ヒポクリス (LLE)
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0.プロローグ
第一話 虚無の仮面


ゲーム廃人でひきこもりの空と白に、もし養い人が居たら……を想定したif物語。
物語そのものより、原作で触れられていない所を、空想のキャラを置く事で補間し妄想していく形で話を進めていきます。
感想、批判、批評随時募集しております。おきがねなくどうぞ。


---酷く、無機質な世界。

日本国・東京に抱いた第一印象はあまりいいものではなかったと記憶している。

 

聳え立つ四角い塔に眩暈を覚え。

石で塗り固められた地面の上で、足が痛くなりそうな思いをしながら。

皆揃って無表情に、似通った黒服姿で機械の如く歩く人々を前に。

 

……この人達の現在(イマ)はとてもつまらなさそうだと悲観したあの感情は、私が"異世界人"であるが故の特別なものなのだろうか。

 

「……ま、私も人の事は言え無さそうですけれど。」

 

四角い塔がビルという名の建物で、塗り固められた地面がコンクリートというもので出来ている事を知ったのは、果たして何時の事であったか。

東京に迷い込んで早10年。

道を高速で走る鉄の塊---車に腰を抜かし、道行く人に奇異の目を向けられたのも今となっては良い思い出である、と。

争いも、運命さえも、全てがゲームで決まる世界から偶然の事故でこの無機質な世界に転移してきた男……紫恩(シオン)は、黒服---スーツ姿で、とある家の前に立っていた。

3つの弁当と、2リットルのオレンジジュースが入ったビニール袋を肘から下げつつ、憂いに満ちた眼差しを注ぎながら。

 

「これは、あの二人……また寝ていないな。」

 

耳を澄ませば家の中から聞こえてくる、賑やかなBGM。

朝日も昇り始めた早朝であるにも関わらず聞こえてくるそれに、ネットゲームを文字通り寝ずに遊び続けているのだと察した紫恩の眉間に皺が寄る。

 

「ただいまー。帰りましたよ。」

 

返事は無い。

溜息を一つ漏らし、あからさまに足音を踏み鳴らしながらとある一室まで足を進める。

徐々に大きくなっていくBGM、そして明瞭に聞こえてくるキーボードの打音。

音が最も大きくなる戸の前まで早足で歩いてきた紫恩は、そのままの勢いで戸を一気に開けた。

 

「二人とも!いい加減寝なさいと言っているでしょうが!」

 

最後に二人が寝たのはいつだっただろうか。

今日ばかりは寝させないといかんと、心を鬼にししかめっ面で静かに怒鳴る紫恩を余所に、ひたすらゲームに興じる二人のひきこもり…空と白。

ひと段落ついたのか、怒鳴り声から数秒のラグの後、緩慢な動作で二人は背後に立つ紫恩に振り返った。

 

「んぁ?あぁ、紫恩おかえり。帰ってたのか。」

「……おかえり。」

 

「それが生活を支えて差し上げている人に対する言葉なのでしょうかね、ヒキニートの空さん。白も白です、食べ終わったらゴミはゴミ箱に……」

 

部屋中に散らかったゴミを集めつつグチグチと小言を述べる紫恩。

対する二人の興味は、その肘からぶら下がった兵糧---弁当とジュースに向けられていた。

 

「……紫恩、おなかすいた。」

 

「あぁはいはい、弁当ですねそうですね。買ってきましたのでどうぞご自由にお食べください。紙コップはここに置いておきますので……はぁ。」

 

彼ら二人と初めて会ったのは、紫恩がこの世界に来て2年が過ぎた頃だった。

その頃には世界にも慣れ、元々の勉強熱心さのおかげか仕事場での信頼も難なく獲得。

特に直属の上司であった彼らの父親とは、様々な幸運に恵まれた事もあるが家族ぐるみの付き合いも多く、その子供、空にも父親以上に懐かれ、プライベートにおいてもその繋がりは強固となり。

上司の家で食事をごちそうになった回数も、幾度あったことやら。

 

 

しかしそんな中、突然上司が他界。

突然の事に驚きを隠せなかったのは記憶に新しいが、それから紆余曲折あり、紫恩は今こうしてひきこもり二人を養っていた。

あのうら若き日もどこへやら、養う日々に追われた結果今や紫恩もすっかり二児を抱えるオッサン化してしまったが、これでもまだ26歳。

年齢的にはどちらかというと父親というより、兄である。

……しかしこれはこれで、今の生活に満足していた。

 

ぶつくさ文句を言いつつも、仕方ないとばかりに苦笑しながら甲斐甲斐しく手間を焼く紫恩に、二人もなんだかんだで感謝はしていた。

ひきこもって遊びほうける事が出来るのも、紫恩のおかげであると。

欲に塗れた理由ではあるけれども。

 

「……紫恩。」

「なんでしょうか、白。新しいゲームはだめですよ、今月ピンチなんですから。」

「……ううん。……ありがとう。」

「……へ?」

 

ぽつりと。

控えめの、しかし明確に聞こえた感謝の言葉に紫恩が目を丸くする。

白の目線は既に液晶画面へと向けられており、その表情は窺い知れないが、照れているらしく光に照らされた頬が僅かに赤く染まっていた。

 

「……はい。」

 

あぁ。

この時のために私は二人を支えてきたのか、と。

胸が暖かくなる感動にも似たこの感情に感慨深く浸っていた紫恩に、しかし冷たい一撃が突き刺さる。

 

「紫恩、昼と夜の分がないじゃねぇか。買ってきてくれよ。」

 

「……。」

 

買ってきた弁当は3つ。

対して、この家に住んでいる人間は空、白、そして紫恩の三人。

つまり一食分しかないわけで、空は無慈悲ともいえる兵糧の追加要求を紫恩に指図する。

そしてそれは……手料理などいらないという意味にも、紫恩には聞こえた。

 

「……はぁ。分かりました。私の失態です、そこまで心及ばず申し訳ありませんでした。つきましては汚名返上の為に早急に入手してこようかと思いますが、ご希望はありますか空様、白様。」

 

深々と頭を下げ、両手をつき、王に仕える家臣の如く恭しい態度を見せる家主の姿に、二人の被養人は頬を引きつらせる。

紫恩は苛々が募ると気持ち悪い程に口調が丁寧になり、他人の下手に出る。

これは一々怒るよりいっそ謝ってしまったほうが楽な事に気付いた紫恩の処世術なのだが、しかし彼のネチネチとした納豆よりもねばっこくしつこい性格を長年の経験から知っている二人の前では、そんな仮面も意味をなさない。

 

 

「あ、あー、やっぱいいよ。後で二人で買ってくるから。」

「……紫恩、休んでて。疲れた……でしょ?」

「いえ、そういうわけにもいきません。さぁなんなりとお申し付けください、私めはお二人の奴隷ですので。」

「……俺が悪かったよ。機嫌直せって。」

 

こうなった紫恩は非常に面倒くさい。

それを経験則で知っている白は、半眼で空を見つめる。

流石に罪悪感が湧いたのか、ガシガシと面倒くさそうに頭をかきつつ謝罪の言葉を口にする空だが、しかし紫恩の態度は変わらない。

今回の紫恩の卑屈癖は長引きそうだと空が頭を抱えていたその時、携帯が音を鳴らした。

 

「……にぃ、メール。」

「へ?誰からだよ。」

「……友達?」

 

それは皮肉か。紫恩を卑屈にさせた兄へのあてつけか。

別の意味で頭を抱えそうになった空をしり目に、白は続けてメールを読む。

 

「…?」

 

それは、空と白---『』(くうはく)達へ向けられたメール。

本分にはただ一文……"君達兄妹は生まれた世界を間違えたと感じた事は無いか"。

その傍らにURLがひとつ添えられた、簡潔かつ簡素なものだった。

 

「なんだこれ。」

「いかにも怪しいメールですね……フィッシングサイトへの誘導か何かでしょうか。」

「……でも、兄妹って……書いてある。」

 

『』が兄妹である事を知る者は、『』達本人と紫恩以外には居ない。

仮にこれがあてずっぽうであるにしても、やや無理がある。

ただの悪戯か、それとも……。

 

「……おもしれぇじゃねぇか。」

「え、URL開くつもりですか?やめたほうがいいと思いますけど。」

「スキャンソフトは常駐させているし、万が一の事があっても大丈夫だろ。」

「ソフトを信用しすぎるのもどうかと思いますけどねぇ……。」

 

紫恩の心中を一言で表すならば、疑念。

こういったものを開いても良い事など何もない気がするが、しかし空はそんな心配もよそにカーソルをURLに重ねる。

カチッとクリックした音が響くと、画面上にチェス盤が表示された。

 

「……は?」

「……へ?」

 

対戦しろということなのだろう。

興味を失した白が寝に入りそうになったりしたが、意外にも相手は手ごわく、勝利するために『』が全力を出しはじめるまでそう時間はかからなかった。

いつになく……いや、いつものように真剣な眼差しを液晶に向けている二人の後ろ姿を、紫恩は眩しそうに眺めていた。

 

 

「……君たちは、本当に……」

 

 

10年前、紫恩はこの世界……地球に来た。

それまで居た世界は、地球とは違いゲームで全てが決まる世界。

生殺与奪さえ、ゲームで決まる。

 

……紫恩は、そんな世界が嫌いだった。

理由は様々あるが、しかし大きな理由としては……紫恩自身がゲームを得意としない事。

あの世界の生きにくさといったら、この世界での暮らしに比べればそれは酷いものであった。

こちらの世界に来たそもそもの理由が、唯一神の世界渡りに巻き込まれるという事故によるものだったけれど。

いまや紫恩は事故に遭わせてくれた唯一神に、感謝すらしていた。

空や白という友人にも恵まれ、ここは本当に、居心地がいい。

 

 

……けれど。

 

「その強さ……羨ましいよ。」

 

もし、彼らのような強さが私にもあったら。

もうすこし、あちらの世界を好きになれていたのだろうか。

勝者でなければ満足できないというのも、なんと傲慢なことかと思うけれども。

 

あちらの世界に置いてきた"家族"の事を時々思い出してしまうのも事実。

もしかしたらあったかもしれない、自分のもう一つの生きる道というものに、家族と共に暮らすという人生に、未練が無いといえば嘘になる。

 

 

「空、白。ゲームもほどほどにしてくださいね。」

 

 

もはやこれまでの暮らしの中で何度と口にしたか分からない言葉を紡ぐ。

しかしこちらの言葉など聞こえていないかのように集中する二人に溜息をつき、しかし優しげな笑みを浮かべ、紫恩は部屋を後にした。

 

 

 

------

 

 

 

「空、白。ご飯ができましたよ、ゲームは……」

 

 

もう終わりましたか。

そう続けようとした紫恩の言葉は、重々しい雰囲気の中沈黙している二人を見て、ついぞ紡がれる事はなかった。

 

「どうしたんですか?二人とも。」

 

まさか負けたなんてことは無いだろう。

空の背後から液晶画面を覗きこむと、そこに開かれていたメールの本文が紫恩の目に入る。

 

「"その腕前、さぞ世界が生きにくくないかい"……。」

 

紫恩は、朝と同様再び眉間に皺が寄っていくのを感じた。

中傷か、負け惜しみかは知らないが……しかし空達にとってその言葉がどれだけ重いか、紫恩は分かっているつもりだ。

余計なお世話だという空の返答は無視し、さらに相手は畳み掛けるように言葉を送ってくる。

 

「これは……。」

 

たちの悪い悪戯か。

酷い人もいたものだと、半眼でそれを眺めていた紫恩だが……しかしその中である文章を目にした時、三人は驚きに目を見開いた。

 

「「「ゲームで全てが決まる……世界?」」」

 

これは、まさか。だが、ありえない。

提起と否定が絶え間なく紫恩の中で繰り返される。

驚きに固まる紫恩をよそに、物語は止まることなく進んでいく。

 

そして、ついに。

 

「これは……!?」

 

最後の返答を空が送った、その途端。

部屋全体がノイズがかったように騒ぎ始める。

人知を超えたその現象に、驚きで身動きが取れない空と白の後ろで、紫恩はその"見覚えのある現象"に体が竦み、立っていられず座り込んだ。

 

---まさか、"戻されて"しまうのか。あの世界に。

 

「僕が生まれなおさせてあげよう……君達が生まれるべきだった世界に!」

 

聞き覚えのある声。一度経験した現象。

己の恐れは今、現実になろうとしている。

 

「あぁ……」

 

救われたと思ったのに。

結局全て元通りになってしまうのかと、紫恩は絶望と衝撃に身を委ね、意識を手放した。

 

 

 

 

-----

 

 

 

 

 

「……おん……しおん……紫恩……!」

「う、うぅ……?」

 

自分を呼ぶ声に、意識が急浮上する。

やがて、眼を開いた紫恩の眼前に広がっていたのは……"懐かしき景色"だった。

 

「よかった……紫恩……。」

「大変だったんだぞ?開幕空から落とされるなんて、死ぬかと思ったぜ。」

 

本当に安堵した様子で自分を見つめる白と、空。

 

「一体、ここは……」

「俺にも分からねぇ。ただ、神様いわく異世界だとかいってたが……。」

 

全てがゲームで決まる世界。

神様は空達にそう告げた。

そしてそれは……紫恩の絶望も意味していた。

 

「そう……ですか。」

「……紫恩?」

 

影が差し、俯く紫恩の顔を心配げに覗く白。

普段飄々としている彼の姿からは想像もできないその弱々しくも丸まった背中に、二人は首をかしげた。

普段の彼ならば、二人の保護者然として先頭に立ち歩き出しそうなものなのに。

 

「とにかく、街を探さないとな。とりあえず道なりに歩いていってみようぜ。」

「本当にこの先に……街あるの?」

「きっとある。この道はきっと街道、つまりこの先にあるのは街。RPGを極めた兄ちゃんの勘がそう言っている!さしあたって……紫恩。」

 

ここで立ち往生しても仕方がない。

まずは歩き、宿を探さなければならないと促す空に従い、紫恩も立ち上がる。

 

「分かってるよ。こんなところに居座っても仕方ないし、街に行かないとね。行こうか、二人とも。」

 

よく考えてみれば。

紫恩は保護者である。

日本の制度上での肩書だったそれは、たとえ異世界に転移したとしても変わらないのではないか。

ようは心の持ちようなのである。

己の保護者としての立場を理解し、紫恩は覚悟を決めた。

 

もう、世界に対し、絶望しか抱いていなかったあの時の自分ではない。

 

「空、白……行きましょう。」

 

立ち止まってはいけない。

二人の道しるべとして、歩き続けなければならない。

奮起し、歩き出した紫恩だが、しかしそれを阻む者はすぐに現れた。

 

 

「待て待て!この先に進みたければ俺達にゲームで勝ってから進みな!」

 

三人の男が、空達の前に立ちふさがる。

いわゆる、山賊である彼らは街道の所有権を主張し、いちゃもんをつけてゲームを吹っ掛けて金目のものを奪うつもりなのだ。

馬鹿正直に彼らにとりあう必要もない……無視し、先を進もうとする紫恩の肩を空が掴み、止める。

 

 

「なるほど……ゲームの勝敗で何もかもが決まるというのは本当だったんだな。」

「しかし空、挑戦を受けるか受けないかという決定権は挑戦された側にあります。彼らに関わる必要は……」

「まぁ待て紫恩。鴨を逃すなんてのは馬鹿のする事だ……なぁ、白?」

「……うん…。」

 

 

まさか受けるというのか。

驚愕に目を見開いた紫恩だが、二人を止めようとはしなかった。

思い出したのだ。

ゲームにおける彼らの強さを。

『』(くうはく)に負けはない事を。

 

 

「生憎、俺らは持ち合わせがなくてな……だからこっちは俺ら自身を賭ける。だが、もしそっちが負けたら、あんたらの服と街までの道のり、あとこの世界のゲームルールを教えてもらおうか。」

 

「へへ……構わんぜ。これは楽しくなりそうだなぁ?」

 

 

怪しげに笑う山賊三人と……空。

10年前の紫恩なら、この状況に陥りようものなら気絶くらいしそうなものだったが、しかし今は二人がいる。

山賊達の行く末を思い浮かべ、紫恩は同情すら覚えた。

 

 

 

 



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1.国王選定戦
第一話(後半部)


 

 

 

 

 

 

「お、覚えてろぉぉぉぉ!!」

 

予想通り、ゲームに敗北し素っ裸に剥かれた山賊三人は半泣きで立ち去っていく。

なんとなく可哀そうな気もして、彼らを直視できなかった紫恩は彼らのおいて行った服を見る。

 

「使えそうなのはローブくらいですかね。空、白、君達にはこの日光は辛いでしょう。羽織っておきなさい。」

「けど、二枚しかないぜ。いいのか?」

「私は君達とは違って真っ当な社会人ですから。この程度、毎日の通勤で慣れてますよ。」

「あーそうかい。後で弱音吐いても聞かねぇからな!ほら、白。」

「……ん。」

 

正直、彼らの服装はこの世界ではやや奇抜である。

そんな姿が街の人に見られた時、奇異の目が二人に向けられるのを避けたい。

そのために紫恩は彼らにローブを勧めたのだが、しかしそんな意図は心理戦を得意とする空ですら見抜けなかった。

それもそうだろう、空に対し半ば罵るように放った言葉も紫恩の本音の一つであったのだから。

 

真意を欺き、偽りの仮面を被る事に関しては二人以上であると自負する紫恩。

日本の社会で異世界人が生きる上で身に着けた過剰なまでの防衛手段なわけだが、他人に踏み込みすぎ、ゆえに疎まれる空が紫恩とうまくやれている理由はそこにあったりもする。

自身の本音、真意を複数作り出し、その内の一つを相手に差し向け、しかしもっとも重要な事は胸の奥の奥に隠す。

紫恩はそういう人間であり、異世界人であった。

 

「それはそうと、紫恩。山賊と俺らがゲームする直前に言った言葉だけどさ。」

「ん?私、何か言いましたか?」

「言ったじゃねぇか。"挑戦を受ける決定権は挑戦された側にある"って。」

「……紫恩……なんで、盟約……知ってるの?」

 

この世界……ディスボードにおける10の盟約。

山賊からそれを聞かされた二人は、すぐに思い出したのだ。

"挑戦を受けるか受けないかという決定権は挑戦された側にあります"と、紫恩は確かに言っていた事を。

 

そしてその意味も、二人は薄々感づいていた。

 

「さて、なんででしょうね。お二人なら……もう、理解しているんじゃないんですか?」

「じゃあお前、本当に……」

「紫恩……この世界の……人だったの?」

 

驚くのも無理はない。

というか、考えもつかなかっただろう。

まさか身近に異世界人がいた、だなんて。

肯定も否定もせず曖昧に笑うだけだった紫恩に対し、呆けていた空は言葉をつづけた。

 

「お前……そういう事はもっと早く言えよ!」

「いや、言ったってどうせ信じて……」

「異世界人とか、そんな面白人間が身近にいたなんて!くっそ、どうして気づかなかった過去の俺!」

 

本気で悔しがる空。

やはり異世界にこようが変わらぬ彼に、紫恩は苦笑する。

 

二人がそんなやりとりをしている一方で、白は紫恩をじっと見つめ、過去の事を思い出していた。

昔、紫恩は不登校になった白に対し妙な事を言った事があるのだ。

何故そんな学校に行くのですか、と。

嫌なら行かなくていいじゃないですか。私も行きませんでしたし、と。

至極当然のように紫恩は告げた。

 

周りの大人が口にする言葉とは真逆の言葉に、当時の白は目を丸くした。

まさかそれが、異世界において紫恩自身が学校ではなく家庭の中で学んでいた経験から来たものであるとも知らず。

なんなら私が教えますよ、とすら告げた紫恩。

日本において将来にすら関わってくる問題に対し提案した突拍子も無いアイデア。

初めてあの時、白は紫恩に心を開いた。

 

 

「……紫恩…。」

「なんですか、白。」

「火とか……吹ける?」

「吹けるわけないじゃないですか!」

 

―――あなたはこの世界の人間を化け物かなにかだと思っているのですか。

残念そうにする白に、紫恩は脱力するしかなかった。

 

 

「あれ?でもそしたら、さっきの奴らにわざわざ世界の事聞かなくても紫恩が教えてくれたらよかったんじゃ……」

「いいじゃないですか、ローブ手に入りましたし。経験も大事ですよ。」

「……ま、それもそうか。情報も手に入ったことだし、そろそろ街に向かおうぜ。」

 

 

果ての見えぬ街道。

街も見えないこの状況でいつたどり着けるのか、不安を抱きつつも三人は歩き出す。

太陽はまだ、昇りはじめたばかりだ。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

それから三人が街……エルキアに着いたのは、陽が下がりはじめた頃だった。

普段ひきこもってばかりいる空と白にとって数時間の徒歩は辛かったようで、すっかり疲労困憊していた。

ぐったりしていた彼ら二人は一直線に宿屋へと向かったのだが、対する紫恩は別行動を取っており、街の中心を縦断する大通りを歩いていた。

その行き先は……街で最も巨大な建築物。

 

「……変わらないな。」

 

白を基調とした明るい様相を呈している巨大建築物、エルキア王城。

門前の警備兵を横目に、紫恩はその"懐かしき家"を眺めていた。

 

「すみません、そこの警備兵さん。」

「はっ、わ、私……ですか?」

 

まさか声を掛けられるとも思わなかったのだろうか。

あからさまにきょどる警備兵に、それでいいのかと紫恩は内心で笑う。

 

「そうそう、貴方です。今のエルキア王の名を、教えてもらえませんか?」

「……妙な事を聞かれるのですね。」

「へ……?」

 

警備兵曰く、前国王は既に崩御されており。

そして現在、国王の遺言に従い、エルキアでは次なる王を決める為のギャンブル大会を開いている真っ只中、という事だった。

しかし、国王には確か孫娘が居たはずである。

彼女の処遇はどうなるのかと紫恩が首をかしげていると、その疑問を察したのか警備兵が口にする。

 

「お嬢様……ステファニー様も例外ではありません。次代王はあくまでも大会の優勝者ですので。」

「……なるほど。王位継承権を有するステファニーすらも巻き込むとは……お爺さんも思い切った事をされたものですね。」

 

彼女も大会に参加しているという。

それでは今頃街中で参加者相手にゲームでもしているのかと、紫恩はここに居ない"幼馴染"に思いを馳せる。

警備兵は紫恩が国王をお爺さんと呼んだ事に眉を顰めたが、しかし次の瞬間には驚きに目を丸くしていた。

 

「ところで、その、貴方は……もしかして、シオドリク・アスター様でございますか……?」

 

 

 

シオドリク・アスター……アスター家の嫡男にして、ドーラ家に最も近いと言われた人物。

王城に勤める者の中で、その名を知らぬ者は居ない。

ステファニーを幼少期から知るその男は、彼女に会うために毎日のように王城に通い、姿も多くの者に目撃されていた。

そしてステファニー自身も、彼を兄のように慕っていた。

そんな二人の姿に、将来の国王と王女の姿を思い浮かべた者も少なくは無い。

 

 

だが……それも、10年前までの事。

10年前のある日を境に、突然シオドリクは王城に顔を見せなくなった。

その次の日も……翌月も、翌年も。

シオドリクは二度と、ステファニーの前に姿を現さなかった。

 

後にも先にも、ステファニーを呼び捨てに出来て、国王をお爺さんなどと呼べる人物など、身内を除けば一人しかいない。

警備兵の追及に、しかし紫恩は笑って見せただけ。

 

「……さて、私はそろそろ戻るとします。ありがとうございました……アーキンさん。」

「っ!!」

 

名を知られていた事に驚く警備兵。

アーキンは、王城に背を向け歩き出した紫恩を呼び止めようとして、やめた。

彼を呼び止めたところで、どうせ王城に今ステファニー様は居ないのだ、と。

しかし同僚に話す良いネタが出来たと、アーキンは軽い足取りで持ち場に戻っていった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

10年前、エルキア。

その頃はまだ国王も存命で、孫娘であるステファニーはまだ8歳。

幼いながらも頭脳明晰で天賦の才を見せ始めていた彼女に期待は大きく、多くの英才教育が施されていた。

彼女がそれを特に苦に思う事はなく、むしろ大人たちの意を汲み、エルキアを救わんがために熱心に取り組んでいた……が。

 

今日は他に待ち遠しい事があるのか、勉強にも身が入らずそわそわとした様子のステファニーに、教育担当の一人が困ったように溜息をつく。

 

 

「お嬢様、楽しみなのは分かりますが集中してください。それではいつまでたっても終わりませんよ。」

「でも先生、今日はお兄様が来てくださる日なのです!今日はどんなお話をしてくださるのだろうと考えたら、私……!」

「……お嬢様は、彼の事となると途端に子供っぽくなられますね。」

 

 

―――しかしおそらく、それが正常なのだろうけれど。

ステファニーがいつしかお兄様と呼び慕うようになった、少年……シオドリク・アスター。

一昨日来たばかりだというのに、まるで数か月ぶりに親兄弟と再会するかのような様子で期待に胸を躍らせているステファニーも、この時ばかりは年相応の子供であった。

困ったような顔をする教育担当だが、しかしその内心では彼の事を有難くも思っていた。

 

こんな幼い頃から勉強詰で生きていてはさぞ辛いだろうと、祖父である国王も頻繁に彼女の相手をしてくださってはいるが、しかし彼も忙しい身。

国王が相手を出来ない日はシオドリクが相手をするといった具合に、遊び相手には事欠かないステファニーもご満悦のようで。

 

「……仕方ないですね。今日はこの辺で終わりにしましょう。」

「え!?いいんですの?」

「身に入らないのに惰性でやっても仕方がありません。また今度、続きはやりましょう。」

「……ごめんなさい。でも、ありがとうございます!」

 

 

言うが早いか、ステファニーは部屋を飛び出し王城の城門へ駆け出す。

言うまでもなく、シオドリクを出迎える為だ。

廊下を駆け、階段を一段とばしで降りてゆく。

 

「おっと……お嬢様。」

「あ、ごめんなさい……。」

「いえ、いいのですよ。」

 

たまに臣下にぶつかりそうになるが、しかし臣下達は怒るよりむしろ微笑ましいものでも見たかのように笑うだけ。

やがて、城門に辿り着いたステファニーを、警備兵……アーキンが出迎える。

 

 

「これはこれはお嬢様。今日もお出迎えですかな?」

「はい。お兄様はまだ?」

「えぇ。今日は少々遅いようで……もしかすると、商店街に寄ってるのかもしれませんね。」

 

 

シオドリクはたまに、プレゼントだと称してちょっとしたお菓子だったり、小物を買ってきてくれる事がある。

それほど高価なものではなく、むしろ安物に類されるものなのだが、しかしステファニーはそれを一生ものの宝物のように大事にしている。

因みに先週はペンダントをプレゼントされていた。

 

 

「お兄様の気持ちは嬉しいのですけれど……でも私は、お兄様と遊ぶ時間のほうが欲しいですわ。」

「まぁまぁ、男というのは女性に何か贈り物をしたくなるものなんですよ、お嬢様。」

「そうなんですの?」

 

彼が彼女に対しそういう思いを抱いているかは、分からない。

少なくとも今までの彼を見れば、彼女の事は妹のようにしか見ていないとさえ思えるが……しかし、将来は分からない。

二人にとってどちらが良いのかは分からないが、願わくばこの二人の関係が出来るだけ長く続いてほしい。

先ほどまで自分が座っていた席で手持無沙汰にしている彼女を、アーキンは優しげに見守っていた。

 

 

……しかし。

 

 

「……お兄様、まだですの?」

「おかしいですね……確かに今日は訪問すると連絡を頂いたのですが。」

 

 

陽が落ちはじめ、空が赤く染まり始めても、シオドリクは姿を見せない。

まさか何かあったのだろうか。

これまでシオドリクが約束を無碍にした事はなく、だからこそ今のこの状況があり得ないもののように感じて。

アーキンだけでなくステファニーも、心配げに城門の外を眺めていた。

 

「……お嬢様、後は私に任せて今日はもうお戻りください。風邪をひかれてしまいます。」

「いやですわ!お兄様が来るまで、私……」

「なりません。お嬢様が風邪をひかれたら、国王が心配されますよ?ですから、どうか……。」

 

 

懇願するようにアーキンに訴えられては、ステファニーも居辛くなったのか。

渋々と言った様子で城内に戻っていった。

その足取りは遅く、まるで少しでも長く外でシオドリクを待とうとしているかの如く。

 

しかし結局、この日シオドリクが姿を見せる事は無かった。

 

 

 

これを受けて翌日、畏れ多くも国王がステファニーを連れてシオドリク・アスターの実家……アスター家を訪問するが、そこで衝撃の事実を聞かされる。

 

アスター家曰く、シオドリクは確かに城へ出かけたというのだ。

そして未だ、帰ってきていないとも。

国王がいらっしゃらなければこちらから城へ出向く所であったとすら聞かされ、それを横で聞いていたステファニーは息をのんだ。

 

 

お兄様が約束を忘れるだなんて珍しいですわね、とか。

私、ずっと待っていたんですのよ、とか。

小言の一つや二つ言ってやろうと思っていたのに、しかしそれを言うべき相手は居なかった。

黙り込んでしまったステファニーに何かを察したのか、国王が優しく彼女に声を掛ける。

 

 

「ステファニー。今日は一度、帰ろうか。」

「……。」

「アスター殿、本日は急な訪問まことに失礼した。出来れば経過が分かったら、是非私宛に連絡を頂きたい。」

「勿論です。こちらこそ、うちの馬鹿息子が申し訳ない事を……。ステファニー様、どうかあいつを嫌わないでやってください。」

 

 

国王がわざわざ出向いた、異例の事態。

シオドリクの失踪は、それだけの重みをもっていた。

そしてそんな事が起きれば、街中で噂になるのも当然で。

 

シオドリクはエルフの奴隷にされてしまった、とか。

狼などといった野生動物に殺されてしまった、とか。

そもそもが他国との内通者で、王の情報を得た彼は元の国へ帰ったとか。

純粋な心を利用されてしまったステファニー様が可哀そう、とか。

 

あらゆる噂が流れ、それは当然ステファニーの耳にも届く。

嘘だ、あり得ないと彼女はひたすらシオドリクを待ち続けたが、しかし月日ばかりが過ぎていく。

 

 

 

―――アスター家から国王に連絡が届いたのは、失踪から5年が経過した頃だった。

 

そしてその情報をどこからか聞いたステファニーは、何もかもを放り出し国王の居る間に駆け込んだ。

お兄様が遂に見つかったのかもしれない。

そんな期待を胸に秘めて、ステファニーは立派な装飾が施された戸を開いた。

 

 

「お爺さま!お兄様の家から連絡があったって……!」

「あぁ、ステファニー……。」

 

国王の手には一通の手紙。

隣には臣下の一人が立っており、朝方国王に渡してほしいとアスター家の者が現れたらしい。

連絡が来るなんて、本当に見つかったんだ、と目を輝かせたステファニーとは対照的に、国王の表情はやや暗い。

臣下がステファニーへ向ける視線にも、悲哀の色が見て取れた。

その様子に、ステファニーは首をかしげる。

 

 

「お爺さま……?」

「ステファニー……。明日、お前には儂とともにアスター家へ出向いてもらうよ。」

「お兄様の家に、ですの?お兄様、怪我でもされていたのですか?」

「いえ、お嬢様。そうではなく……」

「待ちなさい。儂から話す。」

 

目を伏せ、深呼吸をした後、意を決したように国王は口を開く。

 

 

「ステファニー、よく聞きなさい。……明日、アスター家で葬式が開かれるのじゃ。」

「葬式?一体、誰の……」

 

 

幸か不幸か、ステファニーは聡かった。

 

アスター家からの葬式の連絡。

国王自らアスター家に出向く。

ステファニーも同席。

そして……シオドリク失踪から、5年。

臣下から向けられる悲哀の視線。

 

これらの情報から、察する今の状況。

 

 

「……っ!!」

 

 

途端、城内に響く慟哭。床を濡らす、大粒の涙。

この日ステファニーは、唯一の兄を喪った。

 



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第二話 擬勢の王

幼い頃、仲の良かった優しい人が居たとして。

それから先、今に至るまで何十年も顔を会わせなかったとしよう。

 

久しぶりにその仲の良い人と再会した時、果たしてその人は昔のままだろうか。

目の前の人は、今胸中で思い浮かべているような、己のいう事を全て肯定し、いつも優しい笑顔を向けてくれる人だろうか。

 

当時、その人が自分の言葉にどれほどの嫌悪を感じ、今に至るまで苦しめられていたかなんて。

果たして、想像できるだろうか。

 

―――人の心は、いつの世も常に移りゆくものだ。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

王城を後にしたシオドリクは、すっかり暗くなってしまった夜道をひたあるき、宿屋へ来ていた。

無論、その宿屋とは空と白が入っていった宿屋の事である。

空がうまくやってくれていれば、空と白、そして紫恩三人で一部屋借りられている筈。

酒場を兼ねているのだろう、宿屋の中から漏れてくる光と共に喧騒が聞こえてくる。

この情景に、そういえばあの二人も遅くまで寝ずゲームをしていたなと、地球での生活を思い出しなんとなく懐かしくなる。

紫恩にとってはそれほど昔ではない事のはずなのに、世界が変わっただけでそれが果てもなく遠い過去の話のように思えた。

 

 

カラン、と音を立て宿に入ってきた黒服の男……紫恩に宿の主人が目を向ける。

 

 

「どうも、主人。この宿に空と白って名前の二人の子供が泊まってる筈だけど。」

「……あぁ、あんたが紫恩か?話は聞いている。二階の、階段を登り右手に見える部屋だ。」

「話が早いね、ありがとう。」

 

 

酒臭さには目を、もとい鼻を塞ぎ、紫恩は階段を登る。

登るにつれて喧騒も遠のき、空気を静寂が支配していく。

―――木の軋む音が心地いいと感じたのは、果たしていつぶりだろうか。

静かなリズムに身を委ねていると、やがて紫恩の耳に懐かしい"騒ぎ"が聞こえてきた。

 

「あの二人は、本当に……。」

 

他の部屋で寝ている人もいるだろうに。

何を騒いでいるのだと少し足早に階段を登り切り、二人が泊まっていると思しき部屋の戸を開けた……その時。

 

「らめぇぇぇぇ!!」

「へっ!?」

 

強い殴打の音、勢いよく開く部屋の戸。

眼前に飛び込んできた"I♥人類"Tシャツ。

理解する間もなく、紫恩は飛んできた18歳ヒキニート童貞により吹き飛ばされ、視界が反転。

紫恩の眼下には、今しがた登ってきた階段が広がっていた。

 

「あー……これ、まずいね。」

 

脳内にはそんな諦めの言葉が渦巻く。

でも真正面から当たったわけではなかった為、衝撃はそれほど強くない……気がした。

これはこれで結果オーライだったのかもしれない、と無理やり自分を納得させつつ、無理やり腕を伸ばし手すりを掴む。

木が捩じ切れるような嫌な音が聞こえた気がしたが、手すりは何とか紫恩の衝撃を受け止めきってくれたらしく、紫恩は階段を転げ落ちる事はなかった。

 

 

「ふぅ……死ぬかと思った。」

 

 

比喩ではない。

階段での殺人がドラマで描かれるくらいには、階段は凶器である。

背中を伝う尋常ではない量の冷や汗は、決して気のせいではないだろう。

 

「空。急に飛び出してきたら危ないじゃないですか。たった今私という尊い生命が失われるところでしたよ。」

 

そんな、冗談半分で非難の言葉を口にした紫恩だが、しかし空は聞いていなかった。

いや―――聞けなかった、と言ったほうが正しかった。

頭を抱え、体を小さくしながらぶつぶつと何事かを呟いているその様はまるで幼児。

 

