ダンガンロンパメサイア (じゃん@論破)
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Prologue
戦場に閃く発火炎(マズルフラッシュ)


 本を読むことが好きだった。世界を股にかける冒険小説を読むと、あてのない旅に出たくなった。淡い恋の行く末を描いた恋愛小説を読むと、わけもなく誰かを愛したくなった。混迷極まる謎を鮮やかに解決する推理小説を読むと、取り留めのない日常に謎を求めたくなった。

 そして、何もしなかった。物語に没頭して昂っていた心は、本を閉じた途端、現実という外気に晒されて急速に冷めていく。その後に残るのは、空虚な余韻から抜け出せないでいる胸の拍動だけだった。この感動を知って欲しい。この高揚を言葉にしたい。この興奮を分かち合いたい。愚鈍な体を突き動かしたのはそんな、熱意と呼ぶには冷淡で、欲求と呼ぶには純粋で、渇望と呼ぶには謙虚な、どこまでも独り善がりな感情だった。

 だから、何も期待していなかった。こんなことで自分の人生が変わるだなんて、これっぽっちも思っていなかった。自分にその資格があるのか、不安さえ感じた。

 

 

──入学通知書──

 

益玉 韻兎(マスタマ イント) 様

 

 あなたを 超高校級の語り部 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 ただ自分が感動した本を朗読して、その音声を動画投稿サイトにアップしただけだ。そうすることでしか、誰かに自分の気持ちを伝えられなかったからだ。やがて自分の動画にも、ファンや評価が付くようになった。他にやることのない、できることのない自分にとって、唯一外の世界と関わることができる場所だった。希望ヶ峰学園がそれを認めてくれた。ただの引きこもりの趣味としか思ってなかったのに、それを“才能”と呼んでくれた。それが嬉しかった。

 

 「それじゃあ、身体に気をつけてね。落ち着いたら、連絡してちょうだい」

 「頑張って来いよ!」

 

 出発の朝、父さんと母さんが駅のホームまで見送りに来てくれた。昨日の晩、父さんは奮発してお寿司を買ってきてくれて、家族3人で豪華な晩ご飯を食べた。母さんはわざわざ今日の為に上等な服を買ってくれて、シャツにもしっかりアイロンをかけてくれた。

 発車のベルが鳴る中、僕だけが電車に乗り込んだ。母さんは、少し泣いていた。ドアが閉まる前に、もう一度だけ口を開く。

 

 「いってらっしゃい」

 「……いってきます」

 

 ただそれだけの会話だったけど、久し振りだった。

 ドアが閉まって、電車が動きだす。両親の立つ駅のホームと生まれ育った街の風景が流れていく。そこから先は、見たことのない世界が広がっていた。

 僕はこれから、希望ヶ峰学園に行く。

 

───益玉韻兎は、“才能”を認められたから入学した───

 


 

 「ぜひ行きなさい。これはまたとないチャンスだ」

 「そうかな。ぼくなんかが行ったら、他のみんなの邪魔にならない?」

 「そんなことを思う人はいないよ」

 

 祖父はそう言って、ぼくの頭を撫でた。骨董品を丁寧に扱い続けた祖父の手は、見た目は無骨だけど優しい手だ。

 

 「厘は学校以外じゃあまり外に行かないだろう。いい機会だから、たくさん勉強してくるといい」

 「勉強なら今の学校でもできるよ。体育は得意じゃないけど」

 「そうじゃない。勉強するというのは、教科書を読んだり計算をしたりすることだけじゃない。厘の知らない世界を知るということだ」

 「ぼくの知らない世界?」

 「今はなんでも手のひらの中で解決する時代だが、孫悟空じゃあるまいし、そんな中に収まっていてはいかん。手のひらの外にも世界は広がっている。顔を上げて、自分の足で歩いてみれば、もっと多くのことを知ることができる」

 「自分の足でかあ。それはちょっと大変そうだね」

 

 だけど、祖父の言うことも分かる。たぶん今から町内を一周したって、ぼくの知らないことはまだまだたくさんあるはずだ。それが、日本中から“超高校級”の“才能”を持った高校生が集まる希望ヶ峰学園ともなれば、きっと毎日退屈しないだろう。何より、ものすごく興味がある。

 

 「それにな、骨董を扱うのなら、なんでも知って、経験しておくに越したことはない。せっかく厘はいい目を持っているんだから。それこそ、“超高校級”のな」

 

 

──入学通知書──

 

湖藤 厘(コトウ リン) 様

 

 あなたを 超高校級の古物商 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 ぼくの元に届いた入学通知書を持って祖父が言う。こんなぼくが希望ヶ峰学園に入れるなんてすごく嬉しい。だけど、いざそういうことになると、心配になることもある。

 

 「自分で品物を見に行けないことも多いだろう。直接見なくても価値や真贋を見抜くには、知識と経験が必要だ」

 

 全くもって祖父の言う通りだ。正しい見方と正しい知識。それらは豊富な経験から作り出されるもので、誰かに習うだけじゃ身に付かないことだ。ぼくが、ぼく自身で経験しないと。

 

 「厘。心配はいらない。お前が希望ヶ峰学園を卒業するまでの何年かくらい、もう少し頑張れる」

 

 そう言って祖父はぼくの手を握る。その手から、祖父がぼくを気遣っていることが分かった。本当なら今年いっぱいで引退するつもりだった祖父がここまで言ってくれる。それだけの期待を、ぼくは裏切ることはできない。

 

 「うん。分かった。ぼく、希望ヶ峰に行くよ。そこで、たくさん外の世界のことを勉強してくる。それで、おじいちゃんが安心してお店を任せられるよう、立派になってくるよ!」

 

───湖藤厘は、外の世界を知るために入学した───

 


 

 「ふっふっふふんふふふふふふんふーん♫ふふふふんふんふーん♫」

 「フウちゃん、もうすぐご飯よ。明日の準備できた?」

 「うん!あとちょっと!」

 

 ママに呼ばれたとき、ワタシは部屋で荷造りをしてた。いつもの旅行と違って、今回は何日もあっちで暮らすことになる。必要なものもそうでないものも、とにかくありったけ詰め込んで、パンパンになったスーツケースをなんとか閉じた。

 詰め込んだ荷物以外にも、すぐに必要になる手荷物もちゃんと確認しておかなくちゃ。スマホと財布と飛行機のチケットと、あとこれも忘れちゃいけないやつだ。

 

 

──入学通知書──

 

宿楽 風海(スクラ フウ) 様

 

 あなたを 超高校級の脱出者 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「ふふふっ♫」

 

 希望ヶ峰学園からの入学通知書を、大事に大事に封筒に戻してポシェットにしまう。すぐまた読みたくなって取り出す。もう何回これを繰り返したか分からない。何回繰り返しても、ずっと同じ嬉しさが込み上げてくる。

 

 「ワタシが“超高校級”かあ……“超高校級の脱出者”宿楽風海……えへへっ♫有名人になっちゃったらどうしよ〜♫」

 

 こんなこと夢にも思ったことがない。あの希望ヶ峰学園がワタシを入学させてくれるなんて、考えたこともなかった。ワタシなんかに、“超高校級”の“才能”があっただなんて知らなかった。

 

 「よかったわね、フウちゃん。本当、お母さんまだ信じられないわ」

 「信じてよぉ〜、ほら!この入学通知書が目に入らぬかぁ〜!」

 「本当に……希望ヶ峰学園にスカウトされてなかったら、今頃どんなことになってたか。全教科1か2なのに遊んでばっかのフウちゃんのこと、みんな心配してたんだから……」

 「泣かないでよ!?」

 

 ママはワタシの希望ヶ峰入学を喜んでるというより、安心して泣いてた。確かに、人に自慢できる成績とれないし、特にこれと言って取り柄もないけどさ。親なんだからもうちょっとひいき目で見てくれてもよくない?

 それに、遊んでるって言ったらそうだけど、ただの遊びじゃないし!まあ体験型謎解きゲームとか言っても、ママにはよく分からないだろうから言わないけど。上手いこと説明できる自信もないし。

 

 「よかったわね、フウちゃん。さ、ご飯にしましょう。下でみんな待ってるわよ。今日はフウちゃんのお祝いだから、みんなでフウちゃんの大好きなラフテーいっぱい作ったわよ!」

 「やったー!ラーフテー!」

 

 いい匂いがしてくると思ったら、ワタシの大好物だった。今日は村のみんながワタシの家に集まって壮行会を開いてくれてる。みんなが喜んでくれて、みんながワタシをお祝いしてくれる。人生最高の日だ!生きててよかった!

 なんにもできないワタシだけど、この一通の手紙のお陰で未来が輝き出した。こんなワタシでも、希望ヶ峰学園に入れるんだ!この世に希望はあるんだ!

 

 

───宿楽風海は、未来に希望を抱いて入学した───

 


 

 眩いカメラのフラッシュで視界が白に染まる。口元に差し出された幾つものマイクの圧で息が詰まりそうだ。誰かが投げかけた質問に、僕は微笑みをもって答える。

 ほんの数分の出来事だったが、実際の時間より長く感じられた。沸き立つ感情を押さえ込み、僕は足早に控室に戻った。

 

 「おかえり、遼」

 「ふざけるな!僕にあんなことを言わせておいて、ごめんなさいの一つも言えないのか!」

 「遅かれ早かれバレることよ。ていうか、やっぱり行きたくなかった?」

 「当たり前だろ!どうしてこの僕が、今さら希望ヶ峰学園なんかに行かなきゃならないんだ!こんなものが送られてきたせいで……!」

 

 

──入学通知書──

 

虎ノ森 遼(トラノモリ リョウ) 様

 

 あなたを 超高校級のゴルファー として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 叩きつけた入学通知書には、忌々しい肩書きが記されていた。なにが“超高校級”だ。馬鹿馬鹿しい。

 

 「僕はとっくにプロのレベルに達してるんだ!高校なんかで何を学べって言うんだよ!この貴重な数年間を、ドブに捨てろって言うのか!」

 「落ち着いて。外まで聞こえるわ」

 

 その言葉で、僕は声を張り上げるのをやめた。やめざるを得なかった。万が一これが誰かの耳に入れば、さっきの記者会見の意味がなくなる。

 代わりに、声をおさえたまま、マネージャーに詰め寄った。

 

 「そもそも、あのスカウトマンの話は丁重に断れと言ったはずだぞ。なんでこんなものが来るんだ」

 「私が承諾したわ。今の遼には、それが必要だから」

 「必要なんてないだろ。僕に何か足りないものがあるっていうのか?」

 「あるわ。たくさんね。ゴルフの腕だって、本物のプロにはまだ遠い。これは遼のこれからのために必要な投資なの」

 「……マネージャー風情が言うじゃないか。そんなにクビになりたいのか」

 「じゃあどうする?やっぱり断る?」

 「断れるわけがないだろ!希望ヶ峰学園の入学通知だぞ!そんなことをしたら、僕の評価はどうなる!?調子に乗っていると思われるだろ!チャンスを棒に振ったと馬鹿扱いされるだろ!ネットは大炎上!マスコミからは総バッシングだ!そうなったら僕は終わりだ……!」

 

 考えただけでぞっとする。大衆というものは良くも悪くも、印象でしかものを見ない生き物だ。印象がよければ多少の欠点は大目に見られるどころか、それが魅力だと言いだす奴もいる。逆に印象が悪ければ何をしようと悪意的に受け取られ、何もかも裏目に出る。だから、僕はこれまで好印象を抱かれるよう、言葉一つ、一挙手一投足に注意してきたんだ。こいつに、その努力を知らないとは言わせない。

 

 「だから、ゴルフの腕で黙らせればいいのよ」

 「……なんだと?」

 「どんだけ妬み嫉みを集めようが、裏では愛想悪くて暴言吐きまくりだろうが、炎上しようが不倫しようがクスリやろうが、実力で黙らせればいいのよ。世界のトップってのは、そういうことができる人たちなの」

 

 癪に触るが、マネージャーの言うことは一理ある。誰にも文句を言わせない実績を持ち、いくつもの不祥事を吹き飛ばしてしまうほどの功績をあげていく人たちは、実際にいる。

 

 「遼は特にそういうのを気にするんだから、いっそ突き抜けた実力を付けた方がいいの。それには、希望ヶ峰学園が必要よ」

 「……分かった」

 

 僕はもう一度マネージャーに詰め寄り、そして言った。

 

 「希望ヶ峰学園には行ってやる。だけどお前に説得されたわけじゃない。マスコミにそう言ったからだ。そして卒業……いや、1年経ったその時にまだ僕に入学を後悔させていたら、そのときはお前に謝ってもらうからな。そしてその後、お前はクビだ……!!」

 「いいよ。卒業式の後で、遼に泣いて謝ってもらうから」

 

───虎ノ森遼は、炎上回避のために入学した───

 


 

 「はーい、じゃあ起こしますよー」

 

 抱きかかえた姿勢のまま、聞こえるように大きな声で言った。タイミングを合わせて上半身に力を込めて、上体をベッドからゆっくり離す。ベッドから車椅子に移動させたら、病室を出てエレベーターまでの廊下をゆっくり押していく。途中ですれ違う看護師さんと笑顔で挨拶を交わした。エレベーターが1階に着いて、スロープで中庭に降りる。暑さもすっかり和らいだ秋の空に、ひつじ雲がふわふわ浮かんでいた。

 

 「今日はお天気がいいから、お庭を散歩しましょうね」

 「ありがとうねぇ……いつもお世話様ねぇ、まつりちゃん」

 「いいえ。あっ、ほら。お庭のバラがきれいですよ」

 

 ふと鼻をくすぐる香りにつられて目を向ければ、看護師さんたちがお世話をしているバラが赤や黄色に咲き乱れていた。吹く風は少し冷たい。そろそろカーディガンが必要になってくるかもしれないな。

 

 「まつりちゃんとお散歩すると、狭い庭も楽しいわね。この病院、先生の腕はいいんだけどそれ以外はあんまりよくないから」

 「もう。あんまり看護師さんたち困らせちゃダメですよ?これからは、私あんまり来られなくなるんですから」

 「あらそうなの?彼氏でもできた?いいわねえ、若い子は」

 「違いますよっ」

 

 低い段差や小石も、車椅子の人にとっては大きな揺れになる。急ハンドルや急ブレーキは腰や脚への負担になる。他愛ない会話をしながらも、車椅子のコースや周りの人の動きに気を配る。このおばあちゃんは特に扱いが難しいけど、私だけはやけに可愛がってくれてる。看護師さんたちも私に任せきりにするくらいだ。

 

 「私、希望ヶ峰学園に呼ばれたんです」

 「へえ!希望ヶ峰学園!すごいじゃない。やっぱりまつりちゃんはそれくらいの子だと思ってたわ!」

 「もお〜、調子いいんですから」

 「でも寂しくなるわね。希望ヶ峰学園が合わなかったらすぐ戻って来ていいのよ」

 「あはは……それは、正直ちょっと心配です。でも、スカウトされたってことは、私が必要とされてるってことですから」

 

 このおばあちゃんだけじゃない。この病院の患者さんや、他の施設の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんたちで私がお世話している人はたくさんいる。その人たちは間違いなく私のことを必要としてくれてる。本当はその人たちと離れるのは辛い。だけど、他のどこでもない、あの希望ヶ峰学園が私のことを必要としてくれた。それなら、私はそれに応えなくちゃいけない。応える義務がある。それが、“才能”を持つ私の責任だ。

 

 

──入学通知書──

 

甲斐 奉(カイ マツリ) 様

 

 あなたを 超高校級の介護士 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「お正月や夏休みには帰って来られますから。私が卒業するまで、ちゃんと看護師さんとお医者さんの言うこと聞いててくださいね。お薬もちゃんと飲むんですよ」

 「ん〜……まつりちゃんが言うんなら、そうしてあげようかしらね」

 「もうっ、お願いしますよ?卒業したら、またお世話しに戻って来ますからね」

 

───甲斐奉は、必要とされたから入学した───

 


 

 戦場にいた。武装した人間が二つの軍勢に分かれてぶつかっている。火薬が爆ぜ、銃弾が飛び交い、命が消費されていく。炸裂する光が瞬きする間に命を奪う。轟く音が人波を赤い飛沫に変えた。むせ返るような匂いと生暖かく重い感触、しかしそこに命はない。汗と涙が頬を伝い口に入るが、何も感じない。すぐ隣の人が倒れる。後ろで爆音が響く。目の前で、人が死ぬ。

 自分はいま、戦場にいた。

 

 「伏せろ!」

 

 全部聞くより先に後ろから押し倒された。直後に激しい砲撃音。衝撃波と轟音以外には何も感じない。

 

 「立て!行くぞ!」

 

 言葉が理解できないわけじゃない。何をしようとしても体が言うことをきかない。ただ、生まれたてのひな鳥のように、目の前を走る背中を追いかけた。そうしなければと、本能に突き動かされた。足下に転がるものを見ないように、ただ、ただ、前だけを見ていた。

 

 「おらおらおらァ!!進めテメエらァ!!ビビんなァ!!一歩でも後退しやがったら後でぶっ殺すぞォ!!」

 

 全員、顔には分厚い防弾ヘルメットをしている。表情がうかがえなくても、通信で耳に入ってくる声には励まされた。部隊の最前線を突っ走っていたその人は、後続部隊のために自ら道を切り開き、突破口を強引にこじ開けた。

 

 「おい大丈夫か!ヘバってるとこ悪ィが、戦場じゃ停滞は後退と同じだ!道はオレたちが作ってやるから、はぐれねェようについて来い!」

 

 乱暴な口調と雷鳴のような荒々しい声。でも、その言葉はとても温かかった。戦場に、人の死に、命の奪い合いに慣れていない者を気遣う、精一杯の激励だった。それに呼応するように、すぐに呼吸を整えて再び走り出した。こんなところで休んでなんかいられない。今は前に進むだけじゃいけない。必ず、この作戦は成功させなければならない。もうこれ以上、彼らの命を弄ぶようなことをさせてはいけないんだ。

 コロシアイなんか、絶対にさせてはいけないんだ。




皆様、お久し振りです。
前作『ダンガンロンパカレイド』から1年以上の間を開けて、新作のスタートです。相変わらずこれまでのシリーズとはなんの関係もないので、今作から読み始めても問題ありません。
ちなみに、プロローグは本日から一週間連続で投稿しますので、毎日様子を見に来ていただけると嬉しいです。
今作も長丁場になるかと思いますが、何卒お付き合いください。


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非業の天命と死屍の海

 今時分はすっかり涼しくなって、お山のてっぺんはどこも白くなりつつある。赤と黄色に染まったお山の景色は見慣れたけれど、毎年表情が違って見える。風が吹くと建物全部が軋むようなおんぼろの駅舎に、私は立っていた。抱えるほどの大荷物と、はじめて行く都会までの切符を持って、列車を待っていた。

 

 「気ぃつけていきなよ」

 「ん。あの……おっか──」

 「ほら、また出とる」

 「あっ……。ん゛、お、お母様。本当に、私がいなくても大丈夫でしょうか?これからはお客様も増える時期ですし、やっぱり私は冬からでも……」

 「なに言いよら!ウチらもおるだ、なんもしゃーせんことよ!」

 「しょーとしょーと!みかどねぇは希望ヶ峰学園でごっとしかばってこね!」

 「……ありがとう。式、園」

 

 父と母、妹たちに見送られて、私はこれから家を離れる。これからの時期の温泉旅館は書き入れ時で、人手がいくらあっても足りないくらいだ。私の家は毎年そこそこの繁盛とはいえ、お得意様も大勢いらっしゃる。私がいなくなっても大丈夫か、心配は尽きない。

 

 「本当に心配しなくていいぞ、美加登。お前がやってくれていた分の仕事は、みんなで協力して補う。アルバイトさんも雇うしな。お前が希望ヶ峰学園で立派になって戻ってきてくれるなら、5年でも10年でも待つ」

 「希望ヶ峰学園ってそんぎゃおるん!?」

 「もう、お父様。そんなわけないでしょ。でも、ありがとう」

 

 ホームのベルが鳴る。寒風を掻き分けて列車がやってきた。いよいよ本当にお別れだと思うと、じんと目頭が熱くなった。式と園が、右と左の手を握る。

 

 「みかどねぇ!式、手紙書くに!」

 「園も!さびっこなったらいつでも帰ってきやーね!」

 「うん……ありがとう……!」

 

 最後に二人を強く抱きしめた。名残惜しさを振り払うように力一杯荷物を抱えて、列車に乗り込んだ。

 

 「いってきます」

 

 まもなく、列車は戸を閉めて走りだした。列車の後ろから、ホームの端まで走って手を振る式と園が見えて、鼻の奥がつんと痛くなった。声をかけてくれた車掌さんに切符を見せて、荷物を網棚に載せるのを手伝ってもらった。携帯電話と財布と切符、そして希望ヶ峰学園からの入学通知だけは、コートのポケットに入れておいた。

 

 

──入学通知書──

 

谷倉 美加登(タニクラ ミカド) 様

 

 あなたを 超高校級のコンシェルジュ として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 代々続く老舗旅館でも、今は苦境に立たされているところが多い。私の家もその中の一つだ。傾いているうちの経営を立て直すには、私が希望ヶ峰学園で、“超高校級のコンシェルジュ”として成長して、立派になってここに帰ってくることだ。それが、私にできる精一杯だ。だから、お父様、お母様、式、園。少しの間だけ、頑張ってください。遠く離れた都会で、私も頑張ります。

 

 

───谷倉美加登は、実家の旅館を救うために入学した───

 


 

 「ふぅ……」

 

 一息吐いて、脫力(だつりょく)した(からだ)を椅子に預けた。こうすれば頭が()えて素晴らしいアイデアが浮かぶと巷閒(こうかん)の噂だったのだが、(からだ)を覆う鉛の如き氣怠(けだる)さは失せない。やり方が違うのだろうか。矢張り今の(まま)では、到底良い物など書けよう筈が無い。近頃は書齋(しょさい)に籠もり放しで、刺激が足りない。物書きたる者、常に新たな刺激に飢えているべきだ。

 

 「然るに此の誘い……受けない理由などないと云うもの……ふふ」

 

 

──入学通知書──

 

菊島 太石(キクシマ タイシ) 様

 

 あなたを 超高校級の文豪 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 ペンネエムを通知書に書くというのは、學園(がくえん)なりの配慮だろうか。或いは此の名の方が人口に膾炙(かいしゃ)しているからだろうか。とは言え本名で書かれても此と言って問題は無い。只、少し()になっただけだ。

 それにつけても彼の希望ヶ峰學園(きぼうがみねがくえん)からとは、これぞ正に恐れ入谷の鬼子母神。全國(ぜんこく)から“超高校級”と呼ばれる突出した“才能”を持つ高校生が集まる、我が(くに)最高の學園(がくえん)。入學するだけで大事件、卒業すれば將來(しょうらい)の成功が約束されると云う希望の學府(がくふ)。この俺がその一員に名を連ねるとは、初夢にも見たことのない目出度いことだ。事實(じじつ)小說(しょうせつ)よりも奇なりとはよく言ったもの。ならばひとつ、その奇なる事實(じじつ)に身を投じてみようではないか。

 

 「ふふ……昂ぶらせてくれる」

 

 “超高校級”の高校生たちは誰も彼も、なかなかどうして一筋繩ではいかない人物ばかりだそうだ。そんな人閒(にんげん)ばかりが集う此の學園(がくえん)、非日常的な日常の中に在る希望の學園(がくえん)は、(さぞ)かし面白い事が起こるのだろう。豫想(よそう)上囘(うわまわ)るような出來事(できごと)が期待できる。そんな素晴らしい場所は他にないだろう。

 

 「さて。どうしたものか」

 

 入學(にゅうがく)することは問題ない。しかし學園(がくえん)までの旅費や必要なものを準備する資金をどう工面するか。印稅收入(いんぜいしゅうにゅう)は借りた金の返濟(へんさい)に充ててしまったし、貯金などと計畫的(けいかくてき)なことができる人閒(にんげん)ならばこんな(なや)みを持つことはないのだろう。仕方がない、また妹の下着と寫眞(しゃしん)でも()りに出すか。

 

 「む?」

 

 金でも(はさ)まっていないかと通知をひっくり返すと、ひらひらと何かが舞い落ちてきた。なんとそれは、希望ヶ峰學園(きぼうがみねがくえん)までの片道切符だった。御丁寧にタクシイチケツトまである。なんとも()が利いている。では妹の下着と寫眞(しゃしん)の儲けは驛辨(えきべん)に費やすとしよう。豫定(よてい)よりも優雅な旅になりそうだ。ふふふ……。

 

 

───菊島太石は、ネタ探しのために入学した───

 


 

 「そいじゃ、(アタシ)はもう行くよ。アンタたち、(アタシ)がいないからって仕事サボるんじゃないよ!」

 「厳しい親方がいなくなって、俺たちも伸び伸びできらあ。明日から俺たちも働き方改革だな!」

 「下らないこと言って、ウチの工場とオヤジに迷惑かけたら承知しないからね!」

 

 へらへら笑う汗と埃にまみれた野郎どもの顔。軽口を叩いちゃいるけど、(アタシ)には分かる。みんな寂しがってんだ。こいつらだけを残して行くのは(アタシ)も心配だ。けど、(アタシ)は行かなきゃならない。これはウチの工場だけじゃなく、この工場町全部の問題だ。

 (アタシ)の工場──元々はオヤジの工場だったけど、年で体にガタがきたオヤジに代わって、(アタシ)が工場長を務めてる──は、この辺りの町工場全体に仕事を振る、いっとうデカい工場だ。デカいと言っても、ピンハネで儲けてるアコギな仲介企業どもを通して、大企業からの受注を二束三文で孫請け、曾孫請けする立場だ。それでも、(アタシ)たちはプライド持って仕事してる。ここの町工場と職人たちを守るには、もっともっと、(アタシ)が職人として成長していかなきゃならないんだ。そんなときに届いたこの手紙。こりゃあ、神様が行けって言ってんだ。

 

 

──入学通知書──

 

岩鈴 華(イワスズ ハナ) 様

 

 あなたを 超高校級の職人 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「華ちゃんの腕なら、希望ヶ峰学園でもきっと大丈夫よ!もし何かあったら電話しな!ウチの連中がすっ飛んで行くからね!」

 「へへへっ、おばちゃんあんがとっ!でもこいつらの汚えナリじゃあ、学園の門はくぐれねえんじゃねえかい?」

 「そんときゃあたしが風呂釜にでもブチ込んでやるよ!」

 「ここんとこの女は怖えなあ。こりゃ華ちゃんが立派んなって帰ってきたら、いよいよ俺たちゃ立つ瀬がねえや」

 「華ちゃんのでっけえ尻に敷かれんなら悪かねえけどな!」

 「おい殴るぞオッサン!」

 

 バカだな、こいつら。指も顔も服も黒い油まみれのオッサンたちも、昼間っから飲んだくれて呂律の回ってないジジイも、シミだらけの顔に満面の笑顔を見せるおばちゃんも、みんな(アタシ)に期待して、信じてくれてる。(アタシ)がこの工場町を救うって。

 

 「しっかしずいぶん大勢の見送りだけど、工場は大丈夫なのかい?」

 「華ちゃんが希望ヶ峰学園に行くんだ。工場なんて止めて見送りに来なくちゃ、薄情ってもんだろ?」

 「バカだね全く。(アタシ)なんかのためにそこまでして」

 「みんな、お前のことが好きなんだよ。ほら、おにぎりを作ってやったから、向こうに着くまでの電車で食べなさい」

 「うん、ありがと、オヤジ」

 

 割烹着を着たオヤジが、煤で真っ黒になった包みを差し出してきた。もう職人を引退して、今は家事を全部やってもらってる。オヤジにもっと楽をさせてやりたいし、町工場のみんなの暮らしをもっと良くしてやりたい。希望ヶ峰学園に行って、(アタシ)が職人として成長して、あんなピンハネ野郎たちがいなくても仕事を回せるようになれば、それができる。どんなに大変だってかまうもんか。(アタシ)の人生は、みんなの人生だ。希望ヶ峰学園で、みんなの未来を掴み取ってやる!

 金属同士がこすれる甲高い音と、あちこちから聞こえてくる機械の駆動音、そして工場のみんなのめちゃくちゃな騒ぎ声が、(アタシ)にとっては何よりの応援歌だ。パンパンに詰め込んだリュックを背負って、(アタシ)は町工場を旅立った。

 

 

───岩鈴華は、大勢の人生を背負って入学した───

 


 

 別れはいつも、突然やってくる。それは理解しているし、経験もしていた。だけど私には、見送る側としての経験しかない。だから見送られる側の別れというものは、こんなにも心が苦しいものか、と思った。

 やはり断ろうと何度も思った。こんな辛い別れを経験するくらいなら、大きなチャンスであっても手放してしまえばいいと思った。こんなこと、夢だったと思えばいい。

 

 

──入学通知書──

 

毛利 万梨香(モウリ マリカ) 様

 

 あなたを 超高校級のトリマー として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「かんな、ざき、ふじ。おいで」

 

 名前を呼ぶと、みんな短い足でひょこひょこ歩いて私に飛びついてきた。ぎゅっと抱きしめると、柔らかい感触と温かい匂いに満たされる。強く抱きしめるほど、深く顔をもぐらせるほど、何度も体をこするほど、モフモフの感覚で私の心が癒されていく。

 

 「しばらくお前たちをモフモフできないと思うと、私は辛い。お前たちも一緒に希望ヶ峰学園に来てくれ……」

 「それは困るって、スカウトの人が言ってたでしょ。希望ヶ峰学園にも動物はいるんだから、それでいいじゃない」

 「初見の動物とかんなたちではモフモフの完成度が違う。私が作り上げたこのモフモフがいいんだ」

 「子供みたいなこと言ってないで、さっさと準備なさい」

 

 母さんに怒られてしまった。かんなたちは私の気持ちを分かってくれているようで、私の顔を舐め回している。希望ヶ峰学園にも当然動物はいるだろうが、かんなたちのような長毛の種とは限らない。それに、私が欲したときにモフれなければ意味がないのだ。父さんも母さんも私と同じ動物に携わる者であるのに、なぜこのモフモフの良さが分からないんだろう。

 

 「お父さんもお母さんも、希望ヶ峰学園に行くことが夢だったのよ。万梨香には万梨香のやりたいことや目標があるだろうけど、お父さんとお母さんの分まで、しっかり希望ヶ峰学園で立派になってくるのよ」

 「うん……」

 

 もう何度も聞かされたことだ。父さんは獣医として、母さんはブリーダーとして、それぞれ希望ヶ峰学園からスカウトマンがやってくるほどの人物だったらしい。ただ、スカウトマンに認められるほどの成果を見せることはできなかったようだが。

 だから、私の希望ヶ峰学園入学を誰よりも喜んでいるのは私の両親だ。そのことに不満や文句はない。両親の境遇と気持ちも理解しているし、私だって希望ヶ峰学園に行くこと自体は嫌ではない。

 

 「モフモフするのもいいけど、大事なのは動物とそのオーナーさんがどう思うかだからね。あんたの趣味を押しつけるようなトリマーにだけはなっちゃダメよ」

 「もちろん、気を付ける」

 「友達ができたら、お家に連れて来てね。希望ヶ峰学園の話、いっぱい聞きたいのよ」

 「……それもがんばる」

 「あんた友達少ないんだから」

 「……かんなたちがいるからいい」

 「学校にかんなはいないでしょ」

 

 心なしか、かんなたちの表情もしょんぼりしているように見えた。寂しい気持ちはあるが、このチャンスをふいにすることはできない。時にはこんな、決意と決別も必要だろう。

 待っていてくれ。かんな(コーギー)、ざき(ポメラニアン)、ふじ(チャウチャウ)、よし(チンチラ)、おまつ(アンゴラウサギ)、ずい(烏骨鶏)、ハマ太郎(ゴールデンハムスター)、そのさん(ジャンガリアンハムスター)。またお前たちをモフモフしに、私は戻ってくる。

 

 

───毛利万梨香は、両親の悲願を果たして入学した───

 


 

──入学通知書──

 

芭串(バグシ) ロイ 様

 

 あなたを 超高校級のペインター として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 その紙を見たまま、俺はしばらくの間、固まっていた。希望ヶ峰学園?オレが?まさかあのスカウトマンとか言ってたオッサン、マジに希望ヶ峰学園のスカウトマンだったのか。それよりなにより、重要なのはこの“超高校級のペインター”ってところだ。

 

 「おにいちゃん?どうしたの?」

 「き……!き……!希望ヶ峰学園に……!!入学できるって……!!」

 「希望ヶ峰学園って、あの……?おにいちゃんが?すごい!」

 「“超高校級のペインター”……ペインターだぞ!オレの絵が!希望ヶ峰学園に認められたってことだ!」

 

 今までオレの絵を認めてくれるやつなんて、ほんの少ししかいなかった。オレの妹と、一緒に絵を描いてる仲間くらいだ。ほとんどのやつらはオレの絵を落書きだと言って、上から塗り潰したり、洗い流したり、犯罪だって言うやつもいた。そんなオレの芸術が分からないやつらを見返してやりたいと思ってたんだ。そこに希望ヶ峰学園の入学通知!これ以上の大逆転はねえぜ!

 

 「よかったね!おにいちゃん、いつもアリサのためにキレイな絵いっぱいかいてくれるから、神様がごほうびをくれたんだよ!」

 「ああ、そうだな。お前はオレの絵をずっと喜んでくれてたもんな」

 「えへへ」

 

 オレへの入学通知なのに、自分のことのように妹は喜んでくれる。サラサラ流れる金髪の頭を撫でてやると、くすぐったそうに笑った。その笑顔はどこまでも屈託がなくて、病院のベッドに寝てることがウソかと思えるくらいだ。腕から伸びるチューブの先で、オレたちが話している間も変わらないペースで、点滴が時を刻んでいる。

 

 「ねえおにいちゃん!アリサも希望ヶ峰学園行ってみたい!どんな人がいるのか、おにいちゃんのお友達になる人たちも知りたい!」

 「そうかそうか。うれしいなァ……可愛くて兄想いの良い妹を持ったぜオレは……。けどなアリサ。お前が今しなくちゃいけないことはなんだ?」

 「……えっと、体を治すこと」

 「そうだ。生まれつき体が弱くてピクニックもまともにできなかったお前だけど、日本の医者ならピクニックどころか、スポーツができるくらいまで回復させられる。そのために日本に来たんだ。今はガマンしてくれ」

 「でも……」

 「いま無茶すると、アサクサに行けるのはずっと先になるぞ?ニッコーも、オイセも、ダザイフもだ」

 「それは……」

 「だから、今はガマンだ。分かったか?」

 「……」

 「代わりに、希望ヶ峰学園から毎日にいちゃんが学園の絵を描いて送ってやる。だから、離れてても一緒だ。な?」

 

 優しく頭を撫でながら言い聞かせると、アリサはゆっくり頷いた。目をうるうるさせてるけど、不満そうにほっぺたを膨らしてるけど、悔しそうにシーツを握る手に力がこもってるけど、その気持ちを押し殺して言うことを聞いてくれた。

 

 「いい子だ」

 

 ふてくされて布団にもぐるアリサのおでこにキスして、オレは病室を後にした。希望ヶ峰学園。どんなところか。どんなやつらがいるか。なんでもいい。オレの芸術を認めてくれたんなら、オレはオレの絵を描き続けるだけだ。希望ヶ峰学園から、オレの絵を世界中に認めさせてやる!

 

 

───芭串ロイは、自分の芸術を世界に認めさせるため入学した───

 


 

 海にいた。累々と横たわった人間が生み出した、噎せ返るほどの激臭を放つ血の海だ。目を覚ました自分の周りは、その海に血を注ぎ続ける死体に囲まれていた。体中が痛む。気を失っている間のことは分からない。どっちが勝った?戦場でずっと励まし続けてくれたあの人は?コロシアイは……どうなった?

 

 「……!お、おいお前!!生きてんのか!?」

 

 視界の外から急に大声をかけられ、同時に力強く抱きしめられた。心臓が止まりそうなほど驚いても体が反応しない。だけどその暑苦しいほどの抱擁が、緊張で固まっていた体を緩やかに解きほぐしていった。なんとか動く首だけで、問いかけに肯定の意を返す。

 

 「よかった……!そうか!さすがだ!よく頑張った!もう大丈夫だぞ!ここは制圧した!俺たちの勝ちだ!」

 

 勝ち。喜ぶべきその言葉は、冷たい部屋の壁に跳ね返って足下に転がった。大勢死んだ。敵も味方も、この部屋に辿り着くまでにも、辿り着いてからも。生き残ったのは、涙声でがなり続けるこの人と自分だけ。これが勝利か。これが、命を懸けた先にある栄光か。それはこんなにも……虚しいものだったのか。

 

 「さっき応援を呼んだ!すぐに青宮たちが来る!」

 「コロシアイ……、コロシアイ……は……?」

 「……ここを制圧しただけじゃコロシアイは止められねェ。向こうの奴らも上手くいってるといいが」

 

 立ち上る血と火薬の臭いから逃げるように、その場を離れて廊下へと移動する。敵はここを死守していたから、入口とこの部屋を結ぶ最短ルート以外は、死体もさほど転がっていない。安全を確認してから装備とマスクを外す。首元から入り込んだ外気が、肌に張り付いた汗を掠め取っていき、寒気すら覚えた。

 

 「どうやら俺たち以外は敵も味方も全滅したらしい。まァ、HHIのバカ野郎共の企みをぶっ潰したんだ。あいつらも本望だろうさ」

 

 あっさりとそう言ってのけたその顔を見て、口の中に不快感が満ちた。死人に口なし、とはよく言ったものだ。生者が死者の思いを決めつけるなんて傲慢だ。死んだこともないくせに。粘ついた生唾と一緒にそれを吐き出して、未だ止まらない汗を拭う。

 

 「それに、お前が生き残ったんだ。銃も持ったことねェだろうに、よく生き残った」

 

 デリカシーなく頭をがしがし撫でられる。生き残った。そうだ。自分はまた(傍点)生き残った。ここでも、あの時も。生き残ってしまった。死ぬことができなかった自分に、死に行く彼らの思いを知ることはできない。その心中を推し量ることも烏滸がましい。

 それでも、彼らを安らかに死なせるためならなんでもする。そのためになら、この命を懸けられる。彼らの“死”は、死んでも守る。




キャラクターがたくさんいて描写しきれないけど描写しておきたい設定等があったので、こんな感じに全員のバックグラウンドを書いていくことにしました。前作のプロローグをもっと細かくしたような感じですね。


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暗黒星下の希望人

──入学通知書──

 

庵野 宣道(アンノ ノブミチ) 様

 

 あなたを 超高校級の宣教師 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 いまも夢かと思えてしまう。まさか手前のような者が、かの希望ヶ峰学園に招かれるとは。

 

 「素晴らしいことです。フランチェスコ・庵野。敬虔なるあなたの行いを、神は見ておられました」

 「ありがとうございます」

 

 荘厳な光が差し込む教会の中、パイプオルガンの神聖な音が私と神父様に降り注ぐ。目を閉じて祈りを捧げれば、今にも神の御言葉が聞こえてきそうな、厳粛な世界だ。跪いて祈る手前の肩に、神父様がそっと手を置かれる。

 

 「私には、希望ヶ峰学園の中のことは分かりません。しかし、卒業すれば成功が約束されると言われる、日本一の学府です。あなたはあなたの為すべきことを為し、その名に恥じることのない学園生活を全うなさい」

 「はい」

 「あなたの“才能”は素晴らしい。ですが、往々にして人は誉れを受けると増長するものです。常に己を見直し、“才能”溢れる人々が集まる希望ヶ峰学園でも、愛することを忘れず生徒の模範となるよう努めなさい」

 「はい」

 

 神父様から下される言葉が、手前の胸の底に染み込んでいく。“超高校級の宣教師”の肩書きを拝したとはいえ、手前は未だ一介の迷える羊。神父様の元を離れ、自分ひとりで神の意志に基づき行動することができるのだろうか。不安とは言わない。自分を律することは当然のことだ。しかし、満足のいく時間を過ごすことができるか、それだけが気懸かりだ。

 

 「安心なさい。健全なる魂は健全なる肉体に宿る。健全なる肉体は健全な信仰を元に成る。健全な信仰は健全な暮らしに根付く。健全な暮らしは健全な愛が支える。あなたが常に自己を見つめ続け、人を愛し、日々感謝し暮らしていくのであれば、必ずやその魂は清くあるでしょう」

 「ありがとうございます。神父様の言葉を胸に、希望ヶ峰学園でも神の意志に従い過ごします」

 「汝、愛とともにあらんことを」

 

 最後に祈りの言葉を捧げて、神父様は私に伝えるべき言葉を終えた。祈りを受けた手前は、そのまま後ろに下がり、もう一度祈ってから神父様に背を向けた。入口へと続く道の両脇に、小さき弟らが花を持って並ぶ。希望ヶ峰学園に旅立つ手前への餞に、聖なる歌を浴びせかける。身が清められるようだ。

 この教会には、親元を離れて神の教えに従い清貧の中で生きる者が多くいる。手前もそのひとりだ。もはや血の繋がった親よりも、ここにいる家族と過ごした時間の方が長い。そして手前は、その教会を旅立ち、再びひとりで新天地へと赴く。あの頃のように何も知らない幼子ではなく、認められたひとりの宣教師として。

 きっとこれも、神の思し召しだろう。これは神の施しであり、同時に試練でもある。それが天上の意思ならば、手前はそれに従うまでである。

 

 

───庵野宣道は、神の導きに従い入学した───

 

 

 

 

 

 飛行機は雲を突き抜けて、遮るもののない太陽の光の中へ飛び出した。窓から差し込む眩しいほどのこの光が何よりも好きだ。かつて太陽の沈まない国と言われた祖国は、彼の時代、この光を絶えず浴び続けていた。サングラスをずらしてその光を直に目で受ける。

 

 「Bueno(アツいぜ)

 

 

──入学通知書──

 

 カルロス・マルティン・フェルナンド 様

 

 あなたを 超高校級のマタドール として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 スターというものは、いつ何時でもスターでなくてはならない。それは、こうしてビジネスクラスで寛いでいる瞬間でもだ。いつどんなときに、オレのGuapa(かわいこちゃん)たちがサインや写真を求めてくるか分からないからな。もちろん、今日この便にオレが乗っていることはUltra secreto(トップsecret)だ。そうでなきゃ、熱烈なGuapa(かわいこちゃん)たちが押し寄せてこの飛行機はいつまでもスペインの地から離れられないままだった。

 それでも、空港でオレの姿を見た子がいるだろう。そしてこの飛行機のチケットをなんとか手に入れて、オレに声をかけるチャンスを伺っていることだろう。可哀想だけど、オレの方から声をかけてあげることはできないのさ。なぜならそれは、他のGuapa(かわいこちゃん)たちにフェアじゃないから。

 

 「スターはつらいぜ……」

 

 だからもし、勇気を振り絞って声をかけてきてくれたGuapa(かわいこちゃん)がいたら、こう言ってあげるのさ。

 

 「カ、カルロスさん!私、カルロスさんを空港で見かけていてもたってもいられなくって!ご迷惑でしょうけど……あなたのためにポルボロンを作ったんです!受け取ってください!」(裏声)

 「ありがとう、Señorita(お嬢さん)。だけどいけないな、ここはビジネスクラスだよ。チケットがないと入れない場所だ。それに、こうしたプレゼントは受け取っちゃいけないんだ。ボクはボクのファンみんなにフェアでいたいからね」

 「そうですか……すみません。私、自分勝手でしたよね。席に戻ります」(裏声)

 「ちょっと待って。そのポルボロン、ひとつ貸してくれないか?」

 「えっ?どうしたんですかカルロスさん。ポルボロンの包みをほどいて……受け取れないんじゃ──」(裏声)

 「目を閉じて」

 「へっ──あむっ」(裏声)

 「受け取ることはできないけれど、キミの想いにこれくらいの返事はしてあげられるさ」

 「……ッ!ポ、ポルボロン………!ポルボロン……!ポルボロン……!(裏声)

 

 “こう”、ね!!

 ふう。それにしても、このオレに目を付けるとは、ジャポンの希望ヶ峰学園っていうところもなかなか見る目があるじゃないか。闘牛(トレオ)界に突如として現れたニュースター!マドリードの白い風!歴代最高にして最年少マタドールである、このオレにね。

 希望ヶ峰学園がどんなところか知らないが、ずいぶんと有名な学校だそうじゃないか。だったら、利用させてもらうとしよう。このカルロス・マルティン・フェルナンドの名前と、闘牛(トレオ)文化の素晴らしさを、ジャポンに広めてやろうじゃないか!

 

 

───カルロス・マルティン・フェルナンドは、愛する闘牛文化を広めるために入学した───

 

 

 

 

 

 荷物をある程度片付けて、明日の出発に備えた。時間に余裕はあるけれど、気持ちが揺らがないうちに家を出ないと。いつでも帰って来られるとはいえ、希望ヶ峰学園とここは近くない。出発するときは、ちゃんとお別れを言わなくちゃ。

 今日は地元のみんなが私の壮行会を開いてくれている。旅立つ私を笑顔で送り出してくれるみんなに、私も笑顔で応えなくちゃ。よし、と自分に気合を入れてリビングのドアを開けた。

 

 「つゆ姉ちゃん!希望ヶ峰学園入学おめでとー!」

 

 ぱん、ぱん、ぱん、とクラッカーが鳴った。飛び出したテープと紙吹雪がはらはら落ちて来て、視界に垂れ下がる。一拍あいて、拍手喝采が起きた。音に驚いた私は、ぽかんと口を開けていた。

 

 「おめでとーーー!!」

 「すごいぞ露子ちゃん!!よっ!陣高の希望の星!」

 「つゆこおねーちゃんおめでとー!」

 

 家族と親戚のみんな、それと近所の子供たちは来るって話を聞いてた。だけど、中学の友達や高校の先生、ボランティアクラブの人たちまで来てるなんて思わなかった。みんなが笑顔で、私のために集まってくれて、私の希望ヶ峰学園入学をお祝いしてくれた。頭の中で整理が付いてくると、今度は感情が激しく込み上げてきた。

 

 「うっ……!」

 「あっ!つゆこが泣いた!」

 「びっくりした?つゆっちが希望ヶ峰行くっていうから、みんな連れてきたんだ!」

 「みんな……!あ、ありがとう……!うれしいよ……!」

 「露子ちゃんはいい子だからねえ。いつ希望ヶ峰学園にスカウトされてもおかしくないと私は思ってたよ」

 「電話で聞いたとき一番びっくりしてたくせによく言いますよ」

 「あはっ……あははっ……!」

 

 笑顔でって決めてたのに、こんなのズルいよ……!私がこんなにみんなに想われてたなんて、今更気付いた。これじゃあますます、希望ヶ峰学園で頑張らなくちゃ。

 

 「なんだかこっちまで鼻が高いな」

 「でもな露子ちゃあん!希望ヶ峰学園はすごいけどなあ!それで満足しちゃいかんぞぅ!入学してから何をするかってのが大事でぇ!油断してたらすぐに───」

 「はいはい。お父さんはあっちで飲んでて」

 「うふふ……ありがとうございます、叔父さん。頑張りますね……」

 「でもこれで、もしかしたら資格取れるようになるかも知れないわね」

 「そうね。希望ヶ峰学園できちんと成果を残して、卒業したら……!本当になれるかも知れない……!」

 

 希望ヶ峰学園にスカウトされたとはいえ、今の私はただの高校生。だけど、学園を卒業したという経歴があれば、認められるかも知れない。そうしたら、絶対になってみせるわ……!

 

 本物の、サンタクロースに!

 

 

──入学通知書──

 

三沢 露子(ミサワ ツユコ) 様

 

 あなたを 超高校級のサンタクロース として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

───三沢露子は、本物のサンタクロースになるために入学した───

 

 

 

 

 

 その日、拙僧はハガ師匠に呼び出されていました。お堂の中でハガ師匠は座布団に腰を下ろし、拙僧は堅い板張りの上で正座していました。弟弟子が淹れた渋いお茶をあおってから、ハガ師匠は拙僧に封筒を差し出されました。

 

 「これは?」

 「希望ヶ峰学園からの入学通知だ」

 「希望ヶ峰学園……へえ、師匠、高校生になるんですか」

 「そんなわけあるか。お前に来とるんじゃ」

 「拙僧に?しかし、拙僧は既に高校に通っておりますが」

 「ここは“才能”溢れる高校生をスカウトして運営している、まあ、おかしな学校だ」

 

 そういえばそんな話がありましたね。将来有望な“超高校級”の生徒を集めた学校があると。その入学通知ということは、拙僧はこれからそこに通うことになるのですか。

 

 

──入学通知書──

 

狭山 狐々乃(サヤマ ココノ) 様

 

 あなたを 超高校級のシャーマン として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「なるほど、つまりは転校ですね」

 「うむ。お前にとっても悪い話ではないから、これも経験のひとつとして行くべきだとは思う。だが、なあ……」

 「何かご心配事でも?」

 「希望ヶ峰学園はここから些か遠い。これまでのように学校と修行を両立させるのが難しくなる」

 

 なるほど。この封筒の送り元の住所は、ここから電車をいくつも乗り継いで行かないといけない場所でした。頭の中に日本地図を思い浮かべて、その遠さをなんとなくイメージします。

 

 「さすがにこれは通えませんね」

 「そうだ。お前が優秀なのはこの紙が証明しているが、修行を止めるわけには……」

 「何を仰る師匠!拙僧は生まれた時から師匠の修行に耐えて来て、師匠をお慕いしています!場所が変わろうと修行をやめるわけがないでしょう!」

 

 師匠の心配も尤もですが、こんなことは願って訪れるチャンスではありません。拙僧はずっと師匠の修行に耐えて来て、もう1週間の修行のローテーションだって頭に入っています。拙僧のこの熱意を必死に説き、なんとか師匠に分かってもらえました。

 

 「では、3日後に出発としよう。荷物をまとめておきなさい」

 「はい。師匠、今までお世話になりました。失礼いたします」

 

 恭しく礼をして、拙僧はお堂を後にしました。そして、兄弟子殿らが待つ修行場へ行く。と見せかけて道を外れ、藪の中に分け入っていきました。辺りに人がいないことを確認して、希望ヶ峰学園からの手紙をもう一度読みました。

 

 「……い、

 

 

 

  いよっしゃああああああああああっ!!!」

 

 希望ヶ峰学園!!人里!!否!都会!!大都会!!拙僧の人生大逆転勝利キタァーーーッ!!

 

 「美味しいご飯がお腹いっぱい食べられて愉快な娯楽が山ほどあって人がたくさんいる華の大都会!!ポチャポチャお風呂にあったかい布団で眠れるコン世の楽園!!修行なんか言隹(だあれ)がやりますかぁ!!コン輪際御免ですね!!つらつら修行編完!!コン後は狐々乃の人生謳歌編に乞うご期待ですよォーーー!!」

 

 なっはっはっは!!こりゃ笑いが止まりませんなーーー!!いい感じィィーーー!!

 

 

───狭山狐々乃は、修行をサボるために入学した───

 

 

 

 

 

 「炒飯両、拉麺餃子セット一个!」

 「あいヨー!」

 

 店中に聞こえるマイクの声に合わせて、厨房から元気よく返事。次々入るオーダー通りにどんどん焼いてどんどん運ぶ。鉄鍋をガンガン叩く音、お皿がカチャカチャ鳴る音、お客さんの声とスタッフの声が飛び交う、ここはまさに戦場と言っても過言じゃないネ。

 

 「萌ちゃんこれカウンター7番!おあとテーブル11番!」

 「好到(りょうかい)!」

 

 盛り付け終わったお皿がフリスビーみたいに飛び出したら、ワタシがキャッチして持ってく。ちょっと偏っても気にしないネ。戦場ではそんなこと気にしちゃダメネ。そんなやつは死んじゃうヨ。

 お昼ご飯の時間が過ぎてもお店はまだまだ大繁盛。スーツのお客さんが大学生やおばちゃんと入れ替わって、もう少ししたらちょっと落ち着いてきた。でもワタシたちはまだ休憩じゃないヨ。夜の分の仕込みしとかないと、後で泣くのは自分たちネ。

 

 「萌ちゃん、こんなときでもお店助けてくれてありがとうね。明日から希望ヶ峰学園なんだろ?準備はできてるのかい?」

 「無問題(へrっちゃらネ)!ワタシ荷物全然ないヨ。どこででも生きていけるネ」

 

 

──入学通知書──

 

長島 萌(ナガシマ モエ) 様

 

 あなたを 超高校級のスナイパー として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「年頃の女の子なんだから色々必要じゃないの?うちの子も色々必要だって言ってたけど、余り物でよかったら持って来てあげるわよ」

 「真的(ホントに)?それは嬉しい!謝謝(ありがとう)ネ、恵恵!」

 「萌ちゃんはうちの看板娘だったのになあ。俺の腕じゃあ、萌ちゃんがいてようやくまともに客が集まるってのに」

 「そんなことないヨ!ワタシ英英の餃子も拉麺も大好きネ!」

 「おっ!そんじゃあ今日のまかないは、萌ちゃんのためにうちの秘蔵の食材出してやろうかな!」

 「そんなことして、マネージャーに怒られても知らないよ」

 「いいんだよそんなこた。よっしゃ萌ちゃん!俺からの餞別だ!なんでも好きなもの言いな!」

 「太好了(やったー)!」

 

 バイトしてるお店のみんな、ワタシに優しくしてくれるネ。ワタシもみんなのこと大好きだけど、悲しいけどお別れネ。だって、ここでバイトしてるより、希望ヶ峰学園に行った方が、いっぱいいっぱいい〜〜〜っぱいお金稼げるヨ。入学するだけで、ワタシの家族みんな3ヶ月はお腹いっぱい食べられるくらいのお金が貰えるネ。それに、在学中も卒業してからも、希望ヶ峰学園の生徒っていうだけでたくさんボーナス付くネ。

 

 「ワタシ、みんなのこと忘れないヨ。希望ヶ峰学園でいっぱいお金稼いで、卒業したらまたここに戻ってくるネ」

 「なーに言ってんの!希望ヶ峰学園卒業したんなら、うちよりもっと稼ぎのいい仕事たくさんあるわよ!むしろたくさん稼いで、うちでたくさん食べて頂戴!」

 「うん、じゃあそうするヨ!」

 

───長島萌は、金を稼ぐために入学した───

 

 

 

 

 

 カプセルの中にいた。いつの間にか目を閉じて眠っていたらしい。青白い照明の中で、下着姿になった自分に気付く。寝慣れない場所のはずなのに、なぜか体は軽く頭の中がスッキリしている。アラームのような機械音がしたかと思うと、空気が漏れ出す音とともに、天井が開いた。

 

 「気分はどうですか」

 

 覗き込んできたのは、波のようにうねる髪の男性だった。眼鏡の奥の瞳は暗く、気遣うような言葉もどこか無愛想だ。カプセルがゆっくり起き上がって、その男性と向かい合う形になる。ほぼ垂直になったカプセルから、自然と足が前に出て歩み出た。

 

 「どこも異状はなさそうですね。著しい疲労があったくらいで、赤郷さんと一緒に行動してほぼ無傷とは、“超高校級の幸運”ですか、君は」

 

 手に持った書類をめくりながら、その男がつむじからつま先までじろじろ見つめる。まるでヘビのように、視線が体にまとわりつく感じだ。居心地の悪さを感じていると、部屋のドアが開いてまた男が入ってきた。

 人を目で舐め回しているこの男とは対象的に、健康的に日焼けした肌を惜しげもなく晒し、首から赤いタオルをかけた快活な男だった。一緒にこの施設に突撃して生き残った、あの特攻隊長だった。どうやら彼は、同じようにカプセルの中で回復した後、シャワーを浴びてきたらしい。

 

 「おう!出て来やがったか!さすがは“超高校級”だ!こんくらいでいつまでも寝てられねえやな!」

 「声がデカいです。なぜ上裸なんですか」

 「服が見つからねえんだよ。どこだ」

 「知りませんよ。バカのひとつ覚えみたいに、なんでもかんでも俺に聞けばなんとかなると思わないでください。バカ郷さん」

 「なんだよ。自分はそいつに興味津々で現場離れてるくせによ、アホ宮め」

 

 二人は互いには通じているのだろう罵倒を交わした。そこには、相手を罵る以上の意味が含まれているようだった。ヘビのような男は振り返ってから、手元の書類に目を落とした。

 

 「さて、二人に良いニュースと悪いニュース、そしてクソ・ザ・ファックなニュースがあります。では良いニュースから」

 「選ばせる時の言い方だろそれ!」

 「この支部は我々が制圧しました。作戦成功、ご苦労様です」

 「当然だ。伊達に“超高校級の尖兵”やってねえよ」

 「()“超高校級の尖兵”ですね。次に悪いニュースです。()()()()は失敗しました」

 

 失敗、男の言葉が頭の中で反響する。この計画に参加する前に、作戦全体の動きは聞いていた。あちら側が失敗したということは、()()の回収はできなかったということだ。

 

 「最後にクソ・ザ・ファックニュースです。コロシアイは止められません」

 「……はあっ!?」

 

 ヘビのような男は、こともなげにそう言った。コロシアイは止められない、それが何を意味しているのか理解するのを脳が躊躇する。それは今回の作戦の目的の全てだ。この突入作戦と、失敗した回収作戦は、どちらもコロシアイを止めるために必要なものだったはずだ。

 

 「厳密には、止められる可能性は残されています。システムにかかったプロテクトを解除すれば、コロシアイは止められます」

 「だったらそうしろよ!お前“超高校級のエンジニア”だろ!」

 「()、です。ひとりの天才より10人の凡才の方が優れているのがこの世界です。奴らの知能の粋を集めたプログラムを、ここまで解析できただけ重畳と思ってください」

 

 戦場に身を投じて、死ぬような思いをして、得られたものは残酷な現実だけだった。そんなものがこの世界なのか?この世界はそんなにも理不尽で、残酷なのか?この想いはそんなにも、遂げがたいものなのか?

 

 「報告は以上です。ま、期待するのは自由です。可能性が存在するのであれば、ベストは尽くします。ただ、理解しておいてください。彼らの命を救うことは、絶望的だと」

 

 希望のために戦うその男は、冷たく言い放った。




ハーメルンは特殊タグが充実しているので、今回はあれこれ試してみました。アホな時にはとことんアホにできるので楽しいですね。
特殊タグ使いで言えば、同じ創作論破の『エクストラダンガンロンパ』が顕著ですね。めんどくさいけど勉強していかないといけないですね。


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終幕は安息にてただ静かに眠れ

 「君は入学しなさい」

 

 僕の顔をじっと見て、そいつは言った。答えを聞くより先に手元の書類に目を落とし、決定の判を捺す。そんな紙切れ一枚で、すべて自分の思い通りになると思ってるんなら、滑稽だ。

 

 

──入学通知書──

 

月浦(ツキウラ) ちぐ 様

 

 あなたを 超高校級のプロデューサー として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「希望ヶ峰学園のカリキュラムをこなせば、君はプロデューサーとして更に成長して戻ってくる。そうすれば、将来性のあるタレントやこの業界の重鎮を担当してもらうことになるだろう。まさに、希望に満ちた未来が待っているというわけだ」

 

 このタヌキ親父は、そんな薄っぺらい言葉で僕が納得するとでも思っているのだろうか。いつから僕がこいつに雇われていると、いつまで僕が従順な社員であると錯覚しているんだ。僕はこの会社で()()()()()()()だけだ。たまたま働く場所がこいつの下だっただけだ。信頼関係のひとつも築こうとせず、都合良く扱える歯車とでも思っているのか。とんだ間抜けだ。

 

 「はぐはどうするんですか」

 「彼女の“才能”は既に業界全体が認めている。希望ヶ峰学園は素晴らしい場所だが、彼女のいるべき場所ではない。そうした選択も、人生では大事なことだ」

 「……はぁ、そうですか」

 

 くだらない。そんな美辞麗句は、相手を選んで出すものだ。建前なんか僕は聞いちゃいない。自然に出てきたため息をきっかけに、僕は胸ポケットの膨らみを掴み、目の前に叩きつけた。

 

 「ん?なにかねこれは」

 「退所届です。僕と、はぐの」

 「……はあ?」

 

 意味がわからない、という顔だ。やっぱり、こうなることなんか夢にも思ってなかったわけだ。浅い。こんなやつにはぐを任せておけるわけがない。いや、そもそも僕以外にはぐを任せることなんてあり得ない。

 

 「あんたの目的は二つだ。一つは、希望ヶ峰学園から入学者を送り出した団体に支払われる補填金。それはいい。あんたが金にがめついことは最初から知ってる。もう一つ、僕とはぐを引き離すことだ。はぐに今よりもっと稼がせるためには、僕が邪魔だから。だけどそんなこと絶対に許さない。それはぐのためにならない。はぐはそんなに安くない。はぐがする仕事の選択は僕がする。だから、もうはぐにこの事務所は必要ない」

 「な、な、何を馬鹿なことを……!陽面君の意見もきかずに決められるか!」

 「だったら直接聞いてみろ。人を働かせてるのか働いてもらってるのかの違いも分からないなら、な」

 「つ、月浦ァ……!俺にそんな態度をとって、陽面がこの世界で生きていけると思ってんのか!」

 

 もう付き合いきれない。こいつが今まで現場でデカい顔をできたのは、はぐという強力なカードを持っていたからだ。こんな弱小事務所の社長がいくら喚いたところで、この世界にさざ波一つ立てられやしない。

 

 「はぐは僕が守る。命に代えても」

 

 

───月浦ちぐは、陽面はぐを守るために入学した───

 


 

 はぐが部屋に入ったとき、社長さんは椅子にどっかり座ってた。座ってたっていうより、高いところから椅子の上に落ちてきたみたい。いつもはビシッと決まってる髪もなんだかボサボサだし、汗もかいてる。

 

 「社長さん?大丈夫?」

 「……陽面」

 

 ぼんやりはぐのことを見つめるその目は、いつもの自信たっぷりな社長さんらしくない、初めて見る目だった。そして、はぐを呼んで、質問した。

 

 「君の気持ちを聞かせてくれ」

 「はい?」

 「月浦がいなくなる代わりに、君が芸能界で今まで以上に活躍し歌手や女優業もこなして一大スターになることと、月浦と一緒にいられるが、今後一切仕事がなくなること。もしそうなったら、君はどちらを選ぶのかね」

 「ちぐと一緒にいる方がいいですねー」

 「……」

 

 おかしなこと聞くなー、社長さんは。そんなの決まってるじゃん。ちぐと一緒じゃないと、はぐは何にもできないんだもん。ちぐくらい、はぐのことを考えてくれる人なんて他にいないし。もし今のお仕事ができなくなったとしても、ちぐと一緒なら、きっとなんとかなる、よね。

 

 「君は本当に、裏表のない人間なんだな……。羨ましいよ」

 「はぐにとっては社長さんだって羨ましいですよ?局のお偉いさんとか業界の大御所さんとお友達なんですもんねー」

 「……ついでに屈託もないな」

 

 

──入学通知書──

 

陽面(ヒオモテ) はぐ 様

 

 あなたを 超高校級のマスコット として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「あ、そーだ。社長。寂しいですけど、今日でさよならです。今までありがとうございました!それじゃ!」

 「ひ、陽面君……!もう一度考え直してくれないか……?今度は……!」

 「ごめんなさ〜い。ちぐが待ってるから、もう行かなきゃ。社長さんお元気で!風邪引かないでね〜!」

 

 社長さんは、最後に何か言いたかったみたい。だけどちぐから、耳を貸しちゃいけないって言われてるし。何を言われてもちぐと一緒じゃないと、はぐはイヤだ。それに、もうこの事務所はいらないらしい。はぐは、希望ヶ峰学園っていうところでもっともっと色んな人と関わって、たくさんお勉強して、ちぐと一緒に幸せになるんだっ。

 

 「ち〜ぐっ♬終わったよ〜」

 「おかえり、はぐ。社長はなんて?」

 「ちぐと離ればなれになるのと一緒にいるの、どっちがいいかって。なんでそんなこと聞いたんだろうね?」

 「さあね。オジサンの考えることは分からないよ」

 「あーあ。なんかおなか減った。ちぐ、今はぐが食べたいもの分かる?」

 「カスタードの鯛焼きだろ」

 「どっひゃー!?なんでいつも分かるのー!?」

 「はぐのことはなんでも分かるよ。当たり前じゃないか」

 「えへへっ♬じゃ、食べに行こっか!」

 「一個だけだよ」

 「はーい!」

 

 希望ヶ峰学園から届いた入学通知を大事に抱えて、はぐとちぐは事務所を出た。これからは、新しい生活が待ってるんだ!新しい学園、新しい世界、新しい友達!それに学校でもちぐと一緒!えへへっ、楽しみだなあ!

 

 

───陽面はぐは、月浦ちぐと一緒にいるために入学した───

 


 

──入学通知書──

 

理刈 法子(リカル ホウコ) 様

 

 あなたを 超高校級の法律家 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「おめでとう。我が校の代表として、栄えある希望ヶ峰学園の生徒として、今後益々のご活躍を期待しています」

 「ありがとうございます」

 

 練習どおりの校長の言葉。練習どおりの所作に、練習どおりの演奏。私は希望ヶ峰学園からの入学通知を粛々と受け取ると、そのままホールから退場した。

 厳粛な雰囲気で行われた式の後、私は教室でナガオカさんに感謝されていた。私にとってはもう過ぎた話だけど、彼女にとってはきっと、これからもずっと抱え続ける問題なんだろう。私はただ、その感謝の言葉を受け入れていた。

 

 「理刈さん、本当におめでとう。私、理刈さんならきっと希望ヶ峰学園に行けるって思ってたよ」

 「大袈裟よ……“超高校級”って言ったって、まだまだただの高校生なんだから」

 「それでも、人類の希望として認められたってことでしょ。なんだか、関係ないのに私まで嬉しくなるね」

 「私も、そう思ってくれるのは嬉しい」

 「あのとき理刈さんが私に声をかけてくれて、助けてくれたこと、本当に嬉しかった。理刈さんがいなかったら、私……どうなってたか分からないよ」

 

 私とナガオカさんはただのクラスメイトだった。それ以上でもそれ以下でもない、ありふれた関係だった。だけど彼女がストーカー被害に悩まされてるっていう話を聞いて、何か手助けができないかって声をかけた。それが、私とナガオカさんが初めてまともに交わした会話だった。

 

 「理刈さんが色々アドバイスしてくれたり手伝ってくれたりしたおかげで解決したんだよ」

 「ナガオカさんが勇気を持って、毅然と対応したからよ。私は大したことしてないわ」

 「でも裁判のとき、弁護士さんより喋ってたよね?」

 「……それは忘れてちょうだい」

 

 傍聴席以外で法廷に入るのが初めてだったから、つい興奮しちゃって喋りすぎただけなのに……。法廷画家が面白がって私の絵ばっかり描くものだから、すっかり私はちょっとした有名人になってしまった。そんなつもりじゃなかったのに。被害者のナガオカさんの顔まで広まらなかったのが唯一の救いだわ。

 

 「遠いところに転校しちゃうけど、また困ったことがあったらいつでも連絡してちょうだいね。私にできることはなんでもするつもりよ」

 「理刈さんこそ、希望ヶ峰学園で友達作れるように頑張ってね。私調べたんだけど、“超高校級”の人たちってなんかちょっとアレな人が多いみたいだから、理刈さん生真面目だし、ケンカしちゃダメだよ?」

 「しないわよ……」

 「あははっ!」

 

 屈託なく笑うナガオカさんは、あの頃とはすっかり変わった。ナガオカさんの笑顔を見ていると、まだ未熟で非力な私でも悩んでる人を救うことができるって実感できる。ナガオカさんは私に助けられたって言ってるけど、私だってナガオカさんに励まされてる。ナガオカさんはそれに気付いてないみたいだけれど。

 

 「それじゃあまたね、理刈さん。立派な……弁護士?検察?裁判官かな?」

 「まあ決め切れてないわ。法曹って言っておけば間違いないわよ」

 「じゃあ改めて……立派な法曹になって戻って来てね!」

 「ええ。ありがとう、ナガオカさん」

 

 

───理刈法子は、最高の環境で成長するため入学した───

 


 

 「〽ぁさけがのめ〜るさけがのめ〜るさけがのめぇ〜るぞぉ〜〜っと♬へへへっ……」

 

 墨汁みてぇに真っ暗になった空の真ん中に、まんまるお月さんがひとつ。夏も終わりだってのにまだ暑い。うちからかっぱらってきた徳利を傾けて、月見酒を一献……!

 

 「おい王村ァ!!屋上で酒飲むなって何回言わせんだテメェは!!」

 

 ひとりで静かに酒を飲みてぇのに、すぐに見つかっちまった。先生はすごい勢いでおいらから酒を取り上げて耳を引っ張りやがる。

 

 「いででいでぇっておい、先生よぉ。わあったわあった悪うござんしたよぅ」

 「よーし、今日はこのまま校長室だ」

 「は?なんだい、いよいよ酒の飲み過ぎで退学かい?」

 「ああそうだな。この学校からは出て行ってもらう」

 

 なんだそりゃぁ。せっかくの酔いが醒めちまうじゃねぇか。そりゃ高校で酒を飲むのは悪いたぁ思うけど、おいらぁ酒蔵の倅だぜ?ちょっとくらいいいじゃねぇか。

 これからは酒造りだけじゃなく色んなことも知らなきゃいけねぇってテメェから親父に無理言って定時制の高校に入れてもらっといて退学なんて、さすがにシャレにならねぇ。死ぬまで蔵に閉じ込められて道行くカップルに泣きながら叫ぶ余生なんておいらぁ嫌だぜ。

 とはいえ、おいらじゃぁ先生を振り切ることもできねぇし、耳も痛ぇし、ここは大人しく校長室に行っておこう。

 

 「校長、失礼します」

 

 先生は短く言って校長室のドアを開けた。この部屋には初めて入る。応接家具と校旗、絵とトロフィーが飾られた棚、校長先生の机があるくらいだ。酒は……ねぇか。

 

 「王村君はそこに座りなさい」

 「はぁ……校長先生、おいらぁクビですか?」

 「クビ?とんでもない。これぞまさに栄転だよ」

 「えいてん?」

 

 さすが校長先生は難しい言葉を使うなぁ。頭ン中でひらがなのまんまその言葉がぐるぐる回る。けどそんな言葉は、校長先生が差し出した手紙を読んだら忘れちまった。

 

 

──入学通知書──

 

王村 伊蔵(キミムラ イゾウ) 様

 

 あなたを 超高校級の蔵人 として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「なんだいこりゃ?」

 「希望ヶ峰学園への入学通知だ。あの希望ヶ峰学園が、君を欲しがっているんだよ」

 「へぇ。そんなところがあんのかぃ。ん?入学通知?おいらぁそこ行くんか?」

 「ああそうだ。入学手続きは既に進めている。君には希望ヶ峰学園に転入してもらう。勝手に決めてしまって申し訳ないね」

 「ふぅ〜ん……校長先生。ひとつだけ、いいか?」

 「なにかね?」

 「これってすげぇことだよな?めでてぇことだよな?」

 「ああ、そうだね」

 「ってことは……お祝いしなきゃだなぁ」

 

 つまり……!

 

 「祝い酒飲まねぇとだなぁ!!へへへっ、酒だ酒ぇ!」

 「おい!」

 「まあいいじゃないか、今日くらい。王村君、私もいいかね?」

 「おっ!校長もイケるねぇ!先生もどうだい?」

 「……一杯だけだぞ」

 

 〽ぁさけがのめ〜るさけがのめ〜るさけがのめ〜るぞぉ〜〜〜ぃ

  ぁさけがのめるのめるぞ〜〜ぉさけがのめ〜るぞぉ〜〜〜〜♬っと!へっへっへ!

 

 

───王村伊蔵は、酒の勢いで入学した───

 


 

 暗い部屋。転がる空のペットボトル。脱ぎ捨てた服。黒い影。パソコンの光。破けた封筒。手紙。

 

 「おかしいですねえ」

 

 自分を見下ろす影に向かって言った。影は微動だにせずその場に立ち続け、次の自分の言葉を待っているようでした。それとも何も考えていないのでしょうか。

 

 「希望ヶ峰学園と言えど、どうして僕のことをここまで調べられるんです?」

 「さて……私はスカウトマンですので、そこまでは」

 「まあ、いいです。母さんにバレていないなら。それに、どうやらただの敵というわけでもないようですし」

 「もちろんです。私たちは、君の“才能”を評価しています」

 

 淡白に応じているように見えて、緊張しているのがビシバシ伝わってきます。僕のようなヒョロガリの何をそんなに怯えているのやら。分かっていませんね。少なくとも今、この状況で僕はこのスカウトマンとやらの言う事を聞くしかない。有利なのは向こうだ。それなのに、まるでこちらが優位に立っているような雰囲気だ。まあ、そうなるように仕向けたのは僕なんですが。

 

 「希望ヶ峰学園に行くこと自体は構いません。どうせ今の学校にももう何ヶ月も行ってないですし」

 「では入学ということで、よろしいですね」

 「ただ、条件があります」

 

 本来なら、僕は条件を出せるような立場ではありません。ただでさえ希望ヶ峰学園は特別な権力を与えられた学園です。ただの高校生が偉そうに交渉できる団体ではないのですが、どうもこのスカウトマン相手なら、それくらいの駆け引きはできそうです。

 僕はその辺にあったボールペンで、入学通知に朱書きを加えた。

 

 

──入学通知書──

 

尾田 劉平(オダ リュウヘイ) 様

 

 あなたを 超高校級の■■ として

希望ヶ峰学園への入学が決定したことを

お知らせ致します。         

                    8月吉日

          学校法人 希望ヶ峰学園学園長

 

 

 「こうしてください。僕の言ってること、分かります?」

 「……“才能”を秘匿したいと申し出る生徒は前例があります。事情も理解していますし、こちらとしても当然承諾するつもりです。」

 「あの、バカですかあなた?」

 

 つい言ってしまった。高圧的になれる立場でもないし、そんなつもりもなかったのに、あまりに考えが浅いことを言われてしまったので。

 

 「希望ヶ峰学園に入学する以上、“才能”があるのは最低条件なのでしょう?それで“才能”を秘匿?“超高校級の???”とでもするつもりですか?そんなもの、何か裏がありますよって言ってるようなものでしょう。違う“才能”を偽らせろと言ってるんです」

 「違う“才能”ですか……たとえば?」

 「そうですね。僕の能力で違和感のないものなら……密偵、とかですかね」

 「……では、“超高校級の密偵”として入学が可能か、確認してみます」

 「もちろん母にも秘密です。僕はあくまで“密偵”として、自らの意思で揚々と希望ヶ峰学園に赴いた。いいですね」

 

 希望ヶ峰学園がどうして僕の素性を知っていたのか、それは今後調べる必要がありますね。確かに僕はその“才能”で呼ばれて然るべきことをしていますが、それは絶対に公になってはいけない秘密です。僕をスカウトしている以上、希望ヶ峰学園とはある種共犯者のような関係になりますが……共犯者は得てして裏切られるものです。どうやって僕のことを調べたのかを突き止め、然るべき処置をしなければいけませんね。僕と母さんの、平穏な生活のために……。

 

 

───尾田劉平は、秘密を知った者を始末するため入学した───

 


 

 画面の前にいた。たくさんの数字や文字が飛び交い、グラフは常に動き続け、ウインドウが開いては閉じられていく。何がどう変化しているのか、事態は好転しているのか悪化しているのか、そもそも進んでいるのか停滞しているのか、何一つ分からない。

 

 「正気を疑いますね。なぜそこまでしようと思うんですか?」

 

 正気でないのはお互い様だ。彼らがここまで希望にこだわる理由も、つい先日までここを支配していたもう一方の彼らの思想も、自分にとっては到底理解し難い。だから自分の想いも理解してもらうつもりなどない。ただ、互いにできることを尽くすだけだ。全ては、彼らのために。

 

 「俺は猛烈に感動してるぞ!!そんな若ぇ身空でこんな突入作戦に参加して生き残ったうえ、しかもさらにあいつらを助けに行くだなんてよ!!できることなら代わってやりてえ!!けどそれは違えんだよな!お前だからこそ!意味があるんだもんな!立派だぜ!!」

 「うるさいです」

 

 赤郷さんは相変わらず暑苦しく叫ぶ。この行動が立派だなんて思わない。青宮さんの言うとおり、正気を疑われる行為だ。でも、それでも、そこまでしてでも、こんなコロシアイは止めなければいけない。たとえどんな手を使っても、何を犠牲にしても、どれだけかかろうとも。絶対に。

 

 「準備は既にできています。自分のタイミングでいいですよ。いつでも言ってください。ただし、今から2時間後には問答無用でブチ込みますので、悪しからず」

 

 自分のタイミングとは。

 

 「それと、君が注文してきやがったファッキンプログラムですが、まだ未完成です。俺も全力を尽くしますが、そう簡単にできるとは思わないでください。そもそもこんなファッキンプログラムが必要になるような状況にならないようにしてください」

 

 当然だ。でも、何が起きるか分からない。コロシアイとはそういうものだ。だからこそ、()()はしっかりかけておくべきだ。何が起きるか分からないのだから、何が起きても対処できるよう、入念な準備をしなければ。

 覚悟はもうできている。後は全てここの人たちに任せて、自分は早く彼らを助けに行こう。そして最後に、赤郷さんと青宮さんに、感謝を伝える。たとえ、この狂った世界に生きる狂った人間だとしても、彼らがいなければここまで来られなかった。

 

 「なんだよ、ヘンなやつだな!感謝すんのはこっちだぜ!俺は“尖兵”!誰かの為に道を切り拓くのが俺の役割だ!お前がいてくれたから、ここでこうしてんだ!」

 「感謝とかはいいです。結局、君に重荷を背負わせることになってしまいました。まあ、俺もやれるだけのことはやりました。君もやれるだけのことをやってくれやがることを期待しています」

 

 感謝の倍返しに、ぶっきらぼうな激励。それぞれ、それぞれらしい。思い残したことはたくさんある。だけど、いま自分の目の前にあるものを見過ごして後悔しながら何年も生きていくより、よっぽどいい。少なくとも、意味のなかった自分の人生に、ひとつ確かな意味を見出せる。それだけの価値が、そこにはあった。

 

 「ありがとうございました。さようなら」

 

 最期の言葉は、思うより軽やかに飛び出した。




登場人物の紹介を兼ねたバックグラウンドの描写は今回で最後です。次回は総勢20名の登場人物たちが一堂に会します。その先を書いている途中ですが、さすがにこれだけ多いと全員集合場面ではいっそ開き直って発言が偏りますね。現実も得てしてそんな感じなんでまあいいでしょう。


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カタチのない世界の中で

 その学園への道は、鮮やかな色彩で埋め尽くされていた。白い敷石でいっぱいの広く真っ直ぐな道を、両側の木々から舞い散る赤と黄色の小さな葉が塗り潰していく。秋の深まりを感じさせるその道の先には、レンガ色の巨大な建物がそびえ立っていた。

 巨大な鳥が両翼を広げたような形の本校舎。全面がガラス張りになっている未来的な外観のビル。建物の間から覗く深い緑色。ドーム球場にも劣らない大きさの体育館。そして、それらを視界の奥まで続く高い塀が取り囲んでいる。ここが、人類の希望たちが集まる世界最高の学府──希望ヶ峰学園だ。

 その門の前に立つ。これまで感じていた興奮は、この場所で実感へと変わった。本当に自分がこの学園に招かれたのだと。重厚な鉄の門が開かれた。この一線を踏み出したら、この実感は一体なにに変わるのだろう。暖かい光の中に飛び込むような安らかな衝動に急かされて、僕はその一歩を踏み出そうとして──……。

 

 

 

 

 

 踏み出せなかった。

 


 

 「あの……すみません」

 

 声が聞こえた。いつの間にか、僕の後ろに女の子がいた。

 

 「えっと、その……写真、撮ってもらってもいいですか?」

 

 表情は見えない。ただ、彼女の声は笑っていた。嬉しそうで、照れくさそうで、どこか誇らしげに。

 振り向いて顔を見ようと思った。果てしなく感じるコンマ何秒。その先に待つ彼女の顔は……光の中に溶けて見えなかった。

 彼女の顔も、色鮮やかな背景も、壁も、空も、足下も、自分の意識までもが。形を失っていく。崩れるように。壊れるように。溶けて。溶けて。眩しい。光の中に。消えていった。

 


 

 目が覚めたとき、世界はまだ溶けていた。輪郭を失った世界が僕を包んでいる。そんな曖昧な世界は、眼鏡をかけ直したらすぐに元の姿を取り戻した。頭がぼんやりする。体のあちこちが痛い。少しの間、脳が本調子を取り戻すまで寝転んで待っていた。

 そう。僕は寝転んでいた。背中に感じる堅い床の感触で、自分の体勢を把握する。隣にある薄暗い空間はベッドの下の隙間だ。ベッドがあるということは、ここはどこかの部屋の中だろうか。少しずつ、思考がまともに働くようになってきた。状況を整理しよう。

 ここはどこだ?分からない。まずは起き上がって周囲の様子を確認しないことには始まらない。じゃあ、僕は誰だ?これは分かる。僕は──、僕の名前は、益玉 韻兎(マスタマ イント)だ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 どうやら僕は、このどこだか分からない場所で頭を打ったようだ。どこだか分からない場所で寝転んで落ち着けるほど僕は能天気じゃない。今すぐに起き上がりたい。でも、身体が言うことを聞かない。なんとか動き出そうと身体に力を入れようとした。そのとき──。

 

 「おい!誰かいンのか!?いるンなら返事ぐらいしな!」

 

 血気盛んな声が、ドアを突き破って部屋に飛び込んできた。本当に突き破られたのかと思ってぎょっとしたけど、どうやらドアを思いっきり叩き開けられたようだ。飛び込んで来たその声は、僕に近付いて来るのかと思いきや、明後日の方向に轟いている。

 

 「ああン?誰もいないじゃんか!」

 「そっちじゃないよ。ベッドの側に倒れてる」

 「あっ!本当だ!」

 

 重機が入ってきたかと思うくらいの大声の後から、それぞれ違う2人の声が聞こえて来た。最初の声に比べれば大人しく聞こえる。1人はひどく焦っているようだった。

 

 「大丈夫ですかー?私の声が聞こえますかー?」

 「う……は、はい……」

 「反応がある!よかった……!お名前は言えますかー?」

 「ま、益玉……韻兎……」

 

 覗き込んで来たのは、緑色のセーラー服を着た女の子だった。耳元で大きな声を出されると、脳の奥まで揺さぶられるような感覚がする。肩の後ろに手を回されて、抱き起こされる。そんなに体重が大きい方じゃないとは思うけれど、女の子がいとも簡単に抱き起こせる僕は、どれだけ筋肉が薄いんだ。

 

 「ここは……?」

 「意識あり……怪我はないみたい。きみ、えっと……益玉君?」

 「うん……あの、ここは……」

 「まだ目が覚めたばかりのようだね。きっと、彼もぼくたちと同じじゃないかな」

 「そっか……。あの、益玉君?お話できますかー?」

 「は、はい」

 

 ベッドに寄りかかって床に座る僕。その横から女の子が深い緑色の瞳で覗き込んでくる。こんなに顔を寄せられると、他人の気配をひりひりと肌に感じるようで居心地が悪くなる。僕のことを心配してくれている彼女に、そんなことは嘘でも言えない。

 その女の子の後ろには、開け放たれたドアがあった。廊下からそのドア越しに、車椅子に乗った男の子が僕のことを眺めていた。

 

 「益玉君は、ここがどこか分かる?」

 「えっと……いや、よく分からない、です。まだこの部屋のことも……」

 「じゃあ、益玉君が覚えてることを話してみて。どんなことでもいいよ」

 「覚えてること……あ〜、え、っと……僕は、歩いてて……希望ヶ峰学園に……」

 「やっぱり」

 「なんだい!本当に20人いたよ!よくもまあ集めたもんだ」

 「あ、あの……えっと……」

 「私?私は、甲斐 奉(カイ マツリ)。介護士のお手伝いをしてるんだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「さっき、希望ヶ峰学園って言ったよね?もしかして、益玉君も“超高校級”の生徒なのかな?」

 「う、うん……僕は……“超高校級の語り部”っていうことで……」

 「うわっ」

 「えっ?な、なに?」

 「本当に“語り部”さんだった。なにもかも湖藤君の言った通りだよ」

 「そりゃそうだよ。さっきいなかったのはその人だけだったからね。無事でよかった」

 「アンタ、なんでもうひとりいるって分かってたんだ?」

 「そりゃ超能力者だからさ」

 

 そう言うと、車椅子の少年はゆっくりと部屋に入ってきた。両側の車輪を自分で器用に操り、僕と甲斐さんの前に停まった。近くで見ると、襟から覗く華奢で白い身体がよく目立つ。表情は柔らかく微笑んでいるけれど、儚げな印象を与える見た目だ。

 僕と目を合わせると、彼は細い腕を差し伸べて握手を求めてきた。

 

 「初めまして、益玉君。ぼくは湖藤 厘(コトウ リン)。“超高校級の古物商”で、サイコメトラーだよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「サイコメトラー……」

 「そう、サイコメトラー。手で触れただけでその人や物の色んなことが分かっちゃうんだ。たとえば……」

 「な、なに?」

 

 思わず握り返した彼の手は薄く、少し冷たい。その手を彼は、透きとおるような目でじっと見つめていた。

 

 「益玉君、きみはなんだか……嬉しそうだね」

 「えっ……い、いや……まあ、うん……」

 「ふ〜ん。嬉しそうなだけじゃないね……どこか、焦りもあるけれど……怖い、のかな?」

 「うっ……!」

 「もう!いきなりそんな風に言われたら誰だってびっくりするでしょ。湖藤君はあっちにいて」

 「うあっ……ありゃりゃ。怒られちゃった」

 「ごめんね、益玉君。今のはただの冗談。湖藤君は人を観察するのが上手なだけで、サイコメトラーとかじゃないから」

 「ああ、うん……別に信じてもなかったから大丈夫」

 

 僕の顔を覗き込んで不思議そうな顔をする湖藤君は、甲斐さんに引き剥がされて部屋の外まで押し出されてしまった。それと入れ替わりに、最初に部屋に入ってきた声の主が僕に近付いてきた。

 ごわごわの黒い手袋、あちこちが破けたダメージジーンズ、そしてはち切れんばかりに張ったチューブトップを着た女の子だ。真っ赤な長い髪を後ろで結っているけど、簪の代わりにスパナを刺している。なんと言うか、目のやり場に困る。

 

 「ほら立てるか?いつまでもそんなとこでへたってっと根っこが生えちまうだろ」

 「わっ……あ、ありがとう……」

 「なんだい。思ったよりチビっこいね。(アタシ)より低いじゃんか」

 「そ、そんなに変わらないと思うけど……」

 「そうやって背中丸めてっから余計にちっこく見えんだろ!シャキッとしろシャキッと!それでもタマ付いてんのか!」

 「うげっ」

 

 そう言うと彼女は僕の背中を叩いた。思わず変な声が漏れてしまうほど強くて、しばらくじんじんとした痛みが残る。い、いきなり叩かれるなんて……むちゃくちゃだ……。

 

 「なにやってるの岩鈴さん!?益玉君は頭打ってるんだよ!?叩いちゃダメ!」

 「お、おう……そうだった。いや悪いね。ちょっと強過ぎたか」

 「そういう問題じゃないの!」

 「ぼ、僕なら大丈夫だよ甲斐さん……ありがとう」

 「まだ名前も言ってないんでしょ。ほら。ちゃんと自己紹介して」

 

 甲斐さんってお母さんみたいだな。

 

 「なんか改めてやれって言われるとやりにくいね。まあいいや。(アタシ)岩鈴 華(イワスズ ハナ)。“超高校級の職人”ってことで、よろしくな!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「彼女は工具や機械の扱いなら一級品なんだよー。直すのも壊すのもお手の物さー。このドアだって、ドアノブが壊れてたのを蹴っ飛ばして開けたんだからー」

 

 部屋の外から湖藤君の声が聞こえてきた。そんなに大声を出さなくても聞こえるのに。でもなるほど。確かに、普通のドアなら彼女の手にかかればただの板きれも同然だろう。

 

 「蹴っ飛ばして開けたわけじゃねえよ!ちゃんとラッチボルト引っ込めて開くの確認してから蹴っ飛ばしたわ!」

 

 蹴っ飛ばしてるじゃないか。

 

 「ほら、益玉君がポカンってなってるでしょ。大丈夫?いきなりこんなところにいて、混乱してるよね」

 「いや僕は……えっと……」

 「ひとまず落ち着かせて、きちんと説明してあげた方がいいと思うなー。保健室に行ったらどうかなー?」

 

 部屋の外から湖藤君が提案する。甲斐さんと岩鈴さんはそれぞれ少考してから頷いた。

 

 「そうだな、こいつはあっちに任せるか」

 「それじゃあ岩鈴さん、益玉君のこと保健室に連れて行ってくれる?」

 「(アタシ)が?アンタは」

 「私は湖藤君についててあげなきゃだから」

 

 そう言うと、甲斐さんは湖藤君の後ろについて、車椅子のハンドルを握った。水を得た魚、風を受けた帆、車椅子を握った介護士というわけだ。自分の役割を確保している彼女は、どこか生き生きして見えた。一方、残された岩鈴さんは、面倒事を押しつけられた、という感情を隠しもせずため息を吐いた。

 

 「ったく、面倒事押しつけやがって。ちゃっかりしてやがんなあ。なあ?」

 

 口にも出しちゃった。面倒事そのものに同意を求められても、返答に困る。

 

 「しょうがないね。途中でまたぶっ倒れられて(アタシ)が叩いたせいにされちゃたまんないし、こうなったらアンタのことしっかり保健室まで送り届けてやっから!アンタもしゃっきりしな……な!」

 「は、はいっ」

 

 いま、また叩こうとしたよな。寸でのところで肩に手を置くのに切り替えられただけ成長だ。反省してないというより、こういう性分なんだろうから仕方ない。僕もなるべく元気に返事をして、彼女の努力に応えることにした。

 


 

 部屋を出るとそこは廊下になっていた。長い廊下の両側に、僕がいた部屋と同じドアがずらりと並んでいる。廊下の片方は先が曲がり角になっていて先が見えないけど、なんだか薄暗い。もう片方は明るくて広いスペースに繋がっていて、岩鈴さんはそっちの方に僕を引っ張って行く。一歩一歩が力強い上に歩幅が僕より広いから、半分引きずられるような格好になっている。

 

 「アンタ、この場所に見覚えあるか?」

 「…………いや」

 「ん〜、そうか。まあダメ元できいただけだ。(アタシ)らもみんな分かんないんだ」

 「…………そっか」

 「いちいち返事に時間がかかる野郎だね!暗いのはこの際おいといて、返事ぐらいすぐにしな!」

 「あうっ……ご、ごめん」

 「ったく。調子狂うな。ああそうだ。(アタシ)はいちいち道案内なんかしないからね。どこに何があってどうなってるかは自分で見て覚えな」

 「は、はい……」

 「ホントに分かったのかね……」

 

 保健室までの道のりは、岩鈴さんが気に懸けるほど複雑じゃなかった。僕の部屋を出てから明るいスペースの方に真っ直ぐ進んで、突き当たりの廊下を曲がってしばらく進んだところだ。入口にちゃんと“保健室”の札が下がってるから分かりやすい。岩鈴さんのことだから、そこの扉も蹴破るんじゃないかと不安だったけど、ちゃんと横に引いて開けた。さすがにそこまで荒くれ者じゃなかった。

 部屋の中はシンプルで清潔にまとめられた空間だった。入って右手には目隠しのカーテンが付いたベッドがある。左手には簡易戸棚があって、ガラス張りの引き戸から救急箱やタオル類が見える。正面には事務机があって、患者を座らせる丸椅子も、レントゲン写真を貼り付けて透かすシャウカステンも、ホワイトボードまで設置されている。医療行為を行う場所としては極めて簡素だけど、日常起こりうる傷病ならここだけで完結してしまえるほど、設備が整っていた。

 そしてその部屋には、2人の女の子がいた。

 

 「おうい!20人目がいたよー!頭やっちまってるみたいだから看てやってくれ!」

 「きゃっ……もう、岩鈴さん。そんな乱暴にドアを開けたらびっくりするでしょ。やめてちょうだい」

 「ああ、わりーわりー。ンなことよりホラ、アンタはそこ座りな」

 「わっ」

 「おっと。大丈夫ですか?」

 

 岩鈴さんが開けたドアの音に驚いたのは、真っ赤な服に身を包んだ髪の長い女の子だ。群青の瞳を広げると、透きとおるほど白い肌との対比がいっそう際立つ。

 そしてガサツに放られた僕がよろけたのを、もう1人の女の子が支えてくれた。凛とした声色、きりっと引き締まった顔つき、ちょっとのことでは決して崩さない美しい姿勢。青緑色のスーツの胸元に、スミレのバッヂがきらりと光る。

 

 「こんなこと言うのもなんだけど、あなたはもうちょっと女の子らしくした方がいいわよ」

 「いいんだよ(アタシ)は!女だからってナヨっとしてられねえだろ!これでも町工場の野郎共の人生背負ってんだ!」

 「岩鈴様。お連れ様をお送りくださり、ありがとうございました。この後はどうなさいますか?」

 「またどっか調べに行ってくっかな。んじゃ、そいつのことは任せたよ。あ、名前は……マッシャーだっけ?」

 「益玉……」

 「らしいから!よろしく!」

 

 それだけ言うと、岩鈴さんは保健室を出て行ってしまった。ガサツで粗暴だけど、なんだかんだでしっかり保健室までは送ってくれた。責任感はある人だ。

 残された僕は、僕を支えてくれた女の子に差し出されたお茶を飲みながら、色白の女の子にまじまじと眺め回されていた。

 

 「あの……」

 「益玉さんっていうのね。下のお名前はなんていうの?」

 「い、韻兎、です……」

 「益玉韻兎様ですね。承知いたしました。先ほど岩鈴さんが20人目と仰っていましたが、益玉様も“超高校級”でいらっしゃいますか」

 「一応、“語り部”ってことなんだけど……」

 「素晴らしい。ああ、申し遅れました。私、“超高校級のコンシェルジュ”の肩書きを頂戴しております、谷倉 美加登(タニクラ ミカド)と申します」

 

 

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 「“コンシェルジュ”とは、いわゆるホテルの接客対応係のこと。ご要望があれば、この谷倉になんなりとお申し付けください」

 「は、はあ……」

 「じゃあ私も自己紹介してもいいかしら」

 「お待たせいたしました。どうぞ」

 「私は三沢 露子(ミサワ ツユコ)。この格好を見れば分かると思うけれど、“超高校級のサンタクロース”よ」

 

 

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 いや、分かんないと思う。というツッコミは心の中だけでしておいて、とにかく僕は2人からいっぺんに自己紹介を受けた。お互いの紹介はそこそこに、三沢さんは立ち上がって僕の頭を触り始めた。軽く様子を見る程度ではなく、髪をかき上げてがっつりと。

 

 「頭をやっちゃってるって岩鈴さんは言ってたけど……」

 「あ、べ、別にそういうんじゃなくて……ただ、ちょっと強く打ったくらいだから……」

 「大丈夫よ。ちょっと見せてね……あら、髪がさらさらね。羨ましいわ」

 「そ、そこまでしなくても……」

 「いいのよ。今日はなんだか、人に施してあげたい気分だから」

 「ああ、そう……っ!いたた……」

 「少しこぶになっているようですね。濡れタオルをお持ちします」

 「ありがとう、谷倉さん」

 

 三沢さんの手が当たると少し痛むところがある。大したことはないと思っていたけれど、どうやらこぶができてしまっていたらしい。谷倉さんが戸棚からタオルを取り出して、蛇口で濡れタオルを作ってから僕の頭に乗せてくれた。水の冷たさで頭の熱が奪われて、脳が落ち着いてきたのを実感する。

 

 「一旦はこれでいいわね」

 「あ、ありがとう……」

 「ふふ、いいのよ」

 「ところで、益玉様。つかぬ事を窺っても宜しいでしょうか」

 「……なにかな」

 「岩鈴様もお訊きになっているかも知れませんが、この建物に見覚えはございますでしょうか。また、ここに来るまでのことを覚えていらっしゃいますでしょうか」

 

 やっぱりそのことか。岩鈴さんにも全く同じことを質問された。どうやら、みんなこの建物が一体なんなのか、そしてどうやってここまで来たのかを覚えていないらしい。そのことを伝えると、谷倉さんだけでなく三沢さんも、少しがっかりしたような表情をした。

 

 「……申し訳ありません」

 「…………え、な、なんで谷倉さんが謝るの……?」

 「益玉様も私たちと同じ立場のご様子。いきなり見知らぬ場所にいてご不安でしょうに、私めが勝手に期待してお気遣いさせてしまいました。重ねてお詫び申し上げます」

 「そ、そんな……!全然、気にしてないっていうか……うん、大丈夫」

 「うふふ。まあ、状況が分からないのは気懸かりだけど、それよりもあの車椅子の子……湖藤さんだったかしら?彼が言っていたように、20人全員が集まったことの方が大事だわ」

 「はい。ですが、まだ岩鈴さんと我々しか益玉さんのことは存じ上げないのでは?」

 「甲斐さんと湖藤君にも……会ったけど……」

 「それでも5人ね。せっかくだから、みんなに挨拶してきたらどうかしら?私たちは私たちで、ここを調べてるのよ」

 「は、はあ……」

 

 20人と言っているから、僕を除いてあと14人の高校生が、この建物の中にいるってことだ。みんな建物のことを調べるために、あちこちに散らばっているらしい。微笑みを浮かべる三沢さんの提案を断り切れず、断る理由もなく、僕はその案を丸呑みにした。頭のこぶはすっかり引いて、もう濡れタオルも必要なくなった。

 

 「みんなグループで行動してるはずだから、色んなところに行ってみるのよ。地下も調べてるからね」

 

 三沢さんから最後にアドバイスを受けて、僕は保健室を後にした。

 


 

 保健室から寄宿舎に戻るまでの道のりに、フォークとナイフの図案と矢印が描かれた立て看板があった。指し示された方に目を向けると、同じ図案が描かれた両開きのドアがあった。重厚な木の扉に金色の取っ手が付いていて、上等な印象を受ける。でも近付いてよく見ると、木の質感はそういう壁紙、取っ手はアルミにメッキがされているだけの安っぽいものだった。鍵はかかっていないようだったので押してみると、案の定、扉は薄っぺらくて軽かった。

 中に入ると、そこには3人の人間がいた。僕が入ってきた音に反応して、6つの瞳が一斉に僕へ向けられる。こういう瞬間はいつまでも苦手だ。ただ入ってきただけなのに、そんなに見なくてもいいじゃないか。

 

 「あれー?誰だろ?知らない人だ!」

 「……」

 

 真っ先に僕に駆け寄ってきたのは、赤い髪をした小さい女の子だった。腰掛けた姿勢から跳びはねるように立ち上がったかと思うと、椅子とテーブルの隙間をするすると縫って、あっという間に僕の目の前に来た。はねた髪や大きな丸い目が、無邪気で活発な印象を与える。着ぐるみのような服には長い尻尾がついていて、履いている靴は猫がデザインされている。

 その後ろから、その子と全く同じ動線を影のように付いてくる男の子がいた。暗い紺色のスーツに中のシャツまで黒い。目元まで髪が伸びている上に俯き加減なせいで、顔がよく見えない。心なしか僕のことを睨めつけているような気がする。

 

 「ねーねー!キミのお名前なんていうの?」

 「ま」

 「あ!ちょっと待って!人に名前をきくときはまず自分からっていつも言われてるんだった!危ない危ない!ねえちぐ、今のセーフかな?」

 

 名乗ろうとした僕の言葉を遮って、その子は後ろにいた子に尋ねた。

 

 「セーフだよ」

 「お〜!よかった〜!」

 

 いや、アウトじゃないかな。相手をほったらかしにしてるところとか。あと口元にお菓子の食べかす付けたままにしてるところとか。

 

 「じゃあまずははぐたちから自己紹介!まずははぐから!」

 

 もう何回も自分の名前を言ってるし、もうひとりの男の子の名前もさっき自分で言ってたような。それでもその子は、ポジションを確認するように男の子と横並びになると、元気よく手を挙げた。

 

 「はーい!いつも元気満点キャット!笑顔がキュートな“マスコット”!陽面(ヒオモテ) はぐと!」

 「……月浦(ツキウラ) ちぐ」

 「ふたり合わせて、ちぐはぐでーす!」

 

 

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 とんでもなく情報量の差が著しい自己紹介をされた。陽面さんの方はノリノリだし笑ってるけど、月浦君の方は無理矢理やらされている感がすごい。一応ポーズだけはそれっぽくしてるけれど、全然目を合わせようとしない。僕も相手の目を見るのが苦手だけど、これはどちらかというと……敵意から来る無視って感じだ。僕、まだ何もしてないんだけど。

 

 「じゃあもうきいていいよね!キミのお名前は?」

 「えっと……ま、益玉……韻兎……」

 「いんとさんかー。よろしくお願いしまーす!」

 「あっ」

 

 名前だけ聞いて満足したのか、陽面さんは元気よく頭を下げるや否や、来た時と同じようにまたするすると元の席に戻って行った。おやつの途中だったのか、もう僕には興味がないみたいだ。そして、残された僕は相変わらず月浦君に睨まれ続けたまま、気まずい空気の中にいた。

 

 「……えっと」

 「勘違いするなよ。はぐは誰に対してもああなんだ」

 「い、いや……別に勘違いとかは……」

 「アンタは“語り部”だろ?たかだかネットの端っこで有名だからって、はぐと対等に話せると思うなよ」

 

 何も言ってないのに、月浦君は敵意と悪意のこもった言葉を吐いて陽面さんのもとに戻って行った。同じ高校生なのに対等に話しちゃいけないのか。ひどい言われようだ。そして結局、月浦君は名前以外のことを何も話してくれなかった。

 

 「へへへっ、まあ気にすんなよあんちゃん。おいらにゃもっとひでえ言い草だったぜ?」

 

 ずいぶん低いところから声が聞こえてくると思ったら、彼は僕の腰より少し高いくらいの背丈しかなかった。丸刈りの頭に頭巾を被り、紺色の法被とゴム製の長靴を履いた格好をしている。そして何より特徴的なのが、全身の毛穴から噴き出しているのかと思うくらい強烈なアルコール臭だ。

 

 「おいらぁ王村 伊蔵(キミムラ イゾウ)ってんだ。“超高校級の蔵人”ってねぇ。ま、仲良くやろうや」

 

 

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 「いやまさか23にもなって希望ヶ峰学園に入れるとはなぁ。人生なにがあるか分からねぇもんだ」

 「酔っ払ってますよね……?こんな時間から……」

 「おいらぁいつもこんな感じだよう。へへへ、本当ならさっき集まってた美人のおねーちゃんにでもお酌してもらいてぇところだけどな。オッサンはひとり酒だよ。アテもあるしな」

 

 そう言って王村さんは、手に持っていた焼き鳥をくわえた。よく見ると、ひとり酒を楽しんでいるテーブルには、焼き鳥以外にもいくつかお皿が並んでいる。

 

 「どこから持って来たんですか」

 「あっちに食料庫があってなぁ。つまみでもなんでも食べ放題だぜ。あんだけありゃ20人いたってしばらく飯には困らねぇな」

 「しばらく……」

 「へへへっ」

 

 くちゃくちゃと無遠慮な音をたてながら、王村さんはへらへら笑ってテーブルに戻っていった。お酒が足りなくなったのか、もう僕に用はないってことか。ここにはもう他に人はいないみたいだったけど、一応、王村さんが言っていた食料庫を見ることにした。

 大きな木箱に野菜がごろごろ入っていて、鮮やかな色の小さな山ができていた。どれも瑞々しくて、手に取ると思わず丸かじりしたくなる。業務用の巨大な冷蔵庫の中には大きな肉の塊や頭付きの魚が鎮座していて、このまま焼いて食べるだけでどれほど美味しいんだろうと想像が掻き立てられる。調味棚には馴染みのあるものから見たことのないものまでが整列していて、飲み物はお茶からお酒までなんでも揃っている。料理なんてしたことのない自分でも、この品揃えが異常だということは分かった。まるでこの空間全体が、20人が何日滞在しても対応できると主張しているかのような、そんな威圧感を覚えた。

 


 

 寄宿舎から保健室に向かう動線をさらに延ばした先には、体育館と書かれたプレートが掲げられていた。おそるおそる扉を押して開けると、廊下と体育館の間に玄関があった。靴を履き替えるために下駄箱が用意されていて、その上にはショーケースに入れられたトロフィーや盾が、蛍光灯の明かりを反射して輝いていた。

 ここに来てようやく、自分が土足だということに気付いた。特に考えもせず校舎内を歩き回っていたが、替えの靴も持っていないので仕方ない。体育館内には靴下だけで入ろうかと思ったけど、よく見ると小さい立て看板で「土足OK!」と書いてあった。ワックスがけされたピカピカの床に土足で踏み入るのは、妙な背徳感があった。その背徳感を踏みにじりながら、僕は引き戸を開ける。

 

 「おかえんなさ〜……あれ!?知らない人だ!」

 「Caray(おやっ)!本当にいたんだね。20人目の高校生なんて」

 「……」

 

 体育館の中に入った僕に、3人の視線が一斉に注がれる。後から入ってきただけで注目を集めるのは理不尽だし居心地が悪いからやめてほしい。それに体育館にいたのは、僕なんかよりよっぽど人目を引きそうな人たちばかりだった。

 最も目立つのは、全身を白いスーツに包み、きれいな金髪をガッチリ固めてリーゼントにした背の高い男性だ。顔立ちといい体格といい青い瞳といい、一目で外国人だと分かる。

 その次に目を引くのは、3人の中では唯一の女の子だ。青い髪色を除けば服装や言動におかしなところはないが、目元を妙なサングラスで隠しているのが何よりも印象深い。しかもそのサングラス、僕を見たときは「!」が表示されていて、今は「?」になっている。どこで買ったのか、表面が電光画面になっているものだ。

 最後のひとりは、キャップにポロシャツにチノパンと出で立ちはごく普通だ。しかしその顔を見れば誰もが驚く。よっぽどの世間知らずでない限り、この顔を知らない人はいないだろう。

 

 「あの……あんまり見つめられると困るんだけど……なにかな?」

 「あっ……ご、ごめん」

 「いやいや見るなって方が無理でしょ!こんな有名人を前にしてさ!ね!ね!すごいよね!やっぱ希望ヶ峰学園来てよかった〜!“爽やか王子”に会えるなんてね!」

 

 困ったような、照れたような、あるいは目だけで責めるような顔をされて、僕は思わず目を逸らした。そんな僕と彼の間に、サングラスの女の子はテンション高めに割り込んでくる。その子が口走った“爽やか王子”という呼び名に、彼の眉はいっそう()の字に曲がった。

 

 「その呼び方はなんとうか……照れるから止めてほしいんだけどな。さっきも言ったけど」

 「もちろん覚えていますとも!海馬に叩き込んであるからね!今をときめく稀代の天才ゴルファー、誰が呼んだか“超高校級”!虎ノ森 遼(トラノモリ リョウ)とはこの人のことよ!」

 

 

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 「ゴルフとか私よく知らないけど、とにかくもう顔が良いよね!ふつくしい……って感じだよね!」

 「紹介ありがとう。僕の名前や肩書きなんてもう散々聞いてると思うし、彼は顔を見ただけで分かったみたいだけど。辟易させてしまったね」

 

 確かに、彼の名前は初めて見た瞬間に分かったし、肩書きもなんとなく想像はついた。むしろ自己紹介が必要なのは、虎ノ森君以外のふたりだろう。

 

 「あっ、じゃあ流れで私も自己紹介するね。と言っても、私の肩書きなんて皆と比べたら大したもんじゃないんだけど……一応、“超高校級の脱出者”ってことでスカウトされました。宿楽 風海(スクラ フウ)です」

 

 

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 「あ!先に言っとくけど、“脱出者”って別に脱獄犯とか脱出マジックとか、そういうヤバげなヤツじゃないから!体験型謎解きゲームって知ってる?部屋とか島とかから脱出するっていうコンセプトで、イベント会場で謎を解いて遊ぶやつ!私あれが大好きでよく行ってるんだよね〜」

 

 よく喋る人だ。今はサングラスの表示が「^ワ^」になってる。宿楽さんの感情に合わせて好きなように表示できるみたいだ。どういう技術なんだろう。あと言いたいことは分かるけど、脱獄犯と脱出マジックする人を同列に語らない方がいいと思う。全然違うから。

 

 「ゲーム遊んでただけで“超高校級”ってのもな〜。さっきまでテンション上がってたんだけど、みんなの肩書き聞いてたらなんか……うそ、私の肩書きしょぼすぎ?みたいなさ。自信なくなってきちゃった」

 「そんなことないと思うけど……どんな肩書きでも、希望ヶ峰学園が認めたんだから」

 「本当?数合わせじゃない?」

 「そんなこと……ないと思うけど」

 「そっちが自信なくしてどうすんの!?」

 「数合わせもなにも、希望ヶ峰学園の新入生に定員なんてないよ。学園が認めた分だけ門戸は開かれる。ここにいるってことはそういうことだと思うよ」

 「おお……虎ノ森君……そういうことも言うんだ」

 「さすがに失礼だよ、君」

 

 自分でも失礼だなと思ったけど、つい口をついて出てしまっていた。虎ノ森君がこんなにしっかりと人のフォローをすることなんてあるんだな、と素直に感心した。それを言われた宿楽さんは、嬉しそうに頬を緩ませて見るからにご機嫌になった。というかサングラスに「(´∀`*)ゞ」と表示されている。

 と、ここでずっと放ったらかしにしていた彼のことを思い出した。未だに僕たちから少し離れたところで、長い足をこれでもかと伸ばしてポーズを決めている、白スーツの彼。声をかけてもらうのを待っているように見えるが、生憎僕は人に声をかけるのが苦手だ。どうにか自然な感じで会話を始められないか。

 

 「あ、カルロスさんごめんね!ほったらかしにしちゃってた!」

 「No hay problema(問題ない)さ。オレは待つことには慣れているからね。スターはいつも最高のタイミングを待ってから現れるものなのさ!」

 

 長いこと放置されてたというのに、彼は極めて朗らかに応えた。まるで大観衆の真ん中に敷かれた赤絨毯を歩くように、一歩一歩を大仰な仕草で踏みしめながら近付いてくる。そして僕の前でくるりと一回転すると、白く輝く歯を覗かせてウインクした。

 

 「オレこそが!España(スペイン)の英雄!トレオ界のスーパースター!“超高校級のマタドール”、Carlos Martín Fernando(カルロス マルティン フェルナンド)さ!Mucho gusto(よろしくね)

 

 

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 「あ、はあ……よろしく……」

 

 体育館中に響き渡る良い声で、彼は高らかに自己紹介した。差し出された手に応じると、これでもかというくらい強い握手をされた。彼にそんなつもりはないだろうけど、手が潰れるんじゃないかと思うくらいだ。発達した大胸筋や腕の筋肉を見れば、彼にとっては軽い握手でもそこに込められた力は凄まじいものだと想像できる。

 

 「アナタ、20人目の高校生だね!きっと色々訳が分からずに不安なことだろう。だけど心配ない!なんてったってこのオレがここにいるからさ!何があってもオレがいつでも助けてあげよう。このCarlos Martín Fernando(カルロス マルティン フェルナンド)がね!」

 「もう名前は分かったよ……カルロス君だよね」

 「そう。そしてそれは、二度と忘れることのない名前だ」

 「虎ノ森さんもかっこいいけど、こういう俺様チックのグイグイなガテン系もひとりは欲しいところだよね。リーゼントとあごひげがこんな似合う人いる?あとなんと言ってもこの眼!日本人離れしたブルーアイズ!たまりませんな〜」

 

 虎ノ森君を紹介したときと同じように、宿楽さんが割って入ってきた。確かに、彼の澄んだ青い瞳はきれいだ。それに女子にとっては、こういうがっしりした体格の男性的な人の方が魅力的に映るんだろうか。本人の社交的な性格もあって、カルロス君はきっと女の子にモテるんだろう。

 

 「あはは……ついさっき体育館を調べるって流れになったところだったけど……また自己紹介タイムになっちゃったね。はじめからやり直し、かな?」

 「ぼ、僕のせい……?」

 「おっと。Japón(日本)のおぼっちゃんがご機嫌斜めなようだ。どうやらオレというスーパースターを見て、自分が取るに足らない存在だと気付いてしまったんだね。かわいそうに」

 「まあ、スペイン()()スターだったかも知れないけど、ここじゃ同じ高校生なんだからさ。そんなにアピールしなくても、きちんと分かってるから大丈夫だよ」

 「強さも気高さも美しさも、アピールしてこそなのさ。オレに言わせれば、みじめな自分を隠してペルソナを被っている方が見ていて気に障るのだが」

 「ははは。やっぱり見世物になる人は言うことが違うなあ。残念だけどここでは闘牛が出来ないから、口先しか武器がないんだね。かわいそうに」

 「あ、あの2人とも……もういいんじゃないかな……」

 

 ものすごくシームレスに、虎ノ森君とカルロス君の罵倒合戦が始まっていた。どちらも落ち着いた様子で互いに目を合わせていないけど、明らかにお互いを敵視している。なんでこの2人はこんなに仲が悪いんだ。こんな空間で間で板挟みにされた宿楽さんが気の毒だ……と思いきや、彼女のサングラスには「///」の表示が。なんだろうこれ。

 

 「……イイよね」

 「な、なにが……?」

 「ちょっとしたことからすぐ口ゲンカしちゃうんだけど、それってどっちも不器用なだけで、本当はお互いのことをよく理解してるしよく見てるっていうの。本音をぶつけあえるくらい信頼しあってる証っていうか、その2人だけでしか成立しない関係性っていうか……へへへ」

 「……」

 

 これ以上はやめておこう。

 


 

 1階にいる人にはもう全員会ったみたいだ。そう言えば、三沢さんが地下にも人がいるはずと言っていたのを思い出した。地下に行くのは、個室が並んだ廊下の突き当たりにあった薄暗い階段を下るのが唯一の方法だった。薄暗くても幅が広いから踏み外す心配はなさそうだ。僕は一段一段を確かめるように、ゆっくりと下っていく。

 階段を降りた先は、床も壁も小綺麗に装飾が施されていた1階とは全然違っていた。六方全てがコンクリート打ちっ放しで、同じくコンクリートの仕切りで囲った場所をアルミ製の簡素な引き戸を付けて出入りできるようにした、味気ないところだった。剥き出しの蛍光灯が煌々と光を放って、階段より少しマシな程度に明るくなっている。どこからか機械の唸るようなごうごうという音が響いてきて落ち着かない。

 階段を降りてすぐ左手の部屋は、「ゴミ集積所」のようだ。扉を開けると、思ったよりも中はゆとりのある空間が広がっていた。大きな金網を使って仕切られたたくさんのスペースがある。どうやら分別したゴミの仮置き場みたいだ。そして部屋の奥には大きな口を開けた古めかしい焼却炉があった。火は点いていないが、事故防止のためか、手前にシャッターが付いている。そしてそのシャッターの前で、2人の男女が何やら睨み合っていた。

 

 「あ?誰だ?」

 

 男の子の方が僕に気付いた。全身を蛍光色の作業着に包み、薄暗い空間では眩しいくらいに映える金髪をしている。遠くからでも分かる日本人離れした顔立ちであることと、細くて長い脚の先で全身をしっかりと支えているローラーシューズが特徴的だ。

 一方、彼と対峙する女の子は、頭から足下まで紫色に染めていた。海外の大学なんかで見る角帽に、ゆったりと全身を覆うローブ。スクエアフレームの眼鏡と吊り上がりがちな目元が、決して柔らかくない性格を如実に表しているようだった。

 

 「あっ……ぼ、僕、益玉っていって……湖藤君が、あのっ……20人目って言ってた

 「あん?よく聞こえねえよ。お前は誰だって言ってんの!日本語分かんねえか?Who are you(テメエは誰だ)!?」

 「ちょっと、そんなケンカ腰で詰め寄ったら誰だって萎縮するでしょ。私が話を聞くから、あなたは向こう行ってて」

 「ったくよ……!なんだかなあもう!」

 

 作業着の彼は、器用にローラーシューズで僕に肉迫すると、流暢な英語で誰何した。コンクリートに囲まれたここでは声がよく響く。そしてすぐ後ろから角帽の彼女に引き戻され、すぐにまた僕から離れていった。なんだか虫の居所が悪いようだ。

 

 「ごめんなさいね。彼、ちょっと気が短いのよ」

 「いや……」

 「それで、あなたは一体だれなの?」

 「あっ……えっと……」

 

 止めに入ってくれた彼女にも名前を聞かれ、結局僕はもう一度名乗ることになった。僕のたどたどしくて声の小さい自己紹介でも、彼女はきちんと頷いて聞いてくれた。

 

 「なるほど、湖藤君の予想が当たったわけね。一体どういうことかしら……とんでもなくおかしな状況だわ」

 「はあ……」

 「ともかく、名前も分からないんじゃ不便よね。私も自己紹介するわ。私は“超高校級の法律家”理刈 法子(リカル ホウコ)よ。よろしく」

 

 

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 これでもかと胸を張って理刈さんは名乗った。自分の肩書きにずいぶんとプライドを持っているようで、なんとなく、法律家という聞き慣れない言葉の意味を尋ねられる雰囲気ではなかった。ひとまず僕は軽く会釈をして、その鋭い眼光から逃げるように、さっき奥の方に引っ込んでいった彼の方に目を向けた。彼の方にも、改めて自己紹介しておいた方が良いかも知れない。

 

 「法律家というのは法曹と同じ意味、法律を専門にする職業を総称して指す言葉ね。私の家は代々法曹をしているの。だから私も将来は法曹になるつもりよ」

 

 聞いてもいないのに、理刈さんは誇らしげにそんな話を始めた。僕の視線などお構いなしで。耳さえ自分を向いていればいいのだろう。

 

 「せっかくこうして縁があったんだから、益玉さんもいつでも私を頼ってちょうだい。どんなトラブルでも力になるわ。公明正大な司法の実現のためにね」

 「は、はあ……ありがとう」

 「ちなみに、今みんなで手分けしてこの建物を調べているところなの。もう他の人には会った?」

 「うん……ま、まあ……それなりに……」

 「そう。それじゃあ、彼にもきちんと自己紹介してもらわないとね」

 「うるせえな。聞こえてんだよ全部」

 

 閉鎖された空間だから、ちょっとした音でも反響してよく聞こえる。離れた場所にいる彼にも、僕と理刈さんの会話ははっきり聞こえたことだろう。僕の小さな声を聞き取れたかどうかは分からないけど。

 

 「おいお前。益玉とか言ったな」

 

 聞き取れていたようだ。

 

 「お前が“超高校級”だってんなら、もっと堂々としろ。オレだってお前と同じ“超高校級”で希望ヶ峰学園の新入生なんだ。分かるか?同期なんだよ。お前みたいなのがいると、今年の新入生がナメられんだろ!」

 「ご、ごめん……なさい……」

 「その態度をやめろって言ってんだよ!分かんねえヤツだな!」

 「いきなり変われるわけないでしょ。そもそもあなたのために益玉さんが変わる必要なんてないのよ」

 

 なんだろう。すごく板挟みにされてる。早くこの状況から逃げ出したくなってきた。

 

 「いいや。変わってもらうぜ。この芭串(バグシ) ロイ様のために!アンタの古くせえ考え方も!お前のなよなよした態度も!オレがまるっと塗りかえてやっかんな!」

 

 

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 なんだか自然な流れ(かどうかは微妙だけど……)で、芭串君もちゃんと名乗った。なよなよした態度というのは僕のことで、古くさい考え方というのは理刈さんのことだろう。どうやら僕が来るまでの間にも、2人は何かしら揉めていたようだ。このまま僕が逃げ出したら、また2人はいがみ合ってしまうんじゃないだろうか。そう思うとなんとなく居心地が悪いこの場所にいなくちゃいけない気がしてくる。

 

 「……」

 「この人の言うことを真に受ける必要はないわ。それより、今はみんなで手分けしてこの建物を探索しているって言ったわよね。ここは私と芭串さんで間に合ってるから、他の場所を調べてみてちょうだい」

 「あっ……う、うん」

 

 不意に理刈さんから助け船が出た。この部屋から出て行く名目ができて、僕は一も二もなくそれに従った。出て行くときになんとなく2人に軽く会釈をして、なるべく音を立てないようにドアを閉める。密閉された空間から少し開放的な空間に出たせいか、胸の中につっかえていた淀んだため息がふうと出た。あの2人はいるだけで場をピリピリさせる雰囲気がある。芭串君は苛立っているだけかも知れないけれど、理刈さんのまとう雰囲気が特に曲者だ。

 


 

 階段を降りた正面には、磨り硝子の引き戸があった。開けて見ると、衣類カゴがたくさん用意されている棚と3つほど並んだ洗面台、体重計に扇風機、人体のツボポスターなどなど……一昔前の大衆浴場を思わせるものばかりだった。入口のプレートには、「浴室」とだけ書かれていた。この設備を見るに、数人で入浴できるくらいの広さなんだろう。今は誰の服もカゴに入っていないけれど、この更衣室の奥にある浴室入り口からは、何らかの気配がする。

 

 「むっ!?何や──どゃああああああああっ!!?」

 「うわっ!?えっ、ええ……?」

 

 磨り硝子に近付くのが早いか、浴室から悲鳴らしき声が聞こえてきた。そして同時に手桶やたらいが床に落ちた音も響いてくる。一体何があったのか、誰がいるのか、中はいったいどうなっているのか、恐ろしくてなかなか開けられない。だけど、ここであった何かを見過ごしておくことはできないと思い、意を決してガラス戸を引いた。

 中は案の定、それなりの広さの浴槽とシャワー台がいくつかあった。先ほどの音から想像できるとおり、備品が床に散らばっていた。その中心部では、何やら灰色の塊がもぞもぞと動いていた。よく見るとそれは緑色のエプロンを来た女の子だ。服を着ているから、シャワーを浴びていたわけではなさそうだけど、一体何をしているんだろう。

 

 「あ、あの〜……」

 「……ん。なんだ、いま大事なところ……誰だお前は?」

 「え、え〜っと……あ、益玉っていうんですけど……」

 「益玉?さっき集合したときにはいなかったな……そう言えばもう1人いるかも知れないという話があったな。それがお前か。なるほど」

 

 首を回して僕の方を見るけれど、身体はずっと浴室の隅で何かを押さえつけている。しきりに激しく動いているそれは、それほど大きくない女の子の陰に隠れて見えないほど小さいようだ。

 

 「……なに、やってるんですか……?」

 「ようやく捕まえたんだ。見てくれ、もふもふだぞ」

 

 そう言うと、その子はそれを胸に抱えたまま立ち上がった。抵抗する体力も尽きたのか、それはぐったりと手と足と尻尾を下に垂らして抱えられていた。薄暗い地下によく映える金色の体毛と、前に突き出た鼻、ぐったりしながらも周囲の音を聞き漏らさないように立てられた大きな耳。それは、どこからどう見ても、キツネだった。

 

 「キ、キツネ……?なんでこんなところに……?」

 「体育館からこんなところまで逃げてきて、ずいぶんと手を焼いた。だが、とうとう気が緩んだ瞬間ができたんだ。どうやらお前のお陰で捕まえられたようだな。礼を言う」

 「いや……それより、このキツネどうするつもりですか……?」

 「さてどうしてくれようか。キツネは初めてだから分からないこともあるが……まあ、イヌ科だからイエイヌと同じようにやってみるところから始めようか」

 「そ、そうなんだ……」

 「……」

 「……」

 

 犬と同じようにできるのか?と思ったが口にはしなかった。それは彼女が好きにすればいいことだし、このキツネにとっても悪いことではない、はずだ。よく知らないけど。その後、話すことがなくなった僕と彼女の間には、謎の沈黙が流れた。

 

 「なんだ?まだ何かあるのか?」

 「えっ……い、いや……えっと……僕、ま、益玉っていって……」

 「名前はもう聞いた……ああ、そうか。私の名前を言っていなかった。私は毛利 万梨香(モウリ マリカ)。“トリマー”をしているんだ」

 

 

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 きれいに切り揃えられたグレーの髪、緑色の瞳を湛える目元は吊り上がり鋭い眼光を放っている。あまり表情が変わらないから、なんだか怒っているように見えてしまうが、話しぶりは穏やかだ。整ってはいるが、この顔立ちのせいで苦労したこともあるのだろう、と余計なことを考えてしまうくらいには、表情が固い。

 

 「……すまないな」

 「えっ……な、なにが?」

 「怖い顔をしてしまって。これは生まれつきだ。上手く感情表現ができなくて、初対面で距離を置かれるんだ」

 「そっか……」

 「だが安心してくれ。定期的にもふもふしていれば不機嫌になることはない。学園に来る前は懸念していたが、まさかキツネがいるとはな。僥倖だ」

 「そうなんだ……もふもふが好きなんですね……」

 「ああ。もふもふからしか摂取できない栄養がある」

 

 そんなことはないと思うけど、きっと毛利さんにとっては毛皮をもふもふすることがベストなストレスの解消法なんだろう。それにしてもこんなところにキツネがいるとは思わなかった。一体どうやって迷い込んだのだろう。あるいは……。

 

 「ほら、お前も撫でてみろ。気持ちいいぞ」

 「ええ……で、でもキツネとか、触ったことないし……エキノコックスとか怖いし……」

 「大丈夫、大人しいものだ」

 

 動物に触れるのがよっぽど嬉しいのか、少し興奮気味に毛利さんはキツネを差し出してきた。毛利さんの腕の中でぐったりしていたキツネだったけど、撫でられるうちにリラックスしてきたのか気持ちよさそうにされるがままになっている。さすが、トリマーだけあって動物の扱いに慣れているのだろうか。

 ふわふわの毛を見ていると不思議と僕も撫でたくなってくる。僕は、その広いおでこにおそるおそる手を伸ばした。

 

 「くわっ!!破ァッ!!」

 「うわあっ!!?」

 

 その手がキツネに触れるか触れないか、ギリギリまで近付いたところで、急にキツネが鳴いた。一瞬だけ違和感を覚えると同時に心臓が捻れるくらい驚いて、僕は大きく尻餅をついた。なんで僕のときだけ鳴くんだ……。というか、今のってキツネの鳴き声だったか?と、徐々に尻の痛みが引くにつれて違和感の正体を考える余裕も生まれてきた。

 

 「ええい!!さっきから黙って聞いていれば無礼であるぞ貴様たち!!キツネだのもふもふだのケダモノだのとあれこれ好き勝手言いたい放題言いおってからに!!」

 

 せっかく生まれた余裕をまた掻き乱すくらい、そのキツネは流暢に話しだした。一体どこからこんな声が出ているのか、腹の底から響くような明瞭かつ通りの良い声だ。たぶん僕は一生で二度とないくらい目を丸くしていた。感情表現が苦手と言っていた毛利さんも、さすがに目を見開いている。

 

 「ぐぬっ!ぐぬっ!とおあっ!!」

 「あっ」

 「ふんっ!先刻の気配はそっちの眼鏡の御仁か。一瞬とはいえ気を取られてしまうとはまだまだ修行が足り……いや、修行は(コン)輪際しなくていいのでした。拙僧は自由の身でした!やったー!」

 

 驚いて口をあんぐり開けた毛利さんの腕から脱出し、そのキツネは足下に飛び降りた。そしてまた流暢に話しだしただけでなく、二足歩行をして、ジェスチャーをして、オーバーなくらい感情を爆発させていた。まるで人間だ。もしかしたら──。

 

 「コンコン、コホン。さて……20人目のお方、益玉殿と仰いましたかな?拙僧の姿に(コン)惑するのも当然でしょう。故にはっきりさせましょう!拙僧はあなた方と同じ高校生!“超高校級のシャーマン”、狭山 狐々乃(サヤマ ココノ)であります!」

 

 

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 あ、違った。いや何を言ってるんだこのキツネは?“超高校級のシャーマン”?高校生?狭山さん?このキツネが?どういうことだ?一体何がどうなったら高校生がキツネの姿になるんだ?

 僕が抱えていた違和感は疑問の爆弾低気圧となって、思考のリソースをかっ攫っていく。尻餅をついているのに目が回りそうだ。ひとりで考えているだけでこの疑問が解消されるわけもなく、目の前のその存在にぶつけるしかなかった。

 

 「え……あの、えっと……」

 

 何からきけばいいのか分からなくて、言葉が形を成さない。はっきりさせましょうと言ったが、何一つはっきりしていない。同じ高校生と言っていたが、何もかも違う。本当に、訳が分からない。

 

 「分かりますとも。キツネの姿でクラスメイトとして上手く付き合っていけるのか不安なのでしょう。ですが心配ありません!拙僧、見た目は獣。頭脳は人間。ですので!」

 

 全然分かってない。

 

 「あとキツネなんぞが人間の如く振る舞っているのが珍妙不可思議でたまらないのでしょう」

 

 むしろそっちがメインだけど。

 

 「しかしなぜこの姿になっているのかは拙僧にも分かりません。心当たりは……あるのですが……」

 

 あるならそれだと思う。女の子がキツネになってしまう原因がいくつもあっちゃたまらない。

 

 「まあその辺の話は(コン)後するとしましょう。プライバシーに関わる故!」

 

 なんというか、この感性の微妙なズレ方とか、言葉の端々から分かる自身過剰っぷりとか、明るくて楽天的なところとか……演技でやっているわけじゃなさそうだし、何よりこの毛皮は本物だ。もふもふの第一人者の毛利さんが何の疑問もなく撫でていたのだから、そこは紛れもない事実なんだろう。

 

 「ところで毛利殿。あなたはなぜ(コン)剛の如く目を丸くしているのですか。体育館で自己紹介したでしょう」

 「いや……もふもふとしか認識していなくて聞いてなかった……」

 「脳みそ(コン)蒻ですかあんたは!!」

 

 なんだかどっと疲れた感じがした。常識破りばかりの“超高校級”の生徒たちだから何があってもおかしくないと思っていたけれど、これはいくらなんでもやり過ぎだろう。でもこれは夢でも幻覚でもCGでもない。目の前で起きていることを受け入れるしかないのかも知れない。頭が痛くなってきた……。

 


 

 僕が降りてきた階段の下にも扉がある。扉の横にかけられたプレートには雑貨倉庫と書かれていた。わざわざ雑貨と書いているということは、食料品とかは置いてないということか。キッチンに併設された食料庫があれだけしっかりしていれば、わざわざ地下に収納する必要はないからか。僕はその扉を引いて中に入った。

 雑貨と一口に言っても色々なものがある。それは衣類だったり、電化製品だったり、化粧品だったり、掃除道具だったり、本だったりスポーツ用具だったり消耗品だったり……どれだけ論ってもキリが無い。だからこの倉庫も、外から見るよりも遥かに広い空間に無数の雑貨を収納していた。階段下で窮屈なのは入口付近だけで、その奥は天井まで届く背の高い棚に数々の段ボールやケースが並べられて、雑貨の種類ごとに整理して陳列してあった。種類が多すぎてこの中から目当てのものを捜し当てるのは骨が折れそうだ。

 

 「あっ」

 

 遠くに人影が見える。薄暗い地下の空間では、真っ赤なその服がよく目立つ。その隣に見える黒くて背の高い人影も、こんな閉鎖された空間でなければよく目立ったことだろう。僕はその2人に近付いて行った。どうやらふたりとも、周りの棚に興味津々のようだ。

 

 「あ〜……あのう……」

 「(ふりがな)?アイヤー!だ、誰アルかオマエ!?」

 

 僕が声をかけると、赤いチャイナドレスを着た女の子は跳び上がって僕から距離を取った。脚を開き手を構えて臨戦態勢だ。だけどその一連の動きや言葉があまりにもコミカルで、いまいち緊張感にかける。そして何より、隣にいた背の高い和装姿の男の子は、柳が風に揺られるように悠然と僕の方を一瞥するだけだった。

 

 「え〜っと……僕は……益玉っていって、その……みんなと同じ、“超高校級”なんだけど……」

 「ほう。君も“超高校級”……20人目ということか。漸くお目見えだ」

 「20人目!なあんだ。ワタシたちと同じアルか。ならお友達ネ。ワタシ、長島 萌(ナガシマ モエ)ネ。よろしくお願いするヨ!」

 

 

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 “超高校級”だと名乗ると、男の子の目は興味深げに、女の子の目は友好的に色を変えた。そして距離を取っていた女の子は、離れるときと同じようにぴょんと跳びはねて一気に僕に詰め寄ってきた。近い……。

 

 「ワタシ“超高校級のスナイパー”だけど、安心してネ。みんなのことは撃ったりしないヨ。ワタシ、必要なときしか撃たない主義ネ」

 

 必要があれば撃つみたいに聞こえるから逆に安心できない。それにしてもこの見た目、この話し方から“スナイパー”は想像できない。どういう経緯で“超高校級”と認定されるに至ったのかきいてみたいけど、迂闊なことを言って彼女に引き金を引かせるわけにはいかない。好奇心をぐっと飲み込んで、僕は軽く頭を下げるに留めた。

 

 「菊島 太石(キクシマ タイシ)、物書きをしている。ああ、ペンネエムで失敬。此方の方が通りが良いのでね。本名は川崎 寬治(カワサキ カンジ)という」

 

 

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 菊島という名前は、僕にとっては虎ノ森君よりも聞き馴染みがある。趣味で書いた小説が文芸誌で話題になり、若くして一気に文壇の仲間入りを果たした、新進気鋭の小説家だ。彼の作品は僕が今まで読んだ中ではかなり好きな方だし、朗読動画を投稿したこともある。だから菊島君の前だと、なんとなく気後れしてしまう。

 

 「噂に聞いている“超高校級の語り部”とは君のことだね。なんでも俺の本を朗讀(朗読)しているとか」

 「は、はあ……その節はどうも……」

 「“超高校級”と呼ばれる讀者(どくしゃ)が付くのは光榮(こうえい)だ。本來(ほんらい)なら使用料を頂戴したいところだが、君に因って購買意慾(こうばいいよく)を刺激された讀者(どくしゃ)も少なからず居るだろう。君の肩書きと君のお陰で稼げた印稅(いんぜい)に免じて(くだん)動畫(どうが)は不問としよう」

 「……ありがとうございます」

 「なに。これからは級友として宜しくしてくれ給え。敬語も結構だ」

 

 菊島君はにこやかにそう言った。どうやら僕が朗読した動画については見逃してもらえたようだ。今時、よっぽど悪質なものでない限りわざわざ自分からその話をする人の方が少ないと思う。きっと本心では使用料を取りたいんだろう、と思ったけれど口にはしない。そんなことを言えば、相手の善意による支援なら受け付ける、とでも言いかねない。そしてそこまで言われてしまったら、僕はきっと彼の思惑通りになってしまう。

 

 「お金は大事ヨ!取れるものは取っとかないと後で後悔するネ!」

 「小に因りて大を失うという言葉が在る。彼の影響力を考えれば、寧ろこれは必要な投資と言えよう。それに今は新作を執筆中だ。これからも贔屓に(たの)むよ、益玉君」

 

 使用料は免除してやるから自分の作品の宣伝をしろ、と聞こえた。僕も彼の作品は好きだから言われなくてもすると思うけれど、婉曲的とはいえ改めて本人から言われるとなにか……余計に良くないことをしているような気になってくる。

 

 「そう言えば、オマエ下の名前なんて言うカ」

 「ああ……韻兎だけど……。えっと、インは音偏に口と貝の員で、トは兎っていう字……」

 「じゃあ兎兎(トゥートゥー)ネ!」

 

 あだ名を付けられた。呼ばれたときにきちんと反応できるだろうか。

 


 

 建物の中でも人目を避けるように設置された地下への階段。その先にある地下階の中でもさらに奥まった、まるで隠すような場所にあるのは、「機械室」と書かれた部屋だった。扉を開ける前から、部屋の外へ漏れ出すごうごうという低くくぐもった音が聞こえて来る。僕はその漏れ出す音に掻き消されてしまいそうなくらい、弱々しい音を立てて扉を引いた。

 激しい熱気が顔面を包み込む。しかも湿度が高くて眼鏡が一気に曇った。扉を開けるとさっきまで漏れていた音が直に鼓膜を叩いてきてうるさい。視界を奪われた上に熱と音で息が詰まりそうになる、地獄のお試しコースみたいな環境だ。そんな場所だと言うのに、そこにいた2人はどちらも平気そうな顔をしている。

 

 「おや」

 

 その場にいた2人ともが、僕に気付いて近付いてきた。ひとりは穏やかな顔をしているけれど、相対したときの威圧感は凄まじい。筋肉質な体と黒ずくめの格好なせいで、ただでさえ大きい体が余計に大きく見える。普通なら相手を安心させる穏やかな表情も、腹の内を悟らせまいと被った仮面に見える。

 もうひとりはひょろりと長い手足をしていて背は低くないけれど、少し猫背気味なせいで実際より小さく見える。七分丈のズボンにサンダルシューズ、よれよれのパーカーのフードを被ったラフな格好だ。夜中にちょっと近所のコンビニまで出掛けるときくらいの、そんな気軽さを感じる。

 

 「ふむ……君は?」

 「え〜っと……ま、益玉……です……」

 「益玉君。なるほど。手前は庵野 宣道(アンノ ノブミチ)と申します」

 

 

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 「お近づきの印に、愛の祝福を」

 「はあ……」

 

 そう言うと庵野君は、十字を切るような動作をした後に僕の額に手を当てた。何度見ても覚えられる気がしない、素早くて複雑な所作だ。困惑している僕を見かねたのか、庵野君は優しく微笑みかけてくれた。

 

 「あなたの道が愛とともにあらんことを」

 「あ、ありがとう……」

 「いえ。これからよろしくお願いしますね、益玉君」

 「……よろしく……お願いします……」

 

 差し出された手は大きくて力強く、それでいて柔らかかった。まるで僕の手を包み込むような彼の握手は、思わず顔をしかめてしまうほど痛かった。

 庵野君の自己紹介から、ずっと僕たちを観察するような目で見ていたパーカーを着た彼が、庵野君と入れ替わるように僕の元に来た。そしてまた少し僕のことをじろじろ見ると、ふいに僕の眼鏡を外した。

 

 「えっ」

 「眼鏡が曇っていますよ。ちょっと貸してください」

 「ああっ……ええ……」

 

 そういうのは借りる前に言って欲しかった。

 

 「僕たちみたいな人種にとって眼鏡の曇りは死活問題ですからね。曇り止めとクリーナーくらいは携帯しておくものですよ。はい、どうぞ」

 

 そう言って彼は、ポケットから取り出したケースを開いて、僕の眼鏡を丁寧に手入れしてくれた。にこやかにしているけれど、どうにもその笑顔には裏があるようにしか見えなくて逆に怖い。僕の眼鏡を綺麗にすることで、僕は親切で優しい人間ですよ、と主張しているかのようだ。そんな隠しきれない軽薄さが滲み出ている。

 

 「あなたが20人目ですね。益玉……“超高校級の語り部”でしたか」

 「えっ……?な、なんで……僕の肩書き……?」

 「新入生の情報くらい事前に調べますよ。希望ヶ峰学園の入学者情報は話題になりますからね。だから湖藤君がわざわざ言わなくても、僕にはあなたの存在は分かっていました。敢えて言いませんでしたけどね」

 「そ、そうなんだ……」

 

 僕の顔を見て、かなりの数の人が湖藤君の名前を挙げた。彼が僕の存在を予言していたのは本当のことのようだ。それにしても、どうして湖藤君はこの建物にいるのが全部で20人だと分かったのだろう。

 そしてこの彼も、僕の存在は事前に分かっていたらしい。新入生の情報は希望ヶ峰学園のホームページで人数が公表されるくらいで、どこから出回るのか、ネットの掲示板やSNS、動画投稿サイトではどんな生徒がいるとか、どんな肩書きの新入生がいるとか、その時期は色々な噂が飛び交う。彼はそんな真偽も不確かな膨大な情報の中から、ピンポイントに僕の情報を突き止めたというのか。

 

 「では僕も自己紹介をさせてもらいますね。名前は尾田 劉平(オダ リュウヘイ)。肩書きは“密偵”です」

 

 

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 「み、“密偵”……そっか」

 「なんですか。何か言いたげですけど」

 「い、いや……別にそういうわけじゃ……や、やっぱり、“密偵”なだけあるね。僕のこと知ってたし……」

 「むしろあなたは有名な方でしょう。まあ、益玉韻兎としてではなく、“たまうさぎ”としてですが」

 

 動画投稿用のハンドルネームで呼ばないでほしい……。そんなところまで調べてあるなんて、さすがの情報収集力に思わず感心する。こうして顔と本名を晒している以上は、ハンドルネームがバレたところで特に困ることはないはないけれど、人に見破られるのは少し……恥ずかしい。

 

 「ところで、最初に僕たちは体育館に集合したんですけど、その時あなたはどこで何をしていたんですか?なぜ今頃になって出て来たのですか?他の人たちはあなたのことを知っているんですか?」

 

 いきなり質問攻めだ。どこで何をしていたと言われていても、なんと答えればいいのやら。今頃になったって言うのも僕の意思じゃないし……唯一まともに答えられる質問にだけ先に答えよう。

 

 「もう色んな人に会ってきてて……知ってる人もいる……と思う……」

 「なぜ最初の2つには答えないのですか。しかも最後の質問への答えもはっきりしませんね」

 「尾田君。あまり彼を困らせてはいけません。いきなりこんなところに連れて来られて、不安なのでしょう」

 「うぅ……ご、ごめん……。ただちょっと……ベッドから落ちて、体を打っちゃって……」

 「それはいけません。保健室で横になっていた方がいいのでは?」

 「だ、大丈夫だよ……一回診てもらって、回復したからこっちに来たんだ……」

 「ふぅん……まあ今はいいです。何もなければそれで」

 

 いまいち納得いってないという顔で、尾田君は室内の調査に戻った。やっぱり、こんなわけのわからない状況で、1人だけ後から登場なんてしたら怪しまれるよな……他のみんなが自然に受け入れてくれたのが優しかったんだ。少しでも状況把握に貢献して、尾田君からも信用してもらえるように頑張らないと。

 

 「えっと……ここって一体、なんなんですか?」

 「見ての通り、機械室ですよ。建物全体の電力供給、ガス・水道インフラ、空調等の機械調整等を行っているのでしょう。水蒸気ムンムン、機械音ごうごう、最悪の環境ですね。こんなところに脱出の手掛かりがあるとは思えません」

 「だ、脱出って……?」

 「尾田君は、我々がここに閉じ込められていると言っているのです。手前は希望ヶ峰学園でそんなことはないと思うのですが……」

 「これが希望ヶ峰学園って、それ本気で言ってます?最高峰の才能を持った高校生たちが集まる学園とは思えないお粗末さですよ」

 「はて……」

 

 ため息交じりに言う尾田君に、庵野君は困ったように唸って頭をかいた。確かに、ここが一体どこなのか、今の段階ではまだ分からない。今まさにみんなで調べている最中だから確定的なことは何も言えない。ただ、ろくでもないことになる雰囲気だけは、ここにいる2人のどちらも感じているようだ。

 

 「何はなくともまずはここがどこなのかと、今の僕たちの状況を把握することが先決ですね。それまでは神にでも祈っておきますよ」

 

 よく庵野君の前でそんな言葉が吐けるな、と思う。その庵野君は、相変わらず腹の内が分からない笑顔のままでいた。この2人の会話は本当にハラハラする。馬が合わないというのはこのことだ。僕はそんな冷戦のような空気から逃げ出すように、機械室を後にした。いくら眼鏡が曇らないとはいえ、これ以上は限界だ。

 


 

 地下階もひととおり見て回って、地上に戻ろうとしたそのとき、どこからともなく音が聞こえてきた。学校とか駅とか、色んな場所で耳にする、アナウンス音だ。そんな馴染みある音が、こんな得体の知れない建物の中で聞こえて来ることが、とても気持ち悪く思えた。

 

 「え〜〜〜マイクテスト!マイクテスト!オマエラ!聞こえてますか〜〜〜!?聞こえない人は返事して〜〜〜!」

 

 僕は返事をしない。他に返事をする人もいない。そもそも質問の内容が矛盾している。そのせいだろうか。鼓膜から直接はらわたを揺さぶられるような、この不快でおぞましい感覚は。

 

 「どうやらみんな聞こえているようだね!それじゃあオマエラ!これから入学式を執り行います!至急体育館に集合してください!そう、さっきまでオマエラがいたところだよ!知らないって人は周りのお友達にきいてね!うっぷっぷ〜〜〜!!楽しい楽しい学園生活の始まりだよ〜〜〜!!」

 

 極めて楽しそうに、飛び跳ねるようにその声は集合をかけた。どこか漂うこの空間の閉塞感も、言いようのない漠然とした不安も、この声には不釣り合いだ。場違いで、空気が読めていなくて、違和感だらけだ。そんな不協和音を響き渡らせて、アナウンスはぶつりと乱雑な音とともに消える。

 その放送を聞いて僕は……僕の胸は激しく鳴っていた。心臓がばくばくと軋む。肋骨を突き破りそうな勢いだ。額から、背中から、手から、全身の汗腺が汗を噴き出す。脳からの危険信号が全身を強張らせる。呼吸が荒い。緊張で喉が締まる。階段をあがる一歩一歩が重い。さっき降りてきた地上までの道のりが果てしなく感じる。全身が戦慄く。逃げ出したくなって。逃げられなくて。足が動かなくて。体が熱くて。凍えるようで。

 加速していく感覚に脳がついていけない。全身の筋肉が弛緩し、意識がつむじから抜けていく。もはや自分が浮いているのか落ちているのかも分からない。

 

 「おっと。大丈夫ですか?益玉君」

 

 後ろからがっしりとした手に支えられた。庵野君の手だ。彼の大きな体格なら、僕のような細い体など糸くずのような重さだろう。心配そうに僕を覗き込む彼の顔が見えた。

 

 「具合が悪そうですが……先ほどの放送のせいでしょうか?」

 「あ……ああ……ううあああっ!!」

 「ま、益玉君!?」

 

 ろくに返事もせず、支えてくれたお礼も言わず、僕は彼の手を振り解いて逃げ出した。這うように階段を昇る。精一杯のつもりだったけど、なめくじのような歩みだ。疲れ果てた僕は、ようやく地上に辿り着いてその場に伏せった。

 もう体力も精神力も限界だ。まだ何もできていないのに。まだ何も始まってないのに。あんなアナウンス一つで。僕は限界まで消耗した。

 

 「ま、益玉……君……?」

 

 どれくらいここでそうしていたのか。不意に名前を呼ばれて僕はようやく我に返った。髪を伝って滴り落ちる汗を乱雑に振り払う。今、僕の顔はどうなっているだろう。覗き込んできた甲斐さんの表情から察するに、相当にひどい顔をしているようだ。

 

 「どうしたの?もしかしてさっきの放送で……?」

 「うっ……だ、大丈夫……!うん、ごめん……!ちょっと、焦った、だけだから……」

 「本当に?立てる?肩貸すから……ほら」

 「あ、ありがとう……」

 

 きっと、甲斐さんも不安なんだと思う。さっきのアナウンスからは、心の中に直接訴えかけてくるような、そんな悪意を感じる。直感的にも論理的にも従わざるを得ない強制力を感じる。そして何より、状況を理解できないみんなにとってその声の主は、決して希望を与えない。この奇妙な状況をより悪化させるものでしかないと、そう予感させていた。

 僕は甲斐さんに肩を貸してもらって立ち上がった。少しふらつくけれど、なんとかひとりで歩けそうだ。まだ心配そうにしている甲斐さんは、甲斐さんは湖藤君の車椅子を押しながら、ゆっくりと僕を体育館まで案内してくれた。

 脳が膨張して頭蓋骨の隙間から漏れ出しそうになるのを感じながら、僕は懸命に自分の足で歩いた。この先に待つ、絶望に向かって。




今日は投稿が遅くなりました。ブラウザが落ちて編集が無になったり、イラストのアップロードに手間取ったりしました。
これまで個々に動いていたキャラクターたちが一堂に会したことで、また違った側面が見えてくるかと思います。皆さんは知っていても隠している一面があったり……こういう見せ方も創作論破では新しいかなと思ったりしてます。


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人は地に立ち眠るだけ

 

 体育館に入る前の玄関、広いホールとは鉄扉で仕切られたその狭い空間に、既に何人かが集まっていた。元から体育館にいたはずの宿楽さんたちは、なんとなくその出入り口に近いところに寄り集まっていた。きっと、皆も同じなんだろう。さっきのアナウンスから異常な悪意を感じ取って不安になっている。アナウンスをした誰かの正体も目的も分からず状況が読めない中で、本能的に身の危険を感じ取っている。

 気が付けば、20人全員がそこに集合していた。僕はみんなの顔を見渡して、静かに息を整えた。もう少し、もう少しだけこのままでいたい。

 

 「コラーーーッ!!もっと前に来いよ!!積極性のないヤツは意欲関心がないと見なして成績満点付けてやらないぞ!!」

 「ひっ……!?」

 

 そんなささやかな希望すら、どこから見ているのか、さっきと同じ声のアナウンスによって打ち砕かれた。廊下側の扉が勝手に閉まり、玄関の照明が落ちる。僕たちの退路を断ち、自分の手の中へ誘う。誰かの悲鳴が聞こえた。この声に従わないと何が起きるか分からない。そう感じさせるのに十分な演出だ。

 

 「行こう……。大丈夫、だから……」

 「ま、益玉君……?」

 

 声の主が次の手を打つ前に、僕は一歩踏み出した。自分でも分かるくらい、僕の脚はガタガタと震えていた。床の軋む音が脚の震えにあわせて小刻みに波打つ。まるで地上の重力が何倍にも跳ね上がったかのような重圧を感じながらも、僕は確かめるように一歩一歩を踏みしめた。こんな不格好な形でも、誰も動かずにいるよりはマシなはずだ。

 

 「……来たぞ」

 

 体育館ホールの真ん中に立ち、ステージの上に用意された壇に向かって僕は呟いた。

 

 「おう、なんだよ!根性あんじゃん!」

 「うわっ!」

 

 明るい声とともに、後ろから肩を組まれた。岩鈴さんだ。

 

 「なんか空気に飲まれてビビってたわ!けどアンタが根性見せたお陰でなんかしゃきっとした!」

 「あ、ありがと……」

 

 岩鈴さんの後ろでは、玄関に寄り集まっていた皆が少しずつ体育館ホールに足を踏み入れて来ていた。僕のおかげ……なんてことはないだろう。僕の後を岩鈴さんが追いかけてきてくれたから、皆が安全だと判断できたんだ。まだ怯えている人や警戒心の強い人は、鉄扉の近くを離れない。それでも、全員がホールの中に収まった。それを確認したかのようなタイミングで、またアナウンスが聞こえてきた。

 

 「はいはーーーい!みんな集まったようだね!うぷぷぷぷ!そんじゃま、始めていきましょうか!みんなステージにちゅうも〜〜〜く!」

 

 号令とともに、体育館中を奇天烈な音楽が包み込む。軽快で、間抜けで、人をバカにするような音だった。その音の発信元は、20人の視線を一手に受ける地味な教壇だ。僕たちの不安を煽るように、僕たちの緊張を焦らすように、たっぷりと時間を浪費した後、それは唐突に現れた。

 

 「ばびょ〜〜〜ん!うっぷっぷ〜〜〜!」

 

 遠くからでもはっきりと分かる白と黒のツートンカラー。不格好に張った丸い腹とでべそ。アンバランスな短い手足。左右で形が違う小さく円らな瞳と長く切れた真っ赤な目。それは、この不可解で理不尽な状況を体現するかのような、見る者を不安にするような姿をしていた。

 

 「ほう」

 「んん……?」

 「……はあ」

 「クマちゃんだーーーっ!!かーわいーーー!!」

 「えっ」

 

 現れたそれに対して、皆は予想外の反応を見せた。興味深げに眺めたり、肩透かしを食らったようにがっかりしたり、或いは目を輝かせたりしている。どうやら僕が抱いたものとは全く異なる感想を抱いているらしい。さっきまで体育館を満たしていた緊張感は、すっかり弛緩しきってしまったようだ。

 

 「わーいクマちゃーん!」

 「はぐ。ちょっとガマンだ。まだ飛びついて良いかどうか分からない」

 「クマ……なわけないですよね。明らかに人工物ですが……ロボットかなんかですかね?」

 「意外と糸で吊ってるだけだったりして」

 

 一応、警戒心を露わにしている人たちもいる。それでも僕が感じているような恐怖心はそこからは感じられなくて、状況が分からないことに対する警戒心だ。

 

 「え〜〜……なんなんオマエラ……なんなんそのリアクション……思ってたのと違うんですけど!話が違うんですけど!」

 「知らないけど……誰から話を聞いてたのかしら?」

 「クマが!立って!しゃべって!るんだよ!?こんなにプリチーだけどツメもキバもこんなに鋭く尖っているんだよ!?もっと驚けよ!おったまびっくりすってんてんだろーがよ!」

 「そんなこと言われても……ねえ?」

 「もう立ってしゃべるキツネ見ちまったからなあ。新鮮に驚けってのも無理があらあな」

 「キツネ!?」

 「どーも!コンちわ!」

 「こんちわじゃないが?」

 

 ああ、なるほど。確かに、ここには既に立ってしゃべって人間のように振る舞うキツネがいた。初めてその姿を見たときの衝撃は、確かにひっくり返るくらいのものだった。というか僕は実際にひっくり返った。それと比べたら、明らかに人工物と分かるクマのぬいぐるみがしゃべったところで、狭山さんを見た驚きに比べれば大したことはない。みんなの薄いリアクションも尤もだった。

 

 「存在が拙僧のパクリですな!二番煎じということで、残念でした!」

 「は、初めてですよ……ここまでボクの登場シーンをコケにしたおバカさんは……!」

 「コケにしたっていうか大コケしたっていうか」

 「滑稽、だな」

 「うるせーーー!!コケコケ言うな鶏かオマエラは!!そんなコケおどしに負けないボクの沽券!モタモタしてたら苔むす過去形!これから始まる全て進行形!絶対服従執行権!」

 「ラッパーの誘拐犯なの?」

 「刻んでねえで説明しやがれクマ野郎!ここはどこでテメエは誰なんだ!」

 

 苛立っている芭串君の反応の方が、僕にとっては共感できるものだった。希望ヶ峰学園を訪れたはずの高校生20人が、見知らぬ建物の中に集められている。出口がなければ、ここまで来た記憶もない。そんな中に現れた、白と黒の奇怪な存在。この状況に対する答えは、こいつが持っている。

 

 「え〜、じゃあ気を取り直して、オマエラ!よく集まってくれたね!まずは自己紹介といきましょう!ボクはモノクマ!この希望ヶ峰学園の学園長なのだァ〜〜〜!!」

 

 そいつは、高らかにそう名乗った。モノクマ。その名前は、その名前が意味するところを、僕はもう理解している。まだ知らないけれど、分かっている。それを自覚すると、再び心臓が窮屈な胸を突き破ろうと暴れ出した。

 

 「モ、モノクマぁ……?なんだそりゃ?」

 「それより、希望ヶ峰学園と仰いましたか……?こちらの建物が、ですか?」

 「そうだよ。ここはオマエラが期待に胸をパンパンに膨らませて来た希望ヶ峰学園だよ。思ったよりちゃちくてちょっと絶望した?」

 「絶望ってほどではないけれど……うん、まあ」

 「嘘を吐かないで。希望ヶ峰学園はもっと大きな学園のはずよ。テレビで観た限りでも、体育館はここの数倍はあるわ」

 「あんなオワコンまだ観てるヤツいるんだ!?そんなの合成CGてんこ盛りの捏造に決まってんじゃーん!っていうかここが本当に希望ヶ峰学園だろうがなんだろうが、オマエラにはどうでもいいことのはずだよ?問題はそうじゃないでしょ?」

 

 皆が口々に騒ぐ。意味不明な状況に加えて意味不明なことを言う意味不明な存在。何が本当で何が嘘なのか。何が現実で何が錯覚なのか。何が問題で何が分かっていないのか。整理できていない頭では何一つ分からない。一部の、冷静に全てを俯瞰している人たちを除いて。

 

 「問題は、僕たちはここから出られるのか、ということですね」

 「はい尾田クン正解!そうだよね。たとえここが希望ヶ峰学園だったとしても、外に出られないなんてイヤだよね。分かるよ〜」

 「で、出られるのですか……?手前どもは……!」

 

 くっくっと笑うモノクマに、庵野君が尋ねる。何一つ分からなくても、その問いかけに対する答えは、誰でも予想できた。だからこそ、次のモノクマの言葉を待たずして、僕たちの間に重い緊張が走った。

 

 「出られないよ。うっぷっぷ。オマエラはこれから一生、永久(とわ)にともにここで暮らしていくんだよ!あっひゃっひゃ!!」

 「い、一生!?」

 「冗談……言ってる感じじゃないよね……?」

 「冗談でないと困る。こんな東の端っこの島国で一生を終えるつもりはないよオレは」

 「いいや。終えてもらいます。なぜならば!オマエラは“超高校級”の才能を持つ優秀な高校生たち!その存在は世界の、人類の宝──人類の希望となるに相応しい!故に悪い大人たちがうようよしている社会ではなく、この徹底的に有害物を排除した無菌室のような学園の中だけで生きてもらうのです!おわかり?」

 「まるで養殖場だ。俺たちは牡蠣か何かだと思われているらしい」

 「ふざけんな!ンなこと言われてはいそうですかってなるヤツがいるわけねえだろ!」

 「念のために言っておきますが……あなたの発言は刑法220条(監禁罪)に抵触する可能性があります。たとえ希望ヶ峰学園だとしても、こんな大それた犯罪が見逃されるはずがない」

 

 当然、モノクマの言うことに従う人なんていない。不平、不満、異論、反論、文句、絶句、無秩序な言葉たちが飛び交う。それら全てはモノクマにとって予定調和だ。当たり前の感情であり、当たり前の反応だ。だからこそ、20人からの反感を買おうと平然と笑っていられるんだ。

 

 「うぷぷ♬怒ってる怒ってる。焦ってる焦ってる。そりゃそうだよね。いきなりこんなところに閉じ込められて、一生を過ごせなんて言われたらそうなるよね。うんうん、だからね。ボクはそんなオマエラの為に、ある特別なルールを定めるのです!つまりは、この希望ヶ峰学園から脱出──“卒業”することができるルールでーす!」

 「そ、卒業!?入学して5秒で卒業アルカ!?スピードラーニングも来るところまで来たネ!」

 「いや、どう考えても普通の卒業とは違うと思うけど……そのルールっていうのはなに?」

 「さっきも言ったとおり、この希望ヶ峰学園は完全に秩序だった、無菌室のような潔癖空間なのです。故にこの秩序を乱すヤツは排除しなくてはならない。そういうことです」

 「秩序を乱す……具体的にはなんですか?」

 「うぷ♬」

 

 待ってましたとばかりに、モノクマは笑った。この学園でモノクマが許さない秩序──絶対的な悪として排除されるその行為。それは……。

 

 「殺人、でぇす!!」

 「……は?」

 「聞こえなかった?殺人だよ。サ・ツ・ジ・ン!日本じゃ刑法199条に規定され今もなおこの国のどこかで起きている人間として最大最悪の禁忌!過去人類が幾度となく繰り返し、時に栄誉、時に賞罰、時に娯楽、時に無為!そんな身近で縁遠くて明確かつ曖昧な罪!それがこの学園を“卒業”するために犯さなければならない犯罪(ルール)なのです!」

 

 モノクマは、その事実をボクたちに叩きつけるように捲し立てた。この学園から出るためには、人を殺さなければならない。ここには出口がない、つまり入口もない。誰かを殺すとすれば、それはここにいる僕たちの中の誰かだ。この中の誰かが、この中の誰かを殺す。そういうことを言っているんだ。

 

 「もちろん、殺し方は問いませんよ。オーソドックスに刺したり殴ったり落としたり。奇を衒って潰したり沈めたり砕いたり。オマエラに意欲があれば、ボクも公平性を欠かない範囲で協力させてもらうから、初心者の皆も安心してね!熟練者の皆はバレないように気を付けてね」

 「じゅ、熟練者……って……」

 「熟練者っていうか経験者?まあなんでもいいや!ともかくそんな感じで!」

 

 困惑する僕たちの理解を振り切る勢いで、モノクマはひとりで喋り続ける。おそらくここにいる人のほとんどが、これまでの人生で関わることのなかったこと。テレビの向こう側、フィクションの中、想像の世界だけに存在していた、人を殺すという行為。それが、今まさに強いられているという現実。理解が追いつくはずもない。

 

 「ちょっと待て!いったいオマエはずっとなにを言ってるんだ?監禁とか殺人とか……これっぽっちも意味が分からない!」

 

 あまりに理不尽なモノクマの要求に、とうとうカルロス君が声を上げた。初めて会ったときに見せていた余裕の態度はすっかり消え失せ、真っ青な顔で必死にモノクマに抗議している。

 

 「はにゃ?これ以上ないほどシンプルに説明したつもりなんだけどなあ。出たいなら殺せ、殺したくないならいろ、殺されたくないなら……まあ、各自頑張って。そんだけだよ?」

 「そういうことじゃない!なぜそんなことをしなくてはならないんだと言ってるんだ!そもそもここは本当に希望ヶ峰学園なのか!?このオレをこんな訳の分からないところに閉じ込めてそんなこと……国際問題だぞ!」

 「へー、ならどうするの?壁でもぶっ壊して外に出てみる?大声を出して助けを呼んでみる?それとも……このボクを倒してみる?ガルル!」

 「Lo haré(倒せばいいんだな)?」

 「あっ……!」

 

 言うが早いか、僕の隣を白い風が吹き抜けた。僕の肩くらいの高さがある舞台の上へ一息に跳び乗って、壇上でふんぞり返っていたその頭を掴む。ほんの刹那、瞬きにも足りない時間に見た彼の顔は、燃え盛る炎のような闘志に満ちていた。彼はその勢いのまま、モノクマの頭を床に叩きつけた。

 

 「ぶげぇっ!?」

 「ほらどうだ?これで満足か!」

 「ぎょぎょっ!?い、いま何が起きたのですか!?全く見えませんでした!」

 「レクリエーションとしては面白かったが、ジョークが笑えないな!一旦オレたちを帰した後にゆっくり考え直すといい!」

 「カルロスさんカッコイイ〜〜〜!」

 

 あっという間にモノクマはカルロス君に取り押さえられた。あまりに呆気なく、拍子抜けなくらいあっさりと。短い手足ではじたばた暴れても自分の頭を押さえつける手に届きもしない。これでは無抵抗と同じだ。そう。モノクマは、()()抵抗していないだけだ。

 

 「うぬぬ……!が、学園長であるボクになんてことを……!こりゃ、こりゃとんでもないことになりますよ〜〜〜!」

 「何を言って──」

 「うわああああああああっ!!!」

 

 全身を貫く衝撃。まるで重たい鋼のようだ。それでも、彼は油断していた。モノクマがそうさせた。だから動いた。こんなひ弱な僕でも。彼を弾き飛ばすことができた。その未来を、回避することができた。

 僕とカルロス君はもつれて倒れる。固い床に打ち付けられる感触とカルロス君の呻き声。眼鏡が吹っ飛んだ。悲鳴が聞こえる。どうなった?カルロス君は……皆は無事なのか?

 

 「お、おいおい!何をするんだイント!どうしてこんなヤツを……ッ!?」

 

 転がっていた眼鏡をかけ直すと、カルロス君の顔が青ざめているのがよく見えた。その視線の先、さっきまで彼が覆い被さっていたモノクマは、黒い鋼鉄の檻に守られていた。その檻を形作っているのは、切っ先まで殺意に満ちた巨大な槍だ。四方八方から円錐形を成すように、その槍は体育館の床を突き破って伸びていた。

 

 「はぁ……!はぁ……!ご、ごめん……!」

 「あ……い、いや……!これは……!?いったい、どういう……?」

 「あ〜あ、なんだよ。ちょっと人数が多いくらいだったから、ひとりくらい()っちゃってもいいかな〜と思ってたのに」

 「はっ……はあっ!?」

 

 槍の隙間から這い出たモノクマが、体についた埃を払いながら立ち上がる。その声色はさっきと変わらないのに、さっきよりずっと真に迫って聞こえた。

 

 「学園長であるボクへの暴力は校則違反。これも立派なルールだよ。ま、今回はルールを伝える前だったし?勇気を出して助けてくれた益玉クンに免じて、見逃してやるよ」

 「……」

 

 カルロス君は、もう何も言わない。僕が決死のタックルをしなければ、自分がどうなっていたかなど、考えるまでもないことだし、考えたくもない。そしてこの出来事で、みんな理解した。モノクマは本気だ。殺すと言えば本当に殺すし、出さないと言えば本当に出さない。モノクマが提示したルールには、従うしかないんだ。

 

 「さてさて、ちょっとしたデモンストレーションでみんな気が引き締まったんじゃないかな?というところでボクからの説明は以上だよ!」

 「せ、説明は以上って……相変わらずわけ分かんねえままだし……」

 「そうだよね。いきなり言われても後から確認したいこととか、もっと気になることとかあるよね。だからボクはオマエラのためにこんなものを用意しました!」

 「えっ?」

 

 モノクマの合図と同時に、体育館のあちこちから白い煙が噴き出した。その煙の正体を推し量る間もなく、みるみるうちに視界は不愉快な白に埋め尽くされていく。呼吸は辛くない。何の味も臭いもしないし、刺激が一切ない。ただ何も見えない。みんなの声だけが聞こえてくる。

 そして、煙はすぐに晴れた。色彩を取り戻した視界は、煙が噴き出す前と変わっていない。誰も減っていないし、誰も増えていない。ただ、僕たちがお互いを目視したとき、それは見つかった。

 

 「な、なにこれ……!?」

 「首輪……?」

 「ただの首輪じゃないでしょうね。爆発でもするんじゃないですか?」

 「ば、爆発ってそんな……!」

 「うぷぷ!それこそ、ボクが科学の粋を集めて造った特注品!この希望ヶ峰学園で生活していく上で欠かせない様々な機能を搭載した超ハイテクウェアラブル端末!その名も“モノカラー”!この世に20個しかない超プレミア品だよ!」

 「モノカラー……?」

 

 僕たち全員の首に、得体の知れない黒い輪っかが嵌め込まれていた。さっきの煙で視界を奪われている間に、モノクマに付けられたのだろうか。無理矢理外そうとしたらどうなるかは、だいたい想像がつく。

 

 「まずはオマエラ、自分の指を正面真ん中にあてがってください。指紋認証でロックが解除されるので、最初にあてがった箇所の指紋がパスになるからね。間違ってもヘンなところをパスにしないように!」

 

 自分の首に取り付けられた不可解な機械に驚くのもつかの間、モノクマに言われるがままみんなはそれぞれが指紋を押しつけてパスを登録する。今はモノクマに従うしかない。その意識が、みんなの口を閉ざしていた。まるで本物の始業式のように、壇上に戻ったモノクマがひとり喋り続ける声が体育館に響き渡る。

 

 「さて、基本的な機能の紹介をしましょう。このモノカラーにはいくつものアプリが搭載されていて、センターパッドの左右をタッチすることで切り替えられます。個室の電子錠操作や生徒手帳代わりの個人情報閲覧、音声の録音機能にライト、タイマー、ストリーミングでミュージックを聴くこともできますよ!まあ、ネットがないから最後のは使えないんだけどね」

 「じゃあ容量食ってるだけじゃねえか!」

 「使い方はオマエラ次第。好きに使っていいからね!ただし、強引に外そうとしたら……どうなるか分かってるよね?うぷぷぷぷ♬」

 

 爆発するのか、毒を打たれるのか、切断されるのか、電気ショックか。どうなるのかは分からない。でも、どんな結末が待っているのかは分かる。それは誰も、考えても口にできなかった。

 

 「そんじゃ、もう夜も遅いしオマエラ、まっすぐ個室に戻って寝るんだよ!ルールの確認もモノカラーでできるからね!」

 「ちょ、ちょっと待って……!まだ全然状況が……!」

 「絶望と希望に溢れたコロシアイ学園生活を!オマエラの今後に期待してるからね!」

 

 一方的に話を打ち切り、モノクマはそのまま手を振って教壇の裏に消えていった。慌てて何人かの人が教壇に駆け寄って行ったが、モノクマはおろか、その痕跡すら見つけられなかったようだ。20人もこの場にいるというのに、体育館は重たい沈黙に支配されていた。みんな、どうすればいいか分からないんだ。

 

 「……取りあえず、さ」

 

 口を開いたのは、車椅子に乗った湖藤君だ。

 

 「モノクマの言うとおり、もう夜遅いみたいだから、それぞれの個室に戻ろうか。これからのことは、明日の朝に考えるってことで」

 「楽観的ですね。そんなことでいいんですか?モノクマが言ったこと……お忘れじゃないですよね?」

 

 周囲への警戒心を隠しもせずに言うのは尾田君だ。

 

 「みんな疲れてるんだ。まずは休息をとって、きちんと物事を考えられる状態にしないと」

 「ええ、勿論そうですとも。ですが、例のルールを無視できるわけでもないでしょう?」

 

 尾田君も、敢えてはっきりと口に出すことはしない。この中の誰かを殺した人だけがここから脱出できるというルール。僕たちの不安と疑心暗鬼を煽るそのルールが、ただ自分の部屋で眠るという行為すら、危険なことのように思わせてしまう。

 

 「だから、みんな、念のため戸締まりはしっかりしておくんだ。ドアには鍵がかけられるし、さっきのモノクマの説明が本当なら、鍵はこの機械でしか開けられないみたいだからね」

 「それはつまり、誰かが既に裏切りを計画している可能性があると?」

 「夜の内にモノクマが何かしてくるかも知れないからだよ」

 

 僕たちの間に漂う重苦しい空気を振り払おうと、懸命に楽観論を語る湖藤君。緊張の糸を弛ませまいと疑念を剥き出しにして反論する尾田君。どちらもこの状況に適応しようとしているだけだ。信じ合うのか、疑い合うのか。協力するのか、決別するのか。きっとどちらも正しくて、どちらも間違っているんだ。

 

 「まあ、いいでしょう。さっきの今でそんな大それた事をする人もいないでしょうし。何より……ただそれだけで脱出できるとは思えませんからね」

 「!……尾田君、それはどういうこと?」

 「おや、アナタなら分かってくれると思っているんですがね……益玉君?」

 

 それだけでは脱出できない。尾田君のその言葉はまるで、殺人が起きることを前提として、まだ何かモノクマの企みがあることを見透かしているようだった。彼の鋭く射貫くような視線を向けられて、僕は捕食者を前にした小動物のように体を強張らせた。

 

 「そ、その……脱出の条件が……それだけではないと?」

 「……。さあどうでしょうね。そもそもモノクマが約束を守るとも限りませんし、何も分からない内は何もしないに越したことはありません。ささ、寝ましょう寝ましょう」

 

 僕の代わりに、庵野君が尾田君に問うた。彼はその問いには答えない。体育館の冷たい空気が淀んで纏わりつく重苦しい一瞬。尾田君はため息を吐くと、からっとした軽薄な声で議論を強制終了させた。体育館の鉄扉は簡単に開いた。尾田君は振り向くこともなく、一足先にその向こうへと消えていった。

 

 「ど、どういうことかな……?」

 

 いつの間にか湖藤君の側まで来ていた甲斐さんが、小声で問いかけた。それは、隣の湖藤君に言ってるのか。それともそのさらに隣にいる僕に言っているのか。出しゃばるようなマネはしたくないから、答えあぐねる。

 

 「彼なりに殺人を防ごうとしたんだよ、きっと。殺人のリスクを冒しても脱出できるとは限らないって、牽制のつもりなんだろうね」

 「そうなの?私たちを不安にさせようとしたのかと思ったけど……」

 「損な性格してるよね」

 

 どうやら僕みたいなヤツのことなんて、2人とも眼中にないようだ。そりゃそうだ。僕はただ、部屋でベッドから落ちて動けなくなっていただけの間抜けなヤツ。集合時間にも間に合わず、後からひとりひとり自己紹介する羽目になった面倒なヤツ。それくらいの認識なんだろう。だからあまり注目されないよう、隅っこにいよう──。

 

 「イントオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 「えっ、わっ!うぶぅぐ!?」

 

 突然名前を呼ばれたと思ったら、白い壁に押し潰された。壁の奥から響く震動で頭が外から中から揺さぶられる。

 

 「Gracias(ありがとう)!!アナタの勇敢なタックルがなければオレは今頃……おおうっ!考えるだけで恐ろしい!とんでもないことだ!アナタは世界の宝が失われるその悲劇を回避した!!感謝してもしきれない!」

 「そ、そんな……」

 「うじうじしてる野郎かと思ったらやっぱ根性あんじゃねえか!よくやった!」

 「げう」

 

 カルロス君に強烈なハグをされた上に、後ろから岩鈴さんに叩かれた。さっきのことは、自分でもどうやって体を動かしたのか分からない。考えるより先に体が動いた。考えていたら後悔すると直感した。結果的にカルロス君の命を救ったような感じになってしまった。でもあんまり僕にそういう役割を期待されるのは困る。

 

 「いんとさんカッコ良かったよ!はぐは全然見えなかったけど!」

 「そうそう出來(でき)る事ではない。誇るべきだ」

 「益玉殿のお陰でイヤなもの見ずに済みました!」

 

 なんだか、いつの間にか僕の周りに人が集まってきていた。ま、まずい。あんまり人に注目されるのは……苦手だ。ましてやこんな、好意的な感情を向けられることになんて慣れてない。ともかく、この状況を脱さないと。

 

 「い、いや……ありがとう。ひとまず、さ。あの……部屋に、戻ろうよ……」

 「そうですね。念のため、益玉様とカルロス様は保健室でお怪我の具合を診ましょう。三沢様もご同行願えますか」

 「ええ。もちろんよ」

 「おお!ツユコちゃんに診てもらえるのかい?全身打ったからしっかり診てくれよ!ははは!」

 「……ふふふ」

 

 既に何人か、尾田君の後に続いて体育館を出ている人たちはいた。あまり遅くまでここにいるのも、モノクマが何かしてくるかも知れなくて危ない。取りあえず僕たちは体育館を出て、寄宿舎まで戻ることにした。僕とカルロス君は谷倉さんと三沢さんと一緒に保健室に寄って、しっかりと手当てを受けた。やたらと鍛えた体をアピールしてくるカルロス君に呆れつつ。

 そして最後の最後まで僕に感謝の言葉を浴びせ続けたカルロス君と別れ、僕は自分の部屋に戻った。部屋は初めて認識したときと変わっていない、いくらか散らかっているシンプルな部屋だ。ベッドが1つ。テーブルと椅子のセットにクローゼットと背の低いキャビネット棚。シャワールームには洋式便器が備え付けられている。

 

 「ふぅ」

 

 僕は脱力した体をそのままベッドに投げ捨てた。体中を締め付けていた緊張感から解放されて、ようやく一息つくことができた。長い一日だったような気がするけれど、実際は半日も経っていないんだろう。窓の外は星も見えない真っ暗闇で、まるで黒いインクで塗り潰したようだ。

 

 「ピンポンパンポ〜〜〜ン!」

 「!……うわっ!」

 

 襲ってきた疲労感のなすがまま眠りに落ちようとしていた僕を、その音が強引に引き揚げた。音量調節ができていないのか、最初の一音だけがやたらと大きくてベッドから転げ落ちた。

 

 「え〜、夜10時となりました。ただいまから夜時間となり、校内の一部がロックされます。立ち入り禁止区域にいる生徒は速やかに退出してください。ではでは、良い夢を。おやすみなさい……」

 

 夜時間の到来を知らせるモノクマのアナウンスだった。これが毎日あるのか。僕はのそのそと起き上がって、再びベッドに寝転び直した。肉体的にも精神的にも限界を超えていたせいか、体を大の字に広げて目を閉じると、ずぶずぶと布団の中に沈んでいく感覚がした。平衡感覚を失った意識が羽毛の海に溶けていく。抵抗することなど微塵も考えず、僕はその心地良く果てしない誘惑に身を委ねていった。




これにてプロローグは終了です!ひとまずテンプレの流れを追う形ですが、ただ流れに沿っているだけでは退屈なので、自分なりの色を出せるように工夫したつもりです。出てたらいいな。


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キャラクター紹介
キャラクター紹介


 

 『ダンガンロンパメサイア』キャラクター紹介

 こちらは、本編に登場する全20名のキャラクターの一覧です。簡単なプロフィールと全身のイラストを載せています。特に本編に深く関わる情報ではないので、Tips感覚でお楽しみください。

 


 

 “超高校級の語り部” 益玉 韻兎(マスタマ イント)

【年齢】18

【誕生日】6/19

【身長/体重】164.1cm/57.4kg

【出身地】山梨県

【好きなもの】ツナサンド、ブラックコーヒー

【嫌いなもの】マドレーヌ

【趣味】読書、アニメ

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の古物商” 湖藤 厘(コトウ リン)

【年齢】16

【誕生日】9/25

【身長/体重】157.2cm/44.5kg

【出身地】東京都

【好きなもの】もやし、豆乳

【嫌いなもの】からし

【趣味】ジグソーパズル、美術品鑑賞

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の脱出者” 宿楽 風海(スクラ フウ)

【年齢】16

【誕生日】6/2

【身長/体重】155.5cm/53.4kg

【出身地】沖縄県

【好きなもの】ラフテー、炭酸飲料

【嫌いなもの】海ぶどう

【趣味】体験型謎解きゲーム、女性向けの薄い本

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のゴルファー” 虎ノ森 遼(トラノモリ リョウ)

【年齢】17

【誕生日】5/28

【身長/体重】176.6cm/69.2kg

【出身地】北海道

【好きなもの】エスカロップ、牛乳

【嫌いなもの】鶏皮

【趣味】散歩、テレビゲーム

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の介護士” 甲斐 奉(カイ マツリ)

【年齢】15

【誕生日】11/11

【身長/体重】157.1cm/59.2kg

【出身地】秋田県

【好きなもの】卵焼き、コーンポタージュ

【嫌いなもの】豚骨

【趣味】少女漫画、料理

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のコンシェルジュ” 谷倉 美加登(タニクラ ミカド)

【年齢】17

【誕生日】11/20

【身長/体重】172.4cm/53.4kg

【出身地】長野県

【好きなもの】山菜のおひたし、渋茶

【嫌いなもの】キウイ

【趣味】水彩画、布団干し

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の職人” 岩鈴 華(イワスズ ハナ)

【年齢】16

【誕生日】7/25

【身長/体重】168cm/68kg

【出身地】愛知県

【好きなもの】激辛カレー、強炭酸コーラ

【嫌いなもの】しらたき

【趣味】ロボット造り、サウナ

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の文豪” 菊島 太石(キクシマ タイシ)

【年齢】17

【誕生日】11/26

【身長/体重】185.5cm/67.8kg

【出身地】石川県

【好きなもの】饅頭茶漬け、緑茶

【嫌いなもの】なまもの

【趣味】釣り、鼻毛を抜いて並べること

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のトリマー” 毛利 万梨香(モウリ マリカ)

【年齢】18

【誕生日】11/22

【身長/体重】157.4cm/56.9kg

【出身地】静岡県

【好きなもの】サラミ、メロンソーダ

【嫌いなもの】大根おろし

【趣味】もふもふ、イラスト

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のペインター” 芭串(バグシ) ロイ

【年齢】16

【誕生日】11/16

【身長/体重】172.4cm/65.1kg

【出身地】ロンドン

【好きなもの】フィッシュアンドチップス、紅茶

【嫌いなもの】砂糖菓子

【趣味】夜遊び、コメディ

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の宣教師” 庵野 宣道(アンノ ノブミチ)

【年齢】16

【誕生日】10/4

【身長/体重】182.4cm/74.9kg

【出身地】長崎県

【好きなもの】豆腐、聖水

【嫌いなもの】納豆

【趣味】聖書、瞑想

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のマタドール” カルロス・マルティン・フェルナンド

【年齢】18

【誕生日】7/14

【身長/体重】197.1cm/90.5kg

【出身地】マドリード

【好きなもの】パエリヤ、オルチャータ

【嫌いなもの】ちりめんじゃこ

【趣味】ナンパ、スーツのコレクション

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のサンタクロース” 三沢 露子(ミサワ ツユコ)

【年齢】17

【誕生日】12/25

【身長/体重】163.7cm/63.7kg

【出身地】宮城県

【好きなもの】ポトフ、ブドウジュース

【嫌いなもの】スイカ

【趣味】アルバム作り、スイーツの食べ歩き

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のシャーマン” 狭山 狐々乃(サヤマ ココノ)

【年齢】18

【誕生日】7/30

【身長/体重】167.3cm/59.8kg

【出身地】栃木県

【好きなもの】油揚げ、白湯

【嫌いなもの】緑黄色野菜

【趣味】暴飲暴食、ダンス

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のスナイパー” 長島 萌(ナガシマ モエ)

【年齢】17

【誕生日】10/29

【身長/体重】157.9cm/60.3kg

【出身地】江蘇省

【好きなもの】小籠包、チャイ

【嫌いなもの】ほたるいか

【趣味】カンフー、木登り

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のプロデューサー” 月浦(ツキウラ) ちぐ

【年齢】15

【誕生日】12/19

【身長/体重】155.6cm/44.7kg

【出身地】群馬県

【好きなもの】黒豆、番茶

【嫌いなもの】生クリーム

【趣味】陽面はぐのグッズ作成及び収集、そろばん

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級のマスコット” 陽面(ヒオモテ) はぐ

【年齢】15

【誕生日】3/8

【身長/体重】146.8cm/46.7kg

【出身地】埼玉県

【好きなもの】わたあめ、スペシャルちぐドリンク

【嫌いなもの】なまこ

【趣味】猫の写真集、歌

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の法律家” 理刈 法子(リカル ホウコ)

【年齢】18

【誕生日】5/3

【身長/体重】166.9cm/60.5kg

【出身地】京都府

【好きなもの】刺身、青汁

【嫌いなもの】ポテトチップス

【趣味】ピアノ、ヘアアレンジ

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の蔵人” 王村 伊蔵(キミムラ イゾウ)

【年齢】23

【誕生日】10/1

【身長/体重】154.9cm/68.6kg

【出身地】兵庫県

【好きなもの】枝豆、雫酒のとびきり燗

【嫌いなもの】ケチャップ

【趣味】麻雀、温泉

 

 

【挿絵表示】

 

 


 

 “超高校級の■■(密偵)” 尾田 劉平(オダ リュウヘイ)

【年齢】17

【誕生日】9/19

【身長/体重】171.5cm/56.5kg

【出身地】熊本県

【好きなもの】バナナ、炭酸ジュース

【嫌いなもの】魚

【趣味】特になし

 

 

【挿絵表示】

 




キャラクター紹介です。
細かいところまで設定を考えているときは楽しいですが、後で見返すとなんこれ、てなりますね。


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第一章 カインを蝕む蛇の毒
(非)日常編1


 突き上げられるような感覚。ベッドの上で体が跳ねた。電気ショックを受けたような、自分の意思とは無関係の衝撃。この空間で初めての目覚めは、極めて不健康なものだった。

 額から耳へ伝う寝汗と浅い呼吸で、相当うなされていたらしいことが自分で分かる。さっきまではっきりと知覚していた存在しない世界は、ただただ不愉快な残滓だけを与えて消え去った。どれくらい寝ていたのだろうか。疲労に誘われるまま羽毛に沈んでいったせいで、着ていた服はシワだらけになって、汗ばんだ体にべったりと纏わりつく。

 

 「はあ……」

 

 今はいったい何時だろう。窓から差す陽の高さで、早朝と言える時間はとうに過ぎていることが分かる。起き上がるというより、ベッドの縁に転がって脚を投げ出す勢いでむりやり上体を跳ね上げた。ぼんやりする頭が働き始めるまで、空気に触れて汗が引いていく涼を感じていた。シャワーでも浴びて着替えよう、そう思って立ち上がった。

 

 「Hola(おはよう)!イント!起きてるかい?」

 「おら!いつまで寝てるつもりだ!とっとと起きな!」

 「うっ!?」

 

 同じ発音で全然違う温度感の言葉が同時に飛んできた。挨拶している方がカルロス君で、恫喝している方が岩鈴さんだ。体と声が大きい2人がいっぺんに僕の部屋を訪れるなんて、どういうわけだろう。声の調子を聞く限り、何か良からぬことが起きたのではないらしいことは分かった。単純に僕を起こしに来たのだろう。僕みたいに、いてもいなくても変わらないような人をわざわざ起こしに来るのは、こんな状況だからだろうか。

 

 「ひとまず開けてくれないか?オレの隣のGuapa(かわい子ちゃん)が、今にもこのドアに大きめののぞき穴を作りそうなんだ」

 「あ……ちょ、ちょっと待って……いま、シャワー浴びようと……」

 「いいから開けな!こちとら朝飯のお預けくらって腹ペコなんだ!アンタがいないと飯にならないんだよ!」

 「ええ……」

 

 ドア越しにも岩鈴さんがピリピリしてるのが分かった。このままだと本当に僕の部屋が廊下から丸見えになりかねなさそうだ。僕は最低限、髪と服の乱れを整えてから、ドアを開けた。一応、開けると同時に岩鈴さんが突っ込んで来たときのために、ドアの陰に隠れながら。

 

 「お、おはよう……」

 「やあイント!今日もクールじゃないか!ベッドの寝心地はどうだった?」

 「いや……まあ、普通……」

 「朝っぱらから暗い奴だね、まったく。昨日のあれはなんだったんだか」

 「ははは!やるときはやる男なのさ、イントは。そしてオレはやると決めたらいつでもやる男!しっかりイントを起こして朝食(デサユノ)に連れて行く!ミカドちゃんに頼まれたからね!」

 「谷倉さんが……?」

 「谷倉だけじゃないよ。ともかく、全員集合で朝飯だ。さっさと来な」

 「ちょ、ちょっと……せめて着替えさせて」

 

 むりやり僕の腕を引っ張って行こうとする岩鈴さんに必死に抵抗する。シャワーは百歩譲って後で浴びるとしても、こんな汗を吸ったよれよれの服で皆の前に出て行くことなんでできない。着替えるだけならそんなに時間はかからないからと、急く岩鈴さんをなんとか説得して、ちょっとだけ時間を稼ぐことができた。

 

 「まあまあハナちゃん。待ってる間、オレとお話でもしようじゃあないか」

 「アンタの話で腹が膨れるならいくらだって話してやるよ。ったく、いつもだったら(アタシ)はもうとっくに仕事始めてる時間なんだ。こんなところに閉じ込められてたら腕が鈍っちまう」

 「ふむ。確かに、こんな狭いところじゃ思いっきり動くことはできなさそうだ。体育館に行けばトレーニングくらいはできるかも知れないけれどね。よければ朝食(デサユノ)の後でオレと汗を流そうじゃないか!」

 「(アタシ)は筋トレじゃなくて仕事がしたいんだよ!あとアンタみたいなナンパなヤツは好かん!男のくせに口数が多い!」

 「あいたあっ!」

 

 一体何をされたのか、急いで着替えを済ませてドアを開けようとしたとき、カルロス君の悲鳴が聞こえた。おそるおそるドアを開けると、腰に手をあてて蹲るカルロス君と腕を組んで僕を睨み付ける岩鈴さんがいた。いくらお腹が減ってるからって、さすがに手が早すぎる。取りあえず、遅くなったことを一言謝っておいた方がいいかも知れない。

 

 「お、お待たせ……ごめん、遅くなって……」

 「もういいよ。ほら行くよ。カルロス!アンタも!」

 「いたた……」

 「だ、大丈夫?カルロス君……」

 「ははは、大丈夫さ。刺激的なGuapa(かわい子ちゃん)もいるからね。それに、薔薇にはトゲがあるものだ」

 

 それは岩鈴さんの名前に引っかけて言ってるのだろうか。そうだとしたらもう一発飛んできそうだから、敢えて指摘はしない。ご飯を食べればいくらかマシになってくれると思うけれど、こんな状況じゃピリピリしても仕方がない。昨日だって芭串君はお腹が減ってなくても苛立ってたんだ。今日みんなで集まってご飯を食べるのも、昨日のことについて話し合うためだろう。大事なことだ。僕は大きく頭を振って、まだ少し微睡んでいた脳の隅々まで覚醒させた。

 


 

 食堂には、既にほぼ全員が集まっていた。いないのは谷倉さんと甲斐さん──この2人はきっと食事の用意をしてくれているんだろう。眠たそうに目をこする陽面さんや、大きな欠伸をしながら仰け反る王村さん、うつらうつらしている菊島君、毛利さんの膝の上で堂々と丸まっている狭山さん……僕と同じように他の人に起こされたであろう人たちもいた。

 遅れてきた僕を出迎えたのは、みんながそれぞれ好き勝手に腰掛けた食堂を見渡す位置に立った理刈さんだった。

 

 「おはよう、益玉君。適当なところにかけてて」

 「あ……は、はい……」

 「ちょっと」

 「えっ……な、なに?」

 「私がおはようと言ったんだから、おはようと返すものじゃない?」

 「……お、おはよう」

 「はい。いいわよ。カルロス君と岩鈴さんも、ありがとう」

 「お安い御用さ。美しいアナタのお願いなら、いつでもいくらでも叶えてあげるさ」

 「それじゃあ次は大人しく座っていて頂戴」

 「クールだね。冬のマドリードを吹き抜ける風みたいだ」

 

 なんなんだ。挨拶ひとつまできっちりしたがる理刈さんも、朝っぱらからナンパするカルロス君も、この空間の異常性を気にもかけていないのだろうか。カルロス君に至っては昨日、モノクマに殺されかけたというのに。

 

 「これで全員ね。みんな、朝ご飯の後に私から話したいことがあるの。食べ終わった人も、少し残っていて頂戴」

 「キツネは帰っても?」

 「……キツネもよ」

 

 未だに、どこからどう見てもキツネでしかないモノが当たり前にこの空間にいて、人間のごとく振る舞っているのが奇妙でたまらない。自然と視線がそちらに向く。理刈さんもその扱いに頭を悩ませているようで、眉間を指でおさえていた。

 僕たちが揃ってから間もなく、厨房から大きなワゴンを押した谷倉さんと甲斐さんが現れた。谷倉さんが押すワゴンの上には大きなお櫃と寸胴、それから飲み物の入ったピッチャーがいくつかと、色々な形のパンが飛び出たバスケットもある。甲斐さんが押してる方には、おそらく人数分の食器と、おかずに用意したであろう焼き魚と沢庵が並んだお皿が載っていた。

 

 「皆様お揃いですね!おはようございます!朝ご飯を用意しましたので、まずは皆でいただきましょう!」

 「あ?なんだよ米じゃんか……オレはパン派なんだけど」

 「もちろんパンもありますよ。カルロス様や芭串様はこちらの方がお口に合うかと思いまして」

 「谷倉さんすごいんだよ!こんなにたくさんのご飯を同時にどんどん作っちゃって!さすがだよね!」

 「わーい!はぐもうお腹ペコペコ〜!」

 

 ワゴンからそれぞれの器に食べ物を盛っては、食堂中を駆け回って提供していく。あっという間に全員の目の前に、きれいに盛りつけられた朝食のセットが現れた。宣言通り、カルロス君と芭串君の前にはパンのセットが並んでいたし、狭山さんに出された器は完全に犬用のエサ皿だった。

 

 「狭山様、申し訳ありません。何分この厨房には初めて立ったものですから、どこに何の食器があるかも分かりませんで、今回はそちらでご容赦ください」

 「いえいえ。拙僧、細かいことは気にしない故。むしろ拙僧を人間扱いしてテーブルの上に供して頂けたことに感謝です。見た目はこれでも歴とした人間ですので」

 

 さっき自分のことキツネって言ってたのに。なんて都合がいいんだ。全員分の食事も揃い、ようやく朝食が食べられる。皆で手を合わせて、理刈さんの号令に合わせていただきますの大合唱。

 

 「いっただっきま〜〜す!」

 「待って。はぐ」

 

 いち早く箸に手を伸ばした陽面さんの手を、月浦君が上から優しく押さえた。それに気付いたのは、同じテーブルに着いていた何人かと、近くにいた僕だけだろう。月浦君の視線は素早く食堂を一周し、()()に留まった。その目付きは、髪で半分隠れていても分かるくらい、猜疑心に満ちていた。

 

 「あんた、なんで手を付けないんだ?」

 

 全員の手が止まる。月浦君の声色から彼の強烈な敵意を汲み取ったのか、みんなの視線が一気に月浦君へ、そしてその鋭い視線を向けられた谷倉さんに集まる。思いがけず注目を集めた谷倉さんは、ぴんと背筋を伸ばして椅子に座っていた。その手は、テーブルの下にしまわれている。みんなと同じ朝食が静かに湯気を立てている。

 谷倉さんは、こともなげに微笑んで応えた。

 

 「皆様が召し上がってから頂きます。どうぞ、お気遣いなく」

 「なぜだ?僕たちが先に食べないと都合が悪いことでもあるのか?」

 「いいえ。目上の方より先に手を付けないよう教育されたものですから……癖のようなものです」

 「なら、あんたから食べても問題ないわけだ」

 

 まるで責め立てるような月浦君の口振りに、見ている方がハラハラする。それでも谷倉さんは、あくまでも冷静に対応する。月浦君が何を考えているかは、簡単に想像がつく。

 

 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、月浦君。毒なんか入ってない」

 

 一瞬の静けさに割り込むように、湖藤君が口を開いた。そして彼は、僕たちのおそらく全員が頭に浮かべていたその言葉を、いとも容易く発し、否定した。彼は厨房には入っていないはずなのに。確信を持った瞳で。

 

 「色も匂いも普通だし、厨房にも怪しげなものは持ち込まれてない」

 「明らかに不審な行動を取る奴を見逃してはおけない」

 「谷倉さんは手を付けてないけど、一緒に作ってた甲斐さんは今にもお味噌汁を飲みそうだよ」

 

 いきなり名前を呼ばれた甲斐さんは、恥ずかしそうに持っていたお椀を下げた。

 

 「僕たちは調理工程を見ていない。何もしていないと言うのなら、谷倉がまず真っ先に口を付けるべきだ」

 「……かしこまりました」

 

 湖藤君が諭しても、月浦君は一向に引き下がる気配はない。朝の柔らかな雰囲気に包まれていた食堂は、一気に張り詰めた空間へと変わった。それを察したのか、言葉による納得は無理だと悟ったのか、谷倉さんはそう呟いて、自分の前のお椀を持った。

 

 「お先に頂きます」

 

 そう言って、口元にお椀を寄せた。朝日が差す食堂で静かに味噌汁をすする谷倉さん。こんな状況でなければ、それだけで絵になりそうなほど、きれいな佇まいだ。お箸を手に取り、具の豆腐とワカメを口に運ぶ。焼き魚とつついて骨から身をきれいに剥がし、ご飯と一緒にほおばる。一緒に出された金色のたくあんを含むと、こりこりと心地良い音を立てて咀嚼した。

 これは、監視ではなかった。僕たちはしばらくの間、()()していた。指先まで洗練された所作で朝ご飯を食べていく谷倉さんの姿から、目が離せなくなっていた。やがて谷倉さんの前のお皿はきれいに空になり、最後に淹れたての緑茶を飲み干して、谷倉さんは手を合わせた。

 

 「ごちそうさまでした」

 

 魔法が解けたように、谷倉さんのその一言で僕たちは正気に戻った。谷倉さんが朝ご飯を食べるほんの少しの時間しか経ってないはずなのに、映画か何かを一本観たような気分だ。なんとなく周りを見渡してみると、僕と同じように谷倉さんを見つめていた人たちも、どんどん我に返っていった。

 

 「……あ、あの。食べ終わり、ましたが」

 「っ!」

 

 少しだけ恥ずかしそうに、谷倉さんははにかみながら言った。少しバツが悪そうに顔を歪めた後、月浦君は椅子に座り直した。

 

 「分かった。食べ物は安全みたいだ。疑って悪かった」

 

 感情も抑揚もなくそう言った。一応謝ってはいる。けど、これでもかというくらい形だけの謝罪だ。谷倉さんはそれで満足したらしく、笑顔で自分の食器を片付け始めた。

 

 「じゃあみんな、安心して食べようか」

 「ちょっと待てい!谷倉はあんな無愛想な言葉でいいのか!?一発ぶん殴ってケジメつけさせてもいいくらいだよ!?」

 「いいえ。こんな状況では疑われるのも致し方ありません。次回からは調理工程の透明化を検討致します」

 「なんとまあ人閒(にんげん)がよく出來(でき)ていることだ」

 

 月浦君の謝罪に納得のいかない人が数名、谷倉さんの人間性に感心する人が数名、冷めた目で一連のやり取りを見ていた人が数名、そんなの関係ないとばかりにご飯をもりもり食べる人が数名。色々だ。

 

 「いただきま〜す!」

 「ちょっと待ってはぐ。こっちのを食べな」

 

 やっぱりさっきの謝罪は形だけだったようで、月浦君は自分のを少し食べてから陽面さんと交換していた。毒味までするとは、とことんまで疑っているということか。陽面さんはそんなこと気にも懸けてない様子で、素直に交換したご飯を食べていた。僕も食べようと思って箸を持ったけど、湯気を立てていたはずの僕の朝ご飯はすっかり冷めていた。

 


 

 朝ご飯を食べ終え、食器を片付けた後、僕たちはまだ食堂に揃っていた。バラバラに座っていた皆に理刈さんが指示を出して、テーブルを並べて大きな会議テーブルを作った。保健室から持って来たホワイトボードをその前に設置して、きれいな角張った字で「現状と今後について」と書いた。

 

 「まずは皆、集まってくれてありがとう。今から、私たちが置かれている状況の整理と、これからどうすべきかを話し合っていこうと思って、この場を設けさせてもらったわ」

 「これからねえ……」

 「それから話し合いに先立って、皆、自分のモノカラーは操作できるわね?昨日あのクマ……ええと、なんだったかしら?」

 「モノクマ?」

 「そう、モノクマね。アレが言っていた、ルールを確認しておきたいの。モノカラーを開いて頂戴」

 

 はきはきと、全員の耳にしっかり届く透きとおった声で、理刈さんは喋る。まるで教師みたいだ。そんな感想はさておき、現状の整理と今後についてか……確かに、話し合っておいた方がいいだろう。モノクマが提示したルール、これを守ってさえいればモノクマが僕たちに直接手を下すことはない。だが、もし破れば、昨日のカルロス君のように助かることは二度とないだろう。

 僕たちはそれぞれのモノカラーのロックを解除し、ディスプレイから「校則」のアイコンを選択した。

 


 

 ○校則一覧

  1.生徒達はこの学園内だけで共同生活を行いましょう。共同生活の期限はありません。

  2.夜10時から朝7時までを“夜時間”とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので、注意しましょう。

  3.就寝は寄宿舎に設けられた個室でのみ可能です。他の部屋での故意の就寝は居眠りとみなし罰します。

  4.希望ヶ峰学園について調べるのは自由です。特に行動に制限は課せられません。

  5.学園長ことモノクマへの暴力を禁じます。監視カメラの破壊を禁じます。

  6.仲間の誰かを殺したクロは“卒業”となりますが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけません。

  7.コロシアイは、最後のひとりになるまで続きます。

  8.生徒の自殺を禁じます。

  9.なお、校則は順次増えていく場合があります。

 


 

 昨日モノクマから直接聞いたものもあれば、初めて見るものもあった。基本的に普通の生活をしていれば触れることのないルールばかりだ。居眠りだけは気を付けなければいけないかも知れないけれど。

 

 「皆、確認したわね?まず当然だけど、ここに書いてあるルールを破るのは厳禁よ。昨日のようなことは期待しない方がいいわ」

 「理刈さん、この校則6番についてどう思う?」

 

 湖藤君が挙手した。モノクマが言うところの“卒業”に関する校則。ここから脱出したければ誰かを殺さなければならないという、残酷なルール。しかし校則はそれだけではなかった。

 

 「自分がクロ──殺人犯だと他の生徒に知られてはいけません。バレないようにやれ、という風に読めるね」

 「なに当たり前のこと言ってるネ。日本は平和ヨ。やるならバレないようにやるしかないヨ」

 「では、もしバレたら、どうなるんでしょうね?」

 「バ、バレたらって……何を言ってるの!バレるも何も、そんなことするわけないでしょ!皆も、そんなバカなこと考えもしないわよ!」

 「僕が言ってるのは、モノクマの真意は何か、ですよ?」

 「は?」

 

 自分がクロだと知られてはいけません──当たり前のことを言っているようで、よく考えるとおかしい。ここが普通の学園で、普通の生活を送っているのであれば、仮に殺人なんて行為をしたとして、それが明るみになるのは絶対に防がなければならないことだ。だけど僕たちはこの場所に閉じ込められて、モノクマによって殺人を強いられている。推奨されていると言ってもいい。そして殺人を犯した人はここから出て行く。そんな環境で殺人行為を隠す意味とは、なんなのか。尾田君が問いを投げ、そして自分で解を出す。

 

 「バレてはいけない──それはつまり、バレれば校則違反になる、ということです。校則違反が何を意味するかは分かりますね?つまり……モノクマは、ただ殺人を犯しただけの人を“卒業”させるつもりはないということです」

 「う〜ん、分からん!どういうこった?」

 「殺人が起きた後、更になにかがあるということですね。校則6番は、それを暗に示していると」

 「あくまで、そう読み取れるということですが。ま、殺人なんてことをする人がいるとは思いませんが、もし考えている人がいれば先に言っておきます。モノクマは端からあなたをここから出す気なんてない、と」

 

 会議テーブルの隅に座る尾田君が言うと、食堂はしんと静まり返った。月浦君が朝食のときに谷倉さんを疑ったように、既に僕たちの間には、誰かが殺人を考えているのではないか、という疑念が渦巻いていた。今はまだ力のない、生まれたばかりの感情だけど、時間が経つにつれてそれは強く大きくなり、いずれ現実の力となって誰かを襲うかも知れない。それだけは絶対に避けなければならない。

 

 「……ま、まあ、尾田君の言いたいことは分かったわ。ともかく皆、くれぐれも早まったことはしないこと。分かったわね。それじゃ本題に入るわよ」

 「なんだよ。まだ本題じゃなかったのかよ」

 

 かなり遠回しで、ヘタをすれば疑心暗鬼を加速させそうな言い方だったけど、尾田君は結局のところ殺人を犯そうと考えている人を牽制したわけだ。その意図だけは理刈さんに伝わったようで、眉をひくつかせながらも話を前に進めた。気怠そうに水を差す芭串君を目だけで諫めて、理刈さんはホワイトボードにさらに字を書く。

 

 「私たちは現状、この建物に閉じ込められているわ。脱出の手掛かりはこれからも調べる必要があるし、かと言って簡単に見つかるとは考えていないわ。何日、何週間、何ヶ月もかかるかも知れない。さすがに警察や希望ヶ峰学園が動いていると思うから、そこまでかかるとは思わないけれど……過度な期待はしないでおいた方がいいわ」

 「えー?ここが希望ヶ峰学園じゃないのー?じゃあはぐたちはどこにいるの?」

 「それも、脱出の手掛かりの一つよ。ここがどこで、あのモノクマは……おそらく何者かが裏で操作しているんだと思うけれど、その正体は誰なのか。どんなことでもいいの。何か分かったことがあれば、それを共有する場が必要だと思うのよ」

 

 そう言って、理刈さんはホワイトボードにでかでかと「食事会」と書いた。

 

 「そこで、毎日の朝食と夕食は皆の調査結果の報告と……念のための安否確認、モノクマが何かしてくるかも知れないでしょ、それらを兼ねた場にするため、全員で集まるべきだと思うの」

 「素晴らしい提案で御座います、理刈様。実は、私も19名様分の御食事を用意するのは些か大変だと懸念しておりました。時間を合わせて頂けるなら、非常に助かります」

 「そうでしょう。ということで、朝は7時、夜は18時30分にこの食堂で食事にすること。何か意見がある人は?」

 

 半分演説するような一人語りで、理刈さんはあれよあれよという間に食事会の時間を決めていく。7時か……起きられるかな、と心配していたのもつかの間、いくつかの手が挙がった。真っ先に手を挙げた月浦君が他の人を待つこともなく発言した。

 

 「7時は早い。はぐは毎日10時頃から8時間寝て、30分二度寝してから朝の準備に1時間かける。朝は7時半以降じゃないと認められない」

 「同じく、俺も朝8時以降でないと人前に出られるようにはならない。每日(まいにち)のことなら尙更(なおさら)だ」

 「拙僧もそんな朝早くには起きたくないで〜〜〜す」

 「……あなたたち、共同生活には協調性っていうものが必要なのよ。そんなわがままは通せないわ」

 「我が侭でなければいいのだろう?ここは一つ、民主的に多數決(たすうけつ)でもとってみたらどうだ」

 

 自信たっぷりな菊島君の提案で、朝食の時間についての投票が行われることになった。菊島君は昨日の夜、部屋でずっとモノカラーをいじっていたおかげで投票機能があることに気付いていたようだ。それで今朝は眠たそうにしていたのか。ちなみに投票は匿名制だ。だから僕は、理刈さんには悪いけど、遅めの8時集合に投票した。そして結果が出る。

 

 「朝8時集合が10票か。これは決定だな」

 「……仕方ないわね。そういうことなら朝食は8時からでいいわ。ただし、遅刻は認めないから」

 「勿論だとも」

 

 悔しそうな理刈さんとは対照的に、思い通りの結果になった菊島君は満足げだ。そういうことで、朝食の集合時間は8時に決定した。夕食の時間については誰も異論を唱えることはなく、まずひとつめの議題は決着をみた。決定したことは仕方ないとばかりに、理刈さんはひとつため息を吐くと、ホワイトボードに決定事項をメモし、次の議題を書いた。

 

 「ゴミ当番?」

 「今朝、食堂に来たときにモノクマからこんなものを渡されたの」

 「カードキー、かな?」

 「地下にある焼却炉のシャッターを開けるためのカードキーよ。ゴミ集積所には誰でも入れるけど、焼却炉を使うにはカードキーがないとダメね。ゴミの処理は自分たちでやりなさい、と言っていたわ」

 「普段のゴミは各自で集積所に持っていくとして、集めたゴミを焼却処分する係を決めようってことだね」

 「そういうことでしたら、私が務めさせて頂きます」

 「いいえ。谷倉さんは食事の準備もしてくれるし、一人に負担をかけるのは公平じゃないわ。それに焼却炉の操作は発火と消火をボタンで切り替えるだけの単純なものだったわ。誰にでもできるものだから、私たちが輪番で務めるのが妥当よ」

 「谷倉以外の19人で順番ってことか。(アタシ)は構わないよ」

 「いいえ。階段を降りなくてはいけないから湖藤君には難しいから順番からは除くことにするわ。その分、脱出の手掛かりの探索に期待しているから」

 「確かに僕は地下には足を運べないからね。代わりに1階は隅々まで足を運ぶとするよ。気遣ってくれてありがとう、理刈さん」

 「突っ込んでいいか微妙なジョークは止めてよね」

 

 敢えて足を含んだ慣用句を使う湖藤君を、甲斐さんが耳打ちするように忠告した。サイコメトラーだというジョークといい、湖藤君の冗談は反応に困るものばかりだ。

 これで決まりかと思いきや、谷倉さん以外にゴミ当番の順番から外れるのは、湖藤君だけではなかった。

 

 「はいはーい。拙僧も手足が短く背も低い身。ゴミ当番などとクソ面倒──もとい、大変な作業は(コン)難かと。火を恐れるケモノの本能も皆様より強い故、何卒ご配慮を」

 「……まあ、うん、そうね。そうよね。キツネにゴミ処理は無理よね。分かったわ」

 

 これでもかというくらい深く刻まれた眉間を指で押さえて、理刈さんは何らかの言葉をようやく飲み込んで、代わりに理解を示す言葉を吐き出した。こうして、ゴミ当番のローテーションは谷倉さんと湖藤君と狭山さんを除いた17人で回すことになった。今日は理刈さんがやって、そこから五十音順だ。

 朝食後の議論はその後もしばらく続き、食事の時間とゴミ当番以外に、建物を探索するためにいくつかの取り決めが議論された。結果、基本的に2人以上で行動すること。そして夜時間の外出を禁止することが決定した。どちらも危険を回避するためと理刈さんは説明していたが、明らかにコロシアイを意識していることは分かった。

 

 「それじゃ皆、くれぐれもモノクマには注意して行動して頂戴」

 

 理刈さんは、朝食後の会議をそんな言葉で締めくくった。その言葉を聞いて、すぐに席を立って自分の部屋に帰っていく人や、誰かと連れ立ってどこかへ行く人、残ってテーブルを元に戻す人、様々だった。基本的に2人以上で行動するという、たったいま決めた約束は守られそうにない。

 

 「あら、益玉君も、ありがとうね」

 

 自分が使っていたテーブルを元の位置に戻そうとしたら、三沢さんに声をかけられた。別にお礼を言われるようなことをしてるつもりはないけれど、否定するのも悪い気にさせてしまいそうな気がして、曖昧な会釈しかできなかった。

 


 

 テーブルを元に戻し、皆が食堂から出て行った後、僕はなんとなくその場に座っていた。自分の部屋に帰っても特にやることはないし、脱出の手掛かりを探そうにも一緒に行動する人を誘う勇気が出ない。だから、ただなんとなくその場に残って、谷倉さんが淹れてくれたお茶を啜っていた。僕の他には、不機嫌そうに頭を抱えている理刈さんと、聖書か何かを読んでいる庵野君、そして晩ご飯の仕込みをしている谷倉さんだけが残っていた。

 

 「はあ……」

 

 小さな理刈さんのため息も、この静かな空間ではよく響く。明らかに苛立っていた。そりゃそうだ。皆の為に良かれと思って開催した会議で、彼女は思い知ったのだ。この空間には、自分とは全く異なる理屈で動いている人が何人もいるということを。いや、理屈が違うだけならまだいい。理屈以前の欲求や感情だけで動く人もいる。とにかく彼らは、彼女にとっては絶対の基準である“ルール”というものの外で生きている人たちだ。理刈さんにとっては、外宇宙の存在に等しく冒涜的な生き方なんだろう。

 

 「心がささくれだっていますね、理刈さん」

 「……ささくれ立ちもするわ。なんなの一体……どうしてあんな反応されなくちゃいけないのよ」

 「まだ皆様も不安なのでしょう。自分たちの状況を理解し、事実を整理し、すべきことを考えられるあなたの冷静さは、手前は素晴らしいと思います」

 「冷静でいなくちゃいけないのよ。こういう時こそ。というか冷静以前に、能天気な人が多すぎるわ……」

 「ええ。冷静さとは正しく現実に向き合う力……こんな状況では冷静になれない人も、なりたくない人もいるでしょう。だからこそ、手前は分かっていますよ。あなたの冷静さ、ここにいる皆様に対する理刈さんの「愛」を」

 

 カウンセリングか、あるいは庵野君の出で立ちからすれば懺悔室というところか。別に理刈さんは自分の罪を懺悔しているわけじゃない、むしろ真っ当な生活を送るために奮闘しているのだから、何も悔い改める必要がない。

 

 「脱出の方法は必ずあるはずです。落ち着いて、焦らず探していきましょう」

 「そ、そうね……。ここから出られさえすればなんとかなるわ。ちょっと落ち着いてから、手掛かりを探しに行くことにするわ」

 

 脱出、現状ではそれができず、モノクマが唯一脱出の手段としてコロシアイを強いてきた。だけど、僕たちの力で脱出することができれば、モノクマなんかに従う必要はない。そこで僕は、もう散々試したであろう方法について尋ねてみた。

 

 「あの……そこの窓からとか……逃げられない?」

 「窓は手前が試しました。ですが……開けられないのは勿論のこと、殴ろうが蹴ろうが叩こうがぶつけようがヒビすら入らない頑強さでした」

 「頑強というか、相手にされてないような感じね。こっちが何をしても一切の影響を与えられない……そんな感じだったわ」

 「そ、そうか……残念だったね」

 「残念というか、気持ち悪くてあんなところから出たくないわ」

 「ごめん……」

 

 いったいどんな方法を使えばヒビすら入らないガラスを窓に加工できるんだ、と思ったけど、そんなことを聞いても誰も答えられないだろうし、何より無意味だ。ただでさえ理刈さんはピリピリしているし、庵野君は相変わらずどっしりと構え過ぎていて気味悪く感じてしまう。きっと、こんなことを考えているのは僕だけだ。みんなは、穏やかで優しく、自ら悩み相談にも乗ってくれる庵野君のことを悪しからず思っているだろう。

 

 「理刈様、こちらをどうぞ」

 「えっ……こ、これは?」

 「ハーブティーでございます。気分が落ち着きますよ」

 「ありがとう……あっ、美味しい」

 

 頭を抱えていた理刈さんに、谷倉さんが横からそっと温かいお茶を差し出す。たまたま一緒にいただけの僕と庵野君にも、それぞれお茶請けのスコーンと併せて出してくれた。

 

 「ありがとう……谷倉さんも、どうぞ」

 「お気遣いありがとうございます。こちらにまだいくつかございますので、頂きます」

 「谷倉さんの「愛」も素晴らしいですね。お料理から感じる、皆様に美味しく召し上がって頂きたいという想い。楽しい一時を過ごして頂こうという願い。深く豊かな「愛」です」

 「恐縮でございます。私はただ、コンシェルジュとしてあるべきようにあるのです。実家を出る時にも、父と母にそう言われております」

 「谷倉さんの実家は旅館だったわね。小さいときからご実家のお手伝いをしていたのかしら」

 「はい。コンシェルジュのいろはもさしすせそもしっかり学んでおります」

 

 しゃんと伸びた背筋、きびきびとキレのある動き、洗練された言葉遣い。谷倉さんの一挙手一投足、言葉の節々に彼女が“超高校級”たる由縁が表れている。ここには才能を持った人たちが集まっているけれど、谷倉さんを見ていると一層その事実を認識させられる。

 うんうん唸りながら悩んでいる理刈さんだって、その生真面目さや真剣に悩める性質というのは、彼女の個性だし才能につながるものでもあるんだろう。庵野君の落ち着き振りや考え方も、彼の精神性をよく表している。

 

 「谷倉さん自身もまた、ご両親に愛されて育ったのですね。大切なご家族なのでしょう」

 「はい……私が立派に成長して戻ることを待っておりますので、このような状況にあることが知れれば、心配されるでしょう」

 「……だ、だけど、きっと大丈夫だと思う……よ。親御さんも、谷倉さんのこと……し、信じてると思うから」

 「え……ああ、そうですね。私はこうして無事なわけですから、ここから脱出さえすれば、万事丸く収まるでしょう」

 

 思わず口を挟んでしまった。頭で考えたことが口を通って言葉になるまでにどこかに引っかかって、ガタガタになって出て来た。いきなり言われて谷倉さんも戸惑ったのか、微妙な反応を見せた。すぐにきちんと対応したのはさすがだ。

 

 「ま、まあ、なんにせよ皆で一丸となって当たらないと、ここからの脱出は容易じゃないわ。このお茶を飲んだら、私はこの建物を調べに行くから、庵野君、ついてきて頂戴」

 「ええ。構いませんよ」

 「あ、庵野君だけ……?」

 「3人が出て行っちゃったら、谷倉さんが一人になっちゃうでしょ。益玉君はここにいて頂戴」

 

 理刈さん自身だけでなく、僕の行動まで決められてしまった。ひとりで部屋にいるわけにもいかず、断る理由もないので、僕は素直にその指示に従うことにした。

 まだモノクマからの介入はほぼない。この建物内をいくら調べられても、あいつは困らないということだろうか。どこかに隙はないか。きっとそれは期待というのも過剰なほど、一縷にも満たない毛くずのような願いだ。うっかりすれば見落としてしまいそうなほど希薄な望みだ。僕たちの希望は、今はまだ微かだ。

 


 

 脱出の手掛かりを探すと言っても、まだ私たちはこの建物のことをほとんど知らない。昨日は手分けして探索してたから他の人が調べてたところは知らないし、探索しきれてない場所もたくさんある。まだ自分の個室に何があるのかも分かってないのに。

 

 「それなら、売店に行ってみようよ」

 

 湖藤君の一言で私が行く場所は決まった。湖藤君の車椅子を押すのは私の役割だから、湖藤君が行きたいところが私の行くところだ。ついでに、近くにいた宿楽さんも誘って、3人で食堂を出て売店に行くことにした。

 売店は、食堂から体育館へ向かうまでの道のりにある。いくつかの教室の前を通り過ぎて玄関ホールの正面に来ると、趣味の悪い色のドアが待ち構えている。そこを開けると、込み入った狭い部屋の中に滞留した埃っぽい空気が流れ出て来て喉に刺さる。でも空気が悪いくらいのことは、換気扇を付けて少しすればなんてこともなくなる。

 

 「なんだか色々面白そうなものがあるね」

 「面白そうなもの……」

 「確かに面白そうなところ!だいたいこういうところにはね。ちょっとした掘り出し物とか隠しアイテム的なものが落ちてたりするもんなんだよ。この辺とかあの辺とか……」

 「宿楽さん、スカートなんだからもうちょっと気にしなよ」

 「別にワタシは大丈夫だけど」

 

 部屋を見回すやいなや、小物入れをひっくり返したり置物の裏を覗いたり、ぶら下がってる飾りを揺らしてみたり、宿楽さんは好き放題に売店の中を漁り始めた。湖藤君も側にあった古めかしい何かの品物を手に取ってしげしげ眺めている。なんなのかよく分からないものもたくさんあるけど、お菓子とかティッシュとか歯磨き粉みたいな日用品もちゃんとある。

 

 「売店だけど、お金なんて私たち持ってないよね。どうしたらいいんだろ」

 「ひょこっ!呼んだ?」

 「きゃあっ!?」

 「んっ!?モ、モノクマ!?」

 「ぎゃーっ!?なになになに!?いたたっ!変なの踏んじゃった!」

 

 一応レジらしきものもあるし、ここにあるものはどれも売り物らしい。ふとそんな疑問を口にしたら、足下から急にだみ声が聞こえて思わず大きな声を上げちゃった。そこにいたのは、昨日体育館で私たちに強烈なインパクトと絶望感を与えた、あの白と黒の不気味なマスコットだった。

 

 「ひどいなあ。出て来ただけなのにそんなリアクション。僕の真綿のハートが砕け散っちゃうよ」

 「綿は砕けないと思うけど」

 「な、なにしに来たの!」

 「何って、君の質問に答えてあげようと思って来たんだよ。甲斐さん。うべっ」

 「質問?なにそれ」

 

 私の脚に手をついて体重を預けてくるのが気持ち悪いから、さっと躱すとそのまま転んだ。これは暴力にはならないよね?やってしまってから気付いたけど、別になんともない風にモノクマは起き上がった。

 

 「あのね。この希望ヶ峰学園で生活する上では、モノカラーがなくちゃならないわけ。そしてモノカラーさえあればいいわけ。だからもちろんここにお金が入ってるのよね。イマドキ流行りの非接触型決済もできちゃうんだから」

 「モノペイだって」

 「名前で差別化とかそういうのしないんだ」 

 「どうでもいいんじゃないの」

 「オマエラ散々言ってくれるね……まあいいや。ともかく、基本的にこの学園内での経済はモノペイを使って回していくんだよ。最初に一万円分くらい入ってるからね」

 「くらいって?」

 「ここでは円じゃなくてモノが流通してるからね。1モノ=1.1円だよ」

 「微妙なレートだなあ」

 

 何を説明するかと思えば、とことんまでしょうもない話だった。でもこの学園内ではこのモノが通貨になってるから、そのことはみんなと共有しておいた方がいいかも知れない。だけど1万円分じゃ近いうちになくなっちゃいそうだけど、稼ぐ方法はないのかな。

 

 「ん?」

 

 ぼんやり店内を眺めると、物陰できらりと光るものが目に入った。近付いて拾い上げてみると、10円玉みたいな色の硬貨だった。片面にはモノクマの顔がデザインされていて、裏には希望ヶ峰学園の校章が彫られている。自分の顔を硬貨にするって、あんまりいい趣味とは言えないかな。

 

 「おっ!甲斐さんよく見つけたね!それがモノだよ!学園中に散らばってるボクからのプレゼントさ!現金で使うこともできるけど、ボクに言えば電子モノに交換することもできるよ!なんと手数料はかかりません!」

 「うわっ、やなデザイン」

 「いいのかな宿楽サン、そんなこと言って。そこにあるガシャポン、気になってるんじゃないの?」

 

 そう言ってモノクマは、売店のカウンターに置いてある白と黒に塗られたガシャポンを指さした。中には色取り取りのカプセルが詰め込まれてて、コインの挿入口とハンドル、取り出し口があるだけのシンプルな造りだ。これもどうやらモノで回せるらしい。

 

 「これぞモノモノマシーン!これだけは現金でないと回せないから、回したかったらありったけのモノをかき集めなないといけないんだよ。ポケットにコインは入ってないから、ちゃんと探してね!」

 「うむむ……これは確かに心惹かれる……」

 「え、そうなの?」

 「こういうコンプ系のやつってちょっと気になるんだよね。ちょっと回してみようかな……ん〜」

 「……これ、ほしい?」

 「ありがとう!」

 「まだあげるって言ってないよ!?」

 

 なぜかモノモノマシーンがハマった宿楽さんに言外にせまられて、さっき見つけたモノは譲ってあげることにした。早速宿楽さんはそれをモノモノマシーンに突っ込んで、ガチャンとハンドルを回してみせた。ガラガラという景気の良い音とともに、水色のカプセルが転がり出て来た。宿楽さんはそれを器用に握ってぱかっと開けた。

 

 「わーい!なんだこれー!」

 「なんだか分からないのに取りあえず喜ぶのやめた方がいいよ」

 「これはどうやら……マメの種かな?そこに植木鉢があるから、育ててみたらいいかもね」

 「うぅん……めんどくさそう」

 

 空元気ならぬ空喜びとでも言うのか、正体が分かると宿楽さんは見るからにがっかりした。目の表情が分からないのにこんなに分かりやすく感情表現できるなんて、宿楽さんは見ててなんだか面白い。表情筋を毛利さんに少し分けてあげたいくらいだ。

 

 「そういえば、モノクマに訊きたかったんだけどさ」

 「どしたの湖藤クン?」

 「まだいたんだ……」

 「厨房にあったあの大量の食糧、あれだけでぼくたちの食事はかなりの日数まかなえると思うけど、いつか尽きるよね?その後はどうするのかな?」

 

 早送りしたビデオみたいに表情がコロコロ変わる宿楽さんに気を取られていて、モノクマがまだいることに気付いていなかった。湖藤君が質問してようやくその存在を思い出したくらいだ。

 

 「ご心配なく!あそこにある食糧は常にボクが補充するからね!腐る前にちゃんと処理してあげるし、いつでも新鮮なものをお届けするよ!あとその他の消耗品もね。オマエラがこの学園内で生きていくのに、不自由はさせないよ!」

 「そうなんだ。じゃあ、ここにないものでもリクエストしたらもらえたりするのかな?」

 「まあするだけしてみたら?応えてあげるかは分かんないけどね!」

 「なくなったらその場で補充してもらえるの?」

 「……湖藤クンさ」

 「うん?」

 「そういうのはまだ早いんじゃないかな!うぷぷ!もうちょっと色んなことを知ってからの方が、もっとクリティカルなことが聞けるかも知れないよ!」

 

 気前よく湖藤君の質問に答えていたかと思ったら、いきなりモノクマは黙り込んで、その後は答えになってない上に意味もよく分からないことを言った。私は宿楽さんの顔を見たけど、サングラスにはたくさんの「?」が映っている。宿楽さんにもよく分からないんだ。

 

 「あっ!」

 「な、なに?」

 「そろそろ3分経つね!ボクの活動限界が近いから、一旦基地に戻らないと!んじゃ!」

 

 散々わけわかんないこと言ったかと思うと、モノクマは大声を出して姿を消した。なんだったんだろう、一体。取りあえず今モノクマから教えてもらったことは、この学園ではモノという通貨が流通していて、あちこちに硬貨が落ちてるっていうことだけだ。みんなに共有しておくとして、もっと色んなことが知りたかったなあ。

 

 「色んなことが分かったね」

 「え?」

 

 湖藤君は微笑んだ。何が分かったって言うんだろう。

 

 「でもやっぱり、ぬいぐるみ相手じゃ表情や声の変化が分かりにくいや」

 「な、なんのこと?」

 「モノクマに色々探りを入れてみたのさ。すぐにバレちゃったけど、それでも拾える情報はあったよ」

 「なにその高度な頭脳戦みたいな発言!?ワタシたちの目の前でそんなことが繰り広げられてたの!?」

 「聞きたい?」

 「ぜひ!」

 

 宿楽さんが湖藤君にのし掛からんばかりに食いついた。もうモノモノマシーンとその景品への興味は失せたらしい。まあ、マメの種なんかよりよっぽど気にはなるけど。

 

 「厨房の食糧や消耗品は、都度モノクマが補充するってことだったよね。これって、どこかから調達してるってことだよね」

 「ふむふむ」

 「モノクマが自分で作ってる可能性はないの?こんだけのことするヤツなんだし、もしかしたら……」

 「その可能性は考えなくていいかな。たとえば……この人形。服の裏地に製造者の刺繍がしてあって、生地の変色具合とか縫製技術から考えても19世紀フランスの有名な人形作家が作った物だと言えるよ。そんなに珍しいものじゃないけどね。わざわざこれをマネして作るなんてのは、よっぽどその辺りに造詣が深くてイっちゃってる人でないとね」

 「造詣が深くてイっちゃってる人だったりして……?」

 「あははっ、それだったらもう推理じゃどうにもならないね。だからぼくはそうじゃない、と仮定して考えるよ」

 

 さらりと湖藤君は言ってのけるけど、その言葉には彼の異質さがよく表れていた。“古物商”としての並外れた知識量と観察眼だけじゃない。誘拐されて監禁されているっていうこの状況を冷静に受け止め、その主犯とも言える誰かの人物像に思考を巡らせる。“超高校級”は普通の人たちとはズレた感覚を持つ人が多いと言われているけれど、その中でも湖藤君は特に異質だ。

 

 「食糧や消耗品を都度補充するには、どこかから調達してこないと行けない。それはつまり、モノクマには外部と物のやり取りをするルートがあるということ。少なくともこの建物があるのは、人里離れた山奥や絶海の孤島なんかじゃないってことだ」

 「はあ。まあ希望ヶ峰学園ならそうだよね。都心の一等地に建ってたはずだよ」

 「希望ヶ峰学園じゃないとしても、人気があるところなら外部からの助けにも少しは期待できる。それにモノクマの姿で調達しに行くわけにもいかないだろうから、操縦者もしくはその仲間は必ず自分の足で外に出なくてはいけない」

 「うん……それってでも、当たり前と言えば当たり前のような……」

 

 消耗品や食糧を補充するには調達が必要。そのためにはモノクマも仕入れが必要。それは、ごく当たり前のことに思えた。一から自分で生み出すよりも、そっちの方が遥かに効率的だし、普通の誘拐犯だってそうすると思う。知らないけど。

 

 「当たり前のことを確認しておくのは大事だよ。自分で調達しに行くなら、ご当地品や珍品をリクエストすれば品物によって調達までの時間差が生じるはずだから、ここの大凡の場所を割り出せるかと思ったんだけど……バレちゃったね」

 「ああ、だからすぐに補充されるかをきいた後から、モノクマの態度が変わったんだ」

 「じゃあそこから情報を得るのは失敗したということか……」

 「そうでもないよ。そこをはぐらかすということは、きっと探られると何か情報が出て来るってことなんじゃないかな。大事な物がしまってある箱ほど、厳重に鍵をかけるものだからね」

 「……湖藤君、何手先まで読んでたの?」

 「読んでたわけじゃないよ。モノクマから自然に出て来た言葉を咀嚼して、意図を解き明かしていっただけ」

 「う〜む……敵に回すと恐ろしいタイプ!」

 「味方のままでいてよ」

 

 情報を引き出すための駆け引きというよりも、普通に言葉を交わしている中から情報を拾い上げていく……それが湖藤君のやり方ということらしい。そうなると、もう既にいくらか会話をしている私や宿楽さんについても、湖藤君に探られていることがあったりするのかも……。そう考えると、次から発言には気を付けようという気になってくる。

 

 「そんなに警戒しなくても、無闇に人のプライバシーを覗いたりしないから大丈夫だよ」

 「へっ……!?」

 「こ、心を読まれた……だと……!?」

 「こういうこと言うとだいたい皆同じ反応するんだ。あと2人とも、今のぼくの話を聞いて口を固く締めたでしょ。それ、言いたくないことがある人とか言いたいことを飲み込んでる人の特徴ね」

 

 背筋がひゅっと冷たくなった。自分さえ知らない間に緊張して力がこもっていた唇に、湖藤君は真っ先に気付いていた。その素振りも見せずに。

 

 「こ、こわ……本当にエスパーみたいじゃん……」

 「どんな人でも、何気ない仕草や発言から色んなことが読み取れるものだよ。ここにいる人たちは一筋縄じゃいかない人も多いけど」

 「ワタシも気を付けよっと。心の中バレバレとかなんか恥ずかしいし」

 「そのサングラスがあったら、ぼくじゃなくてもバレバレだと思うよ。外したら?」

 「これはトレードマークだから!絶対外せない!」

 

 そんなに強く否定するほどのことかな。サングラスなんかなくても宿楽さんは色々と特徴たっぷりだと思うけど。かしましさとか。

 

 「分かったことはひとまず共有しときたいから、夕食のときに理刈さんに報告だね」

 

 ごちゃごちゃと物が密集した空間で、はちゃめちゃに情報量の詰まった話を聞かされた私は、頭の中を整理するまで絶句していた。なんだか、とんでもない人たちと同じ空間に閉じ込められてしまったみたいだ。興奮した宿楽さんとにこやかな湖藤君の会話は、空虚な響きだけを私の耳に残して過ぎ去っていった。




ここから本編がスタートです。
相変わらず日常編は、予定通りに進んだり予定と違うように進んだりしてなんとも御しがたいものです。


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(非)日常編2

 息が荒くなる。逃げねえと。ここにいたらダメだ。体中が熱くなる。今にも後ろから肩を叩かれそうで気が気じゃねえ。もう限界まで疲れがたまった足で無理矢理走る。なんつう情けねえ格好だ。んなこと考えてる場合じゃねえ。このままじゃおいらぁ……死んじまうかも知れねえ。

 


 

 ブルーシートを敷いていても、体育館の床は固くて冷たい。室温は常に一定に保たれて、暑くもなく寒くもない代わりに、暖かさも涼しさもない。うっかりすると気温の存在を忘れるほどの適温だ。もっとも、私はいま気温など感じている暇はない。なぜなら私の足の間には、うっとりするようなもふもふの塊が気持ちよさそうにごろ寝しているからだ。

 一定のリズムで繰り返される呼吸で膨らんだり萎んだりを繰り返すお腹。ぴこぴことしきりに動かして周囲の様子を探る耳。ときおり大きな欠伸をしてはすぐに私の腿にもたれ直す重みを感じる頭部。それらの全てが柔らかな毛に包まれている。私はそのグルーミングをしていた。

 

 「気持ち良いか」

 「ええ、まったく。毛利殿の毛繕いは絶品ですなあ。どうもこの体はまだ慣れておりません故、拙僧だけではなかなか」

 「構わないぞ。私もこの環境でこんな上質な毛に触れるとは思っていなかった。さぞかし腕のある人に手入れされていたんだな」

 「ですから拙僧は人間であってですね……あぁふん、キモチイイ……」

 

 未だに信じがたいことだが、狭山はあくまで自分が人間だと主張する。こんな毛むくじゃらで小さくて四足歩行の人間がいるものか。なぜ喋れるのかは気になるが、目の前の事実として狭山は狐なのだ。貴重なもふもふを摂取できることももちろんだが、それ以上に私の才能は基本的に動物相手だ。普通なら、カットやグルーミングをした相手から直接感想を聞くことはできない。だが、狭山ならそれができる。これ以上のモニターはいない。

 

 「要望があればいくらでもきくぞ。どこをどうしてほしいか、どうされるとイヤか、いくらでも言ってくれ」

 「でしたら背中の、特に首近くをもっと念入りに。動物のように器用に掻けないもので」

 「この辺りか?」

 「そのちょい左……ああそこそこそこ。あへぇ〜……」

 

 こんなに細かく指定してくれることのどれほどありがたいことか。父さんと母さんにも会わせてあげたい。きっと相当に驚くだろうが、モニターとして重宝することだろう。

 

 「いや〜、最高ですねえ。やはり人生は好き放題にだらだらするに限りますな。修行なんてもう流行りません」

 

 そんな言葉とともに、ちらと狭山は片目で体育館の奥を一瞥した。私が狭山をグルーミングするのどかな空間のすぐ近くでは、何十キロとあるダンベルを片手にひとつずつ持ってトレーニングに励むカルロスの姿があった。なぜか上裸で、暑苦しく汗ばんだ胸板が露わになっている。周りにはそれ以外にもトレーニングに使う器具が散乱しており、あれをひと通りやるだけでもかなり体力を消耗しそうだ。

 

 「Guapas(かわいこちゃんたち)!ボクの勇姿に見惚れるのは仕方ないことだ。そんなに遠くにいないでもっと近くに寄ってきたらどうだい?」

 「暑苦しいったらないですね。その鍛錬の音が耳に入るだけで拙僧はあの艱難辛苦の日々を思い出してしまいます……うぅ、ぶるるっ」

 「何をどうしたらあんなにポジティブな人間が出来上がるんだ」

 

 私は生まれつき目つきが悪い。だから睨んでいると誤解されることは多くあったが、見惚れていると誤解されたのは初めてだ。今まで私に対する誤解は悲しいものばかりだったが、初めて腹立たしいと思った。自ら肌を露出してトレーニング姿をアピールするとはどういう神経なんだろう。

 

 「本当はこんな汗だくな姿を見せるのはトップスターに相応しくないのだけれどね。この姿を見るためにトレーニング室に忍び込んで来るSeñorita(お嬢ちゃんたち)がたくさんいたから、公開することになったのさ。スター過ぎるのも考えものだね」

 「訊いてもない変な自慢をしないでください!拙僧がここで毛繕いを受けているところに後からカルロス殿が来て鍛錬を始めたのでしょう!」

 「ボクだって自分の部屋でできるならそうしたかったさ。けれどここしかなかったんだからしょうがないじゃないか」

 「器具を持ち帰ればいいんじゃないか?」

 「部屋にしまっておく場所がなくてね。いちいち返しに来るのは面倒だろう?」

 「目の前で汗だくむっちり胸毛筋肉を見せつけられる方の身にもなっていただきたい。まったく……明日からは毛利殿の部屋で毛繕いしてもらいましょう」

 

 私は別に構わない。体育館の広々とした空間も開放感があって気分がいいが、自分の部屋なら今日ここにあるものより更に色々な道具で毛の手入れができる。つまり、毛並みも艶も柔らかさも全て私の思うままにできるということだ。うん、悪くない。私は狭山の頭を軽く撫でることで同意を示した。狭山はまた気持ちよさそうに目をつぶり、大きなあくびをひとつした。

 のどかなその空間は、唐突に破られた。重い金属を引きずる音。館内にいた3人の視線が一斉に出入口に向く。誰かが入ってきた。それは、ひどく辛そうに息を弾ませた王村だった。

 

 「ぜぇ……ぜぇ……ふぅ、げへっ、げへっ……」

 「おや、王村殿。どうされましたかな、そんなに血相を変えて」

 「こ、ここなら……大丈夫か?へぇ、あ、あぶねえ……殺されるところだ」

 「なに?」

 

 ふっと出た王村の言葉に、その場にいた者全員が眉をひそめる。ただでさえ様子がおかしい王村が、モノクマに監禁されているこの状況下で冗談では済まされない言葉を発した。ひどく疲れた様子で体育館に来たのも、もしかしたら今まさに命のやり取りをしてきたからなのか?

 

 「殺されるとはただ事ではありませんね。一体どうなすったんです」

 「いやあ、実は三沢に追っかけられててな」

 「ツユコちゃん?この前オレの手当をしてくれたあの子が?優しそうな子がまさか!」

 「何か訳ありのようだが」

 「……実はぁ、おいらぁちょいと食堂で酒を飲んでたんだ。そしたら三沢が来て、急に腰に下げた鞭を振りかざしてきて……」

 「何のわけもなく三沢がそんなことをするとは思えないが……」

 

 まだ午前中だと言うのに酒を飲んでいたのか。三沢でなくても白い目で見られそうなものだが、かと言っていきなり攻撃するほどの理由ではない。一体何がそんなに三沢を駆り立てているのか、全く見当も付かない。本人に話を聞くしかないか?しかし、殺されると思うほどの勢いならむしろ危険か……。

 

 「お酒を飲んでいたら襲われて、そのまま逃げてきたと……ということは、まだお酒は?」

 「ちゃんとあるぜ。おいらぁ酒飲んでねえとダメなんだ。酒が抜けたらぼんやりしちまう」

 「普通は逆なんだがな」

 「ほほ〜う!もしかしたら三沢殿はそのお酒が目的かも知れませんね。どれどれ、拙僧が見て差し上げましょう」

 「んえ?」

 

 ぴょん、と狭山は私の脚の間から飛び出て、王村の元に駆け寄る。王村が懐にしまっていた小瓶を抜き取ると、瓶のラベルもよく確認せずに中を覗いたり臭いを嗅いだりした。狐とは思えないほど器用に前脚を手のように使っている。そして、軽く振って中にいくらか残っていることを確認すると、口に入れてぐいっと呷った。

 

 「なっ!?お、おい狭山!!なにしてんだおめぇ!!そりゃおいらの酒だぞ!!」

 「狭山!!吐き出せ!!アルコールなんて動物が摂ったらダメだ!!」

 「そもそも日本の高校生はお酒はダメじゃなかったかい?」

 

 何を考えているのか、狭山は王村から受け取った酒をすべて飲み干してしまった。狐が酒瓶を呷るなど昔話の世界みたいな話だが、実際に目の前で起きると仰天してしまう。動物の体にアルコールは厳禁だし、その酒は人の酒だし、何より未成年だし。一気にスリーアウトだ。

 私は狭山の背中を叩いて酒を吐かせようとする。しかし、ぐびりと飲み込んだ酒はどうやらたちまち狭山の体に染み込んだらしく、ほんのり上気した顔の狭山は気分良さそうに笑った。

 

 「うへへへ、大丈夫ですよ。拙僧は人よりアルコールに強い体質なので。いやあ、それにしても美味しいお酒ですね。さすがは“超高校級の蔵人”!舌が肥えていらっしゃる!」

 「え、へへ……そうかい?」

 「動物にとってアルコールは毒だ!どんな影響が出るか分からないんだぞ!」

 「大丈夫ですって。酒の味も美味しい飲み方も知っておりますので」

 「なんで知ってるのかは聞かない方がいいのかな?」

 「そうしてもらえると助かります!」

 「だとしてもお前は未成年だろう!どっちにしろダメだ!」

 「それは人間の法律でしょう?今は拙僧、狐ですので関係ありません。それともなんですか?狐が酒を飲んではいけない法律でもあるのですか?」

 「そんなピンポイントな法律はない……と思うが……」

 

 よく分からないが、たぶん動物愛護法に引っかかる。しかしさっきは自分を人間と言っていたのに、今度は狐だから酒を飲ませろとは、なんて都合がいいんだ。

 

 「そういえば毛利殿。あなたサラミをお持ちでは?」

 「え、ああ……あるぞ。いつどこでどんな動物に出会えるか分からないからな。サラミを持ち歩いているんだ」

 「そりゃあいいアテになるなあ。へへへ」

 「動物用だから味は薄いぞ」

 「構いません。ください。どうです王村殿。ここらで一(コン)

 「おっ!イケる口か?へへへ、実はまだ一本あんだ」

 

 王村の小さい懐からもう一本酒瓶が出て来た。法被を広げたら手榴弾みたいに酒瓶を装備してたりするのだろうか。しかし、さっき慌てて体育館に逃げ込んできたくせに、もう酒盛りを始めてしまった。王村の頭の中は酒でいっぱいなのか?それとももう手遅れなほど中毒なのか?

 

 「どうです、カルロス殿も。海外では18歳からお酒が飲めると聞きますよ」

 「サングリアなら眠気覚ましによく飲むね。日本酒は初めてだ。ちょっと楽しみだね」

 「の、飲むのか?日本だと普通に違法だぞ」

 「ボクはEspañol(スペイン人)だからね。大丈夫さ」

 「そんな治外法権があるか」

 

 スペイン人が18歳から飲酒できるのは、スペインの法律だからだろう。ここは日本だ。日本だよな?モノクマは希望ヶ峰学園と言っているし、私は希望ヶ峰学園に来たつもりだから、日本で間違いないと思うが。いやそれよりも、どう考えても目の前でいま開かれようとしている宴会は間違っている。特に狭山にこれ以上飲ませてはならない。

 

 「ま、待て。王村。お前は三沢から逃げてきたんじゃなかったのか?その話をだな」

 「かんぱ〜〜〜い!」

 「聞け!そして聞かせろ!」

 

 元の話に戻そうとするが、私ひとりでは全く歯が立たない。うっかりしたら私まで酒盛りに参加していると誤解されかねない。こんなところを理刈に見られたらどうなるか分からん。今の内に逃げ出してしまおうか。それもアリだと思って、ちらと体育館の出入口に目を遣った。

 

 「!」

 

 目が()()を捉えた瞬間、背筋が凍った。体育館の出入口を塞ぐ鉄扉は、開ければ何かしらの音がするはずだ。さっき王村が来たときにきちんと閉めたはずだ。それなのに、今その鉄扉は大きく開け放たれている。そしてその真ん中に、赤と白の服を着た三沢が、微笑みを浮かべて立っていた。

 

 「み、三沢……!?」

 「へ?ひえっ!?み、みさわ……!」

 

 その蒼い眼は光がなく、じっとりとした視線を王村に注ぐ。昨日までは温もりを感じていた優しい微笑みなのに、今は底知れないほど不穏な雰囲気を醸し出している。何より、腰に携えていた鞭を今は手に握っているのが異様だ。

 

 「王村さん、こんなところにいたんですねぇ」

 「ツ、ツユコちゃん?何があったんだい?」

 「うふふ。あちこち逃げ回ってくれちゃって、悪い人ですね。ずいぶん探しましたよ」

 「おぉう……なんと禍々しい気配……!いったい何があったというのですか!」

 

 ただならぬ空気を感じ取ったのか、さっきまで酒を飲もうとやんやしていたカルロスと狭山も、さすがに王村を守るように三沢に立ち塞がる。私は少し離れた場所で動けずにいたが、三沢の動きには瞬きも忘れて注視していた。

 

 「王村さん、分かりますよね?」

 「い、いや……えっと……」

 「なにか心当たりがあるのか王村?」

 「……つ……い」

 「え?」

 

 つい?

