東方修羅道 (おんせんまんじう)
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第一章 古代都市編
第一話 目醒め、そして不幸


ゆっくりみていくのぜ。


「———ぁあ?」

 

 ———ピクリ。

 

 朧げに、それでいて確かな自然が、大の字で眠る男に目醒めの時を知らせた。

 視覚を除いた五感が知らせるのは、僅かな鳥の嘶き、肌を撫でるひんやりとした風、甘い草の匂い。

 

 そこは春風が靡く空の下、鬱蒼とした森の中。

 

「…眠ぃ」

 

 ———"俺''は目を覚ました。

 

 その髪は肩に届かないほどには切り揃えられており、艶質が悪いとも良いとも言えない髪が太陽の光を反射し、くぐもった灰色の目は、気怠そうに辺りを見回している。

 

 紛う事なき、青空。

 蒼いキャンバスに白の斑点が横行している。

 

 しかし寝っ転がった状態な物だから、背中が草に刺されてチクチクする。

 仕方無く俺は起き上がり、呟いた。

 目が覚めてからずっと考えていた疑問を、だ。

 

「ここはどこだ…?俺…は誰だ…?」

 

 可笑しな話だ。

 しかし、妙に頭が混濁し、過去を考えられないのもまた事実。

 

 必死に頭を捻って考えても、何も出て来ない。

 しかし、そんな自分でも分かる事はあった。

 

「俺は…人間…そう、人間の筈だ…!ああクソ…何も思い出せねぇ…」

 

 思い出せるのは、自身が人間であること、そして、人間が生きるために必要な事や、社会における常識だけ。

 要するに、俺の我が身に取り巻く環境や、名前等々がすっぽり抜け落ちてしまったと言うわけだ。

 

 苦々しい顔で、俺は他に何も思い出せないことや、何故こんなことになったのか見当も付かないことに苛立ちながら、辺りを見回した。

 しかし、周囲には地中から充分に栄養を吸い取った瑞々しい木々が連立しているだけ。

 

「ハハ…笑うしかねぇな、こりゃ」

 

 余りにどうしようも無く、乾いた笑いが漏れ出た。

 

 しかし笑っている場合でも無い。

 何もしなければ、空腹になり、脱水症状を起こし、飢え死にすることは自明の理である。

 

 何故?

 何故俺がこんな目に遭ってる?

 

「クソ!」

 

 沸々と、理不尽に対する怒りが身を覆っていく。

 悪態を吐いてもそれが収まることは無かった。

 

 思わず眉が吊り上がり、発散の為からか、俺は近くの木を思い切り殴りつけた。

 

 乾いた打撃音が、森に響く。

 

「クソが…痛ぇ…!!」

 

 しかし、当然、何も鍛えていない拳には激痛が走り、僅かに血が滲む。

 アホらしい。

 側から見れば、滑稽以外の何者でもないだろう。

 

 チッ、と鋭い舌打ちが森に響いた。

 

「何やってんだ…俺…」

 

 無駄な行動に呆れ、自分に対して独り言ちる。

 しかし、明らかな痛覚を体感したためか、ただ頭を冷やしただけか、俺の頭は多少クリアになっていた。

 

 ———さて、どうするか。

 

(…よし、まずは衣食住の“食"だな)

 

 当然ながら俺は真っ裸ではない、黒を主調とした、長袖長ズボンである。

 よって衣食住の考えからして、"食"と"住“が必要だ。

 俺は食べ物に関しては虫でも爬虫類でも何でもいける口なので、あまり食材に関しては心配ない。

 最悪草でも食ってりゃ何とかなる。

 

 しかし、問題は水だ。

 水は川や雨でもない限りよっぽど手に入らない。

 次に住処、これも充分問題だが、獣に襲われない限りは大丈夫だろう。

 

 それも木の上で寝れば済む話と楽観視し、俺は水を探すため歩き始めた。

 

◆◆

 

「ぜぇ…ぜぇ…まだか…?」

 

 草、草、草。

 まだ青い木々は深く続いている。

 

 俺はもう数時間歩いていた。

 足取りが重くなり始め、喉もカラカラだ、数時間前こんな決断をした俺自身に文句を言ってやりたい。

 

 空もオレンジ色に染まり始め、西から焼き尽くすかのような太陽の光が差し込んでいた。

 俗に言う黄昏時であり。

 ———逢魔時とも呼ばれる、不吉な時間帯でもある。

 

 そんなことを思った矢先、サラサラと川のせせらぎのような音が聞こえた。

 

「やっとか…っ!」

 

 間違い無い、近くに川がある。

 

 俺は数時間前の素晴らしい決断をした自分に感謝を示し、音の聞こえた方向に走った。

 疲労で少し足がもつれるが、それでも草を踏み締め、川の元へ向かった。

 

「なっ…!?」

 

 しかし、木を抜け、清流をお目にかかろうとしたその瞬間。

 

 灰狼のような動物が三匹、水をぴちゃぴちゃと飲んでいた。

 俗に言うハイイロオオカミのような動物であり、ギラギラした瞳が光っている。

 

 そのうちの一頭が声に反応し、怪訝そうにこちらを見るが、咄嗟に木陰に隠れたお陰で気づかなかったようだ。

 

(んだよイヌッコロが…)

 

 心の中で悪態を吐き、状況を打開するため、息を潜め、考える。

 

(今行けば確実に襲われる、だったらイヌッコロどもが去るのを待つしかない…幸いにもここは風下だ、嗅覚でバレることもない…か?)

 

 野生動物三匹と、たかが人間、どちらが勝つかは明白だろう。

 まぁ、ここで息を潜めておけばそのうち去る筈だ。

 

 そうやって俺は少しひび割れ、老齢だろう木の裏で、座り込み、静かにその時を待った。

 

 ———ふと、俺は誰かに見られているような感覚に陥った。

 

 早まる心臓のビート、言葉に言い表せない焦燥、心のどこかで打たれる警鐘。

 汗が顔を濡らし、カラカラな筈の喉が更に渇いていく。

 

 蛇に睨まれた蛙、それが今の心情にぴったりのセリフだった。

 

「…っ」

 

 根拠の無い戦慄に襲われながらも、俺は恐る恐る狼どもの方を見た。

 

 ———頭数が、一つ足りない。

 三匹から二匹に減っているではないか。

 汗を垂らしながらも口がニヤリと裂け、イヌッコロが減っていることを喜ぶ前に、疑問が生じた。

 

(犬とか狼ってのは群れているのが普通じゃねぇのか?ましてや、ついさっきまで群れていた奴が、急に単独行動なんて…)

 

 嫌な予感が膨れ上がる。

 恐怖心が滲み出る。

 

(まさか、最初から気づいていたのか?あいつは囮?狼が?)

 

 瞬間、二匹の灰狼ががこちらを見て、口端を薄く伸ばし、目を細める。

 それは———嗤い。

 

 すぐさま木陰に身を潜めるが、あの仕草を見て確信した。

 

(———気づいていやがる…!?)

 

 しかし獣が人間と同じように罠を作り、冷笑する。

 おかしい、知性がありすぎる。

 

 獣とは元来本能で行動する生物の筈だ。

 アレらは…その枠組みから外れ過ぎている。

 

(「アレら」は一体何なんだ?)

 

 未知の生物に恐怖し、体がすくむ。

 逃げなければいけないはずだが、足が動かない。

 情けない話だ。

 

 取り敢えず、恐る恐る二匹の灰狼が居た場所にまた目をやるが、幻が掻き消えたようにそこには何も居なかった。

 また、幾分かの恐怖に襲われる。

 清水のせせらぎがある物の、足音が一切聞き取れなかったのだ。

 

(奴ら一体どこに———)

 

 ———カサリ。

 それは、草木の僅かな揺れ。

 

 汗がブワリと噴き出し、急いで音の方向に振り向いた時には。

 

 ———目の前に、口腔と歪に並んだ歯が映った。

 

 どうやって音も無く…と考える前に、反射的に頭を横にずらす。

 そのおかげか、獣の牙は俺の背後にあった枯れ木のような樹を噛み砕いただけに終わった。

 その一撃で仕留められなかったからか、不満そうに狼が低く唸り、木をバリバリと噛みちぎって吐き捨てる。

 

 ———危なかった。

 避けなければ今頃トマトヘッドがぐちゃりだっただろう。

 

(クッソ…なんだ!?どうなってる!?)

 

 かなり混乱しているが、目を動かし、現状を把握する。

 

 まず目の前に一匹、囲い込む様に背後から二匹。

 つまり…三方向を囲まれている、そして噛み付きを避けないと、死、あるのみ。

 

 ふと、ある事に気付いた。

 先は生存本能のままに回避したため、狼の姿をよく見ていなかったが、狼達の姿が。

 

(姿が…違う…!?)

 

 いつの間にか狼どもの姿も変わっており、血を連想する真っ赤な目、灰から夜を連想する真っ暗な体毛に変わっていた。

 そんな死神達は歯を剥き出しにし、低く唸っている。

 軽く言って絶望だ。

 逃げられない、何だこの()()()どもは。

 

 狼———いや、化け物どもはニヤニヤとした表情でジリジリと近寄ってくる。

 ———不味い、どうしたらいい。

 

 俺は、どうにかできないかと思案していたが、結局答えとして弾き出したのは"どうする事も出来ない"と言う事だけ。

 遂に一匹が我慢できないといった表情で、飛び付き、俺の頭を齧り取ろうとする。

 

(やばいやばいやばい!!どうする俺!?)

 

 何もしなければ死ぬ、と言う状況で、世界がスローモーションに見えた。

 もしかしたらそれは、神が俺に与えた最後の余韻なのかも知れない。

 

 歪な歯並びをした口腔が眼窩に近づく。

 さっきまで水を飲んでいたとは思えないぐらい血がこびり付いていて、臓物の臭いが微かに感じ取れる。

 

 化け物の鋭い牙が鼻先まで迫ったところで、辛うじて俺の右腕で防御に出ることが出来た。

 しかしそれは、頭の代わりに右腕が噛み砕かれると言うことで。

 

「あがぁぁあああ"あ"あ"!!!」

 

 ガブリ。

 

 辺りに鮮血が飛び交い、濃い血の匂いが充満する。

 奴らが心なしか喜んでいるように見えた。

 

 現に今俺に噛み付いている狼も、うっとりと血潮を堪能していた。

 ———腹が立つ。

 

「こんのクソ犬がぁッ!!」

 

 目の前の化け物にどうしようも無く腹が立った俺は、雄叫びを上げて痛みを食い縛り、化け物を外そうと———目に左指を突き刺した。

 グチャグチャと掻き回し、目の中の神経を引き千切る嫌な感触を味わう。

 

「ぐルルアアァァ!?!?」

 

 化け物がやっと声らしい声を上げたなと思うと同時に、右腕と背中に激痛が走った。

 右腕は化け物が咬合力を強めたことだろうと推測できるが、背中は?

 

「……ッ!?」

 

 声にならない声をあげて後ろを見る。

 そう、化け物は三匹いる。

 仲間が反撃を受けたのだから、化け物が俺に攻撃を加えることは当たり前のことだった。

 背中を切り裂かれたことで、深い三本筋の血線が浮き出る。

 

「クソがぁぁぁあああ!!」

 

 俺は怒号を上げ、後ろの化け物を蹴り飛ばし、右腕に引っ付いていた化け物を右腕ごと床に叩き付け、口を離した瞬間、踵落としを繰り出そうとした。

 化け物を叩きつける際に、血が噴き出し、右腕がブチブチと壊れ、激痛を訴えるが、頭に溢れるアドレナリンのおかげで余り気にはならない。

 

 怯んだソイツの片方の目が合うが、振り上げた足を戻す気にはなれない。

 

「らァッ!!」

 

 骨を叩き折る音が響き、そいつがどうなったか確認する前に後ろに振り向いた。

 

 ———目線の上には鋭利な爪を振り上げた狼が、下には口腔を開けた狼が迫っていた。

 どうやら俺が真下の化け物と戯れている最中に近づいて来たらしい。

 

「チィッ!!」

 

 飛びついてきた一体は横に飛びかかることで回避。

 しかし走ってくるもう一体の化け物には柔軟に対応され、転がった隙を突いて俺を噛み千切ろうと目の前に迫っていた。

 

 それを最早肉と肉で繋がっているような右腕で防御するが、突撃した勢いもあって俺は化け物に押し倒されてしまった。

 鋭い牙が貫通した腕からは肉と骨をミックスされた様な激痛。

 オマケと言わんばかりに胸も切り裂かれた。

 

「オオオォォ“ォ"ォ"!!!」

 

 痛みを紛らすように雄叫びを上げ、感覚も無くなってきた右腕を捩り、怯んだ化け物の背後を取り、左腕を化け物の首に回した。

 

 もう一体の化け物は体勢を立て直し、俺に襲い掛かろうとして来たが、俺が化け物を人質代わりの盾とすることで、動きを止めた。

 どうやら躊躇しているようだ。

 

「…はぁ…はぁ…化け物にも仲間意識は…あるんだな…はぁ…」 

 

 まるで人間のような行動に少しばかり感心する。

 

 数秒の間の膠着状態。

 

 しかし、腕の中で抑えつけていた化け物が暴れ出した事でその空間はまた戦場の空気へと戻った。

 

(腕が…抑えられねぇ…!!)

 

 そう感じた俺は、鄒俊どうするか悩んだ。

 だが———俺は今、この化け物の首を掴んでいる。

 

 だったらやる事は一つ。

 

(コイツの首…叩き折ってやる…ッ!!)

 

 首を折って、ぶっ殺してやる。

 そう決意して化け物に回した腕の力を強めて行く。

 しかし、片腕が使えないため、力が足りない…なんてことは無かった。

 

 このチャンスを逃したら、絶対に殺せないと悟った俺は火事場の馬鹿力を発揮し、ゴキリ、という音と共に化け物の首を180°回転させてやったのだ。

 

「へへ…どうだイヌッコロ…ざまあねぇ…」

 

 ここまで起死回生したことに気分が高揚する。

 最後の一匹となった化け物は、仲間を殺されたこと、たかが獲物にここまでされたこと、不意打ちをしたのに仕留めきれなかったことに、正に憤怒の形相を浮かべていた。

 そして、冷静さを失った化け物は、雄叫びと共に、闇雲に俺に突進した。

 

 避けなければ。

 しかし。

 

(体が、動かな)

 

 無常な事に、疲れが蓄積した体をまともに動かす事は叶わず、突進に直撃してしまった。

 ダンプカーに吹っ飛ばされたかの様に宙を舞い、川へ投げ出されてしまう。

 

 幸い、水がクッションとなり、衝撃は少なかったが、肋骨が折れ、意識は既に遠くなり始めていた。

 最後の化け物が近づいてくる。

 血が川に流れていく。

 濃縮された血の臭いが辺りに広がっていく。

 絶体絶命、しかし、何故だか気分は高揚し、思わず顔がにやける。

 

(俺は気でも狂ったのかね…)

 

 そんな疑問が出る程度には、心に余裕ができていた。

 悠々と歩く化け物を睨み付け、()()()を考える。

 いつに無く思考と感覚が冴え渡る。

 体はとっくに徒歩の疲労と血の流しすぎで、限界を迎えているはずだが、まだ動けるような気がする。

 

「…どうした、イヌッコロ…ほら、かかって来いよ…」

 

 俺は身体中の激痛を無視し、化け物を煽ってみせる。

 

「グルるるルるル…」

 

 化け物は瞳孔の開いた目で、俺を見た。

 おのれ、同胞を殺した餌風情が…そんなセリフが実際に浮かんでくるようだ。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

 化け物の一挙一動を観察し、攻撃に備える。

 

 ———しかし、ここでとんでもないアクシデントが起こった。

 空から徐々に大きくなっていく空気を裂くような轟音を耳にし、両者、首を空に向けると、青い空に赤い尾を引いた隕石が映り込んだのだ。

 更に、それはどうやらこちらへ飛んで来ているようではないか。

 

「———は、はあぁぁあああ!?!?」

「ぐるぁぁあああ!?!?」

 

 ついさっきまで殺し合いをしていた一人と一体は、同じリアクションを取ってしまう。

 化け物は明らかな命の危険にピューッと逃げ出し、俺は隕石に圧倒され動けずにいた。いや、そもそも負傷で動けなかった。

 何とか左腕で這いつくばりながら、木の裏に移動し、衝撃に備える。

 

(何でだよ!?水が飲みたかっただけなのに、何で死にそうになったり、隕石が降ってきたりすんだよ!?)

 

 俺は内心で大いに不満を抱いた。

 

 しかし、この隕石の衝突が俺に運命的な出会いを。

 永遠にも渡る戦いと幾重にも及ぶ出合いの歴史を紡ぐ第一歩になった事は、俺は知らなかった。

 




ご拝読、ありがとうなのぜ。


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第二話 シンビオート、ヴェノム

ゆっくりしていくのね!


 隕石が目の前に堕ちた。

 巨木を挟み、数メートル程距離があるにも関わらず、衝撃により、まるで目と鼻の先に落ちた様に感じる。

 

 押し寄せる熱気が肩と頬を焼き、熱を孕んだ爆風が吹き荒れ、視界の奥にある小さな木々は根本からへし折れていく。

 現に、今背にもたれ掛かっている巨木もギシギシと音を立てて軋んでおり、へし折れない事を祈るしか無かった。

 

 目を閉じて生存を祈っていた俺は、爆音が小さくなって行くのを感じ取り、恐る恐る目を開ける。

 ーーー嵐に遭ったかの様に葉が舞い散っていた。

 運良く俺が背にしているこの木は倒れなかったようだが、隕石による暴風を受け止めた面は、少し炭化しているようだった。

 

「はぁ…はぁ…チキショウ…」

 

 俺は少しぼやけた思考で悪態を吐いた。

 

 隕石がこちらに向かっていると目測はついていたのもの、まさか目の前に降ってくるなどと誰が思うものか。

 きっと前世では、大量の悪行でも積んでいたのだろうか。

 そんな思いが頭に浮かび、これまでの不幸の連続に思わず舌打ちする。

 

 ーーーその時である。

 

 べちゃり、べちゃ…と、何が溶けたような、気持ち悪い音が響いた。

 俺は熱で木でも融解したのか、と思いながら眠たくなってきた体を捻り、隕石のほうを向いた。

 

「……っ!?」

 

 絶句した。

 煙を燻らす隕石と共に、何だあれは、生物なのか、と疑問を呈する程に奇怪な姿をした()()が、そこにはあった。

 それはドロドロに溶けた黒いスライム、言い換えるならば、黒いアメーバと言えるものだ。

 多くの人ならば、生理的嫌悪感を抱くに充分すぎる見た目だ。

 しかし、俺は嫌悪感でも無く、はたまた、恐怖でも無く、ただ期待を抱いていた。

 

(何だ…あれ?…何であれを見ると…こんなに()()()()()…?)

 

 自身でも何故こんな感情が湧き出るのか、不思議であった。

 そう考えているうちに、黒いアメーバはべちゃりべちゃりと、こちらに移動している。

 

 もしかしたら、黒いアメーバに触れたら、何かしらの病気になるかも知れない、本当に為す術無く殺されるかも知れない。

 そんな想像は容易に出来るが、黒いアメーバに手を向けてしまう。

 

 理性は止めろ、止まれ、と命令してくる。

 本能はやってしまえ、強くなれる、お前ならば、と良く分からないことを囁く。

 

 俺は本能に従い、左腕を黒いアメーバに伸ばした。

 俺は傷が深い、どうせ一日後には死んでいるだろう、という思いから来た、半ば自暴自棄のようなものだった。

 

 黒いアメーバの触手のような物と俺の左指が触れる。

 触れるだけでは飽き足らず、指、腕、体と絡めとるように巻き付いていく。

 どこか心地よい感覚に身を委ね、黒いアメーバが顔に到達しようというところで、ある異変に気付いた。

 

(何だ…?痛みが治まっていく…)

 

 背中と胸の裂傷、肋骨の骨折、右腕の感覚までもが、戻って来ているように感じた。

 眠気も覚めてきた。

 今思えば、このまま眠っていたら死んでしまっていたのだろうと思う。

 

 体の中に何かが入ってくるような感覚がする。

 ここまでのことをするこの黒いアメーバは一体何者だろうか。

 そう思ったとき。

 

<俺は黒いアメーバなんかじゃねぇ!!俺はヴェノムだ!! >

 

 凶悪な声が頭に響いた。

 

「!?!?!?」

 

 俺は大いに驚愕し、辺りを見回すが、荒れた森林が視界広がるだけで声の主は見つからない。

 

< 間抜け!手を見てみろ! >

 

 混乱しながら右手を見ると、みるみるうちに手が黒く変色し、人間の頭部ぐらいの大きさになると、白く瞳のない大きな目、鋭い歯を形作り、長い舌を揺らしていた。

 

「ぎゃああぁぁぁあああ!?!?」

 

 俺はいきなり手が目の前でホラーじみた変形をしたことに対して、悲鳴を上げる。

 しかし、そんなコントじみたリアクションをしている間に、十数体の化け物が寄って来ていた。

 隕石やらで有耶無耶になっていたが、俺は元々大怪我で血の臭いを森に撒き散らし、川に血を流したのだから、釣られて化け物がよってきていても、不思議ではなかった。

 

 しかし、俺はそれどころでは無い。

 怪我は治り、手がカビ頭みたいになり、化け物に囲まれ、パニック状態だった。

 

「おい!どうすんだよこの状況!このカビ野郎!!」

何だとてめぇ!俺はヴェノムだと言ってるだろうが!!カビなんぞとは違う!!

 

 俺はカビ…ヴェノムは変形させられた右手で頭突きをかまされる。

 俺は反応に遅れ、モロに喰らってしまった。

 

大体、お前を治してやったのはこの俺だ!少しぐらい感謝しやがれ!!

「ぐぅぉぉ…悪かったよ!感謝する!感謝するから止めてくれ!」

 

 五、六発頭突きを食らったが、ヴェノムはふん、わかればいいんだよと呟く。

 チョロい奴だと思うと、また一発頭突きを喰らった。

 お前は心でも読めるのか、そもそもお前は何だ、と質問する前にヴェノムは言う。

 

質問する前にまず、この生物モドキを殺すぞ

 

 俺はジリジリ立ち寄る化け物達を見て、正直無理だと思った。

 狼っぽい化け物でも身を削って二体が限界だった。

 ましてや十数体の化け物、それも多種多様な奴らがいる。

 

 虫をそのまま人にしたような奴、人間大のでかいムカデ、目の血走った猿や、先ほど逃げ出した狼も居た。

 どいつもコイツも血の匂いに興奮している、狼の化け物も俺を射殺さんとばかりの眼光で見る。

 

「おいおい…何だ?お前がやるのか?」

< 違う、俺達でやるんだ>

 

 俺はヴェノムに尋ねるが、ヴェノムは体に戻り俺達でやると答えた。

 冗談じゃない、そう言おうとしたが、体が勝手に戦闘態勢を取る。

 原理はわからないが力が溢れるような気がする、そして何故だか空腹感も増している。

 

「ジャ"ァ"ァ"ア"ア"!!」

 

 巨大ムカデが身を捩らせながら、巨体とは思えない程凄まじい速度で襲い掛かる。

 普段は避けられない筈だが、ムカデの体がスローモーションに見える。

 俺は軽々とムカデで突進を避けた…だけだったが、体が勝手に動き、回避のついでと言わんばかりにムカデの甲殻を()()()()

 ムカデの悲痛な声が響き、俺は俺で黒光りのするムカデの甲殻がいとも容易く割れたことに驚く。

 

< お前とならば、これ以上のことが出来るぞ… ! >

 

 ヴェノムは頭の中で俺に囁き、俺もこの戦いに期待して笑みが溢れる。

 さぁ、虐殺だ、そう言わんばかりの顔だった。

 

 まず、虫人間に弾丸もかくやと言う速度で飛び付き、頭を握り潰す。

 虫人間は膝から崩れ落ち、左右から隙を突いて二体の猿が飛びついて来た。

 瞬間意図せず俺の腰から生えて来た二本の腕。

 それらが猿を縛り上げ、地面に叩き付け、汚い花を咲かした。

 

 おそらくヴェノムの仕業だろうと確信し、、本格的に体が変わっていることを実感する。

 

< ハハハ!まだまだいくぞ!!>

 

 ヴェノムは歓喜の声を上げ、俺の体も変化する。

 体は黒いアメーバ状のヴェノムに覆われ、二回り大きく、筋肉質になる。

 顔には大きな瞳のない白い目が浮かび、鋭い歯が生えそろう。

 今の俺はまさに異形だが、暴力的な力を感じた。

 

 数分前までグチャグチャだった真っ黒な右腕を確認し、少し感慨深いものを感じる。

 

「ぐるる…!?」

 

 化け物共も突然俺の姿が変わったことにより、攻撃に躊躇している様だった。

 俺は化け物を見回し、隕石の時に逃げ出した狼を見つける。

 目があった瞬間、ある考えが脳裏をよぎり、それに呼応するかの様に空腹感が増した。

 そうだ、()()()()()()()()()

 

 俺は狼に向けて弾丸の如く飛び出し、反応出来ていない奴の右腕で狼の足を掴み、宙ぶらりんの状態で固定する。

 驚きに目を見開いた狼が胸を切り裂いたり、他の化け物が俺を攻撃したりと、俺を格好の的とばかりに袋叩きにするが、まるで痛みを感じず、傷付いても治っていく。

 

 攻撃の嵐に晒されつつも、口を大きく開け、大きく狼を掲げた。

 その姿は正にモンスターだった。

 

 宙ぶらりんの狼は何をされるのか悟ったのか、身を捩って暴れる。

 余りにも激しく暴れる狼を少し鬱陶しく思った俺は、もう一方の腕で狼の首を抑え、マトモに動かない様にしてやった。

 身動きすら出来ない狼の紅い目の瞳孔が小さくなり、ヴェノムの中の俺の灰色の目と目が合う。

 

 そしてーーー

 

 俺はグシャリと頭から狼を喰らった。

 頭蓋骨が軋みを上げるが、脳ごと噛み砕く。

 すると脳汁とも言うべき汁が口の中に広がり、そのまま狼の体を口に押し込んでいった。

 

 そうして咀嚼し、骨ごと噛み砕き、飲み込み、狼の体の全てを喰らっていく。

 ピクピク硬直する足も喰らい終わり、未だ攻撃を続ける化け物の一体を掴み、ヌンチャクのように扱い、周囲の化け物を吹き飛ばした。

 

ああ、美味い…血肉の中にスパイスを感じる

 

 ヴェノムはヴェノムで狼の感想を言う。

 俺も空腹感が和らぎ、代わりに満足感を感じる。

 しかし、まだエサは十体程まだ残っている。

 

 気分はまるでフルコースの前菜を食べた様だ。

 俺の戦意は膨れ上がり、どうやって殺そうかと考えてしまう。

 

「ガアアァァアア!!!」

 

 俺は雄叫びを上げながら、正面の人間に似た化け物へ四足歩行で走り出し、地面が爆音を上げる程大地を強く踏み締め、駆け抜ける。

 俺は一瞬で距離を詰め、目の前の驚いたような仕草をする化け物の顔を思い切り殴り付け、頭を破砕する、一体目。

 

 方向転換し、逃げ出そうとするヤギ型の化け物の首根っこを掴み、近くに居た仲間だろうヤギも巻き込んで、地面に叩き潰す、ニ、三体目。

 

 そしてヤギ型の化け物にトドメと言わんばかりに踵落としを炸裂させた。

 地面が揺れる様な衝撃と共に臓物が飛び散る。

 

 しかし…このまま殺戮を続けるには“飽き"が来る。

 そこで俺はもう少し簡単に殺すため、効率の良いやり方を考えた。

 

 木を引きちぎって鈍器にする?

 化け物を骨で突き刺す?

 

 う〜む、どれもナンセンス。

 

そこで提案だ、武器を使え

 

 ヴェノムのおどろおどろしい声が森に響き、両腕は戦斧となる。

 なるほど、不定型のヴェノムならではの武器だ、と感心する。

 俺は近くの木に向けて戦斧を振るうと、まるでバターのように木を斬ることが出来た。

 

 俺は切れ味を確認してすぐさま、右隣に忍び寄って来た蟷螂化け物を一刀両断し、その勢いで三体程の化け物を斬った。四、五、六、七体目。

 

 そして、一気に三体の化け物が俺に向かって飛び掛かった。

 奇しくも狼の化け物だった。

 俺は、一体を肩から足に向けて斬り落とし、続け様に腕の戦斧を伸ばし、一本の縄としてもう一体を縛り上げ、最後の一体を巻き込みながら木に叩き付けた。

 木は薙ぎ倒され、二体の狼はミンチとなったようだ、八、九、十体目。

 そして、誰も居なくなった。

 

「…終わりか…?」

<ああ、終わりだ、気配も無くなった >

 

 死体の山を見回し、ヴェノムが体内に入り、体が元に戻る。

 戦闘の高揚が収まらず、この惨事は本当に自分がやったのか、と疑問が生じる。

 血の匂いが辺りに充満するのに気付き、化け物が集まるのを恐れ、すぐさまその場を立ち去る。

 

<おい!何をビビっている!!俺とお前ならば無敵だ!恐れることは何もない! >

「違ぇよ!こちとら疲れ果ててるんだよ!連戦なんてもってのほかだ!!」

 

 俺はヴェノムに抗議し、超人的な速度で走り去る。

 木々が視界に入っては出ていく、そんな光景がずっと続いた。

 ヴェノムはその間、何故記憶がない、俺に完全すぎる適合をしたお前は何者だ、と俺に聞いてくる。

 こっちが聞きてぇよ、そう答えたかった。

 

◆◆

 

 一分ほど走り、幸運なことに別の小川を見つけた。

 俺はそこで休憩を取ると共に、本来の目的である水の入手に成功し、たらふく命の水を飲んだ。

 

 ひと段落し、小さな丘となっている場所に腰を下ろし、俺はヴェノムに今、最も聞きたいことを聞いた。

 

「ヴェノム…お前には大分助けられたが聞きたいことがある…お前は一体何なんだ…?」

… いいだろう、教えてやる… >」

 

 ヴェノムは俺の右手から姿を現し、話を始めた。




ごはいどく、ありがとうなのね!
ちなみにヴェノムの言うスパイスとは妖力のことなのね。
あと、エディとヴェノムとの適合率が100%とすると、主人公の適合率は120%とか言う化け物性能なのね。
だから、ヴェノムには出来ないだろう武器変化ができるのね。


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第三話 黒の正体

ゆゆ、ヴェノムの説明回だぜ、ゆっくりしていくのぜ。


<…いいだろう、教えてやる… >

 

 ヴェノムは俺の右手から姿を現し、話を始めた。

 

まず俺の種族だ、お前らの言葉で言うとシンビオート…共生生物ってところだ…他には?ん?

 

 ヴェノムは嫌らしく聞いてくる。

 割とあっさりと教えてくれたが、共生生物と言われても意味が分からない、だが共に生きると言う字面から、そういう種族なのだろうと無理矢理納得することにした。

 まだまだ疑問はある、そのまま尋ねた。

 

「じゃあ俺が急に強くなったのはなんだ?アレもヴェノムのおかげか?あと何で俺に取り憑いた?」

ああ、そうだ、俺達シンビオートが共生した有機生命体、つまり生物は超人的な腕力や敏捷性を得る、だから俺に感謝しろ。二つ目の質問だが、俺は地球では宿主無しでは生きられない、だからお前に取り憑いた、それにお前は俺によく適合する、お前が俺の運命の相手だと勘違いする程度にはな

 

 どうやら俺の運命の相手は、中々のファンタジー生物のようだ。

 

 そうやって疑問を解消していく俺だったが、地球では、という単語に取っ掛かりを感じた。

 

「地球では?そう言えば俺のプリンセスは、空から隕石に乗って来たよな。宇宙から来たのか?目的はなんだ?」

プリンセスは気持ち悪い!止めろ!…そうだな…一つずつ答えてやる…確かに俺は宇宙から地球にやって来た…!いや…追い出された.…

 

 ヴェノムは俺のジョークを一蹴し、怒りが抑えられないと言った様子で憤慨する。

 しかし、すぐに鎮火し、落ち込んだように頭を項垂れさせる。

 意外と感情豊かだな、と思考の片隅に思いながら、ぶっきらぼうになんでだ、と尋ねる。 

 ヴェノムは項垂れたまま答えた。

 

…俺は母星では弱者、負け犬だった…だから追い出された…!俺を隕石にへばり付かせてな!!俺は絶望していた…!だがな!

 

 母星…ということは他にもヴェノムと同じよう奴が沢山いるのだろう。

 ヴェノムは顔を上げて俺に言った。

 

この地球でお前に会った!お前は他の人間とは違う何かを持ち、上手く俺に適応した!しかもだ!お前の体にいればいるほど住みやすくなる!まるで今も"適応“していくように!

 

 ヴェノムが捲し立てるように言う。

 心なしか、いや、間違いなく喜んで見える。

 ()()()()…気になるワードが聞こえたが、一旦置いておく。

 そして、目的も大体わかった。

 

「お前はその星の奴らを見返したいんだな?」

ああ!そうだ!今じゃあライオットのような武器変化も出来る!俺たちは正に無敵だ!

 

 ヴェノムの気持ちは良く分かる、誰だって馬鹿にされたら見返したい物だ。

 話に出てきたライオットと言う者はヴェノムの同郷だろう。

 俺はもう一つ聞く。

 

「じゃあお前は宇宙に行かなきゃだろう、どうやって行くんだ?」

………お前がロケットを作れ!!

「はぁ!?俺に出来ると思うか!?お前まさか何も考えてねぇのか!?」

うるさい!

 

 ヴェノムは絞り出すように返答を返し、俺は困惑した。

 俺にそんな知識あるわけがないだろう。

 暗にそう答えたがヴェノムはそっぽを向いて吐き捨てるように言った。

 

「まぁ落ち着け、別に今直ぐ行かないと死ぬわけでもない、じっくり考えていけばいいだろう?」

 

 少し不機嫌になったヴェノムを宥め、妥協案を出す。

 ヴェノムは多少納得したのか、こちらを向いた。

 そして、俺に向けて幾つか質問をした。

 

俺からも聞くが…お前は何で記憶がない?

「知らん、俺が聞きたい」

何故名前が無い?

「知らん」

 

 それは俺が一番知りたい。

 ヴェノムがこの質問の答えが想定内のことなのか、溜息を吐く。

 そして鄒俊だけ唸り、衝撃の一言を放った。

 

…名前が無いのは不便だ…!俺が名前を付けてやろう!

「!?」

 

 俺は確かに名前が無いのは不便…と言うより、若干の心残りを感じていたが、まさかこんな所で新しい名前が決まることに少し…いや、かなり不安を感じていた。

 何故なら、名付け主はヴェノムである。

 かなり失礼だが、この際失礼など考えていられない。

 

 後先考えずに(母星)から家出するような奴だ。

 今名前を決められることは吝かでは無い…しかし、最悪、エリザベスとかペロといったように、ペット感覚で名付けが行われてしまう。

 

 そんな最悪の事態に悪寒を感じつつ、ヴェノムの返答を待つ。

 

かなり失礼なことを考えていそうだな…俺はちゃんと考えているんだぞ…!…そうだな…うーむ

 

 うむむと唸るヴェノム。

 俺はせめてマトモな名前になることを祈った。

 

…よし…()()だ…!お前はシンだ!

「…その根拠は?」

 

 まだ常識の範囲内である名前で安心し、理由を聞いてみる。

 

()()ビオートからだ…別にエリザベスとでも名付けて良かったがな…あんまりにも祈ってるからちゃんと考えてやった

「…はは…」

 

 ニチャリとヴェノムが笑う。 

 俺は自分の名前の危機を乗り越え、安堵の溜息を吐いた。

 恐らくヴェノムが俺の心を読んでいることについても間違い無いだろうと確信し、シンという名前を心の中で反芻する。

 簡単な名前ではあるが…俺は思いの外このシンという名前を気に入ったようだ。

 

「あー…いいんじゃないか?」

ハハハ!嬉しいなら嬉しいと言えよ!

 

 礼を言うことが少し気恥ずかしく、そこそこな返事をする。

 俺…いや、シンは話題を切り替え、様々な質問を続けた。

 

 どうやって俺の心を読んでるか、お前の主食は、ライオットとはどのような人物(?)か。

 ヴェノムはそれぞれの質問に、こう答えた。

 

俺はお前の頭の中に住んでる、だから簡単な思考を読み取ることは簡単だ

 

俺はお前のアドレナリンと神経伝達物質とかを食ってる…戦闘中は上手かったぜ?それと人間の肉!あの化け物もかなりイケる!

 

ライオット?…アイツは俺たちのリーダーだが、暴力的なクソ野郎だ…ああムカつく!!

 

 一つ目の返事を聞いて、頭の中に寄生中が居るような気がして、背筋が凍った。

 案の定、心の中だとしても寄生虫と言われたヴェノムは怒り、シンは頭突きされて鼻血がタラリと流れた。

 

 鼻血を拭いながら殆どの質問を終え、最後に気になることを聞いた。

 

「ついさっき他の人間って言ってたよな、どっかに人間がいたのか?」

人間?隕石として墜ちてるときに、大規模な人間の都市を見つけた、多分ここから北西の方角だな

 

 溜まっていた質問を全て消化し、今後の活動方針が決まった。

 ひとまずはその人間の都市とやらに行ってみようと思う。

 シンはヴェノムに感謝を伝え、体に戻らせる。

 そして、シンは都市に向けて歩き出した。

 

< 人間を食うのか!良いぞ!もっと早く歩け!なんなら一緒に行くか!? >

「違う!そこらの化け物で我慢しろ!」

 

 ヴェノムを連れて行って良いのか、多少不安だが…

 

◆◆

 

 ある時、曇天の空の下、隕石の被害、そして石質調査という名目で都市から調査隊が派遣されていた。

 簡単な調査だったので、新人も多く誰もが遠足気分だった。

 途中で隊長が、新人や気の抜けた隊員に向けて注意を促した。

 

「ここの森からは妖怪が出現することをある…気を引き締めろ!」

 

 効果は高く、新人や気の抜けていた隊員を含めた全員が神経を尖らせていた。

 その調子で目的地にたどり着いた。

 

 しかし、肝心の目的地は異様であった。

 血痕が現場を濡らし、血生臭い臭いが充満している。

 低濃度の妖力が検出されたことから弱小妖怪の縄張り争いが起こったのだと推測されたが、血痕の跡が多く、縄張り争いに勝った妖怪も見当たらないので、真相は恐らく違う物だろうと隊長は考えた。

 

 新人の一人が青い顔で隊長に尋ねる。

 

「何故一欠片も…その…肉片…とかが無いんでしょうか…?」

「恐らく血の匂いに惹かれた妖怪共が死体を貪ったのだろう…しかし…ここで縄張り争いが起こったとは思えないし、そもそも縄張り争いの勝者がいない…不気味だな…」

 

 雨が降り始め、嫌な空気が広がる。

 隊長は新人の疑問に簡単に答えた後、この状況に対して深く考え、そしてある考えに至った。

 それは()()()による虐殺。

 隕石が関与しているかは不明だが、何かしらの理由で妖怪達がこの場で争い、それを第三者が纏めて皆殺しにしたケース。

 可能性は低いが過去にもそう言った事例は数件ほど起こっており、全てが大妖怪による仕業であった。

 

 このことを含め、調査隊は隕石のサンプルを取ったのちに急いで雨の中撤退する。

 その足取りは、何処か重々しく、不安に満ちていた。

 

 

・第一回 郊外隕石調査報告書

 

 この報告書はクリアランスレベル2以下の職員が表示してはなりません

 万が一、機械の誤作動などの要因によって誤って開いた場合、直ちにこのファイルを閉じ、機動部隊の到着をその場でお待ち下さい

 

 抵抗をした場合、その職員には終了処置が取られます

 

 

 

 

 ○時*分α秒都市へ急接近した小隕石、オブジェクト暫定名称『V-111-ex』の調査終了を明記

 

 現場は半径10メートルにおいて赤熱化したクレーターの跡が見られ、その中心部には約2メートル程の黒色鉱物が見られた

 

 サーマル測定、ガイガー=ミュラー計数管測定、カント計測器測定において異常性は検出されず、妖魔検知器は規定量の1.005倍の数値を検出した

 しかし平均値に著しく近く、誤差、または弱小妖怪が付近を通りかかったモノだと考えられる。

 

 四式コール検査により、石質はクロウンモ、およびにケイ酸塩化物を主体とした物質と宇宙浮遊物特有(水素及びにヘリウムを含む)の元素が2:5の割合で含有されていることが発覚し、異常は見られない

 

 しかし、反ミーム性、現実改変性、存在不確定性は考慮されていない

 

 このことを踏まえ、偶然都市の近くに落下した物だと考えられるが、詳細情報は不明

 外なる侵略者、別次元からの転移、新たなる妖怪の誕生の可能性を鑑み、研究の必要性を打診すべきと判断する

 

 ⚠️重要事項⚠️

 

 隕石落下地点に大量の妖怪のものと思われる血痕を確認した

 

 隕石との関係性は不明だが、大妖怪の発生の恐れ有り、至急大門の警備、及びに近隣調査の強化を進言する

 

 

 

 




ご拝読、うん、ありがとう。
次話でやっと東方要素出ます。


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第四話 弱点と永琳

ゆっくりしていってね。


 俺は妖怪を見つけたら捕まえて食すといったように食い繋ぎながら数日程歩き、ある物を見つけた。

 

「あれ…壁だよな…」

<白い壁だな>

 

 木々の隙間から、恐らく50mに上る白い壁が視界いっぱいに見える。

 更に近付き目の前まで迫って見たところ、所々に傷が目立ち、少なくとも十年以上前に作られたのだろうと推測させる。

 横を見ると壁が連なってそびえ立っている。

 

 黙って壁に沿って歩いていると向こう何か話し声が聞こえた。

 すぐさま、俺はヴェノムと木陰に隠れ、話し合った。

 

「おい!あれって人間じゃないか!?」

何を興奮している!気持ち悪いぞ!

 

 そりゃ興奮もするだろう、シンはここで初めて人間(同族)を見たのだ。

 

「お、おいヴェノム!どうやって話しかければ良いんだ!?」

はぁ!?シン、お前はシャイか!?行きたくないなら行かせてやる!!

「待て!そう言う話じゃ無い!だから足を止めてくれ!!」

 

 シンは初めて会った人にどう話しかければ良いか分からず、動けなかったが、親切で優しいヴェノムが無理矢理体の主導権を奪い、話し声のする方向は歩を進めてくれた。

 ありがとうヴェノム、ふざけんなヴェノム。

 

 シンは木々を抜け、少し開けた場所に出た。

 そこには二人の人間が白い壁の入り口を守るように立っている。

 一人は温和な雰囲気を漂わせた男で、もう一人は、攻撃的な雰囲気を醸し出した女の対照的な門番である。

 話し声は二人の談笑から漏れ出たものだったようだが、シンが茂みから姿を現したからなのか、二人の会話が止まり、こちらを凝視する。

 無言の静寂がその場を支配し、気不味い時間が流れたが、門番の優男がその静寂を破る。

 

「君は何者だい?」

 

 案外優しげな微笑みをしながら柔らかく尋ねてくる、どうやら見た目通りの優男のようだ。

 俺はその言葉の答えを、頭をフル回転しながら答える。

 

「え、ええ、私は旅人でしてね…この森で迷ってしまいましたが、この町?を発見して滞在しようかと…」

 

 俺は文脈が可笑しくならないか考えながら答え、割と良い建前を作り出した。

 その話を聞いた門番の二人は少しの間、ひそひそと小話をしていた。

 シンとヴェノムは胸の中で、上手くいっただろう?うるせぇ!とコントをしていた。

 話が終わったのか、やがて攻撃的女のほうがシンにあるものを差し出した。

 

「このリストバンドを付けてもらおうか、一応説明しといてやるがそれはお前が妖怪かどうかを見分ける装置だ。正直こんな物無くてもわかると思うが、上層の人間が五月蝿くてね」

 

 シンは腕にリストバンドを嵌め、攻撃的女は割と親切に機械の詳細を教えてくれる、ついさっきも談笑していたし、世間話好きなのかも知れない、人は見た目によらない物だ。

 すると攻撃的女がおもむろにタブレットを取り出し、ピッピッと電子音を響かせる。

 突然、忘れていたという風に優男がある注意をシンにしてくれる。

 

「その機械は()()()で診断するからね、もし煩いと感じたら、耳を閉じた方がいいよ」

 

 この優しさに感心していると、ヴェノムが慌てたようなような声ででシンに語り掛けた。

 

< ッ…!?おいッ!シン!その男に装置の周波数を聞け!早くッ! >

「な…!?なぁあんた!この装置が何Hz出るかわかるか!?」

 

 ヴェノムが余りにも必死に頼むのでシンは早口に聞き、疑うこと無く優男が答える。

 その横で攻撃的女はタブレットに表示された開始のボタンを押そうとしていた。

 

「どうだったかなぁ…?確か5()0()0()0()H()z()だったかな?でも大丈夫だよ!人間にならほとんど聞こえないように八意様が…」

 

 優男の返答を待たずに攻撃的女が開始のボタンを押した。

 

 キィィィイイ、機械特有の音が響き、俺は体に異変を感じた。

 

<不味い!!シン耐えろォ!! >

(どういうことだ…ッッッ!?!?!?)

 

 ヴェノムが俺に警告を発し、突如にシンは体中が感じたことのないような激痛を体験し、体を震わせた。

 顔から大量の汗を吹き出す。

 

「あッ…ッ!!ぐ…ッ!!」

 

 あまりの痛さに食い縛るが、立っていられなくなり片膝を突く。

 門番の二人が駆け寄り、シンの顔を覗き込むと途端に心配したような表情となる。

 体の中で何かが暴れ出すような感覚を味わい、蹲りながら耐える。

 

 門番の二人は、大丈夫か!?と声を掛け、優男が医者に診てもらおう!と言い、スマートフォンのようなもので電話を掛けていた。

 シンはそれを横目で見る。

 

< があぁぁぁああああ!!!!!! >

「頼む、機械を止めてくれ…ッ!!!」

 

 ヴェノムの悲痛な叫びが脳内に響き渡り、攻撃的女に懇願する。

 超音波を出すこの機械が原因だと攻撃的女は気づいたが、目を逸らし、苦々しい表情で言う。

 

「済まない…その機械は一度作動したら止まらないんだ…けど後少しで終わるはずだ!もうちょっとだけ耐えてくれ!」

 

 シンは限界が近いことを感じ、もう少しで終わることに少しばかり安堵をした。

 しかし、激痛は更に増し、蹲った体が反り返り、白目を剥き始める。

 気を失う直前と言ったところで、リストバンドの機械の悪魔的診断は終わりを告げ、シンは前のめりに倒れ込んだ。

 

「ちょっと!大丈夫か!?」

「君!ストレッチャーが来た!医者で診てもらえるから安心しろ!」

 

 あの二人組の声が頭に響き、早い到着だな…と思いながらシンの意識が限界を迎えた。

 意識が途絶える直前、視界の端に放置されたタブレットに 陰性 問題無し と記された画面が垣間見え、意識がブラックアウトした。

 

◆◆

 

「八意様ー!先日派遣した調査隊から隕石のサンプルが届きました!」

「そう?ありがとう」

「どこに置いておきましょうか?」

「そうね、入り口近くにスペースがあるからそこに置いて頂戴」

 

 元気一杯の快活そうなウサギ耳を生やした紫髪ロングの女性がエレベーターから台車を引いて姿を現し、んしょ、んしょ、と可愛らしい声を上げながら隕石の入った段ボールを私のラボの入り口に置く。

 あまり言いたくない…というより知らされたくないことだが、私の部屋はかなり汚い。

 実験道具が机を占領し、床は報告書やカルテ、実験結果の用紙が白く染め上げている。

 だから宅配や緊急の報告は彼女…鈴仙・優曇華院・イナバに一任している。

 軽々と段ボールを運ぶ彼女を見て、隕石って報告だとかなり重かったはずなのだけどね…と私は疑問に思ったが、彼女は軍人だと記憶しているのでそのためだろうと予測した。

 

「それでは!八意様!ありがとうございました!さよならー!」

「はいはい、ありがと、さようなら」

 

 彼女はエレベーターに乗り、暇乞いをしたので、私は手を小さく振って応える。

 

 ニコニコ笑う彼女の姿が扉に消えるのを確認し、それと同時に研究している不死の薬についての研究を打ち止めにして、私は小さく伸びをした。

 

 出来る女に休み時間は無い。

 すぐさま私は段ボールを開封しに行き、隕石の研究を始めた。

 

 いつもだったら隕石にそこまで興味は無かったところだけど、私の中の女の勘が何かあると言っている。

 こう言うのは従って損はあれど、知的興味が満たされること間違い無しだわ。

 

◆◆

 

 研究の成果をメモ書き程度に書き記し、少し思案する。

 簡単な調査では異常性は皆無に等しいと報告書には記されてあったけど、研究を進めるにつれ、それは誤記で合ったと気付いたのだ。

 隕石の表面に奇妙な物質が残っていた形跡がある。

 

(普通の機器では調べることはできないけどね)

 

 流石私。

 と言っても、これだけでは何かが乗っていたということしから分からない。

 さてはて、宇宙生物か、新種の石が…そう想像し、少し気分が上がる。

 これだから研究は辞められないのよね…

 

 私はこの隕石からわかることはもう何もないだろうと判断し、未だ完成していない不死の薬の研究に取り掛かった。

 その時である、私の静かな部屋に電話が鳴り響いた。

 私は、実験を中断され、少し腹が立ったが連絡を聞いて取り乱す。

 

「もしもし、八意様、急患です、リストバンド型妖魔検知器を嵌めたことで意識を失ったらしい患者をそちらに運びますが大丈夫でしょうか?」

「え!?え、ええ、分かったわ、私の医療室に運んで頂戴…」

 

 あの機械については私が作った物で、結構高い超音波診断で妖怪かどうかを見分けることができ、主に人に擬態する妖怪をこの街に入らせないことを目的として作られたのである。

 音も完全に抑え、かなりの自信があった…けど実際に患者が出てしまった。

 これは由々しき問題である。

 少し申し訳ない気持ちが出るけど、私、八意永琳は研究者と同時に医者でもある。

 

(すぐに治すから待ってなさい!)

 

 心の中で奮起し、エレベーターに乗っていち早く医療室に向かった。

 

◆◆

 

 医療室で待つこと数分、他の患者もいないので意識を失ったという患者の原因を考えていたけど、やはり超音波に問題があったということだろうか。

 そう考えているうちに、ストレッチャーに乗せられた患者がやって来た

 

 黒髪の男性で、白目を剥いていた。

 私はすぐに看護婦達に礼を言い、退出させる。

 

 まずは触診である、流石にまだ脈拍はあり、重篤でもない。

 次にリストバンドを嵌めていたであろう手を確認する。

 しかし、特に異常は感じられない。

 

 だとすると、一体何が原因…?

 

 ひとしきり考えてみたが、私ともあろう者が良い案の一つも思い浮かばなかった。

 そこで、血液検査をしてみる、あまり効果は出ないかもしれないが、やるだけやってみよう精神である。

 

 すると、驚きべきことに気が付いた。

 従来の人間の細胞と、何かの細胞が共存するように結び付いている。

 

 私はこの細胞に原因があると考え、試しに、細胞を崩してみた。

 すると何かの細胞が人間の細胞を再生するように活性化し、見事元に戻ったではないか。

 

 私は驚き、さらに実験を続けてみる。

 次に、リストバンドと同じ、5000Hzの周波を当ててみた。

 勿論、患者とは別の部屋で。

 直後に細胞を調べると、男性の遺伝子と何かの細胞が離れている。

 

 私は知的好奇心が身を襲うのを感じて、詳しい話は起きてからにしようと考え、何気なく男性を見る。

 触診してから気付いたが、この男性は深い傷跡を負っていた。

 胸と背中に裂傷、右腕に至っては治ったのが奇跡と言えるほどの重傷だっただろう。

 

 これもこの細胞が治したのか、そう考えるとさらにワクワクする。

 この人は一体何者であろうか。

 リストバンドからは陰性だったらしいが…

 

◆◆

 

 シンは柔らかい絹の感触を身に感じながら、さまざまな医療道具が置いてある部屋で目を覚ました。

 体を起こし、一息を吐く。

 シンは何故ここに…と、記憶があやふやだったが、だんたん思い出してきた。

 そしてヴェノムに原因を尋ねたが、ヴェノムは弱々しく頭の中で呟いた。

 

「おい、ヴェノム…なんでこうなった…?」

< …言い忘れていた、俺は4000Hzから6000Hzの周波数と火が弱点なんだ…すまんシン… >

「何落ち込んでる?お前らしくない」

「貴方誰と喋ってるのかしら?」

「そりゃあヴェノムとに決まって…」

 

 声が後ろから聞こえてきた。

 シンは首をブリキの人形のように動かして振り向き、椅子に座る白衣の銀髪の女性を見つけた。

 恥ずかしいったらありゃしない、向こうから見たらシンは独り言を呟く精神異常者だからだ。

 俺は汗をダラダラと流し、言い訳を図る。

 

「い、いや独り言じゃ無くてな、その、あー、いやあんたに言ったわけでも無くてな…」

 

 不味い、あの二人組と話した時みたいな言い訳も出てこない。

 すると女性はおもむろに口を開いた。

 

「そんなことはどうでも良いわ、貴方、純真な人間ではないわよね、妖怪じゃないと思うし、そもそもリストバンドにはそう検出されたわ、貴方は何故だか異常な再生力を持っているようだし…そういえば貴方、ヴェノムとか独り言を呟いていたわね、関係あるのかし…」

「待て!ストップ!ストップだ!ゆっくり喋ってくれ、あんたが診てくれたのは分かるがそんな一気に質問をしないでくれ!」

< 五月蝿い女だな!噛み殺すか? >

(お前もストップだ!)

 

 女性がペラペラと喋り出し、途中からついて行けなくなったので会話を中断する。

 ヴェノムも危険なことを言い出したので、ストップさせる。

 更にこの女には何故だか知らないが、ヴェノムの存在に気づいている…というよりシンが普通ではないと気付いているようだ。

 これ以上喋らせるのは不味いと判断し、早々にシンは立ち去ろうとする。

 

「あー…取り敢えず感謝はする、じゃあな!」

「待ちなさい」

 

 女性の冷たい水を思わせる声が響き、思わず足を止める。

 

「私は八意永琳、貴方は?」

「…シンだ」

「そう、分かったわ、私はこの街で結構偉い立場なのだけれども…私が酷いことされたって言えばシンは街を追われるだろうねぇ…」

「…チッ、食えない女め…ッ!」

 

 永琳は暗にここで話をしないと街から追い出すと言い出し、俺は猛烈に遺憾だが素直に部屋に留まった。

 永琳とやらは、自分の権力を盾に、どうしても俺を調べたいらしい。

 永琳の株を俺を助けた女性から、悪魔の女に下げた。

 

「それで?あんたは俺に何を聞きたい?一つずつ言え」

「釣れないわねぇ…じゃあ…まず貴方、普通の人間?」 

「その通り」

「嘘吐くなら仕方ないわね…警察呼ぶわ」

「待て待て待て!わかった!!嘘は吐かないからそれは止めろ!!」

「それで良いのよ♪」

< このアマ…やっぱ食い殺すか…! >

(…検討しよう)

 

 やはり食えない女である。

 

 永琳はスマホ片手にピッピっと番号を打ちながら聞いてくる、おそらくあれが警察の番号だろう。

 これにはヴェノムも怒り心頭である。

 何故永琳が俺が普通では無いと確信しているのかがわからないが、どうやらシンは本当のことを話さなければいけないようだ。

 

「…俺は確かに普通じゃない、証拠を見せてやる、出て来てくれ」

チッ、いいだろう…

「これは…すごいわね…貴方の体を住処としているのかしら…?」

 

 腕からヴェノムを出て来て貰う。

 ヴェノムあまり乗り気ではなかったが、永琳に褒められたと勘違いしたのか、気分を良くする。

 

 それから永琳は約三時間ほど俺を拘束、もとい質問をした。

 いつそうなったか、ヴェノムはどこから来たか、超音波の件について…

 更に血液検査やX線、心電図エトセトラ…様々な検査もされた。

 

 その間、永琳はシン達に向けて世間話をした。

 

「最近近くに隕石が墜ちたのよ、ヴェノムは隕石に乗ってやってきたの?」

そうだ、色々あってな

「そこで妖怪を殺したりはしなかった?」

「妖怪?気持ちの悪い化け物のことか?」

「ええ、そうね、少なくとも私達はそう呼んでるわ」

 

 シンは妖怪も化け物もあまり変わらない気がするが、これからあれらを妖怪、と呼ぶことにした。

 シンは先程の質問の答えを返す。

 

「質問の答えだが、その通りだ、そこで妖怪が湧いて出て来たから俺達でやった」

凄いだろう!!

「へぇ…凄いじゃない、大妖怪が出現して無くてよかったわね…」

 

 診断書のような紙を記す永琳の口から気になるワードが聞こえた。

 

「大妖怪…?何だそれは?」

「一言で言うと滅茶苦茶強い妖怪よ、うちの調査隊がそこに行ってね…大妖怪が出たって考察されたの、もし出会ったらくれぐれも戦闘なんかするじゃないわよ」

 

 未知の強敵に少し、心が浮き立つ。

 シンは、願わくば大妖怪とやらと戦ってみたい物だと思った。

 感覚的には恐らく、あのイヌッコロより何十倍も強いのだろう。

 

(面白い…!)

 

 そう考えたところで永琳はペンを止め、シンに検査の終了を伝えた。

 

「さ、検査は終了よ、お疲れ様、帰り口は左手の通路を真っ直ぐよ」

「ああ、永琳の知識欲を満たせたようで何よりだ」

 

 俺はヴェノムを体に戻し、皮肉げにそう言う。

 そして立ち上がり、いざ立ち去ろうというところで、あることに気付く。

 いや、気付いてしまった。

 

「…どうしたの?」

「行く当てがねぇ…」

「え?」

 

 そう、このまま外へ出ても行くべき場所がない。

 通貨も所持していないので、八方塞がりだった。

 固まるシンに永琳は助け舟を出した。

 

「…シン、貴方腕が立つのよね?なら軍に入隊しなさい…入隊期間は終わったけど、私のコネで入らせてあげるわ、あそこなら給料は高いし、宿も使えるわ、命の保証は無いけどね…」

「本当か!?助かる!そうだな、今後困ったら何でも言ってくれ!」

「何でも…ね」

 

 永琳の助言があまりにも的確なので、シンはつい何でも、と言う禁句に近い言葉を言ってしまった。

 シンは永琳の一言に寒気を感じ、顔が引き攣るのを感じる。

 もしかして、結構ヤバいこと言ったかも…と思いながら永琳を背にし、出口で歩き出そうとしたが、右腕をいつの間にか立っていた永琳に掴まれた。

 

「はいこれ、これがなきゃ現在地もわからないでしょう?目的地も記しといたから、これ見て行きなさい」

 

 シンは渡された紙を見て、それは地図であることが分かった。

 

「何から何までありがとな」

SEE YOU !

 

 シンは永琳に今度こそ別れを告げ、手を振った。

 ヴェノムも肩から触手状の手を出し振った。

 

 永琳は小さくニコリと笑って、また来るのよ〜と返事を返した。

 

◆◆

 

 やがてシン達は出口に辿り着く。

 太陽の光を眩しく感じ、手を顔にかざす。

 シンの目には高速で飛行する車や行き交う人々が映り、少し怖気付くが地図を片手に軍隊員を育成しているという道場を目指して歩き始めた。

 

 

 




ごはいどく、ありがとうなのぜ。
第四話で原作キャラ出るとか、あ ほ く さ。
やめたら!?この仕事!?(自虐)

誤字教えてくれた人、ありがとナス!


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第五話 敗北の味

ゆっくりしていくよ!ゆゆ!


 シン達は地図を頼りに、広大な都市を彷徨い歩くように道場を探した。

 途中、周りの人々から見掛けない姿だろうからなのか、奇異の視線で見られ、ヒソヒソと話をされた。

 鬱陶しいことこの上無いが、問題を起こすことは論外なので無視して進む。

 

「これが道場…か…?」

<随分な大きさだな>

 

 そして、道場に到着したが、その大きさに驚愕した。

 大きめの道場を想像していたが、その五倍ほどの大きさであり、道場と言うより豪邸と言われたほうが納得できるほどだ。

 

 門の表札には、綿月(わたつき)、と刻まれており、その古めかしさからかなり古い家柄だろうと思った。

 永琳が連絡をしている筈なので、そのまま敷地へお邪魔した。

 門から玄関までも距離があり、チラリと横を見ると、手入れの行き届いた見事な松の木、存在感を放つ大岩、凹凸のない平らな地面と、それはそれは見事な庭園であった。

 

「良い庭だろう?」

 

 不意に声が響く。

 音も無くいつの間にか目の前に、髪を逆立たせ、目に十字傷を負った男が立っていた。

 突然と姿を現した男に、シン達は警戒を顕にする。

 

「そんなに警戒し無くても良い、我は綿月玄楽(わたつきのげんらく)、八意殿から話は聞いている…まずは上がれい」

「あ、ああそうか…俺はシン、こっちがヴェノムだ」

よろしくだ

「存じているさ」

 

 簡単な自己紹介を済ませ、目の前の人物を見る。

 綿月玄楽…この道場の主だろうか、彼は身を翻し玄関へ向かい、扉を開ける。

 シン達も彼の後を歩き、家?へ入る。 

 玄関も質素で細かながらも装飾が施されており、思わず見入ってしまった。

 しかし正面に扉、右に通路、左に通路、まるでどこへ行けばいいかまるで分からない。

 しかし、正面から何かを打ち合うような音が漏れている。

 

「右手はお前や門下生の住居だ、正面が道場、お前がこれから修行を積むところだ、そして左手、あっちは綿月家の家となる場所だ、滅多なことでは入るな、いいか?」

「ああ、大体分かった、しかし、道場では何をしているんだ?何か音が聞こえるが…?」

「む…それは扉を開けて確認するといい、見学が済んだら我のところに来い、我は左通路の扉を開けて真っ直ぐの部屋にいる」

「了解した」

 

 玄楽はスタスタと歩いて行ってしまい、シン達は玄関に一人取り残された。

 一人になり、急に緊張して来たシンは深呼吸をし、扉に手を掛ける。

 

 扉を開けると、竹刀を振る門下生が目に入り、休憩している者がこちらを驚いた目で見た。

 暫く熱気に包まれた人々、そして竹刀を振る姿を見ていると、門下生の一人が言った。

 

「終了!休憩して!休憩している人は組み手!!」

 

 言葉を聞いた門下生はテキパキと動き、竹刀で組み手を始める。

 シンはその中の一人、ポニーテールの薄紫色の髪をした少女の剣舞に魅入っていた。

 遠目から見ても洗練された動き、力強い一振りによって組み手の相手は瞬く間に一本を取られていた。

 

 その後も交代した門下生の組み手を見て、満足したのかシン達はその場を後にする。

 そのとき、誰かに呼び止められた。

 

「待って下さい、先程こちらを見ていましたよね、見ない顔ですが、何をしに来たのですか?」

 

 さっきの薄紫色の髪の少女であり、紫がかった真紅の瞳でシンを見据えて言った。

 毅然とした態度であり、殺気立っているようにも感じる。

 

 嫌な予感を感じながらも、シンは応対した。

 

「あぁ?俺は軍に入るためにここへ来た、これで十分か?」

「嘘ですね、もう入隊期間は終わっています、吐くならもっとマシな嘘を吐くんですね」

<ダメだこいつ…話を聞かねぇタイプだ >

 

 キリッとした目で少女は言う。

 確かに入隊期間は終わったという話だが…

 シンは嘘ではないと証明するために永琳の名を出す。

 

「永琳が入れるようにしてくれたんだよ!」

「なっ!?師匠の名を騙るのですか!?巫山戯ないで下さい!いいですか!?二度とこの道場に近づかないで下さい!!」

「だーッもうッ!嘘じゃねぇよ馬鹿野郎!!」

 

 あまりの話の聞かなさについ怒り出してしまう。

 すると、少女は驚くべき提案をした。

 

「あくまでもそう言い通すのですね!?分かりました!私と勝負しなさいッ!!私が勝ったら出て行きなさい!!」

「ッ望むところだ!強情女ァ!!」

< ブッ殺してやるッ!! >

「いいでしょう!ついて来なさい!」

 

 シン達は激昂し、提案を受け入れた。

 周りの門下生も騒ぎ出し、事態が大きくなる。

 

 練習をしていた門下生も外野へ移動し、二人は道場の中心へ移動した。

 二人は睨み合い、外野の門下生達は、誰だアイツ、依姫ー!そいつをぶっ飛ばせー!と騒ぎ立てる。

 圧倒的なアウェーであるがシンは気にせず言う。

 

「ルールは?」

「私は木刀だけでいいでしょう、能力は使いません、貴方は何をしてもいいですよ」

「舐めやがって…ッ!」

<本気で行くぞ…ッ! >

 

 あまりの見下した言いように怒りのボルテージが最高潮に上がる。

 ヴェノムもやる気は十分であり、生身の状態では無く、ヴェノムを纏った形態で相手をすることを決意した。

 

「このコインを投げて、地面に落ちた瞬間を試合開始としましょう」

 

 少女は懐からコインを持ち出し、手のひらに乗せる

 そしてピン、と弾き、コインが高い天井を舞う。

 外野が緊迫感に包まれ、静かになっていった。

 シンは意識を集中し、飛び込む構えを取る、少女も目の前の侵入者を討ち取ろうと、木刀を相手に向けて構える、いわゆる正眼の構えを取った。

 

 コインが地面間近に迫ったと所で、シンは足に力を込め、一息を吸う。

 コインが地面に触れーーー

 

ウオォォ"ォ"オ"オ"オ!!!

 

 直後にシンはヴェノムを纏い、雄叫びを上げながら突進し、少女へ剛腕を振り下ろす。

 外野から悲鳴が飛び、妖怪だ!と叫ぶ者も現れる。

 

 当たった、反応のしない少女を見てシン達は密かに確信した。

 少女の顔よりも巨大な黒腕の影が少女を覆い尽くしーーー

 

 シン達の顎に一撃が入った。

 

…ッ…!?

 

 少女は冷静にその一撃を紙一重で避け、懐に潜り込み顎へ一撃を入れたのだ。

 一瞬視界が点滅したが、怯むこと無く少女を足で蹴り上げ…られなかった。

 

 少女は軽やかなステップで距離を取り、クイクイ、と、シンを煽る。

 この煽りを受けてシン達は理性を失い、四足歩行で少女を追い詰めた。

 

 いざ追い詰めて攻撃を加えようとしても、いなされ、避けられ、カウンター、そして距離を離す。

 しかも的確に急所を穿つように斬っていくので、シン達にダメージが蓄積していってしまっていた。

 外野はさらに騒がしくなり、勝利のムードが漂っている。

 

 シンは少女の認識を変え、さらに攻撃の速度を上げていく。

 だが、その全てが少女へ致命打を与えることは無かった。

 もはや力ずくで勝つのを諦め、勝つ手立てを探し、ある策を思い出す。

 

 それは手足の武器化である。

 以前妖怪を相手にしていた時のような戦斧では無く、意表を突き、相手の動きを止める方法…

 

 いい物があるではないか…ニヤリと口を裂き、再び突進する。

 

「芸がないですね…ご愁傷様です」

 

 少女は侮蔑を込めた一言を放ち、再度いなそうとする。

 しかし、殴り付ける直前に腕を八方向に裂き、ネットのように少女を覆い尽くそうとした。

 やったことがない上に武器でもなんでも無いが、体を変えられるなら出来て当然だろう、と一発で成功させることが出来た。

 その体制からならば、後ろに下がることも出来ない、腕ネットで左右に避けることも出来ない。

 少女は目を見開き、真紅の瞳を丸くさせる。

 

油断したなァ!!俺達の勝ちだ!!ご愁傷様ァ!!

 

 ヴェノムが言葉を放ち、勝利を確信したそのとき。

 

「いいえ、私の勝ちです」

 

 無慈悲な一言が()()から聞こえた。

 腕には既に少女の姿は無く、直後に後頭部に衝撃が走った。

 何故、と思う暇もなく視界が揺らぎ、膝から崩れ落ちる。

 

「貴方の策には驚きましたが、上に逃げることが出来ました…詰めを甘くしたことが、貴方の敗因です」

(嘘だろう?飛んだのか?この高さを!?)

(コイツ…天才か…!?)

 

 なんと、少女はネットが自身の周りを覆い尽くす前に唯一隙間のあった上に飛び、2mに届くシン達の体を飛び越えながら頭に一撃を入れたのである。

 そして度重なるダメージの蓄積により、体は限界を迎えた、と言うわけである。

 何という戦闘センス、何という判断能力、シンはこの天才に嫉妬した。

 

 しかし、そんなものは自身が負けることになぞ関係ない。

 体が限界ならばその先へ、激戦を()()()ためには限界を越えなければいけない。

 纏っていたヴェノムが剥がれ、体に戻ってしまったが関係ない。

 震える足を無理矢理立たせ、シンはファイティングポーズを取った。

 

「…まだすると言うのですか…!その体で…ッ!」

「関係無ぇな!そんなことッ!」

<止めろ!シン!それ以上は体が壊れるぞ!!>

(勝利のためなら!関係無ぇって言ってるだろうが!!)

 

 少女は初めて攻勢に出て、シンの頭を狙い、木刀を振り下ろした。

 シンは腕をクロスにして防御に出るが、あまりの重さに顔を歪めた。

 流石に生身では勝機は薄いと感じたのか、少女に背を向けて走り出す。

 その姿に嘲笑する人や失望した人が出る中、シンはひたすら外野目掛けて走った。

 

 止まらないシンの姿に慌て出した外野は急いでその場を離れ、シンは目的のものを手に入れた。

 

「それは…竹刀…?」

「はぁっ、はぁっ、何でもして良いんだろ?」

 

 先程、組手をしていた人が持っていた竹刀である。

 シンは少女と同じように正眼の構えで相手の攻撃を待った。

 何故なら、ここで切り掛かってもいなされるか避けられるかが関の山だからである。

 

 痺れを切らしたのか、少女が行動を起こした。

 シンはカウンターに出ようと構える。

 

(ッはやーーー)

 

 しかし、恐るべき速さで接近され、まともに連撃を受けてしまった。

 顔や体、足、と言ったように体全体を撫でるように木刀が走る。

 

 しかし、()()()()()

 少女は息も切らさず、嵐のような連撃は止まらないが、押されていた体はいつしか踏みとどまることが出来るようになり、全く見えなかったはずの剣筋は、朧ながらも捉えることが出来るようになっていた。

 

 剣撃に合わせて竹刀を打とうとするが、圧倒的な重さに押し潰され防御が意味を成さない。

 それでも竹刀を握る手は決して離さず、少女に鍔迫り合いを挑もうとした。

 

「何なのですか…!貴方は…ッ!これ以上は命も危ないですよ!!」

 

 少女はいつまでも自分に挑み続けるシンに、連撃を続けながら問う。

 愚問だ、答えは決まっている。

 

「テメェに!()()()()()()だ!!」

<…シン…ッ!>

「……ッッ!!!」

 

 少女は訳が分からないと言った表情で力を込めた一撃を振りかざす。

 シンは竹刀で、防御に出るが…

 

 バキン、音を立てて竹刀が叩き割られ、ヴェノムが避けろ!!と声を荒げるが、目の前の木刀を避けることは出来ず、木刀が頭を強打する。

 少女は続けて振り下ろした木刀を振り上げ、シンの鼻っ柱を持ち上げた。

 

 シンの体が宙を浮き、そして潰れたカエルのように地面に墜落する。

 

「ふぅ、ふぅ…これで…」

 

 少女は渾身の力を込めたため、息が切れてしまったが、流石にこれ以上は起き上がらないだろうと安堵し、背を向けた。

 

 その時である、外野の一人があっ、と声を漏らした。

 少女も身の毛がよだつ殺気を感じ、後ろを振り返ると…

 

 修羅の形相をしたシンと拳が目の前に迫っていた。

 周りの風景すらも歪む様な熱気を漂わせ。

 遥か彼方の領域に佇む人外の気配を纏わせる。

 

 その様は幽鬼。

 正に修羅の権化。

 

 慌てて防御しようと構えるが、間に合わないの察し、目を閉じる。

 しかし、いつまで経っても顔を襲う衝撃が来ない。

 代わりに、ドシャッ、と倒れるような音が響いた。

 

 恐る恐る目を開くと、シンが拳を振ったまま倒れており、少女の勝利を表していた。

 突如に割れんばかりの拍手と称賛が道場に響き、少女を讃える。

 

 しかし、少女は喜ぶ気にもなれず、かと言って、悔しい気持ちでも無い、複雑な心境を味わっていた。

 

「…」

 

 とりあえずこの男性の肩を担ぎ、嬉しくも無い拍手と門下生の疑問の声の中、道場を出た。

 

 体が重いが、先ずはこの男性を寝かせる事が先決だろう。

 だがどこに寝かせれば良いだろうか。

 

 迷った挙句に、門下生の住居の空いているベッドに寝かせた。

 寝かせてから気づいたが、何故自分はこんなことしているのだろう、と疑問に思う少女。

 

 最初は負けたら出て行け、という約束事であったが、この男の死に物狂いで勝利を掴もうとする姿を見ていたら、そんな気は無くなっていた。

 暫くその場で考えていた少女だったが、部屋に男女二人きりという状況を自覚すると、途端に恥ずかしくなり、顔を赤らめながらその場を去った。

 そう言えば、彼に朝食は出るんだろうか…そんなことの思いながら、少女は道場に戻った。

 

◆◆

 

 シンは羊毛の柔らかさに眠気が襲われるが何とか耐え、目を覚ました。

 ふと部屋に目をやると、時計は七時を指しているようだった。

 

< やっと起きたか…別に心配はしてなかったがな… >

「おぉヴェノム…ああ、そうだ…負けたのか…」

 

 この世界で敗北したことがない故、強烈な悔しさを感じた。

 更にあれは試合、実践での真剣ならば、一撃目で終わっていただろう。

 ヴェノムも二人ならば敵無しと言っていただけにショックを受けているだろう。

 

「あの強情女…絶対打ち負かせてやる…ッ!!」

< その意気だ!!あの女に吠え面かかせてやるぞ!! >

 

 シン達は闘志を燃やし、打倒強情女を誓った。

 しかし、ここで腹の音が響く、昼も夜も食事をしていないからだ。

 

< とにかく飯を食わせろ!お前の肝臓が旨そうに見えてきたぞ…! >

「頼むから我慢してくれ…!…ん?」

 

 ふと視界の端に黒い何かが見えた。

 それは料理のようで、真っ黒焦げで何かは分からなかったが、添えられた紙には食べるように、と綺麗な文字で書かれている。

 一応そのままにしておくのも億劫なので、一思いにパクリと食べた。

 

 …炭の味だったが、腹の足しにはなったので良しとする。

 ふと、玄楽のことを思い出し、慌ててシン達は部屋を去った。




ご拝読、ありがとうなのぜ。
黒い物資は卵焼きらしいのぜ。うげ、げろまずぅ
それとヴェノムがシンの寝ている間に体を治していたのぜ、めっちゃ心配しながら治してたぜ。


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第六話 "適応“

この回では主人公、シンの能力の片鱗が見せられるよ!
ゆっくりしていってね!


 シン達は目が覚め、急いで玄楽の部屋へ移動していた。

 長い通路を抜け、昨日言われた部屋の前にたどり着いた。

 シンは怒っているだろうなぁ、と思いながらノックをする。

 

「入れ」

 

 厳格な声がドアを通して、響き渡る。

 失礼する、と一言入れ部屋に入り、書類に何かを記入する玄楽が目に入った。

 玄楽はシンを見るなり待っていたと言わんばかりに椅子から立ち上がって言う。

 

「おぉ、待っていたぞ、娘から話を聞いている。体は?」

「大丈夫だ…悪いな、昨日来れなくて」

 

 娘、というは観戦していた門下生の中にそのような人がいたのだろう。

 シンがそのように思案しているところ、玄楽の口が開く。

 

「気を病むことはない、私の娘と戦ったのだろう…?訓練も無しに良く依姫を追い詰めたものだ、あの子も少し嬉しそうに話していたぞ?シンのことを話してやったら顔が青くなったり赤くなったりで面白くてな、カッカッカ!」

「ん!?待ってくれ、まさか俺と戦った強情…薄紫色の髪の少女はあんたの娘か!?」

「その通りだが…強情か…確かにあの子は些か真面目がすぎる…あの子が何か粗相を犯したか?」

「ん?あー…いや、そんなことは無いが…」

 

 まさかの新事実が発覚した、玄楽の子供が強情女、もとい依姫とは…

 だったらあそこまでの天才ぶりも納得だ。

 しかし、強情の一言が漏れ出てしまったが、玄楽にも思い当たる節があるようで遠い目をしていた、きっと苦労していたのだろう。

 

「ああそうだ、八時から訓練が始まるからな、八時になるまでこの部屋にいてくれ、んで道場に来い、我はもう行くからな、自己紹介の言葉でも考えておけ」

「おう、了解した」

 

 ぶっきらぼうに玄楽言い放って去り、シンは部屋に一人取り残された。

 

 途端に静まり返る部屋。

 

 直ぐに暇を持て余した彼らは、玄楽に言われた通りヴェノムを出し、自己紹介の仕方を話し合った。

 

「さーてヴェノム、どうする?」

よし、俺が実践してやろう!!…"お前らは俺達の踏み台だ!文句を言う奴は食い殺してやる!覚悟しろ!!"こう言え!シン!

「無理に決まってんだろ!血気盛んすぎでやべぇ奴に思われるだろ!!」

ならお前が言ってみろ!!

「なら言ってや…」

 

 最初は気怠げに考えていたシンもヴェノムの言葉に呆れ、くだらない議論は白熱化を迎えていく。

 そうやってヴェノムとシンが言い争いをしていると。

 

 ーーー不意に、ガチャリと。

 

 水を差す様に扉が開き、シン達は自身達の議論を邪魔された事に多少苛立ち、扉の向こうを睨み付けた。

 姿を現したのはーーー薄紫の長い髪をポニーテールで携え、紫がかった紅い瞳を伏す少女。

 

「失礼しまーーー」

 

 他ならない、依姫だった。

 

 彼女はシンとヴェノム、二人の姿にパチクリと目を見開く。

 彼らも彼らで驚きに動くことが出来なかった。

 

 余りにも唐突に訪れた静寂。

 一秒、二秒と過ぎていく時間の中、それを破ったのは依姫だった。

 

「あ、貴方達は!?」

「お前!強情…あの時の女じゃねぇか!?」

どの面下げて来た!!

 

 釣られてシンも声を荒げ、ヴェノムに至っては牙を剥き出しにして荒々しく吠えた。

 ここまで彼らが敵意を剥き出しにしたのだ、依姫だって最初会ったときのように敵意全開で来るーーー

 

 と言うわけでもなく、真っ先に頭を下げた。

 シン達は予想外の反応に言葉が止まる。

 

「あ、あのときはごめんなさい!私の勘違いで言いがかりを付けてしまって、挙句に怪我まで負わせてしまって…!!」

「………あー顔を上げてくれ、別にもう気にして無いし…」

 

 依姫は頭を下げた状態から動かない。

 気不味い、そう感じた瞬間、よく整えられた髪の隙間から涙がこぼれ落ちるのを見た。

 

「っ!?おい!泣くな泣くな!気にして無いんだから顔を上げろ!いや上げてくれ!?」

( ゚д゚)

 

 思い上がりの強い依姫はどうやら責任感も強いらしい。

 シンは大いに動揺…いや、困惑した。

 初めて少女を泣かせてしまったのだから当然と言えば当然である。

 

 あやし方なんてものは生まれてからこの記憶に存在しない。

 

 頼みのヴェノムでさえあまりの驚きに口を開けて固まってしまった。

 

「いいのですか…?あんなことをしたのに…?」

 

 ゆっくりと顔を上げ、涙目で依姫はシン達を見る。

 初対面当時からは想像出来ない程弱々しい表情であり、彼は思わず顔を顰めた。

 

(止めてくれよ…どう言えば良いんだこんなとき…!?)

< 知るか!! >

 

 シン達は今度会ったらタダでは済まないようにしてやると話し合っていたが、こうも涙目で見られると言葉が詰まる。

 ーーー仕方ないことである、男は女の涙に弱いのが世の常である。

 

 シンは依姫を直視出来ず、少々目を泳がせながら答えた。

 

「えーっとな…この通り俺は元気だし、そもそもお前は玄楽に会いにきたんじゃないか?って言うかすれ違わなかったのか!?」

「え、えぇ、すれ違うことはありませんでした…ですが…」

「良いから!詳しいことは訓練中に話す!!」

 

 シンは強引に依姫を追い出すように部屋から連れ出した。

 危なかった、あのままでは気不味くてどうにかなりそうだった。

 

「ふぅ…なんとかなったな…」

あの女がまさか謝るなんてな

 

 全くその通りである。

 再開したら嫌味の一つでも言われるかと思っていたが、蓋を開ければそんなことはなかった。

 

◆◆

 

 依姫が部屋に乱入してからは特に何事も無く、時計の長針が八時の五分前を指した。

 

「良し、行くかヴェノム!!」

おう!

 

 シン達は座った状態から立ち上がり、ドアを開けた。

 相も変わらず長い通路を抜け、昨日と同じように道場の扉の前に立つ。

 

 普通に扉を開けると、十数人の門下生が談笑をしていた。

 その中の一人がシンを見つけると。

 

「よぉ!負け犬!!」

 

 笑い声を上げながら、シン達に向けて野次を飛ばした。

 続いて周りの門下生達も冷笑する。

 まるでこの空間そのものがシン達を受け入れていない様だった。

 

 シンは腹の内がドス黒いものに覆われるのも感じ、ニヒルに笑って皮肉を返す。

 

「指差して笑うことしか出来ないデクの棒がよぉ…鬱陶しい…!!」

「なんだと貴様!?」

 

 ーーー敵意を孕んだ言葉、しかしそれはまるでチワワが懸命に吠えている様でもあった。

 簡単に言えばシンは門下生達が依姫のような圧を感じることが出来ず、言葉しか出ない門下生に呆れを感じていたのだ。

 

「何度でも言ってやるよ!!オメェらは雑魚だッ!!」

< 良いぞ!もっと言ってやれ! >

「言わせておけばなんだこの負け犬野郎ッ!!」

「そこまでだ」

 

 言い争いをしていると絶対的な圧を伴った一言が両者へ下された。

 今度はチワワなんかじゃない、まるで龍。

 思わず場は沈黙し、振り返るとそこには真剣な顔をした玄楽が仁王立ちしていた。

 

「お前の行為は道場全体の質を下げている、自重しろ…シン、我が弟子の非礼を詫びる…だが我の顔を立てて許してやってくれ」

「…ウッス、師範…」

「チッ、仕方ねぇな…」

 

 行く当ての無いシンを受け入れた恩もあるので、シンは玄楽に従った。

 そして続々と門下生が道場に集まり、その中には依姫の姿もあった。

 目が合うと直ぐ目を逸らされてしまったが。

 

 玄楽は全員集まり、時計が八時を指したのを見計らって言った。

 

「今日は新しく我の道場に仲間が来た!出て来い!」

「…あい分かった…」

 

 皆に注目され、コソコソと話をされながら前に出る。

 烏合の衆の視線、一人を除いた全ての視線が気持ち悪く感じた。

 

「では、簡単な自己紹介を」

「…俺はシン、昨日喧嘩したから知っている人は知っていると思う、よろしく」

< おい!さっき言ってた奴は言わないのか!? >

(言う訳ねぇだろ!ついでに出て来てくれ!)