「……あー。」

 

いつからだったか。

空と白が二人してひきこもりだしてから、彼らは共依存のような関係になってしまっていた。

とにかく落ち着かせようと、空に手を差し伸べようとしたその時、戸が音を立てて開いた。

 

「空!?大丈夫、で……」

 

そこにいたのは、赤髪の、タオル一枚を服代わりに体に巻いている少女。

一体どうしてそんな恰好をしているのかは知らないが、しかし彼女は今"空"と言った。

―――なんと、空はもう異世界で友人を作ったのか。

その行動力があれば地球でもうまくやれていただろうに、と斜め上の感想を抱きながら紫恩は少女を眺めていた。

 

「あ、あの……貴方は?」

「私は空と白の保護者です。名前は紫恩。そちらは?」

 

まくし立てるように告げた紫恩に、慌てて少女も名を名乗る。

 

「わ、私はステファニー・ドーラ。紫恩さんというのですね、よろしくお願…」

 

ステファニー。

懐かしい名に、紫恩の眼が細くなる。

 

「へぇ。大きくなりましたね……。」

「……へ?」

「あ、いや。なんでもありませんよ。」

 

それより空をどうにかしないと、と部屋へ空を引きずる紫恩。

彼の言葉の真意をくみ取れず、ステファニーは呆けたように眺めていた。

紫恩が部屋の中で対人恐怖症を発症していた白を見つけ、頭を抱えそうになるまで、あと数秒。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「紫恩、遅かったじゃないか。どこ行ってたんだ?」

 

白と再会し復帰した空は、開口一番そんな事を紫恩に聞いてきた。

 

「どこって言われても。強いて言うなら、想いでの場所…ですかね。」

「……家族の所?」

「おや、白は突っ込んできますねぇ。私の行先がそんなに気になりますか?」

 

ニヤニヤと、嬉しそうに話す紫恩とは裏腹に、白は無表情。

むしろ機嫌が悪くも見えたのは気のせいではあるまい。

 

「紫恩、白は不安なんだよ。お前が家族のところに戻るんじゃないかってさ。」

「にぃ……っ!」

「本当のことだろ。紫恩の眼はごまかせても、兄ちゃんの眼はごまかせないぜ。」

 

空の言葉が図星故か、あからさまにムスッとする白。

 

「にぃだって……同じ……。」

「そそそそ、そんなわけないだろ!兄ちゃんはもう親離れしてるんですぅ!」

「空……反応があからさまですわよ。」

 

けれど、とステファニー……通称ステフは続ける。

 

「紫恩さんって結構お若い……ですわよね?それなのに、二人の保護者……?」

「まぁ、色々あったんですよ。詳しくは聞かないでください、教えられないので。」

 

―――ただしくは、教えたくないというべきか。

あんな胸糞の悪い思いはもうしたくないし、考えたくもない。

こんな、社会の裏の汚い話なんて……ステファニーには特に。

 

紫恩の眼が次第に細く鋭くなっていくのを見て、ステフは慌てて謝罪した。

 

「ご、ごめんなさい。不躾に聞いてしまって……。」

「いや、こちらこそ。君は関係ないんだから、気にしなくていいよ。」

 

笑う紫恩。

しかしその表情が堅い事に二人は気づいた。

 

「空、白。君達の気持ちは嬉しい。安心してください、私はいつでも君達の味方ですから。」

 

それは世界が変わっても変わらない。

微笑み、頭を撫でる紫恩に、白は俯いた。

それが照れ隠しであることを紫恩は知っている。

 

「……。」

 

そんな彼らの姿に、ステファニーは何故か胸が締め付けられる思いがした。

脳裏に浮かぶのは、血の繋がっていない優しかった兄。

もし、今まだ生きていたら……あんなふうに、頭を撫でてくれたのだろうか。

国王選定戦に落ちてしまった自分を、優しく慰めてくれたのだろうか。

 

 

「空、この宿では何泊できるのですか?」

「4泊。けど、その点に関しては多分大丈夫だと思う。ステフが王城で住まわせてくれるらしいからさ。」

「え……?」

 

それは本当なのか、と追及の視線をステフに向ける紫恩。

物思いに耽っていたステフは、ワンテンポ遅れて返答した。

 

「も、もちろん。王城はただでさえ広いんですし、部屋の一つや二つ貸してさしあげますわ。」

「そんな適当でいいんですか…?」

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

そして翌日早朝、エルキア王城にて。

無事"朝帰り"を果たしたステフは、空と白、そして紫恩を王城に招待。

王城見学もそこそこに、この異世界に来てから一度も体を洗っていない空は王城の風呂を貸してほしいと提案した。

 

「……行ってらっしゃい。」

「何をおっしゃいますか妹よ。ずっと歩きっぱなしだったんだ、流石に今日は風呂に入ってもらうぞ。」

「いーやー……!」

 

風呂を嫌う白の不平には耳を貸さず、半ば無理やり風呂へと妹を連れて行く空。

 

「ステフ、風呂の湯を沸かしてもらえるよう使用人に頼めるか。沸騰するくらいに。」

「沸騰!?一体どういうつもりですの?」

「湯気さんを召喚するための必要な儀式だ。それと、ステフも白と一緒に風呂に入ってくれ。こいつ、一人じゃまともに体洗おうとしないんだ。」

「はぁ……。」

 

白は極端に風呂を嫌う。

白が言うには、長い髪が必要以上にサラサラになり、それが肌にあたるとかゆいからとかなんとか言っていたが、真偽のほどは定かではない。

わいわいと騒ぐ白と空、そしてステフを、紫恩は外野から生暖かい目で見守っていた。

 

「紫恩、お前は入らないのか?」

「他人同前の女性と風呂に入ろうとするのは君くらいですよ。ステファニーも、嫌ならいやと言っていいんですよ?」

「え?いや、その……。」

 

まさか、そんなに嫌でもないなんて。

そのうえ"空と一緒に入る事前提で"自分のプロポーションを気にしていたなんて、言えるわけもなく。

 

「って、また私はこんな事を考えて……!!」

 

また、そんな自分の自惚れた考えを払拭しようと壁に頭をぶつけ始めたステファニー。

それが惚れた弱みとの格闘であるとも知らず、紫恩は不思議そうに見つめていた。

 

「それじゃ空、後は任せましたよ。」

「おう。……って、どこか行くのか?」

「流石にそろそろ家に顔出さないとまずいかなと思いまして。」

 

家族。

空達には縁の遠い存在が、しかし紫恩には居るのだ。

 

「10年も顔を出さなかったのですから、多分死んでる事になってるかもしれませんが……。」

 

それでも、やはり一度は顔を出すべきだろう。

異世界に帰って来た以上。

戻されてしまった以上。

この狭い国の中で偶然再会し、今までどこに行っていたと道端で怒鳴られるよりは、こちらから怒鳴られにいったほうが精神衛生上にもいい。

 

いつものスーツ姿で、覚悟を決めたようにネクタイを締める紫恩。

 

「ふーん……ま、頑張れよ。」

「おや、空は不安じゃないんですか?」

 

宿で紫恩が白に対し見せた悪戯っ子のような笑み。

しかし空は、それにただ笑うだけだった。

 

「親の幸せを願うのも子の役目だろ。頑張れよ、オヤジ。」

「……そこはオニーサンと言ってほしかったですね。」

 

8年。

長いようで短い年月、紫恩は空や白と共にいた。

時には相談相手として。

時には遊び相手として。

時には喧嘩相手として。

地球にて、紫恩が彼らに与えられるものは殆ど与えてきた。

 

「それじゃ、空。行ってきますね。」

「……あぁ。」

 

―――たとえ、それが異世界に置いてきてしまった少女に対する贖罪から始まったものであっても。

 

「あ、お土産は期待しないでくださいね。」

「いいからさっさと行け!」

 

いよいよスリッパでも飛んできそうだと、紫恩は慌てて部屋を飛び出す。

閉じられた扉の向こうで、やがて空達の楽しそうな会話が微かに聞こえてくる。

 

「……覚悟決めないと、いけませんかね。」

 

それは決して、家族に対する覚悟だけではなく。

約束を無碍にしてしまった少女に対する覚悟でもあった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

王城を背に、紫恩は歩道を歩きつつ朝日に照らされた街中を眺めていた。

早朝であるからか人はまだ少なく、聞こえてくる鳥のさえずりが時の流れを遅く感じさせる。

車も、ビルも無いこの世界を見て、いよいよ紫恩は帰らされた事実を痛感した。

 

 

―――6000年前の盟約発足以後、代々エルキア国王として君臨し続けてきたドーラ家。

他にも人類種(イマニティ)の国は大陸中に存在した……しかしいずれも滅んだが。

そんな中、エルキアが生き残り続けたのは国王の采配故か、それともただの運か。

そも、昔大陸全土を人類種が征服していたというのも信じられない話。

ゆえに、多くの人はこう考えるだろう。

 

歴史は歪曲されている、と。

 

だが、紫恩(シオドリク)は信じていた。

いや……信じざるを得なかった。

でなければ、絶望しかねなかった。

何の力も無い人類種が、他種族に勝つなんて夢物語になってしまう。

このまま滅亡する運命しかないと、悲観するしかなくなってしまう。

戻されたこの世界で、成すすべなく死ぬしかないのかと。

生きる事を諦めてしまうから。

 

「こんな事を父上に言えば、アスター家嫡男としてだらしがないと怒られるんでしょうけれど。」

 

自嘲するようにシオドリクは呟いた。

 

アスター家は、昔ある一国を統治していた。

エルキアに隣接するように、寄り添うように存在していたアスター家の国があったらしい。

シオドリクが生まれた頃には既に喪失して200年が経過していた国だ、もはや名など誰も覚えていないだろう。

 

仮にも元王家として、立派に生きねばならない。

ただし奢ることなく、一庶民としてエルキアの為に生きよ。

それがシオドリクの父親の考えであり、家訓であった。

 

シオドリクの眼から見ても、彼は立派であった。

尊敬に値する人物であった。

 

「……父上。」

 

だからこそ、会うのが怖くもあった。

今の自分の状況を見て、父親はどう思うだろうと。

逃げた挙句、捕まり、だらしなくも帰らされた我が子を見て。

悲観しないだろうか。

 

 

そんな事を考えて歩いていたシオドリクは、ふと我が家が近い事に気付く。

この曲がり角を曲がれば我が家だ。

今一度気を引き締め、どんな戒めも引き受けよう。

鉛のように重い足を奮起させ、一歩踏み出した。

 

 

……だが。

 

 

「……え?」

 

 

古くもしっかりと地に足をつけ、旧王家として最後の意地をみせんとばかりに建ちつづけていた我が家。

シオドリクの、唯一愛した我が家があるはずのそこには、一面の野原。

吹き抜ける風に靡きながら、赤・白・青と色とりどりの花を見せるエゾギクが咲き誇っていた。

 



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第二話(後半部)

 

 

「またアスター家か……。」

 

空は、白と共に王城で蔵書を読みふけっていた。

人類種語を覚えつつ本を読んでいると、頻繁に出てくる"アスター家"という単語。

蔵書によれば、どうやらエルキア王国の内政に関し、奥深くまで関わっていた家らしい。

一応、一般に貴族と言われる部類に入る家系らしいのだが、しかしそれにしてはエルキア国王との繋がりが強すぎる。

利権を得て特定地域を支配・統治する権利を得ている上に、内政に関するアドバイザーとして、アスター家はしばしば王城に召喚されていたという。

 

その疑問に、ステフが答える。

 

「アスター家は……昔、一国の王家でしたのよ。」

「なん……だと?」

「イリーシア国……エルキア国に隣接していた、小さな国。長年、その二国は同盟関係にあったらしいですわ。」

 

人類種の間でもやはり争いは度々起きていた。

小さないざこざから、少々大きいものまで。

しかし争っていては他種族の思う壺であると、二国は早期に同盟を組んだ。

以後、今から200年前にイリーシア国が滅びるまで、その二国の同盟関係は続いていたという。

 

「そういった経緯から、アスター家とエルキア……ドーラ家は昔から友好関係にありましたわ。私のお兄様、シオドリクも、アスター家の嫡男で……」

「兄?お前、兄なんて居たのか。」

 

驚いたとばかりに目を丸くする空と、白。

 

「そう、居ましたわ。当時幼かった私の我儘にも、飽きもせずいつも付き合ってくださっておりました。」

 

話をしろと言えば、どこで知ったか分からない昔話を聞かせてくれて。

ゲームで遊ぼうと言えば、ステフが祖父から教えてもらったばかりの遊びにいつまでも付き合ってくれて。

そういえばお兄様はいつもゲームで負けてばかりだったな、と懐かしい記憶にステフの頬が緩む。

 

「ふーん……ステフの兄って、街のどこらへんに住んでるんだ?」

「……彼は、亡くなりましたわ。5年前に。」

 

眼を伏せ、沈痛に語るステフに、二人もばつが悪そうに視線を下す。

そのステフの気持ちは、二人とも痛いほど分かるからだ。

空白のうち、もしどちらかが居なくなったら。

どうなるかなんて、自明である。

 

「あ、ごめんなさい。気になさらないでくださいな……それに、正確に言うと"生死不明"ですので。」

「生死不明?」

「10年前から行方不明なんですのよ。結局見つからなかった為、5年前に籍の上では死亡と相成りましたの。」

 

ですから、とステフは続けた。

 

「私は、まだお兄様が死んだと思ってはおりません。だからいつかお兄様を見つけたら、10年前に私の約束を無碍にしたこと、非難するつもりですわ!」

 

こぶしを握り締め声を荒げるステフの様子は、兄の死など信じていないといったもの。

それを聞いて、ステフを己と重ね合わせていたらしい白は安堵したように息をついた。

 

「しかし、アスター家って王家だったんだろ?ってことは、蔵書とかも沢山ありそうだな。」

 

情報は出来るだけたくさんほしい。

後でアスター家にも訪問したいと口にした空に、ステフは首を振った。

 

「アスター家は、滅びましたわ。」

「は……?」

 

二度目の衝撃。

 

「いや、待て待て!だって居たんだろ、ステフの兄にしてアスター家嫡男が、少なくとも10年前までは!」

「えぇ。ですが問題はそこではなく、居なくなった事なのです。」

 

 

シオドリクの死亡説が広がったのが5年前。

しかしそれと同時によからぬ噂が広がったのも記憶に新しい。

 

―――アスター家は他種族と繋がっている。

シオドリクは本当は死んでおらず、王城で得た情報を他国に流したのだ。

 

ドーラ家とつながりが強いアスター家を好ましく思わない貴族によってそんな噂が広がり。

アスター家が元々は他国の王家であった事も災いし、エルキアを落とさんが為の行為であるだろうという識者の意見に、噂の信憑性は上昇。

 

それに、時期も悪かった。

当時、他国に人類種の領土が取られ始めていたのだ。

その結果、アスター家による情報提供があったのではないかと噂された。

国王はそれを諌めようとするも、しかしエルキアでのアスター家に対する信頼は急落し暴動に発展。

全ては己の力量不足であり、アスター家は関係ないという国王の言葉でも暴動は治まることを知らなかった。

 

アスター家を引きずりおろせ、街から追放しろ……そんな言葉が街中で飛び交った。

国王ですら抑えられないエルキアの混乱。

事態を重く見たアスター家は、暴動が起きた日の夜、ついに動きを見せた。

 

「謎の火災?」

「えぇ……アスター家の家が、突然燃えたのです。」

 

建設されてから長い年月が経過し乾燥しきった木造の平屋は、各所から発火した結果何もかもを燃やし尽くした。

住人も、家も……何もかも。

諸悪の根源が消え去った結果、暴動も沈静化。

ここまで聞けば、暴動による放火が行われた事を想像するが……しかし仮にそういった事を企んでも、盟約でそういった害意ある行為はキャンセルされる。

であれば、可能性はただ一つ。

 

「自ら、燃やした……一家心中か。」

「はい。アスター家は、暴動を抑えるために自ら犠牲に……」

「本当に、そうか?」

「え……?」

 

それは"逃げた"と同義ではないだろうか。

全てが暴かれそうになった結果、他国の為に証拠隠滅を図ったのだと。

空がアスター家に対して感じた思いは、ステフとは真逆の懐疑であった。

 

「案外、本当に繋がっていたかもしれないぞ?役目を果たしたスパイが、自ら自害しただけかもしれん。」

「そ、そんなわけありません!だって、お兄様は……」

「シオドリクがお前と国王の信頼を得て、後に突然姿を消した。そしてシオドリクの行き先の唯一の手がかりであるアスター家は消え、領土も取られた。片やシオドリクの足取りは完全に不明。……殆ど黒じゃねぇか。」

 

誰が聞いても、シオドリクは何らかの役目を果たして姿を消したと判断するだろう。

その後領土が取られ、アスター家が消えたのが最大の証拠でもある。

反論したくてもできないステフは、空の言葉にただ歯噛みした。

……しかし、そこで意外にも白が異論を唱える。

 

「……だとしたら、シオドリクが消えてから5年も待ったのは、何故……?」

「む……確かに。5年もあれば、別にわざわざ一家心中しなくても他国に逃げられただろうしな。」

 

国王とその孫娘の信頼を見事獲得するような人間だ。

そんな所でミスをするような事も考えにくい。

 

「アスター家はエルキアと数千年も同盟関係にあった国の王家なのです。そんな方達が、今さら私達を裏切るなんて……。」

 

―――あり得ない。

言外に訴えるステフに、しかし空は腕を組むだけ。

 

「……まぁいい。今はそれよりも国王選定戦だ。」

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

「……なるほどね。」

 

まさか、今しがた空達が熱論を交わしていた部屋の前に、出先から帰ってきていた紫恩……シオドリクがいたなんて。

流石に彼らも思いもよらなかっただろう。

アスター家の滅亡を、紫恩が床に座り込みながら聞いていたなんて。

彼の表情は、絶望一色であった。

 

「父上……母上……。」

 

 

すべて、自分が原因だった。

家が無くなったのも、家族を喪ったのも、全て自分がこの世界から逃げた結果だった。

家族を失った?いや……違う。

―――――私が、家族を殺したんだ。

 

「は……はは。」

 

……何が、"家族と共に生きる可能性もあったかもしれない"だ。

 

世界渡りの事故に巻き込まれ……そして、それを紫恩が"承知"した。

結果、盟約に触れることなく紫恩は地球へと飛ばされた。

跡継ぎが飛ばされた事でアスター家は窮地に立たされ、挙句滅亡した。

 

……けど、しょうがないじゃないか。

こんな世界、嫌いだった。

己の努力も、何もかもゲームで無駄なものに変えられてしまうこんな世界。

どうやって好きになれというんだ。

 

「唯一神、テト……君は、こんな地獄を私に見せるのが目的だったのか?」

「違うよ?」

「……え?」

 

 

時が止まった。

 

呆然と固まる紫恩の前に姿を現したのは、一人の少年。

唯一神、テトが変わらぬ笑顔で紫恩を見ていた。

 

「君があの地球に転生したのは、君が承知したから。それは君もよく知る事だろうけれど……」

 

続けて、テトは宙で足を組みながら言う。

 

「更にこの世界に戻ってきたのは、君があの二人と一緒にいる事を望んだからさ。」

「……あ。」

 

このディスボードに戻ってきたばかりの頃。

紫恩は世界を嫌いつつも、しかし二人の保護者であることを望んでいた。

世界が嫌いだからこそ、そんな世界から二人を守ろうと、紫恩は共に行く事を決めた。

放心する紫恩に、更にテトは言葉をつづける。

 

「君が世界を嫌っている事に、正直言えば僕は悲しいよ。でも一つだけ言わせてもらうなら……"君の努力は、無駄じゃない"。」

「え…?」

「君がどんなに頑張っても、ゲーム一つでそれが逆転するのは確かだろう……けれど、その頑張ってきた事実は変わらない。いいかい?どんなにゲームで強い人も、それまでに何度も負けているんだ。」

 

負けて、覚えて。

また負けて、また覚え、少しずつ勝利に近づいていく。

これの繰り返しなのだと、テトは語る。

 

「けど、そうは言っても負けるのは辛いだろう……だから、神である僕が認めるよ、君の努力を。君は頑張った。そして、"これからも頑張れ"。」

「っ!!」

 

シオドリクは、弱い己を偽っていた。

アスター家嫡男として、強者の仮面を被っていた。

エルキア王国の為に頑張っているステファニーに見合う、立派な兄であるように。

ステファニーの、この世界に対する"耳障りな"思いを聞きながら、それに頷くフリをして。

 

しかしシオドリクは認めてほしかったのだ。

弱い自分を、卑怯な自分を、そしてそれでも努力している自分を。

誰でもいい、隠した自分を暴いてほしかった。

そしてそれが叶わず……異世界(地球)へ逃げた。

 

「この世界に戻る事を決めたのは君自身だ。君は自ら地獄に飛び込んだんだよ。二人を守るために。」

「テト……貴方は、本当に酷い神ですね。」

「申し訳ないね。僕は、誰の味方でもないんだ。」

 

―――そして、誰の敵でもない。

 

テトの姿が消え、時が動き出す。

先ほどまで神が居た空間を、じっと紫恩は見つめていた。

 

「紫恩?お前、こんなところでなにやっているんだ?」

 

突然聞こえてきた空の声に、紫恩の肩が跳ねる。

まさか、聞いていたのか……テトの居た場所と紫恩とを交互に見る空に、紫恩は察した。

神にハメられたのだと。

 

「ちょっと疲れちゃいましてね……休憩を。」

「それなら部屋に入ればいいだろ。なんで廊下で休むんだよ?」

「知らないんですか?廊下って、結構冷たくて気持ちいいんですよ。……それより、空。君達に話さなければならない事があります。」

「……とりあえず部屋に入れよ。」

 

もはや、どんな茶番も意味を成さない。

今の今まで部屋の前で聞いていた事も、空はお見通しだろう。

 

「一度仮面を外してみるのも悪くない……ですかね。」

 

全て明かそう。

そしてその上で紫恩とは一緒に行けないと二人が言うならそれも悪くない、と。

家族も何もかも捨ててしまった紫恩に、もはや居場所は無い。

空と白、そしてステファニーが見守る中、意を決して紫恩は口を開いた。

 

「紫恩というのは、地球での私の名前。私の本当の名は……シオドリク・アスター。」

 

―――――多分、空は気付いているんだろうけれど。

やけくそに開き直って、紫恩は告げた。

 



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第三話 弱者の庇護

停止。

 

今の状況を表すには、たったその一言でいいだろう。

紫恩の告白は、それほど強力な一撃であった。

ステフは勿論、白、そして空までもが、目を丸くしていた。

そんな彼らの様子に、もしかしてまたテトでも現れたのだろうかと、紫恩はそんな場違いな事を考えていた。

 

「な、……な、えっ…?」

 

絞り出すようなステフの言葉は、もはや言葉の体を成しておらず。

停止した空気をぶち壊すかのように、空が叫んだ。

 

「ちょ、紫恩……じゃなかったシオドリク!!なんで結論から喋りだすんだよ!?」

「なんでって、今さら取り繕うのも無理ありますし……。」

「もうちょっと自分語りいれて場を盛り上げて、最高潮までいったところで最後に一気にドーンとかさぁ……!!」

「最初に結論言っちゃったほうが、相手にも分かりやすくていいでしょう。」

「分かりやすすぎるんだよ!見ろよ、ステフなんか完全に時が止まってるぞ!」

 

話の展開にいちゃもんをつける空。

こうなってしまっては感動もなにもあったものではない。

 

「……紫恩……10点…。」

「結構厳しい採点なのですね、白。でも自分語り、ですか……。」

 

自分語りとはいっても、殆ど空やステフによって説明されてしまっている。

今さら何を言うべきかと迷っていると、恐る恐ると言った様子でステフが口を開いた。

 

「シオドリク・アスター……お兄様、ですの……?」

 

言われてみれば、とステフは紫恩……仮称シオドリクをじっくりと観察する。

少々長くはなっているが、確かに綺麗な濡羽色の紫恩の髪と紅い瞳は記憶の中の兄の特徴と一致する。

そして一度意識してしまえば、紫恩の顔を見ただけで一気に過去の記憶が奔流のように脳裏を駆け巡っていく。

昔話を語る優しい声、ゲーム中に思考に耽る顔、自分の勉強の成果を一々褒めては見せる笑顔。

 

やがてじわりと、ステフの視界が涙で滲む。

 

「ステファニー……大きくなりましたね。」

「ッ!!」

 

昨日、宿屋で言われた言葉。

今一度言われたことでその意味を理解し、思わず兄に抱き着いた。

 

「お、兄様……お兄様ぁぁぁ!!」

 

己の胸で泣くステフを前に、シオドリクも抱き返そうとした……が、やめた。

代わりに頭に手を置き、極めて冷静に努めた声色で話す。

 

「やめてください、ステファニー。私は、お前の思う程出来た人間では……」

 

現実から逃げ、挙句家族を見殺しにした卑怯者の親不孝者。

己を卑下し、否定する紫恩に、しかしステファニーは首を振った。

 

「……知っています。」

「え……?」

 

次は、シオドリクが驚かされる番だった。

 

「知っているって、何を……」

「何、ってお兄様、忘れたのですか?あの日……10年前、最期にお兄様が私と会った日の事。」

 

 

最期にステファニーがシオドリクと顔を会わせた日。

その日は、ステファニーが初めてシオドリクと喧嘩した日でもあった。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

「やった!またお兄様に勝ちましたわ!」

 

その日も、ステファニーはシオドリクとトランプを用いたゲームをしていた。

ゲームに関してシオドリクは滅法弱く、例え8歳児のステファニーが相手といえど勝てた試しは殆ど無い。

 

「本当に強いですね、ステファニー。」

「勿論!私がエルキアを救うんですもの。」

 

強くて当然、とばかりにふんぞり返るステファニーに、からからと笑うシオドリク。

それじゃ片付けましょう、と散らばったトランプをシオドリクが集め出す。

そんな彼に、ステファニーはある疑問をぶつけた。

それは、いつも思っていた素朴な疑問。

けれど何となく言い出せなくて……でもその日は、何故か言い出せてしまった。

 

 

「お兄様って、旧王家の長男なんですわよね?どうして、そんなに弱いんですの?」

 

 

シオドリクの、トランプを集めていた手が止まる。

 

そこに悪意など、ありはしなかった。

ただ、同じ王家の長女である自分と比べて、弱い旧王家長男が気になっただけ。

しかし……不幸なことに、そこがシオドリクの最も触れてほしくない逆鱗であった事に、聡くも幼いステファニーは気づけなかった。

 

「……どうしてでしょうね。そんなの、私が知りたいですよ。」

「お兄様……?」

 

シオドリクの雰囲気が変わった事に、怪訝そうにするステファニー。

いつもの温和な表情が消え、無表情のシオドリクはどことなく恐ろしくて。

しかし自分の発言で彼を怒らせてしまった事をなんとなく理解したステファニーは、出来うる限りの知識を絞って取り繕うとする。

 

「そ、そうだ!お兄様も私と一緒にお勉強しましょう?そうすれば、きっと……!」

 

―――――それが、更に深く傷を抉るとも知らずに。

 

「……君は、エルキアを救うと言いましたね。ステファニー。」

「は、はい……お兄様。それが、なにか……」

「君が知っているように、我々人類種には精霊回廊がありません。故に、魔法を感知する事も使用する事も出来ない。また、獣人種のように超能力、超感知といった類もない。それなのに、どうやってエルキアを救うというのですか?君のような、何の力も無い子供が。どうやって。」

 

8歳児相手に、大人げない。

シオドリクはそう自虐しつつも、しかし己の口から飛び出すナイフの如き言葉は止まる事を知らない。

いや……止めようとも、していなかった。

 

「それは……皆で力を合わせれば……!!」

「そんな陳腐な術で可能なら、今頃人類種はこんな絶滅の危機に瀕してなどおりませんよ。」

 

そうですね、ステファニーの言うとおりです。

いつもなら肯定の言葉を聞かせてくれる筈の兄は、真っ向からステファニーを全否定する。

いつもと様子の違うその姿に怯え、恐れ、幼く純真な目元から涙が流れる。

 

「ご、ごめんなさい……。」

「……っ。」

 

彼女の涙を見て、シオドリクは我に返る。

そして同時に、やってしまったと自己嫌悪に陥って。

 

「……ふぅ。申し訳ありません、ステファニー。今日の私は少しおかしいようです。今日はこれでお暇させていただきますね。」

「え……?」

 

逃げるように、シオドリクは部屋を飛び出す。

 

「お、お兄様!待って……あっ!」

 

追いかけようとしたステファニー。

しかし足をもつらせ、盛大に転んだ。

痛々しい音と悲鳴を廊下に響かせ、即座に使用人が駆けてくる。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?あぁ、お膝を擦り剥けられていらっしゃいますね。すぐに消毒を……」

「いいの、私の事はいいの!お兄様を……」

 

ステファニーが怪我をすればすぐに飛んできてくれる兄の姿は、どこにもない。

甲斐甲斐しく手当をする使用人の声が、ステファニーには遠く聞こえた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

「……お兄様が失踪してしまったのは、私のせいなのではないか。私があんな事を言ったから、二度と顔を見せてくれなくなったのではないか……ずっと、そう考えていましたの。」

「ステファニー……。」

「私も勝負に負けて、国王選定戦から落ちて、気づきました。己の無力さゆえの、どうしようもない悔しさに。私の追い打ちは、幼かったとはいえとても残酷なものでしたわ。」

 

弱い、けれどどうする事も出来ない。

いや、どうしようとも弱いままで、そんな自分から逃れられなくて。

その上己の立場とも戦い、そして心身ともに崖っぷちに立たされていたであろうシオドリクに、"最後の一押し"をしてしまったのではないか。

ステファニーはずっと、自責の念に駆られていた。

 

「……馬鹿ですね、君は。さっさと私の事なんて嫌ってしまえば、楽になれたでしょうに。」

「お兄様を嫌う事なんて出来るはずがありませんわ。」

 

―――どうか、あの馬鹿息子を嫌わないでやってほしい。

シオドリクの親に言われたあの言葉を、ステファニーはまだ覚えていた。

 

神妙な雰囲気で語らうシオドリクとステファニーに、空が口を挟む。

 

「おーい……そろそろいいか?」

「あぁ、空。どうされました?」

「どうされました?じゃねぇよ!いつまで俺ら放置する気だよ!」

 

白の半眼がシオドリク……と、ステファニーに突き刺さる。

なんだか不倫現場を見られたかのような罪悪感に苛まれ、シオドリクは苦笑した。

 

「それで、シオドリ……いや、紫恩でいいか。紫恩は10年前に地球に来た……そういう事だな?」

 

断定するかのように確認する空に、紫恩も頷く。

 

「はい。それからは君達が知る通り地球で暮らした後、先日君達に巻き込まれる形でこの世界に戻ってきたのです。」

「……じゃあ…アスター家は……」

「無実ですよ。私が情報を他国に流したなどという事実もありません。」

「まぁ、そうなるわな。」

 

ずっと紫恩は地球に居たのだから。

それは空白がよく知っている。

それでは、アスター家は本当に暴動を沈静化する為、エルキアの為に自ら犠牲になった事となる。

大した自己犠牲だよ、と空は呆れつつも感心した。

 

「しっかし、紫恩も大人げねぇよなぁ。八歳児の子供相手にムキになるなんて。」

「空……!」

 

過去の諍いを蒸し返す空に、非難の声を上げるステフ。

しかしそれを紫恩が遮った。

 

「えぇ、その通りです。ですが空、今はそのような過去の細事に構っている時ですか?」

「…紫恩ってあんまり怒らないよな。本当に喧嘩別れしたのか?」

「いえいえ、これでも結構怒るんですよ私。……たとえば、昼夜の食事を用意しろと言ってのけた空の発言とか。」

 

眉を吊り上げ、蔑むように紫恩は笑う。

 

「……前言撤回。お前、やっぱしつこいわ。」

 

地球でのあの恨みをまだ持ってくるか、と流石の空もお手上げのようで。

それ以上の追及は諦めたのか、伸びをしつつ、視線をステフへと向けた。

 

「ステフ、戴冠式はいつ始まる?」

「え?えぇっと、夕方からだったかと。」

「それじゃ、そろそろか……。」

 

戴冠式。

それは次期国王の決定を意味し、国王選定戦の終了を意味する。

考え込む空は、ちらりと白に目を向けた。

 

「白。兄ちゃんが何やっても、ついてきてくれるか?」

「勿論。それが……約束。」

 

二人の間で交わされた短い言葉。

それが一体どういう意味なのかステフには分からず、首をかしげる。

 

「空、白。無理はしないでくださいよ。」

「何言ってるんだよ、これはゲームだろ?」

「……ゲームなら……『』(空白)に負けは、無い。」

「はは……そうでしたね。」

 

自信満々といった様子の二人。

ならばもう何も言うまいと、満足した表情で紫恩は眼を閉じた。

 

「え?え?一体なんなんですの?」

「……ステフ。戴冠式会場に、案内して。」

「俺らの領土、取り返しにいくぞ。」

 

二人のこれからしでかそうとしている事に紫恩は不安を抱きつつも、しかし安堵していた。

彼らが居れば、大丈夫だろうと。

……案外、この世界に来てから守られていたのは自分の方なのかもしれない。

 

 



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第三話(後半部)

 

 

「それでは、続いての挑戦者はおりませぬかな?居なければ、クラミー・ツェルが次期国王と相成る。異議のある者は申し立てよ。」

 

所代わり、戴冠式場にて。

たった今、最後の挑戦者を倒した少女、クラミー・ツェル。

一体これまで何連勝したかも分からないほど、彼女は勝利を重ねてきた。

その実力は誰が見ても確かで、もはや挑戦者に名乗りを上げるものなどいなかった。

……『』以外には。

 

「はーい、異議あーり!ありありでーす!」

 

ふざけた声色とともに大きな音をたて、開かれた大扉。

4人の乱入者に一瞬クラミーは眉を顰めるも、しかしその内にステファニーを見つけ、一転。

馬鹿にするように、4人を見下す。

 

「あら、ステファニー・ドーラ。負けたのが悔しくて、今度は大所帯で挑む気なのかしら?」

「っ……。」

 

ここで挑発に乗っても、相手の思う壺。

平静を装い、ステファニーはじっとクラミーを見つめ返した。

 

「えー……つまり、挑戦されるという事でよろしいですかな?」

「そうでーす。だってさぁ……」

 

―――森精種と結託している奴を王にしたら、この国終わりだろ?

