のアイス・ピラーズ・ブレイクより……貴方にとってだけは大事なことなのね? そうよね?」

 

 黒真珠のような大きな瞳に覗き込まれる。心まで吸い込まれそうだ。

 

「うん……」

 

 パッと手を離された。それでも、まだ頬に感覚は残っている。

 

「分かった。……頑張ってね」

「……深雪ちゃんも。優勝、頑張って」

 

 せめてもの応援に対し、深雪はにっこりと笑って軽く首肯した。その様子を見た達也は肩をすくめ、黙って歩き出した。人気のない場所を探すのだろう。慌てておれはその背を追った。

 



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第4話

 達也はそれなりにこの敷地内の構造を把握しているようだった。すぐに建物と建物の間のちょっとした空間を見つけ出し、壁に背中を預けた。そして、こちらへ手を差し出す。

 

「手短にやろう。早く終わらせれば、深雪の試合開始時間には間に合う」

「……あぁ」

 

 彼の手のひらの上に、自分のものを重ねた。別にやりたかないが、今はとにかく早く済ませなければならない。最善の方法を取っただけだ。

 愛梨のことを思い浮かべる。「縁」という情報を出来るだけ強くするためだ。彼女が生きているならば、精神情報は間違いなくイデア上のどこかに存在している……祈りつつ、おれの情報を想子信号に変換、達也の魔法演算領域へと送り込む。過去24時間までの情報を遡ることで、達也は愛梨の情報を手に入れることが出来る。しばらくの間、おれたちは無言だった。達也は静かに意識を集中させ……数多あるエイドスを参照し、目的の座標を探っている。

 

「……見つけた」

「どこだ?」

「横浜港近くの貸し倉庫だ。詳細は図面の方が分かるだろう」

 

 達也は端末を操作し、情報をおれの端末へ送ってくれた。

 

「俺と彼女に強い結びつきはないから、細かい状況については判断できていない。まぁ、それなりには構成員もいるだろう」

「場所が分かれば十分だ。感謝する」

 

(それにしても、倉庫か……積荷と一緒に国外に連れて行く気だな。これは)

 

 日本から出てしまえば、救出の難易度は大きく跳ね上がってしまう。下手をすれば、1ヶ月近く交渉に時間がかかる。そうなれば、もう終わりだ。

 急いでタクシーをチャーターする。運良く、15分後には来てもらえそうだ。続いて、高速リニアのチケットも。その様子を見て、達也が意外そうな顔をした。

 

「一緒に来いとは言わないんだな」

「言ったとして。来るのか?」

「いや? 深雪の試合を見ないといけない。何かの間違いや審判のミスで、フライング判定されたりする可能性があるからな。見守って……抗議をする用意をしておかないと」

 

 彼にとっては、妹のことが世界で起こる出来事の中で何よりも重要なのだろう。それもそれで、1つの価値観だ。

 

「そうか」

 

 おれはふと思い立って、指を鳴らした。ぱちりという軽い音とともに、淡い想子光が輝く。

 

「お前……」

 

 表情筋の固い達也にしては珍しく、驚愕の感情を乗せた顔でこちらを見た。

 

「恩返しだ。少しだけ縛りを緩めたから、深雪ちゃんの魔法暴走も落ち着く」

 

 もちろん、これは達也に着いてきて欲しくてやったことではない。深雪が確実に優勝できるように、手助けしたのだ。

 

「……礼は言わない」

「お前の感謝なんか要るかよ!」

 

 おれはそう言い捨てて、タクシー乗り場の方へと向かった。まだ車は来ていない。分かっているけれど、じれったくてたまらなかった。

 

「──駅まで」

 

 運転手に行き先を告げると、先ほど送ってもらった資料を確認する。

 

(そもそも、どうやって一色の奴を誘拐した? 警護の人間はいた筈だし、想子センサーだって機能していたに違いないのに)

 

 そこで、例の「イムギ」は古式系の魔法師を多く抱えていると昔に教えられたことを思い出す。

 古式魔法というのは、現代魔法のようにそのすべてが纏まった系統として存在しているわけではない。「特殊な状況は古式を疑え」と言われるくらい、流派によって特徴は様々だ。

 

(集中治療室から移動させる時に事は起きたと言っていた。とはいえ、正攻法なら流石に警護の人間も気づく。その場合、近くで魔法が発動してるんだから。あり得るのは……遅延型)

 

 遅延型というのは、古式魔法が発動に時間を要することを逆手に取るテクニックを言う。術者は集中を必要とするため無防備になるが、その点をカバー出来れば、これほど隠密に事を運べる魔法はない。

 集中治療室から病室までの空間を幻影魔法で区切り、患者をすり替えた状態で移動させることは容易だろう。

 

(古式は乗積魔法(マルチプリケイティブ・キャスト)ですら珍しくない。複数人で分担していたとすれば、メインの術者なんかほぼ見つからないぞ……)

 

 現代魔法では、七草の双子くらいしか実現できないそれ。彼女らの「乗積魔法」が珍しいのは、コンマ以下数秒が求められる状況で行使できるからだ。よくある「乗積魔法」というものは、時間をたっぷりと掛けて、一つの起動式をセンテンスごとに区切ったものをそれぞれ発動していくこと。

 

(ただ、逆にそのタイプの魔法師が多いのならば……おれにも勝ち目がある)

 

 古式魔法は発動に時間がかかる。だからこそ、事前の準備を必要とする。魔法をかける場所に印を付けたり、処分対象にあらかじめ接触したりなどだ。つまり、自分のフィールドで先に飲食をさせたりなど……。

 

(……まずい!)

 

 おれは大きなミスを既に犯していることに気づく。防衛本能から無意識のうちにCADを構える。運転手が急に後ろを振り向いた。魔法を使うのと、鋭い痛みが身体中を走るのはほぼ同時。精神干渉系魔法「毒蜂」は、なんとか相手の術式が十全に効果を表すよりも早く発動できたようだ。運転手は既に事切れている。

 

(念の為、刃を仕込んでいて良かった)

 

 伸ばした爪の中に小さな刃を入れていた。それを飛ばし、傷の痛みを増幅させることでショック死に至らせたのだ。これは黒羽貢が開発した魔法であり、精神干渉魔法に長けた四葉の魔法師ならばほぼ使いこなせる。

 おれの身体中には、刃物で抉られたような傷が浮き出ているが、それだけで済んだのならマシだ。身体の中をグチャグチャに刻まれるなどの事態は避けられた。事前に媒体となるものを体内に取り込ませて、簡単な魔法1つ掛けるだけで強力な術が発動するようにしておく。こんな典型的な罠に引っかかるとは。迂闊だった。

 

(探知系の情報生命体も残ってそうだな……)

 

 運転手を失ったタクシーから降り、おれは嘆息する。幸い、駅はすぐそこだ。歩いて行くしかない。

 乗り場で車を待っていることに気づき、途中で運転手を襲うだかして、術者がすり替わったのだろう。つまり、位置情報が筒抜けになっている可能性が高い。

 

(まずいな……下手に現場に近づいたら、俺が居場所を知っていることがバレる)

 

 みっともなく泣きついてでも、達也に着いてきてもらえば良かった。そうすれば、移動させられてしまっても、すぐに対応出来るというのに。

 

(クソ……先に炒飯を出してきた店主を殺さないと)

 

 おれの中に這っている根元の魔法をなんとかしない限りは、刺客を何人殺しても解決しない。予定変更だ。中華街に向かう。直接横浜港に行かなければ「バレていない」と向こうも判断するはず。ただ、古式魔法師相手に準備をする時間を与えてしまうのは、こちらにはかなり不利な状況であった。

 高速リニアに乗り込み、横浜へと向かう。移動中も自分の中にあるトロイの木馬に怯え続けねばならなかったが、幸いなことに何も起こらなかった。とはいえ、嵐の前の静けさといえる。

 目的の店はシャッターが閉じられていたが、魔法的な波動がうっすらと伝わってきた。加重系魔法でシャッターを吹き飛ばす。すると、店の奥からいきなり獣の形をした雷撃が襲いかかってきた。念の為障壁魔法を展開しつつ、CADに指を走らせる。軽い手応えがあった。

 身体から明らかに違和感が抜ける。木馬が機能しなくなったのだ。こうしてみれば「なぜ気づかなかったのだ」というほど、元の状態と感覚に差がある。その辺りの認知も狂わされていたのかもしれない。恐ろしいことだ。この魔法については、いずれ調査しておかなければならない。

 

(……あれ、こんなものか? おれが警戒しすぎただけか?)

 

 もっと大人数で襲ってくるものだと思っていた。貸し倉庫の方に人員を回しているのか? それにしても偏りすぎだ。

 少し迷ったが、中に踏み入ってみることにした。カウンターを抜けて、奥の階段から居住区の方へと進む。

 

「……!?」

 

 驚くべき事態が起きていた。テーブルに伏せる者たち、床に倒れ込む者たち……。既に死亡していることが明らかだ。おれが踏み込む前に、何者かの襲撃者がいた──それは間違いない。

 部屋の奥にもう一つの死体。おれに炒飯を提供した男だ。あの時は気の良い表情に見えたが、死に顔は苦悶に満ちていた。ただ、奇妙な状況ではある。呪符によって四肢が押さえつけられているのだ。右手と右足は壁に、逆は床に接着されている。どう考えても、本人の意思であるとは思えない。

 

(……何かいる!)

 

 首筋にぞわりとした感覚。流石に警戒していたため、すぐさま対処することができた。使ったのは、精神構造干渉魔法「フラクチュア」。情報生命体といった、精神に似た形を持つ存在に対して「割れ目」の情報を付け足すことで破壊する魔法だ。

 

「化成体なんて……久々に見たぞ」

 

 化成体とは、霊的エネルギーを可視化させたものだ。想子塊をベースに幻影魔法で姿を作り、物質に干渉する加重加速・移動魔法を維持し続けることで肉体を持っているかのように見せる。日本ではあまり使われない。おれも実物を見たのは、四葉の訓練課程で用意された時以来だ。

 呪符と店主の死体という贄、これらを媒体に用意されたブービートラップのようだった。つまり、彼らを襲ったのもチャイニーズマフィアなのか。

 

(内輪揉め……?)

 

 少なくとも、おれにとっては運良く転がり込んできた最高の贈り物。店から撤退し、貸し倉庫のある港へと急いだ。目的の場所は入り組んで奥まった場所に位置しており、かなり見つけることが難しかった。

 倉庫周辺は静まり返っていたが、物陰に待ち伏せしている人員が複数いることはすぐ分かった。まずはここから対処せねばならない。広範囲に恐怖を惹起させる「マンドレイク」を放ち、敵に精神ショックを与えて動きを止める。その上で、怪しい場所を目視で確認し、敵を見つけるたびに「ユーフォリア」によって死のイメージを見せていく。効き目を表すまで時間が掛かるし手間だが、この方が絶対に確実だ。精神干渉魔法の起動式は、そもそも対多数用に設計されていない。自分の目で見ないと、抜けが出る可能性がある。

 後ろで微かな物音がした。マンドレイクの範囲にいなかった人間が、息を潜めて待ち構えていたのだ。加速魔法を使い、思い切り吹き飛ばす。敵の身体がゴム毬のように地面で跳ねた。

 

(まぁ、死んだだろう……多分)

 

 攻撃魔法は力加減がいつもよく分からなくなる。素人だとやり過ぎるか、弱過ぎるかのどちらかになりがちだ。

 そっと息を吐いて、気持ちを落ち着ける。そして、倉庫の壁に近づいた。人の気配がするが、意を決して飛び込む。その瞬間、大量の銃弾がおれに向かって放たれた。対魔法師用フルパワーライフルだ。十数名が一斉にそれを撃ってきている。無策でノコノコ出ていったが最後、身体中穴だらけになって死ぬ。

 

(そうなると思っていた!)

 

 しかし、フルパワーライフルに対する訓練は経験している。沖縄侵攻の際、伯母様が撃たれて命を危うく落としかけた反省から、定期的に四葉の村で実戦訓練をさせられるのだ。シミュレーションは繰り返している。

 敵に姿を見せた瞬間、おれは適当に複数人に向けて簡単な幻影魔法を使っていた。「棒立ちで立っている」状態を短時間だけ相手に認識させるもの。それを映し出している隙に、射線から逸れるように横に転がった。そして、一目散に貨物ゾーンへと向かう。違和感に気づかれるまでに、何とか愛梨を探さないといけない。

 広い倉庫の中で中身を一つ一つ確認していられない。信じるのは、おれの魔法だけだ。精神干渉魔法に強い適性を持つゆえ、精神のようなものを情報次元上で「視る」ことができる。この倉庫内程度の広さであれば、干渉力が及ぶ範囲だ。ならば、愛梨とおれの縁が強く結びついていると信じ、それを見つけ出すことが出来れば……彼女の居場所だって分かる。 

 

(どこだ……どこにいる? いるんだろう?)

 

 心の中で必死に呼びかける。どうか伝わってくれ……と祈り続けた。そろそろ幻影のカラクリにも気づかれるかもしれない、それより早く見つけたい。

 

「──いた!」

 

 ある一つのコンテナを見た瞬間、強く心が揺さぶられた。砂漠でオアシスを、夜空で星を……大海原で陸地を発見したかのような、奇妙な興奮と感慨。これだ、間違いない! おれはそのコンテナが載ったパレットごと緩く移動魔法を掛け……入口とは逆の搬入口まで滑らせながら、できる限りのスピードで屋外へと飛び出した。

 コンテナを倉庫から離したあと、CADを操作する。幸い、銃撃は継続していた。だから、迷わず「酸素空洞(オキシゲン・チェンバー)」を発動。ちょうど構成員らのいる空間において、空気中の組成が大きく変わる……高濃度酸素領域に。

 倉庫が一気に火の海となる。火器を使っていたために、酸素に引火して大爆発が起きたのだ。かなり危険で無茶な方法だが、これが戦闘魔法師ではないおれに思いつく精一杯であった。

 

「……はぁ。やっと終わった……」

 

 疲れから、地面にへたり込む。しばらく、ぼんやりと炎を眺めていた。数分かけてようやくアドレナリン放出による昂りが落ち着き、愛梨の様子を確認しようと思い立った。

 パレットの上からそっと一つのコンテナを降ろす。ゆっくり開くと、そこにはちゃんと少女──愛梨がいた。意識が元々ないのか、眠らされているのか……それは分からない。ただ、生きてはいた。

 

「一色……ごめん」

 

 コンテナの中の愛梨は、記憶よりずっとずっと小さかった。当たり前だ。まだ手足の再建手術に至っていない状態で攫われたのだから。切断面にある生々しい縫い跡を見て、おれは訳も分からず泣いた。

 

「ごめん……本当にごめん」

 

 今になって、やっと分かった。駿が「女の子だぞ!?」と叫んだ訳が。そもそも、こんな姿にさせてはいけなかったのだ。手も足も現代医療で綺麗に治るのは確かだ。でも、それは悲劇を甘んじて受け入れる理由になどならない。

 

(助けられて良かった……)

 

 コンテナに寄りかかり、おれは目を瞑る。腫れた目の痛みが和らぐ。

 とんでもない爆発を起こしたので、このまま居座っていれば面倒なことになるのは分かっている。だが、彼女を置いていけなかった。





 まだこの章は続きます。ただ、陰鬱なターンは抜けられたかな……と思っています。


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第5話

 横浜にある某高級ホテルには、一般客には存在すら公開されていない最上階フロアがあった。これは華僑資本が入っているゆえに通せた無茶であり、彼らと関係深いチャイニーズマフィアの根城として用意したものだ。

 美しい夜景を見渡せるその部屋で、2人の人間が言い争っていた。いや、そのうち一方だけが口角泡を飛ばす勢いで、何事かを言い募っている。

 

「話が違うではないか! 誰でもない周先生の頼みだからこそ、1年前から準備していた賭博用の仕掛けをフイにしてまで……イムギに明け渡したのだぞ! 今になって、補填分を払わないなんて……」

 

 でっぷりと太ったスーツ姿の男──香港系犯罪シンジゲート「無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)」の幹部は、内心酷く焦っていた。

 無頭竜東日本支部は、例年九校戦を使った賭け事を開催している。最初は身内で始めた遊びのようなものだったが、時が経つにつれて取引相手をも含めた大掛かりなものへと変貌した。そんな一大イベント開始直前に、新興マフィアが個人的な復讐を行うという理由で中止にするよう求めてきたのだ。もちろん、普通なら相手にするわけがない。しかし、仲介してきた人物が面倒だった。

 

 仲介人は周公瑾という男であった。彼は横浜中華街内でかなりの影響力を持っている。なぜなら、華僑やチャイニーズマフィアは彼の培った強力なコネクションに助けられなければ、満足に仕事をすることができないからである。日本の水際作戦は優秀であり、幻術に長けた古式魔法師の力を借りでもしない限りは見つかってしまう。無頭竜もまた、日本進出以降ずっと周の援助を受け続けているのだ。彼の頼みを断れるわけがない。仕方なく、賭けイベントを中止にしたのだ。

 

「えぇ、分かっていますよ。お約束しましたものね。賭けを実施できないことで出る損失分を私が支払うし、彼らは彼らでレリックを謝礼として出す……確かに言いましたよ。覚えています」

 

 対して、椅子に座って悠然と微笑んでいる美丈夫。かなり若い男だ。しかし、見た目に騙されてはならない。彼こそが、あの厄介な周公瑾なのだから。

 

「でも、気が変わりました」

「気が変わった、で済む問題ではないのだ!」

 

 この状況をなんとしてでも打破しなければ、自分が処分される。だからこそ、幹部は目の前の男を説得せねばならなかった。

 

「……私はともかく、ボスは冷酷な方だ。この不誠実に対して『然るべき対応』をするだろう」

 

 首領の存在をちらつかせて脅迫する。しかし、周は余裕の笑みを崩さない。

 

「対応している時間がありますかねぇ……司直の手が迫っているというのに」

「貴様、まさか……!」

 

 情報を流したのか、という言葉は口にできなかった。突如として黒い獣が現れ、彼の腹を食い破ったからである。内臓をずたずたにされた人間が応急措置もなしに生きていられるわけがなく、しばらくすると生命反応を失う。

 黒い獣──影を媒体に作り出す特殊な化成体は、周の使う特殊な技術の一つであった。

 

(やれやれ……。これで無頭竜もいずれは空中分解ですか。あっけないものです)

 

 大義名分を手に入れた公安の仕事は早い。本国のアジトはともかく、東日本支部は壊滅だろう。

 

(貴方がたのお遊戯には興味はなかったのですが)

 

 無頭竜の存在は、周にとってもかなり有用だった。彼らの行うギャンブルがもたらす利益によって、彼も甘い汁をたくさん吸わせてもらったのだ。それを捨ててまで、やらなければならないことが出来ただけで。

 

(面白いものを見つけてしまいましたからね……)

 

 最初、イムギに陳情された時は「一色家の援助を受けている奇妙な少年」など、周は興味を持たなかった。だが、彼は気づいてしまったのだ。津久葉夜久の動きを監視する黒羽の存在に。

 現在、在日華僑やチャイニーズマフィアは四葉を警戒している。4〜5月頃の反魔法団体をめぐる問題のせいだ。それは向こうも認識している筈。そんな状況においても、わざわざ四葉家が中華街に出張ってまで動向を探る魔法師。今後スカウトをする予定で、引き抜きに警戒しているのだと推測できたが、四葉の戦力が増強されては困るのだ。だから、一色家への報復に協力する対価として、夜久の暗殺を依頼した。

 

(捜査の手も伸びるでしょうし、イムギはもう切るしかありません。──よくやってくれたんですけどねぇ……構築に数日は掛かる術式を見事完成まで持って行ったというのに。いや、相手が間抜けすぎたのもありますが)

 

 その間抜けな夜久は、術で死ぬことは無かった。目をつけられるだけはあり、そこそこ有能だったのだ。これ以上彼らに任せてはいられないと、周は自ら出向いて術師を餌に化成体を使っての殺害を計画。しかし、それも失敗した。

 

(もう少ししっかりと考えないといけませんね……)

 

 用意していた化成体は虎の子であった。何しろ、作るのに10年を要する代物。それをあっさりと対処されてはどうしようもない。同じことを何度やっても意味がないためである。夜久が四葉と接触してしまう前に殺せないのなら、とりあえずこちらからも引き抜きを試みてみるべきではないか……そんなことを考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 倉庫を放火したことで留置所にでも引っ張っていかれるのではないかと思っていたが、おれも巻き込まれてしまった哀れな人間と思われたのか、愛梨と共に保護されてそのまま病院へと運ばれた。よく考えれば、自分も身体中の皮膚が裂けていたのだ。どちらにせよ、治療を受けるべきだったろう。

 縫合手術を受け、傷が塞がるまでベッドに横たわるだけの生活が続く。天井を眺めながら、愛梨は無事だろうかと考える。あの日から、本人の姿を見れていなかった。もう1週間も経っているので、流石に気になってくる。

 

「──今回は良い方向に転んだな」

 

 初めての見舞客は一条であった。彼はベッド脇の椅子に腰掛ける。この男がここにやってきたということは、問題はひと段落したということだろう。

 

「お陰様で、愛梨さんは無事だったよ。既に目も覚ましたし、手足の再建手術も受けられている。リハビリは多少時間がかかるだろうが」

「そうか……」

 

 おれは成すべきことを成したのだと、安堵する。

 

「ただ、事前に連絡は欲しかったがな」

「何もするな、と言ったのに? それに、おれの言うことを信じたか?」

「それでも言うんだよ。コミュニケーションとはそういうものだ」

 

 当たり前だが、達也などとは全く違うタイプだなと思った。二度手間になる会話を良しとする、なんて合理的ではない。それとも、一条のような人間のほうが世間では大多数なのか。おれには皆目見当もつかなかった。

 

「……」

「まぁ、いいや。──ところで、もう歩けるんだろ? ちょっと散歩しよう」

「痛いから嫌だ」

 

 寝る以外のことをすると、皮膚が引き攣って鈍い痛みが走るのだ。切れた筋肉を縫われたからか、こころなしか手術後の方が辛い。

 

「……ここでは話せないことなんだよ、察しろ」

 

 渋々起き上がり、彼についていく。エレベーターに乗せられ、上階へと上がる。そのフロアには、過剰とも思えるほどの人間が廊下に待機していた。物々しすぎる。どこに連れてこられたのか察したおれが立ち去ろうとするよりも早く、一条はある病室の扉を開けた。

 

「……一色」

 

 特別室なのか、普通よりも広い部屋の中。窓際で、車椅子に乗った愛梨が外を眺めていた。彼女の両手足は、固定用の包帯でしっかりと巻かれており痛々しい。だが、窓から差し込む陽の光をたっぷりと浴びている彼女の様子は、いつも結われている髪が下ろされていることも相まって、一つの芸術作品のような雰囲気を醸し出していた。

 入り口で突っ立っていたおれは、一条に背中を押される形で部屋に足を踏み入れる。意を決して、彼女の側まで行く。

 

「あの……」

「謝らなくていいわよ、別に」

 

 言葉選びに詰まるおれに愛梨は言う。それでようやく、おれは彼女に謝ろうとしていて……そのくせ、何を言うべきか分からなかったのだと気づく。

 

「話は全部聞いたわ。でも……私が自分で決めて、自分でその報いを受けたの。それだけよ」

 

 彼女の中では、最終的な判断をしたのは自分だという思いがあるらしい。原因がおれのせいであることを責めるつもりはない、という態度だ。

 

「あの、愛梨さん。彼を庇うつもりなのはわかるが……でもなぁ」

「将輝さん」

 

 一条が愛梨を諭そうとするも、彼女は静かにそれを遮った。

 

「……馬鹿にしないで」

 

 彼女の中の論理がよく理解できなくて、おれは内心で疑問符を浮かべる。

 

「もし、あの時死んでいたとしても……いえ、死ぬより酷い目に遭ったとしても。私を哀れむことができるのは、私だけ」

 

 自分の経験を、似た事件に重ねていることは伺えた。そして、それは間違いなく「2062年の悪夢」だ。四葉に復讐の炎が燃え上がったきっかけ。

 

「思っているわよ。どうして、私だったのか。なぜ、お父様でも弟たちでもなく。この私が見せしめに選ばれたのか……」

 

 世界に偏在するはずの不幸は、時に片方の天秤に傾く。愛梨はその理不尽を思い知ったのだ。

 

「でも、この怒りは私のものよ。どこにぶつけるかも自分で決めるの……勝手に気持ちを代弁して、犯人を作り上げて、気持ちよくならないで」

 

 隣にいる一条の、息を呑む音が聞こえる。もちろん、愛梨の意志の強い目がこちらに向けられたからだろう。視線の鋭さには、おれだって身体を射抜かれそうな錯覚に陥った。

 

「怒りはお前のもの……」

 

 おれは思わず呟いた。頭を殴られたような衝撃。信じられない概念が飛び出したから。けれど、同じようなことをどこかで聞いた気がする──あれは、伯母様の話になかったか。

 

 ──真夜の思い出も経験も、何もかも勝手に引っ掻き回した……本当はあんなことしなくてよかったのに。魔法は万能じゃないもの。

 

 伯母様は、精神構造干渉魔法を行使し──お母様の経験記憶を知識に改変し、世界の感じ取り方を完全に変えてしまった。その罪を悔いて、おれに語ったこと。

 お母様の悲しみは、憎しみは……四葉家全体のものでもあったと思う。だが、きっと過剰に同一視し過ぎてしまったのだ。だから、今になってもおれたちは後に引けないのかもしれない。いや、けれども……

 

「──……すまなかった」

 

 おれの思索は、外部からの声で遮られる。ふと見れば、一条が愛梨に謝罪していた。

 

「貴女の気持ちも考えず、無遠慮な発言をしてしまった。少し、頭を冷やしてくる」

 

 そう言って、彼は病室を出て行く。

 閉まった扉を愛梨はしばらく眺めたのち、そっと鍵を閉めた。そして、おれの方を向き直る。

 

「今言った話は全部、本当に私の思ってることよ。だけど、将輝さんは同じ『一』を冠するライバル。少しだけ、見栄を張ったところがあった……」

 

 彼女は車椅子を器用に動かし、おれの側へと近づいてきた。身を乗り出したかと思えば、急におれの胴に手を回す。こちらに寄りかかる形だから、頭の重みが服越しに伝わってきた。

 

「お、おい……」

「もしも、あの時来てくれなかったら……と考えると、怖くてたまらなくなるの。助かった今でもよ」

 

 震えるような、弱々しい声だった。

 偉そうで、意地っ張りで……わがまま。それを欠点だと思っていたが、愛梨らしさでもあったのだ。恐怖は人を変えてしまう。こんなしおらしい少女ではなかったのに。彼女を襲った理不尽を実感し、初めてやるせなさを覚えた。

 

「もう大丈夫……。大丈夫だから」

 

 迷いつつ、髪を手の指で梳いてやった。同時に、彼女の頭を自分の胸へと抱き寄せる。どれくらいの間、こうしていただろうか。

 

「……運んで」

 

 愛梨がぽつりとそう言った。おれは彼女の身体を抱き上げ、ベッドの方へと移動させる。横たわらせてやると、彼女は徐に呟いた。

 

「目を瞑れば、天井が崩れてくるの……」

「……ごめん」

「言ったでしょう。謝って欲しいわけじゃないわ。──……ほら」

 

 耳元で「守ってよ」と囁かれる。悪戯っぽい表情には、何処か色気があった。

 

「私が天井に押し潰されないように……」

 

 黙ってカーテンを閉め、ベッドの上に乗り上がる。病院の寝具特有のリネンの匂いがした。重めの布団をかけると、世界で2人きりになったような錯覚がする。

 

「……傷は、もう治ったの?」

「一応は」

「そう」

 

 ぴったりと身体を寄せ合うことで、何とか証明できるだろうか。怖いことなど、ここには何も無いと。

 

「キスくらいしておく?」

「馬鹿」

 

 頭を軽くぶつけられる。しかし、愛梨は「……しましょうか」と言った。

 

「忘れたいの。何もかも、全部……」

 

 彼女が軽く目を閉じた。静寂の中で、お互いの息遣いがする。鼻が触れ合う距離まで顔を寄せると、ゆっくり唇を重ねた。乾燥でちょっとかさついている。ふやかそうと、ほんの少し舌を出してなぞる。それゆえか、口を離すと糸を引いた。

 

「……夜久くん」

「なに」

 

 彼女は柔らかく微笑んだ。ただ、その奥には翳りもある。

 

「これからは、愛梨って呼んでね……──」

 



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第6話

 夜久が四葉本家の屋敷に入ることは稀だ。第四研にはちょくちょく顔を出すが、泊まりがけの際も研究室の仮眠室を使用する。なぜなら、立ち入りを基本禁止されているからである。ちなみに、他の分家の屋敷も彼は出禁だ。

 そんな彼は久しぶりに、本家に足を踏み入れていた。しかも、当主との面会という目的で。

 

「……見たわよ。あのニュース」

 

 相変わらず、真夜と夜久の間の空気は険悪であった。

 葉山だけが「親子の繋がりは大切ですからねぇ」と呑気なことを言いながら、楽しそうにお茶菓子などの用意をしていた。ある意味、図太い人間である。これは、彼が完全なる譜代の四葉家使用人ではないことも理由にあるのだろう。

 

「ニュースとは?」

「とぼけないで。知ってる癖に」

 

 数時間前、各種報道サイトでアップされたニュースのタイトルは「白馬の王子様の正体は、アウトロー少年!?」というもの。一色愛梨の危機を救った、ある人物についてのことが書かれている。つまり、夜久のことである。

 

「見たんですか」

「四葉の不利になる可能性があるから、仕方なく。幸い、一色家の圧力で大きな騒ぎにはならなそうで安心したわ。それでも、情報統制には一苦労したのよ」

 

 真夜は手にしたカップから紅茶を飲もうとして……既に空になっていることに気づく。テーブルに置くと、控えていた葉山が茶を淹れた。

 

「ところで……貴方は私の息子よね?」

「はい」

「息子なら、母親の願いを聞くべきだと思わない?」

「……思います」

 

 夜久の言葉に、真夜は満足気に頷く。

 

「私は貴方を守るために、世間から隠しているのよ? 目立ったら……意味ないじゃない」

 

 椅子から立ち上がり、夜久の身体に走る傷をなぞる。ほぼ消えていたが、まだ薄く線になって残っていた。

 

「……ごめんなさい」

「そうよね? なんだかんだ言って、やっぱり貴方のことは心配なのよ」

 

 肩に手を置き、夜久の顔を覗き込む。「信じられない」という表情をしていた。

 心の篭っていないことくらい、彼も分かっているのだ。それなのに……自分の言動に左右される様子を見るのは、心底面白くてたまらなかった。

 

「ずっと、ここにいて。──やって欲しいことがあるわ」

 

 新しい調整体を開発するプロジェクトを立ち上げる予定があった。現行の「桜シリーズ」や「楽師シリーズ」は優秀だが、不安定な部分もあるのも事実だ。次世代シリーズを運用していく準備が必要だった。それを前倒しにして、夜久に統括させようとしているのだ。

 

「大変な仕事になるとは思うけれど……どうかしら?」

「……やらない」

 

 真夜は思わず固まった。夜久は研究に関しては熱心で、あまり拒否したことが無かったからである。人造魔法師実験だって参加していた。

 

「調整体の開発は、別におれがいなくても始めることはできる。どうして今になって、お母様は……おれを急に縛り付けようとするの?」

 

 調整体作製のノウハウは、四葉家内でしっかりと共有されている。夜久が全てに関わる必要などない筈だった。

 夜久は自らを掴む母の手を離す。そして、部屋を出て行こうとする。ドアノブを掴んだところで、一度振り向いた。

 

「……ごめんなさい、お母様」

 

 ふいに、真夜は自分の息子に別の人間を幻視した。ついぞ、蘇ることのなかった過去のデータの断片。それが、脳内から引き出された。

 

 ──真夜さん。僕はね……四系統八種の魔法を発動段階で保持することが出来るんですよ。

 

 あれは何回目の顔合わせの時だったか。ある料亭の庭を散歩中、青年は生真面目な表情で言った。

 

 ──そんなこと、話しちゃっていいの? 七草家の秘匿技術なんでしょう。

 ──いずれ家族になるから良いんですよ。……僕はこの力で、どんな時でも真夜さんを守ります。

 ──どんな時でも?

 

 青年は胸を張って、その問いに頷いた。

 

 ──えぇ、どんな時でもです。

 

「……つまらない。不幸になればいいのに」

 

 自分が受けた悲劇と同じだけの苦しみを、なぜ他人は経験しないのだろうか。今でも、真夜には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。九校戦が終了し、達也と深雪にとっての高校生最初の夏休みがようやく始まった。宿題は免除されているので、なにも気にせずゆったりと過ごせる。買い物に出かけたり、一緒に映画を見たりと、2人は穏やかで楽しい時間を過ごしていた。

 

「……そういえば、夜久くんはどうなったのかしら」

 

 深雪はふと、従兄弟のことを思い出す。すっかり忘れていたが、彼は厄介事に巻き込まれていたはずだ。

 

「あれ以降は会っていないから……どうなったかは分からない」

「一色さんを見つけるように言われたのですよね? 噂では攫われたとか」

「あぁ、そうらしいな。だが、探すこと自体はそう大変なことではなかった」

 

 夜久の認識する情報次元を共有し、イデア上の位置を現実世界に落とし込んだだけである。本来は不可能な事であるが、「誓約(オース)」による繋がりゆえ実現できた。

 

「さすがはお兄様です」

 

 深雪はうっとりと兄を見つめた。

 夜久が達也に助けを求めた際、彼女は場をとりなした。本当は自分のCADを診て欲しかったのに。それでも、そうしなかったのは……嬉しかったから。達也の才は、やはり誰かに必要とされるものなのだと。他人からの評価を再確認できた事実。それがたまらなかった。

 

「まぁ……あの後、どうなったのか。まだ情報が出てないな」

「夜久くんは、そもそも戦闘魔法師ではないはず……無事だといいのですが」

 

 中学時代の夜久は、第四研で生活していた。実験体をいじくり回す、物憂げな美少年のイメージが強い。言動こそ無鉄砲だが、研究者タイプなのだ。

 

「……流石に死んではないと思うがな」

 

 そのとき、達也の端末に通知が入った。「少し席を外す」と断り、彼はリビングを出ていく。15分くらい経過した後、通話を終えて戻ってきた。表情のあまり変わらないタイプだというのに、心なしか疲れた表情をしている。

 

「──青木さんからの電話だ」

 

 青木というのは、四葉家序列4位の執事だ。経理や外部との取引・営業等、金銭の絡む仕事を統括している。要は、四葉の金庫番だ。

 

「あの人ですか……」

 

 深雪は眉を寄せる。というのも、青木は仕事能力と引き換えに、人間性を失っているタイプの人間だ。雇い主の身内についての悪口を平気で人前で言うので、彼女としてもあまり関わりたくない方の人間だった。

 

「俺にケチを付けられる時は嬉々として出てくるしな……『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』の話で文句を言われた。まぁ、それなりに目立ってしまったのは確かだ」

 

 達也は九校戦に向けて新魔法を開発した。彼の認識では「ちょっとした工夫」だったのだが、前例のないフォーマットだと話題になってしまったのだ。

 とはいえ、現在四葉家内を一番騒がせていたのは夜久のことである。勝手に他家の問題に首を突っ込み、危険なことをしていたのだから。達也のことまで目を向ける余裕は彼らにはない。青木は勝手に「達也を叱る」という仕事を増やし、遂行していただけだった。

 

「お兄様の発想は素晴らしかったです!」

「ありがとう。……でも、怒られても仕方ないことではあったからな」

「お名前が載ってしまうの避けるために、雫の名前で登録することを提案するなんて! お兄様は欲が無さ過ぎます!」

「目立ったらまずいからな……」

 

 ヒートアップする深雪を、達也は何とか宥めようとする。このままでは、また魔法を暴走させてしまう。演算領域に負担をかけてしまう可能性があるので、あまりさせたくないのだ。

 

(おや? 普段なら深雪が怒り出せば、部屋の温度が下がる筈だが……)

 

 そこで、達也は夜久が「誓約」のレベルを下げていたことを思い出した。そのために、深雪の魔法暴走が落ち着いたのだと気づく。

 

(俺は大して津久葉夜久のことを知らないからな……)

 

 従兄弟とはいえ、立場が違いすぎるのだ。夜久は母親に疎まれているとはいえ、一族内では「直系」としての扱いを受けている。

 また、彼は戦闘向きの魔法師ではないので、同じ訓練をすることはない。だから、黒羽の双子たちのように接触する機会はなかった。研究者としての立場を持っているのは少し似ているが、魔法生命化学系と魔法工学系では方向性が全く異なる。ほぼ、人となりを知る機会など無かった。

 

(短絡的なのは玉に瑕だが。俺たちにそこまで反発心もなく、協力的な方なのだとしたら……役に立つかもしれない)

 

 達也にはささやかな願いがあった。自分と妹が運命に囚われず、穏やかに日常を過ごすこと。四葉に居続ければ、きっとそれは叶わない。

 妹には人殺しの罪を背負わないで欲しかった。ただ、幸せだけを享受して生きるべきだ。そのためならば、兄としてどんな犠牲だって払う。その先に、彼女をただ見守って静かに生きる道があると信じて。

 

 

 

 

 

 

 魔法医療によって愛梨は夏休み中に退院をすることが出来たが、リハビリのための通院を必要としていた。そのため、彼女は都内にある一色家が所有するマンションで生活することに。三高の授業は特別措置によって、実技を免除してもらえるので、座学のみオンラインで受講する予定らしい。

 そして、おれはそのマンションに頻繁に出入りしていた。

 

「……最近は眠れるようになったんだろ?」

 

 津久葉の家で育ったこともあり、それなりに精神面のケアに特化した魔法も知識として持っていた。だから、単なる話し相手としてだけではなく、精神科医の真似事の役目を勝手に行うことを日課にしていた。案外向いていたようで、かなり彼女への精神医療の手応えを感じている。

 

「えぇ、ぐっすりとまではいかないけれど」

「……でも寝ているんだよな?」

 

 愛梨の身体が、おれの上にのし掛かってきていた。体温と柔らかさがダイレクトに伝わってくる。

 

「人肌恋しいのよ」

「友達とか呼んでくれ。女友達だっているだろう」

 

 暗黙の了解のような空気を形成するようなことを言うべきではなかった。キス止まりであったとしても。彼女の心をどう救うべきか、あんな時こそしっかり考える必要があった。茶化すような場面ではなかったのだ……おれはそれを酷く後悔している。

 

「夜久くんがいれば、別に良いわ。貴方、いつも来てくれるもの。友達を呼ぶ隙がない」

 

 愛梨の精神状態は、今も間違いなく危うくはあった。回復しつつあるのは確かであるが、現状の彼女は、治療初期特有の治療者に対する依存が見られる。

 元々の「一色愛梨」はプライドが高く、聡明な女性であった。そして、おれはそういうところに好感を持っていたのだと今になって気づく。トムボーイを立ち直らせるのには、おれでは力不足なのだという絶望。それを日々、切に感じていた。

 

「……しばらく、忙しいんだ。ここに顔も出せない」

 

 今のおれたちに必要なのは、時間だった。

 会えば会うほど、正しい関係性が失われていくのではないか……という恐れがついて回る。おれはそれに耐えられなかった。

 

「だから……ごめん」

 

 四葉本家に戻るしかないかもしれない。逃げ回っていたというのに、自分の居場所はやはりあそこにしかないのだ。

 

「忘れていいよ……」

 

 おれは身体を起こし、愛梨を強く抱きしめた。なんて身勝手なことを言っているのだろう。自分で自分に呆れてしまった。それでも──

 

「──このクソ男っ!」

 

 思い切り突き飛ばされる。誰の仕業だ……? そんなこと分かりきっている。一人しかいない。

 

「……愛梨?」

 

 ぽかんと口を開けることしかできなかった。頭の中は混乱して、ぐちゃぐちゃだ。もしかして、態度が変わったのはショックや落ち込み由来だけでは無くて……。

 

「今日はもう帰って!」

 

 顔を真っ赤にした愛梨が、床に倒れ込むおれの前で仁王立ちする。

 

「いや、あの……」

「友達呼ぶのよ! ここに居たら邪魔!」

 

 リハビリ中の身体のどこから力が出てくるのか、玄関まで無理やり連れて行かれる。そのまま、外に放り出された。

 

「一生根に持つわ! 忘れてなんてあげないから!」

 

 バタン、と扉が閉まる。何度かノックをしたが、開けてくれる気配はなし。

 

(おれ、精神科医にはならない方が良いかもな……)

 

 多分、向いていないことが今日で発覚した。




これで九校戦編(ぜんぜん競技やってないけど)は終了です。
次章を考えるためにちょっと空くかもです。あと、単位取れてないんで……(アホすぎ)。


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横浜騒乱編
第1話


 おれが第一高校を退学させられたこと自体は有名だ。だが、森崎の家に世話になっていることはあまり知られていない。

 だから、行き場がないと思われて、街のゴロツキ(BS魔法で粋がるカラーギャングのようなコミュニティがあるのだ)などにスカウトされることがある。ちょっとした悪さをしているだけの集団が黒羽に蹂躙されたら可哀想なので、毎回そういった誘いは丁寧に断っていた。それくらいの線引きはある。

 

「……月100万で雇いたい? A級ライセンス魔法師並の給料だ」

 

 繁華街で、奇妙な青年と相対していた。男は名を「周公瑾」と名乗った。三国志に出てくるキャラクターの名前であり、偽名なのは明らか。

 だが、この「奇妙」というのは感覚的に捉えたことでもあった。視覚から得られる情報と、視えている精神の情報が明らかに一致していない。若い姿をしているのに、老成したオーラを纏っている。それがあまりにも不審すぎた。

 

「貴方の噂は聞いています。正しく評価されなかった才能を、我々のもとで使う気はありませんか?」

「正しくは評価されてたぞ」

 

 入試は実技1位で通過しており、普通に一科生であった。辞めさせられたのは、反魔法師団体の言論にふざけて便乗し、七草家を怒らせたからである。

 

「いえ、謙遜なさらなくても。学校では測ってもらえない才能がおありでしょう……。どうやら『アンタッチャブル』からも勧誘を受けているとか」

 

 この男は何か勘違いをしているのではないだろうか。四葉にスカウトされたことなどない。血族なのだから当たり前だ。

 どこで接触を見られた? 頭の中で冷静な思考が回転する。思い出した──黒羽文弥の監視があったと。黒羽は四葉の暗部ともいえるが、その特性上「睨みを効かせる」役目も担っている。裏社会では、四葉の関係者ということを匂わせているのだ。恐怖こそが一番単純な統制だから。

 この男が知っていてもおかしくない。黒羽の存在を。

 

(なんだよ、何やっても裏目に出てるじゃねぇか)

 

 自分のことを棚に上げて内心で悪態を吐く。そもそも、あの家は派手好きなのだ。これは偏見だが、必要以上に「四葉」をちらつかせてそうだ。

 

「それでも、おれにこの金額を渡すのは怪しすぎる。断らせてもらう」

「……実のところ。これには『謝罪の意』も込めているのです」

「謝罪とは?」

 

 周はニヤリと笑ってポケットへと手を突っ込む。何事かと警戒するが、異変は起こらず。取り出されたのは、勾玉。

 

「レリック……」

「ご存じでしょう。調べていらしたのですから」

 

 レリックを入手したくて、周は金を積んで知人に手配を依頼したらしい。まさか盗品だとは……と、彼は芝居がかって言う。返す気の無い時点で、分かってやっているのは明らかだ。

 

「これのおかげで、災厄が起きてしまった……貴方のお陰で、2062年の悪夢にこそなりませんでしたが」

「……」

 

 冷えた視線を向ける。面白がっている声色が、かなり不快だった。お母様も愛梨も侮辱している。

 

「とはいえ、まだまだ集めたいんですよ。レリックについては。苦労して手に入れたこれも、魔法式保存が30秒しか保たない何とも微妙な性能で」

「窃盗に協力しろ、って? 誰がやるかよ」

 

 そもそも、災厄が起きるという文脈で誰が話に乗りたいと思うのか。

 

「それでも構いませんが。……貴方の大切な人が危機に陥ると知った上でも、その態度が取れますかねぇ」

「大切な……?」

 

 おれは首を傾げる。お母様は、四葉本家の屋敷から基本出ない。直近に師族会議も無いので、外出の予定はない筈だった。

 

「一色愛梨ですよ。貴方が必死になって守った少女を……また絶望に叩き落としたくは無いでしょう」

「……!?」

 

 体裁を繕うことすらやめて、彼は脅迫という直接的な手段を取ってきた。

 現在、都内に住んでいる愛梨は狙われやすい状況にある。一色家も護衛を回してはいるだろうが、危険なのは確かだった。

 

(とはいえ、おれも暇を作ろうと思えば作れるし……駿に事情を話して、愛梨に付いて回れば)

 

 そこまで考えて、あることに気づく。「この話に乗っておいた方が、解決も早いのでは」ということに。

 おれの「精神構造干渉」は、四葉にとってかなり価値のある魔法だ。だからこそ、未だ好き勝手しても許される。そして、逆に四葉から解放されることもない。

 間違いなく、秘密を守るためにお母様は動く。裏社会にルールはない。知ってはならないことを知ったら、死ぬだけだ。

 

(どう見ても、この男は危険すぎる……。処分できるなら、その周りも含めて片付けておきたい)

 

 黒羽だか新発田だかが、代わりに仕事をしてくれるなら楽だ。おれはそこまで戦闘適性の高い魔法師ではないし、数十人の敵を倒すだけでも結構苦労したのだから。

 

「……彼女にだけは、手を出さないでくれ」

 

 悲痛な顔を作り、周に情けなく頼み込む。演技に自信はなかったが、ちゃんと効果を発揮したようだ。彼は愉悦の表情を浮かべていた。

 

「もちろんです。業務提携といきましょう」

 

 

 

 

 

 

「──お父様、それはどういうことなの」

 

 愛梨はわなわなと唇を震わせる。とても信じられなかった。

 

「……今言った通りだ。津久葉夜久を一族に迎え入れることはやめるし、婚姻等で内に入れるつもりもない」

「どうして? 元々必死になっていたのは、お父様じゃない……」

 

 一度家に戻るように言われた愛梨は、住んでいるマンションから実家へと帰ってきていた。父である満に書斎へと呼び出され、今に至る。

 

「自分がどんな目に遭ったのか、もう忘れたのか?」

「忘れてなんかいないわ。でも、私にも迂闊なところがあったと思うの。夜久くんだけに責任を負わせるつもりは無い」

 

 それは一貫して彼女の中に根付いた論理であった。「怒りを向ける先は自分で決める」ということ。誰かに請け負って欲しいものでは決してない。

 

「愛梨……違うんだ。私は『彼に責任を負わせない』んだ。その意味を理解してくれ」

「……どういうこと?」

 

 愛梨がどう思おうとも、一般的に見れば夜久は「やらかした」人間だ。救出に成功したから有耶無耶になっているだけで、そうでなければ大変なことになっていただろう。

 その上で「責任を負わせない」とすること。それは、一色家が格上に忖度するというパターンしか有り得ない。

 

「まさか、気づいていたの……」

「お前が何か隠していることには。それに、大漢の情報にやたらとアクセスしようとしていた」

 

 自分の迂闊さに、愛梨は歯噛みする。当時の彼女は、早く夜久から離れたくて躍起になっていた。

 

「た、確かに……彼が自分を『四』の関係者かもしれないと言っていたのはそうよ。でも、そうであるかを証明したいだけだって。だから、協力しようと」

「本当にそうなのだろうか?」

 

 考えてみろ、と満は言う。彼は夜久について、いくつかの不可解な点を見つけていた。

 

「お前が救出された倉庫を調べた。構成員は火だるまになっていたが……過剰酸素によって、その場が一気に燃え広がったことが原因だ」

「殺し方が残虐だ、って? それくらいなら……」

「違う。過剰酸素が発生する状況になっていることだ。間違いなく『酸素空洞(オキシゲン・チェンバー)』によるもの」

 

 酸素空洞は、その発動難易度から高等魔法とされている。そして、高等魔法のほとんどは起動式が管理されており、一般人には魔法科高校や魔法大学のデータベースから購入する以外には入手方法がない。つまり、起動式は在学生・卒業生を除くとコネでしか手に入れられないのである。

 退学処分を受ける5月までに夜久が買っていたという可能性もあるが、満にはそうは思えなかった。

 

「それに、あの場では対魔法師用フルパワーライフルが乱射されていた。単なる銃でも、魔法師がいきなり対処するのは難しいというのに。その戦闘への卓越したセンスは一体どこで身につけた?」

 

 夜久が四葉の血縁かどうかは分からない。しかし、間違いなく「四」の関係者ではあり、現在も深い関係にあると推測される。そんな存在を引き入れるのは危険すぎた。

 

「そんな……」

 

 夜久の存在は、愛梨にとってもミステリアスなものだった。よく考えれば、彼のことなど何も知らないのだ。

 

「糾弾することは簡単だ。だが、我々に『アンタッチャブル』と事を構える勇気はない」

「でも、七草家と双璧を成す十師族の名門よ? 上手く取り込めるなら取り込む方が……」

「……その行動が第四次世界大戦を引き起こすことになったら?」

 

 満は大漢崩壊を知る世代だ。四葉の魔法師が二桁の損害で、一国を完全に滅ぼしたのを目の当たりにしている。

 常軌を逸した、狂気の魔法師集団。それが四葉であった。

 

「こんなもの、火遊びでは済まないぞ。世界が終わることを考えれば、十師族昇格など諦める方が良い」

 

 夜久が四葉関係者だとすれば、昔から一色家は四葉家に舐めてかかられているのは明白。戦争こそ起こらなくても、気まぐれにカタストロフが降りかかることは十分考えられた。

 

「そのレベルで……」

 

 父の真剣な態度に、愛梨はある決意をした。自分の想いを押し殺す覚悟。一色の人間として生きる為に、悲しみに気づかないフリをする。

 だが、それを完膚なきまでに破壊したのは、他でもない父親であった。

 

「津久葉夜久と交際する分には構わない。まだ繋がりはあるのだろう?」

「えっ……」

 

 話が矛盾していて、理解できない。愛梨は目を瞬かせる。

 

「あれだけの恐ろしい思いをしたんだ。助けてくれた人間に対して、好意を抱くことくらい……おかしなことではないさ。その気持ちを我慢することはない」

 

 愛梨は自分の身体が震えていることに気づく。目の前の人間は、本当に今までずっと愛し育ててくれた父親なのだろうか? 別人のように思えてならなかった。

 

「ただ、こちらで婚約者は用意しておくというだけだ。結婚の時期になるまでは……自分の想いを大切にすると良い」

 

 何と返事したのか、彼女は覚えていない。気づけば、自室に居て……布団を被って独り泣いていた。

 

(悍ましい……!)

 

 満が言外に指示したことは「夜久の子供を産め」だ。優秀な魔法師の遺伝子を取り込むことを目的にしたソレ。家族にそんなことを命じられるなんて、ショックでたまらなかった。

 子供を宿したら、夜久と別れ……父の決めた婚約者と結婚する。とんだ托卵ではないか。吐き気がして、口元を手で抑える。

 

「夜久くん……」

 

 彼の腕に包まれた温かさを思い出す。

 あの時、彼が理性的で無かったら。既に自分たちは引き離されていたかもしれない──恐怖から、ぶるりと震えた。

 

(最初は本当に彼のことなんか、理解できなかった。それなのに……)

 

 夜久が好きだ。愛梨はそれを自覚していた。

 魔法の才能一つで生きる、無鉄砲で無敵の少年。しかし、どこかに翳りがあって……深い夜に溶けていきそうな儚い存在。関われば関わるほど、心が吸い込まれてゆく。

 天才であること以外、何も知らない。だが、その才が人を惹きつける。魔性とはこのことか。

 

「……私が男だったらよかったのに」

 

 女だから、こんなに苦しんでいる。

 女だから、理不尽な災厄が降りかかった。

 女だから……

 

 気が狂いそうだった。自分の存在をこんなに呪ったのは初めてだ。

 一色家の娘として、気高くあろうとしてきた。数字を冠する、この自分の生まれが誇りだった。だから、ひたすらに技術を磨いたのだ。家を率いる強い魔法師になりたかった。それを父も望んでいると思っていた。

 けれど、そうではなかったのだ。単なる子供を産む人形としか思われていなかった。女の役割を全うすることだけを求められていた。そんな残酷な現実を思い知る。悲しくてたまらない。

 

(でも、女で良かったという自分もいる……)

 

 心は夜久を愛してやまなかった。親友という枠組みではきっと、足りない。自分の人生全てを明け渡して……彼の視る世界に連れて行って欲しい。それが幸福なのだと、確信できる。

 

(わたしは家を捨てるべきなの?)

 

 夜久とずっと一緒に居続けるということは、一色家から逃げ出すということを意味する。もちろん、不可能ではないだろう。このご時世、魔法師の需要は多い。才能あふれる魔法師を遊ばせておく余裕はない。自分は、社会に求められる側の魔法師だ。それくらいの自負はある。不安は、もっと別のことだ。

 一色愛梨として生まれた、というアイデンティティが消失する可能性など考えたこともなかった。自分の一部を削り取ることは、怖いことだ。何者なのか、きっと分からなくなってしまう。それでも「一般人」として生きていけるだろうか。今すぐ駆け落ちを決意することは出来なかった。

 

「……悲しい」

 

 涙は未だ止まらない。今こそ、夜久に会いたかった。




最初は沓子とか栞が出てくる「おぬしが愛梨に相応しいか審査するのじゃ!」みたいなノリで少し書いて……めちゃくちゃ面白く無かったからボツにした。
横浜騒乱編は、酷い目に遭う周公瑾とラブコメの解決の二本柱で行きたいです。


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第2話

今回は話を進めるための前置き回


 周公瑾に雇われ、おれは大体週2のペースで仕事をすることに。とはいえ、大したことではない。密輸の手助けをするというものだ。古式魔法師が襲われないよう、横でぼんやり見守るだけの業務。本当にこれだけで100万貰えるなら、良い職場なのかもしれない。給与がまともに支払われるとは思っていないが。

 

(税関に見られたくない荷物だけ、個別に移していたのか)

 

 おれは旧神奈川エリアの水再生センターに足を運んでいた。施設内のある一部屋が仕事部屋になっているのだ。部外者がこうして入れるということは、職員に賄賂でも握らせているのかもしれない。

 密輸方法はこうだ。正規の輸送船に一部だけリスト外の荷物も載せておく。港付近に到着したら、一度水底に沈めるのだ。そして、それを術式で水中を移動させる。東京湾に繋がる千代崎川という川があるので、そこまで持ってくれば水再生センターの放流口経由で引き上げることが出来るという訳だ。

 

(……なるほどねぇ、よく考えたもんだ)

 

 ただ、おれは本当にすることがない。念の為の戦闘要員という枠なのだから当たり前だ。集中している古式魔法師をよそに、隣で呑気に間食を摂る。ちなみに自前で用意した物だ。

 

「──あの、うるさいんだけど。静かにしてもらえるかな」

 

 適当に菓子を摘んでいると、棘のある声を掛けられる。顔を上げれば、一人の少年がこちらを睨んでいた。

 

「悪い悪い」

「本当に悪いと思ってる? そもそも、人が術を組んでる時に、隣でよく平気で食べられるね。気遣いとかは無いのかい?」

「まぁまぁ落ち着いてよ、ミキ。夜久だって、引き上げとかは手伝ってくれるんだから」

「仕事なんだから当たり前だろ! それに、僕の名前は幹比古だ! 何度言ったら分かるんだ、チェヨン!」

 

 毎回のやりとりに、おれは肩をすくめる。スリーマンセルのチームなのだが、あまり気が合ってるとは言えない。

 チームの一人、吉田幹比古は驚くことに一高生らしい。入学前のトラブルで発動速度が大幅に低下し、二科生での入学になってしまったことでグレた(本人は認めていないが)ようである。こんなところにいないで勉強をすべきだ。

 もう一人は、奉彩演(ポン・チェヨン)という10才の少女だ。半年前に大亜連合から亡命してきたという。おれは「ポン」と呼んでいる。

 

「長くて呼びにくい」

「津久葉のことはちゃんと呼んでる癖に!」

「わたしに優しいかの違いね。アイスを買ってくれたら考えてもいいわ」

「このクソガキ……!」

 

 小競り合いをBGMに袋を空にする。仲裁をするのも面倒なのだ。

 

「──来た」

 

 幹比古が急に表情を険しくさせる。どうやら、荷物が沈められたのを感知したらしい。発動速度こそ欠点かもしれないものの、水の多いフィールドにおいて非常に優秀な術師なのは明らかだ。

 

「ポン、行けるか?」

「まかせて〜。持っていくね」

 

 彼女は、現代魔法で言うところの移動系統に適性のある魔法師だ。水中に「道」の概念を投影し、それに沿って物を運ぶことが出来る。波が立たないように慎重に移動させるため、今から1時間以上は掛かるだろう。

 

「……それにしても、元実技1位が密輸業に従事か。落ちぶれたものだな」

 

 ポンが集中しているのを他所に、幹比古が嫌味をぶつけてくる。どうやら、おれに敵愾心があるようだった。

 

「それ、ブーメランにならないか?」

「古式魔法師が、自身の活躍できるフィールドで生きているに過ぎないよ。自分が評価される場所で生きて、何が悪い?」

 

 悪くはあるだろう、と思った。自分たちがこの仕事をすることで、おそらくチャイニーズマフィアに何らかの利益を与えているのだ。その事実は理解せねばならない。ただ、何も言わなかった。今の彼に何を言っても無駄だ。

 

「ふーん、良かったね」

 

 それだけ言うと、椅子を何脚か横並びにする。待っているだけも退屈だから、仮眠をするのだ。「話をする気はない」ということを感じ取ったのか、幹比古の眉が吊り上がった。手をひらひらと振り、さっさと眠りにつく。

 

「──よるひさ、起きて!」

 

 甲高い声で目が覚める。腰に手を当てたポンが、側に立っていた。

 

「おっ、持って来れた?」

「うん。引き上げに行こう」

 

 幹比古は先に行ってしまったようだった。彼女と一緒に放流口まで向かう。

 

「……夜久は優しいね。一緒に行こう、って言ってもイヤな顔しないもん」

「他の人はするのか?」

「するよ」

 

 こんな幼いのに苦労をしているようだ。だが、魔法師遺児保護施設に入るよりはマシなのだろう。

 

「──遅い」

 

 ポンにとっての嫌な年上筆頭の幹比古が、おれたちを睨みつけた。勝手に行って勝手に怒るのだから、世話はない。

 処理水が流れ出す放流口近くは、当たり前だが人の気配などしない。一応何が起こるか分からないので、周りの確認だけはしておく。

 

「じゃあ上げるぞ」

 

 CADを操作し、重力制御魔法を使う。蓋部分が溶接された金属製コンテナが宙に浮き上がってくる。ぶつけないよう、そっと移動させて地面に降ろした。それを複数回繰り返して行う。金属カッターで全ての中身を開け、スーツケースへと移し替える。コンテナだと重いからだ。

 

「……何、これ? 薬物とか武器じゃないよね?」

 

 入っていたのは、一辺30cm程度のシンプルな立方体。小さな取手が付いている。

 

「変なの。わざわざ苦労して運ぶようなもの? ミキ、見間違えたんじゃないの?」

「だから、何度言ったら……! ──あと、間違えてる訳ないだろ。僕はコンテナが落とされる所も見ていたんだ」

「あんな遠いのに。見える訳ないじゃん」

「僕には見えるんだ!」

 

 幹比古が口を滑らせたのを、おれは聞き逃さなかった。昔聞いた話では、確か「視覚同調」は精霊の力を使う技術だったはず……。

 

(吉田、という姓から推測はしていたが……やっぱり古式の名門生まれだったのか)

 

 吉田家といえば、精霊魔法の大家だ。本当にどうして、こんなところで悪事を働いているのだか。しかも下っ端の仕事だ。

 

「おい、揉め事はそれくらいで。さっさと引き渡すぞ」

「お前が仕切るな!」

 

 スーツケースを転がして、中華街へと急ぐ。目的地は、日夜観光客が長蛇の列を作っている人気中華料理店。そこの通用口から、店の中へと入る。端にあるロッカーに荷物を入れて、今日の仕事は終了だ。

 

「……やれやれ、疲れたな」

「お前は寝ていただろう」

「ねぇ、お腹空いた! 奢って!」

 

 ポンに付いていってやりたかったが、生憎先約があった。

 今から愛梨と会って、食事をする予定なのだ。最近の彼女は家に上げてくれない。しかし、その代わりに外で会う回数が格段に増えた。リハビリの一環なのだろうか。

 

「悪い。おれは行けないから、これを持っていけ」

 

 2000円のマネーカードを渡してやる。これだけあれば、好きなものを食べられるだろう。

 

「えっ、いいの!? ありがとう!」

「いいよ。……ミキ、一緒に行ってやれよ」

「僕の名前は幹比古だ!」

 

 彼の抗議を聞き流しながら、愛梨の住むマンションへと向かう。その道中、おれは先程見た「箱」について考えていた。

 

(あれは間違いない。「ソーサリー・ブースター」だ)

 

 作製手順の非人道性から、先進国では製造が禁止されている術式補助具。それが、ソーサリー・ブースター。この機械を使うと、魔法師の持つキャパシティ以上の魔法を発動することが出来る。しかし、平時ならば大して必要としない筈のもの。それが日本に持ち込まれるということは……。

 

(もしかして、戦争でも起こすつもりか?)