 


 

 「つまみ食い……かなあ……?」

 「は?」

 「いや、酒飲むのにアテを探しててよぉ……冷蔵庫開けたら、ちょうど枝豆があったから……」

 「今日の晩ご飯は豆ご飯にしようと思ってとっておいたのに、王村さんが食べちゃったのよ。全部ね」

 「そりゃ怒られるね。これは仕方ない」

 「痛(コン)のミスってやつですかねえ」

 

 何かと思えば、夕飯の材料を摘まみ食いしたのか。しかも酒のアテにして。まだ昼前だから今から準備すれば夕飯には間に合うが、そういう問題ではないな。誰のか分からない、なぜ取ってあるのかも分からないものを、当たり前のように取って食べてしまう王村の無神経さが問題だ。

 

 「わ、悪かったよう!でもだからって鞭持って追いかけてくるほどか!?おいらだってそんなことされなきゃちゃんと謝らあ!」

 「うわっ、開き直った。最悪ですね」

 「うふふ……♬」

 

 追い詰められるやあっさり白状し、あまつさえ王村は開き直って三沢の行動を責め始めた。私たちの中では最年長だというのに、なんと惨めったらしいことか。それを聞いて三沢は、相変わらず笑顔のまま、強めに一歩を踏み込んだ。全然関係ない狭山が小さく声を漏らした。

 

 「そうよね。まだ取り返しがつくのに、鞭まで持ち出すなんて、ちょっとやり過ぎてるかも知れないわよね」

 

 意外にも三沢は、自分の態度を反省し始めた。今のところ王村は色々と問題が多いが、確かに鞭まで必要なほどとは思わない。

 

 「でもね……仕方ないのよ。うふっ。今日はなんだか、()()()()気分だから」

 「ひえっ」

 

 光のない眼差しのまま、三沢はうっとりと自分の鞭を見つめて深く笑った。その魅惑的でありながら暴力的な表情がなんとも言えず恐ろしく、その場にいた全員が小さく声を漏らした。三沢はさらに近付いて来る。このままでは私たちまで王村の巻き添えを食いかねない。となれば、やることはひとつ。

 

 「ひいいっ!た、助けてくれ狭山ァ!」

 「王村殿、お任せください」

 「おおっ!」

 

 狭山はそう言って王村の肩に両手を乗せると、そのままどんと突き放した。

 

 「さあ三沢殿!思いっきりやっちゃってください!拙僧たちは何の関係もないので!決して一緒に酒を飲んだりなどしていないので!」

 「どああああっ!!テメエ裏切りやがったなこんちくしょう!」

 「だまらっしゃい!拙僧は自分の身が一番大事なんです!王村殿の命ひとつで済むなら安いものでしょう!」

 「カルロス〜!助けてくれ〜!」

 「大丈夫だイゾー。聞いたことあるんだ。可愛い女の子になら、ムチで叩かれるのってそれはそれでいいものらしいから!」

 「この場合はそういうのではない気がするが」

 「おうおう……も、毛利ぃ……!頼む、助けてくれよう」

 「こんなに心に響かない涙というのも逆に貴重かも知れないな」

 「どいつもこいつも薄情だ!」

 「う・ふ・ふ・ふ・ふ〜♡」

 

 私たちは王村から距離を取りつつ、酒盛りの証拠をさっさと片付けて体育館の端に避難した。王村はもはやまともに逃げることもできず、尻餅をついた背後に三沢が立つ。三沢が鞭を鳴らす度に、遠巻きに眺めている私たちまで背筋が伸びる想いだ。

 

 「王村さん?何か言いたいことは?」

 「ち、ち、ちくしょおおおっ!!おいらが何したってんだよお!!」

 「(つまみ食いだろ)」

 「反省なさいっ!」

 「ぎえええええええええっ!!!」

 

 体育館に、スパンと気持ちの良い音が響いた。それは王村の酒に焼けた悲鳴をくぐって、私たちの耳に届く。私たちは、同じ思いを抱いた。

 

 「いったい、何を見せられているんだ」

 


 

 まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。警察は一体何をやっているんだ?希望ヶ峰学園の新入生が20人も誘拐されたというのに、まだ助けに来ないのか。そもそもここが希望ヶ峰学園なら、教師や理事会はどうしたというんだ?まったく、どいつもこいつも無能ばかりだ。

 ともかく、あのモノクマとかいうヤツは僕たちをここから逃がすつもりはないらしいが、向こうから手を出してくるわけでもなさそうだ。この息苦しい建物の中で大人しくしていれば、その内助けがくるだろう。それまでの辛抱だ。救出されたら、まずはあの忌々しいマネージャーをクビにしてやる。あいつが希望ヶ峰学園に行けなんて言うからこんなことになったんだ。

 

 「ん」

 

 部屋に持っていこうと厨房にミネラルウォーターを探しに来た。積み上がった段ボール、冷蔵庫、シンクの下、戸棚……どこを探してもない。どういうことだ。なんでミネラルウォーターがないんだ。

 

 「どうかなさいましたか?虎ノ森様」

 

 声をかけてきたのは谷倉だ。初日からこの厨房は彼女と一部の女子のテリトリーになっているらしい。あまりここに出入りしない僕がいたせいで、何か怪しまれたか?まあ、本当のことを話すしかないか。

 

 「こんにちは谷倉さん。別に大したことじゃないよ。ミネラルウォーターが欲しくて、探しに来ただけなんだ」

 「ミネラルウォーター……それなら地下の倉庫にございました。この建物は浄水設備がしっかりしていますから、水道水に味や臭いがまったくないんですよ。ですからミネラルウォーターは基本的にこちらにはございません」

 「そうだったんだね。じゃあ、地下の倉庫に行ってみるよ。ありがとう」

 「お気を付けて」

 

 初対面のときから思っていたが、谷倉の畏まった態度は何か違和感を覚える。彼女も僕と変わらない年代だから、敬語やコンシェルジュとしての立ち振る舞いは意識してそうしているものだと思うけれど、そうじゃない何かがあるような。まるで、何かを隠しているような違和感だ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。何かを隠していようといまいと、僕には関係のない話だ。ここにいるヤツら……いや、人間は誰だって秘密を抱えているし、何かの嘘を吐いて生きているものだ。敢えてその嘘を暴いたり追及する必要もない。面倒だしトラブルの元になるだけだ。嘘は嘘のまま、白々しい真実として受け取ればいい。そうすることで世界は成り立っているんだ。

 

 「……」

 

 僕は谷倉に言われたとおり、地下の倉庫まで来ていた。よく考えたら、ここにミネラルウォーターがあったとして、自分の部屋まで運ぶのは一苦労だ。どうしてこの建物にはエレベーターがないんだ。今時普通の高校にだって置いてある。希望ヶ峰学園にないはずがないだろう。

 

 「む?おお、これはこれは。爽やか王子のお出ましだ」

 「あン?王子?」

 「……チッ」

 

 思わず舌打ちが出た。できれば出会いたくない2人に出会ってしまった。いや、ここに監禁されているヤツらの中で、出会いたいと思う人間なんてひとりもいない。まだマシな人間が何人かいるだけだ。だがこいつらは、どちらも僕が苦手なタイプだ。

 

 「やあ、菊島君。岩鈴さん。こんにちわ。ミネラルウォーターを探しに来たんだけど、どこにあるか知らないかな?」

 「水か?その辺にあンじゃねーの?」

 「さてね……見たような見なかったような、如何とも(だん)じ難い。俺も探し物をしているのでね。それ以外の物など背景と同じだ」

 「そ、そう……」

 

 考えもせずぶっきらぼうに返す岩鈴と、一言で済むことをだらだらと話す菊島。やっぱりこの2人は苦手だ。というか、むしろ嫌いな部類だ。だけどこの2人にも僕は爽やか王子という幼稚なあだ名で知られてしまっている。そのイメージを崩さないよう取り繕いつつ、さっさとミネラルウォーターを探して帰ろう。

 

 「菊島君は何を探しているのかな?もしよかったら、僕も探すよ」

 「代わりにミネラルヲオタアを探すのを手傳(てつだ)えという條件(じょうけん)付きでかな?」

 「あはは……まあ、そうしてくれると嬉しいかな」

 

 なんなんだこいつは。せっかく愛想良く手伝わせようとしてやったのに、そんなことを普通言うか?こちらが善意を見せたら善意で返す。相手がそれを利用しているかも知れないと勘繰るって、なんて性格が悪いヤツなんだ。しかもそれを堂々と相手に言うなんて。もし僕が本心から手伝ってやろうと思ってたらどうするつもりだったんだ。

 

 「折角だが、その(きよ)らかな厚意だけ受け取ろう。俺の探し物は素人では見つけようのない代物でね。手傳(てつだ)われようと手傳(てつだ)われまいと、手閒(てま)はそう()わらないのだよ。然るに、君の目論見は前提が成立しない。(わる)くはないと思うが、ここではご破算だ」

 

 さすがにイラっとした。なんなんだこいつは。

 

 「……。そう、なんだ。それじゃあ、僕は違うところを探そうかな」

 

 こいつと会話していると頭の血管が吹き飛びそうだ。会話するどころか、視界にその姿が入るだけで口の中が気持ち悪くなる。なるべく離れた場所にいようと菊島に背を向けて、倉庫の違うエリアに行くことにした。

 

 「ああ。ひとつ、忠言をしよう」

 

 背中越しに、菊島が言った。声は壁に反射して聞こえてくるから、菊島も僕に背を向けているようだ。呼び止めておきながらこっちを向きもしないのか。なんて人を舐めたヤツだ。信じられない。

 

 「その芝居は止めた方がいい。心的疲勞(ストレス)萬障(ばんしょう)の元だ」

 「芝居……?」

 「恍けるか。まあ、猶も芝居を打つならそれも構わない。君自身の問題だ。だがここでは、個人の問題が全員の問題になりかねない。十分に()を付けることだ」

 「……なにを言ってるのか分からないな。どういうこと?」

 「幾ら器用に取り繕っても、分かる者には分かるということだ。なあ、岩鈴?」

 「まーそうだね。虎ノ森。アンタさ、キャラ作ってんだろ。別に(アタシ)はそれだけでどうこうするつもりはないけど、いざって時に困るのはアンタだよ」

 

 さくり、と背後から胸を刺されたような気がした。芝居、ストレス、取り繕う……菊島が何のことを言っているのかはすぐに分かった。そして菊島の問いかけに、手元で何やら機械なのかおもちゃなのかをいじっていた岩鈴が、やはり手元を見たまま口だけで応える。なんだっていうんだ。いったいこいつらに何が分かってるっていうんだ。

 

 「目ェ見ればだいたいのことは分かるんだよ。あ〜、こいつウソ吐いてんな〜とか、こいつ本気じゃないな〜とか。アンタのは人をバカにした目だ。口先だけ繕ってもバレバレだよ」

 

 何を言っているんだか、と一蹴してしまえばいいものを、僕はなぜかできなかった。菊島の言葉が不意の一撃なら、岩鈴の言葉はガードの上から叩き潰す強引な一撃だ。僕は、開き直って肯定することもできず、往生際悪く否定することもできず、言葉に詰まっていた。

 

 「因みにだが、俺が気付いているということは、少なくとも月浦と尾田も気付いているだろう。同属嫌悪というやつだ」

 

 分かっている。自分の性格が捻じ曲がっていることくらい。どうしてこんな考えをしてしまうようになったのか、どうして外面を繕うようになってしまったのか、今となっては思い出せない。ただ気ままにゴルフをしていただけなのに、いつの間にやら僕は注目を集めていた。それは憧憬だったり、尊敬だったり、羨望だったり、好奇だったり、あるいは冷笑や嫉妬、そして監視の視線だった。

 同じような立場の人たちが、他愛ない言葉の綾や何気ない行動ひとつでたちまち身を滅ぼしていく様を何度も目にした。何が悪いのか、どうして悪いのか、誰も教えてはくれない。ただ、みんながそう思っているからだ。みんなが悪いと言うから悪い。それが、無遠慮に僕たちを監視するヤツらの正義だ。だから、僕は正義から身を守る術を生み出した。それが、自分を偽ることだ。

 

 「……なんでもいいけど、それで僕にどうしてほしいわけ?僕が“爽やか王子”でいると、なんか困ることでもあるの?」

 「いいや。言っただろう。芝居を(つづ)けるならそれも構わない、と。但しそれに添えた忠言も忘れないことが吉だ」

 「(アタシ)は気になるけど。一緒に脱出する仲間だってんだから、隠し事だのウソだのは気に入らないね。背中に傷持つような生き方してんじゃないよ」

 「何も知らない君たちにどうこう言われる筋合いはないね。これは僕なりの処世術だ。バレたのなら仕方ないけど、それで僕を強請ろうとか考えてるなら止めた方がいいよ」

 「おお、それもいいな」

 「バーカ。セコいこと言ってんじゃないよ。虎ノ森も、すぐそういうこと考えるような性根だからそんな処世術しかできないんだよ。もっと周りの人間を信じな」

 

 何をバカなことを。そりゃ岩鈴が生きてきたような環境だったら、人を上手く騙したり陥れたりする知能さえあるか怪しい人種ばかりだから、盲目に相手を信じても問題なかっただろう。けど僕の生きる世界はそうじゃない。何を考えてるのか、どんな相手なのか、そもそも何人いるのかさえ分からない、泥の塊のようなもの僕の敵なんだ。信じたところですぐ裏切られるだけだ。

 

 「余計なお説教どうもありがとう。とてもためになりました。それじゃ、僕はこれで」

 「水はもういいのかな?」

 「君たちがいなくなってからゆっくり探すとするよ」

 

 もうこいつらに僕の本音を隠す意味はなくなった。吐き捨てる言葉に、心なしか勢いがついたような気がした。

 


 

 この学園での生活は集団生活だ。料理は毎日谷倉さんを筆頭にお料理に自信がある女の子たちが作ってくれる。掃除は自分の個室くらいはやるけれど、共用スペースはモノクマがやってるらしい。意外とマメなんだ。このままだと私は何もやることがなく、他の皆におんぶにだっこだ。だから、せめて自分の洗濯物くらいは自分でやろうと、一週間分の洗濯物を抱えてランドリーにやって来た。

 

 「ひーっ!重たい!」

 

 倉庫から引っ張り出してきた大きめの洗濯カゴに、とにかくありったけの洗濯物をかき集めて突っ込んだものを、やっとの思いでテーブルに乗せた。私の個室からここまで、こんなひ弱な女子の腕力でよく運んだもんだよ。自分で自分を褒めてあげたい。いやまだ早い。洗濯しないと。

 ランドリーは個室が並んだ廊下から食堂に行くまでの間にあって、いつでも誰でも出入りできる。洗剤や柔軟剤は常備してあって誰でも好きなだけ使えるし、洗濯するのにお金もかからない。それに機械は人数分がずらりと並んでるから使えないことはない。モノクマにしてはずいぶん気が利いてる。

 

 「え〜っと……?洗濯物を入れて、洗剤と柔軟剤入れてスイッチ。これだけでいいんだ」

 

 サングラスをしてるせいで見づらいけど、この機械はどうも簡単な操作だけで洗濯から乾燥までやってくれる優れものらしい。なんだかモノクマの気配りって俗っぽいところにばっかり集中してるような気がする。でも私、ややこしい機械とか使うのできないからめちゃ助かる。

 

 「えいや〜!きれいになってこ〜い!」

 

 洗濯機の口にカゴを添えて、そのままひっくり返す。詰め込まれた衣類がどばっと溢れて、あっという間に洗濯機の中をいっぱいにした。う〜ん、我ながらガサツ。でも別にいいんだ。あとでアイロンかけるから。その後、説明書きどおりに洗剤と柔軟剤を入れて、スイッチを押す。終了まで1時間くらいだ。

 

 「よし!1時間か、ヒマだな……あっ!そうだ!」

 

 急にまとまった時間ができたけど、私はそれを利用する方法をすぐさま思い付いた!まずはその場で辺りを見回して、()()の気配がないかを探る。ひとまずないみたいだ。ならばと今度は洗濯機の下を覗き込む。ってサングラスで暗くて見えない!取っちゃえ。大事にポッケにしまっておこう。さて、どれどれ……ここにはないか……。

 売店でモノクマから教えてもらったモノ探しが、この娯楽がない閉鎖空間で私が見つけた暇つぶしだ。あのとき売店には3モノ落ちてて、一緒にいた甲斐さんと湖藤君と1モノずつ分けた。その後も廊下の隅っこや教室の机の中、ひどいときにはトイレの蓋の裏まで探して、結構たんまり稼いだ。モノクマが毎日あちこちに隠してるみたいで、同じ部屋でも違うところで見つけたりする。

 

 「ここにもないか」

 

 体験型謎解きゲームとかだと、割と見つけやすいところに落ちてたりするんだけどな。モノクマの隠し方は分かりやすかったり分かりにくかったりが安定しない。分かってないな。こういうところを難しくしてもしょうがないのに。

 

 「むっ!あれは……!」

 

 視界の端で何かがきらりと光ったのを見逃さなかった。ランドリーに置いてある観葉植物の下だ。やっぱり今日もモノが隠してあった。

 

 「どれどれ」

 

 忘れてた。サングラスがないと細かいものがよく見えないんだ。サングラスをかけ直して、落ちてるものを見落とさないようにちょっとずつ近付いていく。ランドリーの床を這って、観葉植物の鉢を覗く。ここにはない。じゃあ壁と鉢の隙間とか──。

 

 「いでえっ」

 「ぎゃっ」

 

 ごっ、と重い音がして脳が揺れた。鈍い痛みとくらくらする気持ち悪い感覚に襲われる。何事かと思ったら、私と同じようにくらくらしながら頭を抑えている長島さんが目の前で尻餅をついていた。え、なんで長島さんがこんなことになってんの?今ぶつかったのって、もしかして長島さん?

 

 「いて〜……なにしてんの?長島さん」

 「風風(フェンフェン)こそ、こんなところで鼠の真似っ子カ?」

 「私は普通に洗濯しに来て暇だったから……ちょっとね」

 「そうカ。じゃあそこどいてネ。ワタシは探し物ヨ」

 

 長島さんがさり気なく視線を鉢植えに落とした。もしかして……長島さんもモノを探してる?

 

 「実は私も探し物しててさ、この辺にあるみたいだからちょっと待ってね」

 「こら!ワタシが先ヨ!ここら辺に光ってるの見たネ!」

 「あれは私が先に見つけたの!」

 

 やっぱり長島さんの狙いもモノか!この辺を探してるってことは私と同じものを狙ってるんだな!こうなったら長島さんより先に見つけてさっさと回収しちゃうに限る!絶対この辺にあるは

 

 「あったああああああああっ!!!」

 「っしゃああああああああっ!!!」

 


 

 ほぼ同時……いや、私の方が一瞬早かった、はず!鉢植えの下に隠してあったものに私と長島さんが一斉に手を伸ばす。摘まみ上げたモノの反対側を長島さんがガッチリ摘まんでる。指先だけなのに全力で引っ張る私と競り合ってる。なんちゅうパワーしてるんじゃこの中華娘は!

 

 「風風(フェンフェン)!これワタシのヨ!離してヨ!」

 「私が先に手ぇ付けたもん!そもそも私の方が先に見つけたの!」

 「そんなの分かんないアル!なら、最後に持ってた方のものってことでいいのネ!」

 「望むところ……おおっ!?」

 

 立ち上がってモノを引っ張り合っていた私の足を、長島さんの下段蹴りが払った。我ながら見事にすっ転んで簡単に手を離してしまった。

 

 「いて〜!暴力反対!」

 「暴力じゃないヨ。これは身を守るための格闘術ネ。自分の身は自分で守れないと、世の中生きてけないヨ」

 「どんな世界で生きてきたらそうなるの!そんなやるかやられるかの世界で生きてきてないよこっちは!」

 「幸せなことヨ。幸せで恵まれた人は、不幸せで恵まれない人にお金も食べ物も武力も分けてあげなきゃいけないアル。幸せ税ヨ」

 「なんじゃそら!」

 

 ふふんとふんぞり返る長島さんは、私からぶん捕ったモノを弾いて袖口から自分の懐にしまった。器用なことで。いまの格闘術といい、スナイパーという才能といい、細々した小技といい、長島さんが見せる色んな面はいちいち一貫性がない。中華娘って属性もそうだし。

 

 「幸せ税なんて私よりもっと恵まれてる人に払ってもらいなよ!落ちてる小銭くらいよくない!?っていうか長島さん、スナイパーの大会賞金でいっぱい稼いでるんでしょ!」

 「恵まれてる人は恵まれてることに気付かないネ。それに賞金なんて端金ヨ。家族のみんなの暖かいおうちと少ないご飯ですぐなくなっちゃうネ」

 「え?長島さん、家族養ってんの?」

 「日本じゃワタシしかお金稼げないから仕方ないネ。希望ヶ峰学園に入ればもっと簡単にがっぽり稼げると思ったのに、小銭拾いしなくちゃいけないなんて思わなかったヨ」

 

 家族を養ってるっていうだけで、長島さんがついさっきまでより随分大人に見えた。“超高校級”なんだから自分で稼いでる人は珍しくないけど、それで自分の家族にご飯を食べさせてる人となると、稼ぎ方や生活力の面で他の人たちより頭一つ抜けて立派だ。片や私は、お父さんとお母さんに養ってもらってる上に旅費からホテル代から出してもらって……チケット代もお小遣いだし……。

 

 「長島さん、なんか大人だね」

 「そりゃ風風(フェンフェン)よりずっと大人ヨ!」

 「大人なんだったら子供の私にモノ譲ってよ!」

 「なんでそうなるカ!やめるアル!この!」

 「おげーっ!サングラスに指紋付けないで!」

 

 隙を見て長島さんに飛びかかる。まだ上着一枚ひん剥けばさっきのモノ出て来るでしょ!娯楽の少ないこの閉鎖空間で、モノ探しとそれ一枚で遊べることのどれだけ貴重なことか!家族を養ってる長島さんの苦労は推して知るべしだけど、それとこれとは話が別!そもそもモノってここでしか使えないから外の家族とか関係ないし!

 

 「ぬぎぎぎっ!」

 「うぬぬぬっ!」

 「おいやめろ。何してんだお前ら」

 「うえっ?」

 

 取っ組み合いの奪い合いになった私と長島さんの頭が小突かれた。誰かと思ったら、金髪桃目のハーフイケメンが呆れた目で私たちを見下ろしてた。危ないところだ!もし私の性癖がハマってたら落ちてたところだ!私は俺様系より草臥れ系の方が好きだから……ってそうじゃないそうじゃない。なんで小突かれた?

 

 「なんだ佬佬(ラオラオ)ネ。どうしたカ」

 「どうしたじゃねえ。お前らがぎゃーぎゃー言う声が聞こえたから来てみたらこの有様だったんだよ。取りあえずケンカやめろ」

 「でも長島さんがこれ取ろうとするからさあ!」

 「風風(フェンフェン)があ!」

 「なるほどな。だいたい分かった。じゃあ宿楽。これやるよ」

 「へ?」

 

 芭串さんがポケットをまさぐって何かを取り出した。私の前に差し出したそれは、今まさに長島さんと取り合ってるモノだった。これをくれるって言った?

 

 「1枚しかねえから取り合いになるんだろ。オレの部屋にあったやつだけどやる」

 「え〜〜〜?なにそれ〜〜〜?かっこよ!」

 「あ」

 「え、なに?」

 「ついでだからこれもやる。なんかオレにはよく分かんねーから持っててもしょうがねえし。いらなきゃ捨てていいよ」

 

 モノとは別に、芭串さんは別のポッケからくしゃくしゃに丸めた紙を出して私にくれた。開いてみると、何やら記号と文字の並びが3行書いてあった。芭串さんはよく分からないと言っているけど、ぱっと見ただけで私には分かる。これ、謎解きだ。

 

 「これ、芭串さんの部屋にあったの?」

 「いいや。地下にゴミ捨て場があっただろ。あそこに落ちてて、なんか気になったから拾っといたんだ。ただのゴミとも違う感じだったし」

 「そうなんだ。じゃあ、これもありがたくもらっときます!」

 「ん」

 

 なんでそんなところに謎解きが書かれた紙が落ちてるのか分からないけど、これを見過ごしたら“超高校級の脱出者”の名が廃るよね!大した才能じゃないんだし、せめてこういうところで良いとこ見せとかないと……。

 

 「くだらねえことでケンカすんじゃねえぞ。まあ、オレもここ来たときはイライラしてたけど……」

 「最初のイメージと全然違うネ。なにかあったカ?」

 「別に。女がキィキィ言うもんじゃねえってだけだよ。手が掛かるのは妹だけで十分だ」

 

 最初にみんなで体育館に集まったとき、芭串さんはこのおかしな環境に適応できてなくてかなり苛立ってた。理刈さんともケンカしてたみたいだし、益玉さんも怒鳴られたらしい。だから、顔面はいいけど癖が強すぎて近寄りがたいイメージがあった。でもどうやら、落ち着いた今の方が本当の彼みたいだ。第一印象の反動か、かなり大人びて見える。妹さんがいるってことはお兄ちゃん属性も持ってるんだ。盛り過ぎじゃね?

 

 「佬佬(ラオラオ)も妹いるカ!きっと佬佬(ラオラオ)に似てて可愛い子アル!」

 「ま、まあな。そりゃそうだ。素直でやさしくて、おまけにかしこいんだ。たまにわがまま言うけど、それがまた……」

 「あ゛〜〜〜っ」

 「どうしたどうしたオイ。なんだその呻き声」

 「いえ、なんでも……ちょっとヤバかった」

 

 お兄ちゃん属性だからもしかしてと思ったらやっぱりシスコンだったわこの人!オラついたお兄ちゃんはヤバいほどシスコンってそれ昭和の時代からのテンプレだから!なんでテンプレかっていうとめちゃ萌えだからだよ!!なんだよそれ!!このくだりで好感度100,000,000倍にしようとしてる!?

 

 「よく分かんねえけど、とにかく仲良くしろよ。そんなもんだったらいくらでもくれてやるからよ」

 「おお……!芭串お兄ちゃんネ」

 「ばぐにい……!」

 「気持ち悪い呼び方すんな」

 

 また小突かれた。小突くの好きだね。

 


 

 小麦粉と牛乳とバター、そこにたっぷりお砂糖を加えた生地を混ぜる。厨房が甘く優しい香りでいっぱいになる。型抜きで切り取った星やハートを並べたら、温めておいたオーブンでじっくり焼いていく。生地の焼けた香ばしくてとろけそうな香りが漂ってきても、まだまだガマン。紅茶を淹れて待っていよう。

 

 「いいにお〜い!あっ!つゆこちゃん何作ってるの〜?」

 「あら、陽面さん。クッキーを焼いてるのよ。なんだか今日は、みんなに施してあげたい気分なの」

 「クッキー!わーい!」

 「はぐ。厨房は火とか刃物とか危ないから近付いたらダメだよ」

 「月浦さんもいるのね。一緒に食べる?」

 「僕はいい。甘いものは好きじゃない」

 「え〜?ちぐ、よくかりんとう食べてるのに?」

 「はぐ……」

 「うふふ、じきに焼けるから、一緒に食べましょうね」

 

 鼻をくすぐるいい香りにつられて、食いしん坊さんが寄ってきたみたいね。みんなに分けられるだけ焼いてるから、ちょっと味見でもしてもらおうかしら。せっかく紅茶もあることだし、おやつにしましょうか。クッキーが焼けるまで食堂のテーブルの準備でもしていようと思ったら、長島さんと益玉さんもいた。ちょうどいいところだわ。

 

 「こんにちわ、長島さん、益玉さん。そろそろクッキーが焼けるの。よかったら一緒にどう?」

 「こりゃちょうどいいところネ!小腹が空いてたから肉まんでもないかと思ってたのヨ!」

 「ぼ、僕は別に……」

 「据え膳食わぬはナントカの恥っていうネ、露露(ルールー)のお誘いヨ」

 「変な言い方しないでよ」

 「兎兎(トゥートゥー)はワタシに任せて露露(ルールー)はクッキーを頼むネ!」

 「うふふ、じゃあお任せするわね」

 「えっ……僕はっ、あの……」

 

 食堂から出て行こうとした益玉さんを、長島さんが担ぎ上げて留めた。元気がいいのはいいことだわ。紅茶が適温に冷めるまで待つ時間で、ちょうどよくクッキーが頃合いになった。焼きたてサクサクのクッキーをバスケットに移して、みんなが待つテーブルまで持っていった。

 

 「うわ〜い!美味しそうなクッキーだー!」

 「紅茶にミルクもあるわよ。お砂糖は控えめにね」

 「……」

 「あ〜!ちぐってば、こっそり一番乗りしてる!ズルいよ!」

 「はぐが食べるものなんだから、一応確かめとかないと」

 「月月(ユエユエ)ってば疑り深いのネ。露露(ルールー)が変なことするはずないヨ」

 「お味はどうかしら?月浦さん?」

 「……大丈夫」

 

 相変わらずそっけない態度だけど、どうやら味は上出来みたいね。月浦さんの味見が終わってから、陽面さんがバスケットからわっさと掴んで口に放り込んだ。まだ出来たてで熱いのによくかっこめるわね。舌までは猫じゃないってことかしら。

 

 「おいし〜い♡つゆこちゃんお料理上手だね!」

 「子供たちに配るために何度作ってたら楽しくなっちゃって、自分でもたまに作るのよ。喜んでもらえたみたいで嬉しいわ」

 「“超高校級のサンタクロース”の手作りクッキー……なんだか、すごく貴重なものを食べさせてもらってるような……」

 「やあね、益玉さんったら。褒めても何も出ないわよ」

 

 益玉さんがクッキーをしげしげ眺めながら真剣な目つきでそんなことを言うから、ちょっとおかしくって笑いそうになっちゃった。“超高校級”って言ったって、クッキー作りの才能じゃないんだから、普通のおいしいクッキーよ。一緒に頂くためのお紅茶を淹れるのもついでに上手くなったけど、そっちはあまり気付かれないわね。

 

 「露露(ルールー)はいつもこんな風にご奉仕してるカ?何の為にそんなことするノ?」

 

 さっき益玉さんが恭しげに言ったのと違って、長島さんは真っ直ぐに尋ねてきた。心底不思議そうな顔をして、クッキーをぽいと口に放り込んだ。

 

 「何の為、か……。そうね。やっぱり……後悔したくないからかしら」

 「後悔?何をアルカ?」

 「たとえば……お腹を空かして泣いてる子がいたとして、私には人に分けても有り余るくらいの食べ物がある。助けられるのよ。助けようとさえすれば。その人が次の日に目を覚ましたとき、空腹や寒さに絶望しているか、少しだけ元気になって希望を持って生きようとするか、私の一言で、ちょっとした行動で変わるの」

 「ふむふむ」

 「できることがあるのにしなかった。その選択が悪いことだとは思わないわ。結局はその人の善意だもの。だけど私は、助けられる人を助けられなかったことを抱えながら次の日を迎えるのは……イヤなの。この世の恵まれない人全員を助けることはできなくても、目の前で困ってる人を助けることくらいは……私にだってできるはず。私は、助けてあげない私に後悔したくない」

 

 はっ、と顔を上げた。いつの間にかクッキーを入れたバスケットは空になってた。陽面さんがほとんど食べちゃったみたい。それよりも、長島さんの何気ない質問に少し喋りすぎてしまったことに気付いて、私は少し顔が熱くなった。たぶん長島さんはそこまで興味を持って質問してないのに、なんだか私すごい語っちゃって……ああ、恥ずかしい……。

 

 「あ、ご、ごめんなさい……つまらない話しちゃったわね」

 「露露(ルールー)、優しいネ」

 「そんなこと……」

 「ワタシの小さいときに露露(ルールー)みたいな人いたら、きっとワタシ、今よりも幸せだったかもしれないネ」

 「どうして?」

 「なんとなく、そんな気がするヨ」

 「はぐはいま幸せだよ!つゆこちゃんのおいしいクッキー食べられて、ちぐと一緒にいて!」

 

 その月浦さんは、陽面さんのお腹にこぼれたクッキーのくずを拭き取ってた。あどけない陽面さんの笑顔は癒されるけど、月浦さんにお世話されてばかりなのはちょっとだけ心配にもなる。そんな心配も、きっと月浦さんにしてみれば余計なお世話なんだと思う。陽面さんのことはなんでも自分でやろうとするから。

 

 「二人ともいつも一緒なのね」

 「そうだよ!寝るときも一緒のお布団で寝るんだ!」

 「え……そ、そうなの?ずいぶん……仲良いのね」

 「おい」

 

 不意の陽面さんの発言で、私は動揺して言葉に詰まった。私だけじゃなくて長島さんもびっくりしてたみたい。だって、小学生ならまだしも、高校生の男の子と女の子が同じ布団で寝るって、もうそれって、仲が良いと飛び越してもっと深い関係ってことよね?そんな考えが顔に出てたのか、月浦さんが鋭い目つきを向けてきた。

 

 「変なこと考えるな。たとえお前の妄想の中だけだとしても、はぐを汚すことは許さない」

 「あっ……いえ、そんなこと、ごめんなさい。私、あなたたちがそんな関係だったなんて知らなくて」

 「なんだそんな関係って。ふざけるなよ。はぐと僕をそんな風に見るな」

 「違うカ?同衾なんてそこそこの仲じゃしないヨ!月月(ユエユエ)陽陽(ヤンヤン)はカッ」

 「だから違う!そんな浅い関係じゃないんだよ僕たちは!」

 「浅いかしら……?」

 

 照れ隠し、という感じでもなく、月浦さんは私と長島さんの頭に浮かんだフレーズを否定する。いやでも、ここに来る前から知り合いだったみたいだし、単にアイドルとプロデューサーっていう関係なだけでもないみたいだから、もうそういうことなのかと思ったのだけど。月浦さんにとって、そう思われることも嫌みたい。でも陽面さんが嫌いなわけじゃなくて、なんだか複雑みたいね。

 

 「じゃあ質問ネ。二人とも同じ布団で寝るのは本当カ?」

 

 よせばいいのに、長島さんは無遠慮にそんな質問をする。余計に月浦さんが興奮しちゃうじゃない、と思ったけれど、月浦さんは意外にも落ち着いて淡々と答える。

 

 「ああそうだ。当然だろ」

 

 何が当然なのかしら。

 

 「じゃあお風呂は?」

 「長島さん、ちょっと」

 「お風呂は一緒じゃないよ。ちぐはお風呂長いから一緒に入るとはぐが逆上せちゃうんだもん」

 「はぐ、答えなくていいんだよ」

 「……もう、いいわ」

 

 そういう問題じゃないでしょ、と言おうと思ったけど諦めた。お風呂の時間が長い短い以前に、そんな関係でもない高校生の男の子と女の子が一緒にお風呂に入ること自体が大問題だわ。もしかして、私の考え方が古いのかしら?いやいや、友達でもそんなことしてる子なんて聞いたことないわ。兄弟姉妹でもしないもの。

 

 「そう言えば、地下に大浴場があったヨ。みんなで入るのはどうカ?」

 「ああ、あったわね。10人くらいなら入れそうだったわ」

 「みんなでお風呂入ると楽しいヨ!ワタシも家族とよく一緒に入ってたネ!」

 

 急に閃いたのか、長島さんが楽しそうに提案した。確かに、修学旅行とかで学校の友達と一緒にお風呂に入ると、なんだか新鮮な気分で楽しかったことを思い出した。まだここに来て日は経ってないけれど、これから協力して脱出するんだし、親睦を深める意味でも悪くない提案かも知れないわね。部屋の狭いバスタブよりも気持ちよさそうだもの。

 

 「いいんじゃないかしら。狭山さんは……どうするの?」

 「小狐(シャオフー)はメスだから入れてあげるネ。香香(シャンシャン)にお願いするアル」

 「それじゃあ、今日みんなに声をかけてみようかしら」

 「待て。勝手に話を進めるな」

 

 私と長島さんで盛り上がってきちゃったところに、月浦さんがぴしゃりと釘を刺した。陽面さんじゃなくて、どうして月浦さん?と思ったけれど、陽面さんはなぜか私たちを不安そうな目で見て、何か言いたそうに口をパクパクさせていた。

 

 「はぐがアンタたちなんかと一緒の風呂に入って、何かの病気になったらどうするんだ。それに、はぐは繊細なんだ。シャンプーだって石鹸だってちゃんと僕が用意したものでないとダメだ」

 「病気とは失礼アル!ワタシは元気いっぱい健康優良児ヨ!」

 「陽面さんはどう思うの?」

 「は、はぐは……みんなとお風呂は、楽しそうだと思うけど……」

 

 さっきまでと違って、陽面さんはずいぶんお喋りに勢いがなくなった。気を遣ってお世辞を言っている風でもないし、だけど何か言えないことがあるような、そんな感じがする。

 

 「いい提案かも知れないけれど……無理強いはしない方がいいよ。陽面さんにも、何かしら都合の悪いことがあるんだろうから……」

 「これは女子のお話だから兎兎(トゥートゥー)は静かにしとくネ」

 「いいえ、長島さん。益玉さんの言う通りよ。人と一緒に入るのが苦手な人だっているわ」

 「ごめんなさい……」

 「いいのよ。私たちも強引だったわね。ごめんなさい。お風呂は無理だけど、一緒におやつを食べることならできるものね。またクッキーを焼いてあげるわ」

 「うわーい!ありがとー!」

 

 しおらしくなってた陽面さんは、クッキーを焼くと言ったら途端に元の明るさを取り戻した。こんなに切り替えの早い人がいるのね。どうしてお風呂に入れないのかは分からないけれど、わざわざその理由をきかなくても、他の方法で喜んでもらえることが分かっていればそれで十分。長島さんの提案もせっかくだから、入りたい人たちに呼びかけてやればいいこと。ひとまず今日は、次に焼くクッキーのアレンジを考えることにしようかしら。




1章の日常編です。色んなところで色んなことが起きています。
何も見逃してはならない。


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(非)日常編3

 この空間に閉じ込められてから数日、僕たちはここに来た最初の日と同じように、体育館に集合していた。本当なら脱出の手掛かりを見つけるために方々を探索していたいところだ。それでもこうして集まっているのは、モノクマに呼び出されたからだ。

 

 「おいコラ〜〜〜!オマエラいつまでそんなほのぼのスクールライフ見せつけやがるつもりだコノヤロー!今すぐ集まれ!集まりやがれ!耳揃えて雁首も揃えやがれ!!」

 

 耳と首どっちを揃えればいいんだか。しかもどこに集まればいいのか言われなかったから、みんな食堂だったり玄関ホールだったりを右往左往していた。最終的になんとなく体育館に全員集合したけれど、合ってるのかは分からない。

 次はどこに集まればいいかを考えていたら、体育館の天井から奇天烈な音楽が降ってきた。

 

 「ばびょ〜〜〜んっ!!遅いぞオマエラ!!何をあちこち道草食ってたんだよ!!」

 「どこに集まりゃいいか言わないんですから、そりゃコンなことになりますよ」

 「うるせ〜〜〜!!集まるったらだいたい体育館って相場が決まってんだろうが!!今まで何見てきたんだオマエラは!!」

 「なんの話だろ?」

 

 意外と僕たちの感覚とモノクマの感覚は一致していたみたいだ。初日になんとなくみんなが体育館に集まったのも、学園生活で集まる場所と言ったら体育館か運動場だからなのかも知れない。しばらく姿を見せていなかったと思ったら、いきなり沸点マックスで登場した。唐突に人を呼び出すわ、なぜかブチ切れだわ、やりたい放題だ。

 

 「それで何の用だよ。エラそうに呼び出しやがってうざってえな」

 「偉いもんっ!」

 「偉いかな?」

 「モノクマが一番偉いぞって校則に追加しちゃおっかな」

 「しょうもないですね。暇潰しが目的なら僕は帰らせてもらいますよ」

 「用事はあるから!帰らんといて!」

 

 軽快なだけでなんて中身のない会話なんだ。

 

 「オマエラねえ、ボクはオマエラになんて言った?これはコロシアイ学園生活だよ?コロシアイしないと!もっと血ドッバドバとか、骨バッキバキとか、首なんかトルネードスピンしてブッ飛んだりとか、そういう展開ないの?つまんねーんだよ!」

 「何を怒られてるんだ(アタシ)らは」

 「コロシアイなんかするもんか……!僕らは全員でここから出るんだ……!」

 「そうだよ!はぐとちぐと、あとみんなで仲良しこよしなんだからね!」

 「仲良しこよしか〜そっか〜。オマエラはオマエラなりに友情を育んで結束を高めているんだね。うんうん、それもまた学園生活の1ページだね。っざっけんじゃねーよ!!!

 「本当にうるさいな」

 

 言語野がそのまま喋ってるんじゃないかというくらいモノクマは脈絡なく捲し立てる。怒ったかと思ったら優しく首肯して、また怒った。こんなヤツに情緒なんてあるはずがないから、情緒不安定の真似でもしてるのか。真似だと言った方がまだ理屈が通っている。

 

 「ボクが見たいのは仲良しこよしのらーぶらーぶなイチャコラ学園ラブコメじゃねえんだよ!!もっとギスギスざらざらありとあらゆる人間関係の角が立ちに立ってカドケシみたいな殺伐ラブコメが見たいんだよ!!」

 「ラブコメはラブコメなのネ」

 「オマエラは仲が良いとか協力し合ってるとか言ってるけど、本当のところは互いの腹の内を探り合ったり、疑い合ったり、口には出せない不満が溜まったりしてるでしょ?溜まりに溜まったフラストレーションはいつか大爆発して新聞の一面を飾るような事件を起こすんだよ!そして家族親族一族郎党根掘り葉掘りマスコミに追い回された上に週刊誌にあることないこと書かれるんだよ!それではいけません!」

 「妄想の飛躍がひでえな」

 「というわけで、ボクはオマエラに適度なガス抜きの機会を与えることにしました。オマエラ!モノカラーの通知を確認してください!」

 「?」

 

 そうモノクマが言うとともに、ボクたちのモノカラーが小さく音を出した。ディスプレイを表示して通知を開くと、腹立たしい色合いと演出とともにでかでかとメッセージが表示された。

 

 「ど、動機?」

 「オマエラが健全なコロシアイ生活を送れるように、ボクからのささやかなプレゼントです。喜んで受け取ってね!うぷぷぷ!」

 「つまり、殺人を起こすための動機ってわけですか」

 「そのとーり!第一の動機は、“生存投票”でーす!」

 「“生存投票”?」

 

 ディスプレイに表示されたのは、この場にいる全員の顔写真と“0”という数字。そしてずらりと並んだ顔写真の上にある、“生存投票”の題目。ただそれだけのシンプルなものだった。しかし、そこに込められたモノクマの悪意は敏感に感じ取れた。

 

 「これから24時間以内に、オマエラにはこの中の5人に投票してもらいます!ただし自分には投票できないし、同じ人には1度しか投票できません!」

 「投票とは……?」

 「どうせ嫌いなヤツに投票しろとかだろ。くだらねえ」

 「いいえ?違いますけど?」

 「あ?」

 「知ったかぶりしちゃって恥ずかしいね芭串クン。人の話は最後まで聴かなくちゃね」

 「てめえヒトじゃねえだろうが!」

 「芭串さん、落ち着いて」

 

 ギスついた人間関係、自分以外の誰かに投票、コロシアイの動機……芭串君の考えは尤もらしいけど、モノクマは否定する。モノクマが動機として提示したなら、これは間違いなく僕たちをコロシアイへ誘おうとする悪魔の囁きだ。なら、どういうことだ?

 

 「これからオマエラはオマエラ自身以外の“生存してほしい人”に投票してもらいます!」

 「生存してほしい……人?」

 「オマエラにとって大切な人、死なれると困る人、利用価値のある人、理由は問いません!オマエラが持つ100票の投票が行われた後、そこにはオマエラの総意が表れることでしょう!完全に民主的で、かつ残酷なほどリアルな総意がね!」

 「どゆこと?みんなから一番生きてて欲しいと思われてる人ってことでしょ?別に残酷じゃないじゃん」

 「最多得票者がいるということは、逆に最低得票者がいるということだよ。つまり……」

 「ここにいる全員から、“死んでも構わないと思われている人”が決まるわけです!すなわち、オマエラのアイツに生きて欲しいという思いの裏にある、コイツは死んでもいいという無関心を炙り出す!それが“生存投票”です!!」

 

 嬉しそうなモノクマの声がひどく腹立たしい。こんな回りくどくて残酷な動機は予想してなかった。無関心なんて、そんなのは言葉の綾だ。こんなもので僕たちの総意が得られるなんて、況してや投票結果を恣意的に解釈するなんて、横暴もいいところだ。こんなものに騙されてはいけない。

 

 「それだけですか?」

 「んえ?」

 「あなたが投票をしろと言ったらやらざるを得ないのでしょう。最低得票者ももちろん現れるでしょう。ただ、その結果で手前どもの結束は崩れません。限られた意思表示の機会から得た結果を拡大解釈したに過ぎません」

 

 極めて理論的に、庵野君が異を唱えた。ほぼ僕の思ったことそのままだ。あまりそういう強気なことを言わない庵野君なのに、今日は珍しくモノクマに楯突いた。それを聴いたモノクマは、それならばと、あるいは待ってましたとばかりに口角を吊り上げた。

 

 「つまり、ただの数字じゃ満足できないってこと?うぷぷ♬まったくもう、庵野君てば欲しがりなんだから!いいでしょう!最低得票者にはその立場に相応しいペナルティを与えましょう!」

 「ペナルティ?」

 「うぷぷぷぷ♬こんなこともあろうかと、密かに用意していたボクのスーパー発明品が早速役に立つみたいだね!」

 

 そう言うと、モノクマはぷっくり膨れたお腹を軽く撫でた。すると楕円形の境目に沿ってお腹がぱかっと外れた。そういう仕組みになってたのか。中を軽く弄って手を引くと、何か握っていた。

 

 「モノトキシン2053〜〜〜!」

 

 間の抜けた音楽が鳴った。誰も何も言わない。モノクマだけが楽しそうに、手に握った小ビンをこれ見よがしに高く掲げる。中には透明な液体が入っているだけだ。どういうものなのか……だいたい想像はつくけれど、まだ分からない。

 

 「うぷぷ♬今回の“生存投票”で残念ながら最低得票者になってしまった人には、こいつをブチ込みます!しかも致死量ギリギリをね!あ〜かわいそかわいそ!」

 「ち、致死量!?いったいなんなのそれは!」

 「なにって、毒だけど?」

 

 やっぱり、毒か。しかしモノクマが発明したというのだから、僕たちの知っている毒──そんなに知らないけど──とは違うものなんだろう。

 

 「体内に入ればありとあらゆる体内組織をじわじわと破壊していき、想像を絶する痛みと苦しみを三日三晩味わい続けた後に体液という体液をスプラッシュして死ぬ。そんなハチャメチャエクストリームな猛劇毒だよ!」

 「な、なにそれ……?そんなの……ひどいよ……!」

 「ボクも本当はもう少し研究してからオマエラにお披露目したかったんだけど、庵野君がどうしてもって言うからなあ。しょうがないなあ」

 「て、手前はそんなことは……!決して、そんなつもりでは……!」

 「辯明(べんめい)は不要だ、庵野。口は災いの元と云う。今はヤツに取られる足を揚げないことが賢明だろう」

 

 でもこれはきっと……つまり、そういうことか。

 

 「然るにこの“生存投票”……拙僧たちの中からひとり、犠牲者を決めろと。そういうことですね」

 「そういうこと!でも生贄を決めるからと言って絶望するのは早いよ!な・ぜ・な・ら!モノトキシン2053は解毒可能だからです!」

 「なに?」

 「もし“生存投票”が完了する前にコロシアイが起きたら投票は無効となります!最低得票者にこの毒をブチ込むのもナシ!残念だけどね。そして“生存投票”の完了後、モノトキシン2053が誰かにブチ込まれた後でも、コロシアイが起きればボクが解毒してあげます!」

 「な、なんだそりゃ……!」

 「ずいぶんしっかりルールを決めるんだね。まるで、こうなることが分かっていたみたいだ」

 「ボクは用意周到だからね。先の先のそのまた先を読んで準備してるのさ」

 

 つまり僕たちには、時間も選択肢も用意されていないということだ。“生存投票”で誰かを犠牲にするか、コロシアイをして犠牲を回避するか。でもそれは、ここにいる誰かが確実にひとり、死ぬということだ。遅くとも、4日後のこの時間までに。

 

 「そんじゃまた明日!24時間後にここに集合ね!あ、1票でも棄権したら即脱落(ブッコロ)だから!よろしく〜!」

 

 そう吐き捨てると、モノクマは舞台の奥に消えていった。またしても僕たちは、モノクマの気紛れというか傍若無人っぷりに振り回されることになった。唐突に与えられたコロシアイの動機。それは僕たちを直接的にコロシアイに導くものじゃなく、僕たちの疑心暗鬼を加速させるためのものだった。遠回しで、歪んでいて、そして確実だ。コロシアイをさせるためには、僕たちの結束にほんの少しのひび割れを作ることができればいいのだから。

 


 

 「さて、どうしますか?理刈さん」

 「えっ……?」

 

 モノクマが去った後の沈黙を破ったのは、またしても尾田君だった。彼はこの切羽詰まった事態をあっさりと受け入れ、もう次にすべきことを考えている。ほとんどの人は、モノクマから突きつけられたこの残酷な動機を受け入れることもできていないっていうのに。

 理刈さんだってそうだ。急に名指しされた彼女は、小さく声を漏らして尾田君を見た。どうするか、なんて答えがあるはずがない。

 

 「黙っていては4日後にこの中の誰かが死ぬんです。所見でもなんでもどうぞ」

 「どうぞって……わ、私はなにも……!どうして私に……?」

 「朝食会はいつも仕切っているじゃないですか。こういうときにこそリーダーの出番かと思いまして」

 「リーダーなんてつもりは……!だ、だけど……そうよね。何か手を打たないと……!」

 

 いったい、尾田君はどういうつもりなのか。理刈さんを追い詰めるような言い方をする。だけどその目は彼女のことを見てはいなかった。周りのみんなを見ていた。尾田君に誘導された大多数の人が理刈さんに視線を浴びせる中、彼は周りのみんなを観察していた。はたと目が合った。僕は反射的に逸らす。

 

 「そ、そうだわ!全員が同じ票数になるように投票するのはどうかしら!順番を決めてやれば、みんな5票ずつできるわよね?」

 「なるほどー!理刈さんあったまいー!」

 「モノクマのことですから、そんなことは想定済みでしょう。敢えて言いはしませんでしたが、全員が同数ならば全員が最低得票者だ、などと言いだしかねません」

 「なっ……!そんなの後出しでしょ!?認められないわ!」

 「僕らが認める認めないの話ではないんです。忘れていませんか?僕らは今、モノクマに監禁されて、いつでも殺され得る状況なんです。コロシアイをしろなんて言われてお互いを警戒していますが、最も警戒すべきはモノクマなんです。本当にあなたたちは、アホですか?何も分かってない」

 「んだよ!だったらテメエはどうするってんだ!」

 「決まってるでしょう?投票するしかないんですよ。解決策なんかあるわけがない。ここはモノクマの世界、モノクマの神が如き暴虐が罷り通る場所なんです。僕たちは常にヤツの爪を喉元に突きつけられている。それをいい加減に理解しなさいと言っているんです」

 

 いつの間にか全員の注目を集めながら、尾田君は語る。その言葉はどこか怒りを含んでいた。その矛先は、この理不尽な現実でも、全ての元凶であるモノクマでもない。モノクマの支配下にあるという現実に向き合おうとしない、できずにいる僕たちだ。

 

 「あ、あなたが解決策を提示しろって言ったんじゃない!」

 「そんなこと言ってません。誰を犠牲にすべきかとか、動機についての分析とか、そういうことを聞きたかったのですが。まったく、ここまでされてなお逃れる術があるかも知れないなんて思う神経が分かりません」

 「わけ分かんねえことばっか言ってんじゃねえぞこのヒョロガリが!」

 「いや、尾田の言うことも一理ある。俺たちはもっと早くこの事態を予見すべきだった。コロシアイをしろと言ってしないのならば、せざるを得ない状況を作るだろうと」

 「熱くなっていがみ合ってたらモノクマの思う壺だ。尾田君はつまり、覚悟を決めなくちゃいけないってことを言ってるんだ。ここまでのことをする相手に、生半可な気持ちじゃ太刀打ちできないって」

 「言い方というものがあるわ。そう簡単に生きるとか死ぬとか、考えられる余裕なんかない人もいるの」

 

 それ以上、尾田君は何も言わなかった。ただ、深いため息を吐くだけだ。呆れるような。諦めるような。だけど三沢さんの言うように、命のやり取りをする覚悟ができている人なんてほんの一握りだ。だってほんの少し前まで、僕たちはそんなことを考えなくてよかった。そんなことを考えなくちゃいけない今この時の方が異常なんだ。それさえも、尾田君に言わせればただの現実逃避でしかないのかも知れない。

 

 「だ、だけど……本当にどうしようか?このままじゃ、誰かが……」

 「ひとまず、投票は一旦しないでおきましょう。24時間以内には投票をしなければいけないけれど……それでも、今すぐじゃなくてもいいわ」

 「いやはや。これはなんとも(コン)迷極まる事態ですな」

 

 解決策など思い付くわけもなく、ひとり、またひとりと体育館を離れていく。24時間という期限は長いようで短い。こんな短い時間の中で僕たちは犠牲をひとり決め……あるいは犠牲を回避するために……。いけない。そんなことは、決して許してはならない。どうすればいい。どうすればコロシアイを回避できる……。誰も死なせないためには……みんなが生き延びるためには……!

 

 「イント!そう心配するな!」

 

 どん、と背中を力強く叩かれた。カルロス君だ。既に一度命の危険を経験しているというのに、彼は朗らかに僕を励ましてくれる。

 

 「オレの一票はイントに入れるよ!イントがいなくちゃ、オレは今ここにいないからね!」

 

 数人が残るも重苦しい空気が漂う体育館で、彼の笑顔はとても眩しく映った。周りを見ると、みんなが僕たちを見ていた。その目に映る色は、不安だ。たった一票、誰かが自分以外の誰かに入れることが確定した。つまり、自分が最低得票者になるリスクが高まったことになる。そこまではっきりとした不安ではないかも知れない。それでも、漠然とした不安感は泥水のように肌に不快な感触をこびり付かせる。

 それは……それだけはダメだ。

 

 「み、みんな……!」

 

 僕は、やっとの思いで口を開いた。

 

 「お願いが……あるんだ」

 

 もうそれしか方法はない。やるしか……ないんだ。

 


 

 遂にモノクマは強硬手段に出た。予想していたことではありますが、僕が思っていたよりも早い。ここに来て数日、外部から助けが来る気配はありません。モノクマが阻んでいるのであれば、その対応に追われながら僕たちを監視してコロシアイをさせるのは相当にコストがかかることでしょう。ただでさえ希望ヶ峰学園を乗っ取っていて、食糧などの供給もしているわけですから。つまり、モノクマはこのコロシアイに時間をかけたがらないはずです。だから24時間という時間制限を設けたのでしょう。

 だとすれば、なぜはじめから動機を与えなかったのでしょう。初日から何らかの動機があれば、既にコロシアイが起きていた可能性はあります。それをしなかったのは、僕たちにここでの生活をある程度送らせたかったから?何の為に?

 

 「ふぅ……」

 

 まだまだ情報が足りません。この建物の中はかなり調べましたが、ろくな情報はありません。本当に希望ヶ峰学園なのか、それすらも確定的なことは言えない状況です。まとまらない考えを文字に起こせば、少しは頭の中を整理できるかと思いましたが、散らかった頭の中が散らかったまま出力されただけでした。

 ペンを置き、そっと本を閉じる。ここに来てから何らかの記録になればと日記を付けるようにしていますが、今のところモノクマに関して分かることはほとんどありません。代わりに書くことと言えば、ともに閉じ込められた彼らのことばかり。少しともに過ごすことで、いくらか言葉を交わすことで、何人か目に留まる人はいました。

 

 「……」

 

 備え付けの糊付き付箋を剥がして、僕なりの観察結果を書いては壁に貼り付けていく。まずは既にグループを作り味方を増やす強かな者。月浦と陽面ははじめから知り合いだったのでしょう。共依存というヤツでしょうか。個人としての力はないものの、この状況で絶対的な味方がいるのは大きい。それに、甲斐と湖藤。甲斐が湖藤をケアするという名目で常に一緒にいます。殺す機会をうかがっているのか、あるいは目撃者を確保して身を守るためでしょうか。

 得体の知れない者もいくらかいます。事前に同級生については下調べをしましたが、詳細がよく分からない者もいました。特にあの狐はいったい……。

 そして、何かを隠している者。互いに初対面で隠し事くらいするものでしょうが、人付き合いのためのそれとは明らかに違う。知られてはまずいことを隠している、ぎこちなく不自然な振る舞い。庵野も怪しいですが……最も警戒すべきは、益玉。彼はいったい、何を知っているのでしょうか?なぜ知っているのでしょうか?もしかしたら彼は僕の才能を……?

 

 「いや」

 

 やめましょう。僕としたことが、少し焦っているようです。情報も足りないのに憶測だけを加速させても考えを凝り固まらせるだけ。こんなことをするくらいなら、この5票を誰かに()()ことを考えましょう。

 5票集まれば、まず最低得票者は避けることができる。いったい何人がこのことに辿り着いているか……一応理刈によって投票は差し止められていますが、律儀にそれを守っている人がいるのでしょうか。投票ひとつとっても、互いを疑うタネはいくらでもあります。加えて、おそらく各個室に備え付けられている凶器。男子は工具セット、女子には人体の急所マップと針。これを凶器にするもよし、脅迫材料にするもよし……早々にこれを開封している軽率なヤツがひとりでもいればやりやすいのですが。

 部屋で考えていても事態は動きません。ひとまず、人目を避けて票を交換する相手を探しに行くとしましょう。狙い目は自然には票が集まりそうにないヤツ……何人か心当たりがいます。食堂にでも行ってみますか。

 


 

 モノクマも随分とややこしいモンを寄越しやがったもんだ。直接犠牲者を選ぶんじゃなくて、選ばれなかったヤツが犠牲になるなんて、性根が腐ってやがる。これじゃあ(アタシ)らには打つ手がないじゃないか。あんまし小難しいことを考えるのは苦手だ。ともかく、まずは誰に投票するかを考えるか……。

 

 「……ちっ」

 

 益玉のヤツはなに考えてやがんだ。根性のあるヤツだと思ってたけど、あれはやり過ぎだ。そんな寝覚めの悪いこと……なんでそこまで言えるんだ。

 モノクマから動機を寄越された(アタシ)は何をどうすればいいか分からなくて、少し体育館に留まってた。そしたら益玉がいきなりデケえ声だして、(アタシ)らに頼み事をしてきた。このコロシアイの動機、“生存投票”で(アタシ)らがどうするべきか。あんなこと言われちまったら、もう(アタシ)らに選択肢はない。

 

 「あ」

 

 乱暴に頭をかいて部屋の中を歩き回る。いらいらしてるわけじゃないけど、動いてないと落ち着かない。やり切れない感情が内側から(アタシ)の体を操ってるみたいだ。その拍子に、テーブルの上に置いといた焼却炉のカードキーが落ちた。そういえば、今日は(アタシ)がゴミ当番か。どうせやることもないし、火を見てたら気が紛れるかも知れない。(アタシ)はそれを拾って、地下のゴミ捨て場に向かった。

 部屋からゴミ捨て場に行くまでの間、見事に誰ともすれ違わなかった。みんな部屋にこもってんのか、それともたまたまか。ゴミ捨て場にもどうせ誰もいないだろうと思ってたけど、ドアを開けると人がいた。青い髪に丸っこい背中、宿楽だ。

 

 「よう。こんなとこで何してんだい」

 「あっ、岩鈴さん。いや別に……ちょっと」

 

 何気なく声をかけたつもりなのに、なんだか宿楽はコソコソゴミ捨て場の隅を見つめてた。いつもだったらこんなはっきりしない態度は背中をぶっ叩いて治してやるところだけど、今はそんなことしてる場合じゃない。人を元気付けられるほど、今の(アタシ)には余裕がない。

 カードキーで焼却炉のシャッターを開けて、火を点けて、ゴミ捨て場に堆く積もったゴミ袋を放り込む。それだけのことだけど、そう簡単な仕事でもないらしい。モノクマが言うには、燃えないゴミを放り込むと底に溜まって焼却炉がイカレちまうらしい。だから分別はしっかりしなくちゃいけないのに、細かいプラスチックはまだしも、電池とか金属を可燃ゴミで出すバカ野郎がいる。誰だ、ったく。

 

 「あ〜、めんどくせえ」

 

 適当なゴミ袋を広げて、明らかに分別できてないものはトングで弾いていく。心底めんどくさいけど、今はこの面倒な仕事がちょうどよく気を紛らわせてくれる。それにしたって分別のできなさがひどい。特に狭山は全部同じ袋に入れて出しやがる。なんで狭山か分かるかっていうと、あいつの毛が混じってるからだ。

 

 「あっ、いた。宿楽さん」

 

 ゴミの分別に集中してると、背後から声がした。甲斐だ。どうやら宿楽を探してたみたいだ。用件は……だいたい分かる。本当なら(アタシ)だって、こんなことしてないで、宿楽に言うべきことがある。けどまだ、(アタシ)の中では整理がついてない。自分でも納得いってないようなことを人に頼むなんて、(アタシ)にはできなかった。

 

 「こんなとこで何してるの?岩鈴さんのお手伝い?」

 「ああ、甲斐さん。そういうわけじゃなくて……なんというか、ワタシなりにみんなの力になろうとしてるところ、かな?」

 「ふ〜ん?そうなんだ。宿楽さんも、この状況をなんとかしようと頑張ってるんだ」

 「そ、そんな大したことじゃないよ……ワタシ、別にみんなみたいにすごいことができるわけじゃないし、せめて地道に手掛かりを集めるくらいはしないとと思って」

 

 目と手は広げたゴミの分別を続けながら、耳だけで宿楽と甲斐の会話を聞く。というか、反響して聞こえてくる。照れくさそうな宿楽に対して、甲斐の返事はどこか上の空だ。これから伝えようとしてることばかり考えて、それどころじゃないんだ。

 

 「……あ、あのね。実は私、宿楽さんのこと探してて……ちょっと、お願いっていうか、相談っていうか」

 「相談?ワタシに?」

 「あの……動機のことなんだけど」

 

 やっぱりそうか。遠回しに話す甲斐の態度にやきもきしながらも、自分がそれ以前の問題なのは分かってる。だから(アタシ)は口を挟まないで、ただ横でそれを聞くのに徹することにした。

 

 「ど、動機?なに……?」

 「実は、動機が発表されてみんなが帰っちゃった後に、そのとき残ってた人に向けて益玉君がお願いしたことがあってね」

 「お願い?自分に投票して〜、とか?」

 「……ううん。そうじゃなくて」

 

 甲斐が息苦しそうに深呼吸をする。つっかえていたものを吐き出すように、言葉を続けた。

 

 「益玉君が、自分には()()()()()()()()って」

 「……うん?」

 「自分が最低得票者になるように、手分けしてみんなに声をかけてって……言ってたの」

 「な、なにそれ?最低得票者って……モノクマに殺されちゃうってことじゃないの?益玉さん、そんなこと言ってたの?」

 「……」

 

 甲斐は無言で頷いた。宿楽が納得しないのも当然だ。(アタシ)だって納得してない。コロシアイなんてバカみたいなマネするわけにもいかないけど、だからって自分から犠牲になろうなんて思わない。モノクマに直接抵抗できなくても、自分から自分の命を諦めるようなことはしたくない。それどころか、それを人に協力してもらうように頼むなんて。

 

 「このままじゃ……みんなが不安で疑心暗鬼になっちゃう。そうやってみんなの繋がりをめちゃくちゃにするのがモノクマの狙いだから、自分を最低得票者に確定させることで、余計な諍いをさせないようにしたいって」

 「いや……言ってることは、なんとなく分かるけど……。だからって、なんで益玉さんが?カルロスさんを助けてくれたり、モノクマに一番に立ち向かって行ったり、意外と頼りになる人じゃん!益玉さんがいなくなることないよ!」

 「もし益玉君を助けても、他の誰かが必ず犠牲になるんだよ。それはもしかしたら私かも知れないし、宿楽さん自身かも知れない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、っていう状況が、モノクマが私たちに仕掛けた殺人の動機なんだよ」

 「それでも……そんな、益玉さんを見殺しにするみたいなこと……」

 

 説得する甲斐だって、益玉の言ったことをすっかり受け入れてるわけじゃない。それでも、お互いに疑いあって和が乱れる今の状況を打破するために必要だと頭では理解して、益玉の頼みをきいてるんだ。

 

 「岩鈴さん!聞こえてたでしょ!」

 「……ああ」

 「そんなの納得できないよね!岩鈴さんからもなんか言ってよ」

 「(アタシ)は体育館で益玉から直接頼まれたよ。あんたに話してなかったのは、(アタシ)自身がその提案に納得しきれてないからだ」

 「だったら……!」

 「ただ、そんなこと生半可な覚悟で、ましてや冗談で言えることじゃないよ。あんときの益玉の眼は、本気(ガチ)で覚悟を決めた人間の眼だ。迷ってる人間の眼じゃなかった」

 

 (アタシ)に言えるのはそれくらいだ。宿楽に益玉の頼みをきけとも無視しろとも言えない。あいつの覚悟を伝えることしか、(アタシ)にはできなかった。情けない。目が覚めたばかりのあいつにしゃんとしろなんて発破かけといて、(アタシ)より益玉の方がよっぽど肝が座ってる。益玉に合わせる顔がない。

 

 「それじゃ……伝えたから。私は他の人にもお願いしに行くから……じゃあ、ね」

 

 重苦しい空気の中で、甲斐は絞り出すようにそう言った。こんなところまで宿楽を探しに来たってことは、もうずいぶんあちこちを駆け回ったんだと思う。甲斐だってこんな頼みをして回るのはしんどいだろうに、気丈なヤツだ。(アタシ)もいい加減、覚悟を決めないといけないかもしれない。

 


 

 「アホですかあなた?」

 

 ストレートに罵倒されてしまった。今まで見た尾田君の表情の中で一番の呆れ顔だ。だけどそんなことは構わない。罵られようと叩かれようと、こうするしかないんだ。こうするべきなんだ。

 尾田君の表情は呆れ顔から訝しげな顔にシームレスに移行し、僕の目をしっかり捉えて逃がさない。隣にいた虎ノ森君も困惑したような、驚いたような顔をしていた。

 

 「何か考えがあって言ってるんでしょうけど、悪手としか言いようがないですよ」

 「そんなんじゃないよ……。ぼ、僕は……みんなが疑心暗鬼にならないように言ってるだけなんだ」

 「……なぜですか?」

 

 夕食の席で、僕と尾田君がみんなの視線を集めている。僕がしたお願いはほとんどの人に伝わってたけど、念のためもう一度全員に向けてお願いをした。そのときが初耳だった人もいたみたいだけど、声を上げたのは尾田君だけだった。

 

 「なぜあなたは、そんなにも死にたがるんです?」

 「……み、みんなが、死ぬより……マシ、だから」

 

 これは恐怖だろうか。それとも緊張か。声が震えて上ずった。けど、この言葉に嘘はない。みんなが目の前でモノクマに殺されるくらいなら、僕は自分を犠牲にしてみんなを守る。だから僕は……。

 

 「理解不能です。あなたは他人のために死ねるかも知れませんが、他人はあなたのために死んでくれませんよ。リスクとリターンが釣り合っていません」

 「君には……きっと理解できないと思ってたよ。それでもいい。理解できなくたって、僕に投票する理由はないんだから」

 「さあ、どうでしょうね。あなた程度の人間が、僕の行動を予測できると考えていることが不愉快です。意味なく逆らうかも知れませんね」

 「そのせいで……自分が死ぬことになっても?」

 

 言葉が止まった。尾田君が一瞬目を泳がせる。口を固く結んでいる。何か言いたくないことがあるサインだ。それとも、言えないことなのか。

 

 「気分を悪くしたなら、ごめん。だけど僕の頼みを否定するなら、敢えて僕に投票することだって君にとっては大いにリスクだ。君のことだからきっと票を───」

 「分かりました」

 

 それは、明確な拒絶だった。それ以上言うな、と尾田君に言葉を阻まれた。やっぱり、彼はこの動機を乗り切る手段を実行していたみたいだ。それに伴うリスクがある限り、僕の頼みをきく方が彼にとっても好都合のはずだ。

 

 「話はまとまったか?それならさっさと夕食にしてくれ。はぐが待ちきれないんだ」

 「ぐーぺこ……」

 「あなたたち……益玉さんは私たちのために言ってるのよ。それをそんな……」

 「それが分かってるなら、その先の言葉も慎むべきだ。そうだろう?」

 

 やっぱりというか、案の定、月浦君は僕の意図を都合のいいように解釈している。僕は別にみんなが疑心暗鬼になってコロシアイに発展することがないようにしたんであって、些細なぶつかり合いまでもなくしたいわけじゃない。そこまで徹底して波風を立てないようにすると、行き場のないフラストレーションが水面下でどう変化するか分からない。

 

 「まあ……言いたいことは言えばいいんじゃないかな。僕は気にしないから」

 

 うぅん、なんだかうまく言えなかった。僕が気にする気にしないの問題じゃないような。それでもこれ以上言葉を続けることはできなくて、僕は自分の席に戻って、谷倉さんが作ってくれた晩ご飯をみんなと食べ始めた。みんなで食べる晩ご飯は、ここ数日は会話が生まれて賑やかだったけれど、今日は張り詰めた空気のせいで静まり返っていた。食器同士の触れ合う音ばかりが食堂に響いて、なんとも重苦しい雰囲気の食事は終わった。

 これでよかったんだ。この場は僕が犠牲になれば丸く収まる。モノクマのことだからその先も何か仕掛けてくるだろう。それでも、他の誰かを犠牲にしてまでそれを見届ける意味はない。僕は、僕にできる最大限のことをするだけだ。

 そして、モノクマが動機を提示してからの24時間は、呆気ないほど何事もなく経過した。

 


 

 「結果発表ォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 

 体育館にモノクマの声がこだまする。舞台の上からするするとスクリーンが降りてきて、プロジェクターから投じられた映像が広がっていく。みんなの顔と名前が二段に並んでいた。こんなものまで用意していたのか。結果なんて分かりきってるのに。

 

 「というわけでオマエラ全員、時間までに5票投じきったね!さすがにこんなところでむざむざ殺されるヤツはいなかったか!コロシアイも起きてないし」

 「いいから早くしろよ」

 「うぷぷ♬そうですね。そんじゃあ、オマエラの中で一番、誰からも生きていてほしいと思われなかったのが誰なのか、結果を見ていきましょう!」

 

 芭串君に促されて、モノクマは敢えてそんな言い方をする。大丈夫だ。この投票結果はそんな意味を持たない。モノクマが合図をすると、映像は次の段階に進んだ。全員が持つ100票が各自に分配されていく。僕のお願いは僕を最低得票者にしてほしいということ。つまり僕以外の全員が1票は投じられていることだ。僕の票はなるべく得票数が少なそうな人に入れたけど……。

 

 「それではァ〜〜〜!結果!こうなりました!」

 

 ピロピロと軽薄な音が流れて、僕たちの顔の上の目盛りが黄色く染まっていく。思いのほか票は割れて、突出して高い人はいてもお情けの1票だけという人もいない。どうやら僕以外にも、全員の票を均そうと考えた人が何人かいたみたいだ。そして、結果が出る。

 

 「はい!こうなりました!というわけで残念ながらみんなに最も死んでも構わないと思われているのは……益玉韻兎クンでした!可哀想にねえ〜!」

 

 画面いっぱいに僕の顔が映し出される。もし僕以外の誰かがここに映っていたら、その人はどんな気持ちだっただろう。現実味を帯びた死が背後に立つ恐怖。逃げられない自分の運命を呪う悔しさ。でも、よかった。それは今、僕の感情だから。

 

 「ま、益玉君……!」

 「いまさら恨まないでくださいよ」

 「うん。みんな、ありがとう」

 「というわけで益玉クンにはみんなの総意として、モノトキシンをブチ込んであげちゃいます!」

 

 ぷしゅっ、と音がした。僕の首元からだ。鋭い痛みと冷たい感覚。すぐに焼けるような熱さに変わる。明らかに有害な物質が血液に乗って全身に巡るのが分かる。首が、胸が、指先が、全身が毒に冒されて激痛が走る。

 

 「うっ……!!ぐあっ……!!あああッ……!!」

 

 痛い。痛くて、熱くて、苦しく、おかしくなりそうだ。生きることを諦めたくなるような、この苦しみから解放されるならなにをされてもいいと思えるほど、最悪な気分だ。もはや自分が立っているのか倒れているのか、目を開けているのか閉じているのか、激痛に断末魔をあげているのか窒息して声も出せないのか、なにひとつ分からない。

 

 「うぷぷぷぷ!うぷぷぷぷぷ!あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」

 

 モノクマの高笑いが耳から脳へ潜り込む。がらんどうになった頭蓋骨の中でその哄笑が反響して意識を掻き乱す。噴き出す汗。溢れ出す涙。吐き出す唾。体のありとあらゆる防御反応が、打ち込まれた毒を排除しようと暴走する。どれくらい時間が経っただろう。ほんの数秒か、あるいは数時間か。ボクの意識は限界を迎え、ふっと途切れた。

 


 

 体に針金が通されたようだ。動かす度に全身を冷たく鋭い痛みが襲う。いつの間にか僕はベッドの中にいた。肌触りが心地良かったシーツすら今はサボテンのように感じる。目だけを動かして近くの様子を探る。この場所は見覚えがある。保健室だ。

 

 「あっ!起きた!起きたよ!」

 

 耳元で底抜けに明るい声がした。寝起きでまだ朦朧としていた意識を吹き飛ばすような声だ。陽面さんか。ということは近くに月浦君がいるな。この二人が僕の看病を進んでするとは思えないから、他にも誰かいるんだろう。

 

 「益玉君!だ、大丈夫……なわけないか……」

 「モノクマの説明通りならまだ死ぬわけではありませんが……倒れられたときは肝を冷やしました。目が覚めてよかったです」

 

 他にいたのは、甲斐さんと庵野君だ。少し離れたところに見える金髪は、きっと湖藤君だろう。そうか。僕は体育館でモノクマに毒を打たれて、気を失ったのか。まだ全身に痛みが走るけど、あのときに比べたらいくらかマシだ。

 

 「ごめんね、益玉君……ごめん……」

 「どうして甲斐さんが謝るの……?これは……僕がお願いしたことだ。これでいいんだ……」

 「くっ……!益玉君。あなたのその愛、しかとこの胸に刻みました……!あなたこそ、真に愛深き人です……!」

 「目が覚めたんなら僕とはぐは失礼する。はぐ、行くよ」

 「あっ、待ってよちぐ〜!じゃあみんな、またね!益玉さんも元気で!」

 

 きっと他意はないんだろう。場違いなほど屈託のない笑顔で言われると、皮肉めいた言葉もそのままの意味で受け取らざるを得ない。月浦君ならまだしも、陽面さんはそんな皮肉を言う性格でもないわけだし。

 

 「益玉くん。簡単に、君が気を失ってから今までのことを説明させてね」

 

 入れ替わりで近付いてきた湖藤君が、僕の記憶がない間に起きたことを説明してくれた。体育館で僕が気を失った後、カルロス君が僕を保健室まで運んでくれたそうだ。僕に協力したことに責任を感じた甲斐さんが手当を申し出て、甲斐さんが心配で湖藤君が、もしもの場合に備えて庵野君が、興味本位で陽面さんと付き添いで月浦君が保健室に残って、後の人たちは食堂に集合しているらしい。

 

 「モノクマが言うにはモノトキシンは……三日三晩、その……痛みが続くらしいから、交代で看病をしようっていう話にもなった。その当番を決めてる頃だと思うよ」

 「そっか……ありがとう」

 「それから、なんとかして解毒する方法を探してもいる。モノクマが作った毒だし、薬に詳しい“才能”の人もいないけど……できる限りのことはするよ」

 「そうなんだ……。湖藤君ならなんでも知ってそうだけど」

 「買い被りすぎだよ。僕はただの古物商なんだから」

 「あと薬に詳しそうなのは……尾田君とか、菊島君とかかな……」

 

 なんだか痛みとだるさのせいか、頭が上手く働かない。脳がそのまま口を動かしているみたいだ。頭の中で考えたことがそのまま声に乗って出て行ってしまう。言わなくていいことを言ってしまった。

 

 「ともかく目が覚めて良かったです。しかし……これからどうすれば……」

 「益玉くんを助ける方法を探すんだ。このままぼくたちが何もしなければ、彼のしたことが無駄になる」

 「苦しいかも知れないけれど、頑張ってね益玉君!私が必ず……必ず助けてあげるから!」

 「う、うん……ありがとう、甲斐さん」

 

 正直、手を握られるだけでもかなりしんどい。彼女の純粋な気持ちを傷付けたくなくて、なんとか表情には出さないように堪えた。その後は庵野君を残して甲斐さんと湖藤君は食堂のみんなと合流し、僕は彼と交わす言葉もなく、体力を温存するためもう一度眠ることにした。死に至る毒に冒されているというのに、眠りに落ちる心は穏やかなものだった。

 


 

 今日の晩ご飯中の雰囲気は、昨日のそれとは全然違った。どことなく張り詰めた息苦しい空気が支配していた昨日と打って変わって、今日はなんとなく安心したような空気に満たされていた。だけど同時に、誰も何も言えない重苦しさもあった。きっとみんな、益玉君のことを気にしてるんだ。

 

 「甲斐様?進んでおりませんが……お口に合いませんでしたでしょうか?」

 「えっ。あっ、ち、違うよ!美味しいよ!……はぁ」

 「谷倉さん、甲斐さんは益玉君のことが心配なんだ。責任を感じちゃってるだけだよ」

 「左様でございますか。お優しいのは甲斐様の美点でいらっしゃいますが、あまり気を病まれませんように。まずはしっかりご飯を召し上がって、ご自愛なさることです」

 「うん、ありがとう。谷倉さん」

 

 お茶を注ぎに来た谷倉さんに心配されてしまった。だけど、やっぱり益玉君のことは気懸かりだ。少し会話しただけだけど、そこまで気が滅入ってるわけじゃなさそうだった。案外気丈な人なんだ。だけど、気を失ってたときに呟いていた譫言はいったいなんだったんだろう。

 

 「みんな、聞いて頂戴」

 

 おおよそ全員が食べおわる頃に、理刈さんが前に立って呼びかけた。ホワイトボードには今日の議題が書いてあった。益玉君の看病係と、解毒の方法を探ること。

 

 「タイムリミットは3日後。それまでに可能な限り益玉君の体から毒を取り除く方法を探るのよ。私たち全員を生かすために犠牲になろうとしている彼を、そのまま見過ごしておけないわ」

 「そうだ!みんなイントのために頑張ろう!何かアイデアがある人はいつでも言ってくれ!オレはなんでもするぞ!」

 「彼を解毒するだけなら簡単な方法がありますが……それでは本末転倒ですしね」

 「また尾田くんはそういうこと言う……」

 「いえ、分かりませんよ。なぜ彼が敢えて自分から死に急ぐようなマネをしたのか、未だにその理由が不明です。進んで毒に冒されることによって、コロシアイをさせようとしている可能性も……0ではありません」

 「何を言ってるんだ。それで自分が死んだら元も子もないじゃないか」

 「どうも彼は死を恐れていないような節があります。カルロス君の一件といい今回といい。彼が生まれつきそういう人間だとしても納得しかねます」

 「なんでもいいのでは?結局のところ、拙僧たちはこうして満足に生きています。今は益玉殿が(コン)生に留まれるか否か、でしょう」

 

 いつも尾田君はみんなを不安にさせるようなことを言う。だけど、彼の懸念も少しは分かる。カルロス君がモノクマに殺されかけたときも、自分が最低得票者になるようにお願いしたときも、なんだか……益玉君は、自分の生き死にとは違うところを見ているような。まるで益玉君自身の命を軽んじてるような、そんな気がする。

 

 「それから、夜中にも常に誰かが益玉君を付きっきりで看病してあげなくちゃいけないわ。ゴミ当番と同じように、谷倉さんと……狭山さんは除いてローテーションを組みましょう」

 「ローテーションっていうか、3人決めればいいだろ。どうせそれ以上は必要ないんだ」

 「え〜?ちぐ、なんで〜?」

 「遅くても3日後には結果が出るからだよ。僕らが益玉を救えるか救えないか。あるいは……」

 「と・も・か・く!」

 

 机の下から語りかけるような月浦君の負のオーラをまとった発言を吹き飛ばすように、理刈さんは力強く遮った。

 

 「まずは直近の課題として、今日の看病を誰がするかを決めるわよ」

 「それなら、私がやるよ。看病ならよくやってたし」

 「女子ひとりで大丈夫なのか?益玉が死を回避するために甲斐を襲う可能性はないか?」

 「イントに限ってそんなことがあるか!だけど、夜中にひとりぼっちはマツリちゃんが可哀想だ。オレが一晩中話し相手になってあげよう!」

 「大丈夫だよ。慣れっこだから。それに今の益玉君じゃ私を襲うどころか、寝返りもまともにうてないよ」

 

 いつも怖いことを言う人ばかりじゃなくて、毛利さんも益玉君をいまいち信じ切れてないみたいだった。益玉君の行動が不可解なのはそうだけど、そんなことは後で本人からいくらでも聞ける。今はとにかく、彼の命を救うことが大事だ。

 

 「それじゃあ今日は甲斐さんにお願いして、みんなは早めに寝ること。くれぐれも変な気を起こさないように。益玉君が進んで最低得票者になってくれたおかげで、あんな投票は何の意味も持たなくなったの。そこを忘れないように」

 

 最後に理刈さんが全体に釘を刺して、夕食会は解散となった。みんなの前で喋ったせいか、益玉君の危機的な状況に緊張しているのか、異様に喉が渇いた。まずは喉を潤してから、夜通し看病のための準備をしよう。確か冷蔵庫にミネラルウォーターがたくさん冷えてたはずだ。

 

 「ん?」

 

 なんか、厨房に気配を感じるような。モノクマでもいるのかな。こそこそするなんてらしくないの。ともかくあんなのに構ってる暇はない。ちょっと行儀が悪いけど直接飲んじゃえ。適当に手前に置いてあったボトルを取って一口あおった。

 

 「あっ、おいそれ──」

 「ふぇ」

 

 声がした。やっぱり誰かいたみたいだ。誰だろう。声の方に振り向こうとして…………振り向けなかった。意識がそこでぶっつり途切れた。

 


 

 痛い

 

 痛い 痛い 痛い痛い痛いいたいいたいっ!!!いたい…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴッ

 

 

 

 

 


 

 頭が痛い。縫い付けられたみたいに瞼が重い。体も動かない。空気にのし掛かられてるみたいだ。ここどこだろう。ベッド?私の部屋?なんで私、ベッドに寝てるんだろ。今って夜?朝?あれ……私、益玉君の看病するんじゃなかったっけ……?

 

 「えう」

 

 時計は5時半の少し前を指していた。朝には少し早いけどもう夜が終わる時間だ。寝返りを打った勢いで起き上がる。脳が転がって痛みと不快感がいっそう増した。なんでこんなところに……?私は寝てる場合じゃないのに。益玉君の様子見てこないと。

 立ち上がろうとして、脚がもつれた。くらくらして真っ直ぐ立てない。壁に手を付きながら、なんとか歩いて部屋を出た。廊下の空気は、しんと張り詰めていた。

 なんでこんなに体が重いんだろう。なんでこんなに頭が痛いんだろう。なんでこんなに気持ち悪いんだろう。私の体が私の体じゃないみたい。真っ直ぐ歩けないし自分の熱い吐息が不愉快だ。いつもならあっという間の保健室までの道のりが、ひどく長く感じる。

 

 「はぁ……うあぅ……はぁ……」

 

 えずきそうになるのをなんとか抑え込もうとして、代わりに生あくびが出る。風邪でも引いたのかな。体調なんて崩してる場合じゃないのに、自分に鞭打って一心不乱に保健室に向かう。早くしないと。益玉君が待ってる。

 あ。氷枕忘れた。後で持って来ないと。あれ。保健室のドア開いてる。なんでだろ。え……?なにこの臭い?私、まだ寝ぼけてるのかな。気持ち悪い。鼻にこびり付くような……鉄と酸の臭い。

 

 なんで?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで保健室でこんな臭いがするの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで床が真っ赤になってるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで……ベッドの上の益玉君が血まみれなの?

 

 

 

 「え……?ま、益玉君……!?」

 

 

 

 駆け寄ろうとした脚が何かに躓く。

 

 

 冷たくて重たい、不気味な感触。

 

 

 益玉君が心配なのに、今すぐ益玉君に駆け寄りたいのに、それを無視できなくて足下を見た。

 

 白くてきれいな肌から血の気が引いて、ぐったりとした体が床に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「み……さわ、さん……?」

 

 私の足下で、三沢さんが頭から流した血で床を染めていた。




今作は日常編を少し短めにしてみることにしました。中だるみ防止という意味と、伏線を仕込む回を明確にすることで執筆に緊張感を持たせるためです。同じことを違う言い方で二度言ってしまいました。
というわけで前話は伏線てんこ盛りだったんですが、どれくらいあったんでしょうね。いつ回収されるものなんでしょうね。こりゃあ何度も読み直して検証するより他にないですね。ね。


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非日常編

 

 冷たい臭い。鉄と脂の混じった、血の臭い。

 

 形を持たないはずなのに。色も、臭いも、質量もないはずなのに、確かに感じる“死”の気配。

 

 目に映る光景が、鼻にまとわりつく臭いが、あらゆるものが静止した静けさが、その現実をつらく突きつける。

 

 信じたくない想いが恐怖と混乱に踏み潰されて立ち消える。信じようと信じまいと、これは抗いようのない事実だ。耳の奥で誰かがそう叫ぶ気がした。

 

 「……ぁ

 

 静寂が破られた。陣幕に針を刺したような、小さく弱々しい空気の震えだ。だが、確かにそれは存在していた。

 

 「あぁ……!」

 

 カタカタと震えるぎこちない動き。糸で吊られたような不自然な動き。なんと形容するのが適当か、およそ人間らしからぬその動作は、鮮烈な現実の中で場違いなほど非現実的だった。

 血に濡れてべったりと皮膚にはりついた髪が、剥がれ崩れていく。でたらめな方向に折れて歪にゆがんだ指と腕が伸びる。吸い込まれそうな伽藍堂の眼窩で見つめられた。

 

 「……ぁぅ、て……!ぁ……す、げ……え……!」

 


 

 「益玉君っ!!」

 「うおっ!?」

 

 口が勝手に動いた。体が自然と跳びはねた。伸ばした手の先には何もない。ただ消えつつある私の叫びだけが耳元を掠めていった。胸と背中に、汗の染みた服が張り付く嫌な感じがした。背中が痛い。もしかして私、また寝ちゃってた?

 

 「あ……れ……?ここは……?」

 「やっと起きたね、甲斐さん」

 「こ、湖藤君……?」

 

 床に座り込んだ私を、湖藤君が近付いてきて見下ろした。辺りを見回すとみんながいる。そこでやっと、ここは体育館だということに気付いた。

 

 「な、なんでみんな……私、えっと……なんでここに?」

 「おい、大丈夫かよ?」

 「岩鈴さん……あ、ご、ごめんなさい」

 

 混乱する私の肩を、私の後ろに座っていた岩鈴さんが揺らす。どうやら私は、岩鈴さんの膝枕で寝てたみたい。まただ。なんで私、いつの間にか寝ちゃってたんだろ。だって、私は確か自分の部屋で起きて保健室に向かって……そこで……!

 

 「……っ!そ、そうだ!益玉君!益玉君は!?それと……三沢さん!二人は……!?」

 

 私の質問に答える人はいない。みんな俯いて床を見つめるか、目を閉じて目を合わせないようにしている。その顔はどれも、不安と恐怖、そして困惑の表情だった。その異様な状況が私の脳を一層掻き乱す。そんな馬鹿なことがあるはずがない。いじわるな冗談に決まってる。そんなこと……あり得ない……。

 

 「甲斐さん、落ち着いて。益玉君と三沢さんは……亡くなっていたよ」

 

 湖藤君の言葉が冷たい水のように私の体を凍えさせた。一瞬で心臓から指先までの温度が奪われる感覚。今この場に二人がいないという事実。どうしようもなく暴力的で、残酷なほど分かりやすい現実だ。

 

 「な……なん、で……?そんな……!なんでよ!!」

 「落ち着けオイ!デケえ声出したってどうしようもないんだよ!」

 「でも……!み、みんななんでこんなところに集まってるの!早く二人のところに行かないと!まだ助かるかも知れないのに……!」

 「モノクマだ」

 「え……?」

 

 顔も視線も舞台を睨めつけたまま、毛利さんが答えた。

 

 「ヤツがここに集合するようにアナウンスをした。私たちだってヤツの気紛れに付き合っている場合じゃないのは分かっているが……そうもいかないだろう」

 「……?」

 

 こんなときに、モノクマがなんだっていうの。モノクマが呼んでようが関係ない。益玉君と三沢さんを助けられるのは私しかいない。だから……!

 

 「スト〜〜〜〜〜〜〜〜ップ!!勝手な行動は許さないよ!!まずはボクの話を聞け〜〜〜ィ!!」

 

 体育館から出ようとする私を呼び止めるように、モノクマが大声をあげて飛び出した。みんなの視線が一斉にモノクマに注がれる。構わず出口に向かう私の前に、カルロス君が立ち塞がった。

 

 「マツリちゃん。お願いだから、今はモノクマの言う通りにしてくれ」

 

 その顔は、今まで見たことないくらい真剣だった。モノクマの言葉が冗談じゃないと身を以て知ってる彼だからこそ、本気で私を止めていた。それでも私はこんなところにいたくない。モノクマに付き合ってる場合じゃない。そして、それがここにいる全員同じ気持ちだっていうことに気付いた。

 

 「……ごめん」

 「分かってくれたみたいだね。よしよし。まったく、昨日の晩といい今朝といいぶっ倒れるし、甲斐さんはここんとこテンションの上がり下がりが激しいよ?血圧ガタガタだよ?」

 

 挑発めいたモノクマの言葉はスルーして、ただ睨み付けてやった。私たちを集めたっていうことは、何か用事があるってことだ。益玉君と三沢さんがあんなことになったタイミングでの呼び出し。一体これから、何を始めるつもりなんだ。

 

 「え〜、それでは改めて。オマエラ!おはようございます!」

 「ふざけてないで、早く用事を済ませてください」

 「ちぇっ、冷たいの。でもま、今日のボクは気分が良いから許してあげます!うぷぷぷぷ!遂に起きましたね!コロシアイ!ボクは嬉しいよ!」

 「コロシアイ……だと……!?」

 「そうだよ。オマエラも見たでしょ?益玉君と三沢さんの死体を!オマエラもやればできるんだね。思ったより早く行動してくれてボクは嬉しいよ」

 「ざっけんな!何がコロシアイだ!」

 「およ?」

 

 二人が死んだ。改めてモノクマの口から聞かされると、それがひどく冷たくて無機質に聞こえる。命を命と思わないような、無邪気で邪悪な響き。圧倒的な悪意を前にしたとき、人はただ怯えて萎縮するか、それとも声をあげるかだ。今の岩鈴さんのように。

 

 「アンタが益玉と三沢を殺したんだろ!とうとうやりやがったなこの野郎!」

 「いやだなあ、そんなわけないでしょ。ボクはオマエラにコロシアイをしてほしくてこういうことをしてるの。自分で()ったら意味ないじゃーん」

 「信じられるか!」

 「あっそう?じゃあ試してみる?ひとつ言っておくけどさ」

 

 モノクマの目がぎらりと光った。

 

 「ボクがその気になれば、今すぐオマエラ全員を殺せるんだよ?」

 

 首元に感じる重たい金属の感触。すっかり慣れていたはずのその感覚を改めて思い出した。私たちは常に死と隣り合わせなんだと。

 

 「だからボクが手を下すのは最後の最後。つまり今回起きたのはただの殺人。そう、オマエラの中の誰かが、あの二人を殺したんだよ!」

 「そんな……!ば、馬鹿なこと……!」

 「馬鹿でもアルパカでもありませーん!それが事実!そして真実!オマエラにはこれからその現実と嫌でも向き合ってもらうよ!」

 「……どういうこと?」

 「校則に書いてあったでしょ?誰かを殺した“クロ”は誰にもバレてはいけないって!」

 「バレてねえから、こうやって集まってんじゃねえのかい?」

 「うぷぷ♬それじゃあツマラナイでしょ。今回の殺人において、クロは本当に誰にもその正体をバレていないのか、それをきちんと審査するための仕組みをご紹介しましょう。その名も、“学級裁判”!」

 「学級裁判?」

 

 私たちの首元から機械音がした。何もしてないのに勝手にディスプレイが開いて、校則一覧を表示する。前にみんなで確認したときよりも、いくつか項目が増えている。そこには、今モノクマが口にした学級裁判の文字があった。

 


 

 ○校則一覧

  1.生徒達はこの学園内だけで共同生活を行いましょう。共同生活の期限はありません。

  2.夜10時から朝7時までを“夜時間”とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので、注意しましょう。

  3.就寝は寄宿舎に設けられた個室でのみ可能です。他の部屋での故意の就寝は居眠りとみなし罰します。

  4.希望ヶ峰学園について調べるのは自由です。特に行動に制限は課せられません。

  5.学園長ことモノクマへの暴力を禁じます。監視カメラの破壊を禁じます。

  6.仲間の誰かを殺したクロは“卒業”となりますが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけません。

  7.コロシアイは、最後のひとりになるまで続きます。

  8.生徒の自殺を禁じます。

  9.生徒内で殺人が起きた場合は、その一定時間後に、生徒全員参加が義務付けられる学級裁判が行われます。new

 10.学級裁判で正しいクロを指摘した場合は、クロだけが処刑されます。new

 11.学級裁判で正しいクロを指摘できなかった場合は、クロだけが卒業となり、残りの生徒は全員処刑です。new

 12.なお、校則は順次増えていく場合があります。

 


 

 「オマエラの中で殺人が起きたとき、オマエラの中に潜むクロが誰かについてオマエラ自身で議論を交わしてもらいます!議論の結果、正しいクロを指摘できればクロは校則を守れなかったということでおしおきです!残りの生徒、すなわちシロたちだけで、引き続きコロシアイ生活を続けてもらいます。逆に誤った人物をクロとしてしまった場合は……クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが、晴れて“卒業”となります!」

 「な、なにそれ……!?おしおきって……!?」

 「まあ簡単に言えば処刑だよ」

 「しょ、処刑!?」

 「うん処刑。モンスターが頭をマミりんちょとか!マグマでどてっ腹に風穴あけるとか!ナントカザワールドの間にロードローラーでぺちゃんことか!エクストリームな方法でオマエラのことをブッコロしちゃうよ!」

 

 もはやつっこむ気も起きない。私たちの中に益玉君と三沢さんを殺した人が紛れていて、それを当てられなければ私たちは……モノクマに処刑される?そんなめちゃくちゃな話……理解できない。できるわけがない。これからどうしたらいいのかも……分からない。

 

 「馬鹿なことを言うな。どうしてどっかの殺人鬼のためにはぐが命を懸けなきゃならないんだ」

 「そうですそうです!そんなのは殺人犯の勝手でしょう!」

 「やめといた方がいいよ。さっきのモノクマの言葉を忘れてないなら、ね」

 

 湖藤君の一言で、噴き出していた文句がぴたりと止んだ。モノクマには何を言っても無駄だ。それを理解していないと、何をされるか分からない。静かになった体育館で、モノクマはくっくと笑う。

 

 「というわけで、これからオマエラには学級裁判に向けて事件の捜査をしてもらうよん。時間中の行動は自由だし、必要があればボクが個室のカギも開けてあげるから言ってね」

 「ちょ、ちょっと待って!捜査って……いきなりそんなこと言われてもどうしたらいいか……!」

 「……んもう、うるさいなあ。分かってるよそんなこと。殺人事件の捜査に関してはずぶの素人ばっかりだからね。オマエラのモノカラーにボクから小粋なプレゼントを贈ってあげたよ。その名も、モノクマファイル!」

 

 校則が表示されていたモノカラーがまた勝手に動き出して、あるファイルが開かれた。

 

 「ひっ……!?」

 

 誰かの悲鳴が漏れた。そこに表示されたのは、ベッドの上で黒ずんだ血にまみれている益玉君の写真だった。不意にそんな写真を直視してしまい、お腹の底からこみ上げるものを堪えながら、私は目を背けた。

 

 「モノクマファイルは死体に関する基本的な情報をまとめたファイルだよ!うぷぷぷぷ♬これを参考に各自捜査を進めていくといいでしょう!」

 「信用していいんですか?こんな本当かどうかも分からないものに命を預けるようなことはできません」

 「これはあくまでシロとクロが平等に裁判に臨めるようにするものだからね。疑うなら調べてごらんよ。それで捜査時間が足りなくなっても知ーらない!」

 「あっ!こら待て!」

 

 何一つ納得させてもらえないまま、モノクマは一方的に話を切り上げて姿を消した。これからどうすればいいのか、どうするべきなのか、その答えを持つ人はいない。私たちが、選ばなくちゃいけない。

 

 「な、なんなの……?もう、やだよ……!はぐもうおうち帰りたい!こんなのもうイヤだ!」

 「はぐ……!」

 「実に不本意ですが……モノクマがやると言ったらやるのでしょう。今は、少しでも手掛かりを集めるしかないかと」

 「……やるしか、ないのか」

 

 捜査の開始を宣言されても、すぐに動ける人たちは少ない。学級裁判なんてものを受け入れられない人も、諦めて捜査をしようとする人もいる。私は……まだ殺人が起きたっていうこと自体が受け入れられない。どうして益玉君が……みんなのために命を懸けられるあんな人が殺されなくちゃいけないの。それに、どうして三沢さんまで?

 

 「甲斐さん?だ、大丈夫……?」

 「っ!」

 

 茫然としていた私に声をかけてくれたのは、宿楽さんだった。目元が隠れててよく分からないけれど、不安そうな表情をしていた。ここにいるほとんどの人たちと同じ。これからすべきことと起きることが分かっている。だからこそ、怖くて仕方ないんだ。

 

 「そ、捜査は……!きちんとすべきよ……!」

 

 震えた声が響いた。絞り出したような、精一杯強がってる声だ。

 

 「少なくとも……二人もの人が亡くなった。それは事実。殺人事件かどうかはまでは分からないけれど……私たちで捜査をするしか、ない」

 「おや、意外ですね。私人に認められているのは現行犯の逮捕のみですが」

 「……警察の介入が期待できないし、仮に私たちの中に犯人がいるのなら……それをはっきりさせることは必要よ。身の安全を確保するためには……」

 「まあやるだけやってみましょう。降霊には時間も支度もありません故、拙僧にはあまり期待しないでいただきたい」

 「犯人の匂いとか、かぎ分けられたりしないか?」

 「おおっ!その手がありましたか!試す価値はありそうですね!では参りましょう毛利殿!」

 「よしきた」

 

 揚々と体育館を後にして、狭山さんと毛利さんは保健室に向かった。その後に続いて、ほとんどの人がぞろぞろと各自の思うままに捜査へと向かう。昨日と同じだ。判断に迷っている私たちだけが、まだ体育館に残っている。私はまだ、その場から一歩も動けないでいる。

 

 「甲斐さん。あまり時間はなさそうだ。ぼくたちも捜査に向かおう」

 「私は……分からないよ……」

 

 そんなこと言ってもしょうがない。湖藤君に言ったって意味がない。こんなことをしてる時間はない。それは分かってるのに、そうせずにはいられなかった。この感情を振り切らないと、向き合うべき現実に向き合うなんてできない。

 

 「なんでこんなことになってんの……?なんで殺人なんて起きるの?なんで益玉君が殺されなくちゃいけないの!!本当に私たちの中に……益玉君を殺した犯人がいるの……?」

 

 感情を吐き出すと、つられて涙が溢れてきた。脳裏にこびりついた、無惨な保健室の情景。ほんの一瞬しか見ていないはずなのに、その映像は細部まで記憶に残っている。無造作に投げ出された手足。顔の真ん中に開いた暗い穴のような口。虚空に投げ出された益玉君の視線。忘れようとすればするほど、忘れてはいけないと思えてまた思い出す。この涙が洗い流してくれるわけもなく、むしろ強く瞼に焼き付けられるようだった。

 

 「それを確かめるために捜査をするんだ」

 「……」

 「現実から逃げていても何も解決しない。ここじゃそれは命取りだ。どんなに残酷でも、どんなに辛くても、ぼくたちは立ち止まってられない。生きなくちゃ。ぼくたちのために命を擲ってくれた彼のために」

 

 冷たいような、頼もしいような、優しく諭すような、湖藤君の言葉は私の感情の隙間を縫って、私の真ん中まで届いた。きっと当たり前のことなんだ。他のみんなは受け入れられてるはずのことなんだ。だから、私も理解しなくちゃいけないんだ。そんな風に思わせてくれるような言葉だった。

 

 「落ち着いたらでいいよ。ぼくも自分で動けるから」

 「……ううん、私が押してく。ごめん」

 「どうして謝るの?」

 「どうしてかな。ありがとうって言うべきなんだ。きっと」

 「きみがそう思うなら、そうかもね」

 

 優しく微笑みかけてくれる湖藤君の背後に回って、車椅子のハンドルを握る。やらなくちゃ。私が、益玉君と三沢さんがどうして殺されたのか……誰がやったのか……はっきりさせないと。

 


 

 覚悟を決めた私は、まずは保健室に向かうことにした。私が見たあの光景は本当なのか。本当だとして、何か手掛かりは残ってないか。それを確かめるために。死んだ人を直接見るのは初めてじゃない。だけどあんな風にひどい殺され方をしているのは初めてだ。正直、もう一度見ても正視できるかは分からない。それでも、今はとにかく益玉君に会いたい。そんな気持ちだった。

 

 「ところで」

 

 体育館を出たあたりで、湖藤君がいきなり尋ねてきた。

 

 「甲斐さんは一応、第一発見者っていうことになるのかな?」

 「え……そ、そう……なのかな……?」

 「あんまり覚えてない?」

 「うん……。なんだか朝起きたときから気持ち悪くて、ふらふらしてたから。保健室の中を見てまた寝ちゃったような気がして……」

 「ぼくたちが到着したときには、気を失ってたよ。保健室が使えないから個室に運ぼうとしたところで、モノクマのアナウンスでみんな体育館に集まったっていう感じ」

 「私、気絶してたんだ……」

 「うん。あと、朝気持ち悪かったのはきっと……」

 「あっ、甲斐さんと湖藤さん。大丈夫なの?」

 

 話してるうちに保健室の前まで来ていたみたいだ。私たちに声をかけたのは、少し青い顔をした宿楽さんだった。保健室から少し離れたところで壁に手をついてる。表情を分かりづらくしてる電子サングラスには

「(_ _;)」が表示されている。

 

 「うん、なんとか……」

 「宿楽さんも顔が青いけど、大丈夫?」

 「うぅん……あんまり大丈夫じゃないかも……」

 「無理はしない方がいいよ。ここ以外にも手掛かりはあるかも知れないし、思い当たるところを捜査してみたら?」

 「そうする。うん。二人も無理しないようにしてね」

 

 そう言って、宿楽さんはふらふらとどこかへ去って行った。保健室の中を見て、きっと具合を悪くしたんだ。具合が悪くなって保健室から離れるなんて冗談みたいなことが、今はごく自然と受け入れられる。その中に何があるかを、私は知っているから。

 体育館で決めた覚悟を改めてはっきりさせて、私は保健室の中を覗き込んだ。

 

 「うっ……!」

 

 まず飛び込んでくるのは、血で真っ赤に染まったベッドと床、その中に倒れ込む益玉君と三沢さんの体だ。その姿に生気を感じないのは、きっと血に染まっているからだけじゃない。完全に脱力しきったその体勢が、生きている人間にできるものじゃないからだ。

 手足は乱雑に投げ出され、折れそうなほど急角度に首を倒し、虚ろな目と僅かに開いた口が造り物のようにさえ見える。つい数時間前まで生きて動いていたことが信じられないほど、二人はそこで死んでいた。

 

 「おや。ようやく来たんですか。もうあらかた調べられることは調べてしまいましたよ」

 「もう大丈夫なのか?」

 「うん、なんとか……ありがとう」

 

 正直なことを言えば、やっぱりまだこの現実を受け止めることはできない。二人の遺体を見るのも辛いのに、ここで捜査なんてできる気がしない。それでも、やらなくちゃいけない。

 床に散った血を避けるように、尾田君と毛利さんが二人の遺体を側で調べていた。首元にはモノクマが与えたモノクマファイルが表示されている。きっと、そこに載ってる情報が正しいかどうかを調べてたんだろう。でも、素人にそんなことできるのかな。

 

 「モノクマファイルの検証かな?ご苦労様。どうだった?」

 「素人目という前提ですが、どうやら間違いはないようです。つまりこのモノクマファイルは、本当にシロとクロが平等に裁判に臨めるようにするためのものですね。裏を返せば、本当にクロがいるという根拠にもなり得ます」

 「それは飛躍しすぎじゃないのか?」

 「そうかも知れませんね。ただ、モノクマがやったと考えるより、僕たちの中の誰かがやったと考えた方がまだいいです」

 「な、なんで!?私たちの中にそんな……そっちの方がひどいよ!」

 「20人を拉致監禁した上に数日に亘って警察組織の介入をものともしないどこぞの大悪党のマッチポンプと考えるより、殺人に関しては素人の高校生がやったことと考えた方が、まだ解決の希望が見えませんか?」

 「協力して脱出するって約束した人たちの中でコロシアイが起きた方が、よっぽど悲しいよ」

 「そうですか。まあ根本的な価値観の相違です。今はそれを指摘し合ってる場合ではないので、単に情報共有に留めるよう気を付けます」

 

尾田君は喋るたびに心の中に何かもやもやしたものを残していく。それでも今は捜査に協力するために抑えてくれてるみたい。

 

 「お二人とも頭部の怪我はモノクマファイルに記載の通りです。薬のことは分かりませんが、まあ信頼していいでしょう」

 「頭の怪我?なにそれ?」

 「……読んでください」

 

 あからさまにイラッとした顔で尾田君に睨まれてしまった。そう言えば、さっきモノクマによこされたのを読み忘れてた。あのときはいきなり益玉君と三沢さんの画像を見せられたからびっくりしたけど、今は目の前に本物がある。そこまでショックを受けることはないだろう。私はモノカラーを操作して、モノクマファイルを開いた。

 


 

【モノクマファイル①-1)

 被害者:益玉韻兎

 死因 :激しい殴打による脳震盪を原因とするショック死

 死体発見場所:保健室

 死亡推定時刻:23時から24時ごろ

 その他:鼻や口からの出血・嘔吐のほか、後頭部や胸部に軽度の骨折がある。

     モノトキシン2053により激しく衰弱していた。

 

【モノクマファイル①-2)

 被害者:三沢露子

 死因 :連続的な頭部打撲による脳震盪及び脳挫傷を原因とするショック死

 死体発見場所:保健室

 死亡推定時刻:23時から24時ごろ

 その他:顔面に軽度の骨折がある。頭部以外に目立った損傷なし。また、服薬の形跡なし。

 


 

 そこには、二人がどうやって亡くなったかが詳細に記されていた。無機質で、冷酷で、緻密で、生々しい記述だった。それだけに、きっとそこに書かれていることはたくさんの情報が詰まってる。読めば読むほど息苦しくなってくるけど、向き合わなくちゃいけないんだと思う。

 

 「死因はショック死とありますが、要するに益玉君が殴殺で三沢さんが撲殺です。死亡推定時刻や殺害方法からして同一犯による犯行でしょう」

 「お、殴殺と撲殺って……何か違うの?」

 「湖藤君に聞いてください」

 

 私、尾田君に嫌われてるのかな。もう振り向いてもくれなくなっちゃった。

 

 「凶器を使うかどうかの違いだね。つまり、益玉君は殴殺だから素手で、三沢さんは撲殺だから鈍器を使って殺されたってことだ」

 「その違いは重要か?似たようなものだろう?」

 「凶器があるのにわざわざ素手を使う人はいません。殺害の順序は大きな手掛かりになります」

 「三沢さんを殴ったときに凶器が壊れちゃった可能性は?」

 「彼女の傷口にはガラス片などの異物は確認できませんでした。凶器が壊れたなら何かしらの破片が残っているはずです。死体が益玉君から離れていることからも、同じ時間帯でも殺害タイミングにズレがあるのでしょう」

 「なるほど。色々分かることがあるんだな」

 

 尾田君は自分を素人だと言うけれど、素人がちょっと遺体を調べただけでこんなに色んなことが分かるものだろうか。私は生きている人なら、少しお世話をして話を聞けばだいたいのことは分かるつもりだ。だけど遺体のことはちっとも分からない。そんな経験がないからだ。ということは逆に尾田君は──。

 

 「ちょっと失礼」

 「え?うわっ……!さ、狭山さん?」

 

 足下をちょろちょろ動く黄色の物体が、脚の隙間を縫って益玉君と三沢さんにそれぞれ近付く。狭山さんだ。床に散った血を器用に避けて、遺体を触ったり匂いを嗅いだりしてぶつぶつ言ってる。何をしてるんだろう。

 

 「捜査の邪魔をしないでください。なんなんですか」

 「邪魔とは失礼な!あなたのように地道に証拠を集めて論理的な(コン)拠と推測によって犯人を導こうなどという科学的な手法なんて信じられません!前時代的ですね!拙僧がお二人の霊(コン)に直接犯人を尋ねようというのです!」

 「一周した先の世界の話ですか?」

 「(コン)世です!」

 

 何を言い出すのかと思えば、狭山さんは短い手足をバタバタさせながらめちゃくちゃなことを言った。こんなときにふざけてる場合じゃないのに。そんなことができたらこの世から未解決事件なんてなくなる。

 

 「狭山は“超高校級のシャーマン”だからな。自分なりにできることをしようとしているのだろう」

 「気持ちは立派だけど……ちょっと時間が足りなさそうかな。他の方法を試してみたら?」

 「地道な証拠集めを狭山ができると思うか?」

 「してよ……」

 

 希望ヶ峰学園に入学できてる以上、狭山さんのシャーマンとしての才能はきっと本物なんだろう。でも、そんなスピリチュアルなことが本当にできるのかな。かと言って毛利さんの言うとおり、狭山さんに地道な努力を求めるのも無理な話だとも思う。まあ、少しでも力になろうとしてくれてるっていうのは、いいことなのかな。

 

 「狭山には無理だが、私はひとつ証拠を見つけたぞ。一応、共有しておこう」

 「それは?」

 「三沢の近くに落ちていた。赤いのは血じゃなくてもともとだ。倉庫に同じタオルがたくさんあったはずだ」

 

 そう言って毛利さんが取り出したのは、しわくちゃになった真っ赤なタオルだった。一部が黒ずんでいるのは血が染み込んでいるからだろう。その血が染みた部分以外もなんとなく湿っていて、時間が経っているせいか気持ち悪い生乾きの臭いがした。

 

 「なんでそんなものがここに?」

 「それなら、三沢さんがよく使ってたよ。たぶん益玉君に氷枕でも作って持って来てくれてたんじゃないかな」

 「氷枕?なんで三沢さんが?あ、そうそう」

 

 氷枕と聞いて、私はさっき湖藤君から聞きそびれていたことを思い出した。

 

 「私、昨日益玉君の看病するって言って厨房に入ってから記憶がないんだよね。二人とも何か知らない?」

 「覚えてないのか?」

 「覚えてないみたいだね。仕方ないよ」

 「えっ?えっ?なになに?」

 

 乾いた感じで湖藤君が笑う。昨日の夜、自分の身に何かが起きたらしいけど、何が起きたか分からない。それがものすごく気味が悪い。

 

 「甲斐さんね、昨日厨房で酔っ払って倒れたんだよ」

 「…………ん?」

 「酔っ払って、倒れたの」

 「私が?」

 「そ」

 

 酔っ払った、らしい。本当に?本当かな?いやでも信じるしかない。だって酔っ払ったことないから。自分じゃ判断しようがない。

 

 「で、でも私お酒なんて……お水しかなかったよ?」

 「王村さんが、ペットボトルの空き容器に焼酎を入れてたみたいなんだ。で、それを甲斐さんが間違えて飲んじゃった。王村さん、理刈さんにみっちり怒られてたよ」

 「そりゃそうだよ……なんでそんなことしてたの」

 「持ち運びやすいんだそうだ。まったく、血の代わりにアルコールが流れてるんじゃないか?」

 「それはそういう病気だよ」

 「それで、倒れた甲斐さんをみんなで部屋まで運んで、代わりに三沢さんが益玉君の看病に名乗り出たってわけ」

 「……そ、そうなんだ」

 

 それって───と言いかけて、私は口を閉じた。きっと二人は否定してくれる。否定して欲しかった。否定して、優しい言葉をかけてくれるはず。そう考えてる自分に気付いたから。言ってもいいのかどうかは……まだ分からないから。

 

 「後で王村と話しておくといい。ヤツもそれなりに反省しているだろうから、きっちりケリを付けておくことだ」

 「うん……そう、だね」

 「むむっ!」

 

 私たちが話している間に、狭山さんの儀式が終わったみたいだ。二人に近付くときと同じように、戻るときも床の血を避けてするりと私たちの足元に近寄った。

 

 「これは大変なことですぞ!」

 「どうした狭山?犯人が分かったのか?」

 「いえ……残念ながら拙僧、今はこの尋常ならざる姿故に本来の力の半分も出せぬ身。然るにお二人の霊(コン)を降ろすことはできませんでした」

 「なんだったんだ」

 「しかし真実の一端に繋がりそうな重大っぽい事実を発見しました!あれをご覧ください!」

 

 半信半疑だった狭山さんのシャーマンとしての才能がだいぶ疑に寄っていっちゃった。一応、指さされた方を見る。

 

 「益玉さんのご遺体の下に散乱した血(コン)ですが、一部が妙な途切れ方をしています!まるでそこに何かがあったかのような!」

 「あ、本当だ」

 「小さくて気付かなかった。すごいよ狭山さん。よく気付いたね」

 「ふっふーん!どうですか!拙僧にかかればざっとコンなもんです!」

 「おそらく犯人の足にでも血がかかったのでしょう。益玉君は殴り殺されたのですから、これくらいの痕跡が残るのは当然です」

 「ぎゃふん!」

 

 揚々と不自然な血痕を指摘して鼻高々かと思えば、尾田君に一蹴されてずっこけた。というか血痕の手掛かりって、地道な捜査で見つける論理的根拠なんじゃ……。

 

 「今ので拙僧はもう精(コン)尽き果てました……後はお任せします」

 「ちょっと歩き回っただけじゃん」

 

 もうつっこむ気も起きないや。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【モノクマファイル①-1)

  被害者:益玉韻兎

  死因 :激しい殴打による脳震盪を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:鼻や口からの出血・嘔吐のほか、後頭部や胸部に軽度の骨折がある。

      モノトキシン2053により激しく衰弱していた。

 

 【モノクマファイル①-2)

  被害者:三沢露子

  死因 :連続的な頭部打撲による脳震盪及び脳挫傷を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:顔面に軽度の骨折がある。頭部以外に目立った損傷なし。

      また、服薬の形跡なし。

 

 【真っ赤なタオル)

  医務室の床に落ちていたタオル。三沢が氷枕に使っていたせいか、湿っている。

 

 【三沢の死体)

  頭部を激しく損傷しており強く殴られた痕跡があるが、傷口に凶器の破片は見られなかった。

  益玉の死体からは離れた、医務室の入口付近に倒れていた。

 

 【床の血)

  益玉が寝ていたベッドの下には血痕が散らばっていた。

  散り方は激しいが、致命傷になるほどの出血ではなさそうだ。

  不自然に途切れている部分がある。

 


 

 私と湖藤君は保健室での捜査を切り上げて、他の場所を捜査することにした。事件現場以外にも手掛かりがあるはずだって湖藤君が言うから、思い当たる場所を手当たり次第に巡っていく。まずは、昨日私が倒れた後のことを詳しく知るのと、三沢さんの動向を辿るために食堂に向かった。

 食堂には谷倉さんと長島さん、それから陽面さんと月浦君がいた。陽面さんは俯いて涙を流し、とても捜査ができる状態じゃない。月浦君が横に座って慰めてはいるけれど、この後の学級裁判までに立ち直ることはできるだろうか。

 

 「おっ、奉奉(フェンフェン)厘厘(リーリー)。よく来たネ、いらっしゃい」

 「……」

 

 食堂に入ってきた私たちを見つけて、長島さんは気さくに声をかけてくれて、月浦君は一瞥してすぐに陽面さんの方に視線を戻した。谷倉さんは気付いてないみたいで、厨房の方に消えていった。いつもならみんなで朝ご飯を食べているであろう時間なのに、こんなに寒々しい食堂は初めてだった。

 

 「陽面さん、大丈夫?」

 「ずっとベソかいてるネ。可哀想だけど今はそんな場合じゃないアル。泣いても喚いても分かることはないヨ」

 「はぐは繊細なんだ。お前たちみたいに神経細胞に毛が生えたガサツなヤツらとは違う」

 「え……私たちも?」

 「無駄に敵を増やすことないアルヨ、月月(ユエユエ)。ワタシは陽陽(ヤンヤン)を責めたりしないアル。でも事実は事実ネ」

 「ま、まあまあ長島さん。陽面さんはこんな状況に慣れてないから。二人が動けない分は私たちが代わりに頑張るから」

 「う〜ん、奉奉(フェンフェン)は損するタイプ!間違いないネ!」

 

 なんか変な認定をされてしまった。でもいくら“超高校級”って言ったって、殺人事件のときにできることは普通の高校生と変わらない。ショックで泣くことだってある。むしろ長島さんみたいに事実を事実として受け入れられる人の方が少ないと思う。でも、今のところそっちが多数派か。意外とみんなそうなのかな。

 

 「長島さんはどうして食堂に?」

 「昨日は兎兎(トゥートゥー)以外のみんなここにいたネ。奉奉(フェンフェン)がぶっ倒れたときも犯人はここにいたはずヨ!何か手掛かりがないかと思って探してるアル!」

 「なるほどね。何か見つかった?」

 「あれを見るヨロシ!」

 

 よくぞ聞いてくれましたとばかりに長島さんが部屋の隅を指さした。食堂に設置されているゴミ箱で、駅なんかにあるような投入口付きの蓋と大きな受け箱が付いたタイプだ。ゴミ箱がどうしたんだろう。

 

 「ペットボトルのゴミ箱を見るネ。もうびっくりしたヨ!」

 「なになに……?うわっ、なんだこれ」

 「すごい量だね……」

 

 指示されたとおりのゴミ箱の蓋を開けてみると、目がチカチカして受け箱の深さが分からなくなったような気がした。よく見ると、大量の空きボトルが突っ込んであるだけだった。でもすごい数だ。ボトルの透明さも相まって何本あるか見当も付かない。

 

 「昨日の夜はこんなことにはなってなかったはずヨ!美美(メイメイ)が言ってたアル!」

 「長島さんの記憶じゃないんだ」

 「ワタシはこれを見つけたアル!ふふーん!お手柄ヨ!」

 「そうだね」

 「これ、ミネラルウォーターのボトルだね。冷蔵庫に冷えてるものと同じじゃないかな」

 「そう……かな?あんまり覚えてないや」

 「比べてみよう」

 

 事件前夜にはなかった大量のペットボトルが、事件のあった朝にはゴミ箱に捨てられている。間違いなく事件に関係しているだろうけど、どう関係しているかは分からない。ひとまず捨てられてるボトルからひとつ拾って、冷蔵庫にあるものと比べてみることにした。ついでに、さっき厨房に消えていった谷倉さんに何か知らないか話を聞いてみよう。

 


 

 厨房は昨晩と変わりはなかった。きれいに整えられた調理場は天井のライトを鏡のように反射していて、大きなオーブンや冷蔵庫がでんと鎮座している。昨日の晩ご飯に使った食器はきれいに洗われて食器棚や壁掛けに戻してある。何もかも、昨日までと同じだ。

 

 「谷倉さん」

 

 広い厨房にひとり佇む谷倉さんに、湖藤君が声をかけた。少し肩を跳ねさせて谷倉さんは振り向いた。その顔はいつもと同じ、凛々しくて整った顔立ちだったけど、目元が赤く腫れていた。

 

 「こ……湖藤様、甲斐様。どう、なさいました?」

 「事件の捜査だよ。何か手掛かりがないかと思って」

 「左様でございますか。どうぞ、ご自由にご覧になってください」

 「……谷倉さん、大丈夫?目、赤いよ?」

 

 本当は言おうかどうか迷っていた。こんなときなのに、谷倉さんはあくまで完璧にコンシェルジュであろうとしている。本当は陽面さんと同じように、泣いてしまうほど怖がっているはずなのに。人のいない厨房に来たのは、きっとここが安心できる場所だからだ。私の指摘は、そんな彼女の気遣いとかプライドとかを傷付けてしまうものだったかも知れない。

 

 「大丈夫……では、ありませんね。申し訳ありません。お見苦しいところを」

 「謝ることないよ。あんなの見たら誰だってそうなるに決まってる。谷倉さんだって女の子なんだし、泣くことだってあるよ」

 「……女の子……左様でございます。ですが私はあくまでコンシェルジュ、皆様の快適な暮らしを万全に支えることを第一に考えております。あまり感情を見せ過ぎるのは……」

 「きみなりの哲学ってことだね。うん、いいと思うよ」

 

 重く苦しい口調で谷倉さんが語る。湖藤君は軽い朗らかな口調で返す。谷倉さんの信念は立派だと思うけど、そんな簡単に肯定してしまっていいのか。友達が二人も殺されたのに、人前で泣けもしないことがいいことだろうか。

 

 「考えなんてものは経験の中で変わるものだ。ぼくも完璧なものは美しくて好きだけど、少し緩みがある方が親しみがあってもっと好きだな。どちらにもどちらにしかない良さがあるさ」

 「……ご忠言、ありがたく頂戴致します」

 

 谷倉さんは深々と頭を下げた。まだ少し体は緊張しているみたいだけど、ひとまず気を取り直したみたいだ。この厨房について、いろいろ話を聞かせてもらおう。

 

 「見たところ昨日と違うところはなさそうだね」

 「ほとんどは変わりございません。ただ、丸きり同じかと言うと、そういうわけでもないのです」

 「何かあったの?」

 「いえ、無いのです」

 「無い、というと?」

 「昨晩から無くなったものがいくつかございます」

 

 そう言って、谷倉さんは冷蔵庫に近付いた。大きな扉を開いて中から金属のお盆を取り出す。小鉢がいくつか並んでいるけれど、明らかに不自然なスペースが空いている。

 

 「こちら、朝ごはんにお出ししようと仕込んだ糠漬けなのですが……4皿ほど無くなっておりまして」

 「糠漬け」

 「昨晩準備したときには20皿あったのですが、事件の前後で4皿が消えてしまいました」

 「なるほど」

 「あとは冷凍庫で凍らせていたお水がひとつ。三沢様が氷枕になさると仰っていたので、おそらくその分かと」

 「氷枕……確かに使えるけど、現場にはペットボトルなんて落ちてなかったよ」

 「ふむふむ。そうか……。ちなみにいま、ペットボトルは冷えてる?」

 「はい。お飲みになりますか?」

 「いいや、ちょっと確認させてほしいだけ」

 

 なにがふむふむなんだろう。谷倉さんの証言はつまり、糠漬けも氷枕もどこかへ消えてしまったということになる。氷枕は三沢さんが持って行ったんだろうけど、その三沢さんが殺されていた保健室になかったんだから同じことだ。それに氷枕が事件に関係しているとは思えない。糠漬けだってまさか凶器ってこともないだろうし。

 

 「申し訳ございません。私に分かるのはこのくらいのことです」

 「いやいや。貴重な証言だよ。ありがとう、谷倉さん」

 「湖藤君は何か分かったの?」

 「そうだね。分からなかったことが分かりそうなことになった、って感じかな」

 「んんん?それ、結局分かってないってことじゃない?」

 「そうかもね。一歩、いや、半歩前進ってところだ。それでも前進は前進さ。ぼくは自力じゃただ前に進むのも難しいから、半歩でも大きな前進だよ」

 

 またそういうこと言う、と私は呆れた。湖藤君の自虐的な冗談は、笑えばいいのやら気遣えばいいのやら分からなくて困る。からからと笑う湖藤君の車椅子を強めに押して、私たちは厨房を後にした。

 食堂に出てから、湖藤君は上半身だけで少し振り返って私に言った。

 

 「ぼく、少し調べたいことがあるからここに残るよ。他の場所には甲斐さんだけで調べに行ってもらえないかな?」

 「え、私も残るよ」

 「いや、甲斐さんには他所で分かったことを教えてほしいんだ。ぼくは行けるところが限られてるし、時間もかかるからさ」

 「でも……」

 

 湖藤君を置いていく。ただそれだけのことが、わたしにはなんだか凄く不安だった。なんでかはよく分からない。殺人が起きたから?湖藤君のことが心配だから?ひとりじゃ心細いから?()()()()()で、()()()()()()()()()。なんだろう。ここに残るのは湖藤君だけなのに、なんだか私が私から離れていくみたいな……。

 

 「甲斐さん?」

 「えっ」

 

 ぼんやりした不安が頭で渦巻いていたせいで、湖藤君に袖を引かれるまで呼ばれていることに気付かなかった。

 

 「お願いするよ。甲斐さんにしか頼めないんだ」

 「私にしか……?」

 「そう。こういうときの情報は、正確で客観的でなくちゃならない。信頼できる人にしか任せられないんだ」

 

 直感した。湖藤君は本気で言ってると。いつもの冗談か本気か分からない言葉じゃなくて、本気で思って私にお願いしてる。それを感じ取った私にできるのは、そのお願いを受け止めて、彼の言う通り正確な情報を集めてくることだ。

 

 「そっか……分かった。もし何かあったら、すぐに呼んでね」

 「うん、呼べる元気が残ってたらね」

 

 どうやらさっきの本気の顔はすぐに引っ込んでしまったらしい。またいつもの上っ調子な彼に戻っていた。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【甲斐の証言)

  早朝に目が覚めた甲斐は、食堂に寄って水を飲んでから医務室に向かった。

  その間、怪しい人影などはなかった。

  益玉と三沢の死体を発見した後は人を呼びに真っ直ぐ寄宿舎に向かった。

 

 【谷倉の証言)

  冷蔵庫と冷凍庫の中が昨日の夜と少し変わっていた。

  朝食の付け合わせにしようと冷蔵庫に冷やしておいた小鉢がなくなっていたことに気付いた。

 

 【空きペットボトル)

  食堂のゴミ箱に大量に詰め込まれていた、中身が空のペットボトル。

  どれも倉庫にあったミネラルウォーターのもののようだ。

 


 

 ひとりになった私は、次にどこを捜査するべきか考えていた。事件現場である保健室と、事件直前に全員が集まっていた食堂と厨房。それ以外に事件に関係していそうな場所、もしくは何かの情報がありそうな場所はどこだろう。

 

 「あ」

 

 思い付いた。事件に関係あるかは分からないけど、何か手掛かりが残っているかも知れない場所。被害者である二人の部屋だ。早速私は、寄宿舎に向かった。

 名案に思えたアイデアは、とっくにみんな考えているらしかった。益玉君の部屋と三沢さんの部屋のドアは開放されていて、それぞれみんなが手分けして捜査しているみたいだった。やっぱり私はこういうときに役立たないのかな。尾田君みたいに積極的に捜査したりできないし、湖藤君みたいに証拠から推理を組み立てたりできない。唯一役に立てそうな手掛かりを集めることもみんなから出遅れてる。

 

 「はあ……」

 「どうなさいましたかな、甲斐さん。ため息など吐いて」

 

 思わず出たため息を聞いていたらしく、庵野君が三沢さんの部屋からぬっと現れた。不意を突かれたからびっくりした。本人には言えないけど、庵野君は醸し出す雰囲気に重力があるような──オーラっていうのかな──気がして、正対するとなんだか圧倒される。

 

 「おっと、愚問でしたね。こんな状況ではため息も吐きたくなるというもの。寧ろ残酷な現実に向き合って捜査なさるその精神力は尊敬に値します。これも愛の力ですね」

 「そ、そんなこと……捜査はみんなやってるし、むしろ私は一歩遅いくらいだよ。落ち込んでても分かることはないから動いてるだけで」

 

 思いがけず褒められてしまった。とっさに私は、長島さんの言葉を借りて謙遜した。謙遜というか、落ち込んでる私を否定したくなくて取り繕った、という方が正しいかも知れない。

 

 「どうぞこちらへ。捜査とはいえ、手前のような者に部屋を調べられては三沢さんも良い気はされないでしょう。同じ女性にお任せします」

 「そういうものかな」

 「そういうものよ。制度として確立してはないけれど、故人のプライバシーだって守られるべきよ。今は人手が足りないから庵野さんにお願いしてたけど、甲斐さんが来たなら協力してほしいわ」

 「理刈さん」

 

 部屋の奥から声がしたと思ったら、机の引き出しやタンスの中まで埃ひとつ見逃さない勢いで理刈さんが捜査していた。どこにどんな手掛かりがあるか分からない以上やり過ぎることはないにしても、さすがにそこまでやるのは効率が悪い気がする。

 

 「私はなんとなく手掛かりがありそうな気がしたから来ただけで……湖藤君に色んな場所で情報を集めてくるように言われたんだ。だからずっとここにいるつもりはないの」

 「そうなの。まあいいわ。ざっと思い当たるところは調べたから」

 「何か見つかった?」

 「いいえ。そもそも三沢さんが殺されてしまったのは完全に偶然だったはずだから、直接的な手掛かりは期待してないわ。あれが元から三沢さんを狙った犯行ではなく、偶然だったということが確認できれば十分よ」

 「説教ではありませんが、理刈さん。甲斐さんの前です。御言葉に気を付けられよ」

 

 部屋の外からの庵野君の忠告で、理刈さんは軽く口元を押さえて私を見た。一瞬なんのことか分からなかったけど、直前の理刈さんの言葉を反芻して気付いた。そっか。三沢さんは確か、厨房で倒れた私の代わりに益玉君の看病に名乗り出たんだっけ。だから三沢さんが保健室で殺されてたのは……本来あそこで死んでるはずだったのは……。

 

 「あっ……か、甲斐さん?その……今のはちょっと言い方が悪かったわね。えっとだから……」

 「ううん。分かってるから……ごめんね」

 

 なんで私、理刈さんに謝ったんだろ。分かんないけど、そう言わなきゃいけないような気がした。

 

 「私こそ……ごめんなさい。うん、甲斐さんには責任なんてないの。ただ事実を確認しただけで、えっと……事実っていうか……」

 「落ち着いて理刈さん。私は大丈夫。三沢さんのことは……後でゆっくり考えるよ。今は、そんな場合じゃない、から」

 「そ、そう?大丈夫なら……いいんだけど……」

 

 三沢さんが殺されたのは……保健室で益玉君の看病をしていたから。益玉君の看病をしていたのは……本来するはずだった私の代わり。私の代わりをしてくれたのは……私が直前に倒れたから。だから、もし私が厨房で倒れさえしなければ……三沢さんは殺されたりしなかった、んだと思う。

 たらればの話をしたって仕方ない。今は他にすべきことがある。そう自分に言い聞かせて、私は益玉君の部屋に向かった。私が益玉君と初めて会ったあの場所。今、そこはモノクマによって開放されていて、芭串君とカルロス君が捜査をしていた。私が部屋の入口に立っていると、気付いたカルロス君が声をかけてくれた。

 

 「やあマツリちゃん。捜査に来たんだね」

 「カルロス君……」

 

 なるべくいつものような明るい感じで話しかけてきたカルロス君だけど、その表情は明らかに曇っていた。思えば、体育館で益玉君が自ら犠牲を申し出たときに一番反対していたのはカルロス君だった。はじめてここに来たとき、モノクマの殺意からカルロス君を救ったのが益玉君だった。その益玉君に犠牲を押しつけることに誰よりも反対していた。それなのに益玉君は殺されてしまった。彼が望んだみんなのための犠牲でもなく、モノクマと戦った末の死でもない。彼が守ろうとした仲間の誰かに殺されてしまった。あんまりだ。

 

 「マツリちゃん。オレなら平気さ。友が死ぬのは……初めてじゃない」

 「え……」

 「たまにあるんだ。プロのマタドールでも、コロシアムの真ん中で闘牛に殺されてしまうことが」

 「そ、そうなんだ……」

 「ああ」

 

 強がりで言っているわけじゃなかった。きっと本当のことなんだろう。でもだからと言って、カルロス君は全てを諦めているという感じでもなかった。

 

 「オレたちも命懸け。牛も命懸け。そのぶつかり合いをお客さんは観に来てるのさ。その中で命を落としてしまうことを、オレたちは覚悟しているさ。だけど……イントはそうじゃない」

 

 その瞳は燃えていた。青い瞳が、強く、濃く、怒りと悲しみに染まって、煮えたぎるように力を宿していた。

 

 「イントはオレたちみんなのために命を懸けた。オレたちはイントに感謝した。殺す理由なんてあるわけがない。イントを殺したヤツだって、イントに助けられてるんだ。オレはそれが許せない。どうして自分を助けてくれた人に、その死に方すら選ばせてやらないんだ。なぜイントの覚悟を無駄にするようなことができるんだ」

 

 それははじめから、私に向けられた言葉ではなかった。誰かも分からない殺人犯に、彼の友人を殺した誰かに向けた、彼の怒りだった。私は益玉君の死に胸を痛めているように、カルロス君は益玉君を殺害した誰かに怒っていた。

 

 「オレはクロを絶対に許さない。もし本当にそんなヤツがいるなら……オレはそいつを殺してしまうかも知れない」

 「そ、そんな……!ダメだよ!そんなことしたら今度はカルロス君が……!」

 「オレはイントに2回も救われた!なのに1度も恩を返せてないんだ!イントが殺されるなんて考えもせず……イントが苦しんでるときに駆けつけてやることもできなかった!」

 「ちょっ、お、落ち着いて……!」

 

 カルロス君はひどく興奮してきて、だんだん声が大きくなってきた。せっかく前向きに捜査していたところなのに、私の余計な一言でそれを掻き回すようなことはしたくない。なんとかカルロス君を落ち着かせて、私は益玉君の部屋の中に入った。

 部屋の中は数日過ごしただけだからか、それとも物が少ないせいか、整然としていてやけに広く感じた。片付いてるというよりは、殺風景だ。本棚にはびっしりと色々なジャンルの本が並んでいて、壁に備え付けてある机の上には何もなく、ベッドはシーツもブランケットもぐちゃぐちゃになっていた。ひとまずカルロス君はベッドに座らせて、一緒に部屋を捜査していた芭串君に状況を聞くことにした。

 

 「ほらカルロス君、ここ座って」

 「ハァ……ハァ……」

 「なにやってんだお前ら」

 「いやちょっと……カルロス君が益玉君のこと思い出しちゃって……」

 「ああそう。まあ、ムリもねえと思うけどな。部屋からは何も出て来ねえし」

 「なにもなかったの?」

 「な〜んも出てこなかったぜ。そもそも物がねえんだここ。あいつ、つまんねえ生活してたんだな」

 

 見たことはないけど、確かに芭串君の部屋は色々と物が多そうだ。私だって過剰に色々揃えてるつもりはないけど、身だしなみの道具とか介護の勉強道具とかはある。それ以外にも趣味に関係するものとか、暇が潰せるようなものとか……。それに比べたら、この部屋はずいぶん物がない。

 

 「益玉君は語り部だったから、本があればよかったんじゃないかな。配信なんてモノクマがさせてくれないだろうし」

 「ふーん。でもま、事件にゃ関係ねえだろ。あいつはずっと保健室にいたんだ」

 

 それを言われてしまったら、私がここに来た意味がなくなる。でも確かに、益玉君は事件が起きるずっと前にここを出て体育館に集まって、そこからはずっと保健室で横になっていたはずだ。その間、この部屋は施錠されていた。事件に関係することはなさそうだ。

 

 「それじゃ、なんで益玉君の部屋の捜査をしてるの?」

 「他の場所が思いつかなかったんだよ。現場はもう何人か捜査してたし、現場以外で事件に関係しそうな場所も分かんねえしな」

 「そっか……」

 

 どうやら芭串君も、私と同じような考えで益玉君の部屋に来ていたらしい。その上、ここには何にも手掛かりがないときた。犯人が証拠隠滅したとも思えないし、ここは事件に関係ないってことか。

 

 「お前もムリすんな。さっきまでぶっ倒れてたろ」

 「あ……う、うん。あんまり、覚えてないんだ。頭も痛かったし、気持ち悪くて」

 「酒飲んだらそうなるよなあ。二日酔いっていうんだろ?」

 「そうなんだ……えっ?なんで知ってるの?」

 「へへっ、まあそういうことだ。理刈には言うなよ。うるせえから」

 

 初日は動揺してたせいかトゲトゲしい人だと思ったし、宿楽さんからは面倒見のいいお兄ちゃんだと聞かされて、今はなんだか不良な男子高校生だ。よく印象が変わる人だと思った。

 もしかしたらそういうものなのかも知れない。私が勝手に人格を決めつけていただけで、誰でも誰かにだけ見せる顔や、人に見せない顔があるものなのかも知れない。だからもしかしたら、益玉君も私たちに見せてない部分があったのかも知れない。それが今回の事件に繋がっていたり……しないとも限らない。

 

 「おーい?だいじょぶかー?」

 「えあっ?う、うん、大丈夫。えっと……とにかく、ここに手掛かりはないんだよね」

 「いいや!きっとある!イントは必ずオレたちに大切な手掛かりを遺しているはずだ!たとえ自分が死のうとも、オレたちのことを心配してくれる。彼はそういう男だった!」

 「うっせ!?なんだよ急に!?」

 「落ち込んでられないということだ!泣いてばかりが友への鎮魂にはならない!そうだろ!?」

 「起伏が激しいヤツだな。そういう病気か?」

 「そういうこと言わない方がいいよ」

 

 やっぱり、私の芭串君に対する印象はあんまり良くない。悪い人じゃないだろうけど、宿楽さんが言うみたいな好感を持てる人かっていうと微妙だ。それはともかく、カルロス君も復活したことだし、私は湖藤君のために情報を集める仕事がある。手掛かりがないなら別のところに行くことにしよう。他に手掛かりがありそうな場所は……もう思い浮かばない。困った。

 

 「ああ。今思い付いた。焼却炉とか、なんか手掛かりあるかもな」

 「焼却炉?」

 「殺人事件っつったら証拠隠滅だろ?証拠隠滅しようと思ったら取りあえず燃やすだろ」

 「なるほど?」

 

 どうせ他に行く宛もないし、地下を捜査しに行った人も何人かいるみたいだ。話を聞くついでにゴミ捨て場の焼却炉も見てみよう。次の目的地が決まった。

 


 

 薄暗い階段を降りて行く。ここはスロープもエレベーターも昇降機もないから湖藤君は通れなかった。だから湖藤君は地下の存在は知っていても直接訪れたことはないし、私も初めて探索したとき以来、あまり立ち入ったことはない。

 地下はやっぱり薄暗くて、狭い空間に扉で仕切られた部屋がたくさんあるから圧迫感があって息苦しい。その息苦しさを突き破って、ゴミ捨て場の方から声が聞こえた。なんだか怒ってるような、弁解するような、そんな声だ。

 

 「今日の当番は尾田だろ?(アタシ)はあいつにちゃんとキー渡したぞ」

 「ふうむ。成程。畢竟(つまり)、開けるには尾田に(たの)むか、鍵を奪うか、()じ開けるしかないと()うことか」

 「岩鈴さん。菊島君」

 「おや、これはこれは。こんな所まで御足勞(ごそくろう)なことだな、介護士(さま)

 「そんな大したことじゃないけど……どうしたの?」

 「さっき来たら、焼却炉に燃えかすが残ってたんだよ。昨日のゴミ当番は(アタシ)だったけど、(アタシ)が使ったときはんなもんなかったって言ってんだ!アンタからもなんか言ってくれよ!」

 「燃えかす?」

 「本來(ほんらい)は燃えない(ごみ)を無理に燃やしたのだろう。恐らく、犯行に使われた何らかの證據(しょうこ)隱滅(いんめつ)しようとした痕跡だろう。おまけに鍵が壊れていた」

 

 シャッターが開いたゴミ捨て場で、焼却炉を前にした菊島君と岩鈴さんが何やら揉めていた。どうやら焼却炉の燃えかすについて、菊島君が岩鈴さんを疑っていたのを、岩鈴さんが躍起になって弁解していたみたいだ。今のところはなんとも言えないけど、岩鈴さんの立場を考えれば……。

 

 「カードキーは尾田君に渡してるんでしょ?」

 「ああ。昨日の晩にドアの隙間から突っ込んだ」

 「雑だなあ」

 「後で尾田に聞いてみれば分かることだ」

 「だったら……燃えかすが見つかったら困るのにカードキーは人に渡さないと思うよ。それに鍵を壊すくらいなら尾田君にキー渡さないって」

 「ふむふむ。そうか。確かにそれは犯人らしからぬ行動だな」

 「そうだろそうだろ!ほら見ろ!」

 「ううん、一筋繩(ひとすじなわ)ではいかないようだ」

 

 言葉とは裏腹に菊島君は笑っていた。説得されたというよりも、自分の考えが正しかったことを確認して満足しているような。よく分からない人だ。そんな菊島君とは対照的に、岩鈴さんは考えと表情が直結していて分かりやすい。

 

 「でも燃えかすがあるってことは、誰かが焼却炉を使ったっていうことだよね?岩鈴さんはきちんとゴミを分別して使ったから燃えかすなんて残らないはずだし……」

 「使った後はちゃんとシャッター閉めたぞ!だから使えたとしたら尾田だけだ」

 「いいや、そうとも限らない。確かにこのシャッタアを開けるにはカアドキイを使うが、强引(ごういん)に開けられないでもない。たとえば、梃子(てこ)などを使えば俺のような(もやし)でも可能だろう」

 「じゃあ、誰にでも開けられたってことか」

 「ふふふ……そう簡単に(とど)眞相(しんそう)ではつまらない。こうでなくてはな」

 

 満足げな笑顔から不敵な笑みへと、菊島君の表情が変わる。命懸けだっていうのにこんな余裕の表情ができるのは、やっぱり物を書く人って普通の人と感性が違うってことなのかな。それでも菊島君が犯人じゃないなら、もうちょっと真面目にやってほしい気もする。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【焼却炉のシャッター)

  焼却炉の使用を制限するために設置されている昇降式のシャッター。

  通常は鍵を使って開閉するが、鍵が破壊されていて強引に開けられた痕跡がある。

 

 【燃えかす)

  焼却炉の中に残っていた何かの燃えかす。

  もとの形は判別不可能だが、本来は燃えないものを無理に燃焼させたために燃え残ったもののようだ。

 


 

 ゴミ捨て場の捜査はそこそこに、私はあることを思い出して倉庫に向かった。食堂に大量に捨てられていた空きボトルは、確か倉庫にストックがあったミネラルウォーターのものだった。あれが事件に関係しているなら、もしかしたら倉庫に何か手掛かりが残っているかも知れない。うん、なんとなくで益玉君の部屋に行ったときよりはまともな考えができてる。はずだ。

 地下にはあまり来たことがないから、当然倉庫にもあまり入ったことはない。扉を開けるなり部屋中を埋め尽くす棚に視界を奪われて、ミネラルウォーターがどこにあるか見当も付かない。

 

 「あ」

 

 取りあえず倉庫の中を歩き回って探そうとしてたら、遠くの方に丸くて白い影を見つけた。オバケでも出そうな雰囲気だけど、あれは王村さんだ。見かけないと思ったら、こんなところで何をしてるんだろう。あんまり真面目な人じゃないから、もしかしたらサボってたりして。

 

 「王村さん?」

 「っ!お、おお……甲斐か……。あっ、だ、大丈夫……か?」

 「え?……ああ。お酒のこと?もう大丈夫。びっくりしたけど」

 「いやあ……わりいことしたなあ。ヤバいと思って声かけたんだが間に合わなかった」

 

 いつもは朝と言わず夜と言わずお酒を飲んで酔っ払ってる王村さんだけど、さすがに今は素面みたいだ。申し訳なさそうに頭を下げられるけど、私だってよく確認せずに飲んじゃったからお互い様だ。

 

 「次からはちゃんと分かるようにすっから許してくれ、この通り!」

 「そ、そんなに怒ってないからいいよ。私だって確認すればよかったんだから」

 「優しいなあ。甲斐がそう言ってくれりゃあずいぶん助かる。他のヤツらひでえんだぜ。三沢なんて……あっ」

 「三沢さん?」

 

 何か言いかけて王村さんは口を手で塞いだ。これは湖藤君じゃなくても分かる。言いたくないことがあるんだ。しかも三沢さんの名前が出て来たなら、事件に関係することかも知れない。

 

 「三沢さんがどうかしたの?」

 「い、いや……な、なんでもねえ!おいらぁ関係ねえ!」

 「えっ?あ、ちょっと!王村さん!?」

 

 どう見てもなんでもないことない様子だった。けど追及するより先に、王村さんはよたよたと走りにくそうな足取りで逃げてしまった。やっぱり今日も飲んでたのかな。

 

 「何をやってるんだ君らは」

 

 逃げていった王村さんと入れ違いになるように、棚の陰から虎ノ森君が出て来た。薄暗いせいで表情がよく見えないけど、声色からしてかなり疲れてるみたいだ。事件現場から離れたこんな場所まで来て、きっとたくさん捜査をしてくれてたんだろう。

 

 「虎ノ森君……捜査は順調?」

 「いや、ここには何の手掛かりもなかったよ。やっぱり僕も現場を捜査すべきだったけど……尾田君に追い出されてしまってね」

 「尾田君に?どうしてだろう?」

 「さあね。自分が調べると言ってきかなかったんだ。毛利さんと狭山さんが残るって言うから、一応見張りを任せてこっちまで来たんだ」

 「見張りってなに?」

 「見張りは見張りだよ。犯人が僕たちの中にいるのなら、捜査のどさくさで証拠隠滅しようとするかも知れないだろ。検分だって言ってウソを吐くかも知れない。だから二人以上の見張りが必要なのさ」

 「そんなこと……」

 

 ない、とは言い切れなかった。私たちの中に、益玉君と三沢さんを殺害した犯人がいるなら、そして命懸けの学級裁判をすると分かった今なら、虎ノ森君が言うようなことくらいする人がいてもおかしくない。それじゃあ、いま保健室で捜査をしてる尾田君を信じられるかどうか……なんだか疑わしくなってくる。無意識に信じていた情報を疑わなくちゃいけなくなる。足下の支えを失うような……身の置き場がない不安に目と耳を塞がれたみたいだ。

 

 「その点で言うと尾田君は怪しいね。犯人でないなら、あんなに現場の捜査にこだわる必要がない。一応見張りはいるけれど、彼なら二人の目を盗んで何か細工をすることも可能だとは思わないかい?」

 「……」

 

 分からなかった。尾田君が何を考えているのか。虎ノ森君の言葉にどれくらい理屈があるのか。何を信じるべきなのか。何も。分からない。分からないまま、私は倉庫を離れた。なんだか疲れた。結局、ろくに手掛かりは得られなかった。手掛かりがないことも手掛かりだって、湖藤君は前に言っていた。それを報告しに行こう。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【王村の異変)

  捜査時間中、普段は能天気な王村の様子がおかしかった。

  三沢の話を避けたり、歩き方が覚束なかったり、不審な点が目立つ。

 


 

 私は考えるのが苦手だ。あれこれ考えて最善の道を探している内に、時間は遠慮無く進んで私から選択肢を奪う。ならたとえ最善でなくても、みんなが納得できる妥協点くらいで行動してしまった方がいい。だから深く考えることはしない。私は私が直感で良いと思ったことをする。してはいけないことよりも、しなければ後悔することを優先する。だから考えるのが得意な人に頼るしかない。湖藤君は私の代わりに考えてくれる人だ。だから私の知った全てを、湖藤君に教えよう。

 

 「甲斐さんお疲れ様。ありがとう」

 「ううん。結局、あんまり分かったことはなかったよ」

 「そんなことないよ。甲斐さんがいてくれたおかげで、謎を解く準備ができたよ」

 

 ああ、湖藤君は優しい。何もできなかった私を、優しい言葉と笑顔で肯定してくれる。湖藤君のために頑張って良かったと、そう思える。これで私の役目は終わった。後は、湖藤君が考えて答えを出してくれるはずだ。

 

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!オマエラ!そろそろ捜査は終わったかな?はじめての捜査だから長めに時間をとってあげたけどもう待てません!ただいまより学級裁判を執り行います!至急、校舎内にある赤い扉の奥に集合してください!足下に気を付けるんだよ!うぷぷぷぷ!』

 

 食堂で情報共有を終えた私たちに届くモノクマからの集合命令。校舎内にある赤い扉、今まで存在を無視していたけれど、ついにあの扉が開くみたいだ。ということは、あの向こうには学級裁判の会場があるということか。そう思うと、私たちはいずれこうなることから目を背けていたのかも知れない。だから誰も、あの扉の存在を口にしなかったんだろう。

 

 「甲斐さん、行こうか」

 「う、うん」

 

 いよいよその時が来た。湖藤君は言葉少なに私を促して、私もそれに従った。足取りが重い。緊張や恐怖で心臓が痛いほどに脈打つ。押していく湖藤君の背中を、ただぼんやりと眺めて歩いていた。

 食堂から赤い扉まではすぐだ。その道のりは1分にも満たない僅かな時間で終わるのに、私には遥か遠く感じられた。押していく湖藤君がいつもより重く感じる。体が本能で前に進むことを拒む。それでもモノクマに支配されたこの世界では、行くしかないことも分かっている。ただそこに足を運ぶことが、私にはひどい苦行に思えた。

 

 「わっ。わっ。ちょっと甲斐さん!ストップストップ!」

 「へえっ?きゃっ……え、なに?」

 「あ〜あ、濡れちゃったね」

 

 いきなり湖藤君が焦った様子で声をあげるから、びっくりして立ち止まった。けど遅かったみたい。足下から漂ってくる妙な臭い。目を向けると、何か得体の知れない液体が赤い扉を進んだ先に広がっていた。まるでここに来る人たちを待ち構えるように。

 

 「な、なにこれ……?」

 「なんだろうね。誰がこんなことしたのやら」

 「尾田だ」

 

 慌てて謎の水たまりを通り過ぎて、私たちは赤い扉の奥にある小部屋まで進んだ。そこは何の飾り気も物もない、殺風景な部屋だった。たったいま私たちが通ってきた、いつもの生活空間に繋がる廊下。その反対側は真っ暗な空間に続いていて、キャスター付きの門扉で仕切られていた。既に何人かの人たちが集まっていて、湖藤君の疑問に答えたのは毛利さんだ。

 

 「尾田君?何やってるの?ていうかこれ……なに?」

 「後で説明しますよ。これから学級裁判に挑むのですから、できることは全てしておこうと思いまして」

 「……説明になってないよね」

 「だから後ですると言っているでしょう。アホですね」

 「アホアホ言わないでよ」

 「では阿呆がいいですか。呆け者でもいいですよ」

 

 てんで話にならない。やっぱり尾田君が何を考えてるか分からない。さっきの虎ノ森君の話を思い返して、私は靴の裏にべったりついた謎の液体の正体が不安で堪らなくなった。

 

 「まあ、何か考えがあるなら任せてみようよ。僕は車椅子で通過しちゃったけどよかったのかな?」

 「できればスリッパで踏んで貰えると」

 「分かったよ。甲斐さん、手伝ってもらっていいかな?」

 

 私はこんなに不安なのに、湖藤君はわざわざ尾田君に確認までして自分からその液体を踏んだ。不安どころか、尾田君の意図を汲んでるように思える。私はますます何がなんだか分からなくて、壁際に立つ尾田君となるべく離れた場所にいた。

 その後、来る人来る人みんな尾田君の仕掛けたトラップに引っかかっていた。理刈さんなんかイタズラだと思って顔を真っ赤にして怒ってた。人が死んでるのに不謹慎だって。それでも尾田君は平然として聞き流していた。一体なにがしたいんだろう。

 

 「ハイ!全員揃いましたね!いや〜二人減ったとはいえ18人もの大所帯となると、みんなの動向を把握するのがボクも大変だよ。まあいっか。ここからは楽になる一方だもんね!お正月のおみくじの凶と一緒だね!凶事の後にはお楽しみが待っているんだよ!」

 

 全員が揃ったタイミングで、またどこからともなくモノクマが現れた。相変わらず憎たらしい笑い声をひっさげて、私たちの真ん中でくるくると不愉快に踊る。ここにいる人たちの中で、モノクマだけは唯一心の底から楽しそうだ。

 

 「出やがったなこの野郎……!」

 「で、こんな狭いところで学級裁判とやらをやるのかい?」

 「そんなワケないじゃーん!こんな密閉・密集・密接(みっつみつ)の部屋で飛沫とばしまくりの濃厚学級裁判やったら明日からオマエラ全員個室待機でつまんねーだろ!空気の入れ換えとソーシャルなディスタンスを保持できる環境整えた裁判場にGO TOするんだよ!」

 「ワケの分からんことばかり言って、結局どうするのですか!」

 「つまり、学級裁判には特別な場所を用意しているのです。そっちのエレベーターに乗って裁判場までお行きなさいってこと!いけいけいけいけいけいけいけ!!」

 「おぅごっ!?なんだよ!」

 

 モノクマの言葉とともに門扉が開き、奥の暗い空間に灯りが点いた。およそ20人を収容できる大きなエレベーターゴンドラが現れて、私たちを招くように電飾で煌びやかに照らされた。モノクマは部屋中を無駄にバウンドしながら、私たちをせっつく。異常にテンションが高い。なぜか芭串君が一発もらった。

 不規則なモノクマの軌道をかわしながら、私たちはエレベーターゴンドラに逃げ込む。全員が乗り込んだことを確認すると、門扉はひとりでに動き出す。まるで私たちを日常から連れ去るように、門扉は大きな音を立ててゴンドラとその前の空間を隔絶した。音もなくゴンドラが動き出す。

 遠ざかる日常の灯り。沈んでいく非日常の暗闇。私たちの友達を殺した誰かを暴くために。私たちの命を守るために。私たちは挑む。挑むことしかできない。たとえその先に、絶望しかないとしても。




捜査編です。
過去に2作書いているので、今回ではそこまで奇を衒ったことをはしないで王道でいこうと思っています。まだ一章なので、とんでもないトリックや意外な犯人なんてものは奥の手として後の方にとっておくものです。普通はね。
こんなことを続けていると、もはやどうやって読み手の裏をかこうかと考えてばかりで人を信じられなくなってきます。どう考えてもこんなことにはならない方がいいです。楽しいですけどね。


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学級裁判編1

 

 エレベーターが動き出す。私たちを日常から非日常へと連れ去っていく。いや、この学園に来てから私たちの日常は失われていた。どうしようもない非日常を日常だと思い込んで、いつかこうなることを予感していながら考えないようにしていたんだ。だから、これは私たちが招いた結果だ。

 エレベーターが滑っていく。水平に、斜めに、上下に。もはやどこへどう移動しているのかさえ分からない。感覚が曖昧になる。振り回されるような雑な運転でなんだか酔ってきた。気持ち悪い。緊張で内臓が締め付けられる。

 

 「いつまで続くのでしょうか」

 

 ぽつりと庵野君がこぼした言葉が、やけに明瞭に耳に届いた。すぐ隣に立ってるからか。その言葉に答える人はなく、エレベーターが目的地に到着するまで、他に言葉を発する人はいなかった。

 ゆっくりと停止したエレベーターの前は、目から入った光が脳を焼くほど眩しかった。広々とした円形の空間の中央に、さらに円形の枠組みが設置されていた。そこから少し離れた場所に、この部屋全体を見渡すような背の高い玉座が置いてある。そこにはモノクマが足を浮かせた間抜けな姿で座っていた。

 

 「やあオマエラ!ようこそ!」

 

 私たちの到着を待っていたモノクマが、玉座から飛び降りて目の前に躍り出る。くるっと一回転して、その部屋の広さを全身で表現するように胸を開いた。

 

 「こここそが、オマエラの命運を決定する“学級裁判”が執り行なわれる神聖な部屋、“学級裁判場”なのです!」

 「どうやら地下のようですね。こんなものまで造るとは……」

 「さあさあ、オマエラはそれぞれ自分の名前が書いてある証言台の前に立ってね。18人もいるんだからキリキリ動く!」

 

 モノクマに急かされた私たちは、何か罠や仕掛けがあるんじゃないかと思いつつも従った。モノクマが用意した場所っていうだけで、ただ証言台の前に立つだけでもおっかなびっくりだ。取りあえず全員が証言台の前に立つと、円形に並んだみんなの顔が、ひとりひとりよく見える。それはつまり、みんなからも私の顔がよく見えるってことだ。

 

 「いや〜、こんだけ揃うとさすがに圧巻だね!20人でここに来られなかったことが悔やまれるよ……。益玉クンと三沢サンにも見て欲しかったなあ」

 「あ、あの……ひとつ伺いたいのですが、()()は一体どういうことなのでしょうか……?」

 

 青い顔をした谷倉さんが指さしたのは、20の証言席の2つに立てられた、ちょうど人ぐらいの高さがある立て札だった。その先には益玉君と三沢さんの顔写真があって、血のような赤で大きく×印が描かれている。モノトーンになったその写真や飾りは、それが二人の遺影であることを何よりも物語っていた。

 

 「死んじゃったからって仲間外れは可哀想でしょ?こうやってみんなと一緒にいられるようにボクが気を回してあげたんじゃないか。友情は生死を飛び越えるんだよ!」

 「なんと冒涜的な……お二人の死を侮辱しています」

 「うぷぷぷぷ♬さあて、この裁判が終わった後、遺影はいくつ必要になるかな」

 

 堪えきれないとばかりにモノクマは口を手で押さえて笑う。その言葉を聞いて、裁判場の空気が明らかにピリついた。緊張はある。恐怖ももちろんしている。どうすればいいか、何を話せばいいか分からなくて混乱している。

 ただそれ以上に、私は絶望していた。益玉君と三沢さんを殺害した犯人はきっと見つかる。謎もきっと湖藤君たちが解いてくれる。だけどその後は?学級裁判のルールは残酷だ。あの扉の奥に足を踏み入れた瞬間に決定していたんだ。また私たちの中の誰かが、命を落とすということが。

 

 「それじゃあオマエラ!いよいよ学級裁判を始めましょうか!ワックワクのドッキドキだね!」

 

 益玉君……。初めて会ったときは、ひ弱で怖がりで頼りなさそうな、そんな印象だった。だけど本当は、誰よりも友達想いで、誰よりもモノクマに立ち向かっていて、誰よりもコロシアイを避けようとしていた。そのためには、自分の命さえも投げ出せるような、そんな勇敢な人だった。

 三沢さん……。誰にでも優しくて、お料理も上手で美人で、非の打ち所のない人だった。いつも誰かのことを気にかけていて、私が倒れた後もすぐに益玉君の看病を代わってくれる、立派な人だった。

 そんな二人を手にかけて、平然と私たちと一緒にこの裁判場を囲んでいる人が……この中にいる?本当に?まだ信じられない。だけど今はそれでいい。その答えを明らかにするために、私は、私たちはここに立っている。

 これから始まる全てが命懸けだ。

 命懸けの追及。

 命懸けの弁護。

 命懸けの推理。

 命懸けの証明。

 もう逃げも隠れもできない。目の前の謎と真実に、向き合うしかない。

 


 

『獲得コトダマ一覧』

 【モノクマファイル①-1)

  被害者:益玉韻兎

  死因 :激しい殴打による脳震盪を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:鼻や口からの出血・嘔吐のほか、後頭部や胸部に軽度の骨折がある。

      モノトキシン2053により激しく衰弱していた。

 

 【モノクマファイル①-2)

  被害者:三沢露子

  死因 :連続的な頭部打撲による脳震盪及び脳挫傷を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:顔面に軽度の骨折がある。頭部以外に目立った損傷なし。

      また、服薬の形跡なし。

 

 【真っ赤なタオル)

  医務室の床に落ちていたタオル。三沢が氷枕に使っていたせいか、湿っている。

 

 【三沢の死体)

  頭部を激しく損傷しており強く殴られた痕跡があるが、傷口に凶器の破片は見られなかった。

  益玉の死体からは離れた、医務室の入口付近に倒れていた。

 

 【床の血)

  益玉が寝ていたベッドの下には血痕が散らばっていた。

  散り方は激しいが、致命傷になるほどの出血ではなさそうだ。

  不自然に途切れている部分がある。

 

 【甲斐の証言)

  早朝に目が覚めた甲斐は、頭痛を感じながらも医務室に向かった。

  その間、怪しい人影などはなかった。

  益玉と三沢の死体を発見した後は、その場で気を失った。

 

 【谷倉の証言)

  冷蔵庫と冷凍庫の中が昨日の夜と少し変わっていた。

  朝食の付け合わせにしようと冷蔵庫に冷やしておいた小鉢がなくなっていたことに気付いた。

 

 【空きペットボトル)

  食堂のゴミ箱に大量に詰め込まれていた、中身が空のペットボトル。

  どれも倉庫にあったミネラルウォーターのもののようだ。

 

 【焼却炉のシャッター)

  焼却炉の使用を制限するために設置されている昇降式のシャッター。

  通常は鍵を使って開閉するが、鍵が破壊されていて強引に開けられた痕跡がある。

 

 【燃えかす)

  焼却炉の中に残っていた何かの燃えかす。

  もとの形は判別不可能だが、本来は燃えないものを無理に燃焼させたために燃え残ったもののようだ。

 

 【王村の異変)

  捜査時間中、普段は能天気な王村の様子がおかしかった。

  三沢の話を避けたり、歩き方が覚束なかったり、不審な点が目立つ。

 


 

 

学級裁判 開廷

 

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票により決定されます。正しいクロを指摘できればクロだけがおしおきされます。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は、クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが晴れて卒業となります!」

 

 まるで何度も繰り返した言葉のように、モノクマは淀みなく簡潔に学級裁判を改めて説明した。つまり、私たちの命は私たちが握っている。その運命は、これから私たちがどんな議論を交わすかにかかっているということだ。

 

 「それでは、議論スタートです!」

 

 いざ始まると、私はたちまち呼吸すら強張る激しい緊張に襲われた。これからの発言ひとつが、自分の命を左右するかも知れない。声色が、仕草が、視線さえもが常に誰かに監視されているようで、じっとりとした嫌な水気を背後に感じる。それは私以外の皆も同じで、お互いがお互いの顔を見回して出方を窺い合っていた。

 

 「みんなどうしたネ!黙っててもなんも始まらないヨ!」

 

 裁判場を包む重たい緊張を引き裂くように、長島さんが明るく励ますような声を上げた。とにかく空気を破壊することが得意な長島さんだけど、今はその無邪気さがありがたい。長島さんが発言したことで、他のみんなも発言しやすくなった。

 

 「ぎ、議論なんて言われても……何から話せばいいのか分かんないから……」

 「正直に言うなら今のうちだよ!犯人さんは手を挙げて!」

 「いまさら名乗り出るわけないですねっ!そもそも本当に拙僧たちの中に犯人がいるかも疑わしいですが!」

 「それも含めて、これからの議論次第だと思うよ。だから取りあえず……こういうときに大事なのはアリバイとかかな?」

 「そうね。それじゃあアリバイの確認から始めていくとしましょう」

 

 湖藤君の提案に理刈さんが同調して、まずは全員のアリバイを確認するところから学級裁判は始まった。どうすればいいか分からず膠着していた裁判場の空気が、あっという間に裁判らしくなった。やっぱり、湖藤君は頼りになる。

 

 「モノクマファイルによると、事件発生時刻は23時から24時、真夜中ね。まずはその時間帯にアリバイがあるという人はいるかしら?」

 「基本的に全員部屋にいる時間帯ですね。アリバイのある方などいるのでしょうか?」

 「アリバイならあるぞ。私はその時間、狭山の毛繕いをしていた」

 「毛繕いされていました!お互いに証明できるのでアリバイ成立ですね!」

 「なるほどね。毛利さんと狭山さんはアリバイ有り……と」

 「その時間帯は、はぐは寝ている時間だ。僕が保証する」

 「それってアリバイって言えんのか……?つうか、そもそも共犯とかあるんじゃねえのか?そしたらアリバイ証明とか意味ねえんじゃ……」

 「その(あた)りはモノクマに訊くのが早いだろう。どうかな?」

 

 議論の中で不意に浮上した、共犯という可能性。王村さんがそれを言うまで、私はまったくそれを考えていなかった。犯人だ一人だという保証なんてない。だとすれば、二人がお互いに証明しているアリバイなんて何の意味もなくなってしまう。冷静に、菊島君がモノクマに質問を投げかける。

 

 「お答えしましょう!共犯そのものは校則違反でもなんでもないので可能です。ただし、クロの権利を得るのは直接手を下した人だけです!いくら手伝っていても、直接殺人に関わっていなければクロにはなりません!」

 「つまり……共犯者にメリットはないっていうことだね」

 

 なんだかよく分からないモノクマの答えを、虎ノ森君が簡潔に纏めてくれた。リスクを冒して殺人に協力しても、クロの権利を得られないんじゃする意味がない。ということは、共犯者の可能性はひとまず考えなくていいのかも知れない。

 

 「月浦と陽面だったら共犯もあり得るんじゃねえのか?普段からいつもべったりしてるじゃねえか。どっちかが犠牲になってもどっちかを出すとか、言い出しそうじゃねえか」

 「はぐもちぐもそんなことしないよ!ね、ちぐ!」

 「もちろんさ。二人一緒に外に出ないと意味がないだろ。はぐには僕がいないとダメだし、はぐがいないと僕が生きてる意味がない。お前は何を言ってるんだ?」

 「お前が何を言ってんだ」

 「とにかく、今のところアリバイを証明できるのは狭山さんと毛利さんだけということね」

 

 共犯の可能性を排除したとしても、月浦君の主張する陽面さんのアリバイは、アリバイと呼べるほどの証拠能力がないと判断された。月浦君は不服そうにしていたけれど、さすがに無理があると思っていたのかそこからさらに食い下がることはしなかった。

 

 「アリバイから推理していくのは無理そうね……毛利さんと狭山さんは、何かアイデアはある?」

 「いきなり無茶振りしてきますね。拙僧はな〜んも思いつきません!」

 「何のためにアリバイ証明したんだよ!?議論引っ張ってけよ!」

 「拙僧そういうのはしたくないので!毛利さんに一任します!」

 「お前もたいがい無茶振りするな……だが、ここは第一発見者の証言を聞いてみるのがいいんじゃないか?」

 「第一発見者……って、わ、私?」

 

 理刈さんから毛利さんに投げられた無茶振りのボールが、今度は毛利さんから私の方にパスされてきた。みんなの視線がそのボールを追うように移ってきて、一斉に私に注がれる。みんなの注目を浴びるのは初めてのことじゃないけど、場所が食堂から裁判場に変わるだけでこんなにも感じる重圧が違うものなんだ。

 取りあえず、私は自分の見たもの、感じたものを感じたままに言うしかない。ちょっとずつ、私は自分の記憶を辿る。

 

 「私は……今朝、自分の部屋で目が覚めて、それで益玉君の看病をするために、保健室に向かったの。なんだか頭が痛くてふらふらしたけど、とにかく行かなきゃって思ってたから、壁伝いにこうやって……」

 「人影を見たり、不審なものがあったりしなかった?」

 「うぅん……具合悪くてそれどころじゃなかったけど、そういうのはなかった気がする。さすがに誰かいたら気付くと思うよ」

 「それで、死体発見時の状況は?」

 「えぇっと、保健室に行くまでは必死だったからあんまり覚えてないんだけど、保健室に近付いてきたあたりから……嫌な臭いがして、余計に気持ち悪くなって、中を見たら……益玉君と三沢さんが死んでて……」

 「そっか。辛い思いをしたね」

 「私が……もっと早く保健室に着いてたら……」

 「死亡推定時刻は真夜中頃です。多少早く着いたところで為す術はありません。無意味に自分を責めるのは議論進行の妨げになるので慎んでください」

 「慰めるのと責めるのを同時に……!?」

 

 目で見た景色だけじゃなく、そのとき感じた頭の痛み、気持ち悪さ、不快な臭い、それら全てが思い出される。ただでさえ緊張でくらくらしてるところに、そんなことを思い出したせいで余計に脳内が掻き乱される。このままだと吐きそうだ。呼吸が荒くなって、涙が溢れてきて、頭が重くなる。

 

 「ありがとう甲斐さん。無理をさせたわね」

 「結局たいした情報はなかったなぁ。犯人らしいヤツがいたわけでもねえし」

 「こういう場合は、第一発見者を疑うのがセオリーなんじゃないか?そいつが犯人なら発見時のことなんてどうとでも言えるだろ」

 「へっ……」

 

 滲み出た汗を拭って議論の行方を見守っていようと一息吐いたところに、月浦君から思いがけない追及が飛んできた。第一発見者──つまり、私のことを疑ってるっていうことだ。私が、益玉君と三沢さんを殺したと、そう言ってる。

 

 「そ、そんなこと……!しないよ……!」

 「そうだよ!そんなわけないでしょ!」

 

 絞り出した言葉に呼応するように、宿楽さんが声を上げてくれた。だけど月浦君は変わらず私を睨み付けている。

 

 「なんでそんなわけないんだ?証拠でもあるのか?」

 「甲斐さんは保健室の前で気絶してたんだよ?月浦さんも見たでしょ!?あれはどういうことなの!」

 「そんなもの演技くらいできるだろ。死体を見て気を失う殺人犯なんているわけがないからな。浅知恵だけど効果的だ」

 「えー?気絶の演技なんてはぐできないよ?白目できないもん」

 「はぐはそんな演技しなくていいんだよ」

 「はい!よろしいでしょうか?」

 

 月浦君の追及に待ったをかけたのは、用意してもらった専用のお立ち台の上で手を挙げた狭山さんだった。

 

 「気絶が演技かどうかは分かりませんが、事件前夜に倒れたアレは演技ではありませんでした!」

 「なに?」

 「拙僧、事情により酔っ払いの相手には心得があります。昨夜のあの甲斐さんは演技などではなく、歴とした泥酔でした!」

 「……なぜ酔っ払いの相手に心得があるのかは、今は不問にしておくわ。信じていいのよね?」

 「もちろんです!」

 「まあ、すねにあざも出来ていらっしゃいますし、気を失って倒れたのも本当だと思います」

 「へっ?あざ?」

 

 何気ない谷倉さんの一言で、私は思わず自分の足を確認した。確かに、すねに赤黒い痕ができていた。全然痛くないから言われるまで気付かなかった。それを見てまたみんなの視線を集めたことに気付いた。そんな、人に見せられるような脚じゃないから恥ずかしい。

 

 「では甲斐さんの証言は信用しておくとして……他に目撃証言とかはあるかしら?」

 「……目撃証言ではありませんが、疑問ならひとつ」

 

 再び議論が止まりそうになる裁判場の雰囲気を察したのか、今まで静観していただけの尾田君が手を挙げた。みんな、次の尾田君の発言に期待しつつも、嫌な予感を覚えていたみたいだ。尾田君が喋ると、いつも空気が悪くなる。

 

 「三沢さんは益玉君の看病のために保健室にいたはずです。にもかかわらず、益玉君と三沢さんはどちらも殴り殺されていました。どちらかが殺されているときに、どちらかが声を上げて人を呼ぶなり、止めに入るなり、手掛かりを残すなりできるものではありませんか?」

 「益玉君は体を動かせないから止めに入るのはできないと思うけど……犯人の手掛かりを遺すことくらいはできるかも知れないね」

 「ですが現場にそれらしき痕跡はありませんでした。益玉君はベッドの上で殺害され、三沢さんは頭部の打撲により殺害されていました。なぜ二人は外部に助けを求めなかったのだと思いますか?」

 

 ちょっとだけ驚いた。てっきり尾田君はすごく後味の悪い結末でも考えているんじゃないかと思ってたから、真っ当な疑問を投げかけてきたことが意外だった。こんなことを考えてるとバレたら、余計に尾田君から目の敵にされてしまいそうだ。

 それはともかく、尾田君の疑問に対する答えを私は持っていない。確かに、犯人は一度に二人を殺害したわけでもないだろうし、どうして保健室から逃げようとした痕跡がなかったんだろう。

 

 「ふふ……尾田。それは本気か?或いは俺たちを試す心算(つもり)か?」

 「はい?なんですか?」

 

 尾田君の疑問に答えたのは、不敵に笑う菊島君だった。

 

 「構わないさ。高々數日(すうじつ)、同じ釜の飯を食ろうた程度の相手。力量を見極めることは大切だ」

 「なに笑ってんだ!アンタが犯人か!?」

 「お前は物を短絡的に考え過ぎだ。折角男を喜ばせる(からだ)に惠まれているのだから、(だま)っていれば良いものを」

 「今さらっとド最低なこと言った!?100回辞任するレベルだよ!?」

 「何が言いたいのか分かりませんね。小説家先生の語彙は我々浅学の者には理解しにくいものですから、単刀直入にお願いします」

 

 横槍を入れてきた岩鈴さんに最低の返しをしてから、菊島君は尾田君に正対した。尾田君は尾田君で、絶対に意味が分かってるはずなのに挑発するような返事をする。二人とも息を荒げたりこそしていないものの、なんだかピリピリした雰囲気を感じる。絶対口には出さないけど、陰険と最低の対決だ。

 

 「お前の問いの答えなど分かり切っていると言っている」

 

 そう言って、菊島君は自分の推理を披露しはじめる。

 

 「助けを求めるということは、第三者を保健室に招くということだ。なぜ二人ともそれをしなかったのか。それは、第三者に()られては困るからだ」

 「困る、というと?」

 「殺害現場を見られてしまわないようにしたのだろう」

 「さ、殺害現場って……保健室のことか?ん?いや、二人は被害者なんだから別に困ることなんて」

 「ああ、そういうことか」

 「さっぱり分からない!Japonés(日本人)ははっきり物を言わなさすぎる!」

 

 カルロス君が頭を抱える。虎ノ森君や他の何人かは今の菊島君の言葉で察したみたいだけど、私はまだ全然分からない。なんで被害者の二人が、保健室の惨状を見られて困ることがあるんだろう。

 

 「つまり、二人とも殺害現場を見られては困る立場だった。二人とも、殺害の實行犯(じっこうはん)だったということだ」

 「殺害の実行犯……!?二人とも……!?そ、それって……!」

 「そう。益玉韻兎と三沢露子は、どちらも被害者であり、どちらも加害者であった。昨夜あの保健室では、死亡した二人によるコロシアイが起きていたのだ」

 「哎呀(アイヤー)!?兎兎(トゥートゥー)露露(ルールー)がコロシアイ!?」

 

 にわかには信じられない推理だった。そんなバカなことがあるはずがない。益玉君は誰よりもコロシアイを憎んでいた。三沢さんは誰よりもみんなの和を大事にしていた。そんな二人が、よりにもよってその二人が、お互いを殺すなんて、そんなことあり得ない。私は反論した。

 

 「そ、そんなわけないよ!コロシアイなんて、あるはずないよ!だって、二人ともあんないい人だったのに……!」

 「ふふふ、“いい人”か。確かに益玉も三沢も、俺たちに危害を加えるような人閒(にんげん)には見えなかった。だが、お前がヤツらの何を知っているというのだ甲斐。人閒の心根というのは不可解極まる出口のない迷宮のようなものだ。一生の友であろうと知らぬ一面のひとつやふたつあるものだ。況してや數日(すうじつ)を共に暮らした程度に過ぎない俺たちに、ヤツらの全てを知ることなど到底出來(でき)ようもないことだ」

 「でも……!でも……!」

 

 私の反論はいとも容易く、そして倍以上になって返されてしまった。今まで私たちが見ていた益玉君と三沢さんの顔は、二人が自分たちを信用させるために取り繕っていた顔だったってこと?本当は心の中でコロシアイのチャンスを窺ってたってこと?

 そんなの、納得できるわけがない。

 

 

 【議論開始】

 「益玉と三沢はなぜ外部に助けを求めなかったか……それはそのどちらもが殺人に関与していたからだ」

 「な、なんだってー!」

 「益玉は死に至る毒に冒されていた。自ら犠牲を申し出てはいたが、死を実感し恐ろしくなったのだろう。近くには手頃に殺せそうなか弱い三沢がいる。ヤツは死の恐怖に敗れ、三沢へ不意の一撃を食らわせたのだ」

 「ふむ……さすがの三沢さんでも、殺意を感じれば抵抗くらいはすると思いますが、殺害までするでしょうか?」

 「ただでさえ弱っている益玉だ。数発殴られただけで死亡してしまうほどに衰弱していたのだろう。そして益玉を返り討ちにした三沢も、益玉の不意打ちで命を落としてしまう。不可解な殺人現場の完成だ」

 「あの二人が殺人……!?にわかには信じがたいけれど……」

 「(コン)窮した人間は何をするか分かりませんからね。あり得なくはないと、拙僧は思いますよ!」

 「そういう訳だ。では、“反論”を聞こうか」

 

 「それは……違うよ!」

 


 

 事実に合致するかどうかはさておき、菊島君の推理は一定の筋が通っているように聞こえた。だけど、実はそうじゃない。彼の推理には綻びがある。間違った結論へ進んでしまわないように、益玉君と三沢さんの死を正しく受け止めるために、私はその綻びに向けて言葉を放つ。

 

 「菊島君、君は知らないんだね」

 「何をかな?」

 「保健室には、犯人が三沢さんを殺害するのに使用したはずの鈍器がなかったんだよ」

 「そ、それは本当?凶器がないってすごく重要な情報じゃない!」

 

 予想通りというかなんというか、菊島君は私の反論なんて気にも留めてない風に平然としていた。むしろ理刈さんの方がよっぽどリアクションしている。だけど、きっと菊島君はこれを知らなかったはずだ。現場の捜査はしてないはずだし、今の推理には凶器のことに全く触れてない。

 

 「それがどうした。三沢を襲った際に凶器が壊れでもしたのだろう。人の頭は案外頑丈だからな」

 「いいえ。それも違います」

 「ん」

 

 私に代わって反論を引き継いだのは、尾田君だった。引き継いだというより私の発言の順番に割り込んできたような感じだ。若干語気が荒くなって、眉をひそめ眼光は鋭くなっている。明らかにイラついてるみたいだ。

 

 「三沢さんの頭部の傷は調べましたが、異物は発見されませんでした。通常の鈍器が破壊されれば、何らかの痕跡が残っているはずです。それがないということは、三沢さんの殺害に使用された鈍器は破壊されていないと考えるべきです」

 「では見落としたのだろう。ベッドの下や棚の裏の隙閒(すきま)まで探してはいまい?」

 「否!拙僧が隅々まで調べました!毛利さんからサラミを頂いたので!」

 「……」

 

 三沢さんの殺害に使われた凶器は破壊されていない。けど保健室のどこにもそれらしいものはない。見落としたわけでもないとすれば、やっぱり可能性はひとつしかない。誰かが処分したんだ。犯人でもない人にそんなことをするメリットはないし、仮にいたとしたらもう名乗り出ていてもおかしくないはずだ。そうなってないということが、全てを物語っていた。

 

 「もういいですかね?間違っていると分かり切っていたのはあなたの意見の方でしたね、菊島君」

 「……まあいいだろう。今は噛ませ犬に甘んじておくとしよう」

 「強がりとは思えない余裕っぷり……ううむ、大物ですね」

 「無駄とは言いませんよ。おかげで議論すべきことが明確になりました」

 

 斯くして菊島君の推理ははっきりと否定されてしまった。そこから分かったことはない。既に私たちが集めていた証拠で論破することができた。果たしてそれは時間を浪費しただけかと思えば、尾田君はそうは思っていないらしい。

 

 「三沢さんの殺害に使用された凶器は、一体どこへ行ってしまったのか。これが次に議論すべきことです」

 

 それは、まだ私たちが知らないことだ。もしかして菊島君は、この議論を誘発するために敢えて成立していない推理を披露したのかも知れない。そう思ってしまうほど、菊島君は余裕の笑みで尾田君を見ている。当の尾田君は気持ち悪そうに、気に入らなさそうに、気分悪そうに、モノカラーで集めた情報を眺めている。

 

 「ちょっと待ってくれ。おいらぁまだ全然ついて行けてねえんだが、モノクマがよこしたぁ……えっと……」

 「モノクマファイルだよ!覚えてね!」

 「そう、モノクマファイルだ。それだと、益玉も三沢も撲殺だってんじゃねえか。だったらよう、三沢を殺した凶器も益玉を殺した凶器も同じなんじゃねえのか?」

 「それが違うんだよ、王村さん。モノクマファイルには、益玉くんは“殴打”による死亡、三沢さんは“打撲”による死亡とある。つまり、殴殺と撲殺の違いだ」

 「そりゃあどう違うんでえ?」

 「つまりは、拳骨で殴って殺すか、凶器を使って殺すか、ってことだね」

 「へえ。そんな分け方をするんだな」

 

 私は既に湖藤君から聞いてたから二回目の説明だった。二人の死因の違いはモノクマファイルにも分かりづらいけどはっきり書いてある。つまり、これはかなり重要な情報だっていうことだ。

 

 「普通、凶器が手元にあるのにわざわざ殴殺する人はいないよね」

 「命のやり取りになると誰でもテンションがあがって普通はしないようなことをするものだよ。凶器の存在を忘れたのかもしれない」

 「でも、三沢さんは凶器で殺害してるよ」

 「二人の被害者の殺害方法が違い、片方は凶器を使わず、片方は凶器を使って殺害している。そして凶器は失われていない。ここから導かれる結論はひとつです」

 

 尾田君は敢えて自分では言わず、誰かが気付くのを待っているみたいだ。湖藤君はもう気付いてるみたいだけど、他の人たちは首を傾げている。凶器を使った殺人と使ってない殺人、凶器が壊れたわけではないのにその違いがあるのは……。私は思い付いたことをそのまま口にした。

 

 「途中で、凶器を手に入れた?」

 「その通りだよ、甲斐さん」

 

 尾田君に代わって、湖藤君がそう言った。一応尾田君の方を見てみると、特に否定するわけでもなく、ぷいっと視線を逸らした。たぶん当たってるってことなんだろう。当たってるのにこんな素っ気ない態度を取られるんじゃ、もうどうしようもない。

 

 「途中で、ってどういうこと?」

 「だから……犯人はまず益玉君を殺害したんだよ。そのときは凶器がないから殴殺した。その後で凶器を手に入れて……三沢さんを撲殺した」

 「いやあ、それはちょっと無理があると思うな」

 

 私だって確信があって言ってるわけじゃない。尾田君の誘導に乗って思い付いたことに則って事件を整理したらそうなるってだけだ。なのに、虎ノ森君は私に向けて異を唱えた。どうしよう。

 

 「三沢さんは益玉君の看病をしていたんだよね?なら保健室で一緒にいたはずだ。そうしたらやっぱり、外に助けを求めなかったことがおかしくなってしまう。それに、凶器が存在したりしなかったりするとは思えないな」

 「だ、だからそれは……」

 「二人は別々に殺されたっていうことじゃない?」

 「うん?別々に?」

 

 まともな反論もできず、かと言って虎ノ森君の意見に納得することもできず、私はただ口ごもってしまった。そんな私に助け船を出してくれたのは、やっぱり湖藤君──ではなくて、意外にも宿楽さんだった。

 

 「別々にっていうのは、どういうことかな?」

 「いや〜あのね、いま閃いたことだからそういうつもりで聞いて欲しいんだけど、三沢さんが益玉さんの看病することになったのって、夕食後に急に決まったことじゃん?」

 「誰かさんのせいでネ!」

 「いやあ面目ねえ」

 「だから看病のために色々準備とかしてて、保健室を開けることもあったんじゃない?」

 「それはつまり……犯人は三沢さんが保健室を離れるタイミングを見計らって、保健室に侵入して益玉君を殺害したということか?しかも、後から来た三沢さんも手にかけたと?」

 「だと思うんだけどなあ。このモノクマファイルの死亡時刻だって、1時間って広く取り過ぎじゃない?」

 「まあ確かに……カメラで全て見ていたにしてはだいぶ暈かしていますね」

 「ドキーーーンッ!!」

 

 あからさまに、わざとらしく、モノクマがリアクションした。あまり気にしてなかったけど、考えてみればモノクマは監視カメラとモノカラーで私たちの行動を全て把握しているはずだ。死亡推定時刻なんて、秒単位で分かったっていい。それなのに1時間も範囲を広げて曖昧な書き方にしたのは、そこに事件に解決に繋がるヒントが隠されているからだ。

 

 「じゃあ本当に、益玉君と三沢さんは別々に殺害されたということかしら……」

 「しかし、証拠がありませんね。今までの議論で得られた情報は、全て推定でしかありません」

 

 庵野君の懸念は尤もだ。二人の殺害方法の違いから、二人が別々に殺害されたというのは、可能性の話でしかない。三沢さんなら、途中で益玉君をひとりにすることがないように準備をしていたかも知れない。この話には、それが確かだと言える根拠が欠けていた。

 私は考えていた。何かないか。三沢さんの行動を裏付けられるような証拠……決定的でなくてもいい。なにか、手掛かりでもあれば……。

 

 

 【証拠提示】

 A.【真っ赤なタオル)

 B.【焼却炉のシャッター)

 C.【王村の異変)

 


 

 「あっ」

 

 思い付いた。三沢さんの行動を辿る手掛かりになりそうな情報。それを直接示すものでなくても、何かきっかけになりそうなこと。私は、そのカギを握る人に目を向けた。

 

 「王村さん」

 

 名前を呼ばれると、小さな体がびくっと跳ねてお立ち台から落ちそうになった。みんなの視線が一斉に王村さんに注がれる。王村さんはその視線から自分を守るように頭巾を深めに被って、私の方をこわごわ見つめ返した。明らかに挙動不審だ。やっぱり何か知ってるんだ。

 

 「王村さん、もしかして昨日の夜のこと、何か知ってるんじゃないの?三沢さんのこととか……」

 「し、し、知らねえよ!おいらあ何も知らねえ!」

 「どう見ても動揺してんじゃねえか!知らねえわけねえだろ!」

 「いやあ……さ、酒が切れちまって、禁断症状が……気にしねえでくんな」

 「余計に気になるよそれは……!?」

 

 誰がどう見ても王村さんは何かを隠している。けど、簡単には口を割ってくれそうにない。でもここで引き下がったら、何か大事な重要を見落としてしまいそうな気がした。ここは多少強引にでも、王村さんに知ってることを全部話してもらわなきゃダメだ。

 

 

 【議論開始】

 「王村さん……知ってることを教えてほしいの。昨夜の三沢さんについて、何か知ってるんでしょ?」

 「知らねえよ!おいらあ何も知らねえって!」

 「どう見てもなんか隠してるだろ!男のくせにウダウダ言ってんじゃないよ!全部出して楽になっちまえ!」

 「隠せば隠すほど立場は弱くなります。早めに決断されるがよろしいかと」

 「ええいちくしょう!なんだよどいつもこいつも寄って集ってイジメやがってよう!知らねえって言ってんだろ!おいらあ昨日晩飯の後は“ずっと部屋にいた”ってんだよ!」

 

 「本当かな……?」

 


 

 王村さんが嘘を吐いてるのは明白だ。だけど、それを示す根拠を提示しないと王村さんは口を割ってくれそうにない。直接的な証拠じゃないし、王村さんが関わってるっていう確かな根拠があるわけでもない。だけど、きっと突破口になるはずだと確信できる証拠がある。

 

 「実はね、昨日の夜に谷倉さんが今日の朝ご飯を用意しててくれたの」

 「それがなんでい!」

 「でも、今朝確認したら、それが減ってたんだ。誰かがつまみ食いしたんだと思うんだけど、もしかして……」

 「おいおいおい!それもおいらのせいだっつうのかよ!?」

 

 これは三沢さんとは関係ない罪の疑いだ。それも、証拠もなにもない。ただ、やりそうな気がする、というだけの理由で疑ってる。だから王村さんが怒るのも当然だ。もし、本当に知らないのなら。

 

 「確かにおいらぁ四六時中酒飲んで酔っ払ってるダメな大人かも知んねえけどなあ!冷蔵庫開けて人様のぬか漬けまでつまみ食いするような碌でなしじゃねえっつうんだよ!なんでもかんでもおいらのせいだと思うない!」

 「ぬか漬けなんて言ってないよ?」

 「冷蔵庫にしまってあったとも申しておりません」

 「ちくしょう!!!」

 「ボロ出しのスコアアタックRTAか?」

 「テメエ王村この野郎!四六時中酒飲んで酔っ払ってるダメな大人な上に人様のぬか漬けまでつまみ食いするような碌でなしじゃんか!!」

 

 全然正当な怒りじゃなかった。むしろ逆ギレて開き直りながらボロを出すなんて器用なことをしてた。この人が私たちの中で最年長なんだって思うと、なんだか色々と心配になってくる。

 

 「おい王村。これ以上は……さっきからそうだったが、足掻くほど見苦しいだけだ。言うべきことがあるなら言え」

 「ぐっ……!」

 「どうなんだ。お前は三沢と会ってるのか」

 「言っちゃえ言っちゃえー!」

 

 証言台が丸く並んでる意味を、私は今知った。ひとりを責め立てるときに全ての方向から声が飛んでくるんだ。自分からみんなの顔が見えるということは、みんなから自分の顔が見えるということだ。誰かひとりが不利になると、たちまち証言台は晒し台に変わる。王村さんは息苦しそうに声を詰まらせて、どんどん顔を青くしていく。

 

 「……あ……ってた、よ……!三沢と……!」

 「あ、言った」

 「おいらぁ昨日の晩……三沢と、会った……!」

 「最初から正直に言えばいいんだ。で、何があったんだ」

 「会っただけだ!本当にあっただけでなんもしちゃいねえよ!」

 「王村さん。ただ会っただけのことをそんなに必死に隠す必要はないよね?」

 「うっ……」

 

 王村さんの往生際が悪過ぎて、なんだか本当に王村さんをいじめてるように思えてきた。でもここで引き下がって答えを間違えるようなことになったらシャレにならない。ひどいことをしてるように見えても、これは大事なことなんだ。

 そんなみんなの思いを代弁するように、湖藤君がにこやかに言った。威圧するような雰囲気はない。むしろ聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような、温かみと厳しさを兼ね備えた言い方だった。

 

 「この裁判は、ぼくたち全員の命が懸かってるんだ。その中には当然、王村さんも含まれている。言いたくないことや言いにくいことはあるかも知れないけれど、何が真実に繋がるか分からないんだ。最後に後悔しないように、言うべきことはしっかり言うことが王村さんのためにもなるんだよ」

 「これ本当にいい大人が言われるセリフか?」

 「くっ……!わ、分かったよ……!ほ、本当に全部話す……話したらあ!」

 

 やけくそ気味に、王村さんは叫んだ。私たちはみんな呆れて白い目を向けていたけれど、もはやそんなことも気にならないくらい、王村さんは逆上しているみたいだ。せめてこれから王村さんが話すことで、少しでも事件の真相に近付くことができたらいいんだけど……。不安は尽きない。

 

 

学級裁判 中断




裁判編です。
過去作の裁判では一章から長ったらしくなってしまったので、今回はあっさりめでいこうかと思います。


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学級裁判編2

 

 はいどーもー!毎度お馴染み、モノクマの前回までの学級裁判!のコーナーですよ!

 え?今回が初めてだって?ああそっか、まだ1回目だったね。ごめんごめん。でも1回目じゃない人もいるんじゃないのかな。だから間違っても仕方ないのです。人は間違えてしまう生物なのです。人は愚かなものなのです。特にオマエ!画面の前のオマエ!

 

 メタいディスばっかしてたらブラウザバックされてしまいそうだから、早速本題にいきましょうね。コロシアイ学園生活最初の事件は、なななんといきなり被害者が二人も出てしまう殺意マシマシ悪意濃いめ害意カラメのハイカロリー事件でした!しかもその被害者は、誰よりもコロシアイを回避しようと頑張っていた“超高校級の語り部”益玉韻兎クン!そして時に優しく時に厳しく和やかな雰囲気作りに一役買っていた気分屋な“超高校級のサンタクロース”三沢露子サン!どちらも殺される理由なんてない人だっただけに、これはショックだね〜〜〜!甲斐さんなんて見つけた瞬間ぶっ倒れるくらいだから!ゲ〜ラゲラリ!

 そんでもって学級裁判は始まったわけですが、これがま〜〜〜見事なぐずぐずっぷり!まとまりはね〜わ手掛かりは足りね〜わシロ同士でさえ協力できてね〜わひどいもんですわ!でもま、最初の裁判だからこんなもんかな。いきなり二人も殺されて緊張しちゃってんのかもね。

 まあまとまりはないなりに、菊島クンや湖藤クンが中心になって事件の概要をさらったりクロが生存していない可能性を潰したり、いちおう前には進んでる感じかな。ナメクジよりものろまな歩みだけどもね。そんなスローモーションより退屈な裁判の中で、急に議論の中心に挙げられたのは王村伊蔵クン!いつも飲んだくれてふらふらしてるチビ太郎スマイルがこんなところで注目を浴びてしまって、とんでもないことになってるね!しかもどうやら三沢さんと事件のあった夜に会ってるらしいし……これはものすごく怪しいですなあ。こりゃ犯人特定まで急展開起きちゃう!?決まっちゃう!?うぷぷぷぷ!どんな裁判でも終わり際になると嫌が応にもドキドキワクワクしてきちゃうものなんだよ!さあ、今回の裁判はどんな結末を迎えるのか!それは果たして正解か、不正解なのか!それを見届けるのはオマエだよ!画面の前のオマエ!見届けてくれよな!

 


 

学級裁判 再開

 

 もしかしたら王村さんはとんでもない秘密を隠していて、命を懸けても守ろうとするかとちょっとだけ思った。でもそれは杞憂だったみたいだ。

 

 「おいらあ昨日……さっき甲斐が言った通り、冷蔵庫のぬか漬けをつまみ食いしてたよ。晩酌のアテに」

 「ちょっと!あなた昨日あれだけ言ったのにまたお酒飲んでたの!?甲斐さんに申し訳ないと思ってないわけ!?」

 「え?え?なに?」

 「昨日、甲斐さんがお酒を飲んで倒れた後、理刈さんが王村さんを叱ったんだ。それで、しばらくお酒は控えるようにってキツく言われてたんだ」

 「でも飲んだんだ?」

 「甲斐には申し訳ねえと思ってたけど、おいらぁこんなところに閉じ込められて、楽しみがそれくらいしかねぇんだ。夜中なら人はいねぇかと思って食堂で飲んでたんだよ」

 「マジもんの酒クズじゃねえか……!(アタシ)んとこの工場にも飲み過ぎて肝臓ぶっ壊したヤツがいたけど、それと同じだわ……!」

 

 王村さんは語り始めた。昨日の夜、何をしていたか。今のところは本当にひどい話しか出て来てないけど、ここから事件の手掛かりが見つかるのだろうか。お医者さんに聞かせる話じゃない?

 

 「で、夜も遅くなってアテがなくなってきたとき、いきなり食堂の扉が開いて三沢が入ってきたんだ」

 


 

 「あら?王村さん……」

 「ん?おお〜、みさわぁ!こんなぁ〜夜中にどした〜?」

 「ああ……あらあらあらあら。なんだかお顔が赤いですよ。何をしていたの?」

 「いやちょっとなぁ〜、アテがなぁ、なくなってきってんだよ……まぁこっち来ねぇ。こんな美人に酌してもらいやぁアテなんかいらねぇやな」

 「そう。()()()()()()()()()

 

 そう言って三沢のヤツ、にこにこしながら近付いてきたんだ。そんでおいらを立たせて、酒を注いだ猪口を持たせてから言ったんだ。

 

 「そんなにお好きなら、そのお酒、こぼしちゃいけませんね」

 「おう!あたぼうよ!」

 「頼もしいわね。じゃあ頑張ってね。()()()()

 「へ?」

 

 何のことか分からなくて、ぽかぽかの頭で考える暇もなく三沢は腰に手をやったんだ。そんで次の瞬間……!

 

 「いでえええっ!!?」

 

 ケツを引っぱたかれたんだ。

 

 「うふふふ!本当にちょうど良かったわ王村さん。私、なんだか今日は罰したい気分だったの!」

 「いだだっ!!だっ!!ちょ、ちょっ……待って!!ごめんごめんごめんごめん!!」

 「益玉君が大変なときに!甲斐さんがあんなことになって!理刈さんにもしっかり怒られて!みんなに迷惑かけて!まァだ懲りてないのかしら!!こんなに罰し甲斐のある人は初めてよォ!!」

 「おぎゃーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 


 

 「──てぇなことがありまして」

 

 気恥ずかしそうに頭を掻きながら王村さんが語ったのは、なんとも言い難い内容だった。私だけじゃない。みんなが白い目を向けている。

 

 「しょうもねえ……」

 「情けねえ……」

 「みっともねえ……」

 「ないない言うない!あーそうですよ!おいらぁ酒で甲斐がぶっ倒れて理刈にしこたま叱られたその日に性懲りもなく晩酌してぬか漬け盗み食いした挙げ句に三沢にケツしばかれておめおめと部屋帰って屁ぇこいて寝たしょうもなくて情けなくてみっともねえチビすけですよ!」

 「屁は知らんですな」

 「こういう大人にはなりたくないね」

 

 なるほど。だから地下倉庫で会ったとき、王村さんの歩き方がおかしかったのか。お尻が痛くて上手く歩けなかったんだ。そりゃあ恥ずかしくて言えない。

 それにしても散々な言われようだったし、散々な言いようだった。全部王村さんの自業自得だから可哀想とは思わないけど、最年長がこうも袋叩きにされるのを見るのはなんだか忍びない。早いところ話を進めてあげたほうが王村さんのためにもなる。

 

 「じゃ、じゃあ王村さんは、昨日の晩に三沢さんと会ってるってことだよね?」

 「あ、あぁ……あいつが殺されて、疑われるかと思って言えなかったんだよ……。でも!おいらぁ殺しなんてしてねぇ!信じてくれ!」

 「それはこれからの態度次第ですね。取りあえず、知ってることを洗いざらい吐いてもらいますよ。その後、三沢さんはどうしてましたか」

 「なんか……厨房の方行って赤ぇもん持って出て来ましたです」

 

 もうそれ以上王村さんを責める人はいなかった。責めてもしょうがないと思ったのか、話を進めた方がいいと思ったのか。どっちにしても同じことだ。王村さんはますます小さく見えてきて、証言をする姿も痛々しい悲愴を帯びている。

 

 「赤いもの……となると、アレのことかな」

 

 証拠提示

 A.【真っ赤なタオル)

 B.【床の血)

 C.【燃えかす)

 


 

 「現場に落ちてた、赤いタオルのこと?」

 「タオルなのか?ああ……そういや何かを包んでたような気がするな。ありゃなんだ?」

 「氷枕でございますね」

 

 王村さんの証言を受け取って次に繋げたのは、谷倉さんだった。惨めな王村さんとは対照的に、指先まで洗練された所作で裁判場のみんなに自分の考えを説明する。相変わらず堂々としてる。

 

 「益玉様の看病をされる前に、氷枕の代わりに凍らせたペットボトルを作っておられました。おそらく三沢様は、それを取りに来られたのでしょう。タオルは地下倉庫にあったものをよく使われていましたから、間違いないかと思います」

 「王村さん。先ほど三沢さんに愛の折檻を受けられたのは何時頃のことでいらっしゃいますか?」

 「あ、愛?え〜っと……確か、11時半よりちょい前だったと思うぜ。部屋に帰ったら日付が変わってたくらいだったからな」

 「となると、モノクマファイルの死亡推定時刻にも合いますね」

 「な、なにが……?」

 「手前の口からは……少々」

 

 谷倉さんの話を聞いて、庵野君が王村さんに確認した。王村さんが三沢さんに会った時間と、三沢さんの死亡推定時刻はほぼ同じだった。ということは、王村さんに会ってからほどなくして……三沢さんは亡くなったっていうことだ。つまり──。

 

 「三沢さんは、自分を殺害する凶器を持って保健室に向かったということだ」

 

 その先を預かったのは湖藤君だった。それは、気付いていても口にすることが憚られる、残酷な事実だ。きっと三沢さんは、手にしたそれで襲われることなんて考えてもなかったと思う。

 

 「自分を殺害する凶器って……!なんだよそれ……!」

 「死亡推定時刻から考えて、三沢さんが王村さんと会って保健室に戻っていく頃、たぶん益玉君はもう殺害されていた。そして三沢さんは、そのあと保健室に戻って……犯人と鉢合わせた」

 「それでとっさに殺害されたということですね。口封じでしょうか」

 「く、口封じ!おっそろしいことを考えますね!しかし納得はできます」

 「でも露露(ルールー)が自分で凶器を持っていったっていうのはどういうことカ?タオルが鈍器になるわけないネ」

 「いいや。凶器はそのタオルの中……凍らせたペットボトルだよ」

 

 王村さんの証言から、三沢さんを殺害した凶器の正体が分かった。人の頭を殴って殺害できるほどに硬くて扱いやすく、しかも壊れない……いや、もしかしたら壊れていたのかも知れない。でも問題はない。なぜなら、その凶器が壊れても三沢さんの頭に残るのは氷の欠片だから。

 

 「一定程度の質量がある氷は十分凶器になり得ます。頭を殴って砕けたところで、氷の破片は時間の経過で水になり、素人が少し調べた程度で違和感を覚えることはまず不可能でしょう」

 「処分も簡単だからね。厨房の蛇口にでも放置しておけば、朝には溶けて流れていってしまう。空のペットボトルなら細かく刻んでゴミに混ぜれば分からない」

 「成る程。殺傷力もあり隱滅(いんめつ)もし易い、加えて凶器と聞いて想像し難い。それなりの腕力は要するが、實用性(じつようせい)に富んだ理想的な凶器だ」

 「ひえ〜……菊島さんの思考がサイコパス診断の模範解答だよ……」

 「本来ならイントのために用意したペットボトルを、犯人に利用されて殺されてしまったのか。ツユコちゃん、なんて可哀想なんだ……!」

 

 裁判場を包む空気は一気に重くなる。三沢さんが持って来たペットボトルを凶器にしたということは、犯人にとって三沢さんがやってくることは予想外のことだったのかも知れない。もしかしたらほんの少し、三沢さんが保健室に戻るのが遅ければ、彼女は死なずに済んだかも知れない。

 そもそも三沢さんが益玉君の看病をすることになったのは、私が倒れて急遽代わりを引き受けてくれたからだ。本来、昨日の晩に保健室にいるはずだったのは私の方だ。私が倒れさえしなければ……三沢さんは殺されずに済んだかも知れない──殺されずに済んだはずだ──殺されなかった。私のせいで、三沢さんは──。

 

 「甲斐さん」

 

 思考が質量を持ったような感覚。自分ひとりじゃ支えきれないほど重くなった頭がぐらぐらと揺れていた。証言台の縁を手が白くなるほど握って、私は汗を掻いていた。湖藤君に名前を呼ばれるまで、私は自分がどうなっているか全く気付いていなかった。

 

 「そんなことはないんだよ。これは、きみのせいじゃない」

 

 いつになく真剣な声色だった。床をすり抜けて沈んでいきそうになる私を、湖藤君のその言葉が地上につなぎ止めてくれているような、私の全体重を預けてしまうような、そんな声だった。浅く短くなっていた呼吸に気付く。正常な呼吸に戻そうと体が無意識に咳き込んだ。

 

 「はぁ……はぁ……!」

 「お、おい……甲斐は大丈夫なのか?」

 「……!」

 

 岩鈴さんが心配してくれる。だけど、大丈夫とか大丈夫じゃないとか、今はそんなことを言ってる場合じゃない。湖藤君はああ言ってくれてるけど、やっぱり、私はまだそれだけじゃ自分を許せない。だから、今はこの裁判に集中する。益玉君と三沢さんを殺した犯人を見つけないと……私はここに生きてる資格がない。

 

 「ごめん。続けよう……議論を」

 「殊勝だねぇ」

 「えっと……それじゃあ、三沢さんがどのように殺害されたのか、どんな凶器を使ったのかは一応結論が出たわ。だけどまだ犯人を特定するのに十分とは言えない。何か他に手掛かりはあるかしら?」

 「みんな、自分の知っていることを話してくれ。なんでもいいんだ」

 

 

 議論開始

 「凶器以外に、何か手掛かりを持っている人はいるかしら?」

 「現場には赤いタオルが落ちていた以外に、特筆すべき証拠はありませんでしたね」

 「手前どもは益玉さんと三沢さんのお部屋を捜査しましたが、そちらにもこれといったものは……」

 「そもそも手掛かりなど残っているのか?凶器だって処分されてしまっているし、犯人だってバレないようにやったんだろう。他の証拠は完全に処分されたと思うが」

 

 「そいつは違うよ!」

 


 

 「甘いよ毛利!手掛かりならまだある!(アタシ)はそれを知っている!」

 

 議論の流れをぶち壊すように、岩鈴さんが大きな声をあげた。犯人に繋がる手掛かりを何か知っているみたいだ。

 

 「犯人が証拠品を処分するとしたら、やっぱ燃やしてなくしちまうだろ!そう思って(アタシ)は焼却炉を確認しに行ったんだ!そしたら、なんかの燃えかすが残っていやがった!昨日はそんなもんなかったのにだ!犯人が何かを燃やしたに決まってる!」

 「燃えかす……単純にゴミを処分した際に残ったものでは?」

 「あの焼却炉は、燃えるゴミなら焼却から炉内清掃まで自動でやってくれるはずよ。燃えかすが残ってるってことは、燃えないゴミを誰かが入れたということね」

 「昨日は(アタシ)がゴミ当番だったんだ!燃えるゴミは全部分別してやったぞ!アンタらがろくに分別もしないで出すからな!」

 「だって面倒じゃないですか」

 「何の燃えかすかは分からなかったのかい?」

 「俺もその燃え滓は見たが、黑々(くろぐろ)とした塊になっていた。燒卻爐(しょうきゃくろ)の底では手も(とど)かない。判別は不可能だな」

 

 岩鈴さんと菊島君が、ゴミ捨て場で見た焼却炉の燃えかすについて話す。確かに証拠隠滅するのに、焼却炉は有効な手段に思えた。自動で燃やしてくれるし、今回みたいに燃えかすが残っても何なのかが分からない。だけど、岩鈴さんにとってはそうではないらしい。

 

 「(アタシ)は仕事柄、色々と燃やすことが多くてね。はっきりとは分からないけど、おおよそなんなのかは見当が付くぜ」

 「信用していいのか?お前みたいなガサツ女の言う当てずっぽうみたいなものに、はぐの命を懸ける価値があるのか?」

 「誰の言葉が当てずっぽうだ!」

 「ガサツはいいんだ?」

 「それで岩鈴様、その見当というのは?」

 

 岩鈴さんは、真っ黒な塊から何を燃やしたかがだいたい分かるという。本当にそうかはちょっと不安だけど、分からないままでは議論が進まない。一旦話だけでも聞いて、信じていいかどうかは後で判断すればいいかな。

 

 「ありゃあ服だな」

 「服?」

 「あの焼却炉の火力はなかなかのもんだったからな。ただの燃えないゴミ──たとえば金属とかデカめのゴム製品とかだったら元の形がほぼそのまま残るはずだ。プラスチックだったらドロドロに溶けて黒い塊になることはない。ほどよく燃えてほどよく残るもんつったら、化繊の混ざった布製品しかないだろ」

 「おお……意外と根拠っぽいもんがあるんだなぁ。てっきり本当に当てずっぽうかと思ってたぜおいらぁ」

 「アンタ(アタシ)にもケツしばかれてえのか!」

 

 みんながうっすら思ったことを、王村さんがみんなの代わりに言葉にした。その代わりに後で王村さんのお尻がひどいことになることも決定してしまった。でも、そうまで自信を持って言いきってくれるなら、岩鈴さんの予想はある程度信じてもよさそうな気になってくる。なにより、今はそれ以外に手掛かりらしい手掛かりがないんだから、焼却炉に残った燃えかすから議論を進めていくしかない。

 

 「それにしても、なんで服の燃えかすなんかが残ってたんだろね?」

 「はいはい!ワタシ分かるヨ!きっと犯人は返り血浴びたから燃やしたアル!兎兎(トゥートゥー)はいっぱい血出してたからネ!」

 「なるほどな!ってことは、犯人は今血まみれのヤツだってことだな!どいつだ!」

 「いやさすがに洗ってると思うけど……あれ?でも、そっか」

 

 長島さんの言う通り、犯人はたぶん返り血を浴びてるはずだ。服にも体にも益玉君から出た血が付く。それをそのままにしておくわけがない。服は焼却炉で燃やして……体についた血はシャワーか何かで……。自分でそこまで考えて、すぐにそれができないことに気付いた。

 

 「夜時間は水が出ないのか」

 「お二人の死亡推定時刻が真夜中頃、甲斐様がお二人を発見してすぐモノクマ様のアナウンスで呼び出されたとして、皆様が集合されたのは朝7時を少し過ぎた頃。洗い流すには時間が足りませんね」

 「ってことはやっぱ体に血が付いてるヤツが犯人だな!全員いますぐ服を脱げ!」

 「脱ぐわけがないだろう。少し落ち着け」

 「拙僧はご覧の通り一糸纏わぬ身です故、一抜けということで!」

 「いいや。そうはいかないよ。犯人はちゃんと体の血を洗い落としてるはずだからね」

 

 暴走気味になる裁判場は、また湖藤君の発言で秩序を取り戻した。まるで湖藤君には、最初から全ての結論が分かってるみたいだ。みんなが混乱するときも、議論が白熱するときも、不安で真実が見えないときも、いつも落ち着いていて優しく微笑んでくれる。そして、周到に用意していた証拠でみんなを一度に納得させてしまう。

 

 「食堂には大量のペットボトルが捨てられてた。長島さんが見つけてくれたんだ」

 「見つけたヨ!ワタシのお手柄ネ!」

 「中を検めたのははぐだ。そこの中国人は何もしてない」

 「私があらためました!」

 「分かった分かった。で、ペットボトルがどうしたんだよ?」

 「あれにはミネラルウォーターが入ってたはずだ。犯人は、水道の代わりにあれを使って体を洗ったんだよ」

 

 食堂で私と別れた後、湖藤君はずっと食堂にいた。何をしていたかと思えば、長島さんが見つけたペットボトルの山の中身を確認していたらしい。聞けば、犯人に繋がる手掛かりが紛れてないかを確認していたという。つまり、湖藤君はあのペットボトルを見つけた段階で、あれが犯人が使ったものだって分かってたってことだ。事件に関係することは分かったけど、私はそんなことちっとも思い至らなかったのに。

 

 「じゃ、じゃあそこに犯人の手掛かりが……?」

 「いや……見つからなかった。あんまり期待はしてなかったけど、ちょっとだけがっかりしたかな」

 「無駄にはぐを働かせたのに成果なしなんて、普通は許されないんだからな」

 「感謝しておくよ」

 

 結局そこから犯人への手掛かりは見つからなかったらしい。そう簡単に手掛かりが見つかったら苦労しないけれど、あのペットボトルの山に望みをかけていた今の私たちにとって、その結果はひどく残念なものだった。犯人の存在が形を得てきたかと思いきや、もう少しで手が届きそうなところで急に道が途切れてしまったような感じだ。湖藤君に期待していただけに、私は心がざわつくのを感じた。

 証拠品は燃やされてしまった。残っているものからは手掛かりが得られない。事件があった時刻の証言もアリバイもない。犯人を見つけるための、一切の手段が閉ざされてしまったような気がした。とても……とてもまずい。

 

 「もう、手掛かりはないのかな……?」

 「……手掛かりかどうかは分かんないけど……焼却炉でもう一個気になることはあったよ」

 「まだ何かあるの?もったいぶらないで、言って頂戴」

 

 さっき、燃えかすの正体を言い当てたときとは打って変わって、岩鈴さんは少し自信なさげに言った。裁判場が膠着してきて苛立った様子の理刈さんが促すと、岩鈴さんは頭をかきながら証言した。

 

 「焼却炉ってシャッターが閉まってただろ。犯人は焼却炉を使うためにシャッターを開けたんだけど」

 「ああ!シャッターを開けるカードキーを持ってたヤツが犯人ってことか!どいつだ!」

 「結論出すのが早いんだよアンタは!黙って聞きな!」

 

 短絡的というかなんというか、芭串君は新しい情報が明らかになる度に結論を急ぐ。あんまり考えるのが苦手なのか、裁判自体に飽きちゃってるのか。飽きてる場合じゃないと思うけど。そんな芭串君を一喝してから、岩鈴さんは改めて話す。

 

 「焼却炉のシャッターはカードキーがあれば普通に開けられる。けど、さっき確認したとき、シャッターは強引にこじ開けられた痕跡があったんだよ」

 「強引に?確か鍵が掛かっていたはずですが……強引に開けられるようなものでしたでしょうか」

 「例えば、梃子の原理を使えばそう難しいことではない。ある程度の强度(きょうど)がある道具なら、様々に手に入れられそうだな」

 「ってことは、逆にカードキーを持ってた岩鈴さんは犯人じゃないってことか!」

 「いいや。(アタシ)は昨日ゴミを燃やしてすぐカードは尾田の部屋に投げ込んじまった」

 「部屋に帰ってきたらカードキーがあったので意味が分からなかったですよ。直接渡せばいいでしょうに」

 「探すのが面倒だったんだよ。アンタ普段どこにいるか分かんないから」

 

 そう言えば、ゴミ捨て場で菊島君とそんな話をしたような気がする。あのシャッターは、道具を使わなくても力がある人なら、道具を使えばほとんどの人にこじ開けられるくらい、ロックが甘かったみたいだ。

 

 「えっと、岩鈴さんの話をまとめるとつまり……犯人は証拠品を燃やすために焼却炉に行って、シャッターをこじ開けて証拠品を燃やしたってことになるよね?」

 「そうだな。道具なしで開けられそうなヤツっつったら……カルロスか庵野か?」

 「おいおい……むちゃくちゃな推理しないでくれよ!オレがイントを殺す?どうしてそんなバカなこと!」

 「岩鈴も開けられそうなもんだけどな」

 「まあ、その気になれば……って何言ってんだい!やるわけないだろ!」

 

 やっぱり、ここで行き詰まる。色んな手掛かりが出てきて、色んな推理がされる。新しい情報も知らなかった証拠もほとんど出尽くした。それなのに、いざ犯人が誰かという話になると途端にそれらの手掛かりが力を失う。どれもこれも、犯人を明らかにする決定的な根拠にはならない。誰にでもできるんだ。みんなそれぞれが、自分じゃないことしか分からない。このままだと、何の確実性もないまま投票が始まってしまう。

 

 議論開始

 「犯人はシャッターをこじ開けられるヤツなんだろ。つまりカルロスか庵野か岩鈴の誰かだ!」

 「オレがイントを殺すわけないだろう!」

 「(アタシ)だってそんなバカなことしてたまるかい!下らないこと言ってっとぶっ飛ばすぞ!」

 「庵野くんは、何か言いたいことはある?」

 「神は全てをご覧になっています。愛ある者が愛なき者に滅ぼされることはありません」

 「ダメだこりゃ」

 「その三人じゃなくても道具を使えば開けられたなら、こんな議論は無意味だ」

 「ですが、他に手掛かりがないのではどうすることも……」

 

 「分かりました」

 


 

 真実は近付いているのか遠ざかっているのか、同じところを回っているのかふらふらと彷徨っているのか、誰もいま自分たちがいる場所が分からないままずるずると続く裁判が、みんなの心をすり減らしていく。手札も全て使い果たした今の私たちにとって、尾田君のつぶやきはひどく明瞭に聞こえた。

 お互いを糾弾していた声が止む。裁判場の空気がしんと静まり返る。この状況を変えてくれる言葉を期待するその裏で、何を言い出すか分からない不安が渦巻いている。みんなが尾田君を見た。

 

 「どうやらこれ以上ねばっても仕方ないようですね。不本意ですが、僕からも証拠を提出します」

 「不本意って……証拠があったのなら最初から出せばいいだろう」

 「僕は僕なりの考えで行動しているので、こうすることが最善だと判断した上で提出するのです。取りあえず出せばいいというのは思考の放棄に他なりません」

 「……取りあえず、隠していたわけではないのね。いいわ、教えて頂戴」

 

 要するに、尾田君は自分が持っている証拠を提出するタイミングを伺っていたっていうことなのかな?裁判が始まってすぐ出すのと、ほとんどの手掛かりが出尽くしてから出すのと、何が違うのかはよく分からない。ただ、現状犯人を絞り込む根拠がほとんどない中では、その証拠への期待が嫌が応にも高まってしまうのを感じた。

 

 「まず前提としてですが、保健室の床に散らばった血痕の中に、不自然に途切れているものがありました。おそらく血が飛び散ったときに、犯人の足にかかったのでしょう」

 「拙僧が見つけました!拙僧が!」

 

 そう言えばそんなのがあった。足跡が残ってるわけでも、そこから足の大きさが分かるわけでもないから、今まで話に上がった情報より証拠能力は低いような気がする。

 

 「でも、尾田君は別に重要じゃないって言ってなかったっけ……?」

 「本当にあなたはアホですね。そんなことは一言も言ってません。当然にあって然るべき証拠なので見つけたことは何ら大袈裟に喜ぶものではないと言ったのです」

 「つまり、そりゃあるだろ、ってことか?」

 「せっかく拙僧が疲労(コン)憊の末に見つけたのに、ひどくないですか!?」

 

 そんなこと言ってたっけ?なんだか記憶が曖昧だ。それにまたアホって言われた。今のでますます嫌われたような気になる。

 ところで、当然にあるはずの証拠が尾田君のとっておきの証拠ってこと?当然にあるはずの証拠を、どうして今まで言わずにいたんだろう。

 

 「足と言っても素足で行動していたわけはないでしょうから、当然ながら血は靴に付着しますね。犯人はその靴をどうしたと思いますか?」

 「そりゃあ燃やしただろ。焼却炉に燃えかすが残ってたんならそうしたはずだ」

 「岩鈴さん、それについてはどうお考えでしょう」

 「ん〜〜〜……靴の種類にもよるな。ここにいるヤツらの靴はだいたい、ゴムと化繊でできたヤツか、革や木のヤツだろ?燃えかすの残り方からして靴っぽくはないし、革と木は燃えちまうからなあ」

 「つまり、靴を燃やしたとは考えにくいわけです。燃え残ると考えて躊躇ったのか、他の理由があったのかは分かりませんが……」

 「燃やしてないのなら、まだ犯人はその靴を履いているはずね」

 「でも血が付いた靴を履いてる人なんていないよ?」

 「当たり前です。犯人は血が付いた靴をそのままにしておくわけがない。なんとか洗い流そうとしたでしょう」

 「ああ、ミネラルウォーターね」

 

 血が付いた靴なんて見つかったら、一発で犯人だって分かっちゃう。だからなんとかして犯人は隠滅しようとしたはずだけど、燃やしてないなら血を落とすしかない。裸足でいるわけにもいかないだろうし。そこまでは当然の話として納得できる。そんなところから犯人に繋がる手掛かりが見つかるのだろうか。

 

 「ただし、表面的に洗い流したとしても、血に含まれる成分まで洗い落とすのは困難です。ただでさえ染みていますからね。ですから犯人の靴にはまだ、血液の成分が残っていると思われます」

 

 そういうものなのだろうか。ボランティアで行く保険施設で、患者さんや入居者さんが血を出すことは何度かあった。だけど服に染み込んだものを洗い流すような機会はなかったし、別に隠そうという気もなかったからそんな知識は手に入らなかった。逆に尾田君はどこでどうやってそんな知識を得たんだろう。

 尾田君はそんな調子で、犯人の靴には血の成分が残ってること、現場に残っていた証拠からそれはほぼ間違いないことを話していた。だけど、疲れ切ったみんなにはその説明も待ちきれなくなったようだ。

 

 「長々と話して、結局キミは何が言いたいのかよく分からないな。もっと手短に説明してくれないか?」

 「そうですよ!拙僧の集中力はもう0です!」

 「……はあ。まあいいです。分かりました。僕が合わせます」

 

 いかにも、尾田君がみんなにせっつかれて折れたんじゃなく、みんながあまりにも堪え性がないから仕方なくレベルを低く合わせてあげた、と言いたげだ。というかそう言ってた。

 

 「では、単刀直入に言いましょう。僕にははじめから、犯人が誰か分かっています」

 「はあっ!!?」

 「それは……本当ですか?ですがそれならなぜ……?」

 「裁判が始まってすぐ言わなかったか、でしょう。当然そういう疑問を持つでしょう。あなた方は愚かしいですから」

 「なんか不必要にバカにされてる気がする」

 「されてるだろ!なんだ愚かしいって!」

 「バカだと言う意味です」

 「意味は分かってんだよ!どういうつもりで言ってんだって聞いてんだ!!」

 「んだんだうるさいですね」

 「おあああっ……!やっべ血管切れるゥ……!!」

 

 紙やすりで神経を逆撫でするような尾田君のいちいち人を貶める言い回しで、芭串君が戦闘民族として一個上のステージに行きそうなほど怒った。他のみんなも尾田君が言ってることの意味も、なぜ今まで言わなかったかの意味も分からず、ただ芭串君を心配そうに見ていた。

 

 「考えてごらんなさい。誰が犯人か分からない、犯人がいるのかも分からない、どう話し合えばいいか分からない、そもそも学級裁判がどういうものか全く知らない。そんな状況で、あっさりと犯人を言い当てたところで、みなさんは信じますか?よりにもよって、この僕が」

 「それはどういう気持ちで言ってるの?」

 「客観的事実に基づくものです。自分がどう見られているかくらい分かりますよ」

 

 どうやら尾田君は自分がみんなからちょっと怖い人だと思われてることをかなり自覚しているみたいだ。人をバカにしたような態度を取るかと思ったら、自己肯定感も低いらしい。難儀な性格をしてると思う。

 

 「だからある程度議論が煮詰まるのを待っていたんです。証拠も出尽くした、各々の主張も弁解も証言も出尽くした、全ての情報が開示された状態でこそ、僕の主張は意味を持つわけです」

 「それは……俺たちがお前の主張に飛びつきたくなるのを待っていた、とも聞こえるが?」

 「構いませんよ。それは事実です。ですが先に言っておきます。これから僕が主張したことについて、後から新事実を持ち出してくるのはやめてください。言いたいことがあるなら、今のうちにどうぞ」

 

 そんなもの、手を挙げる人がいるわけない。おそらく今から尾田君は犯人が誰かを指名するのだろう。指名された人は、たとえ本当に犯人であっても、それに対して反論する。だけど尾田君は、そこで今まで明らかにしてなかった事実を言うのは認めないと言う。

 ここで手を挙げて反論したり、改めて自分の無実を主張したりしても……そんなの余計に怪しく見えるだけだ。だからと言って黙っていれば、尾田君に犯人と指名されてしまうかもしれない。尾田君は、冷静に丁寧に、そしてじわじわと、気付かれない内に、犯人を追い詰めている。いや、犯人自身に追い詰めさせている。彼はまだ何も言ってない。犯人であれば感じるであろう不安や焦りに付け込んで、冷静な判断力を奪おうとしている。

 

 「言いたいことはないようですね。では、話させてもらいますよ」

 

 その口が動く。

 

 「犯人の靴には血の成文が付着していることは先ほど言いました。そして皆さん、ルミノール反応というもんは御存知ですか?」

 「エタノール?」

 「耳に酒が詰まってますね」

 「警察の科学捜査に用いられる手法です。色々難しいことはどうせ理解できないでしょうから割愛しますが」

 「いちいち言わなくていいわよ」

 「要するに血液に反応して光る薬品を用いて、細かい血痕や拭き取られたり洗い流された血痕を見つけるために利用されるものです」

 「それが……一体どうしたのでしょうか?」

 

 てっきり犯人の名前を呼ぶのかと思ったら、尾田君はまた難しいことを言いだした。ルミノール反応って、聞いたことあるようなないような……でも血痕を見つけるためのものって言われて、さらによく分からなくなってきた。王村さんみたいな間違い方はしないけれど。

 

 「皆さん、ここに来るエレベーターに乗る前に、液体を踏みましたね?」

 「……あっ!あれか!」

 

 私はとっさに、自分の足下を見た。もちろん、あのとき踏んだ液体はとっくに乾いて見えなくなってる。だけどなぜか、靴の裏にその液体を感じるような、じんわりした嫌な存在感を覚えた。

 

 「何か分からなくて気持ち悪かったよ〜!結局あれなんなの!?」

 「あれは僕が用意しておいた、ルミノール反応用の薬品です。もちろん僕も踏みました」

 「ああ……だからわざわざ僕にも踏ませたんだね」

 「そうです。すなわち今ここには、ルミノール反応用の薬品だけが付着した靴と、血と薬品の両方が付着した靴があることになります。どの靴に反応するかは……電気を消して特殊な光を当てれば分かるでしょう」

 

 緊張が高まる。胸が鳴る。犯人の姿がすぐ目の前まで近付いてくる。あと一歩、あと一手、あと一言で、犯人の正体が分かる。益玉君と三沢さんを殺害した犯人が。全員が息を呑む。尾田君がポケットから細長い照明を取り出した。あれが、彼の言う特殊な光なのだろうか。そしてモノクマを見て言う。

 

 「モノクマ、照明を落としてください。そうすれば……この裁判は決着します」

 「うぷぷ♬な〜んか面白そうなことになってきたね!いいよ!それでは、照明オ──」

 「待てッ!!!」

 

 怒号が飛んだ。私たち全員を縛るような、威圧的な声だ。皆その声のする方に向くこともできず、尾田君と一緒にモノクマを見たまま止まっていた。私も同じだ。だけどその声の主が誰かは分かった。そして、その中に潜んだ焦燥と悲痛、恐怖さえも感じ取れた。ゆっくりと、尾田君は視線を移す。

 証言台の手すりを手が白くなるほど強く握っていた。指の骨が浮き出た武骨さで、細くても男の人の手だと分かる。引き締まった健康的な体がカタカタと震えていた。俯いていて表情は分からない。だけど身に着けたシャツにはべったりと汗が黒く染みていた。

 


 

 「おや……なぜ止めたのですか?虎ノ森君」

 

 無慈悲にも、尾田君がその名を呼んだ。みんなに知らしめるように。みんなを促すように。彼を追い詰めるように。

 

 「や、薬品だとか……反応がどうとか……!そんなわけの分からないもので犯人が分かるだと……!?そんなものに命を懸けられるのか!?何かの間違いで冤罪が起きたらどうする!!お前だけの問題じゃ済まないんだぞ!!」

 「だから先に尋ねました。何か異論があるならお先にどうぞ、と」

 「何をするかも分からないのに異論も反論もあるか!!そんなやり方は卑怯だ!!そもそもお前の言うことを信じられるわけないだろ!!お前こそコロシアイを企んでそうじゃないか!!今だって電気を消している間に、また誰かを殺そうとしてるんだろ!!」

 「学級裁判中の暴力行為は禁止だよ!裁判中に人が死ぬなんてこと、考えたくもないくらいややこしいからね!」

 「仮に僕の言葉がウソだったとして、電気を消すことに何の不都合があるんですか?僕が誰かを殺そうとしているとして、こんな衆人環視の下、犯人も分かり切った状況でやるとでも?僕はアホなんですか?」

 「だっ……!だから……!」

 

 滝のように流れる汗。カチカチと鳴り止まない歯。焦点の定まらない指。虎ノ森君の見せるあらゆる要素が、彼が尋常じゃない緊張の中にいることを表していた。この状況で、この環境で、この流れで、見苦しいほどにそれを露わにすることがどういうことか、既に私たち全員が理解している。

 

 「はあ……そうですか。そこまでイヤなんでしたら、電気を消すのはやめておきましょう。もはや必要なくなりましたので」

 「はっ……!?はあっ……!?」

 「そうでしょう?電気を消せば犯人が分かるはずだったんです。これ以上ないほどはっきりと。ですが、電気を消すより先に、犯人が自ら名乗り出てくれたんです。もう電気を消したところで同じことです」

 「な、なにを……!?言ってるんだ……!何をバカなことを……!」

 「……と、虎ノ森君」

 

 私は、願いを込めて名前を呼んだ。

 願わくば、これで終わりにしてほしい。もうこんな、互いを疑い合い、互いを糾弾し合い、互いを陥れるようなことはしたくない。もう終わりにしてほしいと、願った。

 願わくば、これは間違いであってほしい。本当に私たちの中に、あの二人を殺害した人がいるなんて信じたくない。そんなことが現実であってほしくないと、願った。

 願わくば、これが正しいと照明してほしい。この答えが間違っているのなら、私たちが迎える結末は……絶望だ。私の、私たちに忍び寄る絶望を振り払ってほしいと、願った。

 

 「君が……益玉君と三沢さんを殺したの……?」

 「……ぼ、僕が……!殺したかって……?人を、二人も……!殺したかと、きいたか……?」

 

 憎しみを込めるように、怒りに震えるように、狂いそうなほど苦しそうに、虎ノ森君がうなる。歯を食いしばり、目を見開き、拳を握り、背中を丸めて。彼はきっと、そうして抑え込んでいたんだ。そうしないと、溢れ出てきてしまうから。

 

 「バカなことを言うなああああッ!!!」

 

 絶望的な狂気──、彼の内側にたまったあらゆる悪辣な感情の塊、それが一気に噴き出した。

 

 「誰にきいてるのか分かってるのか!!?()だぞ!!虎ノ森遼だ!!この僕が!!ゴルフ界のニューエイジが!!期待のホープが!!殺人なんてスキャンダルを犯すわけがないだろうが!!冗談でもふざけたことを言うな!!」

 「だったら、どうして電気を消すのを止めたの?犯人じゃないなら、止める理由はないはずだよ」

 「バカか!!これは学級裁判だぞ!!何もかも疑わなくちゃいけない!!誰も信じてはいけない!!何が起きてもおかしくない!!一瞬の油断で命を落とすかも知れないんだぞ!!電気を消すなんて大それた真似をさせるわけがないだろ!!」

 「だとしても、犯人特定の決定的な証拠になるはずだった。他の誰も止めてないんだよ」

 「こいつらがバカだから分からないだけさ!!僕だけが危険に気付き僕だけが声を上げた!!ただそれだけのことだ!!」

 

 虎ノ森君は吠える。かつてテレビで観たような冷静さや爽やかさはない。昨日までの、スマートだけどどこか壁があるタレントのようなオーラは消え失せた。粗暴で荒々しくて、熱に浮かされたように自分を見失っている。泥臭くて見苦しくて、怯えているようにも見えた。

 

 「そもそも証拠がないだろ!!電気を消すのを止めたから犯人!?そんなものはお前の推測でしかないじゃないか!!だいたい靴が光ったらなんだって言うんだ!?本当にそれは血だって言えるのか!?尾田が僕たちをハメようとしてるとなぜ考えないんだ!!」

 「では──」

 「じゃあ虎ノ森君」

 

 私は、尾田君の言葉を遮った。きっと、彼が言いたいことと私がこれから言うことは同じだ。だから、ここからは私が代わる。これ以上は尾田君に喋らせてはいけない。そう感じた。そうしないと、虎ノ森君が壊れてしまいそうだったから。彼の中の彼が崩れていくのを、もう見ていたくなかった。

 

 「君の部屋を調べさせてもらってもいいかな」

 「……な、なに……?」

 「今までの議論で分かったんだ。犯人の部屋には、焼却炉で燃やせなかったり細かくして捨てられなかった証拠品が残ってるはずなんだ。焼却炉のシャッターをこじ開けるのに使った長い道具──たとえば、ゴルフクラブみたいなものが」

 「……ああ?」

 「もしそれで何も出て来なかったら、今までの推理は間違いだったってことになる。そのときは、謝るよ。許してもらえるか分からないけど、誠心誠意、謝る。なんだってするよ」

 「いま、なんでもするって」

 「やめとけ」

 

 誰かが茶々を挟んだらしいけど、私には聞こえていなかった。私はただ、興奮して真っ赤になっていた虎ノ森君の顔が、みるみるうちに青ざめていくのを見ていた。虎ノ森君はもう、反論も弁解も否定もできず、ただ小さく唇を震わせているだけだった。

 私は、全てを終わらせることにした。こんな辛いことは、もうやめにしたいと思った。

 

 「虎ノ森君。最後にこの事件の全部を振り返って、もう一度聞くよ。それが正しくても正しくなくても……君には、本当のことを答えてほしい」

 

 

 クライマックス推理

 Act.1

  この事件の被害者は2人。モノトキシンの毒で衰弱していた益玉君と、その益玉君を看病するために保健室にいた三沢さんだ。犯人がいつ2人の殺害を企てていたのかは分からないけど、おそらく三沢さんが殺害されたのはまったくの偶然だったんだと思う。

  事件が起きる夜、みんなのためにモノトキシンの毒を引き受けてくれた益玉君のために、みんなで益玉君を交代で看病することになった。その日看病をするはずだったのは私だった。だけど、看病の準備を始める前に、私は間違って冷蔵庫に冷やしてあった王村さんのお酒を飲んでしまった。そうして倒れた私の代わりに益玉君の看病を買って出てくれたのが、三沢さんだった。

 

 Act.2

  みんなが部屋に戻って寝静まったころ、三沢さんは益玉君の看病のために保健室へ向かうことにした。三沢さんは看病の準備のために、氷枕にするために水を入れたペットボトルを凍らせていたから、まずそれを取りに厨房に向かったんだ。そこで三沢さんは、食堂で晩酌をしていた王村さんに出会った。私が倒れるきっかけを作った王村さんは、後ろめたさからこっそりお酒を飲んでたんだけど、それを見つかってしまい、三沢さんからキツいおしおきを受けた。

  その後、三沢さんは冷凍庫から凍ったペットボトルを取り出して、倉庫から持って来ていた赤いタオルと一緒に、保健室に向かったんだ。そのときの保健室で何が起きているか、きっと想像もしていなかったと思う。

 

 Act.3

  三沢さんが看病の準備に取りかかっているとき、犯人はすでに動き出していた。きっとみんなが部屋に戻ったころを見計らって、こっそり行動したんだと思う。犯人は誰にも目撃されないように身を隠しながら、保健室に向かった。毒で弱った益玉君が眠っている、保健室に。

  きっと益玉君は、犯人の思惑に気付いてなかったと思う。まさかあんな状態になった彼を殺そうとする人がいるなんて、思いもしないはずだ。だけど、犯人は殺した。凶器なんて使わず、自分の手で、益玉君を殴り殺した。傷とアザだらけの彼の体が、その証拠だ。そのときに益玉君は大量の血を流し、犯人はたくさんの返り血を浴びた上に、床に散らばった血を踏んでしまった。それが後で、自分を追い詰める証拠になったんだ。

 

 Act.4

  益玉君を殺した犯人は、本当ならすぐにその場を離れるつもりだったのかもしれない。でもそこで、予想外のことが起きた。益玉君を看病するために準備を整えていた三沢さんが保健室にやってきたんだ。きっと三沢さんは驚いたと思う。看病するはずの益玉君は血まみれで亡くなっていて、そのすぐ側に犯人がいたんだから。

  もしこのとき、三沢さんが助けを求めていたら、状況は違ったかも知れない。だけど彼女は助けを求めることもできず、自分が持って来た凍ったペットボトルを犯人に奪われ……それで後頭部を殴られて殺害された。犯人にしてみれば想定外の殺人だった。だから、益玉君と三沢さんを殺害した凶器が異なっていたんだ。

 

 Act.5

  2人を殺害した後、犯人は急いで証拠隠滅に取りかかった。まずは一度自分の部屋に戻り、返り血がかかった服を脱いで体についた血を落とした。夜時間は水が出ないから、倉庫にあったミネラルウォーターを代わりに使ったんだ。

  そして血の付いた服を処分するため、犯人は地下の焼却炉に向かった。本当なら焼却炉のシャッターは鍵を使わないと開かないけれど、犯人はそれを強引にこじ開けたんだ。細長くて頑丈な道具……きっと、ゴルフクラブを梃子のように使ってね。そして犯人は、焼却炉で服を処分した。服に混ざった化学繊維が燃え残ってしまうことに、犯人はこのとき気付いていなかったんだと思う。そうでなかったら、もっと他の方法を考えたはずだ。

  そしてミネラルウォーターのボトルは食堂のゴミ箱に、凶器として使った凍ったペットボトルは、中の水を溶かして捨てた後、同じように食堂に捨てたはずだ。

 

 

 ひとつひとつの証拠から、君を直接犯人だと言うことはできない。だけど、犯人が明らかになる方法があるのにそれを止めるなんて、犯人以外がやる理由はないんだよ。だから……もし君が犯人なんだったら、この推理を素直に認めてほしい。

 お願いだよ、虎ノ森君──────。

 


 

 全てを話した。明らかになっていることも、まだ曖昧な推理も、私の気持ちも。もしこれが間違っていて、虎ノ森君が犯人でないなら……きっと私はみんなに恨まれながら死んでいくだろう。そんな不吉なことが頭を過ぎってしまうくらい、今の推理には手応えがあった。今まで人をこんなに責め立てたことなんてない私が、初めて人の悪事を暴いた。これは……なんてつらく、苦しいことなんだろう。

 

 「ち……がう……!!……ぼ、ぼくは……!!ぼくは……!!」

 

 さっぱりと整っていた虎ノ森君の顔は、青白くやつれたように見える。帽子が潰れて髪の毛が毟られるほど頭を掻いている。よだれがこぼれるのも気にしていられないほど呼吸が浅い。目は私を見ていない。誰も見ていない。ただ、何もない裁判場の中心に向いていた。

 

 「ぼくは、ただ……!!あいつが……!!あの顔を……やめさせようと……!!」

 「何を言ってるか分かりませんね。これ以上は無意味です」

 「……結論が出たなら、やることがあるんじゃないのか。モノクマ」

 

 尾田君がつぶやき、月浦君が促す。全てを傍観していただけのモノクマは、にっと笑って手を挙げた。

 

 「はい!結論が出たようですね!それではこれより、投票タイムに移ります!」

 

 モノクマがそう言うと同時に、私たちのモノカラーが勝手に起動した。目の前にディスプレイが表示され、私たちの顔と名前が書かれたパネルが表示される。今ここに立っている18人と、もうここにはいない2人の分が。

 

 「……ぼくはあいつが!!あんな顔をするから!!うぅ……知りたかっただけなんだ……!!」

 「さあオマエラ!お手元のパネルから、最もクロと疑わしい生徒に投票してください!投票の結果、クロとなるのは誰か!その答えは正解か、不正解なのか〜〜〜?」

 「なんでこんなことになるんだよッ!!!」

 「あ、そうそう。必ず誰かに投票してよね。こんなことでおしおきされたくないでしょ?」

 

 虎ノ森君の悲痛な叫びなんか聞こえてないみたいに、モノクマは粛々と投票の方法を説明する。要領を得ない虎ノ森君の叫びよりも、意味の分かるモノクマの説明の方が、私たちの耳には入ってきた。まるで虎ノ森君だけが、透明な壁を隔てた向こう側にいるみたいだ。

 なんて残酷なんだろう。私はもうすでに、虎ノ森君を仲間と思ってないみたいだ。私にとって虎ノ森君は、仲間を2人も殺害した、歴とした敵だった。

 

 投票のパネルを押した。なんの音もしない。なんの感触もない。私の心には、なんの揺らぎもなかった。




今回の事件は犯人を当てるのはほぼ不可能だったと思います。
ただ、キャラ見せの段階でかなりの人が1クロ予想をしていたので、そういう雰囲気はあったんじゃないですかね。別にそういう意図でキャラメイクしたわけじゃないのに、ふしぎですね〜〜〜


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おしおき編

 

 ぱんぱかぱーん、と間抜けな音がする。天井近くの壁から紙吹雪が噴射され、きらきらと目障りに舞って視界を覆う。その中でも圧倒的な存在感を誇る巨大モニターが、私たちの投票結果を映し出していた。虎ノ森君に17票。益玉君に1票。

 

 「うっひょーーーーっ!!だいせいかーーーーい!!“超高校級の語り部”益玉韻兎クンと“超高校級のサンタクロース”三沢露子サンの2人を殺した凶悪な殺人鬼!その正体は……“超高校級のゴルファー”こと虎ノ森遼クンだったのでしたーーーー!!」

 

 裁判場でただ1人、モノクマがだけが愉快そうに声をあげる。私たちの中で、愉快な気持ちの人なんてひとりもいない。みんな沈んだ顔をしていた。いや、沈んだ顔をしているだけだ。殺人が起きたことは間違いない事実で、その犯人は私たちの中にいた。その罪を暴き出す中で私たちは、人を裁くことの苦しみを知った。責任を知った。そして今、私たちは安堵していた。

 いまこの瞬間、私たちは生きている。脳内を支配していた、間違った結論に伴う責任を考えなくてよくなった。そういう安堵感があった。

 

 「どうして……?」

 

 安堵があれば心に余裕が生まれる。余裕が生まれれば他人のことを考えることができる。それに私は知りたかった。なぜこんなことになったのか。どうして益玉君が殺されなくちゃいけなかったのか。どうして益玉君でなくちゃいけなかったのか。

 

 「どうして益玉君を殺したの!!」

 

 私の声は裁判場を微かに揺らし、そして消えた。その声が聞こえているのかどうか、虎ノ森君の表情からは分からない。さっきよりもいくらか落ち着いた様子だけど、まだ顔は青白い。もはや立っていることもままならなくて、証言台にすがりつくように膝を突いていた。その姿はあまりにも惨めだった。

 

 「……どうしてって……どうして、だろうね」

 

 ぼそっ、と虎ノ森君が言った。

 

 「こんなはずじゃなかった……!僕は、彼を殺そうなんて……思ってなかった……!こんなのおかしい……!何かの間違いだ……!僕は……!」

 「間違いじゃありません!益玉クンをぶん殴って殺したのは紛れもなくオマエですよ!虎ノ森クン!この人殺し!」

 「ひっ……!ひと、ごろし……!?ち、ちがう……!ちがうちがうちがうちがうちがうちがう!!僕は人殺しじゃない!!あいつが……!!あいつがウソを吐くから!!」

 「あいつって、益玉くんのこと?」

 「そ、そうだ……!あいつはずっと……僕たちにウソを吐いていた……!!あんなことはあり得ないんだ……!!」

 

 虎ノ森君の言葉は、いまひとつ要領を得ない。益玉君が私たちにウソを吐いていたなんて、いったい何の話だろう。

 

 「僕はただ!!あいつのウソを暴きたかっただけなんだ!!あのウソだらけの言葉を撤回させてやりたかっただけだ!!」

 


 

 半日ほど時を遡る。まだ事件が起きる前、益玉も三沢も、虎ノ森さえも、その後に訪れる悲劇を知らないときだった。すでにほとんどの生徒は自室で就寝し、部屋の外に出ていたのは保健室で寝ていた益玉とその看病をする三沢、食堂でひとり晩酌をしていた王村、そして人目を忍んで部屋の外に出ていた虎ノ森だけだった。

 虎ノ森は廊下やホールに人がいないことを確認していたが、別に隠れていたわけではない。自分の姿を人に見られたくないだけだった。これから虎ノ森は保健室に向かう。それは益玉を殺害するためではない。益玉と話をするためだった。

 三沢が益玉の看病をするという話を聞いていたので出会うかと思っていたが、なぜか保健室へ向かうまでの道のりにも、保健室の中にも、三沢の姿はなかった。しかしそれは虎ノ森にとって好都合であった。なるべくならこれから益玉と交わす言葉は、誰にも聞かれたくなかったし、誰も聞かない方がいいと考えていた。

 

 「……益玉君。起きてるか?」

 

 ベッドの上で穏やかに呼吸する益玉は、昼に体育館で見たときよりは落ち着いて見えた。それでも肌の色は血の気が失せて不健康そうだし、額からはとめどなく汗が流れていた。話しかけてはみたものの、会話もままならないかも知れない、と虎ノ森はすぐに諦めかけた。

 このとき、益玉が虎ノ森の気配に気付いていなければ、違う未来があったのかも知れない。だが、益玉は気付いてしまった。そして虎ノ森に応えてしまった。

 

 「虎ノ森君……?どう、したの……?」

 

 弱々しい、呼吸に紛れて掻き消えてしまいそうな声だった。その一言を発するのでさえも、今の益玉にとっては大きく体力を消耗するものだと、虎ノ森は直感で理解した。それでも、会話ができるなら聞いておかなければならないことが、虎ノ森にはあった。

 

 「別にどうということはないよ。ちょっとだけ話がしたかったんだ。君の勇敢さについて」

 「……?」

 

 益玉は特に言葉を発さなかった。ただ目だけで、虎ノ森の言葉がいまいち理解できないことを示していた。そういうリアクションをするであろうことは、虎ノ森は予想していた。予想できていたからこそ、虎ノ森は軽く笑った。それは、憐憫でもなく、同情でもなく、哀悼でもない。単なる冷笑に過ぎなかった。

 

 「君はすごいね。そんな弱々しい体で、僕たちの窮地を何度も救った。コロシアイには誰よりも反対していたし、僕たちが疑心暗鬼になってしまわないよう、自分から犠牲を引き受けるようなことまでした。モノクマに刃向かったカルロス君の命を救ったし、しかもそれを鼻にかけたりしない。英雄というのはもしかしたら、君のような人のことを言うのかも知れないね」

 「……そんなこと、ないよ。僕は、ただ……みんなが、無事に元の……場所に、帰れる、ように……」

 「もういいんだよ」

 

 それは、ひどく冷たく聞こえた。益玉を労う意図などない。覆せない現実に悔しさを滲ませるものでもない。安らかな眠りを願ってなどいない。ただ冷たく、刺々しく、そして怒っていた。

 

 「……な……に、が?」

 「もうそんな()()はしなくていいんだよ。というより、止めてほしいんだ。僕はそれを言いに来た」

 「やめる……?」

 

 うすぼんやりとした益玉の視界の中で、虎ノ森の目は暗い穴のように見えた。そこに自分が映っていると思うと、益玉は今までより強い寒気を感じた。

 

 「()()()()()()

 「ほん、ね……?」

 「なんでコロシアイに反対するんだ?それが正しいからだろ。なんでカルロスを助けた?それが称えられる行為だからだろ。なんで進んで犠牲を引き受けた?それが同情を引くからだろ。なんで自分の命を省みず他人のために行動できる?それが模範的な行いだからだろ」

 

