幕開
艦娘。
この言葉の意味をご存知だろうか?
一人で一隻の軍艦に匹敵する程の戦力を持つ新人類。
人ではない正体不明の敵への唯一の対抗手段。
武器を持つ只の少女。
辞書を開けば、八方それぞれの言葉で記されている。
明確な定義は無く、今も軍の上層部で決まってはいない。
彼女達の「職場」においてもそうだ。
ある職場では、彼女達は人間とほぼ同様の扱いを受けており、食事や睡眠、風呂等を十分な程に享受できている。
またある職場では、彼女達は兵器つまりは物同然の扱いを受けており、使い捨ての存在になっている。
毎日まばゆいばかりの笑顔で鎮守府に戻る者もいれば、死に体のような様相で戦地に赴く者もいる。
だが、彼女達はどのような環境に放り込まれようとも、それを甘んじて受け入れなければならない。
人として見られようと、物として見られようと、彼女達は人類を守るという使命の為に一生を費やすのである。
そこに拒否権等ある筈無い。
それが、彼女達が人間と違う確かな一線であった。
だが既に区切られている「艦娘の中」にも、一つの線があった。
「完成」か「失敗」か。
その明確な線があった。
艦娘はその体を無機質な金属から作られている。
様々な金属を合成してできる物質に、半永久的に熱を与え続けて人としての思考と動力を与える。
大雑把に説明すれば、艦娘はそうやって作られる。
そこで、もし仮に誤作動が生じたら?
お菓子工場を想像すれば分かるだろう。
基準を満たさなかったお菓子がどのような末路を辿るのか。
本来、彼女達の存在意義は戦う事のみである。
戦う事ができる、その基準を満たして初めて彼女達は鎮守府に配属となり、人か物かのいずれかの扱いを受ける。
そう、まずは艦娘として機能するかが重要となるのである。
それができないと判断された艦娘は、配属される前に「廃棄」される。
子どもが壊れた玩具を捨てるように、さも当然のように。
彼女達が、物としては高度すぎる知能を持っていても関係なく、解体される。
その時の彼女達の思いは、どれほど深いモノだろうか。
最前線で働く勇者として迎えられ、華々しく戦える事を誇りに思っていた者は、絶望で心を真っ黒にしたまま死ぬのだろう。
仲間達と支え合い、共に生きていくことを夢見た者は、誰にも知られる事無く消えていくのだろう。
その例として、とある四姉妹を紹介しよう。
彼女達は、とある戦艦をイメージして作られたタイプであった。
戦艦の名は伊達ではなく、敵陣にて大活躍を期待される存在であった。
故にそれに掛けられる資金も膨大なモノで、現場の者達は一様に期待と羨望のまなざしを向けている。
その四姉妹は、そんな戦艦の名を背負って生まれた。
自分たちの事を知らされたとき、彼女達は喜びで胸を膨らませた。
エースとして戦う事が出来る事を誇りに思い、人々のためにその力を振るおうと思ったのだ。
しかし、そんな彼女達に上層部は「戦力外」の烙印を押したのだった。
理由は先程述べた誤作動による、火力の著しい低下であった。
本来彼女達は、場合によっては一人で敵艦隊を滅ぼせる程の力を有している。
だが実際はその半分の力も無く、せいぜい最弱モデルとされる駆逐艦と互角の戦いが出来るくらいであった。
しかも消費する資材の量だけは変わらず、膨大な量を必要とする。
故に、無駄に資材を消費するだけの彼女達四姉妹を廃棄する事にしたのであった。
それを知った瞬間、期待でいっぱいであった彼女達の心は、真っ黒な絶望に染まってしまった。
何かをすることも許されず、死ぬ事を待つのみとなった彼女達は、生きる屍のように何も喋らず動かないでいた。
解体までの期間の間だけ用意された四畳半の狭い個室で、彼女達は丸くなって人形のようにぴくりとも動かない。
中でも酷いのは長女であった。
事実を知った当初、その長女はまだ諦めず必死に助かる道を探していた。
すでに諦めきっていた妹達を励まし、個室を横切る軍の者達に何度も話しかけて己の存在意義を示そうとしていた。
だが、返って来たのは長女を黙らせるための苦しい拷問であった。
もとより軍は艦娘を戦力としてしか見ておらず、ソレが無い艦娘はゴミとしか思っていない。
故に軍の側から見れば、長女の行いは「ゴミが奇怪な音を上げて喚いている」程度にしか見られない。
ソレを悟った長女はボロボロの姿のまま個室に投げ捨てられ、そのままの状態で丸くなっている。
何もせず、虚ろな瞳を僅かに揺らしながら、与えられる少しの食料にも手をつけないでいた。
最早四姉妹には会話すら無く、ただ淡々と時が流れるのを待ち続けるだけであった。
死刑囚のように、苦しいだけの現実から解放されるその時を。
東北のとある鎮守府。
日が昇り始める午前5時頃に、その提督は目を覚ます。
彼は毎日、僅かな眠気と右腕の気怠さと共に朝を迎える。
その気怠さの正体は、彼の右腕にしがみつく少女が原因であった。