 

空の言葉に、一気に観客が騒がしくなる。

対して、クラミーの表情が一瞬崩れたのを空は見逃さなかった。

 

「白。空の言っている事は本当なんですか?」

「……本当。この写真の人……会場に居る。」

 

いつ写真をとったのか、白の見せたスマホにはローブを深く被った人物の写真が表示されていた。

続いて紫恩が会場を見回してみると、確かに同じような人が一人いる。

 

「……ステファニー。」

「分かっていますわ、お兄様。」

 

混乱に乗じ、対象に近づいていったステフを確認した紫恩は空へ目配せする。

 

 

「……一体何のこと?」

「おや、とぼけられるので?……ステフ、頼む。」

 

空の合図を受け、ステファニーが対象のローブを下げる。

すると、白い肌をした少女の長い耳が外気に露出した。

誰が見ても分かる森精種の特徴に、会場はさらに騒がしくなる。

 

「フン、適当な森精種と結託して私を人類種の敵に仕立て上げようっての?考えたわね、使用人さん。」

「……なるほど。良い弁解だ。」

 

一触即発の二人の雰囲気に、司祭が静かに口を挟む。

 

「そ、それでは挑戦という事で……よろしいですかな?」

「あぁ。これまでと同様ならポーカーなのかな?でもその前に、協力者にはご退場願わないとなぁ。……お友達、助けなくていいのか?」

 

更に挑発を重ねる空。

しかしクラミーは森精種の少女に対し何か行動を起こす事もなく、無表情に空を見つめていた。

緊迫した空気に、会場の誰もが息を呑む。

 

 

「いいわ、私にもプライドがある。そこまで言われるのなら、イカサマの介入する余地のない、王を決定するに相応しいゲームで勝負しましょう。」

「構わないよ。盟約その五、ゲーム内容は挑まれたほうが決定権を有する……敢えてポーカーを避けた理由は問わないけれど。」

 

ニヤニヤと、空は告げる。

陰湿に敵を追い詰めていくその姿を、紫恩は背筋が凍る思いをしながら眺めていた。

10年前まで……およそ16年の間、この世界で暮らした記憶の中で彼のような人間は居なかった。

絶対的な自信から来る、他者への圧倒的なまでの威圧感。

憮然とした態度をとるクラミーに、一瞬眩い光が照射される。

 

「うーん……写り悪いねぇ。もう少し笑ったほうがいいよ?」

「……。」

 

空に、異世界の秘密兵器スマホをこれみよがしに見せられ、クラミーの視線に苛立ちの色が籠る。

 

「……舞台が必要ね。準備が整ったら連絡するわ。」

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

その後、空はクラミーの連絡を待つ為、王城の中庭へと戻った。

 

「……私は、空がひきこもりである要因の片鱗を垣間見れた気がします。」

「今更だろ。」

 

呆れた様子の紫恩は適当にあしらい、設置されていたベンチに座る空と白。

ステファニーはステファニーで、本当に森精種とクラミーが結託していた事に驚きを隠せなかったようで。

 

「本当にエルフが居たなんて……それじゃ、私は魔法を使われてゲームに負けたんですの!?」

「あぁそうだよ。魔法ってすげぇんだな、伏せ札書き換え、認識誤認……なんでもありのイカサマされちゃあ必敗だ。勝ち目なんてありゃしない。」

「魔法は人類種には感知できない……何でもされ放題ですからね。」

 

故に、人類種は不利なのである。

ならどうしようもないのではないかと悲観するステファニーに、白は続ける。

 

「……だから……それを避けた。」

「え……?」

「今、あいつらは俺達が魔法を感知できると錯覚している。だから露骨な魔法は使えない。よって、提案してくるゲームは、少なくとも原理的には勝てるゲームだろうさ。」

「スマホ、こんな時に活躍するなんて……空も考えましたね。」

 

見たこともない道具。

機械を、電子機器を知らぬこの世界の人間なら、薄い板に写る自分の姿を見て、こう思うだろう。

あれは魔法か、と。

発達しすぎた科学は魔法と同義であるとは誰の弁か……いずれにせよ、今この世界にとって、空達の知る科学はまさに魔法に違いない。

 

「そ、それでは、これでクラミーとイカサマ無しの純粋な勝負に持ち込めるという事ですわね……!!」

「……ステファニー、それは違うよ。」

 

あくまでも、露骨な魔法は使えないだけ。

しかし一目見て判断できないような、証拠が残りにくい魔法は使ってくるだろう。

クラミー達が準備しているというのが、何よりの証拠である。

一つ一つ丁寧に説明する紫恩。

そしてその後ろには、可哀そうな人でも見たかのような目の空。

 

「ほんとステフは馬鹿だな。」

「ば……!?お兄様、空になんとか言ってやってくださいな!」

「……ステファニー、もうちょっと頑張ろうか。」

「お兄様まで……!!」

 

項垂れる国王選定戦敗者。

確か彼女は頭が良い筈なのだが、それより真面目さと素直さが勝ってしまったようだ。

苦笑する紫恩だったが、先ほどまで本を読んでいた白の視線が自分へ向けられている事に気付き、腰を下ろして一回り以上小さな少女に目線を合わせる。

 

「どうしました、白?」

「……私達が王様になっても……紫恩は紫恩で、居てくれる…?」

 

 

家は失ってしまったが、しかしそれでも紫恩がシオドリク・アスターである事に変わりはない。

全ては誤解から始まってしまった事。

これから誤解を解き、アスター家の再興を図る道も紫恩にはある。

事実、紫恩はその道も想定していた。

それが父上と母上への手向けになると、自分の出来る唯一の親孝行であるからと考えて。

 

……だが白は、紫恩には紫恩のままで居てほしかった。

シオドリク・アスターではなく、自分達の親代わりである紫恩として。

紫恩に親不孝の道を歩ませてしまうと理解していながらも、白は願ってしまった。

無表情な、しかしどこか寂しげにも見える白に、紫恩は優しく笑う。

 

「君達は強い。この世界では、むしろ守られるのは私の方かもしれません。」

「……紫恩…!!」

「でも、私……言いましたよね。」

 

―――世界が変わっても、君達の保護者である事に変わりはない。

折れそうな心は隠して、強者の仮面を被り二人の"本物の強者"の前に紫恩は立った。

それはすぐに暴かれてしまったけれど、それでも。

 

「空、白。私からもお願いします。これからも、君達の保護者でいさせてくれますか?」

 

家の再興と、二人の保護者。

どちらか一方しか選べないという道理もない。

膝をつき、頭を下げる紫恩。

 

空と白はきょとんとした顔で見合わせ、笑った。

 

「頭を下げるほどのことか?ま、でもよろしくな。紫恩。」

「……紫恩……これからも、よろしく。」

 

そこには、世界の壁すらも乗り越えた、親子の姿があった。

 

「お兄様、変わりましたわね。」

「そうですか?」

「はい。あの頃とは違って……活き活きしていらっしゃいますわ。」

 

立場との格闘の日々だったあの頃と比べれば、確かに今は天国そのものだろう。

 

「ですが、ステファニー。これは貴女のおかげでもあるのですよ。」

 

あの日、あの時、ステファニーが紫恩の仮面を打ち砕いた。

それは痛みを伴い、決して良い結果ばかりを生み出したわけではないけれども。

その痛みによって紫恩は弱い自分と向き合い、結果、逃避を選択するという最悪の行為に走ったけれども。

それが果ては空と白との出会いに繋がり、そして再び弱者の自分と向き合う勇気を得たのだと。

 

「ステファニー、ありがとうございました。だいぶ遅れてしまいましたが、あの日、君を傷つけてしまって……そして約束を破ってしまって、申し訳ありませんでした。」

「……本当に、遅い謝罪ですわ。」

 

そんな言葉とは裏腹に、ステフの顔には笑みが宿る。

そして頃合いを図っていたかのように、4人に掛けられる声。

 

「準備が整ったわよ。」

 

対戦相手、クラミーの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

国王決定戦の舞台へ向かう、馬車の中。

クラミーは、対戦相手の空と向かい合って座るなり、口を開いた。

 

「……正直に言うわ。私が森精種と結託しているというのは、事実よ。」

 

―――うーわ。

 

「……うーわ。」

「妹よ、思っても言葉に出すんじゃない。」

 

対戦相手に自ら情報をバラすクラミーに、湿った視線を向ける空と白。

紫恩はそんな彼らの様子を、少し離れた席から肘をつきつつ眺めていた。

 

「良い?私達人類種は、もう森精種みたいな大国の庇護下でしか生きていけないの。森精種の力を借りて、ある程度の領土を取り戻した後は鎖国する……これしか滅亡を逃れる道は無いわ。」

 

人類種には特別な力が無い。

超能力も、魔法も無い人類種が生きる道。

それは他国の力を借り、ある程度自分達だけで生きられるくらいの領土資源を得た後、外交を遮断するしかない。

クラミーはそう考えていた。

 

「全てが終わったら、森精種とは縁を切るわ。貴方達も、森精種相手に勝てる筈が無いんだから、ここは手を引いて。」

「……ふむ。」

 

悪くない考えだと、紫恩は考えていた。

どうやってクラミーが森精種の力を取り付けたかは知らないが、事実協力者は居た。

大国である森精種の力を借り、国力を取り戻した後はすべての他国からの挑戦を放棄し守りに徹するのも悪くは無い。

恐らく紫恩であれば、承諾していただろう。

 

が……果たしてそのような事を、空が承服するだろうか。

 

「悪くない考えだ……が、嫌だね。」

「な、なんで!」

「なんでって、そんなの……分かってるだろ?」

 

怪しく笑う空。

敢えて言及を避け、しかし察しろとばかりな態度の空の様子に、紫恩はその意図を理解した。

―――確かに、私達が他国の間者であった場合、そんな話乗るはずもない。

 

未知の薄板を使い魔法を暴き、そして人類種の未来を考えての提案すら跳ね除ける挑戦者。

こいつらは救いようのない売国奴だとでも言わんばかりに、クラミーは深く溜息を吐いた。

 

「……分かったわ。なら、お望み通り徹底的に叩き潰してあげる。」

 

馬車が止まり、扉が開かれる。

先に降りたクラミーに続き、空達も馬車を降りる。

 

 

国王を決めるゲームが今、始まろうとしていた。

 



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第四話 謀略の錯綜 -国王選定戦-

「クラミーの申し出、悪くないものだと思いましたが……いいんですの?」

 

馬車から降り、舞台へと案内された空達。

途中Y字路となっていた廊下でクラミーと別れ、道なりに進んでいる最中の、ステフの発言。

 

「そろそろ人を疑う事を覚えようぜ、ステフ。」

 

分からないといった様子のステフをあからさまに見下しながら、空は続ける。

 

「まず一つ。あいつの言葉が真実とは限らない。そして二つ、勝負したところでこちらが必敗を免れないというのなら、何故勝負から降りる事を勧めてきた?」

「……あ。」

「三つ。それら全てが正しいのなら、そんな情報を敵国の間者に話す奴に国は任せられない。そして……」

 

その後に続くように、紫恩が口を開く。

 

「……こちらの手の内を晒すわけにはいかない。だから曖昧に返事したんですよね、空。」

 

こちらの意図などわかるだろう、と。

こちらからは明言せず、しかし背後に何らかの勢力が居る事を暗示する。

その結果、相手の誤解はさらに加速、今やクラミーは空達を他国の間者だと信じて疑わないだろう。

 

「そういう事。……ステフさ、お前本当に紫恩にいつも勝ってたのか?」

「んなっ!?本当ですわよっ。チェスにしろポーカーにしろ、お兄様に負けた事はありませんでしたわ。」

「……紫恩…わざと、負けてた……?」

「白まで疑うんですの!?」

 

いきり立つステフ。

紫恩は紫恩で、何とも言えない表情で彼らの話を聞いていた。

自分が弱かった事を他人に公言されて、嫌な気分にはなれど良い気分にはなるまい。

 

「確かに、紫恩は将棋もカードゲームもてんで駄目だったけどよ……。」

「……でも、ひとつだけ…紫恩が得意だったゲーム、あった。」

「本当ですの!?お兄様が得意だったゲームって、一体……。」

 

3人分の視線が紫恩へと向けられる。

一方、視線を向けられた本人は特に何か答えるわけでもなく、困ったように頬をかくだけ。

 

「ほら、もうすぐ行き止まりですよ。空、白、頑張って下さい。」

「あぁ。ま、気楽に見てろよ。」

「あ、ちょっと!結局、何だったんですのよ!!」

「まぁまぁ、終わったら話しますから……ね?」

 

懇願するように紫恩に言われては、ステフも強くは言えず黙り込むしかなかった。

一体何を理由に、紫恩はそんなに秘匿しようとするのか。

むしろ興味が一層強くわいてくるステフであった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

手前と奥、両方の壁からせり出すような形の半円状の足場。

向かい合う足場にはクラミーが姿を現し、空達を射抜くその眼は敵意に満ちている。

空とクラミー両者の眼下には、大きなチェス盤が広がっていた。

 

「……チェス?」

「そう。でもただのチェスじゃないわ。これは、駒が意思を持っている特殊なチェス。駒は私たちの言葉に従って動く。命ぜられれば命ぜられたままに、ね。」

 

一見チェス盤とその駒を見た限りでは、特別何かが違うようには見えない。

強いていえば大きさが駒は人並み程度にあり、チェス盤に至っては床一面に広がっているくらいである。

意思を持っているというが、まさかそれだけではあるまいと空はチェス盤を注視し、観察する。

 

「どうする?やっぱり降参するのかしら?」

「いやいや、仕掛けたのはこっちだぞ?でもまぁ、このゲームに関してはそっちが熟知してるみたいだし、こっちは俺と白の二人でいく。異論はないな?」

「別にいいわよ、子供一人くらいどうとでも。」

 

そう言い、クラミーは不敵に笑うが、しかしそれは空も同じであった。

 

「任せるぞ、白。」

「……チェスなんて……ただの、マルバツゲーム。」

 

まるで勝利を確信したとばかりに笑う空。

 

「先行はそっちに譲るわ。どうぞ。」

「……。」

 

チェスは基本的に先手有利なゲームである.

お互いが最善手を打ちつづける場合、先手側に負けは無い。

つまりクラミーが先行を譲るという事は、すなわち勝利を白に譲ると言っているようなもので。

 

嘗められているのかと不機嫌になった白に、空が苦言を呈す。

 

「白。頼もしい限りだが、ここは地球じゃない。油断するなよ?」

「……白が……負けると?」

「そうじゃない。これはただのチェスじゃないんだ。どんな不測の事態に陥るかも分からない。いいか、俺達は二人で一人。そうだろ、白?」

 

二人揃っての『』(空白)なのだと、空は優しく語りかける。

 

「……ごめんなさい。」

「ま、ただのチェスなら白に負けは無い。期待してるぞ。」

 

 

 

 

そんな二人の様子を、紫恩は静かに見守っていた。

その傍らには、不安そうに手を組むステフが佇んでいる。

 

「大丈夫なんでしょうか、白……。」

「大丈夫ですよ。むしろこういう完全理論型のゲームは、白の得意分野ですから。」

「そうなんですの?」

 

―――チェスはお互いのプレイヤーが打てる手が有限であり、先読みが出来る。

また、ポーカーのような相手の手札が見れないという未知の情報が介在せず、相手がある手を打つまでに至る情報を知る事が出来る。

チェスが二人零和有限確定完全情報ゲームと呼ばれる所以は、簡単に言えばそこにある。

 

「そして、白はチェスにおけるすべての局面を理解している。」

 

白が最初の一手を指す所を見ながら、紫恩は言う。

 

「嘘……ですわよ、ね?」

「本当。これは、空の弁ですが……白は本物なのだそうです。」

 

自分達人類では到底及びもしない、その身に可能性を体現する本物。

そして自らをただの人類と蔑む空自身も、よく白と引き分ける辺り十分本物であると紫恩は考えている。

 

「だから、彼ら二人に負けは無い。私は……」

 

紫恩の言葉はそこで止まる。

その眼はチェス盤を凝視していて、ステフもその視線を追い……言葉を失った。

クラミー側の駒、ポーンが3マス進んでいたのだ。

 

「ど、どういう事ですの!?」

「言ったでしょう?駒は意思を持っていると。駒は主のカリスマや指揮力といったものに左右され、行動する。」

「……なるほど。意思を持っているってのはそういう事か。」

 

駒が指揮官を信頼していれば、想定以上の力を発揮する。

一体指揮力というのが何を指標に決定されているのかは分からないが、クラミーの指揮力が今は高いという事なのだろう。

早速訪れた不足の事態。

最悪何でもありな状況にもなりうると、空は内心舌打ちした。

 

……しかし白の表情に、焦燥の色は無い。

 

「d2ポーン、d3へ。」

 

冷静に、無感情に、機械的に最善手を指す白。

動揺を見せない白に、ステフは目を丸くした。

 

「なんで、あんな冷静にいられるんですの……?」

 

あんな、反則紛いの事をされれば、思わず手を止めてしまいそうなものなのに。

 

「白の集中力は尋常じゃないんですよ。あの状態の白を止めるのは困難を極めます。そう、あの時だって……」

 

地球に居た時もそうだ。

黙々とゲームに打ち込む白に、食事をさせる為どれだけの創意工夫を重ねたことやら。

懐かしき過去の暗い記憶に頭を抱え、打ちひしがれる紫恩。

なにやら影を背負い始めた紫恩に、ステフが引く。

 

「お、お兄様も苦労された……ですのね。」

「分かってくださいますか!」

「ひぃっ!?」

 

ガシッとステフの手を握り締め、歓喜の眼差しを向ける紫恩。

一体彼は、地球でどんな経験を積んできたのだろう。

およそ10年前とは全く変わり果てた兄の姿に、ステフの頬が更に引きつる。

 

「……おっと、私とした事が。すみません、熱くなってしまいました。」

「い、いえ……いいんですのよ。」

 

強く握られていた手が解放され、ステフは手をさする。

久しぶりに兄と手を握れたという、密かな喜びの感情には知らないふりをしつつ。

 

 

 

 

 

 

紫恩がそんな事をしている間に、白は着々とクラミーを追い詰めていた。

相手は駒に半ばルール無視にも近い動きをさせているにも関わらず。

 

「……チェック。」

「おぉ……。」

 

紫恩の、感嘆の声が上がる。

しかし空は、ただじっとチェス盤を見つめていた。

本当にこの程度なのかと、優勢である戦況に不安を抱きつつ。

 

……そしてその不安は、すぐに現実となった。

 

「……え?」

 

突然、白の駒が動かなくなったのだ。

一体何事が起きたと、紫恩とステフは怪訝に駒を見つめるも、理由が分からない。

駒が移動できるマスを白が間違えるはずもない。

二人して首をかしげていると、空がぽつりとつぶやいた。

 

「……やっぱりか。」

「空?分かったんですか?」

「さっき、クラミーは駒が意思を持っていると言った。だがそれは、ただ単にルールを逸脱した動きを見せる事じゃない。駒は、生きている兵士なんだ。」

 

戦争で、兵士は必ずしも指揮官の言うとおりには動かない。

……そして、もう一つ。

 

「捨て駒は……使えないってことだ。」

 

白が先ほど動かそうとした駒は、次の相手の手番で確実に打ち取られる。

……好き好んで、指揮官の為に命を捨てに行く兵士は居ない。

兵士など顧みずに、機械的に命令を下す指揮官なら尚更である。

兵士はそんな指揮官に、命を預けようとはしない。

 

「っ……。」

 

この時初めて、白の顔に焦りが見えた。

思い通りに動かない駒を前に苛立ち、爪を噛む。

 

しかしそれでもなんとか対抗しようと、今動かせる駒を動かす。

 

「白……。」

 

白のそんな顔を見るのも久しぶりである紫恩は、心配そうに少女の名を口にする。

 

しかしその声も届かず、さらに白は戸惑いを強くし悪手を重ねる。

悪化した戦況、指揮官の戸惑いに、駒の士気は更に低下。

 

 

「……。」

 

やがて、全ての駒が白に従わなくなった。

 

「ふふ、どうしたの?もうおしまい?」

 

クラミーの言葉。

しかし俯く白に返事は無く、部屋に重い空気がたちこめる。

 

 

やがて、床に一滴の雫が落ちる。

 

「にぃ……負けた……よ。」

 

沈痛に紡ぐ白の言葉、頬を伝う涙。

脱力し、後ずさる白の肩を……空が支えた。

 

「白、何言ってんだ。俺達はまだ負けちゃいない。」

「……?」

「言ったろ、二人で一人だって。まさか忘れたとは言わせないぞ。」

 

二人で一人、『』(空白)

空だけでも、白だけでも駄目なのだ。

後ろで二人を見守っていた紫恩に、涙で濡れた白の目が向けられる。

 

「……まだですよ。」

 

まだ終わっていない。

笑い、頷く紫恩に、白も涙を拭った。

そして紫恩の言葉に呼応するかのように、空が叫ぶ。

 

 

「全、軍っに!告げぇぇぇる!」

 

 

ビリビリと、それは空気が震えるほどで、紫恩をはじめとした部屋中の人間……そしてチェス盤上の駒までもが、空に視線を向ける。

 

「この戦で最も功績を挙げた者には……好きな女と一発ヤる権利をやる!」

「えぇぇ!?」

 

驚きの声を上げたステフには構わず、空は続ける。

 

「また、戦に勝てばあらゆる納税に対する免税の権利も王権限でくれてやる!軍役も免除しよう!だから、守るべき家族がいる者達、そして童貞諸君よ……死にたもうな!」

 

熱気に包まれるとは、このことだろうか。

瞬間、駒達から上がる雄叫びにも近い(とき)

空の兵士に、士気が戻った瞬間であった。

 

「これは、一体……?」

 

唖然とした紫恩が、ぽつりと呟いた。

 

まるで何かから解き放たれたかのように駒は自分勝手に動き出し、剣を抜く。

クラミーの駒と空の駒、お互いがお互いに刃を向け鍔迫り合う姿に、チェスとしての駒という面影は無い。

正真正銘の、生きる兵士だ。

 

「白、よくやった。おまえのおかげで、これがチェスじゃない事に気付けた。」

「……え…?」

「これは……ストラテジーゲームだ。」

 

確信に満ちた顔で、空は言う。

 

「ポーン7番隊へ通達!―――――」

 

 

 

 



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第四話(後半部)

 

駒が意思を持つという意味。

それは単に、時々駒がいう事を聞かないという事ではない。

駒は本当に意思、つまり心を持っているのだ。

主に反抗もすれば、信頼し、想定以上の力を発揮する事もある。

 

命令のままに、相手の手番すらも無視し、多くの(兵士)が一度に動き敵軍に攻め入る。

空はもはや、戦における総大将であった。

 

「……やはり、空は凄い。」

 

こんなこと、果たして誰が思いつこうか。

兵士達に命令を送り続ける空の後ろ姿を、紫恩はじっと眺めていた。

その眼差しに羨望の色が宿っている事に気付いたステフは、不安げに兄を見つめる。

 

「……お兄様。」

「分かってますよ、ステファニー。」

 

―――――私は、彼のように……いや、彼らのようにはなれない。

それは紫恩にも分かっていた。

 

「しかしステファニー。私はね、誇らしいんですよ。」

 

少なくとも、この8年間紫恩は空達を支え続けていた。

そしてそんな空達がこんなに敵を圧倒し活躍してみせている。

紫恩は羨ましかったが、誇らしくもあった。

彼らを支え続けた私は、間違っていなかったのだと。

 

 

「知っていますかステファニー。ゲームって、地球ではあまり好かれていないんですよ。」

「え……?」

 

無論、ゲームを愛する人は大勢いた。

しかし、世界には嫌われていた。

 

やれ、ゲームをやると目が悪くなるとか。

ゲームをやると成績が悪くなるとか。

娯楽への拒絶反応が世間にはあった。

だが前述のように、そんな娯楽をこよなく愛する人もいるわけで。

それらは科学的根拠があるとか、ないとか、そんな不毛な争いが続けられていた。

 

根拠があるにしろ無いにしろ、娯楽が世界から消える事は無いというのに。

 

「そんな世界で、ゲームばかり得意で他は滅法ダメな彼らのような人がどんな扱いを受けるか、ステファニーには分かるでしょう?」

「……はい。」

「恐らく彼らも不思議だったことでしょう。そんな自分達に、何故紫恩は手を焼いてくれるのか、と……。」

 

 

どんなに地球に馴染んだといえど、紫恩はあくまでも異世界人であった。

異世界での生活で身に着けた思想は、そう簡単に覆るものではない。

ゲーム三昧のひきこもりを蔑む者は居れど、尊敬する者など…果たしていただろうか。

 

 

 

 

 

 

紫恩が後ろでそんな事を考えていたなどとは露知らず、空は着々とクラミーを追い詰めていく。

 

「見よ!兵を盾にし、自らは後ろでふんぞり返る臆病者の王の姿を!兵士諸君よ、あんな陰険根暗の悪女に国を任せられるか?いや、任せられる筈がない!」

「んなっ!?」

 

ひどい暴言である。

言葉を失うクラミーは無視し、空は依然呆けたままの白を抱え、叫ぶ。

 

「しかし!我らが勝てば彼女が女王だ。今しがた諸君らに勝利をもたらさんと指揮を揮い、諸君の為に涙を流した彼女が女王だ!この瞳に再度涙を浮かばせんとするなら、諸君よ……一層奮起せよ!」

 

 

二度目の咆哮。

しかしそれが心なしか一度目より強く感じ、紫恩は呆れたような視線を兵士たちに向ける。

 

「いつの世も、男は童女の前には弱いんですね……。」

 

……守るべき人がいる者は、それだけで強いというが。

それでも流石にお前らやる気出しすぎだろう。

 

敵を圧倒し、薙ぎ払わんとする勢いの空の兵士。

勝利は間近かと思われたが、しかしここでクラミーが意味深に笑う。

 

「ふ、ふふ……もう四の五の言ってられないわね。」

 

直後、空のポーンがクラミーのビショップに攻撃を仕掛ける。

ポーンの剣がビショップを打ち砕く……かと思いきや。

 

「……っ!?」

 

ポーンの動きが突然止まり、更に色が黒く染まった事に唖然とする空と白。

それは、ストラテジーゲームではおなじみの裏切りに似た現象。

だが、これは……

 

「洗脳……?」

 

紫恩の一言に、空が目を見開かせる。

 

「撤退だ!一時撤退せよ!敵は洗脳魔法を使ってくるぞ!」

 

その言葉に、クラミーはイカサマがバレたのかと危惧した。

が、空達がそのイカサマの正体を暴露する事はついぞ無く、安堵に胸を撫でおろす。

彼らは状況証拠しか掴めていない。

実際にどんな魔法を使ったか、まだ判明出来ていないのだと。

 

一方、空はというと。

 

「……にぃ?」

 

不安げに見上げる白の視線には気付かず、ただチェス盤を凝視していた。

脳内を埋め尽くす失敗の二文字に、空から余裕が消える。

 

「……。」

 

魔法が感知できると装い、相手に魔法を封じさせようとしたまではよかった。

だが、根本的にこちらが魔法を感知できない事に変わりはない。

その上で魔法を使われる事態を、空は今の今まで想定していなかった。

 

失態を晒したことで焦る空に、紫恩が声を掛ける。

 

「空。」

「紫恩、今は話しかけないでくれ!それどころじゃ……」

「これは、ストラテジーですよ。」

 

至って落ち着いた様子で、先ほど空が断定したこのゲームの正体を口にする紫恩。

 

「ストラ…テジー……。」

 

ストラテジー。

そう、これはチェスではない。ストラテジーなのだ。

洗脳、言い換えれば味方の裏切りは、ストラテジーならばまだ起こり得る現象の範疇にある。

 

ならば、裏切った味方を葬るか……いや、近づいたところでまた洗脳されるかもしれない。

であれば、空の取る行動は一つだった。

 

眼には眼を。

歯には歯を。

 

「さあ、女王よ。王の首を討ち取りなさい!」

 

謀略には……謀略を。

勝利宣言にも等しいクラミーの言葉を、空は慌てて掻き消した。

 

「女王よ!」

 

今しがた王を討ち取ろうとしたクラミーの女王の駒に、空が叫ぶ。

すると、女王の動きが止まった。

 

「女王よ、剣を下げて欲しい……そなたは、美しい。」

 

突然、駒相手に落としにかかった空。

一体何をする気かと、紫恩以外の誰もが空を凝視する。

 

「女王よ。兵を洗脳し味方を斬らせるような、残虐に等しい行為を躊躇なくしてみせる王は、そなたが仕えるに相応しい王だろうか。そなたの守るべき者は誰だ?人を支配し、意のままに操る王か?」

「何を言って……!」

 

クラミーの非難。

しかし完全に戦意を失いつつある女王に、光明を見出した空は立て続けに女王を落としにかかる。

 

「女王よ、今一度考えてほしい。あの王は、いずれ民をも支配するだろう。意に沿わぬ者は排斥し、多くの血が国に流れる事となるだろう。もう一度問おう、女王よ。そなたは、一体何がために戦っているのだ!」

 

空の言葉に、女王は遂に剣を落とす。

そして同時に白く染まり、それは空の説得が成功した事を意味していた。

 

「なっ……」

 

それは、クラミーも予想外の出来事であった。

クラミーに、このような戦争を模擬したストラテジーに対する知識は無いに等しい。

だからこそ、洗脳は自分だけが使える手段だと考えていた……そして。

 

「(まさか、あいつらも洗脳魔法を……?)」

 

説得という合法的な手段がある事に、クラミーは気付かない。

相手の駒を奪ってみせた空に、ステフは目を輝かせた。

 

「やりましたわ、空!これなら、きっと……!」

「……まだ……形勢は逆転してない……。」

 

しかし、白はそれで安心などしていなかった。

紫恩も同様、チェス盤を見つめるその眼はいつになく険しい。

 

「相手に洗脳がある以上、勝つには全ての敵を味方につける必要がありますしね……。」

「そんな……無茶ですわ、そんなの。」

 

それは重々承知しているのだろう、空は喜びもせずただ黙り込んでいた。

 

「(この場を打開するには、相手の動きを待つしか……しかし、そんな暇もないか?だが、もう一度ミスを重ねるわけには……)」

 

思考に耽る彼の手を、白が握る。

 

「白……?」

 

今度は私の番、とばかりに微笑む白。

その意味を空が察しかねていると、白は突然スマホをクラミーに向けた。

 

「……ッ!!」

 

謎の薄板を向けられ、あからさまに狼狽えるクラミー。

しかしすぐに気を取り直し……口を開いた。

 

「ナイトよ!裏切り者のクイーンを斬りなさい!」

 

―――かかった。

二人分の心の声が重なる。

 

「……。」

 

さあ私を斬りなさい、とばかりに剣を下ろし、ナイトを見据えるクイーン。

片やナイトは、以前の主であったクイーンを斬ることが出来ない。

守るべきものの為に立ち上がったクイーンの前に……遂にナイトは、跪いた。

 

「ナイト!?なんで!」

 

女王同様、白く染まるナイトにクラミーが思わず声を上げる。

 

「あぁ、王よ。狂乱の王よ。臣下に女王を殺せとは……酷な命令をするものだな。稀代の魔王とさえ言えよう!」

「っ……!」

「女王よ!そなたが仕えていた王は、今や狂乱の最中にある。私はそなたに、王を殺せなどとはとても言えぬ……だが、そなたの守るべきものの為に、今一度立ち上がってはくれまいか。」

 

守るべきもの……民のため。

女王、クイーンは空の言葉に応え、その身を赤く染め上げ立ち上がった。

そしてそれに続くように、跪いたナイトをはじめとして多くのクラミーの兵士達がクイーンに賛同し、赤く染まる。

黒でも、白でもない赤の勢力の出現、それは。

 

「第三勢力……内乱、ですか。」

 

絶え間なく状況が変化する"戦場"。

落ち着いている紫恩とは裏腹に、ステフは落ち着かない様子で戦場を、空達を見守っていた。

 

空の顔には、もう先ほどの焦燥の色などない。

 

「白、指揮を頼めるか。」

「……任せて。」

 

本来の余裕を取り戻したのは白も同様だった。

空の言葉に一つ頷くと白は初めからそうするつもりであったかのように兵士達を迷いなく指揮する。

 

空達の兵士は、赤の勢力の背後を固めるように陣を取りクラミーの兵士と向かい合った。

いわゆる、元・クラミーの兵士を壁にしたような恰好である。

これではクラミーの兵士も、元味方を相手しなければならない為、なかなか手を出せない。

 

「一体……一体、どんな小細工でこんな事を……!!」

 

悔しさからか、空を睨みつけクラミーは叫ぶ。

未だ誤解をしている彼女に、空は笑いながら告げる。

 

「もはやお前の駒は殆どが裏切り、その上こちらには手を出せない。もはや敗色濃厚だなぁ、クラミー……諦めて降伏して、俺達に国を明け渡せよ。」

「本当に、君は性格が悪いですね。」

 

苦笑するように紫恩が呟くも、空は聞こえないとばかりに無視する。

一方クラミーは、空の言葉に表情を更に険しくする。

もはや憤怒一色であった。

 

「売国奴どもめ……許さない、許さないわ!こんな手段で、私の、私たちの国を……明け渡すものか!」

 

本当に人類種の事を考えているからこその、憤怒。

乗っ取り、他国に売り渡そうとしている敵への、怨念。

彼女の純粋な心を利用している事になんとなく良い気分はしないが、しかし紫恩は彼女から目を離さなかった。

 

その結末を見届け、最後まで利用しきるのが己の義務だと言わんばかりに。

 

 

「全軍、進め!売国奴を葬り去るのよ!」

 

足並みを揃え、洗脳による圧倒的な統率力を持ってクラミーの残り少ない兵士達は突き進む。

洗脳された兵士は、過去の味方だろうと躊躇なく切り捨てていく。

 

容赦ない兵への洗脳と、制圧。

王は、まさに暴君であった。

 

「空……!!」

「……手負いの、獣……にぃ、追い詰めすぎ……。」

 

このままでは負けてしまう。

最後の意地とばかりにみせたクラミーの快進撃に、ステフと、そして白さえもが焦る。

だが彼女達とは対照的に、空は……そして紫恩も、至って冷静であった。

 

「どんなに地位が高くなろうと、あくまでも人は人なのです。」

「え?」

「人が人を扱うという意味を忘れ、やがて人をただの道具としか見なくなった独裁者は……。」

 

紫恩がそう告げるや否や、クラミーの王の駒に亀裂が走る。

それが何によるものかは分からないが、しかし亀裂はその手を伸ばし続け。

 

やがて、王を完全にその手で包み込み……破壊した。

突拍子も無いその現象に、クラミーが唖然と立ち尽くす。

 

 

「負けはじめ、独裁者が弱みを見せだすと……その弱みに付け込まれ、兵士でもない人間に抹消される。まさか本当に、このゲームでキングが砕けるとは思いませんでしたが。いやはや、よくできてますねぇ……空。」

「あぁ。というか紫恩、お前本当にこの世界の人間っぽくないよな。」

 

呆れたように告げる空に、紫恩も笑って応える。

 

「私だって、伊達に10年地球で暮らしてたんじゃないんですよ。そんなに暮らしてれば、世界情勢にだってそれなりに詳しくなります。」

「それにしたって、そこまで理解してるってのも凄い話だと思うが……ま、おかげで説明の手間省けたよ。色々とサンキュな。」

「お役にたてたようで何よりです。白も、よく頑張りましたね。」

「……うん…。」

 

健闘をたたえ合い、笑いあう二人と、紫恩。

ステフは彼らに、可能性を感じた。

彼らなら、人類種を救えると……たった今魔法のゲームで勝利した彼らに、驚愕の眼差しを向けながら。

 

 

「勝者……空白!」

 

 

審判の、ゲーム終了の合図。

二人の国王が誕生した瞬間である。

 



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第五話 死者へ送る手紙

この話から一話当たりの文章量を半分に減らします。






国王選定戦の終了後、勝利の余韻に浸る空達。

そんな彼らを眩しそうに見ていたステフに、気付いた紫恩が声を掛ける。

 

「……愚王。」

「え……?」

「お爺さんは、非常に厳しい中を生き抜いていらっしゃったらしいですね。」

 

更地になった我が家をあとにし王城へ向かう最中、紫恩の耳に届いた民の声。

それは決して良いものばかりではなく、王に対する不満も散見された。

特に紫恩がよく聞いていたのが、愚王という言葉。

それが一体誰を指しているのか、理解するのにそう時間はかからなかった。

 

「何もかも裏目に出て、民にも失望され。それでも最後の最期にお爺さんは、国王選定戦によって人類種を救う存在を見つけ出そうとした。」

 

……その結果が、魔法のイカサマによる敗退。

王位継承権をはく奪された瞬間の絶望を思い出し、ステフは目を伏せる。

 

が……そんな妹の俯いた顔を、紫恩は両手で支えた。

 