 その目はまっすぐに益玉に向けられていたが、どこにも焦点が合っていなかった。まるで意思がないような、人の目を模した球体がそこにあるだけのような、無機質な視線だった。

 益玉に向けられているはずの言葉は、ひとつも意味を成さずにその脇をすり抜ける。むしろその言葉を呪詛のように吐き出している虎ノ森こそが辛そうだった。

 

 「お前のしたことは立派だよ。僕にはできなかった。カルロスが殺されそうになったとき、指の一本も動かせなかった。コロシアイになんて興味ないし、誰が死のうと僕には関係ないと思っていたし、今も思ってる。モノクマが寄越した動機だって、自分がビリにならないためにどうするかしか考えてなかった。誰かのために自分を犠牲にするなんて、これっぽっちも考えなかった……それが人間だからだ。僕だけじゃない、みんなそうなんだ。お前だってそうだろ。人に善く思われたいから、善い人だと思われたいから、お前はそういうことをしたんだろ?結局それは偽善だ。本当の善意でやったんじゃなければそれは偽善で、欺瞞で、自己満足だ。そうだろ?」

 

 抑圧していた胸の内を吐き出すように、自分自身に言い聞かせるように、益玉を説得するように、虎ノ森は淀みなく喋る。何一つ隠さない本心を、何一つ偽らない本音を、何一つ繕わない本意を、ただただ益玉にぶつけていく。それが虎ノ森は純粋にそう想っていた。益玉の行いが全て欺瞞であることが、虎ノ森にとっては救いになるのだから。

 

 「だから一言、言ってくれるだけでいい……。本当は今こうして死に瀕していることを後悔しているって。誰かが代わってくれるならそうしてほしいって……!今まで君がしてきたことは全て偽善だって……!!言ってくれ……!!頼む、から……!!」

 

 そうあって欲しいと想いながら。そうであってくれと願いながら。そう言ってくれと望みながら。虎ノ森は益玉に縋った。虎ノ森にとって、益玉はあまりに眩しすぎた。本当に自分の命は二の次で、目の前の仲間を救うために全力を尽くせる人間だと、本気で感じた。だからこそ虎ノ森は、それが偽りであるように祈った。そんな崇高な人間がいることが、虎ノ森には耐えられなかった。

 

 「……とらのもり、くん……!」

 

 ようやく絞り出したような、重苦しい声だった。名前を呼ばれたが、虎ノ森は応えない。欲しいのはたった一言。益玉の[[rb:本音 > こうかい]]だ。苦しみに怯えててくれ。痛みを悔いていてくれ。死を恐れていてくれ。どうか目の前の君が、耐え難い悲愴の中にあるようにと、虎ノ森はその瞬間まで祈っていた。

 

 「ぼくは……!」

 

 死の気配など感じさせないほど穏やかな表情だった。

 

 「ぼくは、まんぞくしてるよ……!みんなが……ぶじに、ここからでられるなら……!」

 

 全身から体温が消え去る。腹から背中へ突き抜けるような痛みと不快感。こみ上げてくる感情が形と重さを持って脳を貫く。虎ノ森は眩暈がした。

 後悔していなかった。こいつは、この現実を受け入れていた。自分が激しい苦しみの末に死ぬことが分かっていても、そのことに一切の悲しみを感じていなかった。今までのこと全てが……肯定されてしまった。

 

 

 「……なんだよ、それ」

 

 

 泣きそうな声だ。

 

 

 「なんでそんなに良いヤツなんだよ……!」

 

 

 震えた声だ。

 

 

 「ふざけんなよッ!!」

 

 

 怒りに満ちた声だ。

 

 

 「あんまりだ……!!こんなの、許せるわけないだろ!!」

 「ッ!!」

 

 堅く拳を握った。それをどうするつもりでもなかった。ただ気付いたときには、益玉の顔を殴っていた。

 

 「言えよ!!苦しいって!!怖いって!!醜く足掻いて偽善者の自分を後悔しろよ!!本当はそんな人間じゃないって!!演じてたんだって認めろよ!!お前みたいな人間なんか本当はいないんだって!!英雄なんて打算と見栄でできてるんだって!!最後の瞬間くらい本性を出せよ!!」

 「うっ……!!あっ……!ま、まっ……て……!」

 「お前がそんなんじゃ……!!お前みたいな善人が本当にいたら……!!僕があまりにも惨めじゃないかッ!!!」

 「ダ……ダメ、だ……!と……キミ、が……!!ろ……!!」

 

 そこから先のことを、虎ノ森は覚えていない。後から冷静になっても、その瞬間、何があったのかを思い出すことはできなかった。だが、その結果だけは痛いほどに分かる。頭から、口から、目から、鼻から、益玉の血が溢れていた。白かった肌は赤紫色のまだら模様に覆われ、か細かった呼吸も止まっていた。たとえそれを見ていなくても、爪が食い込むほど握った手に残る感覚だけで分かった。

 自分が益玉を殺したと。この善人は、最後まで善人のまま死んでいった。それを殺した自分は何か。考える必要もないほど明白だった。そんなことは分かっている。分かっていた。

 

 「……なん、で……!」

 

 虎ノ森は、ようやく理解した。なぜ自分が益玉を殺したのか。なぜ殺すほど憎かったのか。なぜ殺さなくてはいけなかったのか。殺したところで何も変わらないということを。

 これは嫉妬だ。一切の疑いなく善人であった益玉への嫉妬だ。他人のために本気で自分を犠牲にできる善性への嫉妬だ。善人であることを選び、演じ、苦しんでいる自分から、本物の善人への。醜くて、暗くて、陰湿で残酷でちっぽけで悪辣で身勝手で非道で下賤で取るに足らない、徹底的にねじ曲がった嫉妬だ。

 

 「虎ノ森さん?えっ……?」

 

 声がした。誰の声だろうか。自分以外に益玉に用がある人間がいただろうか。虎ノ森は何も考えられない。

 

 「ちょっ……!?益玉さん!?あなた、何をしてるの!?益玉さん!」

 

 駆け寄る声。床に落ちる重たい音。自分はその声にはね除けられて後ずさる。真っ赤な服を着た髪の長い女が、もはやただの物体と化した()()に覆い被さるようにしている。

 

 「そんな……!?う、うそ……でしょ……!?」

 「うそ……だ……!そいつは、全部……!うそなんだ……!」

 「と、虎ノ森さん……あなたがやったの?」

 「……?」

 

 分からなかった。自分がやったのだろうか。三沢の問いに、虎ノ森は答えられなかった。自分が殺したという確信はあったが、それは果たして自分だったのだろうか。益玉への嫉妬にかられた自分を自分と認めることを、虎ノ森は本能的に拒絶していた。自分はそんな人間ではない。そんな人間ではいけない。こんな自分は存在しないはずだ。

 虎ノ森はただ黙していた。だが、三沢にとってはそれで十分だった。何を言ったところでこの状況は覆らない。何も言わなければただそのまま受け取られるだけだ。

 

 「なんてこと……!だ、だれか……!だれか!!」

 「ッ!!」

 

 自分が何を見ているか分からず、三沢の問いに答えられず、何も考えられなかった。それでも、三沢を保健室から出て行かせてはいけないと感じた。追おうとする足で蹴飛ばした固い感触。反射的に拾い上げる。手に伝わる重みに殺意を乗せる。空いた手が逃げようとする三沢の髪に触れた。

 

 「あっ……!?」

 

 痺れるような手応え。確かに何かが破壊された音。益玉を殺したときには感じなかったその力。死の感触だ。ただその一撃で、三沢は人形のように崩れ落ちた。掴まれたままの髪に引かれて首が持ち上がり、不自然な姿勢で虎ノ森の手からぶら下がる。

 虎ノ森は茫然としていた。人を殺した。自分ではない自分とは違う。自分が殺した。はっきりと感じた。人を殺す感触も、人を殺す音も、人を殺す力も。こんなときは、案外冷静になるものだ。虎ノ森は廊下にはみ出た三沢を保健室まで引きずり、適当に転がした。そこで初めて自分が手にした凶器を見た。凍ったペットボトルだ。服が返り血で汚れている。処分しなければ。焼却炉で燃えるか。靴は燃えないから洗わなくては。夜に水は出ただろうか。出なくても飲み水を使えば洗えるはずだ。そこまで考えるのは一瞬だった。

 そして虎ノ森は、証拠隠滅を済ませた後、部屋に戻った。昂揚していた感情はすっかり収まり、手に残っていた益玉の骨が折れる感触は消え去っていた。血の臭いもしない。まるで全てがウソだったかのように、虎ノ森は眠ったのだった。

 


 

 裁判場は静まり返っていた。虎ノ森君の語りはたどたどしくて分かりにくかった。何が主観で何が客観なのか。何が事実で何がまやかしなのか。何が彼の意思で何が彼の意思でないのか。それでも、どうして虎ノ森君が凶行に及んだのか、それだけははっきりした。

 

 「なんだ……それは……!」

 

 悔しそうな声だ。今にも泣き出しそうな、堪えるような声だった。いつもの彼ならたとえ怒ったとしても、もっと冷静かつスマートに怒れただろう。だけど、そんな余裕はもうなくなっていた。証言台を乗り越えて裁判場の真ん中を突っ切り、彼は虎ノ森君の胸ぐらを掴んだ。

 

 「お前はそんなくだらない理由でッ!!イントを殺したのかッ!!」

 

 誰もカルロス君を止めることはできなかった。激しい怒号が裁判場を揺らす。自分に向けられたものでないと分かっていても、その声を聞いた体が勝手に萎縮した。虎ノ森君はカルロス君にされるがまま、だらりと体をぶら下げていた。

 

 「イントはお前みたいな薄っぺらじゃない!!イントは打算なんかで動いちゃいない!!彼はいつだってオレたちを救おうとしてくれてた!!お前なんかが嫉妬できる相手じゃない!!」

 「……僕だって、あいつを妬みたくて妬んだわけじゃない……!あいつがみんなを救おうとすればするほど……あいつが英雄になっていくほど……!自分が、みじめで……!ちっぽけで……!それが、苦しくて……!だから……!」

 「それをイントに押しつけたのか!!お前が苦しいのはお前のせいだ!!お前だけのせいだ!!そうだろ!!」

 「分かってるんだよ!!分かってても辛いんだ!!僕はもう、そういう風にしか生きられないから!!」

 

 カルロス君の怒りに触発されて、虎ノ森君の苦悩が溢れてくる。彼が苦しんでいたのは本当だろう。辛かったのも本心だろう。テレビに映っていた彼は、いつでも笑顔で、明るくて、爽やかで、優しかった。それが、私たちの知る“超高校級のゴルファー”虎ノ森遼だった。

 

 「みんなに注目されてしまったら……みんなに知られてしまったら……!僕はもう、善い人間でなくちゃいけなくなるんだ!人間ができていないと何もかも否定される……!気に入らないヤツは排除される……!少しでもスキャンダルがあれば面白おかしく囃し立てられて消費される……!!実力なんか関係ない!運も関係ない!見た目も実績も経歴も、何一つ無意味なんだ!僕の全ては否定されるんだ!ただ、僕が僕であるだけで!!僕は僕じゃない僕にならなきゃ、誰にも認めてもらえないんだ!!」

 

 それは言い訳なのだろうか。虎ノ森君の生き方は想像するだに辛い。きっと言いたいことを我慢したことも、やりたくないことに耐えたこともあっただろう。本当の彼には耐え難いことをウソの自分に肩代わりさせることは、悪いことじゃない。ただ、彼には本当の自分を認めてくれる場所がなかった。本当の自分が居場所を失い、彼の中で抑え込まれるだけだった。だから益玉君を見て、彼も自分と同じでいてほしいと願ってしまった。信じてしまった。だから……彼は、本当の自分を守っただけなのかも知れない。

 

 「たとえそうだとしても」

 

 湖藤君が言う。虎ノ森君の気持ちを考えていた私は、その声で一気に正気へと引き戻される。彼の吐き出す言葉にあてられて、私は虎ノ森君に同情していた。

 

 「益玉くんを殺す理由にはならない。きみが押し殺していた自分はきみだけの問題だ。そして、益玉くんならきっと……本当のきみを受け入れてくれたよ」

 「……?」

 「たとえきみの本性が嫉妬深くて人間として不完全だったとしても、益玉くんはそれを否定したりなんかしなかったはずだ。きみは彼を殺すんじゃなく……彼に全てを話すべきだった。そうすれば……こんなことにはなっていなかった」

 「……うぅ……!くっ……!」

 

 虎ノ森君が涙を流す。彼を掴んでいたカルロス君が手を放すと、虎ノ森君はへなへなとその場に崩れ落ちた。

 そうだ。私もそう思う。きっと益玉君は、虎ノ森君の本当の姿を知ったとしても笑ったり拒絶したりなんかしなかった。戸惑うことはあっても、最後には受け入れてくれたはずだ。益玉君こそ、虎ノ森君が求めていた本当の自分の居場所になってくれる人だったはずだ。それを彼は……自分で破壊してしまった。ちっぽけで醜い嫉妬によって。

 

 「さ、話は終わったかな?」

 

 場違いなほど能天気で明るいモノクマの声。それを聞いた私たちは、なぜか悪寒が走った。本当ならモノクマに怒ったり、不快になったりするんだろう。いつもならそうだ。でも、今のモノクマの声は私たちにそうさせない力があった。不気味なほど能天気で、恐ろしいほど明るくて、残酷なほど無邪気な、子供のような声だ。

 

 「終わりにするわけないだろう……!これくらいでこいつの何が許されるっていうんだ!!」

 「なんで仲間が殺されたのかも分からないまんまじゃ、あまりにもオマエラが可哀想だと思ったから、じっと我慢して虎ノ森君に話をさせてあげてたんだよ。後はボクのやりたいことをきっちりやって終わり!そうでしょ?」

 「な、何を言って……?」

 「おしおき、ですか」

 「おし……そ、それって確か……処刑?」

 「はっ……!?」

 「うぷ♬」

 

 こんなときでも至極冷静に尾田君が呟く。おしおき、処刑……確かに、モノクマはそんなことを言っていた。学級裁判でクロが勝てばクロ以外の全員が、クロが負ければクロが、おしおきという名の処刑を受ける。つまり……モノクマに殺される。

 そう。私は分かっていたはずだ。捜査をしている最中もずっと。裁判場へ向かうエスカレーターの中でも。裁判をしている時も。負ければ死ぬ。それを理解していたはずだ。どうして今、私はそれを忘れていたんだろうか。どうして……忘れていればよかったと思ってしまったんだろうか。

 モノクマがにやりと口角を上げた。それを合図に壁の向こうから、黒々しい金属のアームが伸びてきて虎ノ森君の腰を掴んだ。

 

 「うっ……!?な、なんだ……!?離せ!!離せえええっ!!」

 「こらこら暴れないの。連行中は手や足を伸ばさない方がいいよ。吹っ飛んじゃったら格好が付かないでしょ」

 「ふっ……!?」

 「さあさあそれではお楽しみのおしおきタイムですよ!今回は、“超高校級のゴルファー”虎ノ森遼クンのために〜〜〜!ぁスペシャルな!ぅおしおきを!ぃ用意しました!」

 「あ、あなた何をする気!?処刑なんて……そんなこと認められるわけないでしょ!!彼は人を殺したけど、そんな簡単に死刑なんて……!!」

 「はあ?とんでもない!簡単じゃないよ!」

 

 虎ノ森君が必死に暴れる。その様子を見ていた私たちは、それだけで何か恐ろしい気配を感じた。これから何が起ころうとしているのかを予感しているのか、虎ノ森君の姿を見ることさえ辛くなる。理刈さんが果敢にモノクマに抗議する。でも、モノクマは意に介さない。

 

 「刑死というのは簡単なことじゃありません!一時の感情に任せた獣のような殺人とは違うのです!徹底的に論理的そして理性的に執り行われる、公正かつ厳粛な、紛れもない人間による殺人なのです!それを決定することも実行することも、決して簡単なことじゃないのです!」

 

 突然、モノクマが講釈を始める。それは尤もらしく聞こえた。こんな間の抜けた見た目と声なのに、この場を支配する威圧感があった。

 

 「だからこそオマエラは理解しなければいならないのです!これから虎ノ森クンが処刑されるのはなぜなのか!益玉クンと三沢サンを殺したから?クロだとバレたから?そういうルールだから?全て言い訳です!なぜ彼が処刑されるのか!それは──!」

 

 取り出したハンマーをモノクマが高々と掲げる。私たちの視線は全てその先に集中していた。まるでモノクマの次の言葉を待つように、裁判場はすっかり静まり返っていた。それを聞いたらいけないと、私の直感が激しく告げていたのに。

 

 「()()()()()()()()()()()()()だよ!!」

 

 ぴこっ、という音がした。おもちゃのハンマーでおもちゃのボタンを叩いたような、軽々しくて安っぽい電子音。だから、それが処刑を始める合図だったなんて、その時は誰も考えていなかったと思う。

 だけどボタンを押すと同時に、スクリーンには巨大なドット絵のアニメーションが表示された。真っ黒の画面を裂くような赤い背景と、その中央に立つ虎ノ森君のような格好をしたキャラクター。画面の左からモノクマを模したキャラクターが歩いてくると、虎ノ森君を引きずって画面の外へ消えていった。

 


 

【GAME OVER】

トラノモリくんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 

 

 照明の落ちた学級裁判場には18の影が立つ。自分の指さえ見えない暗闇の中に、薄明かりに照らされた益玉韻兎と三沢露子の遺影だけがぼんやりと浮かんでいた。

 その暗闇を穿つように、不意にスポットライトが光る。白い光が裁判場に立つ影の姿を明らかにした。まるで誰かを捜すように、スポットライトは白い光を投げかけていく。そして最後のひとりが残ったとき、落ちてきた灯りは真っ赤に染まっていた。不気味な灯りが照らし出したのは、金属アームに腰と首を固定された虎ノ森遼だ。

 途端にアームは壁の中へ去って行く。虎ノ森は踏ん張ることもできず、猛烈な力で壁の中へと吸い込まれていった。荒々しい連行だった。壁や天井にぶつかりそうな勢いで振り回される。床に近付いたとき、虎ノ森は靴のかかとで必死にブレーキをかける。だがそれもまるで効果を成さない。どこへ連れて行かれるのか。何をされるのか。虎ノ森は分からない。分かるのは、その結末だけだった。

 

 「うぐっ……!?」

 

 唐突に視界が開けた。目に突き刺さるような眩い光は、ここ数日見ることのなかった太陽光のように思えた。ここは建物の外な目の前に広がるのはよく整えられた芝と、それを扇形に望む3階建ての建物。パーテーションのひとつひとつにモノクマがいる。両側を背の高いネットで仕切られ、建物から遠ざかるにつれ丘ができている。虎ノ森が連行されたのは、その丘の中央に立つ長い鉄の柱だ。全身に巻き付いた鎖と固定具で、両手首を胸元に、足は真っ直ぐに固定される。真下には、ゴルフカップにしてはやや大きめな穴が開いていた。

 まるで虎ノ森に見せつけるように、建物の屋上に設置された巨大な電光掲示板に文字が流れてくる。

 

 

[ホール・イン・ワンハンドレット

“超高校級のゴルファー 虎ノ森遼”処刑執行]

 

 

 虎ノ森の真正面、1階でクラブを構えるモノクマは、まるでプロゴルファーのような出で立ちだ。虎ノ森までの距離と風向き、グリーンの状態をよく観察し、ほどよい力加減になるようにクラブを握り直す。そして大きく振りかぶり、スイングした。

 力強く空気を切る音とともに、ボールはぽてんと目の前に転がった。とんでもないボテンショットである。施設中がぽかんと口を開けた。だがその球を打ったモノクマだけはにやりと笑う。それが合図のように、ボールは急速回転を初めた。激しく芝を抉りながら回転するボールは、虎ノ森へ真っ直ぐ加速しながら火花を散らしている。

 同時に、腹の底に響くようなブザーが鳴った。目の前の一球を見ていた虎ノ森が顔をあげる。そのブザーに合わせて他のモノクマたちが打った球が、一斉に降り注いできた。

 

 「うぐっ──!!?」

 

 手に持てば軽いゴルフボールも、高速で撃ち出されたそれは虎ノ森の体を破壊するのに十分な威力を持っていた。肩に当たれば骨を砕き、腹に当たれば内臓を潰し、額に当たれば頭蓋を割る。一撃一撃が致命的な威力を持つ球が、絶え間なく無数に襲いかかる。

 虎ノ森は声を上げることすらできない。口を開けるための顎が砕かれた。声を出すための喉が潰された。音を乗せるための呼吸が阻まれた。何が起きているのか知るために目を開けることもできない。ただただ一方的な暴力に打たれ続ける。ただただ全身を重い一撃で破壊され続ける。ただただ死に近付いて行くことを実感している。

 再び鳴り響く全身に響くブザー。破壊の雨は唐突に止んだ。もはや固定具がなくても指一本動かせない。骨も筋肉も意識も砕き尽くされた。ようやく虎ノ森は、薄く目を開けた。足下には赤い閃光が見える。それが何か虎ノ森は分からない。ただ、それで全てが終わることだけは直感した。

 

 モノクマによる最初の一打が虎ノ森の足下に到達した。激しい火花を散らしながら突き進んだそれは鉄の柱に激突すると、目を突き刺すような光を放った。視界を奪われた後に届く轟音。そして熱。まるでそこだけ地獄が漏れ出したかのような、どす黒い煙と巨大な火柱が現れた。

 全ては一瞬だった。噴き出した炎はたちまち掻き消え、黒煙が分厚く空を覆う。真っ赤になるほど熱された鉄の柱。それに括り付けられた、黒い塊。

 つなぎ止める鎖も焦げ落ち、その塊はカラカラと軽い音を立てて崩れ落ちた。そこには何の重みも尊厳もない。人一人分の大きさの炭が真下のカップに収まってしまった。

 


 

 「エックスットリィィーーーーーーッム!!!あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!これだよこれこれ!!これがなくっちゃね〜〜〜〜〜!!」

 

 目の前で起きたことが信じられなかった。理解できなかった。私たちの視線はなぜかそこから逸らすことができず、最後の瞬間まで瞳に焼き付けてしまった。さっきまで私たちと同じ空間にいた彼が、昨日の晩まで一緒にご飯を食べていた彼が、私たちの隣で作り笑いを浮かべていた彼が、小さな黒い塊になってカップの中に仕舞われてしまった。それは彼の才能を侮辱するゴルフカップで、彼の死を嘲笑う骨壺でもあった。

 

 「なっ……!!なんじゃこりゃああああああああああっ!!?」

 「こ、こんな……!こと……!あり得ない……!こんなの、処刑じゃない……!!」

 「いいや、処刑だよ。これこそがオマエラの選んだ未来。オマエラの選んだ結末。オマエラの選んだ犠牲なんだよ」

 

 虎ノ森君の恐怖に歪んだ表情が瞼の裏に浮かぶ。彼の体がボロボロに破壊されていく様が頭の中で繰り返される。一瞬にして彼が消し炭になってしまう光景がこびりついて離れない。虎ノ森君が殺された。モノクマに。そしてそれは……私たちが選択した結果……。

 

 「わ、私が……虎ノ森君を……」

 「いいや、それは違うよ」

 

 私の肩を叩く優しい声。呪いのようにのし掛かるモノクマの言葉を払いのけた。彼は、いつでもそうあるように、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも穏やかで、誰よりも冷静に、状況を理解していた。

 

 「虎ノ森くんが殺されたのは、モノクマ、お前がそれを決めたからだ。ぼくたちは自分の身を守る選択をしたに過ぎない。ぼくらが選んだ未来は、ぼくたちがこれから生きていく未来だけだ。だから──」

 

 最後の言葉だけは、モノクマじゃなくここにいるみんなに向けての言葉だった。

 

 「みんな、思い詰めちゃいけないよ」

 

 きっと、湖藤君には分かってたんだろう。私たちの結束なんて緩いものだと。一度誰かが事件を起こせば、モノクマがその隙を突いてさらに私たちの感情を煽る。きっと昨日までと今日からでは、事件が起きる可能性が何パーセントも違うんだ。

 だからこそ、彼はそう言った。私たちがモノクマに惑わされてしまわないように。益玉君と三沢さん、そして虎ノ森君の死を、これ以上モノクマに利用されないように。

 

 「うぷぷ♬まあいいさ。これからオマエラにはもっともっとひどい目に遭ってもらうんだからね!もっともっと絶望的な出来事がやってくるんだからね!そうなったとき……果たしてオマエラは耐えられるのかな?うぷぷぷぷ……想像しただけで面白くてたまらないや!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 「この野郎……!」

 「堪えて、芭串くん。今はまだダメだ」

 

 危うくすれば壊れてしまいそうな精神状態だったと思う。湖藤君の温かい言葉がなかったら、私は虎ノ森君を処刑してしまった罪悪感でどうなってしまっていただろう。その場の全員がモノクマの言葉に囚われていたときに、湖藤君だけは冷静に事態を把握していた。

 湖藤君がいなかったら……湖藤君がいないと……私は、私たちはどうなってしまうか分からない。

 

 「モノクマ。きみは、ぼくたちに何をさせるつもりなの?」

 「何をって?やだなあ、湖藤クンったら。そんなの決まってるじゃない!」

 

 彼の質問に、モノクマはとびきりの悪意で答えた。

 

 「“絶望”だよ。この世界の全てを憎むくらい、この世界の全てを呪うくらい、この世界の全てを悔いるくらい、徹底的に絶望してもらうんだよ!うぷぷぷぷ!」

 「ぜ、絶望……!?なにそれ……?意味分かんない……!」

 「希望の象徴であるオマエラに最大級の絶望を味わってもらう。取りあえずは、それがボクの目的かな!希望と絶望は表裏一体なんだ……!大いなる希望の影には、大いなる絶望があるんだよ……!」

 

 裁判場に響き渡るぐらい大きな笑い声をあげながら、モノクマは去って行った。後に残された私は、気が付いたら虎ノ森君が吸い込まれていった壁を見ていた。あの向こうで、彼は殺されてしまった。分厚い壁は現実と非現実を隔てる壁のようで、その奥がさっきまでモニターに映し出されていた処刑場だなんて信じられなかった。

 残された私たちは、モノクマが残した言葉の意味を考えていた。私たちを徹底的に絶望させることに、何の意味があるというんだろう。私たちが絶望しきったその先に、いったい何が待っているんだろう。

 考えていても暗くなるばかりだ。それよりも、今は彼に感謝しよう。虎ノ森君を目の前で喪ったことの整理がまだ付かない。今の私たちには休息が必要だ。

 

 「湖藤君……ありがとう」

 「うん」

 

 誰とも言わず、みんながバラバラにエレベーターへと向かった。この場所に居続けることが耐えられなかったんだと思う。()()()()()が乗り込むと、エレベーターは扉を閉めて動き出した。そこから元の場所に戻るまでの道のりは、あまり覚えてない。その過程が真っ暗だったからじゃない。私はその日、2人も人が殺されたことと、私たちの目の前でまた1人殺されたことを、忘れてしまいたかったんだ。こんな重荷は、背負いたくないと思ったんだ。

 


 

 学級裁判──校則から、殺人発生後に何かしらのイベントがあるとは思っていたけれど、あれは少し想像を超えていた。想像を超えて、みんなの精神に与える影響が複雑だ。お互いの顔が見える状態で、お互いを糾弾し合い、お互いを庇い合い、お互いを処刑台へ送り込む。誰と誰が繋がっていて、誰と誰が敵対していて、誰がどんな秘密を抱えていて、誰がその事実をどう考えるか。これ以上ないほどありありと、そして高速に情報が飛び交う。

 そしてその後に待ち受けていたあの凄惨な処刑。あれはきっと虎ノ森君をいたぶるだけじゃなくて、それを見ていたぼくたちに対する牽制だ。生半可な殺人は許さない。やるなら徹底的にやれ。そういうモノクマからのメッセージだ。ある程度の人には、殺人への牽制になるだろう。でも、そうは受け取らない人もいるはずだ。

 

 「ねえ、尾田くん」

 

 彼は裁判場から寄宿舎に戻らず、保健室に寄っていた。もちろん、怪我をしたり具合が悪くなったせいじゃないだろう。ぼくは甲斐さんが部屋まで送るというのを丁重に断って、尾田くんの後について保健室に来ていた。

 ぼくが声をかけると、彼は意外そうな顔で振り向いた。きれいな──ごみ一つ、血の一滴、死体なんてどこにもない、きれいな保健室の中で。

 

 「なんですか」

 「お礼を言っておこうと思ってさ。きみがいなかったら、ぼくらは正しい犯人を指名できなかったかも知れないから」

 「……あなたは人のウソを見抜くのは得意なようですが、ウソを吐くのはヘタクソですね」

 「そうかな?半分は事実だけど」

 「人を騙す気がないからです」

 

 ウソというか、軽く言葉を交わす上でのフックみたいなものだったんだけどな。彼はどうにもぼくたちに距離を作りたがるから、少し話しただけじゃ内面が分からない。彼の()()()()()も。

 

 「じゃあ本題。きみには、甲斐さんの助けになってあげてほしいんだ」

 「はあ?」

 「甲斐さんの助けになって──」

 「聞こえてます。意味が分からないんです」

 

 冗談のつもりなのに、尾田くんは本気で苛立って訂正してきた。ううん、友達を作るには冗談を言うのがいいって本に書いてあったんだけど、あんまり上手くいかないなあ。甲斐さんも笑ってくれないし。

 

 「ごめんね。でも助けになってあげてほしいっていうのは、そのままの意味だよ。彼女の気持ちを支えてあげてほしいってこと」

 「支えるもなにも、必要ないでしょう。むしろ助けが必要なのはあなたでは?」

 「それは足的な意味で?」

 「他になにか?」

 「……うん、ないね。まあ助けてもらってるのはそうなんだけど、それが危ういっていうか」

 「“超高校級の介護士”の手助けが不満なら、僕にどうしろと」

 「そうじゃなくてさ。彼女はきっとぼくを助けることで自分を保っているというか……“超高校級の介護士”っていうアイデンティティに固執してる節があるんだよね」

 「はあ」

 「うわあ、興味なさそう」

 

 ものすごく嫌そうな顔をされてしまった。尾田くんこういう話とか本当にどうでもいいと思ってそうだもんね。だけど、彼は能力がある人間だ。それは学級裁判で人を追い詰めるだけの力じゃない。人を観察し、人をよく知り、人を動かすことができる能力だ。たぶん()()()()()も、そんな感じのことじゃないかな。指揮官とか。

 

 「結局、僕にどうしろと?支えると言っても具体的に何をすればいいのか分かりません」

 「具体的か……たとえば、ぼくがいなくなったとするでしょ」

 「はい」

 「そこはあっさり受け入れるんだ」

 「自分が言ったんでしょう。なんなんですか」

 「まあいいや。ぼくがいなくなったとして、甲斐さんはどうなると思う?知りませんよ、はナシね」

 「……」

 

 嫌そうな顔が嫌な顔になってしまった。

 

 「どうですかね。助けるべき相手がいなくなって大慌てするんじゃないですか」

 「ぼくもそう思う。慌てるだけならまだしも……場合によっては壊れちゃうかも知れないね」

 「だからなんなんです?大勢の中のひとりが発狂したところで、そんなのに構っていられる状況ではないでしょう」

 「いいや。大切な支えを失った人間ほど、何をするか分からないよ。失うものがない人間ほど、何をしてもおかしくないんだよ」

 「だからあなたは、彼女の助けを甘んじて受け入れていると?本当は必要ないのに」

 「実際助かることは助かるからね。みんなの実益とぼくの実益、そして彼女の実益がちょうど合致してるだけさ」

 

 実際のところはただ彼女の厚意に甘えていただけなんだけど、近くで彼女のことを見ているうちにそのままでいた方がよさそうなことは分かった。だからウソじゃない。尾田くんは相変わらず嫌な顔をしていたけれど、ぼくの話に一定の理解は示してくれたようだ。

 

 「まあイレギュラーを起こされるよりはマシだとは思いますが、わざわざ裁判後に秘密の話し合いをするほどのことですか?」

 「なるべく早い方がいいと思ってね。本当に殺人が起きてしまった以上、ぼくがいつ死んじゃうか分からないから」

 「僕は甲斐さんの暴走よりもあなたの方が不気味です。くれぐれもその発言は、ここ以外ではしない方がいいですよ」

 「心配してくれてるの?」

 「本気にしたバカがあなたを狙いに来ますから」

 「うわあ、脅迫混じりの嫌みだった」

 

 本当は共同戦線を張るくらいになりたかったんだけど、ぼくの言い方がまずかったのかすっかり嫌われてしまった。元から人を信用したがらない尾田くんだから嫌われるのも想定内だったけど、さすがにちょっと考え無し過ぎたかな。人と仲良くなるって難しいな。

 

 「まあとにかく頼りにしてるよ、尾田くん。人を動かすのは、きみの得意とするところでしょ?」

 「……なんのことでしょう。僕は密偵ですから、自分で動く方が得意ですね」

 「ああ、そうだったね。そうそう」

 

 彼の才能について話そうと思ったけど、すげなく突っぱねられてしまった。まだそこまで踏み込めるときじゃないか。何事もゆっくり丁寧に。時間をかけて、少しずつ解き明かしていくのが大切だ。尾田くんの秘密も、甲斐さんの本質も、益玉くんが知っていたことも、このコロシアイの目的も。

 

 「さて」

 

 ぼくは自分で車椅子の車輪を回して、個室に戻った。モノクマもこの辺りは気を利かせてくれたのか、ぼくの部屋だけはスライド式になっている。用意されたベッドも脚が短くて車椅子から移りやすく、リクライニングもついた上等なものになっている。ぼくだけ特別扱いみたいで、なんかちょっとみんなに悪いな。

 やっとの思いで体を拭いてから着替えを済ませ、ぼくはベッドに横になった。まだ早いけれど、今日はもうみんな疲れて部屋に戻ってしまった。ぼくひとりじゃ色んなところへ行けても何をするにも不自由するから、みんなが寝ていたらぼくも寝るしかない。ベッドに寝転がって、ぼくは部屋の電気を消した。

 

 「明日も起きられるといいな」

 

 寝ている間に殺されることがないよう祈りながら、ぼくは眠りに就いた。




これにて一章が終了です。長いようで短いようですね。
まだまだ彼ら彼女らのコロシアイ生活は続いていきます。
今後ともよろしゅう


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第二章 響く喇叭は狼の遠吠え
(非)日常編1


 

 昨日は何をしていたっけ。思い出せない。思い出したくもない。言葉にできない。ただ映像だけが繰り返される。

 保健室で倒れている血まみれの2人。互いを糾弾し合う円形の裁判場。激しい火柱の中で骨も残さず消えたクロ。地獄のようだ。肉体的にも、精神的にも、これを現実だと受け入れられない。受け入れたくない。こんな生活を延々と繰り返していくなんて考えただけで、頭がおかしくなりそうだ。夢の世界に引きこもっていたい。

 それでも朝はやってくる。体はそれを感じ取って、起きたくもないのに脳が稼働を始める。そうしたら私の意識は両目に張りついて、外の世界を求め始める。

 

 「……」

 

 どれくらい寝ていただろう。昨日はみんなさっさと部屋の中に戻っていったから、いつもより長いはずだ。だというのに、体にのし掛かった疲れはちっとも消えていない。頭のてっぺんから足の先まで、気持ち悪い汗がベタベタと服を貼り付ける。

 まだ集合時間には早い。シャワーを浴びて一度さっぱりしてから行こう。それから食堂に寄る前に、湖藤君を迎えに行ってあげなくちゃ。

 

 「うぅ……」

 

 汗を吸って重くなったシャツを乱暴に脱ぎ捨てて、私はシャワー室に入った。ハンドルを捻るとお湯が降り注いで、体中からイヤなものを流し去ってくれるような気がした。

 さっと洗い流してから、私はタンスの中に用意してあった替えの服を着て、湖藤君を迎えに行った。彼の部屋はみんなと違ってドアがスライド式で、ベッドも低くなっている。足の悪い彼のために、モノクマが気を利かせたんだろうか。もうここに来てから数日経つというのに食糧は一向に減る気配がないし、腐ったりもしない。コロシアイ以外では本当に至れり尽くせりだ。

 

 「湖藤君。おはよう」

 「ああ、甲斐さん。おはよう。いま開けるね」

 

 ドアをノックして中の湖藤君に声をかける。今の私の気分とは裏腹に、ドアの向こうから聞こえる声は明るくて軽い。ドアが壁の中に吸い込まれていくと、車椅子に乗った湖藤君が目の前にいた。どうやら出掛ける準備は万端らしい。

 

 「毎朝ありがとう」

 「ううん。私にできるのはこれくらいだから。湖藤君には助けられてるし」

 「そうかもね。それじゃ、今日も食堂までお願い」

 

 湖藤君なら、今の私が気落ちしてることくらいお見通しだろう。敢えてそれを指摘しないのは、彼なりの優しさなのだろうか。きっと他のみんなも、昨日の今日で気持ちを切り替えられるわけもない。辛いし、悲しい。それでも私たちは、また新しい1日を過ごさなくちゃいけない。彼らの死を乗り越えていかなくちゃいけない。この空間で残酷なのは、モノクマだけじゃない。

 

 「おはよう、みんな」

 「あっ!まつりちゃん!りんさん!おはよー!」

 

 食堂に入ると、もうほとんどの人は起きていて席に着いていた。みんな昨日は早く寝たから、いつもより早く目が覚めたんだろう。あと来てないのは、いつも寝坊してくる尾田君と狭山さんだけだった。そんなことを考えながら席に着くと、ちょうど尾田君がやってきた。相変わらずパーカーのフードを目深に被って、不機嫌そうな顔をしている。

 

 「尾田くん、おはよう」

 「……おざいぁす

 「声が小せさいよ尾田!しゃきっとしな!いつまでもしょぼくれてる場合じゃないんだよ!」

 「別にしょぼくれてるわけじゃないですよ。あなたたちみたいに朝っぱらから無駄にエネルギーを消費する非効率な生き方をしないだけです」

 「そんだけ嫌みがつらつら出て来るなら大丈夫ね。早く席に着いてちょうだい」

 

 みんな、一昨日の朝とそんなに変わった様子はない。無理して元気を振り絞ってる、はずだ。昨日あんなことがあって、誰もなんとも思ってないはずがない。だけど暗い気持ちになったらそれこそモノクマの思う壺だし、ますますみんなの絆がもろくなる。ここにいる全員、それを分かってるんだ。

 それでも、3人も人が減った事実は変わらない。いつもは埋まっていたはずの席が空になっている。その寂しさは、目を背けていても感じ取れるものだった。みんなの声が一瞬止んだ隙を突いて、重苦しい空気が一気に食堂を包み込んだ。

 

 「……狭山さん、遅いですね」

 「いつものことだ。みんなが早いくらいだ」

 「もういい。来ないヤツのことなんか放っておいて朝ご飯にしよう。はぐがお腹を空かせてる」

 「ぐーぺこりん……」

 「冷たいなあ月浦クンは。そうやって協調性なく生きてると損するよ」

 「ふん、そんなもの……うわっ!?」

 「おぎゃあああっ!!モ、モノクマ!!」

 

 いつの間にか当たり前のようにそこにいたダミ声に、一瞬全員の理解が遅れた。すぐ近くにいた月浦君と宿楽さんが跳び上がるようにして席から離れ、他のみんなもモノクマに向かって身構えた。私も思わず席を立って湖藤君の前に立つ。

 

 「な、なにしに来やがったこの野郎!」

 「オマエラ!おはようございまーーーす!昨日は良い夢見られたよね?悪夢みたいな現実に比べりゃ大抵の夢は良い夢だからね!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 「朝からそんな嫌みを言うために来たの?」

 「そんなわけないじゃん!ボクだって暇じゃないんだから、用がなきゃ来ないよ!」

 「用、とは?」

 

 いきなり現れたと思ったら悪意まみれの高笑いをするモノクマ。確かに、昨日は悪夢みたいな一日だった。悪夢ならまだよかった。目を覚ましても現実は消えてくれない。

 

 「しょんぼり……」

 「な、なんだよ急に」

 「せっかくオマエラに良いお知らせがあるから、わざわざボクが出て来たっていうのになあ……全員揃ってないんだもんなあ」

 「だったらどうしたというんだ?全員揃わないと言えないことなのか?」

 「後からまた説明するのめんどいじゃん。っていうかオマエラも呑気なもんだよね!昨日の今日で仲間がひとり起きてこないのに、みんなで朝ご飯なんか食べようって言うんだから。薄情だよ!」

 「何か知ってるのか?」

 「うぷぷ……♬さあ、どうだろうね」

 

 その言葉を聞いて、私は背筋が冷たくなるのを感じた。モノクマがこんなに含みを持たせて笑うなんて、何か私たちにとって良くないことが起きたんじゃないかと予感させる。そして、ただひとり朝ご飯の席に現れない狭山さん。

 まさか。昨日あんなことがあって、虎ノ森君のあんな姿を見て、いきなりそんな……でも、あり得ないなんて言えない。もはやこの学園の中では、何が起きてもおかしくないんだ。

 

 「狭山さん!」

 「あっ!ちょっと甲斐さん!?」

 「甲斐さん!おひとりでは危ないですよ!」

 

 たまらず、私は食堂の出口に向かっていた。何が起きてるか分からない。だけど、とにかく狭山さんの安全を確認しないとこの不安は消えてくれない。そう思って彼女の部屋に向かおうとした。食堂の扉を開いて、寄宿舎の方へと廊下を曲がろうとして──。

 

 「ぶわっ!?」

 「おっと!」

 

 ぷわん、と何かにぶつかった。自分の走る勢いがそのまま跳ね返ってきたような、強いけど柔らかい衝撃。視界は一瞬焦げ茶色になったかと思うと、真っ暗になって、気付いたときには天井を見上げていた。尻餅をついて転げてしまったらしい。

 それにしても今、狭山さんの声が聞こえたような気がした。狭山さんにぶつかった?いや、相手は狐だ。いくらなんでも正面からぶつかって、私の方がはね飛ばされるなんてあり得ない。

 

 「これはこれは甲斐さん。朝っぱらからお元気ですね。走ると危ないですよ」

 

 そんな軽妙な狭山さんの声がした。やっぱりさっきの声は聞き間違いじゃなかったみたいだ。けど、じゃあいま私がぶつかったのは一体……?

 

 「甲斐さん!?大丈夫ですか──おああっ!?な、なんとぉ!?」

 「どしたの庵野さん──えっ!?だ、だれ!?」

 

 背後から庵野君と宿楽さんの素っ頓狂な声が聞こえた。私はのっそり起き上がって、いま向かおうとしていた正面を見る。そして──。

 

 「……へぇ?」

 

 私も素っ頓狂な声を出した。自分の目が信じられなかったからだ。

 私の()()()()()()()は、確かに狭山さんの声をしていた。彼女と出会ってほんの数日しか経ってないけど、それは間違いない。だけどそこにいたのは二足歩行する狐じゃなくて、どこからどう見ても普通の──いや、かなり奇抜な格好はしているけども間違いなく人間だったからだ。

 健康的な焼けた肌の上に、麻袋を破いて作ったような質素なシャツと見ているだけで酔いそうな色合いのギンガムチェックの腰巻きが特徴的だ。背中越しに緑色のマントのようなものが見え、足下はトイレサンダルを改造して風通しをよくしたものだ。そして最も目を引くのが、頭に巻いた真ん中に何らかの文様が刻まれた赤と黒のバンダナから真上に向かって伸びる、何の鳥のものか分からない立派な羽根だ。それが頭の周りを覆うように並んでいて、まるでどこかの部族出身のような雰囲気だ。よく見るとドレッドヘアになっている髪束の一本一本が違う色に染まっている。

 もはや要素が多すぎてどこから突っ込んでいいやら分からない。屈んで私に手を差し伸べてくれてるけど、胸元が物凄く無防備だ。派手すぎて一目見ただけじゃ分からなかったけど、どうやら女の子らしい。

 

 「今頃は皆さん食堂にて(コン)談している頃合いでは?お手洗いですか?」

 「い、いや……狭山さんを、呼びに行こうかと……」

 「拙僧を?」

 「せっそうって……さやまさん?」

 「ええっ!?」

 「いかにも!というかどこからどう見ても拙僧が“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃でしょう!今まで皆さんは何を見ておられた!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 何を見ていたと言われれば、狐としか言いようがない。もはや昨日までの狭山の面影は全くなく、そこにいるのは奇抜な格好と珍妙な言葉遣いの異様に背が高い女だった。全くもって意味が分からない。

 

 「だ、だって狭山さんは、狐で……!二足歩行したり歩いたりする人間みたいな狐じゃないの……!?」

 「人間のような狐などいるわけないでしょう。宿楽殿、メルヘン趣味もいいですが現実を見ましょうね?」

 「諭される筋合いないんですけど!?」

 「じゃあ昨日まで手前どもが接していた狐はいったい……?」

 「ええ、あれも拙僧です。いやはや、一時はどうなることかと思いましたが、ようやくこの姿に戻れるとは……!感無量です!これこそ新たなる拙僧、シン・狭山狐々乃のスタートですよ!お見逃しのないように!」

 

 もうわけがわからない。人間みたいに振る舞う狐の存在にようやく慣れてきたころだと思ってたのに、次はその狐が人間になったなんて、やっとの思いで解いたテストを裏返したら続きがあったときみたいな気分だ。そんな私たちの思いなんてどこ吹く風とばかりに、目の前の女の人は大仰な身振り手振りで喜びを表現している。この落ち着きのなさやマイペースさは、確かに狭山さんらしい。

 

 「でも、昨日まで狐だったのに、なんでそうなっちゃったの?」

 「なんででしょうね?昨晩は普通に水浴びして寝たのですが、朝起きたら人間の姿に戻っていました!危うく風邪を引くところです!」

 「私より狭山さんの方がよっぽどメルヘンなこと言ってると思うけど」

 「ささ!新たに生まれ変わった私の姿を皆さんにお披露目しましょう!さあさあお立ち会い!狭山狐々乃(人間のすがた)の登場ですよ〜〜〜!」

 

 トイレサンダルをぱかぱか鳴らして、狭山さんは私たちの横を通り過ぎて悠然と食堂に入っていった。たちまち中から驚愕の声が響き渡ってくる。現実だと受け入れたくない現実の次は、現実だと思えない現実がやってきた。どんどんこの空間の現実味が薄れていってるような気がした。

 

 「……取りあえず、戻りましょう」

 「そうだね」

 

 茫然とする私の肩を庵野君が叩いた。さすがに彼も、この現実を受け入れるのに少し難儀しているみたいだった。

 


 

 「ボクの話を聞いてよ!!」

 

 食堂に戻った私たちは、谷倉さんが用意してくれた朝ご飯を食べようと手を合わせた。そこに、やっとの思いで発したような、悲しげなモノクマの声が響いてきた。狭山さんの登場で一気に話題をかっ攫われたモノクマは、自分の話を聞いてもらえる機会を伺って食堂の隅に転がっていたらしい。

 

 「今から飯なんだから黙っとけお前は!」

 「なんだよう……なんでボクの印象はこんなに薄いんだよう……」

 「さすがに狐が人間になったインパクトには勝てないだろ」

 「まだ信じられないわ……なんらかのトリック?いえ、だとしても今までこの人はどこに……」

 「ですから拙僧は本当に狭山狐々乃なんですって。ほれ、モノカラーも首についているでしょう」

 「狐のときとサイズが変わってない?」

 「それは知りません」

 「だから話聞いてってば!ご飯食べながらでいいから聞いて!リッスントゥーミー!」

 

 食堂の中は、まだ狭山さんが登場したときのインパクトが残っていて、うっかりするとそっちに話が戻る。モノクマは強引にその流れを断ちきって、自分の声に耳を傾けさせた。そういえば、全員揃ったら何か話があるって言ってたっけ。

 

 「さて、オマエラ、昨日はご苦労様でした!まあそれなりの謎だったからそれなりの出来映えだったと思いますね。ともあれ、いきなり全滅なんてクソつまらねーことにならなくてボクはとても満足しています!」

 「飯がまずくなること言うねぃ」

 「オマエラは見事、今日という日を勝ち取ったわけです。そんな素晴らしいオマエラの活躍に、ボクからささやかなご褒美をあげたいと思います」

 「ごほうび?わーい!ごほうび!」

 「はぐ。ジャムついてるよ」

 「ふむぐ」

 「ろくなもんじゃない予感しかしないアル」

 

 ご褒美。本来なら喜ぶべき言葉も、モノクマが言うと途端に不穏に感じる。きっとまた私たちを疑心暗鬼に陥らせたり、コロシアイへと誘うための罠を与えてくるんだろう。

 

 「学級裁判を頑張ったオマエラのために、新たなエリアを開放してあげました!ぱんぱかぱーーーん!やったね!」

 「新たなエリア?」

 「体育館に向かう途中の階段にシャッターが降りてたでしょ。あのシャッターを上げておきました!ずっと地上と地下だけの生活じゃオマエラも飽きちゃうでしょ。わしゃアリか!って」

 「階段……2階より上に行けるようになったということでしょうか」

 「そこになにがあるかはオマエラの目で確認することだね!あ、そうそう。こういうときにボクは誰も取り残さないっていうのを目標にしてるからね。ちゃんと階段の一部をスロープに改造しておきました!湖藤クンだけのために!大変だったんだからね!」

 「そうなの?地下も?」

 「もちろんです!よかったね!これで湖藤クンもみんなと一緒に行動できるね!ボクってば持続可能なコロシアイできちゃってる?イマドキの意識高い系ゲームマスターできてる?いやー、時代に乗ってくのって大変!」

 「人が減るのに持続可能もへったくれもありませんね」

 

 新たなエリアの開放。それは、この建物の2階に行けるようになったという知らせだった。さらに階段をスロープにして湖藤クンも1階以外のエリアに行けるようになった。ご褒美かと言われると微妙だけど、確実に前よりも生活空間としてのレベルは上がってる。私が警戒していたよりは、悪い話じゃなさそうだ。

 

 「わあ、そしたらみんなで2階を調べた後で地下も見てみたいな。うわさに聞くゴミ捨て場とか大浴場とか」

 「私が案内してあげる」

 「ありがとう、甲斐さん」

 「そんじゃ、ボクはこの辺で!ばいばいクマー!」

 

 現れたときと同じように、何の脈絡もなくモノクマは立ち去った。あいつが現れて私たちの気持ちがあまり沈まなかったのは、これが初めてかも知れない。モノクマのことだから、ただ2階を開放したっていうことはないだろうけど、階段にスロープを付けてくれたのは嬉しい。

 私たちは人が減った寂しさを噛み殺しながら、2階への期待を胸に朝食を終えた。その後、部屋に帰りたがる尾田君や勝手にひとりで飛び出そうとする狭山さん、お酒を飲もうとする王村さんを抑え込んで、全員で2階の捜索をすることにした。何が待ち受けてるか分からないから、いちおう警戒してみんなで行くことにしたのだ。

 


 

 階段は傾斜が緩やかだけど、もともとは普通の階段だったものを強引に改造してるから、車椅子を上げ下げするには急な角度だ。それでも、誰かに手伝ってもらえば通れないこともない。湖藤君は軽いから、女の子2人がかりでも十分なくらいだ。

 

 「ありがとう。甲斐さん、宿楽さん」

 「いいのいいの。私にできることはこれくらいだから」

 「車椅子持ち上げるのって結構大変なんだね……知らなかった」

 

 やっぱり突貫工事だったのか、1階分上げるのに思ったより時間がかかっちゃった。モノクマに昇降補助機かエレベーターを付けるように言っておこうかな。

 2階は1階とはずいぶん雰囲気が違った。白い蛍光灯ばかりだった1階に対して、2階はなぜか蛍光灯に薄紫の色が付いている。廊下の奥の方はなんだか禍々しい雰囲気だ。階段を昇って正面にある少しひらけたスペースに、ひとまずみんなで集合した。

 

 「どうやらいくつか部屋があるようですね。どこから探索しますか?」

 「17人でまとまって動くこともない。Señorita(お嬢ちゃん)たちはボクについて来て!」

 「バカ言うな。はぐが僕と離れるわけないだろ」

 「いいからテキトーに分かれて調べるもん調べるぞ」

 

 さすがに17人での行動は不便も多いだろうから、私たちはいくつかのチームに分かれて2階を探索することにした。ふと、こういうときはいつも一番に声をあげるはずの理刈さんの声がしないことに気付いた。どうしたのかと思って見渡すと、らしくもなく端っこの方で俯いていた。私は近付いて声をかけてみる。

 

 「理刈さん?どうしたの?」

 「……えっ?な、なにかしら?」

 「具合悪そうだよ。大丈夫?」

 「だ……大丈夫、な、わけないわ……!」

 

 私の声に驚いてあげた理刈さんの顔は、かなりやつれて見えた。目の周りがくぼんで、頬がこけているみたいだ。いつもは角帽の下でぴっちりまとまっている髪も、今日は整え具合が雑だ。

 

 「あんなもの見せられて……!どうしてあなたたちは……平気でいられるの……?どうしてあれを……受け入れてるの……?」

 

 あれ、とは昨日のことだろう。理刈さんの言葉で、私もその光景を思い出してしまった。

 

 「殺人よ……?人が、人を殺したのよ……?それだけじゃない。あんなの、処刑じゃないわ……!あんなの認められない……!あってはならない!あんなことが罷り通ったら、私たちはどうやって自分の身を守ればいいの!?」

 「お、落ち着いて理刈さん!」

 「どうしたんだい?大丈夫かいマツリちゃん」

 「カ、カルロス君……!理刈さんをおさえて!」

 「おおう、分かった!」

 

 かなり思い詰めた表情でとつとつと呟いていた理刈さんが、徐々に大きな声を出して暴れ出した。虎ノ森君のあんな処刑を見てしまったら、ただでさえ平静を保っていられなくなる。それだけでなく、理刈さんにとってモノクマの横暴は、もっと重大な意味を持っているんだろう。

 

 「ふぅ……!ふぅ……!ご、ごめんなさい……!ちょっと、私……!」

 「無理もないよ。あんまり具合が悪いんだったら部屋に戻った方が……」

 「いえ。ごめんなさい……ここに何があるかは、きちんと見ておいた方が……いいと思うから……」

 「それじゃ、私たちと一緒に行こう。つらくなったらいつでも言ってね」

 「ええ……ありがとう……」

 

 カルロス君にしっかり肩を押さえられつつ、理刈さんは呼吸を整えていくらか落ち着いたみたいだ。こんな様子の彼女を放ってはおけないから、私と湖藤君に宿楽さんと理刈さん、それからカルロス君を加えた5人で探索して回ることにした。

 


 

 この建物の中では、刑法も民法も、憲法でさえ何の力も持たない。すべてはモノクマの思うまま。モノクマが言えば黒いカラスも白になる。そんな世界だ。公正さなんてない。秩序なんてない。人類がおびただしい犠牲を生み出しながら勝ち取った法律の力が、ここには一切及ばない。そんなこと……今まで想像だにしていなかった。だから、あんな光景は信じられなかった。いや、今でも信じられない。

 人が人を殺した。それが事故であれ故意であれ、罪は罪。裁かれ、償われなければならない。実際に彼が適法に裁かれたとして、その結末がどうなっていたかは分からない。もしかしたら幾らか情状酌量されて罰が軽くなっていたかも知れない。もしかしたら彼のたどった結末は同じだったかも知れない。だけど、たとえ彼の命を助けられなかったとしても、少なくともあんな人の尊厳を踏みにじるような方法ではなかったはずだ。あれは、やむを得ず行われた最後の手段じゃない。モノクマが彼の命を弄んだ、歴とした殺人だ。

 

 「理刈さん?顔色悪いよ?やっぱ部屋にいた方が……」

 「……へっ?な、なにかしら?」

 「もうヤバいって」

 「大丈夫さ!いざとなったらボクがホウコちゃんを部屋まで運んであげよう!いつでも倒れてくれて構わないよ。女の子の体に土なんて付けさせないさ!」

 「いや、倒れたらアウトなんだって」

 

 裁判の翌日、新たに開放された建物の2階を、私たちは探索していた。私の隣を歩くカルロスさんと宿楽さんは、まるで昨日のことを忘れてしまったみたいに能天気な会話をする。こんなものなの?法律が、社会が、人の尊厳が、人が人であるためのあらゆるものに唾を吐きかけるような()()を見て、どうしてそんな会話ができるの?私がおかしいの?

 ぐわんぐわんする頭ではいくら考えても結論は出ない。そもそも私にとって理解しがたいものを私ひとりで考えても、答えなんて見つかるはずがない。答えは私の外にある。でも私の外に私の求める答えがあるの?私の信じてきたものが何の力も持たない世界で、私はこれから何を頼っていけばいいの?その答えさえ、自分ひとりじゃ見つけられない。何もできない。私もこの世界では、無力だ。

 

 「ねえカルロスくん。宿楽さん。ちょっといいかな?」

 

 少し前を歩くみんなについて歩いていて、私はいつの間にか何らかの部屋の中にいた。机と椅子がセットになって規則正しく並んでいる、教室のような空間だった。壁は一面に小さい穴が開けられていて、入口正面の壁にはいくつかの肖像画が並んでいる。どれも著名な音楽家の顔をモノクマに描き換えた、なんというか……どこまでも人をバカにしたものだった。どうもここは音楽室みたい。

 

 「でっけ〜ピアノ!すご!」

 

 宿楽さんの興奮した声が聞こえた。教室の正面には白と黒のツートンカラーに塗られたグランドピアノが置いてある。他にも壁際には、ギターにバイオリンにトランペット、サックス、クラリネット、トロンボーン、シンバルや琴や和太鼓まである。楽器って、こんな乱雑に並べてていいものなのかしら。

 

 「おっ!ギターならオレも弾けるよ。Español(スペイン人)はこれとCastañuelas(カスタネット)で陽気に踊るのさ」

 「へえ、うまいうまい」

 「いいね!なんか踊りたくなってきた!オ・レ!」

 

 カルロスさんが、その辺にあったギターを担いでかき鳴らし始めた。素早くて、力強くて、情熱的なギターの音が教室中に響く。湖藤さんがその辺にあったカスタネットをでたらめに鳴らして、宿楽さんがダンスというより地団駄みたいなステップを踏む。私はあまり詳しくないけど、そういうものなのかしら。

 

 「ちょっと……探索するんじゃないの?」

 「これも探索の一部だよ、理刈さん。踊るのは……恥ずかしいよね」

 「踊れるような気分でも体調でもないわよ……」

 「そうだよね」

 

 呆れる私の隣で、甲斐さんが微笑む。夢中でギターをかき鳴らすカルロスさん、それに合わせてめちゃくちゃに踊る宿楽さんと、カスタネットを楽しそうに鳴らす湖藤さん。なんだか凄まじいパワーを感じる陽気な雰囲気にあてられて、私の気持ちが少しずつ解きほぐされていくような気がした。

 

 「暗い気持ちになっちゃうのは仕方ないし……私たちも、昨日のことを忘れたわけじゃないよ」

 

 甲斐さんは、そんなバカ騒ぎを見ながら言う。

 

 「だけど、そうやって過去に囚われすぎてるのも、モノクマの思う壺だと思う。モノクマが許せない気持ちは同じだよ。それでも、私たちはまず前を向けるようになるべきだと思うんだ。益玉君たちが生きられなかった今日を生きてるんだから」

 「……それは、きれい事よ。間違ってるとは言わないわ。でも、間違ってないだけ。モノクマは許せないし、前を向く必要があるのは確かよ。でも……前を向いたところで、私に何ができると思う?私には何の力もないのよ」

 

 自分の信じていたものが、音を立てて崩れ落ちていく。自分を支えていたものが、何の力も持たないと一蹴される。私に限って、そんなことはあり得ないと思っていた。法律は、たとえ世界の裏側へ行ったとしても、一定の力を持つもの。それが全く無視されることなんて想像だにしてなかった。

 だからこそ、このショックは大きい。自分で冷静に振り返ることができても、そこから立ち直れるかどうかは別問題だ。甲斐さんの言うことは間違ってないし、そうあるべきだと思う。でも、道徳に人を癒す力はない。

 

 「そんなことないよ。理刈さんは、ここに来たばっかりでどうしていいか分からない私たちをまとめてくれたじゃない。朝食と夕食を一緒に食べるって決まりを作ってくれたでしょ。何もないところに決まり事が一つあるだけで、私たちは同じ仲間なんだって思えるんだから」

 「……仲間、ね」

 

 今、その言葉は空虚に響く。その仲間のひとりが、同じ仲間をふたりも殺めてしまった。どんな風に考えても、必ずそこに行き着いてしまう。明るく振る舞おうとすればするほど、暗い事実が私の目の前を覆い尽くす。

 

 「いいのよ、甲斐さん。無理に励まそうとしてくれなくて。申し訳ないけど、今はとても立ち直る気分になれない」

 「そっか……ごめんね。気を遣わせて」

 「ううん。だけどみんなの気持ちはありがたいわ。こんなときでも、こんな私でも、励ましてくれる人がいるっていうことは、分かったから」

 

 せめて私は、手の掛からない人になろう。誰にも何の力にもなれないなら、せめて他の人の手を煩わせることのないよう、じっとしていよう。それが今の私にできること。今の私がしなければいけないことだと思うから。

 

 「あと、モノクマが用意した楽器を不用意に触らない方がいいって、みんなに伝えておいてくれる?」

 「あ、う、うん……やっぱりそういうところはきちっとしてるんだね」

 「そういう性格なの。仕方ないわ」

 


 

 なんつうか、どうにもここは息が詰まる。紫色のライトのせいか?それともやけにゴテゴテした壁や柱のオブジェのせいか?どうでもいいが、1階や地下とはずいぶんとセンスが違って見える。まるで違う人間が設計したみてえだ。

 

 「おっ?なんだここ」

 「芭串様。あまりお一人で先に行かれますと危のうございます」

 「危ねえからオレが先に行くんだろ。いいから谷倉は女子のこと見といてくれよ。こういう何があるか分からねえところはレディファーストじゃねえんだぜ」

 「お〜、佬佬(ラオラオ)かっこいいネ!ホレテマウヤロ!」

 「それあんま他の男の前で言わねえ方がいいぞ」

 「入口でごちゃごちゃ喋ってんじゃないよ!脱出のヒント探すんだろ?とっとと中入んな!」

 「おい押すな押すなって!すべる!ローラーシューズだからすべる!」

 

 なんだか知らねえうちに女ばっかり引き連れてるヤベえヤツみたいになっちまった。谷倉と長島と岩鈴、どいつもこいつも落ち着かねえしやかましいし引っ付いてくるしでまるでまとまりがねえ。

 オレが見つけたのはバカデケえ扉だ。廊下の壁のど真ん中にいきなり現れて、まるで城の入口みてえな威圧感を放ってる。押すのか引くのかも分からねえうちから岩鈴がぐいぐい背中を押してきやがるから、踏ん張れねえオレはその扉にむぎゅっと押しつけられた。ビクともしねえ。

 

 「なんだ、閉まってんのかい」

 「人で押すんじゃねえよ!なんだこの扉!」

 「カギがかかっているようですね。この大きさからして、かなり重要なものであるようですが」

 「もしかしたらお宝でも眠ってるかも知れないネ!こうなったらピッキングでもなんでもして絶対お宝いただきヨ!」

 「鍵穴も見当たらねえけどなあ」

 「こらーっ!その扉に勝手に触るんじゃありませーん!」

 

 謎の扉の前でごちゃごちゃしてたら、いきなりモノクマが降ってきて、長島の頭の上に着地した。すかさず長島が捕まえようとしたが、腕の隙間をするりとすり抜けて足下に着地した。キモいほど滑らかな動きだ。

 

 「で、出やがったな!何しにきた!」

 「まあまあ落ち着いて。ボクはオマエラが余計なことをしないよう、ちゃんと説明をしに来たんだから」

 「説明というと……こちらの扉ですか?」

 「そうそう。この扉は、今はまだ開かれません。然るべき時が来るまでね。そしてそのときになったら、ちゃんと開いてオマエラを迎え入れてくれますよ」

 「然るべき時ぃ?なんだそりゃ!」

 「然るべき時は然るべき時だよ。まあ、ここにいる全員がこの扉をくぐれるかは、ボクの知るところではありませんけどね!うぷぷ!」

 

 そりゃあつまり──それ以上は考えなくても分かる。なんで今オレたちがここにいるかを考えれば、モノクマがこの扉についてした説明の意味も自ずと答えは出た。つまりはそういうことだ。ならこの扉は、ずっとこのまま閉じていた方がいい。ついでに言えば、こいつが開いたところで、オレたちには大して良いことでもねえってことだ。

 

 「てえことは、この扉は外につながってるわけじゃないんだね。なら構っててもしょうがないじゃないか」

 「果たしてそうかなあ?扉の向こうに何があるかは、扉を開けて行ってみないと分からないんだよ。それが絶望的な現実か、希望的な妄想か、はたまたそれ以外なのか。期待してるといいよ!自分が無事にここを通れるその日をね!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 

 言うだけ言って、モノクマは腹を抱えて転げながら廊下の向こうに消えていった。器用なハケ方するヤツだ。

 結局この扉は構っててもしょうがねえ。こんなもんにかかずらわってるより他のとこ見に行った方がいい。ってわけで、オレらは2階の更に奥へ進んで、また妙な扉を見つけた。さっきのがバカデケえ木の扉だったら、こっちはアルミかなんかの金属でできた扉だ。開き戸じゃなくて引き戸になってる。扉の上には『図工室』って書いてある。

 

 「図工室ってことは工具も材料もあるよな?最近なにもいじくってないから腕がなまってきてんだ」

 「美術室じゃねえのかよ……ま、ないよりマシか。おい岩鈴。ちょうどいいからオレのシューズのメンテしてくれよ」

 「ああん?(アタシ)はタダの仕事も安い仕事もしないよ!やるときゃ責任もってきっちり完璧な仕事するんだ!やるなら金をもらうよ!」

 「金?モノしかねえよ。それでいいか?」

 「まあ……しょうがないね」

 

 まだ中に何があるかも分からねえのに、オレはなんとなくで岩鈴に金を払ってシューズのメンテしてもらう約束をした。モノクマから寄越されたモノカラーに最初から入ってたモノと、ここでの生活でちょこちょこ拾ったり稼いだりしたモノを支払いに充てる。もうすっかりこれがオレたちの中の通貨になっちまった。

 さっきの扉と違って、こっちはカギがかかってなかった。するすると摩擦を感じないくらいスムーズに開いたドアの向こうは、まだ誰も入ったことがないくらい整ってた。壁際に並んだいくつものよく分からん機械。ガラス張りの棚には工具や部品が大量に入ったがっしりした造りの箱が並んでて、ハンマーやドリルみてえな特にデケえ工具は壁にかけられてた。図面を広げる用のやたらでけえテーブルもあるし、精密機械をいじくるための細かい作業をするためのテーブルもある。こりゃあ、工作をやるヤツにとっては至れり尽くせりってヤツだな。

 

 「ふーんなるほどな!こりゃ色々できそうだ!モノクマにしちゃあそれなりに揃えるもん揃えてるんじゃないかい?」

 「ワタシたちには分からないヨ。華華(ファーファー)だけ楽しそうネ」

 「岩鈴様は特にこの空間ではご自分の“才能”を持て余していらしたでしょうから。私が用意したものではなくて恐縮ですが、嬉しそうにされて何よりです」

 「ワタシもそろそろ一発ぶちかましたいアル!スナイパーライフルをもってこ〜〜〜い!」

 「んな危ねえもんあるわけねえだろ!」

 「なんだいなんだい?ライフル?造ったことないけど設計図さえあれば(アタシ)に造れないもんはないよ。一丁造ってやろうか?」

 「シャレになってねえんだよ!」

 

 この調子じゃ岩鈴は冗談じゃなく本当にライフルだろうがなんだろうが造れちまいそうだ。それだけの腕と道具がここには揃ってる。あんま考えたくねえが……もしかしてここ、開けねえ方がいい部屋だったんじゃねえか?

 

 「それにつけても、モノクマ様はこの建物を希望ヶ峰学園だと仰っていました。とても一教育施設に揃えられる設備とは思えませんが」

 「オレは希望ヶ峰学園ってだけでその辺の常識はすっ飛ばして納得できちまうぜ……イギリスにいた頃から名前は聞いたからな」

 「佬佬(ラオラオ)英国(イギリス)にいたカ!」

 「オレはもともとロンドン育ちだよ。むしろ日本に来てからの方がまだ短いぜ」

 「にしちゃあ日本語が上手いね。全然違和感がないよ」

 「あ〜、おやじが日本人だからな。おふくろがイギリス人だ」

 「ハーフなんですね」

 

 なんか知らねえうちにオレの家族の話になってんな。別に隠しちゃいねえけど、あんまりパーソナルな部分を掘り下げられんのはなんかむず痒い。

 

 「そう言えば佬佬(ラオラオ)は妹ちゃんがいるって言ってたネ!とってもかわいいらしいヨ!」

 「妹!私にも妹が2人おります。芭串様のご令妹様ですから、きっと大変可愛らしくいらっしゃるでしょうね」

 「いやまあ、否定はしねえけどな。長島も弟妹が多いらしいじゃんか」

 「ってことはワタシたち兄姉団ってことネ!」

 「うっわダセェ」

 「弟ですか……いいですよね、下の弟妹がいるとこう、色々とくすぐられるものがありますね」

 「本当ヨ。お世話してるとくすぐってきたり甘えてきたりで大変ネ」

 「微妙に噛み合ってねえけどまあ、どっちも分かるわ」

 

 谷倉がやたらとしっかりしてんのは、単に“才能”が理由ってわけじゃねえんだな。妹が2人もか。女同士だし、たぶんかなり世話を焼いてたんだろうな。年の割に大人びて見えるのも納得だ。一方で長島は姉の割に子どもっぽい部分があるよな。しっかりというかちゃっかりというか、大人びてるっつうより抜け目ないっつうか、擦れてる感じがする。なんて思ってるオレだって、他人からどう見えてるか分かりゃしねえ。

 

 「なんだいなんだい。(アタシ)抜きで盛り上がって」

 「岩鈴は下の弟とか妹とかいねえのか?」

 「うちは(アタシ)ひとりだね。兄弟でもいりゃあそいつが工場を継いだんだろうけど。ま、(アタシ)も機械いじりは性に合ってるから構いやしないけどね」

 「じゃあ弟と妹の可愛さが分からないのネ。かわいそうな華華(ファーファー)w」

 「なに笑ってんだい」

 「ですが岩鈴様の家業を継ぐというお気持ちは、私にも分かります。超高校級と呼ばれていますが、社会に出るにはまだ未熟ですので、こうして希望ヶ峰学園に参ったわけですが」

 「そうだねえ。(アタシ)は自分の腕を磨くのもあるけど、ここで希望ヶ峰学園卒業生って箔を付けて、町工場のヤツらに仕事を回せるようになりたくて来たんだ」

 「ご立派な心構えだと思います」

 

 弟妹の話だけじゃなくて、家業の話もできんのか。谷倉のカバー範囲パネエな。

 

 「うちは特におふくろがすぐ死んじまったからな。血のつながった家族は親父だけだけど、町のヤツらはみんな家族みたいなもんだ!」

 「そうですか。考えてみれば当然のことですが、皆様それぞれが外にご家族や大切な方々を残してここに来られてるのですね」

 「そうヨ!希望ヶ峰学園に来ればお金いっぱいもらえてワタシの家族みんなおいしいご飯食べられるって思ったのに、こんなことになるなんて思わなかったアル!」

 

 谷倉も長島も岩鈴も、もちろんここにいねえヤツらだって、家族のひとりやふたりはいるだろ。そうでなくても、友達なり仕事仲間なりがいたはずだ。ただそれだけで、外に出たいって思う気持ちは湧いてくるはずだ。それをモノクマに利用されなきゃいいが。

 

 「まあなんだ。外に大切な人がいるってのは結構だけど、くれぐれも考え過ぎねえことだ。どうせまだここに来て一週間も経ってねえんだ。心配してっかもしんねえけど、よっぽどのことにはなってねえだろ」

 

 なんとなく暗くなりそうな会話の流れを無理矢理ぶった切って、自分でも呆れるくらい楽観的なことを言う。気休めにもなりゃしねえ。ただ、そういうことが言える空気ってのがなくなったら、人の頭ってのはどんどんマイナスな方にいっちまうもんだ。せめてオレがまだマトモでいられるうちは、ピエロになるってのも必要かも知れねえな。

 


 

 う〜ん!素晴らしい!人間の体というのはコンなにも動きやすいものだったでしょうか!おそらく慣れ親しんだ感覚がこの体の(コン)底に流れているからでしょう!狐のころの方が身軽ではありましたがね。今は胸元が少々重たい。

 こんなに動き回れるのなら2階の探索などという面倒なことはなしにして、地下階にあった大浴場でお湯に浸かりながら人間体を謳歌しなければ嘘というもの!というわけで毛利さんとその辺にいたちぐはぐズを引き連れて、拙僧は狐には到底成し得ない大股で学園を闊歩し、こうして地下階までやって来たわけです!

 

 「晴れやかな気分ですなー!」

 「ぜぇ……!ぜぇ……!」

 「ちぐ、大丈夫?いきなり走って疲れたね」

 「ややっ!?これはこれは一体全体どうしたことでしょうか?大浴場の隣に新たな施設を発見しました!プールとありますが」

 「ならプールなんだろう」

 「プール?やったー!はぐ泳ぎたーい!」

 「プ、プール!?いや待ってくれ、はぐ。泳ぐのは我慢しよう」

 「えー?でもプール見たいよ。足でぱちゃぱちゃするんじゃダメ?」

 「……まあ、それなら」

 「ともかく行ってみましょう!百聞は一見にしかず!噂に聞きしプールとは如何なるものか!」

 「プール初見のヤツなんていたのか」

 

 拙僧がこもっていた山では高校にもプールなどありませんでした。修行場にももちろん、そんな破廉恥なものはございません。大浴場の隣にある薄っぺらな扉を開けて向こう側へ足を踏み出しました!

 学園の地下にこんなに広い空間があったとは驚きです。何よりも驚くべきは、その広い空間のほぼ全部を占める大量の水!天井から落ちる光を受けてきらきらと水面がきらめき、なんとも薬品めいた臭いが鼻を突いてきます。ふよふよと浮かぶ細長いあれは、スロープでしょうか。それで水面を仕切ってコースとしているのですね。向こう側には飛び込み台も見えます。

 

 「うっひょーーー!これはまたなんと!」

 「でっかいプールだ!」

 「25……いや、50mくらいはあるな。競技用じゃないのか」

 「一体何のためにこんなものが……」

 「何のためと言えば泳ぐためでしょう!さっそく泳ぎましょう!」

 「ま、待て狭山。服を着たまま水に入ると危険だ。水着に着替えてからでないと」

 「ははは。拙僧もそこまで考えなしではありませんよ。では見さらせ!今朝起きたら拙僧が身に着けていた能力を!」

 「!?」

 

 いくらなんでもそのままの格好でプールに飛び込むつもりはありません。頭の飾りも服も邪魔くさいですからね。なので拙僧はその場でひらりと一回転し、マントを翻して自らの体を縮めました。縮めるといっても膝を抱えてうずくまっているわけではありません。文字通り、体の大きさを小さくしたのです。人間から狐へとトランスフォームしたわけです!

 

 「なっ……!?ええ……?」

 「き、きつねになっちゃった……」

 「フフン!どうですか!これが拙僧の能力です!」

 「能力っていうか……いや、能力か?いや、そんな漫画のようなことが……どういうトリックだ!?」

 「残念でしたね!トリックではないのです!」

 

 ここにいるのは正真正銘、狭山狐々乃である拙僧その人です。狐の姿も人間の姿も、どちらも等しく拙僧なのです。というかそもそも拙僧は人間です。

 

 「すごいすごい!どうやったの!?」

 「知りたいですか?では教えて差し上げましょう」

 

 拙僧は高校生シャーマンの狭山狐々乃。幼馴染みでもある兄弟子らと山の奥で修行に明け暮れていたら、希望ヶ峰学園なるところから怪しげな手紙が届きました。大都会での生活に憧れ夢中になっていた拙僧は、学園に足を踏み入れたところで妙な感覚を覚えて気を失い、目が覚めたら──体が縮んでしまっていました!

 

 「どっかで聞いたような流れだが……要するに、この学園に来るまでは人間で、気が付いたら狐になっていたと」

 「そういうことです!理解が早くて助かります!」

 「いや全く理解できてはいないんだが……では、いまのお前はなんなんだ?人間になったり狐になったり……」

 「そりゃ人間型と動物型を切り替えているだけですよ。こう、延髄の辺りにぐいっと力を込めて」

 「わからんわからん」

 「というわけで拙僧は泳ぎます!いやっほーう!」

 

 小難しいことはどうでもいいのです!実際に拙僧はいま、人間にも狐にもなれるのですから!狐なら水着がなくても、むしろ全裸でも問題ないでしょう!この解放感!素晴らしいですね!

 何のためにここに来たか、何か別の目的があったような気がしますがひとまずそれは忘れ、拙僧はプールに飛び込みました。狐の体は毛に覆われているので、水に入ると体中がじっとりと重たくなったような感じがします。ですが服とは違い自分の体の一部ですので、体の動きを邪魔するようなことはありません。尻尾を上手いこと回転させて推進力を得て、小さな手で水をかきのびのびと泳ぎ回ります。毛利殿も陽面殿も月浦殿も、どうやら泳ぎたくはないようです。勿体ない。せっかくプールがあるのに。

 


 

 ひとしきり泳いだ後、拙僧は適当なタイミングでプールサイドに上がりました。やはり身軽な狐の体になっても、全身運動であることには変わりませんから、なかなかに疲れるものです。ぶるぶると体を震わせて体毛が吸った水を吹き飛ばし、プールサイドに置いてあったビーチチェアに寝そべります。いや〜、優雅ですね。やはり夢の都会生活はこうでないと。

 

 「気が済んだか、狭山」

 「ええ。それはもう。ところで毛利殿。毛を乾かしてはもらえませんか?」

 「自由過ぎるぞ。王様かお前は」

 「といいつつ、タオルもドライヤーもあるのでしょう?」

 「あるが……」

 「なんであるんだ」

 

 拙僧がプールで泳いでいる間、毛利殿とちぐはぐズはプールの中を色々と探索していたようです。まったく、遊びもせずに汗をかいて働くなど物好きなものですね。

 

 「何か分かりましたか?」

 「くっ……!こいつに聞かれると腹が立つ……!」

 「ダメだよちぐ。みんな仲良くしないと。分かったことは教えてあげるの」

 「…………はぐが言うなら」

 「月浦殿もたいがい甘いですね〜」

 「うるさい。結論から言うと、ここは飛び込み台とプール以外には特にめぼしいものはない。向こうにドアがあったけど、ビート板とかタオルとかの備品があるだけだった」

 「はいはーい!はぐはね、飛び込み台の上の方まで昇ってみたよ!天井にかかってる旗あるでしょ。あれを掴んで天井まで行けそうだったよ!」

 「行ったのですか?」

 「そんな危ないことさせるわけないだろ。行けたとしても意味がない。はぐのすごさが分かるだけだ」

 「私はプールサイドを調べていた。このビーチチェアなどの休憩用設備はあるが、それだけだな」

 「結論、ここは本当にただプールで遊ぶためだけの場所ということですね」

 

 まあそんなことだろうと思っていました。モノクマが拙僧たちに立ち入りを認めている以上、脱出口やその手掛かりがあるはずもありません。そんなものに期待するだけ無駄なのです。

 

 「うぅ……どうしよう。はぐたち、もうここから出られないのかな……」

 「そんなことはないよ。外からの助けが来なくたって、はぐと僕は絶対に外に出るんだ」

 「2人だけか?私たちは?」

 「一緒に出られそうなら出ればいい。そうでないなら知ったことか」

 「清々しいほど態度が分かれていますね」

 「はぐ以外の人間に撒いてやる愛想なんか持ち合わせてない」

 「徹底しているな」

 

 ちぐはぐズの異常な仲の良さ……と言うより共依存関係は以前から興味がありました。お二人がそれぞれどのような“才能”で希望ヶ峰学園にスカウトされたかは知っていますが、“超高校級”とされる生徒が入学前から知り合いであるなど大した偶然もあるものです。一体お二人はどういう経緯で今のような関係になったのか……そして、外から力が加わったときにこの関係がどうなってしまうのか、たいへん興味深い。

 

 「まあ安心なさいな。既に悲しい事件は起きてしまいましたが、モノクマが直接拙僧たちに手を下すことは基本的にないのです。外から助けが来るかも知れませんが、それに期待していては毎朝目覚めとともに裏切られるだけです。ここはひとつ、期待しないというのはいかがでしょう?」

 「期待しない……?」

 「そうです。外から助けなんてこない。どうやったって外に出ることはできない、と開き直るのです」

 「いや狭山、それはダメだろう。そうなってしまったら私たちはずっとここにいることになるぞ」

 「気休めですよ気休め。不安に駆られてばかりよりも、適度に諦めの心を持つのが精神を健康に保つ秘訣です。いいですか?人間、希望を与えられてからの絶望が何よりもキツいのです。はじめから希望を持つことをしなければ、ちょいとした絶望などどうということはないのです」

 「詭弁だ」

 「詭弁にも一分の理はあります。大切なのは本人の気持ちですよ。いかがでしょう?陽面殿」

 「……う、うん。でも、はぐは絶対外に出たいから……」

 「そうですか。いや残念。ですが拙僧はその手のことは大得意ですからね!もし本当に辛くなったら、いつでもお声かけください!」

 「はぐに悪い考えを吹き込むな、この害獣」

 「そのときは月浦殿もぜひ」

 「うーん、確かに強靱な精神力だ」

 

 何事も諦めが肝心です。何も一切合切を諦めろなんてことは言っていないのに、お三方からは大変不評をいただいたようで、これには流石の拙僧も参ってしまいました。どうやらまだ皆さんの中には希望が燦々と輝いているようですね。願わくばその希望が輝きを失ってしまわないよう……精々気を付けていただきたいものです。

 


 

 愚かしいことだ。全くもって愚かしい。そう思うのは傲慢か?油斷(ゆだん)ならないことだ。ここでは些細な感情の機微がどんなうねりとなって返ってくるか分かったものではない。しかし確かに忠告はした。それを聞き入れなかったのはヤツの責任だ。人閒(にんげん)はそう簡單(かんたん)には()われないというが、生き(のこ)れるのは變化(へんか)適應(てきおう)していく者のみだ。大いなる力に抗おうとするなど、蟷螂でもあるまいに、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 

 「おい菊島。ぼーっと見てねえで手伝ってくれよう」

 

 情けない(こえ)で助けを求めるのは王村だ。俺たちは新しく開放された2階を探索しようという甲斐の號令(ごうれい)(したが)って班を組んだが、2階はどこも既に探索されていた。仕方なく、他にも新しく開放された施設があるという地下階に()ていた。何を眞面目(まじめ)に探索などしているのかと自分で自分に苦笑する。しかし嫌が(おう)にも探索したくなる(わけ)がある。

 

 「事件について(だま)っていた上に酒を()んでいたことへの相應(そうおう)の罰だ。その分、働いてもらう」

 「鬼!ひとでなし!」

 「慣れればどうということはない」

 「なにを罵倒に慣れることがあるんですか」

 「んぐおお〜〜〜!!限界を超えろおいらの背筋〜〜〜!!」

 

 地下にあるものものしい石の扉。他の部屋が安いプラスチックやアルミでできているのに(たい)し、ここだけは重い石でできている。扉近くにかかる表札には『藥品庫(やくひんこ)』と書いてある。入口からなんともそそられるものがあるではないか。

 もはや開けるというより壁と扉の隙閒(すきま)(はさ)まってつっかえ棒代わりになるような體勢(たいせい)で、王村はごりごりと扉を開いた。とはいえ、王村の背丈分だけ扉が開いたところで俺や庵野にとっては肩が()たるほど(せま)いものだった。

 

 「王村君、ありがとうございます。あとは手前が」

 

 疲勞困憊(ひろうこんぱい)という具合にへたった王村の(つづ)きを庵野が請け負う。片手で扉を押さえると、まるでアルミかなにかのようにするすると開いた。宣敎師(せんきょうし)がなぜこんなに筋骨隆々になる必要があるのやら。全くここにいるヤツらはどいつもこいつも癖の塊のような人閒(にんげん)ばかりだ。退屈しない。

 背中をいわすほど力を出した王村は、吹けば飛ぶような自分の頑張りが實際(じっさい)に吹かれて飛んだ場面を目擊(もくげき)し、目と耳を塞いで現實(げんじつ)から逃避してしまっていた。俺と尾田は構わず部屋の中に入る。微かに藥品(やくひん)の臭いが香ってきた。

 

 「薬品庫……十中八九ろくなもんじゃないと思っていましたが、案の定ですね」

 「いやいや、それ以上かも知れないぞ」

 

 壁に備え付けられたスイッチを押すと、藥品庫(やくひんこ)全體(ぜんたい)が明るく照らされた。藥品庫(やくひんこ)という名前ではあるが、これはまるで化學實驗室(かがくじっけんしつ)だ。壁際には硝子張りの箪笥が所狹(ところせま)しと(なら)び、(おく)にも手前にも下段にも上段にもびっしりと藥品(やくひん)(びん)や小箱が詰まっている。その(よこ)には()っ白な實驗机(じっけんづくえ)があり、樣々(さまざま)な備品をしまうロッカーもある。これほどの設備がまだあったとは驚きだ。どうやら希望ヶ峰學園(きぼうがみねがくえん)はあらゆる面において非常識極まるものらしいが、改めて思い知るようだ。

 

 「これはこれは。風邪薬にかゆみ止めに消毒液、殺虫剤から……これは洗剤ですか?」

 「こっちはもっとすげえぞ!重曹、にがり、色素から始まって人工甘味料に増粘剤に乳化剤、酸化防止剤ってなもんだ!添加物博覧会ってか?」

 「アセトアミノフェン、テトロドトキシン、シアン化カリウム、濃硫酸、王水、フッ化水素……どちらかと言えばこちらが本命でしょう」

 「耳に馴染んだものから素人には扱えないようなものまで……大層(たいそう)なものだな」

 「……そうですね。僕らには触れるのも恐ろしいです」

 「何言ってやがるんかねえ。おめえさんもつい昨日、ルチアーノだか寿司海苔だかっての使ってたじゃねえか。恐ろしいこった」

 「あれはブラフですよ。ただの色水です」

 「なにぃ!?」

 

 なんでもないことのように、尾田は白狀(はくじょう)した。どうせこれ以上騙し通すことはできないだろうからな。王村はそれを聞いてひっくり返りそうなほど、庵野は細い目が僅かに開かれるほど驚いたようだ。いちおう俺も驚いた(かお)は見せておくか。

 

 「実際のルミノール試薬はここにあるんです。昨日の僕が手に入れられるわけがないでしょう」

 「するってえとおいらたちゃあ、お前のホントかウソか分からねえ小細工に命懸けたってのかい!?」

 「虎ノ森クンはほとんど自白していたようなものでした。僕のブラフはそれを引き出すためのもので、あなたたちの意思決定を直接左右するものではありません。それに、生きてるんだからいいじゃありませんか」

 「結果論か。破滅する者の思考だ。刹那的で(じつ)に良いと思うぞ」

 「別にあなたに気に入られたって嬉しくもなんともないです」

 「だろうな。俺も喜ばせるために()に入ったわけではない。さらに言えば特段()に入ってはいない」

 「なんでこうもギスつくんだろうなあ」

 

 空氣(くうき)の流れが淀んで藥品(やくひん)から漂う匂いが綯い交ぜになったこの不愉快な空氣(くうき)のせいか、自然と4人の(あいだ)に流れる雰圍氣(ふんいき)まで(わる)くなっていくようだ。しかしたとえここで大喧嘩を始めようとも、この場所の探索はしっかり(こな)さなければならない。

 ふむふむ、どうやら入口から近い順に、一般的な醫藥品(いやくひん)や食品添加物、家庭用藥品(やくひん)低危險度(ていきけんど)化學藥品(かがくやくひん)、非常に危險(きけん)藥品(やくひん)、毒物・劇物、というグラデエションになっているわけだな。そして部屋の最奧(さいおう)には、何やら大きな鐵嚢(ボンベ)があった。

 

 「これはまた怪しげものが現れたな。いったい何だ」

 「やけに興味津々ですね、菊島クン。化学に造詣でも?」

 「俺が理系の學徒(がくと)に見えるかな?」

 「詳しいでしょう。見ただけで素人には扱えない薬品だと分かる素人はいません」

 「……それもそうか」

 

 なるほど。この尾田という男は周りをよく見ている。俺が何の()なしに言った言葉をそう解釋(かいしゃく)するか。學級裁判(がっきゅうさいばん)のあの場面でハッタリをかます度胸もある。あるいは全て計算盡(けいさんづ)くか。敵にはしたくないが、仲閒(なかま)を作りたがる性分でもないだろう。なんとも扱いの難しい男だ。

 

 「いやなに、小說家(しょうせつか)というのは題材に(おう)じてあれこれ取材をするものだ。その關係(かんけい)で少しな」

 「ふぅん。そうですか。勉強熱心なタイプには見えませんが……そういうことにしておきましょう」

 「おいおいおい!なんだいこりゃあ!」

 「王村君、あまり勝手に持ち出すのはいけませんよ」

 「今度はなんですか」

 

 物置の方でなにやら騷いでいると思ったら、王村が妙なものを被っていた。()(くろ)に塗られたプラスチックのゴオグルに、やたらとゴテゴテしたマスクが付いている。指の先から足の先まですっぽりと包む雨合羽のような素材の服で、王村は現れた。(かお)もろくに見えないのになぜ王村だと分かるかというと、あんまりにも背が低いからだ。

 

 「王村君が倉庫の中にあった防護服を勝手に着始めまして」

 「こんな面白そうなもん着とかなきゃ損だろ!ただでさえこっちは閉じ込められて暇してるってんでい!」

 「始終酒ばかり()んでいる()(ぱら)いが何を言っているのやら」

 「こらーーーっ!防護服で遊ぶヤツがあるかーーーっ!!」

 「おぎゃっ!」

 

 相變(あいか)わらず突然に、その(こえ)は俺たちの背後から現れた。振り向けば(かお)()()にしてカンカンに怒るモノクマがいた。血が通っていないのになぜ(かお)が赤くなる?

 そのままモノクマは王村の近くまで寄ると、ポカリと(なぐ)って防護服をひん剥いた。どうやら本當(ほんとう)に遊びで着られたくなかったらしい。高價(こうか)なものなのだろうか。モノクマにも經濟(けいざい)というものがあろう。

 

 「貴重な防護服を雑に使いやがって!これはどんな薬品からも内部の人を守るスーパーハイテクスーツなんだぞう!高いんだぞう!」

 「どこかから仕入れているのですか?」

 「材料さえ揃えば作れないことはないけど、その材料が希少なんだなあ。ってそんなことはどうでもいいの!いい大人が子どもみたいにはしゃぐもんじゃありません!」

 「なにおうてやんでい!テメエこちとらこんな狭くてつまんねえ色気もねえしみったれたとこに三日も四日も閉じ込められてんでい!新しい世界を用意したっつうのはテメエじゃねえか!ちょいとばかりハメェ外して遊ぶのがそんなにいけねえことか!べらぼうめいこんちきしょう!」

 「はめ外すのは勝手だけど、大切な備品を壊したらその分のペナルティは受けてもらうからね!」

 「ペ、ペナ……?」

 

 よせばいいのに、王村はモノクマに向かってどこぞの噺家(さなが)らに啖呵を切る。モノクマに言いたいことがあるのは俺たちも同じだ。それを言って()わるのならば苦勞(くろう)はしない。まさかこの程度で殺されることはないだろう、という常識すらこいつには通用しないのだ。それを察して、王村はすごすごとさがる。

 

 「あと王村クン、ちゃんと鏡を見るんだよ!そんなみっともない顔でみんなの前に出て行ったら、大恥かいちゃうもんね!あひゃひゃひゃひゃ!」

 「か、鏡だあ?なんだってんだいったい」

 「おや。いつの間に……もしかして今の防護服ですか?」

 「な、なんだよう!おいらの顔がどうなったってんだよう!」

 

 見ると、王村の兩頬(りょうほほ)に丸い跡が付いていて赤くなっている。形を見るにガスマスクの吸氣口(きゅうきこう)だろうか。さっきの防護服についていたマスクで跡が付いたのだろう。確かにみっともない(かお)だ。

 

 「(かお)が大きいからそうなるんだ」

 「顔のデカさは関係ねえやいちくしょう!散々だ!」

 「で、お前は何をしに()た?防護服で遊ばれるのが我慢ならないという理由だけではなさそうだが」

 「おっ!さすが菊島クン鋭いね!そこの薬品について説明してあげようと思ってね!」

 

 モノクマが指さしたのは、ついさっき俺と尾田が覗き込んだ鐵嚢(ボンベ)だった。やはりこれも藥品(やくひん)か。しかし一體(いったい)どういうものなのか。

 

 「こいつはめちゃくちゃにヤバい薬だよ〜!とんでもなくヤバいよ〜!どれくらいヤバいかっていうと、この部屋の中にある全ての薬品の中で一番ヤバいくらいヤバいよ〜!」

 「さっさと言ってください」

 「ツレね〜の」

 

 相變(あいか)わらずモノクマの言うことは要領を得ない。まどろっこしいだけで何も意味が掴めない。

 

 「これは世界一の強酸性薬品『YABASUGI』!これに触れたありとあらゆる有機物は、沈むように溶けていくように原型を一切留めないレベルまで酸化させられちゃいます!このAボンベの薬品とBボンベの薬品は、それぞれだと飲んだら死ぬぐらいの毒性だけど、まぜると『YABASUGI』になるんだなあ。揮発した蒸気を吸っても死ぬから気を付けてね!」

 「め、めちゃくちゃな薬品ではないですか……!そんなものがここに……!?」

 「ふむふむ……なるほど。そういうことか」

 「な、何がそういうことなんだ?」

 「今はまだ言うべきときではないな」

 「なんだそりゃ?」

 

 『YABASUGI』なる藥品(やくひん)の恐ろしさは、モノクマのことだから語る通りなのだろう。モノクマがあらゆる有機物を溶かすと言うのなら、本當(ほんとう)にあらゆる有機物を溶かす藥品(やくひん)ができるのだろう。いったいどういう化學技術(かがくぎじゅつ)なのやら。

 

 「菊島君。あなたは一体……何か知っているのですか?」

 「俺が?ははは、何も知らんよ。物書きというのは、何も知らん生き物だ。頭の中で得手勝手に捏ねくり回した妄想をしたためて愚にも付かない駄文を拵えては幾らかの金に換える、そういう生き物だ」

 「まあ……虎ノ森クンのようなことをしないのであれば、僕は別にどうでも構いませんが」

 

 なるほど。自分ではいつもの通り振る舞っているつもりだが、尾田には虎ノ森の二の舞になりかねないと思われてしまったようだ。これはいかん。ヤツは俺の忠吿(ちゅうこく)通り、己が可愛さ故に破滅した。少々反省するとしよう。俺はまだ死ぬつもりはないのだから。




第二章のはじまりはじまり、です。
第一章までは定期的に投稿していましたが、章をまたぐタイミングでちょっとお休みしてました。本当はストックがなくなって投稿できなかっただけですが……。せっかくですから、今後もこんなペースで進めていこうと思います。


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(非)日常編2

 

 新しく開放されたエリア。建物の2階と地下の施設。それぞれが集めた情報を共有して、全体として今後どうしていくべきかを考える。もう誰もコロシアイや学級裁判なんてしたくない。その思いは一緒だ。それなのに、一丸となってモノクマに立ち向かおうとすると途端にその結束は脆くなる。

 

 「モノクマの言うことになんか従う必要はない。オレたちでなんとしても出口を探して脱出するんだ」

 「でも校則破ったら一撃でお陀仏アル。卡卡(カーカー)はその覚悟があるカ?」

 「んぐ……」

 

 毅然とモノクマと戦う道を示すカルロス君だけど、長島さんのような現実主義の人には無謀にしか映らない。

 

 「何を言ってるのですか。人生何事も諦めが肝心なんですよ。みなさんでここで暮らしていくのです。脱出したいなどと思うから不和が起きるのですよ」

 「こんな息の詰まる世界で一生を過ごせと?馬鹿な。あり得ないな」

 

 開き直ってここで暮らそうと言い出す狭山さんの能天気さは救われる気持ちもあるけれど、菊島君の言うようにそんなことはあり得ない。外の世界をそう簡単に諦められるわけがない。

 

 「ひとまず様子を伺った方がいいのではないでしょうか。コロシアイさえしない分には、安全は保証されています」

 「それもモノクマの気分一つで変わりかねん。第一、コロシアイさえしなければと言うが、ヤツはなんとしてでもコロシアイを起こさせるつもりだ」

 

 谷倉さんの穏当な意見が落としどころかと思いきや、毛利さんの冷静な意見もスルーはできない。

 

 「うぅん……」

 「やはりこういうときはリーダーを務める方の意見が重要だと僕は思いますよ。理刈サン、どうなんですか」

 「……え?」

 「話聞いてました?」

 「………………あっ、ご、ごめんなさい、ちょっと……何かしら?」

 「ど、どうしたんだ?らしくもねえ」

 「理刈さん、ちょっと参っちゃってて」

 

 尾田君から理刈さんに話が振られる。だけど理刈さんは、あれから結局元気を取り戻すこともなく、なんだかぼーっとする時間が増えたような感じがする。心ここにあらず、ずっと上の空っていう感じだ。やっぱりコロシアイと学級裁判がショックだったんだろう。今も全然頭が働いてないみたいだ。

 

 「もういいです。役に立たないことが分かったので」

 「ちょっと尾田さん!そんな言い方ないんじゃあないですか!?理刈さんだってあんなもん見せられて平気でいられるわけないでしょ!」

 「平気でいろなんて言いませんよ。人間なんですから、いくらでも落ち込めばいいです。ただやることはやってもらなきゃ困るんですよ」

 「それができないのが落ち込むってことでしょ!落ち込んだことないんかアンタは!」

 「ええ。そんな非生産的な活動に費やす時間とカロリーが無駄です」

 「この人生効率厨が!」

 「なにその悪口」

 

 理刈さんのために声をあげたのは宿楽さんだった。探索のときから元気のなかった理刈さんのことを特に気に懸けてたから、尾田君の言いぶりが我慢ならなかったんだろう。何より、彼女にとっっては周りのみんなは“超高校級”の才能を持ったスーパーエリートばかりだ。宿楽さんだってその一人なんだけど、どうも彼女は自己評価が低い。逆に周りのみんなの評価が高いということでもある。だから理刈さんを下げる言い方が気に入らないんだろう。

 

 「こうしている今も、外の世界がどうなっているか分からないんです。モノクマが何か仕掛けてくるかも知れないんです。脱出するなら脱出する、そうでないならそれなりにすべきことをする。僕たちには一分一秒という時間が惜しいのです。もたもたしていたらまた昨日のようなことになりますよ」

 「ならないよ!なら、ないよね?」

 「そ、それは私に聞かれても……分かんないよ……」

 「ともかく僕たちは全員で同じ方を向いてなければいけない。下らない方向性の違いなんかでモメている場合じゃあ──」

 「ケンカはダメだよ!」

 

 ヒートアップしていく尾田君と宿楽さんの口論は、その一声でぴしゃりと止まった。ここにいる誰の声でもない。それは、食道の入口から聞こえてきた。見ると、いつの間にかそこにモノクマがいた。新しいエリアの探索が終わった私たちに、さっそく何か嫌みでも言いに来たのかな。

 

 「まったくもう。昨日の今日でまたそんなにケンカしてる場合じゃないでしょ!ボクが見たいのは殺伐としたコロシアイゲームじゃなくて、オマエラが仲良くらーぶらーぶな──」

 「なんですか気持ち悪い。大した用がないなら出て行ってください」

 「えっ」

 「そうですよ!もうここにはこんなにラブリープリティーなマスコットこと狐々乃ちゃんがいるのですからして!クマなんてイマドキ流行りません!」

 「だいたいこうなってるのもお前が原因だろ!どの面下げてきたんだこの野郎!」

 「な、なんだよう。オマエラ、ボクを邪魔物扱いしようってのか!ボクはこんなにオマエラのことを想ってるのに……!ね、ね、湖藤クン」

 「うーん。なんでぼくを頼るのかな」

 「湖藤君にくっつかないで。しっしっ」

 

 いつものグイグイくる感じじゃないから、ここぞとばかりにみんながモノクマへの不満をぶつける。ぶつけたからといってモノクマが心変わりしたり気持ちを入れ替えることなんて期待してない。ただ、少しばかり憂さ晴らしになるだけだ。

 当のモノクマは、怒ってくるかと思いきや、あっさりと撃退させられてべそをかきながら部屋の隅の方に追いやられていった。

 

 「うぅ……みんなが冷たい」

 「なんだ弱っちいな。気持ち悪い」

 「用がないのに暇だからって出て来たんでしょう。はあ、白けました。もういいです」

 

 モノクマが突然現れて話の流れを破壊したせいで、尾田君も宿楽さんもこれ以上話す気が失せたようだ。結果的にこれ以上ギスギスしなくなりそう、かな?

 また私はこういうときに何も言えなかった。尾田君の危機感も、宿楽さんの気遣いも分かるからだ。この建物の中にいる限り、モノクマの支配下にあることは変わらない。さっきは適当に追い払えたけど、モノクマが本気で私たちに悪意を向けたとき、私たちがそれに抵抗することは許されない。だからといって、今の理刈さんに無理をさせたって、争いの火種になるだけだ。

 

 「それは、おかしいことじゃないよ」

 「へ?」

 「甲斐さん、迷ってるんだよね。迷うことはおかしいことじゃない。迷って何もできなくなるのがいけないんだ」

 「……」

 

 どうやら湖藤君は、またしても私の心を読んだみたいだ。いったい私の何を見てそんな的確な事が言えるのか。言葉にもしてないのに。

 

 「迷って何も出来ない……それ、まさに今の私じゃん」

 「そう思う?それなら、何かしてみたらいいんじゃないかな」

 「何かって?」

 「なんでもいいさ。大事なのは行動することだからね。行動の意味が後から付いてくるはずだよ」

 「そうかなあ」

 

 ともすれば湖藤君のアドバイスはいい加減に聞こえる。的確なのに抽象的で、なんだかふわふわしてる。そこは私が考えるべき部分ってことなんだろうけど。行動か。そしたら、みんなが探索したところを一通り見て行こうかな。報告は聞いてたけど、やっぱり自分の目で見ておいた方がいいはずだ。

 


 

 私たちが探索した音楽室とその後に立ち寄った図書室、芭串君たちが探索した図工室、その他2階の教室や設備は、特におかしなところはなかった。いや、普通の学校だとしたらあまりに充実し過ぎててそれはそれでおかしいんだけど、希望ヶ峰学園っていうだけでそれくらいのことは飛び越えて納得させられてしまう。

 新しく開放されたのは2階だけじゃなく、地下階にもあったらしい。広々としたプールと男女に分かれた更衣室は、地下とは思えないくらいに高い天井と開放的な空間だった。水着がないからあんまり意味がないけど。そして、最後に薬品庫に立ち寄った。ここはただの風邪薬から取扱いを間違えたらとんでもないことになる毒物まで、色んな化学薬品がしまってあるらしい。おそらくモノクマの本命はここだろう。私たちに毒の存在を意識させて、疑心暗鬼を誘ってるんだ。だからこんなところにいるだけでも、余計な疑いを与えかねない。そのはずなんだけど……。

 

 「あれ?」

 

 別に覗いたりするつもりはなかった。だけど、薬品庫のドアがちょっとだけ開いてたから、誰かいるのかと思ってちょっと慎重になっただけだ。音がしないように薬品庫のドアをゆっくり開けて、そそくさと薬品庫の中に滑り込む。薬品が並んだ棚が通路を作っていて、その一本一本を注意深く覗いてから先に進む。疑心暗鬼にならないようにって思ってたのに、いまの私の行動はやっぱり誰かが良からぬことを考えてるって疑ってるからなのかも。

 洗剤の棚、医薬品の棚、低危険度薬品の棚……この先はいよいよ人体に悪影響を及ぼすレベルの薬品、毒と呼べる薬品の棚だ。こうなってくると、誰かがいるかも知れないというのは私の杞憂であってほしい。毒の棚にいるところを見られただけで、その人にとっては大変なことだろう。そしたら見ちゃった私も無事で済むのかな?

 

 「……あっ」

 

 いた。毒の棚に。それも高危険度、取扱注意、持出厳禁(書いてあるだけ)の場所だ。黒くて大きく膨らんだシルエット。服から覗く手や首は細く不健康そうだ。頭は帽子のようにつばが広がった形をしていて……あれは帽子か。その手は棚に置いてある毒のひとつに伸びている。それが何の毒でどういう効果があるのかは分からない。でも、どう考えても放っておいていい状況じゃない。

 呼吸が浅い。何か思い詰めているんだろうか。なんだか上気してるようにも見える。興奮状態みたいだ。冷静じゃない。何かを覚悟してるように……毒を顔に寄せて……!

 

 「いけない!!」

 「っ!!」

 

 思わず声を出してしまった。見るからに危ない状況だったから、つい。気付いたら声だけじゃなく体も乗り出してた。いきなりのことだったとはいえ、私の危機管理能力のなさもひどいものだ。ヤバいときほど頭が冷静になっちゃうくせに、大事なことは何も考えない。どうなってるんだか。

 私の大声に驚いたのか、その人は毒の瓶を落としそうになってなんとか堪えた。その代わりに別の何かを落とした。ハンカチかな。

 

 「あっ……ご、ごめ……ん」

 「……油斷(ゆだん)した……!」

 

 たぶん初めて見る、菊島君の焦り顔だった。それはすぐにいつもの澄まし顔に変わって、こっちに近付いて来る。

 

 「あ、あの……!わたし……!菊島君が毒を……その、何か思い詰めてるみたいな……」

 「……はあ。見られてしまったか。俺としたことがこんな凡庸な失態を犯すとは」

 「菊島君……そんな、早まっちゃ」

 「何をどう勘違いしているのかは──大凡(おおよそ)見當(けんとう)が付く」

 「いや……!こ、こないで!」

 

 直感的に逃げなきゃいけないと体中が騒ぐ。だけど体の部分部分が勝手に動き出そうとするから、私は尻餅をついた。菊島君は私の目の前まで歩み寄る。私に覆い被さるように体を倒して……!!

 

 「きゃああっ!!」

 「きゃあとは隨分(ずいぶん)だな。(かしま)しいヤツだ」

 「……へ?」

 

 襲われる、かと思ったら、菊島君は手を差し伸べてくれてた。

 

 「年頃の子女が地べたに尻を付けているもんじゃない。早く立ちなさい」

 「えっ……あっ……あ、ありがと……」

 

 軽率にも、私はその手を取った。菊島君が私を口封じするつもりなら油断させて襲う可能性だってあったかも知れないのに。全く、つくづく私は危機感がない。でも菊島君は、そんな乱暴なことは考えていないみたいだった。

 いったい、ここで何をしてたんだろう。

 

 「こんな所で何をしているんだ?」

 

 先に聞かれてしまった。

 

 「い、いや……私は、新しいエリアを見て回ろうかと思って……。そしたら、薬品庫に誰かいたみたいだったから、ちょっと慎重になっちゃって……」

 「ふむ。何者(なにもの)かが毒を使って怪しげな企てをしていないかと勘繰り、その謀略を(ぬす)み見ようとしたのだな」

 「解釈の根っこが腐ってるなあ」

 「まあしかし俺が(わる)いな。見苦しいものを見せた」

 「見苦しい……?というか、なんか危なそうに見えたけど。何してたの?」

 「んん……(かく)してもいらぬ疑いを生むだけか」

 「???」

 

 菊島君は、ちょっと答えにくそうに言い淀む。私の方をちらちら見てるけど、なんなんだろう。

 

 「先に言っておくが、甲斐が聞いたから答えるんだぞ」

 「うん。そうだよ?」

 「よろしい。(じつ)はだな……少し、毒をな」

 「毒を?」

 「なめていた」

 「…………え?」

 「正確にはなめようとしたところを甲斐に見られてしまった。だからなめようとしていた」

 「同じだよ!何してんの!?」

 

 まさかだった。毒を手に取ろうとしてたのは見えたから、何か良からぬことでも考えてるのかと思ったけど、人に使うんじゃなくて自分に使うのか。やっぱり菊島君、何か思い詰めて早まっちゃったんじゃないか。

 

 「いやいや、安心したまえ。何も死のうとしているわけじゃない。誰かを殺すつもりもない」

 「なに……?どういうこと……?」

 「詳しく聞くか?もっと引くぞ」

 「聞かずにいられないよ。もう十分引いてるし」

 

 死のうとはしてないってあっさり言うけど、死ぬつもりもないのになんで毒なんかをなめるんだろう。

 

 「要するに」

 「うん」

 「自慰だ」

 「……G?ってなに?」

 「自らを慰む、と書く。マスタアベイションという言い方もあるな」

 「マス……はっ!?はあっ!?な、なな、なん……!!」

 「言っただろう。引くと」

 「引くどころじゃないよ!」

 

 何を言うかと思ったら、じいってそれ……毒を舐めるのが?何言ってんのこの人?っていうかなんでこんなところでそんなことしてんの?

 

 「変態!」

 「ふふ」

 「照れないで!キモい!」

 「なんてひどいことを言うんだお前は」

 「だ、だってそんなの……!意味分かんないし……!」

 「分からないからと言って拒絕(きょぜつ)していては永遠に分からないままだ。步み寄ることこそが理解への足がかりだ」

 「尤もらしいこと言ってセクハラしないで!」

 「セッ……俺はお前が聞いたから恥を忍んで說明(せつめい)しているのだろうが!」

 

 なんか分かんないけど怒られちゃった。言われて見れば確かに私が聞いた。予想だにしない回答だったせいですっかり気が動転してたけど、そもそも私が薬品庫を覗いたせいでこんなことになってるんだった。忘れてた。

 

 「ご、ごめん……その、ど、どういうことなのか……」

 「……まあ改めて說明(せつめい)するのも如何と思うが……要するに、劇物フェチというヤツだ」

 「というヤツだって言われても……なにそれ?」

 「毒物・劇物・有害物質類を攝取(せっしゅ)することに性的興奮を(おぼ)える、ということだ。無論、毒に耐性があるというわけではない。强力(きょうりょく)な毒を攝取(せっしゅ)すれば腹を下したり(からだ)の痺れや意識の混濁も起こしたりする」

 「ええ……なんにもいいことないじゃん。やめなよ」

 「止めろと言われて止めれるものなら性犯罪はとっくに消えている」

 「ううん……」

 

 相変わらず口が悪い。汚くはないけど悪い。その上、毒で興奮する変態らしい。なんだかとんでもないことを知ってしまったような。菊島君は照れてるような誇らしげなようなキショい顔をしている。自分で言うのもなんだけど、こんな状況で私みたいなのを相手にそんな話をしてて、誰がどう見ても悪者は菊島君なんだけど。

 

 「ああ。ほら、これを見ろ」

 「な、なにそのぼろきれ」

 「俺のハンカチだ。これに毒を染み込ませて嗅いだりしている。藥品(やくひん)で傷んでボロボロだろう。これが證據(しょうこ)だ」

 「キモい性癖の証拠見せないで」

 「ここに()てからしばらくの(あいだ)は手持ちのアンモニアでなんとか糊口を凌いでいたが……久々にこれほど大量かつ强力(きょうりょく)な毒性物質の山を見て、羽目(はめ)を外してしまったようだ」

 「じゃ、じゃあ……本当に誰かに毒を盛ったり早まったりするんじゃないんだね?」 

 「當然(とうぜん)だ。こんにゃくで人が殺せるか?」

 「意味分かんないよ……」

 

 分かりたくないし、やりようによっては殺せそうだ。そんなことよりも、目的はどうあれ人を傷付けるために毒を使うわけじゃないなら、それは本人の自由に任せておいても構わないだろう。というかこの件に関して、これ以上突っ込むほど私が損するだけな気がする。

 

 「ああ、甲斐。くれぐれもこのことは口外無用で(たの)むぞ。自分のフェティシズムを言いふらされるのは、流石に堪える」

 「言いふらさないよこんなキモいこと!」

 「あまりキモいキモいと言われるのも心にくるぞ。俺は(かお)に出にくいが」

 「ご、ごめん……」

 

 なんか自然と口から出てたけど、確かに菊島君はちょっとだけ心が傷ついてるような顔をしていた。いつもと比べてちょっとだけ眉尻が下がっている。性癖っていうの?別に自分で選んだわけでもないし、あんまり言うのも可哀想かも。もちろん、こんな話題を自分から人に言うつもりもない。言われなくても今すぐ忘れたいくらいだ。

 

 「交換條件(じょうけん)と言ってはなんだが、代わりに何か(かく)してそうなヤツを(おし)えよう。上手くやれば弱みを握れるかも知れないぞ」

 「前々から思ってたけど、ホント菊島君って最低だね」

 

 やっぱ可哀想じゃないや。私は言わないって言ってんのにそんな話するのは、絶対に菊島君が言いたいだけだ。自分の秘密は話して欲しくないくせに。

 

 「尾田は閒違(まちが)いなく何かを(かく)しているな。それもかなり重要なことだ」

 「それは……確かに、尾田君はちょっとよく分からないところあるけど……」

 「出自か、名前か……才能かも知れんな」

 「もういいって」

 「あとは狹山(さやま)だな。狐が人閒(にんげん)になるなど俄には信じがたい。それが眞實(しんじつ)にせよ嘘にせよ、何かしらの理由があるはずだ。眞實(いんじつ)ならそうなった理由が、嘘ならそう見せかける理由が」

 「ううん……結局人間の姿で出て来たなら、もうそんなのどうでもいいよ」

 「果たしてそうかな?そしてあと何か(かく)してそうなヤツといえば……谷倉だな」

 「へ?」

 

 意外な名前が出て来て、思わず私は興味を持ってしまった。尾田君と狭山さんは、菊島君じゃなくても怪しいと思ってしまうだろう。方や何を考えてるか分からない上に自分のことは話そうとしない人、方や狐から人間になったなんて訳の分からないことを言う人。お互いを信頼しなくちゃいけないこの状況で、あの2人の存在は正直、かなりイレギュラーだ。

 だけど、その2人と並んでその名前が挙がるとは思わなかった。谷倉さん?みんなのためにご飯を作ってくれて、所作のひとつひとつがとてもきれいで、誰にでも分け隔てなく優しくしてくれるあの谷倉さんが、何かを隠してるって?

 

 「なんでそう思うの?」

 「お。興味を示したな?」

 「別に菊島君みたいな気持ちで言ってるわけじゃないよ」

 「ふふふ……まあいいだろう。(かく)し事というのは大なり小なり誰にでもあるものだ。お前にもあるだろう、甲斐」

 「知らない」

 「なんとなく(かく)していること。なるべくなら知られたくないこと。絕對(ぜったい)に守り通したいこと。祕密(ひみつ)と言っても程度は樣々(さまざま)だ。俺がいま()げたヤツらがどの程度の氣持(きも)ちでその祕密(ひみつ)を抱えているかは分からないが……明らかに何かを(かく)そうという素振りが見える。俺が言うのもなんだが、この生活において祕密(ひみつ)というものは非常に危險(きけん)だ。いらぬ誤解を生みかねない」

 「うん。身を以て知ってるよ」

 「ならば、不和の種である祕密(ひみつ)は暴かれて然るべきだとは思わないか?」

 「言ってることめちゃくちゃだよ!」

 

 結局、人の秘密を暴いて楽しみたいだけじゃん!恥ずかしいとこを見られたことを誤魔化すのにそこまでする!?本当に菊島君って、なんというか……。

 

 「最低だよね」

 「よく言われる」

 「じゃあもっと恥じた方がいいよ」

 

 私みたいなのが言葉で菊島君に勝てるはずもない。ただでさえちょっとやそっとの悪口じゃびくともしないんだから、分からせようと思ったところで疲れるだけだ。

 ともかく菊島君の心配はしなくてよくなった。代わりになんかもやもやした気持ちを抱えることになっちゃったけど、それだけはよかったかな。

 


 

 また夜が来る。人も草木も眠る真夜中。誰にも見られずに行動するには打って付けの時間だ。人は安らかな眠りに就く。だが警戒心の強い人間には、逆に安らぎのない時間になる。静謐と安寧の時間なんかじゃない。暗躍と謀略の時間だ。

 だからそんな時間に部屋の外に出ることは、自分がどちらかであることを示すことになる。つまり、何かを企んでいる側か、何かを企んでいる人間を嗅ぎ回る側かだ。どちらにしろ、他人に見つかることはリスクになる。コロシアイなんてものを強いられてる今はなおさら。だから本当なら、僕は部屋に戻って寝ているはずだ。こうして夜中に建物の中をこそこそ移動したりなんて、普通はしない。

 

 「……?」

 

 異変に気付いたのはついさっきだ。いつもなら夜の10時にはベッドで寝息を立てるはずのはぐが、10時3分まで夜更かしをした。なんとなく寝付けないと言っていたが、それはウソだ。はぐのことは僕が誰よりも──はぐよりも知っている。その証拠に、僕が側で寝かしつけていたらはぐは狸寝入りを始めた。

 嗚呼、はぐが夜遊びに興味を持ち始めてしまった。興味を持つのはいい。それははぐの心から生じたものであって、何よりも尊重されるべきだ。でも実際に夜遊びをしようと考えてるなら、それは止めなくちゃいけない。そんな不良みたいなこと、はぐには夢の中でだってさせられない。そもそも今までのはぐなら、興味を持つことさえなかったはずだ。誰かがはぐを唆したんだ。

 すぐにそいつを捕まえて責任を取らせなくちゃいけないが、そのためには──全部の髪を毟って皮膚を剥がしても足りないくらい不本意だが──はぐを泳がせる必要がある。たとえ一瞬だとしても、はぐが夜遊びをしたことがある子になってしまうのは我慢ならない。必ずその前に止めなければ。

 果たして、僕ははぐの動向を探るため、はぐを唆した大罪人を突き止めるため、夜の校舎内ではぐを尾行している。まさか、僕がこんな日が来ることになるとは。大罪人には必ず、はぐにこんな役回りをさせた報いを受けさせてやるぞ。

 そう心に誓いながら、僕は物陰からはぐの様子を伺う。そこで僕は、驚くべき光景を目にした。

 

 「!」

 

 なんてことだ……!はぐが可愛い……!

 はぐが周囲を警戒しながら移動している。スパイか忍者さながらに、壁伝いに移動したり、耳をそばだてたり、忍び足で足音を殺したり。見よう見まねなのに音は完璧に消せている。しかしパジャマのまま大袈裟に動いて移動する様は、遠くで見ていてもかなり目立つ。忍ぼうとして逆に目立ってしまうなんて、やっぱりはぐは人の注目を集める天賦の才があるんだ。しかもパジャマ姿でなんて、この僕でさえ初めて見た。

 

 「うっ……!む、むねが……!」

 

 恐ろしく愛らしいはぐ……!僕でなきゃ心臓止まってたね……!

 そのはぐが突然動きを止めた。もっと可愛いはぐを見ていたかったが、そこが誰の部屋なのかを理解して、僕は我に返った。そうか。はぐに悪い遊びを教えたのはあいつか。はぐは改めて周りを見回して、人がいないかを確かめる。そしてそのドアを叩こうと──。

 

 「はぐ!」

 

 したのを僕が止めた。いきなり大声を出したせいではぐを驚かせてしまった。胸に手を当てて怯えた顔でこっちを見る。まさか、僕にそんな顔をするなんて……はぐはそんな子じゃない。はぐは僕を信じてるし僕もはぐを信じてる。だから心配することはあっても怯えるなんてことは絶対にない。やっぱり何か隠してることがあるんだ。

 

 「ち、ちぐ……?なん、で……?」

 「ごめん。はぐが寝たふりしてるの分かってたから、心配になって様子を見てたんだ。夜中に出歩いたら危ないだろ」

 「……ごめんなさい。でも、でも……!」

 「こいつに何の用があるんだ?」

 

 部屋にかかったプレートを指さして、はぐに問う。本当はこんな取り調べみたいなことはしたくない。でも、これははぐのためなんだ。はぐが悪い道に行ってしまわないようにするには、こうするしかないんだ。

 

 「……ちぐ。はぐたち、ここから出られると思う?」

 「何言ってるんだ、当然だろ?はぐをこんなところに閉じ込めておけるわけがない。この先何があっても、僕が絶対にはぐをここから出してみせる。もちろん、僕も一緒にだ」

 「それっていつ?どうやって出て行くの?」

 「それは……今は手掛かりが足りない。出る方法がないことはないみたいだけど、あれは論外だね。出られたとしても問題が多すぎる」

 「じゃあやっぱり出られないんだ。ずっとここで暮らしてくしかないんだ」

 「どうしたんだよ、はぐ?何か怖い夢でも見たのかい?」

 「ちぐは怖くないの!?はぐたち、コロシアイをしてるんだよ!?嫌だよ、もう……!おうちに帰りたい……!助けてよ……!」

 「大丈夫だよ、はぐ。たとえ周りのヤツらがみんな死んだって、僕が必ず側にいるから。僕は最後まで──いや、永遠にはぐの味方だから」

 「……それじゃあ、ちぐはさ」

 「ん?」

 「はぐのために誰かを殺してくれるの?はぐのために死んでくれるの?」

 

 嗚呼……やっぱり、はぐをこんな風にしたヤツは許せない。はぐが僕に対してこんな表情をするわけがない。はぐが僕に対してこんなことを言うわけがない。全部そいつに操られてるんだ。だって、その答えなんか決まり切ってるから。

 

 「はぐのためなら、僕は誰だって何人だって殺すよ。でもはぐのためでも死ぬのは無理だ。僕にははぐが必要だし、はぐには僕が必要だから。そうでしょ?」

 「……ちぐぅ……!」

 

 何より大切なのは、僕とはぐが離ればなれにならないことだ。その障害になるならあらゆるものは排除されるべきだし、僕が命を落とすのは論外だ。もちろんはぐが命を落とすなんてことは選択肢にすら挙がらない。こんなことは当然のことだ。はぐはそんなことまで忘れてしまったのか。

 

 「あっ……!」

 「おや。陽面殿。おひとりで来られる予定だったのでは?」

 「っ!!」

 

 背後から声がした。脳の奥まで響き渡るうえに耳にこびり付く声だ。とっさに振り向いてはぐを守る。そこには、薄明かりにぼんやりと浮かんだ狭山の顔があった。人間になって高い位置から見下ろすその瞳は、見ていると吸い込まれそうな深みを感じる。にやりと吊り上がった口角から次に出て来る言葉に警戒する。

 

 「仲睦まじきは美しき哉。願わくば拙僧の部屋の前以外でやってほしいものですね」

 「コ、コンちゃん……!」

 「拙僧に用があるのでしょう?ささ、どうぞ中へ。月浦殿もどうぞどうぞ」

 「お、おい……!」

 

 狭山はニコニコしながらはぐと僕を部屋の中に連れ込む。はぐは不安そうにしながらも、ゆっくり中に入る。僕が止めようとするのを狭山が後ろから押して、まとめて中に入れ込んでしまった。こいつの部屋の中は獣臭さを消すためかやたらとキツい香を焚いてる。しかも訳の分からない呪具だかなんだかがあって不気味だ。こんなところで一体何をしようっていうんだ。

 どう考えても、こいつの誘いに乗ってはいけない。どうやらはぐを誑かしたのはこいつらしいが、イレギュラーであるはずの僕の存在に全く動じていない。たぶん、はぐを誑かした時点でここまで読まれていた。それどころか織り込み済みの可能性だってある。そうなった場合、事態はもっと面倒だ。

 つまり、こいつの狙いははぐじゃない。僕だ。

 

 「さてさて。先ほどおふたりでお話してましたね?本当にここから出られるのか?と」

 「お前には関係ないだろ」

 「いいえ、ありますね。少なくともここでは、誰かが外に出ようとすれば全員にその影響があるのです。そこは理解してもらわないと困りますね」

 「はぐを連れ込んで、何をするつもりだ」

 「別にとって食おうというわけではありませんよ。拙僧は陽面殿の不安を和らげてあげようというのです。要はカウンセリングですね」

 「そんなもの必要ない。そういうのは僕の仕事だ」

 「お言葉ですが、月浦殿では不十分だから拙僧に頼まれたのでは?」

 

 ヤバい。キレそうだ。言うに事欠いて、僕でははぐのケアが不十分だと?はぐが狭山にカウンセリングを頼んだ?デタラメもいい加減にしろ。はぐが僕以外を頼ることなんてあり得ない。はぐが一番信頼してるのは僕なんだ。僕を頼らずに他の誰を頼るっていうんだ。

 

 「いいですか?陽面殿は不安なんです。ここから出られる日は来るのか?自分は一体どうなってしまうのか?またコロシアイが起きてしまうのではないか?とね」

 「そんなことは分かってる。だから僕が常に側について守ってるんだろ」

 「分かってないですねえ。それでは根本的な解決にならないのですよ。たとえ陽面殿が無事だったとしても、学級裁判になれば問答無用で命を懸けさせられるのです。そもそも身の安全を守れていたとしても外に出ることはできないのです」

 「……」

 

 知ったようなことを言う。確かに、自分の身の安全を守っているだけでは、このコロシアイ生活を生き抜くのは難しい。たとえ自分たち以外の全員がその過程で死んだとしても、モノクマが満足しない限りここから出ることはできない。あるいは最後に用済みだと殺されてしまうかも知れない。

 だとしても、僕は僕にできる最大限をするしかない。それ以上のことが、こんな人間なんだか狐なんだか分からないヤツにできるとは思えない。

 

 「なら、お前に何ができるっていうんだ」

 「その悩みを解決して差し上げましょう。すべて狐々乃にお任せあれ」

 「ちぐ……コンちゃんがね、はぐの不安を消してあげるって言うの。だから、ちょっとお話しようと思って……」

 「そう言ってはぐを誑かしたんだな」

 「ええ、ええ、なんとでも仰って頂いて構いません。その手の視線は慣れております。科学と論理の発達した大都会に生きる現代人は、とかくスピリチュアルなものを否定したがるものですからね。ですが、非科学には非科学なりの理というものがあります」

 

 狭山はにやりと笑ってはぐに近付く。その顔に悪意は窺えない。でも、このままにしておいてはいけないと直感が騒ぐ。

 

 「月浦殿はお静かに」

 「うっ!?」

 

 止めようとした僕に狭山は親指一本だけを向けた。飛びかかろうとした僕の勢いを利用して、喉元にその指を突きつける。ぐっと押し込まれただけで、僕はその場に崩れ落ちた。声が出ない。息が苦しい。

 

 「ちぐっ!」

 「ご安心なさい。死ぬことはありません。拙僧の霊力でしばし声を召し上げただけです」

 

 何をいい加減なことを。喉を突かれれば誰だって声が出なくなる。こんなのは非科学の理なんかじゃない。でも、はぐにそれを伝える手段を奪われた。呼吸が浅くなるせいで体が上手く動かない。

 

 「いいですか陽面殿。拙僧の目をよくご覧なさい。拙僧の言葉をよくお聴きなさい。あなたの苦しみは必ず癒えることでしょう」

 「あっ……!ああっ……!」

 

 ダメだ!はぐ!そいつの言葉を聞くな!こいつは何かを企んでる!はぐ!

 

 頭の中でいくら叫んでも、それがはぐに届くことはなかった。




二章の中で一番書きたかった件が書けました。
こういうキャラクターばっかり思い付く。助けてくれぇ


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(非)日常編3

 

 「うーん……」

 

 やっぱりこんなことしてても意味ないのかなあ。言い出しっぺの自分がこんなこと思うのも、付き合ってくれてる甲斐さんと湖藤さんに悪い。でもなんの手がかりも得られないと、私の木綿豆腐メンタルはポロポロと崩れて落ちてそぼろになっちゃう。

 ちらと様子を伺うと、2人ともずっと直向きに本を読んでいる。やっぱり“超高校級”なんて呼ばれるだけあって立派だなあ。

 

 「ね、ねえ2人とも。ちょっと休憩しない?疲れたでしょ」

 「うん?ああ、いつの間にこんなに時間が経ってたんだ」

 「ホントだ。気付かなかった」

 

 どうやら私に声をかけられるまでガッツリ本に集中してたっぽい。私なんか何回も時計を見てはなかなか進まない針にやきもきしてたのに。あんまり早く止めても悪いと思って、いいぐらいの時間になるのを待ってたくらいだ。

 私は、新しく開放された図書館に来ていた。朝の探索の時は大したものは見つけられなかったけど、ここには何かが隠されている気がする。“超高校級の脱出者”の勘がそう告げてる!なんてね。謎のヒントを本の中に隠すのは常套手段だから、そんな気がするだけだけど。

 でも私ひとりだと、1000冊を超える図書館の蔵書全部を調べるのはとてもじゃないけど無理だ。そこで、朝ごはんのときに2人を誘ったのだった。モノクマが急拵えで設置した昇降機を使って湖藤さんの上下移動は格段に楽になり、甲斐さんからコツも教えてもらったおかけで、私ひとりでもできるようになったくらいだ。やっぱり“超高校級”は人に教えるのも上手い。

 

 「どう?2人とも、なにか手掛かりは見つかった?」

 「うんにゃ。私はさっぱり。やっぱ私なんかの勘はあてにならないか」

 「そんなことないよ。まだ調べ始めたばっかりなんだから、頑張れば何か見つかるかも知れないよ」

 「ポジティブ〜」

 

 誘った相手にそう言われると、誘った側としてはそれ以上何も言えない。どうしよう。このままじゃ2人を1日無駄に振り回して終わっちゃう。

 

 「なんも見つかんなかったらどうしよう……」

 「ダメ元なんだから気にすることないよ。モノクマがそこまで軽率に手掛かりを残してるとは思えないし」

 「ダメ元……そ、そっすよね……。私みたいなもんの思いつきなんて、元々がダメなもんなんだから、ラッキーパンチがかすれば儲けものってもんですよね……」

 「湖藤君、ダメ元なんて言ったら宿楽さん傷つくでしょ」

 「ぼくが悪いかなあ?自信がないっていうか、宿楽さん卑屈すぎない?」

 「そんなことないよ。ただのパンピーが超高校級のみんなと何日も過ごしてその凄さを目の当たりにしてきたら、誰だってこうなるよ……」

 「宿楽さんだって超高校級でしょ?そんなに自分を卑下しなくてもいいのに」

 「いやいやいやいや!甲斐さんは介護士ってモロに人の役に立つ才能じゃん!湖藤さんだって古物商ってなんのことか最初は分からなかったけど、頭良いし鋭いし、めちゃくちゃ人の役に立ってるじゃん!ちんけな謎解きオタクはやることがなくてもう……」

 「こりゃ重症だね」

 「湖藤君、面白がってるよね」

 

 ここ数日、悲しい事件もあったし、心臓ばっくばくで一歩間違えたら突然の死!な学級裁判も経験した。私は、いつ自分が壊れてしまうか不安で仕方なかった。だけどそこで見たのは、超高校級と言われる人たちのとんでもない精神力とガッツだ。

 私は何から考えればいいのか分からなくて、取りあえず自分にできることをって何の役にも立たないことしかできなかった。でも甲斐さんは一生懸命色んな場所を回って手掛かりを集めてたし、湖藤さんは少ない手掛かりと証拠からめちゃくちゃ推理して、尾田さんも菊島さんも自分の意見をぶつけ合って議論を活性化させてたし……とにかく、それぞれがそれぞれの能力をフルに発揮して活路を開くっていう激アツな例のヤツをやってた。私はせいぜいそのおこぼれに預かる名も無きモブCってところだ。要するに、何もできなかった。

 それだけでも自分のことが嫌になりそうなのに、甲斐さんと湖藤さんはこうして私のことを無能扱いせず思いつきに付き合ってくれてる。痛い!みんなの優しさが痛い!だってそうでしょ!?同じ超高校級の高校生であるはずの理刈さんだって陽面さんだって少なからず落ち込んでるのに、どうしてそんな前向きになれるの!?メンタル高野豆腐(乾燥時)かよ!

 

 「宿楽さん?」

 「ふぇっつ!?」

 「疲れた?ちょっと休憩したら?」

 「い、いいえ!お気になさらず!私、突出した才能なんてない代わりに根性で数を稼ぎますから!役に立つかは分からないけど、せめて足を引っ張らない程度には仕事しますんで……」

 「う〜ん、参ったな。宿楽さん、本気で自分のことをそんな風に思ってるの?」

 「へ?と言うと?」

 

 なんとか2人の邪魔にならないようにしようとしたのに、甲斐さんは私に心配そうな目を向けてくれる。こんな私をそんな目で見ないで……優しさが苦しい……!

 

 「宿楽さんの才能がどれくらいすごいのかは、正直いまいち分かってないけど……でも、希望ヶ峰学園が超高校級として入学させてる以上、すごい才能なのは間違いないよ。ね、湖藤君」

 「そうだね。過去の入学者を見ても、一見なんの才能か分からないものはあっても、必ず何かしらの実績や結果は残してるよ」

 「だいたい宿楽さんは才能なんか関係なしに素敵な人だよ。超高校級の人なんて、みんな我が強かったりクセが強かったりするのに、そこに溶け込んでみんなを賑やかしてくれてるじゃん」

 「そ、そんな……」

 「今日だって宿楽さんが誘ってくれたから、私たちもこうやって脱出の手掛かりを探してるんだよ。宿楽さんにはそういう、人のことを動かす力があるんだよ」

 「そうかなあ……そうだといいけど……」

 

 ううむ。なにやら甲斐さんはやたらと私のことを褒めてくれる。自分ではあんまり自覚ないけど、確かにここに来てからは少しでも超高校級の皆さんに馴染めるように、積極的に声をかけていったりした部分はある。おかげで一般人って弾かれることもなく、なんとか仲良くやらせてもらってる。でも別にそれは才能とかじゃなくて、単なる処世術っていうか、生き残る術っていうか。

 

 「だから、宿楽さんはもっと自信持っていいの!いや、持つべきなの!みんな宿楽さんに期待してるんだからね!」

 「き、期待って?」

 「そりゃ超高校級の脱出者っていう才能だからね。たとえゲーム好きが高じての肩書きだったとしても、少なからず力を貸してくれることを期待してるよ」

 「うひ〜〜〜!責任重大じゃん!」

 「責任じゃなくて期待だってば」

 「まあ才能なんてものはそう深く考え過ぎない方がいいよ。ここじゃあそれはアイデンティティにはなるけど、特別視されるほどのものじゃないからね」

 

 さすがは超高校級、言うことが違う。超高校級の才能なんて持ってたら、私なんかは鼻が高くてしょうがない。希望ヶ峰学園の入学通知を受け取っただけで学校で自慢しまくったのに、本当に私の中にみんなに匹敵するような才能があるっていうなら……それは、きっとすごく幸せなことなんだろう。

 

 「いやあでもやっぱりみんなと肩を並べるっていうのはちょっと、気後れしちゃうっていうか。みんなの懐の深さのおかげっていうか」

 「う〜ん、強情だなあ」

 「強情ですいません」

 「少しずつ慣れていけばいいよ。対等とか、肩を並べるとか、そういうことを考えてる間は対等になれないものだからね」

 「なんかすごい深そうなこと言われた」

 

 いきなり変われないと言われるけれど、やっぱりみんなに気を遣わせてるなら変わりたい。気を遣われないためには、気を遣われないように気を付けなくちゃいけなくて、要するに気の置けない仲になればいいってことか。ふむふむ。できるかなあ。

 

 「取りあえず、肩の力を抜くところからやってみる。ふへぇ……」

 「足の力まで抜いちゃダメだから!」

 

 思いっきり脱力したら、肩だけじゃなくて全部の筋肉がだらんとしちゃった。慌てて甲斐さんが支えてくれたけど、さすがに人1人をいきなり抱えるのは難しかったらしく、私は図書館の床にへにゃりと寝そべった。決して私が重いから支えきれなかったとか、そういうことではない。

 

 「間違えちゃった。ごめんごめん……あり?」

 

 みっともないとこ見せちゃった。すぐに立ち上がろうとしたとき、視界の端っこに何か映った。図書室の床に座ったことなんてないから、そこはたぶんまだ誰も見たことがない場所だったんだろう。図書室の椅子の裏に、明らかに意味ありげな数式が書かれていた。

 

 「これ、なんだろ」

 「え。椅子でしょ?」

 「違う違う。裏になんか書いてある」

 「本当?甲斐さん、ひっくり返せる?」

 「うん。ちょっと待ってね」

 

 その場から私が退いて、甲斐さんが椅子をひっくり返して裏に書かれた式を露わにする。なんだこれ。

 

 「シン?たす?コン?なんじゃこりゃ」

 「三角比だね」

 「さんかく……?けい?」

 「宿楽さん、数学の授業聞いてないでしょ」

 「いや〜ちょっと数学とはちょっといま距離置いてるんで」

 「ちゃんと勉強しなくちゃダメだよ」

 「へい。で、こらいったいなんなんで」

 

 側に寄ってきた湖藤さんが、この訳の分からない数式の正体を速攻で見破る。すげ〜と思ってたけど、なんか甲斐さんも同じような顔をしてた。え、もしかして知らないの私だけ?沖縄に情報届いてる?

 

 「まあ要するに、三角形の特性を利用するための記号だよ。答えは1だよ」

 「あ〜、逆に答えシンプルなパターンね。はいはい」

 「今度一緒に勉強しようね。1年生でやる範囲だから、これ」

 「こんな訳分かんない形してんのに?英語だよ?」

 「英語じゃないよ?」

 

 それにしても、なんでこんなわけの分かんないものが、図書室の椅子の裏に書いてあるんだろう。誰かがカンニングのために用意した?いや、椅子の下じゃカンニングのしようがないよ。だとすれば……なんかのヒント?メッセージ?1個だけじゃ意味が分からない。それなら……。

 

 「ねえ。もしかしたら他の椅子にも、同じように数式が書いてあるかも知れない。確かめてみよ」

 「いいけど……なんでそう思うの?」

 「なんでって聞かれるとちょっと困るけど……勘、かな」

 

 また私の勘で2人を振り回すことになっちゃう。でも、この直感を信じた先に何かがあるかも知れない。そう考えたら、遠慮なんてしてられない。

 

 「いいんじゃないかな。早速、宿楽さんの超高校級の脱出者としての才能が力を発揮し始めたのかも知れないよ」

 「そっか。じゃあ確かめるだけ確かめてみようか」

 「ありがとう!私が90割やっちゃうから!」

 「うん……頼むね!」

 

 なんだ今の変な間は。

 


 

 私と甲斐さんで、図書館にある椅子という椅子をひっくり返して回った。もはやここにある椅子でひっくり返ってないのは湖藤さんの車椅子だけだ。私が見つけたのと同じように、数式(なんだと思うたぶん)が書かれてる椅子がいくつかあった。私には訳分かんないから、甲斐さんと湖藤さんに解いてもらった。湖藤さんの提案で、図書室の見取り図を作って、数式が書いてある椅子の場所に丸を付けて答えを書き込んでいく。

 

 「これは1、これも1だね。こっちは……0か」

 「0と1ばっか。なんだろうこれ」

 「何か意味ありげな……これで全部?」

 「うん」

 

 数式が書いてある椅子は全部で16脚。8個ずつ答えが0と1に分かれてる。あと16脚のうち2つだけ、2つの数式が書かれてるものがある。どういうことだろ?う〜ん……。

 

 「0と1……数学に絡めて考えるなら2進数みたいだけど」

 「あのモノクマがそんな小難しいこと考えさせるかな?そうだったとしても意味が分からないよ」

 「0が8個と1が8個……2進数だとしてできる数は6435通り……」

 「椅子の裏……そこに意味があるのかな……」

 

 湖藤さんと甲斐さんが私の作った見取り図を見て考え込んでる。確かに色々考えられそうだけど、なんかこう、私の直感はそうは言ってない。もっとシンプルな、誰でも分かるような答え……そう、謎解きのような……!

 

 「あ」

 

 謎解き、そう頭の中にイメージした瞬間、私の中をどぎつい閃きが貫いた。8個ずつの組に分かれた点。そのうち2つは同じ場所にある。これはまるで……点結びだ。赤いペンで0の印を結んでいく。2つある場所から始まって、線が交差しないように、一筆書きで縁をなぞっていく。1は1の点同士で同じように、区別しやすいように黒のペンで。そうすると……!

 

 「できた!」

 「おっ」

 「これって……矢印?」

 

 見取り図の上には、赤と黒の大きな矢印が現れた。図書室の壁沿いにある本棚の一箇所を指すような、部屋全体を使った巨大な矢印だ。これはきっと偶然なんかじゃない。

 

 「この矢印が指す先には!何かがある!」

 「探してみよう」

 

 矢印の指す先は、そうと知らなければ何の変哲もない本棚だ。だけどそこをよく調べると、意味ありげなブックエンドが2つある。本を支えるための道具のその間、1冊の本も挟まっていないその場所には、代わりとばかりに小さな1枚の紙が挟まっていた。こんなの知らなきゃ見つけようがない。

 

 「なんかの紙めっけ!」

 「こっちにもあったよ。なんだろうこれ」

 「本格的に謎解きゲームみたいになってきたね」

 

 私が調べたところと甲斐さんが調べたところから、1枚ずつ同じくらいの大きさの紙がでてきた。なんかこれくらいのサイズの紙、どこかで見たことあるような……。取りあえず、2枚を湖藤さんにも見えるように机に並べてみる。

 私が見つけた方には、ブドウやバナナやメロンやミカンや……とにかくたくさん果物のイラストが散りばめられてた。なんじゃこら。

 そして甲斐さんが見つけた方には、いかにも謎めいた文章が書いてある。

 

 『答えを求める者よ。手を伸ばせ。答えは高きところにある。

  真実を求める者よ。顔を上げよ。真実は最も高きところに。』

 

 「謎解きっぽ〜〜〜い」

 

 いかにも謎解き然とした文章だ。答えとか真実とか、いったい何を指してるのか分からない。けど明らかに何かを意図して配置された図書館の椅子の数式と、その先に見つかった謎の文章。これが何も意味してないならモノクマの悪ふざけが過ぎる。こんだけ大掛かりなことしてんだから何か報酬(リワード)あれ!

 

 「これはまた……モノクマが仕掛けたんだろうけど、どういうことなんだろうね」

 「謎解きなら、宿楽さんが得意なんじゃないの?」

 「いや〜、どうだろう。モノクマのことだからまともな答え用意してるかどうかも怪しいじゃん」

 「ただ意味深なだけで振り回したりね。ありそう」

 

 もしこれが本当にまともな謎解きなら、ちゃんとした答えが用意されてるってことが前提だ。モノクマの場合はその前提をちゃんと守ってるかどうかが怪しい。本当に脱出の手掛かりなんだとしたら、こんなところに無造作に置いておく方がおかしいし。いちおう考えてはみるつもりだけど、あんまり期待しないでおこう。

 


 

 学園内のあちこちに設置された監視カメラで、僕たちの動向は全て把握される。こそこそ隠れるようなマネをすれば逆に目立つだけだ。プライバシーも何もあったものじゃない。ただ、無数にある監視カメラと言えど必ず死角は生まれる。たとえば……監視カメラを設置できないこの場所なら、モノクマは僕たちが何をしているのか知ることはできないんじゃないか。

 

 「……」

 

 地下階、大浴場。ここには監視カメラがない。さすがのモノクマも風呂場まで監視する趣味はないようですね。しかしその手前の脱衣所にはカメラがあった。僕がこうして服を着たまま、風呂に入るつもりでなく浴室に入ったのは見られているでしょう。ここからは他の場所に行くこともできない。実質的に監視されているような状態、というわけです。

 

 「ふむ」

 

 裏を返せば、というか裏返しにしなくてもそのままですが、大浴場でならモノクマの目を欺ける可能性は残っています。ここにあるものを使えば、モノクマに見られることなく物の受け渡しや会話が──、いや、会話は無理ですね。僕たちの首元は常にモノクマに握られていますから。

 全く以て忌々しい。これを外すことができれば、外せないまでも調べることができれば、まだ突破口が見えてきそうなものを。今のところ便利なウェアラブル端末というだけに過ぎませんが、益玉クンに毒を注入する際はこれが働きました。余計なことをすれば何が起こるか分からない、あるいはなんでもすることができる、ということです。せめてサンプルの1つでもあれば。

 

 「コラーーーッ!!」

 

 いきなり浴室中に響く間抜けな声。モノクマでした。監視カメラはなくても、モノクマ本体はやって来られるというわけですか。なぜ怒っているのやら。

 

 「なにやってんだ!そういうことはボクの目が黒いうちは許さないぞう!」

 「そういうことってなんですか」

 「なにってそりゃあ……尾田クンだって年頃の男の子なんだから、カメラとかなんとか……あ、音だけでイケちゃうタイプ?」

 「そんなことを言いに来たわけではないでしょう。なんですか」

 「ノリの悪いやつ……」

 

 このノリに付き合ってやってたらいつまでも話が進みませんので。

 

 「いやいや。尾田クンがどこにもいないから、なにやらまた怪しげ〜なことをしてるんじゃないかと思って様子を見に来たりしたり」

 「様子を見るってなんですか。一丁前に監督者気取りですか」

 「だってわざわざカメラに映らない大浴場に来ちゃってさ。何か考えてないと思う方が危機感薄いよね〜!」

 

 やはり気付いていたようだ。むしろ敢えてそういう場所を用意して、浅はかな人たちを誘導している可能性すらありますね。ここまでは予想の範囲です。モノクマを引きずり出したのは僕にもそれなりの目的があるからです。

 

 「カメラがないのにどうして僕が大浴場にいると?」

 「うぷぷ……キミならだいたい分かってるんじゃないの?ボクに聞いて確認したい?」

 「なるほど。つまりモノカラーと……それ以外にも何かありますね」

 「ぎょっ!?」

 

 モノクマの言う通り、大方予想は付いていました。僕たち全員に付けられたモノカラー。これが単に僕たちを脅すためだけに付けられたものなら、カギシステムや指紋認証などのハイテク技術を詰め込む必要はありません。おそらく発信機のようなものがついているのでしょう。カメラの死角はこれで補うと。

 

 「ですがモノカラーでは個人の特定まではできないようですね」

 「え?なんでそう思うの?」

 「あなたがそう言ったからです」

 「ボ、ボクそんなことまで言ったかなあ?」

 「ああ。本当にそうなんですね。すいません、カマをかけました」

 「ゴルァ!!」

 

 モノクマはいい加減な態度でこちら側を振り回しますが、ウソは言いません。それがモノクマの矜恃なのか、ゲームマスターとしてのルールに則っているのか。いずれにせよ、こいつの言葉にウソがないという事実だけでも相当こちらに都合が良いです。普通は相手の言ったことがまず真実が嘘かを判別しなくてはいけませんから。

 つまり、モノカラーの発信機能を使ってカメラの死角を補っている。しかし個人の特定まではできないので、特に不審な反応はこうしてモノクマが出向いて確認する必要があると。加えて、モノカラーと監視カメラ以外にも、僕たちの動向を見張るための何かがあるようですね。

 モノクマはコロシアイゲームを統率する立場ですし、自分への抵抗をいち早く潰すためにも監視は必要でしょう。しかしこれは明らかに個人で可能な範疇を超えています。かといって、希望ヶ峰学園にこんなテロリズムのようなことを仕掛ける集団がいるとは思えませんし……。まあ、当面それはどうでもいいです。

 

 「ところでモノクマ」

 「なにもう。オマエと話すの緊張するからもうイヤ」

 「遺体はどこに隠しているんです?」

 「おろ。そんなこと気になる?」

 「ええ。大いに気になりますね。虎ノ森クンはあなたがポータブルサイズにしてしまいましたが、益玉クンと三沢サンの遺体はどこかに保存してあるはずです。ずっと裁判場にいたあなたがどうやって保健室を掃除して遺体を運んだのか分かりませんが、あなたのことです。使えるものはなんでも使うつもりなんでしょう」

 「う〜ん、イヤなものの考え方してるね!でもその通りだよ!でも教えねーよ!キミが長生きしてたらいつかまた会えるかもね!」

 

 ということは、やはりどこかに保存してはあるということですね。そしてその場所も、今回開放された2階と同じように開放されると。こうもあっさりと口を割るということは、それ自体はそこまで重要なことではないということですか。

 

 「彼らのモノカラーを調べさせてほしいのですが」

 「は?なんで?」

 「死んだらモノカラーも必要ないでしょう。ひとつくらい分けてくれてもいいではありませんか」

 「いいわけねーよ!あれ1個作るのに0が何個並ぶと思ってんだコノヤロー!特にオマエみたいな何するか分かんねーヤツにはぜってー渡さねー!モノカラーを調べたきゃ自分のを調べな!それでどうなっても知んねーよ!分かったか!」

 

 つまり、やろうと思えばやれるというわけですね。しかし、予想通りといえばそうですが、そう易々とモノカラーを譲ってもらえはしませんか。そうですか。モノクマの反応的に、調べられてマズいことがあるというよりは、モノカラーを利用されると困ることがあるという感じですか。そういうことなら、それほどリスクを冒してまで手に入れるものでもありませんね。

 

 「仕方ありませんね。残念です」

 「うぷぷ♬なんでもかんでも思い通りになると思っちゃあいけないよ。オマエだって所詮ただの高校生なんだからね。いくら手下がいたって──」

 「……!」

 

 しまった。モノクマの言葉に思わず反応してしまった。モノクマがそれを知っていることぐらい想像がついたはずだ。それなのに、自分が明かしてないはずのことを口にされると、脳が勝手に反応してしまう。

 

 「おっと。これはまだ言っちゃいけなかった?うぷぷぷぷ!どうせ誰も助けになんか来ないんだから、そんなに気にすることないのに!」

 「助けなんか初めから期待していません。ここからは自力で出ます。もちろん、あなたにはたっぷりお返しして差し上げますよ」

 「あらあら。珍しく熱くなっちゃって。やっぱり、()()()()()のこと言われると尾田クンも緊張しちゃうのかな?」

 「そうですね。それを知っている人間は全員始末するつもりなので。ボクはそのためにこの学園に来たのですから」

 「おーこわ!始末されるのはどっちだろうね!うぷうぷうぷぷ!」

 

 勝ち誇ったような顔でモノクマは去って行った。ヤツがボクたちの情報を握っているのは、希望ヶ峰学園を占拠した力を持つことからも明らかだ。ボクが他の全員に隠していることくらい当然お見通しだろう。敢えてそれを明かさないのは、ボクとの取引材料にするためか?そんな驕りはいずれ後悔させてやりますが。

 

 「あっ!!こんなところにいたアル!!劉劉(リュウリュウ)!」

 

 突如として大浴場に響いた、耳を劈くようなバカデカい声。それが長島サンのものだと気付くのが一歩遅れた。耳がキンキンして声色が上手く聞き取れなくなってしまったのか。どれだけ声がデカいんですか。

 

 「ぐっ……!な、なんですか……?」

 「そんなうるさそうにしてる場合じゃないアル!大変ヨ!」

 「また死体でも出ましたか」

 「逆ヨ逆!出られないアル!」

 「はあ?」

 

意味が分からず思わず聞き返す。死体が出られない?死体は死体なんですか?だいたいなんでボクを探してるんですか?聞きたいことは次から次へと浮かんできますが、長島サンは一も二も無くボクの腕を掴んで引きずり出すばかりで、何も説明してくれません。本当に、アホに付き合うのは疲れる。

 

 「宣宣(シェンシェン)が閉じ込められちゃったアル!」

 


 

 食堂には、全員が集合していた。厳密には、庵野くんと尾田くんを除く生存者の全員だ。庵野くんはいま、彼の個室に閉じ込められてしまっているらしい。ぼくはそれを人伝に聞いただけだから真偽は分からないけど、たぶん本当なんだろう。尾田くんは長島さんが捜しに行っている。

 食堂は、まさに緊張状態だった。

 

 「離せ!クソッ!こいつ……どこにこんな力があるんだよ!」

 「フッフッフ。拙僧、これでも山奥で修行生活を送っていた身。こと身体能力にかけては自信がありますよ」

 「い、岩鈴さん……!」

 

 食堂の入口付近にかたまるぼくたちと対峙するように、狭山さんは食堂の向かい側に立つ。その側には、陽面さんや月浦くん、毛利さん、理刈さんもいる。そして狭山さんは、岩鈴さんの手首を掴んで彼女を押さえつけていた。女子の中では特に腕力が強いと思っていた岩鈴さんが取り押さえられている姿は、正直想像していなかった。

 

 「しかし拙僧は暴力が嫌いです。腕に物を言わせてきた者の辿る道は決まっています。即ち、須く系譜(コン)絶あるのみ。ここは平和的かつ理性的に解決しようではありませんか」

 「ふざけんじゃないよ!アンタら自分が何を言ってるか分かってんのか!」

 「もちろんだ。お前こそふざけたことを言うな」

 「なんなんですか。なんの騒ぎですか」

 

 誰も岩鈴さんの助けに入れない。この事態がどこへ向かって行くのか、誰にも分からない。そんな張り詰めた空気を、尾田くんの呆れ声が緩ませた。長島さんがどこかから見つけて連れてきてくれたらしい。彼にこの状況を打破する力があるかは分からない。でも、いまの狭山さんを止めるにはこちらの味方が少しでも多い方がいい。

 

 「これはこれは尾田さん!いえ、大したことではありません。ちょうどいいので、尾田さんもお聴きになってください!」

 「なにが始まるんです?」

 「わ、分からない……。岩鈴さんがいきなり怒りだして、狭山さんに掴みかかったんだけど……気付いたらこんなことになってて……」

 「じゃあ岩鈴サンが悪いじゃないですか」

 「どうやらそう簡單(かんたん)な話でもないらしい。取りあえず(わけ)を聞こうじゃあないか」

 

 尾田くんの問いかけに、甲斐さんと菊島くんが答える。ぼくたちはまだ、何が起きたのか分かっていない。ただ、狭山さんが何かを始めようとしていることだけは分かった。そして、それがおそらく良くないことだというのも、直感的に理解していた。

 

 「手短に申します。拙僧をはじめ、ここにいる5名は、このコロシアイ生活から抜けさせていただきます」

 「……はあ?」

 

 それは、コロシアイ脱退宣言だった。いや、正確には違うか。脱退なんて、そんなことができるならぼくたちの全員がしたいところだ。岩鈴さんだって怒る理由がない。だからきっと、狭山さんが言うそれは脱退なんかじゃなくて……さしずめ、棄権宣言といったところか。

 

 「本日を以て拙僧らは、『狐々乃一心教会』として皆様とは別個にこの学園内で生活いたします。拙僧らは卒業に関する権利の一切を放棄します。すなわち、コロシアイにこれ以上関与することはありません」

 「な、なに……?どういうこった?」

 「外の世界に執着するから外に出たいなどと思うのです。外の世界を捨てきれないから外の世界の評価が気になるのです。外の世界を諦められないから外などというものを信じてしまうのです。そしてその心が在る限り、必ずモノクマに利用されてしまいます。ならば如何するか。全て放棄してしまえばいいのです。一切合切を捨て、諦め、忘れ、今ここにある世界を享受するのです。それこそが、拙僧たちが互いの尊厳を守り、平和に豊かに暮らしていける唯一の方法です」

 「そ、それはつまり……?」

 「ここでの暮らしを受け入れるのです。一生に亘り」

 「ふざけんなあ!」

 

 高らかな狭山さんの演説。それは、ここでの暮らしを受け入れて、脱出を一切諦めるというものだった。もしそれが狭山さん個人の考えだったら、それを受け入れる道もあったかも知れない。でも狭山さんは、後ろにいるみんなも同じ思いだと言う。『狐々乃一心教会』って言ったっけ。その考えのもとに集まった集合体……つまり、宗教的コミュニティを作ったということだ。

 その主張に、岩鈴さんが吠えた。

 

 「こんな狭くて息苦しいとこで一生生きてくつもりか!?んなバカなこと誰が納得できるってんだ!」

 「別に皆様に強いているわけではありません。拙僧らが一方的に宣言しているに過ぎません。ですが我らが教会は寛容です。共に暮らしていくというのなら広く招きますよ。さあ、如何ですか皆さん」

 「いかがですかって……」

 「だ、だったらなんで庵野さんを閉じ込めたの!庵野さんは別に反対してたわけじゃないでしょ!」

 

 宿楽さんが異を唱える。狭山さんたちの主張は分かった。それもコロシアイを避けるための一つの方法だろう。だけど、それと庵野くんを部屋に閉じ込めたことは繋がらない。だけどまあ……だいたいの想像はつく。この狭い世界の中で狭山さんは、自分の安全を絶対のものにしたいんだろう。そうなったときの懸念材料は、岩鈴さんのように教義に反対する人じゃない。庵野くんのような人だ。つまり。

 

 「庵野殿は考えを異にする者ですので幽閉しました。この世界に必要なのは拙僧の考えのみです。彼の考えは危険です」

 「ど、どういうこと?」

 「要するに異教徒弾圧の一種でしょう。殺してしまうわけにはいかないので、閉じ込めたというわけです。くだらないですね」

 「そう思いますか、尾田殿」

 「ええ。あなた方がどんなことを考えて実行しようが僕には関係ありません。せいぜい迷惑がかからないようにやってください。ただ……あなたの言うような“停滞”をモノクマが許すわけがないということは分かっておいてください」

 「あっ……ちょ、ちょっと……!」

 

 それだけ言うと、尾田くんはさっさと食堂を出て行ってしまった。彼がリスクを見過ごしておくわけもないし、本当にこの一件は彼にとって瑣末なものなんだろう。確かにコロシアイをしないという点でぼくたちと方向性は同じだけど、向かう場所は全く別だ。

 

 「ふむ。まあいいでしょう。理想は皆様全員に拙僧の考えを理解してもらうことでしたが、まずは不穏分子を封印することに専念しましょう」

 「ふ、封印……?」

 「岩鈴さん。あなたは少々暴力に訴える傾向があるようです。この世界において暴力は何よりも御法度です。従って、その考えが改まるまで、『禁房処(きんぼうのしょ)』に致します」

 「き、きんぼう?庵野みたいに閉じ込めるつもりか?」

 「察しが良いですね。その通りです。では皆さん!ごきげんよう!」

 

 岩鈴さんを取り押さえたまま、狭山さんは高笑いしながら食堂を出て行こうとする。ぼくは動くつもりはなかったけど、甲斐さんにハンドルを掴まれて道を空けさせられてしまった。狭山さんはぼくたちを一瞥し、他のみんなは脇目も振らずその後に続いた。まるで本当の宗教団体みたいだ。

 狭山さんたちが出て行った後で、ぼくたちは唖然としたまま、食堂に立ちすくんでいた。まさかこんなことになるなんて思わなかった。益玉くんや虎ノ森くんの凄惨な最期を見て心が荒んでしまうことまでは予想できたけど、まさか狭山さんがそれに付け込んで宗教を興すなんて。

 

 「ど、どうしよう……?」

 「放っとけよ!好きにさせときゃいいんだあんなヤツら!バカバカしい!」

 「でもあの手合いは放っておくと後々大変なことになるアル。叩くなら早いうちがいいヨ!」

 「叩くって……ぼ、暴力はいけません!なんとか話し合いで……!」

 「話し合いでなんとかなる相手ではなかろうな。少なくとも一生をここで暮らそうなど、真面(まとも)ではない。茹卵が生卵に戻らないように、イカレた認知を戻すことは不可能だ」

 「なんてこった……いったいどうすれば……!」

 「で、でもよう……」

 

 残されたぼくたちは、まさに混乱の中にいた。一方的に宣言されたコロシアイ離脱をモノクマが見過ごすとは思えない。無理矢理にでもコロシアイを起こそうとするだろう。秘密裏に活動するならまだしも、あんなに堂々と宣言されては、モノクマだってすぐ行動を起こすはずだ。そうなったときに一番割を食うのは、ぼくたちだ。狭山さんたちのような結束もなく、モノクマの策略に翻弄され、最悪コロシアイに発展してしまう。

 そんな戦々恐々とするぼくたちの中から、王村さんが弱々しい声を出した。

 

 「コロシアイをしねえってのは……いいことなんじゃねえのか?モノクマがなんかしてきてもよう、あいつらの仲間に入っときゃあ、少なくとも互いにコロシアイしようなんてこたあなくなるだろ?じゃあ……気を付ける相手が減るから……」

 「何言ってんだ!あんなもんいざとなったら裏切るに決まってんだろ!信用できっかよ!」

 

 ダメだ。話が入り乱れてる。いまぼくたちが考えるべきは、狭山さんの仲間になるかどうか、そこが安全かどうかじゃない。狭山さんの暴走を止める方法だ。彼女が仲間を作ってコロシアイをしないよう結束するのはいい。それはぼくたちが目指すところと同じだ。でも、みんなの不安な気持ちに付け込んで排他的な集団を作り、自分を中心として社会を作るのは止めなきゃいけない。明確な上下関係はいずれ争いを生む原因になる。そのとき最も危険なのは、トップに立つ狭山さんだ。

 

 「みんな」

 

 ぼくは、慎重に言葉を選ぶ。下手な発言は残ったみんなを余計にバラバラにするだけだ。まずは、ここの繋がりをまとめておかなくちゃ。

 

 「狭山さんを止めよう。彼女はいま暴走してる。彼女の考え方はともかく、庵野くんや岩鈴さんを閉じ込めるのはやり過ぎだ。そんな横暴は止めさせなくちゃいけない」

 

 冷静に、明白な事実と明確な目的だけを告げた。彼女の思想がどうとか、彼女に付き従うみんながどうとか、そんなことは後回しだ。

 

 「そ、そうだよ……!このままじゃみんなバラバラになっちゃうよ!」

 「ああそうさ!きっとココノちゃんたちは焦ってしまって冷静になれてないだけさ!話し合えば分かってくれる……そうだよな?」

 「そこは断言してほしいなあ、カルロスくん」

 

 なるべく深刻にならないように、カルロスくんの不安げな様子を敢えて取り立てる。少しだけみんなの中に流れる空気が緩んだみたいだ。ひとまずここのみんなが分断されるのだけは避けられたようで、ぼくはほっと胸をなで下ろす。

 

 だけど、事態はぼくたちが思うより早くから進んでいたらしい。突然、学園中にチャイムが響き渡った。

 

 「オマエラ!ボクから大事なお知らせがあります!今すぐ体育館に集合してください!」

 「……!」

 

 その放送を聞いてから、ぼくは狭山さんがもっと早い段階から水面下で行動していたことを理解した。いくらモノクマでもこんなに早く手を打てるはずがない。きっと狭山さんが人を集めて籠絡し始めた頃から、機を伺っていたんだろう。最低限の手札で最大限にぼくたちの結束を破壊するタイミングを。

 

 「オマエラさあ、なんか面白いことやってるみたいだね」

 

 体育館に集められた私たちは、狭山さんたちに囲まれて身動きが取れなくなっている庵野君と岩鈴さんを見た。庵野君は大人しく、岩鈴さんはなんとか拘束を外そうともがいている。2人が何で縛られてるのかはよく分からない。だけど2人とも後ろに手を回していて、親指に何かを嵌められている。たったあれだけで、庵野君も岩鈴さんも無力化してしまうなんて。そしてそれを実行する狭山さんが、とても恐ろしく感じられた。

 

 「お気になさらず。あなたの邪魔はしませんので、路傍の石ころ共とでも思っていただければ」

 「立って歩いて飯食って喋る石ころがあるか!コロシアイをしないって宣言するだけならまだしも、ここでの暮らしを受け入れるゥ?ボクに刃向かうことさえしないなんて、とんだ興醒めだよ!ボクはもっとオマエラのなにくそ根性を期待してたのに!」

 「イマドキそんなのは流行らないのですよ。我々、サトリ世代なので」

 「オマエはサボり世代だろ!」

 「上手いこと仰いますね!」

 

 本当に脱出を諦めたのか、狭山さんはモノクマと軽妙なトークを繰り広げる。ここでの暮らしを受け入れた狭山さんたちにとって、モノクマはコロシアイを強いる存在でも恐れるべき存在でもない。この建物を管理する大家さんくらいに思ってるんだろうか。ずいぶん親しみを感じる距離感だ。

 

 「僕ら全員を呼び出したということは、また動機か何かですか?やるなら早くしてください。どうせそれでコロシアイを起こすのはどうしようもないアホだけなので」

 「もう尾田クンのその憎まれ口ですら有難く感じるよ……まあオマエラお察しのとおり、今回呼び出したのは他でもない、新しい動機を配るためだよ!」

 

 動機。私たちをコロシアイへと導くモノクマの罠。前回は生存投票で最下位の人に毒を打つというものだった。お互いが誰に生きて欲しくて誰なら死んでも構わないと思っているかを浮き彫りにして、なおかつ最下位の人には死のペナルティを与える、残酷な動機だった。

 

 「ま、ボクの前置きなんかより、実際に見てもらった方が早いよね!というわけで、オマエラ、前にちゅうも〜く!」

 

 モノクマが(どういう仕組みか)指を鳴らすと、体育館の舞台の上からスクリーンがするすると下りてきた。背後で音がして、振り返るとプロジェクターが天井からせり出して来ていた。見た方が早いって、何かの映像を見せられるってこと?それが今回の動機?モノクマからは何の説明もないまま、プロジェクターのじんわりとした映像は次第にその輪郭を鮮明にしていく。

 青い背景に、3つの窓がある。それぞれの窓の下には、美術館の作品説明のように小さな枠があった。そこに書かれていたのは……もうここにはいない彼らの名前だ。それを認識した瞬間、なぜかすごく緊張した。一体何を見せられるのか分からないけど、少なくともろくでもないものであることは間違いないと思ったからだ。モノクマがにやりと笑った気がした。

 益玉君の窓がスクリーンいっぱいに広がった。

 


 

 『“超高校級の語り部”益玉 韻兎クンへ。大切な家族より』

 

 そんなメッセージがモノクマの声で再生される。真っ暗な画面の中から浮かび上がった光景に、私たちは心臓を握られたような恐怖を覚えた。

 映し出されたのは一組の夫婦だった。女性の方はどことなく益玉君に似ているような気がする。少しだけ寂しそうな嬉しさをたたえた、柔和な笑みを浮かべている。男性の方は口を固く結んでいる。緊張してるみたいだ。ちょっとだけ恥ずかしそうに目が泳いでいる。まるでビデオメッセージのような、微笑ましい光景だ。()()()()()()()()

 だけど私たちの視線は、その2人の後ろに釘付けになっていた。そこには大勢の人がいた。大人も子どもも、男性も女性も、太っている人も痩せている人も、色々な人々がいた。唯一共通しているのは、その全員がモノクマの顔をしていることだった。着ぐるみの頭だけを残したような、体に対して頭部が異常に大きい不気味なシルエットをしていた。そんな人が10人も20人も並んで、夫婦の背後を埋め尽くしていた。夫婦はそれに気付いているのか分からない。ただ、真っ直ぐ画面のこちら側だけを見つめていた。

 

 『韻兎。元気ですか?』

 

 女性の方が言った。

 

 『希望ヶ峰学園での生活にはもう慣れた?韻兎は人がたくさんいるところが苦手だから、体を壊してないか心配です。お友達はできた?家を出る前に、好きな作家の先生が同級生だって嬉しそうに話していましたね。その人とはもうお話ししましたか?聞きたいことがたくさんあります。お母さんばっかり喋っちゃいそうだから、お父さんも何か言ってあげて』

 『たまには電話でもしろよ。お母さん心配してるからな。しんどいことがあったら大人を頼るんだぞ』

 

 胸が締め付けられるようだった。同時に、猛烈な不安に苛まれた。これは紛れもなく、益玉君の両親から彼に宛てたビデオメッセージだ。ごく自然な、親が子どもを心配する、それだけの内容だ。だというのに、後ろに立つモノクマの被り物をした人たちと、これをモノクマが見せているという事実で、このメッセージは本来のものと全く違う意味を持ってしまっている。

 

 『この前、希望ヶ峰学園からお知らせが来ました。授業参観があるみたいでずね。お、おカっ、おがあざンタち、たチ、ッ、たたたのシシシシシシッ──』

 

 突然、映像と音声が乱れた。画面全体にノイズが走り、色彩を失って、砂嵐の中に消えていく。画面の上から下へ、あるいは下から上へ流れていくコマ送りの景色が、変わっていく。温かくて微笑ましかった映像が塗り潰されていく。

 ノイズが収まった後に映ったのは、同じ場所だった。同じ人だった。違うのは、彼らが着ている服と表情だ。益玉君のお母さんもお父さんも、後ろに立つモノクマ頭たちさえも、上から下まで黒一色に染まった服を着ていた。お母さんはその場で崩れ落ち、お父さんも顔を伏せて小さく震えている。これは……これじゃあまるで……。

 

 「いんと……!いんとおぉ……!!」

 

 まるで、お葬式みたいだ。喉を裂かんばかりに泣き叫ぶお母さんの声を残して、映像はそのままブラックアウトした。そして、またモノクマの声が流れてくる。

 

 『さあ!いったい外の世界で何が起きたのでしょうか!そしてキミの大切な人たちはこの後、いったいどうなってしまったのでしょうか!全ての答えはぁ……卒業の後で!』

 


 

 誰も、何も、言えなかった。今の映像はなんなのか。いったい何があったのか。どうして二人とも喪服を着ていたのか、モノクマ頭たちは本当にあの場にいたのか、この映像の後に何が起きたのか……分かることはひとつ。それを知りたければ、外に出るしかないということだけだ。

 

 「さ、次いってみよー!」

 

 モノクマの言葉とともに、はじめの画面に戻ったスクリーンは2つめの映像を流し始める。映像のタイトルは、『“超高校級のサンタクロース”三沢 露子サンへ。楽比町町内会一同より』。映し出されたのは、どこかの宴会場だった。真ん中に大きな低いテーブルがあって、たくさんのご馳走が並んでいる。部屋には手作りの飾り付けが施されていた。年代も性別も様々な老若男女がテーブルを囲み、画面のこちら側へにこやかに手を振っている。その後ろ、宴会場の壁伝いに、またモノクマ頭たちが整列している。

 その後は、益玉君の映像と同じだった。温かいビデオメッセージが流れた後に映像が突然乱れ、収まったときには全く異なる映像になっていた。色取り取りの飾り付けは白黒の鯨幕に。ご馳走は慎ましいお膳に。賑やかで活気のあった笑顔は、苦しみと沈痛な涙の表情に。

 最後に再生されたのは、『“超高校級のゴルファー”虎ノ森 遼クンへ。虎ノ森遼オフィシャルファンクラブより』だ。どこかのホールに集まった、おそらく虎ノ森君のファンの人たちがうちわやタオルを振り回し、歓声をあげている映像だった。モノクマ頭たちは全ての通路と出入口に並んでいる。ホール中に響いていた割れんばかりの黄色い声は、激しいノイズの後、無秩序な号泣へと変わった。

 

 「分かったかな?」

 

 モノクマはそう締めくくった。いったい何を分かれと言うのだろう。私たちは、これを見てどうすればいいのだろう。何をしろというのだろう。外の世界で何が起きたか分からないけど、ここにいる限り私たちには何もできない。この映像が本物かどうか確かめるには、外に出る以外の方法はない。

 だけど、見せられたのは益玉君たちの映像だ。これは私たち宛じゃ──私、たち宛て──?

 

 「今のような映像が、あるんですね」

 

 冷静に、尾田君が尋ねた。益玉君と、三沢さんと、虎ノ森君宛ての映像。()()()()()()()()()()()()()()()()を見せた意味。彼はそれをいち早く理解していた。

 

 「そのとーーーり!たった今、オマエラのモノカラーに、オマエラのそれぞれから送られた今みたいなビデオメッセージを送りつけてやりました!うぷぷぷぷ!オマエラにとって大切な人は誰か、そして一体どうなったのか、その結末はオマエラ自身の目で確かめな!」

 

 それが、今回の動機というわけだ。誰かが死ぬような動機でも、私たちの間に疑心暗鬼を生むような動機でもない。ただ、私たちの外に出たいという気持ちを煽るだけのシンプルな──それだけに強力な動機だ。外に出るには、コロシアイをするしかないんだから。

 

 「くだらないですね」

 

 動機の内容が分かっただけで私は軽く絶望していた。ただ外の世界を見せるんじゃなくて、大切な人たちの不気味な映像だ。外に出たいという気持ちは今までになく煽られると感じた。それなのに、彼はそう吐き捨てた。

 

 「これは強制ですか?絶対に観なければならないものなんですか?」

 「うん?いいや、別にボクから観るように強いることはないよ。ただ、オマエラがその気になればいつでもどこでも何度でも観られるようにしてあげただけ。要はモノカラーに新機能搭載!プロジェクションマッピング技術を利用したどこでもシアター機能!ってこと!うーん、ボクってやっぱり気の利くナイスなクマ?」

 「であれば、コロシアイを誘発すると分かっている動画をわざわざ観ることはありません。無視すればいいだけです」

 「その通りです尾田殿!さすが良いことを仰る!コロシアイの種になるものは一切排除します!皆さんもいいですね。決して拙僧の許可なく映像を観ないこと!」

 「そ、そうだ!観なきゃいいんだろ……!こんなもん……!」

 

 みんなの言う通りだ。そう。こんなもの、観なければいい。観なければ、モノクマは何もしていないのと一緒だ。観なければ、外に出たいなんて気持ちが煽られることもない。観なければ……私の大切な人に何が起きたか、知ることもない。誰が……どうなっているか……知らないまま、ここで過ごす。

 そんなことができるのか?この先ずっと、頭の片隅で私の家族や友達、ホームでお世話してる人たち……誰がビデオに出てるかは分からないけど、それは私の大切な人たちらしい。その人たちが……どうなってしまっているのか……。

 

 「観るなと言われれば観たくなるのが人の性だ。別に観る必要はないが……観ても構わんのだろう?」

 「はあ。わざわざ次にコロシアイが起きたときに容疑者となる根拠を持つ必要はないと思いますが」

 「まるでまたコロシアイが起きることを予見しているようだな、尾田」

 「あなたが観れば、確信になり得ます」

 「ふふふ……なに、興味本位だ。俺は他人に興味はあるが、他人を大切に思った経験があまりないからな。誰が映っているのか、単純に興味がある」

 「カスみたいな理由ですね。別にいいですけど」

 

 こんなときでも菊島君はマイペースに、動画を観る宣言なんかしてる。菊島君以外にも、口では観ないと言っていても部屋でひとりになったとき、この誘惑に負けてしまう人がいるかも知れない。そう思うことが既に、私が他の人に対して疑心暗鬼になってしまっていることの表れだ。

 

 「それじゃあオマエラ!そういうことで!」

 

 モノクマは笑って去って行った。あとは放っておけば、私たちが勝手に疑心暗鬼に陥るということだろうか。残された私たちは、私のようにどうしていいか分からず固まる人たち、尾田君や菊島君のように全く動じない人たち、そしてモノクマの動機などどうでもいいとばかりに庵野君と岩鈴さんの拘束に躍起になっている狭山さんたち『狐々乃一心教会』。疑心暗鬼に陥る以前に、既に私たちはもうバラバラだ。

 

 「それでは皆さん、参りましょう。我々は外の世界のことなど今更どうとも思っていません。命あっての物種、誰しも自分の命が最も大切ですからね。他人のために命を擲つ物好きな者もおりますまい」

 「それは……益玉君のことを覚えてて言ってるの……?」

 「……おっとこれは失礼。それでは」

 

 からからと軽薄に笑いながら、狭山さんはみんなを引き連れて体育館から出て行ってしまった。そしてマイペースに行動する尾田君たちもさっさと出て行ってしまい、私はまたここに取り残された。以前、この場で自分を犠牲にしてみんなの分裂を回避しようとした彼はもういない。もし益玉君がこの場にいたら、どうしただろうか。何をしてくれただろうか。何ができただろうか。私は、どうすればいいのだろうか。

 


 

 モノクマ様が新しい動機を配布されて一日、私たちは表面上、何も変化はないように振る舞っていました。しかし無視できない変化がそこにはありました。人間の姿に戻られた狭山様によって岩鈴様と庵野様はご自身のお部屋に閉じ込められてしまい、また何名かの方は狭山様が興された宗教に加入したことで、私たちと同じ空間にいながら異なる生活を送っていらっしゃいました。全員が食堂に揃っていた夕飯の時間も、狭山様たちはご自身のお部屋で過ごされ、私たちとは極力お顔を合わせないようにされていました。

 

 「万が一コロシアイが起こるというとき、拙僧たちがその選択肢に入ることがあっては適いませんので」

 

 笑ってこそいらっしゃいましたが、そこには露骨な敵意と拒絶の意思がありました。狭山様にとって、ご自身と道を違える人はもはや敵なのでしょう。このままでは本当にまたコロシアイが起きてしまうかも知れない。私はいつの間にか、そんな考えに囚われるようになってしまいました。

 それでも、料理や掃除、片付けなどの仕事をしていると、そうした不安から一時的に逃れることができました。私にできることはこれくらいですが、こんな状況でもできることがあるということは幸せなことなのかも知れません。ですから、つい私は夜遅くまで厨房の掃除などをしていて、夜時間が訪れる直前になってモノクマ様に追い出されることになってしまいました。

 

 「こんなことでおしおきなんかになったらダメだよ!ちゃんと自分の部屋に戻って寝なさい!」

 「も、申し訳ありません……」

 

 お昼、私たちに動機を与えて笑っていたモノクマ様と同じとは思えない気遣いに、私はそれしか言えませんでした。もう少し気の利いたお返事のひとつでもして差し上げればよかったかも知れません。夜は大浴場なども閉まってしまうので、私は仕方なく部屋に戻ることにしました。

 夜時間を過ぎた廊下は人気が無く、照明が少なくなって薄暗いです。翌日の仕込みなどをしてこのくらいの時間に部屋に戻るのはよくあることですが、なんだか今日はいつもより不気味な雰囲気を感じます。まるで、誰かが物陰から見ているような……。

 

 「……!」

 

 視線を感じてそっと背後を振り向く。そこにはもちろん誰もいません。私が怯えているからでしょうか。なぜか空気が張り詰めているような気がしてきました。少し、疲れているような気がします。早く部屋に戻って眠ろうと正面に向き直り──。

 

 「……あっ!」

 

 つい、声が出てしまいました。廊下の向こう側から私を見つめる、彼と目が合ってしまった。さっきまでそこにいなかったはずの彼が、暗がりの中から私に近付いてきました。そして──。

 

 「何をしている」

 

 こちらが聞きたいことを先に聞かれてしまいました。こんな夜更けに、それもひとりでいるなんて、月浦様にしてはとても珍しいことでした。いつもならお隣に陽面様がいらっしゃるのに。

 

 「わ、私は……部屋に戻るところでして……」

 「……ふんっ。夜中に出歩いて狭山に目を付けられたら面倒だぞ」

 「はあ……ご迷惑おかけします。あの、月浦様は何を?」

 「僕は見回りだ。狭山の命令で」

 「狭山様の……ご命令?」

 

 月浦様から陽面様以外にお声かけなさるなど、考えてみれば大変珍しいことでした。普段はお二人で会話をしているところばかり見ていたので、私と一対一でお話しされるのはとても新鮮でした。

 夜中に起きていらっしゃることも、お一人でいることも、よくお話になることも、普段の月浦様からは考えられないご様子です。狭山様のご命令で見回りをされているというのが関係しているのでしょうか。確か月浦様は陽面様とご一緒に『一心教会』に加わっていらっしゃったような

 

 「狭山のように徒党を組んでいるヤツらが他にいないか、狭山にとって脅威になる存在がいないかを調べるように言われた。密かに行動するには夜中が一番だから、この時間の見回りが一番効果があるんだ」

 「なるほど。仰ることは分かりましたが……どうして月浦様が?」

 「さあ。狭山の考えは分からない。あんなに世俗的で独善的で刹那的で……そのくせ狡猾で臆病な人間はみたことがない。社会で生きていける人間じゃない」

 「前置きはともかく狭山様が臆病というのはあまり想像できませんが」

 「あいつはシャーマンのくせに現世に執着し過ぎてる。死ぬことの恐怖を克服しようとか、生きることに向かい合おうとか、そんな宗教家が言いそうな高尚なことは、僕たちにだって言わない。ただただ快楽的に生き存えることだけを考えてる。そういうヤツだ」

 「はあ……」

 

 お話を伺っている限り、月浦様はどうにも狭山様のお考えに共感されているようには感じられませんでした。コロシアイをしない、結束するべき、その点については私も異論はございません。が、その先にあるご自身の安全と愉悦を第一にしている点については、賛同致しかねます。月浦様は、どちらかと言えば私の方に近いお考えをお持ちのように拝見しますが。

 

 「差し出がましいことを申しますが……それならばなぜ月浦様は狭山様の御命令に従っていらっしゃるのです?」

 「……はぐを人質に取られている」

 「人質?」

 「あいつの才能はオカルトなんかじゃない。人を不安にさせて、弱った心を弄び、口八丁手八丁で人心掌握とマインドコントロールをする。そういう才能だ。まんまとはぐが捕まった。僕が一緒にいながら……なんてことだ」

 「つまり、陽面様のために仕方なく狭山様の言うことをお聞きになっていると」

 「今だけだ。一刻も早くはぐの目を覚まさなきゃならない。どうにかしてあいつの寝首を掻いて……」

 「ね、寝首って……早まってはいけません月浦様!」

 「ものの例えに決まってるだろ……。僕があいつを殺したら、はぐと一緒にいられなくなるだろ」

 

 ご自身の命の危険より、そちらが先に出て来るのですか。以前から気にはなっておりましたが、月浦様の陽面様に向けられる感情は、些か過剰と申しますか……過保護すぎるような気がします。いったい、ここに来られる前、お二人の間に何があったのでしょうか。不躾とは存じましたが、夜更けのせいで思考が掻き乱されていたのか、私はその質問をぶつけてみました。

 

 「あの、失礼を承知でお尋ねしますが、月浦様と陽面様は……どういったご関係なのでしょうか?単なるアイドルとプロデューサーにしてはその……懇ろすぎると申しますか」

 「……難しいな。言葉で説明するのは」

 「そ、そんなに複雑な経緯が?」

 「いや、はぐを言葉で説明しようとするなんて烏滸がましいと思って」

 「左様ですか」

 

 他者の理解を必要としないのは結構なことです。私はもうそれ以上お二人の関係について知ろうとするのは止めました。理解できる気がしないので。

 

 「僕はもう行く。お前も、部屋に閉じ込められたくなかったらあまり夜中に出歩くな」

 「はあ……ありがとうございます。あの、最後にひとつ伺っても?」

 「なんだ」

 

 辺りを気にしつつ、月浦様はその場を離れようとしました。こんな夜遅くに私たち以外にどなたがいらっしゃるのでしょう、と思いましたが、月浦様の様子を見ているとなんとなく物陰に気配を感じてしまいそうになりました。最後に私は、ずっと気になっていたことをお尋ねしました。

 

 「どうして、私にそこまでお話になるのでしょうか」

 

 普段、月浦様が陽面様以外の方とここまでお話になることはありませんでした。ですので、今このしばらく、月浦様が色々なことを私にお話し下さるのがとても不思議でした。月浦様は、再度周囲を警戒した後、先ほどまでよりもずいぶんと小声でお話になりました。

 

 「まだ狭山たちは少数派だ。結束の脆さが露呈すれば組織の寿命は縮む。別にあんたじゃなくても話したさ」

 「……左様でございますか。では、私はいかがすればよろしいのでしょうか」

 「何もしなくていい。ただ、あいつらの考えに染まらないのがいるっていうこと自体が、あいつらには脅威なんだ」

 

 そう言い終わると、月浦様は暗い廊下を歩いて行ってしまいました。月浦様は、本当に狭山様の教団を破壊するおつもりのようです。それがどんな結果を引き起こすのか……あるいは失敗に終わってしまうのか、予想のできない未来がすぐそこまで迫っていると思うと、なんだか空恐ろしく感じられました。




狭山の人間のすがたをアップロードするのをすっかり忘れていたので、二章第一話に追加しました。せっかく描いたのにもったいないことですよね。さーせん。


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(非)日常編4

 

 撫でつける毛並みは艶があり、軽く押し込むと僅かに反発する。その奥にある暖かい肉体は、一呼吸ごとに膨らんではしぼむを繰り返し、そこにある確かな生命を感じさせる。未だに信じがたい。いま私の膝の中に収まっているこの黄金色の狐が、あのド派手な出で立ちの長身に変化するなど。

 時刻は真夜中。既に夜時間になっていて、本来なら各自の個室に戻るよう約束していた時間だ。しかし、益玉の事件が起きてからというもの、それを破る者が目立ち始めたように思える。事件の前から意図して破る者も意図せず破る者もいたが、今は前者が多い。それは、明確に私たちの結束が崩れていることの表れなのだろう。危険な兆候だと思うが、こうして狭山の毛の手入れをしている私には、それを咎める権利などないだろう。自分がどういう立ち位置なのか、周りからどう思われているのかくらいは分かる。

 

 「手が止まっていますよ」

 「……っ、ああ」

 「お悩みですか?いけませんね。拙僧の理想とする世界は悩みとは無縁ですよ」

 「お前は呑気なものだな。危険だとは思わないのか?」

 「なにがでしょう」

 「事を急ぎすぎじゃないか、と言っているんだ」

 

 はじめにその話をしたときは、何かの冗談かと思った。ここにいる全員を取り込んで強制的にコロシアイを止めさせ、ここでの暮らしを受け入れるなど。前半はともかく、後半の考えは反発を食らうことは必至だろうと思った。だから私は、ここまで大ごとになるなんて思っていなかった。まさか理刈や月浦がそんな思想に与するとは思わなかった。庵野と岩鈴を部屋に軟禁し、他のメンバーも一枚岩とは考えにくい。既に狭山の作った『狐々乃一心教会』は、このコロシアイ生活の最大派閥となってしまっていた。

 だが、同時に私は非常に危険だとも感じていた。共感者を増やすのはいい。しかし狭山のやり方は強引過ぎる。心の弱っている者を見つけては、言葉巧みにその心の隙間に入り込んで自分の思想に染めていく。既に他に信じるものを持っている庵野と、心が頑丈すぎて隙が見つからない岩鈴は無理に神経がすり減るようにし、他のメンバーにそれを誇示して残った者たちの心を揺さぶる。少しずつやっていけば、きっと誰にも気付かれないうちに私たち全員を乗っ取ることもできたのだろう。

 

 「なにをそんなに焦っているんだ?」

 「善は急げと言うでしょう。焦ると言えばそうなのかも知れませんが。モノクマは私たちにコロシアイをさせようと手を打ってくるでしょう。ですから先手を打つ必要がある、それだけですよ」

 「それでお前自身が反発を招いては本末転倒ではないのか?」

 

 私の問いかけを、狭山はフフンと鼻で笑った。そして、また気持ちよさそうに目を閉じて私に撫でられる。

 

 「反発する者ほど染まりやすいものなんですよ。否定してやろうと、騙されまいと、強くあろうとする者ほど心の隙は大きくなり、御しやすい。岩鈴殿は例外ですがね。逆に思想の自由を認め寛大な態度をする者や、端から興味も何も抱かない者の方が扱いにくいのです。ですから庵野殿には少し()()()()()いただきました」

 「なぜそこまでする必要がある?コロシアイをしないだけなら、既に私たちの間で同意ができている。敢えてお前をトップにする構造を作る必要があるのか?」

 「モノクマに対して全員が横一列の花いちもんめでぶつかっては簡単にその結束は破られてしまいます。そうでなくとも個々のクセが強い面々なんです。最も効率的な人民統治方法は、分割です。明確な首長と明確な階層構造、そこに生まれる対立と牽制のし合いが、世に言う平和の正体ですよ」

 

 さすがにそれは暴論ではないか、と思ったが、やはりそこでも狭山は底知れない考えの深さをちらつかせて、反論しようという気さえ削ぐ。要するに狭山が自分をトップにするのは、自分の利益を求めることと同時に、敢えて格差を生んでここに外の世界と同じ社会を再現するためらしい。いちおう外の世界は平和と言われていた。だからそれを再現したものも平和と呼んで然るべきだと、こういう理屈らしい。

 

 「拙僧だって死に急ぐつもりはありませんよ。階層構造がある程度固まったら、トップの座は毛利殿にでも譲って、拙僧は狐としてのんびり暮らしていきますよ」

 「私にか?なぜだ」

 「今もこうしてお世話になっているので」

 「お前がそんな義理を立てるとは……意外だな」

 「そうですか?まあ義理立てととるか面倒の押しつけととるかは毛利殿次第ですが」

 

 狭山は大きなあくびをした。能天気にも見えるこの態度の裏でも、頭の中では次に起こすべきアクションを考えているのだろうか。たった一日で学園内の人間関係をがらりと変えてしまった狭山が、次に何をするかは誰にも分からない。あるいは気付かれずに既に事が進行しているのかも知れない。何かが起きていることは分かるのに、何が起きているのかはまるで分からない。狐に化かされているようだ。

 

 「ああそうだ。毛利殿。月浦殿が謀反を企てているようなので、お昼時間は彼についていてあげてください」

 「なにっ?」

 「陽面殿をこちらに引き込めば諦めるかと思いましたが、そこまで甘くはなかったようです。有能な彼のことですから、密かに謀反の準備でも進めているのではないですかね。別に構いませんが、プレッシャーを与えておきましょう」

 

 本当に、正気なのだろうか。こいつは死ぬことを恐れているのか?恐れていないのか?それさえも分からなくなってくる。

 


 

 狭山さんたちのコロシアイ離脱宣言から一夜明けて、私たちはまた食堂に集まっていた。狭山さんたちは相変わらず私たちとは完全に別行動をするつもりらしいけど、今日はまだ私たちと一緒に食堂にいた。だけどそれは、別に私たちと仲良くするためじゃない。

 

 「……な、なんで……?」

 

 目の前に立つ狭山さんに、私は思わず問いかけた。今ここには、庵野君と岩鈴さんの他に、もう1人足りない。

 

 「ですから、湖藤殿を『禁房の処』といたしました。別に報告する義理はないのですが、ご心配なさるでしょうと思いまして」

 「今度は湖藤かよ……!なんで閉じ込めた!」

 「彼は勝手に庵野殿と岩鈴殿を解放しましたので」

 「え?」

 

 狭山さんによれば、湖藤君は朝早くに庵野君の部屋と岩鈴さんの部屋にかかっていたロックを外したらしい。なぜ湖藤君がそんなことをしたのかは分からない。でもそれが狭山さんの逆鱗に触れ、すぐに取り押さえられてしまったらしい。

 

 「あなた方が拙僧たちと思想を同じくしないことは構いません。我々は新しく生まれた勢力ゆえ、与しない者がいることは想定しています。ですが我々の正当な活動を妨害するとなっては見過ごしておけません。故に。我々なりのやり方で対処させていただきました」

 「だ、だからって閉じ込めるなんて……!」

 「そうだよ!だいたい庵野さんと狭山さんを閉じ込めるのだって、どこらへんが正当な活動なのさ!」

 「目に見えた障害は排除する。我が身を守る上では重要なことです」

 「ココノ……Señorita(お嬢ちゃん)にこんなことをするのは正しくないとは思う。だけど君のしていることはあまりにも乱暴だ。これ以上は見逃せないよ」

 「ちょ、ちょっと待ってみんな!暴力はダメよ!落ち着いて!」

 

 いよいよ我慢ならなくなったカルロス君が、威嚇するように指を鳴らして一歩進み出た。岩鈴さんに力で勝った狭山さんと言えど、カルロス君相手には分が悪いのか、なんでもない風を装いつつも一歩下がった。入れ替わりに前に出て来た理刈さんが、気が立ってるカルロス君を制する。

 

 「私たちは別に、みんなと争いたいわけじゃないの!ただコロシアイをしないように済む方法を模索してるだけで……!」

 「その答えが、目に付いた者を手當(てあ)たり次第に幽閉することか。人を信じぬ王はいずれ斃されるぞ。或いは美しき友情に絆されて大團圓(だいだんえん)でも迎えるつもりか?」

 「それは……!私だって……こんなやり方が間違ってることくらい……!」

 「理刈殿」

 

 止めに入った理刈さんが口を滑らせる。その瞬間、後ろにいた狭山さんが目を剥いた。私たちに向けられたものではないのに、それを聞いた私たちの背筋まで凍るような、冷たい声だった。でも、一番その声に顔を青くしたのは、狭山さんに肩を掴まれた理刈さんだった。

 

 「それはいけませんね……いけませんよ。外部の方が拙僧のやり方を非難するのは大いに結構。しかし内部にいるあなたがそれを言うのは……いけませんねえ。それは反逆の芽ですよ」

 「い、いや……!わ、私は……別にそんな……!」

 「分かりますよ。口が滑ったんですね。口が滑るということはそういう気持ちがあるということです。ですよね?」

 「ちがっ……!ご、ごめんなさい……!私は、狭山さんに逆らうなんてそんな……!」

 

 理刈さんの怯え方は明らかに異常だった。誰がどう見ても狭山さんはやり過ぎだ。なのに、それに声を上げることも許されないらしい。その先に何が待っているのか、理刈さんの反応を見ればある程度の予想はつく。狭山さんは理刈さんの手を掴んだ。その表情は、恐ろしいほど笑顔だ。

 

 「分かっていますよ。それは理刈さんが持つべきではない心。未だ捨てきれずにいる弱き心です。それは捨てなくてはいけません」

 「や、やめて……!私は……!」

 「皆さん、失礼します。我々はすべきことができましたので」

 

 もはや私たちは蚊帳の外だ。狭山さんは抵抗する理刈さんを引きずってずんずん私たちに迫ってくる。食堂から出ようとしているんだ。その気迫に押されて、私たちは自然と道を開けてしまう。私は声が出なかった。いま止めないと、理刈さんはきっと……他のみんなと同じように部屋に閉じ込められてしまうんだろう。ただ一言、止めてと口にすれば……口にしたところで、果たして狭山さんは止まるのだろうか。

 止まるはずがない。そんな程度で止まるならこんなことになってない。きっと私もまとめて部屋に閉じ込められてしまう。そう思う心が、私の口を閉じさせた。

 

 「ふんっ……情けない。拙僧を止める言葉も持たないとは」

 

 通り過ぎざま、狭山さんは私たちにそう吐き捨てた。その言葉は呪いのように私の脳に響いた。目の前で理刈さんが、湖藤君も庵野君も岩鈴さんも連れ去られたというのに、私はやっぱり何もできない。狭山さんを止めることも、抗議の声を上げることもできない。

 私たちはコロシアイをしたくないだけだ。その想いは同じはずなのに、どうしてこうもすれ違うのだろう。どうして私たち同士で争いが起きてしまうのだろう。何より質が悪いのは、この争いにモノクマは関わってないってことだ。この争いは、私たちが私たちのせいで起こしてしまったものだ。その事実が、余計に私の頭を痛めつける。

 

 「こらーーーっ!!」

 

 立ち去ろうとする狭山さんの歩みを止めたのは、意外な声だった。それは、力も身長も彼女とは比較にならないくらいちっぽけで、だけど私たちよりよっぽど狭山さんの暴走を止められる力を持った存在だった。それが、短い手を広げて狭山さんの前に立ち塞がる。

 

 「何やってんの!そんなに次々みんなを閉じ込めるのは認めないよ!」

 「おや、ずいぶん遅かったですね。あなたは一番に拙僧を止めに来ると思ってましたが」

 「こっちにも色々準備とかあるの。だいたいオマエラ、こんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」

 

 それは、モノクマだった。顔を真っ赤にさせて狭山さんに怒っている。悔しいけど、今の狭山さんを止められるのは、モノクマしかいなかった。いくら狭山さんでも、モノクマに手を出すことはできない。

 

 「こんなことしてる場合ですよ。拙僧としても本意ではありませんが、正しく導くのが首長の役目なので。それよりあなたも、本気で拙僧を止めるつもりなら、庵野殿を処したときに現れるべきでしたね」

 「その気になればボクがみーんな解放してあげられるんだからね!」

 「それは過干渉では?あなたはあくまで傍観者であるはずです。ここで拙僧らが何をしようと、直接妨害するのは規則に抵触すると思いますが」

 「ぬぐがぐ」

 

 ダメだ、と思った。忘れていたけど、簡単に手が出せないのはモノクマも同じだった。モノクマは規則違反をした人を好きにすることはできても、そうでない人に理由もなく手は出せない。そういう規則だ。ここの規則に縛られてるのは私たちだけじゃなく、モノクマも同じなんだ。もしかしたらこれで狭山さんが止まってくれるかと、ちょっとでも期待した私がバカだった。

 

 「いいの?こんなことしてて、庵野君たちがいきなりぶっ倒れでもしたら、狭山さんがクロってことになっちゃうんだよ?それはまずいよね?」

 「ご心配なく。クロになるのは直接手を下した者のみ、その意味もきちんと理解していますとも」

 「こいつ……!?2週目か……!?」

 「拙僧ごときが気付いているのです。そちらの方々の中にも、理解されている方はいると思いますよ」

 「うぬぬ……でも、それじゃあ……!」

 「うぬぬ……でも、それじゃあ……!」

 「……ん?」

 

 モノクマ相手に、狭山さんは説得されるどころか舌戦で圧倒している。実際、私たちの間でコロシアイが起きてもモノクマは干渉して来ないんだ。明らかな暴力行為でも命のやり取りは行われていない、あくまで私たちの間だけで起きるいざこざに、首を突っ込むことは認められてないんだ。

 あまりのもどかしさのせいか、悔しげに歯噛みするモノクマの声が、ダブって聞こえた。

 

 「狭山サンは一回自分のやってることを思い返してみた方がいいかもだよ!」

 「狭山サンは一回自分のやってることを思い返してみた方がいいかもだよ!」

 「んん?」

 

 気のせいじゃない。実際のモノクマの声がダブってる。その証拠に、私たちの目の前には狭山さんの前で手を広げるモノクマと、それと全く同じポーズをして横に並ぶモノクマがいた。

 

 「モ、モ、モノクマが増えたあ!?」

 「えっ?ええーーー!?い、いつの間にい!?」

 「えっ?ええーーー!?い、いつの間にい!?」

 「なにふざけてんだ!テメが増えてんのにテメエが驚くわけねえだろ!」

 「増えるもなにもこれはぬいぐるみの皮を被ったロボットか何かでしょう。何台も同じ物が用意してあるに決まってるんですから、驚くほどのことではありません」

 

 と言いつつ、尾田君はモノクマから目を離そうとしない。言うことは尤もかも知れないけど、今まで1体ずつしか出て来なかったモノクマが2体出て来た。それが何を意味するのか……私たちの間にイヤな緊張が走る。でも、一番驚いてるのは当のモノクマだ。

 

 「と、とにかく狭山サンは手当たり次第に人を閉じ込めるのは止めといた方がいいよ!そんじゃ!」

 「と、とにかく狭山サンは手当たり次第に人を閉じ込めるのは止めといた方がいいよ!そんじゃ!とう!」

 「うげーーーっ!?」

 「な、なんだァ!?ケンカか!?」

 

 最初にいた方のモノクマが、慌ててその場を去ろうとする。もはや狭山さんへの忠告も雑にして、食堂のドアの向こうに消えそうになる。その後を追った2体目のモノクマは、全く同じことを全く同じ言い方で復唱し、最後に初めて自分の言葉を発した。先にいたモノクマの背中にキックを食らわせて、転んだそのお尻を踏みつける。

 

 「まったく!やってくれるよね!ボクの許可なく勝手なことしてさ!」

 「あ、あのう……どういうことでしょうか?モノクマ様同士でケンカですか?」

 「ボク同士でケンカ?うぷぷぷ!そんなことしないよ!ボクたちはみんな同じ意識を共有して巨大なネットワークを形成してるんだ。どっかの妹だか弟だかよりずっとずっとハイスペックなんだからね!誰かのお腹が空けば誰かが代わりにご飯を食べるし、誰かがトイレに行きたくなれば代わりに行ってくれるし」

 「しょーもない冗談アル。他人がご飯食べても自分のお腹は膨れないネ」

 「うぷぷぷぷ!ともかく、自分とケンカはできないでしょ?そういうことだよ」

 「でも実際、いまモノクマ同士のケンカを見てるんだけど……なにこれ、夢?どういうタイプの夢?」

 「夢でも幻でも幻想でもなーい!これは現実!現実ったら現実なの!」

 

 モノクマを足蹴にするモノクマが興奮するたびに、踏まれた方のモノクマの体がぼてんぼてんと波打つ。どうやらすっかり伸びてしまったみたいだ。

 

 「お前はいったい何がしたいんだ?」

 「別にぃ?ちょっと先走っちゃったヤツがいたから回収しに来たっていうだけだよ。こいつは後でしっかりおしおきしてやらないとね!」

 「お、おしおきって……」

 「ああ。虎ノ森クンにしたようなのじゃないよ。こんなヤツにそんな大掛かりなことするのはもったいないからね!とにかくオマエラは気にしなくていーの!ゆったりたっぷりの〜〜んびりコロシアイライフを楽しんでね!そんじゃーねーぃ!」

 

 なんだか気になるような気にならないような。後から出て来たモノクマは前にいたモノクマを連れて消えてしまった。モノクマ同士で内輪もめすることなんてあるのかな。菊島君と尾田君は難しい顔をしてるけど、私たちは何が何だか分からない。いつの間にか狭山さんと理刈さんもどこかに行ってしまった。きっと私たちがモノクマに気を取られている間に、さっさと行ってしまったんだろう。

 

 「なんか……もうまとまりとか、そういう次元じゃないような気がする……」

 

 すっかり弱気になった宿楽さんがこぼす。人は減る一方なのに、私たちは狭山さんを相手にしても結束することができない。それを理解していながらもお互いに歩み寄ることができないのは、きっと誰もが心のどこかで確信してるからだろう。

 もうギリギリなんだって。少し何かを間違えてしまえば、コロシアイはいつでも起きうるんだって。

 


 

 私は食堂にいた。部屋に戻ったってやれることなんてない。芭串さんからもらったメモも、図書館で見つけた謎の紙も、今の私にとっては何の意味もなさない。解いたって意味が分からなきゃ、解けてないのと一緒だ。どうせこれもモノクマが私たちをもてあそぶために用意したダミーだ。結局、私は誰の何の役にも立ててない。本当に気が滅入る。

 

 「はあ……」

 「ため息を吐いたら幸せが逃げるぜぇ。楽しいこと考えな」

 「王村さんはお気楽過ぎるんですよ。うらやましいですけど……」

 「おいらぁお前さんらよりちょいと長生きしてるからな。ものの道理ってもんをよおく弁えてんだ」

 「説得力ないなあ」

 

 狭山さんが理刈さんを連れて行った後、食堂には私と王村さん、甲斐さん、谷倉さんの4人だけだった。後のみんなは部屋に戻ったか、それともなんとか狭山さんを止めようとしてるのか、それも分からない。

 

 「私は……いずれこの状況も変わると思います。良い方向に変わればいいのですが……」

 「狭山さんをなんとかして止めないと、本当に取り返しのつかないことになっちゃうよ!王村さん、狭山さんと仲良かったよね?なんとかできない?」

 「無茶言うない。おいらあ別に狭山の保護者じゃねえぞう。あいつが酒飲みたいっつうから分けてやっただけでえ」

 「お、おさけ?」

 「キツネになりゃあ法律なんか関係ねえって」

 「だからってダメでしょ!何考えてんですか!」

 

 顔を赤くした王村さんがへらへら言う。そんなこと理刈さんが知ったら卒倒しそうだ。そうでなくても王村さんはお酒で失敗してることがあるのに、よくこんなお気楽な態度でいられると逆に感心する。これくらいの図太さが私にもあればなあ、なんて。

 

 「まあなんだ、年長者として言わせてもらうけどなあ。ああいう何を言っても何をやっても分からねえヤツってのはどこにでもいるもんだ。なるべく関わらねえでいんのが良い。触らぬ神に祟りなしってヤツだ。シャレじゃねえけどな」

 「放っておいて取り返しのつかないことになっちゃったらそれこそシャレにならないですよ……。そうなったら私たちだって無関係じゃいられないんですよ?」

 「そりゃあ……まあ、そのときだ。また尾田とか湖藤がなんとかしてくれんだろ」

 「ほんっとに頼りになる人ですよ!!」

 

 お気楽というか、もはや何もかも諦めてるような態度だ。私だって狭山さんを止められるわけでも、他のみんなのことを元気付けてあげられるわけでもない。ただのゲームが好きな女子高生だ。仮にも超高校級の才能を持った王村さんを叱るなんてことはできないけど、それでも思いっきり皮肉を叩きつけてやるくらいのことはさせて欲しい。私は無力感と失望感に溢れた胸を抱えて食堂を出た。ここにいてもできることはない。

 

 「もう!王村さんはダメなんだから人を巻き込まないでよね!宿楽さん待って!」

 「ひでえこと言うなあ、甲斐は。なあ谷倉よ」

 「私から申し上げることはございません」

 「え……」

 

 食堂を出る私の後ろから、甲斐さんが追いかけてくる声が聞こえた。飛び出したものの行く宛なんかどこにもない。私は追いかけてきてくれた甲斐さんを、なんとなく歩く速さを落として追いつかれるようにして、声をかけられるのを待った。

 

 「宿楽さん。王村さんに期待しちゃダメだよ。ダメな人なんだから」

 「ううん……でも、このままじゃもう……。誰かに頼りたくもなっちゃうよ」

 「頼るなら私を頼ってよ。友達でしょ?」

 「とも……!な、なんか、そんな正面切って言われるとこそばいっていうか……畏れ多いっていうか……」

 「畏れ多いことなんてないよ!」

 「だって、私ただの女子高生だし、超高校級の人たちとこうして一緒にいること自体が、なんか……」

 「またそんなこと言って。宿楽さんだって“超高校級の脱出者”なんでしょ?立派な才能持ってるんじゃない」

 「本質はただのゲーム好きなんだけどね……」

 「そんなこと言ったら私だって本質はただのお節介だよ」

 

 私は別に謙遜とか卑下とかじゃなく、本当に自分の力不足を感じてるだけなのに、甲斐さんはこんな私のことをものすごく心配してくれる。甲斐さんはお節介だなんて言うけど、人から感謝されるお節介はもはや才能なんだと思う。その点は、私は体験型謎解きゲームをクリアするスキルをいくら突き詰めても、結局は自己満足にしかならない、と思う。なんというか、そもそもみんなと私では出発地点から違うような、そんな感じだ。

 

 「それにね宿楽さん。大事なのは才能が役に立つかとか、普通の高校生か超高校級の高校生かなんてことじゃないんだと思うの。今ここで起きてることに対して、どう向き合っていくか、どう解決していくかだと思うの。宿楽さんは、それを冷静に考えられる人だと思うよ」

 「そ、そうかな……?私、そんな大した人間じゃないよ」

 「だって普通の高校生だったら、今ごろ狭山さんに取り込まれてるよ。あっちは“超高校級のシャーマン”なんだから」

 

 それもそうかも、と思った。狭山さんの才能が、ああやって人を手込めにすることなら、今のところその影響を受けてない私は、ある意味普通じゃないのかも。

 

 「別に狭山さんに賛成してる人がだらしないとかそういう話じゃないけどね」

 「でも、だったら私どうすればいいのかな……?湖藤さんも閉じ込められちゃったし」

 「うん……湖藤君を部屋の外に出すのは簡単だと思うけど、それが狭山さんたちにバレちゃったら私たちも危険だしね……。でも、取りあえず部屋の前に行ってみる?何かヒントをくれるかも」

 

 甲斐さんは名案のように言った。なんだかちょっと前から、甲斐さんは湖藤さんをやたらと頼りにしてる。湖藤さんも甲斐さんに助けられてるから、持ちつ持たれつって感じなのか。なんかこう、二人ともふんわりした雰囲気というか、お互いに助け合っていく感じが似合うから……うん、それ以上の詮索をするのは野暮だ。この二人の、今のこの関係が一番てえてえ。

 

 「ん?どうしたの宿楽さん。なにその顔文字……人?」

 「あ、いやっ、なんでもないっ」

 

 やべえ、顔(文字)に出てた。ナマモノ萌えを本人に伝えるとか御法度すぎる。

 


 

 狭山さんたちがなんか難しい言葉で言ってた、それぞれの個室に閉じ込める方法っていうがどうやってたのか気になってた。湖藤さんの部屋に向かう前に庵野さんや岩鈴さんの部屋がどうなってるか見てみたら、ドアノブの周りにプラスチックのパーツが取り付けられていた。ちょうどドアノブが上にも下にも回らないよう、カタカナのコの字型のパーツで固定してる。なるほど、これじゃあロックを外してもドアが開けられないわけだ。

 

 「これ、小さい子が勝手に部屋の外に出て行っちゃわないようにするためのヤツだよ。外側からなら簡単に外せるんだけど……こんな使い方があるなんてね」

 「ていうかこれどこから持って来たんだろ……モノクマってこんなのも用意してんのか?」

 

 品揃えが良いというよりは、手当たり次第になんでもかんでも持って来たような気がする。私たちの中に、部屋から勝手に出ないようにしなきゃいけないような人なんて……本来はいないはずだから。私たちがその気になれば、庵野さんも岩鈴さんも簡単に解放することができる。でも、もしそれを誰かに見られていたら、今度は私たちが閉じ込められてしまう。だから、安易に手を出すことはできない。中にいる二人には申し訳ない気持ちになるけど、仕方ない……。

 

 「……なんというか、えげつないよね」

 「うん。私たちが二人を解放させようと思えばできちゃうのが……余計にもどかしいというか」

 「敢えてやってるんだとしたら、狭山さんって本当に何者なんだろう。キツネになったり人間になったり……能力者?」

 「いや現実にそんなのいない……はずなんだけどなあ。なんだか今までの常識がめちゃくちゃにひっくり返されるような気になってくるよ」

 

 本人と直接相対しても、その姿を思い浮かべても、狭山さんは私たちに相当な影響を与えてくる。“超高校級のシャーマン”に精神を揺さぶられ始めたらもうヤバいんじゃないか。なるべく狭山さんのことは考えないようにしつつ、私たちは湖藤さんの部屋の前まで来た。

 湖藤さんの部屋は他の人たちの部屋が押し戸になってるのに対して、スライドドアになってる。いつも車椅子に乗ってる湖藤さんに配慮してのことなんだろう。コロシアイは強いるくせにこういうところの気配りを欠かさないのがモノクマの憎たらしいところだ。でも今は、そのスライドドアのノブにチェーンがかかってて、ドア横の壁に取り付けられた金具とつながってる。開けようとしてもチェーンが引っかかって開けられないっていうことだ。

 

 「これはまた厳重な……ここまですることないのに」

 「湖藤さんのことは特に警戒してるみたいだね」

 「湖藤くーん!起きてるー?」

 

 もうみんな朝ご飯を済ませてるくらいの時間だから起きてはいるだろうけど、ずっと部屋の中にいるんじゃ暇すぎて寝てるかも知れない。私だったらどうしてるかな。やっぱ寝てるかな。と、そんなしょうもないことを考えてると、ドアが少しだけ動いた。チェーンのたわみ分だけ開いて、中から湖藤さんが覗いている。

 

 「あ、甲斐さん。それから……だれかな?見えないや」

 「宿楽でーす」

 「宿楽さんか。おはよう」

 

 相変わらず湖藤さんは朗らかで能天気な声を出す。閉じ込められてるっていうのにずいぶん呑気だな。

 

 「呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ。大丈夫?」

 「うーん。大丈夫じゃないかな」

 「えっ!?」

 「ご飯は陽面さんが運んできてくれたんだけど、トイレが一苦労でさ」

 「もうっ!そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!漏らしたりしてないよね!?」

 「さすがにだよ甲斐さん」

 

 甲斐さんも深刻なんだか焦ってるんだかよく分からない心配をしてる。トイレがまともにできないっていうのは死活問題だけど、湖藤さんならなんとかするでしょその辺。いくらなんでも子どもじゃないんだから。

 

 「それで、今日はどうしたの」

 「普通に会話してるけど閉じ込められてますよ」

 「まあね。こればっかりはサイコメトリーでもどうにもならないや」

 「またそんなこと言って。そもそもなんで庵野君と岩鈴さんを解放したりしたの。こうなることは分かってたでしょ」

 「うん……まあ、出来心ってやつ?興味本位でね」

 「それだけでそんな危険なことする人じゃないでしょうに。なんか狙いがあったんでしょう?」

 「本当はね。誰かが聞いてるかも知れないから教えないけど、ぼくの思った通りだった」

 

 まさか湖藤さんくらい思慮深い人が、単に狭山さんへの嫌がらせや興味だけでそんなことをするとは思えなかったけど、本当に何か考えがあってやったことらしい。それで得られた情報は、自分が閉じ込められることになっても、そのリスクを負うくらいの価値があることだったんだろうか。それとも既に何か手を打ってるのか?だからこんな余裕なのか?やっぱり、“超高校級”の人たちは底が知れない。

 

 「大丈夫ならいいけど……あんまり心配させないでよね」

 「うん。分かった。それにしても朝から大変だったね。理刈さんかな?」

 「へ?」

 「またひとり閉じ込められたんでしょ」

 「な、なんで分かるの!?ずっと部屋にいたんでしょ!?」

 「ちょっとだけドアを開けて、外の音が聞こえるようにしてたんだよ。狭山さんの声と、誰か女の子の悲鳴が聞こえたからさ。次に狭山さんの機嫌を損ねるとしたら、理刈さんだと思ってたし」

 「こっわ」

 

 本当にエスパーなんじゃないかって思えるくらい、湖藤さんの勘は今日も冴え渡ってる。勘というか推理?声を聞いたんならまあ納得できないことはないかも知れないって感じだけど……。

 

 「ねえ湖藤君。教えて。私たちはどうしたらいいの?」

 「どうしたらって?」

 「狭山さんがみんなをどんどん自分の考えに染めたり閉じ込めたりしていって、もうモノクマに対抗して結束するどころじゃないんだよ。それに、残った私たちもまとまりないし……」

 「うーん、それも既に狭山さんの術中だと思うけどね。さすがにコロシアイをしたくないっていうのは本音だけど。彼女が理想とするのは、みんながお互いを信じて手を出さない世界じゃなくて、みんなが自分の身を守るために何もしない世界だから」

 「うぅ……まさにそんな感じだよ……」

 

 私たちが陥ってるこの膠着状態が、既に狭山さんの思い通りだったなんて……。それを実現できちゃう狭山さんもヤバいけど、気付いてる湖藤さんもヤバい。なんかもう、“超高校級”同士の腹の探り合いって、私なんかの及ぶ範囲じゃないって感じだ。

 

 「じゃあ、なんか対抗策とかないの?湖藤君なら分かるんじゃない?」

 「この手のはひとりじゃどうにもならないからね。解決するにはみんなの連帯が必要だよ。それが難しいから困ってるんだけどね」

 「歯痒い……」

 「取りあえず、いま甲斐さんと宿楽さんは一緒にいるわけだから、そこから始めてみたら?少なくとも信頼しあってるから、こうして閉じ込められてるぼくのところに一緒に来てくれたわけでしょ?」

 「そういうことを面と向かって言われるとなんかむず痒いけど……」

 「面じゃなくて点で向かってるからぼくは何とでも言えちゃうよ」

 「湖藤君ありがと。しょうもないこと言ってないで、本当に困ったら助けを呼んでね」

 「は〜い」

 

 甲斐さんもすっかり湖藤さんのシュール過ぎるジョークへの対応が上手くなった。私はまだなんて返せばいいか分からなくて困っちゃうけど、別に全部に反応してあげなくていいんだ。次から参考にしよ。というわけで、私と甲斐さんは湖藤さんのアドバイス通りに、私たち同士で連帯を深めることにした。と言っても具体的にどうすればいいか分からない。

 なんとなく校内をふたりでぶらぶらして、購買の辺りまでやって来た。

 

 「連帯って言うけど、何をしたらいいのかな?」

 「まずはやっぱり、目標の共有からじゃないかな?私がいつもボランティアで行ってる施設とかだと、最終的に病気を治そうね!とか元気に走れるようになるまで頑張ろうね!とか、そういうところから始めるよ。向かうところがはっきりしてる方が、これからどうしていくべきかが分かりやすくなるからね」

 「じゃあ私たちは……狭山さんを倒すっ!」

 「いや倒しちゃダメだから!まずはみんなを解放してもらうでいいよ」

 「そっか。う〜ん、お願いしたら解放してくれないかなあ」

 「それができたら苦労しないよ……」

 

 購買部にはモノクマが設置したガシャポンが置いてある。色んなガラクタや珍品が出て来るこのガシャポンを回すには、モノクマがこの建物のあちこちに隠したコインが必要になる。宝探しっぽいこのレクリエーションが割と私は好きで、常日頃から床や家具の隙間などに目を光らせるようになっていた。

 甲斐さんと取り留めのない会話をしながら購買にやってきて、適当にその辺の売り物を物色する。ただ話に集中するよりも、こうやって何かをいじってたりする方が逆に集中できる気がする。

 

 「まずは私たちの味方を増やそうよ」

 

 私は、なんとなくそんな風に切り出した。

 

 「何をするにも人手は多い方がいい。それに相手が“超高校級”なら、こっちも“超高校級”を揃えればいいんだよ」

 「なんだかより対立が深まりそうな感じがするんだけど……」

 「だから、ここは敢えて残りのメンバーの半分だけを仲間に引き入れる!」

 「どういうこと?」

 「狭山さん陣営vs私たち陣営だと、その二つが真っ向からぶつかってバチバチになっちゃうけど、三つの勢力図にすることでお互いに牽制しあって、迂闊に手が出せないようにするんだよ。乱れた世を治めるには敵でも味方でもない相手を作るのがいいって、昔のマンガで読んだ」

 「なんだか説得力があるようなないような……仲間に引き入れるとして、誰に声かける?」

 「う〜ん……谷倉さんとか長島さんとか、あと菊島さんとかはお願いしたら助けてくれるかも!なんだか頼もしそうだし!」

 「あ……そ、そうかもね……」

 

 なんだか甲斐さんは苦々しい顔をしてる。谷倉さんはあの性格だから、もしかしたら第三陣営の方が性に合ってるかも知れないけど、菊島さんや長島さんはきちんとお話して分かってもらえば協力してくれそうだ。それに、“超高校級”なだけあってちょっと人は変わってるけど、悪い人じゃなさそうだし。

 

 「人を増やすのもいいけど……湖藤君は私たちのことを言ってたよ」

 「私たち……言ってたけど、うん。何をどうすればいいのか全然分かんなくて……」

 「そうだなあ。私と宿楽さんはもう友達だから、今さら何かっていうのも……」

 「あう……こっぱずかしいなあ」

 

 本人から面と向かって友達と言われるとちょっと照れくさい。私はサングラスで目が見えないけど、甲斐さんは素顔でそんなことを言う。うーん、この陽の雰囲気。こんな人が私と友達になってくれるんだから、やっぱり希望ヶ峰学園はワンダーランドだ。希望があるわ。

 

 「ガチャガチャでも引いてみようか。これから私たちが団結するんだっ!ていう目印になるようなものとか出て来るかも知れないよ」

 「手の甲にバツマーク!あとは体のどこかに数字とか!」

 「そういうのじゃなくてさ……まあいいや。引いてみよう」

 

 狭山さんはきっと今後、徐々に勢力を拡大しようとしてくるだろう。そうなったときに、残った私たちがお互いを信じられなくなったら困る。それを防ぐために、予め仲間になった人につける印とかがあるとカッコイイし分かりやすいね。あとアチいし。

 興奮する私をよそ目に、甲斐さんはガチャガチャを回す。ガラガラと音を立ててカプセルが混ざり、下に開いた口からひとつがポンと飛び出してきた。甲斐さんはそれを取り出すけれど、上手く開けられなくて四苦八苦していた。ここは私の出番だ。

 

 「貸して甲斐さん」

 

 受け取ったカプセルの継ぎ目に両手の平をあて、指を組んで両側から潰すつもりで押す。そうするとプラスチックのカプセルは歪んで隙間ができ、ぱこっと開くのだ。ガチャガチャはコンプするほどじゃないけど、それなりに回してきたのでコツを知ってる。こんなところでこんな風に活きるとは。

 

 「すごい熟れた感じだね」

 「まあね。推しが出るまで何十と回させられるしこれくらいのスキルはないと」

 「推し?なんのガチャガチャ?」

 「あ、いや、こっちの話……で、何が出たの」

 

 いっけね。うっかり甲斐さんを相手にディープな話の扉を開けちまうところだった。甲斐さんはそういうのにも理解がありそうなタイプだけど、無防備なところにいきなり突っ込むのはマナー違反だ。そういうのはちゃんと気持ちの整理を付けてからじゃないと、絶対引かれる。甲斐さんみたいな優しい人に引かれたらもう、そんなのはもうおしまいだ。

 カプセルを返してあげて、甲斐さんが中を見る。入っていたのは四つ折りに畳んであって薄手のビニールに包まれた布だった。開けて広げてみると、手の平くらいのサイズがある。片面は薄いピンク色で、もう片面は真っ白だ。

 

 「ハンカチだね。なんか安っぽい」

 「まあガチャガチャの景品だから。実用的なだけいいんじゃない?」

 「確かに。でも私、自分のハンカチ持ってるからなあ。宿楽さんも回したら?」

 「よしきた。ガチャは現実でも電脳でも引きまくってっからね!こういうのはコツがあるんだよ」

 「コツ?運じゃないの?」

 「真摯に祈る!これガチャの極意なり!」

 「運じゃないの」

 

 甲斐さんに辛辣なツッコミを受けてしまった。でも実際、ガチャで何が出るかを私たちが直接操作することはできない。それでも、心の底から出て欲しいと願うことで雑念を払うことができる。お小遣いとか欲しいものとか後先なんていう雑念を払えば、出るまで回すことができるようになるのだ。真剣に念じることは決して無駄ではない!別にこのガチャにそこまでの情熱はないけど、それでもまだマシな何か出て来い!

 

 「おうらっ!」

 

 ガション、と音がしてカプセルがひとつ転がり出てくる。さっき甲斐さんが引いたのがハンカチだけど、それと転がり方や落ちてきた音に違いは感じられない。同じくらい軽いものなのだろうか。出て来たカプセルをまた同じようにベコッと開けて中を見た。

 これまた薄いビニールに包まれているのは、ピンク色で子どもっぽいカラフルな星があしらわれたケースの筒だった。先に蓋がついてるから、どうやらここを開けて中を使うらしい。このシルエットはどう見ても……。

 

 「スティックのり?」

 「うわ〜……いらねえ。って違うよ。これリップだ」

 「リップならなおさら子どもっぽいデザインだと思うけど」

 「モノクマのセンスだから」

 

 蓋を開けると、スティックのりと違って斜めにカットされた紅が現れた。ケースと同じピンク色をしていて、少しだけキラキラしてるからラメも入ってる。そもそも私はリップどころか乾燥防止のリップクリームもあんまり使ったことがない。気になって舐めちゃうんだよね。だからこれは私には無用の長物ってヤツだ。

 

 「うーん……甲斐さん、リップとか使う?」

 「私はたまに使うよ。なんとなく気分を変えたいときとか。あんまり派手なのは使わないけど」

 「これくらいのは?」

 「まあ、ないことはないかな……?」

 「じゃああげるよ。私が持ってても使わないし」

 「いいの?宿楽さんが当てたやつなのに」

 「いいのいいの。私が持ってたってしょうがないんだから」

 「じゃあ私もこのハンカチあげるよ。宿楽さんこの前スカートで手拭いてたでしょ」

 「げっ……見てたの?」

 「スカートに手形ついてるの見たら誰だって分かるよ」

 「うわ〜……はず」

 

 いや、普段はハンカチも持ち歩いてるんだけど、そのときはたまたま忘れてただけなんだ、って言い訳をしようかと思ったけど惨めなだけだから止めた。素直に甲斐さんからハンカチを受け取って、代わりに私はリップをあげた。図らずもプレゼント交換みたいになった。私が当てたものなんかが甲斐さんのお眼鏡に適うとは思えないけど……でも、さっきまでよりちょっとだけ距離が縮まったような、そんな気にはなった。

 

 「ここでこんなことしてていいのかなあ。狭山さんの動向も気になるし、ただでさえあの動機も気になるのに……」

 「動機……そう、だよね。みんな外の世界に大切な人がいるんだよね……」

 「甲斐さん、もしかしてあの動機、見た?」

 「……」

 

 私は答えあぐねて、結局肯定も否定もしなかった。それ自体がひとつの答えになってるような気もするけど、甲斐さんは優しいから敢えてそこには触れて来なかった。

 

 「ともかく、私たちは狭山さんの暴走を止めて、みんなを解放する。そのために頑張ろっ」

 「ぐ、具体的には……?」

 「……それはおいおい考えるとして」

 

 やっぱり不安だ。甲斐さんのことだから気休めで言ってるわけじゃないんだろうとは思うけど、肝心なところが抜けた骨抜きの団結だ。私は早まったマネをしたりなんてしないし、やろうとしたって狭山さんにかなわないことは目に見えてる。

 だけどもし、狭山さんに対抗できるくらいの力を持っている人がいたとして……もし、その人が上手く狭山さんに近付くことができて……もし、狭山さんの暴走を力尽くにでも止めようとしたら……その結果がどうなるかは分からないけれど、私たちが何をすることになるかは、たぶん想像できると思う。

 

 その想像が現実になることを、私はこの時から、なんとなく分かっていたのかも知れない。




なんか時事ネタみたいになっちゃった。


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非日常編

 

 狭山は私の膝の上で眠るように呼吸していた。実際には寝ていない。それくらい落ち着いているということだ。すっかり手に馴染んだこの毛も、私が毎晩磨き続けてきたおかげでもふもふだ。気持ちよさそうに毛繕いされる狭山を、私はぎゅっと抱きしめる。

 

 「もふもふだ……」

 「ぐえっ。苦しいですよ毛利殿」

 「我慢しろ。私にとっては貴重な時間なんだ」

 「こればっかりは慣れませんねえ」

 

 今日、またひとり私たちの中から人が消えた。狭山が理刈を部屋に閉じ込めてしまったのだ。生真面目で融通の利かない理刈が、たとえ精神的に弱っていたとはいえ、一時的にでも狭山に賛同したのは意外だった。だがこうなるだろうことも、私は予想できていた。狭山のやり方は規律と秩序を重んじる理刈の考えには馴染まない。そう感じつつも、理刈と狭山を引き離すことをしてこなかったのは、私の責任でもあるのだが。

 

 「そろそろ部屋に監禁する手法も終わりにしましょうか」

 

 狭山はのんびりとそんなことを言う。

 

 「あいつらを解放するのか?」

 「いいえ。新しく人を閉じ込めることをしないだけです。強硬手段は引き際が肝心ですからね。残った方々がどうされるか次第で、解放するかどうかを決めます。まあ、手始めに1ヶ月は様子を見ますか」

 「そんなに長い間、閉じ込めておくのか?」

 「出すのはそう簡単ではないと知らしめるのです。我々は大きく、そして面倒でなければいけません。皆さんが干渉したがらなくなるほどに、皆さんにとって触れがたい存在と印象付ける必要があるのです」

 「嫌われるということではないのか?」

 「ただ嫌いなだけでは殺害候補にあがるだけです。むしろ我々の存在を大きく見せることで、敵に回すことを避けさせるのです。他人を殺しても学級裁判で我々と対峙しなくてはならないのですから、結局は敵に回すことになりますからね」

 

 つまり、自分の犯行を暴かれかねないからではなく、単純に敵になると何をしでかすか分からない危険な存在と刷り込もうということか。

 

 「徹底した不干渉こそが平和への最短経路です。犠牲はつきものですが、命よりは安いでしょう」

 

 時間が来たとばかりに、狭山は時計を見て私の腕から脱出した。もうすでに夜時間は過ぎ、そろそろ日付が変わるころだ。

 

 「では毛利殿、今日もありがとうございました」

 

 そう言って、狭山は私の目の前でキツネから人間に変わる。どんなトリックを使っているのか、皆目見当も付かない。感触は確かに本物の毛皮なのだが……。

 

 「また明日。よろしくお願いしますね」

 

 狭山は私の部屋を出て行こうとする。まったく自由なヤツだ。このまま自由にしていてはいけない。いつかヤツを止めなければ。そう思いつつ何もできない私が、もどかしくて仕方ない。何かが間違ってしまう前に、何かが狂ってしまう前に、狭山を止めなくてはならない。私は満足げに部屋を出ようとする狭山を捕まえようと立ち上がった。

 

 「狭山──」

 


 

 朝ご飯はいつも静かだ。ここに来て最初の朝ご飯のときもそうだった。高校生が20人も集まっていてあんなに静かなのは少し不気味だった。あの静かさが印象に残ってたせいかも知れない。今日の食堂がやけに騒がしく感じるのは。

 

 「なんだか騒がしいようだが」

 「放っとけよ。どうせおいらたちにゃあ関係ねえんだ。あいつらがそう言ったんだから」

 「朝ご飯食べてる横でこんなにガヤガヤされたら気になっちゃうヨ!どしたノ!」

 

 谷倉さんは今日も17人分の食事を用意してくれた。部屋に閉じ込められてる人たちのところには、月浦君がお膳を持っていってくれてる。さすがに狭山さんも部屋に閉じ込めてそのまま衰弱させるなんてことはしないみたいだ。そして私たちもひとり一食、用意された朝ご飯を食べる。そうすると、そのお膳がひとつだけ余った。誰かひとり、ここに来てない人がいる。

 

 「なんで狭山は来ないんだ!」

 「僕に聞かれても知らない。毎晩あんたに毛繕いしてもらってるんじゃないのか」

 「私は……部屋に戻ると言って出て行ってからのことは知らない」

 「とにかく、部屋にいないならどこか適当なところをぷらぷらしてるんだろ」

 

 月浦君と毛利さんが、食堂の隅で何やら言い合っている。毛利さんといつも一緒にいた狭山さんの姿はない。キツネの姿も、人間の姿を見当たらない。寝坊してくることは多かったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。

 

 「あいつが好きそうな場所と言ったら、大浴場かプールか……そんなところだろ」

 「分かった。私が探してくる。もし狭山が入れ違いでやって来たら、事情を説明しておいてくれ」

 「……」

 

 はっきりと承諾はしていないけれど、月浦君はたぶん了解した。毛利さんは少し焦ったような顔で食堂を出て行こうとする。普段落ち着いている毛利さんのそんな顔を見るのは始めてで、私はつい声をかけてしまった。

 

 「も、毛利さん?なにか大変そうだけど、大丈夫?」

 「……ああ。大丈夫とは言えないが……構わないでくれ。これは私たちの問題だ。これ以上お前たちに迷惑はかけられない」

 「迷惑だなんてそんな……」

 「狹山(さやま)が行方知れずになったのだろう?ふふふ……いよいよこれからというときに、指導者の失踪。これは荒れるだろうな」

 「菊島……何か知っているのか?」

 「まさか」

 

 菊島君はいつもこんな感じだから、仮に何か知っていたとしても表情や態度からは分からない。付き合うだけ時間がもったいないと感じたのか、毛利さんはさっさと行ってしまう。私は、なんとなく放っておけなくてその後を追った。

 

 「毛利さん!私も一緒に探すよ!」

 「甲斐……?いや、ありがたいが、私たちだけで解決する。今更お前たちに助けてもらう資格なんてないんだ」

 「もしものときは私たちだって無関係じゃないんだよ。一緒に探させてよ」

 「……勝手にしろっ」

 

 毛利さんは食堂を飛び出して個室の廊下を通り過ぎ、地下への階段に向かう。私もその後に続いた。私たち以外はみんな食堂に残ってる。月浦君たちは狭山さんを待って、他のみんなは狭山さんのために行動したくないんだろう。この分断がまずいって、みんなよく分かってるはずなのに。

 地下への階段は相変わらず暗い。湖藤君の個室を彼に合わせて改造するくらいなんだから、足下が悪い階段に照明を付けるくらいすればいいのに。モノクマの気配りの仕方がいまいちよく分からない。それでも毛利さんは駆け下りていく。それだけ狭山さんが心配なんだ。私たちはてっきり毛利さんも狭山さんに掌握されてるのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。

 

 「……え?」

 

 毛利さんを見失わないように、私も階段を降りようとした。でもそのとき、私は見つけてしまった。地下へと続く緩やかな階段。その段差の縁に、少しだけ──ほんの少しだけ、赤いシミができていることに。

 

 「な、なに……これ……?」

 

 その赤いシミは、階下へ向かうにつれて少しずつ大きくなっているように見える。それでも、シミの大きさや数からして、それほど大量のものではないことが分かる。飛び散り方といい、形といい、まだ乾いてない部分のぬらぬらしたテカりといい……これと同じものを、私は最近見た。忘れたいと思っても忘れることのできない、あの赤だ。

 

 「……ッ!!狭山さん!!」

 

 重力に引かれるように、私は階段を駆け下りた。本当にこれは血なのか。それも狭山さんのものなのか。そんな確信はどこにもない。ただ状況的に、狭山さんのものである可能性が一番高い気がした。こんなところで血を流していることが尋常であるはずがない。その血が私の本能を刺激したのか、吸い込まれるように地下の闇の中へ、私は落ちていく。

 階段を降りた先は、あのコンクリート打ちっ放しの地下室だ。前を行く毛利さんの背中が見えた。階段を降りた先で呆然としている。その奥には、何だか白い陶器のようなものが見えた。それが何なのか、私には分からない。

 

 「も、毛利さん……?あの、狭山さんは、いた……?」

 「……なあ、甲斐」

 「うん?」

 「……これ、は……なんだと思う……?」

 「?」

 

 大きく目を見開いて、毛利さんは()()を見下ろす。階段から見えた白いものは、バスタブだった。殺風景な地下室の真ん中に、そのバスタブはぽつねんと横たわっていた。まるで階段から落ちてきた誰かを受け止めようとするような、そんな位置だ。その中は、液体で満たされていた。

 その表面は静かな平らをなしていて、天井の蛍光灯が反射して鏡のようだ。液体越しに見えるバスタブが黄ばんだような、黒ずんだような、とにかく気味の悪い色に染まっている。わずかに鼻を突く臭いは気持ち悪くて、喉とお腹に指を突っ込まれてほじくられたような感覚になる。そしてその気味の悪い液体の中に、真っ黒な塊が沈んでいる。何かがボロボロに崩れた、炭のような塊が。

 私は毛利さんの質問に答えられなかった。これが一体なんなのか、その答えを私は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、知ることになった。

 

 

 『ピンポンパンポ〜〜ン!死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を開きます!』

 

 

 モノクマの声が、地下室中に響き渡った。

 


 

 モノクマのアナウンスからほどなくして、食堂にいたみんなと、部屋に閉じ込められていたはずのみんなが地下室に集まった。気付いたときには湖藤君も、宿楽さんに助けられて昇降機で降りて来ていた。そこに揃った面々を見渡して、私たちはようやく、さっきのアナウンスが意味することを理解した。いや、もしかしたら私たちは、もっと前から薄々感づいていたのかも知れない。いずれこうなってしまうだろうことを、ずっと頭の片隅に追いやっていたんだ。

 

 「狭山さんが……亡くなった……」

 

 無意識に、私はその事実を口にした。それを聞いて驚いた顔をするのは、陽面さんと理刈さんだけだった。他のみんなは、悲しそうに俯いたり、苦しそうに歯を食いしばったり、あるいはもうすでに他の人を疑っているのか、せわしなく辺りに目を配る人もいた。

 

 「そんな……!さ、狭山さん……!」

 「どうして……!いやだよ……!どうして……!?」

 「どうしてもこうしてもなーーーい!人を誑かしたり4人も監禁したりやりたい放題やってくれちゃってさ!ボクのコロシアイ生活はそんなんで生き残れるほど甘かないってことだよ!急いては事を仕損じるってワケだね!」

 

 またどこからともなく現れて、モノクマはくるくる踊りながら狭山さんを笑う。すごく腹が立つ。でも今の私たちにモノクマを咎める資格なんてない。私たちは、狭山さんの身が危険だと感じていながら、何もできていなかったのだから。

 

 「と、ところでよぉ……狭山の死体が出たんだろ?見当たらねぇんだけど?」

 「うん?何言ってんの?死体なら、()()にあるじゃない!」

 

 そう言って、モノクマは()()()()()指さした。全員の視線が注がれる。バスタブの、その中にある汚れた液体の、その底に沈んだ黒い塊に。もはや人間の形も狐の形もしていない、色も形も、生命すら奪われた、炭のように黒い物体。それが、“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃さんの成れの果てだった。

 

 「こっ……これが……狭山ァ!?なに言ってんだアンタ!?」

 「なんと可哀想なことでしょう。狭山サンはただ殺されるだけじゃなく、ドロッドロに溶かされてしまったのです!もはや人間だったかどうかも分からないくらい……ってもともと人間か狐かよく分かんないヤツだったね!ヘドロになったって大した問題じゃなーい!」

 「たっ、たた、大したことあるわ!正気かよ!?人ひとり溶かすって……何考えてんだ!」

 「そんなんボクに言われても知らないよ。溶かした人にきいてよね」

 「ううっ……!ちょ、ちょっと……!」

 

 うっかり中をまともに見てしまった理刈さんが、口を抑えてトイレに駆け込んだ。無理もない。私だってものすごく気分が悪い。朝ご飯を食べる前だったからまだマシだけど、もし食べていたらきっとここに立っていられなかった。犯人はなんて残酷なことをするんだろう。いくらなんでも、これはひどすぎる。

 

 「さて。今回もオマエラには捜査と学級裁判をしてもらうんですが、今回は特殊な事例なので、捜査制限を敷きます!」

 「捜査制限?」

 「このバスタブの中を満たす液体は、めちゃくちゃ危険です。素手で触ったら一発でアウト!しぶきがかかってもアウト!気化したものをモロに吸い込んでもアウト!スリーアウトでこの世からチェンジ!ってレベルの危険物質なのです!」

 「な、なんでそんなのを用意しとくんだよ……」

 「というわけで、しばらくこの周辺は立ち入り禁止とします。触っても大丈夫なように、ボクが中和しておくから」

 

 どこから取り出したのやら、モノクマは白衣とゴーグルをつけてバスタブの周りに立ち入り禁止を意味するトラロープを張り巡らせた。たちまちバスタブの周りから人が追い出されて、私たちは地下室の隅っこに追いやられる。さすがに15人も集まると狭い。

 

 「あ。モノクマファイルはもう送ってあるから。それでも読んで待っててね」

 

 それを聞くが早いか、何人かの人がモノカラーを操作してモノクマファイルを開いた。あちこちに狭山さんの溶けた死体が表示されるのが気持ち悪くて、私はとにかくこの息が詰まるような地下室から逃れたい気分だった。人が集まったせいか気温も上がり、どんどん気持ち悪くなる。私もトイレに駆け込まなくちゃいけないかも知れない。

 

 「甲斐さん……?大丈夫?」

 「無理もないでしょう。あんなことになってしまった狭山さんを見てしまったのでは……」

 「庵野くんも大丈夫なの?ずっと部屋に閉じ込められてたんでしょ?」

 「なんの。手前は愛と信仰心さえあれば、たとえ岩窟の中でも堪え忍んでみせます。ましてや体を動かす設備が整っている自室ですから」

 「体を動かす設備?」

 「筋トレを少々」

 

 自分でも分かるくらい自分の顔色は悪くなってるだろう。そんな私を心配して、宿楽さんと湖藤君が声をかけてくれた。庵野君も同じように心配してくれてる。ついでに庵野君の意外な趣味が判明した。だからそんなにムキムキなのか。ってそんなことはどうでもいい。早く捜査しないと。

 

 「いまこの場所は捜査制限が敷かれてるから、他の場所を捜査しようよ。事件はおそらくこの地下室で起きてるから、この辺りを調べればなにか見つかるかも」

 「甲斐さん。やれる?」

 「うん……がんばる」

 

 正直、バスタブの中を見ただけではそれが人間だって分からなかったからダメージは少ない。この気持ち悪さは、モノクマから真相を聞いて、目の前にあるものが人間だと信じられなくてパニックになったせいだろう。少し落ち着けば大丈夫だ。それまで他の場所を捜査していよう。

 


 

 まず私たちは、モノクマファイルを確認することにした。益玉君と三沢さんが殺害された事件でも、ファイルに書いてあることは殺人事件の捜査になれていない私たちにとって、かなりの情報源だった。同時にそれは、モノクマが殺人の現場を嬉々として見物していたことにもなるから、それに頼るのは正直許せないんだけど……背に腹は代えられない。私はモノカラーを捜査してファイルを開いた。

 

 

【モノクマファイル②)

 被害者:狭山狐々乃

 死因 :−

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻:夜中1時過ぎ

 その他:遺体は特殊な薬品によって溶解しており、原型を留めていない。

 

 

 「こ、これだけ?」

 「……前回に比べて、明らかに情報が少ないね。それに──」

 「死因が書いてない!!不備だ!!欠陥だ!!手抜きだ〜〜〜!!」

 「うるさいよ!」

 

 大騒ぎする宿楽さんの声が、地下室のコンクリートに反響してガンガン鳴る。集中を要する作業を妨害されたモノクマがたまらず吠えた。だけど、これは明らかに情報不足だ。死因なんて、殺人事件の捜査では一番大事な手掛かりと言っても過言じゃないはずだ。それが書いてないんだもの。

 

 「だってこれ、死因が書いてないんですけど!死因なんて解剖とかしないと分からないんじゃないの!?そんなんできないからね!?三枚おろしとは訳が違うんだから!」

 「ああそれ?それはバグじゃなくて仕様です」

 「し、仕様?これで正しいってこと?」

 「そ!そもそもモノクマファイルは検死ファイルである以前に、シロとクロが公平に学級裁判で議論ができるよう情報の格差をなくすためにあるの。なんでもかんでも最初から分かってたら、クロが不利になってつまんないでしょ?」

 「ならどうして益玉くんと三沢さんの死因は明記してたんだい?それに、同じことが死亡推定時刻やその他特記事項についても言えるよね」

 「……本当に君みたいに頭のキレるガキは嫌いだよ、湖藤クン」

 「好いてくれなくていいよ」

 

 湖藤君の質問には答えずに、それでもモノクマは何かを噛み殺すような表情をして作業に戻った。いったい今のやり取りが何を意味するのか、私(と、たぶん宿楽さんも)は分かりかねていた。

 

 「やっぱりモノクマファイルは貴重な情報源だよ」

 

 ひとりだけ納得した様子で、湖藤君は頷いた。死亡推定時刻が真夜中なのは情報だとしても、体が溶けてることなんて一目見れば分かる。理解したくはなかったけど……。

 モノクマファイルの不備への文句もそこそこに、私たちは薬品庫を捜査することにした。狭山さんが溶かされたのには何らかの薬品が使われたことが明らかだったし、ここには色々な毒物がしまってある。間違いなく今回の事件に関わっている場所だ。

 中には何人かの人がいて、けれど意外にも菊島君の姿はなかった。いたのは、王村さんと尾田君と月浦君と陽面さんだ。王村さんは興味深げに薬品棚を見てるだけで、あんまり真面目に捜査をしてる感じじゃない。月浦君と陽面さんは捜査というよりも、ショックを受けて泣いてる陽面さんを落ち着かせてるところのようだ。

 

 「うへ〜、すごい薬の数」

 「風邪薬から猛毒まで、なんでも揃ってるよ。人の体を溶かす毒なんて、そんなに多くないと思うけど」

 「生物の体は複雑な組成をしてるし、不純物も多いからね。周りに服がないところを見るに、狭山さんは服ごと溶かされたはずだ。となると、相当強力ななんでも溶かす酸が使われたんだと思う。並大抵のものじゃないはずだよ」

 「そんなもんがどこに……」

 「ううっ……!コ、コンちゃんが……!コンちゃんが……!」

 「あっ……」

 

 コンクリート打ちっ放しの地下室だと、離れた場所でのすすり泣きがよく聞こえて来る。陽面さんは狭山さんが殺されたことに相当ショックを受けていて、まだそれから立ち直ってないみたいだ。そばで月浦君が優しい言葉をかけてるけれど、それだけじゃなかなか落ち着きは取り戻せそうにない。

 

 「陽面さん、大丈夫?」

 「あ……ま、まつりちゃん……!」

 「はぐは今お前の相手をしてる場合じゃないんだ。どっか行ってくれ」

 「そういうわけにはいかないよ。こんなにひどい顔して……泣いてる子を放っておけないでしょ」

 「はぐには僕がいる。お前は捜査をしてろ。正しいクロを指摘しないと、はぐの身だって危ないんだぞ」

 

 それが分かってるなら自分がすればいいのに、と思ったけど、やっぱり月浦君は陽面さんのことが一番大事らしくて、自分が単独行動するなんて考えもしてないみたいだ。

 

 「二人は狭山さんと一緒に行動してたんじゃないの?」

 「……私は、お昼の間はずっと一緒だったよ。一緒にご飯を食べたり、遊んだり、お話したり。でも夜は……」

 「夜ははぐが早く寝るから一緒じゃない。僕だって狭山と離れることはあるし、寝るときははぐとは別室だ。一緒にいたっていうなら、毛利こそべったりだった。いや、狭山が毛利にべったりなのか……」

 「毛利さんか……うん、分かった。話を聞いてみるよ」

 

 『狐々乃一心教会』だっけ?それの参加メンバーだったら、今朝狭山さんが発見されるまでの間に何があったかとか、普段の狭山さんの様子とかを知ってるかと思ったんだけど……どうやら陽面さんはそんなに目敏く狭山さんの動向を監視してるわけじゃないみたいだし、月浦君も興味がないみたいだ。むしろ毛利さんの方が、狭山さんとは仲が良かった印象がある。さっきはバスタブを遠巻きに見守ってたみたいだけど、今はどこにいるかな。

 

 「おい」

 「え?」

 

 薬品棚の方を捜査しに行こうと思ったところを、月浦君に呼び止められた。名前も呼ばない、顔もこっちに向けない、ぶっきらぼうな呼び方だった。でも、月浦君の方から私たちに声をかけることの方が珍しくて、それだけで驚きだった。

 

 「はぐの命が懸かってるんだ。必ず、犯人を見つけるぞ」

 「……私は、犯人を見つけるなんてモチベーションでは捜査したくない。私たちの誰かが、自分の意思で殺人を犯したなんて、思いたくない」

 「やることは同じだ。頼んだぞ」

 

 頼んだぞ、なんて月浦君から言われるとは思わなかった。事件解決へのスタンスが違っても、結局目指すところは同じ。私の言うことはきれい事だ。そんなのは分かってる。私たちの命は、私たちの意思なんて関係なく、もう懸けられてる。あと何時間かした時には、少なくともひとり、誰かが殺される。それが自分なのか、目の前にいる誰かなのか、それは分からない。

 命を懸けることがどういうことなのか、既に私たちは知っていたつもりになっていた。乗り越えたつもりでいた。でも、再びこうして自分の命がまな板の上に乗せられると、改めてその恐怖と理不尽さで、体の奥が寒くなる。私はその場で立ち竦んでしまった。

 

 「突っ立ってるだけならどいてください。邪魔です」

 

 呆然と立っていた私に、そんな声をかけてくるのは、やっぱり尾田君だった。こんなときにも彼は人に辛辣で、どこか苛立ってるようにさえ感じた。見ると、なぜかマスクで口元を覆っている。薬品庫でそんなものをしてるから、何かのガスでも噴き出してきてるのかと思って、慌てて口を塞いだ。

 

 「なにやってるんですか」

 「だって尾田君がマスクしてるから。何か危険なガスでも出てるんじゃないかと思って」

 「アホですかあなた。だったらマスクなんかせずにさっさとここを出てモノクマに通報しています。これはただの風邪です」

 「か、かぜ?」

 「悪いですか?」

 「いや……なんか、意外というか、尾田君も風邪引くんだなあって……」

 「煽ってると受け取っても?」

 「へ。あっ、いやごめん!違うの違うの!ただ、なんかそういうのとは無縁そうな感じだったから」

 「何も違わないじゃないですか。まさか、あなたのようなシナプスが金平糖でできてる人間にそう思われていたとは……心外の極みです」

 

 シナプスが金平糖なんて喩えが尾田君の口から出て来るのも意外だった。けど今の私の発言って、確かにあんまり言われて気分のいいものじゃなかったかも。これ以上の弁解は無意味に感じて、私は口を閉じた。尾田君が風邪を引くイメージがなかったのは、そういうところもちゃんと自己管理できるイメージがあったってことなんだけど……。

 

 「あの、尾田君……いちおう、狭山さんのこと何か知らないか、聞いてもいい?」

 「聞いてもいいか答えたら改めて同じ質問をするんですか?二度手間な聞き方をするなんてずいぶん余裕があるんですね。もう犯人の目星でもついてるんですか?大変優秀なことで」

 「1の質問を10の罵倒で返さないでよ」

 「なんですかそれは?つまらないユーモアを交えて返せば気を利かせた風になると思ってるんですかね?」

 「尾田君もそうやって事ある毎に人をバカにするクセ、止めた方がいいよ。敵を作るだけだから」

 「人をバカにしてるんじゃありません。あなたをバカにしてるんです。そもそもこのコロシアイ生活は最初から敵だらけなのでなんの問題もありません」

 

 ああ言えばこう言う。そうやって書いた紙をおでこに貼り付けてやろうかと思った。よくもまあこんな短いやり取りでこんなにたくさん人に罵詈雑言を浴びせられるものだ。いっそ感心する。

 

 「じゃあ質問し直すけど、狭山さんのことで何か知ってるなら教えて」

 「イヤです。あなたがクロである可能性が0でない限り、下手な情報共有は議論の攪乱を許します」

 「ホント性格悪いよね、尾田君って」

 「知ってます」

 

 なんだか最近の尾田君は、前に輪をかけて人当たりが悪くなってるような気がする。コロシアイ生活のストレスで、彼も彼なりに鬱憤が溜まってるってことなのかも知れない。それにしたって出会い頭から人をバカにするのは止めた方がいい。後でまた言ってあげないと。

 尾田君は薬品庫の奥の物置から、何やら銀色のアームカバーと手袋を持ち出して来た。物々しい装備だったけど、どうせ聞いたところで私には教えてくれないだろうから、そのまま薬品庫を出て行く彼を見送った。

 

 「甲斐さん。もう尾田さんに構うのよしなよ」

 

 尾田君を見送った私に、宿楽さんが声をかけてきた。宿楽さんなりに私のことを気遣ってくれたんだろう。

 

 「裁判だと頼もしいけど、普段の生活では絡むだけ損だよ。甲斐さんがあんなボロカスのこてんぱんに言われてるの見たくない」

 「ボ、ボロカスのこてんぱん……?」

 

 今の宿楽さんの言い方もなかなかだと思う。

 

 「尾田さんがクロでさえなければ、取りあえず放っておいても大丈夫なんじゃないかな」

 「……そうかなあ」

 「大丈夫だよ、甲斐さん。尾田くんは安易に殺人を犯すような人じゃない。そこだけは信じてあげてもいいと思うな」

 

 宿楽さんと一緒に、湖藤さんもそんなことを言う。私は別に尾田君に特別構ってるわけじゃないんだけど、二人がそんなに言うもんだから、これ以上色々言うことはやめて、捜査に集中することにした。

 薬品庫で見るべきものと言ったら、狭山さんの体を溶かしたであろう何らかの薬品だ。毒とは少し違うかも知れないけれど、でも危険物の棚に置いてあるもののはず。私はその棚の辺りを調べることにした。

 

 「王村さん、捜査はどうですか?」

 「へっ……おいらにゃなんもできゃしねえよぅ。こんな体じゃ棚の上まで見ることもできねえ」

 「脚立があるじゃないですか」

 「酔って乗ったら危ねえだろ?」

 「なんで酔ってるんですか……朝ご飯もまだなのに」

 「二日酔いには迎え酒が効くんだ。若えから知らねえのも無理ねえけどな」

 「そうですか……」

 

 要するに昨日の晩からずっと飲んでるから捜査がろくにできないってことだ。つくづくこの薬品庫に集まってる人たちは、誰かと協力することが特別不得意な人たちらしい。仕方ないから私は自力で辺りを調べる。この辺りの毒は、確か少量なら体が痺れたり意識が軽く遠のくくらいで済むものだったっけ。そんな知識要らないと思ってたけど、こんな形で役に立つとは、全く嬉しくない。

 

 「あれ?」

 

 薄暗いからよく分からなかったけど、棚の下から何かがはみ出ている。下に何かあるんだ。膝に埃がついちゃうけど、私はぐっと体を低くして、それを棚の下から摘まみ出した。

 それは、ボロボロの布きれだった。埃にまみれてるというだけじゃなくて、生地そのものが傷んだり焼け焦げたりすり切れたりしてる。渋い色で染められたシンプルなデザインで、無事な部分の手触りはすごくいいのに、もったいない。それにしても、なんでこんなところにこんなものが?