鮮やかな栗色をした髪を伸ばし、肩を露出させた服を着た彼女は戦艦「金剛型」の筆頭である金剛と呼ばれる少女である。
彼女は自分の主である提督の腕を力強く抱きしめ、顔を埋めている。
まるで自分の物である事を証明するように、遠くに行かないよう縛り付けるように、である。
本来ならば、金剛型は人間の腕など簡単にへし折る事ができる。
しかし、目の前にいる彼女には、それをする力がない。
故に提督も、彼女が毎晩自分の部屋に忍び込んでくる事を許していた。
「ほら、朝だよ金剛。 早く起きて」
彼はいつも通り彼女より早く起き、隣で眠る彼女を優しく揺する。
壊れないように気をつけながら優しく丁寧に、傷つけないよう細心の注意を払う。
「…う?」
「あ、起きた。 おはよ、金剛」
そして彼女が目を覚ますと、彼は決まって彼女の名前を呼ぶ。
そうする事で、彼女がここに在る事を彼女自身に教える。
「う…うぁ…。 あぁう!」
彼女はそんな提督の言葉を聞いて意識を覚醒させる。
そして自分の「失態」に気付くと顔を青くさせてその場にひれ伏す。
言葉にならない叫びをあげ、必死に彼に許しを乞う。
「あぁー! うあぁあー!!」
「大丈夫、大丈夫だよ。 何にもしないから」
泣きながらその場を全く動かない彼女に、提督は優しく話しかける。
その頭を撫で、彼女が悪くない事を何度も言い続ける。
それでも彼女は「言葉を話せない体」で必死に謝り続け、廃棄されないことを願い続ける。
そして彼女が泣きつかれて再度眠りにつくと、彼はその場を離れて部屋を出た。
これが「負け犬の提督」と呼ばれる吉崎 慶太の朝であった。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。
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吉崎慶太
吉崎慶太
吉崎という人間は一度その命を終わらせた。
死因は刺殺、見た事も無い女からの見事なまでの一撃であった。
「貴方は、ずっと私を見てくれない! こんなにも貴方を愛してるのに!」
彼が到底知り得ない事を叫びながら、地に伏す彼を見つめていた。
「私を見てくれないなら、せめて誰も見ないようにする。 ずっとずっと、私が貴方を縛り付ける!」
それが彼の聞いた最後の言葉だった。
別に彼からしてみれば、彼女の愛はまんざら嬉しくない物ではなかった。
(僕、彼女いないしなぁ)
どうせなら普通に告白してくれれば良かったのに。
そんな本当に今更な事を考えながら、自分を刺した犯人の狂笑を聞きながらその人生を終わらせたのだ。
ここで、吉崎 慶太という人間を少し紹介する。
外見にこれといった特徴は無い、強いて言うなら少し痩せ型ではある。
髪も一切加工をしていない黒色で、長さもこれまた普通。
運動能力も普通、勉強もさして悪くはない。
何か弱点はない反面、これといった強みも無い。
それが吉崎という人物である。
ただ、そんな彼が最近はまっていたゲームがあった。
分かるとは思うが、そのゲームは「艦隊これくしょん」という。
友人から情報を聞いた当初、彼はあまり乗り気ではなかった。
そもそも軍艦をモチーフとしている点で拒否反応があったのだ。
(僕、そういう方面は特に詳しくないし、やっても面白くないんじゃないかなぁ)
そう考えていたのである。
だが、よくよく考えてみれば自分にしきりに勧めてくる友人も、別に軍艦とか戦争に興味があったワケではなかった。
それにそのゲームは人気があるらしく、かなりの人数が楽しんでいるとか。
(まぁ、課金しない限りは無料なんだし。 初めても良いかな)
そう考え、彼は友人の勧めにのったのである。
初めてすぐ、彼は相棒として電を選んだ。
おとなしく、従順そうなキャラが彼の興味を引いたのだ。
(電って名前もかっこ良くて好きだしね)
そんな他愛も無い理由で彼女を選んだ。
その後、簡単なチュートリアルを経てそこそこの艦隊を編成した。
少し経つと駆逐艦以外の種類、軽巡艦を入手した。
名前は龍田、「天龍型」とやらの一員だという。
一体で駆逐艦の数体分の力を持っている彼女を、吉崎はなんの迷いも無く即採用した。
レベルを上げ、より強い艦を採用していき、また新たな艦を作っていく。
気付いたら彼もゲームにハマってしまっていた。
毎日学校を終えて家に着くのが楽しみになっていた。
それから数日経ち、始めてから一週間程たった頃に彼は運命の出会いを果たした。
朝、彼はいつもの任務を消化するために建造を行っていた。
ふと、彼は思いつきでいつもの十倍以上の資材を費やしてみたのである。
友人からのアドバイスで、毎日こなす系の任務に資材はあまり使わないでいたのだが、きまぐれで足してみたのだ。
「え、四時間?」
その後、建造時間を見て驚いた。
通常、駆逐艦は建造に多くて一時間くらいしか掛からない。