「お兄、様……?」

「何を俯く必要があるんですか。空と白は勝ったんです。他国の力を借りることなく、魔法を打ち破った。」

 

泣き伏せる幼子を諭すように語る紫恩に、空が続く。

 

「……人類の可能性を信じつづけた爺さん、やっぱ愚王じゃなかったな。」

「……!」

 

堪えきれなかった涙がステフの頬を伝い、零れ落ちる。

 

「彼らならば、人類種は滅亡を免れられる。よかったですね、ステファニー。」

「はい……感謝しますわ。空、白、お兄様……。」

 

感極まり、崩れ落ちるステフと、それを囲む三人。

そんな彼らのもとへ、元・王候補クラミーが歩み寄る。

 

「……一体、どんな小細工を使ったの。」

 

納得いかないといった様子で、憮然と言い放つクラミー。

 

「どんな、って言われてもなぁ……。」

「まさか、魔法を使わずに勝っただなんて言わないでしょうね!?ただの人類種が、森精種相手に……」

「実際、そのまさかだし。」

 

当然のように、空は告げる。

 

「そんな、あり得ない……」

 

あり得ない。あり得る筈が無い。

でなければ、私のこれまでの苦労は一体どうなるのだ、と。

入念に入念を重ねた策が打ち破られた現実に、クラミーは半信半疑で空を見つめた。

 

「……別にな。大国の庇護を受けるっていうお前のやり方も、別に悪くはないと思う。」

「だったら!」

「だが、俺はお前のその卑屈な考えが気に入らない。」

 

空の威圧に、クラミーは硬直する。

それはまるで、蛇に睨まれた蛙の如く。

 

「他種族の力を借りなければ人類は滅亡する?勝手に限界を決めつける奴に、王なんか任せられねぇ。お前も、そして紫恩も……お前ら、ちょっと人類なめすぎ。」

 

紫恩の痛い所を的確に突く、空の言葉。

空の後ろで、紫恩は否定することもなく事も無げにただ笑った。

……しかし、クラミーは。

 

「……っ。」

 

何かを堪えるかのように、彼女は歯噛みした。

悲痛なまでの怒りを、押し隠……

 

「わぁぁぁぁぁん!!」

「うわっ!?」

 

……そうとして、失敗した。

突然子供のように泣き出したクラミーを前に、空は後ずさる。

 

「折角、森精種相手に契約……取り付けたのにっ!人類種のため……ここまで頑張ったのにっ!それを、売国奴なんかに……こんな……こんなぁ!」

 

彼女なんてもってのほか、地球では女の子とまともに会話した事すらなかった空。

年齢が童貞歴である彼ではどうすることもできない。

ヒステリックに泣きじゃくるクラミーを、空はただ一歩引いて見つめていた。

 

「あの、ハンカチを……」

 

とても苦労したんだろうと、なんとなく罪悪感からかハンカチを差し出す紫恩。

クラミーはそれを奪い取るが、しかし慟哭はそれでおさまることはなく、むしろ勢いを増し続ける。

 

「絶対認めないんだからぁ!絶対、あんたらの正体暴いてやるんだからぁ!」

 

……些か、やりすぎただろうか。

なんだか可哀そうになってきた紫恩。

その隣で白は、空に半眼を向ける。

 

「にぃ……女の子、泣かした。」

「なっ!だ、だってさ、白、俺は!」

「彼女いないくせに……。」

「う。」

「童貞のくせに……。」

「う……うぅぅぅ!」

 

言葉にならない唸り声を上げる空。

混沌としたこの状況に、紫恩はいよいよ匙を投げたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

所代わり、戴冠式会場にて。

鎮座する王冠を前に、司祭は再び口を開く。

 

「……おほん。我こそはという挑戦者はおらぬか。」

 

やや疲労感を顔に見せつつ、司祭は告げる。

しばしの沈黙の後、挑戦者が居ない事を確認した司祭は、舞台上の空と白へ向き直る。

 

「では、次期国王は国王選定戦を勝ち抜いた空に……」

「待った!」

 

司祭の言葉を、空が遮る。

またかという顔をしつつも、司祭は空の次の言葉を待った。

 

「俺達は二人で一人。つまり王は空白だ。これで異論はない。」

「……それはできませぬ。」

「えっ!?」

 

まさか断られるとも思わなかったのか、司祭の言葉に空は目を丸くした。

 

「王は、人類種の全権代理者。全権代理者は盟約で一人と決まっている為、王は一人です。」

「む……盟約か。」

 

盟約ならば、空も反論のしようがない。

 

「……それじゃ、建前上は俺でいいや。実務は二人でやるがな。」

「分かりました。それでは、次期国王は空に……」

「異議あり!」

 

もはや相手にするのも疲れたのか、不服そうにする白に司祭は何も言わなかった。

 

「にぃが王になったら……ハーレムできる。そしたら白……いらなくなる。」

「はぁ?何言ってんだよ。別に立場上だけだし……」

「だめ。王は白。それで異議なし。」

「それこそお前にハーレムできかねんだろうが!そんなの兄ちゃんが認めません!」

 

兄妹喧嘩を始めた二人に、会場の観客もざわめく。

そして観客の一人である紫恩は、そんな二人を頭を抱えたくなる思いで見ていた。

 

「……司祭さん、よろしいですか。」

 

呆れたように、紫恩は司祭に声を掛けた。

 

「なんでしょう。挑戦ですかな?」

「いえいえ、そうじゃなくてですね……盟約で全権代理者は一人と決まっているとの話ですが。」

「えぇ。故に、王は……」

「そこですよ、そこ。」

 

司祭の言葉が遮られるのも、果たして何度目だろうか。

司祭の心境などいざしらず、紫恩は続けた。

 

「確か盟約では、全権代理者の人数は明言されていなかった筈ですよ。」

 

―――――盟約その7、集団における争いは全権代理者をたてるものとする

なるほど、確かに人数までは指定されていない。

その事に気付かされた司祭と空白は、寝耳に水といった様子で紫恩を凝視する。

 

「な……なんですか。」

「なるほど……確かに、明言されておりませぬ。」

「紫恩って、偶に俺らでも気付かないような事に気付いたりするよな。さっきのゲームもだったけど。」

「紫恩……グッジョブ。」

 

白に親指を立てられる紫恩。

素直に感心されてしまい、紫恩も苦笑するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「……さて。色々あったが、無事ここまでこれたな。」

 

無事王位継承も終わり、エルキア王城のとある通路をひた歩く廃人兄妹。

国王としての"選手宣誓"を控えた二人の足取りは、やや重い。

 

「……にぃ、大丈夫?」

 

何が、とは言わない。

普段ひきこもりである二人は、大人数相手に話す事に慣れていない。

 

しかし、これから話す相手は全国民。

大人数なんてものではなく、この世界での全人類とさえ言っていい。

 

そんな数を相手する兄の心労に、白は気づいていた。

 

「任せろ。紫恩が居るんだ、なんとかなるだろ。」

 

まるで、紫恩が居なければどうしようもないとでも言っているかのような言葉。

だらしない兄ではあるが、しかし白自身もそうである以上人の事は言えない。

……だが、今回ばかりは指摘せざるを得なかった。

 

 

「……でも、にぃ。紫恩……居ないよ?」

 

 

それは、身の毛もよだつ死の宣告。

RPGの石化よろしく、空が固まる。

 

 

「……ハァ!?」

 

 

石化が解けると同時に、勢いよく後ろを振り向く空。

しかし、そこに居る筈の親代わりの姿は無い。

そもそも最初から紫恩など居なく、それに空が気づいていなかっただけなのだが。

 

「なっちょっまっ……えぇ!?」

「にぃ……ステフ化してる。」

「いや、それよりなんで居ないんだよ!普通子の晴れ舞台を身近で見たいと考えるのが親ってもんだろ!?」

 

そんな、"親としての在り方"を語る哀れな子の姿。

まさか兄はずっと気づいていなかったのかと、白はただ呆れていた。

 

「紫恩……言ってた。"頑張ってくださいね、私は下で見てますから"……って」

 

 

白の、渾身のモノマネ。

 

「お、似てる……じゃなくて!どうすんだよ、これから始まるってのに!」

「……がんば。」

「そんな首をかしげて可愛いポーズされましても兄ちゃんは……あぁぁ、もう!」

 

 

もうどうにでもなれ、とばかりにヤケクソな空。

緊張からか歩くペースが速くなった兄に、白は駆け足でついていく。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

そして、子の晴れ舞台を前に、親代わりの彼……紫恩はというと。

花束を携え、アスター家跡地にやってきていた。

 

「始まりましたか。」

 

やがて、新国王の演説が街中に響き渡る。

しかし緊張からか、開幕早々どもる若い国王。

自分も残るべきだったかという考えが一瞬頭によぎるが、しかしそれも杞憂に終わった。

空はすぐにいつものペースを取り戻し、紫恩は安心したように笑う。

 

「……父上、母上。聞こえていますか、彼の言葉が。」

 

人類種を奮い立たせる、心地よい言葉。

そしてそれを裏打ちする、空白の絶対的自信。

今にも泣き崩れそうな自分を、支えてくれる空白という存在。

 

「孫をお見せできなかったのが唯一の心残りですが……どうか、空から二人を見守っていてください。」

 

花束を置き、静かに手を合わせる紫恩。

そしてそんな彼に寄り添うかのように、跡地で咲き誇るエゾギク。

―――――母上が、好きだった花。

 

彼女は花が好きで、庭で花を育てていた。

特に多かったのがエゾギクで、曰く紫恩の父から貰った初めての花だったらしい。

以来、彼女はエゾギクを大層気に入り、庭が花で埋め尽くされるのにそう時間はかからなかったそうな。

 

火災で燃え尽きたというアスター家。

火の手が伸びていただろうに、今なお生き残っている花々に紫恩は自然の力強さを……

そして、母親の花に対する愛の強さを、実感した。

 

 

ひとしきり挨拶も終わり、王城へ戻ろうと踵を返した紫恩。

しかしその視界の隅にうつったものに、紫恩は足を止めた。

 

「……?」

 

咲き誇るエゾギク達の中、一部分だけ不自然に何も咲いていない緑地があった。

丸くそれを囲むエゾギクに何かを感じた紫恩は、緑地に近寄り、観察する。

 

「……。」

 

直径20cm程度だろうか。

咲いていない事以外には特に変わった点は見当たらない。

考えすぎか、とその場を離れようとはしたものの、だがなぜか気になる。

花が枯れた後にはとても思えない正円のそれに、紫恩はなんとなく手で触れて……掘った。

 

「あ。」

 

わずかに掘っただけで、突然岩盤が姿を現した。

まさか岩盤がこんな近くなわけでもあるまいと、紫恩はその岩の端を探そうと周りの土を掻き出す。

 

 

 

そして、数分後。

直径20cm程度の円形の岩壁が紫恩の前に姿を現した。

まさしく、緑地と丁度同じ大きさである。

奇しくもその岩壁は真っ平で、およそ自然のものとは言えない正円の形状をしていた。

 

「……っ。」

 

ごくりと、紫恩は唾を飲み込む。

―――――明らかに何かが隠されている。

 

意を決して、恐る恐る紫恩はその岩壁に手を掛けた。

意外にも岩壁は軽く、腕に少し力を入れるだけで苦も無く地上へと返される。

 

そして姿を現したのは、ボロボロになった金属製の箱。

 

「これは……」

 

そしてその箱に、紫恩は見覚えがあった。

それは幼い頃、自分が宝物入れと称してガラクタを大事に入れていた小箱。

今の紫恩にとっては恥ずかしい歴史でしかない。

 

―――――だが、何故こんなものがこんな所に……?

 

燃え尽きた家の瓦礫と一緒になるならいざ知らず、何故土の中にあったのか。

そして何故、岩壁で蓋がされていたのか。

中身はなんだろうか、と紫恩は小箱のふたを開ける。

 

 

「……紙?」

 

 

納められていたのは、丸められた羊皮紙だった。

するするとそれを開くと、やたら達筆な文字が紫恩の眼に飛び込んでくる。

それは、紫恩が昔よく見ていた父の筆跡であった。

 

 

やけに短めであったが、そこには大きく分けて三つの事柄が書かれていた。

まず一つは、アスター家の最重要蔵書は国王個人に渡し、保管してもらった事。

次に、暴動を鎮める為心中を図っているらしき事。

そして最後に、紫恩を一人残して先立ってしまう事への謝罪。

最後の謝罪については、父の筆跡と、もう一つ……とても綺麗とは言えない崩れた筆跡でも書かれていた。

恐らく、非識字である紫恩の母の筆跡だろう。

 

内容的も、時期的には紫恩の葬式後で間違いない。

だというのに、その文言はどうみても紫恩宛。

死んだ人相手にあの人達は手紙を残したのかと、紫恩は笑った。

 

努めて、笑った。

 

 

「本当に、あの人達は……。」

 

―――――どこまで私を泣かせれば気が済むのだろう。

そっと紙を小箱へ戻し、熱く湧き上がる感情と共に蓋をする。

直後、街中から聞こえてきた大歓声。

空の演説が終わったのだ。

紫恩は満足したように瞳を閉じ、小箱を抱え立ち上がった。

 

「いつか、あの二人も連れてきますね。父上、母上……。」

 

 

紫恩の生存を信じ、残されていた手紙。

そこに、逃げた紫恩を恨む言葉は……一言も無かった。

 

 

 

 

 

 

 



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2.天翼種
第六話 イノベーション


 

 

そして、数日後。

朝日が昇り人が起き始める頃、紫恩は王城の炊事場に居た。

執事服の上にエプロンを着込み、朝食の乗ったお盆を抱えるその姿はまさに主夫。

ちなみに執事服は、以前空が着ていたものだ。

 

御盆をそのまま持っていこうとする紫恩を、使用人が慌てて止める。

 

「あ、紫恩様!私どもでやっておきますので、お休みになられていても……」

「大丈夫ですよ。これをやらないと、私としても一日が始まった気がしないんです。」

 

きっぱりと、清々しいまでの笑顔で言い切る紫恩。

紫恩の濡羽色の髪に混じる白髪が、これまでの苦労を表しているかのようであった。

 

「後はあいつらに食べさせるだけですので。お手伝いありがとうございました。」

「あ、ちょっと……!!」

 

両手に二人分の朝食を携えつつ、器用にお辞儀して。

台所を後にした紫恩を止められる者は、いなかった。

 

 

「……後片付け、しましょうか。」

「……はい。」

 

仕事を取られてしまった使用人達は、仕方なく掃除に取り掛かる。

給料を貰っている労働者の意地だとばかりに、念入りに掃除を行う使用人達。

 

この日、王城の水回りはやけに綺麗に仕上がっていたという。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

エルキア王国随一の技術力を結集して建設された、エルキア王城。

抜群の通気性と採光性、そして広々とした生活空間。

その高い居住性には庶民誰もが羨むとさえ言われている。

 

……が。

生憎、その庶民の中には空白は含まれていなかったようで。

王室に通されて早々、その広すぎる空間を嫌う彼らは王城に新しく部屋を作った。

―――――もとい、家を建てた。

 

王城の一角に建てられた犬小屋のようなボロ屋。

通気性最悪、採光性最低、窮屈な生活空間。

あんな部屋を好むというのだから、ひきこもりというのは難儀なものである。

しかしああいった空間に長年暮らしていても、両者とも眼鏡いらずの裸眼だというのだから驚きだ。

結局、視力なんてのは遺伝なのだろう。

 

 

紫恩はそんな他愛もない事を考えつつ、朝食を抱え、歩いていた。

当然、行き先は犬小屋。

 

途中、通りがかった使用人に怪訝な顔をされたが、それには笑って誤魔化した。

果たして、客人が召使いのようなことをしているが故の顔なのか。

それとも、見知らぬ使用人に対する訝しみ故の顔なのか。

犬小屋に辿り着くまで何度か使用人と通り過ぎたが、ついぞ彼らの視線の理由は分からなかった。

―――――理解したところで、説明し納得させる気はなかったが。

 

 

「空、白。朝食を……」

 

お持ちしました、と続けるはずの紫恩の言葉は出なかった。

いや、掻き消されたというべきだろう。

部屋の中からの悲鳴によって。

 

「……入りますよ?」

 

―――――まさか、空と白に限ってそんな……。

一抹の不安を覚えつつ、鍵の無い木の戸を足で開け侵入した紫恩。

彼の眼に飛び込んできた光景は、衝撃に値するものであった。

 

「お、紫恩。サンキュー。」

「サンキュー、ではありません。これは……一体、何ですか?」

 

驚愕で止まった思考を無理やり再起動し、紫恩は両手の食事を落とさぬよう努めて告げる。

しかし紫恩の眼は、依然としてそれ……頭から耳、尻から尻尾の生えたステフに向けられていた。

 

「まぁ、話すと長くなるんだが……いや、短いか?おいステフ、説明してやれよ。」

「嫌ですわ!こんな、恥辱の限りを尽くして空は心が痛まないんですの!?」

「別にいいだろ、裸になったわけじゃあるまいし。むしろ増えてんじゃん。」

「そういう問題じゃありませんわ!」

 

言い争う空とステフ。

心なしか、ステフの耳と尻尾が逆立っているように見える。

白は白で、被害の及ばない範囲で寝に入っていた。

 

「……はぁ。」

 

言いたい事は沢山あったが、一先ず紫恩は朝食を机の上に置いた。

この先どんなに驚かされてもいいように、安全を確保する為である。

……それに、今のステフは紫恩にとって、視界に入るだけでも落ち着かない物体であった。

 

「ゲームでステファニーが負け、空が彼女に犬になるよう要求した。そんなところでしょうか。」

「そうそう。ま、言わなくても分かるよな。」

「……それで、空。」

 

一呼吸置いて、紫恩は更に続ける。

 

「これは、図ったのでしょうか?」

 

ギラギラと、空を睨みつける紫恩。

いつになく恐ろしい雰囲気を漂わせるその姿は、まさに獣。

一触即発のその空気に、ステフは犬耳を下げつつ後ずさる。

……その一方で、紫恩のそれが"仮面"である事を知る空はなんでもないように答えた。

 

「別に?特に要求する事も無かったし、適当に言ったら本当に犬になっただけ。」

 

精神的にも、物理的にも。

犬になったステフを見つつ、空は言う。

 

「……そうですか。」

 

心を落ち着かせるために一つ深呼吸し、紫恩は眼を伏せた。

納得したのか、それきり空を追及するような事は無く。

……代わりに、若干狂気が混じった紫恩の目が、突然ステフに向けられた。

突然様子が変わった紫恩に、ステフの耳が一瞬ピクリと跳ねる。

 

「ステファニー……その耳、動かせるんですね。」

「へ?そ、そうみたい……ですわね。」

「という事は、神経通っているんですね。尻尾も同様で?」

「は、はいですわ……。」

 

ステフの耳と尻尾を交互に見つつ、近寄る半笑いの紫恩。

猫を前にした鼠の心境はこんな感じなのだろうか、とステフは大量の冷や汗を流しつつ後ずさる。

 

「おおお、お兄様?なぜ手をわきわきさせながらにじり寄ってくるんですの?そ、空……!」

 

助けを求めるかのようなステフの視線。

空は朝食を食べる為に相棒の白を起こしつつ、きだるげに答えた。

 

「あー、紫恩って根っからの犬猫愛好家なんだわ。この世界にあいつが暮らしていた時、そんな素振り見せなかったか?」

「えぇ!?初耳ですわよ!」

「ふーん……じゃあ地球に来てからなのか。まぁあっちは触れ合う機会にも恵まれてたしな。」

 

一度、地球で紫恩が犬を飼った事がある。

飼い始めた頃には既に成犬だったが、紫恩にとても懐いていた。

そして紫恩自身も犬にメロメロだったと、空の記憶に残っている。

 

「……そういえば、あの犬が病没した時だったな。紫恩が初めて俺達の前で涙流したの。」

 

無論、空も悲しくないわけでは無かったが。

なるほどステフの耳に夢中になるわけだ、とあの時の紫恩の涙に空は納得。

白を無事起こす事に成功し、朝食を食べ始めた。

 

「ちょ、ちょっと!空、助け……」

「……ステファニー。そんなに嫌ですか?」

 

悲しげに語る紫恩に、ステフは一瞬息が詰まった。

―――――なぜ襲われている側が罪悪感に囚われなければならないのだろう。

疑問を覚えつつも、しかしステフはそんな紫恩を拒否できなかった。

 

「み、耳を触るだけなら……。」

「ありがとうございます。」

 

悲しげな様相もどこへやら。

楽しげにステフの犬耳を弄りだす紫恩。

ステフは嘆息したが、しかし紫恩のそんな姿を見るのはステフにとって初めてで、新鮮だった。

 

「……ステフ。触られて嬉しい……の?」

「へ、変な言い方しないでくださいな!」

 

左右に振れているステフの尻尾を、寝起きの白はジト目で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

結局、ステフが解放されたのはそれから十分後の事であった。

 

「ふぅ。ありがとうございました。」

「どういたしまして……ですわ。」

 

満足そうな紫恩に対し、疲労感からか座り込むステフ。

食事を終えた空白は、揃いもそろってゲームをし出していた。

 

「……そうでした、ステファニー。」

 

思い出したように、紫恩が告げる。

またかと戦慄するステフに、紫恩が苦笑しつつ首を振る。

 

「犬耳の事じゃないですよ。こちらに来る途中で使用人の話を聞いたのですが、貴族の方がいらしているようです。」

「あ……。」

 

空白が王になった事で、エルキアに地球の技術が一部伝えられた。

それは内政に大きな改革をもたらした結果となったが、同時に利権を没収した。

 

結果、それを不服とする貴族がそれを取り戻そうと、城へ度々訪問するようになり。

ステファニーはここ数日、ずっとそれらの相手をしていたのだ。

……そして、今日も。

 

「しまった……すっかり忘れていましたわ。帽子、帽子を……」

 

貴族たちの前にこんな姿で出るわけにはいかない、と。

耳を隠すものを探し始めたステフを、空が止める。

 

「待った。丁度いい、久しぶりに王としての責務とやら……果たしてやるよ。」

「……え?」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「お、覚えていろぉぉ!!」

 

王城へ抗議に来ていた、貴族三人組。

相見えた時はそこそこ威厳もあったのだが、裸で逃げ出すその姿にはもはや威厳の"い"の字も無い。

紫恩は彼らの姿に、いつぞやの盗賊達を思い出した。

 

「……随分鬼畜なことをしますのね。」

「仕方ないだろ。向こうが勝手に色々賭けてきたんだから。」

 

取り上げられた一部の利権を取り返す為に、彼らが賭けたのは土地・資産・利権その他諸々。

無論、一度の勝負ではなくそれは何度にも分けて行われた。

しかし結局全て国王である空にとられ、貴族たちは賭けるものがなくなり……今に至る。

 

「流石空。ゲームには一切の妥協無しですね。友人が居ないのも頷けます。」

「一言多いぞ紫恩。それとこれとは関係ないだろ!」

「いいえ、空。あなたのその遠慮を知らぬ傲慢な態度に付き合えるのは、精々私くらいですよ。」

 

さらりと自分が唯一の友人ですとばかりに言い放つ紫恩に、空は言葉を失った。

よくそんな小っ恥ずかしい事言えるなぁ、と。

そんな彼らにステフは溜息をつきつつ、無視して口を開く。

 

「……折角穏便に済ませようとしておりましたのに。」

「え?そうなの?」

「えぇ。―――――」

 

地球の技術がもたらした、エルキアのイノベーション。

その最たるものが、技術改革。

改革により、今まで無価値だったものが、あるいは発見されたものが突然価値を得て、今までの生産方法や販路が通用しなくなる。

結果、旧来の組織……エルキアで言えば貴族の力が弱まったのだ。

それに対抗しようとしたのが、先の三貴族である。

 

地球の物事で分かりやすく言えば、蒸気機関や電気・石油の登場だ。

それらの登場で社会が大きく様変わりした事は、歴史でも大きく取り上げられている。

 

新技術の登場は、ややもすると社会全体にも影響を与えていくものだ。

 

「―――――それで、空達が伝達した技術の利権を、いくつかの貴族に流す事で少しずつ反対勢力の力を削っておりましたのよ。その勢力の筆頭があの貴族達なのですが……」

 

その貴族を、王の独裁で強引に資産等を奪い、追い返してしまった。

結果的にこれで反対勢力の力は弱まるだろうが、これは今後禍根を残す事になるだろう、と。

 

滔々と述べるステフを、空と白は唖然と聞いていた。

口を半開きにして聞き入っている二人の姿は滑稽なものである。

 

「……なんですの、二人とも。そんな固まって……。」

「いや、ステフがそんなに頭良いとは思わなかったからさ……。」

「酷いですわ!これでも国家最大のアカデミーを主席で卒業しているんですのよ!?」

「……主席が……犬……。」

「うぐっ。」

 

空と白の無慈悲な言葉に、ステフの心は更に傷つく。

 

「お兄様!お兄様なら分かっていただけますわよね!?」

「は、ははは……。」

 

幼少期を共に過ごしていた紫恩なら、あるいは……と。

最後の希望を託し、ステフは紫恩を見るが……彼は曖昧に笑い、決してステフと視線を合わせようとしない。

それを拒絶と判断したステフは、更に絶望する。

 

「お、お兄様まで……。」

 

まさか紫恩のそれが、ステフを……犬耳を視界にいれないが為の行動とはいざ知らず。

ステフは勝手に誤爆し、勝手に打ちひしがれた。

 

そしてそんなステフを余所に、空達は話を進める。

 

「……にぃ。」

「そうだな、そろそろ行くか。……紫恩。」

「分かっていますよ。」

 

立ち上がり、その場を後にする三人。

置いて行かれそうな事に気付いたステフが、三人を慌てて追いかけた。

 

 

 

 

 



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第七話 知る者と知らざる者

 

 

 

 

 

王城を後にし、街に繰り出した4人。

空と白はステフ(犬)を繋ぐ紐を持ちつつ先頭に、その後ろを紫恩がついていく。

王達の来訪に、街の人達は揃って物珍しそうに彼らを遠目から眺めていた。

あの演説以降、空はまともに街に姿を見せなかったのだから無理もない。

 

「しかし……。」

 

―――――流石にどうにかならなかったのだろうか。

腰が引けている空白を見て、紫恩は大きなため息をついた。

 

地球ではまともに外へ出ようとすらしなかった空白が、外出している事は嬉しい限り。

だがせめて、国民の前でそれはやめてくれないだろうか、と。

嬉しいような、悲しいような、複雑な心境で紫恩は二人を見守っていた。

 

「し、白!ぜぜぜ、絶対手を離すなよ!」

「ににににに、にぃこそ……!!」

「……はぁ。」

 

案の定、街の人達は空達に近づこうともしない。

二歩三歩離れたところからずっと見ている彼らに、しかし今の紫恩は感謝した。

今彼らが近づいたら、二人がどうなるか予想だに出来ない。

 

街に繰り出して早々苦難ばかりの空、白、そして紫恩。

 

「……あの、三人とも。一体何の用で来たんですの?」

 

そしてそんな彼らに問いかける、ステフ(犬)。

しかしそれに答える者はおらず、代わりに空が疑問を口にする。

 

「なな、なんか……街の人らの俺らに対する視線、おかしくね?」

「王たる者がそんな様子じゃ、視線の一つや二つおかしくなるでしょうよ。」

「いや、そうじゃなくてさ。なんか怯えているような……」

 

未だ変わらず近づこうとしない街の人達。

そして空の言うとおり、確かに彼らの視線には恐怖の色も混じっていた。

そんな様子でも心を読むのは得意なんだなと紫恩は感心した。

 

感心しきりで頷くばかりな紫恩の代わりに、ステフが答える。

 

「当然ですわ。こんな、獣人種の姿の者を同伴させていては……」

「ちょっと待った!獣人種ってのは、そんな獣耳と尻尾を付けた奇天烈な人間の姿をしているのか!?」

「え、えぇ……。そうですけれど、それが何か……。」

 

先ほどの弱々しい様子もどこへやら。

急に元気を取り戻した空白に、紫恩が向ける視線は冷たい。

 

「よし、その獣耳っ子王国は俺のもんだ!白、次に狙う国が決まったぞ!」

「……もふもふ。」

 

期待に胸を膨らませ、思い思いの光景を思い浮かべ歓喜する空と白。

紫恩は紫恩で、そういえばそんな国もあったなと思いだし……危惧した。

主に、それを前にしたときの己の精神状態を。

ステフの偽の犬耳を前にしても、己を抑えきれなかったのだ。

"本物"を前にした時、犯罪行為に手を染めてしまわないだろうか……と。

 

……とはいえ、盟約がある以上合意の上でなければ無理な話だが。

 

「あの……空。その時は私、お留守番していていいですかね……?」

「駄目に決まってるだろ!お前も一応戦力、我が覇道の為の糧となってもらう!」

「えぇぇ……しかし空、獣人種を前にして私が理性を保てるかどうか……」

「……紫恩……保つ必要、無い。欲望の、ままに……!」

「白まで……。私は、あなた達とは違って形振り構わないわけにはいかないのですよ。」

 

すっかり地球の空気に毒されてしまったものだと、紫恩はふと自らを省みる。

エルキアに住んでいた頃はこんな事なかった筈なのに。

 

―――――最悪、盟約で縛ってもらう事も考え……

 

……いや。

他の力に頼り無理やり心を変えるのだけは、出来れば避けたい。

となれば、結局己の力で耐えしのぐしかない。

 

「……あ。」

 

……しかし、ここで紫恩はある一つの重要な事実に気付く。

ここはエルキアである。

地球ではないのだ。

紫恩はもはや会社に縛られている身では無いし、そして盟約によりエルキアの刑法は形骸化している。

故に、そう。

―――――……我慢する必要は無いのではないか。

 

「いやいやいやいや。」

 

それはまずいだろう。

紫恩は、元とはいえ一応王家の人間なのだ。

というか、天国から見ているであろう父と母にそんなだらしない様を見せるわけにはいかない。

 

天使と悪魔の囁きの板挟みにされ、紫恩は頭を抱えた。

そしてそんな変わり果てた己に、目を瞑りたかった。

色んな意味で。

 

 

「あの、お兄様……?」

 

突然百面相を始めた紫恩を訝しみつつ、ステフが声を掛ける。

 

「なんですか?」

「……空達の姿が見えないんですの。」

「へ?」

 

―――――まさか。

そんなはずは、と顔を上げる紫恩。

しかし、ステフの言った通り空と白の姿はどこにも見当たらない。

紫恩は即座に、置いて行かれた事を理解した。

 

「あの二人は……。とにかくいきましょう、ステファ……」

 

 

そこまで言って、紫恩は今陥っている状況に気づいた。

ステファニーと、二人きりなのだ。

つまりそれは、己から逃れ得ぬ犬耳が間近に存在しているという事。

場合によっては触り放題な状況だが……しかしここは街中で公衆の面前。

 

 

一目も気にせず、白の言うとおり欲望を曝け出すか。

それとも、地球で培った忍耐力を駆使するか。

 

今、紫恩は大きな決断に迫られていた。

 

 

 

「……あぁぁぁ!!」

 

突然叫びだし、拳を力のままに壁に叩きつけた紫恩。

大きな音を立て、壁が陥没した事にステフは目を丸くし。

そして、彼の鬼をも黙らせるような虎視に、血が滴る朱い拳に、ステフは小さく悲鳴を上げた。

 

 

「行きましょう、ステファニー。」

「……。」

 

鬼気迫る様相で、しかしにこやかに告げる紫恩。

そんな彼を前に、ステフは行為の理由を問う事など……できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

さて、紫恩は結局欲望から目を背ける事を決めたわけだが。

それから紫恩は、ステファニーの首輪をつなぐ紐を引きつつ、二人を探す為街中を歩いた。

無論、街中から向けられるいくつもの視線がどんなものかは言うまでもなく。

 

……結論から言おう。

空達は、路地裏に居た。

 

「空!白!」

 

ようやく二人を見つけ、放置されたステフはいきり立ち二人に詰め寄る。

 

「お、ステフ、紫恩。どこ行ってたんだよ。」

 

悪気の全くない空の言葉。

その言葉に、ステフは頬を引きつらせた。

 

「どこ行ってた……ですって!?あなた達が私の紐を引っ張っておいて、よくもまぁそんな事!」

「ま、待てよ!落ち着けって。引っ張っていたのは白だぞ。白、紐離しちゃったのか?」

「美味しそうな匂いがしたからつい……。」

「つい、って!それで恥辱を受ける私の身にもなって……」

「……ステフ、許せ。お座り。」

「きゃん!」

 

泣きっ面に蜂とはこの事か。

主導権があちらにある以上、どうしようもないのは確かなのだが……。

しかしこのあんまりな仕打ちに、ステフは闘志を燃やした。

今度こそ空を打ち負かし、真人間になってもらわなければ、と。

 

「……もう我慢なりませんわ!空、勝負ですわ!」

「へ?ステフ……お前が?」

 

犬の姿となった要因を忘れたのか、と。

紫恩が空達の部屋に来る前、ステフはイカサマを利用して空にゲームを挑んだが、負けた。

そのイカサマを、空に利用されて。

呆れたように告げる空に、ステフは。

 

「ふふふ……私、気づきましたの。付け焼刃でイカサマ使ったのが私の敗因だと。ですから、完全な運勝負で挑めばまだ私に勝機はありますわ!」

「運勝負……ねぇ。で、何を要求するんだよ。」

「勿論、空のリア充化ですわ!」

「乗った!」

 

即答で快諾する空。

しかしそこに、白が横入りする。

 

「……『』(空白)として……その勝負、受ける。」

「白……!そんなに兄ちゃんのリア充化を阻止したいのか!」

 

空の悲痛な叫びも意に介さず、白はステフと話を進める。

 

「……それで……何のゲーム?」

「ふふふ。それじゃ……。」

 

怪しげな笑みを浮かべる今のステフには、きっと勝利の二文字しかないのだろう。

負けても尚挑み続けるそのけなげな姿に、紫恩は胸中で涙を流した。

 

「次にあそこを通り過ぎる人の性別を、予想するんですのよ!」

 

 

 

 

 

 

……とまぁ、ステフは勝負をしかけたわけだが。

 

「なぜですの!?純粋な運勝負だった筈でしたのに……!!」

 

結果は10回勝負の内、1-9で空白の勝利。

圧倒的なその結果にへたり込むステフに、空が呆れたように告げる。

 

「あのなぁ、これは純粋な運勝負じゃないぞ。」

「へ……?」

「通りってのは、何らかの理由があって作られてるもんだ。その通りにある店などから客の傾向を予想すれば、誰が来るかなんて大体予想はつく。」

「そ、そんな……。」

 

がっくりと、ステフは肩を落とした。

しかし白は対照的に、楽しげな眼で彼女を見ていた。

……そう、要求がまだだったのだ。

 

「……それじゃ、ステフのパンツ……ボッシュート。」

「パ、パンツ!?そそそ、それはあんまりじゃありませんの!」

 

抗議しながらパンツを脱ぎ、白へ渡すステフ。

盟約はやはり強制力が高いのだと、紫恩は改めてこの世界の実情を目の当たりにした。

ステフを犬にし、パンツをも合法的に奪う盟約。

―――――やはり盟約は恐ろしい。

 

「紫恩、何一人で頷いているんだ?」

「いえ、ちょっと世界の厳しさをですね……。」

「……はぁ?」

 

首をかしげる空。

その後ろで、ステフはただ茫然と立ち尽くしていた。

 

「お兄様……ステファニーは汚れてしまいましたわ……。」

 

ふふふ、と乾いた笑いで己を自嘲するステフ。もとい、恥犬。

色を失ったステフの眼は敬愛する兄……紫恩をじっと見つめていた。

その眼に底知れぬ寒々しさと諦めを感じ、紫恩は後ずさりする。

 