 

 「うわっ、なんだよそれ。ばっちいなあ」

 「王村さん。これ、棚の下に落ちてたんだけど、何か知らない?」

 「下ぁ?いんにゃ……心当たりねぇな」

 

 なんだろう。最近こんなものを見たような気がするんだけど……。取りあえず、私はそれを持っておいた。汚いからポケットには入れない。絶対に。

 

 「甲斐さん!ちょっと来て!」

 

 ちょうど布きれを畳んだとき、宿楽さんが私を呼ぶ声がした。焦ってる風には聞こえない。何か発見したんだろうか。声のする方へ行ってみると、宿楽さんと湖藤君が、何やら大きな鉄製のボンベをしげしげと眺めていた。なんだろう、これ。

 

 「宿楽さん、どうしたの?なにこれ?」

 「湖藤さんが見つけたんだ!狭山さんの遺体を溶かした薬品って、これなんじゃないかって!」

 「え」

 

 私の脳裏に、ドロドロの黒い塊になった狭山さんの光景が蘇った。なるべく考えないようにしようとしてたのに、思い出すとさっきまでよりひどい光景に思えてきて、また気分が悪くなる。目の前のことに集中してたら、そのうちマシになるだろう。

 鉄製のボンベは、それぞれ『A』と『B』の字が書いてある。その横のプレートに、たぶんモノクマが書いた注意書きみたいなものがあった。金属のプレートがコンクリートの壁に打ち付けられてる。その無機質さが、逆にこの薬品のヤバさを表してるようだった。

 

 「なになに?これはボクことウルトラ天才化学発明家であるモノクマが──」

 「宿楽さん、全部読まなくていいんだよ」

 「つい……えっと、モノクマが持てる技術の粋を集めて開発したウルトラ強酸性薬品『YABASUGI』!これをポトリと垂らせばあら不思議!ありとあらゆる物質は沈むように溶けていくように、原型を留めないレベルまでドロドロになってしまうのです!作り方は超簡単!AのボンベとBのボンベそれぞれに入った薬品を1:1で混ぜるだけ!あなたの消したいあ〜んなものやこ〜んなものまで、きれいさっぱりおさらばしちゃいます!ご利用は計画的に!」

 「……」

 「だって」

 「結局、全部ちゃんと読んだね」

 

 この薄暗い薬品庫の中で、電子サングラスをかけた状態でよくそんなにすらすら読めるものだ、と感心した。それはさておき、このボンベに入った薬品を混ぜるとなんでも溶かす危険な薬品ができるということだった。ドロドロになっちゃうっていうのも、まさに狭山さんの身に起きたことそのままだ。犯人はこれを使ったのか。

 

 「モノクマは今話せるのかな?」

 「だーーーもーーー!なんだよ!」

 「でてきた。最初っからキレてるよ」

 「忙しいんだよボクは!オマエラが捜査できるように一生懸命作業してるっていうのにさ!オマエラったらあっちでもぞもぞこっちでうだうだ!管理するボクの身にもなれってんだ!で、なに!」

 「相当キてるねこりゃ」

 

 薬品庫の外で作業していたはずのモノクマが、湖藤君に呼ばれてすぐさま薬品庫の天井から降ってきた。私たち全員の動きを監視しつつ狭山さんの浸かってる薬品を中和しなくちゃいけないんだから、本当に忙しいんだろう。全部自業自得なのに。

 

 「ここに書いてあるありとあらゆる物質っていうのは、本当にどんな物質でも溶かしちゃうってこと?」

 「そうだよ!そう書いてあんだろ!」

 「でもそれだったら、この薬品はどうやって使えばいいの」

 「ん?湖藤君、どういうこと?」

 「だってそうでしょ?薬品は容れ物に入れたりしてきちんと保管できるから適切に扱えるんであって、触れるものみんな溶かしちゃうんじゃあ、使いたいときに使いたい量を使えないよ」

 「た、確かに……そこんとこどうなのモノクマ!」

 「はいはい分かったよ教えるよ!そりゃ『YABASUGI』だって本当に森羅万象あらゆるものを溶かしちゃうわけじゃないさ!人体くらいだったら余裕だけどね!でもこいつにだって溶かせないものぐらいあるよ!悪いか!」

 「たとえば?」

 「陶器製のものは基本無理だね」

 「ああ、バスタブ」

 

 モノクマの答えを聞いて、私はまたしても狭山さんのなれの果てを思い出してしまった。だけど今気になってるのは狭山さんよりも、それを湛えるバスタブの方だ。あそこに入ってる薬品がこの『YABASUGI』なら、バスタブはそれに溶かされてないってことになる。

 

 「他には?」

 「ぬぬぬ……!ちゃんと『YABASUGI』を扱うための装備があっちの倉庫にあるから、それとかは溶かせないよ!これで満足かコノヤロー!」

 「うん。ここに書いてあることは誇大広告だから、後でちゃんと直しておいてね」

 「笑顔でそんなこと言いやがって!いい性格してるよオマエ!べーっだ!」

 

 そう言ってモノクマは大きく舌を出したまま薬品庫の棚の隙間に消えていった。湖藤君は満足げにしてたけど、この薬品が狭山さんを溶かしたのは紛れもない事実なんだ。今更その薬品の効果を知ったって何にもならないと思うんだけど。

 

 「収穫はあったね」

 

 湖藤君は相変わらず意味深にそんなことを言う。

 

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【モノクマファイル②)

 被害者:狭山狐々乃

 死因 :−

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻:夜中1時過ぎ

 その他:遺体は特殊な薬品によって溶解しており、原型を留めていない。

 

【木綿のハンカチ)

 薬品庫の棚の下に落ちていた、木綿素材のハンカチ。

 ところどころ変色していたり、生地が傷んでいる。

 

【YABASUGI)

 特殊な2種類の薬剤を混ぜるとできる、モノクマオリジナルの超強酸性物質。

 ほとんどの物質は溶かしてしまうが、陶器製のものは溶かせない。

 「超危険!!沈むように溶けていきたい人だけ触るように!!」─モノクマ

 


 

 薬品庫を出ると、バスタブの周りに張り巡らされていたトラロープがなくなっていた。モノクマによる捜査制限がなくなったということだろう。何人かの人がバスタブの周りを囲んでいて、ある人は中身を見ないように、ある人は中身に手を突っ込んで捜査をしていた。というか中身をまともに見てるのは尾田君だけだ。他のみんなは遠巻きに眺めているか、なるべくバスタブの方に目を向けないよう意識しながら捜査していた。

 

 「すごい臭い……」

 

 モノクマによる中和のせいか、あるいはこれはヒトが溶けた臭いとでも言うのか、猛烈に鼻を刺激する不快な臭いが辺りに漂っていた。こんな中でよく捜査ができるものだ。

 

 「皆様、ご気分が優れないようでしたらこちらを」

 

 思わず鼻を摘まんだ私たちのもとに、谷倉さんがエチケット袋を持って来てくれた。なんとか耐えられそうだと思ってたけど、エチケット袋をもらった安心感でなんだか逆に我慢が利かなくなってきたような気がする。

 

 「いま、尾田様が積極的に捜査をしてくださっています。私どもは……あまりお力になれそうにないので、せめて現場を荒らさないよう努めることしか……」

 「う、ううん!ありがとう!すごく助かるよ!」

 「こんな状況で誰か吐いたら連鎖でドエラいことになる……谷倉さんナイス判断」

 「恐縮です」

 

 尾田君と谷倉さんの他には、変わり果てた狭山さんに祈りを捧げる庵野君と、その横で手を合わせる毛利さんがいた。毛利さんは狭山さんと仲が良かったから側を離れたくないんだろう。けど庵野君は、真っ先に部屋に閉じ込められたというのにお祈りなんかして、なんて人間ができた人なんだ、と私は感心した。

 

 「庵野君、毛利さん。いま話してもいいかな?」

 「ええ。構いませんよ。手前にできることはしました。後は、毛利さんがお気の済むまで愛を唱え続けるだけです」

 「いや……私も、いい加減区切りをつけなくてはと思っていた。これは、私の責任だ」

 「え?」

 「私は、狭山のしていることを悪だと分かっていながら、それを止められなかった。その結果がこれだ。狭山が死に向かって行くのを、私は止めることができなかった」

 「そんな……毛利さんに責任はないよ。誰だって、あんな状態の狭山さんに逆らえないし……」

 「……」

 

 思い詰めた顔をしていると思ったら、毛利さんは自分を責めていたみたいだ。確かに狭山さんに一番近いところにはいただろうけど、だからと言って毛利さんが何を言ったところで、狭山さんが止まるとは思えなかった。むしろその暴走に一番振り回されていたのは毛利さんだろう。私たちに対して申し訳なさを感じていたのは、今朝のことを思い出せば分かる。

 

 「悔いて真相が分かるならそうしていてください。そうでないなら何をすべきか考えてください」

 「うるさいよ尾田君。毛利さんの気持ちも考えなよ」

 「人の気持ちを他人がどうこう考えても仕方ありません。慮って欲しいなら自分で言うべきです。その口は飯を食らうためだけに付いてるんですか」

 「い、いいんだ甲斐。尾田の言うことは正しい」

 「でも毛利さん……」

 「これ以上、私たち以外の身に危険を及ぼすべきじゃない。こんなところで油を売っている場合じゃないんだ、私は。狭山の部屋を捜査してくる。谷倉、付いてきてくれるか」

 「はい。かしこまりました」

 

 毛利さんは、近くにいた谷倉さんと一緒に階段を昇っていった。谷倉さんなら、たとえ狭山さんのことがあっても毛利さんに優しくしてくれるだろう。見張り役として残った庵野君に見守られながら、尾田君はバスタブの中身をまだ探っている。ずっと何をしてるんだろう。

 

 「何か分かったことある?ただ無意味にかき混ぜてるわけじゃないよね」

 「妙にトゲのある言い方をしますね」

 「尾田君だからね」

 「別に構いませんけど。ここに沈んでいるのはやはり狭山さん()()()()()ですね。量からして人間の姿でここに沈められたようですね。あと、服やアクセサリーが発見されていないので、丸ごと溶かされたんだと思います」

 「ひどいことする……これってさ──」

 「いけません!!」

 

 バスタブの中に浮く黒い塊を指さそうとしたら、庵野君がその手を掴んだ。びっくりして思わず腕を引いちゃって、庵野君に引っ張られるような形になった。すごく痛い。それをすぐに察したみたいで、庵野君は慌てて手を離した。

 

 「す、すみません……!思わず……!」

 「ううん……だ、大丈夫。それより、どうしたの庵野君」

 「モノクマから説明があったのです。こちらの薬品は中和されていますが、それでも素手で触ればただでは済まないのだとか。ですから適切な装備がないと、やはりバスタブの中までは捜査できないと言われております」

 「そ、そうなんだ……じゃあ尾田君のその手袋が正しい装備なの?」

 「捜査できてるってことはそういうことなんじゃないですか?普通に考えて」

 「一言多いよ」

 「あなたは小言が多いです」

 

 ダメだ。尾田君と話してるとただただ時間が過ぎていく。余計なことを言っている間に、私も別で捜査した方がまだマシだ。とはいえ、この地下室で見るべきものなんて、このバスタブくらいしかない。ゴミ集積所やプールは宿楽さんたちが捜査に行ってくれてて、私はここで尾田君を見張っているばかりだ。

 

 「……そういえば、なんでここなんだろう」

 「何がでしょう?」

 「なんで狭山さんの遺体は地下室にあったんだろうと思って。普通、夜中に地下室なんて来ないよ」

 「この薬品は薬品庫で作られるものです。危険な薬品を持ち運ぶより、死人を地下に持ってくる方が楽なんじゃないですか」

 「どうしてそこまでして狭山さんを溶かしたかったのかな?」

 「よほど狭山さんに強い恨みがあったのでしょうか……恐ろしいことです」

 「恨まれるようなことをするからです」

 「尾田君がそれを言うんだ……」

 

 尾田君の場合は恨まれるっていうか、嫌われるって感じだけど。でも、尾田君も庵野君も私の疑問に明確な答えは出せないままだった。どこで狭山さんが殺害されたのかは分からないけど、犯人は最終的に狭山さんを薬で溶かすことを目的にしていたような感じがする。それが恨みによるものなのか、他の理由があるのかは分からないけれど……答えが出てない疑問なら、覚えておく必要があるかも知れない。

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【バスタブ)

 黒い半液体で満たされたバスタブ。狭山が身に着けていた衣類やアクセサリーごと溶かされたらしい。

 どろどろの黒い物質は刺激臭を放ち、粘り気と重みがある。

 

【捜査制限)

 今回に限りモノクマから課せられた、捜査時におけるルール。

 犯行に使われた薬品を中和するまで、バスタブの周りに近付いてはならないルール。

 その後も適切な装備を持たなければ直接バスタブ内を捜査することは禁じられていた。

 


 

 宿楽さんと湖藤君から他の場所の捜査報告を聞いて、やっぱり地下室にはこれ以上手掛かりがなかったことを知った。それなら今度は1階を捜査しようと、昇降機を使って湖藤君を運びつつ、私たちは階段を昇っていった。

 1階の階段頂上付近では既に何人かの人が捜査を始めていて、芭串君のモノカラーで階段を照らしながら菊島君が階段をしげしげと見つめている。奥にいる岩鈴さんはきょろきょろしながら、廊下と階段の位置や狭山さんの部屋の位置を確認している。みんな、やけに捜査する姿が板に付いていた。

 

 「む。地下の搜査(そうさ)は終わったのか?」

 「ひととおりね。尾田君が狭山さんの入ったバスタブを捜査してたから、また何か分かるかも」

 「うえ〜っ!マジかよあいつ!よくあんなもん捜査できるよな!」

 「気持ちは分かるけど、あんまりそういうこと言うのよくないよ、芭串君」

 「いやだってフツー無理だろ……死体だって触れねえのによ」

 

 心底イヤそうに、芭串君は両手を振りながらベロを出した。もしかしたらそれが普通の反応かも知れない。みんな周りに遠慮して表に出さないだけで、本当はこんな捜査したくないし、死体にだって近付きたくないはずだ。私だって、本当はそう思ってるのかも知れない。

 

 「()(とう)人閒(にんげん)ならそれが正しい反應(はんのう)だろう。それを露骨に口にしなければいいことだ。俺が()(とう)人閒(にんげん)を語るのも滑稽だがな」

 「むしろお前は平気なのかよ、甲斐。この前の保健室といい今回といい、2回も死体発見なんかしてよ」

 「ん……私は、平気……だと思う」

 「自信なさげじゃねえか!休んどけ休んどけ!」

 

 相変わらず荒っぽいけど、芭串君のそういうところは良い人だと思う。きっと誤解されやすい人なだけで、本当は人に気遣えるんだなって、こういうときに思う。その隣にいる菊島君は丸っきり逆だけど。

 

 「休む前に情報はもらうとしよう。死體發見(したいはっけん)アナウンスがあったときのことを聞かせてくれ」

 「死体発見アナウンス……?なに?」

 「はあ?お前この前も聞いたんだろ!?」

 「ちょ、ちょっと芭串さん!甲斐さんは保健室のときは気を失ってたんだよ!アナウンスなんか聞こえるわけないじゃん!」

 「そうだっけか?」

 

 ううん、本当は良い人なんだなって思った矢先に乱暴に責められると、ますます私の中での芭串君の評価がブレる。それはともかく、死体発見アナウンスってなんだろう。名前からしてだいたい分かるけど……この前、私が保健室で益玉君と三沢さんの死体を見つけて気を失ってたときに、何かがあったらしい。

 

 「死体発見アナウンスは、3人以上の人間が死体を発見したときに流れる放送だよ。シロとクロが公平に裁判に臨めるようにするのと、誰にも死体が発見されないままでいるのを防ぐためだって」

 「そんなのがあったんだ……」

 「因みにだが、前回は甲斐、谷倉、理刈の3人が發見者(はっけんしゃ)だ。そのときの詳しいことは理刈に聞くといい」

 「うん。分かった」

 

 相変わらず悪趣味だけど、3人以上っていうのがなんだか気になる。どうして最初のひとりが見つけたときじゃダメなんだろう。モノクマが決めたルールだから、きっとコロシアイとか学級裁判を盛り上げるためのルールなんだろう。だとすれば、もしかしたらそこに事件解決のヒントが隠されてることがあるかも知れない。

 

 「ところで、二人の捜査は成果があったのかい?」

 「当たり前だぜ!見ろこれ!血の跡だ!」

 

 湖藤君の問いに、芭串君が自信満々に答えた。指さした階段には、いくつかの赤くて丸い跡が斑点模様みたいに散っている。

 

 「血って、だれの?」

 「知らねえよ。でも、今の時点で怪我してるヤツなんていないから、狭山のじゃね?」

 「なんでこんなところに狭山さんの血が……?」

 

 ここは地下室からは階段をずいぶん上ってこなくちゃいけない。最終的に狭山さんが見つかったのは地下室なのに、どうして階段の上に血が落ちてるんだろう。

 

 「こんなところに5人もいらないだろ?あんたら、他に調べるところはないのかい」

 

 考え込んでいたら、近くにいた岩鈴さんに注意されてしまった。確かにここにはそれほど手掛かりは残されていないだろう。菊島君と芭串君に任せておけば大丈夫だから、私たちは別のところを調べた方が良さそうだ。その前に、岩鈴さんにも話を聞いておくことにした。

 

 「岩鈴さん。昨日……と言っても部屋にずっといたんだっけ」

 「そうだよ。狭山のヤツに閉じ込められちまって、出たら一発お返ししてやらないとと思ってたんだ!」

 「閉じ込められてたときのことを聞いてもいい?」

 「いいけど、何か事件に関係あんのかい?」

 「一応ね」

 

 事件の直前までに4人もの人が閉じ込められていた。その人たちは自分の力で部屋を出ることはできなかったから、事件に関わる手掛かりを持っているとは思えない。だけど、狭山さんがみんなをどういう風に扱っていたのかを知ることで、彼女の考えを少しでも知ることができるかも知れないと思ったんだ。

 

 「部屋にいるだけじゃご飯とかどうしてたの?」

 「飯はほとんど陽面が持って来たね。月浦のときもあったけど。毎回ちょっとだけドアを開けて、そこからお盆で差し出すのさ。まるで刑務所だよ」

 「脱出しようとは思わなかったの?」

 「思うに決まってんだろ!ただでさえこんなところでうだうだしてられないってのに、部屋でじっとしてるだけなんて(アタシ)に我慢できると思うのかい!」

 「いや分かんないけど……」

 「でもね、脱出しようとしてもすぐに月浦に見つかっちまうんだよ。あいつ、常にあちこちを回って狭山に逆らうヤツがいないか監視してたんだ。まったく、あんだけ陽面が大切だなんて言っておいて、あっさり狭山に乗り換えるなんてね。とんでもないナンパ野郎だ」

 「そうかなあ」

 

 薬品庫にいた二人の様子を見るに、狭山さんに入れ込んでたのはむしろ陽面さんの方だ。月浦君はきっと、陽面さんが狭山さんに入れ込んでいたから、あるいは陽面さんを狭山さんから遠ざけるために、敢えて狭山さんに従順なフリをしてたんだと思う。自分の命が懸かってる状況でさえ陽面さんを優先するほどだったから。

 

 「じゃあ簡単には脱出できないし、できても月浦君に捕まっちゃうって感じだったんだね」

 「そうだね」

 

 ここにはそれほど情報はなかったかな。後は……。

 

 「ねえ湖藤君。湖藤君が庵野君と岩鈴さんの部屋の鍵を開けたときも、月浦君にバレたの?」

 「うん。そうだね。ぼくがやったっていうのは自分から言ったんだけど……」

 「そうなの!?初耳だよ!」

 「そうだっけ?あはは。まあ他の人に濡れ衣がかかっても善くないからさ。岩鈴さんは部屋から出たんだっけ?」

 「ああ、湖藤にドアを開けてもらって、こっそり厨房から肉を取ってきたよ。いつも谷倉の飯だけじゃ腹が空いちまうからね」

 「もっと多めにしてくれるようにお願いすればよかったのに。陽面さんに言ったら調節してくれたよ」

 「マジで!?なんだい、だったら言えばよかったね」

 「二人とも何の話してるの……」

 「それで、月浦君に岩鈴さんを勝手に部屋から出したことで狭山さんに告げ口されちゃったんだ」

 「庵野君は部屋から出なかったのかな?」

 「出なかったらしいよ。月浦君がそう言ってたから」

 「?」

 

 なんとなく、今の会話に違和感を覚えた。だけどその正体が何なのかは分からない。月浦君が真面目に狭山さんの言うことを聞いていたこと?陽面さんがご飯のリクエストを聞いてくれたこと?岩鈴さんが勝手に部屋から出たことを月浦君が知っていたこと?なんだろう。どれもおかしく思えて来るし、逆にどれもそれなりに納得できそうな感じだ。

 

 「個室を調べてみようか。もしかしたら、何か分かるかもよ」

 「(アタシ)はもうちょいこっちを調べとくよ。久し振りに広いところに出られたから動きたいんだ」

 「広いと言ってもまだ屋内だけどね」

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【階段の血痕)

 地下階と1階を結ぶ階段の途中に、わずかながら血痕が見つかった。

 おそらく狭山の血。

 

【死体発見アナウンス)

 コロシアイが起きたとき、3人以上の人間が死体を発見すると流れるアナウンス。

 甲斐が狭山の死体を発見した際に流れた。

 

【個室からの脱出)

 湖藤が庵野と岩鈴の部屋にかかっていたロックを勝手に解除した事件。

 岩鈴はこっそり抜け出して厨房に向かった。

 そのことが月浦に発覚し、湖藤が閉じ込められる原因になった。

 


 

 事件に関係する人の個室を調べるのは捜査の基本だ。前回は被害者二人の部屋を調べても何も出て来なかったけど。いちおう私たちは、被害者の狭山さんと、閉じ込められていた4人の部屋をそれぞれ手分けして調べることにした。私は湖藤君の部屋だ。自分で調べればいいのにと思ったけど、

 

 「もしぼくが犯人だったら、ちゃんと捜査しないでしょ。フェアにいこうよ」

 

 ということで私が調べることになった。ただでさえ人より移動が難しい上に、狭山さんの指示で閉じ込められていた湖藤君に犯行なんかできるわけないのに、あくまで冷静に、そして自分の身を守ろうという気がないみたいに、湖藤君はそんなことを言った。

 湖藤君の部屋は……なんというか、私はよく見慣れているから、今さら新鮮みはない。他の人の個室と比べて、車椅子でも利用できるよう低めに作られている。ベッドに手すりが付いていたり、段差がなかったり、もちろん入口もスライドドアになっていたり、色々と気遣いがされている。逆に私たちの個室を湖藤君がひとりで捜査できるのか心配になる。

 

 「もう、こんなに散らかして」

 

 湖藤君のベッドは更に特別に、寝たまま本を読んだり物を書いたりできるようにサイドテーブルが用意されている。施設でもよく見た。入院したまま仕事をする人や、リモート授業を受けたりする人がいて、患者さんの寂しい思いを和らげるために便利な道具だ。

 そんな人の心を助けるサイドテーブルの上には、湖藤君が食べ散らかしたお菓子の袋やくしゃくしゃになったルーズリーフが広がっている。こういうのを見ると、なんというか我慢ができなくなっちゃう。ついつい片付けたくなってしまう。

 

 「後で言わないと」

 

 なんでベッドのすぐ側にゴミ箱があるのに、そこに捨てないかな。私はそのゴミをまとめて引っつかみ、ゴミ箱に入れた。集積所に持っていかないと。湖藤君の部屋にはそれ以外の異常はなかったので、私は早々に部屋を出た。本当にもう。世話が焼けるんだから。

 

 「ふう。こんなに色々ためて……あっ」

 

 そういえば分別するのを忘れてた、と思って、ゴミ箱の中を確認した。ほとんどがお菓子の袋だからプラスチックゴミだけど、中には紙くずやちり紙みたいな燃えるゴミもある。仕方ないから集積所で分別すればいいか、と思っていると、ゴミがひとつこぼれ落ちた。湖藤君の部屋の前にぽつんと立つ私の足下に落ちた。なんだか私から逃げようとしてるみたいだ。

 

 「こらっ。湖藤君だけじゃなくてそのゴミも私の言うこと聞かないのかっ。このっ」

 

 足下に逃げたお菓子の袋を拾い上げるために、私は屈んだ。目線がぐっと床に近くなって、その周りにあるものがよく見える。ふと、視界の端に一瞬、何かが映った。湖藤君の部屋のドア、限りなく床に近い部分に、何か跡が残っている。

 

 「……?なんだろう、これ」

 

 その黒い跡は、真っ直ぐ横に伸びていた。戸袋近くから床と平行に、一直線にドアを横断している。もともとこのドアに描かれていた模様にしては目立たない。誰かが書いた?でも、何のために?私はほとんど床に這い蹲る姿勢で、その跡を見つめていた。いくら見ても分からないから、分かるまで見つめようと顔を寄せる。

 

 「……あの、甲斐さん?」

 「うわっ!?」

 「わあっ!?」

 「なんで、ぼくの部屋のドアの匂い嗅いでるの?」

 「匂い!?」

 「まあ色んなヘキってのがあるからね。でも、時と場所を考えようよ」

 「あと場合もね」

 「違うって!ほらこれ!変な黒い跡!湖藤君の部屋のドアにしかないでしょ!」

 

 湖藤君の優しい笑顔が逆に痛い。そして宿楽さんの目は見えないけどサングラスに(((¬_¬;)って表示されてる。慌てて状況を説明する。いくら勘違いでも、私が男子の部屋のドアの匂いを嗅ぐような人だと思われたらたまんない。指さした先を湖藤君は興味深げに見つめるけど、車椅子だと近くまで見られないのがもどかしいみたいだ。

 

 「本当だ。なんか跡があるね」

 「湖藤君は何か知らないの?こんな特徴的な跡がついてたら、なんか気付かない?」

 「分からないなあ。いつの間についたんだろ」

 

 結局、その黒い線の正体は分からなかった。念のため他の部屋のドアも確認してみたけど、跡が付いてたのは湖藤君の部屋のドアだけだった。誰が何の目的で……その意味さえ分からないまま、私は集積所にゴミを持っていくことにした。

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【黒い筋)

 湖藤の部屋のドアに付いていた、鉛筆で書いたような黒い筋。

 ほぼ床と同じ高さに、床と平行に真っ直ぐ引かれている。

 


 

 私が地下に降りたとき、尾田君はもうバスタブの側にはいなくて、捜査を終えてどこかに行ってしまったらしい。集積所はなんだかがらんとしていて、湖藤君の部屋のゴミが寂しく転がった。そのタイミングを見計らっていたかのように、モノクマのアナウンスが響き渡った。

 

 『いつだってチクタクと鳴る世界は止まらずに進み続けるんだよ。騒がしくて笑えない日々もいつか過去になって、ノスタルジーなんて薄膜を通してしか見えなくなってしまうんだね。過ぎ去った時間は戻って来ない!眩しい明日を信じて進むしかない!人は前を見て進むんだ!足下の奈落なんて気にも留めずにね!オマエラの中で次に奈落に落ちるのは誰かな!?それを決めるための学級裁判がはっじまっるよーーー!』

 

 地下室内では、ただでさえ不快なモノクマの声がさらに反響して何重にも跳ね返ってくる。もうそんなに時間が経ったのか。私たちは十分な手掛かりを得られているのだろうか。何か、犯人の罠にかかって見落としていることはないのだろうか。そんな不安が頭にちらつく。でもそれを確かめている時間はない。あるいはそれを確かめに行くんだ。

 

 「うっ……!」

 

 怖い。既に経験してることなのに──経験していることだからこそ、怖くてたまらない。もし何かを間違えてしまえば、何かを見逃してしまえば、何かを取りこぼしてしまえば、私たちの命はあっという間に消え去ってしまう。もし全てを明らかにしたとしても、また誰かが犠牲になる。あと数時間したら、また誰かがいなくなる。目の前で人が殺されることが、何よりも怖い。

 アナウンスを聞いて、裁判場に向かわなくちゃいけないと頭は考える。なのに足が震える。行きたくない。もうあんなことしたくない。逃げ出したい。心が私をその場から離してくれない。

 

 「ふぅ……!ふぅ……!」

 「何してるんですか?」

 「っ!!」

 

 気付かなかった。いつの間にか、目の前に尾田君がいた。どうして集積所に?さっきまでいなかったのに。アナウンスを聞いて、どうしてここに来ることがあるんだろう。

 

 「怖いですか?」

 「……うん」

 「でしょうね。後悔する人はいつもそうです」

 「尾田君は……怖くないの?」

 「何が起きるか分かっていることを怖れる人はいません。十分な手掛かりを集めて十分な知識を持っていれば、人は未来が分かるんです」

 「すごいね。予言者みたい」

 「バカバカしい。そんなものは存在しません」

 

 怯えた様子の私を見て、尾田君はそんな質問をする。かと言って私のこの気持ちを和らげてくれるわけでもなく、慰めてくれるわけでもなく、ただ辛辣な言葉をかけてくる。尾田君らしいと言えばらしいけど、別に今言わなくたっていいことだと思う。

 

 「尾田君には、クロが分かったの?」

 「どうでしょうか。分かっていようと分かっていまいと、それを確かめる術はあなたにないのでは?」

 「……そのために、学級裁判をするんだよ」

 

 挑発するような言い方に、私も思わず語勢が強くなる。学級裁判なんてしたくない。コロシアイが起きた事実だって認めたくない。それでも、やるしかないんだ。受け止めて進むしかないんだ。ここは、そういう場所だから。

 

 「まあいいです。どうせまたあなた達はあれこれ寄り道と的外れを繰り返して、ようやく真実の一端に手が掛かる程度なのでしょう。僕が助けてあげますよ」

 

 いつの間にか、私は学級裁判を怖がる気持ちを忘れていた。誰かが死ぬのはイヤだ。だけど真実を知りたい。何も分からないままに死んでしまうくらいなら、真実を知って誰も死なない一縷の希望に賭けたい。そんな気持ちになっていた。なぜそうなってしまったのか、私はまだ気付いていなかった。

 

 「尾田君って本当に性格悪いよね」

 「知ってます」




目標にしていた、年内に2章まで終わらせるペースで進んでいますね。
上手くいけば3章まで入れそうですが、無理せず年明けから初めていきましょうかね。
新しい年に新しい章が始まるのもいいですね。


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学級裁判編1

 

 「遅いよ!何してたんだよ!」

 「ご、ごめん……」

 

 裁判場へ降りるエレベーター前には、もうみんな集合していた。みんな一様に暗く沈んだ顔をしている。その真ん中で、顔を真っ赤にしたモノクマが両手を振り回している。遅れて集合してきた私と尾田君を待っていたらしい。私はモノクマじゃなくて、他のみんなに謝った。

 

 「今回は特に何もしないのかな、尾田くん」

 「……」

 「それとももう、犯人が分かってるのかもね」

 

 比較的落ち着いている湖藤君が、この前の裁判のときに尾田君が罠を仕掛けたことを引き合いに、そんな軽口を飛ばす。湖藤君のことだから嫌みとか皮肉とかじゃなくて、単純に場の空気を和ませようとして言ってるんだろうということは分かる。その後に続いた言葉のせいで、いっそう私たちの緊張感を煽ることになってしまったけれど。

 

 「そりゃあいいけど、時間はしっかり守らないとダメだよ。集合時間は厳守!解散時間はなあなあに!これぞ日本人のあるべき姿でしょ!」

 「……」

 

 こういうとき、一番に声をあげていた理刈さんも、すっかり気勢を削がれてうなだれている。私たちのリーダーになろうとしてくれていた気の強さはもうすっかりない。こんな異常な場所では、正常な判断基準を持っている人から壊れていく。尾田君や菊島君を見ているとますますそう思う。

 

 「じゃあ長々話してても仕方ないし、オマエラ!エレベーターで裁判場まで降りてきてください!ボクは一足先に待ってるからね〜〜ん!」

 

 モノクマはそのまま部屋の外へ消えていった。残された私たちは、開かれたエレベーターに乗り込んだ。誰も何もしゃべらない。二度目の学級裁判、狭山さんの凄惨な姿、この中の誰かがそれをやった犯人だという事実……私たちが直面するありとあらゆる要素が、私たちの気持ちに重りのようにのし掛かっていた。だから私たちが地下深くへ堕ちていくのも、この気持ちのせいなんだろう。地上の光から、私たちは隔絶された。

 エレベーターが不気味な機械音を立てて潜る。深く、深く、地の底まで届くんじゃないかというくらい深く。暗闇が支配する世界で、簡素な蛍光灯の光が心許なく私たちの顔を照らす。他の人の様子を伺っている余裕なんてない。入手した手掛かりと目の前の事実、それらが紡ぎ出す真実に、私たちは届くのか。そしてそれは正しいのか。次、このエレベーターに何人の人が乗れるのだろうか。そんなことばかり考える。

 

 「甲斐さん」

 

 ひた、と手が重なる。何かに触れて初めて、私はまた自分の手が震えていることに気付いた。その手に伝わってくる温もりに、少しの間なにも考えられなくて、ようやく宿楽さんのものだと気付いた。

 

 「大丈夫……って私が言っても仕方ないと思うけど、大丈夫だよ」

 「……なにが大丈夫なの」

 「私たちは正しいってこと」

 「正しい?」

 

 その言葉の意味が分からなくて、私は思わず聞き返す。正しいって、何が?学級裁判をすることが?モノクマの言いなりになってることが?コロシアイをすることが?仲間の誰かをこれから糾弾することが?なにも……何一つ正しくないじゃない。

 

 「諦めて、投げ出して、絶望して、投げ遣りになるのが間違いなんだ。私たちはまだ、希望を捨ててない。だから正しい。間違ってないなら、正しいんだよ」

 「……そうなのかな」

 「そうだよ。正しいんだから、大丈夫って思おう?私たちには希望があるって信じよう?」

 

 こんな状況で、この期に及んで、それでも前向きなことを言える宿楽さんが、私にはすごく大きく思えた。暗くて狭い箱の中だと、絶望に飲まれてしまいそうになる。きっと宿楽さんだって同じだ。それでも、そんな状況でも、希望を信じて人を元気付けようとしてくれてる。それが、私にとってどれだけ救いになるか。

 

 「……うん。信じる。私は、希望を捨てないよ」

 「そう!その調子でがんばって!私、推理はからっきしだから!」

 「え……」

 

 宿楽さんが明るくそんなことを言った直後、エレベーターは降下を止めた。ガラガラと開くドアから、目に刺さる強い光が漏れてきた。少し前と同じ、証言台が円形に並べられた学級裁判場が、そこにはあった。

 不必要なほど広い部屋に、大袈裟なほど高い玉座。モノクマはその天辺に腰掛けている。円形の証言台には、私たちより先に、4つの遺影が立てられている。虎ノ森君に殺害された益玉君と三沢さん、そしてモノクマに処刑された虎ノ森君と、新たに犠牲になってしまった狭山さんのものだ。不謹慎だけど、私はその遺影が気になってちらと見てしまった。どうやら、他にも同じような考えを持った人がいたらしくて、みんなちらちら見ていた。狭山さんの遺影は、ちゃんと人間の姿で撮影されていた。

 

 「さあオマエラ!やって来ましたね!学級裁判編の開幕ですよ!ここからは早いからね!オマエラののほほん日常生活なんて誰も望んでないんだよ!お互いを糾弾しあって暴力的な論理と剥き出しの感情がぶつかり合う学級裁判こそが望まれてるのさ!そして、その後のおしおきもね!人間の本性っていうのはそういうものなの。体は闘争を求めてるんだよ!」

 「どっかで聞いたようなフレーズだなあ」

 「ささ、各自自分の席に着いてね。ルールは後でもう一回説明してあげるから、心配しないでね」

 

 モノクマに促されるまま、私たちはまた、この証言台に立つ。ここに立つと、前回の裁判のことが思い出される。もうそのとき、益玉君はいなかった。虎ノ森君は、二人の人を殺していたとは思えないくらい冷静に、素知らぬふりをしてそこに立っていた。今ここにも、同じように狭山さんを殺したのに、それを顔に出さない人がいる。その人がどんな想いでここにいるのか、どんな想いで狭山さんを手にかけたのか。私には分からない。

 初め、私たちの前に現れたとき、彼女はキツネの姿だった。そのときは……いや、今だって半信半疑だ。訳が分からなかった。目の前で起きていることが現実だと理解するのに時間がかかった。そして最初の裁判を経て、彼女は人間の姿に戻った。それが何を意味しているのか、どういう理屈なのか、そんなことを知る暇もなく、彼女はこの世を去ってしまった。楽天家で、気分屋で、わがままで、自分勝手で、それなのに人の心を掌握するのは得意で、コロシアイを嫌う心は同じなのに何を考えているのか分からなくて、さっぱり掴み所のない人だった。

 今でも夢であってほしい。私たちの中に仲間を殺す人なんていないと思いたい。だけど、もし、そんな人がいるなら……私はその人を、全力で糾弾しなければいけない。この、学級裁判で。

 

 


 

 

学級裁判 開廷

 

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票によって、決定されます。正しいクロを指摘できれば、クロだけがおしおき。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は……クロ以外の全員がおしおきされ、生き残ったクロだけが、この学園を卒業することができます!さあ、そんじゃ二回目の裁判、いってみよー!」

 「行ってみようったって……なあ。どうするよ」

 「はい」

 

 モノクマのつつがない説明にもかかわらず、私たちは議論を始められなかった。一度経験しているとはいえ、この場の雰囲気に慣れたなんてことはちっともなく、何を言えばいいか分からなかった。だけどその中でも、彼女は手を挙げた。その行動が、そして彼女がそれをすることに驚いて、私たちは……隣にいる彼がそれに一番驚いていた。

 

 「……は、はぐ?」

 「はっきり言うよ。はぐたちは違う」

 「違うってなにがだい?」

 「はぐたちはコンちゃんと一緒にここで暮らしていくって約束してたんだ。それなのにコンちゃんを殺すなんてことするわけない。だから、はぐとちぐと、まりかちゃんとほーこちゃんはクロなんかじゃないよ」

 

 毅然とした表情と言葉、胸を張って、選手宣誓するような言い方。捜査のときあんなに弱っていた陽面さんが、裁判で開口一番にそんなことを言うなんて、想像だにしていなかった。月浦君がそうさせたわけじゃない。むしろ陽面さんの宣言に一番動揺しているのは、月浦君だった。

 そして、ひとたび学級裁判となれば、たとえ相手が陽面さんであっても容赦しないのが、尾田君だ。

 

 「アホらしすぎて反論するのもダルいですが、飲み込むわけにはいかないので反論しますね」

 

 その一言を言う方がだるいと思う。

 

 「結論から言います。僕はあなたがたこそ疑うべき人間だと思っています。なぜなら殺されたのが狭山サンだからです。あなた方は固い絆で結ばれていたと仰いますが、であればこそ狭山サンの油断を誘えたはずです。用心深い彼女のことですから、部外者の人間など絶対に信用しないでしょう。いや……あなた方ですら信用していたとは言い難い。そうですよね?」

 「自分で矛盾しているのに気付かないのか?僕たちですら狭山には信用されていなかった。だったらお前たちと同じ条件だろ。特別疑われる理由なんてない」

 「全然そんなことありません。今のは殺害に有利な状況を述べたまでで、あなた方を特別疑うべきという根拠の一つに過ぎません。もう一つ、あなた方には動機がある」

 「ど、動機……だと?そんなもの、モノクマから全員に配られただろう」

 「そっちじゃありません。“裏切られた”という動機です」

 「裏切られたァ?」

 

 さすがに陽面さんを尾田君の強烈な言葉の弾丸に晒すことはなく、月浦君と毛利さんが代わりに反論する。二人がかり、三人がかりで反論されても、尾田君は全く怯まない。その目はずっと、最初に発言した陽面さんを捉えている。

 

 「ええ。そうでしょう?理刈サン」

 「……えっ?わ、わたし……!?な、なに……!?」

 「あなた、狭山サンに因縁をつけられて部屋に閉じ込められていましたよね?どう思いました?コロシアイを避けて平和に暮らすと宣言していた狭山サンに、無理矢理部屋に閉じ込められたとき。あなたはこう思ったんじゃないですか?()()()()、と」

 「ど、どういうことでしょうか?どうか私たちにも分かりやすくご説明願えますか」

 「いいですか?狭山サンはコロシアイをせず、この建物の中だけで協力して一生を過ごそうと言っていたんです。もちろん、各々が自由に活動できた上でです。そして狭山サンの思想に賛同すれば、平和な暮らしを保証すると」

 「仰っていましたね。それも彼女なりの『愛』なのでしょう。とても善いことです」

 「善いことかなあ……?」

 「ですが、彼女に賛同していた理刈サンは、些細な言葉の綾を論われて部屋に監禁されました。部屋に閉じ込められて食事も行動も制限されることを、僕たちは平和な暮らしとは呼びません。まるで囚人です。であれば、感じるはずです。話が違う、と。理刈サンに馴染むように言えば、契約違反です」

 「ううぅ……!だ、だけど……私は、殺人なんて……!」

 「別にあなたが殺したなんて言ってないでしょう。要は、狭山サンはいつでもその気になれば自分たちを裏切ると、他の皆さんの前で示してしまったのです。これが良くない」

 

 事件が起きる前の朝、狭山さんは全員の前で理刈さんが溢した言葉に怒り、庵野君たちと同じ処罰を与えた。あれを見た私たちは、たとえ彼女の賛同者であっても、狭山さんは容赦しないんだと感じた。だけどそれと同じ感情を、毛利さんたちも持っているはずだった。そんなこと、ちっとも考えてなかった。

 

 「はあ〜〜〜、なるほどなァ。つまり、理刈がブチ込まれたってんでェ、ちぐはぐも毛利も、狭山の腰巾着してるってェだけじゃ安心できなくなったんかァ」

 「誰が腰巾着だゴマ塩握り……!僕がはぐ以外の腰につくわけないだろうが……!!」

 「ひえっ」

 「怒るポイントもちょっとズレてるような?」

 

 髪の毛先がゆらめくほど怒った月浦君に睨まれて、王村さんが跳び上がった。あの状態の月浦君は怖いくらいに陽面さんに盲目的だけど、あんなに怖がるのは見ていて情けなくなる。それはさておき、尾田君に任せていたらこの話だけで裁判が終わっちゃいそうになったのを感じて、私は横から彼の意見をまとめた。

 

 「よ、要するに!陽面さんは狭山さんと一緒に行動していた人たちは、しっかり絆があるから犯人なんかじゃないって言いたいんだよね?尾田君は、狭山さんと一緒に行動していた人たちこそ、彼女を殺害する動機も条件も揃ってるから怪しいってことを言いたいんだよね?」

 「なんですか、横から急に」

 「いいや。よくやったと言っておこう、甲斐。結局この議論が生み出すものは、狹山(さやま)一派は怪しいか怪しくないか……疑うに値するか否か。いくら話したところで結論も出ず、かといってなにも進展せず、ただ時閒(じかん)を奪われるのみ。不毛な議論だとは思わないか?」

 「なんでタイシが偉そうに言ってるんだい?」

 「でもワタシもこの話に意味ないと思うヨ。もっとこう、意味のある話しないとダメネ」

 「ふわっと言ってくれますね。分かりましたよ」

 

 かなり不満そうだけど、尾田君は私の意図を分かってくれたみたいだ。菊島君と長島さんが私に同調してくれたのも大きいと思う。狭山さん一派が怪しいかどうかは分からないから、一旦ニュートラルに考えておくとして、改めて事件について話していこう。

 

 「ま、まず疑問なのが……」

 

 切り出したのは、理刈さんだった。

 

 「モノクマファイルの記述よ。まったく、ひとつも意味が、分からないわ……どうして死因が書いてないの?」

 「マジで!?あっ!本当だ!おいモノクマ!ちゃんと仕事しろよ!」

 「書き漏らしたんじゃありません!わざと書いてないんです!そんなもん最初に配ったときに説明したぞ!ちゃんと人の──あいや、クマの話を聞け!」

 「改めて説明してくれないかな。理刈さんはそのとき、トイレにこもってたから聞こえてなかったのかも知れないよ」

 「ふぅん……湖藤クンにお願いされたらボクは弱いからなあ。まあいいよ。これも公平な学級裁判のためだもの」

 

 なんで湖藤君に色目使ってるんだろう。むしろモノクマにとっては苦手な相手だと思ってた。それとも特に意味なんて無いのかも知れない。このモノクマファイルと違って、モノクマ自身の言葉なんて何一つあてにならない。

 

 「いいですか?モノクマファイルというのは、シロとクロとが平等に学級裁判に臨めるよう、シロへ最低限必要な情報提供を目的に作成されているものです。なので、必要以上に詳しい情報を載せるのは、クロにとって不利になりすぎるので控えています!」

 「死因のどこが必要以上に詳しい情報だというんだい?最重要と言ってもいいくらいだ!」

 「うるせー!それを考えるのがオマエラの仕事だろ!」

 「なんだと!」

 「ま、まあまあみんな、落ち着いてよ。死因が書いてないのは確かに妙だけど、まさにこうなることがこの記述の意味なんだよ」

 「どういうことカ?」

 

 モノクマに激しく抗議するカルロス君と芭串君。でも、その二人を湖藤君が宥めた。こうなることが、死因を書いてないことの意味って、どういうことだろう?

 

 「死因が書いてないのは、明らかに検死ファイルとしては不十分だ。でも、モノクマはそれがシロとクロが平等に裁判をするための措置だと言っている。それは逆に、死因が明らかになれば、クロは大きく不利になるっていうことでしょ?つまり、クロを特定する手掛かりは死因に隠されているっていうことだよ」

 「……そう、なのか?ちょっとオレは今よく分からなかったんだけど」

 「こっちを見ないでください。彼は当たり前のことを言っているだけです」

 「当たり前じゃないわよ……まあまあややこしいことじゃない。でも、理屈は理解できるわ」

 

 死因を明らかにすることが、犯人特定への大きな手掛かりになる。湖藤くんは、“何も書かれていない”という事実だけから、モノクマの意図、そして事件の構造を推理する。それは少し乱暴のように聞こえて、それでいて筋は通っていて、安易に受け入れてしまうのは危険なような気がして、信じていいと思えるほど理論立っていた。

 

 「よろしいですか」

 「うん?どうしたの庵野君?」

 「敢えて誰も仰らないのなら……せめて手前がその役目を負おうと思いまして。狭山さんのご遺体について」

 「……構いませんよ、どうぞ」

 

 湖藤君の話が一段落したのを見計らってか、庵野君がそっと手を挙げた。彼が口にしようとしていることは、おそらくここにいる全員が気になってることだった。当たり前に気になりすぎて、でも誰も口にしようとしなかった。それを言葉にするのが、恐ろしすぎて。

 

 「なぜ狭山さんは……あのように、どろどろに溶かされてしまったのでしょうか」

 

 それは、直視するにはあまりに残酷で、惨くて、不快な死に様だった。悪臭を放つどろどろとした溶液の底で、炭のように黒い塊になって沈んでいる。もはやそこに生物だったころの面影なんてなくて、ただの物質としてしか見られないような、そんな有様だった。

 

 「……ひどいことするヨ。いくらなんでも溶かすことなんてないネ。ほっぽっておけばそのうち骨だけになるヨ。そっちの方がずっとマシネ」

 「誰が死んだか分からないようにするためじゃないかい?(アタシ)は知らないけど、身元を隠すために顔を潰すなんて話も聞いたことあるよ」

 「どうせ学級裁判になれば全員集まります。死体を溶かしたところで何の意味もありません」

 「猟奇的なんてもんじゃない……常軌を逸しているわ。ただならぬ強い思いを感じる……」

 「というと?」

 「犯人は……狭山さんに強い恨みを抱いていたのよ」

 

 冷や汗を垂らしつつ、理刈さんが呟いた。確かに、そう考えるのが一番()()()だし、一番()()()()()。人ひとりをあんな風にしてしまうのは簡単じゃないし、時間もかかる。殺人現場を見られれば学級裁判ですぐに指摘されて、モノクマに殺されてしまう。そのリスクを冒しても、狭山さんを溶かしたというのは、それだけ犯人にとって、その行為に意味があったからだ。

 

 「狭山さんはただ殺されたんじゃない。強く激しい恨みをぶつけられて、人間としての尊厳を踏みにじるような殺され方をしたのよ。そんなの、よっぽど強い感情がないとできないわ」

 「一心教会のメンバーに聞きたいんだけど、そんな恨みを持たれるようなことって、狭山さんにあったのかな?」

 「……」

 

 湖藤君の問いかけに、即答できる人はいなかった。全員彼の目を見ないように床や天井に視線を投げて、言い淀んだ口はぱくぱくと空っぽな音を立てている。恨み、というほどのものではなかったかも知れないけれど、狭山さんを好ましく思っていない人はいただろう。というより、この様子だとここにいるほとんど全員がそうだったみたいだ。

 

 「まあ、恨まれても仕方のないことをしていただろう。それが答えだ」

 「ちぐ?何言ってるの?」

 「……いいかい、はぐ。まずは僕の話を聞くんだ」

 「う、うん……?」

 「今だから言うが、僕は初めからあいつの下についたことなんて一度もない。あいつのやることなすこと全部が気に入らなかったし、あの傲慢さも怠惰さも考えの無さも全てが不愉快だった。臭いのにくっついてくるし……」

 「最後のはただの悪口だろ!」

 「だけどチグは、ココノのためにあちこち嗅ぎ回っていただろう。確か、リンがカギを開けたのを告げ口したのはチグじゃなかったか?」

 「僕はあいつのことを信じてなくても、はぐはそうじゃない。ヤツは人の心を掌握する“才能”を持っていた。僕は、はぐを救うためにあいつの言うことを聞かされていただけだ」

 「本当かねェ。どうもおいらぁ信用できねえぜ。狭山が生きてるときにそんなこと言ってりゃ別だが、大将がいなくなって手の平返したようにしか見えねえなァ」

 

 月浦君に注がれるみんなの視線は冷ややかだった。狭山さんの言いなりになっていたということもあるし、湖藤君が部屋に閉じ込められるきっかけを作ったのは月浦君だ。みんなを監視していたみたいだし、心象が悪いのは仕方ないとも思った。でも、意外な人がその肩を持った。

 

 「私は、信じます」

 

 きりっとした言葉と姿勢で、谷倉さんが手を挙げた。思いも寄らない人から月浦君を支持する言葉が出て来て、私も、他のみんなも、驚きの目で谷倉さんを見た。

 

 「私は、まだ狭山様がご健在のとき、月浦様からそのようなお話を伺いました。陽面様を救うため、一時的に狭山様に従っていると……私にはそれが、嘘や出任せには思えませんでした。月浦様は、本当のことを仰っています」

 「い、いつの間にそんな話してたんだい!?」

 「モノクマ様から二つ目の動機が発表された日の夜でしたでしょうか……お部屋に戻る際、偶然お会いしまして」

 「ちぐ、本当?」

 「本当だよ。だけど大丈夫、はぐが心配するようなことは何もないよ」

 「何故谷倉にだけ(つた)えた?」

 「たまたまだ。ひとりくらいは事情を全部知ってるヤツがいた方が、何かと便利だろうと思った。今、正しかったと実感してるよ」

 

 つまり、月浦君が狭山さんに心から従ってなかったというのは、信頼できる言葉だということだ。そして、月浦君は続ける。

 

 「断言してもいい。僕たちの中で、本気であいつの心に寄り添っているのなんて、はぐと毛利だけだ。はぐは騙されてそうなった。だが毛利だけは、自分の意思であいつに従った。そうだろう」

 「……それがなんだというんだ?」

 「やけに落ち着きすぎてると思わないか?普通、自分の友人なり親しい人間が殺されたら、もっと動揺したりするだろう。そこの介護士みたいに」

 

 月浦君が親指で私を指し示す。きっと、益玉君と三沢さんの惨状を見て卒倒したことを言ってるんだろう。

 

 「つ、月浦君!毛利さんは顔に出さないだけで、狭山さんが亡くなったことを悲しんでるんだよ!そんな言い方ないでしょ!」

 「僕にはそうは見えないけど……むしろ、こうなることが分かっていたように落ち着いているようにも見える」

 「だから……それは見かけの話でしょ!毛利さんはもっとこう、心の深いところで……!」

 「もういい、甲斐。私を庇うなんて時間の無駄だ」

 「えっ……」

 

 月浦君の発言に思わず抗議した。でも、その抗議を止めたのは毛利さんだった。

 

 「私が犯人だと疑うのなら、然るべき証拠を提示すればいい。そうでないのならただの心象操作だ。ここにいるうちの何人が、そんな小手先に誘導されるというのか」

 「……でも、毛利さんが傷ついてるのに、見過ごしてなんていられないよ」

 「大丈夫だ。私はそれも顔には出にくい」

 

 そういう問題じゃないんだけどな。でも、毛利さんの言う通り月浦君の言葉はただの印象に過ぎない。私はつい引っ張られて異を唱えてしまったけれど、湖藤君や尾田君、理刈さんみたいに、ただの印象に引っ張られない判断力を持ってる人は多い。そのことを月浦君が分からないはずがない。これはあくまで、議論を攪乱するための罠だ。

 

 「無駄話は済みましたか?では、本題に入っていきましょう」

 

 やっぱり尾田君が仕切って、学級裁判が再開した。

 

 「なぜ狭山サンをぐずぐずにしたのかは分かりませんが、どうやってしたのかなら分かります」

 「包丁か何かでタタキにしたのネ!」

 「いや時間かかり過ぎるだろそれは……!」

 「ちまちまやってたら狭山から反撃されちまう。もっと簡単な方法があるぜェ?」

 「何かしら」

 「地下室にゃあ薬品庫があっただろ。あそこにあるんだよ、なんでも溶かしちまうっつう冗談みてェな薬が!なんつったっけなァ?ヤマウチ?タケウチ?」

 「全然違う!YABASUGIだよ!」

 

 あやふやな記憶をたぐる王村さんに、モノクマが突っ込んだ、自分の開発した薬の名前を覚えられなくて怒ってるみたいだ。もっと覚えやすい名前にすればいいのに。

 

 「うぷぷ!なんでも溶かす次世代の薬品だよ!確かにあれを使えば、人間だろうとなんだろうと沈むように溶けていっちゃうんだからね!」

 「な、なんでそんなもんが薬品庫にあるんだい……!?」

 「モノクマがコロシアイを誘発するために置いたのかな。想定していた用途とはたぶん違うんだろうけど」

 「ははーん!ってことは、犯人は薬品庫にそれがあることを知ってたヤツ、つまり薬品庫によく出入りしてたヤツってことになるなあ!どいつだ!」

 

 芭串君の発言で、みんなの視線があちこちに飛ぶ。地下室の奥まったところにあるせいで、あまり人が立ち寄るような場所じゃない。もし出入りしている人が分かれば、一気にその人が怪しくなってくる。

 

 「あんな陰気な場所に入り浸る人なんているんですか?よっぽど物好きなんですね。僕は最初の探索から捜査まで近付きもしませんでしたよ」

 「……ひとり、いるかも」

 

 ぽつ、と呟いた私は、15人分の視線を一気に受けた。その人が犯人なのかどうか、実際に狭山さんを殺したのかどうか、そこまでは分からない。だけど、少なくともあの薬品庫について詳しく知っている人がいることを、私は知っていた。その証拠もある。

 

 「本当は、言わないようにっていう話だったけど、状況が変わったから言うよ」

 「何の話?」

 「薬品庫にあったあの劇薬のこと……君なら、詳しく知ってたはずだよ」

 

 私は、少し驚いたような、それでいてこちらの出方を窺うような余裕のある視線を、真っ直ぐ睨み返した。

 

 「そうだよね?菊島君」

 

 私の視線と言葉が、私に向いていた目をそのまま彼に押しつける。大勢の注目を一気に浴びた菊島君は、それでも一切動揺することなく、袖から伸びる白い手であごを掻いていた。その目つきを見て、なんとなく彼の考えてることが分かった。あの人すっとぼける気だ。

 

 「はて?何の話だ?俺は確かに藥品庫(やくひんこ)を訪れたことはある。が、頻繁に出入りしていたなど、見たわけでもあるまいに、なぜ斷言(だんげん)できる?」

 「私は一度、薬品庫で菊島君と会ってる。そのときに君が言ったんだよ。薬品庫にはほとんど毎日行ってるって」

 「意見が真っ向から対立してるね。どちらの言い分が正しいのかな?」

 「甲斐が適當(てきとう)なことを言っているのだろう」

 「そんなわけないでしょ!菊島君は、捜査時間にだって薬品庫に行ってたはずだよ!」

 「誰がそんなことを證明(しょうめい)できる?俺は階段の搜査(そうさ)をしていた。芭串も岩鈴も見ていたし、お前も途中から()ただろう」

 「みんなが来る前に薬品庫に行って、そのあとすぐに移動したんじゃないの」

 「證據(しょうこ)もなしにそんなことを……!」

 「証拠なら、あるよ」

 

 菊島君の口角が吊り上がった。笑ったというより、引き攣っているように見える。彼らしくもない。すぐに認めておけば、こんなに注目されて不利な立場に陥ることもなかったのに、変に誤魔化そうとするから怪しまれる。菊島君がつい最近、薬品庫を訪れた証拠を私が持っているとは考えなかったんだろうか。

 私は容赦なく、持っていた汚いハンカチをみんなに見せた。

 

 「……ず、ずいぶん傷んだハンカチですね。それは一体なんでしょうか?」 

 「薬品庫の捜査に行ったとき、これが棚の下に落ちてたんだよ。菊島君、分かるよね?」

 「……」

 「これは君のハンカチだ。前に私に見せてくれた、そのものだよ」

 「ど、どうなんだい菊島!甲斐の言うことは本当なのか!?」

 

 菊島君は黙り込んでしまった。その顔は、いつもの余裕そうな人を小馬鹿にしたような笑みではなかった。かと言って、追い込まれている様子でもない。何かを考え込んでいるような、もしくは必死に自分に言い聞かせてるような……そんな表情だ。何を考えているのか、やっぱりよく分からない。

 

 「……そうだな」

 

 長い、長い沈黙の後、菊島君は呟いた。裁判場から音が消え、まるで全員が菊島君の語りを待ち望んでいるかのような、彼の独演会のような雰囲気になっていた。菊島君は、被った帽子のつばをいじりながら、なんだかいつもよりもキザな素振りで全員の顔を見渡す。

 

 「そのハンカチは俺のものだ。失くしたと思っていたら……ふむ。俺としたことが、矢張り羽目を外し過ぎていたようだ」

 「な、なんの話……?なんかたいしさん、怖いよ……?」

 「あのハンカチがタイシの物だということは、タイシは薬品庫に出入りしていた。つまりあの劇薬についても詳しかったと思えるが……その辺りはどう言い訳するつもりだい?」

 「言い(わけ)も何も事實(じじつ)を述べる迄だ。確かに俺は藥品庫(やくひんこ)には足繁く通っていた。お前達には()付かれないよう、時と場合を選んでな」

 「あ、怪しすぎる……!いったいそんなところで何をしていたんだ!」

 

 みんなが口々に菊島君を追及する。それに呼応するように、菊島君は今まで隠していた自分の行動を明かしていく。薬品庫に入り浸っていたことを……あれ?

 

 「何をしていた、か。毛利、それは質問か?ならば、答えなくてはな」

 「なに言ってんだいアンタ!なんかキモいぞ!雰囲気が!」

 

 なんかこの流れはマズいような気がする。

 

 「先に言っておくぞ。俺はお前達が聞きたがっているから答えるのであって、決して能動的にこれをお前達に言いふらしている(わけ)ではない。そこはきちんと理解しておけ」

 「いいから言えや」

 

 あっ、このくだり知ってる。いや、ちょっと待って、ダメだ。それはダメだ。

 

 「(じつ)はその……なんだ」

 「ちょっ、菊島君まっ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「自慰(マスタアベイション)をしていた」

 

 

 止められなかった。私の声が届くより早く、彼は()ってしまった。

 地獄みたいな空気が流れた。時間が止まってしまったかのような、全員が言葉を失ってしまった状態。次の一言を誰かが言ってくれるのを待っている状態。ただひとり、照れたように頬を赤らめる菊島君に向ける、みんなの白い視線。関係ないのに、なんだか私も恥ずかしくなって顔が赤くなる。

 

 「あ゛あ゛っ!?テメエこら菊島ァ!!こんなときになにふざけたこと言ってんだい!!ブチ切るぞ!!」

 「巫山戲(ふざけ)てなどいない。事實(じじつ)だ」

 「事実だったらだったでキモい!!何してんの!!」

 「仕方が無いだろう。俺とて所詮、健全な男子高校生だ。溜まる物は溜まる」

 「バカおい止めろバカ!はぐにこれ以上そんな話を聞かせるな!はぐ!耳を塞いでて!」

 「え、い、いいの……?でも、裁判はちゃんと参加しなくちゃいけないってモノクマちゃんが……」

 「お願いだから塞いでてくれぇ!!」

 「酷い言われ(よう)だ。本來(ほんらい)はお前達の全員が持っているべき欲情を口にしただけで、さも俺だけが異常かのように」

 「異常だろどう考えても!!」

 

 阿鼻叫喚だった。女子は一様に顔を赤くして菊島君に白い視線を送り、男子は女子の顔を見ていられないのか、大袈裟に菊島君を糾弾する。涼しい顔をしているのは尾田君だけだ。湖藤君も、少し恥ずかしそうに俯いている。

 

 「詳しく聞いてもいいですか?」

 「はっ!?お、おい何言ってんだ尾田!?テメッ……まさかソッチか!?」

 「違います。仮にそうだったら著しい差別的言動になりますよ」

 「あまり聞いて気分の良い話じゃないと思うが、どうしてリューヘイはタイシのマスターベーションの話を詳しく聞きたいんだい?」

 「もうそれを口に出すな!!」

 「深い意味はありません。要するに菊島君が嘘を吐いている可能性があるから、詳しく証言させるまでです」

 「……?」

 「彼のオナ……失礼、さっきの発言は、なぜ薬品庫に彼のハンカチが落ちていたのか?に対する答えです。それは実際は薬品庫で毒物や劇薬を使っていたことを隠すための嘘かも知れません。ですから真偽の程を確かめるために、詳しく話させるんです」

 「ご、合理的〜……確かにそれはそうだけど……ねえ?下品な話だし女子はちょっと聞くに耐えないというか……」

 「あなたたち中学生ですか?下品だと思うのはあなたたちの品性が下等だからです。真剣な話に下品も上品もありません」

 「理屈は分かったが……矢張り、少し照れるな」

 「照れるなキモい!!」

 

 尾田君の言うことは尤もだった。そう言えば私が菊島君からその話を聞かされたときも、彼は薬品庫にひとりでいた。あのとき、本当に菊島君の最低さに呆れてすっかり信じてしまったけど、それも全て嘘だという可能性は否定できない。今この場で、尾田君たちがその言葉が信じられるか判断するというのなら……私ももう一度、真剣に聴く必要があるかも知れない。

 

 「知っての通り、俺は小說家(しょうせつか)だ。物を書くにあたっては何事も取材し、體驗(たいけん)し、見聞を(ひろ)めることが重要だ。何よりもな」

 「え?何の話?」

 「いいから聞きましょう。聞いて差し上げましょう」

 

 なんだか尤もらしい導入から話が始まった。真剣に耳を傾けるのは数名だ。

 

 「或る時、藥品(やくひん)を使う描寫(びょうしゃ)が必要になってな。クロロホルムというヤツだ。物の試しにあれを少し嗅いでみたところ……その」

 「なんだ?」

 「なんというか……その……下品なのだが……ふふ、勃起してしまってな……」

 「やっぱただの変態じゃねえか!!」

 「真面目に聞いて損した。誰かあいつの口を塞いでくれ」

 「そ、それはやっぱり……くちびるとかで……!?」

 「宿楽さん何言ってんの?」

 

 私に話してくれたときよりも内容が簡潔かつ下品になってる。なんでそう最低な方向にばっかり思い切りがいいのよ。

 

 「以來(いらい)藥物(やくぶつ)とか毒物とか劇物とか……そういった物で興奮する體質(たいしつ)になってしまったらしい。安母尼亞(アンモニア)が手放せなくなってしまった。しかしここに()てから時閒(じかん)()ちすぎた。手持ちの安母尼亞(アンモニア)がなくなって悶々としていた中……藥品庫(やくひんこ)が開放されたのだ。俺にとっては赤線地帶(ちたい)のようなものだ」

 「おい貴様!!はぐにそれ以上穢らわしい語彙を与えるな!!二度と喋れなくしてやるぞ!!」

 「散々說明(せつめい)しろと言っておきながら今度は(だま)れとは……まったく自分勝手なものだ」

 「伝え方は他にあったと思うけどね。まあともかく、菊島君が薬品庫に入り浸っていた理由は分かったよね。まさか……これ以上は求めないよね?尾田君」

 「……はい。僕ももうたくさんです」

 

 本当に尾田君は気分が悪そうな顔をしている。風邪が悪化したのか、あるいは菊島君の話にやられたのか……。

 

 「ってえ!てことは!菊島!あんたが狭山の死体を溶かした犯人だってことかい!!薬品庫にずっといたから、あそこにあるものの使い方は熟知していたはずだろ!!」

 「おっと。誤解するな。俺はあくまで自分にしか使わん。そういうプレエは趣味じゃない」

 「プレイって言うな」

 「藥品庫(やくひんこ)に通っていたことも、それを(だま)っていたのも、あくまでお前達が理解できる範疇を出ない。つまり、自らの(うち)に湧き起こる動物的欲求を發散(はっさん)し、また自らの性的嗜好を敢えて大っぴらにすることをしないというだけのことだ。斷言(だんげん)してもいい。俺はこの事件に一切(かか)わっていない」

 「そうは仰いますがね菊島君。その発言には証拠が伴いません」

 「俺が狹山(さやま)を殺したという證據(しょうこ)も同じくないのだろう?」

 「なんでこいつは余裕ぶってんだ。変態のくせに」

 

 菊島君が自分の性癖を暴露しても、相変わらず彼への疑いの念は晴れない。だけど彼自身が言うように、それはただ怪しいというだけのことで、決定的な証拠があるわけじゃない。人を馬鹿にした態度で人格が破綻してて変態的な嗜好を持ってる最低な人間だけど、殺人をしたとは断言できない。

 

 「それにだ。藥品庫(やくひんこ)に詳しい俺に言わせれば、あんなところは誰でも入れるし、藥品(やくひん)も使い方を()めば誰でも使える。そこに存在することさえ知っていれば可能なのだから、俺でなくても可能だ」

 「つまり誰にでもできたってことか……決定的な証拠にはなりそうにないね」

 「なんか釈然としないなあ」

 「では、あのバスタブはどちらから運ばれてきたのでしょう?」

 「プールの用具庫にあったものだ。ああ見えて(かる)いから、それもまた誰にでも運べるだろうな」

 

 さんざん菊島君の気持ち悪い話を聞いたけど、結局彼が犯人だということも、犯人でないということも、他の人が犯人である有力な可能性も得られないまま、議論はまた行く先を見失って彷徨い始めた。

 

 「ほ、他に何か手掛かりはないの!?湖藤君!」

 「ぼく?うぅん……そうだなあ。狭山さんの遺体は溶けていたけど……普通、生きてる人が溶かされそうになったら抵抗するよね。だけどあそこは、薬品が溢れた痕跡もなかったし、バスタブにひびなんかもなかった」

 「ということは?どういうことだい?」

 「狭山さんは、溶かされる前に何らかの方法で無力化されていた……あるいは、溶かされる前に既に殺されていたのかも知れないってことだ」

 「んまあそうだろうなあ。生きたまま溶かされちゃあ叫び声の一つもあげるだろうしな」

 「ってことは、狭山さんの死因がヒントになるわけだね!モノクマファイルは!」

 「書いてないよ」

 「じゃあ検死は!?」

 「できるわけないでしょ。溶けてんのに」

 「詰んだっ!!」

 「うるせえなあ!!」

 

 狭山さんの死因。モノクマファイルには何も書かれてなくて、湖藤君はそれが犯人に繋がる重要なヒントだという。溶かされる前に殺されていたんだとしたら、死体の残っていない今、彼女の本当の死因を見つけ出す証拠なんてどこにも……ない、ことはないのかも知れない。

 

 「狭山さんの……死因かどうかは分からないけど……」

 「甲斐さん、心当たりがあるの?」

 「うん、少し。きっとあれだ──!」

 

 私は、思い出した証拠を、みんなに突きつける。

 

 「……地下へと続く階段の縁に、血が付いてたんだ。きっとこの事件のときに付いたもの、だと思う」

 「ああ、俺と菊島(ヘンタイ)が見つけたヤツだな!」

 「そういうのがイジメの第一步(だいいっぽ)になるんだぞ。やめなさい」

 「血が付いていた……つまり出血を伴う外傷を負ったということですか。しかもそれなりの量が出ているみたいですね」

 「……それもきっと、分かるよ」

 

 私は、あの階段の血を見たことがある。事件よりも前に。もっと、ずっと、まだ彼の死を知らずにいた、あのときに。

 

 「あれは、殴打されて出る血だよ」

 「……なんでそう言い切れるのか、聞いてもいいかな?甲斐さん」

 

 湖藤君が尋ねる。きっとその理由は、私が言わなくても彼は分かってる。それでも聞くのは、他の人たちには分からないからだ。無神経に、或いは純粋な疑問として聞かれるよりも、事情を知ってる人に促された方がお互いに傷つかないという、湖藤君なりの気遣いなんだと思う。

 

 「私は……保健室で、見たから。益玉君と、三沢さんの……血を」

 「あ、ああ……そうだったわね。それなら……いちおう、納得できるわ。ねえ?」

 「そんな嘘を吐いても仕方がありません。何より、甲斐さんはそんな嘘を吐く人ではありません。ご自分にとってのトラウマであるはずのことを、こうして手前共のために思い出していただいているのです」

 「聖人なの?甲斐さんって。てえてえ……!」

 「や、やめてよ……」

 「ということは、小狐(シャオフー)はぶん殴って殺されたアルか!?」

 「否。あの程度の出血で死にはしない。狹山(さやま)は多少頑丈だったようだからな。尙更(なおさら)だ」

 「あの……つかぬことを伺いますが、もしかしてそれも菊島様は実験なさったのでしょうか……?」

 「馬鹿なことを言うな。死にかけの負傷者がいる病院に詰めかけて取材した」

 「もっと質悪ィやな」

 

 私たちの今まで目にしたことが、これまで培ってきたものが、そのまま学級裁判で真相を導き出すための手掛かりになる。事件現場で、捜査した場所で、普段の生活で、何を見て何を話し何を考え何を思ったのか。その全てを総動員しないと、この学級裁判は生き残れない。一瞬でも油断した方が()けてしまう。

 

 「つまり、狭山は階段の上で殴られた。その後なんやかんやあって、地下のバスタブで溶かされてた。その間に何があったかだな」

 「アホですか?階段の上で殴られたんですから、普通にそのまま階段から落ちたに決まっているでしょう。階段にはずっと細かな血の跡が飛び散っていました。いくら頑丈と言えど、あの高さから落ちればさすがに死にます」

 「おお……なんという壮絶な死に方……!狭山さんの魂よ、どうか愛に包まれ安らかに……!」

 「ちょっと待ちな!あいつを殴って階段から突き落とすなんて、そんなことできるヤツがこの中にいんのかい!」

 

 声を荒げたのは岩鈴さんだった。彼女は悔しそうに歯を食いしばりながら、尾田君に反論した。それもそのはずだ。彼女はここに来たころ、女子の中では一番力があると自負していたし、実際にそうだった。でも狭山さんが人間の姿になってその状況は変わった。狭山さんは、岩鈴さんを簡単に拘束してしまうくらいの力があった。そんな狭山さんを、殴るなんて方法で殺害することが、この中の誰に可能だったのだろうか。

 

 「死亡推定時刻などから推測して、犯行は夜中です。夜なら暗いですし眠気で注意力散漫になりますから、不意打ちすることも可能だったのでは?」

 「じゃあ犯人は、不意打ちで殴って階段から突き落とした後、わざわざ地下室まで降りて狭山を溶かしたってことかい……?」

 「な、なんでそこまで……!ひどいよ……!」

 「発見した時点であの状態だったんだ。そういうことになるな」

 

 毛利さんが狭山さんを探して地下室に降りたとき、階段の先には既にバスタブが置いてあった。犯人は、わざわざ地下室に降りればすぐに見つかるような場所で狭山さんを溶かしたんだ。なんてひどいことをするんだろう。階段から落ちた時点で狭山さんは死んでいたのに、そこまでする必要があったのだろうか。

 

 「ひとつ、よろしいでしょうか?」

 

 庵野君が手を挙げた。

 

 「手前はずっと部屋に閉じ込められておりましたので、いまいちど確認したいのですが……今回、狭山さんのご遺体を発見されたのはどなたですか?」

 「私と甲斐だ。朝、食堂に現れない狭山を探して地下室に降りたときに発見した。死体発見アナウンスもそのときに鳴った」

 「死体発見アナウンス……」

 

 庵野君の問いに、毛利さんが答えた。死体発見アナウンスというものを、私はついさっき初めて知った。私たちの誰かが死体を発見したときに、モノクマがそれを知らせるための放送だ。確かに、私がバスタブを覗き込んだとき、モノクマのうるさい声が地下室にわんわん響いたのを覚えている。

 

 「毛利さんと甲斐さん、あとおひとりは?」

 「おひとり、ってえと?」

 「死体発見アナウンスは、3人以上の人間が死体を発見したら放送されるのよ。モノクマから説明されたでしょ」

 「いや全然覚えてねえ……」

 「王村さんは相変わらずポンコツですね!お酒ばっか飲んでるからそうなるんですよ!ね、甲斐さん!」

 「え、ああ、うん……そう、かもね」

 

 正直私も忘れてたなんて言えない。そんなキラーパス出してこないでよ、宿楽さん。

 

 「毛利さんと甲斐さんは二人で見つけたんだから、お互いに間違いなく発見者であることが証明できるわ。だけど……あとひとり、二人よりも先に死体を発見している人がいるはずなのよ」

 「毛利か甲斐のどっちかが犯人だったらどうなるんだよ?」

 「それでもそもそも人数が足りてないね。何よりあんなSeñorita(カワイコチャン)たちが犯人なわけない!」

 「そうですよ!基本的にクロは殺害時に死体を見ているはずです。でも、シロのふりをして再発見した場合は、発見者としてカウントします。要するにケースバイケース、個別の事象についてはお答えできません!」

 「だりい役所みたいな回答してんじゃないよ!」

 「何にせよ、これはかなり問題だと思うな」

 「そ、そう?」

 「そうだよ。だってその人は、狭山さんの死体を一番に発見しておきながら、誰にもそのことを話していない人なんだから」

 

 ピリッ……と、明らかに空気が変わった気がした。議論が進み、全員が裁判の緊張感に慣れてきたところに、湖藤君から提示された新しい緊張感。私たちの中に殺人犯がいるかも知れない……だけじゃない。狭山さんの死を知っていて、黙っていた人がいる。その可能性が、ますます私たちを疑心暗鬼に陥らせた。

 

 「それとね。これはまだ、あくまでぼくの予想でしかないんだけど」

 「……なんですか。勿体ぶらずに言いたいことは言ったらいいじゃないですか」

 

 それはフリなのか、考え込む仕草をして、湖藤君が続けた。

 

 「あのバスタブを見て、すぐに狭山さんの死体だと気付く人は少ない。でも何だか分からない異常が目の前にあって、それが自分と無関係に存在するなら……誰にも言わないなんてこと、するんだろうか」

 「いやあの、湖藤さん?もうちょっとその……分かりやすく言ってもらえない?全然分からんです……」

 「第一発見者はおそらく、あのバスタブじゃなくて、狭山さんの遺体そのものを見ていた可能性があるってことだよ。狭山さんは犯人に殺されて階段を落ちた後、第一発見者に見つかって、その後あのバスタブに入ったことになる」

 「つ、つまり……?」

 

 

 「狭山さんを溶かしたのはクロじゃない。その第一発見者ってことになる」

 

 

 背後に冷たい気配を感じたような、全身が悪寒に襲われた。私たちはもう、もしかしたらずっと前から、仲間なんかじゃなかったんだ、って。

 

 

学級裁判 中断




学級裁判は長くなりますが筆が乗りますね。


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学級裁判編2

 

 ぷぷぷぷーーーっと!毎度お馴染みモノクマによる前回までのあらすじのコーナーだよ!オマエラ、忘れたとは言わせないよ?ボクにだってちゃんとした役目があってここにいるんだからね!まあ、あらすじはおまけみたいなもんだけど。本当の役割っていうのは最後まで明かさないものなんだよ。なんでもそうでしょ?自分の正体は最後まで隠し通すのがいいゲームマスターの条件ってこと!

 

 

 さてさて、二回目となった今回の裁判、被害者は“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃サン!シャーマンってなんだよと言いたいところだけどそれ以前に人間ですらないってなんだよ!!ボクとキャラもろ被りだよ!!キツネの姿で現れたかと思ったらのんべんだらりと好き放題してくれちゃってさ!かと思えば今度は人間の姿に戻ってまたまた好き放題やりたい放題!『狐々乃一心教会』なんていう組織まで作って、コロシアイから離脱宣言までしちゃった!ボクからしてみれば木っ端みたいなものだけど、これがみんなの心身にものすごく影響を与えてしまった。それだけならまだしも、個室にみんなを閉じ込める実力行使でコロシアイを止めようとするもんだから、さすがにそれはと思ってボクもちょっと介入しちゃったけど……でもしょうがないよね?ゲームマスターはときにラインギリギリを攻めるものだからね。なんでもそうでしょ?

 

 そんな狭山サンは、なんと地下室のバスタブの中でドロッドロに溶かされた気持ち悪い沈殿物となって発見されてしまいました!まさか溶かすまでするなんてボクも思わなかったよ!でもまあ、それが死体としての形を保っていようがいまいが、殺しは殺しだからね!どうやら狭山サンはみんなを掌握しようとしていたみたいだけど、実際に心の底から操られていたのは陽面サンと理刈サンの二人だけ!うーん、修行が足りん!それでも岩鈴サンみたいなゴリラよりも力が強いってことで、誰も逆らえなかったけどね。とにかく恨みを買っていたことは事実だから、その死を悲しむ人よりも、この猟奇的な事件を解き明かそうと動く人が多くなった。結果的にコロシアイに貢献してくれてるんだから、よくできた怠け者だよ、あの人は。

 

 月浦クンの造反や毛利サンの後悔、そして菊島クンの性癖なんかも続々と暴露されていき、裁判はじわじわと議論が進んで行ったね。そして前回、湖藤君があることに気付くのです。死体が発見されたときにボクが流す死体発見アナウンス。それをヒントに、狭山サンを殺害した犯人とドロドロに溶かした犯人は別だと言うのです!

 

 うぷぷぷぷ♫誰がクロで誰が裏切り者なのか!二項対立に収まらないこの緊張感こそが、学級裁判の醍醐味だよね!そんじゃま、続きいってみよー!

 


 

学級裁判 再開

 

 狭山さんを溶かしたのは、クロじゃなくて死体の第一発見者。湖藤君はそう言った。それを聞いた瞬間、私は驚いた。そして次の瞬間、自然に全員の顔色を窺おうとしていた自分の視線に気付いて、さっと目を伏せた。違う。私がすべきなのは、誰がやったかを探ることじゃない。そんなはずはないと湖藤君に反論するべきなんだ。だって、湖藤君の推理が正しいことは……私たちの中に、そんなひどいことをする人がいるってことになるから……!

 

 「こ、湖藤、君……!それは……!それは──!」

 「まあ、そうなりますよね」

 「──ッ!!」

 「何を驚いているんですか?単純な足し算引き算の問題ですよ」

 「だ、誰だッ!!誰がそんなことしやがったんだい!!」

 「どうせ菊島だろ。あんな変態はさっさとはぐの前から消し去らないといけない!」

 「先刻(さっき)も言ったが、俺は自分にしか藥品(やくひん)を使わん。そういうプレエは好きじゃないんだ」

 「だからプレイって言うなっつうの」

 

 意外なほど、拍子抜けするほど、みんなあっさりと湖藤君の推理を受け入れていた。どうして……どうしてそんなひどいことをした人が私たちの中にいるなんて、簡単に受け入れられるの?どうして簡単に仲間を信じるよりも疑う方にいっちゃうの?私たちは……仲間じゃないの?

 

 「それは違うよ、甲斐さん」

 

 ふっと、軽いブランケットをかけてくれるように、それは温かく、優しく私を包んだ。頭に渦巻いたもやを晴らすような、やわらかい風のような声だ。湖藤君が、私に語りかけてくれた。

 

 「仲間だからこそ、徹底的に疑うんだ。徹底的に疑って、考えるんだ。どこまで信じるべきか。誰を信じるべきか。誰なら信じられるのか。信じることと疑うことは同じことさ」

 

 私の思考を読んだように、湖藤君はそんなことを言って笑う。心の中の声が、全部彼に聞こえてしまってるみたいだ。仲間だからこそ疑う……信じることと疑うことは同じ……。その言葉の意味は、私にはまだ分からない。いつか分かるときが来るのかな。でも──少なくとも──。

 

 「疑うことをやめたら、私たちは負ける」

 

 それだけは、何よりもはっきりしていた。みんなのことは信じたい。だけど、確実に嘘を吐いている人がいる。その人は見つけなくちゃいけない。それができないと、私たちは学級裁判に負けてしまう。私だけじゃない、湖藤君も、宿楽さんも、尾田君も、みんなも。みんながいなくなる。

 

 「負けるわけには──いかない──!」

 

 裁判場は再び回りだす。うるさいほどになる心臓の鼓動をいっそう急かすように、目まぐるしく議論が動き出す。

 


 

 「なんで第一発見者は死体を溶かしたりしたんだ?そこに何の意味がある?」

 「よほど狭山さんに恨みがあったのか……それとも、遺体が残っていると何か不都合があったとか……?」

 「だから、あの変態の仕業に決まってるだろ!」

 「俺はしていないし()たり前のように變態(へんたい)呼ばわりするのを止めろ!」

 「殺人が起きたということすら私にはまだ信じられませんが……その上、狭山様のご遺体を損壊した方がいらっしゃるなど……理解の及ぶ範疇にありません!」

 「なんでもいいからなんか怪しいこととか気になったこととかないの?誰か!」

 

 今まで同じ方向を向いていた人たちの中に敵が紛れているかも知れない。それがじわじわと実感を伴ってきたのか、みんなが徐々に焦り出す。一足先にそれを経験していた私は、比較的落ち着いて考える。昨日の夜から様子がおかしい人はいなかったか?夜中に何か聞いたり見たりしなかったか?捜査時間中、おかしなことをしてる人はいなかったか?何か、いつもと違うことはなかったか……?

 

 「──ッ!!」

 

 何かが、引っかかった。見逃してはいけないような気がした。電流が走ったようだった。何の確信も保証もない。だけど、一度気になったそれは、考えれば考えるほど不自然に思えてきて……今でも思い返される腕の痛みが、その違和感を証明するような気がした。

 

 「……甲斐さん?どうされました?」

 

 ふと、私が黙りこくってることに気付いたのか、庵野君が声をかけてきた。あの時の記憶が、ますます鮮明に思い出された。そして不思議と……いや、ちっとも不思議なんかじゃない。偏見だと言われても仕方のないくらい無根拠だけど、この人なら、それくらいしてもおかしくないと思えてしまった。

 

 「あのさ」

 

 私、こんな低い声出せたんだ。妙に冷静な頭がそんなことを考える。まるで思考と肉体が分離してしまったみたいに、私の体は何も考えなくても勝手に動き出す。私は、その人の顔をじっと見た。半分も見えていないその顔を。

 

 「君でしょ。尾田君」

 「──っ──!……はい?」

 「え?か、甲斐さん……!?ど、どしたの急に……?」

 「だから、狭山さんを溶かしたの。知らんぷりしてるけど、尾田君なんでしょ?」

 

 がやがやとざわついていた裁判場が、一気に静かになったのを感じた。なんだろう、妙に冴えてる。ついさっきまで何の根拠もないはずだったのに、口に出した言葉が響いて耳に戻ってくると、尾田君の表情を見ると、みんなの反応を浴びると、なんだか自信が湧いてきた。

 

 「……終わりですか?根拠も論理も質問もありませんが、あなたの言いたいことはそれだけですか?最低限の論もない発言はただのノイズです。控えてください」

 「だっておかしいじゃん。尾田君。ずっと。みんな思わない?」

 「お、おかしいって何が……?」

 「か、甲斐さん……どうしたの?なんか、おかしくない?」

 「おかしくない……おかしくないよ。おかしいのはこのコロシアイだよ……!」

 「お願いしますから、ちゃんと話してください。今のあなたは裁判の妨害しかしてませんよ」

 

 あからさまにいらついた顔で尾田君が言う。いや、尾田君はいつもいらついてる。今更私が何か言ったところでどうせイライラがイライライラになるだけだ。

 

 「地下室でみんなが集められたときにさ」

 

 取りあえず、私はしゃべり出した。まだ結論に至る道筋は描けてない。だけどゴールだけははっきりと見えている。あとはそこに辿り着けるかどうか。場当たり的な言葉でどこまで彼を追い詰められるか分からない。でもいいんだ。私のすることは情報を出すこと。きちんとした推理は湖藤君がなんとかしてくれる。今までだってそうだった。

 

 「モノクマが言ってたよね?あのバスタブに入ってる薬品を中和してからでないと捜査させられないって。中和した後でも直接触るのは危険なくらいだって。庵野君が引き留めてくれなかったら、私は今頃片手がなかったよ」

 「あのときは……とっさとは言え、痛い思いをさせてしまいました。どうかお許しください、甲斐さん」

 「うん。怒ってないよ。ありがとう庵野君。でもね、尾田君はそのとき、バスタブの中に手を突っ込んで捜査してたんだよ。そのちょっと前に薬品庫で会ったときには、ちゃんとした防護服を着てたよね」

 「ええ。着てましたよ。それが何か?」

 「あのバスタブに入ってたのはYABASUGIなんでしょ?なんでも溶かしちゃう最強の薬品なんでしょ?なんで尾田君は、あの防護服で大丈夫だと思ったの?」

 「……そんなことですか。まあ、情報共有をしていませんでしたから、尤もな疑問かも知れませんね。はい。お答えしますよ。それはあの防護服が最も上等なものだからです」

 「上等?どうしてそんなことが分かるの?」

 「モノクマが言っていたからです。そうですね?モノクマ」

 「え?はい?う〜ん、どうだっけ?ほら、ボクってあんまり過去を振り返らないタイプだから」

 「はっきりしなさい」

 

 案の定、イライライラになった尾田君がふわふわしたモノクマの回答に舌打ちして足を踏み鳴らした。大きい音に驚いて王村さんが跳び上がった。

 

 「まあ、そう言えばそんなこと言ったね。確かにあの銀色の防護服は、あらゆる有害物質から使用者を守る最強の装備だよ」

 「何でも溶かす藥品(やくひん)に何でも防ぐ防護服?新譯(しんやく)版の矛盾か?面白い面白い」

 「おいらも聴いたけど、菊島もいたよな?」

 「さてね。どうせ俺のことだから、(くすり)のことばかり見ていたのだろう」

 「他人事みたいに」

 「YABASUGIとて万能ではありません。本当になんでも溶かすのならあのバスタブごと溶けているはずです」

 「あ、ホントだ」

 「証拠品を溶かすなり死体を溶かすなりであの薬品が使われたときのことを、モノクマがゲームマスターとして考慮していないわけがありません。何らかの対策を用意しているはずだと考えれば、あの最高品質の防護服を使えば捜査できるという結論に至るのは、実に自然なことではありませんか?」

 「……じゃあ尾田君は、捜査の時にしかあの防護服には触ってないんだ?」

 「ええ、そうです」

 


 

 なんだか、少しだけ尾田君の気持ちが分かった気がする。自分の誘導で相手がミスをしてしまったことに気付いたとき、妙な高揚感があった。なんだか今まで脳の感じたことのない部分が熱い。気が付いたとき、私は笑っていた。

 

 「よく分かったよ……尾田君が、狭山さんを溶かした犯人だっていうことが!」

 「はあ?……なんなんですかあなたは。気持ち悪い」

 「尾田君が教えてくれたんだよ。言い逃れはできないんだからね!」

 

 すっかり裁判場は、私と尾田君、そしてオーディエンスしかいなくなっていた。みんなが私と尾田君の対決の行く末を見守っている。今から私は、尾田君に挑む。彼のしたミスと今までの発言で……尾田君は追い詰められる。それをよく確かめて、私は彼に向かい合った。

 

 「いい加減にしてください。なぜ僕が損壊犯だと言い切れるんですか?根拠もなくそんなことを言われても困ります」

 「根拠ならあるよ……!尾田君は明らかにおかしなことを言った。それが損壊犯の証拠だよ」

 「防護服の件ですか?別におかしなところなんてないでしょう。すぐに適切な対処ができたことが不自然だとでも言うのですか?疑いの目で見るからおかしな勘違いをするんです」

 「たった一回しか薬品庫に行ってない人が、近付くだけで危険な薬品を扱うのにそんな推測だけで行動できないよ。まあでも、君のことだからきっと私の知らないことを色々知ってて、それを下に判断したのかも知れない。だから私が言いたいのは違うことだよ。話を逸らそうとしないで」

 「なら逸らされる前にさっさと本題に入ったらどうですか?余計な外堀を埋めていくのは本丸の論理に自信がないことの裏返しと取られかねませんが、かまいませんね?」

 「いいよ。それより、裁判が始まったばかりのときを思い出して」

 「?」

 

 わざと私を苛立たせるようなことを言う。わざと私を焦らせるように捲し立てる。わざと私を困惑させるように面倒な言い回しをする。なんだ。冷静に聞けば大したことない。言ってることに一定の理屈はあるけど、だからといって全く反論できないわけじゃない。本題と関係ない部分を削ぎ落として考えれば、尾田君の言うことはシンプルなことだ。自分を追及するならそれなりの根拠を見せろ、それだけだ。

 

 「なんで狭山さんが溶かされてるのかを話し合ったとき……尾田君は言ったよね?」

 

 ──なぜ狭山さんは……あのように、どろどろに溶かされてしまったのでしょうか──

 ──……ひどいことするヨ。いくらなんでも溶かすことなんてないネ。ほっぽっておけばそのうち骨だけになるヨ。そっちの方がずっとマシネ──

 ──誰が死んだか分からないようにするためじゃないかい?(アタシ)は知らないけど、身元を隠すために顔を潰すなんて話も聞いたことあるよ──

 ──どうせ学級裁判になれば全員集まります。死体を溶かしたところで何の意味もありません──

 

 「……そんなこと、言いましたか?」

 「た、確かに言ったぞ!(アタシ)は覚えてる!」

 「言ったようです」

 「じゃあ分かるよね?自分の発言がおかしいってことくらいさ」

 「へ?な、なんかおかしかった?今の?」

 

 宿楽さんが首を傾げる。他のみんなも、ほとんどが同じように難しい顔をしている。その尾田君の発言に、矛盾や綻びはない。正しいことを言っているに過ぎないんだから。だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だってこれは、まだ裁判が始まったばかりのときの発言なんだから。

 

 「裁判の最初、本格的な議論に入るときにこんな発言が出て来るのはおかしいんだよ。だって、そのときはまだ狭山さんの死因や死亡時の状況について話し合ってなかったし、分からないこともあったはずだよ。それなのになんで尾田君は、狭山さんの()()()()()()って言ったの?」

 「──ッ!ああっ……ほ、本当だわ……!」

 「狭山さんが殺害された後に溶かされたっていうのは、階段にあった血からそう推理したんだったね。尾田君はその時点で、その血の存在やその先の推理まで考えていたのかな?」

 「……またあなた方はそうやって言葉尻を捉えて鬼の首を取ったかのように」

 

 何か反論があるようだ。だけど尾田君の顔は苦々しい。たぶん私が彼の発言を振り返った時点で、何を以て追及されるか彼には分かっていたんだと思う。それでも反論しあぐねているのは、こうして追及されること自体が尾田君にとっては予想外のことだったからに違いない。

 


 

 「あのねえ、僕だって人間です。言い間違いや無意識の思い込みをしてしまうことだってあります。普通人間を溶かす状況を考えたら、生きたまま溶かすより死体を溶かすことを想定するものではありませんか?」

 「人なんて溶かしたことはないから分かんないアル」

 「溶かすっつったら味噌か入浴剤くらいだァな」

 「あんたたちは黙っててください。場が荒れます」

 「私もそう思う」

 「すみません……」

 「ともかく、言い間違いをしてしまったことは率直に謝罪します。ですがその程度のことで揚げ足を取って損壊犯扱いされるのは、はっきり言って迷惑です」

 「揚げ足取りじゃない。君は、実際に狭山さんの死体を溶かしたからそう言ってしまったんだ」

 「証拠もなしによくそんなことを──」

 「証拠なら、あるよ」

 

 ぎろり、と尾田君の流し目が私を捉えた。半月型の彼のメガネの奥から、冷たい視線が私に突き刺さる。実際、これが証拠として機能するかは賭けだ。もし何もなければ、きっと尾田君に言い逃れされてしまうだろう。だけど多分、大丈夫だ。その証拠がそこにあることは、誰よりも尾田君が一番よく示してくれているから。

 

 「尾田君さ。今日、体調悪そうだよね」

 

 私は見逃さなかった。尾田君の瞳が揺れ動いたのを。それは、彼があまり見せたことのない、動揺だ。

 

 「ええ……そうですね。風邪気味で」

 「ウソなんでしょ?」

 「……」

 「君は風邪なんてひいてない。そのマスク、本当は違う目的で着けてるんでしょ?」

 

 今朝から、尾田君はずっとマスクを着けていた。初めは驚いたけど、次第にそれも慣れていって特に気にすることもなくなっていた。マスクくらい、誰だって着ける。だけど、今、ここでそれを着けているのは、私にとってはすごく大きな違和感だった。

 

 「鼻もすすってない、声もいつも通り、風邪らしい症状がひとつもないんだよ。だから君は本当は風邪気味なんかじゃない」

 「……僕はあなたの許可を得ないと風邪も引けないのですか」

 「そのマスク、外してみせてよ」

 「何のために?」

 「君が、YABASUGIを使って狭山さんを溶かした証拠が、そこに残ってるはずだからだよ」

 「……はあ」

 

 私は力強く尾田君を見つめる。しばらく私を睨み返していた尾田君だったけど、周りのみんなも私と同様に彼をじっと見てる。やがて観念したのか、尾田君は深いため息を吐いた。そして、目深に被ったパーカーのフードを開けて、マスクを耳から外した。

 

 「──あっ!」

 

 マスクを外した尾田君の顔には、はっきりとした跡が残っていた。まるで昔のマンガみたいに、ほっぺに丸い大きな跡がある。神妙な、それでいて苛立った顔でそれを見せる尾田君は、だけどちっとも滑稽じゃなかった。その跡がついていることの意味を、みんな理解したからだ。

 

 「お、尾田……!おめェそれ……!」

 

 一番大きな声をあげたのは、王村さんだった。なぜなら、彼もまた知っていたからだ。薬品庫にあるあの防護服のマスクは特殊で、着けるとほっぺに深く跡が残ってしまうことを。

 

 「まさか、あなたのような人にこんなことをさせられるなんて、思っていませんでしたよ」

 

 裂けそうなほど口を歪ませて、ほっぺの跡をぐしゃりと潰して、尾田君は笑った。

 

 「……尾田君。君が狭山さんを溶かした犯人だね?」

 「ええ。そうですよ。ここまで来て言い逃れなんてしようとしませんから、安心してください」

 「あ、安心してと仰いますが……!ど、どうしてそんなことをされたのですか……!?どうしてそんな恐ろしいことを……!」

 「あれが人間のやることかよ!!いったい何考えてんだ!!」

 「うるさいですね……そう畳みかけられては話すに話せないじゃありませんか」

 「な、な、なにを……!」

 「待って。みんな」

 

 尾田君が罪を認めると、途端にみんなが口々に彼を非難し始めた。当然だ。人ひとりを丸ごと溶かしてしまうなんて、人の尊厳も何もあったもんじゃない。せめて人の形でいれば弔うこともできるかも知れないのに、あんな風にされてしまっては、もうそれが死体かどうかすら分からない。モノクマの死体発見アナウンスがなかったら、もしかしたら尾田君以外誰も、あれが狭山さんだと気付けなかったかも知れない。それくらいひどいことをしたんだ。

 その理由は、絶対に聞かなくちゃいけない。私は、雨のように降り注ぐ尾田君への批難を制した。

 

 「……話してよ」

 「はいはい、話しますよ。まったく堪え性がない人たちです。話すと言っているのに」

 「勿体付けてねえで──」

 「芭串君。静かに」

 「え、オレが注意されんの……?」

 

 頭を掻く尾田君が喋りやすいように、野次や反論は全て抑え込む。一を投げたら百で返して話をあやふやにして、しかもあやふやになった話に乗ると何を言っているか分からないとバカにして話を終えてしまうから質が悪い。だから、彼に一方的に話させなくちゃいけない。私は、黙って目だけで彼に話を促した。

 

 「はあ……まあ、大した理由はありませんよ。強いて言えば実験ですかね」

 「じ、実験……?」

 「ええ。実験です。果たして死体が完全に消失した場合、学級裁判は開かれるのか。それを確かめようと思っただけです」

 「……な、なにを言っているのですか?」

 「死体発見アナウンスは、3人以上の人間が死体を()()したときに放送されます。学級裁判は殺人犯を見つけるために行われるものですが、殺人が起きたという根拠は死体の発見に依ります。であれば、死体が発見されなかった場合、死体発見アナウンスは流れません。その場合、学級裁判は開かれるのか?あるいは誰にもバレずに殺人を遂行したと見なされて卒業となるのか?その場合、どの程度の期間バレなければいいのか?クロ以外の人間はどうなるのか?疑問は様々ですが、確かめるにはやはり実験するのが最も手っ取り早いと思いまして」

 

 誰もその後に言葉を続けることはできなかった。まさか、尾田君がここまで人の命を軽んじているなんて。人のことをバカにして、自分以外の人間に興味が無い人だとは思っていたけど、まさか自分の興味のために他人の尊厳を簡単に踏みにじれるような人だなんて……私は、それを信じたくなかった。

 

 「結果は御存知の通り、失敗です。死体と認識できる見た目でなくても、事実として死体であれば発見とカウントされてしまうようですね。まあ、さすがにコロシアイの根幹を成すルールがザルでは、それはそれで困りますが」

 「哎呀(アイヤー)!!イカレてるアル!!何人ヤバいヤツが炙り出されるカこの裁判!!」

 「さすがにこれは容赦できません……あまりに身勝手です!愛がないのですか!」

 「なんで僕が狭山サンに愛情を持たなきゃいけないんですか、バカバカしい」

 「ダメだこいつ……!!早くなんとかしないと……!!」

 

 尾田君がサイコだなんてこと、私にとっては今更だ。だけど、自分の近くにそんな人がいるなんてことを認めたくなくて、私は彼を責めることすらしたくなかった。責めることは、尾田君がそんなことをしたと認めることになってしまう。

 

 「みんな、気持ちは分かるけど、今は尾田君を責めている場合じゃないよ」

 

 そんな私の気持ちとは別に、湖藤君が一斉に尾田君を糾弾し始めたみんなを制した。

 

 「な、なんでだよリン!?リューヘイが何をしたか分かっていないのか!?」

 「もちろん、よく分かってるさ。狭山さんの遺体を溶かした。ひどいことするよね、本当に」

 「いまいち心がこもってないような気がするけど……」

 「だけど、今ぼくたちが突き止めるべきことは何か、考えてみてよ。この裁判の議題はなんだっけ?甲斐さん」

 「えっ……」

 

 まさかここで私に振られるとは思わなかった。

 

 「えっと……狭山さんを殺したクロを突き止める裁判……?」

 「そう。ぼくたちが見つけるべきは、狭山さんの遺体の損壊犯じゃない。殺害犯なんだ。尾田君は狭山さんの遺体を溶かしてしまったけれど、それは同時に殺人犯じゃないことの証明にもなる。これ以上尾田君を責めても、議論は進まないんだよ」

 「……そう、ね。理屈は、そうだわ……いえ、もちろん、そうすべきだわ」

 「ほ、ほーこちゃんまで……どうして?りゅーへいさんはコンちゃんにひどいことしたんだよ?」

 「確かに、遺体損壊は法的にも倫理的にも、決して許されることじゃないわ。だけど……裁判の議題が『狭山さんを殺害した犯人は誰か?』なら、その罪をここで裁くことはできないの」

 「な、んな……バカな……!そんなこと……あり得んのかよ……!?」

 「別に僕を責めたければ好きにしたらいいでしょう。ですがそれは、この裁判を無事に生き延びることができたら、です。裁判に敗れてしまえばそれどころじゃないんですよ?それに湖藤クンが言うように、僕は完全にシロです。狭山さんの遺体の発見者にカウントされていますからね。まだ何か言いたいことがある方は?」

 

 挑発的な尾田君の言葉に、しかし誰も返すことはできなかった。感情で発言しても意味がない。はっきりとそこにある事実を元に議論を進めるしかないと、みんな理解していた。だからこそ、悔しそうな顔をしている人も多い。

 

 「一つ、尋ねたい」

 

 手を挙げたのは菊島君だった。

 

 「なんでしょう」

 「狹山(さやま)死體(したい)を溶かしたのなら、殺害現場や犯人も目擊(もくげき)しているのではないのか?直接は見ていなくても、何らかの手掛かりを持ってはいないのか?」

 「ああ。それですか。残念ですが何もありません。僕が地下室にいたところに、狭山サンが転がり落ちてきたんです。声なども聴いていません」

 「使えないな。裁判を引っ掻き回しただけじゃないか」

 「そもそもなんで夜中に地下室にいたんだよ!」

 「別に。薬品庫を調べていただけですよ。何かに使えるものがないかと思って」

 「もう追及するのも面倒くさくなってくる……叩けば埃が出すぎだ……」

 「言いたい放題言ってくれますね。そういうあなた方も決定的な証拠なんて持っていないでしょう」

 

 話が始まれば、みんなの言葉の端々から尾田君へのヘイトが漏れてくる。いちおう議論は前に進んでるのかな……?だけど、直接犯人につながる証拠なんてあるはずがない。あったらみんな最初に出してるはずだから。

 

 「あるぞ」

 

 そう、ある──えっ?

 

 「はい?」

 「犯人を特定する決定的な証拠なら、ある」

 

 聞き間違いじゃなかった。言い間違いでもなかった。彼は本気で言っている。私たちの視線のすべてが、月浦君に注がれた。

 

 「な、なに言ってんだアンタ!?はあ!?い、意味が……!?」

 「今更なにを言っているんですか?決定的な証拠があると……今になって言うんですか?」

 「決定的な証拠だったら最初に出してよ!?なんでこのタイミングで!?」

 「ちぐ……?」

 「大丈夫だ、はぐ。僕に任せて」

 

 さっきまでの尾田君と同じだ。突然、爆弾発言をした月裏君にみんなが困感と非難の声を飛ばす。だけど月裏君はそんな声の一切を無視して、唯一不安げな顔をしている陽面さんにだけ、優しい言葉をかけた。そして、うんざりしたような顔でみんなに向き直った。

 

 「じゃあお前ら、僕が初めに犯人を特定する決定的な根拠を言ったところで、すんなり受け入れてたか?捏造だの間違いだのと文句をつけてまともに取り合おうとしないだろ。そもそも誰の言葉を信じていいかも分からない状況では証拠が持つ力も正確に測れない。議論が進むことと、ある程度の真実が見えることで、お前たちは多少なりとも足りない頭で自分なりに考えるようになるだろ。いいか?僕は出し惜しみをしていたわけでも隠していたわけでもない。この証拠が証拠としての力を持つようを窺っていただけだ。お前らの能力不足を僕がカバーしてやってるんだ。とやかく言われる筋合いはない。分かったか能無しども」

 「全ッ開だな!!長々と!!」

 「え〜っと……そこまで言うってことは、結構自信あるんだ?その証拠」

 「当たり前だ」

 「だったら早いとこ出してください。もう機は熟したんでしょう」

 「ああ。出すつもりだ。ところで湖藤」

 「ところで!?」

 「お前が庵野と岩鈴を部屋から逃がしたとき、どうして僕が岩鈴が部屋から出たことを知ったと思う?」

 「ええ……そんなの今ぼくにきく?う〜ん……どうしてかな。直接見てたとか?」

 「……お前にしてはお粗末な推理だな」

 

 そう言って、月浦君はジャケットの裏ポケットをまさぐって、何かを取り出した。それは、尾田君がマスクに隠していたおかしなマスクの跡でも、菊島君が常に携帯している薬品の小ビンでもない。私たちにとっては一番身近で、一番見慣れたものだった。

 

 「これを見せれば分かるか?」

 「……シャー芯?」

 「そうだ。狭山が閉じ込めたヤツの部屋のドアには、これを挟んでおいた」

 「なぜ……そんなことを?」

 「分からないのか?こんなもの、ドアを開けば簡単に折れる。折らずにドアを開けるのは不可能だ。だからこれを挟んでおけば、そのドアが開けられたかどうかがすぐに分かるってわけだ。ちなみに湖藤。お前の部屋はスライドドアだから、戸袋にえんぴつを仕込んでおいた」

 「あっ……!ってことはあれ……!」

 

 何かに気付いたらしい宿楽さんが、ポンと手を叩いた。

 

 「甲斐さんが見つけた湖藤さんの部屋のドアについてたあのマーク!あれ、えんぴつの跡だったんだ!」

 

 そうか。私も思い出した。湖藤君の部屋のドア、床に近いところに引かれた真っ直ぐな黒い線。あれは、スライドしたドアがえんぴつをこすって付いたものだった。なるほど。それを確認すれば、勝手に部屋から出られてもすぐに分かる。仕掛けるのも簡単だ。

 

 「で、それがなんだってんだよ」

 「部屋に閉じ込めていたヤツらには、いつも僕たちの朝食が済んでからはぐが配膳する。つまり前日の夜に僕がこの仕掛けを設置してから朝まで、ドアを動かしたヤツがいればシャー芯が折れる。それと逆のことも言えるってわけだ」

 「ち、ちぐすごーい!はぐ、毎日みんなの部屋に行ってるのに全然気付かなかったよ!」

 「気付かれないようにしたからね」

 「じゃあつまり……月月(ユエユエ)が言いたい決定的な証拠って……!」

 「……今朝、狭山の死体が発見されるより前。このシャー芯が折れていたヤツがいた」

 「……ッ!?」

 

 それは、月浦君が言うとおり、まさに決定的な証拠だ。夜から朝までの間に、部屋のドアが開けられた証拠。でも逆にそれは、狭山さんが閉じ込めていた人の部屋にしか設置されていなかった。つまり……狭山さんを殺害した犯人は、その中にいるってことになる。

 

 「ちょ、ちょっとお待ちください!それはおかしいのでは!?だって……!部屋に閉じ込められていた方々は、ご自分で脱出は不可能だったはずです!」

 「そうよ……だからこそあれは罰になった。月浦君。あなた、それは確かに死体発見アナウンスより前に確認したの?」

 「当然だ。はぐを起こすより前に確認した」

 「つ、月浦が……陽面よりも狭山の言いつけを優先したのか……!?」

 「バカか。あんなヤツの指示のために朝からはぐを連れ回すわけにいかないだろ。その分だけ早起きしてやってたんだ」

 「ブレないねホント……」

 

 答えを聞くよりも先に、そのシャー芯が持つ証拠能力を確認しておく。数秒後に月浦君が誰を指名するか、それ次第でこの裁判の行く末は大きく変わる。彼を、彼の証拠はどれくらい信じられるものなのか。それをはっきりとさせたい。私たちの運命は、簡単に折れてしまいそうなシャー芯の上に乗っている。

 

 「さて、質問は終わりか?なら教えてやろう。今朝シャー芯が折れていた……つまり、夜中にこっそり部屋の外に出ていたヤツを」

 「……!」

 

 シャー芯の容器を使って、月浦君が私たちを指す。ひとりひとりの顔色を窺うようにじっとりと。その先が最後に誰に向くのか、私たちは息を呑んでその行く末を見守った。とてつもなく長く感じる時間。心臓の鼓動が痛いくらい胸を叩く。早く終わって欲しい。終わって欲しくない。結論を出さないで欲しい。月浦君の指が止まってしまえば、それは受け入れなければならない。少なくとも、その人が夜中に部屋から出ていたことは確実だ。

 私は目をつむっていた。その瞬間を見たくなくて。その現実を待つのが辛すぎて。隣の宿楽さんが声を漏らした気がした。きっと、答えが出たんだ。私は……感じたことがないほど重いまぶたを、ようやく開いた。

 

 

 「狭山を殺したのは、お前じゃないのか?」

 

 

 今にも折れてしまいそうな細い指が、逞しい岩鈴さんをたじろがせた。たったそれだけの言葉で、彼女はひどく動揺していた。

 

 「なっ……!?に……!?」

 「今朝、部屋のシャー芯が折れていたのはお前だけだ。夜中に部屋を出て何をしていた」

 「ぐっ……!ううっ……!!」

 「い、岩鈴さん……?本当に……?」

 

 岩鈴さんは何も言わない。ただ、苦しそうな声を漏らすばかりだ。私は……よく分からなかった。岩鈴さんが、殺人?狭山さんを殺した?考えられない。だって、彼女は──彼女だから──いや、違う。あれは──あのときは……。

 

 「できるわけないだろ!」

 

 ぐるぐる回る私の思考は、突然の大声によって遮られた。声をあげたのはカルロス君だ。彼は……混乱していた。

 

 「ハナはココノに閉じ込められていたんだろ!?だったら部屋から出られるわけがないじゃないか!それに、ココノを殺したという証拠だってない!チグ!お前のその証拠を信じていいのか!?お前はココノと一緒にオレたちを裏切ったじゃないか!オレはお前を信じられない!」

 「そ、そうだよな……月浦しかその証拠は確認してねェんだろ?だったらデマカセでも分からねェじゃねェか」

 「信じる信じないの話じゃない。これは事実だ」

 「事実って言われても──!」

 「……あのっ!!」

 

 喉に引っかかっていた言葉が、勢いよく飛び出した。無理矢理吐き出そうとしたせいで思ったより大声になってしまって、みんなの議論を止めてしまう。私の言葉で、みんなの目は私に注がれる。言わなくちゃ。これは。でも──言ってしまったら──言わないと──どうしたら──……!

 

 「いっ……あのっ……!いわ──!」

 「岩鈴さんなら、部屋から出ることはできたはずだ」

 

 私の言葉の続きを、細く消え入りそうな声が掠め取った。目線より低い位置から聞こえたその声が、さらに私の言葉を盗んでいく。

 

 「岩鈴さん……きっと、ぼくのせいだね。ぼくが、余計なことをしたせいだ」

 「……ッ!!ぐうぅ……!」

 

 彼女は、否定も肯定もしない。うっかりすれば景色の中に溶けていきそうな、線の細い彼の儚げな謝罪に、苦しそうな顔をするばかりだった。

 

 「この建物に来た初日、益玉くんは彼の部屋で寝ていた。それを発見したのは、甲斐さんと、岩鈴さんと、ぼくだ」

 「ん?何の話ですか?」

 「まあ、聞いてよ。個室は、最初みんなもそうだったように内側からカギがかかっていた。だけど、ぼくたちはその扉を開けて、益玉くんを発見することができた。それは──」

 

 あのとき、私は見た。ドアと壁の隙間に、工具を差し込む岩鈴さんの姿を。

 

 「岩鈴さんが、むりやり扉を開けたからだ」

 「なにっ!?」

 

 本当なら、私が話すべきだ。私はもう、湖藤くんが言おうとしていることが分かっている。湖藤くんに言わせちゃいけない。それじゃ私は、彼に頼り切りだ。それなのに、言葉が出て来なくて、どうしても話せなくて、辛うじて体を支えている腕に力が入らなくて……。私は、何もできない。

 

 「前に岩鈴さんに教えてもらったよ。カギを外すのは技術が必要だけど、ドアを開けるだけなら簡単なんだ。隙間に差し金を挟み込んで、留め金を外せばいい。そうすれば、ドアノブを回さなくてもドアを開けることができる」

 「ということは、狹山(さやま)がドアに裝着(そうちゃく)していたあの器具は……岩鈴には初めから何ら意味のないものだったということか」

 「ううん。そうでもなかったよ。はじめに部屋に閉じ込められたとき、岩鈴さんはいきなり狭山さんに捕まって閉じ込められた。ドアを開けるための差し金を持っていなかったんだよ」

 「えっ……じゃ、じゃあ、どうやってドアを開けたの?」

 「それは──」

 「もう止めてくれよッ!!!」

 

 猛烈な衝撃波が裁判場を覆った。至近距離で花火が炸裂したような、強烈な空気の震動。それが岩鈴さんから発せられたものだと気付くのに、数秒かかった。

 

 「……差し金は、湖藤がロックを解除したときに持って来た……!食堂に行ったなんてのは、ウソだ。(アタシ)は…………さ、狭山を……殺しちまった……!」

 

 お腹の底から吐き出すように、ぼとぼとと言葉が落ちていくように、岩鈴さんは……自白した。そして、湖藤くんが私の言葉を奪った理由も、同時に分かった。

 狭山さんによって庵野君と岩鈴さんが閉じ込められた後、湖藤くんは部屋に閉じ込められた二人の部屋のロックを解除した。そのとき、岩鈴さんは部屋から出て差し金を取りに行った。そして、彼女は部屋に閉じ込められつつも、いつでも出られるようになった。そのせいで……狭山さんを殺害できる環境が出来上がってしまった。だからこれは、湖藤くんのせいなんだ。彼は、()()そう言いたいんだ。

 

 「あいつを……止めたかった……!(アタシ)は……殺すつもりなんてなかったんだよ……!」

 「……話してくれ、岩鈴。昨日の夜、お前と狭山の間に何が起きた」

 

 毛利さんが言った。誰よりも狭山さんと仲が良かった彼女は、深い悲しみも激しい怒りも見せず、ただ冷静に、岩鈴さんを見つめていた。毛利さんが心の中で何を思っているのかは分からない。けれど、今は岩鈴さんに全てを話してもらわなくちゃいけない。岩鈴さんは、全てを語らなくちゃいけない。そう感じた。

 いつもの気丈な態度がすっかりなくなった岩鈴さんは、少しずつ吐き出すように、語り始めた。

 


 

 俺(アタシ)は、あいつを殺すつもりなんてなかった……。ただ、こんなことを続けてたらいつか取り返しのつかないことになるって思ったから……狭山を説得したかったんだ。(アタシ)らはここを出て行かなくちゃいけない。こんなところで一生を過ごすなんてのは、ただ諦めてるだけだって。

 あいつが毎晩毛利の部屋で毛繕いを受けてるってのを前に聞いたから、深夜に部屋を抜け出せば捕まえられると思った。ドアのロックは……湖藤が言うとおり、差し金を使って外した。部屋を出て、廊下の角から狭山の部屋を見張ってた。毛利の部屋に行くことも考えたけど、2対1だとまた捕まっちまうと思った。

 

 「──ッ!」

 

 待ち始めてからしばらくして、狭山は来た。毛繕いをされてたから狐の姿のままで、うっかり見落としそうになっちまった。急いで声をかけて、(アタシ)はヤツに言ってやった。

 

 「おい狭山ッ!」

 「ぎょっ!?おっ?おおっ?これはこれは……岩鈴さん?これはどういうことでしょうね。あなたは部屋にいるべきなのですが……どうやって脱出を?もしやあなたも何か憑いておられる?」

 「あ?何の話だい」

 「いえ、なんでも。わざわざコンな夜更けにお部屋を抜け出して、拙僧に何の御用で?」

 「話がある。ちょいと付き合いな」

 

 部屋の外にいるはずがない(アタシ)と会っても、あいつは平然としていた。もしかしたら(アタシ)が部屋から出られることもお見通しだったのかも知れない、なんてビビっちまった。だから……もしものためにと思って持って来てたスパナを確かめたんだ。

 誰かに見られたらまずいと、狭山の方から地下への階段近くに誘ってきた。人目を避けるなら部屋に入るのが一番よかったんだけど、(アタシ)は相手の部屋に入ったら何があるか分からないって警戒してた。たぶん、あいつもそうだったんだ。その証拠に、あいつはすぐに人間の姿に戻った。いざというときに抵抗できるように。

 

 「お話というのは?拙僧はもう(コン)夜は寝るだけなので、手短にお願いしますよ」

 「あんたが作ったチーム──なんたら教会だったか?」

 「『狐々乃一心教会』です」

 「ずっとここで暮らすなんてバカなことは止めな。そんなのはただ逃げてるだけだ。それじゃこのコロシアイは解決しない。分かってんだろ?」

 「何を仰いますか。誰かがここから脱出したいと思うからこそ、コロシアイが発生するんです。いえ、それだけではありませんね。虎ノ森さんは益玉さんへの嫉妬、そして三沢さんの口を封じるためにコロシアイを起こしました。何がきっかけで人が人を殺すか分からない状態なのです。少しでもその危険を減らすためには、『狐々乃一心教会』は必要なのですよ」

 「(アタシ)は宗教の話は分からねえ。神を信じるタイプじゃねえからな」

 「拙僧たちが信じているのはお互いの絆ですよ」

 「それを理刈の前でも言えるのか?あいつはアンタのことを信じてたんだろ!なんで閉じ込めやがった!」

 「彼女は少々拙僧との考えに齟齬がありましたので。ひとり瞑想し思索する時間を与えたのです。皆さんは拙僧が理刈さんに罰を与えたと思っているようですが、言うなれば福利厚生です。まあ、皆さんの手前、罰であるかのように振る舞いはしましたが」

 「……やっぱり分からないよ。そこまでしてあんたの目的を達成したとして……コロシアイがなくなって一生ここで暮らせたとして……アンタはそれで満足なのかい!」

 

 まともな会話ができる相手じゃない、(アタシ)はそう思った。言葉は通じてるのに話にならない。たぶん、(アタシ)とあいつじゃ根本的な考え方が違う。同じ言葉を使ってるだけで同じ世界に生きてない。だからあいつを説得するために、(アタシ)は……不本意だけど、動機の話をした。

 あいつに閉じ込められてる間……(アタシ)はどうしても気になって、動機を見ちまった。内容は……だいたいあんたたちが思ってるとおりだよ。(アタシ)のビデオは、町工場のみんなが映ってた。あの不気味なモノクマ頭もいた。その後は……分かってるだろ。

 何が起きたかすら分からない。分かってるのは、(アタシ)がいないとあいつらはみんなダメになっちまうってことだけだ。(アタシ)は絶対にここを出なきゃいけなかった。だから、狭山に言ったんだ。

 

 「アンタにだっているんだろ!モノクマが動機に使ったような……外でアンタの帰りを待ってる誰かが!アンタが助けたい誰かが!こんなところで脱出を諦めたら、そいつらになんて言うつもりだよ!!」

 「なにも?」

 「……ああっ!?」

 「何も言いませんよ?というか、ここから出ずにどうやって言葉を交わすというのですか。拙僧は一休和尚ではありませんよ」

 「そ、そうじゃなくて、アンタの帰りを……!」

 「ああ。そもそもですね、拙僧の帰りを待つ人なんて、だあれもいませんよ。拙僧は天涯孤独の身。師匠や兄弟弟子らに恩こそあれど、返してしまえば泡の如く消える縁。その程度のものなんです」

 「は……?い、いや……!」

 「あなた方は血の繋がったご家族や、幼い頃から苦楽をともにしてきた友人や近所付き合いなどがあるでしょう。結構なことです。拙僧にはないものですから、それを想う気持ちも尊重しましょう。ただ共感はできません。そんなもの、拙僧にはありませんから。師匠は拙僧の“才能”が欲しいだけ、兄弟弟子は拙僧とワンチャンないか下心ばかり。みなしごの寄せ集めなんてそんなもんです」

 

 あいつが何を言ってるか……すぐには分からなかった。ただ、狭山が本心からそれを言ってるのだけは分かった。そんなこと、知らなかった。あいつが孤児だったなんて……家族や、仲間の温かさを知らないなんて……そんな気持ちがこれっぽっちもない人間が目の前にいることが、理解できなかった。

 

 「ですからみなさんが外に出たいと思うのは仕方ないことだとは思います。ですが拙僧が巻き込まれてしまうのなら話は別です。そもそもですね、ここから出られるのはクロだけなんですよ。岩鈴さんが出ようと思ったら、必然的に拙僧たちはお陀仏ですよ。どうして拙僧が、あなたのために命を捨てなければいけないのです?家族はそれほど大切なものですか?友はそれほどかけがえのないものですか?仲間はそれほど尊いものですか?懸けるならご自分の命だけになさい。そんなもののために拙僧は命を差し出せません」

 「そんな……もの……?」

 「そんなものでしょう。ああ、()えますよ。あなたの背後に。あなたが想う町工場の方々の姿が」

 

 それがはったりなのか、あるいは本当に見えてたかも知れない。そのとき(アタシ)は、本当にあいつらのことを考えてたからだ。

 

 「汚い、臭い、貧しい、品がない、見窄らしい、みっともない、おまけに拙僧には関係ない。あなたもよくこんな方々のために自分の命を擲とうとしますね。彼らがあなたに何をしてくれましたか?あなたは彼らから何を受け取ったんですか?何もないでしょう?あなたは与える側でしかなかった。今までも……これからもです。こんな方々と付き合ってもあなたのためにならないんですよ。必要なのは、あなたに与える人、あなたを幸せにする人です。それが誰か考えてご覧なさい。どう考えても町工場の汚い連中ではないでしょうに。あなたは人の幸せばかり考えているからいつまでも幸せになれないんですよ!ご自分の幸せを考えなさい!もっと自由に、本当に守るべきものために──」

 「うるせええええええっ!!!」

 

 (アタシ)は、気付いたらあいつに掴みかかってた。あいつの言葉が(アタシ)を破壊し尽くす前に、あいつの目が(アタシ)の心の底を見透かす前に、あいつの手が(アタシ)の胸に届く前に、止めさせなきゃいけないって、本能で感じた。

 

 「テメエに何が分かる!!(アタシ)がどんな気持ちであいつらのために仕事を回してやってると思ってる!!(アタシ)の人生の何を知った気でいやがんだチクショウが!!(アタシ)だって受け取る側だ!!(アタシ)は守られてんだ!!(アタシ)は幸せだ!!」

 「ほう……」

 

 狭山は、薄く笑って……言った。

 

 「醜いですねぇ。醜いほどの──後悔だ……!」

 「ッ!!!うわああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 気付いたとき、あいつは(アタシ)の前から消えていた。目の前にあった階段に血があったこと。(アタシ)が握ってたスパナに血がべったり付いてたこと。痺れるような痛みと苦しいほどの呼吸。(アタシ)は……直感的に理解した。狭山を殺しちまったことを……!

 

 岩鈴さんの話は、途切れ途切れで、苦しそうで、それでも情景がありありと浮かんでくるほど真に迫っていて……私は、頭が痛くなった。

 

 「そうか……あいつは、最後まであいつのままだったのか……」

 

 毛利さんが呟く。きっと毛利さんと狭山さんの間には、何か私たちの知らないやり取りがあったんだと思う。彼女が何を感じているのかは分からない。その目は涙で潤んだり、悲しそうに光を失ったりしているわけではなかった。それでもどこか、寂しそうな色をしていた。

 

 「岩鈴さん。今の話……それで終わり?」

 「ああ……(アタシ)はその後すぐ部屋に戻った。本当はすぐに誰かに言おうと思った……下手なウソ吐いたり誤魔化したり……そんなみっともないこと、したくなかった……!でも、(アタシ)は……死ぬわけには……!」

 「つまりきみは、狭山さんの遺体を確認してないんだね?」

 「……え?」

 

 強く念を押すような湖藤君の言い方で、岩鈴さんは顔をあげた。彼女らしくもない、泣きはらして真っ赤になった目を湖藤君に向ける。でも、その微かな希望はすぐに打ち砕かれた。

 

 「悪足掻きはやめなさい。僕は溶かす前に狭山さんの死亡を確認しましたし。死体発見アナウンスがある限り状況は覆りません。ありもしない希望を持たせることが彼女のためになりますか?どうせ投票で全ては決まるんです」

 「え……?え……?」

 

 岩鈴さんは、狭山さんの遺体を直接確認していない。それはつまり、狭山さんにトドメを刺したのが岩鈴さんだとは言い切れないということ。湖藤君はその可能性を指摘しようとした、んだと思う。ここから岩鈴さんが助かるには、それしか可能性は残されていないから。

 だけど尾田君の言うとおり、死体発見アナウンスのことを考えれば、尾田君と毛利さんと私で、3人の発見者は埋まっている。もうこれ以上、他の人が入る余地はない。

 

 「……ダメか。他に誰も狭山さんの遺体に触れてないなら……そうなのかもしれないね」

 「……?」

 「結論は出ましたか!?出たようですね!」

 「!」

 

 モノクマが楽しそうに叫ぶ。だけど私は、モノクマでも、岩鈴さんでもなく、湖藤君を見ていた。どうして?あなたが何かを言おうとしたんなら、きっと逆転のチャンスがあったんじゃないの?そこに何か意味を見出したから口を出したんじゃないの?あっさり引き下がって諦めるなんて、湖藤君らしくない。何を考えているの?

 

 「それではオマエラ!最も疑わしいと思われる人物に、お手元のスイッチで投票してください!必ず誰かに投票してくださいね!こんなツマラナイことで罰を受けたりしたくないでしょ?」

 「くっ……!ちくしょう……!あんな、ヤツのために……!なんでこんなこと……!」

 「コンちゃん……!」

 「……ふん」

 

 ボタンを押す皆の顔は様々だ。狭山さんを偲んで涙ながらにボタンを押す人。岩鈴さんに投票することに抵抗を感じて悔しい顔をする人。それら全てを受け入れ涼しい顔をしている人。

 狭山さんは、悲しい人だった。誰のことも信じようとせず、それでいて誰からも信じられようとしていた。コロシアイを嫌う気持ちは同じだったのに、やり方が違うせいでたくさんの人から反発を受けた。人との繋がりを利用していたのに、人との繋がりを信じられなかった。初めて会ったときから……もしかしたら生まれた時から、狭山さんはずっと……孤独だった。

 

 「はい!あとひとり!」

 

 モノクマがそう言って、私は自分がまだボタンを押していないことに気付いた。押したくない。だけど、押さないと私は…………。

 虎ノ森君のときだって、決して納得して押したわけじゃない。納得なんて一度もしてない。きっと……他のみんなもそうなんだ。私はパネルを押した。何も感じない。何も感じたくなかった。

 

学級裁判 閉廷




ゲーム的な演出を廃止してみました。
三作目ですが、未だにああいう演出はやった方が良いのかどうか分かりません。
小説なら小説なりにやりようがあると思うので、一旦やめてみます。
どうなんですかね。


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おしおき編

 

 「うぷぷぷぷ!!あっひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 モノクマの高笑いが、ファンファーレの隙間を縫って私たちの耳に届く。紙吹雪とレーザー光が、閉ざされた裁判場を埋め尽くして私たちの目を眩ませる。最悪な気分だ。私たちはまた生き残った。新しい犠牲者を出しながら──私たちの仲間を切り捨てながら。

 

 「だいせいかーーーい!!“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃サンをぶん殴って殺した犯人は!!“超高校級の職人”岩鈴華サンだったのでしたァーーー!!ちなみに狭山サンの死体を溶かした犯人は尾田クンで合ってるよ!!シロのみんな!おめでとう!大勝利ィーーー!!」

 

 こんなに不愉快な喝采はない。皮肉ですらない。ただの事実だ。私たちは全ての真相を暴いた。初めから真相を知っていた人。クロではなくても事件を複雑化させた人。何も分からなくても真実を導き出した人。衝動に突き動かされて狭山さんを殺してしまった人。ここにいる誰ひとり、勝者なんかじゃなかった。

 

 「……ちくしょう!なんなんだよ!なんでこんなことになっちまったんだよ!」

 

 芭串君が証言台を殴る。

 

 「ううっ……!あああっ……うあっ……!」

 

 陽面さんが顔をぐしゃぐしゃにして泣く。

 

 「……」

 

 庵野君が沈痛な面持ちで、ただ手を組んで祈る。

 

 「なぜ……」

 

 毛利さんが、口を開いた。

 

 「なぜヤツを止めようとした?お前にどうにかできる相手だと思ったのか、岩鈴」

 

 それは岩鈴さんを責めているわけではなかった。岩鈴さんは言葉が上手な人じゃない。狭山さんの暴走を止められる算段があったとも思えない。どうして岩鈴さんは、危険を冒してまで狭山さんを止めようとしたのか。そんなシンプルな疑問だ。

 

 「……なんで、だろうねえ。あの……動機のビデオを見てから……ろくにものが考えられなくなっちまった……!もしかしたら……焦ってた、んだと、思う。早くここを出ないとって……。あいつらの、ために……!」

 「そう思わせるための動機ビデオです。冷静に受け止める余裕もないのに、よく観る気になりましたね」

 「……ああ。そうだな。結果(アタシ)は……狭山の言葉にブチギレて、殺しちまった……最悪だ。こんなことしてもし出られても、あいつらに会わせる顔なんてありゃしないのに……」

 「……」

 

 人が死んでるわけじゃない。誰かが傷ついてるわけでもない。ただ不気味なモノクママスクたちと、なぜか悲しんでいる人たち。ただそれだけの動画なのに、私たちの心はひどく掻き毟られるように痛む。あれは一体なんなんだろう。外の世界で何が起きてるんだろう。一刻も早くそれを確かめたくて気が気でなくなる。落ち着いて考える余裕がなくなる。

 岩鈴さんは、そんなモノクマの策略にハマってしまったんだ。狭山さんの言葉で我を失ってしまうほど、冷静でいられなくなったんだ。もしもっと冷静になれていたら、こんな事件は起こらなかったかも知れないのに。

 

 「甲斐さん、ちょっと……」

 「?」

 

 湖藤君が私の袖を引いた。どうやら私に椅子を押して欲しいらしい。どういうつもりなのかと思ったら、そのまま岩鈴さんのもとに近付いた。

 

 「岩鈴さん」

 「……え。ちょ、ちょっと……!」

 「こ、湖藤君!」

 

 いきなり近付いてきた湖藤君に、岩鈴さんは小さく驚く。そして湖藤君は、転げるように椅子から降りた。思いがけない行動に私は抱え起こそうとするけど、湖藤君はそのまま地面に伏したまま──

 

 「本当に、申し訳ない。ぼくのせいだ」

 

 ──謝罪した。それが何についての謝罪なのか、私は分からなかった。

 

 「ぼくが部屋のロックを開けたから。きみに部屋を出る手段を与えてしまった。きみがコロシアイを起こせる環境を、ぼくが作ってしまった。余計なことをした。あれはただ、狭山さんのグループの統率力を確かめるだけのつもりだった。もっと他の方法があったはずなのに……ぼくが軽率だった」

 「……くっ……!ううっ……!」

 

 床に手を付いた湖藤君は、一切顔を上げずに言い切った。でも、岩鈴さんは何も言わない。ただ声を漏らすだけだ。

 そんな謝罪に何の意味があるのか。もう岩鈴さんの運命は決まってしまった。誰がきっかけを作ったのか、誰が悪いのか、誰のせいなのか。そんなことを今更いくら論じても意味はないんだ。それでも……岩鈴さんは、湖藤君を責めたりしなかった。余計なことをしたせいだとは言わなかった。その代わり、彼を許す言葉も口にはしなかった。

 

 「やれやれ。湖藤クンは真面目だなあ。そんなの言わなきゃ誰も覚えてないってのに。そもそも殺せる環境が整ってたからって殺すかどうかはその人次第でしょ!殺人犯を乗せたタクシーには何の罪もないんだよ!」

 

 そんな分かり切ったことを、モノクマは敢えて言う。湖藤君の謝罪と岩鈴さんの沈黙、その両方を嘲る行為だ。だけどそんなモノクマの高笑いより、私は目の前の二人の方に意識を集中させていた。

 

 「さてと。別に岩鈴サンも言いたいことは特にないみたいだし、お楽しみの時間をさっさと始めちゃいましょうか!」

 「うっ……!い、いや……待って……!待ってくれ!(アタシ)は……!」

 「待ちません!事件の全容も語った!外で待つ人たちへの想いも語った!これ以上オマエに何が残ってるっていうのさ?もう絶望しかないんだよ!そんなヤツはとっとといなくなれ!それがこのセカイのルールなんだ!」

 「ううっ……あっ……あああああああああああッ!!!」

 

 こんなとき、私は何か声をかけてあげるべきなんだろうか。何を言っても寒々しいばかりだ。手を握ってあげるべきなんだろうか。すぐに引き離されてしまうというのに。モノクマに抗議するべきなんだろうか。無意味と分かり切っている抵抗が何を救ってくれるのだろうか。

 誰よりも強かった岩鈴さんが、誰よりも弱々しく泣き叫ぶ。物を散らし、床に転げ、声にならない声をあげる。人は、こんなにも脆い。理不尽な死を前にして、正気でいられる人なんていない。私たちだってそうだ。岩鈴さんをこんな風にしたのは、私たちの投票だ。その責任を感じているからこそ……私は、彼女から目を離さなかった。

 

 「ハイッ!今回は!“超高校級の職人”岩鈴華サンのために!スペシャルな!おしおきを!用意しました!」

 

 せり上がってくる真っ赤なボタン。振り上げられたおもちゃのハンマー。裁判場に響く悲痛な声。ありとあらゆるものが、全ての感覚をもって私を苛む。

 耳を塞いでしまいたい。目を閉じ、うずくまって、この現実から逃げ出したい。今まさに人が死に行くこの瞬間を感じたくない。警告を鳴らす脳は、けれども私の体を動かすことはできない。それに従ってしまったらきっと……私は、私でいられなくなる。

 

 「それではオマエラ!張り切っていきましょう!おしおきターーーイムッ!!」

 

 軽薄な押下音は、岩鈴さんの叫びに掻き消された。その音が聞こえなくても、裁判場は処刑を始めるために動き出す。壁が開き、無数のアームが延びて岩鈴さんを捕らえた。そのまま彼女は一切抵抗することなく──抵抗さえも封じられて──壁の向こうに消えてしまった。

 


 

【GAME OVER】

イワスズさんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 

 暗闇。自分が目を開けているのか、それとも閉じているのか。それさえも分からない。ただ冷たい金属に体を拘束される感触だけが、今の岩鈴にはあった。機械的な平面は骨と筋肉の凹凸に沿わず、ただそこに触れているだけで負荷が掛かる。やがて薄く心許ない明かりが灯る。少しずつ、目の前の世界が色づき始めた。岩鈴はようやく、自分がどこにいるのかを理解した。

 処刑場と呼ぶには、あまりに物が多い。岩鈴が座らされているのは、剥き出しの金属で作られた一点物の椅子だ。艶やかな表面に自分の顔が写り、緊張して熱を帯びた体にひんやりした金属の温度は心地良い。ふと、何かが軋む音がして頭上に目を向けた。はるか遠く、10階以上の高さはあるだろうか。それでも分かった。

 それは鉄骨だ。太く、大きく、重く、今にも落ちてきそうに揺れている。落下すれば間違いなく、岩鈴の真上に降ってくるだろう。

 

 「……?」

 

 突然、処刑場にファンファーレが鳴り響く。喝采が降り注ぐ中、現れたのはモノクマだった。大きく手を振り、誇らしげに会場に足を踏み入れる。そして、岩鈴の前に並んだ無数のからくりたちを眺めて、満足そうに頷いた。そのからくりたちの並びを俯瞰したとき、モノクマは一層愉快そうだった。

 

 

打毀(うちこわ)スイッチ

“超高校級の職人 岩鈴華”処刑執行 ]

 

 

 始まりのドミノを、モノクマ蹴飛ばす。カタカタと音を立てて倒れていくドミノは、一直線に最初のからくりへと進んでいった。ドミノが倒れたことで金属球がレールを転がり始め、ラックに施されたいくつものからくりがカタカタと音を立てて動き出す。

 金属球が転がり突き当たりにぶつかる。押し出された人形が落ち、首にかかった紐が次の金属球を開放する。その金属球はさらに別の突き当たりにぶつかり、また押し出された人形が次の金属球を開放する。仕掛けは徐々に上に、首を吊られた人形を増やしながら登っていく。その背景には、廃れた町工場の映像が映し出されていた。まるでからくりがそのまま現実化したように、作業着を着た人間がいくつも天井からぶら下がっている。

 

 「あっ……!!あああああああああっ!!!や、やめろ……!!やめ、て……!!」

 

 救えなかった。岩鈴は、あの家を救えなかった。忘れようとしていた。誰も口にはしなかった。それでも、岩鈴の目は覚えている。目の前で消えていく命の姿を。

 ラックの頂上から次のラックへ渡された紐を、自転車に乗った人形が渡る。紐は後ろから燃え上がり、たちまち自転車は炎に包まれた。燃え盛り、焼け焦げ、崩れ落ちながらも、自転車は次のラックへからがらたどり着き、燃え尽きた。背後には空まで真っ赤に染める業火が、ひとつの倉庫を包み込んでいた。

 

 「うううっ……!!ううぐううううっ!!!」

 

 ビー玉が次々に射出されていく。それらを受け止めたカップが重みで下がり、反対に持ち上げられたパイプが無数の人形を突き落とす。地面に落ちてぐしゃぐしゃになった人形たちの上を、巨大なボールがそれらを踏みつぶしながら転がっていった。まるで雨のように降り注ぐ人の姿。大人も、子どもも、男も、女も、まるで鳥のようにビルの上から飛び立つ。

 記憶が蹂躙されていく。精神を嬲られていく。岩鈴の守れなかったものたちが、モノクマによって再び破壊されていく。その罪を背負っていく覚悟はできていたはずなのに、それを目の前で見せつけられることに、岩鈴は耐えられなかった。

 

 「もう……!!やめて……!!」

 

 回転した斧が次の斧の端を弾く。弾かれた斧も回転し次の斧を弾く。少しずつ、少しずつ力が上へと伝わっていく。天井の梁に取り付けられた仕掛けが動き出し、ビー玉がコロコロと転がる。レールの上に置かれたピンを弾き、まず岩鈴の背後にある仕掛けを起動させた。

 

 「ッ!!?」

 

 岩鈴の髪が引かれた。強い力で頭が引かれ顎が上がる。視線は真上を向いた。その先には揺れる鉄骨。それに近付いていくガラス玉。ガラス玉はレールを転がる。たどり着く。ほんの少し、力が加わって、鉄骨は支えを失っ───

 

 「──ッ!!」

 

 ぐしゃ。

 

 

 

 

 

 声さえ上がらない一瞬のうちに。鉄骨が突き刺さった。真っ直ぐ。真っ直ぐ。岩鈴の顎から胴体すべてを潰すように。岩鈴だったものから鮮血が漏れ、噴き出た。握りしめた拳はいつの間にか白んでいた。

 自重で肉が剥がれていく。骨の破片が割れる音がする。ぐらり、と揺れて、岩鈴のあごから上が後ろに落ちた。それはちっぽけなドミノを押して、ほんの少し先にあるからくりを動かした。

 

 ぽん、と安っぽい音がしてくす玉が割れる。『おしおき完了』の文字と紙吹雪。モノクマがその横で得意気にピースサインをしていた。

 


 

 目を離す隙も無かった。何もかもが一瞬のうちに行われた。岩鈴さんが殺された瞬間すら、後から思い返して気付いた。私たちには分からないほどの苦痛があったと思う。私たちでは共感できないほどの恐怖があったと思う。なのに私は……ただ呆然と見ていることしかできなかった。

 

 「イェーーーイッ!!!だいせいこーーーーっ!!!みんなが好きなンダコラスイッチっぽくまとめてみました!面白かったでしょ?でしょでしょ?」

 「ううぅ……い、岩鈴さん……!」

 「……くっ」

 

 裁判場にはモノクマの声だけが響く。人が、仲間が殺されるのを前にして何も言うことができない。私たちは弱い。すぐ近くでコロシアイが起きるのを二度も防げなかった。全てモノクマの思い通りだ。

 

 「戻りのエレベーターを動かしてください」

 

 そんな中、唯一尾田君だけは、いつもと同じ調子でモノクマに言った。さっさとエレベーターの方に歩いていって、急かすようにシャッターを蹴って音を出す。

 もう彼に期待するのは止める。彼は無意味に狭山さんの遺体を溶かして裁判を混乱させた。態度や口が悪いのはまだ我慢できても、興味本位で人の尊厳を無視するようなことは絶対に許せない。そう思って私がきつく睨んでも、彼は気付かない。

 

 「まあ待ちなって。戻る前にオマエラに二つ言っておくことがあるからさ」

 「ふ、ふたつ……?なんでしょうか……?」

 

 これ以上まだ何かあるのか。私たちの精神は限界だ。今はただゆっくり休みたい。また2人……いや、3人も仲間を喪ってしまった。

 

 「ひとつ!オマエラは二度もコロシアイと学級裁判を乗り越えた優秀な希望のタマゴたちです!そんなオマエラに敬意を表し、明日からオマエラには、この学園の“本当の姿”を見せてあげます!それを楽しみにしていてよ!」

 「“本当の姿”……?な、なんだそりゃ……?」

 「どうせまた新しいエリアの開放って話だろ。もってまわった言い方してるだけだ。くだらない」

 「うぷぷのぷ♫絶対に驚かせてあげるから、覚悟しておいてよね」

 「……それで、ふたつめは?」

 「はい!“本当の姿”を見せるには、自分の姿を偽っている偽物は炙り出されなければなりません!正しい場所に行けるのは正しい者のみなのです!」

 「は?」

 「というわけで……出て来い!新しいオトモダチ!」

 

 モノクマが指を鳴らした。同時に、頭上で何か音がした。箱が開くような──。

 

 「うわああああああああああっ!!!」

 「っ!?」

 

 私たちの目の前に、それは落ちてきた。ずんぐりした体型に短い手足。体の左右でくっきり別れた白と黒の体色。玉座に座るモノクマとそっくりな、その姿。ただひとつ違うのは、顔に大きなバツ印がつけられていることだった。

 

 「ハイッ!今日からボクのアシスタントとして、オマエラのコロシアイ生活をサポートしてくれるダメクマです!ご挨拶!」

 「ううっ……!」

 「ふ、ふざけてんのかよ……!モノクマじゃねえか……!」

 「違うクマ!ボクはこんなポンコツじゃないクマ!それが分かりやすいように印を付けたんだから、ちゃんとダメクマって呼んであげないとダメクマーッ!!」

 「あっ……もしかしてあのときの……!?」

 

 事件が起きる前、理刈さんが狭山さんに閉じ込められる直前、モノクマは彼女を止めようと立ちはだかった。だけどそれはあっさりいなされて、代わりに新しく現れたモノクマが前にいたモノクマを連れ去っていった。あのときはモノクマがふざけてるだけだと思ったけど、もしかして、あのときのモノクマがこのダメクマだったりするのかな。

 

 「言っておくことはそれだけか?なら、もう興味はないから(かえ)らせてもらう」

 

 ひとり、またひとりとエレベーターの方に向かって行く。モノクマが敢えて無数にあるストックの中の一体をダメクマとして独立させた意味は分からないけど、扱いを見る限りモノクマより立場が弱いことは明らかだ。今すぐ脅威になるわけでもなさそうだし、疲れ切ったいまの私たちにその存在はただ煩いだけだ。

 

 「ありゃりゃ。全然気を引けないや。本当にオマエはダメなクマだねっ!このっ!」

 「あひぃん!やめてぇ!」

 

 まだふざけ続けるモノクマとダメクマを無視して、私たちはエレベーターに乗り込んだ。全員が乗ったことを確認したら、エレベーターは扉を閉じて上昇を始める。地上に待っているのは……昨日までより少し寒い日常だ。

 


 

 学級裁判の後は、朝も夜もなく全員疲弊しきって部屋にこもるので、あまり目立つ行動はできない。部屋の外の監視カメラに写るのが自分だけでは、監視の目が厳しくなったのと同義だ。だから今は、部屋でゆっくりしているべきだと……。

 

 「ねえ尾田くん」

 

 思ったのに、こいつはまた僕に話しかけてくる。目立つから止めろと言いたい。

 

 「……なんですか湖藤クン」

 「うわ、嫌そう」

 「嫌ですよ。あなたは軽々に意味深な言葉を吐くので」

 「そっか。じゃあ遠回しは止めて単刀直入に聞こうかな」

 

 いつも後ろにいる甲斐サンも、今はいない。人一倍感受性が豊かなせいで学級裁判に耐えられるようにできていないんでしょう。そのタイミングを見計らって僕に接触するこいつも、腹の底で何を考えているか分かったものじゃない。嫌でも警戒心で疲れる。

 

 「狭山さんを溶かした甲斐はあった?」

 

眉一つ動かさず、目を一切揺らがすことなく、彼は言った。線の細いこの車椅子の少年が、一蹴りすれば無力化してしまえるほどか弱いはずのこいつが、なぜだかひどく強かな存在に思えて仕方がない。気に入らない。なぜ僕に構う。なぜしつこく僕に絡む。

 

 「意味が分かりませんが」

 「尾田君、覚えてないの?ぼくにウソは通じないんだよ」

 

 その表情は朗らかなのに、目が全く笑っていない。まるで全てを吸い込んで潰してしまうように、底知れない深みをその奥に映している。

 

 「……甲斐はありませんでしたよ。結局、学級裁判は起きましたから」

 「う〜ん、そうくるか。()()()()が混ざるとさすがに厳しいな。ならぼくが譲歩しよう」

 「なんなんですかいったい」

 

 さっき裁判場で岩鈴サンに土下座していたのと同じ人物とは思えない。飄々とした態度も、いい知れない闇を纏う雰囲気も、狭山サンの遺体を損壊したことに対する考え方も。

 

 「モノカラーを回収するためでしょ?狭山さんを溶かしたの」

 「…………ほんっとに気持ち悪いですね。あなた」

 「素直じゃないなあ。ぼくはチャンスを逃さずものにしたきみがちょっと羨ましいだけなのに」

 

 昨日の夜、僕が狭山サンの死体を見つけたのは、本当に偶然だった。次にコロシアイが起きるときのために、薬品庫にあるものは把握しておかなければならないと思ったから夜中のうちに調べていた。そこへ、彼女が落ちてきた。誰が殺したのかは分からないが、死体が目の前にあった。薬品庫にはあらゆるものを溶かす薬品……これほどのチャンスはない。迷いはなかった。

 だが、なぜこいつはそれを知っている?なぜ見ていたかのように話せる?どういうつもりなんだ?

 

 「ぼくはチャンスの女神の前髪に手が届かないからね」

 「それを敢えてぼくに言う意味はなんですか?モノクマに告げ口でもするつもりですか?」

 「まさか。ぼくは尾田君と敵対するつもりはないよ。むしろ今、きみとは手を取り合う方が良い。あらゆる意味でね」

 「……また彼女のことですか?」

 「よかった。前に話したこと忘れてなかったんだ」

 

 常に人の一歩先を行くような、余裕ぶった態度。それが気に食わない。別にこんな人の優位に立ったところで何も気分よくなったりはしませんが、見透かしたような顔をされるのが不愉快だ。ただの古物商がどうして僕にこうも付きまとうんだ。それも人目を忍んで。そんなことをされたら、意味を感じざるを得ないじゃないか。

 

 「それもあるけど、いちおう言っておこうと思ってね。きみを見てる人もいるってことを」

 「もう勘弁してくださいよ」

 「大丈夫、ぼくはきみの味方だから。今回はきみの意図を汲んで口を閉じるけど……火遊びもほどほどに、ね」

 

 いったいどういうつもりなのか。それだけ言って彼は自分の部屋に戻って行った。モノクマにはバレていないかも知れないが、アレにバレている方がよっぽど居心地が悪い。ポケットに忍ばせた狭山サンのモノカラーの冷たい感触が、彼の不敵な笑みを思い起こさせる。まったく、厄介なのに目を付けられてしまったものだ。

 

 「……」

 

 どうにか排除できないものか。自然とそんなことを考え始めている自分に気付いて頭を振った。それは悪手中の悪手だ。冷静になれ。邪魔者がいるなら、排除するより利用するのが賢いやり方だ。ひとまず今は眠ろう。僕はモノカラーを隠し持ったまま部屋に戻った。




これにて2章もおしまいです。今年は2章を終わらせることを目標にしていたので、取りあえず目標達成です。
来年の同じ時期には5章の事件発生編くらいですかね。来年中に5章を終わらせたいかな〜


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第三章 舟に潜んだ山羊の罠
(非)日常編1


 

 「最悪だ。また二人死んだ」

 「三人じゃなくてよかったです」

 「死んでんだろ。累計で」

 「だからこれ以上ガキ共がくたばらないように俺が最善を尽くしているんじゃないですか。黙っててください」

 

 青宮が苛立ちを隠さずに言う。キーボードを叩く指に自然と力がこもって打鍵音が大きくなった。その苛立ちの原因である赤郷もまた、苛立ちを隠さず近くの壁に足を突く。

 

 「そこで壁とにらめっこしててもクソの役にも立たないんですから、ちょっとは俺たちの仕事を手伝ったらどうなんですか」

 「ダメだ。俺はハサミより複雑な構造のもんは扱えねえ」

 「銃も手榴弾も戦闘機も扱えるでしょうに。腐れ脳筋はこれだから使えないんだ」

 

 罵りあっていても状況は一切好転しない。むしろ時間が経つほどに悪化していく。コロシアイの開始は止められず、実際に二度も殺人が起きてしまった。犠牲者は増える一方である。コロシアイ阻止から中断に目的を切り替え、青宮たちは工作を行っている。しかしそれも一切功を奏していないのが現状だ。

 

 「んっ……?」

 

 そんな中、青宮が気付く。この一分一秒が惜しいときに、より時間を奪われそうな不吉な音。それが何を意味しているか、正体が何か、その先に何が起きるか、全てを理解している。部屋に響き渡るほど大きな舌打ちをして、青宮は振り向きもせず背後に向けて言う。

 

 「おい。喜んでくださいファッキン戦闘狂(バーサーカー)。仕事です」

 「あん?」

 「うるせえし汚えし暑苦しいと良いとこ無しのバカ郷君に熱いお誘いですよ。ハサミでも持って会いに行ってあげなさい」

 「ほう。そりゃうれしいねえ。じゃあちょっと行ってくらあ。その間にこっちはなんとかしとけよアホ宮」

 「当たり前です。さっさと行ってください」

 「あいよ」

 

 青宮の言葉で赤郷が目の色を変えた。気が抜けて退屈そうにしていた目に炎が宿る。“超高校級の尖兵”として学生時代から戦闘の中に己の場所を見出してきた赤郷は、まさに戦闘の中にしか己の生き甲斐を見つけられずにいた。心臓まで響く発砲の衝撃、肌で感じる巨大な高熱の空気、震われる刃の煌めき、弾ける汗と血、気を抜けば瞬く間に消えていく命たち……それらが渦巻く戦場こそが、赤郷の生きる場所だった。それがいま、すぐ近くに広がろうとしている。

 赤郷はすぐさま自分の装備を取りに部屋を飛び出す。ようやくうるさくて暑苦しいのがいなくなったと、青宮は一息吐く。次に部屋の入口から顔を出すのは、顔を土と血と煤で汚した赤郷か。あるいはそれを踏み潰してきた敵兵か。どちらでも構わない。それまでに自分の仕事さえ終われば、今さら自分の命ひとつになど執着しない。

 ここにいる全員が、そう考えていた。

 


 

 今は朝かな。それとも昼かな。もしかしたら夜かも知れない。そもそも私は生きてるのか。どうしてまだ生きてるんだろう。いっそ自分でも気が付かないほど楽に死んでしまいたい。ここからいなくなってしまいたい。そんな考えが頭の片隅に浮かぶ。

 目を閉じれば繰り返される死の瞬間。激しい炎に包まれて炭と化した虎ノ森君。鉄骨に貫かれて両脚以外の全てを失った岩鈴さん。直接見てもいないのに、益玉君と三沢さんと狭山さんの死んだ瞬間さえも夢に見る。彼らがこの上ない恐怖と絶望の中へ消えて行ってる間、私は今みたいに眠っていたんだ。もしかしたらそのとき、不謹慎にも幸せな夢を見ていたかも知れない。それさえ覚えていない。そんなことになるなんて思ってなかったから。

 

 「……最悪だ」

 

 もうどれくらいこうしてベッドの中でゴロゴロしてるんだろう。朝寝坊すると部屋のドアを激しく叩いて起こしに来る岩鈴さんはもういない。朝食の場で人のおかずをつまみ食いしていた狭山さんももういない。谷倉さんの手伝いをしてくれていた三沢さんも、一人静かにご飯を食べる姿も絵になっていた虎ノ森君も、周りの様子を伺いつつおいしいご飯をおいしいと素直に言える益玉君も、もう誰もいない。

 誰も────いないんだ────。

 

 「……」

 

 目が覚めてしまえば、横になっているだけの状態はひどく退屈に思えて、体が勝手に起き上がろうと寝返りを打つ。ベッドの縁に腰掛ける形で、私は上体を起こした。髪がボサボサでパジャマも乱れている。目やにが瞼に突き刺さるし、口の中はべたべたで気持ち悪い。トイレにも行きたい。

 あんな光景を見てしまったせいだろうか。こんなことで私は命を感じている。みんなが生きたくても生きられなかった時間を無駄に過ごして、みんなが奪われてしまった生きるということを無為に浪費している。いっそ私の命を、代わりに彼らに譲れたらいいのに。そうしたら……少なくともひとりだけは救える。

 

 「ふわあ……」

 

 体に染み込んだルーティンのとおり、私は身支度を整えて今日も湖藤君の部屋に迎えに行く。体が不自由な彼には、私の助けが必要だ。無心で準備をしている間に、寝起きに感じていたマイナス思考はどこかへ消えてしまっていた。我ながら単純だと思う。

 部屋を出て、湖藤君の部屋の前に行く。スライド式のドアの足下に引かれていた黒い線は、きれいさっぱり消されていた。学級裁判が終わった後、モノクマは事件の痕跡を完全に消してしまう。まるで私たちには、死んでいった彼らを悼むことすら許さないかのように。そのやるせなさを押し殺して、私はドアを叩く。

 

 「湖藤君?起きてる?」

 「は〜い。いま開けるね」

 

 いつもと同じ、明るくて能天気な声がした。人が死んだことがウソだったかのような声。そしてドアが開かれる。あどけない笑顔の彼が、そこにいた。

 

 「おはよう、甲斐さん」

 「おはよう、湖藤君」

 「元気ないね。無理してない?」

 「無理でもしないとやってけないよ……こんなところじゃ」

 「そうかもね。だけど、今は体力を温存しておくべきだ。何かが起きるんだからね」

 「え?」

 

 湖藤君は、まるで当たり前のことみたいに言った。何かが起きると、確信している。

 

 「裁判の終わりにモノクマが言ってたでしょ。この学園の本当の姿を開放するって。新しいエリアのことだとは思うけど……前回よりも大袈裟な言い方をしてたから、少し違うのかなって思って」

 「はあ……湖藤君はすごいね。私なんて、そんな話すっかり忘れてたよ」

 

 正直、湖藤君から聞いた今も全然思い出せない。学級裁判の後、いや、裁判の途中からの記憶が朧気だ。曖昧で不確かで靄がかかったような記憶の中で、狭山さんの変わり果てた姿と岩鈴さんの凄惨な処刑の場面だけが生々しく鮮明に思い起こされる。

 

 「何かしてくるなら全員が揃ったときだ。昨日の裁判は午前中に行われて、みんなそのまま部屋に戻っちゃったから、きっともうお腹がペコペコで起きてくるころだよ。食堂に行ってみよう」

 「……湖藤君は──

 

  ──どうしてそんなにいつも通り振る舞えるの?」

 

 そんなつもりはなかったのに。あまりにも普段通り過ぎる湖藤君の姿に、私はつい口が滑った。単純に疑問に思っただけだ。人が人を殺した事実に直面していて、人が目の前で処刑されたところを目撃して、二度も仲間に裏切られた経験を過ぎて、どうしてまともでいられるのか。私はこんなに消耗してるのに、湖藤君は狭山さんに監禁までされてるのに、少しも弱った様子がない。

 

 「変かな」

 「……変だよ」

 「……」

 

 それきり、湖藤君は黙ってしまった。怒ってるわけでも、落ち込んでるわけでもない。何かを考えている沈黙だった。すぐに謝れればよかったのに、私もなぜかそれ以上口を開くことが憚られて、それでも彼の車椅子はきちんと押してあげて、食堂へ向かった。

 


 

 一日おいて訪れた食堂は、いつも通りの姿だった。早起きだったり集合時間を守る真面目な人たちはもう集合していて、谷倉さんがみんなの分の朝ご飯を用意していた。集合してはいるものの、みんなの顔は暗かった。特に理刈さんの顔はひどい。目の下に大きなくまを作っていて、小刻みに震えている。きっと一睡もできなかったんだろう。宿楽さんもカルロス君も、理刈さんほどでないにしろかなり体力を消耗した様子の人たちばかりだ。

 そんな早起き組とは打って変わって、寝坊組の顔色はそれほど変化がない。こんな状況で熟睡できる図太い神経の持ち主だ。もう5人も人がいなくなってしまったというのに、菊島君や尾田君は平然としている。無理していつも通りを装っている谷倉さんのぎこちない笑顔が余計に際立つ。

 

 「全員揃ったみたいだねー!」

 

 15人。最初にここにいた人数から明らかに減っていることが分かるくらいには、人と人との間隔が広がった気がする。きっとそれは、人が減ったせいだけじゃない。

 すきま風の吹く食堂に、能天気すぎる声を轟かせて現れたのは、普通のモノクマだった。昨日の裁判の後に現れた、おでこに×マークが描かれた方じゃない。私たちを嘲笑うかのようなハイテンションも今更だ。

 

 「何の用?」

 

 余計なことを言ってつっかかればモノクマが喜んで無駄話を始める。こういうのは手短に用件を済ませるように促してあげるのが一番だ。私がなるべく冷たく聞こえるように言い放つと、モノクマは手を叩いて喜びながら私たちの顔をひとつひとつじっくり眺める。

 

 「うぷぷぷぷ!まったくオマエラ、せっかく学級裁判を生き残ったっていうのに暗い顔しちゃってさ!そんなんじゃ死んでいったみんなに悪いよ!先の短い人生だとしても、死んでいったみんなが生きられなかった今日という日を精一杯謳歌するのがオマエラが背負うべき責任なんじゃないかな!?」

 

 どっちにしろ無駄話はするみたいだ。それに、こいつにだけはそんなことを言われたくない。みんなの命を奪ったのはモノクマだ。虎ノ森君と岩鈴さんを直接殺したのはこいつだし、他のみんなだって、モノクマがコロシアイなんてことを始めなければ死なずに済んだ。全部こいつが悪いんだ。

 

 「こちらは用件を伺っているのです。無意味に交わす言葉など持ち合わせていません」

 「お〜こわ!庵野クンたら、最近あんまり出番がないからちょっと張り切っちゃってる?空回りしないように気を付けてよね!」

 「ぐっ……」

 「あ……図星だったんだ……」

 「生きてることに責任なんてないネ。死んだ人は死んだ人、生きてる人は生きてる人、その違いに意味なんてないヨ」

 「ド、ドライだな……」

 「新しいエリアの開放でしょう。さっさと済ませてください」

 「あれ?なんだ、もうネタバレしてる感じ?ちぇっ、誰だよリークしたやつ。白けるわ〜」

 「昨日自分で言っていただろ。忘れたのか?」

 

 わざとなのかそうじゃないのか、モノクマはすっとぼけたことを言う。新しいエリアの開放。前回の学級裁判の後は地下室の新しい施設と2階が開放された。結果的にそれは、学級裁判を混乱させる尾田君の暗躍を招いた。直接コロシアイには関わっていないけど、新しいエリアの開放が私たちにとって必ずしも良いことではないというのは、身に染みて分かっていた。

 

 「ああ……そうだっけ。そっかそっか。ボクとしたことがうっかりてっきり!それじゃあ改めて……」

 

 モノクマがその場でくるりと一回転した。

 

 「オマエラ!おはようございます!二度も学級裁判を乗り越えた誉れ高きオマエラには、ボクからとびきりのプレゼント!すなわちこの学園の本当の姿を見せてあげちゃいます!」

 「昨日も聞いたって」

 「そんなわけでオマエラ!今すぐ2階の扉の前に集合だ!ハリー!」

 「やっぱりあの扉か……」

 

 新しいエリアと聞いて、きっとみんなが思い浮かべていたのが、2階にあるあの巨大な扉だ。普通の部屋があるとは思えない高さと大きさの観音開きの扉で、異様な存在感を放っていた。

 私たちはモノクマに急かされて、すぐにその扉の前に集まった。別にモノクマの言うことに従ったわけじゃない。そうしないと話が先に進まないからだ。巨大な扉は相変わらずその場に佇んでいるだけで、簡単には開きそうにない雰囲気をかもし出している。というかそもそも取っ手もノブもない。どうやって開ければいいんだろう。

 

 「集まったね!うぷぷぷぷ!それではオマエラ!刮目せよ!ここから先は、まさにオマエラにとっての新天地!この希望ヶ峰学園のォ──!!」

 

 モノクマが指を鳴らすと、扉はひとりでに動き出した。奥に向かって開く扉の隙間から、外の光が漏れてくる。どうやらこの先は外と通じているらしい。今まで窓から外を見ることはできたけれど、出ることはできなかった。微かに肌に感じる風に驚いたのは私だけじゃないみたいだ。

 そして扉は開かれた。完全に両脇に身を逸らした扉の奥に現れたのは……巨大な建造物だった。

 

 「……あれ……?」

 

 レンガ造りで歴史と重厚さを醸し出す、巨鳥が翼を広げたような外観の建物。ガラス張りの近未来的なビルや深い緑色に染まる四角い建物や、ドーム球場と見紛うくらい大きな体育館。初めて見る景色のはずなのに、私はそれに見覚えがあった。デジャヴなんかじゃない。目の前の景色が、私の頭の中の記憶とはっきり合致する。これは……もしかして……?

 

 「……き、希望ヶ峰学園……?」

 「そう!こここそ、オマエラが入学した()()()()()()()()()でェーーーーっす!!」

 

 切れ目のない塀で囲まれたその建物群の外は、どこまでも続く森林だった。右も左も、どこまでも。違う。そこだけは。そんなはずはない。私は──出会っていたはずだから。誰と?あの顔は……?あの記憶は……?あの声は……?ここが希望ヶ峰学園……?本当に?

 

 「お、おいおいおい!?どういうこったよ!?お前、ここが希望ヶ峰学園だっつってたじゃねえか!」

 「そうだよ?オマエラが今までいた場所も希望ヶ峰学園。ま、学園は学園でも希望ヶ峰学園分館だけどねー!」

 「ぶ、分館?」

 

 私たちの足下から本館に繋がる白い渡り廊下を進んで振り向けば、それはモノクマが言う本館とは似ても似つかない、粗末な造りの建物だった。いちおうそれでも普通の学校にしてみれば大きな建物なんだけど、希望ヶ峰学園の威光の前では、ちょっといい程度の造りはむしろ侘しさが際立つだけだった。

 

 「これがボクからのご褒美、そしてオマエラを迎える新しい世界だよ。喜んで受け取ってね!」

 「ちょ、ちょっと待ってください……ということは、今まで私たちが生活していた場所は……?」

 「ああ、心配ないよ。オマエラの部屋にある私物や家具はそのまんま向こうの個室に移すからね。それに、分館にある設備は全部本館にあるよ。それも、めちゃんこグレードアップしたものがね!まさに完全上位互換!いつまでもあんなウサギ小屋にいていい人材じゃないんだよオマエラは!」

 「ということは……藥品庫も?」

 「まーだ懲りてないカこの変態!」

 「……」

 

 薬品庫も、プールも大浴場も、キッチンも図書室も、本館には全て揃っているらしい。モノクマは本館に私たちを迎えると言っているけれど、それは方便だ。私たちは分館を離れて本館に移る。それはつまり、彼らが生きていた場所を離れるということだ。

 きっと本館での生活は、分館よりも便利になるんだろう。だけどそうなると、私たちはきっとそのうち、いなくなった彼らのことを忘れていってしまうかも知れない。もう保健室の中を見るたびにあの臭いと景色が蘇ったり、地下に降りる階段の先に何かが待ち受けていないか怯えることはなくなる。なくなってしまう。私たちが忘れてしまえば、彼らが生きた証はどこにもなくなってしまう。それが私には怖かった。

 

 「さ、分館なんて古い物はさっさと処分しちゃおうね」

 「処分?」

 「ポチっとな」

 

 右手の人差し指の根元あたり、モノクマがスイッチを押した。その途端、私たちは激しい震動と音を感じた。猛烈な爆風、体が飛んでいきそうになるのをなんとか堪えた。とっさに湖藤君の車椅子を支える。強烈な上下への震動、足下が大きく揺れてまともに立ってられない。

 見ると、分館が……彼らが生きた場所が、ついさっきまで私たちがいた場所が、跡形もなく消し飛んでいた。渡り廊下の先は砕けてなくなり、瓦礫の山がその先にできあがっていた。

 

 「はああああああっ!!?な、なんじゃあああああっ!!?」

 「ば、ば、ば爆発したあ!!え!?いや、えええ!?」

 「……もう戻れないということですか」

 「いやあ、ここらで改めて言っておかないといけないかなと思ってさ。ほら、オマエラそろそろ忘れてきてるんじゃない?」

 

 爆風を受けて砂と埃が体中に引っ付いたモノクマが、振り向きながら笑う。

 

 「オマエラの命はボクが握ってるってこと」

 

 一瞬、モノクマが覗かせた猛烈な悪意。もしモノクマさえその気になれば、いつでもこんな生活は終わらせられてしまう。私たち全員の死によって、あっさりと。その可能性を、これ以上ない形で見せつけられた。私は背筋が凍った。今日から暮らしていく本館だって、分館と同じような仕掛けがされているに違いない。

 

 「やるなら気取らせず、一瞬で仕留めろと言われた気がしますね」

 「ッ!?」

 「正直驚きました。僕たちを牽制するためだけに建物一つを吹き飛ばすなんて……明らかにコストパフォーマンスが悪いです。それとも、戻って探られるとマズいものでもあったんですか?」

 「……うぷぷ、ぷっぷっぷ、ぶひゃひゃひゃひゃ!」

 「な、なに笑ってるのぉ……?」

 

 こんな状況でも、相変わらず尾田君は自分の調子を崩さない。分館の爆破の意味なんて考える余裕、私には無かった。それを指摘されたモノクマも、ただ高笑いをしていた。ついて行けない私たちをよそに、モノクマと尾田君は睨み合う。

 

 「まあ意味なんてもんは後からついてくるものさ!吹き飛ばした建物はもう戻って来ない!そこに何があったかより、この先に何があるかの方がキミたちには大事なんじゃないかな!?それに──」

 「──ぁぁぁぁぁああああああああああっ!!!」

 「えっ!?ほぎゃばっ!?」

 「あぎゃっ!!」

 「うわあっ!!?な、なんだあぁ!?」

 

 突然、モノクマの頭上から何かが降ってきた。それは真っ直ぐモノクマの頭に直撃し、渡り廊下を少し凹ませて小さなクレーターを作った。砂煙が風に流れていくと、倒れたモノクマの隣に、同じ格好をしたモノクマ……いや、おでこに×マークが描かれたダメクマだ。

 

 「うぅ……な、なんだ……?いきなり爆発が……」

 「こ、こ、こ、こんのやろぉおおおおおおおおおっ!!!何してんだコラーーーーっ!!!」

 「うわっ!!」

 「なんで一緒に吹っ飛んでねえんだよ!!つまんねーなこのやろ!!」

 「アーーーッ!!そんなとこ蹴らないで!!」

 「な……なんでダメクマが……?」

 

 どうやらモノクマが分館を爆発させた衝撃で、逃げ遅れたダメクマが上空まで吹っ飛ばされたらしい。ピンポイントでモノクマの頭にぶつかるところが、持ってるんだか持ってないんだか、微妙なところだ。怒ったモノクマがダメクマをもぷもぷ蹴って、ダメクマは降ってきた衝撃とモノクマのキックですっかりのびてしまった。

 

 「ぎゅう」

 「あーあ、なんか白けちゃった。もういいや。さっさと本館に入ろう」

 

 ダメクマの乱入によってすっかり気勢を削がれてしまったモノクマは、くるりと踵を返して本館の方に歩いて行った。私たちはどうすればいいか戸惑っていたけど、ひとり、またひとりとモノクマの後に続いた。私も、湖藤君の車椅子を押してみんなの後を追った。このままここにいたってどうしようもない。結局今も、私たちには選択肢なんてないんだ。戻る場所はない。進むしか道はない。前に向かって生きていくことしかできないんだ。

 後ろから必死に着いてくるダメクマに気を配ることなんて、誰ひとりしていなかった。

 


 

 本館の前に着いた私たちを迎えたのは、分館にあった扉と同じく、巨大で重厚な扉だった。とても私たちの力で動かせそうにない。モノクマが指を鳴らすと、再びその扉は開いた。

 

 「さ、ここは2階だよ。分館と同じように1階と地下階があるからね」

 「うおーーーっ!!ひっろいネーーーーー!!」

 「すげー!これが希望ヶ峰学園の本館!?っていうかこれだけでひとつの建物ってホント!?」

 

 大きな建物が珍しいのか、長島さんと宿楽さんは目の前の光景に大興奮だった。正直、ここが希望ヶ峰学園だと言われてもにわかには信じがたいほど大きい。もしこれが本当に普通の学園生活だったのなら、私もきっと彼女たちと同じように興奮していたのだろう。

 吹き抜けになった建物の中心は真上から差す太陽の光が真っ直ぐに降り注ぎ、ガラスでできた天井装飾がキラキラと輝いている。それをぐるりと囲む長い廊下は絨毯が敷き詰められていて、それでいて湖藤君の車椅子の行動を阻害するほど柔らかすぎない、ほどよい感触だった。入ってきてすぐ左には本のシンボルが描かれた掛札、右にはパレットと絵筆のシンボルが描かれた掛札がかかっていた。それが何を意味しているのかは、一目瞭然だ。

 

 「ほう、図書館か。薬品庫ほどではないが心惹かれるものがあるな」

 「……そうね。本があるのはいいことだわ」

 「美術室!マジか!おいクマ公!ここにあるもん使っていいんだよな!?」

 「当然!全部オマエラのために用意したものだからね!分館とは比べものにならないほど充実した設備!巨大な校舎!至れり尽くせりのあらゆる気配り!ここでの生活には一切不自由をさせないから安心していいよ!」

 「反対側にあるのはなんだ?」

 

 カルロス君が目をこらす。見てみると、青い看板が立てられたガラス戸が見える。工具のシンボルが描かれるから、技術室だろうか。

 

 「あれはホームセンター!工具はもちろん、家具や家電、食べ物に植物、おもちゃも資材もなんでも揃ってるよ!もちろん……」

 「凶器も、ですか?」

 

 モノクマが言いそうなことを、尾田君が先に言った。ある程度予想できたこととはいえ、そんなことをあっさり口にしてしまう尾田君に、みんながまた厳しい視線を向けた。やっぱり尾田君は、その視線に全く動じていない。

 

 「まさか!何言ってるんだよ!」

 

 私たちの予想に反して、モノクマの回答は意外なものだった。

 

 「普通のホームセンターに銃や日本刀や猛毒が置いてあると思う?そんなわけないよね!そりゃ包丁とかハンマーとか、使いようによっては凶器になり得るものもあるけど、それは全部オマエラ次第!コップ一杯の水を飲み物と捉えるか、冷却剤と捉えるか、溺れるための水たまりと捉えるかは、受け取り手次第だよ!」

 

 つまり、普通のホームセンターに置いてある以上のものは置いてないということだ。でもそれで十分だ。これまでの殺人で使われた凶器は、犯人の拳、凍ったペットボトル、スパナ……どれもこれも特別なものじゃない。身の回りにありふれたものだ。

 

 「オマエラの部屋は一階に用意してあるから、そこで休むもよし。自由に探索するもよし。今日くらいはのびのび過ごしたら?それじゃ、ボクはここらで失礼するよ!こいつにしっかり罰を与えなきゃいけないからね!」

 「へ?うわーっ!?」

 「うおおおっ!?お、落とし穴!?」

 「うぷぷ!じゃーねー!」

 

 くっくっと笑って、モノクマは急に床に開いた穴に落ちていったダメクマを追って消えた。まだいまいちこの希望ヶ峰学園本館について何も知らない私たちは、その場ですぐに動くことはできなかった。だけど、異常なことが続くこの学園で少しは耐性がついて来たのかも知れない。この建物を探索することを、冷静に考えられるようになっていた。

 

 「脱出の手掛かりがあるとは思えないけど、どこに何があるかくらいは把握しておいた方がいいだろう」

 「ま、待って……単独行動は危険よ。もう私たちは……二度もコロシアイを経験してる。不用意な行動がどんな結果をもたらすか、身に染みて分かっているはずよ」

 

 ひとりで建物を探索しようとした毛利さんを、理刈さんが引き留めた。狭山さんを巡って、いま二人は微妙な関係になってる。毛利さんはきっと、狭山さんのことでみんなに対して責任を感じてる。本当はそんな責任を感じる必要はないのに。

 理刈さんも、本当はコロシアイが起きることを仄めかすようなことを言いたくないはずだ。それでも自分が見てきたことを受け入れて、考えを変えようとしている。なんだかこの二人の会話を横で見ているだけでハラハラしてくる。

 

 「班行動でもするんですか?別に構いませんけど、僕は人に合わせることができない人間なので。組みたい人が勝手について来てください」

 「オー、俺に黙って着いて来いってことカ。劉劉(リュウリュウ)男らしいネ」

 「絶対違うと思うよ……?」

 「わ、悪いけどおいらぁ尾田について行くぜ!」

 「えっ!?き、王村さん!?」

 

 ひとりでずかずか行ってしまう尾田君を追って、王村さんが飛び出した。それを止めることもできず、私たちはその背中に驚きの声をあげることしかできなかった。すかさず、庵野さんと毛利さんが続けて飛び出した。

 

 「皆様ご安心を。尾田君は手前が見張ります。よほどのことはなさらないでしょうが、いざとなれば身を呈してでも止めます」

 「私も手伝う」

 

 この異常な生活の中で、すっかり咄嗟の事態への対応力が付いてしまったみたいだ。何をするか分からない尾田君の側には、常に誰かがいなければいけない。それも、簡単に殺されてしまわないよう、庵野君みたいにガタイのいい人が適任だ。そんなことを自然と考えて納得してしまう自分が、私は嫌いだ。

 

 「えーっと、11人だから……4−4−3とかで別れましょっか」

 「それならオレはマツリちゃんとリンについて行く!もしものときには守ってあげるからねSeñorita(お嬢さん)!」

 「セニョリータだけじゃなくてぼくも守ってほしいなあ」

 「あ、ありがとうカルロス君」

 「オレはこのまま2階見ようと思うけど、一緒に来るヤツいるか?」

 「では僭越ながらお供させていただきます」

 「ワタシも!」

 

 残りのメンバーでの班分けは案外すんなり決まって、各フロアをそれぞれ探索して、最後に1階中央のホールに集まって報告することを決定した。先に行ってしまった尾田君班にも、見つけた人が伝えることを約束して、私たちは1階の探索に向かった。

 


 

 たくさんお金ある希望ヶ峰学園の校舎があんなもんなのはおかしいと思ってたネ。やっぱりこんなに大きな建物を隠してたなんて、熊熊(ションション)もイジワルするネ。

 

 「うおーっ!すげーっ!なんだここ!なんでもあるじゃねえか!描きたい放題かよ!」

 

 班分けが済んだ後、真っ先に美術室に入っていった佬佬(ラオラオ)の声が聞こえた。今までなんだかトゲトゲした態度だったり大人っぽい顔だったり高校生らしいところだったり色んな顔をしてたけど、美術好きな一面もあるのカ。何面相ヨ。

 

 「楽しそうで何よりです。こちらの美術室は……なんだか多くの視線を感じてしまって、私は落ち着きませんが……」

 「どれもこれもモノクマの顔にしてやがるのがふざけてやがるが、これはこういう芸術だと思って見るとなかなか……いや、やっぱクソムカつくな」

 

 ワタシは絵とか像のことはさっぱり分からないヨ。そんなのでお腹いっぱいにならないネ。でもこの絵一枚を売れば、ワタシたちの家族みんながずっとお腹いっぱいご飯を食べられるくらいのお金になるっていうのは、不思議だけど興味あるヨ。一枚くらい持って帰ってもバレないアル。

 

 「おい長島。ふざけた絵だからって気安く触るんじゃねえぞ。人の手は思ってる以上に汚えんだからな」

 「むっ!失礼アル!ちゃんとトイレの後はしっかり洗ってるヨ!」

 「当たり前だ!絵ってのは思ってるより繊細なんだ。無闇に光に当てたりするだけで劣化すんだから、皮脂なんて付けたらイチコロだぜ」

 「ここの絵にそんな気を遣う価値ありますかねぇ?」

 「オレはそういう無理解で消されてきた名作を沢山知ってんぜ。駄作はその十倍あるけどな」

 

 ふむ。絵を持っていくのもなかなか簡単じゃないってことネ。というか脱出口もないのに持ち出したって意味なんかないアル。ただ動き難くなるだけヨ。

 佬佬(ラオラオ)はしきり色んな絵を興味深げに眺めて、風風(フェンフェン)はやたら絵の裏や壁の隙間を調べて、美美(メイメイ)は備品をひとつひとつチェックしてる。ワタシは早くホームセンターに行ってみたいヨ。なんだか退屈ネ。

 

 「長島様はあまり絵画にお詳しくないのですね」

 「どれもこれも見たことないヨ。動いてる分パラパラ漫画の方が面白いアル」

 「見たことないって、これ全部?『モナ・リザ』も?『最後の晩餐』も?『叫び』も?」

 「どれがどれのことかさっぱりアル。わけ分からんこと言うな!」

 「ええ……」

 「あっ、これなら知ってるアル。近所のイタリア料理のお店にあったヨ」

 「『ヴィーナスの誕生』ですね」

 「コピーだったアルか?」

 「コピーっていうか……まあ、そうです。コピーです」

 

 なんだか風風(フェンフェン)にまで呆れられるのは屈辱ネ!仕方ないヨ!絵なんて身近になかったから知るチャンスもなかったアル!

 

 「みんなそういうのどこで知るアル?」

 「普通に学校で教わると思うけど」

 「ふーん、学校っていうのはそういうところアルか。知らなかったアル」

 「長島様も高校生なのでは?」

 「籍があるだけヨ。いつも山……とかスナイパーの大会行ってて、たまに行ってただけだから授業なんかろくに受けたことないアル」

 「そ、そんな人いんの!?マジで!?長島さんって不良なの!?」

 「不良じゃないアル!家族がご飯食べられるように頑張って働いてたヨ!学校なんて行ってる場合じゃないネ!」

 「し、失礼しました……私たちは恵まれていると聞かされてきましたが、ここまで身近にそうした生い立ちの方がいらっしゃらなかったものですから」

 「日本の子どもたちは幸せヨ。みんなで仲良く学校も行けるし、おいしいご飯もいっぱいあるし、ぽかぽかお風呂に入って夜はぐっすり安心して寝られるアル。羨ましいヨ」

 

 なんだかワタシの昔話をしてると、風風(フェンフェン)美美(メイメイ)もどんどん真剣な顔になってきたアル。そう言えば前にお店で同じような話をしたときもこんな感じになったアル。日本の人はみんなワタシに同情してくれて優しいアル。

 

 「なんか、長島さんってたまにめちゃくちゃシビアなとこあるよね。結構ハードな過去あったりするの?」

 「聞きたいアルカ?聞いたら戻って来られなくなっちゃうヨ」

 「ひえっ」

 「あまり詮索なさらない方がよろしいですよ、宿楽様。ここにいらっしゃるどなた様も、相応の理由があってこの学園にやって来たのです。楽しいことも、お辛いこともあったでしょう」

 「結局のところお金アル!」

 「金かい!」

 「そういう美美(メイメイ)はどうアル?」

 「わ、私ですか?私は……家業を助ける力を身につけるためでして、何も特別なことは」

 「ふぅん、本当アルか?」

 「……ッ!は、はい!もちろんです!」

 「フッフッフ、美美(メイメイ)はウソが下手ね。ワタシでも分かるヨ」

 「えっ……そ、そうでしょうか」

 「やっぱりウソだったアル」

 「あっ」

 

 ちょっとした冗談のつもりだったけど、美美(メイメイ)が本当に気まずそうな顔するから、余計にからかってみたくなっちゃったアル。でもウソが下手なのは本当ネ。ウソを吐き慣れてない人は目が泳いだり口ごもったり分かりやすい特徴が出るアル。ワタシの周りにはもっと上手にウソを吐いてる人もいたヨ。

 

 「も、申し訳ありません……!ウソというわけでは……あの、お話できないことはございますが、決して皆様を信頼していないわけではございませんので……!」

 「ほんのジョークアル。美美(メイメイ)が言いたくないなら別にワタシたちは無理矢理聞くつもりないアルヨ。ね、風風(フェンフェン)

 「へっ?あ、うん……」

 

 風風(フェンフェン)のサングラスに残念そうな顔が映ってるアル。これはワタシじゃなくてもウソだって分かるアル。

 

 「と、ところで、宿楽様はなぜ希望ヶ峰学園にご入学なさったのですか?」

 「私こそみんなみたいに偉い理由なんてないよ。私は普通に学園に呼ばれたのが嬉しくて来たって感じかな。人生に希望が見えたっていうか」

 

 お金のため、家族のため、自分のため……みんなここに来た理由は違うけど、やっぱり誰もコロシアイなんて望んでないっていうことはだけは同じネ。そりゃそうヨ。人殺しなんてやりたくてやるものじゃないヨ。ワタシだって、やらなくていいなら……でも、それだけで生き残れるような場所じゃないっていうことも忘れないようにしないといけないネ。

 

 「おいお前ら何話してんだよ。脱出の手掛かり捜すんじゃなかったのか」

 「ごめんネ佬佬(ラオラオ)。ちょっとガールズトークしてたアル」

 「ガールズだったかなあ?」

 「ふーん、なんでもいいけどよ。オレは満足したし他のとこも探索しに行こうぜ」

 「あっ、では次は図書室へ。ご案内します」

 「谷倉さん、もう場所把握してんの?」

 「最初に館内図を確認しましたので、おおよそは」

 「すごっ」

 


 

 この本館っつうところは、あんまりにもデカ過ぎてどこに何があるのかさっぱり覚えられねえ。狭くてごちゃごちゃしてんのも困るが、だだっ広過ぎんのも考えもんだ。この首に巻き付いた忌々しいモノカラーって代物によりゃあ、東西にエリアを分けて、それぞれ(イースト)エリアと(ウエスト)エリアって呼ぶそうだ。おいらたちがいるのは(イースト)エリアだな。

 ずらっと並んだ20個の扉は、おいらたちそれぞれの個室らしい。分館にあったもんよりドアがデカくなってんのと、ひとつひとつの間隔が広くなってるような気がするのは気のせいか?その手前にゃ診療所がある。たぶん分館のもんより設備が整ってんだな。知らんけど。それから圧倒的な座席数とメニューとデケえ厨房のあるレストラン!こいつぁいいぜ!酒のつまみもたんまりありそうだ!

 

 「尾田君。あまりおひとりで突き進んでは、いつか思いも寄らない怪我をしますぞ」

 「ご忠告どうも。ですが僕はあなた方を信用していないので、あなた方から怪我をさせられる可能性を排除することにします」

 「こうも面と向かって言われると手前も答えに窮してしまうのですが……警戒は大切ですが、今はともにこの難局を乗り切らんとする仲間なのですから……」

 「その仲間に二度も裏切られて懲りないあなたがたの能天気さが、僕には理解できません」

 「お前こそ、裁判場で何を聞いていた。虎ノ森も岩鈴も、自分の意思で殺人を犯したわけではない。モノクマの動機に翻弄された結果だ。あれは……事故と判断すべきだ」

 「なるほど。素直に自分の罪を告白せず、僕たち全員の命と引き替えに生き存えようとしたことも事故だと」

 「たとえ自らの行いによるものであっても、命を擲つことを容易に受け入れられるものではありません。その点で彼らを責めるのは酷というものです」

 「はあ……どうにもここには情に絆されて殺人犯の肩を持つ殺人肯定派の方々が多いようですね。ますますそんな人たちは信用できません。いいですか?彼らは他人の命を奪い、脅かしたのです。事故だろうが不本意だろうが、そんなものは彼ら自身の中にある判断基準であって、僕たちには関係ないことです。他人の権利を脅かしておいて自分の権利は認められると考えることがどれほど自己中心的か、分かりませんか?」

 

 庵野と毛利が尾田に追いついてから、こいつらはずっとこんな調子だ。庵野と毛利が尾田を引き留めようとして、尾田が勝手に突き進んで、命がどうだ殺しがどうだって話になっちまう。ったく、エラいことになったもんだ。おいらァ希望ヶ峰学園に入りゃあ将来安泰だと思ったってのに、このままじゃ将来どころか明日のおまんまもまともに食えるか分かりゃしねェ。

 

 「狭山の死体を自分勝手な理由で溶かしておいて、よくそんなことをつらつらと言えたものだな」

 「ええ、溶かしました。それがなんですか?僕には僕の理由がありました。あなた方はそれでも僕を許せない。それで終わりでは?僕は後悔していませんし、後悔して頭を下げたところで狭山サンの遺体は元に戻りません。合理的に考えてください。そもそも溶かしていなかったとしても、裁判が終わればモノクマが回収していたはずです」

 「そういう結果の話をしているわけじゃない。分かっていて煽るようなことを言うのが合理なのか?」

 「少なくとも質問の体を取った攻撃は合理的ではないですね」

 

 めちゃくちゃ空気が悪い。ずーっと黙ってる重てェ空気も嫌だが、始終互いに言葉でぶん殴り合ってる状況も耳と腹が痛くなる。ったく、高校生ってのはどうも感情的でいけねェ。尾田のやったことはおっかねェし人の道を外れてることだとは思うが、別にそれでおいらたちが損したわけでもなんでもねェ。狭山を直接殺したのは岩鈴だったわけだしな。おいらァ人としての正しさなんてもんには興味がねェし、こっちに害がねェならむしろ尾田のおつむの良さは頼りになる。

 賢い生き方をしなきゃならねェ。どっかのえれェ学者さんも言ってた。賢いヤツが生き残るって。おいらァ別に自分が賢いとは思っちゃいねェが、こういう時に誰について行くのが賢い選択かってことくれェ分からァな。

 

 「まァまァおめェさんら。あんまりギスギスするもんじゃねェぜ?こうして広くて充実した建物に来られたんだ。いいことじゃねェか。気楽にやっていこうや」

 「王村……お前は尾田のことは何とも思わないのか?集団行動を乱すヤツは不和を呼ぶ。そうすればお前の命も危ぶまれることになるんだぞ」

 「そうやって感情的な論理で動く人こそ危険なんです。むしろああやって前後不覚になるほど酔っ払って無力化されている人の方が安全だと思いますがね」

 「ったくよォ。これだから若ェヤツァ若ェんだなァ」

 「は?」

 「あのなァ。決着なんて付けなくていいだろうが。尾田には尾田の考えがあって、毛利にゃ毛利の考えがある。互いにどうしたって受け入れられねェんだ。だったらその部分についてはシカトこいて、互いに利用できるとこだけ利用すりゃいいだろうが。無理矢理相手を分からせようとすっからケンカになんだ。無理なもんは無理!ダメなもんはダメ!人生諦めが大事だぜ!諦めた相手のことに時間割くほど人生は長かねェぞ?」

 「……」

 

 ぽかんとされちまった。おいらもおいら自身にびっくりした。もしかしたらこりゃあこの世の真理を語っちまったかな。やっぱ年長者としてこいつらのことを引っ張ってやるくらいの度量は見せつけてやらなきゃならねェからな。ったく。頼られる先輩ってのァ大変だ。悪い気分じゃねェけどな。

 

 「分かった。私はお前を諦めたからもう頼らん。すまなかったな、王村」

 「へ」

 「カスみたいな考えですね。諦めた末にアルコールに逃げるなんて惨めなことを正当化する姿ほど醜いものはありません」

 「あれ、あれれ?」

 

 尾田も毛利も、おいらに背を向けて別々に探索を始めちまった。おいらァまたなんかやっちゃいましたか?慌てて近くにいた庵野に助けを求める目をした。なんというか、はっきりそれを口に出すのが憚られる。けど、庵野の顔は曇ってた。

 

 「あ、庵野ォ……?」

 

 庵野はただ、首を横に振った。なんでだ!!

 


 

 リンは車椅子で思うように動けない。マツリちゃんはそんなリンのために付きっきりで世話をしているそうだ。うーん、これこそ話に聞く、三歩後ろを付いてくる大和撫子か。マツリちゃんの美しい気持ちを尊重して、オレは二人の警護をしている。モノクマや罠、あるいは気の狂ったヤツが襲ってくるかも知れない。そこをオレがひらりと……かわしたら意味ないのか。ガッと食い止めなければ。

 

 「カルロス君?そんなにガチガチに緊張しなくてもいいと思うよ?」

 「大丈夫!マツリちゃんとリンには誰にも指一本触れさせないさ!安心してくれたまえ!」

 「警戒は大切だけど、まだ来たばかりなんだし、モノクマもいきなり仕掛けてはこないと思うよ。それより、あっちの方が気になるな」

 「よしきた!あっちへ行こう!」

 

 リンが指さしたのは、建物の西側。1階は確か、広すぎて東西でエリアが分かれてるんだったな。こっち側は(ウエスト)エリア。建物の中央付近には、大きな四角いコンテナが置かれている。何かと思えば、漢字で何か書いてある。オレは漢字は読めないんだ。

 

 「これはなんだい?」

 「非常用具庫。緊急時のために使う道具が入ってるコンテナだね。普通は外に置いてあるものなんだけど」

 「開くのかな?」

 「開けてみよう!緊急時に何があるか分からないんじゃ意味がないからね!」

 「確かに」

 

 軽くノブを握って見ると、カギはかかっていないようだった。しかしなかなか重い。オレくらいなら簡単に開けられるが、か弱い女の子たちに開けられるとは思えない。いや、緊急時とはいえ女の子にこんなことをさせることになんて、オレがいる限り絶対にさせないさ!

 ぐっと開くと、コンテナの蓋はギリギリと音を立てて開き、中の様子が分かった。小さい豆電球がぶら下がっていて、光の届かないコンテナの中を照らしていた。中は思った以上にスペースがない。段ボールや金属棚に並んだ色々な工具、巨大な発電機もある。

 

 「あっ、見つけちゃった?見つかっちゃった?全くオマエラったら、そんなところまでじっくり見ちゃイヤン♡なんだから」

 「何の用?」

 「つめたっ。もうちょっとないの?リアクションとかさ。なにかさ」

 「そんなもの期待できる立場?」

 「グエーッ!!湖藤クンの火の球ストレートがブッ刺さる!!氷のような冷たさに染みる〜〜〜!!」

 「うるさいなあ。なんなの?」

 「非常用具庫は、本当にヤバいことになったときのためのものだからね。さすがに天変地異で全滅なんてことになったらボクとしても不本意だし!生きるために必要な設備がここに揃ってるよ!」

 「つまり、天変地異が起きるような場所にあるんだね。この学園は」

 「なんだよもう!だからこいつの前で話すの嫌なんだよ!」

 「地球上ならどこでも天変地異は起き得るよ。でもその反応は、天変地異の種類が場所のヒントになるっていうことの表れかな?」

 「んがああああああああああああッ!!!」

 

 モノクマが何か言うとリンがすかさずチクリと言葉で刺す。どんな小さな揚げ足もリンは見逃さずに拾って、少しずつ情報を得る。学級裁判のときはこんなに頼もしいことはないけれど、こうして目の前でそのスキルでモノクマをいじめているところを見ると、なんだか恐ろしくなってくる。知らない間にオレも心の中を暴かれているんじゃなかろうか。

 

 「心配しなくていいよ。不必要に人の心は読まないから」

 「そうか。それなら安心だ」

 「いや気付いてカルロス君!違うから!」

 

 リンが紳士でよかった。口も出していない心の中を勝手に覗かれるようなことがあったらたまらない。マツリちゃんは何をそんなに焦っているのかな。

 

 「オマエラ、そんなことしてていざというときにこれの使い方を知らないなんてことになっても知らないよ」

 「ああ、ごめんごめん。ちゃんと聞くよ。食べ物とか毛布があるんでしょ?」

 「それだけじゃない!プライバシー保護のテントもあるし、携帯トイレも非常用発電機もある!発電機はなんと、この本館丸ごとの電力を一時的に補えるパワーがあるのだ!その分、使うには力が必要だけどね」

 「そうなったらオレの出番ってわけだ!みろやこの筋肉!」

 「変な日本語覚えてる」

 「力こそパワー!!」

 

 ムキッと自慢の筋肉を見せつけると、マツリちゃんの熱い視線を感じた。やはりSeñorita(女の子)たちはこの男らしい肉体に心ときめかさずにはいられないみたいだ。しかしマツリちゃんにはリンという大切な人がいる。憧れるのは仕方ないが、自分が寄り添うべき人を見失わないようにしないと。

 

 「すまないね、マツリちゃん」

 「何が?」

 「なんだろうね。さ、次はあっち行こう」

 「オマエラってホント危機感ってもんがないよね。いいけど」

 


 

 はぐは、ちぐとたいしさんとほーこちゃんと一緒に、地下まで降りてきた。暗くてちょっと怖いけど、ちぐがいるからへっちゃら。今朝までいた分館ってところより、この本館の階段は降りやすくて、だけどその分ちょっと長いみたい。分館みたいに真っ直ぐじゃなくて、途中で何回か折り返してるし。

 

 「ふむ、これなら上から何か落としても下までいくことはないな」

 「そーだね!落とし物しちゃっても大丈夫だね!」

 

 たいしさんがにこにこして言うから、はぐもうれしくなっちゃった。でもちぐとほーこちゃんはいやそうな顔をしてる。大事なものを落としたこと思い出しちゃったのかな?

 本館の地下は明るくて、分館の地下よりずっと広かった。やっぱり壁とか天井は灰色で可愛くないけど。天井から壁に、壁から床に、床から天井に、あちこちからあちこちに色んな太さと色のパイプが繋がってて、なんだか大きい機械の中に入っちゃったみたい。ゴンゴン大きな音と熱い空気を噴き出してて、近付いてよく見ようと思ったらちぐに止められた。

 

 「薬品庫はここか?」

 「ちょっと菊島さん。勝手な行動をしないでちょうだい」

 「わーい!ちぐこっちだよー!」

 「走ると危ないよはぐ。手を繋いで行こう」

 「あなたたちも勝手にどっか行かないの!はぐれたら守ってあげられないでしょ!」

 「あんたに何が守れるっていうんだ」

 「んぐっ」

 

 地下の奥の方まで延びた廊下を探検する。途中にはプールや広いお風呂があった。外は見えないけど、こういうところで元気いっぱい泳いだら楽しいんだろうなあ。いつかはぐも泳いでみたいなあ。

 そこから更に先には、なんだかガラスのドアがあった。狭い入口の横にカードリーダーみたいなのが付いてて、ドアは押しても引いても開かない。ちぐが色々と試してみてるけど、それでも開かない。こうなってくると断然ここが気になってきた。

 

 「絶対この中見てやるんだ!ちぐ!なんとか頑張って!」

 「なんとか……そうだな。モノクマなら分かるはずだ。呼んでみようか」

 「おーいクマちゃんやーい!」

 「こら!人を筋斗雲みたいに呼ぶな!」

 「わっ!ホントに出た!」

 

 ちぐの言う通りに呼んでみたら、本当にクマちゃんが出て来た。いつもはぐたちが見てないところにいつの間にかいて、今回は廊下が狭いから後ろに出て来てびっくりしちゃった。

 

 「おい。このドアはどうやって開けるんだ。中に何がある」

 「乱暴な言い方するなあ。人に物を頼むときはなんて言うか、ダディやマミィに教わらなかったの?」

 「下らないこと言ってないで教えろ」

 「やーだね!オマエなんかに絶対教えてやんねーよ!べーだ!」

 「おしえてくださーい!」

 「はいよくできました!このドアはモノカラーを照合させれば開くよ!うぷぷぷぷ!」

 「なんなんだ」

 

 ちぐはいつもはぐを助けてくれるけど、こういうときに意地っ張りになっちゃうのが残念なんだよね。そこははぐがサポートしてあげるから大丈夫なんだけどね。はぐはみんなを笑顔にできちゃう才能があるんだからね。クマちゃんに教えてもらったとおりにモノカラーをカードリーダーみたいな機械に向けようとしたら、ちぐに止められた。

 

 「何があるか分からない。僕がやるから、はぐは下がってて」

 「うん、ありがと!」

 

 はぐの代わりに、ちぐがモノカラーをカードリーダーに近付ける。ピッていう音がしたと思ったら、目の前のドアがシャッと横にスライドして消えてった。機械には、ちぐの顔と名前と今の時間が表示されてる。

 

 「はい!このように、モノカラーを照合させると、この機械に照合したモノカラーの持ち主と照合時刻が記録されます!」

 「なぜだ?この奥に何があるんだ?」

 「それはキミたちの目で確かめてくれ!」

 「雑な攻略本みたいなこと言いやがって……はぐ、気を付けてついてきて」

 「うん!」

 

 抜き足、差し足、忍び足。ちぐは部屋の中に何があっても大丈夫なように、少しずつ入って行った。中は広いスペースがあって、周りには部屋の外と同じような太いパイプや細いパイプがあちこちに延びてる。入ったすぐ裏には、カードリーダーとは少し違う機械があった。手の形が描いてある。

 

 「ここは機械室!この学園全体のインフラを管理する超重要な学園の中枢なのです!どうでしょう!」

 「どうでしょうって……インフラって、全部か?」

 「そう!上水道、下水道、電気、ガス、ネット環境諸々全てをここで賄ってます!なので気を付けてね!その辺のパイプ一本凹ませただけで被害は甚大だから!」

 「この機械なーに?」

 「部屋に入るのはモノカラーが要るけど、出るときはここに手をかざすだけでドアは開くよ。出られるってことは入れるってことだからね」

 「うん?そっか!あったまいー!」

 

 クマちゃんの話はちょっと難しかったけど、要するにここはみんなが生活していくために必要なものを外から持って来て色んな場所に届けるための部屋ってことらしい。パイプに繋がった色んな機械で、メーターや数字がぐるぐるぐるぐる動いてなんだか目が回りそう。

 ちぐはその部屋をぐるっと見回して、ふん、と鼻を鳴らした。すごく大切なことは分かったけど、面白そうなものは何もない。つまんないの。

 

 「ねえちぐ、もう出ようよ。ここつまんない」

 「う、うん……分かったよ。おいモノクマ。ここは壊した大変なことになるって言ったな」

 「そうだよ。もう忘れたの?」

 「それを禁じる校則がないのはなんでだ」

 「……うぷぷ!んもう!それをボクの口から言わせようっての?月浦クンったらもうお盛んなんだから!やーねえもう!ないならないでそういうことじゃないの!」

 「ちぐ、クマちゃんになんかやらしいこと聞いたの?」

 「なっ!?ち、ちがう!おいふざけるなクマ公!違うよはぐ。そんなこと聞くわけないじゃないか」

 

 クマちゃんがもじもじ恥ずかしそうにしながら、ちぐの質問に答える。なんでそんなことを聞くのかはぐには分からないけど、クマちゃんの態度を見てるとなんか変な質問をしたみたい。そんなこと聞くなんて、ちぐってやらしいんだ。

 くすくす笑いながら、クマちゃんはどこかに行っちゃった。ちぐはそれにも気付かないくらいに焦ってる。ちょっとからかっただけなのに。

 

 「ふふっ、ちぐ必死すぎ。そんなことないって分かってるよ」

 「うっ……勘弁してよ、はぐ……」

 「ねえところでさ」

 「うん?」

 

 さっきクマちゃんがはぐの知らないことを言ってたから、ちぐに聞いてみた。

 

 「お盛んってなに?」




メリークリスマスというわけで三章の始まりです。始まったばかりですが今年は終わりですね。次回の更新は年明け三連休の中日です。
年末年始の連休の後に三連休なんてあったらもう週5勤務には戻れませんね。なあ、聞いてるか経団連。


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(非)日常編2

 

 新館の探索は、私たちが想像した以上に時間がかかった。朝ご飯を食べて間もなく探索を開始したはずなのに、みんなが一通り探索を終えてホールに全員が集まったのはお昼を過ぎていた。あちこちを回って疲れた様子の人もいれば、施設に満足したのかほくほくした顔の人もいる。私たちはカルロス君に助けてもらったおかげでそこまで疲れなかったけど、とにかく広い新館ホールやスポーツ施設、劇場なんかもあって、湖藤君の移動に手こずった。

 

 「1階Wエリアは、災害時に使うための非常用具庫があったよ。大きな発電機とか、当面は食い繋げられる分の食糧とかがあった。あと、数百人規模の劇場があったり、ボウリングやダーツなんかがあるスポッツァっていう施設があったよ」

 「なんだそのギリギリの施設」

 「Eエリアは食堂と厨房がある。分館にあったものより数段設備が充実していた。保健室の発展したもの……ちょっとした診療所だな、あれは。そういうものもあった」

 「おのおの方の個室も、分館のものより大きな部屋が用意されております。手前のものしか見ていませんが、おそらく“才能”に合わせた研究室も兼ねている様子です。手前の場合ですと、教会風の造りに聖典や聖遺物のレプリカが大量にありました。あとトレーニングマシンも少々」

 「宣教師って筋肉も必要なんだなあ」

 「2階の美術室はすげえぜ!絵描くのに必要なもんが全部あった!展示してある絵はバカにしたようなもんだが」

 「図書室とホームセンターはそれぞれ、本や売り物の充実さは素晴らしいものでした。モノクマ様がおっしゃっていたように危険物もございましたが……」

 「地下は……インフラ設備を管理する部屋と、薬品庫と、プールと大浴場、物品倉庫、リサイクルセンターがあったわ。基本的な内容は分館と同じだけど、そのまま規模を大きくしたような感じね」

 

 みんなの報告を聞いて、少しだけこの本館の全容が見えてきたような気がした。実際に自分の目で見てみないことには確信的なことは言えないけど、あちこちにモノクマの不気味な悪意が潜んでいるような気がしてくる。私たちが過ごしやすいように充実させた設備の中に、人の命を奪うことへの誘惑が身を隠していて、その寸前で私たちは踏みとどまっている。

 

 「あと2階にはまだ上に続く階段があったヨ!外から見ても分かったけど、この建物はまだまだ上があるネ!トップを狙うしかあるまいヨ!」

 「そこは探索したんですか?」

 「シャッターが降りてて進めなかったヨ。隙間から覗いたけど見えなかったアル」

 「なるほど。つまり、さらに上に進むにはまた学級裁判に勝利しないといけないわけですか」

 

 また尾田君はそんなことを言う。さすがにみんな尾田君がそういうことを言うのに慣れてきたのか、それか同じことを薄々考えていたのか、空気がひりつくことはなかった。その代わり、みんな呆れたりうんざりした目を尾田君に向けるだけだった。

 

 「ともかく、分館と同じように、ここで暮らすことだけを考えれば十分な設備が整っているということね。おそらく……モノクマがそうはさせないでしょうけれど」

 「こ、これからどうするの?」

 「ひとまず……皆様、お昼ご飯に致しませんか?新しくなった厨房に慣れないといけませんので、私はそちらに参りたいのですが」

 「そうだね!もうすっかりランチタイムを過ぎてしまった!さあみんな行こう!」

 

 谷倉さんとカルロス君の号令でみんな空腹を感じたのか、素直に食堂まで従った。話に聞いていたように、食堂は分館より遥かに広く、椅子やテーブルの装飾も豪華になっていた。谷倉さんを手伝うために入った厨房は、両手を広げても届かないくらい大きな冷蔵庫、何に使うのか分からないくらい揃えられた包丁やお鍋、瑞々しい野菜の数々……それらを見る谷倉さんの顔は輝いていた。

 

 「素晴らしい設備です……。分館の設備も素晴らしかったですが、こちらはより整っていますね」

 「こりゃあ腕が鳴るね、谷倉さん」

 「はい!」

 

 谷倉さんはさっそくみんなのお昼ご飯作りに取りかかり始めた。本館に来てすぐは不安そうにしていたけれど、料理を始めたらそんな心配は頭から消えてしまったのか、谷倉さんの表情は明るくなった。私はあちこちの棚を開けて何があるかを確認したり、冷蔵庫の中から谷倉さんが必要とする食材を持ち出してきたりして手伝った。

 

 「うーん、相変わらずすごい品揃え……どこから持って来てるんだろう」

 「食材といい設備といい、希望ヶ峰学園のものをそのまま使っているとしても、設備維持には多大な費用と手間がかかるはずです。モノクマ様おひとりでされているとは考えにくいのですが……」

 「少なくとも私たちが来るよりずっと前からあったはずなのに、妙に掃除が行き届いてるし……新築みたい」

 

 料理する手を休めず、火と刃物の取扱には十分注意しながら、谷倉さんが疑問を口にする。私たち以外の誰もいないこの建物も不自然だけど、それ以上に違和感を覚えるのはこの建物のきれいさだった。ここにもともと通っていた希望ヶ峰学園の先輩たちはどこへ行ってしまったのか。モノクマのことだからただ追い出したというのも考えにくいけれど、それにしては建物の中がきれいだ。闘争の跡はどこにも見られない。

 

 「素晴らしい掃除の行き届きっぷりです。私も負けていられません」

 「そこで張り合うんだ」

 「私は皆様の生活を陰ながら支えることしかできませんので。特に甲斐様は……思い出させてしまうようで恐縮ですが、人一倍お辛い経験もされていらっしゃいます」

 「い、いや別にそんな……」

 「学級裁判でも皆様のことを引っ張っていただいておりますので、私たちはいつも甲斐さんに何か返せないかと考えているんですよ。さ、できました。甲斐さんのお好きなコーンポタージュです」

 「わっ……!鍋いっぱいにコーンポタージュが……!」

 

 いつものことだけど、谷倉さんはとにかく人のために何かすることを良しとして、自分のことは二の次に回してしまいがちだ。食事に掃除に片付けに、ついなんでも任せちゃうから、助かってはいるんだけど、なんだか自分がものぐさな人間になっていくようで後ろめたい。

 しっかり()()()()作った料理を食堂に持っていくと、何人か席を外していた。相変わらず尾田君は私たちを信用してくれないのか、適当な菓子パンを持って出て行ってしまったらしい。後は、酔い潰れて部屋で寝てる王村さんと、ご飯を食べられる気分じゃない理刈さんがいなかった。なんだかぐっと人が減ってしまったような気がする。

 

 「いない人の分は私が食べるアル!」

 「私も!」

 

 2人分の余った食べ物は、長島さんと宿楽さんがしっかり消費してくれた。王村さんは勝手に酔い潰れてるだけだから放っといてもいいとして、尾田君はなんだか以前よりもずっとみんな──特に私に厳しくなってきたような気がする。普通、ずっと一緒に生活してたり苦難を乗り越えたりしたら信頼が生まれたりするものなんじゃないの?時間が経つ毎に好感度が減ってくなんて、ナニごっちだって感じ。

 理刈さんは最初の事件の後にだってすごく消耗してたのに、まさか二度もあんなことをするなんて考えてもみなかったんだろう。菊島君に聞いた限りだと、探索のときは相当苦労したと思う。可哀想に。後でご飯を持っていってあげよう。

 

 「それで、これからどうしようか?新しい場所に移ったことだし、改めて出口を探すかい?」

 「ったりまえだろ!いつまでもこんなとこいられっか!ここに来るときに通ったあのドアぶち破れば外出られるだろ!」

 「でも外ず〜〜〜っと森でな〜〜〜んもなかったアル!闇雲に出て行っても街に出る前に行き倒れて死ぬだけヨ。それかクマにでも食べられちゃうネ」

 「クマの脅威は内も外も変わらないだろう。しかし……ここは希望ヶ峰学園のはずだろう。周りが全て──否、周りに森などないはずだろう。希望ヶ峰学園があるのは都会の一等地だぞ」

 「だけど、事実ぼくたちが見たのは森だった。街が潰されて森になったなんてものじゃない。はじめから、ずっと森だったような、直球ど真ん中の森だ」

 

 そういえば、あまりに混乱する出来事が連続したせいで気付かなかった。さっき渡り廊下で見た外の景色、地平線の彼方まで続くような広大な森林は、いったいどういうことだろう。まさか、都会の一等地にあんな森があるわけがない。

 

 「考えられる可能性はいくつかある。そもそもここは本当に希望ヶ峰学園なのかというところから疑い出せばキリがない。だけど、ここがどこであろうとぼくたちがすることは同じだ」

 

 湖藤君が言う。

 

 「もうこれ以上、誰も殺さない、誰も死なせない。そして、みんなで脱出するんだ」

 

 その言葉は、以前よりずいぶんくすんで聞こえた。

 


 

 希望ヶ峰学園本館の1階Wエリアには、大型アミューズメント施設が併設されている。モノクマ印の巨大なボウリングピンがシンボルになっていて、中にはみんなで楽しめるようなスポーツアミューズメントがあちこちにある。ボウリングにダーツ、ビリヤード、バスケットコートにロデオマシーンまで。ジャポーネはみんなこんなところでいつも遊んでいるのか。うらやましい。

 

 「なんなんアルかこれは……!訓練施設か何かカ!?」

 「んなわけあるか。スポッツァっていうらしいぜ。まあアミューズメントパークだな。分館は狭かったし理刈がうるさかったから、ローラーシューズで走り回れなかったんだよな。久々に羽が伸ばせそうだぜ」

 「ロイ、いつの間に翼を授かったんだい?」

 「飲んでねえよ赤い牛のやつは」

 「ははは、牛が赤いんじゃなくて赤いものに突っ込むものなんだよ」

 「何言ってんだお前?」

 「会話がこんがらがっていますね。羽を伸ばすというのは、のびのびとできるという意味です。日本語におけるイディオムです」

 「ほほう、なるほど!ジャポーネの感性はとっても面白いね!」

 

 ノブミチが説明してくれなかったら、てっきりロイが闘牛に興味があるのかと勘違いしたままだった。ローラースケートのコースは広く、オレたち15人全員が入ってもまだ余裕がありそうなほどだ。ロイはそこへ飛び出して、本当に羽が生えたように自由に走り回る。

 

 「気持ちよさそうアルワタシもやってみたいヨ」

 「貸出用のものがありますよ。やってみたらいかがです」

 「あんな動きにくそうなもの履いてて、もし有事になったらどうするネ」

 「有事……とは?」

 「いつどこでどんな風に敵が襲ってくるか分からないアル、宣宣(シェンシェン)。油断大敵ヨ」

 「はあ」

 「それよりロデオボーイはどうだい?暴れ牛に乗り続けてタイムを競うんだ。腰が鍛えられるよ!」

 「ふっふっふ、勝負を挑む相手を間違えたネ!卡卡(カーカー)!スナイパーはいついかなるときも照準を外さないアル!ロデオマシーンなんてお池に浮かべたお舟アル!」

 「それもそれなりに揺れそうですが」

 

 モエちゃんはさっそくロデオマシーンにまたがった。スタートボタンを押すとカウントダウンの音がして、すぐにマシーンは暴れ始めた。

 

 「みよっ!これぞ“超高校級のスナイパー”のバランス感かアーーーッ!!」(2秒)

 「うおおおっ!?な、長島さんご無事ですか!?」

 

 乗れていたかすら分からないくらいあっという間の出来事だった。だるま落としみたいに体だけ吹っ飛んだように揺さぶられた後、モエちゃんは後頭部から落っこちた。

 

 「ぐぬぬ……!」

 「はっはっは、無理はしない方がいいよモエちゃん!そこでしっかり見ていたまえ」

 「カルロス君。やめておいた方が……」

 「いいからノブミチ!スタートボタンを押してくれ!」

 

 ノブミチは少しためらってはいたが、颯爽とロデオにまたがり華麗にポーズを決めたオレの姿に安心したのだろう。「ナムサン!」とか言ってボタンを押した。カウントダウンが鳴り始める。

 

 「よく目に焼き付けておくんだ!これこそが日々闘牛と戦アーーーッ!!」(2秒)

 「言わんこっちゃない!」

 

 目の前で星が散ったような気がした。さっきまで見えていたノブミチの顔が上下逆さまになっていた。敷かれたマットにモエちゃんと並んで寝そべっていた。

 

 「ううん……壊れているぞこの機械……」

 「難易度が“無理”のまま挑戦するからです。せめて“ハード”くらいにしておけばいいものを」

 「早く言えアル……」

 

 気付いているならボタンを押す前に言ってほしかった。

 

 「あー、気持ちよかった。何やってんだお前ら?」

 「お二人とも腰砕けになってしまいまして」

 「何やってたんだお前ら!?こんなところで!」

 「ついでに心とプライドも砕けたアル……とんだ暴れ牛だったヨ」

 「腰遣いには自信があったんだが……モノクマの作ったおもちゃを侮りすぎたようだ。オレの知らないこんな世界があったとは……」

 「よく分かんねえけどバカなことしてたんだな分かった。深く聞かねえよ」

 

 いい汗を流したロイと、心と体に割と大きなダメージを食らったオレたちは、休憩を摂るため自販機スペースまで移動した。飲み物だけじゃなく、パンにおにぎりにカップ麺まで売ってるなんでも自販機があってテンションが上がった。日本では割と普通にあるそうだ。

 

 「高校生にもなってこんなとこではしゃいでんじゃねえぞ。オレらは遊びに来たんじゃなくて軽く息抜きに来たんだ」

 「息抜きは遊びとほぼ同義では?」

 「ぶっ倒れるまでやることは息抜きとは言わねえよ。抜きすぎて絶え絶えじゃねえか」

 「たまには“超高校級”らしいところを見せないといけない気がしたヨ……ワタシも卡卡(カーカー)も普段見せることない“才能”だからネ」

 「全くだ。闘牛の一頭でもいれば、オレの華麗な美技に酔わせてみせるのに」

 「大した自信だな。ぴょんぴょこ逃げてるだけじゃねえか」

 「ふっはっは!何も分かっていないなロイ!逃げてるだけ、か!確かに本質はそうかも知れない」

 

 だとしても、オレは“超高校級のマタドール”として、それには強く反論しなければならない。我が愛する誇り高き闘牛文化は、ただ逃げてるだけのちんけな芸ではないのだ!

 

 「しかしオレたちは逃げてるように見えて、逃げてるように見せないものだ。日本語にもあるだろう。オレたちは牛を()()()()いるんだ」

 「いなすって何アル?」

 「軽くかわすという意味です。ただ逃げるのではなく、力や技術を以て上手く回避するというイメージですね」

 「その通りだノブミチ!派手なコスチューム!華美な音楽!猛り狂う闘牛に巻き上がる砂煙!そして牛の迫る一瞬の中での攻防!そこには、生き物と生き物が命をかけて対峙する美しき瞬間がある!しかしてオレたちマタドールは賢く、美しく、逞しく、強くある!人間が人間として、牛と闘い勝利する!それこそ闘牛というものだ!ただ逃げるだけでもない、ただ殺すだけでもない!分かるか!?世界で最も危険な芸術なのだよ!」

 「芸術ねえ……そう言われるとんなわけねえだろとは言えねえな。オレの考えるもんとはずいぶん違えが、そいつが思うんならそれは芸術なんだろうよ」

 「分かってくれるか!そうかそうか!ならロイも今日から闘牛文化を支持するオレの仲間だな!」

 「なんだそりゃ?」

 「闘牛文化は、残酷だの野蛮だのと言われているんだ。そう見えてしまうのは仕方ないことだとは思うが、文化はコミュニティの外から見れば異質に見えるものだ。コミュニティの中に入って理解すれば見え方が変わることもある。だからオレは希望ヶ峰学園で、闘牛文化を支持してくれる仲間を集めるために来た!そしてもう一度、闘牛の素晴らしさ、ひいては“超高校級のマタドール”であるオレの姿を世界中に知らしめてやるのが野望なのさ!オレは英雄になるんだ!」

 「お〜、デッカく出たネ。闘牛ってのは儲かるアルか?」

 「もちろん、興業が盛り上がればね」

 「それならワタシもいっちょ噛むアル!」

 「金かよ!?」

 

 金でも名声でもなんでもいいさ。文化っていうのはそういうものだ。関わる人が多ければ多いほど強くなる。どんなものであってもね。

 

 「夢を持つことは素晴らしいことです。希望ヶ峰学園生としては、己の夢の一つも語れるようにならなければなりませんね」

 「宣宣(シェンシェン)は夢ないカ?」

 「夢というには曖昧ですが……手前は『愛』を信仰することの素晴らしさを説くことが人生の目的ですので。強いて言えば、皆様に手前の考えを理解していただくことが夢ですかね」

 「悪いけどワタシは宗教とかなんとかは分からないヨ。神様はいつだって強い人の味方ネ」

 「それもまた一つでしょう。手前はただ己の信仰に従うのみです……」

 「そういう長島こそ夢なんてなさそうだよな。考え方とかめちゃくちゃシビアだし、夢より目の前の小銭拾いそうだ」

 「そりゃそうアル。夢でお腹は膨れないし、夢で身は守れないヨ。食べるものも眠れる場所もあってこそ夢も見られるってものヨ」

 「今は食べるものも眠れる場所もあるんじゃないのかい?」

 「ふむ」

 

 オレが指摘すると、モエちゃんは目を丸くして、何か考えるように斜め上を向いた。自分の夢というものを考えたことがないのか、ずいぶんと悩んでいるようだった。フウちゃんやはぐちゃんと比べてしっかりしてるとは思うけれど、普通の女の子なら夢くらいあるものじゃないか?見ないようにしていたというより、見る暇さえなかったのか?可哀想なことだ。

 

 「毎日お腹いっぱいご飯食べて、ぐっすり眠れて、ここから出て家族と会うのが夢アル!」

 「バーカ。そりゃ夢じゃなくて今の最終目標だろ」

 「違うアルか?」

 「夢なんてのは叶わないのが常なんだよ。だからオレは夢なんて持たねえぜ。あるのはそのうち現実にする目標だけだ」

 「強かな考え方ですね。芭串君らしいです」

 「じゃあその目標っていうのは?」

 「……んん」

 

 ひとり冷笑的に言うロイだが、オレの質問には目を逸らして、帽子を少しだけ深く被り直した。照れているのか?

 

 「こっから出るのは確定事項として……まずは妹の病気を治すだけの金を稼ぐことかなあ。希望ヶ峰学園に入学できたんだ。オレの絵を認めるヤツもいる……いや、認めさせてやる!そんで妹の病気を治す!個展も開く!ルーブルにもメトロポリタンにもオルセーにもオレの絵を飾らせてやる!!」

 

 夢ではなく目標だと言いながら、実は一番夢見がちなんじゃないのか?金稼ぎと家族の病気の治療はまだしも、名だたる美術館に自分の絵を飾るのは完全に夢じゃないか。目標だと言い切ってしまうのは強気なことだと思うが、それくらいの気骨がないとできないことかも知れないな。

 

 「それなら死なないようにしないとネ」

 「もちろんだ。オレたちはもうコロシアイなんてしない」

 

 いくつかの不安要素はあるが、二度もあんなことをしてみんな、誰かを殺してしまうことのリスクはよく分かったはずだ。もうあんなこと、自分がやるのも、人がやるのも見たくない。ここにいる誰しも、それを強く感じたはずだ。

 


 

 「みかどちゃん!はぐを弟子にしてください!」

 

 それは、全く唐突な申し出でした。私が新しい厨房に慣れるため、皆様のためにおやつを作っていたところ、陽面様がいらして深々と頭を下げられました。弟子、とは一体なんのことか分かりませんが、後ろにいる月浦様がひどく苦々しいお顔でいらっしゃいます。

 

 「あ、あの……?弟子とはいったい?」

 「はぐに料理を教えてください!みかどちゃんのご飯いつもおいしいから、はぐも料理したい!」

 「お料理ですか。私のような者でよろしければ、僭越ながらお教えいたしますが……弟子というほどのものでは」

 「やったー!弟子だー!」

 「いえあの……」

 

 お料理がしたいということでしたら、私にも多少の心得がございますのでお教えすることは吝かではございません。ですが弟子をとれるほど腕があるわけではありませんので、陽面様のご期待に十分に応えられるかどうか自信がありません……。しかしそんな私の迷いなど関係ないとばかりに、月浦様は私に詰め寄って囁かれました。

 

 「おい。はぐが頭を下げたんだ。いい加減な指導をしたらどうなるか分かってるだろうな」

 「せ、精一杯やらせていただきます……」

 

 本当に月浦様なら、陽面様のためにどんなことをされても不思議ではありません。指でも切ろうものならいったいどうなってしまうことやら……。

 

 「まあまあ。そこまで気負わずにさ。月浦君も、料理には失敗がつきものなんだからさ。もっと気楽に考えてなよ」

 「バカか。はぐがやったらそれは須く成功なんだよ。僕が言ってるのは、はぐが目的を完遂するために必要最低限のことを確実に教えろってことだ。寄り道なんかで時間を無駄にさせるなよ」

 「むちゃくちゃ言いやがるなァ」

 

 お昼ご飯の片付けをお手伝いいただいている甲斐さんと、酔い覚ましにお味噌汁を作りにいらしていた王村様が、それとなく私にフォローを入れてくださいます。しかし月浦様はお二人の言葉など聞こえていないかのように、陽面様を心配そうに見つつも食堂の方に行ってしまわれました。

 狭山様にマインドコントロールされてしまった陽面様のために、ひとり真夜中に見回りをされていた月浦様が私に陽面様を任せていただけるとは……これは、信頼されていると捉えても……?少しうぬぼれが過ぎるでしょうか。

 

 「てっきり月浦様がお付きになっているのかと思っていました」

 「あのね、ちぐには内緒なの。いきなりお料理上手くなってびっくりさせるんだ!」

 

 料理をすることは月浦様も御存知なのに、内緒とは?

 

 「ちなみに陽面様。お料理の経験は?」

 「んっとね。ご飯にふりかけしたことあるし、海苔で巻いて食べたことあるし、お茶漬けもしたことあるよ」

 「お米が好きなんですね。他の食材を扱われたことは?」

 「ないかな」

 「ないですか」

 「ちぐがね、火傷したら危ないからって熱いものは使わせてくれないの。包丁も切ったら危ないし、ガラスも割れるから使わないし、喉に刺さるからってお魚の骨も全部とっちゃうし、それからそれから……」

 「なるほど。陽面様の現状のお料理力は分かりました」

 

 料理らしい料理はしたことがなくて、経験があるとすれば味変だけ。火と刃物はおろか、魚の骨も経験がないとなると、道のりは長そうですね。

 

 「ところで陽面様は、最終的にどんなお料理が作りたいかなどの目標はございますか?それによって教えることも変わりますので、お決まりでしたら是非お聞かせください」

 「んとね、あのね、かりんとう!」

 「かりんとう?どうしてまた」

 「ちぐの大好物なの!特にピーナッツが周りにまぶしてある甘塩っぱいやつ!」

 「ははあ。それで」

 

 つまり、陽面様はお料理の練習をして月浦様の好物をお作り差し上げようということなのですね。内緒というのは作るものが何かを内緒にするということですか。なるほどなるほど。かりんとうなら刃物は使わずに作れますね。油で揚げる工程さえなんとかすれば、さほど時間もかからずお教えできそうです。

 しかし、いきなり作り方をお教えしても、それは陽面様がおひとりで作ったことにはなりません。そもそも陽面様は料理のなんたるかを勉強する必要があるようです。ここは、段階を踏んで参りましょう。

 

 「それでは陽面様。僭越ながらお料理についてお教えいたしますが……その前に。基本的な道具の使い方からお勉強しましょう」

 「はーい!」

 

 正直に言ってここは料理と言える段階ではありませんが、それでも陽面様は嫌な顔一つせず、ひとつひとつの道具の説明を熱心にお聴きになっていました。この素直さとご愛嬌、真面目さが、陽面様が世の皆様に愛される理由の一つですね。教えているこちらもどんどん吸収していく陽面様の伸びが嬉しくて、つい余計なことまで教えてしまいそうです。

 その日は結局道具の使い方だけで終わり、お夕飯の支度があるため陽面様には今日の復習をお願いしました。入れ替わりでお手伝いに来てくださった甲斐様と一緒に、料理のスキルを教えていないことにクレームを入れにいらした月浦様を宥めることになりましたが。

 


 

 あれからどれくらい経ったか……。思えばずいぶんと長ェ時間が過ぎたような気がする。まだ手にはあの感触が残ってる。体の全てで覚えてる。なのに触れられねェ、感じられねェのはこんなにも辛いもんなんだなァ……。

 

 「まだ5分よ」

 「早回しで見ているようだな。本格的な治療が必要な段階に来ているんじゃないか?」

 「返してくれよォ」

 「ダメです。まずは完全にお酒を抜かないことにはお話にならないわ。アルコールの分解を促す食べ物とか、分かるかしら?」

 「谷倉に聞いてみようか」

 

 ここはおいらの部屋、のはずだ。部屋の主はおいらのはずなのに、すっかり主導権を握られちまってる。理刈はおいらの酒瓶を奪って、部屋にあった棚にしまって南京錠まで掛けちまいやがった。その間、おいらは毛利にガッチリ捕まってろくに抵抗もできねェでいた。体が小せェのはしょうがねェけど、まさか年下の女ひとりに勝てねェとは思わなかった。あと酒のせいもあるな。

 

 「なんだってこんなひでェことするんだよう。おいらがなにした?なんもしてねェだろ」

 「何もしてないことが問題なのよ」

 「なんだいそりゃあ」

 「あなたには自覚が足りないの。私たちの年長者だっていう自覚が」

 「自覚ならあらあ。酒飲めるのは大人の特権だァな。未成年はジュースでも飲んどけ」

 「私たちは18歳だから成人してるわ。お酒は飲めないけれど大人の話し合いはできるわよ」

 「ちくしょう!法改正め!」

 

 そういやあ理刈はその辺の話にうるせェんだった。おいらに言わせりゃ20歳だろうが18歳だろうがそんなに変わらねェと思うんだがな。

 

 「そんなことはどうでもいい。王村、私たちはお前に年長者としての自覚を持って行動してほしいと言ってるんだ」

 「なんだいそりゃァ?おいらに何しろってんだ?」

 「これ以上コロシアイをさせないためには、単にひとりひとりが気を付けるだけでは限界がある。数人で意思の統一を図っても、突発的な事件を防ぐことはできない」

 

 そう話す毛利の表情は辛そうだった。ああ、こいつは狭山のことを後悔してんだってすぐに分かった。裁判中もそんなこと言ってたような気がする。一番近くにいられたのに、狭山の暴走を止められなくて、結局逆上した岩鈴に殺されちまった。可哀想だとは思うが、ああいうのは長続きしねェのが世の常だ。人が人を操ろうなんてのァ烏滸がましいってこった。

 

 「これ以上のコロシアイを防ぐには、私たちひとりひとりが互いを信頼し、連携しなければならない。モノクマはなんとかコロシアイをさせようと、また動機を与えてくるだろう。この前の動機を、私たちは観るか否かを個人の判断に任せた。それがいけなかった。動機を観ることに後ろめたさが生まれ、自分の不安を誰にも打ち明けられなくなってしまった」

 

 いかにも悔しいって顔だな。確かに毛利の言う通りだったが、おいらァ問題はそこだけじゃねェと思うけどな。

 

 「私たちは連携し、結束を堅くしていかなければならない……そのためには、ひとりでもその意思を理解してくれる人が必要なんだ。特に王村、お前のような年長者がしっかり発言してくれるだけで、その影響力は大きい。なんだかんだ年の功というのは信頼に繋がるからな」

 「なんかバカにされてるような気がするけどよォ……いや、そりゃおめェ狭山とやってること変わらねェぜ?」

 「なに?」

 「確かに全員でコロシアイなんかしねェって心に決めて、互いに約束破らねェって信じられりゃ、そうそうコロシアイになんてならねェだろうよ。でもそれができたら苦労しねェって話だろ?狭山はそれを無理にやろうとして、洗脳なんて博打を打った。何人かは上手く取り込めたけど、岩鈴相手についに負けちまった。そういうこったろ?」

 「そ、それは……」

 「おめェらの考えは立派だ。おいらにゃァ逆立ちしたって考えつかねェ。ただそいつァおめェらの頭ン中だけで成立するこった。少なくとも今はな。人の気持ちは理想だけじゃ動かねェ、そこを上手いことやるのが手練手管ってやつだわな」

 「お、お酒を抜くとこんなに含蓄のあること言えるのね……やっぱりお酒なんか止めたら?」

 「酒があっておいらがあるんでェ!バカ言うない!」

 

 とんでもねェこと言いやがるな理刈は!おいらから酒を取り上げたら何が残るってんでェ!

 

 「そもそもおめェらにゃ人を取り込む才能がねェ!おいらを説得しようとしてまず何をした!?酒を取り上げただろ!おいらが酒好きってのを分かってて!ガキじゃあるめェし、好物取り上げりゃ言うこと聞くと思ってんのか!?ナメんじゃねェ!そういうときゃァ美味え酒の一本でも持って来て一緒に飲んで懐に入るところからだな」

 「ぐむ……納得できるところとできないところがどっちもある……」

 「毛利は人間の心ってもんが分かってねェ!動物ほど単純じゃねェぞ人間様は!理刈は人間に心があるってことを分かってねェ!理屈だけで動く人間なんてのァ説得しなくてもテメェで考えて行動すらァ!おいらみてェなのを取り込もうと思ったらもっとおいらに合わせてレベルを下げろ!」

 「自分で何を言ってるか分かってるのかしら……?頭が痛くなってきたわ……」

 「だが理に適っている……というか、かなり鋭い指摘だぞ。こういうことを全体に向けて言ってほしいんだが……」

 「ばっきゃろう!まずはおめェらだろうが!テメェの不出来を棚に上げて人のこととやかく言える立場か!」

 「ひぅん」

 

 自分で何言ってっかなんだかよく分からんくなってきた。だが理刈も毛利もなんとなく言いくるめられそうになってっから、このまま勢いに任せて大人しくさせとくか。別にアレだよな?大人の男が大声出して女子高生をいじめてるって構図にはならねェよな?大丈夫だよな?




あけましておめでとうございます。
クリスマスくらいに新型コロナウイルス感染症でぶっ倒れてしまってエラい目に遭っていました。
2023年のうちに5章に入る予定ですが、何があるか分からないですからね。予定通りに行けるよう祈っています。


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(非)日常編3

 

 私は落ち込んでいた。自分で分かるくらいだからたぶん相当だと思う。でもこれは落ち込むなっていう方が無茶だ。だって、せっかく掴みかけてた脱出への手掛かりを失ってしまったんだから。

 

 「はあ〜……」

 「まだ脱出の手掛かりと決まったわけじゃないんだから、そんなに落ち込まなくてもいいのに」

 「落ち込まいでかあ!湖藤さんは普段からみんなの役に立ってるからそんなことが言えるんだ!私みたいな賑やかしには、みんなのために力になれる唯一のチャンスだったんだ!」

 「そんなに卑下しないでよ。風海ちゃんはただの賑やかしじゃないよ。みんなの役に立ってるよ?」

 「本当に?奉ちゃん、言葉は刃物なんだよ?使い方を間違えると厄介な凶器になるんだよ?私が役に立ってるって本当に言えるの?具体例とともに」

 「……ご、ご飯の準備と片付けとか手伝ってくれてるじゃない」

 「小学生か!当たり前にやるよそれくらい!」

 「ぼくはできないから、立派だと思うなあ」

 「湖藤さんは自虐ジョーク止めてくんない?笑えばいいか分かんないからさ」

 

 奉ちゃんも湖藤さんも私のことを慰めてくれるのは優しくていい人だと思うんだけど、二人ともがめちゃくちゃみんなの役に立ってるだけに、めちゃくちゃ気を遣われてる感じがして余計に惨めになる。でもこの二人に役立たずって言われたらそれこそキツ過ぎて泣いちゃうかも。我ながら面倒臭い。

 

 「はあ……こんなことならメモにでも残しておけばよかった」

 「ねえ湖藤君、風海ちゃんは何をこんなに悔やんでるの?」

 「なんだ、甲斐さん分かってなかったの?」

 「ついさっきまでご飯の片付けしてたからね」

 

 夕ご飯の後、私は食堂に残って落ち込んでいた。そこに湖藤さんが声をかけてくれて、愚痴ってるところに奉ちゃんが合流した。だから奉ちゃんは私が愚痴ってる内容を知らないままだった。とはいえ、これは本当に愚痴にしかならないことだ。こればっかりは湖藤さんでも奉ちゃんでも、モノクマでもどうしようもないことだ。

 

 「分館の図書室にさあ、謎解きの紙あったじゃん?」

 「ああ、あったね。解いた解いた」

 「あれで見つけたメモ用紙……実は分館の部屋に置きっ放しだったっぽいんだよね……」

 「え!?せ、せっかく見つけたあの意味深な紙を!?」

 「ほらあ!そうやって奉ちゃんも私を責めるんだ!脱出のヒントかも知れないんだからちゃんと肌身離さず襟の後ろに隠しとけとか言うんだうわーん!」

 「そんな大泥棒みたいな持ち方しろとは言わないけど、それはもったいないことしたね……」

 

 芭串さんにもらった紙はたまたまポケットに入れてあったけど、図書室で見つけた色んなフルーツが描いてあったあの紙は失われてしまった……。こういうのって最後に今までの謎を振り返る大仕掛けみたいなのがあったりするから、図書室の謎解きごと残しておきたかったのに……。やっぱり私って何をやっても上手くいかない、いらない子なのかな。

 

 「ああ、宿楽さんが言ってたのってこの紙のこと?」

 「そうそう。ちょうどそんな感じにフルーツがたくさん描いてあってしわくちゃで……あァん!?な、なんで持ってんの!?」

 

 湖藤さんが私の目の前にそっとメモ用紙を差し出した。まさに私の目に焼き付いたあのメモの内容そのまんまだった。絶妙なへたくそさ加減まで完全に同じだ。私は目を疑った。こ、こいつは確かに爆発四散したはず!

 

 「えっ、なんで湖藤君持ってるの?」

 「ま、まさか勝手に私の部屋に入って紙を持っていったとか!?そうだとしたらだいぶキモいけど今はグッジョブだからありがとう!」

 「待って。ぼく別に空き巣なんかしてないから。これは写しだよ」

 「写し?」

 「そう。もしものときのために、あの図書室の謎と答えのメモの内容を写しておいたんだよね。ちなみに手書きだよ。上手いでしょ」

 「な、なんでそんなこと……もしものときのためって、分館が爆発するなんて思ってたの?」

 「いやあさすがにそこまでは。でも戻れなくなる可能性はあったから、いちおうね」

 

 相変わらず湖藤さんの先読み能力は軽く引けるくらいエグい。爆発までは想定してなかったと言うけれど、私なんて当たり前にずっとあの建物に閉じ込められてるものだと思ってた。そんなときに供えて写しまで用意するなんて……またその写しの再現度の高いこと高いこと。万能かよ。

 

 「宿楽さんがもうひとつの謎を持っててくれてよかった。そっちは写してないから替えが効かなかったところだよ。宿楽さん、グッジョブ」

 「ぐあああああっ!!」

 「なになにどうしたの風海ちゃん!?」

 「こんな役立たずのためにそんな優しいフォローまでしてくれて……!尊み通り越して神々しい……!祓われる……!」

 「オーバーだなあ」

 

 こんな完璧成人のことを邪な眼で見ていた自分が許せない。なんか線が細くて幸薄そうな感じだなとか、受けるように見せかけて実は小悪魔だったらおいしいなとか、自分から誘ってくる感じで妄想したりとか……。

 

 「ホントすいませんでした……」

 「なにが?」

 「あ、いやこっちの話……。でもこれで今までの謎も確保できた!これで安心だ!」

 「でも、なんで急にそのことで落ち込みだしたの?本館に移ってきてから一日経ってるのに」

 「いやあ、これがまたお恥ずかしい話で」

 

 痛いところを奉ちゃんに突っ込まれてしまった。散々自分が唯一輝ける場所だなんだと言ってて、それを丸一日忘れてたなんて、バツが悪すぎてまともに二人の目を見られない。でもグラサンがあるから大丈夫!