軽巡艦や重巡艦もさして変わりはしない。
「まさか新しいタイプ? あーでも高速を使うのももったいないなぁ。 …よし、とりあえずこのまま学校に行こう」
そう言うと、彼はまだ見ぬ新しいキャラに胸を膨らまし学校へ行ったのである。
その後出会ったのが金剛であった。
彼に取って金剛は初めての戦艦であり、また彼のお気に入りのキャラになったのである。
何処までも無邪気で天真爛漫な彼女に吉崎は心底入れ込み、演習や出撃の時には決まって彼女を旗艦にしていた。
「あー、こんな子が彼女にいたら最高だろうなぁ」
少々おかしな思考に至る事も会ったが、まぁ何が言いたいかというと彼はそれほどまでに金剛という娘に魅入られていた、と言う事である。
そんなある種幸せな日々を過ごしていた矢先、なんの脈絡も無く彼は殺されてしまったのである。
本当に、なんの前触れも無く。
その時も、家に帰ったらいつものようにゲームをして、金剛に癒されようと考えていた。
(お前…結局誰なんだよ…)
それがこの世界で、彼が最後に思った事であった。
それで、結論を言うと彼は転生した。
別に誰かに会った訳でも無いのだが、何故か彼は「前の自分」の記憶を持ったまま新しい世界にいたのだ。
何故か前世と同じ名前で。
(えぇー…普通こういうのって覚えていない筈じゃないの?)
しかし、だからといって何か抵抗が出来る訳でもなく、精々普通の赤ん坊である事を装う事くらいしか彼には出来なかった。
言葉を話せるくらいになると彼は自分が生まれた先がかなり裕福な家庭、というより華族である事が分かった。
大きな屋敷に赤ん坊である自分専用の部屋があり、毎日使用人さんが周りの世話をしてくれて、何か不自由があることはない。
着ている服もどこか気品を感じるようなものばかりであった。
両親も心優しい人達で、彼が何かをする時もすぐ傍から見守っていてくれて、必要な時にはすぐに助けてくれていた。
そんな環境であったからか、彼も特に精神が曲がる事は無く育っていった。
そして、彼はこの世界の事を知ったのである。
察しがいい方は分かるとは思うが「世界のこと」とは、艦娘の存在である。
前の世界では想像の存在でしかなかったが、この世界では実際に艦娘が存在していた。
もっと言えば、この世界は前の世界よりも前の時代であった。
(多分、第二次大戦あたりか…確かにゲームの舞台はソレぐらいの時代背景だと思ってたけど)
しかし、時代や技術に関しては特に気にする事は無かった。
彼はすぐに両親に艦娘を指揮する提督になりたい事を言った。
最初両親はもう反対した、無理も無いだろう。
提督という職は確かに栄誉ある仕事ではあるが、決して華族がなるような職ではなかったそうな。
だが、そんなことで彼は引き下がらなかった。
妄想でしかなかった自分の夢が目の前まで迫っていたのだ、ここで諦めたら全てが台無しになる勢いだったのだ。
何度も親を説得し、その首が縦に振られるまで懇願し続けた。
その効果もあり、彼はなんとか提督になる事が出来た、その時で彼は既に19となり、提督として学び始めるには遅いスタートとなってしまった。
だが彼はそんな遅れを取り戻すかのようにものすごい勢いで学習を始めた。
自分の夢のためなのだ、その力の入りようも凄まじい物である。
そして何年もかけて卒業するはずの軍校をたった一年で卒業し、晴れて提督となったのである。
「吉崎慶太、只今参りました」
「うむ、入れ」
僕はノックを三回して、自分の名前を言ってから部屋に入った。
そこは上官の部屋だ。
此処で僕は、最初のパートナーとなる艦娘を決めるんだ。
「よく来たな、吉崎君。 今日からキミも晴れて海軍の一員だ。 その事を自負し、誇りを持ってくれ給え」
「はい、ありがとうございます!」
目の前にいる白髪の上官は、僕が学生だった頃から目をつけていてくれた人だった。
時には厳しく、そして優しく接してくれたこの人に僕は多大な恩を感じている。
「さて、話したい事は山ほどあるが今は止めておこう。 キミと語り合うには時間が足りなすぎる」
「そう言っていただけると自分も嬉しいです、中将」
そんな軽い挨拶をした後、上官は僕の目の前に何枚かの写真を出して来た。
それぞれに写る「子ども」達を僕は知っている。
「艦娘…駆逐艦モデルですね」
「全て知っているか、さすがだな吉崎君。 キミの言う通りここには新米提督に支給される駆逐艦が写されている。 さぁ、キミの理想のパートナーを選んでくれ」
そう言われ、僕は渡された写真と書類を見ていった。
種類はゲームの時と同じで、吹雪、叢雲、漣、電、そして五月雨の五人があった。
自分が昔決めたように電を選んでも良かったんだけど、いざ現実で決めるとなると以外と迷ってしまう。
どの娘も後で入手したけど、電に負けないくらいに良い子みたいだったし。
(んーどうしようか…やっぱりネームシップの吹雪…あれ?)