しかし、それもつかの間の事。

吹っ切ったのか、開き直ったのか、ステフの瞳に再び熱が宿った。

 

「空。もう一度勝負しますわよ!」

「へ?いや、もうやめといたほうがいいぞ……?」

「私からも流石に助言させて頂きます。多分、無理ですよ?」

 

空と、そして紫恩さえやめさせようとするこの状況。

しかしステフの瞳から、熱は冷める事を知らない。

 

「どうせもう失うものはないんですの。それに次は勝てる気がしますわ!はい空、アッシェンテ!ですわ!」

「あぁ、はいはい……アッシェンテ…。」

 

泥沼に嵌まっているステフを引っ張り上げるには負かすしかない、と。

空は渋々挑戦を引き受けた。

 

「では、あの二羽の鳩が飛び立つまでに何秒かかるか、予想しましょう。」

「ふーん……いいぜ。それじゃ、ステフは何秒?」

「え?そ、そうですわね……30秒、ですわ!」

 

何を根拠に30秒と言ったかは知らないが、すぐに飛び立つ事はないとステフは考えたのだろう。

……しかし、空は。

 

「それじゃ、俺は……三秒、だ!」

 

言うや否や、空は大きく振りかぶり……小石を放った。

それは綺麗な放物線を描き、丁度鳩の止まっていたところを叩く。

 

「あ。」

 

なるほど、そういう手で来たか……と。

紫恩が上げた間抜けな声と共に、鳩は空高く飛翔した。

 

「あ……あぁぁ!!卑怯ですわよ!」

「石を投げてはいけないってルールは無かっただろうが。盟約は絶対だ、そこら辺よく考えておくべきだったな。」

 

穴だらけのルールだった、と説明する空。

こんな短時間で二度も敗北し、ステフは悔しそうに膝をついた。

 

「ぐぬぬ……何故、何故ですの!こんな筈では……。」

 

何故自分が分かったのかも、ステフには皆目見当がつかなかった。

そんな様子では、いずれまた運勝負をしろと空に吹っかけて負けるのが目に見える。

いい加減見ていられなくて、紫恩は"犬耳の欲望"と戦いつつ口を開いた。

 

「……いいですか、ステファニー。貴女は知らなさすぎるんです。」

「え……?」

 

呆けた顔で、ステフは紫恩を見上げる。

涙目上目遣いの犬耳。

悪魔のような誘惑に一瞬手を出しそうになるも、紫恩は辛うじて堪え、続ける。

 

「先ほどの"通りの件"でもそうです。その道がどんな道なのか知らず、故に貴女は負けた。」

 

知っていれば、まだ善戦出来たかもしれない。

しかし知らなければそれまで。

ゲームを知らざる者が、ゲームを知る者に勝てる事は無い。

完全な運勝負なんてものは幻想であると。

勝つうえで情報は必要なのだと、紫恩は語る。

 

「ステファニー、貴女だってゲームで私に何度も勝っているんです。その事を知っている筈ですよ。」

「お兄様……。」

 

幼い頃、何度も紫恩に……シオドリクに勝ち続けたステファニー。

今は分からないが、少なくとも昔は勝っていた。

そしてそれは、ゲームを知っていたからこそなのだと、紫恩は静かに語る。

ステファニーは知っている筈だと。

 

「……そうですわね。」

 

納得し、頭を垂れるステフ。

落ち込んでいるその様子を見た空が、口を開く。

 

「……ま、それでもステフには感謝してるんだぜ。俺らの改革への反抗が、あの三貴族だけってのは素直に驚いたし。」

「空……?」

「お前のおかげで、色々楽だったよ。……助かった。」

 

空なりの、感謝。

そしてそれは、ステフが一番聞きたかった言葉でもあった。

 

「はい……ですわ。」

 

感極まり、顔を両手で覆うステフ。

しかしそれが気に食わないのか、どことなく不機嫌な白の頭を、紫恩が撫でる。

その気持ちを分かっているとでも言うかのように。

白の、兄に対する親愛以上の気持ちを。

 

 

 

 

4人の頭上に、巨大な浮遊島が姿を現したのはその時だった。

 

 



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第八話 天翼種ジブリール

4人を―――エルキア全体を覆うように、突如として現れた黒い影。

雲の動きにしては早すぎるそれに、その場に居合わせた者たちは揃って空を見上げる。

 

「なんだ、あれは……?」

 

それは、地球上でよくみた白い雲ではなく、巨大な浮島であった。

四角い謎の物体が積み重なったような形状の島が、雲さながら空を漂っている。

この非現実な光景に、空は改めて異世界に来た事を痛感させられた。

 

「あれは、位階序列第二位・幻想種(ファンタズマ)のうちの一体……アヴァントヘイムですわ」

「あれが、幻想種……!?」

 

おそらく、エルキアではよく見る光景なのだろう。

特に驚いた様子もなく、淡々と告げるステフとは対照的に、空と白は目を丸くしてそれを眺めていた。

……一体、あんなものとどんなゲームをしろと言うのか。

唖然とする空と白に、紫恩が告げる。

 

「あの上にいるのが、位階序列第六位の天翼種(フリューゲル)。二人も調べていたでしょう?」

「……そういえば、そんな事が書いてあったな。なるほど、あの上にいるのか……」

 

この数日間、二人はこの世界(ディスボード)を攻略するために、ひたすら情報を集めていた。

王城中の本という本を読み漁り、集めた知識の中にあった天翼種という存在。

大戦後、ひたすらに知を集めているという彼らが持つ情報は、きっと世界攻略の鍵になる。

そう二人は確信し、出来れば早い段階で仲間にしたいと考えていた。

 

「だが、あんな高い所……どうやって行けばいいんだ」

 

まさか飛行機なんてものは無いだろうと、空は途方に暮れる。

人類種に飛行魔法といった類は使えない。

ましてや、彼らの方からわざわざ人類種の街に来てくれる筈もないのだ。

 

「そうですね……餌でも使って、誘いますか?」

「餌、って……まさか、王城の本か?」

 

紫恩の提案に、空が興味深そうに耳を傾ける。

 

「魚釣りと同じですよ。こちらから捕まえにいけないのなら、餌で釣ってしまえばいいんです」

 

手で竿を引く仕草をしながら、にこやかに紫恩は告げる。

そのアイディアに、空も内心うまく行きそうな手段だとは思った。

 

……が、そもそも天翼種が人間如きの知識を欲するだろうか、という不安もあった。

数千年の間、人類種のみならず他種族からも知識を強奪し続けていたであろう種族である。

そんな種族が、最下位の人類種の知識に価値を見出すかといえば……首をかしげざるを得ない。

顎に手を当て、空はじっと考え込んでいた。

 

ステフが驚愕の一言を言い放つまでは。

 

 

「天翼種なら、一人すぐ近くに居ますわよ」

 

 

―――――へ?

空と白、そして紫恩……三人分の視線が、一斉にステフへと集束する。

 

「居る、ってお前……地上にか?」

「えぇ。お爺様が天翼種に図書館を賭けて挑み、負けてますの。ですから、恐らく図書館に行けば会えますわ。」

 

さらりと、ステフは言ってのけた。

図書館を賭け、負けた……つまり、天翼種に人類種の図書館を奪われたのだと。

 

「図書館……負けたって、お前……」

 

多くの情報が詰まっているであろう宝庫。

金銀財宝よりも貴重な情報が奪われていた事に、空は絶句した。

 

「ま、まぁ……丁度よかったじゃないですか。天翼種と情報、両方手に入ると思えば!」

 

取り繕うような紫恩の言葉。

確かにそれも一理あった。

図書館が奪われたことは、天翼種との邂逅の機会を得た事にも繋がっている。

そして紫恩の顔を立てる為にも、空は自分を落ち着かせるように深呼吸した。

 

「……ステフ。図書館に案内してくれ」

「は、はいですわ。ところで空、なんだか不機嫌なように見えますけれども……」

「気のせいだろ」

 

別にステフが賭けて、負けたわけではないのだ。

そして、非難されるべき相手は既にこの世に居ない。

その上でステフを罵ろうと、もはや意味はない。

 

―――――というのは、空の建前。

 

ステフを親愛しているシオドリク(紫恩)

そして、空達の親代わりであった紫恩(シオドリク)

彼を傷つけたくないが為に。

そして彼に嫌われたくないが為に、空は耐えた。

 

 

「にぃ……?」

 

その心境を察した白が、声を掛ける。

しかし空はなんでもないように笑い、応えた。

 

そもそも、これまで二人がステフにどんな屈辱的な事をしたのかは、紫恩も既に知っている。

だというのに、紫恩はその行為を何とも思わず、いつもと変わらぬ態度を空達に見せている。

その理由が空には分からなかった。

そして内心、どこまで許されるだろうかと試したくもあった。

いわゆる、失敗の検証である。

 

が……それは避けた。

避けるべきだと、空の本心が告げていた。

その失敗の結果、一時的に失うと思われるもの……それが、白という存在と同レベルであるが故に。

 

「行くか。白、紫恩」

「……ん」

「はい。ステファニー、先導お願いしますね」

「はいですわ!」

 

 

いつも空白の味方である紫恩。

彼が敵になる瞬間を、空白は想像できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

エルキア最大の王立図書館。

もっとも、天翼種に奪われた今となっては語頭に元が付くが。

思ったよりも広く、そして天井まで高く積み上げられ保管されている書物の数々に、空は感嘆の声を上げた。

 

「へぇ……結構本の数あるんだな」

 

この量なら、確かに天翼種も欲しがるかもしれない。

そしてこれがあれば、獣人種と渡り合うことも可能かもしれない。

納得し、感心した空だったが、しかし紫恩はその大量の書物に首をかしげていた。

 

「私が昔来た時はこんなに本は無かった筈ですが……」

「は?そうなの?」

「はい。ステファニー、これは人類種が集めたものですか?」

 

紫恩の問いに、ステファニーは首を横に振った。

 

「いいえ。私が最後に見た時も、この数の半分も無かったと記憶しておりますわ」

「という事は……」

「えぇ……恐らく、天翼種のものですわ」

 

つまり、人類種から奪った後に天翼種が己の知識をここに持ってきて、保管しているのだろう。

一瞬でも人類種を感心した自分が馬鹿だったと、空はその事実に嘆息した。

 

「まぁ、これでゲームに勝てば天翼種の情報も手に入……」

 

壁を埋め尽くす書物を眺めつつ、空が呟いた……その時。

聞いた事の無い凛とした声が、部屋中に響き渡った。

 

「おや?私の図書館に訪問者とは……」

 

その声の方向へ、4人は一斉に振り向いた。

 

「これはこれは……人類種(イマニティ)のニュー・キングとクイーンではありませんか」

 

グラマラスな体を見せつけるかのように露出の激しい服装。

そして大きな二翼の白い翼を広げ、空から舞い降りた天翼種の少女から感じる、威圧。

人類種とは根本的に違うその圧倒的存在に、空は足が震えそうになった。

空の服を握る白の手も、心なしか強くなっている。

 

「はは……」

 

大戦中、こんな奴らと人類種はやりあっていたのか……と。

心底盟約があってよかったと、空はテトの判断に大いに感謝した。

 

そんな緊迫した空気の中、天翼種は相も変わらず笑みを湛え、口を開く。

 

「イマニティ如きが、私のライブラリーにワット御用で~?」

 

刹那。

時が、止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんと!先駆者がおられるのですか。それは残念……」

 

地球での某芸能人を想起させるその口調に、空は早々に突っ込みを入れた。

そしてその口調が二番煎じである事をしった天翼種は、本当に残念そうに肩を落とす。

自分の想像する天翼種とはまるで違うその姿に、紫恩は勿論の事、他の三人も肩の力が抜ける。

 

しかし、言い方は悪いが腐っても天翼種。

人類種など及びもしない領域に存在する者を前に、空は今一度気を引き締めた。

 

「本題に入る。フリューゲル……」

「私の名前はジブリールでございます。」

「……ジブリール。この図書館上に存在する全てのものを掛けて、ゲームをしてほしい」

 

一度は天翼種に負け、呆気なく図書館を渡した人類種。

取るに足らない存在である彼らが、それを奪い返しにきたらしい。

ゲームを挑んできた空に、ジブリールは目を細め、笑った。

 

「なるほど。しかし、あなた方も知っているでしょうが、私達天翼種は知を集める事を生きがいとしております」

 

嘲り、見下し、ジブリールは続ける。

 

「その知を奪うとは、つまり私達天翼種の命を奪うと同義であるといえましょう。あなた方の所有物に、私がそのようなものを掛ける価値があるとお言いで?」

「……あるさ。」

 

言い切ってみせた空に、ジブリールはティーカップを傾けつつ目を瞬かせた。

 

「ほう?それは一体、どういうものでしょうか」

「異世界の書……計4万冊。」

 

まさか、そんなものを持ち出してくるとは思わなかったのだろう。

ジブリールが口に含んでいた物が全て噴出し、前に座っていた空白に盛大に掛かった。

 

「…うぅ……汚い……。」

「安心しろ、白。我々の業界ではご褒美です。」

 

二者二様の反応を見せる空と白。

そんな二人に、慌ててどこからかタオルを取り出した紫恩は拭きにかかった。

 

「あぁ……空、白、大丈夫ですか」

 

しかしそんな事は気にも留めず、ジブリールは体をずいと乗り出し、聞いてくる。

 

「いいいい、異世界の書、4万冊!?一体、どこにそのような……」

 

瞳をキラキラと輝かせ、何故か涎を垂らしつつ空白に詰め寄る天翼種・ジブリール。

その姿に、先ほどの威圧さえしてみせた面影は残っていない。

知に貪欲とはこの事かと、紫恩はタオルで白の顔を拭きつつ頬を引きつらせた。

 

「この薄い板の中にある。俺達は……少なくとも俺と白は、異世界人なんだ」

「異世界?一体何を根拠にそのような戯言を……」

 

訝しむジブリールだったが、しかしその眼は空の取り出した薄い板に向けられていた。

明らかに興味津々といった様子である。

 

「まぁ、見てみろって。言語も違うし、お前に読めるかは知らないが」

「何をおっしゃいます。あらゆる言語に精通した私が、この世界で読めぬ言語など……」

 

ジブリールは、そこで言葉を失った。

 

板に浮かび上がる、多くの文字により構成された文章。

その文字は、言語に精通していると自称するジブリールにすら読めないものであった。

デタラメな暗号というわけでもなく、魔法により生み出されたものでもなかった"それ"。

 

「こ、これは……!!」

 

試しに触れてみると、指の動きに従うように文章が上下左右に動く事にジブリールは気付く。

未知の技術を前に、ジブリールの瞳の輝きは一層強さを増した。

 

「こんな板の中に、異世界の本が……四万冊……!」

 

余程興奮したのか、ジブリールは怪しげな笑みを浮かべ、板を弄繰り回す。

しかし流石に壊されてはたまらんと、空が板を取り上げた。

 

「これで分かっただろ。ジブリール、これなら受けてくれるよな?」

「はい……確かに、その言語はこの世界のものではないでしょう。しかし、だからといってあなた方が異世界人であると決まったわけではありません」

「じゃあ、どうしたら俺達が異世界人だと納得してくれるんだ。正直、俺達もそこら辺はさっぱりでな」

 

何か判断できる手段は無いのかと、問う空。

思案するジブリールだったが、やがて良い手段を思いついたとばかりに、笑みを浮かべた。

 

「私達の体には、微量ながらも精霊が宿っているのです。天翼種である私はそれが感知できます。そして、異世界人となれば宿っている精霊にも差異があるはず」

「えーと……それは、つまり?」

「はい。私に体を調べさせていただけませんか」

「……えぇー」

 

あからさまに嫌な顔をして、後ずさる空。

相手は位階序列六位の天翼種、無理もない。

とはいえ、調べてもらわなければ証明できないのも確かだった。

 

「……一体、どこを調べるっていうんだ?」

「性感帯でございます」

 

ジブリールがそう告げてからの空の変わり身は早かった。

むしろ自分からやってくださいとばかりにジブリールに迫る空。

しかし、そんな彼に突き刺さる二つのじとりとした視線。

 

「空。白の前ですよ」

 

そしてにこやかに語るのは、朗らかな笑顔を浮かべていた紫恩。

しかしその笑顔の裏に、場を弁えろという無言の圧力を感じ、空は悔しさに顔をゆがめつつ答える。

 

「くっ……それじゃ、下以外ならいい。18禁になるからな。だが、俺のを触らせるんだ……お前のも触らせろ!」

 

―――――この期に及んでまだ空は諦めきれないのか。

紫恩は空の煩悩に頭を抱えたが、しかしジブリールは笑顔で答えた。

 

「えぇ、よろしゅうございますよ」

「いいんですの!?」

 

今日一番の、ステフの悲鳴にも似た叫び声が部屋中に響いた。

 



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第九話 向けられた刃

……さて。

空はジブリールとお互いの性感帯を触りあうという、傍から見れば成人向けな展開を迎えたわけだが。

しかし、実際のジブリールの性感帯というのが翼である事を、異世界人である空は当然知らなかった。

―――――仮に異世界人でなくとも、それを知っているかは怪しいが。

 

現実とはかくも厳しく辛いものだ、と。

空はジブリールに胸を撫でられつつ、しかし他方でジブリールの翼を撫で返す。

一見するとじゃれあっているようにしか見えない光景を、紫恩は生暖かい目で見守っていた。

 

「……そういえば、お兄様。聞きたい事があったのを思い出しましたわ」

「なんでしょう?」

 

突然の、ステフの言葉。

 

「結局、お兄様が得意だったゲームって……なんだったんですの?」

「……あぁ」

 

そういえば、国王選定戦の前だったか。

空と白がそんな話をステフにしていた事を、紫恩は思い出した。

そして、それを今の今まですっかり忘れていた事も。

 

「……。」

 

だが、紫恩はそれきり口を開こうとはしなかった。

……いや、開こうとはしたが、どこか躊躇っていた。

その様子に何を勘違いしたのか、ステフは慌てて弁明する。

 

「あ、別にお兄様やそのゲームを侮辱しようというわけではないんですのよ?ただ、その、純粋な興味で……」

 

あれだけ負けがこんでいた紫恩―――シオドリク。

そんな紫恩が得意なゲームとは一体なんなのか。

あの空白をもってして、得意と言わしめたゲームの存在に、ただ純粋に興味があった。

だから、侮蔑を含めているわけではないと告げるステフ。

 

あまりにも必死な彼女の様子に、くすりと紫恩も笑った。

 

「そこまで気にしなくていいんですよ。ただ……多分、ステファニーに言っても分かりませんよ」

「え……?」

「何故なら、この世界には……少なくとも、私がエルキアで生きた16年で知る事の無かったゲームですから。」

 

それは、つまり地球で初めて知ったゲームだという事で。

更に言ってしまえば、地球にしか存在しないゲームという可能性もある。

しかしそれでもめげずに、ステフは紫恩に問う。

 

「そ、それじゃ!名前だけでも……」

「名前……名前ですか。名前でひとくくりにするのは難しいのですが……」

 

敢えていうなら、と紫恩は続ける。

 

「仮想戦闘を行うゲーム、です。」

「仮想……戦闘?」

 

戦闘の意味は、まだステフにも分かった。

しかし仮想戦闘とはなんなのか、まったく予想が出来なかった。

ただ一つ分かった事があるとすれば、トランプやチェスといった類のゲームではない事だけ。

あれらのゲームに、戦闘という単語は似合わない。

 

「ただ、得意と言っても他と比べれば得意なだけですよ。まぁ、唯一空や白と一緒に遊べたゲームだったので、二人には大分しごかれましたが……」

 

紫恩も、ゲームは苦手だがやりたくないわけではなかった。

地球では、空や白に遊ぼうとせがまれれば何度でも相手をし、そして"立派に"負けた。

ただ、そうやって負け続ける中で、唯一紫恩が空白相手に善戦したゲームがあった。

それが、紫恩の言う所の仮想戦闘のゲーム。

勿論別に正式名称はあるが、ステフに分かりやすいように言葉を選んだ結果である。

 

「そのゲームでも私はあの二人には勝てませんし、勝てるとも思っていません。……けど、初めてでした」

「……何が、ですの?」

「こうすれば勝てるのか、とか。これは敗北に繋がる悪手だ、とか。そういった事が分かる瞬間……ゲームを理解する瞬間を、実感した事です」

 

地球で空白と出会い、紫恩は負ける意味を知った。

ゲームを理解する術を見出した。

初めて、誰かと遊ぶ事だけでなく、ゲームに対して面白いと実感した。

―――そしてそれを理解したからこそ、テトは再び自分をこの世界に送り返したのかもしれない。

 

「やっぱり、お兄様は凄いですわ。負け続けても、そんな風に強くいられるなんて……」

「……なんだかあまり褒められてる気がしませんね。ただ、ステファニー……貴女と遊んだ多くのゲームも、私は楽しかったですよ。また今度、一緒に遊びましょうね」

「こ……こちらこそ、ですわ」

 

 

それきり、俯いてしまったステフ。

何かまずいことでも言っただろうかと紫恩は己の発言を省みるも、しかし分からない。

結局諦めて空達に再び目を向けると、彼らは既に話し合いが終わった後のようであった。

 

「紫恩、話は終わったのか?」

「えぇ。お待たせしましたか?」

「いいや。俺らも丁度済ませたところだ」

 

まるで、待ち合わせ場所での恋人同士みたいな会話である。

そんな彼らに、ジブリールが続く。

 

「それでは……始めましょう」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

王立図書館の中央に位置するスペースに配置された、円卓のテーブル群。

かつては読書スペースとして老若男女に愛されたそれも、今や天翼種のゲーム装置と一体化。

テーブル群に囲まれている中、一対の椅子が小さなテーブルを挟むように配置されていた。

そのテーブルには幾何学模様の陣のようなものがあり、それが魔法に関係する何かである事は容易に想像出来る。

 

「さて……ご存じかもしれませんが、私達天翼種が勝負を挑まれた際に行うゲームは、歴史的にも唯一つしかありません」

 

言うや否や、ジブリールがテーブルに手を掲げる。

すると、青白い光を放つ半透明の水晶が姿を現した。

周囲の空間に、先ほどの陣のようなものも散見される。

精霊回廊を持たない人類種にすら感知出来てしまうその大規模な魔法に、ステフはあからさまに怯えていた。

 

「これから行うゲームは、具象化しりとり。ルールは通常のしりとりと同様、実在するものを示す単語を30秒以内に答えるだけです。勿論、あらゆる事由より続行不能になるような事があった場合、その時点でゲーム終了です」

「……それだけじゃないんだろ?」

「えぇ。具象化という名の通り、発言したものがこの場にあれば消え、無ければ現れます。ただ、ゲーム開始と同時にこの場は仮想空間となりますので、ここでの変化はゲーム終了と同時に元に戻ります」

 

それはつまり、場合によってはそれがプレイヤーに危害を加える事もあるわけで。

ジブリールの発言の、あらゆる事由による続行不能とは、それをも指している事を空白は理解した。

ただし全てゲーム終了と同時に元通りとなると聞き、空は内心安堵した。

白や紫恩を失うわけにはいかないのだ。

 

「それでは、準備がよろしければ始めさせていただきたいのですが」

 

人のいい笑みを浮かべ、ジブリールは問う。

 

「俺らはいつでもいいぜ。」

「……かかって……くるの。」

 

準備万端といった様子の空白。

しかし一方で、ステフに関しては準備不足もいいところだった。

着々と話が進められていく中、ただステフは慌てふためいて。

ゲームをするのは二人なのだから、自分は居なくていいのではないか……そんな目線を、ステフは隣に立つ紫恩に向けた。

 

「ステファニー。」

「はいお兄様、一緒に……」

「諦めましょう。」

「……へ?」

 

にべもなく、紫恩は言い放つ。

朗らかな紫恩の笑みの裏に、ステフは悪魔を見たような気がした。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「それでは、先手はそちらでどうぞ」

 

ゲーム開始と共に、ジブリールは先手を空に譲った。

考えとしては、異世界人の手並みを拝見したい、そういった所だろう。

それに空は一瞬迷う素振りを見せて……即答した。

 

「それじゃ……"水爆"」

 

途端、頭上に現れた鈍色の球体。

一体それが何なのか分からないそれを、ジブリールとステフは怪訝に見上げる。

 

―――――水素爆弾。

水素の同位体である重水素と放射性同位体の核融合反応を利用した核兵器。

その威力は人工的に地震さえ引き起こし、とある地域では地殻変動により湖が出来上がったという。

それが仮に人体に直撃すれば、脆弱な人間など容易く灰と化すだろう。

 

その事を、地球で暮らし、地球を学んだ紫恩は知っていた。

 

「空……!!」

 

―――――自爆する気か。

紫恩が叫ばんとしたその時、部屋に駆動音が鳴り響く。

それと同時に、頭上に浮かぶ鈍色の球体が淡く輝きはじめた。

 

「これは……」

 

それが何なのか、何を意味しているのか分からないジブリール。

やがて球体の輝きが最高潮にまで達した―――――その刹那。

ジブリールが、目を見開いた。

 

「ッ!"久遠第四加護(クー・リ・アンセ)"!!」

 

水爆の爆発と同時に、ジブリールを除いた空達4人を覆うように展開された守護壁。

轟音が大地を震わせ、絶え間ない衝撃が辺り一帯に降り注ぐ。

地球の地形を変化させた程の力は、仮想空間上の図書館を破壊しつくした。

 

……しかし。

 

「なんとも……ない?」

 

紫恩が唖然と呟く。

4人が居た場所だけがまるで何も無かったかのような綺麗な状態で残っていたのだ。

そしてジブリールに至っては、防御すらしていなかったのに無傷。

考え得る人間の科学力を最大限に結集した最大級の攻撃すら、天翼種の前には無駄だった。

 

「初手が自爆ですか。私の好意が無ければ、今頃あなた方の負けでしたよ?」

「何言ってんだ。すぐにゲームを終わらせるようなつまらない真似、お前は許さないだろ。でも、まぁ……」

 

傷一つ無いジブリールの体。

人間の科学力も超常的存在の前では無力か、と空は苦笑した。

 

「お前、一体どんな体の構造してんだよ」

「ふふふ。ご自分の置かれている立場、お分かり頂けたようで何よりです。精々、私を楽しませてくださいませ」

「言ってろ……"精霊回廊"」

 

それは、空がこの世界に来て初めてしった単語。

その発言によって、ジブリールの体から精霊回廊が消失した。

 

「……そう来ましたか。」

「これで魔法は使えないな。てか、やった俺が聞くのもどうかと思うが、大丈夫なのか?」

「問題ありません。少々落ち着きませんが、体内に精霊が残っておりますので」

 

 

語らう彼らの後ろで、紫恩は人知れずじっと手を見つめていた。

空の言葉、精霊回廊……それがジブリールの精霊回廊を消した。

ならば、元々精霊回廊が無い人類種はどうなるのだろうと、紫恩は考えたのだ。

だが特に体に変化は無く、魔法の源である精霊を扱えるようになっているようにも思えない。

 

―――――体がそれに対応するように出来ていなければ無理なのだろう。

残念そうに紫恩は首を振り、手を降ろした。

 

そうしている間にもしりとりは進んでおり、何故か馬がステフの前に出現。

置物では無く、生きている本物の動物であることに、紫恩は魔法の有能さを実感する。

これなら観客である自分も楽しめそうだと、紫恩は次の手番である空に期待の眼を向けた。

 

「"ま●こ"。」

「ほう、ま……へ?」

 

我が耳を疑うとは、この事だろう。

天翼種のジブリールを含めた女性陣三名が呆けている中、紫恩は慌てたように声を上げた。

 

「そ、空!そんな言葉、一体どこで……!」

「どこでって、んなのお前なら言わなくても分かるだろ」

「確かに、空が私に購入させたゲームの中にはそういうのもありましたが……。」

 

―――――頭では知っていても、しかし理解出来なかった。

というか、認知したくなかった。

心の中の、若き日の純粋な空はもうどこにもいないのだという現実に気付かされる気がして。

そんな現実に無理やり気付かされた紫恩は、ただただ項垂れた。

……そして。

 

「……っ!」

 

体の変化に気付いたステフが、慌ててスカートを抑える。

同時にみるみる内に顔が赤くなっていく彼女とは対照的に、白は無言で空に頷いた。

 

「なるほど。こんな事も一応出来るのか」

「何がなるほどですのよー!!」

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

途中、茶番を挟んだりもしたが、しかし着々としりとりは進んでいく。

その度に周りが巻き込まれ、慌ただしく状況は変化していった。

特に女性陣の変化が激しく、白は猫耳とマフラーのみ、ジブリールやステフはもはや全裸。

 

変化らしい変化は学生服になった事くらいの紫恩も、目のやりどころに困る意味で疲れてきた頃。

 

「……そろそろ、刺激が欲しいですね」

 

微笑みつつも、退屈そうにジブリールが呟く。

これだけの事をしておいてまだ望むのかと、紫恩がジト目をジブリールに向ける。

―――――そして、彼女と目が合った。

 

「っ!?」

 

背筋の凍るような不気味な眼差しに、紫恩は後ずさる。

そしてそんな紫恩の様子に、幼子を見るかのようにジブリールは薄く笑った。

―――――彼女は、人類種など歯牙にもかけていない。

天翼種は、やはり根本的には天翼種なのだと。

今はただ遊ばせているだけだと言わんばかりの冷たい眼に、紫恩は凍りついた。

 

……そしてそんな紫恩の異変に最初に気付いたのは、隣で疲れ切ったように座り込んでいたステフだった。

 

「どうしたんですの、お兄様?」

 

だが、以前紫恩の眼はジブリールに向けられたまま。

ステフの声など、聞こえていないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、空様。こんなのはいかがでしょう……"ヒプノック"」

「ヒプノック……?」

 

聞き覚えのある名前に、空と白は目を見合わせた。

某狩りゲーに出てきそうな名前である。

具体的に言えば、鮮やかな羽毛を纏い、鋭利なクチバシを有し、人間の背丈を超える体長の鳥みたいな竜の種につけられそうな。

ついでに睡眠液とか吐いて嫌われていそうな。

 

そんな事を二人が考えている間に、当然の如く具象化し……"ヒプノック"が現れた。

 

「……。」

 

どうせ似たような名前の何かしらだろうと。

そう思っていた"ヒプノック"は、少々想像していたものより小さかったものの本当にヒプノックで。

決めつけていた数秒前の自分を、空は無性に殴りたかった。

 

 

「いやジブリール!お前、これ非実在だろ!存在してないだろ!」

「いいえ、存在しておりました。現在は殆ど姿を見せておりませんが、大戦時代彼らは……」

「あぁそうだな、そうやって大昔の話持って来られたら俺ら否定できねぇなクソッタレ!」

 

魔法で前々から何か仕込んでいたのか、はたまた本当に居たのかは定かではない。

が、現実問題あれを放置するのは、少々危険であった。

早い段階で消さなければ、間接的に空白側が続行不能に陥らされる恐れがある。

何しろ、二人は根っからのひきこもり。

 

あんなもの相手に、生き残る術など会得していない。

 

「ていうか、それならせめてイャンクックにしろよ。それかリオレ……」

「イャンクック?なんでしょうかそれは?まさか異世界にも似たような者たちが……」

「ちげぇよ!いや、違わないけど違うんだよ!」

 

異世界の知識の片鱗に、ジブリールが目を輝かせ、再び身を乗り出す。

空がそれを鬱陶しそうに押しのけようとしたその時だった。

 

「にぃ……!」

 

慌てたような白の声。

そしてそれを掻き消すかの如く、鳴り響く甲高い咆哮。

"ヒプノック"が低空飛行の体勢で突進してきたのと、空がそれに気付いたのはほぼ同時であった。

 

「やば……!」

 

直撃すれば、空白は続行不能に陥るだろう。

しかしこれを防ぐような事を、ジブリールが今さらする筈もない。

慌てて白を抱え、空は椅子から立ち上がり、射線上から跳ぶように避けた。

直後、先ほどまで空が据わっていた椅子が砕け、強烈な衝撃波と共に空白を追い打ちする。

流石に衝撃波までは避けきれず、空は白を庇いつつ転げるように倒れ込んだ。

 

「……はっ。緊急回避成功……ってか」

「にぃ……言ってる場合じゃ、ない……」

 

白の言う通りである。

一度避けても、攻撃は何度だってくるだろう。

避け続ける事は、体力的にもまず無理だ。

ならば、あれをしりとりで消すしか無い。

 

「だが、どうする。"モンスター"はだめだ、クで始まるなにか……」

 

しかし、空が思案に耽る時間すら、"ヒプノック"は与えようとしなかった。

 

「にぃ、また……来る……!」

「はぁ!?硬直時間短けぇぞ!ずっと威嚇してろよ!」

 

一度大きく飛翔してからの、滑空による突進。

だが、空達はまだ体勢を崩しており、先ほどのようには動けない。

 

「白、出来るだけ丸くなってろ」

「……にぃ?」

 

直撃する前に消せばいい。

空は脳内をフル回転させ、あらゆる単語を候補にあげる。

脅威を一撃で葬り去り、状況を打開しうる可能性。

その間も先ほど同様白を覆うように庇い、そして眼は"ヒプノック"から目を離さなかった。

 

来るならいつでも来いとばかりの空に、襲い掛かる鳥のような竜。

その鋭い眼光は、獲物を前にした鷲の如く。

 

「……空、白っ!!」

 

―――――そこへ、紫恩が割り込んだ。

 



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第十話 紫恩という存在

―――ジブリールは、紫恩に興味があった。

異世界人である空と白が慕う、エルキアの人類種。

前国王の令嬢に対するものとは明らかに異なる、空白の紫恩に対する親愛。

それはもはや、親子のそれに匹敵していると言っていい。

 

出身も育ちも明らかに違う彼らが、何故そのような繋がりを得ているのか。

抑えきれない好奇心は、やがて一つの仮説に辿り着いた。

 

……紫恩という人類種の可能性。

種に顕在化したイレギュラー。

ただの人類種では無い筈だという、期待に満ちた未知への渇望。

 

―――――アレも巻き込んで、遊んでみましょうか。

 

その為の、"ヒプノック"。

抗いようのない脅威が現れた時、彼はどう対処するのか。

ジブリールが紫恩に向けた興味は、まさに。

実験用に生き永らえている、モルモットに対するそれであった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

動けない空白に、襲い掛かる"ヒプノック"。

無我夢中で、紫恩は駆け出した。

 

「空、白……っ!」

 

空白の前に立ちふさがるように割り込んだ紫恩。

白が唖然と、紫恩を見上げる。

 

「……紫恩……?」

「私が時間を稼ぎます。二人はゲームを続行してください……!」

 

突然現れた妨害者に、"ヒプノック"は標的を変えた。

そのままの速度で滑空し、鋭いクチバシが紫恩へと向けられる。

そして、数秒と経たぬうちに凄まじい衝撃で紫恩に衝突―――するかと思いきや。

 

衝突するよりも先に、紫恩の振り上げた脚が"ヒプノック"の側頭部を強打。

横からの衝撃により僅かに軌道が逸れ、紫恩はクチバシの直撃を免れた。

……が、軌道が逸れ切らなかった大きな翼が、紫恩へと襲い掛かる。

 

「かはっ……!」

 

絡み取られ、半ば引きずられるように紫恩は吹き飛ぶ。

舞い上がる土煙と、地面に付けられた深い傷痕が、紫恩を襲った衝撃の強さを物語っていた。

 

「紫恩、大丈夫か!」

 

思わず空も声を上げる。

……しかし、返事は無い。

 

土煙で視界が悪く、紫恩どころか"ヒプノック"すら確認できない。

最悪の結果を誰もが予想した……その時だった。

 