 

 「すっかり忘れてたんだよね。謎解きのヒントのこと。へへっ」

 「大事にしてるんだかしてないんだか分からないね」

 「でもね。今日遂に3つめの謎を見つけたんだ!それで前の2つを思い出して、でもなくなってあ゛あ゛〜〜〜ッ!!てなって今に至るって感じ」

 「忙しいなあ」

 「3つめの謎かあ。こうなるとやっぱりモノクマが意図的に用意したものなのかも知れないね。それも新しいエリアが増えるごとに1つ増えてる」

 「……大丈夫なのかな。なんか嫌な予感がする」

 「でももしかしたらモノクマの正体のヒントになるかも知れないよ。謎解きくらいだったらそんなに危険はないって」

 

 奉ちゃんが暗い顔をする。確かに、湖藤さんは新しいエリアに1つって言ったけど、それはつまり学級裁判、ひいてはコロシアイが起きるたびに1つ増えるっていうことだ。この謎を最後まで解こうと思ったら、もっとたくさんの学級裁判を生き残らなくちゃいけないんだろう。それはつまり……いや、やめとこう。こんなこと考えるもんじゃない。でもさすがに、謎解きの答えが気になるからコロシアイをするなんてほどサイコじゃないよ私は。

 

 「取りあえず、その謎を見てみたいな。宿楽さん、案内してくれる?」

 「うんいいよ!……え、なんで移動させられないって分かったの?」

 「持って来られるものなら宿楽さんが持ってるでしょ。ただでさえ1つ失ったと思ってるのに」

 「おおう……そりゃそうか」

 

 いつまで経っても、湖藤さんのこのなんでも当たり前に知ってる風な話し方に慣れない。文脈と表情と仕草から勝手に見抜いてくるから、何を話して何を話してないか分からなくなる。いっそ本当にサイコメトラーだった方がマシかも。そしたら何も話さなくていいし便利じゃん。

 

 「人と話さなくなるのは寂しいなあ。ぼくは会話するくらいしか楽しみがないから」

 「だからそれをやめてほしいんだけどなあ!」

 

 ゾッとするからやっぱ止めて欲しい。

 


 

 私が謎を見つけたのは、完全に偶然だった。昼間にやることもなくて暇つぶしに図書館に行ったとき、資料を検索するためのパソコンを見つけた。古い型だし外のインターネットにも繋がってなかったけど、閉鎖空間にあるパソコンは調べとけって色んなゲームで学んだ私にとっては、貴重な手掛かりに思えた。

 そんなわけで中にあったフォルダをあれこれいじってたら、『謎3』ってファイルを見つけた。あからさま過ぎるタイトルのアホさ加減にたまらず開くと、明らかに謎解きっぽい暗号文だけが書いてあった。そのときに過去2つの暗号を思い出したから、まだ中身をよく見てない。

 

 「これだ。このファイル」

 「あからさまでアホっぽいタイトルだなあ」

 「もしこれを最初に見つけてたら、謎1と謎2の存在は永遠に見つからなくて無駄な懸念が増えるだけだったね。そういう意味で敢えてナンバリングしてるのがモノクマらしくて最悪だね」

 「奉ちゃんに同意。湖藤さんは怖い」

 

 ファイルは普通の文書ファイルで、暗号文以外におかしな部分はなかった。隠しファイルも隠し文章も圧縮フォルダもパスワードロックもない。いくらでも調べてくださいと言わんばかりの態度で、逆にそれがここには大した情報がないことを示しているようで、なんか悔しかった。

 で、その暗号文というのがこんな感じだ。

 

 

 ──木と竹でおおわれた目をひらきなさい。それがあなたに与えられるもの

   一つくらい辛いことがあっても貝のように丸くなってたえていよう。それがあなたに必要なもの──

 

 

 「なにこの文章?なんか怪しげだね」

 「これしか書いてなかったの。謎って書いてあるし、やっぱこれも謎解きになってるんだよね」

 「……」

 

 改めて見てみると、謎としての難易度はそこまで高くなさそう。なんとなくやればいいことも分かるし。だけど、私にはこの謎が解けなかった。この謎が何を求めているのか、どうすればいいのか、何をどうしてどうすれば答えが出るのか、それは直感的に分かる。だけど、肝心の答えだけが出せなかった。

 

 「ま、奉ちゃん分かる!?」

 「いや……私はあんまり謎解きとかしたことないから……。それに、前の図書室の謎を見る限り、解くのにはそれなりの知識が必要っぽかったし、今回もそんな感じなんじゃない?」

 「そうなんだけど……あ、湖藤さんなら分かるかも?」

 「……うん、いや……そうだね」

 

 文章を見つめる湖藤さんの表情は固かった。私が直感して分かるくらいだから、湖藤さんにとってはこれくらいの謎、お茶の子さいさいカッパの屁だろう。だけど、いつまで経っても湖藤さんはその答えを教えてはくれない。ただ文章を舐めるように見つめて難しい顔をして、私の持ってる2つの謎と見比べている。いったい何を考えているんだろう。

 

 「この謎は解かなくていいと思うよ」

 「へ?」

 

 ようやく私たちの方を見たかと思ったら、湖藤さんはそんなことを言った。謎を解かなくていい?そんなことあるのか?こんな、あからさまに解いてくださいと言わんばかりの謎を、解かないまま放置してていいのか?それだったら、あんな大騒ぎした私の立場は?

 

 「ひとつくらい解けない謎があったって、他の答えからおおよその答えは分かるものさ」

 「いやいやいや!湖藤さん答え分かったんでしょ!?教えてよ!」

 「解いてないから分からないよ」

 「ウソを吐け!」

 「そんなことより、既に手に入れた謎の答えの方を考えようよ。もしかしたらそっちの方が有力な情報が眠ってるかも知れないよ」

 

 こんなあからさまに話を逸らせようとするなんて、湖藤さんにしてはずいぶんとおざなりな対応だ。もしかして、この謎の答えって、そんなに私たちに知って欲しくないことなの?じゃあ私の考えた解き方って違うのかも。もっとややこしい解き方するのかな……。

 その後も湖藤さんは解かなくていい、私は答えを教えて欲しい、奉ちゃんは相変わらず解き方が分からずに問題文をずっと睨んで、無駄な時間が過ぎていった。もう。湖藤さんって意外と頑固なんだ。こんなにお願いしているんだから教えてくれればいいのに。

 なんてことを思っていたら、図書館の扉が開いた。誰が来たのかと思って目をやれば、そこにはひょろ長いシルエットの尾田さんが立っていた。私たちの顔を見るや、ものすごく嫌そうな顔をして、でも足は図書館に踏み入って、真っ直ぐパソコンの方に向かって行った。

 

 「やあ尾田くん、こんばんわ」

 「ちょっと。どいてください。僕が使います」

 「私たちが使ってるところなんだけど」

 「画面を見るだけのことを使うとは言いません。なんですかこれは?妙なファイルを無警戒に開くなんて、リテラシーの欠片もないんですね。あなたみたいな人がしょうもない詐欺に引っかかって犯罪者の懐を潤して社会のゴミを増やすんです」

 「ただ画面見てただけでそこまで言う!?どこの引き出しにしまってあんのそんな悪意のボキャブラリー!」

 「図書館なんだから静かにしてください。こういうのはあなたの領分なんじゃないですか?なにを隅っこでいちゃいちゃしてるんですか」

 「い、いちゃいちゃなんてしてないわ!!私は湖藤さんに答えを教えてもらおうと……!」

 「へえ、この程度の謎も解けないで、よく脱出者なんて名乗ってますね。寄生プレイヤーですか?」

 「ちゃうわい!!解き方は分かってんの!!でも答えが分かんないの!!」

 「そんなことあるんですか?」

 「あるみたいだよ」

 

 尾田さんはパソコンの画面を見ていた奉ちゃんと軽い言葉の拳を交えて、すぐにターゲットを私に切り替えてきた。正直、尾田さんが本気で私をコケにしようと思ったらこんなもんじゃ済まなかったと思うけど、奉ちゃんと湖藤さんがいたおかげか、尾田さんは軽く嘲笑うだけで済ませてくれた。サシだったら言葉のナイフで八つ裂きにされてるところだったぜ……。

 

 「この暗号文の解き方が分かって答えが分からないなんてこと……ああ、そういうことですか。アホですもんね、あなた」

 「ぐはぁっ!!あつい火の玉ストレートォ!!火遁豪火球かよ!!」

 「何言ってんの?」

 「尾田くん、ぼくはその謎、あんまり解かない方がいいと思うんだけど」

 「……まあ、そうですね。解くべきか否かは僕の口からは言えませんが、薄気味悪いとは思います」

 「えっ、尾田君もこの謎解けたの?」

 「逆になぜ解けないんですか?」

 「聞いた私がバカだったよ……」

 「はい、あなたはバカです」

 

 なんかもう、誰が誰に向けて話してるのやら、めちゃくちゃカオスな会話になってる。ともかく、尾田さんもこの謎の答えは分かったらしい。その上で湖藤さんとは少し違うけど、おおよそ似たような反応を示した。つまり、この謎の答えはどうやら気味が悪いものらしい。だから湖藤さんは、私たちに解かない方がいいって言ったのか。でも、単に気持ち悪いってだけならそう言えばいいのに。

 

 「でもまあ、解き方が分かってるならいいんじゃないですか。ここは図書館ですから」

 「へ?」

 「解き方が分かってるということは、答えの調べ方も分かるということです。というか、そういうことも想定してこの謎はここにあるんじゃないですか?」

 「あっ……だ、だから前の謎も図書室に……?」

 「それは知りませんけど」

 「解かない方がいいって言ってるのに、なんで解けるようになるヒントを言うかなあ。尾田くんって本当、良い性格してるよね」

 「あなたほどじゃありませんよ」

 

 なんか湖藤さんと尾田さんがバチバチやってるけど気にしないでおこう!あそこに割って入ったら石になるどころじゃ済まないかも知れない!

 それはさておき、意外なことに尾田さんが私に謎解きのヒントをくれた。謎解きというか、答えを知る手掛かりになるヒントだ。そうだ。私には学がないから、この部屋で学を借りればいいんだ!そこまで含めて図書室に謎を用意してるってことは、やっぱりこの謎は脱出とか黒幕のヒントとかに繋がるものじゃないのかな。もしそうだとしたら、舐めプが過ぎる。

 

 「というかこのパソコン、このしょうもない謎以外に何も入ってないんですか」

 「そうだよ。だから尾田君が期待してるようなことは何もないの。あっち行ってよ」

 「ずいぶん嫌われちゃったね、尾田くん」

 「別に。それならもういいです。僕は帰ります」

 

 奉ちゃんに邪険にされ、尾田さんは意外とあっさりとパソコンを調べるのを諦めて出て行ってしまった。彼の性格的に、奉ちゃんに反抗されると余計に意地になってくるかと思ったのに。そういうツンデレかと思ってたのに。

 

 「なんだったんだろ」

 「構って欲しかったんじゃないの?」

 「そんな子どもみたいな……いや、子どもみたいなものか。大人げないし」

 「おっ、奉ちゃんそういうフラグ的な発言しちゃう?尾田さんとフラグ建てる?」

 「やめてよ……」

 

 それはともかく、尾田さんは私にヒントを残してくれた。図書館ならほぼ確実に私が欲しい本もあるだろう。それを探すには足と目を動かさないといけないのがもったいないところだけど。こんだけ広い図書館でパソコンに蔵書検索機能がついてないなんてあり得ないでしょ!

 

 「宿楽さんはこの後どうするの?」

 「私は謎を解くよ!解くよ私は!ふん!」

 「そっか……まあ、どうしても気になるならそれもいいと思うよ。ぼくは、今日はもう寝るよ」

 「あっ、じゃあ私は湖藤君と一緒に行くよ。風海ちゃん、あんまり遅くならない内に部屋に戻ってね」

 「あーい!」

 

 奉ちゃんと湖藤さんは行ってしまった。ふむ、そう言えば奉ちゃんはいつも湖藤さんと一緒にいる。奉ちゃんの“才能”的に湖藤さんのハンディキャップはドンピシャでお世話してあげたくなる人だけど、どうもそれだけの関係って感じがしない。本当に付きっきりだし、むしろ奉ちゃんが湖藤さんを頼ってるような節も……。それに、尾田さんと湖藤さんの関係も……おっと、よだれが。

 

 「矢印向き放題の三角関係ってことか……熱い夜になりそうですな……ふふふ」

 

 ここに閉じ込められてしばらく発散できてなかったから、なんだか久し振りに燃え上がってきた。その手の本はさすがにない……よね?ワンチャン……。

 


 

 相変わらず、あいつは一体何を考えているのか分からない。できれば関わり合いになりたくないが、閉鎖空間ではどうしても顔を合わさざるを得ない。昼といい夜といい、平時といい緊急時といい、いつもあいつの目が光っている。僕を牽制しているつもりか。こんな夜遅くに図書館にまで張り込みやがって。

 

 「……」

 

 図書館のパソコンにあったあの謎、あいつも解いていたらしい。答えの擦り合わせはしていないが、どうせ同じ答えだろう。むしろそれ以外の解き方があったら是非とも教えてほしいものだ。しかし、あの謎は一体どういうことだ。謎3ということは、1と2があるということか。新館に移った段階で3が見つかったということは、1と2は分館の方にあったのだろうか。

 おそらくあの3人組はそれを知っているのだろう。あんな得体の知れない不穏な謎を共有するとは、とことん危機感が薄いやつらだ。いつかそれが自分たちの首を絞める結果になるだろう。だが、その前に情報は引き出さなければならない。甲斐はダメだ。完全に僕を警戒している。湖藤に聞くのも癪だ。となると……。

 

 「ちっ」

 

 あのアホに駆け引きが通用するとは思えない。聞けば率直に教えてくれはしそうだ。だが、そのことをペラペラと甲斐や湖藤に話すだろう。それが煩わしい。そもそもあの謎が何を示すものなのかさえ分からない。そんなものにここまでかかずらわってしまうことが腹立たしい。まんまとモノクマの罠に嵌まってしまっている自覚があるのに、この状況では無視できない。

 ひとまず見聞きしたことを日記につけ、さっさと布団に潜った。苛立って熱くなった頭が、柔らかな枕に支えられて熱を放射していく。曲がっていた背中と腰が真っ直ぐに矯正されて息苦しくなるほど筋肉が伸ばされる。

 そういえば、分館にあったはずの日記帳がなぜ本館にもあるのだろう。モノクマにかかれば大抵のことはできてしまえるのだろうと考えるが……微睡む頭ではろくに考えがまとまらない。苛立ちも疑問も手放して、そのまま深い眠りへと落ちていった。

 


 

 「オマエラ!何回言えば分かるんだよ!!」

 「何が」

 「ボクはいつまでオマエラのイチャコラを見せつけられてればいいんだよ!そんなの見たいんじゃないって言ってんだろ!」

 「知らねーよ!」

 

 本館には、分館と違って体育館にあたる施設がなかった。こんなに広いし設備も充実してるのに、舞台付きの建物はないんだ。きっと今頃、モノクマは分館をいたずらに爆破したことを後悔してるんだろう。イーストエリアとウエストエリアの丁度境目にある、本館1階の大ホールにみかん箱を並べて仮設の舞台として、そこに上って私たちに怒る。以前に輪を掛けて迫力がない。

 そうやってつい油断してしまうのがいけない。この前の分館爆破で、間違いなくモノクマは私たちを殺そうと思えばいつでも殺せることが改めてはっきりした。直接命を奪おうとはしてこないけれど、こうして呼び集められたということは、またコロシアイをさせる動機を用意したということだ。

 

 「そんなわけで、またまたボクはオマエラに動機という名のテコ入れをするのです!喜べよオマエラ!」

 「生存投票、身近な者の不氣味(ぶきみ)な映像……今度はなんだ?金でも積んでコロシアイしてくれと庶幾(こいねが)うか?」

 「そんなんでコロシアイしてくれんなら安いものだけどね。さすがに5000兆円は用意できないけど、ジンバブエの国家予算レベルなら用意してあげるよ!」

 「分かんねェよ!」

 「3〜5億円ってとこですね」

 「やっす!!?いや個人資産だとしたら高い!!?やっぱ分からん!!」

 「お金で殺しをさせようっていうの?そんな下劣なことに手を染める人がいてたまりますか!」

 「いやいや、オマエラが知らないだけで世の中には殺人代行なんて仕事もあるんだよ。有名所で言えばデュークとか東郷とかゴルゴとか!」

 「全部同一人物じゃん……」

 「ってちがーーーう!そうじゃなーい!金じゃなーい!」

 「長いノリツッコミだこと」

 

 モノクマは両手と両足を振り回して威嚇する。今更お金なんかのためにコロシアイをする人はいないはず、いないよね?

 とにかくモノクマが用意している以上、その動機は確実に私たちの中の誰かをコロシアイへと導く罠が仕込まれているはずだ。その罠に気付けば……気付いたところで止められないものだったら?最初の動機みたいに、必ず私たちの中の誰かが犠牲になるものだったら?その次の動機みたいに、その人にとって掛け替えのないものだったら?私に何ができるんだろう。どうすることもできないんじゃ……。

 

 「次の動機はそう!もっともっとオマエラに頭を使ってもらおうと思って用意したんだよ!その名もズヴァリ!」

 

 その体のどこにそんな跳躍力があったのか、モノクマは見上げるほど高く飛び上がった。そして落ちてくるときに、どうやって用意したのか大きなプラカードを手に持っていた。そこに、まるでテレビ番組のワンコーナーみたいに、動機のタイトルが書かれていた。

 

 「『裏切り者は誰だ!なんでも凶器アラカルト』〜!」

 「な、なんだあ!?本当になんだあ!?」

 「意味が分かりませんが……なんですかこの動機は?裏切り者?」

 「はいはい、説明するから黙って聞いててね」

 

 思っていたより間抜けなタイトルだったこと、だけど使われてる言葉のひとつひとつは不穏なこと、動機として考えたときに意味が分からないこと。全部の要素が私たちを混乱させる。モノクマは騒がしくなる前に私たちを制して、プラカードを裏返した。そこに動機の概要を図にしたものが描かれている。無駄に準備がいい。

 

 「ボクからオマエラに、お好きな凶器を1点プレゼントします!超科学的なものと核兵器以外だったらなんでもリクエストにお応えしちゃいます!絶対にバレない暗殺兵器でも、どんな屈強な肉体も一撃KOしちゃう毒薬でも、何もかも消し炭にする火炎放射器でも、な〜んでもござれ!」

 「絶対に死なないが死ぬような思いをするほどの劇薬はいけるか?」

 「うるさい!動機でシコろうとすんな変態!」

 

 最低だ。最低だけどそれで動機がひとつ潰れるならまだマシかも知れない。

 

 「ただし、凶器をもらえるのはボクの出す問題に正しく答えられた先着一名のみ!早い者勝ちだよ〜!」

 「問題?なんですかもったいぶって。さっさと出題してください」

 「うぷぷ♪それでは参りましょう!問題!」

 

 モノクマが笑う。嫌な予感しかしない。こんなところでモノクマが出す問題が、ろくなものであるはずがない。そんな私の予感は、憎たらしいほどに的中するのだった。

 

 

 「『裏切り者はだ〜れだ?』」

 

 

 その問いが意味するところを、私たちは正確に理解できなかった。だってそれは、少しずつ結束を強くしようとしつつあった私たちの努力を嘲笑うような、全てを水の泡としてしまうような問題だった。だけど、どうしても、悲しいほどに、私たちはモノクマの思い通りになってしまう。その可能性を突きつけられた瞬間から──信頼は、結束は、なんて脆いものなんだろう。

 

 「う、裏切り者……って、ウソでしょ……!?」

 「まさか手前どもの中に、裏切り者がいると……そうおっしゃるつもりですか……!?」

 「うぷぷぷぷ♫問題への質問は受け付けません!その意味と答えをしっかり考えて、最初にボクにその答えを伝えた人にだけ、なんでも凶器リクエスト権をあげちゃいます!期限は無制限!その間にコロシアイがあっても誰かが凶器を受け取るまでこの問題は有効ですよ!んじゃ、そういうわけで〜!」

 「あっ……!」

 

 またしても、モノクマは言いたいことを言うだけ言って去ってしまった。残された私たちには、もはやさっきまでの連帯感は失われていた。もともと全員がまとまれていたわけでもないのに、今はその道筋さえ潰されてしまったように感じる。この中に、裏切り者がいるだなんて……。

 

 「バカバカしい。あなた方はこれまで何を見てきたんですか」

 

 真っ先に、誰かが口を開くより早く、尾田君が言った。

 

 「裏切るもなにも、ボクたちは初めから仲間ではありません。お互いにいつ命を狙われるか分からない状況なんです。無闇に人を信じるから裏切り者なんて言葉に揺さぶられるんです」

 「ん、んなこと言ったってよう……モノクマははっきり言ったぜ?」

 「ええ、言いました。裏切り者は誰だ?そして質問は受け付けないと。モノクマは私たちに、裏切り者の存在を仄めかすに留め、その詳細は一切口にしませんでした。なぜそんな曖昧なものを信じられるのか分かりませんが、その疑心暗鬼こそが動機であることをいい加減理解してください」

 「つまり……オレたちがお互いを信じられなくなってコロシアイをさせるよう仕向けるため、いもしない裏切り者を探させようとしたということか?」

 「筋肉でできた脳にしては理解が早いですね」

 「それは褒め言葉か!?貶してるのか!?」

 

 相変わらず基本的なスタンスは変わらない、私たちをバカにしてる。でも尾田君は、裏切り者がいるかも知れないという私たちに、そんなものはいないとはっきり言ってくれた。普段から人を疑ってばかりで誰とも仲良くしようとしない尾田君が。それは彼なりに考えたただの結論なのだろうか。それとも、私たちを気遣って……。

 

 「いや、ないか」

 「ぼくはそうは思わないけどね」

 「読まないでって」

 「甲斐さんは分かりやすい方だからつい、ね。ごめんごめん」

 

 すっかり湖藤君に考えを読まれるのにも慣れてしまった。こんなのに慣れない方がいいとは思うけど、なんかもうそれが当たり前になりつつある。今更湖藤君に自分の感情を一から説明するのも面倒に感じるほどだ。

 

 「ぼくたちは基本的にコロシアイを回避したいという思いは一致してる。虎ノ森くんも岩鈴さんも、コロシアイを起こそうと思って起こしたんじゃない。だからまだ結束の可能性はあった。けど……」

 「けど?」

 「今回の動機は、凶器を得るための動機だ。つまり、そこには明確に殺意が存在する。もし何かが起きてしまったらぼくたちは……」

 

 そこから先の言葉を、湖藤君は敢えて言わなかった。だけど、私にも湖藤君の気持ちが分かった。もし誰かがモノクマの質問に答えて凶器を手にするようなことがあれば……そして、その先にコロシアイがあったのなら……それは私たちにとって初めて、“故意に起きた殺人”に向かい合うことになる。突発的じゃない、我を忘れてついやってしまったものじゃない、確固たる殺意と計画によって行われる殺人……。

 

 「ど、どうしてそんなこと言うの……?何も起きないって信じようよ……」

 「……甲斐さん。信じるっていうのは疑わないってことじゃないんだ。それに、もしもの可能性に備えて覚悟をしておくことは、自分の心を守るために必要だ」

 「心を守る……?」

 「目の前の誰かが、隣にいる誰かが、手を触れている誰かが、明日にはいなくなっているかも知れないという覚悟さ。ぼくは……もうずっと前からしてるよ」

 「……ッ!」

 

 重い言葉だった。私は既に二回もそんな経験をしてるのに、湖藤君の言葉は全く経験値が違うような響きを含んで聞こえた。それは湖藤君がいくつもの別れを経験してきたからなんかじゃない。私が、ちっとも覚悟できてなかったからだ。私はいつまで経っても、成長しないままだ。

 


 

 動機発表の後、私たちは朝ご飯を食べて、また解散した。脱出の手掛かりを探す人は早々に少なくなり、みんなここでの日常を有意義に過ごす方法を見つけたらしい。少しずつこの環境に慣れていくことも、モノクマに対する抵抗ではある。でもそれは、問題を先送りにしているだけだ。抵抗ではあるけれど、進歩のない抵抗だ。

 

 「甲斐様。お口に合いませんでしたでしょうか?」

 「えっ……?あ、ううん!そんなことないよ!いつも通り美味しい!」

 「左様でございますか。では、私は先に洗い物をしておりますので、どうぞごゆっくり」

 

 暗い考えがぐるぐる頭の中を回って、無意識に焼きジャケの身をお箸で突いて崩していた。あまりにも私が暗い顔をしてたからか、気付けば他に誰も残ってなかったせいか、谷倉さんに心配されてしまった。湖藤君まで帰っちゃってるなんて、よっぽど話しかけづらい雰囲気出してたんだな、私。

 いつまでも谷倉さんを待たせるわけにもいかないから、私はシャケをご飯に乗せて冷たくなった味噌汁をかけて猫まんまにして食べた。お行儀悪いけどこれが一番早いし、他に誰もいないから今くらいはいいよね──と思ったら、足下から視線を感じた。

 

 「うわっ!?」

 「わっ!?あ、ご、ごめん……びっくりさせるつもりは……」

 

 それはモノクマだった。いや、おでこに分かりやすく×マークが描いてある。これはダメクマだ。どっちにしても同じだけど。

 

 「な、なに?」

 「いやあ、甲斐サンもそういう食べ方するんだなあってちょっと気になって」

 「気持ち悪いなあ。あっち行ってよ。もう片付けるんだから」

 「あ、じゃあひとつだけいい?」

 「なに」

 

 モノクマと違ってダメクマはもじもじしてて、自分の言いたいことを遠慮無く言えるタイプじゃないらしい。見た目はモノクマと同じなのに、あの×マークが性格を変えてるんだろうか。まるで中身が違う人みたいだ。

 

 「モノクマが出して来た動機だけどね、みんな疑心暗鬼になる必要はないんだ。あんなのに答えはないんだから」

 「……?どういうこと?答えがないって」

 「あんまり言うとまたモノクマに目を付けられるから、ボクからはこれくらいしか言えないけど……とにかく、みんなにも伝えて。あの動機は誰も答えようとしなければ誰も答えられないんだから」

 「全然意味が分からない……。言いたいことがあるならはっきり言ってよ」

 「だからそれが言えないからこうやってなんとか伝えようとしてるのに……と、とにかく、せめて湖藤クンにはこのことを伝えてよね!彼ならこの意味が分かるはずだから!」

 

 また湖藤君か。私だけじゃなくてダメクマまで湖藤君を頼るとは、本当に彼には負担をかけてばっかりだ。一応、気にはなるから伝えることにはするけれど、それでなくても遠回しな言い方やもったいぶった態度が気持ち悪い。そもそもダメクマはモノクマの仲間なのか私たちの味方をしてくれてるのか、それも分からない。モノクマを敵視するのと同じくらい、ダメクマにも警戒をしなくちゃいけない。だからこうやって不意に出て来られるとびっくりするんだけど……。

 モノクマみたいにささっと消えることができないのか、ダメクマは短い足で食堂の外まで走って行って、ドアの向こうに消えた。食事中にぼうっとしていたせいで変なことを抱え込んじゃった。とにかく、今は使い終わった食器を片付けて谷倉さんの手伝いをしてあげよう。

 

 「谷倉さ〜ん……あれ?」

 

 食器を持って厨房に入っていくと、流し台のところに谷倉さんの姿はなかった。先に谷倉さんが持って行ったお皿は全部洗ってあったから、私も自分の分は洗って並べておいた。それでもまだ谷倉さんは戻って来ない。何か探し物でもしてるのかと思って厨房の中を探してみたら、食材倉庫の中から谷倉さんの声が聞こえた。何か独り言をぶつぶつ言ってるみたいだ。

 

 「谷倉さん?」

 

 呼びかけても返事がない。相当考え込んでるみたいだ。食材倉庫に入っていくと、棚の向こうに谷倉さんの姿が見えた。私に気付かない様子で色々考え込んでるみたいで、何を言ってるのか気になって聞き耳を立ててみる。

 

 「……っど。なんしかすらば陽面どんば料理っこきたわらすんが……?」

 「う、うん……?」

 

 何を言ってるか分からなかった。陽面さんの名前が出て来たような気がするけど。

 

 「つばっこんだらあわわらしぐでまんだもたさらね……月浦どにがやさらんで……」

 「月浦君……?」

 「ほぉばつこしぐでみっか?んだば……んああッ!!?」

 「うわあああっ!!?」

 

 棚の隙間から様子を伺っていた私と、急に振り向いた谷倉さんの目がはたと合う。その瞬間、谷倉さんは見たことないくらい目を丸くして大きな悲鳴を上げて転げた。あまりに大きな声だったから、私も驚いてひっくり返っちゃった。でも転がってる場合じゃない!転んだ谷倉さんを心配して、私はすぐに棚の裏に回り込んで谷倉さんに駆け寄った。

 床に転げた谷倉さんは私に気付くと壁まで這って後退りして、背中を向けて顔を隠しちゃった。

 

 「えっ!?えっ!?た、谷倉さん!?どうしたの!?大丈夫!?」

 「はっ……はあわあ……!あ、いえ、あん……!」

 「お、落ち着いて落ち着いて!だ、大丈夫……?」

 「あ、あの……甲斐どっ……甲斐様……!えっと……!なして……!?」

 「た、谷倉さんが流し台のところにいなかったから探しに来て……何してたの?」

 「……き、聞かられましたですか?」

 「敬語ぐちゃぐちゃになるくらい動揺してる。あの……なんか、ごめん。聞いちゃったけど……」

 「はうう……!」

 

 今にも泣き出しそうな声を出されると、私がものすごくひどいことをしたような気分になってくる。敬語はぐちゃぐちゃだけど、まだ何を言おうとしてるか分かる。さっきまでは一体何を言ってるのか……日本語かどうかも分からないくらいだった。耳まで真っ赤になってるところを見ると、もしかして谷倉さん、恥ずかしがってる?

 

 「ゆ、ゆっくりでいいから……っていうか、言いたくなければ言わなくてもいいし」

 「いえ……聞かれてしまったからには…・・・斯くなる上は……!」

 「えっ!?」

 

 そう言って谷倉さんは急に振り向いて飛びかかってきた。私は突然のことで動けない。ま、まさか谷倉さんがそんな……!

 

 「きゃあああっ!!」

 「どうかご内密にィィィイイイ!!!」

 「……え?」

 

 思わず目をつぶってしまった私は、思いがけない言葉におそるおそる目を開いた。目の前にあったのは、きれいに土下座をしている谷倉さんの姿だった。土下座というより旅館の女将さんがやるような座礼と言った方が正しいかも知れない。谷倉さんがあまりに必死な様子だったから、どっちでも同じようなものだけど。

 

 「な、なになに……?どういうこと……?」

 「……あ、あの」

 

 顔を上げた谷倉さんは、耳どころか頭から首まで真っ赤っかになってて、いまにも興奮で血管が破裂するんじゃないかっていうくらいだった。さすがに心配になって、その辺にあった水のペットボトルを持って来て飲ませてあげた。冷たい水で少し落ち着いたのか、谷倉さんは深呼吸して話し始めた。まだ顔が赤らんでて、体に異変が起きたせいか目が潤んでいた。

 

 「実は……わ、私、その……出身が地方でして」

 「うん、知ってるよ。私もそうだし、希望ヶ峰学園は多いよね」

 「そ、それでですね……。あの、な、なまりが……」

 「なまり?」

 「生まれた土地柄なのですが、あまりにもなまりがきつくて……標準語と違い過ぎるものですから、意識しないと会話にならないほどで」

 「ああ、さっきのって谷倉さんの地元の方言だったんだ。なんか……すごかったね」

 「うう……」

 「それを聞かれたのが恥ずかしいってこと?」

 「……は、はい」

 

 こんなに小さい人だっけ?っていうくらい谷倉さんは縮こまってしまった。あれはもう方言というよりも日本語とルーツが同じ独自言語ってくらい違った。でも別に恥ずかしがることないのに。

 

 「コンシェルジュとして皆様を完璧にサポートする立場でございますし、何よりこてこて方言のコンシェルジュなんて寡聞にして聞きません。やはり丁寧な言葉を使いこなしてこそかと思いまして、普段は気を付けているのですが」

 

 私は別に、谷倉さんの個性なんだからいいと思うけどな。あとこてこて方言のコンシェルジュって面白いし。

 

 「少々考え事に没頭しすぎて、つい地元言葉が出てしまいました……」

 「何考えてたの?」

 「陽面様にどのようにお料理をお教えしたものか悩んでおりまして」

 「ああ。この前言ってたやつね。谷倉さんがそんなになっちゃうくらい無理難題なんだ」

 「ああうう……よりにもよって甲斐様に聞かれてしまうとは……!恥ずかしすぎる……!」

 

 また顔を赤くしてるけど、なんだか今まで完璧なイメージがあった谷倉さんの素顔を見たような気がして、私は逆に嬉しくなった。それに、方言を話してるときの谷倉さんは、コンシェルジュじゃなくて普通の女の子って感じがしたし、そっちの方が私は好きかな。

 

 「そんなに恥ずかしがることないよ。みんな言わないだけで方言とか会話の中でつい出ちゃったりするし」

 「で、では私の地元言葉でも皆様に通じるでしょうか?」

 「……気持ちは伝わると思うよ」

 「言語でお伝えしたいのです!私の訛り方はあまりにもキツ過ぎて全然日本語に聞こえないんです!もう会話の最中に“んあん?”みたいな顔をされるのは嫌なのです!」

 

 “んあん?”みたいな顔をされたんだ。さっきの私もそんな顔になってたのかな。

 

 「ま、まあ谷倉さんがそれくらい真剣に陽面さんのお願いに答えてあげようとしてるっていうのは分かったよ。うん、私も手伝うし言葉のことは誰にも言わないから、気を取り直してさ」

 「は、はい……」

 

 意外な人の意外なところを知ってしまった。もし私が偶然聞かなかったら、谷倉さんはずっとこの秘密を抱えたまま一緒に暮らしていたんだろう。その覚悟をするくらい恥ずかしいと思ってるのも凄いし、実際今まで素振りにも見せなかったのがすごい。

 

 「全然知らなかったなあ。谷倉さんの訛り」

 「もう、あまり仰らないでください……それに、私だけではありません。どなた様も秘密というのはあるものです」

 「そうだね……でも、谷倉さんの秘密が、なんていうか……可愛いものでよかったよ。間違ってもそれを聞かれたからその人をどうこうしようっていう風にはならない、よね?」

 「もちろんでございます!恥ずかしいは恥ずかしいですが……とはいえ、知られてしまったものは仕方ないと、今では思います。甲斐様が温かく受け入れてくださったおかげかもしれませんが」

 「うん、そうやってみんなが自分の秘密を打ち明けられたら、もしかしたらまた一致団結できるかもね」

 

 思いがけないハプニングではあったけど、食料倉庫を出る谷倉さんの顔は恥ずかしがっている一方で、少しだけ笑顔が柔らかくなったように見えた。心に抱えて誰にも言わなかった秘密を私と共有したことで、何か肩の荷が降りたというか、気持ちに余裕が生まれたのかも知れない。

 誰かの秘密を無理矢理暴こうとは思わない。だけど、もし誰にも言えずに心の中で燻り続けてる何かがあるんだったら、それを誰かに打ち明けることでより固い絆で結ばれるようになる。私はそう思う。だからみんな、自分の秘密をなるべく誰かに打ち明けて──。

 

 「甲斐様は、何か秘密はお持ちでないのですか?」

 

 ──私の、秘密?

 それを尋ねる谷倉さんの瞳は、なんだかとても澄んでいて。とても清らかで。私はそれを……真っ直ぐ見られなかった。谷倉さんは事故とはいえ私に秘密を打ち明けてくれた。隠せなくなったから?いや、きっと私を信頼してるからだ。そうじゃなかったら、きっと誤魔化したりしてたはずだ。

 私は谷倉さんを信頼している……そうに決まってる。だから私の秘密だって、言えるはずだ。私の秘密……いや、秘密というには、自分でも思うくらいそれは露骨で。あまりにも当たり前で。秘密と呼ぶことさえ躊躇われるような……。

 

 「ないよ。なんにも。私は私だもん」

 

 だからこれは嘘偽りのない言葉なんだ。そうに決まってる。




隔週更新だと次の更新日をカレンダーに書いておかないとすぐ忘れてしまいましてね。
不意に「やべっ、更新忘れてる!」と思って実はセーフという流れを、本作が始まって5回はやってます。カレンダーに書いとけや俺


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(非)日常編4

 

 「どいつだ裏切り者は!!オレがぶっ飛ばしてやる!!出て来い卑怯者!!」

 「うるさい!!そうやって出て来るような奴が裏切り者になるわけがないでしょう。もっとよく考えて──」

 「テメエは何を考えてるってんだあ?口を開きゃルールがどうだ法律がどうだってバカの一つ覚えみてえに同じことしか言いやがらねえじゃねえか!それでテメエに何ができた!コロシアイを1回でも防げたか!?」

 「なっ……そ、それは……!」

 「芭串さん。言い過ぎです。心が荒ぶのは仕方ありませんが、それを闇雲に当たり散らしているだけでは──」

 「余裕そうだなあ庵野!そういうテメエはどうなんだ!?」

 

 怒れる芭串の拳が庵野の胸ぐらを掴む。大柄で筋肉質な庵野に對し、路地裏の破落戶(ごろつき)のような芭串の腕はひどく華奢に見える。庵野がその()になるまでもない。下手に(なぐ)りかかれば怪我をするのは芭串の方だ。それは庵野もよく分かっているだろう。さて、どうするか。

 

 「落ち着けよ、ロイ。そのままじゃ結局全員を疑うことになる」

 「ああ!?当たり前だろ!どいつが裏切り者か分からねえんだからよ!疑うに決まってんだろ!」

 「それがモノクマの罠だと分かっていてもか?」

 「罠だろうがなんだろうが裏切り者ってのがいるんだろ!?この中に!」

 「それ自体がモノクマのウソかも知れない。奴はオレたちにコロシアイをさせるためなら、なんでもする奴だ」

 「……クソッ!」

 

 場を(おさ)めたのはカルロスだった。もう少し押せば更なる修羅場になるところだったのに、芭串は思いの外あっさり拳を下げてしまった。つまらん。飛び火は御免(ごめん)だが、ここは人閒(にんげん)の本性同士がぶつかり合う修羅場を眺めるには特等席だ。もっと面白くなってくれなければ、妹の寫眞(しゃしん)()って食ったあの驛辯(えきべん)が無駄になってしまう。さて、どうしたものか。

 

 「太太(タイタイ)

 

 俺に(こえ)をかけたのは長島だ。ここにいる面子の中では、年頃の女子の割に精神が成熟していて、集團(しゅうだん)の和に馴染むことも、一步(いっぽ)外から俯瞰することもできる、器用な奴だ。俺を享樂(きょうらく)主義とするなら、こいつは非夢想主義とでも言うべきか。全ては目の前の現實(げんじつ)を生きるために、長島という人閒(にんげん)は構成されている。

 

 「残念ネ。面白くならなくて」

 「お前は修羅場を(たの)しむような人閒(にんげん)じゃないだろう」

 「そう思うカ?ケンカを見るのは好きヨ」

 「違うな。お前が見ているのはケンカじゃない」

 「?」

 「揉める芭串たちを見る()()()を見ている。目立つ人閒(にんげん)より目立たない人閒(にんげん)を警戒している。だからこそ俺に(こえ)をかけた」

 「むふふ♫太太(タイタイ)はおしゃべりネ。それに気付いてること、ワタシに言っていいアルカ?ワタシ、裏切り者かも知れないヨ?」

 「せいぜい信賴(しんらい)を得るよう努力するとしよう」

 「ウソばっか言うな!信じて欲しいなら人と話すときに目を見ろアル!」

 「うっ」

 

 小突かれた。結局じゃれに()ただけか。あるいは俺に興味を失ったか。長島に警戒されていると()が散って(くすり)に集中できないから、俺としてはそちらの方が有難い。

 しかし“超高校級”の人閒(にんげん)が集まるからどんなに面白いことが起きるかと期待していたが、極限狀態(じょうたい)に陷れば所詮はただの高校生か。いくつか豫想外(よそうがい)のことはあったが、(おおむ)ね想像の範疇に(おさ)まってしまうことばかりだ。俺はそれ以上の長居は時閒(じかん)の無駄だと考え、一度部屋に(もど)るため席を立った。

 

 「む」

 

 (ふところ)に手を突っ込んで、藥甁(やくびん)の中が空になっていることに()付いた。そこで昨日の晚に使い切ったことを思い出した。俺としたことがこんなものを忘れてしまうとは。俺も心のどこかでは、モノクマが言った裏切り者の存在に()を取られているのかも知れない。

 

 「裏切り者か……」

 

 (じつ)に分かりやすく、そして曖昧な言葉だ。裏切りとは一體(いったい)誰に(たい)する裏切りなのか。(あたか)も俺たちに(たい)する裏切りと捉えられるが、發言(はつげん)したのはモノクマだ。モノクマを裏切って俺たちに付いた者、という意味にも解釋できる。そう考えると俺たちにとって裏切り者はむしろ有益な存在だと言える。

 逆にそいつは、はじめはモノクマ側だったということになるな。初めの動機は全員に死の危險(きけん)が平等に(あた)えられるものだった。そいつは動機の內容(ないよう)を知っていてモノクマに(くみ)していたのか、あるいはあの場で初めて知り、モノクマを裏切るに至ったのか。

 

 「考えるだけ無駄だな。答えなどない」

 

 ふと浮かんだ冷笑的な自分が、口を勝手に動かして思考を止めさせた。だがその通りだ。こんなものをいくら考えても答えなどない。そういえば今回の動機は、回答がひとり一回とは言われていなかったな。誤答に(たい)する罰も聞かされていない。何度答えてもいい……それなら虱潰しに答えられてしまう。それでもモノクマは、あの問題が成立すると考えているということか?いったいどういうことだ。

 

 「いかん、また考えている」

 

 つい思索を巡らせてしまうのは物書き人閒(にんげん)(わる)い癖だ。考えなくていいとしたことさえ、()付かないうちに再び思考の俎上に上げてしまっている。こういう(のう)の無駄な働きが嫌なんだ。何の金にもならん、大して價値(かち)のある結論が出るわけでもない、ただの自己滿足(まんぞく)と不確かな理論だけが積み重なっていく糖分の無駄遣い。(くすり)を舐めればそんな思考もぐちゃぐちゃにかき混ぜられてなかったことになる()がする。だから止められない。

 俺は部屋に向かっていた足をそのまま藥品庫(やくひんこ)まで伸ばした。ずらりと(なら)んだ藥甁(やくびん)數々(かずかず)は、分館のものとは比べものにならないほど多樣(たよう)で刺激的だ。今から疼いて仕方がない。

 

 「さて、次はどれにするか……これはダメだ。下手したら死ぬ。こっちは……嗽藥(うがいぐすり)じゃないか」

 

 見慣れたカバの意匠(もちろんモノクマに改變(かいへん)されている)の嗽藥(うがいぐすり)(となり)に、素人が使い方を誤れば1滴で10回死ねるような毒藥(どくやく)が平然と(なら)べられている。(なら)びがメチャクチャで目當(めあ)てのものを探すのも一苦勞(ひとくろう)だから、いっそ適當(てきとう)に目に付いたものを適當(てきとう)に使っていこうと、藥品棚(やくひんだな)隙閒(すきま)をぶらぶらと(ある)いている。何か刺激的なものはないだろうか。ほどよく痺れ、眩暈がして、死ぬような思いをする、しかし決して死なない(くすり)は。

 

 「ん?」

 

 ふと、足を止めた。俺の足を止めたのは目に飛び込んだ光景ではない。耳に滑り込んだ音だった。話し(ごえ)だ。一體(いったい)どこから?藥品庫(やくひんこ)の外だ。俺は注意深く、その音──否、(こえ)がする方に忍び寄る。下駄だろうが(ある)き方で音を殺せるものだ。

 (こえ)がしたのは、藥品庫(やくひんこ)の外、機械音と熱で不快な地下階の、目立たない場所からだった。(ぬす)み聞きの技術に長けた俺だからこそ、この機械音の中でもその話し(ごえ)內容(ないよう)まで聞き取れた。おそらく當人(とうにん)たちは誰にも聞かれたくない話をしに()たのだろう。構わないから存分に話してしまえ。人に聞かれたくない話をな。

 

 「無理を言わないでくれよ、はぐ。それだけはどうしてもダメだ。分かるだろう?」

 「いーやーだーいーやーだー!ちぐのケチー!」

 「ケチでもいいさ。それではぐが守れるならね。とにかくどうしたってダメだ」

 

 話しているのは月浦と陽面、內容(ないよう)は何やら陽面が月浦に駄々をこねているのを宥めているようだ。そんなものはいつもの光景だ。しかし敢えてこんなところで話すということは、よほど他人に知られたくない話のようだ。互いの個室という手段もあるだろうに、なぜこの場所なんだ?

 

 「プールで泳ぐの!泳ぎたい!お風呂にも浸かりたい!もうシャワーだけじゃさっぱりしないよー!」

 「だから、ここには貸し切り風呂も個人用プールもないんだ。最初に約束しただろう?足りないものがあっても我慢するって」

 「もう我慢できないよー!」

 

 陽面の要求はごく簡素で素朴なものだ。泳ぎたいだの(ひろ)い風呂に入りたいだの、そんなものは通常の人閒(にんげん)の欲求と大して()わらん。しかしそれを月浦が止めているというのが()になる。それに、貸し切り風呂に個人用プールだと?ということは月浦が懸念しているのは陽面が水に浸かることではない。誰かと水に入ること……あるいはその二つなら、肌を晒すということも考えられるな。ただの過保護、とするには些か意圖(いと)を感じる。

 

 「ちぐが許してくれないならいいもん!こっそり夜中に入りに来ちゃうかもね!夜なら誰もいないもん!」

 「そんなこと言わないでくれよ。ただでさえ夜中に出歩くなんて、誰がはぐを狙ってるか分からないのにさせられるわけないだろう?」

 「だったらいま入る!そうしないとはぐ、何するか分かんないよ?」

 「ううん……」

 

 あの月浦が、陽面にはまるで頭が上がらない。さすがに俺に()付いているとは思えないから、あれが普段の月浦の姿ということか。なんともまあ面白いことだが、それよりもなぜ月浦は、何をそこまで警戒しているというのだ。陽面はカナヅチか?あるいは更衣で一瞬でも自分の手の(とど)かない場所にいさせることが不安なのか?だが他人さえいなければいいという節もある……ふむ。

 

 「仕方ないなあ。今度僕もついて行くから、夜中の誰もいないときにプールと風呂に入ろう」

 「今度っていつ!?もう聞き飽きたよ!」

 「それじゃあ、2日後だ。僕にも準備があるから、それまでは待ってもらうよ」

 「準備って、ちぐも泳ぐの?」

 「僕はいい。はぐが泳いでるのを見てるから。その代わり、はぐは好きなだけ泳いでいいよ。お風呂だって」

 「わーい!やったー!ありがとう!ちぐ大好きー!むぎゅっ」

 「うっく」

 

 結局は月浦が折れた。讓步(じょうほ)らしい讓步(じょうほ)など何もせず、ほとんど陽面の言うことをそのまま()んだ形だ。2日の準備期閒(きかん)とは言うが、陽面の水着でも見繕うのだろうか。

 しかし期待してはみたものの、それほど面白いものではなかったな。月浦が陽面にだけ甘いのは今に始まったことではないし、陽面が欲求不滿(ふまん)になるのも考えずとも分かる。日本人なら(ひろ)い風呂で足を伸ばしたいと思うものだ。重要なのは、月浦がその中で起きる何かを非常に恐れていることだ。そしてそれは陽面もよく理解しているらしい。

 

 「ふふふ……もしそれが他人に明らかになってしまったときは……一體(いったい)どうするのだろうな、奴らは」

 


 

 困ったことになった。仕方なく約束なんてしてしまったけれど、こんな状況ではぐに肌を露出させるのは危険が大きすぎる。人払いなんて簡単だけどそうじゃない。それではぐの気持ちが緩んでしまうのが一番まずい。とはいえ、このままストレスを抱えさせていてもそのうち限界が来る……!ひとまず、どうにかして明日の晩は乗り切らないと……!

 

 「どうした月浦?珍しく頭なんて抱えて」

 「うるさい。お前なんかには解決できないことだ。放っておいてくれ」

 「ツレないなあ。マリカちゃんはせっかくちぐを心配してるっていうのに」

 

 毛利はもう二度とはぐには近付けさせない。狭山はいなくなったが、こいつだってあいつと一緒になってはぐを操ってたんだ。反省しているように見せかけて、狭山と同じようなことを企んでいないとも限らない。カルロスなんかは論外だ。こんなヒーロー気取りの好色筋肉達磨をはぐのそばに近付けたら何をしでかすか分からない。

 ああ、もう。この場所はとにかく危険要因が多すぎる。ただでさえはぐがストレスで何をするか分からない状況だっていうのに、コロシアイの火蓋を切った虎ノ森といい、マインドコントロールした狭山といい、どいつもこいつも僕の想像を超えてめちゃくちゃだ。普通の人間にできる限界を超えた“超高校級”がこんなに厄介だなんて思わなかった。

 

 「どうせ陽面のことだろう。心配することはない。谷倉が見ているのだ」

 

 いま、はぐは谷倉に料理を教わっている。谷倉曰く、はぐの料理スキルは初めの一歩を踏み出したところだそうだ。当たり前だ。包丁なんて危ないもの、はぐに使わせられない。火なんて使って火傷して一生物の傷になったらどうするんだ。跳ねた油が目に入るかも知れない。ナスのヘタについたトゲが刺さるかも知れない。水仕事は手が荒れるし鍋を振るには力が必要だ。料理なんて危ないことだらけだ。こうしてる今もはぐが心配でたまらない。なのに、はぐは練習中は僕が厨房に入ることを禁じた。どうしてなんだ。どうして僕じゃなくてあんな奴に教わりたいんだはぐ!!

 

 「うわあああああっ!!!はぐううううううっ!!!」

 「うるさい奴だ。心配しなくても滅多なことは起きん。谷倉を信じられないのか」

 「信じられるか!他人なんて!」

 「部分的に同感だな。他人など信じるものじゃない。だが信じる足る根據(こんきょ)があれば、疑わないことはできるんじゃないか?」

 「よくそんな呑気なことが言えるな!?はぐが料理をしてるんだぞ!?心配するだろ普通!」

 「月浦。お前が陽面のことを自分よりも大切にしているのは、ここにいる全員承知()みだ。だが、事實(じじつ)として陽面がどうなったところでお前自身がどうなるというわけではない。一體(いったい)何をそんなに恐れている?」

 「お前なんかには分からないだろ。はぐは僕の全てだ。はぐがいて僕がいるんだ」

 「オオウ!素晴らしくapasionado(情熱的)!いいじゃないかちぐ!オレはキミを応援しているよ!いつか二人が結ばれますようにとね!」

 「はあ?」

 

 うるさい暑苦しいキモい。一体何を言ってるんだこの筋肉は。

 

 「ふざけるな。僕とはぐが結ばれるだと?」

 「うん?何か問題が?」

 「当たり前だ。はぐが僕みたいな陰キャと一緒になる?僕みたいな日陰者と結ばれる?あり得ない!はぐは光の中を歩くべき人間だ。僕とは住む世界が違う。僕なんかと一緒になってはぐの人生に一分でも陰が生まれたら僕はどう責任を取ればいいのか分からない!そんなことは絶対にあり得ない!二度とそんなふざけたことを言うな!」

 「……???」

 「なんで分からないんだ!!」

 「つまり……ちぐは、はぐちゃんにはもっと相応しい相手がいるはずだと思ってるってことかい?」

 「はぐの、相応しい相手……?はぐが、僕以外と……」

 

 誰だそいつは。顔も分からない。声も分からない。身長も体重も目の色も仕事も性格も何一つ!仮にはぐにとって理想的な相手が現れたとして、はぐが僕以外の奴と一緒に……?僕以外にあの笑顔を……いや、僕も知らないはぐの顔を、僕以外の男が知る……だと!?

 

 「い、いやだああああっ!!!は、はぐが僕以外の男と一緒にいるなんて……想像しただけで吐きそうだ!!そんなこと許さない!!認められない!!はぐの側にいるべきなのは僕なんだ!!」

 「じゃあ結局月浦と陽面がくっつくしかねェじゃんか」

 「そんな分不相応な話が罷り通るわけがないだろう……!!僕とはぐじゃ釣り合わない!!はぐにはもっとぴったりの相手が……いてたまるかあああっ!!!」

 「なんなんだよ」

 

 くそっ!こんなヤツらの話をまともに聞いたせいで、今まで考えたこともないことを考えさせられてしまった。はぐが僕と離ればなれになるなんてあり得ない。でも僕がはぐと一緒になることもあり得ない。はぐははぐの輝ける人生を歩むべきだ。僕はその道を支える柱であればいい。はぐが何一つ心配せず、何一つ傷つかずに先へ進めるように骨身を捧げる縁の下の力持ちであればいい。できればはぐにはその存在すら気付いて欲しくない。でもはぐが僕以外の男にハグするようなことは絶対に許せない!

 

 「まさに混沌だな。向くべき矛先を失った感情がこちらに飛び火しないうちに、俺は席を外すとしよう」

 「結局ちぐは、はぐちゃんのことが好きなのか?好きじゃないのか?どっちなんだ?」

 「好いてはいるんだろう。だがお前が考えるような単純な好意とも違うということだ。まあ、その辺りは探るだけ無粋というものだ、カルロス。日本人はお前のようにオープンじゃない」

 「オレがちぐだったらメチャクチャ言ってるのになあ。Me gustas(愛してるよ)〜!」

 「お前みたいなナンパなヤツは絶対はぐに近付けない」

 

 いけない。こんなヤツらの言うことを真に受けるな。もしこいつらが本当にはぐに手を出そうものなら、それこそ僕がどんな手段を使っても排除しなくちゃいけない。まったく、ここのルールが忌々しい。学級裁判なんていう制度があるせいで、迂闊に他人を排除できない。僕が誰かを殺してしまったら、僕とはぐはどうあっても別れてしまう。はぐがシロなら僕もシロ、はぐがクロなら僕もクロにならないと、ここでは生き残っても死んでも同じことだ。いや、はぐが僕のために死ぬなんてあり得ないから、僕は常に死ぬ側か。

 もしはぐと僕以外の全員を殺したとして……学級裁判は開かれるのだろうか。答えの分かり切った、裁判。普通の人間が二人なら、その裁判に決着は着かない。だけどはぐと僕だったら……。

 

 「きゃあああっ!!!」

 「っ!!?なんだ!?」

 「はぐ!」

 

 考えるより先に体が動き出していた。そういう風に自分を変えたからだ。何か異常があればすぐにはぐの元に飛んでいく。僕はそのためにはぐの側にいるんだ。

 厨房から聞こえたはぐの悲鳴を聞きつけて、僕は椅子を蹴っ飛ばして飛び出した。厨房に入る観音開きの扉を叩き開けると、僕は信じられないものを見た。はぐが……はぐが……!

 

 「だ、大丈夫ですか陽面様!?お怪我はされていませんか!?」

 「ううっ……あっ、み、みかど……ちゃん……!?」

 

 床に倒れ伏すはぐ。谷倉が焦った様子ではぐに近付いている。はぐの近くにはひっくり返ったボウル……そしてはぐの体は、頭から足の先までずぶ濡れだった。床にできた水たまりにはぐの体の一部が映り込んでいる。

 なんではぐが水を被っている?違う……!このままじゃ風邪を引いてしまう!そうじゃない……!今日のはぐはいつもの格好じゃない。料理をしやすいようにと谷倉に言われて、Tシャツを着てるんだ。水に濡れて肌に張りついたTシャツ越しに、はぐの肌が見えている……!

 

 「!」

 「つ、月浦様……!?」

 

 背中に爆薬が付いたみたいだ。考えるより早く、感じるより早く、認識するより早く、僕の体ははぐの元に駆け寄っていた。上着を脱いではぐの全身を覆い隠すように被せる。そこでようやく、はぐと谷倉は僕の存在に気付いたみたいだ。そんなことはどうでもいい。

 

 「……ッ!!」

 「あ、あのっ、着替えてお体を乾かさないとお風邪を召されます!」

 「ち、ちぐ……あのっ、わ、わたし……!ごめんなさい……!でも……!」

 「……大丈夫。大丈夫だよ、はぐ。大丈夫……!」

 

 僕は、はぐを抱きかかえるようにして立たせ、上着がずり落ちないように気を付けながら背負って、厨房を飛び出した。濡れたはぐの体から僕の服に水気が移る。そんなことを気にする余裕もなく、僕は食堂を通って個室へと向かった。

 

 「な、なんだあ?月浦のやつ、陽面連れてどっか行っちまった」

 「ああ……なんてことでしょう。私がついていながら、陽面様に怪我などあったら……!」

 「月浦の過保護はいつものことだ。それより、一体何があった?」

 「陽面様がお水の入ったボウルをひっくり返されて、頭から丸被りに」

 「そんなコントみたいなことがあるのか」

 「っていうか料理を教えてたんじゃないのかい?なんでまたそんなことに」

 「陽面様はその……お料理を一からお勉強なさっているので、まずは道具の扱い方から」

 「先は長いな」

 


 

 条件は揃った。これ以上様子を見る理由はない。必要があるから実行する。ただそれだけだ。

 

 「ワオ!やった!()()()()()()()だよ!待ちくたびれたなあもう!」

 

 だらけきった姿勢で待っていたモノクマが飛び起きる。心底嬉しそうに跳びはねているのは、回答者の気分を煽るためだろう。だが今更そんなもので心を揺さぶられはしない。揺さぶられている場合じゃない。

 

 「どうやら答えが分かったみたいだね。うぷぷぷぷ!それではお尋ねしましょう!」

 

 改まった態度でモノクマが問いを下す。

 

 「裏切り者はだ〜れだ?」

 

 答えのない問い。答えのなかったその問いに、この口が答えを産む。それが本当に正しい答えなのか、最後まで確証はなかった。だが不思議な確信はあった。これ以外に答えがあるはずない。その答えを聞いたモノクマは、吊り上げた口角を更に吊り上げて、赤い眼をぎらりと光らせた。

 

 「うぷ、うぷぷ♫うぷぷぷぷ!うぷぷぷぷぷ!!」

 

 その笑いに深い意味など無い。ただこいつが楽しいだけだ。

 

 「だいだい大正解ィ〜〜〜!!おめでと〜〜〜!!うぷぷぷぷ♫さて、オマエは記念すべき最初の正解者です!というわけで、どんな凶器でも望むものを与えてあげます!さあなんでも言ってごらん!!」

 

 ここまでは予定していた通りだ。やはりモノクマの性格は最悪だ。この動機は本当に、自分たちの疑心暗鬼を加速させるためだけのもので、もしかしたら正解されるつもりすらなかったのかも知れない。だからここで言う“どんな凶器でも”がどれほど有効か、そっちの方が心配だ。

 たとえば、こんなものはさすがのモノクマでも用意できないんじゃないだろうか。

 

 「……はあ?なにそれ?」

 

 やっぱりダメだったか。

 

 「う〜ん……用意できないことはないよ。手に入れられないものじゃないし。でも、それをオマエに渡すとなると話が変わってくるなあ。どうしたって隠し通せないし、オマエが自由に扱えるようなものでもない。ちなみにだけど、オマエはその()()でどうするつもりなの?」

 

 この反応は意外だった。てっきり不可能なものやコロシアイのルールに反するような凶器は突っぱねられると思っていた。しかしモノクマのこの反応は、可能な限り相手の要望を叶えようとする態度だ。なんでそんなところばっかり真摯なんだ。腹が立つ。

 どうせ監視カメラで全て見ているのだから、モノクマに隠し事をする意味はない。計画の全てを話した。

 

 「……ふむふむ。うぷぷ♫なるほどねえ。ボクにだけは言われたくないって思うかも知れないけど……オマエ、かなりヤバいね」

 

 こいつにだけは言われたくない。

 

 「そういうことなら、少しだけ形を変えれば同じ凶器を用意できるよ。ただし、扱いには注意が必要だけどね。代わりと言ってはなんだけど、ボクが少しだけプロデュースしてあげるよ。オマエの()()()()()()をさ!」

 

 望んだとおりの凶器とは少し違う。取り扱いに特別な注意が必要になってしまう。最初にモノクマから聞かされた説明とは少し違うイレギュラーな対応。その穴埋めとして、モノクマが力を貸すという。大量殺人計画とはまた人聞きの悪い言い方をする。こいつにとってはそっちの方が面白いのだろうから、敢えて気勢を削ぐようなことは言わないでおくが。

 


 

 本館に移ってきてからしばらく経った。モノクマが裏切り者の存在を仄めかしたせいで私たちの間には薄ら疑心暗鬼の空気が流れている。尾田君や菊島君みたいに全く意に介さない人も、芭串君や理刈さんみたいに翻弄されてしまう人も、お互いを信じないようになっている点では同じだ。

 結局私はまた湖藤君と宿楽さんと一緒にいる。この二人だけはどんな状況になっても私と一緒にいてくれる。

 

 「皆様、おはようございます。朝ご飯の支度ができていますよ」

 

 毎朝誰よりも早起きして朝ご飯の用意をしてくれてる谷倉さんが、厨房からお膳を持って来た。ひとりひとりにお膳を配っていくと、自然に余りが出て来る。いつも寝坊したりひとりで勝手に朝ご飯を済ませている人の分だ。すっかり慣れたもので、そういうときは温め直すために一旦下げる。来ない人は放っておいて、私たちは先に朝ご飯を済ませた。

 

 「……遅くない?」

 

 誰かが言った。まだ二人、起きてこない。ひとりは王村さんだけど、あの人はいつものことだから今更心配になんてならない。もうひとり、菊島君が来ないのは少しおかしい。いつもだったら私たちが朝ご飯を食べている間に、寝坊した人も起きてきてだいたいみんな揃う。食べるのが一番早い芭串君が食べ終わるまでには谷倉さんが全員分のご飯を配り終わって食べられるんだけど、まだ揃ってない。今日は特に寝坊しているだけか、と思ったけれど、その後少し待ってみてもやって来ない。

 

 「確かめようとしないんですか?」

 

 なんとなく、全員が全員の様子を伺って、誰も席を立てない凝り固まった空気の中、尾田君が言った。分かってる。その言葉の真意が何か。いつまで経っても現れない人がいる。本館に移ってきてしばらく経って、モノクマから動機も発表された。最初の事件も、二回目の事件も、その日の朝は嫌な予感がした。今もだ。誰かの死の予感だ。

 

 「湖藤君、どうしよう……?」

 「迷っていても仕方ないよ。探しに行こう。部屋で眠ってるだけならいいんだけど……」

 「まったく、世話の焼ける。それじゃあ、班に分かれて探しましょう。何があるか分からないから必ず3人以上で行動すること」

 「面倒ですね」

 「何かあってからでは遅いのよ。現に……菊島君が起きてこないじゃない」

 「十中八九なにかあったでしょうね。そろそろ、誰かが我慢の限界に達する頃だと思っていました」

 「ど、どういうことでぇ……!?」

 「この状況下ではコロシアイなんて簡単に起きるってことですよ。もうあなた方もいい加減に受け入れたらどうですか。僕たちは、お互いの命を狙い合う間柄なんです」

 

 尾田君はそう言ってひとりでさっさと行ってしまった。3人以上で行動しようって言ったばかりなのに。

 

 「ちょい待ち劉劉(リュウリュウ)!一人じゃ危ないヨ!」

 「おいコラ!待てオイ!」

 「こらお前たち!軽率に……すまない。取りあえず私が付き添う」

 「うん、お願い毛利さん」

 

 その尾田君を、長島さんと芭串君が追いかけて、それをさらに毛利さんが追いかけた。もしも何かあっても、あの三人がいれば大丈夫だろう。私は湖藤君と宿楽さんと班になって、それにボディーガードにカルロス君が名乗り出てくれた。尾田君たちはどうやら2Fに行ったらしいから、私たちは1FのWエリアへ、二人を探しに向かった。

 かと思いきや、食堂を出たところで王村さんと鉢合わせた。ふらふらした足取りで気持ち悪そうに歩いていた。

 

 「あ、王村さん。おそようさん」

 「うっ……気持ち悪い……。頭に響くから朝からデケェ声出しねェ」

 「二日酔いかな?今日は特にひどいね」

 「おう。こりゃァ迎え酒するしかねェな」

 「無限ループって怖くない?」

 

 なんかもう、呆れた。もういいと思ってたけど、やっぱり心のどこかで心配してたみたいだ。ものすごく損した気分になった。

 


 

 朝ご飯を済ませた後にいつも散歩している本館内だけど、一人が行方知れずになっているという事実だけで、空気が異様に張り詰めて感じられるから不思議だ。菊島君は運動が嫌いだからスポッツァにいるとは思えないけれど、今となってはどこにどんな風にいてもおかしくない……そんな風に思ってしまう。壁の裏を見るたびに、ドアを一枚開ける度に、角を曲がる度に、そこに菊島君がいたらどうしようと考えてしまっていた。

 

 「心配することはないよ、マツリちゃん」

 

 私の不安に気付いて、カルロス君が励ましてくれる。いつでも明るいカルロス君がそう言ってくれるだけで、少し心が温まったように感じる。だけどすぐに湖藤君が、その心に冷や水を浴びせた。

 

 「根拠はあるの?」

 「もちろんあるさ。オレたちはもうコロシアイなんてしないって言ったろう?リョウやハナちゃんがどうなったかを見れば、二度と同じようなことをしようなんて考える人はいないさ。もしこの辺にタイシがいるとすれば、疲れて眠ってしまっているだけだよ」

 「悪いけど、それを日本語では根拠とは言わないんだ。敢えて言うなら“楽観”……“覚悟”の対義語だよ」

 

 いつになく言葉に棘がある。湖藤君らしくない発言に、私と宿楽さんだけでなくカルロス君も目を丸くしている。本館に満ちたただならぬ空気を、湖藤君も感じ取っているのだろうか。ますます私の足取りは重くなる。

 スポッツァは普通に歩けば10分もかからずに見て回れるのに、臆病になりすぎたせいか、隈なくチェックして回るのに20分もかかってしまった。結局そこに菊島君の姿はなく、怪しいものも怪しい人も見当たらなかった。

 

 「他に菊島さんが隠れられそうな場所とかないかな?」

 「非常用具庫は?」

 「あの重たい扉を菊島さんに開けられるとは思えないよ。知ってる?菊島さんってガリガリなんだよ?」

 「なんでフウちゃんがそれを知ってるんだい?」

 「……ま、万が一ってことがあるから探しに行きましょう!」

 

 サングラスに温泉マークが表示されてるのと、宿楽さんの全然誤魔化せてない不審な態度……その結論を問い質すより前に、今は菊島君を見つけることが大事だ。私たちは念のため、非常用具庫に足を向けた。

 でもその足は、一歩踏み出したところで止まってしまった。突然視界が暗くなったからだ。バツン、と太いロープが弾け千切れるような音がしたかと思うと、目の届く範囲であらゆる照明が消えた。

 

 「わわわっ!?な、なになになに!?」

 「停電だ!」

 「マツリちゃん!フウちゃん!リン!オレの後ろに!」

 

 狼狽える私の耳に、湖藤君の叫びとカルロス君の言葉が飛び込んでくる。すぐに的確に状況を把握した湖藤君と、とっさに私たちを守るために行動してくれたカルロス君。突然明かりが消えて二人とも私と同じようにほとんど何も見えてないはずなのに、私より素早く行動してた。楽観してると思ってたカルロス君も、本当は心のどこかで警戒してたんだ。私たちを心配させまいとわざとあんなことを言ってたんだ。それを、今の一瞬で思い知らされた。

 しばらくその場で固まってたけど、何もない。どこかから誰かが襲い掛かってくることも、何かの仕掛けが動き出すことも。何も。

 

 「……ただの停電か?」

 「まさか。こんなときに停電なんて都合がよすぎる。明らかに人為的なものだよ。雷の音だってしてない」

 「じゃあこうしてる今も、もしかしたら……!?」

 「ど、どうしようどうしよう!?えっとえっと……!?」

 「落ち着いて。停電だって非常事態だ。今からぼくたちが向かうところこそ、こういうときに行くべき場所じゃないか」

 「非常用具庫!そうだ!確かあそこに非常用発電機があったはず!」

 

 不幸中の幸いというのか、ちょうど私たちが向かう場所に、この停電を解決してくれるものがあった。本館の中は外から差し込む光もなく、真っ暗で目が慣れても手探りで少しずつ進むしかない。まさに暗中模索だ。それでもようやく非常用具庫が近付いて、暗闇の中になんとなくそのシルエットが浮かんでくると、カルロス君は真っ先に飛び出して非常用具庫の扉を開けた。中も真っ暗だ。非常事態用の施設なんだから、庫内の豆電球ぐらい別電源につないでくれればいいのに。

 

 「確かこの辺りに非常用発電機が……」

 「気を付けてよカルロスさん。あんなクソでか発電機で頭打って倒れたら笑えないからね」

 「ははは!心配しなくてもそんなにこのカルロスの頭はヤワじゃないさ!ほうらあったあった」

 

 真っ暗で全然見えないけど、どうやらカルロス君は発電機を探し当てたようだ。重たいものを床に置く音がして、ガチャガチャと手探りでハンドルを探す音がした。

 

 「おいおいなんでェ!もう誰かいやがんのか!?誰でェ!」

 「その声は……王村さん?どうしてここに」

 「理刈もいるわ。あと庵野さんも」

 「突然世界が闇に包まれたので、ここに発電機があることを思い出して来たのです。その声は甲斐さんですね。ということは、中にいるのはカルロス君ですか?」

 「よく分かったな!そこでしかと見ておくことだ!このカルロス・フェルナンドが世界に光を取り戻す瞬間を!」

 「大袈裟だし見えないって言ってんのに」

 

 カルロス君が大声で騒ぎたてた後、いきおいよくハンドルを引く音がした。激しいモーターの回転音がするけど、世界は依然として真っ暗なままだ。どうやら電力が足りないらしい。

 

 「カルロスさん!もっともっと巻かないと!もっとも〜っとほらもっと!」

 「そう急かさないでくれよ。すごく重たいんだから」

 「何してるアル!発電機はどうしたカ!」

 「あれ!?そ、その声は長島さん!?2階に行ったんじゃなかったの!?」

 「ここに発電機があるのを思い出して復旧させに来たヨ!卡卡(カーカー)ちゃんと回すアル!」

 「まーわーせ!まーわーせ!」

 「応援ありがとう!うおおおっ!!オレはやるぞ!!」

 「はあ〜!回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セマ・ワ・セ!」

 「すごい早口」

 「ウオオン!!オレは人間発電機!!」

 「渋滞してんなァ」

 

 長島さんと宿楽さんのヤジのような応援(むしろ応援のようなヤジ)でカルロス君は元気が湧いてきたようで、暗闇の中から猛々しい声とエンジンを回す激しい音が聞こえてくる。建物全体の電気を供給できるほどの発電機だから、レバーの重さもひとしおなんだろう。何度も何度も、カルロス君は引きまくる。

 しばらく回していると、照明がチカチカと光り出した。薄く光の灯った中で、みんなの姿が一瞬だけ見える。ほとんど勢ぞろいだ。

 

 「もうちょっと!カルロス君がんばって!」

 「フフフ……!えいしゃおらああああああああっ!!!」

 

 一瞬見えただけでも、カルロス君が必死になっていることが分かった。上着を脱いでシャツの前のボタンを全部開けて、ほとんど上裸だ。そんな状態で最後に強くレバーを引くと、発電機が重く鈍い音を立てて稼働し始めた。それに呼応するように、建物全体の照明がついた。

 

 「点いたあああっ!!」

 「ちょっとみんな集まって!!暗いのにうろうろしないでよ!!」

 

 汗だくになったカルロス君が倉庫の中でへたり込んで荒く息を吸っては吐き出している。応援していたはずの宿楽さんと長島さんは全然明後日の方向を見ていた。王村さんと庵野君は何をどう勘違いしたのか、ホールの離れた場所をうろついていた。なんだろうこの光景。でも声がしたみんなの姿はその場で確認できた。1階の近くを捜索していた人たちと長島さんがいる。それ以外の人たちは、きっと停電でここまで来ることもできなかったんだろう。菊島君も気になるけれど、まずは今いる人たちの安全が確認できて私はほっとした。

 

 「と、取りあえず、一旦みんなで集まろう。他の場所に行った人たちも呼び集めてさ」

 「んじゃかばーーーん!モノクマ登場だよ!!」

 「きゃあっ!?」

 「な、なんだ!?」

 「いやいやまったくびっくりしたよね。まさか停電しちゃうなんてさ。でもよかったよ。()()()()()()()()()無事みたいでさ」

 「……!」

 

 みんなの無事を確認するために集まろう、そう提案した矢先にモノクマが上から降って来た。目の前に落ちてきたからびっくりした。そしてモノクマはニヤニヤ笑いながら、意味深な抑揚をつけて私たちを見る。()()()()無事って……。

 

 「11人?8人しかいねェじゃねェか」

 「え……あ、あれ?ホントだ。ボクってばうっかり!勘違いしちゃった!」

 「どうでもいい!すぐにみんなを集めて安否確認しないと!長島さん、尾田君と芭串君と毛利さんは!?一緒じゃないの!?」

 「あいつらは置いてきたヨ。暗い中で余計なお荷物抱えてらんないネ。ワタシは夜目が利くからひとりでも大丈夫ヨ」

 「お荷物って……じゃ、じゃあもしかしたらあの三人が……」

 「ボクたちがなんだっていうんですか」

 

 理刈さんの指摘で初めて、尾田君を追いかけて2階に行ったはずの長島さんがひとりでここに来てることに気付いた。どうやら長島さんは発電機を回すために、停電の本館で目を凝らしながらここまで来たらしい。夜目が利くってレベルじゃないような……。

 でも真っ暗な中で置いてけぼりにしたらそれこそ危険だ。そう言おうとした矢先、ホールの向こうから尾田君の声がした。隣には毛利さんと、肩で息をした芭串君もいる。どうやらみんな無事らしい。なんでだけ芭串君だけが疲れてるのか分からないけど。

 

 「尾田テメー!スロープある方から降りるっつったろ!普通に階段降りてんじゃねーぞ!毛利も普通にガンガン進んでんじゃねえよ!」

 「なんでボクがあなたに合わせなきゃいけないんですか」

 「歩きにくいなら脱げばよかっただろう」

 「あ、なるほど」

 「はあ……どうしてボクの周りにはこうアホが寄ってくるんでしょう……」

 「類友ってやつですかね!……あ、すいませんなんでもないです」

 

 尾田君にじろりと睨まれて宿楽さんが縮こまった。今のはどう考えても余計な一言だ。それより、これで11人の無事が確認できた。あとは地下に向かった谷倉さんと陽面さんと月浦君それからまだ見つかってない菊島君だけだ。月浦君がいれば陽面さんは大丈夫だと思うけど、あとの二人が無事か心配だ。

 

 「地下階に行こう」

 

 湖藤君の一言で、私たちは全員で階段へと向かった。本館内はすっかり明るくなっていたから、少し離れた場所にある地下への階段へも迷わず行けた。停電の影響か、昇降機が上がってこないから、湖藤君には階段の上で待機してもらって、護衛に庵野君とカルロス君に残ってもらった。

 


 

 私にはそのとき、地下階へ降りる階段の入り口が、獲物を待つ怪物の口に思えた。この下に入ってしまったら、何か恐ろしいことが起きるような……そんな予感がした。本当だったらこのときに気付いてたっていいくらいだ。誰も上まで上がってきてないことの、その意味に。

 

 「ううっ……」

 

 恐怖心で心臓ががなる。緊張しているせいで体の動きがぎこちない。それが却って階段を駆け下りる足を進ませて、私は転がるように階段を下りていった。たった1階分降りるだけの階段が、果てしなく長く感じた。このまま地の底まで降りて行くんじゃないかと思うくらい時間の感覚が狂っていた。

 そして、足が止まった。階段が消えていた。私たちが目指していた地下階は失われていた。

 

 「……は?」

 「ッ!み、みんな……!」

 

 階段が続く先に床はない。代わりに、歪んだ私たちの姿が映っていた。水だ。大きくうねりながら階段から下を飲み込んでいるそれは、そこから先で何が起きているかを如実に物語っていた。水面に近い場所で、なんとか避難してきたのか足下をびしょ濡れにした陽面さんと月浦君が座り込んでいた。私たちの姿に気付くと、陽面さんはくしゃくしゃになった顔を向けた。

 

 「これは……水没しているのか……!?」

 「谷倉はどうした!一緒にいたんじゃないのか!」

 「み、みかどちゃんは……!」

 「……谷倉は、地下に残ったままだ。どうなってるかは……分からない」

 「そ、そんな……!」

 

 一体何が起きたのか。地下が水没するほど大量の水なんて、一体どこから流れてきたのか。さっきの停電と関係あるの?谷倉さんはどうなったの?それに、まだ菊島君だって見つかってない。この水はどうすれば……!

 

 「はいはいオマエラ!どいたどいた!」

 「ぎょっ!?モ、モノクマ!?」

 「さすがにこれじゃあ何にもできないから、今回もボクがオマエラのために一肌脱いであげるよ!いま水を抜くから、オマエラそこから動くなよ!落っこちて巻き込まれても知ーらない!」

 

 階段の上から、顔にシュノーケルをはめてフィンをつけたモノクマが降りてきた。そんな雑な装備でどうにかなるとは思えない。そもそもモノクマはロボットじゃなかったのか。そんなツッコミをする暇もなく、モノクマは勢いよく水の中に飛び込んで行った。悔しいけど、この水をどうにかできるのは建物のことを熟知しているモノクマしかいない。私たちは、ただ待つことしかできない。残された谷倉さんの身を案じながら。

 ほどなくして、階段一段分の水が引いた。どうやらモノクマが水を抜いているみたいだ。嵩が減ってくると水が抜ける速度も速くなっていって、そこから先はあっという間に水が引いていった。壁のシミが見えると、だいたいどのくらいの高さまで水がきていたかがよく分かる。私の胸より上くらいまで来てたから、もし中にいたら大変なことになる。何かに捕まって浮いていれば溺れることはないかも知れないけれど、激しく体力を消耗して弱っているはずだ。私たちはすぐに下に降りていった。

 

 「二人とも!谷倉さんはどこに!?」

 「お、奥の部屋に入って行った……はずだ」

 

 まだ足下に残っている水なんて気にせず、ざぶざぶと波を立てて進む。私は階段を降りて、地下の細い廊下を曲がった。その奥に、谷倉さんがいるはずの部屋がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あ……」

 

 

 角を曲がったとき、曲がってすぐ。いた。谷倉さんが。いた。あった。そこに。浮いて。倒れて。私に向かって。部屋から。部屋にはもういなくて。目の前に。手が。頭が。私を、私の足。縋るように。

 

 「あああああああああああああああッ!!!!」

 

 声が。自分の声。自分じゃないような。喉が焼ける感覚。止まらない。飛び出す。吐き出すように。意識が遠のく。信じられない。信じたくない。こんなの。耳が痛い。頭が割れる。

 

 「ま、奉ちゃん!?ちょっと、どう……ひぃっ……!?た、谷倉……さん……!」

 「何をしてるんだ!早くこっちに連れて来い!まだ助かるかも知れないだろ!」

 

 体が重い。冷たい。私の周りにあるのは、水?また嵩が増えてる……?違う。私、転んだんだ。毛利さんの声がする。私の隣を、ざぶざぶと人が歩く音がする。宿楽さんと毛利さんが谷倉さんを抱えていた。完全に脱力した体は、まるで物のように水面を滑る。

 

 「こっちに来い甲斐!お前の力が必要だ!応急処置の心得があるだろう!」

 「あっ……うぅ……」

 「そこで泣いていて谷倉が助かるのか!急げ!」

 「うあっ……は、はい!」

 

 喉が痛くて上手く声が出せない。それでも、毛利さんの必死な叫びに引かれるように、体は勝手に起き上がった。毛利さんたちを追って階段まで戻ると、踊り場まで持ち上げられた谷倉さんが仰向けに寝かせられていた。水を吸って重くなった服に邪魔されながら、私はそこまで這うように上る。

 寝ている谷倉さんの肌は血の色が薄く、まぶたと口が生々しく閉じかけている。口元に手を当てるけれど空気は動かない。

 

 「甲斐!早く!」

 「あ、は、はい!」

 

 水が染みて黒ずんだ上着を脱がして下着だけにし、顎を上げて気道を確保する。胸の中央に両手を当てて、真上から手の付け根で強く押す。何度も。何度も。切れ間無く、一定に。口から空気を送り込んでむりやり酸素を送り込む。胸を押して、空気を送って、また押して、空気を送る。ただひたすら、谷倉さんが息を吹き返すまで、それを繰り返す。

 

 「谷倉さん!谷倉さん!戻って来て!お願いだから……!!」

 

 全体重をかけて谷倉さんの胸を押す。腕が軋むほどの痛みなんて気にならない。全力で谷倉さんの肺に酸素を送り込む。くらくらしてくる頭でも感情だけで体を動かす。一秒でも、一瞬でも、諦めるなんてことは考えない。

 

 「あっ……うぅ……」

 「なんですかあなた。彼女を助けに来たんですか」

 「あ、いや僕は……その……」

 「!」

 

 尾田君の言葉で、私はようやくその存在に気付く。私たちの側で所在なさげにもじもじしているのは、おでこに×マークがついたモノクマ、ダメクマだ。モノクマとの関係性がよく分からないけれど、腐ってもモノクマだ。私たちにはできない救命措置ができるんじゃないか。

 

 「か、甲斐さん。もう止めて。その……た、谷倉さんは……」

 「ッ!!うるさい!!あっち行け!!谷倉さんはまだ助かる!!私が助ける!!絶対に!!」

 「そうよ……!まだ助かる可能性はあるわ。ここにいる私たち全員、彼女の姿を見ているのよ。それなのに──!」

 

 理刈さんの言葉を遮るように、それは地下階に鳴り響いた。その音の意味を。その放送の意味を。私たちは理解したくなくて……聴きたくなかった。

 

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!!』

 「う、うそ……!やめて!!ウソだ!!やめて!!いや!!」

 『死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を行います!』

 

 私は、喉が張り裂けそうなくらい叫んでいたと思う。なのに自分の声はちっとも聞こえなくて、モノクマの放送だけが耳に押し込まれるように聞こえてきた。押し当てた手から熱は奪われていくばかり。圧迫を止めた手は何の振動も感じない。まるで眠っているかのような、造り物のような谷倉さんの顔に手を当てる。もう二度と目を開けてくれない。もう二度と口を開いてはくれない。もう二度と私たちに笑いかけてはくれない。その顔に。

 

 「女子の誰でもいいです。甲斐さんにシャワーでも浴びせておいてください。あとはボクたちでやります」

 「……そうか。分かった」

 「ちょっ……ま、待ってよ!なんでそんな切り替えが……奉ちゃんは、いま谷倉さんを助けようとして──!」

 「死体発見アナウンスが流れました。つまりはそういうことです。これ以上の問答は時間の無駄です。それくらいは分かりますね?」

 「うっ……」

 「甲斐。立てるか?」

 「……た、谷倉……さん……!」

 

 もう一度、胸を押し込む。完全に脱力して冷たく固くなった体は反発する力もなく、沈み込んだ胸はそのままの形に変形してしまう。空気を送り込んでも手応えがない。谷倉さんに触れるあらゆる箇所から生命を感じない。それでも、体は勝手に蘇生措置を繰り返す。私を後ろから見ている冷静な私ですら、それに意味がないことなんて分かっているのに。

 

 「甲斐……!もういい……!もういいんだ……!」

 「助けないと……!わ、私が……!やらないと……!私にしかできないから!私が助けないと!」

 「もうやめてくれ!私が悪かった!お前にそんな重荷を背負わせるつもりじゃなかった!」

 「助けるんだ!私が!!でないと……でないと──!!」

 「谷倉はもう死んだ!!」

 

 毛利さんの無慈悲な言葉が突き刺さる。それが私の体を磔にしたように、体がぴくりとも動かなくなった。体が硬直して、両側から誰かに支えられる。谷倉さんが離れていく。私の側から、また人が消えていく。

 

 「やだ……!やだ!谷倉さん!!谷倉さん!!」

 「お、おい暴れんな!危ねえだろ!」

 

 芭串君の声がした。どうして、なんで谷倉さんを助けさせてくれないの。どうして尾田君が谷倉さんの体を触ってるの。どうして……。

 

 「奉奉(フェンフェン)!落ち着くアル!」

 「だ、だって──!」

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!!』

 

 また音がした。ついさっきも聞こえた音が。その放送の意味は──もう理解しなくても分かってしまう。

 

 「あ、あれは……!」

 『死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を行います!』

 「そんな……!」

 

 引きずられていく中で、視界の奥にそれは映っていた。排水され流れていく水の上に漂う大きな黒い影。濡れた髪が海草のように波打ち、壁にぶつかりながら転がるように流れてきた、菊島君の遺体が。




この話の投稿準備を進めてるとき、Twitterで回転寿司でやんちゃしてる動画が立て続けに問題になってました。うわさによれば、昔よく行ってた店舗での映像らしくて、カスみたいな縁(えにし)を感じていました。
我々はそういうギリギリのすれ違いの中で生きてるのかも知れないですね。


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非日常編

 

 衝撃。胸の後ろから突き上げられるような強い衝撃だった。私の意識が肉体に飛び込んだかのような感覚とともに、私の意識だけが飛び起きた。瞳は天井を映している。体は横たわったままだ。

 天井の色と体を包み込む柔らかな布団の感覚、どちらも知らないものだった。ただ、それが誰かの個室のベッドで、私は今の今まで気を失っていたということだけは、すぐに理解できた。そしてここがどこなのかも、すぐに分かった。私が飛び起きたのに気付いたのか、力強く優しい声がかけられた。

 

 「おや、気がつかれましたか」

 「えっ……あ、庵野君……?」

 

 声のする方に目を向けると、頭の上に乗った重い感覚がべったりと頭の形をなぞるようにずれていって、目の前に落ちた。濡れタオルだ。庵野君がそれをどけてくれて、たらいの中に浸してきつく絞る。

 

 「地下室で倒れられたと聞きまして驚きました。芭串君と長島さんが連れてきてくださったのを、手前が引き継いで看病しているのです」

 

 その説明で、私は自分の身に起きたことと、地下で何があったかを思い出した。思い出してしまった。あの光景と、あの事実を。息が詰まるような気がした。呼吸が荒くなって顔が熱くなる。それでも、落ち着かなくちゃいけないと自分で分かるくらいには冷静になれていた。意識的に呼吸を深くして、私は心臓を落ち着ける。

 

 「大丈夫ですか?無理もありません。虎ノ森君の事件のときから、甲斐さんはいつも凄惨な現場に遭遇してしまっています。これ以上は心が壊れてしまいかねない」

 「……みんなは……?捜査は、どうなったの?」

 「今がまさに捜査時間です。ご安心なさい。甲斐さんが休まれることを責める方などいませんし、手前よりよほど優秀な方々ばかりです。甲斐さんは、今は体を休めてください。学級裁判になれば嫌が応にも心と体を酷使することになるのです」

 「そんな……私ばっかり、寝てなんて……!」

 

 起き上がろうとするけれど、体は鉛のように重たくて言うことをきかない。心の疲労が体にまで影響してるんだ。確かにこのままだと心と体のどちらかが先に音を上げてしまうかも知れない。いや、もう既に限界なんだろう。気を失ってしまうくらいなんだから。

 もし私が庵野君や他のみんなの立場だったら、同じことを言うだろう。こんな状態の人に捜査なんてさせられない。だけど、私は私がそんな風になっていることを許せなかった。認められなかった。私は守られる側じゃない、守る側なんだ。そう声高に主張したかった。

 だけど、庵野君はそれを許してくれなかった。

 

 「どうか、無理をなさらないでください」

 

 起き上がろうとした私の肩を掴んで、庵野君は私をベッドの上に寝かせた。私が疲れてるっていうだけじゃなくて、庵野君の力がものすごく強いんだ。庵野君が人に対してこんなに力を行使することなんてなかったから、力強さを感じて私はなんとなく恐ろしくなってしまった。

 

 「甲斐さんが倒れていようと気を失っていようと、モノクマは容赦なく学級裁判の場に引きずり出すことでしょう。そのときは間違いなくやってくるのです。もしそれが原因で、今度は甲斐さんが命を落とすようなことになってしまっては、手前どもはいよいよ混乱してしまいます。今は休んでください。お願いします」

 「庵野君……でも……」

 「甲斐さんの『愛』がいかに深いかは、手前をはじめ皆さん分かっていることです。それにご安心ください。事件を解決するのに必要な手掛かりは、きっと皆さんが全て見つけてくれます」

 

 もちろんだ。私はみんなを疑っているわけじゃない。私は、みんなのために無理をしようとしているんじゃない。私のために私自身の体を犠牲にしようとしているんだ。それがひどい自己矛盾であることは、落ち着いて考えられるようになった頭で理解できた。

 庵野君はそういうと、重くて柔らかい布団を私にかけてくれた。普段庵野君が使っているものだから、体がすっぽり収まってもまだ余裕があるサイズだ。

 

 「申し訳ありませんが、甲斐さんのモノカラーのパスコードが分からなかったので手前の部屋しか入れませんでした。臭いなどは我慢願います。必要なら新しいものをお持ちしますが」

 「ううん……ありがとう。ゆっくりしてるよ」

 「そうですか。なによりです。それでは、束の間の休息かとは思いますが、ゆっくりお休みください。手前も捜査に参加してきます」

 

 穏やかな笑顔を見せて、庵野君は部屋を出て行った。布団からは庵野君の匂いがして、なんだか庵野君に覆い被さられているみたいだ。もし庵野君に抱きしめられたとしたら、きっとこんな風に優しく、温かく、力強くされるんだろう。

 と、そこまで考えた自分がなんだか変態みたいに思えたので、布団をひっくり返した。そんなときばっかりは体が軽い。

 

 「あ〜、もう。じっとなんかしてられないよ!庵野君には悪いけど、こっそり捜査にまじっちゃえ」

 

 とは言っても体は重い。私はベッドの上で少し準備運動してから、立ち上がってストレッチをした。体中の筋肉が温まってくるとなんとなく体力も回復してきて、動けそうな気になってくる。まだ外には庵野君がいるだろうから、少しの間はこの部屋で体を温めることに専念しよう。学級裁判になったとき、私だけ何も知らないなんてイヤだから。

 


 

 「不安だなあ」

 「大丈夫だよ宿楽さん。今までだってなんとかやってきたじゃないか」

 「そりゃ湖藤さんは頭いいからいいけど、私なんて今まで二回とも生きた心地がしなかったよ。おまけにそんな湖藤さんの推理を左右する捜査の手伝いをするなんてんだから、緊張もするわ」

 「まあまあ肩の力を抜いて」

 

 水がすっかり引いた地下室で、私は湖藤さんの車椅子のハンドルを握ってため息を吐いた。奉ちゃんが気を失って寝ているから、湖藤さんの車椅子を押して捜査の手伝いをする役割は私に回ってきた。奉ちゃん以外にこれの扱いを心得てる人が私しかいないからだ。湖藤さんはひとりでも動かせると言ってるけれど、手伝いっていうのは車椅子を押すだけじゃない。

 たとえば、谷倉さんと菊島さんの死体は水から引き揚げられて階段の踊り場に寝かされている。私たちならなんてことないその距離を、湖藤さんは易々とは移動できない。だから私が話を聞いてきて気になったことを調べて湖藤さんに報告することになった。さっそく責任重大だ。しっかり伝えることはもちろん、間違ったことを教えちゃいけない。私は気を引き締めて、階段を上った。

 

 「みなさんお疲れ様です。なんか分かりました?」

 「嫌みですか?そう簡単に分かったら苦労しません。今はモノクマファイルの内容を検証するのと、ここに書かれていない手掛かりを探しているんです。何か分かるとしたらその後です」

 「ご、ごめんなさい……」

 「気にするな宿楽。尾田は一言も二言も多く喋らずにいられないだけだ。要するに、まだ何も分からないというだけのことだ。いくつか見つかったものはあるが、それが何を意味するのかを考えるのは後回しだ」

 「そ、そうですよね……すみません、なんか先走っちゃって……」

 「謝ることはないさ!こんな状況じゃあいち早く何か知りたいと思うのは当然のことだからね!」

 

 上半身を下着だけにした谷倉さんを毛利さんが、帽子と外套を脱がせて青白い肌をはだけた菊島さんを尾田さんが調べていた。カルロスさんは見張り役だ。

 今朝、私たちに朝ご飯を作ってくれた谷倉さんがもう息をしてないという事実が、私にはまだ受け入れ難かった。血の気の引いた肌の色だって、少し具合が悪くて寝込んでるだけに見える。それくらい谷倉さんの死は実感が湧かなかった。

 それに比べて、菊島さんが死んでいることは、なんとなく受け入れやすかった。というより、覚悟ができてたんだと思う。朝食の場に出て来ないことが、この場所でどういう意味を持つか。なんとなく予想はしていたし、これが初めてのことじゃない分、心の準備的なものができてたんだと思う。

 

 「ま、事件解決に意欲を見せてくれるだけまだマシですね。気絶して置物になるどころか貴重な人員を割かせる厄介者よりは百倍いいです」

 「それって奉ちゃんのこと?」

 「他に気絶した人がいますか」

 「あれか?リューヘイは気になる女の子のことを悪く言ってしまうという思春期のあるあるなのか?」

 「別にそれで構いませんから、捜査の邪魔はしないでください」

 

 ドライだなあ。普通こういうときは分かりやすく焦ったり顔を赤らめて否定したりするのがお約束なのに、尾田さんは眉一つ動かさない。それとも、特に意識せずそういうことが言える真顔攻めっていうヤツ?それはそれで……こういうのをやめろって話か。

 私はそこから余計なことは言わず、毛利さんと尾田さんの検死が終わるまで、カルロスさんに話を聞くことにした。湖藤さんに検死結果をきくついでに、菊島さんの昨晩の目撃情報を集めてくるようにも言われた。

 

 「喜んで良いよフウちゃん!オレは実に重大な証拠を見つけた!」

 「なんですか」

 「タイシのジャケットからこんなものが出て来たんだ」

 

 床に並べられたものを示して、カルロスさんは分厚くてもじゃもじゃの胸を張りに張った。むっちい。

 

 「空き瓶!ボロボロのハンカチ!以上!」

 「……これってあれじゃないですか?菊島さんがその、シコるときに使うやつ」

 「シコるってなんだい?知らない日本語だな」

 「え〜〜〜っと、いらねーこと言っちゃったな。いやだから、菊島さんが持ってて普通のものじゃないですか?」

 「もちろん。しかしだね、タイシは昨日の晩から行方不明になっていた。いつ殺害されたのかは、事件の全容を把握するのに重要だとは思わないか?」

 「まあ、それは」

 「朝からこれを使うヤツはいないだろう。つまりタイシがこれを持っているということは、昨日の夜から事件に巻き込まれていたことを意味する!」

 「……そうかなあ」

 

 なんだか論理が無理矢理ぎみに感じる。瓶もハンカチも、菊島さんが常に携帯してるはずのものだから、あってもおかしくないと思う。カルロスさんの考え過ぎなんじゃないか。

 これって私の感想ですよね?と頭の中の屁理屈屋が私に囁いてきた。それが何を意味するかはさておいて、事実としてこれは遺留品だ。そこから何を読み取るかは、私じゃなくて湖藤さんがすることだ。だから、取りあえず私はそれを覚えておくことにした。

 そしてカルロスさんの話を聞いている間に、検死にも一区切りついたみたいだ。

 

 「宿楽。分かったことを共有するからこっちに来い」

 「あ、はい」

 「そもそもあなた、モノクマファイルを確認したんですか?」

 「あっ、そういえば……」

 

 尾田さんに言われてようやく、私はまだモノクマファイルを見ていないことに気付いた。モノカラーを点けて、モノクマから配られたファイルを開く。

 

 

 ──────────

 

【モノクマファイル③-1)

 被害者:谷倉美加登

 死因 :溺死

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: 9時20分から30分の間

 その他:手の平に火傷あり。

 

【モノクマファイル③-2)

 被害者:菊島太石

 死因 : -

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: -

 その他:後頭部に殴打痕あり。肺の中に水あり。

 

 ──────────

 

 

 「な、なにこれ?菊島さんのファイル……」

 「面倒ですねえ。もう1回通ってるんですよ、そんなところは」

 「菊島のファイルは谷倉に比べて……いや、狭山や益玉たちのものより遥かに情報が少ない。というより、敢えて伏せているような印象だな」

 「なんでですか?」

 「……やっぱりアホですね、あなた」

 「やっぱりってなにさ!」

 「その意味を理解するためにこうして検死をしているんだ。ともかく、情報共有だけでもさせてくれ」

 「は、はい」

 

 悔しい、という感情すら湧くこともないくらい尾田さんの言う事は尤もだった。もう二度も事件と裁判を経て、私は何も成長していなかった。さすがに最初にモノクマファイルを確認しておくくらいのことはやっとけよ、と私も思った。自分で言うのもなんだけど。

 焦る私を見かねたのか、毛利さんが手招きしてくれた。今は反省より捜査だ。

 

 「モノクマファイルを見ながら説明するぞ。書いてあるとおり、どうやら死因は溺死のようだ。肺の中は確認できないが、寝かせたことで水が逆流してきていた。おそらく胃や肺からだろう」

 「ううっ……」

 「手の平の火傷は、かなり広範囲に重度のものになっている。熱湯に手を突っ込んでもこうはならないだろう。まるで手の平で何かが炸裂したようだ」

 「さ、炸裂……!?」

 「谷倉が料理中に怪我をすることは考えられない。今朝の段階でも特に異常はなかった。つまり、これは地下室に降りてから負ったものということになる」

 

 毛利さんは淡々と説明する。言う通り、谷倉さんの口元は濁った水で汚れていて、お腹は張っていた。おそらく大量の水を飲んでしまったせいだろう。そして右手の火傷は、火傷なんて表現で済むようなものじゃなかった。まさに何かが炸裂したかのような、皮膚が爛れて一部が黒く焦げている、ひどい有様だった。いったい何がどうなったらこんなことになってしまうんだろう。

 

 「谷倉に関してはこれくらいだ。他に外傷があるわけでもないし、手の平の火傷以外におかしなところはない」

 「そういえば、谷倉さんと菊島さんの発見に結構時間差あったよね」

 「ああ、そうだな。谷倉が先に流れてきてここに引き揚げ、それから菊島が流れてきた」

 「重さの違いでしょう。菊島君は大きな服を重ね着していましたから、相当重くなっていたはずです」

 「ああ……。その菊島さんの検死はどんな感じ?」

 「死因、死亡推定時刻ともに不明です。肺の中に水が入っているので溺死の可能性はありますが、気になるのはここです」

 

 割とすんなり、尾田さんは情報提供を始めてくれた。素直、なわけは絶対になくて、私との会話はするだけ無駄っていうことだろう。目が死んでるもん。

 尾田さんが指したのは、菊島さんの頭だった。後頭部、うなじの少し上のあたり。髪の毛で紛れて見にくいけど、他の箇所よりも色がどす黒くなってる。殴打痕だ。

 

 「これは死亡前につけられたものですね。傷口そのものはそこまで特異なものではありませんが、木くずが混じっているのが気になります」

 「木くず?」

 「おそらく殴打されたときに付着したものでしょう。木製のバットか、角材か、そんなところですかね」

 「どっちもホームセンターで簡単に手に入るな!つまり犯人は、それでタイシを襲ったんだな?」

 「まあ当然そういう推論になりますよね。ただし問題はそこじゃありません」

 「じゃあどこ?」

 「同じ事を何度も言わせないでください」

 

 私の質問は突っぱねられてしまった。それを考えるために捜査してるんだってことか。成長しないなあ、私も。

 

 「あ、そ、そうだ!毛利さん、尾田さん。最後に菊島さんを見たのっていつ?湖藤さんにいちおう足取りを聞いてくるよう言われてて」

 「さあ、知りませんよ。夕食の場にいたことは覚えていますが、別に彼を特別見ていたわけではありませんから」

 「私も知らないな。昨日の夜に見かけてから、それっきりだ」

 「そっか……。あ、ありがとうございます!しっかり湖藤さんに伝えとくね!」

 

 ともかく、ここで得た情報は確実に湖藤さんに伝えなくちゃ。もしここに湖藤さんがいたら、得意の超能力でみんなの表情や仕草から情報を得たりするんだろうけど、私にはそんなの全然分かんない。だから、せめて私分かることは全部教えてあげなくちゃ。

 手掛かりがパンパンに詰まった頭から何も溢さないように、私は慎重に階段を降りて湖藤さんの元に戻った。

 

 

獲得コトダマ一覧

【モノクマファイル③-1)

 被害者:谷倉美加登

 死因 :溺死

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: 9時20分から30分の間

 その他:手の平に火傷あり。

 

【モノクマファイル③-2)

 被害者:菊島太石

 死因 : -

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: -

 その他:後頭部に殴打痕あり。肺の中に水あり。

 

【菊島の検死結果)

  後頭部に殴打痕があり、付近の髪に木くずが付着している。

 ポケットからは空の薬瓶と損傷の激しいハンカチが出て来た。

 


 

 ゆっくり、音を立てないよう慎重にドアノブを回す。おそるおそる外の様子を伺うと、廊下には誰の姿もなかった。個室のドアが二箇所開放されているのは、おそらく谷倉さんの個室と菊島君の個室だろう。捜査のために、モノクマが鍵を開けたんだ。あれのどちらかに庵野君がいるんだろうか。だとしたら入っていけないなあ。

 

 「……うんっ」

 

 とはいえ、ここでぐずぐずしていても時間が過ぎるだけだ。たとえ庵野君に連れ戻されるとしても、少しでも捜査を手伝っておかないと、私の存在意義がなくなってしまう。私は意を決して部屋を出た。

 さすがに地下室にまで降りて行く体力は残ってないから、個室の捜査を手伝うくらいにしておこう。ちょうど近いところにあったから、まずは谷倉さんの個室に入ることにした。いちおう、庵野君がいないか様子を伺ってみる。

 

 「あっ、まつりちゃん」

 

 庵野君はいなかった。いたのはベッドの上に腰掛ける陽面さんと、部屋中を隈無く捜査している月浦君だった。こっそり覗いていたつもりだったのに、陽面さんに一瞬で見つかってしまった。

 

 「なんだ。寝てるんじゃなかったのか」

 「う、うん……だけど、なんか居ても立ってもいられなくて。地下室まで行く体力はないから、せめて個室だけでも捜査の手伝いをしようかなって……」

 「……ここでお前にやれることなんてない。戻って寝てろ」

 「じゃ、邪魔はしないから!」

 「ちぐ、いじわるしちゃダメだよ。まつりちゃんだってみんなの役に立ちたいんだから」

 

 月浦君は少しだけ私を警戒してたけど、特に危険視する必要もないと判断したのか、その後は目も向けてくれない。なんとかして捜査を手伝わせてもらおうとお願いするも、取り付く島もない。だけどそんな態度も、陽面さんが一言言えば一変してしまった。

 

 「……少しでも邪魔だと思ったら出て行ってもらうからな」

 「月浦君……!ありがとう!」

 「いいか、勘違いするなよ。僕が許したんじゃない。はぐが許したんだ。お前に手伝わせることをはぐが許したんだ。僕は他の誰のためでもない、はぐのために捜査をしてるんだ。いいな」

 「うんうん。ありがとありがと」

 「聞いてるのか!」

 

 相変わらず月浦君は陽面さんに甘い。甘いというか、絶対服従と言っていいくらいだ。もし陽面さんがいなければ、私はすぐ庵野君を呼ばれてベッドに逆戻りだった。だから、たとえ陽面さんがその辺の椅子に腰掛けてちっとも動いてなくても、いてくれてよかったと思えた。

 私はさっそく、谷倉さんの個室の捜査に加わった。と言っても、今朝まで普通に生活していた谷倉さんの個室にそれほど手掛かりが残されているとは思えない。いちおう気になるところは調べてみるけれど、それよりも陽面さんと月浦君の話をこそ聞くべきだ。

 

 「ねえ月浦君。その……辛いことを思い出させるようだけど、谷倉さんのことを聞いても……いいかな」

 「別に辛くなんてない。ここにいる限り、いつ隣の他人が死んでもおかしくないんだ」

 「そ、そう。じゃあ、詳しく聞いてもいい?」

 

 月浦君は少し手を止めた。話す内容を整理しているんだろうか。そしてすぐにまた捜査を始めて、相変わらず私には目もくれないまま話し始めた。

 

 「今朝、全員で班になって菊島を捜すことになった後、はぐが谷倉を誘ったんだ」

 「そうなの?」

 「うん!はぐ、みかどちゃんのこと好きだから、一緒に行こって言ったの!」

 「というか、アンタたちが勝手にどんどん行くから、僕たちの組む相手が谷倉しかいなくなったんだよ」

 「な、なんかごめん……」

 「で、地上階は他のヤツらが探すだろうからって、地下に行くことを谷倉が提案したんだ。僕は、はぐをそんな暗くてじめじめした場所に行かせるのは反対だと言ったんだ。なのに、はぐが賛成するから仕方なく……」

 「だってみかどちゃんが行こうって言ったんだよ!はぐよりずっと頭が良くて、ちぐよりずっとにこにこしながら!そりゃあみかどちゃんの言うこときくでしょ!」

 「ぐっ……」

 

 陽面さんの基準はよく分からないけど、とにかく3人はまとまって地下室に行ったということだ。

 

 「そのときはまだ、地下室におかしなところはなかった。物品倉庫とか薬品庫とか、あいつがいそうなところは一通り調べたけど見つからなくて、残ったのは一番奥にある機械室だけになった」

 「機械室……」

 「はぐが認証機にモノカラーをかざしてドアを開けたら、その中に菊島がいた。椅子に腰掛けた状態で、意識がないみたいで……その時点では生きてるのか死んでるのか、判断がつかなかった」

 「声をかけなかったの?」

 「どう考えても怪しいだろ!そんな密室空間に、行方不明になってるヤツが縛られてたんだぞ!どこかに犯人が潜んでたか何らかの罠が仕掛けてあったか、もしくは菊島自身が心配して駆け寄ったヤツを襲おうと考えてたのか……いずれにしろ、とてもはぐを中に入れられる状況じゃなかった」

 「陽面さんがっていうか、みんなそうだよね」

 「だから、谷倉だけで様子を見ることになったんだ」

 「え?な、なんで……?」

 「当たり前だろ。はぐは部屋に入れない。はぐが外に残るなら、もしものときのために僕も部屋の外に残る。誰かを呼びに行くのにも時間がかかるし、もし菊島が生きてるなら一刻も早く救出しないといけない」

 「月浦君にもそういう気持ちあるんだね」

 「別に心配してたわけじゃない。無駄に学級裁判なんか起きたらはぐの命が危険に晒されるだけだろ」

 「あっそう……」

 

 ともかく、今朝の時点で菊島君は地下の機械室に監禁されていたところまでは分かった。そして、その機械室に谷倉さんだけが入って行った……当然、機械室の中には谷倉さんと菊島君だけが残されることになる。過程は分からないけれどその結末を知っているだけに、なんだかすごく嫌な予感がしていた。

 

 「けど、救出はできなかった。谷倉が入ってすぐ、地下室で洪水が起きたんだ」

 「こ、洪水?」

 「どこから来たのかも分からない、大量の水が一気に押し寄せてきた。とっさにはぐと一緒に倉庫に避難して、棚に上って溺れることは避けた。でももう、谷倉なんか気にしてる場合じゃなくなって、とにかくはぐを階段まで避難させようと、すぐに行動したんだ」

 「じゃ、じゃあそのとき谷倉さんと菊島君は……?」

 「さあな。そんなこと考える余裕もなかった。水だけじゃなく、あのとき停電もしてたからな」

 「あっ、て、停電……!そっか……!」

 「その様子だと、地上階も停電してたみたいだな。すぐに復旧したようだけど、何か知ってるのか」

 「うん、非常用具庫の発電機で復旧させたんだ。カルロス君が頑張ってくれたんだよ」

 「そっか!じゃあ後でお礼言わないとだね!」

 「……ああ、そうだな」

 

 話を聞いても、地下室で何が起きたのかは分からないままだった。どうして陽面さんたちと谷倉さんが別れていたのかは分かったけど、あの水がいったいどこから来たものなのかは分からずじまいだ。流れてきたって、まさか大浴場やプールの水を持って来たわけでもないだろうに。

 でも、突然の洪水の上に電気まで消えたら、さすがに月浦君だってパニックにもなる。もし私だったら、そのとき冷静に避難することを選べた自信がない。なんとか谷倉さんを助けようとして……結局自分も死んじゃってたかも知れない。月浦君の判断は、決して間違ってなんかいない。

 

 「一度だけ、階段に戻る前にドアを開こうと試した。けどダメだった。水のせいか停電のせいか、何の反応もなかった。谷倉たちにも何度か呼びかけたけど、返事はなかった」

 「そっか……」

 「僕たちが話せるのはこのくらいだ。後の手掛かりは地下室でも調べるんだな」

 「この部屋では何か見つかった?」

 「何も。そもそも谷倉は今朝まで普通に過ごしてたんだ。事件に関係ある素振りなんてなかったんだから、もっと手掛かりのありそうな場所は他にあるだろ」

 

 だったら月浦君もそっちを調べればいいのに、と言いかけて、陽面さんの存在を思い出してやめた。昨日の夜まで、陽面さんは谷倉さんから料理を教わっていた。その人を亡くしたショックを和らげるために、心を落ち着かせることを優先してるんだと気付いた。

 私はこれ以上陽面さんの前で事件について話すことが忍びなく感じて、捜査もそこそこに部屋を飛び出した。次は菊島君の部屋を調べてみよう。

 

 

獲得コトダマ一覧

【月浦ちぐの証言)

 菊島は機械室の奥にある椅子に縛り付けられており、谷倉がひとりで救出しに入った。

 その後、洪水に伴う停電により入口の電子ロックがかかり、機械室は封鎖された。

 月浦と陽面はすぐに階段に避難し、甲斐たちが到着するまでそこにいた。

 

【本館の停電)

 希望ヶ峰学園本館で発生した大規模な停電。

 おそらく、地下の機械室が水没したことによるもの。

 

【緊急用電源)

 1階の非常用具庫内に設置されていた発電設備。

 全館が停電していてもブレーカーをあげれば電力を賄う程度の発電ができる。

 


 

 谷倉さんと菊島さんの検死結果をしっかり頭に叩き込んだ私は、それがこぼれ落ちる前に階段を転げ落ちて、下で待っていた湖藤さんに聞いたことの全てを伝えた。湖藤さんは私の話を頷きながら聞いてくれて、話し終わったのを確かめると大きく頷いて、しばし考え込んだ。

 そして、すぐにあどけない笑顔を私に向けてくれた。

 

 「ありがとう、宿楽さん。よく分かったよ」

 「だ、大丈夫ですかね?こんなんで」

 「十分だよ。気になったことがあれば尾田くんたちに聞けばいいし、何より主観を交えず聞いたことをそのまま教えてくれるだけでもすごくありがたいことだ」

 「でへへ。そんなに褒められると照れちゃうなあ……」

 「うん。それじゃあ地下室を捜査しようか。甲斐さんが休んでる分、よろしくね」

 「はい!」

 

 きっと湖藤さんは、私の報告がめちゃくちゃだったとしても同じような笑顔で褒めてくれただろう。でもそんなことを考えると自分が嫌な気持ちになるだけだから、今は調子の乗っておくことにした。

 そしてその勢いのまま、湖藤さんの車椅子のハンドルを握った。奉ちゃんは二人の死体を見て気を失ってしまい、庵野さんが部屋まで運んで行った。だから今は、私が奉ちゃんの代わりに湖藤さんの捜査をサポートしないといけない。普段、こういうときに奉ちゃんが何をしていたかあんまり思い出せないけど、とにかく色んなところに湖藤さんを連れて行けばいいわけだ。そこで指示に従っていれば、取りあえずは及第点だろう。

 

 「まずは、機械室に行ってみようか」

 「機械室?」

 

 それは、地下室の一番奥にある部屋だ。自動ドアで仕切られた四角い部屋で、中に何があるのかもよく分からない狭い部屋だ。なんでそんなところが気になるんだろう。

 

 「たぶんだけど、谷倉さんと菊島くんはあそこから流れてきたんじゃないかな」

 「え、なんで分かるの?」

 「谷倉さんと菊島くんの死体発見アナウンスに時間差があったでしょ。死体はどちらも皆の目の前に流れてきたらしいから、この時間差はそのまま死体が流れてきた時間差だ。流れてきた方向には機械室があるし、谷倉さんに比べて菊島くんは水を吸う服が多くて重くなりやすい。だから流れる速さも大きく変わるし、始点が遠いほどその差は開いていく。だから機械室から流れてきたんじゃないかと思うんだ」

 「へえ〜〜〜」

 

 なるほど分からん。確かに谷倉さんと菊島さんの死体発見にはかなりの時間差があった。直接見てもないのに、アナウンスの時間差と聞いた話だけでそこまで推理できるなんて、やっぱり湖藤さんは私とは頭のデキが違う。全部を理解する必要はない。私はただ、湖藤さんの言う通りに車椅子を押せばいいだけだ。

 機械室のドアは開放されていて、モノカラーを照合させなくてもそのまま中に入ることができるようになっていた。部屋の隅に壊れた木製の椅子が転がっていて、腰くらいの高さまで壁に水の跡が残っていた。ごうごうと唸る機械音の中に、明らかに異常が起きているって感じの音が混じっている。狭い部屋はその不安になる音が反響して、いるだけで気が狂いそうになる。それでも湖藤さんは平然としている。

 

 「ううっ……な、なんだここ……」

 「宿楽さん、大丈夫?無理しなくていいからね」

 「湖藤さんは全然平気そうだね。耳栓でもしてんの?」

 「見るべきものを見て聞くべきもの聞く練習をしていれば、聞かなくていいものを聞かないコツも分かるんだよ。目を閉じるみたいに、耳を閉じるってことさ」

 「すげえ!」

 「おかげで毎晩快眠さ。今度やり方を教えてあげるよ」

 

 冷静に考えればそんなことできるわけない。からかわれてるんだろうか。でも湖藤さんが言うなら本当にできる気がしてくる。何より快眠できるっていうのは、夜中に冷蔵庫や時計の音が気になって寝られなくなる私にはめちゃくちゃ耳よりの情報だった。

 

 「あなたたち、こんなところをよく捜査できるわね……耳栓いる?」

 「あ、理刈さん。ほしいほしい」

 「ぼくは大丈夫。ありがとう」

 「なんで大丈夫なの……?」

 

 耳を塞いでいるせいで身動きが取れなくなった私に、理刈さんが耳栓を持って来てくれた。機械の異音はかなり軽減されて、それなのにお互いの話し声はよく聞こえる。すごい。

 

 「理刈さんもここの捜査をするつもりなの?」

 「ええ、そうよ。ここの記録は重要な手掛かりになるわ。モノクマにデータを提出させないと。モノクマ!」

 

 なんとなく天井に向かって、理刈さんがモノクマを呼ぶ。だけど、いつもだったら呼んでもないのに出て来るモノクマが、このときは出て来る気配さえしなかった。理刈さんがもう一度大きな声で呼ぶと、大きな機械の隙間から、遠慮がちに白黒の塊が現れた。モノクマとよく似てたけど、おでこに×マークがついてる。ダメクマだ。

 

 「ど、ど〜も……」

 「なんであなたが出て来るのよ。私はモノクマを呼んだの」

 「モ、モノクマは忙しいから、僕に代わりにいけって」

 「なにそれ」

 「地下は洪水、本館全体は停電、殺人も起きて、施設管理者として大忙しなのかも知れないね。やって欲しいことができるならダメクマでもいいよ」

 「何の御用でしょうか」

 「この自動ドアの照合記録をモノカラーに転送してちょうだい。できるわよね」

 「で、できますできます!」

 

 モノクマと同じ格好をしてるからみんな敵視してるけど、こんなに腰が低くて弱々しい姿を見ると、だんだん可哀想というか、あんまり邪険にするのも心苦しくなってくる。動きがモノクマよりも覚束なくてたどたどしいから、尚更だ。でもこいつらに感情移入するのは良くないから、ぐっと自分の気持ちを押し殺した。

 モノカラーが音を立てた。自動ドアの照合記録が送られてきたみたいだ。理刈さんと湖藤さんはすぐにそれを開いて確認する。

 

 

『自動ドアのログ』

 23 : 47 菊島太石

  9 : 11 陽面はぐ

  9 : 13 谷倉美加登

  9 : 19 月浦ちぐ

 

 

 「なるほどね。やっぱり菊島くんは昨日の夜からここにいたんだ」

 「やっぱりって、分かってたの?」

 「ただの予想だよ。間違ってなくてよかった」

 

 湖藤さんに限って、ただの予想なんてするわけがない。何かしらの根拠があって理屈立てたはずなんだけど、いつのタイミングでそれを考えたのかが全然分からない。

 

 「というか、菊島さんがモノカラーを照合させてるっていうことは、菊島さんは自分からこの部屋に入ったっていうこと?」

 「そうじゃないの?」

 「でも……そこに明らかに変な物が転がってるんですけど」

 

 私は、部屋の隅でぐちゃぐちゃになった木製の椅子を指さした。よく見ると水を吸ったロープも一緒にある。椅子とロープなんて、どう考えても誰でもどこでも監禁セットじゃん。

 

 「月浦くんと陽面さんに詳しい話が聞ければいいけど、二人はいま個室の捜査に行っているはずだから……推理するしかないね。まあ考えるまでもなく菊島くんはここで監禁されてたんだろうけど」

 「……どうして断言できるのよ」

 「個室以外での故意の就寝は校則違反だよ。今朝の段階で陽面さん、谷倉さん、月浦くんが断続的に照合してるっていうことは、おそらくこれが事件発生のタイミングだ。地下が水で満ちている中で、こんな奥まったところに人が集まるのは、中に誰かいるか何かがあると考えた方が自然でしょ。つまり、夜中のうちから菊島くんがここに監禁されていたと考えられる」

 

 一聞いたら十、いや百返ってくる。理刈さんはきっと話してる内容を理解して納得してるんだと思う。私は一気に話されるとワケが分からなくなるから、途中で理解しようとするのをやめた。とにかく菊島さんは昨日の晩にここに来て、今朝死体で発見された。それだけは確かな事実だ。

 

 「今ここで湖藤さんと議論するには時間が足りないわ。そういう考え方をしているって分かっただけで結構。私も異論はないし」

 「そっか。よかった」

 「私はもう少しここの捜査をするわ。それと、物品倉庫も。水でほとんど流されているからあまり手掛かりは期待できないけれど……。むしろ、モノクマが開いた排水口の方が見つかる可能性は高いわ」

 「ならどうしてこっちの捜査を?」

 「誰もここを捜査しようとしないからよ。もし何か見落としていて、それが重要な証拠だったら命取りになるでしょ」

 「そうだね。ありがとう、理刈さん」

 「別に……私は真実を明らかにしたいだけよ。ただでさえ人手が減ってるんだから」

 

 そう言う理刈さんの目は冷たかった。最初の事件のとき、理不尽に殺害された益玉さんや三沢さんのために怒ったり激しく動揺したりしていた彼女は、なんだか変わってしまったように見える。法律家である理刈さんには、この法律も倫理も意味をなさない異常な空間が耐えられないんだと思う。だから心を殺して、冷静に振る舞おうとしてる。そんな風に思える。私は理刈さんが可哀想だった。

 

 「それじゃあ宿楽さん。ぼくたちは排水口のあたりを捜査しに行こう。ここは理刈さんに任せるね」

 「ええ。気を付けてね。床が濡れてるから滑らないように」

 「ありがとう。理刈さんも気を付けてね」

 

 私は湖藤さんの車椅子のハンドルを握った。ぐっと押し込むときに足を滑らせて危うく湖藤さんごとひっくり返るところだった。

 

 

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 【自動ドアのログ)

 事件前日以降のログは以下の通り。

 23 : 47 菊島太石

  9 : 11 陽面はぐ

  9 : 13 谷倉美加登

  9 : 19 月浦ちぐ

 

【機械室の自動ドア)

 機械室に入るには、モノカラーによるロック解除が必要。出るときには開扉ボタンを押す。

 モノカラーによるロック解除は時間と人物のログが残る。

 ドアは電気で動いており、放っておくと数秒で閉まる仕組み。

 


 

 廊下に出るときは、まず庵野君がいないかを確かめてから、なるべく少ない動きで、谷倉さんの部屋から菊島君の部屋までを最短距離で移動する。強制的にベッドに戻されないために必死だった。

 菊島君の部屋もドアが開放されていて、中に長島さんと芭串君がいるのが見えた。谷倉さんは今朝まで普通に生活していたのに対し、菊島君は昨日の夜以降の動向が分からない。もしかしたら夜中のうちに事件に巻き込まれていたかも知れないし、こっちの方は手掛かりが期待できそうだ。

 

 「あれっ、奉奉(フェンフェン)?どうしたカ?」

 「あの、私も捜査を手伝おうと思って」

 「ああっ!?甲斐!?」

 

 長島さんが私に気付いて名前を呼ぶと、芭串君が激しく振り向いた。そのまま首を軸に一回転しちゃいそうな勢いだ。私が目を丸くしてる間に、芭串君はずんずん私の方に近寄ってきた。なんか怒ってる感じだ。

 

 「テメエなに起きてんだよ!庵野が看てるんじゃなかったのか!?寝てろよ!」

 「えっ」

 「このあと学級裁判もあるんだろ!?ぶっ倒れんぞマジで!もっと自分のこと大事にしろよ女だろ!?」

 

 はちゃめちゃに怒られた。勝手に起きたことと、庵野君の目をかいくぐって捜査をしてることも、無茶してることも。言い方は荒っぽいしすごく怖いけど、私のことを心配してくれてるんだっていうのは分かる。芭串君ってそういうところあるから。

 

 「で、でもみんなが捜査を頑張ってるときに私だけ寝てるなんてできないし……」

 「そりゃそうかも知んねえけどよ!でもお前、益玉と三沢のときも、狭山のときも、死体見てたんだろ?辛えだろ、そんなの……さっきまで気絶してたんだし、悪いこと言わねえから休んどけって」

 「……ありがとう。でも、裁判のときに私だけ何にも知らなくて、みんなの足を引っ張りたくないから。もし裁判の途中で倒れても、辛いものを見て心が壊れそうになっても、絶対にみんなのことを邪魔しないから。だからお願い。ここにいさせて」

 「な、なんなんだよお前……」

 「佬佬(ラオラオ)、どうして奉奉(フェンフェン)のことそんなに止めるカ?やりたいって言ってるならやらせてあげたらいいネ」

 「いやでもお前さあ」

 「だって奉奉(フェンフェン)が無理して倒れたって、ワタシたちなーんも困らないヨ。その辺に転がして裁判続ければいいネ。もし奉奉(フェンフェン)が犯人だったらそれでもう勝ち確アル!」

 

 長島さんは私に味方してくれてると思いきや、全然そんなことはなかった。芭串君が荒っぽく私を心配してくれてるなら、長島さんは完全に私に興味がなかったんだ。本人がいる前で、その人が犯人だった場合のことまで嬉々として言っちゃうのが、なんというか、裏表がないと言うか。

 

 「お前なあ、そういうこと本人の前で言うか?っていうか、そんなん放っておけるわけねえだろ!」

 「ははーん、佬佬(ラオラオ)は人のために死ぬタイプの人間ネ?それじゃ長生きできないヨ。世の中、自分より弱いヤツは蹴落として、自分より強いヤツは利用して、自分の隣にいるヤツは盾にするくらいじゃないと生き残れないアル。つまり、人の心配してる場合じゃないってことヨ」

 「シ、シビアな考え方してるんだね……」

 「みんなよりちょっぴり経験豊富なだけアル。さ、奉奉(フェンフェン)は好きなだけ捜査をするアル。自分の体は自分で管理するのが一番ヨ。奉奉(フェンフェン)がいいと思うならいいんだヨ」

 「……知らねえからな。オレは言ったぞ」

 「うん、ありがとう」

 

 捜査することは許された。許されたけど、なんかこう、釈然としない。私の意見が尊重されたというよりは、放ったらかしにされた気分だ。私はみんなのためと思って無茶してるのに。だけど長島さんの言うことがその通りなのかな。自分の体のことは自分でなんとかする。私が今する無茶のツケは未来の私が払う。その覚悟ができるかどうかってことだ。そんなものはとっくにできてる。

 私は、まず菊島君の机を調べた。乱雑な筆跡が残る原稿用紙やボロボロの万年筆、中身が空の茶褐色瓶など、だいたい菊島君が持っていそうなものばかりだ。饐えた匂いがするゴミ箱は見て見ぬフリをした。ここは芭串君に調べてもらおう。

 引き出しを開けてみると、分厚いノートがたくさん出て来た。どれもページに大量の付箋が貼り付けられていて分厚くなっている。全部で19冊もある。そして何より目を引くのが、表紙に書かれた私たちの名前だ。

 

 「なんだろう、これ」

 「付箋?めちゃくちゃ分厚いヨ」

 

 表紙をめくって開かなくても、分厚すぎて勝手に開く。付箋いっぱいに文字が書き込まれていて、原稿用紙に比べると菊島君がこれにかけた熱量がいかに強いかが、文字から伝わってくる。細かすぎてぱっと見じゃ何が書かれてるか分からなくて、よく目を凝らしてみる。

 こんなことが書いてあった。

 

 

 ──────

 

 “超高校級の介護士”。年齢はおそらく16歳。背は高くも低くもなく、肉付きや髪型、胸などに特徴はない。顔も凡庸。ただし精神面で注目すべき執着性あり。本人に自覚があるかは不明だが、真人間を演じていることは確か。

 常に湖藤と行動を共にしている。介護士として車椅子に乗っている人間は、要介護者として見過ごしておけないようだ。それが博愛の精神ではなく、自己肯定の渇望から行っていることに、おそらく本人は気付いている。いくらかの打算も含まれているだろう。常に二人一組で行動すれば襲撃された際に目撃者や証拠が残りやすい。あるいは湖藤の信頼を獲得し、裁判で有利に立ち回るつもりか。いずれにせよ、甲斐か湖藤が事件に深く関わる場合には注意が必要。

 

 ──────

 

 

 「……な、なにこれ」

 

 激しい悪寒がした。菊島君が一生懸命これを書いているところを想像すると、手術台の上で解剖されて筋肉の一繊維までじっくり観察されているような気分になってくる。彼はいつもこんな風に私を見ていたのか。本当に菊島君が書いたものなのかとも思う。だけど、とんでもなく失礼な書きぶりが、間違いなく菊島君が書いたものであることを物語っていた。

 

 「わーお。こりゃすげえ。オレら全員分書いてあるぜ」

 「ムカーッ!何アルかこの失礼な書き方!許さん!ぶっ飛ばしてやるアル!!」

 「死んだよこいつは」

 「そうだったネ。死体蹴りはさすがに気が引けるアル。しょうがないから後でヤケ食いでもするヨ」

 

 私はとっさに本を閉じた。こんなの、他人に読ませられない。恥ずかしいとか恥ずかしくないとかじゃない。これは、絶対に人に見られちゃいけないものだ。心臓がそう警告していた。

 

 「それにしても気持ち悪いアル。毎日こんなことしてたアルか」

 「小説家ってのぁ何考えてっか分かんねえ生き物だなあ。こうやって他人のことじろじろ観察してんのか?」

 「みんながみんなそういうわけじゃないと思うよ……」

 「これじゃあ太太(タイタイ)を殺しそうな人が誰かなんて調べようがないヨ。もっと少なかったら手掛かりになったかも知れないのに、ただキモいだけアル」

 「言いすぎじゃないかな?」

 

 ちょっと落ち着いてきて冷静に考えると、確かに菊島君が私たちのことを観察してこうしてメモに残していたことを考えると、いい気分はしない。何が起きるか分からないコロシアイ生活を生き抜くための、菊島君なりの生存戦略だったのかも知れない。そもそもこんなものは、本来私たちの目に触れるようなものじゃないはずだ。だからこれがあることで菊島君を気持ち悪がるのはお門違いのような気がする。

 

 「結局、部屋には手掛かりなしか。あいつ、マジで部屋にいるとき寝てるかこれ書いてるかしかしてねえのかよ」

 「あとシャブきめてマスもかいてたアル」

 「口悪いな!女の前でそういうこと言うんじゃねえよ!ってかお前も女だろ!」

 「はしたなかったカ?日本語難しヨ」

 「ウソ吐け!」

 

 長島さんがニヤリと笑って、軽く握った拳を振る。最悪だ。菊島君は自分のことっていうのもあって多少なり恥じらいがあったけど、長島さんは面白がってるようにしか見えない。芭串君じゃないけど、あんまりそういうこと言わない方がいい。後でやんわり注意しておこう。

 そして菊島君の部屋の捜査は、そんな最悪なジョークで幕を閉じた。物々しいノートは見つかったけど、これは菊島君の日常であって事件とは関係ないと判断された。なんか、物凄く時間を無駄にしたような気がした。

 


 

 機械室で入室管理記録を受け取った私と湖藤さんは、次の捜査場所として、室内プールに向かった。地下が水で満たされていたときに、排水するためにモノクマが向かった場所だ。何らかの証拠品が水に流されてしまっていたら、プールの排水口で漉されて残ってるかも知れないと考えた。もちろん私じゃなくて、湖藤さんが。

 

 「あっ、更衣室」

 

 プールの前まで来て、私は最大の壁にぶち当たった。更衣室は当然男女で別れていて、私は女で湖藤さんは男だ。同じ部屋には入れない。つまりそこは湖藤さんの車椅子を押せない。

 

 「どうしよう」

 「大丈夫だよ。自分でも転がせられるから」

 「えっ……じゃ、じゃあ私とか奉ちゃんって要らなくない?」

 「そんなことないよ!二人がいてくれるから僕は観察に集中できるんじゃない。機械室からここに来るまでの間にも、次の捜査場所を吟味してたんだから」

 「そ、そうなの!?」

 

 それが嘘でも本当でも、同じことだ。湖藤さんが私に気を遣ってることは、サイコメトラーじゃなくたって分かる。湖藤さんレベルだったら、最初に捜査場所の吟味なんて済ませてるんだろう。やっぱり私、あんまり役に立ててないのかも……?

 更衣室の中は、特に変わった様子はない。強いて言えば、中は全く浸水した形跡がないってことだ。でもこれは、モノクマが更衣室を避けてプールにつながるパイプを壁の中に敷いたからで、不審点というよりはモノクマの必死の抵抗だ。せめてここだけは守ろうとしたんだ。それに大した意味はないと思うけど。

 

 「お待たせ、宿楽さん。ドアを開けるのに手間取っちゃって」

 

 私が更衣室を抜けてプールサイドに出て少ししてから、湖藤さんが出て来た。そもそもここは湖藤さんが来る想定で造られてない。ドアは押し戸だし、小さい段差が多いし。

 

 「うわあ、プールって広いね。僕、屋内プールって初めて来たよ。泳げないからね」

 「はあ。でも本とかテレビで見たことくらいはあるんじゃないの?」

 「写真や映像だと、実際の空気感は分からないからね。塩素水の匂いとか、プールサイドの凹凸の感覚とか、自分の声が響いて聞こえる音とかさ」

 「そっか」

 

 当たり前に感じてた、プールっぽい雰囲気の正体は、いま湖藤さんが言ったようなものの組み合わせなんだと私は気付いた。確かに、こればっかりは直接来ないと分からない。

 

 「さて、排水口を調べようか。モノクマ……は忙しいんだったね。ダメクマ!いる?」

 「は、はいはい!お呼びですか!」

 「すっかり小間使いみたいになっちゃって」

 

 湖藤さんがどこへともなく呼びかけると、更衣室からダメクマが現れた。さっき機械室にいたところから飛んできたのだろうか。

 

 「排水口を調べたいんだ。どこにあるか教えてくれる?」

 「排水口?どうして?」

 「証拠品が流されてたら、排水口に集まって来てると思ってさ」

 「はあ〜、そうなんだあ。でも、排水口には何にもないよ」

 「え?なんで?」

 「流れが詰まるからって、モノクマがフィルターごと片付けるように言ってきてさ。あっちに丸めてあるよ」

 「なあんだ。だったらプールまで来なくてもダメクマに運んで貰えばよかった」

 「か、勘弁してよ……」

 「でも、おかげで屋内プールに来られたよ。それじゃあ、調べてみようか」

 

 ダメクマは指さした先には、巨大なもじゃもじゃの塊があった。これがフィルター?ゴミや汚れがパイプの中に入って詰まるのを防ぐために敷かれてた網目状のシートだけど、ダメクマが雑に片付けたせいでこんがらがってしまってる。こりゃあ骨が折れるぞ。と思ったら、ダメクマが爪でそれを細切れにした。

 

 「どうだい。調べやすくなっただらう」

 「すごっ!やった!」

 「ふふん!こんなこと、モノクマはしてくれないよね!」

 「うん。そうだね。後で片付けが大変だろうからさ」

 「……あ゛ッ!!」

 「気付いてなかったんだ……まあ、私たちには関係ないけど」

 

 細切れになったフィルターはパラパラと崩れ落ちて、軽いプラスチックの繊維と引っかかったゴミを仕分けやすくなった。プールサイドの隙間に入り込んだこれを片付けるのは大変だろうなあ、と思うけど、ダメクマが勝手にやったことだから私たちには関係ない。私たちはありがたく、やりやすい環境で捜査させてもらうことにした。

 とはいえ、プールなんてほとんどの人が使ってないから、ゴミらしいものはほとんど引っかかってない。地下室から流れてきた埃や泥が絡まってるくらいだ。だけど、その中で明らかにおかしなものを見つけた。

 

 「湖藤さん、これなんだろ?」

 「うん?なにかの……破片みたいだね。プラスチック?」

 「プラスチックだね。こっちにも。あ、これもそうだ。めちゃくちゃある」

 

 大きいものから小さいものまで、四角くなってるものも鋭く尖ってるものも、様々なプラスチックの破片が落ちていた。曲がってるものや大きな板みたいなものがあるから、たぶん元は箱の形だったんじゃないかな。だとしても、これが何かは分からない。

 

 「なんだろうね。破片っていうことは、組み合わせたら元に戻るんじゃないかな」

 「どっさり取れた!でも、これ復元してる時間はないよ」

 「そっかあ……う〜ん……こういうのを任せられるのと言ったら……」

 

 湖藤さんが考える仕草をして、落ち込むダメクマを見た。隙間に入り込んだフィルターの繊維を爪でほじくり出そうと四苦八苦してる。あの状態のダメクマにさらにタスクを課すんだ。なかなか湖藤さんもSだね。嫌いじゃないけど。むしろ湖藤さんみたいに人畜無害っぽい人がSの方がギャップがあって……やべ、奉ちゃんに怒られる。

 

 

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【プラスチック片)

 地下室の排水口近くに散らばっていたプラスチックの破片。

 粉々になってしまっているが、元は何らかの道具だったようだ。

 


 

 湖藤さんにプラスチック片の復元を頼まれたダメクマは、悲鳴をあげて逃げようとした。私がそれを捕まえて、事件解決のために必要だからとなんとか説得して、時間がかかってもいいから復元させることを約束させた。なんか、私が汚れ仕事してるみたいになってない?大丈夫?

 

 「大丈夫大丈夫。それより、時間が来る前にあっちを捜査しちゃおう」

 

 プールから地下室に戻り、湖藤さんは少し私を急かした。珍しいこともあるものだと思ったら、捜査時間が残りどれくらいあるか分からないから、できるうちに調べてしまいたいのだと。

 

 「そんなに調べたいってことは、何かあるって確信してるの?」

 「確信……うん、まあそんなところかな。宿楽さんは、地下室を埋めてたあの大量の水はどこから来たと思う?」

 「え?う〜ん……そう言えばどこだろ。水道を出しっ放しにしたって流れていくだけだろうし」

 「その答えを調べに行くんだよ」

 

 湖藤さんが指示する通りに車椅子を押す。地下室の奥の奥、誰も立ち入ろうとしない、ごちゃごちゃした機械や装置が密集して、機械の熱と蒸気がこもって臭くなった空気と混じって最悪になった場所だ。でも、今は洪水の影響か、ほとんどの機械は静かに眠っている。

 その中に、はちゃめちゃに目立つ巨大なパイプがあった。それが目立つのは、単にデカいとか派手な色に塗られてるとかそんなことじゃない。床下から天井につながっているにもかかわらず、途中で大きな穴を開けて、そこからちょろちょろと水を垂らしているからだ。まるで破裂したかのように、穴の周りは鋼鉄のパイプがひしゃげている。

 

 「やっぱり、あったね」

 「やっぱりって?」

 「ぼく、地下に来たことないもん。でもまあ、この手のものはあるだろうと思ってたよ」

 「……全然分かんないんだけど、とにかく湖藤さんがすごいってことは分かったわ」

 「あはは、ありがとう」

 

 私は何回か地下には来てたけど、こんなところにこんな巨大なパイプがあることなんて知らなかった。こんな風に壊れてるのも、全然気付かなかった。地下室にも来たことのない湖藤さんが、なんでこんなものの存在を予測できたのか、改めてその想像力と考察力に舌を巻く。

 そんな私たちの元に、機械の隙間からちょろと現れた背の低い影があった。王村さんだ。

 

 「おっ!その声は湖藤と宿楽だな!よく来たよく来た。おめェらもサボりに来たのか?」

 「王村さん……うっ、くさっ!こんなときにまでお酒飲んでるんですか!」

 「ったくやってらんねえよなあ。谷倉が死んじまってツマミを作ってくれるヤツがいなくなっちまった。捜査だなんだっつうけど、おいらァもううんざりだ。こんなことの繰り返しはよ」

 「それで、お酒に逃げてサボってたと」

 「おいらァおめェらみてェに前向きに捜査やれるヤツが羨ましいぜ!今まではなんとなったけど、次もどうにかなるなんて保証はねェんだぜ!?一歩何かを間違えたら死んじまう……そんな極限状態で、酒にでも逃げねェとやってられェよ……」

 「逃げることは悪いことじゃないですよ。立ち向かえない、立ち向かうべきでないと思ったのなら、逃げるのも手です。でも、王村さんがしてるそれは逃げですらなく、ただ目隠しして引き金を引かれる瞬間を待つ死刑囚と同じなんじゃないですか?」

 「ぶはっ!!?」

 「わっ!きたなっ!」

 

 湖藤さんの火の玉より熱く槍より鋭い正論のストレートが王村さんの鳩尾を抉った。盛大にお酒を噴き出した王村さんは、真っ赤な顔を涙でぐずぐずに濡らして、床に跪いた。

 

 「ちくしょう……!!言い返せねェ……!!」

 「ちょっとこの一般成人男性、悲しすぎません?」

 「まあ、ぼくたちもお酒を覚えたらちょっとは気持ちが分かるかも知れないね。でも王村さん、今回はサボってたつもりかも知れませんけど、ここはとても大切な場所ですよ。むしろお手柄になるかも知れません」

 「へ?な、なんだそりゃ……?」

 

 抉れたパイプの穴、ちょろちょろと流れる水、機械の隙間を見ながら、湖藤さんがずっと変わらない穏やかな微笑みで告げる。さっきの辛辣な正論も、温かい励ましの言葉も、湖藤さんは全部同じ顔で言う。きっとどれも本心で、多少なりとも打算が含まれてるんだろう。

 

 「ここは事件の真相を探るのに、避けては通れない場所です。何か手掛かりを見つけていたら、サボっていたどころか大活躍できるかもってことです」

 「ホ、ホントか!?な、何かって……!?」

 「なんでもいいですよ。証拠品を見つけたとか、現場から気付いたことを共有するとか」

 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待てよ……!?そ、それなら1つ……あるぞ!思ったこと!」

 「聞かせてください」

 

 ついさっきまでお酒に溺れて学級裁判への恐怖を紛らわしていた、はっきり言ってみっともない姿だった王村さんが、なぜか湖藤さんに食らいつくように捜査協力している。王村さんが単純な性格だとか、お酒に酔ってるだとか、そういうのを飛び越えたところで、湖藤さんの誘導があったような気がする。そういうこともできるんだ。

 

 「このパイプ!ダメクマが言ってたんだけどよ!こいつァ地下の浄化槽からおいらたちが普段使ってる水道に水を運ぶためのものらしいんだ!だから今日はしばらくこの後断水だってよ!」

 「停電の次は断水か……犯人はインフラを壊して私たちを追い詰めるつもりですかね?」

 「さ、さァ……それは分からねェけど、とにかくこのパイプはめちゃくちゃ重要なもんで、モノクマも簡単には壊せないようにしてるらしい!けど、それがぶっ壊れてる!この通りな!つまり犯人は、モノクマがガチンコで作ったものをぶっ壊したってことだ!そんなこと、おいらたちにできると思うか!?」

 「まあ、不可能とは言わないまでも、簡単なことじゃないでしょうね。モノクマの技術力はぼくたちの知る範囲を大きく超えています」

 「そうだ!ってことはだぞ?こいつを壊せるのはモノクマしかいねェってこった!でもモノクマ自身が壊す理由なんてねェ!つまり、これを壊したヤツはあれを使ったんだ!」

 「あれ?」

 

 王村さんが指を立てて私と湖藤さんを見る。どうやら手応えを感じて興奮しているようだ。

 

 「動機だよ!なんでも好きな凶器を一個くれるってヤツがあっただろ!これを壊した犯人は、あの質問に答えて何かとんでもねェ凶器を手に入れた!そんでもって、洪水を引き起こしたんだ!」

 「……なるほど。確かに、それはそう考えられますね」

 「だろ?だろ?な!これで事件解決できそうか!?なんとかなりそうか!?」

 

 意外なことに、王村さんが苦し紛れに出した考えを、湖藤さんは真面目に考えていた。それくらい、湖藤さんは既に考えていそうなものだと思ったけど、そうでもなかったみたい。もちろん、私はちっとも考えてなかった。

 そして、しばらく考えていた湖藤さんは、口を開いた。殊の外、神妙な顔つきだった。

 

 「王村さんの言うとおり、何らかの手段でこのパイプを壊そうと思ったとき、モノクマの力を借りることは考えられます」

 「っしゃ!キタ!」

 「ですが、そうなると新しく1つ……いや、新しくではないんですけど、考えなくてはいけないことが増えます」

 「え?」

 「犯人は質問に正解できた。つまりそれは……モノクマの言う『裏切り者』が、疑心暗鬼を誘発する架空の存在ではなく、実在することを意味します」

 

 

獲得コトダマ一覧

【ポンプ室の水道管)

 浄化槽から上水道に水を引く巨大な水道管。

 捜査開始時点で粉々に破壊されており、中から溢れた水が地下室を満たしていた。

 

【モノクマの動機)

 モノクマから与えられた3つめの動機。

 『裏切り者は誰だ』という問いに正解した先着一名に、なんでも好きな凶器を与えるというもの。

 


 

 『うへぇ〜〜〜!!ギリギリ!!ギリギリで間に合ったよ!!何がって、学級裁判の準備だよ!!今回は事件の影響が広範囲に亘ってるから、オマエラの捜査も時間がいつもよりかかったよね!だから長めに時間をとってあげてたんだけど、それでもギリギリだったよ!まったく、こんなことなら事件が起きる前にストップかければよかった!ま、でもボクはそんなときに使える便利なコマとしてダメクマを用意してたから、現場の監督はそいつに任せて、ボクはゆっくり裁判の準備を整えることができたんだけどね!人生何が起こるか分からないから、常にバックアップやバッファは用意しておくんだよ!ただし!人生自体のバックアップは取れません!ここでオマエラはゲームオーバーしてしまうのか!それとも続行か!セーブ不可!ロード不可!そんなヒリついたデスゲームももう3回目!本館にも裁判場はあるんだよ!オマエラ!本館ホールの赤い扉の前に集合!以上モノクマからお知らせでした!』

 

 地下室中にそんな声が響き渡る。なんだかいつもより長かったような気がするけど、直前まで準備してハイになってたのかな。

 

 「……奉ちゃん、大丈夫かな」

 

 ぽつ、と呟いた言葉は、きっと湖藤さんにしか聞こえてなかった。だけど湖藤さんは、私の言葉に返事することはなかった。それは私たちの目で確かめるしかないことだし、もうすぐ分かることだ。

 私は、学級裁判への不安より、奉ちゃんの安否の方が気懸かりだった。命を懸けた闘いの前にしては、我ながら呑気なことだと思った。




一回書いたものが過失により吹っ飛んでしまったので、同じ話を2回書く羽目になってしまいました。そんでもってなぜか文字数が増えてしまいました。なんでだろう。
みなさん、大事なデータはちゃんとバックアップはとっておきましょうね。前日の夜に急いで完成させることになっちゃうので。


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学級裁判編1

 

 本館1階中央ホール。その奥にある巨大な赤い扉をくぐると、鋼鉄製の無機質なエレベーターが口を開けて待っている。薄暗くて四角い箱のような部屋の中は、分館のそれよりも明らかに多かった。部屋として広がっているんだろうけれど、それだけじゃなく私たちが減ったせいもあるだろう。

 20人いた私たちは、いまや13人になってしまった。こうして一箇所に集まると、初めて体育館に集合したときを思い返して、ずいぶん人が減ったと感じてしまう。そしてまたここから、少なくとも1人、地上に戻ってこられる人数は減ってしまう。受け入れ難かったその事実も、もはや前提として考えてしまっている。そんな自分に気付いて、私はますます自己嫌悪に陥る。少しずつ変わっていく自分を自覚していることが、何よりも苦しい。

 

 「あっ、奉ちゃん……大丈夫?顔色悪いよ」

 

 部屋に入った私に、風海ちゃんが一番に声をかけてくれた。捜査時間中はずっと別々の場所にいて、なんだか久し振りに再会した気分だ。私が地上で手に入れた手掛かりは、この事件の全容を暴くのには明らかに少ない。きっと多くの手掛かりは地下にあったはずだ。それを手に入れられたのは、彼女たちだ。

 風海ちゃんが押している車椅子には、湖藤君が座っている。にこにこした顔で私を見ている。

 

 「頑張ってくれたんだね、甲斐さん」

 「私は……何もしてないよ。みんなの足を引っ張っただけ」

 「そんなことないよ。君がいてくれたおかげで、みんな冷静に捜査を進めることができた。さっきの今で、ひとりでここまで来られるだけでも大したものだ」

 「いや、無茶してるんだよ奉ちゃんは!肯定しちゃダメでしょ!」

 「……ありがと。湖藤君も、風海ちゃんも。心配してくれてるんだよね」

 

 私は風海ちゃんから湖藤君を返してもらって、車椅子のハンドルを握った。すっかり手に馴染んだ固いゴムの感触に、なんとなく安心させられる。

 全員が集まったのを見計らって、エレベーターの鉄格子がガラガラと音を立てて開く。誰も何も言わず、何をするべきかは理解していた。ひとり、またひとりとエレベーターに乗り込んで、ブザー音とともにエレベーターは動き出す。分館にあったのと同じ、普通のエレベーターとは明らかに異なる軌道で。

 

 「甲斐さん。手前が見ていない間にベッドから抜け出したそうですね」

 「あっ……ご、ごめん。庵野君。どうしてもじっとしてられなくて……」

 

 エレベーターが降りる間、庵野君に声をかけられた。勝手に抜け出してしまったら、私を看病する係だった庵野君の責任になっちゃうことは、理解していたつもりだった。けど、こうして声をかけられるまですっかり意識の外だった。てっきり怒られるかと思ったけど、庵野君は優しかった。

 

 「それが甲斐さんの性分ということです。人のために動かずにはいられない、まさしく『愛』であるのでしょう。それを責めたりなどしません。もし無茶をして体を壊したときは、また無理矢理にでも手前が休ませて差し上げます」

 「ホント、ごめんね。私、倒れたりしないように頑張るから」

 「適度に肩の力を抜くことも大切ですよ」

 

 庵野君だって、私のことを気遣ってくれていたんだ。みんな、誰かのために行動してるんだ。自分のため、大切な人のため、亡くなった二人のため、それより前に犠牲になったみんなのため……もしかしたら犯人もそうだったりするのだろうか。誰か大切な人のためにした行動が、巡り巡って他の誰かを傷付けてしまうことなんてよくあることだ。もし犯人が、二人を殺害するんじゃなくて、他の誰かを助けようとしてこうなってしまったんだとしたら……?

 エレベーターが地の底に着き、私のまとまらない考えは散り散りになって消えてしまった。開かれた鉄格子の先に広がる部屋は、分館にあるエレベーターから降りた場所と変わらないように見えた。もしかしたら地下で繋がっているんだろうか。

 

 「ようこそオマエラ!捜査時間中はボクの代わりにこいつがオマエラの相手をしてたけど、ちゃんと相手してあげられてたかな?至らない部分ばっかりだったんじゃないかな」

 

 地下で待っていたのはモノクマと、その隣で縛り付けられて天井から吊り下げられているダメクマだった。

 

 「ううぅ……」

 「まるであなたが至っているような言い方ですね。どうでもいいですからさっさと議論を始めましょう。時間が経つほど証拠と記憶が曖昧になってクロに有利になります」

 「相変わらず積極的だね尾田クンは!いいでしょう!オマエラ!さっさと自分の席に着いてください!」

 「マジでなんなんだあいつは……」

 

 前回の裁判から新しく増えた3つの遺影。岩鈴さん、谷倉さん、菊島君。そのどれもが、穏やかな笑顔をこちらに向けてモノトーンの写真に沈んでいる。

 毎日みんなのご飯を用意してくれた谷倉さん。私が苦しんでるときには心配して相談にも乗ってくれたりした。きっと私だけじゃない。みんなが谷倉さんには、何かしらの形で助けられていたはずだ。どうして彼女が死ななくてはいけなかったのか。犯人はどうして谷倉さんに殺意を抱いたのか。それを明らかにしないと、私は彼女の死を乗り越えることができない。

 菊島君。捜査時間中に見つけたメモで、みんなのことを密かに観察していたことが分かった。それ以前から、とにかく他人の様子や秘密を話すことに躊躇がない。自分の秘密は公然の秘密になるまで必死に隠そうとしてたのに。学級裁判には積極的だったけど、それも結局は自分が面白いからという、究極的に自分本位な人間だった。だからといって、死んでよかったなんて思わない。彼の人間性と命の重さは無関係だ。

 

 「そう言えばダメクマ、例の件、ちゃんとやってくれた?」

 「あっ……そ、それならもう、ちゃんとしましたです……ハイ……」

 「めっちゃ萎縮しちゃってる。何されちゃったんだろ」

 「うぷぷ♫聞きたい?お尻の穴とかヒュンヒュンしちゃうかもよ?」

 「だいたい分かったからいいよ……」

 

 全員がそれぞれの席に着く。ある人は不安げに自分の足下を見つめる。ある人は集めた手掛かりを数えるように自分の手を見てぶつぶつ呟いている。ある人は周りの人の顔色を窺う。ある人は目を閉じて開始の時を静かに待つ。3回目にもなると、皆すっかり理解していた。この後、誰かが死ぬ。それが自分か、自分以外の誰かか。その結末は、自分の発言ひとつで、目配せひとつで、呼吸ひとつで簡単にひっくり返り得るのだと。

 慣れたりなんてしない。極限の騙し合い、極限の証明し合い、極限に論戦、その末にある絶望的な未来。

 

 私は──

 

 ──深く息を吸った。

 


 

 獲得コトダマ一覧

【モノクマファイル③-1)

 被害者:谷倉美加登

 死因 :溺死

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: 9時20分から30分の間

 その他:手の平に火傷あり。

 

【モノクマファイル③-2)

 被害者:菊島太石

 死因 : -

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻: -

 その他:後頭部に殴打痕あり。肺の中に水あり。

 

【菊島の検死結果)

  後頭部に殴打痕があり、付近の髪に木くずが付着している。

 ポケットからは空の薬瓶と損傷の激しいハンカチが出て来た。

 

【月浦ちぐの証言)

 菊島は機械室の奥にある椅子に縛り付けられており、谷倉がひとりで救出しに入った。

 その後、洪水に伴う停電により入口の電子ロックがかかり、機械室は封鎖された。

 月浦と陽面はすぐに階段に避難し、甲斐たちが到着するまでそこにいた。

 

【本館の停電)

 希望ヶ峰学園本館で発生した大規模な停電。

 おそらく、地下の機械室が水没したことによるもの。

 

【緊急用電源)

 1階の非常用具庫内に設置されていた発電設備。

 全館が停電していてもブレーカーをあげれば電力を賄う程度の発電ができる。

 

 【自動ドアのログ)

 事件前日以降のログは以下の通り。

 23 : 47 菊島太石

  9 : 11 陽面はぐ

  9 : 13 谷倉美加登

  9 : 19 月浦ちぐ

 

【機械室の自動ドア)

 機械室に入るには、モノカラーによるロック解除が必要。出るときには開扉ボタンを押す。

 モノカラーによるロック解除は時間と人物のログが残る。

 ドアは電気で動いており、放っておくと数秒で閉まる仕組み。

 

【プラスチック片)

 地下室の排水口近くに散らばっていたプラスチックの破片。

 粉々になってしまっているが、元は何らかの道具だったようだ。

 

【ポンプ室の水道管)

 浄化槽から上水道に水を引く巨大な水道管。

 捜査開始時点で粉々に破壊されており、中から溢れた水が地下室を満たしていた。

 

【モノクマの動機)

 モノクマから与えられた3つめの動機。

 『裏切り者は誰だ』という問いに正解した先着一名に、なんでも好きな凶器を与えるというもの。

 


 

学級裁判 開廷

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票により決定されます。正しいクロを指摘できればクロだけがおしおきされます。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は、クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが晴れて卒業となります!」

 

 モノクマが3度目の定型文を口にする。私たちはそれを黙って聞いていた。頭で理解していたはずのことなのに、モノクマが改めてそれを説明することで、再び心臓に楔を打ち込まれたような感覚に陥る。

 真っ先に口を開いたのは、尾田君だった。

 

 「まったくもって理解に苦しみますね」

 「おや、どうしたの尾田くん。いきなり話し出すなんて珍しいね。なにが理解できないの?」

 

 いかにもこれから嫌なことを言いそうな尾田君に、湖藤君がすかさず言葉を返した。なんとなく挑発的なのは気のせいかな。

 

 「二度も学級裁判を繰り返して、二度も処刑を目の当たりにして、まだこんなことをするクロの精神がですよ。ここには今、クロが1人と12人のシロがいることになります。何名かの役立たずがいるとは言え、分が悪すぎませんか?やるならもっと後か……或いは学級裁判で発言力を持つ幾人かでしょうに」

 「お、劉劉(リュウリュウ)!それ自分のことカ?今まさに劉劉(リュウリュウ)の言葉をみんな聞いてるアル!発言力バリ高ネ!」

 「まあそういうことです。やれるものならやってみろ、ですが」

 「よ、よくそのようなことを口にできますね……恐ろしい」

 「とにかく、そんなアホがこの中に少なくとも1名いるということですよ」

 「挑発でもしてクロの動揺を誘うつもり?そんな簡単な作戦に引っかかるようなクロかなあ?」

 「なんですかあなた。その意図が分かってるなら敢えて口を挟む理由はなんですか」

 「今の流れだと尾田くんが主導権握っちゃいそうだったからさ。それはよくない。きみは()()があるんだから」

 

 なんか、今回の湖藤君はやけにトゲトゲしい。尾田君に対してしかそんな感じはしないけど、なんか、裁判場が彼のペースになってしまうことを無理にでも止めようとしているような。私としては、尾田君が主導権を握ると空気が悪くなるから、どちらかと言うと湖藤君の方を応援したいけど……。

 

 「尾田君、自分を客観しようよ」

 「……あなたと不毛な言い争いをするつもりはありません。それなら僕は黙ります。必要なときは口を挟みますので、そのつもりで」

 「うん、お願い」

 「な、なんだよお前ら……?なんかあったのか?いきなりバチバチじゃねえか……」

 「まあ、方向性の違いかな?」

 「えっと……そうしたら、まずモノクマファイルの確認から始めていいかしら」

 

 張り詰めた裁判場の空気を、理刈さんがその堅苦しさのまま引っ張って行く。湖藤君の笑顔は柔らかかったけど、なんだか少し怖かった。私が寝てる間に何かあったのかな。とても聞ける雰囲気じゃないけど。

 私たちはそれぞれのモノカラーを操作して、配られた2つのモノクマファイルを開いた。谷倉さんのものと、菊島君のもの。死亡推定時刻から死因まで詳細に記載されている谷倉さんのものと、そのどちらも記載がない全く役に立たない菊島君のもの。いや、前に湖藤君が言っていた。記載がないということさえも手掛かりなんだ。

 

 「被害者は谷倉さんと菊島さん。いずれも、地下室を満たしていた水に浮かんでいるところを発見されたわ。谷倉さんの方は死因が溺死と明記されているけれど、菊島さんの方は何も書かれていない。この点については後に議論することとして、まずは事件発生直前または直後のことについて、月浦さんと陽面さんの話を聞きたいと思うわ。異論ないわね?」

 

 3度目ということもあり、理刈さんはようやくこの状況に慣れてきたんだろう。さすがと言うべき流暢な進行だ。いつもならここで口を挟んでくる尾田君が黙っているというのも手伝って、すっかりこの裁判場の中心に立っている。形式的な確認に異を唱える人はおらず、そのまま月浦君にバトンが渡される。私は一度聞いたから、それと矛盾がないか確認だ。

 

 「はぐと僕は、お前たちが勝手に班を組んで食堂からいなくなっていったから、仕方なく最後までいた谷倉と組んだんだ。あいつもあいつで、食器の片付けなんて後にすればいいのに残ってるから、こうしてはぐが疑われることになるんだ。いい迷惑だ」

 「ひどい言い草」

 「はぐが声をかけて谷倉と班になった後、僕たちは地下に向かった。地上はだいたい探されてるだろうから、地下しか探すところがなかったからだ。僕はそんな暗くてじめじめしたところに──」

 「あなたの感情は結構です。事実だけを述べてください」

 「……地下のプールや薬品庫、物品倉庫を調べても菊島はいなかった。最後に、一番奥にある機械室が残ったからそこを調べようと思った。

  ──結論、菊島はそこにいた」

 「やっぱりそこにいたんだ」

 「あいつは椅子に座って、後ろ手に縛られている状態だった。ずっと動かなかったから、その時点では生きてるか死んでるか分からなかった」

 「……」

 

 いかにも尾田君が何か言いたそうにしたけど、すかさず湖藤君が目だけでたしなめた。すぐ近くでそのやり取りを見ている私以外に気付いた人はいるんだろうか。尾田君が何に引っかかったのか、それは明かされないまま月浦君の話は続く。というか私は二回目なのになんで気付かないんだ。

 

 「様子を見ようと思ったけど、中に犯人が隠れてるかも知れないし、何かの仕掛けがしてあるかも知れない。とにかく、そんなあからさまに怪しい部屋にはぐを入れるわけにいかなかったから、はぐと僕は部屋の外で、谷倉だけが部屋の中に入っていくことになったんだ」

 「そ、その状況で谷倉さんだけを部屋に入れたの!?どういう判断よ!?」

 「言っただろ。はぐを部屋に入れるわけにはいかないからだ」

 「それなら、月浦君が谷倉さんについていくということもできたのでは……?」

 「は?はぐをひとりで部屋の外に待たせるっていうのか?どうしたお前?常識をどこに捨ててきた?」

 「やっべー目ぇしてるアル」

 

 さも当然のことのように月浦君が陽面さん優先で話す。目に光がないのが怖い。

 

 「ともかく、はぐと僕は部屋の外で、谷倉は部屋の中に入った。そうするとすぐ、洪水が起きたんだ」

 「洪水……地下室を満たしていたあの水か!そんなに突然だったのか!」

 「どこから来たのかも分からなくて、僕ははぐを連れてとっさに倉庫に避難した。棚の上に登って水を逃れた後は、とにかく階段まで逃げようと必死だった。谷倉と菊島のことなんか考えてる余裕はなかった」

 「まあ、仕方ねえよな」

 「しかも停電までしてただろ。一度、機械室を開けようとしてみたんだけど動かなかった。たぶん、停電で入口の自動ドアが作動しなかったんだ。その後は、なんとか階段までたどり着いて、あんたたちが来るまでそこにいた」

 「なるほど……少し気になるところはあったけれど、おおよそ分かったわ」

 

 聞いてて、前の説明と矛盾してるところや違うところはなかった。と思う、たぶん。理刈さんを始め、ほとんどの人は頷いていた。余計な口出しをしないと約束した尾田君は、湖藤君のことをちらちら見つつ、何も発さずに流れのままにしていた。それはそれでなんか不安だ。尾田君の言葉は棘があって空気を悪くするけど、確実に核心には触れる。それがない状態で裁判を進むのは、シートベルトを締めずに車に乗るような不安感だった。

 

 「ちなみに気になるところって?」

 「一番は洪水ね。あの大量の水がどこから来たのか。それも、月浦君の話を聞く限りは唐突に現れたのよね。おそらくどこかから一度に流し込まれたんだと思うわ」

 「水がどこから来たか、か」

 「水なんてありふれてるだろ!どこにでもあるよ!」

 「地下室にはプールがあるし、火災防止のスプリンクラーだってある」

 「でも、そこから大量の水を一度に流し込むなんてできないよね……?」

 「はいはいはい!!知ってんぞ!!おいら!!」

 

 ここが出番とばかりに、王村さんが精一杯証言台に乗り出して手を挙げた。それでも私たちの腰より少し上くらいだから、主にみんな大声に反応してその顔を見た。まだ赤らんだ顔から、お酒の勢いも少し借りているらしいことが窺える。本当にこの人は……。

 

 「いぞーさんん?なんだか信用おけないなあ」

 「コラ!滅多なこと言うもんじゃねえぞ陽面!年上は敬え!」

 「おい。次その酒臭い息ではぐの名前を呼んだら二度と喋れなくしてやるぞ」

 「ひえっ……お、おこんなよぅ」

 「なんて情けない年長者なんだ」

 「それで、あの水の出所を知ってるっていうのは本当なの?手短に教えてちょうだい」

 「おお!そうだそうだ!へへっ、耳の穴かっぽじってよぉく聞けよ?」

 

 理刈さんに促されて、王村さんは鼻の下をこすりながら得意気になって言う。

 

 「実はな、地下室にはドデケえ水道管が通ってやがったんだな!ありゃあうちの蔵にある酒樽10本並べても足りねえくらい太え!大したもんだ!けどな、事件の後でおいらがそこに()()()()()()とき、そいつぁ破裂してたんだ!」

 「破裂してた?」

 「なんつうかなあ、まるで内側から強い力で弾け飛んだような感じだったぜ。管は鋼鉄でできた分厚い造りになってたんだけどよ、もう粉々だ!とんでもねえこった!」

 「ちょ、ちょっと待てよ!ってことはだぞ?あの地下にあった水は、パイプが破裂して漏れ出してきた……事故ってことかよ!?」

 「事故だと……!?まさか……もしそうなら、谷倉と菊島の死は殺人などではなくなることにならないか?施設管理者であるモノクマの責任だ!」

 「ありゃりゃ!?まさかのボクへ飛び火!?そんなこともあるんですねー」

 「いや、水道管の破裂はモノクマのせいじゃないと思うよ」

 

 まさかの可能性が挙がる。今回の事件は、モノクマの管理不備によって起きた事故だと。そうなった場合にモノクマが素直に認めるかどうかは分からないけど、当のモノクマは余裕の笑みを浮かべていた。それに同調するように、湖藤君が色めき立つ裁判場に冷や水を浴びせた。

 

 「僕と宿楽さんも現場は見た。水道管の破裂は、パイプに亀裂が走るような形で壊れることが多い。だけど地下室の水道管は、丸まる一部分が消失していた。割れたというより、砕けたという感じだね。単なる管理不備でああはならないよ」

 「そういうわけ!だいたいボクはオマエラが寝てる間にも、この建物を隅から隅までメンテナンスしてるんだからね!管理不備なんか起こすわけないだろ!舐めるなよ!」

 「知らねえよ!」

 「でも厘厘(リンリン)、そうすると、パイプは壊れたんじゃなくて、壊されたってことカ?」

 「そうだね」

 「……どうやって?酒樽10本分の太さだってよ?」

 

 私は、単純な疑問を口にした。たぶん、ここにいるほとんどの人は同じことを思っている。そんなバカみたいに太くて、分厚い金属板で造られているパイプを、どうやって破壊したのか。それも、亀裂を入れるどころじゃなく、一部分が弾け飛ぶくらいの破壊なんて、並大抵のことじゃない。

 

 「どうやってあのパイプを破壊したか……確かに、それは重大な問題ですね。モノクマが用意した設備ですから、簡単には壊せないでしょう」

 「やっぱ力尽くでしょ!力こそパワー!」

 「パワーと言えば……庵野とカルロスか」

 「おいおい勘弁してくれ!さすがのオレだって分厚い金属板を粉々にするほどの筋肉はないよ?」

 「手前も、まだまだその域には……」

 「いずれは辿り着きそうな言い方」

 「真面目に議論してちょうだい。素手で破壊することなんて不可能だし、可能だとしても非効率だわ。工具なりなんらかの道具を使ったに違いないわ」

 「いいや!工具とかそんなちゃちなもんじゃ到底太刀打ちできねえ!それこそ重機とかとんでもねえもんがねえと無理だ!」

 「うん、そうだと思うよ」

 

 あれこれと可能性が挙がる。それぞれが思い付いたことを思い付いたままに、次々と裁判場に投げ込んでいく。何が間違いで何が正しいのか、その答えを知っているのは実行犯とモノクマだけだ。だけど、限りなく知っているのに近い人たちはもう少し多い。

 湖藤君が無数に飛び交う可能性の中から、ひとつを摘まみ上げた。

 

 「やっぱり直接見た印象は強いね。それとも経験値の差かな?王村さんの言うとおり、あの水道管は並外れた力で破壊されたんだ」

 「な!な!そうだろ!でも、それってなんなんだろうな?」

 「爆弾だよ」

 「ばっ、ば、ばば、()()()()!!?」

 「驚き過ぎだろ!」

 

 湖藤君の口から飛び出した言葉は、一定の説得力を持っていたけれど、にわかには信じがたかった。爆弾、聞き馴染んだ言葉ではあるけれど、実物を目にしたことは、手で触れたことはない。そんなものが私たちにすぐ近くで使われたなんてことがイメージできなかった。

 

 「宿楽さんも見たよね。水道管の壊れ方。あれほどの大破壊を短時間にしようと思ったら、化学的な力を利用するのが一番だ。月浦君の話では、洪水は突然起きたらしいからね。工具で壊せないこともないかも知れないけれど、そんなに時間をかけてられない。それになにより、爆弾なら水道管の破壊に時間差を作れるから、実行犯が洪水に巻き込まれる危険もない」

 「た、確かに、そう言われると合理的な手段かも知れないわね。発想としては飛んでるけれど……いえ、今更ね」

 「理刈さんもずいぶんこの状況に馴染んできましたね」

 「バカ言わないで、馴染みたくないわよ」

 

 謙遜じゃなくて本当に嫌なんだろう。みんな、人が死ぬということに対してかなり耐性がついてきている。私は死体を見ただけで気絶しちゃうし、陽面さんだって普段は気にしてない風だけど本当は怯えていて、理刈さんはまだ外の世界の常識を保とうと必死になっている。だけど、そうやって自分だけはまともだと思っている私たちですら、この後必ず訪れる誰かの死を一旦忘れることができるくらいには感性が麻痺している。

 

 「ば、爆弾なんていきなり言われても信じられないぞ!そんな証拠があるのか!?壊れた水道管をオレたちは見てないわけだし……イゾーの目は信じられない!」

 「なんでだカルロスこの野郎!」

 「いつでも酒を飲んでるからだ!とにかく、爆弾が使われたという根拠を教えてくれ!でないと納得できない!」

 「まあ、そうだよね。実はぼくも、その証拠があるかどうかは確証が持ててないんだけど……ダメクマ」

 「は、はい!」

 

 カルロス君の反応は尤もだった。実際に水道管を見たのは湖藤君と風海ちゃんと王村さんの3人だ。私を含めた他のみんなにとって、爆弾が使われた形跡なんて言われてもにわかには信じがたい。

 そう詰められた湖藤君は、珍しく弱気な態度を見せたかと思ったら、吊り下げられたダメクマに声をかけた。

 

 「頼んでた物、できた?」

 「うぅっ……できた、できましたよ!必死こいて作ったよ!人使いが荒いんだから!ほら!」

 「あっ!なんだそれ!さては湖藤クン!ボクの可愛いダメクマを勝手に使ったな!なんて悪いヤツだろうか!」

 「可愛いと思ってる子の扱いじゃないよ……」

 

 ダメクマは、縛られた体を捩って、隙間から何かを取り出して投げた。それは空中をくるくると回って、ぴったり湖藤君の手元に落ちる。湖藤君はそれを受け取ると、よく観察して、にっこり笑った。

 

 「あっ、湖藤さん……それってもしかして、プールのプラスチック片?」

 「うん、そうだよ。やっぱり思った通りだ」

 「な、なんだいそれは?」

 

 湖藤さんは、みんなによく見えるようそれを掲げた。継ぎ接ぎだらけのプラスチックケースのようなものに、モノクマの顔が彫られている。透明で見づらいけど、御丁寧に表面には『SUPER BOMB』と書いてある。なんて分かりやすい名前なんだろうか。

 

 「モノクマ印のプラスチック爆弾。これが水道管を破壊した爆弾があった証拠だよ」

 「マ、マジ……?」

 

 これ以上ないほど明確な証拠だった。どこに出しても恥ずかしくないほどの爆弾だ。粉々になったプラスチックケースが、その破壊力を物語っていた。逆に、水道管を破壊する威力で吹き飛ばされたケースを、ダメクマはよく復元してくれた。湖藤君がやらせたのかな。意外な一面だ。

 

 「犯人はこれを使って水道管を破壊し、地下室に洪水を引き起こした。そうして、谷倉さんと菊島くんを殺害したんだ」

 「でも有識者として一言言わせてもらうアル!爆弾なんてそう簡単に作れるものじゃないヨ!王王(ワンワン)月月(ユエユエ)の話をまとめると、使われたのはきっと時限爆弾ネ!そんな高度なもの、DIYにはハードルが高いネ!」

 

 今度は長島さんが声を上げた。有識者って、何の有識者なんだろ。

 

 「……あの、さすがに口を挟ませていただきたいんですが。あまりにも次元が低いというか、焦れったいというか……共有されていると思っていた前提すら把握していないポンコツがほとんどのようですので」

 「誰がポンコツだ!」

 「自覚があるなら口を謹んでいてください」

 「まだ湖藤さんが喋っていいって言ってないでしょーが!お口チャック!」

 「じゃあ前提の共有くらいまではお願いしてみようかな」

 「チャックオープン!」

 

 湖藤君が、尾田君に発言を許可した。相変わらず尾田君の言葉には棘があって、湖藤君はにこにこ笑ってるけど、空気が悪くなる予感しかしない。

 

 「では、記憶が一日ごとにリセットされる哀れな皆さんには、いい加減に学級裁判をする上で事前に分かっておくべき必要最低限の前提知識くらいは自力でなんとかしておいてほしいものですが、このままではまともな議論も交わせないようなので仕方なく僕が必要な点を攫いますので、メモなりなんなりしてついて来てください。ここまでしてもついて来られないようなアホはもう知りませんので悪しからず」

 「エンジン全開かよ!!よくそんなつらつら出て来んな!!」

 「それで?共有されていると思っていた前提とはなんだ?」

 「ボクたちの中でたったひとりだけ、どんなに危険なものでも手に入れる方法を持った人物がいるでしょうに。モノクマの動機を忘れたんですか?」

 「……あっ」

 

 とことん呆れた、と言わんばかりにため息を吐いて、尾田君が私たちを睨み付ける。私も、そんなことすっかり忘れていた。確かにモノクマがそんなことを言ってた。私たちの中にいる『裏切り者』の正体を言い当てることができたら、なんでも好きな凶器をひとつ与えるって。ただ疑心暗鬼を誘発するためのものだと思ってたけど……。

 

 「ちなみにモノクマ。その動機、正解者は出たんですか」

 「え?う〜ん、言っちゃっていいのかなあ。でもなあ、言っちゃうと裁判のバランスが崩れちゃうかも知れないからなあ」

 「半分言ってるようなものだよね、それ。正解者が出たんでしょ?」

 「う、うそ!?マジで!?分かる!?」

 「残念。カマをかけただけだよ。でも今のでようやく確信できたよ。正解者が出たってことが」

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!ムカつく!!このテケテケ野郎!!」

 「あ〜〜〜っ!!やめて〜〜〜!!」

 

 見事なほど湖藤君のカマ掛けに引っかかったモノクマは、腹いせにダメクマのお尻を蹴飛ばす。なんだろう、ぬいぐるみとぬいぐるみがじゃれてるだけだから全然いいんだけど、あんまり視界に入れたくない。すごく特殊(アブノーマル)な感じがする。

 

 「ちょ、ちょっと待ちなさい!その、正解者が出たって……『裏切り者』はモノクマが私たちの疑心暗鬼を誘うための妄言っていう話は……!?」

 「それ自体が、どこかの誰かさんが疑心暗鬼に陥らないように吹聴した妄言なんでしょう。ああ、妄言というのは適当ではありませんね。全く的外れな楽観視でした」

 「つまり……いるのですね?『裏切り者』が、この中に」

 

 庵野君の言葉で、私たちはお互いの顔を見た。もともと学級裁判の場では、誰が味方で誰が敵かが分かりづらい。クロを見つけるのだって大変だ。それなのに、『裏切り者』がいるなんて話になったら……一体誰を信じれば、それをどう判断すればいいのか分からない。

 

 「まあ、ちょっとは考えてた可能性だから、今更そんなに焦ることはないよ」

 「焦らいでか!ただでさえ人殺しのクロがいるってのに、この上『裏切り者』なんてどうすりゃいいんだよ!」

 「どうって、クロを突き止めればいいんですよ」

 「は!?いやいやいや!だから、そしたら『裏切り者』が放ったらかしになるだろって!」

 「……湖藤クン。僕はもう本当に嫌になってしまいました。どうしてこいつらはこんなにもアホなんですか?僕は君も嫌いですが、少なくとも君の思考力は一定評価しています。せめてまともに会話ができる程度には足並みを揃えてもらわないと、この先の学級裁判は時間切れで負けてしまいそうです」

 「あはは……どうしようかな」

 「こ、湖藤君?なに笑ってるの……?」

 

 たまらず尋ねた。いないと信じていた、そう信じることで安心していたかった『裏切り者』の存在が、間接的にとはいえ仄めかされてしまった。敵がひとりじゃないと思うと、この学級裁判の難易度が格段に跳ね上がるような気がした。実際にどうなるかなんて考えられないし計算できることでもない。だけど、簡単に人を信じられないことのストレスは、確実に私たちの議論に影響を与えるはずだ。

 それなのに、尾田君と湖藤君は平然としていた。まるで、『裏切り者』の存在を初めから分かっていたかのように。いや、もしかしたら、その正体さえ、2人はとっくに突き止めているのかも知れない。

 

 「あのね、みんな落ち着いて。ぼくたちはやることも考えることも変わらないよ。『裏切り者』はこの事件のクロだから」

 「……はああっ!?」

 「より厳密に言うなら、爆弾を使って水道管を破壊した人物は、モノクマの質問に答えて望む凶器を手に入れた人だ。それによって起きた洪水が今回の事件の引き金になったのであれば、その人はクロと考えてもいいよね。だから──」

 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!待って待って待って!」

 「うん?」

 

 激しくつっかえながら宿楽さんが湖藤君の語りにストップをかけた。

 湖藤君の言うことは理解できる。水道管は爆弾を使わなきゃ破壊できないくらい頑丈で、そんな爆弾はモノクマの質問に答えないと手に入らない。そんなことをする人はクロだろう。でも湖藤君は、その人は同時に『裏切り者』でもあると言う。そうすると──。

 

 「あ、あの……私の考えが間違ってるだけかも知れないんだけど、『裏切り者』がクロでもあるってことはさ……モノクマのあの質問には──『裏切り者』は誰かっていう質問に、『裏切り者』自身が答えたってこと?」

 「そうだよ」

 「……意味が、わか、らん……?なん、だ?その状況は……!」

 「なんで『裏切り者』が自分から答えるんだよ!っていうか、だったらその動機は『裏切り者』にしか答えられねえじゃねえかよ!意味ねえ!」

 「ね、こういうわけだからさ、尾田君。ちゃんと順序を追って説明しなくちゃいけないんだよ」

 「アホに配慮するつもりはありません。あなたが啓蒙してください」

 「啓蒙って……」

 

 湖藤君は困ったように笑って、みんなに向けて話し始めた。モノクマの動機が持つ本当の意味と、『裏切り者』の正体について。

 

 「まずみんなに考えて欲しいのは、モノクマの動機のおかしさだ」

 「お、おかしさ?そりゃ……なんでも好きな凶器をくれるってことか?デタラメな凶器を持たれたらイチコロってこととか」

 「もっとシンプルなことさ。モノクマの質問って、変だと思わない?」

 「質問?」

 「確か、『裏切り者は誰だ?』だったネ。おかしいカ?」

 「違うよ!『裏切り者はだ〜れだ?』だよ!」

 「にょろにょろさせてるだけでは……」

 「この質問が変なんですか?」

 「うん。まずこの質問に関するみんなの勘違いを正していこうかな」

 「どういうこと?」

 

 長島さんが思い出したモノクマの質問を、頭の中で思い浮かべてみる。文字の上でも、言葉としても、別に足りないところなんてないように思えた。『裏切り者』の正体を考えさせることで、私たちの疑心暗鬼を誘うための言葉だ。私たちは、本当にいるのかさえ分からない『裏切り者』の影に怯えてしまって……。

 

 「モノクマは敢えて質問を言葉足らずにすることで、自分が言ってないことまでみんなに聞かせたんだ」

 「全然分かんないよー!ねえ、ちぐ!りんさん何言ってるの!?」

 「さあ……」

 「みんなにはモノクマの質問が、こんな風に聞こえたはずだ。『オマエラの中の裏切り者はだ〜れだ?』って」

 「???」

 「モノクマの質問が、『裏切り者』の存在をぼくたちに仄めかして疑心暗鬼を誘うためだけのものなら、そう質問すればいいんだよ。実際に裏切り者がいるかどうかは関係ない。いなければ、『いない』と答えればいい話だからね。でもモノクマは、敢えて『裏切り者は誰だ』としか尋ねなかった。『裏切り者』がぼくたちの中にいるとは明言しなかったんだよ」

 「……そ、それに何の意味があるの?だって、実際に私たちはそれで疑心暗鬼になっていたし……『裏切り者』の正体を言い当てた人が出たわけでしょ。つまり『裏切り者』は実在して……」

 「そこも勘違いしてる点だ。望む凶器を手に入れられるのは、『裏切り者』の正体を言い当てた人じゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 「それの何が違うんだよ!!はっきり言えよ!!」

 「モノクマが動機を発表した時点では、『裏切り者』なんていなかったんだよ」

 

 これは、いったいなんなんだ。私たちは今、何の話をしてるんだっけ?分からない。分からなくなる。分かる気もしない。

 

 「モノクマが与えた動機の目的は2つ。1つは『裏切り者』の存在を仄めかしてぼくたちの間に疑心暗鬼を蔓延らせること。もう1つは明確な殺意を持つクロ候補者に凶器を与えて事件を誘発、そして複雑化させることだ。だからモノクマは、クロ候補者が自ら凶器をもらいに来るような動機を与えた。それがあの質問だ。

 『裏切り者は誰だ?』──コロシアイの中でこう聞かされたら、普通はこう考える。『自分たちの中に裏切り者がいる』と。だけどモノクマは敢えて、ぼくたちの中にいるとは明言しなかった。明言できなかった。その時点ではまだ誰も『裏切り者』じゃなかったから。

 そもそもこの動機は、生存投票や意味不明なビデオメッセージとは根本的に違う。殺意がなくてもコロシアイをせざるを得ない状況にするものじゃなくて、殺意がなければ誰も質問に答えようとはしない。その意味で、この動機はぼくたちの自主性に委ねられていたと言える。

 つまり、ここで言う『裏切り者』というのは、そんな誰も答えようとしなければただの疑心暗鬼で終わるだけの動機にわざわざ答えを言いに行き、明確な殺意のもとに強力な凶器を得ようとするクロ候補者……そういう意味なんだよ。だからモノクマの質問に対する答えは、誰が答えても常に同じ──『自分自身』だ」

 

 流れるような湖藤君の説明。モノクマが与えた3つめの動機の本当の意味と、私たちの勘違い。私たちはまんまとモノクマの策略に引っかかって、私たちの中に『裏切り者』がいると思い込んでいた。だけど湖藤君、おそらくは尾田君も、冷静にその意味を考えてその真意を理解していた。それだけでなく、モノクマの意図することさえも。

 唖然としていた。開いた口が塞がらなかった。あの動機にそこまでの意味が含まれていたからじゃない。湖藤君と尾田君がそこまで考えていたことに驚いた。それを踏まえると、さっきの2人の発言は確かに意味が通る。クロは『裏切り者』だろうし、『裏切り者』は要するにモノクマの質問の回答者というだけだ。

 

 「全っ然分かんなかった!でも、取りあえず『裏切り者』はクロでもあって、それさえ突き止めればいいってことだよね!」

 「なあんだ!そんな簡単なことだったのかよ!ごちゃごちゃ難しいこと言っておどかすない!」

 「諦めたな、あの2人……斯く言う私も、半分くらいしか理解できなかったが……」

 「でも、宿楽さんや王村さんくらいの理解でも大丈夫だよ。結局、ここから犯人につながる手掛かりはなさそうだから。クロは『裏切り者』として凶器を手に入れた。だから爆弾くらい簡単に手に入る。そう思ってくれれば」

 「それだけ説明するのに時間をかけすぎだ。はぐは難しい話を聞くと眠たくなるんだぞ。大丈夫か、はぐ?」

 「う、うん……なんとか……」

 

 半端に理解できてしまったせいで、私の頭の中は何がなんだか分からなくなってしまっていた。あの2人みたいにすっぱりと分からないことは分からないと諦めてしまえたら良かったのに。

 そして月浦君の言う通りでもある。時間をかけた割に議論はちっとも前に進んでいない。尾田君はこのことを言っていたのか。確かに、今の話で新しい情報はなかった。動機から読み取れるモノクマの真意、そしてクロが使ったと思われる凶器から導ける推論だ。これが前提として共有できているかどうかで、裁判の効率は大きく違う。ちら、と見た尾田君は、退屈そうに自分の指をいじっていた。

 

 「それじゃあ続きを話していこうか」

 「続きと言いますが、どこまで話していたか手前はさっぱり忘れてしまいました」

 「確か、月浦さんの言っていた洪水がどうやって引き起こされたのかっていう話だったはずよ。王村さんが見つけた水道管の破壊痕から、犯人は爆弾を使ったらしいことが分かったわ。その爆弾は、モノクマの動機を利用して手に入れた」

 「全然分かってねえじゃねえか!こんだけ話してか!?」

 「ここまではただの前提です。ようやく足並みが揃いましたね」

 「オレたちはめちゃくちゃに周回遅れだったのか……?」

 「いやいやいや!湖藤さんと尾田さんが突っ走ってるだけだから!自力で辿り付けないよこんなの!」

 「では議論を始めましょうか。まずは被害者についてです」

 「早速置いてかれそう!ピンチ!」

 

 散々話してきたことの全てを、湖藤君と尾田君は既に分かっていたという。いや、犯人がモノクマの意図に気付いて正しい答えを言えたというのなら、もうひとり、2人と同じ段階まで分かっていた人がいるはずだ。それは誰か……見回してみても、そんな素振りを見せる人はいない。

 そうして周りに気を配っていると、尾田君のスタンドプレーな議論に乗り遅れてしまう。私はすぐに気持ちを切り替えて、尾田君の言葉に耳を澄ませた。

 

 「死因が明確な谷倉サンは一旦さておき、菊島クンについて考えます。彼の後頭部には殴打痕がありました。周囲には木くずが付着しており、殴打されたときに付いたものと考えられます」

 「つまり、犯人に後ろから殴って襲われたんだな。そして、機械室に連れて行かれて椅子に縛り付けられた」

 「それは違うよ!へへっ、言えたー」

 「なんだいフウ?」

 「菊島さんは機械室に連れて行かれたんじゃないよ!自分の意思で行ったんだ!それを示す証拠だってある!」

 

 議論が始まってすぐに、奉ちゃんがカルロス君の言葉に待ったをかけた。菊島君が自分から機械室に向かった、それは俄には信じがたいことだった。だけど、奉ちゃんがあんなに自信満々に言うってことは本当に何らかの証拠があるってことだろう。

 

 「みんな、モノカラーに機械室の自動ドアのログは入ってるね?そこにはっきりと残ってるんだよ!菊島さんが昨日の夜に機械室に入ったっていう記録がね!」

 「え、そんなのいつの間に……?」

 「理刈さんがダメクマに頼んでデータを送ってもらったんだ!」

 「なんであなたが威張るのよ」

 「菊島さんの後に機械室に入ったのは谷倉さん。これは今朝、菊島さんをみんなで探したときのものだから、菊島さんが機械室に入ってから他の誰も新しく入ってはいないことの証拠だ!つまり、菊島さんは自分の意思で機械室に入って、そこで犯人に襲われた!」

 「それはどうだろう」

 

 朗々と話す奉ちゃんの推理にストップをかけたのは、湖藤君だった。もう湖藤君と尾田君だけで裁判が進んでしまいそうなくらい、あらゆる議論に2人が出て来る。私たちがいる意味ってあるのかな……たぶん2人は全く違う反応をするだろうから、その間を右往左往することくらいしかやることがない。

 

 「菊島君がそんな真夜中に機械室に行く理由ってなにかな」

 「さあ?待ち合わせでもしてたんじゃないですか?」

 「そんな怪しい時間にそんな怪しい場所行くわけないでしょ……」

 「じゃあなんで?」

 「それを考えるのも含めての推理です。あなたはただ思い付いたことを言って議論を掻き乱しているだけです」

 「ひっどー!私頑張って考えてんですけど!」

 「まあ、宿楽さんみたいに考える人は多いと思うよ。だけど、実際はそうじゃないとぼくは思う。菊島君は別の場所で襲われて、機械室に連れ込まれたんだ。たぶん、薬品庫じゃないかな」

 「なんでそんなことが分かるんでェ」

 「その前に、カルロス君に3つ聞きたいことがある」

 「3つも?まあなんでもいいさ。答えてあげよう!」

 

 カルロス君が分厚い胸をドンと叩いた。

 

 「菊島君の持っていた小ビンは蓋がしてあった?」

 「ああ、もちろんしてあったさ」

 「じゃあ、その小ビンは空だった?」

 「そうだな。しっかり蓋がしてあったから、中に水は入ってなかった。当然その逆、薬が流れ出たということもないだろうな!」

 「それじゃあ最後に、菊島君が持ってたっていう小ビンとハンカチは、彼の上着の袂、左右どっちに入ってた?」

 「ん……た、たも?えっと……そ、それはそんなに重要かい?」

 「もちろん、なんなら一番重要だよ」

 「そ、そうか……え〜っとちょっと待ってくれよ?ううん……」

 「右です」

 

 3つめの質問には尾田君が答えた。検死は尾田君がしたらしいから、たぶんカルロス君と同じタイミングで菊島君の体を調べたんだろう。カルロス君は袂が何かと、湖藤君の質問の意味が分からずに明らかに戸惑った様子を見せた。

 

 「袂というのは和服の袖にある袋状の部分のことよ。ポケット代わりに使うべきではないんだけど……どうして小ビンとハンカチが袂に入ってるって思ったの?」

 「え?だって菊島君の腕の振り方が明らかに重たそうだったから、袂に何か入ってるんだろうなあって。薬品の危険性が分かってる菊島君なら、きっと懐に薬品は入れないだろうと思って。かぶれたら嫌だろうしね」

 「……で、どっちの袂に入ってるかってそこまで重要なこと?」

 「そりゃそうだよ。だって、菊島君がポケット代わりに使ってたのは左の方だもん」

 

 一体どこまで人のことを観察してるのか。いつも一緒にいる私は湖藤君の10分の1も人のことが見えてない。いや、もっとかも知れない。なんで菊島君の腕の振り方の違和感なんか観察してるんだ。湖藤君は、今までどんな人生を送ってきたんだろう。

 

 「ぼくの観察ってだけじゃ信頼ないだろうから説明すると、菊島君は右利きだった。だからハンカチを使うときは当然右手で使う。袂なり懐なり、物をしまうときに右手でしまいやすいのは体の左側だ。だからハンカチと小ビンが右側に入ってるのは不自然だ。つまり、菊島君が自分で入れたんじゃない。他の誰かが入れたんだ。この場合は、菊島君を襲った犯人と考えるのが自然だよね。え?菊島君の利き腕?ご飯を食べてればお箸くらい使うでしょ」

 「つ、つまり……菊島君はハンカチと小瓶を取り出していたところを犯人に襲われた……。その後、機械室に連れ込まれて、椅子に縛られたってこと?」

 「うん、そうなるね」

 「でも……機械室の自動ドアには、菊島君がモノカラーを照合した記録が残ってたんだよ?それはどうなるの?」

 「モノカラーは一度起動すると操作は誰でもできるから、起動済みの菊島君のモノカラーを使えば、誰でも菊島君を騙って入室することができる。少なくとも、夜中に菊島君以外の入室記録が残ってないこと自体がおかしい」

 「た、確かにそりゃそうだ……」

 「っていうことは、犯人を特定する根拠は……なくなっちゃった!?」

 「……いえ、ちょ、ちょっと待ってちょうだい」

 

 届きそうになった手の隙間をすり抜けて、犯人の影は遠く彼方に消えてしまう。初めにかなり時間を浪費してしまった私たちには、そんな予想できて当然の事態も絶望的な展開に思えてしまう。夜中のうちに菊島君を襲った犯人は、彼のモノカラーを利用して機械室に入った。自分の痕跡を残さないように。周到な犯人だ。

 議論が行き詰まりそうになると、いつも助け舟を出してくれるのは湖藤君で、ばっさりと切って捨ててくるのが尾田君だ。だけど、今みんなの注目を集めているのはそのどちらでもない。理刈さんだ。青い顔をして、メガネを直しながら、ぐるぐる回る目で考えている。

 

 「は、犯人は……モノクマから凶器として爆弾を手に入れていたのよね?」

 「そう言ってるじゃねェか」

 「それで、夜中のうちに菊島さんを気絶させて機械室に連れ込んだ……間違いないのね?」

 「うん。得られた手がかりからはそう結論づけられる」

 「おかしいじゃない……!こんなこと言ったらなんだけど……どうして犯人はその場で菊島さんを殺害してないのよ……!爆弾なんていう確実な手段があって、気を失った菊島さんっていう確実な犠牲者がいて、誰にも見られていない秘匿性があって……なんで犯人は夜のうちに事件を起こしてないのよ!」

 「……確かに、それは気になるな。なぜ朝まで待つ必要があったんだ?それに、仮に菊島をその場で殺害していたとしても、爆弾が全く関係ない」

 「気が変わったとかじゃねェの?」

 「そんな簡単に済ませられる問題じゃないでしょ!」

 「お、怒んなよぅ」

 

 言われて気付いた。菊島君の詳しい死亡時刻は分からないけれど、死因が爆殺でないことは明らかだ。犯人は凶器として爆弾を受け取っていたはずなのに、どうしてそれで水道管を破壊して洪水を起こすなんていう回りくどいやり方を選んだんだろう。それに、夜のうちに洪水を起こして溺れさせるわけでもなく、朝まで待った理由って……?

 

 「何か不都合があったのではないですか?爆弾は大きな音が出るでしょうし、振動もある。夜中とはいえ、手前どもに気付かれてしまうのではないかと。扱いを間違えれば犯人自身が巻き込まれてしまうこともあります」

 「だったら最初からそんなの選ばないと思うよ!きっとちゃんと犯人さんにも意味があったんだよ!」

 「意味……爆弾を使う意味かい?そんなのいったい……」

 「……水道管を壊すため、じゃないの?」

 

 疑問系で口にしたけれど、私はそれに確信を持っていた。確かな根拠があるわけじゃない。だけど、事実として犯人は爆弾で水道管を壊していた。直接凶器として使わなかったのは、もともと別の目的で爆弾を手に入れたかったからだ。いや、もっと言えば爆弾である必要すらなかったんだと思う。

 

 「犯人の目的は、水道管を壊して地下に洪水を起こすことだった……そうは考えられないかな?」

 「な、なんのために?」

 「そりゃ殺人のためネ!犯人なんだからそれしかないアル!」

 「つまり、溺死させようとしたってこと?……それは、そう見えるかも知れないけれど……やっぱりおかしいわ!それなら夜のうちにしたっておかしくない!」

 「犯人は、朝の時間帯にタイシを溺死させる必要があった……そういうことになるな。なんでだ?」

 

 徐々に明らかになっていく、犯人の不自然な行動。なぜ夜のうちに事件を起こさなかったのか。なぜ爆弾を持っていながら溺死という方法を選んだのか。なぜ様々なリスクを冒してまでそんな特殊なやり方にこだわったのか。

 私は考える。夜に事件を起こさない理由……爆弾の音と振動は理由にならない。私たちは地下に降りるまで爆発にも地下の洪水にも気付かなかった。夜ではダメ、じゃない?夜が不都合なんじゃなくて……朝の方が都合が良かった?朝にこそ意味があった?朝でなくちゃいけなかった?なんで?溺死を選んだのと関係してるの?爆殺と溺死の違いは?

 

 「はいはい。みなさん、よくそこまでたどり着きました。僕と湖藤クンの話があればこそとは言え、ここは手助けが必要なところかと思います」

 「なんだよ!上からもの言いやがって!まだ分かってることがあるんならオレたちにも分かりやすく言えコノヤロー!」

 「……まあ、今更態度はどうでもいいですから、アホは黙って聞いててください」

 「っだと!!」

 「どうどう。芭串君。深呼吸なさい」

 

 極めて心のこもってない賛辞とともに、尾田君がまた議論に入り込んできた。きっと私たちの疑問への答えも、彼はもう持っているんだろう。

 

 「不自然な犯人の行動は僕も1時間前に気付き、頭を悩ませました。ですが、簡単なことです。切り替えればいいんです」

 「いちいちチクッと刺してくる奴アル!で、切り替えるって何のことカ!」

 「事件の目的ですよ」

 

 尾田君が笑う。

 

 

 「犯人が殺したかったのは菊島クンではなく、谷倉サンだったということです」




投稿の前日ギリギリに書き終わりました。
裁判が難しくなっていくとしゃべるキャラが偏ってしまいます。前2作ではそんなことなかったような気がするんだけどなあ


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学級裁判編2

 

 はいど〜も〜。毎度おなじみ、モノクマがひとりぼっちで前回の裁判をおさらいするコーナーだよ。いつもよりテンション低い?うん、ボクももうすっかり丸くなってさ。もうこのコーナーも何回としてきた気がするよね。え?3回目じゃん、と思うでしょ?オマエラにとっては3回目かも知れないけれど、ボクにとってはもう何回もやってることなんだよ。いやいや、実はこのコロシアイは何回も繰り返してるっていうオチなわけじゃないよ。要は上位(メタ)視点ってことさ。

 

 そんな話はどうでもいいんだよ!振り返っぞオラ!

 舞台を希望ヶ峰学園本館に移したコロシアイ生活で、三度殺人が起きてしまう!被害者は“超高校級のコンシェルジュ”谷倉美加登サンと“超高校級の文豪”菊島太石クン!2人とも地下室を満たした大量の水に浮いた状態で発見されてしまいました!うぷぷぷぷ!あーかわいそかわいそ!ま、菊島クンの方は死因も分かってないんだけどね!ボクがモノクマファイルに書いてないからだけど!あーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!

 さて、肝心の学級裁判だけど……正直言ってボクはがっかりしたよ!あいつら、何を最初の最初でつまづいてるんだよ!ボクが与えた動機の真の意味なんて、とっくに全員気づいてるもんだと思ってたよ!まさか片手で数える程度しか気付いてないとは思ってなかったよ!ま、ボクの手じゃ数えられないんだけどさ!

 月浦クンと王村クンの証言から、地下室の洪水はどでかい水道管を破壊して引き起こされたものだと判明しました。そこまではいいけど、そこで使用された爆弾の出所はどこかという話から、ボクが与えた『裏切り者』と『望む凶器』という動機が持つ隠された意味の話に、それがほとんどでした。ボクから改めて言うことなんて何もないよ!だってボクが言いたいことは『裏切り者はだ〜れだ?』っていう質問に凝縮されてるからね!オマエラちゃんと汲めよ〜?ボクの意図!ボクはこういうときストレートには言わないからな!

 そんな感じで学級裁判は、前半ほとんどを前提知識の共有だけで終わらせてしまいました。進んだことと言えば、菊島クンの遺体から発見された遺留物や機械室の自動ドアに残っていたログから、菊島クンを殺害した犯人は痕跡を残さないように周到に準備していたことが分かりました。

 しかァし!そんな犯人にも唯一説明できない行動がありました!それは、いつでも秘密裏に殺害できるはずの菊島クンをそのまま放置し、敢えて朝に事件を起こしたという点です!そしてその事実から、尾田君は、大変な理論をブチ上げるのでした!

 

 犯人の目的は、谷倉サンの方だったのだと!

 

 ふう、さてさて。いったい何がどうなっていくのか……この学級裁判が終わるとき、みんなはその結末を受け入れることができるのでしょうか。果たしてこの裁判に、勝者は現れるのでしょうか……楽しみに見ていてよね!うっぷっぷ♪

 


 

 「犯人が殺したかったのは菊島クンではなく、谷倉サンだったということです」

 

 尾田君の発言は、私たちの思考を停止させて脳をひっくり返すものだった。なんでそこで谷倉さんの名前が出てくるの?犯人の目的は……谷倉さんの方?

 

 「い、いや……そんなわけないだろう!谷倉が地下室に行ったのは偶然だったはずだ!あいつは巻き込まれただけだろう!」

 「本当にそう思いますか?犯人は誰にも気付かれず、なんなら死体すら残さない方法で菊島クンを殺害する方法を持っていました。僕が犯人なら間違いなくその場で爆殺しますね。死体発見の扱いがどうなるかは知りませんが、少なくとも誰にも犯行は立証不可能です。死体を溶かすより確実だとは思いませんか?」

 「自分からそれを言うのですか……」

 「でもそれを言われると、確かにそうだと思っちゃうんだよなあ……」

 「話によれば、地下室の洪水は谷倉サンが機械室の中に入って間もなく起きたそうじゃないですか。まるで、準備は整ったと言わんばかりです」

 「フーム、なるほどネ!ところで劉劉(リュウリュウ)!それを聞いてワタシはもう、犯人はコイツしかいねーアル!てヤツがいるんだけど、おかしいカ?」

 「いいえ?当然の推論かと思います」

 

 既にみんなの視線は、長島さんが言う“コイツ”に向いている。正確には、“コイツ()”だけど。

 

 「事件が起きた今朝、谷倉サンが自発的に地下室に行き、偶然にも監禁された菊島クンを発見して、進んでひとり機械室に入って行ったというのなら、ボクの推理の信憑性も多少は損なわれたでしょう。しかし、今までの議論を聞く限りそんなことは一度もありませんでした!谷倉サンは地下室に連れて行かれ、菊島クンを発見するよう仕向けられ、ひとりで機械室に入らざるを得なくなっていました!そうしたのは誰ですか!?すぐそばで谷倉サンの行動を操っていたのは誰ですか!?」

 

 もはや質問にすらなっていない。これほど答えが明確な問いもない。

 尾田君は証言台に身を乗り出して、極めて愉悦的な表情で2本の指を突き出した。

 

 「あなたたちでしょう!陽面サン!月浦クン!」

 「ひっ……!?」

 「……」

 「あなたたちが谷倉サンを地下へ誘った!菊島クンを囮にして、彼女の善意を利用し、死の罠へと追いやった!違いますか!?」

 

 反論は聞こえてこない。陽面さんは尾田君の追及に怯えて声も出せない様子で、月浦君はただ黙って尾田君が話し終わるのを待っていた。その表情は、怯えるわけでも呆れるわけでもなく、ただ覚悟を決めたような、強い意志を感じるものだった。

 そして、月浦君は口を開く。

 

 「馬鹿馬鹿しい。僕たちが地下室に向かったのは、アンタたちが地上ばかり捜索してたからだ。効率よく探そうと思ったら自然と地下室に足が向くだろ。偶然だ」

 「そ、そうだよ!はぐもちぐもそんなことしないよ!みかどちゃんがいなくなって……は、はぐは……!すごく悲しいし、寂しいんだよ……!」

 「どうですかね。ま、両方とも積極的に事件に関わっているのか、片方が片方に利用されているのか、そこまでは分かりませんが」

 「いやあ、この2人に限って相手を利用するなんてことがあるか?」

 「ないと言い切れますか?命が懸かったこの状況で、ただの印象で結論を変えてしまっていいのですか?」

 「んぐむ」

 「それを言ったらお前の主張だって、はぐと僕が谷倉と班を組んだっていうことだけにしか論拠がないじゃないか。他に犯行を立証できるものがあるわけでもないのに」

 「さあどうでしょうね?それは僕が決めることではありません。憎たらしいことに、ここでは多数決こそ全てです。あなたの話のおかしな点について、改めて確認したら民意はどう動くでしょうか」

 「お、おかしな点?」

 

 あくまで月浦君は冷静だ。湖藤君と尾田君の陰に隠れがちだけど、彼だって狭山さんに従うフリをして陽面さんを救い出す手立てを探したり、裁判中も積極的に発言はしてきていた。もし本当に月浦君か陽面さんがこの事件に犯人として関わっていたら……それを突き崩すのは簡単なことじゃないだろう。少なくとも、私たちにとっては。

 

 「覚えてますか?谷倉サンが機械室に入って間も無く、地下室で洪水が起きました。そのとき、月浦クンと陽面サンは物品倉庫に移動して難を逃れました。そして停電の中、機械室のドアを開こうとモノカラーの照合をしつつ、階段へ避難したそうです」

 「ええ、聞いたわ。特におかしなところはないと思うけれど」

 「いやいやいや、2つもあるじゃないですか。明らかにおかしなところが」

 「ふ、ふたつもですか?手前にはなにも……」

 

 尾田君は指を2本立てて、私たちに説明する。月浦君の証言に含まれる、明確な矛盾について。

 

 「1つ。機械室の自動ドアは開いてから閉じるまでそれほど時間はありません。計ってみましたが、人が開けて中に入ってから、水道管が破壊され水が流入し、室内を満たすまでの時間はありませんでした。つまり、もし月浦クンの話し通りだとしたら、機械室の中にいる谷倉サンが溺死しているはずがありません」

 「……あ」

 「ど、どうしたの理刈さん?」

 「いえ……なんで私はそこまで気が回らなかったのかって、自己嫌悪しているだけ。気にしないで……」

 「あ、そう……」

 「1つ。月浦クンと陽面サンが階段への避難を開始したのは建物全体が停電してからです。当然、電気制御の自動ドアは使い物になりません。ですが、事件が発生したと思しき時間ごろに月浦クンが照合した記録が残っています。停止しているはずの機械にどうして記録が残っているんでしょうか」

 「ち、ちぐぅ……ど、どうしよう?りゅーへいさん、完全にはぐたちのこと疑ってるよ……」

 「……大丈夫だよ、はぐ。はぐがクロだなんて結論には、僕が絶対にさせない」

 「う、うん……!」

 

 私は尾田君に騙されてるんだろうか。それともそれは納得して然るべきことなんだろうか。嗜虐的に笑う尾田君の表情を見ると、怯える陽面さんの隣でその尾田君に立ち向かう月浦君を見ると、どちらが正しくてどちらが悪意ある嘘つきなのかが分からなくなってくる。こんなことの連続なんだ、学級裁判は。

 

 「アンタが言いたいことは分かった。確かに僕の話は疑わしく聞こえるだろう。だけど、それはただ疑わしいだけだ。それが直接的に僕がクロであるという根拠にならない限りは、ただ揚げ足をとっているに過ぎないし、妄想と吐き捨てられるべきものだ。分かっているのか?その妄想の結果は僕たち全員に及ぶんだ。慎重に考えろ」

 「今の僕の発言を妄想だと言うのなら、君の発言は言い訳ですかね?発言内容に言及せず、個人攻撃で信憑性を落とそうとするのは追い詰められた人間がすることです」

 「アンタ、性格悪いな。なんではぐと僕の方が、前科があるアンタより疑いの目を向けられてるのか納得いかないくらいだ」

 「それはそれは。結構なことです」

 「だから、そろそろいいだろう。はっきりさせようじゃないか」

 

 その声色には、何らかの覚悟が宿っていた。すっかり二人の対決構図になってしまった裁判場で、私たちは息を呑んだ。この後の発言は、この裁判の結末に大きく関わるものになるはずだ。

 

 「結局のところ、アンタははぐと僕のことを何だと思っているんだ?」

 「ふむ……そうですねえ。()()()()()、でしょうか」

 「……ん?」

 「そうか。やっぱりアンタは性格が悪い。だがそれでいい。()()()()()()()

 「はあ、そうですか。君も相当なものですよ」

 

 月浦君の質問が飛ぶ。それを受けた尾田君は、少し考える素振りを見せて答えた。クロ、という言葉の前になにか付いていた。何か、とても余計な、それでいて無視できない一言が。

 


 

 「よ、よくて……って、なに?」

 「はい?分かりませんか?予想し得る最善の場合、という意味です」

 「辞書的な意味じゃなくて!よくてクロって、悪かったらなんなの!?クロ以上に悪いことなんてあるの!?」

 「あるでしょう。シロの場合ですよ。つまり、月浦クンがクロとしてこの事件に関わっている方が僕たちとしては楽なんですよ」

 「な、なんで……?」

 「僕がクロなら僕を殺せばそれで話が済むだろ。だが、僕はクロじゃない。僕を殺すことはアンタたちのほとんども道連れになることを意味する。それは最悪の結末だろ」

 「ええ……?」

 「なんか今回、最初からずっと何言ってんすか状態なんだけど、私だけ?」

 「たぶん、ほとんどの人がそうよ」

 

 思わず口を挟んでしまって、私は尾田君と月浦君の両方から怒られる羽目になってしまった。結局、月浦君はクロなのかどうなのか、尾田君は何を言いたいのか、月浦君は認めてるのかどうなのか、こんがらがってきた。

 

 「2人とも、一旦整理してくれないと多数決ができないよ」

 「……まったく、面倒なシステムです。僕が説明してもいいですか?」

 「ああ、構わない。間違いがあれば後でまとめて訂正してやるよ」

 「こいつらマジでなんなんだよ、キモいな」

 

 私をはじめ、尾田君と湖藤君と月浦君以外のみんなは首を傾げて大きなクエスチョンマークになっていた。いったい2人がずっと何を話していたのか、尾田君が至極面倒臭そうに話し始めた。

 

 「まず前提として、僕は月浦クンのことを100%疑っています。ただしそれはクロとしてではありません。この事件に、単なる被害者ではない形で関わっているという点に関してです」

 「だ、だからそれはクロってことになるんじゃねえのかよ!」

 「でも決定的な証拠がまだないよ。月浦くんが自白したわけでもないし」

 「先ほど、ほぼ自白と取れそうな発言があったように思いますが……」

 「仮に自白があったとして、なぜそれを信頼してしまうんですか?僕には信じがたいことですが、クロの条件を満たしているのが陽面サンだった場合、月浦クンは自らがクロのように振る舞うことで彼女を生き存えさせる手段を執る可能性すらあります」

 「は?バカか?はぐには僕が必要なんだ。僕がはぐを残して勝手に死ぬなんてあり得ない。自己犠牲なんていう身勝手で無責任な自己陶酔に浸るなんてこと、はぐが頼んだってするわけないだろ」

 「ちぐが死んじゃったらやだよー!」

 「緊張感ないなあ」

 「湖藤クンの言うように、決定的な証拠がない点も気になるところです。が、それ以上に、仮に月浦クンが陽面サンを生き存えさせようとしていたとしても、これまで話してきた不審な点の説明にならないところが問題です。

  単に陽面サンにクロの権利を譲るだけなら、夜中に菊島クンを殺害することでも可能でした。溺死という間接的かつ手を下した人物が不明確な手段を用いる意味もありません。そんなことをする必然性がありません」

 「ひ、必然性……?」

 「なぜ溺死という手段を選んだのか。なぜ被害者は菊島クンと谷倉サンでなければならなかったのか。なぜあからさまに怪しい態度を執るのか。これらに一切の説明がされてないことが、僕が“よくてクロ”と言った理由です」

 「ま、まだおいらにゃあ全然分からねえんだけど……」

 「ただ単に裁判を撹乱するだけの目的ならそれでも構いません。ただ、それだけにしては何らかの通底する意図を感じるんです。無意味にリスクを増やすだけの行為は、意味不明を通り越して愚の骨頂です。つまり、彼がその行動を執った理由に、僕たちはまだたどり着いていない。その可能性のひとつが……彼はクロではない、クロとしての条件を満たしていないということです」

 「はあっ!?何言ってんだお前ずっと!?お前が言ったんだろ!あいつが水を流し込んで菊島と谷倉を殺したって!」

 「あなたこそ何言ってるんですか?話聞いてましたか?月浦クンは菊島クンを殴って気絶させて機械室に軟禁し、朝には谷倉サンを地下に誘導、機械室に入るよう仕向け、水が中に流入するよう機械室のドアを開放した。いつ彼はクロになり得るんですか?」

 「……???」

 

 月浦君がクロじゃない?ついさっき、尾田君は月浦君と陽面さんを追及してなかったっけ?次々と変わる展開に私たちのほとんどはついていけてない。芭串君が必死に尾田君に噛み付くけれど、簡単にあしらわれてしまう。月浦君の行動を振り返ってみる。言われてみれば、彼は菊島君に直接危害を加えてはいるものの、2人を直接的に死に至らしめる行為は何もしていない。機械室のドアを開けたのだって、水が入るから危険なだけで、ドアを開けることそのものは加害行為じゃない。

 

 「気持ち悪いのは、彼はクロとして申し分ない動きをしていますが、彼が手を下したという決定打がありません。しかし、クロでないとすれば隠すべきことを隠していません。ですから、限りなくクロに近いシロ……黒幕とでも言いましょうか」

 「く、黒幕!?」

 「月浦が……黒幕だと……!?」

 「いちおう誤解のないように言っておきますが、コロシアイ自体の黒幕ではありませんよ。この事件における、という意味です」

 「び、びっくりさせないでくれよ!いや、それでもさっぱり何言ってるか分からない!2人を殺したのはちぐじゃないのか!?だったらちぐがクロじゃないとおかしいじゃないか!」

 「わけわかんねーことばっか言うなアル!」

 

 非難轟々、そんな感じだ。だけどそれは私たちが尾田君の言うことを否定できることを意味しない。むしろ、それを否定する根拠を全く持っていない、かと言ってそれが真実でも偽りでも、素直に受け入れることができないほどの悪意に満ちている、そんな板挟みになっていることの証だった。だからこそ私たちは、尾田君に反発することでしか、自分たちの立ち位置を見つけられなかった。それはきっと、人としては正しいことなんだと思う。感情によって、合理的じゃない選択ができる、それはとても人間的で、この裁判場では極めて危険なことだと分かっているのに。

 尾田君は、すらりと手を平にして月浦君を示した。

 

 「そろそ自分の口から語ったらいかがです?人にばかり喋らせないでください」

 「アンタが勝手にぺらぺら喋ってただけだろ。まったく……わざわざ場をかき回してから渡してくれるなんて、涙が出るほど親切な奴だよ」

 「誰が話してもこうはなったと思いますがね。君ははっきり真実を述べるべきです。紛れもなく、君と君の愛するもののために」

 

 それまでは穏やかに睨みつけていた月浦君の目が、最後の尾田君の一言に対してだけは厳しくなった。だけど月浦君はそれ以上何も言わず、ふうと一息ついてから、不安げに見守る陽面さんの方を向いた。

 

 「ち、ちぐ……?」

 「はぐ、ここからは僕が全部話す。だけど心配しなくていい。はぐは死なないし、僕がはぐの前からいなくなるなんてことはない」

 「……う、うん。でも……はぐは、ちぐがいなくなるのも嫌だけど、みんながちぐのことを嫌いになるのも嫌だよ……だから、本当のことを話して?お願い」

 「もちろんだ」

 

 陽面さんと言葉を交わして、月浦君は証言台に手をついた。覚悟を決めた目で、私たちひとりひとりの顔をじっくりと観察していた。いったい、何を見ているんだろう。何を語るつもりなんだろう。彼は、何を知っているんだろう。

 


 

 「さすが、と言っておこう。尾田が言った通り、この事件は僕が起こした。だけど僕はクロじゃない。それだけははっきりと言える」

 「ど、どゆこと?事件を起こしたのにクロじゃないって……?」

 「結局最後には、僕も誰がクロかを明確にさせなきゃいけない。だから、ここにいるほとんどの奴は敵じゃない。だからアンタたちにも分かるよう、順を追って説明してやる」

 「尊大な奴だ」

 「モノクマの動機の真意については、発表があった日の夜になって理解した。あっちの2人はもっと早く気付いてたようだし、答えに行ったタイミングは他に気付いた奴がいてもおかしくなかった頃だったから、凶器を手に入れられた時は驚いた。先んじて封じられている可能性もあったから、半分はダメもとだったんだけど……」

 「万が一にでも正答者が公表される可能性を考慮しなかったんですか?」

 「さあな。あのときの僕はそれどころじゃなかった。仮に考えていても構わないと思っただろうな」

 「そんなに強い動機があったんだね」

 

 さらっと言ってるけど、私はついさっき湖藤君の話を聞くまで、モノクマの動機に隠された真意になんて気付く気配すらなかった。まるで考えれば誰でも分かる、みたいに言われると不安になる。もしかして分かってなかったの、私だけだったのかな、なんて。みんなの顔色を見る限り、そうでもなさそうだったけど。

 

 「なんでも好きな凶器を手に入れられることになって、僕はモノクマに注文した。『地下を水没させるくらい大量の水がほしい』と」

 「……んん?み、水?水を望んだのか!?爆弾じゃなく!?」

 「当たり前だろ。水死じゃなきゃ僕の計画は完遂できないんだ」

 「け、計画……?なんだそりゃ?」

 「それを今から話すんだ。理解できてない奴が口を挟んで邪魔するな」

 「う〜ん、犯人の告白とは思えない不遜な態度アル。こりゃ本当にクロじゃないかも知れないヨ」

 「ということは……あの爆弾は、水道管を破壊するためだけに用意されたということか!?」

 「ああ、そうだ。直接人を傷つけてはいけない、という条件付きで、僕は水の代わりに爆弾を渡された。これで地下にある水道管を破壊すれば望む凶器が手に入ると言われてな」

 「ったりめーだこのヤロー!地下を埋め尽くす水って何リットルになると思ってんだ!そりゃ用意できないこともないけど、そんだけ大量の水をオマエがどう扱うってんだよ!だからボクが気を利かせて代替案を出してやったんだろ!ま、その代わり月浦クンの計画にも一枚噛ませてもらったけどね」

 「な、なんですって!?」

 

 モノクマによれば、月浦君が望んだ大量を水そのものは渡せなかったから代わりに爆弾を渡して、埋め合わせとして月浦君の元々の計画に少しアドバイスをしたらしい。そんなことが許されるのか、と理刈さんが悲鳴を上げた。そんな非難は無視されて、月浦君が続きを話す。

 

 「計画を修正した僕は、昨日の夜、菊島が薬品庫で薬を調達してるところを後ろから殴って気絶させた。そして菊島を連れ込むついでに、準備していた椅子とロープを機械室に運んで縛り付けた。水道管に爆弾を付け、翌朝爆発するようにセットして、部屋に帰った」

 「おおよそ話した通りだね。どうして夜のうちに菊島くんを殺害しなかったの?」

 「殺したら僕がクロになるだろ。それじゃあ意味がない」

 「はあ?」

 「今朝、計画通り、アンタたちは菊島を探すために班に分かれて捜索を開始した。普段から谷倉が一番最後まで食堂に残ってたのは知ってたから、僕はわざとはぐを座らせたままにしてあいつと班になるようにタイミングを見ていた。ああ、はぐには何も話してないから、はぐが何をしてもそれは偶然だ。まあ、はぐについてわからないことなんて僕には何もないけどな。

  地下の捜索を初めてすぐ、谷倉は機械室に菊島がいることに気付いた。そして爆弾の起動タイミングを見てあいつ1人を機械室の中に入れて、僕ははぐと一緒に部屋の外で待機した」

 「そして……洪水が起きたのですね」

 「ああ。水が流れ込むように、僕は機械室の扉を開けた。あとはアンタらも知っての通りだ」

 

 悪びれる様子もなく、かと言って自慢するようなこともなく、月浦君は淡々と述べた。まるでその日のスケジュールを確認するように、そこには何の感情もない。ただ事実を事実として、ありのままを話しているだけ。それが2人もの人を殺害する計画とは思えないくらい、簡単に口にする。

 そして月浦君の話は終わった。唐突で、まだ私の頭の中では、どうして谷倉さんと菊島君が亡くなったのか、その答えが分からないままだった。私の想像力が足りないのか。話を聞き逃していたのか。どうしても納得できないことがある。

 

 「ねえ……月浦君、本当に今ので話は終わり?」

 「ああ、そうだよ。疑うのか?」

 「疑うに決まってんだろ!テメエ何したか分かってんのか!谷倉と菊島を殺したんだぞテメエは!」

 「だから僕は殺してないって言ってるだろ。僕をクロとしたらはぐが死ぬ。そんなことは許さないぞ」

 「今の話でどこをどう解釈したらお前がクロではないという結論になる?どう考えてもお前が水道管を破壊して機械室に水を入れ、2人を閉じ込めて溺れさせたんじゃないか」

 「……いや、おかしいよ」

 

 何度も、頭の中で繰り返す。月浦君の話を。今朝、地下室で起きた悲劇を。その度に、どうしても分からないところだけ、気持ちの悪い空白が生まれる。月浦君が機械室の中に大量の水を流し込んだ。そしてしばらくして、機械室の扉が開いて谷倉さんと菊島君の死体が流れてくる。2人はその間に機械室の中で溺れてしまった……やっぱり、おかしい。

 

 「今の話だけだと、谷倉さんと菊島君が溺れるなんてこと……少なくともあんな短い時間じゃあり得ないよ」

 「な、なんで?」

 「私たちが地下室に着いたとき、水は私の腰くらいまでの高さしかなかったんだよ?この高さで溺れるのなんて、王村さんくらいだよ」

 「バ、バカにすんねェ!おいらだってそれくらいの高さじゃ……あ、死ぬわコレ」

 「なんなんだよ」

 「長い時間閉じ込められてたわけでもないのに、2人がこの高さの水で溺れるなんて……私には納得できない!」

 「な、何を言って……人は数センチの水さえあれば溺れると言われてるわ。腰まであれば十分溺れる量よ」

 「そうアルそうアル!それにあの時は停電もしてたアル!パニックになって転んでそのまま溺れてもおかしくないヨ!」

 「菊島君は月浦君が椅子に縛り付けてたし、谷倉さんも何かが起きるって用心してたはずだよ。驚いたかもしれないけれど、水と停電だけでそこまで取り乱すとは思えない。体力だって余力があったはずだよ」

 

 私の指摘は、あまり受け入れられそうになかった。確かに、腰までの高さの水があれば溺れることはできるかも知れない。だけど、それは自分から水に浸かりにいくような状況でないとあり得ない。椅子があるならなおさらだ。

 みんなから反対され、くじけそうになる。でも、そんな中で私の言葉を掬い上げてくれたのは、他でもない、月浦君だった。

 

 「甲斐の言うとおりだ。2人が機械室に閉じ込められてから、アンタたちに発見されるまでせいぜいが10分程度。機械室の扉が閉じていたなら、中は凪だったことにもなる。いくらなんでもそんな短い時間にその程度の水で人が溺れるはずがない。僕をクロだと言うのなら、それを説明してみろ。あのとき、離れた部屋の外から、アンタたちの目の前で、腰までしかない水で溺れさせた方法を」

 

 彼は、私の意見を汲んでくれたはずだ。私と月浦君は、みんなに向けて同じ話をしてるはずだ。それなのに、彼は決して私の味方ではなかった。どちらかと言えば敵だ。この裁判場で彼は、クロでもなく、被害者でもなく、無関係の傍観者でもない。事件を引き起こす工作をしていながら最後の引金を自分の手で引かず、それでいて起きた事件を私たちに解決させようとしている。

 全く意味が分からない。どうして何もかもを見透かしてしまうのか分からない湖藤君とも、何を考えているのか分からない尾田君とも違う。私たちの行動を支配しているような、気が付けば何もかもが彼の術中にあるような、そんな得体の知れなさを感じる。

 


 

 「バッキャロー!んなもん分かりきってらァ!」

 「……いちおう、聞いておくわ」

 「あーだこーだ言って、結局月浦が犯人なんだろ!なんかのトリックを使って部屋の外から2人を溺れさせやがったんだ!」

 「そのトリックって?」

 「それは分からん!」

 「はい、ありがとうございます。お酒飲んでてください」

 「でもトリックを使ったのは間違いないはずだよ。力ずくで押さえつけるなんてことはできないし、あの部屋には力学的な装置の痕跡はなかった」

 「じゃあ何をどうやったってんだよ!」

 「密室……水……地下……停電……」

 「月浦君は菊島君をわざわざ機械室に運び込みました。おそらく、あの部屋であることに意味があるのではないでしょうか」

 「あの部屋に……?」

 

 私は、一度だけ機械室に行ったことがある。と言っても、いちおうどんな場所があるか、本館の中を探検していた途中で寄っただけだから、詳しく調べることはしなかった。四角い無機質なコンクリート打ちの部屋と、入口は記録機能付きの自動ドア、そして様々なインフラ設備……。

 

 「事件当時のあの部屋の状況を考えてみよう。そうしたら、何か分かることがあるかも知れない」

 「考えると言っても、想像することしかできないぞ」

 「想像だって構わないさ!人は考えることができる。だからこそ希望を持って前に進むことができるんだ!」

 「えっと……当時は入口のドアが閉まってて、腰の高さまで水が流れ込んで来てて……」

 「あと停電もしてたはずだよ!真っ暗で何も見えなかった!」

 「密室で、谷倉と菊島が2人きりだったんだよな」

 「暗い密室で男女が2人きり……何も起きないはずがなく……!」

 「余裕か!」

 「私たちが行くまでには復旧してたはずだけど───」

 

 目が潰れるかと思った。頭の中で何かが弾けて閃く。その衝撃で頭が揺れる。脳が焼ける。目が疼く。一瞬とも呼べないほど短い時間、目の前にちらついた真理の糸の残像を追って、私は思想世界へ潜っていく。深く、深く、その先に何があるかなんて警戒心は置き去りに、ただ本能的な思索に身を任せて、掴みかけた答えの影を捕まえる。

 

 「……?甲斐さん?」

 「───には、アレが───たら谷倉さんは───で───てしまう。じゃあ───クロは───だから───」

 

 脳内に浮かんだ言葉を空気に刻む。確かな存在感を得ると、その言葉の持つ力が増すような気がした。私が私に囁いた言葉は、大きな力と意味を持って私の(なか)に還ってくる。私の(なか)でぶつかり合い、交ざり合い、融け合っていく。それがひとつの糸になって、縒り合って、ロープになっていく。そのロープは強く、太く、固い。それは私たちを希望の頂に導くための命綱でもあり……私たちの仲間の首につながる絞縄でもある。私には、それが耐え難かった。

 

 「……ッ!」

 

 私たちが捕まるロープの端、ただひとり、私たちの中に交れず、力なくぶら下がるその顔が見えた。見えてしまった。それは、私たちが指摘すべき人物ではあって……決して、糾弾すべき人物ではなかった。

 

 「分かったんだね。この事件のクロが」

 「えっ!?マ、マジで!?」

 「う、ううん……」

 「違うの?」

 「……言いたくない」

 「い、言いたくないぃ?」

 

 それは、別に犯人を示すヒントでもなんでもない。ただの私の本音だった。私の心の叫びでしかなかった。

 

 「言いたくないってなんだよ!犯人分かったんなら言えよ!」

 「だ、だって……こんなの、おかしいよ!この人は犯人じゃない!犯人だなんて言えるわけがない!こんなこと……!」

 「それなら、なぜそんなにも焦っているんですか?あなたはその人が犯人だと思ったからこそ、言おうとしないのでしょう?」

 「尾田も分かってんのかよ!」

 「分かってはいますが確信がありません。9割くらいですかね」

 「ほぼ間違いないじゃないの!言いなさい!」

 「嫌です。余計なことを言って間違った人物を指名してしまったら命取りです。裁判の結論なんですから、慎重に慎重を重ねても足りないくらいです」

 

 どうやら尾田君も、私と同じ結論にたどり着いているようだ。それなら、たぶん湖藤君もとっくにたどり着いてるんだろう。湖藤君もたぶん、尾田君と同じで、確信が持てないんだろう。だけど、私は確信している。間違いなく、この裁判で犯人だとされてしまう人はあの人だと、はっきりと言える。

 


 

 「奉ちゃん……?」

 「甲斐。分かっていることがあるのなら言ってくれ。たとえそれが信じがたい事実だったとしても、目を背け続けていられるわけじゃない。乗り越えなければならないものなら、私たちも共に行く」

 「どうせ月浦なんだろ!言っちまえよ!」

 

 風海ちゃんが心配してくれる。毛利さんが背中を押してくれる。芭串君が無責任に励ましてくれる。冷たい視線も、暖かい視線も、不安な視線も、全て私に向いている。私はまた、こんなことを繰り返すことになってしまう。自分が生き残るために、誰かを犠牲にする。その人に残酷な運命を押し付ける。それだけでも苦しいのに、こんな結末は……私には受け入れられない。

 

 「ううっ……!」

 「ま、まつりちゃん!がんばって!はぐとちぐも一緒だよ!」

 「ひとりで重荷を背負うことはないわ。この場に立っている以上、私たちは運命共同体、その責任だって分割されるはずよ」

 「心細いならオレの胸に飛び込んできてくれていいんだよ!さあ!」

 「お前はただハグしたいだけアル!スケベ!」

 「全部吐き出しちまえば楽になるぜ!おいらたちが受け止めてやっからよ!」

 「何も不安になることはありません。間違っていても、誰もあなたを責めたりなどしません」

 

 みんなが私を応援してくれる。みんなが私の言葉を待ち望んでいる。みんなの気持ちが伝わる。そして、だからこそ分かる。みんなが……まさか自分が犯人になるなんて、これっぽっちも考えてないと。分かってしまう。

 

 「うっ……!うううっ……!」

 

 本当にこれを言ってしまっていいのか分からない。だけど、もう言うしかない。私の指は勝手に人を示す形になっていた。何もかもが輪郭を失ってぼやけた世界の中で、私は嗚咽を漏らしながら、頭をあげた。まだ、言う決心がつかない。だから、真相の外縁をなぞるようなことしか言えない。

 

 「た、谷倉さんと……菊島君は……溺れた。それは、押さえつけられたんでも……水位が高かったんでもない……!きっと、身動きが……取れなくなったんだ」

 「身動きが取れない……?どういうことだ」

 

 犯人の名前を言ってしまえば楽になったかも知れない。だけどそれを口にするのにかかるエネルギーは、今の私には大き過ぎた。

 

 「部屋に閉じ込められた谷倉さんはきっと……菊島君を助けた後、脱出しようとしたはずだよ」

 「そりゃそうだわな」

 「あの部屋から出るには、自動ドアを開けなくちゃいけない。部屋の中から開けるのに使うのはモノカラーじゃない……」

 「ああ。タッチパネルだね」

 「そう。谷倉さんはきっと、あのタッチパネルでドアを開けようとしたはずだ。だけど……それが犯人───いや、月浦君の罠だったんだ」

 「というと?」

 「あのタッチパネルは手のひら全体をパネルにつけて起動するものだった。腰まで浸かるほどの水、当然谷倉さんの体は濡れていた。そんな状況で、電子機器に手のひらをつけたら───!」

 「……ッ!まさか……感電……!?」

 

 理刈さんがはっと口を抑える。突然閉所に閉じ込められた谷倉さんは、そんな状況にもかかわらず菊島君の縄を解き、冷たい水に足を取られながら、停電で目の前も見えない中、脱出しようとしていた。強く死を感じて絶望してもおかしくない状況で、谷倉さんは希望を捨てずに戦っていた。

 その希望さえも利用されているなんて、きっと最期の瞬間まで思いもしなかっただろう。

 

 「感電して全身が痺れた谷倉さんは……そのまま、動けなくなって倒れ込む。菊島君はきっと支えを失って……一緒に感電して……そのまま……!」

 「そ、そんなことあるの?感電ったって、ちょっと痺れて手が痛いくらいとか……そんなもんじゃないの?」

 「洪水時、電柱に触れて感電し溺れたという事例もあります。谷倉さんの手の様子を見れば、ドライヤー程度の電力では済まないことは明白です」

 「な、なんと……そのまま溺れてしまうか、大量の水による低体温症になるか、感電してしまうか……いずれにせよ、あの部屋に入ってしまった時点で助からないのですね……」

 「なるほど。だからモノクマは、水が抜けるまでワタシたちに入るなって言ったのネ。また誰かが感電して溺れたら面倒アル」

 「どうなんでえ月浦!この野郎!なんとか言ってみろ!」

 

 一つの事実が導かれると、みんなは次々と状況を理解していく。分かっていけばいくほど、()()()が近付いてくるのを感じる。私たちの中のひとりに、死神の影が差しているような気がしてしまう。どうにかして状況を打開できないか。私は考える。それが無駄なことだと分かっていても、考えずにはいられなかった。

 

 「ふうん、やるね。何人か警戒してる奴はいたけど、あんたはもうちょっと気を配っておくべきかも知れない。今回は助けられたよ」

 「た、助けられた……?」

 「ああ。僕にはクロが分からない。けど、あんたには分かってるんだろ?」

 「は、犯人が分からない!?なんでだよ!?この事件を裏で操ってたのはチグなんだろ!?」

 「だからと言って全てを知ってるとは限らない。何が起きるかを僕は知っていた。だが誰が起こすかはその瞬間まで分からない。そして僕はその場所にいない。それだけのことだ」

 「そ、その瞬間……?何のことだ?」

 「……地下が水没したとき」

 

 少なくとも、月浦君に言わせるべきではない。そう感じた私は、彼の言葉の続きを奪った。

 

 「館内は停電した。建物中が暗闇になって、自動ドアも動かなかった。当然そんな状況じゃあ、感電なんかするはずがない」

 「……あっ」

 「嘘……嘘、よね……?」

 「谷倉さんが感電したのは、地下に電気が通っていたから。停電していた地下に、電気を通わせたから。2人の体の自由を奪った電気を……そ、そこに与えた人がいたから……!」

 「お、おいおい……おいおいおいおい!」

 「だからっ……こ、この事件が……!電気を通わせたことが、2人の死を招いたんだとしたら……!は、はん、にんは……!」

 

恐れていた瞬間は足音も立てず目の前に現れた。自分で導いた答えなのにそれを信じたくないと頭がガンガン痛む。それでも、言わなくちゃいけない。言わないと、もっとたくさんの人が死ぬ。みんなの命を救うために……事件の全てを操っていた月浦君を救うために、何も知らない()を犠牲にしなければならない。きつく締まる喉を無理やり震わせて、私はその名前を口にした。

 

 

 「……カルロス君。あなたしかいないんだ───」

 「…………は?」

 

 

 それを口にした瞬間の彼の顔を直視できなかった。私の言葉が意味することから、私の言葉が招く現実から、どうしても目を背けたくて。私は自分のつま先ばかり見ていた。

 

 「な、何を言っているんだ、マツリちゃん?どうしてオレが……」

 「カルロス君は……停電になったとき、一番に非常用具庫に行ったよね」

 「あ、ああ。行ったさ。発電機がそこにあったからね」

 「カルロス君は……そこで、一生懸命、発電機を回してくれたよね」

 「当然だ。暗闇のままじゃ何が起きるか分からない。みんな不便してるだろうからね!紳士として当たり前のことだ!」

 「そう……そして、君は本館全体に電気を通した。汗を流して……力を込めて……みんなのために、電気を復旧させてくれた」

 「そうだ!そうすることが正しいと思ったからだ!みんながオレにそれを期待してくれていたからだ!」

 「……そうして復旧させた電気が……谷倉さんと菊島君を痺れさせて、溺れさせてしまったんだよ」

 

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。どうして私は、カルロス君を責めているんだろう。彼は何も悪くないのに。ただみんなのために、率先して、彼にできることを真面目にやってくれただけなのに。

 

 「い、いや待ってよ!なんでカルロスさんがクロになるの!そんなの絶対におかしいよ!」

 「そうよ!彼は停電に適切に対処しただけで、地下室の状況なんか知りようもなかったのよ!殺意だって認められない!過失すら認められないわ!」

 「私だってそう思うよ!どうしてカルロス君がクロだなんて言われなくちゃいけないの!?彼は何も悪くない!私たちのために動いてくれただけなのに!それなのに……!」

 

 めちゃくちゃなことを言ってると自分でも思う。カルロス君がクロでいいはずがない。クロと言うべきは月浦君の方だ。

 

 「そもそも谷倉と菊島が感電したなんて根拠があんのか!?普通に溺れて死んだだけだったら、カルロスが電気を復旧させたからってそれは関係ねェだろ!」

 「証拠は……あるんだろうな」

 「……ある、よ」

 

 それを提示すべきは私じゃないはずなのに。なんでか、自分が話さなくちゃいけないような気がした。

 

 「谷倉さんの手のひら……強い火傷の痕があったんだってね。きっと、タッチパネルを触って感電したときの火傷だよ。料理上手な谷倉さんが、台所で火傷するはずないもの……」

 

 その証拠を提示すると、裁判場は静まり返った。誰か早く、私の言葉を否定してほしい。新しい証拠でも言わなかった事実でもなんでもいい。この状況をひっくり返してほしい。

 そうでないと私は、何の罪もない友達をひとり、犠牲にしなくちゃいけなくなる。

 

 「実際のところ、どうなるんですか?」

 

 こういうときに口を開くのは、いつも尾田君だ。彼の視線は円形に並ぶ私たちじゃなく、玉座に座るモノクマに向けられていた。

 

 「彼が通電させたことによって2人は体が痺れ、溺れ死にました。彼の行為は直接2人を殺傷するものではありませんが、あの状況で電気は十分凶器になり得ます。しかしながらそれは月浦クンにも同じことが言えます。直接的に危害を加える行為ではないにしろ、出口のない場所に閉じ込めた上でなら水も十分凶器です。カルロスクンがクロとなるのなら、月浦クンも同じ要件を満たしているのではないですか?」

 「えっ……?」

 

 尾田君の言葉は、私が求めた言葉とは全く似て非なるものだった。それは、カルロス君の罪を解消する言葉なんかでは決してない。ただ単に、月浦君を道連れにさせるだけの言葉だ。それだと、カルロス君は救われない。

 モノクマは腕を組んで頭を捻り考える。

 

 「う〜ん、これは非常にむつかし〜問題です。尾田クンの言う通り、月浦クンがしたこともカルロスクンがしたことも、加害性があると言えばそうですし、ないと言えばそうです。感電して麻痺したことによる溺死となると、電気による殺人か水による殺人かの判断は大変困難です。手を叩いたときに左右どっちの手から音がしたか、という問題くらい難問です。

  かと言って尾田クンの意見を汲んで2人をクロにすると、それはそれで問題があります。それはつまり、ボクが約束を破ってしまうことです。ボクは月浦クンに凶器を与えるとき、彼の計画をより緻密にするためにアドバイスをしました。それによって月浦クンがクロになってしまうことは、ゲームマスターとしての在り方に関わります。もともとクロになる意思があったのなら問題ないんです。月浦クンの意思に反してクロにしてしまうことが問題なんです」

 

 そうじゃない。私が言いたいのは、そんなことじゃない。どうして尾田君もモノクマも、カルロス君の罪は前提なんだ。いま話すべきは月浦君のことじゃない。

 

 「だからボクはここで、明確な基準を1つ与えることにしました!今回のように複数人の連携によって1つの殺人装置が構築された場合、誰がクロとなるかの基準です!オマエラ、きちんと覚えておけよ!これから先、注意しなくちゃいけないからね!」

 「き、基準……?」

 「それすなわち、『行為の加害性の強さ』です!2人で刀を持って頭から股間まで入刀〜!この場合はより短く刀を持っていた方がクロ!そっちの方が力がこもるからね!2人同時にハンマーで頭をプレ〜ス!この場合はより重いハンマーで、より速く振っていた方がクロ!そっちの方が与えるダメージが大きいからね!そんな感じで、どっちの加害ショ〜的な感じでサクッと決めちゃいたいと思います!」

 「な、なんだそれ……?」

 「では今回の場合は?」

 「今回は、月浦クンが全ての計画を練り、準備を進め、シチュエーションを作り上げました!あのまま放置していたら2人はじわじわと弱り、溺死していたでしょう!ただ、相手が弱るのを待って溺死させるというのはかなり時間がかかるし不確実な方法で、しかも状況を考えれば誰かの助けが入ることは期待されました!要するに、月浦クンの行為だけでは不完全なんですね!

  一方、カルロスクン!彼は月浦クンの計画なんか一切知らず、ただ停電に対処して電気を復旧させただけです!しかしその行為は、谷倉サンと菊島クンが溺死するまでの時間を短くし、月浦クンの行為をより完全なものにすることになってしまいました!そしてなにより……谷倉サンと菊島クンが停電したとき、そこに水がなかったとしても、2人は助からなかったでしょう!強い感電による全身麻痺、菊島クンはそれに加えて頭部のダメージもありましたからね!

  したがってこの場合、より『行為の加害性が強い』のはカルロスクンだと判断できます!お分かり?」

 「そうですか……残念です」

 

 モノクマの話は、私には半分以上理解できなかった。だけど、何よりも重要なことだけははっきり分かった。この事件のクロは、カルロス君になってしまう。ただそれだけで、私には十分だった。十分すぎるほど、絶望的だった。

 

 「結論が出ました」

 「うぷぷぷぷ!そのようですね!それではオマエラ!お手元のスイッチで、クロと疑わしい人に投票してください!投票の結果、クロとなるのは誰か!果たしてそれは、正解か、不正解なのか〜〜〜?」

 

 迷いのない押下音がした。きっと尾田君だ。戸惑いながらも、次々とみんなスイッチを押していく。これ以上、私たちにできることはない。全てを諦めて、自分の命を守る選択しかできない。こんなとき、自分の命を捨ててでも彼を助けられたら。ありもしない希望を浮かべてしまうくらいに、私は強く───強く絶望していた。

 

 「不本意ですが、僕たちはあなたを排除しなくてはならないようです。悪く思わないでください」

 「……なんてことだ───」

 

 全ての投票が終わる。私たちは、月浦君に完全敗北を喫した。




頑張りました。いろんなことを。


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おしおき編

 

 目を潰しそうな光の明滅。耳から脳に突き刺さるラッパの音。絶望感で吐きそうだ。

 

 「パンパカパーーーン!!はーいオマエラ見事にだいせいかーーーい!!今回、“超高校級のコンシェルジュ”谷倉美加登サンと、“超高校級の文豪”菊島太石クンを殺した犯人はァ〜〜〜!!“超高校級のマタドール”カルロス・マルティン・フェルナンドクンだったのでした!!そしてそれら全てを裏で操っていたのは、“超高校級のプロデューサー”月浦ちぐクンでした!!ま、彼はクロじゃないから別に当てなくてもよかったんだけどね!!」

 

 電子音の喝采が響く。モノクマは愉快そうな声を出す。これが正解だと言う。こんなものは正解であるはずがないのに。殺人を企てた月浦君が無罪で、ただ私たちのために行動してくれたカルロス君が罪人にさせられるなんて、どう考えても間違っている。

 そう思っているのに、私は確かに彼に投票してしまった。そうしないと自分の命が危うかったからとか、議論の結果がそうなったからとか、そんなものは全て言い訳に過ぎない。彼をクロとして糾弾した。どれだけの言葉を並べようと、それだけは紛れもない事実だ。

 

 「……どうしてなんだ」

 

 涙で湿った声だった。必死に震えを堪えている声だった。燃え盛る怒りを湛えた声だった。それは当然だった。彼は怒る権利がある。もはや怒りなんて言葉では表しきれないくらい、カルロス君は強い感情の宿った眼差しで月浦君を睨みつけていた。

 

 「どうしてこんなことを……!どうしてミカドちゃんとタイシが殺されなきゃいけなかった!どうしてオレにこんなことをさせた!」

 「……うっ!」

 「ちょっ、ちょっとカルロスさん!」

 「止めねェ方がいいぜ理刈……月浦はこの場で殺されたって文句言えねェだろ……」

 「……ううぐぅっ……!!」

 

 私たちは、怒り狂うカルロス君が月浦君に掴みかかるのを周りで見ていることしかできなかった。小さな月浦君は胸ぐらを掴まれて足が床から離れる。それでも月浦君は、興味のなさそうな表情で真っ赤になった顔を眺めるだけだった。

 慌てて陽面さんがカルロス君を止めそうになるのを、近くにいた毛利さんが押さえた。今のカルロス君に近づいたら、ただではすまない。

 

 「なぜ自分の力でやらなかった!なぜこんな卑怯な手を使った!答えろ!!お前はいったい何がしたいんだ!!」

 「はぐの身が危険に晒される。()()()()()()()()()。それだけだ」

 「……は?か、可能性……?」

 「ずっと言ってることだろ。僕ははぐのために生きている。僕という存在の全てははぐのためのものだ。だから僕のすることは全てはぐのためにしていることだ」

 「谷倉さんと菊島君が亡くなることが、陽面さんのためになると?」

 「そうだ」

 

 悪びれる様子もなく、月浦君は平然と言ってのけた。激昂するカルロス君を目の前にして、全くいつもの調子を崩さない。それが取り繕った言葉じゃなく、本当に心の底から湧き出ているものだと分かる。その狂気的な愛に満ちた言葉が。

 

 「意味が分からない……!人を殺すことが誰かのためになるなんてことあるはずがない!たとえあったとしても、あなたにそんなことをする権利はないわ!」

 「権利がなくてもやるんだよ。僕は自分に罪がないなんて思ってない。だけどそれがはぐのためになるなら、そんなことはどうだっていい」

 「な、なにそれ……?ちぐ、どういうこと……?」

 「いつまで掴んでるんだ。シワになるだろ。離せよ!」

 「ぐあっ!?」

 


 

 月浦君は自分の胸を掴んだカルロス君の腕を剥がした。一瞬のことで何をしたか分からないけれど、カルロス君が痛そうに手を押さえている。

 

 「谷倉は、はぐが知られたくないことを知った()()()()()()。少なくとも、それを推察する十分な手掛かりを手に入れた。だから処分(ころ)した。それを知られることはあってはならない」

 「なっ……なんだそれは……?可能性可能性って……お前は何の確証もなくミカドちゃんを殺したのか!本当にミカドちゃんがそれを知ってるかどうかも確かめずに!」

 「知られたかどうかをどう確かめるっていうんだ。人の頭の中は覗けない。余計な質問をして察されてしまったら本末転倒だ。知られたくないことは、知られた可能性の存在すら許してはいけない。僕はそれを徹底したに過ぎない」

 「じゃ、じゃあ菊島は……!?菊島もそうだってのかよ!」

 「あいつはただの囮だ。使いやすいところに使いやすいものがあったから使った。さっき捜査するまで知らなかったけど、あいつは人の秘密を嗅ぎ回ってたようだからな。どっちみちすぐに処分(ころ)してただろ」

 「それならカルロスさんは!?なんでカルロスさんをクロになんてしたの!」

 「だからそんなことは僕の知ったことじゃない。停電になれば誰かが発電機を回すことは予想できた。僕でもはぐでもない誰かなら誰でもいいんだよ。だから、気の毒だが、あんたはただ運が悪かっただけだ」

 

 当然のことのように、一切の後ろめたさも自省もなく、月浦君は言い切った。彼にとって私たちは、ただの()()だったらしい。月浦君の世界は、陽面さんと、月浦君と、それ以外……そのたった3種類しか存在していなかった。だから、陽面さんのために行動することに躊躇いがない。世界の余り部分に何をしたって、自分と陽面さんさえいれば、彼の世界は保たれるのだから。

 

 「イカレてやがる!なんなんだよそれ!テメエじゃあ今までずっとそんな風に思ってたのかよ!おいらたちゃ仲間じゃねェのかよ!」

 「僕が一度でもそんなことを言ったか?勝手にお前の価値観を押し付けるな。何度も言うが、僕の全てははぐのために存在してる。はぐの望みは僕の望み、はぐの敵は僕の敵だ」

 「陽面さんは谷倉さんが好きだったはずだよ!彼女を敵だと思ってたのは月浦君だけだ!」

 「あいつはいずれはぐの敵になると()()()()()()。僕は今までずっとはぐのことを考えてきた。だから僕の判断は必ずはぐのためになる。そこに疑いの余地なんて絶対にない」

 

 堂々としていた。清々しいほど歪んでいた。その瞳は一切の迷いはなくて、言葉は一切の淀みもない。真っ直ぐに、純粋に、心の底から、月浦君にとっては陽面さん以外の全てが取るに足らないもので、陽面さんのことを完全に理解していると確信している。

 

 「な、なにそれ……ちぐ、そうだったの……?」

 

 絶句する私たちの沈黙を破る、陽面さんの震える声。カルロス君の怒鳴り声ですっかり萎縮してしまっていた陽面さんは、その場にへたり込んで胸を強く押さえていた。息苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、全身を小さく震わせている。

 

 「ちぐが……全部、みかどちゃんも……たいしさんも……ころしちゃったんだ……!はぐのためにって……!それが、はぐのためになると思って……そんなひどいことを……!?」

 「そうだよ。はぐのためにやったんだ。谷倉を処分するのは、はぐにとっても辛いことになるとは思った。だけど、それよりも将来の危険を排除しておくことの方が大切なんだ。他に方法があればよかったんだけど……これが最善だった。分かってくれ、はぐ」

 

 震えて濡れた声。荒く乱れた呼吸。不自然で危険な体の挙動。これ以上は陽面さんが壊れてしまう。そう思って私は彼女のそばに───。

 

 「……っ!そ、そんなの……そんなの……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うっ……うれしすぎるよぉ……!!」

 

 口の端からこぼれる甘く湿った吐息。豊かに熟れた桃のように紅潮した丸い頬。恍惚と快感の涙に浸されてとろける瞳。幸福な痙攣に支配された体で、陽面さんは恥じらいもなく弛緩した顔を晒け出していた。

 

 「…………え」

 「全部……全部はぐのためだったの……!?あの停電も、洪水も──ううん、もっと前から……その前から、はぐが思い出せるよりずっと前から、ぜんぶぜんぶぜ〜〜〜んぶ!!はぐだけのためにしてくれたことなの!?」

 「そうさ!はぐが喜んでくれると思ったから!はぐのためになると思ったから!はぐの幸せのためだと思ったから!僕はどんなことでもやってきた!人を3人も処分(ころ)したって、はぐのためなら大した問題じゃないよ!」

 「うぅっ……!うれしい……!そんなにはぐのことを想ってくれてたなんて……!はぐ、すっごく幸せだよ……!ありがとう、ちぐ!!ずっとずっと大好きだよ〜〜〜!!」

 「こ、こらっ!人前でそんな……!」

 「なんなんなのよいったい!!人が死んでるのよ!!そいつが殺したのよ!!」

 

 目の前の光景に理解が追いつかなかった。どうして陽面さんが笑ってるのか、どうして駆け寄ろうとした私の足は動かないのか、どうして理刈さんが頭を掻きむしって叫んでいるのか、どうして……。

 

 「も、もうやめてよ……!私もう……これ以上は……!」

 「狂ってる……!こいつら狂ってやがる!!やめさせろ!!モノクマ!!」

 「やめさせろって言われても、月浦クンも陽面サンもシロだからなあ。ボクの方から行動を制限させるにはそれなりの理由がないとだから。むしろボクとしては、早いところおしおきに行っちゃいたいんだけど」

 「お、おしおきだと……!ふざけるな!それをされるべきは月浦だ!罪があるのは月浦の方じゃないか!」

 「え?もしかしてオマエラ、人が処刑されるのは罪があるからだとか思ってるタイプ?」

 「あァ!?」

 

 ここではモノクマがルールだ。私たちが何を言おうと、何を訴えようと、モノクマの決めたルールは覆らない。私たちが……私がカルロス君を、クロにしてしまった。それだけは絶対に変わらない。

 

 「まったく、法治国家育ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんたちはこれだからな〜!人が人を裁くなんて傲慢を当たり前に受け入れちゃってさ!人が人を殺すことはどんな形であれ罪だってことを分かってないから、そんなことを言っちゃうんだね!ピュアっピュアなことで!」

 「な、なにを……!」

 「人が人を殺すのは、正義でも裁きでも社会システムでもない!魔女をあぶる炎がギロチンの刃に変わったって!脳みそをぶち抜く鉛玉が首筋をなぞるロープに変わったって!本質は何ひとつ変わらないんだよ!殺していいヤツを後腐れなく殺せる快感!殺人という非日常に無責任なまま興じたいという身勝手な欲望!それがヒトって生物の本能なんだ!