 

 詳しい状況は分からないが、かなり不穏だ。

 早く黒羽でもなんでも、介入してほしいものである。陰謀などになってくると、おれ一人ではどうしようもない。

 

 

 

 

 

 

 達也はスーツに身を包んだ状態で、家のモニターの前に待機していた。

 四葉家当主である四葉真夜と、通話越しの面談をしなくてはならなかったからである。遅刻などもってのほかのため、指定された時間の15分前からこうして待っているのだ。

 

「──待たせたわね、達也さん」

 

 笑顔の真夜がモニターに映る。達也は丁寧に頭を下げた。

 

「ご無沙汰しております。叔母上」

 

 何か厄介なことにならないといいが……と内心思う。こうして繋ぎをとってきたということは、おそらく仕事をさせるつもりなのだ。

 

「九校戦の一高優勝、おめでとう。深雪さんは大活躍だったようで。それに、達也さんもエンジニアとして色々頑張ったのよね?」

「勝負となると、手が抜けない性質で……」

 

 言外に「なんで目立った?」という含みを持たせた言葉に、精一杯の言い訳で返す。相手を逆撫でするような返答だって出来るが、真夜の怒りを買うのは現時点では避けたかった。

 

「そう。──ところで、達也さんに折り入ってお願いがあるのだけれど」

「何なりと」

 

 どのみち、達也には真夜からの仕事を請ける以外の選択肢は無いのだ。

 

「アレがまた面倒ごとを起こしているらしいの」

 

 アレ、とは夜久のことである。基本、彼女は自身の息子を名前で呼ばない。

 

「横浜で密輸を手伝っているそうよ……一体何がしたいの、本当に」

 

 それについては、達也も同意したかった。わざわざ、必要の無い悪事に手を染めなくても良いだろう。

 

「表の人間は引き際を知っています……しかし、裏社会で生きる人間はそうではない。アレの魔法や秘密が漏れる前に対処する必要があるわ。お願いできるかしら?」

「……承知いたしました」

 

 真夜が満足げに頷く。詳細については葉山を経由してデータを送ると告げられ、そのまま話は切り上げられた。彼女とは必要以上の会話をすることも無いので、いつもこんなものである。

 暗転した画面を前に、達也は友人との会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 ある日の放課後のこと、深雪が所用で少し合流に遅れるというので達也は教室に残っていた。友人たちも一緒に待つと言うので、その場で軽く雑談をして過ごす。

 

「──不登校になった人を立ち直らせるには、どうすれば良いのかしら」

 

 突然、エリカがそのようなことを切り出した。

 

「そんな知り合いがいるのか?」

「えぇ、身近にね。……ほら、あの席。ウチのクラスに吉田幹比古っているでしょう? 実は彼、ここ一週間登校していないの」

 

 名前を聞くと、流石に達也も思い出した。話したことはほぼ無いが、几帳面そうな少年だという印象を抱いたのを覚えている。

 

「それは心配ですね。でも、どうしてエリカちゃんが……」

「幼馴染なのよ、不本意ながらね」

「なんだ、そうだったのか。てっきり、ソイツに気でもあるのかと思ったぜ」

 

 軽い打撃音がした直後、レオが床に崩れ落ちた。エリカがレオの右肩を思い切り叩いたのである。

 

「何だよ痛えな!」

「ごめんなさいね。21世紀後半にもなって、人権意識の無い人間には……もう暴力くらいしか対処法が無いのよ」

「暴力こそ人権侵害だろ!」

 

 レオとエリカが相変わらずの口論を始める。美月がわざとらしく咳払いをすることで、ようやく沈静化。初期はオロオロしていた彼女も最早慣れたものだ。

 

「ごめんごめん、話が逸れちゃったわね。アイツ、別に引きこもってるわけでは無いのよ。元気ではあるんだけど、方向性が迷走していて……」

「迷走?」

「なんか、例の『退学処分者』と一緒にいた所を見た人がいるって」

 

 達也は咽せそうになるのを何とか堪えた。まさか、そこで従兄弟の名前が出てくるとは。

 

「退学処分者って言えば……あの、変な演説かましたやつだよな? だいぶヤバいんじゃないか?」

 

 元A組の生徒ならともかく、二科生の殆どは夜久と直接言葉を交わしたことなどない。「変な人」というイメージが膨れ上がって、かなり彼の印象は悪かった。

 

「まぁ、ヤバい人間に関わらないでほしいってのもあるけど……。それでも、あっちは辞めてもなんとかなるタイプじゃない。入試成績も、実技1位だったらしいし。でも、アイツはそうじゃないと思うのよね……」

「確かに。学校は通うべきだと思います」

 

 美月がうんうんと頷く。この中でも極めて一般的な感性を持つ彼女は、あまり関わったことのない筈の幹比古に対して既に本気で心配していた。

 

「えっ。てかさ、退学処分者って実技1位だったのか!? それなら、なんで深雪さんが総代だったんだ?」

 

 実技の成績は筆記と比例する傾向にある。夜久が深雪よりも実技成績が上ならば、総代になっていてもおかしくはなかった。

 

「……深雪が入試成績の詳細を入手してきたから、点数を見たことがあるんだが」

 

 達也がそう話し始めると、その場の人間全ての視線が彼に集まる。

 

「筆記が、0点だった」

「え?」

「はぁ?」

 

 素っ頓狂な声が上がる。共感性がいまいち低い達也にも、彼らの気持ちが痛いほど分かった。

 

「面倒くさがったのかは知らんが、一問も解かなかったんだろう。良く入学出来たものだ……」

 

 世の中を舐めすぎである。魔法だけで全てが回ってる、とでも思っていなければ出来ない芸当だ。

 

「ますます、アイツの行く末が不安になってきたわ……変に影響されてないといいけど」

「一度、みんなで会いに行ってみるべきじゃないか?」

「そうですよ! 心配してる、って伝えるべきです」

「そうね。私一人ではもう駄目かも」

 

 不登校の少年を何とかしよう、と大いに話が盛り上がっている。いつの間にか「達也も来るだろう?」と頭数に入れられていた。

 

 

 

 

 

 

 先日の会話を思い出し、達也は深くため息を吐いた。こんな所で話題が交差するとは……と彼はうんざりする。感情が抑制されていなければ、頭を抱えて叫び出したかもしれない。

 

「これはもう『分解』一つで済む話ではなくなってしまったぞ……」

 

 普通なら、アジトを襲撃すれば終わりの話だ。だが、友人の知り合いがいるとなるとそうはいかない。多少は穏便に事を進める必要がある。

 

(津久葉夜久……迷惑なやつだ!)

 

 自分たちの四葉脱出に、本当に彼を巻き込むべきなのか。余計に状況が悪化するのではないだろうか。未来のことを含めて、達也は本気で悩み始めた。




初期案で、幹比古は「夜久の弟子になろうとする」という役回りだったけど、この男は尖ってる時が一番面白いのでこの形に着地した。


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第3話

 愛梨は夜久と合流して、予約したレストランで食事をしていた。彼女は上品にカトラリーを扱いながら、目の前の夜久を見ていた。毎回、会う度に現状を話し合うべきだ……と思うのだが、何から切り出すべきか本当に分からない。

 

(そもそも、彼には思慮深さってものが無い訳だし……)

 

 夜久は非常に短絡的で、単純に物事を捉えがちの人間だ。自分の抱えている問題を吐き出したところで「親が婚約者を探してるならあまり会わない方がいいぞ!」など言いかねない。そういう危うさがあった。

 以前はこうした距離感を保とうとする彼の行動を「理性的」と判断したが、本来そう解釈するべきではないのだろう。おそらく、彼の情緒はかなり幼いのだ。

 

(私の「好き」と彼の「好き」には、多分だいぶ差がある……)

 

 四葉と深い関係の生まれなことを考えても、かなり機能不全の育ちであるのは明らかだ。恋人や友人という繋がりよりも、自分の世界を共有できる「仲間」を探している節がある。

 

『今でも僕は唯一無二の親友だと思っています。だけど、彼の世界に僕はいないのかもしれません』

 

 以前、夜久についての見解を森崎駿に尋ねたことがあった。その時、彼は寂しそうにこういった内容のことを述べたのだ。

 

『どういうこと? 貴方たち、良い友人関係って感じに思えるけれど……』

 

 同じ家に住み、それなりに様々なことを共有している筈だ。それに、仲良しこよしという訳ではなく、時にはちゃんとぶつかり合う。将輝も「自分とジョージの関係に似ているかもしれない」と話していた。

 

『夜久の世界は、魔法だけで成立しているんです。だから、出会ってすぐ友達にもなれた』

 

 一高入学当初の駿は、熱心な魔法至上主義者だったという。魔法を上手く使えない人間を見下し、自分の才能に驕っていたと話してくれた。

 愛梨自身、その思想に近いところがあったので、彼の気持ちも少し共感できた。

 

『多分、彼の世界は間違ってるとは思うんですけど……その論理を誰も修正できません。ずっと魔法だけで、何とかすることが出来ているからです』

 

 七草の怒りを買って退学させられても、その後の生活で特に困っていない。自分のミスで愛梨が攫われても、自力で助け出せる。その責任すら「四葉」の盾によって負う必要も無くなった。

 卓越した魔法力が、彼を取り巻く問題の全てを表面上は解決してしまうのだ。ある意味、呪いとも言えた。

 

『僕は彼の才能を目の当たりにして、世界が広がりました。魔法だけでは生きていけないと。しかし……僕から彼に、新しい価値観を与えてやることは一生不可能だ。いつも、そう痛感するんですよ』

 

 駿は意外なことに、夜久の孤独を何となくは理解していた。それくらいには、深い関係性を築けていたということなのだろう。でも、彼を救うことは出来ない。

 

『魔法によって解決できた結果が最善ではないこともある、くらいは分かり始めたと思います。だけど、魔法以外で上手くやれた経験も無いのでしょう……難しい問題ですよね』

 

 愛梨は料理を口に運びつつ、以前した会話を反芻していた。すると、夜久が食べる手を一度止めて、口を開く。

 

「何、なんか悩みでもあるのか?」

「あるにはあるけれど……」

 

 夜久のことで悩んでいますとも言えず、言い淀む愛梨。

 

「──……ねぇ、貴方って割と自由に過ごしてると思うけど。何も言われないの? その、身内とかに」

 

 その問いを聞いて、夜久は意外そうな顔をした。そして、小さく呟く。

 

「……そんなに自由でもないよ」

 

 意味は理解しかねたが、言葉に込められた深い悲しみの感情を感じ取ることは出来た。

 

「生まれた時から、ずっと自分の魔法に囚われてる。自分の存在を主張し続けないと……不安になる」

 

 だが、その悲哀すらも魔法由来のもの。なぜ、こんなにも彼の世界は狭いのだろう? 魔法を中心とした論理を一人で構築して、一人で悲しんでいるだけではないか。

 

「貴方って、魔法魔法ばっかりね」

「……!」

 

 あけすけな物言いに、夜久が唖然とした顔をする。間抜けな表情が面白くて、愛梨は少し笑いそうになった。

 彼の魔法の才は、人を惹きつけるものだ。どれだけ迷惑をかけられても、その光り輝く無敵さをきっと誰もが受け入れてしまう。だけど、それが彼を永遠に幼いままにして……成長させない。

 

「魔法は道具よ。それ以上のものではないわ。人格と接続するべきものではないの」

 

 そう話しながら、愛梨は父に言われたあの酷い命令を思い出す。彼は、一色愛梨という魔法師を家に必要としなかった。血の滲むような努力を続けて身につけた魔法は、あの日をもって否定された。

 悲しくて何度も涙を流した。どう向き合うべきか、何度も悩んだ。しかし、今ここで答えを見つけることが出来た。

 

(一色家に生まれたからこそ、今こうして誇り高く生きている……。でも、そこで身についたプライドは家名を失ったとしても消えないわ。この性格だって、私のもの)

 

 数字を冠した魔法師でなくなったとしても、自分は価値ある存在だ。ありのままの自分を肯定することで、愛梨は自身だけでなく夜久も救うことが出来ると思った。

 

「……魔法だけが、本当に貴方の価値なのか。よく考えてみて」

 

 一色家から離脱すると言っても、愛梨一人の力だけでは難しい。その時にこそ、何もかもを恐れない無敵のヒーローを必要とする。不可能を可能にする、物語における白馬の王子様。

 

(私、やっぱり夜久くんのこと……かなり好きよ。だからこそ、私自身が選ばないといけない)

 

 おそらく、今の夜久と駆け落ちしたところで早晩破綻する。彼の孤独も「四」の闇も、やはり全ては理解出来ない。彼自身が解決すべきことだ。

 

「……分からない。お前の言ってること」

 

 ふふ、と愛梨は微笑んで「とりあえず、食べましょうか」と促す。再び食事が再開した。その間は今の話題には戻らず、ちょっとした雑談──共通の知人である一条将輝の話題などで盛り上がった。

 

「──貴方が『分からない』と零したことだけど」

 

 デザートを平らげ、個室から出ようとするタイミングでのこと。

 

「何だよ、またその話……!?」

 

 彼は最後まで話すことが出来なかった。唇を塞がれたからである。

 

「それはね……お子ちゃまだから理解出来ないのよ。分かるまではキスで終わり。残念」

「ほんとに何だよ! お前、絶対馬鹿にしてるだろ! ふざけるな!」

 

 ギャンギャンと喚く夜久を置いて、さっさと店を出る。久々に愉快な気分だった。

 

 

 

 

 

 

 愛梨に置いて行かれて、一人都内を彷徨く。不貞腐れている自覚はあったけれど、気持ちを落ち着かせる方法を知らない。彼女に言われたことは、本当によく分からなかった。おれの全てを知るわけでもないのに、なぜそんなことが言えるのだろう?

 

(精神構造干渉を持つおれを愛さないお母様は、有用性だけは認めているのだから……)

 

 ずっとずっと許せないこと。精神構造干渉そのものを受け入れられるならば、おれの存在も受け入れるべきだ。

 何をやっても、四葉を放逐されることはない。幾度も試して知っているし、きっとこれからもそうだ。今でこそ好き勝手しているが、本家に戻ろうと思えばすぐに戻れる。でも、誰も「四葉夜久」という人間を見ない。四葉の人々は、魔法を愛しているだけなのだ。

 しかし、おれもまた……この魔法を愛している。母の心を傷つけた「罪の象徴」にもかかわらず。なぜなら、物心ついた時から側にあるもので、これだけが四葉で生きる上で唯一の味方だったから。

 

「──……えっ。あれ、司波達也だ」

 

 ナイーブな気持ちを一気に吹き飛ばすような邂逅。何台か並んだ自走車の間を縫うように、幾つかの人影が動いていた。なぜか、彼はこんな街中で戦闘真っ只中のようだ。

 

(どうなってるんだ? コイツ、そんなに恨まれてるのか?)

 

 そう思いつつ、そっと近づいて様子を伺う。すると、達也がいきなり身体を捻る。血が噴き出るのが見えた。恐らく、肺を撃たれている。

 

「銃撃……!」

 

 おれは慌てて助太刀に入ることにした。無視して帰ると、流石に目覚めが悪い。

 先ほど彼が倒したと思しき、路上に倒れた二人組を拘束。そして、彼らを回収しようとした自走車を止めるべく、加重系魔法で前方を押し潰した。

 

「……災難だったな」

 

 達也が特化型CADをホルスターに仕舞いだしたので、状況が落ち着いたと判断して声を掛ける。

 

「なぜ、お前がここに?」

「いや、普通に散歩だが……」

 

 拗ねてずっと外を歩き回っていただけなど言う訳にもいかず、適当に誤魔化す。

 

「そうか」

 

 幸い、彼は細かいことを尋ねてはこなかった。

 

「……お前は?」

「義母の尻拭いだ」

 

 潰していない方の自走車を覗き込む。エアバックに包まれて伸びている女性がいた。今まで見たことはなかったが、この人物が達也の義母らしい。

 

「これ、どうする?」

 

 おれの視線の先には、倒れている人間と壊れた自走車がある。

 

「知人が回収してくれるだろうから、置いておけ」

「分かった」

 

 義母を送って駅まで行くというので、おれも彼について行くことにした。自動運転モードで自走車をゆっくりと走らせ、その後ろをおれと達也が歩く。彼はバイクを手押ししていた。

 

「……」

 

 ただ、本当に話すことがなかった。そもそも、あまり関わったことがないのだ。

 

「……そういえば、お前さ。吉田幹比古って知ってる?」

 

 何とか捻り出した話題は、グレた一高生についてであった。優秀な古式魔法師であるのは確かなようで、最近は下っ端の密輸チームから外されて別の仕事を回されているらしい。100万で雇われたおれよりも出世している。

 確か、論文コンペのスパイ任務として魔法科高校に式神を飛ばしていると聞いた。まだ捕まったという話も聞いていないから、バレていないのだろう。

 

「俺と同じクラスだ。そのせいで、叔母上に言いつけられた仕事と並行して……友人のために彼も回収しないといけない。お前の口から名前が出るということは、それなりに不味いこともしている筈だ」

「あっ、お母様は何か言っていた?」

「……呆れていたぞ」

 

 いつものことだ。お母様の情報については、新しい収穫はなさそうである。

 

「あっそ、じゃあ別にいいや」

 

 それにしても、今回は黒羽ではなく達也が動くとは。

 

「……何か掴んだか?」

「えっ?」

 

 おれは目を瞬かせる。言われている意味がすぐには飲み込めなかった。

 

「お前はバカだ」

 

 そして、いきなりの罵倒。この従兄弟の思考回路はどうなっているのだろうか。こんな失礼な人間にも友達はいるのだ、と感心した。その友達は、余程心の広い性格なのだろう。

 

「バカだが……。多分、お前なりの論理はあるのではないかと思っている。俺たちの『誓約』を緩めた時に感じたことでもあるが」

 

 何だか釈然とはしないが、褒めてはいると解釈した。

 

「……密輸品の中にソーサリー・ブースターがあった。あと、何故かアイツら論文コンペを嗅ぎ回っている。それくらいか」

「ソーサリー・ブースター? あれは御伽話の類ではないのか?」

「いやいや、それが存在するんだな。本家に行けば、サンプルがあるぞ」

 

 おれは第四研内で似たものを作成したことがあった。

 

「あれは、魔法式の構築過程を補助する役割を持つ特殊CADとでも言うべき機械だ。だが、中枢に使う素材が感応石ではない……魔法師の脳なんだ。材料が調達しやすい所なら、まぁ作れるだろう? 非人道的過ぎて、カタギには無理だろうが」

「それ、残留想子で相克が起きないか?」

 

 人間は多かれ少なかれ、想子を纏っている。魔法師はその想子を精神領域を介して操ることができるだけであって、人間や動物は元より肉体の構造をトレースする形で想子ネットワークが形成されているのだ。ネットワークの構造は人それぞれ異なり、他人がそれに干渉するのはかなり難しい。

 

「あぁ、実際起きたな。何度か試して……脳に刺激を与えることで、ある程度の指向性を持たせられると分かった。大陸でも似たようなことをしてるんじゃないか?」

「待て、お前も作ったのか?」

「作ったぞ。大陸製よりも多少性能が良い。結局、コストが高過ぎて運用されなかったが」

 

 そういえば、とおれは気づく。第四研で成し遂げた実験やプロジェクトについて……お母様は一度も採用してくれたことがないと。「コストが高い」や「運用が難しい」と言って、いつも全て没にしていた。

 葉山さんは「貴方には難しいことを頼んでいますから」と慰めてくれていたが……あれは本当だったのだろうか。

 

「なんか言われるままに色々やっていたけど、おれって何なんだろうな……」

 

 愛梨に色々言われたことも相まって、また気落ちしてきた。精神構造干渉を使ったところで、いたずらに罪を重ねるだけで……特に良いことはない。それを改めて自覚してしまった。

 

「……魔法師は、道具なのだろうか」

 

 達也はぽつりと呟いた。さっきまでの太々しい態度ではない。前を向いてこそいるが、どこか遠いところを見ているようだ。

 

(……誰かを悼んでいる?)

 

 人の死を哀しむ匂いがした。引っ張られて、おれも何だか悲しい気持ちになる。

 

「そうでない、と信じたい。魔法師が取り換えの効く部品のようにすり減らされる、そんな社会であってはならないだろう。……深雪のためにも」

 

 いつのまにか、駅の近くまでやってきていた。案外ちゃんと話が続いていたようだ。別れる直前、こんなことを言われた。

 

「……もし、お前にもそういう思いが少しでもあるのなら。俺たちは分かり合えるかもしれないな」

 

 魔法とは何なのか。魔法師とは何なのか。おれも少し考えたくなった。

 でも、何度考えても「魔法を使える」ことがこの世界で一番価値あることのように思う。自分は魔法だけを頼りに生きてきた。お母様に疎まれても、おれの人生を支える魔法そのものは恨めない。どうして、それを誰も理解してくれないのだろう。




※最初投稿したとき、最後の数行抜けてました。すみません。


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第4話

 様々な悩みはあれど、相変わらずおれは密輸に精を出していた。明らかな外患誘致という点を除けば、なかなか経験することのない貴重な体験ではある。こういうことを楽しめる性格で良かったかもしれない。

 

「なんで、毎回俺が外で見張りをしなければならない?」

「なんで……って、その仕事を割り当てられてるからじゃないか?」

 

 しかし、チームに新しく入ってきた人間があまりにも面倒な奴で嫌になってきた。幹比古が抜けた代わりに入ってきたのは、また第一高校の人間である。流石に驚いた。

 おれを退学させたイカレ学校なだけあって、ろくに教育が行き届いていないのかもしれなかった。いや、あの件はこちらにも大いに問題はあった気もするが。

 

「お前は退学させられた、いわばドロップアウト人間。対して、自分は校内で地に足をつけて、しっかりと成果を出している。どちらの方が優秀かはハッキリしていると思うがな」

 

 高圧的な態度を見せる彼は、関本勲という。論文コンペの学内選考で2位だったことを強調して、こうして野外の見張りを押し付けようとしてくるのである。

 幹比古は魔法で遠く離れた場所をチェックすることが出来たが、残りのメンバーはそうでないため、周りの警戒やコンテナ落下の確認には目視が必要なのだった。

 

「それか……そのガキにやらせるか? 俺はどっちでもいいぞ」

 

 関本はポンを見遣った。彼女はおれの服を掴んで後ろに回る。会うたび嫌味を言われているようで、怯えているのだ。

 彼女は運ぶ仕事があるので、あまり負担を掛けさせられない。彼もそれを分かって言っている。

 

「……どちらが優秀か、ハッキリさせたいのか? なら、今から戦って決めよう」

「えっ……?」

 

 おれの言葉に、関本は明らかに焦り始めた。あれだけ大口を叩いていた癖に、特に覚悟を決めてはいなかったようだ。

 

「主義主張がぶつかった時は模擬戦で決める……それが一高マインドだろ? おれは退学してしまったが……それでも、先輩の価値観を尊重してやるぜ」

 

 腕に巻いたCADを軽く指で叩く。ここでビビるのか、負け戦に挑むのか。見ものだった。

 

「……貴様ァ!」

 

 関本がCADを握りしめ、高らかに叫ぶ。

 現代魔法においての真理に「発動が早い方が勝つ」というものがある。つまり、騙し討ちが一番有利ということ。だからこそ、一高において模擬戦文化が盛んなのだ。調停者がいなければ、きっと私闘だらけになってしまうだろう。

 相手を屈服させるべく、起動式がお互いのCADから吐き出される。刹那、倒れ込んでいたのは──

 

「──……必要だったか? その決め台詞?」

 

 関本が呻きながら床に蹲る。対して、おれはノーダメージ。彼は余計なことを言っていたために、発動までにタイムラグが生まれたのである。もちろん、完全な後出しでもこちらが間に合っただろうが。

 無系統魔法「幻衝(ファントム・ブロウ)」をまともに食らったのだから、脳震盪のダメージは避けられないだろう。

 

「ほら、いつまで寝てるんだ? 負けたんだから、早く外行けよ」

 

 気を失った彼を足先で蹴り付け、部屋の外に転がす。そのまま、さっさと締め出した。

 

「……?」

 

 自分に向けられた視線を感じ、後ろを見る。ポンがなんとも言えない表情をしていた。

 

「……ちょっと、可哀想」

「魔法が下手だからこうなるんだよ。身の丈にあった行動をアイツはすべきだったな」

 

 扉の向こうでガタ、という音がした。関本がやっと起き上がったのだ。ドア越しに「早く行け」と声を掛けてやる。

 椅子に座り直し、また菓子の袋を開ける。彼女の方に遣ると、素直に食べ始めた。

 

「ああいうタイプは絶対根に持つよ……昔、本国でたくさん見た」

「まぁ、そうなったら……その時に考えるさ」

 

 しかし、その時は意外と早くにやってきた。1時間もしないうちに、周囲が騒がしくなる。窓から様子を確認すると、入り口で職員が男2人と言い争ってるのが見えた。

 

「なんだ、何が起きた……警察か!? ──先逃げとけ!」

 

 幼いポンを逃し、おれは仕事部屋の証拠になりそうなもの──シフト表や勤怠管理表などを処分し始めた(万一の流出を避けて、非合法な団体では未だ紙が主流だ)。警察に持っていかれると、おれの名前も載っているので困る。

 

(クソ……! アイツ警察に通報しやがった!)

 

 身の丈に、という言葉を間に受けたのか。そうでないかもしれないが、とにかくこのような形で仕返しをされるとは。最悪だ。

 

「警察だ!」

 

 書類を魔法で処分したので、想子の動きに勘づかれたようだ。思ったよりも早く、男2人が押し入ってくる。棚からマスクを探して付けるのが間に合って良かった。もちろん、顔を隠すためだ。

 領域干渉を広げていたので、魔法は防げるはずと、そのまま開け放した窓から逃げようとする。しかし、木刀が飛んできて阻まれる。その上で、銃弾もまばらに飛んできた。ベクトル反転で対処出来たが、だいぶピンチだ。「毒蜂」を発動しようとして、思いとどまる。

 

(いや、警察を下手に殺すのはまずい)

 

 手札が限られている中で、選んだ魔法は「ルナ・ストライク」。精神にダメージを直接与えられる魔法だ。プロセスが定式化されているため、後遺症が残りにくい。それと、それなりに使える魔法師も多いので特定されづらいのもメリット。

 魔法を使うやいなや、反応も確認せずに窓の外へと飛び出した。早く落下するため、ギリギリまで魔法を使わない。なんとかベクトル制御を間に合わせ、這う這うの体で逃走する。だが、このまま帰るわけにもいかない。

 

(もう自分で片をつけるしか……)

 

 流石にもう達也を待っていられない。時間がなさすぎるのだ。

 関本が匿名通報で終えていない時が怖いのだ。もし自滅覚悟で自首している場合、それを証明する痕跡があったら終わりだ。確認する時間もないため、全てを片付けないといけない。

 

(あの中華料理屋は一時的な物置だからな……)

 

 あんまり大きなスーツケースを持ってウロウロすると怪しいため、中華街の門に近い店に密輸品を預けているだけだ。本命のアジトは別にある。しかし、場所を知らない。下っ端に甘んじず、真面目にやればよかった……と歯噛みする。ダメ元で達也にでも聞くか考えた時だった。かなり見覚えのある人間たちを見つける。どう見ても、ポンと幹比古だ。

 

「夜久! コイツ探してきたよ! 偉くなってるから本部の場所も知ってる!」

「でかした!」

 

 逃げた時点でこうなることを予測し、近くで式を飛ばしていた幹比古を捕まえたらしい。亡命経験があるだけあって、抜け目のない少女だ。

 

「チェヨンが急に僕の横で泣き出すから……」

 

 しかも、なかなかの演技派らしい。人目に付いたら厄介と彼が中華街に逃げ込んだ先で、おれと合流……と目論んでいたようだ。

 

「なぁ、幹比古……」

 

 きちんと本名で呼んだからか、彼は少したじろぐ。

 

「な、なに」

「時間がないから単刀直入に言う。……真っ当な道に戻るチャンス、欲しいか?」

 

 

 

 

 

 

 おれたちは、コミューターに乗って中華街から移動していた。やってきたのは、池袋の外れにある古い雑居ビル。かなり年季が入っており、不気味な印象を抱かせる。

 

「雑貨貿易商の事務所は表向きなんだ」

 

 幹比古がビルの案内板を指差す。彼はおれの話に乗ったのだ。古式魔法師としての実力を買ってくれる場がどうこう言いつつも、不安や後悔があったのだろう。

 

「貿易事務所は納得ね。自前の倉庫もあるだろうし……密輸品を保管するのにもピッタリだわ」

「倉庫の場所も知ってるよ。あの店から何度か運んだことがある」

「だいぶ信用されてたんだな」

「結構凝り性なんだ……そういうところが評価に繋がってたんだろうけど。結局、悪いことだから何にも残らないね……」

 

 素直になった途端、だいぶ幹比古はしおらしくなった。元々、気の強い方ではないのかもしれない。

 エレベーターはドアの開閉がうるさいので、階段でそっと目的の階へと向かう。

 

(まぁ、とりあえず……。頭を抑えることだな。何事も)

 

 階段を登り切ったところで、気配を感じる。それも──

 

(まずい!)

 

 反応が一歩遅れた。身体が危機に気づいた時には、既に「ソレ」はおれたちの間合いに入り込み、既に行動を起こしていた。

 

「……!」

 

 ポンの首に指が生えている。否、人の指が突き刺さっているのだ。おれたちを待ち構えていた敵……大柄の青年が、彼女の喉を一突きしたのだ。

 

(コイツ、人喰い虎か!)

 

 四葉の資料で見たことがある。確か……呂剛虎。大亜連合軍特殊工作部隊のエースで、白兵戦のプロフェッショナル。かなりの大物だ。まさか、日本にいるとは。

 呂が腕を引き抜く。ポンの身体が崩れ落ち、首の穴から血が溢れ出る。亡くなっているのは、明白だ。

 

 彼女が絶命したのを見て、咄嗟に障壁魔法を使っていた。だが、これもいつまで持つか分からない。引き返そうにも、今挟み撃ちをされれば、絶対に逃げきれない。呂を倒すためには、一撃で決める必要がある。どの魔法を使うべきだ? コンマ数秒の間に考えねば。

 しかし、もう少し猶予を得られた。なぜなら、呂の頭上に凄まじい勢いで雷が落ちたからだ。これなら、この状況なら落ち着いて「あの魔法」が使える。

 

(今だ!)

 

 障壁魔法を解除し、精神干渉魔法「毒蜂」を発動した……筈だった。間違いなく、針は呂に刺さったというのに。どう見ても効いていない。痛覚に対して、強い耐性があるのだ。失敗だ。

 腕が振りかぶられ、こちらへ鋭く振り下ろされようとする。ただ、雷撃のダメージか……少し動きが鈍い。

 最後の悪あがきで、加速系魔法を全力で使う。すると、思ったよりも彼は簡単に吹き飛んだ。しかし、身体が弾け飛んだりもせず、未だ五体満足。殺さないと怖いため、続けて「ユーフォリア」を使う。ようやく、呂はピクリとも動かなくなった。おそらく死んだ筈だ。

 

「やった……か?」

「なんとか……なったんじゃないかな」

 

 お互い、気の抜けたような声しか出せなかった。もし動き出したら怖いので、ビルの窓から移動魔法で呂を投げ捨てる。生命の危機を乗り越え、やっと気持ちが落ち着く。

 そのあと、無言でアジト内の証拠品を処分する。本当はそんな気力など無かったが、自分たちのためにもやらねばならなかった。

 

「──まぁ、これで警察に嗅ぎつけられることはないか。まぁ、襲われる危険性はまだあるけど……」

「そうだな……」

 

 流石にソーサリー・ブースターや武器などは回収できないし、まだまだ残党も残っている。ただ、自分の周りから厄介事を引き剥がすことは出来た。愛梨のことは、もう自分が警戒するしかないだろう。最初からそうすれば良かった。

 全てを終えたあと、2人で吉田家の私有地だという山へと向かう。せめて、ポンの遺体を埋葬してやりたいと思ったのだ。

 

「……お前が先に帰った日。僕はチェヨンと初めてちゃんと話したんだ」

 

 道中で買ったスコップを使って穴を掘りながら、幹比古が静かに言う。

 おれが愛梨との約束を優先して、2人と別れた日のことだろう。なんだかんだ、彼女を心配して食事に連れていったようだ。

 

「お金を貯めて、戸籍を買うんだと言っていたよ。違法入国だから、自分を証明するものは何もなかったらしい」

 

 話したことのある人間が、目の前で死ぬ。幹比古にとってはきっと衝撃的な出来事だったのだろう。

 

「……そうか」

 

 こうした不幸話は珍しいものではない。このタイミングでなくても、彼女はいずれ死んでいた可能性がある。弱い人間から死んでいく、それは自然の摂理だろう。

 

「僕らは罪を帳消しにしようとしたから……その報いを受けたんだろうな。きっと、この子のことを一生忘れられないよ」

 

 おれも頷く。自分のためにやったことで、他人が死んだ。そのことは理解していた。

 

「……お前、今後どうする?」

「一高には戻るよ。正直、そんな気にはなれないけど……そうするしかない」

 

 罪悪感を一度抱いてしまうと、真っ当に生きることを許せなくなる。だが、もう二度とアウトローを気取ることもできない。今の彼はそういう板挟みの状態だ。

 

「こんなこと、言っちゃいけないんだろうけどさ」

 

 お前もいて良かった……。幹比古はそう零した。

 

「1人じゃ背負いきれないよ……こんなの」

 

 また黙って穴を掘り続けた。ようやく、子供1人すっぽり収まる程度の空間が完成する。死体を入れて、土を被せていく。その作業をする中で、感じたことがあった。

 今回の事態を引き起こしたのは、おれだ。とはいえ、今までも似たようなことはあった。全てを自分は魔法力で解決してきた。けれど、今回で……必ずしも上手くいかないのではないかと怖くなった。また似たようなことが起きた時、次は本当に失いたくないものを失うかもしれない恐怖。

 

(魔法だけで、世界の全てが成立している訳ではない?)

 

 初めて、そんな疑問が頭に浮かんだのだった。



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第5話

 2062年の悲劇を皮切りに、四葉は取り憑かれたように自らの魔法力の研鑽に努めた。もちろん、大漢崩壊で失った大量の人材を埋め直す必要があったことも理由にはあるだろう。

 どのような外敵にも害されないよう、所属する魔法師は徹底した戦闘訓練を課す。危機への対処能力を身につけさせるためだ。それだけではない。子供や女性には、ガーディアンという護衛対象を命に代えても守る役目を帯びた人間を付ける。こちらは、重要な血族を失わない為に作られた仕組みだ。

 そして、四葉は徹底した秘密主義へと変化した。他家との接触を断ち、全ての情報を隠匿している。本家の所在地も、一族についても。必要最低限のこと以外、何も公開しない。

 

(ずっとその仕組みが、納得いかなかった……)

 

 お母様はおれの「精神構造干渉」を厭い、息子だとは思わなかった。それゆえ「顔も見たくない」と、生まれてすぐ分家に預けてしまったのだから強烈だ。もちろん、母親らしいことなどしてくれたことは一度もない。

 それでも、血のつながった親子なのである。切り離すことのできないもので、本来ならば簡単に証明できることなのに。四葉の「秘密主義」のしきたりがそれを許さない。

 だから、おれの人生は魔法力の誇示にあった。自分の魔法が並外れて優れているということを……示し続ける。外堀を埋めてでも、何とか認知して貰おうとした。そのためなら、いくらでも無茶なことをした。魔法の才は、全ての道理を通すと信じているから。

 

(……っていう、筈だったんだがなぁ)

 

 おれはまた愛梨と一緒に出かけていた。ホテルでランチをするというから、付いてきたのだ。もう食事は終えており、テーブルの様相は食後のティータイムだが。コーヒーとケーキがおしゃべりのお供だ。

 

「そろそろ、学校に戻れそう。友達に会うのが楽しみね」

「へぇ……」

 

 リハビリの成果か、彼女の動きはだいぶ滑らかになってきている。もう少ししたら自由に出歩けるとも、魔法競技の練習も早くしたいとも明るく話した。だが、おれはそれを素直に喜べなかった。先日、突如として生まれた疑問をきっかけに、日に日に不安が膨らむ。

 

 魔法で押し通したことが、良い結果に繋がらないということ。

 上手く魔法だけで解決することができないということ。

 

 思えば、それを示す出来事は多々あった。気づく機会がなかっただけで。知ってしまうと、失うのが怖くてたまらない。自分の力は、自分を守ることはできる。しかし……。

 

「夜久くん、なんだか元気ないわね……。どうしたの?」

 

 他人の人生の責任までは、負えないものなのかもしれない。

 愛梨が俯いたおれを覗き込むように見る。彼女を守らねばと意気込んでいたものの、気持ちが沈んでいることをすぐに見抜かれてしまったようだ。

 

「いや……別に、なんでもない」

「なんでもない訳ないでしょ。どう見てもおかしいわよ」

「……」

 

 おれは彼女に何を相談すべきか、そもそも相談すべきかも判断がつかない。

 

「……そういえば、今日って論文コンペだろ。見に行かなくて良かったのか」

 

 結局、話を変える。上手く、自分の中で悩みを纏められなかった。

 

「護衛の仕事があったら、行ってたでしょうけど……。流石に戦闘には不安があるわ」

 

 運が悪い年は、論文コンペ参加者が産業スパイなどに狙われて流血沙汰になることがあるという。そのため、どの学校も護衛として腕っぷしに自信のある生徒を選抜する……と駿から聞いたことがある。愛梨も元々は声をかけられていたのかもしれない。

 

「だから、こうしてゆっくり過ごせるんだけどね」

 

 コーヒーのおかわりをウェイターに頼んだ愛梨は満足げに微笑む。のんびりとした、平和な時間が過ぎていく……筈だった。しかし、愛梨の端末がけたたましく鳴ったことで、それは終わりを告げる。

 

「……横浜に無登録の船舶!? それに……港の管制塔で爆発も!?」

 

 端末の画面を見て、愛梨が小さく叫ぶ。

 それにしても、嫌な予感が当たった。あの時見た武器やソーサリー・ブースターは、やはり使うために用意されていたのだろう。強化された魔法師が、横浜を暴れ回るのも時間の問題だ。

 

「今横浜にいる人は心配だが、どうすることもできないしな。混乱が落ち着いたら……」

 

 大陸の魔法師の殆どは横浜にいるだろう。現時点で、おれたちを害しにやってくる余裕などない。ラッキーだ。

 それに、多少の損害は出るだろうが……国防軍や居合わせた魔法師によって、鎮圧されるに決まっている。この状況が落ち着けば、おれを悩ます問題も解決してくれるだろう。楽観的な予測かもしれないが、少し穏やかな気持ちになれた。

 

「……私、行かないと」

 

 それなのに。愛梨は椅子から立ち上がる。まさかの事態に、おれは驚いた。止めなくてはならない。

 

「どこ行く気だよ!?」

「……ここからなら横浜は近いわ。都内に来ている家の魔法師を纏めて、避難民救助に向かわないと」

「……なんでお前が行く必要あるんだよ! ついさっき『戦闘はまだ不安がある』って」

 

 戦場に向かうということは、命の危険が付き纏うことだ。どうして、わざわざ行く必要があるのか。

 

「私は『一』を冠する一族よ。ここで、呑気にお茶を飲み続けていたことが知られたら、社会的に殺される立場……」

 

 だから、行かないといけないの。今まで政府から受ける特権の対価を、この国の危機に役立てることで支払う必要がある──なんでもないように、彼女は言う。

 

「マンションに戻ればいいだろう」

「バカね、言葉の綾よ。この状況で座してる場合ではない、と言いたいのよ」

 

 呆れた顔で、そう言われる。本当に理解できなくて、頭にカッと血が上った。

 

「……おかしいよ! お前の言ってること、全然分からない!」

 

 魔法は道具だと、前に言っていたではないか。

 人格と接続すべきものでないなら、その道具を使うかどうかも自由の筈だ。有用な魔法を持っているからといって、使うことを強制されて良い訳がない。人は好きに魔法を使ってはいけないのか。

 

「行かないで……」

 

 愛梨の腕を掴み、おれは情けなく縋る。ずっと心にあった不安が、今になって更に大きく広がる。迷子の子供のような気分。

 

「……お前を守れる自信ないよ。そんな戦場で」

 

 その言葉に、彼女は驚いた顔をする。だが、すぐに優しい笑みを浮かべた。

 

「来てくれるの? うれしい……」

「本当は嫌だ。おれは行きたくないし、お前にも行って欲しくない……」

「うん、うん……そうよね。誰だってそうよ」

 

 私だって怖い。彼女はそう続けた。

 縋り付くおれの頭を、愛梨が掌でそっと撫でた。じんわりとした熱を感じる。

 

「魔法力は血に依存する、と言われているわ。強い魔法師は多かれ少なかれ、ナンバーズかその縁戚……あるいは関係者。そのように生まれると、その後の人生全てに社会への責任がついて回る……私はそんな世界で今生きている」

「無視しろよ、そんなの……」

「できないのよ。それが出来るのは……貴方だけ」

 

 どういうことだ? 意味がわからなかった。

 呆けた顔をしていたのだろう。愛梨は笑って教えてくれた。

 

「貴方はそれを辛いと思ってるみたいだけど。……類稀なる魔法力を持った上で、何者でもないというのは幸せなことよ。自分の為だけに魔法を使える人なんか、そうそういないの」

 

 確かに、第四研でのあれこれを除けば……自分の行動は全て、感情の発露であった。

 

「地位のある魔法師であればあるほど、貴方のことを羨ましいと思うわ……。誰だって、責任を負うのは辛くて。魔法力によって得られる特権だけを振り翳したい、って思うことは……ある」

「愛梨……」

 

 魔法至上主義とは「魔法が使える奴が偉い」という論理。それは誰かの「本当は自分のために生きたい」という願いから始まり、それが歪んだ形で魔法師社会に影を落としている。

 人間というものは、本当は誰でも弱い。生まれながらに「奉仕」を運命付けられたくなどない。けれど、やらねばならないのだ。優れた魔法師に生まれてしまったから。あまりにも悔しく、悲しい。その事実を理解し、苦しくなる。

 

「ごめん……。おれ、バカでごめん」

 

 社会は「持つもの」に厳しい。それに、残酷だ。なんで、そんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

 

「ふふ……ちょっとバカなのよ、貴方。昔から、そうだったでしょう?」

 

 彼女はおれを抱きしめ、優しく撫でてくれた。そういえば、小学校の頃は同じ所に通っていたのだ。些細なことで癇癪を起こしていたおれを見たこともあっただろう。

 

「……お前が行かなきゃいけないなら、おれも行く」

 

 本当に守り切れるのか。絶対などあるのか。他人の人生を背負うことは無茶で、やはり怖くなってきている。しかし、誰もがそうなのだ。未来が怖くても、逃げられない──こんな最悪の運命から、愛梨だけは解放してやりたい。できる限りのことは、やる。きっと、これからの人生でやるべきことはこれだ。

 決意と共に、おれも彼女を抱きしめ返す。体勢を立て直したことで、こちらが抱き込む形になる。華奢な体は、戦場に行くべき人間とは到底思えない。

 

「……だって、好きだから。不幸になんかしたくないよ」

 

 そのためならば、今後は素直に第四研で仕事をする。四葉の縁者という特権をこれからも使うためなら、お母様に冷遇されながら意味のない研究をやり続けたって構わない。

 その上で、愛梨を一色家から引き離す。もしかしたら、彼女には既に婚約者などもいるかもしれないが……知ったことか。おれには、その全てを跳ね除ける力がある。そうではないかもしれないけど、そう信じるのだ。

 

「……かっこよくなったね」

「ありがとう……」

 

 どちらからともなく、唇を重ねた。今のおれたちは、多分あまり幸せではない。幸せになるために、まずはやるべきことをしなくてはならないのだ。

 

「行こうか」

 

 何度か触れるようなキスをして、とりあえずは満足することができた。

 

「そうね……ここで時間を使い過ぎたわ。──誰かさんのせいでね」

「仕方ないだろ! 不安だったんだ……」

 

 なぜ四葉が「ガーディアン」の概念を生み出したのか。必死になって、強力な魔法師に執着するのか。全てを隠そうとするのか……。今なら理解できる。怖くてたまらないからだ。何もかも、自分の手元に置いておきたい。好きとか嫌いといった問題ではなく、自分の所有物が欠けると気分が悪い……そうしたセンチメンタルかつ、幼い子供のような思いをずっと抱いているのだ。

 

 世界の危機なんか、本当にどうでもいい。コミュニティを破壊する存在だけが、我々の敵なのだから──四葉家の魔法師はそう思い、ただ自分たちのためだけに生きてきた。最初からその価値観に耽溺することができれば、きっと幸福だったに違いない。歪んではいるけれど、魔法師にとって一番恵まれた環境だった。身内を愛して、内に籠る限りは。

 

(でも、おれは四葉の外で「守りたい存在」を見つけてしまったんだ)

 

 お母様はおれを愛してくれなかった。そのせいで、おれの人生は迷走し続けた。だが、そのおかげで多くの出会いがあったのも事実。間違いだらけで、褒められたものではないけれど、自分だけは肯定したい。

 

(ごめんなさい……お母様。ずっと、大好きだった)

 

 嘘つきで、意地悪な人。時々抱きしめてくれるのに、優しい言葉を掛けてくれるのに……その全てが薄っぺらかった。きっと、お母様はこれからも愛してはくれない。生まれ持った魔法は、運命を決定づけるから。欲しいものは手に入らない。ならば、自分自身を愛するしかないのだ。

 

 今、おれは幸せになりたくて仕方ない。だから、2062年から逃げ出す。お母様を不幸なままにして。

 

 親不孝だけど、許して。




今回は短め。
まだこの章は続きます。周公瑾とかボコしてないので……。


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第6話

 横浜に向かう前、愛梨は「自分についてくるなら、自分の指揮に従え」と言った。一色家の魔法師を纏めるのは自分であり、指揮系統に入らない人間は邪魔だからと。よく飲み込めないまま頷いたが、多分それは失敗であった。

 

「……話と全然違う」

 

 側で愛梨を守ろうと思って、彼女についてきた筈だ。なのに、結局人手が足りずバラバラだ。おれは避難民脱出用の安全地帯を作るため、とにかく敵を排除しないといけなかった。そこに、一色家がヘリポートにキープしている機体が飛んでくる予定だという。

 

(装甲戦車や魔法師はともかく、化成体などの対処は面倒だな……)

 

 肌感覚でしかないが、おそらく全体的な戦況は今のところ劣勢。大量の式神等が飛んでいるため、戦闘がしづらいのだ。これだけ数があると、根元……要は術者を叩く方が早いだろう。しかし、おれは持ち場を離れることもできない。離れすぎると、愛梨の危機に駆けつけられなくなる。

 

(愛梨はまだ……ちゃんといる。大丈夫)

 

 おれの干渉力が及ぶ範囲であれば、彼女の存在を知覚できた。場所がわからなくても「生きている」と分かる。その事実によって、不安を軽減することが出来ていた。

 魔法を使う合間に、時間を確認する。予定通りならば、そろそろ一色家のヘリがやってくる時刻。きちんと脱出できる状態になるまでは、粘らねばならない。

 

「──どうも、お疲れ様です」

 

 ようやく到着したヘリ3台が、簡易発着地に着陸する。その中の1台から降りてきたのは、一条将輝だ。以前会った時と違って、戦闘服に身を包んでいる。まぁ、それはこちらも同じなのだが。

 

「何でお前が……」

「途中で見かけたから乗せてもらった。同じ『一』の誼で識別信号を貰っていたのが幸いしたな」

 

 戦場で民間ヘリは目立つ。撃墜されないよう、露払いを申し出たのだという。

 

「将輝さん、ウチの操縦士たちのためにありがとう」

「いえ、愛梨さんも。ナンバーズとしての責任を果たしてくれたこと……感謝します」

 

 一条はここでヘリを見送って、しばらくは周囲を警戒するつもりだと言った。その後は、再び戦闘に復帰するという。

 

「良ければ、津久葉にも手伝って欲しいと思っているんだが」

「おれは帰るぞ。ヘリの護衛が必要だ」

「愛梨さんがいるだろう。それに、一色の魔法師も有能だ」

 

 脱出が一番危険なのだ。せっかく、避難民を乗せたというのに落とされてしまったら、苦労が全て水の泡だ。

 首を振ったおれに、一条は耳打ちをしてきた。

 

「……少し前、お前は密輸組織にいただろ? 千葉家の総領の証言があった。これを介入して握りつぶしたのは、俺だ。物的証拠が無かったから、何とかやれた」

「……!?」

 

 マスクごときでは素性を隠せなかったようだ。また、後味は最悪だったとはいえ……証拠の処分は正しかったとも思った。千葉家は警察に顔がかなり利く。一つでも証拠が残っていたら、面倒なことになっていた。

 もちろん、周から脅迫まがいを受けてはいたゆえに、巻き込まれたことに過ぎない。上手くは行かなかったが、彼女を守るためにやったことだ。

 

「……」

「ヘリを守るのもいいが、元を叩かないと終わらない。それくらい分かるだろう? 何人か逃げ込んだのを俺は見ている。それを理由に踏み込むぞ」

 

 彼は空中を指差した。中華街の方面を指したのは明らか。きっと、どさくさに紛れて戦闘行為をする覚悟なのだ。そして、おれを巻き込む気でもいる。

 

「いや……」

 

 もちろん、自分のやらかしたことのツケを支払う必要になってるだけなのは理解している。だが、もし離れたら……。おれが見てない間に、何か危険なことが起こるかもしれない。答えあぐねていると、愛梨が一度ヘリから降りてきた。おれと一条がコソコソと問答をしているのを見かねたのだろう。

 

「愛梨さん、彼を借りてもいいか?」

「だから! 嫌だって……」

 

 戦場は刻一刻と変化する。そんな当たり前のことを本当の意味で理解していなかった。

 凄まじい轟音と共に大地が揺れる。どこかの戦線が崩れ、爆撃がこの辺りまで届くようになってしまったのだ。まばらとはいえ、当たればひとたまりもない。おれたちは咄嗟に対物・耐熱シールドを貼る。

 

「──ヘリ早く出して!」

 

 愛梨が叫ぶのと同時かそれより早く、3台のヘリは飛び立つ。このまま留まっている方が危険と操縦士は判断したのだろう。

 

「……とりあえず、ここにいてはまずい!」

 

 シールドを維持しつつ、自己加速術式を全力で行使する。数分間必死に走り続けることで、ようやく危険地帯から抜けることが出来た。

 

「はぁ……」

 

 疲労で思わずしゃがみ込む。おれだけでなく、一条や愛梨も肩で息をしている。

 

「……瓦礫が多くて、場所が分からないな」

 

 辺りを見回すが、目印のようなものが見つからない。景色があまりにも変わってしまっている。ここまで街がめちゃくちゃになるとは。

 

「この辺りのエリアは、山手公園近くだと思う。ほら……あの辺りは、崩れたのではなくて元々開けている感じだろう」

 

 一条が示した場所は、確かに瓦礫が他より少なかった。

 

「ここなら、中華街も近いな。津久葉、行くぞ。愛梨さん、悪いが……貴女にもついてきて欲しい」

「え、えぇ……」

「一条……! お前、ふざけんなよ」

「……分かっている。無理やり巻き込んでしまっていることくらい」

「なら……!」

 

 おれが声を荒げても、一条は静かに首を横に振るばかり。

 

「それでも、二十八家に関連する立場だ。『俺たち』は」

 

 ヒュッとおれの喉が鳴るのを、脳が俯瞰して知覚する。自分はこうなることを望んで暴れ回っていたのに、いざそうした事態に直面すると……急に怖くなった。

 

「私が攫われたときの調査は一条も噛んでたわね。つまり、貴方たちも父と同じ結論を出していた……」

「あぁ、そういうことだ。──だが……津久葉。俺たちも一色家も、詳しく突っ込むつもりは無かったよ。面倒ごとになるのが目に見えているからな」

 

 人はあの救出劇を見たとき、おれを単なる一般の魔法師と片付けないに決まっている。才能は正しく評価されてしまう。現実を今更思い知った。

 

「ただ、こうした状況になれば話は別だ。やはり、俺たちは役目を果たすべきだと思う」

 

 多分、一条の中で「ナンバーズとして、力を人のために役立てる」のは当然のことなのだ。覚悟が決まりきっており、恐れもあまりなくなっている。これはこれで、不幸にならない方法なのだろう。

 

(嫌だ……別に、やりたくないし。お前1人で行けばいいのに)

 

 どうして、こんなことになっているのか。必要なことを済ませて、さっさと離脱するつもりだったのに。

 

「ウダウダしていても仕方ないわね。こうなったら……行きましょうか。──ほら、夜久くん。立って。早く」

 

 愛梨が急きたてるから、仕方なく立ち上がる。行くというのならば、行くしかあるまい。おれの行動原理は……彼女を守ることである。一条の案内のもと、周囲を警戒しつつ歩き出した。彼のいう通り、そこまで時間も掛からずに到着する。

 

 普段は多くの観光客で賑わう筈の中華街の門も、今は固く閉ざされている。大漢崩壊の際、亡命した華僑たちは自らを守るべく、中華街を少しずつ改造し……要塞化したのだ。そのため、壁が作られたりなど、21世紀前半と比べると明らかに圧迫感のある地区になっている。

 

「扉を開けろ! さもなくば、侵略者に内通していたものとする!」

 

 振動系魔法「拡声」を使い、一条が声を中華街内部にまで届かせる。威力のないものとはいえ、魔法は魔法だ。あちらが攻撃と見做して、反撃してくるかもしれない。おれたちも緊張感を持って待機していた。

 

(……?)

 

 門に備え付けられた小さな通用口が開いた。そこから投げ捨てられるのは、ロープで縛り上げられた人間数人。彼らを放り出すと、再び扉は閉まった。

 罠を警戒しながらも、一条はそっと顔を確認する。

 

「見覚えがあるような、無いようなだな……」

「じゃあ、本当に逃げ込んだ敵兵士かも分からないわよね?」

「正直、すり替えられてても分からん」

 

 どう見ても「自分たちは関係ない」とアピールするためだけの行動だ。

 

「ただ、一応協力はするというスタンスを表明されたからな……。出来ないこともないとはいえ、原則俺たちに民間人を取り調べる権限は無いし、最低限のやるべきことは果たせたとも言える」

「どう考えても怪しいのにか? お前も元々は強行突破を考えていたんだろう?」

 

 突入への戦力確保のために人を脅したり、状況を盾にしたりまでしたのだ。何が何でも理由を付けて、中へ入り込む気でいると思っていた。

 

「リスクと引き換えにやる価値はあると考えていた。だが、必要以上のリスクを犯す意味もない」

 

 彼は一度言葉を止めて「愛梨さんもいるしな」と付け足した。そう言われてしまうと、おれも引き下がるしかない。元より、やる気がなかったのもある。

 敵兵(かもしれない人間)を回収して帰ろう……という雰囲気で纏まった時であった。愛梨が信じられない行動に出た。突然CADに触れ、魔法を展開したのだ。

 

「おい! 何してるんだ!」

 

 愛梨は滑らかに移動魔法を発動し、扉部分に凄まじい衝撃を与えることで、通用口を完膚なきまでに破壊した。言い訳のしようもない、武力行使だ。

 

「最低限やるべきことをやったのなら……。それ以上は個人の裁量よね? 私は必要だと思うから、やるわ」

「愛梨!? お前まさか」

 

 怒りをどこへぶつけるかは自分で決める、と以前言っていた。

 あの時の屈辱を「侵攻軍の協力者を探し出す」ことで、気持ちに折り合いをつけようとしている? ナンバーズとしての義務を果たす中で、自分のために魔法を使うチャンス。それを彼女は逃すつもりなどなかった。そういうことだろうか。

 

「お、おい……」

「将輝さん! 回収はお願いするわ! ──さっ、夜久くん! 行くわよ! 私を守ってくれるんでしょう!」

 

 凄まじい速さで飛び出してゆく。

 彼女には移動魔法の優れた才があり、人々は「エクレール」と呼ぶ。その名の意味を、今理解した。

 

 

 

 

 

 

 戦闘にまだ自信はないのではなかったか。そう突っ込みたくなるほど、愛梨はやる気に満ち溢れていた。

 

「……さて、どこから手をつけましょうか」

 

 壊した門を通り抜け、静まり返った街を鼻歌混じりに彼女は歩く。

 

「お前、また怪我したらどうするんだよ。もうすぐ復帰できるのに。そんなにやりたいなら、おれが代わりに……」

「なんでやるの? したかったの?」

 

 ぐっ、と言葉に詰まる。ここに来るのは、そもそも乗り気ではなかった。

 

「貴方がやりたいのは、私を守ることみたいだし。だから、今いる訳でしょう。私のやりたいことを邪魔する必要はある?」

 

 さまざまな理屈が絡まり合い、頭が混乱してきた。

 人はやりたくないことをやらされるので、苦しい思いをする。持つものは、特にその傾向にあった。したいことだけすることは難しい──そこまでは分かる。

 

「でも、わざわざ危険な場所に来なくてもいいだろ……」

「それは貴方の心配。私はリスクも分かってて、ここにいるの」

 

 話が全く噛み合わない。「守る」と言って、あんなに喜んでくれたのに……これでは、守って欲しいのかよく分からない。ただ、自分だけ帰る選択肢もない。

 

(……精神干渉魔法で一時的に動きを止めるか?)

 

 愛梨を抱えて、高速で離脱すれば……。そんなプランも頭をよぎるが、戦闘になった時が怖い。人を運んでいたら、満足に動けないだろう。

 何が最善なのか、途方に暮れてしまう。焦りの気持ちだけが、おれの中でぐるぐると渦巻く。

 

「……あの時、助けに来てくれてありがとう」

 

 黙ってしまったおれに、愛梨は言う。あの時は、攫われた時を指していると分かる。

 

「そして、その後も……外に出る時はずっと側にいてくれたわね。だから、ずっと怖くなかった」

 

 でもね、いつまでもそうするわけにはいかないでしょう?

 隣を歩く彼女は、困った顔をしていた。彼女もどう伝えるべきか悩んでいたのかもしれない。

 

「守ってくれたら嬉しい。それは本当。でもね。私を守れない時に、私に何かあった時……自分の責任と思う必要もないのよ。──言ったじゃない、責任を負うことは辛いことだって。貴方に背負い込んで欲しいものではないわ」

「でも……」

 

 愛梨を守りたいおれは、彼女のガーディアンになろうとしていたのかもしれない。しかし、彼女は四葉と異なる価値観だ。だから、この自分の不安は伝わらなくてもどかしい。

 

「……おしゃべりはここまでね。出てきたわよ」

 

 話しているうちに、街の中ほどまで来ていた。門からは距離があり、容易には逃げられない位置だ。

 突如として、青白い火が降り注ぐ。所謂「鬼火」と呼ばれるものだ。つまり、実体が存在しない。それでも熱についての情報体ではある。振動・減速系魔法の「凍火(フリーズ・フレイム)」で一掃することができた。

 もちろん、襲撃はそれだけで終わる筈がない。道沿いの建物から、複数人がこちらへと飛び降りてくる。敵魔法師のお出ましだ。こうなってしまえば、戦う以外はあり得ない。愛梨と目配せし、すぐさまCADを操作する。

 おれの悩みは何一つ解決していないが、今は彼女を信じるしかない。分かってはいるが、なんと難しいことなのだろうか。




かなり展開に悩み、複数回書き直したので時間がかかりました。
愛梨はなんだかんだ可愛げがありつつも、ガールクラッシュなヒロインという造形で書いているので……こういった形になりました。


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第7話

魔法科続編の「キグナスの乙女たち」を読み返していたら、思ったよりもじっくり読んでしまいました。メイジアンカンパニーと比べると平和ですが、一色家の設定が多いのでかなりありがたいです。


 何度も言っていることではあるが、おれは戦闘に特化した魔法師ではない。

 なぜなら、固有魔法は「精神構造干渉」であり、特に一撃必殺の魔法は持ち合わせていないのだ。多用する「ユーフォリア」や「毒蜂」も、暗示や痛みのショックによって副次的に死を齎すに過ぎず、一瞬で相手を殺せる訳ではない。その欠点は、祖父の元造が持っていたという「死神の刃(グリムリーパー)」でも同じこと。司波深雪の「コキュートス」と違って、どうしてもタイムラグが発生する。まぁ、彼女の魔法は「殺してはいない」のだが。

 どちらにせよ、高速で目まぐるしく状況が変化する場面において、最も速く発動できる得意魔法に頼れない。それこそが「強い魔法師」とは四葉内で評価されない理由だ。

 

(……味方がいると、領域魔法は使えないしな)

 

 だからといって、干渉力と作用範囲で押し切ると愛梨を巻き込んでしまう。選択肢が少ない中で選んだのは、系統外魔法の「ワン・コマンド」。想子波によって、脳の指令を操る魔法である。精神そのものに干渉するのではなく、神経の伝達を狂わせるタイプの簡易な魔法だ。

 敵の動きが固まる。その瞬間、高速で飛んできた稲妻が彼らを焦がす。稲妻の正体は、愛梨が発動した「スパーク」の放電現象だ。襲撃してきた魔法師らは、一瞬にして死体へと変わった。

 

「……えっ!?」

 

 あり得ない光景に、愛梨が叫ぶ。

 倒れ伏した筈の死体がすぐさま動き出したのだ。敵に殺される前提で運用する、大陸古式魔法特有の「二毛作」。生前に精霊──独立情報体を取り憑かせておくことで、宿主の生命活動が停止した時点で主導権を奪えるようにしておく。しかも、死んでいるので多少の攻撃では怯まない。

 これが十数体、本来ならかなり面倒な相手である。

 

(だが、残念……。こうなった方が早く済む!)