どの艦娘にしようか悩んでいると、不意に僕の手元から一枚の写真と書類が滑り落ちた。
先程述べた五人の艦娘しか無いとばかり思っていたから、「やけに枚数が少ない」資料に気がつかなかったんだ。
「あ、失礼しました。 …って、これ…!」
自分の失敗を謝罪しながらソレを拾うと、僕はそこに書いてあった文字に動きを止めてしまった。
そこには、簡潔に「戦艦 金剛型」と書いてあった。
「は、金剛? あ、あの中将、ここに書いてある金剛型ってまさかっ…!?」
僕は顔をものすごいスピードで中将を見た、多分目はキラキラどころかギラギラと輝いていただろう。
口元も自分で分かるくらいにやけている、かなり気持ち悪い表情だろう。
でも気になんてしていない、出来る筈が無かった。
なんで最初のこのタイミングで金剛の名前があるのか全く分からなかったが、そんな事はどうでも良かった、それほどまでに興奮してしまっていた。
「う、うむ。 キミが考えている通りだ、吉崎君。 そこに書かれている金剛はまさしく戦艦金剛のことだ。 そしてソレを選べば漏れなく金剛だけでなく他の金剛型も手に入る。 だがな…」
「本当ですか!? で、でしたら是非これを…!」
破格なんて言葉で纏められる話じゃない。
通常、新米提督に戦艦があてがわれるなんて事はありえないんだ。
戦艦はその名の通り、戦のための軍艦。
攻撃に特化した至高の艦なんだ。
故にその貴重さも半端な物ではない。
建造に必要な資材、維持に必要なコストは共に艦娘の中でもトップクラス。
持たせる武器も生半可ではいけない。
性格もきまぐれな娘が多く、扱いには相当な実力が必要だとか。
でも、そこから受ける恩恵もすさまじいものだ。
戦場に立てば多くの敵艦を単旗でなぎ払い、多くの戦果を約束する。
戦艦を使いこなせるようになった提督は漏れなく大成していて、少将以上の地位も約束されているという。
また、中央府から支給される物資の量も増え、生活面でも安泰なんだ。
そんな超ハイリスクハイリターンな軍艦が戦艦である。
そんな艦を、なりたての新米提督なんかにまかせられるだろうか?
答えは否だ、海軍もそこまで裕福ではない。
精々育てやすく比較的に従順な駆逐艦ぐらいしか与えられない。
だからこそ、僕はこれが千載一遇の大チャンスと思った。
こんな上手い話ある筈が無い、なんて言ってられる程落ち着いてなんていられなかったんだ。
だから、中将がなぜ言葉を詰まらせていたのか深く考えなかった。
「む、むぅ…キミがそう言うなら…だがこの艦娘達は…」
「なんです、もしかして費用が掛かるとかですか!? だったら安心して下さい、資金は有り余る程持っていますから!」
そう、僕が即決した理由に資金面の心配が無い事もあった。
冒頭で軽く説明したけど、僕は所謂華族の出だ。
吉崎なんて華族は存在しなかったと思うけど…それでもお金がある事は変わりない。
成年になってまで親のお金を借りるのは少し心苦しかったが、後でしっかり返すなんて言い訳を考えて無理矢理肯定した。
それくらいに、目の前の「宝」が眩しすぎたのである。
「そ、そうか…まぁ確かにキミの家系なら…だが、これは資金面のみの話ではない、そもそもなんで「失敗作」が新米の候補に上がるのか…。 それもよりによって首席のキミに…本当にこれでいいのか?」
「いいんです、そもそも自分が提督に就こうと思っていた理由はこの金剛にあるんですから! どうか、どうかこの娘達を!」