  今だってそうでしょ?どうしてオマエラはカルロスクンを助けようじゃなくて、月浦クンを殺せって叫ぶのさ?どうしておしおき自体を止めようと思わないのさ?オマエラが正義を語るのなら、立ち向かうべきはこのボクじゃないの?我が身を顧みず勇敢に立ち向かうべきじゃないの?ねえねえ?どうなの?」

 「バ、バカなこと……!詭弁よ……!そんなのは……!」

 「突き崩せない詭弁を詭弁とは呼ばないのさ」

 

 モノクマが高らかに宣言する。人が人を殺すことの意味。その本質。私たちは、今までもそんなことを繰り返してきたんだろうか。それを否定できるだろうか。虎ノ森君が処刑されたとき、岩鈴さんが処刑されたとき……悲しかった。つらかった。苦しかった。

 だけど、私は断言できない。あれが私でなくてよかった、なんて思わなかったと、胸を張って言うことができない。何かひとつが違えば処刑されていたのは私の方だった。それが()()()()で終わったことに安堵を抱いたことを、否定できない。

 

 「まあいいさ。ボクは別にオマエラと殺人行為について論じたいわけじゃないからね。さっさとやることをやってしまいたいだけ!裁判の後だってボクは忙しいんだからね!というわけで、ケツカッチンなモノクマプレゼンツ!とっとといっちゃいましょーか!」

 「まっ……!待て!オレはまだ……!こんなところで!こんな……こんな形で……!いやだ!ふざけるな!」

 「ふざけてません!待ちません!オマエが虎ノ森クンや岩鈴サンにしたことが回ってきただけだよ!最初の裁判で棄権でもしてない限り、オマエに意見する権利なんてなーい!」

 「ううっ……!バカげている!こんなことはバカげている!!ふざけるなあああっ!!!」

 「今回は!“超高校級のマタドール”カルロス・マルティン・フェルナンドクンのために!スペシャルな!おしおきを!用意しました!」

 「……悪いとは思ってる。だからせめて、(はなむけ)くらいは贈るさ」

 

 どこからともなく飛び出した金属のアームが、カルロス君のたくましい体を捉える。誰よりも力強い彼でさえ、幾つものアームに掴まれては身動ぎすらできなかった。そんなカルロス君の前に、月浦君と陽面さんが近づいた。

 

 「あ、あのね、カルロスさん……!」

 

 今にも連れ去られてしまいそうなカルロス君に向かって、陽面さんが口を開く。

 

 「ありがとう!はぐたちのために死んでくれて!」

 「——ッ!?」

 

 眩しいほどの笑顔だった。これから彼がどうなるかを知らないみたいに、無邪気な子供のような笑顔で、陽面さんはお礼を言った。

 穏やかな笑顔だった。心の底から感謝するような、優しく温かい笑顔で、月浦君はカルロス君に感謝した。

 

 「では!張り切っていきましょーう!!」

 「ありがとう。僕の思い通りに動いてくれて」

 「ありがとう!はぐの秘密を守るための犠牲になってくれて!」

 「ありがとう。せめて、できるだけ安らかに死んでくれ」

 「ありがとう!さようなら!」

 

 彼がそれをどう受け止めたのかは分からない。少なくとも、いつものように大したことじゃないと笑っていたはずはないことだけは分かる。怒りで震えていたかも知れない。驚きで頭が真っ白になっていたかも知れない。死への恐怖が全てを塗りつぶして何も聞こえなかったかも知れない。

 

 「おしおきターーーーーーーーーーーーーーイムッ!!」

 

 壁の向こうへ吸い込まれていくカルロス君の姿は、誰の目にも残らなかった。私たち全員の意識は、そんな彼ににこやかに手を振る陽面さんと月浦君に注がれていた。狂気的なほど純粋で、残酷なほど無邪気で、決して欠けてはいけない何かが欠けている彼らに。

 


 

 

【GAME OVER】

カルロスくんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 歓声は鳴り止まない。喝采と紙吹雪は止めどなく降り注ぐ。賑やかな音楽に合わせて、真っ赤なドレスを着たモノクマたちが踊り狂う。詰めかけた群衆は互いを潰してしまいそうなほどに密集し、巨大な一本の道を形作る。

 華やかに彩られたパレードカーの上には、全身を拘束されたカルロスが屹立していた。白いスーツから着替え、マタドールジャケットにマントを羽織り、足元はブーツ、頭にはモンテーラを被ったマタドールスタイルになっていた。

 キザに気取ったポーズをさせられたカルロスは、自由の利かない体をよじらせて必死に抵抗する。指一本どころか、服の生地一枚も動かない。布のように軽いのに、まるで鋼鉄のように頑丈だった。

 

 

[英雄カルロスよ 永遠なれ

“超高校級のマタドール カルロス・マルティン・フェルナンド”処刑執行]

 

 

 パレードが始まる。カルロスを乗せたパレードカーが群衆の間をのろのろ進む。カルロスの姿を目にしたモノクマたちは興奮の渦に包まれる。わざとらしく歓声を上げ、からかうように指笛を鳴らし、侮辱のつもりで祖国の旗を振る。

 カルロスはこの上ない屈辱を感じていた。この状況は、何度も夢に見た英雄として祖国に凱旋した自分の姿そのものだった。まだ何も成し遂げていない自分を祭り上げることも、モノクマが祖国の文化を真似事で穢すことも、あらゆることが自分の全てに対する侮辱であった。月浦に利用されたことが些細なことに感じるほど、カルロスは激怒していた。空気を震わせて轟くラッパも、忙しなく気を逸らせるドラムも、耳障りに鳴り響くシンバルも、全てがカルロスの神経に障るばかりだった。

 パレードはつつがなく進行する。カルロスを讃える体をなした、恥辱と嘲笑にまみれた悪趣味な宴は、やがて唐突に終わる。カルロスが乗る車の前に、巨大な物体が現れた。

 

 「……ッ!?」

 

 でっぷりと膨れた胴体を細い脚で支え、天に向かって大きく口を開いている。それは釜だ。体の下に焚べられた炎がその肌が光るほど熱し、口からはもうもうと湯気を吐き出している。まとう熱気が空気を伝ってカルロスの頬をちりちりと刺す。

 パレードカーは真っ直ぐ釜へ向かう。熱気は痛みとなってカルロスを襲う。熱が目に染みて涙が溢れる。空気は暴力的なまでに熱されて肺の奥が焼けそうだ。パレードカーは釜の横に着き、足元を迫り上がらせて、カルロスを鍋の上まで運ぶ。

 まるで地獄の釜だ。体の中まで熱に冒されながらも、カルロスは冷たい恐怖を覚えた。足元には泡を立てるどろどろの銅。身動きの取れない自分がこれからどうなるか、考えなくとも分かる。その恐怖を煽るように、群衆は大きく歓声を上げる。ドラムロールが激しく鳴る。後ろからモノクマの気配が近付いてくる。

 

 「————ッ!!」

 

 カルロスは吼え叫んだ。胸が弾けそうな怒りを。その怒声は大気を揺らし、モノクマの群衆は気圧されて静まり返った。

 カルロスは猛り立った。脳が沸騰しそうな無念を。その咆哮は聴く者の心を撃ち、決して消えない後悔の念を刻みつけた。

 カルロスは吐き出した。心が張り裂けそうな呪いを。自分を嗤う者も、憐れむ者も、讃える者も、この世のありとあらゆるものを呪った。

 カルロスは——————

 

 

 ——————釜に落ちた。

 

 あまりに呆気なく。一瞬のうちに。電源が切れたように。そこから先、カルロスの声を聞く者はいなかった。

 そして重機のアームが釜の底をさらい、そして引き上げる。全身が汚れひとつない銅に包まれた、勇壮たる出立ちと立ち姿の英雄が、釜の中から現れた。重機はそれを丁寧に土台に設置する。

 斯くして、英雄カルロスは永遠となった。その身に宿った絶望とともに、銅の檻に閉じ込められたのだった。

 

 


 

 「エ゛ェッ……!!」

 

 めまいがした。足が震えて力が抜けた。込み上げてきた吐き気を堪えることさえできなかった。指先にはあのときの感触が残っている。今まで意識しないようにしていた、()()()()()()()()()だ。

 カルロス君は怒っていた。嘆いていたし、呪ってもいた。自分を処刑に追い込んだ全てを。つまり、私たちもだ。どれだけ御託を並べても、私たちはカルロス君を処刑台に送り込んだ。それは絶対に揺らがない事実だ。私は、カルロス君に恨まれていなくちゃいけないんだ。そう思うと、私は自分をぐちゃぐちゃに破壊してしまいたくなった。こんな罪深さを抱えて生きていくことに耐えられない。

 

 「うっぷっぷ!よかったねえカルロスクン!憧れてた英雄になれてさ!きっとみんな君のことは忘れるまで覚えてると思うよ!だーっひゃっひゃっひゃ!」

 

 目に映る全てを否定したい。耳に入る全てを拒絶したい。こんな現実を私は生きていたくない。こんな絶望がこれから先も繰り返されるなんてとても耐えられない。それなのに私は……死んでしまうことを恐ろしいと感じてしまう。

 現実を受け入れる強沙なんてありもしないのに、現実を諦めて捨ててしまう弱さもない。中途半端な私の心は、ゆっくりと崩れていきながら、それでも心の形だけは失わずに、ただただ終わらない苦しみの中にあった。

 

 「ううっ……!ひぐっ……ひっく……!」

 

 すすり泣きから聞こえた。そんなのは珍しいことじゃない。またコロシアイが起きて、誰かが処刑された。それは昨日まで一緒に朝ごはんを食べていた彼らで、今朝まで他愛ない言葉を交わしていた彼女らで、さっきまで一緒に戦っていた仲間だ。仲間を喪って涙を流さない人なんていない。

 だから、どうして陽面さんが泣いているのかわからなかった。処刑台へ連れていかれるカルロス君を、「ありがとう」なんて言葉で見送った彼女が、どうしてカルロス君のために泣けるのか、理解できなかった。

 

 「うあああんっ!!カルロスさんが死んじゃったよう!!みかどちゃんもたいしさんも……みんな死んじゃった!!」

 「大丈夫だよ、はぐ。僕はずっとはぐの傍にいるから、僕だけは絶対にはぐの前からいなくなったりしない」

 「うぅ……ちぐぅ……!」

 「なんなのよ……!!なんだっていうのよあなたたちは!!」

 

 理刈さんがヒステリックに叫んだ。その声に驚いて、陽面さんはいっそう泣き声を張り上げる。陽面さんが抱き寄せて、月浦君は理刈さんを睨む。

 

 「どうしてあなたが彼のために泣けるの!!あなたたちに殺されたような——いいえ、あなたたちがカルロスさんを殺したのよ!!泣く資格なんてないでしょ!?誰のせいでこうなったと思ってるのよ!!いったい何を考えてるのよ!!」

 

 髪をかき乱しながら、目を涙で真っ赤にしながら、落ちた眼鏡を拾おうともせず、理刈さんはただただ絶叫し続けた。息継ぎする暇もないほど畳み掛けるその非難に、それでも月浦君は、ただ一言。

 

 「誰のせいでもないんだよ」

 

 冷たく言い放った。

 

 「3人を死なせた罪は僕にある。ただそれだけだ」

 

 その言葉は、何かを私たちから奪い去った。何か、これだけは失ってはいけないはずのものを。

 彼は私たちとは違う常識に生きている。彼女は私たちとは違う感情で生きている。2人は、私たちとは根本的に違う生き物なんだと思い知った。私たちと同じ姿で、私たちと同じ言葉を話し、私たちと同じものを食べているけれど……私たちとは全く異なる。そんな生き物を前にしたとき、人は……きっとどんな生き物でも、こう感じるのだろう。

 

 排除しなければ、と。

 


 

 「あ〜あ!せっかくおしおきしたっていうのに、オマエラずっとそこの2人に釘付けなんだもんな!つまんねーの!もっとアビィなキョーカンとかキコクなシューシューとかを期待してたのにさ!」

 

 空気をあえてぶち壊すようなモノクマの発言で、僕たちは強制解散させられた。おそらくあれは、あのまま自暴自棄になって秩序が失われる前に、各々が休息を取れるようにしたモノクマなりの配慮なのだろう。半分は本心だろうが。

 周りの奴らほどではないにしろ、僕もいい加減このコロシアイと学級裁判、そして処刑の繰り返しに辟易してきた。無意味に死んでいく彼らを見送るのはいい気分ではないし、モノクマの支配が強まれば自分の身にも危険が及ぶ可能性が高まる。今さら結束を叫んだところで、自分の言葉に力がないことくらいは記憶している。せめて今日この日のことを記録しておこう。後々、何かの役に立つかも知れないことに期待して。

 

 「あっ、あの……!」

 「?」

 

 いつもこのあたりで現れるあの不快な声ではなく、いかにも僕にビビっているという声が聞こえてきた。振り向いてみれば、そこにいたのは妙なサングラスをかけた宿楽だった。グラスの表面には意味不明な顔文字が表示されていて、もじもじと指をいじっている。分かりやすすぎるほど緊張が態度に現れていた。

 こいつが話しかけてくるのは珍しい。それも、学級裁判の直後になんて。

 

 「なにか用ですか?」

 「よ、用っていうほどのことじゃないかも知れないんだけど……」

 「あなたが話しかけてきたんでしょう。あなたが用かどうかを判断しないで誰がするんですか」

 「あ、ごめん……じゃあ用です」

 「その中身を聞いてるんです。同じ質問をさせないでください」

 「うう……」

 

 甲斐のように僕に反抗してくるわけでもない。湖藤のように僕の腹を探るわけでもない。言われたことを言われたままに受け取って、そのまま受けれいてしまう。アホというか素直というか、そんなことでよくまだ生きていられるものだ、と却って感心してしまう。

 

 「えっと……さ、裁判、おつかれ……。尾田さんがいてくれたおかげで、助かったよ」

 「助かった、というのは?」

 「うん?そのままの意味だよ。尾田さんが積極的に推理してくれたから……悲しいものだったけど、真相が分かった。尾田さんがいなかったらどうなってたか」

 「どうもなってませんよ。僕が分かることなら、湖藤クンにもだいたい分かるでしょう」

 「そんなことないよ!」

 「はあ?」

 「今回の捜査で分かったんだ。湖藤さんはちょっとの証拠から色んなことを推理して、しかもそれが怖いくらい当たる、すごい人なんだって。でも、湖藤さんは足が悪いから、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れるものには限界がある。その限界は、私たちよりずっと少ない。だからこその推理力なのかも知れないけど……それが湖藤さんの弱点でもあるんだよ」

 「で?」

 「でって言われると……あっ、だ、だから、尾田さんはその点、湖藤さんに負けない頭の良さもあるし、その上自分でどこでも行けるしなんでもできるじゃん!だから……そんなに謙遜することないっていうか」

 「別に湖藤クンを上げてるつもりはありませんが」

 

 なんなんだこいつは。なぜ僕に湖藤の話をするんだ?湖藤は甲斐の話をするし、こいつは湖藤の話をするし。なぜ僕は人から他人の話をされるんだ。なんの罰ゲームだ。おまけに湖藤と違って、こいつの話は要領を得ない。湖藤の行動が制限されていることくらい、誰だって見れば分かる。

 

 「今回の動機のことだって、尾田さんはずっと前に分かってたんでしょ?もしそのとき、尾田さんが裏切り者になって、みんなのために凶器を捨てたりしてたら……3人は死なずに済んだんじゃないかなって」

 「つまり、僕や湖藤クンにも責任の一端があるということですか?事件が起きうる状況を看過したという責任が?なぜ僕らがあなたたちの安全な生活に対してアンバランスな責任を負わなくてはいけないんですか?いつから僕らはあなたたちの保護者になったんですか?自分は巻き込まれただけで無関係で無責任だと思いたい気持ちはお察ししますが、他人に責任を擦りつけることでその事実を作り上げようとしているのなら、その行為自体がすでに相当罪深いことを忘れないでいてください」

 「ひええっ!ご、ごめんなさい!そ、そんなつもりじゃないよ!」

 

 ちょっと脅かしてやったら過剰なほどの悲鳴をあげられた。これくらい素直なアホの方がストレスがかからなくてちょうど良い。

 遊びはこれくらいにしておこう。これだけ脅かせば話す気も失せただろう。そう思って部屋に帰ろうとすると、宿楽は意外にも食い下がってきた。

 

 「ちょ、ちょっと待ってよ尾田さん!あの……気分を悪くしたんなら、ごめんなさい。でも、私、お願いがあって……!」

 「は?お願い?」

 「その、尾田さんが、裁判以外でも私たちの助けになってくれたら、心強いなって思って」

 「……あなたもですか」

 「え?」

 「そんな話は湖藤クンから散々されていますよ。うんざりするほど」

 「そうなの!?じゃあなんで仲間になってくんないの!?」

 「あの、勝手に判断しないでもらえます?僕は別にあなたたちに協力しないとは言ってないでしょう」

 「……うぅん?」

 「……ほんっとうにアホですね、あなた」

 「面目ない」

 

 なんなんだこいつは。

 

 「要するに、必要なときは協力します。過剰に親密になるつもりはありません。理由がなければ敵対もしません。そういうことです」

 「え、でも奉ちゃんとめちゃくちゃ仲悪いよね?」

 「それは個人的な印象の問題であって、あなた方には何ら関係ありません。そもそもいつの間に甲斐サンがあなたたちの中心にいるんですか?柱に据えるならもっと頑丈な人の方がいいですよ」

 「……ああ、心配してるんだね!」

 「なんでそうなる……」

 「ふむふむ……()()()()()()か。それもアリかも」

 「もう行っていいですか。不愉快なので」

 「待って待って待って!あの、不愉快ついでにもう1個聞きた——無視しないでよ!」

 「掴むな袖を!引っ張るな裾を!」

 

 甲斐や湖藤よりは御し易いかと思ったが、こいつはこいつでアホすぎて振る舞いが唐突だ。どちらかというと動物に近い扱いづらさがある。

 

 「あの……!私たち、モノクマに勝てると思う!?」

 「質問の意味が分かりません」

 「モノクマの目的って本当にコロシアイなのかな!?モノクマを操ってる黒幕は本当は何がしたいのかな!?ここって本当に希望ヶ峰学園なのかな!?私たちなんか見落としてないかな!?尾田さんの考えを聞きたいんだよ〜!」

 「……なんですって?」

 

 ほぼ聞き流していたのに、ひとつの質問だけが耳に残った。それは、当然湧くはずの疑問だ。これまで何度も考えてきたはずのことだ。だが、今こうして尋ねられたことで質問の受け取り方が変わった。なぜ今までそのことについて考えなかったのか……いや、考えてはいたはずだ。考えたことを忘れていただけのはずだ。

 癪だが仕方ない。どうやらこのアホによって、僕はようやくそのことを思い出せたらしい。まったくもって不本意だ。しかし事実なので変えようがない。

 

 「……」

 

 とはいえ、このアホが本当にそこまで意図して尋ねたとは思えない。偶然の力というのは分からないものだ。

 

 「ふんっ」

 「んぁあっ」

 

 裾と袖を掴む宿楽の手を払って、僕はさっさと自分の部屋に戻った。後ろから伸びやかに僕を呼ぶ宿楽の声が聞こえたが無視した。シンプルに恥ずかしいので。

 結末の見えた裁判。そのくせ問題ばかりが積み上がる極めてコスパの悪い時間。そう思っていたが、最後の最後で思わぬ収穫があった。他にも気になることはいくつかあるが、もう少し深く考えていかなければいけないだろう。

 このコロシアイの本当の目的——モノクマの正体——僕たちはいったい、何をさせられているのか。




春ですね。


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第四章 獅子食む狐は塩に変ず
(非)日常編1


 

 「オマエさあ、なに考えてんの?これ絶対ヤバいよ!」

 

 ぽふん、と優しい音がした。モノクマが荒っぽくテーブルを叩いた音だ。綿の詰まった手ではろくな威圧もできない。それでも、相対する人物は言い訳がましい言葉を並べる。それを聞いたところで、モノクマの溜飲は下がらない。

 

 「オマエがどう思ってるかなんてどーだっていいんだよ!要はあいつらにオマエの正体がバレちゃったかも知れないってことが問題なわけ!ったく、ろくに役に立たないくせにボロばっかり出しやがって!」

 

 モノクマに叱られた人物はただ平謝りするばかりだ。軽率な行動をしたことは間違いない。言い訳の余地もない。もはや隠すことはできない大きなミスを、モノクマは犯してしまった。まだそれに気付いている者はいない……ように見える。ただの気休めに過ぎないが、それだけが救いだ。

 

 「まだ12人もいるんだよ。最低でもあと半分にしないと、条件が揃わないじゃないか!許してほしかったらあと5人道連れにして上手いこと死ね!得意だろ!」

 

 最後の言葉の意味はモノクマにしか分からない。しかしそれを聞き返せる雰囲気ではなかった。

 

 「そろそろボクが本格的に引っ掻き回す頃合いかなと思ったのに、オマエのせいで下手に動けなくなっちゃたじゃないか……仕方ない。テコ入れでもしてあいつらの気を逸らすしかない。ヘマすんなよ!もう行け!」

 

 モノクマのやわらかい足で蹴られ、叱られていた人物は慌てて部屋から出て行った。どうやらこの後のことはモノクマがなんとかするらしい。自分はこれ以上余計なことをせず、上手く立ち回りつつ静観し続けるのが得策なのだろう。その上手い立ち回りというのを教えてほしいのだが。

 


 

 私は目を丸くした。こうなることを少しも考えなかった自分に驚いて。考えてみれば、それが一番自然(ごうりてき)なことなのかも知れない。なんだかんだで、みんな彼女のことを信頼していたんだ。そして、私じゃ谷倉さんの代わりにはなれないんだ。

 

 「お、奉奉(フェンフェン)。おはよー」

 「……長島さん、それ……?」

 「へっ?ああ……朝ごはんアル。美美(メイメイ)みたいに立派なのは作れないから簡単にネ」

 

 通りすがった長島さんは、細長い揚げパンと豆乳のスープが載ったお盆を持っていた。どちらも冷凍食品やインスタントのものだ。すでにテーブルについてる芭串君や庵野君は、それぞれ自分で用意したらしい別々のご飯を食べていた。

 そして食堂の中心には、幸せそうな笑顔で2人分のしっかりした朝ごはんを用意した月浦君と、うっとりした顔で月浦君にくっついてご飯を食べさせてもらっている陽面さんがいた。まるで他には誰もいないかのようにベタベタしている。

 

 「奉奉(フェンフェン)、あんまり見ちゃダメヨ。目の毒ネ」

 「……なんで?」

 「なんでって、あんなイチャイチャべったりしてるの見てもなーんも面白いことないネ」

 「なんでみんな朝ご飯食べてるの……?」

 「んえ」

 

 まるでそうすることが当たり前かのように。私は食堂を出た。それが現実だと受け入れたくなかった。私たちの絆は、つながりは、こんな簡単に壊れてしまうほど脆いものだったんだって、目の前に突きつけられたようだった。

 とにかく必死に逃げ出した私は、前も見ずに走っていたせいで、何かにぶつかって転んでしまった。

 

 「うわっ!?ま、奉ちゃん!?いたた……ど、どうしたの?」

 「あっ……」

 

 私がぶつかったのは風海ちゃんだったらしい。尻餅をつきながらも私のことを心配してくれてる。そのとき初めて前を見たら、理刈さんと毛利さんも一緒だった。理刈さんは心なしか顔色が悪くて、たぶん風海ちゃんと毛利さんが呼びに行ってたんだと思う。

 

 「何があった?まさか……!?」

 「う、ううん!ちがうの!私が……私が勝手に……!みんな……朝ご飯、食べてたから」

 「朝ご飯?」

 「……谷倉さんがいなくなって、みんな自分のご飯は自分で作るようになって……なんか、寂しくて」

 「同じ釜の飯を食う仲でいたかったということか?確かに、食事はほとんど谷倉に任せていたから、いきなり全員分を誰かが作るのは難しいと思うが……」

 

 自分でも何を言ってるのか分からない。毛利さんが言うような、気分的なことなんだろうか。でも、決して無視しちゃいけないようなことの気もする。これを見逃してしまったら、私たちは今度こそ決定的に決裂してしまうような気がした。

 言葉にできない感情を吐き出されて、風海ちゃんも毛利さんもきょとんとするばかりだった。普通は、こんな要領を得ない発言を前にしたら、それくらいしかできない。でも、理刈さんは少し違った。

 

 「違うでしょ。甲斐さんが言いたいのは、そういうことじゃないわ」

 

 毛利さんは、床にへたり込んだ私に手を伸ばしてくれた。

 

 「みんな谷倉さんのご飯は素直に食べていたわ。最初のうちは疑いこそあったけれど、私たちはコロシアイなんて状況下でも、彼女のことは信頼していたのよ。でも谷倉さんはもういない……だから、みんな他の誰かが作るご飯が信じられないから、自分で自分のご飯を用意してた。甲斐さんは、そのことがショックだったのよ。私たちが信じてた絆は、谷倉さんひとりを喪うだけで簡単に崩れ去ってしまうほど儚いものだったんだって……」

 「……っ!」

 「分かるわよ。甲斐さん。あなたの気持ちが。痛いほど」

 

 優しく、温かく、理刈さんが抱きしめてくれた。小さく震える彼女の腕は、決して頼もしくも心強くもない。だけど、すぐ近くに寄り添ってくれる安心感は確かにあった。私の気持ちを理解してくれる優しさは間違いなくあった。

 

 「信じていたものが崩れ去っていくのは辛いわ。何度経験したって慣れるものじゃない。だけど、崩れる前には確かに積み上げてあったの。私たち全員がそれを知ってるわ。だから、あなたが——私たちが今までしてきたことは、これからやり直しにはなるけれど、なかったことにはならないの」

 「……な、なかったことに……ならない……?」

 「少なくとも、ここにいる私たちは、あなたがみんなのために心を砕いていることを知っているわ。誰よりもこのコロシアイに疲弊していることを知ってるわ。だから、もし他の誰かを信じられなくなっても、私たちだけはずっとあなたの味方よ」

 「……う、うん……!ありがとう……!」

 「……んん。まあ、なんだ。理刈の言う通りではあるんだが……改めて言われると、こう、少し照れ臭いな」

 「理刈さんて法律一辺倒の頑固さんじゃなかったんだね。思ったより元気あるみたいでよかったよ」

 「私をなんだと思ってるのよ」

 

 そう言う理刈さんも、少し顔を赤らめている。毛利さんが冷静に恥ずかしがってるのを見て、私もなんだか恥ずかしくなってきて、袖で涙を拭いた。

 そうだ。もともと月浦君と陽面さんは二人だけの世界で生きていただけ。長島さんはリアリストだから慎重になってるだけだし、芭串君や庵野君もコロシアイの中でも人の気持ちを考えられる人だ。今日は谷倉さんがいなくなって最初の朝だから勝手が分からなかっただけで、後でちゃんと話せばきっと分かってくれる。湖藤君だっている。

 3人も人が減ったのは寂しく感じるけれど、まだ私たちには仲間がいる。いなくなった人たちを悼むことに意味はあるけれど、落ち込んでばかりいても何も始まらない。少し励まされただけでそこまで考えちゃう私は、結構単純な人間なのかも。

 

 「奉ちゃん、元気になったみたいだね」

 「うん……でも、やっぱりまだ体が重い気はするかな……」

 「無理はするな。ゼリーかバナナか、ホットミルクだけでも胃に入れておいた方がいい。今日は……アレだからな」

 「うん、アレだね」

 「アレ?」

 

 毛利さんと風海ちゃんは何か通じ合ってるみたいに曖昧な言葉を交わした。その意味が分からないまま、私はみんなと一緒に食堂に戻った。相変わらずそこはまとまりのない空間だったけど、さっきよりは少しだけ前向きに受け取ることができた。

 その後、湖藤君と尾田君、遅れてきた王村さんがやってきて、この建物にいる全員が揃った。全員がバラバラの朝ご飯を食べ終わった頃、タイミングを見計らったかのようにモノクマが現れた。

 

 「やっほーーーい!!オマエラ元気してるゥーーー!?」

 「んっだよ……朝からうっせェなァ……頭に響くだろィ!」

 「そりゃオメーが夜中まで飲んでたからだろ!なにこの状況で深酒してんだ!いい加減取り上げるぞ!」

 「うっせェ!飲まなやってられっか!」

 「今日はずいぶん荒れてますね、王村さん」

 「王村さんなりに辛いことがあったんだよ、そっとしておいてあげよう」

 「ささ、そんなことはどうでもよくて。オマエラ!今日はアレだよアレ!」

 「アレって?」

 

 毛利さんと風海ちゃんが言ってたことと同じことをモノクマが言う。アレとはなんだろう、と尋ねてみると、モノクマは嬉しそうに笑った。

 

 「やだなあ甲斐サンったら!ボクのプリチーなお口からそんなこと言わせるつもり?今時の女子高生はゲスいんだからなあ」

 「なに?いやらしいことなの?」

 「新エリアの開放だよ!!もう3回目なんだからパターン化して覚えてよ!!」

 「あっ……普通に忘れてた」

 「普通に忘れるなよ」

 

 パターン化と言われても、1回目はコロシアイのショックでそれどころじゃなかったし、前回は建物ごと変わって前の建物は吹き飛んだし、あれを同じレベルのものと思えっていうのはちょっと厳しいんじゃ……。

 そんなことより、新エリアっていうことはつまり、新しい部屋や施設が開放されるっていうことだ。この広い本館でも、私たちはまだ地下1階から2階までの3フロアしか見ていない。ホールから上を見上げればまだまだ上があるようだったし、これで全部開放ってわけにはいかないんだろう。

 

 「それじゃー行ってみよー!2階の階段前に集まってね!」

 


 

 3階へ続く階段は、無骨なシャッターに阻まれていた。太い鉄の棒を何本も並べただけだから隙間だらけだけど、私たちが突破を諦めるには十分な頑丈さを見せていた。触れば手に錆がついてしまいそうなほど汚らしいから、女子は触ってもいない。

 集まった私たちの前で、シャッターはキリキリと不快な音を立てて開いた。錆がポロポロと剥がれ落ちて、3階への階段の1段目を汚した。

 

 「さあオマエラ!新しい世界へご案内だよ!ここまで3度の学級裁判を生き残ったオマエラに、ボクから心ばかりのプレゼントを用意しました!」

 「どうせろくでもないものでしょう」

 

 尾田君の言うとおり、モノクマがプレゼントなんて言うものが本当に嬉しかった試しがない。私はそんな意味のない言葉は聞き流して、それよりもきちんとここから上の階段にスロープが設けられていることに、ほんの少し安心していた。宿楽さんや庵野君の助けを借りて、湖藤君を3階まで運ぶ。

 真ん中にホールがある本館の構造上、2階は長い廊下に沿う形で小さな部屋がいくつも並ぶ造りになっていた。だけど3階は、そんな制約を打ち破ることを意識したかのような、それともただの反骨精神でやけくそになったのか、巨大な部屋が2つあるだけだった。ちょうど本館の東側と西側に造った部屋の壁を取っ払ってホールにしたような感じだ。

 

 「じゃじゃじゃーーーん!!ようこそオマエラ!!ホールフロアへ!!」

 「ホールフロアって……なんて贅沢な空間の使い方してやがんだコレ……」

 「2部屋だけって、ずいぶん思い切った構造だね」

 「ここはぶっちゃけ探索する必要もないくらいシンプルな造りしてるから、せっかくだからボクがツアコンしてあげるよ!使い方に関してちょっとだけ注意事項があるから、ちゃんと聞いてよね!」

 「4階は……まだ開放されないのね」

 「“まだ終わらせるつもりはない”ってことですか。まったく、気が滅入りそうです」

 

 揚々とモノクマが私たちを引率する。3階へ階段を上がったすぐ隣では、さらに上のフロアに続く階段がシャッターで仕切られていた。裁判を乗り越えるたびに新しいエリアが開放される。つまり、4階以上へ行くためには、また新しく学級裁判をしなければいけないっていうことだ。つくづくモノクマの悪意のマメさに嫌気が差す。

 まず私たちは3階の東側、青い大きな扉を構えた部屋の前に来た。扉は両開きになっていて、重厚な雰囲気に似合わず陽面さんでも簡単に開けられるようだ。部屋の前にかけられた札には、“パーティーホール”と書かれている。こんな状況でパーティーなんかする気分になれるわけがない。

 

 「じゃーーーん!!ここがパーティーホール!!いつでも誰でもどんなパーティーでも開けるスペースだよ!!」

 

 開いた扉の向こうは、まさにパーティーホールの名に相応しい、広々とした空間が広がっていた。柱や壁が一切ない真四角の空間。目算でも、地下にあるプールよりずっと広いことが分かるくらいには大きな部屋だ。床から天井までを埋め尽くす紋様や壁に埋め込まれた柱の意匠も高級そうで気になるところだけど、何より目を惹くのは、ホールのど真ん中に設置された大きなシャンデリアだ。

 シャンデリアの造りのことはよく知らないけれど、照明を受けてキラキラ輝くダイヤ型のガラス飾りが無数に集まって、まるでひっくり返したウエディングケーキに王冠を被せたような形をしていた。天井が高いおかげでなんとかなってるけど、背の高い人だと頭のてっぺんが先端にぶつかりそうだ。それくらい、無駄に大きい。

 

 「おっきいシャンデリアでしょ?ボクがひとつひとつ丁寧に磨いてくっつけて造ったんだから!オマエラ!頭なんかぶつけたら承知しないからな!」

 「手作りのシャンデリアかよ!?なんなんだその無駄なこだわりはよ!?」

 「きれいだけど、ちょっと眩しすぎないかな?」

 「光量の調節はできないので悪しからず。いちおう奥の控室に電源はあるけど、絶対に切っちゃダメだよ。絶対だぞ!?」

 「フリになってねェか?」

 「心許ない支えですねえ。あんなバカでかい物が、よくあんな支えで吊られてるものです」

 

 尾田君が天井を見上げながら言った。シャンデリアは一本の太いワイヤーが天井付近の円形の金具に繋がっていて、その金具が同じくらい太いワイヤーで天井の4ヶ所に繋げられていた。確かに、これは不安になる。心なしかシャンデリアがふらふら揺れてるような気もする。

 

 「奥の控室は見られますか」

 「もちろん!ここには今のところ何もないでしょ?控室にはその分色々あるよ!あ、椅子とかテーブルはあっちの倉庫から出してね」

 

 モノクマがあちこちを指差して、思いの外、手際よく案内してくれた。控室には空調や電気の制御盤が設置されていて、これでホールの機器を操作できるそうだ。スタンドマイクや演説台、プロジェクター、お立ち台にカラオケマシーン、ビンゴマシーン、くす玉、急なスピーチでも使えるモノクマ印のジョーク集(何ページか見たけど、あまりに下品で読むに耐えなかった)などなど……。これでパーティーを盛り上げろってことか。押し付けがましいというか何と言うか。

 

 「倉庫も見てみますね」

 「ぐいぐいいくじゃんあいつ。ひくわ」

 「なんでお前が引いている……?」

 

 モノクマの案内がなくても尾田君がどんどん自分から探索を進めるから、モノクマの方が呆れてしまっている。たぶん尾田君のことだから、罠が仕掛けられてたりしないかとか、何か危険なものがないかとか、積極的に知っておきたいんだと思う。それを自分のためだけにやってるから、本当に勿体無いと思う。知ってることを私たちに教えてくれさえすれば、こんなに頼もしい人は湖藤君の他にいないのに。

 倉庫は控室に輪をかけて雑多だった。丸テーブルやロングテーブル、パイプ椅子にキャスター付きの椅子、横断幕から花輪、レクリエーショングッズにペンキ、ビールかけ用のビール(ノンアルコール)、シャンパンファイト用のシャンパン(ノンアルコール)、鏡割り用の酒樽(ノンアルコール)、鯨幕に掃除道具まで……。もはや何の部屋なのか分からないくらいのラインナップが、不気味なほどに整頓して保管されていた。

 

 「全部ノンアルじゃねェかオイ!!」

 「当たり前でしょ。王村クンはいいけど、他の人がお酒なんか飲んだら大変なんだから!コンプラとかポリコレとかダブスタとかマジうざいよね〜!」

 「わざわざアルコールを抜いた物を用意する妙なこだわりの方が気になりますが」

 「せっかくパーティーとかするんなら盛り上がってほしいからね!ボクは気の利くクマなのです!」

 「パーティーなんかしませんよ、こんな状況で」

 

 こんなところにこんな大量にお酒があったら、間違いなく王村さんが入り浸って酒臭くなる。ノンアルにしてまで用意するものかと言われれば微妙だけど、その配慮はとりあえず正しかったんだろう。

 パーティーホールで見るべきことはそれくらいだ。入り口は正面にある大きな両開きの扉だけ。窓も他の出口もなくて、控室と倉庫は行き止まりだ。常に明かりをつけておかなければいけないことと冷房をつけてはいけないこと以外に、ホールの注意事項でおかしなことはない。その2つも、控室にある制御盤をわざわざいじらなければいいだけの話だ。

 


 

 3階の西側。パーティーホールの青い扉と対を成すようなオレンジ色の扉の前に、私たちは集まっていた。

 

 「青の反対は赤じゃないの?」

 「裁判場と間違えてみんながここに集まったら面倒でしょ。これもボクなりの配慮なの!」

 「なんて押し付けがましい配慮」

 

 こっちの扉も、パーティーホールと同じように簡単に開く両開きの扉だ。扉の配置と色だけじゃなく、中の造りも、3階は向かい合わせになっているようだ。ただしこっちは、入ってすぐ両側が背の高い壁になっている細い通路が延びていた。その先に進むと、正面には巨大な緞帳が下りた舞台があった。私たちが通ってきた通路は、鑑賞席の間に作られた通用口だったようだ。映画館と同じ造りだ。

 

 「うっぷっぷー!ここはコンサートホール!舞台の上で歌ったり踊ったり演奏したり、なんでもしていいよ!ちゃんと鑑賞席も用意してあるからね!S席はドリンクとモノクマオリジナルグッズがついて7200モノクマネー!」

 「金とんのかよ!?」

 「どこからどこがS席なんだ……?全部同じに見えるが」

 

 鑑賞席に座ってみると、ホールのどこからでもステージがよく見えるよう、扇型に造られていることが分かった。席は座面を倒して使うよくあるタイプで、ドリンクホルダーが1席1つ付いてる。私たちが席を調べてる間に、湖藤君と尾田君は舞台の緞帳を見ていた。

 

 「……ふぅん?」

 

 緞帳は巨大な刺繍がされている。モノクマと、何人かの人が、まるで対立するように描かれていた。背景には煙のあがる街の影や積み重なる瓦礫が配され、モノクマの顔をした人々はその戦いの狭間で打ち拉がれるようにもがいていた。

 

 「これもモノクマが?」

 「もっちろーん!ここにあるものはぜーんぶボクが作ったんだからね!褒めて褒めて!」

 「泣きたくなるほどの趣味の悪さですね」

 「カラッカラの目で何言ってやがんだコノヤロ!」

 「この緞帳の向こうは見られる?」

 「うん、いいよ。開けどんちょ〜〜〜!!」

 

 どうやって操作してるんだか、モノクマの声とともに舞台に降りていた緞帳がするすると上がり始めた。何かうんざりするような仕掛けがされているものかと思いきや、舞台はとてもシンプルな板張りになっていて、照明や書き割りがいくらか置いてあるだけだった。特に整理されてないのが、ついさっきまで何かが演じられていたような気配を感じさせて気持ち悪い。

 

 「舞台裏は?」

 「あっちの扉から入っていけるよ。でも狭いから湖藤クンだと入れないかも」

 「そ。それなら、ここじゃあぼくはただのお荷物ってとこかな」

 「ええ。狭い通路に階段だらけですから、あなたひとりがいるだけで僕たち全員の動きも制限されてしまいます。お荷物と言って差し支えないでしょう」

 「ひどいなあ。自分で言うのと人に言われるのとじゃ違うんだよ」

 「面倒臭い人です」

 

 二人でそれ以上の言葉は交わさずに、尾田君が舞台裏に入り、湖藤君はひとりで車椅子を漕いでホールの外に出て行った。私は湖藤君のことが気になりつつも、舞台裏の中のことも気になって、嫌だけど尾田君がいる狭い部屋に行くことにした。すごく嫌だけど。

 


 

 舞台裏は、モノクマが言っていた通りの狭い空間だった。舞台演劇に使うんだろう大道具が所狭しと並んで、カバーかけたバスケットには小道具が雑多に詰め込まれ、いくつもの衣装が衣装ダンスにしまってあった。

 尾田君は、適当に物色しているように見えた。そこにあるものよりも、壁や床や天井、小さな階段の裏まで、何かが隠されていないかを慎重に確かめている様子だった。

 

 「何やってるの?」

 「モノクマの罠が仕掛けられていないか確認しています。それと現状確認」

 「罠?現状?」

 「基本的にモノクマが能動的に僕らを攻撃することはありませんが、コロシアイを促す仕掛けが施されている可能性は十分あり得ます。そして現状確認は、誰かがここにあるものを使って()()をしようとしていたときに感知できるようにするためです」

 「やっぱり、またコロシアイは起きると思うの?」

 「二度と起きないと100%の確信を持って言えないのなら、また起きると考えるべきでしょう。少なくともモノクマはまだまだやる気です」

 「そこまで考えてるなら、コロシアイを防ぐための方法を……」

 「無駄なことはしたくありません。それにコロシアイを防いだところで、モノクマを打倒できなければ意味がありません。あなたはそこまで考えて行動していますか?」

 「……」

 

 それを言う間、尾田君は私に一瞬たりとも視線を向けなかった。相変わらず愛想が悪い。そんなんだからひとりぼっちになっちゃうんだ。湖藤君はどうしてこんな人と仲良く話せるのか分からない。私の心が狭いのかな。自分で言うのもなんだけど、まあまあ広い方だと思うんだけどな。

 

 「とはいえ、できることならコロシアイ自体を防ぐべきでしょう。コロシアイが起きればそれだけで全員が強制的にリスクを背負わされます」

 「結局、私の言ってることと同じじゃん」

 「いつ僕が反対しましたか?あなたは先の先まで考えて発言してるのか?と訊いたに過ぎません。あなた、小学校の国語の成績悪かったでしょう?」

 「尾田君は高かっただろうね。でも通知書の合計より呼び出し回数の方が多かったんじゃない?」

 

 ダメだ。尾田君と話してると頭が痛くなってくる。確かに言われてみれば、尾田君は私の言うことを否定はしても反対はしてない。でも、反対しているように聞こえる言い方を敢えてするのもどうかと思う。

 

 「そんなことより、ずいぶん立ち直ったようですね。無理してませんか?」

 「えっ……む、無理なんてしてないよ。ちょっと……考え方を変えただけ。立ち直ったんじゃないよ」

 「……ま、なんでも構いませんが、その点は安心しました」

 「あ、あんしん……?」

 

 尾田君が?私のことで?安心?もしかして、心配してくれてたりとか——。

 

 「壊れた人間は何をするか予測できません。正気を保ってくれていた方がまだマシですから」

 「返してよ!」

 「何も借りてませんが」

 「ちょっと尾田君を見直しかけそうになった私の気持ち!」

 「未遂じゃないですか。見直される筋合いもありません」

 

 やっぱりダメだこの人。

 


 

 舞台裏の様子は分かったけど、その代わりに大きなストレスも抱えることになった。どうやら尾田君は3回も学級裁判を経験して、まだ私たちとは協力するに値しないと判断してるらしい。湖藤君だけは特別視してるみたいだけど、湖藤君はみんなが特別視してる人だ。尾田君だけの湖藤君になんてさせない。

 

 「奉ちゃ〜ん?尾田さんとせま〜い舞台裏で何話してた——あっ、ごめん。怒らないで……」

 「別に怒ってないけどっ」

 「その顔とその言い方で鏡に向かってご覧なさい」

 「むしろ尾田君と怒らずに話せる人なんているの?二言目には人を馬鹿にするようなこと言ってさ」

 「まあ尾田さんってそういう人だから。あ、でも私がこの前話したときは、結構私の話をちゃんときいてくれたよ」

 「……え?」

 

 ん?なんだろ。

 

 「まあ、奉ちゃんと違って私は本当にアホだから、尾田さんにアホアホ言われても別にノーダメっていうか。でも私のお願いもちゃんと聞いてくれたし、なんか感謝っぽいことも言われたなあ(嘘)」

 

 尾田君が……お願いを……!?感謝……!?風海ちゃんに?

 

 「そんなバカな。聞き間違いとかじゃないの?」

 「さすがにそんな都合の良い聞き間違いなんかしないよ!なんだったら尾田さんに確かめてみようか?」

 「無理だと思うよ。尾田君、天邪鬼だから絶対本当のこと言わない」

 「お〜、さすが奉ちゃん。尾田さんのことよく分かってるね!」

 「やめてよ」

 

 どう考えても尾田君が人に感謝なんかするわけがない。風海ちゃんと話すことはあったとして、心の底から馬鹿にするだけだと思う。なのに、風海ちゃんが尾田君とまともに話せたという話を聞いて、私はなんとなく心持ちが悪いような気になった。なんでこんな気分になってるのかも分からない。でも、なんか面白くない。

 

 「あ、そだ。奉ちゃん、もうちょっとこの階を調べてみようよ」

 「うん?いいけど、どうして?」

 「いやーん、ここじゃあ言えないなあ。言うなら、湖藤さんと3人で、ね?」

 「……ああ、そっか」

 

 なんだか意味深な言い方をするから、私たちの会話を小耳に挟んだらしい理刈がすごい目で見て来た。でも別にやましいことがあるわけでもやらしいことがあるわけでもない。

 風海ちゃんが言ってるのは、この階に隠されているだろう謎を探すためだ。今まで新しいエリアが開放されるたびに、開放されたエリアのどこかに、目的不明の謎のメモが隠されていた。モノクマのいたずらか、それとも何か大切な意味があるのか。どちらにせよ、この階にも新しい謎のメモがあるはずだ。それを探そうと言うことだ。

 一度丸ごと紛失しかけた風海ちゃんはそれ以来、肌身離さずこれまでの謎を大事に持っている。カーディガンの下からそれを取り出して、私に見せてきた。

 

 「これは今までの謎を写したもの。どれも暗号めいた文章や図になってるから、見つけたらすぐ分かると思うよ。でも前回はパソコンの中にあったから、必ずしも紙や何かに書いてあるとは限らないんだなあ」

 「この階にパソコンなんかないよ。でも、みんなでこうやってまとまって探索しても見つからないみたいだから、結構しっかり探さないといけないかもね」

 「よーし!取りあえず、お昼ご飯を食べたら3人で4階に集合!頑張って見つけよー!おー!」

 

 今は風海ちゃんのこの直向きさに合わせていよう。私ひとりで色々考えていると、つい暗い方にいってしまいがちだから。




4章が始まりました。
4章ですよ。なのに12人もいるんですよ。多くないですか?どう考えても多いですよね。減らさなきゃね。


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(非)日常編2

 

 「オロロロロロロロロッ!!!」

 

 あ〜、くそっ。最悪な気分だ。完全に飲み過ぎた。

 コロシアイに学級裁判に処刑に新エリアの開放であちこち探索して回って、心も体も疲れ切っちまった。そのストレスで酒は進むわ。なのに新陳代謝が鈍くなって二日酔いになるわ。迎え酒でしゃっきりしようと思ったらそのせいで限界突破するわ……。

 いよいよ酒に逃げ続けるのも限界かも知れん。そもそも同じように薬でハイになってた菊島が、狙われやすいからって理由で月浦に殺されちまった。菊島に比べりゃおいらの方がよっぽど体は弱ェし、同じようなことをする奴が出てこねェとも限らねェ。月浦はまだ生きてやがるし、他にも何しでかすか分からねェ奴が何人かいる。

 

 「〜〜〜っく」

 

 足はふらつくし、頭はガンガンするし、視界はぼやけて輪郭が安定しねェ。部屋に戻って寝るとすっか。どっちが部屋だっけ?ってか、ここどこだっけ?適当に歩いてりゃ着くか。はァ……。

 

 「ん?」

 

 しばらく頭の向く方にふらふら歩いてたら、いつの間にかおいらァ2階に来てたらしい。なんで部屋に戻ろうとして階段上がってんだおいらァ。どうやって戻ろうかとうろうろしてたら、その辺の部屋の中から物音がした。そりゃあまだ真っ昼間だし、誰かいるだろと思って、何の気なしに音のする方を見た。

 そしたら……。

 

 「へっ?ぎ、ああああああああああっ!!?」

 「うおおっ!?」

 「で、出たあ〜〜〜!ひぃ……こ、こしが……!」

 

 薄暗ェ部屋の奥、もぞもぞ何かが動いてやがると思ったら、暗がりにぼや〜っとそいつの姿が浮かびあがってきやがった。白くてぼんやりしてて足のねェ……幽霊だ!!そう思ったら思わず情けねェ声が出て、腰が抜けて歩けなくなっちまった。き、きっと月浦に殺された菊島たちが化けてでやがったんだ!

 

 「どうしたの!?王村さん!?」

 「お、おお……!理刈……!あ、あそこに……幽霊が……!」

 「幽霊?何を馬鹿な」

 「よく見ろよそこの部屋!足のねェ幽霊がいんだろ!」

 

 おいらの悲鳴を聞いて理刈が駆けつけてくれた。他に人がいるってだけでありがてェ。震える手でおいらは、幽霊が出た薄暗ェ部屋を指差した。

 

 「……よく見るのは王村さんの方よ。本当、人騒がせなんだから……」

 「お、おい!理刈!?あぶねえぞ!」

 「あなたも、電気を点けないと目を悪くするわよ!一体何をやってるの!」

 「あっ?」

 

 大したもんだ。理刈は幽霊にもビビらねえでその部屋にずんずん近づいて行って、部屋の明かりを点けやがった。そしたらおいらに見えてた幽霊はパッと消えて、代わりにでけえカンバスとバケツに囲まれた芭串の姿が現れた。

 いつものツナギをペンキで盛大に汚して、カンバスに鉛筆でいろんな線を描いてた。理刈に電気を点けられてようやく気付いたのか、ガシガシ頭を掻いてその顔を見た。

 


 

 「っだよ!集中してんだから電気点けんじゃねえ!」

 「電気を点けないと作業ができないでしょ。目が悪くなっても知らないわよ」

 「オレはこういうスタイルでやってんだよ!電気なんか点けて色々見えたら気が散るだろうが!」

 「な、なんでェ……芭串じゃねェか。おどかしやがって」

 「あ?なんだ、王村じゃんか」

 「あなたが暗い部屋で作業なんかしてるから、お化けだと思って腰を抜かしたのよ」

 「なんでオレがお化けになるんだよ。縁起でもねえこと言うな」

 「わ、わりィ……酔ってて……」

 

 よく見たら、暗がりに白く浮かび上がって見えたのは蛍光塗料だったみてェだ。芭串が絵を描いてるところなんか初めて見た。街の落書きしか描かねえんだと思ってたから、がっちり腰を落ち着けてカンバスに描くところなんて考えもしなかった。

 

 「食堂で飲んでたんだろ?なんでこんなところまで来てんだ」

 「さ、さあ……?なんでだろうな……?確か、トイレで吐いてから……スポッツァの方に行ったような……?」

 「何やってるのよ本当に……」

 「うぅ、分からねェ……頭痛ェ……」

 「その辺でぶっ倒れる前に部屋帰れよー?あと、そういうときは水飲め水。楽になるぜ」

 「なんであなたがそんなこと知ってるのよ?10代よね?」

 「へっ、なんでだろうな?」

 「これだから不良は嫌なのよ……ルールを破ることが格好良いと勘違いして周りも自分もダメにするんだから……」

 「同級生のおいらが言うのもなんだが、芭串はまともな方だと思うけどなァ」

 

 酒くらい高校生だったら飲んでるもんじゃねェのか?おいらなんて蔵人の修行だなんだっつって14の時分から親父にちびちび飲まされてたぜ。そのおかげでこの様だが。

 いかん。うだうだしてたらまた気持ち悪くなってきやがった。美術室から漂ってくる塗料の臭いは、今のおいらにゃ刺激が強すぎる。床を汚したらダメなんてルールはねェが、こんなところで吐いたらモノクマにどんな仕置きをされるか分からねェ。急いで立ち上がって、近くのトイレに駆け込んだ。

 

 「あっ……はあ、まったく。どうしてここにいる男子はこんなのばっかりなのかしら。益玉さんやカルロスさんだったら、もっと力になってくれたのに」

 「悪かったなあ、力になってやれなくて。オレは自分に自信のねえ奴は信用しねえことにしてるんだ」

 「……私がそうだって言いたいの?」

 「違えのか?」

 「私はあなたと違って責任感を持って行動しているし、自分のしていることが間違っているなんて思わない。少なくともそう自負しているわ」

 「だったら、なんでいつまでもその本が手放せねえんだよ?」

 「……ッ!」

 「ガキの絵本じゃあるまいし、枕にでもしてんのか?ここじゃそんなもん何の意味もねえって、とっくに分かってんだろ?さっきだって、オレがルール破って酒飲んだことがあったらどうだってんだ?お前が後生大事に守ってるルールは、お前を守ってくれんのか?」

 「……あなただって、ここで絵を描いてるじゃない。あなたの自己満足以上の意味があるの?そんなことをしてる場合じゃないことくらい分かるでしょ?」

 「へっ、つまりオレたちゃ似た者同士ってことだな。んなことしてる場合じゃねえのに、いや、んなことしてる場合じゃねえからこそ、自分が頼りにしてるもんに寄っかからねえと落ち着かねえ。そんなもん、自分を信じてるなんて言えねえ。自分に依存してんだ」

 「んあ」

 

 トイレに駆け込んですっきりした(けど小便器に吐いちまった。まァいいや)後で戻ってきたら、芭串と理刈はまだ話してた。なんか険悪な感じだ。ま、思春期ってのァ互いの些細な言葉や仕草に苛立っちまうもんだ。ここは年長者として仲裁してやらねェと……。

 

 「一緒にしないで!!」

 「ひェっ」

 

 うへェ、無理だこりゃ。理刈の奴、完全にキレちまってる。

 

 「私はあなたとは違う。自分の“才能”になんか依存してない。私はちゃんと私を持ってる。私は……」

 「そうかよ。だったらもうちょい気楽になった方がいいぜ。まともな考え方でまともじゃねェもんを理解しようとすると、まともな奴が先に参っちまうからな」

 「……!」

 

 何か言いたげに歯を食いしばってた理刈は、それでもなんも言わずにその場を離れた。去り際においらの方をキッと睨んで行きやがった。なんでおいらが睨まれなくちゃならねェんだ。っていうか、芭串と何の話してたんだ?なんか良さげなこと言ってたけど、そういうのは年長者であるおいらが言ってこそってもんだろ。

 

 「お、おう……芭串よォ。おめェあんま理刈を苛立たせんなよ。せっかくの器量良しがシワだらけになっちまうぜ」

 「女のツラがどうのこうの言うなよ。ったく、マジで飲んだくれってのはろくなもんじゃねえな」

 「そう言うなって。で、何の話してたんだ?」

 「別に。あんま思い詰めんなよって言ってやっただけだ。堅物のあいつにとっちゃ、月浦の存在は劇物みてえなもんだからな」 

 「ああ……ま、そうだよなあ。おいらァあんまし理解できてねェんだけど、要はあいつが殺したようなもんなんだろ?それなのに生き残ってるって、まったくどうなってんだか」

 「オレもあんま分かってねえよ。でも、これ以上死人を増やさないようにするしかねえだろ」

 「……おめェも結構色々考えてんだなァ。おいらと同じ枠かと思ってたよ」

 「なんだよ同じ枠って」

 「盛り上げ役?」

 「勝手に巻き込んでんじゃねえよ!ガヤやるならお前ひとりでやれ!」

 「ひとりじゃガヤにならねェだろうがよ!」

 

 こりゃァおいらがあれこれ心配しなくても、こいつらはこいつらで上手いことやってくれそうだな。不安要素は多いが、甲斐や湖藤みてェに積極的にコロシアイを止めようとしてる奴らがいるし、芭串みてェに気を配れる奴も、尾田みてェに物知りな奴も……。

 ……あれ?おいらこれ、いらなくね?

 


 

 あーんって口を開けると、ぽいってマシュマロが転がってくる。ちゅーって口をすぼめると、ジュースから伸びたストローがすぽっとはまる。うーん、極楽極楽。今日のはぐは王様だー!

 

 「はぐ、おいしいかったかい?」

 「うん!おいしかったー!ね、もう一個!」

 「もうダメだ。晩御飯が食べられなくなっちゃうよ」

 「えー?晩御飯はなに?」

 「今日はハンバーグにピクルスのサラダ、それからコーンスープだよ。デザートにははぐ専用のミニパフェを作ってあげる」

 「わーいやったー!じゃあ我慢する!」

 「いい子だね」

 

 ちぐはいっつもはぐが食べたいものをずばっと当ててくれる。エスパーなのかな?はぐのことはなんでも分かってくれるから、はぐはちぐのことが大好きだ!

 ご飯といえば、はぐ、ちぐにお菓子作ってあげるためにみかどちゃんにお料理教わってたんだった。どこまでやったっけ?お菓子の材料は教えてもらったっけ?あ、でももうみかどちゃんはいないから、また最初から誰かに教えてもらわないと。もう、途中でいなくなっちゃうんだからみかどちゃんはしょうがないなあ。

 

 「ねえちぐ?はぐね、お料理の練習したいな。ちぐにお菓子作ってあげたいの」

 「はぐが料理?そんなの危ないからすることないんだよ。はぐのご飯は僕が作ってあげるんだから」

 「むぅ〜、でもはぐ、たまにはちぐにお返ししたいよ」

 「何言ってるんだ。はぐがそうやって笑ったり膨れたり踊ったりしてるだけで、僕は幸せなんだ。何もしてくれなくても、はぐがそこにいてくれるだけで僕は十分満たされてるよ」

 「そうなの?じゃあいっか!えへへ!ここにいるだけでちぐを幸せにできて、はぐはえらいなあ〜!」

 「えらいえらい」

 「……」

 

 はぐとちぐがこんな感じで仲良ししてる横で、ずっとのぶみちさんがお茶を飲んでる。なんか分厚くてむずかしそうな本を読んでて、気になるけどちぐが引き止めて近づかせてくれない。

 

 「ねえのぶみちさん。そんなところにいないで一緒にお菓子食べない?」

 「はぐ、あんなの気にしなくていいんだよ」

 「ありがたいお申し出ですが、遠慮させていただきます。少々手前には難しい本ですので、集中して読まなければなりません」

 「は?お前如きがはぐの誘いを断るのか?いつからそんなに偉くなった。それに本が読みたいならもっと適した場所があるだろ。わざわざこんなところで読むな」

 「……ではお呼ばれしても?」

 「はぐに近付くな筋肉だるま!」

 「どうしろと……」

 

 あははっ!ちぐものぶみちさんもおもしろーい!ちぐははぐ以外の人と話すと、はぐには見せてくれない顔をするから面白い!もっとちょっかい出したくなっちゃう。でもやり過ぎると、ちぐはまたこの前みたいにまた誰かをワナにはめちゃうかもしれない。はぐのためにしてくれるのはうれしいけれど、なんだかあれからみんながはぐとちぐを避けてるような気がする。やっぱり良くなかったのかなあ。ちゃんとカルロスさんにはお礼言ったんだけどなあ。

 

 「手前が何を言っても無駄かも知れませんが……周囲に気を配らなければならないのはお二人の方では?陽面さんはともかく、月浦君は客観的視点をお持ちでしょう」

 「ふんっ、はぐ以外のことに気を配るなんてリソースの無駄だ。僕たちは僕たちだけでも生き残れる。今までは利害が一致していただけだ」

 「この空間でその独り善がり……二人善がりですかね?それは危険ですよ。あなたは自分を犠牲にしてでも陽面さんが守られればそれでいい、という方ではないでしょう」

 「当たり前だろ。はぐがいてこその僕、僕がいてこそのはぐだ」

 「ふむ……難儀なものですね」

 

 そう言って、のぶみちさんはなんだか悲しそうな顔をしてまた本を読み始めた。何がそんなに納得できないんだろう?はぐはちぐがいないと生きられないし、ちぐだってはぐがいてあげないと困っちゃうはずだ。ひとりよがりでもふたりよがりでも、はぐたちが幸せなんだからいいじゃない。

 

 「ちぐ?はぐたち、幸せだよね?」

 「ああ、もちろんさ。僕たちは幸せだ」

 

 はぐの考えてることはちぐの考えてること。ちぐの感じてることははぐが感じてること。はぐとちぐは一心同体。お互いのことはなんでも分かるしなんでも話せる。それがいいところなのに。

 

 「あなたたちが長生きできるよう、祈っています」

 

 なんだかのぶみちさんのそんな言葉が、心のどこかに刺さって外れなくなっちゃったような気がした。

 


 

 「……?」

 

 誰かの気配を感じる。自分以外の人間の姿が見えないのが不自然なほど大きなホームセンターで、誰かが私を監視しているような気がする。なぜ姿を隠すのか……何かやましいことがあるということか。

 途端に緊張が走る。ただでさえ何が起きるか分からない、いつ何が起きてもおかしくない状況の中で、この危機感を煽るような状況。一歩間違えれば、私は生きてこのホームセンターから出られないかも知れない。そう思うと……思ったところで頭は冷静なままだから不思議だ。

 

 「誰かいるのか?」

 

 適当に声をかけてみる。黙って警戒しているだけでは相手が優位に立っていることを示すだけだ。ここはあくまで相手の存在に気づいていることをアピールして警戒を誘うのが得策だろう。腰のポーチに手が伸びる。武器になりそうなものといえばトリミングに使うハサミしか入っていないが、ないよりマシだ。

 もふもふの足しになりそうな素材を探しに来ただけだというのに、とんだ事態に巻き込まれてしまったようだ。大声で助けを呼ぶことも可能だが、不用意に混乱を引き起こせば、私だけでなく他全員の命を危険に晒す可能性すらある。月浦のようなことを考えている奴が他にいないとも限らない。

 

 「……早まらない方がいいぞ。お前が誰かは分からないが、余計な揉め事を起こすのは全員の不利益だ」

 

 張り詰める空気で、額に冷や汗が浮かぶ。

 

 「——ッ!」

 

 不意に、足元でカラカラと音がした。警戒していたせいでそんなものにもひどく驚いてしまった。それは何らかの金属片だった。それを見て、このホームセンターに隠れている者が誰なのか、そして私がどうするべきかを理解した。

 しかし、奴はこんなところで何をしている?なぜ姿を現さない?しかし正体を隠しているわけではないらしい。目的が分からない。だが、ここは大人しく言うことに従っておくべきだろう。あまりそういうことを考えたくはないが、今の状況は奴にとってこの上なく有利——勝ちパターンというやつだろう。

 

 「ちっ」

 

 何より、私がここに来た目的はただもふもふを探しに来ただけだ。これほどの危険を感じてまで得るべきものではない。しかしそろそろ我慢の限界を迎えそうだ。今ならダメクマでさえモフってしまいそうだ。

 

 「なんとかしないと……!」

 


 

 ふぅ、あれっぽっちで帰ってくれるなんて、思ったより香香(シャンシャン)はチョロい女アル。でも姿の見えない相手に警戒するのは正解ネ。ハサミを取り出されたときはどうしようかと思ったけど、すんなり退いてくれて助かったアル。実力行使はなるべくしたくないヨ。

 ここで香香(シャンシャン)()りあってもどっちも損しかないアル。香香(シャンシャン)は怪我しちゃうし、ワタシはダメクマを見失っちゃう。喧嘩両成敗ってこういうことカ?

 

 「……」

 

 結局、香香(シャンシャン)を警戒しすぎてダメクマへの意識が散っちゃってたアル。この広いホームセンターであんなちっこいの探すだけでも一苦労なのに、殺気を出しすぎてきっと警戒されてるアル。

 モノクマはあんまり隙がなくて追跡もろくにできないから、ダメクマならなんとかなると思ったのに、とんだ邪魔が入ったアル。こういうのは1回失敗したら次のチャンスを作るのも難しいのに、厄介なことしてくれたネ。

 

 「フゥ……」

 

 文句垂れててもしょうがないネ。ダメでもともと、チャレンジするだけしてみるカ。そろそろワタシも、本格的に生き残る方法を考えないといけなくなってきたみたいアル。こんな状況じゃいつ誰に殺されたっておかしくない、ワタシにとっては外の日常とそんなに変わらないかと思ったら、つい奉奉(フェンフェン)太太(タイタイ)に油断しちゃってたアル。その太太(タイタイ)が殺されたんじゃ、ワタシも油断ならないアル。もし今、正面から奉奉(フェンフェン)に殺されそうになったら、他の人と同じように対処できる気がしないヨ。

 

 「……」

 

 棚と棚の隙間に体を滑り込ませて、忍足で足音を殺す。常に視界は広く保って死角を減らす。耳をそば立てて些細な変化も見逃さないようにする。極力自分の気配を減らすために呼吸は静かに、長く。

 死なないために身につけた習慣はそう簡単には消えないアル。ここではちょっとミステリアスなチャイニーズガールでいたかったのに、スナイパーの本気を出さなきゃいけなくなるなんて、うんざりヨ。このホームセンターには銃器も置いてあるから、いざというときのために一丁もらってるけど、こんなことまでしないと安心できない自分の疑い深さが嫌いアル。

 静かに、ひとりで、銃を持って潜んでると、昔のことを思い出す。思い出したくもない最悪の記憶で、忘れてはいけない大切な記憶でもある。ワタシが、家族みんなにご飯を食べさせるために犯した罪の記憶。

 

 「……フゥーッ」

 

 ワタシたちの周りにご飯はなかった。あるのは鉛玉ばっかりだったアル。お腹の足しにはならないガラクタだったアル。空いたお腹を満たすことはできないのに、いっぱいのお腹に風穴を空けることはできたネ。

 だから、これでご飯を狩ることにした。それは自然なことだった。だってそうしないとワタシやワタシの家族は飢えて死んじゃうところだったアル。どこぞの知らん奴より、働けもしない小さな子供より、一緒に育ってきた幼馴染より、自分と家族の方が大切に決まってるアル。だから、ご飯やお金と交換に鉛玉をくれてやったアル。

 でも、それはいけないことだったアル。ワタシはワタシにできることをして家族にご飯を食べさせていただけなのに、いつの間にかお尋ね者だったアル。

 

 「……バチが当たったかも知れないネ。今日はもう帰るアル」

 

 なんだか余計なことを思い出して、ダメクマ探しに集中できなくなってきたアル。こんなことじゃ、もしダメクマを見つけても追跡は危険ヨ。構えた銃を分解して懐にしまって、ワタシはその辺の棚にあった果物を掴んでホームセンターを出ることにした。果物のお代はツケにしといてやるヨ。

 ワタシはあんまり頭が良くないから、学級裁判みたいな場でモノクマを追い詰めるなんてことはできないアル。そういうのは厘厘(リーリー)劉劉(リュウリュウ)の仕事アル。ワタシはこうやってフィジカルで攻めていくヨ。ちょっとずつプレッシャーをかけていけば、いつかモノクマ側もボロを出すはずネ。

 

 「あーあ、これじゃあワタシが損しただけヨ。悔しいからスポッツァで憂さ晴らしでもするカ」

 

 ワタシのこんな姿は誰も知らなくていいのヨ。スナイパーっていうのは孤独なものだからネ。

 


 

 非常に癪だが、知見に貴賎はない。あのアホの口から出てきたものでさえなければ、などと考えるのはここまでにしよう。それよりも、その問いに対する答えを考えた方がいい。

 このコロシアイの目的は何なのか。単純に僕たちを殺し合わせる以上に何らかの目的があるはずだ。分かっているのは、コロシアイという手段が必要になるものだということ。そうでなければこんなにリスクの高い方法を執る理由がない。しかし、コロシアイを通じて何が得られる?

 

 「たとえば——」

 

 僕たちがコロシアイをする姿に意味があるのだとしたら、しつこいほどあちこちに設置されている監視カメラには別の意味が生じる。つまり、僕たちの生活を嬉々として観ている変態どもがいるという仮説。いや、それならもっとモノクマがテコ入れをするはずだ。より刺激的に、より過激に、より殺伐としたコロシアイエンターテインメントを演出するはずだ。僕が視聴者ならこんな悠長なコンテンツは初日で切る。

 

 「なら——」

 

 コロシアイの過程よりも、結果の先に目的があるのだとしたら?たとえば、最終的に1人ないし2人の生き残りを選び出すことに意味があるのだとすれば……いや、それだと足りない。このコロシアイのルールには致命的な欠陥がある。それをクリアしなければ……クリアする必要はないのか?これで完成なのか?だとしたら……モノクマは……!

 

 「……いかん」

 

 決めつけはよくない。先入観を持てば隙を見せるだけだ。今はまだ手がかりが少ない。モノクマが行動を起こすにしても、12人という人数は多すぎる。それでは早すぎる。そう、少なくとも——。

 

 「あと半分は減らないと……」

 

 他人の感覚は分からない。僕だって、はじめが20人だからそう感じるのかも知れない。だが、一般的な感覚としてそれくらいの人数にまで減ってからでないと、この仮説は説得力を持たない。

 だが逆に、それくらいまで人が減ったとしたら——。モノクマがその後に何をするかは、今の僕には全く想像がつかない。何か、この学園の中だけで済むような話じゃなくなることだけは、不思議と確信していた。たとえ僕の予想が事実と違っていたとしても、そこだけは変わらないだろう。

 当面は、まず死なないこと。これが大前提だ。その中でモノクマに対抗しうる戦力を確保すること。奴に関する情報でもいい。このコロシアイの真相でもいい。ただし、他人だけはダメだ。最後の瞬間まで警戒し続けなければならない。モノクマと本格的にぶつかることになったとき、余計なリソースを割く余裕なんてあるはずがない。

 

 「……少し、邪魔が多いな」

 

 何人かの問題外(アホ)は良しとして、湖藤、庵野、長島、月浦……この辺りは全く油断ならない。何をしでかすか分からない危険性や、モノクマと繋がっている可能性がある。そもそも僕と同じように、他人を信用せず自分の利益のみで行動している者もいる。利害の一致点さえ見つけられればまだ協力の目はあるが、果たして——。

 

 「——ッ」

 

 コーヒーカップが軽くなっていることに気付いた。少し考えすぎていたらしい。日記を書けば考えが整理できていたはずが。今は考えることが多すぎて全くまとまらない。

 

 「……はあ」

 

 休もう。少しだけ。

 頭の片隅に浮かんだその考えが、僕の体を瞬く間に蝕んだ。たっぷりコーヒーを飲んだにもかかわらず、ベッドに沈んだ体は鉛のように重くて、あっという間に僕は意識を残して沈んでいった。




一定のペースで書き続けるのは大変でさぁな


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(非)日常編3

 

 「むにゃ……」

 「風海ちゃーーーん!!寝ちゃダメ!!寝たら校則違反になっちゃうから!!」

 「こんなポップに命の危機が訪れるなんて」

 

 絶叫する甲斐さんに肩を叩かれて、宿楽さんは動物みたいな声を出した。電子サングラスに表示された眠たそうな顔文字そっくりな、口から気持ちよさそうによだれを垂らした寝入り顔は、寸前までモノクマの魔の手が及んでいたことなど全く想像つかせない様相だった。

 

 「っぶね……わ、わたしいきてる……?」

 「びっくりしたあ……油断しないでよね。っていうか風海ちゃんが言い出したことなんだよ?」

 「まあまあ、仕方ないよ。お腹もいっぱいになって、難しいことを考えてると人は眠たくなっちゃうものなんだから。シエスタシエスタ」

 「するなら部屋でして——いや、モノクマが変な校則決めるのが悪いんだ。変えさせよう。モノクマ!」

 「もうそんな感じで呼び出せるんだ」

 「どったの奉チャン?」

 「うわ出た。そして私の呼び方真似してる」

 「あなたに下の名前で呼ばれたくない。校則に文句があるから直して!」

 「え〜?今までボク、いろんな人からいろんな扱いを受けてきたよ。可愛がられたりもしたし、逆に嫌われて邪険にされたりもしたよ。校則を追加しろとか特例を認めろって言う人もいたなあ。みんないなくなっちゃったけどね!でも校則を変えろってのは初めて言われたなあ」

 「初めてでもなんでも、うたた寝もできないなんてあんまりだよ!風海ちゃんじゃなくたって、うっかり破っちゃうかも知れないじゃん!」

 「奉ちゃん奉ちゃん、私そんなに居眠りばっかこいてない」

 

 甲斐さんの呼びかけに応じて、モノクマはシアターホールの一席からひょっこり現れた。そして困ったようにもじもじしながら、甲斐さんと宿楽さんの話を受け流している。これはどうやら言っても無駄な感じっぽいね。

 

 「校則にルールがあるなら別の校則で補うんだね。合衆国憲法とおんなじです」

 「知らないよ合衆国憲法のルール」

 「居眠りぐらいいいだろって?バーロー!オマエラが過ごしてるこの時は一分一秒、一マイクロ秒が貴重なんだぞ!ありえない奇跡なんだぞ!居眠りなんかぶっこいて無駄に過ごしていい軽いもんじゃないんだよ!ボカァそういう熱い気持ちをもってオマエラが学園生活を謳歌できるようにだね——」

 「その手垢のついたお説教の方が時間の無駄だよ!だいたいあんたに説教される筋合いなんてない!」

 「そーだそーだ奉ちゃん!言ったれ言ったれ!」

 「言ってるよ!風海ちゃんのために!」

 

 またモノクマに煽られて話を別の方へ別の方へと誘導されて……今は、ようやくシアターホールで見つけた新しい謎のことを話していたのに。考えている途中で宿楽さんが寝そうになったところから話が逸れに逸れて、なんだろ今の話。

 

 「まあでも、校則をきちんと理解してるのは偉いね。甲斐サンはさすがです」

 「褒められても嬉しくもなんともないよ」

 「世の中の決め事には何かしら意味があるからね!一見無駄で無用に見えても、実は大切な教えが含まれていることもあるのです!よ〜く確認しておくといいことがあるかもね!」

 「あっ!こら!まだ話は——!」

 「さようなら〜!」

 

 モノクマは一方的に話を打ち切って、そのままシアターホールから出て行ってしまった。

 

 「仕方ないよ甲斐さん。校則はモノクマさえも従わなくちゃいけない大事なルールだ。恣意的に変えられちゃ何が起きるか分からない。自分の命を守るためにも、あまり深入りしない方がいいよ。それより、目の前の謎を解いた方がいい」

 「うん、私もそう思う。ごめんね奉ちゃん。私のために」

 「2人がそう言うなら……」

 

 義憤で実際に行動を起こせるのは甲斐さんのいいところだけど、危なっかしいところでもある。少し前までの落ち込んでいた彼女ならそうそう危険なことはしなかっただろうに、今はどこか吹っ切れて勇み足になってしまいそうだ。もしものとき、ぼくは彼女の後ろをついていけない。宿楽さんみたいな人が近くにいてくれるのが、甲斐さんにとっても良いことなんだろう。

 ぼくたちが今何をしていたかというと、新しい謎を探して新しく開放されたシアターホールを探索していたところ、舞台裏にしまってあった書き割りの裏に、何やら意味深な図や記号が描かれているのを発見し、それを解読しようとしていたところだ。その途中で、宿楽さんは疲れて居眠りしかけたということだ。

 

 「順番なんて分からないよ。番号が振ってあるわけでもないのに」

 「でもこれ、明らかに何かの手順を示してるよ。どこかにヒントがあるはずだ」

 「宿楽さん、脱出者的にはどう思う?」

 「脱出者的にはねえ……この手の順番は普通に数字で書かれてることが多いよ。訳わかんない法則なんだったら、もっと露骨なヒントがあるはず。だから……どこかに数字が書いてあると思うんだけど……書き割りなんだったら表側とか?」

 

 舞台の上に書き割りを並べて、絵の繋がりで並べ替えられないかを確かめてみる。だけど書き割りは色んな場面を演出するために、全てに共通するものは特に描かれていない。これのどこかに共通点を見つけなければいけないんだけど、さて……。

 

 「ん〜?もしかしてだけど、ここかな?」

 

 ぼや〜っと全体を眺めていても数字は見えてこない。微細な色相の変化や筆致の違いに注目してみるけれど、それらしい手がかりは得られない。それなのに、宿楽さんは少し眺めただけで、一枚の書き割りに近づいて、隅の方を指でなぞった。

 

 「これ、数字の4っぽくない?」

 

 まだら模様が描かれた背景のほんの一部、サイケデリックな色の模様に囲まれて、細長く引き伸ばされて歪んだ数字の4らしい形が描かれていた。細部に注目しすぎて広い視点を持つことを忘れていた。

 

 「ほんとだ!え、こんな感じで数字が紛れてんの?」

 「たぶん。こういうのを探せば書き割りを並べる順番がわかると思う」

 「アラビア数字とも限らないよ。ローマ数字や漢数字で紛れてる可能性もある」

 「とにかく探してみよう!方法さえ分かれば私も手伝える!」

 

 この手の謎解きはぼくの領分だと思ってたのに、宿楽さんがその隣をあっさり追い抜いていくのを目の当たりにすると、なんだか少しだけ悔しい気持ちになった。取り返してやろうと思っても、ぼくと宿楽さんじゃ機動力に差がありすぎる。ぼくが1枚見る間に、宿楽さんと甲斐さんが残りの全部を見てしまえた。

 その後、書き割りを並べ直すのにもぼくは力になれない。ちょっと支えておくくらいのことしかできない。こりゃ近いうちにお役御免かな。

 

 「また不謹慎なこと考えてるでしょ」

 「あ、バレた?」

 「不謹慎なのは100歩譲っていいとして、湖藤さんの不謹慎な自虐って笑えないからなあ」

 「笑ってくれていいんだよ」

 「自分で言って笑うのと私たちが笑うのとじゃ意味が変わってくるんだよ」

 

 なあんだ。あんまりみんなに笑ってもらえないのは、伝わってないからじゃなくて遠慮させちゃってるからなんだ。ぼくはこの体も個性だと思ってるから、そんなに気を遣ってくれなくてもいいんだけどな。そんなことを口にしたら、また甲斐さんに怒られちゃうだろうな。

 甲斐さんと宿楽さんの活躍によって、書き割りはようやく正しい順番で一列に並べられた。その後ろに書かれた図表は、隣り合う図表と繋がってひとつの大きな意味を成した

 

 「なんだろ、これ」

 「果物だよね?それから……矢印と数字だ」

 「果物……そういえば、2つ目の謎にも果物が描いてあったよ!あれと関係あるかも!」

 「おっ、さすが脱出者。既にある謎との組み合わせで意味が変わる系は鉄板だよね」

 「鉄板なんだ。だとするとどういう意味になるのかな」

 「分からん!」

 「分からないんだあ」

 「そもそも2つ目の謎の意味も分かってないんだから。1つ目も3つ目もだけど」

 「3つ目のやつは湖藤君と尾田君は分かってる感じじゃなかった?」

 「うん。でも教えてあげない」

 「なんでさ!」

 「謎って自分で解いてこそだと思わない?」

 「確かに!」

 「20文字以内で説得されちゃった」

 

 まあ、宿楽さんが本当に“超高校級の脱出者”と呼ばれる謎解きのプロなんだったら、いつかその答えにも辿り着くだろう。それが本当に意味するところはまだぼくにも分からないけど、滅多なことにならなければそれでいい。それにしても、謎の答えも含めて考えると、やっぱりこの謎はモノクマが用意しているものだと考えていい。じゃあ、この正体は……。

 

 「取りあえず写真に撮っとこ。解くのは後でもできるし」

 「はあ、ちょっと疲れちゃった。思ったよりも動くことになっちゃったし」

 「お昼ご飯にしない?ちょっと早いけど、いいでしょ」

 「それじゃあ、二人ともちゃんと書き割りを片付けないとだね。がんばって」

 「ぐえ〜〜〜!片付けのこと考えてなかった!」

 

 書き割りの図表を宿楽さんが写真に収め、並べたものを舞台裏の倉庫に甲斐さんと宿楽さんが頑張って戻した。ぼくはというと、通り道になるカーテンを持って開けておく係をしておいた。隣で見てるだけじゃ甲斐さんに怒られ——もとい、退屈だからね。

 


 

 ふむ、食糧庫のないからどこに置いてあるのかと思えば、こんなところに。モノクマは一体何を考えて敢えてこんな場所に……。

 

 「——ッ!何をしている!」

 

 なるほど。こういう展開のためですね。納得しました。

 背後から聞こえてきた毛利さんの声に、なるべく相手を刺激しないようゆっくりと振り向き、極めて穏やかに見えるように努めた微笑みを向ける。

 

 「お前が薬品庫にいったい何の用だというんだ、庵野。しかもそこは強い薬の陳列棚だ。馬鹿なことを考えるものじゃないぞ」

 「落ち着いてください、毛利さん。手前は別に何か怪しいことをしにきたのではありません」

 「なら、その手に持っているものはなんだ」

 

 毛利さんが指差した、自分の右手を見て、手前は素直に回答します。

 

 「プロテインです」

 「……ん?」

 「タンパク質の粉末です」

 「言葉の意味はわかる。なぜそんなものを持っているんだ」

 「なぜと言われても……飲むためですが」

 「用法もわかっている!なぜ薬品庫にプロテインを持ってきていると聞いている!」

 「いえ、これはここに陳列されていたものです」

 「なぜだ!」

 「それは……モノクマの気まぐれといったところでしょうか」

 「気まぐれにもほどがある!」

 

 それを手前に言われても、と言いかけましたが、敢えて言いませんでした。モノクマが理解不能なことは仕方のないことです。

 

 「手前は日々トレーニングを欠かさず行っていまして、トレーニング後のプロテインが切れたので取りにきただけです。お騒がせしました」

 「それでその体か……聖職者らしからぬ体だとは思ったが」

 「深き『愛』を己の体に宿すには、強靭な肉体が欠かせませんので。やわな体では『愛』を受け止めきれません」

 「お前のとこの教義で言う『愛』とはいったい……?いや、別に興味はない。すまんが、私は神を信じない」

 「いえ、手前こそ失礼。神に代わる信ずるものがあるのは結構なことです」

 

 ただプロテインを取りにきただけで、危うく毛利さんと一触即発の雰囲気になるところでした。こんな地下の目立たない場所では、冷静さも失われかねないというものです。

 

 「ところで、つかぬことを伺いますが、毛利さんはいったいこんなところに何の御用で?」

 「いや……少し、手持ち無沙汰でな。倉庫に手頃なもふ——ブランケットでもないかと」

 「顔色が優れないようですね?寝れていますか?」

 「……正直、このところあまりな」

 「手前で良ければお話を聞きます。いかがです?まさに聖職者たる行いだとは思いませんか?」

 「確かに。お前の筋肉を見ているより、多少はお前の教義に触れられそうだ」

 

 薬品庫にあった適当な丸椅子を持ってきて、毛利さんをそこに座らせ、手前も同様に丸椅子に腰掛けました。カウンセリングはまだ認められたものはありませんが、少なくとも目の前で困っている方を放り出すよりは真っ当な行いでしょう。

 

 「整理してお話いただく必要はありません。毛利さんが思うままにお話ください」

 「そうか……こうして面と向かって話そうと思うと、なかなか難しいものだな……」

 「寝られていない原因はお分かりですか?」

 「……あまり分かっていない。実家で私の帰りを待っているペットと戯れられないことがストレスになっているのだと思う。だが、それ以上に……狭山のことを後悔しているんだと思う」

 「ほう」

 

 ペットと戯れられていないのは、確かに大きなストレスでしょう。毛利さんの才能を考えても、そのペットたちはきっと毛利さんにとって単なるペット以上に心の支えになっていたことでしょう。しかし、おそらく目の下にできたクマの原因は、後者なのでしょう。

 

 「奴が岩鈴に殺される直前まで……私は狭山と一緒にいた。奴は陽面や理刈を洗脳し、月浦も抱き込もうとしたが、私に対してだけは洗脳する素振りも見せなかった。ここに来たときから私は奴の毛繕いを頻繁にしていたから、親しくしていたつもりだ。洗脳の必要もないと思われていたのか、奴なりに私に気を遣っていたのか、その真意はもう分からない。

 いや、そんなことじゃない。そんなことは重要じゃない。私は後悔しているんだ。奴を止められなかったことを……奴が暴走していくのを目の当たりにしておきながら、何もできなかった。いつか誰かが危険な目に遭うことを予感しておきながら、狭山を止めるべきだと分かっていながら、止められなかった。その理由が分からない。だから……後悔している。なぜ私はあのとき、狭山を止められなかったのか……」

 「なるほど。確かに、手前を部屋に閉じ込めたあたりから、彼女の行動は常軌を逸し始めていましたね。手前はてっきり、毛利さんも狭山さんに少なからずマインドコントロールをされていたものかと思っていました。その可能性はありませんか?」

 「……分からない。自分で分かるものなのか?」

 「いいえ。狭山さんほどの方が、かけられている人が自覚して脱却できるような、中途半端なものはしないでしょう。己を客観的かつ批判的に見つめることこそが脱却の第一歩です」

 「狭山は既に死んでいる。それなのに、私はまだ脱却できていないのだろうか?奴の支配から……」

 「どうでしょう。狭山さんが本当に毛利さんを操ろうとしていたのか。その結果、あなたがどう変わったのか。手前にはそれを知る術がありません」

 「そうか……」

 「ですが、ひとつ伺います。毛利さんは、次に誰か……たとえば手前が、誰かの心を操って支配をしようとしたら、どうしますか?」

 「……それは、止めるだろうな。今度こそ」

 「そうでしょう。その意味で、狭山さんは確実に毛利さんを変えました。それが善の変化か、悪の変化か、それを決めるのは毛利さんです」

 

 いけませんね。手前のカウンセリングは考えることを毛利さんに委ねすぎています。もちろん、最終的には毛利さんがご自分を救うように導くのですから、考えてもらうことも必要なのですが、手前が伝えられるのは気休めのような温かい言葉ばかりです。このままでは、毛利さんはますます夜眠れなくなってしまいそうです。これだけのヒントで解決するような方は初めから悩んだりしないのです。

 毛利さんは椅子から立ち上がり、普段の凍りついたような無表情から少しだけ熱を帯びたような表情に変わって、手前の手を握った。

 

 「庵野。ありがとう。少しだけ……と言ってはなんだが、考えが整理されたような気がする。疑問の答えはまだ出ないが、くよくよ悩む必要はないと分かった。お前の言う通り、前を向かなければな」

 「お、おお……そうですか。それは結構なことです」

 

 殊の外、毛利さんは手前の拙いカウンセリングを好意的に解釈いただいたようです。なんというか、ほっとしました。

 

 「ああ、眠りたいのならこのモノクマ特製睡眠薬などオススメですが、どうでしょう」

 「化学的なアドバイスもするんだな。そんなオセロのコマみたいな薬は飲む気がしないから結構だ」

 


 

 「う〜い、おい理刈。お酌しろお酌。どうせ暇してんだろ?」

 「暇じゃないわ。私は忙しいの」

 「忙しいって何を急ぐ必要があるんでェ。そんなでけェ本なんか抱えてよう」

 「王村さんには関係ないわ。それに、お酒を飲むのは勝手だけど、20歳未満にお酌をさせるのはパワハラに該当する可能性があるわよ」

 「頼んでるだけだろォ!?ったく流行りもんみてェになんでもかんでもハラスメントハラスメントつってよォ……」

 

 静かに勉強できる場所を探して本館の中央ホールまで本を運んできたっていうのに、なぜかそんなところで王村さんがお酒を飲んでいた。もう彼にお酒を止めさせるのは諦めたけれど、周りに迷惑だけはかけないでほしいわ。

 分厚い参考書をテーブルにどっかと置いて、目次を開いた。こういうのは私の専門じゃないからどこまで調べればいいのか分からないけれど……でも、ヒントがあるだけまだマシだわ。

 

 「ん〜?おめェ、法律家だよな?」

 「そうよ。ただの法律家。何の資格も持ってない、ロースクールにすら通ってない、ただの法律オタクよ」

 「いやそこまで言うつもりはねェけどよ……おいらァちょっと飲み過ぎか?法律家のおめェが法律の本持ってんのは分かんだけど、心理学とか物理学とか薬学とか……おめェ本を間違えてんぞ」

 「間違えてないわ。これで合ってる」

 「人間百科事典にでもなるつもりかよ?」

 「うるさいわね。勉強してるんだから黙っててちょうだい。王村さんには関係ないって言ったでしょ」

 「気になるなァ」

 

 どれもこれも数百ページじゃきかない分厚い本ばかりだけど、知識はあればあるだけいい。私は法律以外のことは何も知らないんだから、これくらい勉強しないと何もできない。

 

 「いやしかしすげェ量だ……おめェひとりでよく運んだもんだ……おっと」

 「あっ!ちょっと!邪魔しないで!」

 「あン?」

 

 ばささ、と音がしてテーブルの隅に置いておいた本が落ちた。王村さんが周りでちょろちょろするからだわ。本当に、年長者ならもっと落ち着きがあっていいと思うの。まるで子供だわ。お酒ばっか飲んで人の邪魔ばかりする嫌な子供。

 落ちた本を私はすぐに拾いあげて、貼り付けた付箋がずれてないか確認して閉じた。それは積み上げた本の一番下に戻して、また勉強の続きに戻る。

 

 「……なァ、理刈。おめェ滅多なこと考えるもんじゃねェぞ」

 「なによ、滅多なことって」

 「いま落ちた本。生前整理の本だったろ。さすがにおいらでもそれくらい分かるぞ」

 「……だったらなによ。法律家なんだから、それくらいの勉強するでしょ」

 「じゃあなんで遺書のページに付箋してんだよ」

 

 ……。やっぱり、王村さんは邪魔だわ。偶然とはいえ、こんな形で疑われるなんて。

 

 「今はまだ話したくないわ。私は……王村さんのことを100%信用してるわけじゃないから」

 「なんでェそりゃ。おいらァそこまで頼りねェ大人か?」

 「頼りないわよ。自覚ないの?王村さんを頼るくらいだったら自分でなんとかするわ。というかなんとかできるわ」

 「さすがにひどくね!?おいらだってやれることくらいあんぞ!」

 「でも、王村さんが考えてるようなことにはならないわ。私はただ、もしものときに備えておきたいだけ」

 「もしも?」

 「自分がいつ被害者になるか分からない……月浦さんみたいな人が現れた以上、ますますその危険は高まっているわ。だから、いざというときのために自分の身の回りの整理はしておきたいってだけ。いつか誰かがモノクマに打ち勝ってここから脱出できたとき……その人に苦労かけたくないもの」

 

 話したくない、と言いつつ、これじゃあほぼ話してるようなものだわ。私は、自分の命を無駄に捨てるようなことはしたくない。最後の瞬間に自分の人生には意味があったんだと胸を張りたい。だから、逃げるような自殺なんてしないわ。だけど、私の意思なんて関係なく、その瞬間は突然訪れるかもしれない。自分では予想がつかない。だから、念には念を入れておきたい。半分、職業病みたいなものね。

 

 「馬鹿野郎!考えるんだったら自分が出た時のこと考えるもんだろ!若ェもんが死ぬ前提でものを考えるんじゃねェ!」

 「そんな前提おいてないわよ。いらなくなったら破っちゃえばいいんだし。最後の瞬間に後悔だけはしたくないの。それだけよ。そもそもそれは校則で禁止されてるのよ」

 「……な〜んか怪しいんだよなァ。おめェ、ここに来てからずっと空回りしてて、吹っ切れたら吹っ切れたで妙なことし出すしよ」

 「じろじろ見ないで。セクハラで訴えるわよ」

 「へーんだ!どこに訴えるってんだ!ここにゃァ警察も裁判所もねェぞ!」

 「ダメクマ!このセクハラオヤジをなんとかして!」

 「よ、呼ばれて飛び出てじゃんじゃかじゃーーーん!ダメクマ登場だよ〜!」

 「おげェッ!?」

 

 個人的な用事でも呼び出しにすぐ応じるのはいいことだわ。ダメクマは飛び出ると同時に王村さんの下半身にタックルをかまして、王村さんは手に持ったグラスのお酒を被って悶絶した。具体的に何があったかは知りたくもない。

 

 「ス、スマート家電みたいに出てきやがって……!」

 「ダメだよ王村クン。理刈サンの邪魔したら」

 「なんだとぉ……おめェいつから理刈の手下になりやがったんでェ。モノクマの手下だろ」

 「別に手下ってわけじゃ……。でも、理刈サンは責任感がある人だから、滅多なことなんてしないんだよ。ね、理刈サン」

 「あなたが私の何を知っているっていうのよ。分かったような口をきかないで」

 「しょん……」

 「ダメじゃねェか」

 

 王村さんをなんとかしてもらうためにダメクマを呼んだのに、うるさいのが2人に増えたら意味ないじゃない。キッとダメクマを睨みつけると、私の意図を察したのか、ダメクマは王村サンの袖を引っ張った。

 

 「な、なんでェなんでェ!」

 「あっち行ってお酒でも飲んでてよ。理刈サンは大事な勉強をしてるんだ」

 「おめェだって理刈のこと何も分かってねェんだろ!」

 「少なくとも、理刈サンはこの状況を打開しようと行動してる。ボクは、それが邪魔されるようなことがあっちゃいけないと思うんだ」

 「……ずいぶん理刈のことを買ってるじゃねェか。っていうか、おめェはモノクマ側だろ?理刈がコロシアイをなんとかしようとしてるんなら、むしろおめェは邪魔する立場じゃねェのか」

 「ボクは別に……いや、そう、いうわけじゃ……」

 「なんでェ、歯切れの悪ィヤツだな」

 

 前から気になってはいたけれど特に考えることのなかったこと。それは、ダメクマはモノクマとどういう関係性だ。あるときから突然、モノクマが自分の手下と紹介して現れたダメクマ。だけどモノクマには蹴られたり踏みつけられたり投げ飛ばされたり、とにかく扱いが雑だ。ダメクマもモノクマに従うというよりは、従わされているような、そんな雰囲気だ。

 そもそも初めのうち、ダメクマはモノクマの中に紛れてようとしていた。モノクマにバレないように私たちに接触しようと試みていたということは、モノクマの仲間ではないということ?ならいったい?

 

 「……」

 

 私には分からない。何も。これから何をすべきなのかも、何が正解なのかも。ただ、自分が正しいと信じることをするしか選択肢がない。私はただの法律家、決められたルールの中でしか答えを導けない。一切の常識が通用しないこの空間で、到底許されないルールが支配するこの空間で、私にできることなんて、このくらいだ。

 


 

 「きゃっ!」

 

 ガラスが割れる。こぼれた熱い茶が服にかかりそうになるのを、月浦が自分の腕で防ぐ。おかげで陽面は濡れなかったが、月浦は腕から湯気を出したままテーブルに広がった茶を拭き取った。反応速度も大したもんだが、それ以上に陽面のためなら自分の身を顧みないその態度が、こいつのヤバさを何よりも物語っている。

 

 「大丈夫かい、はぐ?」

 「うん。びっくりしたあ……いきなり割れるなんて、はぐ、もしかして魔法使いになっちゃったかも」

 「冷たいグラスに熱いお茶を注いだら割れちゃうんだ。気をつけないといけないよ」

 「どうして?」

 「はぐは寒い時どうする?」

 「ちぐにぎゅーってしてあったかくする!」

 

 なんだそりゃ。しょうもね。

 

 「そうだね」

 

 そうなのかよ。

 

 「グラスも一緒で、冷たいときはぎゅっと小さくなるんだよ。じゃあ、僕とはぐがくっついてるときにいきなり暑くなったらどうなると思う?」

 「びっくりして飛び上がると思う!あと服もバタバタして涼しくしたくなると思う!」

 

 普通に脱げよ。

 

 「だよね。寒いとこにいきなり熱いものが入るとびっくりするし、逆のことをしたくなるんだ。グラスもそうで、びっくりして割れちゃうんだよ」

 「そうなんだ……なんだか、かわいそうになってきちゃった」

 「はぐは優しいね。それに、僕の話をちゃんと最後まで聞けて偉いよ」

 

 月浦は絶対に陽面を否定しない。否定しないどころか、グラスを割ったことを棚に上げて誉めやがった。甘いどころの話じゃねえ。こいつらずっとこうなのか?今まで気にしてなかっただけで、ずっとこんな調子でいたのか?

 

 「なに見てるんだよ」

 「ロイさんも一緒におやつ食べる〜?」

 「そこの意思は統一されてねえのか。別に見たくて見てたわけじゃねえよ。お前らがオレの目の前でいちゃいちゃしてるだけだろ」

 「誰がいちゃいちゃだ!はぐの前でそんなふしだらな言葉を使うな!」

 「そんなにふしだらかね?」

 「ふしだらってなーに?」

 「棒鱈みたいなものだよ」

 「ふーん。食べてみたいなあ」

 

 雑すぎんだろ。

 

 「なあ、前から気になってたんだけど、月浦にとって陽面ってなんなんだ?あんなことまでしといて……ってか逆にあれから吹っ切れたみたいにベタベタしてっけど、付き合ってるわけじゃねえんだろ?」

 「お前みたいな奴に話すことなんてない。余計な詮索をしたり不確かなことを言いふらすのは自分のためにならないぞ」

 「シャレにならねえんだよなあ、脅しが。マジでなんでもやりかねねえからなこいつ……」

 「ちぐははぐのためだったらなんでもしてくれるんだよ!すごいでしょ!」

 「陽面はどうなんだよ?月浦のことどう思ってんだよ?」

 「んにゃ?ちぐのことは大好きだよ!ロイさんも、ちぐほどじゃないけどキレイな絵を描いてくれるから好きだよ!」

 「……そりゃどーも」

 

 この無邪気さと月浦の行動を肯定するイカれ具合が同時に成立してるってのが、オレには全く理解できねえ。どっちかって言うと月浦の方がまだ共感できる。自分が守ってやらなきゃって思う存在がいると、多少の無茶は気にならなくなるんだよな。こいつらはそのリミッターがどっちもぶっ壊れてるんだと思うが。

 そういえば、裁判のときに月浦がなんか言ってたな。谷倉は陽面の秘密を知った可能性があるから消されたって。月浦は、誰にも知られたくない陽面の秘密を知って消されずにいるんだよな。その秘密ってのが、こいつらをおかしくしてる原因なんだろうか。オレは死んでる場合じゃねえから探るような真似はしねえが、何がきっかけで月浦に目をつけられるか分からねえ。迂闊なことはしねえに限るな。

 

 「おい」

 「あ?なんだよ」

 

 ぼんやり陽面を眺めてたら、月浦に声をかけられた。やっべ。

 

 「人が罪を犯す条件を知ってるか」

 「は?なんだよ急に」

 「動機・機会・正当化の3つだ」

 「それがなんだよ」

 「僕ははぐのためになることならなんだってする。それが僕の生きる動機だ。はぐのための行為は僕の中で全て正当化される。そして、機会なんていつだっていくらでも作れる。わかるな?」

 「……改めて言われるまでもねえ。余計なことはしねえよ」

 

 回りくどい脅しなんかしやがって。この前の件から、月浦はいつ何をしてもおかしくないってのはオレたちの共通認識だ。モノクマ以外にも、ともすればモノクマ以上に厄介な存在が隣にいるこっちの身にもなってみろってんだ。

 ったく。こんなとこでウダウダしてる場合じゃねえってのに。

 


 

 多目的ホールにはモノクマがいた。呼び出されたんだから、いるのは当然だ。なぜか複数のモノクマでダメクマをいじめてることを除けば、当たり前の光景だ。

 

 「うわーん!や、やめてよー!」

 「なんなんですか。動機を配るという話でしょう。さっさとしてください」

 「ダメクマちゃんかわいそう……こらー!やめなさーい!」

 「わーい逃げろー!」

 

 尾田君の冷たい言葉ではなく、陽面さんの優しい言葉に反応して、モノクマたちはバラバラと逃げ出した。なんだろうこのコント。ボロボロになったダメクマが起きあがろうとすると、ホールの舞台から荘厳な音楽とともに、羽衣を着たモノクマが現れた。

 

 「ダメなダメクマを助けてくれてありがとうございました。お礼にあなたたちにはこちらを差し上げましょう」

 「わあ!玉手箱だー!すごいすごい!」

 

 紫色のヒモで留められた黒の艶やかな箱を、モノクマが差し出した。忙しい人のための浦島太郎みたいな展開に、私たちはハテナマークを頭に生やすこともなく、ただただ冷たい目で陽面さんとのやり取りを眺めていた。

 

 「はい!陽面さんご協力ありがとー!というわけでオマエラ!動機の時間だよ!」

 「マジで時間の無駄だなおい」

 「だってオマエラ放っといたら全然コロシアイしないんだもん!月浦クンの存在が結構掻き回すかなと思ったら、陽面サンとずっとべったりしてて他の奴らは警戒して関わろうとしないし!そんなん見てて誰が面白いんだバカ!このバカ!」

 「筋合いがなさすぎてウケるアル」

 「というわけで、ボクはまたしても動機を用意してオマエラのモチベをあげることにしました。でも考えてみ?ボクだけに考えさせてないでオマエラもちょっとこっちの身になって考えてみ?もう4回目だよ動機。4回っつったらアレだよ。頑張らないと出てこない数だよ。ぱっと質問されて3つくらいまでは景気良く答えられても、4個目からってなかなか出にくかったりするじゃん。だから頑張らないといけないんだよ。オマエラはボクにそういう頑張りを強いてるんだよ。反省して?」

 「なにをネチネチと中身の薄いことを。そんなに嫌なら動機なんか用意しなけりゃいいだろ」

 「そういうわけにはいかないんだよ!強制的に犠牲者を出しても、大切な人たちの姿を見せても、好きな凶器を与えてもコロシアイしない消極的なオマエラがどうすればコロシアイをするか、必死なんだからな!でもボクはようやくその答えを見つけたのだ!どうだ!」

 「どうだと言われても……」

 

 えん、と胸を張ったモノクマに、私たちは冷たい視線を投げつける。勝手に拉致監禁して自分の都合ばかり押し付けてきて。モノクマがこれから何をしたところで、私たちは絶対に屈するわけにはいかない。そう固く決心している。

 ただ、その決心が悉く打ち砕かれてきたのも事実だ。モノクマの動機は、必ず私たちの中の誰かを確実に揺さぶりかけてくる。どんな動機が与えられるのか。それは誰に刺さるものなのか。どうすれば、顔の見えない誰かの凶行を止められるのか。モノクマとの戦いに、私たちは負けっぱなしだ。

 

 「結局、オマエラは全員名前のない怪ぶ——間違えた、エゴイストなわけだよ」

 「そこは間違えないでしょ……!?」

 「人のために犠牲になることを拒み。外に残してきた大切な人を切り捨て。凶器を手にするリスクを嫌う。自分の身が何よりも可愛くて、自分のことが何よりも優先で、自分の命を何よりも重視する。オマエラにとって世界は自分ひとりだけのもので、自分以外の誰かなんて路傍の石に過ぎないわけだ」

 「殺しも殺されもしなかっただけでしょうに、めちゃくちゃな言われようですね」

 「というわけで、ボクはきちんと用意しました!オマエラがどうあっても見過ごせない動機を!とくとご覧あれ!」

 「——ッ!はぐ!ごめん!」

 「へっ!?きゃあっ!」

 「ウワーーーッ!?」

 

 直感したのか、それともモノクマの視線の僅かな動きを察知したのか、月浦君は陽面さんの側に飛び寄って、手に持った玉手箱をはたき落とした。すぐにそれを蹴って距離を取り、陽面さんを玉手箱から引き離す。それとほぼ同時に玉手箱はもうもうと煙を吐き出し、ホール中を覆った。一気に白く変わった視界の奥で、ダメクマの悲鳴が聞こえる。

 

 「ゲホッ!ゲホッ!な、なんだあ……!?」

 

 煙だと思ったらただのミストだった。肌に触れた水の粒がベタついて気持ち悪いし、吸い込むとむせる。けどその分、すぐに視界は晴れた。

 

 「……???」

 

 視界は晴れたけど、晴れない疑問が増えた。私たちには一切の変化がなくて、変化があったのはダメクマだけだった。

 もともとボロボロだった肌生地がよりボロボロになって、どことなく色がくすんでいるような気がする。ところどころつぎはぎがされていて、たるんだ肌生地を引きずってヨボヨボ這い回っていた。何やってんだろ。

 

 「うう〜なんでこんな目に」

 「どんな目?」

 「どうだオマエラ!これがオマエラの姿だよ!」

 「全然意味が分からないんだけど……」

 「浦島太郎ってこと?」

 「はあ?」

 

 ガスマスクを放り捨ててモノクマが声高に叫ぶ。私たちが浦島太郎って……言葉の意味は分かるけど、文脈がないからモノクマが何を言いたいのかが分からない。

 

 「オマエラがこの希望ヶ峰学園にやってきてから……いつの間にか長い時間が経ってしまいましたね……。初々しいオマエラが学園の門を潜った日が数日前のことのように思い出されるよ……!」

 「え……数日前って……?いや、まだ2週間か……あ、あれ?1ヶ月、はまだ経ってない……くらいでしょ?」

 「そう、約2週間……3年と2週間ですね!」

 「……は?さ、さんねん……?」

 「……。は、ははは、なるほど。3年。3年か。3年も経ったらそりゃァ……そりゃおいらもうアラサーじゃねェかよ!!おいおいおい!!アラサーが高校の敷地入ったらそりゃもう事案だぞおい!!」

 「うるさい!!あとそこじゃないから!!」

 

 さらりとモノクマは言った。私たちがこの建物で過ごした正確な時間を。ここで3年もの時間が過ぎていたということを。そんな、にわかには信じがたいことを。だって……3年なんて。

 

 「きみのことだから、根拠があるんでしょう?」

 「うん?」

 「ここは外と隔絶された空間。ぼくたちは一日の内の時間感覚は正しく保てているけれど、変化に乏しい環境は長期的な時間感覚を破壊する。現にさっき、理刈さんは半月以上の間隔で日数が正しく捉えられてなかった。そんなぼくたちに、3年の時間が過ぎていると言ったところで、なんの実感も湧かないよ。そもそも、高校生にとっての3年は、体に大きな変化が表れやすい期間だ。だけどぼくたちは、今のところ自分の体に違和感を覚えてはいない」

 

 理論的に、冷静に、湖藤君はモノクマを問い詰める。3年も経過しているという事実に対する反論をする。確かに、3年なんて時間の証拠は何もない。モノクマが言ってるだけだ。3年も経ってれば背だって少しくらい伸びてるだろうし、成長してる部分があるはずだ。

 でもだからこそ、湖藤君は初めに言った。私たちがどれだけ否定しようとも、絶対に覆しようのない証拠、それをモノクマが用意していると。私は、覚悟を決めて——。

 

 「そんなものはない」

 「……え?」

 「オマエラが学園の門をくぐってから3年以上の時間が経過している、これは紛れもない事実だとボクが断言するよ。だけど、それを示す証拠はないよ。だって時間は何もしなくたって平等(ざんこく)に過ぎるものだからね。あらゆるものは移ろい、変わり、生まれて、消えるんだ。それが時間というものさ。お分かり?」

 「未来の日付の新聞なりなんなりあるでしょうに。横着したんじゃないですか?」

 「失敬な!ボクは横着なんてしないよ!それに、証拠なんて必要ないでしょ?」

 「なんでカ!」

 「だって、“外の世界では3年の時間が過ぎている”——その事実だけでオマエラにとっては十分、絶望的なんじゃない?ボクが2つ目にあげた動機のこと、もう忘れちゃった?」

 「……あっ」

 

 モノクマの2つ目の動機……私たちの身近な人たちが映った、意味不明で不気味な動画。モノクマのお面を被った人に囲まれて、涙を流す家族の姿……。全く意味が分からなかったけど、私たちが希望ヶ峰学園に来てから3年も過ぎてて、こんなところに閉じ込められているという状況が前提にあるなら……。

 

 「私たちは……もう……!?」

 「そんなはずないよ!」

 

 私の言葉を断ち切ったのはダメクマの悲痛な叫びだった。続く言葉を完全に打ち切られて、私たちは視線だけをダメクマに投げる。

 

 「そんなことを考えちゃダメだ……!キミたちはモノクマを倒して、ここから出るんだ。みんな揃って!それだけを考えなくちゃいけないんだ!希望の未来を信じるんだ!絶望の記憶なんかいらないんだ!」

 「記憶……そ、そうだ!3年もの時間が経過しているなら、その間の記憶はどうなっているんだ!?私たちはついこの前、学園の門をくぐって、そして気が付いたら分館にいた……!」

 「モノクマのことです。なんでも出鱈目な手段があるのでしょう?」

 「うぷぷ!さーねー!」

 

 3年なんて時間が気付かないうちに過ぎていたなんて、にわかには信じられない。だけどそれが本当だとすると、モノクマがかつて見せた動画に説得力が備わる。でもそれが証拠になるのだろうか。だってどちらもモノクマが用意したものだ。私たちを騙すための適当な事実をでっちあげているだけの可能性だってある。

 そうだ。全部モノクマの嘘なんだ。3年も過ぎているなんて……そんなの、あり得ない。そんな証拠は、どこにもない。

 

 その日、ベッドに入って眠りに落ちるまで、私の頭は延々それだけを考え続けていた。




日常編を書いてるときは日常編の書き方が分からなくなって
非日常編を書いてるときは非日常編の書き方が分からなくなって
裁判編を書いてるときは裁判編の書き方が分からなくなって
おしおき編を書いてるときはおしおき編の書き方が分からなくなる

なんやねんオラァ


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非日常編

 

 モノクマの動機が意味するところはなんだろうか。

 

 希望ヶ峰学園の生徒を拉致監禁するなど、そんじょそこらの小悪党に可能なことじゃない。況してや学園の敷地を乗っ取り、3年もその状態を維持し続けるなど、不可能と言っていい。その事実を自分たちに伝える意味も分からない。それがコロシアイを促す起爆剤になると、なぜモノクマは思っているのだろうか。

 そしてもうひとつ、なぜ3年なのか。なぜ2年でも4年でもなく、3年なのか。分館で目を覚ました時点で3年の月日が経過していたのだとしたら、その間、この体はいったいどこにあったのか。なぜ何の変化もないのか。疑問は尽きない。こんなものにコロシアイを促す要素なんてどこにもない。

 

 あるのは、ただ無限に湧き続ける疑問だけだ。

 

 「絶望の記憶……?」

 

 ダメクマが口走ったあの言葉。希望の未来の対句として出たのなら、少しおかしい。未来に対応させるなら過去になるはずだ。なぜダメクマは記憶と言った?それは、この頭から失われたものなんじゃないか?つまり僕は……過去に絶望的な経験をして、かつそれを忘れていると?

 ダメクマを問いただしたところで答えは出ないだろう。それに核心に触れることをきけばモノクマが横槍を入れてうやむやにしてしまう。

 

 新しい情報が出たことは間違いない。だが、それが使いようのある情報でなければ、扱いきれずに持て余すだけだ。それだけでなく、今までの考えを改めさせかねない。ダメだ。全然整理できない。今のままじゃ——このままじゃまともに考えられない。

 どうか誰も、早まった真似はしてくれるなよ。

[newpage]

 

 翌朝の朝食会場は、数日前から失われたまとまりがさらに崩壊した、やりたい放題な有様だった。王村さんは朝からお酒を飲んでるし、芭串君や長島さんは好き勝手にジャンクなものをかっ喰らっている。宿楽さんや庵野君はまだ大人しく常識的な朝ご飯を食べているけれど、席はみんなバラバラだ。月浦君と陽面さんに至ってはそんなカオスな食堂の真ん中ですっかり自分たちの世界に浸っていた。

 

 「みんな、おはよう」

 

 何人かから遠慮がちな返事があった。やっぱりみんな挨拶どころじゃないんだ。昨日モノクマから伝えられた、私たちが知らない間に3年の時間が過ぎているということ。私は、それはモノクマの嘘だと思っている。だけどもし本当だったとしたら、みんな思うところがあるんだろう。私だってそうだ。外に残してきた人たちや家族と、3年も音信不通になってたんだったら、相当心配させてるはずだ。希望ヶ峰学園だってこの有様だし、きっとみんな気が気じゃない。

 そういう思いを一晩抱えて、ようやくみんなここに集まってきたんだ。

 

 「過ぎていても過ぎていなくても、時間は巻き戻しも早送りもできないんだ。今を生きようよ」

 

 湖藤君の優しい気休めがじんわりと胸に染み渡る。気休めだと分かっていても、その温かい言葉に思考を委ねて何もかもを受け入れてしまえれば、どれだけ楽だろうと思う。そうしたところで何も変わらないことも分かっていて、それだけじゃダメなんだということも分かってる。分かってることが何よりも辛い。

 

 「尾田くんは?あと、理刈さんと毛利さんも」

 「女の子ふたりが遅いのは珍しいね」

 「ごめんなさい。遅くなったわ」

 

 食堂の入口でため息を吐く私たちの後ろから、疲れ切った理刈さんの声がした。いつもしっかり整えている髪が乱れてて、ローブにもシワが多い。目にクマもできてるみたいだ。明らかに尋常な状態じゃない。

 

 「理刈さん、大丈夫?なんだか疲れてるみたいだけど……寝られてないんじゃない?」

 「ちょっとね……ごめんなさい、心配かけて。寝るに寝られなくて……」

 「仕方ないよ。私も、いくら寝ても寝た感じがしないんだもん」

 「大豆に含まれるトリプトファンは睡眠の質を向上させる効果があるよ。お揚げと納豆の味噌汁に冷奴に茹でたもやしを食べたら?」

 「そんな大豆に支配された献立いやだよ」

 「気遣ってくれてることだけは伝わるわ。大丈夫よ、いざとなったら睡眠薬があるから」

 「薬に頼るのは最後の手段にした方がいいよ」

 「だけど手っ取り早いわ」

 

 少し背中を丸めた理刈さんは、キッチンから豆乳とバナナを持ってきて簡単な朝食を摂った。いちおう、湖藤君の忠告も聞いてはいるのかな?

 その後、私たちは全員が朝ご飯を食べるのを見届けるまで食堂に残っていた。毛利さんも昨日のことを考え過ぎて寝不足になっていたらしく、かなり遅れてやって来た。尾田君は最後まで現れなかった。もしかしたら昨日のうちに朝ご飯を自分の部屋に持っていってたのかも知れない。もはや食堂に集まることすらしないんだ。本当に薄情な人。

 

 「はあ……」

 「ため息を吐くと幸せが逃げるよ、奉ちゃん」

 「逃げるような幸せが残ってるのかも不安だよ」

 「幸せは己のうちに芽生えるものです。ため息を堪えて不安を心の中に残すことこそ不幸を招きます。不安も悲しみもどんどん吐き出した方が良いですよ」

 「真逆のアドバイス」

 「でも庵野さんの方がそれっぽい感じがするなあ。私のは手垢がついた言い回しだもん」

 

 食堂には、思ったより多くの人が残っていた。きっとみんな不安なんだと思う。たったひとりで、この広い本館にいると、モノクマの動機のことが頭を支配する。3年の時間が流れている。外の世界はどうなっているんだろうか。確かめるにはここを出るしかない。つまり、コロシアイをしなくてならない。

 無理やり誰かを死なせるようなものじゃない。直接誰かに危害を加えるようなものでもない。ただただ漠然とした不安を煽って、その不安は私たちがそれぞれ抱える思い出と結びついて、より大きくなっていく。2つめの動機はこのための伏線に過ぎなかったんだ。

[newpage]

 

 「みんなは、もし外の世界が3年も経ってたら、どうする?」

 「どうかなあ。とりあえず家に帰るかな。家族のみんながどうなってるか気になるし」

 「私は家族もそうだが、ペットのみんなが気掛かりだ。動物にとっての3年はあまりに長い時間だ。私のことを……忘れないでいてくれればいいんだが……」

 「甲斐さんは?」

 「私は……うん、私も家族とか、施設の人たちに会いに行きたいな。きっと……色々変わってるはずだから」

 「なんだよお前ら。マジで3年も経ってるなんて思ってんのか?あんなのモノクマの嘘に決まってんだろ」

 

 他愛無い私たちの会話に、芭串君がつっこんでくる。私だってそうだと思う。そうに違いないと思う。そのはずだと思ってる……。

 

 「狭山じゃねえけどよ、外の世界がどうだっつって目先のこと考えてたらあいつの思う壺だぜ。3年経ってようが経ってなかろうが、とにかくモノクマに勝たなきゃいけねえんだからよ。考えるべきはモノクマの倒し方だ」

 

 こんなときでも、芭串君はさっぱりしてて前向きだ。初めは怖い人だと思ってたけど、余裕が出てくるとだんだん頼れる面が見えてきた。理刈さんが疲弊してる分、結構私たちのことを気にかけてくれてるみたいだし、なんだかんだ優しい人だ。

 

 「倒すと言っても、まだ奴の正体のかけらさえ見つけられていないんだ。どうしたらいいのか全く分からん」

 「別にモノクマを直接叩かなくても、叩きやすいところからいきゃあいいだろ。いるじゃんか、叩きやすいやつ」

 「叩きやすいやつ……」

 

 そんな言い方で連想するのはさすがに可哀想な気がするけれど、たぶん芭串君が言ってるのはダメクマのことだ。モノクマとの関係を見るに明らかに弱い立場で、それに私たちでも十分丸め込めるくらい頭が弱い。モノクマを操縦している誰かがいるとするならば、ダメクマもそれとは別に操縦している人がいるってことになる。

 でもふたりの様子を見る限り、その人たちは同じ場所にいるとは考えにくい。じゃあ、モノクマとダメクマって一体なんなんだろう。

 

 「つうわけでオレは、今日ダメクマを見つけてなんとか弱点を見つけられねえか探ってみようと思う。お前らも来るか?」

 「来るかって、どうやって弱点を見つけるの?」

 「あいつがうろうろしてる後を尾けて、何か秘密を握る!それを元に……なんか湖藤とか尾田とかに上手いことやってもらって、あいつらを追い詰める!」

 「一番大事なところが人任せだし曖昧だなあ」

 「行ってみようよ。面白そうじゃん?」

 「えぇ……?」

 「ビビってる奴いねえよなあ!?」

 「ビビってるというか不安というか期待できないというか」

 「なんかしてねえと落ち着かねえだろ。ダメで元々ダメクマつけてみようぜ」

 「うぅん」

 

 芭串君の言うことは尤もな気がしたけれど、それでもモノクマを倒す手掛かりを探るためにダメクマを尾行するのは遠回りな気がした。やらないよりやった方がいいとは思うけれど、そもそも湖藤君を連れた状態じゃ尾行もなにもない。どうしたって目立っちゃうし、静かに機敏に移動するのは湖藤君には難しい。

 

 「尾行は少人数であればあるほどいいよ。見つからないことが重要だからね」

 「つまり佬佬(ラオラオ)みたいに派手な格好してたら合わないってことネ!やるならもっと目立たない地味〜なかっこするヨロシ!」

 「なんだよ長島。お前は来んなよ、声でかいし赤色が目立ってしゃーないんだから」

 「むかーっ!失敬な!だったら教えてやるアル!ダメクマを尾けても何にもならないヨ!この前ワタシ、ダメクマをホームセンターまで尾けてやったネ!でも結局手掛かりらしい手掛かりは見つからず仕舞いだったヨ!途中で香香(シャンシャン)に邪魔されちゃったしネ!」

 「なにっ、お前だったのか……あの覇気は」

 「長島さん、覇気使いこなせるの!?」

 「マジモードだったからちょっとビビらせちゃったかも知れないアル。でも香香(シャンシャン)の間が悪かっただけヨ。ワタシ怒ってないから大丈夫アル」

 「それならいいんだが……」

 「ちぇっ、なんだよ。人がせっかく盛り上げてやろうと思ったのに潰しやがって。あーあもう、スポッツァでも行って体動かすかな」

 

 能天気というかなんというか、いつの間にかみんなモノクマからの動機のことなんてすっかり忘れて、いつも通りの会話ができるようになっていた。結局ダメクマの尾行は諦めたけど、芭串君が声を上げてくれたおかげできっかけができた。私はただ作り笑いでみんなの会話を聞き流すことしかできなかった。

 今日は気分転換に、シアターホールで映画でも観ようと湖藤君と計画していた。どうせフィルムはモノクマが改変したものだろうけど、話の内容自体は変わらないはずだ。それに、どこにどんな手がかりが残されているか分からないんだから、これだってちょっとはみんなの役に立つことになるはずだ。

 

 「遠回りしていこうか」

 

 食堂から4階までの階段にまっすぐ向かわず、敢えて通る必要のないルートを通る。別に湖藤君と秘密の話をしたかったわけじゃない。ただ少しだけ、私が自分の考えを整理する時間が欲しかっただけだ。湖藤君は、さすがというべきか、それを察してくれたみたいだった。何も言わずに頷いて、私に車椅子を押されるままにしてくれていた。

 ちょっとやそっとの遠回りで考えが整理できるはずもない。3年の時間が経っていたのが事実だとしても、私たちのやることは変わらない。そういう思考停止でも前向きになれるなら今はそのままでいい。必死な楽観的思考で、なんとか私は納得した。こんな納得の仕方、尾田君が聞いたらきっとボロカス言うんだろうな。なんで尾田君に聞かれることを想定したのかは、自分でもよく分からない。

[newpage]

 

 一瞬の出来事だった。それは永遠だったかも知れない。

 瞬きも終わらないほどの短い時間、全ては終わっていた。それが刻む楔は永遠にこの魂を穢すのだろう。そんな非科学的なことを考えてしまうくらいに、もう疲れ果ててしまったようだ。

 

 これは罪か。罪だとすればそれは誰の罪か。

 

 これは罰か。罰だとすれば何に対する罰か。

 

 きっとどちらも正しくて、どちらも間違いだ。でも、それさえもうどうでもいい。罪も罰も、コロシアイも裁判ももううんざりだ。いや、それさえ言い訳に過ぎない。もしかしたらこれが自分の本性なのかも知れない。望んでいたのは正解なんかじゃない。正しいという立場からの圧倒的な蹂躙。それだけだったのかも知れない。

 忘れよう。全てを忘れてしまおう。不要な迷いで手遅れになる前に。

[newpage]

 

 心臓が早鐘を打つ。やった。やってしまった。なぜ自分はあんなことをした?何を考えていた?

 どれだけ逃げても、距離をおいても、振り向けばその光景が目の前にあるような気がして、ただただ走った。ほんの数秒前の自分が信じられなかった。数分前の自分ならこんなことはしなかったはずだ。いったい何があった?何が自分にそうさせた?分からない。分かるのは、手に残る不快な感触だけだ。

 柔らかい中に筋張った感触があった。それも少し力をこめるだけで壊れる程度のかたさだ。

 暖かく粘ついた感触があった。そうだ。そのことを忘れていた。それだけはなんとかしないと。

 世界が変わるような感覚がした。違う。変わったのは自分だ。自分が——自分だけが変わったんだ。

 後悔しかない。こんなことをして、その先に何があるというのか。何もない。いずれにしろ絶望だ。ただ、その絶望の中でも、一縷の希望に縋ってしまう自分がいた。自分が許せないほど見苦しく、自分を嫌悪するほど醜悪で、自分を殺したくなるほど悪質な、美しい希望に。

 何が起きたか理解もしていないのに、この首にはすでに縄がかかっている。それでも、自ら膝を折るわけにはいかなかった。

[newpage]

 

 とんでもないことになった。事態は想定を一回りも二回りも超えて、複雑怪奇な様相を呈している。自分が何をしなくてはならないか考える。何をすべきで、何をすべきでないのか。最低限の行動で最大限の効用を生まなければならない。時間はない。誰がいつ来てもおかしくない。見られないように事を済まさなければ。

 とかく、このコロシアイというものはままならない。何もかもが上手くいかない。あらゆる事態を想定していたはずなのに、そのどれもこれもが大して役に立たないまま二度と使い物にならなくなる。新たに考えるべきことを考えているうちに状況は刻一刻と変わる。常に後手後手だ。

 ただ、“余計なこと”を考える余裕はない。目の前のことを的確にこなしていくしかない。それが自分に与えられた使命だからだ。自分が自分であるためにはそうすることしか許されない。

 なぜこんなことをしているのか?自分はいったい何がしたいのか?これは正しいことなのか?

 それさえも“余計なこと”だ。

[newpage]

 

 ほんの気まぐれというか、なんとなく変な予感がしたとか、そんなくらいだ。だから、まさかその扉の向こうでそんなことが起きてるなんて思わない。いや、一目見ただけじゃ何が起きているのかすら分からなかった。

 真っ暗な部屋の中で、私の後ろから差し込む光を受けてきらきらと輝くのはモノクマお手製のシャンデリアだ。それは初めて見たときは天井から揺れ下がっていたのに、今はその巨躯を床に這わせている。辺りには弾け飛んだガラスの破片が散らばっていた。

 ただそれだけならこんなに驚かない。あんなに不安定な吊り方をしていたら、いつ落ちてきても不思議じゃないと思った。私はそこで……見てしまった。

 

 「……え」

 

 シャンデリアの下に広がる黒い水溜まり。暗い部屋だからよく見えないけど、鼻にまとわりついてくる不快な鉄の臭いの正体を、私はよく知っている。血の匂いだ。その水溜まりに横たわる小さな黒い体。シャンデリアの鉄芯と床に間に挟まれてぐちゃぐちゃに潰され、血飛沫に染まった服から覗く白い肌。

 

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を行います!』

 

 目の前に映るひとつひとつを理解していくにつれて、体の底から何かが湧き上がる。それは声になって、叫びになって、悲鳴になって、私の外に飛び出した。

 

 「きゃあああああああああっ!!?」

[newpage]

 

 「宿楽さん!どうされたのですか!宿楽さん!」

 「しっかりしろオイ!さっきの放送はなんだ!」

 

 もしかしたら気を失っていたのかも知れない。私は、庵野さんに強く肩を揺らされて、芭串さんに大声をかけられて我に返った。それまでどれくらい時間が経ってたんだろうか。立ったまま呆然としていたみたいだ。

 

 「あっ……ええ……?」

 「どうなってんだこれは!おい!何があったんだよ!」

 「い、いや……私は、なにも……」

 「こ、これは……!?月浦君……!?」

 

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を行います!』

 

 「は……?」

 

 追い討ちをかけるようなモノクマの声。それはさっき聞いた。なんで2回も同じことを?このアナウンスが2回も聞こえる……その意味を、私は知っている。ついこの前、同じようなことがあった。

 

 「なぜこんなことに……とにかく皆さんを呼んでこなければ……っ!」

 「おい庵野!どうした!もたもたしてる場合じゃねえんだぞ!」

 「いえ……そこの扉が少し——んんッ!?」

 

 慌てながらも冷静に行動しようとする庵野さんは、突然ホールの奥に視線を投げたかと思うと、ふらふらとそっちに歩いて行った。そして控室の扉を開けた。暗くてよく分からないけど、明らかに驚いていた。芭串さんが駆け寄る。

 

 「……なん、だよ……?なんなんだよ!!おい!!なんだってんだよ!!」

 「ちょ、ちょっとふたりとも……!ひとりにしないで……!」

 

 慌てて私もその後を追う。ひとりでシャンデリアのそばにいるのは心細い。考えたくないけど、信じたくないけど、モノクマのアナウンスが聞こえたっていうことは、そういうことだから。そのままひとりでそこにいることがどうしようもなく怖かった。だから、ふたりに合わせて、ホールの控室に近づいた。近づいて……。

 

 『ピンポンパンポ〜〜ン!死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を行います!』

 

 「……」

 

 声も出なかった。庵野さんと芭串さんが覗く部屋の中に踏み入った瞬間、またモノクマのアナウンスが聞こえた。3度目のアナウンスだ。もう訳がわからない。何があったかなんて、私が聞きたいくらい。

 控室の床の上に、無造作に手足を投げ出した理刈さんがいた。穏やかな顔に血飛沫を浴びて、胸から太く長い槍がまっすぐ上に向かって伸びている。誰がどう見ても、完全に死んでいた。

[newpage]

 

 パーティーホールに全員が集まった。()()()()()()()()()だ。コロシアイが起きたこと自体に暗い顔をしている人もいれば、難しい顔で考え込んでいる人も、怯えている人もいる。だけど、こんなことがもう4回も繰り返されている。嫌でもこの緊張感に慣れてきてしまっている自分に気付いて、私はまた自己嫌悪に陥る。こんなこと、慣れたくなんてない。

 

 「はいどーもー!みなさんおそろいでー!」

 「やっと来たアル。焦らし過ぎヨ」

 「今回はちょっと大変みたいだから、ボクの方でも準備とか色々あるんだよ。それはさておき、オマエラとうとうやってくれたね!ダブルキルまではボクもよく知ってるけどまさかのトリプルキルなんてね!悪いこと考える人がいるんだからも〜!」

 「3回アナウンスが聞こえましたが、間違いはないんですね?」

 「もちろん。アナウンスが3回流れたってことは、3体の死体が発見されたってことだよ。誰がどんな風に死んでるかは、これから見ればいいさ」

 「トリプルキルって言ったよね?それはつまり、1人の手で3人が殺害されたってことでいいのかな?」

 「さ〜ね〜!そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、そうじゃなくなかったりしたりしなかったり?」

 「わけわかんねェ……」

 「さあさあモタモタしてる時間はないよ!キリキリ捜査しな!モノクマファイルもあげるからね!」

 

 3人も殺された。その事実を受け入れるのにすら心の準備ができてないのに、これからその捜査をしなくちゃいけないなんて。

 誰が殺されたのかは、今ここにいない人たちを考えれば分かる。きっとどんな死に様だったのかも、モノクマファイルで見えてしまうんだろう。私は、なるべく他の人の視界に映らないよう配慮しながら、モノカラーでモノクマファイルを確認した。

[newpage]

 

——————

【モノクマファイル④-1)

 被害者:陽面はぐ

 死因:脊髄骨折、内臓破裂等による圧死

 死体発見場所:パーティーホール

 死亡推定時刻:−

 その他:全身に激しい骨折があり、強い衝撃の後に即死した模様。

 

【モノクマファイル④-2)

 被害者:月浦ちぐ

 死因:頸部からの出血多量による失血性ショック死

 死体発見場所:パーティーホール

 死亡推定時刻:−

 その他:薬物を服用した形跡なし。シャンデリアの下に潜り込むような体勢で死亡している。

     頸部の傷は気道までは達していない。

 

【モノクマファイル④-3)

 被害者:理刈法子

 死因:−

 死体発見場所:パーティーホール横の控え室

 死亡推定時刻:−

 その他:薬物を服用した形跡あり。

——————

[newpage]

 

 「ううっ……!」

 

 我慢すると決めたのに、あまりに凄惨な3人の姿に、嗚咽を堪えられなかった。陽面さんはシャンデリアの下敷きになって潰れてしまって、全身を覆い隠していた着ぐるみの中から赤黒いものが染み出している。月浦君は首元から激しく血を噴き出し、自分の血でできた血溜まりの中に沈んでいた。理刈さんは胸に巨大な槍が突き立てられていて、殺害されてなお人としての尊厳を踏み躙られるような姿だった。

 写真だけでこんな調子なのに、実物と向き合うことなんてできるんだろうか。3度も繰り返して来たはずなのに、コロシアイには慣れ始めて来たのに、死体には慣れる気がしない。そんな自分に少しだけ安心を感じてしまう自分がおかしいと考える冷静さもある。私を見ている私は、いつも別の私に見下ろされている。

 

 「3つも死体があるとなると、とても手が足りませんね。非常に不本意ですが、あなたたちに任さざるを得ないようです」

 「おめェちったあおいらたちのモチベあげること言えねェのか!」

 「死にたくなかったらしっかりやってください」

 「モチベとか言ってられねェ現実は聞きたくねェよ!!ちくしょう!!」

 「検死というほどのことはできないが、多少の覚えはある。私が陽面と月浦の分をするから、尾田は理刈を頼む」

 「ではそちらに見張りを2名、こちらに1名。その他はホール周辺や関連する場所を捜査してください」

 「いつの間にか劉劉(リュウリュウ)が指揮執ってるヨ」

 「他の人よりマシでしょう」

 

 私は死体を直視することもできないのに、毛利さんは自分から進んで検分するとまで言う。もしそれが責任感から来るものなら毛利さんが心配だ。かと言って私が代わってあげられるわけでもない。無力な心配ほどうっとうしいものはない。私はぐっと言葉を飲んで、検分を尾田君と毛利さんに任せた。

 ホール奥の控室にいる理刈さんには、尾田君が検分役で、芭串君が見張りに付くことになった。早速向かおうとした芭串君を、庵野君が呼び止めた。

 

 「すみません、芭串君。行かれる前に、このシャンデリアを動かすのを手伝ってもらえませんか?いつまでもこのままでは、陽面さんと月浦君があんまりなので」

 「あんまりって、そいつらが何したか分かって言ってんのかよ」

 「もちろんです。しかしそれとこれとは話が違います」

 「……わあったよ。くそっ」

 

 大きなシャンデリアは、庵野君ひとりでは運べないほど大きく重たいようだった。芭串君の他に毛利さんと長島さんも手伝って持ち上げようとする。みんなが持ち上げようとするのに、庵野君だけは細かく走る金属の燭台の隙間に大きな手が入らなくて、下から支えればいいと気付くのに時間がかかった。隣で見ていた尾田君がさっさとひとりで行ってしまうくらいには。

 シャンデリアが持ち上がって移動させられると、下から変わり果てた姿の月浦君と陽面さんが現れた。凄惨な姿の死体は何度も見て来た。むしろここでは、普通の死に方ができる人なんていない。だからと言って、目の前に横たわる酷い姿を簡単に受け入れられるわけじゃない。

 

 「無理しなくていいよ、甲斐さん。前回だって厳しかったでしょ」

 「……ううん。ありがとう。苦しいのはみんな一緒だよ。それに、今じゃもう私ひとりの力だって惜しいはずだよ。私も捜査する」

 「そっか。でも自分を第一にね」

 

 湖藤君はスペースの関係で奥の部屋には後で行くことになっている。まずはホールで死んでいる陽面さんと月浦君の捜査からだ。毛利さんがエプロンに血が着くのも厭わずに、陽面さんのそばにしゃがみ込んで手を合わせた。ポケットから手袋を取り出して、変わり果てた陽面さんに触れる。

 あまりじろじろ見ていると耐えられなさそうだ。原型をとどめている月浦君の方が、もう少し気持ちが楽だった。私は、先に彼の体を調べ始めた。一応の見張りとして、庵野君がそばについてくれた。

 

 「あまりにひどい……苦しかったでしょうに」

 「えっと、まず何からしたらいいかな?」

 「モノクマファイルを見て、その内容を確かめる程度でいいと思うよ。気付いたことがあったら言うから」

 「う、うん」

[newpage]

 

 モノクマファイルには、目の前と同じ月浦君の姿が映し出されている。シャンデリア越しに映した写真かどうかの違いだ。確かに潜り込むような格好になっている。顎からお腹までぴったり床に密着していて、右手を伸ばした状態で事切れていた。首から溢れた血でできた血溜まりには、少しだけ手足を動かしたような跡が残っていた。

 

 「苦しんでもがいたと言うより、前に進もうとしていたような跡の残り方だね」

 「頸部を損傷しているのにですか?」

 「失血死の場合は急激な血圧の低下で気絶するように意識を失うはずだ。首を切られてから意識を失うまでの間にも、彼は一心不乱に動いていたんだろうね」

 「そんな……そんな状態で月浦君は何を……?」

 「決まってるよ」

 

 そう言って、湖藤君は無言で視線を投げた。月浦君の手が向かう先、ちょうどシャンデリアの中心部に潰されていた、陽面さんだった血肉の塊に。

 

 「まだ確定的なことは言えない。だけど、いくつかの傍証から推測できるよ」

 

 いくつか?私は、いま月浦君の体を調べて、湖藤君に指摘されて初めてその可能性に思い至った。私がそんなもたもたしている間に、湖藤君は他にも証拠を見つけてたっていうこと?相変わらず、人より多く目が付いているんじゃないかってくらい、湖藤君は視野が広い。

 

 「あれっ」

 

 ちら、と月浦君の首元で何かが光った気がした。暗い部屋の中で、金属が微かな光を反射していた。それはカッターナイフだった。血がべったりと付着していて、先端の刃は何か柔らかいものが引っかかっている。君が悪くて庵野君に拾ってもらって、湖藤君に検分してもらった。

 

 「ごめんね、庵野君」

 「いえ、手前にはこれくらいしか。それはそうと甲斐さん、距離を取りすぎでは?」

 「そんなことないよ。普通だよ」

 「う〜ん……甲斐さんは直感が鋭いね。これはきっと凶器だよ」

 「やっぱりそうなんだ……」

 「こびりついてるのはヒトの皮膚組織、正確に言えば月浦君の喉の——」

 「正確に言わなくていいよ!」

 

 正確に言われたらこれからの捜査に支障が出る。捜査なのに正確さがいらないなんて言うのもおかしな話だけど、私は正直いまギリギリなんだ。

 

 「つまり、月浦君の喉の傷はこれによって付けられたものということですね。なんと酷いことを……」

 「でも月浦君ってシャンデリアの下にいたんだよね?」

 「だから、シャンデリアの隙間から切ったんだろうね。血にまみれたカッターナイフはそのまま手放したあたり、犯人は割と冷静だったのかもね」

 「うぅん……?」

 

 湖藤君の推測を聞いて、なんだか釈然としないものを感じた。もちろん、月浦君はシャンデリアの下にいたし、シャンデリアにも血飛沫の跡があった。湖藤君の推測は正しいと思う。でも、だとしたら何かがおかしいような気がして、素直に受け止められなかった。

 私の疑問なんかは捨て置いて、検分がひと段落したのを見計らって、私たちは毛利さんに声をかけた。気分が悪そうにしている風海ちゃんと壁にもたれて酒瓶を煽っている王村さんは、あまり捜査の力にはなれていないみたいだ。疲れた様子の毛利さんが検分の結果を伝える。

 

 「モノクマファイルの内容に過不足はない。死体の損傷が激しすぎて詳しいことまでは分からなかった。だが、どうやら落下して来たシャンデリアの中心が頭のてっぺんに当たって、そのまま潰されたらしい。何が起きたかすら理解できなかっただろう」

 「……」

[newpage]

 

 記憶の中で思い出される陽面さんの笑顔は、どれも無邪気だった。その笑顔に元気づけられたり、慰められたり、力をもらったりした。だけどその笑顔は同時に、私たちを戦慄もさせた。笑顔そのものはちっとも変わらない。ただ、いつでも同じ笑顔だからこそ異常だった。その笑顔すら、永遠に失われてしまったことが悲しく思える。陽面さんの笑顔はそういう笑顔だった。

 

 「間違いがないのは結構なことです。他に何か分かったことはありませんか?」

 「血で分かりにくくなっているが、体の下の床に何か塗られていた。正体が分からないから、湖藤に見てもらおうと思ってな」

 「ぼくに分かるかな?」

 「湖藤さんに分からなかったら誰に分かるっていうの!」

 「もっと詳しい人がいるってきっと」

 

 毛利さんが指差したのは、陽面さんの体の下の床で、奇跡的に血がついてない箇所だった。確かに、少しだけ普通の床よりも緑っぽい気がする。車椅子の車輪に血がつかないように気をつけながら、湖藤君がそこを覗き込む。そして怪訝な顔をしたまま体重を背もたれに戻した。

 

 「薄いペンキのようなものみたいだね。詳しくは分からないけど、蓄光塗料かな?」

 「ちっこう?なんか海鮮系の珍味みてェだな」

 「全然わかんない。蓄光っていうのは、明るいときに受けた光を暗い場所で放出する特性がある物質のことだよ」

 「なぜそんなものが」

 「さあ?でも、陽面さんの体の真下にそれがあったっていうことは、事件とは無関係ってことはないだろうね。しかも、その陽面さんの真上からシャンデリアは落ちて来た」

 「偶然……なんてわけないよね、まさか」

 

 どう考えても偶然じゃない。証拠はないけど、百人いたら百人が偶然じゃないって言うだろう。察するに、陽面さんは蓄光塗料でこの場所に誘導されたんだ。そこにシャンデリアが落ちて来た。うん、少しだけ事件のことが分かって来た。具体的に犯人が何をしたかが少しでも分かると、それを軸に他のことも少しずつ整理して考えられるようになってくる。

 

 「そういえば、あのシャンデリアはどういう造りになってたんだっけ」

 「モノクマお手製のガラス製ですね。軸が金属なので重量は相当なものです。天井に吊るしてあったかと思いますが……」

 

 私たちは全員で上を見た。天井の四隅に鋲が打たれ、そこから伸びたワイヤーが私たちの頭上にある金属の輪っかを四方向から吊っていた。シャンデリアはあの輪っかに嵌め込まれた金属球で支えられていた。あれ?でもそうすると……。

 

 「なんでこのシャンデリアは落っこちて来たんだろ?」

 

 金属球は輪っかにしっかり嵌まってたはずだ。私たちがこのホールに初めて入ってから今日まで、このシャンデリアが落ちたことなんてない。そもそも金属球が自分より小さな穴を通り抜けるわけがない。吊っていたワイヤーか何かを切ったのかと思ったけど、シャンデリアは床にぶつかって粉々になったガラス部分以外は全く無傷で、金属球も変わらずつながっていた。

 だとしたら、なんで金属球が輪っかを通過してるんだろう?

 

 「またひとつ、分からないことが増えちゃったね」

 

 湖藤君が明るく言う。冗談じゃない。ただでさえ私は何がなんだか分からなくて、学級裁判でだってろくに議論に加われないんだ。やっと、少しは状況が推理できそうだったのに、すぐにまた分からなくなっちゃうなんてあんまりだ。

 

 「まあ、今すぐ全部を解き明かす必要はないんだ。とにかく真実の材料を集めていかないと」

 「……うん」

 

 私はがくっと肩を落とした。やっぱり私は湖藤君や尾田君を頼ってしか学級裁判を生き残れないんだろうか。少しは自分でも考えられるようになって、ふたりの力になりたいだけなのに。え?なんで尾田君の力になりたいって……いや、うん、湖藤君のついでに思っただけだ。きっとそうだ。

 

 「甲斐さんは何をひとりでぶつぶつしゃべっているのでしょうか?」

 「邪魔しちゃダメですよ庵野さん。あれは乙女の葛藤なんだから」

 「ほう、乙女の」

 「ムフフ……私は雑食性だから一昔前の王道展開なんかもいけちゃうんだよ」

 「はあ。よく分かりませんが、『愛』ということですね」

 「そう!『愛』だよこれは!」

 「話を掻き回すやつ同士の会話はブレーキがなくて怖ェなァ」

 

 なんか気持ち悪い視線を感じるけど、とにかく気にせず次にいこう。湖藤君の言う通り、いまは頑張って情報を集めないと。

[newpage]

 

 ホールの捜査は毛利さんたちに任せて、私と湖藤君は奥の控室の様子を伺うことにした。部屋が狭いから尾田君と芭串君と長島さんでほぼいっぱいになっちゃって、私たちは部屋の外から中を覗くだけにした。あまり深く関わろうとすると、また尾田君の嫌味が飛んでくる。

 部屋の中央に寝転んだ理刈さんの胸に刺さった槍は、芭串君の手で引き抜かれて横に添えられていた。理刈さんの身長よりも大きな太い槍だ。先端は赤黒い血に塗れていて、気味悪くてらてらと光っていた。こんなものが突き刺さったらひとたまりもないだろう。

 

 「おう、来たか。ひでえよなこりゃ」

 「こんな槍、いったいどこから……?」

 「モノクマの槍アル!ここに来た最初の日に、モノクマが卡卡(カーカー)を脅したときにも使ってたヨ!」

 「そういえばそんなこともあったっけ。よく覚えてるね、長島さん」

 「敵の武器を覚えておくのは基本アル。死にたくなかったら生きる方法を身につけるしかないネ」

 「じゃあなんでモノクマの槍がこんなところに?こんな大きな槍を扱える人なんていないよ」

 「簡単なことだ。とうとうモノクマが()りやがったんだよ」

 

 至極当然と言うか、もちろんその可能性は考えるべきなんだろう。こんなに大きな槍は他のところから持って来られないし、長島さんが言った初日の体育館以外では見たことがない。隠してあったとしても、こんな目立つものはパーティーホールが開放された日に見つかったはずだ。

 つまりこれは、事件があったときにこの部屋に出現した。カルロス君を脅したときみたいに、壁や床から飛び出して来たんだ。そんなことができるのはモノクマしかいない。

 

 「でも、モノクマがぼくたちに手を出すなんてルール違反だよ。それこそ、校則違反を犯した人への罰としてならあり得るかも知れないけど」

 「法法(ファーファー)に限ってそんなことないアル!」

 「じゃあ本当にモノクマが?」

 「勘弁してください。どう考えても理刈さんが校則違反を犯したという可能性を追うべきでしょう」

 「むっ」

 

 理刈さんの死体の横で議論する私たちに、部屋の奥を捜査していた尾田君が口を挟んできた。顔はいっさいこっちに向けず、手を動かしながら。

 

 「どうして?理刈さんが校則違反を犯した証拠でもあるの?」

 「ならあなた方はモノクマがルール違反を犯した証拠をお持ちなんですか?」

 「ないんだね」

 「お互いに」

 「だったら理刈さんが校則違反を犯した可能性を追うべき、なんて言えないよね」

 「あなた方はモノクマが手を下した可能性しか考えようとしていなかったでしょう。どちらが理性的か、理性のない頭で考えてごらんなさい」

 「ムカーッ!なんアルその言い方!ワタシたちだって頑張って捜査してるアル!劉劉(リュウリュウ)は頭良いかも知れないけど、三人集まったら宇宙にだって行けるアルよ!」

 「なんか色々違えな」

 「捜査というのは机上論を交わし合うことではありません。誰が見ても明らかな小さな証拠をかき集めることです。裁判場でもできることを敢えて今やって時間を浪費している間抜けは、300人いたって邪魔なだけです」

 「くぁwせdrftgyふじこlp!!」

 「長島さんがバグっちゃった」

 

 そう言う尾田君の手は休まず動き続けている。有言実行、行動で示しているということだ。言うことは尤もなのに、わざわざ相手を怒らせるような言い方をするから人がついて来ないんだって、何回も言ってるのに一向に治る気配がない。

 

 「まあ、とにかく部屋の中を調べてみようか。尾田くんの言うことは間違ってはないから」

 「へーんだ!もうワタシだってとっくに調べてあるヨ!聞いてねえ聞いて!」

 「分かった聞く聞く。聞くから押し付けんな色んな部位を」

[newpage]

 

 よっぽど尾田君にボロクソ言われたのが悔しかったのか、長島さんは私たちに捜査の結果を報告したくてたまらないようだった。いつもはシビアでハードボイルドなことばかり言ってるのに、今は小さい子供のようだ。

 まず私たちは、理刈さんの死体を調べた。胸に空いた槍の穴以外にも、理刈さんの体は妙な部分が多かった。

 

 「まずこれ、法法(ファーファー)の胸ポケットに入ってたアル。なんだと思うカ」

 「それは……なにかの錠剤?」

 「そう!薬かなにかだと思ったから、ちょっと削って舐めてみたアル」

 「よくそんなことするなあお前!やばい薬だったらどうするんだよ!?」

 「大丈夫アル。ちょっとくらいの毒だったら水いっぱい飲めばなんとかなるヨ」

 「そんなことないよ?」

 「で、結局それはなんだったんだよ」

 「分かんなかったネ。痛くも痒くも苦しくも痺れも眩暈も眠気もなんともなかったヨ。ちょっと苦かったアル」

 「体張った甲斐がないね。薬は苦いものだし」

 「薬と言えばこれもそうだな。そこらじゅうに散らばってて邪魔だったから集めといた」

 

 長島さんの無茶は、結局のところなんともないみたいだから今はスルーすることにした。薬つながりで何か思い出したのか、芭串君は親指で控室に唯一ある机の上を指した。ティッシュを敷いた上に、オセロのコマみたいに白黒の粒がたくさん積み上げられている。

 

 「なにそれ」

 「ゴミ箱に瓶が捨ててあった。モノクマ特製の睡眠薬らしい。一粒飲めばたちどころにコロリだと」

 「あんまり睡眠薬で殺虫剤みたいな書き方しないけどね」

 「睡眠薬がどうして床に散らばってたのさ」

 「そんなのオレが知るかよ。誰かがばら撒いたか、机の上で瓶をひっくり返したかだろ」

 

 あんまり口に入れたくならない白と黒の錠剤は、芭串君によればかなり強力な睡眠薬のようだ。瓶に書いてある成分はよく分からないけど、モノクマが用意したものならそういうことなんだろう。

 

 「やい佬佬(ラオラオ)!ワタシが奉奉(フェンフェン)厘厘(リーリー)に説明してるところアル!とるなし!」

 「分かった分かったよ、悪かった」

 「どこまで話したアル?まだ薬だけカ。それじゃあ次は法法(ファーファー)の指に注目するヨロシ」

 「えっ……?血?」

 「ちっちっちっ。血じゃないヨ」

 「紛らわしい言い方だなあ」

 「嗅いでも血の匂いがしないアル。これはただのインクヨ」

 「インク?」

 「ハンコを押す時につけるアレとかとおんなじアル」

 

 長島さんが理刈さんの右手を持ち上げると、人差し指の先が赤く染まっていた。血かと思ってぎょっとしたけど、その反応を予想していた長島さんに得意げな顔をさせてしまった。どうやらこれはただのインクらしい。ただのインクと言うけれど、ただのインクが指先についてる状況はまあまあ不自然だと思う。それが死んだ人ならなおさらだ。

 

 「なんでそんなものが?」

 「それは分からんアル。いちおう、ここには朱肉もあるから、指でも突っ込んで舐めてたんじゃないカ?」

 「洞察力はあるのに考察力がカスだな」

 「だったら佬佬(ラオラオ)もなんかアイデア出すヨロシ!」

 「ええ……いや、分かんねえけど」

 「つっまんネ〜〜〜!」

 「うるせえな!」

 「でも確かに重要な手掛かりになるかも知れないね。ありがとう、長島さん」

 「どういたしましてアル!ふふん!」

 「いや別にドヤられても」

[newpage]

 

 まるで事件の核心的証拠を見つけたかのように、長島さんは力強く胸を張った。何が真相に近付くための手掛かりになるか分からないから、これも全くの無駄だとは思わないけど、それにしたって大袈裟な気がする。湖藤君の社交辞令的なお礼にも満足げにするくらいだ。

 

 「少し、ぼくもしっかり調べてみようかな」

 「えっ?こ、湖藤君?」

 

 いきなり何を言うかと思えば、湖藤君はゆっくりと腰を浮かせて、腕の力だけで車椅子から床に体を移した。びっくりして私が体を支えると、男子とは思えない軽さと皮膚の薄さに改めて気付く。湖藤君は私に小さくお礼を言いながら、理刈さんの顔や手を入念に調べ始めた。

 

 「おや、車椅子に乗っていなくて大丈夫なんですか」

 「心配してくれなくても大丈夫だよ。部屋でひとりのときは車椅子が面倒だからこうやって本を取りに行ったりするから」

 「うそっ!?そうなの!?」

 「うそ」

 「どっちなの!?」

 「どっちかな」

 

 そうやってすぐ私を心配させては煙に巻く。達観した大人のように振る舞っているくせに、湖藤君は基本的に子供っぽい。なんというか、相手を困らせて面白がるような、そういう悪いところが特に。

 

 「ふうん……なるほどね」

 「な、なにがなるほどなの?」

 「まだ言わないでおくよ。今は、ただ先入観を与えるだけになっちゃうからね」

 

 ふん、と尾田君が鼻を鳴らした。どうやら湖藤君が気付いた何かに、尾田君も気付いているらしい。また私を置いてけぼりにして、二人だけで何か通じ合ってる。先入観になるかも知れないけど、気を付ければいいんだから教えてくれればいいのに。湖藤君は私のこと信用してくれてないのかな。

 

 「理刈さんの死体を発見したのは?」

 「オレと庵野と宿楽だ」

 「理刈さんは初めからこの状態だった?」

 「ん?ああ、そうだ」

 「そうかあ。それはおかしいね」

 「何がおかしいんだよ」

 「だって、椅子の足を見てごらんよ。少しだけだけど、血飛沫がついてるでしょ」

 

 湖藤君は、机に収まっていた椅子の足元を指差した。確かに、そこには目を凝らさないと見えないくらい小さな血の跡がある。そっちには近づいてさえいないのに、よく気付く人だ。湖藤君がおかしいと言うのはきっと、その椅子がしっかり机の下にしまわれていることを言ってるんだろう。

 

 「何がおかしいんだよ?」

 「分かるよ湖藤君。理刈さんはここで亡くなってるのに、どうして離れた場所にある椅子に血が飛んでるのかってことでしょ」

 「うん、その通りだよ甲斐さん。さすがだね」

 「……本当だ。確かに、そことここじゃ離れ過ぎてんな?」

 

 理刈さんは服の上から槍を突き立てられていた。ただでさえ溢れた血はローブに吸われてあまり周囲に飛び散ってないのに、足より遠いところにある椅子まで飛ぶなんておかしい。

 

 「それだけじゃないよ。発見時に理刈さんがこの状態だったなら……芭串君。ちょっと理刈さんの体の下を見たいんだけど、動かしてくれる?」

 「???」

[newpage]

 

 言われるがまま、芭串君は服に血がつかないように気をつけつつ、理刈さんの体を持ち上げた。力なくだらりと垂れ下がった手が、もうそこに命がないことを何よりも物語っていて不気味に映ってしまう。血の滲んだ床を見て、湖藤君はまた頷いた。

 

 「やっぱり、体の下の床に槍の跡がある。理刈さんが槍で刺されたときと発見時とでは、理刈さんの体勢は大きく変わってないってことだ」

 「それが……いや、変だなそりゃ」

 

 つまり、理刈さんの胸に槍が刺さったとき、理刈さんは床に大の字になって寝そべっていたってことになる。そこへ、真上から槍が降ってきたことになる。それはどう考えてもおかしい。どうして理刈さんが、こんな狭い部屋で仰向けになってなくちゃいけなかったんだ。

 

 「いったいこの部屋で何が起きたのかな……」

 「なんだろうね。どうも一言で済むような簡単な話じゃなさそうだ」

 「ホールでも殺人が起きて、ここでも理刈さんが亡くなってる……無関係じゃないよね?」

 「おそらくね。ただ、それらが関係してるっていう根拠も今はない。そうだなあ……ひとつ確認したいことが——」

 

 だけど、湖藤君の提案は大音量のアナウンスでかき消された。

 

 『人は罪を犯すとき何を考えているのでしょうか。仕方がないんだと自分を正当化する人もあるでしょう。誰かに騙されて知らず知らずに罪を犯す人もあるでしょう。逆に罪を罪と自覚して誇りを持つ人もあるでしょう。だけどね、大抵の人はね、その瞬間は何も考えてないんだよ。ちょっとよそに気が移ってたとか、ちょっと気になって何の気なしにしちゃったとか、ちょっと魔が差したとか出来心とか。そのちょっと、が自分の人生を大きく左右するなんて、これっぽっちも考えないときに、罪はオマエラの中に滑り込んでくるのです。気をつけよ、気をつけよ、いつ自分が犯罪者になるか分からない世の中ですぞぉ……!そういうわけで、学級裁判のお時間です!遅刻なんて罪を犯す奴は容赦しないぞー!あつまれー!』

 

 狭い控室内では、モノクマのアナウンスが耳の奥までガンガン響く。パーティーホールと控室しか捜査できていないのに、こんなので真実なんて見つかるんだろうか。

 

 「行きますよ」

 

 アナウンスを聞いて、尾田君はさっさと部屋を出て行った。モノクマに従うしかないから仕方ないんだけど、もうここで調べられることは全部調べられたっていうことなんだろうか。私は不安で仕方ない。3人も人が死んでるのに、いつもより手掛かりらしい手掛かりがないんだ。

 

 「ここにいても仕方ないよ。覚悟を決めないとね」

 

 のそのそ車椅子に戻りながら、湖藤君は真剣な顔をする。ここから私たちは命を懸けた学級裁判に臨む。4度目になっても慣れない緊張感。4度目だからか薄れていく命の緊迫感。

 

 「大丈夫……だよね?」

 「諦めなければ、ね」

 

 いつになく、湖藤君は自信がなさそうだった。さっき言いかけたことが確認できないままだからだろうか。湖藤君がそんな顔をしていると、私も不安になる。そんな気持ちを抱えながら、私たちはまたあの裁判場へ向かっていく。

 これが最後の裁判になるようにと、何度も願いながら。




つゆはつゆでもめんつゆが降ってくればいいのに


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学級裁判編1

 

 学級裁判場前のエレベーターホールに人が集まる。全部で9人。とうとう人数は手で数えられるほどになってしまった。初めに体育館に集まったうちの半分は、もういなくなってしまった。全員が集まると余計に人が減ったことを実感してしまい、みんなその現実から目を背けるように視線は下や上を向いていた。

 

 「オーケーオマエラ!しっかり時間までに集まったね!えらいえらい!ボクもこんなしょうもないことでおしおきなんかしたくないし、素直になってくれるのはありがたいよ。うんうん」

 「うぅ……もうこんな人数になっちゃったなんて……」

 「誰のせいだと思ってるんだ。こんなことをさせておいて……!」

 「だれって、オマエラの中の誰かでしょ?オマエラの中の誰かが、あんなひどいことをしたんだよ。だからこうして学級裁判を開くことになってるんだよ。お分かり?」

 「無駄な問答をするつもりはありません。時間が経てば経つほどクロが有利になるんです。さっさとエレベーターを動かしてください」

 「相変わらずクールだね、尾田クン。もしかして自分は物語の主人公の隣にいる名脇役だと思ってる?」

 「ちょっとなに言っているか分かりません」

 「なんで分かんないんだよ!」

 「分かんねェだろ普通」

 

 相変わらずモノクマは不愉快に笑い、ダメクマはめそめそしている。泣きたいのはこっちの方だ。だけど私は泣いてられない。学級裁判をする以上は、必ずこの後、誰かが命を落とす。月浦君と、陽面さんと、理刈さん。3つの命を奪った犯人が、私たちの中にいる。だけど、本当にそうなのか。理刈さんの死体にも、陽面さんの死体にも、月浦君の死体にも、おかしな部分があった。ここでは普通の死に方なんてできないけれど、それにしたって何かがおかしい。それを言葉にする力を持たない自分がもどかしい。

 

 「まあ話したいことがあるなら裁判場でってね!それじゃあオマエラ!乗っちゃってーーー!」

 

 合図にあわせてシャッターが開く。尾田君を先頭に、私たちはエレベーターに乗り込んだ。たった9人を積み込んだだけで、エレベーターは再びシャッターを閉じて動き出した。

 深い深い奈落の底へ。無骨な機械音と、冷たい空気が足元から頭上へ抜けていく虚ろな音だけが聞こえる。誰ひとり口を開かない。私たちの中に殺人犯がいて、それを恐れている。それだけじゃないだろう。もうみんな嫌になってるんだ。殺したり、殺されたり、それを追及して、また誰かが死んだり。目の前で人が死ぬことが、昨日まで話していた人がいなくなることが、当たり前の日常になりつつある。それらの全てにうんざりしている。その繰り返しに絶望してる。

 いっそ、この地獄のような世界から逃げ出すことができたら、どれだけ楽だろう。そんなことを考えてしまうくらいには、みんな疲れていた。

 

 エレベーターは唐突に動きをとめ、目の前の暗闇が二つに割れる。その向こうでは、円形に並んだ証言台と、そこに収まる11の遺影が私たちを待っていた。部屋の装飾はまた変わっていた。艶のある木の柱とえんじ色の壁紙に、ハートマークや星マークが散らされている。かと思えば真っ黒に塗りつぶされた壁が何面かあって、とても目が散る。相変わらずモノクマのひどいセンスが光る内装だ。

 

 「はいはい!それじゃあいつも通り、キリキリ自分の席に着きな!遺影のみんなも待ち遠しそうにしてるよ!」

 

 玉座に腰掛けたモノクマが、待ちきれないとばかりに私たちを急き立てる。私たちは何も言わず、それぞれの席に着く。新しく増えた、月浦君と陽面さんと理刈さんの遺影。3人ともが額縁の向こうでまっすぐ正面を見て穏やかな表情をしている。

 月浦君は狂気的な人だった。初めから最後まで、彼は陽面さんのためだけに生きてきた。あんな事件を起こすまでは微笑ましく思っていたのに、その化けの皮が剥がれた……いや、初めから彼に隠すつもりなんてなかった。私たちが見誤っていただけだ。彼の異常性と、それを可能にする彼の能力を。

 陽面さんは明るく可愛くて、だけど異常な人だった。彼女自身は何もしていない。何もする必要がない。ただ笑顔で、思うままに生きていた。隣にいる月浦君が、全て彼女のために手を尽くしていたから。彼女はその恩恵を無自覚に享受して、自覚してからも全く無批判に受け入れていた。無邪気で、邪悪だった。

 理刈さんは強い人だった。彼女の信じるものとこのコロシアイは全く相容れないもので、気苦労が絶えなかったはずだ。目の前で人が死んでいくことも、それに対して無力な自分が許せないと弱音を吐いていた。それでも、彼女は自分の信念を捨てることはなかった。自分を見失うことは最後までなかった。

 

 そんな3人の命を奪った誰かが……私たちの中にいる。人が少なくなってくるにつれて、それはより信じがたくなる。ここまで一緒にモノクマと戦ってきた仲間だと思っていたのに、それが裏切られた。私がそれが悲しくて、悔しくて……どうして、なんて憤りさえ覚えていた。

 この感情をどうすればいいのか、私は分からない。たとえ誰が犯人でも、人殺しだから処刑されて当然なんて思わない。だけど、その人を許すことだってできないかも知れない。

 曖昧な私を待つことなんてせず、学級裁判の幕は上がる。それが再び閉じられるとき、私はここに立っていられるのか。それさえ考える余裕がなかった。

 


 

学級裁判 開廷

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票により決定されます。正しいクロを指摘できればクロだけがおしおきされます。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は、クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが晴れて卒業となります!」

 

 モノクマがいつもの説明を繰り返す。

 

 「今回は被害者が3人もいるし、そのあたりから話し始めてみたらいかがでしょうか〜!」

 「な、なぜあなたが議題を決めるのですか……?」

 「別にぃ〜?みんな気になってるところだと思ってね!毎度毎度同じ始まりじゃオマエラも飽きるでしょ。オマエラに言ってるんだぞ!」

 「聞こえてるよ」

 「確かに、3人もの殺人は初めてだ。しかも全員が違う殺され方をしてる。ぼくも議論する意義は十分あると思うよ」

 

 なぜか進行を始めたモノクマの流れを引き継いで、湖藤君がみんなに議論を促す。裁判場の頭脳のひとりだった月浦君と、積極的に進行をしてくれていた理刈さんがいなくなった。ただでさえシロの割合が減ってるうえに、思考力はかなり削がれている。なんとか残った人たちでカバーしなくちゃいけない。

 

 「考えられる可能性はいくつかあります。ひとりの人間が3人を殺害したパターン。全く別々の事件がそれぞれ発生したパターン。ある殺人のクロが別の殺人の被害者であるパターン。そんなところでしょうか」

 「クロが自殺しているパターンもあるよ。明らかに他殺の人ばかりだけど、一考の余地はあるんじゃないかな」

 「モノクマに処刑されるくらいだったらてめェで……てのァなかねェ話だとは思うが、だったらそもそも殺人なんざしなきゃいい話だよな」

 「こらーっ!なに当たり前に言ってんだ!自殺は認めてないんだからね!校則にだって書いてあるだろ!ちゃんと読め!」

 「って言ってるけど」

 「まさか、あのアホみたいな校則を真に受けている人がいるんですか?」

 「真に受けるもなにも、校則として存在するのは事実では?」

 

 それを聞いて、尾田君は深くため息を吐いた。早速出た。嫌な感じ。

 

 「こんなこと言うまでもありませんが、自殺を完遂した時点でその人は死亡しているんです。処刑が抑止力になるわけないでしょう。いくらモノクマでも、死者を処刑することはできないでしょう?」

 「うぐぐ……!」

 「そ、そりゃそうだ……言われてみれば……」

 「なら、その校則はいったい何のために存在しているんだ?」

 「さあ?そこまでは知りません」

 

 尾田君は当然のことを言う。確かに、自殺を禁止することそのものはおかしくなくても、そのために処刑を持ち出してくるんじゃ意味がない。モノクマの定めた校則の意味なんて、コロシアイをゲームとして成立させるためのものとしか思えなかったけど、それだけは違う。自殺することがモノクマにとって、どう不都合になるんだろう。

 

 「ともかく、ぼくたちはこれから4つの可能性を同時に追っていかなくちゃいけない。みんな、やれる?」

 「やれるかどうかじゃなくて、やるしかないのだろう」

 「けど、どうすんだよ。別々の事件が起きてたら、ここには最大3人のクロがいるってことになるんだろ。そしたらオレたちは……どうすりゃいいんだ」

 「これはルールの面でしょう。モノクマが答えてください」

 「ぐぬーっ!オマエに指図されるとムカつく!えい!」

 「あーっ!ひどい!」

 

 モノクマがダメクマに八つ当たりして、ダメクマが玉座から転がり落ちて床でぺしゃんこになった。

 

 「だけど学級裁判の根幹に関わることだからきちんとお答えしましょう!学級裁判において指名すべきクロは必ず1人に決定します!別々の事件が独立して起きた場合は、一番最初にクロの条件を満たした人だけがクロとなります!」

 「早い者勝ちってことネ。後から殺された方はたまったもんじゃないアル」

 「じゃ、じゃあ、被害者が他の事件のクロだった場合は?」

 「その場合は最後に殺人を犯した人がクロになりますね。要は、生きて学級裁判に臨んだ中で最も早くクロの条件を満たした人が、その裁判におけるクロになる、ということです!」

 「おいらァもうお手上げだ!」

 「それじゃあ最終的なクロが自殺してるときはどうするの?」

 「……それがボクとしては一番避けたいことなんだよね。つまんねえし」

 「答えは」

 「はあ……生存者の中にクロの条件を満たす者がなくて、かつ自殺者がいる場合は、自殺者がクロと被害者を兼ねるということで、その人がクロになります。でもそれだとおしおきできないし、下手打つと全滅エンドなんてことにもなりかねないから、マジで避けたいんだよね。だから禁止してたのに」

 「どうだか」

 「つまり我々は、そもそもクロがこの中にいるのか、という点から議論をする必要があるわけですね」

 「マジで分かんねェ……」

 「私も……大丈夫かな」

 

 なんだかとんでもないことになってきた。今まで気にしたこともなかったけど、今回みたいな複雑そうな事件になって初めて意識した。そもそもクロが私たちの中にいない可能性だってあるんだ。クロがいるかどうかなんて、捜査のときは考えもしなかった。だって、誰かが殺意を持たないとこんなことにはならないから。そう思い込まされてたのもモノクマの思惑のうちだったのかも知れない。

 

 「とにかく……モノクマファイルから確認してみるのはどうだ。自殺か他殺くらいは推理できるんじゃないのか?」

 「そ、そうだね!できることからやってくしかないよね!うん!やろう!」

 「しかしまず……いえ、結構。どうぞ、進めてください」

 「激烈に気になるところまで言ったんなら最後まで言えよ!」

 「いえ、あなた方のペースに合わせることも大切だと思いますので、思う存分やってください」

 「譲ってるのに棘がある言い方できるのってもはや才能だと思う」

 「そりゃどうも」

 

 嫌味も言っても尾田君はあっさり流す。何を言おうとしたんだろう。学級裁判で尾田君は、無駄な嫌味を言うことはあっても無意味なことは言わない。何か言おうとしたのなら、それは学級裁判を進める上で無視できないことなんだろう。でも、敢えてそれを伏せるっていうことは、まだ何か考えてる途中なんだろうか。

 

 「まずは陽面だ。パーティーホールの中央で、シャンデリアに押し潰されて圧死していた」

 「あんなに大きく重いものが落ちてきたらひとたまりもないでしょう……モノクマファイルには即死とあります。かわいそうに……」

 「検分は私が担当した。体は激しく損傷していた。もはや傷がどうのこうのと言える状態ではないほどに」

 「うえぇ……気色悪ィ」

 「まず、これは他殺で間違いねぇな。自分の頭にシャンデリア落とすなんてことできるわけねえし、やるやつの気がしれねえ」

 「……いいでしょう」

 「上からだなあ」

 

 陽面さんのモノクマファイルは、まだまともに見ることができない。損傷箇所を赤く塗りつぶす図が、陽面さんの全身を染め上げていることの意味を考えると、写真の中で陽面さんがどうなっているかを想像してしまって、お腹の中から込み上げてくるものを耐えられなくなってしまいそうだった。

 モノクマファイルの確認は、次に月浦君に移った。

 

 「月浦さんは首を切られての失血死でした。シャンデリアの下に潜り込んだ状態で発見されてて、手元にはカッターナイフがあった。これは、自殺に見えなくもない……かな」

 「あいつは陽面にべったりだったからな。陽面が死んだショックでヤケになって……ってのもあり得なくねえ」

 「まともな蘇生措置もせずにですか?彼なら、無駄と分かっていてもシャンデリアを動かして陽面さんを助けようとすると思いますが」

 「あんな重てェもん、月浦ひとりで動かせるわけねェやな」

 「奴は陽面のことになると常識が通用しなくなるからな……どこまで冷静でいられたのか分からないが、どちらもパターンも考えられる」

 

 あれだけ私たちを混乱させ、疑心暗鬼にさせ、陽面さんのためだけに3人もの人間の命を奪った月浦君。その最後は、なんだか私が思っていた以上にあっさりしていて……なんだか悲しかった。彼が命をかけて守りたかった陽面さんが殺害されて、彼まで命を落としたなんて。彼の命が消えるとき、何を考えていただろうか。そんなことが気になってしまう。

 

 「最後は理刈だ。パーティーホールの控え室で、腹に槍が刺さった状態で発見された」

 「こんなんどう見てもモノクマの処刑でしょ!?どういうこと!?私たちに手を出さないんじゃなかったの!?」

 「モノクマがぼくたちに手を出すのは、ぼくたちが校則違反を犯したときだけだ。もしこれがルールに則った処刑だと言うのなら、理刈さんは何らかの校則違反を犯したということになる」

 「もっちろーん!ボクはこのコロシアイ生活を取り仕切る立場なんだからね!むやみやたらにオマエラをぶっ殺したりなんてしないよ!そういうのはおしおきか校則違反を罰するためにやむを得ずするときだけ!」

 「どうだか」

 「でもそうなると、法法(ファーファー)が校則違反したってことになるネ!なにしたカ?」

 

 あの、ただでさえルールに厳しい理刈さんが、校則違反が即処刑につながるようなこんなところで敢えて違反するようなことなんてないと思う。かと言って、うっかりで彼女が違反してしまったとも思えない。あんな狭い部屋でできることなんて限られてる。私はあの部屋を思い出してみた。

 何か、手がかりがあるはずだ。どうして理刈さんがモノクマに処刑されなくちゃいけなかったのか。その答えが……。私より先に、庵野君が気付いてくれたみたいだ。

 

 「もしかして……居眠り禁止の校則でしょうか」

 「はあ!?居眠り!?理刈が!?」

 「控室には、白黒の錠剤が散らばってたと聞いています。芭串君が片付けてくれたそうじゃないですか」

 「あ、ああ。そうだ」

 「あれは睡眠薬です。モノクマ製の特別強力なものなので、1粒あればあっという間に眠りこけてしまいます」

 「睡眠薬?庵野よォ、おめェさんはなんでそんなもんを知ってんだ?とても睡眠薬が必要な奴には見えねェぜ?」

 「薬品庫にはたまに足を運びますので、薬はよく目にしているのです」

 「そのことは私が保証する。私も薬品庫でその薬を勧められた」

 「女の子にあんな暗いところで睡眠薬なんか飲ませてどうするつもりですか庵野さん!」

 「なぜ宿楽さんは興奮しているのですか」

 「なんかえっちだからです!」

 「頭ん中ピンク色かよ!下品な話はやめろ!」

 

 なぜか急に鼻息が荒くなった風海ちゃんを芭串君が抑え込んだ。とにかく、控室に睡眠薬が散らばっていたことは間違いないみたいだ。だとすると、庵野君が言う、理刈さんが居眠り禁止の校則に違反したという話も、何が起きたと考えているのかよく分かる。

 

 「安易かも知れませんが、手前はこう思います。理刈さんはあの部屋で睡眠薬を飲んで眠り、それが校則違反と判断されてしまったのではないかと」

 「まあ普通に考えたらそうなるよね。私もそうだと思う」

 「ちょい待ち!個室以外で寝たら校則違反になるのなんて分かりきってるネ!なんでわざわざあんなところで飲む必要あるカ!そんなん遠回しな自殺ヨ!」

 「飲んだのではなく、()()()()()のだとしたらどうだ?犯人が理刈を眠らせて殺害しようとしたとか」

 「そしたら故意の就寝にならねえから処刑されねえだろ」

 「そうだね。芭串くんの言う通りだ。理刈さんが校則違反を犯したんならね」

 「何が言いてえんだよ」

 

 普通に考えたら、理刈さんはあの部屋で睡眠薬を飲んで処刑された。そんな状況に見える。だけどそれはほとんど自殺みたいなもので、理刈さんみたいな人がそんなことをするなんて思えないことを差し引いても、そんな回りくどいことをする意味が分からない。

 だけど、否定するだけの材料もない。だって、そう見えるんだから。否定できない、それは決して肯定ではないけれど、肯定の意味に変わってしまいかねない。

 

 「モノクマファイルにある通り、理刈さんが何らかの薬を服用したことは疑いようがない。だけど、それは本当に睡眠薬だったのかな?」

 「そこ?いや、睡眠薬があったんだろ?じゃァそれしかねェじゃねェか」

 「いいや。睡眠薬は控え室の床に散らばってただけだ。それを理刈さんが飲んだと言い切ってしまうのは、印象で語っているに過ぎないよ」

 「なら、お前は印象ではないことを言えるというのか?」

 「もちろんさ。あんなの、まるで睡眠薬を飲んだんだとアピールするようなものじゃないか。部屋中に薬は散らばっている。だけど薬の瓶はしっかり机の上に残ってる。おまけに理刈さんは椅子に座ってるわけでも椅子から転がり落ちたわけでもなく、床に大の字に倒れてる。おかしいことだらけだ」

 「い、言われてみれば……」

 

 次々と湖藤君があげる違和感を、私は同じものを見たのに考えもしなかった。なんで私はそんなことにも気付けないんだろう。ずっと湖藤君のそばにいるのに。

 

 「どうしてその状況になったのかはまだ分からないけど、少なくとも理刈さんが本当に飲んだ薬は別にあることは分かる。それは理刈さんの胸ポケットにあったよ」

 「む、胸ポケット……!?あ、いえ、失礼」

 「庵野テメエ!テメエも頭ん中ピンク色か!聖職者のクセしてむっつり野郎が!」

 「言葉もございません」

 「どいつもこいつもスケベ野郎ばっかりアル」

 「それで、胸ポケットから何が出てきたと言うんだ」

 「なんてことないよ。ただの錠剤さ。真っ白の小さなものだけどね。長島さんが見つけてくれたんだ」

 「えっへん!」

 「錠剤が2種類?どういうことだ」

 「……ぼくが思うに」

 

 長島さんが見つけた錠剤は、特に何の効果があるか分からないものだった。危険なものではないみたいだけど、薬であることには変わりがない。睡眠薬と違って、この錠剤は一粒だけ理刈さんの胸ポケットに入っていた。それが意味することはなんなんだろう。

 

 「理刈さんが飲んだのはこの小さな錠剤の方だ。睡眠薬はダミーだと思うよ」

 「ダミー、と言うと、ただ紛れたわけではなさそうだな」

 「うん。あんなあからさまに散らされたんじゃ、疑ってくださいと言ってるようなものだよ」

 「印象じゃねえか!」

 「ううん。しっかりした根拠もあるよ。理刈さんの体の下には錠剤がひとつも落ちていなかったからね」

 「ん?な、なんだそりゃ?何の根拠になるんだ?」

 「理刈さんが睡眠薬を飲んで倒れたんなら、薬が散らばったのはそれと同時か少し前だ。なら、体の下に1粒くらい落ちててもおかしくないよね。仮に、偶然、たまたま、倒れた場所に錠剤がなかったんだとしても、瓶が机の上にしっかり置いてあることの説明がつかない」

 「くどいほど根拠があるんだなァ」

 

 相変わらず、湖藤君の説明は周到で反論の余地を残さない。理刈さんの周りに散らばっていた薬は、誰かが偽装工作の目的で散らかしたものだと。本当に理刈さんが飲んだのは、胸ポケットに入っていた錠剤だと、あっという間にみんなを説き伏せてしまった。尾田君が噛み付いてこないところを見ると、どうやら間違ってはいないらしい。

 

 「つまり、理刈さんは睡眠薬なんか飲んでいない。そうすると、さっきまで議論してた、理刈さんが居眠り禁止の校則に触れて処刑されたって説は否定されることになるわけだ」

 「あっ、そ、そっか……え?じゃあ、なんで理刈さんは処刑されたの?」

 「……別の校則に違反したから、か」

 「別の校則?」

 「自殺禁止の校則、ですね」

 

 尾田君が口を挟んできた。

 

 「じ、自殺禁止……!?い、いや……そんなはずありません!尾田さんがさっき、その校則は機能しないとおっしゃっていたではないですか!」

 「そんなこと言ってません。死者はモノクマでも処刑できないだろう、と言ったまでです」

 「同じことじゃないカ?」

 「全然違います」

 

 全然違うことないと思うけど。

 

 「たとえばね、自殺を図った人がいたとして、自殺を決行してから実際に死亡するまでにわずかなりとも時間があるわけだ。その過程で、その人の死が回避できない状況まで進行したら、それは実質的に自殺した人として扱うことができる。そうすれば、自殺者を処刑することもできなくはないんだよ。まあ、現実的かと言うと全然現実的じゃないけど」

 「その前提があったとしても、現に校則違反を犯していない人を違反者と見なしている時点で、かなりグレーな解釈ですけどね。モノクマにとって都合が良すぎます」

 「ヒヒッフ〜♪ホフホフ」

 「ごまかすの下手ァッ!!」

 「でも、湖藤君と尾田君の言うことは分かるよ。睡眠薬を飲んだだけならあんなに散らばることがないし、椅子から転げたわけでもない格好になるはずがない」

 「いやに睡眠薬に詳しいな。詳しくは聞かねェけど」

 

 理刈さんの死の状況は、一見すると単純なのに、観察して考えるほど違和感が露わになる。そこから導き出される結論は、私の手に余るものだった。

 

 「じゃあ結局、理刈さんはなんで処刑されたの?自殺禁止っていったい……」

 「オーバードーズです」

 「オーバーオール?」

 「もうあなたは黙っててください。議論の邪魔です」

 「ひでェ!聞こえたままを言っただけなのに!」

 「酔ってる奴が聞こえたままを言うな。違うんだから」

 「オーバードーズって私知ってるよ!いっぱい薬飲んで気絶するやつ!」

 「気絶っていうかそのまま死んじゃうんだけどね」

 

 理刈さんは自殺した。こんな狂った状況では、自殺を図る人が現れたっておかしいことじゃないと思う。だけど、理刈さんに限ってそんなことをするなんて、考えられなかった。考えたくなかった。あんなにしっかりした人が……なんて思ってしまう。そういう思い込みなんて、この空間じゃ利用されるだけなのに。

 

 「理刈さんは何らかの薬、睡眠薬じゃないなら風邪薬か何かかな。それでオーバードーズを図った。薬効によって死にゆく理刈さんが助からない状況になったところで、モノクマが処刑の判断を下した。今のところではそれが結論かな」

 「う〜ん……要するに、ただの自殺ってことにゃならねェのか?」

 「これがモノクマの処刑による死だとしても、原因は理刈さん自身の服薬にあるなら、自殺と考えてもいいんじゃないかな」

 「なるほどアル!」

 「実質的に自殺か……それよりも、もっと自殺っぽいやつがいるんだけどな」

 「というと?」

 「月浦だよ。あいつ、首切って死んでたんだろ。近くにカッターナイフがあったらしいし、やっぱ陽面が死んでパニクったんじゃねえか?」

 「……ちょっといいか?」

 「どうしたの毛利さん?」

 

 理刈さんだけじゃなく、月浦君の自殺の可能性まで芭串君は提示した。明らかに他殺である陽面さん以外の2人は、自殺かどうかも含めて議論しなくちゃいけない。でも、そこで毛利さんが手を挙げた。

 

 「違う話になってしまうのだが、どうも気になってな」

 「うん、いいよ」

 「月浦が陽面の死を前にしてパニックになったということは、月浦は陽面より後に死んだことになる。それを考えると、ホールの控室で死んでいた理刈はいつ自殺したんだ?モノクマファイルに3人の死亡推定時刻が書いていないから、誰がどういう順番で死亡したのかが分からなくてな」

 「そういえばそうですね。理刈さんの自殺が事件と無関係に起きたのであれば少しは考えるのが楽になりますが、そうとも思えません。理刈さんが自殺した理由が事件に関係しているのなら、死亡順は重要な手がかりになるかも知れません」

 

 ははあ。さすが、毛利さんはこんなときでも冷静だ。モノクマファイルに敢えて書かれてないことが事件の重要な手掛かりになることは、今までの裁判で私は学んだはずだ。気付かないんじゃ意味がないけど。

 毛利さんと庵野君の疑問に答えを与えたのは、意外なようで意外じゃないようで、やっぱり意外な人だった。

 

 「3人の死亡順を考える手掛かりならあります。まだ考えている途中ですが、ちょうど良いので教えてあげましょう」

 

 尾田君はやけににこやかに言った。いつも私たちを必要以上に口撃する彼がにこやかにしてるだけで、なんだか気持ちが悪い。考えてる途中っていうことは、毛利さんが言うより先に同じ疑問を持って自分で答えを出してたってことだ。言ってよ。

 

 「なんだよ」

 「死体発見アナウンスです」

 「……なんだったかなァそりゃ」

 「いくらなんでも役立たず過ぎんだろ!覚えとけよ!」

 

 お酒のせいなのかなんなのか、本当にガヤにしかならない王村さんは放っておいて、尾田君は先を続ける。

 

 「3人以上の人間が死体を発見した際に流れるアナウンスです。シロとクロの立場を公平にするためとモノクマは説明していましたが、むしろ推理に役立てられる重要な情報源と僕は考えます」

 「でも、アナウンスは3人分バラバラに聞こえたよ?それが情報源になるのかな?」

 「逆に、()()()()()()()()()疑問に思いませんか?理刈さんは控室で亡くなっていたからまだしも、陽面さんと月浦君の遺体はすぐそばにありました。なぜ同時に、あるいは連続して流れなかったのでしょうか」

 「……確かにそうだな。谷倉と菊島がほぼ同時に発見されたときは、連続して流れていた」

 「きっと、陽陽(ヤンヤン)はシャンデリアでぺしゃんこになってたから、それが陽陽(ヤンヤン)だと思わなかったんアル!」

 「目視で死体と認識できるか否かは関係ないと、狭山さんの件で立証済みです。それが死体であれば、認識の可否によらずアナウンスは流れるんです」

 「そもそも、3回の死体発見アナウンスはそれぞれ誰の分のアナウンスだったんだろうね?」

 「最後のが理刈さんのは確定だから……あれ?でも、確かに陽面さんと月浦君のは、どっちがどっちか分からない……」

 「発見者の話を聞く必要がありそうだね」

 

 湖藤君の言葉が、私たちの視線を3つに分けた。3人の死体を発見した3人、庵野君と、芭串君と、風海ちゃんだ。

 捜査のときに聞いた話だと、最初に風海ちゃんがパーティーホールで陽面さんと月浦君の死体を発見した。そこに庵野君と芭串君がやってきて、二人が陽面さんと月浦君の死体を発見。その後、控室で理刈さんの死体を発見した。これが一連の流れだ。その中で、アナウンスはバラバラに3回流れた。それぞれが誰のアナウンスなのか、それがこの事件の真相を突き止めるために重要なことだ。

 

 「3回のアナウンスが鳴ったとき、それぞれ死体を発見したのは誰で、どんな状況だったか説明してください。まずは1回目」

 「えっと……さ、最初に鳴ったのは、私がパーティーホールに入ったときだったよ。他に人はいなかった、はず」

 

 おずおずと、風海ちゃんが手を挙げた。なんとなく自信がなさそうな言い方なのは、彼女の性格のせいではないだろう。

 

 「はず、というのは?」

 「なんか、記憶がちょっと飛んでるんだよね……あんまりにもショックで」

 「宿楽の悲鳴を聞いてオレは駆けつけたんだ。途中で庵野に会って、パーティーホールの前で放心してる宿楽を見つけた」

 「肩を揺すってようやく気がつかれたようでしたから、よほどだったのでしょう。倒れていないだけお強いです」

 「そんなことはどうでもいいです。あなた、本当にひとりだったんですか?他に誰か、周りにいなかったんですか?」

 「ううん。ひとりだったよ」

 

 最初のアナウンスが鳴ったとき、風海ちゃんはひとりでパーティーホールの入口にいたらしい。風海ちゃんを疑うわけじゃないけど、それが本当だとすると、いきなりとても重要な証言になる。それくらいのことは、私にだって分かる。

 

 「それは……おかしいよ、風海ちゃん」

 「ええっ!?わ、私を疑うの!?ひどいよ奉ちゃん!」

 「疑ってるわけじゃなくて、風海ちゃんがひとりでパーティーホールに入ったときにアナウンスが鳴ったってことは、風海ちゃんは()()()()()()()ってことになるんだよ?それじゃあ、前の2人はどうしてパーティーホールのことを誰にも言わなかったのってことになるんだよ」

 「……ほんとだ!全然気付かなかった!」

 「白々しい。と言いたいところだが、宿楽なら本当に気付かなかったのも頷けるな」

 「不本意だなあ」

 

 狭山さんを発見したときも、毛利さんと私以外にもうひとり、尾田君が狭山さんの死体を発見していたことを黙っていたことが議題になった。尾田君は狭山さんの死体を損壊したから黙っていたことは、共感はできないけど理解はできる。だけど、今回は2人もそんなことをしてる人がいる。

 でも、モノクマファイルの死因と陽面さんや月浦君の死因が合致してたことから、死体を損壊した可能性は低そうだ。だとしたら、その2人はどうして黙ってるんだろう?

 

 「死体の発見を黙っている2名は気になりますが、まだ宿楽さんに答えてもらわなくてはいけないことがあります」

 「な、なんでしょ……」

 「それは、誰の死体発見アナウンスだったのか、ということです。パーティーホールなら陽面さんか月浦君のどちらかということになるでしょうが」

 「いやあ、そこまではどうだろう。モノクマに聞いてもらわないと」

 「アナウンスに関する質問は基本的に受け付けてないよ!答えるとシロに著しく有利だからね!」

 「詰んだカ?」

 「難しいことじゃないでしょう。先にどちらを視界に入れたかというだけのことです」

 「難しいことだよ!?こちとら一分一秒を全力で生きてるわけじゃないんだよ!」

 

 これ見よがしに尾田君は大きなため息を吐く。そんな理不尽なことってある?陽面さんと月浦君は、どちらもシャンデリアの下の近い位置で亡くなってた。視界に入れるだけでもショッキングな光景なのに、どっちが先に入ってきたかなんて分かるわけがない。

 

 「まあまあ。いじめるのはそれくらいにして、ここは論理で導こうよ。僕は陽面さんの分だと思うよ」

 「そりゃまたなんで?」

 「月浦君は潰れてないからだよ」

 

 事もなげに湖藤君は言う。陽面さんは潰れてて月浦君は潰れてない。それだけで、最初のアナウンスが陽面さんのものであるという結論を導いていく。

 

 「陽面さんの死因はシャンデリアが落下してきたことによる圧死だ。もし月浦君が同じようにシャンデリアの真下にいたのなら、月浦君も同じように潰れているか、少なくとも頭に怪我が残ってるはずだ」

 「確かにな。月浦の体は、首以外に怪我の類はなかった。私が保証する」

 「どう?尾田君。反論はある?」

 「いいえ。まあそれでいいでしょう」

 「上から!?っていうかだったら私のこと詰めなくてよくない!?」

 「念のため確認しただけです。あなたは自分の目もまともに使えないアホだということが確認できました」

 「罵倒に謂れなさ過ぎて草」

 「あっ!ってことは、陽陽(ヤンヤン)の死体を発見した1人は月月(ユエユエ)カ!」

 「そういうことになるね。その時点で陽面さんを発見した人数は月浦君より1人多くなる。だから、先にアナウンスが鳴るのは陽面さんの方なんだよ」

 

 どうやってつながってくるのか分からなかった2つの事実が、あっさり結びついた。なるほど。ということは、陽面さんを発見したのは月浦君と風海ちゃんで2人。1人はまだ分からないけど、この2人に二人も事件のことを黙ってる人がいるわけじゃなかったんだ。

 

 「んじゃァもうひとりは誰だ?同じように死んでる理刈か?」

 「それも可能性の一つだね。そうかもしれないし、ぼくたちの中にいるかもしれない」

 「もしこの中に黙ってる人がいたら、その人がクロ……ってこと!?」

 「いや。そうではないだろう。他に誰もいない中でクロが発見者としてカウントされてしまったら、死体の第一発見者は常にクロということになる」

 「直接殺害したのならまだしも、陽面さんの殺害方法は遠隔でも可能です。第2発見者がクロである可能性はむしろ高いと僕も思います」

 「もしそれがクロだとしたら、月月(ユエユエ)法法(ファーファー)を殺したクロってことネ!法法(ファーファー)は自殺だから、月月(ユエユエ)を殺した犯人アル!」

 「……ちょっと待って?理刈さんが陽面さんの死体を発見してたとしたら、計算が合わないんじゃない?」

 

 頭の中でずっと考えてたから、みんなの議論の流れに横槍を入れる形になってしまった。だけど、私の考えが正しいかどうかはみんなに判断してもらわないと自信がない。

 

 「もし理刈さんが発見者にカウントされてると、陽面さんの死体の発見者は月浦君、理刈さん、風海ちゃんの3人になる。そうすると、理刈さんか月浦君を殺害したクロがいたとして、その人は陽面さんの死体を一切視界に入れずに殺人をしたことになる。月浦君はあんなに陽面さんのそばにいたのに」

 「……ふむ。確かに、そうですね。あなたにしてはまともなことが言えるじゃないですか」

 「おかげさまで」

 「ということは、やはり陽面さんの第2発見者は他2名のいずれか、または両方を殺害したクロということになりますか」

 「陽面さんが事故死、他2人が自殺というオチでさえなければ」

 「またそういうこと言う!」

 「おめェらずっと何言ってっか分かんねェよ!〜なら、とか、〜だとしたら、とか仮定が多いんだよ!何か確定してることはねェのか!」

 「そんなこと言われても」

 

 王村さんじゃないけど、確かにここまでの議論を振り返っても、3人の事件がバラバラに起きたものなのか、本当にこの中にクロがいるのかすら確定してない。私たちはまだ深い霧の中を手探りで進んでる状態なんだ。少しずつ前進してる感じはするけど、それが真相とは全然違う方向でないという確証もないんだ。今までだってそうだったけど、今回は特にだ。目指すべきゴールがどこにあるかさえ分かってない。

 そんな私たちの状況に、さすがのモノクマもとうとう痺れを切らしたようだ。

 

 「ああもうじれったいなあ!王村クンの言う通りだよ!オマエラいつまでああだったらこうだったらって仮定の話をしてんだよ!いつになったら結論が出ておしおきに移れるのさ!」

 「ほう。つまりこの裁判の後にはおしおきがあるんですね?」

 「あァン?当然だろ!裁判とおしおきはセットなの!おしおきのない裁判なんてパイナップルの入ってない酢豚だよ!」

 「世論を二分しそうだなあ」

 「つまり、ここには処刑されうるシロとクロがどちらも存在するんですね?」

 「んああ!?……あっ」

 「これで確定しました。ここにはクロがいます。最終的なクロが自殺した可能性は消滅しました」

 「すげーっ!?まさか尾田さん、こうなることを見越して……!?」

 「いえ、あいつがアホなだけです」

 「くそぅ……」

 

 本気で悔しがるモノクマを横目に、尾田君は私たち全員の顔を蛇が睨むように見つめる。うっかり口を滑らせたおかげで、ここにクロがいることが確定した。それが、陽面さんを殺害したクロなのか、月浦君を殺害したクロなのか、理刈さんを殺害したクロなのか。それはまだ分からない。

 

 「じゃあ長島さんの言うとおり、陽面さんの死体を発見したのは、月浦君と、クロと、風海ちゃんっていうことになるね」

 「えっへん!」

 「……となると、そのクロは陽面さんを殺害したクロとは違うってことになるのかな?」

 「そうなりますね。誰にも見られていない中でクロが死体を見たことを発見者としてカウントする意味はありませんから」

 「……ちょっと待て。そうなると、陽面は誰が殺したんだ?」

 「…………え?」

 

 あまりに素朴な疑問。毛利さんの口から飛び出した、当たり前に抱く疑問。それは当然……と続けようとして、私は口を閉じた。

 尾田君が言ったとおり、モノクマの反応からここにクロがいることは確実だ。その人は陽面さんの死体を2番目に発見した人でもあって……つまり、陽面さんを殺害したクロじゃない。じゃあ、そもそも陽面さんを殺害した人は誰になるんだろう?

 そんな疑問が私の頭の中で反響する。

 

 「簡単なことです」

 

 それに対して、尾田君は簡潔に返す。

 

 「この場にいるクロは、月浦君か理刈さんを殺害したクロです。であれば、陽面さんを殺害したクロはその人より後に殺人を犯しているか、あるいは既に死亡しているかです。モノクマがそのルールを説明したときの反応からして、前者の可能性は棄てていいでしょう。すなわち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「陽面さんを殺したのは……理刈さんか月浦君ってこと……?」

 

学級裁判 中断




一週間ほど寝込んでいたので上半身に大汗疹ができて痒いです。
オオアセモってカタカナで書くと理科の時間に顕微鏡で観察されてそうですね。


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学級裁判編2

 

 いやっほーーーーう!!画面の前のオマエラ!!ボクだよ!モノクマだよ!つーわけで今日も張り切って『ダンガンロンパメサイア』やっていきましょうよってことでね!今回はなんと前回までの裁判のおさらいをしていくよ!え?お決まりのパターンだって?それの何がいけないんだよ!!おぉう!?

 

 前回までのあらすじ!やっぱり起きてしまった4度目のコロシアイ!!今回の犠牲者はなんと3人!?まさかのトリプルキルか〜〜〜!?犯人殺意高過ぎィ!!ってなわけでね、しかもそれぞれ全然違うタイミングで死体発見アナウンスが鳴ったってもんだからさあ大変!被害者は“超高校級のマスコット”陽面はぐサン!“超高校級のプロデューサー”月浦ちぐクン!そして“超高校級の法律家”理刈法子サン!ぶっちゃけ3人とも死相が濃かったからいつ死んでもおかしくなかったよね!うっぷのっぷ〜〜〜!!

 陽面サンはパーティーホールのでっかいシャンデリアに押し潰されてぐっちゃぐちゃのべっちょべちょになって死んじゃってました!実際シャンデリアに潰されてもそうはならんやろって感じだけどまあこのお話は現実じゃないんで大目に見てくださいよ。めくじら立てないでさ。それにしても、いつもニコニコ無邪気に笑ってる子が無惨に殺されてるところって心にクるよねぇ……クゥ〜ッ!て。子供だってこう言っちゃうよね。

 月浦クンは陽面サンの上に落ちてきてたシャンデリアの下に潜り込む体勢で、首を掻っ切られて死んでました!陽面サンのすぐそばで死んでたのに死に様が全然違うのもポイントだね。いったい何がどうなってそうなったのか。まあでも、殺されてもしょうがないようなことしてたし?遅かれ早かれって感じだったよね。死ぬまで何人の人間を巻き込んだんだって話。自業自得とはこのことよ〜〜〜!!

 最後に理刈サンは、パーティーホールの控え室でお腹にでっかい槍がぶっ刺さった状態で死んでました!この槍はボクにしか使えないのに、どうしてこんなところでこんな風に!?いったい何がどうなってるんだ〜〜〜!!?その謎の答えは後で!

 

 最後に裁判前半のおさらいをするよ!

 まず話題になったのは、そもそも今回の事件にクロはいるのかってこと!明らかに他殺の人もいれば自殺かも知れない人もいることで、裁判は初っ端から向かうべき方向性の存在から疑うことになってしまいました!あーだのこーだの色んな人が色んなことを言っていましたが、最終的には尾田クンの巧みな策略によって、ボクは生存者の中にクロが存在するとの発言をしてしまったのです!ぬう〜〜〜!!マジ許すまじ!!

 クロの存在が明らかになったことで、議論は普通の裁判と同じように進行していきます。それでも3人もの人が死んでいることや、死体発見アナウンスがバラバラに聞こえてきたことから、誰がどの順番で発見されたのか、そして誰がどの順番で死んだのかを議論することになったのです!明らかに他殺の陽面さんと、その近くで死んでる月浦クンの状態、理刈サンの真の死因などなど……あの手この手で真相を手繰り寄せていく生き残りの面々たち!そしてついに、ある結論に辿り着くのです!

 そう!陽面サンを殺したのは誰なのか!それは月浦クンか理刈サンのどちらかだという話になったのです!

 

 そんなわけで、続きをどぞ〜。うっぷっぷのぷ〜〜〜♪

 


 

 「陽面さんを殺害したのは、月浦君か理刈さんってこと……?」

 

 私の声が、裁判場を小さく震わせて薄れて消えた。シャンデリアに潰されて死んでいた陽面さんは、月浦君とクロと風海ちゃんに発見された。クロが発見者にカウントされているということは、陽面さんの事件と今回の事件のクロは関係ないってことだ。となると、陽面さんを殺害した人がクロになってないっていうことは、その犯人はもうここにいないということになる。つまり、死亡した月浦君と理刈さんのどちらかということになる。

 

 「あの二人のどっちかが陽面を殺したって……どっちもいまいち想像がつかないんだけど」

 「モノクマが言ったルールに則れば、そういうことになっちゃうね。どんなに信じがたいものでも——なんて言葉があるよね」

 「どちらかがクロと言われたら……月月(ユエユエ)陽陽(ヤンヤン)のこと大好きだったアル。だから殺すことなんてないヨ」

 「ってことは……」

 「ええ。消去法になってしまいますが、仮定としても何らかの決断をしなければ話が進みません。より蓋然性の高い選択肢を言うのなら、陽面さんを殺したのは理刈さんです」

 「り、理刈さんが……!?」

 

 心が驚くのに対して、私の頭はやけに冷静だった。確かに、あの二人のどちらかが陽面さんを殺したというのなら、それは月浦君じゃない方、つまり理刈さんなんだろう。人一倍決まりに厳しくて、清く正しく生きることを良しとする理刈さんが、まさか殺人に手を染めることなんて考えられなかった。だけど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、月浦君が陽面さんを殺すことを考える方が想像できなかった。だって彼は、ただ陽面さんの秘密が知られたかもしれないという疑いだけで、3人もの人を死に追いやったんだ。他の誰を殺すことがあっても、陽面さんを殺すことだけはあり得なかった。

 

 「理刈……あの野郎、あんだけ早まんなっつったのに」

 「う、う〜〜〜ん。私なんかがみんなの議論に横槍を入れるのもアレだけど、さすがに理刈さんより月浦さんの方が人を殺すことを厭わないイメージがあるんだけど……」

 「今は印象の話なんかしていません。どちらの方があり得るか、という話です」

 「い、いや待てよ!だったら、理刈が陽面を殺したって根拠はあんのかよ!それだって二択の一つってだけだろ!あいつは法律法律ルールルールってあんだけうるさかったんだぞ!」

 「法律は殺人にペナルティを与えていますが、そのペナルティもまた殺人を含みます。むしろ月浦君は実質的に3人の人間を、自らの悪意を自認した上で故意に殺害しています。これは十分に死刑が選択肢に入る重罪です」

 「だけど、月浦くんと理刈さんのどっちが陽面さんを殺害した人か、それを仮定する上で多少なりとも印象や証拠による偏りがあるはずだよ。その偏りの正体を明らかにしておくのは大切なはずだ」

 「偏りの正体……?」

 

 湖藤君が言う。仮定とはいえ、どうして理刈さんが犯人だと想定したのか。なんとなく、には必ず正体がある。湖藤君はそう言った。

 

 「月浦君は陽面さんを守るために3人を殺害しました。それほど入れ込んでいる人間が逆にその相手を殺すというのは、一般的に考えて蓋然性が低そうです」

 「うん。要するに印象だね。可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉もあるよ」

 「うざったいんで結論から言ってもらっていいですか?あなたのことですから、議題に挙げたということは、何かしらの結論を持っているんでしょう?」

 「あはは、よく分かってるね」

 

 不機嫌そうに言う尾田君に促されて、湖藤君が笑いながら話す。

 

 「みんな、理刈さんの死体に違和感を持たなかった?さっきまでの議論と少し違う話をするけれど、ぼくは理刈さんが単純に自殺したとは思えない。自殺はしたんだろうけど、お腹に刺さってる槍が彼女の死因だとは考えない」

 「な、なんだァ?いきなり何の話だ?」

 「要するに、ぼくは理刈さんの死体を入念に調べるべきだと思ったんだよ。その時に気付いた。理刈さんの服の袖に付着した、蛍光色の塗料にね」

 「蛍光色の塗料?」

 「捜査のときは部屋の照明が付いてたから目立たなかったけど、確かに付いてたよ」

 

 私には分からなかったけど、きっと湖藤君が車椅子を降りて理刈さんの死体を丁寧に調べたときに見つけたんだろう。確かにそのとき、湖藤君は色々と発見があったらしい様子だった。そして、蛍光色の塗料と聞いてピンときた人がいた。その人は鋭い目をカッと見開いて、湖藤君の発言に食いついた。

 

 「まさか……!そういうことか、そうなのか!?湖藤!」

 「ど、どうしましたか毛利さん?」

 

 毛利さんは証言台から身を乗り出して、興奮した様子だった。どうやらこの裁判場で通じ合ってるのは、毛利さんと湖藤君だけのようだ。

 

 「私も捜査中に、蛍光塗料を見た。理刈のいた場所からは離れていたんだが……」

 「あなたは陽面さんと月浦君の死体検分を担当していたはずでは?」

 「ああ。私が蛍光塗料を見たのは、まさにそのときだ。陽面の死体の下に、蛍光塗料で印が付けられていたんだ」

 「あっ、それなら私も見た」

 「私も私も!」

 

 それを聞いて、私の頭の中にも、そのときの光景が戻ってきた。シャンデリアに潰されてぺちゃんこになった陽面さんの体の下、血で染まった床に蛍光塗料の×印が浮かび上がっているのを。それは明らかに床の模様とは違くて、周りが血だらけだったこともあって明るい部屋でも目立っていた。もし部屋の照明が点いてなかったら、もっと目立っていただろう。

 

 「ど、どういうことでェ?なんで理刈の袖と陽面の死体の下に蛍光塗料がついてんだ?」

 「そりゃ当然……理刈がその印を描いた、からか?」

 「そうだと思うよ」

 「なんで理刈さんがそんな印を描く必要があるの」

 「理刈さんが陽面さんを殺害したからだよ」

 「???」

 

 一部の人はまだ理解できてないようだけど、ほとんどの人たちはそれが何を意味するのか分かっていた。理刈さんが床に蛍光塗料で印を描いた。その真上で陽面さんがシャンデリアに潰されて殺されていた。つまりその印は——。

 

 「そこにシャンデリアが落ちてくるという印、被害者を誘導するための目印ということでしょうね」

 「ひえ……」

 

 シャンデリアが落ちてきたのは、理刈さんが意図したことだった。その場所やタイミングまで計算して、冷静に殺人を計画していた。印ひとつでそんなことまで表してしまう。私はそれがなんだか怖かった。あのひとつの印に、理刈さんの殺意と計画が込められているような気がして、脳裏に過ぎるその光景が全く違って見える。

 

 「……ひとつ、確認してもよろしいでしょうか」

 「なんだい、庵野くん」

 「その目印が、理刈さんの付けたものだということまでは分かりました。しかしそうなると、理刈さんはあのシャンデリアを意図して落としたことになります」

 「もちろんです」

 「であれば、あのシャンデリアをどうやって落としたのか、教えてください。この中では一番背が高い手前でも、その先端にすら手が届きませんでした。天井に張られた吊り具にも破損等は全くありません。いったい、どういうことなのでしょうか」

 「た、確かに!あんなおっきくて重たいシャンデリアをどうやって落としたんだ!それが説明できなきゃこの論は破綻だ!」

 「なんで風海ちゃんが興奮してんの?」

 

 ずっと疑問に思っていたことを、庵野君が提示した。手も届かない大きくて重たいものを、自分の意図するタイミングで落とすなんてこと、どうやったってできる気がしない。その上、明るい部屋で目立たない蛍光塗料で印を付けた場所に陽面さんを誘導までして。

 その答えを、湖藤君と尾田君はもう持っていた。この2人は、いったいどこまで先へ行ってるんだろう。

 

 「答えならもう出ています。どうせ仕組んだ理刈さんはもう死んでいますから、反応を窺う意味もないですね。ボクはアホに合わせて説明するのが面倒なので湖藤君どうぞ」

 「ええ……うん、いいけど」

 「どっちもいやそう!そんなに物分かり悪いかよオレら!」

 「この時点でまだ見当もついていない時点で悪いとしか言いようがないでしょう」

 「絶対そこまで言われる筋合いねェ!!」

 

 いきなり振られた湖藤君は、少し困った様子でそれを引き継いだ。尾田君は私たちに合わせて説明するのが面倒だと言っていたけど、湖藤君は湖藤君で私たちのペースなんか度外視して簡単に説明することだけを考えてるから、それもそれで私たちは大変だった。

 

 「あれはね、明かりを消せば落ちるんだよ」

 「は?え、落ちるって、照明が?」

 「違う違う。物理物理」

 「物理で落ちるって、なんで電気消したら落ちるんだよ!どういう仕組みだ!?」

 「それじゃあ、まずはあのシャンデリアを支えてる構造からおさらいしようか」

 


 

 「あのシャンデリアは、パーティーホールの中央に設置されていた。どういう風に吊るされていたか、覚えてる?」

 「確か、特殊な金具で吊り下げられていたな。シャンデリアから伸びたチェーンの先に、金属の球が付いていた。それが天井にあるこれも金属製の輪を通っていた」

 「球は輪っかよりも大きかったので、そこにハマってシャンデリアは吊るされていたのですね。輪っかは天井の四方向から伸びた線で固定されていました。なんとも妙なデザインだとは思いますが」

 「そう。普通ならシャンデリアを直接天井につなげればいい。わざわざ特別な金具を使わなくても、そうすれば安定させられるんだ。なのに、モノクマは敢えてそんなデザインにした。なぜだと思う?」

 「……まあ、誰でも落とせるようにするため、だろうな」

 

 毛利さんと庵野君が、湖藤君に促されてホールのシャンデリアの様子を思い出す。私はそこまでじっくり見てなかったから、言われてようやく思い出せた。あくまで二人とも冷静だけど、その表情には困惑が滲んでいる。それが不自然なことはなんとなく分かるけど、それがシャンデリアを落とすためにそうなっていたなんて、ましてやそれに気付くなんてことはなかった。

 

 「とはいえ、ノーヒントでそれに気付ける人は少ない。モノクマの意図としては、そのシャンデリアを凶器として誰かにコロシアイをして欲しかったんだろうから、何らかのヒントがあったはずなんだ」

 「ヒント……?シャンデリアを落とすための……?んなもんどこに?」

 「あっ……!」

 

 ぱっ、と明かりが点くように、私の頭の中で考えが閃いた。シャンデリアに関するヒントが与えられていたんだとしたら、それはあのときだ。初めてパーティーホールに入ったとき、モノクマが言っていた注意事項。

 

 「パーティーホールの明かりは、常に点けておかないといけない……モノクマが言ってた。もしかして、それが?」

 「そう。モノクマがわざわざ注意するからどういうことかと思ってたけど、まさかそのままシャンデリアを凶器に変えてしまうなんてね。興味本位で試さなくて本当によかったよ」

 「興味本位で試そうとすなよ!おめェたまにめちゃくちゃサイコだぞ!」

 「ちょい待ちヨ!答えが出た感じにしてるけど、ワタシは全然納得してないアル!だって、なんで電気を消したらシャンデリアが落ちてくるかちっとも説明してくれてないヨ!」

 

 罰が悪そうに笑う湖藤君に、長島さんが待ったをかけた。そうだ。確かにモノクマの注意事項はいつだって意味深で、校則といいその忠告といい、破ったときに大変なことが起きることは想像がつくけれど、それがシャンデリアが落ちることだって断定する根拠にはならない。

 きっと、私は不安げな顔をしてたんだと思う。だから、湖藤君と目が合ったとき。

 

 「大丈夫だよ。説明してあげるから」

 

 そんなことを言われたんだろう。

 

 「まず、シャンデリアを落とすには電気を消しさえすればいい。それだけで、あのシャンデリアは落ちてくる。その前提を改めて確認するよ」

 「何度聞いても信じがてェなァ」

 「実はごく簡単な話なんだよ。あのシャンデリアを吊るしていた金属球と輪っかに仕掛けがあるのさ」

 「というと?」

 「シャンデリアは金属球が輪っかにハマることで吊り下げられていた。だけど、シャンデリアの電気を消すと、その球は小さくなって、輪の中を通り抜けちゃうのさ。すると、シャンデリアは支えを失って落ちてくる、こういうわけだよ」

 「待て待て待て待て!どういう魔法だよ!?その球ってのは輪っかにハマってたんだろ?なんで落ちるんだよ!」

 「それはね、電気が点いてる間は、その球は大きくなってるからだよ」

 「ハァ〜〜〜ン!?風船でもないのに金属の球がおっきくなったりちっさくなったりするワケないネ!タマはおっきくならないアル!」

 「()ってなに?」

 

 激しく反論——というか疑問をぶつける長島さんたちに、さすがの湖藤君も困り気味だ。説明できないからじゃなくて、あまりにその事実を受け入れ難く思っている人に、どうやって言えば分かってもらえるか考えてるって感じだ。

 私も、まだいまいちその事実を信じることはできない。でも実際にシャンデリアは落ちてるし、あの金属球が意図的にあんなデザインにされてるのであれば、何か仕掛けがあるんだろうことは十分考えられた。

 

 「みんな、中学校の理科でやらなかった?物体は熱を与えると膨張するっていう性質があるんだよ」

 「……そんなんやったっけなァ。中学生なんてもう10年前だから覚えてねェや」

 「ワタシ、中学校なんてろくに行く暇なかったアル。それだったらお金稼ぎに行ってたヨ」

 「特殊な例が多いなあ」

 「なんとなく覚えている。確か、金属の棒を熱して伸ばしたり縮めたりする実験をしたような」

 「うん。このシャンデリアはその性質を利用して宙吊りにされてた。つまり、シャンデリアの先に付いてる金属球は、電気が付いてる間はその熱で膨張して、天井の輪っかにハマってたんだよ」

 「電気の熱……?」

 「豆電球なんかが顕著だけど、光ってるものって熱を持ってるでしょ。だからモノクマは、パーティーホールの電気を消さないように忠告してたんだ。電気を消しちゃうと、金属球を温めていた熱源がなくなる。すると、熱を失った球は収縮して、輪っかを通り抜ける大きさまで縮む。そしてシャンデリアは支えを失って、下に落ちるって訳さ」

 

 たったそれだけ、とても簡単なことだった。子供にだって分かる。あのシャンデリアは、自分を支える熱を自分で発してた。誰かがその元を断てば、たちまち落下してくる。モノクマに忠告されてなければ、誰かがうっかり電気を消してシャンデリアを落としていただろう。それくらい、何気ないきっかけでそのトラップは発動するようになってたんだ。

 そして湖藤君は続ける。この仕掛けを利用して陽面さんは殺害された。つまり、彼女を殺害した理刈さんは、この仕掛けに気付いてたんだ。気付いた上で、誰にも言わず、利用した。

 

 「ホールの電気を消せば中は真っ暗だ。だから蛍光塗料で目印を書いたんだろうね。明るいうちはあまり目立たず、電気を消してトラップを発動する準備ができればよく目立つ。そこへ、何らかの方法で陽面さんを誘導して、シャンデリアを落とした」

 「手前の勝手な想像ですが、いくら無邪気な陽面さんでも、そんな怪しいところへ自分から行きますかね?ましてや、月浦君も一緒だったはずですのに」

 「あいつにはなんか秘密があったらしいからな。それを利用したか。はたまた月浦の用心深い性格を逆手に取ったか……なんにしろ、蛍光塗料の証拠とシャンデリアの事実がある以上、理刈が陽面を殺したってのは曲げようがなさそうだな」

 「じゃあ……理刈さんはそこまでしてなんで自殺なんかしたんだろ……」

 

 ぽつ、と風海ちゃんがつぶやいて、みんなの視線を集めた。確かに、シャンデリアの仕掛けはこうして暴かれてしまったけど、もしいま理刈さんが生きていたとしても、誰も彼女が犯人だと言える根拠は持っていないはずだ。こんなこと考えちゃダメだけど、彼女が生きていたら、この裁判に勝つ方法はまだ残されていた。

 それなのに、彼女は自殺した。一体なぜなのか、その答えは、もう誰にも分からない。

 

 「おい待てよ……!本当にあいつが自殺したと思ってんのかァ……?」

 

 私たちの結論に、彼は口を挟む。それは、決して血迷ったわけでも、お酒に酔ってるわけでもない。ほぼ決まりかけている今の結論に、ただ食らいつかなければいけない。そんな気迫を感じる。

 王村さんが、私たちを睨んでいた。

 

 「なんですか。酔っ払いは黙っててください」

 「うるせェ!酔っ払いでもなんでもなァ!理刈が自殺なんて無責任なマネしたなんて認めるわけにァいかねェんだよ!」

 「どうしたんですか王村さん」

 「おいらにゃァなァ……おいらにゃァ、理刈の尊厳を守る責任ってもんがあんだよ!」

 

 どうして突然怒り出したのか分からない。だけど、その声と眼差しは真剣だった。だからこそ、冷ややかな目で見る他の人たちと違って、湖藤君だけは王村さんに真っ向から向き合っていた。

 

 「あいつァドが付くほど生真面目でなァ!堅物で偏屈で融通がきかなくて頭でっかちだったけどなァ!自殺なんて無責任なこたァしねェんだよ!モノクマと戦ってるおいらたちをほっぽり出して、自分だけおさらばするような軽薄な奴じゃねェんだよ!」

 「自殺したっていうのは、あの不可解な状況から導き出した結論だ。ぼくだって、彼女が無責任で軽薄な人だとは思わないよ。それに、自殺する人にはそんなことを考える余裕さえない。それが最善で唯一の方法だと心から信じてる。覚悟のない自殺なんてないんだよ。ぼくはそう思うな」

 「訳わかんねェ状況ってのァなんのことを言ってんだ!?ホールで陽面と月浦が死んでたことか!?腹に槍がブッ刺さってたことか!?あるはずのねェ睡眠薬がばら撒かれてたことか!?明らかに自殺じゃねェ根拠しかおいらにゃ見つけられねェよ!」

 「うん。王村さんの言うことは正しいよ。あの状況をひと目見て、理刈さんが自殺だと言うことはできない。だけど、彼女は何らかの校則違反を犯したことも明白だ。そうでなければ、あの槍があそこにあるはずがない。彼女があの場で犯せる校則違反は、居眠りか自殺のどちらかだ。睡眠薬が故意にばら撒かれていたことをブラフと捉えるなら、彼女は自殺したと考えられるんだ」

 「なんだそりゃ!おいらにゃさっぱり分からねェよ!だったらこいつァどうだ!?あいつは“超高校級の法律家”だ!死人に口なしなんてことよォく分かってんだよ!そんなら遺書のひとつでも書いてるはずだろ!おいらァこの耳で聞いたぜ!もしあいつが自殺なんかしなきゃならなくなったら、少なくとも遺言は残すってなァ!自殺だってんなら、それがねェことをどう説明するんだよ!」

 「……遺書——遺言書の類なら彼女は遺したはずだよ」

 

 途中で湖藤君は言い換えた。それがどう違うのか、私には分からない。でもたぶんきっと、理刈さんが遺すなら遺書じゃなくて遺言書なんだろうと思った。王村さんが言うとおり、控室に理刈さんの遺言書みたいなものは見当たらなかった。でも、湖藤君はそれがあったはずだという。そんな根拠がどこにあったんだろう。

 

 「理刈さんの体を調べたときに、右手の親指の先に赤いインクが付いてたんだ。何の変哲もない、ただの赤いインクさ。それが指に付いてることの意味を王村さんはどう考える?」

 「イ、インクだァ……?そんなもん……」

 「指先の中でも、親指には特別な意味があります。要するに、拇印ですね」

 「ボッ……!?」

 「おいそこ。自重しろ」

 「はい……」

 「理刈さんが親指にインクを付けて拇印を捺したんだとしたら、それはきっと彼女が自分のものだと証明したい文書だったんだ。状況から考えても、遺言書というのが一番しっくり来る」

 

 王村さんの口からは答えが出そうになかったからか、尾田君が横から口を挟んできた。拇印、という言葉で王村さんは全て理解したみたいだ。お酒を飲んでふざけてるときのちゃらんぽらんな顔は消え失せて、まだ酔いが残っていそうな赤ら顔で真剣に考える。“超高校級の法律家”である理刈さんが、文書に拇印を捺すことの意味を。

 

 「じゃ、じゃあ……なんで、それが見つからねェんだよ」

 「理刈さんが自殺したことを隠蔽しようとした()()が持ち去ったんだと思うよ」

 「な、なんだそれは?理刈が自殺したことを隠す?何の意味が?」

 「さあね。でも自殺禁止の校則に違反したことを隠すために、睡眠薬を部屋にばら撒いたのを見る限り、そうしたミスリードを狙いたがってる人がいるはずだよ」

 「そ、そいつは誰なんだよ!クロじゃねえのか!?」

 「どうだろうね。理刈さんが自殺だと分からないのはクロにとっても好都合だ。事件が複雑化するからね。だけどモノクマにだって、隠蔽することによるメリットはあるはずだよ」

 「ボ、ボクが現場に手を加えたっていうのか!ボクは監督者としてオマエラには平等な立場でいるんだよ!そんなにボクのことが信じられないのか!」

 「信じられるわけねーアル。胸に手を当てて100回反省するヨロシ」

 「ぐべぇっ!長島サンの火の玉ストレートがボクの柔肌をぶち抜き燃やす!!」

 「うっさ」

 

 赤い顔を青くして俯く王村さん。その異様な雰囲気に眉を顰める尾田君。転げるモノクマを呆れ顔で見る長島さんと風海ちゃん。

 だいぶ議論が煮詰まってきた。今までの話にこれ以上反論がないのなら、この結論は確定してしまっていいだろう。

 

 「つまり、陽面さんを殺害したのは理刈さんで、その理刈さんは自殺した。ってことでいいのかな?」

 「うぅ……ちくしょう」

 「なあ王村。なぜお前がそこまで理刈の自殺に反論するんだ?理刈が自殺するとしたら遺言書を残すと言ったのを聞いたと言ったが、いつそんな話をしたんだ?お前と理刈は、いったいどういう関係なんだ」

 

 なんとなくみんなが気になってたことを、毛利さんが尋ねた。理刈さんと王村さんの関係って、今まであんまり気にしたことがなかった。王村さんはいつもお酒に酔っていて、理刈さんはそれをあんまり良く思ってない。それくらいの間柄だと思ってた。

 

 「……別に、特別なことなんかねェよ」

 

 決まりが悪そうに、王村さんは言った。

 

 「おいらァただ、ちィとだけ責任感じちまってんだ」

 「責任?理刈が自殺したことのか?」

 「理刈の自殺を止められなかったことをだよ。何日か前に、おいらァあいつがなんか悩んでるらしいとこを見たし、話もした。今思うと、あのときもう理刈は自殺を覚悟してやがったんだ。おいらだって、あいつが思い悩んでることには気付いてた。だから……おいらァあのとき、あいつを止めるべきだったんだ」

 「……意外ですね」

 「んあ?」

 「無駄に歳を重ねているだけの人だと思っていましたが、理刈さんが自殺を覚悟していたのを察知していたんですか?その上で、ありもしない責任感から湖藤君に無謀な反駁を挑んだと?」

 「悪ィかよ!おいらにだってハナクソくれェの意地があらァ!」

 

 尾田君じゃないけど、私もちょっと意外だった。王村さんがそんな理由で積極的に発言するなんて。ここまでの話について来るのすら精一杯だと思ってたのに。でもきっと、湖藤君は王村さんのそんな想いを受け取ったんだろう。だから、たった一言で済む反論を真剣に聞いてたんだろう。

 悔しそうに、だけどどこか脱力したように王村さんはため息を吐く。

 

 「情けねェよなァ……理刈に小言を言われてるときァこんなこと考えなかったのに、今さらになって、なんでおいらはこんなにいい加減なんだって思うぜ。ろくすっぽおめェらの役に立つ訳でもねェ。ただ酒飲んでふらふらして迷惑かけて……目の前で死にたがってる奴に気休めの一つも言ってやれねェ……。なんであいつらが死んで、おいらが生きてんだろうなァ」

 「王村さん……」

 「おいらにゃ何もできねェ。そのくせ、ただ殺されてねェってだけでここにいる。なんなんだろうなァ、おいらは」

 

 今にも泣き出しそうな、湿っぽい声で王村さんはぽつぽつと呟く。手に持ったお酒を口に運ぶことはしない。ただ項垂れて愚痴を垂れている。正直、そんな話は裁判に一切関係ない。本人が言うとおり、私たちの役に立つどころか邪魔にさえなってる。

 それでも、そんな様を見て私は王村さんに声をかけずにいられなかった。そんなに落ち込んでる人を放って置けなかった。

 

 「王村さんだって、誰かのためにできることがあるよ!」

 「……あるかよ、そんなこと」

 「あるよ!王村さんは気付いてないだけだよ!」

 「なら教えてくれよ。おいらはなんのためにここに生きてんだ?おいらがいつお前らの役に立った?」

 「そ、それは……違うよ」

 「あん?」

 「生きることと役に立つことは、別のことじゃないよ。王村さんがそこに生きてる。死なずにいてくれる。それだけで、私たちにとっては嬉しいことなんだよ!」

 「へへっ、無理しなくていいぜ。生きてるだけで一等賞なんてのはガキを調子つかすための方便だ。おいらにゃ通じねェよ」

 「いえ、案外その人の言うことも全く的外れというわけでもありませんよ」

 

 苦し紛れの私の言葉を、尾田君が拾い上げた。冷笑気味に自分を卑下する王村さんだけど、尾田君が横から入ってきたことで、少しだけ顔色を変えた。尾田君が意味のないことを言う人じゃないってことは、みんなわかってる。だから、ここで口を挟んできたっていうことは、実際に王村さんが彼にとって役に立つ存在だということを言おうとしてるんだ。

 

 「コロシアイは人目を忍んで行われるものです。あなたが酔っ払って予測不能な動きをするだけで、誰かを殺そうとしている人にとってはリスクです。もちろん、あなた自身が狙われるリスクはありますが、人数が減ることはクロにとっても不利益です。つまり、何の役にも立たないあなたが酔っ払ってふらふらしているだけで、一定のコロシアイ抑制効果があるんです。あなたにはそれ以上のことは期待していません」

 「……ほめられてる?」

 「尾田君なりの精一杯でね」

 「好きに捉えてください」

 

 一回聞いただけじゃ、尾田君が何を言いたいのかよく分からなかった。最後に、王村さんには何も期待してないとか言うし。でも尾田君はやたら視線を明後日の方に飛ばして戻そうとしない。照れ臭いのかな。今のが精一杯の褒め言葉なんだとしたら、尾田君のひねくれ具合も大変なものだ。

 

 「尾田君のように色々なことは言えませんが、手前も王村さんが生きていることには意味があると思います。全てのことには意味があるのです」

 「役に立つも立たないもないネ。人だって動物なんだから食って寝て殖えて生きて死ぬだけヨ」

 「王村さんだって役に立つことができるよ!年長さんなんだから、私たちの支えになってくれるよきっと!たぶん!」

 「……なんだよ、もう」

 

 続けて、庵野君と長島さんと風海ちゃんが王村さんを励ます。私は王村さんにはすっかり呆れていたから上手く言うことはできなかったけど、私だって王村さんがいなくなってもいいなんて思ってない。言葉にはできなかったけど。

 みんなに励まされて、王村さんは恥ずかしそうに頭巾を目深に被って、少しだけ顔を赤くした。

 

 「そこまで言われちまったらめそめそしてらんねェじゃねェか……なんだよ、おめェらおいらのこと必要としてたのかよ……」

 「必要とまでは言ってなかったぞ?」

 「話聞いてるのか聞いてないのか分からん奴だな」

 「どうでもいいんですよ。そんな話。軌道修正しますよ」

 

 なんだかよく分かんないけど、王村さんの気が晴れたんならいいや。

 

 「話を元に戻します。理刈さんは陽面さんを殺害した上で自殺しました。すなわち、この場に存在するクロが殺害したのは月浦君ということになります」

 「なんだかややこしい話になってたけど……理刈さんと月浦さんの死亡順とかってどうでもいいの?」

 「どちらが先に死亡したとしても、クロが殺害した人物は変わりません。おそらく理刈さんの方が先ですし」

 「なぜそんなことが言えるのですか?」

 「理刈さんの死体の近くにある椅子には、動かした跡がありました。最後に死んだのが理刈さんなら、その椅子を動かす人物がいません。すなわち、あれは理刈さんの死後にクロが控室を訪れた証拠になるということです」

 「なんでクロが椅子を動かす必要があるの?」

 「月浦君を殺害する凶器を手に入れるためでしょう」

 「月浦君を殺害した凶器……」

 

 現場の様子を頭の中に思い描く。シャンデリアの下、月浦君の体の横に落ちていた、あの血まみれのカッターナイフ。月浦君は首を切られて殺されていた。どう考えてもあのカッターナイフが凶器だ。

 

 「あのカッターナイフ、どこから出てきたんだろう?」

 「控室の机じゃないか?あそこには一通りの文房具が揃っていただろう。椅子に動かした跡が残っていたのも、犯人が理刈の死後にそこからカッターナイフを取り出すときについたものだろう」

 「それであいつの首を掻っ切ったわけだな……どこのどいつがそんなことを」

 「……あれ?」

 

 理刈さんが自殺した後、クロはパーティーホールから控室に入り、机からカッターナイフを取り出して、月浦君を殺害した。今までの話を踏まえると、きっとそうなんだろう。だけど、でも、そうだとすると……おかしなことがひとつある。いや、おかしくはないんだ。きっと。

 だって、それはクロが犯したミスだから。

 

 「ちょっと……待って。クロが机からカッターナイフを持ち出したのが、理刈さんが自殺した後なんだったらさ……それって」

 「どったの奉ちゃん?」

 「それって……クロは一度、見てるってことだよね?理刈さんの死体を」

 「もちろんそうなるネ。部屋の真ん中で死んでる法法(ファーファー)を見ないなんて、陽陽(ヤンヤン)を見ないより難しいアル」

 「じゃあさ」

 

 じゃあ、それはもうほぼ答えだ。だって、そうじゃないとおかしい。

 

 「それじゃあ……は、犯人は……?」

 

 その事実だけで犯人はかなり絞り込める。いや、もっと言えば、ほとんど確定的に指名できる。だって、その条件に合う人は、私たちの中にひとりしかいないから。

 

 「甲斐さん?大丈夫?」

 「……うん。大丈夫。ちゃんと、言うよ」

 

 きっと私は、追い詰められた顔をしてる。どうして私がクロを追い詰めなくちゃいけないんだって、自分を追い込んでる。できることなら私はクロなんて知らないままでいたい。私たちの中の誰かが仲間を殺したなんて事実を、自分の口で言いたくなんかない。

 でも、それは甘えだ。そして言い訳だ。私は言わなくちゃいけない。気付いてしまったのなら、責任が生まれる。みんなの命を守るために、誰かの命を切り捨てる責任が。

 

 「月浦君を殺した人は……この事件のクロは……!あなたしかいない……!」

 

 心臓がはち切れんばかりに脈打つ。この指名が間違いだったとしたら、私たちの命はない。そんな確証があった。だからどうか……間違っているならきちんと反論してほしい。私の考えは間違っていたと、論破してほしい。

 その顔を指す指が震えているのを感じた。だけど、照準はずらさない。私たちの中に潜んだクロの名前を、はっきりと口にした。

 

 

 

 

 

 「芭串ロイ君……!あなたがクロだよ……!」

 「——ッ!?」

 


 

 「な、なん……何言ってんだよ……!?」

 「芭串さんが……クロ……!?」

 「根拠が、あるのですね?」

 

 予想に反して芭串君は驚いて声が出ない様子で、強気に反論しては来なかった。それが却って私の不安を掻き立てる。

 

 「こら奉奉(フェンフェン)佬佬(ラオラオ)がクロだって言うならちゃんと理由まで言えアル!なんでそう思うカ!」

 「う、うん……えっと、風海ちゃん」

 「へっ!?わ、私!?」

 「理刈さんの死体を発見したときのことを教えて。なるべく細かく」

 「ええ〜……奉ちゃんまで尾田さんみたいなことを……ちょ、ちょっと待ってよ。ちゃんと思い出すから」

 

 長島さんに促されて、私はまず風海ちゃんに証言をお願いした。もう一度、風海ちゃんの記憶と私の考えを突き合わせる。

 

 「えっと、月浦さんの死体を発見した後、みんなを呼びに行こうとしたんだけど、庵野さんが控室の方に向かっていったんだよ」

 「少し扉が開いていたのが気になりまして……今にして思えば、理刈さんに呼ばれていたのかも知れません。あのままひとりにしておくのはあまりにかわいそうですから……」

 「今は事実だけを聞いています。あなたの感想はどうでもよろしい」

 「んでね、えっと……庵野さんが控室に入って、たぶんそこで理刈さんの死体を見つけたんだよね。で、芭串さんがその後に入って、私も続けて入って……そしたら理刈さんの死体があって……アナウンスが鳴った」

 「……うん。やっぱり、間違いないよ」

 

 自分の口から出た声色があまりに残念そうで、悲しそうで、私は私に驚いた。こうするべきなのに、こうしなくちゃいけないのに、私は全ての真相を明らかにしていくことが辛くて仕方ない。

 

 「今の証言を元にすれば、理刈さんの死体は、庵野君、芭串君、風海ちゃんの3人がこの順番で発見してる。だけど、椅子に動かした跡があるということは、その前にクロが理刈さんの死体を発見してるはずなんだよ」

 「んん?いやでも……さっき、クロが発見者になるかならねェかって話をしてたよな?その辺はどうなんだ?」

 「さっきのは直接殺害したクロが発見者に含まれるかっていう話だよ。理刈さんは自殺だから、誰が見ても問題なく発見者にカウントされるはずだよ」

 「つまり、本当の発見順は、クロ、庵野君、芭串君、風海ちゃんの順番のはずなんだ。だけど、風海ちゃんが発見するまでアナウンスは流れなかった。ここから言えることは……!」

 「庵野か芭串のどちらかは、すでに理刈を発見していた……つまり、どちらかがクロということか!」

 

 毛利さんが私の言いたいことを簡単に言ってくれた。そういうことだ。湖藤君の補足も、尾田君の横槍もない。つまり、過不足ないってことだ。芭串君がクロなら、二人は今は私の味方だ。二人が黙っているってことが、何よりも心強い応援だ。

 

 「だ、だったら庵野だってクロかも知れねえじゃねえかよ!なんでオレになるんだよ!テキトーに言ってんじゃねえだろうな!」

 「ふむ。そうなると手前にとってもクロは芭串君しかいなくなってしまうのですが……」

 「お互い様だ黙ってろ!」

 「うん。死体発見アナウンスだけだとそこまでしか絞れない。だから、私は見つけたよ。庵野君と芭串君のどっちがクロなのか、それを示す動かぬ証拠を」

 「う、動かぬ証拠……だと……!?」

 

 みるみる青くなっていく芭串君の顔。滝のような汗が流れ、体は証言台を離れて声が大きくなる。不安の表れなのか、自分の行いが暴かれて焦っているのか、今の私には見分けがつかない。だけど、これだけは分かる。ここで退いたら、私たちの命はないってことだ。

 

 「月浦君は、シャンデリアの下で殺されてた。カッターナイフで首を掻き切られてね」

 「そ、それがなんだってんだよ!んなもん見りゃ分かるわ!」

 「つまり、月浦君は自分からシャンデリアの下に潜り込んだんだ。犯人は、シャンデリアの隙間に手を入れて殺害した。それができるのは……二人のうちだと芭串君にしかできないんだよ」

 「はあっ!?」

 「庵野君はシャンデリアの隙間に手を入れられないんだ。手が大きすぎてね」

 「……なっ……!?」

 

 捜査時間中、確かに私たちはそれを確認している。芭串君もだ。陽面さんと月浦君の検分をするためにシャンデリアを動かすとき、庵野君が手を入れられなくて芭串君も手伝った。その事実を否定することはできない。だからこそ、私は確信を得た。この事件のクロは……彼なんだと。

 芭串君は息苦しそうに口を開閉させて、それから裁判場いっぱいに目を泳がせた。どこかに突破口はないか。私の論の矛盾は。疑問を感じてる人は。自分の味方は。縋るような目だった。でも、そんなものはどこにもない。

 

 「……決まりのようですね。ボクも異論はありません」

 「い、異論はないって……!ちょ、ちょっと待ってくれよ!オレは……!オ、オレはただ……!そんなつもりはなくて……!」

 「なんだ?何か知っているのか」

 「だ、だから……!そうじゃねえんだって!オレは……こんな……!イ、イヤだ……!」

 「な、何が言いてェんだよ!しっかりしろ!」

 「こりゃもうダメネ。死ぬことにビビりきっちゃってるヨ」

 

 強気に反論してくるかと思っていた芭串君は、一度もそんなことはなくて、ただ狼狽えて意味のないうわ言を繰り返すばかりだった。そうさせたのは私だ。私が彼を追い込んだ。そう言われてるようで、そんな芭串君の姿を見ることも、声を聞くことも、私はできなかった。

 

 「はぁ〜、やっと結論?出た感じ?いいよ!それじゃ、投票タイムに移りましょうか!」

 「うっ……!?ま、待てよ!まだ……!」

 「もう待てません!ボクはもうおしおきしたくてたまらんのですよ!消化不良のままじゃお腹壊しちゃうよ!」

 「……?」

 「それではオマエラ!お手元のスイッチで、犯人と疑わしい人物に投票してください!投票の結果、クロとなるのは誰か!その答えは果たして、正解なのか、不正解なのか〜〜〜!?」

 

 玉座で笑うモノクマに縋りつこうとする芭串君は、しかし証言台の柵に阻まれてそれもできない。ただ私たちに背を向けて懇願するような格好になるだけだ。いつもの彼の姿を知っているだけに、あんなに弱々しい姿は見ていられなかった。

 表示されたパネルから、彼の名前を選択する。この瞬間はいつも心が痛む。まるでこのボタンが、死刑執行のボタンのようだ。きっとみんなは否定してくれるだろう。だけど、私にはこの一票が、まるで最初の動機の一票のように感じられた。自分の命をかけて、この人を処刑してくれとモノクマに差し出すような気がしていた。

 

 「ほらほら!早く投票しなよ芭串クン!無投票は無条件でおしおきだよ!ワンチャンにかけてみたら?」

 「ううっ……!うぐっ……!」

 

 怯える彼を、モノクマは心底楽しそうに煽る。すでに投票は、芭串君の一票を待つだけになっていた。

 芭串君が震える指で選択した。その瞬間、天井からスクリーンがするすると降りてきて、派手な映像が投影された。分かりきった結末を前にした私たちは、ただ時間が過ぎるのを待っていた。




暑過ぎ。どうなってんの地球。


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おしおき編

 

 スロットマシンの絵柄が揃う。ルーレットの玉がポケットに入る。絞ったトランプの絵柄が露わになる。ダーツの矢が突き刺さる。ありとあらゆる演出が繰り返し映し出されるスクリーンで、クロと暴かれた芭串君の顔が何度も表示される。何度も、何度も何度も何度も。私たちが手繰り寄せた真実を讃えるように。罪を暴かれた彼を責め立てるように。

 お腹を抱えて笑っているモノクマの他は、青ざめて跪く芭串君に痛ましい視線を投げかけるばかりだった。

 

 「だいだいだいだいせいかーーーーーーい!!今回のクロは、“超高校級のプロデューサー”月浦ちぐクンをサクッと殺した“超高校級のペインター”芭串ロイクンだったのでしたあ!!ちなみに陽面サンを殺したのは理刈サンで、理刈サンは校則違反によるおしおきね!オマエラよくぞ全ての謎を暴きました!すンばらシーーー!!」

 

 モノクマの言葉なんか聞きたくない。私たちが真実を見つけたからって、それがなんだっていうんだ。それで誰が救われるんだ。友達が友達を殺した。それだけのことだ。せめて、せめて私たちが知りたいのは——。

 

 「どうして……?」

 「……!」

 「どうしてこんなことしたの……芭串さん、コロシアイなんてするわけにいかないって言ってたじゃん!私たちみんなでここから出ようって、モノクマと戦わなくちゃって……言ってたじゃん!」

 

 私より先に、風海ちゃんが叫んだ。胸の奥に突き刺さるような、喉を掻きむしられるような、悲痛に満ちた声だった。彼女の非難を向けられていない私たちでさえ、重い罪悪感を煽られる。

 だからきっと、芭串君の感じるそれは痛いほどのものなんだろう。芭串君は気を失ったかのように、胸を抑えてその場に崩れ落ちた。とっさに駆け寄ろうとした私を、湖藤君が手だけで制した。その意図は分からない。芭串君がクロだから情けをかけるな、なんてことを言うはずがない。

 

 「はぁ……!はぁ……!そ、そうだよ……!」

 「……?」

 「うぐっ……!オレらは……モノクマに勝たなきゃならねえんだよ……!オレたち全員で、ここから出るしかねえんだよ……!こんなくだらねえ学級裁判なんかで頭数減らしてる場合じゃねえんだよ!そうだろ!?」

 「だ、だったら……どうして……?」

 「なんでオレが月浦を殺したかなんてこたあどうでもいいんだよ!!今しかねえだろ!!モノクマはそこにいやがるんだ!!モノクマを通してオレらを見てる奴だって近くにいるはずだろ!!だったら!オレらがこいつらをぶっ殺すなら今しかねえだろ!?」

 「なに言ってるカ?」

 「お前らこのままでいいのかよ!みすみすオレを処刑させて、それでお前らはいつかモノクマと戦うときに後悔しねえのかよ!今!このとき!まだ戦力があるうちに行動しておけばって!」

 「意味が分かりません。あなたは学級裁判に敗北しました。それ以上に何があるというんですか?」

 「そうやって人が減ってくほどオレらが不利になってくのが分からねえのか!?馬鹿かテメエは!!オレが処刑されるってことはテメエらがモノクマに負けるってことになるんだぞ!?」

 

 全く話が噛み合わない。私たちがどうして月浦君を殺したのかと問えば、芭串君はモノクマと戦うのは今だと言う。ものすごい剣幕で。必死の形相で。縋り付くような目で。芭串君は喉が枯れるほど私たちに訴える。自分が処刑される前に行動しろと。

 

 「……芭串くん」

 

 機関銃のように言葉の弾幕を展開する芭串君に、湖藤君が冷たく言う。それは、隙の見えないほどの猛攻も、鉄壁の防御も、ほんのわずかな隙間を縫って標的を貫く一本の矢のように、芭串君の耳を射抜いた。

 

 「君のために死のうと思う人なんて、ここにはいないよ」

 「……っ!?」

 「モノクマと戦うのは、今じゃない。モノクマと戦うなら、まだ足りない。モノクマと戦うのに、君に隣は任せられない」

 「なっ……!?なん、だよ……なんだよそれ……!?はっ……!?」

 「どんな理由があろうと、君は月浦くんを殺害した。たとえ彼が危険人物だったとしても、彼を殺害した理由も言おうとしない君は、同じくらい信用できない。分かるよね?」

 「……ぐっ、くうっ……!」

 

 血走る眼。荒れる吐息。漏れ出す嗚咽。その表情は敵意でも憎しみでもなく、困惑だった。

 

 「テメエら……!ふざけんなよ!!そうやって人を処刑させて心が痛まねえのか!?一緒に戦ってきた仲間じゃねえのかよ!!なんでオレがこんなこと……ふざけんじゃねえ!!今までオレがどんだけテメエらのために……!!」

 「それはそれ、これはこれ、っていうアル。往生際が悪いヨ、佬佬(ラオラオ)

 「うるせえうるせえうるせえ!!オレはこんなとこで死んでる場合じゃねえんだ!!戻らなきゃいけねえんだ!!オレが……オレがそばにいてやらなきゃ!!オレがいねえとダメなんだ!!」

 「だ、誰のことを言ってるの……?」

 「テメエに関係あるか!!」

 

 完全に錯乱してしまってる。何を言っても逆効果だし、何を言ってるか分からない。湖藤君が窘めたのは理解できたみたいだけど、それでもまだ月浦君を殺した理由は何も教えてくれない。

 

 「いや〜、全部分かってる立場からしてみればこんなに滑稽なことはないよね」

 「ッ!?」

 「うっぷっぷ♪オマエラさあ、なんでそんなに芭串君が月浦君を殺した理由を知りたいワケ?それを知ってどうしたいの?」

 「どうもこうも……身近な人間が殺されたなら、その理由を知りたいと思うのが人間じゃないのか」

 「はァ〜〜〜ん?知りたいから知りたいって?答えになってないんだなあ。どんな理由だったらオマエラは満足するのかって訊いてるんだよボカァ」

 「な、何を言ってるの……?」

 

 頬杖をついて足を組み、不満げに半分閉じた眼で私たちを見下ろしていたモノクマが、ぴょんと玉座の上に飛び乗って言う。

 

 「オマエラが知りたい理由ってのはなんなの?月浦君が殺されるのに十分納得できる理由を知って、芭串君の凶行は仕方ないものだったって同情したいワケ?やむにやまれず殺害してしまった、なんて悲しい展開を待ってるワケ?それともサイコで自分勝手な理由を聞いて、芭串君の精神構造は自分たちと違う、この殺人は異常なことなんだって再認識したいワケ?芭串君に寄り添いたいの?突き放したいの?理由を知ったところで、オマエラにできることってなんなの?その向こうにあるエモエモエピソードに酔い痴れてみたりなんかして?そんなシナリオを期待しちゃってんのぉ!?