 

 情報体というものは、いわゆる実体のない構造。そうしたものへ干渉することこそ、おれの十八番なのである。人を相手にするよりもずっと。意気揚々と発動した、精神構造干渉魔法「フラクチュア」は、精霊を一気に破壊し尽くした。化成体や精霊のようなシンプルな構造は、こうして簡単に壊すことが出来るのだ。

 しかし、死体人形を倒しても、一息つくことは出来ない。次の攻撃は……と警戒した時、身体中に鳥肌が立つ。この感覚を、おれは知っている!

 

(……!)

 

 一瞬で"ソレ"に反応できたのは、本能が脳の判断を上回ったから。無我夢中で行使した「ベクトル反転」は、おれたちが肉塊に変わり果てるのを救った。

 

(呂剛虎! アイツ生きてたのか!?)

 

 幹比古の雷撃だの、おれの魔法だのをあれだけぶつけたのに。信じられない。しかも、門がある側から現れたということは、侵攻軍に混ざっていたということ。もう戦闘復帰出来ていたとは。なんて身体性能をしているのだ。

 だから、ユーフォリアの効きも甘かったのか。あの魔法は元々「酩酊状態にする」くらいの役割しか持たないのだ。その上に暗示を乗せるのは、単におれのアレンジ。そして、肉体の丈夫な人間に催眠は効きにくい。精神に身体が引っ張られないからだ。かなり、精神干渉魔法と相性が悪い。

 

(クソ、最悪だ!)

 

 それでも愛梨を守るべく、彼女の前に飛び出そうとする。しかし、それは叶わなかった。おれと愛梨の間から、化成体が大量に現れたからである。それらは黒く、獣のような姿をしていた。すぐに対処したものの、開けた視界には……彼女はもういなかった。だが、ピンチほど冷静にならねばならない。まだ、愛梨は生きている。大丈夫だ。

 

「……失礼。方位を狂わさせて貰いましたよ」

 

 パニック寸前の脳を落ち着けようとした時、それを邪魔する声が差し込まれた。いつのまにか、長髪の青年が目の前に立っている。

 

(周公瑾……!)

 

 すぐに加速魔法を相手に掛けて、距離を取ろうとする。しかし、手応えは無し。「方位を狂わせる」という言葉の意味が分かった。仕方なく、自分が後ろに移動する。

 

「どうも。あの大胆な退職には驚かされましたよ。最近の従業員は責任感が無くていけません」

 

 周が地面を軽く蹴る。「縮地」の術と気付き、おれは自己加速術式で避けた。

 

「まぁ、負けるとも思っていませんが……貴方に勝てるとも思ってませんよ。時間稼ぎが出来れば十分。あの少女が死ぬまでのね!」

 

 古式の精神干渉魔法は、一度術に惑わされると跳ね除けるのが難しい。とにかくイデアを注視しつつ、周の位置を常に確認しなければ。しかし、術を解くべく集中するためには……愛梨から目を離さねばならない。

 

(でも、周を早く見つけないと……こちらがやられる!)

 

 片手間に戦える敵でもない。早く倒して、愛梨の元へ向かう。それが、やるべきことだ。おれは覚悟を決め……目を凝らした。

 

 

 

 

 

 

 戦闘の最中、夜久とはバラバラになってしまった。魔法戦闘にブランクがあるにもかかわらず、一人で敵に立ち向かわねばならない……このような危機的状況において、愛梨は意外にもひどく落ち着いていた。

 彼女は「エクレール」。稲妻よりも速いと、人々はそう呼んで称える。その誇りを持って、今この戦いに身を置いていた。もちろん、命のやり取りだ。試合などとは全く違う。でも、どんな時でも冷静に物事を考えるべきなのは同じだ。

 

(この男……さっきまでの術者とはまるで違う!)

 

 繰り出される攻撃を捌きながら、彼女は打開策を考え続けていた。

 

(状況に応じて切り替える情報強化と対物障壁……あまりにも厄介だわ。さっきから攻撃魔法を展開しているのにまるで効かない!)

 

 愛梨は何度もそれなりに威力のある魔法を繰り出していた。しかし、未だ有効なダメージを与えられずにいた。

 呂の異能は「鋼気功(ガンシゴン)」と呼ばれる、華北の術者が発祥の技術だ。皮膚上に流した高密度の想子による情報強化、身体に沿って覆った何層もの想子情報体による対物障壁、この2つを臨機応変に組み合わせる防御術法。そして、それらを鎧型の呪法具「白虎甲(バイフウジア)」で増幅することで、機関砲すら跳ね返す強靭な肉体を実現するのだ。接触型術式解体に近いが、こちらは魔法を防ぐたびに飛び散る想子を、呪具によって留まらせているところが異なる。

 

(この体格ではあり得ない速さ。気を抜いたら……死ぬ!)

 

 大柄な体格の割に、鈍重さが微塵もない。先程から、呂が繰り出す攻撃や突進を紙一重で避けることの繰り返し。スピードが辛うじて上回っている故、戦闘を継続できている。けれども、このまま長期戦となった時に持ち堪えられるかの不安があった。

 

(奴の周りを取り囲む想子をなんとかする必要があるわ)

 

 強固な想子ウォールが少しでも薄くなれば、干渉力で無理やり突破できる。集中を切らさないようにしながらも、想子の流れに注目した。情報強化型の場合、呂は魔法を弾いた一瞬の間だけ、身体にある想子が薄くなる。その切れ目を狙うしかない。

 基本的に、魔法は永遠に効果を表さない。厄介な対物障壁にも「息継ぎ」のタイミングが必ずある……愛梨は高速で移動しながらも、相手から目を離さない。ただ、必死にその時を待っていた。

 

(ここ!)

 

 タイミングを合わせて、放出系魔法「スパーク」を発動。変数を調整し、飛ばすプラズマの数を減らす。その分だけ威力や速度を増大させたそれは、突進しようとしていた呂の足を止める。

 

(ほら!想子が薄くなった!)

 

 第二波の攻撃。すぐさま高圧電流を流し込む。彼の表情が驚愕に染まる。自らの防御が破られるとは思わなかったのだろう。

 一色家の切り札である「神経電流攪乱」。通称「神経攪乱」。電気刺激で相手の身体に干渉し、運動神経の働きを麻痺させる放出系魔法──その亜種「エレクトロ・キューション」。殺害のために最適化してデザインされた、ダイレクトに人体へとダメージを与える魔法。「人の動きを直接操るわけではない」からこそ、一条の「爆裂」同様に存在が許されている。

 愛梨が全力で発動した「エレクトロ・キューション」は情報強化を突破し、呂の身体に多大なダメージを与える。

 

(……殺せはしないか)

 

 電流は耐性が付きやすい。特殊な訓練を受けている兵士は、情報強化と併用することで耐え抜くという。彼もまた同じなのだろう。

 このように、一色の「エレクトロ・キューション」は「爆裂」のように、ほぼ確実に相手を殺せるとはいえない。それが、安定して十師族の地位につけない理由だった。

 

(けれど、上手くいかない予測はしていた!)

 

 一色家は「神経への干渉」を研究している魔法師家系。その研究成果の一つが神経細胞に関わる活動単位に干渉、神経伝達プロセスのショートカットを可能にした「電光石火」という魔法。これは一色家一門だけが使用する秘匿技術であるが、本家では更に発展させた「疾風迅雷」システムが存在する。

 一色家直系である愛梨は、この「疾風迅雷」に家族の誰よりも適応していた。神経操作によって、自らの時間感覚を大幅に加速させることが出来たからだ。そうでなければ、呂の攻撃スピードに付いていくことは出来なかっただろう。

 

(他の人間なら、2度同じ攻撃をすれば防がれる! でも私は……私だけは違う! だからこそ「稲妻(エクレール)」なの!)

 

 魔法を展開するスピードそのものは、愛梨より速い人間も数多くいるだろう。同い年だけに絞っても、津久葉夜久や一条将輝、司波深雪は間違いなく、彼女よりも発動スピードが優れている筈だ。

 それでも「加速」状態の中──脳が次の攻撃を判断するタイムラグがほぼ存在しないこと。その点において、この時の彼女は間違いなく「最速」であった。誰よりも。

 脳の指令が意識を通過するよりも先に、指はCADを操る。2発目の「エレクトロ・キューション」は、完全に呂の意識を刈り取った。凄まじい呻き声を上げた後、巨体は地面に崩れ落ちる。それを確認し、愛梨はホッと息を吐く。

 

(生きては、いる。殺すつもりでやったのに……。とんでもないわ)

 

 逃げられないよう、持っていたロープで固く縛り上げる。もし目覚めてしまった場合、フィジカル的に引きちぎられそうだが、拘束は無いよりずっと良い。

 

(夜久くん、大丈夫かしら……)

 

 気持ちを落ち着けると、急に夜久の状況が気になった。探しに行きたいけれど、自分はまだ敵地の真ん中にいるのだ。周囲に警戒を続ける必要がある。とりあえず、援軍が来るまでは待機するしかない。愛梨は追撃に備え、再びCADを構えた……が、何かがおかしい。

 その違和感に応えるように、突如として何もない空間から人間が飛び出した。いくらなんでも不意打ちは、避けられない。

 

「──愛梨!」

 

 そこに飛び込んできたのは、夜久であった。彼は同時にベクトル反転が付与された対物障壁を展開し、目の前の人間──周公瑾を弾き返した。彼は堪らず、たたらを踏む。

 

「……鬼門遁甲は破ったぞ。もうお前が何をしようと無駄だ」

 

 周は地面に転がされている男をチラリとみて、不気味な笑顔を浮かべた。さながら、仮面のような不自然な笑みである。

 

「呂剛虎もやられましたか。──しかし、私は捕まる訳にはいかない。そうなるくらいならば……肉体を失っても良い!」

 

 その瞬間、周の肉体が膨み過ぎた風船のように爆ぜた。辺りへ大量に飛び散る血と肉片は、地面に染み込む前に炎へと変化する。炎は段々と大きくなり……火種も無しに赤々と燃える。そして、聞こえるのは奇妙な笑い声──冒涜的な光景を前に、愛梨は唖然とした。

 

「……最高だな、お前」

 

 対して、夜久の顔には何の感情も浮かんでいない。ただ、右手を軽く前に翳したのみ。それだけで、全てが解決していた。

 

「おれの一番得意な状況に持ってくるなんて」

 

 彼はイデアを通して、精神体を確認できていた。そうなれば、固有魔法である「精神構造干渉」をすぐに発動できる。肉体経由で精神に照準を当てるよりもずっと速く。精神体が剥き出しになっているのだから。

 精神構造干渉魔法によって、周の無意識領域に存在する魔法式を投射するための「ゲート」が一時的に閉ざされた。今の彼は魔法を使うことができず、反撃などできない状況。そこへ追い討ちするように、次弾の魔法が。

 

「……自我を失ったお前は、それでもお前か?」

 

 彼が何をしたかと言うと。記憶領域に手を入れ、全てを白紙化したのだ。精神構造をめちゃくちゃにされた周は、最早「周公瑾」とは言えない。全てを失った、はぐれ独立情報体とでも表現すべきだ。

 しばらく、夜久は「周公瑾だったモノ」の行方を見送っていた。そして、満足したのか振り向く。

 

「──行こうか」

 

 愛梨はおずおずと頷く。目の前で行使された夜久の魔法がどういう仕組みなのか、彼女はもちろん理解できなかった。ただ、魔法師はエイドスの改変を感じ取れる。その変化に漠然とした恐怖を覚えていた。

 

(夜久くん。貴方、まさか……)

 

 喉まで出かけた言葉を飲み込む。そんなことよりも、もっともっと言いたいことがあった。

 

「私、強かったでしょう?」

 

 その問いに、夜久は目を丸くした。そして、彼はそっぽを向いて、蚊の鳴くような声で呟く。

 

「……思ったより」

 




まだもう少し続きます


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第8話

これで横浜騒乱編は終わり


 呂剛虎と周公瑾を退けた後、中華街内部は更に騒がしくなった。一条が他の義勇軍を連れて、ここへと突入してきたのだ。あとは任せろというので、その言葉に甘えてさっさと撤収した。こちらは早く帰りたいし、一条側もあまりおれには居座って欲しくなかった筈だ。利害が一致したという訳である。

 

「──それにしても、悪かった」

「え、何が?」

 

 帰り道、おれはそう彼女に言う。

 よくよく考えれば、おれたちは出会って半年も経っていないのだった。お互いを知るよりも先に様々な出来事が起こったため、よく分からないまま関係性だけが大きく変化した。心は近付いているのに、意外と相手のことを知らない。

 

「その……。ずっと、過小評価されてるみたいで嫌だったりしたのかなって」

 

 おれがかなりの苦戦を強いられた呂剛虎を、愛梨は見事倒してみせた。精神干渉魔法とは相性が悪かったと言えばそれまでだが、彼女がちゃんと強い魔法師だったことに変わりない。

 この懺悔に対し、愛梨は薄く微笑んだ。

 

「まぁ、そうかもしれないわね。もし将輝さんなんかに言われたら、腹が立ったかも。でも、そうじゃなかった。何故だか、分かる?」

 

 悪戯っぽい視線。その蠱惑的な目の奥の輝き。それを見て、息を呑む。

 

「おれが何者でもないから……」

 

 ナンバーズの義務、レディーファースト……彼女を守る論理は、そんなものではなかった。純粋な感情の表れ。「やりたいこと」に基づいた行動。

 

「ううん、ちょっと違う。──私も貴方のことが、好きだからよ」

 

 だから、ただ嬉しかった……愛梨はそう続ける。

 

「『不幸になんてしたくない』という言葉は、私を救ってくれたわ。──でもね……それに乗っかるだけでは駄目だった。だって、それじゃあ貴方の危機は……誰が守るの?」

「……!」

 

 愛梨は自らの強さを証明した。それは、守られることを拒否するためではなく。おれのためだった。それを愛と言わずして、何と呼ぶのだろう。

 おれの右手が取られる。彼女が掴んだのだ。指を絡められ、容易に離すことは出来ない。

 

「他人の人生に責任を負わないで。私の人生も、貴方の人生も……誰かに委ねることのできないもの。だからこそ、尊い」

「うん……」

「だけど、人生の半分近くは苦しみに満ちている……。それを美しいものにするため、私たちはお互いを必要としているの」

「お前の人生に……必要としてくれるの」

 

 口から零れ出たのは、震えた声だったと思う。

 ずっとずっと欲しかったもの。「精神構造干渉」を通してではなく、その奥を見てほしいという願い。

 

「だけど、お前も見ただろ。あれを……」

 

 周公瑾の無力化。彼は亡命華僑とチャイニーズマフィアを繋ぐ仲介人だった。それは、密輸組織にいた頃に把握している。彼がいなくなるということは、中華街の実質的リーダーが失われる意味を持つ。暫くは勢力争いでごたつくだろう。つまり、おれたちをわざわざ狙う奇特な人間は減る。

 その点で、精神に手を加えるのは必要なことだった。けれど、きっと「許されざる」こと。

 

「……えぇ」

 

 愛梨は静かに頷いた。でも、おれから目を離さない。

 気づいた筈だ。「精神構造」へと干渉できる魔法師の意味を。四葉の血筋を持ち、なおかつ他者の人生を破壊せしめる魔法師。

 

「きっと、貴方はこれからも苦しみ続けるのかもしれないわね。そして、私も苦難に灼かれるのかも。──それでもいいの」

 

 この世界は、悪意に満ちている。ここで生きる人々は等しく、本人なりの苦しみを味わうだろう。それでも、孤独に……闇深くへと沈み切ってしまわないように。手を繋ぐことが出来る。

 

「私たちは恐れなくても良い。全てを」

 

 繋いだ手を、おれは強く握り返した。

 未来は不確定だ。ある一つの選択が、進む道を酷く狂わせる。数秒前に立てたビジョンは、すぐにめちゃくちゃになる。けれど、混沌の先できっと巡り会えると信じること──人はそれを希望と呼ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 中華街に捜査の手が入ったところで、すぐ「悪い人間」が見つかって万々歳……で済む筈もない。それで話が終わるなら、日本の中でここまで「火薬庫」のように扱われないのだ。実質的な治外法権が成立するだけの複雑な事情がある。

 ただ、呂剛虎をあの場所で捕獲できたこと。これには、かなり意味があると思う。戦場となっていた横浜港付近において、彼を目撃した人間は多いに違いない。それに、もしかしたらドローンや生き残っていた監視カメラには、映像が残っている可能性もある。ならば「侵攻軍」が中華街の人間と関わりがあったと示す証拠にはなるだろう。亡命華僑の切り崩しに多少は役立つカードを、日本側は手に入れたと言えるのではないか。

 

(でも、正直そんなことはどうでもいい! もっと大変な大問題が出てきたんだ!)

 

 車内で一人頭を抱える。その「大問題」こそが、こうして今おれが本家へ連行されている原因でもあった。

 ふんわりと思い描いていた「第四研で仕事をし続けて、家から生活費をふんだくる」ことと「外野に『四葉なのかもしれない』と不安を煽り続けて、いずれ愛梨と暮らす際に文句を言わせない」ことの2軸で構成されたプラン。その雲行きが早くも怪しくなってきていた。

 

(まさか「マテリアル・バースト」を勝手に使うなんて思わないだろ! こっちも!)

 

 九校戦の折。おれは協力の対価として、達也と深雪の「誓約」を少し緩めてやった。特に深い考えもなく、ちょっとした気まぐれでやったことなのだが、これが本当に大変なことを引き起こしてしまったのだ。

 10月31日。大亜連合の鎮海軍港が、そこに停泊中の艦隊と共に消滅した。途轍もない熱量を持った光球に包まれて。後に「灼熱のハロウィン」と名付けられた大事件は、新たな戦略級魔法師の存在を知らしめ、世界の魔法戦力バランスを大きく塗り替えた。その戦略級魔法を行使した人間こそが……司波達也なのである。

 

(クソ……! アイツの力をおれが縛ってるせいで……責任がこっちに来るなんて!)

 

 普段はおれに我関せずの、黒羽や新発田の当主が怒り狂い、お母様に「本家へ呼び戻せ」と陳情したようだ。こんな時に絶対帰りたくないが、帰らないと更に面倒になるのは目に見えていた。

 

(はぁ……。最悪の気分だ)

 

 今まで、おれの人生は様々なことがあったように思う。そして、大体は軽く考えてやったことがきっかけで、とんでもない大惨事を引き起こしたケースばかり。だが、いくら何でもこれはないだろう……。目的地が近づくにつれて、どんどん気が滅入ってくる。

 何度かトンネルを抜ければもう、四葉の本拠地である村に辿り着いてしまった。運転手に促され、車から降ろされる。足取り重く、本家の屋敷へと進む。使用人の案内で、お母様の書斎へと通された。

 

「──来たの」

 

 珍しく、部屋にはお母様一人だった。相変わらずの無表情で、こちらを見据える。温度のない能面のようなそれ。怒りや憎しみではなく、何の感情も込められていないことがすぐに見て取れる。

 

「そして……やってくれたわね。まさか、勝手に『誓約』を緩めていたとは」

「結果的には良かったんじゃないですか。話が早く進んで」

 

 あのままでは、大亜連合の攻勢に押されていただろう。分家がいくら騒ごうとも、スポンサーの意向で「マテリアル・バースト」を使うよう手を回した筈だ。

 

「軍がこちらに伺いも立てずに、勝手にあの兵器を使う形になったのよ。貸しを作るチャンスを一つ失った訳。だから、達也さんにもペナルティを与えたわ……」

 

 しばらくの間、達也は軍と接触しないように言い渡したのだという。彼への罰というよりは、軍が彼を好きに動かせないようにしたいという意図の方が強いだろう。

 

「もちろん、ここでの謹慎も考えたのだけど。ガーディアンとしての仕事を外す訳にも行かないし。この辺りが落とし所ね」

「その代わりに、おれを謹慎させるとでも? なんだそれ、全く意味がない」

 

 分家の不満をガス抜きするためのアピールに使われるなんてごめんだ。だが、ここに呼び出された時点で、もうそれしか考えられなかった。このまま飼い殺しにされるなら、逃げ出すしかない。無茶な考えだと分かっているが……。

 

「いいえ。……私も少しは反省したのよ」

 

 お母様が微笑みながら、こちらへと歩いてくる。その瞬間、身体が「危機」を伝えてきた。恐怖を感じ、情報強化を掛けながら床に転がる。

 突如として、夜が訪れた。全てを呑み込む漆黒。

 

「残念。外したわ」

 

 数秒後、部屋に光が戻る。目の前には、また無表情に戻ったお母様が立っていた。

 何が起こったのか。その答えはすぐに出た。「流星群(ミーティア・ライン)」が発動していたのだ。光の分布を偏らせることで、光が100%透過するラインを作り出す魔法。その結果を作り出すために、物体の光透過率という構造情報に干渉し、それを気体に変える分解魔法の一種。全てを穿つ光条が、おれの首を狙った。

 

「魔法は上手だけど、それ以外はまるで駄目。そう育てたのも……私。貴方に『責任の取り方』を一度も教えたことが無かったわね」

「え……」

 

 お母様は何を言いたいのか。少しも状況が飲み込めない。

 

「貴方の願いを、完全にではないけど叶えてあげるわ。──姉さんの子供として発表してあげる」

「は……」

 

 戸籍を移したり、色々苦労したわ……と言うお母様。

 

「まさか……」

 

 おれは口を何度も開いたり閉じたりする。息の吸い方も忘れるほどのパニック。

 そんなこと、もう望んでいなかった。何者でなくてもいいから、幸せになろうとしていたのに。

 

「……気づいていないとでも思った? 貴方が私にあまり関心を向けなくなったことを。どうして? ──勝手に置いていくなんて、許さない」

 

 お母様の腕が、おれの首へと伸ばされる。気道が塞がれ、更に息苦しくなった。

 

「私は、貴方が大嫌い」

 

 今以上に力を込められる。視界に靄が掛かっている。その中で、お母様の顔だけが見えていた。鬼のような形相。

 

「同じだけ不幸にならないとね……深夜」

 

 その名前で、もっと深い絶望へと叩き落とされる。

 四葉真夜は、自分の子供などとうに見ていなかった。ただ、姉を憎み続けているのだ。死んだ姉を断罪し続けるため、おれを使っているだけ。

 伯母様は……死して尚、まだ罪を数え終わることを許されていないのだ。なんと哀れなのだろう。

 

「もう、外でいくら繋がりを作っても無駄。四葉直系と知れば、流石に貴方への関わり方も変わる。恐怖と打算だけが、他者との結びつきになる」

 

 そして、四葉の名を背負って表舞台に出るのだ。人はいずれ「精神構造干渉」の復活を知ることとなる。

 

「そうすれば、きっと誰一人として近づかないわ。自分の人生を破壊するかもしれない存在のことを、誰が愛すものですか……」

 

 一人で生きて、一人で死ね──そう言いたいのだ。

 

「……きゃっ!?」

 

 お母様の身体が後ろへ跳ね飛ぶ。おれが足で軽く蹴り飛ばしたのだ。息が吸えず、そろそろ死にそうだったから。床に倒れ込んだ彼女を起こすため、ドレスの胸元を引っ掴む。顔と顔が至近距離まで近づく。

 

「そんな責任で良いなら、いくらでも取ってやるよ」

 

 生まれ持った魔法のせいで、出生のその日から罪を背負っている存在だ。お母様の悲しみに寄り添いたくて、同じだけ苦しもうとした。そして、今も苦難の道を歩いている。そこに、更に不幸が訪れたとしても……。

 

「おれは絶対に壊れない。完膚なきまでに破壊されても、その度に復活するだろう」

 

 もう全てを恐れない。世界中の人々がおれの不幸を願ったとて、何度でも立ち上がる。理不尽も悲しみも、生き抜くための燃料に変えて走り続けるのだ。炎に灼かれながらも、再び蘇る不死鳥のように。

 

「簡単に潰されやしない」

 

 パッと手を放す。よろめいたお母様をそっと支えてやった。その時、互いの目が合う。

 

「……!」

 

 書斎から逃げ出したのは、お母様だった。ここは自分の部屋だというのに。そこに取り残されるおれ。

 

「──お話は弾みましたかな?」

 

 タイミング良く現れたのは、執事の葉山だった。好々爺の笑みを浮かべ、トレーを手にしている。

 

「聞こえていたでしょう」

「いやいや。盗み聞きなどという無粋な真似は致しませんよ」

 

 軽口を叩きながら、テーブルに紅茶や菓子を並べる。敷かれたクロスも置かれたカップも一人分。しかも客用だ。彼はお母様が書斎から居なくなることを見越していたのか。

 

「師族会議や魔法協会には、既に通達が届いている頃でしょう。もう差し止めることはできません」

「そうですか……」

「ですが、夜久様ならば切り抜けられる……根拠はありませんが、そう信じておりますよ」

 

 おれに潰れて貰っては困る、という圧を感じる励まし。達也のストッパーとして、今度こそ真面目にやってくれということだろう。確かに、おれを呼び出すよう、お母様を唆したのは分家だろう。しかし、説教を一番したかったのは彼なのではないか……そう思いつつ、紅茶を一口飲んだ。

 




第一部完!という感じです。どう考えても時期的にキリ悪いんですが、主人公は今学校通ってないので……まぁ。
なんかフワッとしてる七草家や一高周り、幹比古のこととかを回収して、続き書けるんですけど……主人公の問題がひと段落したので少し迷っています。書くなら一高に復帰してアレコレやる、その上で愛梨や一条などの三高メンツも何とか絡める……という感じになると思います。

ちょっと達成感もあるので、詳しい後書きを活動報告に載せるかも。愛梨のキャラコンセプトとかをまとめたいなと思います。


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来訪者編
第1話


 七草家は、十師族の仕組みが運用されてからは一度も枠外に出たことがないという名門中の名門家系。

 また、優れた政治力や使える手駒の多さによって、四葉家と並び立つ有力な一族と称されている。つまり、関東近郊で七草の影響力はとても強い。だから、そのエリアの魔法師は殆ど彼らの関係者といえる。

 そして、毎年第一高校へ進学する生徒についても似たような割合になる訳だ。要は、七草に近しい関係者が2割程度、校内には常に存在する。だが、魔法師業界というものは狭い。取引関係なども入れると、大体4割近くが「七草閥」に含まれる。

 

(まぁ、だからこそ……退学になったんだが)

 

 確かに「娘の面子」がめちゃくちゃに潰れたこと自体は、良い気分などしなかっただろう。しかし、それに怒っているというのは単なるアピールに過ぎない。仮にそれが理由なのだとしたら、親馬鹿にも程がある。一時の感情に左右されるような無能であれば、多くの人員を率いることも難しいに違いない。

 単に、絶対に非を認めてはいけなかっただけだ。派閥外の人間に「舐めた態度」を取られた時、必要なのは徹底的に叩きのめすこと。外野(ここでは世間)からの心象よりも、味方からどう見られるかを七草は優先せねばならない。一般人に屈することなど出来なかったから、おれを退学に追い込んだのである。

 

(そして、多くの生徒は差別に対して鈍感であった訳だ)

 

 あの日の行動そのものの是非はともかく、おれの話した内容は正しかった筈だ。そういう風に反論を用意したのだから。間違いなく、学校の中で差別はあった。それでも、生徒の大部分は「そんなものはない」という答えを望んだ。だから、七草真由美の演説を受け入れた。

 それだけ、優秀な魔法師以外は人に非ずという感覚が根付いてしまっているのだ。差別する側にも、される側にも。一人の「逆張り男」が叫んだところで、考え方が改まることはない。

 1年A組の面々が比較的二科生に優しかったとすれば、その美貌故にクラスの中心にいる深雪に遠慮してのことで、内心の思いは異なる人間の方が多かっただろう。だからこそ、あの演説に共鳴したのは元々いた「反差別主義者」の二科生くらい。彼らは、おれの退学後も熱心に活動していたようだ。結局、切り崩された訳だが。

 

(それに、実のところおれもロクなことは言っていなかったし……)

 

 初めて会った頃の駿がしていたような二科生イビリに加担することはなかった(そこは深雪に気を遣っていた)ものの、平気で「A級ライセンスも取れない奴に教えてもらいたくない」と講師に暴言を吐いていた。授業にならないので、なんと担当講師が異例の入れ替えに。変更後は、見事にA級持ちが揃っていた。「講師の質が上がってラッキーだな」と駿に言ったら、流石に彼も引いていたのを覚えている。

 

(第一高校……久しぶりだな)

 

 朝の9時半。生徒たちが授業を受けている時刻。おれは校門の前に立っていた。復学手続きのためだ。正確には年度末まで手続き可能な「退学の異議申し立て」なのだが。

 本家に籠っていても仕方がない。しかし、駿の家で世話になり続けることも出来なかった。どう考えても迷惑だからだ。ならば、都内にある四葉の別宅に移る、というのが丸い選択。それに、お母様の「嫌がらせ」で四葉姓を名乗ることになったため、七草家も復学の邪魔が出来ない。ちなみに、謝罪はまだ貰っていなかった。

 退学した日に一度訪れた校長室を目指す。ノックもせずに、足で扉を開けた。もちろん、パフォーマンスだ。

 

「どうもどうも。帰ってこれるとは思わなかったですよ」

「お久しぶりです。……四葉君」

 

 柔らかな言葉遣いの割に、校長の百山は険しい顔をしていた。何故かといえば、彼は「七草家の要請」とは無関係におれを退学処分にしたからだ。元々態度が悪かったため、重大な信頼失墜行為の累積で辞めさせた。その上で、七草家を上手く利用して、今まで復学を認めていなかった訳である。中々の策士だ。

 

「ワッペン、全員に付くようになったとか。平和になってよかったですね」

 

 七草家の陰謀という噂が流れていたが、今まで改革をしなかったのは百山である。それを揶揄しての言葉に、彼は眉をぴくりと上げることで応えた。

 夏休み前、第一高校には「私物に校章を付けたい人向け」の意匠権購入サービスが導入された。スクールバッグや端末、そして制服に使えるものだ。「差別が嫌ならお金を払え」という横暴なシステムだが、大抵の生徒は買ったらしいと聞く。

 

「……その平和を崩す存在に、君がならないことを祈っている」

 

 そう言って、百山はおれの「退学異議申し立て」についての書類を受理した。晴れて、第一高校に復帰である。

 

 

 

 

 

 

 森崎駿は、魔法協会からの通達を見て……一人悩んでいた。それは、夜久が四葉の人間だったことではない。彼が「アンタッチャブル」の関係者なことくらいは、既に察しが付いていたから。

 退学処分された日に、山梨に赴いていたこと。あまり退学を問題視していなかったこと。高い魔法力を持つこと。精神干渉魔法に高い適性があること──それらを加味すれば、何者でもない方がおかしい。直系だとは思ってもみなかった(他の十師族直系と比べて、あまりにも子供っぽいからだ)が。

 でも、遠ざけようなどとは少しも思わなかった。もちろん、夜久の言動は大概酷いものだ。ただ、それは気に入らないことがあればの話で、自分の思う通りに話が進む時は機嫌が良い。そういう場面の彼は面白いし、一緒にいるととても楽しい。あれだけ関わっていたのだから、よく知っていた。

 

(でも、僕は彼の世界に入れない。これからも)

 

 夜久という人間は、全ての論理が魔法を軸に構築されている。何故なら、魔法によって何事も解決してしまえるからだ。実際、どんなことも彼にとっては障害にもならなかったのだから。

 天才とはああいうものだ、と思い知らされた。そして、自分には同じことなどは出来ないとも。だから、二科生を見下すのをやめた。そんなことをしても、夜久にはなれないからだ。

 

(それに、血筋が才を与えるのなら……もうどうしようもない)

 

 今でも努力は続けている。しかし、才能の範疇でしか成長は出来ない。魔法発動のタイムラグを縮めるために、特化型CAD用テクニック「ドロウレス」を必死に取得した。高等魔法の中でも、工程の少ないシンプルなものは使いこなせるようになった。

 それでも、自分は「強い魔法師」ではない。現実を直視する度に、気が狂いそうだ。森崎の家に生まれたくなかった、までは思わない。自分は父や叔父を尊敬している。けれど、それは魔法師としてではない。家業に対する真摯な思いや、クライアントへの向き合い方だ。

 ただ、才能が欲しくて欲しくて仕方ない。友人の隣に並び立てる魔法師になりたかった──。

 

「──えっ」

 

 そんなことをつらつらと考えていた折。自室のモニターが、唐突に起動する。スイッチの誤作動だろうか……と、消そうとした時。画面いっぱいに、人間の姿が映る。

 

「誰……」

 

 現代では、肌や髪の色が「外国人」のように見える日本国籍の人間は珍しくない。それでも、駿の知人に金髪碧眼の少年はいなかった。

 

「はじめまして、Mr.モリサキ。僕はレイモンド・クラーク。気さくに『レイ』と呼んでくれると嬉しいな」

「はぁ……」

 

 アニメのような展開。だが、目の前の画面にいるのは良く分からない男。駿は混乱しすぎて、逆に取り乱す余裕もなかった。

 

「君はSNSの非公開ダイアリーで、自分の才能について嘆いていたよね。僕、見ちゃったよ」

「お前……!」

 

 ちょっとした心の闇を解放するツール。だが、誰にも見られないように、していた筈だ。

 

「ごめんごめん。びっくりさせちゃったよね。流出している、とかじゃないよ。単に、僕は『覗き見』が得意なだけで。──大したことは書いていなかった。書いたのが君、と特定出来ない限り何の意味も持たない文ばかりだ」

 

 その通りだった。彼の言うように自分の名前も、もちろん「彼」の名前も出してはいない。

 

「だけど、Mrモリサキが書いたと分かれば芋蔓式さ。あの『ヨツバ』が羨ましくて仕方ないことも、読み取れた」

「貴様……!」

 

 優秀な魔法師は何をやっても、すぐに表舞台に戻ってこれる。その才をもって、どんなことも赦される──羨望は、隠さねばならなかった。自分の実力では、願うこともできないことだから。

 目の前の少年を睨みつける。しかし、彼は飄々とした態度を崩さない。

 

「……そう怒らないでよ。気持ちは分かるさ。だからこそ、君にチャンスをあげようとしてるんだからさ」

「……チャンス?」

「まず、魔法演算領域について君はどれくらい知ってる?」

 

 唐突にレイモンドは話題を変えた。しかし、おそらく「チャンス」と関連する話なのだろうと駿は推測する。

 

「……魔法を行使するために必要な器官だ、ということくらいは」

「でも、それを持つ全ての人が皆同じように魔法を使える訳じゃない。それは、おそらく人によって形が異なるから──この仮説、僕は正しいと思っている」

「……何が言いたい?」

 

 遠回りな話題が続き、痺れをきらす。結論を言うよう、続きを促した。

 

「天才になりたければ、増設すれば良い。僕はその方法を知っている」

「……適当なことを言うなよ。それが罷り通るなら、僕は」

 

 その先は声にならなかった。プライドが邪魔をしたのだ。

 

「……まぁ、今日は挨拶だからね。信じてくれなくても構わないよ」

 

 レイモンドは笑みを崩さない。いずれ、駿がその手を取ると確信しているかのように。

 

「しばらくすれば、君も目にする筈さ。人間の限界を超えた、究極なる生命体『デーモン』をね。──その時に、答えを聞きたいな」

 

 そう言い残し、画面は暗転した。駿は思わずモニターに駆け寄る。映るのは、憔悴した自身の姿。それはとてつもなく、情けなかった。

 

 

 

 

 

 

 戻ってきてからの学校生活は、特に何か変わることもなかった。元々、クラスメイトからは遠巻きにされていたからだ。深雪も基本は他人の振りだし、おれが四葉と明かされてからはさらに顕著になった。話してくれるのは、駿くらいだ。

 

「お前、結構良いやつだよな」

 

 周囲が不自然に空いた食堂のテーブルで、おれたちは昼食を摂る。

 

「……まぁ、友達だからな。出自で態度を変えたり、したくないんだ」

「そうか」

 

 食べ終えて、教室に戻ろうとした時だった。不意に、端末が通知を知らせる。学内メールだ。何故こんなものが?と確認すると、中の文面は、前生徒会長──七草真由美から届けられたものであった。

 

「ちょっと用事ができた。先に戻っておいてくれ」

 

 おれは生徒会室へと向かう。中に入ると、真由美以外は誰もいなかった。他の人間は人払いしたようだ。

 

「……来てくれてありがとう」

 

 扉の近くで、彼女は立って待機していた。そして、おれに椅子に座るよう勧める。素直におれは腰掛けた。その対面に、彼女はパイプ椅子を引き摺ってきて座る。

 

「こういった機会を作ったのは、私の口からだけでも貴方にちゃんと謝罪したいと思ったからです。あの時、私は何も出来なかった。本当にごめんなさい」

 

 七草家は未だ強硬姿勢を取っているらしい。それでも、当の本人は良心の呵責に耐えきれないでいる……という状況らしかった。

 

「私は、本気で『自分の演説』で全てが収まると信じていた……でも、私たちは無意識に人を見下していたし、それに気づこうともしなかっただけ。そして、貴方のような強さも無かった」

 

 少し俯き気味で、彼女はぽつぽつと話す。そして、いきなり顔を上げた。

 

「今も、一高は何も良くなっていないわ。でも、改革に踏み切る時間が私にはもう無い。校内のゴタゴタを立て直しただけで、タイムアップ。自分の派閥を整理することすら、妹たちに任せないといけない」

 

 だから、お願いしたいことがあるの……彼女はおれの目を真っ直ぐ見つめる。イヤな予感がした。

 

「生徒会に入ってくれないかしら」

「なんで」

 

 そもそも、既に定員が決まっているだろう。それに、ほぼ現生徒会の面子とは関わりがない。別に入る理由など無かった。

 

「今すぐじゃなくても良いから! 3月までに答えを出してもらえれば、それで構わないから!」

「はぁ……」

 

 よく分からないまま相槌を打ち、生徒会室を後にした。別に謝罪が欲しいわけでも無かったし、生徒会役員になどなりたくもない。上手く断る方法を考えておこう、と思った。

 教室の方へ向かうと、何やら言い争う声が聞こえる。陰からそっと覗くと、駿とその他数名がそこにいた。クラスメイトと世間話……という訳でもなさそうだ。何より、囲んでいるのはA組生徒ではなかった。

 

「──驚いたぜ、森崎。お前があそこまで『退学処分者』にご執心だった理由には」

「『アンタッチャブル』と知ってて、媚びてたんだろ? お前の家は百家傍流だもんな、将来のためにコネは必要だったか」

「……夜久の出自は関係ない。そして、僕のことも。単に、友達を自分で選んだだけだ」

 

 自分より体格の良い生徒に囲まれながらも、駿は一歩も引かない。

 

「よく言うぜ。……知ってなきゃ、あんな奴と連むかよ。どう考えてもヤバいだろ、アイツ。お前が七草閥じゃないから、擦り寄った以外に関わる理由あるか?」

「……うるさい!」

 

 議論は膠着状態。一触触発の危機であったが、幸いなことに予鈴が鳴った。「お前の就職先は殺し屋かもな」と暴言を吐いて、生徒たちは元のクラスへと戻っていく。

 

「大丈夫か」

 

 タイミングを見計らい、声を掛ける。駿は少し疲れた顔をしていた。

 

「……悪いな。変なところを見せちまって」

「そんなの、どうでもいい。──最近、良くあるのか」

「割と。でも、大丈夫だ。実技成績は僕の方が優秀だし……何とかなるさ」

 

 彼は薄く微笑んだが、痩せ我慢が交じっているのは容易に見てとれた。そして、原因はおれにあるのである。

 

 ──きっと誰一人として近づかないわ。自分の人生を破壊するかもしれない存在のことを、誰が愛すものですか……。

 

 お母様の言葉を思い出したが、おれは頭を軽く振る。

 何度突き落とされても、何度だって上を目指す。そう決めたではないか。望む世界が手に入るまで、決して走ることをやめない。



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第2話

 おれがまともに学校生活が出来ているのか心配し、愛梨が週末に話を聞くがてら会いに来た。とはいえ、外をウロウロする訳にもいかず、おれの家である四葉のマンションに通すことに。使用人は何も言わなかったから、別に構わないだろう。そして、メイドにお茶の用意をさせる。そこで、おれは「生徒会役員の打診を受けた」と伝えたのだ。

 

「やったらいいのに。生徒会活動くらい」

 

 愛梨はあっさりとそう言った。

 

「楽しくなさそうだ」

「そうかしら? 魔法大学の推薦も取れるし、悪くないと思うけど」

「一高は不文律で役員は原則辞退。意味ないんだ」

「そうなの? まぁ、普通にしてても推薦なんか貰えやしないんだから」

 

 それはその通りだ。素行の問題で、推薦されるとは思わない。

 

「結局は、夜久くんの決めることよ。私があれこれ言うものでもないわね」

「そうかな。ところで……愛梨は? 金沢に戻ってから、何かあったりしたのか?」

「あったわよ。父が婚約者候補をどっさり用意していた」

 

 ティーカップを思わず取り落とす。床に散らばる破片、流れ出る紅茶。控えていたメイドが黙って片付ける。

 

「……は?」

「あぁ、言ってなかったわね。──父は貴方を取り込む気を完全に無くしてる、ってこと。まぁ、もう直系だと分かったのもあるし……怖くて手なんか出せないわよね」

「いや、それじゃなくて……」

 

 愛梨は以前、おれに「守ってくれなくても良い」と言った。もちろん、お互いに寄りかかってはいけないという意味だと理解していた。だが、本当は拒絶だったのだろうか……。

 実のところ、それは杞憂だと後に知ることとなる。でも、この時点ではおれは「愛梨の悩み」を知らなかった。

 

「それで、とりあえず10人の人間と見合いをしたわ」

「10人」

 

 えぇ、と愛梨は頷いた。もう頭がおかしくなりそうだったが、とりあえず最後まで話を聞くことに。冷静になれ、と心の中で自分に語りかける。

 

「でも、半分は向こうが『こっちから願い下げだ!』と怒り出したわ」

「何言ったんだ?」

「家事をするかどうか尋ねられたから……全部HAR(ハル)か使用人任せにする、と言っただけ」

「それ、普通じゃないのか?」

 

 基本的に、自分はずっと使用人が周りにいる生活だ。津久葉の家もそうだし、第四研にもスタッフがいた。退学前に一人暮らしをしていた時は自由だったが、家事なんて一度もやっていない。全て機械に頼りきりだった。

 

「……案外、違うみたいね。それか、わざと父がそういう思想の相手を選んだか」

 

 うんざりした顔で、愛梨は嘆息した。口ぶりから推測するに、父親とあまり折り合いが良くなさそうだ。

 

「カレーをじっくり煮込んで、箒で部屋を綺麗にする。……それが素敵な女性とでも言いたいのかしら。そんなに家父長制に拘ってる人間だとは思わなかったのだけど、昔は」

「……あの、おれなら。そんなことは絶対言わない」

 

 すると、彼女はにっこりと微笑んだ。魅力的で、おれはどぎまぎする。

 

「夜久くん、やっぱり好きよ。そういうところ」

「うん。だから──」

「私も残り5人に言ってやったのよ。『貴方は四葉夜久に勝てる?』って」

 

 勝てる人間などいる訳がない。全員ちゃんと殺す。おれの正義は、多分そこにあるから。向かってきたやつは、返り討ちにするしかない。

 

「そうしたらね……皆、顔を蒼くして帰ったわ。──1人を除いて」

 

 1人でも残ったことが意外だった。それくらい、自分たち「四葉」は世間からの印象が非常に悪いからだ。

 

「誰。一条とか?」

「将輝さんは、元々私のことは苦手なの。あの人は『お淑やかな女の子』が好みだから」

 

 一条の顔を思い浮かべる。彼らしい、何とも分かりやすいタイプだ。

 今度、深雪のことでも教えてあげようか。彼女は美人だし、おれにすら優しい。「性格が悪い」と自己申告してこそいるが、逆にそういう人間は大抵まともだ。一条も泣いて喜ぶだろう。

 

「じゃあ、一体……」

 

 愛梨は端末を取り出し、PDを映し出した。

 

「この人」

「へえ、コイツか……」

 

 情報を少しでも得ようと、しっかりと覗き込む。住所を確認して、早めに殺しに行かないと。

 顔はそれなりに整っている。ただ、目は切れ長だ。おれの目は大きくて丸いので、見た目で比較するのは難しい。また、一高に通っているようで、名前は「十六夜(なる)」というらしい。昨今の「無骨な名前を付ける」という名付け事情とはだいぶかけ離れている。つまり、半世紀前の「キラキラネーム」ブームっぽい──要は、古風の名前といえる。

 

(あれ?)

 

 顔写真を確認し、おれは首を傾げる。どこかで見た覚えがあった。間違いなく。

 

(もしかして……この前、駿に絡んでいたやつか!?)

 

 記憶が蘇り、点と点が繋がる。以前見かけた集団の1人が、このPDにある彼だ。汚い言葉こそぶつけてはいなかったが、仲間には変わりない。なるほど、彼も七草派閥であり……派閥外の人間にマウントを取っている訳だ。

 しかし、それは七草真由美の意思ではないだろう。わざわざ彼女は、こちらに謝罪をしてきたくらいなのだ。あれが演技だというのなら天晴れだが、まさかそんなことはあるまい。

 

「ね? 面白いでしょ。夜久くんに勝てる訳、ないのにね。その自信がどこから来るのか知りたくて……しばらく関係を継続するつもり」

 

 関係を継続……その言葉が、おれの頭をガツンと殴った。ショックで目の前が真っ暗だ。

 

(こんなロクでもない最低野郎に……愛梨を取られる? 許さない。お前を叩きのめす! 完膚なきまで!)

 

 物理的に殺すだけでは、気が済まない。社会的にも制裁を加えてやる。そのためには、七草派閥の破壊だって辞さない。

 とりあえず、真由美と再び接触しなくては。彼女本人は自分の思いとは異なる状況ばかりを作り出す派閥を、決して快く思ってはなさそうだ。その点で、協力し合えるかもしれない。

 

「父へのカモフラージュにもなるし。それに、家族ぐるみで会うから、2人きりになることは無いもの……──あれ、夜久くん? 聞いてる?」

 

 おれの顔の前で、彼女は軽く手のひらを振っていた。

 

「いや、なんでもない……」

 

 新しく淹れ直された紅茶を飲み干し、心を落ち着ける。

 愛梨に嫌われているとは、思わない。ただ……「四葉」という名前は、やはり面倒なものなのかもしれない。改めて、彼女に証明する必要がある。家名など飾りに過ぎないのだと。そのために、何が出来るだろうか。

 

 

 

 

 

 

 達也は妹の深雪を連れて、体術の師匠のいる九重寺を訪れていた。いま、自分が戦略級魔法を使ったせいで、軍との接触を禁じられている。情報を得るためには、他の手段が必要だ。その一つが、ここだった。

 寺の住職である九重八雲は、体術に優れているが……その本質は「忍び」である。何かを知るためには、彼に聞くのが早い。達也はそう理解していた。

 

「師匠……今日訪れたのは」

「君たちを監視している人間がいるか、という話かい? その答えは『はい』だ」

 

 質問を言い切るよりも早く、八雲は問いに答えた。深雪は口に手を当て、達也は肩をすくめる。この理解のスピードを、彼らは何度も経験していた。

 

「ならば、話は早いですね。素性を教えてください」

「まず、前提として……流石にUSNAはまだ本格的に日本では動けていないこと。そして、監視員の『彼』にとって、君たちの監視はついでだということ。これらを押さえないといけない。もちろん、警戒はすべきだけどね」

「それはどういうことですか?」

 

 迂遠な言い回しに対し、深雪が食い気味に問いかける。少し痺れを切らしてきたのだ。

 

「まぁまぁ、落ち着いて。──達也くん。君は、風間くんに指示された際に『自分の意思』で魔法を使った筈だ。本来、出来ない筈なのにね。それはどうしてだい?」

「なるほど。監視されているのは……」

「うん、正解だ。一高に復帰した彼が、君に接触することなどないように」

 

 夜久が「誓約」を緩めたので、達也は「マテリアル・バースト」を使えた。今は再びしっかりと制限されているものの、顔を合わせればまた同じことになる可能性を周囲が恐れたのだろう。

 深雪がそっと達也の手を握る。彼は「大丈夫だ」という気持ちを込めて握り返した。

 

「それで、一体誰なんですか? 誰だって、あの『夜久係』になるのは嫌でしょう」

 

 とにかく短絡的で、何をするか分からない。本人なりに理屈はあるだろうが、正しく把握するだけで一苦労。話が通じるなら、達也だって計画している四葉脱出の「仲間」として頭数に入れるのはやぶさかではない。しかし、そう話は簡単でないのだ。

 

「貧乏くじを引いたのは、十六夜鳴……第一高校1年D組の生徒さ」

「十六夜家の人間?」

 

 達也は記憶を手繰り寄せる。確か、百家最強と言われる魔法師の名家だ。古式魔法師が積極的に現代魔法のシステムを組み込んだことで強さを手に入れたため、遺伝子操作で産み出された魔法師には侮蔑的な態度を取ることでも有名。つまり、世間では「評判の良くない」家である。

 

(まぁ、四葉の関係者が言えることでもないか……)

 

 社会から受け入れてもらえない度合いでいえば、そう変わらない。

 遺伝子を操作しようが、しまいが……人間であることを望む限り、魔法師は人間だ。達也はそう信じている。

 

「そうそう。現当主の弟だね。当主が長男で、彼が三男」

「古式魔法師がまた……どうして」

「第四研の資金源が、一部の古式魔法師たちから出ていると言えば?」

「……!」

 

 達也と深雪は顔を見合わせる。日本は一応法治国家だ。それにも関わらず、四葉が裏の世界に存在し続けられる理由。それは、間違いなく強い後ろ盾が存在するからだ。

 兄妹がいずれ戦わねばならない敵。それが今、八雲の口から一部開示された。

 

「僕もこれ以上は言えないよ。ただ、彼および彼の背後の人間達が気にしているのは『四葉夜久には何としても、USNAが絡む騒ぎに関わってほしくない』ということだ。どうせ、大変なことになるのは目に見えているだろう?」

 

 八雲も「忍び」の名にかけて、自分の周りで起こっている出来事はしっかりと掴んでいた。

 要は、四葉夜久の周囲の人間たちを面倒ごとに巻き込んでいるのだ。人とまともに関わることが少なかったからか、彼は未だに情緒が酷く幼い。だからこそ、交友関係のある人間に依存している──それが、元老院の出した結論だ。

 

 一色愛梨に婚約者候補を当てがう。

 森崎駿を校内の諍いで疲弊させる。

 

 現在、十六夜鳴は並行してこの工作を行なっていた。

 そうすれば、夜久はそれらを何とかしようと躍起になる筈で、今後送り込まれるであろうUSNAのスパイに目を向ける余裕はない。その上、彼は好悪の線引きがハッキリしている。退学騒ぎや七草閥の問題で、七草真由美に勝手違いの敵意を抱いている可能性がある。関東近郊で起きる問題を手伝おう、と思うことはないとも予測していた。

 

「その点では、君たちを『四』と繋ぐ要素をガードしてくれる存在ともいえる。ただ、味方でもない」

 

 その忠告に対し、達也と深雪は真剣に頷く。丁寧に礼を告げ、寺を後にした。

 

「──それにしても、そんなに上手くいくものでしょうか?」

 

 2人が住む家に帰り、食事の用意をしながら……深雪はぽつりと呟いた。

 

「急にどうしたんだ?」

「夜久くんを止める、というのは難しいことな気がして。文弥くんでも成功しませんでしたし……」

 

 再従兄弟の黒羽文弥は、以前に夜久の行動を制限する任務を帯びていた。しかし、固有魔法「ダイレクト・ペイン」の出力を人がショック死しない程度に留めたことであえなく失敗。結果的に大したことは起こらなかったので、真夜から不問とされた。

 文弥は無能などではない。それどころか、非常に優秀な四葉の人間。大抵の任務は涼しい顔でやり遂げる戦闘魔法師だ。そんな彼でも、駄目だった。その意味を理解してないのでは、と深雪は思ったのだ。

 

「……少なくとも、四葉の人間は損な役回りをせずに済んでいるんだ。俺たちに出来ることは、とにかく放置することさ」

 

 心配する妹を安心させるべく、達也はシンプルな結論だけを述べた。自分たちには無関係なことだと。

 

「分かりました……」

「不安そうな顔は、深雪には似合わないよ。やっぱり、笑顔が一番かわいいからね」

「お兄様ったら……!」

 

 達也の軽口に、深雪は天にも昇る心地になる。兄さえ隣にいれば、彼女はどんな時も笑顔になれるのだ。たとえ、そこが煉獄であったとしても。

 

「もちろん、これから探りを入れてくるであろうUSNAの人間は面倒だ。でも、何があっても……俺は深雪を守る。絶対に」

 

 深雪の柔らかな手を、達也は優しく握った。絶対に守る……普通の人間であれば、祈りでしかないそれ。

 しかし、司波達也にとっては、単なる事実を述べたに過ぎない。それだけの力が、彼にはあるのだから。




メイジアンカンパニーか何かで「十六夜」という家は出てきていました。古式魔法師は便利なので、積極的に使っていきたいです。


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第3話

次はリーナ出します(予告しておかないと引き伸ばしそうなので……)


 何事も敵を知る必要がある。そういう時、今までのおれは直接押しかけて喧嘩を売っていた。話が早く纏まるからだ。しかし、多分そうすべきではないとそろそろ理解し始めていた。要は、1年D組の教室に突撃するのはやめようということである。

 

(しかし、情報は手に入れないといけない)

 

 十六夜家といえば、現代魔法を取り入れた古式魔法師集団として知られている。そういうタイプの人間は、ちゃんと身近にいるではないか。餅は餅屋、詳しいやつに聞くべきだ。休み時間、おれはE組の教室へと急いだ。

 

「──おい、吉田幹比古はいるか?」

 

 廊下側の窓から顔を覗かせると、騒がしかった室内が水を打ったように静まり返った。目を合わせないようにか、あらぬ方向を見つめたまま静止する生徒たち。その中には、もちろん達也もいる。関わりたくないです、というオーラが分かりやすく出ていた。

 

「あっ、いるじゃないか。元気?」

 

 おれは気にせず、教室の中に入り込む。目的の人物が座っているのを見つけたからだ。

 

「ど、どどど……どうも。こんにちは」

 

 幹比古の顔色は青白いを通り越して、死人レベルの土気色。口調も含め、平常心でないのが明らか。後ろめたさと「四葉」への恐怖が混ざっているのだろう。

 

「そう固くなるなよな。おれとお前の仲だろ? 一緒に『水遊び』や『土掘り』もしたし」

 

 咽せ返る幹比古。唾を飲み込むのに失敗したのだ。

 

「──人を虐めに来たの?」

 

 会話を続けようとした時、話に入ってきた人物がいた。赤みがかったショートカットの少女だ。彼女は幹比古を庇うように、おれと机の間に身体を滑り込ませた。

 

「お前、誰?」

「人に名前を聞くときは、先に名乗るのが礼儀じゃない? 何、それとも『自分のことなんて、みんな知ってて当たり前』と思ってる?」

「割と」

 

 一高生で、おれを知らないやつはモグリなのではないか。それくらいの自負はある。

 

「はぁ……。ま、いいわ。アタシは千葉エリカ。クソ兄貴経由で、ミキとアンタの経緯は聞いている。まさか、アンタから掘り返すとは思わなかったけど」

「少し質問をしたかっただけだ」

「なんでもいいわ、さっさと帰って頂戴。……どう考えても、体調悪そうじゃない。こんな時に押しかけないで」

 

 体調というより、精神的なものな気がする。だが、おれも帰るわけにはいかないのだ。十六夜家について、教えて貰わないといけない。

 

「……確か、A組の次の授業は体育じゃなかったか?」

 

 おれとエリカが睨み合う中、唐突に掛けられる声。気づけば、先程まで素知らぬ振りだった筈の達也がこちらを見つめていた。

 

「休憩はまだあるが、着替える時間を考えると戻るべきだと思う」

 

 わざわざ深雪のために、他クラスの時間割まで覚えているのか。記憶しておく必要があるのか極めて疑問だったが、その助言はありがたかった。

 

「あっ、まずい。ありがとう! ──それじゃ、また!」

 

 E組の教室をそそくさと去り、更衣室へと向かう。無事、授業には間に合った。達也には感謝である。

 放課後、もう一度E組に足を運ぼうとした。しかし、その必要はなかったようだ。

 

「直接来てくだされば良かったのに」

 

 階段の下から声がした。声のする方へ進むと、そこには1人の少年が。見覚えがかなりある。十六夜鳴だ。

 写真でも感じていたが、実物はもっと胡散臭い見た目だ。バランスの良い顔立ちをしているが、何か怪しい。切れ長の一重瞼も、長い髪を後ろで結っているところも。さながら「ガラクタをマジックアイテムとして売っている露店」の店員のような。言われなければ、百家の人間とは思わないかもしれない。

 

「こそこそ探っていたようで。てっきり、D組に殴り込むと思っていましたよ」

「おれも成長するんだよ」

「退学、というのは良い薬だったんですかね。君にとって」

 

 彼は苦笑した。何が面白いのか、全く分からない。

 

「……それにしても、十六夜家といえば『調整体嫌い』で有名だろ? 十師族も多かれ少なかれ、どこかしら弄られてる。よく七草閥に入ろうと思ったな」

「大きな声で言わないで貰えます? それは家の思想で、僕自身が持つ考えじゃない」

 

 慌てて周囲を確認する鳴。本当に思っているのかは知らないが、少なくとも「自分はまともである」というアピールはしているらしい。

 

「中学の同級生の親が、七草家で働いている魔法師だったんです。その縁でね」

「あぁ、そういう……」

 

 友人に恵まれたタイプらしい。自分のものでもない権力を笠に着る人間と友達になることを、良いことと捉えるならばの話だが。

 

「で、やりたいんですか? 殺し合い。──僕を調べていたのは、そういうことでしょう。愛梨さんに言われましたからね。『四葉夜久に勝てる?』と」

「気安く愛梨の名前を呼ぶな。それに、CAD持ってないだろ」

「隠し持ってるんじゃないですか。……お互いにね」

 

 視線と視線が交差する。しかし、何も起こらなかった。おれも鳴も、CADを取り出さなかったから。

 

「……決着が簡単に付くのもな。おれが勝つだろうし」

「おや。僕こそ、勝てると思っていましたが。怖気付きました?」

「なんとでも言え。ここで殺したら勿体無い……それだけだ」

 

 鳴を押し除け、昇降口の方へ歩いてゆく。

 しかし、啖呵を切ったものの……勝利条件がまるで分からない。何が彼を絶望させる方法なのか。会話からは全く掴めなかった。急所を探さねばならない。

 

 

 

 

 

 

 危なかった──夜久と別れたあと、鳴は空き教室で心臓を押さえていた。未だに鼓動はどくどくと打っている。平常心を保ってこそいたが、内心は混乱でメチャクチャだ。まさか、こんなにも早く……四葉夜久が司波達也と接触するなんて。

 

(元老院のクソども……! 調査ファイルに適当書いて寄越したんじゃないか?)

 

 思わず、悪態を吐く。元老院の面々は何故、夜久の一高復帰を止めなかったのか。せめて、日本ーUSNA間の交換留学生プロジェクト終了までは引き延ばすべきだったろう。「灼熱のハロウィン」を起こした戦略級魔法師を探しているのだから。

 この間の横浜事変の一件は、彼が「誓約」を緩めていたために、達也の魔法を知る国防軍が独断で戦略級魔法を使用したことに原因がある。対応が後手になってしまい、情報統制も間に合わない状況に。そのせいで、USNA側は既に容疑者を「司波達也」と「司波深雪」の2人に絞り込んでしまった。この状況で暴発のトリガーとなる男を表に出す必要がどこにあるのか。

 

(恐らく、ペナルティを課すことを優先しやがったな……)

 

 夜久の公開は、四葉家に責任を取らせる意味もあった。四葉の姓を名乗る以上、以後知らん顔は出来ないからだ。しっかりと魔法科高校に通わせ、社会の中で「十師族としての責任」を果たす人間に矯正する責務が発生する。可能かどうかはともかくとして。

 しかし、その皺寄せが自分に来ていることを思うと、何とも頭が痛くなってくる。

 

(本当にコイツ、本家に襲撃を仕掛けて……くれるのか?)