「は、話をまるで聞いていない様だが…まぁ、そこまでの熱意があるのならもう止めはしない。 分かった、本日付けでキミは正式に提督と認定する、そしてパートナーは金剛型の四人だ」
「ありがとうございます! 絶対に将となって中将の下に返って参ります!!」
そう言って、僕は悠々と部屋を出て行った。
そんな時だ、僕がドアノブ手を掛け、敷居をまたごうとしたその時。
「…どうか、潰れないでくれよ。 吉崎君」
そう言った中将の言葉が、嫌に耳に残ったんだ。
「あー、広い海だなぁ」
そして自分は荷物をまとめ、自分が着任した鎮守府へと赴いた。
東北地方であるからか春だと言うのに未だ肌寒く、逆にそれが心地よかった。
「確か、手紙だともうあの娘達は先に着いてるんだっけか…急がないと!」
そう言って、僕は重い荷物を背負って一気に坂道を駆け上がる。
足取りは軽く、気分は高揚しきっている。
やっと、やっと僕はあの金剛に会えるんだ。
その事実が僕を無理矢理にでも動かす。
「はっ、はっ…着いた…」
そして坂道を上りきった先には、自分の職場があった。
まだできたてなのか外装はとても綺麗で、清潔感が漂う。
自分としてはもっとボロッちいのを予想していたんだけど、これは嬉しいギャップだ。
「あの娘達と暮らすんだから、これくらい綺麗じゃないと!」
そんな事を考えながら、僕はそのままの足取りで入り口の扉を開いた。
中も想像以上で、まるで自分が住んでいた館を彷彿とさせる。
床には豪華な絨毯が敷かれていて、天井には豪勢なシャングラス。
壁には高価そうな絵画が何枚も飾られていて、所々に大理石が埋められている。
「すご…これが提督の住む場所なの!? 僕が暮らしていた所より断然綺麗じゃないか…!」
僕はただ驚き、呆然と周りを見ている事しか出来なかった。
故に、後ろから忍び寄るように近づく誰かに気がつかなかったんだ。
「…吉崎慶太様、ですね?」
「んひぃ!? だ、誰!?」
驚いて変な声を上げながら振り向くと、そこには真っ黒なローブを目深に被った着た人が立っていた。
顔は見えないけど、声からしてかなり年配の老人の様だ。
「おや、驚かして申し訳ありません。 私は軍の上層部よりこの館の説明係を任命された者です。 どうぞ、お見知り置きを」
「はぁ、これはどうもご丁寧に。 えっと…」
「あぁ、どうか名前は聞かないで頂きたい。 貴方に取って私は一期にもなり得ない程の存在です。 この限りで忘れてしまって結構」
「そ、そうですか…」
そんな妙な老人に連れられて、僕は館を歩いていった。
その途中で聞いた老人さんのお話によると、どうやらこの館の装飾は父さんが工面してくれたらしい。
一端の提督になるのなら、その「家」くらいは恥のないものにしなくては、と言って惜しみなく資金を出しまくってくれたそうな。
(う、嬉しいけど…どうせなら別の方向で使いたかったなぁ…)
「違った方法で支援して欲しかった、などとお思いですか?」
「へっ!? い、いや…別にそんな」
「フフ、隠さなくても結構。 ご安心下さい、お父君からは「資金に困ったら少しずつ絵画や家財を売れ」との言伝を承っております。 つまりは、貴方の理想通りと言う訳です」
「は、はぁ…そうですか…」
なんとも、だったら普通に現金でもくれればよかったのに…なんでまた。
「そこはまぁ、一度は提督という職を否定した手前、素直に資金を渡す気になれなかったのではないでしょうか? 言わば照れ隠しですよ。 実際、先程の言伝は「それとなく伝えよ」と言われておりましたし」
「………」
この人、一体何者なんだ?