  あっめえんだよなあどいつもこいつも!!!殺人には同情に値する悲しい理由があるはずだって思ってるさあ!!殺人には相応の葛藤と人間模様のドラマがあるはずだって考えてる悲劇の押し付け野郎(トラジディスト)共がさあ!!そんなわけねえじゃん!?死ってのは大概が理不尽で無意味に訪れるものなんだよ!!その中に理不尽で無意味な殺人だってあるに決まってんじゃん!?」

 

 芭串君に負けない勢いで、むしろそれより強く、激しく、大きな怒りを込めて、モノクマが怒鳴る。それは私たちに向けられたもので、だけどそれだけじゃないような気がして、耳を塞いでも、目を閉じても、モノクマの声が、眼光が、私の中に入ってくる。

 理不尽で無意味な殺人?芭串君のしたことが、そうだってこと?なんの理由もない、葛藤も、逡巡も、躊躇もない、悩むことのない、かといって震えるような悪意もない。そんな風に月浦君は殺されたってこと?

 

 「全然……意味が……?」

 「だからさ、そうやって意味を求めることが間違いなんだって。プライドを守るための殺人でもない。大切なものを侮辱された怒りによる殺人でもない。愛する人の秘密を守るための殺人でもない。なんのためでもない、なんの感情もない、そういう事件なんだよ、これは」

 「分からないな」

 「うぷぷ……オマエラもしつこいね。そこまで言うなら教えてあげるよ。パーティーホールで何が起きたのか。この、大義によって引き起こされたクソみたいな結末(オチ)の殺人劇をさ!」

 


 

 理刈法子は覚悟した。あの狂おしいほど身勝手な罪人は裁かれなければならない。たとえこれが正しい手順を踏まない私刑にあたるとしても、目の前で行われた理不尽の極みのような悪行をそのまま見過ごすことは、自らの正義に反した。人が人を裁くことはそれが正義の名の下に行われたとしても、必ずしも善とは限らない。

 正しく善くあれれば何よりだが、現実はそう甘くはない。誰よりも正義を尊び、誰よりも善であろうとしたからこそ、理刈はそのことをよく理解していた。そして、善であることを諦めた。

 

 「ダメクマ」

 

 呼び止めたその背中は、びくっと跳ねてからゆっくりと振り返った。ビーズの瞳に映った理刈の目は、いつにも増して鋭い。その眼差しはダメクマに向いているが、ダメクマを見てはいない。その遥か先、あるいはこの世のどこにもない場所を見つめていた。

 

 「パーティーホールのシャンデリアについて教えて頂戴」

 「そ、それは……どうしたのさ、理刈さん。疲れてるんじゃない?部屋に戻って寝なよ」

 「あのシャンデリアは、電気を消したら落ちるのね?」

 「……っ!?な、なんでそれを……!?」

 「消してから落ちるまで、どれくらいかかるの。秒単位で正確な時間が知りたいわ」

 「そ、そんなこと知ってどうするつもりなの。ダメだよ、シャンデリアを落としたりなんかしたら」

 「あなたの意見は聞いていない。聞かれたことに答えなさい」

 

 ダメクマは必死に理刈を宥める。何を考えているか、何をしようとしているかなど分かりきっている。しかし、よりにもよって理刈がこんなことになるなど、ダメクマは想像だにしていなかった。

 普段から冷静な理刈は、自分の感情をコントロールして押さえ込んでいるタイプだとばかり思っていた。どうやらそれは生来の性格だったらしい。限界を迎えて狂気に触れてからも、冷静に事を運ぶタイプだったようだ。しかし冷静ならまだ話し合いの余地がある、そんな甘い考えは一蹴に付された。

 

 「うぅ……じ、時間なんて言われても、ボクは分からないよ。落としたことないし」

 「そう。でもその様子だと、シャンデリアが落ちる仕組みは理解しているようね」

 「むぐっ」

 「それなら図書室に行って勉強するわ。参考書選びを手伝いなさい。勉強するにも構造の正確な理解が必要だわ。それくらいなら分かるでしょう」

 「うわっ!あっ、あっ、やめてーーー!」

 

 むんず、とダメクマの頭を鷲掴みにし、理刈はそのまま図書室に向かった。もともと学業は得意な方であったため、シャンデリアが吊られている構造と落下する仕掛けのカラクリ、消灯から落下、そして接地までの時間を計算するに至るまで、さほど時間はかからなかった。

 ついでに先々のことを考え、そのための準備もした。自らの計画が上手くいこうといかまいと、その後にやることは決めていた。すなわち、自ら命を絶つ選択である。

 これは正義である。それは胸を張って言える。誰がなんと言おうと、これは紛れもなく自分の正義だ。それは間違いない。しかし正義を貫き通すには覚悟が必要だ。一度通した正義を貫き続けるか、その悪辣さを認め責任を取るか、いずれかだ。理刈は後者を選択した。正義を貫き続けるのに、今の自分は無力過ぎた。なんの権限も、後ろ盾も、必要性もない。どこまで身勝手な正義だ。それが月浦の正義と大差ないことに、理刈は気付いていなかった。

 


 

 月浦は激怒した。必ずこの無神経な輩を除かなければならない。

 自室に戻った月浦は、ドアの隙間から部屋に差し込まれたであろう手紙を見つけた。慎重に開いてみれば、毛が逆立ったブラシで神経を撫で付けられるような文章が書かれていた。

 陽面の秘密に触れる——それだけでも月浦にとっては十分に排除対象になり得るのだが——だけでなく、月浦の罪を糾弾し、その責任を陽面にまで追及する内容だった。あれほど明確に警告を発して、あれほど厳格な境界線を敷いて、まだ軽率に陽面の秘密に土足で踏み入ろうとする輩がいることに、月浦は心底憤慨していた。

 

 「ちぐ?どうしたの?こわい顔」

 「……心配ないよ、はぐ。少し考えなくちゃいけないことができただけさ」

 

 既に自分の狂気的な愛情は陽面の知るところである。今さら半端に取り繕う必要はない。新たに排除すべき者が現れたことなど、月浦にとっては怒りの対象でこそあるが、その排除は苦労のうちに入らない。問題は、その方法である。ただでさえ月浦は陽面以外の全員から警戒されている。その上、この手紙の送り主は自分たちを狙い撃ちにしている。相手の考えを掻い潜り、逆に殺さなければならない。いや、誰かに殺させなければならない。

 想定していなかったわけではないが、対処法を考える前にその時が来てしまった。その上、手紙には続きがある。今夜、パーティーホールに来るようにという指示だ。人数の指定はない。どう考えても危険だ。行った先で何者かの襲撃を受けるか、あるいは何らかの罠が仕掛けられているか。いや、それならまだいい。最悪は、ひとりでホールに向かった隙を突かれて陽面を危険に晒すことだ。ならばどうするか。

 選択肢は3つある。こんな手紙は無視して部屋で一晩過ごす。それでも用心に越したことはないが、のこのこ敵陣に飛び込むよりはよほど安全だ。あるいはひとりでホールに向かう。ホールで待ち伏せされている場合は陽面の安全のために別行動をとるべきだ。そしてふたりでホールに向かうという選択肢。狙われている状況でバラバラに行動することこそ危険だ。一緒にいれば最低でも陽面を守ることはできる。

 

 「ちぐっ!」

 「うっ!……は、はぐ?どうしたの?」

 

 沸騰しそうなほど熱を帯びて動く脳は、小さくて柔らかな愛おしい指に弾かれて止まった。どうやら陽面が下手くそなデコピンをしたようだ。手紙を睨んで黙りこくっていた月浦は、眉間に寄せていたシワを伸ばして、なるべく穏やかな表情を意識して陽面を見た。

 

 「……ちぐは、はぐのために、はぐには分からない難しいことをたくさん考えてるんだよね。ちぐの考えてることは分からないけど、ちぐが考えてる理由は分かるよ」

 「うん。僕がすることは全て、はぐのためだ」

 「ちぐははぐのことを守ろうとしてるけど、はぐだってちぐのことを守れるんだからね。特に、ちぐはがんばりすぎてるときは」

 「頑張り過ぎてることなんてないよ。こんな異常な場所では、はぐのことを守ろうと思ったら一瞬だって気は抜けない」

 「もう!ここにいるのはみんないい人ばっかりなんだから。ちぐが思うほど危ない場所じゃないんだよ!」

 「……」

 

 まったく能天気だ。油断だらけ、隙だらけ、ふと目を離した拍子に傷ついてしまいそうな危うさ。だからこそ目を離せない。ずっとそばにいてやらないといけない。そう感じてしまうほど、月浦は陽面に対して盲目だった。

 そんな姿を目の当たりにして、月浦は選択した。

 

 「それじゃあ、はぐ」

 「うん?」

 「今日は少し、夜更かししちゃおうか」

 

 それが、致命的な誤りになると知る由もなく。

 


 

 パーティーホールは、モノクマに案内されて目にした煌びやかな雰囲気から一転していた。部屋の奥は暗闇に支配されて向かいの壁が見えない。窓のない部屋の影を、廊下から差し込む明かりが細長く切り裂く。そこに伸びる自分の影を踏んで、月浦は中の様子を伺った。

 自分たちを誘うように半端に開かれたホールの扉。誰かが潜んでいても分からないほどの暗闇。手紙の送り主が陽面の秘密をちらつかせてさえいなければ、こんなところに自分から入っていくような迂闊な真似は決してしなかっただろう。

 

 「ちぐ。くらいよ……戻ろうよ」

 「僕が先に行くから、はぐは絶対に僕のそばを離れるんじゃないぞ。もし何かあったらすぐに大声を出していいからね」

 「う、うん……ねえ、こわいから服つかんでていい?」

 「しっかり掴んでてね。その方が、暗くてもはぐがいることがよく分かるから」

 

 それを聞いた陽面は、月浦のジャケットの裾をシワがつくほど強く握った。微かに震える手から、暗闇に対する恐怖心を感じる。月浦はますます手紙の送り主を許せなくなった、陽面は単純に暗い部屋に怯えているだけで、命の危険があることなど全く考えていない。それでも、陽面に恐怖を感じさせただけで、その者は万死に値する。それが月浦の考え方だった。

 暗闇に目が慣れるのを待って、部屋中に目を凝らす。微かな動きも見逃さないとばかりに部屋の隅から隅を凝視する。明かりをつけられればいいのだが、操作盤はホールの奥の控え室にある。おそらくはそこに誘導するための罠だろうと考えた。入り口から控室までの動線に何かあるか、と注意深く観察すれば、背後から陽面の声がした。

 

 「あっ……これ、なんだろう?」

 「どうしたの、はぐ。大丈夫?痛いとか苦しいとかない?」

 「ちぐってば心配し過ぎだよ……大丈夫だって。それより、あれ見てよ」

 

 陽面が指差したのは、ホールの床だった。暗闇ではよく目立つ、薄い青緑の蛍光色に輝くマークが描かれている。マークの周辺には不作為を感じる同じ色の痕跡が残っている。どうやら誰かが蓄光ペンキで描いたもののようだ。あの手紙の送り主だろう。なるほど、電気を消したのはこのためか。

 

 「ねえねえ、あれなんだろ?近寄ってみようよ!」

 

 陽面の無邪気さが月浦の警戒心を掻き乱す。どう考えても近づけば何かが起きる。暗闇なら蛍光マーク目がけて襲いかかれば、正確に標的を狙うことができる。そうでなくても安易に近付くことは危険だと、多少の危機感があれば分かるだろう。残念ながら、奇しくも、幸か不幸か、陽面にはその多少の危機感すらなかった。暗闇に怯えていた気持ちなどすっかり忘れて、いまは目の前の光るマークに夢中のようだ。

 そうなれば、月浦のすることはひとつだ。陽面の安全を最優先にしつつ、マークに近付く。何かあればすぐさま陽面を突き飛ばしてでも守れるよう、最大限に警戒する。

 

 「なんだろねー?」

 

 陽面はマークに興味津々な態度を隠そうともせず、それでも月浦の言いつけを守ってしっかり背後に下がっている。近付いて見ても、それはマークでしかなかった。解読可能な文字でもなく、意味のある記号でもなく、単なるマークだ。

 周囲の気配を探る。正面、左右、陽面のさらに奥の背後、いずれにも怪しい気配はない。殺気どころか息遣いも視線も感じない。一体どういうつもりなのか、月浦の心に僅かな疑念が生まれる。襲うなら今が絶好のチャンスであるはずなのに、誰も何もして来ない。意味が分からない。相手の目的が分からなくなる。

 ——ほんの一瞬の戸惑い。迷い。得体の知れない存在への無意識の恐怖感。その一瞬が、判断を遅らせる。

 

 

 微かな音がした。金属が擦れるような音だ。聞き逃してしまいそうな音は、頭の上から耳に滑り込んできた。その意味を——その先を——次にすべきことを考えた。月浦は、考えてしまった。僅かに感じてしまった恐怖心が踏み出すはずの一歩を抑え込んだ。

 


 

 全て上手くいった。予想通り、月浦は陽面を連れて来た。月浦は常に陽面のそばにいる。陽面を守るためと言っているが、理刈に言わせればあれは陽面に依存しているだけだ。陽面の存在を理由にして自らの存在価値を確かめているだけだ。あんなものは自己愛に過ぎない。だからこそ、理刈はそれを利用した。月浦を誘い出せば、必ずそこには陽面も現れる。そうなれば、陽面は目の当たりにするはずだ。月浦がしてきたことへの罰を。

 

 「……」

 

 パーティーホールの控室からは、ホールの様子が伺える。部屋の明かりを消しても、廊下側から漏れる光で控室からは中の様子が薄ら見える。理刈は、まんじりともせず、そこからずっと見ていた。月浦と陽面がパーティーホールに入ってきてから、自分が仕掛けた罠ににじり寄っていく様を。

 そして、罠は動き出した。万事計算通りだ。計算した通りのタイミングでシャンデリアは支えを失った。計算した通りの勢いで落下を始め、その真下には計算通りの人物がいる。理刈は高揚した。

 

 が、計算した通りの答えにはならなかった。月浦の一瞬の判断の遅れ。確かな手応えを感じさせる理刈の胸の高鳴り。その間に、ただの傍観者であったはずの陽面が割り込んだ。動けない月浦の体は、蛍光色のマークから離れ、入れ替わりに陽面がその上に乗る。

 

 「……はっ!?」

 

 瞬きする暇すらなかった。月浦が音を聞いてから、理刈が成功を確信してから、あるいはそれより前に、陽面は動き出していた。いつから気付いていたのか。それを確かめる術は二人の目の前で潰えた。

 ガラスが床に叩きつけられる。弾け飛んだ破片が光を反射して星空のように煌めく。まるでその下には何もないかのように。圧倒的に大きな力と質量は、ちっぽけな陽面の体を潰したことに気付いていない。肉が裂ける音も、骨が砕ける音も、内臓が潰される音も、悲鳴のひとつも聞こえないまま、全ては一瞬のうちに終わった。

 


 

 ドア越しの悲鳴。喉が張り裂けそうなほどの慟哭。それを叫ぶはずの口はシャンデリアの下に。シャンデリアに潰されて罰されるはずの月浦が叫ぶ。

 失敗した。全てが終わる直前まで全て上手くいっていた。最後の最後、予想だにしないことが起きた。まさか陽面があんなことをするなんて。月浦に守られてばかりの陽面が、瞬時の判断などとてもできそうにない子供のような陽面が、身を挺して月浦を庇うなど。あるいはそう見えただけかも知れない。いずれにせよ、結果は変わらない。

 

 「最悪」

 

 罰を与えるはずだった。谷倉と菊島を殺した罰は月浦にある。身勝手な理由で人の命を奪った月浦は裁かれなければならない。シャンデリアに潰されて死ななければならない。そのはずだったのに、陽面が殺されてしまった。裁く者を違えてしまった。

 罪人を裁く覚悟はしていた。月浦を肯定した陽面は善ではないが、罪はなかった。理刈に、陽面を裁く理由はなかった。この過ちは大罪だ。理刈は薬瓶を手にした。

 


 

 「あっ」

 

 気が付くと勝手に筆が動いていた。キャンバスに描かれたのは金髪の少女。儚げな細い線で構成された輪郭。華奢な体に似合わない躍動感にあふれる構図。身につけるのは均質で無機質な病院服。この世の誰よりも大切な、芭串の愛する妹だ。

 ここに来てから片時もそのことを忘れたことはない。最後に会った妹は、病院のベッドの上で気丈に笑っていた。大きな手術を控えて不安なはずだったのに、希望ヶ峰学園に招かれた自分を笑顔で送り出した。一番苦しいときにそばにいてやれない不出来な兄に、一言の不満も言わない。自分にはもったいないほどのできた妹だ。

 

 「……」

 

 だからこそ、芭串の頭にはモノクマの言葉が突き刺さって外れなかった。ここに来てから3年もの時間が過ぎていると言った。久し振りに映像で見た妹は、なぜか黒い服で涙を流していた。外の世界のことが分からない。それはつまり、妹が今どうなっているか分からないということだ。

 手術はどうなった?体はもう大丈夫なのか。まだ入院しているのか。自分がいなくて大丈夫なのか。モノクママスクに囲われたあの映像の後、無事に家に帰れたのか。

 不安はとめどなく溢れてくる。今すぐにここから出て確かめに行きたい。あのとき、岩鈴が狭山を殺していなければ、自分が誰かを殺していたかも知れない。だが、3度も繰り返してよく分かった。自分では誰かを殺しても学級裁判を勝ち抜けない。自分には到底理解できないトリックを、いとも容易く暴いてしまう奴らがいる。

 芭串は、妹のためなら誰かを殺すことも厭わない程度には狂っていた。だが、その先を考えず行動するほど狂ってはいなかった。半端な狂気は行動できない自分を責めるように唆し、精神を摩耗させていく。

 

 「くそっ!なんでこんなことに……!アリス……!」

 

 祈ることしかできない自分が情けない。妹の無事を祈っている。再び妹に会えることを祈っている。ここを出るチャンスが訪れることを祈っている。

 

 「はぁ……」

 

 狂った情けない自分に気付くたび、芭串は激しく落ち込む。こんなことをしていて、外に出たときにもし全てが手遅れだったら、悔やんでも悔やみ切れない。そんなことなら、モノクマに突撃でもして殺された方がマシなのかもしれない。その方が、少なくとも妹のために行動してはいるからだ。

 美術室の奥にその走り描きをしまい、芭串は部屋に戻ることにした。いつの間にかかなりの時間が経っていた。こんな時間に部屋の外をうろついていて余計な疑いを持たれてはかなわない。やましいことはないが、一応廊下の様子を伺いながら戻ろうとする。美術室を出て階段を下ろうとしたそのとき——。

 

 「……?」

 

 何か聞こえたような気がする。人の声だ。叫ぶような、嘆くような、苦しむような、おぞましい声だ。夜の学園でそんな声が聞こえてくれば怪談になりそうだが、この状況では見過ごすことはできない。誰かの悲鳴は、何かが起きた証だ。また誰かが殺されたのか。そう考えていたとき、芭串は悲鳴の聞こえた上階へ階段を駆け上がっていた。

 


 

 絶え間なく聞こえる叫び声。それはパーティーホールから聞こえてきていた。半端に開かれたホールの向こうは暗い。近くに寄ってきて初めて分かった。これは、月浦の声だ。月浦が叫んでいる。その状況だけで、芭串には不可解だった。なぜこんな時間に月浦がこんなところにいるのか。なぜ叫んでいるのか。また誰かをハメようとしたのではないか。

 月浦に気付かれないよう、慎重にホールの入り口に近づき、おそるおそる中を覗いてみる。月浦の声は、広いホールの中央から聞こえる。だがその姿は見えない。中央には山型の影があって、それが天井に吊るされていたはずのシャンデリアだと気付くのに数秒かかった。

 

 「あ?……なんだ?」

 

 落ちたシャンデリアの周りにはガラス片が散乱していた。ひしゃげた鉄枠から相当な衝撃があったらしいことが伺えた。悲鳴はその下からしていた。回り込んでシャンデリアの下に目を凝らす。暗闇に目が慣れてきて、ようやく芭串は理解した。

 シャンデリアの下に誰か——何かある。微かに香る血の匂い。シャンデリアの下に潜り込んで、何かに手を伸ばしながら泣き叫ぶ月浦。何があったか推理するには十分だ。この下には、陽面がいる。陽面が殺された。だから月浦は嘆いているのだ。

 とんでもない現場を見てしまった。ひとまず明かりをつけなければ。確か電気の制御盤は控え室にあったはずだ。芭串は部屋の奥に向かい、控え室の扉を開けた。

 

 「……はっ!?」

 

 思わず声が出た。相変わらずの暗闇だが、これほどはっきりと目の前にいれば分かる。控え室には理刈がいた。手足を乱雑に投げ出し、完全に力の抜けた格好からは、まるで生気を感じない。なぜ自分でもそうしたか分からないが、芭串は自然とその手を取っていた。人間のものとは思えない冷たさ。鼓動のない手首。重い人体の感触。

 

 「ううっ……!?な、なんなんだよ……!?」

 

 なぜ理刈がこんなところで死んでいるのか。芭串には想像もつかない。だが想像する必要などない。理刈が死んでいる机には、その理由が書かれている文書がしっかり遺されていた。それを見つけた芭串は、明かりをつけるのも忘れて、それを手に取って読み始めていた。

 


 

 芭串は全てを知った。理刈が何を考えていたか。理刈が何をしたか。パーティーホールで何が起きたか。なぜ月浦ではなく陽面が死んでいるのかは書かれていなかったが、何かの事故なのだろうと想像がついた。理刈の遺言状を読み切った後、芭串はもう誰かを呼びに行こうとは考えていなかった。

 

 「……」

 

 ——チャンスだ。そう思った。陽面を殺したのは理刈だ。その理刈は、目の前で死んでいる。自殺だ。今この場には2つの死体だけがあり、クロはどこにもいない。なら、この状況でさらに死体が1つ増えたらどうだろう。この遺言状さえなければ、陽面を殺したのが理刈だと証明する手段はない。3人もの人間が誰かに殺されたように見える。その時点で真実からはかけ離れているのだ。だとすれば、これは学級裁判に勝つチャンスなのではないか。

 自問自答にさえならない脳内反復。これが好機だと考えてしまうと、後はただただ自分で自分の背中を押すだけだ。自分のすることに理屈をつけるだけだ。

 いま、目の前に絶好のチャンス(機会)がある。誰にもバレることがないのなら覚悟(正当化)もできる。もちろん、そうするだけの動機はずっとある。もはや芭串は止まらなかった。机の引き出しからカッターナイフを取り出し、控室をそのままにして出た。

 

 「はぐぅ……!はぐっ、いま、いま助けるから……!返事をしてくれ……!はぐ!お願いだから……!僕から離れないで……!いなくならないで……!はぐ……!」

 

 暗闇の中から弱々しい声が聞こえる。あの月浦がこんな声を出すなど、芭串は目の当たりにするまで想像できなかった。服が汚れるのも気にせず、自分の体が傷つくのも気にせず、シャンデリアの下に潜り込んで、愚直に陽面の元へ進もうとする。いくら小柄な月浦でもその隙間に潜り込むことはできず、無意味に体を捩らせるばかりだった。芭串はその背後に立つ。

 

 「ああ……!はぐ……!はぐぅ……!」

 

 芭串は、死に際に理刈が何を考えていたかは分からない。もしかしたら誤って陽面を殺してしまったことを悔いていたかも知れない。だが、目の前で芋虫のように這いずる月浦を見て、理刈が与えたかった以上の罰が月浦に下されたことを確信した。

 これは罰だ。罪のない人間を3人も身勝手な理由で殺した月浦を罰する権利が自分にはある。自分にそう言い聞かせる。これは救いだ。罪のない陽面を目の前で喪った月浦は正気を失うほどの辛さにある。月浦を苦しみから解放させられるのは自分だけだ。

 誰に言うでもない独り善がりの自己弁護。自分のための甘い言い訳。それを頭の中でひたすら繰り返しながら、芭串はナイフの刃を月浦の首筋にあてがった。そこまでしても、月浦は抵抗はおろか芭串に気付く気配すらない。

 

 「……ッ!」

 

 そして芭串は、カッターナイフを持った手を力強く引き抜いた。

 


 

 「ハイッ!そんな感じ!」

 

 唐突にモノクマは話を終えた。そんな感じ、と言われても、色々と言いたいこととか考えたいことがある。

 

 「ボクとしたことが長々話しちゃったカナ?要するに、芭串クンは月浦クンを殺す以外になんにもしてないわけだよ!何にもしてないし、何の信念もないし、何の感情もないし、何のこだわりもない!ただ目の前にチャンスが転がってたからやってみた、的な?理刈さんが自分の命を懸けた大掛かりなトリックを仕掛けたってのに、チョー軽々しくて後先考えない、工夫の一つもしないカスみたいな誰かさんのせいで、こんなしょうもない事件に早変わりってわけ!はーほんまクソ!」

 

 笑ってるのか怒ってるのか、モノクマは地団駄を踏みながら芭串君を指差してお腹を抱える。どんな事情があれ、人を殺すことは許されないと思っていた。だけど、虎ノ森君も、岩鈴さんも、月浦君も、少なくとも何かの信念に基づいて行動していた。結果的に誰かの命を奪ってしまったけれど、それは彼らの中で意味のあることだった。

 でも、芭串君はそうじゃない。意味のある殺人なんかじゃない。ただそこにあったチャンスを拾うための、雑でいい加減な、空っぽの殺人。後も先も考えず、理刈さんの陰に隠れてこっそりクロの権利を掠め取った、卑劣なやり方。

 

 「やるならもっと考えてやるべきだったネ。勢いでやったことなんて上手くいかないのが世の常ヨ」

 「くっ……!で、でもよぉ……オレは……オレはここを……!」

 「すぐにでも出て行きたかったんだよね。もちろん、その気持ちを否定はしないよ」

 「おいおいおい、さすがに甘過ぎねェか?」

 

 うなだれる芭串君に、湖藤君は優しい言葉をかける。王村さんにまで嗜められて、湖藤君は小さく肩をすくめた。どうしてそんな軽々しいことが言えるんだろう。芭串君の気持ちは、もう果たされることはないというのに。そんな自己矛盾の怒りが湧き上がる。

 

 「外の世界が気掛かりなことは分からないでもないが、それは私たちも同じだ。お前だけじゃない」

 「そもそも、そのままにしておけば誰も死ななかったのに、わざわざ私たちの命まで危険に晒したんでしょ!その時点で……もう、アレだよ!」

 「クロが死亡している殺人を利用する手なんていくらでもあったでしょうに……彼が第一発見者だったことを幸ととるか不幸ととるか、難しいところですね」

 「……みんな、おかしいよ」

 

 口々に芭串君を批難するみんなに、私はひとり反抗した。決して芭串君の味方をするつもりじゃない。私だって、芭串君には怒ってる。だけど、だからといって、もうここで終わってしまう彼の背中を槍で突くようなことをしなくたっていいはずだ。

 

 「どうして誰も、芭串君の気持ちを分かってあげないの……?いまの芭串君は、もしかしたら私たちの中の誰かだったかも知れないんだよ?自分なら()()()()に冷静な判断ができるなんて、どうして言い切れるの?いつだって私たちはギリギリのところにいるんだよ」

 

 私は、キッと目尻を釣り上げた。その視線の先に、白と黒の憎らしい毛皮の塊を見据えて。

 

 「こんな状況を作ったのはモノクマだ!芭串君を衝動殺人をしてしまうまで追い詰めたのはモノクマだ!理刈さんに月浦君を罠にハメて殺させようとするところまで追い詰めたのはモノクマだ!月浦君が陽面さんの秘密を守るために殺人を唆したのはモノクマだ!私たちをこんなところに閉じ込めてコロシアイなんてさせてるのはモノクマだ!全部全部、あいつが悪いんだよ!」

 

 私は叫んだ。みんなに気付いて欲しくて。私たちがお互いを憎しみあって、疑いあって、殺し合うなんて間違ってる。芭串君を責めるのは何の解決にもならない。私たちだってそうなる可能性があったんだ。

 そんな私の思いがどこまでみんなに伝わったのかは分からない。気まずそうに視線を逸らす人も、冷たい視線を向けてくる人も、様々だ。だけど、そのどれも、芭串君の救いになるものではなかった。

 

 「ボクが悪いなんてことを今更言ったって、それこそ意味ないよ。ボクはずっと最初からオマエラの敵なんだからさ。そんなことより、いつまでもダラダラ話しててもツマラナイから、話進めていいっすか?」

 「っ!」

 「あっ!芭串さん!」

 

 不穏な空気を感じた。モノクマの悪意が一気に裁判場に広がる感覚。それを感じ取ったのか、芭串君が走り出した。ローラーシューズを履いた彼は風のように裁判場を走り、エレベーターに向かっていく。それが無意味な抵抗だということを、モノクマは、私たちは、きっと本人だって、分かっていた。それでも抵抗せずには、抗わずにはいられない。

 

 「うっぷっぷ!逃げる場所なんてないんだよ!全てを暴かれたクロに待つのは命による償いのみ!さあオマエラ!刮目せよ!これがオマエラの選んだ未来だよ!」

 「うっ……うあああああっ!!ちくしょう!!ちくしょう!!ふざけんな!!オレは……オレはこんなところで死んでる場合じゃねえんだ!!出せ!!こっからすぐ出せ!!やめろ!!」

 「うっぷっぷ〜〜〜!!今回は!“超高校級のペインター”芭串ロイクンのために!スペシャルな!おしおきを!用意しました!」

 

 モノクマの玉座から無数のロボットアームが伸びていく。それはエレベーターのシャッターに指を食い込ませて揺らす芭串君の体に巻きつき、力ずくで彼を引き剥がした。床に引き摺られながら、手足が折れそうなほど暴れて抵抗する芭串君の姿に、私は思わず目を逸らした。見ていられなかった。

 

 「お、おいお前ら!!見てねえで助けてくれよ!!頼む!!なんだってする!!なんだってやる!!助けてくれ!!いやだ!!死にたくねえ!!」

 「それでは!張り切っていきましょう!おしおきターーーイムッ!!」

 「やめっ——!!」

 

 モノクマがボタンを押す間抜けな音がした。それは壁に開いた穴を閉じて、必死に命乞いをする芭串君の姿と声を私たちの前から消し去った。私だって助けられるものなら助けたい。でも、それができずに、今まで3回も、連れて行かれる彼ら彼女らを見送ってきたんだ。

 するする降りてきたスクリーンに芭串君の姿が映し出される。暗闇の中、身体中に巻きつく冷たく無機質な機械の感触。確実に近づく死の足音。そんな極限状態にあって、全ての希望を失った芭串君は、完全に絶望しきっていた。

 


 

【GAME OVER】

バグシくんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 

 暗闇の通路から一転、芭串は目がくらむような光の中に放り出された。目に刺さるような鋭い光。鼻につく化学的な香水の匂い。上品さを取り繕った安っぽい音楽。煌びやかで豪華な衣服に身を包んでいるのは、どれもこれもモノクマばかりだ。柔らかい絨毯に荘厳な装飾の小部屋。部屋の正面には小さなステージが設けられ、マイクを持ったモノクマがその袖に立つ。掲げられたプレートには、汚い文字でタイトルが記されていた。

 

 

[愛はゴミ箱の中に

“超高校級のペインター 芭串ロイ”処刑執行]

 

 

 手袋をはめたモノクマが二人がかりで何かを運んでくる。いびつな形をした焼きものの壺だった。見ようによっては味があるような気がしないでもないが、壺としての使い方はできないだろう。そもそも支えていないとまともに自立もしない。何名かのモノクマが札をあげる。何度か価格を吊り上げる応酬が繰り返された後、ひとりのモノクマが落札した。モノクマは満足げに葉巻に火を点けた。

 次に運ばれてきたのは、絵の具で乱雑に描かれたサイケデリックな色の絵画だった。どこをどう見ても芸術性の欠片もなく、会場中が小さな笑いに包まれた。モノクマが木槌を振るう。誰も札をあげない。結局、買い手がつかなかった。ため息を吐いたモノクマは、係員に指示を出す。係員はそのまま絵を運んで行き、部屋の隅にあるダストシュートに放り投げた。奥から絵や額縁が砕かれる音が聞こえた。

 

 芭串は訳がわからなかった。モノクマは自分を処刑するためにここに連れてきたはずだ。それなのに、会は芭串を置き去りにして粛々と進む。芭串はただその一番後ろで、呆けて眺めているだけだ。ここから何がどうなるのか、さっぱりわからなかった。

 恐怖感は困惑に掻き乱される。その困惑すら時間が経つとすり減っていき、芭串は自分がそこにいる感覚すら薄らいでいた。そのとき、芭串の意識ははっきりとステージ場に釘付けになった。

 モノクマたちのてで運ばれてきたのは、4つの足が生えた大きな鉄の枠。その中にはふかふかの布団が敷かれ、鉄枠から伸びたアームに点滴が取り付けられていた。ベッドの上に横たわるのは、白い肌に透き通るような金髪、熱があるのか僅かに赤らんだ頬を見せる。

 

 「ア、アリス……?」

 

 見紛うはずがない。それは、芭串がこの世の誰よりも愛する、命を懸けても会いたいと思っていた、世界にただひとりの妹だった。

 なぜこんなところに妹がいるのか。あの点滴は一体なんなのか。今の体の具合はどうなのか。3年の時間が過ぎているのに以前と姿が全く変わらないのはなぜか。そんな瑣末な疑問は、二度と会えないと思っていた妹を前にして吹き飛んだ。芭串は、ただ目の前に妹がいることに涙を流すほど喜んだ。

 モノクマが木槌を振るう。入札が始まった。しかし誰も札をあげない。アリスは不安そうに周りを見る。芭串が近付こうとすると、警備員モノクマに止められた。時間はどんどん過ぎていく。モノクマたちは誰一人アリスに興味を示さない。

 

 「お、おい!待て!ふざけんな!話せテメエら!待ってろアリス!くそっ!邪魔すんなあ!!」

 

 再びモノクマが木槌を振るった。時間切れの合図だ。誰一人アリスに札をあげるモノクマはいなかった。係員がベッドの枠に触れようとしたそのとき、芭串は警備員モノクマを振り切った。邪魔なモノクマたちを蹴飛ばし、かき分け、飛び越えて、一直線にステージに駆けていく。

 係員モノクマはそんな騒ぎなどどこ吹く風の態度で、粛々とベッドをダストシュートに運んでいく。芭串は一心不乱にベッドにしがみつく。それでもモノクマは止まらない。たったひとりの力で止めることはできない。モノクマが木槌を振るう。

 

 皆様!ご覧ください!これぞまさに兄が妹を想う美しき愛です!今まさに自分の命が奪われようとしているときに、彼は我が身を顧みず愛する妹を救うため死地へと飛び込んでいるのです!ああ!か弱き妹の寝るベッドはどこまでも深き虚穴へ!兄はそれでも妹を救わんと堪えています!うぅっ……失礼、ですがこの健気な光景を前に、いったい誰が涙を禁じ得ましょうか!

 それではこの美しき兄妹愛、1万から!

 

 モノクマが木槌を振るう。どよめいていたモノクマたちはすっかり席に戻っていた。ダストシュートに落ちないよう必死に踏ん張る芭串を前に、モノクマたちは目を見張る。どよめきはざわめきに、ざわめきは興奮に、そして興奮は——哄笑に変わる。

 なんて無様だ!もう死にかけの娘のために命を擲とうとするなんて愚か者のすることだ!

 なんて見苦しい!自分こそ裁かれるべき殺人鬼のくせに一丁前に愛を語るつもりか!

 なんて往生際の悪さ!もはやどちらも助からないのに、この後に及んでまだ生き延びられると思っている!

 滑稽!醜悪!卑劣!モノクマたちは腹を抱え、大口を開け、涙を流して大笑いする。客も係員も警備員も司会者も、耳が割れそうな笑い声が響き続けた。

 モノクマが木槌を振るう。応札はない。モノクマが指示を飛ばし、係員モノクマが芭串に躙り寄る。そしてその背中を容赦なく蹴り飛ばした。

 

 「ッ!」

 

 何が起きたか理解する暇すらなく、芭串はダストシュートの下に落ちて行った。目隠しカバーが戻ったダストシュートの中を窺い知ることはできない。会は粛々と進む。価値のないものは全てゴミ箱に捨てて。

 


 

 「聞きたいことがあります」

 「なっ、なんだよ!まずはボクが高笑いしてからだろ!順番守れよ!」

 「そんな順番はありません。そんなことより、僕たちは本当に全ての謎を暴いたんですか?」

 「はァ?」

 

 凄惨な処刑の後、モノクマが笑い出す前に尾田君が口を開いた。これ以上付き合っていられない、といううんざりした顔だ。さすがの彼も、何度も繰り返されるコロシアイに疲れてきているみたいだ。

 そして、おかしなことを尋ねた。彼らしくもない、自信なさげな質問だ。

 

 「そりゃそうだよ!理刈サンが陽面サンを殺して、その理刈サンは自殺して、芭串クンが月浦クンを殺して漁夫の利を狙った!そういう事件なんだよ今回は!おかしいところなんて何もないよ!」

 「本当ですか?本当にそれでいいんですね?」

 「なんだよこのやろー!それじゃまるで、ボクがまだ何か隠してるみたいじゃないか!このコロシアイ生活にボクが直接介入したら収拾つかなくなるだろ!」

 「……そうですか。それでいいならいいです。僕も考えを改めるだけですので」

 

 尾田君はそれだけで会話を終えて、無言でエレベーターに向かって行った。これ以上精神的に私たちが消耗しないようにモノクマに何も喋らせないようにしたのか。尾田君がそんな気遣いをするとは思えないけれど。

 

 「あーあ、興が覚めちゃった。エレベーターを動かしておくから、オマエラさっさと帰って寝な。ボクは憂さ晴らしにダメクマをいじめるからさ。ここから先はオトナな時間だよ!」

 「えっ?えっ……アッーーー!」

 「見てらんねーアル」

 

 私たちは尾田君に続いてエレベーターに乗り込んだ。戻るまで口を開く人はいなかった。みんなうんざりしてるんだ。コロシアイ、裁判、処刑——そしてまた異常な日常に戻る。そんな繰り返しに。

 

 「負けるもんか……!」

 

 それが誰の口から出た言葉か、聞き取れなかった。だけど、やけにはっきり聞こえたのだけは覚えている。




レインコードをクリアしました。
ダンガンロンパシリーズが好きなら楽しくプレイできると思いますよ。


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第五章 豚は天を望めない、されど果実を希う
(非)日常編1


 

 ——私たちをこんなところに閉じ込めてコロシアイなんてさせてるのはモノクマだ!全部全部、あいつが悪いんだよ!——

 

 悪いのはモノクマだ。そう言い切ったあの横顔は、恐怖と絶望に侵されながらも、決して希望を失わない強い意思を湛えていた。明日の平和さえ不安定なこの極限の世界で、未来を諦めることもせず、過去を忘れ去ってしまうこともせず、今のただ業務的に生きることもしない。それがどれだけ難しいことかは、まだ死んでいない皆んなを見れば分かる。

 自分の中に強い芯を持っている人はモノクマの絶望に流されず必死に抗いつつも、一歩を踏み出せないままの状況にフラストレーションが溜まってきている。それはいつか暴発して、自分自身か横に並ぶ誰かを傷つける。芯を持てずにモノクマに翻弄される人は、なんとか心の拠り所を探してそれに没頭したり溺れたりすることでかろうじて自分を保っている。いつか限界が訪れたとき、その人たちには何も残らないんだろう。

 

 「希望……うん、希望だ」

 

 私たちにいま必要なのは、強烈な希望。絶望なんか跳ね除ける圧倒的な輝き。明日もきっと頑張れると前向きになれる奇跡的な導き。隣にいる誰かに安心して背中を任せられる絶対的な信頼。それを与えられる誰かだ。それはきっと、あのときああいうことが言える人なんだろう。

 私に何ができるか。みんなのためにできることなんて、私にはない。願わくば、私のしようとしてることがみんなの足を引っ張らないようにと祈る。もしできるなら、烏滸がましい願いかも知れないけれど、私のしていることがみんなの助けになったら、どれだけ幸せなことだろう。

 

 何もできない私に残された一縷の希望——果たしてそれは、()()()の希望になるのだろうか。

 


 

 机の引き出しを全てひっくり返しても、ゴミ箱の中を引き摺り出しても、タンスの中もトイレの中もシャワールームもキャンバスの裏も、ありとあらゆる場所を探した。やはりない。どこにもない。処分した形跡すらないということは、芭串は理刈の遺書を持ち去ってそのまま持っていたということだろうか。

 その心理は分からないでもないが、決定的な証拠を裁判場に持ち込むリスクを冒すとは、つくづく愚かな選択をしたものだ。あまり期待はしていなかったが、芭串はモノクマに処刑されて跡形もなく消えてしまった。おそらくただ芭串を処刑するというだけでなく、所持品ごと処分したかったのだろう。

 事件の真相を疑っているわけではない。理刈が追い込まれていたことも、月浦と陽面が殺される理由も納得できる。芭串が、つい魔が差して殺人を犯したこともまあ分かる。問題は、()()()()()()()()()()()()()()()が解決しないまま、モノクマが事件の全容解明を宣言したことだ。

 

 「……」

 

 理刈が睡眠薬を飲んで自殺を図った。そしてモノクマに処刑された。辻褄が合っているように思えるが、そうすると芭串の証言は不自然だった。遺書を見つけたとは言え、芭串は現場を見て理刈が自殺したことをすんなり受け入れている。いかに考えなしの男とはいえ、あの状況で何の疑いもなく自殺を受け入れはしないだろう。つまり、芭串が最初に理刈の死体を発見したとき、理刈の腹に槍は刺さっていなかった。いや、もしかしたら床に寝てすらいなかったかも知れない。

 だとすればさらに矛盾が生じる。芭串にモノクマの槍を用意することはできないし、そんなことをする意味もない。そこから薬品庫にダミーの薬を取りに行く時間もない。ならあの控室の状況は何か。まだいるのだ。あの事件に介入した者が。それはモノクマにしか扱えない槍を扱うことができて、何より()()()()()()()()()()()()()()。これはコロシアイ——学級裁判の前提を揺るがす特権だ。そんなものが与えられているのは他でもない、モノクマだ。しかしそんなリスクをモノクマが負う必要はない。自分の手足となる者がひとりいればいい。

 これまで何度も感じてきた違和感。あのとき、なぜモノクマはあんなことを言ったのか。なぜ知っていたのか。なぜ間違えたのか。その答えは明白だ。

 

 まだ生き残っている8人の中に……いや、自分を除けば7人か——その中に、モノクマと通じている者がいる。

 

 考えていなかったわけではない。モノクマを操っている黒幕が何人いるかは分からないが、直接監視することができる人物は欲しい。人間が複数集まれば何をしでかすか分からない。その結束を歪め、反発心を潰し、考える力を奪うためには、直接働きかける者が必要だ。

 

 「どうせ彼が気付いていないわけがないし……敢えて黙っているのはやはり警戒しているからか」

 

 さて、どうやって炙り出していこうか。

 


 

 学級裁判が終わったあと、私たちは疲れ切った体を引きずるようにふらふらと自分の部屋に戻った。私も、湖藤君を部屋に戻した後で自分の部屋に戻った。そのままベッドに倒れ込んで、自分でも気付かないうちに眠っていた。

 次に目を覚ましたとき、ただでさえ狂う時間感覚は完全に失われていた。ただ、喉の渇きとゴロゴロ鳴るお腹で、相当な時間が経ったらしいことが分かった。雑に横になったせいで体は休まり切ってなくて、重い体を起こして食堂に向かった。目覚めはやけにすっきりしていた。

 

 「あっ……奉ちゃん。おはよう?」

 「風海ちゃん。おはよう?」

 

 時計の針は11時を過ぎていた。それがお昼の11時なのか、夜中の11時なのか、それも曖昧だ。私も風海ちゃんもなんとなく挨拶に疑問符を付けた。言ってから考えて、どっちの11時でもおはようはおかしいね、と笑った。

 

 「なんか、すっきりした顔してるね」

 「うん。昨日まで色々考えてたんだけど……なんか、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、今回の事件で、ようやく分かったんだ。私たちはみんな、いつでも芭串君みたいになり得るんだって。今までだって、私たちより先に誰かが行動してただけで、いつまでもこう着状態が続いてたら、どうなってたか分からないんだって」

 「怖い話しようとしてる?」

 「違うよ。最後に絶望で終わる物語じゃないよ」

 「じゃあなに」

 「だから、別に芭串君とか、虎ノ森君や岩鈴さんや月浦君が特別なわけじゃないんだって。みんな同じなんだって。みんな同じ、モノクマの被害者なんだって……思えるようになったんだ」

 「被害者、か……」

 「うん。だってみんな、もしこんなところに閉じ込められたりしてなかったら、誰かを殺したり陥れたりしようなんて考えもしないはずだもん。全部全部、モノクマが悪いんだ」

 

 きっとそうだ。私だってここに来るまで、自分が死ぬかもしれないとか、誰かが殺されるかもしれないとか、誰が殺人犯かなんて考えたこともなかった。そんな状況を作ったモノクマが悪い。モノクマだけが悪い。だから私たちは、もうお互い疑心暗鬼になったりする必要はないんだ。私たちの中に、今なお殺人を犯してみんなを出し抜こうなんて考えてる人がいるはずがない。それができないってことは、もう4回も証明された。私たちは、一緒にモノクマを倒すために戦う、仲間なんだ。

 

 「やっぱり、ここにいましたか。ちょうどよかった」

 「あっ、尾田さん。おはよう」

 「あなたは夜におはようと言うんですか。変な人ですね」

 

 夜だったみたい。尾田君の嫌味なんかで知りたくなかった。

 

 「お腹減ったから食堂来ようと思って歩いてたら、劉劉(リュウリュウ)がみんな連れて歩いてたからついてきたヨ」

 「ぼくは部屋に呼びにきてくれたよ。わざわざ尾田君がそんなことするなんて珍しいね」

 「手前はもう寝るところだったのですが、何やら重要そうなお話だということなので、王村さんも連れて参りました」

 「んだよもう……おいらァ眠てェんだ」

 「十中八九、よくない話だろうがな」

 「ええ。すぐに済みます。これ以上ややこしいことにはさせたくありませんので」

 

 何かと思ったら、尾田君が私と風海ちゃん以外の全員を連れて食堂に来た。ただでさえ単独行動が多い尾田君が、人数が減ったとはいえみんなに声をかけて回ったというのは意外過ぎて目を丸くした。毛利さんの言うとおり、私も全く良い予感はしてない。椅子にも座らずに私たちを眺める尾田君に、私は体を強張らせて身構える。

 

 「何と言う話ではありません。全員が知っておくべきで、なおかつボクとして意思表示をしっかりしておく必要があると思ったので、全員に集まってもらっただけです」

 「大したことねェ話なら明日でいいんじゃねェか?今日は裁判までやってヘトヘトだぜ」

 「あなたは裁判でも何もしてないでしょう。ほとんど僕と湖藤クンだけで解き明かしたようなものです」

 「そんなことないよ。甲斐さんもがんばってくれたよね」

 「えっ、わ、私は別に何も……」

 「御託はいいからはよ話すヨロシ!ワタシはお腹ペコペコヨ!」

 「では単刀直入に言います」

 

 もう一度、尾田君は私たちを見た。その視線は、なんだか私たちひとりひとりの心の底まで覗き込むような、深い疑念にまみれた視線だった。彼の口の動きがいつもより遅く感じられた。でも声だけはいつもと変わらない速度で私の耳に届く。

 

 「この中に、モノクマの内通者がいます」

 

 ——私たちは、一緒にモノクマを倒すために戦う、仲間なんだ。——

 

 誰かの言葉が脳裏を掠める。眩しいほどに前向きで、弱った心を励ますほど力強くて、吹けば飛んでしまうほど軽々しくて、何の根拠もない薄っぺらな、どこかの誰かの空虚な言葉。

 


 

 私は頭を思いっきり叩かれたような衝撃を感じた。本当に叩かれたわけでもないのに頭の奥に鈍痛が広がる。周りの人たちがどんな顔をしているか気にする余裕もない。私は、自分の心を支えるので精一杯だった。

 

 「な、内通者あ?それって……えっと、モノクマのスパイ……ってこと?」

 「呼び方はなんでも構いません。きちんと説明すれば、僕たちと同じようにモノクマに拉致監禁されているというふりをしながら、モノクマと協力してコロシアイに加担している人が潜んでいる、ということです」

 「なんと……!?そ、それは確かなのですか……!?どうしてそんな……!いったい誰が……!?」

 「待て。尾田よ、内通者がいるというのは確かか?その根拠はなんだ」

 

 ざわつきかける私たちを、毛利さんの言葉が抑える。そうだ。尾田君の言葉はいつだって真実を暴く。だから今の言葉も無条件に受け入れそうになっていたけど、まずはそう思う根拠が必要だ。いい加減なことを言う人じゃないけど、彼は自分の目的のためなら平気で人を騙す人だ。慎重にならなくちゃいけない。

 

 「もちろん根拠はいくつかあります。分かりやすいもので言えば、モノクマがその存在を隠蔽しているということです」

 「なんだと?」

 「理刈サンの死の状況に疑問を持たなかったんですか?芭串クンは理刈サンの死に様を見て、自殺だと受け入れたんです。遺書があったとしても、僕らが見たような状況で自殺だと思いますか?」

 「ふーん、お腹にあんなでっかい槍がブッ刺さってて自殺とは思わないネ。ワタシだったら遺書の方を疑うアル」

 「現場に遺書がなかったということは、芭串クンが持ち去ったと考えるのが自然でしょう。芭串クンにとっては理刈サンが自殺ということを隠したかった方が、事件が入り組んで都合が良いですから。ということは逆に、芭串クンが発見した現場は遺書があると自殺だと判断できる現場だったのです」

 「……あの現場がそうだとは思えないね」

 

 なんだか、学級裁判の続きみたいになってきてしまった。そう言えば、裁判の途中で理刈さんの遺書の話があったけど、それがどこに行ったのかまでは議論してなかった気がする。芭串君が持ち去ってしまったのなら、彼が処刑されるのと同時に遺書も失われてしまっただろう。

 

 「つまりです。芭串クンが最初に見た現場と、僕たちが見た現場は異なるということです。前者は理刈サンが自殺したままの現場、後者は何者かの手が加えられた現場です」

 「そ、その……何者かってのがァ、内通者ってことか?」

 「ええ。理刈サンを床に倒して、モノクマにしか扱えない槍を腹に突き立て、薬品庫からダミーの薬を持ってきて——これはモノクマからの指示で予め用意していたかも知れませんね——理刈サンの自殺を隠蔽しようとした人物は確実にいます」

 「お、おいらァてっきり芭串がやったもんだと思ってたけど……ちげェのか?」

 「突発的な犯行をしたに過ぎない彼にそこまでのことができるとは思いません。何より、槍を用意できません」

 「……いや、待て尾田。お前の推理はおかしいぞ。そうだとすると、その内通者は芭串が現場に入った後に現場を訪れたんだろう?だとすると、陽面や月浦の死体も発見しているはずだ。なぜそのときにアナウンスが鳴っていないんだ?」

 「そんなもの、内通者だからに決まっているでしょう。内通者に対して死体発見アナウンスのカウントを有効にしていたら、偽装工作中に誰かが現場に来てしまいかねない。それを防ぐため、内通者が内通者として行動するときは、死体発見アナウンスのカウントから除外しているんです」

 「な、なにそれ……!?そんなの……ルールが違うよ!」

 

 死体発見アナウンスから除外されるなんて、そんな特権的な地位を持ってるなんて、内通者が自由に動けすぎる。そんなことをされたら、まさについ今朝までやってた裁判の推理の根幹が揺らぐ。死体発見アナウンスの信頼性が崩壊する。

 そんな人が、私たちの中にいる。尾田君の話す推理を聞いて、疑ってかかろうと思っていた気持ちはすっかり削がれて、すでに誰が内通者かを考え始めてしまっていた。

 

 「だ、だれが内通者なんでェ!ちくしょうめ!ずっとおいらたちを騙してやがったんだな!」

 「おい。やめろ王村。そうやって互いを疑いあってはモノクマの思う壺だ」

 「でしょうね。内通者はその存在を知られようと知られまいと強力なカードです。むやみにモノクマの策略に乗ってやる必要はありません」

 「ま、奉ちゃん……ど、どうしよう……?」

 「ううぅ……」

 

 頭だけじゃなくお腹も痛くなってきた。なんでこうなっちゃうの。もうみんなで疑いあってる場合じゃないって、団結しようって決めたそばから邪魔が入る。内通者の存在なんて知らなければ、私たちはみんな結束できた。モノクマをたったひとりの敵として手を取り合えたはずだ。それなのに、よりにもよって内通者なんて……。

 なんで……!なんでなの……!?いい加減にしてよ……!

 

 「尾田君……!なんで……そんなこと言うの……!」

 「はい?」

 「ふざけないでよ!なんで内通者のことなんか言うの!私たちは一致団結してモノクマに立ち向かわなくちゃいけないんだよ!?私言ったじゃん!みんなモノクマの被害者なんだって!それなのに、なんで邪魔するようなこと言うの!?なんで私たちを疑い合わせるようなこと言うの!?空気読んでよ!バッカじゃないの!?」

 「……」

 

 私の怒鳴り声が食堂にじんわり広がった。それきり、みんなの声は聞こえなくなった。はっとして見渡すと、尾田君と目が合った。これ以上ないほど冷ややかな、軽蔑するような、落胆するような目だった。

 

 「はあ……だから感情でしか話せない人は嫌いなんです。話になりません」

 

 そう言って、尾田君は踵を返した。

 

 「言うべきことは言いました。どう受け止めるかはあなた方次第です。そして、今後の身の振り方には気をつけた方が良いでしょう」

 

 私たちの方には目もくれず、尾田君はそのまま食堂を出て行ってしまった。言いたことだけ言って、何のフォローもせずに出て行った。繋がりかけていた私たちの絆をずたずたに引き裂いて、悪びれもせず——それどころか私に捨て台詞まで吐いて——出て行った。

 

 「なんなの……?もう、いやだよ……!せっかくみんなが一つになれそうだったのに。ね、風海ちゃん」

 「う、うん……まあ、そうだね」

 「イヤイヤ、今のは奉奉(フェンフェン)が悪いヨ」

 「え?」

 

 みんな共感してくれると思ってた私に、意外な言葉が飛んできた。私が、悪い?

 

 「内通者が本当にいるか分からないけど、いたっていなくたってそんなこと言うのは劉劉(リュウリュウ)にとってリスクしかないアル。本当にいたら狙われるし、いなかったらただ疑心暗鬼になるだけネ」

 「……だ、だったらなんでそんなこと言うの?わざわざそんなことするなんて……尾田君が私たちを疑心暗鬼にさせたいだけなんじゃないの?」

 「言うメリットの方が大きいから……少なくとも劉劉(リュウリュウ)がそう判断したってことネ」

 「言うメリット?」

 

 どうして長島さんは尾田君の味方をするんだろう。どう考えたって私たちがお互いを信じられないこと以上に悪いことなんてない。そうなることに何のメリットがあるって言うの?そんなの、尾田君が勝手に思ってるだけじゃないの?尾田君にとってメリットがあるっていうだけじゃないの?そんなのじゃ納得なんて——。

 

 「内通者にワタシたちの結束を邪魔させないよう牽制する……言っちゃえばそれだけアル」

 「……結束?」

 「そうヨ。隣にいる人を無条件に信じるなんて危険ネ。どんなに信頼がおける人でも、いつ心変わりして裏切るか分からないアル。それは今までのことで奉奉(フェンフェン)もよくわかってるはずヨ」

 「それは……そうかも、知れないけど……」

 「でも、隣にいる人が裏切るかも知れないって思いながらでも、手を組むことはできるヨ。疑って疑って疑った後にちょっとだけ歩み寄るのは、信じるよりも難しくて固い結束になるネ。自分の身を守ることもできるしネ」

 「ずいぶんと尾田の考えを理解しているんだな、長島」

 「経験則アル。ワタシはみんなより経験豊富なおねーさんだからネ」

 「なんの経験だァ?」

 

 そんなの、詭弁だ。尾田君に都合の良い解釈を無理にしてるだけだ。そう思った。思おうとした。でも、長島さんの声には無視できない重みがあって、説得力があって、本当にそうなのかも知れないって思わせる力があった。

 疑うことが信じるよりも固い結束を産むなんて、矛盾してるような……でも納得できるような。

 

 「ぼくも長島さんに賛成だな。今さら尾田くんが、敢えてぼくたちの仲を乱す意味はないよ。内通者がいるかも知れないって思ってるだけでも内通者の行動はかなり牽制できる。それでも特権的な位置にいることは変わらないけど……」

 

 湖藤君まで、そんなことを言う。毛利さんも王村さんも風海ちゃんも庵野君も……みんなおおむねその意見に賛同してる。私たちの中には内通者がいる。尾田君はそのことに警鐘を鳴らしてくれた。結果的に疑心暗鬼になってしまったとしても、何も知らずにいるよりよっぽど良い。

 さっきまで湧き上がってきていた勇気はすっかり萎れて、なんだか一人ぼっちになってしまったような気になってきた。みんなが尾田君に騙されてるの?私が意地になってるだけなの?私は誰を信じればいいの?私は……私を信じていいの?

 


 

 次の日の朝、と言ってもいつ寝たのか分からないから今が朝なのかどうかもなんだかよく分からない。気が付いたときには、自分の部屋のベッドに仰向けに倒れていた。服も着替えず、シャワーも浴びないまま。昨日のことをぼんやり思い出して、寝起きから最悪な気分になる。

 内通者……その存在が私たちの疑心暗鬼を加速させる。そんなことなら、内通者が存在することなんて知らなければよかった。そう思ってるのは、どうやら私だけだったみたいだ。みんな少なからず困惑していたけれど、おおむね尾田君の指摘を歓迎していた。知らないまま騙され続けるより、知った上で疑い合った方がマシだって。

 

 「……」

 

 せっかく前向きになりかけていた心がまた下を向き始める。それを自覚していても、前を向かせることも上を向かせることもできない。せいぜい、これ以上マイナス思考にならないよう自分で自分の気を休めるくらいのことしかできない。私ってこんな暗い性格だったんだ、と自己嫌悪に陥る。

 深いため息を吐いたのを合図にしたように、ドアを叩く音がした。

 

 「奉ちゃーん?起きてるー?」

 

 風海ちゃんの声だ。朝だから呼びにきたんだろう。たまに疲れが溜まって私が寝坊したときは、風海ちゃんが私の部屋にくることもある。最近は特に頻繁になってきた。私はのそのそ起き上がってドアを開けた。

 

 「わっ、すごい顔」

 「昨日あのまんま寝ちゃったから」

 「モノクマがみんなを呼べってうるさいんだ。たぶん、また新しいフロアの開放だよ」

 「んん……顔洗ったら行く」

 

 学級裁判が終わった次の日の朝、モノクマはこの希望ヶ峰学園のフロアを1つ新しく私たちに開放する。はじめは分館の2階、次はこの本館、その次は分館の3階。3階にはまだ上に行く階段があったから、今回は4階だろう。いったいいつまでこれが繰り返されるんだろう。うんざりする。

 風海ちゃんにはすぐ行くことを伝えて、洗面所に行って簡単に身支度を整えた。シャワーも浴びたかったけど髪を乾かす時間がないから簡単に濡れタオルで全身を拭いて、服を着替えて寝癖を直した。なんだかだんだん身だしなみが雑になってきた気がする。閉鎖空間にいるストレスだろうか。

 

 「よしっ」

 

 まあこんなもんでしょう、くらいの納得感で私は部屋を出た。待たせるとモノクマがどんな嫌がらせをしてくるか分からないし、尾田君にどんな嫌味を言われるか分からない。あの人の方が内通者よりよっぽどモノクマと気が合いそうだ。

 食堂にはすでに私以外の全員が集合していて、私のことを特に温かくも冷たくもない目で迎えた。昨日あんなに揉めたのに……揉めたからこそだろうか。

 

 「おっ!やっと来たねねぼすけさん!まったく、夜遅くまで起きてるから朝が弱くなるんだよ!たっぷり8時間30分睡眠が一番効率良いんだから!寝る前にはバッテリーをちゃんと確認しておいてね!」

 「何の話?」

 「手前たちを全員集めたということは、新たなエリアの開放なんですね?」

 「その通り!うぷぷ!庵野クンも分かってきたようだね!それじゃあみんな!4階階段前に集合!便利な呪文で一気に行っちゃおう!」

 「ダンジョンならそうかも知れないけどね」

 


 

 「よいしょ〜!」

 「なんだか一瞬だった気がするなァ」

 

 私たちは3階の階段前に集まった。シャッターで塞がれていた上への階段は開放されていた。もちろん湖藤君のための昇降機もついている。前に見たときはついてなかったはずだから、わざわざ後から取り付けたみたいだ。そんなに簡単なことじゃないはずなのに、ゲームみたいにポンと付けてしまうモノクマの力はどうなってるんだろう。

 

 「毎回毎回ちょっと期待してるのに、どうしてキミはこうもしぶといかなあ。面倒くさい奴だよまったく」

 「え?それぼくに言ってる?ひどいなあ。好きで歩けないわけじゃないのに」

 「さあねー?湖藤クンがそう思うならそうなんじゃない?オマエの中ではな!」

 「誰がどう聞いてもそうとしか思えないだろう。湖藤、手伝うぞ」

 「あ、いいよ毛利さん。私がやるから」

 「いつもごめんね、甲斐さん」

 

 昇降機に湖藤君を車椅子ごと乗せて、ボタンを押して動かす。ゆっくり動く湖藤君に合わせてなんとなくみんなゆっくり階段を昇るなか、尾田君と長島さんだけはさっさと行ってしまう。尾田君は自分のことしか考えてないからで、長島さんは意味のない気遣いはしないからだ。同じことをしてても違う印象を持つくらい、私は二人のことをよく知っている。

 なんだかんだで、もうずいぶん長いことみんなと一緒に暮らしている。他愛無い会話に花を咲かせ、命を懸けた修羅場を何度もくぐり抜けてきて、取るに足らないじゃれあいもして、時には本気で相手を攻撃したこともある。

 

 「ありがとう、甲斐さん」

 

 けれど最後には、いつもこんな風に屈託のない笑顔が迎えてくれる。湖藤君がいたからってわけじゃないけど、湖藤君がいると私の心が安らいでいくのが分かる。癒されるってこういうことなのかな。何と言うか、私はここにいていいんだって安心できる。非情に友達を見捨てたことを肯定してもらえるような、そんな感覚がする。

 

 「遅いですよ」

 

 どうやら私たちが上がってくるまでモノクマが5階の開放を待っていたらしい。尾田君と長島さんはちょっとの時間だけだけど待ちぼうけを食らっていた。

 階段を上がった先にはガラスの扉が立ち塞がっていてその向こうはなんだかやけに明るかった。目に刺さるような眩しい光じゃなくて、日差しのような温かみを感じる光だった。全員集まったことを確認して、モノクマが扉を開く。しっかり湖藤君が通るのに十分な幅までガラス扉が広がると、その向こうに新しいエリアが広がっていた。

 


 

 「むあ〜〜〜」

 

 上を向いた風海ちゃんの口から、そんな声が漏れる。高い。どこまでも高い。少なくとも今まで私たちが暮らしていた学園の中のどこよりも天井が高く伸びていた。天井を見上げる私たちの視界を遮るように、いくつかの丸が空中に浮いている。いや、あれは浮いているんじゃなくて、天井から吊るされてるんだ。つい最近、似たようなものが落ちてきたのを知ってるからか、みんなその下をなんとなく避けているようだった。

 上を見れば果てしなく、横を見れば情報量が多すぎて何がなんだか分からなかった。直線ばかりで構成された道は碁盤の目のように広がり、いくつもの区画を作っていた。区画のひとつひとつは色んな種類の木々が並ぶ大きさで、それだけでちょっとした林みたいになっている。

 真っ直ぐ伸びた道の先には、やたらと古めかしい日本家屋が建っていた。誰かが住んでいてもおかしくないような雰囲気だ。それが学園の1フロアにあるというのだから、こんなに不気味なことはない。

 

 「うぷぷぷぷっ、驚いた?これこそボク自慢の空中庭園!どこまでも広がる無限の空間にこれでもかと植物を植えちゃいました!よく見る花や花粉ムンムンの木、毒性植物に食虫植物、世にも珍しい世界に一つだけの花だってあるよ!」

 「無限の空間なのか!?どうなってんだ!?」

 「無限なわけないよ。ここは希望ヶ峰学園の中なんだよ。確かに広いけど……」

 「この広さだって十分意味が分からないだろう。希望ヶ峰学園はこんな空間の存在を許すほどキテレツな造りはしていなかったはずだぞ」

 「3年もあったら色々変わるんだよ」

 「変わりすぎだよ!?理事長はご乱心!?」

 「毒性植物もあると言いましたね。つまりそれは……」

 「別に摘んでもいいけど、だったら地下の薬品庫から取ってきた方がいいと思うよ。素人が簡単に扱える毒なんてたかが知れてるんだからさ」

 「そりゃそうヨ。摘んでもいいならフルーツもぎもぎしてもいいカ?」

 「うん、いいよ。完全無農薬栽培だからそのまま食べられます!お肉なんか食べなくてもここにあるものだけで生きていけるかもね!」

 「肉は食いてェなァ」

 

 長島さんは何を考えてるんだろう。こんなところにある果物なんてわざわざ食べたいと思わないけどな。

 

 「いちおう忠告しておくけど、このフロアは柱や壁が少ない分、とっても広いからね。迷っても出口は一個しかないから気をつけてよ。ま、もしかしたらフロアの奥で何か見つかるかも知れないけどね」

 「奥っていうか、あそこになにか見えてるんだけど」

 「気になるなら行ってみたら?このフロアについてボクからは以上です!それじゃあがんばってね〜!」

 「頑張ってって何を……?」

 

 意味深なことばかり言って、モノクマは林の向こうに消えて行った。無限なんていう言葉を真に受けるわけじゃないけど、その表現に説得力を感じるくらいには、この空中庭園は広かった。空中というのに4階は低いような気がするけれど。

 

 「よーし!探検行こう!」

 「危機感というものがないのかお前は。モノクマがまともな植物園を用意してるはずがないだろう」

 「こういうところ来ると、取り敢えず全種類を見て回りたくなっちゃうよね。水族館とか動物園とかも。一筆書きで行けるルート探そうとしちゃうよね」

 「そのあるあるはちょっと分かるけども」

 「庭園自体は広いので、あの奥にある建物を調べる班と庭園を調べる班に分かれるのはいかがでしょう」

 「構いませんよ。僕は庭園を調べます。建物の中は何があるか分からないので、何があっても構わないという人が行けばいいと思います」

 「すぐそういうこと言う。そんなんじゃ誰も行きたがらないよ」

 「お、おいらも酔い覚ましに外にいようかな……屋敷の部屋とか壁が回転したら酔っちまうし」

 「なにそれ?」

 

 話し合いの結果、4人ずつの2班に分かれることになった。私と湖藤君と庵野君と風海ちゃん、尾田君と王村さんと長島さんと毛利さん。ちょうど男女半分ずつだ。尾田君がさっさと外の探索に行ってしまったから、私たちはお屋敷の中を探索することになった。

 お屋敷は土間があって床が一段高くなっていた。このままじゃ湖藤君が入れない。そもそも板張りの床に車椅子は傷がつくから上がれない。当たり前みたいに庵野君が湖藤君を車椅子ごと持ち上げたから慌てて降ろさせた。仕方なく、私と湖藤君はお屋敷の裏に回り込んで外から建物を調べることに。風海ちゃんと庵野君は中を調べてもらうことにした。

 

 「古く見せてるけど、新しい建物だね」

 「そうなの?」

 「ここは室内だし植物を育てるために室温や湿度が一定に保たれてる分、普通の建物よりは劣化の具合がマシだと思うけど、それにしたってこれは新しいよ。たとえるなら……未開封で保存してた1年前のパック牛乳と新品のパック牛乳ぐらい違うかな」

 「お腹壊しそうな喩え。っていうことは、これはモノクマがわざわざ新しく建てたものってこと?」

 「ただの空中庭園だと味気ないから急遽追加したのか、何か他の意味があるのか……突貫にしては丁寧な仕事だから、どうも急いでる感じじゃないみたいだけど」

 「そんなことまで分かるの?」

 「そりゃあ、ぼくは“超高校級の古物商”だからね。むしろこれが本職だよ」

 「あ、そっか。忘れてた」

 「ひどいなあ」

 「だっていつも超能力者みたいなことしてるし、なんかそれっぽいことも言うから」

 「超能力は本当だよ。ぼくはサイコメトラーさ」

 「そういうところだよ」

 

 建物の裏は漆喰の壁に囲われていて中の様子が分からない。屋根から推測できるお屋敷の大きさもさることながら、庭にあたる部分の広さもなかなかだ。壁は空中庭園の端っこまで続いていて、反対側に回り込むことはできない。仕方ないからお屋敷の正面を通って反対側を覗いてみるけど、やっぱり同じ光景が続いているだけだった。

 

 「分かることはなさそうだね」

 「うん……ただのオブジェ以上の意味はなさそうだ」

 「中の二人は大丈夫かな?」

 「行ってみよっか」

 

 またお屋敷の正面に回り込んで、私だけがお屋敷の中に入っていく。湖藤君は車椅子でも移動できる土間を行き来して、屋敷の中をじろじろ観察することにしたみたい。

 お屋敷の中は畳敷で襖もないお粗末なもので、唯一空間を仕切っている木製の引き戸以外は特筆することもない。風海ちゃんも庵野君も見える範囲にはいなかったから、たぶんその引き戸の奥に行ったんだろう。私は建てつけの悪いその戸を開けた。

 

 「あれ、奉ちゃん。外はもういいの?」

 

 戸を開けたら、すぐに風海ちゃんが私に気付いた。壁際に積まれている円座のひとつをお尻の下に敷いて、日陰になっている軒下であぐらをかいていた。庵野君はだだっ広い庭に降りて熱心に調査をしていた。壁に隔たれて見えなかったそこは、庭という雰囲気じゃなかった。四方を囲うはずの壁のひとつがすっかりなくなって、反対側に白黒の的が並んでいる。日本刀の切れ味を示す動画でよく見る巻き藁がピラミッド状に積み重ねられていて、ボコボコに叩かれた形跡がある案山子も何体かあった。

 

 「ここ、なんなの?」

 「武道場だよ。あれは弓道、あっちは剣道、畳の部屋は柔道かな。ちゃんと道具も揃ってたよ。危ないからって庵野さんが畳をひっぺがしてその下にしまっちゃったけどね」

 「解決方法がパワープレイすぎるよ……」

 「でも在処を知ってるのは庵野さんだけだし、畳を全部剥がすなんて他にできる人いないから、いいと思うよ」

 

 あの穏やかな顔で畳をセロテープみたいに剥がす庵野君を想像したら、なんか面白かった。確かに、今いる男子でそんなことができる人はいないだろうし、女子なら毛利さんや長島さんは畳を剥がすことはできても、あの広い中のどこにあるか分からないんじゃ、探し当てるまで続ける体力はないだろう。

 

 「筋肉は全てを解決するってこういうことなんだね」

 「違うと思うけどなあ」

 「おや、甲斐さん。湖藤君はおひとりで大丈夫なのですか?」

 「土間にいるって。外からじゃ中の様子が分からなかったから、私も見ておこうと思って」

 「それは良いことですね。ですが、ここは見た通りの場所です。何か隠してあるというわけではありません。おそらくはモノクマが単に凶器を与える口実として設置したのでしょう。先ほど凶器になりそうなものを畳の下に隠したところです」

 「ああ、うん。風海ちゃんから聞いたよ。そのやり方ならきっと大丈夫だね」

 「筋肉は全てを解決するというのはこういうことです」

 「じゃあもうそうなのかな」

 

 ふたりで打ち合わせした?

 


 

 「うん、うめえアル。なかなかイケるヨ」

 「普通に食べている!?よせそんな得体の知れないもの!吐き出せ!ペッしろ!ペッ!」

 「なにしてんだか」

 

 ふざけるならついて来なくていいのに、後ろでぎゃあぎゃあ騒がれるのは耳障りでしかない。勝手に長島が毒味をしてくれたが、どうやらここの果物は普通に食べられるらしい。まさかここで食糧庫にある分をまかなっているわけもないので、栽培していることに意味があるのだろうか。

 それにしてはこの辺りは雑木が多い。果物の成っている木も整然と並んでいるのではなく、まるで何かを隠そうとしているかのように、どこへ進んでも真っ直ぐ進めないように配置されている。モノクマはこの庭園に何かを隠している?ここはモノクマにとってどういう場所なんだ?

 

 「お、おいおい尾田。あんまりどんどん先に進むない。はぐれたら危ねェぞ」

 「僕は別にあなた方に付いて来られなくても構いません。なんなら3−1で行動してもいいですよ」

 「あのなァ、別に説教ってわけじゃねェし、この状況でおいらが頼りにならねェなんてこたァよォくわかってるつもりだ。それでも言わせてもらうぞ。おめェはとにかく人から信じられようって気が感じられねェ!そんだけキレる頭持っててもったいねェぞ!」

 「ご忠告痛み入ります」

 「ぜってェ思ってねェだろ!!」

 

 なぜ人から信じられないといけないのか。僕はいつも正しいことを言っている。少なくともやること、言うことには意味がある。なんとなく、無意味に、気の向くままになんて非合理的なことは一切していない。狭山の死体を溶かしたことに生理的嫌悪を感じる人がいることも分かる。独善的だと後ろ指を刺されることも理解できる。ただ、倫理に悖るからと言って、独り善がりだからと言って、何がいけないというのだろう。

 僕が意図したことは確かに果たされたし、それは僕にとって——ひいては彼らにとっても有益な結果を残している。そう、結果を出しているのだ。疑いようのない事実がある。敢えて隠しているのも事実だが……それでも、彼らは気付いてか気付かずか、その利益を享受している。僕を非難する一方で、僕がもたらす恩恵に預かっている。

 

 「僕に言わせてみれば。あなた方のように自分がいかに幸せかを理解せず弱者を攻撃する人の方がタチが悪いですがね。まあ、それが分かってないから幸せなんでしょうし、なおのことタチが悪い」

 「ん?なんだ?どういうことだ?」

 「言いたいことがあるなら命を懸けろ、ってことです。特にここでは自分の心臓をベットして初めて得られるものがあるんです」

 「なにを今更なこと言ってるカ。だからワタシは劉劉(リュウリュウ)を頼ってるヨ」

 「うおっ!?いつの間に!?」

 「結局たらふく食べやがった……。警戒心というものがないのかお前には——いや、ないわけないんだが……」

 「食べ物に毒が入ってるかどうかなんて散々警戒してきたから見分けられるヨ。そんなことより、また劉劉(リュウリュウ)がなんか見つけたカ?」

 「いえ、別に」

 「な〜んだ、つまんないネ」

 「おめェ、尾田のことを頼ってるってどういうことだよ。確かにこいつは頼りになるけど、だからって手放しに信頼していいやつかってェと……」

 「だってワタシの代わりに命懸けて色んなこと調べてくれてるヨ?頼らなきゃ損ネ」

 「あなたもずいぶんな強者(あくにん)ですね」

 「劉劉(リュウリュウ)ほどじゃないヨ」

 

 なるほど、これはもっとタチが悪い。この空間の本質に気付いていながら、敢えて平和ボケした連中に紛れて僕のような情報源に寄生するという……強かと言えば聞こえはいいですが、寄生される側からしたら癪ですね。かと言って誤情報を流して混乱を招いても僕にメリットはない。まあ、少なくとも僕の邪魔をしないならタダ乗りは見逃してやりますが——たとえなんであれ、この僕から奪うというのなら、それなりの代価はいつか支払ってもらわないと。

 

 「ムフフ……劉劉(リュウリュウ)、強い女は嫌いカ?ワタシは手強いヨ」

 「別にあなたに勝とうが負けようが、最終的にモノクマが倒せるならなんでもいいですよ」

 「長島はいったいどうしちまったんだ?こんな挑発的なやつだったか?」

 「挑発的というか、強かな面があったのは確かだが……まあ、私は長島も尾田も、モノクマと戦うのに不可欠な人材だとは思っている。ヒビの入りそうな均衡でも、ないよりはマシだ。今はこのままでいい」

 「おいらたちゃ別にいいんだけどよォ、こりゃまた甲斐がぶっ倒れちまうぜ」

 「確かに……あいつはなんでも抱え込みやすい気質だからな。どうしたものか」

 

 ふと聞こえたその名前に、僕は自分の機嫌が一気に悪くなったのを客観的に感じ取った。なぜか。やたらと僕に突っかかってくる口うるさいやつだ。突っかかってくること自体は共感できるからいい。なら何が嫌なんだ?

 やたらと正論と感情論を振りかざすくせに自分の意見がない空っぽなやつだ。それはそういう手合いが嫌いなだけで、甲斐という個人が嫌いな理由にはならない。

 何かにつけて落ち込んでネガティブなことを言って空気を悪くするやつだ。いやいやいや、僕以上に空気を悪くするやつなんていない。それくらいのことは僕にだって分かる。

 じゃあ、僕はあいつの何がこんなに嫌なんだ?嫌というより……腹立たしい。なぜあいつを見ているとムカムカしてくるんだ?そんなことを感じている場合ではないというのに。

 

 「分かりやすく尾田がいらついているな」

 「別にいらついてません」

 「いらついてるやつの言い方だなァ。声がトゲトゲしてるぜ」

 「劉劉(リュウリュウ)奉奉(フェンフェン)のことが嫌なんだヨ。嫌よ嫌よもナントカのうち……って日本語もあるアル」

 「ベタなからかい方ですね。思ってればいいんじゃないですか?」

 「からかい甲斐がないやつアル」

 

 こいつら、本当に分かっているのか?危機感がなさすぎる。この中に内通者がいてもおかしくないんだぞ。




1ヶ月ぶりだったので更新を忘れていました。楽しみにされていた貴い方々、それ以外のタンパク質の皆さん、すみません。
まあ1ヶ月に比すれば1時間なんて誤差よな。


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(非)日常編2

 

 巨大なモニターに映った光景を見て、赤郷は目を丸くした。黒いもやのようなものが、自分たちのいる建物に向かっている。それは人だった。一様に武装し、中には武装車や軍用機のようなものも見えた。

 

 「ありゃなんだ。どういうことだ」

 「向こうの特殊部隊ですね。思ったよりも早い到着になりやがりそうです」

 「こっちの援軍は」

 「そんなの期待してたんですか?あなたのことだから覚悟くらいできてると思ってましたが」

 「そうじゃねえよ。俺らがやられたら誰が()()を守るんだよ」

 

 くいっ、と赤郷が顎で自分たちの隣に置かれた装置を示した。静かなモーター音を微かに漏らしながら、中ではときどき泡が立っている。神秘的な光が中にあるその姿をぼんやりと照らす。いまの赤郷と青宮にとっては、命に代えても守らなければならないものだ。だが、死んでしまえばこれが無防備になってしまう。

 

 「守れねえですね。ぶっ殺されないようにしてください」

 「学者先生は無茶言うぜ」

 「俺は学者じゃねえですよ」

 

 自分の体ほどもある巨大な銃を肩に預けて、赤郷がぼやく。その間も青宮は一瞬も指を止めずに複雑なコードを書いている。たちまち建物のセキュリティを乗っ取って厳戒態勢に突入する。基地で起きた戦闘の片付けをしていた部隊員たちは、警報が鳴るやすぐさま武器をとって臨戦体制に入る。

 

 「ってことはつまり、初めからここにいる奴らは捨て駒かなんかだったってことか?」

 「失っても問題ない程度の無能ってことですね。あるいは、我々に警告を与えるためのコストかと」

 「何にしろ浮かばれねえな。胸糞の悪ィこった」

 

 うずたかく積み上がった人の山。敵も味方も死んでしまえば同じだ。こちらに銃を向けることはないが、敵にも銃を向けてくれない。ただそこに存在するだけの肉塊になってしまう。彼らは何を思って死んでいったのだろう。何に向けて銃を構え、向かってくる自分たちの姿に何を感じ、何を思って死んでいったのだろう。そこに思いを馳せるのは一種の現実逃避だろうか。あるいは弔いのつもりか。

 人の死を前にすると、赤郷はどうにも自分が詩人になったような気がして、そんな自分を客観的に観察しては小っ恥ずかしくなるのだった。

 

 「お互い様ですよ。さ、早いとこ前線に出てください。俺たちはあんたたちを信じるしかないんだ」

 「それこそお互い様だ。きっちり仕事してくっから、こっちのことは任せたぜ」

 「ええ。止めますよ。()()()()()

 

 そんな冗談(ほんき)の激励だけを交わして、互いから互いに託した。たとえこれが言葉を交わす最後の瞬間だと分かっていたとしても、二人は同じように相手を背中だけで見送っていただろう。そこにあるのは、あいつなら大丈夫、という無責任な信頼ではない。あいつなら最後の瞬間まで使命を果たそうとするだろう、という当然の期待だった。

 大地の揺れる音が聞こえる。時は近いらしい。

 


 

 内通者——少し前は裏切り者の存在も仄めかされていたっけ。結局あれはモノクマがぼくたちを疑心暗鬼に陥れるための言葉の綾みたいなものだったけど、今回は本当にそのままの意味だろう。ぼくらの中に潜んでモノクマと裏で通じている者。

 候補は何人かいる……と言っても、今の人数では絶対にあり得ないという人を除けば数人しかいない。絶対に内通者であり得ないのは、自分自身だけだ。甲斐さんや宿楽さんが内通者ではないだろうとは思うけれど、100%の自信を持って言えることなんて、コロシアイ生活にはない。そもそもその内通者はいつから内通者だったのか。初めにみんなで体育館に集まったあのときには、すでにモノクマの息がかかっていたのか。それともこのコロシアイの途中でヘドハンでもされたのか。その前はまた別の誰かが内通者だった可能性もある。

 

 「うんうん」

 

 これは疑っているんじゃない。可能性を論っているだけだ。だからぼくは、頭に浮かんでは消えていく全ての可能性を、同じくらいにしか信用していないし、同じくらいには疑っている。どこまでも合理的で論理的な思考、それこそが内通者を最も無力化する手段だ。

 それにしても内通者は自分の存在に尾田くんが気付いたことに、今朝まで気付かなかったんだろうか。少なからず探りを入れられていたはずだ。それとも、内通者の存在自体が尾田くんのブラフ?モノクマへの牽制のつもりか、あるいは尾田くん自身が内通者なのか……。そういえば。

 

 「まだ教えてもらってなかったなあ」

 「え?なにが?」

 「あれ。声に出てた?」

 「ずっと出てたよ。なんかひとりでうんうん言ってて気持ち悪かった」

 「そんな明け透けに言わなくたっていいのに」

 「また考え事でもしてたの?」

 「ちょっと、内通者のことについてね」

 

 4度目の学級裁判を終えて、新しく解放されたモノクマ自慢の空中庭園にぼくたちはいた。ひととおりの探索を終え、ここには脱出の手がかりやモノクマに対抗する手段はないという結論になった。ここよりさらに上に続く階段があった——もちろんシャッターで塞がっていたけれど——から、まだモノクマは最終決戦を始めるつもりはないらしい。最終決戦なんてものをモノクマがするつもりがあるのか、それすらも定かではない。でもこれまでの言葉の端々には、モノクマがぼくたちといつかケリをつけようとしている意図が感じられた。まるで決められた物語をなぞるように、モノクマは自由なように見えてレールの上を走っている。そんな印象を受けた。

 

 「尾田くんはぼくたち全員の前で、内通者の存在について明言した。もちろん、内通者自身は自分の存在が明るみになったことをモノクマに伝えるはずだ。そうでなくてもモノクマは見ているだろうけどね。なのに、モノクマサイドからは何の音沙汰もない」

 「触れられたくないから触れてないんじゃないの?」

 「そうえいば、尾田さんはモノクマに案内されているときにその話をしませんでしたね。彼ならあのタイミングでカマかけの一つや二つしそうでしたが」

 「それに意味があればやったかもね。どうせこっちの情報は筒抜けなんだ。頭の中で考えてることならまだしも、声に出したり文字に書いたりした瞬間にモノクマにバレてしまう。慎重にもなるさ。ぼくには、モノクマが何のリアクションもしないことの方が不思議だな」

 「意外と焦ってどうしたらいいか分からなくなってるのかも」

 

 もしかしたら内通者の存在がバレることは、モノクマにとって予想外のことだったのかも。そう思ってしまうくらい、ぼくの中のモノクマ像とリアクションが違う。まるで、中の人が変わってしまったみたいだ。

 

 「内通者がいるとしたら、湖藤さんは誰だと思う?」

 「そんなこときくものじゃないよ。もしぼくが当てちゃったらどうするの」

 「すごい自信」

 「そうでなくたって疑心暗鬼のタネなのに、余計な波風を立てさせるのはよくないよ」

 「尾田君みたいに、内通者のことなんか言うのが一番波風立たせてるよ」

 「まあ、そこはバランスを見てって感じじゃない?それに、尾田君自身が内通者っていう可能性もあるんだし」

 「……普通に考えから外してた。本当じゃん……!全員同じだけ可能性があるならそうじゃん……!」

 

 目を丸くした顔文字が宿楽さんのサングラスの表面に表示される。本当に目は口ほどに物を言う人だ。敢えて自分にとって不利な発言をすることで、自分がその発言で不利になることを誤魔化す。子どもでも扱える初歩的なテクニックだけど、それだけにこれを疑いだすと何も信じられなくなる。人は考えすぎると物事を正確に捉えることすら難しくなってくる。つまり、相手を混乱させるには有効なテクニックってことだ。

 そもそも尾田君は、ずっとぼくたちに嘘を吐いている。別に吐く必要もない嘘だと思うのは、ぼくが当事者じゃないからかな。それとも、ここを無事に出た後も同じことをし続けるつもりだからかな。うーん、これは止めるのが人として正しいのかも知れない。

 

 「人を疑うことは心地よいです。人を疑えば疑うほど、翻って自らのことは真っ当に映るものです。ですから、常に自己を顧みることが大切なのです。人に向けるべきは猜疑ではありません。『愛』ですよ。隣人を愛しなさい」

 「尾田さんに愛を向けろっていってもなあ……奉ちゃんじゃないんだし」

 「なんで私が出てくるの。私、尾田君に愛情なんてないよ」

 「うんうん。そうだね、ないね」

 「あると思ってる人の言い方だよねそれ」

 「あった方が宿楽さんにとっては面白いんだよね」

 「そらね」

 

 なんと言うか、宿楽さんも大概たくましい人だ。こんな状況で自分の趣味を大っぴらに話して、その上で楽しむ余裕も見せるなんて。庵野くんもいつもの調子を崩さないし、みんな結構神経が図太いんだなあ。むしろ甲斐さんみたいに人の感情の機微に敏感で共感しやすい、危うい人の方が珍しいみたいだ。

 

 「内通者のことは手前も気掛かりではありますが、それよりもモノクマにどう対抗するかが大切です。内通者を暴くことは直接モノクマを倒すことにはつながりません」

 「確かに。モノクマに何か弱点とかないのかな?」

 「弱点……弱いで言えば、ダメクマとか?」

 「そんな可哀想な思い出し方」

 「なにかとモノクマにいじめられてるし、なんとなく私たちにも強気にはなりきれない部分があるっていうか」

 「というより、モノクマと同じ格好をしてるってだけで、言ってることはわりとモノクマと正反対じゃない?」

 「確かに、コロシアイを止めようとしたり私たちの身を心配してたり、明らかにモノクマとは立場が違うような感じ。なんでだろ?」

 「手前どもを混乱させるためではないでしょうか?見た目では判別がつきにくいですし、最後には裏切るかも知れませんよ」

 「モノクマとダメクマに対しては愛とかないんだね」

 「あれに無償の愛を与えよというのは無理があります。有償の愛ならその限りではありませんが」

 「運営なの?」

 

 正直、ダメクマの存在はモノクマが用意したものだとは思えない。出てくるタイミングが中途半端だったし、ダメクマはモノクマと鉢合わせたときにひどく狼狽していた。まるで、モノクマに隠れて何かをしようとしていたような。ぼくらの中に内通者がいるんだとしたら、ダメクマはモノクマサイドに潜り込んだ第三者という感じ。

 それに加えて、ここが本当に希望ヶ峰学園なら、外の世界ではここを不法占拠するモノクマに対して何らかのアクションを起こしているはずだ。にもかかわらず、二つ目の動機のときにはぼくたちの親族はモノクマのお面をつけている人たちのことを何とも思っていない風な様子だった。あれが合成か判別はできなかったけど、もし合成じゃないとしたら……。

 

 「もしかしたら、ぼくたちが思ってるより、外は大変なことになってるかもね」

 「えっ」

 「一向に助けが来ないことだけでも、外の世界ではぼくたちの救出が絶望的だというのに十分な根拠になるよ」

 「そんなあ。なんでそんな気を削ぐようなこと言うの」

 「ごめんごめん。でも、何の心の準備もしないまま絶望に立ち向かうより、少しだけでもその可能性を念頭に置いておいた方がダメージも少ないと思わない?」

 「そりゃそうだけど……」

 「それに、外から助けが来るのを待つよりも、ぼくたちがここから出る努力をする方がよっぽど見込みのあることだと思うよ」

 「どうして?」

 「モノクマがそれを望んでいるからさ」

 

 きょとん、とした3人の顔が面白くて、ぼくは敢えて何も言わずににこにこしてみんなの顔を見る。

 

 「いや説明してよ!?にこにこしてないで!」

 「モノクマが手前どもの脱出を望んでいると?」

 「望んでるのは脱出じゃなくて、その手前にあるぼくたちとモノクマの決戦だよ。これまでのモノクマの発言や、裁判場での立ち居振る舞いからして、モノクマは学級裁判を通じてぼくたちが少しずつ事件や推理に慣れていくことを喜んでいる節がある。おまけに、あからさまに何か大きな謎の存在を仄めかしている。まるで、ぼくたちに解いてみろとでも言うように」

 「そんなのあった?」

 「あったあった。そろそろ、もっと露骨になってくるんじゃないかな?気付いてる人が少ないから」

 「……」

 

 ここが希望ヶ峰学園だと言ったり、明らかな超テクノロジーを惜しげも無く無駄遣いしたり、意味深な動機の数々を見せつけたり……この学園の中にある設備だってそうだ。ぼくたちに何かを訴えかけてくるようなんだ。なにか、ぼくたちが忘れてしまっている古い出来事の記憶を。

 


 

 「モノクマを倒すためにはどうすればいいと思う」

 

 まさか私がこんなことをするなんて、自分でも思っていなかった。私は、図書室で本を読んでいた尾田を見つけて、居ても立ってもいられなくなって、頭を下げた。頭を下げている間は見えなかったが、尾田が深いため息を吐いた声が聞こえた。たぶん、心底面倒そうな、見下げるような視線で私の後頭部でも見ているのだろう。ひとまず本は置いてくれた。話を聞く気があるようだ。

 

 「なんでそれを僕に訊くんですか」

 「もうこれ以上コロシアイを繰り返すわけにはいかない。モノクマが次の手を打ってくる前に、何か手を考えなければいけない」

 「それは僕に訊く理由になりません。湖藤クンか甲斐サンでも頼ったらどうですか?」

 「甲斐にできないことを私が代わりにやっているんだ」

 「意味が分かりません。質問にも答えられない人とは話したくないんですが」

 

 分かっているくせに。私になんか分からない多くのことを、おそらくこの男はとっくに理解している。もしかしたらモノクマについてもっと詳しいことを知っているかもしれない。内通者の正体だって既に掴んでいるかもしれない。だから私は、その情報を少しでも多く引き出すか、尾田が自分から話してもいいと思えるように説得しなくてはいけない。

 

 「私にはそれしかできないんだ」

 「?」

 「分かっていると思うが、甲斐はお前のことが嫌いだ」

 「ええ。自分でも笑えるくらいに水と油です」

 「一方、モノクマと戦う上でお前の力……お前の頭脳は大きな戦力になる。欠かすことはできない」

 「あなたに褒められても大して嬉しいと思いませんが、まあ事実は事実として受け止めましょう。少なくともあなたよりは役に立つでしょうね」

 「甲斐もそのことは分かっているはずだ。だが、あいつがお前とまともに話すことができるとは思えない。お前もお前で甲斐と素直に協力なんてしないだろう」

 「そんなことはありませんよ。喜んで協力します」

 「そうなのか?」

 「まずは彼女が自分の不出来さをきちんと認めて、今までの生意気かつ身の程知らずな行いや僕に対する暴言を謝罪のうえ撤回、今後は口答えをせず素直に僕の言うことに真摯に耳を傾けることを約束すると言うのなら、僕も鬼じゃありませんから」

 「今のを甲斐が聞いたら鬼のごとく怒りそうだ」

 

 そういうところだぞ、と言いそうになったのをぐっと堪えた。しかしこれで改めて——と言うべきか嫌と言うほどと言うべきか——甲斐と尾田が協力することは絶望的だと言うことが再確認できた。仮に甲斐が大幅に譲歩して今の言い分を飲んだとしても、そんな上辺だけの協力関係がいずれ破綻することは目に見えている。私は誰よりも近くでそれを見てきた。

 

 「モノクマと戦わなければいけないというのに、肝心要のお前たちがそんな状態では結束も何もない」

 「ちょっと待ってください。肝心要、というのは?僕が要というのはさっきのあなたの評価を聞けば納得はできますが、甲斐サンがなんの要になっているというのですか」

 「……情けない話だ。少なくとも私はあいつの2つも年上なのに、私たちの精神的支柱になっているのはあいつだ」

 「もう5つ上の飲んだくれがいるんだから気にすることもないでしょう。で?精神的支柱?彼女がですか?」

 「今なら、狭山が言っていたことが理解できる。私たちはともにモノクマの敵であるが、だからと言って結束できるかと言えばそう簡単な話ではない。そのためには、強烈なシンボルが必要だったんだ。狭山はそれになろうとしていた。だが……」

 「彼女は少し焦りすぎです。モノクマが殺人を唆してくる状況だったとはいえ、強引な手を使うならもっと上手なケアが必要でした。それに、消極的な戦いはジリ貧になるしかありません」

 「やつはやり方と理想を間違えた。それに、お前や甲斐、月浦のように取り込まずに協力すべき者まで無理に取り込もうとしてしまった。全てを肯定するわけではないが、学ぶべき点はあったと思う」

 「なるほど。次にあなたが拠り所に選んだのが甲斐サンというわけですか。僕が言うのもなんですが、狡猾な人ですね」

 「そんなつもりはない。ただ、私が言うよりよっぽど多くの者が付いてくるのが甲斐だと思っただけだ」

 

 私は人を評価できるような立場の人間ではない。だが、なんとなく誰が誰のことを好いていて、誰がみんなから嫌われているか、それくらいのことは分かる。その点で言えば、私たちのリーダーとなるべき人間は甲斐しかいない。

 尾田と王村は論外だ。長島は引き受けるだろうが自分のメリットを中心に考えるだろう。宿楽には荷が重いだろうし、庵野は頼もしくはあるが人の上に立つタイプの人間ではない。湖藤は能力も高くリーダーとなれる素質も十分にあるだろう。だが、敢えて自分から人を遠ざけようとする節がある。私たちとは感覚もずれているし。

 だから、消去法というわけではないが、甲斐は誰よりも感情的だ。それは、殺された者たちに、殺してしまった者たちへの共感と哀悼、モノクマへの怒りから分かる。決して感情に任せた理屈がない人間というわけではない。尾田や湖藤ほどではないが、甲斐だって推理ができる。その上、ふたりにはない、他者への思いやりができる人間だ。

 

 「ずいぶん甲斐サンのことを買っているようですが、そこまで言うならあなた自身はどうなんですか。わざわざ甲斐サンを表に立たせることもないでしょう。狭山サンはそれで失敗したんです」

 「狭山の件は、私が奴を唆したことはない。むしろ私は奴を止めるべきだったと後悔しているくらいだ」

 「ま、死人に口無しと言いますし」

 「お前……狭山に関してはお前だって後ろめたいことがあるはずだろうに、よくそんな態度でいられるな。説教するつもりはないが……やはり、私たちとは違う神経で生きているのだろうな」

 「僕は後悔をしないので、後ろめたさなんてありません。それより、あなたは」

 「私は人を導けるような人間じゃない。狭山の横暴を止められなかった私が、いまさらどんな顔であいつらのリーダーなどすればいいんだ」

 

 きっと、私が何を言おうと狭山を止めることはできなかっただろう。私なんかに言いくるめられるなら他の誰かが狭山を止めている。それでも、考え直すように言ったり、多少なりとも態度を緩和させるくらいのことはできたはずだ。それもしなかったのは私の罪だ。

 

 「なるほど。それで自分から、頼まれてもいないのに、勝手に、仲介役など買って出ているわけですか」

 「甲斐にはこれから話をする。その前に、お前の協力を取り付けておきたいんだ」

 「僕にとってメリットがないのでお断りします」

 「モノクマとの戦いに備えて味方を増やしておくのはメリットだろう」

 「あなたが、甲斐サンが、湖藤クンが、他の誰かが内通者でないという証明ができない以上は不可能です。少なくとも僕からすれば、他の誰かの中に内通者がいるんです」

 「それは……そうだが……」

 

 それは私だって同じだ。甲斐が内通者でない根拠などない。ただ、今までの甲斐を見ていて、これまでのモノクマに対する態度を見ていて、コロシアイに対する向き合い方を見ていて、内通者になんてとても見えない。それは演技などではないはずだ。そう感じる。感じるだけだ。そんなことで尾田を説得できないことは百も承知だ。

 

 「まあ、協力が必要だという話は理解しました。僕も概ね同じ意見です。モノクマ(あれ)は個人で対処できる存在ではありませんから。ただ、あなたや甲斐サンに協力できるかは別の話ということを忘れずに」

 「……くっ」

 

 長いこと喋っていたが、結局成果は何も得られなかった。私にこの男くらいの頭脳があれば。甲斐のような訴求力や人の心に寄り添う力があれば。自分の意見を臆せず口にできる力があれば。

 ないものねだりに意味はない。落としかけた肩をぐっと上げて、私は図書室を後にした。必ず尾田と甲斐を協力させてやる。私たちの勝利には、それが必要なんだ。

 

 

 〜〜〜〜〜〜

 

 

 ここは手前の部屋のはずなのですが、なぜか手前以外の方がいらっしゃいます。招いた覚えはないのですが。

 

 「おっ、これはちょっと重いアル。う〜ん!持ち上げられないヨ」

 「長島さん。危ないからあまり色々いじらない方が」

 「うほーっ!これは面白いネ!ガショーンガショーン!」

 

 突然部屋に押しかけてきたかと思えば、長島さんは手前のトレーニングマシンをあれこれ楽しそうにいじり回しています。高いものもあるのであまり不用意に触ってほしくはないのですが……。

 

 「一体どうしたというのですか。長島さんが手前に御用なんて珍しい。トレーニングマシンが気になっていじりにきたというわけでもないでしょう」

 「トレーニングマシンがきになったからいじりに来たヨ。いじらせろアル」

 「そんなバカな」

 「冗談アル。カッカッカッ!焦らなくてもちゃんと返してあげるヨ。ほいっ」

 「ダンベルを投げないでください!床が傷つく!」

 「こんなのとっさにキャッチできるの、宣宣(シェンシェン)くらいアル。他の人にはしないヨ。宣宣(シェンシェン)だけ、ト・ク・ベ・ツ♡」

 「帰ってもらっていいですか」

 「こんな美少女つかまえて帰れとは何事カ!」

 

 つかまえた覚えもありませんし、長島さんは魅力的な方だとは思いますが美少女かと言われると……個人の趣味嗜好なのでなんとも言えませんが。

 

 「手前に何か御用ですか?」

 「用がなかったら男の部屋になんか上がり込まないアル!ワタシはそんな軽い女じゃないアル!むしろ重いヨ!重たーい過去あるヨ!」

 「それはそれは。で、用というのは」

 「そろそろワタシは本気になるべきときだと思うネ。モノクマとの戦いもそうだけど……ワタシたち同士の戦いもネ」

 「はあ」

 

 モノクマと戦うという話は分かりますが、私たち同士?それはつまり、モノクマに対する手前ども、その間での戦いということでしょうか。いったい、何の話でしょう。

 

 「ワタシは基本的に人を信頼なんてしないアル」

 「導入がすでに不安ですね。なぜそんな悲しいことをおっしゃるのです」

 「信頼してたら裏切られたときに悲しくなるヨ。だから裏切られる前提で人と接するようにすれば、もし裏切られてもなんともないし、裏切られなければラッキーアル。そうやってワタシは生き抜いてきたヨ。そうしないと生き抜いて来られなかったヨ」

 「お辛い人生を送ってきたんですね」

 「でもおかげで手に職つけられたヨ!“超高校級のスナイパー”なんてカッコイイし、この才能でお金だって稼げるアル!」

 「スポーツライフルの才能とうかがった覚えがありますが」

 「そんなのタテマエに決まってるヨ。日本人はホンネとタテマエの使い分けが上手なんでしょ?」

 「建前というかウソなのでは……?」

 「こまけーこたいいんだヨ!えっと、何の話だったカ?そう、ワタシは人を信頼はしないけど、同じ方向を向くことはできるヨ!YDK(やればできる子)なのアル!」

 「話が進めば進むほど見えなくなってきますね。もう少し削ぎ落としてお話いただいても?」

 「しょーがねーやつアル」

 「申し訳ない」

 

 話している間も長島さんは、部屋の中をうろうろ歩き回ったり、トレーニングマシンをいじったり、ベッドの上をぴょんぴょん跳ね回ったり。落ち着きがないというよりも、一箇所に留まっていられないという心理的な不安定沙を感じる。それも、彼女の生い立ちに関係があるのでしょう。なんとも悲しい話です。大いなる『愛』の庇護下におきたいと思いますが、今は彼女の話を聞かなければ。全然出て行ってくれない。

 

 「モノクマと戦う前に、攻略しないといけないやつがいるって話ヨ」

 「攻略……というと?」

 「たとえば、劉劉(リュウリュウ)が言ってた内通者。これがいるんじゃまともに連携なんてできないアル」

 「それは確かに。心当たりがあるのですか?」

 「むっふっふ、それは言えないヨ」

 「はあ。分からないのですね」

 「うっせーアル!口答えするな!」

 「口答えはしてません」

 「ともかく内通者は正体を暴くか排除しないといけないアル。でも問題はそれだけじゃないアル」

 「他にも何かあるのですか?」

 「月月(ユエユエ)みたいなやつがいるのも問題ネ。あんなにやべーやつがいたら背中なんか預けられないアル」

 「月浦君は亡くなっていますが……彼のように、独自の価値観で行動する方ということですか」

 「そういうことアル」

 

 確かに、長島さんの心配も尤もだ。月浦君の暴走を止められなかったのは、彼が陽面さんのためならなんでもする人間だと分かっていながら、どこかその異常性を軽んじていたためだ。まさかあんなことまでするほど理性の箍が外れていた……外れてはいないか、理性をしっかりと働かせた上で彼はああだった。だからこそ余計に始末が悪い。

 そして、いま生き残っている中に、彼と同等かそれ以上に質が悪い思想に染まりきっている誰かがいないとも限らない。そうなれば……面倒なことになる。

 

 「どうでしょう。尾田君などはまさにそんな印象を受けます。今でこそ学級裁判での手前どもの勝利に貢献してくれていますが、狭山さんのご遺体を溶かしてしまったことはさすがに常軌を逸しています」

 「劉劉(リュウリュウ)はやべーアル。それに、ワタシは分かってるヨ。劉劉(リュウリュウ)が他にも隠してることあるってこと」

 「と言いますと」

 「むっふっふ……宣宣(シェンシェン)、密偵が自分から密偵だなんて言うと思うカ?立場を隠さなきゃいけない人が自分からそんなこと言うのなんておかしいヨ。たとえ、“超高校級”と言われる“才能”だったとしてもネ」

 「……彼が自分の“才能”を偽っていると?」

 

 まさか、素直にそう思った。

 

 「根拠がおありで?」

 「根拠なんかなくたって意見を持つのは自由アル!強いて言えば、今まで培ってきたワタシの経験と直観ネ!」

 「はあ。ですが、きっかけくらいあるのでは?」

 「う〜ん、ワタシは密偵とかよく知らないからなんとなくのことしか言えないアル。でも、劉劉(リュウリュウ)って全然動けないヨ。密偵って言ってるのにスナイパーのワタシより機敏に動けないのは終わってるアル」 

 「長島さんの運動神経はかなりのものですから、それより機敏に動けと言うのは酷かと」

 「どっちにしても、劉劉(リュウリュウ)の身のこなしは普段からあまり運動しない人間の体の使い方ヨ。そういう密偵もいるかも知れないけど、ワタシが思うにそれは嘘っぱちネ!」

 

 手前はいったい何を聞かされているのでしょう。驚きの内容だったので大人しく聞いていましたが、よく考えたらいきなり部屋に押しかけられた上でこんな話をされて、ゴールがどこにあるかも分からない。長島さんは、手前に何をさせたいのだろう。

 

 「だとすれば、実際の彼の“才能”は……?それに、なぜ本当の“才能”を隠す必要が?」

 「そんなもんワタシの知ったこっちゃねーアル。隠し事をしてるってのが問題だから、実際のところはどーでもヨロシ」

 「やっぱり」

 「どうアル?だんだん劉劉(リュウリュウ)が怪しく思えてきたネ!」

 「まあ……他の方と比べれば」

 「こんなままじゃ結局ワタシたちはモノクマと戦うどころの話じゃねーアル!だから、少なくともまずは劉劉(リュウリュウ)に本当の“才能”を話させて、ワタシたちへの隠し事をなしにするのが第一ヨ!」

 

 なんだかとてもよくない流れのような気がする。

 

 「だから宣宣(シェンシェン)には、劉劉(リュウリュウ)の“才能”の秘密を探って欲しいアル!ワタシはもうすっかり劉劉(リュウリュウ)には怪しまれて、まともにお話もできないネ!」

 「そうなのですか?あまりイメージがありませんが」

 「この前、後ろから劉劉(リュウリュウ)を驚かそうとしたら野良猫みたいに威嚇されながら逃げられたアル」

 「それは長島さんが悪いと思います。手前でも逃げます」

 「乙女のちょっとしたイタズラ心くらい大目に見て欲しいネ」

 

 乙女というより子供のようなイタズラ心ですが……ですが確かに、長島さんのシビアな物の考え方は尾田君にとっては警戒の対象になり得るでしょう。モノクマという共通の敵がいるうちはまだしも、長島さんも尾田君も、自分が生き残るためなら他者を利用することに躊躇いを持たないタイプの方ですから。

 今まさに、手前は彼女に利用されようとしているところですし。要するに、危険な尾田君に近づくリスクを自分で負いたくないから、モノクマを仮想敵として自分に協力させようということですね。敢えてそれを指摘しても今この場では詮なきことです。

 

 「まあ、お話は分かりました。手前に尾田君を攻略することができるかは分かりませんが、可能なことはしようと思います」

 「よろしく頼むヨ。上手にできたらお礼してあげるアル」

 「お礼?」

 「萌ちゃん特製肉まんをご馳走したげるヨ!変なものは入れないから安心して食べてネ!」

 

 そういうことを言われると余計に心配になるのですが。




朝の更新を忘れていました。許してちょ


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(非)日常編3

 『

   T    |    |    |    |

   そとねしのざむんのさるじなれはつかたこが

   |   |    |    |    ↓

                             』

 


 

『答えを求める者よ。手を伸ばせ。答えは高きところにある。

  真実を求める者よ。顔を上げよ。真実は最も高きところに。』

 

 

 


 

『木と竹でおおわれた目をひらきなさい。それがあなたに与えられるもの

  一つくらい辛いことがあっても貝のように丸くなってたえていよう。それがあなたに必要なもの』

 


 

 だからなんだって感じ。

 

 「全然分からん」

 「意味なんてないんじゃない?モノクマにからかわれてるんだよ」

 「からかうためだけにこんな手の込んだことしないよ……と思いたいけど、モノクマならやりかねないなあ。最近は呼んでも出てこないし、何やってるんだか」

 

 自分で言って気付いたけど、そう言えばモノクマを最後に見たのって、空中庭園を案内されたとき以来かも知れない。モノクマだけじゃなくてダメクマも見ない。いつもは呼んでもないのに出て来て私たちに嫌がらせをしてくるのに、それがなくなっただけでこの学園がなんだか広く感じるから不思議だ。

 そんな風に雑念にとらわれてるから、目の前の謎に手も足も出ないんだ。分館で芭串さんからもらったメモ書き、分館の図書室で奉ちゃんと湖藤さんに助けてもらって見つけた謎、本館の図書室のパソコンに入ってた謎。これに3階の劇場にあった果物と矢印と数字のメモを合わせて、これで謎は4つだ。ひとつひとつの謎もさることながら、それらが何を意味してるのか、そこにも何か大事な意味がありそうな気がしてならない。

 

 「解いてもいいことないと思うけどなあ」

 「すべての謎は解かれるためにあるんだよ!この謎はもう私の手のひらの上だ!」

 「手のひらにいるのは宿楽さんの方じゃない?全然解けてないみたいだけど」

 「あーもううるさいな!解けてる人はこれから解く人の楽しみを奪わないようにするの!それがマナーなの!」

 「いいけど……」

 「私はもう諦めちゃった。風海ちゃんは諦めなくてえらいね」

 「唯一私にできることさえあきらめちゃったら、私がみんなのためにできることなんて何もなくなっちゃうじゃない」

 

 またそういうこと言う、と奉ちゃんは言ってくれるけど、これは私の本心だ。私はみんなみたいに立派な“才能”なんて持ってない。昔、希望ヶ峰学園は毎年抽選で普通の高校生から1人、“超高校級の幸運”として入学させてたって話を聞いたことがある。だけど色々なことがあってもう止めちゃったんだっけ。歴史の授業とか眠たくて全然覚えてないや。とにかく、そうやってひとつ余った枠にたまたま私みたいなのが滑り込めただけなんだ。そう思ってる。

 だいたい“脱出者”って言えばなんかすごそうだけど、要するに脱出ゲームが好きなどこにでもいる普通のJKってだけなんだから。奉ちゃんみたいに滅私奉公ができてスキルもあるわけでもなし、湖藤さんみたいに頭が良くて才能を十分に活かせる家に生まれたわけでもない。むしろ私はゲームに参加するための飛行機代だってバカにならないくらいの僻地に生まれてしまった。それでも好きになっちゃった、それだけのことを“才能”だと言ってもらえた。ある意味、幸運だ。

 

 「何かができてる人ほど、自分は何もできてないって思うものだよ。きみが誰にでもできると思ってることは、他の誰かにとってはやろうと思ってもできないことだったりするのさ」

 「う〜ん、さすが湖藤さんの言葉には含蓄があるなあ。ちょっとジジくさいけど」

 「宿楽さんはなんでもストレートに言ってくれるから含みも何もないね」

 

 あはは、と私と湖藤さんで笑う。奉ちゃんはそんな私たちを微笑ましく見守ってるだけだ。奉ちゃんって私と湖藤くんより一個下のはずだよね?なんだか年下に見られてるような気がしてならない。

 

 「私にとっては、二人がこうして生きていてくれるだけで何より救われるよ。こんな、いつ誰がいなくなってもおかしくない空間じゃ、気を許せる人がいるってだけで嬉しいよ」

 「甲斐さんはみんなを団結させたいんでしょ?他の人には心を開いてないの?」

 「心を開くってことと協力するっていうのは別のことでしょ。普通にみんな友達だよ」

 「尾田さんは?」

 「……なんでそこで尾田君の名前が出てくるの」

 「そりゃあいつかは協力しないといけないんだからさ。無視し続けることはできないでしょ」

 

 尾田さんの名前が出た瞬間、奉ちゃんは明確に表情が曇った。ふむふむ、とっさの反応はこんな感じか。まだ自分の気持ちに気付いてないって感じ(だと私が嬉しい)なのかな?

 私の趣味はさておき、生き残ってる私たちを二つに分けるとしたら、奉ちゃんを中心としてみんなで協力してモノクマに立ち向かおうとしてるのが光グループ、尾田さんや長島さん、王村さんみたいに何を考えてるか分からない人や人と協力する気がない人たちが闇グループって感じだ。もちろん私と湖藤さんは奉ちゃんと一緒に脱出を目指す光グループね。

 なんてグループ分けでなんとなく今の状況を捉えてるけど、本当にモノクマに立ち向かおうと思ったら、光と闇の結託が必要になる。漫画のアツい展開みたいな言い方になるけど、要は奉ちゃんと尾田さんが仲直りするってことだ。

 

 「内通者のことだって尾田君がわざわざ言ったりしなければ今頃は……」

 「まだ言ってる。それは尾田さんなりの論理があったって湖藤さんが説明してくれたでしょ」

 「ううん、でも、だって……」

 「まあでもこれに関しては尾田さんも悪いよ。内通者のことは分かるとしても普段から口悪いし。私はともかく、奉ちゃんや湖藤さんにもでしょ。それに狭山さんの件もあるしさ……」

 「ああ。よく覚えてたね、宿楽さん」

 「そりゃあね。あんなことしたら忘れられないよ」

 

 ただ口が悪いだけなら、好きな子についいじわるしちゃう男子の習性だと思ってニヤニヤもできる。内通者のことだって私にはよく分からなかったけど、湖藤さんがちゃんと説明できるってことはいちおう筋の通った理屈があるってことだ。だけど狭山さんの死体を溶かしちゃったのは、モノクマのルールの穴を突けるかも知れないと思ったとしてもちょっとね……。さすがに引いたよね。

 

 「なんで尾田さんはあんなに人を寄せ付けようとしないんだろう」

 「性格が悪いからだよ。尾田君が人を寄せ付けないんじゃなくて、あんな性格だから人が寄り付かないだけだよ」

 「それはそうかも知れないね。でも、その性格の悪ささえ彼なりの戦略だったとしたら?」

 「戦略?」

 「コロシアイの中で人を信じることはリスクだからね。誰も信じず、常にひとりでいればリスクを最低限に抑えることができる。生存ー戦略ー!みたいな?」

 「なんで叫んだの」

 「どうして湖藤君は尾田君の肩を持つの?誰のことも信じないで一人でいたって……そりゃ、尾田君は頭が良いから一人でも色んなことができると思うけど、でも……それじゃ誰も味方してくれないよ」

 「うん、甲斐さんの心配のとおりだよ」

 「心配なんかしてないよ!」

 「だってさ。宿楽さんはどう思う?」

 「こりゃ心配してますねえ。生暖かい目で見てあげましょう」

 

 私と湖藤さんがからかうと、奉ちゃんは顔を真っ赤にして怒った。またいつもみたいに自分ひとりで暗い方に落ち込んでいってると思ってたけど、なんか吹っ切れてからは感情を分かりやすく表に出すようになった。良い変化だと思う。心の中に色々溜め込んでたって辛いだけだからね。

 

 「尾田くんはひとりで色んなことができる。一方のぼくたち普通の“超高校級”たちは、3人寄り集まって文殊の知恵を出そうと頑張るのでしたってね」

 「湖藤さんだって負けないくらい賢いのに。っていうか、この謎は私しか考えてないでしょ。湖藤さんはとっくに解いてるし、奉ちゃんはもう諦めてるし」

 「なんか前提知識とか要るんじゃない?」

 「要らないわけじゃないけど、そんなに難しいことじゃないからなあ。なんならヒントをあげようか?」

 「ぐう〜〜〜!謎解きプレイヤーとしてのプライドが〜〜〜!喉まで出かかった言葉を胃袋に引きずり戻していく〜〜〜!」

 「プライドって胃袋にいるの?」

 

 自分よりプレイヤーとして優秀な人ならともかく、湖藤さんにヒントを聞くのは負けた気分になっちゃう。湖藤さんはすごい人だけど、謎解きプレイヤーとしてすごいんじゃないから。

 

 「まあ、焦らずゆっくり解けばいいよ」

 「悔しぃ〜〜〜!!」

 


 

 食堂も、中央ホールも、スポッツァ……はもともとあんま行ったことなかったな。図書室も美術室もシアターも……どこもかしこも人影がねェ。そりゃそうか。人間はどんどん減ってくのに、場所は広くなる一方だ。こうして酒を飲みながらふらふら散歩してると、ふと廊下の曲がり角や入ったことのねェドアが気になったりする。考えてみりゃ、こんだけ広いとまだおいらの知らねェ場所がたくさんあるのも当然か。

 モノクマの野郎はここが希望ヶ峰学園だってんだから驚きだ。おいらたちゃ確かに希望ヶ峰学園に来た覚えはあるが、ここにいた教師や他の生徒はみんなどこに行っちまったんだ?なんでおいらたちだけ分館に集められたんだ?それに、ここが学校だってんなら、教室はどこにあるんだ?まるで希望ヶ峰学園から学校の機能を丸ごとなくしちまったみてェだ。なんだってそんなデタラメなことを。

 

 「ん〜〜〜?」

 

 そういや、この頃はモノクマの姿を見ねェな。空中庭園を案内しやがったとき以来、あいつの声も姿もずいぶんとご無沙汰だ。だいたいおいらがひとりで晩酌とかしてたらちょっかいかけに来やがるんだがな。あとあの、ダメクマとかいうやつも酒飲むのを邪魔しにきやがる。今はそのどっちも来ねェ。どういうことだ。ついにあいつらにすら愛想尽かされちまったか?

 

 「おっ」

 

 また見つけた。まだ入ったことのない扉だ。地上階はどいつもこいつもあちこち調べ尽くしちまったけど、地下になるとそうでもねェ。ここは月浦が水浸しにしやがったところで、でっけェパイプも一応塞いであるって程度だ。そのせいであんまり人が来ねェから、こっそり酒を飲むにはちょうどいい場所だ。だからときどき来てんだけど……こんなところに扉なんかあったか?

 その辺のどこにでもありそうな引き戸だ。軽く取っ手に指をかけて引いてみると、するっと動いた。動くってこたァ入られても問題ねェってこったな。とはいえ、暗い地下の知らねェ部屋は不気味だ。ぐいっと酒を煽って自分の気持ちを昂らせてなんとか入れる。

 

 「ほうほう」

 

 なるほど。なんも見えねェ。それに少し酒を飲み過ぎちまったようだ。なんかふわふわして足の置き場が定まらねェっつうか、床を踏んでる感覚じゃねェっつうか、体がぐるぐる回るような感じだ。

 真っ暗な空間でそんなことになってると、まず自分の立ち方が正しいのか不安になってくる。いま自分はちゃんと床に立ってんのか?体は真っ直ぐか?いや、酔っ払ってっから真っ直ぐなわけねェんだけど……とにかく、ひとりで立ててるか?目を開けてるのか閉じてるのかも分からん。そうなると、今度は自分と周りの空間の境界が曖昧になってくる。空気に触れてるところから体が溶け出していくような、無限の空間に自分が薄まっていくような……なんだかうすら怖ェけど、どこか気持ちよさもあって……。

 

 「んにゃァ……」

 

 いくら酒に酔ったからって、地下室の床でふやふやの夢をみて寝てるなんてのは情けなさすぎる。夢だかなんだか知らんが、とにかくしっかり自分ってもんを持たねえと。くっと腹に力を込めて、手に持った酒をまた煽る。こんな状況でも自分が酒を持ってるってことだけははっきりと理解してんだから、人間ってのァ不思議だねェ。

 酒が喉を通ってアルコールが鼻から抜ける感覚がすると、脳がしゃきっとして目が開く。ただ暗いだけなら目が慣れりゃァ見えようもあるだろうが、今はそうじゃねェようだ。ますますおかしな空間だ。だが、その暗闇の向こう……奥に……。

 

 「あ?……あっ!?」

 

 暗闇の向こう、やけにそこだけはっきりと目が見える。まるでそこだけ映画のスクリーンみてェに、暗い中に切り取られた空間が広がっていた。おいらは……そこに……いや、そこから……()()()()()()

 数えきれねェほどの目。人間の目が浮いてたわけじゃァねェ。ただ、()()()()()()()()()()()だけがそこにあったような……なんだかよく分からねェけど、とにかくとんでもなく不気味な感じだ。たまらずおいらは叫んだ。

 

 「ぎゃあああああああああっ!!?」

 

 必死に走った。走ったっつうか、とにかく手足をバタつかせてただけだ。足が地面に付いてねェから蹴って前に進むこともできねェし、そもそも真っ暗で上と下も分からねェくらいだからどこに逃げればいいかも分からねェ。それでも手に持った酒は絶対に離さねえこの右手が馬鹿馬鹿しくもなる。

 どれくらいそうやって叫んで走ってたんだか。気がついたときにゃァ、おいらは床の上で仰向けに寝転がってた。やっぱり右手の酒は大事そうに持ったまま、空中に手足を投げ出して背中で床を磨いていた。

 

 「………………へァ?」

 

 なんだ、さっきまで、いやなんなら今でもおいらはあの真っ暗な空間の不気味な景色を覚えてる。いつの間においらは夢を見て、その夢からすっぱり戻ってきてんだ?寝てたって実感もねェ。それに、こんなにはっきりと覚えてるもんが夢なわけがねェ。一体何がどうなってんだ。おいらは一体どうしちまったんだ?

 

 「酒の飲み過ぎ……なのかなァ」

 

 ここに来てから酒の量が増えた。コロシアイのストレスってのもあるだろうが、何よりここはとにかく暇なんだ。おいらみてェなおっさんじゃァ今時の高校生と話が合うわけもねェし、かと言って一丁前に大人ぶった話ができるわけでもねェ。酒を飲むくらいしか時間の潰し方をしらねェんだ。

 そういや、この頃は人数が減ったせいもあって、全然他の奴らの姿を見かけねェ。たまに見てもすぐに他の奴と話してどっかに行っちまう。なんだっておいらはこんなところにいるんだって気にもなってくる。そうなると余計に酒が増える。そうでもしねェとやってられねェからな。

 

 「うぅん……」

 

 それはともかく、さっき見たことはやっぱり夢だとは思えねェ。忘れちまわねェうちに誰かに話しとくべきか。でも誰に?おいらの話を真面目に聞いてくれる奴なんかいんのか?自分で言うのもなんだが、おいらはこんな感じだから、酒に酔って変な夢でも見たんだろうとか、何かを見間違えたんだろうとか、そういう感じであしらわれるのが関の山だ。でも、だからっつって黙っとくだけってのも気持ち悪ィ。誰かに話しちまえばすっきりして、おいらだけでも忘れられるかも知れねェしな。話を聞いてくれそうな宛っつったら、甲斐か庵野か、湖藤くらいか?甲斐と湖藤はいつも一緒にいるから、そいつらを一丁探してみっか。

 

 「うっぷ」

 

 急に立ち上がったせいで気持ち悪くなっちまった。ゆっくり行こう。

 


 

 「どんな具合だ?」

 

 静かな部屋の中で、壮年の男性が尋ねる。

 

 「かなり突破されていますが、核心部までは触れられていません。ただ、イレギュラーがひとつ」

 「イレギュラー?どんな?」

 「大したことはありません。何の権限も付与されていませんし、せいぜいがノイズになる程度です」

 「削除できないのか」

 「試していますが、それが難しく……。特別な効果を持つわけではないんですが、()()()()()()()()()ことに関してはかなりのプロテクトがかけられています」

 「不気味だな。意図が分からない」

 

 丁寧に磨いた画面には、文字と数式と図がいくつも表示されていた。キーボードを打って入力した操作に従い、画面は次から次へと開いたり閉じたり、移動したり拡大したり、そして何らかのパッチを起動させる。

 

 「修復までは少し時間がかかります。ですが、最終的には全て元通りになるでしょう」

 「まあ、こういうことにイレギュラーは付き物だ。それに、今さら計画を止めることはできん。後のことは最後までやってしまってから考えれば良いのだ」

 

 壮年の男性は、部屋に出入りするスタッフたちに目をやりながら、投げやりな態度を隠さずに言った。もうどうにでもなれ、と言いたげだ。スタッフたちが床に散らばった血を掃除し、山のように積み上がった死体を運び出し、むせかえるような血生臭さを消そうと四苦八苦している。大袈裟なマスクを付けた壮年の男性は、部屋の中で一番上等な椅子に深々と腰掛け、復旧しつつある室内を眺めた。

 

 「邪魔はさせんぞMHA……絶望に立ち向かう気概もない腰抜け共め。すべては世界の希望のため……!」

 


 

 モノクマは動かない。何をしているんだ?なぜ姿を見せない。何度も呼びかけているのに。次はどうしたらいい?何をすればいい?下手に動けば正体に勘付かれる。ここにはまだ、油断ならない奴らがいる。

 

 「……」

 

 返答がないのはモノクマだけではない。ダメクマもだ。一体アレはなんなんだ?なぜモノクマと同じ姿をしている。なぜモノクマから独立して動ける。それなのに、コロシアイを止めようとしている。あいつは()()()()なのか?それとも……。モノクマから排除命令がなければ、下手なことはできない。敢えてモノクマが見逃しているならそれでいいのか……やはりモノクマの考えは分からない。

 

 「このままでいいのか……?」

 

 得体の知れないイレギュラーが放置されている。頼るべきモノクマは謎の沈黙を続けている。内通者の存在は全員に明らかになり、指の動き一本さえ油断ならない緊張の日々が続いている。いつボロを出してしまわないかと気が気でない。なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないんだ。なぜ自分は内通者などしているのか……いけない。こんなことを考えては。

 自分は自分に課せられた役割を果たすだけだ。そこに自分の考えなどは不要。自分はただ……絶望の下僕であればいい。それこそが自分の生まれてきた意味なのだ。

 


 

 「信じてくれよ!本当なんだって!」

 「本当だって言われても証拠も何もないんだよね?それじゃあなあ……」

 「そらそうだけど……あれは夢なんかじゃねェって絶対!おいらァ酒酔って潰れて寝るってのァ日常茶飯事だけど、そういうときの感覚じゃなかったんだって!」

 「それは知らないよ……」

 

 慌てた様子で王村さんが食堂に飛び込んできたからどうしたのかと思ったら、なんだか要領を得ない夢みたいな話をされた。学園の中に真っ暗な感覚のない場所に放り出されて、謎の人影に覗き込まれてたって。そして気が付いたらお酒を抱えたまま学園の床で寝てたって。寝てたんならそれは夢じゃないのって思うけど、王村さんは夢なんかじゃないって言う。そりゃ見た本人は夢じゃないって思うかも知れないけど……。

 

 「王村さんが迷い込んだっていうその空間への扉はどこにあるの?」

 「そ、それは……同じ場所を見に行ったんだけど、あったはずの扉がもうなくなっててよ……」

 「そんなあったりなかったりする扉なんてないでしょ。やっぱり夢だったんじゃないの」

 「うぅん……そんなわけねェと思うんだけどなァ……」

 

 どうしても王村さんは納得いかなさそうだ。もしこれを訴えるのが毛利さんや庵野君だったら、少しは信じる気になったかも知れない。王村さんが特別信用ならないっていうわけじゃないけど、いつもお酒飲んでるからなあ。こういうときに信用なくて困るくらいなら、普段からお酒を持ち歩くのをやめればいいのに。お酒ってそんなに美味しいものなのかな。

 

 「夢だとしても、その夢にも何か意味があるはずだよ。それに王村さんの言うことをある程度信じるなら、夢を見る直前にいた場所と夢から覚めたときにいた場所が違うのは興味深いところだ。勘違いでないのなら、誰かが王村さんをそこまで移動させたってことになる」

 「おお!信じてくれんのか湖藤!」

 「面白そうなところを取捨選択したらそうなるってだけだよ。信じてるのとは違うかな」

 「へう」

 

 私が王村さんを冷たい目で見る一方、湖藤君はそれなりに王村さんの言うことを汲んで、面白そうなところを自分で見つける。簡単に信じないところはしっかりしてるけど、少なからず歩み寄ってはいる。仮に王村さんの夢以外の部分を信用するとしても、わざわざ酔っ払って寝てる王村さんを移動させることになんの意味があるのか。いくら王村さんの体が小さいからって、人一人(とビンのお酒一本)を移動させるのは骨が折れる。

 

 「王村さんの夢も気になるけれど、考えるならもっと喫緊の話の方がいいと思うよ」

 「キッキン?」

 「モノクマが何を考えているか。ぼくたちの中に潜む内通者は誰なのか。そして、どうやって尾田君の本音を引き出すか」

 「んん?モノクマの考えてることと内通者ってのァ分かるけど、それと同じくらい尾田のことが大事なのか?」

 「もちろん。彼がぼくたちに協力してくれるかどうかで、モノクマとの戦いの局面は大きく変わる」

 「なんだか、尾田君がモノクマの内通者じゃないって決まってるみたいな言い方だけど」

 「100%って言えることはないけど、十中八九そうだと思うよ。でなきゃ、自分から内通者の話を持ち出したりしないよ」

 「自分から言って、じゃあ尾田は内通者じゃねェなって思わせる作戦だったりしねェか!?へへっ!今日はやけに冴えてるぜ!」

 「う〜ん、なくはないと思うけど、そういうのはもっと駆け引きが必要な相手に対してすることだからなあ。彼にしてみれば、ぼくたちなんて駆け引きの相手にもならないと思うよ」

 

 シンプルに辛辣だった。それを私とかが言うならまだしも、尾田君が明らかに警戒してる湖藤君が言うんだから、それは謙遜でも卑屈でもなくて、ただの嫌味にしか聞こえない。きっと分かってて言ってるんだろうけど。なんだか、尾田君の人避けオーラに当てられて、湖藤君の性格もだんだん歪んできてるような気がする。

 っていうか、また尾田君の話してる。なんだかみんな、この前の尾田君の内通者発言からずっと、尾田君が頭の片隅にあるような気がする。常にどこか彼のことを警戒して、それでいて仲間に引き入れようとしてて、だけど本音が見えない彼がなんとも言えず不気味で。みんなが尾田君のことを話してると、なんだか気分が悪い……胸の奥がモヤモヤする。

 

 「尾田君の本音って、何か心当たりがあるの?」

 「そうだなあ。うん、そろそろいいかな」

 「いいって何が?」

 「彼が隠してることはたくさんあるだろうけど、もし一緒にモノクマと戦うんなら、せめてこれだけは教えてほしいっていうことがある」

 「もったいつけねェでさっさと言えよ」

 「ぼくがこの話したっていうのは内緒にしてね。ぼくが気になってるのは……彼の本当の“才能”だよ」

 

 “才能”……本当の“才能”。湖藤君ははっきりそう言った。“才能”っていうのは、私たちが希望ヶ峰学園に入学するきっかけになった、“超高校級の才能”のことだ。私なら介護士、湖藤君なら古物商、王村さんなら蔵人だ。尾田君は確か、はじめの自己紹介のときにしか聞かなかったけど、密偵だった気がする。密偵っていうものがなんなのか私にはほとんど知識がないけれど、ざっくりとスパイみたいなものだって説明されたような。

 

 「あ、あいつ!嘘の“才能”言ってやがったってのか!くっそ〜!最初からおいらたちのこと騙してやがったんだな!なにがミッテーだ!ニックネームみてェな“才能”名乗りやがって!」

 「王村さんがものすごく危ういっていうのはよく分かったよ」

 「湖藤君、なんで尾田君が嘘の“才能”を言ってるって分かったの?」

 「……まあ、色んなことからさ。自己紹介のときから違和感はあった。確信したのは初めの事件が起きた後だったかな」

 「そんな前から!?な、なんで教えてくれなかったの!?」

 

 湖藤君が観察力や人の嘘を見破る力に卓越してることは知ってたけど、尾田君が嘘の“才能”を言ってることをそんな前から見抜いてたなんて知らなかった。湖藤君は自分が見抜いたことを隠す力も優れているらしい。

 

 「人が隠してることを敢えて言いふらしたっていいことはないよ。どうせ掴んだ秘密なら効果的に使わないと。たとえば、彼はどうして“才能”を隠しているのか。本当の“才能”はなんなのか。ぼく以外にそのことに気付いてる人はいるのか。こうしたことも考えて、いつ武器として使うかを考えないと」

 「そっか……じゃあ私たちも、尾田君には気付かれないようにするね」

 「ああ、でも彼はぼくがこのことに気付いてることを知ってるよ。ぼくが直接言ったからね」

 「どないやねん!!」

 

 ものすごい手のひら返しの風圧で王村さんが後頭部を床にぶつけた。そこまでじゃないけど、私も思わずひっくり返りそうになった。なんで私たちには内緒にしといて、尾田君本人には言っちゃうの。

 

 「おめェ言ってること無茶苦茶じゃねェかよ!なんで尾田にバラしてやがんでェ!!」

 「彼は彼で目敏いから、下手な隠し事は逆効果だと思ったんだ。それにぼくの立場を明確にしておいた方が牽制にもなるしね」

 「湖藤君の立場って?私たちと一緒に脱出を目指すっていうことじゃないの?」

 「尾田君にとっての立場だよ。つまり、敵じゃないけど敵に回すと面倒臭いやつ、ってこと。正直、彼がその気になればぼくなんてイチコロだろうけど、一矢報いる程度の武器は持ってるってことを知っておいてもらった方がいいかなって」

 「ははあ。だからおいらたちが同じことをしようとしても無駄ってわけか。おいらが尾田に、お前の秘密知ってんぞ、なんて言った日にゃァ速攻でお陀仏だ。一矢どころか最後っ屁の隙もねェや」

 

 なるほど、見抜いた弱みも使いようってことだ。湖藤君はしきりに、自分はいざ標的にされたら簡単に殺されてしまうってことを口にしてる。滅多なこと言わないでほしいけど、下半身が不自由な彼は逃げることも抵抗することもままならないのは事実だ。だからこそ彼は、危険な相手には情報で牽制する必要がある。報復を与えるだけの頭脳が彼にはある。

 だったら私たちは、そんな彼をサポートするために歩き回らないと。尾田君の秘密を知ったからといって、私や王村さんにできることは限られてる。駆け引きは湖藤君に任せておけばいい。

 

 「とはいえ、彼だって秘密を知った人を片っ端から殺して回るようなことはしないよ。こんな閉鎖空間じゃあ、連続殺人はリスクでしかないからね」

 「湖藤君はどこまで考えて行動してるの?いまこうして私たちに尾田君の隠し事を明かすことに、どんな意味があると思ってるの?」

 「……その答えは、まだ言わないでおくよ」

 「なんでェ、やけに勿体ぶるなァ」

 「答えを言える来たらもちろん言うさ。それまではお預け。宿題かな」

 

 そんな風に湖藤君はおどけて言うけれど、私にはその言葉がひどく不穏に聞こえた。その答えを聞ける日は、果たしてこれからの未来にあるのだろうか。そんな不安を感じてしまう。やっぱり私は根が暗いみたいだ。油断するとすぐネガティブなことを考えてしまう。少しは王村さんみたいにお気楽あんぽんたんな考え方ができたらいいと思うんだけど。

 

 「おい甲斐。おめェ年上に向かってなんだその言種は」

 「え、声に出てた?」

 「出てるわ!誰があんぽんたんだこの野郎!」

 「やだお酒臭い!近寄んないで!」

 「くさっ……!?」

 「クリティカルダメージ入ったねいまの」

 


 

 「んん〜〜〜……」

 「どう?どうどうどう?どんな感じ?」

 「んん〜〜〜……ダ〜〜〜メ!な〜〜〜んも見えないヨ!」

 

 目がカッサカサになるヨ!風風(フェンフェン)は無茶させすぎアル!

 

 「こんなおもちゃじゃ穴が開くほど覗いたって見えないものは見えないヨ!ちゃんとしたスコープ持ってくるヨロシ!」

 「え〜!?長島さんが目の良さなら誰にも負けないって言ったんじゃん!せっかく空中庭園まで来たんだからもっと頑張ってよ!」

 「ワタシはアフリカの部族じゃねーアル!スナイパーヨ!スナイパーの目の良さってのは遠くのものが見えるとかだけじゃないアル!一点を集中しつつ広い視野を持つとか、高速で動くものを追跡する動体視力とか、そういう色んなものをまとめて目が良い悪いって話をしてるんであって……!」

 「海外キャラなのに流暢に喋りすぎだよ長島さん!ブレるからよしな?」

 「ブレるんならよすアル」

 「うわあ!急によすな!」

 

 よせって言ったりよすなって言ったり、風風(フェンフェン)は一秒前の記憶もないカ?ワタシだって好きじゃないアル。宣宣(シェンシェン)がちゃんとワタシの言いつけを守ってるか見張ってやらないといけないヨ。サボらずキビキビ働くヨロシ。もう1日だって無駄にしてられる状況じゃないヨ。こうしてる今も、モノクマが何を考えてるか分からないネ。

 

 「どうせ何が見えたってここから脱出するなんて不可能アル。窓は開かないし、開いたとしてもここは希望ヶ峰学園の4階ヨ?飛び降りるには高すぎアル」

 「グライダーでも作って飛んで逃げたらいいじゃん!窓だってほら、割っちゃえばいいんだよ!」

 「分館の食堂にあった窓、何やっても割れなかったの忘れたカ?ここだって同じヨ。飛んで逃げることくらいモノクマがうっかり見逃すと思うカ?地対空ミサイルくらい用意してたって不思議ないネ。あとグライダーは広い場所がないと着地できなくて色んなところが粉々なるネ」

 「経験と知識に裏打ちされた一分の隙もない反論〜〜〜!!やめて長島さん!その術は私に効く!」

 

 考えが浅いアル。敵は希望ヶ峰学園を丸ごと乗っ取って、ワタシたち20人を誘拐してしまえるくらいのとんでもない巨悪アル。そんな奴に、風風(フェンフェン)みたいな普通の女子高生がパッと思いつくようなことなんて通用するワケがないネ。モノクマの力があれば、ワタシが言ったような雑な対策だって簡単に実現してしまえるはずヨ。そういうデタラメを敵にしてるんアル。

 

 「ああ、そっか。風風(フェンフェン)は普通の女子高生だったアル」

 「何をいまさら。長島さんだってそうでしょ。普通かって言ったら“超高校級の才能”があるから違うかも知れないけど」

 

 ワタシが言いたいのはそういうことじゃないアル。けど敢えて風風(フェンフェン)に言うことはしないアル。別に隠す必要はないけど、言う必要もないことは言わないでおくに限るアル。

 風風(フェンフェン)は……というか、ここにいるほとんどのみんなは、日本で産まれ育ったはずヨ。日本は国内で戦争はもうすっかりしてないから、きっとみんなもワタシみたいな経験はしてないはずアル。だから、人が人を殺したり、殺されたり、敵を前にしたときの立ち回りとか、そういうことができなくても当たり前だったヨ。もうずいぶん人数も減ったから、今生き残ってる人たちはみんなそれくらいのことはできるものだとばかり思ってたアル。劉劉(リュウリュウ)とかがおかしいだけネ。

 

 「……」

 

 だったらますます馴れ合いは危険アル。これからきっとモノクマと戦うことになるとき、ワタシたち全員が無事に生きて帰れるなんて考えちゃだめヨ。自分が生き残るためには、誰かを犠牲にしなくちゃいけないはずアル。だって、これまでだってそうだったネ。ワタシたちが生き残るためには、何かのために命を懸けた誰かを売らなきゃいけなかったヨ。

 だからワタシが生き残るためには、そのときに必要なだけ切り捨てられる味方が必要アル。ワタシたちは仲間じゃないアル。()()()()()()()ヨ。それが分かってる人はここぞというところで誰かを犠牲にして、分かってない人は誰かに犠牲にされるアル。ワタシは、犠牲にする側アル。

 

 「ほんと、モノクマって隙がないよね。しばらく見かけないけど、それでも私たちに好き勝手させてないもん」

 「風風(フェンフェン)みたいなのは御しやすそうネ。こういうときでもできることはあるネ」

 「できること?」

 「いつかのときの備えること、アル」

 

 自分がその()()になってないといいネ。風風(フェンフェン)




この頃はアマプラでアニメを観漁っています。すぐ影響されるんだよなあ。


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(非)日常編4

 

 そろそろ誰かが動き出す頃合いか。モノクマがいないから、今までなんだかんだ機能していた動機も今回は与えられていない。それでも、肌で感じていた。誰かが何かをしようとしている。慣れた、と言うのは驕りだろうか。自分はこの感覚を直接感じたことはない。()()が起きるのはいつも画面の向こう側だ。限りなく虚構(フィクション)に近い現実(リアル)でしかない。ただ、それでもこういうときの人間の振る舞いはよく見てきたつもりだ。

 誰かが誰かを殺そうとするとき。殺さなければ殺されると覚悟した瞬間の目。人に向けてトリガーを引く震える手。血を流して倒れる骸を踏み越える足。振るう刀に宿った殺意と命を守らんとする決死の覚悟。命のやりとりは何度も目にしてきた。不徳な趣味だと言われればそれきりかも知れないが、少なくとも自分は、それを見届けることに責任のようなものを覚えていた。それが身勝手で無意味なことだと知りつつも、せめて自分だけには言い訳ができるように、そうしてきた。

 

 「さて、誰が動くか……」

 

 考えるべきことはひとつ。自分が殺されないようにすることだ。たとえ誰かが大量殺人を企てていたとしても、自分さえ生き残れば後はどうとでもなる。こんな状況でそんなことをする阿呆はいないと思うが。しかし、今回は予想が立てにくい。何が殺しのトリガーになるかが分からない。今まで与えられた動機が今になってきいてきたか。些細な諍いやすれ違いから不和を起こしたか。それとも月浦のように隠された本性が暴かれたか。

 ここまでひたすら潜伏し続けてきた内通者はどう動くか。自分の存在が明らかになったことで、開き直って事件に介入してくるか。あるいは自ら事件を起こすか。もしくは完全に沈黙を貫き続け、告発自体に疑義を生じさせるか。

 

 「何事も起きてみなければ分からない……が、用心に越したことはない」

 

 座してただ朝を待つ。事件が朝に起きないとは限らないが、最も起きやすいのは夜だ。ひとまずこの夜を明かせば、状況は変わっているだろう。

 


 

 その日の朝は、驚きとともに始まった。本当は驚くことなんかなじゃない。ただ、ここ数日の間、全く姿を見せなかったモノクマが、私たちの前に現れたのだ。

 

 「うぷぷぷぷ!!オマエラ!!おっはようございまーーーす!!」

 

 衝撃が過ぎ去った後、私の胸には大きな落胆があった。長い間モノクマを見なかったことで、心のどこかに隙が生まれてしまっていた。このままモノクマの支配が弱まって、ここから出られる日が来るんじゃないか。その日は、そう遠くないんじゃないか。そんな風に考えていた。

 今にして思えば、モノクマはそんなに甘くないことぐらい、私はよく分かってたはずだ。それでも、そんな油断(きぼう)を抱かずにはいられなかった。モノクマはそれを分かっていたんだろうか。それすらも見越して、敢えて姿を見せなかったんだろうか。あいつがただ現れただけで、私はまたひとつ絶望を積み重ねた。

 

 「なんだか今日は元気100倍モノパンマン!って感じなんだよね〜!なんでだろ?テンション上がっちゃうな〜!」

 

 食堂でくるくる回りながら、スペースを贅沢に使った謎のダンスを踊る。ものすごく目障りだ。いちいち私たちを煽るような言葉も相変わらずだ。

 

 「ずいぶん久し振りじゃないか。ぼくたちを放っとくなんて、よっぽど大事な用事でもあったの?」

 「大事な用事なんてないよ。っていうか久し振りってなに?」

 「え?」

 「んも〜、湖藤クンってば、あんなにボクにいじわる言ってたのに、本当はラブリーチャーミーなボクが大好きなんじゃない。一日千秋とはよく言ったものだね!つい昨日もお話したのにもう求められちゃったら……ボク壊れちゃうよぉ!」

 「……どういうこと?」

 

 湖藤君は眉を下げて肩をすくめた。これは、本当に何の話か分かってないみたいだ。いつも何を聞かれてものらりくらりしてる湖藤君だけど、この反応は初めて見た。

 

 「湖藤君。君は、昨日モノクマと話しているのですか?」

 「話してないよ。昨日はずっと甲斐さんと一緒にいたんだから」

 「では……モノクマの勘違いか?」

 「それよりオマエラさあ、こんな環境でストレスが溜まるのは分かるけど、やけ食いはよくないとボクは思うなあ」

 「はあ?」

 「食料は無尽蔵だからまた後で追加しとくけどさ、さすがに一晩で何日分もの食料を消費するのはヤバいと思うんだ。うん」

 「何言ってるカ!一晩どころか実際に何日も経ってるヨ!自分がサボってただけのことをワタシたちのせいにする気カ!」

 「うんうん、女の子は言いにくいよね。ボクは優しいのでこれ以上は不問とします。でも、健康管理もコロシアイのうちだから気をつけてよね。不摂生で病死なんてオチ、一昨日の芭串クンより笑えないからね」

 

 なんだかさっきから、モノクマと話が噛み合わない。言葉は通じているのに話が通じていない、もどかしくて気持ちの悪い感覚。その答えが、いま分かった。

 モノクマには、ここ数日の記憶がないんだ。だって、私たちが学級裁判をして芭串君が処刑されてから、もう何日も経ってる。ここに来てから時間感覚が狂っていくのを感じてはいたけど、さすがにそこまでの勘違いはしていない。それも、モノクマ以外の全員が同じ勘違いをするなんて、絶対にあり得ない。その証拠に、モノクマ以外の全員がお互いに顔を見合わせて困惑している。

 

 「いやはや、なんだかオマエラ、普通の何倍も濃い時間を過ごしてたみたいだね。濃密で濃厚で濃縮還元120%な生活は楽しかった?そんじゃあちょっと早いけど、5つめの動機といきましょうか!」

 「動機?あなたにとってはまだ裁判の翌々日のはずです。それなのに動機とは……何を焦っているのですか?」

 「うん?別に焦ってはないよ。でもボクが思うよりオマエラはここでの生活に慣れて、それなりに行動できるようになってきたみたいだからね。まあつまり……ペースアップだよ。うっぷっぷ♪」

 


 

 たぶん今の尾田君の質問はカマかけだ。いつもモノクマは、前回の裁判から数日経ってから動機を与えてきた。そのままじゃ私たちがコロシアイをしないから、誰かを煽ってコロシアイをさせるためにそうしてきた。でも、モノクマにとって今日は裁判から2日後だ。その異常に、尾田君は敏感に反応した。

 だけどモノクマのリアクションは思ったようなものじゃなかった。いつものように腹の底が見えない意地悪な含み笑いを返すだけだ。モノクマは、本当に私たちがいつもより濃い1日を過ごしたと思ってる。その勘違いに偽りはない。

 

 「さて、こうしてボクはよく利く機転と回る頭で、オマエラにいつもより早めに動機を与えると言ったわけですが……実はもうオマエラは動機を手にしています!うぷぷぷぷ!こんなこともあろうかと、前々からオマエラに少しずつ動機を与えていたのですよ!ボクってやっぱりできるクマ?キャリアクーマン?」

 「ど、どういうことだ……!?前々って、いつから……!?」

 「いつだろうねえ?もしかしたら、オマエラの隣にいる誰かさんは、とっくにその動機を手にしているかもね。その意味を理解して、虎視眈々とその時を待っていたのかも知れないね!オマエラは初めから、内通者なんかよりよっぽどタチの悪い裏切者に背中を狙われていたのかもねえ!!」

 

 そう言って、モノクマは食堂のテーブルから飛び降りた。そのまま、よく滑る床をスケートのように滑って食堂の入口から飛び出して行った。そして——。

 

 「うっぷっぷ♪さあて、ここからが本当の勝負だよ。オマエラの敵は希望か絶望か……選ぶのはオマエラ自身だよ」

 

 意味深な言葉を残して、そのまま私たちの前から消えた。私はなんだか……不思議な感覚になった。懐かしいというには近過ぎて、だけど初めてじゃない感覚。そうだ、これは——、ここにきた最初の日。分館の体育館でモノクマがコロシアイを宣言したときと同じだ。あのときと同じ絶望感だ。

 

 「……だ、誰が動機を隠し持ってんでェ!!ええ!?内通者だけじゃなく裏切者までいやがるたァどうなってんだ!!」

 「王王(ワンワン)、モノクマの言うことを間に受け過ぎヨ?」

 「モノクマは嘘を吐かないが、私たちを惑わすためのミスリードはいくらでもする。奴が与える情報は取捨選択しなければいけない」

 「んだァ?何言ってんだ?」

 

 何度もモノクマに振り回されてきて、王村さん以外のみんんはしっかり理解していた。モノクマが敢えて“裏切者”と言った意図——、単に私たちを疑心暗鬼に陥らせるための言い回しにすぎないということを。

 

 「モノクマが動機を仕込んでいたことは事実だろう。だが、私たちに気付かれないようにしていたのなら、誰も気付かないまま失われている可能性だってあるだろう。ましてや分館は爆破されたんだぞ?」

 「その場合は本館に持ち越しか、改めて仕込んだりしているでしょうね。少なくとも、この本館のどこかに、モノクマの言う動機が隠されていることは間違いないと思っていいでしょう」

 「そうだとしても、そんなに気付きにくい動機なら、それを手にした本人も動機であることに気付いてない可能性がある。裏切者なんていうのはモノクマのレトリックだよ」

 「つまり……私たちの中の誰かが動機を手にしている、あるいは今後手にする可能性は否定されないのですね」

 「まあ、その通りです。僕は別に構いませんよ。あなた方がモノクマの思う壺に互いを疑い合って泥沼にハマっていくのは勝手ですから」

 「またそういうこと言う」

 

 私たちの中に裏切者がいると決まったわけじゃない。モノクマの言う動機がどんなものか分からない以上、それを追求しても意味がないんだ。でも同時に、本当に動機を手にしていながら隠している誰かがいる可能性だってある。モノクマの動機はいつもそうだ。私たちは考えれば考えるほどお互いを疑わざるを得なくなっていって、そして誰かの殺意を確実に行動に移させる。回避する方法を、私たちはまだ見つけていない。

 

 「考えても仕方ないことを考えても仕方ないよ。どうせみんな集まったんなら、建設的なことを話し合おうじゃない」

 「建設的なこと?」

 「モノクマに立ち向かうために必要なことは何か。とか」

 

 そういえば、モノクマに気を取られて忘れてたけど、私たち全員が食堂に集合するなんて久し振りのことだった。もうみんなで集まって朝ご飯を食べる号令をかける人はいないし、全員分のご飯を作る人もいない。だいたいみんな同じくらいの時間に起きて、なんとなく食堂から食べ物を持ち出して、好きなところで食べている。一度に全員が集まることはないけれど、同じタイミングで食堂に行くから顔を合わせることはたびたびあった。それだけで十分だった。

 

 「必要なこと……決まってる。私たち全員の連帯だ。敵は強大だ。ひとりひとりがバラけてぶつかってなんとかなる相手じゃない」

 「手前もそう思います。モノクマは明らかに手前どもの連携を妨害してきています。裏を返せば、それがモノクマにとっては避けるべき事態だからなのでしょう。たとえモノクマであっても、手前どもが一致団結してかかればなんとか倒すことができるかと」

 「わ、私もそう思う!」

 

 毛利さんと庵野君の案に、私は思わず賛同した。モノクマに対する絶望感から一刻も早く救われたくて、特に自分の考えも持たずに発言してしまった。でも、みんなそんなことぐらい分かってる。分かった上でそれができないのが問題なんだ。

 

 「でもこの中に内通者がいるんでショ?なんの証拠も証明もなしに信用なんてできないアル。みんなと敵になりたいわけじゃないけど、自分の身を危険に晒すことはしたくないネ」

 「僕も概ね同意ですね。協力すべきと言うだけで認められるのは小学生までです。いやしくも“超高校級”だと言うのなら、協力するためにどうすべきか、ぐらいのことは考えるべきです。どうなんですか?あなた方は、他の誰かに完全に背中を預けることができるんですか?」

 「べ、別に背中まで預けるこたァねェんじゃねェか?横一列になってモノクマにこう……」

 「はないちもんめで立ち向かったって、いざってときに内通者に裏切られたら総崩れだよ!?」

 

 人を信じることがどんなに難しいか。人を疑うことがどんなに楽か。私はそれを思い知った。きっと、本当はこんなに難しいことじゃないんだ。でも、自分の命を懸けないといけなくなった途端、人は急に何もできなくなる。目の前の人が信用できなくなる。100%じゃ足りない。120%の信用があってようやく協力できる。こんな状況じゃ50%だって無理だ。

 

 「モノクマに立ち向かうのにぼくたち全員の協力が必要なのは間違いないし、だからと言って簡単にできることじゃないのも確かだ。それは、ぼくたちが今までそれをタブー視してきたからだよ」

 「タブー?どういうことだ?」

 「ここにいる8人全員がそれぞれと手を取り合って、八角形になる必要はないんだ。それは実際問題とても難しいことだし、手を取り合いたくない相手がいる人もいるでしょ。内通者が周囲に与える影響も大きい。だったら、別の連携にすればいいんだよ」

 「別の連携……とは」

 

 湖藤君は、にっこり笑った。

 

 「タコ足」

 

 近くの適当なテーブルに近寄って、湖藤君はメモ帳とペンを取り出した。そして、1つの大きな丸と、その下に7つの丸が一列に並ぶように描いた。

 

 「ひとりの強烈なカリスマ性を持つリーダーが、他の7人とそれぞれ協力する。下にいる7人たちは互いに協力してもいいし、協力しなくてもいい。でもみんな同じひとりのカリスマを協力してるから、基本的には同じ方向を見てるわけだ。これなら、内通者が誰か発覚しても、タコは足を一本切り捨てるだけで生き残れる。内通者はカリスマとしか協力関係を結んでないから、他の人たちに対しては働きかけにくい」

 

 それは、とてもシンプルな構造だった。参考として横に描いた八角形は、対角線がいくつも入り混じっていて、どれかの頂点が内通者だと考えると、その毒があっという間に全体に回るようになっている。それに対して、タコ足の図は内通者がひとりいたところで、全体に毒が回るのはかなり遅い。湖藤君の説明も、シビアではありつつも確かに合理的に思えた。

 だけど、私たちはこの構図を知っている。タブー視というほどのことでもなかったけど、この構図に忌避感を持っていることも事実だ。

 

 「湖藤……お前は、狭山の失敗を見ていなかったのか?これじゃあまるっきり、狭山が思い描いた世界じゃないか」

 「もちろん見てたし覚えてるさ。それに、狭山さんのことだってよく理解してる。彼女の“才能”はシャーマンなんてオカルトめいたものに収まるものじゃなかった。彼女の“才能”の本質は話術やトリックを利用したマインドコントロール技術だ。そして彼女の失敗は、タイミングを見誤ったことと暴力を使ってしまったこと。彼女の不運は、希望ヶ峰学園(ここ)が彼女にとっての本領(ホーム)じゃなかったことと月浦君(ばくだん)を抱えてしまったことだ。もし今、彼女が同じことをしたら、暴力を使うまでもなくぼくたちの半数以上は彼女に取り込まれてたと思うよ」

 「そ、そこまで分かってて、あいつと同じことしようってのか?」

 「お前は阿呆カ!?タコの頭が内通者だったらどうするカ!」

 「そうならないように、ぼくたち全員で選ぶんだよ。絶望に打ち勝って、ぼくたちを希望に導いてくれるリーダーをさ」

 

 湖藤君の言うことはいつも難しい。私たちには想像もつかないほど色んなことを考えていて、色んなことを知っていて、おまけに迷いがない。だけど、今言ってることは分かる。だってこれは、狭山さんの失敗であると同時に、私たちが外の世界で普段していることと同じだ。

 クラスの学級委員を選ぶときだってそうだ。班のリーダーを決めるときと同じだ。私はまだしたことはないけど、きっと政治家の偉い人を選ぶときだって同じだ。答えはシンプルなことだったんだ。私たちは、信じられる人を信じればいい。信じられない人を無理に信じようとするから、他の人も信じられなくなる。それは今のバラバラに見える状況とそう変わらなくて、だけど誰かが先頭に立っているだけで全く変わってくる。

 

 「せっかくだから、モノクマに当てつけでもしようか。ぼくたちのリーダー選挙は、生存投票方式ですることにしよう」

 「ごめん。生存投票ってなんだっけ……?」

 「僕たち全員で益玉クンを見殺しにした最初の動機です」

 「またそんな言い方を……。あのときは、自分以外の生存してほしい誰か5名に投票、でしたね。結果的に最低得票者となった方にペナルティという」

 「ま、またあんなことするのかよ!?おめェ倫理どこに置いてきた!?トイレにポンッしたか!?」

 「形式が同じというだけだろう……。お前はもう少し自分の頭で考えることをしろ」

 

 その言葉を聞いて、私は心臓がぎゅっと痛くなった。私たちに与えられた最初の動機。残酷で、モノクマの性格の悪さが滲み出た最悪の動機だ。生きていてほしい誰かに投票することを、それ以外の誰かを陥れることと言い換えて、私たちの不和を煽る。最低得票者を作ることで、確実に誰かひとりを死に追いやる仕組み。全てが最悪だった。そして、私たちをその窮地から救ってくれたのは、益玉君だった。彼の生きていた日が、すごく遠い昔に感じる。

 

 「誰かをリーダーにしたいと思っても、やっぱり信じるのは難しい。それに内通者が他の人を騙す可能性だってある。だけど生存投票のシステムだとそれができない。誰かに投票してもらうようにするより、投票してもらわないようにするのは、一朝一夕には難しいからね」

 

 かつてモノクマが私たちを苦しめたシステムを丸ごと利用して、湖藤君はモノクマに立ち向かう武器にしてしまった。これなら内通者が工作することはできないし、尾田君や長島さんだって納得せざるを得ない。だって、それができないから、あのとき益玉君が犠牲になるしかなかったんだ。

 

 「ということで、みんなはそれぞれ、リーダーにはしたくない人に投票してね。8人しかいないから取り敢えず投票数は4でいいかな。何か意見ある人?」

 「意見はありません。これ以上の面倒は利敵行為にしかなりません。ひとまずあなた方と敵対しない状態を作るのに必要なのであれば、協力も吝かではありません」

 「嫌々具合が言葉数から伝わるな」

 「でもワタシは、そういう合理的な関係は嫌いじゃないアル。お金が挟まってたらもっと良かったけどネ」

 

 態度は悪いけど、尾田君も長島さんもあっさり湖藤君の提案に賛成した。やっぱり湖藤君はすごい。私だったらどれだけ頑張っても、モノクマの動機のシステムを利用してリーダーを選ぼうなんて思いつかない。リーダーにしたくない人を4人選ぶのは心苦しいけど、結果的に私たちのリーダーが決まるのなら、そんなわがままは言ってられない。

 


 

 その場で投票するのは、投票画面を見られたらまたギスギスすることになるから、みんなでその日の夕食の時間に再集合して、その時までに投票しておくことにした。私は一旦自分の部屋に戻って、誰にリーダーになってほしいか、誰をリーダーにしてほしくないかを考えた。

 まず、どう考えても尾田君はリーダーになってほしくない。あの人に人をまとめ上げられるとは思えない。彼は人の上に立っても、下の人を活かそうとはしない人だ。あと、長島さんも同じ理由で少し怖い。尾田君ほど冷酷じゃないにしろ、少しでもリスクを感じたら切り捨てることをなんとも思わないタイプだと思う。あとは、風海ちゃんや王村さんは……うん、ダメかな。たぶんリーダーのプレッシャーに耐えられない。

 そうなると、自ずと候補は絞られる。投票数は4だから、尾田君、長島さん、王村さん、風海ちゃん……そう投票しようとして、私は指を止めた。本当にその4人でいいのか?ふと、そんな考えが過ぎった。

 

 「だって……」

 

 確か、モノクマが生存投票の動機を与えてきたとき、湖藤君は言っていた。あれは、誰かを見捨てるための投票なんかじゃない。生きていてほしい誰かを選んだ結果として最低得票者が生まれるだけで、そこに私たちの悪意や殺意なんかないって。私たちが投票するのは、死んでほしくない誰かじゃない。生きていてほしい誰かだって。

 だとしたら、この投票だって同じじゃないかな。私たちはリーダーを選ぶために投票すると言ってこの方式を選んだ。だけど実際に投票するのは、リーダーになってほしくない人だ。私たちは今、リーダーにしたくない人に投票しようとしていた。私がリーダーにしたくない人と、リーダーになるべきでない人は、本当に同じだろうか。

 

 「リーダー……」

 

 私たちが持つマイナスの感情を、湖藤君は決して否定しない。こんな状況じゃそんな気持ちが生まれるのは仕方ないって。私もそう思う。だからって、それにばっかり甘えてるわけにはいかない。私たちは自分の中にあるマイナスの感情を認めつつ、それを乗り越えていくべきなんじゃないか。

 少なくとも私が投票する誰かはリーダーから一歩遠ざかるはずだ。私たちの中にリーダーをやりたがっている人がいるかどうかはさておき、リーダーの位置から遠ざけておくべき人は間違いなくいる。それは、リーダーを任せることが不安な人ばかりじゃない。その人のために、リーダーであるべきじゃない人がいる。

 

 「……」

 

 尾田君、この人は絶対にリーダーにしたくない。長島さん、この人をリーダーにするのは私は不安だ。王村さん、この人にリーダーは務まらない。そして……毛利さん、この人はリーダーにすべきじゃない。彼女は自分に厳しい人だ。狭山さんが暴走したとき、彼女の一番そばにいた。ただそれだけのことで、今も責任を感じている。きっと私の見えないところで色々な葛藤や償いをしようとしている。私は彼女に責任があるとは思わないけれど、他でもない彼女自身がそう思ってる。

 だから、彼女にリーダーを任せることは、余計に彼女を追い込むことになる。リーダーとして私たちを導こうと、モノクマに立ち向かって私たちを救おうと、狭山さんの二の舞にならないように、完璧であろうとする。今の状況でそんなプレッシャーにさらされた人がどうなるかなんて、想像の必要もないくらい明らかだ。だから、毛利さんはリーダーにすべきじゃない。してはいけない。

 私は、投票を終えた。

 


 

 厄介なことになった。この中からリーダーを選ぶ、しかもモノクマが与えた動機と同じ方法とは……。こんなことなら、この動機の弱点なんかをモノクマに聞いておけばよかった。あれからモノクマは忙しくしているのか、全くこちらからの呼びかけに応じない。一体何をしているのか。

 生存投票のシステムを丸パクリしたリーダー決定投票は、内通者である自分が何をしたところでリーダーになれるわけではない。自分に投票しないように言って回れば不信感を与えるだけだし、かと言って今の自分が何もしないでリーダーになれる位置にいるとも思えない。まさに、日頃の行いの結果が表れる場になるはずだ。だが、それならきっとあいつがリーダーになることもないだろう。それはこちらにとっても好都合だ。

 

 「くっ……」

 

 癪だが、こういうときに内通者(イレギュラー)がとれる行動はひとつだ。リーダーに不適格な人物をリーダーに仕向ける。逆に、リーダーに適した人物をリーダーの座から遠ざける。要するに足を引っ張ることだ。ひとりは放っておいても問題ないだろう。だとしたら、あと4人、こいつがリーダーになると不都合だという人物に投票すればいい。

 内通者の自分からしても、周囲からの信頼を得てうまく立ち回っている人物の当たりはついている。自分が自然に覚える感情に従えばいいのだ。頭のキレる者、周囲を和ませている者、しっかりした自己を持っている者、これらの順位は下げなければいけない。それから、リーダーにしたとき内通者を炙り出すようなことをしかねない人物もダメだ。うん、もう4人埋まってしまった。

 

 「はぁ……不安だ……」

 

 4票なんかじゃとても足りない。同じ人物に何度でも投票できるようにしたっていいくらいだ。さすがと言うべきか。コロシアイを後半まで生き残るような奴らはどいつもこいつも強かだ。親しい者の死、裏切り、血生臭い非日常、それらに打ち拉がれながらも奮起した強烈な意志を持つ者。はじめからそれらを覚悟していて動じない者。絶対的な力と自信からひとりでモノクマと渡り合える者……一筋縄ではいかない連中ばかりだ。なぜ生き残っているのか謎なやつもいるが……運が良いのか?

 ともかく投票だ。そして、モノクマとコンタクトをとらなければ。モノクマが既に用意しているという動機のことも気がかりだ。急がなければ。

 


 

 いま自分たちに本当に必要なものはなにか?

 内通者を抱えたまま結束すること。そんなはずない。内通者は必ず結束を歪める。モノクマがそうしてきたみたいに。だから内通者は絶対に排除しなくちゃいけない。

 

 生きてここから出るために必要なものはなにか?

 互いを疑うこと、そして信じること。そんなの無理だ。疑ったり信じたり、そんなの矛盾してる。少しでも疑念があればいざというときに判断が遅れる。100%の信用が必要だ。リーダーだってそうだ。

 

 モノクマと戦うために必要なことはなにか?

 そんなものはない。そもそも質問が間違ってる。モノクマと戦ったって勝ち目なんかない。必要なのはモノクマの支配から抜け出すこと、追ってくるモノクマから逃げ切ることだ。

 

 何が必要か、そんなものは刻一刻と変わる。それに際限がない。いつも何かが欠けているんだ。

 でも、必要のないものは分かる。必要ないという言い方は適切じゃないかもしれないけれど……。必要ではあるかも知れない。でもきっと邪魔になる。

 

 なんの邪魔かって?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——希望。




寒くなってきましたねえ。


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非日常編

 

 投票結果が出た。湖藤君が提案した、私たちのリーダーを選出するための逆投票。

 かつてモノクマが私たちに同じシステムの動機を与えてきたときは、全員の得票数が表示されたはずだ。今回は、リーダーになってほしくない人を選出する投票だ。得票数が多い人ほど、みんなから信用されていないっていうことになってしまう。この結果発表から既に、また私たちの仲をギスギスさせるようなものにならないか、今からお腹が痛くなってきた。

 

 「それじゃあ、発表するよ」

 

 いつの間に使い方を覚えたのか、モノカラーを次から次へと操作して、湖藤君はあっという間に投票結果の発表画面を整えてしまった。モノカラーから照射された光が食堂の白い壁に映し出される。

 

 「すっご湖藤さん!?モノカラーってこんなことできんの!?」

 「うん。暇な時にちょっといじってみたんだ。面白かったよ。電子機器はあんまり扱ったことないんだけど」

 「さっさと発表しろィ!どうせおいらァびりっけつなんだからよォ!」

 「分からないじゃないですか」

 「じゃァ庵野!おめェおいらに投票してねェのか!?」

 「……」

 「ぐうの音も出てねェじゃねェか!!」

 

 なんのお酒なのか、王村さんはまた悪い酔い方をしていた。かわいそうに、庵野君が藪蛇なことを言うから絡まれていた。正直、尾田君は信用できないけど頭が良い分、まだ得票数が少なくなってもおかしくない。でも王村さんは……。まあいいや、結果を見よう。

 

 「みんなの総意で決まったリーダーは、この人!」

 

 あのときと同じ。私たちの顔が一列に並んで、上から降ってくるブロックが積み上がっていく。これが得票数を表している。これが少ない人ほど、みんなが投票していない人——つまりリーダーに推されている人っていうことだ。前回の100票と比べて、今回は全部で32票。結果はすぐに出る。リーダーに選ばれたのは……。

 


 

 【得票数】

 

  長島 萌 :|||||||(7票)

  王村 伊蔵:|||||| (6票)

  尾田 劉平:|||||  (5票)

  庵野 宣道:|||    (3票)

  湖藤 厘 :|||    (3票)

  宿楽 風海:|||    (3票)

 毛利 万梨香:|||    (3票)

  甲斐 奉 :|     (2票)

 

(hr)

 

 「——へ?」

 「はい決定。というわけで、ぼくたちのリーダーは甲斐さんだ。おめでとう、よろしくね。リーダー」

 「……」

 

 なんだか色々とツッコミどころが多い結果だ。本当にこれ、私たちの投票でできた結果なの?

 

 「はああああああっ!!?なんで!?なんでワタシびりっけつカ!?っていうか8票って全員ワタシに投票してるアル!そんなにワタシ信用ないカ!おい!」

 

 まずはそこだ。てっきり私は王村さんが最多得票になると思ってたのに、まさか長島さんがなるなんて。かく言う私も、もちろん長島さんには投票してるんだけど……でも王村さんや尾田君に比べたらギリましってくらいなのに?

 

 「まあ、僕は独裁主義には反対ですので、決まった以上は従いますよ。どうやら大きな隔たりがあるようですがね」

 「尾田くんともあろう人がそんなこと言うの?それじゃあ生存投票でぼくたちを煽ったモノクマと同レベルじゃないか」

 「……素直に従うと言っているんです」

 「全然素直じゃなくない?」

 

 そんなことはどうでもいい。尾田君なら少しくらい嫌味を言うと思ってたから、これくらいはもう言ってないのと同じだ。そんなことより、最低得票者がリーダーになるって話だったでしょ?なのに……どうして私がリーダーに?いやいやいや、どう考えても湖藤君とか庵野君の方が向いてるよ。自分で言うのもなんだけど、自分に投票できないから投票しなかっただけで、本当なら下位3人と私に投票したいくらいだったんだから。

 

 「頑張ってね甲斐さん、みんなの投票で決まったことなんだから」

 「あっ、え?で、でも……」

 「デモも一揆もクーデターも革命もないの。これは信任投票なんだよ。きみがしっかりしないと、きみに投票しなかったみんなに悪いじゃないか」

 「えうぅ……」

 

 リーダーっていきなり言われても、どうすればいいのか。湖藤君はなんだか今日は冷たいし、風海ちゃんや王村さんは早速私を頼る気まんまんで目を輝かせている。毛利さんも庵野君も、私なら納得って顔をしてるし、尾田君は不満そうにそっぽを向いて、長島さんはみんなを憎らしげに睨んでいる。

 

 「あ、あの……長島さん。その、ごめんね」

 「ぷいっ!もう知らないアル!みんなワタシのこと嫌いなんだったら仲間はずれにするヨロシ!」

 「ええ……そ、そんなあ……」

 「なんて、冗談アル」

 「冗談なの!?本当に怒ってたようにしか見えなかったけど!?」

 「そりゃ最初は怒ったヨ。でも怒ったからって信用されるわけじゃないし、こればっかりは仕方ないネ。日頃の行いアル。事実と感情は切り分けて考えないといけないネ」

 「も、ものすごく物分かりがいいんだね……」

 「それに、投票結果に文句を言うより、リーダーになった奉奉(フェンフェン)に恩を売った方がコスパ良いヨ。ささ、リーダー!なんなりと!」

 「つ、ついていけないよ……」

 

 プライドがないのかなんなのか、長島さんは早速揉み手で露骨に媚びを売り始めた。この変わり身の早さが、長島さんの言う生き残りの秘訣なんだろうか。ともかく、一番心配だった人が思ったよりあっさりしてて助かった。

 

 「じゃあリーダーから一言もらおうか。就任会見だ」

 「なんでそんなこと言うの!追い込まないでよ!」

 「いいからいいから」

 

 なんでか、今日の湖藤君はやたらと私を追い込んでくる。リーダーに選ばれたからそれくらいは当然かと思うけど、有無を言わさない強引なやり方は、いつもの湖藤君らしくなくて少し違和感があった。

 でもこの場は言わないと収まらないし、私は仕方なく、みんなの前に立った。こうして人に見られる状況には慣れたはずだった。介護の現場では似たようなことが何度もあったし、学校でだってこういうレクリエーションはやってきた。それでも、ここにいるみんなの命を預かるんだって思うと……この中にモノクマの息がかかった内通者がいるんだと思うと……全ては私次第なんだって思うと……頭がくらくらした。

 

 「あ、あの……みんな……えっと」

 「やい!声小せェぞ!リーダーなんだったらでけェ声張り出してけ!」

 「そこの酔っ払い。女子高生にヤジを飛ばして楽しいですか。黙って飲んだくれててください」

 「ちょっと男子ぃ〜、奉ちゃんが話すんだから静かにしてください〜」

 「不安しかないよ……」

 

 早速、まとまりのないところを改めて目の当たりにすると、これからのことが心配になってくる。本当に大丈夫なのかな、こんなことで。

 

 「私をリーダーに選んでくれてありがとう。正直、リーダーって言われても何をすればいいか分かんなくて……私以外にもっとふさわしい人がいるんじゃないかってものすごく不安で……」

 「めっちゃ後ろ向きアル!そんなんでいいのカ!」

 「うぅ……」

 「立候補性にすべきだったんじゃないですか」

 「過ぎたことはもういいの。甲斐さんの下でぼくたちが同じ方向を向くことが大事なんだから」

 「だ、だからつまり……モノクマに負けないように、私たちは一致団結しなくちゃいけなくて、そのためには……き、希望を捨てちゃダメ!なんだと思う」

 「言葉尻が決まらねェなァ」

 

 頼りなくてすみません……。口に出したら泣いてしまいそうな言葉をぐっと飲んで、私は精一杯みんなを鼓舞しようと頭を回転させた。自分でも何を言ってるのか分からないくらい喋った。話せば話すほど私という人間の地金が出るような気がして、どんどん不安になって、余計に口は勝手に動き出す。頭の中が真っ白になって、脊髄で喋ってるような気になってくる。これはひどい。

 

 「もういいだろう」

 

 足取りの覚束ない私のスピーチを止めたのは毛利さんだった。割とこの中では私の味方寄りの立ち位置にいてくれてると思ってたから、そんな人に止められたことが余計にショックだった。むしろ止めてくれたと考えるべきなのかも知れない。

 

 「無理をさせても仕方ない。ともかくリーダーが決まったなら、次にすべきことがあるだろう」

 「うん、そうだね。ありがとう甲斐さん」

 「奉ちゃん!ナイスガッツ!」

 「うぅ……」

 「では、ここから脱出するためにどんな手段が考えられるか、ぜひともリーダーの意見を伺いたいですね」

 

 嫌な汗で背中がぐっしょりだ。ようやく窮地を脱したと思ってたのに、すかさず尾田君が追撃してきた。皮肉な言い回しまでして、どこまで性格が悪いんだこの人は。いきなり意見を求められても何を言えばいいか分からないよ。

 

 「脱出するためにはモノクマを倒すか、出し抜く必要があるね。どちらも実現可能性で言えば同じくらい難しいと思うけど、甲斐さん的にはどっちの方がいいと思う?」

 「うっ……わ、私は……モノクマを倒すってことは、モノクマと戦う必要があると思う。そうなったときに、モノクマはどんなことをしてでも私たちを混乱させて、もしかしたら無理やり殺そうとしてくるかもしれない。そうなったら私たちは……なにもできないと思う」

 「手前もそう思います。この希望ヶ峰学園全体がモノクマの支配下にあるのなら、手前ども精神的だけでなく物理的に分断することも可能でしょう。そうなれば……勝ち目はありません」

 「悔しいが、それは確かだな」

 「だから、どっちかって言うとモノクマを出し抜く方法……こっそりこの学園を脱出する方法を探す方がいいと思う。時間はかかるかも知れないけど、外にさえ出ちゃえれば警察や大人の人に助けを求められるし」

 「学園がこんなことになっているんだから、警察も手こずってるはずヨ。でもワタシたちがいなくなったら、最悪爆撃でもして殲滅できるネ!」

 「ば、爆撃ィ!?そこまでするかよ!?」

 「モノクマはやることなすことデタラメだから、それくらい必要だよ。むしろ爆撃の対策しててもおかしくないよ」

 「戦争じゃねェかよ……」

 

 もしこれが戦争なんだったら、私は敗軍の大将ってことになる。20人いた仲間はどんどん減っていって、もう半分も残っていない。挙句に敵の目を掻い潜って逃げる方法を考えようなんて言うんだから。でも、私はそれでもいいと思う。誰かが死んで誰かが生き残ればいいなんて風には思えない。生きて脱出するなら、ここにいるみんな一緒だ。たとえ内通者がいたって、その人もモノクマに騙されてるだけなんだ、きっと。だから全員で脱出する。それがいいと思う。それ以外にないと思う。それが私の望む決着だ。

 

 「時間がかかるかも知れないとおっしゃいますが、時間をかければかけるほどこちらが不利になるだけです。モノクマはあらゆる手段で僕たちをコロシアイに仕向けるでしょう」

 「そ、それは……そうだけど。でも、モノクマは今日までしばらく姿を現していなかった。しかも、その記憶がないみたいだった。何か起きてることは確かだよ。モノクマがいない間は、確実に私たちへの支配は弱まってた。これって、チャンスなんじゃないかな。まだもう少し、私たちには時間があるかも知れない」

 「()()()()()()()のかもしれないネ。でも、モノクマはモノクマで何かあったに違いないアル。ワタシたちが何もしなくても勝手に弱まっていくなら、それを待つのも手ヨ」

 「……楽観的ですね」

 

 尾田君の指摘は尤もかも知れない。でも、長島さんの言うとおり様子を見た方がいいのかも知れない。時間が経たないとその答えは出ない。時間があるのなら、待つ必要があるのなら、その間に私たちはできることをするだけだ。焦ってモノクマにぶつかっていっても、今のままじゃ返り討ちに遭うのが目に見えてる。

 

 「それじゃ、何から始めようか。リーダー」

 「えっと……脱出できそうな場所、たとえば玄関ホールとか、窓とかをもう一度調べてみるのはどうかな。少なくとも私たちは1回外に出てるわけだし、どこかが外につながってるはずだよ」

 「地道に参るしかありませんね。承知しました」

 「1階はぼくに任せてよ。1階しか調べられないからね」

 「出た!湖藤さんの不謹慎ジョーク!ほんとやめてほしい!」

 

 結局、やることはこれまでと同じだ。何度やったって同じことかも知れないけど、何もしないよりはマシだ。何か新しい発見があるかも知れない。王村さんが見たっていう謎の空間も気になるし、もしかしたらそれが脱出の手がかりになるかも知れない。

 きっとみんな、心の中で不安になってるはずだ。あのとき私が、力強くモノクマを倒そうって言えてたらどうなってたんだろう。みんなの不安を取り去って、脱出の希望を抱けるくらいの激励が言えてたらどうなってたんだろう。それでも尾田君は冷や水を浴びせてきそうだ。そう考えると、尾田君はある意味、敢えて私の反対意見を言ってバランスを取ろうとしてるのかも知れない。

 

 「ううん!そんなわけない!」

 「なにが?」

 「んっ、な、なんでもないよ!」

 

 みんなと別れて、湖藤君を部屋まで送る途中、私は考えを振り払うために大きく頭を振った。椅子を押されている湖藤君が気にしてしまうくらい。

 

 「リーダーになっちゃって不安?そうだよね、いきなりこんな状況でリーダーなんて言われても、何したらいいか分からないよね」

 「お陰様で。どうしてみんな私に投票しないんだろう。私なんて、みんなの中で一番頼りないと思うのに」

 「ああ言う場合は、頼りない人より、頼りたくない人に投票するものだからね。それに、バランスを取ってくれてる人がいるから、みんな甲斐さんのことを信じてるんだよ。尾田くんとか」

 「……え」

 「ヒーローだけの物語は退屈でしょ。人の心を動かすにはヒールが必要なんだよ。そしてときに、人はヒーローよりヒールに魅了される」

 「な、なんの話?」

 「たまにはヒーローがヒールに感謝する回があってもいいよねってこと。みんなそういうの好きでしょ」

 「だからなんの話!?」

 「さあね」

 

 また湖藤君に心を読まれてしまったみたいだ。人の心を動かすにはヒールが必要……尾田君がそのヒールってこと?彼は、それを理解して敢えてあんな露悪的な態度を取ってるってこと?じゃあ、尾田君が意識してるヒーローっていうのは……私のこと?なんで?

 尾田君が何を考えているか分からない。湖藤君がなんでそんなことを私に言うのかも分からない。私なんかがヒーローになんてなれるはずがないんだ。もしヒーローがいるんだとしたら……それはきっと自分の身を犠牲にしてもみんなを守ろうとする人。彼のような……。

 

 「甲斐さん、尾田君とも仲良くするんだよ。彼は強い味方になる。ぼくよりもずっとね」

 「そうかなあ」

 

 湖藤君は人の心を読む能力に長けてるけど、未来予測までできるわけじゃない。尾田君は確かに味方になれば心強いかも知れないけど、湖藤君の方がずっと心強い。何より自分の才能を隠してるような人は信用できない。それなのに、湖藤君はやけに尾田君を評価してる。私たちには分からない何かが見えてるのだろうか。

 

 「ねえ湖藤君、尾田君は——」

 

 何を考えてるんだろう、そう尋ねようとした私の言葉は、途中で遮られた。悲鳴だった。

 その声は、疲れ切った私の心臓を貫くように鋭くて、思わず私は声がする方へ振り向いた。私たちの個室がある方とは逆だ。

 

 「な、なに今の……!?」

 「宿楽さんの声だね。何かあったみたいだ」

 「まさか、モノクマが何か!?行こう!」

 「いや、甲斐さんだけで行って。ぼくがいると足手まといになるでしょ」

 「足手まといだなんてそんなこと……!」

 「甲斐さんがひとりで走った方が早いよ。ぼくはぼくで向かうからさ、行ってあげてよ」

 

 突然のことについていけず、頭の中がぐるぐる回る。湖藤君を連れていく方がいいと思うけど、私ひとりの方が早いのも確かだ。ここで言い合っているより行動した方がもっと早い。私は考えることを諦めて、言われるがまま駆け出した。

 廊下を走り抜けた。声が聞こえたのは食堂の近くだったはずだ。誰もいない。あんな悲鳴が聞こえたのに、なんで誰も来てないの?みんなどこ?焦って周りを見回しても誰も——いや、人影があった。薄暗い部屋、空き教室の中で今にも倒れそうにふらふらと歩いている、見慣れたカーディガン姿。風海ちゃんだ。

 

 「風海ちゃん!い、今の悲鳴は!?大丈夫!?」

 「うぅ……ま、まつ、りちゃん……!おぇ……!」

 「無理しないで!何があったの!?」

 「あ、あの……きみ、むらさんが……!」

 「王村さん……!?」

 「ランドリーで、たおれてて……にげて、きたけど、おいつかれて……!ここで……!みんな、そっちに……!」

 

 意識がはっきりしないのか、風海ちゃんの言葉は統率が取れてなくて何がどうつながってるか分からない。でも、ランドリーで王村さんの身に何かがあったらしいことは分かった。呼吸が不規則で体に力が入ってない。ひとまず風海ちゃんを教室の床に横にした。

 

 「ちょっと待ってて!すぐ手当ての道具を持って戻ってくるから、ここにいて!湖藤君にも来てもらうから!」

 「う、うぅ……ご、ごめんね……」

 

 固い床なんかに寝かせるのはよくないけど、私ひとりじゃ風海ちゃんを運べない。それに他のみんながランドリーの方に行ってるなら、そっちから応援をお願いすることもできる。とにかく人を呼んでこないと。何が起きてるか分からないけど、何かが起きてることは確実だ。私は風海ちゃんにここにいるよう強く念押しして、教室を飛び出した。

 

 

 

 私の意識は、そこで途切れた。

 


 

 「写真、撮ってもらっていいですか?」

 

 誰の声だろう。すぐ近くで聞こえた。微かに震えていて、でも堪えきれない喜びの色に満ちている。それが自分の口から出たことに気付くのは、刺激的なやわい感触の後だった。

 

 「あっ……!」

 

 落ちそうになったスマホを咄嗟に拾った。手のひらで危険なジャグリングをした後、はっと我に返ってさらに恥ずかしさが込み上げてくる。

 

 「と、撮りますよ?」

 「……あ、ありがとうございます」

 

 遠慮がちに差し出された手に、スマホを預ける。見ず知らずの人だったけど、ここにいるならきっと……友達になれると思った。田舎から都会の高校に転校してきて、気分が舞い上がってる内なら、変なことを意識せずにぐいぐいいけるかも知れない。記念撮影を頼むのにもドギマギしてるくせに、私の頭はそんな希望的観測で満たされていた。

 

 「えっと……撮りますよ。じゃあ。あー、い、1たす1は?」

 「…………に?」

 

 シャッターが切られまくる。鏡なんてなくても分かるくらい微妙な顔をしていたのに、そんな写真が何枚も一気に生成されていく。

 

 「わわっ!?あっ……ご、ごめんなさい!連写しちゃった……!」

 「あっ、ありがとうございます!」

 

 なんだか色んなことが噛み合わない。浮ついてるからかな。返してもらったスマホのカメラロールには、やっぱり戸惑い気味の固い笑顔の私が何人も並んでいた。びっくりして駆け寄ろうとした瞬間まで収まってる。それを見て、なんだか私は笑ってしまった。

 まだ少し緊張してるけど、笑うとなんだか心がほぐれていく。考えてみたら、彼だって私と同じはずだ。新しい制服を着てるし、大きなキャリーケースを転がしている。同級生なんだから、気負わずに話せばいいんだ。

 

 「あははっ、変な写真」

 「す、すみません……慣れないくせに出過ぎたマネを……」

 「ううん。ありがとう、ございます。あの、あなたも撮ってあげますよ」

 「えっ……い、いやでも……。僕のスマホ、行きの電車でバッテリー切れてて……だから、いいです」

 

 そう言って彼は、真っ暗になったスマホの画面を見せてきた。バッテリーが切れるくらい遠くから来たってことだ。私と同じ、地方の出身なのかな。それとも、よっぽど無茶な使い方をしたんだろうか。

 

 「それじゃ、私のスマホで撮ってあげますよ。後でレイン交換したら送るから」

 「レ、レイン……!?あ、うと……じゃ、じゃあ」

 

 大きな丸いメガネをかけた彼は、チャットアプリの連絡先を交換するのにものすごく驚いたようで、顔を真っ赤にしてしどろもどろになっちゃった。ちょっとぐいぐい行き過ぎたかな、と思ったけど、私は私で必死で平常心を装ってるんだ。こういうのは初手が大事だから、手加減しない。同級生になるんだったら、絶対仲良くなってやる。

 彼は校門の前に掲げられた表札の隣に立って、レンズ越しにもカチコチ具合が伝わる気をつけをした。あんまり緊張してるからなんだか面白くて、私はますます笑っちゃう。

 

 「それじゃ撮るよー!笑ってー!」

 「わ、笑う……!?ああぅ……え、へへ……」

 

 ぎこちないにも程がある。アプリで無理やり笑わせた方がまだ自然だと思えるくらい固い笑顔で、彼は写真に収まった。これはこれで面白いかも知れない。どうやら彼はこういうのに慣れてないらしい。どうなるのが彼にとって良いことなのかは分からないけど、もっと自然な笑顔ができるようになれたら、素敵なことだと思う。

 そこで私は、大切なことに気付いた。

 

 「あ、そういえば」

 「へっ」

 「名前。まだ言ってなかった。私、甲斐奉。あなたは?」

 「ぼ、僕は——」

 

 それが口から飛び出すより前から、私はその名前を知っていた。この場所も知っていた。ここで、私と彼がこうしていたことも知っていた。この後に出会う人たちのことも、どんな日々を送ってどんなことがあるのか、その結末も……全て知っていた。

 だって、それはかつて私たちだから。全て、私たちが経験してきたことだから。私たちの過去だから。

 


 

 「——ん!——ちゃん!まつりちゃん!まつりちゃん起きて!」

 「ぐはっ!?」

 

 体に電気が走ったように、私の意識は現実を取り戻した。目に映っているものが何かを理解するのに時間が必要だった。口が意味のある言葉を紡ぐのに少しの間苦労した。ようやく、私は私が気を失っていたことに気付いた。

 いつの間にか、私はたくさんの人に覗き込まれていた。毛利さん、王村さん、庵野君……みんな、不安げな顔をしていた。そして、私がみんな顔を見ると、一安心したようにため息を吐いた。

 

 「よかった……!気がついた!」

 「え……?な、なに……?」

 「うへえ〜〜〜ん!奉ちゃん死んじゃったかと思ったよ〜〜〜!心臓に悪いことしないでよ〜〜〜!」

 「宿楽。どいてやれ。甲斐が状況を飲み込めていない」

 

 私の上に覆いかぶさって漫画みたいな涙を流す宿楽さんを、毛利さんが担いでどかした。裾が思いっきり濡れてる。なんで私は気絶してたんだろう。それに、みんないったい……?

 

 「そ、そうだ!王村さん、大丈夫!?ランドリーで気絶してたって!」

 「あ、あァ……知ってンのか。まだくらくらすっけど、こんなん慣れっこだからなァ。迎え酒で気付してやった!ガハハ!」

 「まさか普段から飲んだくれてるのが役に立つとは思わなかったな。その分、大きな反動がありそうだが」

 「界王拳みたい」

 「あっそうなんだ……元気ならいいけど……」

 

 ひとまずそれはよかった。危惧していたようなことは起きてなかったみたいだ。

 

 「甲斐さん、あなたは宿楽さんと一緒に空き教室で倒れていたのです。気を失っているようだったので我々で介抱して、先に宿楽さんが気がつかれたのです」

 「私が?倒れてた?どうして……?」

 「王村も宿楽も同じ症状だった。おそらく同じ方法で気絶させられたのだろう」

 「させられたって、誰に?」

 「それが分かってらァ苦労ねェやな」

 

 つまり、誰かわからないってことだ。何者かが、私たちを気絶させて回ったってこと?一体誰が?

 

 「ほ、ほかのみんなは?」

 「……直接話を聞きに行った方が早いだろう。立てるか?」

 「肩貸してあげる」

 

 ここにいないのは湖藤君と長島さんと尾田君だ。その3人ならよっぽど何があっても大丈夫だと思う。なんならその謎の人物の捜査を始めてるかも知れない。私は、すっかり元気になった風海ちゃんに肩を貸してもらって立ち上がった。教室で気絶してたって聞いてたけど、ここは保健室だ。倒れてるのを発見した庵野君が、風海ちゃんと私をいっぺんに移したらしい。運び方は……あんまり気にしないでおこう。

 歩いているうちに、なんとなく色んなことを思い出してきた。風海ちゃんを空き教室に移動させて、私は教室を飛び出すところだった。教室から出たところまでは覚えてる。気絶する前後は記憶が混濁するから、きっと眠らされたのはその辺りだ。私たちが空き教室に入るのを見られてたんだろうか。もし誰かに会ってたら印象に残ってるはずだ。それも分からなくなるくらい強い衝撃だったんだろうか。でも怪我はしてないみたいだ。ということは、何か薬を使われたのかな。

 

 「奉ちゃん?あんまりがんばりすぎないでよ?」

 「え?」

 「ずっとぶつぶつ推理してるから。気絶明けまもなくからそんなに色んなこと考えてたら頭パンクしちゃうよ」

 「こ、声に出てた?」

 「出てたよ」

 

 出てたとは。何度も推理をしてきたせいか、自分でも気付かないうちに推理モードに切り替わってたことに驚いた。こんなことに慣れたくなんてなかった。熱くなってきた頭を冷やすために一旦ぼーっとする。分からないことをいくら考えたって意味がない。それより、これからどうするかの方が重要だ。

 

 「着いたよ」

 

 私たちは寄宿舎の方にやってきた。人が集まると言ったら食堂だけど、そっちじゃないんだ。寄宿舎なんて、誰かの部屋にでも集まるのかな。

 

 「奉ちゃん。じ、実は……」

 「?」

 「百聞は一見に如かずです」

 「……そうだね」

 

 なんだか寄宿舎に近付くにつれて、みんなの口数が減ってきていたことに、私は気付くべきだった。考え事をしていたせいで気付けなかったんだ。みんなの顔が暗くなっていってることに気付くべきだった。気絶明けまもなくで、そんな些細な変化に気付く余裕がなかったんだ。そこが誰の部屋なのか気付くべきだった。それは私が見落としていたせい?それとも、気付かないふりをしてたせい?

 奉ちゃんに肩を借りたまま、私は部屋に足を踏み入れた。そこには、保健室にいなかった……2人と1人がいた。そこでようやく理解した。みんながどうしてあんなに私のことを心配していたのか。みんなが醸してる暗い雰囲気の理由も。この部屋の主人が、どうなってしまったのかということを。

 

 「……え」

 

 誰にも何も言われてないのに、私は自然にその手を取っていた。いつもしてたからかな。首の後ろに手を差し込んで、その体を起き上がらせようとした。その体は重たくて、何の温度(ちから)も感じられなくて……誤魔化しようもないくらいの違和感が肌から直に伝わってくる。

 

 「は…………あっ……うっ、ああっ………………!?」

 

 自分で自分が意識を失うのが分かった。視界から光が消えていくのをはっきりと感じていた。体の形が保てなくなって空間に溶けていくような感覚。床が抜けて奈落の底に落ちていくような不安感。

 

 

 

 湖藤君(私の希望)が、死んだ。

 ——これが、絶望。

 


 

 「ううっ……?」

 

 頭が痛い。体が重い。寒い。身体中の血が抜けてしまったようだ。手足は痺れて自分の意思で動かせなくて、脳だけが覚醒している。

 

 「あ、起きた」

 

 隣で声が聞こえた。姿は見えないけど、声だけで分かる。この酔いどれた力のない声は、王村さんのものだ。

 

 「え……?な、なに……が?」

 「おめェまた気絶したんだよ。まァ、無理もねェと思うけどな」

 「きぜつ……?」

 

 気絶。えっと、確か、私は倒れた風海ちゃんを見つけて、空き教室に移動させたんだった。それで、誰か人を呼んでこようと思って……。

 

 「あっ、あ、あの……わ、私は……!風海ちゃんが……!」

 「あン?宿楽がどうした?」

 「風海ちゃんが……!倒れてて……!」

 「……おめェ、そりゃ空き教室での話か?」

 「そ、そうだ!王村さん、大丈夫!?ランドリーで気絶してたって!」

 「…………おいおい。マジかよ。いや……冗談でしねェよな?さすがにそんなこと」

 「冗談って、なにが?」

 「マジで覚えてねェのか?その……湖藤のこと」

 

 遠慮がちに王村さんの口から飛び出たその言葉で、私は心臓が握り潰されるような痛みを感じた。覚えてない、わけがない。忘れてただけだ。なんでか分からないけど、たった今、王村さんに言われるまで、そんなことは頭の片隅にだってなかった。でも今は、自分でそれを不思議に思うくらい強烈に頭の真ん中に刻み込まれているのを感じていた。

 

 「うっ!ううあああああああっ!!」

 「お、おい!落ち着け!叫んだってしょうがねェだろ!」

 「うそだ!!うそだうそだうそだうそだ!!湖藤君は死んでない!!あんなのはトリックだ!!湖藤君が死ぬはずない!!」

 「だわわっ!くそっ!聞き分けのねェやつだな!暴れんじゃねェよ!おめェ手も足も痛くねェのか!?」

 「いやだいやだいやだ!!信じない!!信じられない!!信じたくない!!そんなのおしまいだ!!なにもかもおしまいになっちゃう!!諦めちゃダメだ!!私たちはここから出るんだ!!」

 「であああっ!!うっせェんだよ!!これ飲んでだあってろ!!」

 「んぐむっ!?」

 

 口に異物を挿入される不快感。冷たくて、固くて、刺激臭が口の中から鼻に抜ける。喉が熱くなる。私は、これを知ってる。これは……!?

 

 「うぶっ……!?おべえええええっ!!?」

 「だああもったいねェ!!ってか落ち着いたかよコノヤロー!!いいか!おいらはガキだろうが女だろうが容赦しねェぞ!!なぜならおいらは体がちっこくてよわっちいからな!!気遣う側じゃなくて気遣われる側だ!!立派で何不自由ねェ体に産んでもらってわがまま言ってんじゃねェぞコラァ!!」

 「うあ……」

 「気持ちが分かるたァ言わねェよ。おいらにとっての湖藤とおめェにとっての湖藤はちげェし、同じくらい大切な人を亡くした経験もねェからな。けどな、信じたくねェっつって喚いたところで何が変わるんだ。参っちまうんだったらそのままぶっ倒れてろ。おめェが喚いたら毛利も宿楽も心配してこっち来やがる。生きようと必死になってるやつの邪魔だけはすんじゃねェぞ」

 「ふぁ」

 

 微睡んで形を失っていく世界の中で、王村さんの言葉だけが耳から入ってくる。その意味を理解するほどの理性は残ってない。でも、何が言いたいかはなんとなく分かった。その返事もできないまま、私はまた意識のない世界に落ちていった。

 

 「…………やべ、飲ませすぎた」

 


 

 次に目が覚めたとき、私は自分の体が人に動かされてるのに気付いた。ガタガタ揺れる振動が脳を直に揺らして気持ち悪い。ややあって、私は自分が座ったまま運ばれていることを知った。これは……車椅子だ。

 

 「あっ!起きた!ちょっとちょっと!勘弁してよ本当に!」

 

 目が覚めて最初に聞いたのは、もう二度と聞きたくなかったあの声だった。私の膝の上で、白と黒のふわふわが両手を振り回して怒っている。モノクマだ。なんでモノクマが私の膝の上に?それに、なんで私が車椅子に?車椅子は……湖藤君のもののはずなのに。

 

 「この短い時間に何回気を失うんだよ!不審者に眠らされて死体見て気絶してお酒飲んで酔い潰れてさあ!気の失い方コンプでも目指してんのか!」

 「はぇ……」

 「どきなよモノクマ。奉ちゃんはまだ何がなんだか分かってないんだから」

 「ふんっ!裁判までにちゃんと話しておけよ!なんも分からなくなったってボクしーらね!」

 

 なぜか不貞腐れて、モノクマは私の膝から飛び降りた。周りを見ると、他のみんなも一緒にどこかへ向かってるところみたいだった。

 

 「目覚めていきなりで悪いが、時間がない。端的に説明するぞ」

 

 ちょうど私の隣を歩いていた毛利さんが、私の方を見て言った。私の車椅子を押してるのは風海ちゃんだった。まるでボディーガードみたいに、みんなが私の車椅子の周りを囲っている。

 

 「お前が気を失っている間に、捜査時間が終わった。その……湖藤が死んだことはお前にとって相当辛いことだろうが、これから学級裁判がある。私たちも必死だ。証拠の共有だけはしておきたい。ここまでいいか?」

 「……湖藤、君」

 

 改めて冷たく告げられたその事実。また取り乱しそうになるけど、そうも言ってられない状況だってことも理解している。ざわつく胸をなんとか堪えた。

 

 「え……あ、あの、私、なんで気を……?」

 「事件のことを知って暴れたお前を落ち着かせるため、何を思ったか王村が酒を飲ませた。その点はしっかり庵野にこらしめてもらった」

 「こらしめました」

 「ずびばえんでじだ……」

 

 顔を真っ赤に腫らした王村さんが振り向いた。しっかり懲らしめられたみたいだ。

 

 「頭痛や吐き気があるだろうが、それを気遣っていられる余裕も私たちにはない。苦しいと思うが、話を聞いているだけでいい」

 「う、うん……」

 

 毛利さんがモノカラーを使って、捜査時間中に見つけた証拠品について説明してくれた。私はそれを見て聞いていたけど、なにひとつ頭の中には留まっていなかった。

 私が座っているこの車椅子。きっと気絶している私を裁判場に連れていくために使ってるんだろう。これは、湖藤君が使っていたものだ。いったいなんの皮肉だろうか。湖藤君が使わなくなった途端、今度は私のものになってしまったみたいだ。私はまだ、湖藤君の死を受け止めきれていない。手には彼の冷たくなった首の感触がはっきり残っている。もしこれが湖藤君じゃなければ、それだけで十分に死を確信する。

 でも、湖藤君だけは違うんだ。誰よりもか弱かったのに、誰よりも強かだった彼が、そんな簡単に死んでしまうなんて、信じられなかった。どうやって死んだのかさえ私は知らない。直接調べることもできなかった。こんな写真と文字だけで彼の死を突きつけられてしまうなんて……。

 

 「これで以上だ。ゆっくりでいいから、よく読んでおいてくれ」

 「……うん」

 

 私の生返事で、毛利さんは不安げに話を終わらせた。ゆっくりもなにも、学級裁判が終わるまでに事件があったことを受け入れることさえ、私には難しいかもしれない。今はまだ、何も考えられる状態にない。

 開かれた目と耳から入ってくる刺激は、私がエレベーターに乗って裁判場まで降りてきたことを知らせていた。モノクマが何か言ってる。風海ちゃんが何かを言ってる。私は自分の証言台の前まで運ばれてきた。ふと顔を上げれば、いつも腰の高さまでしかなかった柵が視界を覆っていて、まるで檻に入っているようだった。湖藤君はいつもこんな視界だったのかと、そこで気付いた。

 

 「ただでさえ人数減ってんのにひとりあんな感じで大丈夫なのかよオマエラ!腑抜けた裁判だけはやめてよね!?せめて楽しませて死んでくれよな!」

 「喪ったものは少なくないですが、支障ありません。僕たちはやらねばならないのです。今さら人が死んだことにショックを受けるような人は、覚悟がなかった。それだけのことです」

 「そ、そんなことないよ!奉ちゃんは……!」

 「よせ宿楽。今は何を言っても無駄だ。私たちがすべきなのは、この事件の犯人は誰かを暴くことだ」

 

 命懸けの信頼。命懸けの弁明。命懸けの追及。命懸けの偽証。命懸けの推理。

 

 でも、どれもなんだかどうでもいい。

 

 もう私たちに希望(湖藤君)はないんだから。

 

 たとえこの学級裁判を生き残ったって、何も残らない。

 

 だったらもう……これ以上なにをするって言うの。

 

 私は、どうしたらいいの。

 

 湖藤君……。




いつの間にかこんなところまで来ていました。
ずいぶん先まで書き溜めてますが、全然終わる気配がありません。
本当に終わんのかこれ。


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学級裁判編1

 

 コトダマ一覧

【モノクマファイル⑤)

 被害者:湖藤厘

 死因:緩やかな中毒死

 死体発見場所:湖藤厘の個室

 死亡推定時刻:午前2時10分頃

 その他:背中の広い範囲にアザがある。争った形跡はなし。

 

【連続襲撃事件)

 王村、宿楽、甲斐が被害に遭った犯人不明の連続襲撃事件。

 全員が何者かによって突然気絶(宿楽は軽度の眩暈)させられるも、負傷者は出なかった。

 使用されたのはおそらくクロロホルムで、薬品庫のクロロホルム瓶に使用した痕跡があったのを庵野が発見した。

 

【モノトキシン2053)

 生存投票で最下位となった益玉にペナルティとして打たれたモノクマオリジナルブレンドの猛毒。

 激しい痛みと出血によって三日三晩苦しんだ末に死亡するほか、死体には特徴的なアザが残る。

 解毒する方法はモノクマのみが知っている。

 

【モノクマの証言)

 湖藤の身体のアザは、モノトキシン2100という2053の改良版のもの。

 2053の欠点(時間がかかることと死体が汚いこと)を解消するためモノクマが新たに開発した。

 一晩で死亡する代わりに苦痛が少なく緩やかな死になってしまった。

 

【怪しげなラベル)

 湖藤の部屋のゴミ箱に入っていた、ドクロマークが書かれたラベル。

 何に貼り付けてあったのか、貼り付けてあったものがどこに行ったのかは分からない。

 

【ボイスメッセージ)

 湖藤のモノカラーに収められていたメッセージを、宿楽のモノカラーで再度録音したもの。

 死の直前に録音された、湖藤の肉声が遺されている。

 

【メモリースティック)

 高性能な小型情報媒体。

 何かが記録されており、映像資料室のパソコンに接続することで視聴できるようだ。

 映像資料室に落ちていたのを尾田が発見した。

 

【果樹園の隠し部屋)

 果樹園にあるリンゴの樹の裏から入れるようになっていた隠し部屋。

 中にはリターナブル瓶専用の自動販売機、校則一覧の貼り紙のほか、文章が残されていた。

 「命果てようとも知恵を求める者よ。その証をここに示せ」

 自動販売機は何の反応もない。

 


 

学級裁判 開廷

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票により決定されます。正しいクロを指摘できればクロだけがおしおきされます。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は、クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが晴れて卒業となります!」

 「……」

 「ひとり、それどころじゃないやつがいるネ!おーい奉奉(フェンフェン)!しっかりするヨロシ!」

 「…………」

 「甲斐さん?その……湖藤君が亡くなってショックを受ける気持ちは分かります。ですが、理不尽に奪われる命をこれ以上増やしてしまうことは避けなければなりません。なんとかお気を確かに」

 「………………」

 「ダメだこりゃ。打っても叩いても響かねェ」

 

 みんなの視線は、前回の裁判から増えた芭串さんと湖藤さんの遺影じゃなくて、今にも死にそうなくらい真っ青な顔をした奉ちゃんに向けられていた。そりゃそうだ。こんな状態の人をさておいて話なんかできない。

 

 「いい加減にしてください。甲斐さんも、その他の方々も。遊びじゃないんですよ」

 

 どうしたらいいか分からないで戸惑っている私たちに、尾田さんの冷たい言葉がピシャリと響く。いい加減にって、なんで尾田さんは怒ってるんだろ。遊びじゃないことなんて過剰なくらい分かってる。分からされてる。

 

 「この空間にいる以上、誰が死のうとそれは想定内のことです。いつかこうなることは分かっていたはず……少なくとも覚悟はしていたはずです。今さらになって湖藤クンが死んだから悲しくて話せないなんて言わせません」

 「それはそうかも知れないが、覚悟をしていたからといって易々と受け入れられるわけがないだろう。甲斐にとってはあまりに突然すぎる」

 「だから、そういう言い訳が許されない状況だと言っているんです。ここにいる人数を数えてください。湖藤君を殺害したクロが1人と、内通者が別に存在するとして、シロ側の頭数はたったの5人です。場合にもよりますが、その中で戦力になる人間がどれだけいますか」

 「やろ〜、露骨にこっち見やがって」

 

 私も裁判場を見回した。今この場に立ってるのは全部で7人。この中にクロと内通者がいるから、信じられるのはたった5人。手掛かりも少なくて、学級裁判では大きな力になっていた湖藤さんがいなくなってしまった。状況はめちゃくちゃ悪い。クロに有利で、シロに不利だ。だからこそモノクマは植物園の隠し部屋をヒントとして教えたんだろう。さすがにあれを知らずに事件の真相を突き止めることはできないと思ったんだろう。

 

 「甘えたことを言ってる場合じゃないんです。本当に死にますよ?」

 「……」

 

 最後の一言は、明らかに奉ちゃんに向けて言っていた。それが奉ちゃんに聞こえていたのか、心に届いたのかは分からない。ただ、奉ちゃんは微動だにせず空中の一点を見つめ続けていた。青い顔はそのままで、ときどき湖藤さんの証言台の方を見ては何かをつぶやいてる。

 

 「まーまー、ぶっ壊れちゃった人のことをあれこれ言ってても解決しないアル。ワタシたちの中に医者はいないヨ。だったら、やるべきは議論することじゃないカ?」

 「なぜ僕に言うんですか。僕はずっとそう言ってます」

 「湖藤君や甲斐さんにばかり頼っていられませんからね。手前どもも精一杯のことをしましょう」

 

 こういうときに長島さんのサバサバした考え方は、ある種の助け舟になってくれる。つい引っ張られて落ち込んじゃう私たちを、尾田さんよりも柔らかく現実に引き戻してくれる。投票してごめんなさい。

 

 「ではまず、モノクマファイルを確認しよう。全員現場は見たと思うが、同じ認識を持ってもらうためには必要だ」

 

 私たちはモノカラーでモノクマファイルを映し出させた。写真の上でも湖藤さんの死体はとてもきれいで、言われなければ死んでいるとは思えないほどだった。まるで眠っているだけのように、ベッドの上にきれいに寝そべっていた。

 

 「被害者は湖藤厘。自室のベッドに寝た状態で死んでいたのを発見された。死因は毒死。体のどこにも怪我や注射痕のようなものはなかった。また、発見時の湖藤の部屋は内側から鍵がかけられていた」

 「岩鈴さんの部屋から工具を持ってきて、なんとかドアノブを壊して鍵を開けたんだよね」

 「分かったぜ!つまり、こいつァ密室殺人ってこったな!」

 

 王村さんが揚々とそれっぽいことを言う。確かに湖藤さんの部屋は鍵がかかってたから密室って言えるかも知れないけど、そこまで大したことでもないと思う。

 

 「密室といえば密室だけど、個室ってオートロックだよね?いつどうやって湖藤さんを殺害したとしても、最終的に犯人は部屋の中に入ったはずだよ。普通に部屋を出ていくだけで密室にはなるんだから、そこはそんなに突き詰めてもしょうがないと思う」

 「宿楽(こっちのアホ)王村(あっちのアホ)より幾分かマシですね」

 「まともなこと言ったのにアホ呼ばわり!?」

 「誰がアホだテメェ尾田この野郎!」

 「密室であったこと以外に現場に不審な点はありませんでした。となると、あの状況そのものに手掛かりはないと考えるべきですね」

 「それなら、湖藤の死因について考えるのはどうだ」

 

 やっぱりというかなんというか、今まで湖藤さんがいたおかげで裁判場はなんとなくバランスが取れてたんだなあ、なんて思う。私たちじゃ尾田さんの頭脳に勝てないし、なんだかんだ怖いから、湖藤さんみたいに牽制したり、奉ちゃんみたいにたしなめたりできない。私たちは尾田さんに罵られるまま、気持ちが落ち込んだまま議論を進めるしかない。ブラックだよ……。

 

 「モノクマファイルには、湖藤君の死因は毒物を服用したこととありますね。薬品庫に行けば毒物はいくらでも手に入りますが……犯人はそこから毒を調達したのでしょうか」

 「使われたのは、部屋のゴミ箱に捨てられてたビンの毒だろうなァ」

 「ワタシと風風(フェンフェン)で下を調べてみたヨ!でもあのサイズの瓶が入る隙間はなかったヨ。そもそも犯人が使った瓶をわざわざあんなところに捨てる意味なんてないネ。下から持ってきたなら使った毒がバレないように元の場所に戻すか、最悪粉々にしてポイっ!ヨロシ」

 「じゃああの毒はどっから出てきたんだ?」

 「毒と言えば、益玉さんも毒で苦しんでたけど……モノトキシンだっけ?あれが使われたんじゃないかな」

 「それは違うぞ」

 

 静かに、訂正するように毛利さんが言った。私、また何か言っちゃいました?

 

 「私の記憶によれば、益玉に打ち込まれた毒は非常に強力で悪意に満ちた毒だ。体に入った瞬間から激しい痛みと苦しみに苛まれ、三日三晩苦しみ続けて血を撒き散らしながら死亡する……そういう代物だったはずだ」

 「おおう……た、確かに言われりゃそうだったかも知れねェけど、よくそんなこと言えんなおめェ」

 「ナイス記憶力ヨ、香香(シャンシャン)。確かに兎兎(トゥートゥー)が死んだときの保健室はビッチャビチャだったネ」

 「みんなもっと奉ちゃんに配慮とかしてよ!?」

 「ともかく、今回の湖藤の死体は、寝ているようにきれいなものだった。それに、前日も前々日も湖藤の様子におかしなところはなかった。益玉と同じ毒が使われたとは言えないはずだ」

 「めちゃくちゃ我慢してたとか?」

 「本気で言ってるのか、王村」

 「いちおう言ってみただけでェ。最初の裁判んときに隠し事してえらい目に遭ったの思い出したからな」

 「みなさん、色々と思うところがあるものですね」

 「しみじみ言ってる場合じゃないと思うけど……」

 

 あんまり覚えてないけど、益玉さんの死体と湖藤さんの死体を頭の中で比べてみる。うん、確かに、益玉さんは本当に死んでる!って感じだったけど、湖藤さんはそうじゃなかった。同じ毒が凶器っていうのはちょっと無理があった。つくづく私ってこういうところに気付けないんだなあ、て落ち込む。

 

 「となると、湖藤君の体のアザは一体なぜ……?争った形跡もないようですし」

 「それについては、検分をしていたときにモノクマから聞いた。あのアザは、モノクマが開発した別の毒の特徴だそうだ」

 「何個も開発するんじゃねェよ!毒をよ!」

 「それでしばらく見かけなかったのネ」

 「ふっふーん、ボクはスーパークマちゃんなので、毒の開発くらいお手のものなのだ!」

 「で、その毒ってどんなのヨ」

 

 毛利さんが、モノカラーで記録したメモを読み上げる。なんかみんな使いこなしてきてるな。

 

 「モノクマによれば、益玉に打ち込んだ毒がモノトキシン2053で、今回使用されたのはモノトキシン2100というそうだ。これは、2053にあった死亡まで三日かかる点や被害者が血を噴き出すという欠点を改良し、摂取から一晩で死に至らしめる強力な毒性を持つ一方、その進行は緩やかだそうだ。そして、死体には特徴的な死斑ができる」

 「シハン?」

 「死体にできるアザのようなものだ。内出血の類だと思えばいい」

 「聞けば聞くほど、今回の事件とリンクするね……」

 「リンクどころか、まさにその通りです。湖藤君に使われたのはこの毒で間違いないようですね」

 「ちょっと待つヨ!確かに厘厘(リーリー)の死に様とはそっくりだけど、だったらその毒はどこにあったカ!」

 「どこって……?」

 「毒が欲しいと思ったらみんな薬品庫に行くはずヨ!でもワタシと風風(フェンフェン)で調べても、そんなのは見つからなかったヨ!そこになければないアル!」

 「……どうなんですか、モノクマ」

 

 私たちの議論を冷めた目で見ていた尾田さんが、モノクマに意見を求めた。私には、その一言にひどい違和感を覚えた。尾田さんは些細なことから本当にたくさんのことを見抜いてしまう。だからあの毒がどこから出てきたかの答えも持ってると思ってた。そうでなくても、まだ十分に議論を尽くしてないのにモノクマに助けを求めるような質問だ。そんなの、尾田さんらしくないと思った。なんだか……すごく不気味に感じた。

 

 「あなたが、僕たちには入手できない場所に保管されていたあの毒を持ち出したんじゃないんですか」

 「うっぷっぷ♪なあに尾田クン?もういない誰かに触発されてボクと駆け引きでもするつもり?変わったねえ」

 「ボクはイエローカードを持ち合わせていないので」

 「だっひゃひゃ!いいでしょう!その心意気は買ってあげるよ!ブラックカードは使えるかしら」

 「買ったんならさっさと答えてください」

 「冗談の通じないやつ。ボクを疑うのはお門違いってもんだよ!あの毒はちゃんとオマエラの誰でも手に入れられる場所にあったよ!ついでに教えちゃうけど、薬品庫じゃないからね!」

 「……まあ、いいです」

 

 モノクマはいい加減なことを言うけど、嘘は吐かない。そんな風に言ってたのは湖藤さんだったかな。っていうことは今のは取り敢えず信じていいってことだ。尾田さんがなんでモノクマのことを疑ってたのかも、理由を聞いてなんとなく理解した。この前の事件から、尾田さんも、湖藤さんも、モノクマが事件に介入してるんじゃないかって疑ってた。それを確かめようとしたってわけだ。

 

 「どこから毒を入手したかも問題ですが、犯人は確実に湖藤クンの部屋に入っています。ゴミ箱に落ちていた茶褐色の瓶が毒の入っていた瓶と考えていいでしょう」

 「やっぱり敢えてあれを残した理由が分からないネ。毒を使ったことがミスリードじゃないなら、なんでわざわざそれを教えるようなことするカ?」

 「……ひとつ、考えられるのは」

 

 私は、ずっと頭の中にあったことを口にすることにした。言うならここだと思った。奉ちゃんの前でこんなこと言うのは忍びないというか……怒らせちゃうかも知れないから言いたくなかった。んだけど……しょうがないよね。王村さんじゃないけど、思ってて言わないせいで後で大変なことになったら嫌だし。

 

 「ゴミ箱に捨てる以外に処分方法がなかった……とか」

 「どういうことですか?ゴミ箱に捨てるにしても、なにも確実に見つかる湖藤君の部屋のゴミ箱にすることはないでしょうに」

 「だから、時間がなかった……とか、捨てに行けなかったとかじゃないの。()()は、部屋から出てないんじゃ……ないかなって」

 「そ、それは……宿楽。つまり……?」

 「……湖藤さんは、自殺したんじゃないかなって。ちょっと、思ったりしたんだよね」

 

 きっと尾田さんはとっくに考えてる可能性なんだろう。そう思って顔色をうかがってみたら、ちょっとだけ目を丸くしていた。それが驚きの表情なのか、それ以外の感情なのか、私には判別できなかった。分かるのは、私の話に興味を持ってるってことだ。ものすごい意外だった。尾田さんが、私なんかの話をまともに聞いてくれるなんて。

 

 「鍵がかかってたのも、毒の瓶が雑に処分されてたことも、湖藤さんが自殺したって考えたらそんなに不思議なことじゃないし……あっ、で、でも湖藤さんが自殺するなんてあり得ないよね!ま、また私、わけわかんないこと言っちゃって……アホが口きいてすんませんっした!」

 「鋭い推理してソッコー否定すんじゃねェよ!感情がおっつかねェだろ!」

 「ええ。確かに、その可能性はすっかり抜け落ちていました。湖藤君に限って、自殺などするはずがないと……思い込んでいました」

 「え〜?ワタシはあんまり思わないヨ。厘厘(リーリー)は自殺するにしたってもうちょっと凝ったことすると思うネ」

 「いえ……先入観は危険です。遠回りであろうが寄り道であろうが、あらゆる可能性を考えるべきです」

 「ほぶっ」

 

 意外に意外が重なった。私の思いつきを、みんな割とまともに受け止めてくれた。そんなわけないだろ!ってフルボッコにされる未来しか見えてなかったのに。まあ湖藤さんに限って自殺なんてするわけないよね、と思うけど、なんか周りに流されてあり得そうな気になってくる。

 

 「仮に彼が自殺したとなれば……問題になるのは、彼がいつ毒を入手したか、です。そうなると……まあいずれはこうなると思いましたが、話を聞かなければならない人物がいます」

 

 そう言って、尾田さんは視線だけを投げかけた。いまだ青い顔で小さく震えながら、ぶつぶつと何かをつぶやいてる奉ちゃんに。そうだ、湖藤さんが自殺したにせよ、そうでないにせよ、事件が起きる直前まで一緒にいたのは奉ちゃんだ。本当は私と一緒に気を失ってたから、本当の事件直前には立ち会えてないってことになってるんだけど、少なくとも一番同じ時間を過ごしてきた人ではある。事件直前の不審な様子とか、あとは毒を手に入れたタイミングとか、奉ちゃんの証言で分かることがあるかも知れない。

 

 「で、ボクらはいつまで待たなくちゃいけないんですか。そうやってればみんなが心配してくれると思ってます?正直、迷惑なんですよね。あなたがクロならいいんですが、そうでないなら生きようとしてるボクたちの足を引っ張らないでくれません?」

 「容赦ねェなおめェ!いま甲斐はすげェことになってんだぞ!?」

 「知りません。こちらは命懸けなんです。はっきり言って、甘ったれに付き合ってる余裕はないんです」

 「尾田!言い方を考えろ!確かに甲斐が回復しないことには議論が進まないのはそうだが、だからと言ってそんな言い方で回復すると思っているのか!」

 「優しく言って回復するならそうしますよ。ですが彼女はそれ以前の問題です。なんの覚悟もせずに今まで過ごしていたんです。周りでもう12人も顔見知りが死んでるのにですよ?それなのに、今さらひとりが死んだところでこうなってしまうなんて、あり得ないと言うほかありません」

 「正論で人は救えません。人を救うのはいつでも愛です。あなたには愛がない」

 「お生憎ですが、ボクにだって愛情を振りまく相手を選ぶ権利くらいあります」

 「劉劉(リュウリュウ)が愛情を注ぐ相手なんているカ?」

 「オマエラなんの話してんの?ふざけてる場合じゃないよね?もっとがんばれよ!フレーフレー!」

 

 尾田さんは怒ってるんだ。湖藤さんが殺されたことに対してでもなく、モノクマに対してでもなく、湖藤さんが殺されたことにひどくショックを受けている奉ちゃんに対してだ。正直、私たちだって奉ちゃんにはやきもきしてる。湖藤さんがいなくなって辛い気持ちはもちろんある。だけど、裁判で喋れなくなっちゃうほどじゃない。気を失うほどじゃない。奉ちゃんは限界なんだ。人一倍落ち込みやすくて、誰よりも周りの人のことを思いやれる奉ちゃんだからこそ、その心を支えていた湖藤さんを喪ったショックが大きいんだ。

 でも、ここで黙ってても状況はよくならない。私は奉ちゃんに寄り添って、背中をさすりながら声をかけた。これで少しはよくなればいいけど。

 

 「奉ちゃん?どう?少しは落ち着いた?」

 「落ち着くなんて、そんなの……おかしいよ。もう、私にできることなんて……何もないよ……」

 「何もする必要なんてないよ。今は、ただ知ってることを話してくれればいいの」

 「知らない……なんにも知らない……!もうやだよ……おしまいなんだよ……!いまさら私に何ができるっていうの?」

 「なんだってできるよ!ここで諦めちゃったら、湖藤さんの気持ちはどうなるの?湖藤さんは、奉ちゃんに生き延びて欲しいはずだよ!その気持ちを無駄にしちゃダメだよ!」

 「だけど!湖藤君はもういないんだよ!いなくなった人が何考えてたかなんて分かるわけない!いい加減なこと言わないで!もう何をしたって意味なんかないんだよ!」

 「そんなことないよ!いなくなった人のためにだってできることはある!それに、今の私たちには奉ちゃんが必要なんだよ!奉ちゃんの言葉が必要なの!奉ちゃんの記憶が必要なの!知ってることを教えて!」

 「……私が、必要?」

 

 ひく、と奉ちゃんの反応が変わった。私たちが奉ちゃんの証言を必要としてる、そこに引っかかったみたいだ。誰かが奉ちゃんを必要としてること——それが奉ちゃんの強いモチベーションになるみたいだ。

 そう言えば、前にも奉ちゃんはそんなことを言ってたような気がする。介護のボランティアをしてるのも、みんなが自分を必要としてくれたからだって。希望ヶ峰学園に来たのも、学園が自分を必要としてくれたからだって。誰かに必要とされるっていうのは、奉ちゃんにとって何よりも嬉しいことみたいだ。

 

 「そうだよ。この事件の真相を突き止めるため……湖藤さんのカタキをとるためには、奉ちゃんの知ってることを教えてほしいの。大丈夫、奉ちゃんひとりに背負わせたりしない。私たちみんなで、この事件の真相を突き止めるんだ。奉ちゃんは、みんなを真相に導いてくれればいいの」

 「……わ、私が……湖藤君……!私が、目を、離したから……!」

 

 そっと抱きしめると、奉ちゃんは小さく震えていた。それでも、さっきまでより話してくれる気にはなったみたいだ。ゆっくり、少しずつだけど、うわ言とは違う何かをつぶやき始めた。

 

 「私が、死なせたようなものだよ……!ずっと、そばに、近くにいて……目を離しちゃ、いけなかったのに……!」

 「主観は要りません。事実だけを述べてください」

 「少し黙れ、尾田」

 

 また横槍を入れてきた尾田さんに、毛利さんの横槍返しが刺さった。尾田さんは不満げな顔をしていたけど、いまの奉ちゃんを急かしても仕方ないと分かったのか、それ以上は何も言わなかった。

 

 「こ、湖藤君を……部屋に戻す、ときに……聞いたの。悲鳴を。たぶん……奉ちゃんの……」

 「それはどこでですか?」

 「寄宿舎に戻る途中……それで、私はそれが気になって……でも、湖藤君を部屋に、送らなくちゃいけなくて……。だ、だけど……湖藤君をそこにおいてって……」

 「なんで部屋まで送らなかったカ?」

 「こっ……うぅっ……!こ、湖藤、君が……言ったから……!行ってあげてって……!大丈夫だからって……!それで、だから……」

 「ふむ。宿楽さんの身を案じ、それが気掛かりな甲斐さんを慮って、湖藤君はそう言ったのですね。なんと愛の深い方でしょう。ただごとではないことが起きていることは明白だというのに」

 「それで自分が殺されてちゃ世話ねェけどな」

 「……そうなると、連続襲撃事件と湖藤の殺害は、無関係に起きたわけではなさそうだな」

 「え?なんで?」

 

 奉ちゃん、湖藤さんと一緒にいたのに私のことを心配して来てくれたんだ……!結果的にそれが湖藤さんを喪うことになってしまったとしても、奉ちゃんが私を優先してくれたっていうだけで私にはすごく嬉しかった。湖藤さんがそうするように言ったっていうのもあるけど。本当に、湖藤さんらしい。

 頑張って思い出しながら話してくれた奉ちゃんが一息つくと、毛利さんがあごをさすりながら言った。どこからそんな結論になるのか、私には皆目見当もつかなかった。みんな勘良すぎない?

 

 「王村も宿楽も甲斐も、気絶させられていたのに怪我の一つも負っていないのは、単純に殺人を企てていたのなら不自然だ」

 「おいらァ倒れたときに頭ぶつけてコブができたぜ」

 「おそらくわざと騒ぎを起こすことで全員の注目を王村や宿楽の方に向けさせ、その裏で行動することを考えていたのだろう」

 「そもそも3人も気絶させてしまったら、クロ候補が狭まってしまいます。その点でも、今回の事件は湖藤クン個人を狙って起きたものだと言えるでしょう」

 「湖藤君を……狙った……?どうして……!どうして湖藤君が誰かに命を狙われなくちゃいけないの!」

 「ここはそれを議論する場です。建設的な話ができないなら黙っててください」

 「喋れって言ったり黙れって言ったり忙しいやつアル。やれやれヨ」

 

 つまり、連続襲撃事件はただの陽動で、本命は湖藤さんの殺害だったと。そりゃ気絶させるのと殺人だったら殺人の方がメインの事件だろう。うん、確かに、普通に考えてそうだ。二つの事件が別々に起きたっていうのも、あまりにできすぎた話だし。

 

 「ということは……事件の真相を明らかにするためには、例の連続襲撃事件についても考える必要がありそうですね」

 「やっぱりカ。って言ってもワタシたちは風風(フェンフェン)たちがぶっ倒れてるところしか見てないヨ。何を考えればいいか分かんないアル」

 「一度、全員の認識をそろえておいた方がよさそうだな」

 

 テキパキとみんなが裁判を進めていく。尾田さんが口を挟まなくても、湖藤さんの手助けがなくなっても、奉ちゃんの提案がなくても、みんなが真相に向けて一歩一歩進んでいってる。私はそれを横で見ていることしかできない。話の内容についていくことはできる。なんて言えばいいか分からないんだ。

 みんな、今までこんな気分だったんだ。

 

 「連続襲撃事件とは、湖藤が殺害されたことが発覚する直前に起きた事件だ。ランドリーで王村が、1階廊下で宿楽が、その宿楽を空き教室に運んだ直後に甲斐が教室前で、何者かに襲われて眠らされた。体のどこにも怪我はなく、なくなったものもない。ただ眠らされただけだ」

 「眠らされてただけって……本当にそれだけカ?寝てる人にできる悪さは怪我や盗みだけじゃないヨ!もしかしたら気付かないうちにあんなことやこんなこと……!」

 「事件が起きてから私たちが発見するまでそう時間はなかった。暴行や窃盗以外にできることがあるとは思えない。今のところ目立った異常はないし、一旦そういうことでいいだろう」

 「3人も襲われてて、ひとりくらい犯人の姿を見てないカ?風風(フェンフェン)は意識があったから軽症みたいだし、奉奉(フェンフェン)風風(フェンフェン)のすぐ後に眠らされたんだから、近くに犯人がいたはずネ!」

 「わ、私は……なにも……」

 「うぅん、私も全然。なんか、記憶が曖昧っていうか、くらくらしてて何がなんだか分からなくなっちゃって……」

 「そう言えば、みなさん怪我がないということは、どうやって眠らされたのでしょう?」

 

 どうやってって……どうやってなんだろう?確かに、人を気絶させる方法って言ったら頭をゴッちんするか……それ以外だったら。

 

 「薬で眠らせた、とか?」

 「外傷がないのならそうでしょう。一瞬で眠るとなるとかなり強力ですから、なにか後遺症が残っていれば同定ができるかも知れません。何かありませんか」

 「これといって特に」

 「実に使えない被害者です」

 「そんな言い方あんまりだ!!あァァァんまりだァァアァ!!!」

 「HEEEEYYYY!!!」

 「急にうるせっ」

 

 なんで私のボケにモノクマが全力で乗っかってくるんだ。ともかく、薬が使われたのは確かだ。殴ったなら殴った跡が、スタンガンなんかを使ったならそれなりの跡が、何かしら残ってるはずだ。奇跡的に王村さんも奉ちゃんも後遺症らしいものはないみたいだから、なんの薬を使ったのかまでは分からないままだけど。

 

 「ああ、でもなんか息苦しかった感覚は覚えてんなァ。鼻と口をガバッと布切れで覆われたような」

 「ハンカチか何かに薬品を染み込ませて嗅がせたのだろう。ドラマなんかでよくある手法だ」

 「被害者に共通点などないのでしょうか」

 「王王(ワンワン)風風(フェンフェン)奉奉(フェンフェン)……単純にちっこくて弱っちいのを狙ったに違いないネ!あとの男子2人は体が大きいし、女子もワタシは隙なしヨ!香香(シャンシャン)は目が怖いからアル!」

 「……まあ、構わないが」

 「となると、犯人が湖藤を狙ったってのもまァ分からんでもねェな。おいら含めて襲われた3人の次に狙いやすいのは、抵抗されにくい湖藤だァな」

 「抵抗はされにくいですが、車椅子生活に慣れている彼なら逃げることも可能でしょう。特に異常事態が起きていることは宿楽サンの悲鳴で感じ取っていたはずです。そんな状態の彼の不意を突くのは容易ではありません。ただでさえ警戒心が強い人です」

 「隙をつくのに慣れている手練と言えば……」

 「こっち見んなヨ」

 

 犯人が狙った人をさらっていけば、どうして湖藤さんが襲われたのか、どうして私たちが眠らされたのかがこんなにもはっきり分かる。単純に狙いやすい人を狙ったんだ。単純で、シンプルで、分かりやすい。その人に対するクソデカ感情とか、秘密の会話とか、その人が知り得た秘密とか、個人的な正義感とか、そんなんじゃない。かと言って偶然でもない。どこまでも合理的で冷酷な理由だ。

 

 「いえ、別に手練である必要はありません。要は、湖藤クンの隙をつければいいんです。むしろ強行突破するよりも搦手を使った方が彼は攻略しやすいかも知れません」

 「からめて?なにそれ?」

 「信頼を利用するんですよ。彼が向けていた個人的な感情を」

 「……つまりそれって」

 

 奉ちゃんが、湖藤さんの信頼に付け込んだってことだよね。そんなことは、口にすることすら嫌で、私は、なんというか、すっかり気持ちが冷めてしまった。ああ、なんだ、この人もその程度なんだ。もしかしたら奉ちゃんの一番の理解者になってくれる人だったかも知れないのに……奉ちゃんがそんなことで人を裏切るかも知れないなんて、思ってるんだ。そう思うと、いくら尾田さんでも、なんだかすごくしょうもない人間に見えてしまって……何も分かってないじゃんって思ってしまって……。

 言うなれば、これは失望だ。

 

 「貴様というやつは……!この状態の甲斐を前にしてよくそんなことを言えたな!お前には人の心というものがないのか!」

 「ありますよ。あるからこそ、信頼という感情の性質を理解しているんです。その危うさも」

 「がっかりだよ、尾田さん。奉ちゃんがそんなことするわけないのに」

 「わけないってのは言い過ぎじゃねェか?いや、おいらだって甲斐に限ってそんな悪どいするなんて思えねェけどよ……でも、やっぱ可能性が0じゃねェってのもそうだし……」

 「他の全員が犯人でない確証があるのなら考えるべきかも知れませんが……甲斐さんは連続襲撃事件の被害者でもあります。気絶も間違いなくしていました。そこからは裁判場まで常に誰かと一緒にいたはずです。彼女に殺人は不可能かと」

 「劉劉(リュウリュウ)はその辺どう考えてるカ?」

 「あの、僕はただ一つの可能性を挙げたにすぎません。甲斐サンを糾弾するわけではなく、彼女なら湖藤クンの不意をつけただろうと言ったまでです。なんでいつの間にか彼女が犯人っていう前提に立ってるんですか?」

 「ほぼ言ってたようなもんでしょ!」

 

 あくまで尾田さんは冷静だ。先入観では話さない。それどころか、自分自身にすら常に疑いの目を向けている。だから追及されてものらりくらりとかわせてしまって、新しい事実が出てもすぐに対応できて、それでいて何を考えているか私たちに掴ませない。厄介だ。とても厄介だ。

 

 「僕が責められているからというわけではありませんが、庵野クンが言ったように甲斐サン犯人説につながる案は、今は俎上に出す段階にないようです。一旦、撤回しましょう」

 「素直じゃないネ!思ったより反論されてビビったって言ったら許してやるヨ!」

 「失礼ながら、長島さんが甲斐さんに感情移入しているとは思えないのですが」

 「そりゃそうアル!便乗してやいやい言いたいだけヨ!」

 「あの人の方がよっぽどタチ悪いですよ」

 

 撤回したとは言うけれど、一度は考えたんだから同じことだ。尾田さんはもう頼りにならない。真相にはたどり着けるかも知れないけど、奉ちゃんを支える柱にはなり得ない。だとしたら他の候補は……湖藤さんがいない今、奉ちゃんを助けられる人はいるのか。全っ然思いつかない。やばい。

 

 「ともかく、分かっていないことを地道に考えていくしかありませんね。ええっと……毒の出処でどうです。忘れていましたが、そもそも甲斐サンにしゃべらせたのはそれを知るためでした」

 「忘れていましたね。当の甲斐さんは……これ以上のお話ができる状態ではありませんね。手前どもだけで話を進めるしかないようです」

 

 奉ちゃんの顔はまだ青い。苦しそうに口から空気が漏れている。汗が滲んだ額に髪がはりついている。いつも議論を引っ張ってきた奉ちゃんはもうこんなに消耗している。期待はずれの尾田さんはなんだかやりにくそうで、いつもと様子が違う。鋭い指摘をしてくれていた湖藤さんはもういない。頼れる人は、誰もいない。

 裁判場にのし掛かる重たい沈黙は、今までのどの裁判とも違う。親を見失った子供みたいな、先の見えない閉塞感と漠然とした不安感に包まれている。もしかしたら、と考えると背中を汗が伝う。このままじゃ、真相に辿り着けないかも知れない。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が湖藤さんを殺したという真相に。

 


 

学級裁判 中断




こういうのもアリなんじゃないかなって思います


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学級裁判編2

 

おつかれーぃ!そう!何を隠そうボクこそがモノクマだよ!最近影が薄いとか出番がないとかそもそも誰も覚えてないとか言われてるような気がするけど、学級裁判後編の前回までの振り返りだけは譲れないね!これだけは!ボクのことを忘れちゃうようなら何度だって脳みその一番奥のところに刻みつけてやるんだから!

 っととと。ちょっとテンションがおかしくなってたよ。なんだか急にやる気と元気が湧いてきたところだからね。なんだかあいつらはボクがしばらく姿を見せなかったとかなんとか言ってたみたいだけど、みんなして示し合わせてボクをいじめるなんて、最近の高校生って陰湿でやーね。気に入らない奴がいるなら語り合えばいいんだよ!拳で!そしたらごちゃごちゃ言葉をかわすよりよっぽど手っ取り早く分かり合えるってボクは思うな!ま、その過程で相手を永遠に黙らせちゃってもそれはご愛嬌ってことで。ひとつ。

 

 さあさあ、学級裁判もとうとう5回目!すっかり人数が減ってしまった裁判場はなんと最初の頃にいた人数の半数未満!たったの7人になってしまいました!しかもそのうちひとりはクロで、ひとりは裏切り者、ひとりはショックを受けすぎて何の役にも立たなくなっちゃってるってんだから大変さあ大変!実質4人で裁判しなくちゃいけないなんて……どうなっちゃうの〜〜〜!?

 え?なんでひとり役立たずがいるかって?そうだね、その説明をしないといけないね。今回の被害者は、なんと“超高校級の古物商”湖藤厘クンでした!自室で眠るように死んでいたところを発見され、毒殺であることが分かりました!分かりましたってボクが教えてあげたんだけどね!みんなの推理を引っ張ってくれていて、なんだかんだでみんなの中心にいた湖藤クンを失ったのはシロにとって大きな痛手!それだけじゃなく、ずっと湖藤クンにぴったりぺったりだった甲斐サンは、その死体を確認したわけでもないのに大々々ショック!!すっかり抜け殻のようになってしまいました!最初はおもしろかったけどさっさと立ち直ってほしいよね。だんだん飽きてきたよボカァ。

 湖藤クンが発見される直前には、何人かが正体不明の人物に連続で眠らされる襲撃事件まで発生して事態は混沌を極める!さすがの尾田クンも人数や手掛かりが少ないことに困惑している様子!これはもしかするともしかするか!?まさかのここまできてクロ勝ちなんてパターンがあるか!?うっぷっぷっぷ!やるときはやるんだよ!

 

 さあてさてさて、この学級裁判が正念場だよ!シロにとっても!クロにとっても!いったいぜんたい、みんなを襲撃して回り、湖藤クンを毒殺し、学級裁判を混沌の渦に巻き込んだ恐るべき犯人の正体は、誰なのか!そしてクロの動機は一体なんなのか!一行先の展開すら予測不能な学級裁判の結末を見逃すな!!