チッ、良いだろう…

「んでこっちがヴェノムだ、妖怪では無いから勘違いすんな」

 

 ヴェノムが渋々といった様子でシンの肩から出て来る。

 出て来た瞬間、ヒュッと誰かが息を呑んだようだが、妖怪では無いと理解したようで安心の空気が流れた。

「挨拶は程々に、早速だが訓練を始める!」

 

 玄楽は大声を出して、指をパチンと鳴らす。

 

 次の瞬間にはシンがリストバンドによって気絶させられていたあの大門の景色が映り込んでいた。

 先ほどまでの薄茶の床や天井ではなく、澄んだ青空と無骨で巨大な壁。

 

 シン達は混乱するが、優男や攻撃的女では無い門番や、門下生達はまたかといった涼しい表情をしていた。

 混乱するシンに話しかける人なぞいなく…いや、いた。

 依姫である、視界外からポニーテールが跳ね、シンに優しく語りかけたのだ。

 

「大丈夫ですか?師範は強引なので…すみません…」

「いや、お前が謝ることではない、そう言う力でもあるんだろう?」

 

 まるで超常的な、いや、人知を超えた力に混乱してしまったが、玄楽は天才依姫の父親、こういうことは造作も無いのだろうと無理矢理納得した。

 シンの疑問に答えるでもなく玄楽は叫ぶ。

 

「今からこの都市の外周を三周回れ!!いいか、能力は使わず四時間経つまでに走り終われ!妖怪やらの心配はしなくても良い!走ることに集中しろ!」

「…は?」

 

 シン達は耳を疑った。

 都市は巨大であり、その外周を周ろうと思うと一日は費やす。

 だが、ヴェノムを纏えば余裕だろうと考えていると。

 

「シンはその生身の状態で行け!」

「…マジか」

 

 玄楽はかなりスパルタのようだ。

 少し絶望するが、それでも身体能力は高いのでギリギリ間に合うだろう、そうシンは考えていた。

 しかし、その希望も虚しく打ち砕かれる。

 

「シン、お前はヴェノム無しの身体能力にすることは出来るか?」

「出来るか?」

<…出来る>

「出来るらしいが…まさかお前…」

「ああ、やれ」

 

 どうやら慈悲もないようだ。

 諦めて身体能力を普通にするようヴェノムに頼む。

 恐らくバレないように使っても、玄楽にバレるだろう、そう確信するほどにはシンは玄楽を認めていた。

 体の力が抜け、弱体化しているのが分かる。

 他の門下生が俺のことを笑い、依姫が心配そうな目でシンを見たが無視した。

 

「じゃあ、行くぞ!よーいッ!スタァーートォ!!」

「はっ!?っおい!」

 

 唐突にスタートを下され、シン達や門下生は走り出す。

 だが、門下生ぐらいならーーー

 

 そんな一条の希望すら無い。

 その速度が異常なのだ。

 他の人は韋駄天のような速度で駆け出し、依姫に至っては、正に弾丸だった。

 

「ざっけんなよ…!」

 

 シンはもう点になった人々。

 普通に走っても間に合わないだろう、そう感じたシンは初っ端から全速力で走った。

 

◆◆

 

 走り出して一分、もうすでにシンの息は上がっていた。

 全力疾走ならば十数秒持てばいいほうだが、もう背も見えない依姫のことを思うと、あの時の悔しさが蘇り、意地で全力疾走を保っていた。

 視界の端に何度も玄楽の姿が見える、正直気持ち悪い、まるで()()()()()()()かのように音沙汰もなく現れる。

 そんな存在に無性に腹が立った。

 

◆◆

 

 走り出してから、三十分が過ぎた。

 脇腹が痛く、腕を振る肩、足も痛い。

 依姫との距離が空いていることを自覚しながらただひたすらに走った。

 諦める訳には行かない、ここで諦めたら打倒依姫など夢のまた夢だと、己を鼓舞して走る。

 さらにヴェノムもシンを鼓舞してくれている、もっと早く走らなければ。

 

◆◆

 

 二時間、まだ一周の印である門番も見えず、文字通り血反吐を吐きながら走った。

 ヴェノムは心配そうな声を上げるが、シンはその声に応えることは出来なく、走ることにだけ集中していた。

 すると、門番の姿が見える、シンはやっと一周を迎えたことを喜んだ。

 途端、後ろから草を踏み締める音。

 シンはそれが何かは理解しようとはしなかったが、現実は残酷に状況を教えてくれる。

 依姫だった。

 そう、一周の差がついた。

 追い越された拍子に目と目が合い、彼女は玉のような汗を顔に浮かばせているのを読み取ることが出来た。

 シンは絶望し、もう諦めてもいいのではないか、という想いが頭をよぎり、否定した。

 彼女に勝たなければならない、と…

 

◆◆

 

 最早、時間も分からない。

 ヴェノムが何を言っているか分からない。

 ただ地獄のような胸の苦しみや鉛のような足をひきづる様な感覚を味わいながら、()()()()()()

 もっと早く、速く、疾く…

 喘鳴のような呼吸音が響き、喉から血が噴き出る。

 

◆◆

 

 気付けば依姫と並んでいた。

 ブチブチと筋繊維が千切れていくが気にはならない。

 一周差を巻き返すには、もっとハヤク走らねば。

 さらに()()()()()()

 門番を通り過ぎ、二周目を迎えたが、シンにそれを気付く余裕はなかった。

 

◆◆

 

 前に依姫の、背中が見える、追いつかなくては。

 シンは思考があやふやになり、音もあまり聞こえなくなっていった。

 追い付いた依姫が驚いた表情で何かを言うがよく聞き取れなかった。

 遂に追い抜かしたことについ笑顔を浮かべる。

 乾いた唇が裂け、血が噴き出す。

 門番が見え、通り過ぎる。

 その途端視界が真っ黒になり、地面に倒れ込んだ。

 

 




シンの好感度呼び方
テメェ(敵意)
お前、あんた(普通)
名前呼び(普通以上)

主人公、マトモじゃないのぜ。


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第七話 シンの"力"

ゆっくりしてね。


 シンはきっちり四時間使い果たして外周の三周をやり遂げ、その勢いのまま倒れ込んだ。

 慣性によって滑りながら減速し、砂埃が舞った。

 

 ヴェノムが三周を越した瞬間にシンの体に自身を纏わせ、傷を癒していく。

 筋繊維の千切れや、乾燥による喉の出血は治ったが、脱水症状や疲れを治すことは出来ない。

 

 依姫も程なくして追い付き、倒れているシンを見つけてはすぐさま駆け寄った。

 

 依姫はシンと並んでいたとき、シンは血涙を流し、吐血し、足からはブチブチと嫌な音が流れていたのを覚えていた。

 依姫はそのとき、直ぐに走るのを止めるよう命令したが、シンは更に疾くなり、追い越してしまった。

 何処にそんな力が、と疑問に思わずにはいられなかった。

 

 玄楽もいつの間にかそこに佇んでおり、大きな水筒をヴェノムに差し出した。

 依姫はシンの走っていた状態を知っていたであろう玄楽に言う。

 

「お父様!!どうしてシンさんを止めなかったのですか!?」

 

 何度も見ていたはずだ、文字通り血反吐を吐いていたシンの姿を。

 

「…ここでは師範と呼べ、そうだな、八意殿からシンが追い詰められ、()()()()()()()()戦闘をすると劇的に強くなっていくということを聞かされた。依姫も心当たりがあるだろう?」

 

 ヴェノムと出会う前にシンのことである。

 あの時も絶体絶命だったはずだが、狼妖怪の頭を叩き潰し、首を折った。

 確かに人間業ではない。

 依姫のときもそうだ。

 いくらその身に木刀を叩き込まれたとしても、軌道が見えるようになるわけでもない。

 ボクサーの素人がプロに絶対勝てないように。

 

「えぇ…ですが、これは…」

「あぁ…勿論シンが倒れたりしたら回収するつもりだった、だがシンはやり遂げた」

 

 シンはスタートの直後、全力で走ったがその速さは依姫の十分の一にも満たなかった。

 しかし、体を壊し、常に全力で走るシンは、依姫を追い抜いた。

 

「彼は進化しているとも言える速さで成長している、…恐らくこれが、彼自身の能力なのだろう。名付けるとするなら…そう、"適応“」

「…」

 

 依姫はシンを黙って見ている、その表情は計り知れない。

 シンはもう健康体そのものになり、ヴェノムによって無理矢理水筒の水を飲まされていた。

 玄楽は続けて行った。

 

「つまり、彼は限界を越え適応、強靭な肉体に体が作り替えられるが、更に限界を越え、それに適応…これを狙って我は無理難題を彼に吹っ掛けた、何故なら…彼は強くなりたがっていた、これが強くなる一番の近道だ、それは彼も分かっているだろう…」

「…何故…何故彼はそんなに頑張ることが出来るのですか…ッ!?」

「…さぁな」

 

 端正な顔を顰め、我慢ならないと言った様子で依姫が問う。

 しかし、玄楽は続々とゴールする門下生を見ながら、その質問を軽くあしらった。

 玄楽の視界の端にはヴェノムに頬をぺちぺち叩かれているシンが映っていた。

 

 最後の門下生がシンの前を通り過ぎたころ、ようやくシンは目を覚ました。

 雲にコーディネートされた蒼天、空気を吸うほど痛む喉、かなりの体の怠さ、ヴェノムに頬を叩かれる感触、心配そうに顔を覗かせる依姫、心無しか目を合わせない門下生達、と、情報量が多く、げんなりしながら起き上がる。

 

「シンも目を覚ましたようだな!一時間の休憩の休憩をやる!その次は剣術指南だ!!」

 

 玄楽は四時間前ここに来たように指を鳴らし、次の瞬間にはあの道場だった。

 二回体験しても慣れないものだ。

 

「な"あ"…ん"…?こ"え"が"…!?」

< 当たり前だ!!どれだけ走ったと思ってるッ!?しかもご丁寧に俺を無視しやがって!さっさと水を飲めッ!!後飯も食え!! >

 

 優しいのか厳しいのか分からないヴェノム。

 ただ、地獄のマラソンで依姫に勝ったという実感が沸々と湧く、無敵かと思われた依姫にだ。

 しかし、何故依姫に勝ったか解らない、あのペースでは間違いなく追いつけなかった筈だ。

 

「ど“う"す"る"か"…水"が"な"い“…」

 

 マラソンの謎は一旦置いておき、手元に水がないことに気付いた。

 更に飯も無い、周りは既に弁当やらお茶やらで寛いでいる。

 一応朝ごはん(黒い物質)は食べたが、まるで栄養が足りない。

 どうしようかと考えていたら、目の前にスポーツドリンクとおにぎりが差し出された。

 

「食べて下さい…弁当もないのでしょう?」

 

 依姫のようだ、こちらを見ずに、スポドリを地面に置き、おにぎりを手渡している。

 自身が敵視している相手に施しを受けるのは癪だが、好意は無駄には出来ないので素直に受け取り、感謝を示す。

 

「…あ"り"が"と"な“」

「…!はい…!」

 

 依姫はこちらに顔を向けないまま走り去ってしまった。

 言うまでも無いが依姫は美少女だ。

 道場のマドンナとされている彼女から、贈り物を受けたシンは、男子達、特に最初に道場で会った男子から怨念と嫉妬の篭った視線を浴びせられた。

 そんな男子達を、シンは威圧を込めて睨んでやるとすぐさま男子達は目を逸らした。

 …おにぎりは家庭的な味で丁度良い塩の塩梅、パリパリとした海苔が良いアクセントになり非常に美味だった。

 彼女は料理が上手いのであろうか、おにぎりを頬張りながらそんなことを考えていた。

 

 そんなこんなで一時間が過ぎた。

 もう喉も元に戻り、疲れも多少軽減された。

 玄楽は竹刀の束を持って現れ、大声で言った。

 

「まずは素振りだ!!各自、三千回しろ!終わったら空いている人と組手!!シンはマラソンのときと同じ状態でしろ!」

 

 やはりスパルタである。

 同級生がクスクスと嗤う中で、シンは心の中で闘志を燃やしていた。

 勿論、依姫のことだ。

 

(絶対依姫より早くに終わらせてやる…!)

 

 竹刀を掴み取り、依姫より早くに始まる。

 豪快に風を切り、竹刀の重さが肩にのし掛かる、思ったよりキツイ。

 何故か門下生達がニヤニヤとした表情でこちらを見て来た。

 

 苛立っていると、依姫が竹刀を振り始めるのを確認する。

 依姫は、竹刀を見惚れる程綺麗に振っていたが、次第にこちらをチラチラと見始める。

 お前もか…!と更に苛立つと、依姫が竹刀を振る腕を止め、こちらに歩み寄った。

 

「は…?」

 

 思わず声が漏れたが、依姫は構わず言った。

 

「貴方の素振りは早く振り過ぎて入らないところに力が篭っています、剣を振るときはこう!そんなことでは剣術は上達しませんよ!」

「あ、あぁ、分かった…」

 

 まさかの素振り授業の開始である。

 まさかシンがヘタクソ過ぎて周りはクスクスと嗤っていたのだろうか。

 面食らったシンは本来教える筈の側の玄楽を睨んだが、ニヤリと笑うばかりで動こうとしなかった。

 何処を見ているのですか!?と、透き通った声がシンの耳に入る。

 

 依姫から教わったように竹刀をを振ると、腕だけでは無く、腹、足まで筋肉を使い、その分スピードが遅くなっていった。

 対する依姫は恐るべきスピードで竹刀を振る。

 負けじと竹刀を振るスピードを速くしようとするが、依姫に教わったやり方から外れ、汚い振り方となってしまう。

 いっそこのままでもいいか…?そんな戯言が浮かぶが、それでは意味が無い。

 マラソンのときのように真っ向から、勝たなくてはいけないのだ。

 

 深呼吸し、意識を深い水に落とすように集中する。

 目を閉じ、自身から無駄な物を削ぎ落とすかのように動きを最適化するように意識する。

 

==========

 五百回に届く頃には、腕も上がらなくなってくる。

 目を開け、依姫を見ると息を切らさず、黙々と、それでも美しく竹刀を振る姿があった。

 対抗心が湧き、更に集中した。

 

==========

 千五百回目、ここまで何度も集中が途切れそうになるが、何とか意識を繋いできた。

 息が上がらないことに疑問を感じるが、自身が集中をするために忘れる。

 ヴェノムも空気を読んで黙ってくれている。

 依姫はあいも変わらず綺麗に振っている。

 あと半分、集中だ。 

 

==========

 二千五百回目、ここまで来ると息も上がり、意識しなくてもこの状態で竹刀を振ることが出来る。

 この状態が悟りか、それともただの疲労か。

 何も考えずに竹刀を振っていると、依姫が竹刀を振る手を止めた。

 こちらにまた歩み寄り、またシンに竹刀の振り方を教えるのかと思った。

 しかし、俺の前に座って動かない。

 そこで初めて気づいた。

 

(コイツ…もう終わっている…!?)

 

 何ということだ、シンは愕然とし、竹刀を振る腕を僅かに緩める。

 しかし、しかしだ、敗北を喫してしまったが、次の組手で勝利すればいい。

 心の中で鼓舞し、集中しながら竹刀を振った。

 

==========

 三千回目!遂に終了した。

 周りは息を上げながら、素振りをしており、終わったのはシンと依姫だけだった。

 

「よし…組手しろ、依姫…ッ!」

< やっちまえシンッ!!>

「受けて立ちます!」

 

 次こそは必ず勝つ…!シンは奮起し、道場に来て二回目となる剣戟が幕を開けた。

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ
能力公開、シンの能力は"適応"する程度の能力なのぜ。
だから、ヴェノムにも超完全適応したんですね、なのぜ。


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第八話 二度目 

何気ない一日、そして再戦だぜ、ゆっくりしていってね!


「よし…組手しろ、依姫…ッ!」

< やっちまえシンッ!!>

「受けて立ちます!」

 

 依姫は立ち上がり、シンを見据えてシンの挑戦を受けた。

 

 闘志充分、疲労もまるで気にならない。

 リベンジとなるこの勝負、負ける訳にはいかない。

 

 シンは何回も素振りをしたからか、自然に構えを取った。

 依姫はバックステップで距離を取り、同じくゆっくりと構えを取る。

 

 刀身の残像が残ると錯覚する程、惚れ惚れとした構えだ。

 弧を描く様に掲げられた竹刀。

 その名は、正眼の構え。

 

 鄒俊ほど睨み合いが続き、周りの門下生が竹刀で風を切る音をBGMとした静寂が展開される。

 

「…」

 

 呼吸すら憚れる空間。

 

 ーーー不意に、依姫が動いた。

 

 蛇を思わせる動きでジグザグに蛇行しながら接近したのだ。

 何処を狙って来るか分からない軌道。

 下手に対処すれば、それだけで決定打になり得てしまう一撃だった。

 

 しかし、シンはジッと依姫の竹刀を凝視し、その場から動かない。

 あっという間に袈裟斬りが決まーーーらない。

 

 ギリギリとところで竹刀を滑り込ませることに成功し、不器用だが、しゃがみながら受け流がすことに成功した。

 

(出来た…ッ!)

 

 そしてガラ空きとなった依姫の腹に竹刀を叩き込もうとした。

 しかし、依姫は前方に飛び込むようにしてこれを回避した。

 依姫の華奢な身体に竹刀が掠れる。

 

 依姫は体を捻り、シンの方を向いて着地する。

 依姫は飛び込んだ位置的に10m程離れている筈だが、シンは嫌な予感を感じ、振り抜いた腕ごと回転するように体の向きを反転し、()()()()依姫に向き合った。

 

「ーーーッ!?」

 

 依姫が行ったのは、居合。

 しかし、飛び出した音すら響かせずに目前に迫ったその技術は正に極地。

 シンはその事実に驚嘆し、繰り出された刺突を無理やり体を逸らし、なんとか紙一重で避けることができた。

 刺突は恐るべき疾さであったが、先日の決闘でその疾さには慣れており、動体視力がなんとか追いついた形で避けることが出来た。

 

 依姫もまさかこの一撃を避けられるとは思わなかったようで、無防備な体を晒している。

 絶好のチャンスだが、無理矢理体を逸らしたためか、追撃を送ることは出来ず、お互いに距離を取って剣戟は一時中断された。

 

 シンは互角とは言えずとも、依姫と渡り合えていることに高揚を隠せず、同時に剣戟自体に楽しさを覚えていた。

 

 今度は鄒俊も待たず、弾き出すようにシンは飛び出した。

 直線的な移動で、必ず読まれ、カウンターを喰らうだろうが、シンはこれ以外に攻め方を知らなかった。

 依姫と同じように袈裟斬りを放つ。

 しかし彼女はシンがやったようにしゃがんで受け流した、彼と違って洗練された動きだった。

 

 シンは丸々運動エネルギーの方向を変更され、体勢を崩し、その隙を依姫に突かれるーーー筈だったが。

 シンはなんと体勢を崩した状態から片足を軸にして回転し、しゃがんでいる依姫に強烈な脚撃を竹刀越しに喰らわせた。

 完璧すぎる受け流しが災いし、充分な速度を兼ね備えた脚撃は、依姫を意表を突き、依姫との戦闘で初めてマトモな攻撃を加えることが出来た一瞬だった。

 

 実践ならば恐らく脚をスパッと斬られて終わりだろう。

 しかし、これは試合、一撃は一撃だ。

 

 依姫はこの一撃には応えたようで体勢を変えずに吹き飛ばされ、苦い顔をしている。

 そして、彼女は竹刀を鞘に収めるような動作をして、小さく息を吸い、顔を上げた。

 

 まさかと思った瞬間には依姫の姿は掻き消え、力強い響きが耳をつんざくと共に脇腹と鳩尾、胸に衝撃が走った。

 

「カハッ…ッ!!」

 

 息を強制的に吐き出されるようにしてえづき、膝をつく。

 依姫のあの構えは間違いなく居合の類いだった。 

 しかし、実際に攻撃を受けたのは三箇所、あり得る筈が無い。

 つまりそれは…数コンマにも満たない時間の中で三撃を加えるということで。

 卓越した…いや、希代の天才にこそ出来る剣技であった。

 

 依姫とシンの間に壁を実感し、才能に嫉妬し、弱い自分に反吐が出る。

 そんなことを思っていると、当の本人から手が差し伸べられた。

 

「大丈夫ですか…?」

「…ああ…」

<お前はよくやった、ドンマイ>

 

 依姫の紫がかった緋色の眼が膝をついたシンを映す。

 心の中でヴェノムが励ましてくれる。

 

 少しナーバスになってしまったが今勝てないのなら次勝てばいい、次勝てないのならばその次に勝てばいい。

 そう心に決め、依姫の手を取り、再戦の意を示した。

 

◆◆

 

 そうして一日の稽古が過ぎた。

 

 稽古と言っても依姫との戦闘だけ。

 玄楽から教えてもらう様な事は何一つしていない、それは今日に限った話では無いが。

 

 依姫と戦った方が経験値が高いからだ。

 

 取り敢えずの戦績は百二十五戦、百二十五敗、惨敗である。

 しかし、勝てる場面も少ない訳ではなかった。 

 依姫の剣技も多少見切れるようになり、絶望感を感じることは無かった。

 

 日々成長する自分に満足感を感じ、解散した後、食堂へ向かいタダ飯を食らう。

 そう言えば、何故ここまで設備が充実しているのだろうか、食堂は無料、宿泊も無料、大浴場も付き、天国のような有様である。

 しかし、食事中、山盛りの団子を持った依姫が当たり前のように横に着席した。

 文句を返したが。

 

「ここがいいんです!」

 

 とのこと。

 他の席に座るよう命令したが、テコでも動かない、強情女の再来である。

 

 仕方なくその席に座ることを許諾し、何故ここまで設備が充実しているか質問する。

 すると、依姫は団子を頬張りながら答えた、さながらウサギである。

 

「本来、綿月の家系は軍の重鎮という立場です。ムグ、しかし、お父様が、新人の育成に努めたいという要望を上層部に提出し、お父様の実績から許可されました、その後は第一戦を退き、ムグ、多額の資金を貰いながらこの道場で稽古をしています。この設備の多さは、その資金を利用しているからなのでしょう、ゴクンッ。」

 

 お前は食べるか喋るかどちらかにしたらどうだ、その旨を依姫に伝えたが、彼女はどこ吹く風である。

 しかし、成程、この無料尽くしも納得した。

 シンは早々に飯を平らげ、食堂を去った。

 依姫があっ…と悲しそうな声を上げたが、無視した、面倒臭いし。

 

 シンは自分の部屋で時間を潰した後、大浴場へと向かった。

 この一日でかなり汗をかいたものだから風呂に入れるのはありがたい。

 大浴場は湯煙が多く、露天風呂も付いていた。

 運の良いことに人はおらず、湯船に浸かり、ヴェノムと話す。

 

「なぁヴェノム…お前は満足しているか…?俺はしてないがな…」

 

 勿論、依姫のことだ。

 奴を倒すことがとりあえずの目標だ。

 

そうだな…俺も満足していない…俺の星の奴を見返すことも出来ていないし、外に出て、暴れもしたい…!!

 

 そうか、一言返し、今度また壁外で暴れようかと考え、数十分か浸かったのち、風呂を出る。

 ふと、自分の胸の三本線や右腕の傷の痕に目をやった。

 狼妖怪に襲われたのも、今となっては懐かしいことだ。

 

 そう思いながら自分の部屋へ向かい、ベットに埋もれる。

 依姫との剣戟を思い出しながら眠りに入った。




なるほど、一日中その子(依姫)のことを考えている?
それは…恋(ry

ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
奴隷が出しゃばって有る事無い事喋ってますが気にしないでくれだぜ。


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第九話 休日と“なんでも"

毎日投稿出来なくて申し訳ないのぜ。
奴隷にしっかり言い聞かせておくのぜ。
それはそうとゆっくりしていってね!


 依姫との二度目の試合から数日が経った。

 走って、試合をして、敗れる。

 剣を撃ち合い競り勝ちながら受け流されを繰り返し、学習しても依姫はシン達を上回り。

 そうして勝負の合計は、千回以上に昇っていた。

 

 ーーーそして同時に、シン達は依姫に未だ一度も勝つことが出来ていなかった。

 

 そうやってしばし憂鬱な気分に陥っていたある日、シン達は相変わらず依姫に何度も喧嘩を売っていた。

 勿論そんな状態で勝てる筈も無く、幾度も竹刀で体をしばかれて地面に倒れ伏す。

 

「大丈夫ですか…?」

 

 少し心配した様な顔持ちでこちらの瞳を見詰め、手を差し出す依姫。

 

「…当たり前だ、もう一度やるぞ」

ファイトだ!なんならチアガールでもやってやろうか?

「うっせぇぞヴェノム」

 

 そんなやり取りを間近で見ていた依姫は差し出した手はそのままに、クスクスと笑う。

 そして、窓の方向を指差して言った。

 

「ふふっ…仲が良いんですね、でももう夕暮れ時ですよ?そろそろお開きにしませんか?」

「むっ、もうそんな時間か…」

 

 指差した方向からは燃えんばかりにオレンジ色の光が差し込んでいる。

 帰りの支度を始める門下生も見られ、シン達は依姫の言う通り、名残惜しいがここいらが潮時だと感じた。

 少し残念そうに竹刀をしまうシンだったが、その瞬間。

 

 傍観に徹していた玄楽が全員にあることを語った。

 

「聞け、明日は休日だ、ストレス発散するなり出掛けるなりなんでもして来い」

「…はぁ?」

 

 告げられた内容は、明日は休日だという事。

 

 唐突に休みを告げられても、することもないし、むしろ修行して一刻も早く依姫を超えたい。

 シン達とは反対に喜色を浮かばせた門下生の皆が寮へ帰り、休日はどうするか思案に耽っていたところ、玄楽から声を掛けられた。

 

「シン、八意殿から休日に医務室へ来るように、と言う伝言を預かっている、いつでも来ていいとのことだから、準備ができたたら行くといい」

 

 …どうやら用事ができた様だ。

 

 はて、何が望みだろうか、いつかになんでも言ってくれと大言を溢してしまっているので、冷や汗がタラリと落ちた。

 人体実験だろうか…そう恐れながら寮へ行き、一日を終えた。

 

◆◆

 

 翌日、食堂で軽く食事を済ませたシンは重い足取りながらも地図を片手に道場を出た。

 コンクリートの地面を踏み締め、一度体験した道だからか、軽快に永琳の医務室への道を辿っていく。

 

 その道すがら、依姫、そして隣に歩く全周につばのついた白い帽子を被る金髪の少女にばったり出会った。

 

 依姫はどうやら私服のようで、半袖で襟の広い白シャツのようなものの上に、右肩側だけ肩紐のある、赤いサロペットスカートのような物を着ており、腰に斜めに巻いているベルトのバックル部分には、剣の紋章があしらってあった。

 妙にお洒落である。

 そして、もう一人は長袖で襟の広い白いシャツのようなものの上に、左肩側だけ肩紐のある、青いサロペットスカートのような物を着ており、腰に斜めに巻いているベルトのバックル部分には、鏡と思われる紋章があしらってあった。

 

 依姫と対照的な奴だ、それが第一印象だった。

 

 依姫はこちらを見るなり慌ただしく挨拶した。

 

「あっ!シ、シンさんおはようございます!?」

「あ、ああ…おはよう、隣のあんたは誰だ…?」

「…?」

 

 隣の少女はきょとんとした顔でシンを見るが、やがて何かに気がついたのか、ニヤニヤとした表情でシンをを横目で見て言った。

 

「もしかして…彼氏!?」

「ちっちがっ、違います!!」

 

 彼女は林檎のように紅潮した顔を見て、ニヤニヤとした顔から一変、大輪の花のように笑顔を浮かべ笑った。

 

「あははは!!図星じゃな〜い!?今日は赤飯よ〜!」

「だ〜か〜ら〜!違いますって〜ッ!!」

 

 依姫は腕まで赤く染まった手で少女をポカポカと叩いていた。

 ーーーあぁ、面倒臭い奴が来た。

 大声によって通りの人の視線が集中する中で、対面しているシンはこの惨状を見て、そう悟りを開いていた。

 

<前々から思ってたけどな…お前随分と好かれてんだなぁ?>

「はぁ〜………」

 

 兆候は感じていた、ご飯のお裾分けや食堂で隣に座られたことなどだ、しかしそれをただ認めたく無かっただけで。

 正直なところ、依姫のような美少女に好かれるのは吝かではない、むしろ歓迎だ。

 

 ただシンが打倒すべき敵と認識しているせいか、恋愛感情を向けることは出来なかった。

 とりあえずシンは、今目の前で起こった出来事を無視しつつ、もう一度尋ねた。

 

「あー…盛り上がっているところ悪いが、あんたの名前は?」

「あら、豊姫よ、綿月豊姫、貴方達のことは依姫から聞いているわ、よろしくシン、ヴェノム」

「よろしく」

おう!

 

 シンとヴェノムは握手に応じながら、依姫と豊姫について考えていた。

 成程、依姫の姉妹か、先程のやりとりやこの距離感の近さも納得出来る。

 しかし、堅物の依姫の姉妹となると、更に頑固な堅物だと思っていたが、こうも対面すると天真爛漫な性格で依姫の性格とは真反対であった。

 そこで依姫が豊姫を叩くのを中断し、慌てて口を開いた。

 

「ちっ違いますからねッ!別に貴方が好きとかそう言うのとかじゃなくて…そう!修行仲間…?いえ、友達として好きと言うことですからねッ!!loveではなくlikeです!!!」

 

 依姫は林檎顔のまま、最早自分に言い聞かせているのではないかという程の気迫で訂正を促した。

 かなりの大声だったので、更に視線が集まり、その中には微笑ましいものを見ているような、優しい瞳を向ける者までいた。

 自分で墓穴を掘り、更に大衆の面前で暴露するように言った依姫が哀れに思え、挨拶もそこそこにその場を立ち去ろうとした。

 

 しかし、腕を引き留められるような感覚を味わい、後ろを見る。

 そこには豊姫が迫ってきており、そのままの勢いで耳元まで接近し、あることを呟いた。

 

「依姫を不幸にしちゃダメよ」

 

 そばにいた依姫にも聞こえないほど小さく発せられたその言葉に、俺は努力する、と返し、今度こそその場を後にする。

 

姉さん!彼に何を言ったの!?

ふふふ♪さぁね〜

 

 後ろからそんな声が聞こえ、温かい視線も霧散し、シンは永琳のいるだろう医務室へ向かった。

 

◆◆

 

 今度は何事もなく永琳の医務室へ到着出来た。

 殺風景なほど真っ白な通路をコツコツと歩き、医務室のドアを開けた。

 

「あら、待っていたわよ」

「単刀直入に言う、なんで俺達を呼んだ?」

「もう少し愛想良くした方がモテるわよ?」

「うるせぇ」

 

 永琳は椅子に座り、初対面の時とは違い、白衣ではなく、青と赤から成るツートンカラーの服を着用し、更に上の服は右が赤で左が青、スカートは上の服の左右逆という、奇妙な配色をしていた。

 永琳はシンの質問を軽く受け流すが、本題に入った。

 

「ここに来て貰ったのは他でもない、かっこよくて逞しいヴェノム、引いては貴方の研究をするためよ」

「…やっぱりか」

体を弄られるのは癪だが、そこまで言うなら手伝ってやろう

 

 ヴェノム、チョロいぞ…そんなことを思ったらヴェノムが頭を出し、頭突きをした。

 何故だかデジャブを感じた。

 永琳はそんなシン達を横目に、ある薬を差し出した。

 

「これはなんだ…?」

「これはーーーー」

 

◆◆

 

 実験が終わったのは数時間後してからだった。

 昼も飯を貰い、食事中も検査をされた。

 

 とは言え、お陰で様々なことを知れた。

 ヴェノムが他の生物、特に人間に共生しようと思うと、適応せず死んでしまうことが多いこと。

 ヴェノムは宿主に応じて能力が変化すること。

 本来、シンビオートと共生したら攻撃的な性格になることetc

 

 そしてこの一時間、永琳はずっと実験を繰り返していた。

 横顔からは真剣な表情が見え隠れし、その瞳からは貪欲な知識欲を感じられた。

 

 三十分程前から顕微鏡を覗いたり、薬品を加えていたりしていた永琳は、はぁ…と、溜息を吐き、俺にあることを尋ねた。

 

「貴方、()()()()()気ある?」

「はぁ?…今のところ無いが…唐突にどうした?」

そもそも今の時点で人間では無いだろう?

 

 永琳はヴェノムの指摘を華麗に無視し、顕微鏡で覗いていたモノをビーカーに移して言った。

 

「今作ったモノはヴェノムの弱点である超音波や熱に耐性を付けてみようと試作したモノなのだけれどもね…失敗して少し性質がおかしくなって…」

なんだと!?飲ませろ!!

「落ち着け、ヴェノム…で?何が失敗してどう変化したんだ?」

 

 自身の弱点が無くなる可能性があると知り、ヴェノムが頭を永琳に詰め寄るが、シンがそれを制止し、永琳に尋ねた。

 

「えーと、ね…まず熱、音波耐性付与自体がなくなって、しかも飲んだら二度とヴェノムと離れられないわ」

「つまり、一生頭の中にヴェノムが住み続けるってことか…」

「二つ目に体がスライムみたいになるわ」

「…」

 

 俺の頭に黒いスライムでずっと森を彷徨う姿が思い浮かんだ。

 目線が低く、べちゃべちゃと体を引きずり、誰にも受け入れられない…想像しただけで体が震えた。

 永琳は続けて言う。

 

「要はヴェノムがそのまま人間になったような物よ、腕を切断してもくっ付く、そんなことが出来るようになるわ」

 

 良かった、危うく正真正銘の化け物になるところだった。

 

「最後に三つ目、不老になるわ」

「…は?」

ほう?

 

 耳を疑う一言が聞こえた、不老?

 ヴェノムが興味深そうに身を乗り出し、永琳を睨む。

 

「ヴェノム自体がかなり長命な生物みたいでね、適合性の高い貴方が…そうね、仮に同化と呼びましょうか、同化するとそれこそ不老に近い寿命を得るのよ」

「成程な…」

良いじゃねぇか!!

 

 ヴェノムは歓喜し、口を開けて笑うが、シンはあまり気が進まないようだった。

 少し考える仕草をしたシンはこう答えた。

 

「…保留だ、今は決められない…だが、それを貰ってもいいか?」

「いいわよ、賞味期限は無いし、保存方法も適当でいいわ」

「助かる」

 

 正直人間を止めるのは吝かだ。

 ヴェノムは賛成のようだがシンは違う、決断は今すぐする必要は無い。

 腐るわけではなさそうなので容器に入れて、ポケットに突っ込んだ。

 

「…これで終わりか…?」

「まだまだあるわよ、ざっと五十個ぐらい」

マジかよ…

 

 シン達は頬が引き攣り、なんでもなんて言わないほうが良かったと思った。

 

 数時間後、永琳はニコニコホクホクと満足したような顔で、反対にシン達はげっそりとした表情だったというそうな。




ご拝読、ありがとうなのぜ。
ベルルー様、評価☆9ありがとうなのぜ。
あぁ^〜たまらねぇぜ!なのぜ。


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第十話 人ならざる力

ゆっくりしていくよ!


 シン達はありとあらゆる実験を施され、地獄のような拘束が終了したのは夜を迎えた頃であった。

 あちこちに注射器や実験器具が散乱し、流石のヴェノムも沈黙してしまった。

 

 永琳はカルテを見ながらニコニコホクホクしており、充分実験し尽くし、自身の知識欲を存分に満たせたのだろうと感じさせる。

 対照的にシン達は生気がなくなってしまい、椅子に背をもたれながら、暫くそこで精神を休ませていた。

 

 やがて立ち上がり、出口を向かう。

 

「…これで貸し借り無しだ、じゃあな」

「また来てね〜♪」

「二度と来るか」

 

 ヴェノムは日が斜陽に移ろうというところでうんともすんとも言わなくなり、別れのときでも沈黙を貫いていた、哀れなり。

 シンはシンで永琳の返事に悪態を吐き、殺風景な廊下を抜けて、外へ出た。

 

 地上は月光とネオンに照らされ、何故だか満点の星空が夜空を彩っていた。

 恐らく科学の力だろうか、ネオン輝く都市には星空は現れない筈だが…そう考えたが、夜風が頬を撫でたため、思考が霧散する。

 

 シンは深いことは考えず、ビルの間に佇む星空を眺めながら、ゆっくりと道場へ戻るーーー筈だった。

 

 元気を取り戻したヴェノムが驚きの提案をした。

 

< 折角だ、ビルの上を行こうぜ >

「…いいぜ、ストレス発散といこうか」

 

 体をビルのほうに向き、ヴェノムを纏う。

 漆黒が体を侵食し、マスクのように顔が飲み込まれ、体はマッシブになる。

 体が歓喜するように震え、夜に向かって咆哮した。

 

オ"オ"ォ"ォォ"ォオ"オ"オ!!!!

 

 即座にコンクリートにヒビを入れるほど地面を踏み抜き、大砲のように数十メートル飛ぶ。

 地に落下しようというところでビルの壁に爪を立て、バキバキと音を立てながら登る。

 ビルに鋭利な爪ののような跡が残るが知ったこっちゃない。

 

 屋上に手が届き、勢い良く天に飛び出した。

 空に鎮座する月をバックに悪魔があまねくネオンが包む街を睥睨する。

 見つけた、帰るべき道場だ。

 

 ビルの屋上に着地し、駆け出した。

 ビルとビルを縫うように飛び走り、肩で風を切る。

 

 久々にヴェノムに纏ったからか、気分が良い。

 恐るべきスピードで移動し、次のビルへ飛び移るーーーところであるミスを犯した。

 

 死角となっていた足元の配管につまづいてしまったのだ。

 あっ、と思った次の瞬間には天地が逆転していた。

 つまり、頭から落下したのである。

 

 普段なら避けれた脅威だったが、気分が高揚したからか、注意散漫になっていたようだ。

 何とか空中で体勢を立て直し、決して小さくない衝撃音と共に路地裏に着地した、地面に蜘蛛の巣状に亀裂が入ったが。

 

 路地裏だったためか、大勢の人には見られなかったようだ。

 しかし運悪く、空色の髪をしたウサギ少女ー路地裏を近道として利用したのだろうーが、突然空から現れたシン達を目撃したようで、驚きでへにゃりと座り込んだ。

 

おっと、だいじょ…

「ぴぎゃああぁぁぁああああ!?!?!?」

 

 倒れ込んだウサギ少女にシン達は手を差し伸べたが、ウサギ少女は泣き出し、奇声…いや悲鳴を上げながら脱兎の如く逃げ出してしまった。

 当たり前だ、空から化け物が現れ、その化け物があたかも自分を喰らおうと手を差し伸べたのだから。

 

 シン達は悲鳴を聞いた通り掛かりの人々が現場に集まるのを察して、壁を伝って屋上に逃げ出した。

 人が集まりだし、蜘蛛の巣状にヒビ割れた地面を見て焦り、青褪めている。

 

(危なかった、あのままあそこにいたら化け物認定されるところだった)

<元はと言えばお前が足を引っ掛けたのが原因だろう?>

(うっせぇ)

 

 慌てる人々を背にシン達は去って行った。

 

 数分後、シン達は道場に到着し、例の薬ー仮に同化薬と呼ぶーを保管し、何事を無かったようにベットに沈んだのだった。

 

===========

 朝、シン達は柔らかな日差しを感じて起床した。

 寝ぼけ眼を擦りながら同化薬を手に取り、ラベルに書かれた効果を確認する。

 

 細胞同士の融和による人外化、それにあたって不老化、身体の流動化と固形化が自由自在に。

 注意書には熱、音波耐性は付かないのであしからず、と記載されている。

 

 文字通り人を止める覚悟が必要になるが、まだ決断の時ではない。

 時刻は七時五十分、同火薬を机を上に置き、軽い準備をした後に道場へ向かった。

 

===========

 いつも通り外周を走り終わり、いざ剣術訓練をするところが、玄楽がメルヘンチックなことを言い出した。

 

「よし、全員三周したな!道場に行った後は()()()()をするぞ!!」

 

 浮立つ門下生達、まるでこのために修行を行ったと言わんばかりの騒ぎようだった。

 反対にシン達は頭の中がハテナマークで埋め尽くされていた。

 霊力とは何だ?

 

 字面からして何かしらのパワーだろうか、そう思案していたら、玄楽が指を鳴らしてシン達を道場へ瞬間移動させた。

 この力も霊力なのだろうか、また思考に耽っていると、玄楽が口を開いた。

 

「知らない奴のために一応説明するが、霊力とは人間が内に持っている力だ!妖怪なら妖力や魔力、神様なら神力と言ったように名称が分けられている!しかし、その力の本質はあまり変わらない!普通に暮らしていらばほぼ実感が湧かないが…」

 

 玄楽が霊力について説明し、最後に人差し指を立て、その先に光の球を出現させた。

 

「訓練すれば、こんなことも出来る」

 

 光球を玄楽の頭の上で回転させ、パッ、と消した。

 そのデモンストレーションのような解説を前に門下生が目を煌めかせる。

 無論、シンもその中の一人であり、戦術の幅を広げられることに歓喜した。

 しかし、肝心の霊力の操り方が分からない。

 それを聞こうとする前に、玄楽が言った。

 

「霊力を操る、又は発現する方法…それはただひたすらにイメージトレーニングを続けることだ!詳しく言うと己の心の中の霊力を知覚し、それを外に出す…これが出来るまで瞑想してろ!」

 

 ぶっきらぼうに玄楽は言い放ち、その言葉を聞いた門下生は一人、また一人と霊力を感じるため、意識を深くへ落としていった。

 依姫やシンも瞑想を始める。

 道場はこれまでにないほど静寂に満ち、それがまた彼らの集中を深くしていった。

 

===========

 最初に声を上げたのは案の定、依姫だった。

 何かを感じ取ったように肩を震わせ、霊力の塊を掌から放出する。

 

 依姫に感化されたのか、次々と霊力の顕現に成功する者が現れ始め、遂に成功していない者はシンだけになってしまった。

 シンはどれだけ瞑想しても、意識を集中させても、その暗闇から光を見出すことは出来ず、周囲から一人霊力を感じることが出来ていないと罵倒される声にも気付かないほど集中した。

 

 しかし…()()()()()()

 シンはヴェノムに問う。

 

(なぁ、ヴェノム…俺にそんな力なんてあるのか…?)

< 正直なことを言うと…()()()()()()>

 

 簡単な話だ。

 才能がない、ただそれだけだった。

 また依姫との差が開き、愕然とする。

 勝てるのはマラソンだけ、勝負に善戦はしても勝てはしない。

 ならば…ならば俺に何が出来る…ッ!?

 

 そうやって黒い感情が湧き出るのを感じ、激しく自己嫌悪する。

 

 顔を俯かせるシンの瞳に誰かの顔が映る。

 依姫だった。

 俺に好意を抱く奴、天才に嫉妬を抱く俺、どれだけ頑張っても手の届かない虚しさ、常に先をいかれる焦り、どうしようもない不感情。

 溢れ出る思いを溜息として流し、やはり天才に勝とうなどという考えは、無駄だったのだろうか、とシンは思った。

 

 しかしシンの愚痴を黙って聞いていたヴェノムが爆発したように心の中で口を開いた。

 

< ふざけんじゃねぇッ!!!何が無駄だッ!!お前は何のために修行した!?お前が限界を超えて挑んだ者はなんだ!? >

(依姫だ…)

< そうだろう!?お前が無駄だと思った試合も!技術が無くても食らい付いた勝負も!!限界のその先まで行ったあのマラソンも!!無駄な物じゃねぇッ!! >

(けど…けどよ、勝てねぇんだ…ッ!)

 

 ヴェノムが発破を掛け、いつしか言葉にした台詞を吐いた。

 

< 言っただろう!!俺とお前が組めば()()だと!!あの言葉に嘘は無い!それは今もッ!これからもだッ!!お前は…俺の言葉を嘘にする気か!? >

(そうか…そうだ…!俺達は負けねぇ…ッ!)

< そうだッ!!例えお前が無駄だと言っても、俺が声高らかに無駄にならないと言ってやろう!!シン!!それにお前は言っていただろう!“勝てないなら、次勝てばいい“と!!勝つまでやれッ!!勝ってあの女の顔をくしゃくしゃにしてやれッ!! >

(…ッ!!…ありがとな、ヴェノム…)

 

 ヴェノムがヴェノムらしく無い。

 心の靄が消えたような感覚だ。

 …そうさ、今負けても、次勝てばいい、次勝てないのなら、その次に勝てばいい。

 そうして得た一勝は千金に勝る価値がある…ッ!俺の努力は無駄では無かったと!証明してくれる!!

 

 少し、涙が滲んでしまったが、シンは立ち上がり、依姫に向かって宣誓した。

 

「依姫ッ!いつかお前を倒す!!霊力が無くても、お前を捻じ伏せてやるッ!!覚悟しておけ!!!」

 

 周囲がなんだとばかりに注目し、依姫も目を見開いていたが、すぐに返事を出した。

 

「受けて立ちましょうッ!!」

 

 こうして、シン達は依姫に勝つ、という意志を固め、日々の修行に没頭して行った。

 依姫を超える日は近いだろうか…




ご拝読、ありがとうなのぜ。
シン達、臭いですね、これは青臭い…のぜ。
詰め込み過ぎましたが、許して下さいなのぜ。


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第十一話 神降

ゆっくりーみていってねー!


 シン達が決意を固め、数週間が経った。

 剣術訓練ではぶつかり合い、敗北するが、確かに勝利へ近づいていく感覚があった。

 霊力訓練では霊力を行使する依姫に勝負を挑んだ。

 

 霊力とは便利な物のようで、牽制の霊力弾、身体強化、五感強化など、使用方法は多岐に及んだ。

 流石の玄楽もハンデが大きいと判断したのか、シンにヴェノム無しの身体神経から、ヴェノム有りの身体神経にすることを許可した、流石にヴェノムを纏うことは許されなかったが。

 

 それでも勝つことを叶わなかった。

 最初は接近すら許されず、一方的に霊力弾で打ちのめされたが、何度も試合の回数を重ねると、霊力弾を掻い潜り、依姫の懐へ潜り込むことが出来るようになった。

 

 しかしいざ剣戟に持ち込もうと思っても、身体強化された依姫の一撃に鍔迫り合いすらもマトモに出来ず、叩きのめされた。

 

 そして数十戦後、そのときが訪れた。

 

「貰ったァああッ!!!」

 

 何度も打ちのめされ、叩きのめされたシンは僅かながらも膂力を増していき、依姫に匹敵する力を手に入れたのだ。

 幾度も敗れた鍔迫り合いに辛勝し、体勢の崩れた依姫目掛けて、岩すら粉砕するであろう力で竹刀を振り落とす。

 

 しかし相手は依姫、体勢を崩した状態で身を捻ってシンの一撃を避けて見せた。

 渾身の力だったため、回避にカバーすることが出来ず、竹刀は道場の床を激しく穿つ。

 

「あがァ!?」

 

 ガラ空きとなったシンの横腹に依姫の竹刀が叩き込まれ、シンの体が横にくの字となって吹き飛ばされた。

 隣で打ち合いをしていた男女に突っ込んでしまい、一言謝ってから諦めずにまた依姫と再戦する。

 

 依姫は体力切れ、もしくは霊力切れを起こさず、そこでも才能を感じられる。

 …結果的にまた敗北してしまったが、余り悔しくはない。

 なぜなら、成長を感じることが出来るからだ。

 手も足も出ない依姫に、ついさっき手が届いた、これほど嬉しいことはない。

 

「もっとだ…ッ!もっと戦えッ!」

 

 依姫は竹刀を構えることで答えを示し、シンも依姫に向かって飛び出した。

 

◆◆

 

 数ヶ月が経った。

 他の門下生は敵ではないほど成長し、自分でも驚くほどの成長スピードだとも思う。

 依然勝利をもぎ取ることは出来ていないが、かなり近付いている。

 

 依姫との戦いで何度も勝利のチャンスは訪れているが、それでもあと一歩が届かない。

 

 そんなとき、シンはあることを思いつき、解散する前に依姫を呼び止め、誰も居なくなったらここに来るように言った。

 戦うためである。

 しかし、本気で。

 シンはヴェノムを纏い、依姫は持っているだろう能力を使用してぶつかり合い、あと一歩を踏み越える。

 それがシンの狙いだった。

 

「依姫、一時間後ここに来い、準備もしておけ」

「…!はい…」

 

 依姫は顔を赤らめ、目を逸らしながら言った。

 俺は承諾の意を得ることが出来、ニヤリと笑って道場を去る。

 しかし、何故顔を赤らめる必要があったのだろうか?

 気分でも高揚したんだろうか…?

 

◆◆

 

 一時間が過ぎ、二本の木刀のうちの一本を床に置く。

 何故木刀か、それは刀や剣と同じように重く、実戦に近い形で運用することが出来るからである。

 

 そして、扉が開いた。

 私服姿の依姫である、扉の奥から光が差し込み、オレンジ色の後光が依姫を照らしている。

 

 依姫は緊張したような顔であり、冷や汗を掻きながらこちらへ歩んだ。

 

「依姫…!」

「ひゃいっ!?」

 

 依姫の顔が紅潮し、受験の合格を祈る学生のように目を瞑って返事を待っている。

 

「…俺と本気の勝負をしろッ!!」

「はいっ!よろこ………へ?」

 

 静寂がその場を支配した。

 依姫は目をこれでもかと見開き、何を勘違いしているのか知らないが、シンに何を言ったのか尋ねた。

 

「……今…なんとおっしゃいましたか?」

「だから、俺と勝負しろ、本気で、全身全霊で」

今度こそ叩き潰してやるよ!!

 

 依姫は深いため息と共に小さく呟いた。

 

えぇ、わかってましたよ…どうせそんなことだろうと思っていました…はあ…

 

 小声でも聞き取れる。

 まさか告白でもされると思ったのだろうか…一時間前の依姫の紅潮や、今の言葉…間違いない、依姫はそう勘違いしていた。

 どこか居た堪れない依姫は強引に地面の木刀を手に取り、鬱憤を吐き出すように言った。

 

「えぇ!やりますよッ!受けて立ちますよッ!!」

「もう一度言おう…本気で来い!能力も霊力も使ってッ!どちらかが気絶し、敗れるまで、全身全霊で来いッ!!」

 

 シンと依姫は木刀を構え、開戦の時を待つ。

 合図などいらない、必要なのは絶対に勝つという覚悟。

 

 やがてキシリ、と、床の木材の軋む音がした。

 

 それが勝負の始まりだった。

 両者共々走り合い、雄叫びを上げながら意識を刈り取らんと木刀を振るう。

 

 両者の剣は吸い込まれるように惹かれ合い…爆音、木刀を叩き合ったとは思えない音が響いた。

 数ヶ月の訓練で既に霊力強化の依姫に匹敵する膂力を持ったシンは、鍔迫り合いに軽く勝利し、依姫を吹き飛ばす。

 

 吹き飛ばされた依姫は空中でクルリと回転して、着地し、その身からオーラのような何かが噴き出るのを感じた。

 霊力か…!そう考えた時には依姫の姿は掻き消えており、身体中に衝撃が走った。

 

 痛みに耐えながら、依姫が圧倒的な速さにヒットアンドウェイを繰り返していると気づいたシンはその身をヴェノムを纏わせ、駒のように身体中から鈍器を生やして回転した。

 その攻撃は風を巻き込み、嵐のような姿となって依姫を撃墜せんとする。

 依姫はこの攻撃に不意を突かれたのか、減速せず、マトモに攻撃の嵐を受けて道場の壁に激突した。

 

 壁は隕石が墜落した地面のように凹み、頭から血を流した依姫が這い出て来た。

 

こうやって対面するのも久しぶりだなぁ?えぇ?

「…強いですね…ッ!」

そう思うなら能力を使えッ!どうせ持っているんだろう!?

 

 依姫はクスリと笑った。

 こんな会話してないでさっさと戦いに身を投じてしまいたいが、さっきの回転攻撃で思ったより体力を消耗したらしい。

 つまり、この会話は向こうにとってもこちらにとっても休憩のような物だ。

 依姫は続けて言う。

 

「えぇ…勿論持っています…!とびきりの能力(チカラ)を!!」

 

 依姫は叫ぶように言い、木刀を地面に突き刺した。

 シンは能力の発動を警戒し、注意を充満させる。

 

「祇園様の力!!」

 

 依姫は宣誓し、シン達の足元から檻のように木剣が飛び出してきた。

 しかし、攻撃は加えられない、木剣の檻を破壊しようと試みると、依姫が言った。

 

「下手に動くと祇園様の怒りに触れますよ」

上等だァ!!

 

 動かないと確実に勝利は訪れないので、派手に木剣を破壊する。

 すると、地面から莫大な量の木剣が湧き出て、その切っ先をシン達の方に向けた。  

 その数、軽く五百以上。

 

(やっちまったかもな…だが!)

「思い知りなさい!祇園様の怒りをッ!!」

全て受け止めてやるよぉオッ!!!

 

 木剣全てがシン達向かって発射され、初めはシン達も肥大化した腕や、戦斧で弾いていたが、津波とも呼べる剣の濁流に押し流され、今度はシン達が道場の壁を凹ませた。

 しかし、その衝撃は依姫の物と比ではなく、轟音と巨大なヒビを壁に入れることになった。

 

 壁に押し付けられても止まない木剣の濁流に骨がミシミシと唸るが、次第に慣れる。状況に()()する。

 

ハハハハハハハ!!!はぁァァア!!!!

 

 この命の危機とも呼べる激戦がどうしようもなく楽しく、雄叫びを上げて黒い腕を濁流に殴り付けた。

 攻撃に僅かに隙間が生まれ、渾身の力を振り絞って突進する。

 モロに攻撃を喰らうが、足は止めずに依姫を眼光で射抜いた。

 木剣のストックも切れた頃、シン達は依姫の目の前まで迫っていた。

 

 依姫は能力の代償か、動こうとせず、玉の汗をかいており、ヴェノムを纏ったまま木刀で斬った…いや、殴打と言った方が正しいか。

 ようやく体が動いたのか、転がりながら受け身をとり、立ち上がる、依姫は既にフラフラだ。

 依姫は疲労困憊、こちらは骨をいくつか壊され、疲労も溜まっているがまだまだ動ける、遂に勝利が見えてきた。

 

 しかし、依姫がこちらにとって最悪の一手を打って出た。

 

「愛宕様の…()…ッ!!」

 

 依姫の右腕が炎に包まれ、その炎が木刀に移る。

 シン達は道場に燃え移らないことや、木刀が炭と化さないことに疑問を抱くが、それどころでは無かった。

 

炎…だと…!?

< マズいぞ…これは…ッ!! >

 

 決戦の刻は近い。

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
誰も居ない道場で二人、何も起きない筈がなく…
ところで何で依姫は何を勘違いしてたのぜ?(すっとぼけ)


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第十二話 決着

ゆゆゆっくりしてね!


 依姫の右腕と木刀が炎に包まれ、轟々と音を立てている。

 依姫は脂汗をかいており、まだ能力の使用に慣れていないのだとシンは考察した。

 

 今すぐに攻撃を加えたいところだが、シン達、もといヴェノムは炎が弱点であり、攻勢に出ることを躊躇っていた。

 更に聞こえた言葉は愛宕様、つまり火之迦具土神(ヒノカグツチ)

 推測が正しければ、依姫の能力は神の力を行使すると言う物。

 いくら炎が弱点と言っても、火の化身とも呼ばれる神の炎では、マトモに受けられないことは確実だ。

 

 と、そこで依姫が徐に腰を落とし、炎に包まれた木刀を鞘に戻すように動作をとる。

 間違いなく居合だ。

 

 更に居合の動作をとる途中で右腕の炎が全身へ広がっていき、人間大の火球を作り出した。

 依姫の目が火球の中から爛々と輝き、勝利から一変、敗北の雰囲気が頭をチラつく。

 

 とりあえずヴェノムを纏ったままではヴェノムそのものが消滅する危険があるので、ヴェノムを体の中に収め、居合の一挙一動を観察し、迎え撃つ。

 以前に見た居合は音も立てない…暗殺のような一撃であり、シン達はそれに敗れた。

 しかし、十分に力を溜め、更に炎を纏った居合ならば…

 

 ゾクリ、依姫の圧が視覚化され、心臓がドクドクと鳴る。

 

「ハァッッ!!」

 

 短い掛け声と共に道場の床が捲り上がり、爆音が鳴る。

 シンは瞬きせずに音速に届くだろう速度の依姫を迎撃した。

 目の前の依姫がカメラのシャッターのように近づき、燃える木刀を振り下ろす。

 

 一撃目、脳天に炎の剣が迫り、それを勢いに押されながらこちらの木刀で防ぐ。

 熱気が顔を撫で、腕を火傷し、木刀の表面が焦げる。

 刃こぼれしていくように炎剣が木刀に食い込んでいくが、何とかいなす。

 しかし、カグツチの炎としてはあまり熱量は無い。

 むしろ普通の炎の温度、これならばーーー

 

 二撃目、いなされた炎剣が再び切っ先をシンに向け、脇腹を炎が襲う。

 服の先が焼き焦げ、間一髪のところで木刀を滑り込ませ、炎剣を弾く。

 しかし、炎による劣化に耐えられず、木刀が真っ二つになってしまった。

 

 三撃目、依姫は弾かれた炎剣に体制を崩すこと無く、回転することで次の攻撃に繋げた。

 首を狙った一撃、シンは、真っ二つになり二本に分断された木刀を空中で拾い、小太刀の二刀流といったように防御に出る。

 炎熱が顔を襲い、耳や首元が火傷になる。

 二本の木刀越しに衝撃が伝わり、一瞬視界が暗転する。

 目の鼻の先には炎の中、苦悶の表情を浮かべた依姫がいた。

 恐らくシンも同じ表情だろう。

 

 シンは体を逸らして衝撃を逃し、依姫は真っ直ぐ突き抜けていった。

 

 居合の特性上、一度放ったら隙が生まれる。

 依姫はそのセンスで、一度の居合に三度与える技術を持っているが、この連撃じみた居合を抜ければ勝利が確定する!

 

「ハハッ!!終わりだッ!!!」

<…ッ!!まだだッ!気をつけろッ!!>

 

 シンは勝利を確信するがヴェノムが注意を促す。

 

 背後でドンッ、と音が響き、シンは背後へ振り向くとーーー

 修羅…いや炎の化身と言っても差し支え無い依姫が目の前に迫っていた。

 

 慌てて防御するが、折れた木刀ではまるで防ぐこともできずに胸に一撃を貰い、依姫は止まらず壁へ突っ込んだ。

 胸が焼け付き、ヒリヒリと痛む。

 火傷に耐えながら依姫を目で追うと、壁に激突するーーー直前で壁に着地し、壁を踏み抜き、爆発的な速度で切り掛かってくる。

 

 つまり、弾んだボールが燃え盛りながらシンに向かって、バウンドし続けていると言うことだ。

 

 次第に木刀が炭と化し、ボロボロと崩れ、身体中が火傷に見舞われていく。

 

「グゥッ…!!」

 

 歯を食いしばり、依姫の居合に合わせて拳を振るう。

 しかし、速度と熱を持った一撃に拳がひしゃげ、焼き爛れていく。

 焼き爛れた拳をヴェノムで覆い、治癒しようと試みるが熱によってそれもままならない。

 

 絶体絶命、限界は近いが、依姫も限界は近いだろう。

 ならば限界が来たその隙に渾身の一撃を叩き込めばいい。

 

 その刻を待つシンだったが、十秒、三十秒、一分と過ぎるにつれ、ジリ貧になってきた。

 

(くっそッ!アイツに限界はないのかッ!?)

<いや…確実に消耗しているぞ…!>

 

 確かに依姫は既に限界を迎えている。

 証拠に脂汗がダラダラと流れ、今にも倒れそうな顔をしている。

 それでも攻撃の速度が落ちず、隙も見せないのは負けたくない、勝ちたい、この一心だった。

 

 その諦めない心は誰から教わったのだろうか。

 

「あアぁぁあああッ!!!!」

「うおぉォォォオオオオッ!!!!」

 

 互いに叫び声を上げ、旗から見れば大激闘でも、当人からすれば我慢比べに他ならなかった。

 しかし、その我慢比べも終わりを告げる。

 

 彼女の剣撃を迎撃せんと拳を振るったそのとき、依姫の木刀がダメージの蓄積に耐えられなくなったのか、ボキリと音を立てて粉砕された。

 

「あっ…」

終わり…だぁぁぁァァアああああア!!!!

 

 木刀が折れ、依姫は心ここに在らずといったように硬直し、纏っていた炎も霧散する。

 シンはこの決定的な隙を逃すまいと、全身をヴェノムで覆い、剛腕のフックを叩き込んだ。

 

 叩き込んだーーーはずだった。

 

天宇受売命(アマノウヅメ)!!」

 

 フックが炸裂する直前、依姫が能力を使った。

 踊るように間一髪で回避され、シンは目を見開く。

 何故だ、もう限界を超えているはずだ、ほら、鼻血が噴き出ているではないか。

 

 続け様に依姫は能力を使う。

 

天照大御神(アマテラスオオミカミ)ッ!!」

 

 瞬間、極光が依姫から溢れ出た。

 間近で閃光手榴弾の何百倍もの光を受け、シン達の目は焼かれてしまう。

 シンの心中は何故、という言葉に埋め尽くされた。

 何故諦めない、何故そうまでして勝ちたい、そんな価値がこの俺にあるのか。

 疑問は言葉となって溢れ出す。

 

何故だ…何故だッ!何故そうまでして勝ちたいッ!!

「貴方と、()()ですよッ!!憧れるからこそッ!負けたくないッ!私に()()()()()()を持っているからッ!貴方に近付きたいッ!!」

 

 光に塗り潰された瞳は依姫を映さない。

 今の依姫の叫びはシンに更なる疑問を齎した。

 俺に、憧れる?なかったモノ?お前は才能と能力を持っているではないか?俺に持っているモノにそんなモノーーー

 

「貴方が諦めないからッ!私はここまで追い詰められたッ!!だから私も諦めないッ!!絶対に…絶対にッッ!!!」

…ッ!!

 

 …そうか、確かに俺は諦めなかった、確かに同じだ。

 俺はお前に才能という羨望(嫉妬)を持っていた、だから俺はお前に追いつこうと努力してきた。

 お前は俺に諦めない心という憧れ(好意)を抱いた、だから俺に近付くため、今なお挫けんとする。

 

 依姫の決意は伝わった、だが、俺は…いや俺達は依姫に勝つ。

 俺達は音を頼りに依姫を討つため、その場でジッと留まった。

 攻撃が来れば気配を頼りに穿つ。

 

 そして、両者は感じていた、この一撃が最後になると、二人を勝者と敗者に分けることを。

 

 そこからは先と違って静かな勝負だった。

 走り回ることで気配を撹乱し、攻撃のフェイントを織り交ぜながら接近する。

 

 心臓の音がやけに煩い、手汗が吹き出し、口が妙に渇く。

 

 そして、最後の攻防が始まった。

 

 小さく風を切る音、シンはそれを依姫と断定し、大きく拳を振りかぶって殴りつけた。

 

オラァッッ!!

 

 しかし、拳に伝わる感覚は柔らかい肌や骨、と言ったものではなく、バキィィン、と響いた木材の破砕音だった。

 そう、それは依姫の両断された木刀であり、依姫がブラフのために投擲したのだろう、ならば依姫は?

 

 そう思った瞬間に背後から熱波が突き抜け、又も戦慄する。

 

「愛宕様の、火ッッ!!」

 

 また能力発動だ、限界を迎えてから三度目である。

 依姫は更に鼻血を噴き出し、耳からも血を流しながらも、シンを殴打しようと拳を振るっている。

 

(それが依姫の諦めない力か…ッ!)

 

 振り向き様に剛腕を繰り出す。

 ヴェノムを内に収容する時間は無い、悪いが耐えてくれ。

  

<オオオオォォォォォォオオオッッッッ!!!>

 

 黒腕が崩壊するように溶けていき、ヴェノムの叫びが脳に木霊する。

 依姫に繰り出す一撃、シンに迫る一撃、目の前の光景がスローモーションで再生される。

 依姫の炎の拳が避けることも叶わず。シンの顔に直撃し、シンの顔がひしゃげ、炎に包まれる。

 シンの拳は依姫の眼窩に迫るが、依姫は首を逸らして避け、頬に一筋の血線を作り出した。

 

 つまり…この勝負はーーー

 

 シンの体がゆっくりと膝を突き、倒れ込む。

 完全に気絶しており、傷を癒すためか、ヴェノムが纏わりつく。

 依姫も炎を霧散させ、倒れ込む。

 しかし、意識は保っており、マトモに動かせない腕を上げて、勝利の宣言をした。

 

「ハァッ、ハァッ、私の!勝ちですッ!!」

 

 荒い息遣いであるが、勝利宣言をした依姫の顔は晴れ晴れとしており、そのまま眠るように気絶した。

 

 そうして両者意識を失ったそのとき、入口からひょっこりと玄楽と豊姫が出てくる。

 観戦でもしていたのだろうか。

 

「派手にやったなぁ…」

「それにしても依姫とこうも互角の戦いを繰り広げるとはね…」

 

 玄楽はボロボロの道場を見て独りごち、豊姫は依姫を担ぎ、そのまま部屋を出ていった。

 

「シン君達はよろしくね、お父様」

「任せておけ」

 

 玄楽はシンと未だ怪我の治療を行うヴェノムに触り、パチンと指を鳴らした。

 次の瞬間にはシンのベットである。

 

お前はずっと見てたのか?

「あぁ」

 

 ヴェノムがシンを治す傍ら、玄楽に聞くが、玄楽は短く返答し、会話は一瞬で締め括られた。

 ふと、玄楽が独白のようにシンに言う。

 

「シン…今回も負けてしまったが…三ヶ月後、軍の正式入隊試験、俗に言う軍来祭がある…そこでリベンジだな」

 

 ヴェノムは黙って聞いている。

 そうして玄楽はまた指をパチンと鳴らし、跡形もなくなっていた。

 残されたのはシンと火傷の治療をするヴェノムである。

 

 夜が更けた頃、ようやく治療が終わったそうな。

 

 

 




ご拝読、ありがとうなのぜ。
すまんZEN逸、技パクらせてもらったのぜ。


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第十三話 綿月依姫の独白

ゆっくりしていってね!


 冷たい空気が部屋を包む早朝、眉間に深い皺を刻みながら、シンの目が開かれる。

 理由は単純に重い筋肉痛。

 しかし心中に渦巻く想いは、シンに二度寝を許さず、彼は顔を曇らせながら起きた。

 

 その想いの名は、敗北感。

 

「…負けたか…」

 

 燃える拳に頬を殴られてから意識が無い。

 つまり、負けた、ということだろう。

 

「何が駄目だったんだろうな…ヴェノム…」

<…お前が居合を切り抜けた時に油断したこと、何より依姫の覚悟を侮ったことだろう>

「やっぱりか…」

 

 何となく白い天井を仰ぐ。

 そうしなければ目から何かが溢れ出しそうだった。

 そういえば、シンは道場で倒れた筈だ、どうして部屋にいるのだろう。

 そう思ったとき、ヴェノムが藪から棒にシンへ言った。

 

お前が倒れたときな、豊姫と玄楽が出て来て、玄楽がお前をここに運んだんだ…それでな、三ヶ月後に軍の試験があってリベンジしてみろってことを言ってたぜ

「軍試験…?なんだ?そこでもキャットファイト出来るのか?」

 

 殺し合いに匹敵する試合はキャットファイトとは言わない、が、しかし、シンの心中は期待に溢れていた。

 依姫との勝負で得たものは、依姫と互角に近い、という事実。

 負けてしまった悔しさは残るが、リベンジは夢では無いという希望、そしてまたあの勝負が出来ると思うと、心が浮だった。

 

「そうと解れば、修行だ!行くぞ!」

<待てッ!疲れが残っているんだから、ゆっくり行け馬鹿野郎!!>

 

 シンは筋肉痛を無視してベットから跳ね起き、道場へ向かった。

 

<そもそもまだ早朝だッ!大馬鹿野郎ッ!>

「あっ…」

 

 さて、本当に彼らは依姫を超えることが出来るのだろうか?

 

◆◆

 

 私の名前は綿月依姫、姉さんと一緒に道場へ通っていて、いずれ妖怪から人々を守る軍隊員になる少女です。

 …姉さんは殆ど来ないけど。

 私は幼い頃から軍隊員になりたいと思っていました、何故かは自分でもよく分かっていません。

 

 物心がついた時から、漠然と軍人になりたいと思っていたのです。

 恐らく人を守れる…お父様の様な人になりたかったからでしょうか。

 姉さんは、私が優しくて人一倍正義感か強いから、と、私を頭を撫でて、褒めてくれました。

 

 その時の頭を撫でる掌の感触は、暖かくて、安心出来て…

 私を産んですぐ亡くなったと言うお母様が生きていらしたら、きっとこんな感じだったのでしょう。

 

 けれど、お父様は小さかった私を気遣い、私が成長し、十五になる頃に訓練は行うと言い、私はその齢になるまでそわそわと待っていたものです。

 

 そして一五になり、ハッピーバースデーを祝った翌日に、私はすぐさま訓練生へとなりました。

 訓練生の募集をとうに終わっていた、秋の話です。

 

 最初は仲間と競い合い、切磋琢磨するように走ったり、素振りをしたり、剣術訓練を行なったり…さまざまな基礎訓練を行っていました。

 そして、私には才能があるようで、日が経つにつれ、他の仲間を圧倒するように成長していきました。

 私は喜びました、これで皆を守れる人になれる、と。

 

 しかし、ある時から仲間が私への見る目を変えました。

 皆が時々暗い目で私を見るのです。

 時が経つにつれ、目の暗さはどんどん深くなっていきました。

 

 その時は私は口下手であまり人の気持ちを理解することが出来なかったので、何故私をそんな目で見るのか、と疑問に思いました。

 しかし、今なら解ります……嫉妬、なのでしょう。

 

 曰く、途中から参入した、ぽっと出の小娘。

 曰く、所詮は親の、お父様の権力を使い、興味本位で入隊したチビ助。

 

 皆さんだって、最初は馬鹿にする様な視線を向けていたのかも知れません。

 それがすぐさま自分の実力に追い付き、果ては抜き去ってしまう。

 特にこれといった親しい友達が居たわけではない私に、庇ってくれる人は居らず、簡単に私は避けられる様になったのです。

 

 視線は段々攻撃的になり、一六程の幼い私は余裕が無くなっていました。

 自分の責任だと考え、お父様にも、姉さんにも相談せず。

 

 もっと練習して強くなれば、皆の視線は優しくなるんだろうか…

 そんなことを考えながらいつも訓練を続けていました。

 最早、私には人々を守る、なんて将来の夢は無く、どうすれば皆んなが私と仲良くしてくれるか、そう考えに耽っていました。

 

 そんな余裕を無くしていたある日、私に転機が訪れました。

 

 突然、黒い服を纏った青年が道場へ入って来たのです。

 その青年は暫く扉の前で突っ立って私達を観察している様でした。

 最初は気にはなりませんでしたが、私が訓練している時にジッと、私のことを青年は見ているようでした。

 

 当時視線に敏感になっていた私は、その青年がどうしようもなく鬱陶しく思ってしまい、よくも考えず、試合に負けたら二度と道場に近寄るなと、一方的に約束を押し付けてしまいました。

 今考えても恥ずかしい限りです。

 

 しかし、その青年との試合が私を変えました。

 青年が黒くなり、驚きはしたものも勝負は私の優勢で進みました。

 途中で青年が奇策を講じましたが、私は容赦なくそれを破り、青年に勝利する———筈でした。

 

 青年はボロボロの状態で立ち上がり、生身で私に掛かってきました。

 意味がわかりませんでした。

 そうまでして勝利したい理由がわかりませんでした。

 

 押し寄せる感情に混乱した私は、彼に問いただします。

 何故そこまでして立ち上がるのか?

 彼はなんとこう答えました。

 勝ちたいから、と。

 

 真っ直ぐな瞳で私を見る彼に、私は心臓の音を劇的に加速させながらも、更に疑問を感じました。

 その一心で、勝ちたいというだけでそこまで頑張れるのか。

 その想いだけで、ここまでの熱さを噴き出すのか、と。

 

 そこからは良く覚えていません。

 ただ我武者羅に剣を振るい、彼を追い詰めました。

 しかし、唯一鮮明に覚えていることがあります。

 

 私が最後の一発を放った後の、彼の執念の一撃。

 その一撃が結果を振るうことはありませんでしたが、その時の彼は、今でも鮮明に思い出せます。

 その時の気迫は、恐らく一生忘れないでしょう。

 当時、私の網膜には彼が人としての輪郭ではなく、燃え上がる炎の様に荒々しく、危険的な雰囲気を纏った化け物のように映りました。

 まるで、蠱惑するかの様に。

 

 その光景は私の瞳に、脳に、深く刻み込まれ、熱く焼き付きました。

 恐ろしい貌で、同時に()()()、その目は私だけを見ていました。

 

 彼を倒した後、何となく彼を担ぎ、空いている部屋に寝かせました。

 自分が何故こんな事をしているのか、理解出来ずに、寝かしつけた彼の顔を、何分を見ていました。

 

 その時、私はいったいどんな顔をしていたのでしょうか。

 

 その後、お父様から彼のことを聞いて、自分の行いがとても恥ずかしく感じました。

 

 その瞬間からでしょうか、気付けば私は彼に惹かれ始めていました。

 

 彼はただ一人で私に挑み、諦めず、挫けなかった。

 彼だけが訓練の中で私を暗い目で見なかった。

 

 その感情を好意と気付くまでさほど時間は掛かりませんでした。

 

 彼、シンさんは最初の頃は、剣術が下手で私には足元にも及びませんでした。

 ですが、何千、何万と勝負を繰り返す内に彼は破竹の勢いで成長しました。

 今では剣技こそ私に劣りますが、膂力や体力は完全に彼が上でしょう。

 

 私に挑む人は、お父様が見ている時以外は誰も居なかったため—恐らく、お父様への外面をよくしようとしていたのでしょう—彼が私に挑む時が、訓練の中で私の一番の楽しみでもありました。

 

 霊力を手に入れた時でも、私に食らいつき、いつ負けてもおかしく無い勝負を繰り返しました。

 私はそんな彼の姿に憧れも好意を抱きました。

 その不屈の闘志(負けず嫌い)に。

 

 そして今日、彼から一時間後に来い、との要求を受けました。

 私はそのとき、完全に告白されると思っていました。

 何度を夢想したこの刻。

 顔が赤らむのを必死で隠し、彼が幻滅しないように精一杯おめかしをしました。

 

 心臓が未だかつて無いほど響いたのをよく覚えています。

 緊張しながら道場に入り、顔がこわばらないように平静を保ちました。

 いざ彼の言葉を待つと、信じられないことを言いました。

 

 ー本気で勝負しろー

 

 理解出来ず、少しの間、私は呆けました。

 言葉が漏れそうになって、危うく唇の噛んで抑えました。

 

 私は全く想像しなかった展開に肩を落とし、同時に彼らしいとも思いました。

 告白だなんて勘違いした私自身は、途轍もなく恥ずかしかった、とも。

 

 勝負は苛烈を極めました。

 何かが違っていたら、それこそ私が限界を超えたという理由で諦めでもしたら、確実に負けていたでしょう。

 

 意識が落ちた事に気付いた時には、既に私の部屋のベッドでした。

 私が、勝った。

 激戦を極めた勝負に勝ち、実感が沸々と湧きました。

 感慨深くもありました、共に修行した彼がもう私と同じ強さまで至っている事にも。

 

 そんな時、ドアがガチャリと開き、姉さんが現れました。

 

「目が覚めた?依姫、体の調子は?」

「えぇ、若干怠いですが、大丈夫です」

「よかったわ〜、依姫が神降ろしを何回も成功させるなんて…お姉ちゃん嬉しいわ!」

 

 …え?なんで姉さんが知っているの?

 私はその旨を姉さんに話しました。

 

「えぇ、ずっと覗いていたわ、お父様と一緒に」

 

 私は顔が熱くなっていくのを感じました。

 

「まさか…最初から…?」

 

 私が危惧しているのは、そう、告白と勘違いしている私を見られていないかです。

 しかし、現実は非情でした。

 

「ん〜♪どうでしょう〜♪」

「ちょっと!姉さん!嘘と言ってくださいッ!それか私を殺してくださいッ!」

 

 にまーと持ち上がる姉さんの頬。

 

 姉さんが楽しそうに話をはぐらかすのはいつも何かを知っているときです、つまりバレている…姉さん、そして、よりによってお父様にも…

 私は顔から湯気が出る程上気し、暫くして青くなりました。

 恥ずかしさで死にそうです。

 

「どんな顔してお父様に会えば…!」

「プクッ!ククッ!あはははッ!耐えられないわ!何その顔ッ!あははっ!心配しなくてもお父様は依姫の一世一代の大勝負(笑)に出るような顔を見て遠い目をしていたわよ!あはははっ!!」

「うわぁぁああああっ!!」

 

 姉さんは一世一代の大勝負の部分を強調して言いました。

 どうやら全て見られていたようでした。

 私は枕に顔を埋めて現実逃避をし、姉さんの笑い声をひたすらに無視しました。

 シンさんにもどんな顔すれば…

 せめて彼には告白されるつもりだったことがバレていないと祈りつつ、逃げるように道場へ向かいました。

 朝練をして、気を落ち着かせるためです。

 

「依姫〜♪気をつけるのよ〜、プククッ…」

 

 姉さんはまだ笑い悶えている。

 いつかお仕置きしてやる、私はそう誓ったのでした。




ヒロインのヴェノム(&シン)と依姫が戦うからキャットファイトだぜ。
異論は認めないぜ。

…むらむらするのぜ、R-18版小説がみてぇのぜ…そうだ、奴隷!書け!!
という訳で本編更新は三日ほどお待ちくださいのぜ!


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第十四話 軍来祭 開催

ゆっくりしていってね!
0時0分に投稿した筈なんだけどなぁ…全文コピペして新しく作ったわ。
ゆるして
ハーメルンは許さない。


 また時が流れ、依媛との激闘から三ヶ月が経った。

 

 季節は夏を迎え、ホトトギスが夏の訪れを知らせんとばかりにけたたましく鳴いている。

 人工的に植えられた草花は緑に生命溢るる輝きを放ち、さわさわと草の擦れる音を響かせて存在感を示している。

 

 そんな爽やかな夏の風が靡く中、シン達はとある場所に佇んでいた。

 それは古代ローマ帝国に存在したコロッセオのような巨大な円形の建物であり、喧騒を立てながら老若男女、様々な人がここに訪れている。

 勿論コロッセオと同じように処刑を楽しむために足を運んでいる訳でなく、あるイベントを楽しみに来たのである。

 

 シン達はここまで人が集まるものなのかと驚き、一人くらい食べてもバレないだろうという悪魔(ヴェノム)の囁きを抑えて、過去を振り返ってみた。

 

◆◆

 

「いいか!お前らに知らせておくことがある!それはーーー」

 

 それは突然のことだった。

 弦楽が修行が終わり、クタクタになった門下生たちを呼び止めて言う。

 面倒臭そうに振り向いた彼らは次の瞬間、歓声を上げることになった。

 

「一週間後に軍の編入兼実力テスト…()()()があることだ!!様々な者が集まり、シノギを削る!!知っている物も多いと思うが、実践方式のトーナメントで力が測られる!他にもペーパーテストがあるが、最も重要なのがこのトーナメントだ!!存分に力を発揮してこいッ!」

「うおおぉぉぉぉおおおお!!」

 

 誰とも知らずに上げられた叫びは場を包み込み、皆疲れ果てているのにも関わらず元気に与太話を開始した。

 やれ誰が勝つだの、やれ一位ならどうなるんだろう、としょうもない話を楽しそうに繰り広げていた。

 誰が勝つかについては二人の名が上がった。

 勿論、依姫とシンである。

 

<勝つのは俺達だ…ッ!今度こそ…今度こそ勝つぞ…ッ!>

(勿論だ…!玄楽の言っていたリベンジ、とはこのことを言っていたんだろうな…)

 

 笑い声を他所にシンは静かな、それでいて業火ににも勝る闘志を燃やしていた。

 ()()()の雪辱を果たし、俺達がナンバーワンだと証明する。

 その想いで胸を満たし、その場を去った。

 

 それは依姫も例外ではない。

 以前勝ち越しはしているものの、接戦に次ぐ接戦が続いている。

 今度こそ負けてしまうかも知らない…しかし、だからと言って全力を尽くさないとシン達の想いに泥を塗ることとなる。

 全力を超えて相手をする、そう心に誓い、依姫もシン達の後を追うように去った。

 

◆◆

 

 あれから一週間、ついにその時が来た。

 門下生の姿も多く見られ、他にも屈強な者や闘志を漲らせた顔をする者、緊張したようにビクビクとした者がと円形施設に入っていく。

 勿論別の入り口に観戦を楽しむであろう一般客がゾロゾロと入り、人の行列を作るまでに押し寄せていた。

 まるでオリンピックであり、実際この都市でも娯楽の一つとして楽しまれているのだろう。

 

 シンは何故だか今になって緊張感が生まれ、深呼吸を挟んで歩き出した。

 

「さぁ、行くか!」

<やるからには一位だ!分かってるなッ!?

「勿論…!薙ぎ倒していくぞ…ッ!」

 

 激闘の予感に少しばかり興奮する。

 一般用のパンフレットには

 

 都市の未来を担う若者が大激突ッ!!軍来祭を決して見逃すなッ!!