さっきから僕の考えを一から全て分かってるかのように話しかけてくる。
なんだか、自分の全てを見透かされているようで気味が悪い。
「ふむ、確かにそう思われるのは当たり前でしょう。 しかし、先程も申し上げましたように私はこの説明を終えたらすぐにこの場から消えます。 ですので、ご安心下さい」
「ま、全く安心出来ないんですけど…」
「まぁそうでしょうね。 …と、着きましたよ。 ここが貴方の仕事場である「提督室」です」
意味不明な会話を繰り広げているうちに、どうやら自分の部屋に着いた様だ。
今まで見た部屋の扉のどれよりも豪華で、重厚感がある。
まさにトップの部屋、今からここで働くのかと思うと今更ながら緊張して来た。
「こ、この中に金剛型の娘達も…?」
「左様でございます、この部屋の先には貴方が待ち望んでいた存在がおります。 …貴方という存在を心待ちにして」
そう言うと、老人さんは何故か扉の前に立った。
「あ、あの…」
「…吉崎慶太様。 どうかお願いがあります」
「お、お願いですか?」
「はい、このお願いは貴方にしか頼めない事…他の誰でもない、貴方に」
明らかに雰囲気を変え、老人さんは僕に話しかけて来た。
なんだろう、さっきまでと声色も全く違う様な…。
なんというか、小さい少女の声だ。
すると、老人さんはいきなり僕の前に跪き、両手を地につけてこう言ったんだ。
「どうか、あの娘達を捨てないであげて下さい。 この世界で、「失敗作」と卑下される彼女達を救えるのは、貴方だけです」
「え? な、何を言っているんですか? よく分からないんですが…」
「今は知らなくて結構、すぐに意味は分かるでしょう。 この扉を開ければ…貴方にこの世界の「現実」が襲いかかる。 逃げたくても、一生叶いません」
「はい? あの、どういう…」
「目を閉じても、彼女達の慟哭が聞こえてくるでしょう。 耳を塞いでも、彼女達は目をこじ開ける。 貴方という存在を、己に縛り付けるため。 でも、それでもどうか…」
老人さんがそう言い終えると、後ろから何かが聞こえた。
にゃあ
猫の鳴き声の様な、優しい音色。
それに気を取られて振り向いたがそこには何も無く、前を見直すと…
「あれ?」
そこには老人はいなかった。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。
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四姉妹
四姉妹
あれから少しの間、自分が来た道を見渡していた。
しかしどれだけ見てもあの老人さんは何処にもいない。
ただ広いだけの廊下、まるで自分一人だけが歩いて来たかの様な感じさえした。
(そんな筈無い、僕はあの人がいなかったらこの部屋に辿り着けなかった筈だ)
でも、肝心の老人さんはどこにもいなくて、無駄だと悟った僕は諦めて部屋の方に向き直った。
扉は変わらず重厚な様子を放っている。
「えっと、すいません。 これから此処に住む者なんですけど、どなたかいらっしゃいますか?」
とりあえず、声を上げてみる。
あの老人さんは、この部屋に金剛四姉妹がいると言っていた。
だったら、ここで少なからず何かリアクションが返ってくると踏んだんだ。
でも、返事は全くない。
「も、もしかして寝ちゃってるのかなぁ。 あはは、ありえるかもなぁ!」
ポツンと一人で立っている寂しさを紛らわせるために、わざと大きな独り言を上げた。
でも、実際彼女達が自由奔放なのも確かだ。
この大声に誰かが気付いてくれたら、とか考えてたけど…。
「…やっぱり返事無し…か」
結局何も返ってこなくて、だいぶショゲてしまった。
(だったら、あの老人さんはなんだったんだ。 も、もしかして幻? 幽霊? いやいやいや、あんな臨場感あふれる幽霊いるかよ! …で、でも少なくとも嘘つきではあったよな。 部屋には誰もいない様だし)
部屋には無人、そう思うと何故か心が楽になった。
もしかして、金剛達と出会う事に想像以上に緊張していたのかもしれない。
…若干鼻息荒かったし。
「…とりあえず、部屋に入ろう」
そう呟いて、僕は扉を開いた。
とりあえず机に荷物を置いて、長旅の疲れを癒したかったんだ。
その後ゆっくり彼女達を捜して、ゆっくりと交流を深めよう。
そんな他愛無い事を考えていた。
でも僕はその時、思い知った。
なぜ、上官がこの娘達を薦めなかったのか。
なぜ、金剛型四人という異常なメンツがあったのか。
そして、あの老人さんが言っていた「現実」を。
「お待ちしておりました、吉崎提督」
鈴のような綺麗で、それでいて凛とした声が響いた。
僕は思わずドアを引いたまま硬直してしまい、目の前に広がる異様な雰囲気に唖然としてしまった。
僕の目の前では、金剛型である比叡、榛名、霧島、そして待ち望んだ金剛がそこにいた。
ただ、様子が明らかにおかしい。