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ま、普通に宿楽サンが犯人なんだけどね。うっぷぷぷ♫

 


 

 私がしたことはこうだ。まず、薬品庫から人を眠らせる薬を持ってきて、持ってたハンカチに染み込ませた。それを持って、まずはひとりでフラフラしていた王村さんを、ハンカチで口と鼻を後ろから塞いで眠らせた。いつもひとりで隙だらけでいるから、狙うのは簡単だった。とはいえ、人が倒れていれば誰かが気付いて人が集まってくるのは分かってたから、すぐにその場を離れた。そして、今度は自分でそのハンカチを嗅いだ。自分が被害者のひとりになることで、少しでも疑われる可能性を低くするためだ。軽く嗅いだだけだったけど本当にめまいがして、人を呼ぶために悲鳴をあげるのもやっとだった。でも、おかげで上手いこと奉ちゃんと湖藤さんを引き離すことができた。少し深呼吸したら回復したから、手当してくれた奉ちゃんを王村さんと同じように眠らせた。

 

 みんなが集まってくる前に、私は急いで湖藤さんのもとへ向かった。ひとりで個室に入るのに苦労していたから、彼も眠らせてしまうのは簡単だった。そのまま彼を部屋に運び、奉ちゃんに教わったとおり彼をベッドに移し寝かせた。その後、扉にロックがかからないようにストッパーをかませてから、私は4階の果樹園に向かった。そこに、湖藤さんに飲ませるための毒があったからだ。

 

 事件決行の何日か前に、私は果樹園の中で秘密の隠し部屋を見つけた。隠し部屋の中には、モノクマが言ってた新しく開発した毒とメモリースティックがあった。メモリースティックの中身が何かなんて、そのときは分からない。でも、わざわざ隠し部屋の中に置いておく時点で何か大切な情報が入っているんだろうことは簡単に想像できた。そして何より、そのメモリースティックは毒を飲み干さないと手に入らないものだった。そんなことは最初から——この部屋を見つける前から分かっていた。だって、()()()()()だったから。

 

 その毒を持ち出した私は、中身を全て湖藤さんに飲ませた。そうしてメモリースティックを手に入れた私は、すぐに映像資料室に行って中を確認した。そのメモリースティックは、まだあの資料室に残したままだ。私にはもう、必要ないから。そして私は、奉ちゃんに運ばれた教室に戻って、みんなが来るまで倒れたふりをしていた。

 もし奉ちゃんと一緒に誰かが集まってきてたら。湖藤さんをうまく眠らせられなかったら。毒を持ち出すことができなかったら。途中で誰かに見つかったら。なにかひとつ、ほんの少しのことが狂うだけで、私の計画は簡単に破綻したはずだ。だけど、ひとまずここまでは上手く行った。これが偶然なのか、そうじゃないのか。その結果は、この裁判が教えてくれる。勝つのはどっちか……いや、勝つはずだ。奉ちゃんなら、必ず真相に手を届かせるはずだ。

 私は、そう信じてる。

 


 

 

学級裁判 再開

 

 「私……やっぱり……!まだ……!」

 「おい、モノクマ。学級裁判を一時中断しろ。甲斐は裁判ができる状態じゃない。やりながら回復していくかと思ったが、休息が必要なのは明らかだ」

 「ヤで〜〜〜す!!そんなひどいことはできませ〜〜〜ん!!」

 「ひ、ひどいこと?なにが?」

 「だってそうでしょ?今までだって人が死ぬことは何度もあったじゃない!その度にオマエラは学級裁判をやってクロを指摘して処刑してきたんじゃないか!今までの裁判の中で、オマエラはそんなこと言ってたか!?甲斐サンは分かりやすく憔悴してるけど、他のみんなだって同じように立つのも辛い状態だったかも知れないじゃないか!今回に限って特例を認めるなんて、湖藤クンの死はその他大勢の死よりも意味があったってこと?命に価値に差をつけるなんてボクはしたくないなあ!人の命は等しくプライスレスなんだよ!無価値ってことだけど!」

 「まあ、尤もですね」

 「お前はどっちの味方カ!」

 「僕にとって都合の良い方です。これ以上、甲斐サンひとりのために時間を無駄にできません。休むなりなんなりして勝手に一時離脱していてください。無理に揺さぶったところで情報が出るとも思えないので」

 「うんうん。差別より仲間はずれの方がいくらか人道的だよね。無関心でいる分、相手の権利を侵害しないからね」

 「最悪の和解が成立したぞ」

 

 ただでさえ行き先を見失いつつある裁判で、この上さらに奉ちゃんを議論から排除しようとしている。それじゃダメだ。この裁判には、奉ちゃんの力が必要だ。奉ちゃんの力で勝たなくちゃいけないんだ。仲間はずれなんて、そんなことはさせない。

 

 「ちょ、ちょっとみんな待って!あのね、奉ちゃん……実は私、捜査のとき、あるものを見つけたんだ 。本当はもっと後に言うつもりだったけど、今の奉ちゃんに必要だと思うから、もう打ち明けちゃうよ」

 「……なに、それ」

 「なんだと?宿楽、そんな話は聞いていないぞ」

 「誰にも言ってないからね。とにかく、まずは聞いて」

 「聞く?」

 

 一気に疑惑の視線が私に向けられる。そりゃそうだ。捜査中に見つけたものを黙ってたんだから。ウソを疑われたって仕方ない。でも、これがウソじゃないことは、証拠そのものが物語っている。これを奉ちゃんに聞かせるのは、ある種の賭けだ。どうか……どうか、今はまだ気付かないでいてほしい。

 私は、自分のモノカラーに指を押し当てた。表示されたウインドウから音声ファイルを選択して、再生した。静まり返った裁判場に、少し荒くなった音声が響く。電子音の向こう側でも分かる、透き通った声。これは、湖藤さんの声だ。

 

 ——この音声が聞かれてるってことは、たぶんぼくはもうこの世にいないんだろう。なんてね。聞いてる相手が誰かも分からないのに、何もかも話すわけにはいかないなあ。ま、これが聞けてるっていう時点で、事態は相当厄介なことになってるだろうってことは分かるよ。もうぼくにはどうすることもできないけどね。——

 

 姿は見えないのに、湖藤さんの透明な笑顔が見えるようだった。少しいたずらっぽくて、心配になるほど爽やかで、どこか儚げなあの笑顔が頭の中に浮かび上がる。

 

 ——これを聞いているみんながどんな状況にあるか、ぼくにはちっとも分からない。自分がいないということだけははっきりしてるっていうのはおかしな感じだね。だから、ぼくは言いたいことを言うよ。ぼくの信じたいことを信じるよ。きっと、これを聞いているみんなは、大きな困難に直面してると思う。それがなんであれ、まずはやり切ることだ。諦めるなって言ってるんじゃないよ。何かを諦めてでもやり切ることが大切なんだ。だって、みんな所詮高校生なんだ。“超高校級”だなんて言われても、まだ十数年しか生きてない未熟な存在なんだ。例外はあるけどね。だから、ぼくはみんなが最後までモノクマと戦い抜くことを信じるよ。その途中で誰かの命を諦めたり、命より大切な何かを諦める必要があるかも知れない。でも、諦めることを恐れないでほしい。悔しくても、情けなくても、生き汚くても、生き抜いてほしい。そうしている限り、必ずモノクマに勝つチャンスはあるはずだよ。ぼくはそう思うな。——

 

 湖藤さんだって、私たちと同じくらいの歳のはずだ。それなのに、その言葉には重みがあって、真実味があって、説得力があって、胸を打たれるような力強さがあった。それは本当に、誰だか分からない相手に向けられたものなのか。まるでその言葉を伝えたい誰かがいるかのようだ。どんな状況か分からないなんてまるっきりウソだ。湖藤さんはきっと、私が彼を殺そうとしていたことも、もうじきこうなることだって分かってたはずだ。

 

 ——ごめんね。ぼくには、ぼくがどうやって殺されたかをみんなに伝えることができない。だけど、ひトッつだだだけっだけだけひとつひとつひとだだだダダダダ——

 

 「あ、あれ?ちょっと!もう!なんで今なの!」

 「どうした?」

 「……こわれた」

 「はあ!?このタイミングでかよ!?一番いいところだっただろ!」

 「しょうがないじゃん!私だってちゃんと最後まで聞かせたいよ!あっ、で、でもね奉ちゃん!湖藤さんが言ってたこと、聞こえたでしょ!?」

 「……湖藤、君……!」

 「湖藤さんは、奉ちゃんに生き抜いてほしいって言ってたよ。自分が殺されちゃうことを分かってたのに、それでも奉ちゃんやみんなのことを心配してたんだよ。だから奉ちゃんも顔をあげて。辛くても、苦しくても、大切な人がいなくなっても……私たちの、湖藤さんのために。死ぬほど後悔したっていいよ。全部が嫌になって泣き喚いたっていい。転んだって負けたって諦めたっていいから、それでも生き抜いてよ!最後の最後まで、希望を捨てないで戦ってよ!」

 「うっ……ううっ……!」

 「まァ、あいつらしいっちゃあいつらしいな。正直、自分が死ぬかもって考えながらあんな冷静なのは気味悪ィ気もするけど、湖藤ならそうだろうな」

 「甲斐が湖藤を想う気持ちと同じくらい、湖藤も私たちのことを想っていたということだな」

 「なんという深い『愛』なのでしょう……!まさしく彼こそ『愛』に生きた人でした!惜しい人を亡くしてしまった……!」

 「うんうん。いい話ネ。どうよ劉劉(リュウリュウ)!これでも奉奉(フェンフェン)厘厘(リーリー)を殺したなんて言うつもりカ!」

 「蒸し返さないでください。面倒臭い。ま、敢えて言うなら湖藤クンが甲斐サンを攻撃した可能性は薄まりましたが、甲斐サンが湖藤クンを攻撃する可能性についてはなんら影響を与えるものではありませんね」

 「蒸し返すなと言っておいてその言い草か……」

 「それもこれも、この後の甲斐サンの態度次第でしょう」

 

 湖藤さんのメッセージは唐突に終わっちゃったけど、奉ちゃんはようやく私たちの言葉に耳を傾けてくれるようになった。なんとか自分で自分を落ち着かせようと、胸に手を当てて深呼吸している。私はその背中を優しく撫でて、奉ちゃんが復活するのを手助けする。

 

 「……奉ちゃん?大丈夫?」

 「うん……ごめんね、風海ちゃん。ありがとう。みんなも……ごめん」

 

 まだ顔色は悪いままだけど、声にははっきりと温度が戻っていた。私の支えがなくても、証言台に腕をついてなんとか自力で顔を上げられる状態にはなった。

 

 「無理をすることはないぞ、甲斐」

 「ううん、大丈夫。みんな、心配かけてごめん。湖藤君の言うとおりだ……私、全然分かってなかった。私にできることって何か。何をしなくちゃいけないか……」

 「なんと!あんなに憔悴しきっていた甲斐さんがたちどころに!これこそ『愛』の成せる御業!素晴らしい!」

 「言い訳じゃないけど、湖藤君が死んじゃったってきいて……なんだか、それどころじゃなかった。ショックで、頭が真っ白になって……足元が崩れてくみたいに不安で……何も考えられる状態じゃなかった。わけもわからなくて、喚いたりして、ごめんなさい」

 「無理ないアル。ぶちまけても堪えても死ぬならぶちまけた方がスッキリするヨ。死ぬつもりなんかないけどネ!」

 「でも分かった。そんなことしてても湖藤君のためにならない……今まで犠牲になったみんなのためにならない、今を生きてるみんなのためにならないって。何をしても生き抜かないと、モノクマには勝てないって。私たちがみんなモノクマに負けちゃったら、最後に何も残らないって。だから私は……何をしても絶対に生き抜く!このコロシアイを生き抜いてみせる!」

 「おォ!よく言った甲斐!いいぞいいぞ!」

 「復活するのは構いませんが、あなたのために時間を取る意味がありません。黙って復活できないんですか?」

 「尾田君にも、裁判の邪魔してごめん。それから、湖藤君の話を聞いて思った。尾田君だって、このコロシアイの中を生き抜こうとしてるんだよね。そりゃ……許せないと思うこともあったし、まだ整理できないこともあるけど……でも、私は尾田君のことを敵だとは思わないよ」

 「はあ……そ、そうですか」

 

 奉ちゃんが謝ると、尾田さんは少したじろいで、すぐにそっぽを向いた。やっぱり湖藤さんの力は偉大だ。その場にいなくても、死んじゃった後でも、奉ちゃんが落ち込んでることを見越して、元気づけるメッセージを残していた。こんなのいつの間に残してたんだろう。それに、こんなものを残せるのにどうして殺されないようにすることはできなかったんだろう。

 今更だけど、本当に今更だけど、湖藤さんのことが恐ろしくなってきた。あの人は何を考えていたんだろう。

 

 「仕切り直しましょう」

 

 庵野さんが手を叩いた。

 

 「甲斐さんはこれまでの議論を正しく把握できていないかと思われます。一度、ここまでの話を整理しておきましょう」

 「ありがとう、庵野君。そうしてくれると嬉しいな」

 「ここまでの話ったって、なんも分かってねェような気もするけどなァ」

 「まずはモノクマファイルの確認。湖藤は自室で毒を飲まされて殺されていた。使用された毒はモノクマが開発した新しい毒で、益玉に使われたものとは異なる。薬品庫にも該当するものはなく、これがどこから出てきたのかが直前までの議論の主題だった」

 「それと、湖藤さんが発見される直前に起きた連続襲撃事件についても確認したよ。まず王村さん、次に私、その後に奉ちゃん。三人ともたぶん薬で眠らされたんだと思う。非力な人と女の子を狙うなんて、卑怯な犯人だよ!」

 「その薬っていうのは、何が使われたか分かってるの?」

 「それこそ薬品庫に行けば選り取りみどりですから、あまり手掛かりにはならないかと」

 「敢えて言及を避けているようなので補足しておきますが、湖藤クンが自ら毒を入手して自殺した可能性も考えています」

 「……そ、そう。でも、自殺は校則で禁止されてるから、モノクマが何か邪魔してくるんじゃない?」

 「()()()()まだいいですがね」

 「なんかヤな感じ〜」

 

 わざと追い込むような尾田さんの嫌味も、奉ちゃんはスルーして議論を続ける。復帰してすぐに切り替えられる奉ちゃんは、やっぱり頼りになる。

 

 「ともかく、あの毒がどこからやって来たのかは、犯人を特定する手掛かりになるはずヨ!薬品庫じゃないならどこカ!」

 「……出なさそうなので教えますね」

 「またテメェか尾田このやろー!分かってんだったら最初っから言えよ!時間の無駄じゃねェのかよ!」

 「はじめから全部僕が答えを言ったら、犯人もそうでない人も同じでしょうが。隠し事のある人をハメるには色々と工夫が必要なんです」

 

 尾田さんのトリッキームーブは健在だ。湖藤さんと二人でこんなことをされたら、今までのクロの人たちはたまったもんじゃなかっただろうな。尾田さんがみんなから嫌われてるのがまだ救いだ。その言葉を突き崩す隙が、まだあるってことだ。

 

 「あの毒は、おそらく4階の果樹園にあったものです」

 「は?果樹園?なぜそんなところに毒が……?」

 「果樹園を調べたときに隠し部屋を見つけました。中には毒と——」

 「ちょ、ちょっと待て!調べたっていつだ!?お前、私たちと一緒に果樹園を探索したときは何もないと言っていただろ!」

 「ええ。嘘つきました。あの中に内通者がいればブラフになったでしょうし、そうでなくても怪しげなものを共有するのはリスクです。安全なものなら構いませんが、危険物があったら独占しておく方がこの場では有利ですから」

 「これをシラフで言えるからすげェよな……人からどう思われるかとか考えたことねェのかよ」

 

 もちろん私は知っている。一部の人にはモノクマが教えていたから、その人たちも知ってるはずだ。共有する暇がなかったから、いま初めて聞いたって人もいるみたいだけど。尾田さんはどうやら自力で見つけてたみたい。それなのに誰にも言おうとしないのは尾田さんらしい。

 

 「隠し部屋の中には毒の入った瓶と自販機、そしてメッセージがありました。なんだかバカにされているようで腹が立ちましたがね」

 「バ、バカにされている、というと?」

 「『命果てようとも知恵を求める者よ。その証をここに示せ』ってメッセージですよ。要は何か知りたければ命を捨てろってことです。ご丁寧に自殺禁止の校則まで一緒に掲示してありました。バカにしてますよね」

 「バカにしてるって言うか、なんだよそれ!?そんなバカみてェな話に乗る奴なんかいねェだろ!どんな知識が手に入るかも分からねェのに命なんか懸けられっかよ!」

 「しかもただ命を懸けるわけじゃないネ。自殺禁止の校則をそこでも出してくるってことは、そこにある毒を使って誰かを殺してから出直せってことヨ。そしたらどうしたってクロになるし、誰か一人の命を奪った上で自分の命も懸けろってことアル。割に合わないヨ!」

 「ええ。実に人の命をバカにした内容です。リターンの具体性も分からないのに、そんな勝ち目の薄いギャンブルなんかするわけない。合理的に考えればスルーしかあり得ません。ただ……」

 「乗ったやつがいる、ということか」

 

 毛利さんが私たちを眺め回して言った。そう。それで合ってる。

 

 「湖藤君に使われた毒は遅効性のものだったよね……?ていうことは、毒を飲んでから知識を得るまでの時間はあったわけだ」

 「もし湖藤クンがその知識を得たのなら、それを誰かに伝える時間もありました。彼のような、まだまともな思考ができる人間が、貴重な情報を抱えたまま死を待つわけがありません」

 「そもそも湖藤君が自殺だとすれば、連続襲撃事件とは全く関係のない事件ということになります。それはさすがに不自然すぎるかと」

 「つまり、湖藤君は、犯人がその知識を得るために毒を飲まされたっていうことになる……どうして湖藤君じゃなくちゃいけなかったんだろう?」

 「連続襲撃事件の被害者選びと同じヨきっと!単純に襲いやすかっただけアル!それに、厘厘(リーリー)なら途中で起きても自力で移動できないから好都合アル!」

 「湖藤さんだって自分で動けないことはないけど……ま、他の人より動きづらいのは確かか」

 「そもそも、その知識というのはなんなんだ?ひどく曖昧なものだが……」

 「可能性があるものは手に入れています」

 

 まるでこうなることを予測していたかのように、尾田さんは事もなげにポケットからメモリースティックを取り出した。あれは、私が果樹園の秘密の部屋で手に入れてから、映像資料室で中を観たものだ。さすが尾田さん。モノクマが秘密の部屋のことを明かしたときから裁判までほとんど時間がなかったのに、あっという間にそこまで辿り着くなんて。

 

 「映像資料室にこんなものがありました。パソコンに刺さっていたので持ってきました」

 「な、なにそれ?」

 「メモリーですよ。情報を記録するための媒体です」

 「それぐらい分からァ!!」

 「尾田さんは、それどこまで見たの?」

 「あいにく、中を確認する時間はありませんでした。この裁判が終わったらゆっくり確認しますよ」

 「よっゆー!!勝つ前提かよ!!」

 「おかしくないか?いくらなんでも。果樹園にある隠し部屋をあっさり見つけたり、中の様子も詳しく説明できているし、何よりメモリースティックを持っている……捜査で見つけたのなら結構だが、犯人が同じものを見つけたと主張するなら、尾田自身が犯人でない根拠を示すべきじゃないのか」

 

 次から次へと新しい情報を出してくる尾田さんに、毛利さんが待ったをかけた。そりゃそうだ。いくらなんでも、尾田さんばっかりが情報を持ってるのは怪しい。頭が良くて行動力がある尾田さんなら、それくらいのことは軽くやってのけるのだろうけど、ここまでひとりに情報が集中すると怪しんでしまうのが普通の感覚だ。だからこそ、そうしたんだもん。

 

 「……果樹園の隠し部屋さえ見つけてしまえば、そこに何があるか、事件後にどこを探せば見つかるか、それは容易に思い当たります。したがって、どうやって隠し部屋を見つけたかを説明すれば、その無駄な疑念は晴れると考えていいですか」

 「簡単に晴れると思われては困るがな」

 

 そう言う毛利さんの視線は、いつも通り鋭いけれど、尾田さんを本気で疑っているようには感じられなかった。かと言って何かの作戦ってわけでもないだろう。尾田さんに限って人に協力を求めるわけがない。毛利さんは、尾田さんに無実を証明してほしいのかな。それとなく合図を送ってるのかな。

 尾田さんは頭をポリポリ掻いて、ポケットから一枚のメモを取り出した。ノートの端っこを破いたような、お粗末なものだ。

 

 「僕が果樹園で見つけたのは、このメモです。無意味な落書きのように思えますが、これが果樹園に落ちているというのは意味深だとは思いませんか」

 

 たくさんの丸い記号が描かれている。いや、それは記号じゃなくて、イラストだ。数本の線で構成された簡単なもの。あるものは丸々とした実からヘタが伸びている。あるものはいくつもの丸が集まっている。あるものは特徴的な縞模様がある。それは、どれもこれも果物だった。それの下に、不可思議な一文が添えられている。

 

 「えっ……?そ、それ……!」

 「『答えを求める者よ。手を伸ばせ。答えは高きところにある。真実を求める者よ。顔を上げよ。真実は最も高きところに。』——ここに描かれている果物の中で一番高いところに描かれている、木に生る果物はリンゴです。だからリンゴの木の周辺を調べました」

 「早い早い早い!一段飛ばしどころか階段まるごとスキップしてるよその説明!もっとちゃんと説明して!」

 「自分で考えてください、これくらい」

 

 尾田さんがペッと投げ捨てたメモをキャッチした。みんなによく見えるように、私はそれを広げる。と言っても手のひらサイズだから、反対側にいる人たちは目を凝らしても見えないだろうけど。

 隣で奉ちゃんが息を呑む音は、聞こえないふりをした。

 

 「ははあ。スイカやイチゴは地面にできる果物で、リンゴやブドウは木の上にできる果物ネ。答えは高いところにあるから、木になる果物に注目すればいいってことアル」

 「さらに最も高きところなので、木になる果物の中で一番上に描かれている果物に真実がある……この絵で言えば、まさにリンゴですね」

 「だからリンゴの木を調べたということか」

 「おいら全然見えねェんだけど」

 

 他のみんなは、それぞれに完璧な説明を付け加えて理解してくれた。そう。その通りだ。これはそういう謎だ。つまり、隠し部屋の在処を示す謎だ。こんなもの、果樹園のエリアが解放されるまでは何のことかさっぱり分からない。無駄に食糧庫のリンゴのバスケットの中に手を突っ込んだりしてたよ。だけど、この謎を持って果樹園に行ったとき、ようやくこの謎が意味するところが分かった。尾田さんより先に部屋に辿り着けたのは、事前にこの謎を知っていたかどうか、ただそれだけだ。

 

 「はぁ……!はぁ……!」

 「ど、どうした甲斐?また息が荒くなっているぞ」

 「あのねえ、体調不良者にこんなことを言うのは僕も気が引けますが、いい加減にしてもらえませんか?あなたひとりの命が懸かっているわけではないんですよ」

 「尾田君、気持ちは分かりますが言い方というものが——」

 「奉ちゃん、大丈夫?」

 

 急に——いや、いつからそうなったか、私ははっきり分かってる。尾田さんが謎の描かれたメモを見せてからだ。奉ちゃんが再び具合を悪くしたのは。その理由は、たぶん、私が思ってる理由で合ってる。

 

 「はぁ……はぁ……!ふ、風海ちゃん……!」

 「うん。いいよ。ゆっくり、落ち着いて深呼吸して——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どうしてさっき、()()()()って言ったの?」

 

 

 

 

 

 「へ?」

 

 今にもくずおれそうな、弱々しくて浅い呼吸を繰り返す奉ちゃんの口から、それは飛び出した。虚ろなうわ言でも、泣き出しそうな弱音でも、戸惑いでも混乱でも恐怖の言葉でもない。まるで、細胞の隙間を縫って私の心臓を優しく貫くような……そんな鋭い問いかけだった。

 

 「さっき、尾田君がメモリースティックの話をしたとき……どこまで見たのって聞いたよね……?どうして?」

 「……どうしてって、そりゃ、中にどんな情報が入ってるか気になったから、尾田さんが観たんなら教えてもらおうと思って」

 「そっか。そう、だよね。そうに決まってる……よね」

 「何が言いたい?甲斐。お前は何に引っかかっている?」

 「でもね風海ちゃん。それなら普通、()()()()()()をきくんじゃないかな。どうして風海ちゃんは、()()()()()()()が気になったの?」

 「……ああ、そっか。うん、そうだね。きき方が悪かったね。えへへ」

 

 一瞬、心臓が凍ったみたいに感じた。恐怖じゃない。戦慄でもない。なんだろう、興奮で体温が上がったから、相対的に心臓が冷たく感じたのかな。奉ちゃんの質問を聞いて、私は明確に理解した。自分のしたことが暴かれそうになりつつある予感——これが、ピンチだ。

 

 「それから、さ……毛利さん」

 「な、なんだ?」

 「湖藤君は、ベッドに、横になってたんだよね」

 「あ、ああ……そうだが」

 「シーツはどうだった?」

 「シーツ?いや、そこまでは……」

 「きれいに整っていましたよ。……ははあ、なるほど?」

 「な、なんだなんだ?なんの話だ?」

 

 ああ、そうだよ。その通りだよ。まさに、私が考えていたとおりだよ。こんな分かりづらいメッセージを、奉ちゃんは現場に立ってもいないのにしっかり拾い上げる。信頼できる人たちもいる。そう。それでいいんだよ。

 

 「私と離れ離れになった後……湖藤君は殺害されてベッドに寝かせられた、それか、ベッドに寝かせられて殺害された」

 「そうでしょうね」

 「湖藤君は足が動かせないから、自分でベッドに移るのは大変なんだ。だから、たまに私が寝かせてあげてた」

 「そんなことまでしていたのか。私が言うことでもないが、少し世話を焼きすぎだったんじゃないか?」

 「仕方ないよ。湖藤君はひとりだと、車椅子からベッドに移ることはできても、下に敷いてあるシーツを整えることまではできないから」

 「——ッ!ああ、確かにそうネ!」

 「湖藤君の下にあるシーツがきれいに整えられているのは、誰かがシーツを整えて、その上に湖藤君を寝かせたときだけだ。湖藤君は痩せてたけど、人ひとりを車椅子からベッドに移すのはかなり大変なことなんだよ。人を持ち上げるコツを知らないと、きれいに寝かせるのは難しい」

 「……そう、だね」

 

 敢えてなのか、それとも言葉にならないのか、奉ちゃんはみなまで言わない。言おうとしない。

 

 「それに、ね。風海ちゃん。さっきの……湖藤君のメッセージだけど」

 「う、うん?」

 「なんで風海ちゃんが、それを録音できたの?」

 「なんでって、そりゃ湖藤さんのモノカラーに録音されてたのを再生して、もう一回録って——」

 「どうして風海ちゃんが、湖藤君のモノカラーを操作できたの?モノカラーは、それぞれの指紋を認証させないと起動しないのに」

 「おや、あなたも気になってたんですか。それとも今になって気付いたんですか」

 「な、なんだなんだ?どういうことだ?」

 

 反論はない。反論できない。奉ちゃんが言ってることは()()()()()()だ。その先にある結論は正しい。私は、奉ちゃんがそこにたどり着くのを、手を伸ばすのを、邪魔しちゃいけない。

 

 「モノカラーの起動には所有者の指紋認証が必要です。この忌々しい機械を装着されたときに設定させられましたね。ほとんどの人は右手の人差し指を登録したでしょうが、個人を特定できる紋様ならなんでもいいんですよ。指の腹でも、関節のシワでも、手相でも」

 「そ、そうなのですか!?なぜそんなことを知っていたのですか!?」

 「知ってたわけないでしょう。試してみたらできたからそうしただけです。甲斐サンの言い方から察するに、湖藤クンもそのことには気付いていたようですね」

 「うん……湖藤君のモノカラーに登録されてるのは、左手手の甲側小指の第二関節。そんなの……知ってなきゃ認証を突破するのは無理だよ」

 「そ、そんなことないよ。総当たりでやってけばいつかは……おかげで全然捜査できなかったけどさ」

 「さすがにそりゃ無理があるんじゃねェか?気が遠くなるような話だぜ」

 

 じわじわと自分の後ろから崖が迫ってきているような感覚。あるいは、ゆっくりとギロチンの刃が降りてくるような感覚。それとも、目の前で自分を撃ち殺す銃が組み立てられていくような感覚?最後のはちょっと違うかも。なんにしても、私ははっきりと理解していた。感じ取っていた。この裁判が、私の望む形で終わることを。

 

 「急にどうしたの?奉ちゃん」

 「果樹園にあった隠し部屋……その、あなたが手に持ってる謎が、その場所を示している」

 「う、うん。そうだよ」

 「尾田君、このメモはどこにあったの?」

 「果樹園の、まさにその隠し部屋の目の前ですよ」

 「そっか……」

 

 いや、違う。私はこんなことは望んでいなかった。私の頭の中の奉ちゃんは、謎が全て解ける瞬間、もっと力強い表情をしてるはずだ。喜びなんてない、怒りと、悲しさと、戸惑いと、少しの怯えが混ざった、それでいてなお犯人を追い詰めなくちゃいけないって覚悟を決めた表情のはずだ。

 こんな、辛いだけの表情じゃない。悲しさしかない表情じゃない。視線は床じゃなくて私を見てなくちゃいけない。声はこんなに沈んでちゃいけない。

 

 「ねえ、風海ちゃん。覚えてる?その謎は、分館で、風海ちゃんが私たちの目の前で手に入れたものなんだよ?」

 「うん。もちろん覚えてるよ。でも、分館はモノクマが吹き飛ばしちゃったし、そのときに私の持ってた謎も……」

 「湖藤君が控えを持ってたでしょ。それをあなたに渡した……そのときだって、私は一緒にいたよ」

 「ああ、犯人に襲われたときに落っことしたのかも。そんで、犯人が持っていっちゃったとか」

 「襲撃事件があった時点で犯人は湖藤君を殺害することを決めてた……ううん、あの隠し部屋に毒があるのを見て、犯人は毒を誰かに飲ませることを決めたんだよ。それじゃ順番が逆だよ……!」

 「そうだ!部屋にあったのを犯人がこっそり盗んだとか!」

 「部屋に入るにはあなたのモノカラーが必要でしょ……?それになんで盗んだ人がわざわざそんなとこに置いとくの!?」

 「あ!わかった!私に罪を被せたい人が作った偽物なんだよ!」

 「この謎はもともと分館にあったんだから複製できるのは私かあなたしかいないでしょ!……ねえ風海ちゃん!どうしてそんなこと言うの!?」

 

 違う。そんな顔が見たいんじゃない。

 

 「私が持ってるのを盗み見た人が作ったのかもしれないよ!“超高校級の贋作家”とか、そんな感じの!」

 「ねえ、もうやめて……!やめてよ……!」

 

 私は奉ちゃんに、そんなことを言わせたいんじゃない。

 

 「そもそも、湖藤さんの死因になった毒だって、まだそこにあったものと特定されたわけじゃないよね。薬品庫にあるものを混ぜたら似たような毒が作れたのかも」

 「お願いだから……!」

 

 そんな風に涙を流させたいんじゃない。

 

 「そうだ!湖藤さんだってこの謎のことは知ってたんだから、果樹園の隠し部屋のことは知ってたんじゃないかな。その上で、自分で毒を飲んで壮大な自殺をしたとか!もしそうだったら、これまでの推理は全部ひっくり返るよね!」

 「本当に、お願いだから……!してよ……!もっと、ちゃんと……!」

 

 こんなことをしたいんじゃない。させたいんじゃない。私は……ただ、奉ちゃんが私たちの道標になってくれると思って……!

 

 「私たち以外に21人目のコロシアイ参加者がいた!っていうことも考えられないかなあ!?モノクマならそれくらいやりかねないよ!」

 「反論、してよ……!あなたがクロじゃないって……湖藤君を殺してなんかないっていう……決定的な反論をしてよ!」

 「それは、奉ちゃんもでしょ?」

 

 私はただ、奉ちゃんの希望が見たいだけなのに。

 

 「果樹園に私のメモが落ちてたら私がクロなの?湖藤さんのボイスメッセージを録音できてたら私がクロなの?尾田さんにした質問がおかしかったから私がクロなの?違うでしょ。そんなんじゃ、私が湖藤さんを殺したっていう直接の証拠にならない。私がクロだっていう決定的な証拠を出してくれないと。そんなんじゃ私をクロにできないよ。私に勝てないよ……私()()()に負けちゃうよ?」

 

 体の芯から凍えそうだ。だから言葉も冷たくなるんだ。何も考えられない。下手な言い訳とか、誘導とか、そんなのもうできないし、もういらない。あとは、奉ちゃんが何か決定的な証拠を私に突きつければいい。それだけだ。

 それで、終わり。

 

 「……私が、眠らされたとき」

 

 せめて、最後にとどめを刺すときは。

 

 「残ってるはずだよ。あなたが持ってる……ハンカチ(私があげたもの)に」

 

 私のことを見ていてほしかった。

 

 「私が付けてた、カラーリップ(あなたがくれたもの)のあとが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ちゃんと、毎日付けてくれてたね。嬉しいよ、奉ちゃん」

 

 私のあげたもので、あなたのくれたものに、あなたの印を付けてくれた。あなたはそれにたどり着いた。そしてあなたは私を死刑台に送る。私が導いた。私が、あなたに希望の未来を与える。

 ——やっぱり。

 

 「この世に希望はあるんだね」

 

 

学級裁判 閉廷




再来週に更新して、ちょうど5章がおしまいになって年越しです。予定通り。
来年はラストスパートから始まってそのまま終わります。


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おしおき編

 

 「どうしてよッ!!!」

 

 盛大なファンファーレをかき消すくらいの大声で。舞い散る紙吹雪を吹き飛ばすくらいの激しさで。輝き回るミラーボールを砕くような強さで。叫んだ。喉が裂けそうだ。舌の根から首元まで嫌な痛みが走る。

 

 「ちょっ、ちょっとちょっと!ボクの仕事の場を奪わないでよ!ちゃんと発表させてよ!今回、“超高校級の——」

 「どうして湖藤君を殺したの!!どうしてそんなこと——!!」

 「うわーっ!えらいこっちゃ!」

 「いけない!甲斐さん!」

 

 自分でも気付かないうちに、私の手はその青い髪を引き千切ろうとしていた。肩を握り潰そうとしていた。自分の体がまるで弾丸みたいに突き動かされて、一緒に床に転げた。それでもまだ止まらない私を、後ろから庵野君が取り押さえた。

 

 「裁判場での暴力行為は校則違反になりかねません!お気持ちは分かりますが堪えてください!」

 「分かるわけないでしょ!!あなたは私じゃない!!湖藤君でもない!!」

 「うぅ……い、いたた……。やっぱり怒るよね。ごめんね」

 「……あなた、もしかして笑ってます?」

 「え?うそ。あっ……ほ、ほんとだ」

 「な、なぜ……笑って、いられる?状況を、分かって……ないのか?」

 「分かってるよ。私は学級裁判に負けた。湖藤さんを殺した罪を、奉ちゃんに暴かれて」

 「だ、だ、だったらなんで笑ってんでェ!!テメェ、自分がどうなるか分かんだろ!?」

 「……私がどうなるかなんて問題じゃないよ。大事なのは、ここに来るまでの道のりだよ」

 「おっしゃっている意味が……?」

 

 何を言ってるか分からない。あんなに一緒にいて、あんなに仲良くして、あんなに助け合ってたのに……どうして湖藤君を殺したの?どうして私にこんなことをさせたの?どうして私の大切な人を奪ったのが、私の友達なの……!?

 

 「だって、こんな機会ないじゃん。こんなチャンス逃したら、私、死んでも死にきれないよ」

 「何を言ってるカ?チャンス?」

 「うん、そう。“超高校級”の才能を持ったみんなとの、命を懸けた全力勝負。こんなの頼んだってできないよ」

 「……どういうことだ?」

 

 スカートのほこりを払って、乱れた髪を直して、幽霊みたいに立ち上がる。よれた服を直して、吹っ飛んだサングラスを拾ってかけ直す。それで目元は隠れるけれど、口だけで分かる。笑ってる。

 いつか見た、自分勝手な愛に溺れた狂気的な笑顔じゃない。他人を侮蔑する汚い笑顔じゃない。優しくて自然な、なんてことない微笑みだ。だからこそ、それはひどく不気味に映る。

 

 「みんな、たぶん覚えてないと思うけど、私の“超高校級の脱出者”って才能、要するに体験型謎解きゲームが得意ってだけなんだよね。特別なことなんて何もない。流行り物が好きな普通の女子高生ってこと」

 「ただのミーハーで希望ヶ峰学園が“才能”と認めるはずがありません。あなたのそれは、立派なひとつの“才能”であるはずです」

 「あはは……改めてそう言われるとちょっと照れるね……。うん、でも、私はこれを特別なことだなんて思ってない。みんなと違って、私は特別な人間なんかじゃないんだよ」

 

 何の話?なんで自分の話してんの?それと湖藤君がいなくなったこととどう関係あるの?適当な話でごまかそうとしないでよ……!!

 

 「そんな私がさ……もしかしたらみんなに勝てるかもって思えたんだよね。“超高校級”のみんなを負かせられるかもって。私の作った謎で、私が仕掛けた謎で、私が隠す謎で、みんなと勝負ができて、勝てるかもしれないって思ったら……いてもたってもいられなくなっちゃって」 

 「それは……つまり、“超高校級”である僕たちに、挑戦したかったという理解でいいですか?」

 「うん、そうだね。その通りだよ。もしかしたら、なんてワンチャン狙いだって言われるかも知れない。芭串さんのことを責められないね。でも、私はどっちでもいいんだ。勝ったら御の字。負けても、みんなと勝負できたこと、みんなが私の謎に頭を悩ませたっていうことだけで、十分なんだ」

 「ふざけないで!!」

 

 たまらず大声が出た。もう喉が痛い。叫びたくない。

 

 「いい加減なこと言わないで!!そんなわけないでしょ!!」

 「か、甲斐……?」

 「なんであなたが私たちに挑戦しなくちゃいけないの!!だったら湖藤君を殺す必要なんてなかった!!他のやり方がいくらでもあった!!適当なこと言って誤魔化さないでよ!!なんで本当のことも言ってくれないの!?湖藤君を殺して、私に嘘ついて……まだ私たちのことを裏切るつもり!?いい加減にしてよ!!」

 「奉ちゃん……」

 

 散々やってきたことを見破られて、全てを暴かれて、それでもまだ何かを隠そうとしてる。そんなの許さない。私たちに隠し事をしたままいなくなることなんて、絶対にさせない。その口から、湖藤君を殺した理由を吐かせるまでは絶対に許さない。

 

 「……やっぱり、奉ちゃんには分かっちゃうか。そうだよね。うん、ごめんね。でもちょっと恥ずかしかったから言えなかっただけ。ちゃんと言うから……」

 「は、はずかしい……?」

 「……私さ、色々と考えちゃうタイプなんだよね」

 

 少し間を開けて話し始めたその表情は、本当に恥ずかしそうで……私にはそれがひどく気持ち悪くて……。頭がおかしくなりそうだった。

 

 「普段から頭の中で、最近のアニメや漫画のこととか、大好きな謎解きのこととか、ちょっと言えない妄想とか、色んなことをず〜っと。それで自分なりにあれこれ結論出して、それでひとまず納得したりしてるんだ。ひとりで、勝手にさ。でも、それって案外的外れでもなくて、おんなじことを考えてる人が結構いたり、ズバリじゃなくてもなんとなく当たってるかな?って感じの精度で当てたり……」

 「何の話ですか?」

 「うん、だからね。ここに来てからもいろんなことを考えてたんだ。学園のあちこちで見つけてきた謎のこととか、モノクマと戦うにはどうしたらいいかとか、この学園そのもののこととか」

 

 なに?なんなの?なんの話をしてるの?どうして私の質問に答えてくれないの?なんで関係ない話してるの?

 

 「だからさ……なんか、分かっちゃったんだよね。モノクマと戦うのに必要なこと。私なりにさ、考えて……で、その結論なら、私は信じられるから。だから、これはモノクマとの戦いなんだ。私は私が犠牲になることでしか、みんなの助けになってあげられないから」

 「話が見えないな……。なぜ湖藤を殺すことが、私たちがモノクマと戦うことになる?」

 「も、もしかして……!?お、おい!()()()()()()かよ!?」

 

 ピリッと裁判場が緊張に包まれる感覚がした。私はそれに気付かないで……気付かないふりをして、そんなわけないと勝手に頭の中で否定して——!!

 

 「湖藤が内通者ってことかよォ!?ウソだろォ!?」

 「え?そうなの?私は知らないけど」

 「はあっ!?ちげェのかよ!?いや、あいつが内通者だったら殺すってのも分からねェでもねェけどよ!!」

 「そんなんじゃないよ。だれが内通者かなんて、私には分からないよ。分かるのは、誰にでも分かることだけ」

 

 サングラス越しに目が合った。私は、瞬きもせずに睨みつけていた。

 

 「湖藤さんが、奉ちゃんにとって誰よりも大切な人だっていうことだけ。だから殺した。それが奉ちゃんには必要なことだから」

 「はっ……!?な、何を……!?」

 

 そこから先、私はその言葉の意味を理解するのに必死で、暴れる気力すらなくなっていた。まるで大勢の慣習を前にスピーチをするように、いくつもの楽器と奏者を操る指揮者のように、朗々と話を続けた。

 

 「モノクマはずっと言ってたでしょ。私たちに絶望を与えたいって。モノクマの正体は、絶望なんだよ。私たちを絶望に陥れようとする悪の権化なんだよ。それに対抗するにはどうしたらいいと思う?決まってるよね。絶望っていう闇には、希望っていう光が必要なんだ。とっても強くて、とっても眩しくて、とっても暖かい、そんな希望。それが……奉ちゃんなんだよ」

 「奉奉(フェンフェン)が……希望?どういうことカ?」

 「奉ちゃんは私たちのことを誰よりも気にかけてくれてて、コロシアイが始まったときからずっとみんなで生き残る方法を模索してた。益玉さんもそうだった。益玉さんは自分の命をなげうつことでみんなの希望を繋ごうとした。奉ちゃんは、みんなを助けることで希望を育てようとした。だから、モノクマと戦うことになったら、きっと奉ちゃんが必要になる。奉ちゃんがみんなを支えて、奉ちゃんがみんなを導いて、奉ちゃんがみんなを元気づけてくれる。私はそう思うんだ」

 「……そりゃおめェ、甲斐を買い被りすぎだろ。なんぼ“超高校級”っつったって、ただの女子高生、まだまだ子供だぜ?」

 「ここには子供しかいないよ」

 「だからと言って……」

 「うん。でも王村さんの言うことも一理ある。ただの高校生の私たちに、モノクマを相手に戦えるかって言ったら、たぶん無理だと思う。そのためには、自信が必要なんだ。モノクマだって倒せちゃうっていう自信がさ」

 「え、おいら別にそんなことは……」

 「自信をつけるには、経験あるのみ!って、昔なんかの漫画で読んだんだったかな。でも案外バカにしたものじゃないと思うよ。経験に裏打ちされた自信って、何の根拠もない自信よりはマシじゃない?だから、奉ちゃんには自信をつけて欲しかったんだよ。どん底の絶望を乗り越えたっていう経験をつけて」

 

 人の言葉で勢いが止まるどころか、それらを巻き込んでいっそう自分勝手なことを言い出す。突き放せばどこまでも追いかけてくるような、近づけば取り込まれてしまいそうな、変質的で偏執的なひとり語り。それが行き着く先は、私への一方的な呼びかけ。なんなの?なんだっていうの?いつからこんなことになっちゃってたの?

 

 「ここにきて最初に死体を見つけたのは奉ちゃんだった。ひどいことになった狭山さんの死体に気付いたのも奉ちゃんだった。谷倉さんと菊島さんの死体を見て奉ちゃんは気を失った。ショッキングな出来事を前にしても、どれだけ精神的に参っても、どんなに打ち拉がれても、奉ちゃんはモノクマと戦ってここを出ることだけは諦めなかった。色んなことを諦めても、最後の一線だけは諦めなかった。私には分かる……それが、どれだけすごくて、強いことなのか」

 「そ、それがなんで湖藤君を殺すことにつながるのですか」

 「だからさ。思ったわけ。奉ちゃんのそばにはいつも湖藤さんがいた。いや、逆か。奉ちゃんはいつも湖藤さんのそばにいた。もしかして、奉ちゃんが諦めずにいられるのって、湖藤さんのせいなんじゃないかって。でもそうだとしたら……それってすごく危険じゃない?他の誰かの存在に精神を依存してるのって、不健全だと思わない?だから、私は確かめたかった。そんで、違うってことを証明したかった。奉ちゃんは奉ちゃんだから諦めずにいられるんだって。湖藤さんがいなくたって、奉ちゃんは絶望を乗り越えられるんだって」

 「それで殺したのか……!?それだけのために……!?」

 「それだけって……大事なことだよ。だって奉ちゃんは、みんなをモノクマとの戦いに導くんだから。リーダーがメンバーの誰かひとりに体を預けてたら、いつか倒れちゃうよ。奉ちゃんは私たちの道標で、私たちの灯火で、私たちの希望じゃなくちゃいけないんだから」

 「勝手なことばっか言わないでよッ!!!」

 

 たまらず大声が出た。なにそれ。希望とか、依存とか、わけわかんない。私が湖藤君に依存してるって?それがよくないって?私は私だから諦めずにいられたって!?意味わかんない!!

 

 「依存して何が悪いの!?っていうか違うでしょ!!私が湖藤君に依存してたんじゃない!!湖藤君が私に依存してたんだよ!!湖藤君は助けを必要としてたでしょ!!だから私が助けてあげてたの!!湖藤君が私を必要としてたの!!」

 「違うよ。湖藤さんはひとりでも生きていけた。そりゃシーツはしわくちゃにしちゃうけど、ひとりでベッドにだって移れた。手こずってたけど、ひとりで引き戸だって開けられた。階段は上がれないけど昇降機を使えた。だから——」

 「違う!!違う違う違う!!私が必要だったんだ!!湖藤君はひとりじゃ生きていけなかったから!!私がいないとダメだったから——!!」

 「うぷぷ♪あっひゃひゃひゃ!!」

 

 モノクマの哄笑が遮った。心の底から嬉しそうに、抑えきれないほど楽しそうに、モノクマは私たちを笑った。

 

 「あ〜ホント、出来の悪いコントだよ!裁判に勝った方も負けた方も、どっちも同じくらい狂ってるなんてさ!」

 「く、狂ってる……!?」

 「自分勝手に憧れて、自分勝手に信じて、自分勝手に希望を押し付けて、そのために大切な人の大切な人を殺しちゃってさ!しかもそれが相手のためだって言うんだからクッソ質悪いよね!そんでもって、そこまでしてあげた相手は誰かに依存しないと自分が分からなくなるイカれポンチだってんだから!救いねー!」

 「い、依存って……私は、そんなこと……!」

 「ううん、モノクマの言う通りだよ。奉ちゃん。あなたは湖藤さんを助けてたんじゃない。湖藤さんに助けられてたんだ。湖藤さんが弱い立場だったから、奉ちゃんはそれを助けるっていう“役目”を持てた。このイカれた空間で、自分の居場所を保てた。外にいた頃は分からないけど……少なくとも、今の奉ちゃんはそうだよ。自分以外の誰かがいないと、自分が分からなくなっちゃう」

 「ち、違う……!そんなこと……!私は…………」

 

 言葉が出てこなかった。私は、それを否定することしかできなくて……。否定することすらできなくて……。

 

 「でも、もう大丈夫。湖藤さんはもういない。私も、もういなくなっちゃう。ここにいるみんなは、奉ちゃんの助けがなくても生きていける。でも、奉ちゃんがいないと一致団結してモノクマとは戦えない。奉ちゃんがすべきなのは弱い人を助けることじゃない。強い人たちを導くことなんだよ」

 「自分勝手な主張ですね、クロになるような人が自分勝手なのは今更ですが」

 「尾田さんも、きちんと奉ちゃんを支えてあげてよね。内通者じゃないなら」

 「甲斐サンが内通者でない保証があるなら」

 「あるよ。私が信じてる」

 「馬鹿馬鹿しいですね」

 

 どうして……?どうして私にそこまで、希望なんてものを背負わせるの?私はただ……湖藤君のそばにいられれば、それだけでよかったのに……。湖藤君じゃなきゃ……なんで?なんで湖藤君じゃなきゃいけないの……?それは、だって……湖藤君が……弱い人だから……?

 

 「言いたいことは言い終わったかな?面白かったから待ってあげてたけど、もう我慢の限界!さっさとおしおきをさせろー!」

 「あ、もうそんな時間?そっか……残念だけど、お別れだね、奉ちゃん」

 「ちょ、ちょっと待って……!待ってよ……!まだ、話が……!」

 「待ちません!もう十分すぎるほど待ちました!これ以上話してても同じ話にしかならなさそうだしね!」

 

 天井から、ゆっくりと鋼鉄の首輪が吊り下がってくる。それは、まるで天国に昇っていく蜘蛛の糸みたいに、まっすぐ、その頭上に降りてきた。

 それに気付いてないみたいに、そんなの全く気にしてないみたいに、冷たい鉄の輪が首を締め上げても、その目は真っ直ぐ私を見つめていた。

 

 「今回は!“超高校級の脱出者”宿楽風海さんのために!スペシャルな!おしおきを!用意しました!」

 「奉ちゃん、ずるいかも知れないけど、私から最後のお願い」

 「お、お願い……!?」

 

 息もできないはずなのに、恐怖で指先すら動かせないはずなのに。微笑んだまま、そっと私の手をとった。

 

 「では、張り切っていきましょう!」

 「……みんなが奉ちゃんを必要としてるっていうのは本当だよ。奉ちゃんがいないと、みんなはひとつになれない。奉ちゃんがいないと、みんなが生き残れない。奉ちゃんがいないと、みんなは希望を持てない。だから、奉ちゃんだけは生きて。絶対に」

 「…………なに、それ……!これから死ぬあなたが……!!私の大切な人を殺したあなたが……!!そんなの、そんなのひどいよ……!!ひどすぎるよ……!!」

 

 ふっ、と足が地面から離れる。天井の向こうまで、あっという間に連れ去られる。その瞬間、口にしたそれを、私ははっきり聞き取れた。そんな気がした。

 

 「おしおきターーーーーイムッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ごめんね奉ちゃん……ごめんね」

 


 

 宿楽風海は暗闇の中に立っていた。自分の立つ足元さえ見えないほど深い闇。そこに、強い光が差し込む。背後から差す光が、自分の姿を長い影にして目の前に落とし込む。宿楽は、自分の影を見て、自分の頭に乗った粗末な王冠に気がついた。そして背後の照明もまた、モノクマの悪趣味な趣向が凝らされていた。まさか、カクテルライトを並べて“希望”の2文字を作るとは。

 これから自分は処刑される。とことんまで痛めつけられて、徹底的に侮辱されて、人としての扱いも受けない惨めな死を迎えるのだろう。だとしても、自分は自分の役目を終えた。後のことは全て甲斐に任せた。役目を終えた自分は、さっさと退場すべきだとさえ思っていた。

 

 「……やっぱり、ちょっと怖いな」

 

 宿楽がそうつぶやいたかと思うと、遥か遠くで灯りがともった。それは、正面の壁が取り払われて開放された、3階建ての扇型の建物だった。

 

 

[希望は前に進むんだ! 

 “超高校級の脱出者”宿楽風海 処刑執行]

 

 

 ブザーが鳴る。建物の方から軽快な打撃音が一斉に響いた。暗闇の中でみるみるうちに近付いてくる、無数の白い球。宿楽はそれがなにかを知っていた。覚悟を決めていたはずなのに、自分がどうなるかなんてとうの昔に分かっていたはずなのに、目の前に迫ってくる死に、宿楽は思わず飛び出した。

 前のめりに駆け出した宿楽の頭上を、おびただしい数のゴルフボールが通過していく。カクテルライトが割れてガラス片が雨のように降り注ぐ。ゴルフボールの直撃は免れたが、ガラス片で足や頬を切ってしまった。

 そのゴルフボールのひとつが、空中で何かに当たった。それは些細な一撃だった。その一撃が頭上の何かを大きく揺らし、バランスを崩したそれは轟音とともに宿楽めがけて降ってくる。鉄骨だ。そう理解するより先に、再び宿楽の足は駆け出していた。触れれば即死の鉄骨の雨の中を、宿楽は必死に逃げる。一秒前にいた場所に鉄骨が突き刺さる。一秒後に進もうとしていた場所に鉄骨が突き刺さる。真横に、真後ろに。タイミング悪く目の前に落ちた鉄骨に、頭をぶつけたりもした。いつの間にか服があちこち破けていた。

 走る宿楽の後ろから、けたたましい演奏が聞こえてきた。高らかにいななく管楽器、軽快なリズムを刻む打楽器、美しい旋律を走らせる弦楽器、それらに乗せて歌うような歓声、それらを下支えするエンジンの重低音。振り向いた宿楽がパレードカーの行進だと気付くとほぼ同時に、その行進は急加速した。危険を感じた宿楽は横様に跳ぶ。車が体を掠め、巻き上げられた紙吹雪に襲われる。被っていた王冠が弾き飛ばされた。

 暗闇の向こうに消えていったパレードカーの音が止んだ。それよりも大きな破砕音にかき消されたのだ。悲鳴のように聞こえるそれは、パレードーカーが巨大なシュレッダーに巻き込まれて粉砕される音だった。空間を飲み込むように、シュレッダーは徐々に宿楽の方へ近付いてきていた。もはや自分がどこから来たのか、どこへ行くのか、それさえ分からない。宿楽はただ、目の前の死から逃げ惑い続けた。破けた服を振り解き、硬い靴を脱ぎ投げ、汗がたまるサングラスを投げ捨てた。

 シュレッダーの音はいつしか止んでいた。どこかで止まったのか、逃げおおせたのか。どちらでもいい。宿楽はほうほうの体でそこにいた。暗闇の中、敷き詰められたガラス片が足に食い込むのも気にせず、初めの場所に戻ってきた。前方には強い灯りがともっている。希望の文字をかたどった、カクテルライトの群れだ。宿楽は顔を上げた。

 

 希望は、打ち砕かれていた。希望だったものは足元に広がって、一歩進むたびに絶え間ない痛みをもたらしていた。とうの昔に、希望は希望の形を失っていた。希う心も奪われて、望みも砕かれて。辛うじて残っていたそれは、救いにさえ思えた。

 逃げようもないほど巨大な“亡”が、宿楽に堕ちてきた。

 


 

 弄ぶように痛めつけられ、嘲笑うようになぶられ、最後には虫ケラのように殺された。涙が溢れた。どうしてだろう。大切な友達が目の前で殺されたから?大切な人を殺した人に目の前で逃げられたから?人が死ぬことにもう耐えられないから?

 こんなこと、きっと許されない。そんな風に考えちゃいけない。みんな同じように辛くて、同じように苦しいはずだ。でも堪えきれない。だって、こんなのおかしい。絶対におかしい。湖藤君も、風海ちゃんも、谷倉さんも、益玉君も……どうして?

 

 「どうして、私ばっかりこんな目に——」

 「ばっかり?ばっかりって言った?いま、ばっかりって言ったよね甲斐サン!」

 

 自分でも気付かないうちにつぶやいていた言葉を、モノクマは耳聡く拾い上げた。

 

 「みんな聞いた?ばっかりだってよ!甲斐サンは自分ばっかりひどい目に遭ってるってよ!仲の良い友達が、気さくに話してた隣人が、掛け替えない大切な人が、無残にも殺し殺されちゃったのが自分だけだって!辛くて苦しくて惨めな思いをしてるのが自分だけだって!自分以外のみんなはそんな絶望とはほど遠いところでお気楽にしてるってよ!こんなの許せますぅ〜?」

 「ぬぐぅ……!なんという安い挑発だ……!」

 

 違う。私はそんなこと言ってない。モノクマが無理やり私たちを仲違いさせようとしてるだけだ。そんなことみんな分かってる。分かってくれてるはずだ。絶対に私ばっかりなんかじゃない。みんな、友達や隣にいた人や大切な人を亡くしてここにいるんだ。

 

 「くだらない煽りは結構です。裁判が終わったのならもう用は済んだでしょう。まだ何かありますか?」

 「ううん?いいよ。まだ内通者が生き残ってることとか、人数も減ってきたしそろそろオマエラとのケリをつける頃合いかなとか、そういう話を聞かないでいいんならね!」

 「おもっくそ大事なことじゃねェかよ!?っていうか、湖藤が内通者じゃなかったんか!?」

 「それはお前の勘違いだ。しかし、モノクマがはっきりと内通者の存在を認めたのは初めてだな。もはや隠す意味はないということか?」

 「いいや、まだ正体は教えてあげられないよ。うぷぷぷぷ♪結局、最後の最後まで誰が内通者か分からないままっていうのもいいかもしれないね。ここ考察ポイント!一言一句もらさず重箱の隅突きまくって考察しろよ〜〜〜?」

 「ケリをつけるってどういうことカ?卑怯なことしないならガチンコでもいいアルヨ」

 「きゃ〜!暴力反対!そんな野蛮なことしないよ!ケリをつけるっていうのは、“超高校級”であるオマエラ希望と、絶望の象徴であるこのボクとの決着をつけるっていうことさ!」

 

 なんだかモノクマは楽しそうだ。私はまださっきの風海ちゃんの死に様を……いや、ベッドの上に寝そべった湖藤君の死体の写真さえ、まだ受け入れきれてないっていうのに。私だけを置いて、世界はどんどん先へ進んでいく。

 

 「長い長いコロシアイ生活!希望の象徴である“超高校級”の生徒たちが互いに殺し殺され、疑い疑われ、蹴落とし、糾弾し、欺き、裏切られ、命を落としていく絶望!その最後に、ボクとオマエラが決着をつける!そう!つまりは希望と絶望の戦いに終止符を打つのさ!ボクらの手で!」

 「な、なんだそりゃ……?全然意味がわかんねェんだが……」

 「意味なんてのは後から付けられるのさ。ともかく、全ては希望と絶望の戦いによって決まるのさ。ま、希望は絶望を打ち破るもの。絶望は希望を打ち砕くもの。お互いがお互いなくしてはあり得ないのに、お互いがお互いをなくそうとしてる矛盾した存在だからね。戦う宿命なのさ」

 「……なんで?」

 「あン?」

 

 モノクマの言葉は右耳から左耳に通り抜けていく。理解できる気がしないし、理解する気もない。そもそも、モノクマだって本当に自分が何を言ってるのか理解してるんだろうか。希望がどうの、絶望がどうの、なんだかあやふやだ。私たちが希望の象徴?モノクマが絶望の象徴?それは誰にとっての?決着をつけなくちゃいけないって、なんで?

 そんなに深いことは考えてなかった。真剣な思いで口にしたわけでもない。どうせモノクマはまた私の質問を煙に巻いて逃げてしまうんだろう。……そう思ってた。

 

 「なん、で……?」

 「え?」

 「なんでなんて、なんで気になるの?希望と絶望があるなら、いつかケリをつけなくちゃいけなくない?そういうものだもの。なんでって……考えたことなかったなあ。オマエラはそれだけじゃ納得できないの?変なの」

 「変なのはお前アル!そういうものって説明になってないヨ!」

 「でもだって、オマエラ、ボクを倒さないとここから出られないよ。それでもいいの?」

 「それは“モノクマ”を倒す理由であって、希望や絶望なんていう大それたものを背負うつもりはない。宿楽やお前が勝手に言ってるだけだろう」

 「は?え?なに?オマエラ、“超高校級”のくせに希望を名乗らないの?希望ヶ峰学園で過ごしてきたのに希望の精神とか育たなかったの?希望と絶望の戦いの歴史を知って、なんとも思わなかったの?まじで?そんな奴いんの?」

 「……なんの話?」

 

 声だけでも分かるくらい、モノクマはあきらかに狼狽えていた。なんで?たったそれだけのシンプルな質問に、まともに答えられてない。希望だから、絶望だから、そういうものだから。何の答えにもなってない。言いくるめようとさえしていない。本当にモノクマの中では、そういうものだから、という理由で成立してるってこと?

 なんだか……いい加減って言うのもなんか違う。考えがないというか、単純って言うか……そう信じてるみたいだ。それも、自分で手に入れた結論なんかじゃ決してない。まるで、誰かにそう教えられたみたいな。

 

 「あなた、いまものすごい失言してるの気付いてます?」

 「……ッ!えーいうるさいうるさいうるさ〜〜〜い!なんでなんでってオマエラ幼児か!くそサムい流行語か!理由なんかあってもなくても知っても知らなくてもオマエラの運命は決まってるんだよ!今日はこのくらいで勘弁してやるけど、明日から覚悟しておけよ!とっておきの情報でオマエラを絶望のズンドコに叩き落としてやるんだからな!」

 「それを言うならどん底だろ……」

 「うるせ〜〜〜!!知らね〜〜〜!!」

 「あ、逃げた」

 

 さんざん言いたい放題を言った後、モノクマはその場からいなくなった。誰がどう見ても逃げたようにしか見えない。だからと言って、私たちにモノクマを言い負かした実感なんてなかった。ただ、いつも以上に不可解な行動をしたモノクマの捨て台詞で、明日以降のまた憂鬱で薄暗い日々を予感してしまって、気分を落としていた。

 

 「さて、みなさんどうします?」

 「どうする、とは?」

 

 珍しく、尾田君はエレベーターに直行せず、その場に留まってみんなに呼びかけた。

 

 「思いがけずですが、モノクマからかなりの情報が落ちました。宿楽サンが残したこのメモリースティックの中身も見ておくべきだと思います。僕ひとりで見てもいいですが、後で情報共有するのが面倒です。それに、まだ内通者がいる以上、不確かな情報で混乱を招く可能性は少しでも減らしておくべきと考えます」

 「……ははあ。つまり劉劉(リュウリュウ)は、ワタシたちと一緒にメモリースティックの中身を見に行きたいのネ!ぼっちは寂しいアル」

 「ひどく不愉快な勘違いをされているようですが、もうそれでいいです」

 「むふふん♪信頼度最下位同士、仲良くするネ」

 「最下位はあなただけです」

 

 真っ先に応じたのは長島さんだった。こんな絶望的な状況でもお気楽に振る舞ってるのは、強がりじゃないんだろう。

 

 「お、おいらも見るぞ!めちゃくちゃ気になるじゃねェかそんなもん!」

 「手前もご一緒させていただきます」

 「まあ、情報共有は大切だ。甲斐、大丈夫か」

 「……あ、歩ける……!ひとりで、大丈夫……ありがとう」

 

 手を差し伸べてくれた毛利さんには悪いけど、私はひとりで立ち上がった。王村さんも、庵野君も、みんなで尾田君について行くことにした。長島さんが最下位だとかなんとか言うから思い出したけど、そういえば、私リーダーだった。いまの状況じゃ、私より尾田君の方がよっぽどリーダーっぽい。私にはもう、支えてくれる人がいない。支えてあげられる人がいない。

 風海ちゃん……こんな私に、これ以上何をさせようっていうの?

 湖藤君……こんな私が、何を成し遂げられると思うの?

 

 こんな私じゃ……なんにもできないよ……。




メリーくるしみます←毎年言ってるような気がする。
今年の更新はこれで最後。ちょうど良いですし概ね予定通りですね。
次回の更新は1月28日の予定です。みなさん良いお年を。


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第六章 海を割り断つ牛の贄
(非)日常編1


 

 湖藤君と風海ちゃん。私の大切な人が、一度に二人もいなくなった。風海ちゃんが、湖藤君を殺した。私に希望を背負わせるためだって、私がみんなを希望に導けるようになるためだって。全然意味わかんない。もう私は誰かを頼ることも、誰かに頼られることもない。そんな私に存在価値なんてない。

 外に残してきた人たちも、今はどうなってるか分からない。モノクマに買ってここから出られたとしても、私に帰る場所があるかなんて分からない。だったらどうして私がモノクマと戦えるっていうんだろう。みんなを希望に導く役割を背負わされたのに、私には希望がない。

 

 「しっかりしなさい」

 

 真横から厳しい言葉をかけられて、私は思わず背筋が伸びた。今の声は、どう聞いても尾田君のものだった。でも、少し前を歩く尾田君は知らんぷりをしてる。なんだろう、今の。

 私たちは、学級裁判を終えたその足で、まっすぐ情報閲覧室に向かっていた。裁判中に明らかになった、風海ちゃんが湖藤君を殺してまで手に入れたメモリースティックの中身を確かめるためだ。強制的に殺人を起こさせるような仕掛けでもってモノクマが与えてきたものだ。何の意味もないはずがない。どんなにくだらない映像だったとしても、そこには何か大事なことが記録されているはずだ。でも、その意味を考えるのは私の役目じゃない。観る前からそんなことを考えていた。

 

 「甲斐さん。やはり今は具合が悪いのではないですか?あまり無理をなさっては……」

 「う、うん……。きつい、けど……」

 「心身ともに今は休養が必要です。メモリースティックの中身は後で手前がお伝えしますから、今は休んでおられた方がいいのでは」

 「いや。甲斐には悪いが、自分の目で見てもらうのが一番いい。それに、モノクマがいつどんな手を使って妨害してくるか分からない。観るなら全員同時、今すぐであることが大切だ」

 「そうアル!もし気分が悪くなったら王王(ワンワン)の頭巾にぶちまけるヨロシ!」

 「なんでおいらの頭巾だよ!エチケット袋ぐらいあるわ!ほら!くれてやるから持っとけ!」

 「あ、ありがとう……」

 

 庵野君が気を遣ってくれたのを、毛利さんたちが流れるような連携で私にエチケット袋を押し付けてついて来させた。正直、こんな状態でパソコンの画面なんか見てたら、確実にエチケット袋のお世話にはなりそうだけど……毛利さんの言うとおり、モノクマの妨害だって考えられる。少なくとも、みんなに迷惑をかけないためには、今はがんばってついて行く方が良さそうだ。

 

 「ありがとう、庵野君。私がんばるから……ごめんね」

 「いえ。みなさんから甲斐さんへの『愛』、そして甲斐さんから手前どもへの『愛』、しかと伝わりました。出過ぎた真似を」

 「おめェそればっかじゃねェか?大男が愛だなんだって薄気味悪ィ」

 

 何時間か前には眠ったように死んでいる湖藤君の死体を、ついさっきには風海ちゃんの無惨な死を目にしたというのに、みんな軽口を叩きあえるくらいには気持ちが落ち着いてるみたいだ。強くなったと言えば強くなったと言える。何かを失ったと言えば失ったと言える。すり減ったと言えばすり減ったと言える。少なくとも、私と違って、停滞はしていないんだろう。

 意味のわからない疎外感に苛まれる私に気遣いなんてされるわけもなく、世界は淡々と進んでいく。情報閲覧室は急にその姿を私の前に現して、青白い液晶の光と機械の低く単調な音が私たちを中へ誘う。ひとつの大きなパソコンの前にみんなで集まって、尾田君がメモリースティックの中のデータを確かめる。

 

 「動画ファイルがいくつかあるようですね。破損していなければ全て見られますが……」

 「な、なァ、今更だけどよ、この動画自体がやべェもんってことはねェか?宿楽はこいつを見たから湖藤を殺そうと思ったとか」

 「た、確かに……言われてみれば、王村さんのおっしゃる可能性も否定できないのでは?」

 「さすがにそうであればモノクマが止めに入るはずです。ここで生き残り全員がコロシアイを始めるような代物を放置するのは、先ほどの発言と矛盾します」

 「ええいここまで来てビビるとかあり得ないヨ!取りあえず再生するヨロシ!」

 「あ」

 

 王村さんの一言で何人かは一気に不安になった。確かに、まだこの動画を見たことがあるのは風海ちゃんだけだ。その風海ちゃんは、自分の殺人を訳のわからない理由で説明していた。それがこの動画のせいだと思えば……少しは救われるのかな。その可能性すら尾田君がすぐに否定してしまったけれど。

 焦ったく思った長島さんが、勢いよくキーボードを叩いた。メモリースティックに保存されたいくつかの動画のうち、一番上にあった動画が再生された。動画は画面いっぱいに引き伸ばされた。古い映像なのか、再生してる画面の問題なのか、なんだか平べったい。

 劇場で見る映画みたいな、静かな始まりだった。白い背景に浮かび上がる、直線だけで構成された記号。その下に英語で何か書かれてたけど、すぐに画面が切り替わって読めなかった。

 

 

 ——私たちは、IHFです。——

 

 

 透き通るような声。聞き取りやすい発音。心地よい抑揚。たった一言聞いただけで聞き入ってしまう女性のナレーション。IHF?ってなに?

 

 

 ——本動画は、IHFの役割や取り組み、皆様と創っていく未来の形についてご説明するものです。どうぞ最後まで、ご覧ください。——

 

 

 笑う子供たち。一家団欒。明るく清潔な社会。希望に満ちた世界。そんな安易なイメージを背景に、動画は進んだ。要約するとこうだ。

 IHFとは、国際希望連盟(International Hope Federation)の略称で、希望ヶ峰学園の卒業生で構成されたある組織を前身とする国際組織だ。希望の名前を冠したその組織は、世界中で希望的活動に取り組んでいる。紛争地域への支援や仲介や復興支援、途上国への医療・インフラ提供、テロ組織や盗賊・海賊の殲滅から地域の交通安全活動まで、規模の大小を問わない。その実績のおかげか、世界がどれほど希望に満ちているかを示す世界希望指数なるものは、この20年で3倍以上に伸びたらしい。

 

 ——絶望に打ち勝ち、世界に希望を。IHFは、これからも人類の希望のために戦います。——

 

 そんな手前味噌な宣言を最後に、その動画は終わった。IHFなんて初めて聞いた。国際組織だったら名前を聞いたり授業で習ったりしそうなものだ。沿革の説明を信じるなら、私たちが希望ヶ峰学園に来る前から活動していたみたいだし。

 

 「一体なんなのでしょうか。この胡散臭い動画は」

 「モノクマが作ったデタラメなものなんじゃないか?いかにも退屈なプロモーションビデオという感じだったぞ」

 「だったらもっと趣味の悪いものにするでしょう。ある意味、皮肉の効いた内容ではありましたが」

 「分かんないことを考えてても仕方ないネ!次いくヨ次!」

 「ちったァ考えることをしねェのかよ!?」

 

 一旦立ち止まって考えることも大切だと思うけど、長島さんはさっさと次の動画を再生させた。まだ整理するほどいろんな情報が出てきてるわけじゃない——と思うけど、たぶん尾田君はいろんなことを考えてるんだろうなあ——ともかく、手に入るものは手当たり次第だ。

 次の動画もまた、白い背景に直線で構成されたロゴマークが表示された。IHFが制作した動画ということだ。ただ、さっきの少し堅い内容のものと比べると、こっちはずいぶん分かりやすかった。分かりやすいというよりも、低年齢向けの作りだった。

 

 

 ——『かがやけ!キボウくん』はっじまっるよ〜〜〜!よい子のみんな!こーんにちわー!…………うん!元気いっぱいだね!みんな僕のことは知ってるかな?いつでも前向き、元気いっぱいなみんなのおともだち、キボウくんだよ!——

 

 

 「はあ?」

 

 思わずそんな声が漏れたのを、私は聞き逃さなかった。正直、子供向けのものを高校生の私たちが真剣な顔で観るこの空気に耐えられそうになかった。だから、尾田君がそんな気の抜けたことを口にしてしまったことに、なんだかすごく救われた気がした。子供向けと思ったけど、小学校に入る前の子供に見せるくらいのレベルな気がする。

 どうやらこれは、『かがやけ!キボウくん』というアニメの特別版として制作されているらしい。頭にアンテナを建てた男の子が、友達の抱えるトラブルや事件に巻き込まれるけれど、とにかく前向きな性格と粘り強い頑張りでゴリ押し解決に導くという内容だった。そしてしきりにキボウくんは希望が云々と口にする。なんだか今の私には歪んで聞こえる言葉だ。

 

 「なんアルか、このクソアニメ。退屈であくびしすぎてアゴが外れそうアル」

 「未就学児向けだな……。こんなものを観せて、モノクマは私たちに何を思えと言うのだろうか」

 「意味なんかねェんじゃねェの?意味深な感じだけ出して、その辺から拾ってきたもんを突っ込んでるだけだろ」

 「だとして、なぜあえてIHFなのでしょう。モノクマが絶望がどうのと言っていたことも、無関係であるとは思えません。まるで、希望と絶望の対立を印象付けようとしているような……」

 「印象付けるもなにも、希望の反対は絶望で、絶望の反対は希望なのではないですか?」

 「言葉の意味としてはそうです。ただ、IHFが出てきた時点で、この二つの言葉はそれぞれもっと大きな概念を示すものになります。すなわち、希望ヶ峰学園をはじめ人類の希望を中心とする体制派と、絶望を掲げて破滅を信奉するテロ組織です」

 

 IHFという組織の名前を聞いたのは初めてだったけど、希望とか絶望の意味はわかる。それも、尾田君の言う意味で。これはもうほとんど歴史の授業で聞いた話だ。私たちの通う予定だった希望ヶ峰学園(本当はもう通ってたらしいけど)は、一度完全に壊滅してる。希望ヶ峰学園だけじゃない。この世界のほとんどの場所が、ある巨大なテロ組織によって崩壊した。“超高校級の絶望”と呼ばれる組織だ。

 細かいところは中学校じゃ教えてくれなかった。とにかく分かってるのは、“超高校級の絶望”は世界中で同時多発的にテロを起こし、一度世界を崩壊させるほどの力を持っていたこと。そしてその首謀者であり中心人物であり“超高校級の絶望”そのもの——江ノ島盾子は、元希望ヶ峰学園生だということだ。希望の名前を冠した学園が、人類を滅ぼすほどの絶望を輩出してしまうなんて、出来の悪い冗談だ。

 

 「モノクマが僕たちに絶望を味わわせたいと言っていたので、絶望かぶれか、せいぜい絶望の残党と思っていましたが……なぜ敢えて希望側のビデオを持ってきたんでしょう」

 「まだまだ他にもあるヨ。出し惜しみしてないで全部観るネ」

 「とまんねェなオイ!!」

 

 その後も、長島さんは次から次へとビデオを再生しては、あくびをしたり、目を擦ったり、鼻をほじったりしながら酷評していた。言い過ぎ、だとは思わない程度には退屈で味気ないビデオがその後も続いたけど、どれもこれもが、いわゆる希望側のPRや啓蒙活動に関するものだった。

 希望ヶ峰学園に出資してる海外の大企業にインターンした学園生のビデオ、卒業生たちがどれほど世界で活躍して人類に貢献しているか、絶望の行いの悪辣さと復興のために希望が出したお金や人員、もはや歴史上の人物になっている江ノ島盾子を打ち倒し、幾度となく絶望との戦いに勝ってきた希望の象徴……。

 

 「やいモノクマ!なんアルかこのクソビデオの数々!時間返すヨロシ!低評価アル低評価!」

 「自分からどんどん再生しておいて言いたい放題だな……面白味がないのは確かだが、問題はそこじゃないだろう」

 「見れば見るほどですね。やはり、どれもこれも希望側のビデオです。まあ、モノクマが絶望側だとしても、動画データの入手自体は難しくないでしょうが……」

 「あの、尾田君。よろしいですか?希望側のビデオばかりとおっしゃいますが、絶望側のビデオなんてあるのですか?テロ組織の広報活動なんて考えにくいのでは」

 「あなたは石器時代の人間ですか?技術があるなら善人も悪人も使うに決まってるでしょう。それにテロ組織だって自分たちがテロをしていると表立って言うわけないでしょう。大義名分や政治的思想を掲げて出資者や志願者を募ったり、あるいは別の顔をして活動していたり、あるいは通常ルートでは手に入らないスナッフフィルムなんかもあります。モノクマが絶望側ならもちろん、どちらの立場でなくてもデータは手に入れることはできます」

 「じゃ、じゃあ……この偏りは、どういう意味があるんだろう?」

 

 意味なんてない。そう言ってしまえば楽だ。だけどそれじゃ納得できない。だって、風海ちゃんはこの映像を観て、湖藤君を殺すことを決心したんだ。とにかく今はそういうことにしておく。だから、この映像には何らかの意味がないといけない。そうでないと、私は風海ちゃんを許せない。

 

 「単純に……モノクマが希望側だという可能性はないのでしょうか」

 「希望側?冗談だろ!希望ヶ峰学園乗っ取ってコロシアイさせるような奴なんだぜ!?希望もクソもねェよ!」

 「しかしまあ、希望側だとすればこの手前味噌な動画のラインナップにも納得がいくが……」

 「ちょっとでも期待したワタシがバカだったアル。あーあ、帰って寝るネ」

 「よくそんな呑気でいられるね……こんな怪しいビデオ、絶対何か意味があるに決まってるのに」

 「前のビデオみたいにワタシたちに絶望させるわけでもなし、どうするわけでもなし。だったらワタシたちに余計なことを心配させて消耗させるモノクマの嫌がらせネ。こんなものに気を揉んでる時間があったら、どうやってモノクマを倒すか考える方がよっぽど有意義ヨ!違うカ?」

 「……まあ、違いませんね」

 「そんな……」

 

 あまりに意味が分からない動画は、みんなの興味を急速に失って、長島さんの言葉を皮切りにみんなどうでもよくなってきたみたいだ。私だけがこんなにも固執してる。私だけがさっきまでの学級裁判を引きずってる。それを再認識させられた。

 

 「甲斐。あまり思い詰めるな。結果的に……お前にとってはあまり救いのない結果になってしまったが……」

 「……ううん。ありがとう、毛利さん。ごめんね、いつまでもうじうじして……。みんなだって辛いはずなのに、仮にもリーダーの私がこんなことで……」

 「お前が一番辛いのはみんな分かっている。私たちに気を遣う必要なんてない」

 「……ダメだよ、毛利さん。私はしっかりしないといけないんだよ……誰かに助けてもらえるとか、誰かに縋れるとか考えたら……」

 

 そんなこと、考えたら……私はまた……。

 

 「そうか……まあ、こういうことは無理強いしても仕方がない。甲斐自身が乗り越えなければいけないことだ。辛い時は相談に乗る。私なんかでは頼りないだろうが、いないよりマシだろう」

 「うん……ありがとう」

 「……」

 

 何か言いたそうにしていたけれど、毛利さんは何も言わず、私の肩を軽く叩いて行ってしまった。ダメだよそんなの。私に優しくしちゃ、ダメなんだよ。私が助けてあげないといけなかった湖藤君はもういなくて、私を助けてくれてた風海ちゃんはもういない。そんなところに、私が必要だって言われたら……私を助けてくれるって言われたら……。

 今度は、毛利さんの側にい(に依存し)たくなっちゃう。

 


 

 くだらないビデオで無駄な時間を使わされたが……得るものはあった。ただ、それがどういう意味を持つのかまではまだ分からない。IHFの名前が出てきたので、図書室で関連する文献を調べてみたが、どうやらめぼしいものは取り除かれているようだ。ビデオ以上の情報を渡すつもりはないということか。

 

 「……」

 「何の用ですか。しばらく見なかったと思えば、モノクマよりずいぶん復帰が遅かったんですね」

 「あっ、ご、ごめん……バレてた」

 「そんな目立つ体でバレないと思ってるんですか」

 

 物陰からこそこそこちらの様子を伺う姿が視界の端にちらついて、あまりに鬱陶しいからつい話しかけてしまった。モノクマと全く同じ見た目をしているのに態度がまるで違う、ダメクマだ。モノクマが復帰したとき、こいつも一緒に現れるものと思っていたのに、今の今までどこで何をしていたのか……。取るに足らない存在のくせに無視しきれない動きをする。実に邪魔くさい。

 

 「あ、あの……ビデオを観たんだよね?」

 「ええ。観ましたよ。非常に無駄な時間を過ごしました」

 「無駄……そうだよね。君たちにとってはあんなの、何の意味もないよね」

 「ビデオ自体に意味はありませんが、それをモノクマが与えてきた。それも必ず犠牲者を出すという条件付きで。単なる嫌がらせだとは思えません」

 「それで、図書室で調べてるんだ……」

 「これ以上僕に無駄な時間を使わせないでください。あなたが目的の資料を持っているというならまだしも」

 「……カムクライズル」

 「ん?」

 

 空気が漏れるような声で。しかしまるで耳元で囁かれたようにはっきりと。これはダメクマの声か?違う。何かもっと、知っている声のような気がした。つぶやかれたその言葉も、聞き覚えはある。

 

 「神座出流……?それがなんですか?」

 「尾田君、ボクはモノクマとは違う。モノクマみたいな姿をして、モノクマみたいな立場にいるけれど、全然違うんだ。だからモノクマに見つからないように行動するしかない。ボクが何を言いたいのか、君なら分かってくれると思ってるよ」

 「……なるほど、言わんとしていることはなんとなく分かりました。ですが、なぜ僕に託すんですか。僕がモノクマと通じている可能性だってあるでしょうに。それは分かるんですか?」

 「大丈夫だよ。ボクは、知ってるから」

 「内通者の正体をですか?」

 「全部さ。君たちのことは全部。モノクマが知らないことだって知ってる。でも、いま君たちに内通者の正体を教えるわけにはいかない」

 「なぜ」

 「何が起きるか分からないから。ボクにはまだ、ここでやることがある。だから、内通者の正体は君たちで突き止めてほしい」

 「ふぅん……ま、話半分で聞いておきます。あなたの言葉をまるっきり信じる根拠がないので。ただ、あなたなりに多少の危険を犯していることは理解できますよ。うざったいほどそわそわしっぱなしですから」

 「あ、ありがとう……」

 

 モノクマはこの学園内を監視しているはずだが、全ての場所ではない。内通者がいることがその根拠だ。ダメクマがここまで話すということは、この場所は監視の対象外なのだろう。であれば、近くに内通者がいる可能性もある。焦ってはいけない。敢えて自分の身を危険に晒すことはない。ダメクマからヒントらしきものも与えられたんだ。

 それにしても、神座出流が一体なんだというのか。希望ヶ峰学園の創設者ということは知っているが、そんなことは教科書に載っているレベルの常識だ。ネットの噂程度でしかないが、“人類史上最大最悪の絶望的事件”にも関わっているという話もある。生きている時代が違うのだから、単なるデマだろうが。

 

 「カマをかけてみるか……?いや、神座の名前を出す時点で勘繰られる……それとも、神座出流という名前そのものに意味があるのか……?」

 

 モノクマの情報統制がかかったこの学園でどこまで調べられるか分からないが、希望や絶望に直接関わる情報よりは取りこぼしを期待できる。何より、ダメクマがそれを伝えてきたことには必ず意味がある。信じる、というわけではないが……少なくとも内通者の可能性がない分、他の誰かよりは宛になるかも知れない。

 


 

 まさかここに来て希望だなんだって話になるとは思わなかったネ。胸糞悪いっていうのはこういうときに使う言葉ヨ。IHFなんて初めて聞いたアル。あんなことをしてるなんて初めて知ったアル。どうしてワタシが今まで知らなかったカ。どうしてワタシに知る機会がなかったカ。

 

 「苛立ってんなァ」

 「むっ!なにカ、王王(ワンワン)。ワタシがイライラしてたら王王(ワンワン)に迷惑カ」

 「別に迷惑じゃねェけど……珍しいなァと思ったんだよ。おめェがそういうのを引きずるって、あんまなかったんじゃねェか?」

 「……そうカ」

 「そうだろ?学級裁判だって今まで5回やってきたじゃねェか。おいらはそのたびに酒の量が増えて、もう誤魔化すのもぎりぎりなくらいビビってるし、怖ェし、自分で自分が情けねェくらいだ。その点、おめェや尾田や湖藤は、裁判が終わったらすっぱり気持ち切り替えてただろ。湖藤は表に出してねェだけだし、尾田は他人に興味ねェからそうなんだろ。おめェも尾田と同じクチだと思ってたんだが、ちげェみてェだな」

 「そりゃワタシは王王(ワンワン)より強いし、死んだ人に興味もないヨ。でも……生きてる人は違うアル」

 「そうかァ?そうは見えねェけどな」

 「生きてる人って、別にここにいるみんなのことじゃないアル。王王(ワンワン)たちが生きてても死んでてもワタシの人生には関係ないヨ」

 「マジで裏表なさすぎて心配になるレベルだなァ」

 

 きっと、王王(ワンワン)だけじゃないアル。奉奉(フェンフェン)にも宣宣(シェンシェン)にも、他の誰にもワタシの気持ちは分からないアル。日本は平和だからネ。どこに行っても街があってご飯があって寝るところがあるヨ。安全であったかいお風呂に入れてきれいな服もあるヨ。だから、ワタシの家族がどんなところでどんな風に生きてるか、本当の意味で分かることはきっとないアル。

 でも、ワタシはそれでもいいアル。分かってもらったって惨めになるだけヨ。大事なのはワタシが生き延びること、それにたくさんのお金を稼ぐこと、それだけアル。もし誰かを殺してお金が手に入るなら、きっとワタシはとっくに殺人だってしてるはずアル。というか、今までずっとそうやって生きてきたんだから、今さら20人くらい誤差ヨ。

 

 「ワタシの大切な家族とか、友達とか、可愛がってくれた人たちとか……そういう人たちには生きててほしいアル。死なせないためにワタシが頑張らなくちゃいけないときもあるヨ」

 「なんでェ、普通の女子高生みたいなこと言うじゃねェか。冷ェやつだと思ってたけど、人間味のあるとこもあるんだな」

 「少なくともワタシが死ぬまでは生きててほしいアル」

 「周りのやつらも人間だよな?」

 「だからつまり、ワタシはそういう人たちのために頑張ってきたアル!やりたくないことだって、なんとも思わなくなるくらいやってきたアル!でも、あのビデオにあったIHだかオール電化だかが本当にああいう活動をしてたんなら、ワタシがしてきたことはなんだったカ!そう思ったら腹立ってきたってだけヨ!」

 「……まァ、さっきのビデオの奴らだって神様じゃねェからなァ。取りこぼしとか見逃しとか、手が出せねェ場所もあるんだろ」

 「へっ、そんなんであんなビデオ作るとか笑わせるネ。それでいて自分たちは満足してるんだから大した“希望”アル」

 「荒んでんなァ。飲むか?」

 「王王(ワンワン)がケツ拭けるならいくらでも飲んでやるヨ!」

 「じゃあ飲むな!!」

 

 ぶん取ったお酒の瓶を奪い返されちゃったアル。こんなに可愛いJKが漢気見せてるのに、王王(ワンワン)は情けない奴ネ。お酒だって飲みたい気分にもなるヨ。まるでワタシがいままでしてきたことの全部を否定された気分アル。ワタシの家族がIHFに救われてないのは、ワタシが援助してるからカ?王王(ワンワン)が言うように取りこぼされてるだけカ?それとも、何か手が出せない理由があるカ?どれでも納得できないけどネ。

 ただでさえ胡散臭いあの映像が、ワタシには実感付きの不信感がこびり付いてるように見えたアル。でも、これこそモノクマの目的かもしれないヨ。今までの動機を見てれば、今度はワタシを狙い撃ちしてきたのかもしれないアル。ちっちっち。甘いネ。残念ながらワタシは狙う側ヨ。

 


 

 「え?あのビデオはなんのつもりかって?そんなの決まってんじゃーーーん!!」

 

 モノクマは、飲めもしないブドウジュースをワイングラスに注いで笑った。

 

 「あれを見れば一目瞭然でしょ?いかに希望が素晴らしいものかがさ!うぷぷぷぷ!あいつらはもっともっとも〜〜〜っと希望に満ち溢れてもらわないと困るんだよ!希望に満ちて、希望を信じて、希望に輝いて、希望を求めてもらわないと!」

 

 椅子の上で立ち上がり、くるくる回りながら希望の美しさを説く。実に奇妙な光景だ。絶望の象徴、絶望の権化とも言えるその姿で、希望を高らかに讃えるという姿は、矛盾しか感じない。もちろん、その裏にはモノクマなりの意図がある。

 

 「希望に満ち満ちたやつが絶望に突き落とされたときにこそ、すさまじいエネルギーが生じるんだよ!そのエネルギーは周りを巻き込みながら、とんでもない結果を引き起こす!もしかしたらもっともっと大きな絶望を生み出す結果になるかも知れない!絶望の連鎖が延々と続いていくかも知れない!そしたら……!そしたら……!!」

 

 もう果ててしまうのではないかというくらいモノクマは興奮していた。そんなことになったら、また世界は終わってしまうのではないかと思うが、どうやらモノクマはそれが最高の結果になることを期待しているようだ。ポジティブなのかネガティブなのか分からない。あるいは、何も考えていないのか?

 

 「ま、あいつらがあのビデオの内容をどう解釈するかまでボクの知ったこっちゃないけどね。少なくとも布石は打てたと思うよ。ここからは少しずつ真相へのヒントも出していかないといけないからね。ボクと対決するんだ。せっかくなら最高の状態のあいつらとやらなきゃ意味がないもんね」

 「最高……?」

 

 何を以て最高なのか。希望に満ち溢れた状態なのか、絶望のどん底に沈んだ状態なのか、それを乗り越えたときか、諦めて死に体になったときか。

 

 「そんなナンセンスなことを聞く暇があったら、少しはあいつらのこと掻き乱してこいよ!もっと仕事しな!理刈サンの死亡現場に手を加えたのがバレちゃったんなら、今度は逆にガンガン干渉して何も信じられなくさせてやるんだよ!それに、あいつの動きもきになるしね!なんか情報掴んでないのかよ!」

 

 あいつ……モノクマが誰のことを指しているのかは明白だ。あいにく、モノクマが持っている以上の情報はない。そう簡単に掴ませてくれるはずもない。もしこのコロシアイに邪魔者を送り込むことができる者がいるのだとしたら、只者でないことは確かなのだ。そもそも、モノクマの方こそあれの正体は分からないのか。

 

 「分かってたらさっさと対策打って排除してるに決まってんだろ!ああやって力を抑えるので精一杯だっての!なんなんだあの得体の知れないやつは!」

 

 こっちが聞きたいくらいだ。まったく、どうなってるんだ。コロシアイは、もっと一方的なものではなかったか。もっと理不尽で意味不明で絶望的なものではなかったか。こんなにイレギュラーだらけなのか。

 

 「やることは多いけど、とにかくこっちは圧倒的に有利な立場なんだ。だからってワンサイドゲームで終わらせるのはつまんないから、ちょっとはあいつらに譲歩してやるけど、負けるつもりなんかないんだからね!本気でぶっ潰しにいくよ!オマエもいい加減覚悟を決めな!今度は失敗させないんだからな!」

 

 もちろん、そのつもりだ。与えられた使命(やくめ)は全うする。同じ轍は踏まない。今度こそ、一人残らず……!

 


 

 薬品で眠らされて昏倒して、湖藤君が死んだことのショックから立ち直れないまま学級裁判をして、友達が処刑されるのを目の前で見て、訳のわからないビデオを見せられた。そんな1日が終わって、ようやく私はベッドに横たわって休むことができた。

 次に目が覚めたとき、私はぐしゃぐしゃの中にいた。髪は絡まって頭を引っ張るし、服が皺だらけになって、シーツがめくれて床に落ちていた。寝相が悪くてこうなったんじゃない。まともに寝る準備ができないほど、昨晩は疲れていたんだ。昨晩というか、もう日が昇り始めるぐらいの時間だったと思うけど。

 

 「奉ちゃーん!もう朝だよー!寝坊なんてらしくないね」

 「疲れてるんだから仕方ないよ。叩き起こしちゃったらかわいそうじゃない」

 「もう、人の体のことは気を遣うのに、自分は後回しなんだから。そういうところ!そういうところだぞ奉ちゃん!」

 「だから静かにしてあげなって」

 

 風海ちゃんと湖藤君の声がする。いつもと変わらない掛け合いだ。姿は見えないけれどすぐそこにいる。扉のすぐ向こうに、部屋の中に、シャワールームの排水溝の奥に、タンスに乗った鉢植えの葉の上に、壁の中に、私が握るシーツの皺の隙間に……どこにでも、二人はいる。

 

 「でも本当に起きないね。やっぱり無茶させすぎたかな」

 「無茶っていうか酷だったよね。いくらなんでもあれはあんまりだ。普通だったら心が壊れてもしかたないよ」

 「もしかしたらもう壊れてるのかも」

 「そうかもね。だってこの会話が聞こえてるんだもん」

 「ぼくたちは本当はいないんだ。甲斐さんだって分かってるんでしょ?もういやってほど分かってるんでしょ?でも、それじゃ自分の存在意義が失われるから、必死に何かに縋ろうともがいてる。それがこの幻聴だよ。なんていうか、哀れだね」

 「ひどい言い方、ほっといてよ」

 「ウソばっかり!だって私たちは奉ちゃんが望むからここで喋ってるんだよ。あなたの部屋の前で、部屋の中で、シャワールームの排水溝の奥から、タンスに乗った鉢植えの葉の上で、壁の中から、あなたが握ってるシーツの皺の隙間で……放っといてほしいなら今すぐ起き上がって、身だしなみを整えて食堂に行けばいいんだよ」

 

 二人の声が頭の中に反響する。耳元でささやくように遠い。消えてしまいそうなほどうるさい。理路整然としていて意味不明だ。支離滅裂で単純明快だ。ずっと会話していると私の中の何かが崩れていくのがはっきり分かる。思考を邪魔する壁を崩していくような、脳の皺を伸ばしているような。何が何だかわからない。

 

 「君はこのままじゃいけないってことを分かってる。でも、このままでいたいとも思ってる。そんな矛盾した気持ちを、どうしたらいいんだろうね?」

 「私には分かんないよ……どうしたらいいの?私は、これからどうやって生きていったらいいの?」

 「私たちに答えなんか出せないよ。私たちは奉ちゃんの頭の中にしかいないんだから、奉ちゃんに分かることしか分からないよ」

 「でも安心して。答えそのものはわからなくても、答えを出す方法は分かるよ。甲斐さんが分かってるからね」

 「じゃあ、どうしたら答えが出せるの」

 頭の中(ここ)に答えがないなら、頭の外(ここじゃないどこか)に探しに行けばいいんだよ」

 

 二人の声がはっきり聞こえた。部屋の扉の外に。

 

 「それじゃ、ぼくたちはもう行くよ。役目が終わったからね」

 「そうだね。できたら、もう私たちと話さなくて済むようにしてよね、奉ちゃん」

 「待って!!」

 

遠のいていく二人の声に、私の体は弾かれたように飛び出した。体が痛むくらい自分の意思とは関係なく。

 

 「うわっ!?」

 「きゃっ!」

 

 誰もいないと思っていたその場所に誰かがいた。湖藤君でも風海ちゃんでもない、誰だ。

 

 「い、いかないで……!湖藤君、風海ちゃん……!」

 「か、甲斐?お前なにを……?」

 「待って!私をおいていかないで……!ひとりぼっちはいやだよ……!」

 「おい、落ち着け。湖藤も宿楽ももう……」

 

 二人の声がだんだん遠くなっていく。どこに行くのかも分からないその影を追って、私は闇雲に手を伸ばす。ただただ、二人に突き放される絶望感だけが後に残っていた。すぐ隣にいる誰かの声にも気付かずに……ただ、ひたすら泣いていた。




なんも考えんと書いてると、話があっちこっち行ったりこっち行ったりして大変ですわ


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(非)日常編2

 

 モノクマに呼び出された。新しいフロアを解放したから案内するということだった。学級裁判のたびに新しく行ける場所が増えることを想定していたのだとしたら、ここまでは全てモノクマの思惑通りということだろうか。20人もいた“超高校級”たちは、もう6人になってしまった。

 モノクマと戦う上で重要な戦力になると思っていた湖藤は宿楽に殺され、私たちから信頼を得ていた甲斐はそのショックでひどく精神をやられてしまった。私たちより遥かに優れた頭脳を持つ尾田は私たちと協力する意思がないし、頼りになりそうなやつは他にいない。しかも私たちの中にはモノクマの内通者までいるという始末だ。これでは戦うどころか、自滅してしまう。私がなんとかしなければ、私がしっかりしなければ。

 そう思い、甲斐を呼びに部屋を訪れた。どうせモノクマの呼び出しには行かなければならないが、甲斐をひとりにしておくのが不安だった。あまりに疲弊し、間違いを起こしていても不思議じゃないんだ。気にかけすぎるということはない。

 

 「うわっ!?」

 「きゃっ!?」

 

 部屋のドアをノックしようとしたまさにそのとき、中から甲斐が飛び出してきた。モノクマのアナウンスを聞いたという風じゃない。廊下の奥に向かって泣き叫びながら手を伸ばしていた。しきりに湖藤や宿楽の名を口にしている。どうやら錯乱して幻覚を見ているようだ。一晩寝れば落ち着くかと思ったが、余計に深刻な事態になってしまったようだ。

 

 「おい甲斐、落ち着け」

 「うぅ……!?だ、誰っ……!?」

 「誰って、毛利だ。深呼吸しろ。湖藤と宿楽はいない」

 「はぁ……はぁ……!うっ、ふう……」

 「落ち着いたか」

 「……よく分かんない」

 

 背中をさすってやれば、小刻みに震える体がゆっくりふくらんでしぼんだ。まだ混乱しているようだが、深呼吸はできている。幻覚を幻覚だと気付かなくても、落ち着いてくれば少しは分別がつくようになるだろう。

 

 「モノクマのアナウンスは聞いたか。新しいエリアが解放されるらしい」

 「そ、そうなの……?聞こえなかった……」

 「寝ていたんだろう。今から集合だが、来られるか?」

 「だ、大丈夫だよ……行く。私が、ちゃんとしないと……」

 「肩を貸そう」

 

 ふらふら立ち上がる甲斐の足は青白く、今にも倒れてしまいそうだ。もうこの際、服装や髪が整っていないことには何も言うまい。いま甲斐はこういう状態なんだということを、尾田にも少しは分からせてやらなければならない。長島はなんと言うだろう。シビアなあいつのことだ。甲斐のことはとっくに諦めているかもしれない。王村も面倒臭がるかも知れない。あてにできるのは庵野くらいだ。

 決して重いわけではないが、人一人を運ぶのは骨が折れる。集合場所に着いたら、庵野に代わってもらおう。私は耳元でぶつぶつ意味のない言葉を吐く甲斐を連れて、モノクマに指示された集合場所まで、のそのそと廊下を歩いて行った。モノクマなんかに負けてたまるか。その一心だった。

 


 

 「はい!というわけで集まってもらいましたオマエラ!なんだけど……甲斐サン大丈夫?」

 「黙れ」

 「ひどくない!?心配してあげてんだよボクは!」

 「誰がここまで追い込んだと思っているんだ。本気で甲斐の体を心配するなら今すぐ私たちを解放しろ」

 「それ、できると思って言ってないよね毛利サン!ダメだよ、できないって分かってることを要求しちゃあ。交渉ってもんがなってないなあ」

 

 モノクマはにたにたと笑う。その笑顔がますます毛利さんの気を苛立たせる。誰のせいで甲斐さんがこうなったかと言えば、モノクマのせいというより宿楽さんの責任が強いような気がしますが、敢えて言うこともないでしょう。なんとかして甲斐さんに希望を持たせたいという気持ちは分かるが、あのやり方では絶望させてしまうだけだ。少なくとも宿楽さんは、自分の命を懸けるべきではなかった。

 

 「どうでもいいので、早く新しいエリアを案内してもらえませんか。っていうのももう何回言ってるか分かんないんですが」

 「そうアルそうアル。合わせるなら最後尾より先頭ネ」

 「冷ェ奴だなァ」

 「奉奉(フェンフェン)はきっと後から追い付いてくるって、ワタシ信じてるからネ!」

 「取ってつけたような信頼だなオイ!?」

 「まあ、少なくとも今まで殺されず殺さずいたんです。その点だけは評価に値すると思いますね。偶然でもなんでも死なないというのは生物として重要な力です」

 「おお!ちょっとは尾田クンもみんなのことを認めてるんだね!成長したんだなぁ……」

 「黙れ」

 「本日二度目ェ!!」

 

 楽しそうなのはモノクマだけです。笑い転げるモノクマを、手前ども全員の冷たい視線が貫く。それでもモノクマはなんとも感じておらず、4階の階段に降りたシャッターをガラガラと開け始めた。この階段はいったいどこまで続くのか、そんな不安感が手前どもを包む。もしかしたらこの階段は永遠に続くのではないか。永遠にコロシアイと学級裁判を続けなければならないのか、そんな考えが頭をよぎる時点で、すでに絶望に染まってしまっていることに、果たして何人か気付いているのだろうか。

 

 「は〜!ようやく余計な工事が必要なくなって楽になったよ!毎度毎度、湖藤君と甲斐さんのためだけに昇降機を取り付けるのめんどくさかったんだよね!」

 「……」

 

 当てつけのように笑うモノクマの言葉になど耳を傾けず、手前どもは黙々と階段を昇る。昇降機がないさっぱりした階段が物寂しく、一段昇るごとに深い絶望へと降りていくような錯覚がした。

 そんな不安な感覚とは裏腹に、階段を昇り切った先に、もう新しい階段はなかった。つまり、ここがこの建物の最上階ということになる。壁も柱も扉もない、だだっ広く高い天井だけが存在する場所。コンサートホールやパーティーホールも広々とした空間だったが、それよりももっと開放的だ。開放的と言うより殺風景と表現した方が正しいが。

 

 「なんでェこりゃ!?手抜きかよ!」

 「な〜んもないアル。ここが最上階だし、最後の解放エリアがこんなんカ?つまんネ」

 「言いたい放題言ってくれちゃってさ。何かあったらあったでオマエラ文句言うくせに。それに最後ってわけじゃないよ!まだオマエラは入れない場所だってあるんだからね!」

 「はあ。それはどこに?」

 「あっちにシャッターがあるでしょ。あそこはまだ立ち入り禁止。入ったらおしおきだからね!入れるもんなら入ってみなって感じだけど」

 

 モノクマが指差した先には、分厚いシャッターに閉ざされた小さな出入口があった。天井近くの隙間からわずかに見える段差から、どうやらあれが上に続く階段のようであることが窺える。これまで昇ってきた階段よりも明らかに規模が小さく、何人もの人が行き来するようなことは想定されていないのだろうことが窺える。ということは、あの上に続くのは入れる者が限られた場所ということに……。

 

 「で、こんな広いだけの部屋を新たに解放されて、僕たちに何をさせたいんですか?殺人をするにしたってこの見通しの良さと物の無さは向かないと思いますが」

 「そこをどうするかはオマエラ次第だよ。それにボクは別に、ここでコロシアイをしろとは言ってないからね。ボクはそろそろ、オマエラと決着をつけたいんだって言ったでしょ?」

 「それがいまひとつ分かんねェんだけどなァ……裁判場でも言ってたけど、希望だ絶望だっておいらにゃ荷が重すぎるんだが……」

 「オマエラは人類の希望を背負う希望ヶ峰学園の学生なんでしょ?だったら絶望のひとつやふたつ、かる〜く乗り越えてもらわないとこっちだって困るんだよ!というわけで」

 

 モノクマはぴょん、と手前どもの前に躍り出て、どこからともなく大量の封筒を取り出した。それをトランプのように開き、くっくっくと笑う。

 

 「今日からオマエラには、ここにある『真実への手掛かり』をちょっとずつ与えてあげる!ただし、このひろ〜〜〜い学園のどこにあるかはナイショ!そしてどんな手掛かりがあるかは見てのお楽しみ!信じるも信じないも自由だけど、ここに書いてある情報はひとっつのウソもないから!」

 「今すぐ奪い取ってやってもいいアル」

 「よしなさい、長島さん」 

 「ぶっぶー!ボクへの暴力は校則違反です!クマを殺すな!それに、大事な手掛かりを血まみれで読めなくしちゃってもいいの?」

 「なぜお前が敢えて私たちに手掛かりを与える?それはお前にとって不利になるんじゃないのか?」

 「決着をつけるんだからそりゃそうするでしょ。一方的に蹂躙するんじゃ決着をつけたことにならないじゃない。同じ立場に立って圧倒してこそ、歴然たる力の差が明らかになるってわけよ!う〜ん、この紳士っぷり!クマはやっぱりこうじゃなくっちゃ!」

 

 少しだけ、今までのモノクマとは違う雰囲気を感じた。先日の裁判場で、なぜ決着をつけるのか、と問われたモノクマは不自然なほど狼狽していた。しかし今のモノクマは、決着をつける意義を見出しているようだった。このわずかな時間に何があったのか。

 

 「それじゃ、ボクはこれからひとつめの手掛かりを学園のどこかに隠してくるから!オマエラ、10数えるまでここにいろよ!ズルすんなよな!じゃ!」

 「12345678910!!待つヨロシ!!」

 「わーんズルい!てやっ!」

 「消えた……」

 

 分かっていたでしょう、という言葉は飲み込んで、何もいなくなった場所に向かって地団駄を踏む長島さんを見ていた。なぜこの人はいつもいつでも本気で生きているんだ。後先を考えないタイプでもなかろうに。

 いよいよモノクマは本気で希望を潰しにかかるつもりらしい。手掛かりは与えると言っているが、それも本当に対等な裁判をするためではないだろう。おそらくそこに書かれているのは、到底信じ難いようなショッキングな事実だ。それで手前どもが右往左往し、疑心暗鬼にさせることが目的だ。

 

 「皆さん」

 

 またなんとなく解散しそうな雰囲気を変えるため、手前は声を出した。話さなければ変わらない。いま必要なのは『愛』ではなく、行動することである。モノクマの言葉に惑わされてはいけないと。そう話した。

 

 「つまり庵野は、モノクマの封筒は罠だと考えるわけだな」

 「ええ。モノクマは、封筒の中身に嘘は無いと言いました。翻ってそれは、どんなに信じ難い内容であっても真実であるという意味です。モノクマの性格を考えれば、罠として敢えて露悪的な書き方をすることも考えられます」

 「なるほどネ!さすが宣宣(シェンシェン)!でもそれじゃダメアル」

 「なぜです?」

 「真実だと分かってるなら、なおさら封筒を手に入れない手はないネ!どんな内容でも確実に真実だって言えるなら、少なくとも足場が不安定な推理にはならないヨ!モノクマを倒すっていうのがどういうことなのかまだ分からないけど、気持ちを強く持ってれば大丈夫アル!」

 「ずいぶん楽観的ですね。要は気の持ちようってことじゃないですか。すでに一人、完全に参ってる人がいるんですが」

 「奉奉(フェンフェン)劉劉(リュウリュウ)と違って感受性豊かだからいいアルヨ」

 「意味がわかりません」

 

 真実だからと言ってそれを知ることが正しいとは限らない。それは、これまでの学級裁判で幾度となく手前どもが痛感してきたことだ。これ以上余計な傷を負うべきではないと思うのは、間違いなのだろうか。

 

 「僕も庵野クンの意見には反対です。どんな瑣末なものでも、受け入れ難いものでも、偽りのない情報というのはそれだけで価値があります。入手すべきです。そんなことより僕が懸念しているのは、この中にまだ内通者が存在していることです」

 

 ピリッと空気が張り詰めたのを感じた。内通者……確かに、モノクマはまだこの中にいると言っていた。

 

 「いまその正体を追究するつもりはありません。ですが、あと5人まで追い詰めている、それもまた疑いようのない事実です。内通者は必ずモノクマとの決着を妨害してきます。その前になんとか排除しなくてはいけません」

 

 ひとりひとり、半月型のメガネ越しに鋭い眼光を飛ばしながら、尾田君が睨みつける。排除とは、どうするつもりだろうか。直接手を下すのか……クロになってしまう。あるいはクロに仕立て上げるのか……たったこれだけの人数でどうやって?

 人数が少なくなれば自然と結束は強くなると思っていた。果たして、それは手前の甘い考えだったと認めるしかないようだ。共通敵である絶望に立ち向かう、ただそれだけのことでも、隣にいる誰かを信じるのはとても難しいことなのだ。『愛』が足りない。ここに、『愛』はない。

 


 

 「甲斐、モノクマの話は理解できたか?」

 

 全員が散り散りになった後、私と甲斐は新しく解放されたエリアに残っていた。どいつもこいつも薄情な奴らだ。どうして甲斐がこんな状態になっているのか、分かっていないのか。甲斐は常に私たちのやることに振り回されてきた。尾田は言わずもがな、王村には二度も酔いつぶされ、何を考えているか分からない庵野と長島はあてにならず、私は狭山とともに全員の和を乱した。甲斐はいつも、それに翻弄されていた。

 

 「分かった……よ。でも、私、自信ない……」

 

 どうやら話は聞いていたようだ。モノクマがとの最終決戦、そしてそのためにモノクマから与えられる手掛かり。庵野が言うには私たちを疑心暗鬼に陥らせるための罠、長島が言うには絶対的に信頼できる推理の土台、私は……そのどちらも理解できて、どちらにも懐疑的だった。

 

 「推理は尾田に任せておけばいい。奴が内通者である可能性は低いと考えていいだろう。モノクマとは常にぶつかり合っているし、そもそも内通者の存在は尾田が指摘して明らかになったんだ」

 「……毛利さんは、私が内通者だとは思わないの?」

 「ああ。思わない」

 「なんで?」

 「モノクマの手先が、人が死ぬことにそこまで心を痛めはしないだろう。お前に肩を貸して、確信した。ここまで憔悴しているのが演技だとは思えない。甲斐は、正真正銘、信頼できる」

 「……」

 「まあ、とは言っても甲斐が私を信じられるかは別の話だがな。自分で言うのもなんだが、狭山の暴走を止めなかった私が怪しまれるのは必然だと思っている」

 「毛利さん、ずっとそれ言ってるね」

 「忘れられないからな」

 「じゃあ、私と同じだ」

 

 甲斐があまりにもあっけらかんと言うから、私はどきっとした。ついさっきまで——いや、今もなおくしゃくしゃに折れてしまいそうなほど弱った人間が出せる声色ではなかった。人を慈しむような、ペットを可愛がるような、幼子をあやすような……決して悪意は感じないのに、どこかアンバランスな恐ろしさを感じる声だ。反射的に甲斐の顔を見た。

 

 「誰かのために何かをしてないとたまらないんだ。私は使命感、毛利さんは罪悪感。私はそれが生き甲斐だから、毛利さんは狭山さんと岩鈴さんの命を贖うため……一生消えない責任を負ってるんだね」

 「……ど、どうした甲斐?」

 

 表情が分からない。笑っているのか?泣いているのか?甲斐の顔で、甲斐の口で、甲斐声でしゃべっているのに、そこにいるのが甲斐ではない誰かのような気がしてくる。正気を失っているのか?

 

 「でも、ここに来る前の毛利さんにも、やりたいことがあったんじゃないの?狭山さんと出会う前の毛利さんは、何か目標があって希望ヶ峰学園に来たんじゃないの?」

 「あ、ああ……それはそうだが……大丈夫か、甲斐?」

 「聞かせて。毛利さんは、何がしたかったの?何のために希望ヶ峰学園に来たの?」

 「わ、私は……」

 

 決して威圧するような問いかけではない。それなのに、答えなければどうにかなってしまいそうな感覚がした。

 

 「私はただ……両親のために」

 「お父さんとお母さん?」

 「……私の両親はどちらも、高校生のころに希望ヶ峰学園から声がかかっていたそうだ。父は獣医として、母はブリーダーとして、才能は認められたものの、入学まではいかなかったらしい。今となっては思い出だが、当時は相当悔しい思いをしたそうだ」

 「うんうん。そうだよね。でもすごいね。お父さんもお母さんも、動物に関係する才能を持ってたんだ。毛利さんがトリマーとして希望ヶ峰学園に入学するのも、納得だね」

 「あ、ああ……」

 

 だんだん甲斐は気分が上がってきたようだ。落ち込んでいるよりはいいが、あまりに突然で急激な変化は心配になってしまう。それでも、今の甲斐に水を差したくなくて、ただ頷いて話を聞いてしまう。

 

 「それじゃあ、毛利さんはご両親の希望を託されて入学したんだ。きっと喜んでるだろうね」

 「ああ。だが……私自身に、希望ヶ峰学園で何かやりたいことがあるわけではない。卒業すれば人生が成功が約束されるというウワサだし、入学すること自体が一種の成功とも言われている。両親と同じように、あと一歩のところで入学できなかった者もいただろう。だから私は、胸を張っていなければいけないんだ。後悔するような生き方をしてはいけないんだ。そう思っていた……」

 

 なぜ私はこんな話をしているんだろう。甲斐の体を心配して残っていたはずだ。モノクマとの戦いに備えて何をすべきか、尾田と甲斐が協力するように説得しなければ……こんな話をしている場合ではないはずなのに。

 

 「毛利さんは、心の中で何を後悔してるの?自分を許せないのはどうしてなの?」

 「……何度も言っていることだ。私は狭山を止められなかった。そのせいで狭山は増長し、結果的に岩鈴をクロにし、全員の命を危険に晒してしまった。陽面を洗脳して月浦の感情を逆撫でしたせいで、谷倉や菊島も、理刈も芭串も巻き込んでしまった……!私があのとき、狭山の暴走を止められていたら、ここまでの事態にはなっていなかったはずだ」

 「そんなの分からないよ。そもそもコロシアイをさせてるのはモノクマなんだから、毛利さんが狭山さんを止めてたって、きっと違う形でコロシアイはさせられてたと思う。それに、月浦君たちのことだって毛利さんが責任を感じる必要ないよ」

 「し、しかし……」

 「そんなに自分を責めることないよ。後悔のない人生を生きようっていう気持ちは素敵だと思うけど、だからって後悔することは失敗なんかじゃないよ。毛利さんはもう立派な人生を生きてるじゃない」

 「そんなことは……」

 「そんなことあるよ!だって、希望ヶ峰学園に入学できるなんて、それだけですごいことなんだよ。ご両親のために生きようって決めるのだって、簡単にできることじゃない。責任を感じて逃げずに自分を責め続けるのだって、毛利さんだからできるんだよ」

 

 甲斐は、とにかく私を褒める。私を立てる。私を励ます。何も考えず、その言葉をそのまま受け取って、むやみやたらに肯定されていたい気になってくる。

 

 「……なら、私はどうしたらいいんだ。今のままでいいのか?たとえモノクマを倒してここから出られたとしても、狭山たちの命が戻るわけではない。あくまで私は自分が助かるためにモノクマと戦っているに過ぎないんじゃないか?そう考えると……この先、どうしていけばあいつらの命を贖えるんだ」

 「そんなことしなくていいんだよ」

 「は?」

 「みんなが死んじゃったのは、全部モノクマのせい。毛利さんのせいじゃないんだから、毛利さんが罪を背負う必要なんかないんだよ。でもね、私を助けてほしいんだ」

 「た、助ける?」

 

 いつの間にか励ます側と励まされる側が逆転してしまった気がする。すると、ようやく甲斐が自分のことを話し始めた。助けて欲しいって、私はずっと助けようとしているつもりだったのだが……うまく伝わらないものだな。

 

 「あのね……私、もう大丈夫になったんだ。なったというか……大丈夫ってことにしたっていうか」

 「それは本当に大丈夫なのか?」

 「しょうがないよ、そうしないと前に進めないから。それに私だけじゃない。毛利さんだって、狭山さんの件をずっと引きずってるけど、自分なりに考えて前に進もうとしてるでしょ。他のみんなだって、ここで起きたことだけじゃなくて、それぞれに何かを乗り越えて来てるのかなって思ったらさ……こんなことしてる場合じゃないなって」

 

 さっきの状態から自力でその結論にたどり着く人間は初めから落ち込まないような気がするが……。そう思って口には出さなかった。やぶへびにしかならないだろう。それに、今の甲斐は先ほどまでの得体が知れない不気味な甲斐とは違って感じた。触れたらヒビが入るほど繊細そうで、今の流れを遮るのが恐ろしかった。

 

 「私もまだ、湖藤君と風海ちゃんが死んだことを受け入れられたわけじゃないけど……でも、それはきっとモノクマを倒さないと、私の中で解決することじゃないと思うんだ。だから……この気持ちを抱えたままモノクマと戦わないといけない。気持ちに負けちゃってたらなんにもできないなって」

 「お、おおぅ……そうか。乗り越えた、とは少し違うかもしれないが、とにかく前を向けたのならいいことだ」

 「それでね。みんなが私と同じような気持ちを持ってるなら、私が助けてあげないとと思ったんだ。みんなで一緒にモノクマと戦うんだったら、みんなが同じ気持ちにならないとと思って」

 「うん……うん?」

 「だから毛利さんと一緒に残ったんだよね。みんなが抱えてる辛さとか苦しさとかに負けちゃわないように、私が救ってあげないとって」

 「…………………………ん?」

 

 すんなり飲み込むにはあまりに引っかかりすぎる話に、私の頭が警報を鳴らす。ついさっきまではなんとか理解できていた話が、急に飛躍したような。モノクマと戦うために苦しみを乗り越えるのは大切なことだ。それは甲斐のように自分の気持ちに負けてしまわないようにすることだったり、尾田のように嫌いな人間と足並みを揃えることだったり、私のように過去に囚われているところから脱却することだったり、色々だ。

 

 「それじゃあね、毛利さん。しっかり、自分のために生きてね」

 

 私に肩を借りていたのが嘘だったかのように、甲斐は跳ねるような足取りで部屋を後にした。私はその後ろ姿を見送ることしかできなかった。今ここで甲斐を止めるべきなのか、そうしないべきなのか。またしても私は、この選択に悩まされることになってしまった。

 


 

 「ぜェ……はァ……くっそ。あいつら体力オバケかよ。ったく」

 

 長島も庵野も尾田も、モノクマがどこぞに放るっつってた封筒を探してどっかに行っちまった。おいらが待てっつってんのにあちこち歩いて行っちまいやがって。人一倍歩幅が短いおいらに合わせてくれたっていいじゃねェか。長島と尾田はともかく庵野にまで先に行かれちまうとは思わなかった。薄情だあいつらは。酒でも飲まねェとやってらんねェや。

 

 「う〜い、くそう。どいつもこいつもバカにしやがって。なんでおいらがこんな目に遭わなきゃいけねェんだ」

 

 まさか希望ヶ峰学園に入ってコロシアイに巻き込まれるなんて思わなかった。文句を言おうにも教師はいねェし、外との連絡も取れねェ。酒がある分まだマシだが、いつ自分の命が狙われるか分からねェ中で酔っ払うのもなかなかリスクなんだよな。それでやめられりゃァ苦労ねェけどな。

 

 「またお酒飲んでる」

 「ぶぼォっ!!?」

 

 いきなり後ろから声をかけられて噴き出すぐらいびっくりしちまった。ひとりしかいねェと思ってたところに、こんな背筋に針金通すような冷たい声かけられたら誰だってこうなる。しかもその声が、よく知るやつの声だったら余計にだ。

 慌てて振り返ると、廊下にあぐらをかいて酒を飲むおいらを、甲斐が覗き込んで来てた。さっきモノクマの話を聞いてたときは自分ひとりでまともに立つこともできそうになかったってのに、今はけろりとしてやがる。その変わりようにもビビるが、やけに目が据わってんのが不気味だ。

 

 「こんなところで酔っ払って寝ちゃったら風邪引くよ。せめて自分の部屋か食堂で飲まないと」

 「い、いいんだよ。飲みたくなったらそこが酒場だ」

 「そういうものかなあ」

 「そういうもんなんだよ。んなことより、おめェはもう大丈夫なのかよ。毛利の肩借りてたじゃねェか。毛利はどうした」

 「毛利さんはもう大丈夫だよ。自分のために頑張って生きるって言ってくれたから」

 「はァ?」

 

 何言ってんだこいつ。全然噛み合ってねェっていうか……なんかどっかで感じたような薄気味悪さなんだが……。笑顔なのは結構なんだが、やけに怖え。

 

 「そんなことより、王村さんはみんなと一緒にモノクマの封筒を探しに行ったんじゃなかったの?こんなところで何してるの?」

 「おいらァ人より歩幅が短ェから、ついて行こうとしても追っ付かねェんだ。だから自分のペースで探すことにしたんだよ。今は休憩だ」

 「そっか。みんなひどいね」

 「しゃァねェよ。おいらは尾田やおめェみてェに頭が良いわけでもねェし、長島や庵野や毛利みてェに腹が決まってるわけでもねェ。モノクマと命を懸けて決着をつけようってときに、なんにもねェおいらに構ってる暇なんかねェんだよ」

 「王村さんはなんにもなくないよ!」

 「んえっ」

 

 いきなりでけェ声出しやがるからびっくりした。怒られてんのかと思ったけど、どうやら違うらしい。なんでだ。おいらだって甲斐に怒られる心当たりが多すぎて、いつゲンコツが飛んでくるかヒヤヒヤしてんのに。まァ女子高生にぶん殴られるってのも悪かねェ……あ、いやでも知り合いの女子高生だったら普通にヤだな。いや何考えてんだおいらは。

 

 「何にもない人が希望ヶ峰学園に入学できるわけないでしょ。王村さんだって、“超高校級の蔵人”っていう才能があるんじゃない」

 「へへっ、なんだそんなことか。そりゃおめェ、才能なんかじゃねェよ」

 「え?」

 「蔵人ってのァ酒を造る職人だ。どっかの高校で酒を造ることはあっても、仕事でそれをやってる奴が全国にどんだけいる?単に珍しいってだけで選ばれたんだよ。それだけだ」

 「でも王村さんは高校生なんでしょ」

 「定時制のな。おいらァ中学を卒業してすぐ家の仕事を手伝い始めたから、高校に行ってなかったんだ」

 「じゃあなんで成人してから高校に通い始めたの?」

 「ん……まァ、いろいろとな」

 

 それだけで誤魔化そうと思った。定時制に通う理由なんざ、通う奴ひとりひとりに色々ある。ややこしい背景がある奴もいれば、単に高校に通ってみたかったって理由で通う奴もいる。どれが正しくてどれが間違いなんてこたァねェが、おいらが通うことになった理由はあんまり人に言いたくねェ。別にやましいことがあるわけでもなんでもねェが、やたら小っ恥ずかしくてなァ。

 というわけでうやむやにしようと思ったんだが、甲斐が逃してくれなかった。なんなんだよこいつ。なんで今更おいらにこんな興味持つんだよ。

 

 「色々ってなに?教えてよ。王村さんのこと、知りたいな」

 「なんだよそりゃァ。なんでそんなにおいらに興味あるんだよ」

 「だって、みんなでモノクマに立ち向かうんだよ。みんなが希望を持って、団結しないといけないじゃん。そのためには、お互いのことをよく知っておかないといけないでしょ。自分のことをなんにもないなんて言ってる王村さんを放っておけないよ。本当はすごい人なのに、そんなんじゃ勝てるモノクマにも勝てなくなっちゃうよ」

 「……なんか丸め込まれてる気がする……別に大した理由じゃねェよ。これからの時代、ただ酒造って売ってるだけじゃやってけねェからさ、それにおいらは家の跡取りだからな。経営とか、経済とか、酒造りをもっと学問として勉強したりとか……やらなきゃならねェことがあるんだ。っていうのを……親父に言ってよ」

 「王村さんから?」

 

 めちゃくちゃ意外な顔をされた。だから言いたくなかったんだよ!そんな意識高ェこと言うのはおいらのキャラじゃねェんだ!あのときはなんか……やけにテンション上がって普段なら言わねェいい感じのことを言っちまったんだ!きっと酒に酔ってたんだな。

 そしたら親父もいたく感動しやがって、そっからとんとん拍子に定時制の入学が決まって……。

 

 「つうわけでこうなったわけだ。一時の気の迷いって奴だな。それがこんなことになるんだから人生ってのァ分かんねェもんだ」

 「じゃあやっぱり王村さんはすごいよ!」

 「話聞いてたか?」

 「ばっちり!」

 

 じゃあなんでそうなる。

 

 「だって王村さん、自分で高校に通うことを言い出したんでしょ。気の迷いでもテンション上がってでも、自分の人生を自分で決めたってことじゃん!しかもそれで希望ヶ峰学園にも来ちゃうなんて、本当にすごいことだよ!きっと一緒に入学した他の誰も、自分で自分の可能性をこじ開けた人なんていないよ」

 「そ、そりゃ言い過ぎだろ……」

 「ちょっと言い過ぎたかも」

 「言い過ぎてんじゃねェか!そこはつっぱれよ!」

 「でもね。王村さんが他の誰とも違う“才能”を持ってることは間違いないし、自分で自分の道を切り開いたのだって間違いないよ。だから王村さんがみんなと比べてしょうもないなんてことは絶対にないよ!」

 「……そこまで言ってくれんのはありがてェが……だからっつっておいらに何ができるんだ?頭のできも悪ィ。体力もねェ。尾田が言ってたろ。誰にも殺されず誰も殺さずにいただけ。ありゃァおめェじゃなくておいらのことだ。ただコロシアイに関わらなかったってだけなんだよ」

 「でも、それでも十分だって尾田君も言ってたじゃん」

 「これから役に立つかどうかはまた別の話だ」

 

 あしらってもあしらっても甲斐は食い下がってくる。なんでだよ。何がそんなに甲斐を駆り立てる。

 

 「私はもったいないと思うけどなあ。だって王村さん、他の人にはないもっとすごい感性があるんだもん」

 「はァ?なんだよそれ。利酒ならできるけどな」

 「そうじゃなくて、王村さんって人一倍オカルト的な感性あるじゃん?でもそれってただのオカルトだって笑い飛ばせるようなものじゃなくて、なんとなく私たちの状況に深く関わってるっていうか……湖藤君も言ってたじゃん」

 「ん?ああ……あれか」

 

 言われてみりゃァ、確かにおいらはこの学園の妙な部分に触れやすいかも知れねェ。モノクマの妙な動きがやたら目についたり、変な教室に迷い込んで得体の知れねェ影に覗き込まれたり……それを話した奴ァ、いまや甲斐しか生き残ってねェや。それがおいら自身の能力かどうかは分からねェけど、確かにおいらしか経験してねェことだ。たぶん。

 

 「ありゃ一体なんだったんだろうな?結局正体も分からねェままだ」

 「でもきっと大事なことだよ。その体験を話せるっていうだけで、王村さんはここにいる意味があるんだよ。何かの役に立とうなんて無理することない。ここにいて生きていてくれてるっていうだけで、王村さんは意味があるんだよ」

 「そういうもんかァ?」

 「少なくとも王村さんは自分で自分の人生を決めてきた過去がある。たった数年かもしれないけど私たちより人生経験がある。私たちは持ってない不思議な感性がある。自分が気付いてないだけで、王村さんは私たちにはない役割がたくさんあるんだよ」

 

 しつこいくらいに甲斐がおいらを褒めるから、なんだかだんだんそんな気になってくる。具体的においらに何ができるかは分かんねェけど、確かにいねェよりは役に立つ自信がある。自分でも分からねェ妙な光景を見たりするしな。なんだったらこのまま内通者の正体とかモノクマの正体だって見抜いちまうかもしれねェな。

 

 「まァ、そこまで言うなら……酒なんか飲んでねェで封筒探しに行く気にもなるな」

 「でしょ?まだまだ私もみんなに前を向かせなくちゃいけないから、他の人にも言っといて。私が探してるって」

 「他の人って、おいら以外の全員か?」

 「毛利さんとはもう話したからもういいよ」

 「それでも手当たり次第じゃねェかよ……まァいいけど」

 

 やたらと張り切ってる甲斐の態度に違和感はあったが、励まされたからには仕事しねェとな。おいらは酒瓶を持って腰を上げ、他の奴らが歩いて行った方にまた歩き出した。封筒くらい一封でも二封でも見つけたらァ。




パソコンの調子がすこぶる悪いんじゃい。


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(非)日常編3

 

 車のドアが開いた。艶のある革靴が血まみれの地面を踏み躙る。漂ってくる血と火薬の臭いに曲がりそうな鼻を、純白のハンカチで覆う。忙しなく動き回るスタッフたちを白い目で見つつ、案内された道をふんぞり返りながら進んだ。

 

 「ふんっ、(ごみくず)どもが。いったい、誰の金で装備を整えてっ」

 

 近くに転がった頭を蹴り飛ばす。

 

 「誰の金で訓練してっ」

 

 道を塞ぐ死体の足を踏み潰す。

 

 「誰の金で飯を食えていたと思っているんだっ!!」

 

 懐から取り出した拳銃でその辺の死体を撃ちまくった。近くにいたスタッフが流れ弾で死体の山に混じる。すぐさま次の弾薬が補給される。

 

 「恩知らずどもめ。たかが傘下の一組織ごときが何を調子に乗っているのか。親に歯向かう子など殺されて当然だ。“超高校級”とも呼ばれた男が堕ちたものだ」

 

 折り重なった死体の山の中心で、全身を血まみれにして元の装備の色さえ分からなくなった赤郷を見て言う。脳も目も心臓も全てを撃ち抜かれているのに、ヘルメットから覗く死に顔は、目の前の敵を殺さんとする気迫に満ちていた。それも、死んでいることが分かっていればどうということはない。

 

 「中は」

 「制圧済みです」

 「私は制圧された現場にしか来ない。掃除は済んでいるのか。私の仕事が始められるのか。“内部”はどうなっているのか。それを聞いてるに決まってるだろう。馬鹿が」

 「も、申し訳ありません」

 「申し訳ありませんではなく質問に答えろ」

 「た、建物内の掃除は未だ完了しておりませんが、代理に指揮いただく準備は整っております。“内部”の状況については、室内で別の者から報告を」

 「ん」

 

 恰幅のいい体を揺らしながら、壮絶な争いの痕跡がそのまま残った建物に入っていく。狭い廊下は血の海に沈み、積み上がった死体がただでさえ狭い廊下をより狭くさせる。

 ジャケットが血で汚れるのも気にせず、靴に染み込んだ血の重さを踏みしめ、充満した死の気配にも臆さず、その部屋まで到達した。中で作業をしていたスタッフたちは、その姿を見ると一斉に立ち上がり敬礼する。HHI (Humanity Hope Institute)日本支部統括官代理、福丸(ふくまる) 八雲(やくも)は、その戦場の中心地に仰々しく迎え入れられた。

 

 「直れ。直ったら報告。ほれっ」

 「報告します!現在……!」

 

 再び慌ただしく動き出した室内で、福丸は報告を聞く。今まで何が起きたか、ここで何があったか、今何が起きているか、何をすべきで何をしてはならないか、何を目指していて何が障害か。その全てを聞かされる。全てを託され、全権を委ねられる。

 その報告を聞く間、福丸は眉一つ動かさず、冷や汗ひとつかかず、黙って聞いていた。人が死ぬことは当然ではない。生きようと必死になっている人間が殺されるのは決して簡単に認めていいことではないし、況してや喜ばしいことなどでは断じてない。ただ、事実は事実だ。すでに起きた一切に感情を動かされることは、福丸にとって無駄なことでしかない。

 

 「ふぅん」

 

 大したものだ、と福丸は唸った。色々と言いたいことも聞きたいこともあったが、とにかくそれらは事実のようだ。細かく聞くよりも今は全体を把握するのが先だ。そして、次にすべきことも即座に理解し、考えた。

 

 「モノクマには引き続き決着に向けた準備を進めさせろ。内通者にはその二人を抑えさせ、イレギュラーにはこちらで対処しろ。後は手を出すな」

 「はっ!」

 「それから死体はさっさと片付けろ。血生臭くて気持ち悪くなってきた。消臭剤も持って来い!」

 「ははあっ!」

 

 福丸の指示で室内は一気に動き出した。モニターの光で室内が青白く照らされて明るくなる。倒れた死体を外に運び出し、代わりに大量の木炭が運び込まれる。福丸は室内でも一段と高い椅子に腰掛け、その様子を満足げに眺めた。

 

 「邪魔はさせんぞ、腰抜けのMHAめ。この世には絶望が必要なのだ」

 


 

 何やら慌ただしくなってきた。モノクマが真実の書かれた封筒を学園にばら撒くと宣言した真意はなんだろうか。学園中を効率的に探そうと思えば、個別に動かざるを得なくなる。個別に動けば、モノクマからの介入やコロシアイが発生しやすくなる。それが狙いか?本当にそれだけか?それとも狙いなんかなく、ただ本当に決着をつけるために動いているだけか?分からない。

 

 「あ・ん・の・君」

 「うおおぅっ!?」

 「あや」

 

 ひとりだと思って考え事をしていたら、後ろから突かれて声をかけられた。思わず驚いて妙な声を出してしまった。こんな子供の悪戯のようなもので動揺してしまうとは、手前もまだまだ修行が足りないようだ。

 

 「ごめんね、驚かせちゃったみたい」

 「いえ……こちらこそ気付かず失礼しました。少し考え事をしていたもので」

 「庵野君はいつも難しい顔をしてるよね。それかニコニコしてる。どっちもいいと思うよ。庵野君らしくて」

 「はあ、恐縮です。甲斐さんは……もう大丈夫なのですか?先程はずいぶん疲れているように見えましたが」

 「うん、もう大丈夫。っていうことにした」

 「拭いきれないですねえ」

 「本当に大丈夫になるのには時間がかかるから。でも今は、それを待ってる場合じゃないでしょ」

 「なるほど……どうやら、彼の愛には応えられたようですね。ええ、それなら手前は何も言うますまい」

 

 完全に大丈夫と言い切ってしまわない正直さは、甲斐さんの良いところでもあり、心配なところでもある。コロシアイという互いを疑い合う環境でこの素直さはとても眩い力だ。しかしそれは危うさでもある。信頼関係の礎になることもあれば、疑心暗鬼を加速させる毒になることもある。甲斐さんがどう動くかで、手前どもがどう動くべきかは変わるだろう。それほど強い影響力を彼女は持っている。この人から目を離してはならない。そう感じさせる力がある。

 

 「それで、庵野君は何を考えてたの?」

 「いえ、大したことでは。甲斐さんが気にされるようなことではありませんよ」

 「気になるなあ。わざと気にさせるような言い方してない?」

 「そんなことは……甲斐さんの誰かを気遣う愛の力が気にさせているのでしょう」

 「それって、私が気にしすぎてるせいって聞こえなくもないけど」

 「むがんくっ……」

 「えへへっ、意地悪な言い方しちゃったね。ごめんごめん」

 

 そう言う甲斐さんの表情は、実にあどけないと言うか、屈託がないと言うか、年頃の少女らしい笑顔だった。吹っ切れたとは言うが、ここまで態度が急変するのは只事ではない。見たところ、本当に体調は良くなったようだ。となると、快復した勢いで少しハイになっている?モノクマとの決着を前にして緊張が裏返っている?それくらいならまだいいのだが……対応を誤れば今度は甲斐さんが暴走してしまうような事態になりかねない。それはまずい。とてもまずい。

 

 「この期に及んで隠し事をするのは……悪手ですね。それに悪いことでもありません。話してしまいましょう」

 「うん。話して話して」

 「実は……」

 

 手前は全て話してしまった。モノクマが何を考えているか分からない、真意を捉えかねている間は慎重になるべきだと考えること、それと甲斐さんの変わり身ぶりを本当に心配していることを。

 

 「余計なお世話とは存じますが……」

 「そんなこと思わないよ。まあ、確かにちょっと無理している部分はあるけど……でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないしね。自分のことよりみんなのことだよ。うん」

 「甲斐さんの前でお名前を出すのも忍びないですが、どうも湖藤君や宿楽さんから影響を受けすぎてご自分を見失っているような気がしてならないのです。甲斐さんは元の甲斐さんのままで十分ご立派なんですよ」

 「……そうなのかな。分からないんだよね。なんだかその辺りのことが。私は、こうしなくちゃと思ってやってるんだけど、それが私自身の思ってることなのか、誰かに思わされてることなのか……。でもいいんだ。どっちだったとしても、これは間違った考えじゃないと思ってるから」

 「それは誰にとっての間違いですか?」

 「へえ?誰にとって……?」

 「甲斐さんが方々を回ってみなさんを励ましているのは、確かに間違いではありません。正しいことでしょう。モノクマと戦うのに手前どもの一致団結は必要不可欠です。しかし、それをするのは甲斐さんでなければいけないのでしょうか?少なくとも、今朝方までの状態を見ていてそれが正しいとは、手前には思えません」

 「そ、そうかな……でも、他にできる人がいないし」

 「モノクマは、今日から少しずつ封筒をばら撒くと言っていました。それはつまり決着の時まで猶予があるということです。甲斐さんが落ち着くまで体を休めてからでもいいのではないでしょうか」

 「そんな時間あるかなあ。確かにモノクマはそう言ってたけど、庵野君が言うみたいにモノクマの真意が分からないのに悠長にしてるのもどうかと思うんだけど」

 「まあ、手前も甲斐さんに強いる立場ではありません。ただ、あなたの身を案じている者がいるということは覚えていていただきたいのです」

 「ありがとう。優しいね、庵野君」

 

 優しいと言うより、本当に何をしでかすか分からない甲斐さんから目を離せないだけなのだが……優しいと思われて損することもないだろうし、特に否定することはしない。これもまた甲斐さんからみなさんへの『愛』なのだから。

 

 「ところで、庵野君はモノクマの封筒って見つけた?みんな探して学園のあちこちに行ったって聞いたけど」

 「ええ。長島さんと尾田君が別々に探しに行ったようです。長島さんは1階から探すと言っておりました。尾田君は相変わらず手前どもには何も教えてくれず……どこに行ったのやら」

 「そっか。でも長島さんが1階に行ったんなら、上の方にいるかもね」

 「あのお二人にも声をかけるつもりですか?手前はあまりおすすめしませんが」

 「どうして?」

 「尾田君はやはり気が堅い方ですから、甲斐さんが真正面から行くと反発される可能性があります。必ず誰か信頼できる人と一緒に行かれた方がいいですよ」

 「でも、裁判のときは尾田君もちょっとは態度が軟化してたよ。一気に畳み掛ければオトせるんじゃないかな」

 「オトすって。尾田君をなんだと思っているんですか」

 「攻略対象?」

 「言い方気をつけてください。やっぱり不安ですから、少なくとも今は尾田君と話すのは控えた方が」

 「そうかなあ。じゃあ、長島さんは?」

 「彼女の意気込みを見るに、おそらく学園中を駆けずり回っているでしょうから、無理に追いかけると怪我をしかねません」

 「それはそうかも。怪我しちゃいけないもんね」

 

 呑気なのか冷静なのか、と言うより相手によって態度を変えているのか、甲斐さんは尾田君に話しかけるのを少し楽しみにしているようで、長島さんに話しかけるのはそんなに楽しみにしているようではない。様子がおかしいとは思っていたが、何やら考えが根底から変わってしまったような……いやでもモノクマへは立ち向かおうとしているので……なにがなんだか分からなくなってきた。

 

 「でも、私が庵野君を励ましてあげなくちゃいけないのに、なんだか庵野君に励まされちゃったみたい。うーん、私も何か庵野君を元気付けてあげたい!何か私にできることとかない?あ、封筒一緒に探そうか?」

 「それはいいですね。ひとりで探すのは見落としが怖いですし。二人いれば不意の事態にも対応できます。では、一緒に来ていただいてもよろしいですか」

 「うん。じゃあ尾田君か長島さんを見つけるまでの間だけど、よろしくね」

 「はいダメーーーーーッ!!!」

 「うわっ!?」

 

 差し伸べた手に甲斐さんの手が重なろうとしたその瞬間、横から白と黒の物体が飛び込んできた。危うく手を弾き飛ばされるというところでさっと引っ込めると、その弾丸は手前どもの横をすり抜けて壁に激突した。何事かと思えば、どうやらモノクマ——いや、額についたバツマークを見るに、これはダメクマのようだ。

 

 「危ないではないですか。いったいなんなんですか」

 「う〜ん、頭痛いぃ……ってこらこらこら!ダメだよ庵野君!こんなところで甲斐さんにセクハラしちゃ!」

 「セクハラって……握手しようとしただけだよ。こんなの普通でしょ」

 「普通なの!?いやいやいや、どんな理由があっても男子と女子が手を繋ぐのなんてフォークダンスのときだけでしょ!プリントを後ろに回すときにだって指が触れないように気を遣ってるのに!」

 「そこまで気を遣うのは逆に相手に失礼では?」

 「神経質すぎない?それに庵野君ばっかり怒るのは平等じゃないよ。いまは男女平等の時代なんだから、叱るなら私にも叱らなきゃ」

 「うるさいうるさいうるさい!とにかくダメなの!女の子は守られなくちゃいけないの!コンプラ違反になっちゃうから!」

 「一周回って前時代的だなあ」

 

 何事かと思えば、ダメクマは不自然なほど興奮して手前と甲斐さんの間に立ちはだかった。ただの握手に何をそこまで怒ることがあるのやら。

 

 「庵野君のことは僕が見張っておくから、甲斐さんは早く行った行った!二人っきりになんかなっちゃダメだからね!」

 「う〜ん……なんかダメクマなのにいつになく強引だなあ。これはよっぽどだよ」

 「困りましたね」

 「今は一旦離れることにするよ。じゃあね庵野君、後でね」

 「この後合流することを匂わせてる!ダメったらダメなんだからね!やい庵野君!甲斐さんに手を出したら僕が許さないぞう!」

 「はあ……なぜ甲斐さん個人を守ろうとするのか分かりませんが。女子全員を守るわけではないのですか」

 「守るべき人と守らなくても大丈夫な人がいるんだよ、世の中には。甲斐さんは守ってあげないといけないか弱い子だから守ってあげるの」

 「ずいぶん恣意的な基準に思えますが」

 

 甲斐さんはダメクマに追っ払われて、手前とは反対側に歩いて行ってしまった。せっかく甲斐さんが気を持ち直してきたというところなのに邪魔されてしまうとは。やはりダメクマは手前どもの敵なのだろうか。

 

 「ダメクマ、あなたは一体何者なのですか。モノクマとはどういう関係なのですか」

 「うん?どうして僕なんかのことが気になるの。僕はただ乱れかけた風紀を正そうとしただけなんだからねっ」

 「あくまでその建前を押し通すつもりなのですね……まあいいでしょう。いずれあなたの化けの皮も剥がされてしまうのでしょう。そのときまで好きになさるといい」

 「……ふんっ」

 

 それだけ言うと、ダメクマはさっさと壁の向こうに消えてしまった。甲斐さんの姿はとっくにない。まんまと手前はダメクマに邪魔されてしまったということだ。甲斐さんがどこに行って誰と話したのかも気掛かりだ。尾田君や他の皆さんの動向も気になる。考えることは多い。行動するなら早いうちがいい。

 


 

 その日の捜索は、なんとなくみんなが食堂に集まって終わった。てっきり尾田君が一封や二封くらい見つけてるものだと思ったけど、食堂に集まったみんなはひとつも封筒なんか持ってない。誰も見つけられてないのか、見つけたけど隠してるのか。どっちの可能性も同じくらいあるから困る。みんな、互いに信頼して団結しなくちゃいけないのは分かってるけど、自分の知ってることを丸出しにするほど無防備でもない。微妙な均衡状態のまま、私たちは今日を終えた。

 

「封筒のひとつも見つけられねェたァどういう了見でェ!こんだけの人間がいてよォ!」

 「王王(ワンワン)だってその中のひとりなんだから人のこと言えないアル。酒ばっか飲んでないで働くヨロシ!」

 「あぶえっ」

 「しかし、だれひとり見つけられないというのは奇妙ですね。モノクマのことですから、偽物も交えて大量に寄越してくるもの思っていましたが」

 「それは……そうかも知れないが、ひとつも見つかってない段階から偽物を気にしている場合ではないと思うぞ」

 「ま、今日はみんな疲れてたんだからしょうがないよ。明日からまた頑張ろう!えいおっ!」

 「……なんなんですかそのテンション。変なものを食べた上に頭でもぶつけて何かに取り憑かれましたか」

 「人格破壊の欲張りセットか」

 「なんでもいいよ。私がいまこうすべきだと思ってるんだから。焦ったって慌てたって仕方ないでしょ」

 「本人がなんでもいいと言うならなんでもいいですが、迷惑だけはかけないでくださいよ」

 「もちろん!尾田君も無理しちゃダメだよ」

 「率直にキモいですね」

 

 前だったらそんな尾田君の軽口に本気で怒ってたけど、今はなんだか子供が意地を張ってるみたいで可愛く思えてきた。それを言ったらますますキモがられると思うから言わないけど。それにしても——。

 

 「モノクマはどういうつもりだろう」

 「なにがだ、甲斐」

 「いくら時間が短かったと言っても、6人の人が探して見つからないっておかしくない?そもそもあの封筒って、モノクマが私たちと決着をつけたいから、その準備のためにばら撒くものだよね。ひとつも見つからないんじゃ、その準備も整わないよ」

 「ほぼないようなチャンスを与えて、形だけフェアを気取るつもりヨ!汚い大人はそういうことするアル!」

 「そんな出来レースでモノクマは満足するのでしょうか?少なくとも、希望と絶望の決着をつけるという宣言に嘘は感じられませんでした。モノクマが手前どもに準備を整えさせようとしているのは本当なのではないのでしょうか」

 「じゃあなんでひとつも見つからないカ!あ!!!」

 「声でっけ」

 「もしかして、見つけたのに隠してるやつがいるんじゃないカ!劉劉(リュウリュウ)!」

 「ナニヲオッシャイマスヤラミツケテナンカイマセンヨ」

 「絶対見つけてるヨこの人!こんな露骨に隠してるの逆に隠してるうちに入らないアル!やい劉劉(リュウリュウ)!耳揃えて出すもん出すヨロシ!」

 

 尾田君が片言で反論すると、食堂はたちまちひっくり返った。尾田君に限って冗談を言うわけもないし、でも隠す気がないのに隠す態度をとるのもなんだか変だ。まあそれも、下手に隠すよりも正直に言ってしまった方がいいと判断したものの、正直に言うのが癪だからわざとひねた言い方をしてるだけだ。たぶん。面倒な人だ。

 

 「見つけたものを正直に共有するなんてことは言ってません。中身によります。しかもこの中には内通者がいるんですよ。情報の隠匿は相当なアドバンテージを産みます」

 「はァん?何言ってんだァ?」

 「その意味が分かるときになったら分かりますよ」

 「当たり前のこと言ってるだけじゃん!はぐらかすのも面倒になっちゃったの!?」

 「心底」

 

 前なら目線も合わさずに部屋に戻っちゃうところを、睨みつけながらその場に留まるようになってるだけでも進歩かな。少なくとも私たちとの会話を拒否してるわけじゃないし。

 それに尾田君が言うことも尤もだ。尾田君の言うことは頷かざるを得ないほど尤もか、到底受け入れられないくらい尤もじゃないことのどっちか、両極端だ。もしこの中の誰かが、見つけていないはずの封筒に書かれていることを口走ってしまったら、それはその人が内通者である可能性が高くなるっていうことだ。あるいはその前提を利用してカマをかけたりもできるかも知れない。でもそれだって、カマをかけてる本人が内通者じゃないっていう保証がないんじゃ、どこにも足の置き場がない。

 内通者を炙り出すのにはいい手段だけど、本当にそれが内通者かどうかをみんなに信じさせるには悪手だ。

 

 「せめてちょっとだけでも教えてくれない?尾田君のやりたいことは分かったから」

 「分かったのならそうすることで意味がなくなることも分かると思いますが」

 「私のことだけは信じてほしいのにな」

 「何を根拠に」

 「根拠って言われたらそりゃ難しいけど、私はリーダーなんですけど。公正な投票で選ばれたんだから、従うべきだと思うな」

 「90年ほど前にちょび髭のドイツ人も同じことを言ったそうですよ」

 「それじゃあどうしたら話してくれるの」

 「あなたが内通者でないという決定的な根拠を示してもらえたら考えますよ」

 「またそうやって無茶を言う……」

 「こうして見てると、劉劉(リュウリュウ)は駄々をこねてる子供みたいネ。生意気盛りの弟を思い出すヨ」

 「そうだな。おかんの甲斐に甘えてるガキんちょさながらだ」

 「お、おかん……!?」

 

 失礼な!私はお母さんになるとしても尾田君みたいな子には育てないんだから!そう抗議する前に王村さんは毛利さんにしばかれて折檻されていた。尾田君もなんだか不服そうだ。

 

 「劉劉(リュウリュウ)だって所詮は高校生アル。生意気なことを言う子ほど親や兄姉に甘えたがる年頃なのヨ」

 「好き勝手言ってくれますね。あなたはどの立場からものを言ってるんですか」

 「一家を養う大黒柱の立場からアル!えっへん!」

 「大黒柱?そういうのは親父が担う役割だろ。なんでおめェがそんなもんやってんだ?」

 「ワタシの家は大家族なうえに働き口が全然ないから普通のやり方じゃお金が稼げないアル。だからワタシが日本(こっち)で稼いでたくさんお金を送ってあげるのヨ」

 「長島さん、ほとんど同い年なのに、立派に家族を養ってるんだ!大変なんだね」

 「崇めてヨロシ」

 「すごいすごい!崇めはしないけど!」

 

 なるほど、長島さんのどこかシビアでお金にうるさいところって、そういうところから来てるんだ。確かに親も含めた家族を養おうと思ったら、そういう考え方にもなるかも知れない。もし私がその立場になったときに、同じように自分にできることを活かして稼いだお金を家族に送るなんてこと、できるだろうか。想像できない。っていうか、介護施設のお手伝いをしてたときも、ちょっとだけお金はもらってたけどお家に入れたりしてなかったなあ。

 

 「私もここ出たら親孝行しないと」

 「長島のしていることは親孝行というレベルではないと思うが……」

 「王村さんだって毛利さんだって、ここにいるのには少なからず家族のことが関わってるんだから。みんな、ここから出られたらまずは家族のところに行ってあげないとだね」

 「現実的なことを言えば警察かと」

 「もう!嫌な現実言わないでよ庵野君!そこはいつもの『愛』ですね、でしょ!」

 「相すみません」

 

 上手いこと返されちゃった。尾田君のせいでまた殺伐としそうだった食堂の空気が、なんとなく和やかになった気がする。考えてみれば意外でもないけど、みんな希望ヶ峰学園に入学するまでに、家族の影響があるんだ。私は特に変わったことはないけど、一体感を演出するためになんとなくそういうことにしておこう。庵野君も、希望ヶ峰学園に来る前に暮らしていた教会で、神父さんはお父さんみたいなもので、年下の子たちは弟みたいなものだって言ってた。広義で言えば家族だ。うん、家族だ。

 

 「なんだかバラバラだった気がするけど、ちょっと話したら分かったよ。こんな簡単なことだったんだね。私たちみんな、ちゃんと共通点があったんだ」

 「無理やりまとめようとしないでください。家族がいない人間の方が少ないです。そもそも希望ヶ峰学園に入学する段階である程度の選抜がかかりますから、家族の有無という重要な項目が判断材料にならないわけがありません。必然性のある事実を偶然と錯覚させるのは嘘つきの常套手段です」

 「またそういうこと言う。いいじゃん。家族のことを想う気持ちは尊いものでしょ」

 「論点のすり替えですね」

 「そういう尾田君はどうなの。尾田君って自分のこと全然話してくれないけど、家族はいるでしょ」

 「……家族」

 

 椅子に座ってふんぞりがえったままの尾田君は、私が話を振るとムッとしたまま黙ってしまった。学園に入学してる時点で家族がいるのは当たり前なんて自分で言ったくせに、話を振られたら困っちゃうの。それとも長島さんが言ってたみたいに、自分の家族の話をするのが恥ずかしいのかな。まったく、子供なんだから。

 

 「まあまあ甲斐さん。あなたのおっしゃることも分かりますが、家族の話はセンシティブになりやすくもあります。あまり無理に聞くのは尾田君に悪いですよ」

 「そうかなあ」

 「そういうものだぞ。察するに甲斐は幸せな家庭で育ったようだが、そういうわけではない家もたくさんある」

 「ワタシの家がそうネ!一歩間違えれば一家離散ヨ!危ないところだったネ!」

 「おめェがそうやって明るく話すから明るく受け取られちまうんじゃねェか?」

 

 家族の話になった途端、尾田君は明らかに機嫌が悪くなった。庵野君が止めに入ってくれたけど、確かに複雑な事情の家庭もあるし、ちょっとデリカシーがなかったかなって反省した。

 

 「ごめんね、尾田君。話したくなかったら無理にとは……」

 「……」

 

 憎まれ口の一つもきかず、嫌味や皮肉で返すわけでもなく、尾田君はただただ無口に私を睨み続けた。なんか、本当に地雷を踏んじゃったみたい。尾田君にとって家族の話題は、相当触れられたくないタブーみたいだ。私は改めて、深く頭を下げた。

 

 「ごめん!」

 「……幸せ者ですね、あなたは」

 「え」

 

 すっと立ち上がって、尾田君は私の横を通り抜けざまにそう呟いた。その言葉の意味を聞く間もなく、尾田君はさっさと食堂を出て行ってしまった。

 

 「なんでェあいつ。照れるにしたって怒ることねェやな」

 「お前は本当に鈍いな。いい年して照れて怒るわけがないだろう。あれはいわゆる、地雷というものだ」

 「奉奉(フェンフェン)!ドンマイドンマイ!そういうこともあるヨ!後で劉劉(リュウリュウ)が冷静になったときにもう一回謝ったら許してくれるアル。たぶん」

 「どうでしょう。あまり刺激しない方がいいかと思いますが……」

 「うぅん……まさかこの段階になってそんな地雷を踏んじゃうとは。でもなんだか、尾田君にもそういうところがあるんだなって思ったら、ちょっと親しみが湧いたかも」

 「メンタルつよっ」

 「強いと言うか……まあいいか。甲斐、落ち込まないのはいいことだが、あまりグイグイ行きすぎて尾田をこれ以上怒らせるなよ」

 「うん。みんな心配してくれてありがと!次はうまいことやるよ!」

 「大丈夫じゃなさそうだ」

 

 ちょっと話の振り方を間違えちゃっただけだ。尾田君を怒らせるのなんて今まで何回もあったし、いちいちくよくよしてたら尾田君と話なんかできない。いつもよりもちょっと本気で怒ってたみたいだから、長島さんが言うようにもう一回謝らなくちゃいけないとは思うけど、少し間を開けた方がいいかも。

 今日のところはもう夜も遅いし、また明日かな。

 


 

 予想はしていたことだ。ここに書かれていることは、自分たちを揺さぶるために用意されたものだ。モノクマのことだから、内容そのものに嘘はないのだろう。ゲームを根底から覆してしまうようなことはしないはずだ。しかしその書き振りの中に、誇張やミスリードを混ぜることはあり得る。意図的に誤解させ、勝手に勘違いした結論を信じ込ませ、正しい判断力を奪う。モノクマがやりそうなことだ。

 だが、ここに書かれていることをいくら読み直しても、一番否定したい事実は消えない。余計な飾りを剥ぎ取り、無駄な脇道を潰し、蛇足の主観を無視して文意を追う。どれだけ消しても、どれだけ否定しても、どれだけ考え直しても、信じがたい事実がそこには残る。

 甘かった。この期に及んでモノクマが小細工をしてくるなんて舐めた考えを持つべきじゃなかった。少なくともそれに縋るべきじゃなかった。単純に、シンプルにこちら側の希望を抉ってくる情報をぶつけられるとは……。

 

 「くそっ……!」

 

 頭では理解した。疑えばキリがない。嘘がないと考えるなら最低限採用すべき点は理解した。受け入れもした。しかし同時に、それに思考を支配されてしまった。

 これが事実だとして、では自分は何をすべきか。いったいどうすれば……。

 


 

 けたたましく鳴り響くサイレンが不安と恐怖を煽る。モノクマの笑い声が学園中を覆い尽くして、深い眠りについていた私の意識を無理やり現実に引っ張り上げる。思わず部屋を飛び出すと、同じく慌てた様子の庵野君と鉢合わせた。

 

 「あ、庵野君!?なにこれ!?」

 「いえ、手前にも何がなにやら……!どうやら、誰かが“校則違反”を犯したようです!」

 「えっ……!?」

 

 “校則違反”、その言葉を聞いたとき、私は全身の血の気が引いていったのを感じた。こんなときじゃなければ、こんな場所じゃなければ、こんな状況じゃなければ、その言葉にそこまでの重みはなかっただろう。いったい誰が、どうして、何をしたのか。すぐに私は他のみんなの部屋の扉を叩く。とにかく全員の安否を確認しないと。

 

 「おらーーーっ!!何がどうなってんだコノヤローーーッ!!」

 「わっ!?モ、モノクマ!?」

 「まさかこんなタイミングで校則違反なんかするすっとぼけ野郎がいるとは思わなかったよ!どこのどいつだ!スペシャルなおしおきで骨の髄から反省させて出汁取ってラーメンにしてやる!」

 「な、なんでモノクマがここに……!?じゃあこの声は?」

 「録音です」

 「わざわざ録音してまでこんな不気味なものを作らなくても……」

 「あわ、あわわ……あわわわわ……」

 

 死角から急に飛び出してきたモノクマの頭突きを脇腹に受けてしまった。柔らかくて全然ダメージがないけど、なんだか怒ってるみたいだ。一緒に現れたダメクマも慌てふためいている。どうもこの状況に戸惑っているのは私と庵野君だけじゃない。モノクマたちでさえ、校則違反が起きたことに困惑してるみたいだ。私たちを縛るためのルールとはいえ、想定してるものじゃないの?

 

 「えーい!あわあわしてないでオマエラもとっとと校則違反したのが誰か探しに行かねーか!おらっ!」

 「うわあっ!蹴るなんてひどい!」

 「なんで私がそんなことを……いやでも、誰が何をしたのかは気になるし……」

 「いったい何をしているんですか。なんですかこのうるさい放送は」

 「!」

 

 2人と2匹で右往左往してると、サイレンの音の隙間を縫うように、鼓膜を引っ掻くような嫌な声が聞こえてきた。尾田君だ。夜遅いせいかイラついている様子だ。

 

 「お、尾田君!あ、えっと……だ、大丈夫?」

 「どういう意味ですか。安眠できているかどうかという意味なら、ご覧のとおりです」

 「校則違反者が出たようなのです。尾田君は違反者ではないのですか?」

 「なぜ僕がそんなことを。そもそもこうして五体満足であなたたちの前で話して見せているのに、違反者なわけないでしょう。今ごろ違反者は影も残さずこの世からおさらばしていることでしょうよ。そうですよね、モノクマ」

 「え?あ、うん……そう、かもね。うっぷっぷのぷ」

 

 尾田君の問いかけに、モノクマは気のない返事で応える。どうしたんだろう。私たちを処刑するのはモノクマが一番好きなことのはずだ。その違和感について考えたとき、私は尾田君の言いたいことを理解できた。

 モノクマが慌てて校則違反者を探しに行かせようとしてる。これって、ものすごくおかしな状況だ。このコロシアイの中で私たちの行動のすべては、首に取り付けられたモノカラーで管理されている。これは、捜査と裁判に使う便利グッズなだけじゃなく、モノクマが私たちを監視する意味で付けているものだ。

 だから誰かが校則違反をしたら、これで分かるはずなんだ。なのにモノクマは、なぜか校則違反者が誰かを分かってないみたいだ。つまり、まだ誰も処刑されてないってことだ。

 

 「尾田君!みんなを起こすのを手伝って!全員ここにいるのを確認しなくちゃ!」

 「……まあ、この状況では眠れないですからね」

 

 そう言って、尾田君は一番近くにあった王村さんの部屋のドアを思いっきり蹴り付けた。急いではいるけど雑すぎ。私は毛利さんの部屋を、庵野君は長島さんの部屋のドアを叩いて、必死に声をかけ続けた。

 するとほどなくして、眠そうに目を擦ったみんなが部屋の中から現れた。いつの間にかサイレンは止んでいた。意味がないと分かったモノクマが止めたんだろう。みんなサイレンで目を覚ましてはいたけど、状況が分からず慎重になって部屋の中にいたらしい。何も考えず飛び出した私が軽率だって長島さんに笑われちゃった。

 

 「しかし、これはどういうことだ?」

 

 全員が揃った廊下を見て、毛利さんが頭を掻いた。

 

 「さっきのサイレンは校則違反者が現れたことを意味するものだろう。校則違反者は処刑される、それがルールだったと思ったが……」

 「全員揃ってるアル!処刑はなしカ?ただの安眠妨害カ!」

 「うぬぅん……こ、これはその……」

 「毛利さんの言うとおり、校則違反者の処刑は、モノクマに与えられた権利であると同時にモノクマが執り行うべき義務でもあります。校則違反者が生じたのに、違反者を特定できず処刑もできず……これは、ゲームマスターとしていかがなものでしょうか」

 「ぐ、ぐぬぬぬ……!」

 「明らかに異常なことが起こっています。今は真夜中ですし、処刑が行われないのであれば、明朝に話した方がいいのでは?王村さんが今にも違反してしまいそうです」

 「うつらうつら」

 「面倒だからあなたは部屋にいてください」

 

 尾田君が、今にも眠りそうな王村さんの襟首を掴んで、そのまま部屋に放り込んだ。そんなゴミ捨てみたいに。

 

 「王王(ワンワン)個室(ゴール)にシュウウウウウウウウウッ!!!」

 

 なんで長島さんは真夜中に叩き起こされてこんなにテンション高いの。

 

 「くっ……ど、どうなってるんだ……!こんな馬鹿な……!」

 

 庵野君の意見でまとまったようで、モノクマは特に反論してこなかった。それよりも、違反者が誰か分からないことが相当不可解らしく、冷や汗を垂らしながらわなわな震えていた。こんなモノクマは初めて見た。私たちの中の誰かが、ここまでモノクマを追い詰めたのか。それとも、もっと別の何かがこの学園で起きている……?

 


 

 「なんだこの反応は?」

 「現在、調査中です。本来は起きるはずがないものです」

 「誤りだと思うなよ。何が起きるか分からないなら、何が起きてもおかしくないと思っておけ」

 

 福丸が指示を飛ばす。管制室はにわかに慌ただしくなり、鳴り響く警報音の正体を突き止めるため大勢の人間が画面を注視する。何かの間違いか、それとも反応は正しくて不明な何かが起きているのか。いきなりのイレギュラーに、福丸は改めてこのミッションが一筋縄ではいかないことを思い知らされた。

 

 「ひとまずどう対処しましょうか」

 「はい無能。どうすればじゃなくてお前の意見を言え。意見がないならあるやつを連れて来い」

 「も、申し訳——」

「謝る時間が無駄だ。いいからさっさとしろ」

 

 唖然とする部下を追っ払い、福丸は適当なスタッフに声をかけて対処法について意見を聞く。いまこの場で指揮官は自分だが、最も知識があるのは自分ではない。対処法の知識もなければノウハウもない。それがある者の意見を聞いて判断し、必要ならより良い方法を提示して責任を取るためにいる。それを理解せずただ指示を仰ぐだけの部下など、いる意味がないのだ。

 ある程度の聞き取りをした後、福丸はひとまず通常通りの対応をするよう指示した。誤りであるならば後からいくらでもカバーできる。誤りでなかった場合、何者かの陰謀が働いていたときに、誤りだと早合点して何もしないでいるのが一番良くないことだとわかっているからだ。

 

 「指揮官殿!通常の対処が完了しました!やはり該当者は見つけられず……」

 「そうか。ならエラーの可能性を検討してその辺のシステムをチェックしろ。それで何も見つからなければ、誰かが裏で動いているで確定でいい」

 「かしこまりました!」

 

 誰か、とは言うが、福丸はすでにおおよその答えを持っていた。報告を聞き、これまでの出来事から判断してこんなことをしでかす人物の心当たりはひとりしかいない。だが、それが正しいという保証もない。いまはまだ静観し、先入観を持たずニュートラルに構えておくべきだ。ただし警戒だけは怠らず。




これ書いたの11月末です。
いつも投稿すると決まって誤字報告をいただくのですが(とっても助かってます。ありがとうございます)、3ヶ月あっても人間は基本的な誤字チェックすらしないんです。人間は愚かなものです。特に私。


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(非)日常編4

 

 だんだんうんざりしてきた。あれから毎日、きっかり0時00分になると、学園中をけたたましいサイレンとモノクマの笑い声で包まれる。うとうとしていたところを爆音で叩き起こされてびっくりするのにももう慣れて、今ではこのサイレンを時報代わりにしてるくらいだ。

 どうやらモノクマは校則違反者をまだまだ見つけられていないみたいだ。それがなんでなのかはよく分からない。私たちで突き止めようと思ったこともあるけど、そんなことをしても意味がないことに気付いた。だってこの校則違反者の目的が分からないから。毎日同じ時間に校則違反を犯して、それでいてモノクマから正体をくらまし、なおかつ何も具体的な変化は与えない。いったい何が目的なんだろう。

 

 「分かんないことばっか考えてもしょーがないアル。無問題(モーマンタイ)無問題(モーマンタイ)

 「お気楽だね。長島さんは楽観的なのかシビアなのかよく分かんないよ」

 「どっちもワタシアル。都合の良いことは楽観的で都合の良いことはシビアになるヨ。お金のことはシビア、どうでもいいことはテイキッティージーアル」

 「都合が良いなあ」

 

 水筒に入れた甘いお茶をすすりながら、長島さんはケタケタ笑った。空き教室の机の中をひとつひとつ探りながら、しらみ潰しにモノクマの封筒を探していた。私も封筒を探す途中で、たまたま長島さんと会って、探すのに付き合うことになった。今のところ見つかったのは、尾田君が見つけたらしい一封だけだ。私たちはまだその姿すら見ていない。

 

 「くそ〜!最初のひとつを劉劉(リュウリュウ)なんかに見つけられたのは不覚だったアル。どこにどんな風にあったのかも手がかりになるのに、なんにも教えてくんないアル。あのむらさきもやし」

 「学校の怪談みたいな悪口言わないで。尾田君だって何か考えがあるんだよ」

 「どうして劉劉(リュウリュウ)の肩を持つカ!なんだか最近、奉奉(フェンフェン)劉劉(リュウリュウ)とべたべたし過ぎアル!なにかあったカ」

 「なんにもないよ!ただ、いつまでも尾田君憎しでいたってしょうがないって分かっただけ。モノクマと戦うのに尾田君の力は不可欠だし」

 「劉劉(リュウリュウ)が内通者じゃないって保証もないヨ。それに奉奉(フェンフェン)は大事なことに気付いてないアル」

 「大事なこと?」

 「劉劉(リュウリュウ)は本当の才能を隠してるアル。そんなやつのことが信用できるカ?」

 「あっ……」

 

 言われて初めて思い出した。確か、湖藤君もそんなことを言っていた。まさか長島さんも気付いてたなんて。っていうことは、毛利さんや庵野君も?

 

 「宣宣(シェンシェン)には話したけど、他のみんなには内緒アル。奉奉(フェンフェン)は信用できるから話したけどネ」

 「そんなこと言って、私を通じてみんなの信頼を得たいだけなんでしょ。もうだいたい長島さんが考えてることは分かるよ」

 「っちゃーっ!バレてるカ!でも劉劉(リュウリュウ)のことは本当アル。“超高校級のスナイパー”の眼は誤魔化せないアル!ところで、奉奉(フェンフェン)もそんなに驚かないのなんでカ」

 「湖藤君がそんな話をしてたんだよ。尾田君が本当の才能を隠してることをみんなに話すタイミングは、よく考えた方がいいって」

 「そんなこと言ってたカ。じゃあ奉奉(フェンフェン)の中では、まだワタシに言うべきタイミングじゃなかったってことカ?」

 「いや……すっかり忘れちゃってて。色々あったからさ。それに他の人が知っちゃうのは止められないよ」

 「あっさりしてるネ。というか、劉劉(リュウリュウ)の本当の才能について調べたりしてないカ?」

 「してないなあ。言い出したのは湖藤君だし、私には尾田君の密偵っていう才能があながち嘘とも思えないから」

 「ふむ。確かに、嘘を吐くときはひとつまみの真実を混ぜるのが鉄則アル。劉劉(リュウリュウ)のことだから、ちょっとは密偵と重なる部分がある才能ってことかもしれないネ」

 「密偵と重なる……そもそも密偵がよく分かんないからなあ」

 

 湖藤君が言っていた。本当の才能を隠す理由が分からないうちは、尾田君が何を考えて何をしようとしているか分からないうちは、軽率にそのことを明らかにするべきじゃないって。それがただ警戒しているだけだとしても、その警戒にずけずけと割って入っていくのは危険だって。

 もしかしたら、私がこの前踏んじゃった尾田君の地雷と関係あるのかも。

 

 「やっぱり慎重になった方がいいネ。特に、内通者に知られちゃった日にゃあもう目も当てられないヨ」

 「庵野君にはもう話しちゃったんだっけ?大丈夫だと思うけど……内通者じゃないって確証でもあるの?」

 「特にないアル!もしかしたら内通者かもネ」

 「大丈夫なの?」

 「あっははは!やべーかも知れないネ」

 「考えなさすぎだよ……。慎重になってほしいところを見事に慎重になってくれない……」

 「萌ちゃんは気まぐれアル!にゃはは!」

 

 私なんか一回死んだようなものなのに、長島さんはこれまでのコロシアイを受けてなんとも思ってないみたいに、からっから笑う。この豪胆さは、前に言ってた長島さんの過酷な生い立ちのせいなんだろうか。あるいは殺されずに生きていけるという強烈な自信から来る余裕なんだろうか。どちらにしても、それを無神経だと言う気にはなれない。これはこれで、長島さんが生きていくために身につけた武器なんだから。

 

 「安心するヨ。ワタシは奉奉(フェンフェン)の味方ヨ。それはもし奉奉(フェンフェン)が内通者でも同じだし、みんなが奉奉(フェンフェン)の味方じゃなくなってもワタシは味方で居続けるアル」

 「な、なんで?私、そんなに長島さんに気に入られるようなことしたっけ?」

 「ん〜、特になにもしてないヨ。でもなんか、奉奉(フェンフェン)は放っておけない気がするっていうか……こっちから先に手を打たないと飲み込まれそうな気がするっていうか……そんな感じアル」

 「全然分かんないけど」

 

 そこまで言う割に、長島さんとの間に私は少し距離を感じている。長島さんが私の味方で居続けるっていうのは、敵対しないっていう意味ぐらいしかないんじゃないかな。付かず離れず、敵ではいないけど味方でもない、そういう間合いを維持していたいというニュアンスを含んでるような気がする。そういう打算とか裏の考えとか、長島さんはそういうのをちっとも感じさせないところで色々考えてる。油断ならないのはむしろ長島さんの方だ。

 

 「ま、これからも良好な関係を求めるアル。少なくともこの学園から出るまではネ」

 「そういうこと言うから信用されなくなっちゃうんじゃないかな……素直に、一緒にモノクマを倒そう、でいいじゃない」

 「ワタシ、嘘は吐きたくないヨ。もしかしたら……モノクマを倒す方が厄介なことになったりしかねないアル。そうしたら何をするか分からないヨ」

 「そんなことあるかな?」

 「世界は奉奉(フェンフェン)が思ってるより複雑にできてるアル。そういうこともあるかもネ」

 

 やっぱり長島さんは、いまいち何を考えてるか、何を企んでるか分からない人だ。掴みどころがないというか。自分の生い立ちまで喋ってるんだから、私たちのことを信頼してくれてるんだと思ったのに、そうでもないのかな。掴めそうな一面を見せても、掴もうとすればそれはするりと手から抜けて彼方の向こうに消えて行ってしまう。

 

 哎呀(アイヤー)!!」

 「きゃあっ!?な、なに!?」

 「封筒!封筒アル!急にあったからびっくりしたヨ!」

 

 突然、長島さんが盛った猫みたいな声を出した。何事かと思えば、あのときモノクマがちらつかせていた封筒を持って興奮していた。あまり期待しないで探してたのに、まさか見つかるとは。それも、こんな何の変哲もない教室の中から。私たちが一日中探し回ってひとつも発見できなかった今までの時間はなんだったんだって思っちゃうくらい、ドラマもなにもない見つかり方だ。

 

 「へっへっへ、これは劉劉(リュウリュウ)には見せてあげないヨ。いいカ、奉奉(フェンフェン)。この世は等価交換アル。ワタシの罪の半分あげるから奉奉(フェンフェン)の罪の半分くれるヨロシ」

 「共犯関係になりたいってことね。尾田君以外の人にも言っちゃダメなの?」

 「どこから情報が漏れるか分からないアル。奉奉(フェンフェン)は特別ヨ」

 

 一緒に見つけちゃって隠せないからだと思うけど……という言葉を飲み込んで、私は素直に長島さんの等価交換に応じることにした。封筒の中にはホチキスで止められた冊子が入っていた。なんだか難しそうな感じの羅列でタイトルが書かれていて、一回読んだだけじゃ中身を理解するのは大変そうだ。

 だけど一眼で分かることもある。まず、タイトルの最後に研究報告書とある。それが、その冊子がどういうものなのかをありありと示していた。そしてタイトルの上に描かれているシンボルマーク、これを私たちはよく知っている。というか、つい最近見た。

 

 「これ、なんだったアル?なんか家電製品みたいな名前のアレのシンボルヨ」

 「IHFだよ。確か、国際希望連盟……だったかな。世界中で希望的活動を行ってる国際機関だったはず」

 「その報告書がなんでこんなところにあるカ?しかもモノクマが持ってるなんておかしいアル。モノクマは絶望側じゃなかったカ?」

 「あのビデオを観たときもそんな話になったっけ……ていうか、あのビデオだってIHFのものだけど、元はと言えばモノクマが持ってたものだったはずだよ」

 「やっぱりモノクマとIHFは繋がりがあるってことカ?それともハッキングか何かして情報を盗んだ……」

 「それと、こっちはなんだろう?」

 

 研究報告書に書いてあるシンボルは二つある。ひとつはIHFのもの、その隣に“中”の横棒が両端とも飛び出したようなシンボルが描いてあった。IHFのシンボルに似たデザインがされているから、きっと関係があるんだろうけど……なんだろう。同じような団体ってことかな。

 

 「知らんけどそれっぽい団体アルきっと。知らんけど」

 「適当だなあ」

 

 表紙を開くと答えがあった。HHIは、人類希望研究所(Human Hope Institute)の略称だった。難しいことがたくさん書いてあるけど、頑張って研究の概要を読んだら、それがどんな機関かもなんとなく分かった。荒い理解だけど、どうやらこれはIHFの下部組織で、人類に希望を普及させるための技術や希望そのものについて研究してる機関らしい。希望を普及ってなんだろう。希望そのものってなんだろう。なんだかえらく曖昧なものを信奉してるような気がして、言いようのない恐ろしさを覚える。

 研究報告書の中身は、やっぱりと言うかなんというか、難しくて何がなんだか分からない。複雑な数式が何ページにもわたって敷き詰められて、なんだか分からないグラフや図だけのページがあったり、ところどころは英語や文字も知らない言語で書かれていて、なんとか読める日本語の部分も専門用語だらけでちんぷんかんぷんだ。

 

 「ふむふむ……おお〜、こいつはとんでもないアル」

 「長島さん、分かるの?私なんか全然だよ」

 「とんでもなく訳が分からんアル。これ本当に人間が読むものカ?」

 「そんなことだろうと思ったよ」

 「やいモノクマ!話が違うネ!封筒には重要な手掛かりが入ってるって話だったはずヨ!こんな読むのに知識が必要なもん、難し過ぎて奉奉(フェンフェン)には何の手掛かりにもならないアル!」

 「そうだそうだ!さらっと私だけのせいにみたいにしてる以外は長島さんの言う通りだ!」

 

 長島さんがどこへともなく文句を言う。どうせモノクマは今の私たちも監視してるんだから、どこに向かって話しても同じだ。私は長島さんに同調してモノクマに抗議した。それでもモノクマは姿を現さない。このまま無視するつもりか、と思いきや、私たちの抗議への答えを示すように、研究報告書から一枚の紙が滑り落ちた。モノクマの汚い字でメッセージが書いてある。

 

 「なんだろ、これ」

 

 ——アホのオマエラへ。この研究報告書はオマエラには難しくてさっぱりピーマンだろうから、優しいボクがどこよりも分かりやすく教えてあげます。今でしょ!っつってね!——

 

 「腹立つメモ書きアル。破いていいカ」

 「読んでから破ろうね」

 

 読むだけで腹が立つそのメモ書きは、だけど研究報告書の内容をとても分かりやすく噛み砕いて教えてくれて、高校どころか大学で勉強するような考え方も、まるで脳に直接情報を流し込んでるみたいにすんなり理解できた。納得感と同じくらいのムカつきもあったけど、おかげで私たちはこの報告書に何が書いてあるか理解し、その内容に眉を顰めた。

 

 「つまり……これは、“絶望”の研究ってこと?」

 「そういうことらしいネ。なんで希望の研究所が絶望の研究なんかするカ?そこのところは説明してくれないアル」

 「たぶんここにその理由も書いてあるんだろうけど……モノクマがあえて隠してるんだろうね。私たちに嫌がらせするために」

 「やっぱ破いとくアル」

 「待って待って待って!これ破いちゃダメなやつ!尾田君ならともかく、他のみんなにこの報告書のこと話すときが来たら必要になるから!」

 「ぶぅ……奉奉(フェンフェン)が言うなら……」

 

 なんとか長島さんには思いとどまってもらって、私たちはこの研究報告書を秘密にすることで一旦落ち着いた。希望の研究所がなんで絶望の研究を?その疑問の答えを私たち二人で出せるとは思えないけど、尾田君が持っている情報を引き出すまでは保留にしておこう。

 

 「これでワタシと奉奉(フェンフェン)は運命共同体アル。一蓮托生、おんなじ蜘蛛の糸に縋り付く地獄の亡者ネ」

 「嫌な文学性だなあ」

 


 

 「あ」

 「……ちっ」

 

 顔を合わせるなり舌打ちされてしまった。前の私だったらすぐに気分を悪くしてその場から立ち去ってたと思うけど、今の尾田君に怒る気になんてなれない。

 それに、たまたま私が劇場で尾田君を見つけたのは、まさに尾田君が舞台の上に落ちていた封筒を手にした瞬間だったからだ。目の前で発見している以上、誤魔化すことはできない。

 

 「尾田君それ……モノクマの封筒、前に見つけてたやつじゃないよね?」

 「どうでしょうね」

 「モノクマと戦うために協力してくれるんじゃなかったの?少しは態度を柔らかくしてくれてもいいのに」

 「協力することと馴れ合うことは違います。何度も言いますが、内通者だっているんですよ」

 「……前もちょっと思ったんだけど、尾田君って内通者が誰かの見当ついてるんだよね?」

 「どうしてそう思うんですか?」

 「でなきゃ、そんな疑心暗鬼になるようなこと言わないもん。敢えて自分は気付いてることをアピールして牽制するのと、他のみんなが互いを疑う状況を作って内通者が動きにくくするのが目的なんでしょ?」

 「それは、あなたが考えたことですか?」

 「半分は湖藤君が言ってたことだよ」

 「……死んでもまだ絡んでくるなんて、彼の方がよっぽどタチが悪いですね」

 「どうなの?」

 

 私の質問に、尾田君はしばらく考え込むように停止した。それから、舞台から降りて最前列の席に座った。私にはその意味が分からなかったけど、ただなんとなく、話をしてくれるのかなと思って、その隣の席に座った。二人の間にある肘掛けは尾田君が頑として譲ってくれなかった。

 

 「誰が内通者かを言いはしません。先入観を与えるだけだからです。ただ、あなたが内通者である可能性はごく少ないと考えていることは、あなたの他者に対する評価に影響を与えないので、言っても問題ないと判断します」

 「素直じゃないっていうか、やたらと理屈っぽい言い回しだね。」

 「優秀な詐欺師ほど他者から好意的に映ると言われますが、あなたの社交性はその類とは違います。湖藤クンに依存し、宿楽サンと馴れ合い、多くの同級生と角の立たない関係を築く無難な姿勢からは、打算をほとんど感じません。打算があるのだとしたら非効率すぎるので、打算があると信じたくありません。眩暈がしそうです」

 「信じてる、の一言をここまで露悪的に言い換えられるのも、尾田君の才能だよね」

 「僕が信じるのは自分自身と数字だけです。情報に踊らされる側ではありませんので」

 「そっか。密偵なら情報はすっぱ抜くものだもんね」

 

 噛み合ってるような、噛み合ってないような、そんな会話はお互いの顔を見ずに進んでいく。何もない舞台を見ていると、私は目の前で死んでいったみんなのことを思い出してしまう。私にとっては形を伴った絶望で、モノクマを倒す理由で、喪ってしまった過去で、希望と呼ぶべきものの原動力だ。この舞台上に、尾田君は何を見ているのだろう。

 

 「あなたの言うように、内通者が誰かの当たりはついています。内通者の存在に気付いていることを敢えて明かしたのも、湖藤君が言っていた理由で合ってます」

 「そこまで確信があるなら、みんなに教えてあげないの?尾田君にとっては都合が良いかも知れないけど、敵味方がはっきりしてる方がみんなだって動きやすいと思うけど」

 「内通者は僕たちの中に潜んでこそです。そのベールを剥がしたとき、内通者やモノクマが何をしでかすか分かりません。少なくとも今は、あまりに行動に自由があり過ぎます」

 「どういうこと?」

 「正体を暴くなら、モノクマが内通者の暴走を抑えざるを得ない状況で、ということです」

 「……分かんないや」

 

 淡々と、事務的な喋り方だったけど、なんだかこんなに長く尾田君と話したのは久し振りな気がする。いつも尾田君が嫌味を言って私が怒って、それで終わりだった。裁判のときの私は尾田君とまともに議論ができるほど深い考えを持ってるわけじゃなかったし。

 それでも、やっぱり尾田君の言うことは難しい。モノクマが内通者を抑え込まなくちゃいけない状況って、どんな状況?そんなことできるのかな?

 

 「そのためには情報が必要です。モノクマが寄越してきたこの封筒には、実に大きな情報が含まれています。おそらくモノクマ自身の正体につながることまで隠されているでしょう。しかし同時に、ショッキングな内容でもあります」

 

 尾田君がショックなんて受けるの?って言いかけたのをぐっと堪えた。さすがに無神経すぎる。

 

 「僕が言うことじゃありませんが、今生き残っている人たちも全員が全員、その人の全てを開示しているわけではありません。長島サンも毛利サンも庵野クンも、何かまだ隠してることがあってもおかしくありません」

 「王村さんは?」

 「あんなのはどうでもいいです」

 「かわいそ」

 「どの情報が誰に刺さるか分からないんです。これを読んだことで協力関係が崩壊するようなことになることは避けたい。そういう意味でも、情報の共有は慎重にすべきです」

 「……つまり、みんなが団結してモノクマに立ち向かえるように、敢えて情報を伏せてるってこと?」

 「その解釈でいいです」

 

 聞けば聞くほど、自分勝手で独り善がりでワンマンプレーに見えていた今までの尾田君への印象がガラリと変わる気がした。つまり、モノクマからみんなを守るために、みんながモノクマと戦えるように、自分が汚れ役を買って出た、っていう風に言えるんじゃないかな。

 

 「なんですか、にやにやして。気持ち悪い」

 「ううん。なんでもないから続けて」

 「……ええと、どこまで話したか。ああ、そうです。つまり、この情報を共有するのは、単にあなたが内通者である可能性が低いからという理由だけでないということが言いたいんです。これ以上あなたは壊れようがないでしょうし、少なくとも他の人間よりは己を開示している。そういう意味で、一番マシな選択をしたということです」

 「うんうん。そうだね。ありがとう。尾田君にそこまで思われてるなんて、意外だったよ」

 「いいから読んでください」

 

 勝った。尾田君が先に私の顔を見た。私はただニコニコして話を聞いてただけ。そんな私の顔に覆い被せるように、尾田君は拾った封筒を私に突き出してきた。封筒の中身を見るのは、長島さんと一緒に見つけたものと合わせて2つめだ。

 封筒の中には、一冊の本が入っていた。さっきの研究報告書と比べると、いや比べなくても、めちゃくちゃ分かりやすい。どうやら子供向けの教育絵本みたいだ。タイトルは『やってみよう!はじめてのアルターエゴ』。

 

 「アルターエゴ?」

 「代替する(Alter)人格(Ego)、電子的に“人格”と呼ばれるものを再現する技術です。今時の小学生は学校の授業で習うそうですが」

 「へえ、すごいね。でも人格を再現する技術って……難しそうなわりに絵本にもなっちゃうんだ」

 「読んでみたらいいじゃないですか」

 

 表紙には、可愛らしい女の子の頭がパソコンの画面に表示されているイラストが描かれていた。アルターエゴのイメージ図だろうか。パソコンのことは難しくてよく分からないけど、子供向けならなんとか分かるかも知れない。

 そう思ってページを開いた途端、自分の心がげんなりする音が聞こえるくらいげんなりした。こんなにげんなりさせられたのは初めてだ。

 

 「なにこれ……難しすぎて全然分かんない……。本当に小学生が読むもの?」

 「今時の小学生はあなたよりずっと利口なんですね」

 「うぅ……」

 

 尾田君が露骨にバカにしてきたのが悔しくて、なんとか頑張って中を読もうとしてみた。本当に分からない単語は読み飛ばして、ところどころ分かるところだけを理解してなんとなく頭の中でそれっぽい話を組み立てる。

 どうやら人工知能とかプログラミングとか、そういうのを駆使してそれっぽい応答ができるようなものを作ることができるらしい。大量のデータがあれば、特定の誰かに似せたものを作ることもできる。それどころか、いくつかのアルターエゴに会話をさせることで元々プログラミングしてなかったことまで学習してしまうんだとか。私の理解が正しければ、これじゃまるっきり本物の人間とおんなじだ。ただ、肉体があるかないかの違いしかない。

 

 「もう一回言うけど、本当にこれ小学生向けのもの?」

 「アルターエゴという技術についての知識を学習するためのものでしょう。実際に作ろうと思ったら、小学生どころか専門の研究者が複数集まらないと不可能でしょう」

 「っていうことは……モノクマが私たちにアルターエゴっていうものを教えるために与えてきたってこと?」

 「そうでしょうね。これが僕たちの誰に刺さるのか全く読めません。技術系の才能を持っている人がいるわけでもないのに、なぜこんなものがあるのか。それだけで意味深です。だからいたずらに知らせるわけにいかないのです」

 「なるほど……」

 

 そう言われてみると、この子供向けらしい可愛げなイラストが、なんだか逆に不気味に思えてくる。さっきの“絶望”の研究といい、モノクマは一体どういうつもりなんだろう。

 

 「その様子だと、まだ理解できていないみたいですね」

 「うん。ちょっと難しすぎるよ、これ。なんだかすごい技術だっていうのは分かるけど、本当に人格を作ることなんてできるの?いまいち信用ならないっていうか……」

 「はあ……まあいいです。今すぐ理解する必要はありません。困るのはあなたたちですから」

 「なにそれ、また他人事みたいな言い方して」

 「他人事ですから」

 

 他人事じゃないでしょ。

 

 「話は終わりです。今日の収穫はそれだけです。僕は帰って寝るので、あなたもさっさと部屋に戻りなさい」

 「なんで尾田君がそんなこと気にするの。私はまだ封筒を探すんだから」

 「さすがに僕以外にも封筒を見つけている人がいるでしょう。あまりに見つからないのではモノクマにとっても不都合ですから、なんならヒントくらい与えられているかも知れませんね。ともかく、あなたは僕と違った戦い方をする必要があります。情報共有でもなんでもしたらよろしい」

 「なにそれ。突き放してんの?それとも心配してくれてるの?」

 「どっちでもありません。強いて言えば厄介払いです」

 「ふんだ。まだ人のことをそんな風に言うの。もう知らない」

 

 こんなにたくさんお話ししたのに、みんなには共有しない情報を共有してくれるような間柄になっても、まだ尾田君は私のことを厄介者だと認識してるんだ。それは照れ隠し?それとも本心?ちょっと臍を曲げた感じで出方を伺うけど、それ以上尾田君は何も言ってくれない。

 

 「行っちゃうよ?本当に私行っちゃうからね?もしかしたらこの情報をみんなに話しちゃうかも知れないよ」

 「お好きにどうぞ」

 「……なんなのもう。よし決めた!」

 「なんですかもう……」

 「いつか尾田君に謝らせてやるからね!生意気な態度とってごめんなさいって!私がいてくれて助かりましたって言わせてみせるから!そうでないとなんかもう、精算できないから!」

 「何をですか。っていうか、僕が本気でそんなことを言うとでも?」

 「言わせてみせるから!まずはモノクマとの決着をつけてからだけど、覚えておいてよ!」

 

 そう言って、私はその場から走り去った。なんかのほほんとしてる尾田君を驚かせたいとか、意表をついてやりたいと思って突拍子もないことを言っちゃったけど、案外私が思ってることとも離れてない。本当はモノクマより先に尾田君の態度を改めさせるのを先にしたいけど、そんな時間もなさそうだから、この学園から出るまでの間に言わせられればいいや。そうしたら私は、寛容な心でもって尾田君の今までのことを許してあげる。そうしたら少しは尾田君もまともな人間になれるだろう。

 

 「……?」

 

 尾田君と話してるうちに、時刻はもうすぐ夜を迎える頃になっていた。時間感覚が薄いこの学園の中では、こまめに時計を見て今の時間を把握しておかないと、気付かないうちに信じられないほど時間が経っていることがある。広い学園の中で周りに誰もいないと、なんだかこの世界に私という人間がひとりぼっちになってしまったような、そんな寂しさと孤独を覚える。

 そんな感覚の中でだと、余計にその違和感に背筋が凍える。誰かに見られているような……見張られているような感覚。気配っていうんだろうか。そんな気がしてならない。私は小さく身震いして、急いで自室へと向かう。

 

 「はっ……!はっ……!」

 

 いつもならすぐに着いてしまう道のりなのに、誰かに追われているような気がするだけで、こんなにも遠く感じる。焦りが肺を締め付けて呼吸が浅くなり、恐怖が足にまとわりついて沼の中を進んでいるような気になってくる。視界のすぐ外に強烈な悪意が忍び寄っているような圧迫感。

 

 「うっ……!だ、だれ!こそこそしてないで出てきたらどうなの!」

 

 まだ自室までは距離がある。走って逃げることもできるけど……それだけじゃダメだ。今ここには私たちしかいない。この視線を辿った先にいるのは、私がよく知る誰かのはずなんだ。それなら、怯えてちゃダメだ。怯える理由なんてない。堂々と向き合わなくちゃダメだ。私は意を決して振り返り、誰もいない廊下に叫んだ。その声が反響して幽かに暗闇に溶けていく。

 

 「え」

 

 振り向いた先に見えたのは意外な光景だった。私がついさっきまで歩いてきた廊下には誰もいなくて、代わりにその真ん中に茶色の紙包……封筒が落ちていた。これ、モノクマの封筒?なんでこんなところに無造作に落ちてるんだろ。っていうか、いま歩いてきたところなのにどうして私は気付かなかったんだろう。

 なにか嫌な予感がしたけど、封筒を見つけて放置するわけにもいかない。私は、周りを伺いながら、少しずつそれに躙り寄る。さっと拾って、抱えたまま走る。食堂はもう閉じてるから、やっぱり自分の部屋だ。部屋の前に着く少し前からモノカラーを起動させて、ノータイムで部屋の鍵を開けて中に飛び込んだ。慣れ親しんだ自分の部屋の匂いが鼻に入ると、身体を満たしていた不安を汗に変えて体外に押し出した。

 

 「……3つも、見つけちゃった」

 

 今日は大収穫だ。はじめは一つも見つけられなかった封筒を3つも見つけちゃった。うち2つは人が見つけたのを見せてもらっただけだけど、これは私ひとりしか見つけてない。どうするべきだろう。長島さんも尾田君も見つけた封筒の情報を共有する相手は慎重に選ぶべきだと言っていた。それも中の情報次第だけど、誰に共有していいか、私にはその判断がつかない。ならいっそ、全員に教えてしまった方がいいかも知れない。とにかく、この中に何が書いてあるか確かめないと。

 

 「はあ……はあ……」

 

 呼吸が乱れて胸が痛くなる。小さく震える手が、封筒を開けて中を取り出すっていう簡単な作業を困難にさせる。ゆっくりと引き出したそれは、報告書でも本でもない、ただクリップで留められただけのコピー用紙で、大きな文字でタイトルが書いてあった。

 

 「“超高校級の絶望”……?」

 「!」

 

 出てきたのは新聞のスクラップだ。たくさんの文字と写真が一気に目に飛び込んできて……。

 


 

 そこから先は覚えてない。

 

 気が付いたら、私は自分の部屋のベッドに寝そべっていた。

 

 普段着のまま、だけど掛け布団をしっかり首元までかけて、見慣れた天井を見つめていた。

 

 「あ、あれ……?」

 

 既視感があった。記憶がいきなり途切れて、いつの間にか眠っていたような気がするこの感覚。そうだ、いつか風海ちゃんに眠らされたときの感覚だ。誰かに不意をつかれて気絶させられたときの記憶だ。

 

 「うぅん……え?ええ……?」

 

 起き上がった私は、おぼろげな記憶を辿って、眠る前のことを思い出す。封筒……封筒があったはずだ。私は慌てて周りを見回す。ベッドの上にはない。その辺の床に落ちてもない。テーブルの上にも、タンスの中にも、シャワールームにもカバンの中にも家具の下にもない。確かに私は封筒を見た記憶があるのに、それがどこにもない。

 しばらく探し回ったけど、結局封筒の影も形も見当たらなかった。そこでようやく、私はある可能性を考える。誰かに奪われたんだ。気絶させられたのもきっとそのためだ。

 

 「えっと……」

 

 気絶させられたってどういうことだろう。

 部屋の中に誰かいたってこと?封筒を拾うところを誰かに見られてたってこと?中の手掛かりが誰かにとって知られるとまずい内容だってこと?中身は確か……“超高校級の絶望”。あんまりよく知らないけど、言葉自体は誰でも知ってるものだ。それの詳しい内容を知られたくないってことは、襲ってきたのは“超高校級の絶望”の関係者?

 考えると色々な可能性が浮かんでくる。こういうときに、「怖い」よりさきに「なぜ」の気持ちが浮かんでくるようになって、冷静な自分が呆れた目で見つめてくる。ひとりで考えてても答えは出ない。何より、この学園には私たちしかいない。だから私を襲った誰かも、この学園のどこかにいる人だ。

 

 「あっ……」

 

 誰かに相談しようと思って、そこで思考が止まった。もし相談した相手が私から封筒を奪った人だったとしたら、その人に誘導されて見当違いな結論を出してしまうかも知れない。もしかしたら私が封筒を奪われたことに気付いたことで、早まった行動をとらせてしまうかも知れない。だからと言ってみんなの前で話せば、たちまち犯人探しが始まって疑心暗鬼になる。尾田君が内通者の存在を私たちに話したときみたいに。

 そうか、こうなるんだ。あのとき、どうして尾田君はわざわざ私たちを疑心暗鬼にさせるようなことを言うんだろうと、非難する気持ちで考えてた。二人きりで話したとき、敢えて打ち明けるのにも理由があると分かった。けど、それまでに何を考えていたかまでは話してなかった。だから、尾田君もこんな気持ちだったのかなって思うと、また彼のしてきたことを少しだけ許せる気持ちになった。そんな気がした。

 

 「……いやいやいやいやいや?」

 

 そんなときめきチックなことを考えてる場合じゃない。もし私たちの中に“超高校級の絶望”が潜んでるんだとしたら——確か、“超高校級の絶望”って世界的なテロ組織だったよね——そんな危険人物を放置していて、何をしでかすかわからない。やっぱり尾田君と同じ結論になる。たとえ疑心暗鬼になってしまっても、その危険性を知らないみんなを危険に晒すわけにはいかない。私はこの事実を伝えるため、急いで部屋を飛び出そうとして……まだ深夜であることに気付いた。

 そっか、気絶させられたから変な時間に起きちゃったんだ。ここ数日ですっかり恒例になってしまった真夜中のアナウンスも収まってしばらく経った時間だ。いちおう、みんなの部屋をノックしてみよう。誰も起きてこなかったら、仕方ない。話すのは明日にしよう。

 


 

 「分かってるよね?もうこれ以上は限界だってこと」

 

 暗い部屋。光るモニター。無数の点滅。学園中の全てがそこに表されている。今まさに眠っている彼・彼女たちは個室の中で穏やかな明滅を繰り返し、ただひとつ——否、二つ、部屋を離れてゆっくり動く点がある。

 

 「別にこれを放置したからってどうってことはない。今はね。でも少しずつ、だけど確実に綻びは大きくなってきている。これがしばらく続けば、いずれはこのコロシアイ自体が崩壊しかねない。そうなってしまったら……分かるよね?」

 

 黙って首肯する。コロシアイの崩壊は、すなわち世界の崩壊につながる。それは決して望ましい崩壊ではない。それではこの身に刻んだ使命が果たせない。役目が果たせない。悲願が果たせない。モノクマの内通者として動いてきた意味を失ってしまう。

 

 「この事態をなんとかするのが、オマエに課せられた最後の使命だよ」

 「……最後?」

 

 モノクマは、はっきりとそう口にした。思わず復唱する。

 

 「ああ、そうさ。これからいよいよ最終決着をつけようってときに、こんなことでコロシアイを崩壊させられちゃたまったもんじゃないよ。障害があるならクリアする。物事の基本だね。だから、この問題は明日中に解決する。ボクも、オマエも、あいつらもよく知ってる方法でね」

 「つまり……」

 「だからこれはオマエにしか任せられない重大な任務なんだ。うぷぷぷぷ、是非ともその身を絶望のために捧げてちょうだいね!期待してるよ!」

 

 何を考えているかはだいたい分かる。4度目の事件が起きたときも、モノクマは今と同じように、内通者を使って事件に介入した。あれは止むを得なかった。あの介入がなければ、モノクマが校則違反を見過ごしたことになってしまうからだ。

 今回はどうだ?すでにモノクマは何日にも亘って、正体不明の校則違反者——おおよそ見当はついているが——を処罰せず、同じような違反を繰り返しさせてしまっている。いまさら後手後手で手を下すのに、内通者である自分を使うのか。それに、さっき口にした言葉……。

 

 「さ、分かったらさっさと行った行った。決行は明日。時間と場所とやることは……言わずもがなだね。じゃ、そんな感じでシクヨロ〜」

 

 ……考える。内通者としてではなく、使命を背負う者として。

 


 

 「もはやこのコロシアイゲームは成立していないのでは?」

 

 朝、食堂に集まったみんなの前で、尾田君が言い放った。私たちにじゃなくて、みんなの前に立って悔しげに顔を赤くさせているモノクマに対してだ。私たちは、真剣な顔でその行く末を見守っていた。モノクマが何を言うか、何をするか、次の一手で今後のことが大きく変わる、そう感じていたからだ。

 

 「わざわざ朝から呼び出して、何を言い出すかと思えば……なんなの?因縁つけるなんて尾田クンらしくないじゃない」

 「因縁ではありません。このコロシアイゲームは、ゲームマスターであるあなたが厳格なルールのもとで強権を振るうことでこそ成立します。そしてもちろん、あなた自身もまたルールを守るべき立場にいる。違いませんね?」

 「そりゃそうだね」

 「それなら、なぜ毎晩のように起きる校則違反を放置するんですか。毎夜毎夜、真夜中に叩き起こされて迷惑しているんですが」

 「……そんなの、尾田クンが気にすること?キミ、ルールを厳守するタイプじゃないでしょ。むしろ鼻で笑って蹴飛ばすタイプじゃない?」

 「この現状は、あなたが僕たちの行動を管理・制御できなくなっているということではありませんか?であれば、僕たちがあなたに従わされる理由はなんでしょう?従わなければ殺されるから?明確なルール違反者を放置し、自らに課した義務すらまともに果たせないルール違反者であるあなたに?それはお話にならないのでは?」

 「ぐぬぅ……」

 

 後ろで尾田君の言うことを聞いていて、もし私がモノクマで私たちを無理矢理にでも従わせようと思ったら、それなりのやり方があるように思えた。だけどモノクマはそうしない。そうできない理由があるんだ。尾田君が言うように、モノクマ自身がルール違反を犯しているから?たとえそこに説得力がなくても、明らかな暴力は十分に私たちから反抗する意思を奪うと思うけど……。

 あっさり言い伏せられたモノクマは、私たちの方をじろじろ見ながら悔しそうに地団駄を踏む。もしかして、この中にいる内通者に助けを求めてるんだろうか。でも、こんな状況でモノクマをフォローするのは、内通者だとしても無理だ。

 

 「やいやいモノクマ!尾田君の言う通りだ!」

 「だ、だれだ!?」

 「ボクだー!」

 

 突然、どこからともなく声が降ってきたかと思うと、モノクマと尾田君の間に割って入るように、ダメクマが飛び込んできた。前に私と庵野君の握手を止めたときみたいなハイテンションだ。

 

 「この空間でオマエの支配力は弱まっている!もしこのままルール違反を犯すならオマエはすぐに今いる席を追われることになる!もし強硬手段をとるなら、それはそれで自分の敗北を認めたことになる!分かるか!?オマエはもう詰んでるんだ!」

 「な、なんだオマエこのやろー!いきなり出てきたと思ったら調子に乗りやがって!オマエだってボクの支配下にいることを忘れたのか!どこのどいつか知らないけど邪魔するなら排除したっていいんだぞ!」

 「できないね。だったらオマエは、どうしてボクを“モノクマという存在”に上書きしたんだ?」

 「うぐっ」

 「上書き?」

 「みんな!モノクマはいま、不安定になっている。だけどいきなりそうなったわけじゃない。ずっとそうだったんだ。ボクがその証だ。モノクマがこの空間でできることは限られてるし、それは校則だけが理由じゃない」

 「な、なに言ってんのか分かんねェよ……またいつものケンカじゃねェのか?」

 「どうやらそんな雰囲気ではなさそうだ」

 

 前みたいに興奮してテンションが上がっているというより、ダメクマは今この瞬間をチャンスと考えているみたいだ。なんのチャンスかは分からないけど、少なくともモノクマにとっては不都合なことらしい。それに、ダメクマをモノクマに上書きってどういうことだろう?なんだか話が難しくなってきたような……。

 

 「ええいうるさいうるさいうるさい!こうなったら予定変更だ!本当はオマエラの準備が整うまで待ってやろうと思ったけど、もう怒ったぞ!明日!明日だ!」

 「なにがでしょう?」

 「ボクとオマエらが決着をつける最後の戦いさ!」

 「今日じゃないのネ」

 「ボクにも色々準備が必要なんだよ!とにかく、できるもんならやってみなよ!断片的な手掛かりから真実を暴いてみなよ!たった一日でさ!内通者もまだ生きてるのに、お互いを信じてやってみなよ!もう知ーらね!バーカバーカ!」

 

 散々な捨て台詞を吐いて、モノクマは逃げるように食堂から出て行った。明日?明日には、モノクマとの最終決着をつける裁判をやるの?いまのこの状況で?私はしばらく、その言葉を受け入れられず立ち尽くしていた。意味も分からないし、単純にそんな急な話を受け入れたくなかった。心の準備ができてない。

 

 「お、おいおいおい!待てよ!ちょっと待ってくれ!明日だァ!?モノクマとケリ付けるのが……こんな急に決まんのかよ!?んなのありかよ!?おいらなんの準備もできてねェぞ!?」

 「モノクマと、いずれは最終決着をつけなければいけないのは分かっていました。そのための準備も、他ならぬモノクマの方から宣言していました。いずれこんな日が来るとは思っていましたが……急ではありますね」

 「来るって分かってたんなら急じゃないヨ。なんの準備もしてない王王(ワンワン)が悪いアル。モノクマの話聞いてなかったカ?」

 「こればかりは長島の言う通りだな……王村、お前はいつになったら本気になるんだ?なんにだったら本気になれるんだ?自分の命が懸かっているんだぞ」

 「うるせェ!んなこと言われなくたって分かってらァ!へェへェおいらが悪うござんしたよ!けどなァ!おいらだって逃げられねェって分かってんなら腹決めてやってやんよ!差し当たっては今んとこ見つかった封筒の内容をおいらにも教えてください!」

 「夏休みの最後に宿題うつさせてもらう子みたい」

 

 確かに急だし、私も心の準備はできてないけど、王村さんほどぼんやり生きてきたわけじゃない、はずだ。封筒をいくつか見つけたし、みんなと少しずつだけど色んなことを話してきた。それが最後の裁判にどう生きるかは全然分かんないけど、無駄じゃないはずだ。

 ところでモノクマと決着をつけるって言われたけど、具体的には何をすればいいんだろう。

 

 「正直に言うと……いまの状況でこの学園の真相なんて何一つ明らかにできません」

 「うえっ!?お、尾田君!?」

 

 いまいち緊張感のない食堂の空気を、尾田君がぴしゃりと叩いた。それでみんなの背筋がピンと伸びたような気がする。学園の真相……私たちがいる希望ヶ峰学園、とモノクマが呼んでいる建物の真相?

 

 「まったく、余計なことをしてくれましたねダメクマ。あなたが割り込んだせいで話があらぬ方向に飛んでいってしまいました」

 「ええ!?ぼ、僕はただ……尾田君を助けてあげたくて……。今ならモノクマの支配を崩すチャンスかと思って……」

 「モノクマの支配が崩れた何が起きるんですか?この学園にはモノクマが仕掛けたギミックが無数に存在します。もしかしたら、分館を丸ごと吹き飛ばした爆弾のようなものがこの建物にもあるかもしれない。そういう危険性を考えての行動なんですか?」

 「もちろんだよ!モノクマだってさすがにこの本館までは爆破できない!そんなことしたら元も子もないじゃないか!」

 「そう言える根拠は?」

 「根、拠は……き、禁則事項です」

 「ではモノクマの支配を崩すことであなたにどういったメリットがあるんですか?あなたは何をしようとしているんですか?」

 「き、禁則、事項です……」

 「そもそもあなたは何者なんですか?僕たちの味方なんですか?敵なんですか?モノクマとはどういう関係なんですか?なぜはじめから姿を現さなかったんですか?なぜモノクマと同じ姿をしているのに、明らかに異なる行動原理を持っているんですか?いったい何を知っているんですか?」

 「…………」

 「ちょ、ちょっと尾田君。いくらなんでも、そんなに質問攻めにしたらかわいそうだよ。話せないって言ってるじゃない」

 「何も言えない、話せない、自分の行動の根拠すら示せない。それでもこのモノクマ紛いを信じろと?正直、さっき僕は一世一代の駆け引きをするくらいの気持ちでモノクマに相対していました。それを考えなしに妨害されて、非常に不愉快なんです」

 「でも……」

 「いまさらモノクマが吐いた言葉を覆すことは期待できません。こうなったらやるべきことをやるだけです。もうダメクマに邪魔はさせません」

 「ううっ……」

 

 どうして私たちはこうもまとまらないんだろう。モノクマとの決着を前にした今になっても、尾田君は私たちと正面から向き合ってはくれない。毛利さんも、王村さんも、庵野君も、長島さんも、私と一緒にモノクマと戦ってくれるのに。どうして尾田君だけは私のことを分かってくれないんだろう……。

 

 「やっぱり尾田さんは度し難いなあ。ダメクマだって悪気があったわけじゃないだろうに、許してあげればいいのに」

 

 頭の中に、少しだけ懐かしい声が響いた。幽かな音で、ともすれば聞き逃してしまいそうだった。

 

 「ダメクマに悪気がないのと同じで、尾田くんには尾田くんなりの行動原理があったわけさ。こんな状況だからこそ、次に打つ一手はとても重要だ。それを間違えれば全てを失ってしまうくらいにね。それに横槍を入れられたんだから、怒るのも無理ないよ。かと言って、甲斐さんにできることはないけどね」

 「そんな言い方ないよ……尾田君が仲間になってくれないと、モノクマとなんか戦えないよ」

 「他のみんなが頼りないから?」

 「そんなことは……」

 「ぶっちゃけ、王村さんは役に立つビジョンが見えないよね。あの人、どう受け止めればいいんだろう?癒し枠?」

 「苦しいね〜」

 

 この状況とは裏腹に、頭の中で会話する声たち(ふたり)はお気楽なものだ。そりゃそうだ。どうなってももう二人には関係ないんだから。こんなことになるなら、私ももっと早くそっちに行っていればよかった。苦しみながら、悩みながら、裁判で真相を明らかにしたって、何一つ状況は改善しない。解放されない。ただただ、次の苦しみが待っているだけだ。

 

 「分かる?ぼくたちの声が聞こえるっていうことの意味が。甲斐さんは、いまとっても心が弱っているんだ。存在しないぼくたちの幻影を頭の中に住まわせてしまうくらいにね」

 「奉ちゃん!ファイト!なんか、こう、いい感じにがんばって!」

 「それだったらもっと気休めになるようなことを言ってよ……解決の糸口になるようなことを教えてよ……私を元気付けるようなアドバイスをしてよ……」

 「そんなこと言われても、ぼくたちはぼくたちであってぼくたちじゃないんだ。ぼくたちは甲斐さんが生み出した幻、現実逃避の駆け込み寺さ。甲斐さんに分からないことはぼくたちにも分からない。気休めにもならないのは、甲斐さんがそれに意味がないと思っているから」

 

 そんなことは言うくせに、しっかり私のことを論破してくる彼は、やれやれといった感じに肩をすくめる。

 

 「ええい!湖藤さんは黙ってて!あのね奉ちゃん、私が言うのもなんだけど、とにかくモノクマがやるって言ったらやるしかないんだから、協力できるみんなで協力しようよ!封筒だって全然なくなってるわけじゃないんだから!」

 「そういえば、“超高校級の絶望”の封筒はどこに行ったんだろうね。誰に奪われたんだろうね。もしかしたらこの中に奪った人がいるかもよ。そうしたら、せっかく協力してくれてるみんながお互いを疑い合ってしまうかも」

 「それはもう考えた可能性でしょ。だから全部話すって決めたじゃん」

 「それを決めたときとは状況が違う。モノクマとの決着が急に目の前に迫ってきて、みんな少なからず動揺している。そんなところに疑いの火種を撒くようなこと、ぼくだったらやらないな」

 「でも時間がないんだから分かってることは取り敢えず共有しておいて、誰か何か分かるかも知れないんだからさ、いまはそういうリスクより手掛かりをひとつでも増やすのが大事なんじゃないの!?」

 「手掛かりこそ共有されないと意味がない。疑心暗鬼は情報の規制を誘う。不均衡で不平等で不正確な情報の氾濫を招く。そうなったらそれこそ内部崩壊だよ」

 「だ、だけど……」

 「うるさいよッ!!!」

 「ヒェッ」

 

 頭の中の騒がしい声をかき消そうと大声を出した。王村さんの小さな悲鳴が聞こえた。

 

 「か、甲斐?大丈夫か?ずっと何を……」

 「……」

 

 毛利さんが心配そうに声をかけてくるのを、耳ではっきりと聞いた。頭でしっかりと理解した。でも、無視していいか、って思っちゃった。私はそのまま自分の部屋に戻った。その日はもう何も考えたくない、話したくない。明日にはモノクマと決着をつけなくちゃいけないことなんて、もうすっかり頭から抜け落ちてた。




いま書いてるところはいよいよ終盤って感じなので、これまでほったらかしにしてた諸々のツケを払っています。大変大変


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非日常編

 

 「これ、失敗してないか?」

 

 薄暗い管制室で、福丸がぽつりとつぶやく。モニターに映し出されているのはゲームのような画面で、真剣に仕事をしている姿には見えなかった。しかし、重大な事態が起きていることは、その部屋にいる全員が共有していた。大急ぎで駆け回って事態の沈静化を図ろうとするスタッフは、しかしその全てが徒労に終わることをなんとなく予感していた。

 

 「やっぱりあのイレギュラーの存在が大きいな。あれのせいであちこちにエラーが出てる。軽微だが確実に人手は割かれる……まるで我々のことを理解しているようだ」

 「指揮官殿。ご報告が」

 「短く、簡素に、正確に」

 「建物の奥に強固なセキュリティがかかっている部屋が。その部屋からイレギュラー反応があるため、解析班が解錠を進めています」

 「ほう。どれくらいで解錠できる?」

 「目処は立たないそうです。少なくとも3日以上かかることは確実だそうです」

 「()っとばした方が早いんじゃないか?」

 「中の様子が分からないのと、正面の廊下が狭く爆風や爆音の逃げ場がこの部屋くらいしかないため、安全が確保できません」

 「あっそ。じゃあ本部に追加の解析班を依頼しろ。あと1日短くなるごとに解析班全員に休暇とボーナスを出すと言ってハッパかけてやれ。本部にごちゃごちゃ言われたらこっちに電話つなげ」

 「かしこまりました!」

 

 福丸は適当にそうあしらい、スタッフのひとりはキレの良い敬礼をして駆けて行った。休暇と金をちらつかせて成果が上がるなら簡単な話だ。そう物事はシンプルにできていない。一時的にとはいえここを占拠していた奴らが仕掛けたものだ。こちら側にどんな損害を要求してくるか分からない。少なくとも面倒な時間稼ぎぐらいのことはしているだろう。

 しかし同時に、イレギュラー反応をそこまで厳重に守ることの意味を考えていた。やはりあのイレギュラーは奴らの切り札のようだ。あれが介入することで、計画はかなり歪まされている。軽微で修復可能なレベルのものから重大で修復不可能なレベルのものまで。そのどれもが巧妙に隠されて、見つけるたびに翻弄されるばかりだ。

 

 「……くそっ、やってくれたなアホ宮」

 

 その日、私は頭の中を流れるやりたい放題の幻聴に悩まされていたせいで、まともな一日を過ごせなかった。いつもより頭が重たい気がしたし、思うように体が動かない気がしたし、ものすごく喉が渇いた。

 頭の中の湖藤君はとても冷静で、言わなくたって分かる考えたくない可能性をずけずけと言葉にして私にぶつけてくる。だけどその考えはとても合理的で、疑いようがなくて、間違いなく正しかった。一方風海ちゃんは相変わらず考えることは苦手みたいで、とにかくポジティブに、手放しに私を応援してくれる。今となってはそれは虚しいだけで何の解決にもならない。それでも私のことを考えてくれてるのだけは、とても嬉しかった。

 自分ひとりでそんな気分になってるんだから世話のないことだ。私はこの声とどう付き合っていけばいいんだろう。一晩寝たらどこかへ姿を消していた二人を頭の中で呼んでみる。だけど、昨日までの騒がしさが嘘みたいに二人とも鳴りを潜めて、影も見せない。私の空想のくせに、なんて身勝手なんだ。

 

 「……はあ、どうしよう」

 

 今日はモノクマとの決着のときだ。それを分かっていたはずなのに、私は頭の中がうるさくてベッドに逃げ込んでしまった。いよいよみんなに愛想を尽かされたかも知れない。尾田君だって手掛かりが足りないって言ってたのに、他の誰でもない、私がこんな体たらくで、みんなに示しがつかないよ。

 せめて最後の学級裁判、悔いが残らないように頑張ろう。そんなことを考えている時点で敗色濃厚なのにね、なんて自暴自棄の自虐に自嘲しながら自室を出た。

 

 「甲斐ッ!!」

 

 部屋を出るや否や、毛利さんがぶつかりそうな勢いで飛び掛かってきた。何かと思ったら、相当焦っている様子だった。焦っているというか、怯えているというか、戸惑っているというか……一言で言えば、絶望してた。

 

 「も、毛利さん、おはよう。どうしたの?」

 「一緒に来い!」

 

 青い顔をした毛利さんが、私の腕を引っ掴んでぐんぐん廊下を進んでいく。何がなんだか分からない。いつになく毛利さんが乱暴だ。何も教えてくれないまま、私の足がもつれるのも気にせず、どこかへまっしぐらだ。

 寄宿舎から本館の方に移動してホールを通り抜けたかと思うと、ずんずん階段を昇っていく。2階、3階、4階と昇って……。

 

 「あ」

 

 前にこの階段を昇ったとき、私は毛利さんの肩を借りてやっとの思いで昇ったのを覚えている。今の状況とはまるで逆だ。あのとき毛利さんは私のペースに合わせてゆっくり歩みを進めてくれた。だけど今は私のことなんか気にもせず、とにかく一心不乱に階段を昇っている。私の方が毛利さんのペースに追いつこうと必死になっているくらいだ。

 何度か階段を昇った先には、毛利さん以外のみんながいた。だから、その時点で何が起きているのかはなんとなく分かった。そして、視界に収まったみんなの顔を見て、そこにいない人の顔がすぐに頭に浮かんだ。だから、階段を昇り切る前に私は全てを悟っていた。理解していた。予想していた。

 

 だから、尾田君の死体を見ても、特別驚きはしなかった。違う、驚けもしなかった。頭も、心も、目の前も、何もかもが真っ白になったんだ。

 


 

 「モノクマ!どこにいる!出て来い!何が起きているか分かっているんだろう!」

 

 毛利さんの怒鳴り声で、はっと我に返った。私は階段を昇り切った場所で、みんなと同じ場所に立ちながら、血の海に沈んだ尾田君を見ていた。

 モノクマから侵入禁止と言われている上り階段の前で、尾田君はうずくまるようにして亡くなっていた。雪山で凍えている人が身を縮こまらせているような、何かに怯えている子供が布団の中で丸まっているような、そんな悲壮感をまとった死に姿だった。色褪せて皺だらけのパーカーが、ところどころ彼自身の血を吸って黒く染まっている。

 

 「終わりだァ!!尾田が死んじまったらモノクマに勝てるわけがねェ!!ムカつく野郎だったけどおいらたちの頼みの綱だったんだ!!もうおしめェだァ!!」

 「こりゃ参ったアル……劉劉(リュウリュウ)が内通者じゃなかったら、確かに一番に排除するべき相手ネ。でもまさか、こんな強引な展開にしてくるなんて……」

 「おおう、尾田さん……なんと痛ましいお姿でしょうか。せめて主の愛に導かれて安らかに……」

 「ちょ、ちょっと待ってよみんな!?毛利さんも……落ち着いて!」

 

 今のいままで茫然自失としていた私が言うのもなんだけど、王村さんだけでなく長島さんや毛利さんまでもが焦っている姿を見て、なんだか逆に冷静になった。やっぱり私は、尾田君の死にそこまでショックを受けていないのかも知れない。

 

 「そうそう!甲斐サンの言う通り、落ち着いて!何が起きたかなんて切るぐらい分かってるんだから。分かり切ってるってことだね!」

 「ひいいィ!!で、出たァ!!逃げろォ!!」

 「これはいったいどういうことだ!貴様……!!我々と正々堂々決着をつけるんじゃなかったのか!こんな……!」

 「おやおや、毛利さん。それは一体どういう意味かな?それじゃまるで、ボクが厄介な尾田君を最後の学級裁判に先駆けて排除したような言い方じゃないか」

 「そうじゃないのか!」

 「そんなわけないでッショー!?そういう卑怯なことをしないからこそ最後の学級裁判の意味があるんじゃない!自分で提案したことの意味を自分から無くすなんて、意味フメー!!」

 「で、では……これは、あなたがしたことではないというのですか?」

 

 至極気だるそうに現れたモノクマは、だけど少し嬉しそうに小躍りしながら毛利さんの質問に答える。相変わらず、人が死んでるというのに不謹慎だ。いや、大事なのはそこじゃない。これがモノクマの仕業じゃないということは……それじゃあ、まさか?

 

 「そのまさかだよ」

 

 心を読まれた?いや、みんな考えることは一緒だ。今まで何度も同じことに直面しては、同じことを思ってきたんだ。

 

 「尾田クンを殺したのは、オマエラの中の誰かだよ」

 

 なんで今?なんで彼を?なんでこんな場所で?なんで?なんでなんでなんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

 

 「そんなわけないだろう!あ、あり得るか……!!そんなことが……!!」

 「ぶっちゃけアリエナーイ!!はこっちのセリフだよ!!なんだよ!!このタイミングで殺人って!!マジでどういうことだよ!!今日はボクが先にオマエラと学級裁判する約束してたんだよ!?なのに……なのにコロシアイなんか起きたら学級裁判せざるを得ないだろ!!」

 「なにキレてんだこっちだキレてェのは!!」

 

 頭の中で疑問が渦巻く。みんなの騒がしい声が聞こえると、早鐘を打つ心臓がますます忙しなくなってくる。私は何をしたらいいの?モノクマとの学級裁判?尾田君殺しの学級裁判?ここから逃げ出してしまいたい。何もかも忘れてしまいたい。

 

 「ダメだよ逃げちゃ。死体が発見されたら、いついかなるときでも捜査して学級裁判を行う。それがこの箱庭(セカイ)のルールだよ」

 「いやこれはさすがにコタえるでしょ。頼みの綱の尾田さんがこんなことになっちゃって……しかもこの中の誰かがこれをやったなんて、信じたくないよ」

 「信じる信じないの話じゃない。事実はただそこに存在するんだ」

 「うるさいよ!!ちょっと黙っててよ!!」

 

 しん、と静まり返った。頭の中に響いていた声も。耳から入ってきていた声も。はっとして私は辺りを見回す。みんなが一様に驚いた顔をして私を見ていた。モノクマでさえきょとんとしていた。

 

 「……か、甲斐さん?」

 「あっ……あう……」

 「う、うんうん!甲斐サンはよおく分かってるみたいだね!そう!泣いても騒いでも状況は何にも変わりませーん!ボクだって実に不本意だけど、やるべきことはしっかりやらないとね!なんだかんだ言って、ボクもきちんとモノクマファイルは作ってあるしね!うーんやっぱりボクって規則を守るえらいクマ?」

 「やるしかないカ……うーん。不安しかないネ」

 「なに受け入れてんだよ長島!?おめェ勝算あんのか!?おいらたちだけでやらなきゃいけねェんだぞ裁判!もう湖藤も尾田もいねェんだぞ!?」

 「分かり切ってるアル、そんなこと。でもやらないと、モノクマとの勝負の前にみんなお陀仏ヨ。クロ以外は」

 

 こんなときでも長島さんは、冷静でシビアだ。だけどいつも醸し出している楽観的で強かな雰囲気は鳴りを潜め、いまは少し血の気が引いて不安そうな表情を隠しきれずにいる。いつも笑顔の人がそんな顔をしているだけで強い不安を覚える。慌てふためいていた王村さんも、黙って祈りを捧げていた庵野君も、目を泳がせながら爪を噛んでいた毛利さんも、モノカラーの電子音で覚悟を決めさせられた。もう、やるしかないんだ。

 モノクマとの学級裁判を妨害するように起きた殺人事件。被害者は、常に私たちを引っ掻き回してきた尾田君。モノクマは、その犯人が私たちの中にいるという。一体誰が、何の目的で、こんなことをしたのか。それを明らかにしないと。

 


 

 【モノクマファイル⑥)

 被害者:尾田劉平

 死因:腹部を刺されたことによる失血死

 死体発見場所:5階階段前

 その他:致命傷となった刺傷痕は深く、内臓まで達している。

 


 

 モノクマから送られてきた尾田君の検死データはシンプルなものだった。見た目のとおり、尾田君はお腹を刺されて殺されたようだ。今までのモノクマファイルに嘘はなかったけど、あえて情報を伏せたりミスリードを誘ったりすることはあった。まるっきり疑っていては何も始まらないけど、全てを鵜呑みにできるほど安心できるものでもない。

 

 「私が検死をする。誰かについていてほしいが……そうなると捜査にあたれる人間がほとんどいなくなるが……」

 「それなら、手前がついて——」

 「いや。おいらが残る」

 「王村さん?」

 「……庵野はおいらより視野が広いし、手が届くところも多いだろ。つうか、おいらはあちこち歩き回って情報集めるより、一箇所にとどまって見張りする方が役に立つ。そうだろ?」

 「まあ、ふらふらされるだけだと、ただでさえ少ない人手を食い潰すだけアル。ワタシは反対しないからなにかあるなら勝手に決めてもらっていいヨ」

 「手前も特に反対は……甲斐さん、それでよろしいですか?」

 「う、うん。じゃあ王村さん、毛利さん。お願いね」

 「まかしとけ!」

 

 珍しく——いや、こんな状況だから何が起きてもおかしくないか——王村さんが自分から率先して見張りを名乗り出た。今まではこっそりサボってお酒を飲むことばっかり考えてたのに、さすがにもうそんなことやってる場合じゃないって分かったのかな。

 検死と見張りを二人に任せて、残った私たちは事件と関係ありそうな場所を調べることにした。と言っても、尾田君がいつ殺されたのか分からないし、血の足跡が残ったりしてるわけじゃない。調べる場所と言ったら……。

 

 「とりあえず、彼のお部屋を調べてみるのはいかがでしょう?」

 

 庵野君の提案に、私と長島さんは特に反対することもなく、そのまま三人で寄宿舎へ向かった。もしかしたら隣を歩いている人が尾田君を殺した張本人かもしれないのに、私たちはなんとなく緊張感が薄いまま行動していた。もはやこの危険と隣り合わせの環境に慣れてしまったのか、怯えてても仕方ないという考えが体の芯まで染み付いてしまったからなのか。

 死んでしまった人の個室の鍵は、モノクマが解錠して捜査できるようにしていた。他の人の部屋は湖藤君の部屋以外はあんまり入ったことがない。個室は、湖藤君の部屋以外はどの部屋も同じ扉で、見た目の違いはドアにかけられたネームプレートくらいしかない。そこに尾田君の名前がかけられているだけで少しだけ緊張したけれど、あまり時間もないから私は気持ちを整えてからドアノブを捻った。

 

 「……ふーん?これが劉劉(リュウリュウ)の部屋カ」

 「長島さん、あまりじろじろ見ては尾田君に失礼ですよ」

 「これから部屋中ひっくり返して手掛かり探すのに、見るだけで失礼になんてなるわけないネ」

 「それもそうですね」

 「簡単に納得しちゃった……まあ、いいか。とにかく時間がないから、手分けして捜査しよう。私は机とベッド周りとシャワールームを調べるよ」

 「そういうところは女性よりも男性の手前がした方がいいのでは?」

 「いーや!宣宣(シェンシェン)はあっちの本棚とか物置を調べるヨロシ!っていうかそれ以外は許さないアル!」

 「なぜそこまで言われなければならないのですか」

 「本棚の上は宣宣(シェンシェン)じゃないと届かないし、ワタシたちか弱い女子に物置の捜査は文字通り荷が重いアル!」

 「うーん納得せざるを得ません!よろしいでしょう!」

 「時間ないって言ったよね?」

 

 真剣なのかふざけてるのか分からない長島さんは、それでも庵野君を一撃で説得してくれてスムーズに捜査を始められるようにしてくれた。感謝しておくべきなのかな?

 私がベッドやシャワールームを調べると言ったのは、たまたま近くにあったから以上の理由はない。言われてみれば男子の部屋なんだから男子が調べた方がいいと思ったけど、ホームでも似たようなことはしてきたし、なんというか、私の中で尾田君は男子って感じがしない。尾田君は尾田君っていう、そういう生き物って感じがする。我ながらひどい感覚だと思うけど。

 

 「うーん、やっぱりこれが気になるよね」

 

 手始めに私は、尾田君の机の上を調べた。これ見よがしに置いてある、年季の入った本が目につく。たくさんの付箋が貼り付けられているけど、事典や小難しい学術書なんかとは違うみたいだ。側にはシャーペンが置いてあって、つい昨日まで尾田君がこれを使っていたのだろうことを窺わせる。

 中を開いてみると、びっしりと細かい字が敷き詰められていた。走り書きのように崩れていて、それなのに角張ってそれぞれのスペースを明確に主張している。尾田君の性格がよく表れた字だ。日付ごとにしっかりと区切られた1ページの中に情報が詰まっていて、中を読み進めるほどに本自体が重くなっていくような気がした。

 

 「日記……?」

 

 ここに来てからの日付(正確な日付が分からないからか、ここに来てから1日目、2日目としている)がひとつ残らず記されていて、その日あったことや周囲の人間の様子、モノクマの発言や仕草の分析、コロシアイの真相につながる考察なんかが事細かに記載れていた。まるで尾田君の脳を覗いているようだ。余計な罵詈雑言を抜きにしているおかげで、尾田君の考えてることがとても理路整然と分かりやすくまとめられている。普段からこんな感じで話してくれればいいのに。

 そして付箋が貼ってある部分は、尾田君なりに重要なことを書いているところみたいだ。今はその全てに目を通す余裕はない。これはとても重要な手がかりになるはずだ。私はそれを大事に抱えた。

 

 「んー?なんアルカこれは?」

 「何か見つけましたか、長島さん」

 「これを見るヨロシ。劉劉(リュウリュウ)ったら、こんな怪しげなものを部屋に持ち込んでるヨ」

 

 長島さんが持ってきたのは、手のひらサイズのクリアケースだった。中には複雑な形状の凸凹に綺麗に収まった色々な工具が並んでいる。ケースにはシールが貼ってあって、『工具セット』と書いてあった。

 

 「こんなものどこから持ってきたカ!怪しい!実に怪しいアル!」

 「大変申し上げにくいのですが、長島さん、これは男子なら誰の部屋にもあるものです」

 「そうなんカ!?」

 「女性の方なら、お部屋に裁縫セットがありませんでしたか?これと似たような造りになっているものです」

 「そんなのあったカ?私知らないヨ」

 「あったよ。長島さん、机の引き出しとか見ないの?」

 「使ったことないから見ないアル。お金が入ってるならまだしも、裁縫なんてワタシの柄じゃないネ」

 「男子なら工具セット、女子なら裁縫セットが各部屋に備え付けられているのです。モノクマの計らいですね。その意図は……推して知るべしかと」

 「つまり、これは劉劉(リュウリュウ)が特別怪しい何かをしていたって証拠にはならないってことネ。つまんねーの」

 

 そう言う長島さんの手に収まった工具セットは、シールの封が切られていた。つまり、尾田君が何かしらの目的で工具セットを開いたっていうことだ。一体何を?尾田君なら部屋でこっそり何か工作をしていてもおかしくない。きっと小学生が夏休みの宿題でやるような、微笑ましいものではないだろう。覚えておいた方がいいかも知れない。

 

 「宣宣(シェンシェン)は何か見つけたカ」

 「特に何も。本棚には、外国語の本や世界地図や過去の新聞記事のスクラップなどがありました。どうやら尾田君は世界情勢に強く興味を持っていたようですね」

 「密偵なら、そういうものなんじゃないかな」

 「いいや、劉劉(シェンシェン)の本当の“才能”は密偵じゃないネ。ここにいる二人にはもう言ったけど、劉劉(リュウリュウ)は“才能”を偽ってたヨ」

 「でも、もう今となっては重要なことじゃないんじゃないかな」

 「ふむ……いちおう、念頭に入れておくべきでしょう」

 

 眺めるだけでも、尾田君の部屋の本棚はカラフルな背表紙が並んでいて、漢字やひらがなの隣に見たこともない文字が並んでいるような、国際色豊かな本棚だった。これが尾田君の本当の“才能”に関係あるんだろうか。よく見ると、部屋には世界地図が貼ってあったり、地球儀が置いてあったり、やたらとグローバルさを強調している雰囲気がある。かと思えば、いくつものモニターが並んだゲーミングコーナーみたいなところもある。これも尾田君なりのミスリードなんだろうか。

 

 「さて、まだ時間はありますが、部屋の捜査は終わりましたね。お二人はどうなさるおつもりですか?」

 「そろそろ香香(シャンシャン)の検分が終わるころネ。大事な情報はそっちにあるはずヨ。劉劉(リュウリュウ)のことだからあちこち寄って余計な手掛かりを残したりはしないだろうから、ワタシは現場に戻るネ」

 「甲斐さんは?」

 「私は……うん、私もそうしようかな。まだ行きたいところや気になるところもないし」

 「そうですか。では、手前は少し別行動をとることにします」

 「どこ行くカ?」

 「地下の倉庫です。あそこは物が多いので、犯人が何か決定的な証拠を隠すならあそこが手頃かと思いまして」

 「じゃあ、私も後でそっちに行くね。ひとりになっちゃうけど、気をつけて」

 「ええ。お二人も、お気をつけて」

 

 尾田君の部屋の前で、私と長島さんは現場の方へ、庵野君は地下室へと向かった。今この建物の中にいるのは私たちだけだから、庵野君ならひとりでも大丈夫だろう。

 

 「ねえ奉奉(フェンフェン)

 「な、なに?」

 「もし宣宣(シェンシェン)が犯人で、証拠隠滅をしようとしてたらどうなると思うカ?」

 「え!?な、なに言ってるの長島さん!?」

 「可能性は0じゃないアル。ワタシたちの誰も、犯人じゃないってまだ証明されてないアル」

 「じゃ、じゃあどうするの?」

 「宣宣(シェンシェン)をちょっとつけてみようと思うネ。倉庫で何か怪しい動きをしてないか、こっそり陰から見張るヨ」

 「ええ……そんなことしてる場合かな?自由に動けるのは3人しかいないのに、そのうちひとりをひとりが見張ってたら、実質ひとり減ることになるんじゃ……」

 「でも、もし宣宣(シェンシェン)宣宣が犯人じゃなかったら確実に信じられる人が増えることになるヨ。それは大きい手掛かりじゃないカ?」

 「うぅん……なんだかここにきてますます綱渡りみたいなことするよね、長島さん」

 「ワタシは少しでも確実に信じられる手掛かりが欲しいアル。じゃ、奉奉(フェンフェン)は頑張ってネ!」

 「あっ」

 

 なんだか楽しそうに、長島さんは今来た道を引き返して、庵野君の後を追って行った。そりゃ庵野君が倉庫で真面目に捜査してるところを見れば信じられるけど……そういうのを抜きにして今までやってきたんじゃないの?ギリギリだったときもあったけど、それでも私たちの推理能力は多少なりとも信じられるものだって、思ったんだけど……。やっぱり、湖藤君も尾田君も一気にいなくなったのは大きいのかな。

 長島さんを追いかける時間もないし、私は予定通り、事件現場に戻ることにした。二人いるとはいえ、王村さんと毛利さんのことも気がかりだ。ずっと尾田君の死体のすぐそばにいて、心が参ってしまっていないか。

 

 「戻ったか、甲斐。あとの二人はどうした?」

 「庵野君は地下の倉庫を調べに行って、長島さんはその庵野君を見張りに行った」

 「なにやってんだあいつ」

 「庵野君が犯人だったら、ひとりにして証拠隠滅されちゃうからって」

 「この人数でそんなこと気にしてたら何にもできなくなるぜ。そう言って甲斐のことはひとりにしてんだから、世話ねェや。それとも、よっぽど信頼されてんのかな」

 「と言うより、危険が少ないと思われているのだろう。さて、検分は終わった。やはりモノクマファイルに書いてあることはおおむね正しい。ただ、死亡推定時刻が書いてないのは気になるな。今までのことを考えれば、これは大きなヒントになる可能性がある」

 「さすがだね、毛利さん。ありがとう。王村さんも、お疲れ様」

 「へへっ、おいらだってやるときゃやるんだよ」

 

 手際よく、顔色ひとつ変えず、それでも声には疲れの気配を感じさせて、毛利さんが簡潔に報告した。モノクマファイルはいつだって正しい。正しいけれど、必要十分とは言えない。尾田君がいつ殺害されたか、それがこの事件の真相につながるのなら、それに関する手掛かりを集めるべきだ。

 

 「死因となったと思われる深い傷の隣に、比較的浅い傷があった。どうやら尾田は二度刺されたらしい」

 「尾田は二度刺される!?っていうか傷の深さなんてどうやって調べたんだよ!?」

 「……皆まで聞くな」

 「うげェ」

 

 毛利さんが、真っ赤に染まった手袋の指を立てた。まともな捜査道具のないこの場所では、こういう覚悟も必要なんだ。そういう意味で、毛利さんが自分からすすんで検分を申し出てくれるのはとてもありがたい。

 

 「ちなみに、二人は尾田君と最後に会ったのはいつ?」

 「昨日、食堂を去った後にも何度か見かけた。今日はモノクマとの最終裁判のつもりでいたから、改めて学園中を歩き回って手掛かりを集めていたんだが、図書室やホームセンターで見かけた。特におかしな様子があったわけではないから、声もかけていないが」

 「おいらは食堂で見たっきりだな。ついでに言うと、あいつァ晩飯のときも食堂には来てねェぜ。おいらァ最終裁判がおっかなくてずっと酒に逃げてたんだ」

 「またそんなことして」

 「でもおかげで分かることもあったぜ。昨日の晩、食堂には誰も来てねェ」

 「はあ。でもそれって、王村さんのアリバイを証言してくれる人は誰もいないってことだよね?」

 「んまァ、そうなるけど……そんなんみんなだろ!」

 「確かに、人数が少ない上に、おそらく尾田が殺されたのは夜中だ。犯行時刻近辺のアリバイは誰もないだろう」

 

 モノクマファイルに書いてないから早合点は禁物だけど、毛利さん曰く、尾田君の死体の状態からして、死後数時間が経過しているらしい。毛利さんの証言を信じるなら、尾田君が殺害されたのは夜10時以降だ。私たちがここに集まったのが朝5時過ぎだから、遅くとも深夜2時までには殺害されていることになる。そんな時間にアリバイを証明できる人なんているはずがない。

 

 「私も部屋で寝てたからなあ……」

 「アリバイ方面から犯人を絞るのは難しそうだ。それより、検分の中で気になったことがあるから、ここで共有しておきたい」

 「おっ、なんだなんだ」

 

 毛利さんが尾田君のそばにしゃがむ。体から流れ出た血は固まって、毛利さんのエプロンにべったりとしたシミを作っている。投げ出された尾田君の手を取ると、血が染みてガビガビになったジャージをまくった。その手首にはたくさんの傷がついている。思わずぎょっとした。その傷の意味を安易に推察してしまった。

 

 「こ、これは……?」

 「何か細いもので引っ掻いたような傷だ。勘違いしやすいから言っておくが切り傷ではないぞ。擦過傷というやつだな」

 「サッカショー?ペンだこかなんかか?」

 「物に強く擦りつけられたことで付く傷だ。それがいくつもついている。よほど強い力で、何度も引っ張られたのだろう」

 「びっくりした……。尾田君、病んでたのかと思っちゃった」

 「病むようなやつかよ」

 

 「人の心の中までは分からない。確かに尾田のイメージにはないが、見せている部分がその人間の全てじゃないだろう。動物だってそうだ。意図的に隠していることなんて誰にでもある」

 「そういうもんかねェ。でもどっちにしろ、そういう傷じゃねェんだろ?」

 「そうだな。この傷は手首を一周するようについている。ただ、一箇所だけ縦についている傷がある。これは形状や深さからして刃物でつけられたものだ」

 「一つだけ刃物の傷?」

 

 手首をよく見ると、確かに毛利さんの言う通りの傷がついていた。いったいこれが何を意味するのか、その答えをここで出すことはできない。でも、場所といいこの傷といい、尾田君はただここで刺されて殺されたわけじゃないってことだ。だけど尾田君の服に争った跡はない。っていうことは、この傷は尾田君が殺された後につけられたもの?どうしてそんなものが?

 

 「私と王村はここでもう少し尾田の体や周辺のことを調べてみる。甲斐は、倉庫に行った庵野と長島の様子を見てきてくれないか?全体の情報を持つ人間がひとりいた方がいい」

 「それって私でいいの?」

 「お前は私たちのリーダーだろう。全員がお前のことを信頼している。お前の他には任せられない」

 「おいおい……そうやって期待を乗っけすぎると宿楽みてェになるぜ。っと、わりィな甲斐。あんま聞きたくねェ名前を言っちまったかもしれねェな」

 「ううん。ありがとう。それに、毛利さんの言ってることも分かるよ。そういえば、私はリーダーだったっけ」

 

 すっかり自分でも忘れていたことを毛利さんに思い出させられた。王村さんも気を遣ってくれた。風海ちゃんのことを忘れたことなんてない。名前なんて自分の中で何度も復唱してる。今さら人からその名前を聞いたところで、なんていうことはない。

 

 「それじゃ、私は向こうに行ってくるよ。何か分かったら後で教えてね」

 「もちろんだ。念の為、気を付けろよ」

 「うん」

 

 毛利さんと王村さんに教えてもらったことをしっかり頭に入れて、私は尾田君の体に手を合わせてからその場を離れた。思い込みは禁物だけど、いくつか分かることやヒントはあったと思う。

 


 

 短い捜査時間の間に学園の一番上と一番下を行ったり来たりして、だんだん足が疲れてきた。思えば、長島さんが自分から庵野君の監視を申し出たのも、毛利さんが私に地下室の様子を見に行かせたのも、これが大変だからなのかも知れない。いや、信頼して任せてくれた二人にそんなことを思ったら申し訳ない。少なくとも毛利さんはそんなことを考える人じゃない。私は、そんなせせこましい考えを振り払うように頭を振った。

 地下室に来るのはずいぶん久し振りな気がする。最後に来たのはいつだっただろう。もしかしたら、月浦君の策略で菊島君と谷倉さんが殺害されたとき以来かも知れない。そんなことを思い出すと、階段を一段下りるごとにあのときの水の音がリフレインするようで、気持ちまで一緒に落ち込んでいくような気がする。

 

 「無理しちゃダメだよ奉ちゃん。こんなところで心が壊れてたらお話にならないんだから」

 「そうそう。気持ちを強く持って。時間は過去に戻らない。あの水も谷倉さんたちの死体も、今はもうないんだ。だから大丈夫だよ」

 「ちょっと!励まし方のベクトル合わせてよ!私が止めようとしてんだから湖藤さんも引き止める方のこと言って!」

 「庵野君と長島さんを放ってはおけないからね。それに、そもそもぼくたちの声が聞こえてる時点で、甲斐さんは甲斐さんなりに心を守ろうとしてるんだよ。だからぼくたちが何か言う必要はないの」

 「それもそうか……ううん、しっかりめに論破されてしまった」

 「奉奉(フェンフェン)?なにブツブツ言ってるカ?」

 「はっ」

 

 耳に突然飛び込んできた長島さんの高い声で我に返った。曖昧だった自分の存在が、その声をきっかけにはっきりと実体を持ったような感じだ。高いところから天井も床もすり抜けてここに着地したような感じだ。

 

 「またひとりでアッチの世界行ってたヨ。まだ廃人になられちゃ困るアル。しっかりするヨロシ」

 「う、うん……ごめんね」

 「やっぱり最上階と最下階の往復はキツかったカ……面倒くさがった代償は高いアル」

 

 どうも私は、長島さんを買い被っていたみたいだ。さっきの反省を返してほしい。

 

 「お二人とも、こんなところで何を?毛利さんのお話を聞きに行かれたのでは?」

 「ぎょっ!?宣宣(シェンシェン)!?」

 「ああ。いま聞いてきたところだから、こっちの様子を見にきたんだよ」

 「そうでしたか」

 「ど、どこから聞いてたカ!?いつの間に!?」

 「別に聞かれて困る話なんてしてないのに……こんな状況でそんな怪しまれそうなこと言わないでよ」

 「聞いておりましたよ。長島さんが横着して甲斐さんに階段を往復させたというところから」

 「ギエーーーッ!!」

 

 あ、長島さん今、敢えてやってるな。そう感じられるくらいには長島さんの“癖”が分かってきた。長島さんは嘘を吐くときや隠し事をしようとするとき、大袈裟に話したり露骨に怪しい行動をとったりする。で、この後。

 

 「まあ冗談は置いといて、宣宣(シェンシェン)、何か見つかったカ」

 「ええ。大きな手がかりが見つかりました」

 

 こうやって急に冷静になって相手のペースを乱す。こうやって有耶無耶にしてるんだ。そう思って見てみると、なんと子供っぽい手口なことか。それをいつも冷静でシビアな長島さんがやるから、有耶無耶にされてしまうんだろうけど。今のは、長島さんが庵野君を疑っていることを隠したかったからやったんだ。疑っていることを隠したまま疑いたいってことは、長島さんの中で庵野君はかなりクロに近いってことなのかな?

 

 「甲斐さん?」

 

 そんな庵野君に声をかけられた。倉庫の中で大きな手がかりを見つけたという。なんだろう。このまま入って大丈夫だろうか。二人いるとはいえ、庵野君は体も大きいし力も強い。こんな人の来ないところで襲われたら……って、長島さんに引っ張られて良くないことを考えてしまっていた。つくづく私は人に影響されやすい。今はとにかく、多少の危険を冒しても手がかりが欲しい。私は庵野君に促されるまま、地下倉庫に足を踏み入れた。

 薄暗くて埃っぽくて、空気がこもっているせいでどことなく生ぬるい気がして、とても居心地が悪い。微かな物音が壁や天井に反響して、あちこちから同じような音が聞こえて、暗闇の中に自分の動きを真似する妖怪でもいるような気になってくる。モノカラーの懐中電灯機能で照らした範囲に長島さんや庵野君が見切れると、一瞬どきっとしてしまうくらいだ。

 

 「足元にお気をつけて。そして、少し気をしっかりお持ちください。いささかショッキングなものなので」

 「いまさらショッキングもへったくれもないネ!いいから早く教えるヨロシ!」

 「では……正面です。あれが何か、分かるでしょうか」

 「……?……あっ」

 

 モノカラーで照らした先には、金属ラックの隙間に押し込められるように積み上げられた段ボールの山があった。その麓には、バランスを崩して落っこちてきたのだろう、あちこちが潰れた段ボールが中身をぶちまけて横たわっていた。その中に、まるで周りにあるものと一緒にそこへぶち撒けられたみたいに、それはあった。

 長く、長く、鋭く伸びた金属の槍。その先端には、これでもかとばかりにべったりと血が付着していた。それは冷たい床の上に転がっていて、無造作に投げ捨てられたように存在していた。

 

 「こ、これは……!?」

 「投槍ですね」

 「確かに、整理がいい加減アル。これじゃ道具がかわいそうヨ」

 「いや、整理の仕方のことではなくてですね。シチュエーションからして分かるでしょう。分かってください」

 「ショッキング過ぎたから空気を読んでジョークで和まそうとしただけアル」

 「我々とは違う空気を読んでおられる」

 「この血……もしかして、これが尾田君を刺した凶器ってことなのかな?」

 「おそらく。現場から離れた場所に打ち棄てられているのも、発見を困難にさせるためかと」

 「だったら焼却炉で処分しないカ?ずいぶんと投げやりネ。いまのはいい加減って意味の方で、道具の方の意味じゃないアル」

 「分かります分かります」

 「宣宣(シェンシェン)の受け答えも投げやりになってきたネ」

 「長島さん、ちょっとお静かに」

 

 庵野君、大変だなあ。

 でもこの槍、なんだかおかしいような……。

 

 「やっぱり怪しいのは、毎晩のように校則違反してた誰かアル。きっと真夜中にあちこち歩き回って、この槍を見つけてたヨ。槍投げ用の槍なんてしっかり探さなきゃ見つからないアル」

 「ふむ……確かに、あれが数日続いての事件ですからね。何らか関係があることでしょう。昨日もあの校則違反はあったのでしょうか?」

 「さあ。私、いつの間にか寝落ちてたからあんまり覚えてない」

 「ワタシも寝てたアル」

 「すっかりあの爆音の中でも寝ていられるようになってしまったみたいですね。斯く言う手前もですが」

 「うぅん……毛利さんか王村さんが何か知ってればいいんだけど」

 

 毛利さんと庵野君のおかげで手掛かりは増えた。私も尾田君の部屋で手掛かりになりそうなものは見つけた。だけど、そのどれを取っても事件の真相に繋がっているような気がしない。そもそも、私たちの中でこのタイミングで事件を起こすメリットがある人なんていない。

 外に出たいならモノクマと直接対決しなくちゃいけない。そのうえで、尾田君を失うのは大きな痛手だ。もしかしたら学級裁判に勝って外に出ることを考えたんだろうか。でも、それぞれから見た容疑者はたったの4人。こんなに隠れにくい中で勝負するくらいなら、尾田君の力を借りてモノクマと戦った方がまだ勝算がありそうだ。

 

 「考えるだけ無駄、ってことか……」

 「犯人の動機カ?無駄なことはやらないに限るアル。人が人を殺す理由なんて、その人にしか分からないネ。遼遼(リャオリャオ)法法(ファーファー)の考えなんか分かりようもなかったヨ」

 

 それは諦めか、それとも割り切ってるのか、長島さんがあっけらかんと言う。それを聞いて頃合いを計ったように、モノクマのアナウンスが響いた。

 

 『一寸先は闇とはよく言ったもので、こんな事態になるなんてボクにも全く想像がつかなかったよ。まさか6度目の学級裁判を迎えてしまうなんてね。こんなことは前代未聞、じゃないのかもね、もしかしたら。少なくともボクにとっては初めての経験だ。さあ、オマエラにとってはかなり苦しい展開だと思う。負ければもちろんクロ以外全滅、勝ってもさらに人数を減らした上でボクとの対決。オマエラが選べるのはまだマシな地獄を選ぶことだけ!進む先——行くも戻るも地獄だぞ、っつってね!』

 

 いつものアナウンスと違って、モノクマの声色からは楽しさが伺えなかった。コロシアイが起きたことを喜んで、死者を侮辱して、私たちを嘲笑って、この後に待ち受ける悲劇を期待する、そんな底意地の悪さを感じなかった。ただただ、事務的だった。まるでこの裁判には意味がないと言わんばかりに。

 自分との学級裁判を邪魔されたことがそんなに不服だったのだろうか。モノクマはよっぽど、尾田君を含めた私たちと対決したかったということだろうか。それとも、他に何か……学級裁判さえも退屈に感じてしまうほどの心変わりがあったのだろうか。

 

 「行きましょう、甲斐さん」

 「あっ……うん」

 

 考えるのは後だ。今は学級裁判に向けた心構えをしておかなければいけない。命を懸けた場に臨まざるを得ない理不尽、仲間を疑わないといけない理不尽、そんなものに立ち向かう理不尽……。

 

 「理不尽に飲み込まれちゃいけないよ。理不尽に勝てるのは徹底的な“理”だけだ」

 

 頭の中で湖藤君の声が聞こえた。やってやる、徹底的に。誰も信じちゃいけないし、誰も信じないままじゃいけない。そんな理不尽な学級裁判を、生き抜いてやる。




自分で何を書いてるかよく分からなくなってきた。


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