 

 と記載されており、今からあらゆる人に見られるのだと思うと少し気恥ずかしくも感じた。

 ショートボブのいかにもOLのような案内人を通して迷路のような道を歩き、控室まで歩く。

 

 余りにも長い道であり、退屈になったシンは歩いている途中に案内人と世間話をした。

 

「なぁアンタ、なんでこんな大衆にみせる必要があると思う?あれか?やっぱ娯楽的な物か?」

「あはは…勿論娯楽の意味もあると思いますけど、一番は神様が観たいと仰っているからなんですよ」

「神…?そんなのが本当に居るのか?」

 

 神とは人が想像上で作り出した偶像のような物に過ぎず、祈ることしか出来ない人間が創ったモノだと、シンはこれまで思っていた。

 しかしこの案内人から飛び出した言葉は、神が観たいから。

 まるで本当に神が存在するような言い草で、思わず疑問を呈してしまう。

 案内人は体を後ろに逸らして言った。

 

「知らないんですか?赤子でも知ってることですよ?」

「生憎会ったことも無いんでな」

「しょうがないですね…この都市には神様が居て、防壁を創り出し、妖怪の出す穢れを浄化する結界を張ってくださったんですよ、名前は月読命(ツクヨミノミコト)、そのお方は…まあ、戦闘マニア…みたいな所があるらしくて、激戦が観たいという要望に添えてこの闘技場が作られたんです、観客は闘技場なら観客も居るだろうとのご指摘でして…それに噂話もお好きでして…そうですね、例えば都市の路地裏に出現した()()()()()の正体を掴もうと奮闘しておりますね」

「ほぉ…月読命…」

 

 月読命は記憶が正しければ、月を神格化した夜を統べる神であり、天照大御神と建速須佐之男命(スサノオノミコト)の兄弟だった筈だ。

 妖怪とかいう摩訶不思議な生物が居るのだから、きっと神も居るのだろう。

 そう断定し、同時に戦闘マニアと聞いて神の完全無欠のイメージが崩れた。

 更に穢れという新事実や、黒い化け物…防壁を創り出したという腕前に興味を抱き、更に質問しようとした所、案内人が立ち止まった。

 

「さ、ここが控室です、モニターで観戦できるのでよかったらご利用ください、出場の時が来ましたら係のものが迎えに行きます、それでは」

「お、おぉありがとう…」

 

 話に熱中するあまり周りが見えていなかったようだ、扉のネームプレートにはシン様、と書かれており、開かれた扉の奥からどことなく上品な雰囲気を漂わせている。

 案内人は足早に来た道を戻り、その背中はあっという間に小さくなってしまった。

 もう少し話を、もとい情報収集をしたかったが、居なくなったのでは仕方ない。

 大人しく部屋に入った。

 

 部屋はこぢんまりとしてあり、モニター用のテレビ、机、座布団と、無駄な物を全て剥ぎ取ったような様相を示していた。

 少しの悪態を吐き、暇潰しにテレビを付ける。

 

 テレビではニュース、バラエティ、ドキュメンタリーと一通りのジャンルが放送されており、その中でもあるニュースに目が向いた。

 そのニュースでは都市伝説のような怪異な事件が放送され、被害者のインタビューへ移る途中であった。

 被害者は目に海苔のような黒い車線が引かれているが、その顔にどこか見覚えがあった。

 

 … 空色の髪をしたウサギ少女、あれ、おかしいな、どこかの路地裏で会った気がする。

 

『路地裏にで化け物に会った、と言うお話でしたが、一体どのような化け物に遭遇したのですか?』

『えぇ…あの時は近道で路地裏を使っていたんですが…突然空から大きな人型の黒い化け物が降っていて…ほんとに怖くてその場で腰が抜けてしまったんです…気付いた時にはもうソレが居なくて…でも大きなヒビ割れが地面に残っていたんです…』

『成程…!怖い記憶を思い出してまで情報を下さってありがとうございます!以上、インタビューでした!』

 

 うさ耳をヨレヨレにしていくウサギ少女の言葉と共に、いつかにビルを疾走したシン達の記憶が蘇った。

 隅々から一致していく事実に、全身から冷や汗が飛び出した。

 

「間違いねぇ…あれ、俺達だ…」

<もう有名人じゃねぇか、やったな!>

「いや良くねぇよ!」

 

 案内人の与太話でも黒い化け物もひょっとしたらシン達のことだろう。

 戦闘中は恐らくヴェノムを纏う、その時に黒い化け物と恐れられたら面倒だ…

 そう苦渋に思っていると、テレビが切り替わり、ある女性を映し出した。

 

 夜の闇を思わせる漆黒の髪とブルーの混じった瞳、着物を思わせる服を着用し、テレビ越しにでも分かる程の着物を押し上げる胸が存在感が強調されていた。

 大方、開会式でも開くのだろう、それにしても番組ごと変えるとは、それほどの一大イベントのようだ。

 そう考えながら視聴していると、女性がマイクに乗った驚くべき一言を放った。

 

「民よ、まずはこの場に集まってくれたことに感謝する…そして、この場を借りて宣誓する…吾、()()()の名において、軍来祭の開始を宣言する!」

 

 マイクによって重々しく荘厳な一言で軍来祭の開催が宣言され、歓声が爆発したが、問題はそこではない。

 自らを月読命と称したこの女性だ。

 確かに神としての威厳があるー特に胸の大きさとかーしかし、神のイメージは空から舞い降りた半透明の髭親父や、顔を隠した女などと価値観が凝り固まっており、神のイメージが悉く粉砕された。

 

 テレビは割れんばかりの喝采をする民衆の顔や、ドヤ顔を決める月読命を映しており、どれだけこの祭りに重大性があるのか示していた。

 最も、神の娯楽目当ての祭りだそうだが。

 更に闘技場の形状もほぼコロッセオと同じであり、円形のフィールド、さらに取り巻くように観客席が広がり、空には晴天が見てとれた。

 

 映像では司会を取る男性がマイクをとり、口頭で月読命に感謝を示した後に祭りについて説明をするところに移り変わった。

 

『さあ!楽しみに祭りを待つ皆さん!ここでトーナメント表が発表されるようだ!選手の方も目をかっぽじって見てくれ!』

 

 そして、巨大モニターにトーナメント表がブォンという独特な音と共に掲示された。

 依姫とは別のブロックであり、順当に勝ち進めば、決勝で会えることを示している。

 しかし、トーナメントが長い、合計七回ほど戦わなくてはならないようだ。

 

 司会の男は続けて言う。

 

『負傷した者は賢者、八意様に診て貰えるから安心しな!では早速だが第一試合を始める!選手は前へッ!!』

 

 歓声がひと回り大きくなり、屈強な肉体の選手が登場した。

 二人は手を観客向けて振っており、観客もそれに応えるかのように歓声を大きくする。

 

 シン達は月読命などのことは深くは考えず、今はこの試合を楽しむことに没頭し、自身の番を待った。

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!
そして箱箱さん、☆10評価大変感謝いたしますのぜ!
えちちな小説も投稿したから見るのぜ!
見ろ(豹変)


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第十五話 軍来祭 初戦

ゆっくりしていってね♡


 司会が軽い紹介を挟み、勝負のコングは鳴った。

 第一試合は漢の殴り合いと言ったような体裁を示し、どちらも一歩も引かず、一進一退の激しい殴り合いの末にどしゃりと崩れ落ちた者、満身創痍ながらも片腕を上げて勝利を宣言した者両方に拍手喝采が送られた。

 月読命も二人に対して、熱い戦いをありがとう、いまは休め、と感極まった様子で言った。

 テレビは事務員の肩を借りて戻る二人の姿を映しており、司会役の男がブラボー!と褒め称え、次の試合の開始を宣言した。

 

「ハハッ…盛り上がりすぎだろ…あと百戦以上あるってのに…」

<俺達の番が来れば、会場を熱狂の渦に叩き込めるってことだ>

 

 幾多の試合が流れ、その度に会場は熱狂し、歓声を上げた。

 興奮する観客や試合に敗れ、タンカーに運ばれていく選手をぼーっと眺めていたら司会が一際大きな声で選手紹介を行った。

 

『さぁ!お次は優勝候補!電気を操ると言う極めて攻撃的な能力を持つという少女!雷鳴のように現れた彼女は一体どのような試合を見せてくれるのか!?さぁその名を呼べッ!』

 

 大袈裟に言葉を放ち、口頭を述べる司会者、併せて観客も静かにその時を待ち、場が沈黙に支配される。

 そこまで言わせる優勝候補は一体誰だとシンはテレビに乗り出し、司会者も少し勿体ぶって叫んだ。

 

ミナクテット・カレンッ!!!

 

 瞬間、雷鳴が轟き、砂埃が舞った。

 緊張と期待がその場を包む中、砂埃が霧散し、少女の影が現す。

 更に影が片腕をゆっくりと空に向け、指先から雷の如き太さの電流が天を穿ち、砂埃が完全に霧散し、観衆の大歓声が響いた。

 まるでヒーローか何かのようなパフォーマンスだ。

 

 少女はショートヘアで太陽の光を表したような黄金の髪をしており、エメラルドの瞳が爛々と主張するように輝いている。

 その服は黒と黄色を主張としており、スカート部分には雷のような紋様があしらってある。

 そして腰には刃のない鉄剣が装備されている。

 ただ…その身長が幼女のように小さく、120センチ程だろうとテレビ越しでも目測がついた。

 

 これでは覇気も半減であり、観客席の何処かから可愛いー♡と漏れ出ていた。

 少女は忌々しげに観客の方を向き、カメラが回っていると言うのにも関わらず舌打ちをした。

 コイツが本当に優勝候補か…?そう思っていたが、試合が始まった瞬間、それを思い知らされることになる。

 

『続いて、そんな彼女に挑む挑戦者(チャレンジャー)!コイツは大会で類を見ない圧倒的な筋肉を持ち合わせた巨漢!!名はG・リアス!どこまで戦えるか!?注目の一戦だ!』

 

 歓声の中ドシドシと現れたG・リアスとやらは身長2メートルを超える巨漢であり、少女の二倍ほどの身長を持っていた。

 まるで巨人である。

 その男は少女を見るなり、笑い出し、嘲るような笑みと共に少女を見下して言った。

 

『随分なチビ助だなぁ!?優勝候補だか何だか知らないが、迷子なら帰ってママの元にでも行きなぁ!』

 

 テレビ越しに男の濁音が放送される。

 この大会で初めての暴言であり、今の一言で会場が凍りついた、恐らくテレビの前のお茶の間も極寒と化しただろう。

 

 この発言に最も反応を示したのが少女であり、俯いてプルプルと震えており、その瞳には涙を浮かばせていることだろう。

 険悪な雰囲気、凍りついた会場に司会者は焦り、慌てた様子で試合を開始した。

 

『そ、それでは試合を始める!両者準備は良いな!?それでは…始めッ!』

『ガハハ!このチビに負ける訳が…』

 

 煽り立てた男の言葉はそれ以上続くことはなかった。 

 言葉の変わりに呻き声を上げ、ブクブクと泡を吐き、痙攣しながら崩れ落ちた。

 

 その背後には剣を振り抜いた少女が立っており、予想を裏切り、額に青筋を浮かべながら振り返り、男に唾を吐き捨て呟いた。

 

『雑魚が…死ね…!』

 

 幼女の風貌通りの甲高い声であるが、恐ろしいほど低く聞こえ、会場を別の意味で戦慄させた。

 少女はそのまま身を翻して立ち去り、今頃になって気付いたのか、司会者が勝利宣言をする。

 

『…カ、カレン選手の勝利ーッ!圧倒的ッ!圧倒的な蹂躙ッ!一体誰が予測できただろうか!?こうも大見得を切って見せた大男を一瞬で!一撃で地に伏せたッ!その速さは正に疾風迅雷!誰がこの可愛らしい女帝を止められると言うのか!?』

…あ"?今、何()った…!?

『ヒィッ!?すみません語弊がございましたッ!?勇ましき女帝ですッ!!?』

 

 帰り際に司会者の口から放たれた"可愛らしい''という単語が自身の琴線に触れたのか、ゆらりと幽鬼のようにドスの効いた声で司会者を睥睨して言った。

 そこには可愛らしい姿など微塵も無く、鬼が顕現したかのようだった。

 

 これには司会者も間抜けな声を出して訂正するしか無い。

 訂正された言葉に少女は満足したのか、それ以上は何も言わずにフィールドを去った。

 

 しかし…男の意識を刈り取ったあの一撃…テレビで見ているからなのか全く姿が見えなかった。

 シン達は少女、カレンの名を胸に刻み、認識を要注意人物に変えた。

 

◆◆

 

 シン達は暫くは普通の試合ーと言っても霊力弾が飛び交ったり能力らしきものが使用される激戦だったがーをいくつか見ており、数十分後には自分がその場に立つと言うのに、野球やボクシングを見るような感覚で視聴していた。

 

いけッ!そこだッ!ああ!後ろだッ!後ろを見ろッ!!…クソ!負けた!腑抜けが!

「相手が霊力の扱いに長けてなかったら、選局は違ったかもな」

 

 目の前のテレビではステゴロで戦っていた男が映されており、後頭部から煙を出して倒れ込んでいた。

 

 ヴェノムはステゴロで戦っていた男に親近感を覚えていたのか、熱中して観戦しており、その身を出してまで熱中していた。

 しかし、相手の巧妙に隠されていた霊力弾に後頭部を撃たれ、遂に地に倒れ込んでしまった。

 ヴェノムは落胆した様子で、心無しか表情も落ち込んで見えた。

 

 と、ここで不意に扉がコンコンとノックされ、開かれる。

 

「すみません、シン様、二戦後にあなたの番が回って来ますので、準備が出来たら私にお申し付けください、ご案内致します」

「おぉ、もうそんな時間か…すぐ行く」

 

 慌ててヴェノムを引っ込め、トーナメント表を確認する。

 確かにもう自分の番だ、知らぬ間に試合に夢中になっていたらしい。

 シンは立ち上がり、最初に案内してもらった人とは別の案内人の力を貸りて長い道を歩いた。

 

 その道すがら、少し気になることも聞いた、

 

「なぁ、ここに来る前に結界で穢れがどうたらって話を聞いたことがあるんだけどよ、穢れってなんなんだ?」

「その質問に答えることは業務の中に含まれていません」

「…あっそ」

<この女嫌いだ!!>

 

 どうやらこの案内人は世間話が好きではないようだ。

 愛想がある訳でもなく、少しばかり辛い沈黙が続いた。

 黙って歩いていると、歓声が近くなり、だんだんと大きくなるようになって来た。

 

「もう直ぐ到着か?」

「えぇ」

 

 短く答えを返され、ある扉の前に案内される。

 その扉の前には剣と斧が交わった…所謂武器屋のマークが貼り付けられており、まさかと思って聞いてみた。

 

「ここで武器を調達しろって言うのか?」

「その通りです、あなたの試合開始までまだ時間はございますので、ごゆるりと」

 

 扉を開けると、鉄臭い匂いが身を襲った。

 樽の中に無造作に入ってある刃のない鉄剣や、立てかけられたハルバードが目立ち、マイナーな物だとヌンチャクやチャクラム、モーニングスターなど、あらゆる武器がその部屋に納められていた。

 全て刃の無い、鈍器のような物だが。

 

 シンはその中で無骨に鈍く光る、反った細く長い剣、俗に言う刀を手に取った。

 ズシリとした重さがあるが、振るえない程ではない。

 少しの愛着を持ち、刀を鞘を納め、シンはその部屋を出た。

 改めて部屋を見てみると埃が舞っており、あまり使われない部屋だと言うことを実感させた。

 

「よろしいですか?」

「勿論」

「それでは行きましょう」

 

 それから一分ほど歩き、更に歓声の声も大きさを増したように感じる。

 いや、違う…目の前で歓声が起こっているかのようだ。

 数十m先にはには剣戟を繰り返す男女と、剣戟と共鳴するかのように叫びを上げる観客が見て取れる。

 どうやらフィールドに到着したようだ。

 

「この試合が終わり、名前を呼ばれましたら、前にお進みください」

「おう、ありがとな」

 

 案内人は仕事は終わったと言わんばかりに去り、目の前の男女も決着がついたようだ。

 タンカーに運ばれた男が出口へ、つまり、シン達の横を通って運ばれて行く。

 

 テレビでは味わえなかった司会者のマイクに乗った大声が耳に響く。

 

「次は注目の一戦だ!かの有名な綿月玄楽様の運営する道場!そこから繰り出される刺客!玄楽様の娘であり、剣豪として才覚を見せる綿月依姫のライバルであり友!!本人の経歴が明かされない今大会のダークホースッ!その名はーッ」

 

 一歩を踏み締め、熱狂が全身を襲う。

 

「シンッッ!!!」

 

 名前が呼ばれた瞬間、シンはさまざまな視線を一身に受けた。

 多くの期待と尊敬、少しの疑問と嫉妬。

 かなりのプレッシャーと緊張感である。

 反対に観客は爆発したかのような盛り上がりを見せ、雰囲気に飲まれて来たのか、シンは気分が昂揚してきた。

 それにしても何処から情報が漏れているのだろうか、依姫のライバルなんて一言も言っていないぞ。

 

 ゆっくりと、それでいて確実に一歩を踏み出して行くシンの姿は何処となく気迫があり、観客達はそんなシンの姿に期待を抱いた。

 

「続いてシンと対峙するのはコイツ!速さを求める韋天流の門下生!!その剣でダークホースを切り伏せることは出来るのかッ!?」

 

 遠目だが細身の男が奥の入り口から姿を現した。

 

「太刀丸ーーッ!!」

 

 細身の男が日の光を浴びて観客に笑顔を見せながらフィールドを歩いた。

 かなり顔が整っており、荒々しさを残しながら爽やかさを兼ね備えていた。

 風格はかなりの強者であり、この瞬間に起きる激闘に心を躍らせる。

 男、太刀丸は観客からシンの方を向き、優しげな顔から一転、真剣な表情で短く一言を言った。

 

「よろしく頼むよ」

「こちらこそ、叩き潰してやるよ」

「それではッ!試合開始ッ!!」

 

 この挨拶が皮切りとなって試合は開始された。

 シンは相手の出方を窺うため、刀を抜いて構え、太刀丸は試合早々に先手必勝といった具合で居合切りを仕掛けて来た。

 

 周囲からは太刀丸が一瞬で姿を消したように見えただろう。

 しかしシン達からはーーー

 

(まるで遅い、依姫と比べ物にすらならん)

<俺が居なくても余裕だな>

 

 スローモーションのように全てが遅く見える世界で、太刀丸の居合を見切っていた。

 依姫はもっと早く、鋭い居合を放てる。

 速さが自慢だそうだが、依姫に届かない斬撃如き、実力で勝るのは簡単なことだ。

 

 ギリギリまで太刀丸を引き付け、刀を振るった瞬間に体を引いて避ける。

 太刀丸の顔が驚きで歪み、その顔目掛けてバットのように刀を振るった。

 元の勢いとシンの膂力が合わさり、太刀丸はボールのように吹っ飛び、地面と並行移動して壁に激突した。

 

「ヒット…ってところか…」

 

 シンはそう呟き、煙の中から太刀丸が出て来るのを待つ。

 しかし、いくら待っても出て来ない。

 煙が霧散した後にはグッタリと壁に背をつき気絶している太刀丸が目に映った。

 

 おいおい、嘘だろう?依姫なら立ってるぞ?

 

「ほら、立てよ」

「…」

「…チッ」

 

 どうやら本当に気絶しているようだった。

 目の前の光景に漸く司会者が反応し、次早に言った。

 

「なんとッ!なんと瞬殺だァ〜〜〜ッ!!太刀丸が動いたと思ったら次の瞬間には吹き飛ばされていたッ!?一瞬でノックアウト!韋天流も真っ青な早業!これほどの瞬殺はカレン以来ッ!一体どうなるんだ軍来祭ッ!?」

 

 興醒めた、少し楽しそうと思ったが、カレンと依姫以外強そうな者が居ない。

 そう考えながら次の試合に期待し、その場を去った。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!
あとえちちな小説とこの小説の誤字報告をしてくださった、ドンシャインさんありがとうなのぜ!
そして、モブのGくんと太刀丸くん、もう一生出番無いです、なのぜ。


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第十六話 軍来祭 思わぬ強敵

なんか爆発的にUA増えててびっくり仰天なのぜ。
それはそうとゆっくり見てね!


 カレンとの戦いとは打って変わって、ざわめきが起こる会場を背にして歩き出す。

 同じ瞬殺でも状況が違う。

 

 かたや悪役を討った美少女(ヒーロー)、かたやイケメンの出鼻を挫いた(謎の人物)

 

 観客の反応が同じな訳が無かった。

 どよめきが人から人へ伝染する中で司会者が空気を変えようと発言する。

 

「少女達を魅了した太刀丸、呆気なく撃沈ッ!今大会のダークホース、シンは多くを語らず去って行ったッ!誰がこの歩みを止められると言うのかッ!?優勝候補、カレンか!?はたまたライバルの依姫か!?それとも無名の者共か!?それでいい!打ち倒してしまえッ!下克上(ジャイアント・キリング)だッ!!」

 

 観客席からでは無い場所…つまり他の選手からの熱意が上がったように感じた。

 司会者の盛り上げ方も中々の物だ、直接目にしていないと言うのに選手の士気があがり、突きつけられる敵意も増えたように思う。

 

 ()()()()()()()()

 シン達は、いや、シンは激闘を求めている。

 敵意?そんな物は試合を盛り上がらせるカンフル剤にしかならない。

 

 口元を歪め、依姫との激闘を超える、まさに熱戦を夢見ながら自身の控室に向かって悠々と歩いた。

 

<前から思ってたがお前ってかなりの変態だな>

「…そうかもな」

 

 ヴェノムが今になってドン引きしたかのように言う。

 誰が変態(戦闘狂)だ、そう声に出して言いたかったが、今の心情や過去の戦闘で何を思っていたか…それを思い出すと肯定するしか無かった。

 

 なんでこんなことを思っているんだろうか、そう哲学をしていると同時にあることを思い出してしまった。

 

「あっ…道が分かんねぇ」

<バカも追加だな>

「うっせぇ黒カビ」

あぁ!?ブチ殺すぞ変態バカ野郎ッ!

 

 小言の多いヴェノムにいつか口にした悪口を放つと、凶悪な顔を出して威嚇した。

 だが!頭突きされるしかなかったあの時とは違い、こちらには力があるッ!

 

「おうやって見ろよヴェノムッ!!されるがままだったあの時とは違うってことを見せてやるよッ!!」

 

◆◆

 

 結果、半殺しにされました。

 頭突きを避けて、凶悪な顔に拳を叩き込む、それをするだけの簡単な仕事の筈が、馬鹿みたいに速い速度でラッシュを喰らい、反撃をする暇すら与えられずに撃沈し、壁に倒れ込んでしまった。

 顔を鼻血を出しながら茹で蛸のように膨れ上がったシンの顔をヴェノムはギャハハハと豪快に笑い、シンに煽ってみせた。

 

ギャハハハッ!!お前と一緒に俺も成長していることを忘れていたなぁ!?旨い飯でもくれたら今回はコレで許してやるよ!クハハハッ!辛気臭ェツラだなぁオイ!?

「俺"が"悪"か"っ"た"…寛"大"な"心"に"感"謝"を"…」

 

 掠れた声でこればかりは自分が悪かったと表明し、旨い飯をどうするかと考えていた。

 その姿は敗北者のそれであり、ついさっき対戦相手を蹂躙した者とは信じられない程マヌケだった。

 

 通路で殴り合った(一方的にしてやられた)物だから、殴打の音でも聞きつけたのだろう、角から事務員らしき人が何事かと慌てた様子で近寄ってきた。

 ヴェノムは足音を聞くなり体内に戻り、顔がタコみたいに腫れたシンだけが残った。

 

「ちょっと!?大丈夫ですか!?直ぐに医務室に連れていきますね!」

「…ッ!いや、大丈夫だ…自業自得だしな」

「…?…そ、そうですか…」

 

 正直なところ、永琳にこんなマヌケな顔は見せたく無い、一生の恥だ。

 それより重要なことを事務員に聞いた。

 

「俺の控室が何処か知らないか?シンってネームプレートが掛かってあった筈だが…」

「えー、シン様ですね……えっ!?さっき出てたあのッ!?何があったらこうなるんですかッ!?」

「いちいち詮索しないでくれ…自業自得だから…」

<ギャハハハハッッ!!!>

 

 哀愁漂うシンにこれ以上聞くのはナンセンスと感じ取った事務員は笑って誤魔化し、静かに案内を始めた。

 この間、ヴェノムはずっと笑っていた。

 

<さっき出てたあのッ!?だってよォ!!ククククッ!あー笑いが止まんねぇッ!>

(くっそ…言い返せねぇ…)

 

 なまじ全てが自業自得なのでシンは言い返すことも出来ずに口惜しい思いをして歩いた。

 

 数分後、無事にシンは元の控室に着き、事務員に礼を言って入った。

 嗚呼、実家のような安心感とはまさにこのことだろう。

 

「それでは、安静になさって下さい」

「感謝する、あとこの顔は忘れてくれ…」

「ははは…努力します…」

 

 事務員は去り、完全にシンとヴェノムだけになった空間で大きく溜息を吐いた。

 

クククッ!そんな溜息吐いてどうした?嫌なことでもあったか?

「悪かったから許してくれよ…今度お菓子でも買ってやるから…」

…仕方ねぇなぁ…美味いのにしてくれよ?

 

 ありがたく許して貰えた、ヴェノムに顔を治して貰い、万全の状態になる。

 しかしここでチョロいなんて思ってはいけない、頭突きでは済まされず、また半殺しにされるかも知れないからだ。

 その邪念を振り払うため、おもむろにテレビを付けた。

 と、ここであることに気付いた。

 腰に付けた刀を戻して無い…が、まぁいいだろう、一本ぐらい無くなっても困るわけでもなさそうだし。

 

 テレビは丁度シンの試合を映しており、テレビの解像度の問題か、ハタから見れば本当に一瞬で勝負が終わっていた。

 ご丁寧に、ほら、起きろよ…と言うセリフも放送されており、悪役感を滲ませていた。

 

 少しの冷や汗を感じ、また数十分程テレビを眺めた。

 途中で予選が終了し、司会者か世辞のような言葉を選手に言い、軍来祭最初のラウンドを締め括った。

 

 予選を思い返してみるとカレンが衝撃的だったことや依姫の…あれ?依姫の試合が無い。

 ふと依姫がいないと気付きトーナメント表を確認すると、依姫は一回戦をスキップできるシード選手だった。

 やはり選手の一頻りの情報は漏洩しているのだろうか。

 そんな恐れを抱いた。

 

 司会者から月読命へ感想を求めるが、予選だからか、それともつまらない試合が多かったのか、短く感想を述べて、足速に軍来祭は次のラウンドへ進んだ。

 

 スムーズに進んだ試合は予選を潜り抜けた選手だからか、予選よりも試合内容が格段にレベルアップしていた。

 例えば猪突猛進するだけの者はフェイントを織り交ぜた技術に敗北し、技量だけで勝ち進んだ者は圧倒的な力という壁にぶち当たり地に膝をつけていた。

 観客の理解を超えた試合には、司会者が解説と実況を挟むようになり、選手が一手を講じる度に観客は歓声を上げていた。

 

 いつの間にかカレンの試合にまで進み、何か学ぶことは無いかと目を凝らして試合に注目した。

 しかし、貧弱なカメラではカレンの動きを捉えられないというのか、動きを見る間をなく試合は終わってしまった。

 即座に歓声が起き、カレンを褒め称える野次が飛ぶ。

 

 シン達は何一つ学ぶことが出来ず、落胆してテレビに映るカレンの顔を見る。

 敗北を知らない自信満々の顔、敗北を繰り返しながら強くなっていたシンとは相知らないだろうと直感し、これ以上注目すべき試合はないだろうと、またボーッとテレビを見た。

 

◆◆

 

 シンの試合が近づいて来た。

 そろそろ案内人が来るだろうか…何となく時計を見ながら心の中で独り言ちたシンの予感は的中し、丁度扉がノックされ、開く。

 

「失礼します、シン様の番が回って参りました」

「今行く」

 

 最初にシンが出た試合で案内人を務めていた無愛想な案内人だ。

 再開の挨拶も無しに案内人はスタスタと入り口へ歩いて行った。

 

 大人しく黙って歩くと、再び歓声が耳に届く。

 また数分歩くと歓声も大きくなり、剣と斧が交わった武器屋のようなマークのついた扉に到着した。

 

「こちらで武器を…いえ、もうお待ちになられていますね、直ぐにシン様の試合となるので準備しておいて下さい」

「おう、またまたありがとな」

「いえ、仕事ですので」

 

 素っ気なく案内人は立ち去ってしまい、歓声の響く入り口にシン達は一人取り残された。

 

 目の前で起こっていた激闘が終わりを告げ、さらに大きな観客の叫びが頭を刺激した。

 耳を通り抜けていた司会者の声が不意に耳をつんざく。

 

「お疲れ様だ!!さぁお次はダークホースにして実力が測れない男、またもや瞬殺してしまうのか!?シンッ〜〜ッ!!」

 

 意を決してフィールドに入場した。

 予選の時とは比べ物にならないほどの歓声に耳がおかしくなりそうだった。

 

「そしてッ!予選時に打たれ強さを生かし、どんどん強くなっていく脅威のスロースターター!!その小心者はどこまで強くなるのか!?レジック・アースッッ!!!」

 

 反対の入場口からどんな屈強な者が出て来ると思ったら、小柄でビクビクした男が人目を憚るかのように出てきた。

 髪は緑の癖っ毛、瞳は青く、深海を思わせる色をしていた。

 司会者も小心者と言っていたようにビビりなのだろう。

 テレビでこんな奴出て来たかと思う程影も薄い。

 

 しかし、何故予選を勝ち抜いて来たのか…そう思わずにはいられない位挙動不審で頼りない姿をしていた。

 それでも予選を勝ち抜いたことには変わり無い、カレンと同じように見た目は弱くても途轍も無く強いのかも知れない。

 

 

 警戒を高めながらアースへ試合前の挨拶をした。

 

「よろしく」

「よ、よろ、よろしくお願いします!」

 

 噛みながら言ったアースおどおどと剣を構え、此方も刀を構える。

 両者に緊張感が張り詰め、試合のゴングがなるのを待ち、ついにその時が来た。

 

「試合…開始ッ!!」

 

 試合開始前の口頭でスロースターターと聞いたからには、初動を攻めるしか無い。

 ジグザグと撹乱しながら距離を詰め、驚きでマトモに動けないアースの腹を刃のない刀で強打する。

 

 吹き飛ばされながらも受け身を取ったアースの瞳は涙で潤んでおり、痛みに弱いのだろうと感じさせた。

 

「撹乱しながらの先制攻撃が決まったァ〜〜ッ!これにはアース選手も堪らないッ!!」

 

 大袈裟に囃し立てる司会者と観客をよそに、シンは更に追撃を加えんと攻勢に出た。

 今度はシンの一太刀を防御出来たアースだったが、嵐のような連撃に次第に隙を突かれ始め、その体に多くのアザを作り出していた。

 

「どうしたぁ!?守ってばかりじゃあ勝利は掴まんぞ!!」

「ぐあぁぁああッ!?」

 

 刀ばかりに意識がいくアースの顔に上段蹴りを喰らわせる。

 よほど意識外だったのか、アースは防御する姿勢すら見せずに宙を舞った。

 バキャ、と痛烈な音が響き、会場の誰もが顔を歪めた。

 

 一方上段蹴りを喰らわされた当の本人は肩で息をしながら立ち上がってみせた。

 その姿に観客は盛り上がり、司会者も発破を掛けた。

 

「完璧な上段蹴りを喰らったアースッ!!それが何だとばかりに立ち上がるッ!!アースの真骨頂はここからだ!!」

 

 シンはそれが何だとばかりに飛び掛かって切り掛かり、アースの頭を守る剣ごと押し潰そうと刀を振るった。

 

 ガチィィン…

 

 鈍い金属音が響き、シンは驚きで目を見張った。

 明らかに力が上がっている。

 自重とシンの膂力を合わせた渾身の一撃をアースは見事に受け切り、あまつさえその状態からシンを押し返した。

 

 チラリと見えたその目は深海の青から燃えるような赤へ変化していた。

 

 シンを押し返し、体勢を崩した隙を狙い、アースは先とは全く比べ物にならないほどの力で剣を振り抜いた。

 鉄の剣はシンの腹部を深々と抉り、内臓を傷つけられ、受け身を取ることすら叶わずに壁に激突した。

 

 逆転したアースに観客が歓呼を上げる。

 

 全身の痛みを感じながら、壁から這い出てアースを睨む。

 とそこでアースがおもむろに口を開いた。

 

「…僕の能力は"追い詰められれば追い詰められる程強くなる程度の能力"…もう君に勝ち目はないよ、降参しな」

 

 開始直後のおどおどとした気配は無くなり、強者の風格を漂わせた男がそこに居た。

 思ったよりも強いが、慢心が敗北に繋がることをまだ経験していないようだ。

 

「思い上がった野郎にはお灸を据えてやるよ…」

 

 そう吐き捨て、立ち上がる。

 目立つからあまり使いたくは無かったが…やるしか無い。

 

「分からないならその身に叩き込んでやるッ!!」

 

 強気になったアースが一瞬で距離を詰め、剣を振るう。

 対してシンは刀を鞘を納め、叫んだ。

 

「ヴェノム!マスクッ(覆え)!!」

<了解ッ!>

 

 観客の殆どはシンがアースに頭を叩き割られる姿を想像し、恐ろしさから目を瞑った。

 しかし、いつまで経っても頭部破砕の音は聞こえず、耳に入ったのはアースの驚嘆の声のみ。

 

「なっ…!?」

ガキ…!よくもやってくれたな…ッ!

 

 アースの打ちどころの悪ければ死が訪れるだろう一撃を片手で掴んで止める、ヴェノムの姿があった。

 

 さぁ人々よ、震撼しろ…これが悪魔(ヴェノム)だ。

 




ご拝読、ありがとうなのぜ
ヤーナム在住の方、☆9評価サンキューなのぜ!あと二人で評価が反映…ぐふふふ… なのぜ。

ミナクテット・カレンの由来
ミネルヴァ(戦の神) + エレクトロ+カレント(電流)

レジック・アースの由来
レジギガス


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第十七話 軍来祭 劇的なスロースターター

おほ^〜評価付いてるのぜ〜
鬱注意なのぜ!ゆっくりして行ってね〜


 木刀を片手で掴み、動揺するアースの顔をを丸太のような黒腕で思い切り殴り付けてやった。

 衝撃で砂塵が飛び散って一瞬シン達の姿を覆い隠し、観客からはアースが突然吹き飛ばされたかのように見えただろう。

 

 まさか反撃されるとは思ってもいなかったのか、それともまた驚きで行動に移すことが出来なかったのか、痛々しい音と共にフィールドの中央部まで転がりながら吹き飛ばされた。

 

 砂塵からいきなり現れたクリーチャーに観客から悲鳴が上がり、司会者が興奮したかのように言った。

 

「これはッ!?これは〜〜〜ッ!?!?絶体絶命かと思われたシンが黒い化け物となってアースに逆襲した〜ッ!?何なんだアレはッ!巷で聞く黒い化け物とは彼の事なのか!?」

 

 やはり悪い意味でかなり注目されてしまう。

 キャーッと騒ぐ観客を無視し、目の前の戦闘に集中する。

 

 アースは油断して追い詰められれば追い詰められる程強くなる能力と言葉を溢した。

 スロースターターとはこの力が所以だろう。

 

 顔を大きく腫らしたアースがゆらりと起き上がり、ポツリと呟いた。

 

何でだよ…

あぁ?

 

 滂沱の涙を流しながらアースは叫んだ。

 

何でいつも思い通りにならないんだよぉぉ!!!!!

「…はぁ?」

 

◆◆

 

 僕は子供の頃、同級生から虐められていた。

 

 理由は簡単で、気が弱かったからだ。

 護ってくれる親なんてとうの昔に死んでいた。

 

 当時はー今もだけどー悪口を言われても言い返さず、されるがままだった。

 それが同級生にとって都合が良かったのか、イジメはエスカレートして、陰口を言われることは勿論、下駄箱から靴が無くなることも当たり前、仕舞いにはカツアゲやサンドバッグにされることもザラにあった。

 酷い時は芽生えたての能力の実験台にされることもあった。

 火、氷、殴打………思い出しただけでも体が痛む。

  

 学校に行って、ボロボロになって、誰も居ない家に帰る。

 出来ることといったら、布団の中で彼らを返り討ちにする妄想をすることだけで。

 

 そんな生活が数年続いて、十三になった頃だ。

 

 僕に友達が出来た。

 鼠だ。

 路地裏でポツンといて、血を出して弱っていて…そんな姿がどこか僕と似ていたんだ。

 

「お前も虐められてるの?」

 

 鼠に向けた言葉は虚しく空に溶けていた。

 けどヒューヒューと息をする鼠を見捨てられず、汚いことや細菌なんて考えずに家へ持ち帰ったんだ。

 

 最初は鼠を治すのに四苦八苦していたけど、いつの間にかすっかり元気になったんだ。

 その子は傷付いた僕を慰めるように甘えて来て、暗く荒み始めていた僕の心も癒していってくれた。

 虐めもこの子が居てくれたらへっちゃらだった。

 

 そんな頃、その子に名前を付けてやろうと思ったんだ。

 でも中々決まらなくて、登校する日の朝も頭をウンウン唸って考えていた。

 それで、思いついたんだ!とっておきの名前を!

 

 そしたらその子が胸ポケットの中に入り込んでいて、私も行く!とばかりに顔を覗かせていたんだ!

 まん丸な目で見つめられてとても可愛くて…つい一緒に連れて行ったんだ。

 それで名前を付けるのは帰ってからにしようと思ったんだ。

 

 学校ではいつも通りに虐めを受けたんだけど、コイツを連れて来て少し後悔していた。

 陰口なら問題はないけど、殴られたりしてこの子が潰れちゃったら大変だからだ。

 

 胸ポケットを最低限庇うことでこの子を守ったんだ、それでトイレでポケットから出して、生きているか確認して安堵した。

 

 そして放課後になった。

 いつもは校舎で不良に絡まれていたけど、今日はそんなこと無くて無事に帰り道の道路まで漕ぎ着けたんだ。

 安心して胸に温かみを感じて歩いていると、不意に掴まれて路地裏まで連れてかれてしまったんだ。

 

 不味い、そう思った瞬間には押し倒されていて、ニヤニヤとした不良達がが僕に絡んできたんだ。

 

「おいお前、今日胸になんか入ってたよな?大事そうに守ってたよな?見せてみろよ」

「そ、そんなの知らない、勘違いだから僕を家に返してよ!」

「は?お前に拒否権なんてあると思ってんの?おいお前ら!取り押さえろよ!!」

 

 僕は危険を感じてすぐさま逃げ出した。

 けど不良の一人が僕の足も掴んで引きづりながら連れ戻し、両腕、両足を掴んで拘束された状態にされて。

 

「何が入ってるかな〜♪」

「ヤダ!やめてよ!お願いだからッ!!」

 

 身を捩る僕を強引に取り押さえて不良は僕の胸ポケットを弄って、暴れるお宝(その子)を取り出した。

 

「うえっ!?鼠!?気持ち悪ッ!」

「放せ!その子を放してッ!」

「…あ?もしかしてペットかぁ?鼠とかキッモッ!お前らしいわ」

 

 涙を流して懇願するけど、不良はその子を握りしめて放さなかった。

 

「そうか、放してやるよ、可哀想だしな、お前らも放してやれ」

 

 不良は笑ってパッと手を放し、その子を自由にしたんだ!

 それに僕を拘束していた不良も放してくれた。

 なんて奇跡だ!そう思ってうつ伏せの状態でその子に手を差し伸べて、その子は手に向かって少し弱ってしまったのかよちよちと歩いた。

 

 その子が手に届こうと言う瞬間でーーー

 

 目の前に壁が出来た。

 いや、壁が降って来た。

 

 ほっぺにぺちゃりと何かが付いた。

 

 全身がこわばるように、血の気がひいて、目の前の光景を現実と思えなかった。

 

「え?え?いや、え?なんで?え?」

 

 僕はその子が居た場所に壁が出来ていたことを疑問に感じーーーいや、認めたくない。

 だって、だって、その壁は足で、その子の真上から降って来て、いやだ。

 名前だってまだ付けてないのに、君が居ないと僕は、僕は。

 

 不意に壁がゆっくりと赤い何かを滴らせながらが上がった。

 違う足だ、いや、違う、違う、違う。

 

「プッハハハハハハッ!!きったねぇ!!」

「そこまでやるかよ普通ッ!?足がベチョベチョじゃねぇか!」

「それよりコイツの顔見てみろよ!間抜けな顔してやがるッ!ハハハハハッ!!」

 

 周りの嗤い声が聞こえる。

 目の前には何かの水溜りが出来ていて、中心に何かがいた。

 シミみたいだ、けど違う筈だ。

 違うよね?君は咄嗟に逃げ出したんだよね?そうだよね?ね?

 

「聞こえてるぅ?どんな気分?ねぇねぇ?」

「………」

「…チッ、無視かよ、お前ら!コイツシメとけ!!」

「…ねぇ?」

 

 一応、一応僕は目の前のこれが何なのか彼らに聞いた。

 勿論違う答えが返ってくるはずだ。

 

「な、に これ」

「何って見てわかんねぇのか!?んん?お前が大事にしてたクソ鼠だろ?違うか?」

「違うよね、違う、違う違う違う!!」

「何だよお前キモイ…たかが鼠一匹でよぉ」

 

 僕は不良の言葉を否定した…けど、心の中では否定できなかった、もう解っているはずだと。

 涙がポロポロと零れ落ちる。

 こんな、あっさりと?連れてこなければ良かった、僕の責任だ。

 

 だから、だから、許してくれ■■■、名前を与えてやれなくてごめん。

 守れなくてごめん。

 

 涙は更に溢れて、肉片を掻き集めた。

 

「内臓集めてやがる…キモ…クソ鼠のきったねぇ肉を集めてやがるよ」

「ハハハッ!!言ってやんなってッ!」

 

 僕はその言葉を聞いて、初めて人に反抗した。

 

「取り消してよ…!!」

「ああ?」

「今のクソ鼠って言葉を…取り消してよ…!」

 

 ■■■をそっと置いて、不良達を睨め付けた。

 

「…お前もう殺すわ、キモイし楯突くし、もう半殺しじゃすまさねぇわ」

 

 ■■■の受けた仕打ちよりかはマシだ、そう思って殴りかかった。

 

 バキリ

 

 そう音を出したのは僕の方で、倒れ込んでその後は寄ってたかって蹴られ、殴られた。

 

「はぁ〜〜…頭悪いよなぁ、お前…俺達の方が強いってのに…」

 

 数分間暴力を尽くされた。

 僕は丸く蹲って耐えるしかなくて、やがていつもみたいにそのまま何もしないようになってしまった。

 

 身体中から血が出て、意識が朦朧としてきた頃、■■■のことを思い出した。

 僕は不良達に猛烈に怒りが再燃して、悔しさに食いしばり、涙を抑えようと目を閉じた。

 無意味だと分かっていても力を振り絞って拳を振るった。

 

 そうしたら突然、轟音のような音と男の叫びが木霊した。

 

「がぁぁぁあああッ!?!?腕がッ!?腕がぁぁあああ!?!?」

 

 目の前の不良の腕がミンチのようにぐちゃぐちゃになり、辺りを血で濡らしていた。

 

 僕は全く理解不能だったけど、今の一撃が僕がやったと思うと、少し、気分が良くなり、周りも思い切り殴ってみた。

 すると面白いように腕は千切れ、骨が粉砕する音が路地裏に響いた。

 

 暫く不良をぐちゃぐちゃにして、逃げ出そうとする■■■を踏み潰した不良を捕まえた。

 

「あっ!?悪かったから!!悪かった!?だから…」

「嫌だ」

 

 

 

 そこからは何も覚えていない。

 貧血で倒れたのか、初めての能力使用で意識を失ったのか。

 分かるのは■■■を失ったことだけだった。

 喪失感と虚無感で胸がいっぱいになって、枕を濡らした。

 

 目が覚めた場所はどこかも分からない病院らしく、看護婦は僕に話そうとせず、お金も要求されずに治療だけされて追い出された。

 誰が病院に運んだのか、なぜ無償でやってもらえたのか、何も分からなかった。

 

 そこからはトントン拍子だった。

 行く当てのない僕は優しい人に拾われて、能力を知って。そこで体を鍛えて、■■■みたいな子を出さないように軍に入ろうとした。

 

 最初は挫折も多かった。

 けど■■■を思えばなんてこと無かった。

 早く、軍人になってーーー

 

◆◆

 

…お前は何を言っているんだ?思い通りに行かない当然のことだ

「五月蝿いッ!!お前に僕の何が分かる!!」

 

 叫びながら爆音を立ててレースカーも真っ青な速度で飛び出して来たアースを真っ向から叩き潰し、強引に剣を奪い、目の前で叩き折る。

 攻守が逆転した展開に会場は大盛り上がりだ。

 

これでお前は武器を失った、降参しろ

「うぅぅ!!まだだッ! 僕は戦えるッ!!」

 

 アースは飛び起きて、大きく振りかぶって拳を振るった。

 驚異的な速度だが、いかんせん大振りすぎる。

 

 迫り来る一撃に紙一重で避け、アースの拳は轟音と共に壁に大きなヒビを入れた。

 振り抜いた隙を狙って、地面が陥没する程腰を入れて腹部にレバーブロー。

 大砲を撃ったかのような重低音が会場を戦慄させ、司会者すら冷や汗を流した。

 

 衝撃を身体の隅々にまで行き渡らせた一撃、衝撃を逃す術など無く、ビクンッと体を震わせた後にアースは泡を吹いて倒れた。

 

「見る者にすら戦慄を与えた強烈なレバーブローッ!!これにはアースも沈黙ッ!!よって勝者、シ…」

まだだぁああッ!!!

 

 アースはゾンビのように立ち上がり、シンと距離を置きながらシンの勝利を告げる司会者の声を遮る程の大声で行った。

 

「まだだ、戦えるんだ!僕は!ゲホッ!」

 

 アースは見れば足が…いや全身がブルブルと震え、激しく咳き込んでいる。

 余程効いたのだろう。

 しかし不味い、奴の能力はいわば究極のスロースタート、時間を掛ければ、ダメージを与えれば与える程強くなる。

 敗北扱いになってくれないか…それと共に立ち上がってもっと闘えと言う淡い期待を抱き、それは勝敗を告げる司会者では無く、月読命が宣言した。

 

「其方の決意を称して、吾が許そう、試合は続行だ」

「え!?あ、はい!月読命様から試合続行の意が表されました!!よって続行ッ!!」

 

 何と言うことだ、思いもしない熱い展開に観客のボルテージはこの日最高潮まで湧き上がり、歓声の熱気がシン達とアースを包んだ。

 

「行くぞッッ!!!」

 

 丁寧に攻撃の宣言したアースの突撃は先の比にならず、音速とも言っていい程の速度を叩き出し、踏み込んだ地点には衝撃波(ソニックブーム)が生まれていた。

 

 途轍も無い速度と増幅された力の権化とも言える鉄槌に、シン達は無意識とも言って良いほどの反応で横へ飛び避ける。

 隕石が落ちたような轟音、目の前には粉々に破砕された壁が映った。

 

 マトモに受ければ本当に死が訪れる、そう感じてシン達はアースから距離を取る。

 アースは勿論そんなシン達を追い掛けるが、直線的な動きで、回避するのは容易だった。

 

 ここでヴェノム、続けてシンははあることに気付いた。

 

<どうやら、力をコントロール出来ていないみたいだな>

(…確かにな…だがどうする…?)

 

 弱点は分かったが、対策が立てられない。

 更にこれ以上強くなられては困るので、攻撃も加えられない。

 アースは即死級の拳を振るうが、当てられない。

 場は緩着状態に陥っていた。

 

 しかし、場は動く。

 

 アースが突然両腕を地面に突き刺し、怒声と共にちゃぶ台返しのようにフィールドを捲り上がらせたのだ。

 派手な攻撃に会場は盛り上がり、岩石の雨がシン達に降り注ぐ。

 

ぐぉおおおッッ!?!?

「何とッ!?フィールドを捲って岩雪崩を実現させたッ!それをする為にはどれほどの力がいるのか想像も出来ないぞッッ!」

 

 岩の処理に手一杯でアースの拳が腹に突き刺さる。

 辛うじて貫通はしなかったが、内臓に重いダメージが蓄積した。

 しかも、アースは岩雪崩を全く気にせず殴り続ける為、ダメージが入るがどんどん強くなるというマゾのような攻撃システムを実現させてしていた。

 

 岩雪崩は終わる気配はない。

 ならば…この状況を利用する!

 

 シン達はその場から飛び上がり、岩に激突する直前で体勢を変え、岩に着地したかと思うと、また岩へ飛び移る。

 岩を利用した三次元運動は踏み込みで岩を砕く程速さを増し、観客やアースにも捉えられないほどのスピードで跳躍し続けた。

 その速度はゆうに音速を超え、音を置き去りにしていく。

 

「敵の攻撃を利用したぁッ!?シンはどこまでの力を秘めているんだッ!?目で追えないぞッ!!まさに黒い流星だ!!」

 

 アースの目がこちらを追えなくなり、岩雪崩が止むタイミングで飛び出し、後頭部に踵落としを繰り出す。

 

 爆発したかのような音が響き、衝撃で砂塵が吹き荒れ、観客の目を襲った。

 それでも…それでもアースは落とされた踵ごと頭を強引に振り上げ、更に強化された拳を振るった。

 

「オォォオオオオッッ!!!」

 

 不味い、その言葉が頭を埋め尽くし、打開策を弾き出す。

 膨大な力、コントロール、利用…これしか無い、シンは全身の力を抜いた。

 

<シンッ!?不味いぞッ!!>

(これでいいんだッ!!ヴェノムッ!!)

 

 アースの剛腕はヴェノムの体越しにシンの胸を穿ち、肋骨を易々と粉砕し、その奥の肺すらもひしゃげさせた。

 しかし、シンの体は吹き飛ばず、衝撃が蓄積された。

 

 シンの脳が激痛を訴えるが、この衝撃こそが最大の武器であり破壊力! 

 身体中に巡る衝撃を右腕に集め、ただのカウンターはアースの拳とシンの拳の威力が合わさった究極の一撃と化す。

 

 即死級の一撃を喰らったのは全てこのカウンターのためッ!

 

喰らいやがれぇぇぇええええッッッ!!!!

 

 叫びながら放った一撃は轟音と共にアースは弾丸のような速度で打ち出され、壁に陥没させる結果を生み出した。

 

 砂煙から姿を現したのは完全に沈黙したアース、つまり。

 

「決まったぁああああッ!!完璧なカウンターッ!!勝者ッ!!シン〜〜〜〜ッ!!」

 

 一瞬の沈黙の後、爆発したかのような感性が湧いた。

 

 

 




ご拝読、ありがとうなのぜ!
転生者さん、カタツムリさん、F.KITさん、わけみたまさんそれぞれ☆10、☆9、☆8×2評価ありがとうなのぜ!!
評価バーが真っ赤に染まって…涙が、で、出ますよ…
みんな結婚して♡


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第十八話 軍来祭 最大の敵

ゆっくりしていってね!


 アースとの一戦以降、それなりの時間が流れた。

 

 時間にして四時間、シン達は何事も無く試合を勝ち進めていた。

 テレビに映ったカレンの試合は瞬殺とはいかなくても、能力だろう雷撃による圧勝が殆どだった。

 同様に依姫も圧勝であり、こちらは能力では無く純粋な剣技で勝ち進めているようだった。

 

 そうして第四ラウンド、つまり準々決勝が終わる頃には、日が沈み始めてしまい、シンは欠伸を掻きながら流石に第五ラウンド(準決勝)は次の日に持ち越しされるだろうと思っていた。

 

 しかしテレビで司会者が放った言葉は違った。

 

『激闘が行われた軍来祭ッ!日は落ちてしまったが問題はないッ!!こんなこともあろうかとこのスタジアムにはある仕掛けが施されているんだ!!』

 

 司会者はスポットライトに照らされ、演説のような放送をおこなったかと思うと、パチンと子気味のいい音を鳴らした。

 音は夜空に溶け、開かれた空が鈍い音を立てる天蓋によって閉じられた。

 

 暗闇と化す会場からはざわざわと困惑の声が広がり、テレビに映る画面は真っ暗となった.

 不意に天蓋に光が灯り、会場は人工的な光に包まれる。

 

 感嘆の声があちこちから聞こえるが、更にそれでは飽き足らぬと言わんばかりに天蓋が透けるように透明になり、夜空に燦然と輝く星と一等星もかくやという程輝く照明、一際存在感を放つ満月を映し出した。

 

 これにはシン達も素直に感嘆の声も漏らし、会場も黄色い歓声を上げた。

 

 司会者はニヤリと笑い言葉を続ける。

 

『どうだこの技術!八意様の発案した透過したかのような壁ッ!すばらしいだろう!?そして、準決勝は星空の明かりの下行われるッ!残った選手は四名!

 

数多の勝負を圧倒したミナクテット・カレンッ!

 

巷で噂の黒き化け物、シンッ!

 

見る者を魅了する剣術!未だ能力を見せない綿月依姫ッ!

 

男限定で圧勝していた男!溢れ出るホモッ!ビデオに映し出されたココロの陰部 これは夢なのか、現実なのか…暑い真夏の夜 加熱した欲望は、ついに危険な領域へと突入する!!ネットのオモチャ!!二十四歳!学生!最早彼に人権は無い!!田所浩二ッ!!

 

以上四名の誰かがこの大会の栄光を掴み、華やかな未来を迎え入れることが出来るッ!皆さんッ!刮目せよ!これから起こる激闘にッ!」

 

 熱の篭った紹介に拍手が送られ、ついでとばかりに十分間の休憩を言い渡して去っていった。

 

 この演説を聞いたシン達は田所という人物に何故か嫌悪感を抱きながら控室を出た。

 理由は売店に向かい、ヴェノムに約束の美味い菓子を与えるためだ。

 

 何度もこの施設で迷ったおかげで、親切な事務員に地図を貰っていたため、今度は迷うこと無く売店に到着した。

 

 ここに来てから少しずつ、本当に少しずつ金を貯めていたため、一万程の金が全財産として懐に残っている。

 七千五百円は手元に残しておきたいので、余りをどうするか一瞬考え、適当にチョコレートを買おうと結論を出した。

 

<簡単に決めるなよッ!もう少し迷えッ!!>

(大丈夫さ、チョコレートはこの世で一番美味いんだからな)

<…本当だな?>

 

 勿論嘘だが、心に出さず、丁度二十個のチョコレートをカゴに詰め、がらんどうとした店内も見る。

 恐らく殆ど会場にいるため、客も来ないもだろう。

 どこか哀愁も漂わせる商品を他所に、店員に代金を渡し、足早に控室に向かった。

 たった十分の休憩と言っていた通り、試合開始の時が迫っている。

 

 地図を頼りに静かな通路を抜け、部屋でチョコをヴェノムに与える。

 最初は舌をちょんちょん当てて警戒した様子だったが、食べられると判断したのか、一気に齧り付いた。

 

 瞬間、ヴェノムの貼り付けたかのような濁った白の目が見開かれた。

 

<……ッ!!!>

 

 ヴェノムは無言で、されど夢中でチョコを喰らい尽くし、あっという間に二十あったチョコの半分を平らげてしまった。

 

 残ったチョコにも触手状の手を伸ばし、器用にラッピングを剥がして今度はゆっくりと味わうようにチョコのある成分を堪能した。

 シンは知らないが、チョコには人の脳にも含まれるフェネチルアミンが含まれており、ヴェノムにとってそれは主食とも言っていいほど重要な成分なのだ。

 

 ヴェノムがヴェノムらしからぬウットリとした表情でチョコを食べ進めている。

 だからだろうか、ノックの音とドアが開く音が聞こえなかった。

 

「失礼しま…え"っ…」

「…あー、うん、そう言う能力だと思っていてくれ」

「…わ、分かりました、本題ですが時間がやって参りました」

 

 少し気まずいが、試合で見せたヴェノム(黒い化け物)自体は知っているようなので助かった。

 絶叫はしなくてもチョコを頬張るヴェノムにドン引きする程度で済んだ。

 

「おいヴェノム!行くぞ!」

待て!チョコレートぐらい食わせろ!

 

 慌てて口にチョコを放り込み、最後の一個を丸呑みしたヴェノムの顔は、ハッキリ言ってリスみたいだった。

 肩から伸びる凶悪な顔がチョコを頬張りリスみたいな顔になっている…このギャップに鉄仮面の案内人もクスクスと笑い、少し足早に会場まで歩いた。

 

「到着です、頑張ってくださいね、ふふ…」

「あぁ」

 

 到着したシンに初めて案内人は激励、とまではいかないが応援を送り、シンは更に短く答えた。

 

「さぁ、ヴェノム、行くぞッ!」

依姫前の準備運動だ、こんなもの

 

 会場は閑としていて、嵐の前を静かさを現していた。 

 その静寂を打ち破るように、司会者が叫んだ。

 

「…皆さん、お待たせしました、軍来祭…準決勝の始まりです!!」

 

 ワアアアアアッ!!と今までとは比にならない歓声が響いた。

 

「まずはカレンッ!その力は我々がよく知るところだろう!!その膝は地に着くのかッ!!

そしてシンッ!力と技術を合わせ持つ、何より暴力的な姿!怪物は女帝に敵うのかッ!?」

 

 怪物とは随分な言われようだ。

 ゆっくり前へ歩き、カレンを見据える。

 堂々とした姿で、微塵も自身の敗北も想像しないような顔で、少し期待の色も忍ばせていた。

 その手には剣ではなくハルバードが握られており、軽々とその肩で背負っている。

 その姿はある種死神のようであり、シンの視界には黒いオーラが映った。

 

 最早観客の視線は気にはならない。

 両者は挨拶も無しにゆっくりと構え、その時を待った。

 

「おっと!強者に挨拶はいらないってか!?なら早速始めよう!!両者見合って…」

 

 場に警戒心…いや殺気が充満する。

 場は徐々に静かになり、誰かがゴクリと喉を鳴らした。

 

「初めェェッッ!!!」

 

 瞬間、砂塵を撒き散らしながら両者は飛び出した。

 

 テレビでは捉えられなかったが、ギリギリ見える。

 振り下ろされるハルバードの威力は、文字通り人を一刀両断するだろう、そうならないために刀を振るう。

 振り下ろされた斧と刀は真っ向からぶつかり合い、大きな金属音と衝撃が観客を襲った。

 

 鄒俊の間拮抗か続くが、軍配が上がったのはカレンの方だった。

 勿論、斧と刀では力の出方が違う、だがそれよりももっと大きな問題があった。

 

 ぶつかり合った瞬間にハルバードから刀、刀から掌へと流れた電気がシン達を襲ったのだ。

 震える視界でカレンを見れば、彼女からビリビリと帯電する電流が迸っており、計画通りと言わんばかりににやりと口を裂かしていた。

 

 焼けるような痛みを抑え込み、ハルバードを刀でいなす。

 続け様に腹に一閃ーーー出来なかった。

 

 紫電がカレンから爆発したかのように発射され、マトモに受けたシンの体は吹き飛ばされてしまったからだ。

 更に、人体の許容量を超えた電気は体に重度の痺れを齎していた。

 

 刀も持つ腕がビリビリと震え、目の前には無傷で、しかも紫電を纏わせているカレン。

 瞬く間に劣勢。

 シンは生身では無理と判断し、試合早々に躊躇いなくヴェノムを纏った。

 

まだまだこっからだぞ…てめぇ…!

「フン…やって見ろ」

 

 まだ試合は始まったばかりだ。

 




スペシャルゲスト、野獣先輩。
こんなに短いのはネルギガンテみたいな名前をしたゲームや東方異形郷が面白すぎるから、だから私は悪くない。

み、皆さんすみませんなのぜ!奴隷には後でみっちりと調教も施しておくから許してくださいななぜ!
あ、あとPOOTOさん、何者かの人、☆10、☆8評価ありがとうなのぜ!
☆8の人については、なんか調べても名前が出て来ないから判明したら書いておくのぜ。


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第十九話 軍来祭 エレクトリックガール

ゆっくりしてね!
東方異形郷面白いよ!ゾンビパニ…先がわからない展開でドキドキするよ!
だから皆も、見ようなのぜ!


 ヴェノムを纏うのはアース戦以来だが、早々にここまで追い詰められてしまっては仕方が無い。

 体に宿る万能感と高揚が胸から溢れ、声高らかに叫んだ。

 

オオオオォォォォォォオオオ!!!!

「…いいぞッ、そう来なくてはッ!」

 

 カレンは一息でシン達との距離を詰め、紫電の迸るハルバードを振るった。

 空気を裂くような斧であり、首を狙っている。

 避けることはせず、衝撃もろともハルバードの刃を受け止め、驚いた表情をした彼女の顔を殴り付けてやった。

 

 嫌な音が響き渡り、すぐさまハルバードを地面に突き立てて衝撃を逃す幼女を横目に、シンは指先の状態を確認した。

 全く問題ない、多少痺れているが紫電程度では気にはならない。

 

「おぉっとッ!?膂力はシンが完全に上かッ!?」

 

 司会者が言い、勝利の糸口が見え、シン達の顔が凶悪に綻ぶ。

 

「馬鹿にしやがって…私の電気()はこんなもんじゃねぇぞ」

 

 シンの顔の歪みを嘲笑と勘違いしたのか、カレンは瞳孔を開けながらハルバードを地に下ろし、掌をシン達に向けた。

 まるで何かを発射するかのように。

 シンは嫌な予感という名の身震いがし、咄嗟に真横に飛び出した。

 

「ロウ・レビニングッ!!」

ごッ!?

 

 言霊に込められた力は小さな雷。

 蒼き雷電は観客からは捉えられないほど小さく、されど雷電のスピードでシン達の胸を穿った。

 先の紫電とは比べ物にならない電力が体を駆け巡り、体がビクンと硬直した。

 

 その隙を見逃す彼女では無い、ハルバードにバチバチと音が聞こえる程電気を流し込み、あわや周りに放電しようと言うところでハルバードを思い切り振るい、刃と化した雷を打ち出した。

 バチバチと音を立てながら放出された雷の刃は観客の目に捉えられる程の速度だったが、硬直したシンには避けられず、胴体を通り抜けるようにして貫かれた。

 

 ハタから見てば胴を一刀両断されたように見えただろう、あちこちから悲鳴が上がる。

 

 シンは内臓と肉をシェイクされたかのような激痛に身を引き攣らせ、膝を突かぬように踏ん張りながらカレンを睨んだ。

 隙を与えないため、痛みが引かない内に突撃し、拳を振るう。

 

 的確に急所を狙った連撃が繰り広げられるが、カレンはその身の小ささを生かし、ひょいひょいと避けていった。

 殴打、脚撃、刺突、薙ぎ払い、その全てが悉く外れ、回避される中で煽りを受けられる程に舐められた。

 

 ブチリ、堪忍袋の緒が頭の中で音を立てて切れ、強引に放つ脳天を狙った踵落としは紙一重で避けられ、フィールドを粉々に叩き割った。

 フィールド(足場)が崩れたことでカレンはグラリと体制を崩し、放たれた黒腕がアッパーのように彼女の腹を襲った。

 観客が興奮したかの様に息を荒げる。

 

ハァッッ!!

「ごはぁッ!」

 

 高々と打ち上げられたカレンは放物線を描いて墜落ーーーしない。

 

 打ち上げられた体勢のまま彼女は静止し、体から雷電を溢れ出させた。

 ゆっくりと体制を直し、見せびらかすように手を広げた。

 

「どうだ!この力ッ!羨ましいだろうッ!そうだろうッ!?」

ケッ…浮遊か、厄介な

< 跳んで当てればいいさ >

「カレンの体が宙に浮いているッ!?これは電磁力という物だろうかッ!?」

 

 司会者の言う通り電磁力の類いだろうか、絶えず体から紫電を放つカレンは更にハルバードを手放した。

 手放されたハルバードはまるで意志を持つかのようにフヨフヨと浮かんでいる。

 カレンとハルバードとの間にパスのように紫電が繋がっている、恐らくあれも電磁力なのだろう、便利な物だ、電気とは。

 会場はカレンに釘付けであり、本人は視線が心地よいと言ったばかりに口をにやけさせる。

 

「どうだ?誰もお前に注目しない!皆が私を見てくれているッ!見てくれているか母上ッ!私はこんなに視線を集めれているぞッ!!」

…そうか、お前、頭大丈夫か?

「なんだと…ッ!?貴様…ッ!?」

 

 虚空に視線をやっていたカレンはギロリと目を向けた。

 その顔には多くの苛立ちが表されており、まるでスイーツの時間を邪魔された子供のようだった。

 

今は俺との勝負の時間だ、他人の視線より俺に集中しろ

「…貴様ァッ…!!」

 

 少女は母親を夢想した。

 

 頭を撫でてくれたお母さん。

 一緒に寝てくれたお母さん。

 妹を大量の汗と苦悶に塗れた表情の中生んだ母さん。

 妹に構う母さん。

 私を興味なさげに見る母さん。

 呼び込めても答えなかった母上。

 私に愛を注いでくれない母上。

 母上、母上、母上ーーー私を、見て。

 

「母上はッ!私の母上は!きっと見てくれるッ!貴様ら雑魚なんか要らないんだよッ!!」

マザコンかよ…いいぜ、そんなに視線に飢えてるなら、今だけは俺が、お前だけを見て…やる、よォッ!!

 

 シンはヒビ割れた地面を踏み砕き、一瞬でカレンの目の前まで跳ぶ。

 あまりにも唐突な攻撃だったからか、カレンの目は見開かれ、瞳には拳を振るったシンの姿が丸々と映った。

 

「…ッ!!」

あがぁッ!?!

 

 ハッと正気を取り戻したカレンの雷撃でシンは再び地面に強制送還されたが、彼女はひどく動揺したように叫んだ。

 

「貴様が母上の代わりにでもなると思ったかッ!?薄汚い化け物がッ!そんなに私を見たいならば、その目を焼き切ってやるよッ!!」

やれるモンなら…やって見ろ…ッ!!

 

 カレンは焦った顔で両手をシン達に向け、更に目標補足といったようにハルバードの切っ先を向けた。

 ハルバードが恐ろしい速度で打ち出され、カレンが叫ぶ。

 

ハイ・トルメンタ(雷撃雨・高圧)ッ!!」

 

 何十のも雷の柱が絶えず打ち出され、ハルバードが回転しながら風を切って牙を剥く。

 それはまさに雷の雨であり、逃げ場も少なく感じる。

 

 シン達は走り回ることで雷の柱を避け、ハルバードをはたき落とすように迎撃した。

 打ち出された雷の柱は地面に突き刺さると共に霧散し、大地に溶け込んでいく。

 

 耐えず追ってきたハルバードは、次第に動きが雑になり、遂にはブンブンと振り回されるだけの鈍器となった。

 ハイ・トルメンタとやらの制御で一杯一杯なのだろう。

 

 焦りが冷や汗となってカレンの顔から零れ落ちる。

 これを好機と見たシンは、振り回されるハルバードと柄を掴み、砲弾投の要領でカレンに投げ返してやった.

 質量を持ったハルバードを電磁力で受け止めるには無理があるらしく、雷の柱を全力で打つことで相殺していた。

 

 シン達は空へ跳び出し、腕をハンマーに変化させ、振りかぶる。

 ハルバードと処理で手一杯のカレンは絶望したかの様な表情でこちらを見て、せめてもと言わんばかりに細い片腕を防御に出した。

 

 勿論受け止めることなど出来ず、骨の粉砕音と共に地面に叩き落とされた。

 ハルバードが回転しながらこちらに向かって来るが、勢いも落ちたその武器を手に取ることは簡単で、着地時の衝撃で斧部分を粉砕して無惨に投げ捨てた。

 

さぁ、どうする?降参か?戦うか?」

「まだ…私は…やれる…人々が、母上が私を…ッ」

まだそんなモンに縋ってんのか?少なくとも俺達がお前に釘付けだってのに…

 

 ぐにゃぐにゃな右腕を押さえ、フラフラと立ち上がっていったカレンに、シンはそう答えた。

 すると、彼女は俯いた顔のままシンに尋ねた。

 

「貴様は…私を見ているのか…?」

じゃなきゃ負けてるな

「〜〜〜ッ!!」

 

 真っ直ぐにカレンを見て言う。

 よく見れば彼女はガタガタと震えているようだ。

 奇しくもそれは感動に打ち震えているのでは無く、怒りに身を悶えさせているようだ。

 

「ふざけるなァッ!!私を真っ直ぐ見てくれる奴なんていないッ!!居なかったんだッ!!」

 

 涙を流してカレンは腕を振るい、雷撃を行った。

 しかし、その雷撃は紫電でも、蒼くも、黄色くも無い…漆黒だった。

 

「霊力全開ッ!!フォールンサンダーッ!!!」

 

 轟音を立てながら蛇行して迫る黒雷は、まさに疾風迅雷であり、反応する前に胸を穿たれた。

 観客は何が起こったのかすら分からず、いきなり胸に傷を負ったシンにポカンとしている。

 

ごぶっ!?

 

 普通の電気と違って、穿たれた部分は焼け爛れ、断続的な痛みに襲われていた。

 更に電熱…熱である。

 胸が再生されず、黒き鎧が剥がれて皮膚が露わになっている。

 

「なんだ今のはッ!?一瞬過ぎて捉えられなかったぞッ!?」

(治せるか!?)

< 無理だっ!熱がある内は触ることすら出来ねぇ! >

 

 思案している間にも黒雷は放たれ、なんとか勘で避けることが出来た。

 肩で息をしながら、カレンは言う。

 

「霊力を纏った黒雷…当たれば三十分は激痛だ…!」

ああそうかいッ!

 

 簡単に情報を教えてくれる、それ程この技に自信を持っているのだろう。

 更に攻撃の間隔を狭め、まるで黒い雨のようにシン達に降り注いだ。

 

 シンは円を描くように走って避け、避けれない黒雷は地面の瓦礫を投げ付けるようにして防御した。

 それでも威力が凄まじく、瓦礫から漏れ出た黒雷によってヴェノムに覆われた体の隅々が露わになっていった。

 近づかば近づく程黒雷の威力は増し、回避も防御も難しくなる。

 

(近づけない…どうするヴェノムッ!?)

<……飛び道具だ!地面の瓦礫を使えッ!! >

(成程なッ!)

 

 苛烈さを増す弾幕を抜け、隙を見て体一つ分のぐらいの、岩とも呼べる瓦礫を投げ付ける。

 何十キロもあるだろうと言うのに、豪速球のような速度で飛来する弾丸は黒雷を受けて粉々に破砕された。

 それだけでは飽き足らず、口を開けた竜の竜のような黒雷に大きく濁った白目を穿たれ、脳へ直接ダメージを与えられたと同時に顔半分がヴェノムから引き剥がされる。

 

「ぐぁあッッ!?!」

<ぐぅぅうッ!? >

 

 シンは顔半分を抑えて絶叫し、ヴェノムは体を猫の毛が逆立つかのように体を震わせている。

 更に立ち止まってしまったことで、無数の黒雷に貫かれ、手足にそれぞれ一発、胴体に二発、計六発喰らってしまった。

 

 体が熱く、視界がチカチカと点滅する。

 体は思ったように動かず、絶えずビクビクと震え、膝を着いた。

 ヴェノムは既に体から剥がれ、内に入ってしまった。

 

 顔を無理矢理上げると、粉砕された腕をダランと下ろし、脂汗を垂らしたカレンの姿があった。

 能力の使い過ぎ(オーバーヒート)だろうか。

 

「ぜぇ…ぜぇ…どうだ?動けねぇだろ…最後にありったけをくれてやる…ッ!!」

 

 カレンはおもむろに片腕(銃口)をシンに向け、力を溜め始めた。

 

 不味い、不味すぎる、ヴェノムも無い、マトモに避けれない、死ぬ。

 本当に死ぬ。

 

 思案している間にもカレンの掌には黒い光が光が溢れ、バチバチと放電し始め、カレンのあどけない顔を黒く照らした。

 

(不味いッ!不味い不味い不味いぃッ!!)

< シンッ!来るぞッ!! >

 

 露わとなった半分の顔を焦りで歪ませ、痺れて動かない膝に鞭を打つ。

 それで動くはずも無く、遂にカレンの()()技は放たれた。

 

デウス・ドンナーシュラーク(神の零した雷)ッ!!」

 

 瞬間、爆音と共に会場は黒き光で満たされた。

 誰もが黒い光に飲み込まれ、辺りを視認出来なくなる。

 

 しかし、雷のバチバチとした轟音と衝撃が、その攻撃の苛烈さを物語っていた。

 

 カレンによって放たれたのは雷のエネルギー砲。

 しかし、霊力という不純物が混ざり、より強く、更に色が黒へと逆転したものだが。

 シンはその破壊のエネルギーに包まれ、形容し難い痛みに襲われていた。

 

「お" お お"おぉ お"お"ッ!!!!」

 

 くぐもった絶叫を黒い光の中で上げるシンは、ただその足を前に進めていた。

 適応の力で痺れに適応し、焼ける様な痛みと全身を駆け巡る痛みの両方に耐えながら、一歩、また一歩と足を進める。

 

「くっ はっ は ははぁ あ"あ" あ"ああ"ッッ!」

 

 暴力的なエネルギーの中でシンはただひたすらに笑う。

 大口を開けて、面白くて堪らないと言うように。

 

「これ" こそ がぁ"ッ!!俺" の 求"め る" ッ!!命を" 賭 けた" 勝"負" だぁッ!!」

 

 笑い声は雷の怒号に掻き消され、内臓が焼き切れているのか口からゴポリと血が噴き出る。

 次第に火傷と雷の苦しみも気にならなくなり、遂にカレンの目の前まで漕ぎ着けた。

 恐らく姿は見えていないだろうが。

 

 雷のエネルギー砲を突き破るかの様に腕を突き出し、カレンの細い腕を掴む。

 向こうから見れば、必殺の一撃の中から敵の腕が這い出て、自身の腕を掴まれる、恐らく驚きと絶望が溢れ出るだろう。

 

 次第に黒き光の束は細くなり、やがて消えて無くなった。

 どうやら電池切れ、といったところか。

 

「畜生…ッ!畜生ぉぉおお…ッ!」

 

 力も抜けたのか、ヘタリと座り込み、殺意を持った視線でこちらを睨みつけてきた。

 電気によって震えることも無くなった指をカレンの額に近付けて、シンは言う。

 

「…ハァ…やっと俺を見たか?この承認欲求野郎」

 

 そう吐き捨てて思い切りデコピンした。

 人外の力から繰り出されたデコピンは容易にカレンの意識を奪い、カレンはドサリと仰向けに倒れた。

 

「決まったぁぁッ!苛烈に続いたこの試合ッ!遂に決着ッ!!勝者ッ!!シン〜〜〜〜ッッ!!!!」

 

 歓声が爆発し、疲れ果てたシンの体に次は爆音波が耳を襲う。

 シンはテレビからこの試合を見ている依姫に地獄の業火の如き闘志を燃やし、歓声を背に会場を去った。




ご拝読、ありがとうなのぜ!
神無月真治さん、隼型一等水雷艇 隼さん、☆9×2評価ありがとうなのぜ!


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第二十話 軍来祭 医務室にて

ゆっくりしていってね!


 体は依然電熱による煙を発しており、ヴェノムによって治癒も出来ず、重い体を引き摺って永琳のいる医務室へ向かった。

 

 特に右目、ブスブスと煙を立てている。

 手を当ててみるとドロリとした皮膚の感触と熱さを感じ、反射的に手を離した。

 

<まるでゾンビだな>

「じゃあアイツはちっちゃなバーキン博士だな」

 

 シン達は軽口を言い合いながら医務室へ歩いた。

 

◆◆

 

 カラカラとした振動と、掛けられた布、その感触で私は朧ながらに目が覚めた。

 うっすらとした視界で目まぐるしく過ぎ去って行く白い壁と私を運ぶ人達をぼーっと見つめて、何故こうなっているか考えた。

 

 …そうだ…あの野郎に負けた。

 私は…母上に醜態を見せてしまった。

 

 粉砕された右腕がジクジクと痛む。

 後悔、嫉妬、憤怒、鬱屈、悲哀…辞書で言い表せない複雑な感情が身を包む。

 

 と、そこで突然電子扉の独特な機械音が耳に入った。

 視界も殺風景な白い壁から、清潔感の漂うベット、簡易的な医療道具に変わった。

 動かない体を必死に動かし、周りを見渡そうとすると、透き通った声が私を静止した。

 

「ダメよ、動いたら…貴方は一応重症なんだから」

「ッ!?」

 

 声に驚き、硬直していたところを私はベットに移されていた。

 沈む様な感覚で眠気に襲われるが、声の主を探すために首を動かした。

 

 その人物は簡単に見つかり、赤と青のツートンカラーの奇妙な服を着ている医者っぽい人が私の寝かされたベットの横に座っていた。

 その顔は優しげでいつかに聞いたナイチンゲールとやらを連想させ、そして誰もが知っている程の著名人だった。

 

「八意…永琳、様!?」

「あら、知ってるのね、別に"様"はいらないわよ?」

 

 ニコリと笑ってその人は私の粉砕された右腕を触った、いや、この場合は触診と言うべきか。

 とにかく骨がぐちゃぐちゃな腕を触られるのは吝かで、触られると同時に激痛を私の脳は発信した。

 

「うぅ…ッ!?」

「まぁ落ち着きない…そうね、麻酔だけ掛けとくわね、あと耳栓も付けておくわ」

 

 永琳…さん、はおもむろに私の腕に注射を刺した。

 次第に腕の激痛が治まっていき、安堵の溜息をついた。

 永琳さんはその間も私に耳栓をつけたり、肩の部分に布を下ろしたり、メスやらピンセットやらを持ち出したりしていた。

 

 肩に下ろされた布で腕の状況が見えず、耳栓でどうなっているかも分からなかった。

 手術なのか?そう思っているとふと、ポロリと片方の耳栓が取れた。

 

 グチャ、ミチ、ペチャ。

 

 肉を引き裂く様な音が腕から聞こえて、私は永琳さんに何をされているのか少し恐怖に思った。

 自由な左腕で耳栓を付け直して、ジッと目を閉じて手術?が終わるのを待った。

 

 案外、手術は一分ぐらいで終わって、永琳さんから。

 

「もう目を開けても大丈夫よ」

 

 と、耳栓を外しながら私に言った。

 恐る恐る右腕を見ると、何の変哲もない元通りな細い腕がそこにあった。

 

「右腕なら治したからね、でもあんまり動かないでね、また()()()()()()()から」

「ひぇっ!?」

 

 永琳さんの言う言葉からは何と言うか…凄みがあって、私に有無を言わさず安静を言い渡した。

 どうやって、そう聞く前に扉の開く機械音と共に誰かがここに入って来た。

 

「永琳…火傷治しの薬をくれ…」

「あら、シンじゃない?ちょっと待って」

 

 身体中から煙を出し、いかにもボロボロな彼はくたびれた様に言っていた。

 アイツは…!あの糞野郎ッ!!?

 何でここに?疑問が頭に溢れて、思わず私は起き上がって言った。

 

「何で貴様がここにッ!?」

「あぁ?怪我したからに決まってんだろ?他ならぬお前の手でな」

 

 巫山戯るな、私に恥をかかせた手前でよくもノコノコと…

 そう言葉を大にして言いたかったが、永琳さんに優しく諌められた。

 

「ダメ、安静にして…貴方体がヒビだらけなんだから…シンはこれでも塗っておきなさい」

 

 永琳さんが放り投げた薬品ー火傷治しだろうーをアイツは軽々とキャッチし、焼け爛れている顔や体に塗っていた。

 苦悶の表情をしながら、ジュウジュウと音を立てる箇所を押さえ、煙が立たなくなったら直ぐに黒い何かを纏わり付かせて体を治していた。

 

「何なんだ…!貴様は…ッ!?」

「…俺はシン、そしてヴェノムだ…お前も知っていることだろう?」

「違うッッ!!」

 

 私は永琳さんの目を憚らずに叫んだ。

 そうでもしないと泣いてしまいそうだった。

 

「何で貴様がッ!何で…!何で勝って…ッ!私が…負けて…ッ!」

「…何で、か…それは背負っているものが違うからだ」

 

 彼は私を釈然とした目で見下ろして言う。

 背負っているもの?皆の視線を集めて、注目されて、私は母上の目を向けさせるように、私は努力して…

 

「私はッ!母上の為に頑張って来たッ!母上はッ私を…」

「じゃあ聞くが…お前はその母に何か言って貰ったのか?褒めて貰ったことはあるのか?」

 

 私にある記憶が甦った。

 

 十…の頃だ。

 私は能力が発現して、腕からパチパチと電気が出たのを母上に報せようと駆けつけていた。

 それはもう嬉しくて、顔から笑みが溢れるのを押さえて母上を探していた。

 母上は、豪華に飾り付けされた妹の部屋に居た。

 私はまだ歩けない妹を可愛がる母上の背中を叩いて、呼ぶ。

 

 久しぶりに話した恥ずかしさどんな顔するかの期待で、顔は見えなかったけど、私の話を聞いてきっと笑ってくれていた筈だ。

 私の話を聞いた母上は、そう、と返事を返して、また妹をあやし始めた。

 きっと………笑ってくれた…筈…だ。

 

 そんな考えを振り払って、逆にアイツに聞いた。

 

「貴様は…!あるのかよ…ッ!?」

「ある…それは他でもない…俺の…俺達のためだ…ッ!勝ちたいから努力する、諦めない、負けたくないから足掻く、必死になる…逆に誰かの為に頑張るお前のような奴には、その誰かに助けて貰うことが必要だ、この意味は分かるな?」

「私は…私は…ッ!そんなのッ!…分からないッ!」

 

 分からない筈がない、私は母上に…ッ!

 言葉は気持ちと裏腹に叫んでしまう。

 

「だってッ!分からないんだッ!母上は私がどれだけ頑張ってもッ!応えてくれることなんて無かったッ!私はどうしたらいいんだッ!?私に出来ることはッ!?何なんだッ!?」

 

 胸の内を全て吐き出した私の目は熱くなり、押さえれば大粒の涙が溢れているようだった。

 私の心の内でこんなことを思っていたのか。

 自分でもよく分からない位、言葉が溢れ、胸の内が痛んだ。

 涙を見られないように俯く。

 綺麗な布団に涙の染みができていく。

 

「…それはお前が探せ、アドバイスをするなら…そうだな、人生の目標でも作ったどうだ?」

ひぐっ、そんなのっ、うぐっ…」

 

 心の声を出し切ったからか、私は嗚咽と涙を抑え切れなかった。

 目標なんて、母上だけしか見て来れなかった私が作れない…

 ふと、試合の最後だけは母上も、何のしがらみ無く、()()()を見ることが出来たことを思い出した。

 

 彼を目標にすれば良いのだろうか…?