四人は綺麗に横に並び、全員膝を折って合わせた両手と頭を床に着けている。
旅館で女将さんがお出迎えする時にする一礼、それの一番低い姿勢。
その姿勢のまま、彼女達はぴくりとも動かない。
それに彼女達がいる位置もおかしいと思った。
彼女達は部屋の真ん中ではなく、角の隅にいたんだ。
まるで家具の一つみたいだった。
「………」
何の一言も上げる事が出来なかった。
驚きなのか、恐怖なのか、自分でも理解できない感情が生まれて、それが僕の言動一切を遮る。
「聞く事も堪え難いとは思いますが、どうか今回だけは慈悲を頂けますようお願い致します。 私の名前は霧島、金剛型の四番艦です」
その声の主は僕もよく知る霧島という艦娘だった。
知的な性格で、暴走しがちな姉二人を冷静にカバーする頼れる妹。
それが自分の中の霧島であった。
でも、目の前の霧島はまるで違う。
確かに口調からは冷静沈着なイメージが感じられるが、なんというか…冷静すぎる。
まるで人形のソレの様な、冷えきった感じがした。
「………はっ!? う、うん。 よろしく、霧島。 えっと、他の子達は…」
思わず自分も凍ってしまい、意識が半分明後日の方向へ飛んでしまっていた。
慌てて未だ平伏したままの霧島に言葉を投げかける。
すると霧島は顔を上げると、やっと僕の方を見てくれた。
とは言っても、他の娘達はまだ動かないけど。
その顔はゲームで見た顔を全く同じで綺麗に整っていて、黒縁の眼鏡をかけている。
でも、やっぱり雰囲気がまるで違った。
本物の艦の様に生気が感じられず、その顔に表情というものはない。
その中でも特に気になったのは眼だ。
光は全く無く、底の無い黒ずんだ眼はこちらを見ているようで見ていないように感じてしまう。
「はい、ただ今より姉達の紹介をさせて頂きます。 お待たせして申し訳ありませんでした」
「え、いや待ってたワケじゃ…」
その後、程よいタイミングで霧島は僕の言葉に返事をくれたが、どうも趣旨が違っている。
僕は別に怒ってはいないし、謝って欲しいなんて微塵も思っていない。
というより、今のどの場面で怒る要素があったのか、逆に僕が惚けてしまっていたから怒られるんじゃないかと思っていたくらいだ。
そんな事を考えていると、霧島は徐に何処からともなく小型のナイフを取り出した。
(え、ど、どこから…?)
見た目の割にはソコから反射される光は鋭く、とてもよく切れる事が一目でよく分かった。
彼女はソレを自分の方に刃が向くように右手で持つと、スゥッと滑らかな動きで上方に上げていき…。
なんのためらいも無く、自分の左肩に深々と突き刺した。
「はっ? え? な、何してるの…?」
彼女達の服は肩を多いに露出させる構造となっている。
故にナイフが刺さった肩の部分はハッキリと見えてしまっており、ソコから流れる大量の血液も生々しく見える。
「どうか、これでお許し下さい。 ご慈悲を…」
「ゆ、許すとかそんな問題じゃない! 何をしてるんだよ、早く怪我を見せて!」
彼女の冷静すぎる言葉を今一度聞き、僕はようやく大声を出す事が出来た。
何故彼女がいきなりそんな事をしたのか、何故彼女は平然としているのか。
そして何よりも、どうして他の姉妹達は何の感情も見せずに未だ平伏したままなのか。
気になる事は山ほどあったけど、目の前の「異常」はそんなこと微塵も僕の頭に残さなかった、他の事を考える余裕なんてまるで無くなっていたんだ。
「は、早く治療を…皆、なんでそのままなんだよ! 早く手伝って!」
思わずもう一度声を張り上げてしまった。
目の前の異様すぎる光景を、認めざるを得なくなってしまったんだ。
そう言うと、ようやく他の娘が動き出した。
ただ動いたのは榛名のみ、彼女は僕が大声を出したのと同時に部屋の隅にあった救急箱を取り出し、迅速に霧島に応急措置を施した。
「な…」
その動きは最早プロと言っても過言ではなく、医療技術をしっかり学んだ僕でも出来ない芸当であった。
洗練された無駄の無い動きで霧島の傷口に消毒液を付けると、適切な処置を施してそのまま包帯を巻き付けて固定する。
単純だが人によってはかなり時間がかかるであろうその動きを、彼女は寸分の狂いも無くあっと言う間に終わらせたんだ。
機械のように、淡々と。
そして作業が終わると、先程と同じように部屋の隅で平伏し、また動かなくなってしまった。
僕はまた何も言えなくなってしまっていた。
もう、何を言ったら良いのか分からなくなっていた。
「…ご慈悲を感謝致します、吉崎提督」
口を開いたのは霧島であった。
彼女は他の皆と同じようにその場に平伏すと、自分に感謝の言葉を投げかけてきた。
その時だ、僕の中の何かが揺さぶられ、とても不安定な感覚に陥った。
(違う、まるで違う…。 なんなんだ、この娘達は。 この子達が…金剛型? 違う、こんなの人ですらない! なんなんだよ、一体どうなってるんだ。 意味が分からないっ!)