「私の、事よりも先に……ゲームを!」

 

絞り出すような、紫恩の声。

姿は相変わらず確認できないが、確かに土煙の中から聞こえた。

一先ず無事を確認し安堵した空は、ステフに目を向ける。

 

「……ステフ、紫恩を頼む」

 

助けろとは言わない。

だがせめて、無事かどうか確認して欲しかった。

空の真剣な目に、ステフは黙って頷き、未だ鎮まらぬ土煙の中へ駆けて行く。

 

 

「なかなか人類種もやりますね。強敵を前にすれば逃げるものと思っておりましたが……いやはや、驚きました」

 

口元に手を当て、本当に驚いた風をジブリールは装いつつ、続ける。

 

「しかし空様、もうすぐ30秒でございます。次の単語を答えなければ、彼の努力も虚しく失格となりますよ」

「……そうだったな」

 

―――適当な単語でこの場は繋ぎ、次の単語を待つか。

時間もあまりない以上、そうするべきだろうと空は考えていた。

 

……しかし。

今すぐにでも"ヒプノック"を消さなければ、取り返しがつかなくなるのではないか。

次の機会を待つ時間的猶予など、もはや俺達には無いのではないか、と。

空の脳裏に、先ほど吹き飛んだ紫恩の光景が蘇る。

 

「"ク"……ク、か……」

 

―――――このままでは、紫恩の身が危ない。

なんでもいい。

最悪、足止めでもいい。

何か無いかと考え込む空と、そして白。

 

制限時間も残り数秒となった、その時。

二人は、同時に声を上げた。

 

「「"クリーチャー"!!」」

 

 

刹那、一陣の風が辺り一帯を吹き抜けた。

視界を遮っていた土煙が霧散し、そして"ヒプノック"の姿が消えた事を空は確認する。

―――――成功したのだ。

 

「よっしゃあ!白、よく思いついたな!」

「……にぃこそ」

 

歓喜の声を上げ、ハイタッチする二人。

そして空達は紫恩の無事を確認する為、一斉に土煙の舞っていた場所へ駆けつけた。

 

 

 

 

 

 

「うへ……」

 

辺り一帯の地面に、深く抉れた長い線が縦横無尽に駆け巡っている。

更に、何かが突き刺さったような鋭角の浅い穴も点在していた。

恐らく、最後まで暴れ続けていたのだろう。

ジブリールはとんでもない奴を具象化したものだと、被害の凄惨さに空は目を背けた。

 

そんな空の服の端を、白が引っ張る。

 

「にぃ……あそこ」

「ん、見つけたか?……って、ありゃあステフじゃねぇか」

 

少し離れた所で、全裸のステフが座り込んでいた。

だが、周囲に紫恩の影は見当たらない。

結局合流出来なかったのだろうかと、怪訝な顔をしつつも空はステフに近づいた。

 

「おいステフ、大丈夫か?」

「空……?」

 

まるで今気付いたとでも言わんばかりに、ステフは空を見上げる。

 

「怪我は無いみたいだな。ところでさ、紫恩は……」

 

紫恩という言葉に、ステフは再び顔を俯かせた。

何かを堪えるかのように歯噛みし、やがて震える声でステフは告げる。

 

 

「お、お兄様は……消えましたわ」

「……は?」

 

―――――消えたとは、どういう事だ。

まさか"クリーチャー"で人類種である紫恩が消える筈もないだろう。

わけが分からずステフを凝視する空と白に、ジブリールが補足する。

 

「最初に申し上げました通り、ここは仮想空間でございます。その中で命を失うような事態が起きた場合、精神は強制的に現界へと送還されます。」

「それは、つまり……」

「はい。彼は、一度殺されたのでしょう。恐らくこの仮想空間にはもう居ませんよ。」

 

つまらなそうに。

期待外れだったとでもいうかのように、ジブリールは淡々と告げる。

 

 

一方、紫恩が死んだという現実に、空は拳を固く握りしめる。

服を握る白の手にも、いつもより力が込められていた。

あまりにもリアルすぎるこの状況。

仮想空間という言葉など……飾りのようにしか思えなくて。

 

周りを見渡しても、どこにも紫恩の姿は無い。

ただそれだけの事が、強く二人の胸を締め付けた。

 

「所詮、脆弱な人類種ですか……。もしやとは思ったのですが、やはり彼もただの人類種。強者の前ではただの弱者でしたね」

 

ジブリールの言葉に、空の眉がピクリと動く。

 

「脆弱、ねぇ……」

「はい。脆弱で、弱い存在でございます。しかしまぁ、彼の健闘は称えておきましょうか……"灯り"」

 

凄惨に破壊された空間に出現した、数多くのろうそく。

まるで死者への手向けの如く、燃ゆる炎がゆらゆらと揺れている。

 

やがて、何ともなしに元の場所へ戻ろうとするジブリール。

そんな彼女を引き留めるかのように、空が口を開く。

 

「人類が脆弱な弱い存在だっていうなら、盟約によって殺傷を封印されちゃったどこかの殺戮兵器は……さしずめ、生きる屍かな?」

 

敵意を剥きだしに、ジブリール―――殺戮兵器を煽る空。

その言葉に、ジブリールの表情から笑みが消えた。

 

「……空様。ご自分の立場、ご理解されていますか?」

「あぁしてるとも。そしてその上で言っている。紫恩の行動から何も学べないお前は、人類種以下だってな」

 

ジブリールの言う"強者"を相手に、紫恩は二人を守りきってみせた。

"ヒプノック"の動きを一瞬でもコントロールし、狙い通りの結果を生み出してみせた紫恩を、ただの弱者と切り捨てる天翼種(強者)ジブリール。

 

空は嘲るように、笑った。

 

「お前の弱さ……教えてやるよ。たっぷりとな」

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

エルキア王立図書館の、中央に位置する円卓。

天翼種と空白のゲームが始まった、始まりの場所。

"ヒプノック"に殺された紫恩は、意識を失うと同時にこの場所で目を覚ました。

 

「はぁ、死んじゃいました」

 

誰ともなしに呟いた紫恩の声が、虚しく部屋に響く。

一先ず色々と落ち着く為に、紫恩は痛む胸を摩りつつ適当な席に腰かけた。

 

「この痛みも、錯覚なのでしょうが……」

 

深く息を吐いて、紫恩は腰掛けに全体重を預ける。

 

―――――あの時。

二人を守るために吹き飛ばされた後、呆気なく"ヒプノック"に捕まってしまった。

鉤爪で地面に押さえつけられ、骨が砕ける音を聞いた時の痛みと恐怖は今でも忘れられない。

ただ、これで少なくとも二人の敗北は避けられただろう。

未だあちらから帰ってこない彼らに、紫恩は笑みを浮かべる。

 

悔いなど、何一つ無かった。

 

「ステファニー……大丈夫ですかね」

 

だが、紫恩に心配な事があるとすれば、それはステファニーの事だった。

人の脚程の太さを持つ鉤爪で押し潰された紫恩を、彼女は目撃している。

そして自分が意識を失う瞬間、ステファニーと目を合わせてしまった事も覚えている。

―――――トラウマを植え付けてはいないだろうか。

 

「……ま、悩んでいても仕方ありませんね」

 

生きているうちに貴重な体験を出来てよかった。

半ば自分に言い聞かせて、紫恩は立ち上がる。

……そうでも考えていなければ気が狂いかねない。

 

 

気分転換に本でも読もうかと、紫恩は辺りを見渡した。

そして見渡せば見渡すほど、壁中を覆い尽くす本棚の量に圧倒される。

それら全てに例外なく本が詰め込まれており、改めて本の数量が膨大になっている事に気付かされる。

 

そんな膨大な数の本の中、紫恩は見覚えのある背表紙を見つけた。

 

「これは……確か、父上の……」

 

無地の黒表紙の、古ぼけた本。

これを父は非常に大事にしていた事を、紫恩は覚えていた。

当時子供であった自分にすら手に取らせようとはしなかった事も、懐かしい記憶と共に残っている。

 

何故これがここにあるのだろうと疑問に思ったが、しかし紫恩はすぐに父の手紙を思い出した。

手紙には、幾つかの重要な蔵書は全て国王に預けたと書かれていた。

そう、国王に預け―――――

 

 

「まさか父の蔵書まで賭け金に……?」

 

父の蔵書が、天翼種の所有物となっている事実。

それはつまり、そういう事なのだろう。

 

幾らなんでもそれは酷くは無いかと、紫恩は肩を落とした。

確かに所有者は国王へと移ったのだから、扱い方など国王の勝手なのだろうが……。

しかしこれは、父の形見なのである。

もう少し大事に扱っても、罰は当たらないだろう。

 

今は亡き国王に内心で文句を言いつつ、紫恩は何となくその黒い本の表紙に手を掛けた。

一度も手に取らせてくれず、触りでもすれば仮に紫恩相手でも激昂したほどの本だ。

興味が無いといえば嘘になる。

むしろ興味しかなかった。

 

危険思想でも書かれているのだろうかと、恐る恐る紫恩は本を開く。

 

「……。」

 

 

―――――なるほど。父上が見せたくないわけだ。

 

紫恩は、何も見なかったかのように表紙を閉じる。

そして脱力して、本を放り投げた。

 

「お爺さん……あんたは本当に、友人思いですね」

 

天翼種に渡してしまった事を一度は非難してしまったが、しかしそれは撤回しよう。

あれを天翼種に渡したのは、いい判断だ。

生きているかもしれない紫恩という存在から隠すという意味では、画期的ですらある。

 

……だが出来れば、この世から焼却処分しておいてほしかった。

まるで両親の"情事"を見てしまったかのような罪悪感に、紫恩は別の意味で胸を痛める。

 

「親子で性癖って……似るんでしょうか……」

 

更に妙なところで、恥ずかしくも自分が父の子である事を再確認させられた紫恩。

再び席につき、何もかも忘れようと机に突っ伏した。

……その時。

 

図書館に、一際強い光が溢れだした。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

クーロン力の喪失による、超新星爆発。

その超高温のエネルギーは、天翼種であるジブリールすらも焼き尽くす。

これによりジブリールを打倒し、空達は勝利を携え再び図書館へと戻ってきた。

 

疲れ切った様子の彼らを、ひと足先に戻っていた紫恩が出迎える。

 

「お帰りなさい。そして、お疲れ様」

 

笑い、手を振る紫恩の体に目立った傷は無い。

健康そのものである。

やはり全て夢だったのだと、ステフは感極まり、紫恩に駆け寄った。

 

「お兄様……!」

「ステファニー、すみませんでした。みっともない所を見せてしまって……」

「そんな事……私こそ、お兄様を助けられなくて……!」

 

よほど衝撃的だったのだろう。

肩を震わせるステフを、静かに宥め続ける紫恩。

そんな様子を、空と白がやや後ろから眺めていた事に紫恩が気づき、笑いかけた。

 

「すみません、二人とも。やっぱり私には無茶だったようです」

 

茶目っ気を見せつつ、笑顔で告げる紫恩。

紫恩の笑顔に安心したのか、二人の堅かった表情も柔らかいものとなった。

 

「まぁでも、お前の無茶に助けられたのは俺らだしな」

「………でも、もう……無茶しちゃ、め」

「はい。ありがとう、そしてすみませんでした……空、白」

 

 

 

―――――ジブリールは考えていた。

紫恩が消えた後のゲーム中、常に緊迫した雰囲気であった彼ら。

しかしゲームが終わり、そこに紫恩が戻った途端、再びそこに柔らかな空気が戻った。

 

紫恩は、ただの人類種である。

特別な力を有しているわけでも、空白のように特別頭の回転が良いわけでもない。

でなければ、あんなあっさり倒されなどしないだろう。

 

しかし、それでも紫恩は彼らの中核を担っていた。

空白の力を、良い意味でも悪い意味でも支え続けているのは紫恩である。

そして紫恩が支え続けた空と白は、既知を未知に覆し、天翼種である自分を遂に打ち破った。

 

 

そこに、ジブリールは己の付き従うべきマスターとしての姿を見出した。

 

「あぁ、ジブリール。とりあえずお前は俺らの所有物になるわけだが、これまでと変わらずこの図書館はお前が管理していいからな」

 

思い出したようにジブリールへ告げる空。

そこに、先ほどのゲーム内でのいざこざは感じられない。

ゲームはゲーム、リアルはリアル、と空白は完全に割り切っているのだ。

 

 

―――――嗚呼、我らが創造主……戦の神アルトシュよ。私は、新たなる仕えるべきマスターを遂に見つけ出す事が出来ました。

白く美しい翼をたたみ、ジブリールは静かに空と白へ頭を垂れた。

 

「マイマスター、マイロード、我が主よ。位階序列第六位・天翼種ジブリール、これより我が全ては主のもの。どうかその御意思の元、存分に我が全てをおつかい下されば、恐悦至極の極みにございます」

 

それは、ジブリールによる滅私奉公の宣言。

空白への、忠誠の誓いであった。

 

「おう。まぁ色々あったが、これからよろしくな。ジブリール」

「……よろしく」

 

恭しいジブリールに対し、空白の態度はひどく軽い。

二人らしいやりとりだと、紫恩は静かに見守っていた。

 



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第十一話 喧嘩するほど仲が良い…?

 

かくして、ジブリールを仲間に引き入れる事に成功した空と白。

二人はジブリールとステフ、そして紫恩を引き連れ、再び王城へと戻ってきた。

帰還した王に気付いた使用人達が深々とお辞儀をし、そして傍らにいる天翼種に目を剥く。

 

「……ま、無理もないか。」

「そうですよ。人類種が天翼種を従えるなど、前代未聞ですから。それと……」

 

空白やステフの後ろについて歩くジブリールの隣に立ち、紫恩は告げる。

 

「ジブリールも、王城の中では出来るだけ空や白と行動を共にしてくださいね」

 

でなければ無用な不安を人々に与えかねませんから、と。

そこに緊張の色はなく、まるで友人と会話しているかのようである。

 

物珍しそうに紫恩を見つめるジブリールに、紫恩は首をかしげた。

 

「なんですか?」

「いえ。ゲームでの出来事とはいえ、"あんな事"をされておきながら平然としていられる貴方は、まさに心臓に毛でも生えていそうなお方だと思っていただけでございます」

 

―――――まさか直球で来るとは思わなかった。

にべもなく言い放たれ、紫恩は苦笑する。

 

「これでも結構、堪えてるんですよ。今にも泣きだしたいくらいです」

「なら、泣けばよろしいのではございませんか?」

「それは出来ません」

 

即答だった。

眼を瞬きさせ、呆気にとられたようにジブリールは紫恩を見つめる。

 

「何故、と聞いてもよろしいでしょうか」

「少なくとも、空白やステファニーの前では泣けませんから……私は彼らに、泣かれる側ですので」

 

紫恩は笑いながら、しかし声を潜めてそう語った。

まるで、空白やステフに聞かれたくないとばかりに。

 

それきりジブリールは顎に手を当て、考え込むように沈黙した。

それを理解と解釈した紫恩は、前を歩く空達に声を掛ける。

 

「空、これからどうせ浴場に向かうのでしょう?」

「な、何故バレた!?」

「君の考えなど全てお見通しです。私は一度部屋へ戻りますので、君達は先に浴場へ向かっていてください」

「へ?なんでだよ」

 

心底不思議そうな空。

それに、紫恩は笑いつつ答えた。

 

「どうせ、汗を流したらすぐに図書館へ籠るのでしょう?その前に、忘れ物を取りに行きたいので」

「忘れ物……?それは一体何ですの?」

 

ステフの問いに、しかし紫恩は笑い返すだけで答えない。

やがて一人部屋へと駆け戻っていく紫恩を、空達は呆然と見送った。

 

「何をするつもりなんだ、あいつ……?」

「……さぁ……?」

 

首をかしげる空と、白、そしてステフ。

しかし彼らとは対照的にジブリールは、得心いったように頷いた。

 

―――――彼らの前では、紫恩は泣けない。

そんな紫恩が一人で部屋に向かうという。

その理由を、察した。

……そして。

 

「やはり、分かりませんね」

 

そう独りごちたジブリールに、空が振り返る。

 

「何がだ?」

「大変失礼ながら申し上げますが……アレがどうして空様と白様の保護者を気取っているのか、私にはさっぱりわかりかねます。」

「はは……紫恩を"アレ"と呼ぶか。まぁいいけど」

 

紫恩が空白にとってどのような存在なのか、それは分かった。

だが何故そのような存在となっているのかは、やはり分からない。

―――――神をすら破ろうとするマスターに、何故あのような弱者が必要とされているのでございましょう。

それは半ば、醜くも嫉妬に近いものであった。

 

そして叶うなら、ジブリールはその嫉妬を解くに相応しい理由を聞きたかった。

 

「あいつは……紫恩は、俺らと正反対なんだよ」

「正反対……?」

 

ジブリールの復唱に空は一つ頷き、話を続ける。

白と、そしてステフも、静かに空の話に聞き入っていた。

 

「俺らはお前も知っている通り、ゲームじゃ絶対に負けない。……だが、ゲーム以外はからっきしなんだよ。」

 

―――――そして紫恩は、その逆だ。

ゲームだけはてんで駄目だが、他は優秀だった。

地球で紫恩が暮らし始めてから、二年。

たった二年で紫恩は仕事を見つけ、そして上司である空の父から信頼を獲得し、家へ招待されるほどになっていた。

それが紫恩の桁外れのコミュニケーション能力と、才能や努力によるものである事は明らかで。

そしてそれが無ければ、空自身も紫恩に心を開く事はなかっただろう。

 

紫恩は、地球の―――日本の社会の仕組みを理解し、社会の一員となって、本気で攻略しようとしていた。

同時に、実際にそこで生まれ育った空や白よりも、地球という世界を愛していた。

 

「……まぁ、確かに初めから今みたいだったわけじゃない。最初は紫恩なんて、ただのストレス発散相手だったしな」

 

社会に溶け込んで、何もかもうまくいっていた紫恩。

対して、中々学校社会に溶け込めず、何もかもうまく行ってなかった空。

―――――隣の芝生は青く見えるものだ。

仲良くなろうとしきりに話しかけてくる紫恩を利用し、空は憂さ晴らしをした。

ゲームでコテンパンに負かして、プライドも何もかもへし折ってやろうと。

 

だが、紫恩は何度負けても、己を負かす空の強さを褒めるばかり。

しかもそれが本気で褒めていて、ゲームも真面目に相手をしていたというのだから驚きだ。

 

妙な言い方ではあるが、紫恩は敗北を得意としていた。

空と一緒にゲームする事そのものを、楽しんでいた。

 

「ただの"発散相手"が、気付いたら"一緒に居ると面白い奴"になっていた。白もそんな感じだろ?」

「……かも。」

 

頷く白に、空も満足そうにその頭を撫でる。

 

「まぁ、簡単にまとめるとだ。俺らと紫恩にとっては、ゲームの腕なんてあまり関係ないんだよ」

 

真剣に相手をしてくれて、真剣に褒めてくれた。

ゲームも空白の一部であると、認めてくれた。

それだけが重要であり、大切な事なのだと。

 

 

「そう、なのでございますか」

 

理解したようにジブリールは答える。

が、その胸中では以前まだ問いは消化しきれず燻っていた。

再び考え込んでしまったジブリールに、空は。

 

「無理に理解しろとは言わねぇよ。後はお前なりの答えを見つけりゃいいんじゃね」

「……申し訳ございません。」

「でもジブリール……紫恩をアレって言うの、禁止……!」

 

空は特に気にしていなかったが、白はそうもいかなかったらしい。

むすっとした表情で白に命令されては、ジブリールも拒否できなかった。

苦虫を噛み潰したような顔で、頭を垂れる。

 

「申し訳ございませんでした、白様―――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

エルキア王城、大浴場。

使用人達の掃除のおかげで、王城自慢の広々とした浴場は新築同様にいつも真新しい。

気持ちよく使えるのは、そのような影で働いている者達のおかげである事を決して忘れてはいけない。

故に、この後掃除をする人の事を考え、正しく使い、綺麗に使うのが常識である。

―――――だからこそ。

 

「あの、あまり床をシャンプーで汚さないでくださいよ?」

 

今現在、浴場を使っている白やステフの裸体が見えない場所―――――つまり敷設された簡易壁の向こうで、紫恩は不安そうに告げた。

しかしその言葉に、隣でスマホを弄り続けていた空が異議を唱える。

 

「別にいいじゃねぇか、シャンプーくらい。髪を洗っていりゃ否が応でも汚れるだろ」

「水で流れた際のものならば私も文句は言いませんよ。ですが、原液は別です!」

 

後で洗う者の身にもなってください、と訴える紫恩に、空は耳をふさいだ。

聞きたくないとばかりのその態度に、紫恩の言葉は更にヒートアップする。

 

「この際だから言わせていただきますけど!地球でもあんたら二人が風呂を綺麗に使えないばかりに、どれだけ私が苦労したか分かりますか!?使い方にもう少し気を付けてくれれば、掃除がもっと楽だったのに……!」

「んな事今言われても仕方ねぇだろ!もういいよ、お前もう風呂から出てけよ!」

「今からじゃ無理ですよ!大体、私を無理やり風呂に入れたのは空でしょうが!私はあれだけ、後で入ると言ったのに!」

 

 

そう、ここは王城の大浴場。

そして紫恩は、裸の付き合いも大切だと、空に疑似混浴を強制させられていた。

今から浴場を出ようにも、扉は白やステフの裸を見なければならなくなるような位置にあり、今さら脱出は不可能。

 

更に紫恩は服自体は着ているのだが、それ故に湯気で服が湿って。

湿った服が不快で、ただでさえ苛々していた紫恩の逆鱗に空が触れた結果、今に至る。

 

「お、お兄様……少し落ち着いて……」

「これが落ち着いていられますか!大体二人は風呂にしろ部屋にしろ、いつもいつも……」

 

説教態勢に紫恩が入ろうとした、その時。

壁からジブリールがすり抜けるように現れ、紫恩の言葉を遮った。

 

「親が子に当たるとは、"保護者"としてみっともないですよ。紫恩様」

「……っ。」

 

保護者、をやけに強調して言い放ったジブリール。

言葉に詰まった紫恩だったが、ジブリールが妙なボトルを抱えている事に気付いた。

 

「そのボトル、何ですか?」

「天翼種御用達の、精霊水配合シャンプーでございます。抜群の保湿効果と使用後の清涼感に多くの天翼種が太鼓判を押した逸品。紫恩様のような乾燥しきってボサボサな髪なんかには効果抜群でございますよ。」

 

ジブリールの、皮肉にも聞こえる言葉。

紫恩は努めてにこやかに、言い返す。

 

「……なるほど、それは有難いですね。後程使わせていただきますよ。殺戮趣味な天翼種が髪を気にしていた事に驚きですが。」

「ええ、是非そうしてくださいませ。紫恩様の湿潤でネチネチとした性格とは正反対なその御髪は、見ていて非常に心苦しくなりますので。」

「私の事を考えてくださるのは嬉しいのですが、既に間に合っておりますので御気になさらず。」

 

―――――ニコニコ。

仲睦まじく語らうジブリールと、紫恩。

しかしその二人の影に、何か黒いオーラが見えた空は頬を引きつらせる。

特に、天翼種相手に一歩も引かず言い合う紫恩の姿に、空は修羅を見た。

 

「ジ、ジブリール。とりあえずそれ、白に使ってやってくれよ」

「あぁ、そうでした!それではお言葉に甘え、頭から爪先まで私がこの手で綺麗にしてさしあげましょう……うへへへ」

 

先ほどの影もどこへやら。

嫌らしい笑みを浮かべて白達の元へ向かったジブリールに、空は深く溜息をついた。

 

 

「……紫恩、俺が悪かった。だからジブリールとは仲良くやってくれ」

「不思議な事をおっしゃいますね、空は。さっきの私達を見たら、どれだけ仲が良いかなんてわかるでしょうに」

「あぁ、痛いほど思い知ったさ……頼むから内部分裂とかはやめてくれな」

「それは勿論、当然ですよ」

 

―――――それはどちらの意味での、当然なんだ。

分かったような分からないような、曖昧な笑みで頷く紫恩。

そして壁の向こうでは、企みを白に察知されたジブリールが"お座り"させられていた。

 

ジブリールの扱いがやけに上手い白と、ジブリール相手に口撃すらしてみせる紫恩。

……なんだかエルキアに来てから、皆色々と変わってしまったような、そんな気がして、空は。

 

「人は……変わっていくんだな。兄ちゃん、ちょっと驚きだよ」

 

空は、独り静かに涙した。

 



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3.東部連合編-序幕-
第十二話 すれ違い


天翼種であるジブリールをゲームで打ち負かしてから、数日後。

念願の図書館を得た空と白は、この数日間図書館に籠り続けていた。

獣人種の国―――東部連合を破り、獣耳天国を獲得するが為に。

 

本来なら、図書館に籠るというのは健康上にもあまり褒められた事ではない。

とはいえ、今回ばかりは紫恩も否定する気はなかった。

二人が東部連合にかける熱意は凄まじく、俗物に塗れた理由とはいえ彼らは本気である。

そして、彼らの傍には常にジブリールがいた。

彼女のような看視者が居る限り最悪の事態は免れるだろう、と紫恩は二人の好きにさせる事にした。

 

 

子供の好きなようにやらせて、しかしサポートは欠かさない。

放任主義のこの考え方は、まさに紫恩自身が父から受けた教育方針でもあった。

 

「ですがお兄様。流石に甘やかしすぎじゃありませんの?」

 

時刻は早朝。

エルキア王城の大廊下にて、ステファニーは不満そうに紫恩に言う。

その手には器が抱えられており、大盛りのカラフルな菓子が山のように盛りつけられていた。

 

「そうですかね……?」

「そうですわ!人類種の為に頑張っている空には確かに感謝してますけれど、だからといって内政を全部私や大臣任せにするのは違うと思いますの!」

 

空白の二人が図書館に籠るという事。

それはつまり、政治を他の者に丸投げしているという事でもあった。

結果、代わりにステフや紫恩、そして大臣達がこれまで内政の対応をしている。

なんだか同じような事を前にもやっていたような気がするとステフは憤慨するが、しかし紫恩は苦々しく笑うだけ。

 

「そうは言っても、二人は政治に関しては素人ですから。やはりある程度分かっている私達がやらなければ…」

「それがいけないんですのよお兄様!数十年後、お兄様が年老いてあの二人を助けられなくなったとき、困るのは空や白なんですのよ!?」

「それもそうですが……」

 

まるで、教育方針の違いから対立する夫婦のようである。

傍を行き交う使用人も同じ事を考え、紫恩とステフ両名へ向けるまなざしは幾分か生暖かった。

 

 

「あの二人も、何も遊んでばかりいるわけじゃないんです。今はひとまず、大目に見てくれませんか?」

「……空や白の為なら私が犠牲になっても構わない。お兄様はそうお考えなのですね」

「犠牲って…そこまで言ってないでしょう!」

「いいえ、そうに違いないですの!お兄様が異世界で二人とどのように暮らして来たかは知りませんが……私だって、お兄様の"妹"ですわ!」

 

沈痛に訴えるステフ。

その剣幕に、紫恩は沈黙した。

 

「お兄様が失踪してから10年間、私がどのような思いでいたか……お兄様のお帰りをどれだけ待ち望んでいたか、お兄様にはわからないんですわ!」

「ステファニー、それは……」

「お兄様は私と空白、一体どちらが大事なんですの!?」

 

ステフの、心の底からの叫び。

王城中が水を打ったように静かになり、紫恩に重い空気がのし掛かる。

―――――まさか、そこまでステファニーが思い悩んでいたとは思わなかった。

しかし空白とステファニーに優劣をつけようなど、紫恩には土台無理な話である。

 

掛けるべき言葉を見失った紫恩。

困り果てている紫恩を見て、ステフは自身を落ち着かせるように深呼吸した。

 

「私ったら、こんな事で何を取り乱して……。ごめんなさい、お兄様。異世界に渡ってしまったお兄様のほうがよほど、この状況に混乱しているのに」

「い、いえ、そんな事は……」

「……さ、先に図書館に行ってます、わね!」

 

―――――自分の言葉で、お兄様を困らせてしまった。

その事を意識するや否や、途端に恥ずかしさがこみ上げてきたステフは一目散に駆けだした。

そんな急に走り出したら菓子を落としかねない、と注意しようとした紫恩だったが……出来なかった。

 

喉まで出かかった言葉を呑み込んだ紫恩。

そして考え込むように、その場で立ち尽くした。

 

 

―――――優先順位など、付けようがない。

両者は紫恩にとって同じくらい大切で、必要不可欠な存在であった。

しかし、もしどちらか決めなければならないとしたら……

 

「空白を選ぶべき……なんでしょう、ね」

 

常に空白の傍にいて、甲斐甲斐しく世話を焼く紫恩。

その姿を見た王城の者達からは、時として"王佐"と呼ばれる事もあった。

己の現状を客観視するならば、王である空白を選ぶべきなのだろう。

空白の為に考え、動かなければならない。

……だが。

 

「二人と、ステファニー……どちらが大事かなんて―――」

 

――――決められる筈が無い。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

結局、紫恩がエルキア王立図書館に着いたのはそれから暫くしてからの事であった。

 

「かなり、時間掛かってしまいましたね……」

 

独り呟く紫恩の手には、小袋が提げられていた。

中に入っているのは、小麦の焼き菓子であるクッキー。

なんとなくステフと顔が合わせづらく、当てもなく街をうろうろしていた時に見つけたものだ。

 

……ただし、その"うろうろしていた時間"が長すぎた結果、既に陽も暮れはじめていたが。

流石に最愛の義妹の言葉にショック受けすぎだろう、と己を自嘲するかのように紫恩は笑う。

 

そして恐る恐る図書館の扉に手を掛け、侵入した……その時。

 

「……ん?」

 

中から微かに聞こえてくる声に、紫恩は首をかしげる。

もしや何かあったのかと、足早にその声の元へと向かう。

やがて、紫恩の耳に声の正体……空の声がはっきりと聞こえてきた。

 

空達は図書館中央の円卓で何やら話しているようで、紫恩は本棚の影から彼らを覗き見る。

 

 

「―――――前国王も、お前みたいに運に頼って数うちゃ勝てるとでも思ったのかね。一国相手にさ」

「それは……」

「失った領土があれば、どれだけの食糧や資材が確保できた事やら……国王であるという意味、分かっていなかったとしか思いようがない。やっぱりお前の爺さん、馬鹿だったんじゃないのか」

 

何がそこまでの事を空に言わせているかは分からない。

だが、空が何かに苛立っている事は明白であった。

そしてその言葉に、ステフが少なからずショックを受けている事も。

 

「……おや」

 

紫恩の存在に気付いたらしいジブリールが、本棚の影に視線を向ける。

が、ジブリールは空や白には何も言わず、ただ成り行きを見守っていた。

 

 

「そ、それでも私のお爺様は、空のように内政を……人類種を放置し遊びほうける非常識人じゃありませんでしたわ!お爺様はいつも民の事を考えて……」

「無謀な勝負に挑み国土の半分も失う事が常識なら、俺は非常識人で結構。前国王を含めて人類は、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」

「っ……!」

 

前国王が国土の半分を失ったという事。

その事に紫恩は驚いたが、しかしそれよりも空の言葉に紫恩は眉を顰めた。

流石に止めにいくべきだろう……紫恩は影から足を踏み出すが、しかしそれよりも先にステフが叫ぶ。

 

「お爺様を……そして、お爺様が信じた人類種への侮辱は、許しませんわっ!もういいですわ、空なんか知りませんっ!」

 

最後のほうは殆ど涙声に近かった。

踵を返し、涙を隠すように俯いて走り去るステフ。

そしてそれに反応しきれなかった紫恩の肩が、前を見ていなかったステフとぶつかった。

 

「お、兄様……」

 

まさか紫恩が居るとは思わなかったのだろう。

驚きに声を上げるステフと、紫恩の視線が重なる。

 

「ステファニー、泣いて……」

「……っ!」

 

濡れた瞳を隠すようにステフは俯き、紫恩をさえ無視してまた駆け出した。

―――――今の彼女を一人にしてはいけない。

慌てて紫恩はステフの肩を掴もうと腕を伸ばす。

だがその手は空虚を掴み、ステフに届く事はなかった。

 

 

「紫恩……お前……」

 

驚いていたのは、何もステフだけではなかった。

白、そして空も、突然紫恩が姿を現した事に目を丸くしていた。

驚愕に満ちた空の言葉は、僅かに震えている。

珍しく動揺している様子の空に、紫恩は笑った。

 

「空、言い過ぎですよ」

 

そして努めて優しい声色で、紫恩は静かに告げた。

目の前でステフを……最愛の妹を泣かされたというのに、紫恩は怒りもしない。

その淡泊な態度に、空は落ち着きを取り戻す。

そしてバツが悪そうに頭を掻き、視線を逸らした。

 

「だって、じゃあどうしろってんだよ……紫恩も聞いてたなら分かるだろ」

「えぇ。あのお爺さんが領土の半分を賭けて勝負したなど、初耳でした……ですが」

 

未だ、紫恩と眼を合わせようとしない空。

白も落ち着かない様子で俯いている。

ジブリールの眼には、彼らの姿はまるで親に怒られ萎縮した子のように映っていた。

 

「―――――領土を取られてしまったのは、ステファニーの責任ではないでしょう?」

「……知ってるさ、それくらい」

 

空も反省している様子である。

これ以上の追及はせず、後は自浄作用に任せるべきだろう。

紫恩は言葉を止めようとした……が。

 

不意に紫恩の脳裏に、ステフの涙に濡れた瞳がよぎる。

その瞬間、シオドリクとしての感情が紫恩の中で頭をもたげた。

 

「そうでしょうね。知っている上で、君はあの子に八つ当たりしたんでしょうから」

 

その思いと反して、止まらない言葉。

肩を落とす空に、紫恩は畳み掛けるように言い放つ。

 

「―――――そんなだから君は、友人が出来ないんですよ」

 

―――何を言っているんだ、私は。

紫恩の言葉に空と白が目を見開いたが、一番驚いていたのは紫恩自身だった。

それはまさに、地雷を直に踏み抜くような行為。

その事に紫恩が気付き我に返るが、もはや覆水は盆に返らない。

 

「仕方ないだろ!俺らにはもう後が無いんだよ、一度の失敗すら許されない!そんな状況でそんな愚行を知らされたら、黙ってなんかいられないだろっ!」

 

声を荒げる空。

しかしその視線は、未だあらぬ方向に向けられたまま。

 

「ですが、もうお爺さんはこの世にいません。ならば君達が考えるべき事はステファニーへの八つ当たりではなく、今後の事でしょう」

「……しろ……やつあたりして、ない」

 

口をすぼめて不満げに白は呟くが、紫恩や空の耳に届く事はなかった。

 

「はっ。今後の事、ねぇ」

 

嘲るように笑う空に、紫恩の眼が鋭利なものとなる。

剣呑とした様子の彼らに、怯える白はジブリールの服を掴んだ。

 

「何を笑っているのですか」

「だってそうだろ?自分の弱さに勝手に絶望して、人類種も何もかも捨てて世界から逃げ出したお前が、"今後の事"に口を出すってんだからさ」

 

図星であった。

そしてそれは、もっとも紫恩が気に病んでいた点でもあった。

今度は紫恩が黙り込み、それに対し勢いをつけた空が更に続ける。

 

「なんだかんだ言ってるけどよ、まずはお前の弱さをどうにかしろよ。最初の盗賊だってそうだ、この世界に来てから俺らに助けられてばっかりじゃねぇか。」

 

逸らしていた視線を紫恩に向けつつ、更に空。

 

「仮にも旧王家の嫡男ってんなら、嫡男らしく……」

 