 そんな思考をブンブンと頭を振り回して霧散させた。

 でも、殺意の意だとしても彼だけを意識したのは初めてで…

 

 そんな邪心を振り払うように彼に言う。

 

「おい、ひぐっ…ふざけるなよ… ひぐっ、貴様…」

「あら、彼なら居ないわよ?もう言っちゃったし」

 

 彼の代わりに永琳さんが応えた。

 私は俯いた顔を上げ、彼を探す…しかし、空いた電子扉が閉まってしまったこと以外に見つけたことは無く、思わず口を開けて固まってしまった。

 

「…は?」

「あら、私が代わりに聞いてあげましょうか?」

「…要らないッ!」

 

 ここまで話したのに一瞬で消えてしまった彼にまた殺意を覚え、同時に永琳さんに全て聞かれていたと思うと体が燃えるように恥ずかしく思ってしまい、布団に蹲ってふて寝入りをかました。

 

 永琳さんの笑い声を聞きながら、疲労が溜まったのか、それとも泣き疲れたのか、私はいつの間にか眠ってしまった…

 

◆◆

 

 シンはあまりカレンのことについて関わらないつもりだったが、彼女の顔を見ていると口出しせずには居られなかった。

 彼女の物言いから察するに、母親に固執し、呪いのように彼女を縛っていると感じた。

 

 シンは精神科医では無いが、応急処置として目標と言う名の精神安定剤を施し、大元である母親についても考えておかなければならないと思った。

 

<随分と優しくなったなぁ?>

「…気まぐれだ」

 

 そう言って場を誤魔化し、シンは依姫と…誰だったか、思い出せないが二人の試合を見る為に白い通路を抜け、控室へ向かった。

 途中で売店を通り過ぎた時、ヴェノムがチョコを要求し、財布の合計金額が半分になってしまったが。

 

 控室に辿り着き、もう終わっているだろうかと一抹の不安を抱きながら、テレビのモニターの電源を入れる。

 

『…姫優勢ッ!しかし浩二ッ!力を貯めているが依姫は動かないッ!受け止める気かッ!?』

『迫真流 邪剣・夜 逝魔焼音』

『ハァッッ!!』

 

 丁度クライマックスのようで、目にも止まらぬ速度で放たれた技を、真っ向から打ち合う依姫はそのまま競り勝ち、茶色に焼けた男は鳩尾に一発、奇声を上げて倒れた。

 

 突如に湧き上がる大歓声。

 司会者も興奮したかのように捲し立てる。

 

『綿月依姫vs田所浩二ッ!激闘を制した勝者は依姫ッ!!遂にッ!決勝だぁぁあああッ!!』

 

 夜に観客の雄叫びが響く。

 映像では月読命でさえも、右頬の口角を上げており、期待に満ちた表情をしていた。

 会場が今日一番の盛り上がりを見せ、熱狂の中司会者が叫ぶ。

 

『三十分の休憩を挟むッ!その間、フィールドにて待つも良しッ!控室で瞑想するも良しッ!兎に角二人は静かにその時を待てッ!!』

 

 シンはその言葉を聞き、静かに控室を出た。

 腰に刺さっている刀の感触を確かめながら、誰に向けたのでも無く独り言ちる。

 

「これで最後の勝負だ…行くぞヴェノム」

<…おう、We'll do our best(本気で叩き潰す)ってとこだ>

 

 最後の決闘が幕を開ける。

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
バーキン博士とはバイオハザードのボスなのぜ!
そして永琳がした手術とは、カレンの肉を裂いて、バラバラな骨を元の位置を戻すと言う作業だぜ。
それを一分で、傷跡も無く完了させた永琳…やばいのぜ。
最後にれみにゃんさん、プリズ魔Xさん、おつらはさん、☆10×2、☆9評価、そして誤字報告、ありがとうなのぜ!


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第二十一話 軍来祭 最後の激突

ゆっくりしていってね!


 ゆっくりと会場まで歩くシン達はただ昔を思い返していた。

 瞼の裏に敗北の日々が浮かぶ。

 

 最初の因縁、二度目の敗北、霊力の差、全力のぶつかり合い。

 彼女との試合では、ついぞ勝つことは無かった。

 

 依姫に勝てる要素があるとすれば、執念と根性。

 地獄の外周マラソンでもそれのお陰で勝利することが出来た。

 ならば今回をすることは変わらない。

 

 足掻いて、食らい付いて、抵抗して…依姫を超える。

 

 自然と口角が上がり、勝利への渇望とは別の期待も浮かび上がった。

 泥沼の戦闘を、血濡れた闘争を、限界を超えた勝負を、命までも賭けた究極の賭博を。

 

 心臓が待ちきれないとばかりに拍動し、体が期待をして汗ばんでいく。

 

 

 気付けば会場が目の前だった。

 シンの心持ちとは裏腹に、場は張り詰めた凪のように緊張し、石一つ投げ入れるだけで崩れるだろう。

 依姫はフィールドで背を向けて仁王立ちしており、シンにとって、それはまるで途方も無い程大きい壁に見えた。

 無論、乗り越える為の壁だが。

 

 恐らく既に休憩時間の三十分は経っているだろう、意を決してフィールドに踏み入る。

 誰かの息を飲む音が鮮明に聞こえ、整備された石の地面を踏む音だけが響く。

 

 依姫の背景となる満月は天の真ん中へ差し掛かっており、彩るように星が爛々と光っていた。

 

「……来ましたね」

「…おう…宿敵(依姫)、来たぞ」

 

 緩やかに振り返った依姫の顔は、凛としており、覚悟が決まった顔をしていた。

 振り向きながら、奇しくも同じ武器である刀を抜刀する姿は美しく、様になっていた。

 シンは程良い距離を保って、依姫を見据える。

 

 そこで痺れを切らした司会者が叫んだ。 

 

「遂に始まる決勝戦ッ!ライバル(最強)ライバル(最狂)の巡り合わせッ!何の因果なのだろうかッ!!シンは依姫を超えるのかッ!?果たして依姫が捩じ伏せるのかッ!?そしてぇッ!軍来祭最強が決まるこの試合ッ!!決して見逃すなッッ!!!それではぁッ!!開幕だぁぁあああああッッッ!!」

 

 場の凪は崩れ、嵐のような感性が爆発した。

 

 だが、歓声は直ぐに止んでしまう。

 二人とも構えたまま全く動かないのだ、試合のコングはなったと言うのに。

 

 次第に騒めく観客達。

 何故動かないんだ?始まっているよな?そんな声が場を満たした。

 二人は隙を探しているが、全く見つからない、故に二人は沈黙を貫いていた。

 

 数分にも及ぶ沈黙、得た物は無く、集中力が次第に欠けていく。

 痺れを切らしたシンが地面を踏み砕いて切り掛かった。

 

 何者も見切ることの出来ない刹那の一撃、脇腹から切り上げるように放たれたその技は命中すること無く、依姫がバックステップをすることで回避された。

 彼女は着地後、一瞬で地を蹴り、カウンターとしての一撃を首に振るった。

 それを刀を首と依姫の刀の間に差し込み、防御する。

 

 ここまでは日々の試合で幾度も繰り広げられた光景であり、いつもの勝負との変わりなさがどこか可笑しく、両者はニヤリと笑った。

 剣戟は激しさが高まり、刀が合わさる程に速度は増し、響かせる重低音もより大きくなっていく。

 音速へ近づく刀同士は、より疾くなり、最早観客や司会者には捉えられないものと化していく。

 

 しかし、ほんの一瞬の間に行われた剣戟は唐突に終わりを告げた。

 

「ハッッ!!!」

「…ッ!?」

 

 シンの短く発せられた声と共に依姫は吹き飛ばされ、剣戟は一時中断となった。

 

「もっとギアを上げるぞッ!!」

「…いいでしょう…ッ!!」

 

 方や咆哮を上げ、体をより黒く、より堅牢な肉体へ変化し、方やオーラのような覇気を噴き出して力を誇示するかのように刀を振るった。

 

いくぞぉぉオオオ"オ"ッッ!!依姫ぇぇええエエ"エ"ッッ!!

 

 目にも止まらぬ速度で地面を踏み砕くシン達。

 対して依姫は距離を保ちながら霊力弾を幾多も放ち、牽制を行う。

 

 だが…

 

効くかッ!!こんなものッ!!

 

 シン達は被弾しながらも、獣のような四足歩行でフィールドを駆け回り、確実に距離を詰める。

 流石の依姫も不味いと思ったのか、霊力弾の発射から真っ向戦闘にスタンスを変えた。

 

 互いに疾走して接近する両者、豪風を伴って放たれた一撃をシンはーーー

 

 マトモに受けることはせず、足で地面を思い切り踏み砕き、衝撃で捲れた石を壁を依姫の目の前に現させた。

 更にその壁を音速を超える程の力で放たれた拳で砕き、石弾…いや、岩雪崩を実現させた。

 

 これには依姫も攻撃を防御に転じ、一瞬で岩雪崩を粉々にした。

 しかし、一瞬でもシン達に時間を与えて仕舞えば、それは敗因となる。

 

 一瞬を利用して行ったのは腕の武器化、それもメイスやアックスなどでは無く、異常に長い鞭であった。

 しかし、それは本来の使い方で利用されず、手頃な大きなの岩に巻き付け、スイングする、まるでモーニングスターのような攻撃だった。

 

 しかし、紐部分である腕の長さがモーニングスターのそれと比較にならず、軽く音速を超えた一撃を岩雪崩を凌いだ依姫にお見舞いした。

 

 轟音と砂煙が舞い、観客の誰もが、やったか!?と言う感情を抱いた。

 

 しかし、砂煙を突き抜けるように依姫が現れ、その勢いでシン達の全身を撫でるように刀を走らせた。

 ボギボギと通常では起こり得ない異音が響く。

 

グォッッ!?

「ふぅッ、今のは、ふぅッ、効きましたよッ…」

 

 見れば依姫の頭が出血しており、先の岩石スイングが余程答えたようだ。

 しかし、その代償は大きく、シンは内臓の重いダメージと、手足の様々な場所が粉砕させた。

 後者は一瞬で治ったが。

 

 反撃の暇を与えない為に依姫の連撃も、シン達から見れば見慣れたもので、三十発程受けた時点で見切り、頭が狙われた一撃を掴んで止めて見せた。

 

 同時に刀をバラバラに握り潰し、依姫の腹にヤクザキック。

 依姫は身体をくの字に曲げて、水切りのようにバウンドしながら壁まで吹き飛ばされた。

 

 轟音を立てて壁に激突する依姫、体が壁にめりこみ、気絶したかのように頭を項垂れさせた。

 ここで司会者が我に返ったかのように言う。

 

「はっ!?余りの激闘に実況も忘れてしまった!依姫吹き飛ばされたッ!しかも反応が無いッ!?これは勝者が決ま…」

 

 言い終わる前に依姫を地点に爆炎が立ち上った。

 かなりの距離だと言うのに余りの熱量と熱気に思わず、怯む。

 

そうこなくてはな…ッ!!こっからが本当の戦いだッッ!!!

 

 爆炎が鎮まり、炭と化した壁を背に()()の依姫が現れた。

 髪を揺らめかせ、そんじょそこらの妖怪よりも強い覇気を伴った依姫は言った。

 

「その通りです…決着を着けましょう…ッ!」

 

 あの激闘から更に火力が上がり、激しさと荒々しさを増した依姫の能力。

 ヴェノムの中のシンは密かに冷や汗をかいた。

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
少ないのは許してくれなのぜ、一日空けて依姫戦全て書こうとしたけど毎日投稿できなくなるから嫌だ、と、奴隷は言ってたのぜ、酷い奴なのぜ!
そして、eruruさん、釜揚げしらすさん、からすそさん、アンパンの山崎さん、ギャラクシーさん、sari★L さん、りんごおぉんさん、☆10×2、☆9×5評価、そして、りんごおぉんさん、誤字報告ありがとうなのぜ!


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第二十二話 軍来祭 最強と最狂

今宵、決着。
ゆっくりしてね!


 空気が震え、小石が怯えるように揺れる。

 圧倒的なまでの暴力的なエネルギーに満ちた依姫。

 

 その一挙一動を見逃さんとシンは依姫を睨み付ける、が。

 

 瞬間、依姫の姿は残像を残して消え果てた。

 突如に身を襲う体の芯まで轟く衝撃。

 

 後頭部、顎、人中、喉仏、胸、鳩尾、金的、両腕、両足。

 体の急所と言う急所を全て穿たれ、視界が真っ白に、真っ黒にと、意識の境界を反復横跳びし、気付けば地面が目の前にあった。

 

 倒れている…ッ!?そう気付き、即座に飛び上がる。

 

 何分眠っていた?何秒意識を失っていた?

 

 鉛のように重くなった体の隅々から冷や汗が飛び出し、久しく忘れていた危機感が顔を覗かせる。

 はっと、勝負が始まってから依姫の能力を過小評価していたことを今になって気付き、今までに無い程の注意が思考を占拠した。

 

「今の攻撃でも、一瞬で立ち上がりますか…」

全く効いてねぇよッ!!

 

 勿論ハッタリである。

 今でも体の芯が震え、視界がチカチカと光っている。

 

 今の言葉を聞いた依姫は、今日二度目の神降ろしを実行した。

 

「祇園様の力ッ!」

 

 刀を地面に突き刺して能力を発動した依姫。

 シンの足元から歯の潰された刀の檻が飛び出し、牢獄のようにシンを閉じ込めた。

 

 ひと昔に全力で戦った時には木刀の檻を粉砕し、代償として木刀の津波がシンに押し寄せていた。

 つまりここで取るべき行動はジッと固まることである。

 依姫は刀を地面に突き刺している為動けず、シン達も動かない。

 

 場は膠着状態となった。

 

 しかしその均衡も儚く崩れ落ちる。

 

 依姫がおもむろに刀から手を離し、掌をシン達に向ける。

 

 観客のほぼ全て、そしてシンはその行動に疑問を抱くが、その疑問もすぐに解消されることになる。

 

「祇園様の…暴風ッ!!」

 

 竜巻のような乱気流を前方…つまりシン達に向けて放たれた。

 轟々と音を立てて迫る風の渦を喰らったら、 その衝撃で吹き飛ぶか体をズタズタにされるだろう。

 

 大方、刀の檻を破壊させて罠を作動させる気だ。

 しかし、その対抗策も存在せず、仕方なくシン達は檻を破砕し、真上に跳び出した。

 

 風の渦はシン達がいた場所を通り抜け、刀の檻をついでにバラバラに砕いてフィールドの壁に衝突する。

 壁を引き裂く音が響く、しかしシン達にそれを確認する余裕は無く、この後の処理について焦りながら考えていた。

 

 無常にもゴポゴポと泡のように地面から姿を現す刀の群れ。

 シン達が地面に着地する頃には、膨大な魚群となってシン達を飲み込んだ。

 

 刀の群れははシン達を飲み込みながら、鱗へ、牙へ、腕へと姿を変えていき、刀の放出が終わった頃には東洋の巨大な龍と化していく。

 満月をバックに刀で造られた龍が廻り、地上へゆっくりと、荘厳に降りて行った。

 

 用済みと言わんばかりにペッと刀龍の口から吐き出されるシン達。

 ピクピク震えるその体はあちこちが曲がっており、いかにも痛々しい。

 それでも一瞬で治るのはヴェノムがいる賜物だろう。

 

 シンは幽鬼のように立ち上がるが、白い瞳の奥で闘志を燃やしている。

 刀龍の大きさは目測で二十メートル程。

 

 眼球の無い顔からは厳格さが滲み出ており、いつの間にか依姫が刀龍の頭の上に立っていた。

 

「どうですかッ!?私の能力はッ!?あれから特訓したんですよ!」

 

 吠える依姫に呼応するかのように刀龍が口腔を開けて咆哮し、シン達に向けて突進した。

 

 突進と言っても、何千もの刀の質量を伴った隕石のようなもの。

 刀同士をガシャガシャと響かせ合いながらシン達は刀龍に轢かれた。

 

 ズドン、まるでダンプカーが衝突したかのような轟音と共にシン達は吹き飛ばされるが、それしきの攻撃だけで倒れる程シンもヤワでは無い。

 

 衝撃を逃してシン達は跳び、過ぎ去っていく刀龍の末尾に掌底を叩き込んだ。

 案外防御力はそこまでなようで、バキバキと崩れる尻尾は空中分解し、刀となって消滅していく。

 

 更にシン達は腕を鞭のようにしならせ、頑強な刀の鱗に引っ掛ける。

 高速で動く刀龍にグンッと体を引っ張られ、腕が千切れそうになるが我慢し、難無く刀龍の背中へ着地した。

 

 尻尾からジワジワと破壊していこうと考えるシンだったが、それも無駄に終わってしまう。

 

 自身を覆う影、背筋をゾクリとしたモノが走り、振り返ればーーー

 

 大口を開ける刀龍と、してやったり顔の依姫が、そこにいた。

 シンは円を描くように刀龍が飛行したのだろうと考えたが、次の瞬間には刀龍に奴の尻尾ごと食われてしまった。

 

 飲み込まれた先は胃などでは無く、刀が蠢く狭い空間。

 まるで食物を運ぶ柔毛のようにシン達の体を叩き、突き、斬る。

 

 激痛を感じながらも周りの刀を粉砕し、弱点を考える。

 

 しかし、今のシンの力量ではマトモな作戦が思い付かない、あるとするならば、衝撃を全体に行き渡らせて破壊する方法。

 それも余りに非現実的な方法で、出来る訳がーーー

 

…いや、出来る

「…ッ!?本当かッ!?」

 

 狭い空間で迫る刀を凌ぎながら、シンはヴェノムに問う。

 

「簡単だ、コイツの突進と合わせて思い切りハンマーを振るう、簡単だろう?」

「無理だッ!そんな都合のいい状況作れない…何より、今の俺達じゃコイツを破砕することは出来ないッ!」

 

 何十、何百と言う刀を砕いたからか、迫り来る刀は徐々に少なくなっているように感じた。

 

だから今こうして内側から攻めているんだろう?中から砕いていけば外からの粉砕も容易になる筈だ…!

「確かにそうだが…」

奴の攻撃は見たところ突進と今喰らってる飲み込みだけだ!それにお前が迷っていてもこれしか選択肢は無い!さっさと行くぞッ!

「…それもそうだ…なぁッ!!!」

 

 触手のように迫る刀を殴り折って粉砕し、更に刀の蠢く深部へ身を投じた。

 

 一方その頃、依姫からは、一分立っても出てこないシン達にざわめきが起こっていた。

 それは依姫も例外では無く、刀龍の頭の上で考え込んでいる。

 

「この子に飲まれたら適度に痛めつけられて吐き出される筈…なのになんで出てこな…」

 

 誰にも聞き取れない呟きは背後からの轟音によって掻き消される。

 何事かと後ろを見れば刀龍の末端からシン達が飛び出していた。

 刀龍の尻尾を突き破って出てきたシン達はあいも変わらず真っ黒で、少し疲労しているように見えた。

 

 しかし、飛行能力を持たないシン達がそれ以上攻撃を加えることは出来ず、迫り来る鋼鉄の尻尾を避けることは出来ず、ハエ叩きで叩かれた虫のように地面に爆音と共に墜落した。

 

 砂煙が舞い、トドメを刺すためにフィールドごと喰い千切らんと刀龍を飛び出させる依姫。

 依姫の髪は風に揺られ、そして、その顔は勝利を確信していた。

 

 刀龍と共に地面へ突っ込む依姫だが、砂塵から大砲のように飛び出したシン達と目が合った。

 

「もう遅いッ!!」

こっちのセリフだぁぁあああッ!!

 

 それなりに距離があると言うのに頭に響く大音量、その声の主であるシン達の腕はシンの背丈程の大きさのハンマーを携え、二度回転しながら振るった。

 馬鹿め、それだけでは止められない。

 

 口角が自然に上がるが、それも次の瞬間には元に戻ってしまった。

 

 ハンマーと刀龍の鼻先が衝突した瞬間、聞いたこともないような金属音がその場の全ての人物に反芻し、火花を散らしながら刀龍の顔面を破砕した。

 それだけでは収まらず、衝撃が刀龍の体の隅々に行き渡り、ヒビが全身に広がり、音を立てて崩れてしまった。

 

 刀龍を失った依姫は驚愕した顔で落下し、崩れる刀の群れを足場にしたシンにハンマーで全身を叩き付けられ、凄まじい速度で落下していった。

 

 してやったり顔のシンとは裏腹に、依姫は無防備に地面へ激突した。

 遅れて破砕した刀龍の破片が降り注ぎ、水に落ちるように地面へ消えていった。

 

 依姫はグラリと立ち上がり、ふらつきながらも距離を取ってまた神降ろしを行った。

 

火雷神(ほのいかづちのかみ)ッ!!」

 

 途端に室内だと言うのにも関わらず雨が降り、一つの雷鳴が轟いた。

 依姫の真後ろに落ちた雷はその場に残り、次第に一頭の炎の龍を形作った。

 

「さぁ、行きますよッ!!」

 

 一瞬でシンの目の前まで接近した依姫、だがその背の炎の龍は依姫の刀に宿り、有り余る焔を刀身から噴き出させた。

 瞬時にヴェノムを解除して刀で応戦するシン。

 

 圧倒的な熱気で競り合ってもいないのに皮膚が火傷する程の熱さ。

 轟々と燃える刀身はシンの刀とぶつかり合い、ほんの一瞬は渡り合ったものの、熱で服の裾が燃え尽き、一瞬で赤熱化した刀は焼き切れてシンの体を袈裟斬りに焼き切ってしまった。

 

 苦悶の声を漏らすシンに追い討ちをかけるが如く、依姫の逆袈裟が炸裂し、刀身の炎が爆発して上半身が焔に包まれた。

 服は簡単に燃え尽き、体の上半身が赤黒く火傷していく。

 

「がぁあああ"あ"あ"ッッ!?!?」

 

 目が焼かれるのを防ぐ為に目を閉じ、ただただ絶叫を上げる。

 そんなシンに依姫は容赦せず、刀を振るった回転エネルギーを利用した上段蹴りをシンの首に炸裂させた。

 

 シンは吹き飛びーーーいや。

 

 上段蹴りを首で受け止め、衝撃が首を伝って空気中に逃げていった。

 ギラリと開眼された眼は焔越しに依姫の目を射止める。

 

「捕 ま"え" た ぞ ぉオッ!!!」

 

 くぐもった声をあげて依姫の足を掴み、力任せに持ち上げ、地面に叩きつける。

 日々の修行で培った怪力は易々と依姫の体を石に沈ませ、破壊音と苦悶の声と共に何度も叩き付け、壁に投げつけた。

 

 爆音と砂塵が舞う。 

 

 焔は気が付けば鎮火しており、体にミミズが這ったような黒い痕を残していた。

 加えて体の至る所が炭化し、黒く変色している。

 

 依姫は砂塵から飛び出し、雄叫びを上げて、焔を灯した刀を上段に振り下ろした。

 刀から爆炎を噴き出し、シン達を襲う。 

 

「ハァアアアアアアアッッ!!!」

 

 が、しかし。

 シンは避けることもせずに、かと言ってそのまま炎に身を包むことも無かった。

 

 受け止めたのだ、掌で。

 

「もう慣れてんだよォおオオッッッ!!!」

 

 "適応"によって怯むことなくシンは神の業火を内包した刀を握り潰した。

 続け様に覇気が霧散した依姫に強烈なアッパーカットを繰り出す。

 痛快な音を響かせて宙を舞う依姫、追撃とばかりに依姫と同じ高さまで跳び、回転しながら踵落としを炸裂された。

 

 地面をバウンドしながら体勢を立て直す依姫は、更なる神を降ろした。

 

金山彦命(かなやまひこのかみ)ッ!!」

 

 突如に地面から砂鉄のような実体が姿を現し、依姫の手に集まったかと思うと、それは一本の刀を形作った。

 何処までも応用の効く能力、僅かに戦慄したシンは火傷のしていない下半身にヴェノムを纏わせて依姫へ走り出す。

 

 人外の膂力は一瞬で依姫とシン達との差を埋め、飛び蹴りを繰り出した。

 その脚撃が依姫の目の前に迫ったところでーーー

 

 豪炎が依姫から噴き出した。

 

愛宕(あたご)様の火ッ!!」

「ぐぉオオオオオオッッ!?!?」

 

 先の火雷神よりも強大な熱気。

 シンは避けられずに炎の渦に身を投じてしまう。

 

 神の炎と同等の温度、これでも体が灰と化さないのは火雷神によって体が慣れていたからだろうか。

 それでも熱いものは熱い。

 

 意地でフックを突き出すが、神を降ろしている依姫には全く効かなかった。

 それどころか、刀で両膝を破壊され、崩れ落ちたところに腹にめり込むほどの打撃を喰らい、炎の渦を飛び出して吹き飛ばされる。

 

「おグッ、ゲホッ!〜〜〜〜ッッ!!」

 

 内臓が数カ所潰され、血混じりの吐瀉物が胃から逆流した。

 喉から血が溢れ出し、膝を破壊された為立つことも出来ない。

 

「…くくッ、関係、無いなッ!!」

<お前のことだから深くは言えないが…死ぬなよ…!>

 

 立てないからなんだ?無理矢理立てばいい。

 内臓が潰れたからなんだ?全力はまだまだ出せる。

 

 依姫は向けた眼光はより一切強くなり、体の内に更なる力が湧き出るのを感じる。

 激痛を無視して立ち上がり、ブルブル子鹿のように足が震えるが、次第にそれも無くなった。

 

 目の前の炎の渦は収束し、依姫の刀を握る腕に押し込められている。

 刀は赤熱化を超え、白く輝いており、かなり遠くにいると言うのに熱波が体を突き抜けた。

 

 面白い。

 ヴェノムは使えない、使えるのはこの身だけ。

 

 ならばッ!

 

「お前を超えてやるよおぉおおおッ!!依姫ぇぇぇええええッ!!」

「上等ッッ!!!」

 

 飛び出したシンの拳は白く輝く刀とぶつかり合いーーー拳が粉砕された。

 まるで気にならないと言ったシンは粉砕した拳を無理矢理開いて依姫の刀を握り込んだ。

 

 シンの拳がけたたましく叫びを上げ、あっという間に骨まで焼き尽くされる。

 一つ目の拳を犠牲して得た収穫は、二秒。

 

 充分だ。

 全身に火傷を負いながら振り上げられるもう一つの拳は依姫の防御を掻い潜り、鳩尾に重い一撃を与えた。

 

「ぐぶッッ!?」

「まだだぁああアアッッッ!!!」

 

 依姫に反撃を隙を与えずにもう一撃、更に一撃、もっと、もっと、もっとッ!!

 

 片腕だけの連撃はいつしか依姫に受け止められ、炎と共に拳を握り潰された。

 

 まだだッ!!

 腕が無くても足があるッ!!

 

「オォォォオオオオオオオッッッッッ!!!」

 

 間違い無く渾身の一撃の脚撃を依姫の鳩尾に一発入れるが、お返しとばかりに刀が膝に突き刺さる。

 瞬時に片足が中から炭となるが、構わずにもう片方で脚撃を顔に入れた。

 

 しかし、穴の空いた足では軸になり得ず、蹴りを放った瞬間に崩れ落ちてしまった。

 依姫は仰け反った状態で顔が見えないが恐らく勝ちを確信しているだろう。

 

 両腕は使えない、片足に穴が空いてまるで立てない。

 敗北…また敗北するのか?

 

 否ッ!!今度こそ勝つ!勝つッ!!

 生涯の宿敵を今ッ!ここでッ!討つッ!!

 

 執念を通り越した想いで立ち上がり、最早拳とも言えない腕で依姫と渡り合った。

 熱によって炭化した肉の破片がボトボトと落ち、蒸発していく。

 

 まだ戦える、闘えるッ!!

 

 骨まで見える足を振るい、半ば炭と言っていい腕を振るうシン。

 その姿は決して無駄ではなく、確実に依姫の体力を削っていく。

 

「まだッ!!いけるッ!!」

「オォォォオオオオオオオッッッッ!!!」

 

 彼女もまた限界は超えていた。

 それでも諦めないのはまさに意地。

 

 一分、二分、と時が流れるが、両者はずっと打ち合っており、これ以上は命も危ない領域に達していた。

 

「これ以上はどちらかが死ぬッ!!救急班!彼らを止めてく…」

「よせ」

 

 慌てる司会者に月読命が一瞥すらせずに言った。

 その顔は昂揚しており、狂気すらも感じた。

 

「月読命様ッ!?ですがッ!!」

「彼らは命すらも賭けているッ!それを止めるのは無粋だッ!!…それにもうすぐこの均衡も崩れる」

 

 死闘を愉しむ月読命は子供のように、無邪気に笑う。

 月読命の言葉通り、勝負は佳境が終わろうとしていた。

 

「…ッ!?」

「貰ったぁああアアああッッッ!!」

 

 遂に拳すらも無くなった腕は依姫の刀を弾き、天に光の刃が舞った。

 仰反る依姫を穿たんと、最大最高を振り絞って正拳突きを繰り出した。

 

 当たれば必ず意識を奪い取るッ!

 

「終わりだぁあアアアアああッッッッ!!!!」

 

 依姫の瞳孔が小さくなりーーー覚悟を決めたように瞳が光った。

 

天宇受売命(アマノウヅメ)ッ!!」

 

 この瞬間、依姫は一瞬とは言え、二柱の神をその身に降ろすことに成功した。

 仰反った体勢から踊るように拳を回避し、跳び上がる。

 

 しかし、この瞬間には既に軻遇突智(カグヅチ)も天宇受売命も解除され、生身での振り下ろしだったが、止めの一撃としては上出来だ。

 

 シンは無防備な背中を依姫に晒している。

 

 負ける…負けるッ!負けるッッッ!!!

 何か手は無いかッ!?何かッ!?

 

<俺が居るのを忘れていたろ?>

 

 背後で金属音が響いた。

 振り返ると、ヴェノムがこちらに顔を向けて笑い、依姫の攻撃を受け止めていた。

 

「お前って奴は!!」

お互い様だッ!行くぞッ!

 

 依姫はヴェノムに弾かれるが、すぐに体勢を立て直し、全力の一撃を放った。

 ヴェノムは奇跡的に熱の無い右腕に纏わりつき、治療そっちのけで依姫に応戦する。

 

 轟音。

 依姫の想いを乗せた刀は神に届き得る威力であり。

 シンとヴェノムの執念のこもった拳は大地すらを粉砕する一撃だった。

 

 両者はの想い(一撃)は拮抗し、体力的に余力のある依姫が優勢に見えた。

 

 だが…だがッ!

 振るう拳が無くても、踏ん張る足が使えなくても、今日この日の為に俺達はッッ!!!!

 

「オォォォオおおオオオおおおオッッッ!!!!!!」

「ハァァァアアアああああアあああアッッッ!!!!!!」

 

 バキン。

 依姫の、刀が、折れた。

 

「ッッッッ!!!」

「終わりだぁぁぁあああああッッッ!!!!」

 

 放たれた俺達の拳は依姫を穿った。

 会場から音が消え、バキリと肉肉しい音だけが反響する。

 

 依姫は一瞬立ち止まって見せ、闘気の籠った瞳でこちらを見据えーーーグルリと目を反転させて倒れ伏した。

 

 つまり…つまりッッッ!!

 

「…勝っったぁあああああッッッ!!!」

<いよっしゃあぁァァア!!!!>

 

 ヴェノムを纏った右腕を掲げて咆哮する。

 その姿を見た観客は、今まで黙っていたのが嘘のように熱狂し、今日一番の大盛り上がりを示した。

 

 司会者も涙を流しながらシン達を褒め称えた。

 

「…遂にッ!死闘の末にッ!!シンが勝利ぃいいいッッッ!!二人の因縁に決着ッ!多いことは言わないッ!皆ッ!コイツらに拍手をッッ!!」

 

 嵐のように耳をつんざく拍手。

 

 シンはそれを聞き、膝から崩れ落ちた。

 当たり前の話である。

 上半身が重度の火傷、両手首破損、片足に穴、全身骨折。

 

 今まで闘えたのが奇跡だった。

 

 シンは満足感と共に静かに意識を落とした。




ご拝読ありがとうなのぜ。
依姫はシンの全力に応える為、彼女もまた全力で挑んだのぜ。
彼の命が尽きようと、力を抜くことは彼への最大の侮辱。
だからこそ彼女は残酷にシンと戦ったのぜ、深いのぜ。
そして天道詩音さん、☆6評価、ありがとうなのぜ!


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第二十三話 軍来祭 終幕

ゆっくりしていってね!


 砂漠。

 血濡れた色で地平線まで続く砂。

 倒れ伏したシンの意識は嫌に鮮明としており、片足の欠損と手首の破損を脳が訴えていた。

 

<…!>

 

 俺は何をしていたんだろう。

 思考回路が霞みがかったように働かない。

 目線を再び赤砂の地平線へやる。

 

<…ろッ!>

 

 しかし、移ったのは黒い砂と轟々と音を立てる雷雲だった。

 空で発光を続け、やがてこちらに近づいてくるが、体は釘に打ち付けられたかのように地面に張り付いている。

 

<起きろッ!!>

 

 やがて黒雲の中から特大の稲妻が飛び出し、シンをーーー

 

<さっさと起きろォッ!!>

「うぉおおッ!?」

 

 ようやくシンはベットから飛び起きた。

 今のは悪夢だったらしい。

 周りを見渡せば、鄒俊後にそこは医務室であると理解し、汗に濡れた掌をベットのシーツで拭った。 

 

 …掌?

 

「治ってる…?ヴェノムがやったのか?」

<違う、あの女だ>

 

 ヴェノムの指した方向を注目すると、背を向けているが何処か見慣れた姿がそこにあった。

 

「永琳か!」

「…あら?目が覚めたの?」

 

 椅子を回転させて永琳が振り返り、試験管を持ってそう言った。

 あいも変わらず実験をしているようで、シンは礼と共に疑問をぶつけた。

 

「そうか…世話になったな…流石永琳だ、どうやって治した?」

「簡単よ、万能細胞でそれっぽく掌を作ってくっ付けて…後はヴェノムがやってくれたわ」

「…」

 

 思ったよりより呆気なく、あっけらかんとした返事だった。

 それにヴェノムが居なかったら変形した掌が四肢の一部になっていたかと思うと、身震いがする。

 流石ヴェノムだ、永琳とは違う。

 

「…失礼なこと考えているわよね、貴方」

「…逆さ、流石永琳先生ってな」

<治療料はチョコレート一箱だ>

 

 目を細めて言う永琳から女の勘の恐ろしさに戦慄し、小遣いが擦り減っていくことにも戦慄を感じた。

 少しばかり落ち込んだ心情となったシンに、更なるストレスが舞い降りる。

 

 電子音を奏でて開く扉からナイスバディの女性が現れたのだ。

 夜の闇を思わせる漆黒の髪とブルーの混じった瞳、着物を思わせる服のどこか神々しい女性。

 間違い無い、月読命だ。

 

 しかし何故ここへ?

 その疑問を拭えず、言葉にして質問した。

 

「…神サマは俺達に何の用だ?」

「まずは熱き試合を示した(ぬし)に賞賛を述べに来た」

 

 皮肉っぽく言ってやったが月読命は気にも止めず、鉄仮面を貫いてシン達を褒め称えた。

 最高だ、よかった、と無表情で言われても何処か複雑だ。

 

 眉を顰めるシンに気付いたのか、彼女は申し訳ないといった声色で謝罪した。

 

「すまんな、吾は余り表情を表に出すのは慣れておらん…自然に笑えることは笑えるが、作り笑いなど出来んのだ」

 

 どうやらただの人見知りのようだ。

 そして儀式のように淡々と言葉を続ける月読命は数分が経ったのちに賞賛を止め、面倒臭いと言ったように息を吐いた。

 

「…実はは、この賞賛も観客や内部の人々の感想を吾がついでに代理として主に伝えているのだが…いかんせん多すぎる」

「はぁ…?じゃあ神サマは何がしたいんだよ?」

 

 月読命の頬が若干緩み、その言葉を待っていたと言わんばかりに口早に言った。

 

「そう!私は主に私自身の感想を伝えにきたのだ!主の逆転は良かったぞ特に終盤の諦めない意地とも言える執念で依姫へ殴り続けたのは主が人間だとしても感動した昨今にはそこまで勝利に貪欲な奴もいなくてなそれに依姫も良かったあやつもまた主に追いつこうと…」

「待て待てッ!?分かったッ!!それ以上は言わなくてもいい!お前の気持ちは充分伝わった!」

「ぬ?だが後十分程言えるぞ?」

 

 先ほどまでの鉄仮面が嘘のように剥がれ、紅潮しながら語彙を尽くして感想を伝える彼女は、まるで熱烈なファンのようであり、ギャップに軽く引いた。

 背後から永琳の溜息が聞こえる。

 永琳でさえ手を焼く癖なのだろうか。

 

<アレだアレ、喋り出すと止まらないオタクだコイツ>

「ブフッ」

「どうした?吾のフィーリングがそんなに面白かったか!?ならばもっと聞かせてやろう!!」

「ククッ!いや、いい…充分さ…」

 

 しょんぼりと、まさに(´・ω・`)とした顔で月読命はシンを見るが、仕方無いと思ったのか、彼女は最後に一言言って部屋を出て行った。

 

「…ならば、最後に一つ…軍へようこそ!我々は主を歓迎する!!…さらばだ!」

 

 嵐が去って行った。

 しかし直様入れ替わるように別の嵐もやって来た。

 

「シンさん!大丈夫ですかッ!?」

 

 依姫だ。

 血相を変えて医務室に飛び込んできたあたり、相当心配していたのだろう。

 その目にはうっすらと涙が張っている。

 

「心配するな…もう治った」

「でも…ッ」

「治ったっつってんだろ…お前は全力で相手したんだろう?それで充分だ、俺は全力のお前に勝つことが目標だったからな」

 

 俯く依姫に拙いながらも慰めの言葉を掛ける。

 すると多少申し訳なさそうな顔をするものの、おずおずと聞いていた。

 

「…本当に、いいん…ですか…?」

「勿論」

 

 安心したように目を閉じ、いきなり倒れ込むようにシンの胸に頭を預けた。

 本当にいきなりのことで、シンの心臓が飛び出るように驚き、何をすると聞こうとするが、依姫の一言で遮られる。

 

「少し…このままで居させてください…」

「…はぁ、分かったよ…」

 

 まるで永琳がいるのを無視しているかのような振る舞いだ、いや、そもそも気付いていないのだろう。

 永琳の視線が背中に突き刺さる。

 一方胸の中の依姫は安堵からか、涙を流しているのか震えており、首だけ永琳に向けて助けを要求する。

 

 しかし、永琳が手を差し伸べること無く、ニマニマとした表情で頭を撫でるジェスチャーをシンに示した。

 シンに青筋が浮かぶが、治療した恩と言う呪いがシンの口を噤ませ、不機嫌で不器用ながらも言われた通りに依姫の頭を撫でてやった。

 

 戦闘後というのにも関わらず、髪質はサラサラとしており、撫でるこちら側の方が掌に幸せを感じる手触りだ。

 

<ヒューヒュー!お熱いことだ!>

 

 脳内からは囃し立てる声が響き、背後からは生暖かい視線、胸では心地良く息を立てるライバル。

 

 なんだこの地獄。

 

 シンの心境とは裏腹に、依姫の心は穏やかで、心配など吹き飛ばすような多幸感と温もりに包まれていた。

 更に夜はもうふけており、疲れ果てた依姫にこの不意打ちは毒であり、気絶するように眠ってしまった。

 

「おいおい…眠ったぞ、どうすんだよコレ…」

「送ってあげれば良いじゃない?」

「このベッドに置いておくのは?」

「明日には誰も居ないわよ、そんな中でその子を放置するなんて、ね…それとも貴方も一緒に寝るのかしら?」

 

 依姫の腕はいつの間にかシンの腰に回されており、ちょっとやそっとでは抜けられない状態となっていた。

 逃さまいとシンを捉える腕の主はスヤスヤと寝息を立てて寝ている。

 

「…チッ…仕方ねぇなぁ…」

「それでいいのよ♪」

 

 依姫を向かい合わせの抱っこで持ち上げ、コロコロと笑う永琳を背に医務室を出る。

 

 腰に回された腕は首に回され、寝息がダイレクトに頭に響く。

 更に依姫の胸が押しつけられ、悶々とした気持ちを味わっていた。

 

 この運び方は失敗したか…そう考えていると、不意にある幼女…いや、少女が目の前に現れた。

 

「待っていたぞッ!シンッ!私は…ね…」

「…気にするな、酔っ払いの介護みたいなモンだ…」

 

 準決勝で死闘を繰り広げた相手、カレンだ。

 どうやらずっと待っていたらしい。

 目の前に立つなり口頭を並べるカレンはシンの状況を見て少し絶句していた。

 

「…変態野郎」

「ちげぇよチビ助」

 

 ボソリと呟かれた一言に罵倒を持って返すと、顔を真っ赤にしてカレンは怒り狂った。

 だがそれも一瞬のことで、本題も思い出したように彼女はシンに指を差して宣誓した。

 

「…チッ…いいかッ!私はお前を超えてやるよッ!いつか雪辱を晴らすッ!!覚悟していろよッ!!」

「…フン、期待しないで待ってやる」

 

 覇気を伴った大声はがらんどうとした通路に響き、反芻して響く。

 適当に返事をすると、カレンは走り去ってしまい、場にはシン達と依姫が残された。

 

 溜息を吐き、ずり下がってきた依姫を持ち上げ、再び歩き出す。

 

 施設を抜け、街を黙って歩いていると、大会の記憶が脳裏に蘇って来た。

 

 月読命、アースの想い、カレンの欲求、そして、依姫との死闘。

 満点の星空の中、想いながら歩いた。

 時々ずり落ちる依姫を元に戻しながら。

 

 嗚呼、本当に、良い一日だった。

 

◆◆

 

 全てを想起し終えた頃にはいつもの道場がそこに佇んでおり、不躾に入った。

 依姫の部屋は知らない為、自分の部屋に向かう。

 

 部屋はいつもと変わらず、強いて言えば薄暗く、冷たい雰囲気だった。

 ベッドに依姫を下ろし、シン自身も床で雑魚寝を始める。

 

「おやすみ、ヴェノム」

<グッナイト、シン>

 

 軍来祭は、終わったのだ。

 

 




ご拝読、ありがとうなのぜ!
月読命=刃牙界の御老公
調味料の人さん、☆9評価ありがとうなのぜ!


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第二十三.五話 依姫のイナビリティお料理教室

3週間ぶりですね…申し訳ございません…

それはそうと、みんなー!依姫のお料理教室、はーじまーるよー!依姫みたいな料理下手を目指して、ゆっくり読んでいってねー!
少々キャラ崩壊注意のぜ(ボソッ


「…無ぇな」

「…無いですね」

 

 私は綿月依姫です。

 突然ですが事件が起こりました。

 

 それは軍来祭が終わって、目の前の人…シンさん達に激闘の末に敗北した数日後の事。

 軍に正式に加入し、仕事にも慣れ始めた夏の下旬。

 

 その日は軍に入って最初の休みであり、昼休みの時間のことでした。

 いつも通りに偶然を装ってシンさんについて行って、食堂で一緒に食べる…まぁ、顔を合わせる度にまたお前か、という表情をされますけど……嫌われてませんよね…?

 

 話が逸れましたね。

 

 食堂には行ったのです、ですが…無いのです、料理が、メニューが。

 正確には全ての料理が"売り切れ"になっていたのです…

 何と言うことでしょうか…これでは私とシンさんとが折角話せるタイミnゲフンゲフン…別に違いますよ、たまたまです、そうたまたま。

 

「…何故でしょうか…?いつもはもっと人足もあったはずなのに…」

「さぁな…おーい!!オバチャン!!食堂のオバチャーン!!」

 

 余りにも閑散とした食堂を不審に思った私達は、普段受付兼厨房係に就いている小太り気味な…いえ、恰幅の良い女性を呼びました。

 その方は呼びつけに直ぐに応じて、はいは〜いという声と共にのっそりと現れました。

 

「どうしたんだい?」

「ええ、すみませんが尋ねたいことが…どうしてこんなにも閑散としているのですか?」

「客足が少なすぎて遂に閉店でもしたか?」

 

 シンさん、それは笑えないジョークです。

 目の前の女性はまるで何を言っているんだと表すが如く目を丸め、キョトンとした仕草をとっていました。

 鄒俊私達を交互に見た女性は納得したかのように声を漏らし、私達にこの状況に説明してくれました。

 

「さては通達を聞いていなかったね…今日は食堂オフの日なんだ、悪いが飯なら他を当たりな、このバカップル」

「かっ、かかカップルじゃありましぇんよッ!?何を言ってるでしゅか!?」

「…落ち着けよ」

 

 おちおち落ち付けられますかこんなくぁwせdrftgyふじこlp!?!?

 

 その時、私の脳裏に一線の閃き…電流が流れます。

 

 …いや…待って下さい、こちらのおば様からはカップルの様に見える…つまり私達は実際には付き合ってなどいませんが他人から見れば充分付き合っていると判断出来る…これは客観的にかなり親密であるということと同義であり少なくとも彼に嫌われていないと言う証明に他ならない!つまり実質的に私達は付き合っているのでは…?事実婚という言葉がある様に実際にプロポーズされて居なくても事実的、客観的に付き合っているという判断をしても良いのでは!?きゃー///!付き合ってるだなんてそんな、えへへ…んふふ…ぐへへ…

 

「えへへ♪そんな…カップルだなんて〜」

「…大変だね、アンタ」

「…とっくの前から知ってる」

 

 そうですか〜見えちゃいますか〜、カップルに♪

 今きっと、にへらとした表情してます…

 

 お二人方が何かお話ししてらっしゃいますがきっと他愛の無い話でしょう。

 と、ここで。

 聞き逃せない一言がシンさんから放たれました。

 

「はぁ…弁当でもありゃ良かったな…あぁ?悪かったよ…」

 

 最後に付け加えられた一文はきっと彼の中に潜む、黒い子(ヴェノムさん)に向けた言葉でしょうか。

 

 しかし、弁当…その言葉が私の頭の中で反芻しました。

 ならば!

 この擬似実質的彼女の私が弁当を拵えて差し上げましょう!

 

 キッチンには昔からお父様や姉さんが触らせてはくれませんでしたが…私だって卵焼きぐらいなら作ることが出来ました!(第五話参照)

 思い立ったが吉、私は早速その場を後にしー彼と離れるのは吝かでしたがー弁当の作り方を家族に教わりに行くのでした。

 

◆◆

 

「絶対ダメよ」

「同意見だ」

「ぐすっ、何故ですか…ッ!?」

 

 料理を教えて下さい、その言葉が言い終わる前に私の提案は、お父様と姉さん二人に却下されました。

 ぐっ…一体なぜ…

 

「だって依姫…あなた料理下手じゃ無い」

「数年前の悲劇は忘れてないからな」

「ぐぅ…」

 

 呆れたように言う姉さん、これにはぐぅの音しか出せません。

 しかし、数年前…?私何かしましたっけ…?

 

「私何かしましたっけって顔だな、依姫」

「まぁ、依姫も小さかったしね…」

「…?」

 

 全くその記憶の無い私を見兼ねてか、お父様が感慨深そうにフライパンを撫でて話し始めました。

 …いかにも重大な話が始まりそうですが、やってることがただの思い出語りなんですよね。

 

「今から十年程前…お前に生まれて初めてキッチンを触らせた…料理の練習と言う名目でな、お前はその時は既に能力が使えるようになっていただろう?」

「…確かにそうですね」

 

 お父様の記憶を聞くと同時に朧げながら、記憶が蘇ってきました。

 あの時はお父様の料理を作る姿ばかり見ていて…姉さんも時々手伝っていたから、私もやってみようと思ったのでしたっけ…

 

 それで人生で生まれて初めて包丁をにぎ………

 あれ?そういえば包丁なんて使ったことがないですね?

 

「事件の始まりはそう…依姫が台所に立った所から始まった…まずはレタスを切らせようとまな板に置いた瞬間、まな板ごとレタスが真っ二つに切られていた、いや斬られたと言った方が正しいか」

「あの時は怖かったわよ〜、まさか料理に()()()使()()だなんて…神もまさか瑞々しいレタスを一刀両断する為に呼ばれたとは思わなかったでしょうね…」

 

 おどけてみせる姉さんを横目に、私の脳裏に小さい頃の幻影が映りました。

 

◆◆

 

「依姫、まずはこの包丁を持って…」

「ぎおんさまの力!」

 

 愛娘に料理を教えることに心を躍らせる父を無視し、可愛らしい声と共に振り下ろされた凶刃。

 それは包丁…ではなく神の力によって生成された刀であり、彼女が神降しを施行した裏付けをしていた。

 心無しかレタスも何かを諦めたような雰囲気を醸し出している。

 

 レタスの直径を軽々と超える刀は、まるでバターを切るかのようにレタスを斬殺し、刀を受け止めるまな板すらも一刀の内に両断した。

 それすらも飽き足らず、恐るべき神剣はキッチンに深々と突き刺さり、勢いが止まったところでその頭身を霧散させた。

 

「あれ?」

「………ちょっ、ちょっと待て?依姫?」

「( ゚д゚)」

 

 思ったように切れなかったレタスに可愛らしく首を傾ける料理音痴、依姫。 

 はちきゅっぱのキッチンをオシャカにされた挙句、可愛い可愛い愛娘が実はとんでもない料理下手である可能性がある現実を受け入れられないニ児の父、玄楽。

 ただただ目の前の惨状に口を開けて驚愕する頼れるお姉さん、豊姫。

 

 まさに三つ巴、これが甲乙丙、潮吹き野郎()でかいサンド()きゅうり()

 

 三者三様の沈黙が訪れる。

 しかし颯爽と依姫がそれを破り、事態を更なる混沌へ突き落とす。

 

「えーと…次はフライパンですね!」

「待て依姫ぇ!」

「依姫!間違っても神降しなんて…」

 

 静止は半ばで遮られた。

 何故なら油もないと言うのにレタスが豪火に包まれたからだ。

 

「あたごさまの火!」

「あわわわ…」 

 

 神の豪華に焼かれるレタスは、正にそう、ギャピィィィイイ!と言う擬音が似合うほどその身を迸せて炭と化していった。

 神の炎はそれだけでは止まらない。

 

 皆はフランベをご存知だろうか。

 アルコール度数の高い酒をフライパンの中に落とし、一気にアルコール分を飛ばす調理法である。

 派手に炎が立ち昇ることから演出としても人気だ。

 

 しかし、依姫のするフランベは尋常じゃない程炎が立ち昇り、天に昇っていく炎は天井を黒く染め上げた。

 このままでは炎が引火して大惨事となってしまう。

 

 しかし依姫はまだ幼い。

 制御する術も知らず、それどころか神秘的にも舞い上がる焔に夢中となってしまっている。

 

 轟々と燃ゆる炎がまるで依姫を見下すかのようにその身を膨れ上がらせる。

 

 いよいよ収拾がつかなくなったその時。

 頼れるお姉さんが動いた。

 

「そいやー!!」

「きゃっ!?」

 

 プシューッと噴き出した白い煙。

 そう、豊姫だ。

 小さな体に不釣り合いな消火器を携え、依姫向けて白い煙を浴びせている。

 

 神の炎と言っても使用者はまだまだ子供、瞬く間に白い煙に抱かれて 、炎はみるみる鎮火して行った。

 しかしどうやって彼女は重い消火器なんて物を入手して来たのだろうか?

 

「依姫大丈夫か!?」

 

 炎が鎮火したのを見計らって玄楽が白い煙の中に突貫していく。

 無論、依姫を煙の中から救い出す為である。

 

 少しの緊迫。

 

 多少の心配を胸に宿した豊姫だったが、依姫を背負って煙から出て来た二人にそんな心配は霧散した。

 安心したように消火器を床に落とし、依姫ごと父に抱きつく。

 

「はぁ〜良かった〜」

「豊姫、助かった、我が能力を使わなかったら危なかったな…」

 

 依姫の無事に安堵の声を漏らす二人だが、何の声も上げない依姫を見て二人は思わず嘆息した。

 

「すぅ…すぅ…」

 

 いかにも幸せそうに寝ているのだ。

 

「…恐らく許容範囲を超えた能力使用で体が強制的にシャットダウンを掛けたのだろう」

「何言ってるかわかんないけど、要は疲れて寝ちゃったってことでしょ?」

「むにゃむにゃ…」

 

 丁寧に説明した玄楽だったが、まだ子供の豊姫にその説明は理解出来なかった。

 依姫はそんなこと露知らずに熟睡している。

 その姿はさながら遊んだばかりで疲れた童である。

 

 そして、二人は黒焦げとなり、正に悲劇を体現しているキッチンを見据え、決意を込めて言った。

 

「「もう依姫に料理はさせないでおこう」」

 

◆◆

 

「…と、言う訳だ」

「ももも申し訳ございませんでしたぁっ!!」

 

 全て思い出しました…いえ、思い出してしまいました!

 私は何てことを…

 心なしかレタスの怨霊が背中にのしかかっているような気さえします…!

 

「よせ、昔のことだ、それに家族の仲であろう?」

「そうそう♪」

「お、お父様…!姉さん…!」

 

 優しげな瞳でこちらを見つめる二人(愛すべき家族)

 な、なんと寛容な…!

 

「それでは料理を…!」

「あっそれはダメよ」

 

 ズコー!

 完全に今の流れは了承する流れでしたでしょうに!WHY!?

 

 あっけらかんと言い放つ姉さんは続け様に続けました。

 

「私には教えられる技量も余り無いし、お父様もかなり忙しいから、依姫が下手以前に時間が無いのよ…情けない話だけど」

「済まない…情けない父で…」

「い、いえ…なら仕方ないですが…」

 

 …鼻から不可能な話だったのですね。

 申し訳無さそうに顔を逸らす二人に少しの罪悪感を感じ、メラメラと燃えていた情熱が急速に萎えていくのを感じました。

 いや、それ以前に私の技量の問題ですが…はぁ…

 

 と、そこで。

 お父様が私の情熱の炎を吹き返す言葉を放ちました。

 

「…提案だが、依姫に友がいただろう?新入りのカレンだったか…?その子に教えて貰ってはどうだ?」

「…!!その手がありましたかっ!!」

「カレンってあのビリビリしてる子?」

 

 姉さんの問いにうなづく事で返事を返し、新たに希望が見え、拳を握りました。

 確かにあの人は弁当をいつも持参していました、ならば彼女か彼女の母に聞いてみるのが賢明でしょう…!

 

 思い立つ日に日咎なし。

 わざわざ時間を取って下さった二人に感謝を示し、早速彼女の元に向かうことにしました。

 

◆◆

 

 

「料理ぃ?…私に?」

「はいっ!お願いします!」

 

 お父様の話を聞き、彼女を探し出してはや十分。

 ようやく彼女を見つけ、呼び止め様に頭を下げてお願いしました。

 

 しかし彼女から面倒臭そうに手を振って拒否されてしまったのです。

 

「嫌だね、なんで私がそんなこと」

「お願いします!」

「…だからさ」

「お願いしますっ!!助けが必要なんです!!」

 

 二度三度と断る彼女に私は必死でお願いしました。

 そしてその心が届いたのか、徐々に徐々に彼女の態度が軟化し始めたのです。

 更に、彼女の顔色は分かりませんが、身振り素振りでそわそわとしている事が分かりました。

 

「ふ、ふーん…私に?まぁどうしてもって言うなら?いいけど?」

「本当ですか!?ありがとうございますっ!!」

 

 その言葉を聞いて私は目を輝かせてカレンさんに詰め寄りました。

 しかし彼女の顔は紅潮しており、どこか嬉しそうな雰囲気を漂わせていたのです。

 

 それは可憐な花のようであり、可愛らしい体躯にあった表情でした。

 

 彼女は頬の紅潮を誤魔化すように言います。

 

「べ、別に嬉しいとか思ってねぇからな!」

「ふふっ、ありがとうございます!」

「…ケッ…まぁいい、依姫だったよな?厨房借りても良いか?」

「えぇ、よろしくお願いします!」

 

 カレンさんはそっぽを向いてぶっきらぼうに言い、私はその提案を快く了承しました。

 自宅のキッチンはある意味事故物件ですが、この方と一緒ならそうそう事件は起きないでしょう。

 

「じゃ、案内してくれ」

「了解しました♪」

 

◆◆

 

 キッチンへ行く途中、私はとある質問をカレンさんに投げ掛けました。

 

「いつもカレンさんが持参している弁当は母親が作っているのですか?」

「…なんかむず痒いな、カレンでいい…弁当は私が作ってる、まぁ、結構前までは母上が作ってくれたが…」

 

 気まずそうに話すカレンさ…カレンから何処か哀愁を感じとり、疑問に思った私は理由を聞くことにしました。

 

「何かあったので?」

「…言う必要もない、それよりお前は料理は作ったことがないのか?」

 

 適当にはぐらかされ、きっと話したくないくらいには思い詰めた雰囲気を感じとり、これ以上詮索するのは止めました。

 誰にでも話したくない過去というのはある物です。

 

「ええ…恥ずかしながら…」

「へぇ…そう言えばシンとお前はライバルと言っていたが、どう言うことだ?」

 

 その質問が来ましたか…

 彼との秘密のような関係を第三者に打ち明けるのは吝かではありますが、上目遣いのような視線にそんな気持ちも吹き飛んでしまいました。

 実際には見上げているだけかもしれませんが。

 

 端的に言うならば…そう、庇護欲…守護(まも)りたい、と言う気持ちでしょうか。

 

「…随分前に、ですね…彼が道場(ここ)に来たんです、当時の私は少し…まぁ、気が立っていて彼に勝負を吹っかけたんです」

「勝敗は?」

「…勝ちました、ただ…彼はその時も、それからもずっと諦めなくて、わたしはそんな姿が…」

「OK OK、分かった、これ以上聞くと砂糖を吐きそうだ」

 

 私の言葉を遮り、顔を少し顰めて言った彼女は少し歩くスピードを落として言いました。

 まるでキッチンに着く前に言うべきことがあるとでも言うように。

 

「アイツは元からそこまで強くないんだな?じゃあ私にもチャンスがある、奴を落とすチャンス、がな…」

「えっ?(恋に)堕とす?」

「そう、アイツを(勝負的な意味で)落とす」

 

 …

 ……………

 え?

 彼女ってそう言う意味のライバルだったのですか?恋敵!?

 

 こここ混乱して来ました…彼女はシンさんのことが、す、好きと?

 カレン…恐ろしい子…ッ!

 

 こういうことはどうすれば…そうだ、とりあえず"釘"を刺さないといけませんね…!

 

「彼を攻略する前に、まず私を倒さないといけませんよ…?」

「ん?あぁ(決勝戦でお前に勝ってたし)そうだな」

 

 …なんでしょう…この無愛想さ…

 はっまさか眼中に無いと!?お前を超えるのは楽勝だと、そういうことですか!?

 

 不味い…彼女は自信満々だ…これこそ彼の胃袋を掴んでアドバンテージを得ないと…負ける…ッ! 

 

「…おーい、おーい?ここじゃ無いのか?足が止まってるぞ?」

「あっ、えっ?あぁ着きましたね!どうぞ中へ!」

 

 頭をグルグル駆け巡る問題に夢中になっていた私は、カレンに言われて初めてついさっきの部屋まで戻って来たことが分かりました。

 …とりあえずこの重大な問題は後にして、今は彼女に料理を教わるとしましょう。

 

 それはそうと彼女が小さい背を伸ばして扉を開けるその姿は口調とのギャップがあり、正直可愛らしかったです。

 まさかこのギャップを狙って彼を堕とそうと…まさかね?

 …おっと、雑念が。

 

 料理に集中しなければいけませんね。

 カレンは部屋に着くなり冷蔵庫の中身や調味料の種類、食器の状態とさまざまな事を確認していました。

 大方何を教えるか迷っているのでしょう。

 

「あの、弁当に入れるような料理がいいのですが…」

「ふむ、そうか…分かった、じゃあ依姫には包丁のやり方とフライパンの使い方を教える、最低これらと白米があれば弁当は出来るからな」

「分かりました!」

 

 包丁もフライパンも苦い思い出しかありませんね…

 そんな私を横目に彼女はまな板をキッチンにことりと置き冷蔵庫からレタスを持ってきました、うっ頭が…

 

 そして彼女はレタスをそのまままな板の上に置かず水で洗い始めましたのです。

 

「何故水で洗うんですか…?」

「…表面の汚れを洗い流すためだ、寄生虫がいるかも知れねぇし…常識だろ?」

 

 ひぇっ…やはり無知とは罪でした。

 彼女に教えを乞いていなかったら恐ろしい事態になっていたかも知れません。

 

 彼女はレタスを冷水で洗っていると、あ、と言う間抜けな声を出して私にレタスを差し出してきました。

 

「私がやってちゃ意味ねぇんだった…私が逐一教えてやるから、やってみな」

「はは、そうでしたね…では…」

 

 流し台に立ち代わってレタスを受け取った私は、初めて触るとも言っていい生のレタスの感触に少し戸惑いながらも表面を水で流していきました。

 十数秒、無言でレタスを洗い続け、冷水に手が慣れてきた頃にカレンからストップが掛かりました。

 

「そこまでだ、洗いすぎると旨味がなくなるからな…それをまな板に置いてくれ」

「は、はい」

 

 言われた通りにまな板に置くと包丁を取り出し、説明と共にレタスにヤイバを突き付けました。

 

「今回作るのは別に包丁を使わなくてもいいが、一応教えておく、猫の手は分かるな?」

「ね、猫の手?こうでしょうか?にゃー///」

「…」

 

 ね、猫ポーズをしてみましたが絶対違いますね…恥ずかしい、恥ずかしすぎます…顔が熱いです…

 彼女もやれやれと言った表情で溜息を吐いていました。

 

「忘れてください…///」

「…まぁ、猫の手っていうのはな…手を丸めて食材に添えて指の第一関節が包丁の腹に当たるようするやり方だ、四、五㎝間隔で切ってみな、包丁は前後に動かして切るイメージだ」

「はぃ…」

 

 意気消沈、その言葉が似合うような雰囲気で私はレタスをザクザクと切っていました。

 無心で切りましょう、無心で……痛ッ!?

 

「大丈夫かっ!?」

「うぅ、大丈夫です、少し切っただけなので…」

「ちょっと待ってろ、バンソーコー貼ってやる」

 

 どうやらボーっとしてしまったお陰で伸びた親指を切ってしまったようでした。

 幸いにも傷は浅く、トクトクと血が流れ出ただけで済みました。

 

 それにカレンが絆創膏を携帯していたようで、壊れ物を扱うかように優しく親指にそれを巻いてくれました。

 ガーゼの部分がジワリと紅に染まります。

 

「ありがとうございます…」

「気にすんな、一旦休憩するか?」

「いいえ…続けます、せめて野菜だけは切り終えたいので」

 

 折角時間を割いて手伝ってくれているので余計な時間は取らせたくありません。

 それに…()()()のは私の理念に反しています…!

 

 そう奮起した私は今度は指を切らないよう、慎重にレタスを切りました。

 ですが、上手くいきません…何故でしょうか…

 困り果てた私は、助けの視線をカレンに送りました。

 

「慎重になり過ぎだ、自分の手にさえ注意しとけばいいからな」

「はい…」

 

 慎重に…されど迅速に… 

 

◆◆

 

「出来ましたっ!」

「…うん、 OKだ」

 

 格闘するとか約数分、ようやくレタスを切り終えることが出来ました。

 やはり剣と包丁とはまるっきり違う物ですね…危うくまな板ごと切るところでした。

 

 しかし、達成感に浸る私にカレンは更なる試練を与えました。

 

「次はこれをベーコンで巻いて、爪楊枝で刺すんだ、手伝ってやるからまずはやってみ」

「了解です」

 

 言われた通りに、レタスを重ねてベーコンを巻いて刺す…

 重ねて巻いて刺す…重ねて巻いて刺す…

 

 随分単調ですが…みるみる内にその量は大きくなり、二人でついつい二十個も作ってしまいました。

 ですが大丈夫!彼女なら何か考えがあっての行動の筈!

 

「こんなに作って大丈夫ですか?一応弁当の具材ですが…?」

「………あ」

 

 テキパキとベーコン巻きを作る彼女の腕が止まりました、ついでに冷や汗も流れ始めました。

 

 ちょっと待ってくださいよ、なんですか"あ“って。

 まさか…

 

「…く、食えるよな?これぐらい?」

「食べられないに決まってるでしょうっ!大体これは贈り物なんですからっ!」

「ハハハ!すまんすまん、ところで…誰への贈り物だ?」

「そりゃあシンさんに決まって…」

 

 …

 ………く、口が滑りました…

 彼女がニマーっとこちらを向いています…は、恥ずかしい…

 一体今日で何回目の辱めなのでしょうか…!?

 

 それに…ライバル(恋敵)にこんなことが知れたら…

 

「そうか〜アイツにね〜…弁当を…へぇ〜」

「そ、そんなことはどうでもいいので料理を教えて下さいませんかっ!?」

「いいけどよ…ふ〜ん…乙女だねぇ…」

 

 チクチク言葉、反対。

 とはいえ彼女も飽きたのか山盛りのベーコン巻きレタスを皿に入れ、IHコンロへと向かいました。

 

「てかお前の彼氏ならこれぐらい喜んで食うんじゃ無いのか?」

「〜〜〜っ!?!?」

「揶揄いすぎたか…」

 

 か、かっ、かれ、かれしっ、彼氏じゃ……

 あーもうっ!フライパンじゃなくて顔から火が出そうです!

 

 …彼女はフライパンに油を敷き、火を通してからドサドサとベーコン巻きレタスを投入しました。

 別にもう助けなんて入りませんけどね!

 

「悪かったって…ほら、焦げ目が付いたら転がして…んで満遍なく火を通すんだ」

「分かりましたよ…」

 

 なんだかんだ言う通りにしてますが別に助けてもらってるわけでは無いですからね!って私は誰に説明してるのでしょうか…

 

 …次第にベーコンの魅惑的で抗い難い匂いが部屋に充満して来ました。

 ベーコンから滲み出る煌めく肉汁、その肉汁に包まれていくレタス、じゅうじゅうと音を立てて焼けていくこの感覚…

 なんでしょう…この衝動は…そう、正に…一口食べてみたい…そんな感情…

 

 今日やっと盗み食いをする人の気持ちが分かった気がします…

 

「…味見ぐらいならして良いぞ?そんな顔をしてる」

「っ!」

 

 お、お見通しですか…ご丁寧に皿に一つ盛ってまで…

 それでは…失礼して…

 

 パクリ

 

 

 …これは…これは、これはっ!

 パリパリと小気味のいい食感、それにベーコンの肉汁が絶妙にレタスの風味とマッチする…っ!

 美味しい…っ!たった二つの食材でここまでとは…!!

 てっきりどこかで失敗したかと思っていましたが…これは…

 

「とても美味しいですっ!」

「料理ってのはそんなモンだ、スーパーのより手作りの方が俄然美味いし、これだけの食材でもこんなに美味くなる」

「もっと早くに"料理“に触れておけば良かったかもですね…」

 

 これなら彼だって満足してくれるでしょう…!

 そう私が感動している隙にカレンは恐るべきスピードで山盛りのベーコン巻きレタスを弁当に詰めていきました。

 

 は、疾い…見えなかった…これが普段料理をしている者としていない者の違いでしょうか…?

 

「あとはご飯よそって野菜入れて完成だ、まぁ野菜は次回だな…今回はトマトでも入れてやる」

「何から何までありがとうございます…っ!恩人です本当に…!」

「よせよ…照れる…」

 

 これは揶揄われても許してしまいます…

 今の彼女を人言で表すなら、家庭的…そう断言出来る程手慣れていました。

 

 そして…!

 

「完成しましたっ!!」

「おう、お疲れさん」

 

 明日に渡す弁当が遂に完成しました!

 紆余曲折…様々なことがありましたが…やっと…やっと完成です…!

 言うならば私のカレンの努力と友情と結晶…

 

 達成感凄まじく、私は思わず泣いてしまいそうでした。

 

「やりましたよカレン!本当にありがとうございます!お礼に私に出来ることなら何でもしますよ!!」

「いいさ何でもなんて………いや」

 

 彼女は口ごもり、恥ずかしいそうに言いました。

 

「えーっとな」

「どうしました?」

 

 少しの時間が空き、耳まで真っ赤にして言いました。

 

「私と、その、と、友達になってくれるか…?そんでまた料理を教えるからさ…」

「え…?」

「だ、駄目か…?」

 

 一世一代の大勝負とも言ってもいいくらいの雰囲気で言ったと思えば、拍子抜けしました。

 だって私達は…

 

「私達はもう友達でしょう?今更ですよそんなの!」

「…そうか…そうかぁ」

 

 彼女は安心したかのように溜息を吐くと、今度は涙をぽろぽろと落としてしまいました。

 えっ涙!?えっえっえっ?

 

「だ、大丈夫ですか!?そんな泣いて…」

「あぁ、大丈夫だ…ただ、一緒にいて楽しいと思った他人が…友達が初めてで…」

 

 …きっと、私と同じように周りから疎まれたり、恨みの対象となったことがあるのでしょう。

 必死に嗚咽を堪える彼女を見て、私は咄嗟に彼女に抱きつきました。

 

「大丈夫です、私は、あなたの友達です…悲しいことがあったら、私に話してください、話し相手になります…約束ですよ?」

「…っ」

「それとまた今度料理を教えるのも約束ですよ?」

「……ふふ、何だそれ…ありがとう、元気が出たよ」

 

 彼女は少し目元を腫らした顔を上げ、部屋の出口まで戻って行きました。

 …帰ってしまわれるのでしょうか。

 

「じゃあな…また今度」

「えぇ、今日は本当にありがとうございます…さよなら♪」

 

 ぶっきらぼうに別れの挨拶を告げた彼女は早足に帰って行きました。

 ガチャンと扉が閉まり、部屋には私一人が残されます。

 

 少し寂しさが残りますが、同時に嬉しさも込み上げてくるような気がしました。

 弁当が出来たからか、友達が出来たからか、はたまたその両方でしょうか。

 

◆◆

 

<おい!飯だ!メシを食わせろ!>

「分かった…待ってくれ…!」

 

 不味い…ピンチだ…また食堂が空いていなかった…

 昨日と変わらずがらんどうとした空間。

 

 畜生…俺は昨日何を学んだんだよ…調べときゃ良かった…

 

<飯が無いなら闘えッ!闘ってアドレナリンを出せッ!それかチョコを寄越せ!兎に角腹減った!!昨日から何も食ってねェ!>

「今金が無ぇんだよ…!…なら悪人でも食いに行くか?」

 

 人を食うのは初めてだ…だが悪人なら構わない…!

 兎に角こちとら極限状態だ、四の五の言ってられない。

 

<グッドアイデアだ!じゃあさっさと行こうぜ!!>

「あ、あの!」

「…?…依姫か」

 

 悪人カニバルを実行しようとしたその時、依姫に呼び止められた。

 何事かと振り返ると、どうやら彼女は手に何が携えているようで、見たところ…弁当を持っているようだった。

 

「これをどうぞ!作ったんです!」

「これを依姫が?」

「は、はい」

<飯か!?>

 

 差し出されたのは兎のプリントされた弁当箱。

 ふと、視界の端に依姫の指が映った。

 絆創膏の貼られた親指、大方包丁で失敗したのだろう。

 

 少しの申し訳無さと多くの感謝が胸を占め、思わず言葉が漏れ出た。

 

「ありがとな」

「…っ!!」

 

 瞬間、言葉を聞いた依姫は耳まで朱に染め、脱兎の如く走り去ってしまった。

 

 ちなみに弁当はおかずの量が異常な事以外は普通に美味しかった。

 本当に助かった…ギリギリの食費が浮いた…

 

<俺のは!?チョコレートはどうしたっ!?>

「…」

 

 どうやら無一文になりそうだ…

 

◆◆

 

 やりました!

 今度は野菜もカレンとしっかり作って、また彼に送りたいですね!

 




ご拝読、ありがとうなのぜ!
本当に遅れて申し訳ないのぜ…
これからももしかしたらこのペースで投稿するかの知れないので…どうかよろしくお願いしますなのぜ…!

Twitter始めましたのぜ…よろしくなのぜ…
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第二十四話 最悪の大妖怪

アップテンポに行くのぜ。
ゆっくりしてね。


 軍来祭から、半年が経った。

 

 軍の試験では結局大会に出た殆どが合格し、無論、シンや依姫、カレンやアースも例外では無かった。

 

 今でもシン達は道場に通っており、休日にはいつも通り訓練を行なっている。

 平日には軍員として都市の見回り、都市近郊の調査…更には妖怪退治も行っているのだ。

 

 特に妖怪退治では妖怪を喰らい、脳髄を啜り、血で喉を潤す…ヴェノムにとっても満足する生活だ。

 更に給与も高い…安定してチョコレートを買えるのだ。

 

 そして、道場にもささやかな変化が遂げていた。

 

「テメェ!私と闘れよッ!」

「ぼ、僕ともお願いします!!」

 

 ミナクテット・カレンとレジック・アースの存在だ。

 何処から知ったのか、三ヶ月ほど前から二人とも道場に転がり込み、共に力の研鑽を行っているのだ。

 

 今ではすっかり道場に馴染み、何故だかカレンと依姫の間に謎の友情も芽生えている。

 シン達とアースとの間に蟠りもなくなり、四人は良好な関係を繋いでいた。

 

 更に二人は力を付けた。

 例えばカレンの斧術は巧みになり、能力面でも強烈になっている。

 アースもみるみる内に剣術の頭角を表し、能力面でも彼女と同じく、強力になっていく。

 

 シン自身は気付いていないが、大会を通して彼もかなり成長し、依姫にも幾度が勝利をもぎ取ることにも成功している。

 依姫もシンに共鳴するように力を付け、二人は軍の中で新人ながらも戦闘力だけなら随一と言う判断を貰っていた。

 

 そんな四人のある日のこと。

 

 大規模な調査という名目で都市から離れた森を探索していた。

 妖怪から放出される穢れー人の寿命を減らすらしいーが、近日になって急激に増大し、原因解明を急がれたのだ。

 

 精鋭が集められたいくつものグループの中には四人の姿があり、偶然にもシン達とカレンが同じ班となった。

 作戦としては都市からある程度離れた地点で穢れの計測、妖怪が現れた際にはその都度殲滅する予定だった。

 

 勿論この場にいる誰もが妖怪退治に精通していたため、難なく進んでいた。

 しかし、誰かが違和感に気付く。

 

「な、なあ…なんか変じゃ無いか…?」

「どうした?急に…?」

 

 雨がしとしとと降り出し、地面が嫌な音を立てて泥濘み始める。

 ひそひそと話す誰かの声は、いやに鮮明に響き渡った。

 

「なんかよ…妖怪の動きが変なんだ…こう…人形みたいにカクカクとしてて…」

「…気のせいじゃ無いか?」

 

 そう話す男の頬にはベッタリと汗が張り付いている。

 薄々気付いていたのだろう、この気味悪さに。

 カレンは既に警戒しており、今までの任務とは違う…異質な空気が漂っていた。

 

「だってよぉ…ヒッ!?」

「…ッ!?なんだ!どうした!?」

 

 喋る男の口から悲鳴じみた驚異の声が漏れ出た。

 その顔は真っ青としており、ワナワナと体を震わせてある特定の場所を指差している。

 

 シン達はその方向に目を向けるが、何かがいる訳でもなく、ただ鬱蒼とした樹林が広がっているだけだった。

 

「…?…何も居ないぞ?どうしたんだ?」

「嘘だッ!木の隙間から見てくるんだ!なんだアレはッ!?妖怪なのかッ!?ヒッ!?近寄ってきた!!助けてくれッ!!嫌だ!いやだぁああああッッ!!!!」

 

 腰に刺した剣を振り回す男。

 数人で取り押さえるが仲間も認識出来ないようで暴れていた。

 その瞳に正気など無く、間違いなく何かがいるとシン達は確信した。

 

 ある男が無線機を持ち出し、汗を垂らして言葉を発する。

 

「本部!緊急事態だッ!精神攻…」

 

 それから言葉が進むことはなかった。

 言葉を発する()()()()のだから。

 直立を保ったまま頭を失った首から赤い噴水が飛び出す。

 

「うわぁああああッッ!?!?化け物ぉおおおッッ!!」

 

 突如に湧き上がる叫び声。

 同時に妖怪が飛び出し、ぎこちない動きでシン達を襲っていた。

 

 いつも妖怪と戦っているはずの精鋭でさえもが叫び声を上げながら何故か何も居ない虚空に剣を振り、人形のように動く妖怪に殺されていく。

 最早殆どの人間が精神を侵食しているようで、次々と妖怪に喰われていった。

 

「何が起こっている…?おいカレン!俺達から離れるなッ!!」

「………」

「聞こえてんのかッ!何突っ立ってるッ!?」

<シン!恐らくもコイツも幻覚を見てるぞ!>

 

 妖怪を薙ぎ払いながらカレンに問い掛けるが、返事は無く、カレンの瞳は虚空を見出している。

 カレンを守りながら妖怪の首を落とし、仲間の無力化を図るシンだが突如に頭に嫌悪感が湧き上がる。

 

「おぉ…?なんだ…これは?」

<おいッ!気をしっかり持てシンッ!!>

 

 ヴェノムはそうシンに呼び止めるが、酷い頭痛が頭を穿ち、耳障りな音が頭の中に反芻する。

 

図書館館ではお静かかかに、お前ままえは要らななない、それはまるで奇怪な跡のような、楽ににになろう、敵が敵がめめめの前に居るるる、ころころせせさ殺せ、運めい命だだ、目を見てみて目を、ナチナスチの犬がが、四月死月二十七日にセーるるるる!まさに奇怪な跡のような

 

 それはまるで壊れたアナウンスの様に。

 頭で羽音が鳴るようにけたたましく騒音が鳴るが、幻覚は来ない。

 症状が軽いのか、運が良かったのか。

 悍ましい幻聴に耐え、カレンを背に妖怪を叩き潰す。

 

 既に班は半壊しており、残った者も狂気に侵されている。

 

(なんだ…!?何なんだ…!?人形のような妖怪がやったのかッ?そんな訳無い、バックに何かが居る…それこそ()()()のような…うぉッ!?」

 

 思考の海に囚われていたシンの体が一人でに引っ張られ、その横を黒雷が貫いた。

 背後には目が血走り、焦点の合わないカレン。

 更にブツブツと何かを呟いており、彼女は完全に狂気の牢獄に閉じ込められていた。

 

「ヴェノムか今のはッ!?ありがとなッ!!」

<無駄口を叩くなッ!!目の前に集中しろッ!!>

 

 殺気に満ちた視線でこちらを睥睨するカレン。

 小さな体に似つかわしく無い雷電が迸っている。

 

 雨は一層強くなり、豪雨が葉を叩いている。

 更に耳元には呪いのように言葉が呟かれており、それがシンの集中を削った。

 

「母上ッ母上ッ母上母上母上母上ぇえええええッッ!!!!」

「うおっ!?おいお前ッ!俺がわかんねぇのかッ!?!?」

 

 譫言のように母上と呟くカレンの斧を掻い潜り、隙を見つけては一撃叩き込もうとする。

 しかし彼女は糸に紡がれた人形のように急停止や急発進を繰り返えし、巧みに避けて行った。

 

 妙に調子を狂わされ、幻聴の妨害を掛けてくれるお陰でヴェノムを纏ってもまともに相手出来ない。

 そう考えていたときだった。

 

「いやぁ〜君ぃ、粘るねぇ〜…そろそろ面倒臭くなりて来たよぉ」

「…ッ!?誰だテメェ…ッ!!!」

 

 舌足らずで神経を逆撫でする声が、幻聴と共に聞こえ、カレンも斧を構えた姿勢から急停止を掛ける。

 そしてカレンの背から這い出るようにのっぺりとした顔の紳士が出て来た。

 

 しかしそれは明らかに人外の雰囲気を纏っており、圧が肩にのしかかった。

 間違いない、コイツは()()()だ。

 

 ソイツはカレンの首に手を回し、人質と言ったように口を裂かせる。

 卑劣な行為にギリギリと歯が鳴るが、それを抑えて質問をした。

 

「俺達に何をした…ッ!」

「簡単さぁ、幻覚を君ぃ達に見せたのさぁ!今は気分がぅ良いからもっと答えるよぉ!!わたくすぃは操りの大妖怪ッ!名前はなぃ、今日はいぃおもちゃが手に入ったからねぇ!君は見逃してくれるよぉ…」

 

 文法のおかしい言葉を話して奴は空気中に溶けていった。

 正気ではないカレンを連れて。

 

 

「ッ!!」

 

 反射的に体が飛び出し、空気に溶けていく糞野郎の襟を掴み、引き摺り出すように地面に投げ出した。

 ついでにカレンも引き剥がし、胸に抱く。

 

 そしてーーー走り出した。

 

 臆病風に吹かれて訳でも、糞を殺すことを諦めた訳でもない。

 兎に角カレンを早く無事に返すことが最優先事項だからだ。

 

 しかし。

 

「やってくれようじゃないかぁ、んん?」

 

 声が頭に響く。

 幻聴だ…これは幻聴…!

 地面がぬかるみ、思ったように走れない。

 

「君ぃは何かぁ、勘違いしているねぇ?」

 

そうだよよよ勘違違いいいしてるしてね、一年ねんAAぐぐみ組死ししんシンンンさんさんん、職しょ員いんん室まででで来てくだくだ下さいいぃ、私わたくすぃの指導が指導ありまますすす、大至急しし急死きゅう四時二十七分まででにおこしおし下さいさいさい、それはまるで奇怪な跡のような

 

 胸の中の彼女の瞳がギョロリとこちらを向いた。

 

「わたくすぃはぁ、操りの大妖怪ですよぉ?」

 

 雷電がシンの体を突き抜けた。

 その威力は軍来祭とは比較にならず、間近で受けたシンは体をガクガクと振るわせることしかできなかった。

 シンは泥と化した地面に倒れ伏し、空気を裂くように現れた糞に勢い良く蹴っ飛ばされた。

 バキバキと骨が粉砕され、地面を転がって泥だらけになる。

 

「がはァッ!!げふッ!」

「ん〜いぃ音だぁね、気が変わったよ、君ぃには幻覚も効かないようだしぃ、死んでもらう!!」

 

 糞の足が振り上げられ、シンの腹を踏み潰した。

 肉の潰れる音と、雨の混ざった鮮血が飛び、腸や内蔵が飛び出る。

 

 糞は満足したのかカレンを連れてどこかに行ってしまった。

 耳障りな騒音も消えた。

 

「畜生が…ッ!!」

<…とりあえず内臓は治してやる、アイツも馬鹿だな…トドメは刺さねぇし凶暴なライオンを手懐けられると思ってやがる…>

「…ああ…兎に角アイツはロクな死に様にしてやんねぇ…ッ!!クソがッ!!」

 

 思考は真っ赤に染まっている。

 それはともかく班の誰かが本部に連絡を入れていたため、間もなく本部から救援が来るだろう。

 

 少しの後悔と胸を覆い尽くす怒りを感じながら救援を待った。

 

 おのれ…絶対ぶち殺してやるッ!舌足らずの糞がッ!

 シン達は殺意の決意を胸に抱いたのだった。




ご拝読、ありがとうなのぜ。
それは まるで 「奇」怪な「跡」の ような。
シンに幻覚が効かないのはちゃんと理由があるのぜ。
桜うさぎさん、☆9評価、ありがとうなのぜ。


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第二十五話 再誕せし蒼電

ゆっくりとしてね!