 

 元老院の分析では、夜久は「四葉特有の依存体質」を持っているので「自分を見てくれる人間のためなら何でもやる」とされている。大漢崩壊の真似事として、報復を仕掛けようとするのではないかと見られていた。そうなれば、夜久をしばらく「十六夜家との争い」で拘束できる。変に火の粉を被りたくないUSNAも、そこに首は突っ込まないだろう。

 現在、十六夜家は二つに割れている。本家を継いでいるのは、一番上の兄。しかし、鳴の一つ上である2番目の兄──調は、当主である長兄を酷く嫌っていた。そのため、元老院の目的を利用して当主になろうとしている。夜久が予定通り動くならば、調が間に入って調整することで、現当主一派を排斥出来る可能性があった。

 

(信じるしかないか。四葉夜久を)

 

 自分がやるべきなのは、ヘイトを集めることだけだ。物心ついたときから、自分は元老院の手足だった。言われた通りに、仕事を進める以外の選択肢は無いのである。

 

 

 

 

 

 

 昼休みのこと。普段通りに、おれと駿は2人きりで食事をする。しかし、意外な人物が同席を求めてきた。なんと、七草真由美である。予想外の展開。駿は驚きのまま固まっていた。現状が認識できないのだろう。

 

「……何の用で」

 

 カレーを掬うスプーンを握りしめたまま、おれは真由美を見遣る。彼女は隣に丼の載ったトレイを置き、にっこりと笑う。

 

「まず、自分が行動することで示そうと思って。相互理解の姿勢を」

 

 これは、エガリテの問題を解決に導いた真由美が、ここ最近大切にしていることらしかった。まず対話を試みることで、相手と自分の考えの差異を可視化し、良い方向に向けて擦り合わせる。それを「四葉」の直系にも適用したいようだ。

 

「好きにしたらどうですか。別に場を盛り上げる気もないですけど。それでも良いなら、どうぞ」

 

 空いている左手で椅子を引いて、彼女に座るよう勧める。

 

「おい! 夜久……もうちょっと言い方ってものが」

「構わないわ。最初から歓迎されるとは思ってない、こちらもね」

 

 その言葉と共に席についた彼女は、手を合わせて「いただきます」と言ったのだった。その隙に、素早くおれは駿とアイコンタクトを取る。彼女の行動が、自分たちにどう影響を及ぼすのか分からなかったからだ。ただ、嫌がらせ含め暴走しつつあった七草閥の動きは鈍くなるだろう、と思った。

 

「──ところで、数日後に一高にUSNAからの交換留学生が来ること……知ってる? しかも、貴方たちのいるA組にね」

 

 3人の食事も数日続き、気まずさも少しずつ取れてきた頃。真由美がそんな話題を出した。

 

「初耳です。その、海外から……ですよね? あり得るんですか?」

 

 駿の言う通り、国外から魔法師が訪れるなんてことは非常に珍しい。どの国であっても、魔法師の海外渡航を厳しく制限している。血を繋げることは、新たな兵器を生み出すことと同意だからだ。それだけ、魔法というものは現代戦において重要な立ち位置である。

 

「あり得たみたい。私も初めて聞いたときは驚いたわ。何か政治的なやりとりがあったのは、間違いないのだろうけど」

「来るのは男ですか? それとも女?」

「女の子よ。それに、USNAに行く方も北山さんだし」

 

 そこは遺伝子流出対策が為されているのだな、と思った。男性と女性では、生殖細胞の採取に要する時間が違いすぎる。第四研で部下にやらせていたから、それは理解していた。

 

「でも、ここにいる間は同じ一高の仲間になる訳だから。私も積極的に声を掛けるつもりだけど、同じクラスの貴方たちはもっと関わる機会があるだろうし」

「おれの名前で逃げるでしょう」

 

 四葉の悪名は、世界にも広がっている。留学生が滞在先で、面倒ごとを被るリスクを取るだろうか。

 

「もぉ、最初からそんな弱気じゃダメよ!」

 

 真由美がおれの背中を軽く叩いた。だんだんと彼女はこちらに遠慮が無くなってきているし、それを受け入れつつある自分もいる。元々、生徒会長になれるだけの器は持ち合わせていたのだろう。

 

「相手がどう思ってるかなんて、ちゃんと面と向かって、顔を見て話してみないと分からないんだから。……こうやってね」

 

 おれたちにしっかりと目を合わせ、彼女はそう言った。

 

「そして、それが出来るように私も力添えしたつもりよ。──誇示する訳ではないけれど、自分には影響力があるということを改めて理解してる。その上で、正しく使いたいの」

 

 ありがとう、というのも違う気がした。別に頼んだことでもないから。真由美もきっと……間違いの延長線で、正解を取り戻そうとしているだけだ。それは、おれだって変わらない。

 

「……なんだか、羨ましいです」

 

 答えあぐねていると、駿がぽつりと呟いた。

 

「僕には不可能なことでした。ちょっとした行動一つで、人の心を動かすことは。それはきっと、力があるから出来ることです」

「駿……」

 

 何者でもないことは、素晴らしい筈だ。一挙一動が常に観測されることも、責任を負わせられてしまうことも……何一つない。自分だけを信じ、自分の「やりたいこと」を選択できる。その自由は、他の何よりも価値がある。

 けれど、それを伝えられなかった。今の自分が言うには……あまりにも説得力がない。もう「四葉」の名前を貰ってしまったから。

 

「七草先輩。力とは何でしょう。貴女のように。そして、夜久のように……。僕がそうなるためには何が足りないのでしょう」

「エ、エェ!? ちょ、ちょっと待ってね……。私、考えるから」

 

 腕を組み、ウンウンと唸る真由美。表情もどこかコミカルで、漫画みたいだった。

 

「月並みだけど……魔法のテクニックを磨くことかしら。その、貴方も風紀委員だから分かると思うけど。魔法力の高さで……コミュニティ内の発言力ある立場を手に入れられる事実は、存在している気がするわ」

「なるほど。──……そうですよね。ありがとうございます」

 

 頼られたことが嬉しかったのだろう、真由美は「何でも聞いてちょうだい!」と胸を張る。

 

「それにしても……。貴方たちってとても仲良しよね。まるで『クリムゾン・プリンス』と『カーディナル・ジョージ』みたい。一高の名コンビになる日も近いかもね」

 

 何だか、その形容はズレている気がした。ただ、彼女的には、褒めているつもりなのだろう。

 おれは苦笑いし、駿の方を見る。彼はすぐ笑い返してきたが、ほんの一瞬……真顔だったのを見逃さなかった。そして、何故かその顔がずっと脳裏に焼き付いて離れない。



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第4話

夜久が暴れるための前置き回。風呂敷を広げすぎて、どう展開するかかなり悩みました。


 海外からの留学生がやってくるという珍事に、第一高校内の雰囲気はどこか浮ついていた。ここ最近暗いニュースが多かったから、明るい話題には食いつきたくなるのだろう。特に、転校生を迎え入れるA組はかなりの盛り上がり。

 ただ、おれがその騒ぎに身を任せることは出来なかった。十六夜何某が気掛かりなのももちろん、真由美の「政治的な調整によって、交換留学プロジェクトが立ち上がったのでは」という推測も気になって仕方なかったからだ。

 

(そもそも、なんでUSNAが? 一高に通う生徒と釣り合うような魔法師は、それなりに優秀だというのに)

 

 授業前、机に肘をついて考えを巡らせる。

 そもそも、魔法師の人材交流だけなら、軍の合同演習で十分なはず。こんなイベントは不要なのだ。ここまでするのは、強い魔法師を日本の中で運用する必要があるから……。

 

「──そういうことか!」

 

 おれは思わず立ち上がる。教室だということも忘れて。視線が突き刺さるが、今は気にならなかった。

 転校生は、いわゆる刺客なのだ。「マテリアル・バースト」の術者を殺すための。そして、お気の毒に。きっと、一蹴されて終わるだろう──未来の予測に辿り着いたところで、あることに気づく。

 

(待てよ。そもそも……USNAは「司波達也がやった」と正しく把握できてるのか?)

 

 自分の知っていることを絡めて、勝手に結論を出してしまったが。戦略級魔法の術者を特定したとも限らないし、そもそも目的がそれなのかも不明だ。

 それに、自意識過剰かもしれないが、普通にターゲットはおれの可能性もある。大漢崩壊を知っているはずなのに、わざわざ「四葉直系」を殺そうとするかは疑問だが、警戒する必要はあるだろう。

 駿と愛梨にも自分が狙われてる可能性だけは、軽く伝えておかないと。そう思ったところで、突如として……おれの思考回路が高速に回転する。バラバラになっていた情報が、ここにきて一元化した。

 

(USNAと関連するかまでは知らないが。もしかして、十六夜鳴も監視している人間か?)

 

 彼は唐突に、おれの前に現れた。正確には、ピンポイントに「四葉夜久の関係者」の周りに。片方だけならともかく、駿と愛梨……どちらもなのは不自然だ。作為的なものが感じられる、と今になって気づく。

 

(おれやその周囲をターゲットにしている……としても、何故?)

 

 七草家が手を回したとも考えられる。だが、十六夜家の人間が十師族に唯々諾々と従うのも変だ。それに、七草にしては手段が迂遠すぎる。友人云々はカムフラージュで、独自にやってる方があり得そうだ。何を目的としているのか。それは依然として分からない。だが、分からない時は無理に動くべきではない……そういうことを、近頃のおれは理解し始めた。

 

 始業のチャイムが鳴ったので、一度考え事を打ち切る。教室に入ってきたのは、講師だけではなかった。彼についてきたのは、一高の制服に身を包んだ金髪碧眼の少女。とうとう、USNAからの留学生がやってきたのだ。

 

「──アンジェリーナ・クドウ・シールズよ。短い間だけど、よろしくね」

 

 陽の光で透き通るように輝く髪はよく似ているが、愛梨とは雰囲気がまるで違った。大人びた表情をしているが、少し背伸びしている印象がある。そう、まるで年相応以上の使命を帯びているような。

 

(……いや、考えすぎか)

 

 珍しく色々なことに思いを巡らせたからか、何でも怪しく感じてくる。とりあえずは、様子見するべきだろう。どうせ、すぐに事態はややこしくなる。そう確信していた。

 

「──質問等あるだろうが、それは休み時間に。早速、実技棟に移動しよう」

 

 講師の指示で、クラスメイトたちが席を立っていく。ここ最近は、移動系魔法によって金属球をどちらが先に動かすか、というゲーム形式の実習が続いていた。これくらいの魔法実技で実力を計れるかは不明だが、留学生の技能には注視しておく必要があるだろう──そう思いつつ、おれは教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 十六夜調は、旧埼玉エリアに居を構えている。その屋敷で彼は今、自分の弟──鳴を冷たく見下ろしていた。上げてきた報告を確認する限り、計画があまりにも予定通りに進んでいない。少し叱責をする必要があった。

 

「……半人前の弟子でも、もう少しまともな仕事をするだろう」

 

 森崎駿を夜久から引き離すことが出来ずにいるのは、まだ仕方がない。七草真由美というイレギュラーが動いたからだ。しかし、一色愛梨の取り込みが出来ていないのは問題だ。四葉夜久は十師族直系らしく、顔立ちだけで評価するなら一級品。だが、かなり性格に難がありすぎる。やり方次第では、夜久から心を離れさせるくらい容易な筈だった。

 

「すみません、兄さん」

 

 鳴は顔を青くして、ひたすらに謝罪の言葉を述べる。

 

「私は君に謝ってほしいわけではないよ」

「でも……。元老院からの評価が下がれば」

「依頼をこなすだけなら、いくらでもリカバリーは効く。我々がここまで面倒な手段を取っているのは、別の目的があるからの筈だ」

 

 夜久と達也の接触を防ぐだけなら、簡単な方法はいくらでもある。

 

「兄さんが当主の座を奪うため……」

「そうだね」

 

 調は鷹揚に頷いた。しかし、実のところ彼は当主の座そのものには、大して興味もない。ただ、家を四葉のような裏仕事中心の家に改革したいとは常々感じていた。

 何故なら、十六夜が代々密かに継承する術は「呪詛」だからである。魔法社会の闇、その更に奥。元老院四大老が一人──樫和主鷹の傘下で、自分の力を十全に振るい……役に立てている事実。彼にとっては、当主になることよりも甘美なもの。だが、もっと主人の力になりたい、貢献したいという思いが強くあった。自分が最も優れていると、証明できる手段だから。

 

「現代魔法の台頭は、異能の存在を世間に知らしめることとなり……我々古式のフィールドを大きく狭めた。十師族を頂点とするシステムの中で運用されるようになったからだ」

 

 魔法というものは、本来……隠された技術であった。持たざる者を出し抜く手段であり、社会に還元するようなものでない。そもそも「呪詛」をどう人のために使う?

 

「苗字に数字が入っていたことが、運の尽き。研究者たちの数字遊びと混同されることになるとはね。……お気に入りのマウスに名前をつけても、人間にはならないだろうに」

 

 そこで調は一度言葉を止めた。そして、弟に「悪い。君に言うべきではなかったね」と笑いかける。それは、鳴の出生にあった。この末弟と調は、年が10も離れている。上2人とは異なり、晩年の父が妻ではなく……女中に産ませて出来た子だからだ。そのためか胎内での生育が悪く、どうしても遺伝子操作を必要とした。故に、元老院預かりになっているのだ。

 

「……」

「少なくとも、君のことは好きさ。人ではないと思ってるけれど」

 

 大切な計画へのパーツだった。目論見通り、夜久が邪魔な兄を片付けてくれれば。十六夜家は内に籠る理由が出来る。表での発言力はだいぶ減ってしまうが、代わりに裏の世界へは本格的に手を広げられるだろう。そうすれば、もっと自分は自由になれる。

 

「あの……考えたんだけど。僕たち、考えが甘かったんじゃないかな」

「何がだ?」

「あっ、あの……悪いとかじゃなくて。もっと効果の高い方法を選べると思うんだ」

 

 覚悟を決めた表情の弟。今まで見ることのなかった顔を目にして、調は「おや」と思う。

 

「聞かせてくれ」

「僕たちは四葉夜久の短絡性に期待しすぎかもしれない。こんなに遠回しでは、何を狙うべきか……本人もいまいち分かってないんじゃないかな」

「なるほど。それには一利あるな」

 

 出来るだけ分かりやすいように要素をばら撒いたが、それが夜久には伝わっていない……という意見は、彼にとっても盲点だった。

 

「どうせ調整体は寿命も短いんだ。……リスクを侵す価値はある──師補十八家を相手にするのはいくらなんでもやりすぎだけど、百家傍流なら『不運な事故』で抑え込める。だから──」

「だから?」

 

 弟の決意表明に、調は愉快な気持ちになってきた。試験管で育てられたマウスが、一矢報いようとする。まさに「窮鼠、猫を噛む」ではないか。

 

「──僕が森崎駿を殺す。……計画を終わらせるために」

 

 

 

 

 

 

 夜更け。たっぷりとした闇が空を包みこむ時刻。

 駿は迷いを抱えつつも、当てもなく散歩を続ける。悩みの種は、以前から幾度も続く、レイモンドと名乗る謎の少年からの「悪魔の囁き」だ。得体の知れない人物に個人情報を握られているのはストレスだったし、何より友人に嫉妬していることを直視させられるのが辛かった。ないまぜになったグチャグチャの感情は行き場もない。せめてもの発散が、夜中の街歩きだった。

 

(僕は自分の力だけで……夜久の隣に立ちたい)

 

 レイモンドの予測とは裏腹に、どれだけ煽られても駿の心は揺らがなかった。夜久の才を羨んでも、親友として好きだ。その真っ直ぐな思いが、彼を人の道から離さなかった。

 そして、純粋さは森崎駿を「優秀な魔法師」から「優秀すぎる魔法師」には変えない。だからこそ、不幸は無慈悲に彼を襲う。

 

「……!?」

 

 彼の前に風の塊が出現する。しかし、現代魔法で多用される薄い空気の塊ではなく、人の皮膚を「切り裂く」意思が込められた真空の斬撃──古式にみられる呪詛の一種「窮奇」という術である。それらは、駿の服の袖を血まみれにした。皮膚だけをピンポイントに切られ、そこから滲んだ血が服を汚したのだ。

 

(何が起きている!? とにかく、防御だ!)

 

 痛みを堪えて対物障壁を展開。風が身体に触れないようにする。出来た傷こそ消えないが、これ以上増えることは無くなった。現状を整理しようとした時、彼の耳に「奇妙な音」が届く。すると、思考が遮られてしまうレベルの目眩に襲われた。

 

(ぐっ……)

 

 遮音障壁を付け足すが、脳内で響き渡る音は消えない。想子波を震わすことで生まれるそれは、簡単には防げないのだ。距離を取るしかないと判断し、マルチキャストで自己加速術式を使おうとして失敗。後方に移動した筈が、何故か位置がずれ……壁に凄まじい勢いで激突した。後頭部を強かに打ち、ぱっくりと割れたそこから血が大量に流れる。

 上手く行かなかった理由は、想子の音が駿を惑わしたから。領域内で鳴る想子の音は、超高周波と超低周波が一定間隔で切り替わるようになっていた。相手の三半規管を狂わせるこの術は、精霊魔法「木霊迷路」のバリエーション。

 身体に多大なダメージを受けては、魔法を維持など出来ない。駿は領域干渉どころか、情報強化すら切れた無防備な状態を襲撃者に一瞬晒した。情報強化を貼り直す時間を、敵は待ってなどくれない。鳥の形を模った炎が、駿を焼こうと襲いかかる。彼の未来は消し炭になる以外、もう存在しない。恐怖から、ギュッと目を瞑る。

 

(……助けて)

 

 だが。この付近、この時間。多数の人々の思惑が絡まることで、様々な事態が同時に進行していた。それらは「十六夜鳴が、森崎駿の殺害を企てたこと」と重なり合い、一つの現象を生み出した。

 

 現在、パラサイトという妖魔が社会に出現し、霊子を吸収するために魔法師を襲い、憑依しようとしていたこと。

 

 USNA軍最強の魔法師集団「スターズ」が密かに日本で活動し、パラサイトに憑依された脱走兵を処分していたこと。

 

 パラサイトが、人の「狂喜・悲嘆・憎悪・祈り」といったマイナス感情由来の、強い霊子波動に引き寄せられる性質を持つこと。

 

 森崎駿が「友人に並び立てるような天才になりたい」と悲痛な願いをずっと抱いていたこと。

 

(僕はまだ……死にたくない! 僕は僕のまま……まだ生きたい! アイツの隣で!)

 

 突如として、駿の周囲から想子光が溢れ出た。夜ということを忘れさせるほどの光量。それは、炎を纏った式神を後退させた。猶予が出来たので、彼は防御障壁を再構築。次に、自己加速術式を発動。方位を間違えることなく、移動することに成功。そのまま、襲撃者──十六夜鳴を振り切った。ここまでの魔法発動に要した時間は、ほんの僅か。今までの彼ならば、実現不可能な速さ。

 そう。彼は──パラサイトに憑依された。人ならざる者として、再びこの世界に生を受けたのである。その証拠に、先ほど負った怪我がみるみる治癒していく。人間には到底無理な、脅威の自己回復効果である。

 

「……そんな」

 

 異常事態を目の当たりにすれば、自分の身に起きたことにも何となく気づく。自らの両手を見つめ、駿は一人……呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。




リーナ……一応出した(すいません)


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第5話

活動報告には書きましたが、少し更新ペースが落ちてます。すみません。その代わりと言っては何ですが、普段より少し長めです。


 真由美が、わざわざ身体を張ってまで行った「アピール」は、それなりに功をなした。駿は絡まれる回数が、目に見えて減ったそうだ──もちろん、今年度が終了するまでの仮初の平和なのだろうが。彼らは「七草」に盾突きたくないだけで、おれたちを好きになった訳でない。

 

「──やっほ〜! 夜久く〜ん!」

 

 食堂に響き渡る大声。最近、真由美は毎回同じテーブルにやってくることは無くなっていた。そもそも、彼女にだって付き合いがある。だから、こうして声をかけてこられるのは久々だった。

 

「……どうも」

「陰気ねぇ。もうちょっと明るくしたほうがいいわよ。──森崎くんもこんにちは」

「お疲れ様です、七草先輩」

 

 正確には、その距離感に適応できていないだけなのだが。おれは人に強気に出ることで、常にイニシアチブを握ろうとする傾向にある。だから、それ以上に馴れ馴れしく接されると、戸惑ってしまうのだ。

 

「2人とも! 一緒にお昼を食べましょう。スペシャルゲストも連れてきたから」

 

 真由美の言葉通り、彼女は人を引き連れていた。噂の留学生と深雪、そして……光井ほのか。

 

「深雪さんと光井さんは、よく見知ってると思うけど。シールズさんとは、まだしっかり話したことないんじゃないかしら。この機会に交流しましょう」

 

 ちなみに、おれが深雪と会話したのは数えるほど。ほのかとは、話したことすらない。それを分かっているからか、真由美たちから上手く見えない角度で、深雪はそっと口元に手を当てる。笑っているのだ。

 

「──私のことは、リーナと呼んで。ステイツでの愛称なの」

 

 続いて、それぞれも簡単な自己紹介をする。幸い、話題の中心になってくれる人──リーナがいるので、話はそこそこ弾む。

 

「自慢のつもりではないけど、通ってるハイスクールじゃ負け知らずだったの。でも、ここは本当にハイレベルだわ」

「私もライバルが出来て嬉しいわ」

 

 口振り的にも、社交辞令だけで言ってるのではないのだろう。深雪は達也の魔法演算領域を一部ロックする関係上、力が制限されている。その状態でも殆どの生徒相手に負け無しだったので、今まで物足りなく感じていても不思議ではなかった。

 

「……ヨルヒサは、ミユキのライバルじゃないの? 実力的には拮抗しているように思うけれど」

 

 その問いかけで、この場のギリギリで保っていた空気感が崩れかける。何も知らない留学生に「この場は真由美がセッティングしただけで、普段は全く関わりがないです」と説明するわけにもいかないからだ。それに、経緯が複雑すぎる。

 

「……四葉くんのライバルは森崎くんよ。私じゃないわ」

 

 しかし、深雪は慌てずに答える。男女の違いがあるから、話を逸らしやすかったのかもしれない。

 

「へぇ……! 確かにシュン、すごかったわね。魔法の展開がとても早かった!」

「いやいや……」

 

 褒められて照れている駿をよそに、おれと深雪の視線が一瞬交差する。言いたいことは同じのようだ。魔法力が伸びない、ということはない。1年生よりも2年生の方が実力があったりすることは、まさにその分かりやすい例。だが、それは経験の差が大きい。一朝一夕で変化するものではないのだ。

 そして、彼は数日前まで魔法展開スピードが……遅かった。おれや深雪に比べると、という言葉が付くが。

 

(そんなこと、あり得るのか?)

 

 だが、数字がそれを示している。実技で使う設置型CADは計測機器の側面を持つ。機械が壊れていない限り、データは真実なのだ。

 

「──ところで深雪って。どこか、四葉くんと通じ合ってるところない? 本当になんとなく、だけど……」

 

 ほのかが、突然そんなことを言い出す。おれは黙ってお茶を飲むことで、内心の動揺を隠した。

 

「どうして? 私もほのかと同じくらい、四葉くんと関わらないでしょう?」

 

 先ほどの誤魔化しも忘れ、深雪がほのかに反論する。顔色一つ変えていないものの、やはり彼女も焦っているのかもしれない。

 

「……でも。ほら、リーナはちょっと分からないだろうけど。九校戦があったでしょう? その時に『夜久くん』と呼んでいた……」

 

 おれがパニックになりながら、達也の助力を借りた時のことだ。あの時、深雪は兄の後押しをしてくれた。

 しかし、今話すべきことでも無いだろう。話題がどんどん脇道に逸れていくだけだ。ホストとしての使命感か、真由美がリーナに詳しい背景を解説し始めた。もちろん、話せる範囲でだろうが。

 

「隣にいたから、何となくだけど会話を覚えている。でも、司波さんは皆に優しいから……。悩んでる人に寄り添おうと、わざと名前で呼んだだけでしょう?」

 

 奇跡的に、駿がおれたちに都合の良い解釈をする。実際、彼はおれが参っていたのを目の前で見ていた。

 

「絶対違う!あの空気感は、他人同士にはきっと出せない……」

 

 しかし、ヒートアップしたほのかは止まらない。普段彼女を宥めることの多い北山雫は、今は海の向こうのUSNA。誰にも、もうどうすることもできない。

 

「ずるい……。他の人を寄せ付けない2人だけの世界を、深雪はたくさん持ってる。それなら、達也さんの世界には……私も入れてよ」

 

 顔を覆って泣き出すほのか。推測するに、痴情の絡れらしい。それにしても、彼女は達也が好きなのか。仮に結婚でもしたら大変苦労をするので、やめた方が良いと思う。黒羽や新発田は、間違いなくいびってくる。

 

「確かに、あの時……四葉くんに強いシンパシーを抱いたわ。」

 

 深雪はほのかの背を優しく撫で、そんなことを言う。

 

「……だって、彼のような徹底した魔法至上主義者が、お兄様の力を認めてくれたのよ? 嬉しくもなるじゃない」

 

 夜久くん、と呼びかけられる。彼女は微笑みをたたえ、こちらを見つめていた。

 

「貴方は少し変わり者かもしれないけれど。お兄様の素晴らしさを正しく評価してくれる限り、私も貴方の理解者でいるつもりよ……。困ったら、いつでも相談してね?」

 

 何とか──どう考えても無理やりだが、深雪は話を着地させた。頼りになる従姉妹だ。

 まだ、ほのかは泣いている。ふと横を見ると、リーナと真由美が物言いたげな目をしていた。せっかくの食事会で痴話喧嘩もどきを見せられれば、そうもなるだろう。

 

「……お前、本当にトラブルメーカーだな」

 

 駿が耳元で小さく囁いてくる。だが、今回ばかりは……おれは大して悪くないはずだ。「バカ言え」の意味を込めて、隣に座る親友を軽くどついた。

 

 

 

 

 

 

 エリカたちに手助けする形で、達也はパラサイトの調査に関わっている。深雪は今のところ無事であり、特に協力する必要などないのだが、予防的に調査を進めていた。

 自分の友人のレオがパラサイトに襲われてしまったとはいえ、達也は強い情動のほとんどを失われている。仲の良い友達が生死の境を彷徨ったところで、彼の心は大して動かない。だが、一般的な常識として「仲間が傷付けば、寄り添おうと心を尽くすもの」と知っていた。

 

(本来、深雪の身の安全が確保できれば問題ない筈だ)

 

 時折、達也は考える。人間社会に馴染もうと尽力する意味を。情動の大部分が失われてなお、人間らしく生きる意義とは何か。いつも、はっきりとした答えは出ない。

 ただ、そんなとき……脳裏に蘇るのは母親の元ガーディアン──穂波の姿だった。使命を全うするのではなく、自分の意思で死に場所を選んだ人。彼は、調整体であった彼女のことを「誰よりも人間らしかった」と思う。だから、その短い一生を肯定し続けてやることが……自分に出来る弔いだ。

 

「──よく来てくれたな。司波」

 

 そんな彼は、十文字克人に呼び出されていた。密談に使われたのは、クロス・フィールド部の部室だ。彼はすでに引退済みだが、勝手知ったるこの部屋を私的にも使用していた。

 

「急に呼び出してゴメンね」

 

 そして、部屋には真由美の姿も。とはいえ、それは意外でもなんでもない。何せ、達也は彼女から伝言を貰う形で、このクロス・フィールド部の部室に来たのだから。

 

「パラサイト絡みのお話ですか」

 

 七草家と十文字家が動いていることは、師族会議の通達を読んで既に知っている。それに、葉山からも気をつけるよう忠告されていた。

 

「む、パラサイト……? 吸血鬼のことか」

「はい。吉田が言うには」

 

 幹比古は最近、達也たちと行動を共にするようになっていた。迎え入れた理由は、夜久に絡まれている姿があまりにも哀れだったからだ。また、夏から秋にかけて余程過酷な体験をしたのだろう。彼は精神的なスランプから抜け出し、一科生の中堅レベルには力が戻っている。それゆえ、レオを襲った犯人のことを達也たちは早期に把握できていた。

 PARANORMALPARASITE、略してパラサイト。人に寄生して、人外へと作り変える魔性のこと。しかし、過去観測された例はごく僅か。今回の吸血鬼事件はその「例外」を引き当てたといえる。

 

「なるほど……。パラサイトという呼称は、妥当かもしれん」

 

 達也から簡単な説明を聞き、克人は納得したように唸る。自分の家で調査していたことと、内容が一致していると感じたようだ。真由美も頷いていた。

 

「──そろそろ、本題に入りましょうか。小細工抜きに率直に言えば、達也くんたちと私たちで協力が出来ないかということなんだけど」

 

 頼みごとを持ちかけるのは、人当たりの良い真由美が担当するようだ。何の気なしに呼び出したように見せ掛けて、それなりに下準備をしていたのかもしれない。

 

「自分は特に異論はありません。ただ、千葉や吉田たちが何というかは」

「それについては仕方ないと思っている。我々はこの事件を捜査するに当たって、リーダー的立ち位置にいる訳だが……そこに強制力は付属して無いからな」

 

 克人がハッキリと明言するのを聞き、達也は「昔、夜久が大暴れした影響がこんなところにも」と感じた。

 

「さて。少なくとも、司波。お前は協力してくれる……ということでいいな?」

「もちろんです」

「ならば、こちらが得ている情報を話させてもらおう」

 

 4つの新たな情報を、達也は得ることができた。被害の規模、単独犯では無い可能性、第三勢力の存在……どれも彼の予測を上回る深刻度だが、残りの1つは本当に大問題だった。

 

「森崎にパラサイトの可能性が……?」

「あくまで可能性だ……」

 

 異常行動は特に見られないが、明らかに一時期に比べて、魔法力の上昇が著しすぎるらしい。

 

「確かめるために、私も声をかけてみたんだけど……受け答えも普通。おかしなところは何もない。だけど、もし『吸血鬼』と思しき異常行動が見られたら……」

「……処分も検討せねばならないだろう」

 

 真由美が口籠ったところで、克人が引き継いだ。

 別に、達也はそれを聞いても動揺はしない。森崎は友達でも何でもないからだ。しかし……彼は夜久の友達だ。間違いなく、夜久も出張ってくる。

 

(また、話がややこしくなりそうだぞ……)

 

 それなりに気にかけている弟分の文弥も、自分も「夜久係」には苦労させられたのだ。今回の夜久係もとい十六夜鳴の運命を思い、達也は「自分ではなくて良かった」と考えていた。

 

 

 

 

 

 

 四葉の一族と明かされた今でも、おれは駿と一緒に下校している。使用人は迎えの車に乗るよう叱ってくるが、いつも無視していた。

 放課後。部活を終えた駿を待つため、遅くまでおれは学校に残っていた。校舎の外に出ると、もう空は真っ黒。冬は日の落ちるのが、とても早い。

 

「……実は、お前にだけは言っておこうと思っていることがある」

 

 雑談でひとしきり盛り上がった後、駿は珍しく真面目な顔で言う。

 

「どうした?」

「……お前は人間って、なんだと思う?」

「いきなり? そうだな……」

 

 人間とは何か。今まで考えたこともなかった。第四研で散々、人をいじくり回していたというのに。しばらく考えて、1つだけ答えを絞り出せた。

 

「自分の意思があるやつじゃないかな……。他の誰でもない、自分自身で進む未来を決められる存在が……人間なのかもしれない」

 

 思い浮かんだのは、愛梨のことだった。誰かに依存せずに生きることを、彼女が教えてくれたのだ。

 

「……そうか。ならば、僕も……未だ『人間』と言えるのかもしれないな」

 

 頭の中から声が聞こえるんだ、と彼は話を続けた。

 

「仲間が欲しい、と声が常に鳴り続ける。そして、声は教えてくれるんだ。今、巷を騒がせている『事件』と同じことをしろって……」

 

 そういえば、最近ニュースになっている事件があった。確か……「吸血鬼」事件。魔法師が血を吸われた状態で衰弱したり、亡くなっていたりするという話だ。なぜ、その話を急に?

 

「……でも、僕は嫌なんだ。自分の『やりたいこと』は、そんなことじゃない。だから、声に抗い続けてる……」

 

 話が見えないながらも、必死で理屈を組み立てる。

 おそらく、何らかの要因で駿は吸血鬼になってしまったのだ。吸血鬼には仲間がいて、その仲間の殆どは人を襲う欲求を持つ。それに、彼は抵抗し続けている……。なんてことだ。

 

「……夜久。僕は、人間だよな? 頼む、そう言ってくれ……!」

 

 彼は辛そうな顔で叫ぶ。おれは胸が痛くなった──人間だ、間違いなく人間だ……お前は。そう伝えようとした時、周囲に異変が起きた。

 

「──!?」

 

 建物の陰から、人が飛び出してきた。それも、複数名。おれたちを狙っているのは、明らかだ。その証拠に、一瞬のうちにこちらを包囲してくる。並の練度ではない。

 

(何だ……? 特に真ん中のアイツ! 只者じゃない!)

 

 真っ赤な髪に、金色に光る目。ヒョロリとした背丈の、仮面をつけた魔法師。手には杖のようなものを手にしている。奇妙な風貌だが、一目見ただけで高い実力が伺えた。

 

「逃げるぞ!」

 

 こんなのと真正面から戦ってられない。おれは戦闘魔法師ではないのだ。駿に声を掛け、CADを操作する。精神干渉系魔法「マンドレイク」は、しっかりと発動し……魔法師たちの動きを僅かに止める。おれたちは、自己加速術式で即座に走り出した。

 

(クソ! もう復帰しやがった!)

 

 どう考えても、敵は素人でない。精神を狂わす想子の音を受けても、すぐ追い縋れるのだから。

 

(ダメ元で「ユーフォリア」を使うか?)

 

 ピンチの状況では、得意な魔法を使うのが1番だ。だが、殺害に至るまでのタイムラグがネック。落ち着いた状態で確実に使いたい。十分距離が取れる広いところに出るまで粘りたいが、それはそれであちらの加勢を引き寄せる可能性があった。

 

「……!」

 

 肌がちり、と灼けるような嫌な予感。自分の命を守るべく、重力操作魔法で上空へと飛び上がる。考えた時間は刹那、本当に咄嗟の判断だった。だから……隣にいる友人のことまで気が回らなかった。

 赤髪の魔法師が持つ杖の先端が光る。瞬間、そこから細く絞り込まれた光条が出て、駿の近くを掠めた。それだけなのに、彼の上半身右半分が焦げ……黒く炭化した。どう考えても致命傷。

 

「待て!」

 

 丸焦げになる様子を見届けた彼らは、踵を返し去っていく。追いかけたかったが、出来やしなかった。親友を置いてはいけない。

 

「しっかりしろ!」

 

 治癒魔法を掛けようとするが、そんなもので治る筈もなく。昏い絶望感だけが、おれの心を黒く染め上げる。

 

(……えっ!?)

 

 せめて、病院には運んでやろう……と諦めの気持ちを抱いた時だった。少しずつ、焦げた部分が減っていっていることに気づく。先ほどまで炭化していた筈の耳の部分が、元の形に戻っている。

 

(なんだ……。「再成」とはまた違う。ゆっくりとしたエイドスの遡及……自己回復能力!?)

 

 信じられない。だが、目の前で起きていることは現実だ。おれはぽかんと口を開け、奇跡を見つめていた。




今回はちゃんとリーナ出しました(本当に?)


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第6話

 都内にある四葉家所有のマンションで、おれは生活している。つまり、一応自分が自由に動かせる部下がいるということ。だから、すぐ車を呼びつけて、重傷を負った駿を家に連れて帰った。マンションは上層こそ住居だが、地下を含む下層フロアは作戦用の施設だ。つまり、医療設備がある。自己回復をしてみせた彼を普通の病院に運び込む訳にはいかなくなったので、そこで経過を見る方が良いと判断した。だが、これしか選択肢が無かったとはいえ……迂闊だった。実家に情報が筒抜けなのだ。

 深夜、本家から人が寄越された。思わず舌打ちする。

 

「──夜久様、ご無沙汰しております」

 

 四葉で調整施設を総括している、序列第3位の執事──紅林が客間にいた。彼がここに来たということは。

 

「解剖でもする気か? 持っては行かせない」

「貴重なサンプルです。夜久様はご存知ないでしょうが……。我々も『パラサイト』には手をこまねいているのですよ」

 

 おれに情報を下ろしていなかっただけで、四葉は独自にパラサイトの調査に踏み切っていたらしい。

 

「どうせ黒羽が動いているんだろう。何だかんだで手に入れてくる」

「確実とはいえません。それに、文弥様は以前……作戦に失敗していますから。奥様からの信頼度は下がっています」

「おれのせいだろ、それ」

 

 いくら何でも、流石に黒羽文弥が可哀想だ。おれの預かり知らぬところで、勝手に任務を受けて上手くいかなかっただけとはいえ。

 

「なぜ、そこまで嫌がるのです? 森崎家の係累を実験体にするのは、何も初めてではないでしょう。前は夜久様自身が、第四研に持ってきたのですから」

「……!」

 

 森崎あやめの死を、ここで引き合いに出されると思わなかった。しかし、確かに紅林の言う通りでもあるのだ。今まで、優良なサンプルは散々分析してきたし、それが当たり前の世界で生きてきた。

 

「あれは本人が望んだんだ。結果的に死んだとしても、自己責任と言えるだろ」

「……不都合な事実は隠した上での提案でも? 魔法師にしてあげたい、という提案自体に悪気は無かったかもしれませんが。でも、国際ライセンスを取れるような魔法師になれないのは、最初から分かっていたでしょうに」

「……」

 

 成功した場合でも、精々サイキッカー止まりなのは予測されていた。おれは迷ったうえで、それを彼女には伝えなかった。プロジェクト開始時からずっと実験体集めには苦戦していたし、少しでも多くデータを収集したかったのだ。

 

「……駿の調査は、おれが総括する。ちゃんと話せば、協力してくれるだろうから。これで良いだろ」

「まぁ、そうなるだろうと奥様は仰っていました」

「お母様が?」

 

 奥様が出した条件があります、と言いつつ、紅林は指を一本立てた。

 

「森崎あやめの死の経緯。それを伝えた上で、彼が承諾するならと」

 

 そんなの無理だ、と思った。

 何のために、おれはずっと嘘を吐いてきたのだ。ちゃんと分かっている。自分の行いを隠さないと、友達でいられないからだ。

 

「精神構造干渉を持つこと。非魔法師を魔法師にしようとして失敗したこと。ここまでは明かして構わないそうです」

「もし怒り出して、アイツが『各所にタレ込む』とか言ったらどうする? おれは記憶を消さないぞ」

「どうぞご勝手に。記憶を『消すだけ』なら、夜久様の他にも術者はいます」

 

 おれは思わず舌打ちをする。四葉の抱える記憶操作スキル持ちがやれば、全ての記憶がまっさらになるだろう。かといって、おれが記憶を消したところで……そのあと第四研に運ばれる。八方塞がりだ。

 

「正直なところ。奥様の目的は嫌がらせでしょう。私も理解していない訳ではありません」

「なんで……」

 

 ならば、不都合なことは言わなくても良いじゃないか。本当は愛梨にだって、怖くて明かしたくなかった。目の前で使ってしまったから、知られてしまっただけで。

 

「でも、それが嫌がらせになるのは……四葉の人間としての自覚を持っていないからです。外界と関わりを持たず、内々のコミュニティで満足すれば問題ないのですよ。私はそちらをおすすめします」

 

 四葉の中だけで完結して生きていくことは、今となっては辛いことだった。

 

「……じゃあ、話してやるよ」

 

 売り言葉に買い言葉。ソファから立ち上がって部屋を出る。医療フロアに繋がるエレベーターに乗った途端、途轍もない緊張感が襲う。無情にも、数秒で扉が開いた。目的の階に到着したのだ。

 

「──目、覚めてたのか」

 

 ベッドに付属するカーテンを開けると、彼は上体を起こしていた。すっかり傷は治っている。プラズマで焼かれてから数時間も経過していないというのに。

 

「あぁ。……今でも、夢だった気がする。──いや、多分『あの時』からずっと。悪夢を見ている気分なんだ」

 

 自らの両掌を見つめ、ぼそりと駿は言う。おれはベッド脇の椅子に座り、腕を組む。少し逡巡して、口を開く。

 

「あのさ……。お前の状態を調べる前に、言っておかないといけないことがある」

 

 キョトンとする駿を前に、抱えている事情を明かす。

 固有魔法として「精神構造干渉」を持つこと。それゆえに、四葉の研究に携わっていたこと。研究プロジェクトの中には「非魔法師を魔法師」にする研究があったこと。その被験者に森崎あやめを選び……最終的に失敗し、死に至らしめてしまったこと。

 話が進むたびに、彼の顔は険しくなってゆく。恐ろしくてたまらなかったけれど、一度始めたからには途中で止められない。

 

「そうか」

 

 コキュートスに包まれたかのような沈黙。永遠にも思えるそれを経て、彼は一言そう呟いた。

 

「……怒ってる?」

「怒る、というか。失望、いや……残念。……上手く言えないな。近い表現は『僕が勝手に期待して、勝手に悲しんでる』だろうか」

 

 そう話す彼と、全く目が合わない。言わなければ良かった。右手を翳そうとした、そのとき。

 

「……なんとなく思ってはいた。僕らには到底考えつかないような、恐ろしいことに関わっている可能性を。それでも、お前だけはそうじゃないと無意識に信じてたんだ。──そんな訳無いのにな」

「……ごめん」

 

 再び、長い沈黙が続く。先に話し始めたのは、向こうだった。

 

「……『お前とは何があっても親友だ』。そう言った、あの時の自分を裏切りたくない。それに、あやめ姉さんよりもお前の方が好きだ。僕にも、そういう残酷な気持ちがある……だから、同じだ。僕たちはダメな人間だよ」

 

 命の価値を勝手に決めるのは、まさに「許されざる」こと。罪でしかない。

 

「それに、自分の状態を知るためには……どれだけ恐ろしくても、お前の力を借りなきゃいけない。今僕が頼れるのは、たった1人。夜久だけなんだ。だから、罪だって背負う。お前の隣に立ち続ける」

 

 ──才能があるからだ! 僕が、お前を待っていたのだってそうだ

 

 夜中のファーストフード店で、駿が叫んだ言葉を思い出した。

 魔法の才能だけが全てを解決すると信じ、友人を見つめる視線の先に美しい未来を夢想していた、あの日の彼はもういない。おれが、おれの魔法で殺してしまった。

 でも、現状の駿にとって、おれと離れることは大きなリスク。どれだけ罪深くても……おれという存在は、彼の未来を大きく変える可能性がある。だからこそ、彼は冷静かつ不公正な判断を下したのだ。

 

「……お前が死ぬ未来を回避する。絶対に」

「うん、信じたいよ。……魔法抜きにしても、お前と馬鹿話する生活、結構気に入っていたから」

 

 許されないことをしても、生きていかねばならない。焼印による傷痕を晒し、石を投げられながらも前に進む必要があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 十六夜鳴は、森崎駿の殺害に失敗。その上、運悪く駿は、パラサイト化してしまった。故に、元老院からかなりの勘気を買っている。

 なぜなら、そもそも元老院というものは、怪異や妖魔といった存在を日本から排除するために作られた機関。そこから派生して、道を外れた魔法師や異能者の断罪も行うようになった。それにもかかわらず、新しく妖魔を生み出していては本末転倒なのである。

 

「……森崎駿のように、パラサイト化したにも関わらず、暴走することなく魔法力が増大するケースがある。これは大問題だ。リスクを恐れず、妖魔をばら撒くことを良しとする人間が……必ず現れる」

 

 元老の1人が、師族会議の極秘資料を手に嘆く。非合法な手段で手に入れたものだが、咎める人間はここには誰もいない。彼らは「秩序を保つ者」という自覚と誇りがある。多少の無法は、当然のことと認識しているのだ。

 

「春頃、反魔法主義者を沈静化させるために……人体実験を伴う研究プロジェクトが世間では大量に始動した。ほぼ詐欺同然の企画ばかりだが、彼らが結果欲しさに、パラサイトを導入してしまったらどうする?」

「それだけではないぞ。本当に非魔法師が『優秀すぎる』魔法師になってはまずい。魔法師社会がメチャクチャになる」

 

 彼らは口々に懸念点を述べる。とにかく「パラサイトを軍事転用する勢力から、どう対処していくか」ということは皆一致していた。

 既に、七草家と九島家はパラサイトを入手しようと躍起になっている。四葉家も言わずもがなだが、まだマシだ。管理下にある分、状況をチェックしやすい。

 

「……それに、問題なのは四葉夜久だ。彼は既に一度『アンジー・シリウス』と交戦している。次は殺すかもしれないぞ? そうなれば国際問題だ。『スターズ』にはパラサイトを倒してもらい、さっさと帰って欲しいというのに」

「一高への復帰はやはり早かったのではないか? 止めるべきだったろう。四葉へのペナルティを提案したのは、確か安西殿ではなかったか」

「そもそも。樫和殿は『十六夜』まで動かした割に、このような厄介事を作り出している。こちらに文句を言える立場かね?」

 

 喧々轟々。責任のなすりつけ合いで大騒ぎの場。そこに突如として、若い男の声が差し込まれる。声変わり前の高めの声は、その場によく響いた。

 

「──そうだろうと思ってたが。やっぱり『スポンサー様』の差し金か。おれの周りで起きていた、数々の珍事の原因は」

 

 縁側に通じた襖の一つが開く。そこにいたのは、不敵に笑う1人の少年。

 

「……四葉夜久! なぜここに?」

「おれだってバカじゃない。都内の監視システムから、十六夜鳴の行動範囲を調べて……どのエリアで追跡不可能になるか割り出した」

 

 ちなみに。2095年現在、無断で監視カメラの映像を抜き取ることは法律で禁止されている。通称「反1984法」が存在するからだ。ただ、十師族のほとんどは「必要による要請」という名目で無視している。そのため、四葉のマンションからデータにアクセス出来たのだ。

 

「認識阻害があっても『何かがある』と分かれば、探すことが出来る。しかも、運良く『案内役』を見つけたしな」

「案内役?」

 

 後ろを向いた夜久が、身をかがめ「何か」を引っ張り上げる。それは、ボロボロになっていたが……間違いなく人だった。

 

「不始末を詫びたいとウロウロしてたからな。おれも一緒に謝ってやろうと思って」

 

 夜久に首根っこを掴まれているのは、ぐったりした姿の十六夜鳴。どう見ても、魔法による襲撃を受けた後だ。要は、脅しで結界を抜けた訳である。

 

「ほら。勇気を出してさ、来て良かっただろ? 謝罪しとけよ」

 

 そう言いつつ、鳴を広間へと蹴り飛ばす夜久。しかし、気を失ってるので……もちろん起き上がることもなく。ただ、力なく畳に倒れ込むだけ。

 パラサイト抜きの異常行動を前に、元老たちは恐れ慄く。

 

「な、何が目的だ? わざわざ、ここまで来たのには理由があるだろう」

「あぁ。お前らの『おれにしてほしくないこと』が、何なのか調べたかった。ここに来ることで、ちゃんと確認できたよ。ペラペラとくっちゃべっててくれたお陰でな」

 

 彼は縁側から庭へ飛び降りる。よく見れば、靴を履いていた。土足で部屋の中に踏み入っていたのだ。

 

「迷惑かけられた分、絶対に迷惑かけてやるからな! 覚えとけ!」

 

 中指を立てて、言い捨てて去っていく夜久。残るのは、嵐が過ぎ去ったあとのような静寂。ただ、彼らはそのままぼんやりしている訳にはいかなかった。広間の中心に転がったままの、意識の無い鳴を無理やり叩き起こす。

 

「さっさと起きろ!」

 

 やらかしたミスを責めている場合では無かった。それよりも優先せねばならないことがある。

 

「お前の兄にも言っておけ。お前たちに、最後のチャンスをやる。──そして、何が何でも四葉夜久を止めろ! まどろっこしい真似はするなよ! 直接止めるんだ!」

 

 幾人もの壮年の人間たちが、大怪我をしている少年に詰め寄る様子は、側から見ると非常に滑稽だ。だが、彼らも必死だった。

 

「あやつは……『アンジー・シリウス』を殺す気だ! しかも、腹いせの為だけに!」



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第7話

 おれの自室には、自分を含めて4人の人間が集まっていた。愛梨、駿……そして、一条将輝。交友関係の少ない自分が集められる、出来る限りの知り合いといえる。2人が都内にやって来た主目的は、大変なことになってしまった駿のお見舞いだ。

 

「……それにしても、本当に森崎はパラサイト化したのか? 見た目だけだと全く分からないな」

 

 興味深げに駿の身体をペタペタと触る一条。物怖じしない奴である。

 

「脳に霊子を吸収・放出可能になる器官が増設されている。まぁ、分かりやすい人間との差異……と言えるだろう。でも、それだけだ」

「霊子? 想子じゃなくて?」

 

 愛梨が首を傾げる。顎下の長さで、横に揺れる髪。彼女は最近、ヘアスタイルを変えたのだ。以前よりも更に良く似合っている。

 

「今のところ、推測でしかないが……魔法力の強さと、霊子の存在には密接な関係があるのだろう。この特殊な器官の存在なくして、増大した事象干渉力や高速になった発動スピードの説明が付かない」

 

 壁に取り付けられたプロジェクターにデータを映し出し、数値を元に簡単な説明をする。すると、愛梨と一条が何とも言えない顔で、おれの顔をまじまじと見た。奇妙な空気感のまま、広がる沈黙。

 

「……貴方って、賢いこと言えるのね」

「あぁ。俺も少し思った。てっきり……その、バカな方だと」

 

 失礼すぎる。だが、よく考えれば……2人の前で勉強の話などをしたことはなかった。

 

「コイツ、結構頭いいぞ。代わりに宿題やってくれたこともある」

 

 高校で習うレベルの座学……その中でも数学や魔法幾何学は、魔法のイメージ化と強く関連する。それゆえ、そこそこ得意科目だった。だから、苦戦している駿を見兼ねて解いてやることもよくあったのだ。

 入試の時は、筆記が面倒で1問も解かなかっただけである。

 

「自分でやりなさいよ」

 

 呆れたように、愛梨が頭に手を当てる。優等生には、想像のつかない話なのかもしれない。

 

「だが、俺も呼んでもらって良かったのか。……正直、四葉には好かれてないと思っていたよ」

「……まぁ、人を脅してくるしな。──ただ、ここに来たということは。皆、覚悟があるということだよな?」

 

 全員の視線が交差する。和やかな会話が続いていたが、状況は全くよろしくないのだ。

 パラサイトの性質については、詳細がほぼ分かっていない。しかも、今のところ「人を襲わないパラサイト」は、駿のみしか観測されていないのだ。今後の彼はかなりの偏見に晒されることが確定しているし、庇い立てるおれもきっと苦労する。もちろん、1番辛い思いをするのが駿であるのは間違いないが。

 

 そんな状況ゆえ、おれたちは味方を必要とした。迷ったが、愛梨には声をかけることに。彼女は数少ない……おれを信頼してくれている人間だ。苦難を背負わせることは忍びないが、少なくとも相談はしようと思った。

 一条については、本音を言うと打算を含めた部分もある。性格的に断れないタイプだからだ。

 

「……もちろんだ。森崎とは九校戦からの付き合いとはいえ、もう大切な友人の1人だ。友達が苦しい時に、知らないふりは出来ないな」

 

 真剣な顔で頷く一条を見て、おれは「呼んでおいて良かったな」と思う。戦闘面でも、彼は居た方が助かる。

 そして、愛梨も覚悟を決めた顔をしている。おれの顔を見ると、優しく微笑んだ。

 

「私たちは、一緒に戦うことが出来る。貴方のやりたいことが『森崎くんを助けること』なら、私は『貴方を支えたい』の。──ねぇ、夜久くん。そっちから、声を掛けてくれて嬉しかった。だって、1人で抱え込んで欲しくなかったもの」

「愛梨……」

 

 彼女が持つ紺碧の瞳を見つめる。今この瞬間、心が通じ合ってると確信できた。

 どれだけ苦しい道の中でも、そこでお互いを見つけ出したいのだと。容易い選択をしたせいで、君とこのまま離れるのは嫌だ──そんな気持ちが、おれにはある。愛梨だって、その筈だ。

 

「──ゴホンッ! ゴホゴホッ! ……失礼」

 

 突然、一条が咳き込み始める。しかも、かなりわざとらしい。どうやら、この場の雰囲気を揺り戻したかったようだ。面白すぎる。やはり、彼を呼んだのは正解だった。

 

「……みんな、ありがとう。僕なんかのために」

「卑下するなよ、森崎。お前が悪い訳じゃないさ」

 

 方針が固まったところで、課題を整理せねばならない。問題は、大きく分けて2つだ。

 

・人を襲うパラサイトの排除

 強い意志がない限り、パラサイトに思考を乗っ取られる。そうなると、自己保存の欲求からか魔法師を襲い始めてしまう。封印なりなんなりして、現状の被害を抑えなくてはならない。「パラサイトは危険」という認識が広がったままだとまずい。

 

・スターズ等の排除

 向こうの目的が殲滅なのかは知らないが、研究の余地がある以上、全てを殺されては堪らない。そもそも、日本にいても邪魔なので早く帰ってもらう必要がある。

 

 つまり、我々は「自分たちでパラサイトの処理をするためにも、スターズを戦闘不能にする必要がある」訳だ。そのために、戦力を必要とした。

 とはいえ、おれだって「アンジー・シリウス」のような戦略級魔法師を殺して良いとは思っていない。以前、達也が「マテリアル・バースト」で国際魔法社会のバランスを大きく変えたことを忘れたことはないのだ。

 では、どうしてスポンサーにわざわざ「アンジー・シリウスを殺す」と変に宣言したのか。その理由を語るためには、少し前に遡らなければならない。

 

 

 

 

 

 

 駿の言質を取ったおれは、意気揚々と紅林を追い返した。「お母様に言っておけ!」というセリフと共に、ご丁寧に玄関には塩まで撒いて。

 その後、おれは外出着に着替えて……車を用意させ、魔法大学近くのアパートへと向かった。インターホンを押すと、地味目の私服を着た若い女性が出てきて、こちらの顔を見るなり顔を引き攣らせる。

 

「お引き取りください!」

「おいおい。弟が姉の顔を見に来ただけだぜ? 姉貴ならともかく、そのガーディアンが勝手に面会を断るなよ」

「いえ、お願いですから……お帰りください」

 

 ドア越しの押し問答。もちろん、彼女だって腕利きのガーディアン。普通ならば、魔法1つで面倒な客は追い返せる。「当主の息子」という彼女にとって面倒な立ち位置だからこそ、話が拗れているのだ。

 

「……何。一体どういう揉め事?」

 

 騒ぎが気になったのか、顔を覗かせるパジャマ姿の女性。

 

「っ! 夕歌さま……!」

 

 ガーディアンが咎めるように声を上げる。不用意に客の前に姿を見せたからだろう。現れたのは、津久葉夕歌。少し前までは、一応姉であった人物だ。

 

「なんだ、姉貴が出てきたなら話は早い。黒羽にアポ取って欲しいんだ。あと、今から豊橋まで着いてきてくれ」

 

 豊橋は旧愛知県にある都市で、黒羽の本拠地であった。

 

「嫌よ。今から寝るところなの。明日は大学が無いから、昼まで眠れる貴重な日よ。何が悲しくて、黒羽まで行かなきゃいけないのよ」

「おれ1人だと追い返されるだろ? 姉貴がいたら、少なくとも茶は出してもらえる」

 

 現場でパラサイトを調査する担当は黒羽だ。

 今までであれば、無視して自分のやりたいように話を進めていたが……いくらなんでも、おれの持ち得る情報が少なすぎる。黒羽から情報を流してもらわないことには、本当にどうにもならない。

 

「……追い返されることまで分かってて、したい話っていうのは何よ」

「夕歌さま! 耳を傾けなくて良いですから!」

 

 ガーディアンが金切り声で夕歌を叱る。耳に響いたのか、彼女は嫌そうに顔を顰めた。

 

「……まぁ、良いわ。一緒に行ってあげる。着替えと……そうね、軽くメイクをするから少し待っていて。せっかくだから、中にどうぞ。この子がお茶でも出してくれるわ」

 

 そう言って、さっさと引っ込む夕歌。ガーディアンは唖然とした顔で固まる。そして、復活するや否や、無表情で「お上がりください」と言った。

 熱いコーヒー(インスタントだった)を飲みながら、待つこと10分。準備を終えた夕歌がやって来た。洒落たパンツスタイルのセットアップに身を包み、顔にはスモーキーなメイクを施している。「黒羽」ウケしそうな格好だな、と思った。

 

「行きましょう。貴方がいるなら大丈夫だろうし、私のガーディアンは置いていくわ」

 

 そう言って、本当にガーディアンを連れないまま、夕歌は車に乗り込んだ。

 

「……良かったのか?」

「私、あの子嫌いなのよね。なんか、陰気臭いというか。そのくせ、主人の生活習慣には口うるさいし」

「へぇ」

「向こうも、きっと私のことは好きじゃないわ。それなら、こうやって離れた方がお互いのためね」

 

 車の中で、ぐっと身体を伸ばす夕歌。運転手にコンビニでコーヒーまで買わせ、ドライブ気分で完全にくつろいでいる。

 

「でも、着いて来たのはそれだけが理由じゃないだろ?」

「……そうね。成長したな、と思って。貴方が」

「成長?」

「えぇ。昔なら、話を聞いて貰えるまで暴れていたでしょう?」

 

 そうかもしれない。少なくとも、津久葉の家にいた小学生の頃はそうだった。

 

「だから、話を聞いてあげてもいいかなって……」

「ありがとう……姉貴」

 

 返事がない。横を見ると、もうクッションに顔を埋めて寝ていた。おれも眠ることに。黒羽の屋敷に着くまで、まだまだ時間がある。

 朝方に、豊橋へと到着。黒羽が運営するホテルにチェックイン。亜夜子や文弥たち(彼らが交渉の窓口なようだ)とは、朝にラウンジで落ち合うこととなった。

 

「……」

 

 ほぼ話したことのない人間を前にして、流暢に話題を提供出来る訳もなく。黙ってカップを持つ面々を前に、淡々と要求を口に出す。

 

「……とりあえず、おれは自分以外の勢力の殆どを把握できていない。このままでは、動く際に支障が生じる」

 

 おれの話を聞き、一番最初に反応したのは文弥だった。

 

「もちろん、僕も黒羽の一員。情報が全てを制することくらい、理解していますよ。ですが、その価値を知るからこそ……本音を言うと、貴方には渡したくない」

 

 おれよりもずっと童顔の文弥だが、冷たい表情はかなり様になっていた。

 

「文弥……」

「姉さんは黙ってて。……夜久さん、僕は私怨でこんなこと言っている訳じゃない。ただ、貴方の情報管理を信じられないよ。達也兄さんの件だってそうだ。兄さんに自由がない以上、しっかり『マテリアル・バースト』を管理すべきだった」

 

 険悪な空気感のラウンジ。おれは黙ってコーヒーを飲む。そして、口を開く。

 

「それでも、必要なんだ。友達を助けるために……」

「──文弥。どちらにしろ、パラサイトの研究統括者は夜久さんよ。情報を共有するのも必要なことじゃないかしら」

 

 亜夜子が、弟の態度を執りなす。文弥は宙を眺めて数秒静止した後、小さく息を吐いた。

 

「……分かってる。それに、わざわざ豊橋まで来てくれたこと。今までだったら、考えられない誠意だ」

 

 文弥は「すみませんでした」と言って、右手を差し出した。

 

「どうしても、わだかたまりがあって……失礼なことを言いました。少なくとも、今からは水に流します」

「あ、あぁ……」

 

 突然豹変した態度についていけない。ただ、とりあえずは右手を握り返す。

 

「夜久さんの仰る通り、我々がやるべきことは……四葉以外の勢力の排除と、パラサイトの捕縛です。正直言うと、黒羽だけではキツいんですよ。夜久さんと……えっと、夕歌さんもご協力頂けるんですか?」

「私はパス。期末試験も近づいてるし。ただ……津久葉から術者は何人か寄越しても良いわよ」

「それはありがたいですわ。わたくしたち、封印のノウハウが確立出来ず……かなり困っていましたの」

 

 手をこまねいている、という紅林の言葉は本当だったのだなと思う。黒羽が苦戦するのは相当だ。

 

「でも、津久葉家の援助と夜久さんの助力があれば、だいぶ変わりますよ! 少なくとも、パラサイトに精神干渉魔法は有効なことが分かっています」

 

 ただ……。そう言って、文弥は顔を曇らせた。何か懸念事項を思い出したようだ。

 

「この状況で、一番めんどくさい存在はスターズです。ですが、例の『スポンサー』は彼らを排除することを良く思っていないんです」

 

 スポンサー、もとい元老院。妖魔や人外を嫌い、それらを討伐することで……日本国内の秩序を保つことを目的とする機関。そして、第四研および四葉家への大口出資者。

 

「どうして『スポンサー』が? 妖魔を嫌っているのだから、早く解決してほしいんじゃないの? だからこそ、御当主様も黒羽家をせっついているのでしょう?」

「現状、スターズが一番パラサイトを倒そうとしている集団だからですわ。わたくしたちも、七草も九島も……パラサイトを研究したい側ですし」

 

 つまり、邪魔だからと言ってスターズを追い出そうとすると、それはそれで嫌な顔をされるということ。

 

「……分かった。じゃあ、おれがスポンサーの気を惹く。その間に、交渉なり何なりして貰って……USNAの奴らには帰ってもらおう」

「一体、何をする気?」

 

 夕歌が怪訝な顔で、おれに尋ねた。その心配はもっともだ。

 

「実は……」

 

 スポンサーにちょっかいをかけられていたことを伝える。既におれは、監視システムに介入して「十六夜鳴はスポンサー陣営」と突き止めていた。

 

「腹いせの体で『アンジー・シリウスを殺す』と騒ぐ。多分、信じる筈だ。そうすれば、帰ってもらう方がアイツらの得になる」

「確かに……。夜久さん、やりそうな気しますし」

 

 普段の行いを逆手にとる作戦だ。以前、周公瑾に密輸組織へと雇われた時には失敗したが……それでも達也が派遣されそうにはなった。つまり、騙すところまでは上手く行く。

 

「あの……本当にしませんよね?」

「やらない。一回戦っているが……正面から交戦するのは危険すぎる」

 

 少なくとも、バックアップが万全な状態では無理。一対一でギリギリというところ。

 

「では、そこは夜久さんにお願いします。わたくしが、USNAの現地指揮官とコンタクトを取って……出来るだけ引き上げさせます」

「おれに話し合いは無理だから。その辺りは、よろしく頼む」

「えぇ、任されました」

「虎の子の『アンジー・シリウス』です。どうせ、こっそり残してはおくでしょう。それでも、出撃回数はだいぶ減ってくれると思います」

 

 このように、話し合いは建設的なものとなった。自分1人で何とかするには、あまりにも大きすぎる問題。だからこそ、こうして他人に頼らざるを得なかったが……少しずつでも課題が解決していっていると実感でき、前へと進めている気がした。




 分家の子供たちが好きなので出せて良かったです。また、霊子波が事象干渉力に関連するという話は原作に出ていました。


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第8話

 パラサイトを回収しているのは、四葉だけではない。七草や九島も既にUSNA兵の奪取に成功し、既に移送まで行っている。だが、どこも上手くはいっていない。逃げられるわけではない。仮死状態にするべく、冷凍倉庫に保管することで、休眠状態に持ち込むところまではクリアしている。

 それでも、何故かスターズに位置がバレて強襲されてしまう。誰かが、スターズに情報を流しているのだろう。スポンサーの可能性も考えたが、彼らも妖魔が暴れ回ることを良しとはしない筈。別の誰かだ。今のところ、その人物は突き止められていない。

 

(人間の形のまま保存しては、スターズに付け入る隙を与えてしまう……それに襲われた時、持ち運んで逃げられない)

 

 そのため、四葉家内では新たな封印の方法を考えた。呪術的アプローチである。呪符や人形の中にパラサイトを封じ込めてしまうというもの。ただ、今のところ使えるのはおれだけ。精神構造干渉によって、無理やり押さえ込んでいるからだ。とはいえ、津久葉家が急ピッチで別の封印手順を考えているらしいので、いずれはもっと楽な方法が作られるだろう。

 おれは複数枚の呪符を手にしたまま、隣にいる友に尋ねる。

 

「行くぞ。……駿、パラサイトの位置は分かるか?」

 

 パラサイト同士は意識を繋げられる。そうすると、同胞の大まかな位置を認識可能なようだ。

 

「あぁ。10時の方向……1km先というところだ。おそらく、複数体いる」

 

 ただ、多用は出来ない。駿が今も自我を保っていられるのは、他のパラサイトの意識を強い意思によって遮断出来るからだ。常時接続させるのはリスキーすぎる。

 

「……同じだ。なんとなく、そんな気配がする」

 

 それに、おれの魔法的感覚もパラサイトには有効だった。だから、駿を使った捜索は一応の確認用だ。

 

「よく分かるわね。私には今のところ、何も引っかからないわ」

「俺もだ。全くピンと来ない」

 

 愛梨も一条も、おれとの違いは精神干渉魔法への適性くらいだろう。つまり、精神の存在を知覚できるか否か。パラサイトというものは、やはり精神体そのものと言えるのかもしれない。とても、口に出せる結論ではないが。

 

「……急ぐぞ」

 

 返答の代わりに、3人を急かす。こちらが位置を知ったということは、逆もまた然り。逃げられる前に追いつく必要がある。自己加速術式を駆使して、目的地へと走っていく。

 

「……!」

 

 パラサイトを視認した瞬間。魔法発動の気配を感じる。咄嗟に領域干渉を広げた。だが、パラサイトの方が速い。既に気づかれており、発動の意思を固められていたのだろう。魔法式が……投射される!