だが紫恩の眼を見て、空が口を噤む。

紫恩の悲哀に満ちた眼が、空を眺めていたのだ。

 

「……な、なんだよ」

 

口ではそう言いつつも、しかし空は気付いていた。

紫恩が空の地雷を踏み抜いたように、空もまた紫恩の地雷を踏み抜いたのだと。

うろたえる空に、しかし紫恩は悲しそうに笑うだけ。

紫恩は言い返す事もせず、ジブリールに目を向けた。

 

「ジブリール、後は任せます。」

「言われるまでもございません。私の体は、マスターだけのもの」

「……そうでしたね」

 

淡々と告げるジブリールに、紫恩は満足したように笑い、そして踵を返した。

このまま言い合いを続けるのは、あまりにも不毛である。

ならば一度お互いに頭を冷やすべきだろう、と。

 

「し、紫恩……?」

 

背中を見せ、逃げ去る紫恩。

困惑する空の横から、白が紫恩を引き留める為に慌てて追いかける。

―――――だが。

 

「来るなっ!」

「……っ!」

 

いつもの丁寧な口調など欠片もない紫恩の怒声。

白は思わず足を止めた。

 

「……空の傍にいてあげてください。君達は、二人で一人でしょう」

 

そして、闇にまぎれるように姿を消した紫恩。

どこかいつもより小さくみえたその背中を、二人はただ見送る事しか出来なかった。

 

 

 



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第十三話 人類種の可能性

一度冷静になるため、図書館を後にした紫恩は王城へと戻った。

自室に戻る事も無く、極力物音を立てないよう暗い廊下を歩く事数分。

 

紫恩は、王室の前で立ち止まる。

 

「ステファニー。私です、紫恩です」

 

王室は現在、ステフの部屋となっていた。

戸を叩きつつ、紫恩は声をかける。

しかし中から返事は無く、返ってくるのは静寂のみ。

 

さてどうしようかと紫恩が逡巡していると、戸がガチャリと音を立てた。

入れ、という事なのだろう。

 

 

「入りますよ」

 

 

戸が紫恩によって重苦しい悲鳴を上げ、開かれる。

部屋の中は暗く、唯一ベッドの傍のロウソクが爛々とステフを照らしている。

紫恩が王室の椅子に腰を掛けると、ステフはその憂いに満ちた目を向けた。

 

「……まさか、お兄様がお見えになるとは思いませんでしたわ」

 

それは、自身ではなく空白を選ぶものだと思っていたという皮肉。

紫恩もそれを理解し、苦々しく笑った。

 

「ステファニーはすっかり変わってしまいましたね。昔はもっと素直に喜んでくれたのに」

「変わったのはお兄様ですわ。24時間毎日空や白の事ばかり考えて……」

「私は彼らの命を預かった身ですから。彼らの健康を気遣うのは当然でしょう」

 

空白の親代わりであるという事。

ただその責任を果たしているだけだという紫恩。

だが、それだけが空白と共にいる理由ではない事をステフは理解していた。

 

だからこそ、ステフは悔しかった。

まるで、空達に兄を取られたようで。

本来なら自分が居るべき場所に今は空達が居るという事が、たまらなく嫌だった。

……そして、そんな子供じみた思いを抱く自分自身も。

 

 

「あぁ、そうだステファニー。渡す物があったのでした」

 

そう言いながら立ち上がり、おもむろに紫恩が取り出した小包。

差し出されたそれを、ステフは恐る恐る両手で受け取った。

 

「これは……なんですの?」

「ただのお菓子ですよ。街中で見つけて、とても美味しそうだったので買ってしまいました」

 

ステファニーのお菓子には負けますが、と紫恩は最後に付け加える。

何故突然こんなものをとステフは不思議に思ったが、開けてみると本当に小さなクッキーが数個入っていた。

小振りだけれど、小麦色に焼けたそれは確かに美味しそうで。

 

ステフが一つ口にしてみると、甘い味が口に広がった。

 

「美味しいですか?」

 

頬張るステフを、紫恩は楽しそうに眺めていた。

その表情は、ステフが幼き日に見たシオドリクの笑顔そのもので。

昔同じようにお菓子を買ってきてくれた時も、彼は同じように笑っていた事をステフは思い出した。

 

「……っ。」

 

―――――変わってなどいなかった。

兄はいつまでも兄のままだった。

一つ、また一つと菓子を口に入れる度に、ステフの頬を涙が流れる。

しかし紫恩は何も言わず、ただただ笑みを湛えていた。

 

「ステファニー。朝の質問ですが……」

 

唐突に口を開いた紫恩。

空になった小包を握り締めて俯くステフを見やり、続けた。

 

「君か空白、どちらが大事かは決められそうにありません……すみません」

 

その言葉に、ステフはより一層小包を強く握り締める。

朝のステフであれば、その返答に深い悲しみを抱いていただろう。

しかし紫恩が昔と変わっていない事を知った今、ステフはもうそんな事どうでもよくなっていた。

 

「もういいですわ、そんな事。それが今のお兄様なんですもの」

 

残念ではあるが、しかしそれが紫恩なのだと。

むしろそうでなければ紫恩ではないと、吹っ切れたようにステフは笑う。

 

「まさかそれをずっと悩んでいたから、図書館に来るのがあんなに遅かったんですの?」

「是か非かと問われれば、是と答えるしかありません」

「お兄様って意外と小心者なんですのね」

「えぇ、そうですよ。少なくとも世界から逃げてしまうくらいには」

 

笑いあうステフと紫恩。

その雰囲気に、先ほどの憂鬱さは微塵も感じられない。

 

ひとしきり笑いあった後、紫恩はステフが小包のほかに何かを握っている事に気付く。

それは金色の装飾が施された、傍目から見ても豪華絢爛な鍵。

紫恩の視線が鍵へと注がれている事に気付いたステフは、目線の高さまでそれを掲げ、説明する。

 

「これは……希望の鍵、ですわ」

「希望の鍵……?」

 

わけが分からない、と首をかしげる紫恩。

 

「お爺様から預かった大事なものですの。よくわかりませんが、人類種を任せられる王が見つかったら、その者に渡してくれと」

「人類種を任せられる王……ですか」

 

余程重要なものが隠されているのだろうか。

仮称希望の鍵を凝視する紫恩。

その真剣な表情に、ステフは息を呑んだ。

 

「ステファニー」

「……なんですの?」

「これを、空達に渡してはくれませんか」

 

人類種を任せられる王。

そういわれて紫恩が思い浮かぶ人物など、空白の他にいる筈が無い。

だがステフは、あまり乗り気ではないようで。

 

「それは……」

「……ダメ、ですか?」

 

国王を、そして人類種を侮辱した男。

そのような男を信じる事など、どうして出来ようか。

じっと見つめてくる紫恩に、ステフは眼を合わせていられず視線を落とす。

 

「べ、別に意地を張ってるとかじゃないんですのよ?ただ、その……」

「……なら、行きましょうか」

「へ?行くって、どこへ……」

 

呆けるステフに、紫恩はさも当然のように答える。

 

「図書館ですよ」

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

一方、その頃王立図書館では……

 

 

「はぁ……」

 

頭を抱え、大きなため息と共に机に突っ伏す空。

その隣では、白も椅子の上で膝を抱えている。

そこに、しりとりで天翼種を打ち負かした異世界人としての姿は微塵も無い。

 

いつになく落ち込んでいる様子の二人に、ジブリールが向ける視線は悲哀そのものであった。

 

「やっちまった……ごめんな、白」

「……」

 

紫恩に突き放されてからずっと落ち込んでいた白。

そうなった原因の一端は自分にもあると、空は謝罪の言葉を口にした。

 

絶対に避けるべきと考えていた、紫恩への"失敗の検証"。

無論それを意図したわけではないが、結果としてそのような形となってしまった。

そしてその検証をした結果が、これである。

紫恩だけでなく、ステフだってそうだ。

泣かしてしまったという事実が、空の心に重くのしかかる。

 

完全に戦意喪失している二人に、ジブリールはステフや紫恩を連れてくるべきかと迷った。

今空白に必要なのは、悔しくもあるが自身ではなく彼らなのだと。

……しかし。

 

紫恩は去り際、ジブリールに空白を任せた。

しかしあの時の紫恩の顔に、空白に対する失望や諦めといった色は無かった。

であれば、何故ジブリールに任せたのか。

"空白はジブリールに任せる"……それはつまり、こうとも言い換えられるのではないだろうか。

"ステフは私に任せてください"、と。

 

勿論、確証は無い。

ただし、信じて待つ為の時間の猶予はまだある。

ステフの事は紫恩に任せ、ジブリールは二人のサポートに徹する事にした。

どうせ、ステフの事に関してはよく知っている紫恩の方が適任なのだ。

あの人類種に……しりとりであっけなく死に果てた弱者に、果たして信ずるに値するものがあるかは分からない。

だがもう一度くらいなら、期待してみてもいいだろう、と。

 

 

「マスター。風邪をお引きになられますよ」

「ほっといてくれ」

 

かけた気遣いも虚しく、空によって一蹴される。

しかしめげずに、ジブリールは続けた。

 

「何を気に病む必要があるのですか。先に"仕掛けて"きたのは、紫恩様でございましょう?」

「そういう問題じゃねぇんだよ……」

 

誰が先に侮蔑した、とか。

誰が先に喧嘩を売った、とか。

空白にとって紫恩との決別は、そのような次元の問題ではない。

 

紫恩という存在は、孤高に立ち続ける空白を支える柱。

その柱が折れたりなどすれば、どうなるだろうか。

 

憂鬱そうに顔を上げる空。

その視線の先に、ステフが持ってきた山盛りの菓子を捉えた。

 

「それは、ドラちゃんが作ったお菓子にございますね。紫恩様も手伝っておられたようですよ」

 

ジブリールが言うや否や、お腹の鳴る音が響いた。

音源に眼をむけると、そこにあったのは膝を抱えていた白の赤い顔。

その愛らしさに微かに笑って見せたジブリールは、菓子を白へと手渡した。

 

「どうぞ」

「……ありがとう」

 

ピンク色の、やけに色が鮮やかな菓子。

それを一欠片口に入れた白は、残った方を空に差し出した。

 

「……おい、しい……よ?」

 

そう言って笑う白。

白に差し出された物を押し返すわけにもいかず、空もそれを口にした。

 

「……っ」

 

それは、憎らしいほどに美味しかった。

ただ単に菓子作りが上手なだけで、このようにはなるまい。

ステフが、そして紫恩がいかに自分達の事を考えていたかが容易に想像できて、空は。

 

「あぁもう、仕方ねぇな!」

 

一度は人類種に失望さえしてみせた空。

だがそんな人類種に対する、ステフの期待は本物だった。

紫恩も、そんなステフを信じ、そして空白をも支え続けていた。

―――そこまで言うなら、想っているなら、今一度信じてやろうじゃないか。

 

再びやる気を出した空を、ジブリールは嬉しそうに見守っていた。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

それから空は、この十年で東部連合にとられた領土がエルキアにとって無用の土地であった事を知った。

開発するにも技術力が足らず、荒れ果てていた土地。

そのような不要な物を賭け金に、何度も東部連合へと勝負を仕掛けた国王。

その意図を空は探るが、その答えはすぐに現れた。

 

国王が、東部連合のゲームを探ろうとしていたという可能性。

本来なら敗北すると消されてしまうゲームの記憶を、保持し続けていたという推測。

確たる証拠はないが、しかしそれならば東部連合にゲームを挑んでいた事の説明がつく。

 

そしてそれがもし事実であれば、空白にとっても大きな利となるのは自明。

知られない限り必勝の、東部連合のゲーム。

それを暴く事が出来れば東部連合を打ち破る事も可能だと、空は確信した。

 

 

 

 

 

……そしてそんな彼らを、紫恩とステフは物陰から観察していた。

 

「空……」

 

ステフの祖父を信じ、ひたすらに東部連合のゲームを暴こうとする空。

先ほどとは真逆の空の様子に、ステフは唖然としていた。

 

「空は、人の気持ちが分かりすぎるんですよ……よくも悪くも」

「え……?」

「君が空に見せた涙。その涙から、君がどれだけ祖父を信じていたかを空は知ったのでしょう―――――」

 

―――――国民から愚王と罵られていた国王。

そう言われるのも当たり前だと思われるような事もやっていた。

だというのに、君は国王を信じ続けていた。

国王に寄せる君の絶大な信頼に、空は可能性を見たのだ、と。

 

自分に言い聞かせるように語る紫恩に、ステフは。

 

「……」

 

その手に握る鍵を見つめ、ステフは眼を伏せる。

空は鍵を渡すに相応しい王なのだろうか。

そう自問自答し、そして再び顔を上げた。

 

直後、物陰から姿を現すように歩き出したステフ。

紫恩はその後ろで、何も言わずついて歩いた。

 

 

「ステフ……!?それに、紫恩……お前ら、なんで……」

 

一度は決別してしまったと思っていた二人。

彼らが再び目の前に現れた。

その事に驚いている様子の空に紫恩は笑いかけて、そして白を見た。

 

「白、酷い事を言ってすみませんでした」

 

腰を折り、謝罪する紫恩。

しかし白はただただ首を振って、紫恩に抱き着いた。

 

「……許す……許すから、紫恩は……」

「はい。私は、君達の保護者ですよ。弱かろうが、守られようが、ね」

 

そう言う紫恩の空に向ける笑みは、不自然な程に明るいものであった。

紫恩なりに整理してきた結果なのだろう。

ぼーっとその笑顔を眺めていた空に、ステフはあの金の鍵を差し出す。

 

「……なんだ、これ?」

「希望の鍵、ですの。これを空に差し上げますわ」

 

淡々と告げるステフに、ひたすら首をかしげる空と、白。

やがて希望の鍵の説明を始めたステフの背後で、紫恩はジブリールに笑いかけた。

 

「ありがとうございました、ジブリール」

「はて。一体何の事でございましょうか」

「……はは。貴女の体は空白だけのもの、でしたね。」

「その通りでございます」

 

紫恩とジブリールがそんな話をしている間にも、空達とステフの仲は元通りになっていて。

いつもの空気が戻ってきた事に、保護者と従者は揃って笑いあった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

希望の鍵。

それは、王室にある秘密の扉を開ける鍵だった。

部外者侵入防止の為の様々な機構を解き明かして現れたのは、厳重に封印された古い扉。

錠前の形も希望の鍵と一致しており、いうなればこれは希望の扉とでもいうべきか。

 

「一体、何が希望なんでしょうね」

「さぁな。エロ本の一つや二つ隠されてるんじゃね?」

「……やめてください。嫌な思い出がよみがえります」

 

思い出となるほど、昔の事でもないが。

眉間に皺を寄せ呻く紫恩を空は一瞥した後、鍵を錠前に差した。

ガチャリと音を立てて封印は解かれ、重い戸が開かれたその先にあったのは、数多くの本棚と、一つの机。

これほどの本の数がまだ隠されていた事に皆一様に驚き、ジブリールに至っては嬉々とした眼差しを向けている。

 

だが、一つだけ鎮座されていた机の上に開かれたままの本がある事に空は気づき、手に取った。

 

「"これを次代の国王に託す"……?」

 

人類種語で書かれた一文。

それが意味する事を知るために、空は更に読み進める。

 

「"我が愚王としての最期の宿命、その全てをここに記す。人類種を滅亡から救う手立てになろうことを願って"」

 

それが誰の言葉なのか、もはや疑うまでもなかった。

更に本を読み進めていくと、そこに記されていたのは東部連合についての情報。

特に、ゲームの内容が書かれていた事に空達は目を丸くした。

 

「本当に……国王は、記憶を失われていなかったのか」

 

生涯他人にゲームの内容を明かさない事。

そう東部連合に誓わされた……あるいはそうなるように誘導した国王は、8回もの勝負を挑み、東部連合のゲームの実態を暴きつくしたのだろう。

自身が死んだ後、次代の国王に託す為に。

 

「ステファニー」

「……何、ですの。」

 

既に涙声なステフに、空はその本を渡した。

 

「やっぱ、国王はお前の爺さんだな」

「……っ」

 

愚王という汚名をそそがれようが、国王はただ人類種の為に命を捧げた。

ステフが今そうしているように、国王もまた、人類種を信じつづけていたのだ。

泣き崩れたステフを、ジブリールは神妙な面持ちで眺めていた。

前国王が残した本……それはまさに、人類種の可能性そのもの。

 

 

皆がそのように思い思いの感情を抱いている中、紫恩は本棚を見渡していた。

それらにどうにも、見覚えがあるような気がしてならなかった。

見知らぬ本もあるが、しかしそれらに紛れるように見知った本を紫恩は見つけ、確信した。

 

「……空」

「どうした、エロ本でも見つけたか」

「また君はそのように空気をぶち壊すような事を……違いますよ。あったんですよ、蔵書が」

「蔵書?……まさか、それってお前」

 

図書館でも見つけられず、どこにあるのかと紫恩はずっと疑問に思っていた。

あの日、忘れ物を取りに行くと浴場に向かう空達と別行動したときも、紫恩は人知れず探していたが、見つからなかった。

―――――なるほど、これでは見つからないわけですね。

納得し、紫恩は笑いながら空に告げた。

 

 

「―――――はい。アスター家の蔵書は、ここに隠されていたようです」

 

焼失してしまったと思われていた本の数々。

それらの一部は火の手を免れ、エルキア王城の王室で大切に保管されていた。



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閑話休題 変わった場所、変わらぬ時間

投稿した直後、脱文があったのを発見しましたので訂正しました。
脱文時のものを読まれた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんでした。


そして、翌朝。

エルキア王城炊事場にて、事件は起きた。

 

少数の衆人環視(使用人)とステフが見守る中、対峙している二つの人影。

空白の王佐たる紫恩と、炊事場における長たる使用人の長―――通称メイド長の間を流れる、物々しい雰囲気。

両者互いに一歩も動かず、しかし笑みは絶やさぬ事数分。

その場にいる誰もが、緊迫した空気に息を呑む。

 

 

「紫恩様。本日は少々遅れての御起床でございましたわね」

「えぇ。昨日は遅くまで空に振り回されておりましたので」

「お疲れでございましょう。そのままお休みになられていてもよろしいですのに」

「そうも行きません。これは、私の日課ですので」

 

ニコニコと、笑顔は崩さず威嚇し合う王佐とメイド長。

その光景に、ステフは浴場での紫恩とジブリールの件を思い出した。

 

「そうですか、しかし残念ながら既に事は済んでおります。もはや紫恩様の出る幕はございませんよ?」

「……なるほど。全ての企ては整ったと、そう仰られると?」

 

紫恩の言葉に、言葉は返さずとも得意げな笑みで返答するメイド長。

俗にいう"ドヤ顔"である。

 

―――――たかが食事の準備を企てと称するのは、お兄様だけですわ……

内心呆れかえりつつも、しかしステフは平常心を装って事の成り行きを見守り続けていた。

食事の準備に出遅れた紫恩と、その間に全てを終わらせた使用人との間に起きたそれは、まさに戦争。

今もまだ眠りについているであろう王。

彼の者の健康を考え得るに相応しい人物を決めんとする為の、闘争である。

 

 

「ふむ。味噌汁、玄米、野菜炒め、そして取れたての魚の塩焼き……健康的ではありますが典型的な和食のテンプレ。そのような物、王は絶対に食されないと私が断言しましょう」

 

憐みをも含んだ紫恩の見下げるような言葉。

ここで初めて、メイド長の鉄壁の如き微笑に亀裂が走る。

 

「……その根拠は?」

 

努めて笑顔で、メイド長は紫恩に問うた。

しかしその仮面の裏の顔を透かし見るように、紫恩は笑って答える。

 

「何故なら、王は低血圧なのです。寝起きにそのようなガッツリとした食事は好まないでしょう」

「……ていけつ、あつ?」

 

当然のように告げた紫恩の言葉。

メイド長は嘆息した。

残念故に、ではない。

安堵故に、である。

―――――まさか、王佐はそのような事を根拠に私共の朝食を斬り捨てたのか。

低血圧などという、いまいちよく分からない単語を持ち出してきた紫恩に、メイド長は失笑したのだ。

 

しかし余裕を取り戻したメイド長に、紫恩は続ける。

 

「貴女方のように、私も以前は彼らにそのような朝食を作りました。そしてそれを見た彼らが開口一番に何を言ったと思いますか」

「……美味しそう、ではないのでございますか」

 

メイド長の眼からみても、紫恩の料理の腕は高かった。

好敵手であり競争相手である王佐の料理は、この道数十年の彼女から見ても一級品であると思っている。

怪訝に王佐を見やるメイド長に、紫恩は苦笑して首を振った。

 

「言ったでしょう、低血圧であると。"明日からはパン一つでいい"……そう言いやがったんですよ、彼らは!」

「まさか……!?」

 

悔しみと、若干の憎しみを込めつつ言い放つ紫恩。

メイド長だけでなく、衆人環視の使用人達までもが驚きの声を上げる。

そのような言葉で一蹴されるような料理ではない事が、容易に予想できるからだ。

ステフはステフで、普段の空白を知っているからこそ何となく予想出来て、納得していた。

 

「メイド長、貴女がそれをどうしても出したいというのなら、止めはしません。ですが、出した結果王に一蹴された時、貴女にそれを受け止める覚悟が無いなら……やめておくべきでしょう」

「そ、それは……っ!」

 

メイド長も己の、そして皆で作り上げた料理に誇りを持っている。

出来栄えには紫恩にも負けないと自負さえしている。

だがそんな料理を、仮に一介の使用人に過ぎない自分達の前で王に一蹴されたらどうなるか。

熟練の自分はともかく、使用人の中には自信を無くす者も現れるだろう。

 

―――――皆の為を思うならば、ここは引くしかない。

力なく項垂れたメイド長に、紫恩は優しげに笑いかけ手を差し伸べた。

 

「紫恩様……?」

「今我々が敵対しても、良くて王相手に共倒れでしょう。ならばここは手を取り、協力し合いませんか」

 

メイド長からは、長年の経験からしか得ることの出来ない料理の秘訣を。

使用人達からは、豊富な人力による多種多様な料理へのアプローチを。

紫恩からは、空白との共同生活で得た彼らの好物と好きな料理の情報を。

出し合い、力を合わせる事で共に(空白)を倒そうと言う紫恩の申し出。

 

メイド長は差し出されたその手を、握り返した。

 

「はい……共に頑張りましょう、紫恩様」

 

途端、沸き起こる歓声。

新しい王が誕生した時のものに勝るとも劣らないそれ。

なんとも阿呆らしい戦争の、平和的な結末であった。

そのあまりものばかばかしさに、ステフは終始苦笑いだったが……しかしそれでも。

 

「ちょっと……羨ましいですわね」

 

彼女達は対等な目で自分を見てはくれない。

必ずそこには、前国王の令嬢としての自分が居る。

 

それに対して、兄はどうだろうか。

そんな彼女達と馬鹿みたいに炊事で対立し、そして友情を築ける兄。

王佐と言われはすれど、アスター家嫡男としての立場を失い、ただの客人と成り下がってしまった兄が。

たまらなく羨ましかった。

 

そんな風に遠くから距離を置いて見守り続けていたステフに、紫恩が気付き声をかける。

 

「ステファニー。暇であれば貴女も一緒に手伝ってください」

「え?いやでも、私は……」

 

いつもならむしろ自分から率先して参加するステフだが、今日ばかりは恐縮していた。

それが丁度仲間の輪から溢れてしまった子のようで、不憫に思ったメイド長が声をかける。

 

「お嬢様も、ご一緒にどうですか」

 

普段ならそんな事、メイド長である彼女は絶対に口に出さないだろう。

しかしそんな彼女が誘ってくれた事が、ステフは嬉しかった。

 

「……はいですわ!」

 

喜び勇んで輪に混ざるステフと、それを暖かく見守る紫恩。

普段は平和なエルキア王城で起きた、平和ボケした争い。

騒がしくも楽しげで賑やかな、そんな炊事場での朝であった。

 

 

……余談だが、こうして作られた今日の朝食は気合が入りすぎたせいか重すぎて、空白に一蹴にはされなくとも残されてしまったのは、また別の話。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

時刻は過ぎて、陽も暮れた夕方。

朝に一波乱あったがそれ以外は平和そのもので、今となってはエルキア王城も静寂に包まれている。

賑やかに羽音を鳴らす鈴虫の音色を聴きつつ、紫恩は空白の部屋の掃除をしていた。

 

そんな彼の様子を見て、白とゲームをしていた空は。

 

「……なんか、地球に居た頃を思い出すな」

 

ゲームをしている空白の隣で、小言を言いつつ掃除をしていた紫恩。

そんな彼らの住む場所が地球から異世界に変わっても、やはり紫恩は紫恩、空白は空白のまま。

場所だけが変わり、しかし何も変わらぬ時間の流れる今が、空はたまらなく居心地が良かった。

空の膝の間にすっぽりと収まっている白も心なしか、機嫌がよさそうである。

 

「紫恩……一緒にゲーム、する?」

「なっ!?白、兄ちゃんじゃ足りないってのか!」

「にぃ、嫉妬は……見苦しい。」

「ぐぬぬ……」

 

―――――本当に、どこに居ても彼らは変わらない。

微笑ましそうに彼らを見ていた紫恩だったが、しかし否定の意味を込めて首を横に振った。

 

「掃除が終わっていないので、まだだめです」

「それじゃ……終わったら、やろ」

「勿論、それは構いませんが……今日はやけに積極的ですね」

 

いつもなら一度断られれば諦めるのに、と不思議そうに白を見る紫恩。

対して、白は特に答えるわけでもなくただ俯くだけ。

 

しかし、そんな白の様子から空は気づいた。

白が紫恩の離別に不安を抱いているという事を。

昨日の紫恩の拒絶に、白はまだ悩み、整理できていなかった。

 

「ま、仕方ねぇよな……」

「にぃ……?」

 

突然わけのわからぬ事を言い出した空に、白が首をかしげる。

しかし空は白の頭を撫でるだけで、何も言わなかった。

白は、紫恩とは空と期間は同じだが非常に幼い頃からの付き合いである。

出会った頃にはもう物心がついていたが、それでも親よりも親らしい紫恩という存在が与えた影響は大きいのだ。

 

空白は二人で一人だが、それは紫恩が必ず自分達の味方であるという前提があってこそ成り立つ。

―――――その前提が覆ったとき、真っ先に壊れるのは果たしてどちらだろうか。

 

「よし、じゃあ紫恩!今日は俺ら空白対紫恩で貫徹だ!俺らに勝つまで寝かせねぇぞ!」

「はぁ!?ちょ、それ私寝れないじゃないですか!」

「別にいいじゃねぇか、最近全然やれなかったんだし。なぁ、白?」

 

もうすべて解決したのだと、いつも通りの時間を取り戻したのだと、愛する妹に言い聞かせるように。

紫恩に挑戦的な笑みを向ける空と、苦笑しつつも早く掃除を済ませようと急ぎ始めた紫恩。

地球に居た頃と変わらない空と紫恩に、白は遂に笑って見せた。

 

「……うん。紫恩が勝つまで……寝かさない」

「白まで……。それじゃ、さっさと掃除終わらせちゃいましょうか。寝る時間が遅くなってしまいますから」

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

結局、空白と紫恩のゲームが終了したのは陽がまた昇り始めた頃の事であった。

もう既に色々と限界となっていた紫恩は、最後のゲームが終わるなり普段空白が使っている布団に寝転んだ。

 

「はぁー……まさか本気で貫徹させるとは思いませんでしたよ」

「結局一回も勝てない紫恩が悪いんだろ」

「世に蔓延っていた廃人ゲーマーすらも勝てない空白に、私如きが勝てるとお思いで?」

 

もはや怒鳴る力も残されていないのか、弱々しく愚痴る紫恩。

両手をだらしなく広げ、俯せに寝転がる彼の背に、白は座りながら再びゲームを取り出した。

 

「……白さん。重いとは言いませんけど、出来れば降りていただけると助かるのですが」

「紫恩に、盟約……使えないから……代わりの罰ゲーム」

「王女様はこれだけの仕打ちを民にしでかしておいて、更に罰を加えるというんですね」

「罰じゃない……むしろご褒美」

「貴女今自分で罰ゲームって言いましたよね!?ねぇ!」

 

紫恩の抗議にも聞く耳持たず、白はさっさとゲームを始めてしまった。

終わるまできっと退いてくれないのだろうと諦めた紫恩は、今しがた立ち上がった空に視線だけ向ける。

 

「出かけるんですか?」

「あぁ、ちょっとアポをな」

「アポ?」

 

寝たままの紫恩に対し、空は怪しげに笑うだけ。

―――――あぁこれは何か企んでいる顔だ。

もう自分が介在できない所まで事は進んでいるのだろうと、部屋を後にする空に紫恩は力なく手を振った。

 

「あまり遠くまで行かないでくださいよ。白や君がエラー起こしたら面倒ですから」

「大丈夫だ。お前らの居る部屋が見える位置には居るさ」

 

 

そして、扉の閉める音が部屋に響く。

―――――本当に、大丈夫なのだろうか。

そう言って部屋を後にした空の手は、微かに震えていた。

背に乗る白からも、微かに呼吸の乱れを感じる。

そこまでして何故、白は自身と共に部屋に残り、空はそんな白を残していったのか。

……どうしてそこまでして、私を一人にしようとしないのか。

 

 

ゲームに没頭しているらしき白の背に紫恩が手を添えると、ぴくりと肩が跳ねる。

 

「無理しなくて、いいんですよ」

「……」

 

言われれば、素直に白は横たわる。

背中を丸め、ゲームに集中している振りをし続ける白の頭を、紫恩は寄り添いながら撫で続けた。

まるで、悪夢にうなされた子供を落ち着かせるかのように。

私はずっと君の傍にいると、安心させるように。

 

 

―――異世界、ディスボードに来ても変わらぬ三人。

そんな三人だが、少なからず変わった所もある。

 

……それは、空白の紫恩に対する依存度が若干強くなっている事。

仕事があった為に日中家にいる事は無かった紫恩が、こちらではずっと傍にいる。

ただそれだけの事が、紫恩への依存を更に強く意識する結果となっている。

 

その事が、果たして今後どのように影響するのか。

無論今の紫恩に分かるわけもないが、良い影響ばかりでもないだろう。

空白の強さは、人類種を救う上で重要な鍵である。

その強さに影響を与える前に、何かしらの手は打たなければならないのかもしれない。

 

 

背を丸くする白を前に、紫恩はそんな漠然とした不安を抱えつつ目を瞑った。

眠さから、徐々に意識が薄れていく紫恩。

紫恩が眠りに落ちる瞬間、同様に白の頭からずり落ちそうになった無骨な手。

ゲームなど最初からしていなかった白は、その手を離すまいと震える両手で捕まえた。

 

「紫恩……」

 

独りでは耐えられない社会の空気。

そんな空気から、紫恩のこの手は自分達を守ってくれている。

……それから空が戻ってくるまで、白はずっと紫恩の手を握り続けていた。



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第十四話 胡蝶の夢

紫恩が寝静まった直後、事を済ませたらしい空が犬小屋へと戻ってきた。

そして白に寄り添うように熟睡している紫恩を見、苦笑した。

久々に見る紫恩の寝顔もそうだが、そんなに眠かった紫恩をずっとゲームにつき合わせていた事に、多少罪悪感も感じて。

 

「白、行くぞ」

「……ん。紫恩は……?」

 

空の言葉で立ち上がり、未だ完全に寝入っている紫恩を見下ろす白。

これから二人が行おうとしている事を鑑みても、紫恩は連れて行くべきだろう。

しかし、気持ちよさそうに爆睡している紫恩を前にして、白はどうしても紫恩を連れて行こうとは言えなかった。

 

……そしてそれは、空も同様で。

時折寝言で空白の名を呼ぶ親代わりの彼に、空は自身の頬が緩むのを感じた。

 

「別にいいだろ。紫恩が居なくても、やりようは幾らでもある」

「……分かった」

 

やがて、紫恩を起こさないよう音を立てずに部屋を後にした二人。

二人の出発を、紫恩の寝息だけが見送った。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

犬小屋に取り残された紫恩。

結局、彼が熟睡から目を覚ましたのは陽も暮れだした頃であった。

 

「ここは……空と白の部屋?」

 

ゲームにつき合わされた後寝てしまったのかと、紫恩はぐるりと部屋を見渡した。

生憎そこに二人の姿は無く、部屋にいるのは寝惚け眼で呆けている紫恩一人のみ。

―――――そういえば、夕食の準備がまだだった。

どれだけ自分が寝ていたかはわからないが、体中の疲れが抜けている事からも大分長く寝ていたのは確実である、と。

漏れ出る欠伸をかみ殺して伸びをしつつ、凝り固まった体を解すように立ち上がり……そして気づいた。

 

「……声?」

 

それは丁度、前に図書館の前で聞いた空とステフの言い争いのような喧噪。

違う点といえば、そこに空やステフの声は無く、代わりに不特定多数の声色が入り混じっている事。

次から次へとよくもまぁ問題が起きるものだと、気怠げに嘆息した紫恩。

だが、その喧噪の中唯一聞こえた単語に、眠さから省電力状態だった紫恩の頭は一気に覚醒する。

 

その単語は―――――愚王。

 

前国王がすでに死去した今、国民が愚王と呼ぶ可能性のある人物など、決まりきっている。

そしてその上で、この不特定多数の声色が混じる喧噪の意味を、紫恩は理解した。

 

「暴動……!?」

 

何故今更そのような事が起きるのか。

空白の力によって人の暮らしがどれだけ豊かになったか分からぬ程、人類種も馬鹿ではない。

それなのになぜ、人類種が空白相手に暴動を起こすのか。

 

わけが分からず、しかしいてもたっても居られなくて紫恩は部屋を飛び出した。

とにかく、この現状の意味を空白から聞かなければならない。

空白が何らかの行動を起こした結果、このような暴動が起きたのだとしか考えられなかった。

 

 

「しかし……"また"暴動、ですか」

 

駆けている最中、紫恩は忌々しげに呟いた。

暴動、それは人類種の権力者に対する抗議。

そして―――――紫恩の両親を死へと追いつめた、元凶。

 

「恨む権利など、私には無いのでしょうが……」

 

その暴動を起こす隙を作ってしまったのは、他ならぬ紫恩。

その事は紫恩自身もよく分かっている。

分かってはいるが……納得など出来るはずもない。

 

愚王への暴動を、紫恩はやりきれない思いで聞き続けていた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

「空、白!これはどういう事ですか!」

 

空白、そしてステフとジブリールが居る王座へ着くなり、開口一番に紫恩は叫んだ。

ゲームをしていたらしい空白は、突然の保護者の登場に驚くことなく、笑みさえ見せる。

 

「重役出勤ご苦労様、紫恩。もう始まってるぞ?」

「そのようですね。君達がこんな、暴動を起こさせるような事を始めるとは思いませんでしたよっ!一体何を……」

 

手がかりがあるとすれば、空が"アポを取る"と言っていた事。

そしてそのあとの、あの怪しげな笑み。

―――――あの時、空を止めればよかった。

後悔は覆い隠しながらも、叱り心頭で空白を睨む紫恩。

対して二人は、現状に特に焦ることもなく、まだのんきにゲームをし続けていて。

更に肩をいからせる紫恩を、慌ててステフが止めた。

 

「お兄様!落ち着いてくださいな、私からお話しますわ……」

 

 

 

 

 

 

「東部連合への、宣戦布告……!?」

 

ステフから説明を受けた紫恩は、あり得ないものでも見たかのように空白を凝視した。

―――二人は常日頃から考え方が突拍子も無いと思っていたが、まさかこれほどとは。

そして今さっき初めて自分の胸に人類種の駒が浮かび上がっている事に気付き、紫恩はよろけるように壁にもたれかかった。

 