抱いていた謎が一気に頭をよぎり、頭で処理が仕切れなくなる。
激しい頭痛が彼を襲い、同時に吐き気を覚える。
「吉崎様、どうかなさいましたか?」
「っ! う、ううん、なんでも無いよ。 ちょっと頭が痛くなっただけ。 本当に、何にもないよ」
しかし霧島に話しかけられ、僕は一気にソレを押し殺した。
ここでありのままを伝えたら、また変な誤解が生じて今度こそ取り返しのつかない事になりそうだと思った。
「そ、それよりもさっき出来なかった自己紹介をお願いしようかな。 出来れば、それぞれ皆の口から」
「それは気付かずに申し訳ありませんでした」
そう言うと、彼女は傍にあったナイフにまた手を伸ばした。
「いやっ、怒ってないから大丈夫だよ! ほんとに、罰なんて必要ない! 頼むから止めてよ!」
「しかし…」
「ほんとにいいんだ! ソレよりも、自己紹介をしてもらえる方が良い!!」
最早怒鳴っているのと同じように言っていた。
なんとしても霧島の行為を止めたかったんだ。
「…かしこまりました。 では、榛名から順番にご紹介させて頂きます。 榛名お姉様…」
数秒経った後に霧島は変わらず無表情のまま僕の言う事を聞くと、隅にいる榛名に話しかけた。
すると榛名は立ち上がると、下を向いて眼を閉じながら僕の目の前に歩み寄って来た。
そしてその場に座り込み、また先程と同じ姿勢になった。
「言葉を発する事をお許し下さい、お初にお目にかかります吉崎提督。 私の名前は榛名、金剛型の三番艦です。 末永くお使い下さい」
簡潔にそう言うと、彼女はまた同じように立ち上がると、さっきまで自分がいた場所に戻っていった。
次に来たのは比叡だった。
彼女もまた眼を合わせようとはせず、俯いたまま自分の近くまでやって来た。
「言葉を発する事をお許し下さい、お初にお目にかかります吉崎提督。 私の名前は比叡、金剛型の二番艦です。 末永くお使い下さい」
寸分の狂いも無く、全く同じ姿勢で言った比叡の姿に、僕は心底恐怖した。
同じだったんだ、彼女が発した紹介の言葉は、先程榛名が発した言葉と。
ただ自分の名前を塗り替えただけの、あたかも最初から用意されていたかのように、抑揚の無い平たい口調で。
その姿は本当にただの人形、玩具でしかなかった。
そして最後に前に来たのが金剛であった。
その時、僕はまだ愚かしくも期待してしまっていた。
もしかしたら、彼女がここで「HEY! ドッキリ大成功デース!!」とか言って、霧島あたりが「大成功」と書かれたプラカードを持って来てくるのかと思っていた。
かなりタチが悪い悪戯だが、それでもその方が余程マシだと思えた。
その後「提督、宜しくお願いしマース!」って言って満面の笑みで握手を求めてくる。
そうしてくれれば、自分も迷わず握手していた。
それを比叡が意地悪そうな笑みを浮かべながら見て、榛名が「すいません提督、私は止めたのですが…」と言いながら申し訳なさそうに歩み寄ってくる。
そんな優しすぎる妄想を抱いていた。
故に、その「現実」はあまりにも受け止め難いモノだった。
「あ、あう…」
最初、僕は金剛が緊張でもしているのかと思った。
そのせいで上手く話せず、つい呻き声を発してしまったのだと。
「うあお、あうー。 ああお…」
しかし、その次にはそんな事も考えれなくなった。
うめき声にしては長過ぎる。
そしてソコから感じられる感情は、焦り。
必死に、僕に伝えようとしているんだ。
その事を悟り、理解してしまった。
つまり、この子は呻いているんじゃない。
ちゃんと、喋っているんだ。
「あ、あぁ…うあぁ!」
呆然と金剛を見ていると、彼女に異変が生じた。
彼女はいきなり大声を上げると、ブルブルと震えながら頭を床に打ち付けた。
見ると眼からは大粒の涙がポロポロと溢れており、何かを懇願しているようにも見えた。
「どうし…」
「て、提督! どうか、どうかお姉様にご容赦を!」
金剛に様子を伺おうとした時、僕と彼女の間に比叡が割り込んで来た。
彼女はその場に平伏すと、先程とは違い微かに感情の籠った口調で訴えかけて来た。
「比叡お姉様、止めて下さい。 提督の御前です」
「………」
そんな比叡を見て霧島は止めようとし、榛名は何も喋らない。
「お姉様は、お姉様は喋れないんです! 話したくても、自分の喉から、声が…だから、提督のご命令を聞けないのです!」
「あぁう、おあう…いあー!」
比叡は霧島の言葉に耳を貸さず必死に許しを請い、金剛はそんな比叡を止めようと初めて顔を上げて彼女の肩を揺すりながら叫んでいる。
二人とも泣きながら、目の前の僕に怯えながらだ。
…僕は、もうどうする事も出来なかった。
目の前に広がる凄惨な光景を、どうしたらいいのかも分からない。
いっそ意識を失えたらどれだけ楽だったか。
ただ、知らぬ間に強く握りしめていた拳から流れる血を見て、ここが現実である事を理解した。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。
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