 

「させるか!」

 

 駿が叫ぶと同時に、周囲に凄まじい想子が吹き荒れ……眩い光となって辺りを照らした。彼のサイキック能力である。高濃度の想子がバリアのような役割を果たし、魔法を無効化したのだ。

 愛梨と一条がすかさず、追撃を繰り出す。「エレクトロ・キューション」と「爆裂」によって、複数のパラサイトが一瞬で肉体を失った。

 

「来るぞ!」

 

 パラサイトの本体──霊子情報体が、こちらへと襲いかかる。しかも、こちらの敵意を認識しているのか、電撃を飛ばしてくる。防御障壁を張って貰っていることを確認し、おれは呪符を握り締めた。そして、そっと息を吸い……「精神構造干渉」を発動。呪符は、人の形を象っている。そこに、圧縮した情報体を押し込むことで、休眠状態へと錯覚させるのだ。それを何回か行い、全てのパラサイトを封じた。

 

「……行けたの?」

「あぁ、上手くいった」

 

 束になった呪符をページを捲るようにしてみせる。一条がおれから距離を少し取った。

 

「出てこないよな?」

「そんな仕組みな訳ないだろ」

 

 駿には偏見を持たないのに、呪符は怖いらしい。多分、オカルトにはそこまで詳しくないのだろう。

 

「本当にこの中に? 信じられないな……」

「でも、確かに魔法的な波動は感じるわ。こんなペラ紙なのに」

 

 駿と愛梨は、おれの手にある呪符をまじまじと見て口々に感想を述べる。

 

「単なる紙じゃないぞ。1枚で数万円するからな」

 

 これは夕歌に教えられたことだ。「無駄遣いするな」と何度も言われた。失くす前に上着の内ポケットへと呪符をしまっておく。

 

『──ブラボー! やっぱり、ヨツバの魔法師は流石だ! デーモンをこんな形で攻略するとはね』

 

 自分たちのものではない声が響き渡る。おれたちは周囲を慌てて見渡す。

 

『ここだよ、ここ! 画面の中さ!』

 

 声の出所は、駿の端末の中から。奇妙な事態を前に、おれは固まる。見れば、駿は顔を蒼くして……身体をぶるぶると震わせていた。

 

「レイモンド・クラーク……」

「え、何。知り合い?」

 

 おれの問いには答えず。駿は震える手で端末を取り出し、画面を点けた。そこに映るのは、金髪碧眼のナヨっとした少年。見てくれは悪くないが、どこか「ナード」然とした野暮ったさがある。

 

『やぁ、Mr.モリサキ。久しぶりだね。ヨツバの通信防御は頑丈だ。この"セイジ"である僕にも……ちょっと突破出来なかった。外に出てきてくれたから、やっと話しかけることができたよ』

「なんのつもりだ! お前は、一体……何がしたいんだ!」

 

 鋭い声で駿が叫ぶ。この感じを見るに、顔見知りのようだが……良好な関係があるようには見えない。

 

『僕は差し詰め、ゲームマスターってところかな。日本を舞台に"デーモン狩り"というステージを作っている訳だ。だからこそ、面白くするために、色々と手を加えさせてもらってるよ』

「……! そうか、パラサイトの保管倉庫がスターズにバレてるのは!?」

 

 あまりにもピンポイントなので身内を疑っていたが、情報を横流ししているのは無関係のコイツだったのだ。

 

『ご名答! そして……スペシャルステージだ! 君のもとにアンジー・シリウスが攻めてくる! 乞うご期待!』

 

 腹立たしい笑顔に向けて、さっと右手を翳す。しかし、魔法の効果が表れる前に画面は暗転。どちらにせよ、画面越しに魔法を掛けるのは難度が高い。そもそも、成功するとは思っていなかった。

 

(……お祖父様のようにはいかないか)

 

 祖父の元造は、リモート通話中に暗示を掛けて人を自殺に追いやれたという。生まれた頃には死んでいたので、まぁ聞いた話でしかない。

 

「早くここから離れないと! 少しでも距離を取るべきだ!」

 

 駿が「アンジー・シリウス」の名を聞き、そう提案する。一度丸焦げにされたら、そんな気持ちにもなるだろう。

 

「……いえ。おそらく囲まれているわ」

「あぁ、ここで迎え撃つべきだろう。その方がマシだ」

 

 しかし、愛梨と一条はだいぶ好戦的な態度であった。ただ、戦闘慣れした側らしい意見でもある。相手はこのエリアから抜けることを前提に待機している筈で、下手に逃げ出すと袋叩きにされる可能性があった。

 

(それにしても、時期が早すぎる! まだ黒羽は交渉テーブルにつけてもいない!)

 

 スポンサーを信じ込ませるために、早めに調査に参加していたことが仇になるとは。黒羽が事前に制圧した場所を選んでいたとはいえ、スターズに位置を教えられてはまるで無駄。

 おれの人生はだいたい上手く行かない。このことを痛感し、苛立ちから歯噛みする。

 

(……ここでぼんやりしてる方が、死ぬ!)

 

 既に敵の気配はしている。CADを握りしめ、覚悟を決めた。

 領域干渉を広げることで、シリウスの「ムスペルスペイム」発動をキャンセル。広域系の魔法は、おれの干渉力で塗り潰せる。そのため、小規模な魔法の応酬という形で、戦闘は開始した。

 

 相克を防ぐため、干渉する部分を分担せねばならない。一条が「爆裂」で敵の人体を。愛梨が「スパーク」で、敵周辺の空間を。おれは「ユーフォリア」で精神に干渉。なし崩しに分担が出来ていた。駿はサイキックによる牽制と、対魔法防御の障壁形成だ。

 とはいえ、高校生4人(しかも、1人はずぶの素人)対プロの戦闘魔法師はかなり分が悪い。そもそも、他はともかく……シリウスには攻撃が大して当たらないのだ。どうやら、黒羽に聞いた話だと、九島家の「パレード」のような術を使っているらしい。

 

(人間は肉体経由でしか、精神が"視え"ないんだ! これでは……)

 

 精神体が剥き出しになっていれば、直接視認できる。だが、人間の精神となると、イデアを経由して「肉体情報と紐つけられた精神情報」として処理している。知っている人間ならば、精神の形も何となく分かるが、縁のない相手だとお手上げ。座標がメチャクチャになると、本当に分からなかった。

 とにかく、それでもシリウスを魔法の対処に集中させ続けねばならない。もしも「あの魔法」を撃たせる隙を作ってしまえば……完全に終わる。

 

(……!? どうして、呪詛の気配がする?)

 

 USNAの魔法師にはあり得ない、古式魔法による「式神」。それを目の端で知覚したおれは、シリウスから一瞬目を逸らしてしまう。逸らして、しまった。

 

(まずい!)

 

 シリウスが杖を振りかぶる。おれは跳躍しつつも、無意識にそれを止めようと……重ねて「ユーフォリア」を発動。何故だか、それは上手く成功。咄嗟だったので「死のイメージ」こそ載せきれなかったが、魔法本来の効果である酩酊状態を引き起こさせた。

 

(シリウスの座標が書き換えられていない? この魔法、制御に使う力がそれほど求められるのか?)

 

 仮説が次々と浮かび上がる。だが、考えは打ち切らねばならなかった。シリウスなどよりも、もっと強大な敵が現れてしまったからである。

 

 

 

 

 

 

 四葉夜久がアンジー・シリウスを本当に殺せるのか。そんなことは、調にとってどうでもよかった。少なくとも、主人から下された命令は……遂行せねばならない。

 調は認識阻害の術を維持しつつ、物陰でそっと夜久らとスターズの戦闘状況を注視していた。

 

(四葉夜久を止めろ、と言われれば……止めるまでだ)

 

 十六夜家が代々、内密で継承する秘術「呪詛」。その技術は、十師族をも凌駕すると確信している。

 

「鳴……君が大怪我を負ってくれて助かったよ。だからこそ、こうして動けないお前を『呪い』の中継点に出来る」

 

 足元に転がる弟を、調は軽く足で蹴る。彼は弟の体内に媒体となる呪具を埋め込み……呪いの増幅装置として使っているのである。

 式神を飛ばし……狙うは「パラサイト」。一定空間に存在する情報体を暴走させる術式は、見事に効果を表した。夜久が呪符に封印したパラサイト全てが解き放たれる。

 

(これで終わりだ! 四葉夜久!)

 

 しかし、調はよく理解できていなかった。パラサイトが、自己保存欲求という必要最低限の意思のみを持つ生命体ということを。だからこそ、強い意志を持つ人間を乗っ取ることはできない。願いが、パラサイトをも引き寄せてしまうから。

 

 調の弟──調整体の鳴。彼は、媒介にされながらも……薄らと意識を取り戻していた。

 鳴は、生まれながらに不幸な少年。息子を生きながらえさせるために行った母の選択は、父に認知されてしまったことで……罪へと変わってしまったのである。

 だから、母を自らの手で掛けた。兄が「そうすべきだ」と教えてくれたから。人生の岐路に立った時、いつだって彼は兄が示してくれる道を進んだ。進み続けた。しかし、それは正しかったのだろうか……その疑問がぐるぐると頭の中を回り、ある結論を出す。そして、1つの強い「復讐」の意志となり──呪詛に現れた。

 

「……やばいっ!」

 

 遠くで、異変に気付いた夜久の叫ぶ声がする。彼の元にあったパラサイトが封印に抗い、外へ勢いよく飛び出していってしまう。彼らは何処へゆく? それらは、森崎駿の体内……同胞のいる場所へと入っていった。

 

 駿の、親友の隣にいたいという思い。

 

 鳴の、不幸を運命づけた世界への復讐。

 

 強すぎる2つの願いは、拮抗している。故に、パラサイトは「解」を見失う。

 その結果。辺り一体に、想子を撒き散らす、意志なき魔導兵器が誕生した。ただ存在するだけで、事象を改変し……見境なく人々を襲う。

 

(何故だ、一体どうなっている?)

 

 パラサイトは暴走し、夜久を襲う筈だった。暴走を促すための起点となる式神にも、彼の髪といった情報を貼り付けることで……呪うべきターゲットを指定してあるのだ。だというのに。タガの外れた森崎駿は……何故だか、夜久のみを襲うことはしなかった。

 疑問が調の脳内を埋め尽くす。そんな時のことだった。

 

「──ぐはっ!」

 

 身体に鋭い痛みが走る。思わず、胸を抑える。気道は確保されているのに、まともに息が吸えない。まるで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのような……。

 

(くそっ!)

 

 呪詛のスペシャリストゆえ、調は気づく。自分が使うものと同じ「呪い」だと。全く予想していない角度からの不意打ち。つまりは……真下。予測していないので、もちろん事前の対処などしていない。耐えきれず、力無く地面へと倒れ込む。

 忌々しいネズミが、こちらを見て嘲笑う──その屈辱的な光景こそ、彼が最期に目にしたものであった。

 




そろそろ話もまとめられそうです。


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第9話

筆が乗ってなんか書けました。


 酩酊状態にあったリーナは、数分後には意識を取り戻した。だが、彼女の眼前に映る光景はもう変わり果てている。

 

「どうなっているの……」

 

 戸惑いから、彼女はそう呟く。先ほどまでは、自分たちは「ヨツバ」とその仲間のパラサイトを片付けようとしていた筈だ……。しかし、目の前では醜い同士討ちが起きている。四葉夜久と……もう1人──確か資料には、一条将輝とあった筈──が領域干渉を駆使して、パラサイトを抑え込もうとしていた。

 

「──目は覚めた?」

 

 不意に、自分に声が掛かる。見れば、木の陰に気の強そうな少女が腕を組んで凭れていた。

 

「貴女は……」

「一色愛梨よ。貴女が起きるまで、見張っていたの」

 

 彼女のことも、データで一応知っていた。四葉夜久と関係が深い少女だ。

 

「……お仲間なら死んだわよ。貴女を守ってね」

 

 慌てて辺りを見れば、地面に死体が転がっていた。戦友である、スターダストの仲間たちが……。

 

(Bruno(ブルーノ)……! それにXavier(ザヴィアー)Quincy(クインシー)まで! そんな……)

 

 心の中で、一人一人名前を呼ぶ。とはいえ、本当の名前ではない。スターダスト──アルファベットによる識別記号を割り振られた、スターズになれなかった星屑たち。欠番が出れば、すぐに本国から補充される。本国では、道具のように扱われているし、本人たちもその立場を理解している。

 それでも、リーナは自分を支えてくれる仲間として、一定の敬意を持っていた。それを表するべく、記号をもじった愛称で呼んでいたのだ。口さがない人々は「総隊長殿のお人形遊び」と揶揄していたが。

 

「……さて。貴女には協力して貰わないといけないわ。私たちが無事全員、生き残るためにもね」

「なにそれ。どうして、ワタシが協力しないといけない訳?」

 

 眼前にCADが突きつけられる。ひんやりした感覚で、彼女は「大変なこと」に気づく……。そう、自身の「パレード」が解けてしまっているという事実。

 

「まさか『シリウス』が、私たちと同世代とは思わなかったわ。……貴女も大変ね」

 

 気の毒がるような言い草。侮辱されてると感じ、リーナは激昂する。

 

「ワタシは、自分の力に誇りを持っている! 哀れんでなんて欲しくない! 任務を成功させることで、それを証明する……そうじゃなきゃ、こんなところにいる理由が分からなくなってしまう!」

 

 高い魔法力は、彼女を「普通」のままにしなかった。力の代償が、軍人としての重い責任。だけど、自分の魔法を愛している。どれだけ苦しい道でも、この力を手放したくない。消えていく仲間と違って、自分が生き残るならば……決して失われない戦友。別離のない、一蓮托生の存在。

 

「それならば、示してみせなさいよ。『彼』を倒すことでね」

 

 親指で、駿──今も大暴れしている──を指す。愛梨は、夜久から「あること」を託されていた。それは、リーナに例の魔法……正式名称「ブリオネイク」を使わせること。

 以前に共有した呂剛虎の攻略方法から、彼は現状の打開策を見つけたようだ。つまり、強固な想子ウォールを引き剥がす。今回の場合は、自己回復させることによって、彼が纏う大量の想子を消費させるのだ。

 しかし、厚い想子層の存在がネック。魔法を撃ったところで弾いてしまうのだ。直接の事象改変は全て防がれる。そのため、遠くから既に改変済みの魔法で攻撃するのが最適解。とはいえ、下手な術式ではすぐに自己回復される。現に、彼らは何度も試して……上手くいっていなかった。3人とも、大量破壊を可能とする攻撃手段など持っていないからである。

 

「……やってやるわよ!」

 

 思ったより、リーナは単純だった。孤立無援の状況で、頭が回っていないのもあるのかもしれない。それを見て、愛梨はそっと胸を撫で下ろす。

 ただ、まだ油断は出来なかった。もしも、彼女の気が変わって、こちらに杖を向けたら……自分が止めなければならない。既に「疾風迅雷」を使い、脳はフル回転で加速状態。リーナの腕の筋肉がどう動くかを注視していた。少しでも怪しければ、魔法発動前に杖を弾き飛ばす。「リーブル・エペー」の要領で可能とはいえ、万が一失敗したら焼死。

 それでも、恐れることはない──夜久は自分の実力を信じてくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 事象改変の気配を感じ、おれと一条は猛スピードで退避する。

 次の瞬間、全てを焼き尽くすプラズマが駿を貫いた。愛梨は上手く、リーナを焚き付けたようだ。

 

(……うっ!)

 

 悲鳴のような叫び声が上がっている。当たり前だ。苦しいに決まっている。普通ならすぐさま死に至るような攻撃を受けても、今の彼は意識を保ててしまうのだから。こんなこと、本当は2回も味あわせたくなどなかった。しかし、もう手段を選んでいられない。

 体の上半分が焼け焦げたにもかかわらず、駿はまだ息がある。正直賭けであったが、彼はこちらの信頼に応えてくれた。だからこそ、手を緩めない。想子が自己回復に使われ……身体を包む壁が薄くなった。すかさず撃ち込まれるのは、一条の「爆裂」。干渉力を高めて、全体ではなく一部のみを狙ったそれ。太ももより下が弾け飛び、血が噴き出す。逃走防止に足を潰したのである。

 

「……悪い森崎!」

「今は同情するな!」

 

 自分にも言い聞かせるつもりで、一条に怒鳴り散らしながら……おれは次の行動に移る。受け身の準備だ。

 

「夜久くん!」

 

 稲妻のように飛び出してくる愛梨。待ち構えていたおれは、彼女を両手で受け止める。勢いを殺さぬまま、移動中に練り上げられていた魔法がスムーズに駿へと行使される。一色家の「神経攪乱」。神経回路に電流を流し込むことで、運動神経を麻痺させる魔法。直接人体に干渉されたことで、ようやく動きが止まる。しばらくの間、彼は何もできない。

 

(……見つけた!)

 

 おれは愛梨を抱きしめながら、ずっと駿の精神体を探していた。ここまで念入りに攻撃していたのも、全ては落ち着いて精神を「視る」ため。

 

 ──僕は森崎駿。森崎の本家に連なる者さ。君のような優秀な魔法師と肩を並べられることを光栄に思うよ。

 

 ──僕はなんだか悔しい。僕よりも実技成績の良い奴が、こんな風に学校を去るなんて。

 

 ──夜久……お前は親友だ。今までも、これからも……ずっと。

 

 4月に出会ってから、おれたちはずっと友達だった。「魔法が下手なやつは大バカ」というメチャクチャな理屈を分かち合ったことでスタートした友情。そこから、今までいろいろなことがあった。助けたことも、助けてもらったことも……数えきれないほどある。だからこそ、分かるのだ。彼の精神がどんな形をしているのか。上手くは言い表せないけれど、感覚的に理解できている。

 

(お前以外の自我を全て……消し去ってやる!)

 

 パラサイトは人に取り憑き、脳に特殊な器官を形成することで憑依を完了する。しかし、核はそこに留まる訳ではなく、宿主の精神に融合しようと目論む。つまり、パラサイトの持つ原始的な自我は消去しても問題ない筈だ。少なくとも、原理上は。ただ、大脳皮質に増設されるニューロン体に影響がないとされるだけで……他がどうなるかは分からない。とりあえず消してみましたでは、駄目に決まっている。だからこそ、サンプルを集めようとしていたのだから。

 

(だが、今はこれしか方法がない!)

 

 彼を暴走させているのは、パラサイトの意思。融合して取り返しがつかなくなる前に……大元を消してしまう。それ以外に糸口が見つからない。右腕を伸ばし、固有魔法を発動する。狙うは、パラサイトの巣食う無意識領域。

 精神構造干渉──人の在り方を容易に捻じ曲げる力は、いつも通りに効果を表した。一瞬にして複数体のパラサイトたちは自我を消され……静止する。瞬間、彼の内部にあった想子が噴出。その勢いに、おれたちは吹き飛ばされる。愛梨を庇いつつも、祈るように想子の嵐が落ち着くのを待つ。

 

「駿!」

「森崎くん!」

「森崎!」

 

 吹き荒れていた想子が落ち着くと、残ったのは倒れ伏す駿のみ。彼の名を呼び、すぐさま駆け寄る。火傷はほぼ消えているが、足が欠けていた。「爆裂」の名残だ。けれど、ちゃんと生きている。おれたちは、ワッと喜びの声を上げた。

 

「──信じられないレベルに高度なルーナ・マジック……。これが『ヨツバ』の魔法……?」

 

 嬉しさを分かち合いつつも、部外者の存在は忘れていなかった。ただ、リーナは呆然としたまま動かない。駿を人質に取られない位置取りを意識しつつ、今のうちに3人で彼女をしっかり囲む。

 

「……それにしても、USNAの正規兵が日本国内で戦闘とは」

「同盟国にあるまじき背信行為だ」

「魔法協会に訴え出るべきじゃない?」

 

 実にわざとらしく、リーナの周りをぐるぐる回りながら責める。彼女の顔色はどんどん悪くなっていった。嫌な予想がどんどん浮かんできているのだろう。何より、正体もしっかりとバレてしまっている訳で。

 

「……ま、ある条件を呑んだら解放してもいいぞ。お前が誰かについても黙っておく」

 

 おれはそこで言葉を切り、黙り込む。すると、リーナはおずおずと「条件とは……」と尋ねてきた。

 

「森崎駿を見なかったことにするんだな。彼は四葉で引き受ける」

 

 取引は彼女にもメリットがある。故に、頷いて貰えた。ここでゴネられると困るのでホッとする。

 おれは後に、リーナが達也とも同じような取引をさせられたと報告書で知ることとなる。それはまぁ別の話だ。

 

「──あれ」

 

 リーナを見送り、引き上げようとした時。地面に一枚の紙が落ちていることに気づく。つまみ上げると、模様のような切れ込みが入っており……髪の毛が付けられている(セロテープで貼ってあった)ことが見て取れた。

 

「見ろ。やっぱり、式神だ。誰かがパラサイトを暴走させたんだ」

「……あれは誰かが糸を引いていたってこと? 確か。そうよ、さっきの『レイモンド』のような」

「おい。もしかしたら、まだ近くに……」

 

 おれはゆっくりと首を振る。そして、黙って歩き出す。草むらを掻き分け、不自然に開けた空間を見つける。

 

「古式魔法は、術と術者を切り離さない。繋がりを断たないからこそ、息継ぎのような面倒なテクニックを必要としないが……」

 

 息継ぎ、というのは現代魔法特有の基礎魔法技術。エイドスの改変は、例外を除いて永遠ではない。いずれは終了する。その寸前に、魔法の効果時間を引き延ばすことを「息継ぎ」と呼ぶのだ。優秀な現代魔法師は、滑らかに魔法を維持し続けることが可能である。

 

「代償を払うことになるんだな。──ほら、見つけた」

 

 死体が2つ、転がっていた。1人は知らない人間だが……もう1人はとてもよく知っている。十六夜鳴だ。行使していた術を外部からいきなり中断させられたのだ。脳に大きな負担が掛かり、かなり苦しい思いをした筈だが……何故だか、少し満足気に見えた。

 

「十六夜さんが? どうして……」

「さぁ。ただ、愛梨に近づいていたのも……何らかの目的があったのかもしれないな」

 

 スポンサーの説明が面倒で、適当に話を纏める。

 愛梨が膝を折って、鳴の顔を覗き込む。そして、小さな声で囁いた。

 

「……夜久くんには、勝てなかったわね。まぁ、そうなる気はしていたけれど。──さようなら」

 

 

 

 

 

 

 傷ついた駿を連れ帰り、怪我の治療を開始することに。また、パラサイトの自我を消したことが、どう影響を及ぼしているのかについても、できるだけ早く突き止める必要があった。

 

 結果的に、分かったことが幾つかある。確かにパラサイトの「生存本能」という思考力が失われても、増設されたニューロン体は残ったし……霊子を吸収・放出する機能が損なわれることもなかった。つまり、強化された魔法力はそのまま。

 ただ、サイキックを行使するために必要な、周囲から大量の想子を吸収しようとする特質は失われている。パラサイトが人間に憑依することは、物質次元に干渉するための手段。そして、それは霊子ではなく想子をもって事象を改変することを意味する。系統魔法がその良い例だ。

 

 自己保存の欲求が失われたことにより……人を襲う意思はもちろん、宿主を守る必要もなくなったので、サイキック能力や自己回復は退化した。ただ、変質した脳そのものは元に戻らないため、霊子供給をするための器官のみ残存。

 要は、ほぼパラサイトでは無くなったのである。それが、おれの出した結論だ。とはいえ、人間なのだろうか。

 

(脳が変質した時点で、人間ではなくなった。そう表現できなくもない……)

 

 それでも、おれがエイドスを通して「視た」精神体は以前と変わらなかった。そして、何より彼は強い意志を持っている。だから──信じたい。森崎駿は、人間であると。根拠などなくとも、良いではないか。たまには。

 そういう訳で、駿たちに「魔法力は強くなったままだが、もうパラサイトではない」と説明した。

 

「──なんか、上手くいきすぎてる話な気がするな」

 

 喜ぶかと思えば、駿はそんなことを言い出す。悪夢から目覚めた、と教えてやったというのに。

 自己回復能力を失った彼は、自力で足を生やすことはもう出来ない。そのため、以前の愛梨のように再建手術を受けた。だから、未だベッドの上だ。ただ、途中までは再生していたので……後からくっつけたのは足先くらいなのだが。

 

「良いじゃないか。あれだけ酷い目に遭ったんだ。奇跡の1つや2つ起こってくれなきゃ困る」

 

 一条もなかなか良いことを言う。おれも横で頷いた。

 

「一時のものとはいえ、サイキックだの自己回復能力だの……『力』に目覚めた訳だが」

 

 軽く手のひらを組みながら、駿が話し始める。

 

「少しも『やりたいこと』が分からなかったな。演説の邪魔も別にしたくないし、強敵を倒したいとも思わない。──自由に生きようとすることにも、才能が必要なんだな」

 

 夜久がすごい理由は、魔法の才だけじゃないんだ。駿はそうも続けた。

 

「今回でよく分かったよ。僕はお前に着いて行くだけで精一杯。だけど……それこそ『やりたいこと』だな。夜久、これからも僕は君の相棒だ」

 

 握り拳がこちらに向けられる。おれも手を握り、そこにコツンとぶつけた。自然と笑みが溢れた。

 

「なによ。2人だけ盛り上がっちゃって……」

 

 愛梨が腕を伸ばし、おれの首元に抱きつく。頬を軽く抓られた。振り解く訳にもいかず、されるがままだ。駿と一条は、哀れなおれを見て笑った。

 

「──今度、俺も相棒を紹介するよ。夜久、お前と気が合うかもな。アイツは入学してすぐに持ち出し厳禁の資料をコピーしようとして、危うく退学寸前まで行ったんだ。三日三晩、俺が一緒になって校長に謝らなかったら……どうなっていたことか!」

「あぁ、あったわね。そんな話も」

 

 対抗して話を盛っているのかと思ったが、愛梨も頭を抱えていた。どうやら、本当のことらしい。次は病室ではなく、別の場所で集まろうと約束した。その時は、一条──いや、将輝も友人を連れてくるのだろう。少しずつ、繋がりが増えてゆく。高校生になって、おれの人生は確実に変化していっている。第四研に篭ったままでは、見ることのできなかった世界。

 四葉という名は、恐怖の象徴として社会に轟いている。だが、恐れることなく前へと進む。思う通りに夢を描き、自由に生きていきたいから。




吉祥寺真紅郎がデータを盗もうとして大目玉を食らう話は「マジ」です。これ見た時、面白すぎて大爆笑しました。

あと、森崎がメチャクチャ酷い目に遭うシーンはノリノリで書きました。浮かれた音楽を聴いて楽しくやれました。
聴いてた曲: Fire in the belly / LE SSERAFIM

https://youtu.be/EwMqVHccej8?si=UQBmCWUZo8UVxVsK


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第10話

 学校を休みすぎると、単位認定で不利になる。しかも、おれは「退学処分」の後に不服申し立てで復学している。つまり、通えなかった期間は欠席と扱われるのだ。出席日数は、正直なところ大分危うい。そのため、おれは駿の退院を待たず授業には出ることにした。しばらくは食事も1人だな……と思いながら、教室に入る。だが、信じられない光景を目にした。

 

「……えっ! なんで、お前いるんだよ!」

 

 あまりの驚きに、大声を出してしまう。教室にいたクラスメイトは皆、一度こちらを見るのみ。「なんだお前か」という顔で、元の行動に戻る。奇行に慣れてきているのだ。

 

「なんでも何も……留学期間はまだ残っているわ。途中で帰る訳ないでしょ?」

 

 リーナは平然とした顔。しかも、机には端末を広げて自習までしている。完全に学生生活を続ける気だ。愕然とする。てっきり、USNAに帰ると思いこんでいたから。

 

「安心して。約束は守るわ。……貴方たちも守ってくれるならね」

 

 立場が逆転している。脅したのはこちらだというのに。

 

「あ、あぁ……」

 

 ぎこちなく、自分の席へと向かう。とりあえず、彼女を刺激しないようにしなければと思った。

 席に着き、端末を起動する。すると、あることに気づく。

 

(え、また通知が来てるぞ……)

 

 学内メールが届いていた。差出人はもちろん、七草真由美。そもそも、彼女くらいしか送ってこない。内容は「昼休みにクロス・フィールド部の部室に来てほしい」というもの。

 

「──来てくれたのね! ありがとう」

 

 部屋に入ると、真由美がにこにこ顔で出迎えてくれた。しかし、気になるのは部屋の奥にいるもう1人の人物。

 

(確か、十文字克人……)

 

 十師族「十文字」の長男。次期当主と名高い彼だが、すでに実質の当主であることは業界での暗黙の了解。知る人ぞ知る、レベルの話ではあるが。

 

「……直接、言葉を交わすのは初めてだな。四葉」

 

 彼が口を開いた途端、空気が重々しくなる。口調が若者のそれではない。

 扉を閉めたおれは、勝手に椅子に座る。まだ、勧められてもいない時点で。克人はぴくりと片眉を上げたが、何も言わなかった。

 

「どうして、わざわざおれを?」

「……パラサイトについてのことで、尋ねたいことがあった」

 

 そういえば、パラサイト絡みの調査には十文字も噛んでいたことを思い出す。七草と九島に比べると、正直印象が薄かった。

 

「森崎駿のことだ。そちらで身柄を預かっているだろう」

「……それが何か」

 

 またか、と思う。リーナだけでもウンザリしていたというのに。

 

「彼がパラサイト化したのではないか、という疑惑があるな?」

「無い」

 

 すかさず否定する。パラサイトになってはいたが……人間に戻った。おれがそう定義したのだから。

 

「嘘を吐くな。いくら『秘密主義』の四葉相手だろうが、我々だって調査ができない訳ではない」

「別に、嘘じゃないさ。駿は人間なんだから」

「……では、彼の魔法力向上はパラサイトと無関係だと言うのだな?」

 

 ここで、どう返答するかを少し考える。公開されている第四研の研究テーマは「精神干渉魔法を利用した精神改造による魔法能力の付与・向上」だ。誤魔化そうと思えば、誤魔化せなくもない。

 ただ、ここで迷うのが……先日にあった戦闘のこと。あれだけ大暴れしたし、バレていない訳がない。それと、将輝の存在もリスキー。大事件を共に乗り越えたので仲良くはなったが、それは個人レベルの話。業界内での立ち回りは、スタンスが違いすぎる。というより、おれは多分下手だ。変に伏せて、後で将輝を経由して師族会議に話が行くと……ややこしくなる。

 

「……少なくとも、今の駿は人間だ。これでいいだろ」

「尚更、引き下がれないな。その話が本当なら、四葉家はパラサイト化した人間を治療する方法を持っているということだ。人命保護の観点からも、四葉……お前に、協力を要請したい」

「おれが? 何故?」

 

 これは裏で話が纏まっているな……と、げんなりする。おそらく、将輝が事前に簡単な事情を克人や真由美に話しているのだ。「森崎駿のパラサイト化を、四葉夜久が見事解決した」ということを。

 そして、彼にしてみれば……100%の善意。おれという「新参者」をコミュニティに馴染ませるため、有用性をアピールしたというところか。ありがた迷惑すぎる。元より、そういうタイプではあったが。良い奴なのだが、思い込みも割と激しい。

 

「お前は今まで十師族だと明かされていなかったのもあり、そこまで『立場』というものを意識しなかったのかもしれない。しかし、今後はそうもいかない……」

 

 克人もどうやら、将輝と同じで「ノブレス・オブリージュが人生の目的として染み付いている」タイプのようだった。

 

「パラサイトは正体不明の存在とはいえ、霊子情報体ということは分かっている。そして、精神干渉魔法が有効なことも。自らの力を、社会に還元することは大切なことだ」

「じゅ、十文字くん……。ちょっと、そんないきなり」

 

 真由美が口を挟むが、克人は耳を貸さない。ただ「十師族に『成る』とはそういうことだ」と述べ……押し黙った。

 

「話、もう終わりで良いか?」

 

 中身のない交渉に呆れ返り、おれは席を立つ。

 

「待て。話しても分かって貰えないなら……模擬戦で決着を付ける。それは、お前の価値観とも適合する筈だ」

「十文字くん!」

「……良いぜ、やろう。──七草先輩、演習室って取れますか」

 

 慌てて真由美が端末の画面をスクロールする。

 

「今からなら……そうね、第2演習室が」

「では、すぐに行こう。──事務にCADを取ってからな」

 

 克人がCADを受け取っているのを尻目に、おれはポケットに手を入れて待つ。

 

「……夜久くん、預けてなかったのね。それ、今後絶対やめて」

「すいません」

 

 CADを隠し持っていたことがバレて、真由美に叱られてしまった。初犯なので、見逃してはくれるらしい。これからは、ダミーのCADを用意しようと決めた。

 演習室に移動し、お互いに向かい合う。ルールはオーソドックスなもので、暴力といった直接の攻撃を禁止するタイプ。そして、勝利の対価もシンプル。向こうが勝てば、おれが協力する。おれが勝てば、相手もこちらに干渉しない。

 

「それでは……始め!」

 

 部屋の中に想子が吹き荒れる。小手調べに適当な魔法を撃ったが、すぐ弾かれてしまう。

 

(これが「ファランクス」か……)

 

 干渉力はこちらが勝っている筈なのに、破れない。その理由は、ファランクスの特徴にある。

 4系統8種にそれぞれに対応する防御壁を形成、それらを高速でランダムに切り替えながら絶え間なく紡ぎ出す。そして、1枚の防壁を作る魔法式に、領域干渉の要素が足されている。これこそが「ファランクス」の真骨頂。干渉力で押し潰しても、次の壁が出てきて元通り。

 

(もうこれは、精神干渉魔法で押し切るのが正解だな)

 

 その時だった。一定位置で静止していた防御壁が動き出す。しかも、前方へ……つまり、おれを押し潰す形で!

 

「……ぐはっ!」

 

 部屋の壁と「ファランクス」に挟まれ、身体が浮き上がった形で押し付けられる。内臓が圧迫され、堪らなく苦しい。吐き気がしてきた。

 

「ちょっと! やめてあげて!」

 

 手首のCADに触れようとする真由美の姿を、目の端で捉える。猛スピードで克人の方へ飛ばされた、ドライアイス粒子は……一瞬で展開された対物障壁に阻まれた。

 

「止める必要はない! じきに決着はつく! ──四葉、お前にいくら高い魔法の才があれど……攻撃型ファランクスは防げまい!」

「十文字くん! いくらなんでも『オーバークロック』はやり過ぎ! いい加減にして!」

 

(……オーバークロック? そうか!)

 

 ファランクスを維持しながら、別方向からの攻撃に対応出来たことはおかしいと思っていた。しかも、素人の魔法ではない。七草の「魔法」を防いだのだ。どう考えても、カラクリがある──そう、一時的に魔法力を増大させるなどの。

 

(やけに食い下がったのはこれか! 一丁前に「ノブレス・オブリージュ」を語っておいて……結局は私情が絡んでるんだな!)

 

 魔法演算領域は繊細なもの。短時間とはいえ、変に強化などすれば……オーバーヒートは必至。その対処法を探しているとか、そんなところだろう。

 多分、そもそもの目的は「若手の交流」くらいだったに違いない。将輝の考えそうなことだ。だが、そこに様々な思惑が乗っかってしまったのが……今の厄介な事態なのである。

 

「……その手に乗るかよ!」

 

 イデアを経由し、精神領域のエイドスに目を凝らす。幸い、動き回らなくて良いので……不意打ちの心配をせず、精神の状態を確認出来る。数分もかからず、十文字克人の魔法演算領域を見つけ出すことが出来た。

 

(演算領域が魔法式を吐き出すスピードを……減速させてやる!)

 

 精神構造干渉を見せることになるが、もうこれは仕方ない。元々、対外的には「四葉深夜」の子と公表されている。いずれは知られる話だったし、それが今になっただけ。

 エイドスを改変するためのゲートに干渉し、僅かな時間だけ……形を変える。連続で投射される筈の魔法式がスムーズに送り出せず、魔法は瞬く間に破綻。いきなり「ファランクス」が解除されたので、おれもバランスを崩しそうになる。だが、何とか体勢を立て直し、行使するのは「フォボス」。想子光を媒体する、恐怖という情動を発生させる魔法。

 

「……降参だ」

 

 両手を上げ、克人が言う。精神状態が不安定になったため、これ以上の魔法行使を避けたくなったのだろう。おれはCADを持つ手を下ろす。

 

「無駄な時間だったな」

「いや、そうでもなかった。『四葉直系』の実力の片鱗を知れて……有意義であった」

 

 1人で満足するのは結構だが、こちらにメリットはあまり無かった。

 

「まぁ、いいや。もう、おれにグチャグチャ言ってくんなよ。駿のことも詮索するな」

「……しかし、ここまでの才能があるとは。十師族のしての責任云々は抜きにしても、その力を無駄に使うことは許されないだろう」

「まだベラベラ喋るのか……? おい」

 

 思わず、克人にCADを突きつけた。すると、彼は「校則違反だな」とニヤリと笑う。

 

「なっ……」

「七草は見逃したようだが……。先程のCAD無断携行と合わせれば、間違いなく退学処分は免れまい。2回目ともなれば、異議申し立ては無効だ」

「……何が言いたい?」

「なに。ここで『生徒会に入る』と宣言してくれれば良い。悪いことばかりではない。CADも持ち歩けるぞ?」

 

 助けを求めるように真由美を見る。だが、そもそも……彼女は「七草閥の暴走」を阻止する目的から、おれの生徒会入りを支持していた。「私には止められません」という顔で、首を横に振っている。

 

「第一、先輩への態度がなっていない。社会性を身につけることから始めるべきだ。仕事をする中で、責任感を持てるようにしていかねばな」

「……殺すぞ」

 

 お母様と似たような手口だ。「立場」を用意することで、逃げられなくするテクニック。柵というものは、あまりにも厄介だ。

 

(いっそのこと、学校辞めるか……?)

 

 そんな考えが頭をもたげるが、首を軽く振る。しばらくすれば、駿が復帰してくるのだ。戻ってきて、おれが辞めていれば……彼が1人で、十文字克人と対峙せねばならない。克人は、それを見越しているのだ。だからこそ、こうして脅しが成立する。

 

「今はシールズさんがお手伝いで入ってくれているけど、彼女は時期がくれば帰っちゃうし……」

 

 完全に、真由美は克人の作戦に乗っかっている。背の低さを活かし……上目遣いで「お願いできない?」とまで言い出す始末。間違いなく、ふざけ倒していた。そこそこ関わっているから、彼女が「良い性格」をしているのも知っている。

 

「はぁ……。やれば良いんだろ、やれば」

 

 どうせ、いずれは深雪が会長になるだろう。その時に外して貰えば良い。そう思い、嫌々ながら頷いた。

 

 

 

 

 

 

 おれが脅しに屈して、しばらく経った日のこと。駿も無事退院することが出来た。お祝いとして、4人で集まることになった。貸し切ったホテルのレストランが会場だ。主役は恐縮していたが、下手なところには集まれないので必要経費だ。

 

「──夜久が生徒会役員! 似合わなすぎる!」

 

 愚痴と将輝への文句を兼ねた報告を聞き、駿が大爆笑した。

 

「私は元々賛成していたから。良い機会だと思うわ。十文字さんの言葉を借りる訳じゃないけれど『社会性を身につける』べきね」

 

 そして、愛梨は気の強い性格を完全に取り戻しており……おれにもこの言い草である。もちろん、本当の自分を素直に出しても、お互いに嫌いになどならないという強い信頼関係の証とも言えるのだが。少なくとも、おれはこうしたトムボーイ性──おてんばなところを好きになったのだから。

 

「いや、でも悪かったよ……」

 

 そんな彼女と対照的に、将輝は小さくなっていた。良かれと思っての根回しが、悪い方向に転がってしまったことへの罪悪感はあるようだ。

 

「次からは、お前に確認を取ってから話すようにする」

「そうしてくれ」

 

 非を認めて詫びてくれる点において、将輝の方が人間は出来ている。克人は本当に謝らなかった。十師族当主というのは、絶対に謝ってはならない生き物なのかもしれない。いや、それが「大人」なのだろう。当主代行の運命に縛られた彼は、もう子供に戻ることはできないのだ。哀れだと思った。

 

「──さて、気を取り直して……乾杯!」

 

 しかし、おれは運命に抗い……自分らしさを貫く。それを可能とする強さは、もうこの手にあるのだから。

 しかし、魔法の才能は全てを上手く解決してもくれない。いつだって、おれは他者の企てに巻き込まれている。それでも、人々がどれだけ「不幸」を願っても……それを奇貨として立ち上がってきた。今後も、そうするだけだ──決意と共に、ドリンクを飲み干した。




来訪者編、完! 風呂敷を広げすぎて、途中「何の話してるんだ……」と思ってましたが、なんとか軌道修正できてよかったです。

退学編とかの時は、夜久がずっとマザコンなので「キッショ!」と思いながら書いてたんですが、来訪者編くらいでやっとマトモになってホッとしました。一色愛梨に感謝ですね。
色々と話を広げた分、来訪者編は本編の中だけでは書ききれないところもあったので……その辺りは番外編で足すつもりです(リーナとか、達也とか)。そのあと、2年生編をどうするか考えます。


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977編
第1話


 お待たせしました。次年度開幕です。


 今日は、第一高校の入学試験があった。午前中は受験生で賑わっていた校内も、夕方には人気もなく静か。授業も部活も停止していて、生徒は登校してないからだ。

 そんな中、おれは校舎内を歩いている。今から、生徒会メンバーとの顔合わせが行われるからだ。仕事もひと段落して、次年度を迎えるのみとなったタイミングで、新たにおれを迎え入れることになったのだ。

 新入生と一緒の加入でなくて良かった、と胸を撫で下ろす。いくらなんでも、気まずすぎる。

 

「──こんにちは」

 

 生徒会室の扉をそっと開け、顔を覗かせる。

 

「あっ、来た来た!」

 

 真っ先に聞こえたのは真由美の明るい声。このあいだ卒業した筈だが、一応このイベントには顔を出したのだろう。後輩たちを厄介ごとに巻き込ませてしまうことへの責任感からかもしれない。

 

「ほら、あーちゃん。挨拶してあげて」

「ひゃっ、ひゃい……! わ、私は中条あずさですっ! よろしくお願いします! 四葉くん!」

 

 緊張からか、彼女の顔色は酷く悪かった。なんだか気の毒になってくるほどには。

 

「……」

「ヒッ! なんかごめんなさい〜っ!」

 

 どう返答するか決めかねているうちに、1人で悪い方向に捉えて怯え出すあずさ。もう会話になどならない。

 

「僕は五十里啓。会計をしています。よろしくね」

 

 見ていられなくなったのか、あずさを守るように1人の男子生徒が前に出てくる。優しげな笑顔を浮かべて右手を差し出してきたが、目の奥からはこちらを値踏みするかのような視線。かなり警戒している。

 

「……よろしくお願いします」

「君は副会長をやってもらうことになってるよ。まぁ、まだ勝手も分からないだろうし……司波さんの補佐って感じかな」

「一緒に頑張りましょうね、夜久くん」

 

 深雪がおれの背を軽く叩く。アウェイな場において、彼女の存在だけが安心感を与えてくれる。

 

「……本当はお兄様に入って欲しかったのだけれど」

 

 前言撤回。少しも安心できなかった。銃口を突きつけられたような緊張感が走る。心なしか悪寒もしてきて、おれはぶるりと体を震わせた。

 

「深雪さん、それは仕方ないわよ。生徒会則の改正は、職員室からストップもかかっていたし。かといって、新年度から達也くんを加入させると……ちょっと『内輪の人事』過ぎるのよ。そうなった時、変に揚げ足を取られて苦労する羽目になるあーちゃんの立場、一応貴女も考えてあげてね」

 

 寒気は気のせいではなかった。深雪の魔法力が暴走し、室内の温度が急激に低下しているのだ。

 そして、真由美の言葉によって、大体の事情を把握する。職員室も「面子」を気にしたのだ。つまり、おれという一生徒の意見を受け入れるのは癪であったということ。それゆえ、前年度の時点で達也を生徒会入りさせられなかった。

 

「新しいコースが新設されて、やっと達也さんとお仕事が出来ると思ったので……。少し残念です」

 

 不満を表明する人間がもう1人。ほのかである。そういえば、彼女は達也のことが好きだった。

 4月以降の達也は、二科生ではない。新たに「魔法工学科」が設置されるため、そちらへと彼は移籍するのだ。そのため、生徒会に入ることは不可能ではない……のだろう。多分、ほぼ内定していたようなものだったに違いない。真由美と克人が口を挟まなければ。

 

「じゃあ、風紀委員に入ったら良いんじゃないか? アイツ、確かそっちだろ?」

 

 生徒会に移れないだけで、風紀委員を辞めさせられるわけではない。そんなに一緒にいたいなら、生徒会に入らなければ良いのに。

 おれの極めて親切なアドバイスを耳にした彼女は、あからさまに傷ついた顔をする。まずい、と思った時にはもう遅い。

 

「……私の魔法は荒事に向かないの。達也さんの足を引っ張るようなこと、できない……」

 

 ほのか以外の人間たちの視線が、おれに真っ直ぐ突き刺さった。最悪の空気が広がる。おまけに、室温は寒いまま。地球上で一番悪い環境は、おそらくここだ。

 

「──と、とにかく! これから5人で仲良く頑張ってね! 全ては時間が解決してくれるわ!」

 

 暴論を盾に、むりやり話を纏める真由美。どうにもならないと、匙を投げたのが丸わかり。

 

(くたばれ……十文字克人!)

 

 この事態を引き起こした元凶を呪うことしか、おれには出来なかった。十六夜の「呪詛」を習得しておけば良かったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 入試結果が発表される頃になれば、生徒会はすぐさま入学式の準備に取り掛からねばならない。大忙しだが、やるべき仕事が多いことで……連帯感が形成されることも事実。

 

「四葉くん、会場の椅子を並べに行ってもらえますか? こちらは修正で手が離せなくって」

 

 あずさは祝辞の原稿を最終確認中のようだ。生徒会長として挨拶をしなければならないし、その際には少しのミスも許されない。集中して取り組む必要があった。

 

「分かりました。ついでに、案内用QRも掲出しておきます」

「ありがとう! お願いしますね」

 

 机に置かれたままの、丸められたポスターを何本か手に取る。

 

「あっ、もう会場内は貼っちゃった……残ってるの、廊下分かも。私、それはやっておくよ」

「教えてくれて助かった。じゃあ、光井に任せる」

 

 このように、そこそこ円滑にタスクを回せている。まぁ、別におれもいつも非常識という訳ではないのだ。

 地道に椅子を並べていると、五十里が「手を貸すよ」とやって来た。1人では全てを担当するのも大変だろう、と思ったのかもしれない。

 

「お疲れ。君のお陰で、だいぶ早く進んだよ。入ってくれて良かった」

「最初、あまりにも歓迎されないから驚きましたけどね」

 

 チクリと針を刺す。彼は「ごもっとも」と苦笑いした。

 

「みんな、司波くんが入ると思い込んでいたんだ。七草先輩はああ言ってたけど……生徒会の人事なんて、殆ど縁故採用だからね。外野から多少の文句が出ることくらい、元より想定済みさ」

「それをおれが邪魔した、と」

「でも、君だって十文字先輩に言われただけだろう? ごめん、最初は大人気ない態度だったね」

 

 その通りなので、おれは頷く。しかも、脅されて入った訳で。どう考えても、被害者側である。

 

「まぁ、こんなことでもなければ……君とこうしてしっかり話せる機会は無かっただろうし。何事も、巡り合わせだ」

 

 そう言いながら、てきぱきと作業を進める五十里。おれもそれに倣い、椅子を運び出す。

 

「あと……新入生からもスカウトしなくちゃね。生徒会室では、ちょうど中条さんたちが今期総代との打ち合わせしている筈だから……順当に行けば、その子になるのかな」

「へぇ、誰なんです?」

 

 興味がある訳でもなかったが、話を終わらせるのも違うと質問してみる。

 

「……九島光宣。十師族、九島家の末息子だよ。二高に進学するのかと思いきや、上京してきたみたいで」

「親元を離れたかったんですかね?」

「確かに。反抗期なのかもね」

 

 この時のおれたちは、まだ知らない。彼こそが、新たな波乱を巻き起こす問題人物だということを。

 

 

 

 

 

 

 九島光宣という少年は、外見だけで言うと「男版の司波深雪」といったところ。つまりは、かなり美しい見た目なのだ。非現実的なAIビジュアル。イデアを通して「人間」という情報だけ抜き取ったよう。顔を構成する全てのパーツが完璧で、小さな顔にバランスよく納まっている。

 

「──魔法師は多かれ少なかれ、力を持っています。それは、非魔法師にはないもので……だから、僕らは兵器たり得るのです」

 

 そんな彼が行う、2096年度入学式の新入生総代挨拶は、人々の動揺を誘う異常事態へと成り果てていた。それは、演説の内容が信じられないレベルでブッ飛んだものだったからである。

 突如として「魔法師は兵器である」と言い出したため、当たり前に場はざわつく。別に思うのは勝手だが、こんな場で話すことではないのではないか。

 

(や、やばすぎる……なんだコイツ!)

 

 トンデモ新入生を前に、おれは舞台袖で恐れ慄く。自分だって大概だろうが、ここまでメチャクチャなことは言っていない。割と正論だったと自負している。

 

「しかし、魔法師が兵器である事実は……我々の自由を全て奪うものではない。そこは絶対に勘違いしてはいけないこと。その点は、尊敬する祖父──九島烈の論から強い影響を受けています。残念ながら、今は完全に同じ意見を持ててはいないのですがね。いずれ、分かってもらえると信じていますが」

 

 魔法師自由権論。そういえば、九島烈はそれを提唱していた。九校戦前くらいに、愛梨が教えてくれたのだ。

 

「魔法師は力があるからこそ、様々な害意へのカウンターとして存在することを強いられます。だからこそ、魔法師は兵器以外の運命からは解放され……自由に生きるべきだ。なんなら、今よりももっと大きな特権を得ても良い筈なのです。経済的にも、社会的にも」

 

 光宣はぐいと身を乗り出し、マイクをしっかり掴み直した。まるで政治家のようなパフォーマンスだ。だが、彼の見た目が良すぎるために……バンドマンのMCを見ているような奇妙な感覚に陥る。

 

「一科生とか、二科生なんて関係ない。この第一高校に入学してきた200人は、魔法資質を持つ人間たちの中でも生え抜き。それを自覚してください。ゆえに、我々はコースを問わず連帯がきっと出来る。素晴らしい未来を実現するために。──3年間、共に頑張りましょう」

 

 案の定、拍手は疎らだった。それが不満だったのか、彼は軽く首を傾げる。凄まじく共感性がないことが、その動作一つだけで伺えた。

 

「──……ど、どうして。リハのときはちゃんとした原稿だったのに!」

 

 背後から絶望しきった声がする。あずさの嘆きだ。彼女は頭を抱えて、床に蹲っていた。

 

「会長、落ち着いてください。総代が変だっただけで……私たちの段取りには瑕疵は少しも無いです。皆さん、ちゃんと分かってくださいますから」

 

 パニックに陥ったあずさを、深雪が優しく宥めて落ち着かせる。ここで騒がしくしてトラブルになったら、余計に事態が悪化してしまうからだ。

 

「そ、そうかなぁ……」

「司波さんの言うとおり。大丈夫大丈夫。──それにしても、先にスカウトしておかなくて良かったね。不幸中の幸いだ」

「そうですね。後から断る訳にはいきませんもの」

 

 打ち合わせの時、生徒会メンバーは全員揃っていなかった。だから、加入の打診は後回しにしていたようだ。

 

「危なかったですね。会って話した感じは、良い子そうだと思いましたし。ね、深雪もそう感じたでしょう?」

「えぇ。てっきり控えめな子かと。それに、元々かなりの病弱って話も聞いていましたし」

 

 深雪の言葉がきっかけで、そのことを思い出す。九島家の末息子といえば、虚弱体質で少し動いたら数日は寝込む……そんな噂をおれも聞いたことがある。答辞を読む(もはや演説だったが)姿が元気に溢れすぎて、あのタイミングでは気づけなかったが。

 

「でも、すっごく健康そうでしたよ。治療法が見つかったとかで、病気が治ったんですかね?」

「そうかもね。それ自体は良いことなんだけど……」

 

 ほのかがそう言い、他の皆も同意した。けれども、おれの中ではまだ疑問が残っていた。

 

(五輪澪のような、魔法力由来の虚弱体質だろう?そんなものが、急に寛解するものか?)

 

 国家公認戦略級魔法師の五輪澪は、戦略級魔法「深淵(アビス)」を発動できる強い魔法力と引き換えに、身体面においては極めて不自由。それゆえ、外出もままならない。細かいところは異なるだろうが、九島光宣についても似たようなものだと聞く。

 

(まさか……。──いや、身内だぞ? 流石にそこまでする訳ないか)

 

 不意に「駿の身に降り掛かったことと、同じことをしたのでは?」と思いついたが、すぐにその考えを打ち消す。

 九島家は、パラサイトの調査に手を挙げていた。本拠地が関西なことを考えると、わざわざ都内に赴いて活動するのは、かなり熱心な態度だったといえる。だから、サンプルも入手している可能性は充分あった。とはいえ、いくらなんでも血族をパラサイト化させるなんて。そんなこと、第四研でもしない。

 

「今年は七草さんたちや……七宝くんもいるからね。特別彼に拘らなくても良い」

 

 光宣の他に、この代には二十八家出身が3人もいる。七草泉美と七草香澄、そして……七宝琢磨。なかなか豪華なラインナップなのだった。

 

(もしも深雪たちが、本当の身分を明かしていれば……おれを生徒会に入れようとはしなかっただろうな)

 

 一高内において、達也の評価は案外高いらしい。四葉の血を引いていると分かっていれば、おれよりも彼を選ぶことだろう。おれがナンバーズだと発覚したから、学年内の勢力バランスを保つために引き入れられた。それだけのこと。

 

(九島光宣も苦労するだろうなぁ……)

 

 あんまり歓迎されていない、という点では光宣に同情してしまった。

 高い魔法力があっても、必ずしも人に好かれるとは限らない──1年かけて学んだことを、彼にも教えてやりたくなった。これこそ、先輩面なのかもしれない。




 微妙にギスギスしている感じを書くのが一番面白かったです。魔法科キャラは一癖も二癖もあるところが大好きなので、美点も欠点も大事にして魅力的に描いていきたいです。


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第2話

魔法科高校入学試験をやったら、数問落として92点でした……(でも一科生)。書く時は毎回原作と照らし合わせているので、設定ミスは無いと思いますが。まだまだ魔法科の理解には精進が必要です。

みんなも入学しよう

https://mahouka.jp/exam/


 九島光宣を入れたくない(おそらく、これ以上の面倒ごとを抱え込むのはごめんなのだろう)ということで、新入生のスカウトをどうするかについて、簡単に話し合いが行われた。とりあえず、次席の七宝琢磨が適任だろうと決定。彼を生徒会室まで連れてきた。

 

「──こうしてお声がけしていただいたのに、お断りするのは心苦しいのですが。入学前から、部活を頑張ろうと決めていて。ちょっと、そのキャリアデザインをいきなり変えるというのは」

 

 琢磨の顔つきからは、まだ少し幼い印象を受けた。ただ、昔の銀幕スターのような太い眉毛が特徴的で、見る人が見れば「男前」と評価するかもしれない。それを自覚しているのか、少し気取ったような態度を取っている。要は芸能人ぶっていた。大してそんな有名でもないのに。

 

「そうですよね。いきなりお願いしたこちらが悪いですから。正直に言ってくれてありがとう。部活、頑張ってくださいね!」

 

 それでも、年相応の横柄さ。だからか、あずさは笑顔で彼の言葉を受け入れた。

 

「は、はい……」

 

 しかし、彼は少し焦った表情。どうやら、引き留められ待ちだったらしい。唖然とした顔のまま頷く様子は、側から見てだいぶ情けなかった。

 

「──さて、次は七草さんたちに声を掛けましょう。四葉くん、頼み事ばかりで悪いですが……彼女たちを呼んできてもらえますか? おそらく、真由美さんと一緒にいる筈ですから。五十里くんは、来賓の方に捕まっている司波さんを助けてきて下さい。えっと、後は……」

 

 先ほどのショックから立ち直ったあずさは、様々な指示を出していく。おれは言われたとおり、七草の双子を探しに部屋を出た。

 

(……有り得そうな場所は、カフェテリアとかか?)