「お、お兄様……大丈夫ですの?」

「このような事で動揺するとは情けない。紫恩様もマスター達を見習ったらいかがでございますか」

 

全く正反対の、ステフとジブリールの言葉。

こうまで反応が真逆だと、いっそ清々しいとさえ言える。

 

「……けれど、空。お兄様がそのようにお考えになるのも当然ですわ。こんな、誰にも相談せず突然人類種の命を賭けなどすれば誰だって……」

「ステフまでそれを言うか。よく考えてみろよ、これはゲームだぞ?」

 

これはただのゲームなのだと。

何をそこまで悲観し、絶望さえしているのかと。

全く分からないという空白に、ステフと紫恩は唖然とした。

もっとも、そんな彼らを唯一心酔しているジブリールは、恍惚とした表情を浮かべていたが。

 

「大体さ、紫恩。お前は、俺らが負けるとでも思っているのか?」

「それは……」

 

空白が負ける筈はない。

二人を信じる紫恩の思いは、エルキアに来ても変わらない。

相手がたとえ獣人種だろうと打ち破ると、この8年間彼らを見守り続けた紫恩は"経験則"で知っている。

そんな紫恩の思いを言われずとも知っている空は、笑いながら続ける。

 

「ま、そうだよな。お前が問題としているのはそこじゃなく、暴動そのものだし」

「え……そうなんですの?」

 

俯いた紫恩に、ステフは怪訝な眼差しを向けた。

 

空の言うとおり、紫恩が問題視しているのは人類種の駒が奪われた場合を想定したものではない。

その行為が、暴動を起こすに至った事。

それだけが紫恩にとって重要であり、唯一の不安事項であった。

 

「本当に、君は人の心にズカズカと土足で踏み込みますよね」

「俺がそういう人間だと知ってて、お前は俺らに付き合ってるんだろ」

「それもそうですが……もっとこう、なんとかならないんですか」

「……無理…。にぃは、そういう人…」

 

空の片割れである白からそう言われてしまえば、苦笑するしかない。

紫恩は諦めたように天を仰いだ。

 

 

暴動によって追い詰められ、命を落とした紫恩の家族。

また同じように家族を……空白を失うのではないかと、紫恩はそればかり考えていた。

だが、そんな自分の不安とは裏腹に、二人は暴動が起きた今もいつも通りで。

まさか強がっているのかと憤ってはみせたが、やはり空白は紛れも無く空白のまま。

 

「……分かりました。それではもう、私からは何も言いませんよ」

 

―――――もう二人の思い通りに、好き勝手にやってしまえばいい。

ただ、それは決して放棄という意味ではなく、信頼。

紫恩の両親と空白は違うという事を理解した上での、信任。

 

……だがその時、その紫恩の信任を認めぬ者が現れた。

 

 

「ようやく正体を現したわね、売国奴!私達の国、返してもらうわよ」

「クラミー・ツェル……!?」

 

開かれていた王座の扉から堂々と侵入してきたのは、少女とエルフ。

国王選定戦で空白と対決した、クラミー・ツェルとその協力者であった。

人類種の駒が賭けられた事を知り、駆け付けたのだ。

二人の登場に、ステフが驚きの声を上げる。

 

「やっと来たか、待ちくたびれたぞ」

 

分かり切っていたとばかりに、不敵に笑う空。

だがクラミーの視線は冷たく、空白を……そして紫恩を、心底失望したかのように睨みつけていた。

 

「ちょっとは人類種の事を考えてるのかとも思ったけど……期待した私が馬鹿だったわ。やはり、売国奴達に国を任せるべきではなかった」

 

どうやら紫恩も売国奴の中に含まれているらしい。

考え方としては当然だが、言い得て妙だと紫恩は内心で笑った。

暴動ばかり起こす事しか能の無い人類種。

とにかく騒いでおけば何もかも解決すると思っているのだろう。

そんな人類種で構成されているこの国に、思うところが少なからずあった事は確かだからだ。

 

あったところで、自身の立場上どうにかしようとは思わなかったが。

 

 

「勝手に期待してくれてたようで、嬉しい限りだ。……んで、やるのか?挑戦ならいつでも引き受けるぜ」

 

何を、とは言わない。

そも、言わずとも知れた事である。

エルフが後ろで見守る中、クラミーは即答で返した。

 

「えぇ。私の要求は……」

「待った。その辺は後にしようぜ。どうせゲーム開始前に確認するんだ、二度手間だろ」

 

空の意見は、クラミーには正しく聞こえた。

……その裏に何が隠されているかは知らないが。

 

「……いいわ。じゃあさっさと準備して頂戴。言っとくけど、自分が絶対に勝てるゲーム用意しても無駄よ」

 

クラミーには、エルフの協力者がいる。

その魔法の前では、いかに空が知に長けた存在とはいえ無意味である、と。

警告するクラミーに、空はやはり笑って答える。

 

「大丈夫だって。ゲームの準備にはお前らにも協力してもらうから安心しろ」

「なんですって……?」

 

空はもう、最後の鍵を手に入れる為にどんなゲームを仕掛ければいいか分かっていた。

そして、そのゲームに勝利するための方法も。

……だが、ここで初めて空は不安げに紫恩を見やる。

 

「どうしました?」

 

突然目線を合わせてきた空に、首を傾げる紫恩。

 

―――――この方法に穴があるとすれば、それは紫恩の存在そのものだ。

紫恩という存在は、なくてはならないものである。

自身の、そして白の、紫恩に対する信頼は大きい。

その信頼の大きさが故に、白の信頼が盲信へと変化する可能性。

また空自身の、紫恩を失望させる可能性のある"最後の一手"への躊躇。

 

空はその二つの危険性を前に逡巡したが、しかし今それを考えたところで無駄である事に気付き、悩むのをやめた。

いずれにせよ他の手段を考える時間は無いのだと。

白を、そして己の精神力を信じるほか無いのだと。

ただ、そんな自分への激励として、空は一言だけ紫恩に告げておく事にした。

 

「紫恩」

「なんですか、さっきから。言いたい事があるなら……」

「ごめんな」

 

笑いながら謝罪した空に、紫恩は呆けて固まった。

全く意味が分からないのだろう。

だが空はそれでいいとばかりにまた笑い……そして続ける。

 

「さあ―――――」

 

―――――ゲームを始めようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

そこで紫恩は目を覚ました。

先ほどまでの光景とは打って変わり、ここは自室。

周囲を見渡して、紫恩は今までの事が夢であった事に気付いた。

 

「……私の部屋、ですか」

 

いつどうやってここへ来たのかは覚えていなかったが、紫恩が目覚めたのは確かに自室。

燦々と部屋を照らしている太陽の光。

窓の外から聞こえる、鳥のさえずり。

その静かすぎて非現実染みた光景に、まだ夢から抜けきっていないような気がして、紫恩はその後も暫く起き上がれないでいた。

 

むしろ、さっきまで見ていた夢の方が現実のような。

今見ているのが夢であるかのような。

それほどまでに、先ほどの夢はリアルすぎて、鮮明であった。

これを世間では胡蝶の夢というのだろうかと黄昏る紫恩。

 

そんな紫恩を現実に引き戻したのは、三度のノック音。

 

 

「……どうぞ、入っていいですよ」

 

―――――こんな早朝に来客とは珍しい。

声を掛けつつ立ち上がり、軽く髪を解して布団を片づけていると、部屋の戸が開かれた。

そして入ってきたのがジブリールである事に、紫恩は眼を丸くする。

 

「おや、貴女でしたか。丁寧にノックなんてされるものですから、てっきりステファニーかと……」

「それは申し訳ございませんでした。寝起きのだらしない格好を見られたくないだろうという、史上稀に見る私の心遣いだったのですが……無駄でございましたようで」

 

寝起きのためかボサボサの濡羽色の髪に、着崩れた寝間着。

そこには、いつも心身共に居住まい正しくしているような紫恩の姿など欠片もなく。

残念なものでも見たかのようなジブリールの視線に、紫恩は苦笑した。

 

「すみませんね、昨日は夜遅くまでゲームをしていたものですから」

「今さら貴方がどれだけ鍛錬を積んだところで、マスターに勝てる見込みなどゼロでありましょう」

「言い切りますね……いやその通りなんですが。ただ、鍛錬と言うわけでもなく、付き合ってただけで」

「ゲームに付き合っていた?それはマスターでございますか」

「えぇ。白と……」

 

そこで、紫恩の言葉は不自然に止まった。

紫恩にあるのは、白と共に徹夜でゲームをしたという記憶だけ。

だが自身がゲームに付き合っていたのは、果たして白だけだっただろうか。

―――――白と……白と、他に誰かいなかったか。

 

「どうされましたか」

「あぁすみません、ちょっとぼーっと……」

「マスターの世界の知識によると、人との会話の受け答えで不自然なラグが起きた場合、脳の病気を疑ったほうがよろしいらしいですよ」

 

ニコニコと。

その話の内容とは裏腹に、非常に嬉しそうに語るジブリール。

 

「……それが、どうかしましたか」

「僭越ながら、私が貴方の脳を弄……検査してさしあげる事も可能でございますが、いかがなさいますか」

「ジブリールの医学知識がどれほどかは存じませんが、丁重にお断りさせていただきます」

 

―――――というか今一瞬本音が出ていただろう。

後ずさる紫恩に、残念そうに肩を落とすジブリール。

本当に頼むとでも思っていたのかと、紫恩は別の意味でジブリールに恐怖を感じた。

 

「で、結局何なんですか。そんな世間話をする為にまさか来たわけでもないでしょう」

「勿論でございます。……"空"という名に、憶えはございますか」

 

ジブリールの口から飛び出した、空という名前。

まさか彼女からその名が告げられるとは思わず、紫恩は面食らったようにジブリールを見つめた。

 

「これは驚いた……一体、どこでその名を」

「その事に関しては後程。では、空という名をご存じで?」

 

次はジブリールが驚く番であった。

目を丸くして、急かすように再度確認するジブリール。

 

……しかし、紫恩は首を横に振った。

 

 

「夢……空想上の人物の名を言われたから驚いただけで、あくまでも私は知りませんよ」

 

淡々と。

さも当然のように―――――紫恩は断じた。



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第十五話 信頼と盲信

紫恩が目を覚ます少し前。

白は、やけに身を包む空気が空虚である事に違和感を感じ、王室の寝具の上で目を覚ました。

物寂しさを感じ、隣を手でまさぐるがそこに兄の姿は無く。

寝具の上で寝ていたのは、白ただ一人。

 

「にぃ……?」

 

慌てて取り出したスマホのアドレス帳にも、そこに在った筈の兄の名は無い。

携帯の電話帳からも名前が消え、世界から痕跡もろとも消えていた兄という存在。

唯一無二の存在を求め、白が咽び泣き始めるのにそう時間はかからなかった。

 

「っ……にぃ、どこ?……しろを……一人に、しないで…!」

 

しかしいつまでたっても返答は無く、部屋は静寂に包まれていた。

残酷なまでの虚無に響くのは、その言葉にならぬ涙声だけ。

しかしその声も、やがて紫恩の名を呼び始めた。

電話帳にまだ残っていた、たった一つの名前。

親鳥の帰りを待つ雛鳥の如く、救いを求めひたすらに泣き続けていた。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

所変わり、紫恩の自室。

自室にてジブリールからの詰問を受けていた紫恩。

そんな彼の"空"の名など知らないという言葉に、ジブリールは目付きを険しくした。

その目付きは鋭く、冷徹で。

まるで以前のジブリールのような空気に、紫恩は怖気つつも声をかける。

 

「ジブリール……?」

「……私は他にやることができましたので、これにて失礼致します。貴方はマスターがお呼びでございますので、早急に王室へ向かって下さいませ。」

 

にこりと微笑みながら行儀正しく腰を折って、ジブリール。

困惑する紫恩も無視し、直後部屋の戸をすり抜けるように姿を消したジブリール。

―――――やる事とは何だ、と問う事は出来なかった。

踵を返し部屋を後にするジブリールを、静かに見送ることしか出来なかった。

ジブリールから漂っていた、全身を突き刺すような冷たい空気。

今の彼女には質問の一つすらも許されていないと、紫恩の本能が告げていた。

 

「……何か落ち度でもあったでしょうか」

 

紫恩の言葉に、ジブリールが何を思ったかは定かではない。

だがあれほどまでにジブリールが苛立つ何かがあったのは確かだろう。

考えていてもしかたないと、気分を落ち着かせる意味も込めて紫恩はいつもの服装に着替える事にした。

寝間着で白の居る寝室に行くわけにもいかない。

 

 

 

 

 

 

いつもの執事服に着替えた紫恩は、そのままの足で王室へとやってきた。

王室は当然の如く締め切られていたが、その扉の前にはステフの姿。

途方に暮れたように扉に縋っている彼女に、紫恩は声を掛けた。

 

「ステファニー、そんな所で一体何を……」

「あぁ、お兄様!やっと来てくださいましたのね!」

 

寝起きの兄を見るなり、ステフは顔を明るくさせて腕を引いた。

その力が存外強く、紫恩の僅かな抵抗をものともせずぐいぐいと引っ張る彼女。

何となく男として複雑な心境になりつつも、成されるがままに紫恩は扉の前へと引っ張られた。

 

「あの、ちょっと、ステファ」

「白!お兄様が来ましたわ、扉を開けてくださいですの!」

 

鬼気迫るような表情で叫びつつも、王室の戸を叩く音はやや控えめ。

一体何事かと目を丸くし、紫恩がその様子を他人事のように見守っていると、ややもして封印されし王室の戸は開かれた。

 

「……紫恩っ!!」

 

そして開かれると同時に飛び込んできた白の体に、紫恩は再び目を丸くする。

 

「っと、白?どうされたんですか、急にこんな……」

「っ……ひっ……紫恩、にぃが……!にぃが!」

 

嗚咽混じりの白の叫びに、紫恩は顔を顰めた。

これはどういう事だとステフを見るも、彼女はただ無言で首を振るだけ。

―――――要領を得ないが、一先ず落ち着かせなければ話も出来ない。

自身の腰に縋る白の手をやんわりと解くと、落ち着かせるようにその小さな肩に手を置いて、紫恩。

 

「まずは落ち着きましょう、白」

「でもっ、にぃが……!」

「大丈夫ですから。白、深呼吸して下さい。落ち着いてゆっくり私に話してください」

 

白の眼を見ながら、紫恩は言い聞かせるように優しく告げる。

それでも暫く白は泣いていたが、その度に紫恩が白の頭を撫でて落ち着かせる事、数分。

次第に落ち着きを取り戻していく白に、ステフが感嘆の声を上げる。

 

「流石お兄様ですわ……」

「よしてくださいステファニー。それで、白……一体どうしたんですか?」

 

何故泣いていたのかと問いかける紫恩に、白は間髪入れず口を開く。

 

「紫恩……にぃ、どこ?どこに居るの?」

 

藁にもすがる思いだった。

絶望の中に見た希望に、白は夢中で手を伸ばした。

きっと紫恩なら知っていると、悲しみに塗れた瞳を彩る僅かな期待の色。

……だがそんな期待とは裏腹に、紫恩は白の言葉に首を傾げた。

 

「にぃ、とはなんですか?もしかして、兄……という意味でしょうか」

「……っ!?」

 

紫恩は嘘や冗談を言う人間ではない。

ましてやそれが白の精神にも関わるような事であれば、尚更である。

大真面目に"にぃ"の意味を問うた紫恩を、白は驚愕に満ちた表情で凝視した。

 

「にぃは、にぃ!紫恩……空、知ってるでしょ……!」

「うーん……?」

 

―――――思い当たる事といえばそれは夢の中の名だが、まさかその事ではないだろう。

視線を落とし、それきり考え込んでしまった紫恩。

そしてそんな紫恩が……唯一アドレス帳に名の残っていた紫恩が、まるで自分の知らない誰かのようで。

白は後ずさり、紫恩を唖然と見上げた。

そんな白の異変に紫恩も気付き、腰を上げる。

 

「どうしたんですか、白」

 

言いながら、手を差し伸べて近づいた紫恩。

しかし白はその手を払った。

好意を突き離し、遮断した。

それは丁度、いつか図書館で紫恩が白にしたように。

 

「来ないでっ!」

「……白?」

「どうして……どうして分からないの……紫恩!」

 

何で分からないのか。

何で覚えていないのか。

非難するような白の言葉に、しかし紫恩はただ困惑するだけ。

その意味が分からないとばかりに、紫恩は悲しそうに白を見下ろしていた。

 

……紫恩は、本当に知らなかった。

憶えていなかった。

空という存在が、分からなかった。

 

「白……本当にどうしたんですか?」

「……っ」

 

目を細め、見下ろす紫恩のその可哀そうな子を見るような眼に、白は息が詰まった。

その眼を直視しただけで、あれほどまで信じていた空の存在が自分の中で途端に曖昧になったのだ。

―――――もしかして自分が間違っているのか。

自分だけが間違ってて、紫恩が正しいのか。

そういえば紫恩はいつも正しかった。

そんな紫恩が言う事こそ正しくて、自分はおかしいのだろうか。

 

白は頭が真っ白になり、その場に立ち尽くした。

 

「……ステファニー、一体何があったのですか」

「私にも何がなんだか……。今朝白を起こしに来た時には、このようになってましたの。それでジブリールと相談して、お兄様を……」

「なるほど……そういう事でしたか」

 

紫恩がステファニーと相談している間も、白は無言だった。

虚空を見つめ表情の失せた白に、紫恩は痛々しそうに眉を顰める。

 

「空……空、ですか。ステファニーは知っていますか?」

「知りませんわ。ジブリールも分からない、と……」

 

ステフもジブリールも、そして紫恩すら知らない。

となれば、唯一空を知っている白がおかしいのだろうと考えるのが自然である。

事実、紫恩は既に"白をどうやって治すか"という事ばかり考えていた。

 

次に行うべき最善手を紫恩とステファニーが考えあぐねていると、不意にジブリールが姿を現した。

 

「ジブリール!大臣達の様子は……」

「ドラちゃんの想像通りでございます。空という名に心当たりはない、と」

「やっぱり……。では、白は……」

 

肩を落とすステフに対し、ジブリールはむしろ苛立ちを強くしていた。

もはや笑みすら見せない彼女に、紫恩。

 

「ジブリール、どうしたんですか?今朝から機嫌が悪いようですが……」

「……むしろ機嫌がいい方がどうかしてるかと思いますが。紫恩様はこの状況の意味、お分かりなのですか?」

「はぁ……意味、ですか」

 

考え込んで首を傾げた紫恩に、ジブリールは大げさに溜息を吐いて見せた。

 

「本当に貴方という方は……その平和ボケした頭、叩きなおしてさしあげましょうか?」

「ご遠慮申し上げますジブリール様。いやでも本当に分からないのですが……」

「マスターである白様が今現在重要視している事、そしてその上で白様が混乱し戦意喪失している状況を鑑みてまだ分かりませんか」

「今現在、重要視している事……?」

 

―――――白が重要視している事なら、世界の攻略……いや、これは将来的なものだ。

むしろ今現在に限っていえば、白が重要視している事は東部連合の獲得。

そして、白が混乱している今の状況を鑑みると……

 

「……東部連合の策略、ですか?」

「ここまでヒントを与えてやっとでございますか。もう少ししっかりなさってください、保護者なのでしょう」

「いやはや、面目ない……」

 

ぐうの音も出ないとはこの事だろう。

押し黙ってしまった紫恩の隣で、ステフは構わず口を開いた。

 

「だとしても、実際問題これからどうしますの?私達だけで勝てる程、東部連合は甘くないですわ」

「ドラちゃんに言われずとも分かっています……マスターを元に戻すほかないでしょう」

「ですから、その方法を私は……」

 

しかしステフの言葉をジブリールは手で遮り、おもむろに白へと近づいた。

未だ呆然自失の白に、先ほどの紫恩同様ひざを折り、白と目線を合わせてジブリール。

 

「マスター。私とゲームをしましょう」

「ゲー、ム……?」

 

ここで初めて、白は口を開いた。

興味を示した白にジブリールは笑みを湛え、尚も続ける。

 

「賭けるのはマスターの空に関する記憶。そして、どうか私めに負けていただけませんか」

「……それ、はっ」

 

空を忘れる事。

ジブリールの白に対する要求はただ一つだった。

東部連合により植え付けられた空の記憶を消し去る事で、白を取り戻す。

無礼覚悟で、ジブリールは白の為に提案した。

 

「……」

 

白は無言で紫恩を見上げた。

変わらず白に対し可哀そうな目を向ける紫恩。

やはり自分が間違っているのかと、白は自身の記憶を否定し始めていた。

空とかつて、話をした記憶も。

共に遊んでいた記憶も。

初めて出会った時の記憶も。

 

―――――全て嘘偽りのもので、作られた記憶。

 

「……白、涙を拭いてください」

 

遠い目をして見上げていた白に、紫恩はハンカチを差し出した。

そして初めて、白は自身が涙を流している事に気付く。

頬を伝う熱い雫はそのままに、白はじっとその差し出されたハンカチを見つめた。

 

「……紫恩、これ……」

「私が地球で白に初めて貰った、ハンカチですよ」

「なんとまぁ、紫恩様が持つに相応しい可愛らしいハンカチでございますね」

「……一応お礼は言っておきますよ、ジブリール」

 

皮肉げに笑うジブリールに、白が居る手前否定できない紫恩は苦々しく笑う。

それは花柄の、男が持つようなものには見えない可愛らしいハンカチだった。

これは当時ハンカチを持っていなかった紫恩の為、彼の誕生日に白が贈ったものである。

後にも先にも、紫恩が持っていたハンカチはこれ一枚のみ。

所持していた唯一のハンカチにして、異世界に持ってきた唯一の紫恩の私物。

―――そして。

 

「紫恩……なんでこれ、持ってるの……?」

「……え?」

「だって、紫恩……これ、国王選定戦で……」

 

今の白のように、国王選定戦で泣き伏せたクラミーに紫恩が渡したのもまた、ハンカチだった。

そしてその時ハンカチは強奪され、以降紫恩の手には戻っていない。

故に、今ここにそのハンカチが有る筈はないのだ。

……紫恩が、クラミーと再び会い、その時返されていない限り。

 

「……っ!!」

 

弾かれたように白は王室のベッドへと駆け、置き去りにしていたスマホを見た。

そこに表示されていた日付が、記憶の中の最後の日付より幾日か先に進んでいる事に白は気付く。

そして、白は確信した。

自分は正しかったのだと。

 

「白、急にどうしたんですか?」

 

紫恩を筆頭に、不思議そうに白を見つめる三人。

 

「……にぃは、居る!」

「マスター……?」

 

彼らにスマホのカレンダーを見せつけ。

色を取り戻した瞳で、断定するように再び叫んだ。



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第十六話 反転

ここに在る筈のないハンカチ。

進んでいるカレンダーの日付。

自分達が陥っている事の異常さを、白は紫恩達に指摘した。

 

「そういえば、そのハンカチはクラミーに取られていたのでしたね……」

「……紫恩、クラミーと再会した事……憶えてる?」

「いえ、全く。郵送されてきた、なんて事も無かった筈ですよ」

 

―――――果たして国境を越えて郵送できるのかは不明だが。

いずれにせよ紫恩にクラミーと会った記憶はないし、第三者を介し返されたという事実も無い。

紫恩の返答に、白は満足したように頷いた。

 

「という、事は……」

「その失われた期間に紫恩様がハンカチをクラミーから返されている。そういう事ですね、マスター」

「……うん」

「でも白……どうしてそれが、本当に空が居るという事に繋がるんですの?」

 

控えめに、そして申し訳なさそうにステフは疑問を口にした。

事実、現状としてはクラミーと紫恩が会っているという事が分かっただけだ。

だからどうしたと言えばそれまでで、その情報が意味する事といえば精々ハンカチが今ここにある理由が分かる程度。

それが直接空の存在に繋がるかと問われれば、首を傾げざるを得ない。

 

「僭越ながら、今回ばかりは私もドラちゃんと同意見でございます。そもそも空の存在は、私達だけならまだしも他の者すら存じておりませんでした。この状況を説明するのは困難かと」

 

ジブリールまでもが同意を示すが、白は表情を崩さない。

いつものように無表情に、しかしその眼で確たる真実を見据え続けていた。

 

「重要なのは……ハンカチじゃなくて、クラミーが紫恩の前に現れた……という事。クラミーがハンカチの為だけに、私達の前に姿を現すと思う?」

「それは……確かに」

 

得心いったようにジブリールとステフ、そして紫恩の三人が顔を見合わせる。

 

「では、一体何が目的で……」

「……暴動」

 

そんなステフの言葉に返答したのは、白ではなく紫恩だった。

 

「え……?」

「種の駒を賭けられた事への不満……これが民の間で暴動を引き起こすきっかけになったわけですが、その不満が同じ人類種であるクラミーにもあったとすれば―――――」

 

―――――確実にもう一度、エルキアの現王にゲームを吹っかけに来るだろう。

国王選定戦でも感じた、クラミーの人類種に対する思いが本物であるならば。

売国奴と信じて止まなかった紫恩達に対し、本気で憤ってみせた彼女ならば。

 

紫恩のそれは推測だが、もはや確信にも近い。

白はここで初めて、紫恩に対し笑顔を見せた。

 

「うん。きっとお互いの存在を賭けた、全人類種を巻き込んでのゲーム」

「……なるほど。そのようなゲームは私一人では不可能ですが、クラミーの協力者である田舎者のエルフが居れば話は別でございましょう。そして確かにこの一帯に魔法の反応もあります……ですが」

 

思案顔で、ジブリールは白に向き合い尚も続ける。

 

「マスター、それでは既にゲームは決したという事にもなりませんか?その空なる人物の存在は既に世界から……」

「ううん。……まだ、残ってる」

 

そう言い、白は自身の胸に手を当てた。

―――そう、まだ白の中には残っている。

出会い、そして今に至るまでの空との記憶が欠ける事なく。

瑕(きず)一つ無くまだ白の胸中でそれは生き続け、白を支えていた。

 

……しかしジブリールはそれでも納得いかず、追及の手を緩めない。

 

「……その記憶すらも、偽物という可能性は無いのですか」

「ジブリール……!」

「白様、分かってください。私は、東部連合の思惑通りに白様が動かされている事程耐えられない事は無いのでございます」

 

可能性が一つでもあるならば、それすらも考慮しなければならない。

でなければ白は東部連合の傀儡になってしまう―――ジブリールはそんな白を見たくなかった。

白に睨まれようが、忠義の心でもってジブリールは異議を唱え続けた。

―――――だがそこに、白の肩を持つように紫恩が割って入った。

 

「ジブリール、白を信じませんか。いつも無口な白がここまで言うんですから、きっとただならぬ何かを感じ取っているのでしょう」

「……そのような感情論では、勝てるものも勝てなくなりますよ。まぁ、そのような考え方だから貴方は負けるのでございましょうが」

 

そんな紫恩に向けるジブリールの視線は、侮蔑に満ちていた。

白が心配げに紫恩を見上げるが、紫恩はそれに一つ微笑むだけで何も言わない。

 

「否定はしませんよ。ですが今回ばかりは、私も退くわけにはいきません」

「……」

「ふ、二人共!今は争っている時じゃありませんわよ!もっと協力し合わないと……」

「ステフ、大丈夫ですから」

 

 

真っ向から対立する二人に、ステフが慌てて仲裁に入ろうとする。

が、それを紫恩がやんわりと退けた。

 

「お兄様……?」

「ジブリール、私が貴方に空の名を聞かれた時に言った言葉……覚えていますか」

「さぁ……そのような事、一々覚えておりませんが」

「……私は、こう言ったんですよ。"空想上の人物の名を言われたから驚いただけで、あくまでも私は知りません"……と」

 

ジブリールはそれを、単に"空という人物は知らない"と受け取ったが、実際には微妙に違う。

確かに紫恩は空という人物を知らないが、"空想上では知っていた"。

あり得ないものとして一蹴しながらも、紫恩は確かに空の事を知ってはいた。

その事に今さら気づかされたジブリールは、僅かに瞼を見開いた。

 

「それでは貴方は……」

「はい。空の名は確かに知っていますよ。ただしそれは夢の中での存在でしたので、特に言及はしませんでしたが……これは私の失態でした」

 

白が呼んだ名前が、紫恩の夢の中の名前と一致していたという事実。

それは考慮に値する奇怪な偶然だった。

憂慮すべき事象から敢えて目を逸らした己を恥じるように、紫恩は苦笑し白を見る。

 

「白の言うとおり、恐らく空は居るのでしょう。あれは全て、夢の中での出来事ではありましたが」

 

―――――ただの夢と一蹴するには、あまりにも現実味に溢れすぎていた。

唖然と聞き入っていたジブリールに、紫恩は更に告げる。

 

「ジブリール。この部屋に魔法の反応が無いか調べてもらえませんか。今もまだゲームが続行中なら、場所はこの部屋の筈です」

「一体何を根拠にそのような……」

「白が自室ではなく王室に居た事、それ自体が根拠です。何故、白が居たのがあの狭苦しい小屋ではなくここなのでしょうか」

 

紫恩の言葉で、白を含む三人はハッとしたように辺りを見回した。

白は王室の広々とした空間を好まず、わざわざあの犬小屋をすら作らせたのだ。

そこまでしてみせた白が、何故王室に一人で居たのか。

その違和感に気付かされた白自身が、紫恩に驚愕の眼差しを向ける。

 

「紫恩……凄い……」

「白ももう少し冷静で居られたら、既に今頃気付いていたと思いますよ」

 

紫恩に気付ける事が、白に気付けぬ筈も無い。

ただ紫恩のほうが、少し白より冷静であっただけ。

 

「ジブリール、お願いできませんか」

 

紫恩の、再度の要求。

その上白からも懇願するような眼差しを向けられ、遂にジブリールは首を縦に振った。

 

「分かりました。"この部屋"でございますね」

 

あくまでもこの部屋だけだと、ジブリールは強調した。

ここで見つからなかったら紫恩にどのような皮肉を並べてやろうかと考えながら、ジブリールは陣を展開し、反応を探る。

―――そして感じた反応に、ジブリールの眼の色が変わった。

 

「……確かにありました。ただ、隠蔽されているようで正確な位置は特定できませんが」

 

ついぞジブリールの口から紡がれた言葉は、皮肉とはかけ離れたものであった。

 

「ありがとうございます。位置の特定が出来なかったのは残念ですが」

「だとしても凄いですわ。最初にここへ来た私でも分からなかったのに……流石、ゲーム以外の事なら優秀なお兄様ですのね!」

「……ステファニー、事実なのですが一言余計です」

 

意図せず放たれた言葉の矢が、紫恩の胸に深く突き刺さる。

心の痛みに呻く紫恩を余所に、ステフは奮起するように拳を振り上げた。

 

「私達も負けていられませんの!早速ゲームが続いている位置を探しましょう、白!」

「ステフ……張り切るのもほどほどに……」

 

王室を駆けまわり始めたステフ。

その様子が犬のようで白は手伝う事もなく面白そうに傍から見物していた。

 

「何を言っているんですの!お兄様やジブリールばかりに良い所を見せられては……っきゃあ」

 

しかしはしゃぎすぎたのか、ステフは突然盛大に転んだ。

痛そうな音と共に床へ突っ伏す哀れな犬を、白はジト目で見下ろす。

 

「……ステフ、何もない所で転んだ」

「え……え?私今、転んだんですの……?」

 

床に未だ寝転びながら、呆然と白を……そして紫恩達を見上げるステフは、本当に今何が起きたのか分かっていないようであった。

彼女の異変に何かを察知したジブリールは、静かにステフへと近寄り周囲を調べ始める。

 

「ジ、ジブリール……?」

「……やはり、ここですね。用意周到に隠されていますが、ここでゲームが行われているようです」

 

床に転がっていた、三つの白く丸いピース。

表面に数字が描かれているそれを拾い上げると、ジブリールはその裏が黒くなっている事に気付く。

 

「白黒のピース……?」

 

それはまるで、オセロのピースのような。

よくよく見てみると反対側にも同様に三つのピースが置かれていた。

"1"、"2"、そして"3"の数字が描かれたそれらを、ジブリールの横から白もまじまじと観察する。

 

「白、何か分かったのですか?」

 

紫恩の問いかけにも白は反応すら返さず、じっとそれを見つめ続け。

やがて微かに笑って見せた後、白はピースの一つを拾い―――何もない空間へ、ピースを"指した"。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

空が選んだオセロの色、そしてピースを指す場所。

それらすべてが、手に取るように白には分かった。

勝つために、そしてこのような結果を得る為に、空ならばどのようにゲームに挑むのかが容易に理解できた。

それは、誰よりも……紫恩よりも空を理解しており、且つ常人離れした思考回路を有する白だからこそ出来る芸当。

 

一つ、二つと白が空間にピースを指す度に、本来何も無かった空間に幾つもの白いピースが姿を現す。

そして三つめのピースを指すや否や、盤上に並べられていたと思われる大量の白いピースが出現。

直後、ガラスが砕け散ったような音と共に空間が割れ、行われていたゲームの全貌が露わとなった。

 

「これは……」

 

唖然と呟く紫恩の目の前には、横たわる"空"とオセロの盤……そして、対戦者であるクラミーとその協力者の姿があった。

夢の中と同じ姿の空に紫恩は眼を剥き、そして思い出した。

―――――あれは決して、夢などではない。

夢の記憶から現実の記憶へと、まるでオセロのように記憶が反転し、紫恩の脳裏に蘇る。

 

「う、うぅ……ここは……」

「にぃ……!!」

 

存在が消失し、気絶していた空が意識を取り戻すやいなや、白は空に飛びついた。

 

「っと……白」

「ごめん、なさい……もっと、もっと早く気付けたら……!」

「……ありがとな、白」

 

心身ともに疲弊しきっているであろう妹に、空は精一杯の感謝を伝えた。

一度は見失いかけても、それでも信じつづけ、自身を見つけ出してくれなければ、果たして今頃どうなっていた事か。

ほっと息を吐き、空は対戦者……クラミーを見やる。

すると突然、今まで対峙していたクラミーが力なく床へと倒れ伏した。

 

「クラミー……?クラミー!しっかりするのです!」

 

協力者であるエルフが悲鳴のような声を上げその肩を揺するが、クラミーの眼は曇り切って動かない。

まるで死人のようなそれに、ステフは絶句し言葉を失う。

紫恩もまた、痛々しい面持ちで彼女達二人を見据えていた。

 

「本当に……狂ったゲームですよ、空」

「……だろうな。俺もそう思うよ」

 

言いながら、空はおもむろに立ち上がった。

存在が消失していた反動なのか途中よろけそうになるも、それを即座に紫恩が支える。

 

「っと……さんきゅ、紫恩。それじゃあ、ゲームも終わった事だし……こっちの要求を呑んでもらうぜ」

「ま……待って!私の事はどうにでもして構わないのです、だからクラミーだけは……」

 

床に伏せるクラミーを庇うように抱き、協力者のエルフは訴える。

涙ながらのその様子に、紫恩は彼女達が単なる浅い協力関係でない事に気付く。

それよりももっと深く……それこそ白や空と同じくらい、二人は強く結ばれているのだと。

―――紫恩は、胸中の痛みが更に強まるのを感じた。

 

「空、私からもお願いします。何も彼女まで……」

「お前までそれ言うか。ま、分かってはいたけどさ」

 

人一倍他人の思いに敏感な紫恩ならばそう言うだろうと、空は予想していた。

黙って見過ごす筈がない。

沈痛な眼差しを向ける紫恩に、空は笑う。

……そして。

 

「ダーメ」

 

軽々しく紡がれた空の言葉は、エルフの協力者を絶望へと突き落とした。



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