 それは何てこと無い…いや、ちょっと忙しい日ではあった。

 少し大掛かりな軍事作戦の任務を言い渡されて、うんざりしている所に偶然にもアイツと同じ班だと言うことを知ったのだ。

 

 強さだけなら一番の奴が居る、ならば楽に終わるだろう。

 そう、何事も無く終わる筈だった。

 そして、一日を終えて母上から逃げるようにアイツと向き合う筈だった。

 

『あら?私ぃはあなたを褒めるいるわよ?だから少し私に協力してくれない?』

「……」

 

 頭から母上の声が反響する。

 いや、これは母上では無い、絶対に…()()()()()だ、違う、母上じゃない、そうだ。

 母上に似た何かは暗闇の視界の中でポツンと存在していて、遠いようにも、近いように見える。

 何かは常に微笑んでおり、口を動かさずにおかしな言葉を語りかけているのだ。

 ずっとだ、森に深く入った時から…ずっと。

 

 豪雨は既に降り止み、じっとりとした湿気が体を撫でた。

 

 …話を戻そう。

 

 任務は順調に進んでいる筈だった。

 しかし最初に違和感に気付いた…いや、異変に気付いたのは森に入ってからすぐだった。

 

 アイツ(シン達)の後ろをまるで妹のように付いていたとき、あからさまな頭の不快感を感じたのだ。

 まるで、神聖なる心と言う祭壇を土足で踏み荒らすかのように、冒涜するかのように。

 

 明らかに何かの攻撃を受けている…そう私は感じていたが、警戒するだけで特段対処はしなかった。

 あの時点でアイツに伝えるなりすれば良かったが、今となってはもう遅い話だ。

 

 つまり、違和感は幻覚へ姿を変えたのだ。

 突如として視界が暗転し、ぐにゃりと空間が変形したかと思うと、それは学校に姿を変えた。

 私達は参列者の拍手をBGMに、入学式でよく見るような花道を歩いていたのだ。

 とても長い、長い道だった。

 助けを求めるべきだが、喉を締められたかのように声が出ず、止まれと言う私の意志とは反対に足は前へ前へと進んでいた。

 

 最も驚愕したのは、拍手をする参列者の全員が母上の顔をしており、その全てが私の方を見ていた。

 首の角度など関係無く、遥か後方でも首をほぼ90°に曲げてこちらに微笑んでいた。

 笑顔だった、気持ちの悪い程、久しぶりに見た母上の笑顔。

 暖かさなんて微塵もない、まるで貼り付けた能面だった。

 

 空は曇りのないくらい晴れているが、体は雨の水と汗でじっとりと湿っていた。

 

 出るはずもない歓喜が身を包んで、同時に得体も知れない恐怖が身を襲った。

 動悸が止まらず、激しい息切れが起こる。

 汗が吹き出す私に煩いぐらいの拍手が襲い、素晴らしい、すごい、自慢の娘、生まれて来てくれてありがとう、と母上から言われたこともないような言葉が届いた。

 

母上は私を褒めてくれるいるんだ

 

 違う!母上はそんなこと言わない!言ってくれないッ!

 

言ってくれていろよ?聞こえない?

 

 遂に私の声をした幻聴が聞こえ始めた。

 私の心はもう恐怖で包まれており、意志を汲んだのか足も止まってしまった。

 もう何も見たくない、聞きたくない。

 目を閉じ、耳を塞ぐ。

 今だけは優しい暗闇が私を覆うが、暗闇から悪魔の声が送られた。

 

目を開けて

 

 嫌だ!

 

目を開けて

 

 やめて!何なんだお前は!?

 

『開けて頂戴?カレン?』

 

 ここに来て初めて聞いた母上の声、私は思わず目を開けてしまった。

 …そこに母上は居らず、ただ教室が広がっていた。

 しかし室内だと言うのに赤い雨が降り、窓から赤い光が教室と生徒達(班の皆)を照らしている。

 

 私は気配を感じ、後ろを向いた。

 そこには授業参観のつもりなのか、ギッチリと横並びになった母上達が私を見ていた。

 ゆらゆらと揺れてにっこりと笑っている。

 

 私の授業参観にも来てくれなかった母上は、今来てくれている。

 

 違う、これは幻覚で。

 

これが本当の世界、幻覚じゅないの私、思い出しえ

 

 また声だ、もうやめてくれ。

 息切れが激しくなり、考えるのが辛くなってくる。

 いつから幻覚なの、何なの?これは。

 

私ぃが生まるた時から、お母さんに無視されていたのも幻覚、全部幻覚、今だけは真実

 

 そんな訳ない、そんな訳がない、そんな訳…

 私は私に言い聞かせるが、母上の一人が思考を遮るように言った。

 

『授業のとちゆうですよ、前を向けなさい』

 

 震える体を動かして背後を見る。

 

 そこには、母上がいた。

 しかし、髪は痛んでボサボサで、眼窩は無く、底なしの暗闇が渦巻いている。

 母上モドキは当たり前のように生徒の首を飛ばし、赤い花を咲かせた。

 

 あんなのが母上?冗談じゃ無い、あれも幻覚…

 

アレが私ぃを無視したんだ、アレが私ぃの心を痛めつくぇたんだ、アレが全ての元凶だ

 

 …アレが?

 

そう、アレを殺せ、決別だ

 

 母上モドキは首を揺らしてこちらに近付いてくる。

 そこで突っ立っていた生徒が立ち所に鮮血を噴き出して倒れた。

 やだ、怖い、近付かないで、私を叩かないで、母上。

 

殺せ、殺せば良い、決別だ、さぁ、さあ!

 

 動悸は更に激しくなり、空間は母上モドキを中心に崩れていくように崩壊している。

 恐怖で涙がポロポロと落ち、母上モドキが目の無い顔を近づかせて言った。

 背筋が凍り付いていく。

 

何が起こっている…?おいカレン!俺達から離れるなッ!!

 

 やだ、やだ、やめて、お願い、お母さん、謝るから、やめて。

 恐怖心は指数的に増大し、体が震える。

 

聞こえてんのかッ!何突っ立ってるッ!?

 

 詰め寄る化け物に遂に、決壊した。

 

「ああああああ!?!?!?母上ッ!?やめて!母上!母上!母上ぇええッッ!!!」

 

 拳を振り回して化け物に攻撃しようとするが、煙に巻かれたかのように消えては現れ、消えては現れた。

 生徒は全員頭から噴水を流しており、背後からは寸分の狂いの無い母上の笑い声と拍手を奏でていた。

 私は既に極限のパニックに陥り、泣きながら化け物に攻撃するが当たらない。

 

 怖い、怖い、怖い。

 

 心がその一色で満たされ、更に化け物の顔ものっぺりとした何かに変わる。

 その瞬間に私の体は鎖で縛られたように動かなくなり、気が付いたらのっぺりとした化け物が目の前にいた。

 

「いやッ!やめてッ!やめてよぉ!お母さん!」

「ん〜、もういぃかな、しばらく私の人形になってくだすぁると嬉しいですは」

 

 顔全体にのっぺりとした化け物が広がり、私の中に侵入するかのように、同化するかのように私の体の中に入っていった。

 

 そこからは何も覚えていない。

 

 強いて言えば、ずっと母上に頭を撫でられて、大丈夫って言っていたこと。

 しかしその顔はのっぺりとしており、母上の声で、姿で喋っていることに非常に私は、()()をーーー違うッ!アレは母上では無く母上そのものであって!あああああッ!!違うッ!母上は母上じゃないッ!母上だ!!

 

 

 …私はもう、何が本当で何が虚偽かも分からない。

 そして冒頭に戻るのだ。

 意識が覚醒したのはこの洞窟に似た場所で、監禁されていた。

 

 目の前には母上。

 ずっと、私に頼み事をしている。

 協力してくれ、と。

 

 私は僅かに残った理性でそれを拒否し続けていた。

 きっと仲間が…そうだ、シンは?シンはどうなったんだ?

 

『シン?誰かは知らぬいけど、私が殺すぃたわ、みんな…ね、おほほ』

 

 母上は上品に笑うが、内容は下品で、私に絶望を与えるに上等な物だった。

 

 嘘だ、私に勝ったアイツが呆気なく死ぬわけがない、きっとそうだ。

 

『もしかすて黒い男かしら?アイツは私ぃが踏み潰して腸をぶち撒けたんだよ!!…ですわよ」

 

 嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ。

 母上がそんなことをするわけが無い。

 母上じゃ無いのはワカッテイル筈なのに、頭が、体が母上を許容している。

 こんな奴に。こんな奴に!

 シンが殺される訳が無いッ!

 

「んじゃぁ、くぉれを見てくださいまし」

 

 脳裏に映像が浮かび上がった。

 豪雨に打たれている血みどろのシン。

 腹から内臓が飛び出ており、忌々しげにこちらを見ている。

 そんな、馬鹿なことがあるか。

 こんな?呆気なく?

 目標をやっと持てたのに?こんな一瞬で?

 

「ああ、あああ、あああ"あ"あ"あ"ッッ!!貴様ぁァああ"あ"ッッ!!!」

『チッ…めんどくせぇですわ、強引に操ってやりましょぉ」

 

 母上は立ち上がり、私の額に手をかざした。

 やめろ、何をする気だ、やめてくれ。

 

「やだだねぇ!受け入れない君ぃが悪いのだ!!()()()()()()()()()()けど許すてねぇ!!」

 

 異物が、母上が私の心に入り込み、ナニカを殺している。

 猛烈な吐き気と寒気、歓喜と至福。

 何かが私を作り変え、喪失の予感に恐怖が顔を覗かせる

 

 私を構成する想いが、思い出が、決意が崩れていく。

 何かの試合で打ちのめされたことも、私が何処かに来て四人で競い合ったことも。

 風化して、摩耗して、擦り減って、燃え尽きて、崩れ落ちて行く…

 

 母上が私と一体になる、私は母上の…違うッ!私は私で…私は…私は、()だ。

 嘘だ、嫌だやめて、お願い、助けて、シン、助けて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■って誰だっけ。

 

 私は何で ここにいる のだっけ。

 

『ん〜♪私はあなたのお母さんよ、ちょっと協力してくれないかしら』

 

 目の前にお母さんがいる、そうだ…キョウリョク しなきゃ。

 私の目から、何かが零れ落ちた。

 

◆◆

 

 洞窟にのっぺりとした紳士と、最早全てを壊された■■■がいた。

 

 紳士の顔は無いが、ニチャリとした表情をしていた。

 ■■■は虚な表情で虚空を見つめており、お母さん、と連呼している。

 

「じゃぁ、初めようくぁ、まづ…君ぃは何か、能力とか持っているかぃ?」

「…私は 電気を操る程度の能力を持ってる…お母さん…あれ、お母さんってなんだっけ」

 

 瞳孔を彼方此方にゆれさせる彼女に、紳士は口を歪ませるように顔を変形させ、上機嫌に語りかける。

 

「ん〜♪お母さんは私ぃのことさ!だかるぁ何でも私ぃのためにしてねぇ!」

「…はい、お母さん」

「じゃあ!能力を()()にして!!」

 

 ■■■は躊躇無く雷撃を辺りに振り撒いた。

 薄暗い洞窟が雷に照らされ、黄色く反射している。

 少女の顔は辛そうだ、しかし、紳士の操りの力で無理矢理全力を超え、体をガタガタを震わせていた。

 

「いいッ!良いね君ぃ!ホラ!もっと電力を上げてッ!今度は私ぃに向かってッ!」

「ああ" あああ"ああ ああ" あああ あ" あ"あ"ッッ!!!!」

 

 限界を超えた能力使用は■■■の体を破壊し、身体中から血を噴き出していた。

 にも関わらず雷を大きく上回る電力を紳士に放出し続け、紳士はそれを自身の手に集めさせている。

 

 洞窟の天蓋にヒビが入り、電熱によって周囲が赤く黒く焼け爛れる。

 命を削った能力使用は文字通り少女の命を使い果たし、がくりとその場に倒れた。

 

「まだまだ遊びは終あってないよ!君ぃッ!!」

 

 倒れ込む少女に紳士は手に貯めた蒼く光る電気を浴びせた。

 少女の体は再び激しく震え、体は雷と色と同じく蒼く変色している。

 

 普通の人間ならば起こり得るはずの無い反応に紳士はますます興奮し、残りの妖力も使って■■■に電気を注ぎ込んだ。

 

「ふぅ……生きてるぅ?おーい?んん?」

「う…あ…お母…さん…」

「おぉ!良いね!今度は人間ぐぁ憎くぬぁる催眠を掛けてみよう!!はははッ!混沌だ!人間を絶滅させるんだよッ!」

 

 死体の筈の少女は立ち上がり、電気を蓄えた蒼き体を震わせている。

 しかし全身の皮膚が焼け、血管がくっきりと浮かび上がっていた。

 そこに催眠と言う名の精神破壊が加えられ、彼女の思考を赤く染め上げた。

 

「あ…あ、あ、お母さん…」

「いいね君ぃ!決めたよ!名前!無いと不便だくぁらねぇ!()()()()()だ!良い名前だよねぇ!」

「…エレクトロ…虐殺…お母さん…お母さん、お母さんお母さんお母さんッッ!!」

 

 ■■■…いや、エレクトロは血管の見えるほど透明化し、蒼く煌めき絶叫する。

 そんな彼女に紳士は愉快な声を上げて、蒼い顔を見据えた。

 

 瞳は蒼く輝き、瞳の白の部分は黒く変色している。

 しかし、その神秘的な眼には、膨大な憎しみが宿っていた。

 

「死ねぇぇぇええええッッ!!!!」

「えぐぁッ!?…おぉっ、こぁっ!あ、るぇ!?なん、でぇ、だぁ!?」

 

 呪いを連呼したエレクトロは髪を振り回して、腕から蒼い電流を発してお母さんの体を焼け炭にした。

 体の大部分が炭と化し、芋虫のようビクビク震える彼はエレクトロに問いただす。

 

「ゴッホっ!な"にをするエレクトロ"ぉ!私ぃは君のお母さん"だぞッ!!」

「…お母さんが憎い…お前が憎い…人間なんかより、お母さんが…!お前が…!!お前がぁぁああああッ!!」」

 

 彼女は空っぽの記憶から、魂からの叫びを浴びせた。

 蒼電は唸りを上げ、雷轟が曇天に響く。

 しかし流石大妖怪と言うべきか、全身が真っ黒に焦げてもソイツは生きていた。

 

(不味ぃ…ミスったぁ、彼女にとって私はお母さだ.…そこに人間を憎む暗示なんてしたら殺すれるじゃなぃか!?)

「分かったゎ!お母さんが悪くぁったわ!だからこれを治してぇ!」

「お母さん?…母上…?…うグッ、おぇぇぇえええ…」

 

 操りの大妖怪として生を受けたのはつい最近。

 そんな彼には簡単な失敗も気付かず、自身が生み出した怪物に殺されかけたのだ。

 

 更に紳士の言葉に彼女の頭がズキズキと痛み、押し寄せる猛烈な吐き気を解消せんと、紫電の帯びた吐瀉物を洞窟の端に吐き捨てた。

 えづく彼女は苦しさからか、それとも何かを感じたのか黒々とした目の縁から露が流れている。

 

 彼女の拘束から逃れた紳士は炭となった体が崩れるのも構わずに逃げ去った。

 しかし足取りは重く、思うように前に進められていない。

 

「ぉッ!はぁっ、ぐぅっ!はぁっ、逃げなきや…遠くに…遠くに!!」

「オカアサン?何処に行くの?」

 

 弱った獲物と雷の如き化身。

 逃げ切れる筈が無かった。

 

 雷速の速度で現れたエレクトロに驚愕する紳士。

 踵を変えて反対に走り出すが、発射された雷撃が両足を穿った。

 

 顔から転倒し、苦悶の声を上げる紳士にエレクトロは追撃を加える。

 両手、両肩、両膝、臀部。

 急所を的確に避けた雷撃は紳士の逃亡手段を悉く打ち砕いていった。

 

 先程まで曇天だった空から急に驟雨が降り出し、二人を濡らしていく。

 

「うぅ…ぐぁ…まだ…私は…畏れを、血を…破壊を…混沌をぉ…」

「バァン」

「やめーーー」

 

 辺りは光に包まれ、轟音が響く。

 

 達磨のようになっても芋虫のように這いずり回る紳士は、蒼電によっていとも容易く絶命し、地面に服を残して溶けていく。

 

 目の前の大妖怪(母上)を雷殺したエレクトロは誰に言うでもなく呟いた。

 

…私はエレクトロ…

 

 恐ろしい声の出る喉を震わせ、口角が上がり、天を仰ぐ。

 最早空っぽの記憶には大妖怪から贈られた人類の憎しみが渦巻いていた。

 

母上から承った憎しみが私を支配している…!この憎しみが、私の力となる…ッ!

 

 エレクトロは雨に濡れる掌を見つめた。

 血管と体に流れる電流が交差しており、何処か神秘的で、背徳的である。

 

最強は 私だ

 

 作られた憎しみ、空白の記憶、意識の底に沈んだ何かの目標。

 矛盾だらけの最強は、使命を遂行するため、大電力集まる都市へ向かった。

 

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
待たせて申し訳ないのぜ!
hynさん、☆3評価ありがとうございますなのぜ。


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第二十六話 邂逅

ゆーんとしてね!


 その日は豪雨だった。

 まるで不吉な予感な事が起こるかのように。

 

 実際、それは最悪な形で叶ってしまった。

 第九班壊滅、恐れられていた大妖怪の出現…何よりカレンの失踪と言う形で。

 

 この悲劇は若手の育成を望んでいた軍の上層部、そして依姫、アース、シン達に深い影を落とした。

 

 まず依姫はカレンとの勝負の中で友情が芽生えていたうちの筆頭だ。

 故に報告を聞いた際にはとても心配したような表情をして、眼に少し涙を溜めていた。

 大妖怪と失踪。

 普通に考えればその場で喰われてしまったと見るのが妥当であろう。

 

 アースも決して良い顔をせず、軍の用に出かける時も、訓練中も暗い顔をしていた。

 

 特に酷いのがシンである。

 惨劇に遭い、ほぼ全員死亡した中で一人無傷ーヴェノムに治療されたからだがー。

 悪い噂が横行し、軍の重鎮や世論がシンを黒幕視するのも無理は無かった。

 

 更に、自身の弱さへの苛立ち、大妖怪への憤怒、カレンへの申し訳無さ。

 それらが心の内にヘドロのように溜まり、訓練の激化と妖怪退治の執念を生んだ。

 日々の訓練は日を追うごとに命を賭けるほどまで激しくなり、他の人からや、ヴェノムから何度も静止の声を聞かされた。

 

 そして、少し時が流れて、失踪から数日後。

 

 シン達は曇天の中、軍用を断ってまで永琳のラボを訪れていた。

 

 用件はただ一つ。

 大妖怪の追跡だ。

 

 未だ痕跡の掴めない操りの大妖怪を、永琳なら探し求めれるのでは無いか。

 そんな淡い希望だった。

 

 グルグルと胸の内に廻るモノを感じながら勢いよくラボの扉を開けると…

 

 夥しい量の火花、続いて可愛らしい悲鳴ががシンを襲った。

 

「きゃっ!?」

「アッツッ!?!アッツ!熱い熱い熱いぃッ!?」

 

 ヴェノムを纏っていれば消滅していただろう。

 出鼻を挫かれ、勝手に体が火花の中でコミカルにタップダンスを踊る。

 やがて火花が収まり、火元を確認して見ると、よく分からない装置から煙が噴き出ているようだった。

 

「………はぁ…貴方シンね?今度から来る時はアポを取って頂戴…それかノックぐらいして…まぁ、貴方のことだから用件ぐらい分かるけど…大妖怪の…」

「だったら話は早いッ!アイツの居場所は…」

 

 永琳からの抗議に多少申し訳なさそうな顔をするシンだったが、こちらを見透かした発言に少しばかり期待し、次早に返答を急ぐ。

 しかし。

 

「無理よ」

「………チクショウ…やっぱりか……」

永琳、それは何でだ?

 

 淡々と言い放たれたその言葉に落胆する。

 気持ちがすっかり沈んだシンは近くの椅子にだらりと座り込み、代わりにヴェノムが返答を急いだ。

 

「妖力を検知するレーダーは作ったのよ、でも見つけられない…つまりはそれ程隠密が上手い妖怪ということ…そんな大妖怪に対抗する為にコレを作ってたのだけれども…誰かさんのお陰で壊れたのよね…」

「ッ!?〜〜ッ………」

 

 語尾に怒気を強めて言った彼女。

 謝罪するべきだが、そんな余裕など無いシンには俯いて顔を歪めることしか出来ず、ヴェノムも何処となく申し訳無さそうに口を噤んだ。

 もしかしたらこの装置が完成すればあの妖怪の居場所もわかる筈だからだ。

 しかし、それをシンのせいで壊してしまったとなると。

 

 連日のストレスと合わさって猛烈な自己嫌悪と自責の念がシンの身を襲った。

 そんなシンを見かねたように永琳は温和な雰囲気を漂わせて言う。

 

「…別に良いわよ、貴方が張り詰めているらしいことは知ってるし、これぐらいどうとでもなるし…」

「…こんなことを聞くのも何だが…何で爆発が起きたんだ?」

 

 俯きながら絞り出すようにシンが喋った。

 まるでシンの失態を誤魔化すかのように、それとも自身の心のヘドロを解消する為か。

 

 その質問に永琳は過充電よ、と一言で答えた。

 

「過充電?」

「名の通り充分に充電された状態から更に充電することよ、まぁ…この場合は交流発電機を間違った所に配置したからだけどもね…」

 

 黒い煙を燻らすストーブ程の大きさの装置をバンバンと叩きながらそう説明する永琳。

 本当に装置を直す気なのだろうか。

 それともそれぐらい叩いても直せる自覚があるのか。

 

 どちらにせよそれ以上会話は続かなかった。

 一人は工業器具やピンセットで極小の規模の作業をし、もう二人は口を噤んで話さない。

 数十秒の間空調とカチャカチャとした作業音しか響かなかったが、シンを見かねた永琳が作業を中断して言った。

 

「…はぁ…貴方達、今日の所はもう帰って休みなさい…精神的に疲れてるようだし…」

「…ああ…そうする…ありがとな…」

じゃあな

 

 そそくさと部屋を退出し、ラボを後にする。

 やはり心の内には罪悪感と焦燥感が渦巻いていた。

 少し歩いた後、道端に座り込んで大きく溜息を吐く。

 

あまり気に負うなよ、見てるこっちが不快になるからな

「…うるせぇ」

…あのなぁシン…いつまでもウジウジしてるとな…

「うるせぇッ!!」

 

 もう限界だ、そう言わんばかりにシンは俯いて叫んだ。

 幸い、付近に人はいないようで、叫び声は虚しく空に溶けていった。

 

「俺がッ!弱いからッ!全部俺が悪いんだよッ!!あの時クソを殺さなかったのも!カレンが殺されたこともッ!運が悪い?違うんだよ!!俺が弱かったから守れなかったんだよッ!もっと強くならなければいけないのにッ!俺はッ!俺はぁあああッッ!!」

おい、シン

 

 ヴェノムの声を聞いて無機質な地面から視線を上げる。

 直後に視界に黒が広がり、生々しい音と共に鼻中心とした激痛が彼を襲った。

 

「いッヅぅうう…!」

言葉を吐き出してスッキリしたか?それとも今ので目が覚めたか?…今のお前は心に余裕がねぇ…だからまだ吐き足りないなら聞いてやるよ

 

 首を文字通り長くしたヴェノムがシンと向かい合い、真剣な顔で彼を見据えている。

 どうやら例の如く頭突きされたようだった。

 鼻血が流れ、同時にマグマのように煮えたぎっていた思考に冷水が流されたような気分になり、何処か冷静になったのを感じる。

 

「…いや、いい…頭が冷えた」

そうか、そりゃ良かった

 

 ヴェノムは凶悪に笑い、体に戻っていく。

 未だ胸のしこりは拭えないが、想いを吐き出したからか多少楽になった。

 もう一度大きく息を吐き、立ち上がって伸びをする。

 

「…ヴェノム」

ああ?何だシン?今度は太陽に向かって叫びたいのか?

 

 確かに曇天は既に消え失せ、煌々と燃ゆる太陽が露わになっているが、別に叫びたいわけでは無い。

 光がシンの顔を赫赫と照らし、眩しさにシンは少し目を細めた。

 

「別にそうじゃ無い…ただ、まぁ…あー…ありがとな…って言うか、何というか」

…ククク…何だ?遂に俺を敬う気持ちが芽生えたか?このチェリーボーイめ

「んだとてめぇ!?あぁそうかい!撤回だ!感謝なんて言うか馬鹿野郎!!」

 

 少し心が晴れた、そんな気がした。

 

◆◆

 

 私が母上を■■してから、数日が経った。

 私の体は存外便利なようで、食事を必要とせず、筋肉が電気と置き換わっている為、ずっと動き続けることができるのだ。

 電気を放出すれば話は別だが。

 

 行動する理由は一つ、人類の殺害。

 その為の電力供給と、ついでに都市の破壊。

 正に一石二鳥であり、我ながら良い作戦であると思う。

 

 そうして私は大都市まで後一歩の地点まで迫っていた。

 

 嗚呼、すぐそこに電気を感じる。

 地中に張り巡らされた電線、空へ伸びる電灯、いずれにしても莫大な電力量だ。

 我が身に収まりきる量では無いが、ゆっくりと吸収すればいいだろう。

 

 しかしこの体では隠密など出来無いに等しい、蒼く煌めくこの体では。

 どうしたものか、そう考えて歩く内に目の前に白い壁が広がっていた。

 

「着いたか…!」

 

 歓喜に自然と言葉が零れ落ちてしまう。

 漸く使命が果たせるのだ。

 

 壁沿いに外周を周ると、話し声が聞こえてきた。

 門番だろう二人の会話である。

 私に取っては聞くに堪えない騒音であり、漏れ聞こえる内容も至って普通、その筈なのに脳内は下劣な会話と判断した。

 

 侵入する為にはどうすれば良いだろうか。

 対話?隠密?殺害?

 

 答えは決まっている。

 

 さぁ、殺すか。

 

「おじさん、私迷子なの、心配だから手を握ってほしいの」

 

 まず私はなるべく迷子を装って姿を現した。

 肌の色に多少奇異の眼を向けられるけど、見た目幼女の私の懇願を邪険に扱う訳はなく、にっこりと微笑みながら男は私に手を差し出した。

 おっと、いけない、あまりの滑稽さに口がニヤけてしまう。

 

「大丈夫かい?嬢ちゃん」

 

 間抜けに差し出された手を私は繋ぎ、私はありったけの電流を流した。

 声を発することも出来ずにビクビク震えて崩れ落ちる男。

 もう一人は呆然と男だった黒炭を見て、え?と言葉を繰り返していた。

 

 そんな人間の胸に電流を発射する。

 電流はいとも容易く心臓を穿ち、その鼓動を停止させた。

 

 目を見開いたまま倒れ込む男。

 これで私を阻む者は居ない。

 連絡もされていない為すぐに異変に気付くこともないだろう。

 

「ククク…ハハハ…!ハーハッハッハッハッ!!」

 

 あまりの呆気なさに声を上げて笑い立てる。

 何と言う体たらく、あからさまに怪しい私の手を取るとは、警戒のケの字もないのか。

 

 

 ひとしきり笑った後に、私は男のフード付きの服を剥ぎ取り、その身に纏った。

 サイズは合わないが、肌を隠すには上出来だろう。

 

 私はフードを深々と被り、沈みゆく日輪を背景に都市へ侵入した。

 

◆◆

 

「外へ?もう暗いのにか?」

「えぇ、貴方は休みを取ったのでしょう?それならリフレッシュに夜風に当たるのも一つの手です」

 

 そう顔を近づけて言うのは依姫。

 永琳のラボから帰って軍からの休みをもらっている筈なのに誰もいない道場で刀を振るうシンを思っての言葉だろうか。

 何にせよ先のヴェノムの言葉で多少心の落ち着いていたシンはその言葉に従った。

 

「分かった…依姫も済まないな、お前も辛い筈なのに気を遣わせて、それに俺のせいでカレンを…」

「いえ、貴方が気を負う必要はありません…どうか、今は休んでくだい…」

 

 不安な表情をする依姫。

 彼女も未だ心の傷を癒やしていない筈なのにシン達に気を遣っていることに、シンもまた少し心配になった。

 

 そして出口まで見送ってくれた依姫に対して。

 

「お前も辛くなったら俺か家族に言えよ、取り敢えず吐き出せば楽になるからな」

「…はい」

 

 短く返事をした依姫を後にし、道場からシン達は歩き出した。

 空は既に真っ暗で雲の隙間から星や月の光が漏れ出ている。

 

 ひんやりとした夜風を堪能しながら当てもなく歩く。

 

 特に何かが起こる訳でもなく、シンは来た道を引き返そうとした。

 その時である。

 

 暗い道の奥で薄暗く光る人影。

 何処か見覚えのあるその姿は、子供のように小さく、その姿にまるでカレンを幻視させた。

 

「まさか…な」

<気を付けろよ、嫌な予感がする…>

 

 しかしどうにもその立ち姿がカレンと重なる。

 ヴェノムの忠告を無視し、知らず知らずのうちにシンは走り出し、その少女の目の前まで迫っていた。

 

 少女は深くフードを被っており、その顔は確認出来ない。

 

「アンタは…誰なんだ?」

 

 少女はニヤリと笑って言った。

 

「誰か…?私はエレクトロ…人類の抹殺者だ…!!」

 

 




ご拝読、ありがとうなのぜ。
次回、激突。


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第二十七話 躊躇い

ゆっくりしてくれのぜ。


誰か…?私はエレクトロ…人類の抹殺者だ…!!

 

 目の前の少女は名乗ると同時に手を突き出して蒼電を放出した。

 呆然と彼女を見ていた俺達は一瞬反応が遅れたが、間一髪の所で横に飛び込み、電撃を免れた。

 肝心な顔が見えないがこの体躯、この能力…まさか…

 

 考えが纏まらず、目の前の少女を敵が味方かも判断出来ない。

 突っ立っている俺達は無防備だったが、避けられたことに驚いたのか、攻勢に出ないことを不思議に思ったのか、少女はアクションを起こさなかった。

 

「ハハハ!避けたか!避けられたのは初めてだぞ!!なぁ!?」

「………お前は…カレン…なのか?」

「あぁ?…私はエレクトロだと…ぁがッ!?聞こえなか…ぅぐッ!?おええええ"え"…」

<…アイツ本当にカレンか?>

 

 荒々しく宣言する彼女は会話途中で急にえづきだし、頭を押さえて道端に吐瀉した。

 ただ単に酔った訳ではないだろう。

 彼女が苦しそうに、けれども吐くモノも無いのか胃酸を口から垂れ流している。

 

 一体どうしたと言うのか。

 

「お、おいカレン?何の真似を…」

「黙れッ!!!」

 

 彼女は顔を上げて俺達を忌々しげに見て言った。

 その顔は苦痛に満ちた表情であり、困惑、殺意、苦悶、苛立ち、様々な表情が読み取れる。

 

 本当にどうしたんだ。

 

 そう尋ねる前に口早に彼女は言った。

 

「ぐぅうう!?何故だか知らんが貴様の声を聞くと頭が痛むッ!殺す!あぁ殺してやるッ!」

「ぅおっ!?」

<おいシン!迷ってないでさっさとやるぞッ!!>

「…仕方ない…ッ!」

 

 何処か情緒のおかしい彼女はヒステリックに叫び、電流を纏って突撃した。

 余波だけで地面のコンクリートが剥がれ、暗い夜に閃光が走る。

 

 目の前に迫る電気の塊を真上に飛んで回避した俺はヴェノムに言われて着地と同時に彼女は向き直り、ヴェノムを纏った。

 いつもならば高揚感が襲う筈だが、全くそんな気は起きない。

 

 彼女はフード越しでも分かる程強い眼光でこちらを見据え、電流を迸らせている。

 まだまだと言わんばかりに彼女は両手を地面に突き刺し、雷を弾けさせた。

 

「エレクトロピラーズッ!!」

 

 直後にバリバリと地面に彼女を中心として雷光が走り、地中から大量の雷の柱が立ち昇った。

 

 視界を埋め尽くす雷陣を避け切ることは出来ず胴に柱の一本が直撃する。

 

グッ!?

<危ねぇッ!前からくるぞッ!>

「まだまだァッッ!!」

 

 目の前は雷色一色だが、彼女が雷を突っ切ってこちらに突進してきているようだった。

 気づいた時には猛々しい蒼が目の前一杯に広がり、全身の激痛と遅れてやってくる背後の激痛に体を身悶えさせた。

 

 …どうやら突進に突き飛ばされ、その勢いで壁に激突したようだ。

 背後に蜘蛛の巣状のヒビが入っており、ヴェノム越しとはいえ体が痺れて上手く動けない。

 

 痺れを無視して壁に背をつけながら立ち上がる。

 

クッソ…てめぇ…ッ!

 

 …今のは電量も威力も軍来祭と比較にならない、正に殺す気の一撃だった。

 

 そうか…ならば覚悟は決まった。

 アイツがカレンだろうが無かろうが叩き潰してやる…!

 

…お前がカレンか何者かなんて…もうどうでも良い…いいぜ、そこまで俺と勝負したいなら付き合ってやるよ…ッ!!

「黙れッ!!オオオオォォォオオッッ!!」

 

 フードから漏れ出る金色の髪を振り回して雄叫びを発する彼女。

 

 今だけは…今だけは過去も、しがらみも、思い出も、全てを忘れて(闘い)だけに全ての意識の目を向け、神経の隅々を鋭く尖らせよう。

 目の前の相手と闘い合う(殺し合う)ために。

 相手がカレンだとしても腕が鈍らないように!

 

行くぞッッッ!!!!

「ガァああああッ!!殺すッッ!!!!」

 

 歯を剥き出して咆哮する彼女は両の手のひらを突き出し、蒼電を発した。

 爆音を立て、幾多もの道筋を描きながら飛来する電撃を避けるのは至難の業だろう。

 

 だが今の俺には…遅い。

 依姫の斬撃と比べて密度が少なく、速度も足りない。

 唯一勝っているもすれば威力か。

 

俺も舐められたものだなぁッ!!」

 

 体を蒼電に滑らせる様に回避し、一息で彼女の眼の前まで接近する。

 

 一瞬で目と鼻の先に現れたシン達に、驚愕に染まる彼女。

 その腹部へ強烈なボディブローを炸裂させた。

 肺まで届いた一撃に彼女は空気を吐き出し、ミシリと骨を唸らせる。

 恐らく彼女は内臓をシェイクされたかの様な感覚を味わっただろう。

 

 続け様に横薙ぎに蹴りを繰り出し、彼女を吹き飛ばした。

 

「ごハァッッ!?!?」

その程度かァッ!?

 

 十数メートル吹き飛び、バウンドしながら減速する彼女は体制を立て直し、地面に爪を突き立てながら着地した。

 こちらに伸びる様に爪痕が地面に刻みつけられる。

 

「おのれェッッ!!」

 

 彼女はボディブローを喰らったとはいえ、なんとも無い様に声を荒げた。

 

 ヴェノムの力で殴ったはずだが…

 口元が裂け、歯を剥き出しにした…いわゆる憤怒を表す彼女は更に力を弾けさせる。

 

「オォォォオ…ッ」

 

 両手から溢れんばかりの光を灯し、低く唸る彼女。 

 恐らく軍来祭で発動した【ゼウス・ドンナーシュラーク(神の零した雷)】の様なエネルギー砲だろうか?

 

<今更俺達にそんな技が効くかッ!>

 

 そう豪語するヴェノムだったが、時折溢れ、漏れ出る雷電が地面やビルのコンクリートを破壊した光景を目の当たりにし。

 

<…よしッ、絶対避けろよシンッ!!>

 

 掌を返して俺に忠告した。

 勿論心得たつもりだが…明らかに上昇している電力…技が放たれる前に攻撃を仕掛けることも出来るが、未知の攻撃にそれは悪手。

 

 ならばどうするか。

 答えは簡単、迎え撃つ…最悪の場合は回避すれば良い。

 

 どんな攻撃が来ても対応できる様に腰を深く落とし、構えを取る。

 

 一方彼女は電力の蓄えられた両手を握りしめ、前方…つまり俺達の方向へ両手を合わせた。

 ビリビリとライトブルーの雷の音が一層激しくなり、今にも爆発しそうに電力のエネルギー体が脈動する。

 

 来る…来る…来る、来る来る来るッッッ!!

 

ジゴラーク・アスカロン(蒼砲・天翔雷撃)ッッ!!」

 

 極限まで貯められた電力はその身を暴力的、かつ破壊的なエネルギーの結晶へと姿を変え、猛烈な蒼光を発しながら俺達を襲った。

 

 目の前に迫るは圧倒的な絶望を伴った死の権化。

 そう表しても差し支えない程の迫力、破壊力、電力。

 

 受ければ真面目に消滅する。

 電光が顔を照らすと同時にそう悟り、壁に飛び付いた。

 

 通路丸々を覆い尽くす蒼雷の奔流が目の前を通過し、息を吐くーーー

 

 そんな暇が与えられるはずも無く、横を通り抜けていた極太の光線の如き雷光がこちらへ迫った。

 客観的に説明するならば…彼女が極太レーザーを振り回している…と言ったところか。

 

うおおぉぉぉぉッッ!?!?

<追ってくるぞッ!>

 

 俺達が元いた壁を雷の奔流が打ち砕き、高層ビルに易々と大きな穴を開ける。

 ガラガラと崩れる瓦礫を横目に、俺達は壁を伝って雷の奔流を避けた。

 

 俺達の後を追う様に雷の奔流が追跡し、その度にビル群を破壊させていく。

 だが…着実に近付いている…

 

 ようやく目と目が合うほどに近づいた俺達は、あることを思い付き、ビルに張り付いた。

 無論、あわや雷の奔流に飲み込まれる直前の領域に足を踏み入れる。

 そして力及ばず飲み込まれ、星空の藻屑になる…なんてことは無く。

 

 奔流に飲み込まれる一歩手前の所で、コンクリートを踏み砕く程に壁を踏み締め、弾丸の様に彼女で飛び出す。

 ヴェノムの力で飛び出した俺達の体は一瞬で亜音速の世界に辿り着き、ソニックブームを発生させた。

 

 その勢いで驚愕に染まる彼女の顔を掴み(アイアンクロー)、慣性に任せて地面に叩きつけた。

 

「ぐぉぉォォ"ォ"オ"ッッ!?!?」

オオォォォオオオオッッッ!!!

 

 悲鳴にも似た咆哮を上げる彼女はコンクリートの地面を割りながら暴れ、光の奔流はいつしか霧散していた。

 亜音速で打ち出された勢いは止まらず、T字路に差し掛かるまで止まらなかった。

 

 しかしそれだけでは終わらせない。

 彼女の華奢な体を持ち上げ、顔を掴んだままビルの壁に叩きつけ、爆音と共にめり込んだ彼女をそのまま壁ですりおろすかの様にビルの横を走った。

 

 壁に彼女をめり込ませたまま走ったのだから、勿論彼女は顔面で壁を破壊し、激痛の余りに咆哮を上げた。

 

「ぐぁああああああああッッッ!!!!」

ッッオラァッッ!!

 

 ついでとばかりに彼女を思い切り壁から引き抜き、その勢いを持って今度は地面に思い切り叩き付けた。

 ドォンッ!そんな衝撃音が星空に響き、コンクリートが許容量を遥かに超えた衝撃によって半球状に窪み、通路全体にヒビが入る。

 

「ッごぁァッッ!?」

ッこれでッッ!!終わ…

 

 最後の一発。

 両手を合わせて握り拳を作り、頭蓋骨を砕き割る勢いで振り下ろした。

 しかし…血と肺の中の空気を強制的に吐き出した彼女のフードは破れ去り、その顔が露わになった瞬間、その拳は止まってしまった。

 

 体躯、電撃…いかにフードで顔が隠れてしまっていても、体が蒼く迸っていたとしてもその少女がカレンだと言うことは確実であり、自明の理であった。

 ただそれを信じたく無かったのは()()()()()で命の危機に陥れてしまった罪悪感、彼女は俺を恨んでいるのでは無いかと言う恐怖が根底に潜んでいたからだろうか。

 だからこそ目の前の少女はカレンでは無いと決め付け、殺害しようとした。

 

 しかし、露わとなった彼女の顔は、どうしようも無く、カレンと同じで。

 

「あぁ……すまん…………カレン」

<おいッ!!シンッッ!!動けッッ!!>

 

 今まで攻撃を加えたのはカレンだった、俺のせいでここまで変貌してしまったのか。

 その事実に思わずヴェノムを解いて、拳を止め、謝罪してしまった。

 しかし、バケモノと化したカレンにはその姿は隙でしか無く…

 

「…死ねェッ!!!!」

「〜ッッッ!?!?!?」

 

 見境なしの放電。

 その電量、実に二千万ボルト。

 

 ほぼ密着した状態から放たれた雷撃は、生身の状態のシンを瞬く間に瀕死の状態へと追い込んだ。

 蒼を通り越して白く染まる視界、焼かれていく内臓、出鱈目な電気信号に震える手足、衝撃に投げ出される体。

 

 

 …気付けば壁に背を預けていた。

 カレンの一撃は痛覚を置き去りにし、頭に響く声すらも遮断した。

 

「はぁっ、はぁっ…ッはははははッッ!!どうしたテメェッ!?私を()るんじゃねぇのかァッ!?」

「…ゲフッ…なぁ…カレン…いや、エレクトロ…」

<ーーー!ーー!!ーーーーー!!!!>

 

 頭の中でヴェノムが呼んでいるが殆ど聞き取れない。

 俺は倒れ込んだ状態でカレンも見ずに言った。

 

「笑っちまうよな…あんな状態からこんな逆転されるなんてよぉ…」

「クッ、ハハハハハッ!?何を言い出すかと思えばッ!?恨み節かぁッ!?」

 

 月光に照らされたカレンの影が腹を押さえて笑う。

 あぁ、畜生…覚悟決めたはずなんだがなぁ…

 

「お前がカレンだったとしても…殺せる覚悟をしてたはずなんだがな…」

「あぁあああッ!?!?そのカレンってのを止めろよッ!!頭がァッ!?ぐぅうッ!!」

 

 影は頭を掻きむしり、頭を押さえて蹲るが、直ぐにフラフラと立ち上がった。

 そろそろ瞼も落ちて来た。

 

「あぁッ!やはりお前と喋ると頭が痛くなるッ!!もういいッ!死ねぇッッ!!」

「あぁ…カレン……本当に済まなかった…」

 

 暴言を吐いて掌に電流を迸らせ、俺に向けて発射しようとする彼女。

 しかし…俺の言葉を聞いて石像の様に固まってしまった。

 

 どうやら…邪神は俺のことをまだ死なせたく無いらしい。

 

 重い首を上げてカレンの顔を見る。

 彼女はーーー泣いていた。

 

「あ、あれ?なんだ?なんで急に…クソッ…」

 

 擦っても擦っても溢れる涙。

 強引に涙のまま電力を貯めようとしても直ぐに霧散してしまい、マトモに俺に攻撃を加えることができなかった。

 

「クソ…が…おいッ!お前には特別に崩壊していくこの街を見せてやる…ッ!今ここで死んだ方がマシだったと思えるほどにな…クソッなんで…こんな…

 

 そう吐き捨て、涙を零しながら彼女は去ってしまった。

 

 …どうやら助かった様だ。

 あぁ、本当にアホらしい…覚悟を決めてこのザマか…

 今直ぐ道場へ戻りたいが、体が動かず、特に眠い。

 

<ーーー!!ーーーーーーー!!!!>

 

 ヴェノムが何か言っているが…少しぐらいいいだろう。

 少し…寝させて………くれ…

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
ほんッと〜にお待たせしたのぜ!!
二週間程も待たせて…申し訳ない限りなのぜ…
現在GWなので少しぐらいは投稿速度も早くなると思うのぜ…
あと次回は23.5話…日常回なのぜ。
次回もゆっくりしてね!!


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第二十八話 八方塞がり

ゆゆゆっくりしてね!


「…!シンさんシンさん!何があったんですか!?シンさん!」

 

 意識の泥沼の底の底。

 そんな状態の男を抱き、呼び止めている女の姿があった。、

 勿論依姫だ。

 

 そして、男は肌に感じる早朝の細やかな冷気とコンクリートの冷感、騒がしく足音を立てる人々のハーモニーを何を考えるでもなく聞き入っていた。

 

 …否。

 ただ頭に靄がかかっていたように、騒音を受け止めているだけである。

 

 彼は様々な音をBGMにして、何があったのか想起しようとする。

 しかしながら、脳は微睡みから覚めず、痺れるような電気信号を体に送るばかりだった。

 

 だが。

 男はこの痺れには身に覚えがあった。

 少しずつ蘇ってきた記憶…その記憶は更に小さな少女を形作り、完全に身体を覚醒させた。

 

 突如として蘇る激闘。

 

「ッカレンはッ!?」

 

 彼、シンは頭を駆け巡る記憶をアラームにして飛び起きた。

 同時に忙しなく周りを見返し、大勢の人々がひび割れた道路を行ったり来たりしていることにようやく自身の置かれた状況を理解した。

 

「〜〜ックソッ!!」

<…気にするな、少なくもお前のせいじゃない>

 

 彼は顔を般若のように顰め、行き場のない怒りを言葉にして表した。

 それは敗北した自身に対してか、覚悟を決めたと誓った筈が、最後の最後に情を捨てきれなかった苛立ちからか。

 何にせよ気分は最低中の最低だった。

 

 更に反芻する疑問。

 何故ああなったのか、何が起きたのか、何故あの場に居たのか、大妖怪はどうしたのか、何故、何故、何故。

 

 だからだろうか。

 彼は自身を呼びかける声に何一つ気付かなかった。

 

聞いているんですかっ!?シンさんっっ!!

「っなんだ!?…依姫か?悪い、考え事をしているから後に…」

「だから何があったんですかっ!?」

 

 依姫の顔を見ず、俯きながら答えるシンだったがー恐らく何度も無視されて飽き飽きしていたのだろうーかなり怒気を強めて依姫が叫んた。

 シンが顔を上げると、そこにはわずかに涙を溜めた依姫の姿が。

 

 少しの風が吹き、依姫の髪を揺らすと同時に、シンは彼女にこの件を伝えなければならないのではないかと言う疑問が浮かび上がった。

 しかし、彼女にこのことを教えてもいいのかと言う疑問も湧き出てくる。

 

 何故なら依姫はカレンと友達だったからだ。

 果たして彼女は悲しむのだろうか、絶望感に苛まされるのだろうか、はたまた憤慨するか。

 

「………お前には事実を知る権利がある、だが…この話をお前がどう受け取るかが問題だ…それでも聞くか?」

「…お願いします…何にせよ私に出来ることはある筈です、最悪の場合には犯人を殺してしまうことだって…」

「それがカレン(お前の友達)でもか?」

 

 瞬間、空気が凍り付いた。

 現場の調査に来た人々の喧騒とまるで境界が引かれたかのように、二人の間には極寒の沈黙が訪れた。

 

 朝焼けに浮かぶ黒胡麻のようなカラスが嘲笑うように、耳障りに喚いている。

 

「じょ、冗談です、よね?だって彼女は…」

「…殺された筈だ、大妖怪に…だがアイツは生きていた」

「だったら…!」

<これ以上教えるのは気が引けるな…>

 

 希望を見出したように顔を煌かせたが、反面、カレンがそんなことする筈がないと一抹の不安を言葉に表した。

 しかし、現実は無情だ。

 

「…カレンは変わった、外見も内面も妖怪と言っても差し支えないぐらいにな…少なくとも俺たちのことなんて覚えちゃいねぇし、元に戻す方法も知らねぇ…文字通り八方塞がりだ」

「…なんで」

「俺が聞きてぇよ…」

 

 双方静かに俯いて溢れ落とした言葉には、複雑な感情が孕まれていた。

 

 カラスは相も変わらずけたたましく鳴いている。

 二人はそんな騒音に僅かながら、腹立たしいと感じた。

 

 しかし、俯いていても仕方がない。

 そう言い表すように顔を上げた依姫は、ある策を提案したのだ。

 

 心なしか彼女の瞳も色を取り戻し、更にその言葉には力強さと確信があった。

 

「師匠ならば…師匠ならなんとか出来るかも知れません…」

<師匠?>

「誰だソイツは?」

「八意永琳様のことです、あの方に一時期師事しておりまして…ってそうじゃなくてですね…」

 

 永琳は医者だった筈だ。

 しかしこの状況を打開出来るとなったら…精神科医でもやってるのだろうか。

 

 兎にも角にもその情報は願ったり叶ったりであり、シンは集中して依姫の話に耳を傾けた。

 

「あの方は医学だけでなくあらゆる分野に精通しています、だからこそまず師匠の元に行くのがいいでしょう…」

…待て依姫、だったら神サマにでも頼めばいいだろう?魂的な治療だったらそっちが適任だ

「月詠命のことか…」

 

 ここに来てヴェノムが初めて顔を出し、新たなる提案を挙げた。

 凶悪な顔を気難しそうに歪曲させている。

 しかし。

 

「いえ…それは、出来ないんです…」

「なんだと?」

「元々神とは人が願ってこそ現れる概念的な存在です…だから人類やその地域に壊滅の危機に迫り、人々が願うと自ずと姿を現し、神の御技を披露していきました…その名残で今も神が私達に関わることは滅多にありません、だから月詠命様が動くことは99%あり得ないんです…」

 

 依姫の説明は確かに納得のいくものだった。

 無制限に神の力を使えば人は堕落し、かと言って使わないというのも、脆弱な人類はいつか滅びてしまう。

 

 だが、一つ腑に落ちない点があった。

 

 カラスは漸く口を噤み、黒胡麻のように空へ浮かび、何処かへ飛び立とうと群れを成して動き出している。

 

じゃあ軍来祭はなんだ?アレは神サマの作った娯楽じゃなかったのか?

「…分かりません、ただ一つ言えることは…神とは時に傲慢になるということです」

「…クソッタレが」

 

 こうも簡単に誓約を破り、それを咎める者も居ない…実質独裁者とも言える月読命ーいや、この場合は全ての神と言うべきかーに腹が立ってしょうがなかった。

 だが、その所業は構わずルールを度外視している事と同義、そう考えれば…

 

 そこで空からカラスが一羽ー圧殺でもされたのか、寿命が来たのかーすぐ側にバサリと音を立てて墜落した。

 

 気味の悪い光景だが、今シンが考えている事に比べれば些細な事であった。

 何を考えているか?

 それはーーー

 

「…よし、月読命に()()()しに行く、依姫は永琳の所で指示を仰げ」

「え…?えぇ!?確かに急を要する時ではありますが…うーん…分かりました、取り敢えず聞くだけ聞いてみます」

「頼んだ」

いい情報を期待しているぞ!

 

 あの神は自身の欲求の為に神々の誓約を破るほどの傲慢、そして外面上はともかく、人間にも気さくに話しかけるフランクさを持ち合わせている。

 ならばこれくらい容易い御用のはずだ、いや、そうで無いと困る。

 

 なにしろこちとら八方塞がりだ。

 それに奴ならこんなことにあーだこーだ言わずに、二つ返事で了承してくれるだろう。

 

 依姫は唐突な要求に少し不服そうに眉を吊り上げたが、身を翻し、小走りで永琳の居るラボへ向かって行った。

 

 …さて、こちらも早々に動かねばならない。

 シン達の記憶が確かなら、月読命の居る宮は都の中心部分。

 ここからの距離はかなり遠いが、ヴェノムを纏えばそう長くはかからない。

 

 そう推断し、壊れた道路などの復興に勤しむ人々を横目に、シン達は飛び出した。

 

 

 

 …しかし、シン達にはこの都の土地勘なぞ生憎持ち合わせていない。

 少し経って道に迷うのは必然の事だった。

 

◆◆

 

 数時間後、近代的なこの都市と打って変わって、まるでそこだけ平安時代にタイムスリップかのような和風の建築物をシンは見上げていた。

 まさに宮、と言うべきか。

 宮は傷みを感じられない木製の壁に覆われており、厳格に聳え立つ門だけが宮への通り道であった。 

 

 そう、ここは月読命の住む家だ。

 

 厳かな雰囲気が漂っているが、周囲の喧騒はそれを打ち消すほどに騒がしかった。

 ついでに、いる筈の門番すら居らず、宮からも人の気配を感じられない。

 それは何故か?

 

 エレクトロ(カレン)だ。

 移動途中、道なりに進むことを諦め、仕方なく建物の上を疾走していた最中、蟻のように列を成す人々を発見し、立ち止まって観察してみるとその先にはシェルターのような大規模な施設があった。

 シン達とエレクトロとの戦いをどこからか見ていたのか、それとも被害の大きさを危険視した上層部が避難警報でも発令したのだろう。

 

 今現在も周囲はドタバタと人が人同士を押し退け合い、蹴飛ばしながらシェルターに向かって避難している。

 頑強な壁に囲まれたこの都のことだ、恐らくこんな事は初めてなのだろう。

 

 しかも、エレクトロは目立った行動を起こしていないが、彼女自身は依然発見もされていない。

 今もどこかをフラフラと彷徨い歩いていることだろう。

 その事実が人々に今にも殺されるのではないかという不安と恐怖を呼び寄せ、周囲を押し退けながら走る群衆を完成させたのだ。

 

<…人ってこんな醜かったか?>

「大体こんなモンだろ、人ってのは九割があんな感じだ、多分」

<じゃあお前は特筆すべき一割の人間か?>

「んなわけねぇだろ、凡夫な九割だ」

 

 ヴェノムは『いつもの人』と『窮地に陥ったの人』とのギャップに困惑している。

 ドラマや小説など、知識ではそう知っていても、依姫や永琳と言った心優しき人(?)と接して来たヴェノムからすれば悪い意味で新鮮だった。

 

 …シンはそこに自分自身が含まれているとは思っていないが。

 

「…っと、こんなことをしている場合じゃない、さっさと行くか」

<そうだ!カレンを救うんだ!>

 

 奮起したシン達は人々を背に宮へ突入した。

 

 その地を踏み締め、その光景を見回し、奥は奥へ進んでいく…まではいいが。

 やはり広すぎる。

 道場の何十倍近い面積を誇るだろう宮で迷子になるのもそう遠くない未来だろう。

 

 湖の如き池、金箔が塗られているわけでもないのに艶輝く寝殿、しっかりと平された土、近未来的でもないにも関わらず、他の建築物とは一線を画していた。

 

「どうする?奴のいる場所なんて知らないぞ?」

…体貸せ、探してやる

 

 突如体がヴェノムに覆われ、勝手に体が地面に耳を付けた。

 シンには何も感じられないが、異常にまで聴覚を発達させたヴェノムには何か感じるのだろう。

 

 物音、声、果ては衣擦れまで。

 

分かった、こっから十時方向の…犬小屋みたいな建物だ

「サンキューヴェノム!助かった!」

 

 犬小屋という表現はいかがなものかと思うが、やはりヴェノムは頼もしい。

 その知らせを聞いたシンは爆速で月読命の居る建物へ向かった。

 

◆◆

 

「クッソ…広すぎだろ…」

<月読命はどう生活してんだろうな…>

 

 km単位の距離を走った。

 もう一度言おう、k()m()()()である、1000mである、100000cmである。

 幾ら何でも豪邸とは言え、門の近くから住居まで数kmあるなど実用性皆無ではないか。

 

 数分を費やして辿り着いたその家は、先ほどの豪邸と変わって幾分か質素であり、簡単に形容するならば…(やしろ)であった。

 しかし一般的な社と違い、巨大なしめ縄や、光り輝く灯籠が鎮座している。

 シンは何処か畏れのような感情を抱いたものだが、何kmも歩かされた怒りが燃焼し、その怒りの前にはちっぽけな恐れなど取るに足らない要素であった。

 

 扉を勢いよく蹴り上げ…

 

 いや、冷静に考えて今から助けを乞う相手には流石に無礼では…?

 そう考え直し、素直にノックしようとしたところーーー

 

<どうでもいいだろ>

「ああ、やっぱどうでもいいわ」

 

 ヴェノムが善意を一刀両断し、シンも考えを止めた。

 

「オラぁッ!!」

「…むっ!」

 

 派手にヤクザキック。

 

 扉は壊れはしなかったものの、バシンと大きな音を立て、座禅を組んで座る月読命を現した。

 しかしその顔は健康的とは言えず、漆黒の髪は幾らかその艶を失っている。

 更に汗ばんだ着物から映し出される巨大な胸は妙にエロティックだった。

 

「…お前大丈夫か?」

「ハハ…それが神に掛かる言葉か、シンだったな、面白いが大丈夫ではない」

「何があった?」

「そうだな、色々だ…」

 

 …顔色から察するに『色々』あったのだろう。

 以前見たようなポーカーフェイスな性格から豹変し、少しハイになっている状態の月読命に頼むのも酷だが、他にどうすることも出来ないシンは恥を承知で頼んだ。

 

「月読命、頼みが…」

「よいよい、用件は分かっている…まぁまず我の話を聞け」

「…なんだと?」

 

 少し落ち着いた様子の月読命は脂汗をかきながらゆっくりと話し始めた。

 

「まず、発端はカレンが都に侵入して来た事だ…その時から既に彼女はおかしくなっていたことは分かっていたのだ…

我が都の民の命を奪い、シン達と対戦した…しかし、だな」

「…待て、お前分かってたのか?全部?」

 

 今の話はカレンが暴れるのを黙って見過ごしていたと自白していたようなものだ。

 

 そして、それを知りながら無視した月読命に対して、理解が出来ず、わなわなと両手が震え、頭に血が昇っていくのが分かる。

 

「分かっていたとも、これは神のルールと、そしてもう一つ…」

<…おいシン、抑えろよ>

「………ああ…ルールは知ってる………じゃあなんで闘技場なんて作った?答えろよ…!」

 

 ヴェノムに静止されなかったら掴み掛かっていたかもしれない。

 言葉を遮られ、一瞬硬直した月読命は何処か申し訳無さそうに目配せし、覚悟したかの様に目を閉じるとーーー

 

 額を地面に叩き付けた。

 一瞬理解が及ばなかったが、これは…土下座である。

 

「すまん、()()()()()()…そして、済まなかった…この出来事を甘く見積り、ここまでの事態を引き起こしたのは我の責任だ、ただ…今だけは話を聞いてくれ、頼む」

「…は?」

<>

 

 月読命が言葉を発して、暫く経ってからようやく間抜けな返事を返すことが出来た。

 甘く見積もった?お前の責任?

 

 つまり…カレンという存在を舐めていたと?

 本当に、ただ知りながら敢えて無視していたと?

 

 怒りは混乱へ姿を変え、多少の落ち着きも取り戻した。

 そしてもう一つ、ここで不毛な議論をする必要がないという事も。

 

「待てよ、説明…いや、そんな場合じゃない、つべこべ言わず協力しろ」

「…悪いが、我の力を全て貸すことは出来ない…」

いい加減にしろッ!!お前の責任なら力を貸せ!!

 

 もはや畏れも、恐怖も、尊さも、敬語さえいらない。

 神としての責務すら果たさず、責任すら取ろうとしない神にどうして敬う必要があるだろうか。

 

 心中に残ったのは殺意に似た感情であり、ヴェノムが怒鳴りつけなければ代わりにシンが飛び出していただろう。

 それ程までにフラストレーションが、ヘドロの様に溜まっていた。

 

 月読命は下げていた頭を上げ、目を伏せ、絶えず汗を掻きながらポツリポツリと話し出す。

 そろそろ月読命の汗の量が尋常で無くなり、室内は異様な湿気に包まれていた。

 

 なんとも嫌な空間だった。

 

「主の怒りは全て終わった後に受ける…だから、今だけはしかと聞いてくれ」

「…っはぁ〜〜……さっさと言え」

 

 出来ることなら無理矢理にでも協力させてやりたい、しかし、それが不可能な事はこの尋常では無い多汗と先の土下座が証明している。

 兎に角確実に、迅速に事を進めたいシン達は怒りを噛み殺し、大きなため息を吐いて話を聞いた。

 

 …相応の理由が無いならば、ここで喰い殺して力を奪うのも選択肢の一つだが。

 

「ありがとう…まず前提として()()がこの都市から溢れ出しているのが原因だ…穢れとは妖怪達に対する畏怖であり、生に対する執着だ…執着と言うものが人の寿命を…死の匂いを強くする…純粋に妖怪や妖精達から溢れ出るエネルギーもそうだが…」

「…意味わかんねぇ…」

<つまり月読命がカレンを見逃したから、穢れが増えた、と>

 

 いつぞやに聞いた穢れ。

 人々の畏れが穢れに直結する…恐らく神々への信仰から成る畏れ、と言うよりも、未知に対する恐れと言う方が適切なのだろうか。

 畏れが妖怪を産み、生への執着が寿命を生む。

 

 更に妖精という謎の存在。

 

 シンが疑心から自身の眉間に険しく皺を刻み、月読命を睨み付ける。

 彼女は相も変わらず玉のような脂汗を掻き、顔を伝ってポタリと胸先へ落ちていった。

 

 俄に信じがたい、が…生憎、嘘とも言い切れない。

 彼方がここで嘘を吐くメリットも無い、ひとまず理解出来ずとも強引に飲み込んで信じ込む事にした。

 

「だから我はずっとその穢れを抑える為に力をフル稼働し、我が象徴である月の浄なる力も借りながらなんとかこの均衡を維持しているのだ…これが我が全ての力を貸せない理由だ、本当に力不足で済まない…」

「…そうか……」

 

 スケールの大きい話ではあったが、()()()()()()()()()()、という事だけは確実となった。

 彼女の言葉通りなら、力を使えば穢れから寿命が発生し、都内に妖怪が出現する恐れもある。

 

 紛れも無い八方塞がり。

 考えれば考えるほど詰みの状況であり、理解すればするほど絶望的だった。

 

「クソが…」

 

 胸の内がやり切れなさと失意で染まり、何も言わず立ち上がってその場を去ろうとしたその時。

 月読命が衝撃的な一言を放った。

 

「だが…我の力の一部を使()()()()ことは出来る…」

<何ッ!?>

「ッ!?なんだと!?それはどう言う事だっ!?」

 

 扉の方を向いていた体を勢いよく月読命に向け、期待の表情を浮かばせる。

 シンはいつの間にか冷めていた心が、激しく燃え上がるのが感じた。

 

 彼女は脂汗はそのままに、力強い眼をこちらに向けて言った。

 

「綿月依姫の神降しだ、アレなら月を媒介に我も力を出せるし、もしカレンにナニかが憑いていても浄化の力で剥がせる」

「そうか…!その手があったか…!!さっきは悪かった、今は感謝するッ!」

<カレンを治すメドも立ったな!>

 

 降って沸いた名案。

 絶望から一転、希望の一筋が見えたシン達はこの事実を依姫に知らせる為、踵を返して扉を蹴り破り、一瞬でその場を後にした。

 

 ……

 …

 月読命の汗の滴る音だけが響く社に残されたのは、月読命ただ一人。

 彼女はふぅ、と一息つき、静かに独りごちた。

 

「シンを…あの、()()()()をこの都市に入れる事を黙認せず、即刻追い出していたならば…カレンを止める余力もあったのだろうか…?いや、たらればは止すか…」

 

 彼女はカレンを見過ごしていたわけでは無い、止めることが出来なかったのだ。

 この穢れを撒き散らすほど強力な彼の、()()()を抑えていた為に。

 

 常人には理解も、知ることすら出来ない…神だからこそ知ることのできる、正しく()()()()()()()()()()

 

 だからこそ彼女が今のカレンを止める力は無く、シンに任せる形で放置したのだ。

 …結果は事態の悪化を引き起こしたが。

 

「なまじ善人だからこそ…()()したのは神失格か…」

 

 彼女はシンに何を同情したのか?

 

 一体彼女は何を考えているのか…それは、誰にも、究極の頭脳を持つ永琳でさえ、何度も顔を合わせた玄楽にも、勿論、シンにも、ヴェノムにすら分からない。




ご拝読、ありがとうなのぜ!
シンは結局何者なのぜ…?奴隷に聞いても分からないし…

あっTwitter始めたのぜ!よろしくなのぜ!あと二十三,五話も見てくれなのぜ!
https://mobile.twitter.com/cDyMHGEPwTLy1kw


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第二十九話 抜け落ちていくモノ 入り込んでくるモノ

異形は千なる腕を取って、深き闇から這い上がり、穢れた花を千切った。

名無しの異形はその瞬間、完全悪と姿を変容させ、混沌を齎さんと夜を穢す。
さぁ今こそ殺戮を、神なる雷を。

矮小なる黒を、弱たる白を、哀れなる全ての色をーーー混沌に帰せ。


 一方、シンが月読命の社を飛び出した頃のことである。

 

 空は曇天に覆われていた。

 太陽の光は完全に遮られ、黒洞々とした空が広がっている。

 

 先ほど大空を我が物顔で飛んでいたカラスでさえ、その姿を消してしまっていた。

 

 そんな暗澹たる空の下、フラフラと歩く一人の女の姿があった。

 その格好は凡そ健康体とは言えず、耐えず進行と停止を繰り返し、それでも一歩、また一歩と目的の地へ歩を進めていた。

 

「ひゅー…ひゅー…」

 

 偶然な事に、軍の誰からも発見されてはいないが、道端で嘔吐を繰り返し、何時間も歩き続けたため、体力はとっくの前に尽き、強烈な空腹感と渇きが体に警鐘を鳴らしている。

 それでも、足を止めることは無かった。

 

 彼女の目的地は、発電所。

 しかし彼女にその場所の知識は無く、ただ電力のある場所に導かれているだけであった。

 

「ひゅー…あと…少し……ひゅー…」

 

 黒く澱んだ結膜に光は無く、声も掠れに掠れ、疲労は極限。

 彼女を突き動かすモノはーーーもう何も無かった。

 

 薄れかかった記憶。

 誰かへの承認欲求、誰かへの闘争心と羨望、誰かへの友情。

 

 彼女の原動力となるモノを敷いて挙げるとするならば…人類への殺意と力の渇望。

 人類を殺せ…大妖怪に植え付けられた思想を守るならば、力が必要だった。

 認めてもらいたい、勝ちたい…そんな希望を叶える為には、常に力が必要だった。

 

 全てを失ってしまった彼女に残ったのはその殺意と過程だけ。

 いわば手段と目的の逆転が起こってしまったのである。

 

「…?」

 

 そんな極限状態の彼女に、ある幻覚が囁いた。

 

『後はお母さんに任せなさい』

 

 優しげで愛おしく、そして歪で忌々しい声。

 降って沸いたその言葉は彼女を疑問で満たすには充分だった。

 

「殺した…筈じゃ」

『後はお母さんに任せなさい』

 

 壊れたスピーカーの様に同じ言葉を喚くソレは、何度も何度も彼女に語りかけた。

 

後はお母さんに任せなさい、後はお母さんに任せなさい、後はお母さんに任せなさい、後はお母さんに任せなさい、後はお母さんに任せなさい、任せなさい、任せなさい。

 

 まるで何かの執念。

 悍ましさ、忌避感が疑いを押し退けて勝ったため、彼女は反射的に立ち止まってしまった。

 

 その瞬間。

 プツンと.。

 

 張り詰めていた紐が切れ、パタリとその場に倒れ込んでしまった。

 無理も無い、彼女は疲弊の中でもずっと歩き続けたのだ。

 一度緊張の糸が解けると、それが永遠に戻らないことは明白。

 

 起き上がろうともがくが、体は蛆虫の様に身をくねらすだけ。

 やがて無駄だと感じたのか、彼女はうつ伏せに脱力してピクリとも動かなくなってしまった。

 

「は…はは……」

 

 ひんやりと冷たいコンクリートを頬で感じながら、蒼色の掌を見つめる彼女。

 その姿は哀れそのものであり、彼女は蟇の鳴く様な声で自らを自嘲した。

 

 そしていつしか幻聴も姿を消し、辺りには静寂だけが満ちていく。

 いっそこのまま眠ってしまおうか…そんな考えすら浮かんできたその時。

 

 ザッザッザッ、と。

 

 地面に押し付けられた片耳が、確かに足音を聞き取ったのだ。

 

「…?」

『行きなさい』

 

 次いで頭に響くのは、消え去ったと思われた幻聴。

 脳はソレを母上からの期待だと勘違いしたのか、溢れんばかりのアドレナリンを分泌し、彼女の体に湧き水の如く活力を与えた。

 

 ぐらりと幽鬼のように立ち上がり、足音のした方向に顔を向けてみる。

 どうやらビルの隙間、路地裏を抜けた道路から、その音が響いている様だった。

 

「ぐぅ…っ」

 

 最早、ガクガクと子鹿の様に震え始めた両足を必死に前に出して進もうとするが、足が地面を踏み込もうぜずに崩れてしまった。

 無論、足という支えが無くなった彼女は無様に崩れ落ちてしまう。

 それでも、空腹を感じながらも、這ってでも進んだ。

 

(ああ…私は…私は何がしたかったんだろう…母上かも分からなくなったモノの言う事を聞いて、ただ力を求めて…私は……)

 

 彼女は、まるで空が押し潰そうとしている様に感じた。

 自分の本来の目的さえも忘却し、さらに、まるで元からあったかの様な目標を刷り込まれ。

 縋り、しがみ付き、挙句の果てには母上の幻聴。

 

 自分という存在に虚無感を感じながら這った。

 

 やっとの事で路地裏に手を伸ばし、壁を背にして立ち上がる。

 路地裏は曇天だからか、それともただ単に光が差し込まないからか、先が見えない程に暗く、足元から僅かな光が闇に向かって伸びていた。

 

 まるで、先へ進めば人の住む領域でなくなる様な。

 

『進め』

 

 遂に命令となった母上の言葉。

 彼女はただそれに従って闇に包まれた路地を歩いた。

 

「…?」

 

 やがて、洞窟の様な暗闇を歩く彼女は確かな喧騒を聞き取った。

 そこで彼女は思わず、いつかに聞いた"おむすびころりん"と言う童話を夢想してしまった。

 

 落とし穴におむすびが穴に転がり落ちて、そして、穴から楽し気な歌が響いてくるという物語。

 

(()()()()は…いや…何を考えているんだ私は…?)

 

 続いて夢想したのは、唄を読み聞かせる母親らしき姿と、それを母親の膝の上で楽しげに聞く一人の幼児。

 彼女は殆ど無意識のうちに、消え去ったはずの、セピア色の記憶の一部を懐かしんだ。

 

『お前は何も考えるな、歩きなさい』

「お前は…本当に、お前は私の…()()なのか…?」

 

 歩きながら、頭に響く存在の正体を確かめようと、半ば自問するかの様に呟くが、返答は得られない。

 

 やがて、真っ暗な道の果てに、微かな光が映った。

 出口である。

 

 辛うじて聞き取れた喧騒も、今でははっきりと聞こえる。

 

「人、か…?」

 

 薄々気付いていたが、先に居るのは人の群れの様だ。

 その瞬間、思考は人類をひたすらに憎む物に切り替わり、心は殺意を満たされる。

 

「あぁ、そうだ…殺す…アイツら全員…絶滅させてやる…!』

 

 暗闇を踏む脚は、遂に薄く汚れた光を踏み、多少の眩しさに目が眩むが、目の前にはどこかへ向かって押し退け合っている人々が居た。

 

 その中に、二人の。

 

 誰かの母親と、誰かの妹がいた。

 

「………母、上…?」

 

 幼女の手を引き、駆け足で何処かに向かう女。

 その時だけは、殺意よりも驚異が競り勝ち、彼女は呆然と二人も見ていた。

 

 そして、女の目がコチラとあった瞬間、幻聴と共に、テレビの配線が切れたかの様に、ブツリと意識が途切れた。

 

『もういい、私がやろう』

 

◆◆

 

「………あ?」

 

 意識がブラックアウトしてから目覚めたその時。

 辺りは驟雨が降っていた。

 

 顔を容赦なく叩く雨に濡れた顔を拭うが、べっとりと別の何かが顔を濡らした。

 

 掌を見ると、紅。

 鮮血が掌を、いや、それどころか身体中を濡らしていた。

 

 雨と混ざり合う鮮血は、異様にテラテラと日照り、ねっとりと顔を伝っていく。

 

 そして、背中に小さな、小さな衝撃。

 

「お母"さんを"はな''してよ"ぉ"!お"ねがいだから"ぁ"…っ」 

 

 首だけ後ろを向けると、そこには顔を涙でクシャクシャに歪め、頬に血飛沫の付いた幼女がいた。

 非力な腕で彼女を引っ張ったり、ぽかぽかと叩いている。

 

(お母さん…だぁ?)

 

 彼女は幼女の言葉を聞いて、初めて自分が誰かに馬乗りしている事に気が付いた。

 顔を元に戻し、目線を下に向けると。

 

 限界も留めないぐらいにぐちゃぐちゃになった肉塊(母上)が、そこにあった。

 

 白い肌は雨に濡れ、黒く紅く濡れ。

 脳髄が飛び出した顔は陥没し、泥人形をこねたかの様な形相を示している。

 目玉も片方がなく、もう片方は飛び出し、視神経で繋がっているだけ。

 どうやら、更に自分は破れた腹部から飛び出す腸を座布団にしている様だった。

 無論、息は無い。

 

 次いで理解したのは、()()()

 

 体を蝕んでいた疲労と空腹感が消え、十分すぎるほどの満足感と満腹感が心の中を渦巻いていた。

 喧騒を作っていた人々は辺りに肉の塊として散乱しており、どれもが苦痛に満ちた表情でコト切れている。

 

(全部…私がやったのか…?目の前の女を、く…く、喰っーーー)

オマエのせいだ

 

 罪悪感とは似ても似つかない様な感情が彼女を襲い、そして、悪意が母上の声で、彼女を責め立てた。

 

「ち、違う…私は…私は…」

『何が違う?オマエは人間が憎いんだろう?素晴らしい事だ、褒めてあげる』

 

 知らぬ間に息が早く、動悸が激しくなる。

 彼女は人間が憎いはずなのに、これは彼女の望んだことでは無い。

 彼女はその矛盾に気付くことは無く、歪な褒め言葉に身を震わすだけだった。

 やがて、彼女は。

 

「…は、ははっ、ハハハ!あはははははっ!!!!」

『そうだ!壊れろ!壊れてしまえ!』

 

 笑った。

 さまざまな胸中が入り混じる中、彼女が最後に至った境地は、()()()だった。

 

 理由は彼女自身にも分からない。

 ただただ、可笑しいのだ。 

 

 背後で泣き叫ぶ幼女のことなど目にくれず、大声で嗤った。

 

 誰か(母上)を殺したから?空腹が満腹になってしまったから?誰か(母上)と私の一つになったから?孤独感なんて感じなくていいから?頭の中の母上を信用できないから?考えると言う行為に疲れたから?誰か(シンども)を超えると言う目標を見失ったから?誰か()から誰か(母上)を奪ったから?自分の中の何かが壊れようとしているから?何が本当で、真実で、現実で、悪夢か分からないから?自分の存在が分からないから?もはや支離滅裂の自分が愚かだから?守るべきものだったはずの者を自分で壊したから?もう、永遠に誰か(母上)から頭も撫でてもらえないから?選べたはずの道も崩れ去ったから?自分が狂い始めているから?涙が頬を伝り落ちていったから?あるいは、この全て?

 

 激しく地面を叩く驟雨は彼女の頬に流れる悲しみを隠し、狂気だけを全面に押し出している。

 彼女は声が枯れ果てても、笑って、嗤った。

 

「は、はは、は……」

 

 ひとしきり嗤った後、彼女は顔を再び女に向け、呪詛が吐くように呟いた。

 

「……もう、私は…何も、考えたく無い…」

『そう、何も考えず、オマエは私に任せろ』

 

 冷たい雨が髪を伝って肉塊へ流れ落ち、肉片に落ちていく。

 幼女の叫び声は鳴り止まず、驟雨も降り止むことは無い。

 

「なんで…なんでこうなった?」

「ね"ぇ!はなじて!おね"ぇ"ちゃんおねがい"!!」

 

 叫び泣く幼女の言葉。

 その中の、おねぇちゃん、と言う単語に、彼女はまた心が揺さぶられ、激しい動悸が襲った。

 

『全ての発端は…オマエのワタシを奪った…コイツだろう?そうだろう?』

「そう、だ…そうだ、そうだよ、お前が…全部、お前が…!お前がぁああっ!!!」

「う"っ!?」

 

 彼女は悪意の言葉に惑わされるがままに、振り返って一転、幼女の首を掴んで絞めた。

 骨すらも握り潰す勢いで首を絞めようとするが、手にへばり付いた鮮血で手が滑ってしまう。

 彼女は幼女を地面に押し付ける様にして細い首を絞めた。

 

「お前がッ!生まれて来なけりゃ良かったんだッッ!!!!クソがッ!!オマエのせいだッ!!お前の!!お前のぉぉおおおっっっ!!!!」

「ぅ…う"ぅ"…ぁ」

 

 溢れる言葉は無意識に、本能の内から漏れ出ていく。

 そうだ、オマエさえ、生まれて来なければ、ワタシがーーー愛されていた。

 

 絞める腕に力を加えるごとに、底無しの悪意に身を委ね、飲み込まれていく。

 

 そして、夢中で幼女を締め殺そうとする彼女の目に、あるものが映った。

 悲しさと苦しさが入り混じった涙の流れる幼女の、瞳の中に映る自分の姿。

 

 それはーーー口も鼻も無く、ただのっぺりとした顔の広がった…見覚えのある()()()だった。

 

「…っ!?」

「かひゅ…っげほっげほっ…!」

 

 全身の血液が凍ったかの様な、()()()

 

 混乱と驚嘆でつい首から手を離してしまった彼女だったが、次の瞬間には幼女の瞳にそんな人物など映っておらず、蒼い肌を鮮血と雨に濡らし、黒く染まった瞳を見開いた顔の彼女が映っているだけだった。

 

 幼女は苦しそうに喘ぐが、彼女はそれに目もくれずに顔に触れる、しかし、異常はない。

 

 だから彼女はーーー背後に迫り来る一人の男の気配に気付かなかった。

 

「はッ!!」

「ぁぐぉっ!?」

 

 彼女は足音が聞こえていたはずだったが、無防備に後頭部を蹴り飛ばされ、結果的に幼女からかなり遠くまで吹き飛ばされてしまった。

 

 ゴロゴロと転がり、全身が雨水に濡れていく。

 

「…ぁあ…?」

 

 軽い脳震盪を患いながらも、立ち上がる彼女。

 その姿は血だらけでゾンビの様であり、まさに妖怪と言える風貌だった。

 

 そして、彼女はグッタリとした幼女を抱える、()()()()にギロリと目を据えた。

 

「やぁ、カレン…こんな最悪の再会は初めてだよ」

「誰だ…?オマエ…いや、どうでもいい…どうせ殺す…」

『いいぞ、殺せ』

 

 殺意は簡単に湧く。

 無機質な声も了承しているのだ。

 

 それならば。

 

「一応名乗っとくよ、僕の名は…()()()()()()()()、スロースターターさ」

 

 ただ殺すのみ。




ご拝読、ありがとうなのぜ!
忘れ去られ始めた人物、レジック・アースにもそろそろ活躍させたいなぁ…とか奴隷が言ってたのぜ。
正直無茶なのぜ。
ツワモノ感出してるけど、彼、まだまだ弱いのぜ…
スロースタート能力が十二分に発揮できれば…って感じなのかぜ…?


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第三十話 小さなネズミと勇敢な愚者

そしてーーー悪は解き放たれた。


 彼女はその何処か聞き覚えのある声に、疑問を抱いた。

 しかし、すぐに殺意に飲み込まれ、思考は紅一色に染まっていく。

 

 彼女には最早、冷静な判断力は無かった。

 

『殺れ』

「がぁあアッ!!貴様諸共ブッ殺してやるっ!!!」

「…!」

 

 先制したのはエレクトロ。

 咆哮を上げて金色に輝き、全身から放電を発射した。

 

 絶大な光と共に、雨に打たれて複雑に枝分かれしていく雷光。

 

 アースはその光景に目を見開き、僅かな焦りを感じながらも、蒼電の隙間を縫う様に回避した。

 焦りの理由は攻撃範囲の広さもあるが、やはり一番は幼女の存在。

 

「ひっ…」

 

 幼女はふるふると震え、胸に顔を埋めて必死に抱き付いている。

 その心境は解らない。

 とくとくと震える心臓だけをアースに伝えていた。

 

 しかし、彼女を抱えて戦闘を行うことは、当然、荷物を抱えることと同義であり、エレクトロ自身もその事は分かっていた。

 

「どうしたぁ!?荷物は降ろしたらどうだッ!?ワタシが処分してやるからよぉッッ!」

「誰がそうするかっ!」

 

 アースの言葉を聞いたエレクトロは怒りのまま、更に電圧を上げようとするが、自転車のペダルを踏み外した様な感覚に陥ってしまう。

 想定外の出来事に顔を顰める彼女は、自分の中の電力量を探った。

 

(無い…!?)

 

 無いのである、電力が。

 それも仕方が無い、疲労が積み重なっていた事もあるが、何より彼女はシン達との戦闘で電力を使い過ぎてしまった。

 もう、彼女には雷を落とせるような電力量すら残っていないのだ。

 

「クソッ!!」

 

 彼女は怒声を上げて水溜まりを蹴り飛ばした。

 しかし、飛び上がった水飛沫に電気が流れるのを目撃すると一転、頬を吊り上げて放電を中止した。

 

 都市ガスを含んだ水は電流を流す電解質。

 ならば答えは一つ。

 

「ハァアッッ!!」

 

 彼女は残り少ない電力を振り絞り、地面に向かって電撃を発射した。

 電撃は地面に、いや、地面を覆い尽くす水溜りに激突すると、紫電を撒き散らして地面を這いずり回っていく。

 

 そう、水は電気を通す。

 

「…っ!?」

 

 雨に濡れ、驚愕の顔を晒すアースは、彼女の行動に疑問を抱いたが、地面に広がる蒼電を見て蒼白した。

 恐るべきスピードで迫る紫電。

 今逃げ出したとしても、恐らく逃げ切れないだろう。

 

(これぐらいなら、自分は耐えられる…っでも、この子供は…っ考えろっ!この子を守る方法をッ!!)

 

 アース達まで約十メートルの所まで迫る紫電。

 

 五メートル。

 

 三メートル。

 

 距離が近づくにつれて、引き攣る口角と狭まる逃げ場。

 

 上に逃げても撃ち落とされるだけ。

 四方八方に逃げ場無し。

 

 残り、一メートル。

 

 考えろ、電気が伝っているのは、地面の水だ。

 …水?

 

(そうだ!これなら…っ!!)

 

 降って沸いた名案。

 目前に迫った紫電に対処する為、頭の中で火事場の馬鹿力が働いたアースは、四股を取るかの様に地面を踏み鳴らした。

 

「だぁッ!!」

「何っ!?」

 

 勿論、水溜まりを踏みつけば、水は跳ねて弾ける。

 しかし、アースが行ったのはそんな生温い話では無かった。

 

 パァン、と。

 

 まるで風船が破裂したかの様に水溜まりは跳ね、それだけに留まらず、アースをドーム状に覆い隠すかの様に弾け飛んだ。

 

 これは彼の追い詰められた瞬間に発揮する馬鹿力による物である。

 肉体的にダメージが無い為、地面を叩き割るには至らなかったが、即席の水膜を完成させるには充分であった。

 

 そうして電流は巻き上げられた彼らに届く事は無く、水のドームに帯電し、結果的にその中に居るアース達の身を守ると同時に、相手への軽い目眩しとなる。

 

 アースはこの時、物理的に胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 胸元に目をやると、ぎゅうっと、幼女が小さな掌でアースの雨に濡れた服を握っているようだった。

 

 恐ろしいのだろうか。

 そんな彼女の姿は何処か、見覚えがある。

 

 在りし日に、守り切れなかった存在。

 そして今、胸に抱いている幼女。

 

 彼はどうしてもこれが、あの時のやり直し…若しくは繰り返しに思えてならなかった。

 だからこそ。

 

「大丈夫…必ず守る…ッ!!」

 

 この思いが贖罪なのか、自己満足なのかは判らない。

 しかし、守ると言う思いだけは本物だ。

 

 彼はパチパチと帯電する水の膜越しに、嘗ての仲間を、朧げに映る者を凝視した。

 巻き上げられた水は、あと数コンマでその形を崩壊させるだろう。

 

(さて…どうする、万事休すだ)

 

 そう判断した瞬間、奇跡が起こる。

 なんと、帯電が収まったのだ。

 

 これはエレクトロの電力量が底を尽き始めた為だが、アースはそんなことは露知らず、好機とばかりに崩れ始めた水のドームを飛び出した。

 

「少しの間…しっかりと捕まっててくれっ!」

 

◆◆

 

 どうする、不味い。

 あんな奇天烈な方法、一時凌ぎにしかすぎないと言うのに…

 

 水のドームなんてニ、三秒しか持たない筈なのに、それさえ待てば自動的にフライドチキンの出来上がりだってのに…っ!