 

 その推測は当たっていたようだ。カフェスペースを覗くと、目当ての人物はすぐに見つけられた。しかも、意外な人物まで混ざっている。

 

「……司波達也? なんでここに」

 

 七草姉妹と一緒に、何故かコーヒーを飲んでいる達也。結構、良い感じで場に馴染んでいた。

 

「深雪待ちだったんだが……。七草先輩が声をかけてきた」

「人のせいにしないでよね! わざとここに座ってお姉ちゃんに色目を使ってたんでしょ!」

「ええっ! そうなんですか、司波先輩!?」

 

 双子の1人が達也に指を突きつける。そして、もう1人がわざとらしく驚く。見事な連携プレー。遠目からは和気藹々とした会話に見えたが、単なる揉め事だったらしい。おまけに、かなりくだらない内容の。

 とはいえ、あり得なさすぎる。仮に、達也が真由美を誘惑できるほどに感情が復活しているのだとしたら……分家当主らはショックから泡を吹いて倒れるだろう。まぁ、それはそれで少し見てみたいが。

 

「もう! 2人ともいい加減にしてちょうだい! ──ごめんなさい、夜久くん。何か用事があったのでしょう?」

「その……七草さんたちを生徒会室に招待するように、と会長が」

 

 それだけで事情を呑み込んだのだろう。三姉妹は顔を見合わせて、さっと視線を交差させた。彼女たちだって、光宣の答辞は目撃していたに決まっている。

 

「……なるほど。それなら、私が連れて行くわ。あーちゃんとも話しておきたいし。──わざわざありがとう。折角だから、貴方はコーヒーくらい飲んでいって」

 

 真由美はそう言うと、おれの返事を聞く前に端末を操作し始めた。そして、妹たちを「行くわよ!」と急かし、さっさとこの場から去っていってしまう。残されたのは、おれと……達也。

 だが、別に話すこともない。彼を置き去りにして、カウンターへとコーヒーを取りに行く。しかし、戻ってきてもテーブルにはまだ達也がいた。

 

「おい。……遮音シールドを貼れるか?」

 

 そして、いきなりこの要求。無視しようかと思ったが、黙ってCADに手を伸ばす。彼が何の話をしようとしているのか、少し気になったのもある。

 

「お前も見ただろう? 九島の末息子を」

 

 魔法が発動するや否や、本題に入る達也。やはり、例の話題を出したかったようだ。

 

「なかなかだったな。『魔法師は兵器である』とは。現状、そういう現実があることは否定しないが」

 

 戦局を大きく変え得る魔法師を、兵器と呼ぶ人はいくらでもいるだろう。特に目の前にいる男はきっと、今までも多くの人々にそう呼ばれてきた筈だ。

 

「……だからといって、そのまま受け入れるつもりは無い。どこまでいっても、魔法師は人間だ。俺はそれを信じている」

 

 前にも、似た話を聞いた覚えがある。彼にとって、譲れない一線なのだろう。詳しい事情は分からないものの、人を悼む「匂い」がまた感じ取れた。

 

「俺の意見は置いておくとしてもだ。あの、九島光宣……かなり厄介だ。何と言っても」

 

 そこで、達也は一度言葉を切る。数秒置いて、再度口を開く。

 

「……パラサイトなのだから」

 

 パラサイト。新年から2月後半にかけて、日本を騒がせた「吸血鬼事件」の元凶。人を「人ならざるもの」へ変貌させる妖魔。

 

「根拠は?」

 

 達也は黙って自分の目を指す。「精霊の眼」で見たらしい。脳に増設された器官を「視た」のだろう。

 

「彼は数ヶ月前まで病弱だったことは、既に確認している。つまり、都内での調査に参加していない。事故の訳がないんだ」

「いくら不自由な身体から逃れたくても、意図的にパラサイトを取り込もうとするとは……。とんでもないことするな」

 

 最初の時点で除外していた推測。それこそが答えだったのだ。

 

「恐らくだが。お前たちの影響が大きいだろうな」

「おれたち?」

「あぁ。お前と……森崎だ。お前たちは、パラサイト化のメリットを可視化してしまった」

 

 魔法力の上昇や自己回復能力のことを言っているのだろうか。そう尋ねるが、彼は「いや」と首を横に振る。

 

「それだけじゃない。『取り返しがつくかもしれないもの』という、楽観的な視点を与えてしまったことの方が重大だ」

 

 駿はパラサイトに取り憑かれたあと、何とか人間に戻ることができた。正確には、おれが「人間」と定義したのだ。その情報は、一部に伝わってしまっている。しかも、都合の良い形で。

 

「そんな訳ないだろ! あんなの……結果論だ」

 

 奇跡的に、精神体がパラサイトに侵食されていなかったゆえに、何とかなっただけだ。殆どは「人外」に成り果てたケースばかり。精神構造を破壊してしまうと、そのまま廃人になるだけ。

 

「正常性バイアスだ。誰だって『自分だけは大丈夫』と思い込むもので、それは九島だって例外じゃないのさ」

「まぁ、大丈夫そうではあるが……今のところ」

 

 少なくとも、人を襲ったりはしていない。精神的には安定していそうだ。

 

「その通り。今のところ、だ。どうせ……色々と面倒なことが起こるのは目に見えている。お前も警戒くらいはしておくんだな」

 

 カップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、達也は席を立つ。どうやら、忠告が目的だったらしい。

 

(……まだ、パラサイト問題は解決していない)

 

 残されたおれは、まず障壁を解除する。遮断されていた喧騒が、再び耳に入ってきた。ゆっくりとコーヒーを飲む。まだ温かい。とりあえず、今だけは現実を忘れたかった。

 

 

 

 

 

 

 式の後、光宣は自身の所属するA組へと足を運んでみた。だが、まだ教室に人はいない。彼は主席ゆえ、先にIDカードは貰っていた。だから、カードのために事務局で並ぶ必要が無かったのである。

 

(早く来過ぎちゃったかな……。みんなと交流したかったんだけど)

 

 以前の彼は、殆どベッドの上で生活していた。学校も休みがちで、友達らしい友達もいない。こうして、イベントに出席できるなんて初めてのこと。楽しみ過ぎて、昨日は眠れなかったほどだ。

 

「──あっ! こんにちは!」

 

 廊下の方から話し声がする。嬉しくなって、部屋から飛び出してゆく。そこには、女子生徒が2人いた。緊張するし、最初は男子がよかったな……と思いつつ、そんな贅沢を言ってはいけないと彼は思い直す。

 

「初めまして! 僕は九島光宣です。今日、挨拶してたから知ってるかな。これから仲良くなりたいな、よろしくね。君たちもA組?」

 

 ここまで一気に話してから、ハッと我に返る。自分だけがたくさん喋ってしまった、と。これでは向こうが話せない。にこりと笑いかけ、内心の焦りを誤魔化す。

 

「……わ、私たちもA組ですけれども。九島家の御曹司と気軽に仲良くするなんて、そんな……! 畏れ多いです!」

「え、えぇ……その通りです! 私たちはこれで失礼させていただきます! ごめんなさいっ!」

「あ、待って……」

 

 引き留めも虚しく、彼女らは足早に立ち去ってしまった。

 

(コミュニケーションって、難しいなぁ……)

 

 光宣はこう思っているが、彼が避けられる理由はもちろん別。「魔法師は兵器」と臆面もなく言い放つ人物と、お近づきになどなりたくなかっただけに過ぎない。

 彼はそれを理解していなかったから、この後も何人もの新入生に話し掛けて……逃げられることを繰り返した。流石に落ち込んでしまい、自分の席でしょんぼりと項垂れる。

 

(みんな「自分なんかが……」って遠慮しちゃう。いくら僕が「九島」の血を引くと言っても……同じ魔法師ではあるのに)

 

 もう帰ろう……そう思い、光宣は端末の電源を落とす。そのとき、教室に1人の男子生徒が入ってきた──七宝琢磨だ。彼は部活見学に行っていたため、被害者らの「九島光宣に気をつけろ」というアドバイスを耳にしていなかった。だから、無防備に教室へと顔を出したのである。

 

(そうだ、彼は……)

 

 光宣は、琢磨が「七宝家の長男」だということを思い出した。彼ならば、家を見ずに自分を見てくれるのでは……と希望を見出す。

 

「やぁ! 僕は九島光宣。同じクラスなんだね。これからよろしく!」

 

 琢磨が光宣の方へ顔を向ける。返事が返ってくるまでの時間すらも、彼にはもどかしく感じられた。やっと、やっと……最初の友達ができる!

 

「よろしくする気はない」

「えっ……」

 

 信じられない答えに、光宣は耳を疑う。

 

「俺は学生生活を楽しむ為に入学などしていない。自分を高めるため、ここにいる。友達ごっこなら、他とやってろ」

「そんな……」

 

 想定外の展開。てっきり「あぁ!よろしく!」といった、爽やかな返事が返ってくると思っていたから。病床で暇つぶしに読んでいた物語では、そういった出会いのシーンをたくさん見た。

 

「他の人じゃダメなんだ! 君じゃないと……」

「な、何だ? 急に……」

「みんな、すごく気を遣ってくるんだ。僕が『九』だからかも」

 

 友達になって欲しい理由を率直に伝える。ここで退く訳にはいかないから。

 

「あぁ。なるほど……」

 

 琢磨は事情を聞き、合点のいったと言わんばかりの表情。あともう少し。期待から光宣の顔も、みるみる喜色を湛える。

 

「どちらにせよ、お前と関わるつもりはない」

「どうして……?」

「それくらい自分で考えろ。──俺も忙しいんだ。帰らせてもらう」

 

 また、教室の中でひとりぼっち。これでは、ベッドの上にいた頃に変わらない。

 

(七宝くんは「自分で考えろ」と言った……。逆に言えば、彼はもう答えを知っているんだ。何だろう?)

 

 逆算して考えてみる。自己研鑽こそ入学した目的だ、と琢磨は話していた。ならば、こちらの意識が低すぎるという指摘なのだろうか……。

 

(確かに。親元を初めて離れて、浮かれすぎてるところがあったのかも)

 

 パラサイトを取り込んだことで、やっと手に入れた健康な身体。少々無茶をしても、反動も来ない。そんな些細なことが、自分にとってはどれだけ嬉しいことか。

 

(お祖父様は、最後までお父様の計画に反対していたけど……)

 

 光宣に健康体にするためのアイデアは、現当主の真言が思いついたものだ。師族会議で共有された「森崎駿のパラサイト化」。強い魔法師を作り出す──そんな九島家の悲願を叶えるために出てきたような情報だった。魔法力の上昇と、自己回復能力。パラサイトという最終パーツがあれば、九島光宣という「作品」の欠陥をこれで補える。

 しかし、孫を溺愛している烈はそれに猛反対。何度も「光宣が不憫だ」と繰り返した。

 

(僕だって、お祖父様が大好き。一番優しいし。でも、あの人はいつだって僕の気持ちを分かってくれないのも……事実)

 

 烈はいつも光宣に言う。「魔法が、人の人生を狭めることなどあってはならない」と。

 

 ──光宣。魔法師は、兵器などではないのだよ。

 

 その言葉は、呪いのように心を蝕んだ。綺麗事を言うのは勝手だ。でも、自分はずっとずっと人生の選択肢を狭められていた。他ならぬ、魔法の才能によって。

 

(自分の力を十全に使える居場所を望んで、何がいけないの? 僕は才能を評価して欲しい。だったら、兵器でも構わないんだ)

 

 とはいえ、その自己犠牲的な考えが少数派なことも理解している。だからこそ「権利」を主張したい。兵器であることからは逃れられないと思いつつ、祖父の言うことも少しは分かるのだ。

 

(魔法師は、魔法に囚われて生き続ける。でも、魔法で不幸になっちゃうのは違う。みんなが幸せになれたらいいのに……)

 

 苦しみばかりの人生なんて、間違っている。きっと素晴らしい生き方があるはずだ。もっと自由で、恵まれていて、楽しい世界が──自分の人生だけでなく、他の誰かの人生だって救いたい。救ってみせる。光宣は、そう決意を新たにした。



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第3話

 おれも魔法師だから、たまに考えることがある。魔法師であることは、価値があることなのだろうかということ。

 多分、価値はあるのだろう。能力があるからこそ、好き勝手できている事実。それを自覚していない訳ではない。どれだけ癇癪を起こして暴れても見捨てられなかったのは、やはり「精神構造干渉」の使い手だったゆえ。その魔法抜きにしても、退学から普通に復帰できた。実家のネームバリューで。そういう点では、優秀な魔法師というものは「自由で楽な人生」を送っているように……見えるのかもしれない。

 

(とはいえ、おれの人生も大して良いものではない。……それでも、魔法師に生まれて良かった)

 

 この世界に生きる人々は、誰だって自分だけの苦しみを実感しながら前へと進む。魔法師も非魔法師も。だけど、魔法師はきっと……社会の中でも「運が良い人たち」だ。そういう側面は、どうしてもある。

 だからといって、全てを楽に手にしてきた訳じゃない。友達も、生き方も。悩みながら、自分の意思で掴んだもの。迫り来る苦難を幾度も乗り越えてきた。美しくない人生を歩んでいる。でも、魔法の才能は、何事も簡単そうに見せてしまう。白鳥が水面下で脚をばたつかせていることを、よく忘れられがちなように。

 仮に魔法師が兵器として生きることでより良い特権を得られるとしても、それを幸福だと認識するべきではない。努力が必要だとしても、自分の人生は自分で選びたい。

 

(だって、お膳立てされた未来を自由とは呼びたくないから)

 

 そう思いつつ、おれは目の前の少年を見遣る──九島光宣、現在の第一高校における台風の目だ。彼は、唐突におれの教室に押しかけて来ていた。

 

「──僕、まだちゃんとした友達が出来ていなくって。四葉先輩に学生生活のコツとか、貰えれば良いなぁと思ってるんですけど」

 

 妙なところで豪胆さを発揮している。ある意味、大物なのかもしれない。

 

「へぇ。何でおれに?」

「退学処分を受けてから復帰するという特殊な経歴でも、生徒会役員として活躍されてますし……」

 

 やりたくてやってる訳ではない。脅されただけだ。具体的に何をすべきか思いつかないが、十文字克人に脅迫されるようなことをしてみたら良いのではないだろうか。

 

「とりあえず、デカい声で『魔法師は兵器だ』と言うのは辞めたらどうだ?」

「なんでですか?」

「自分の意見を表明することが、必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。おれはそれを知っている」

 

 魔法師社会は差別的ですよ!と大騒ぎしたことだけが理由という訳ではないが、人にも避けられがちだ。余計なことというのは、基本しない方が良い。デメリットを呑める度胸が無い限りは。友達が出来ないことがそんなに嫌なら、態度を改めた方が早いだろう。

 

「でも、事実ですよ! その上で……僕は皆が幸せになれる未来を探したい。分かってくれる人は絶対います」

 

 魔法師を兵器呼ばわりすることで、気を悪くする人は少なくともいる。達也ですら、そうなのだから。

 

「いるといいな。まぁ、頑張って探せよ」

 

 話は終わりと伝えるべく、手を振って追い返そうとする。

 

「──夜久、購買でサンドイッチ買ってきたぞ。昼飯もたまには簡単で良いだろう。4月の食堂は混むしな」

 

 間の悪いことに、駿が教室に戻ってきた。「好き勝手やらない方が良い」というアドバイスの反例。迷走していた入学時からの大親友。

 

「じゃあ、四葉先輩には何で友達いるんですか?」

「ブフッ!」

 

 たまらず、駿が噴き出した。笑っている場合ではない。

 

「……運が良かったから」

 

 ただ、これに尽きる。魔法至上主義という考えに、奇跡的にも共鳴する人間が現れただけ。愛梨だってそうだ。おれが一色傍系の血を引いていたから、関わる理由が知らぬうちに生まれていた。そこから、関係性を深めたことだけが努力だ。

 

「それなら、僕もチャンスを掴めるまで粘ります。自分のことを理解してくれる友人を見つけるためにも」

 

 好きにしたら良いのではないだろうか。案外、どこかで見つかるかもしれない。しかし、その純粋さは「本当に悪い大人」の餌食になる気もした。とはいえ、おれには彼を止めることなど出来ない。何を言っても、説得力には欠けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 4月最初の授業は、オリエンテーションばかりで面白くも何ともない。休んでも良かったなと思いつつ、帰りの用意をしていると2年A組の教室にまた後輩が訪れた。でも、光宣ではない。七草の双子の片割れ……泉美だ。

 

「あら、泉美ちゃん?」

「深雪お姉様!」

 

 泉美は嬉しそうに深雪の元へと駆け寄った。詳しい経緯は知らない(その時、コーヒーを飲んでいた)が、何故か彼女は深雪を「姉」と呼び慕い始めた。元より姉がいるというのに。もしかすると、疑似家族のような特殊な関係性を構築したかったのかもしれない。深雪はどう思っているのだろう。

 

「まぁ、どうかしたの? 一緒に生徒会室に行きたかった?」

「それもあるんですが……。あっ、良かった!──四葉先輩、お疲れ様です」

 

 彼女は何故かおれの席までやってきた。今日は来客が多い日だ。

 

「あぁ、お疲れ。書記になったんだって? これからよろしく」

「えぇ、よろしくお願い致します。せっかく、お近づきになれたということで……今度、姉や妹たちと一緒にちょっとしたティーパーティを開くのですが、先輩もいかがですか。森崎先輩もよろしければ」

 

 七草家はイベントごとが好きだ。完全に鎖国状態の四葉と違って、社交的な家風なのである。ゆえに、子供たちだけでパーティーの幹事をすることも多いと聞いたことがあった。

 

「他にも、一緒に参加したいご友人がいらっしゃるのであれば……もちろん、大歓迎ですわ」

 

 三姉妹主催のイベントに、おれをわざわざ招く意味。真由美から継承した「対四葉夜久融和路線」のアピールなことは明らか。教室という目立つところで声をかけ、噂になることまで計算に入れた行動だ。

 

「ありがとう。都合を確認して、また連絡させてもらう」

 

 端末を取り出し、お互いの連絡先を交換。少し迷ったが、深雪たちと一緒に生徒会室へ向かうことに。このくらいのパフォーマンスで、今年度の平和が確約されるのならば安いものだ。

 

 

 

 

 

 

 4月も半ば。泉美が生徒会の仕事をぼちぼち覚えつつある中、双子の姉の香澄はある人物に絡まれていた。彼女は風紀委員なので、担当がない日は比較的暇だった。

 

「こっちはアンタと話すことなんか無いんだけど。……七宝」

 

 初めての高校生活。何もかもが新鮮に思えて、あちこち校内を歩き回っていたのが仇になった。泉美を待たずに早く帰ればよかった……香澄は歯噛みする。

 

「お前に無くても、俺にはあるんだな。──上手く取り入ったものだな、七草も」

「は?」

「四葉夜久だよ。退学させたのは七草家なのに、彼が四葉だと分かった途端に擦り寄るなんて無様過ぎるな」

「何それ」

 

 直接目にした訳ではないから、退学処分に至った経緯までは知らない。ただ、お互いに良くないところがあったという認識が落とし所な気もする。大人の話では「面子」なり何なりが絡んで面倒になっているが、子供側の視点ではそこまで遺恨の残るようなことではない。だからこそ、真由美も非公式に謝罪をしたのだ。「退学にするまでのことでは無かった」と思って。

 

「別に仲良くするつもりはないよ。ただ、同じ十師族直系だからこそ……最低限の交流は必要だろうってだけ」

 

 本音を言えば、夜久はそこまで関わりたくないタイプだ。今でこそまだ大人しいが……退学前は本当に言動が凄まじかったという。とにかく、問題行動の連発。

 

 入試の点数は、前代未聞の筆記0点。

 異例の指導教員入れ替え騒ぎ。

 不適切な魔法行使(CADなしで無系統魔法を発動した)によって、複数人のクラスメイトが失神。

 

 これだけでも酷いのに、新入生勧誘期間のエピソードは悪質さがダントツ。実技1位の実力を買われ、夜久は複数のクラブからスカウトされた。その際に、彼は「1番高い値段を出したところに入部する」と言い放ち、合計で20万近くのマネーカードを受け取っていたのだ。発覚したのは、部員の中から密告者が現れたから。

 この事件は、風紀委員会や懲罰委員会どころか、職員室まで駆り出される大騒ぎになった。その時点で、退学処分という話も上がってはいたようだ。新入生かつ実技1位という、将来有望な魔法師の卵である点を加味されて許された。類稀なる魔法の才というのは、いくらでも無理を通してしまうものなのだ。

 

(もしかしたら……次の四葉家当主かもしれないしなぁ。ボクとしても、揉め事は避けたいところだよ)

 

 秘密主義の四葉が、わざわざ外部に公開したのだ。ほぼ、彼が次期当主で確定なのではないか。界隈ではそう予測されている。

 父の弘一は良いだろう。このまま、四葉に対する強硬路線を貫いても。でも、それで損をするのは自分たち下の世代だ。子供の喧嘩ではもう済まない状態で、短絡的な人間から恨まれたりなどするのは怖い。

 もちろん、森崎駿や一色愛梨、一条将輝など……夜久に好感を持っている人物はいる。全く話が通じない訳ではないのだろう。とはいえ、駿は夜久が「四葉直系」と発覚する前からの仲。愛梨と将輝は、横浜事変における戦友の間柄。交友関係が維持できているのは、割と特殊なケースだ。

 

「……それは嫌味か?」

 

 香澄の脳内で広がっていた思考を断ち切ったのは、琢磨の不機嫌そうな声。

 

「どういうことよ?」

「わざわざ、これ見よがしに『十師族直系』を強調するとは。師補十八家を見下す態度が滲み出ていないか?」

「意味わかんない。ヒス? 病院行った方がいいよ」

 

 揚げ足を取られてばかりで疲れる。香澄はうんざりして、ため息をついた。

 

「俺は至って健康だ。心配してもらう必要はない。まぁ、残念ながら。今は立場に差があることも……ちゃんと理解しているよ、俺も。──だからこそ」

 

 お前たちは九島光宣とも関わるべきなんじゃないか? 十師族直系は最低限の交流をした方が良いんだろう?

 意地の悪い表情を浮かべ、琢磨はそう言う。もちろん、この意見は単なる嫌がらせである。しかし、一応筋は通っていた。だから、香澄も言葉に詰まる。

 

「……そうかもね。アンタみたいな人間に比べれば、光宣くんの方が100倍マシかも。──もういい? こんなくだらない話、いつまでもしたくないから」

 

 だが、ここで言い負かされたくなどない。見え透いた挑発と分かっていたものの、香澄も負けじと言い返す。今でこそ暴走しているが、昔の光宣はおとなしい少年だった。彼女の中では、未だそのイメージが強い。

 

「あぁ、構わない。呼び止めて悪かったな」

 

 それに対し、鷹揚に頷く琢磨。いきなり態度が軟化したので、香澄は内心で疑問を抱く。だが、そこを突いて会話が長引くのも嫌だ。さっさと撤退するに限る。彼女は足早にこの場を去った。

 

(七草は……うん、いなくなったな)

 

 琢磨はそっと周囲を確認する。そして、スラックスのポケットを探る。小さな機械が2つ。録音装置とワイヤレスイヤホンだ。イヤホンを耳に刺し、彼は録っていた香澄との会話を聴き直す。

 

 ──ヒス? 病院行った方がいいよ。

 ──アンタみたいな人間に比べれば、光宣くんの方が100倍マシかも。

 

 この発言がしっかり記録されていることを確認し、彼はほくそ笑む。

 

(これを上手く使えば、七草の評判を下げられる……! ざまぁみやがれ!)

 

 彼は現在「ある人物」の協力者になっていた。こうした魔法とは別アプローチの工作方法も、そこでアドバイスされたこと。中学までは魔法力の研鑽ばかりに固執していたため、それらは目から鱗の学びであった。

 

(ただ、その対価として「あのお方」の期待に応えなければ。まずは……ちゃんと力をつけないと。九島光宣を始末するために)

 

 あのお方というのは、元老院四大老が一角──樫和主鷹である。十六夜調と、その弟の鳴が死亡で離脱したため、樫和派は早急な戦力補充を必要としていた。そこで目をつけられたのが、琢磨なのである。「ミリオン・エッジ」という遅延術式を使う彼は、古式魔法特有のルールにもまだ馴染みやすい。スカウトされたのには、そうした理由もあった。

 

「……頑張るぞ」

 

 都内を騒がせていた吸血鬼事件。その元凶である「パラサイト」が、九島光宣に取り憑いているらしい。この国の安寧のためにも、対処する必要がある。ただ、まだ自分の実力は足りない。血の滲むような努力が必要だ──機械をポケットにしまい直し、自分に喝を入れた。



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第4話

 週末、おれは愛梨の試合を見に金沢へと出かけていた。彼女から招待されたのである。しかし、正直なところ、今まで「リーブル・エペー」など興味もなかった訳で。ルールひとつ知らない。ただ、ありがたいことに解説役を買って出た人物がいた。

 

「やぁ。元気にしていたか?」

「久しぶりだな。将輝」

 

 リニア特急が停車する金沢駅。そこにいたのは、一条将輝。待ち合わせ場所はもう少し離れた場所だった筈だが、結局改札近くで待っていたらしい。

 

「──彼が例の?」

 

 同行者はもう1人。将輝の友人である吉祥寺真紅郎。かの有名な「カーディナル・ジョージ」だ。どことなく、利発そうな見た目をしていた。

 

「そうだ。一高で悪い意味で伝説を残している、例の四葉家直系さ──コイツはジョージ。前も話したように、結構面白いやつだ」

「吉祥寺真紅郎です。よろしく。……将輝がお世話になってます」

 

 簡単な挨拶を済ませつつ、競技場へと向かう。チケットを受付で見せると、一般用の観戦席ではなく、関係者用のスペースへと通された。少し奥まった配置だが、一般のスタンド席とは違って、ゆったりとした座席が用意されている。

 

「夜久くん! 来てくれたのね」

 

 試合前だというのに、愛梨はわざわざこちらに顔を出してくれた。既にユニフォームに着替えており、気合いは十分そうだ。

 

「あぁ……試合、勝てそうか?」

 

 彼女に何を言うべきか、行きのリニアでずっと考えていた。「頑張れ」とか「お前なら大丈夫」とか。とはいえ、そもそも競技について詳しいことをおれは知らないのである。結局、本人に調子を尋ねるくらいしかなかった。

 

「えぇ! 今日はとっても勝てる気がするわ!」

 

 来てくれてありがとう!と彼女は言い残し、駆け足で去っていく。試合前のスケジュールはだいぶタイトなようだ。それでも、何とか時間を捻出したのだろう。

 

「……驚いた。一色さんがあんなに穏やかなんて」

 

 吉祥寺が意外そうな表情を浮かべていた。それを聞くだけで、愛梨の評判が何となく分かるというものだ。

 

「愛梨さん、夜久には割とあんな感じなんだ」

「今日は機嫌が良いだけだろ、別に……。気が強いのは元からだしな。おれにもそこまで変わらないぞ」

 

 おれと愛梨は、夢中の先で出会えると確信している。おれには四葉の問題があり、愛梨にも彼女の抱える問題(家庭内でいざこざが発生しているのは、何となく分かっていた)があった。お互い、何とか解決しなければならないだろう。それは途轍もない努力を必要とするし、自己疑念にも満ちた道筋に違いない。

 

 ただ、己を信じて前進し続けることで……苦しみだらけの人生を美しくできる。その決意を共有したことで、今「共依存」を抜け出した。誘拐された精神的ショック、欲しかった愛を貰えなかった哀しみ──それらを「大人のフリ」で埋める必要が無い。おれたちは、幻滅されることを恐れず……自分らしくいることが出来る。

 

「──そうかのぉ? 少なくとも、愛梨はおぬしを特別視している気がしておるよ」

 

 いきなり会話に入ってきたのは、ロングヘアの少女。ちなみに、全く面識はない。

 

四十九院(つくしいん)さん」

「なんだ、来ていたのか」

 

 だが、2人は彼女をよく知っているようだ。三高生なのだろうか。

 

「もちろん! 愛梨の『大親友』のわしらが応援しないなど、ありえまいて? なぁ、栞?」

 

 少女──四十九院の背後には、もう1人いた。彼女は、気怠げに髪をかきあげつつ答える。

 

「まぁ……そういう意見もあるわね」

「つれないのぉ。──初めましてじゃな、四葉夜久。わしは四十九院沓子(とうこ)。白川の流れを汲む古式の人間じゃ。こちらは……」

「自己紹介くらい自分で出来るわ。……十七夜(かのう)栞よ。あまり関わりたくは無いけれど、よろしく」

 

 明るい四十九院に比べて、十七夜はこちらに一線を引いているようだった。まぁ、後者の方がそれらしいだろう。「四」を前にした態度としては。

 

「気にせんでくれ。この子は、愛梨を取られたと思って……拗ねてるだけだからの」

「ちょっと……バカッ! 沓子ってば! ──別にそんなんじゃないわよ」

 

 こちらを見て、念を押してくる十七夜。ちょっと面白かった。

 しかし、いつまでも騒いではいられない。試合が始まるからだ。会場スタッフに促され、席に着く。将輝や四十九院の説明を聞きつつ、試合を観戦する。幸い、愛梨の出番は後半(シード権を持っているらしい)。だから、ルールを理解した状態で観ることができた。

 

「──歯応えのない相手ばかり。つまらなかったわ」

 

 試合後。相手選手が聞いたら怒り狂いそうなことを言いながら、彼女はおれたちの前に現れた。

 

「……愛梨っ! 優勝おめでとう!」

 

 十七夜が勢いよく愛梨に飛びつく。彼女も先程までは、クールな雰囲気を纏っていた。それが一変。そこそこ驚いたが、周囲はあっさり受け入れている。いつものことなのだろう。

 

「えぇ、当然の結果よ」

 

 自信満々の愛梨は、完全に普段通りだ。彼女は十七夜から身体を離し、視線を一瞬彷徨わせる。そして、こちらを見た。

 

「貴方の応援もあったし」

「うん……おめでとう」

 

 勝利を呼び寄せたのは、単に日々の努力だろう。それでも、彼女が「貴方のおかげ」と言う意味。理解できない訳がなかった。

 

「──おぉ、青春じゃ! 一条は羨ましいんじゃないか? 可哀想に。おぬしにはちっとも春が来ぬのぉ……茜ちゃんですら、もう恋に生きているというのに」

 

 四十九院はニヤニヤした顔を隠さないまま、将輝に水を向けた。

 

「茜にはジョージを渡さない! 俺はずっと反対している!」

「ま、将輝!?」

「どうして、アンタは吉祥寺側に立っている訳? 普通、妹側じゃない……?」

 

 しかも、話はえらく迷走していた。主に将輝のせいで。

 おれも十師族の家族構成くらいは覚えているから、茜というのが一条家の長女だということは分かる。確か、中学生だった筈だ。

 

「はいはい、馬鹿話はこれくらいにして……。──ねぇ、栞。貴女、何か相談事があったのよね?」

「実はそうなの。ちょっと、自分だけで抱えるには不安なことだから……皆に聞いてもらおうと思ったんだけど」

 

 彼女はそう言いつつ、おれをチラリと見た。話して良いものか、決めかねているのだろう。それに気づき、将輝が口を挟む。

 

「夜久のことを心配しているなら大丈夫だぞ? 今のコイツは『四葉』を名乗っているからな。何かあれば、師族会議を通して書面で抗議しよう」

「まぁ、それなら……」

 

 安心のさせ方が強引過ぎるが、彼の言う通りでもあった。秘密主義で鎖国方針の四葉とはいえ、魔法師社会と完全には切り離せない。他の家から正式な問い合わせが来れば、きちんと対応する義務が生じるのだ。

 ただ、義務そのものはお母様にある。おれではない。一応、メチャクチャなことをしても構わないのだ。そもそも、やるつもりなどはないが。興味もないし……まず、十七夜の不利益になるようなことをすれば、愛梨には確実に愛想を尽かされるだろう。「ありのままの自分を見せる」というのは「好き勝手して良い」ということと、まるで異なるのである。

 

「早速、移動しよう。馴染みの料亭があって、そこの一室を空けてもらっている。夕飯ついでにどうだ?」

 

 元々、夕食に招くつもりだったようだ。おれも自宅で1人食事するよりはずっと良いので、一も二もなく頷いた。

 一条家の御用達だけあって、料理の味はかなり良い。腹もくちくなったタイミングで、栞はテーブルを一度見回し……話し始める。

 

「先日、私の元に『深見』という男が接触してきたの」

 

 接触、といっても……やりとりはメッセージで行われたらしい。そのログを端末に映し出してくれた。内容を簡単にまとめると、このようなもの。

 

 貴女は「数字落ち(エクストラ)」であることに不満が本当にないのか?

 一色や一条……我々を出来損ないと切り捨てたやつらと行動を共にして満足か?

 自分は少なくとも不満がある。もし、それに共感してくれるのならば……共に立ち上がって欲しい。

 

 深見というのは「二」の数字落ちだ。そして、自分たちを迫害した社会に……強い憎しみを抱いている。

 文面からもありありと伝わる負の感情に、この場にいる全員が顔を強張らせていた。

 

「ごめんね。私自身は、もう何も思っていないよ。正確には『そんなこと考えたくない』かも。名前を捨てた時に、過去も捨てた……それで良いじゃない」

 

 十七夜はそう言うが、いくらなんでも「はいそうですか」で受け止められることではなかった。また、彼女がおれを警戒した理由にも納得できる。それだけ、魔法師社会に「数字落ち」の経緯は昏い陰を落としているのだから。

 

「栞……」

「本当にそう思っているのよ、嘘じゃない。──ただ、もっと気になったことがあって。この深見という人物……自分なりに調べてみたのだけど」

 

 こうして話しながらも、彼女の表情はどんどん硬くなる。

 

「だいぶ厄介よ」

「何がじゃ?」

 

 返事の代わりに、端末の画面が切り替わった。それは、公安の非公式資料。入手はそこまで難しくないだろうが、百家がよく見つけ出したものだ。

 

「特殊な事情があったみたいで、表には出ていないけれどね。とはいえ、当局のアーカイブには残っているの。『進人類フロント』のメンバーとして」

「えっ……。確か『進人類フロント』って、魔法至上主義の過激派組織じゃなかった?」

 

 真っ先に吉祥寺が声を上げた。すぐ記憶を引き出せるあたり、頭の回転が速いことが窺える。

 

「俺も聞き覚えがある。一昔前は、よく名前を耳にしたが……。当局の粛清によって、すぐ解体されたと聞いた」

「表には出てないわよね? よくある話とはいえ……どうしてかしら」

「おれは知ってるぞ」

 

 その疑問に答えるべく、口を開く。実のところ、この場の誰よりも「進人類フロント」については詳しい自信がある。全員の視線が、こちらへと向けられる中……説明を始めた。もちろん、話せる範囲に留めてはいるが。

 

 おれと、かの団体の間には、複雑な事情が絡んでいるのである。進人類フロントは、それなりに勢力を拡大していた。なぜなら、背後に「元老院」がついていたから。社会にしぶとく根付く反魔法主義者に対して、カウンターとして用意した刺客たち。潰されるはずがない。

 だが、元リーダーの岬寛──彼も「三」のエクストラだ──は、うっかり「津久葉夜久」にオファーを出してしまった。同情の余地はある。まさか、四葉の係累だとは思うまい。

 

 中学に通わせて貰えず、不満だったおれは……もちろん誘いに乗った。当時の「進人類フロント」はアジトが都心にあり、遊びたい盛りのおれにはピッタリだったのだ。まぁ、案の定……一週間足らずで実家にバレた。お母様は黒羽だか新発田だかを動かし、一度彼らを解体に追い込んだのである。元老院側も責任を感じたのか、圧力をかけて……様々な工作を施したという訳だ。

 

「情報がすごい。頭が追いつかないぞ」

「えぇ、そうね……」

「まとめよう。──えっと、四葉は『魔法至上主義者』ゆえに、過激な団体にも目をつけられていたと。スカウトを受けて、面白半分に承諾した……。で、事態を重くみた四葉家が各方面に働きかけて工作を行った。だから、表に出回らなかった訳だね」

 

 おれの話を、吉祥寺が簡単にまとめた。元老院関連を端折ったので、四葉がだいぶフィクサー化しているが……概ねそんなものだ。

 新ソ連のニュークリア・マジック研究所での工作がすんなり進んだのも、元老院との取り決めで準備されていた案だから。「進人類フロント」が使い物にならなくなったため、別アプローチが必要だった。そのため、人造魔法師実験も前倒しになり、納期はもうメチャクチャだった……自業自得ではあるけれども。

 

「夜久くんの社会性の無さを突っ込んでいたら、もうキリがないわ。『十師族』と判明した以上、向こうも接触は避けるでしょうし。一旦、横に置いておきましょう。──でも、彼らは急に動き始めたのよね? 栞をスカウトしたりとか」

「なんというか……いささか変ではないか? 現状、反魔法主義の論調は落ち着いておる……彼らが再び結集し、暴れる必要など無いと思うがのう」

 

 愛梨や四十九院の疑問はもっともだ。

 だが、自分たちの持つ情報は少ない。今後も情報交換をして警戒しようという、ふんわりとした結論にしか着地出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 都内の有名ラーメン店。美味いものは、魔法師も非魔法師も関係ない。それゆえか、店内は多くの客で賑わっていた。

 

「良いんすか、深見さん。その……」

 

 テーブル席では、2人の人間が向かい合っていた。1人は琢磨、もう1人は……深見。彼は「進人類フロント」の──現在は「進人類戦線」と改名している──サブリーダーだ。

 

「『良い』とはなんだ?」

「いや……。俺、名前が名前ですから。メッセンジャーが俺で、お気を悪くされていないかなって」

 

 こんな多くの耳目があるところで、魔法関連の話題をハッキリとは出せない。随分とぼんやりした物言いになったが、深見は琢磨の言いたいことを容易く理解した。

 

「君の態度を見て、怒り出す人間の方が間違っているよ。私は何も無条件に憎しみを持っている訳じゃない。自分たちのルーツも忘れ、手にした能力で無邪気に驕り高ぶる人間を許せないんだ」

「そうですか……」

 

 ラーメンが運ばれてくる。「熱いうちに」と促され、琢磨は麺を啜った。

 

「あと、前任が最悪だったからな。それに比べれば、君は優しい心の持ち主だし……私も好感を持っている」

 

 死人の顔を思い出してしまい、深見は「ラーメンが不味くなる」と頭を振る。十六夜調は本当に嫌な「人間」だった。正直、死んでくれて嬉しい……彼はそんなことを思う。

 

「あ、ありがとうございます!」

「だが、前の奴は仕事については有能だったよ。今の君は……まだ実力不足だ。先生の道場には出入りしているのだろう?」

 

 琢磨を「仕事」に使える魔法師へと鍛え上げるべく、元老院は古式魔法の道場を彼に紹介したのだ。「先生」というのは、進人類戦線のスポンサーである樫和主鷹のこと。

 

「はい! 新しいことがたくさん学べて、毎日すごく楽しいです!」

「それは良かった。精進しなさい──ここは私が奢ろう。どうだ、餃子も食べるか?」

「いただきます!」

 

 嬉しそうに餃子を頬張る琢磨を見ながら、深見は彼に気づかれないよう小さくため息を吐いた。

 

(安易にパラサイトをばら撒かれないようにという理由があるとはいえ、再び「反魔法主義」を広げるなんて……。先生、そしてその背後の人々は何を考えている?)

 

 数字落ちは、社会の中でも少数派。だから、差別に対しての怒りを訴えても……なかなか聞き入れられない。酷く虚しいが、その現実を理解してもいる。ただ、深見は「非魔法師による、魔法師の人権侵害」についても、自分の抱える問題と同じくらい憂いていた。

 今後の深見が担う仕事は「世論のバランサー」。反魔法主義が跋扈する社会の中で、魔法師の権利を訴えるための……道化。全ての魔法師が、それぞれ何らかの場面で、有用な兵器であることを証明しなくてはならない。

 現在はその思想を忌避する魔法師も多いが、追い詰められた時には「兵器」である事実をもって社会に馴染むことを選ぶだろう。その手助けをするのだ。

 

(九島光宣もなぁ。我々とも意見は同じくするというのにな……。妖魔であるせいで、いずれは処分せねばならん。ままならないものだな)

 

 深見はもう一度、ため息を吐く。琢磨がこちらを見た。気付かれたのか、と内心動揺する。

 

「深見さん! どれも全部美味いっす!」

「そうか」

 

 単に感想を言いたかっただけらしい。今は食事に夢中な琢磨も……近いうちに、激動する社会に巻き込まれる。魔法師に生まれてしまったから。少しだけ、可哀想に思った。




Q.なんで三高メンツは夜久に好意的なんですか?
A.夜久は魔法が上手いから(金持ちの子供はだいたいなんか許される理論)。あと、一高生じゃないので直接被害に遭う可能性も低く、逸話を聞いても「やべ〜笑」で終わる。


追記:ふと考え直すと、この理屈だと九島光宣に友達できない理由が説明つかなくて、光宣がメチャクチャ可哀想になってきたので……。上の話はなかったことにします(後付け!?)
誘拐事件を解決したことを共有していたり、横浜事変では(嫌々)参戦したのが伝わっていたり、愛梨や将輝がそれなりに信頼を置いていたりするので「普通に引くけど、嫌な態度は出さないでおくか」の距離感なことにします。夜久と深い関係にあるのは、やっぱり森崎と愛梨だけですね。


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第5話

今回は少し短め。


 試合を見に行った次の日。優勝祝いということで、愛梨と2人で食事をしていた。近況報告はよくしていたが(九島光宣の奇行とか)、直接顔を合わせるのは久々だった訳で。会話はかなり弾んだ。

 

「──そういえば、七草家の三姉妹がティーパーティーに招待してきてるんだよな。行くのも違う気がして、断るつもりでいるんだが」

「まぁ、それが正解でしょうね。向こうも友好アピールに使っただけで、本当に来ると思ってないでしょうし」

 

 今まではそういう時、わざと行くようなタイプだった訳だが。それを話すと、愛梨は微妙な顔をした。

 

「……何とかなっていたのは、貴方が『四葉』を名乗っていなかったからよ。今やると、悪い展開に転ぶリスクの方が大きいわよ。夜久くんに悪気がなかったとしてもね」

「運が悪いと取り込まれる……ってことか?」

 

 地獄の道は善意で舗装されている、という言葉がある。別に真由美たちがそこまで悪事を巡らせているとは思わないが、誰かが彼女たちを利用することは出来るだろう。

 

「えぇ。洗脳なんてしなくても、何度も交流を図ることで……人の心を変えられるかもしれないでしょう? 味方でもない相手に、隙は見せない方が良いわね」

「まぁ、そうだよな……。学外で会うのはやめておこう──そう考えると、おれたちは運が良かった」

 

 人は最初から深い関係性を築くことなど出来ない。初めは誰もが思惑や損得を考えて、今後も関わっていくかを決定する。しかし、それが上手く行くかはギャンブル。だからこそ、賭けに勝てたならば……人生において、かけがえのない相手を見つけられたと言える。

 良家に生まれた子どもが、親に付き合う友人を決定してもらうこと。あれも嫌がらせという訳ではなく、先にある程度勝ち筋のある手札を選んでやることを意味する。それくらい、人間関係は難しいものなのだ。

 

「そうね」

 

 愛梨はにっこり微笑んだ。それを見ただけで、自分たちの出会いが正しかったことを確信させられた。この世界で巡り会えた奇跡を噛み締める。なんといっても、彼女はおれの運命を変える存在だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 自室のモニター前で、達也は1人考え事をしていた。

 今日、FLTに向かったときに耳にした「噂」について。出所は、馴染みの開発第3課ではない。本社の研究室だ。何故、そちらに顔を出したか……というと、父親──龍郎から仕事を命じられたから。大した内容でもなかったので、さっさと消化してしまうことにしたのだ。

 また、本社の研究員と達也の仲は別に悪くなかった。噂話を聞かせてくれるくらいには。自分も表面上は常識的な対応をしているし、本社の人間は出世争いに熱心だ。「重役の息子」に対して、あからさまに嫌な態度を取る筈がない。龍郎が外回りをして不在の時には、こぞって個包装の菓子などを手渡してくる。別に要らないが、黙って受け取っていた。そして、エリカやレオの口に入っている。

 

(在野でやっている魔法師強化プロジェクトへの補助金打ち切り……。それで、別の研究に補助を出すと。──まぁ、資金をドブに捨てているようなものだったからな。やめたくなるのも分かる)

 

 あれは四葉が人々に見せた「夢」だ。非魔法師や弱い素質の魔法師から、優秀な魔法師を作れるという夢物語。そもそも、司波深夜や四葉夜久も人造魔法師実験で「完全な魔法師」など作製できなかったというのに。ノウハウもない研究所で上手く行く訳がない。

 補助金を流すのは「安心を買っている」に過ぎない。嘘をつき続けるだけで、魔法師として生まれたことを「運が良い」と捉える人々を黙らせることができる。魔法協会や師族会議は、それを忘れてしまったのか。

 

(……しかも、こんな風にいきなり切り捨てられたならば。被験者が抱いていた「魔法への憧れ」が反転するんじゃないか?)

 

 一度好意を持ったものを否定する時、凄まじい負のエネルギーを必要とする……そんな人間の欠点を達也も理解していた。摩利に憧れてた壬生紗耶香が、反魔法運動に身を落としたように。また、同じことが起こる気がした。

 

(でも、俺が深刻になることでもないか。自分に必要な視点は、マクロではなくミクロ……「深雪の安全」を如何に守るかだ)

 

 そう結論付けて、達也はリビングへと戻ることにした。そろそろ、夕食の時間だ。今だけは、兄妹水入らずで平和な時間を過ごしたい。

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪が楽しく食事をしていた頃。

 七草家本邸では、来客があった。政治的な駆け引きで十師族の座をキープする七草家だから、人が訪ねてくること自体は珍しくない。ただ、今回のゲストは格が違う。なんといっても……あの「老師」九島烈である。

 

「先生、ご無沙汰しておりました。この度も、こちらから伺うべきだというのに、わざわざご足労いただいてしまい……」

「構わんよ、弘一。労力を費やすのは、暇人に任せた方が良い」

 

 弘一の書斎にて、師と教え子が向かう合う。だが、旧交を温めるのが今日の目的ではない。

 

「──聞いただろう。段階的にとはいえ、魔法師強化プロジェクトへの補助金を打ち切るという話を」

「えぇ、方々に手を尽くしたのですが……力及ばず。──研究を名目にしたパラサイトの不正利用防止という話では、流石に強く出れません」

 

 そう言いつつ、お互い貼り付けたような笑みを浮かべる。既に九島家は、パラサイトを一族の1人に植え付けているのだ。「妖魔を悪用しないようにしよう」という注意喚起は、あまりにも今更なものだった。

 

「それは仕方ない。……だが、あまり政治ごっこに拘泥するなよ」

 

 ごっこ遊びではないのだがなぁ……と、弘一は思う。魔法師にもある程度の政治力は必要な筈だ。とはいえ、肝心な時にそれが役立っていないのは指摘された通り。そう言われるのも仕方ないか、と思い直す。恩師とはいえ、所詮は他人の言葉。気にし過ぎるのも違う。

 

「軍主導の強化兵士プロジェクトなどは残るだろう。要は、以前の体制に戻るだけ。優秀な魔法師に対する憎しみだけ残してな」

「反魔法主義はぶり返すでしょうね……。四葉真夜の手品は、結局なんの意味もなかった」

 

 ニュークリア・マジック研究所の大規模事故は、一体なんだったのいうのだ……弘一は口を斜めに歪ませた。それを見て、烈があからさまに顔を顰める。遠回しだが、昔の許嫁を小馬鹿にする態度を咎めたのだ。

 

「……あれを手品と思うかね?」

「我々は夢見る非魔法師じゃないんですよ。先天的に魔法演算領域を持たない者が魔法師になるなんて『お話』を……そうか!」

 

 娘が寄越してきた報告がふと蘇る。「四葉夜久は『精神構造干渉』の使い手」と、真由美は言っていた。そもそも、彼は「四葉深夜」の子と公開されている。

 

「もしかして……『精神構造干渉』は魔法師を作れるんですか?」

「その認識は少し違う。もし、完全な魔法師を作製可能ならば、わざわざ『手品』のような工作は不要の筈だ」

 

 あえて完成品を見せびらかすか、あるいは技術を隠し通すか。方針は2択になるに違いない。そのどちらでもないなら、きっと「精神構造干渉」も万能ではないのだ。

 

「四葉夜久は、恐らく深夜よりも魔法が遺伝子に馴染んでいる。それでも、世界の道理を捻じ曲げるほどの力はない。研究上の価値は知らんが、社会的に大きな影響を与えるような魔法ではない筈だった……パラサイトが出現するまではな」

「なるほど。パラサイトに取り憑かれた魔法師に『精神構造干渉』を行使すると、優秀すぎる魔法師が生み出せるという……例の」

 

 森崎駿の経緯については、十文字克人からも調査報告を貰っていた。

 

「そうだ。四葉夜久の価値が上がってしまったのは、かなりの大問題だ。四葉はただでさえ過剰な戦力を持つというのに、魔法師を増やす技術が実用化すれば」

 

 弘一は冷や汗を流す。現状、七草家が四葉家に勝てているのは……自由に動かせる魔法師の数くらい。認めたくなくても、当主としてその事実は重く受け止めていた。

 

「真夜の息子は引き込まねばならんよ。儂の『人生最後の計画』のためにも」

 

 気になることは他にもあったが、何よりも聞き捨てならないこと。烈は、今なんと言った?

 

「ちょ、ちょっと待ってください……。彼は『四葉深夜の子』ではないんですか?」

「あれはブラフだ。昔に真夜本人から聞いたことがあるし、間違いない。──お前が辛い思いをすると思って、今まで言わなかった。すまなかったな」

「は、はい……」

 

 唖然とした顔で固まる弘一。そんな彼の肩に手を置き、烈は熱を込めて語る。

 

「ショックもあるだろう。だが、十師族の枠組みを壊さないためにも……まず、彼に『十師族の自覚』を与えねばならん。幸い、克人くんや……お前の娘たちが行動を起こしている。積極的に手助けしろまでは言わんが、邪魔をするのはやめておくことだ」

 

 四葉という共同体に代わる擬似家族。つまりは、十師族コミュニティに四葉夜久を取り込むことこそ、何より重要だろうから──簡単なアドバイスを伝え、烈は書斎の外に出て、使用人に声を掛ける。言いたいことは言い終えたので、さっさと帰ろうとしているのだ。

 その間も、弘一はずっとぼんやり宙を眺めていた。見送りもすっかり忘れて。

 

 

 

 

 

 

 生徒会に(無理矢理)入らされたことがきっかけで、同じ役員である面々とは最低限の信頼関係を築けていた……のだが、それが面倒ごとに繋がる要因になるとは思わなかった。

 

「──お願いしますよぉ。頼める人、四葉くんしかいないんです!」

 

 あずさが手を合わせて、こちらに拝み倒してくる。過去におれのことを見て、えらく怯えていたのが嘘のようだ。

 

「いや、でもなんで……」

「職員室から催促されてるんです! 『九島閣下からクレームが来ているから何とかしろ』って!」

 

 頼み自体はシンプルなもの。「九島光宣と交流しろ」という話。

 何故か九島烈が「孫を村八分にするな!」と訴え出てきたらしい。小学生の親か? また、それを真摯に受け止めて対応する学校側も学校側である。ロクでもない教育機関と前から思っていたが、本当にそろそろやばいかもしれない。

 

「ハッキリ言ってやったらどうですか。『お前の孫が変わったこと言ってるからだよ』って」

「ま、まさか! とてもじゃないけれど、そんなの言える訳ないじゃないですか〜! お願いします、ねっ? 問題児同士、意外と気が合うかもしれませんし」

 

 メチャクチャな理屈をぶつけてくる。おれを「問題児」呼ばわりする分には良いのか。もちろん慣れもあるだろうが、あずさも生徒会長という立場のせいか……だいぶ性格が擦れてきたように思う。

 

「でも。余計、友達になろうとする一年生が減るのでは?」

「とりあえず、1人でもそれらしいのがいたら……良いとします!」

 

 他の友人が出来るとは思ってないらしい。いくらなんでも、九島光宣が可哀想な気がした。

 

「……分かりましたよ」

 

 今後も、おれは生徒会で仕事をせねばならないのだ。ここで頑迷な態度を見せ続けて、ギスギスするのもまずい。

 ただでさえ、深雪は「達也の代わりにおれが入ったこと」をまだ怒っているのだ。もう半月も過ぎているし、ほのかは「大人の態度」で接してくれているというのに。今まで優しい少女だと思っていたから、どうすれば良いのか未だ判断しかねている。そもそも、向こうも根に持つのが長い気もする。だが、もうこれ以上の揉め事を増やしたくない。そんな切実な問題があった。

 

(人間関係、本当に難解すぎる……! なんなんだよ)

 

 駿の家に居候して、愛梨と口論ばかりしていた頃が懐かしい。あの時期は、シンプルな関係性ばかりだったのだから……ふと、そんなことを思った。

 



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第6話

 授業終わり、光宣が端末を閉じていると……机の近くに誰かが立った。だが、顔は伏せたまま。どうせ、他の生徒を探しているだけ。もう、期待するのは嫌だった。それでも、意見を変えたくない。ここまで来たならば、自分の思想が正しいと証明したい。その意地だけで、一高に通っている。

 

「──おい、おい! ……九島光宣!」

 

 自分の名を呼ばれている。そう気づき、彼は慌てて顔を上げる。目の前には、無表情の上級生──四葉夜久だ。少し後ろには、森崎駿の姿も。

 

「な、なんですか……?」

「食堂行くぞ。ほら、さっさと立てよ」

 

 よくわからないまま急かされ……夜久たちについて行く。状況が理解できないまま食事を選び、同じテーブルで食べる。

 

「……何がしたいんですか? 4月頭なら、まだ分かりますよ。ですが、こんな中途半端なタイミングでいきなり……」

 

 何かあった、と言わんばかりの態度。施しを受けているような屈辱。怒りよりも先に悲しみが溢れてくる。食事の手を止めて、ぐっと奥歯を噛み締めた。

 

「い、いや別に……」

「お前のジジイがうるせえクレーム入れてきたからだよ」

 

 駿を軽く手で制し、夜久はあけすけな物言いをする。いつの間にか、遮音シールドも構築されていた。それくらいの気遣いはあるらしい。

 

(展開されるまで、想子の揺らぎがほぼなかった。だから、僕でも発動に全然気づけない……)

 

 目の前の人間から繰り出されるスキルの高さに、光宣は素直に驚く。展開速度や干渉力は、今の自分の方が優れているかもしれない。元々優秀だったうえ、パラサイトの能力を引き継いでいるから。

 でも、細部まで洗練された夜久のテクニックはとにかく美しかった。勝手なイメージで、パワーで押し切るスタイルと思い込んでいたが、繊細かつあまり目立たない技術こそ……彼の真骨頂なのかもしれない。

 

「よ、夜久……言い方ってものが」

「もう本人気づいてただろ。──おい、聞いてるか? ボーッとして」

「あっ、はい……すみません」

 

 悲しみも忘れて、魔法のことを考えていた。

 展開速度・干渉力・作用範囲において、Aランクのライセンス基準を求められるのは……十師族として当たり前のこと。「無能」とコミュニティで陰口を叩かれている兄や姉すら、それくらいは満たしている。まぁ、本当に「満たしている」だけだが。

 その先にあるのが、才能というものなのだ。何となく分かっていたけれど、改めて「意味」を理解した。

 

「えっと……祖父についてはすみません。だけど、どうすることもできないです」

 

 夜久の「ジジイ」という発言で、烈の介入だと分かっていた。

 

「僕は祖父を尊敬していますが、それでも致命的に噛み合わない部分があります。僕から諭したとて、無意味でしょう」

「なんか、ボケたという噂だしな。『魔法師自由権論』とか」

「元気ですよ。でも、僕を心配するあまり……迷走してしまったんです」

「それは君もじゃないか? ──……イテッ!」

 

 駿が呻きながら、左腕をそっと抑える。夜久が軽く叩いたのだ。

 

「お前は好き勝手言ってるのに……」

「話が逸れる。──で、お前はそれが気に食わないと」

「魔法師に生まれたからには、魔法師全体の権利をもっと考えるべきです。魔法を使う仕事に従事できる能力があるのに、別の仕事を奪ったら……社会の中で、僕たち魔法師の肩身は狭くなりますよ」

 

 中学生のとき。烈は「お前が戦場に行かないように」と、様々な高校のパンフレットを集めてきた。「望むなら、魔法師になんてならなくても良い」と話す祖父。正直、辛くてたまらなかった。パラサイト実験で元気になり、志望校を二高から一高に変えたのも……意趣返しだ。「思い通りになんてならないぞ」という意志を込めた。

 

「へぇ。おれは全然良いけどね。非魔法師どもを押しのけて、料理人とかになっても」

「夜久って、料理することあったか?」

「一度もない」

 

 光宣は頭が痛くなった。こんな人間と非魔法師を出会わせたら、本当に大変なことになるだろう。自分の考えは、非魔法師たちを守ることにも繋がるのだ。そう確信した。

 交流していく中で、何とか出来るものだろうか。

 

(……話が通じそうな人にも見えないけど)

 

 何事もやってみないと分からないのも事実。光宣は、ペコリと2人に頭を下げた。

 

「……まぁ。色々と意見交換出来る人が、校内にいれば嬉しいです。貴方がたから来てくれたのも好都合。今後、よろしくお願いします」

「こういう時、普通は遠慮しないか?」

「祖父を納得させるんでしょう? 1回ぽっきりの会話で引き下がるとは思いません」

 

 あまり、和やかとはいえない会話。それを遠くから眺め……焦っている人間が1人。

 

(マズい! どうして、四葉夜久と九島光宣が喋ってるんだよ……)

 

 定食を食べながらも、琢磨は予想外の展開に仰天していた。これでは、対七草家に用意していた録音データも台無し。こんなにも早く、九島光宣が十師族関係者に受け入れられるとは。

 もちろん、琢磨はその背景にあるゴタゴタを知らない。だから、自分たちが作ろうとしている「魔法師のための世論」を既に把握していると思ってしまう。

 

(これが「十師族」なのか……)

 

 手の広さ。状況判断能力。自分の父には、全くないものだ。父の拓巳はリスクを恐れ、いつだって堅実な手しか打たない。そんな小さく纏まった生き方を見るたび、情けなさに襲われる。自分は、もっと大きな人間になりたかった。

 

(……試しに「順風耳」で聞いてみるか)

 

 道場で学んだ古式魔法を使う。あるエリアの空気振動を拾い、耳元で再現する効果がある。だから、使いこなせられる人間ならば、遮音シールドを抜けられるのだ。

 他人に気づかれにくい感知系魔法で、想子センサーにもほぼ引っかからない。呪符を軽く振り、魔法を発動する。一応警戒して、明後日の方向を見たまま。1分足らずで、音を拾えた。

 

『──もちろん、非魔法師が魔法師を恐れている部分はあると思うぞ? でも、僕は自分を兵器と自認したくない。それだけだ』

『なんでしたくないんですか?』

『え、えぇ……なんでだろ? 夜久、どう思う?』

『自分で考えた方がいいぞ。コイツ、思想を矯正しようとしてるから』

 

 真剣に議論をしていたので、拍子抜けする。

 

『僕、そんなつもりありませんけど』

『なんとなく「分かる」んだよ。──なぁ、七宝はどう思う?』

 

 心臓を射抜かれたような衝撃。気付かれたのか。これだけ離れているのに? 思わず、あちらのテーブルを見てしまう。夜久と目が合った。彼はニヤニヤ笑いながら、こちらを指差す。「気づいているぞ」と言わんばかりに。

 

「……ヒィッ!」

 

 ただ、この場から逃げ出すしかなかった。情けない姿を他人に見られたとしても、この恐怖から逃れたかったから。

 その後も、数日後も……夜久は琢磨に接触しなかった。だから、単なる「盗み聞きへの脅し」と解釈して、彼は胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 

 七宝琢磨の「ちょっとした失態」はあったものの、元老院による世論操作は少しずつ進んでいた。

 その序章として起きたのは……魔法師強化プロジェクト凍結によって絶望した被検体の一部が、テロを起こすという事件。死者は15名、重傷者は38名──小規模ではあったが、こうした事態が起こる可能性は事前に予測と出来た筈。だが、被験者らへのフォローなどは何もされてなかったことが調査で発覚。

 

 ──魔法師を自由にするな!

 ──何が人間だ! 彼らは徹底的に管理されるべき人造兵器だ!

 ──兵器は兵器らしく生きろ!

 

 下火だった反魔法運動が再び盛り上がるのは当然のことと言えた。

 

「……深見さん、これが本当に正しい社会の姿なんですかね」

 

 進人類戦線のアジト内。他の構成員たちの目にはつかない端の部屋。琢磨は震える声で、深見にそう尋ねる。

 頭ではちゃんと分かっていたのに、世論を捻じ曲げてしまった恐怖に囚われる。取り返しが付かない、とは何と恐ろしいことか。

 

「正しい訳ではないさ。でも、必要なことだった」

「でもっ!」

「──おいおい、深見。『許されざる魔法の存在価値を証明する』という悲願はどうしたんだ?」

 

 琢磨と深見が慌てて振り向く。そこには、ソファに深く腰掛ける夜久の姿が。

 

「なんで……!」

「教えてやろうか? ここはおれの古巣だよ」

 

 唖然とした顔の琢磨に説明する夜久。それを聞いて、深見は激昂する。

 

「ふざけるな! お前が勝手に入って、全てをぶっ壊していったんだ……!」

「スポンサーに確認も取らず戦力補強してたお前らが悪いよ」

 

 引き込んでみたら「四葉の人間」でしたということ自体は気の毒だが……元老院に問い合わせていれば、回避できたことでもある。

 

「……それでもだっ! 何故ここが分かった?」

「樫和のジジイに会ってきた。向こうから頭を下げて、おれを呼び出したんだ」

「……!」

 

 樫和主鷹。進人類戦線のスポンサーであり、四大老の1人。

 

「不思議なことでもないだろう? パラサイト化した九島光宣を止められる魔法師が……この日本にどれだけいる?」

「とはいえ、お前がそれを素直に受け入れただと? あり得ん」

 

 深見はずっとずっと忘れていなかった。解体を余儀なくされ、絶望した自分たちを前に「実は十師族だったんだよな」とヘラヘラ笑う夜久の顔を。あれほど意地の悪い人間が、まともに言うことを聞くとは思えない。

 

「あのジジイ、必死に頼み込むから面白くて」

 

 そう言いながら、彼はソファから立ち上がる。そして、琢磨の方に近づいてきた。

 

「あ、あの……」

「先輩からのアドバイス。お前の『順風耳』はなんでバレたと思う?」

「わ、分からない……です」

「遅延を使えるからな。古式魔法がバレにくいのは確かだ。でも、事象改変が行われる以上、変化は起きる。数日前から用意しているならともかく、いきなり差し込んだらバレバレだ」

 

 誰に教わったか知らんが、肝心なことは教えてくれなかったみたいだな。夜久はそう続けながら、自らの手をCADに軽く触れさせる。その瞬間、深見の身体が崩れ落ちた。無系統魔法「幻衝」によるものだ。

 

「まぁ、人は何歳からでも学べる。おれだってそうだ。こうして……新しい勉強をした訳で」

 

 スラックスのポケットに手を入れる。取り出されたのは、小さな紙片。切り込みが入っていて、それが模様を構成していた。

 

「髪の毛貰うぞ」

 

 深見の頭を無理矢理掴み、髪の毛を一本抜き取る。それをセロテープで貼り付け、またポケットにしまい直す。

 

「何するつもりだ?」

「個人的には、お前らのことなんか……どうでも良いんだが」

 

 樫和から頼まれたものの、夜久に「九島光宣を倒す」なんてことをする義理はない。

 だが、彼の「やりたいこと」を為すには好都合だった。愛梨の友人が「数字落ち」という傷を蘇らせる事態になったこと。ほんの一週間だけ腰掛けていた組織とはいえ……自分にも少しは責任があると彼は反省した。だから、ちゃんと終わらせねばならない。

 

「一度も二度も同じだろ。進人類戦線は、今日で解体だ……」

 

 夜久はテーブルの裏に手を伸ばす。ベリッ、という何かが剥がされる音。すると、ドアの向こうから異音が聞こえ出した。何かが壊れる音、悲鳴……建物内で交戦が起きているのは明らかだ。

 しかし、何故今までそれは聞こえなかったのか。

 

(結界をあらかじめ構築していた!?)

 

 わざわざ古式魔法のルールについて話していたのは、自分を煽るためだったのか……。琢磨は愕然とする。

 

「人避けも解除したことだし。呼ぶか……」

 

 先ほどの紙片を出し、想子を流し込む。

 これは式神だ。駿がパラサイトに呑まれた際に回収した式神をモデルに、夜久が自分なりにアップデートしたもの。つまり、パラサイトを暴走させる「狂化」の術式。

 

「九島光宣を」

 

 彼をここまで連れてくるのは簡単だった。互いに思惑はあれど、何度も会話を交わしていたのだ。洗脳などなくとも、交流は人の心を動かせる。「遊ぼう」と声を掛ければ、普通に着いてきた。旧千葉県の東京湾岸に連れて行き、午前中は観光を楽しむ。庭園や博物館を回ったあと……昔の知り合いに会いたいと言って、アジトへと誘導したのだ。

 そこで、1度目の「狂化」を掛けて大暴れさせた。夜久自身はちゃっかり退避し、端の小部屋──深見がここをよく使ってるのは事前に調べていた──に移動。琢磨もいたのは運が良かった。

 

「……おい、起きろ。知り合いがいきなり死ぬのは、いくらなんでも目覚めが悪い」

 

 深見を蹴り起こす。彼は文句を言おうと口を開いたが……異様な空気感に気づき、黙って戦闘体制に移行した。

 

「パラサイト化した十師族子息を倒す……数字落ちの復権や、師補十八家の昇格対策に、最も相応しい物語じゃないか?」

 

 話しているうちに、扉が破壊される。現れたのは、もちろん九島光宣。暴走させられていても、AIビジュアルは健在。それどころか、更に人外じみた美しさで溢れている。

 刹那、大量の想子が飛び交う。戦闘開始だ。

 



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第7話

 何が起きているのか、本当にわからない。どうして、自分は戦う羽目になってるんだろう。琢磨はただ、そんなことを思う。

 いずれ、九島光宣を倒さなくてはならないと分かっていた。自分が「強い魔法師」になるために支払う対価だから。でも、今ではないと……どこかで思ってもいた。

 

(クソッ! こんな狭い場所で!)

 

 光宣が攻め込んできた途端、夜久が扉を閉めて鍵をかけてしまった。そのため、4人の人間が狭苦しい場所で……小規模な魔法を撃ち合っている。側からみたら滑稽な様子だろうが、当事者である自分は堪ったものでない。

 

(もっと開けた場所に出ないと……!)

 

 夜久がプラズマを避けて、横に飛び退いた。その瞬間を琢磨は見逃さない。しかし、ドアノブを掴んだ途端……深見から鋭い制止の声が飛ぶ。

 

「閉めとけ! 『仮装行列』対策にならん!」

 

 慌ててドアの前に立ち塞がる。詳細はともかく、見かけと実際の位置を変化させることで有名な魔法。ちゃんと知識も持っていたのに、実戦となると頭からすっぽ抜けていた。

 

(出来るだけ小さい形で広域魔法を発動するしかないのか!)

 

 夜久は最悪巻き込んでも良いが、世話になっている深見を巻き添えにするのは嫌だ。範囲を見極める必要があった。しかし、発動媒体になる本など、都合よく持っていない。要は「ミリオン・エッジ」を使えないのだ。

 そのときだった。目の端で飲み物が入っていたガラス瓶を視認する。移動魔法で転がし、足で思い切り踏みつける。ガラス片が散らばった。

 

(これでやるしかない!)

 

 欠片の全てに別々の魔法など掛けられない。だから「下降旋風」に破片を巻き込んで、光宣へとぶつける。彼の身体に傷を負わせることはできたが、すぐに再生していく。埒が開かない。

 

「……どうなってんだよ!」

「パラサイトは自己回復能力がある。これがなかなか倒せない理由だな」

 

 こんな状況で、夜久は呑気に解説してくる。何か勝算があるのだろうか。

 

(よく考えると。さっきからコイツ……暇そうだな。深見さんに襲いかかる魔法を偶に止めてるだけだ。なんで?)

 

 九島光宣──パラサイトは、先程から深見ばかり襲っている。だから、琢磨も攻撃できたのだ……と気づく。対して、深見は必死になって自らの身を守っている。カバーしきれなかったものだけ、夜久が対応しているようだった。

 

(もしかして、あちらに惹きつけてるのか?)

 

 古式の作法はそれなりに学んだ。ファジィな定義で事象を改変するというルール。だから、髪の毛を貼り付けるのも……現代魔法で言うところの変数決定だろう。

 

(いや……そんなことしちゃダメだろ!)

 

 強さを求める琢磨も、普通の高校生の感性をちゃんと持ち合わせている。倫理のない行動を見て、黙ってはいられない。

 何か止める方法はないだろうか。琢磨は注意深く目を凝らす。夜久の黒いスラックス。その左ポケット……呪符らしきものを入れていなかったか。 思考が脳内で一本に繋がる──あれを破壊すれば!

 

「オラッ! くたばれ!」

「うわっ!」

 

 夜久に力強いタックルを決める。それに紛れてポケットから紙を引き抜く。確認する時間も惜しく、よく見もせずに破り捨てた。

 

「──げほっ!」

 

 突然、夜久が吐血し始める。呪詛返しを食らったからである。

 だが、琢磨はそんな事情など知ったことではない。血を吐き続ける男を無視して、深見のもとへ走る。並行して、散らばった破片を使い……光宣へと攻撃する。今回は工夫も足して。飛ばす間の慣性を中和し、着弾の瞬間に増幅させる。こうすれば、ダメージを稼げる筈だ。目論見は上手くいったのか、彼の身体から想子が噴出した。

 

(いけたか?)

 

 視界を遮る眩い想子光の向こうで、呻き声が聞こえる。痛みに耐えきれなくなっているのだ。

 倒せたのではないか……琢磨がそう判断するのも無理はなかった。しかし──

 

「──痛いよ、七宝くん。ひどいことするね」

 

 想子の奔流が落ち着いた後、そこには笑みを浮かべた光宣の姿が。

 

「く、九島……!」

「取り戻したのか……? 正気を……?」

 

 琢磨と深見の言葉には答えず、光宣は頬をぽりぽりと掻いた。

 

「──不覚だったな。最初からちょっと怪しいとは思ってたんだけど」

 

 彼はゆっくりと、夜久の側に向かい……彼が倒れ伏している場所の隣で三角座りした。異様な光景なのに、絵画の中から飛び出してきたかのようにしっくりくる。

 

「だいぶピーキーなパラサイト狂化術式だったみたいだ。さっきまで、僕の意識と演算領域の一部は縛られていた」

 

 夜久が行った『呪詛』の改良は、精神構造干渉の術式を織り交ぜることで行われた。

 演算領域のゲートを一部改変し、演算能力を弱体化させるプロセスが追加されているのだ。その上、狂化術式で意識も失っている。普段通りの魔法力を発揮できない状態へと追い込んでいたのだ。

 

「七宝くんが式神を破ってくれたから、僕は『僕』に戻れたのさ。……ありがとう」

「ま、まさか……」

 

 事態が余計悪化している。琢磨は、その現実を受け入れなくてはならなかった。

 

「おい、七宝……。俺たち、まずいんじゃないか?」

「そうは言っても……!」

 

 元はと言えば、夜久が悪いのは明白。

 だが、この状況を打破できる可能性があるのも……彼しかいない。けれども、今はただピクピクと痙攣するのみ。何の役にも立ちそうにない。

 

「心配しないで。七宝くんには恩を返したいし……何より『進人類戦線』は、僕と意見を同じくするみたいだしね!」

 

 にこにこと柔らかな笑みを浮かべる光宣。小さな子供が夢を語るかのように、無邪気な表情をしている。だが、突然スッと表情が消えた。

 

「でも……四葉夜久は絶対に殺す。──だから、君たちが僕の犯行を黙ってくれると誓うなら、それに報いて……生きてここから帰す。どう?」

 

 受け入れてもらえると、光宣は確信していた。夜久を見捨てるだけで、自分の命が担保される。すごく得な話じゃないか……。

 

(……!)

 

 身体が危険信号を発している。魔法の兆候だ。

 

(信じられなくて、攻撃してきたのかな。まぁ、ここはスルーして……その姿勢で、僕のことを信じてもらおう)

 

 大した魔法ではないだろう、という慢心。それが仇になった。

 

「……ガハッ! ゴホゴホゴホッ!!!」

 

 気管が腫れあがったかのような息苦しさ。呼吸が上手くできない。ヒューヒューという音と共に、微かに出入りするだけ。

 深見の持つ「二」の魔法──「コミングル」。体内を1つのエリアと認識し、細胞呼吸を阻害する吸収系魔法。血液中に含まれる酸素が炭素と結びつくルートを混線させ、行使された相手を死に至らしめる。とはいえ、光宣はパラサイト。ダメージを受けても、すぐに治る。治るのだが……それは無傷を意味しない。

 

(うぅ……しんどいよ!)

 

 息苦しい。まるで……昔に戻ったかのように! 身体が思うように動かないのが辛くて、ベッドの中で無力さに涙した頃の記憶。それがフラッシュバックする。

 

 ──あんな自分に戻りたくない! 嫌だ! 助けて!

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「──行くぞ!」

 

 光宣がパニックに陥る中、深見が夜久を素早く抱える。それを見て、琢磨は慌てて扉を破壊。揃って自己加速術式で……その場から逃走した。

 アジトから飛び出し、山間部の小さな小屋──訓練用に用意された施設だ──へと辿り着く。警戒は緩められないが、とりあえずの危機からは脱することが出来た。

 保存食糧庫から水を出し、琢磨はコーヒーを淹れ……やっと一息つく。名家の息子らしく普段は豆や水に拘っているが、泥のようなインスタントコーヒーも今はとても美味く感じられた。

 

「どうして、四葉夜久を連れ帰ったんです? 置いて帰ったら、追われるリスクを減らせた筈ですよね?」

 

 マグカップから伝わる温かさを感じながら、琢磨は深見にそう尋ねた。お互い、彼には大迷惑をかけられたのだ。「囮」としてあの部屋に放置することが、最適解な気がしていた。

 

「コイツの言うことが正しければ、一応我々の味方側といえる。それに、今戦力を減らすのは悪手だ」

 

 元老院の方針は「妖魔滅ぼすべし」である。だからこそ、九島光宣を処分しようとしているのだ。自分たちのスポンサーである樫和が、夜久に接触したのも理解できる。

 

「戦力っていったって……」

「──おい、四葉。起きろ。いつまで寝たフリしてる?」

 

 先ほどの仕返しか、深見は夜久の腹を軽く蹴った。

 

「……蹴るなよ。内臓イカれてるんだから」

 

 夜久はまだ蒼白い顔をして、寝転んだままだが……ちゃんと意識を保っていた。

 

「どういうことだ……?」

「知らん。だが、先生の道場には俺も出入りしていたんだ。『呪詛返し』があんなものでないのくらいは、見て分かった」

 

 琢磨はよく理解していなかったが、彼の破った式神は「パラサイト狂化術式」。そんな演算の大きな術が中断されれば、精神に多大なダメージを受けるのは必至。しかし、夜久はそのダメージを咄嗟に、肉体側へと波及させたのだ。つまり、彼の「精神構造干渉」によって、幽体の情報を一時的に肉体のそれへと書き換えた訳である。

 

「良かったな、七宝。相手がおれで。そうじゃなかったら……普通に殺人だぞ」

「お前も深見さんを殺そうとしてただろ!」

「まだ死んでなかった。それに、九島光宣が無差別に暴れた方が困る。倒しづらい」

 

 少しも悪びれない夜久。琢磨は、目の前の人間が「人間」には思えなかった。

 

「ふざけるなよ……。お前、人の命を何だと思ってる?」

「お前がそれ言うか? ──おれたち魔法師は……命の選別という『許されざること』をいつだってやっているというのに。現に、非魔法師たちがテロで死のうがお構いなし。『魔法師だって同じ人間なのに』と言うばかり」

 

 マイクロメッセージ──非魔法師の透明化。ナチュラルに「自分たちとは異なるもの」として扱う。社会を構成するためのシステムという認識。魔法師たちは、無自覚にそんな考えのもと生きている。

 

「おれは、その事実に……少しだけ早く気づいた」

 

 誰もが見ようとしないものを見る。タブーを恐れず、原罪を直視する。「自分と縁が薄い人々の命を愛せない」ことへの。苦しみや痛み。それらが自分にも降りかかるというリスク。いつだって恐れてはいけない。世界は平等に残酷だ。魔法師であっても、不幸はやってくる。

 

「『魔法至上主義』は、魔法師を解放する思想じゃない」

 

 社会での価値を主張する訳でも、もちろん兵器化する訳でもない。そう、夜久は続ける。

 

「……見えない特権を自覚することだ。それがあろうとなかろうと、全ての人にとって人生は苦しさに満ちているんだから」

 

 夜久の言葉に、琢磨は衝撃を受ける。自分が特権を持つ層だなんて、感じたこともなかった。それどころか、自分は恵まれていないとまで思っていたのだ。

 師補十八家に生まれたこと。父が十師族昇格対策に積極的でないこと。十師族からほぼ落ちたことない家と比べて、ネームバリューの無いこと。何もかも不満だった。

 

「──お前の御託はどうでもいいが。今は、九島光宣を倒すことを考えるべきだ」

 

 しかし、深見のアッサリした返答で我に返る。そうだ、自分たちの問題は何も解決していない。

 

「……倒すんですか? 彼さっき『四葉夜久は絶対殺す』とは言ってたけど……俺たち関係無くないですか」

「忘れたか? パラサイトである以上……処分が必要だ」

「あ、そうでしたね……」

「ただ、どうやって倒すかが問題だ。さっきは不意打ちが効いたが、本気で『仮装行列』を使われたら勝ち目はない」

 

 今の光宣は頭に血が昇っていることだろう。術で演算領域を制限してもないし、かなりの苦戦を強いられることが確定していた。

 

「……いや、手はある」

 

 しかし、夜久だけは元気であった。まだまだ顔色も悪く、横たわってはいるものの。

 

「本気で言ってるのか?」

「もちろん。さっき、アイツはパニックに陥っていた……あんなふうに、精神が不安定な状況に追い込めば『仮装行列』は維持できない筈だ」

 

 意外と、魔法は繊細な技術だ。精神状態が如実に現れるものである。クリティカルな精神ダメージを与えられれば……何とかなるのではないか。夜久はそう思っていた。

 

「とはいえ……普通に魔法を使っただけだぞ?」

「それでもだ。何か、奴の琴線に触れたんだ。突き止めないと」

 

 やっと、夜久は身体を起こす。そして、コーヒーのマグカップを手に取る。

 

「うわ……冷めてるな。──まぁ、いいや。今から、仮説を立てるしか無いな。3人寄れば文殊の知恵、とも言うし」

 

 琢磨と深見は顔を見合わせる。この状況では、夜久の話に乗るしかない。仕方なく、床に腰を下ろした。



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第8話

 九島光宣の執念は凄まじかった。日が落ちるまでに、おれたちの居場所を特定したのだから。

 そもそも、そう簡単なことではないのだ。魔法師はイデアにアクセスが可能であり、非魔法師と比べても広い範囲から情報を得られるとはいえ。無闇矢鱈に探して、見つかるものでもない。おそらく、彼は「精霊の眼」のような能力を持っている。厄介だ。

 

「……来るぞ! 小屋から出ろ!」

 

 また、おれもパラサイトの接敵にいち早く気づく。

 

「おい、狭いところじゃないと『仮装行列(パレード)』が……」

「正気の九島光宣がノコノコ押し入ってくるか! 気づけバカ!」

 

 一丁前に反論しようとする琢磨を一喝し、深見と共にグイグイ彼の背中を押す。時間がない。予測した通り、数十秒後には小屋が消滅した。

 放出系魔法「晴天霹靂(クラウドレス・サンダー)」によって、プラズマが発生したのだ。この魔法は少し特殊で、二段構えの構成。電子シャワーの奔流で対象に負の電荷を帯びさせ、その後陽子を降らせるというもの。もし、魔法の発動の方が早ければ……逃げられなかったかもしれない。歴とした、対人制圧用魔法。間違いなく、光宣は最初から本気だ。

 

「これで終わってくれれば良かったけど。流石に無理か」

 

 光宣の声がした。既に近くまで来ていたのだ。彼はおれの後ろにいる、深見と琢磨に目を向けた。

 

「……悪いけど、君たちも殺すから」

 

 冷徹な表情から出る柔らかな口調は、あまりにもミスマッチ。だからこそ、不気味な印象を受ける。

 

「そもそもさぁ、おれたちには殺す理由がある訳。お前、パラサイトだから。でも、お前がおれたちを殺す理由なくね?」

「殺されそうになったら反撃するでしょ」

 

 確かに、尤もな主張だった。とはいえ、まずは「師族会議を通して抗議」など方法がある気もする。例えば、おれが将輝を殺害しようとした場合、多分向こうはその手段を最初に取る筈だ。そして、おれがメチャクチャ怒られて終了。この展開が、1番丸い選択肢だと思ったのだが。

 

(パラサイトなことを公表できないからか)

 

 現状、光宣がパラサイトだと把握しているのは……四葉、七草、十文字あたりだろう。七草は完全に面白がりそうだし、十文字はほぼ七草の言いなりみたいなもの。そして、四葉は九島の問題などどうでも良い。だから、咎められていないだけだ。もし、問い合わせが来ても「パラサイトだからじゃないですか? 危険なので殺します」の返答でこちらは済む。そうなれば、九島は引き下がるしかないのだ。

 

(……つまり、コイツは自分1人で何とかしなきゃいけないのか。気の毒な奴)

 

 だからといって、おれたちも手加減は出来ない。生きて帰らねばならないからだ。それぞれ立場は違えど、この場の人間全てが覚悟を決める。

 

(クソッ! あのアンジー・シリウスよりも『仮装行列』が上手い!)

 

 ほぼ戦闘経験の無い高校1年生の筈なのに。座標やエイドスを誤魔化すことが、プロの戦闘魔法師よりも長けている。掠ってはいるだろうが、おれたち3人とも有効な攻撃は与えられていない。

 しかし、光宣が魔法師として未熟なのは事実。どこかに必ず綻びがある。

 

(いや……全然無いな)

 

 息継ぎのセンスが高いのだ。おれも上手い方だが、あまり長時間維持するような魔法を使わない。使い慣れている魔法の差で、そのあたりの得意不得意は如実に現れる。

 

「……仕方ない。──おい! アレやるか!」

「あぁ、このままだとジリ貧だろうしな」

 

 普通に決着が付きそうならば、避けても良かった選択肢。それを選ぶ必要が出てきた。

 

「ほ、本気でやるのか?」

 

 琢磨が震えた声で確認してくる。それくらい、非人道的なアイデアだった。

 深見の「コミングル」から得た着想。おそらく、光宣は「呼吸が上手くできないこと」に深いトラウマがある。病弱だった自分が想起されるからだろう。

 

(だが、このままだと魔法は当たらない)

 

 自分や味方への被害を避けていると、攻撃範囲が限られてくる。光宣はそれを見抜いて、上手く移動しているのだ。

 ならば、フレンドリーファイアを恐れなければ良い。全員で攻撃性の高い大規模広域魔法を行使する。

 

(人間が酸素不足に耐えられる時間は短い……。それまでに九島光宣を追い詰められるかは、ほぼ賭けだ)

 

 そして、アイデアを実現できる魔法の選定には苦労した。

 相克を避けるため、エリアを指定しないタイプでなければならない。そして、酸欠状態を引き起こせる魔法であること。もちろん、誰かの固有魔法ではないもの。それらに合致したのは「窒息乱流(ナイトロゲン・ストーム)」。気絶させることが目的ではない(自分たちが危ない)ので、威力はかなり下げて使うし、琢磨も失敗はしないだろうと決まった。

 一斉にCADを操作する。多少のラグはあれど、ほぼ同時に魔法が発動した。酸素濃度の低い空気塊が迫ってきて息苦しい。視界が霞み、意識が朦朧とするが、魔法の維持に集中する。2分弱は耐える必要があった。

 

(……来た!)

 

 恐怖の「匂い」。それを感じ取り……おれは魔法を切って、第二撃を繰り出そうと走り出す。しかし、そこで目にしたのは。

 

「──考えたね。でも、僕は同じ手を二度食らわない」

 

 地面に倒れ伏しているのは、深見と琢磨。サイキック能力を浴びせられたのだろうか。生きてはいるが、戦闘続行は厳しそうだった。

 

「……さっきはビックリしたけどね。でも、今の僕はちゃんと健康だ。それが分かれば、怖くなんてない」

「何が健康だよ。ずっと『破壊衝動』と戦い続けなければならないのに。人を襲いたい、誰かをパラサイトに変えたい……そう思うことを『異常』だと思わないのか」

 

 パラサイトには自己保存の本能がある。血液中の霊子を吸い取り、人間を自分の棲み家へと作り変える習性。

 誰かを襲え。人外に変えろ。そんな「声」に抗いながら生き続けることを……受け入れるべきではないだろう。

 

「正しくないと思ってるよ。だからこそ……こうして、君を追い詰めたんだ。僕が本当の意味で『健康』になるためにね」

「まさか……!?」

 

 彼が何故わざとらしいくらいに「四葉夜久を絶対殺す」と宣言したのか。おれを先に戦闘不能にしなかったのか──全てはこの時のため。「精神構造干渉」を使わせ、人間に戻ることを狙っていたのだ。

 

「さぁ、二択だね。僕を助けるか、僕に殺されるか……。好きな方を選びなよ」

「おれを殺して、第四次世界大戦が起きるとは思わないのか」

「君、そこまで愛されてないでしょ。似てるから分かるよ」

 

 だいぶ失礼だが、事実だった。今の四葉は、身内の死で立ち上がれるほど……結束していない。

 

「……分かった。やろう」

「違う魔法を使おうとした瞬間……殺す」

「はいはい、分かったよ」

 

 おれは右手をかざす。使い慣れた「精神構造干渉」は、すんなりと効果を表した。光宣の中に巣食うパラサイトが消滅する。

 

「……やった。ぼ、ぼく……やっと『人間』にっ!」

 

 光宣は嬉しそうに立ち上がり、おれには目もくれず……駆け出した。だが、数メートルも進まないうちに彼は転んでしまう。おれはゆっくりと彼の元へと移動し、倒れ込んだ彼の横に座る。聞こえるのは、ヒューヒューという掠れた音。呼吸が上手くできていないのだ。

 

「よぉ、元気か? ──見りゃ分かるな。元気じゃないことくらい」

「お、お前……。……何をした?」

「何も。人間に戻しただけ」

 

 駿に施した時に確認しているが、体内のパラサイトが消滅すると……自己回復能力とサイキック能力を喪失する。つまり、身体機能も元に戻るということ。彼が元々病弱だと知っていたから、素直に受け入れたのだ。そうでなければ、もっと粘っていた。あるいは、リスクを恐れずに精神構造干渉を使うフリをして別の魔法を使うか。

 

「これを分かってたのか……」

「知っていたら治療拒否するだろう? お前がバカで助かったよ」

 

 おれはもう一度、彼に向けて右手を伸ばす。身体が弱いとはいえ、この魔法力は脅威すぎる。今のうちに、こちらが主導権を握れるようにしておく必要があった。殺しても良いが、パラサイトでは無くなった訳で。殺すリスクをわざわざ取る必要もない。また、元老院が庇ってくれるか怪しいのもある。

 光宣自身の魔法力を利用し、演算領域の一部にロックを掛ける。制限下の深雪より少し下回る力を目安に調整。元々パラサイト化の影響で、彼の魔法力が上がっていたこともあり、かなりバランス良く仕上がった。

 

「貴様……!」

 

 何をされたか理解したのだろう。光宣がおれを睨みつける。

 

「今後も楽しい学生生活を送れるといいな」

「……殺す! 絶対殺してやる!」

 

 怒りのあまり、光宣の目は血走っていた。健康を得るためには、魔法力を制限するしかない事実。それは彼にとって、受け入れ難いことだったのだ。

 

「やってみな。──やれるものなら」

 

 おれは颯爽と踵を返す。そろそろ、医者にかかりたかった。

 

 

 

 

 

 

 内臓の調子はだいぶ悪かったらしい。ところどころ破裂しており、医者に治癒魔法を掛けて貰った。だが、この魔法はエイドス情報を固定するための手段でしかない。数十分おきに掛け直す必要があり、一度引いた痛みが何度も何度も戻るのでかなり苦しい。

 

「……災難だったわね。進人類戦線とのトラブルの末、後輩と私闘する羽目になったって言っていたけれど」

 

 愛梨が呆れ顔で、ベッドに横たわるおれを見下ろした。四葉のマンションまで見舞いに来てくれたのだ。

 

「あぁ。片付けるだけのつもりだったんだが……色々あった」

 

 琢磨が進人類戦線と関わっていたことや、九島光宣がパラサイトであったことなど……オフレコで事情を話す。外部の耳が無いので安心して話せた。代わりに、実家には全ての情報が流れていくのだが。

 

「悪い芽を摘んだ……と言えるのかしら」

「そうかもな」

 

 しかし、琢磨は別に元老院を抜けていない……筈だ。また、反魔法運動は日々加速している。社会がおかしな方へ向かっていることは否定できない。実際、反魔法デモの喧騒が風に乗って、今もここまで聞こえてきている。

 急に、扉がノックされた。使用人が入ってきて、花瓶を窓辺に置く。ピンク色をした見事なガーベラがメインで、美しいフラワーギフトだった。

 

「……このお花。栞と沓子と一緒に選んだのよ」

 

 栞のためだったのでしょう? 今後、彼らと接触してしまわないように……愛梨はそういって、おれの目をじっと見た。

 

「愛梨の友達だったから……」

 

 どことなく決まりが悪くなり、小さな声で答える。

 

「いいのよ。……意地悪な聞き方したわね。分かってる、私のためだったって」

 

 人は縁の薄い人間にそこまで必死になれない。当たり前だ。単に、栞は愛梨の友人で、彼女の悲しみはきっと愛梨の悲しみに繋がる……その確信だけがおれを突き動かした。

 

「ありがとう」

 

 彼女の手がおれの髪に触れる。どこか安心して……そのまま眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 一週間ほどで治癒魔法が定着し、学校に戻ってくることが出来た。しかし、まだ食べるものには気を遣わなければならない。

 

「お前、カツカレー食うなよ。可哀想とか思わないのか?」

「何を食べるかは僕の自由だ」

 

 ルーのたっぷりかかったカツにかぶりつく駿の前で、ランチジャーに入った少量のおかゆを食べる。塩分も抑えねばならず、味がほぼしない。本当に悲しい食事だ。

 

「お前が休んでる間、一高も大変だったぞ。反魔法デモ団体が来て、外壁に向けて投石を始めてな」

「危ないな。どうなったんだ? それ」

「九島光宣が平気な顔で石に当たりに行って、デモ隊が『化け物だ!』と恐れ慄いて……帰った」

「アイツ結構役に立つんだな」

 

 おそらく「仮装行列」を使い、付近を歩いていたのだろう。不正魔法使用な気もするが、誰も何も言わなかったのだろうか。結果オーライだったので咎めなかったのかもしれない。あとで五十里かあずさに尋ねてみよう。

 ただ、笑い事だけで済まない部分もある。そもそも、非魔法師が魔法師を羨むのは是非もないこと。だからこそ、羨望からくる負の感情をコントロールすべきだと思うのだが。

 

「──少なくとも、寝腐っていたアンタよりは真面目にやってたよ」

 

 突然、会話に入ってきたのは光宣だった。完全にタメ口になり、先輩への敬意は全く感じられない。別に構わないけれども。

 

「元気そうだな」

「どこが? 今は仕方なく……自分の現状を受け入れているだけ」

 

 彼は顔を歪ませ、そう吐き捨てる。態度こそ悪いが、それがAIっぽさを薄れさせ……人間味を出してもいた。

 

「──九島! お前何してるんだ?」

 

 そこに琢磨がすごい形相をして走ってきた。殺し合いをしたとはいえ、そんな急に距離が縮まるものだろうか。

 おれが疑問を抱いていることに気づいたのだろう。琢磨は肩を竦めてこう言った。

 

「……あぁ。俺、コイツを監視してて」

 

 大方、元老院から言いつけられたに違いない。事情を飲み込んでいない駿は、えらく訝しげな顔をしていた。

 

「勝手に付き纏ってきて迷惑だ、正直」

「友達になって欲しかったんだろう? 入学式の日を忘れたか? ──おい、四葉夜久」

 

 光宣をやりこめていた琢磨が、おれへと向き直る。それにしても、どいつもこいつも後輩らしさがない。

 

「九島と同じように。俺もアンタには思うところがある……。だが、今は力をつける時間だとも理解している。首を洗って待ってろ」

 

 もしかして、元老院を抜けていない理由はそれだろうか。別に悪い場所でもないが、素晴らしく環境が良い訳でもない。少なくとも、四葉は元老院から金銭的援助を受ける代わりに、非合法な仕事を請けているのだから。

 しかし、おれが「やめたほうがいい」と言うのも変な話である。とりあえず、適当に頷いておいた。

 



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スティープルチェース編
第1話


 生徒会の事務仕事は、基本的に面倒だ。

 21世紀後半ともなると、だいたいの業務はペーパーレス。決裁やチェックもデバイス上で完結するし、チェッカーソフトで誤字脱字や不備が事前にピックアップされる。それでも、手間がかかるのはそう。当たり前だ。

 

「──面会依頼? じゃあ、行きますよ今から」

 

 厄介ごとの予感がしても、それを理由に抜けたくなるくらいには。

 応接室まで移動すると、そこにいたのは「九島烈」。もう現役からほぼ退いたとはいえ、やはり只者ではない……そう思わせる風格があった。

 

「孫にでも会っとけよ」

「光宣は最近、口を利いてくれなくてな……」

 

 だからといって、別の人間と接触する必要があるだろうか。

 

「ただ、今回は……夜久くん、君に会いに来た」

 

 光宣を救ってくれてありがとう、彼はそう言って頭を下げた……が、すぐに顔を上げる。そして、素早くCADに触れた。魔法を発動させまいと、おれは咄嗟に領域干渉を広げる。

 

「──……流石は真夜の息子。干渉力に優れているな」

「嫌味か? おれは『流星群』を使えない」

 

 いくら干渉力の高さがあろうと、物体の光透過率という構造情報を改変できない。何度やっても、全てを貫く光線を作れないのだ。子供騙しの光波振動魔法が精々。だが、それに何の意味がある? 本当の意味で魔法を継承できていないというのに。

 

「……それで、何の用だ?」

 

 話しながらも警戒を緩めない。発動されかけていた魔法は、簡単なものとはいえ精神干渉魔法。おそらくは「ルナ・ストライク」。どう考えても、危害を加えようという意図しかない。

 多分、コイツは光宣をめぐる一連の出来事を把握している。攻撃は意趣返しのつもりだろう。

 

「時として、子は親の期待に応えて生まれてこれないことがある。光宣も、深夜の息子も……君も。生まれながらに不幸だ」

 

 このジジイにして、あの孫ありである。勝手に話を進めがちだ。

 事実、自分のことを不幸な存在と以前は思っていた。そこそこ恵まれた生まれだったとしても、実の母親からネグレクトを受けたら悲しいに決まっている。今はあまり思ってないが、結果的に前向きになっただけで……客観的に見ても可哀想といえば、可哀想な方だろう。だが、わざわざ「不幸」と言われても困る。

 

「……お前、四葉のストーカーか何か?」

「私はあの双子に魔法の手解きをしていた。多少は、四葉内の事情にも詳しい。だから、次代の四葉が『危険な存在』となり得ることも理解している数少ない人間だ」

 

 また、その悲劇を止められるのが私だけだとも。烈はそう続けた。

 

「他人の家に口出すな。孫の機嫌でも取っときゃ良いだろ」

「光宣が生きる未来のためだ。彼が望んでいないお節介であることは承知の上。エゴで構わんのだよ」

 

 取り付く島もない。それに、正直どうでもよかった。だが、話をもう少し聞くことに。戻っても、デスクワークしかないのだ。

 

「次世代に入れ替わった時期には、もう四葉一強の時代がやってきているだろう。そうなれば、周りが危機感を抱いて動き始める」

 

 出る杭は打たれる。烈が言いたいのは、そういうことだ。四葉の弱体化を狙い、国内外問わず様々なセクションが行動を起こし……世界はその問題で大変なことになるだろうという予測。

 そうなっても、光宣は嬉々として戦闘に参加しそうだが。どう考えても、彼は気が強いだろう。

 

「司波達也、そして君……。分家の子供たちを抜きにしても、四葉は強くなりすぎた。子供を外に出さない、という方針をやめていくべきだろう」

「それで、一番可能性があるから声を掛けたって?」

 

 相対的に考えると、驚くべきことに……おれが一族で一番社交的。深雪は達也にべったりだし、達也は大人との関わりの方が多い筈だ。姉含め分家の子供たちは、家の方針に従っている。二十八家の人間と強い関わりがあるのは、おれだけなのである。

 

「その通りだ。十師族というものは、有力な魔法師家系の互助コミュニティであるという原則に立ち戻るべきだろう。……ところで、夜久くん。君は今後どうする予定だね?」

「は?」

「知識を持たない者から見れば、君の行動におかしなことは何一つない。次期当主になることを念頭に魔法科高校に通っている……そう思うことだろう。だが、司波深雪がほぼ確実で当主になると分かっていれば……奇妙に見えてくる」

 

 四葉の内情を、烈はよく分かっているようだ。次期当主に一番近い人間が、深雪だと知っているのだから。おれは当主になる予定などなく、既に当主候補からも外されている。こんなこと、本来外部の人間は知り得ない。

 

「──だが、分かったよ。君は四葉を飛び出したいのだと」

「……」

 

 内々の関係性で完結し、外部と隔絶された環境。それが四葉。

 大学生までは学校に通っておけば、社会と繋がることができる。しかも、実家の威を借りたまま。しかし、その後は? どうすれば自由を得られるのか、結論など出ていない。四葉の人間は、四葉のコミュニティ以外の居場所など無いに等しいのだから。だからこそ、愛梨との関係に「答え」を出せないでもいる。

 

「もちろん、私が十師族システムをこれからも機能させたいという思いがあることは否定しない。しかし、君に『十師族コミュニティと関わる』ことを勧めるのは、先達としての助言でもあるよ」

 

 良いことを言ってるようにも聞こえるが……。内心、そんなことを思うおれ。「四葉を警戒しています」の文脈を聞いた上で、その親切を受ける気にはなれなかった。

 

「──……探り合いはやめよう。おれが四葉を出ることでお前が得られる『本当のメリット』は何だ?」

 

 視線が交差する。しばらくの間、睨み合いが続いた。

 

「……魔法師の価値とは何だろう? この答えはシンプルだ。──魔法が使えること」

 

 おれも頷く。事象改変が出来るからこそ、魔法師は魔法師たり得る。非魔法師には出来ないことだ。

 

「しかし、魔法が使える人間はわずか。故に、価値は釣り上がる。しかし、それを解決できるかもしれない。『パラサイト』なる妖魔は、ある意味では希望だ」

「……! 魔法師を増やしたいのか?」

 

 目の前の老人は、四葉でしか価値のない筈だった「精神構造干渉」に意味を見出したのだ。

 人造魔法師にパラサイトを取り憑かせ、上手く行ったものを人間に戻す──そんなアイデアを考えつくとは。

 

「本来、魔法師の人生は自由であるべきだ。軍人になることも、戦闘魔法師になることも……自由。だが、現状は深刻な人員不足によって、兵器であることを余儀なくされる魔法師ばかり」

 

 魔法科高校は全国に9校。それらを合計した1学年あたりの総生徒数は1200名ほど。毎年、生産できる魔法師の上限だ。

 

「非魔法師を後天的に魔法師化できれば、魔法師の価値は必然的に下がる。いくらでも、非魔法師はいるのだから」

 

 兵隊は畑で採れる、という言葉を思い出した。旧ソ連時代のジョークだったか。

 一時的でも、魔法師の数が増えれば……次世代の魔法師も増える。皮算用な部分が大いにあるような気がするにせよ、烈の言いたいことは分かった。

 

「この『人生最後の計画』は、私1人では出来ない。当たり前だ。君の魔法ありきなのだから」

 

 要は取引である。四葉以外の居場所を探すおれに対して、居場所を提供する代わりに……九島烈の共犯者になれという話。断るに決まっている。

 

「──まぁ、そう言うだろうとは思っていた」

 

 拒否すると、あっさりと烈は引き下がった。

 

「まぁ、君も魔法師だ。私が君の人生を強制するのも違う。心変わりするまで待つさ」

「その頃には死んでないか?」

 

 そうかもしれない、と彼は素直に頷く。この妙な物分かりの良さ……怪しさしかないのだが、現時点ではその理由までは分からなかった。

 

「君に協力してもらえると助かる、というだけだ。──伝えたいことはもう話した。今日はこれにて失礼させてもらうよ」

 

 九島烈は立ち上がり、応接室から去っていった。

 残されたおれは、1人考え込む。あの余裕っぷり。別のプランも思いついているに違いない。自分の孫にパラサイトを注入するくらいだ。特殊な活用方法を思い付いていてもおかしくない。

 

(どうすんだ、コレ……?)

 

 今、おれはいくつかの選択肢がある。どれも、九島烈の開示した計画に対するアクションだ。

 

 1. 元老院に情報を流す

 

 安牌の選択肢。四葉に残る場合、スポンサーの意向に従って仕事をする訳だから、恩はいくらでも売って損はない。ただ、おれは四葉に残留したくなどないのだ。よって除外。

 

 2.九島烈の話に乗る

 

 精神構造干渉を酷使することになるし、何よりおれのメリットが少なすぎる。それに、パラサイトを運用すると、元老院と真っ向対立すると分かっているのだ。あのジジイと心中する羽目になるのはまっぴらごめん。

 

(……そうなると。パラサイト問題を何とか世に知らしめた上で、無理やり社会に「四葉夜久」という存在の需要を作る。これが最善策になる訳だが)

 

 それが出来れば苦労しないのである。

 実家や元老院のリソースなしに、隠された真実を世の中に開示して、訴え出ることが出来るというのならば……おれは退学処分されたりしない。

 

「困ったな……」

「──四葉先輩? いらっしゃいますか?」

 

 突如、応接室の扉が開く。そこから、泉美が顔を覗かせた。

 

「あまりに遅いものですから。様子を見にいくように、と言われて……」

「あぁ、ごめん。今行くよ」

 

 ソファから立ち上がり、泉美のあとに続く。考え事は後回しだ。九校戦絡みの書類仕事が待っている。

 

 

 

 

 

 

 悲痛な顔のまま固まっているクラウド・ボール部の部員。おれは彼の目の前で、思い切り柏手を打った。正気に戻すためだ。

 

「い、今なんて……」

「今年の九校戦からクラウドは廃止。よって、君の選手内定は取り消し。残念だが、もう決まったことだから」

「そ、そんな……! あんまりだ!」

 

 早めに選手を決めて通達していた生徒会側も悪い気はする。とはいえ、こうなる可能性は普通にあったのだ。長年、変更がなかっただけで。

 

「文句があるなら運営に言ってくれ。それじゃ」

 

 そう言い捨てて、踵を返す。隣にいた泉美がさっと一礼して、おれに着いてきた。

 

「……もっと揉めるかと思いましたが。案外、すんなり話が進みますね」

「まぁ、会長が行くよりかは話が纏まりやすいだろうな」

 

 四葉の名は悪い意味で、世の中に轟いているのである。

 

「ところで……先輩。少しだけ、お話ししたいことがあるのですが。お時間いただけますか?」

 

 泉美がカフェテリアを指差す。まだまだ外回りは残っている。休憩がてら、話を聞くのも良いだろう。そう思い、提案を受け入れた。

 

「どうぞ」

 

 カフェモカを差し出す。自分のアイスコーヒーを買うついでに、彼女の分も購入したのだ。

 

「わっ、ありがとうございます。……先輩って、意外とまともですよね」

 

 そんな軽口を叩きながらも、彼女は素早く遮音フィールドを展開した。

 

「この前……先輩、九島閣下とお会いになっていたでしょう。私、話を少し聞いてしまったんです。閣下の『計画』とか」

 

 部屋の外から聞かれていたらしい。気付かなかった。事象改変こそ敏感だが、ドアを挟んで向こうに誰がいるかなんて分かる訳がない。

 

「でも、閣下は気づいていたみたいです。鉢合わせしてしまって……。冗談混じりに『盗み聞きはいけないよ』と叱られました」

「へぇ……」

 

 わざと聞かせていたのか。だとすると、何故?

 

(娘経由で情報が流れても問題ない……ということは。自分が死んだら、七草家当主に計画を引き継がせる? いや、九島光宣と少しも関係ないのに?)

 

 何もかも謎すぎる。現状、何も見えてこない。

 

「……私も七草の娘です。パラサイト事件が深刻な被害だったことも知っています。それなのに、また問題を掘り起こすなんて……正気の沙汰とは思えません」

 

 思っていたよりもしっかりした少女なのだな、と感じた。「強くなる!」と大騒ぎしている七宝琢磨は、彼女を見習うべきだろう。

 

「しかも、父が関与してる可能性までありますから。いくら家族でも、見過ごす訳にはいかなくなってきているんです」

 

 七草家本邸に、大陸出身の方術士が矢鱈と出入りしているらしい。盗み聞きした使用人から話を聞き、彼らが「九島烈の紹介で来た」と分かったようだ。

 

「……パラサイトを実用化するための人材をスカウトしているのか」

「おそらくは」

「なるほど……。──それで? わざわざおれに話した理由は?」

「簡単なことです。先輩が父たちに与することのないよう、先手を打っただけに過ぎません。……まぁ、協力してくれるならありがたいですけれど」

 

 コーヒーをストローで吸いながら考える。

 つまりは、泉美に協力するか否か。そもそも、何をもって九島烈を止めるのかもいまいち分からない。

 

(ただ、リスクを度外視して踏み切ってみるのもありか……)

 

 どう転んでも、自分は前に進まなければならないのである。どの道誰かと協力せねばならないのであれば……自分の感覚に従うべきだろう。




そろそろ女キャラも出さないとな……というバランスの問題から、七草の双子にフィーチャーしつつ、九校戦とパラサイドールで大騒ぎ。この章のコンセプトはそういう感じです。


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第2話

 九校戦の競技変更によって、ただでさえ多い生徒会業務は倍増した。誰が変更したのか知らないが、本当に迷惑な話である。

 ただ、この未曾有の事態を前にして「助っ人」を呼ぶことになった。そのおかげで、メンバーそれぞれが担当する仕事は大幅に削減。

 

「お兄様、お茶のお代わりはいかがですか? ──夜久くんもどうぞ」

「達也さん! 肩、凝ってないですか?」

 

 約2名、ご機嫌な人間も増え……生徒会室は非常に平和だ。ようやく深雪も、おれに優しくなった。最近は全員分のお茶を淹れてくれる。心なしか、あずさや五十里の顔色も良い。

 

「あぁ、2人ともありがとう。だが、今は結構だ。──四葉、少し良いか」

 

 人前なのだから、その呼称は当然と言えた。だが、どこか奇妙な心地がする。

 

「何だ?」

「ここでは話せない。着いてきてくれ。──深雪、お前もおいで」

「はい!」

 

 深雪が花のような笑顔を浮かべて頷く。その背後では、ほのかが絶望という概念全てを煮詰めたような表情のまま固まっている。

 多分、ロクな話ではない。聞いたって仕方ないので、ほのかは関わらずに済むことを喜ぶべきだと思うが……恋する乙女の心は難解なのだろう。

 

「──こんな所に呼び出して悪かったな」

 

 どこへ連れてこられるのかと思えば、かなり意外な場所だった。校内の端にある機材倉庫だ。

 

「見てくれ」

 

 達也がそう言いつつ、奥から布に包まれた細長いものを運んできた。紐を解き、巻きつけられた布を取ると……現れたのはメイド服姿の少女。だが、もちろん人間ではない。

 

「普通の3Hだよな?」

 

 ヒューマノイド・ホーム・ヘルパー。通称、3H。ホームオートメーションシステム用の外部端末だ。

 

「中を見てみろ」

 

 そう言いつつも、彼はボディを開けたりしない。つまり、情報を見ろ……ということ。こんなロボット相手に? 訝しく思いながらも、エイドスをチェックした。

 

「嘘だろ……」

「事実だ。内部にパラサイトが寄生している」

 

 見覚えのある構造パターンが、OS内で何故か構築されていた。

 

「魔法演算領域もないのに? 何故?」

「……ほのかと想子供給リンクが形成されているのよ。色々あって」

 

 深雪の言葉から、おれは思索へと入る。

 要は、この3HはCADと似た状態なのだ。システム部分が、一種の感応石のようになっている。だから、想子を吸収できるよう変化した。

 

(待てよ? 人間じゃないのなら……)

 

 ある疑問が浮かび、おれはそれを達也に尋ねる。

 

「自己保存欲求は残っているのか?」

「残っていない。『本人』がそう話した」

 

 今は機能停止させているが、電源を入れるか?と聞かれた。迷ったが、やめておくことにした。

 

「……それにしても、なんでこんな場所に隠していたんだ?」

「本当は生徒会室に置いておきたかったんだが、俺が生徒会に入れなかったからな。置き場所に困って隠しておいた。だが、新年度に入って、ここも人の出入りが多くなりそうでな。今のタイミングで、生徒会の備品化しておこうと思ったんだ」

 

 おれはパラサイトに対抗できる技術を持っている。だから、事前に情報共有しておこうということらしい。

 

「ただ、お前を呼んだ目的はもう一つある。──深雪、コイツに『あれ』を見せてやってくれ」

「はい」

 

 差し出された端末の画面を覗き込む。電子メールのスクリーンショットだった。文面のところのみ、トリミングされている。差出人を見せたくないのだろうか。

 

「九島家が新兵器を開発中……? テストは九校戦で行われる? 嘘だろ……」

「知らなかったのか? てっきり、九島烈の訪問はそれ絡みだと思っていたが」

「孫の話とかしていたぞ。……ただ、新兵器には少し心当たりがある。おそらく、パラサイトを使う筈だ」

 

 パラサイトのことを「希望」とまで、烈は形容した。使わない訳がない。

 

「……そんな」

 

 深雪は口を小さな両手で押さえた。九島家の異常なまでのパラサイトに対する執着。ショックを受けるのも当然である。

 

「なるほど……。どこかで見られたな、ピクシーを」

 

 達也は納得したように、3Hのボディを軽く叩いた。どうやら、愛称はピクシーのようだ。正式名が「P94」だか「P9-C」だかなのだろう。

 そして、おれもおれで事の次第を理解していた。九島烈がとりあえず用意したプランは「パラサイトをヒューマノイド型ロボットに搭載する」というものに違いない。確かに、非魔法師を魔法師にするよりはずっと簡単だろう。

 

「外に持ち出してたのか? 迂闊すぎるだろ」

「パラサイトの位置を調べるため、仕方なくだ」

 

 当時は情報も錯綜していたから、使える手段は全て使うしかなかった。分かっている。分かっているのだが……。隠しておいてくれれば、九島烈は今も大人しかったのではないだろうか。そう思わずにはいられなかったが、文句は飲み込んだ。

 きっと、どこか別の場面では誰かがおれに対して……似たようなことを思う場面もあっただろうから。

 

 

 

 

 

 

 一卵性の双子というものは、何もかも同じ。容姿も、遺伝情報も。香澄は泉美で、泉美は香澄。昔は特にそうだった。

 

(そして、ボクたちは魔法演算領域の形まで一緒……。だからこそ、2人合わせて強力な魔法が使える)

 

 でも、全てがお揃いなこと。それは、必ずしも良いことばかりではない。見分けだってつかなくて困る。だから、髪型を分けた。香澄がショートカットで、泉美がミドルボブ。それが理由かは分からないけれど、性格もだんだん分化していった。もう、香澄は泉美じゃない。逆も同じ。

 

「……だからかなぁ」

 

 スキンケアをする片割れをじっと見て、香澄は小さく呟いた。双子は寝る前に、どちらかの部屋に集まる習慣があった。

 

「へ? どうしたんです、香澄ちゃん。浮かない顔しちゃって」

 

 鏡に目を向けたままではあるものの、泉美は香澄のぼやきに反応した。

 

「泉美の考えてることがよく分からんね、って話。ま、最近のお父様が輪をかけて変なのは否定しないけどさ」

「……私、分かりやすい方だと思いますけど。香澄ちゃんに対しては、特に」

 

 手入れが終わったのだろう。泉美はドレッサーから離れて、香澄の方へと寄ってきた。

 

「そうかなぁ?」

「えぇ、そうですよ。──手、出して」

 

 手を握り合うことで、意識して魔法演算領域を連結できる。床に放り出された香澄のCADが、起動式を吐き出した。瞬時に、強力な遮音フィールドが形成される。

 

「香澄ちゃんの言いたいことも分かるんですよ。自分たちに関係あるかと言われると、そこまで無いですし」

「実際そうじゃない? お父様が痛い目見ようが、どうでもいいって気はしてるよ。正直」

 

 元々、弘一が妙な行動をとること自体は珍しい話でもなかった。あれは、もう趣味のようなものなのだ。他家の取引相手に接触したり、ちょっと怪しげな献金パーティーに参加したり。それらで家族が割を食うことも、一度や二度ではない。けれども、少々知人に嫌味を言われる程度。十師族の座は、今のところ揺らいでいない。

 

「でも、私たち……確実に九校戦には出るんですよ。それを分かっているのに、パラサイトを使った実験を平気でやろうとしているお父様たちに、私は正直不信感を抱いています」

「そ、それはそうだけど。ならさ、泉美には何か策があるの?」

「え、無いですよ」

 

 泉美のアッサリとした返答に、香澄は唖然とする。

 

「嘘っ!? あれだけ『お父様を止めないと』と言ってた癖に?」

「だって……。じゃあ、逆に香澄ちゃんは何か思いついてる?」

「そんなのある訳ないじゃん!」

「でしょう? 香澄ちゃんがそうなら、私だって一緒ですよ」

 

 香澄は呆れ返ったが、それと同時に……ホッとしてもいた。自分と泉美は違う。分かっていても、時折共通点を探したくなる。そして、見つかると安心する。

 

「……え。でも、どうする気?」

「出来る人にやってもらいましょう。もう頼みました」

 

 泉美はにっこり笑って、メッセージアプリの画面を見せつけてくる。

 

「よ、四葉先輩じゃん……」

「えぇ、そうですよ。生徒会で関わりもあるので」

「……絶対やめた方が良いと思うけどなぁ」

 

 止める、を拡大解釈しそうだ。九校戦を台無しにする度で考えれば、父親と大して変わらないのでは無いだろうか。

 

「将を射んと欲すれば……先ず馬を射よ。そういうことですよ」

 

 しかし、泉美はそう思っていないようだった。

 

「四葉家を動かす気? 無茶だって」

「いやいや。……難しく考えすぎ。──それに、四葉先輩に頼むメリットは他にもありますよ。一条と繋ぎが取れるという」

 

 北陸が地盤なので、一条家は七草に忖度する必要が無い。情報をリークすれば、本来ならこの問題はすぐに解決する。だが、弘一がその対策をしていない訳がない。

 

「最初に考えて『無理そうだね』となったルートじゃない? それって」

 

 九校戦に対する工作のため、九島烈が国防軍のある一派と接触していることまでは分かっている。そのグループは「開戦強硬派」。有力なメンバーの1人、酒井大佐は「佐渡侵攻」の際に一条家に援助を行った人物だ。恩があるゆえ、中立がせいぜいだろう。息子が巻き込まれる可能性があったとしても。

 

「単に、四葉先輩が動くだけですよ? 私たちも一条も……巻き込まれたんです。そういう体裁で行きます」

 

 言いたいことは分かる。しかし、夜久にメリットはあるのだろうか。動いてくれる、というのは楽観的な見方の気がした。

 

「大丈夫。私の『ロマンチスト』センサーがビビビと来ています」

「は?」

 

 普段は「少女趣味」呼ばわりすると怒る癖に、今日の泉美はお茶目にそう言った。自分から言い出すなんて、初めてのことだ。しかも、親指と人差し指で丸を作り……右目に当てるポーズまで取って。だいぶノリノリだ。

 

「馬に蹴られないよう、ラブコメのお手伝いをするんです。──香澄ちゃん。明日、時間あります?」

「あるけど……」

「良かった。実は、一色愛梨さんとお会いする約束をしているんですよ」

 

 香澄はようやく、泉美の「ラブコメ」発言の意図が分かった。

 

「なるほどね」

「……人の恋路を応援する。それを頑張るだけで、お父様を止められる。すっごく、コストパフォーマンスが良いですよね?」

 

 夜久は、愛梨に九校戦で活躍してほしい。去年、途中までしか出場出来なかった分まで。また、愛梨も……夜久に対して似たようなことを思っている。純粋なまでの愛。

 そして、愛は恐ろしい。行き過ぎれば、国までも滅ぼせてしまう。既に証明されている。

 

「泉美ちゃん……。やっぱ、ちょっとお父様に似てると思うよ」

「失礼な」

 

 重ねられていた双子の手が離れる。魔法がキャンセルされ、障壁が消えた。明るい笑い声が、部屋の外にまで響く。何も知らない使用人がそれを聞いて、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 休日、おれはまた金沢へと足を運んでいた。愛梨に会うためだ。落ち合う先は、金沢魔法理学研究所。一条家のテリトリーだが、今回の「相談」をするにはピッタリの場所。小会議室に入ると、既に彼女が待っていた。

 

「──世の中で、私たち……公開恋愛してることになってるみたい。七草家の末娘が『リアリティ番組を見てるみたいです!』と言ってくるくらいには」

 

 開口一番、愛梨が愉快そうな顔でそう言ってくる。この前、七草の双子とアフターヌーンティーをしたらしい。

 

「知ってる」

 

 泉美からざっくりとした計画を聞いた時に、同じことを言われていた。

 愛梨とは婚約をしている訳でも、正式に交際している訳でもない。おれたちの関係性はかなり中途半端だ。それに、彼女の父親は今も娘にやたらと見合いをさせている。反対されている(一般的に見ても、誰だって反対する気はするが)のに、自分の意思をずっと貫いている……と、女性魔法師の間で愛梨は「あこがれの存在」らしかった。

 

「……パラサイドール問題を、感情的な問題にスライドさせて世論を爆発させる。確かに、良いアイデアではあるが」

 

 後輩の提案は稚拙ながらも、かなり本質をついていた。

 全ての人が専門的な知識を持つとは限らない。政治などは尚更。だから「簡易な手がかり」を使って、物事を判断してしまう。分かりやすいことしか、人は理解できない。

 

「さっき、一条家の御当主と話してきたけど。出来るだけの支援はしてくれるそうよ」

 

 九島家へ探りを入れたり、形だけとはいえ「強硬派」に忠告をしたり。最低限の手助けの確約は、既に将輝からも聞いていた。まぁ、将輝自身はもっと深くこの計画に関与する気らしいが。それは、七草の双子もそうである。言い出しっぺなので当たり前だ。

 

「魔法師の『人間らしさ』は、反魔法主義者のアピールにもなるかもしれない……そうも言っていたわ」

「意味は周囲が勝手に決めたら良い。──おれの願いはシンプルだ。次こそは、九校戦で愛梨が思い切り戦えたら良い……ってだけ」

 

 本当に「やりたいこと」はそれだ。少なくとも、美しい思い出を作らなければならない。彼女への、せめてもの贖罪。

 

「うん。私の気持ちも同じ。去年……すっごく悔しかった。くだらない陰謀1つで、全ての努力が崩れ去ってしまったことが」

「二度と起こさせない。約束する」

「……もう。──だめよ、夜久くん。『私たち』がさせないの」

 

 私たちはいつだって、一緒なの。愛梨は優しい目でおれを見つめた。

 

「……あっ、でも。優勝は三高だから。貴方たちにはあげないわよ」

「まだ決まってないだろ。始まっても無いのに」

 

 おれたちはしばらく睨み合う。耐えきれなくなり……どちらかともなく吹き出した。



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第3話

魔法科3期のキービジュ見ましたが、特に香澄がとても素敵でしたね。放送が楽しみです。


 華僑やチャイニーズマフィアを牛耳っていた、中華街の実質的リーダーの周公瑾。彼は横浜事変の最中に行方不明となってしまった。未だに、生死は不明だ。

 だが、彼の主である顧傑は、そこまで問題視していなかった。肉体を失うことはあれど、精神までは失っていないだろう……周に掛けられている呪いとも言うべき術式への信頼がそんな楽観的な認識を与えたのだ。

 実際は、夜久によって「自我」を消失させられているために復活は不可能。顧傑の前に弟子が現れることは、もうない。

 

(奴が戻ってくるまで待ってはいられない。そろそろ、日本への工作を再開せねばならないのだ)

 

 周が便りを寄越さないことに痺れを切らした顧傑は、代役の現地エージェントを探すことにした。優秀な術師であることはもちろん、自分の「信条」に合う人間でなければならない。つまり、四葉家に憎しみを抱き、なおかつ「危害を加えてやろう」と本気で思っている、恐れ知らずである必要があった。

 

「──絶対、ヨツバヨルヒサを殺しマース!」

 

 フリズスキャルヴという特殊な情報端末を駆使して探し出した同志は、周と比べるとだいぶ不安になる人物であった。

 エンゾは、南米出身のエクソシスト。年は53。数年前に、日本へと渡ってきた。その後、夜久とちょっとしたトラブルがあったらしい。

 

『……貴様の事情については理解している。しかし「ただ殺す」だけが目的では困る』

「イエスイエス。ヨツバを絶望させるネ」

 

 この調子だから、顧傑は「本当に大丈夫か?」と心配になった。しかし、九島烈の「パラサイドール計画」を教えると、あっさり知人の術師をスパイとして送り込んだ。しかも、中華系の方術士。祖国にいた頃には知り合っていない筈なので、日本に来てから作った人脈に違いない。その手腕は、本物と認めざるを得なかった。

 

「……ダガ、奴はクドーショーグンの策には乗らなかった。残念ダ。ソレナラ、話が早く済みそうだったノニ」

 

 もしパラサイドール計画に関与してくれていれば、エンゾの仕事はかなり楽になっていた。パラサイトをなんとかして暴走させれば、後は九島烈が夜久に咎を擦りつけてくれただろう。

 もちろん、夜久がそれに納得する訳がない。間違いなく、揉めるに違いなかった。九島烈と相討ちになって死んでくれないか……までが、組み立てていたストーリーである。

 

『四葉夜久については、今回ばかりは見送ることだ。──この計画においては、魔法師たちの力を喪失させることこそ重要なこと』

「……単純ナ考え、ッテ気するケドネ。ナンデモ殺す方が安心」

 

 エンゾは、やたらと口答えをしてくる。ここが周とは異なるところだ。

 

『言った通りにするんだ。長いスパンで取り組むべき計画だ、勝手なことをするのは避けろ』

 

 顧傑はうんざりして、言いたいことを伝え……さっさと術を切った。術による通信は電話と違い、死体を媒介に思念を伝えるため、再接続には数日かかる(その分、盗聴が困難というメリットがあるのだが)。しばらくは、エンゾと会話をしなくて済む。

 深いため息をつき、彼はヘッドセット型端末を装着する。フリズスキャルヴを使い、新たな策に使える情報を探さねばならない。そう思ったのだ。新入りに長期計画の全てを委ねるのは、あまりにもリスクが大きすぎるから。

 

 

 

 

 

 

 黒羽の双子は、四葉家が所有するマンションを訪れていた。つまりは、夜久に会いにきたのだ。だが、遊びに来たのではない。別に仲良くなどないのだから当たり前だ。

 

「エンゾ・アランテス・ド・ロドリゲス・ジュニオールという名に心当たりは?」

「長い名前だな。……いきなり訪ねてきて何だよ」

「夜久さん、どうやら狙われてるみたいです。まぁ僕も御当主様から言われただけなんで、詳しいことまでは分かりません。だからこそ、質問してるんですよ」

 

 文弥と亜夜子は、真夜から指令を貰っていた。「面倒なことにならないうちに、夜久を狙う術者を調べておけ」というもの。要は「夜久係」という貧乏くじをまた引いたのだ。

 彼の問いに、夜久は文句を言いつつも……なんとか記憶を引き出そうとする。

 

「50代の男性です。かなり南米特有の顔立ちですわね」

「そんなやついたか……?」

 

 夜久は首を傾げながらも、亜夜子の差し出した画像を見る。

 

「……あぁ、食い逃げ犯だ」

「食い逃げ?」

「そう。駿と飯を食いに行った時にな」

 

 都内で有名なつけ麺屋で食事をしていた時のこと。レジではトラブルが起きていた。断片的に聞こえてくる言葉は「マネーカードの額が足りない」というもの。煩わしくなったのか、店員を無視して客は逃げ出した。それを魔法で止めたのが駿。無系統魔法が見事にヒットし、食い逃げ犯は通報を受けた警察によって連行された。捜査の中で、都内で何度も食い逃げを繰り返してた人物でもあると発覚したらしい。後で聞いた話だが。

 

「だから、恨むなら駿の方だろ。おれ、全く関係無いぞ」

「変に煽ったりとか、しなかったんですか?」

「してない。警察が来る前に食べ終えてしまいたかったからな」

 