 

 こんな時にガス欠しやがった…!

 

『私が変わろうか?』

 

 黙れ!!偽物っ!!

 考えろ!回復させる手段は…!?

 

 雨に濡れて斜陽を反射する地面、暗く焦げたビル群、点いてすらいない街灯。

 クソが、何も無ぇ!

 

 それとも、逃げ…

 

「うおらぁああッッ!!」

「…ッ!?!?」

 

 なっ!?ヤバい!アイツが目の前に…っ!

 拳が目の前に…

 避けれないッ…防御も無理ッ…カウンターしか無ぇッ!!

 

 ガキごと胸を貫いてやるッ!!

 

「甘いんだよ雑魚野郎がぁああッ!!!」

「ぐぅッ!!おおぉぉぉおおおッ!!」

 

 コイツッ!コイツぅううッッ!!

 無理矢理体を捻ってガキを庇いやがったっ!!

 だが、右胸を穿ってやったっ…骨まで届いたっ…肺も潰した筈ッ。

 見ろ、血が噴き出してきやがった!

 

 なのに、何故そんな…戦意を漲らせた目をしてやがる!?

 お前が飛び出した勢いも殺した!右胸も貫いた!後はお前に何が…

 

「おぉおおああアアッッ!!!」

「ッ!?ッ止めろぉおおおお!!!」

 

 拳を振り上げたッ!?

 いや、まだだ…私の拳を抜い…抜けねぇッ!?

 クソがッ!コイツッ!!この為にッ!?この為にカウンターを許したのかっ!!

 

 クソッ!クソッ!不味いッ!抜けねぇ!避けれねぇっ!防御もカウンターも出来ねぇッ!!

 

「だがお前に何が出来るッ!右胸を貫かれた状態でぇッ!!」

「言っただろうッ!?僕はっ!!スロースターターだァッ!!」

 

 なんだ…!?何でこんな奴の…ただの振り下ろしに…動悸が止まらねぇ…ッ!?

 心臓が警告を鳴らしている…っ!脳が騒いでいるっ!!

 

 大丈夫な筈だ…死にかけの振り下ろし…

 

 は?速…

 

◆◆

 

 起死回生の一手、そう言わざるを得ない程、彼の一撃は戦局をひっくり返した。

 

 ワザと突っ込んで命の危機に落ち、そこからの亜音速の振り下ろし。

 

 しかし、ただエレクトロがカウンターを決めただけでアースの胸を貫くとは思えない。

 恐らくその身が人から離れ始めている事の表れだろう。

 

 それでも、追い詰められた事による一撃は、エレクトロを地面に叩き落とすだけに留まらず、地面を粉々に叩き割るほど高威力だった。

 彼女は地面から露出した配管に頭から突き刺さり、ビクビクと震えている。

 

 コンクリートを突き破ったのだ、それでも爆散していないエレクトロは驚異的だが、流石に暫く動けないだろう。

 そう判断したアースは、少し彼女から離れ、しがみ付いた幼女を丁寧に引き剥がし、血が噴き出す右胸を見せないように、ゆっくりと語り掛けた。

 

「逃げるんだ、こっから遠くに…今しか無いんだ…」

「…分かんないよ"、何でおじちゃんはちだ"ら"けになってるの"?な"んでおねぇちゃ"ん"はわ"たしにいたいことして来"る"の?」

 

 次第に泣きじゃくって言葉にならない声を上げる幼女。

 仕方もあるまい、彼女は精神も成熟していない子供も子供だ。

 目と鼻の先でこんなショッキングな光景を見せてしまっては、冷静な判断など出来るわけがない。

 

「ごめんね…いつか解る時が来る…それに、君を守るにはこれしか無いんだ」

「い"や"だよお"!!わたし"がここで"にげち"ゃ"っ"たら"!わ"た"しの"だ"い''すきなお"ねぇちゃん"が"しんじゃう!!」

 

 それは子供特有の直感なのかも知れない。

 幼女は、ここで背を向けたら、絶対に、もう二度と愛する姉と会う事はないと感じていた。

 

 しかし、哀れなものである。

 確かにカレンは妹は可愛がってはいた、だが同時に、心のどこかで憎んでいたのだ。

 今のエレクトロには、その、憎悪で満たされている。

 

 幼女はその事に気づく事はできないのだ。

 それとも…分かっていた上で彼女を愛していた?

 

「大丈夫…殺したりはしない…約束するさ…」

「ひぐっ、絶対に…?」

「あぁ、絶対に」

 

 嘘だ。

 

「おじちゃん"、守ってくれるの"?」

「うん…守、る…」

 

 ここで口籠ったのは血を噴き出してしまったせいだ、それか先のおじちゃん呼ばわりで傷ついたからだ。

 決して、心がズキズキと痛んでいた訳ではない。

 

 それでも、潤んだ瞳がコチラを突き刺すと、どうにも目を逸らしてしまう。

 

 いっそのこと真実を伝えるべきか…そう、葛藤した時。

 

 エレクトロの辺りが発光した。

 眩い光は辺りを包み、エレクトロの激しい叫び声が響き渡る。

 

 もはや、時間は無い。

 

「走って!!早く!!」

「…うぅううっ!!」

 

 幼女は涙を噛み締めて走った。

 時折振り向いては、涙が溢れ、それでもアースを信じて走った。

 

 あんな年齢の子にこんな選択をさせるのは、あまりにも残酷だ。

 けれども、彼にはその選択肢しか残されていなかった。

 彼は走り去る幼女を見て自問する。

 

「これが…成りたかった…弱い人を助ける者…か…?」

 

 いつか幼女が傷付くと分かっていたのに、嘘を吐いて、今すぐ助けることを優先した。

 これが成りたかった者…?

 

 彼は葛藤しながら、エレクトロへ向き直る。

 そこには、幽鬼の如き化け物がいた。

 

◆◆

 

 …死。

 

 意識が最後に強調したのは、その感情だった。

 続いて天地がひっくり返り、今まで感じたことが無いような衝撃が頭に叩き込まれ、意識が飛ぶ。

 

(クソが…油断した…絶対に死んだ…間違いなく死んだ)

『そんな訳が無いでしょう?』

(黙ってろ…もう死んだ事にしてくれ…流石に疲れたんだ)

 

 もう、いいだろう。

 私は頑張った。

 生きている限り、母上の期待に応え、強く成り続けなければいけないのなら…もう、死んだほうがマシかも知れないんだ。

 だったら、いいよ、受け入れる。

 

『違うだろう、お前は強い、世界で一番の愛娘なんだ!ここで終わってくれるなっ!!』

 

 ハハハ、焦ってやがる。

 なんだ?お前の目的は、偽物。

 

『違う!ワタシはお前のお母さんだぞ!だったら言うことを聞いておけ!お前はこの程度では死なない!』

 

 何処にそんな根拠がある?

 

『……』

 

 重い沈黙だな?喋り過ぎて喉でも枯れたか?

 

『子供の死を願う母が何処にいる!?』

 

 …!

 …あぁ…どうせ…仮初の理由だ…絶対にそうだ。

 

 

 

 …でも。

 自分はきっと…こんな言葉を掛けてもらいたかったんだ…

 例え…この言葉が嘘で着飾られた物だとしても。

 

 クソ…ダメだ…

 まだ心の何処かでコイツが私の母上だと訴えかけて来やがる。

 

 もう、母上の期待に応えようとしたく無いのに…

 畜生…

 

 頑張るしか…ねぇじゃねぇか…

 

『そうだ…それでいい…後少しなんだ…もっと戦え…!」

 

◆◆

 

 魅せられ、聴かせられた幻聴は、一種の悪夢だったのかも知れない。

 しかし、悪夢は彼女に出鱈目な活気を齎し、尽きる事の無い殺意を流し込んだのだ。

 

「…ヤるか」

 

 彼女は気怠げに目を覚まし、一言呟いた。

 同時に、バン、と言う大きな音と共に配管に手を付き、配管に刺さった頭を強引を引き抜こうとする。

 

 すると、いとも簡単に、まるで粘土をこねるかのように鉄製の配管は捻じ曲がり、彼女は配管から脱出することができた。

 

 明らかに人間業とは思えない。

 これは自身がが着々と人の身を脱していると言うことなのだろうか。

 血がこびりついた掌を見つめながら、そう思案する彼女。

 

 思えば、ずっとそうだった。

 自分は筋力はあまり無い、良く言えば力が無くても戦えていた少女、悪く言えば能力に頼り切りだった愚物、だった筈。

 

 それが今はどうだ?

 意識外から繰り出された(アース)の一撃に大したダメージを見せず、頭から地面に激突しても、真っ赤な花火ができる訳では無い。

 

「どうなってんだ…?私は…」

 

 自分が自分で無くなる恐怖。

 それは自我の喪失。

 

 …奇しくも彼女自身はそれを一度体験しているが。

 ただ違う点があるとすれば、()()()()()()()()()()()()()()()と言うことだ。

 

「…ッ」

 

 ゾクリと、彼女はどうしようも無い恐怖を感じた。

 呼応するかのように驟雨は雷雨へと姿を変え、激しさを増していく。

 これ以上考えても仕方が無い、そう思い込むことにしたエレクトロは、その考えから逃げる様に別の物を注視した。

 

 先ほど頭が突き刺さっていた配管。

 土管のような外皮は無惨に砕け散り、幾重にも束ねられた導線が飛び出している。

 

 その一部からはパチパチと、電流が漏れ出ていた。

 そう、これはこの都市に張り巡らされた地中送電線の一部である。

 

 言うまでも無いが、この都市は科学の発展によって様々な装置が発明され、それに伴って新たな発電施設、送電ケーブルが地中に敷かれた。

 今もこのケーブルには莫大な電力が飛び交っていることだろう。

 

 ゴクリ、と。

 彼女は息を呑んだ。

 

『出来るだろう?』

「…」

 

 無意識的にケーブルに手が伸びる。

 そして無造作にケーブルを手に取り、ブチブチと左右に引きちぎった。

 

 漏れ出る紫電が頬を掠める。

 彼女は昏い表情でケーブルの先端を見た。

 

『全て吸い取ってしまえ』

 

 そしてエレクトロは、躊躇うこと無く二本の先端を自身の胸に押し付けた。

 

 電気の蓄電など、生まれてこの方やった事すら無い。

 だがらこそ、程度を知らない彼女は根こそぎ搾り取るかのような勢いで電気を吸い出した。

 

 それが間違いとも知らずに。

 

「…ッ!?!?がッッ!?!?っっあぁぁぁあああああっッッ!?!?」

 

 突然、ガクガクと体全身を震わせるエレクトロ。

 叫び散らし、全身から放電が溢れ出で、辺りを蒼く照らしていく。

 

 ーーー当然だが、一部の例外を除いて、どんな能力もキャパシティは存在する。

 電力を放出しすぎると空っぽになってしまう様に。

 無論、蓄電に関しても同じ事が言える。

 

 何度も言うが、この都市は超先進的であり、故に消費電力量も半端では無い。

 その中の一帯とはいえ、そんな莫大な電力を一挙に吸収しようとすれば、どうなるかは一目瞭然。

 

 結果的に激痛と身体中から電気が放出されただけで済んだが、体がキャパシティオーバーを迎え、爆散しないだけマシだった。

 

「あッ…!が…!ッはっ…はぁっ…はぁっ…」

 

 放電が鳴りを潜め、その場に崩れ落ちるエレクトロ。

 ズキズキと、粘りつく泥のような余韻だけが残っていた。

 

 そして、エレクトロを照らす強烈な光、続く大気を震わす轟音。

 ビクリと肩が震えたが、どうやら雷が近くに落ちただけだったようだ。

 

『…がっかりだ』

「黙れ…ッ!」

 

 流石に、操り人形のようなエレクトロといえど、頭の中で響く声が母上では無い事は気付いていた。

 徐々に母上の口調から遠ざっているからだ。

 

 その声が孕む色は、恐らく焦りと期待。

 

 オモチャを欲しがる子供が慌ただしくなる様に、ボロが出始めているのだ。

 

 …だが、ソレの言葉のお陰か、体に満ちる力は100%。

 いや、それどころか120%程度まで上がっている様にも感じられる。

 更に、普段使うことの出来ない技さえ使える様な感覚さえある。

 

 無理な能力使用の恩恵だろうか。

 

 そんな愉悦の裏で彼女は、次に電力を吸う時は、ゆっくり慎重に行こう、と。

 密かに自分を戒めた。

 

 そして、未だ息をしているだろう敵対者へ歩を進める。

 陥没したコンクリートから顔を出すと、コチラに振り返る男、アースの姿が映った。

 

 一人しかいない。

 

「そうかァ…逃げたかぁ…まぁ、どうせ全員殺すから意味無いけどな…」

 

 その呟きは雨音にかき消される事無く、アースの耳元に届く。

 彼はエレクトロを見て一瞬驚いた様な表情を示した、が、次の瞬間では、憂い、迷い、覚悟の様々な感情が入り混じった表情を示し、言葉を投げ掛けた。

 

「…君に何があったか、僕には解らない…違えた道を直す事だって出来たかも知れない…でも、シンさん達ならまだしも、僕には出来ない…僕の夢だって、今の道が正しいのかも解らない…!!でも!今やるべき事だけは解る…ッ!」

「長ぇんだよ!簡潔に纏めろっ!!」

 

 戯言はもう聞きたく無いとばかりに、覚悟なんぞ無駄だと言わんばかりに、エレクトロは辺りに紫電を撒き散らした。

 アースを右胸の陥没を庇うように構えながら、叫んだ。

 

守る為にッ!!僕は命を賭すッッ!!

「じゃぁ残念だ!お前はここで生き絶え、お前の守りたいモノは消え去るッ!!それも解らないなら…絶望を見せてやるッ!!さぁ!!第二ラウンドだァッッ!!!」

 

 両者が叫ぶと同時に紫電は地面に突き刺さり、地面には亀裂が走った。

 エレクトロ自身をコイルと見立てた電気の渦は、強力な磁界を創り出す。

 それの意味する所はーーー金属の操作。

 

「さぁッ!!!死ねぇッッ!!」

 

 先程の配管を中心に、金属が地中から飛び出し、街灯すらも根本から引き千切れていく。

 物の数秒、あっという間にアースの周りには凶器が溢れていった。

 

 そして、エレクトロが拳を握れば全ての金属の切っ先がアースに向けられ、次々と弾かれたように発射されていく。

 

「う、おぉぉおおおおっッッッ!!!!」

 

 全方位から、鉄の塊が飛んでくる。

 気を抜けば蒼電も鉄と鉄の間を縫って襲って来る。

 

 当然、避け切れない、近付けない。

 

 最初は服に掠れるだけだったのが、徐々に正確さを増して皮膚に届く。

 身体中に赤い線を刻まれていくだけだった筈が、胴体に直撃し、やがて電流すらもモロに喰らってしまう。

 

 しかし、忘れてはいけない。

 彼の眼の光はまだギラギラと輝いている。

 

 彼は傷付けば傷付くほど強くなる。

 つまりは…タイマン(1VS1)最強なのだ。

 

「っフンッッ!!」

「っ!?まっず…」

 

 電流に身を貫かれながらも、降り掛かる鉄の一つを掴み、力尽くでエレクトロに投球するアース。

 投げ出した時点でソニックブームが発生し、磁力を無視して吸い込まれるかのようにエレクトロへ飛来していく。

 

 磁界操作に集中していたエレクトロに避けきれるはずも無く、その数瞬後には高らかな音を響かせ、眉間に直撃した。

 

「オ…ッア"ッ…!」

 

 マトモな声を上げる事も叶わず意識が遠のいて行くエレクトロ。

 電流が消失した事により、浮遊していた金属は甲高い音を響かせ合いながら落下して行った。

 

 アースはそんな金属が落下して行く様を見るな否や、金属と金属の間を縫って突撃していく。

 彼は、一見金属に阻まれ、道の無いような道にルートを作り出すため、思考をクリアに、深く集中した。

 スローモーションのように世界が緩慢に動いて行き、遂には雨水すらもこの目で視認出来るようになって来る。

 

 そして、地を蹴る。

 

 考え出したルートを通り抜け、時に落ちて行く配管に飛び乗り、陥没するような勢いで蹴っては、他の金属に乗り移る。

 そうして加速していくアースの軌跡は幾何学的な模様を創り出し、凡そ人間が到達し得ない速度に至っていった。

 

 体が限界を訴えるまで加速したアースは、近くにあった鉄パイプをおもむろに掴み取り、足元の配管を粉々にしてエレクトロに襲い掛かり、鉄パイプを振り落とすーーーが、しかし。

 

「甘いんだよッ!!」

「…ッ!?」

 

 バギンと、金属同士がぶつかり合ったかの様な轟音が雨を突き抜けた。

 音速の振り下ろしは、なんと一瞬で意識を取り戻したエレクトロに掴み取られてしまったのだ。

 

 そして彼女は掴んだその手でパイプを握りつぶし、ありったけの放電をする。

 更に空いている方の腕でもダメ押しの強烈な雷撃を加えた。

 

「はぁぁああああ…ッ!!」

「がぁああ"あ"あ"ア“ッッ!!」

 

 顔を歪ませ、咆哮を上げて耐えるアース。

 アースの体を突き抜ける雷撃は地面を抉り、混沌と化した道路を更に破壊していく。

 

 しかし。

 

 彼は決して倒れる事も無く、膝を突く事も無かった。

 それどころか膂力がどんどん上がっていき、眼光がナイフのように尖っていく。

 

 力の均衡は崩れつつあった。

 

(どっからこんな力が…!?不味い…!押し負けるッ!!)

()()()()…か』

 

 完全に力の均衡が崩れ、力比べの敗者であるエレクトロは、大きくのけぞった。

 逃すには惜しすぎる隙。

 当然彼が見逃す訳は無かった。

 

「こぶっ"」

 

 身体中が痺れている筈だと言うのに、まるで猫のように素早く接近したアースは、瞬く間にエレクトロの懐に潜り込み、レバーブローを繰り出した。

 続いてアッパー、フック、ストレート。

 

 ラッシュは止まらず、激しさを増していく。

 しかも一撃一撃が当たるごとに、衝撃がエレクトロを通り抜けて道路を破壊していくのだ。

 

 ーーーしかし、彼は重症人でもある。

 肺損傷、内臓の一部機能停止、体の限界を超えた事による身体破壊、及びに脳の過剰負担。

 

 だれがどう見てもこのまま続けば、彼の命は危ないと分かるだろう。

 それでも、彼は拳を振るう、それが彼の決めた事なのだから。

 

「うぉおおおお"お"ッッッッ!!!!」

 

 仕上げとばかりにエレクトロを蹴り上げ、更に一瞬で彼女の上を取って踵落としを繰り出す。

 ゴキャリと人体から出してはいけない音を響かせて、エレクトロは地面に激しく激突した。

 

 地面に叩きつけられたエレクトロもこれには流石に堪えたようで、血を噴き出してビクビクと震えている。

 しかしアースも体の限界を超えた事で反動がフィードバックし、足がガクガクと震え、遂に膝を着いてしまった。

 

「ハァッ…!ハァッ…!」

 

 息を吸っても吸っても酸素が足りない。

 そう感じる中、アースの瞳が映したものは、気絶するエレクトロでは無く、血反吐を吐いてゆらりと立ち上がる奴の姿だった。

 

「はぁ〜〜…ッ!流石に…効いた…!…決めた…お前は、八つ裂きだ…ッ!!」

 

 エレクトロの手元に青白い光が集まり、戦斧を形造って想像される。

 絶えずバチバチと蒼電を発しており、見るからに危険そうだ。

 

 これにはさしもの彼も軽く絶望を感じずにはいられなかった。

 

(ここまで魂を削って…これだけ?…は、はは…冗談が過ぎる…)

 

 立ち上がろうとしても、絶望と言う二文字が体をがんじがらめにする。

 それでも立とうとして、顔を上げるとーーー視界いっぱいに(戦斧)が広がった。

 

「…っ!?」

 

 考える暇も無く、つまり無意識で体を傾け、横に飛び込む。

 そうして受け身を取って立ち上がる筈が、()()()バランスを崩し、水溜まりに顔から突っ込む形で倒れ込んでしまった。

 

 何故だろう、左腕が熱い、いや、()()()…?

 

「…クク…こんな上手くいくなんてなぁ…笑えるぜ…初めての事もなんでも出来る…!お前もどうだ?初体験だろう…!?()()()()()のはァッ!?」

「…?あ…あっ、ああぁああ"あ"あ"あ"あ"ッッ!?!?」

 

 斧を振るって血飛沫を上げながら近付くエレクトロを他所に、違和感のある左腕をーーー左腕が、無い。

 

 知覚して、遅れてやって来る激痛。

 鮮血が噴水のように噴き出し,地面の水溜まりと混ざって赤く彩っていく。

 

 あるという感覚はあるのに、無い。

 アースはその感じたことのないようなストレスと激痛に叫んだ。

 

「がぁッッ!?」

「叫ばれるとそれはそれで五月蝿いんだよなぁ…ッ!」

 

 しかし、エレクトロに頭を踏みつけられ、強制的に黙らせられた。

 赤く汚れた水溜まりに押し付けられ、マトモに息を吸うことすら許されない。

 

「しかし無様だなぁ!?なんだったか?命を賭けて、だったか!?アハハハハッ!!お前がどれだけ勝負の中で強くなろうと、意味無ぇんだよッ!分かるか?守りたいなんては守れない!!これが人間なんだよッ!!あぁ!?」

「…ッ!!」

 

 彼女は何度も何度も彼の顔を踏み付け、血を量産していく。

 彼の体はいつしか力が入らなくなり、地面に突き立てようとした腕はだらしなく伸び、無抵抗に踏みつけられるだけの存在と成り果てようとしていた。

 

 更に、エレクトロが足を振り下ろすごとに、足を押し付けてグリグリと痛め付けるごとに、体は震え、体から活力が失われていく。

 血が足りなくなったのか、意識が朦朧として来た。

 

「どうしたァッ!?お前は叩けば叩くほど強くなるんだろう!?立って見せろよ!?腕も無い!血も足りない!無様に地面とキスした、その体でェッ!!アヒャハハハッ!!!」

「…」

 

 罵倒の声が遠くなっていく。

 雨が自分を叩く感触と降り頻る音、左腕から吹き出す血に意識が向く。

 痛みも遠いように感じる。

 

 アースの意識は今まさに消えようとしていた。

 

 だが。

 彼の意識の奥深くで、何が共鳴した。

 いや、共鳴と言うよりは、()()

 

『ーーー』

 

 突如として、彼に昔の記憶が蘇る。

 今の夢の礎となった、忌まわしい一日のことだ。

 

 血のシミとなったネズミ、頭上で笑う下衆、無力感。

 

 

 

 そうだ。

 僕は。

 二度と彼のような。

 悲劇を起こさないと、決めたんだ。

 

(そうだッ!!守る為に…ッ!お前をッ!!)

 

「お前をォッ!!殺すッッッ!!」

「ハッ!?!?」

 

 覚醒したアースは、押さえつけられた足ごと体を起き上がらせて、叫んだ。

 大きく後方に仰け反り、驚愕したエレクトロは慌てて蒼い戦斧の柄を防御に出すが、最早関係無い。

 

 全てを捧げて、今この命も、燃やし尽くして。

 失くした左腕も、震える足の爪先も、血と雨に濡れた頭の先も、全ての力を爆発させて。

 拳を握り、地面を蹴り、振り上げる。

 

 人生最大の技を。

 人生最後の技を!

 

リベンジスマッシュッッ!!!!」

「あああああアアアアッッッ!?!?

 

 度重なる負傷、命を賭けたストレート、最後の覚悟、相手の油断。

 全ての要素が加わったアースの、究極の拳は。

 

 エレクトロの戦斧を破壊し。

 ーーー彼女の胸を、心の臓を貫いた。

 

「が、は…ッ!?」

 

 それに留まらず、扇状にエレクトロの背後が破壊され、崩壊していく。

 当の彼女は、滝のような血を吐き、あり得ない、という表情を浮かべ、グッタリと脱力した。

 

 静寂。

 

 地面を激しく叩く雨の音だけ響く。

 

「やった…」

 

 アースは、拳を振り抜き、肩にエレクトロが倒れ込んだ状態で、静かに歓声を挙げた。

 沸々と、六割の達成感と、四割の、人を…仲間を殺したと言う実感が胸中を支配していく。

 すぐ横でドボドボと血を吐く彼女の息は、無い。

 それが、確かな実感だった。

 

「手に掛けて、ごめん…もっと違う方法が…」

 

 静かに、雨にかき消されるような音量で遅すぎた懺悔を呟くアース。

 しかし、それは、()()()()()()()

 

「誰…?死んダってぇ?」

「ッ!?」

 

 突如として耳元で囁かれた神経を逆撫でするような、悍ましい声。

 アースは一瞬、ほんの一瞬だけ、死んではいなかった事に喜びを見せるも、すぐに思い直し、同時に、強烈な違和感に襲われた。

 …目の前の女は、彼女じゃない。

 

 生憎、体が動こうにももう動かせない為、声に出して疑問をぶつけた。

 

「お前は…誰だ…?」

「…クヒャッ!ヒャははハはッ!!気付くもんナンだねぇ!あァ、こレがエレクトロの見てイタ世界かァ…電流ガ見えるぞ…なんテスバラシイ…!!ただ…少し声がオカしいですわね…コレのせイかな?」

 

 機械に音声を通したような歪み、加えて言文が一致しない声で話すソレは、ソレの胸に突き刺さっていたアースの右腕をーーー

 引き千切った。

 

「ぐぁああああ"あ"あ"ッ!?!?」

「クヒッ!イい声で鳴く!…アー、あー、マイテスー、まいてすー、いいです!素晴らしい!!多少予定が早まってしまってましたが、大成功!!」

 

 そのまま地面に倒れ伏すアースを足蹴に、ソレは自身の胸に刺さった右腕を強引に引き抜き、マイクテストの様に声を出した。

 やがてエレクトロの同じ声質に戻ると、舌ったらずな発音で譫言のように喋り出す。

 

 アースは死にかけのの体で、奴の顔を見る。

 ーーーのっぺりとした、鼻も、目も、口も、耳もない、正真正銘の、妖怪だった。

 

「素晴らしい…!素晴らしい…ッ!私にくぉんなチャンスを与えたもうなどと…()()()()は見捨てて下すぁってなんてなかったぁ…!あぁ…勿論君にも感謝して差し上げてるよお?意識がある方が乗っ取りは難しいんだァ…」

「…黙れ…お前は誰だ…何が目的だ!!」

 

 うっとりと虚空を見つめるソレは、アースの問い掛けに死んだ魚のような目を向けて応えた。

 直後、ゾクリと。

 悪寒が背筋を走り抜ける。

 

「ワタクシは…操りのー…いや?どうなるのだ?エレクトロ?いや?ん?…んー、そうだ!!()()()()()()()!!そうだそうだ!ソレがいい!!で?なんでしたか?あぁそう!目的だったね!それはーーー全人類を混沌に堕とす!!それが()()()()の申せられている事だ!!」

「ふざけるな!カレンを返せ!」

「まずはありがとうだるぉミノムシ君?悔しいぬぁら…掛かって来なさいッ!」

「ぐ、おぉおおおお"お"ッ!!」

 

 正真正銘最後の力を振り絞って、芋虫のように地を這い蹴り、飛び付いて噛みつこうとするアース。

 両腕が無いのにも関わらず、動けているのは奇跡だ。

 

 しかし、現実はどこまでも無情だった。

 

 一見無防備に見えるエレクトロ、いくら攻撃が原始的とは言え、流石に当たる筈。

 …当たる筈だった。

 

 激突する直前、エレクトロの()()()()()()()になったのだ。

 浮き出る血管のような電気の流れ、そして、奴は悪戯の上手くいった子供のようにーーー嗤った。

 

 噛みついても、水を相手にしているかの様な手応えの無さだけが残る。

 そう、アースはエレクトロを…通り抜けた。

 

 代わりに体がバチバチと痺れ、その勢いのまま地面に滑り込んでしまった。

 

「んー、完全の透過とは言えなくとも、いい実験になってくれた!!そうだ、あの子は電気と言うものの使い方が分かってなかった…ミノムシ君!その身お持って実感しなさい!!」

「…ッ!?」

 

 暗く淀み始めた世界を瞳に収めていたアースは、エレクトロの体が、粒子のよう、いや…雷のように姿を変えるのを見た。

 そして、直後に体に衝撃が走り、痛みに喘ぐ。

 

「まだ制御に難しい…まぁ、いいよね!…あ、そうだ…ミノムシ君、ここまで頑張って下すったご褒美だ、一瞬で逝かせてあげようッ!!」

「ぐ、ぁ、ぁぁぁああああ…」

 

 いつのまにかアースの頭の元に寄って来たエレクトロは、先程の戦斧を創り出し、大きく振りかぶった。

 胸に開けた穴も、いつの間にか塞がってしまっている。

 彼はその後に起こる展開を恐れ、身を捩ろうとするが、指一本動かせない。

 もう、限界だった。

 

「ヒャハハッ!!死ねぇッ!!」

 

 醜く嗤うソレが、振り下ろす。

 戦斧の矛先が刻一刻と迫る。

 後悔、諦め、焦燥、思考、様々な考えが頭の中を駆け巡るが、虚しく、蒼が鼻先まで迫る。

 そこまで来て、アースは漸く諦めた。

 

(くそ…シンさん、後は…頼ーーー)

 

 走馬灯を見る暇も無く、彼の体は、頭から足へ戦斧が通り抜け、一刀両断にされた。

 そこだけ、雨の音も、血が芽吹く音も、エレクトロの嗤い声も、何もかもが無音のようだった。

 

「キヒッ!ヒヒヒヒヒッ!!さぁ…()()…次は、お前だ…ッ!!」

 

 シンという存在、()()()()()()()()

 アレは、()()()()()だ。

 舌舐めずりを行い、エレクトロは恍惚に嗤って、配管の中へ、電線の中に消えていった。




ご拝読、ありがとうなのぜ!
アースは、うん、いい奴だったのぜ…彼は不幸だっただけなのぜ…三週間遅れたことも不幸なのぜ…何故か13000文字突破したことも不幸なのぜ…
…それは兎も角、エレクトロが遂に覚醒したのぜ!
これでコストパフォーマンス120%!

しかし…なんであの大妖怪がまだ生きているのぜ?"我が主君"って?なんでシンの名前を知ってたのぜ???
謎が深まってきたのぜ…次回もゆっくりしていってね!


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第三十一話 家族/友人だった

ゆっくり…できなくなってきたのぜ…


 話は、アースとエレクトロとの激突の数時間前に遡る。

 

 依姫は雑踏を抜け、焦りと不安を胸に抱いたまま永琳の家を訪れていた。

 地上の医務室、地下のラボなどなどを兼ね備えた、賢人だからこそ与えられたハイブリッドハウスだ。

 

 彼女自身はその感情の正体に気付いていないが、推測するならば、それは混乱からくる物だったのだろう。

 

 友が失踪したと思ったら、今度は想い人が争いに巻き込まれ、更にはその渦中に友がいる。

 

 その事実に確証も、証拠も無い。

 故に依姫の心情は穏やかでは無かった。

 

(…きっと、何かの間違いの筈です…!)

 

 更には、生きている事を喜ぶべきか、蛮行を嘆くべきかすら、未だに分からないのだ。

 ()()()()()()、そう思い込む事が今の彼女にとっての精神安定剤だった。

 

 彼女は複雑な感情の中、電気の付いていない医務室を訪れる。

 

「師匠ー!?師匠は居ますかーっ!?私です!依姫ですっ!!」

 

 ここに永琳は居ないだろう、が、ダメ元で叫ぶ依姫。

 永琳はよく地下のラボに居る、が、しかし、地上の方の医務室にいることも無い訳では無いからだ。

 

 声は反響し、暗い医務室へ消えていく。

 

(やはり返事は無い…ですか…)

 

 幾許かの肩透かしを喰らった依姫は、振り返り、地下のラボへ向かって歩き出すが、そこで。

 

 ガシャーン、と。

 

 何かを落としたかの様な物音。

 堪らず彼女は肩を跳ねさせて驚き、背後を振り返った。

 

 まず目に入ったのはピンと張ったウサミミ。

 

「ね、ねっ、寝てませんお師匠様!?わたわた私は不眠不きゅ…ってあれ?」

「………あなた、は誰ですか…?」

 

 暗い世界の中、見つめ合う瞳と瞳。

 カチ、カチ、と時計の音が五回程鳴ったところで、ウサミミの少女が何事もなかったかの様に話し出した。

 

「…お、おはようございます、いえ、こ、こんにちは…?鈴仙・優曇華院・イにゃ…イナバと申します、お師匠……八意様、のお客様…?いえ、患者…ですか?」

 

 訂正、動揺しまくっている。

 会話が進むごとに彼女の伸びていたウサミミがへにゃりと、少しずつヨレていく。

 

「こ,こんにちわ…?こちらは綿月依姫と申します…八意永琳様はどちらに?」

「ふぇっ!?わ、綿月様!?こっこれはこれは不躾な姿を見せてしまって…!?」

 

 今の状態の彼女ーーー鈴仙は、普段はこんなにボケてはいない。

 ただ五日連続でエナジードリンクとデスクと無量大数のカルテを恋人にしていたため、疲労が爆発しただけだ。

 おのれ、許すまじマッドサイエンティスト。

 

 そしてもう一つ。

 現在は働く為に永琳宅で仕事を行なっているが、彼女は()()だ。

 

 綿月玄楽が軍に在籍していた頃からの、いわゆる古参であるのだ。

 …結局戦争に出る事はなかったが、玄楽による地獄の様な訓練の日々は体に、魂に焼き付いている。

 

 シン達の体験した外周マラソンもその地獄のうちの一つだ。

 

 つまり要約すると、彼女は綿月と言う名前がトラウマになっているのだ。

 

「そ、そこまで畏まられなくても…それに私は師匠の場所を知りたいだけで…」

「師匠!?お師匠様ですか!?お待ち下さい、お師匠様は…ラボにいます!!どうぞ!!足元にお気を付けてッ!!」

「え、えぇ…ありがとうございます…?」

 

 見事な敬礼を示し、依姫を見送る鈴仙。

 困惑しながらも礼を返し、踵を返してラボへ向かう彼女の背中が通路に消えると、彼女はその場にへたり込んだ。

 

「ふぇ〜…怖かった…」

 

 いや、実際には怖くは無い。

 むしろ依姫も地獄の様な訓練を受けている為、鈴仙と依姫は同類である筈だ。

 

 しかし、自身の中のビーストが"綿月"に恐れ慄くのだ。

 

「この職場も最初は配達と連絡だけで楽だったのに…急にこんなの渡されて、私の時間が…それどころか最近ずっと椅子生活…グスッ…仕事辞めたい…」

 

 へにゃへにゃとウサミミがヨレヨレになっていき、目尻には涙が溜まっていく。

 そして、彼女はまた立ち上がると、現実逃避から、静かに患者用の毛布に包まり、寝息を立て始めた。

 

 泣き寝入りである。

 

 しかし彼女は知らない…

 数年後…彼女は綿月依姫のペットになることを…

 更に気の遠くなる様な年月の後、彼女はこの職場に逆戻りする事を…

 

◆◆

 

 何も無く、薄暗くて白い殺風景な廊下を抜け、地下のラボに繋がるエレベーターに辿り着いた依姫は、一人深呼吸をした。

 

(大丈夫…大丈夫…)

 

 この()()()は何に向けたものだろう?

 

 エレクトロの件や、永琳が助けてくれることに対してだろうか。

 それとも、全てが元通りになって、またカレンと一緒に料理を作るという願望?

 

 扉が開き、エレベーターに乗り込む。

 

(彼女が、本当に気が触れてしまっていたとしたら…私は一体…)

 

 扉が閉まり、ほんの少しの浮遊感と共にエレベーターは降下を始めた。

 僅かな振動に揺られながら、彼女は思考を止めずに悩む。

 目線が知らず知らずのうちに下がり、考えれば考えるほど心にしこりが生まれていく。

 

 不意に、エレベーターから電子音が響いた。

 どうやらいつの間にか到着していた様だ。

 

 扉が開いた先には、パソコンと睨み合うツートンカラーの奇妙な医者の姿。

 

「師匠!」

「あら、誰かと思ったら…久しぶりね、依姫」

 

 永琳は椅子ごとくるりと振り返り、静かに微笑んだ。

 

◆◆

 

 時は数年前に遡る。

 丁度、依姫が能力を覚えた数日後の話だ。

 

 玄楽は町を守る軍人として、また、娘の身を案じる一人の父親として、依姫の力について考えていた。

 理由は簡単、彼女の能力が()()()()()からだ。

 

 現時点で降ろされた神は三柱。

 

 能力開花時に憑依させた祇園(スサノオ)

 遊びの最中に暴走した愛宕(カグヅチ)

 試しにと、道場で憑依させた天照大御神。

 

 いずれも一回目の憑依だけではデメリットも無く、加えて憑依したのは主神級の強力な神々。

 一般的に、能力は子に遺伝するとして、豊姫は玄楽に似た能力(山と海を繋ぐ程度の能力)を得た、しかし、依姫は全く別の、突然変異とも言うべき能力を得たのだ。

 

 一歩間違えれば災害にもなり得る力。

 都に危害を加えれば、自分の娘と言えど、最悪処刑されてしまう危険性だってある。

 故に、玄楽は苦悩していた。

 

(どうするべきだ…教えてくれ…楼姫(ろうき)よ…)

 

 楼姫とは、かつて玄楽の妻だった人物。

 

 そう、彼は、寡男(やもお)だ。

 妻が依姫が産まれたためか、衰弱してしまい、半年後には衰弱死という結果に終わってしまったのだ。

 

 更に彼は、その日、妻の死に立ち会う事は出来なかった。

 ()()()()()と死闘を繰り広げていたからだ。

 そして大妖怪を退け、命からがら都に帰還したと同時に妻の訃報。

 

 最後の顔も、遺言も聞くこと無く、終わってしまったのだ。

 

 その時から、彼は第一線を退き、何よりも家族を慮る様になったのである。

 表向きは"後継の育成"であり、上層部の反対などもあったが、月読命の計らいもあり、なんとか今の立場に至っていた。

 

 そんな玄楽は考えに考え抜いた上で、遠い親戚に当たり、今や賢者とも呼ばれる天才、八意永琳を頼ることにした。

 勿論、葛藤もあった。

 親戚とはいえ、他人であると言っても過言では無い人物を頼っても良いのか、仮にも、最強と謳われた自分が、自分の力でどうする事も出来ない事態を恥ずかしく思わないのか、と。

 

 それでも、家族を思うと、頭を下げざるを得なかった。 

 

「頼むっ!!八意殿!!この通りだっ!!」

「…貴方ともあろう者が、ねぇ…」

 

 人生で二度目の土下座。

 彼は恥も外聞も捨てて地面に頭を擦り付けた。

 

 目の前の女性にどう思われても構わない。

 

 覚悟を込めた玄楽だったが、永琳はため息を吐いた。

 彼はそのため息に全身の血が抜けていく様な絶望感を味わう。

 

 が、しかし。

 

「貴方にこう土下座されちゃあ…やるしか無いわよね…!」

「…!!!…それはつまり…!!」

「えぇ…引き受けるわ…その仕事…!」

 

 こうして、依姫が永琳が出会い、彼女が永琳を師匠と慕っていくのは、また別の話…

 

◆◆

 

「それで…何の用かしら?この都に妖怪が侵入したこと?謎の電波障害?」

「…えぇ、多分それと同じです…手を貸して頂けませんか?」

「勿論、教え子の頼みだしね」

 

 依姫は、永琳が手を貸してくれる事に安堵感を覚えつつ、今でも教え子と呼んでくれる事に嬉しさが込み上げた。

 

「まず…カレンさんは知っていますよね?」

「えぇ、悲しい出来事だったわね…私も彼女は以前診た事があるからよく覚えているわ」

「…単刀直入に言いますと、カレンさんがこの都市に侵入し、シンさん達が交戦し、敗北した…と、彼らが言っていました」

 

 カレンの話に暗い表情をした永琳だったが、依姫の言葉を聞いて目を丸めた。

 しかし直ぐに眉間を狭め、手を顎に置く。

 

 考える仕草を見せた彼女は、また直ぐに顔を依姫に戻して言った。

 

「…それは本当…?」

「………私も信じたくありません…」

 

 重たい沈黙だった。

 

「…シン達があの日に戦った大妖怪は、自らを操りの大妖怪と名乗っていたらしいわ…恐らく、カレンは操られている…?成程、電波障害もこれが原因ね…」

「何か…手は無いですか…?」

「…」

 

 永琳は目を閉じ、思考を巡らせた。

 しかし、実物を見ていなければ、調べている訳でも無い。

 

 答えは当然。

 

「…無い…わね、情報が少な過ぎるわ」

「…っ!!…そんな…っ!」

 

 膝から崩れ落ちるのを必死に堪える依姫は、どうしようも無い恐怖に駆られた。

 友人を、どうする事も出来ずに殺害する…いわば、友を失う恐怖。

 

 考えるだけで動悸が早まる。

 

 そこで、永琳が口を開いた。

 

「でも、行き先なら予測出来るわ」

「…そうですか…」

「操られているとしたら、敵の考える事は混乱と破壊…それをスムースにさせる為に、相手は電気を狙って来る筈よ、この都市で電気といったら、発電所しか無い…だからカレンの行先は恐らく、ここからそう遠く無い場所にある月夜発電所になるわ」

「そう、ですか…分かりました…行ってみます…」

 

 もしかしたら、まだ…カレンのことじゃ無いかも知れない。

 救えなくとも、無力化は出来るかも知れない。

 シン達が月読命の協力を得るかも知れない。

 

 そう思いたくても思えない彼女は重い足取りでラボを出ようとした。

 しかし。

 

「待ちなさい、依姫」

 

 永琳が呼び止めた。

 依姫は力のない眼差しを永琳に向ける。

 

「これを持って行きなさい」

「これは…?」

 

 手渡されたのは、一本の長刀。

 普段神降しで刀を調達していた依姫はそのズッシリとした、本物の刀の重さに、今から自分のする事の重大さを再確認した。

 

「腕利きの職人に作らせた、本物の名刀よ…それともう一つ」

「…?」

 

 永琳は依姫を見据えて言う。

 その目はまるで母親の様に慈悲深く、同時に厳しさも持ち合わせていた。

 

「現実から目を背ける事は、決して悪い事では無いわ、でもね…そんな心持ちじゃ、何処へも進む事は出来ないし、前を見る事すら叶わない…それは逃げ続けてるのと一緒……依姫、()()を決めなさい…!じゃなきゃ救えるものも救えないわ」

「……はい…!」

 

 それは、激励。

 依姫は永琳に自分の気持ちが知られていた事に驚き、そして、今の今まで何の覚悟をしていなかった自分を自覚した。

 現実味が無い出来事に、何処か他人事の様に思っていたのかも知れない。

 

 だが、それも永琳の言葉で吹き飛んだ。

 

「ありがとうございます、師匠…!では行ってきます!」

 

 今彼女の中でメラメラと燃えるのは、覚悟と言う名の力。

 絶対にカレンを助ける、そう心に決めて、彼女はラボを飛び出した。

 

 残されたのは、永琳ただ一人。

 彼女は依姫が来るまで弄っていたパソコンに何かを打ち込んでそれを閉じ、一人立ち上がった。

 

「さて、私も行かなきゃね」

 

 彼女は部屋の片隅に佇む、埃の被った弓矢を手に持つ。

 そして、彼女もまた、部屋を出た。

 

◆◆

 

「はぁっ、はぁっ…見えた…!」

 

 永琳の家を飛び出した依姫は、雨上がりの曇天の中、発電所に目指して一直線に走っていた。

 更に太陽が沈み始めており、僅かに漏れ出た光が彼女の頬を赤く濡らしている。

 

 距離もそれ程遠い訳では無かったため、走って数分程度の距離である。

 一見急がなくたって問題ない距離だ。

 

 しかし、発電所を取られたらこの都市は終わると言う危機感と、巨悪が胸を鷲掴んでいる様な謎の焦燥感に、彼女は体を突き動かされていた。

 

「っ着いた…!!」

 

 月夜発電所。

 この都市で最も大規模な発電所。

 

 巨大な柱の様な通信機器が数十と建てられたため、遠隔操作が可能であり、現在は人はいない。

 …大規模な通信障害によって機能していないが。

 

 更に、中心部にはかつて人が居た頃に建てられた管制塔が聳え立ち、太陽光を一身に受けている。

 根元には何本もの太いケーブルが露出しており、正に発電所と言うにふさわしい場所だった。

 

 雷が幾度と鳴る以外は静謐としており、彼女以外には誰も居ない。

 

(シンさん達はどうしましょうか、ここで合図を…)

 

 思案する彼女の頬に、太陽の光では無い、蒼い光が反射した。

 次いで放電の様な爆音。

 

 依姫が音と光の発生地に首をやると、柱の様な通信機器を媒介にし、電流が人の形に集まっていくのを目撃した。

 やがて輪郭がーーーいや、のっぺりとした顔が形作られ、ニチャリと、クツクツと笑う。

 

 それ以外の全てはカレンと全く同じであり、依姫は永琳の予想が的中した物として間違い無いと確信した。

 そして、次に浮かんだ感情は、激しい怒り。

 

「貴様ァぁああッッ!!カレンさんを返せッ!!!」

「あー?…もー何でこんな直ぐにバレる?少し感動しちゃうねぇ…」

 

 ソイツはカレンの同じ姿で、声で、仕草で大袈裟にリアクションを取る。

 その一挙一動に依姫の魂は友人を返せと叫ぶ。

 

 もう、我慢出来ない。

 

「うァぁあああ"あああ"あ"ッッッ!!!!」

 

 彼女は怒りに突き動かされ、奴へ切り掛かった。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!
玄楽の過去が明かされたのぜ!
ちなみに人生初めての土下座はプロポーズの時らしいのぜ…

そして、彼らの位置関係について少し補足なのぜ。
実はエレクトロの目指していた発電所は永琳宅にかなり近く、結果的に電気と化したエレクトロに依姫はギリギリ間に合ったのぜ。
逆にシン達はかなり遠く、今から行こうと思っても三十分近くかかるだろうと思うのぜ。

要は依姫とエレクトロとタイマンなのぜ。
次回もゆっくり!

あと、端境様☆5評価ありがとうございますなのぜ!


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第三十一話 紫電蒼電

ゆっくりしていってぬぇ。


「うァぁあああ"あああ"あ"ッッッ!!!!」

 

 怒りを孕んだ雄叫び。

 依姫は爆発するかの様な勢いで地を蹴り、刹那の世界で飛び込んだ姿勢から居合の姿勢に切り替え、刀の柄を握り締めた。

 

 鞘の中で加速し続ける絶刀。

 長刀である為それなりの重さはあるが、その分依姫の刀は加速し、これまでの剣を振ってきた中で最高のスピードに達した。

 音速をゆうに超えた剣先がエレクトロへ襲い掛かる。

 

 しかし、エレクトロの瞳は、この全ての動作をほぼ完全に見切っていた。。

 

「…遅ぃ」

 

 脳天に迫る長刀を見据えて一言呟き、避けるでも無く、迎撃する訳でも無くーーーただただ、長刀を()()()()()

 

「なっ!?」

「遅すぎるゥうううッ!!!」

 

 掴んだ掌からは血の()()()流れていない。

 

 狂った様に叫ぶエレクトロから蒼電が漏れ出るのを目にした依姫は、何か来ると思い、咄嗟に霊力を体に纏った。

 次の瞬間には蒼が広がり、長刀を通じて手先、胴体、体の末端と、体を突き抜けて痺れさせる放電が身を襲う。

 

 しかも刀をエレクトロに掴まれている為、逃げようと思っても逃げられなかった。

 

「ぐぅううう"う"う"ッ!!愛宕(あたご)様ッッ!!」

「おぉっ!?」

 

 このままでは不味い。

 そう感じた依姫は体を震わせながらも神降しに成功し、神の炎を体から溢れさせる事でエレクトロの拘束を逃れようとした。

 

 彼女の目論見は成功し、エレクトロが爆炎に怯むと同時に長刀が手放され、依姫は大きくバックステップ。

 

「逃ぐぁさないっ!!」

 

 しかし、バックステップする依姫を追撃せんと、雷撃を発射するエレクトロ。

 これを依姫は、軻遇突智(カグヅチ)の炎を纏わせた長刀で真っ二つにし、難を逃れた。

 

 一見、炎と雷は交わる事は無い。

 しかし、依姫の尋常では無い戦闘センスと神の炎の言う、ブランド物のような武器でそれを可能にしていた。

 

(これならいけーーー)

 

 戦える、大妖怪と化したカレンとでも渡り合える。

 これならいける…そう希望を見出したその時。

 

 バチリと音が鳴り、ダンプカーと衝突したかの様な衝撃が彼女を襲った。

 

「…えっ?ーーーっゲホッ!?」

 

 予想外のダメージ。

 宙に投げ出された体。

 手から離れる長刀。

 

 体が痛みへの反応に遅れ、柱状の通信機器の一本に激突して初めて、何があったか自覚した。

 地面に落下する体の腹部が燃える様に痛く、口から血が溢れる。

 

 …確かにカレンをこの目に捉えていた、しかしーーー()()()()()のである。

 否、消え失せたと言うより、超高速で移動した…?

 

 その瞬間、依姫の耳は、まるで電線がショートした時の音の様な、独特な音を聞き取った。

 またアレが来る。

 

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)様ーーーっぐっ…ッ!!」

 

 今降ろした神は、怪力無双でも知られる日本武尊。

 降ろした事で常人よりも何十倍も堅牢な体を手に入れた依姫は、今の攻撃を見切る事は出来なかったが、吹き飛ばされる程度の衝撃で済んだ。

 

 受け身を取って着地時の衝撃を消し、目だけを動かして長刀を探す。

 …あった。

 しかし、二十メートル程の距離があり、今すぐ取りに行くのはカレンが許さないだろう。

 

 だが、タネは理解した。

 衝撃の最中、ほんの少しだけ見えた蒼の軌跡。

 それを形容するならば、電子の移動だろうか。

 

 そう、カレンは体を電気に変え、恐るべきスピードで依姫を殴ったのだ。

 

 しかしそれはカレンには到底不可能な技術であり、体を電子に変える分、二度と戻らずに消滅するリスクだってあった。

 それが示す事実は一つ。

 

 大妖怪はカレンを、正に人形の様に容赦無く扱っている。

 

「この…下衆がッッ!!」

「ごぶぁッ!!」

 

 背後からショート音。

 二度も食らえば流石に体が覚える様で、振り向き様に鉄拳をカレンにお見舞いしてやった。

 

 彼女は頭から地面にめり込み、更に蜘蛛の巣に地面が割れていく。

 チャンスとばかりに長刀に向かって走り出す依姫。

 

 だが、地面で埋まったぐらいでへばる程、エレクトロは弱く無かった。

 

「エレクトロピラーズ・フォールンッッ!!」

 

 めり込んだ頭を瞬時にコンクリートから抜け出させたエレクトロは地を足で力強く踏み付け、彼女を中心に大量の黒雷の柱が立ち昇る。

 軍来祭でも行った霊力を混ぜた雷。

 更に大妖怪としての妖力も混じった黒雷は、竜の様に空へ舞い、柱状の通信機器すらも破壊していった。

 

 依姫は背後に迫る黒雷を一瞥もせずに疾走する。

 

(あと少し…っ届いーー)

 

 黒雷の柱を振り切り、やっとの思いで長刀を掴み取る依姫。

 

 しかし。

 

「そんなに逃げて何処へ行くんだぁ?」

 

 空がひっくり返る。

 

 カレンに足を捉えられ、そのまま砲弾投げの様に空へ投げ出されたのだ。

 そう状況を理解した時には手遅れだった。

 

ハーエスト・トルメンタ(雷撃雨・超高圧)ッ!!」

 

 地から空へと降り注ぐ蒼色の雷撃雨。

 宙に投げ出された依姫に防ぐ手段は無かった。

 

「ぐぅ…!!」

 

 篠突くように昇る雷撃雨の幾本かが依姫の胴体に突き刺さり、苦痛で呻く依姫。

 それこそ日本武尊のお陰で呻くだけで済むが、幸い中の不幸と言うべきか、依姫の体は痺れて自由が効かず、動かなくなってしまった。

 そして、無防備に空へ投げ出された体が落下する瞬間、蒼い粒子と忌まわしいのっぺりとした顔が視界に割り込んで来た。

 

「ハロー!気分はどお!?折角だから旅行に連れていこうッ!!

「ッああああッ!?」

 

 電子となったエレクトロはアッパーで依姫を更に上空へ吹き飛ばし、更にアッパー、更にアッパーと。

 依姫の体を遥かな空へと誘って行った。

 

 そうして地面から見てどんどん豆粒の様に小さくなって行った二人の体は、遂に曇雲の中へと突入する。

 

「…ッ」

 

 薄暗い霧の中。

 吹き荒れる風。

 時折聞こえる雷音と嗤い声。

 

 当然だが、空中では踏ん張る事は出来ず、呼吸も厳しい。

 つまり、空中は依姫にとって最悪のステージーーーと言う訳では無い。

 何故なら、依姫は神降しが使えるからだ。

 

「風神様ッ!!」

 

 風神雷神の一柱。

 風の環境を味方に付け、剣先に神風を纏わせた依姫は、正面から恐るべきスピードで襲い掛かるエレクトロを叩き切ろうとした。

 

 …エレクトロは神の炎に怯んだ。

 つまりは神降しの力を纏った剣なら、カレンにダメージを与える事が出来るはずだと、依姫は睨んでいた。

 

 襲い掛かるのっぺりとした顔から、ぶわりと汗が溢れる。

 

 だが。

 

「いいのかぁ?私も死ぬぞ?」

「…ッッ!!」

 

 それが分からない程、依姫もバカでは無い。

 しかし、言葉に出されて言われる事でーーー剣筋が()()()しまった。

 

 この程度で死ぬ大妖怪でも無い事は、剣を交えた事で理解している。

 それでも残念ながら…依姫は()()だった。

 

「クヒャッ!アッハハッッ!!ハァッ!!!!」

「ッか…っは…ッ!!」

 

 思い切り高笑いを響かせるエレクトロは、愉悦とした表情で周囲から静電気を吸い取り、その名の通り、雷を落とした。

 爆竹の数百倍もの轟音が雲を突き抜け、衝撃で依姫とエレクトロを中心とした範囲の雲が円状に消滅する。

 

 自然における雷の何倍もの電力で貫かれた依姫は、その意識を絶った。

 

 風に支えられていた彼女の体は力を失い、墜落して行く。

 数十キロの長さの距離を経た人間隕石の行方は言うまでも無い。

 

 ペシャンコで済めばいい方だ。

 

 そんな依姫を見て、エレクトロは嗤いに嗤った。

 

「アヒャッ!アヒャヒャヒャッ!!クヒヒッ!!やはり人間!!()()なんぞに庇護されている分際でぇッ!この私に楯突くからだッ!!ヒヒヒッ…!それにしても馴染む…この体は…ッ!!」

 

 ひとしきり嗤った後、エレクトロは自身の手のひらを見てそう言った。

 …操りの大妖怪はその生を受けて間も無い、だからこそ、電気の力を扱う事も苦では無く、まるで子供の理解が早いように瞬く間に使いこなし、急成長を遂げていた。

 加えて発声もどんどん人間に近くなり、舌ったらずから流暢になっていく。

 

 そして手のひら越しに豆粒の様な依姫を睥睨し、うっとりと呟いた。

 

「あと少しで神になれる…待ってて下さいませ…我がーーーん?」

 

 あと少しで記念のトマトが爆砕する、そう思った矢先、依姫の姿が掻き消えた。

 花が咲いていないのをを見るに、どうやら助かった様だ。

 

「…は〜…メンドクサ、私が今度こそぶち殺してやろうか…!!」

 

 そして、エレクトロの姿の輪郭は曖昧になり、雷が落ちるかの様に飛び出した。

 

◆◆

 

 エレクトロが嗤い暮れていた頃、依姫は、朦朧とした意識の中で後悔していた。

 

(私が…動揺しなければ…私に…救える手段があったなら…)

 

 体は動かず、神降ろしをしようと思っても、思考が回らない。

 事実上の詰みであった。

 

 依姫の瞳から涙が溢れ、空へと消えていく。

 対照的にコンクリートの地面は近づいてくる。

 

 豆粒のように小さくなったカレンを見据えると、心の声が溢れる。

 

 ごめんなさい、と。

 何の成果も上げられず、死んでいく私の事を。

 

 カレン、お父様、姉さんーーーシンさん。

 

「ゎ、たし…を、許して…」

 

 懺悔。

 

 しかし、別の声が響き、空中で抱き止められた…と思ったら今度は地上に居た。

 この能力は…この声は…

 

「許して欲しいのはこちらだ…遅くなった、依姫…後は我に任せろ」

「ぉ、父…様…?」

 

 依姫の瞳に、ここにいる筈のない、(お父様)の姿が映った。

 

「永琳殿がこの通信災害の中で連絡をくれたお陰で間に合った……依姫、お前は絶対に死なせない…だから…」

 

 玄楽の言葉を皮切りに、景色が変わる。

 依姫とエレクトロが戦った所からそれほど離れては居ないが、それほど戦いの邪魔にならない場所。

 

 二人は発電所の管制塔の前に居た。

 

「ここに居てくれ」

「…っ」

 

 待って、そう言おうとしても声が出ない。

 玄楽は依姫を管制塔の壁を背にする様に寝かせ、パッと姿を消してしまった。

 

 体は動かず、回復するのに数分はかかるだろう。

 しかし、そんな事は関係無い。

 

 依姫にとって、彼女よりもカレンの身の方が大事だからだ。

 

「カレ…ンを…殺さ、な…ぃで」

 

 変わり果てた友の身を案ずる声。

 その呟きを聞き取る者は、居なかった。

 

◆◆

 

「んー?何処いった?見当たらないねぇ?」

 

 姿を消した依姫の息の根を止めるため、エレクトロは地上に降り立っていた。

 ふと、背後から声。

 

「我の事か?」

「ーーーお?…誰?お前」

 

 気配を感じられなかった。

 まるで一瞬で現れたかの様な違和感。

 

 自身に絶対的なプライドを持つエレクトロは、それだけで警戒心をマックスに引き上げた。

 

「我は名乗る名も捨てた…今はただのオヤジだ」

「ふーん…そう…かァッ!!」

 

 電子化、からの突進+ナックル。

 奇襲から始まった第二回戦はーーーエレクトロ()吹き飛ばされる形で始まった。

 

「ッ!?!?!?…な…ぁッ!?」

 

 吹き飛ばされたエレクトロは柱状の通信機器に激突し、痛みに悶絶する。

 何故、私がダメージを負っている?

 何故、こんなに痛い?

 

 その答えは簡単だ。

 

「どうした?その程度か?」

「ヒッ!?」

 

 見切られていたのだ、攻撃を。

 玄楽は、最強の軍人だった男。

 

 全盛期ではこのままエレクトロを粉微塵に出来ていたかも知れないが、老齢と言う弱体化もあって、これだけに落ち着いた。

 それでも、軍人だった頃の感と神経は鈍ってはいない。

 

(なんだ…!?なんなんだこの男はっ!?)

 

 いきなり現れた謎の男。

 その男に一瞬で力の差を見せ付けられたエレクトロは、生まれて初めて、恐怖を抱いた。

 

 修羅と言っても良い様なオーラ。

 それの理由が子が傷付けられた事に対しての怒りである、と言う事はエレクトロには分からない。

 

 分からないからこそ、恐ろしいのだ。

 

「どうした?撃たないのか?」

「ッ舐めやがーーーグブァッ!?」

 

 激昂するエレクトロは電撃を放とうとするが、正面の玄楽が消え失せ、見失ったと思ったら首に隕石が落ちたかの様な衝撃。

 玄楽の踵落としだ。

 

 玄楽はコンクリートに激突するエレクトロの頭をすかさず掴み、柱状の通信機器に何度も激突させる。

 

「お前には子を思う父の気持ちが分からないのだろうが…相当に腹が立つぞ」

「ごッ!がっ!!おのッ!!れッ!!ぎざっ!!ま"ぁあ"ああッ"!!」

 

 エレクトロは大いに焦った。

 コイツに加えて、あの紫の女が参戦するとなると、自分の勝機は薄くなる。

 だが…この男が紫の女の()ならば。

 

 叩きつけられながらもエレクトロの口角が上がる。

 

 …紫の女を人質にして、この男を殺した後に女も殺す。

 

 自分ながら素晴らしい案だ。

 今自分を圧倒しているこの男の顔を、絶望でクシャクシャにする妄想が止まらない。

 

 幸い、移動手段は目の前にある。

 

「キヒッ!!後悔ざぜッ!!ッで!!や"るよ"ォ!!」

「なっ!?この…ッ!!」

 

 ボロボロになり、配線が飛び出す程まで通信機器に叩き付けられたエレクトロの顔は愉悦に歪み、電子化によってその体を通信機器の中へ吸い込ませて行った。

 対して玄楽は通信機器を破壊するが、手応えは無い。

 

「おのれッ!!」

 

 焦る玄楽。

 彼は依姫の身を案じ、またその場から消え失せた。

 

◆◆

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…居た…!アイツだ…!!」

 

 この発電所の全ての回路に電気を走らせる事で疑似的な偵察を行ったエレクトロは、一瞬で依姫の位置を把握し、依姫の目の前で姿を現した。

 

「…っ!?」

「悪いが…利用されろォッ!!」

 

 エレクトロは登場と同時に、妖力と霊力を混ぜ合わせて作った漆黒の雷槍を顕現させ、目を見開く依姫に向けて発射した。

 当たれば何十分も激痛の槍。

 

 これを使って人質として利用する。

 ーーーその筈が。

 

「依姫ーーーッッ!!!!」

 

 女神の天秤が大きくエレクトロに傾いた。

 玄楽が依姫とエレクトロの間に一瞬で現れ、その攻撃を身を挺して受けたのだ。

 

 一人は歓喜し、一人は絶望し、一人は悔しさを滲ませる。

 

 腹を貫通した黒槍。

 

 血は噴き出ない。

 何故なら雷電が内臓を焼き尽くしているからだ、更に霊力と妖力の混じ合った力が魂と精神を抉るため、感じたことの無いような激痛が流れる。

 

 ーーー玄楽は、確かに最強の軍人だった。

 しかし今では弱体化し、防御力も減っている。

 

 それゆえに、この攻撃で倒れてしまう事は必然であった。

 

「お…父…様…ッッ!!!!」

「ぐぅ、ぁああ…ッ!!…ッ済ま、ない依姫…ッ!!」

 

 あんな啖呵を切ったと言うのに、何が父親だ。

 後悔する玄楽だったが、過ぎた物は仕方がない。

 

 反対に依姫は、未だ動かない体を呪いつつも、未知の攻撃に倒れた父の猛烈に心配していた。

 

 しかし、下衆の声が思考を遮る。

 

「おやおや?おやおやおやおやぁ〜?あんなに見下してた君が今では!私が見下す方ッ!!っはぁ〜!!これだから人間は愚かだ…ねぇッ!!」

「ぐぁ…ッ!!!!」

 

 蹴り飛ばされる玄楽。

 娘の手前、無様に叫ぶ事はしなかったが、それ以上に動けない自分が悔しかった。

 

「じゃぁ…最後にコイツを殺して君の顔を見ようかなぁッ!?」

「ッ止めろぉおおお"お"ッッッッ!!!!」

 

 エレクトロが何をするか理解した玄楽はひたすらに叫んだ。

 

 エレクトロの両手に蒼い光が集まり、奴の足がゆっくりと依姫へ近づいて行く。

 玄楽の叫びが響く様で、絶望と言う名の無音が場を支配していた。

 

 依姫も自分の死が漠然と感じられ、カタカタと体が震える。

 

(ーーーカレン…)

 

 体は動かない。

 彼女が近づいて来る。

 

 ドクドクと、心臓が雄叫びを上げ始める。

 依姫の心には、四割の諦め、四割のカレンと玄楽に対する懺悔、そして…一分程の、希望。

 それはーーーシン。

 

 だが、そう願って、あり得ない事が、都合の良い事が起こる程、世界は恵まれていない。

 

 エレクトロが光り輝く手を構え、振り下ろす。

 玄楽が叫ぶ。

 依姫は目を閉じる。

 しかし、衝撃はいつまで経っても来ない。

 

 …もし、そんな偶然が起こるとしたら、それはつまり。

 それはつまり…!

 

よぉ、大分遅れた、依姫…悪かったな

 

 紛れも無く、本物の奇跡なのだろう。

 

…カレン…いやエレクトロ…今度こそ、今度こそブチのめしてやるよ…ッ!!

「…ッどこまでも邪魔しやがってェぇええッッッッ!!」

 

 依姫の前に立ち、エレクトロの腕を掴むシンは、燃え盛る闘志と怒りを拳に乗せた。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!

…UA爆発してる…なんで?
やっぱ夏休みなんすね〜なのぜ。

アルモ様、寝てはいけない様、☆10評価、☆9評価ありがとうございますなのぜ!


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第三十二話 黒き雷光

おっおっおっ?
二次ランキング97位?
おっ♡おっ♡おっ♡?

ゆっくりしていってね!


 時はエレクトロとアースの激闘から数時間前、つまりエレクトロが依姫が永琳宅を訪れた頃の事である。

 

 シン達は不安から一転、希望を胸に都市の中心部、月読命邸を飛び出していた。

 どうやら月読命と話してからそれなりの時間が経った様で、押し退けあっていた人々はシェルターの中へ姿を消してしまい、木造の門にキリギリスが一匹止まっているだけだ。

 

 音は無い。

 静謐であり、曇天により辺りは薄暗くなっている。

 まるで雷でも落ちるかの様な空模様だ。

 

 そんな空気感は、少なからずとも二人のセンチメンタリズムに影響した。

 

「…さて、さっさと依姫に伝えるか」

<…スパイダーセンスでもあるわけでも無いが…嫌な予感がする、急いで行くぞ>

 

 伝える事は、無論月読命の神降しについて。

 浄化の力によってカレンに憑いた悪いモノを剥がせるかも知れないと言う事だ。

 

 シン達は、嫌な予感と言う名の直感に身を任せ、カレンと戦う時に消耗する、と言った予想など考えずにヴェノムへと化し、爪痕を入れながらビルの上へと駆け上がった。

 

 瞬く間にビルの頂上に到達し、都市を俯瞰する。

 

人が居ねぇな…

 

 空に吹く風を肩に感じながら街を見下ろしても、どこもかしこも閑散としており、その姿はまるで平安京の末期。

 羅生門で、下人と老婆が争いでも起こしていそうだ。

 

…行くか

おう

 

 二人は暗澹とした空へ身を投げ出し、依姫が居るだろう永琳宅に向けてビル群を駆け抜けていった。

 

◆◆

 

 数十分もの間もビルからビルに飛び移り、着々と永琳の家までの距離を詰めていくシン達。

 あと十分程か、そんなことを思い始めた、その時だった。

 

 数キロ程離れた地点から、地から空に向かって落ちていく雷が視界に入り、その数秒後に雷鳴が響き渡ったのだ。

 シン達はその光景を見るなり、思わず立ち止まってしまった。

 

…まさか

急ぐぞ!シン!

 

 もう、戦闘が始まっている…!?

 

 そこがどんな場所は分からない、だが光は届いているため、目的地は分かる。 

 永琳宅からかなり近い場所だ。

 

 しかし、今から行ってもかなりの時間が掛かってしまう。

 それまで依姫に耐えてもらうと言うのは、余りに酷だ。

 

どうにか出来ないかヴェノム!?

…出来るッ!!行くぞォッ!!

 

 腕がドクドクと脈動する様な感覚。

 体はヴェノムによって突き動かされーーーシン達はビルから転落した。

 

何やってんだヴェノムゥうううっ!?

ただの()()()だ!!任せとけッ!!

失敗したら承知しねえぞ!?

 

 突然の奇行に絶叫するシンをヴェノムが嗜めると、彼は仕方なくヴェノムを信じて身を任せた。

 そして、シン達の腕から何かが射出される。

 

 見ればそれは、糸状となったヴェノムの細胞。

 べちゃりとビルの窓に引っ付せたと思うと、しなりを上げ、まるで振り子の運動の様にシン達を加速させていった。

 

 その調子でヴェノムは、糸を引っ付かせてはスィング、引っ付かせてはスィング、と。

 加速を繰り返し、遂には普通に走るより遥かに速い速度を叩き出していった。

 

お前そんなことが出来たのか!?

()()()()だけだ!!

 

 そうやってビル群と言う名の迷路を身体能力と糸をもって潜り抜けていくと、一際大きな雷音が鼓膜を劈いた。

 先の聞いた雷音と比較にならない、まさに巨大な雷が落ちたかの様であった。

 

近いッ!もっと早く行くぞッ!

 

 ヴェノムに任せっきりだった体の主導権を握り、強引にスィングする。

 ヴェノムに手本を見せてもらった為か、強引なりとも速度は増した。

 

 しかし、制御出来るわけでは無い。

 加速しすぎたスピードは目の前のビルを曲がりきれないと言う結果を残してしまい、彼らはそのままビルのガラスに突撃し、派手に粉砕。

 破壊されたガラスの一端に、オレンジ色の太陽の光が反射する。

 

 そのままビル内に侵入したシン達は怯む事無く、障害物の様に散乱するデスクやパソコンをものともせずに突進し、反対側のガラスを粉砕して飛び出る事で脳筋的なショートカットに成功した。

 

 そのままビルに飛び乗り、その屋上から目的地を俯瞰する。

 

ここか!?

あぁ、そうだ!醜い野郎の声が聞こえる!!ここの中心部だッ!!

 

 到着したのは、柱状の通信機器と一際大きな管制塔が目立つ発電所。

 雷の音は鳴りを潜めたが、彼らの異常な聴覚は、聴き覚えのある声を拾った。

 

 カレンの様な、あの時の大妖怪の様な、そんな声。

 

 そして声のした方向に顔を向けるとーーー地面に臥した玄楽と、管制塔を背に倒れ込む依姫と、顔は見えないが、掌をバチバチと放電させながら依姫に近付くカレン…いや、エレクトロ。

 

 現状を表すかのように、斜陽が沈み始め、辺りは夜に支配されていくように暗くなっていく。

 そして太陽が彼らを見捨てたと同時に、反対にエレクトロの電流の如き蒼く発光する体が、辺りを照らしていった。

 

 既に戦闘を行ったのだろうか。

 そんな考えが浮かぶ前に、シンの頭の中はある思考に汚染された。

 

 それは、()()

 色にして表すなら、狂気の如く赤。

 ドクドクと心臓がやけにうるさく鼓動し、血の気が引いたとおもったら頭に血が昇る。

 

 その怒りの出所を強いて言うなら…依姫だ。

 エレクトロが依姫を追い詰めた…いや、傷付けた。

 

 その事実だけで体から火が吹くように怒りが身を支配した。

 

 依姫が倒れていると言う事も、シンの心を掻き乱す。

 まさかーーー死んだ?

 

 エレクトロがあたかもトドメを指すように近づいていると言う事は、要するに依姫が生きていると言う事だ。

 死んでいる筈は無い。

 

 それでも、殺されたと誤認しただけで狂気に身が覆われそうになった。

 

 だが、何故、自分はこんなに()()()()()()の怒りが湧くのだろうか。

 自分はそれ程までのお人好しだっただろうか。

 そんなに友情を重んじる人物だっただろうか。

 だが、それなら倒れた玄楽にも、断然感情が湧く筈だ。

 

 友情などでは…そんな物じゃあ無いとしたら。

 

 ーーーまさか?

 いや、そんな筈は無い。

 

 だって、依姫は、倒すべきライバルだ。

 以前にも自分は言った。

 打倒すべき敵、と。

 

 いや…自分は、打倒を果たしたではないか。

 いや、それでも、あり得ない。

 

 そうやってほんの一瞬、まさに刹那の間、否定を否定で返すかのような自己問答を繰り返すシンは、結局、そんな事を考えている暇は無いと、逃げるかのように思考をシャットダウンした。

 そして再度彼らに視線を戻し、エレクトロが手を振りかざすのを見ると、先程のように怒りに身を支配され、突き動かされるまま烈火の如く飛び込んだ。

 

 黒い彗星となって突撃するシン達。

 

 エレクトロの腕が天へ掲げられ、依姫が目を閉じる。

 間に合え、そう念じずには居られなかった。

 

 しかし、無情にも依姫とシン達との間には距離がある。

 このまま行って間に合う筈が無い。

 

 それを感じ取ったシンの感情は。

 また別の、怒りだった。

 

 先の光景に感情を揺さぶられなかったら、いや、そもそもの話もっと早くに到着していれば。

 

 そしてその原因は、実に明瞭で簡単に浮かぶ物。

 ーーー自分が弱いから。

 

 あの時、エレクトロを止めていれば。

 ーーーそれも、自分が、弱いから。

 

 カレンを、あの時、助けていれれば。

 ーーー全部…自分が…弱いから。

 

 そうだ。

 全て、自分の責任。

 俺が、弱いから駄目なんだ。

 

 ーーー弱いから、守れない。

 

 エレクトロに対してでは無い、不甲斐無さからの、自分自身への怒り。

 ヘドロよりもドロドロで、暗黒より真っ黒な感情。

 

 何故俺はこんなに弱い、と。

 もっと力があれば、と。

 

 その時である。

 

 瞬間的にだが、シン達の普段では考えられない様な速度を叩き出したのだ。

 更に、体が()()()

 

 その変化は本当に一瞬の物であったためか、シン達がその変化に気付く事はなかった。

 刹那の間、黒の彗星は赤い彗星となってーーー遂に依姫の目の前に着地した。

 そのまま振り下ろされるエレクトロの腕を掴み取る。

 

 シン自身にとっても、その場にいる誰にとっても予想外の結果だったが、シンは息を吐き、顔だけ依姫に向け、安心させるための軽口を叩いた。

 

よぉ、大分遅れた、依姫…悪かったな

 

 顔をエレクトロに戻す。

 

 のっぺりとした顔。

 シンを更なる怒りの渦は突き落とすには充分だった。

 

…カレン…いやエレクトロ…今度こそ、今度こそブチのめしてやるよ…ッ!!

「…ッどこまでも邪魔しやがってェぇええッッッッ!!」

  

 シンは、再戦の意と大妖怪の殺意、そして燃え盛る闘志と怒りを胸に叩き込み、エレクトロを力一杯に放り投げた。

 

「ォぉおおおおッ!?!?」

 

 まるで野球ボールのように吹き飛ぶエレクトロ。

 彼女は柱状の通信機器を破壊しながら視界から姿を消していった。

  

 これで依姫達と話す時間ぐらいは出来ただろうか。

 

大丈夫か?依姫、玄楽

「…遅いんですよ…シンさん…」

「シン…ッ!気を、付けろ…ッ!奴は、電気そのものになれる…ッ!!恐、らく…もう、来るぞッ!!」

 

 苦痛と言う文字を体現したかの様な顔で忠告する玄楽。

 

 本来ならば、重症である玄楽より、依姫がエレクトロが吹き飛ばされた程度で時間稼ぎにはならないと言う事を、エレクトロが電子エネルギー化する事が出来ると言う事を教えるべきだ。

 しかし依姫は、そんな事…いや、重大であるとは解っているものの、余計な事は考えず、もう少しだけシンとの再開に浸っていたかった。

 

 良心がそんな事している場合かと依姫を責め立てる。

 それでも、この幻想を味わっていたかった。

 

 だって、仕方がないではないか。

 絶体絶命の時に現れるだなんて、まるでヒーローみたいだ。

 その背が語るのは絶対的な安心感。

 危機感さえ忘れるに決まってる。

 

 シンはそんな依姫を一瞥し、口早に言った。

 

悪い…依姫、動けるか?お前の力が必要だ

「…すみません…まだ、動けません…」

…なら俺達が時間をーーー

シン!!来るぞッ!!

 

 弛んだ空間に水を差すかの様に襲来するエレクトロ。

 玄楽が言った通り、蒼い軌跡を描くその姿はまるで電子のエネルギー体であり、シンでさえヴェノムに言われるまで視認出来なかった。

 

 次の瞬間、実体化したエレクトロの腕と、剛健を表したかのようなシン達の漆黒の腕が、爆音と共に交差した。

 衝撃波が周囲を唸らせる。

 

「お前とはッ!殺し合いたいとッ!思っていたんだよォおおッッ!!」

そうかこの糞野郎ォッ!!カレンを返せッ!!

 

 エレクトロの視線は、シン達だけを射止めている。

 ついさっきまで戦闘していた依姫や玄楽など、最早眼中に無い様だ。

 

 しかし…力が、強い。

 カレンの時とは比べ物にならないぐらい重く、強靭。

 

 ヴェノムを纏っていても押し切られそうであった。

 

場所を移すぞッッ!!ッはッッ!!

「うっ!?ぐぉッ!?」

 

 体を逸らすように脱力し、手前にバランスを崩したエレクトロ目掛けてハイキック。

 ゴキリと嫌な感覚が足から伝わり、慣性のままにエレクトロはまた吹き飛んで行った。

 

依姫!!カレンを救うんだったらお前の存在が必要不可欠だッ!!準備が出来たら来いッ!!

行くぞォッ!!

 

 依姫に一言投げかけ、エレクトロを視界から見失わないようにシン達もまた、その場を飛び出した。

 

 柱状の通信機器を伝い、蹴る。

 そうやって加速していくシン達は容易に吹き飛ぶエレクトロに追いつく事が出来た。

 

 エレクトロが強引に顔を上げる。

 相変わらずのっぺりとした顔だが、不思議と愉悦を滲ませた表情をしていた。

 

 ゾクリと、深層心理を嬲られたかのような忌避感。

 そして…()()()

 

 堪らずシンはエレクトロの体を地面に叩き落とした。

 彼女は体をくの字にして地面と激突し、慣性によって地面に摺り下ろされていく。

 

 しかし、電子のエネルギー体となって衝撃を殺し、その数コンマ後にシン達に激突した。

 そしてエレクトロは、瞬く間に柱状の通信機器に姿を消してしまう。

 

ぐッ…クソッ!!見ねぇ間に蝿染みた動きになりやがってッ!

「ヒヒヒ…ッ!シン…だったなぁ…」

名乗った覚えはないぞエレクトロォッ!!

シンッ!上だッ!!

 

 ヴェノムに言われた通り、上空に目をやると、通信機器から光が伸び、それが段々と人の形を取っていく光景が目に入る。

 遂にエレクトロは、周囲を蒼く濡らしながら地上から数メートル程の高さの場所で姿を現した。

 

 見下ろすエレクトロと、見上げるシン達。

 

 それは奇しくも、軍来祭の時と似た光景だった。

 

「クヒヒ…ッ!まだ分からないのかぁお前は?お前は()()()()だ…!」 

戯言を抜かすなッ!お前みたいなクズと俺達が同じ?そんな訳あるかッ!!

俺達の方が何倍も上なんだよッ!!

 

 瞬間、エレクトロの動きが止まる。

 そして、堪えられないとばかりに腹を抱えて嗤った。

 

「アヒャヒャヒャヒャッ!お前らじゃない…お前だシンッ!それに…私は()()の話をしているのサ…!この体(遊び道具)を手に入れてから…【規制済み】した時から、よ〜く解る!!」

「…今何言った?」

「…俺()()分かんねぇだと…?」

 

 "遊び道具"発言自体も血管がブチ切れそうな程ムカつくが、後者の発言が…全く、ヴェノムですら聞き取れなかった。

 覆い被さるモザイクのような、煩わしいノイズのような。

 理解すれば狂気に冒されていくような混沌も感じられた。

 

 それに…本質?

 本質が同じとは、どう言う事だろうか。

 

 疑問は溢れ、脳を犯していく。

 しかし考えを遮断するかのように、彼女が動いた。

 

「…そうか!まだ理解出来ないかッ!?私の方が上だなぁッ!?アヒャヒャッ!!」

支離滅裂なんだよお前はァッ!

オォオオオお"お"お"お"ッッ!!

 

 顔を抑えて嗤うエレクトロは、両手を広げ、蒼い電気の漏れ出る二つの光球を作り出した。

 それが戦闘と合図とばかりにヴェノムは鬨の声を上げ、陥没する程の勢いで地を蹴った。

 

「アーッヒャハハハッッ!!!」

がぁあああッッ!!!!

 

 エレクトロが作り出したのは、荒れ狂うプラズマを妖力の膜で覆い、エネルギーを爆発させる弾。

 そして、左手の球を野球のようにフルスイング、その勢いで右手の球も豪速球で投げ出した。

 

 シン達はそれが何だと言わんばかりに、一つを払い除け、もう一つをエレクトロに向けて蹴り出した。

 薄い弧を描く蒼球はエレクトロの胸に吸い込まれるようにーーーいや、事実、吸い込まれた。

 

「キャッチボール(サンダー)は好きかッ!?デウス・ドンナーシュラーク(神の零した雷)ッ!!」

ヴェノム!耐えれるか!?

<勿論!!>

 

 瞬間、シン達の体は極太の光線に埋もれ、彼らの勢いを押し返して、彼らを地面に叩き付けた。

 それどころか地面が陥没していき、柱状の通信機器からオーバーロードによる悲鳴が上がる。

 

 更にヴェノムを通して痺れと衝撃が伝わる、が、しかし、耐えられない程では無い。

 強いて言うなら、重力が何倍にも上がったかのような圧力がかかっている事ぐらいだ。

 

熱 と、音波が、弱点って 事、知ら れてないよな?

<恐らくな、だとしたら今が一番のチャンスだ>

なら、行 くかッ!!

 

 声が震えながらも簡易な作戦会議を立てるシン達。

 光の奔流の中、強引に四足歩行スタイルで構え、エレクトロの真下目掛けて飛び出す。

 

気付いていないな…!!

<柱を使うぞ!!>

 

 ヒヤリとしたが、なんとかバレなかったようだ。

 エレクトロは未だ嗤い続け、誰も居ない場所に光線を放っている。

 

(音も無く行くためには…まぁ、やってみるか)

 

 バレずに、意識外からの攻撃を仕掛ける為には、無音で近付く必要がある。

 しかし、柱状の通信機器に飛び乗ると、少なからず音が出る。

 

 そこで考え出されたのが、移動中にヴェノムが披露した、ヴェノムの細胞を糸状にした伸縮自在の組織…名付けるならば、ヴェノムウェブを使う事だった。

 幸い、格好の立体物()はそこら中にある。

 

 エレクトロの後ろを取り、ヴェノムウェブを用いて柱と柱の間をスイングし、最終的にパチンコのようにしてエレクトロの遥か上を行く。

 地平線に沈もうとする太陽が、ヴェノムの白い目に反射した。

 

 やがて落下する体。

 エレクトロはまだこちらに気付いていない。

 

 シン達は両手を掲げて拳を握り、落下に合わせてエレクトロにそれを振り下ろした。

 

「グギャッッ!?!?」

 

 奇声と骨を粉砕する音が響く。

 続いて轟音。

 エレクトロが地面と激突した音だ。

 

 怯まず立ち上がろうとした彼女を更に地面に押し付け、馬乗りとなる形で追撃を加えようとした。

 しかし。

 

「舐めるなよこのクソガキャァああ"ッ"ッ!!!」

ガッ!?