 事情聴取を受ける羽目になりそうだったので、食事に集中していた。自分に非はない、と夜久は訴える。

 

「……言い方は悪いですけれど。森崎家の嫡男、ちょっと地味なお顔立ちですものね。印象に残らなかったんじゃないんですか?」

「そんなメチャクチャな……。ですが、夜久さんの方が、ずっと華やかな感じではありますね」

 

 深雪や光宣のような人外の美しさを、夜久は持っている訳ではない。もちろん、端正な顔立ちはしている。しかし、完璧な造形ではない。黒目がちの大きな瞳だが、瞼は少し重めで二重幅は狭い。鼻はスッと高く美しいが、鼻筋はしっかりしていて「忘れ鼻」とは違う。人間の範疇での「美しい顔」に黒髪ウルフカットが相まって……儚げな美少年となっている。

 

「……照れるな。あんまり、褒められたことないし」

 

 そうだろうよ、と双子は思った。人間として駄目な分、見た目の良さが霞んでしまっているのだから。

 

「ただ、まぁ……顔が理由ってのはあり得ないと思う」

「それもそうですね」

「でも、エンゾって人が食い逃げ常習犯だとして……なぜ、その時だけバレたのでしょうか? 少額のマネーカードを用意していたし、一時の気の迷いではなく、明らかに確信犯だと思いますが」

 

 その言葉を受けて、当時のことを思い出していた夜久が「あっ」と声を上げた。

 

「そうか……認知を歪める簡易結界を張っていたんだ」

「どういうことですか?」

「入り口にさ、妙な置物があったんだよな。クリスタル製の、小さいやつ。実際、店の感じが……なんだかキモくて」

 

 それを夜久は蹴り飛ばしたらしい。その瞬間、店から漂っていた奇妙な空気感は消えたという。

 

「なるほど……。置物を媒体に、特殊な結界を構築して食い逃げをしていたと。みみっちいな……。──だけど、魔法的感受性の高い夜久さんと邂逅したことで失敗した」

「恨まれた経緯はそれっぽいですわね……。でも、だいぶ逆恨みではありませんこと?」

「まぁ、よく分かんない人なんか世の中にごまんといるしな……お母様とか」

 

 文弥と亜夜子は曖昧な笑みを浮かべる。同意など出来ないし、したくもない。しかも、ここは四葉のマンション。使用人の耳目があり、迂闊なことは言えなかった。

 

「と、とにかく……大した問題ではなさそうですね。御当主様には、僕から報告を上げておきますよ」

「でも、身辺にはくれぐれもお気をつけてくださいね」

 

 玄関まで双子を見送った夜久は、少しの間そこに留まって……1人静かに考え込んでいた。そして、部屋に戻ってモニターを点けた。

 

『──これはこれは夜久様。お久しぶりですな』

「お母様を出してくれ」

『いきなり仰られても……』

 

 葉山は困った顔で「言付けならしておきますから」と言った。

 

「まぁ、良いか。確認したいだけです。……おれに恨みを抱いている奴のことなんて、どうやって調べてくるのか気になって。おれ自身、忘れていたことを」

 

 このことが、夜久にとって不思議で仕方なかった。

 

『……奥様の持つ情報網が凄まじいことの証左でしょう』

「それなら逆におかしい。黒羽は『恨んでるらしい』しか知らない状態で、おれに会いにきた。 つまり、お母様も人物の細かい背景までは知らなかった。こんな変な話がありますか?」

 

 顔を見ただけで「恨んでそう」とでも分かったというのか。否、真夜は精神干渉魔法に適性がある魔法師では無いのだ。そんなエスパーじみたことが出来る筈もない。

 

『……私が話せる範囲のことは、お話ししておきましょうか。今後も、繰り返し質問されても困ります』

「へぇ、何か秘密が」

『そこまで大したことではありませんがね。……九島烈と七草弘一が組んでいる、例のパラサイドール計画があるでしょう』

 

 ガタン、と音がした。夜久がテーブルの上に置いていた物をうっかり落としてしまったのだ。葉山はそれに気づいているのか、いないのか……そのまま話を続ける。

 

『そこに、四葉を恨む勢力が一枚噛んでいるようです。その調査の途中、夜久様を恨んでいるという人間も浮上してきたのです』

「……そうか。そういうことか。……ありがとうございます」

 

 夜久は話を切り上げ、椅子に深く座り直した。目を瞑っても、思考はぐるぐると回り続ける。四葉も既に探りを入れていたという事実。それを再認識したからだ。よく考えれば、当然のこととはいえ。

 七草の双子たちとの共同作戦が邪魔されないといいが……。珍しく、夜久はそんな弱気なことを思った。

 

 

 

 

 

 

 九島光宣は、リニア列車に乗っていた。奈良に帰るためだ。そして、彼には「あること」について調べるという目的もあった。

 

「……君、別に奈良に用は無いと思うけど」

 

 目の前にいる人間のことを、光宣は鋭く睨みつける。しかし、当の本人は座席で呑気にくつろいで読書に勤しむのみ。傍のドリンクホルダーにはコーヒーまで置いている。向かいからの冷たい視線など、どこ吹く風。

 

「監視が目的だからな。妙な動きをすれば、そりゃあ後を追うに決まっている」

 

 奈良までの同行者(もはやストーカーだと光宣は思っている)は、七宝琢磨である。

 

「校内はもう諦めたよ。でも、休日までは本当に鬱陶しい」

「俺も別にやりたくはない。だが……」

 

 琢磨はCADを操作して、遮音フィールドを構築した。

 

「お前の爺さんが怪しい動きをしていると聞いたからな」

「……耳が早いね。『元老院』ってやつは」

 

 諦めたようにため息を吐き、光宣はポケットを探る。取り出されたのは情報端末。

 

「響子姉さんから来たメールだ」

 

 響子、というのは、光宣の「遺伝上の異父弟」である藤林響子だ。

 

「そうか……『電子の魔女(エレクトロン・ソーサリス)』は、お前の親戚だったな」

 

 文面はシンプルだった。「強制はしない。でも、貴方にその気があるなら……お祖父様を止めて。ヒントはピクシー」という内容。他には何も書かれていない。

 

「ヒントは妖精? 七草家の長女か?」

 

 七草真由美の異名には「エルフィン・スナイパー」や「妖精姫」などがあった。

 

「バカ。……生徒会に最近入った3Hだよ、多分」

「あのメイドロボか」

「あれ、パラサイト入りだよ」

「……ブフッ!」

 

 琢磨が盛大に咽せ、口にしていたブラックコーヒーを吹き出した。シートにシミが広がる。

 

「うわ、汚した……」

「悪かった。ちゃんと戻すから……」

 

 吸収系でタンパク質や色素などを完全に分離、そして水分と共に発散してしまう。瞬く間に、さっきコーヒーを溢したとは思えない状態へと戻る。

 

「……なんで、そんなものが生徒会室に?」

「司波達也先輩の持ち物らしい。所有者を調べたらヒットした」

「あの人も怪しいってことか?」

「いや……。それなら、響子姉さんはその旨も書きそうだし……。一旦、それは置いておこう」

 

 琢磨的には気になって仕方なかったが、今突っ込んだ話をするのはやめた。光宣の機嫌を損ねるのは面倒だ、という判断だ。

 

「……つまり、パラサイト入りロボを量産しようという話なのか」

「恐らくはね。気になったから、一応自分の目で見ておこうかなって。多分、第九研を使っている筈だから」

「そうか、お前なら顔パスだろうし……調べるのは楽そうだ」

 

 その言葉に、光宣は顔を曇らせて……首を横に振った。

 

「違うよ。……忍び込むんだ」

「どうして」

「僕は家族に好かれていないから。パラサイトを入れられる前からね」

 

 窓の向こうを見つめ、光宣は淡々とそう言う。表情ひとつ変えない。

 どう返せば良いのか、琢磨には分からなかった。自分は七宝家の長男で……跡取り。礼儀作法など厳しい躾もあったが、それなりに愛されて育ってきた。その自覚があるからこそ、光宣の気持ちに完全に寄り添えない。

 

「……じゃあ、手伝ってやるよ。1人で怒られるよりは、2人の方がマシだろ」

 

 だから、下手な慰めはやめることにした。気の利いたことを言える気がしなかったから。

 

「……足手纏いにならないでよ」

 

 まだ、光宣は無表情で景色を見ている。でも、ほんの少しだけ……その口角が弛んだように、琢磨には感じられた。

 

「言ってろ」




夜久の「精神構造干渉」のために周公瑾を殺して、一応いつでも復活させられるように微妙な感じにしておいたんです。でも、生き返ってもウザいな……と思い、別のエージェントを用意することにしました。差別化するために、かなりイカれた方向性で肉付けしています。


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第4話

 さまざまな思惑が裏で蠢いているとはいえ、九校戦自体は入念な準備が必要だ。多くの選手やスタッフは、もう練習に入らねば間に合わない。深雪やほのかはもちろんのこと、一年生たち──光宣や琢磨も、本番に向けての対策に注力していることだろう。問題児だろうが、新人戦勝利のためには出すしかない(この論自体は、達也の受け売りだが)という訳だ。

 しかし、おれはまだ生徒会室で頭を悩ませていた。練習もせずに。

 

「──どう考えても、それぐらいしか無いよな……」

「やっぱり『ピラーズ』に出て欲しいんですがね……」

 

 あずさがタッチパネル端末を叩きながら言う。

 実は、おれの九校戦出場競技申請が、大会本部に受理されなかったのだ。「アイス・ピラーズ・ブレイク」で出したというのに、何故か「もう一度考え直さないか?」と遠回しに書いた返事が届いた。

 要は「十師族同士を被せるのはもったいない」という話。確かに、どちらが負けても損というのもある。外野は呑気に「十師族直系の激突!」とはしゃぐだけで良いだろうが。

 

「実際のところ、どうなの? もしも『クリムゾン・プリンス』と氷柱倒しをやったとして」

 

 だからこそ、五十里のそんな疑問は当然なものとも言えた。「一般人らしい」という意味で。

 

「おれが勝つでしょうね。負けそうなら、軍側もそんなこと言ってこない筈だ。──別に2種目出場に拘ってる訳でもなし。誰か代役を立てても良いんじゃないですかね」

 

 本部は、全国の魔法科高校生の成績を見ている筈だ。ならば、おれの構築スピードの速さも把握しているだろう。「爆裂」発動前に干渉力で塗りつぶされる、という面白くもなんともない絵面になる可能性が高い。

 四葉の評判はいくら下がっても良いだろうが、一条の評判が下がるのは軍にとって困る。日本海側の防衛を一条家に委託している、という事情があるからだ。そういった諸々の問題の複合体が「出場しないでくれ」という要請の正体だ。

 

「……四葉くん。本当に良いの?」

 

 五十里がおれの背後に回って、耳元でそんなことを囁いてきた。

 

「え、何すか。急に」

「……いやね。ここで『おれは絶対に氷柱倒しに出る』ってゴネて欲しくて」

「あ……なるほどな」

 

 メチャクチャわがまま言うので、仕方なく……という流れを期待していたようだ。

 

「じゃあ……そういうことで」

「了解ね。では、四葉くんは『アイス・ピラーズ・ブレイク』出場、と……。説得しても変えられなかったので、ごめんなさい!」

 

 茶番にも程がある。おれは呆れてしまった。

 

「よし! ──でも、まだまだ問題はあるんですよね。外部の練習場が使えない、とか」

「元々、一高が借り上げてるんじゃないんですか」

「そうなんですけど……」

 

 反魔法団体の嫌がらせなのか、最近よくそこで座り込みされているらしい。無理やり退かせると余計にトラブルになりそうで、交渉は難航しているという。

 

「今は北山さんのお家のご厚意で……別場所を使う手筈になっているんですけど。とはいえ、あっちをそのままにしておくわけにもいきませんし」

「とは言ったって……どうするんです?」

 

 皆殺しにしろ、とかならすぐ解決させられるが。

 

「解決策がてんで見つからないからこそ問題なんですけどね。──でも、ここだけの話。こういう面倒な反魔法団体たち、どうやら一部は七草家の御当主が焚き付けているらしいんですよ」

「なんでそんな話を?」

「……真由美さん、実はその仕事に加担させられているんです」

「へぇ……そうなんすか」

 

 七草の双子が、おれに話を持ちかけてきた理由が何となく分かった。いくら父親に対しておかしいと思っても、それだけで止める結論に至るとは思えない。そう考えていたのだ。2人はきっと、姉のことが大好きなのだろう。

 

「それにしても……どうしてなんだろう。七草家がそんなことするなんて、変だよね?」

 

 そうでもない。反魔法主義に、魔法力で対抗するのは悪手だ。話が拗れてしまう。だから、迂遠な手段を取ること自体は問題ない。反魔法主義者を焚き付けようが、何しようが。結果的に上手く行くならば。しかし、手の内が既に……このように外部に漏れているのは駄目だろう。少なくとも、あずさなんて完全な部外者に違いないのに。

 

(九島のジジイ……七草を引き込むために「四葉が見せた夢」のカラクリを話したな?)

 

 大方、四葉への対抗心が「反魔法主義者を自分も抑え込める」という方向に発露したというところか。そして、七草弘一のこの行動を九島烈が止める筈もない。彼は「パラサイトが人々の夢を実現する」と思っているのだから。

 完全に役満だ。しっかり、元老院の方針とかけ離れている。そこまで考えて、黒羽が既に動いていると思い出した。つまり、元老院は状況をだいぶハッキリと認識している。そう言って差し支えないだろう。でも、黒羽に調査をさせているということは、四葉が九島と七草の悪事を暴くということを意味する。

 

(昔のおれなら、こういう展開を手放しで喜んでいただろうが)

 

 烈の懸念ではないが、四葉一強時代の到来はおれにとっても不利だ。なんとかしなければ……。

 

「──……くん。四葉くん?」

「どうしたんですか? 急に固まって」

 

 気づけば。あずさと五十里が、おれの顔を覗き込んでいた。

 

「……いや。大変なことが多いな、と」

「本当にそうですね」

 

 あずさがしみじみと頷いた。会長になってから、苦労ばかりしている気がする……彼女はそうも続けた。

 

「けどまぁ、意外と何とかなるものです。今となっては、四葉くんも心強い仲間ですし」

「確かにね。こういうことを君と一緒に分かち合えるなんて思わなかったな」

「えぇ」

 

 おれも頷く。結果論とはいえ、生徒会入りもそう悪くなかった訳で。

 

「……とりあえず、九校戦は頑張りますか」

 

 やるべきことが山積みだ。少なくとも、七草の双子とは改めて方針を詰め直す必要がある。おれたちはお互いに……持っている手札を開示すべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 夜、10時ごろ。琢磨はトートバッグを抱えて、都内にある公園のベンチに座っていた。繁華街に近いからか人の声が聞こえてくる。しかし、その騒々しさの中でも、彼は着々と術式の準備を進めていた。ここからだと、七草邸まで直線距離で約10キロ。探査術式を打って、バレたとしても「飛ばしすぎました」で誤魔化せる……本当にそうなのかは分かっていないが、琢磨には根拠のない自信だけがあった。

 

(……九島はああ言ってたけど、関東で七草にバレずに好き勝手できるのは四葉くらいだろう。逆にいえば、間違いなく七草は関与している)

 

 奈良まで行って旧第九研に忍び込んだにも関わらず、2人は何の成果も得られなかった。つまり、パラサイドール製造は別場所ということだ。故に、七草家に探りをいれなければならない。

 別に誰かに頼まれてもいないのに、琢磨はやる気に満ち溢れている。それは「元老院」の一員という妙なプライドからだ。パラサイトをばら撒く巨悪を打ち倒さねばならない、そんな風に思っていた。

 

(あの「ピクシー」というヒント。やはり、七草真由美は関係しているんじゃないか?)

 

 斜め上の解釈から、彼はこうして夜間外出をしているのであった。

 

「──前も教えてやったのに。古式だって、事象改変そのものは誤魔化せないと。人のいるところでやる魔法じゃないんだ」

 

 背後から声がした。びくり、と琢磨は身体を震わせる。絶対に会いたくない人間。辺りを見回す。気づけば、すっかり人がいなくなっていた。

 

「なんでここに……。また、なんか悪巧みか!?」

「悪巧みしてたのはお前だろ」

 

 おれはこの辺で飯食ってただけだよ。そう言いながら、夜久は背後に親指を向けた。釣られて琢磨も、彼の背後を見る。

 

「さ、七草……」

 

 泉美と香澄、そして真由美。七草家の三姉妹がこちらへ歩いてきた。七草邸に式を飛ばすまでもなく、ターゲットは周辺にいたのだ。

 

「七宝、お前さぁ。何のつもり?」

「いや……」

 

 香澄がずい、と琢磨に詰め寄る。だが、彼はモゴモゴと口を動かすばかりで、何も答えない。自分の抱える事情を詳しく言える訳がなかった。

 

「元老院で何か聞いてきたか? お前のところが噛んでいなくても、噂話くらいは流れていてもおかしくない」

 

 ハッ、と顔を上げた琢磨。その表情は驚きに満ちている。彼女たちの前で、夜久が「元老院」のワードを出すとは思わなかったのだ。

 

「その反応。さっきまで、私も半信半疑でしたが……。やはり、あるんですね? そういうセクションが」

 

 泉美の言葉に、夜久が「その通り」と頷いた。彼は愉快そうな顔で、真由美の方を見る。

 

「セクションというよりは、フィクサーだけどな。──どうです? 七草先輩。事態があまり良くないものだと、理解してくれたかと思いますが」

「……え、えぇ」

 

 彼女の顔色は悪かった。そもそも、今日の食事会も流れで参加したのだ。現地に着くまで、単なる「姉妹水入らずの集まり」だと思っていたのである。なのに、蓋を開けてみれば……夜久が同席していて。飛び交う話題は、きな臭いものばかり。救いは、この場を設けた妹たちが「自分のことをとても心配してくれている」という事実だけだった。

 

「だが、おれは四葉が問題を解決することを望まない。なぜなら……」

 

 四葉家を出て行きたいから。

 初めて、夜久は「自分の願い」をハッキリと口にした。しかも、人前で。

 

「だから、この話が大事になる前に止めたい。少なくとも、おれは七草から恨みを買いたくないし。既に一度……痛い目も見ている」

「あっ、あれ一応反省してるんだ」

 

 香澄がそう言うのを、真由美が小声で「コラッ!」と咎めた。

 

「けどまぁ。七草先輩、アンタには期待外れだったよ。とはいえ、止められるようなら最初からやる訳ないもんな。家の仕事、というのは……親の言うことを聞くしかないからやるものだ」

「ちょっと! お姉ちゃんに何てこと言うの」

「香澄! ……いいのよ、事実だから」

 

 真由美が俯く。夜久の言葉はだいぶ暴言に近いものだが、痛いところを突いてもいた。

 

「でも……夜久くん、貴方もそうなのね?」

「否定はしない」

 

 夜久は真夜および黒羽を止められないし、真由美は弘一を止められない。その点で、よく似ていた。

 

「お姉さまも、四葉先輩も。難しく考えすぎではないでしょうか。確かに、計画そのものを止めることは『平和的解決』と言えますが……どだい、無理な話。なら、さっさと諦めて当初の目的通り、当日の安全確保に留めるべきでは?」

 

 泉美が身も蓋もないことを言い始めた。言い出しっぺは、彼女だったというのに。

 

「そもそも。四葉先輩は、一色愛梨さんが無事ならそれで良い筈ではありませんか。何故か、話を大きくしていますけれど」

「それは……おれが、四葉を出て行きたいから」

 

 大丈夫ですよ。泉美は笑ってそう続けた。

 

「少なくとも、私たちは先輩の味方でいるつもりですよ」

 

 そうですよね?と、彼女は姉たちに尋ねる。ただ、2人は何とも言えない顔をしていたが。

 

「でも、泉美ちゃんの言う通りよ。それに、十師族選定会議までは時間がある。もしかしたら、それまでに別件で四葉家を牽制できる可能性だって」

 

 夜久は呆然とした顔で、三姉妹を見た。彼にしてみれば、普通に「自分が社会に受け入れられる」未来なんて想像出来なかったのだ。しかも、一度トラブルを起こした七草家をまた敵に回してしまった場合の。

 

「まぁね。……ぶっちゃけ、四葉先輩ともそんなに仲良くしたい訳じゃないけど。何も知らない人よりは、親しみもあるよ」

 

 ふっ、と夜久がおかしそうに笑う。あまりにも、歯に衣着せぬ言い方で面白くなったのだ。

 

「……ありがとう。──さて、話を戻そう。七宝、お前……普通に魔法の不正使用をしているから、警察を呼んだら一発だぞ」

「お、お前だって! 何か魔法を使ってただろ! 普段、この公園がここまで人気のないことなんてない!」

 

 事実、夜久は精神干渉系魔法を使っていた。しかし、彼が咎められることはない。なぜなら。

 

「さぁ? 想子センサー、今『壊れて』いるらしくて。途中までしか記録されていない。そして、壊れたから……中のデータはもう抜いて保存している」

「ひ、卑怯だぞ!」

 

 喚く琢磨。夜久は、意地悪げな顔をしている。

 

「お前……出たいよな? 九校戦」

「……出たい」

「なら、こちらに協力するんだな。お前も、本番にパラサイトが大暴れ……なんて見たくないだろ? 人海戦術で、会場に納入する奴らをボコボコにする。それには人手が必要だ」

 

 憔悴した表情を浮かべ、よく分からないなりに琢磨は首を縦に振る。彼の心は無力感に満ちていた。「七草」の悪事をこの目で見ているのに、何も出来ないことへの。




 平和的に話がまとまったものの、このあと「司波達也&九島光宣&四葉夜久」という世界の終わりみたいな三つ巴が待っている訳で。この3人の中だと「穏便に済ませる」という選択肢が、夜久にしかないの大バグ過ぎますね。


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第5話

夜久不在回です


 琢磨が夜久に脅された日から、数日後。九島光宣は、珍しく客を自室に招き入れていた。彼の元を訪ねる人物など今までいなかったので、初めてのことである。お互いソファに腰掛け、机を挟んで向かい合う。

 

「ヨツバヨルヒサを殺したいハズ。ワタシ、知ってマース!」

「……よく知ってるね」

 

 光宣は静かにそう返答した。理由なんてもはや無い。自分の納得のためだけに殺したかった。

 

「憎シミが見えますヨ〜。アンタの『ホントの位置』見えてマス」

 

 エンゾはソファに座る光宣ではなく、自身の隣を指差した。光宣は、どきりとする。自分の「本当の位置」は、彼の示した位置とほんの少ししかズレていなかった。

 

「……無能、って訳じゃないみたいだ」

 

 南米という無政府地帯。そんな地域出身とはいえ、それなりに能力のある術師なようだ……そう思い、光宣は更に警戒レベルを引き上げた。

 

「デモ、日本デ理由なく悪いコトすると捕まるヨ。一回、大変ダッタ」

 

 光宣も頷く。実際、それが「夜久殺し」に踏み切れない理由だった。

 

「困るネ。故郷では呪い放題ナノニ」

 

 それは、呪殺であっても例外では無い。これについて、勘違いされがちだが……一般魔法師が呪いを習得して行使した場合、ほぼ確実に逮捕される。それは、警察にも魔法師が多く在籍しているため。事象改変の痕跡があれば、想子センサーや監視カメラを経由して、数日で犯人は特定されるだろう。

 古式魔法は、気の長くなる程の時間をかけるからこそバレないもの。または、独自の隠蔽ノウハウを持っているか。例えば、十六夜家が「呪詛」を秘密裏に継承できているのは、高レベルに使いこなせる魔法師が多いこと、証拠を消し去る方法があること……この2つが揃っているからだ。

 

「……ダカラ、どさくさに紛れて殺すしかないネ。それを頼みたいワケ」

「その『どさくさ』ってどのタイミングなの?」

「九校戦ダヨ」

 

 夜久が「パラサイドールの排除」のために他の二十八家子息たちと結束していると、エンゾは説明する。七草と一色、一条。そして、七宝。彼らは演習林に納入されるパラサイドールを、開会式の夜に破壊しようと目論んでいる……その辺りの、既に把握していることを伝えた。

 

(……七宝まで。なんなの、それ……)

 

 それを聞いて、光宣は強いショックを受けた。

 夜久と自分。そこに何の違いがあるのだろう。同じ十師族直系。でも、愛されていなくて。愛されたくてメチャクチャで、どこまでも自分本位で……。それなのに、どうして「彼」は受け入れられるのか。あんなやつ、誰にも好きになってもらえなくて然るべきだ。今の自分みたいに。

 

(だって……あいつ自身「運が良かった」と言っていた。こんなの、ずる過ぎる)

 

 絶対的と言える理解者がいて。しかも「四葉」の名前を使って上手くやっている。

 どうして、自分は違うのだろう。健康な身体で生まれたかった。言うことを全て分かってくれる友達が欲しかった。ひとりぼっちは嫌だ。自分だけ、何も持っていない。

 

「……良いよ。協力する。四葉夜久の高い魔法感受性でも『仮装行列』を抜けないことは分かっているからね。──僕が、あいつを殺す」

「ソウ言うと思ったヨ。ヨロシク〜」

 

 エンゾは再び光宣を指差す。その指先は、心臓にぴったり向けられている。「仮装行列」が意味をなしていないことの証左。でも、光宣は気にしない。それより、考えるべきことがあったから。

 

(お祖父様にお願いして、納入時の見張りに混ぜて貰わないとね。最近、あんまり話していないから……きっと喜んでくれる)

 

 以前忍び込んだ旧第九研は、普段通りの稼働しかしていなかった。つまり、現当主の目が届く第九研ではなく、祖父の管轄している場所がある。ならば……きっと、話は早く進むだろう。光宣は、頭の中で算盤を弾く。烈の孫思いな気持ちも、ちゃんと計算に入れていた。

 パラサイドールが倫理的に正しい存在なのか。そんなことも、最早どうだって良かった。姉同然に慕っている響子からの頼みも、頭から抜け落ちている。「今自分がやりたいこと」以外、彼は何も考えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 司波家のリビングにて、何とも言えない微妙な空気が形成されていた。その理由は、1人の客人にある。

 

「──そんな気はしていましたけどね」

 

 達也が端末をテーブルの上にそっと滑らせた。画面に映るのは「差出人不明」のメール。以前、彼が夜久に見せたスクリーンショットの元データだ。

 内容はもちろん、九島烈による新兵器開発計画を告発するもの。どう考えても、九島家の内情に詳しい人間にしか出来ないこと。しかも、こんな特殊な形式を使って。出所を教えているも同然である。

 

「えぇ。……半分くらい、気づいてもらおうという気持ちで作ったわ」

 

 客人は藤林響子。九島烈の孫である彼女は、達也の同僚でもあった。

 

「直接的に言えば、頼み事になってしまうのが嫌だった。でも……深雪さん思いの貴方は、いずれはこの問題で動くことになる。その時に、少しでもこの情報が助けになればと……」

「あまりにも詭弁でありませんか? それは」

 

 テーブルに置かれていた3つのグラス。中に注がれていたアイスコーヒーが、少しずつ凍りついてゆく。

 

「お兄様のお力を借りたいのならば、正直に頭を下げれば良いのです」

 

 深雪にしてみれば、腹立たしくてたまらなかった。

 夜久ですら、素直に助力を頼みに来たというのに。彼は魔法至上主義者であり、割と「魔法で大体のことは解決する」と思っている。実際、それだけの魔法力はあるだろう。それでも、彼は「身の程」を弁えている方で、意外と四葉家内のパワーバランスを理解している。母親の気を惹こうとしつつ、ずっと顔色を窺ってきた少年だからかもしれなかった。

 

「狡猾な遣り口で、人を思い通りに動かそうなんて……傲慢よ」

 

 達也は神の如き力を持っている。だから、世の人々が自らの手に余ることを彼に頼りたい……そう思う気持ち自体は責められない。人は弱いから。でも、兄を道具のように見做すことは大罪だ。

 

「……ごめんなさい」

 

 響子は項垂れる。彼女も、内心では「達也くんを利用しよう、とまで思った訳ではないけれど」と思っていた。ただ、そう誤解されても仕方のないことをしたのも事実だ。

 

「──実際、深雪の身が危ない状況になれば……俺は動いたでしょう。その点では、藤林さんの忠告には感謝しています。それゆえ、今回は良しとしましょう」

 

 深雪と響子の間に発生した諍いに対して、達也が特に何か思うことは無かった。彼の中にある感情は「妹が代わりに怒ってくれるというのに、自分の中で何が怒ることなのか分からない困惑」だけ。だから、響子をあっさり許した。

 

「……ありがとう」

「ところで、何故急に名乗り出たんです? 今のお話から推測するに、俺が動くまでは干渉しないつもりだったのでしょう」

 

 実は、響子の側から達也たちにアポイントメントを取ってきたのだ。逆に、達也は発信元を特定しようとはしなかった(バレバレだったのも理由の1つではあるが)。これはおかしな話である。

 

「……達也くんの気が向くまで、なんて悠長なことが言えない事態になってしまったの」

 

 お願い、光宣くんを止めて。悲痛な顔で、彼女は頭を下げた。高校生相手にはやり過ぎなくらいに。

 

「ちょっ、ちょっと……。藤林さん、落ち着いて」

 

 深雪が慌てだす。先程、響子の行いを咎めたとはいえ、彼女のそんな姿を見たいわけではなかった。

 

「何があったんですか? 光宣くん、と言うと……要は、私たちの下級生である九島くんのことですよね?」

「えぇ。実は……」

 

 ぽつぽつと響子は話し始める。

 光宣の言葉なら聞き入れてもらえると期待して、彼に烈の奇妙な動きについて情報を流したことを。

 

「あんな遠回しじゃなくて、ちゃんと直接会って話せばよかった……」

 

 強い後悔の念が、響子の心に広がる。弟のように可愛がっていた従兄弟(実のところは異父弟だ)を信じた故の行動。しかし、当の彼は烈についてしまった。つまり、祖父を止めなかったのだ。

 

「ふむ……。まず、彼に正義感のようなものを求める方が、間違っていると思うのですがね」

 

 第一高校の入学式での演説。そこで、彼は「魔法師は兵器である」と話したのだ。どう考えても、普通の倫理観とは異なる考え方を持っている。そう、達也には感じられた。

 

「……昔は可愛らしい子だったのよ」

 

 響子の瞼の裏に、ベッドに横たわって弱々しく笑う光宣の姿が映る。咳き込みながらも夢を語る彼は、いつだって目をきらきらさせていた。

 

 ──元気になったら、友達を作りたい。

 ──お祖父様みたいな、すごい魔法師になりたい。

 ──響子姉さんみたいに、九校戦で活躍したい。

 

 ベッドの住人だった光宣は、魔法師のことを「兵器」なんて言わなかった。自身の運命を呪わなかった。ただずっと笑顔で「自分らしく生きたい」と話すのみ。その直向きな姿に、響子は心打たれていた。

 

「……それは、彼の一面でしかなかったのでしょう」

「そんな……」

「人は誰しも、自分だけの意思がある。善悪はともかくとして、自分らしく生きることを望むことが出来る……だから、我々は『人間』なのでしょう」

 

 冷静に話しつつも、達也の目は今を映していなかった。

 あの日。2092年の8月11日がリフレインする。

 

 ──ここで、死なせて?

 

 伸ばした左手が押し留められる。どうしようもない無力感。自分には「この人」の意思を揺らがせないのだ、という自覚。どんな力をもってしても、彼女を止められない。

 

「とはいえ。九島光宣の考えについては、全く同意できません。ですが、彼がそうした意見を持つこと自体は自由な筈ですよ」

 

 個人的な背景から、達也は「魔法師は人間だ」と信じている。魔法師たちが持つ力。その振るい方を、別の誰かに決められることを許してはならない。でも、彼と光宣は全くの無関係。こちらに迷惑がかからない限りは「好きにしろ」くらいしか言えないだろう。

 隣に座る深雪が、達也の手をぎゅっと握った。閾値を超えた悲しみを溢さないように。兄が「桜井穂波」を思い出していると分かったから。

 

「ですから、九島光宣に対して……こちらから説得しろなど言われても無理です。やりたいなら、ご自身でやってください」

「えぇ。まずは、説得抜きにしても……ちゃんと、面と向かって彼と話してみるわ」

 

 弱々しく、彼の言葉に響子は頷く。光宣と向き合わなかった自分を彼女は恥じていた。

 

「藤林さんもご理解されていることと思いますが。俺の『宿命』は深雪を守ること。それ以上でも、それ以下でもありません」

 

 深雪がさらに強く、達也の手を握りしめる。

 達也本人は気にしていないようが、彼の語る「人間としての自由」と……ガーディアンとしての宿命は酷く矛盾していた。そうさせているのが、自分の存在だと思い知るたび、彼女は辛くてたまらないのだ。

 

「……だが。まぁ、パラサイドールの破壊くらいは手伝いましょう。実際に九校戦で運用されてしまうと、深雪の身に危険が及ぶかもしれない」

 

 元より、達也は破壊を予定していた。わざわざ、それを教えるつもりもなかったが。

 何かサポート可能ですか?と、問う。それに呼応し、すぐに響子が端末内のフォルダを開いた。

 

「そうね。ムーバルスーツの提供と、パラサイドールの位置表示くらいなら」

「十分です。会場内に運び込まれたタイミングで教えてください」

 

 トントン拍子に話が進む。しかし、響子はそのスムーズさゆえ、逆に引け目を感じずにはいられなかった。結局、自分は達也を上手く使おうとしていたのだから……。彼女の中で罪悪感が膨れ上がる。

 

「達也くん、ごめんなさいね」

 

 それゆえ、改めて謝罪の言葉が口から出てきた。

 

「そして……深雪さんも。貴女の言ってくれたこと、今ならよく分かるわ。不快な思いをさせて、すみませんでした」

「こちらこそ。頭に血が昇ってしまい……出過ぎた口を申しました」

 

 両者が丁寧に頭を下げる。元々、憎み合っていた訳でもない。誤解が解ければ、何も問題は無かった。

 

「コーヒー、淹れ直しましょうか?」

「いえ、別に構わないわ」

 

 一度凍って溶けたコーヒーを、響子は勢いよくストローで啜る。「清涼感」だけでは済まない冷たさが食道から胃までを通っていく。彼女は思わず目を見開いた。

 

「ふふふ」

 

 表情がおかしかったのだろう。口元に手を当てた深雪がコロコロと楽しげに笑う。妹の可愛らしい様子を見て、達也もコーヒーに手を伸ばした。

 




九島光宣、わりと本作では悪役ポジになりそうなギリギリのバランスでやっているので、勝手に設定したイメソンを聴きながら書くことで悪くなりすぎないよう気をつけていました。

↓個人的イメソン「アイドル covered by ROF-MAO without 剣持刀也」
https://youtu.be/depVPQkSOiw?si=Ehl1kATADumxaP1p


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第6話

 九校戦の会場は「富士演習場南東エリア」。第一高校は比較的近いので、開会式当日の朝にバスで会場に向かうのが通例。今年も例外ではなかった。

 バスに乗り込み、後方へと進む。光宣は既に席についており、ぼんやり前のシートを眺めていた。隣の窓際席には、黙って端末を弄っている琢磨。……どう見ても、険悪そうな空気だ。

 

「あっ、四葉夜久。──ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

 

 それなのに。何故か、彼の方から話しかけてきた。騙し討ちして以来、あまり会話していないので珍しい。気になったので、通路を挟んで隣のシートに腰掛けた。

 

「……響子姉さんに変なこと吹き込んだの、お前?」

「は?」

 

 全く意味が分からず、おれは眉を顰める。謂れのない言いがかりだ。

 

「なんだ、違うのか。急に探り入れるみたいに『調子どう?』って聞いてきたから……。お前の入れ知恵かと」

「何でも、おれのせいにするなよ」

 

 そもそも、自分はそこまで社交的でもない。四葉家内で比較すれば、外との関わりが多い方なだけである。「電子の魔女」と、一体どこで知り合う機会があるのだ。

 

「てか、探り入れるって何だよ。何か、後ろ暗いことでもしてるのか?」

「別に。──そういうことは、そっちのお家芸なんじゃない」

「まぁ」

 

 おれは肩をすくめることで、それに答えた。第四研の非人道性は今に始まった事ではない。

 

「──おっ、夜久」

 

 駿がバス車内に入ってきた。当然のように、彼は隣に座る。おれとしても否はない。

 

「九校戦……楽しみだな。今年はお前もいるし。学校、戻ってこれて良かったな」

「まぁ、勝利を持ち帰るくらいの仕事はするつもりだ」

「つれないな。折角のイベントごとだぞ? もっと楽しそうにしろ」

 

 ほぼ勝てる試合なのである。逆に将輝はかなり気合が入っていて、わざわざ「お前を絶対に驚かせる!」と宣戦布告してきたが。運営本部絡みのゴタゴタを彼も知っている筈だろうに、少しも嫌な態度を見せなかった。良い奴である。

 

「ピラーズは歴史も長いからな。攻略法も色々ある。お前の出る試合の方が大変じゃないか?」

 

 駿は「ロアー・アンド・ガンナー」のソロを担当することになっていた。

 

「最初は慣れなかった。けど、本番は上手くやれそうだ」

「ルールを見る限り……スピードが重要そうだが。でも、的に正確に当てないと点数は伸びないだろ?」

「あぁ。その辺は対策してる。期待しててくれ」

 

 自信ありげな顔の駿。事実、魔法力も上がっている訳で……優勝もあり得る。気合いが入っているのも頷けた。

 

「──あっ、四葉先輩。後ろに座っていらしたのですね」

 

 前の席から、泉美が顔を覗かせた。しかし、その隣は香澄ではない。

 

「あぁ。ところで、泉美ちゃんだけ? 香澄ちゃんは?」

「イヤですね〜先輩。私たち、いつもセットって訳ではありませんよ。なんなら、別々のことが多いです」

 

 飴食べます?と差し出してくる。ありがたく頂くことに。彼女に促され、駿もそれに倣った。

 

「七草さん、珍しいね。夜久と積極的に関わるなんて」

「泉美で良いですよ。──でも、普通に気になりません?」

「物好きだな」

 

 多分、駿の感覚の方が正しいだろう。そう思ったのだが。

 

「綺麗なものって好きなんですよ。深雪お姉様然り。ずっと見ていたくなるでしょう?」

「じゃあ、九島とかも見るのか?」

 

 おれが光宣を指差すと、窓の外を見たままの彼は僅かに身じろぎした。聞こえているのだ。

 

「……確かに。──お2人も、飴どうぞ」

 

 泉美が立ち上がり、彼らに袋を差し出す。琢磨は案の定、無視。光宣は目を見開いて固まっている。

 

「いりませんか?」

「い、いえ! 必要です! ……ありがとう」

 

 光宣はおずおずと飴玉を受け取る。手の中で何度か転がし……初めて笑顔を見せた。こうやって見ると、彼も年相応の少年だ。以前、凄まじい死闘を繰り広げたことを忘れてしまいそうになる。

 

「七宝くんは?」

「俺は施しなど受けない」

 

 端末に目を落としたまま、琢磨はすげない返事をするのみ。

 

「仕方ないですね。九島くん、もう1個あげますよ」

「えっ! いいの……?」

「もちろん」

 

 2つ目の飴玉を光宣は大切そうに鞄に仕舞った。一部始終を見たおれは「良かったな」と思う。傍迷惑なやつだが、別に憎い訳でもない。

 そのうちに、点呼が始まる。人数確認が終わり、バスが走りだした。

 

(去年に比べれば、おれも色んなことを考えるようになった気がする……)

 

 元々、人間なんてどうでも良かった。でも、今はそうじゃない。人の中で生きていたいと思う。それが、どれだけ困難な道であっても。

 包みを開け、口の中に飴を放り込む。舌で転がす。やけに甘ったるい味だった。

 

 

 

 

 

 

 夜。ホテルのロビー付近で、おれたちは集合することなっていた。全員が集まるのは、今日が初めてだ。動きやすいジャージに着替えて、待ち合わせ場所へ急ぐ。既に双子たちは来ており、ソファで寛いでいた。

 

「お疲れさまです」

「七宝は?」

「あぁ。アイツなら、そこにいますよ」

 

 香澄が指差した先には、柱に凭れ掛かる琢磨がいた。夜なのに、サングラスを装着している。通りかかる人は異様なものを見る目をして、彼の前を足早に進んでゆく。

 

「なんだあれ?」

「ウザいよね、なんか」

「ウザいかはともかくとして。私たちと一緒にいると思われたくないみたいですね」

 

 彼なりに何とか折り合いを付けたのかもしれなかった。逆に目立っているが、本人が良いのなら良いのだろう。

 

「夜久くん!」

 

 振り向くと、愛梨がこちらへやってきていた。その後ろには将輝も。おれは軽く手を挙げた。

 

「愛梨さん! お久しぶりです!」

「この前、会ったぶりですね」

「えぇ、お久しぶり。元気にしていた?」

 

 双子が愛梨に駆け寄る。彼女も嬉しそうだ。

 愛梨はどちらかといえば、アスリートタイプの魔法師。それゆえ、2人とは気が合うのかもしれない。真由美もクレー射撃(魔法を使うタイプだ)の業界では世界でも指折りの名手だった筈だ。

 

「……森崎はいないんだな。てっきり呼ぶと思っていた」

 

 女性陣の会話を横目に、将輝がそんなことを尋ねてきた。

 

「一応誘ったんだけどな。試合に集中したいんだと。前例のない競技に出場するし、無理言うのは悪いだろ」

「確かに。俺も同じ理由でジョージを呼んでない。それに、今回は……だいぶ面倒な話だからな。下手を打たないように、関わるのは二十八家で固めておくべきだ」

 

 ぞろぞろと外へ出る。離れていた琢磨も、黙ってこちらへ混ざってきた。向かうのは「スティープルチェース・クロスカントリー」用の野外演習場。メイン会場からは少し距離がある。

 

「……だいぶ、警戒レベルが上がってるな。これを掻い潜って忍び込むのは無茶だろ。おれたちも、相手も」

 

 防犯システムが異常なほどに敷き詰められていた。センサーの数が凄まじい。今まで見たことのないレベルだ。

 

「去年の事件があったからかもしれんな」

「そもそも、元からそれぐらいしておいてくれないと困るわよ。私、手足が一回無くなったんだから」

 

 前からやっておけという当事者である愛梨の意見は尤もだった。

 

「はい。ですので……今日は外周を歩いて、納入出来そうなルートを確認しましょう。本命は、12日後の競技本番前ですから」

 

 発起人の泉美が言う。6人という大人数なら逆に「交流目的の散歩」で監視カメラも誤魔化せる。そういう目算もあるようだ。

 

「一応、家で計画書は盗み見てきたんですけどね。ダミーの可能性もありますし」

 

 香澄が端末をこちらに見せながら言う。画面にはパソコンの画面を直撮りした写真が映っていた。

 

「……くだらない。これだけの人数が揃ってダラダラ散歩か? リスクを恐れずに侵入くらい考えろよ。七草の名が聞いて呆れるぜ」

 

 琢磨が場の空気を悪くすることを言い出した。

 

「じゃあ、お前だけ行けば」

 

 すぐさま、香澄が言い返す。彼女は特に、何でも突っかかってくる琢磨のことが嫌いらしい。まぁ、普通に考えても……ことあるごとに「七草家が〜」と因縁をつけられれば嫌にもなるだろう。

 

「あぁ、やってやるよ」

 

 駆け出そうとした琢磨が、前のめりのまま静止する。愛梨に首根っこを掴まれたのだ。

 

「やめてくれる?」

「おいっ! 離せよっ!」

 

 琢磨はじたばた暴れるが、逃れることは出来ていなかった。その様子はどこか間抜けだ。

 

「……無茶というものは。その無茶の責任を取れる力がある人だけがやるものよ。貴方にその力がある?」

「……うるさいな。同じ師補十八家なのに。偉そうに指図できる立場か?」

「出来るわ。強いもの、私。貴方よりはね」

 

 睨み合う2人。止めようと一歩踏み出したおれを、将輝がさっと手で押し留めた。おれの行動を先読みしたのだろう。

 

「ここで騒いで、怪しまれてもまずい。侵入するにしろ、しないにしろ……揉めない方が良いだろう」

 

 愛梨が手を離し、おれの横へと寄ってきた。なので、慰めるようにその背を軽く叩く。

 

「とりあえず……行きますか。あまり時間もありませんし」

 

 下見(散歩)を再開しようとした時。突如として聞こえたのは、微かな悲鳴。少し掠れたような……少年の声。

 

「行くぞ!」

 

 真っ先に飛び出したのは将輝。おれたちもそれに続く。琢磨は帰るかと思ったが、将輝に次ぐスピードで走っていた。何故?と思ったが、理由はすぐに分かることとなる。

 

(なんでここに、九島光宣が!?)

 

 蒼い顔をした光宣が地面にへたり込んでいた。その横には、人間が転がっている。間違いなく何らかのトラブルが起きた後。

 そして、何よりも異様なのは……戦闘スーツに身を包んだ黒づくめの男の存在。まだ距離があるのに、妙にオーラを感じる。彼が襲撃犯なのか。

 

「大丈夫か!」

 

 琢磨の声に反応してか、光宣が「助けて!」と大声で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 懇親会終了後。宿泊するホテル近くの物陰で、光宣はある人物と落ち合っていた。

 

「パラサイドールは持ってきた?」

「は、はい……。光宣様の仰る通りに。──大丈夫なんですか? 閣下とは別口で実験するなんて」

 

 心配そうな顔をする男は、比較的光宣に同情的な立場を表明している使用人。それゆえ、渋々ながらも要望を聞き入れたのだ。故に、スペアのパラサイドールを1体……彼のために持ち出した。もちろん、起動した状態である。

 

「うるさい。僕がやる、と言ったらやるんだよ。──どうやら、四葉夜久には計画を勘づかれているらしいからね。もしかしたら、お祖父様の思う通りには……テストも進まないかもしれないよ」

 

 もちろん、真実と嘘が半分ずつ混ざった意見。

 元より、エンゾから話は聞いていた。それによると「夜久たちのパラサイドール運用阻止計画はだいぶガバガバ」ということ。納入するところを狙って襲おうくらいの粗雑さ。そもそも、彼らは急拵えのチームなのである。

 

(……でも、怖いのは。それでも、向こうが勝ってしまう可能性があることだ)

 

 烈によると、パラサイドールは「A級ライセンス魔法師レベル」をコンセプトに制作したらしい。大多数の魔法師よりは強いと言えるが……二十八家直系を相手にして、確実に勝利できるかは怪しいだろう。

 しかも、夜久がいる。彼の持つ精神構造干渉は、パラサイトを封印出来てしまう。

 

「……僕が彼に『勝てる』としたら。これしかないんだよ」

 

 そう言い、彼は部下を魔法で気絶させる。同時に素早く、ポケットから呪符を取り出した。パラサイドールの忠誠術式を解除する、鍵のような役割を果たすそれ。方術士にも弘一にも渡さなかった「鍵」を、烈は大切な孫にだけ預けていた。

 それは純粋な愛情。でも、光宣の心には届かない。彼は愛を選り好みしているから。

 

(……頭の中に『自分じゃないもの』が入り込むのは今だって怖い。でも、弱い自分の方が……もっと嫌だ!)

 

 呪符をパラサイドールに叩きつけようとした、その瞬間。光宣は手応えを感じないことに驚く。しっかり握り込んでいた筈の呪符が、無くなっていた。まるで、元から「存在しなかった」みたいに。

 

「……!」

 

 光宣が視認したのは、フルフェイスのヘルメットを被った黒ずくめの人物。体型から男だと分かる。

 

「だ、誰っ!」

 

 想像だにしなかった事態。彼は思わず悲鳴を上げる。

 

「──大丈夫か!」

 

 遠くから複数人がこちらへと走ってくる物音がした。パニックになった彼は、思わず大声で「助けて!」と叫んだ。

 



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第7話

良い続きが全然思いつかなくて、5・6回くらい書き直しました。遅くなってすみません。

【追記】リアルが忙しいので、少し更新ペース落とします。
↓活動報告
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=311353&uid=238259


 九島光宣がいくら変わり者でも、謎の男に襲われていれば助けるという思いが皆にはあるらしい。確かに、今の彼はパラサイトでも何でもなかった。人道的な観点で言えば、困ってる人にはちゃんと手を差し伸べるべきだろう。

 

「彼から離れろ!」

 

 将輝が特化型CADを男に向けて警告する。けれど、それ自体はブラフ。本命は愛梨の「神経攪乱」。自己加速術式を併用し、猛スピードでターゲットに接近する。しかし、彼女の魔法が効果を表さなかった。

 

(……発動前にキャンセルされた!?)

 

 CADから吐き出された魔法式が霧散することで、エイドスの改変が出来なくなってしまったのだ。こんな不可思議な事態を引き起こせる人間。おれの知る限り、たった1人しかいない。

 

(コイツ、達也か!?)

 

 どうして、こんなところにいる? もしや黒羽だけでなく、彼も駆り出されているのか。しかし、厄介なことになった。この場を丸く収められるかは、おれにかかっている。つまりは「いかに、この状況を有耶無耶にするか」だ。勘付かれる前に何とかしなければならない。

 

「愛梨っ!」

 

 彼女と達也(であろう人物)の間に、自分の身体をぐっと割り込ませ、光宣を含めた「こちら側」と達也を分断。そして、彼にだけ見える角度で逃げろとハンドサインを送ろうとした……その時。

 側面から、達也に向けて慣性増大された紙片が襲いかかる。琢磨の「ミリオン・エッジ」だ。遅延術式ゆえ、起動式だか魔法式だかが露出しなかったのだろう。

 直接、紙を分解すると思いきや……運動ベクトルを分解して無力化していた。魔法を誤魔化すためか。

 

(おいおい……マジでどうする?)

 

 打ち合わせをしている訳でもなし。どうしたら良いのか、本当に分からない。とりあえず、他の「やるべきこと」に注力することにした。地面に転がっている人型アンドロイドに向けて、放出系魔法を行使する。

 何故なら、見るからにそれは「パラサイドール」だから。破壊する必要がある。OSに焼き付いたパターンは物質構造に変化していて、そのまま「精神構造干渉」は使えない。しかし、電子回路への簡単な事象改変は行える。せいぜい、ショートさせるくらいだが。

 

「夜久くん! 離れてっ!」

 

 意図を理解した愛梨が、感じ取った改変箇所を目掛けて「エレクトロ・キューション」を発動。高圧電流を一気に流し込むことで、機能停止へと追い込む。壊れたパラサイドールのボディに「拘束具」としての役割は担えない。新たなる宿主を求めて、パラサイトは外へ飛び出してくる。

 

(あとは封印するだけだ!)

 

 以前も使用した特殊な呪符を使って、紙の中に押し込もうとする。だが、それは叶わなかった。

 

「夜久くんっ!」

 

 一瞬のうちに地面に転がされた俺を見て、愛梨が悲鳴交じりの声を上げた。無理もない。人間が吹き飛ぶのを目撃すれば……そうなる。

 

「……させない。思い通りには」

 

 光宣がおれの腹目掛けて、いきなり蹴りを入れてきたのだ。突然のことであり、他の人間も達也に気を取られていた。だから、受け身も取れないまま、思い切り地面へと叩きつけられる。コンクリートと頬が擦れて、やけに熱い。

 

「だって、もうこれしかないから」

 

 熱に浮かされたような顔で、光宣は宙へ手を伸ばす。冒涜的なのに、馬鹿みたいに美しい。それが腹立たしかった。

 

「パラサイトを取り込む気か!」

 

 琢磨が叫んだ。同じタイミングで、将輝がCADを抜く。双子が手を繋ぐ。しかし、起動式は全て定義破綻した。「仮装行列」の効果によるものだ。

 でも、光宣は本懐を遂げることは出来なかった。圧縮された想子弾が、パラサイトを情報次元へと押し込んだからである。おれはこの技術を知っていた。以前……第四研の誰かが報告を寄越してきていたのだ。達也が「遠当て」という封印方法を開発したと。

 

「……やれやれ、変な誤解があったな」

 

 驚いたことに、達也が悪びれもせずに喋り出した。ヘルメットのシールド部分を開け、しれっと顔まで出して。もっと早く正体を明かしてくれよ、と思った。

 

「なんで、アンタがここにいるわけ!? あと何、その変な服!」

 

 香澄が真っ先に詰め寄った。彼女は風紀委員で、彼ともそれなりに交流があった筈だ。

 

「近距離メインの魔法戦闘を行う魔法師にとって、戦闘スーツの着用は珍しくないんだがな……。──ここに来たのは、知人の藤林さんに頼まれたからだ。従兄弟が九島家の試作兵器を持ち出したので、何とか止めて欲しいと」

 

 大体の事情は掴めた。なるほど、藤林響子と繋がっていたのは彼らしい。

 

「──……アイツ、一高のエンジニアよね? 何者なの」

 

 小声で愛梨が尋ねてきた。その質問は、だいぶ説明に困る。下手なことを言って、達也側の言い訳と食い違ったらマズい。

 

「あんまり、学校の人知らないからな……」

 

 この言葉で誤魔化し切ることにした。まさか「従兄弟です」という訳にもいくまい。

 

「──それにしても、辺りがだいぶ静かじゃないか?」

 

 確かに、将輝の言う通りだっだ。それなりの騒ぎが起きたのに。スタッフの1人も来ないのは、かなりおかしい。

 それに、元からどことなく空気感が怪しかった。てっきり、パラサイトのせいだと思っていたが……そうではなかったのだ。

 

「そうか……」

 

 流石に「おかしい」と気づいてしまえば、違和感を見つけることも簡単。少し離れた場所の植え込み。その1つに近寄り、手で土を掘る。爪に砂が入るのが不快だが、魔法を使わない方が良い。しばらく掘ると、カチンと何かが爪に当たった。周りの土も退けて、そっと取り出す。

 

「ビンゴだ」

 

 掘り当てたのは……クリスタル製の小さな人形。

 

「何だ?」

「人形……ですよね?」

「南米を中心に使用されている呪物。出力が弱くて気づかれにくいが、認識阻害の効果はかなり強い。やっぱり、何かカラクリがあったな」

 

 人形を摘み上げながら、光宣をじっと見る。すると、彼はのろのろと後退りした。

 

「ぼ、僕は知らないよ!」

「へぇ。まぁ、どっちでも良い。おれたちを小競り合いに集中させる目的が、少なくとも誰かにはあったんだ」

 

 おれは右足を振り上げ、足の甲で人形を蹴り飛ばす。サッカーボールを蹴る要領と同じだ。クリスタルで出来たそれは宙を舞い、アスファルトに激突して割れた。

 

「ほらな」

「……これは!」

 

 おれたちは、20体以上のパラサイドールを視認した。これだけが周辺に潜んでいたのだ。気づかなければ、不意打ちを食らっていたかもしれない。

 

(……待てよ。達也なら、絶対『視えていた』んじゃないか?)

 

 横目で、彼をチラリと見る。平然としていた。まさか、全てを押し付けて立ち去る気だったのではないか。気づいてよかった。

 

 

 

 

 

 

 七草家本邸。そこでは、2人の人間が睨み合っていた。パラサイドールの実証実験が、烈の預かり知らぬところで……弘一の手によって前倒しされていたと発覚したから。

 

「どういうことだ……?」

「どうもこうも。実験はわざわざ九校戦に拘ることありませんよ」

 

 顔面蒼白で詰め寄る烈に対し、悠然と微笑むだけの弘一。いつぞやとは立場が逆転していた。

 

「十師族システムを提唱したのは、先生……貴方なのに。変だなぁ」

 

 自分の娘たちが、パラサイドール計画を止めようと躍起になっていること。そして、四葉夜久や一条将輝まで噛んでいることも……彼はもちろん知っていた。知ってて、放置している。

 

「お分かりでしょう。十師族子息であっても対抗可能な新兵器。その価値は計り知れない。しかも、パラサイトさえ増殖させれば……いくらでも大量生産できる。まさに夢のようです」

「そんな目的で、パラサイドールを開発した訳じゃない! あれは」

「えぇ。先生のことは、誰よりも理解していますよ。『魔法師が望まぬ戦いを選ばずに済む世界』のため……。何度聞いても立派です。惚れ惚れしますよ」

 

 でも、それは甘い幻想だ──弘一はサングラスを外しながら言う。視力のない筈の右眼が、烈を射抜いた。弾劾するかのように。

 

「パラサイドールが増えて、魔法師の価値が下がった世界になっても。魔法師は、魔法師にしかなれない。なりたくない。待ち構えるのは、少ない牌の奪い合いですよ」

 

 義眼のある方の瞼をこじ開けてみせ、ニヤリと笑う弘一。プリントされた瞳があらぬ方向へ向く。光も感じ取れない目で「未来を見た」と皮肉っているのだ。

 

「だから……獅子が子にするのと同じで、崖下へと突き落としてやらねばなりませんね。馬鹿みたいな世界で、無事に生き延びられるように。『社会に求められる強い魔法師』にしてやることが、親の出来る精一杯の愛情だ。──私は我が子にそれをしてやれると思っているから、計画への協力も決めたのですよ」

 

 過去、AIやロボットに仕事を奪われ……多くの人々が失業した。それゆえ、現代の教育方針は専門家の早期育成へとシフトしている。高校の時点で大まかな進路を決めなくてはならない。しかし、卒業後の就職で苦戦する者たちは今も減らなかった。

 魔法師は特に専門性の高い職業とされている。けれども、パラサイドールが広く普及すれば……いつかその優位性は失われるだろう。「劣等生」はきっと増加するに違いない。

 

「パラサイドール計画は、逆に反魔法主義を加速させるでしょう。──でも、安心してくださいよ」

 

 手に持ったままになっていたサングラスを、弘一は掛け直した。

 

「……反魔法主義は過熱してこそいますが、論点はバラバラになり始めている。しばらくすれば、上手く切り崩すことも出来ましょう」

 

 人は欲深いもの。元はそれなりに正しいところがあったかもしれない批判も、段々と「世の中をよくするために」の題目のもと……どこまでも過激化する。いまいち筋の通らない主張をしてしまう人が多く出てくれば、こちらで世論はいくらでもひっくり返せるだろう。弘一はそう確信していた。

 

「ですから、とにかく子供の良き未来を考えましょう。我々はそれができる点で、四葉真夜とは違うのですから」

 

 夜久について、弘一は烈から詳しく聞いていた。

 

「それはエゴだ! お前の子供たちがお前と同じように思うとは限らん!」

「……親のエゴに過ぎないのは事実ですよ。でも、それを否定できますか? 他でもない、先生が」

 

 ぐっ、と烈が言葉に詰まる。光宣のため、という思いが……老いた身体に鞭打ってきた理由だった。

 

「親の心、子知らずと言いますからね。だからでしょうか……光宣くんは私の意見に、概ね賛成なようですよ」

「……光宣を悪の道に引き込んだのはお前かっ!」

「何か勘違いしているようですが」

 

 魔法師兵器論自体は、前々から彼が信じていることですよ。彼がそう告げると、烈は肩を落とす。

 

「……やはり、そうなのか」

 

 孫は自分とは異なる意見を持っている。その事実から逃げずに直視してはいるが……どうしても「誰かのせいにできたら」と思ってしまうのだった。

 

「光宣くんと先生が分かり合えないことは、私も少し心が痛みますがね」

 

 いけしゃあしゃあとそんなことを言う弘一。そもそも、光宣の我儘を叶える羽目になった烈の部下のために、パラサイドールを用立てたのは彼である。その対価に、特殊な認識結果の術具を土に埋め込ませた。自分の子以外はどうでも良いからこそ、世間知らずの少年を上手く操れるのだ。

 彼は立ち上がり、項垂れる烈の肩に手を置いた。

 

「ですが、ご安心を。貴方の『本当の夢』だけは……私がきっと叶える。四葉夜久を何としてでも、こちらへ引き入れてみせますよ」

 

 師と教え子。この2人の会話を外で聞いている者が1人。長女の真由美である。家に迎え入れた際の烈のただならぬ雰囲気を感じ取り……そっと様子を窺っていたのだ。

 

(どうなってるの……それに「子供のため」って、正気?)

 

 途轍もないショックから、彼女は口元を両手で押さえた。

 弘一の目論見は、娘にパラサイトを憑依させることだ。真由美はそう直感する。しかも、きっと事故でそれが為されることを期待しているのだ。そのために、四葉夜久との接触を止めていない……ここまで考えて「そういえば」と気づく。一高に在籍していた時の、さりげなく夜久を庇い立てる自分の態度を父親は咎めなかったと。もちろん、あの頃は今のようなプランを持っていなかっただろうが……こういうことを見越していたのかもしれない。

 何か問題が起きた時。「責任」を盾に、夜久を取り込むことが出来るかもしれないから。

 

(何よりも! 2人に何かあったら……私、耐えられない!)

 

 真由美は部屋着(少々ゆったりしているだけで、上品なデザインのワンピースではある)のままなのも気にせず家を飛び出す。コミューターに飛び乗り、向かうは九校戦会場。何も出来ないかもしれないけれど、何もしないではいられなかった。




⭐︎書きかけで「違うな……」でやめた話の一部

人数が多すぎて(達也もいるし)困って……遠くから文弥が撃ったダイレクト・ペインで達也夜久光宣だけ耐え切りました〜にしよう展開→前と似てるし、たぶん面白くないなぁとボツ

夜久がさりげなく達也を逃がす→何のために達也を出したのか分からないのでボツ

愛梨と夜久だけ、他から離して演習林に向かわせる。そして、なんかピンチになる展開→なんでそこで行くんだよ、と思ってボツ


色々考えましたが、まぁ今のが良い感じかなぁと思います。七草弘一とかも、悪役なりにそこそこの格をあげたかったので。


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