 

 そこは腐っても大妖怪。

 電子化する事によってリカバリーを果たし、シン達に一撃加えて柱状の通信機器に逃げて行った。

 

逃げたーーア"ッ!?

おい!シン!大丈ーーーガァッ!?

 

 側頭部に衝撃。

 怯んだ所にもう一撃。

 更に怯み、また一撃。

 

 聳え立つ柱に逃げては攻撃を繰り返すエレクトロ。

 詰まる所ヒットアンドアウェイだ。

 

 防ごうにも圧倒的な速さの前に防御が意味をなさない。

 そうやって攻防とも言えぬ攻防を繰り返す内に、シン達はある事実に直面することとなってしまった。

 

 それは、電子化したエレクトロに攻撃する手段が無い事。

 タイミングを合わせて拳を振るっても、擦りもせずに逆にカウンターを食らうのだ。

 柱を破壊しようとしても、エレクトロがそれを許さない。

 

がっ!?ぐぅっ!!がぁああッ!!アッ!!こなッ!っクソッ!!

<不味いぞ…どうするシン…!?>

 

 攻撃は苛烈さを増し、いよいよ反撃さえ出来なくなっていく。

 そしてエレクトロが残した残像が、まるでシン達を蒼いドレスが覆っているかのようになるまで攻撃の手は加速していった。

 

 しかし、シン自身は微塵も絶望など感じていなかった。

 それは、信じているからだ。

 彼女が必ず来ると。

 

「アヒャヒャヒーーーガッっはッ!?」

 

 勝利のゴールテープが見え始め、嗤いが隠しきれなくなってきたエレクトロ。

 しかし。

 その嗤いがいつまでも続く事は無かった。

 

 エレクトロは、遂に駆け付けた彼女によって鼻っ柱をぶっ叩かれ、柱状の通信機器に激突したのだ。

 

 その彼女の光沢を纏った紫色の髪が靡き、紅蓮の瞳は覚悟に燃えている。

 彼女は長刀を振るい、シン達に手を差し伸べた。

 

「…遅かったですか?」

遅すぎだ依姫…さて、初めてのタッグマッチだ…行くぞッ!!

「えぇッ!!」

 

 依姫が、勝利の女神が手を差し伸べたのだ。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!
少しスランプ気味で上手く書けないらしいのぜ、ゆるし亭ゆるし亭なのぜ…

アライ・スメシー様、☆9評価ありがとうございますなのぜ!


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第三十三話 タッグマッチ

ゆっくり!していってね!


遅すぎだ依姫…さて、初めてのタッグマッチだ…行くぞッ!!

がぁあアアア"ア"ア"ッッッ!!

「えぇッ!!!!」

 

 シンは歪に生え揃った歯を剥き出しにして吠え、依姫は長刀を構え、軻遇突智の燃え上がる炎を纏わせる。

 ヴェノムには、シン達には影響しない炎をだ。

 

 そして二人が構えると同時に、目の前の瓦礫とした柱状の通信機器から極光が爆ぜた。

 爆発が起きたかのように瓦礫が爆散し、砂塵が吹き荒れる。

 

「面白いじゃないか?えぇ?人間とお前のコンビ…クヒヒ…!!」

 

 声が響くと同時に、紫色の風が砂塵を吹き飛ばした。

 それはエレクトロの溢れ出る妖力と霊力の混じった何か。

 決して爽やかな物では無く、ねっとりと、悪意を孕んだ悍ましい物であり、圧が内包された邪気だ。

 

 依姫が僅かに顔を歪め、警戒心を高めたその時。

 

「風が…!?」

 

 吹き抜ける風の向きが変わった。

 顔に正面衝突していた風が、逆向きに、つまりエレクトロに向けて吹いているのだ。

 

 悪寒を感じてエレクトロに目をやると、彼女が吹荒ぶ風を渦のようにして吸収しているようだった。

 その姿は妖力を体に充填させる様。

 嗤う彼女は、やがてオーラのような物と雷ををその身から燻らせていく。

 

 太陽は地平線に沈み込み、空の闇と光のグラデーションは急速に夜に支配されていく。

 

 空と呼応するかのようにエレクトロは嗤い叫び、凹凸の無い顔を凶悪に歪めて輪郭を曖昧にさせた。

 電子化するつもりだ。

 

依姫、カレンを元に戻すためには月読命の神降しが必要だ、だから俺達がエレクトロの動きを止める…その隙にやれ…!

「…月読命様が…?分かりました…!」

手加減はするな…したらこっちが殺される…!!

「………分かって、います」

 

 ボソリと、エレクトロに聞こえないように話し合う。

 ヴェノムが言った内容に、依姫は歯切れの悪い返事を出した。

 

 顔を出した満月が彼らを照らす。

 

 遂に、彼らは行動に出た。

 

「クヒヒヒヒッ!!ヒャハハハハハッ!!叩き潰す!!捻り潰す!!グッチャグチャにして喰ってやるッ!!」

オオォォォオオオオッッ!!!!

「ハァアアアアアアアッッ!!!!」

 

 一方は雷の如くスピードで襲いかかり、もう一方は突撃しながら迎え撃つ。

 

 狙われたのは依姫。

 女の方が弱い、それだけでエレクトロは標的を絞ったのだ。

 しかし、彼女は直ぐに 2VS1(リンチ) の恐怖を知る事となる。

 

 依姫に迫る雷速の拳。

 しかし、依姫は冷静に神の炎と長刀を用いて防御する。

 

 だが、それ以前にエレクトロにとって間違いがあるとすればーーー速さにかまけてシン達の存在を置いておいた事である。

 

 エレクトロの目に、依姫の目と鼻の先まで迫った拳が、別の腕に掴まれる光景が映る。

 焦燥に駆られて漆黒の腕の持ち主を見ると、シン達が凶悪な顔で微笑んでいた。

 

どうした?俺がいるのを忘れたか?

 

 ビキリ、と。

 のっぺりとした顔の全てに膨れ上がった青筋を浮かべ、憤怒のまま電子化し、シン達の背後を取る。

 

 どう足掻いても避けられない。

 そう確信した上で雷撃を発射させるがーーー。

 

「私がいるのを忘れましたかッ!?」

 

 シン達の体が前方に引っ張られ、入れ替わりで出て来た依姫が雷撃を炎で弾いたのだ。

 続け様に炎の刀をエレクトロに押し当て、炎を爆破する事で吹き飛ばす。

 

 2VS1とは、一人に固執せず二人の行動を常に考える必要がある。

 一つずつ狙っていたエレクトロが先手を取れるはずがなかった。

 

依姫ッ!お前が危険になったら俺が助ける!!だから背中を預けろッ!!

「こちらこそッ!シンさん達が危険になったら私が助けます!!だから背中を預けて下さいッ!!」

<俺達の良いが…こっちのコンビも中々良いな!!>

 

 加えて二人は何ヶ月も一緒に訓練を行って来た。

 互いの癖も、剣術も、戦い方も熟知しているのだ。

 

 即席の連携でも、絶対的な信頼感の元にその完成度は尋常では無い。

 

「ぐぅ…ッ!ク、クヒヒヒヒ…ッ!それでもこの程度…ッ!」

 

 吹き飛ばされた体を空中でフワリと静止させ、爆発を受けた腹部を摩る。

 指先には僅かに血が滲んだだけ。

 更に傷も直ぐに閉じ、何事もなかったかのような状態に戻ってしまった。

 

 目の前の人間よりも遥かに優れている。

 劣勢にも関わらず、その優越感によってエレクトロは更なる力を呼び起こした。

 

 それは自身をコイルと見立てた磁界の操作。

 

左右から行くぞ!!俺が動きを止めた隙に月読命の浄化の力を使えッ!!

「どう止めるのですかッ!?」

 

 地面が亀裂と共に唸りを上げ、吸い寄せられる砂鉄が頬を撫でる。

 

…マイナスの電子を吸い寄せるのはプラスの陽子…依姫!プラスの陽子は作り出せるかッ!?

「水素イオンの事ですか!?行け…るかも知れません!」

 

 本来、物質とは原子を構成する、電気を帯びていない中性子と、プラスの電気を帯びた陽子、そしてそれらを取り巻くマイナスの電気を持った電子で構成されている。

 そして、そんな原子の中の一つ、水素は陽子と電子を一つずつ持っている。

 

 この水素が電子を失った物。

 それこそがプラスの電気そのものであり、水素イオンと呼ばれる物、これこそがエレクトロニック(電子)と対を為すプロトン(陽子)だ。

 

 このプラスの力があれば、エレクトロが電子化しても引かれ合う性質のため避けられる可能性は無くなる。

 

 しかし、水素イオンは単体として存在出来ない。

 不安定すぎるからだ。

 化合物として存在する事は出来るが、今この場で科学の実験をする事は出来ない。

 

…クッソッ!!永琳がここに居れば!!

「考えている時間はありませんッ!行きますよッ!!」

 

 地面に亀裂が走るの同時に、二人は目にも止まらぬ速さで走り出し、挟み撃ちする様に左右に散開する。

 そしてほぼ同じタイミングで彼女に飛び掛かるーーーが。

 

 磁場(フィールド)は既に完成していた。

 

オルァアアアアッッ!!

「ハァアアアアアッッ!!」

 

 大槌へと姿を変えた漆黒の腕がエレクトロの右上半身を、神の炎を宿した長刀がエレクトロの左下半身を捉え、今まさに振り下ろされんとしたその時。

 

 大地が唸りを上げ、遮るように地面から分厚い鉄板が飛び出して来た。

 二人の渾身の一撃はエレクトロに届かず、一方は轟音を立てて鉄板を凹まし、もう一方はとても甲高い音を響かせ、長刀が弾かれるだけに終わってしまったのだ。

 

 しかし、シン達は鉄板に腕を突き刺してまるで粘土のように引き裂き、依姫は鉄板より高く飛ぶ事で対処する。

 

「そうこなくては面白くないッ!!」

 

 エレクトロは先ず、鉄板を引き裂いて現れたシン達に拳を突き出し、特大の雷撃を発射した。

 青白い光が一面を包む。

 シン達が苦悶の声を上げて雷に埋もれるのを確認し、雷を放出している腕はそのままに上空へ目をやる。

 

 目に入ったのは高々と掲げられた炎の剣。

 

 片手は塞がっている。

 絶対絶命ーーーでは無い。

 

「ふッ!!」

 

 電流を操り、大規模な磁界を形成。

 地中から、周囲から金属を選りすぐり、何十にも及ぶ鉄の壁をエレクトロと依姫の間に形成した。

 

 目を見開く依姫の姿が鉄に消え、星が輝く夜の空に鋭い反響音が響く。

 

 …防ぎ切った。

 しかも黒の怪物(ヴェノム)はモロにカウンターを食らっている、暫くは動かないだろう。

 (依姫)一人なら負ける訳も無いだろう。

 

 口も無いのに頬が吊り上がり、喜びの感情が湧いて出る。

 呆気の無い結末に嗤いが込み上げてくるーーーが。

 

「ククク…クヒヒ…!ハハハーーー」

 

 ふと、頭上の幾重にも重ねられた鉄板から焼け焦げる様な音が響いた。

 短い舌打ちが思わず漏れ出る。

 

 グイと首を上げると、赤熱化した鉄板。

 次の瞬間には、満月をバックに、鉄の壁を炎で焼き切った依姫の目があった。

 

 そのまま轟々と燃える刀が振り下ろされる。

 生み出した戦斧を振るい、片手で応戦する。

 

「ハァアアアアアアアッッ!!」

「一人で何がーーー」

よォ!!元気にしてたかッ!?!?

「ヒャ…ッ!?」

 

 ゾクリなんて、血の気が引いたなんてレベルじゃない。

 雷の光線から漆黒の腕ががぬらりと手を出すと言うーーー()()()()

 この女(カレン)の全身の細胞が恐怖を訴え、釣られてエレクトロの心にも恐怖が縫い付けられる。

 

 思わず光線も放出を止めてしまい、怪物(ヴェノム)の体が露わになってしまう。

 マッシブな体から所々煙を出しているものの、概ね無傷。

 あり得ない、電撃の直撃を受けてこれだけ?

 灰となっていて当然な筈なのに。

 

 これが…私と()()

 同じどころか()()()()に強い…一体どうなっーーー

 

守ってないで受け止めて見ろォッ!!

「ックソがぁああああッッ!!」

 

 思考を裂く様に化け物から蜘蛛の様な糸が飛び出し、手を、体を、足を縛り付けられ、化け物(ヴェノム)が腕を振ると同時に体が地面に縫い付けられる。

 その拍子に戦斧が手から零れ落ちてしまった。

 

「カハッ…!?」

 

 空気を肺から強制的に吐き出されながら考える。

 

 今から電子化して逃げ出そうにも距離が近すぎる。

 無理矢理逃げ出そうにも必ず被弾してしまうだろう。

 

 …化け物(ヴェノム)は私を縛って動けない。

 (依姫)の炎ぐらいなら耐えられる。

 

 ーーー攻撃を耐え切ってカウンターを仕掛けてやる。

 

 それが最終的な結論だった。

 だがそんな結論、次の瞬間には幻のように霧散してしまう。

 

今だ依姫ッ!ぶちかませぇぇええええッッ!!

「えぇ!!月読命様ッッ!!!」

「ッや、止めろ止めろ止めろぉおおおおッッ!!!!」

 

 女の刀から延びる獄炎が空に消え、代わりに刀から光り輝く何かが漏れ出る。

 

 そこまで来て、漸く気付いた。

 コイツらは()()()を消し去ろうとしている。

 

 刀から感じるのは、言うなれば浄化の力。

 妖怪にとって天敵よりも恐ろしい物だ。

 

 死。

 

 その一文字が脳内を汚染する。

 何度目かの恐怖が身を支配する。

 

 エレクトロは女の背後で輝く満月が神秘的に輝き、神々しい女神の姿を幻視した。

 刀から一層光が溢れ、夜に光の筋が駆けていく。

 

「食らえぇええええッッッ!!!!」

「ッ旧神(雑魚)の分際でッ!!己!己ッ!!己ぇええええッ!!」

 

 私はまだ全力を出していない。

 私はまだ神に成れていない。

 私はまだ人を殺したりない。

 私はまだ混沌を齎していない。

 

 圧縮された時間の中、意識だけで感じ取れる世界で後悔を爆発させ、女の掲げられた光り輝く刀が振り下ろされる現実を拒否する。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!

 折角生き返ったのに!あの()()にチャンスを承ったというのに!!

 己ぇええええッ!!!

 

「クソがぁあああああッッ!!!」

 

 断末魔の様な叫び声を上げ、エレクトロは光の中へ姿を消した。




ご拝読ありがとうございますなのぜ!
や っ た か !?なのぜ。

それはそうと今R-18の方を執筆しているのぜ、楽しみにしててくださいなのぜ。

ナンバーさん、☆9評価ありがとうございますなのぜ!!


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第三十四話 断ち切れぬ繋がり

ゆっくりしているのぜ!私が!!


「うぁっ!?」

 

 光がドーム状に爆発し、依姫の体が吹き飛ばされる。

 このままでは地面に激突してしまう。

 普段ならばどうって事無いが、生憎大技を放ったためか体制を崩してしまい、受身が取れなかったのだ。

 

依姫!!

 

 しかし、黒い流星が依姫を捉えた。

 

 光の爆発から逃れたシン達だ。

 

 そのまま依姫を抱き抱え、負担が彼女にかからない様地面に着地する。

 打って変わって腕の中で小さく丸まる依姫は、一瞬何をされたから分からなかったが、鄒俊してある事に気が付いてしまった。

 

(わ、私…お姫様抱っこされてる…っ!?)

 

 彼女はソレを認識して真っ赤に染まり、カチカチに固まってりんごの様な顔を隠すことも出来なくなってしまう。

 さながら借りてきた猫状態だ。

 …一方シンはというと。

 

(やべぇ俺…依姫をお姫様抱っこしてる…っ!!…や、やわらけぇ)

<やっぱ馬鹿だろお前>

 

 シンも自分が何をしていたのか認識してー外面状は分からないがー真っ赤に染まっていた。

 彼の内心をより詳しく言語化するとしたらーーー

 

 フトモモ モチモチ ヤワラカイ

 

 …詳しくする所か退化してしまっている。

 腕全体から幸せな感覚が伝わり、彼の頭は幼児退行に似た思考を取っていた。

 ヴェノムの的確なツッコミが頭を突き抜けるが、馬鹿な考えを展開してるため反論出来ない。

 依姫以上にガッチガチに固まってしまった。

 

 数秒沈黙し、見つめ合う二人。

 

 二人の理性は今直ぐにでも離れるべきと訴え掛けたが、依姫はもう少しだけこの状態でもバチが当たらないだろうとシンに甘え、シンはハムスターのように腕の中で丸まる依姫をまじまじと直視し、心打たれて離さない。

 

 そんな中、ヴェノムと月読命が呆れたように語り掛けた。

 

<…おい、降ろしてやれバカ野郎>

『今はそんな事している暇は無いのだぞ…』

「そっ、そうですよねっ!?すみませんシンさんっ!?もう少し乗って居たかったけどごめんなさいっ!?」

っああ大丈夫だ!?っむしろもう少し乗っていても良かったんだがな!?

 

 依姫は慌ててシン達の腕から転がり落ち、目をグルグル回しながら建前と間違えた本音を暴露し、シンもそれに目をグルグルと回しながら思わず本音を吐露する。

 

 二人はテンパりすぎて自分が何を言っているのか分からなくなっている。

 燃えているかのような顔面とグルグル回した目が証拠だ。

 

 …一周回って何も考えられなくなっている二人の頭が、お互いがお互いの漏らした言葉を理解出来ていなかったのが唯一の幸いか。

 

『…兎に角、私が月の表面に現存する浄化の力を大妖怪に浴びせた…悪くても奴と彼女の間の繋がりは断った筈だ』

…お前は大丈夫なのか?

『まぁ、な…月からの神力しか使ってないからな』

 

 月読命が話題の転換をした為か、多少沈静化する場。

 それでも。

 

<>

「…」

『…』

 

 余りに気不味く、痛々しい現場だった。

 当の本人達は目を合わせられない。

 依姫は恥ずかしさからか顔を伏し、シン達は先の爆発によって巻き上げられた砂塵を注視する事で、自分はなんでも無い様に振る舞っていた。

 

 数秒の間虚無が続き、最終的に二人は先の痴事を考えないようにする事で…と言うよりも無かった事にして場を進めた。

 行方不明だった緊張感が場に戻り始める。

 

「それよりもカレンさんは…」

『安心するがいい、人間には害は無い…アレが効くのは悪鬼共だけーーー』

 

 月読命が淡々と答える。

 そんな中、シン達()()があることに気付いた。

 

 雲海に雷が映し出されるかの様に、砂塵に蒼い光が投影されるのを目撃したのだ。

 

 ーーーまさか。

 そう考え出した頃には、事態は急変に向かおうとしていた。

 

<おいシン!!依姫を守れっ!!>

ッ!!

 

 ヴェノムの切迫した声。

 考えるまでも無く、シン達は依姫に飛び付き、地面に転がった。

 

依姫っ!!

「えっ!?」

 

 シン達の腕の中で驚きの声を上げ、目を丸くする依姫。

 次の瞬間、砂塵から蒼光が飛び出し、雷鳴と共に依姫の居た空間を抉り取った。

 

 二人はその光景を見るなり警戒心を全開にし、二人は先の茶番は何だったのかと思わせるかの様に素早く構える。

 

「助かりました…っ」

礼ならヴェノムに言え…さて、どうする…!?

『ありえん…何故…っ!?浄化の光が効いていないのか!?』

 

 月読命の焦った"何故"がやけに強く頭に残った。

 シンの瞳に、柱状の通信機器が満月に手を伸ばし、その下で俯く奴の姿が映る。

 

 その背中は、オーラでも、気でも何でもない…ただ凄まじい程の()()を物語っていた。

 しかし奴は、エレクトロはそれが何でもないとばかりに腕を広げて笑いながら、呟いた。

 

「アッハッハッハッハッ…!惜しかったなぁ…!!私のコイツの繋がりを断つには物足りない一撃だった…ッ!だか…痛かったなぁ…!身が引き裂かれる思いだった…この私に…!!貴様らァ…ッ!!」

 

 一変、噴火寸前の火山の様に煮えたぎった怒りがエレクトロから溢れ出る。

 

 タラリ、と。

 依姫の頬に一粒の汗が流れた。

 

「もう油断も慢心もせん…ッ!!全力で…殺すッッッ!!!!」

 

 ゆらりと振り向き、顔全体にブチ切れそうな血管を浮かばせた奴の顔が満月に照らされる。

 鼻も無く、目も無く、口も、耳も無く、凹凸も無く、これと言った表情も無く、貼り付けた能面の様で、その奥に般若を宿らせている顔だ。

 

 妖怪と言う括りに入れるには余りに禍々しく、まるで別物の何かだった。

 

「私はエレクトロ…ッ!!この世の全てを恐怖に陥れる大妖怪だ…ッ!!」

 

 エレクトロが吠え、地面を足で踏み付ける。

 それだけで配管や金属が唸りを上げて飛び出し、蒼雷の柱が顔を覗かせる。

 同時に、エレクトロは電磁浮遊によって空高く、数百メートル先まで飛び上がってしまった。

 

 …磁界操作に加えて雷の柱。

 常人には脳が焼き切れる、それ程の情報量を纏め上げる電流操作の技術が無ければ不可能な御技であり、その難易度に比例するかの様に苛烈な攻撃だった。

 

 恐らくシン達だけ、又は依姫だけだったなら成す術は無かっただろう。

 だが、生憎今は一人では無い。

 

「私は雷の柱をッ!!シンさん達は目の前の鉄をやって下さいッ!!」

OK!任せとけッ!!体力の方はどうだッ!?

「六割程残ってます!!行きますよッ!」

<上出来だ!!ぶっ飛ばしてやるぞッ!!>

 

 絶望感に屈しないためか、啖呵を切る彼らは、同時に襲い掛かる雷の柱と金属の群れに向かって走り出した。

 

 同時にエレクトロの姿が柱と鉄の奥に消える。

 視界は蒼とその中を突っ切る銅や銀の色に覆われるが、依姫があらん限りの声量で叫び、長刀を振り下ろした。

 

飽咋之宇斯能神(あきぐいのうし)様ッッ!!」

 

 飽咋之宇斯能神、又の名を、道俣神(ちまたのかみ)

 道俣とは、いわゆる十字路や町中の道、物事の境目、分かれ目を指し、早い話が道の境界を操る神である。

 

 そんな神を降ろし、依姫が行った事は一つ。

 異物に覆われ、道と呼べなくなった通り道に、また"道"という意味を与える。

 そして、その状態で固定する。

 

 こうする事で依姫は、雷の柱限定ではあるが、進行方向にある柱を全て取り除く事に成功したのだ。

 視界に豆粒の様に映るエレクトロが僅かに身じろぐ。

 

「シンさん!援護お願いします!!」

OK!!

 

 依姫の一振り、それだけで消し去られていく雷の柱。

 その光景は正に、モーセの滝割りならぬ依姫の雷割りだった。

 

 だが、ここで依姫は道固定のため神降しは不可能となってしまう。

 そこでシン達の出番だった。

 

オラァッ!!フンッ!!うらぁァアアッッ!!

 

 刀を構え、疾走する依姫を護衛するかの様に躍り出るシン達。

 エレクトロの磁力によって放り投げられる数十の鉄の塊を前にし、ヴェノムの助けも借りながら捌いていった。

 

 鉄の雨は依姫の壁として避ける事はせず、はたき落としたり、パンチ一発でペシャンコにしたりで対処。

 様々な鉄が地面に突き刺さる中、目の前に豪速球で飛来した鉄板をヴェノムウェブで捉え、遥か前方のエレクトロ向けてスィング。

 

 当たり前の様に鉄板が音速の膜を突き破り、風船が割れるかの様な爆音が鳴った。

 しかし、音速の弾丸はエレクトロに届く事はなく、代わりに十数の鉄の塊を薙ぎ倒す結果に終わってしまう。

 

 その光景を目の当たりにしたヴェノムは作戦変更を声高らかに唱えた。

 

よしッ!プランbで行くぞッ!!

プランaも何も決めて無かっただろうがッ!!

 

 シン達の右手が大楯へと変化し、それが鉄の雨を防ぐ間にもう一方の左手を片刃の大剣へ変化させる。

 依姫の水鏡の如き刀身と違い、黒曜石を叩いて削ったかの様な荒々しさと輝きを持つ大剣だ。

 

 いくら豪速球で飛んで来る金属が相手だったとしても、バターの様に裂ける事必至だろう。

 

依姫ッ!!俺達の背から離れるなよッ!!

 

 ドスドスと鉄の刃が突き刺さる大楯を投げ捨て、襲い掛かる鉄に向けて剣を振るった。

 

おぉおおおおおおッ!!

 

 鉄パイプを回転する様に切り刻み、その勢いで降ってくるドラム缶を蹴り上げる。

 続いて襲い掛かる配管を唐竹で一刀両断。

 立て続けに魚の群れの様に鉄破片が飛来し視界を奪うが、逆唐竹で吹き飛ばし、開けた視界で豆粒からスイカ程度までに大きくなったエレクトロと、前方から更に飛来する鉄の塊を見据えた。

 

 満月をバックに浮遊しているエレクトロの周りに、取り囲むかの様に、又は、彼女を守る僕の様に鉄の群れが浮遊している。

 少なくとも鉄のガトリングの弾は十分な様だ。

 

 …エレクトロとシン達の距離はかなり縮んだ。

 だが、このまま接近する事をエレクトロが許しはしないだろう。

 依姫はシン達の真後ろで刀をを鞘に納め、力を溜めている。

 

 集中しながら疾走しているためか、珠の汗をかき、息も上がってきている様だった。

 

 恐らく…いや、必ずショートカットが、それもエレクトロの隙を突いた物が必須になる。

 どうした物か、そうシンが考えた瞬間。

 

<良い案がある!俺に任せろ!!>

…分かった…!依姫ッ!ショートカットだ!!月読命の準備をしておけ!!

「えぇ!!了解ですッ!!」

 

 依姫が了承した同時。

 

<集中しろ…!深くだ…!>

 

 声の通りにシンは目を閉じ、意識を精神の奥深くへと送り込んでいった。

 魂と魂を溶け合わせる様に思考を一体化させ、極限までヴェノムのパフォーマンス能力を引き出していく。

 "適応"によって更に力が増していき、高揚感が身を包む。

 

<俺達は二人で一つ…俺達なら何だって出来る…!そうさ俺達は…>

リーサルプロテクター(残虐な庇護者)、か…悪くねぇな…!

 

 言わなくても分かる。

 流れ込むヴェノムの思考が教えてくれるのだ。

 

 そして、その時には、何をすべきかも理解していた。

 

 開眼し、スゥと息を吸う。

 今から行う無茶を実行に移すためには、兎に角酸素が必要なのだ。

 

 前方に降り掛かる鉄の雨に向けて空いた方の腕を振るい、手の五指一本一本をヴェノムウェブとして発射する。

 べちゃりとその全てが命中したが、そのまま振るう事はせず、一度降ってくる勢いをそのままに地面に激突させ、鉄板が地面に突き刺さった。

 

 当然ウェブがゴムの様に伸び、体がガクンと後ろに引っ張られる。

 だが、止まってしまっては元も子もないため、歯を食いしばり、雄叫びを上げてーーー飛んだ。

 強靭なウェブが軋みを上げ、負荷に耐えられなくなった地面に五本の亀裂が入り、そのうちの何本かが地面から抜けてガラガラと不協和音を響かせる。

 

 そして、漸くエレクトロの顔が確認出来た瞬間に、ウェブを収縮させて拳を握り、腕を振るった。

 ウェブが更にギチギチと唸りを上げる。

 

ォォォオオオオッ!!!

 

 血管から血が噴き出る程の力を捻り出し、地面を踏み締める。

 

 そして遂に、鞭、と言うよりもゴム鉄砲の様にウェブに繋がれた五つの金属が放たれ、音速の壁を軽々と破り、エレクトロに向けて発射される。

 その最中、ウェブが鉄と鉄を繋ぎ合わせ、バラバラだった五つの鉄塊は、一つの巨大な鉄塊となった。

 

 しかしシン達はウェブに異常を感じ取り、そこでウェブを切り離した。

 

 ーーーボゥ、と。

 唐突に鉄塊が赤熱化し、炎を纏ったのだ。

 それは空気の摩擦による熱エネルギーへの変換であり、その巨大さ故の変化だった。

 

 しかしながら、その変化は決して不利益などでは無く、炎を纏い、電子化すら逃れさせない不可避の一撃へと変わったのだ。

 加えて大質量、先の投擲よりもはるかに速い一撃。

 磁界を操作しても到底防ぎ切れるものでは無い。

 

「…チィッ!!」

 

 巨大な火球に盛大な舌打ちを打ったエレクトロ。

 雷撃を撃てば磁界の均衡は崩れてしまう、かといって電子化しても逃れられない。

 みるみる内に目の前に迫り来る鉄塊。

 

 ーーー考えている時間は無い。

 

 エレクトロは仕方無く磁界を安定させていた電流の操作を中断し、掌に渾身のエネルギーを集めた。

 磁力の制御を失った金属が、地面に轟音を立てて落下する。

 

 だが、それは関係無い。

 使えなくなったらまた磁界を展開すれば良いだけの話なのだ。

 

 掌から漏れ出る蒼雷に黒が混じり、空気が震えていく。

 漏れ出る黒が蒼を完全に汚染したその瞬間。

 

「フォールン…ッサンダァアアア"ア"ッ!!」

 

 ーーー龍の如き黒雷が唸りを上げて炎に包まれた鉄塊に激突した。

 瞬時に爆音が鳴り響き、赤い鉄塊と黒の龍が拮抗する。

 

「ぐぉおおおおおッッ!!」

 

 しかし。

 エレクトロの雄叫びを上げ、拳を捻ると同時に、黒龍が重々しく顎を開き、鉄塊にガップリと齧り付く。

 

「ーーーハァッ!!!」

 

 そして、エレクトロが拳を握ると黒雷は龍と共に爆発を上げ、辺りは黒い光に包まれた。

 

 …妖力の残光が弱まり、光が止む。

 目の前には残骸をを撒き散らす砂塵だけ。

 つまりは、完全勝利。

 

 思わず嗤いが溢れそうになるが、シン達を殺したわけでは無いと心の帯を締め、真下に落下した金属を俯瞰してまた周囲に電流を流し、磁界を形成した。

 ーーーしようとした。

 

「月読命様ッ!!」

『今度こそ…浄化してくれるッ!!』

 

 心臓を握り潰されたような鳥肌。

 

 視界を目の前に戻すと、砂煙の尾を引き、光り輝く長刀を鞘から抜刀する依姫の姿が映った。

 

 何故?

 何故ここにお前が居る?

 お前が飛べる訳も無いのに。

 何故そうやって私の虚を突き続ける?

 

 ーーー理由は簡単。

 シン達が依姫を飛ばしたのだ。

 

 時はエレクトロが爆発を起こしたその瞬間まで遡る。

 

 エレクトロが爆発を起こし、砂煙を視認したその向こう側。

 そこでは当然、空中で鉄塊を飛ばしたシン達と、力を蓄え続ける依姫が居た。

 

 しかし、シン達の作戦はここで終わらない。

 砂塵が巻き起こった瞬間に、()()()()()ウェブを飛ばしたのだ。

 

 依姫は迷わずそのウェブを掴み取り、シン達が鉄塊を振るった時と同じ様に腕を振るった。

 

オラァッ!!

 

 そう、砂塵はただの目眩し(フェイク)

 投擲がエレクトロに防がれると見切った上で、全てを計算していたのだ。

 

 十二分に加速したと感じた依姫はウェブを手放し、砂煙の中に突入する。

 崩壊していく鉄の破片が頬を撫でるが、依姫は納刀した状態を、居合の構えを解かずに砂塵の中を突っ切った。

 

 理由は単純だ。

 

 ここまでシン達にお膳立てされたのであれば、ここで決め切めねば女が廃るという物。

 故に彼女は、どんな事があっても一撃を決めるという覚悟を持っていた。

 

 依姫の瞳が、紫の瞳が覚悟に燃え、砂塵の中で一際目立つ様に光り輝く。

 エレクトロにすら視認されていないこの時こそ勝機。

 

「ーーースゥゥ…」

 

 深く、息を吸う。

 

 砂煙越しに蒼い体のエレクトロが見えた。

 あと少しで抜けるだろう。

 

 鞘と柄を握り締め、体の隅から隅まで貯めた力を今、爆発させる。

 

 ーーいざ。

 

「月読命様ッ!!」

『今度こそ…浄化してくれるッ!!』

 

 砂塵の膜を飛び出し、砂煙の尾を引く依姫は、二度目の月読命の神降しを行った。

 声に気付いたエレクトロがこちらを驚愕の眼差しで見つめるが、既に超至近距離まで迫っている。

 

 それは絶対の間合い。

 

 鞘の中で超加速する刀身。

 鞘から抜刀した刀からは光が滲み、依姫を、エレクトロを、漆黒の夜を照らしていく。

 

 肩を跳ねさせて驚き。

 全身から吹き出る汗が光を反射し。

 ひゅっと、息を飲む。

 

 そんなエレクトロの動作が依姫極限の集中によって、スローモーションに動いていた。

 

「さぁ!!カレンさんをーーー返せッ!!」

「ーーーッッッ!!」

 

 音速を超えた切っ先。

 ゼロ距離の居合。

 振り抜かれた長刀。

 

 エレクトロの、何も無い顔が光に照らされた光景を最後に、依姫の視界は輝く浄化の光に包まれた。

 

 黒洞々とした空に、一筋の巨大な流星が駆け登っていく。

 星の光さえ凌駕する浄化の光は瞬く間に空に溶けてゆき、数秒後には姿を消してしまった。

 

 依姫はエレクトロにギリギリ触れない…つまり、剣先が当たらない、且つその状態でゼロ距離の浄化を放出した事で確かな実感を胸に宿らせていた。

 カレンを元に戻せた、と言う実感を。

 

 ーーーだが。

 

「ーーーククク」

 

 光が消えたその場には。

 

「ーーーハハハ」

 

 腰を思い切り反って光の奔流を回避したエレクトロが居た。

 

「ーーーアーヒャッヒャッヒャッ!!」

「そんな…そんなぁ…っ!」

『クソッ!!』

 

 絶望。

 シン達が必死で作り出したこの一瞬を。

 カレンを戻せなかったと言う申し訳なさを。

 

 ただひたすらに絶望した。

 

 その顔をマジマジと観察したエレクトロはまた一際大きく嗤った。

 

 ーーーさて、ここでの誤算は大きく分けて三つ。

 

 まず、ほぼゼロ距離だった事。

 何故か?

 それは浄化の光を放出プロセスにある。

 

 月読命が月の浄化の力を刀に宿し、それを振る事で放出する。

 だが、その放出の仕方が問題だった。

 

 その仕組みは刀の切っ先から収束された光が光線の様に発射され、それが拡大していくもの。

 つまりゼロ距離で放たれた光の奔流は、刀自体を避ける事で、後に続く光線も回避出来てしまうのだ。

 

 ーーー二つ目。

 

 それは、カレンに傷を付けまいと刀を当てなかった事。

 …甘さが原因とも言える。

 

 つまりエレクトロを本気の居合で斬っていたならば、そもそも避けられはしなかっただろうと言う事だ。

 

 ーーー三つ目。

 

 それはーーーエレクトロが依姫の剣術を理解して(知って)いたからだ。

 

 何故知りもしない相手の剣術を知っているのか。

 それは、皮肉にも最初の浄化の放出が原因なのだ。

 

 確かにあの一撃はエレクトロとカレンの繋がりを絶とうとした。

 しかしその結果。

 

 ーーー繋がりが弱くなったからか、カレンの記憶の一部がエレクトロに入って来たのだ。

 運が良ければその時点でカレンが体の制御を取り戻していたと言うのに。

 

 運悪く。

 本当に運が悪いことに、カレンの人生の中から依姫との模擬試合の記憶を手に入れたのだ。

 その結果、反射的に、紙一重で依姫の一閃を掻い潜る事が出来た。

 

 だから…この結果は不幸に不幸が重なった偶然が引き起こした、()()()()()なのだ。

 

「アヒャヒャ…ヒャァッ!!」

「げほっ!?」

 

 空中である事が災いし、マトモな受け身も取れずに叩き落とされる依姫。

 苦痛に喘ぎ、エレクトロを睨んでものっぺりとした顔が遠くなっていくだけ。

 そんな依姫に彼女は追撃はせず、鼻で嗤い、電子化してシン達の方向に消えていった。

 

 代わりに依姫の頭に焼き付いたのは、あの凶悪なのっぺりとした顔。

 無感情。

 無表情。

 それでいて内にはドス黒い魂を抱え込んでいる。

 

 その闇を、虚無を、あの顔は醸し出している。

 ーーー恐ろしい。

 一端の妖怪が持つには、過ぎた闇と言えるほど暗い。

 

 そんな感情を露知らずと言わんばかりに、無常にも落下する体が地面に激突する。

 しかもその地面は、エレクトロが金属を大量に落としていった剣山の様な地。

 

「ぐぅぁッ!?」

 

 なんと運悪く、鉄筋が腕に突き刺さってしまったのだ。

 

 ーーー痛い。 

 血が、ドクドク溢れ出る。

 貫かれた皮膚の痛みが徐々に頭を焼いていく。

 

「っぐぅうううう…!」

 

 足じゃ無いだけマシだが、それでも刀を両手で震えなくなったのは痛手だ。

 そしてその怪我を引き金に、依姫の心には亀裂が生まれてしまった。

 

 それは依姫に本当にカレンを取り戻せるのかという疑念。

 鈍ってしまった覚悟。

 

(本当に私はカレンをーーー)

 

 折れてしまいそうな心。

 心と肉体の痛みで涙が溢れそうになる。

 

 それを正したのは、他でも無い月読命だった。

 

『まだだ!!しっかりしろ!勝機は残っていない訳では無いのだッ!!主が諦めたらどうするっ!?』

「…そう、ですね、でもーーー」

『でももへったくれもあるか!第一カレンはお前の()()だろう!?』

 

 依姫の負傷した腕を抑える掌が、ピクリと動く。

 

『親友ならばこれ程度の絶望何でもないだろう!?』

「ーーーえぇ、そうです…立ち止まっている場合ではありません」

『そうだ!!カレンを救え!!それが出来るのはお前だけだ!!」

 

 ()()ならば。

 救え。

 

 言葉が頭を反芻する。

 

 ーーーそう、カレンは、友なのだ。

 依姫にとって大事な大事な友達。

 

 共を救うからには、この程度の怪我で諦めるなど言語道断。

 どうやら闇を見たせいか、気弱になっていた様だ。

 ついさっきまで折れかけていた自分を殴ってやりたい気分である。

 

『…それでいい…いいか依姫よ、次で絶対に決めるのだ…次で、我の全てをぶつける』

「えぇ、分かりました…!」

 

 その言葉を皮切りに、声は聞こえなくなった。

 神降しが中断されたのだ。

 

 ーーー行かなければ。

 

 依姫は、腕から血を滴らせながらも、シン達に加勢すべく足を運んだ。




ゆっくりご拝読ありがとうございますなのぜ!!
一話で纏める筈が三話になった!?…ウーン(絶命)

ま、まぁ許し亭許し亭なのぜ…


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第三十五話 煌めくブロンズ

遅れたのぜ…ゆっくり!


はぁっ、はぁっ…依姫はどうなった…!?

<分からん…目の前の煙が邪魔だ…!>

 

 依姫を吹っ飛ばしてから数秒が経った。

 やはり相手側の情報が無いと少しばかり心配してしまう様で、シン達は頬に汗を垂らしている。

 

 彼女を信じてはいるつもりだ。

 だが、やはり。

 

 すぐ側にいないと言うのは、どうしようも無くーーー

 

(クソ…ッ!)

 

 ーーー分からない。

 心の内にこびり付いたこの感情はなんだ?

 

 形容し難い感情だ。

 無理に言語化しようとしても霧を掴むような感触。

 その感情は、その色は、一体何色なのだろうか。

 

 ーーー不意に。

 眩い光が目を襲った。

 

…ッ!!

 

 その光に目を焼かれ、思わず目を覆ってしまう。

 シン達は低く唸り、マトモに物を見れない瞳で砂煙の向こう側を見つめた。

 

どうなったっ!?

 

 ジリジリと痛む目に耐え、徐々に浮かんで来る景色にはーーー

 力無く地面へ落下する依姫が映っていた。

 

 ほんの一瞬、惚けた顔で、瞳孔の空いた瞳で呆然と眺めるシン達。

 

 失敗した?

 生きているのか?

 

 シンの心には失敗を嘆く気持ちよりも、ある種の縋りが大半を占めていた。

 彼女が死んで欲しく無いという、縋り。

 

 無意識的に手が依姫向けて伸びる。

 まるで届きもしない月に手を伸ばすかの様に。

 

 そしてその手はーーー

 

「ハロー!!元気ぃッ!?」

ーーーっ!?

 

 届く事は無かった。

 代わりに届いたのはエレクトロの拳。

 

 砂塵を突き抜け、雷の様に飛来して来たエレクトロがシンの顔を思い切り殴り付けたのだ。

 音速を遥かに変えた拳で、だ。

 

 シン達はまるで声にならない声を上げ、エレクトロが拳を振り抜くと同時に、そこから姿を消してしまったかのように殴り飛ばされてしまった。

 

がっ…ぁ…っ!!

 

 視界が目まぐるしく回り、柱が目に入っては消えて行く。

 

 それだけでは無い。

 柱を何本も破壊し、柱の一本に激突して漸く停止したシン達は、ある異変に気付いた。

 ーーー平衡感覚を保てない。

 

ぐぅ…!!

<大丈夫か…?>

 

 その名は、脳震盪。

 

 立ち上がっても立ち上がっても、地面が近づいてくるような気分だ。

 視界が震える。

 腕を地面に突き立てながらも顔を上げられない。

 

 不味い、苦々しい顔でそう考え始めたその時、雷鳴が響き、下にしか向ける事が出来ない瞳に、何者かの足が映った。

 

 華奢で、細くて、まるで小学生の様な脚。

 今一番救わなければいけない人、しかし今一番忌々しい存在を示すものだ。

 

「ーーーおぉ、無様無様」

てめぇ…ッ!!

 

 心底愉快な声がシン達を現実に引き戻す。

 

「少しーーー自慢をしようと思ってね?女には退場(消えて)してもらったよ」

「…お前…依姫を…殺したのか…!?」

 

 退場(消した)

 その一言に身体が、声が震える。

 

「あぁ…?そんな事はどうでもーーー」

答えろゲス野郎ォッッ!!

「…お前は立場が解ってないのか?」

 

 愉快な声色から一転、ライオンがウサギを見つめる様な、絶対零度の瞳を持って言葉を投げ出すエレクトロ。

 コツコツと音を鳴らして近付いたと思ったら、その足を上げ、シン達の頭にぽすりと置いた。

 

 シン達の身を嫌な悪寒が包んでいく。

 

「なぁ…シンッ!!!!」

ごぶぁッ!!

 

 直後にシン達の頭が地面に沈み、コンクリートの破砕音が響いた。

 ヴェノムを纏っているため致命傷にはならないが、生死がどうあれ、依姫を傷付けたこの存在が、堪らなく憎い。

 そして、そんな存在にしてやられている自分自身も憎たらしかった。

 

 エレクトロはそんなシン達の心情を目敏く読み取り、クツクツ嗤う。

 

「クヒヒ…本当感謝しないとなぁ、この身体に…あぁ、それと()()()()にもなぁ…」

緑の男…!?アースのことか…!…お前、まさかーーー

 

 一瞬怪訝そうな顔をするエレクトロだったが、シン達の言葉を聞いてアースと彼らに面識があると分かり、ぬぅっと口を裂かせる。

 悪魔の笑みだった。

 

「キヒ…クヒヒヒヒッ!!あぁ…あぁ!!」

 

 聞きたくない。

 だが、雑音は心の奥底まで刻みつける様に響く。

 

「ーーー殺したッ!!今頃彼は真っ二つさ!!クヒャヒャヒャヒャッ!!」

 

 その瞬間、シンの心に、()()()()が湧き出た。

 絶望という名の泉から、止めどなくヘドロが溢れる。

 そして、今この戦闘、この一瞬で決して抱いてはいけない感情。

 

 ついさっき依姫に抱いていた感情の正体は掴めなかったが、今度ははっきりと分かる。

 その感情の名は、激烈な殺意。

 頭上のエレクトロが僅かに仰け反り、息を呑んだのを感じる。

 

 依姫の友?仲間?未練?

 知った事では無い、兎に角殺したいのだ。

 

 怒りに身体が脈動し、燃える様に熱い。

 しかし、それでいて頭を冷たく、どこか客観的になっている。

 

 脳震盪でも関係無い。

 そう、お前をーーー

 

ーーー殺す

<駄目だ!!>

 

 殺意を伴った覚悟を決め、強引に立ちあがろうとしたその時。

 ヴェノムがシンを引き止めた。

 

 エレクトロの足とはまた別の、押さえ付けられた様な感覚。

 ヴェノムがシンの身体を抑制しているのだ。

 

おい、ヴェノム、身体を動かせ

駄目だ!俺はハッピーエンド主義者だ!お前にそんな選択肢は選んで欲しくないし、選ばせたくもない!

っ黙れヴェノム!!いいから身体を動かせ!!

「ごちゃごちゃと…五月蝿いッ!!」

 

 言い合いをしていたシン達はエレクトロに蹴り飛ばされてしまう。

 首を蹴り飛ばされてもなんのその、すかさずに体勢を立て直すシン達だったが、やはり身体の重心がどこかに行ってしまっている様で、膝を着いてしまった。

 

ぐぅっ…!

いいか、シン?緑のガキも依姫も生きている、死んでるはずは無い!何でかかってアイツらは俺達と真っ向からやり合えた人間だからだ!!

分かってる…!解ってんだよそんな事…!!

 

 シンは理性の中で理解している。

 だが、本能が暴れ出し、殻を破って殺意が剥き出しとなっているのだ。

 

 彼は頭を覚ますため、大きく深呼吸をした。

 

 燃え上がる熱意を吐き出し、熱い身体を覚ますために深く息を吸う。

 少しぐらいは落ち着いただろうか。

 …といっても、気休め程度だが。

 

ふーーー…!!…よし落ち着いた、これでいいだろ?

…まぁいい、俺が重心を取ってやる、シンは殴る事だけ考えておけ

「おーい?聞いてんの?二重人格?」

下衆は黙ってろッ!!

「おー…こわぁ」

 

 腰辺りからタコの様な触腕が生え、地面に三脚の如く突き刺さる。

 エレクトロが馬鹿げた様子で問い掛けるが、シンはそれに射殺さんばかりの眼光を持って答えた。

 

 グラグラ揺れる視界で、エレクトロを見据える。

 

いける…!

「あーそうそう、何が話したいってそう!女と繋がった時だよ!!」

 

 緊迫した空間を動かすかの様にエレクトロが叫び、同時に彼女の腕に光が集まった。

 ニタリと擬音が付く程、醜悪に皺を寄せる姿はまるで邪悪の化身であり、異様な威圧を孕んでいる。

 

 シン達はその異様な自信とも取れる仕草に、僅かに身じろいだ。

 

「記憶が雪崩れ込んできたんだよ…!異様な承認欲求、お前への羨望、僅かな希望…そして()()()()()()…!!」

…何が言いたい?

 

 光はやがて戦斧を形作り、眩いばかりの蒼を放って辺りを照らす。

 シンの問いにエレクトロは俯いて答えず、代わりに戦斧を頭上に掲げた。

 

 そして腰を落とし、前傾姿勢を取るエレクトロ。

 

「ーーー嫌でも分かるさッ!!」

っ!?

<ボケっとするなッ!振り下ろしが来るぞ!!>

 

 平された顔がシン達を見据えると同時に輪郭が曖昧に変化したエレクトロは、電子化をもって彼らに襲い掛かる。

 余りに唐突な始まりに身体が硬直するが、ヴェノムのアドバイスに意識を一気に戦闘用のソレへと変化させ、稲妻と化したエレクトロを迎え撃った。

 

 ーーーやはり、早い。

 落雷の様なスピードは誰にも捉えられず、歴戦の戦士ですらその追随には叶わぬだろう。

 元々が非力と言う弱点を持ちながら、大妖怪としての腕力でそれを解決し、加えて武器はステータスを破壊力に全振りした戦斧。

 

 この一撃に反応し、対処出来るのはシン達の知る限り、依姫ぐらいしか居ないのかもしれない。

 勿論シン達も含めて、だが。

 

 ーーーしかし。

 

「ーーー()()()

 

 エレクトロがヴェノムの弱点を知っているのだとしたら。

 彼らが彼女を止める方法は、いよいよ無くなるだろう。

 

<がぁっ!?>

ッづぁッ!?!?

 

 ヴェノムの助けもあり、膂力を増した状態で腕をクロス状に重ね、戦斧を受けようとしたシン達。

 しかし、クロスした黒腕と蒼電を放つ戦斧が触れ合おうとしたその瞬間。

 

 ジュッ、と。

 

 斬撃には似つかわしく無い音が響いた。

 まるで熱したフライパンに水滴を垂らした様な、鉄が溶鉱炉に沈み込む時の様な。

 

 思わずシン達は、取り分けヴェノムが苦悶の声を漏らし、強引に防御を解除してバックステップした。

 

「クヒヒッ!どうしたぁっ!?腰が引けているぞぉッ!?」

ッグォオオオッ!!

 

 背後に飛んだシン達を追い掛け、常に懐に入り込むエレクトロ。

 

 戦斧に触れてはいけない。 

 何が起きた、それを考えるよりも先に直感がそう囁いた。

 

クソッタレがッ!!

熱か!この野郎ッ!!

 

 悪態を漏らし、痛みの原因を知ると同時に、右前方から迫る袈裟斬り。

 それをシン達は、いや、ヴェノムは身体を横に倒し、戦斧に滑らすかの様に回避した。

 

 ーーーそして。

 

なぁっ!?ヴェノムお前!それはキツイ!!

<これぐらい我慢しろッ!!>

 

 体勢を立て直す事も、ましてやそのまま倒れる事も無く。

 シン達の周りだけ重力が反転した様に、彼らの身体は真っ逆さまになった。

 

 それを可能としているのは腰から生える数本の触腕。

 巨木すらもへし折るパワーを持った黒腕が脚の役割を担うのは、実に簡単な事であるのだ。

 

 しかし、シンへの負担も凄まじい。

 彼は脳震盪で揺れる視界の中、上下反転した世界でエレクトロと戦い続けなければいけないのだ。

 冷静に考えて、誰でも胃の中身をぶち撒けるだろう。

 

「ちょこまかとぉッ!!」

 

 そんな事露知らず、エレクトロは戦斧を振り、幾度も空を切る事を繰り返している。

 どれだけ紙一重でも、攻撃の手を全て防御に回したシン達にとってはお茶の子さいさいな話であった。

 

 そうやってシン達は触腕を使いこなし、元に戻した体の位置を微調整し、攻撃の手をずらしていく。

 ーーーしかし。

 

がぁっ!?

 

 優勢に見えた攻防は、呆気なく終わってしまった。

 

 シン達の胸元に迫った一撃。

 対して彼らは触腕を背後の地面に差し込み、そこから体を引き寄せる事で間一髪で回避した。

 ーーーにも関わらず、胸元に一筋の傷痕が刻まれたのだ。

 

 それを皮切りに、次々とシン達の身体に傷跡が刻まれて行く。

 避けている筈なのに、何故。

 斬撃の最中浮かぶ疑問の答えは、戦斧の刃先が物語っていた。

 

 ーーー蒼い輝きの他に、紫の雷が纏わりついている。

 シンは戦斧を回避した瞬間、その事に気付いた。

 そして青の残光が残しながら黒い皮膚の上を滑る戦斧、遅れて紫電が弾け、シン達の身を焼き切っていくのだ。

 

(種は分かった…!だが…)

 

 結局、対処の方法は無く、あるとすれば大振りに回避するだけ。

 しかしそれもギリギリで回避して来たシン達にとって、無理難題に近しい。

 瞬く間にシン達の黒の体は、赤熱化した列線が浮かんでいった。

 

 不意に、エレクトロが戦斧を振るいながら喋り出した。

 

「…何故だ?」

ぁあ!?

 

 戦斧を振り回し、後退するシン達を追い詰めるエレクトロが、そう低く呟いたのだ。

 その顔持ちが表すのは、疑問。

 

「先までの攻勢はどうしたッ!?弱い、お前は■■とは思えない!それとも私の勘違いだったかァ!?」

お前は何言ってんだッ!!

 

 意味不明な言動。

 その言葉に違和感を覚えたシン達だったが、目の前の脅威に直ぐ消え去ってしまった。

 

 熱に冒された身体はいよいよヴェノムを剥がす一歩手前まで迫り、さらに斬撃の険しさが増していく。

 そして後退を繰り返したシン達の体はーーー

 

ぐっ!?

<シンッ!!>

 

 背後の柱に気付かず、鈍い音を立てて激突してしまった。

 ーーーもう後退は出来ない。

 受けるしか、無い。

 

「クヒャッ!!弱いぞォッ!!」

 

 愉悦を滲ませたエレクトロが顔がシン達の白い目に映り、続いて絶望を伴った蒼の戦斧が天は掲げられる。

 満月と重なった戦斧が月光に煌めき、無慈悲に振り下ろされた。

 

<ぐぅおおおッ!!>

 

 幾本かの触腕がシン達の盾として重ねられるが、戦斧が触れると同時に、まるでバターを切るかの様に切断されてしまった。

 漆黒の防御すらも破られ、切断された触腕が宙を舞う中。

 

 ーーー戦斧が深々とシン達の身体を切り裂いた。

 

ぐがぁああああ"あ"あ"ッッッ!!!

<ぐぁあああ…ッ!!>

 

 シン達の胸に灼けた一線が刻まれ、次の瞬間、噴水の様に血が噴き出す。

 電熱に熱せられた鮮血がエレクトロに降り注ぎ、あまりの苦痛にシン達は遂に膝を着いてしまった。

 

 血の噴き出す胸を押さえながら、それでもエレクトロを見上げ、睨み付ける。

 

「…クク、本当に私は運が良い…こうやってお前を追い詰めることが出来たのも、全ては天命…いや、我が主神の思し召しか…!」

…ッ!!

 

 顔に飛び散った返り血を拭いながら戦斧をもう一度振りかざすエレクトロ。

 今度はシン達の首を飛ばす気だ。

 

(ヴェノム…俺一人でやる…!それなら熱も関係無い…!!)

<駄目だ!電撃はどうする!?>

(それぐらいどうって事ない…わかったらさっさと解けヴェノムッ!!)

「さぁ…言い残す事は?」 

ある訳無ぇだろ…!

 

 掲げられた戦斧が黒雷を纏い、歪に曲がった放電が周囲の地面を穿ち、逃げ場を無くしていく。

 それを見たヴェノムは、低く唸り、本当に仕方が無さそうに言葉を漏らした。

 

<ヘマはするなよ…!絶対だ…!!>

ありがとなヴェノム…さぁ…行くぞ俺…ッ!!

 

 覚悟を決めると同時、戦斧から黒の光が弾け、戦斧が振り下ろされた。

 

「ーーー死ねぇッ!!」

「ふっ!!」

 

 刻々と迫る戦斧を前に、シンはヴェノムをその身の内に収め、2m以上に昇る身体を二回り小さくさせてみせた。

 当然、縮小した身体ならば避けれない攻撃も避けれる様になる。

 

「なっーーー」

「オラァッ!!」

 

 片足を軸に身体を回転させ黒雷を纏う戦斧に滑らすかの様に回避し、ダンと音が鳴る程地面を踏み込み、エレクトロの顔面に一発。

 

 渾身の力を込め、腕を振り抜くと同時に、シンの身体を紫電が襲った。

 戦斧に付属していた紫電が、だ。

 体が異様に痺れ、更に激しく動いたからか、胸の太刀傷が開き、無視できない量の鮮血が流れる。

 

「ゴポッ…」

<熱に灼けた部分だけは治せねぇぞ!無理するな!>

「わーってる…!!」

 

 内臓が灼けたからか、喉の奥から血が溢れ、血に塗れた掌を見る。

 

 その掌はプルプルと震えていた。

 身体に限界が近付いている証拠だ。

 

「ーーーっ!」

 

 その次の瞬間、雷鳴が轟き、視界を掌から真正面に向けると。

 蒼の光と化したエレクトロが目の前まで迫って来ていた。

 

「シンんんッ!!殺してやるぞぉおおおオオ"オ"ッッ!!!!」

「ぐぅッ!!」

 

 咆哮とも取れる雄叫びを上げながらエレクトロはシンに突撃し、その勢いのままシンごと柱を貫き、貫き、貫きーーー。

 

「この野郎ぉおおおッ!!」

 

 柱に激突する背中と腹部中心に広がる刺す様な電撃に顔を苦痛に歪めるシンは、エレクトロを引き剥がす為、意を決して電流の中に手を突っ込んだ。

 しかし応えられたのは空を切る感触と腕を焼き尽くす様な電撃。

 

「アヒャヒャヒャヒャッ!!お前がこの私に触れる事は出来ないだろうッ!?」

「ぐっぉおおお’’お"ッ!!!」

 

 腹部が異様に熱い。

 口端から血が溢れ、加速していく身体は遂に発電所の中心部である管制塔に轟音を立てて激突し、そこでようやくエレクトロが停止した。

 

「ぐっ…ぉ…ッ!!」

<シンッ!!来るぞ!!>

「クヒヒヒヒ…!磔としては十分か…!!」

 

 エレクトロは雷となって距離を取り、続いてその掌に戦斧を形成する。

 

 シンは白黒した視界で管制塔にめり込んだ身体を動かそうと身じろぎするが。

 ヴェノムも無く、力も入らない、そんな身体では管制塔の壁に軋みを上げさせるだけに終わってしまう。

 ーーーだが。

 

「クソがぁ…ッ!!」

 

 怒りが、自分に対する積怒が、エレクトロに対する怨念が。

 シンに際限なき力を与え、瀕死によって能力がシンの身体をより強靭に作り替えていく。

 燃える戦意に灯油が注がれ、足りない腕力はより高く、より太く。

 裂けた胸から滴る鮮血が止まり、体の奥底から知らず知らずのうちに力が湧いてくる。

 

「…?」

 

 バチバチと唸りを上げる戦斧を大振りに構えるエレクトロは、そのシンの変化を嗅ぎ取りーーーいや、感じ取ってしまった。

 

 ーーー()()()()()

 大の字で壁にめり込んでいると言うのに、脱力して項垂れた顔から、三日月に裂けた口が映っているのだ。

 

 優位なのはこちらの筈、しかしエレクトロを敗北の悪寒が身を包み込んでいく。

 

「ーーーヒ…ッ!」

 

 恐怖。

 強者から感じ取る絶望などでは無い。

 

 もっと根源的な、()()()()()を見つめている様な感覚。

 だが、次の瞬間にはそんな感覚は消え失せ、歯を食いしばってコチラを睨め付けるシンの姿が眼前に映し出されるばかりであった。

 

(なんだ…今のは…!?いや、そんな事より…)

 

 ーーー早期に決着を着けなければ。

 そうしなければ、自分が奴に殺されてしまう様な気がした。

 そしてエレクトロは手に持つ戦斧を握り締めると共に、ある可能性に気付き、シンに対しての評価も一転させた。

 

「まさか…お前は…()()()()か…!?」

「ガァアアアア…!!」

「不味い…!!」

 

 雄叫びがエレクトロの鼓膜を震わせ、管制塔にヒビが入っていく。

 直感的に更なる危険を感じたエレクトロは、地面を割る程の勢いで飛び出し、未だ身動きの出来ないシン目掛けて戦斧を振るった。

 

 その時である。

 

「…っ!?」

「なっ…!?」

 

 一条の流れ星が轟音を立ててシンとエレクトロの間に落下したのだ。

 衝撃でエレクトロの体が吹き飛び、シンとの距離を離してしまう。

 

 そして砂煙を立て、その姿を現したのは流れ星などではなくーーー()()()()()

 しかし目を引くのはその色。

 銀ではなく、黄金に似た青銅色。

 

 10円玉の様な青銅色がギラギラと月光に煌めき、無骨な光を放っているのだ。

 

「…ふんッ!!」

 

 シンは遂に体のめり込んだ壁を破壊して脱出し、マジマジと刀を見つめている。

 ーーー依姫の使っていた刀とは違う。

 

「なんだこれ…」

<丁度良い!武器も無かったんだ!今のうちに取っちまえっ!>

 

 確かに武器が無いと攻撃は受けれない。 

 シンはヴェノムの言う通り、重たい身体を引き摺り、刀の柄に手を掛けた。

 

「…?」

<…どうした?>

「いや、何か…」

 

 何故だろうか。

 この刀ーーー仮に青銅刀としようーーーの感触、()()()()()()()()()

 

 それに空から降って来た事も気掛かりだ。

 一体何が、誰がーーー

 

 思考は、雷鳴に掻き消された。

 

「今度こそッ!終わりだッ!!」

「ッづォオッ!!!」

 

 青銅刀に手を掛けるシンの姿を蒼電が照らし、続いて月光を遮る影がシンを覆う。

 シンは顔を上げる暇すら無いと考え、青銅刀を引き抜きて防御に出た。

 

 顔を向けてはいないが、鉄と鉄とをぶつけ合ったかの様な鈍い音が耳に響く。

 蒼光が弾け飛び、一瞬の間力が拮抗するが、シンは腰を捻り、強引に刀を振り抜いた事でエレクトロごと戦斧を弾き飛ばした。

 

 しかし彼は、ある異変に気付いた。

 

 ーーー刃が…()()()()()

 

 蒼電纏うエレクトロの戦斧との鍔迫り合い。

 本来ならばもっと甲高い音を上げる筈が、響いたのは重低音。

 

 地面に拳を突き立て、もう片方の腕から蒼電を溢れさせるエレクトロを見据え、チラリと刀の刃に目をやると、やはりと言うべきか、刃が潰されている様だった。

 これでは斬る事は出来ない、むしろ鈍器だ。

 

<おい!!今電気は流れたかッ!?>

「…ない…っ!これはーーー」

ジゴラーク(蒼砲)アスカロン(天翔雷撃)ッ!!」

 

 ヴェノムの声が脳内に反芻するとほぼ同時。

 閃光が弾け、雷の龍が仰々しくその顎を開き、シン達に襲いかかった。

 

「クッソォ…ッ!!」

 

 逃げ場も無い程巨大な雷の光線。

 余りに大きな電流の塊は、ある程度の指向性を持っていたとしてもエネルギーが溢れ、付近の柱を抉り取っていく。

 

 この身を信じて防御しても良い。

 ーーーだが。

 

「上等…ッ!!行くぞッ!!」

 

 シンの考えが、この仮説が本当ならーーー。

 

 目と鼻の先にまで迫った蒼龍。

 地面すらも飲み込んで破壊していくソレが放つは、絶望的な威圧感と圧倒的な力の差。

 

 受ければまず間違いなく死ぬ。

 防御も回避も不能ならば?

 

 ーーーそう、叩き切って仕舞えば良いのだ。

 

「うるぁあああ'あ"あ"ッッ!!!」 

 

 雷鳴に掻き消されぬ程の怒気が詰まった咆哮が上げられ、踏み込みによって地面が円状に割れる。

 ドクンと筋肉が限界を超えて脈動し、迫る蒼龍が遂にシンを飲み込もうとしたその瞬間。

 

 人生最大の力が込められた振り下ろしが龍に炸裂した。

 

 電気と言う実体の無いエネルギー、ソレがなんだと言わんばかりに青銅刀は蒼龍の鼻っ柱を砕き、一瞬の均衡の末、鮮烈な光を弾けさせてシンの刀がエレクトロの蒼龍を打ち砕いた。

 

「ごぶぁッ!?」

 

 ソレだけでは留まらず、振り抜いた力のエネルギーが衝撃波となって押し出され、蒼龍を真っ二つに裂き、その先のエレクトロの胸に直撃したのだ。

 そして二つに裂けた蒼龍がシンを分岐点として管制塔の真横を滑り込み、柱を薙ぎ倒して消えていく。

 

「ハァ…やっぱりな…ハァ…材質は分からないが、コイツは()()()()()()()…!!」

<いける…いけるぞ!>

 

 蒼龍を見事叩き切ってみせたシンは、疲労から遂に片膝を突き、なんとか青銅刀を杖にして倒れない様にしているだけの状態に陥ってしまった。

 

 しかし感電していない事から電気は通されていない。

 やはり仮説は正しかったと口がニヤけるが、同時に疑問も生じた。

 

 ーーーこの刀は、一体なんなんだ?

 

「ぐぉおおお…!!ぐるぁあああああッッ!!」

「考えてる暇は無ぇか…!!クソ…体が重てェ…!」

<まだ耐えろ!!俺の相棒なんだからそれ位でへこたれるな!!>

「当たり前だ…ッ!!」

 

 咆哮と激励が響き、シンはこのまま地面とキスしてしまいそうな顔を強引に上げ、青銅刀を上段に構えた。

 しかし手の中の刀は異様に重く、今にも滑り落ちそうだ。

 更に止まりかけていた胸の裂傷が開き、ドプリと血が溢れ、赤黒く服を濡らしていく。

 

 やはり、限界が近い。

 

「ッ…!!」

 

 目の前に映るのは、おどろおどろしいオーラと共に莫大な電力を放電するエレクトロ。

 その邪気に月さえ姿を隠してしまい、エレクトロの蒼の体と放電される雷が暗闇に一層映えている。

 

 そして青筋を浮かばせているエレクトロは、突撃の前傾姿勢を取り、自身の鮮烈なほどまでに蒼い電気を、漆黒に変えた。

 電気に妖力を混ぜたのだ。

 

 果たして、この状態でエレクトロと渡り合えるのか。

 

「ハァァァァ…!!」

「…フゥ…!!」

 

 渡り合えないじゃない、渡り合うのだ。

 生憎喰らい付くのには慣れている。

 

 ーーー勝てないならば、何処までも強く慣れば良い。

 限界なんて物はあってない様なモノ、むしろ邪魔。

 それが俺達の結論(答え)なのだ。

 

 ーーーだから、死にかける事なんぞ、恐るるに足らないのだ。

 

 エレクトロのスパークが一層激しくなり、圧を体現した死神の様に膨れ上がる。

 同時にコンクリートの床が余りの重圧にビキリと唸りを上げていく。

 

<不味いぞ…!!シンッ!!全力で行け!!>

「面白い…!!俺の全てをぶつけてやるッ!!」

 

 シンは上段に構えた青銅刀を、鞘に収めるかの様に腰の側に置き、そう低く呟いた。

 黒い様で眩しい光がシンの顔を照らす。

 

 照らされた口元は、微かに歪んでいた。

 

「行くぞォッ!!」

「ガァアアアアア"ア"ア"ッッ!!!」

 

 大爆発を起こしたかの様な閃光が爆ぜ、コンクリートが破壊されると共に黒雷と化したエレクトロが蛇行を繰り返してシンに迫る。

 シンもそれに答えるかの様にコンクリートの床を砕き、エレクトロに勝るとも劣らない速度で飛び出した。

 

 次の瞬間、飛び出した衝撃に両者の背後の床が波状に砕け散り、爆発が起きたかの様に破片が飛び散っていく。

 

「ウォオオオオオ"オ"オ“ッッッ!!!!」

「ガァアア"ア"ア"ア"ッッッッ!!!!」

 

 両者の目が合うと同時。

 

 漆黒の轟雷と流星が爆音を立てて交差し、その衝撃波で周りの全ての柱を粉々に破壊していった。

 

 




ご拝読、ありがとうございますなのぜ!!
三週間くらい?ほんっと〜に遅れて申し訳ないのぜ!

あとR18の方の小説も投稿したのぜ是非見てくださいなのぜ…!


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第三十六話 劣なる愚情

あと三話ぐらい続く…のぜ?
とりあえずゆっくりしたいってねー!


 

「ウォオオオオオ"オ"オ“ッッッ!!!!」

「ガァアア"ア"ア"ア"ッッッッ!!!!」

 

 互いの咆哮と凶器がぶつかり合う。

 その瞬間、衝撃波が恐ろしいスピードで球状に広がり管制塔を除く周りの柱の全て破壊していった。

 

 それでも、シンの青銅刀はエレクトロの戦斧に押され始めようとしている。

 

 ——-ほんの一瞬でも力を抜けば押し潰される。

 力を絞り出せ、もっと強くだ。

 

「ぐぉぉおおおオオオオ"オ"オ"ッッ!!!」

<もっと強くだッッ!!!>

「がっ…ぁぁああアアアア"ア"ッッッ!!」

 

 溢れ出る黒雷が青銅刀越しに身を貫き、地獄の様な激痛を与えるが、シンは青銅刀を持つその手を離そうとはしなかった。

 むしろもっと強く、刀の柄すら握り潰すかの様な握力で刀を握っているのだ。

 

 全身の血液が両腕に集まっている様な感覚。

 避けた胸からまた鮮血があふれ、視界が白く、黒く点滅する。

 

 対してエレクトロは、黒雷のスパークを弾けさせ、シンと同等以上の腕力を持って彼を押し潰そうと力を込め、咆哮している。

 彼女の激情に比例するかの様に彼女から溢れる黒雷は激しさを増し、ボルトを上げていく。

 

 そして余りある力の拮抗は、両者の踏み締める地面すら砕いていった。

 

「まだ…足りない…ッ!!!」

 

 ーーーもっと。

 

 ーーーもっとッ!

 

 ーーーもっとッッッッ!!!

 

「ーーーッッ!!!!」

 

 生暖かい血が蛇口を捻ったかの様に溢れ、電熱によってすぐに蒸発しても関係無い。

 そしてリミッターを大きく外れた力は遂にシン自身の腕を壊し、血管が破裂し、ゴキリと奇妙な音を響かせた。

 

 ーーーだが。

 

 限界を超えた状態に、シンは適応していく。

 指数関数的に際限なく力が漲っていく。

 ゴム風船に貯められた水のように。

 

 そして遂にーーー。

 

「ハァァァァアアアアッッッッ!!!!」

「ぐっ…!?ッォォオオオッッ!!」

 

 シンは地面を砕き、一歩を踏み出した。

 一歩に伴って地面が蜘蛛の巣状に割れ、エレクトロの体が仰反る。

 シンの眼光が黒い稲妻の中光り輝き、黒雷に身を覆われながらもエレクトロを睨みつけた。

 

 ーーー馬鹿な。

 

 エレクトロの零した疑問は、自身の雷鳴に掻き消されてしまう。

 

 触れれば即死級の黒雷に身を焼かれている筈なのに。

 何故シンは激痛に焼かれてなお戦意が途絶えない?

 あの男すらもこの一撃に倒れ伏したと言うのに。

 

 そうか、それがお前のーーー

 

「それがお前の()()かぁぁああア"ア"ッッ!!!」

「人聞きの悪ぃ奴だなッ!!!」

 

 シンがまた一歩、足を踏み出す。

 それだけで地面が破壊され、エレクトロが仰け反った。

 

 ーーー押し勝てる。

 

 五千万ボルトに達する黒雷を受け止めるシンの中で、熱い血潮が滾り出し、空っぽに近い体力から更なる力を引き出す。

 体がどれだけ雷に焼かれようと、それはまったくシンの妨げにならなかった。

 

 むしろ今のシンにとって痛みはカンフル剤。

 生死を彷徨う激戦は、ただシンの()()を助長するだけだった。

 

 ーーーいや、待て。

 

(俺は今、何を考えた?)

 

 それは、そこに合って当たり前とでも言うように、自然と湧いていた感情。

 ーーー享楽。

 

(全然、楽しくなんて無かった筈なのにーーー)

 

 大妖怪との会合も、カレンとの再会も、エレクトロとの熱戦も。

 微塵も"楽しい"とは思わなかった。

 

 だが今は?

 

(…そんな筈が、そんな筈が無ぇ!!!)

 

 ーーーこれが俺の異常性?違う、絶対に違う。

 エレクトロの言う通り?この湧き上がる感情は?

 

 確かに、確かに戦闘は楽しい、命の凌ぎ合いは心躍る。

 だが、こんな局面で抱えていい感情などでは、決して無い。

 断じて無い。

 

 以前にも自分が異常だと思う場面はあった。

 だがまさか…こんな場面でも、楽しもうとーーー

 

(違う!!俺は…俺は…!!)

 

 ヴェノムすら読み取れない程の深層心理、その中でほんの鄒俊だけ流れた思考は、歪み、捻くれ、形容し難く、複雑なモノへと変わっていった。

 だが、アンチテーゼの立証に熱意を注ぐ場合でも無い。

 

 シンは思考を断ち切り、激戦の中へ意識を投入した。

 

「まだ行ける…ッッ!!」

「くァアアアアア"ア"ッッッ!!

 

 未だ電気を通さない青銅刀と、光を飲み込む漆黒を纏った戦斧が擦り合わせるような、歪な金属音を響かせる。

 気分が最高潮にまで昇ったシンは、激情のままに自分の身が黒雷で焼かれるのも厭わずに頭をを振り、エレクトロに思い切り頭突きした。

 

「ガッ…ッ!?」

 

 乾いた大木をへし折ったかのような異音が雷鳴の中響き渡り、互いに仰け反った二人の額から赤い血が溢れ出す。

 特にシンは黒雷に頭から突っ込んだ事もあり、脳がショート寸前の重傷を負っていた。

 

 ーーーだが、彼は止まらない。

 

 心底楽しそうに口をぬらりと裂き、エレクトロに生まれた一瞬の隙を刺すかのように思い切り踏み込んだ。

 

「喰らえぇえええエエ"エ"エ"ッッ!!!!」

「このーーーゴブッ…ッッ!?」

 

 迎撃のため振るわれた戦斧を、爆発させた力で粉々に打ち砕き、その勢いを持ってエレクトロの胴体目掛けて青銅刀をフルスイング。

 凡そ人体が奏でるには異形すぎる音色を響かせ、エレクトロの肋骨と内臓が青銅刀に押し潰されてしまう。

 口が無い関係上吐血はしなかったが、エレクトロの腹部から押し出された骨と内臓が飛び出し、それが地面に付着する前にエレクトロの視界からシンが掻き消えた。

 

「ガハッ…!!」

 

 無論、シンが刀を振り抜き、エレクトロが吹き飛んだのである。

 

 そんな彼女は錐揉み回転を描き、身体の中がシェイクされる様な感覚に襲われながらも、シンの吹き飛ぶコチラ目掛けて追撃をしようとする姿を視界に入れていた。。

 加えて彼女は激痛に意識を手放しそうになりながらも、ある事を考えていた。

 

(コイツ…この身体の事を何だと思って…!)

 

 ーーーあの女だってこの身体を盾にすれば立ち止まった。

 そもそもアイツも最初は拳を止めた筈だ。

 

 やはり、この私に負けず劣らずの異常。

 

「…ッッ!!!」

 

 エレクトロは溢れ出る臓物を引き千切り、強引に身体を電気エネルギーで再生させた。

 そして視界に入るのは、瞳孔が空き、ギラギラの光る眼光。

 エレクトロはそれを見るや否や、拳を落として電流を地面に帯電させ、地面から大量の鉄片を引き摺り出した。

 

 そして大多数の鉄片を自身を中心として回転させ、残った破片をシンにむけて放つ。

 金属を引き摺り出した時に付着した土塊が辺りに飛び散り、金属同士の擦れ合う、気持ちの悪い騒音が響いた。

 

 それはまるで土星(エレクトロ)を護るかの如く駆け回る衛星。

 瞬く間にシンの姿は鉄の残骸に消え、その光景も鈍い光を放つ衛星達に閉ざされた。

 

「よし…ッ!!」

 

 更にそこから妖力と霊力の混ざった雷を掌に集め、砂嵐の様に回転する鉄片越しに雷撃を放とうと腕を突き出した。

 ーーーだが。

 

 腕を突き出した瞬間、鉄の壁を突き破って()()が伸びて来た。

 蛇の様に突出したそれは…腕?

 

「捕まえたぞ…ッ!!」

「あーーー」

 

 短く、簡素な悲鳴。

 続いて胸辺りを中心としてシンの方へグンと、引っ張られた様な感覚を受けた。

 

 シンが鉄の嵐に逆らいながらもエレクトロの胸ぐらを掴み、思い切り引き寄せたのだ。

 

 二人の距離は文字通りの目と鼻の先となり、エレクトロはシンの頭から血を噴き出し、眼を白黒と点滅する姿を眼科に収めた。

 恐らく飛来した鉄など関係無しに突っ切ったのであろう。

 

 血濡れた顔から飛び散った赤い液体がエレクトロの顔に付着する。

 蒼く、何の無いキャンバスにはその紅が良く映えた。

 

 ーーー馬鹿め。

 

 この右手に溜められ、今にも暴発しそうな黒雷。

 

 ーーーこの超至近距離でどう避けると言うのか。

 それこそ無鉄砲に突っ込んだが故、つまり、運の尽きなのだ。

 

「受けてみろォッ!!」

「カッ…!?!?」

 

 数コンマの差。

 シンの拳が迫り来るよりも一瞬早く、エレクトロの拳がシンの胸にのめり込んだ。

 

 瞬間、エレクトロの腕から黒い蛇が溢れ出し、シンの胸を、筋肉を、まるで太陽の刻印を刻むかの様に焼き切っていく。

 更に暴走する破壊の雷はその胸の深く奥、心の臓にまでも電撃を与えた。

 

 ほんの刹那にも満たないその一瞬で、シンの上半身の衣服は弾け飛び、鉄に反射した黒い光がさんざめいていた。

 

 過負荷の電圧を加えられた心臓は痙攣し、シンは瞬く間に目を白眼にして額をガクリと下げる。

 

 その瞬間。

 彼の心臓は。

 

 ーーー()()()()

 

「ーーー…」

 

 瞬間、血の循環が止まり、彼の映る世界は暗闇に包まれ、瞬く間に呼吸すら忘れる。

 僅かな、残りカスに近い心象心理に映るは水の中へ落ち続けるシンの体。

 

 神経すら動きを止め、故に痛みも何も感じない、穏やかで、静かな死の海へ沈んでいった。

 

 ーーーしかし。

 

 魂が不確かな物へとなっても。

 身体が瀕死寸前の重傷を負っても。

 彼の命の灯火は、決して消えることは無かった。

 

「ーーー!!」

「うッ!?嘘だろーーーぉあッ!?」

 

 限りなく死に近い重傷、意識の無い状態、流し過ぎた血液ーーー鼓動を止めた心臓。

 そのどれにも意に介さず、シンは顔を上げてみせたのだ。

 

 驚愕の声を上げるエレクトロに音速のシンの拳が突き刺さり、鉄の壁に激突してなお距離を詰められ、彼の足に沈む。

 メキメキと異音を鳴らす彼女は鉄の嵐から弾け飛び、地面にバウンドして滑り落ちて行った。

 

「ア…ッが…ッ!!」

「ーーー」

 

 彼女は消え入りそうな意識の中で磁界を操作し、掌を握って鉄の嵐の中のシンを圧殺する様に鉄を押し潰す。

 破片の群れだった物は一つの塊へと収縮し、メキメキと軋みを上げていた。

 

 したり顔で膝を突き、押し潰す電力に更に力を入れ、大きな破砕音を響かせると共に鉄の塊を一回り小さくさせる。

 次の瞬間には鉄の塊から血が滴り落ちていく光景が網膜に映し出された。

 

「今度こそ…!!」

 

 シンはどれだけの血を流しただろうか。

 どれだけの負傷を負っただろうか。

 

 目測でもニリットル。

 実に致死量の二倍の血を流している。

 

 だったらそろそろ死んでもおかしくは無い。

 おかしくは無い筈なのだ。

 

 ーーーエレクトロの視界に映る人物が異常でなければ。

 

「嘘だろ…!?まだ死なないのか…!?」

 

 錆びた歯車の擦れるかの様な音が鳴り響いた瞬間、球体と化した鉄の内部から、鈍い輝きを放つ青銅刀とそれを掴む血みどろの腕が飛び出してきたのだ。

 続いて、まるで泥をかき分けるかの様に容易く鉄が引き千切れ、現れたソレはーーーまるでゾンビかの様だった。

 

 上半身は剥き出しで、赤黒い火傷が胸を中心に焼き付けられ、左腕があらぬ方向に捻じ曲がり、あらゆる所から血が噴き出ている。

 その中でも特に、眼光だけは一線を画した存在感を放ち、闇の中ということもあってギラリとした白い眼がエレクトロを射抜いていた。

 

「ーーーハァァ…!!」

 

 獣の如く発せられた、白い吐息。

 エレクトロが畏れに似た感情から後退りする。

 瀕死の彼にトドメを刺そうと腕を突き出し、電気を迸らせるが、狙いを付けた瞬間に彼はーーー消えた。

 

 否、正確には彼が飛び出したのだ。

 眼下に収めた情報が脳へ伝達された時には、エレクトロを薄く照らす月の影がシンによって遮られ、やっと時が動き出したかの様に鉄の球体がくの字に折れ曲がった。

 

 シンは大きく腰を捻り、左腕を突き出す正拳突きの様な体勢を空中で取る。

 ひと目見ただけで折れていると視認出来る左腕を、だ。

 

 先の圧縮によって齎された左腕の複雑骨折。

 まるで幾つもの節が出来た異形の腕。

 

 エレクトロがあまりにも合理的で無い方法に一瞬嘲笑を浮かべ、受け止めようと腕を伸ばす。

 しかしーーー

 

 弛んだ紐を引き締めるかの様に。

 ギュルンと音を立ててシンの左腕が元に戻ったのだ。

 

「なぁッ!?」

 

 異常な正拳突きは確かにシンの本能によるものだ。

 折れている腕も、ろくに動かない身体も、あらゆるリミッターが外れた。

 思考すらも外れた、痛みを伝える事を忘れた脳によって。

 

 そしてそれを行ってるのはシンの異常な戦闘意欲。

 獣染みた勘。

 そこに居たから殴った、そんな無意識。

 それらが彼を突き動かしていた。

 

 では、腕を治ったのは?

 それこそヴェノムだ。

 

 それだけでは無い。

 

(止まった心臓を動かせ…血を巡らせろ…コイツが死ぬ前に…息を吹き返させる…!!) 

 

 彼はシンの心臓が止まった瞬間からずっとシンの筋肉を操り、擬似的な心臓マッサージを行っていた。

 そして同時に焦りも感じていた。

 

<おい!!シンッ!起きろッ!!頼むから起きてくれッ!!>

 

 ーーーこのシンの体は死人に近く、何よりも血が足りないという事。

 このままでは恐らく10分も経たない内に力尽きてしまう。

 それはヴェノムが一番分かっていることでもあった。

 

 シン自身の体も青白く変化し、手足に至っては青紫に染まり、着実に死への一歩を踏み始めている。

 

<シンッ!!!>

 

 シンが今ここで目を覚ませば彼は無茶をしないかも知れない。

 それは一条の希望であったが、まるで暖簾に腕押し。

 

 シンの脳はマトモにヴェノムの話を聞き入れず、シンは勢いのまま拳を振り抜いた。

 

「ーーーッッッ!!!!」

「くぉおッ…!!!」

 

 しかしエレクトロが間一髪で腕を強引に滑り込ませ、防御に出る。

 彼女は骨が唸り、衝撃波が体を突き抜けていくのを感じながら、目の前の鬼の対処を考えていた。

 

(戦斧?距離が近すぎる…!!電子化…も、同じか?電磁力…ダメだ集中力が持たない………近接戦闘なら…?ク、クク…同じ土俵に上がるは癪だが…!!)

 

 ーーー殴り殺す。

 極めて単簡で、電気を扱う者として、はたまた異能を扱う大妖怪として異質な結論。

 

 正面きっての殴り合いだった。

 

「おォラァッ!!」

「ーーーがッ!?」

 

 正拳突きを受けた方の腕を逸らすように回して威力を殺し、無防備となったシンの腹部にアッパー、そして放電。

 鮮烈な光が辺りを劈き、彼の内蔵を焼き焦がしながら蒼雷が天に向かって枝を伸ばしていった。

 

 地面に向け、くの字になるシンを見つめるエレクトロは、そこで彼のある変化に気付いた。

 

 ーーー眼球が。

 彩度の低い灰の瞳が、それでいて燃える様な、瞳が。

 目を限界まで開き、まるで猫の様に小さい瞳孔がコチラをギョロリと見つめている。

 

(っ今ので目覚めたのか…!?判断を見誤ったか…だが僥倖…!そんな身体で動いているのは意識が無かったから、無意識だからこそ脳が反応しなかったからだ!!その状態で…脳がドクターストップをかけた状態で…マトモに動けるとーーー)

 

 幸か不幸か、あの雷撃が電気ショックにもなり、シンは僅かながら意識を取り戻したのだ。

 僅かな恐怖がエレクトロを襲うが、その恐怖を一蹴し、次なる一撃を繰り出そうとした。

 

「思うなァ!!」

 

 雷撃を纏い、腕を瞬時に電子化。

 腕がすっぽ抜けない様に腕と電子の結合部の維持、そこから放たれる絶死の一撃。

 

 それを無防備な体勢に、人体の弱点である脇腹に、風が吹けば散る様な死人に。

 

「ヒャハァアアアアアッ!!!」

 

 ーーーガン。

 空虚な音だった。

 

 後に続く衝撃波も耳に入らないくらい、異様な光景だった。

 

「ーーーハ、ハッ、ハァ?」

 

 片手、青銅刀。

 

 エレクトロの目に、ソレが映っていたのだ。

 エレクトロの拳を、鈍器の様な剣で、しかも片手で受け止めるシンの姿が。

 

「はぁああアアアアッッ!?!?」

 

 ーーーあり、ありえない、どうして?どうして!?

 何故?コイツが私の拳を?受け止めてぇエエ?

 

 体の側面を向け、力も入るはずの無い状態なのに!!

 血も足りず、力も出ない筈なのにィ!!!

 

 この力の源泉は!?

 ずっと立ち上がって、ずっとーーー

 

(殴っても、焼いても、掻き消してもォォオオ!!!)

 

「なんだお前はッ!?何なんだオマエはァ!?オマエはーーーごびゅっ!?」

 

 溢れ出る疑問と憎悪は、拳と共に青銅刀に弾かれ、腰を捻って体勢を変えたシンの拳に沈んだ。

 拳のめり込むエレクトロの狭い視界に、極限まで開かれた瞳孔と、大きく裂けた口が焼き付けられる。

 

「ぅゥウルァアアアアアアアアッッ!!!!

(っ弱くなるどころか…力がっ!?)

 

 エレクトロを追撃するシンの拳が、一発一発ごとに威力を増していく。

 初めは彼女にも捉えることが出来るほどだった。

 

 しかし、シンの成長速度はエレクトロのソレを上回り、追い抜き、突き放しーーー

 彼の成長線は、嘗て無い程の重傷、ソレを差し置いて湧き上がる戦意と享楽によって、指数的な急上昇を遂げていた。

 

 そしてシンを上回らんと立ちはだかり、君臨していたエレクトロも力においては完全に切り離されーーー

 

「ハハハハハッッ!!」

「クソォ…!!!クソがァッ!!!」

 

 笑う彼の一撃をノーリスクで受け切ることは出来なくなっていた。

 一撃ごとに致命傷。

 五体で受ければ粉砕、急所はぐちゃぐちゃに。

 

 なんとか電気を身体に変換して再生し、距離を取ろうと電子化しても青銅刀を突き付けられ、即死のラッシュ。

 とても勝てる形勢とは言えなかった。

 

(クァアア…!!!気をっ!!気さえ引ければァ!!)

 

 コイツの気を引くモノはなんだ。

 そう自問するエレクトロは、ある事を思い付いた。

 それは苦肉の策であり、禁止されていた筈の情報。

 

 頭で理解していても、命の危機という現実に無意識の警報を無視し、躊躇わずそれを解き放とうとした。

 

 しかし、その言の葉が喉まで出かかったその時。

 言葉…いや、思念が彼女の頭を焼いた。

 

【✋❄   ☠⚐   ❄ ❄☟  ✌❄   ❄【R     e■ ul a■ ed】 ✡☜ ❄】

(ッッ!?!?もッ!もっ、しわ、申し訳、申し訳ありませんッ!!!)

 

 それは…まるで…まるで、怒りを孕んだ王の眼。

 魔王の眼差し。

 邪悪な権化。

 妖怪なんぞとは一線を…それどころか百線も超えた異次元の存在。

 

 それはただ一つの思念だった。

 

"喋るな、黙れ"

 

 深層心理をこじ開けられ、何かをねじ込まれるような感覚と頭に浮かんだバグのような文字列と思念に、エレクトロは言葉を飲み込み、怯えに支配されながら心中で謝罪の意を吐き出した。

 そしてその怯えはシンの狂気とは比にならず、寒気も感じ、今の一瞬で心臓が握りつぶされたかのような気さえした。

 

 その所業は正に邪神、いや、本当に邪神なのかも知れない。

 と、言うのもエレクトロは一度、その存在とのコンタクトを取ったことがあるのだ、それも、つい数日前。

 

 操りの大妖怪として死んだあの日。

 エレクトロに焼き付けられた映像が頭の中で具現化しつつあった。

 

◆◆

 

 あ、ああぁぁぁぁ…!!

 己…己ぇえええ…あの女…女ぁあああッ!!!

 私の計画を…メチャクチャに…クソ…クソォッ!

 

 身体がぁ…溶けていく…

 

 泥に沈むような感覚…こ、これが…死…

 

 身体の感覚も消え失せた…人間と違い、精神を重点とする妖怪の私が行き着く先は…地獄…?それとも輪廻の輪…?

 …大妖怪だぞ…!?この私が…!?

 

 ぁぁぁあああああ“あ"…!!!!

 

 私の何が間違っていたと言うのだ…!!

 死にたくない…!!

 何も成し得てない私に価値などない…!!

 

 価値を与えるのは偉業だ…恐怖だ…!!

 

 偉業を成し遂げていない私に!!!

 価値などありはしない!!

 

『誰か…私を助けろぉォオ…!!誰でも良い…誰でもォォオオ!!』

 

 ああ、ああ!視界が…暗くなって来た…!

 体は今どこに落ちている?

 曖mいだ…

 

 思考が曖昧だ。

 こうやって溶けt無くなっていくのか…

 

 あ、あaAア…

 邪神でもいい…わ、わたしをtAすkーーー

 

 ⚐ ✡⚐   ✌☠❄  ⚐ ☜☼✍(生きたいか?)

 

 ーーー声?

 いやそれよりも身体がーーー

 

「ぁ、ああ?ーーーぁああああ!?!?」

 

 身体がひっぱられーーーいや、拗られーーーいや、引き伸ばされーーーいや、捏ねられーーーいや、崩されーーーいやーーーいやーーー

 

「ーーーはっ!?!?はっ、はっ…〜ッはぁ!」

 

 身体が急停止した…何処だ…!?ここは!?

 暗い…闇…!?霧…!?それとも宇宙…!?

 一寸先も見えない漆黒の闇…!?

 

 少なくとも…今私が落ちていたところではない…!

 

莉贋ク?蠎ヲ蝠上♀縺???逕溘″縺溘>縺具シ(今一度問おう、生きたいか?)

 

 ーーーなんだ…なんだ、なんだなんだなんだッ!?!?

 なんだこの悍ましい声は!?

 なんで私はこれを理解出来ている!?

 恐怖!?畏怖!?恐ろしい!?この私が恐怖を感じている!?

 

 気配は!?目の前!?

 いや、そっそんな事よりも答えを!答えを言わねば殺っ、殺される。

 

「っい、生きた、い…です」

 

 この…私が…こんな引き攣った声?

 大妖怪の、この私が…?

 

【なればチャンスを与えよう、シンを痛めつけろ、絶望させろ】

 

 怖い…怖い怖い怖い!!

 声が鮮明になった?

 近付いているのか?

 

 未知だ、何も解らない。

 

 人は未知を何よりも恐れると聞いたことがある。

 人は足掻くことが出来ない事に絶対に挫けると本能に刻まれている。

 抵抗出来ない幽霊に怯えるように。

 ゾンビを撃ち殺すゲームがそれ程恐怖されてないように。

 

 そうか…これが…

 

「うけ、たまわりました…!!」

 

 支配…?

 いや、カリスマ…?

 口が震える…ガチガチ鳴っている。

 

 この…このお方の目的は…!?

 

「知る必要は無い、お前は言われた通りに動け」

「〜〜…!!」

 

 めっ、めの、目の前にいる。

 こ、こっ声が鮮明にっ。

 

 見えないのに、必ずそこに居ると確信出来る…!!

 

「■■の事は決して口にするな、さぁ、期待してやろう、行け」

 

 このお方は狂気だ、狂気の神だ。

 耳元で囁かれている。

 

 なのに何が話しているのか、何がそ、そこに居るのか、分からない。

 ただ確信出来るのはーーー期待されている。

 

 邪の神に。

 狂気の化身に。

 

 あ、ああ、嗚呼ーーー嗚呼!!

 

 先程の怯えが無くなった!

 湧き上がり、燃え上がり、激しく爆発するこの感情は!?

 

 ーーー()()だ!!

 そうだ!このお方こそ絶対の神!

 私がどれだけ背伸びしても届かないような邪神が!いや、我が主神が!!

 

 期待されている!!!

 

 ああ!思考が流れてきた!!

 これも御力か!!

 

「コイツを…!!」

 

 鮮烈に流れるこの男!!

 コイツはーーー(カレン)を助けようとした男!!

 死んでいなかったのか…!

 クヒッ、コイツを、シンを絶望させる…!!

 

「クヒッ、クヒヒ…クヒャヒャヒャ!!!必ずや!!我が主神のご要望にお応えして見せまーーー」

「御託はいい、行けと言ったのだ」

 

 ーーーあ。

 あっ!?ああッ!?無礼をはたら…いや、身体がぁ…!?

 

 最初の時と同じだ…!

 引き伸ばされ、拗られ、引き伸ばされ、捏ねられ、崩され。

 

 もしかしたらこれは次元を超えているのかも知れない。

 ーーーが、考える必要は無い。

 

 今の私の命は、我が主神に拾われた身。

 ならば私はこの命の元に!最強に君臨し!シンにあらゆる苦痛を与える…!!

 

『体の歪みが済んだ…視界が開けーーーこれは…!!』

 

 そうか。

 そうか!

 

 粋な計らいとはこの事を言うのか!!

 我が主神はこの女…いや、エレクトロの精神に私を転生させて下さったのか!!!

 粋な計らいには粋な計らいを!!

 

 この女の身体!!乗っ取って!!そしてシンを絶望させてやる!!!

 

 クヒャヒャヒャ!!!アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!

 

◆◆

 

 邪悪から遣わされた化身が思慮するその傍ら。

 シンは朦朧とした意識の中で猛撃を繰り出していた。

 

「がぁああ!!ぁぁあああああああッッ!!!」

 

 映るは白黒の世界。

 背景なんて物は無い。

 

 目の前の存在を屠るのにそんな情報は要らなかった。

 

「ハハッ!!ハハハハハッッ!!」

 

 拳と青銅刀を打ち込み、赤黒い血が流れていくごとに頭を快楽物質が汚染し、120%を引き出していく。

 

 ドーパミン。

 β-エンドルフィン。

 オキシトシン。

 オピオイド。

 エンケファリン。

 

 ーーーそして、シンの力。

 

<止めろ!!もう拳を振るなシンッ!!!>

 

 ヴェノムの静止さえ、身体の悲鳴さえ、頭はその受け取りを拒否している。

 

 駆け巡る血が足りず、力が足りない。

 ーーー適応。

 雷に打たれた胸がビクビクと痙攣し、マトモに力が出せない。

 ーーー適応。

 内臓が焼き焦がされ、身体にエネルギーが足りない。

 ーーー適応。

 

 強く、強靭に、変化に耐えうる身体を。

 

<無茶するな!キャパオーバーなのが分からないのか!?何かの拍子でお前はナメクジみたいに崩れ去るんだぞ!?>

「アハハハハハハ!!!ハハハハハハハッッ!!!」

<クソが!!止まれ!!俺の言うことを聞け!!!>

 

 ーーー目の前の悪が戦友の体を使っている。

 ーーー目の前の最低が依姫を傷付けた。

 

 ーーー絶対に叩き潰す。

 

 表情の変わらない、蒼白ののっぺらぼう。

 しかし、そこからはありありと焦燥が見てとれた。

 

 クロスされたエレクトロの腕をこじ開け、顔面に膝蹴り。

 防御の崩れた無防備なその身体の顔面、鳩尾、両脇腹に流れるような拳と刀の連撃。

 

「げふっ…!!こ"のォ"ーーー」

「クォアアッッ!!!」

 

 エレクトロは崩れ落ち、顔だけをシンの修羅の如き瞳に向けるが、それが鄒俊と続くわけも無く、刹那の間に腹部へ渾身のアッパーを繰り出した。

 

 その一撃は凄まじく、辛うじて貫通はしなかった物の、その光景はゴムの壁を思い切り押すかのようであり、事実彼女の内臓、背骨は粉砕と言った所だった。

 更に衝撃が天を裂く刹那。

 一瞬で体勢を変えたシンの青銅刀の振り下ろしが炸裂した。

 

「…ッ!!!ぉ…あ…ッ!!!!」

「おぁあああああ"あ"ッッッ!!!」

 

 今の一撃で完全にエレクトロの胴体は肉だけで繋がっている状態となった。

 

 しかし追撃は加える。

 息継ぎなんてしない、出来ない。

 それをしてしまっては脳内物質のブーストが切れてしまう。

 

「おるぁあああああ"あ"あ"ッッ!!!」

「がぁ…!!〜ッ!!!」

 

 青銅刀を天に放り投げ、空いた両手でラッシュ。

 簡単に言うようだが、その一撃は地を砕き、拳は幾重もの残像を描き、エレクトロに減らず口を叩かせない。

 それが十数秒の間、何十発も続いた。

 

「ふーーーるぁッッ!!!」

「…ッッ!!!」

 

 そしてクルクルと円を描いて落下した青銅刀を掴み取り、振り下ろしてフィニッシュ。

 音速を超え、空気を破る音を劈かせた絶刀は接触、いや、着弾と同時に轟音を響かせ、隕石が落ちたかのようなクレーターを作り出した。

 

 ーーーだと言うのに。

 

「ク…ヒヒ…!!」

「ッ!!クゥウルォオオオオ"オオッッッ!!!」

 

 だと言うのにエレクトロは、悪戯を思い付いたかのように嗤った。

 それはもう無邪気に。

 それはもう醜悪に。

 

 不吉な気配を感じ取ったシンは、獣の如く咆哮し、攻撃の手を激化させた。

 手始めにエレクトロの頭を掴む。

 ゴムに近い、ブニブニとした嫌な感触だったが、反撃の隙も与えまいとエレクトロを力一杯放り投げ、同時にシンも飛び出した。

 

 無論、エレクトロの方角である。

 

「クォオオオオオッッッ!!!」

 

 咆哮と共に両手で青銅刀を携え、一息で地面と並行移動するエレクトロの懐まで潜り込むシン。

 まるで弾丸そのものであり、エレクトロは記憶の片隅から依姫の幻影がシンと重なった。

 

 重なるモノはーーー

 そう、居合。

 

「フゥ…!!」

 

 風前の灯の意識。

 それでもシンの中には依姫が、彼女の技がこびりついていたのだ。

 

「ハァッ!!!」

「グハァ…ッ!!」

 

 彼女の足取り、息遣い、筋肉の使い方、振るわれる刀を夢想し、それをなぞるかの様に腰を捻り、腕を振るい、鞭のように下から斜め上に振り上げる。

 それだけで空が割れ、衝撃が暴風のように突き抜けていった。

 

「ッ!!!」

 

 更にエレクトロの顔に肉壁するほど接近し、十を超える斬撃を浴びせる。

 そんな中、息も出来ず、傷も癒せないエレクトロがゆっくりと口を開いた。

 

「お前は…」

 

 打撃音とエレクトロのくぐもった呻き声。

 それらが入り混じる中で、それはやけにうるさく聞こえた。

 

「ーーー()()()()()()だろう?」

 

 ピクリ、と。

 シンの剣筋が僅かに鈍り、瞳孔が震え、心臓が酷く騒々しく鼓動する。

 そして絞り出すように彼は言った。

 

「…黙れ…」

「キヒヒヒヒ…!!」

 

 焦りが形を成して溢れ出し、冷や汗が血と共に一滴、また一滴と地面へ落ちていく。

 

 そんな話は聞きたく無いと言わんばかりにシンは拳に込める力を強くし、血濡れた拳を雑念ごとエレクトロに叩き込んだ。

 それでもエレクトロは口を開く。

 

「キヒヒ!!気付かないか!?いや!もう気付いているだろう!?」

「黙れ…!!」

 

 極度の動揺から剣先がぶれ、最低限の技術を持った剣術から力だけの粗雑な振り回しへと変わっていく。

 シンは歯を砕けるほど噛み締め、血走った目でエレクトロを睨み付けるが、彼女は口を閉じようとせず、寧ろ嬉々として宣っていく。

 

「お前はコイツの為に戦っているんだろうッ!?なのにお前はずっと笑いっぱなしだ!!それに下手をすればコイツごと死ぬ様な攻撃ばかり!!楽しすぎてそこまで頭が回ってないんじゃ無いかぁッ!?それともこの女なんてどうでも良いかッ!?そうだよなぁ、お前には戦うことしか考えられないからなァッ!!!」

「〜ッ!!ッ黙れェ!!」

 

 彼女はシンの根底を見抜いた訳じゃあない。

 先の言動から読み取っただけに過ぎず、その言葉全てがシンに当てはまる訳でもなかった。

 

 だがしかし、シンは言い返せなかった。

 自分の中でどこか認めていたからかも知れない。

 自分が今どんな気持ちでこの戦闘に臨んでいるか、を。

 

 だから、ただ愚直なまでに突きつけるその言葉を聞きたくなかった。

 

「認めろよシンんッ!!コレの為…他人の為と…自分の欲求を誰かの為だと主語をすり替えてるだけだろうッ!?」

「ッああああッ!!!黙れ黙れ黙れェェッッ!!!」

「ぐぶぁッ!?…ヒ、クヒヒ…」

 

 残酷なまでに突き立てられた現実。

 自己嫌悪と殺意に身を囚われたシンは力の限り青銅刀を振り回す。

 

 エレクトロはそれを防御する訳でもなくモロに喰らい、呻き声と笑い声を残して数百メートルも吹き飛ばされた。

 技術もへったくれもない一撃だ。

 恐らく大したダメージにはなっていないだろう。

 

「…く、ハァッ!ハァッ!ハァッ!く、そォッ…!ハァッ…」

<やっと止まったか…あと少しで取り返しのつかない事になってたぞ…だが…>

 

 ーーーエレクトロは考え無しにシンを侮辱していた訳ではない。

 どうにかしてシンの気を引き、体勢を立て直そうとする為に口撃を繰り返していたのだ。

 

 しかしその作戦は思わぬ成果を遂げる事となる。

 

「ハァッ…ハァッ…!から、だ、がぁ…ハァッ…」

<この状況も状況だな…!>

 

 シンを突き動かしていたのは、根性と麻薬物質だ。

 しかしそれも唐突に訪れた休息によって途切れた。

 

 更に麻薬物質によって押さえ付けられていた疲労と貧血が牙を剥き、シンは最早一歩も動けないような重傷へと陥っていた。

 

「あァ…?…ッ…」

<おいっ!?…クッソ…血が…血があれば…!!>

 

 力の入らない身体はやがて崩れ落ち、青白い手を地に着けようとするもそのままべちゃりと倒れ伏した。

 冷たい地面の温度が無造作に頬を伝うが、シンにはまるで冷たさを感じ取れず、身動きしようとしたが全く体が動かない。

 

 それに痛みも苦しみも感じなかった。

 もしかしたら痛覚も無くなってしまったのかも知れない。

 

『ーーー戦いたいだけだろう?』

「ク…ソ…」

 

 エレクトロの言葉が頭を反芻し、楔を刺したかのような気持ち悪さを残す。

 昂る戦意を押し退け、強烈な自己嫌悪と吐き気に覆われながらも、シンは立ち上がろうとした。

 

 ーーーだが。

 

(あぁ、畜生…()()だ…)

 

 何故だか力が入らない。

 いや、頭では動かそうとしている。

 身体が、精神が動きたくないと叫んでいるのだ。

 

「俺…は…ッ」

 

 背けていた感情を弾糾された。

 向き合わざるを得なくなった。

 認めるしか無くなった。

 

「畜生…ちく…しょう…」

 

 こんな自分に価値が、彼女の為に戦う価値があるのか?

 

 そうして浮かんだのは、言葉に言い表せないような、口まで出掛かっていても出ることが叶わない、ドス黒い想いだった。

 身は愚情に支配され、やがて彼の身体から動こうとする意志を、助けようとする想いを削いでいった。

 

「…っ」

<おい…?おいおいおい…!?シンッ!!気をしっかり持てシンッ!!もう戦わなくても良い!だからせめて今は寝るなッ!>

 

 ヴェノムに受け答えする余裕もない。

 シンはただただ少しずつ、絶望に塗れながら真っ暗闇へと意識が落ちて行くのを感じていた。

 

 ーーーいや、まだ。

 

「ぁ…ぉ…あァ…!!」

<シ…シン…!?>

 

 ーーーそもそも…まだ敵は生きている。

 拳を突き立てろ、何も考えるな。

 

 ーーー俺は。

 

 まだ、戦えーーー

 

「起き上がると思っていたよシンンンンッッ!!!」

「がッ…!?」

<シンッ!!>

 

 子鹿のように全身が震わせながらも立ち上がるシンを再び地に沈めたのは、他ならぬ()()のエレクトロだった。

 芋虫のように這いずる彼の頭を踏み付け、彼女は言う。

 

「お前が吹き飛ばしてくれたお陰で随分と回復出来た…油断はしないぞシンん…!私の電力も危うくなってきた…それにお前は隙を与えると何を仕出かすか分からないからなぁ…!!」

「…づぅ…ぉ…!!」

<シンッ!!こうなったら俺が無理矢理体を動かす!パフォーマンスは格段に落ちるが逃げるぐらいなら楽勝だ!!>

 

 ヴェノムが叫ぶが、シンはバチバチ帯電するエレクトロを一瞥して言う。

 

(逃げるなんて…らしくねぇな…ハッピーエンド主義者だとか…なんとかじゃ…なかったのか?)

<うるせぇッ!軽口叩いてる場合か!俺達は生きるか死ぬかの選択をしてるんだよ!!>

(そりゃありがてぇな…確かにもうはっきり目も…耳を使えねぇ…だが…逃げたら、アイツに…依姫に、なんて顔…すれば良い…?)

<>

 

 沈痛な声色を感じ取ったヴェノムは、まるで歯軋りをするかのように黙りこくってしまった。

 

「お…れが…何とか…するから…俺…が…ぁ…!」

「クヒャヒャヒャ!!その身体でかぁ!?その夢ぇ!!叩き切ってやるッ!!」

<…分かった…そんなに戦いたいならーーー>

 

 天に掲げた華奢で蒼い腕の中に戦斧を創り出したエレクトロ。

 スパークが炸裂し、戦斧を高々と振り上げるその様は、まるで処刑人のようであった。

 

 ゆっくりと、エレクトロが五指の一本一本を握り締め、今まさにそれが振り下ろされたその時。

 

 ーーーシンの体が、ドクンと脈動した。

 

"俺達"で行くぞッ!!

「ヒャッ!?」

 

 青白い身体から黒い泥のようなものが溢れ出し、血の気が無い顔を凶悪なマスクが覆い隠し、ベロリと長い舌が舌舐めずりをする。

 そして頭部に迫る戦斧を受け止め、電撃をものともせずに膝を着いて立ち上がった。

 

「なんだ?今度はソレか!?早着替えもいい所だなぁシン!!」

ぐぅぉお…!!あちィ…!!

おいバカヴェノム!!引っ込めッ!!お前じゃこの熱を突破出来ねェだろうが!!!

 

 しかし電撃を防げても、シンの言った通り、戦斧から溢れ出る紫電が電熱を生み出し、シン達の剛腕を赤熱化させ、煙を燻らしている。

 力自体は上回っていても、肝心な所で押し切れない攻防。

 

 ただピンチを先送りにしただけであった。

 

ぐぅぅううう!!!

おい!おい!!聞けよヴェノムッ!!

っ嫌だ!!

はぁっ!?

 

 徐々に、徐々に掌に戦斧が食い込み始め、シン達に激痛を与えて行く。

 火花が散り、溶け始めて行くヴェノムの体。

 

 シンには見ていられなかった。

 

お前!!死にてぇのか!?

こっちが聞きたいシン!何度も何度も死にかけやがって!!見てられない!!

じゃあお前だけでも逃げろよ!!!馬鹿野郎が!!

馬鹿はそっちだ!!

 

 側から見れば一人漫才。

 そんなシン達を見て、エレクトロは腕に力を込め、嘲るように言った。

 

「お前はやはり二重人格だったのか?だとしてもその形態が熱に弱いことは知っているぞぉ?ほら、力を込めばズプズプ食い込んで行く…!」

言ってろエレクトロ…!!…クソが…!こうなったらヴェノム…!!一蓮托生だ…ッ!!

おぉ!!なんて言ったって俺達はーーー

 

 シンの意識とヴェノムの意識。

 互いにシンクロし、協調し、適合した身体は、瀕死にも関わらず爆発的な圧を滲み出していた。

 

「「ヴェノムだッ!!」」

「ぉお…ッ!?」

 

 宣誓に似た咆哮を全身に受けたエレクトロは一瞬、ほんの一瞬だけたじろぎ、嫌な予感を感じたが、戦斧に込める力を強めることでシンを確実に葬ろうと画策した。

 

 ーーーが。

 

「これ以上耳も傾ける必要もないなぁッ!?さよなーーーごっ」

「っ!?」

 

 それは唐突で、今まであった緊張感を全て無に返すかのような静寂をもたらした。

 

 エレクトロの紡がれる言葉は異音に掻き消され、身体が弓形にビクンと振動している。

 エレクトロに起きた異変を確かめようと、シン達がぼやける視界で彼女の顔を確認するとーーー

 

「ぉ…あ…!?」

 

 弓矢。

 エレクトロの顔面を、弓矢が貫通しているのだ。

 

 手からこぼれ落ちた戦斧がガランと音を立てて落下し、自身の頭に弓矢が突き刺さっているという事実を受け入れられないのか、顔を抑え、何度もペタペタと弓矢を触っている。

 

 シン達はその光景を呆然と眺めていた。

 

…は?

 

 ーーー何が起こった?

 

 弓矢、援護射撃、誰が。

 ぐるぐると頭の中を逡巡する思いは、やがて一つの思考へと終結した。

 

 ーーーチャンスだ。

 

「ーーーッ!!!」

 

 唐突に訪れたチャンス。

 懐に潜り込むように駆け出された足。

 エレクトロのよろめく身体。

 

 極限状態だからか、その全てが、世界がスローモーションに見えた。

 

 拳がギリギリと音を立て、振り抜かれんとした正にその時。

 鶴の一声の如く、鮮明に、一言一句はっきりと、声が聞こえた。

 

「上に飛んで下さいッ!!!」

 

 声のした方向に体を向ける事はしない。

 分かるからだ、声の主が。

 

 ———()()

 傷は?本物か?生きている?幻?

 上に飛べ?いや———

 

(止まんね———)

 

 依然世界はゆっくりと流れていた。

 

 事を理解し、蒼白な顔を更に青ざめるエレクトロ。

 空間を漂う微細な雷電。

 止まらない拳。

 

 依姫が言っている、飛べと。

 

 ———無理だ。

 頭がもう働かない。

 軌道修正すら出来ない。

 

 どうする…どうすれば。

 

大丈夫だ!俺がやってやる!!

ッ!!サンキュ…!!

 

 ヴェノムが叫ぶと同時に筋繊維がたっぷり詰まった胸から触腕が飛び出し、地面を叩くようにして自身の体を吹き飛ばした。

 視界かぐるぐると回るが、その最中、シン達の身体を強烈な熱波が駆け抜ける。

 

ッづぅ!?

「良しっ!!行っけぇ!!!」

繧ー繧ゥ繧ェ繧ェ繧ェ繧ェ繧ェ繧ェ繧ェ繧ェ!!!!

「ギャッ!ぁッ!あぎゃァアアアッ!?!?」

 

 辛うじて目に入ったのは禍々しい竜のようにエレクトロを飲み込んだ炎と不明瞭な雄叫び。

 

 シンにはそれが酷く恐ろしいモノに見えた。

 人類が初めて炎を発見した時のような、言いようもない悍ましさ。

 

 熱波が駆け抜けた事から、周りに影響しない軻遇突智の炎とは別物で、かつ更に強い炎だろう。

 …エレクトロが炎の中で踊っている。

 ここまで強力な力、代償が無いわけではあるまい。

 

 空中に舞うシンの体もいよいよ落下を始め、眼下の炎に身を落とそうとしていた。

 しかし———

 

ッ…落ちる…身体も動かねぇ…

クッ…熱すぎる…ウェブも満足に出せん…!

 

 ヴェノムを纏った身体も限界。

 シン達はマトモな身動きも出来ずに落下していった。

 

 そんな彼らに向けて閃光の如く飛び出る影が一つ。

 

「シンさんッ!!」

 

 紫のポニーテールを棚引かせ、華奢な腕でシン達の黒腕を引いて、暗い夜に二つの人影が駆けていく。

 

 シンの朧げな瞳に映ったのは、やはりと言うべきか、依姫だった。

 それも力強い眼差しをした、彼女。

 

「…ッ」

 

 二メートル近い巨躯を腕一本で引き、シン達を背負いながら炎の無い地面へ着地した彼女。

 彼らを優しく降ろし、暴れる炎龍をバックにし、オレンジ色にかがやく彼女は申し訳なさそうに言った。

 

「本当に…本当に遅くなりました…!」

へ…へへ…たす…たすかった…

 

 その姿はシンにとって、一つの光明で、眩しすぎる物だった。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ…!
いやー…申し訳ない…二ヶ月も空いてしまったのぜ…

これもそれも全てテストが悪いのぜ。
悪いったら悪いのぜ。

兎に角何とかして一ヶ月毎に投稿できるように頑張るのぜ!奴隷が!


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第三十七話 異界の豪炎

ゆっくりしてねぇん。


 時は依姫が地に落ち、シンの元へ加勢しに行く時間まで遡る。

 

 彼女は鉄筋の刺さった腕を庇いながら歩き、その道筋には点々と滴った血の跡が残されていた。

 

「シンさん達は…!」

 

 微かながら彼らが衝突する音が聞こえる。

 何とも言えない焦燥に依姫の足は次第と早歩きになり、腕も構わず駆け出していた。

 

 しかしここで一つの疑念。

 

(私が加勢して…どうにかなるのでしょうか…?)

 

 腕は負傷した。

 体力も少ない。

 

 策も無しに突っ込む事は蛮勇なのでないか。

 

(でも…ここで立ち竦むのも…)

 

 どうすれば良い。

 最善を尽くすには、何が正解か。

 

 ぐるぐる頭を巡っては思考を掻き乱し、結局ただただ走る、そんな事を繰り返していた。

 

「はぁっ、はぁっ…はぁっ…」

 

 月光か鈍く煌めく柱を息切れ混じりに駆け抜ける。

 その時、意識の狭間を縫った一閃が目の前を通過した。

 

「っ!?」

 

 それはまるで一条の流星。

 ズパンと音を立てて柱に突き刺さり、依姫は驚きから足を止めた。

 

「これは———()?」

 

 見ればそれはごくごく一般的な、木の棒に矢尻をくっ付けただけの原始的な物あった。

 しかし矢にはトランシーバーの様な掌サイズの無線機が取り付けてあり、原始的な矢と近代的な機械のアンバランスさを醸し出していた。

 

 そして驚くべきはこの重心がブレる矢で依姫の目の前に弓を弾いたその実力。

 こんな芸当が出来るのはこの都でただ一人———。

 

『…姫…依姫、聞こえる?聞こえ…返…を頂戴』

「っ師匠!?師匠ですか!?」

 

 他ならない都の頭脳、八意永琳だ。

 しかしそのトランシーバーから流れる声は酷く乱れており、ザー、ザー、と、不明瞭なノイズを時折発している。

 

 ノイズに構わず依姫は飛びつく様にトランシーバーを掴み取り、永琳を呼んだ。

 ———師匠の頭脳があれば、あるいは…

 

『ちょ…待ってね…イズ…酷くて………よし、直ったかしら?ごめんなさいね、カレンの電気で調整が難しくて…』

 

 酷いノイズの後、ダイヤルを回す様な音やガチャガチャと機械を弄る雑音が流れ、遂に鮮明な音声が響き渡った。

 

「い、いえ…あの、師匠…助けてくれませんか?」

『分かってるわ…今自分が出来ることは何か、でしょう?』

「…え?どうしてそれを…」

 

 トランシーバー越しに含み笑いが聞こえ、優しい声色が発される。

 

『見てたの、二人が戦ってる間にここの管制塔に登ってね…ついでに玄楽も…まぁ、拾ったついでに応急処置したわ』

「お父様が…?その、大丈夫なんでしょうか…?」

『勿論命に別状は無いわ、ただ…うん、ちょっと眠っただけ』

「…?」

 

 依姫は知る由もない。

 玄楽が、吾も行く、行かせろ、と暴れ回った末に麻酔薬で眠らされた事に。

 

 ただ彼の名誉の為に記載して置くと、彼は愛する娘の為に年老いた身体を働かせようとしたのだ。

 いつもの状態なら兎も角、ダメージを負った状態では結果は目に見えている。

 

 彼が永琳の説得に痺れを切らして能力を使おうとした際、遂に永琳によって麻酔にかけられ、彼は眠らされたのだ。

 

『兎に角指示は出すわ、かなりヤバい状況にだしね…』

「…!えぇ…!」

 

 機械を挟んだ永琳の声には、どこか迷いがあった。

 依姫にシン達の現状を伝えるか否かを決めかねていたからだ。

 

 事実、永琳の眼下には更地と化した地面と遠くからでもハッキリと分かるほど血を流したシンが広がっている。

 きっと、彼が瀕死だと伝えれば彼女は永琳の静止も聞かずに飛び出すだろう。

 無鉄砲だろうが、依姫はそういう少女だ。

 

『まず問題は貴方に火力がない事ね、エレクトロ…だったかしら…奴にはもう軻遇突智(カグヅチ)須佐男(スサノオ)は効かないわ、きっとね』

「でも…やってみなきゃ———」

『無理ね、断言できる』

 

 ぴしゃりと告げられ、依姫は口を噤んだ。

 

『奴も力を増していってる…見た感じ電気エネルギーを身体に変換してるしね…初見だった神の力も相手に知られた…軻遇突智の延焼は再生が追い付くだろうし、他の神も力不足だと言わざるを得ないわ』

「何度も同じ技を使うのは愚策…と、言うわけですか…」

『その通りよ、だけど…策がある』

「!!」

 

 依姫の目が見開かれ、その瞳に映るトランシーバーに期待を寄せる。

 

『———()()って、分かるわよね?』

「…えぇ、悪さをする神…須佐男様も邪神の一柱に数えられますが…」

 

 邪神ぐらい依姫は知っている。

 しかし、永琳の言う邪神とは、まるで次元の違う話だった。

 

『違うの…それらはまだ可愛い方よ、私の言う邪神は…口にするだけで呪われるような…この世界()()()()を狙う異界の化け物よ』

「…まさか」

 

 俗に言う、嫌な予感だった。

 

『もう分かるわね———邪神を降しなさい』

「…」

 

 永琳の案、都の頭脳が出した答えだ、つまりこれ以外に方法は無い。

 しかし、依姫の返事は芳しくなかった。

 

 何故なら依姫は先の作戦を失敗したせいで自信を失っている。

 普通とは違う異常の神。

 

 果たして自分に扱い切れるだろうか、そう言う迷いだった。

 

「…」

 

 数秒の沈黙。

 自信は無い、だからといって彼は諦めないだろう。

 

 依姫が憧れた意志の強さ。

 それを想えば、不安もなんて事もなかった。

 

「———-やります、諦めるのは嫌いですから…!」

『…てっきりもうちょっと悩むと思っていたけど…成長したのね.まったく誰に似たのかしら…』

 

 彼女の声にはありありと慈しみが映り、同時に申し訳なさも潜んでいた。

 こんなに優しい依姫を命の危険に晒してしまう、と。

 

『…いい?降ろす神の名前…これは隠語のようなモノだけど…相応の力は得れる筈よ、依姫の力なら制御する事も苦じゃない』

「その…名前は?」

 

『———コルヴァズ=フォーマルハウト』

「コルヴァズ…フォーマルハウト…ある恒星の名…でしたか…?つまりそれって…」

『えぇ、炎の神…しかもさっき言った邪神の中でも別格の存在よ』

 

 ゴクリ、と依姫は息を呑んだ。

 次いで冷や汗が頬を滴り落ちる。

 

 炎神、最も扱い慣れた種類の神。

 ———確かにそれなら…

 

『いい?相手は邪神…敬意を払う必要も無いし、なんなら代償を支払う必要があるかも知れない…それでもいいわね?』

「…勿論、覚悟は出来てます」

 

 依姫の足は動き出していた。

 依然血が止まらないが、支障は無い。

 

 最早留まる理由は無いとして、トランシーバーを胸ポケットに仕舞い込み、依姫の頭は一刻も早く到着しなければと言った考えに駆られていた。

 

『…依姫、弓で合図を送るわ…その瞬間にぶちかましなさい』

「…了解しました…!」

 

◆◆

 

ぐぅぅううう!!!

おい!おい!!聞けよヴェノムッ!!

っ嫌だ!!

はぁっ!?

 

「……シンさんっ…!」

 

 依姫は身を潜めるのは柱の影。

 しかし柱に身を潜めると言っても、シン達の周りの柱は粉々に粉砕されているため、彼らを辛うじて目視できる程度の距離の柱に彼女は居た。

 

(早く…早く…師匠…!合図を…!)

 

 ———依姫の表情はこちらが痛々しくなるほど悲痛で、涙さえ溢れそうな顔持ちだった。

 理由は彼女の瞳に映るヴェノム。

 

 身体は漆黒に覆われ、鋼のような輝きを放っていても、依姫にはそれが信じられない程弱々しいものに感じた。

 依姫はヴェノムに覆われたシンの姿しか見ていないが、その身体のうちには酷い傷があることが容易に想像できる。

 一分後には、三十秒後には、十秒後には、一秒後には、ほんの一瞬の後には、崩れ落ち、戦斧に両断され、二度と起き上がらない姿を重ねてしまう。

 

 何度飛び出したいと震えた足を止めた事か。

 ギリギリと歯を食い縛り、彼が死に絶えそうな光景を見ることしか出来ない自分に怒りさえ覚えた。

 

「お前はやはり二重人格だったのか?だとしてもその形態が熱に弱いことは知っているぞぉ?ほら、力を込めばズプズプ食い込んで行く…!」

言ってろエレクトロ…!!…クソが…!こうなったらヴェノム…!!一蓮托生だ…ッ!!

おぉ!!なんて言ったって俺達は———

 

 親友の姿をした悪魔が、自分の想い人を傷つけていく。

 見たくなくても合図を知る為に見なくてはならない。

 

 吐きそうな程に苦痛だった。

 

「「ヴェノムだッ!!」」

「ぉお…ッ!?」

 

「…!」

 

 彼らの発した啖呵は、エレクトロは勿論、離れた位置に居る依姫にさえ圧力を与えた。

 

 言い換えるならば熱波。

 地獄の炎を孕んだ風が顔を直撃したかのようで依姫は僅かに気圧された。

 

 そんな熱気だ。

 超至近距離にいたエレクトロなどは、気圧されるどころか、まるで萎縮したかのように後退りしていた。

 

 …彼女の心配する気持ちが消える訳ではないが。

 

 ———そして。

 その生まれた一瞬の隙を突いて、その時は訪れた。

 

「これ以上耳も傾ける必要もないなぁッ!?さよな————ごっ」

 

 正に閃光だった。

 閃光が叫ぶエレクトロの後頭部へ吸い込まれるように、一直線の軌道を描き、脳天を貫いたのだ。

 

 青白い血飛沫が舞い、唖然とした表情のシン達の頬を濡らす。

 しかし人外のソレと化したエレクトロには足止め程度にしかならないだろう。

 

(合図…!)

 

 足は飛び出していた。

 まるで目の前でおあずけを食らっていた獣のように。

 

 そして、剣を掲げ、宣言する。

 悪神の、忌み穢れたその名を。

 異界の炎神の名を。

 

「コルヴァズ=フォーマルハウト…!私に力を貸してもらいます!!」

 

 瞬間、依姫の世界からすぅっと、色が消えた。

 セピア色の世界が広がり、シン達ヴェノムも、エレクトロも、依姫の身体さえ動かない。

 されど思考は出来る。

 

 まるで時が止まったかのようだった。

 

「…っ…!?」

 

 勿論こんな体験は初めてであり、心の内から冷や汗が漏れ出る依姫。

 その鄒俊後、ソレは声を響かせた。

 

【貴様か…このオレを呼んだのは】

 

 ゾクリと背筋が凍える、おどろおどろしい声だった。

 ———敬意を払う必要はない。

 永琳の言葉が反芻する。

 

 あやゆる邪神は敬意を表すれば、瞬く間に魅了、洗脳されると言うのはメジャーな話だ。

 この声の主も例外ではないだろう。

 

 依姫は少しの間を置いて、臆せずに言った。

 

「力を…貸して貰います」

【それはこのオレに対する命令か?】

 

 一瞬、蛇に睨まれた様な感覚に陥る。

 身体が固まっていなければ歯がガタガタ鳴っていただろう。

 

「…ただ一方的な契約です、それが私の力なので」

 

 気丈に振る舞う依姫。

 そんな彼女を、かの邪神は嘲笑した。

 

【ハハハ!お前如きが?笑われてくれる、お前はこのオレを呼ぶことしか出来ない…力を借りたいなら…】

 

 嫌な予感が頬を撫でた。

 

()()を示せ】

 

 代償。

 永琳が言っていた、覚悟の意味。

 

 迷いは目の前のシン達を見れば吹き飛ぶ。

 しかし、それでも怖いものは怖い。

 そうして彼女は声を震わせる。

 

「…い、いいでしょう、爪でも、目でも———」

【違う、お前の寿命、その()()だ】

 

 ———それは、余りに無慈悲で、残酷で、最悪な選択肢だった。

 

 依姫は言葉を失い、動揺した頭で思考を巡らす。

 確実に手に入る、そこに自分の居ないの幸せか、それとも限りなくゼロに近い成功確率で三人で明日を迎えるか、しかもそれには失敗したらこの都市丸ごと危険に晒してしまう。

 

 しかし依姫にはこう思えてしょうがなかった。

 

 自分か、他の大切な人(シン達)か、その命の天秤を。

 

【一分もあれば焼き尽くせる…十秒で一六年だ】

「…」

 

 言葉は淡々と放たれる。

 

【このオレの力を使えるのだ…悪い話ではなかろう?」

「…」

 

 ———他に案は…そうだ、これしか無いんでした。

 

 …彼と一緒に居たい。

 でも私が出来る事をしないで彼らが死んでしまうのは嫌だ。

 親友の身体を弄ばれ続けられるのも嫌だ。

 

 目の前のシン達ヴェノムを見る。

 

 エレクトロの顔に矢が飛び出ている光景に呆然としており、膝立ちで立ち竦んでいる。

 この神の力を借りずに、彼らを助けれるのか?

 

 きっと、そんな事は出来ない。

 エレクトロと見た瞬間、その事はすぐに分かったからだ。

 

 彼女は明らかに成長している、いや、カレンの身体に、能力に身体が馴染んでいっていると言った方が正しいだろう。

 

 じゃあ…じゃあ———

 

【どうした、さっさと決めるがいい…オレは自分の意思では帰れないからな】

「やり…ます、私の全てを賭けます、その代わり…貴方の力を貰います…!」

 

 やるしか…ない、やるしかないんだ。

 

【ハハハハハ…!良いだろう!さぁ!焼き尽くすが良い!!】

「っ!!」

 

 邪神の叫びと同時に殺風景で月光すら固まったセピア色の世界が燃え出し、色を持った世界が姿を表す。

 その瞬間、焼け焦げた臭いを感じると共に、依姫は湧き上がる力に一種の万能感に駆られた。

 決して油断などはしないが。

 

 そして完全にそれが色を取り戻したその時。

 

 依姫は叫んだ。

 

「上に飛んで下さいッ!!!」

 

◆◆

 

「本当に…本当に遅くなりました…!」

へ…へへ…たす…たすかった…

 

 暴れ狂う炎竜を背に、依姫は座り込んでシン達の頬に触れ、謝罪した。

 炎が背後にあるからか、女神の後光がヴェノムの真っ白な目に映る。

 

…はは、情けねぇ…こんな姿見られるたぁ…

助かった!ありがとう依姫!

「いえ…こんなになるまで凌いでくれて…こちらの方こそありがとうございます…!」

 

 フランクなヴェノムの裏で、シンはある事を考えていた。

 それはこの身体の内側。

 ヴェノムが無くなった時の素の姿だ。

 

 未だ治癒すら十分に進んでいない身体、特に、抉れ、焼け爛れた胸や、青白く生気の無い身体を見せて心配させたくない。

 

 そんな事を考えていると、依姫越しにとぐろを巻く炎竜と目が合う。

 とぐろの中ではエレクトロが踊り狂っているだろう。

 その姿はまさしく生ける炎、だった。

 

…な、なぁ依姫

「…?なんでしょう?」

アレは…あー、大丈夫…なのか?普通じゃないだろ…?多分

 

 炎竜の瞳が蛇のように割れ、蛙を見つめるような、選定するかのような目でシン達ヴェノムを見つめる。

 僅かに冷や汗がシンの頬を伝った。

 

「…………え、えぇ…かの神は…強い…ので、カレンが死なない様に見定めて———」

【おい、貴様】

 

 唐突に口を切ったのは邪神、コルヴァズ=フォーマルハウト。

 依姫の話を遮ってまで話を始めるそれは、顔をシン達に近付けながら言った。

 

【何故貴様から()()()()気配がする、あぁ、殺したい…憎い…】

「…え?」

は…?おい?おい!?依姫!?コイツ味方じゃねぇのか!?

熱い!溶ける!

 

 唐突な殺害予告だった。

 邪神の身体からコロナのようなものが噴き出し、口から豪炎が漏れ出る。

 

 依姫は突然の事に酷く動揺したが、契約の内容、"力を貸す"と言う事を思い出した。

 この契約の元でなら、この乱心した邪神の蛮行を止められる。

 

 それに契約は人と神の間では絶大な効力を図る。

 邪神とて例外ではない。

 

「止まって下さい!それは契約反故になりますよ!いいのですか!?」

【ほう、小娘…面白い事を言う…それはオレが契約に従った場合…だろう?】

 

 炎竜のとぐろが解かれ始め、彼らを見下ろすように遥か高く登って行く。

 

【ならば契約は破棄だ】

「なっ!?」

 

 依姫が目を見開き、僅かに後退りしたが、真後ろのヴェノムを見るとすぐさま剣を構えた。

 

「出来る訳がない…!破棄なんて、そんな権利がそちらにある訳…」

【オレはそこらの憎っくき大地の神々よりも次元が違う!オレは太古の地球の()()()だ…!!このオレに世の理なんぞは意味は無い!この雷の塊を焼き尽くすのも…お前の寿命を吸い取るのも…全部お終いだ…!】

 

 炎竜の顎ががぱりと開かれ、口内の光の小球の集合体が淡くさんざめく。

 依姫が向けられる熱さに脂汗をかき、ちらりとエレクトロに目をやった。

 

 轟々と燃える炎にのたまい、マトモに動けずにいる。

 おそらく十数秒はあのままだろう。

 

 依姫は視線を戻すと、構えを解き、刀を天に掲げた。

 

【黒の紛い物ォ!オレの目の前に現れた事を後悔しろォッ!!】

っおい依姫何してる!お前は逃げろ!!

 

 炎竜が火花を散らして吠え、口を開けたままなだれ込んでくる。

 両腕を広げてもなお余る長さの直径のの噛みつきだ。

 何もしなければ地面ごと食われてお終いだろう。

 

 異常な熱波が降り注ぎ、コンクリートが湯釜の様な熱を帯び、僅かに煙を立てる

 そこ中心で依姫は、落ち着いて口を発した。

 

「———貴方は一つ忘れていることがあります…!!貴方が顕現出来るのは私の神降しの力…!だから…!」

【ガァアアアアアアアアッ!!!!】

これ以上は駄目だ…!元に戻る!!

おいヴェノ…ッ…!」

 

 依姫の背に居るヴェノム達にも熱波が襲い、依姫は彼らの苦悶の声だけを聞いていた。

 そして炎竜の口腔が目の前に広がり、灼熱の牙に砕かれんとしたその時、彼女は叫んだ。

 

「コルヴァズ=フォーマルハウト…!帰って下さい!!」

【…!!】

 

 瞬間、炎が泥のように溶け出し、その勢いを殺して行く。

 目玉が溶け落ち、牙が崩れ落ち、炎の欠片が天に登って行く。

 

 炎竜の長い身体の内で小さな光球の集合体が解けるように消えた頃には、灼熱の熱さは既に無くなっていた。

 邪神は辛うじて残った片方の目玉がギョロリとシンを睨み付け、ほぼ無いような口で恨み節を残した。

 

【ハハ…ハハハ!まぁいいさ…!()()()は出来た…!!いつか必ず貴様の前に現れてやる…ッ!!忌まわしき———】

 

 かの邪神は、最後に何かを吐き捨てようとしたがそれは叶わず、光の粒子となって消えていった。

 星屑が輝き、満月が昏く瞬く夜の闇へ。

 

 …目先の問題だけ解決した、しかし根本の解決になっていない。

 エレクトロが呻く声だけが響く、ある種殺伐とした雰囲気が充満していた。

 

「…はぁ…はぁ…」

 

 残るのは神降し直後の脱力感だけ。

 しかし、心のどこかでほっとしている。

 

 彼女はシンの安否を確認する為に、息切れ混じりに彼を見た。

 

 熱によって身体に引っ込んでいただろうヴェノムが、まさにその時シンの身体を覆い尽くさんとしているその姿。

 しかし、依姫は()()を見逃さなかった、いや見てしまったと言うべきか。

 

「…っ!!どうして言ってくれなかったんですか!!」

 

 青白く血色の悪い肌、生傷の絶えない身体、垣間見える指には爪が剥がれ落ちており、血塗れだ。

 

 極め付けは胸。

 抉れているなんてレベルの話じゃ無い。

 あと数ミリ傷が深ければ骨が削れ、心臓がまろび出る程の火傷だ。

 

 …彼にとっては"ちょっとした重傷"と言う、矛盾を孕んだ認識でしか無い痕だろうが。

 

 依姫が弾糾すると同時にシンの身体はヴェノムに完全に覆われ、凄惨な傷はまるで無かったことにされてしまった。

 

大丈夫だ…!これくらい———

 

 虚勢。

 誰が見ても明らかだった。

 

 ヴェノムを纏っているのに回復出来ない。

 つまりそれはエネルギー不足という事を表しており、依姫がある決意を抱くのに十分な理由だった。

 

「ッ!!」

…!?何してる依姫…!

 

 依姫はおもむろに未だ己の腕に刺さっていた鉄筋を掴み、力の限り引き抜いたのだ。

 激痛と気持ちの悪い感覚。

 鉄筋という栓に止められていた血液が溢れ出し、ドクドクと腕を伝って落ちて行く。

 

 そして彼女は血塗れとなった腕をヴェノムと化したシンに突き出した。

 

「私の血を…血を飲んで下さい…!」

っ馬鹿野郎…!!すまねぇ…!本当にすまねぇ!!

依姫!恩に着る!

 

 エレクトロももう回復している頃だ。

 

 悠長にしていられないと考えた上での自傷行為。

 その真意を感じ取ったシンはがっぱりと口を開けた。

 無論、身体は動かない為だ。

 

 一秒、二秒と、ゆっくりと血が流し込まれ、心なしか凶悪な顔が綻んでいく。

 十秒も経った頃、ヴェノムが依姫の血の滴る腕から傷口にかけてペロリと舐め、言った。

 

ッシン!もう動けるッ!行くぞ!!

…依姫…!ありがとな…カレンを戻したら何でもやってやる…!!だからッ…!戦うぞ!!

 

 黒い巨躯が跳ね上がり、力の限り咆哮する。

 今なら何でも出来る気がした。

 

 そして依姫もエレクトロに向き直り、片手で剣を構え、啖呵を切る。

 

「えぇ!!これで最後ですッ!!」

 

 二人が相対するのは大妖怪であり、親友であり、戦友のエレクトロ。

 当の彼女は遂に神の炎が鎮火したようで、火傷だらけの身体を雷に包み、恨み言のように呟いた。

 

「シンンン…!!!依姫ぇぇ…!!!お前らともこれで最後だッ…!!殺してやるッ!!」

 

 決戦が、幕を開けたのだ。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。

ちなトランシーバーは永琳が管制塔で部品を掻き集めて即席で作った物なのぜ。
ついでに双眼鏡も作って彼らを観察してたのぜ。
つまり永琳は天才、はっきりわかんだね、なのぜ。


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第三十八話 血戦

ゆっくりしてね!


「シンンン…!!!依姫ぇぇ…!!!お前らともこれで最後だッ…!!殺してやるッ!!」

 

 吐き出す様に吐露し、ヒタヒタと、不気味な歩調で迫るのはエレクトロ。

 邪神の炎に炙られた為、衣服はボロボロでのっぺりとした顔面は所々黒く焼けこげている。

 

 しかし汗を拭うかのように掌を顔に翳すと、忽ち雷が傷口をなぞり、何事も無かったかのように塞がっていった。

 

 それを見るや否やシン達はヴェノムの身体の中に収まっていた青銅刀を取り出し、ヴェノムの身体を纏わせて切先をかの大妖怪に向けた。

 いつもの武器化とは違う。

 強度も、切れ味も、その輝きも、幾重にもパワーアップを遂げた黒剣だ。

 

何処まで行ってもテメェは大妖怪って訳かッ!エレクトロォ!!

だがそれもお終いだ!ケリ付けてやる!!

「…シンさん達、これを受け取って下さい」

 

 すると、依姫は自身の胸ポケットから何かを取り出し、それをシン達に預けた。

 

『…ごめんなさい、私の作戦のせいで貴方達を危険に晒してしまったわ』

「…」

 

 それは簡略な無線機、トランシーバー。

 謝罪に対して、シンは怒りとも寛容とも違う言葉で返した。

 

謝る暇は無い…俺達が感謝を伝える暇も無い…!求めるのは一つだ、何でもいい…俺達の力になってくれ…!!

『勿論、名誉挽回と行こうじゃないの』

「祈りは済んだかァッ!?私に楯突く事のなァ!?仲間を殺されて蹲る準備は!?己が無力さに打ちひしがれて倒れ伏す準備は!?五体が砕ける恐怖に咽び泣く準備は!?キヒヒヒヒッ!!アヒャヒャヒャヒャ!!!」

 

 ついさっきまで瀕死だった筈の悪魔は顔を抑え、込み上げる嗤いに身体を燻らしている。

 生理的嫌悪のよだつ踊りだった。

 

「キヒヒヒヒ…!キヒ…!…」

 

 溢れる笑い声は唐突に止んだ。

 エレクトロが天を仰ぐ、虚無の時間。

 

 やがてぶらりと腕を脱力して俯き、ヒタヒタ歩き出した。

 まるで情緒がコントロールできないかの様に。

 そして歩きは早歩きに、早歩きは走りへ。

 

行くぞ!決戦だッ!!

 

 対する二人もヴェノムの鬨の声を皮切りに走り出し、雄叫びを上げた。

 

うぉおおおおおおおッ!!

「はぁあああああああッ!!」

 

「キヒャアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 方や蒼白に輝く戦斧を構え、方や白銀と漆黒の刀を構え、疾走する。

 両者両眼の視線が交錯し、緊張感という名の熱が充満していく。

 

 地を蹴れば刻一刻と激突の時が迫っていく。

 

 息を吸えば敵の輪郭が。

 そして息を吐けば瞳に映る自分が。

 

 やがて両者の剣の間合いに侵入し、同じく向かい入れたその瞬間。

 

 シン達は残り少ない体力を、エレクトロの場合は電力を。

 持てる全てを絞り出して。

 

 黒曜の刃を、煌めく宝刀を、荒れ狂う戦斧を。

 力の限りに振り抜き、発電所全体を貫く様な高音を鳴らした。

 

「クヒッ…!?」

 

 戦斧の刃に銀の刀、柄には黒の刀、2vs1の鍔迫り合い。

 当然力比べが叶う訳もなく、刃が触れ合った瞬間からエレクトロが押されていた。

 

 しかし、圧倒的な優勢の中で異変を感じ取ったのはシンであった。

 

(クソ…やっぱ力が出ねぇか…!!)

 

 先程の様な、無我夢中で出した馬鹿力が出ない。

 だが、そんな事は関係ない。

 隣に依姫が居る。

 

(それだけで俺はもっと…!全力のその先を引き出せるッ!!)

ッうぉおおおおおお"お"ッッ!!!

 

 獣の咆哮がビリビリとエレクトロの肌を焼き、コンクリートがけたたましい音を鳴らす。

 その力の差に、遂にエレクトロは耐えきれなくなった。

 

「…ッ…!!ッがぁああッ!!」

 

 後方に倒れ込む様に衝撃から逃れ、続いて戦斧の扇形の刃に二本の刀を引っ掛け、全力で真横に振るう。

 すると束ねられた二本の剣の切先が明後日の方向を穿ち、シン達と依姫は体制を崩し、互いにぶつかってしまった。

 

「ッ妖力全開!!アビスサンダーッ!!」

 

 そうして出来た隙に放つ黒雷。

 霊力の代わりに妖力を用いた禍々しい雷。

 

 濁流の様に放出された黒砲は一瞬で二人をエレクトロの視界から消し去り、勝利の確信をエレクトロに抱かせる。

 そして、エレクトロの網膜には黒雷、それ以外には映らないはずだった。

 ———だが。

 

「何っ!?」

 

 月光遮る影一つ。

 華麗に空を舞い、白銀に煌めく刀を携える依姫だ。

 

 彼女は刀を上段に振り上げ、エレクトロを強襲しようとしていた。

 

「…ッ!!!」

 

 すぐさまエレクトロは戦斧を片手で構え、その刀を受け止める。

 雷鳴に甲高い音が混じるが、片手では落下の衝撃も合わさった依姫の一撃を止められない。

 ———更に。

 

(このクソアマ…!!片腕を負傷してるのに…ッ!!力がぁ…!!)

 

 重い、重過ぎる。

 霊力で底上げしているとは言え、どうやったらこんな華奢な体から大妖怪と同程度のパワーを出せるのだ。

 

 そんな疑問は、依姫の雄叫びに掻き消されてしまった。

 

「ハァアアアアアアアッッ!!!」

 

 依姫が宙に浮いた状態での拮抗、次第に彼女の姿勢は倒立状態へ、そしてそのまま背中から倒れ込んでしまう。

 それは致命的な隙。

 鍔迫り合いが意味を為さない状態。

 

 しかし彼女は———

 

「だりゃぁッ!!」

 

 渾身の力を振り絞り、全身をバネの様に跳ね上がらせ、エレクトロを仰け反らせた。

 

「うっ!?」

「今です!シンさんッ!!」

 

 どうする事も出来ずにこの戦斧の前に真っ二つになる。

 

 そんな予想とまるっきり違う展開に頭が鄒俊真っ白になるエレクトロ。

 しかしその空白の思考も、おどろおどろしい威圧に塗り潰され、エレクトロ自身の身体も自分の三倍近い巨躯の影に隠れた。

 

 冷や汗を流し、戦斧で薙ぎながらグルリと振り返る。

 

ふんッ!

<咄嗟に投げ飛ばしておいて正解だった…感謝しろシン!>

 

 それは回転も乗った一撃だったが、ヴェノムのその身体には敵わず、戦斧をヴェノムを纏わせた青銅刀で弾き返した。

 体勢を崩しながら放たれた為でもあるだろう。

 

 剣戟に散った火花が地面に降り注ぎ、シン達はすぐさま次の行動に移した。

 

っはっ!!

 

 放つはヴェノムウェブ。

 両手から放たれる音速の糸は瞬く間にエレクトロの足、そして胸を絡め取り、腕を円を描く様にぐるりと回した。

 

 足に左上のベクトル、胸に右下のベクトルが加わったエレクトロは足払いとは比にならないほどに回転し、天地が反転する。

 

どるぁァッ!!!

 

 そして、地を踏み砕き、超低空飛行の飛び蹴りをお見舞いする。

 メギャリと肉肉しい音が足を伝わり、くの字に折れ曲がったエレクトロがあり得ない体制で吹っ飛んだ。

 

 その直線上には、刀を構えた依姫。

 

「覚悟ッ!!」

「チッ…」

 

 銀色の剣筋がエレクトロの小さな身体に走る。

 

 しかし依姫が顔を顰めながら軽く息を吐き、エレクトロに振り返った。

 手応えは、なし。

 

「ヒャ…」

 

 依姫が振り返った瞬間、エレクトロの身体が剣筋に沿って両断される。

 しかしその輪郭は曖昧に。

 身体と風景の境界が消え、光り輝く電撃となって二人に襲いかかった。

 

「…ァハァッ!!!」

ぐっ…ッ!

「きゃっ!?」

 

 シンの視界にガクガクと痺れ震える依姫が映り、助けに行こうとした瞬間にその視界は真っ青に覆われる。

 エレクトロの電子化タックルが炸裂したのだ。

 

 焼けつくかの様に身体が痺れる。

 いや、この感覚は間違いなく焼け付いているだろう。

 

(あの野郎、わざわざ電撃の種類を使い分けやがった…!)

 

 …恐らく奴はまだ電撃攻撃をマスターした訳ではないだろう。

 先の妖力の纏った雷撃に熱を感じなかったからだ。

 その逆、熱の籠った雷に黒雷はなかった。

 

 つまり、エレクトロはまだ一つの電撃に特性を一つしか付与出来ない。

 

 それらを加味すると、エレクトロが真っ二つに分離したのは効率的にシン達にダメージを与える為であるだろう。

 

 エレクトロが身体を通り抜けるほどの短い時間の中でそう結論を出すが、熱によってヴェノムが溶け出してしまい、痛々しい傷跡を残した肉体が露わになる。

 溶け出し、身体の中へ収まっていくヴェノムは苦しそうに喘ぐが、声を絞り出して叫んだ。

 

焦るな!コイツは俺達の剣かお前の刀で捉えれる!!タイミングよくぶっ飛ばすだけだ!!

 

 ヴェノムの言葉。

 膝を突きかけた身体に力を入れ、剥き出しとなった青銅刀を握り締める。

 

 視界に収めるモノは依姫と二つの雷の乱舞。

 迎撃せんと意思を固めたその瞬間。

 

 視界一杯に広がる雷の色。

 

「ッ!!」

 

 感覚だった。

 その一撃を首を振るって避けたのは。

 

 ———速ぇ…!

 

 当然の話だ。

 雷の速度は人に捉えられるものではない。

 

 そもそもシンはヴェノムと共に戦っても電子化のスピードだけは対応出来なかった。

 しかし、このスピードに着いて行ける者がここに居る。

 

「くっ!!」

 

 依姫だ。

 どうやらギリギリで反応して防いだ様で、冷や汗を掻きながらも怪我は無い。

 そんな彼女の構える刀にはオーラのような物が纏わり付いており、シン達はそれが瞬時に霊力である事を理解した。

 

 ———だが。

 

「よそ見はいけないなぁ!?」

「ぐがぁッ!?」

 

 依姫が出来るからなんだ。

 肝心の自分達が反応出来ていないでは無いか。

 

 この手に持つ青銅刀で攻撃する事は出来ても、それが当たらなければ何も意味は無い。

 依姫からの助けも無い、あっちも手一杯だからだ。

 

「クソッ!クソッ!クソォッ!!」

 

 目前から追い打ちをかける様な突進。

 受け止めようと青銅刀を構えるが、目の鼻の先に来た瞬間、その光は掻き消え、代わりに背中から突き抜ける激痛がシンを襲った。

 

 ジュウ、と、灼熱の鉄板に押し付けたかの様な音が背中、そして腹の底から響く。

 すると血が喉から溢れ出し、とめどなく口からこぼれ落ちて行った。

 

 感じるのは不審感と冷や汗。

 

 ———血…?

 

 理解が追いついたその時、自分の腹から雷が飛び出した。

 しまった、そう思う前に腹筋が黒く焼け、喉の奥から焼け焦げた臭いと黒煙が立ち昇った。

 

「…げぁ…!!!ぐ…ぁ…!!!」

<〜ッ!!>

 

 それは今まで経験した事のない激痛。

 内臓を焼き尽くされる、耐えようもない異次元の腹痛。

 

 身体に潜むヴェノムにもダメージを与えた電熱。

 一撃で死をイメージさせた一手。

 

 シンはフラフラと腹を抑え、嘔吐する様に血を吐いてしまう。

 だが、シンの思考は激痛とは別にあった。

 

(痛ぇ…!!痛ぇけど…分かった…!!これならコイツのスピードを殺せる!!)

 

 震える膝を殴って強引に止め、吐血を飲み込んで青銅刀を握り締め、真っ直ぐに正眼の構えを取る。

 滝の様な脂汗がポタポタと落ちていく。

 

 激痛と最中、覚悟を胸に刻んだシンは———-

 

「フゥ…!!」

 

 目を閉じた。

 

 瞬間広がるのは暗闇の世界。

 雷鳴と苦悶と嗤い声が木霊する、何処までも広がる海の中心でシンはただ息を吐いて脱力した。

 

 棒立ちにしか見えない隙だらけとも取れる構えにエレクトロが嗤い叫ぶ。

 

「気が狂ったかァ!?」

 

 目指すは脳天。

 血色の悪い額目掛けて、エレクトロはその電熱を帯びた電子の腕を伸ばした。

 

 ひとたび頭を貫けば絶命は免れない一撃がシンに迫る。

 しかし彼は眉一つ動かさず、激戦の最中だと言うのに極限の集中を見せている様だった。

 

 そしてその雷の腕がシンの皮膚を掠めたその瞬間。

 

「ぎゃッ!?!?」

 

 雷の集合体に青銅刀が直撃した。

 スパークが溢れ、断片的に人状態へと戻って行くエレクトロ。

 瞳孔を開き、苦悶の表情をチラつかせ距離を取るが、シンの体はエレクトロの電撃に密着し、その距離を離さない。

 

「捕まえたぜぇ…?エレクトロォ…!!」

 

 彼が行ったのはカウンター。

 それも生死を賭けたギャンブル地味た物。

 

 視覚を閉ざし、皮膚の感覚を敏感した上で僅かな電撃を察知し、カウンターを加えると言う代物だ。

 これならエレクトロの自慢の速さも関係無く、カウンター後も距離を詰め続ける事で電子化を防げる。

 

「絶対逃さねぇッ!!」

「ぎぃっ…!!この———がぁッ!」

 

 再度電子化して逃げ出そうとするエレクトロを、シンは狩人のような殺意の籠った瞳をもって追い打ちし続けた。

 その姿は幽鬼とも、ハイエナとも取れる執念を表しており、エレクトロは全くそこから逃げ出す事が出来なかった。

 闘争心の化け物の真正面と言う、危険地帯から。

 

 最終的に彼女は電子化は愚か、その嵐の様な剣戟を捌くことも出来ず、横凪の一閃がエレクトロの露わとなった顔面部分にクリーンヒットした事で、彼女は遂に人間形態へと姿を戻した。

 下半身の無い、身体半分だけの異形だが。

 

「こぶぁッ!!」 

「依姫ッ!!こっちにソレを投げ飛ばせ!!」

「ッ了解…!!…ですッ!!軻遇突智(カグヅチ)様ッ!!」

 

 そんな彼女の胸部中心にシンが刺突を繰り出し、ミシミシと骨を軋ませる。

 その状態のままシンは前方に飛び出し、疾走しながら依姫向けて叫んだ。

 

 シンの進行方向にはエレクトロの下半身と思われる電撃と鍔迫り合いを果たす依姫。

 

 彼女が呼び掛けに答えた途端、彼女の刀から炎が溢れ出し、衝撃波の様にシンの方向へ電撃を吹き飛ばした。

 その一連の動作はまるで流水、若しくは乱舞の様であり、電撃は反応する事も出来ずにシンに向かって宙を舞う。

 

「行くぜッ…!!オラァッ!!!」

 

 彼はエレクトロの上半身を刀で突き刺し、電撃向けて吹き飛ばした。

 

 分たれた二つの身体がぶつかり合う。

 その瞬間シンの一太刀が真横から振り下ろされ、バキバキとそれらの骨を叩き折る異音が響き、引きづられる様に地面に放り投げられた。。

 

「ぐぁ…!がぁ…!!」

 

 呻き声の出所は上半身と下半身が絡まり合い、ミンチの様に地面にへばり付くエレクトロ。

 すかさず依姫もこのチャンスを逃すまいと神降しを発動させようとする。

 

 しかし。

 

 エレクトロの方が一手早かった。

 

「がっ…!!がァッ!!!」

「ッ!?しまっ———」

 

 二つの身体が結合し、同時に地面に紫電が迸る。

 

 瞬きもしない内にコンクリートの地面がビキビキとヒビ割れて隆起し、大小様々、あらゆる金属が顔を出した。

 思考を持ったかの様に顔を出した金属達はシンと依姫に襲い掛かり、反応に遅れた依姫が刀を弾かれ、無防備な姿を晒してしまっていた。

 

 瞬間依姫の真紅の瞳にタコの足の様に、無数に襲い掛かる鉄の槍が映る。

 だが、その景色に黒い巨人が映り込んだ。

 

オルァッ!!!

もう熱くない!完全復活だッ!!

 

 自分も鉄屑の群れに襲われているのに、腕力と膂力とヴェノムの柔軟な身体でその全てを凌ぎ切っている。

 速い話が圧倒的な力のゴリ押しだった。

 

 が、蛇の様に地を這う鉄に脚を突き刺され、攻撃の手を緩めた隙に一回り大きな鉄の刃がシン達を襲う。

 防御ももう間に合わない、そう感じたその時。

 

 今度は依姫が彼らの前に踊り出て、甲高い金属音を奏でて目の前の巨大な鉄の槍は勿論、周囲の鉄屑を弾き飛ばした。

 そんな彼女の顔は活躍に反して苦々しく、ドロリと鼻血を垂らしていた。

 

大丈夫か!依姫っ!!

「…えぇ…ただ…はぁ…能力を、使い過ぎました…はぁ…体力も…」

下がってろ!チャンスぐらい俺達一人で作る!!

 

 依姫の身体がふらつき、意識が朦朧としてきた為か、一瞬前のめりに倒そうになる。

 しかし、彼女は歯を食い縛り、緩んだ身体に力を入れ直した。

 

 ———力が入らない…?

 

 ———そんな物は敗北の理由になりはしない。

 

 ———彼と同じだ…()()が、心の奥底に宿る決意こそが勝利を掴み取る…!

 

 ———諦めないこの気持ちこそが!一歩を踏み出す理由になる!!

 

 地に下がる顔を強引に上げ、彼女の瞳が正面から迫る金属に映る。

 その瞳は爛々と宝石の様に光っており、覚悟と決意と闘志が入り混じった、酷く儚く美しい瞳だった。

 

「いえ…いえ!これくらいどうって事ありませんよ!!」

そうか…!なら死ぬ気で着いて来い!!

「えぇッ!」

 

 二人は視界を埋め尽くす様に襲い来る、魚群の如き鉄に身を投げ出す。

 けたたましく鳴り響く鉄の弾糾を身を受けながらもそれらを切り崩し、殴り飛ばし、エレクトロへと一歩を進めて行く。

 

 一歩を。

 鉄の群れに身を投じて、背中を預け、隣の友を信じて、更なる一歩を。

 

 時に守り、守られ、切り、破り、殴り、掴み。

 エレクトロも、空も見えない程の密度の金属と、血を地面に振り撒きながら抗う者達。

 それはまるで嵐と嵐のぶつかり合いの様だった。

 

ぐぅ…!!

「うっ…ぐぅッ!!」

 

 シン達の体に鉄の刃が突き刺さり、その威力のまま身体が抉れる。

 そうしてまろびでた防御の穴を抜け、小さな鉄片が吸い込まれるかの様に依姫の脳天に直撃した。

 

 呻き声を上げると共に衝撃で頭が天を向き、真紅の瞳に満月がちらりと映る。

 

(———もう…一歩、もう一息ッ!!!)

 

 意識を落とすまいと目線を元の鉄の群れに戻し、溢れた血が顔を流れ落ちる。

 しかし、目の前には既に何十を超える金属の矛先が襲い掛かる、名の通りの絶望があった。

 

 それでも真っ黒い希望が絶望を握り潰す。

 

面の良い顔が台無しだ!許さん!!

「ヴェノムさん…!!」

 

 シン達は十を超えるヴェノムウェブが磁力を超えた膂力で鉄を締め上げ、宙に飛んで回転し、モーニングスターを扱うかの如く暴れさせる。

 金属同士が擦れ合う事で大量の火花が散り、あり得ない程の騒音を撒き散らす様は正に台風だった。

 

 灰色の台風が鉄の群れを一掃し、ウェブを切り離してシン達が依姫の横に着地する。

 

まだ行けるよなッ!?依姫!!

「シンさん…!!はい!!」

 

 着実に距離は近付いている。

 だが、エレクトロに近づけば近づく程磁力は強まり、鉄の砲弾の破壊力が上がって行く。

 

 決定打。

 

 エレクトロに肉薄する為の決定打が必要だった。

 

「シンさん…!私が道を開きます…!それで、その刀で…カレンを…エレクトロを突き刺して下さい…!!」

「…!…おう…!!」

 

 だから。

 依姫は更なる限界を超える。

 

「———-軻遇突智様ァッッ!!」

 

 燃え盛るは爆炎。

 

 限度を超えた能力使用によって酷い頭痛と止まる気配の無い鼻血が滴るが、そんな物は関係ないとばかりに彼女は刀に炎を纏わせ、襲い来る金属達に切り掛かった。

 

「ハァッ!!」

 

 舞いの様に繰り広げられる一閃によって、雪崩の様に押し流れる鉄塊が真っ二つに融解し、続いて振り下ろされた縦斬りは地面ごと鉄の魚群を灰と化した。

 しかしその炎はシン達に影響を及ぼさず、目の前の異物だけを焼き尽くして行く。

 

 そして、鉄と鉄の、灰色の埋め尽くす防壁の僅かな隙間に、蒼いのっぺらぼうが映る。

 

あと少しだ!!

「ハァァアアッッ!!!」

 

 着実に距離を縮めていると確信した依姫達は、その攻撃の手を更に強めた。

 

 だがエレクトロの攻撃の手も過激化し、小さな破片は遂に音速に届き始めていた。

 見切れない程の攻撃に、最早彼らは防御を最小限に。

 

 頬に、身体に赤い線が走り、極限まで時間的ロスを抑え、がむしゃらに猪突猛進する。

 

ォォオオオオオオッッ!!!

「ァァアアアアアッッ!!!」

 

 気付けば雄叫びを上げていた。

 

 前へ、前へ、少しでも前へ。

 既に依姫の身体は血みどろで、シン達の巨躯も出血は無くても身体が使い古されたテディベアの様にボロボロだ。

 

 エレクトロとこちらを隔てる鉄の壁まで目測十メートル。

 行ける、絶対に行けると己を鼓舞し、依姫は目の前の鉄の嵐を焼き溶かしていく。

 

(全力をッ!!もっと!もっとッ!!速く!!150%まで振り絞れッ!!)

「ぁああアアア"ア"ッ!!!!」

 

 依姫の叫びに呼応し、豪炎が刀を介して赫く、情熱的に輝く。

 

 瞬間、シン達は頬に淡い風を感じた。

 続いて、視界が真っ白に覆われる。

 

「…ッ…!!」

 

 次に感じたのは、極大の爆発音だった。

 鼓膜が悲鳴を上げる中、目を開けると。

 

 ドロドロに融解した金属、いや赤い海と言った方が良いか。

 辛うじてエレクトロを守る防壁だけがその原型を留め、ベールを剥がす事を阻止していた。

 

 未だ赤熱化した鉄の壁。

 

ッオォッッ!!!

 

 今こそが最大のチャンス。

 そう確信したシンは、地面を踏み砕き、鉄壁に飛び付いて剛腕を振るった。

 

切れろ切れろ切れろォッッ!!

 

 鉄板同然の厚さの防壁。

 シン達に貫けない筈が無く、易々と腕が突き刺さり、そのまま上下に引き裂こうとする。

 

 しかし、地面から這い出た新たな金属がその行手を阻み、引き裂く黒腕は止まってしまった。

 鉄の向こうで僅かにほくそ笑むエレクトロを見据え、シン達は歯軋りする。

 

 あと一歩、あと一歩なのに。

 

チッキショウがぁッ!!

「いいえ!!まだ行けますッ!!」

 

 依姫の叫び、そして太陽の如き光にシン達は頭上後方に振り返った。

 そこには轟々と燃える刀を振り翳す依姫。

 抱く感情はただ一つ。

 

 ———最高だ、お前は。

 

行けッ!!依姫ぇえええッッ!!!

 

 彼女は天に掲げた神刀を落下の衝撃と合わせて振り下ろした。

 全身全霊で。

 足先から頭のてっぺんまでの力を全て使い果たして。

 

 当然の様に地面から勢い良く飛び出た鉄塊が防壁を厚く、太く組み上げていく。

 それが最後の抵抗とでも言う様に。

 最強の矛と最強の盾を決めるかの様に。

 

 しかし。

 

焼き切れろぉおおおおッッ!!!!

 

 金属なぞ無力。

 余りにも。

 

 神刀と壁が触れ合った瞬間から鉄の壁は赤を通り越して白く輝く程赤熱化し、彼女の刀がみるみる食い込んでいった。

 

いけっ!いけっ!!いけぇええええッッ!!!

 

 魂の叫びが木霊し、腕を震わせ、ギリギリと焼き切っていく。

 腕はもう吊っており、限界なんてとっくに超えている。

 

 それでも、依姫は力を込め続け、力を爆発させる。

 

 ———そして。

 

「ッ!!」

 

 一際高い金属音。

 

 それは、依姫が刀を振り切った事を意味していた。

 一瞬、ほんの一瞬の静寂。

 

 音が無い空間はすぐに崩壊し、歓喜のままにヴェノムが熱を無視して扉をこじ開け、磁力を失った鉄塊が地面に落ち、煩わしい音を響かせた。

 

 ———だが、だがしかし。

 絶望は現実と衝撃を持って突然襲い掛かる。

 

()()()()()!!待っていたぞこの時をォ!!!」

 

 開けた視界。

 そこに鎮座する様に立っていたエレクトロの腕には仰々しい、銃の様な二本のレールが伸びた機械の様なものが握られており、激しいスパークを伴っていた。

 

 そして漸く二人は理解する。

 この為の、この機会を作り上げる為の時間稼ぎだったのだと。

 

「キヒっ!!キヒヒヒヒッ!!!喰らえ——-」

 

 向けられた銃口。

 その矛先はシン達。

 

 だが、シン達なら避けられ———

 

()()ェエエッッッ!!!」

———っっんのクズ野郎がぁぁああああッッ!!!

ヤバいぞシンッ!!

 

 グルリと視線と矛先が依姫に向けられる。

 瞬間シンは察した。

 

 手負い、それも自身を滅する可能性があるものから殺る事を。

 仮にシン達が依姫を庇っても、シン達に大ダメージを与えられる事を。

 

 汚い手だ。

 だが、それによって全ての危機に晒されている事も事実だった。

 

蒼却電磁砲(レールガン)ッ!!!!

 

 シンの視界が極限状態により、スローに、ゆっくりと動いていく。

 

 酷い顔で目を見開く依姫。

 禍々しいオーラを放ちながら何かが射出される機械。

 

 世界が極端に遅い。

 にも関わらず射出された何か…鉄?…は恐ろしい速度で依姫一直線に軌道を描く。

 

 初速から音速を超え、激しいスパークを纏った弾丸だ。

 マトモに当たればバラバラになるかも知れない。

 

 死が。

 死神が確実に依姫の首に手を掛けている。

 

 彼女の美しい真紅の瞳に、蒼い、蒼い星が映る。

 

(…依姫…依姫!!!)

 

依姫ぇえええッッ!!!

 

 トン。

 空虚な音だった。

 

 勝手に腕が動いていた、そう言う他無い。

 ゆっくりと、唖然とした表情でこちらを見つめる依姫だったが、流星がその視線の交錯を閉ざし、一瞬でシンの左腕を通過した。

 

 瞬間、爆風とも言える衝撃が吹き荒れ、鉄が粉々に破砕され、二人の体が軽く吹き飛ばされる。

 突風に眼をやられ、眼を閉じた依姫が先ず耳にしたのは、苦悶の声だった。

 

 そして、瞳を開けると。

 映ったのは。

 宙に舞う真っ黒な左腕。

 

…あッ…!!ぁがっ…!!がぁぁあああ…!!!

大丈夫かシンッ!?

大丈夫じゃぁ…ねぇよ…!!

 

 依姫の瞳孔が震え、心臓が太鼓の様に打ち鳴らし、息切れが激しくなる。

 身体が限界を超えているからか、海に沈み込む様に力が抜けていく。

 そして、依姫は今にも泣きそうな声で彼らの鼓膜を震わせた。

 

「あ…ああ…ああ!!しっシンさん!そんな…!そんなっ!!」

 

 しかしギリギリと歯が砕ける程噛み締め、シンは叫んだ。

 

大丈夫…だ!!だから…目的をッ…!見失うな!!

「…っ…!!」

…俺には大丈夫じゃないって言ったのに

 

 それだけ言い残し、シンはウェブを駆使し、エレクトロの真正面へと一瞬で肉薄した。

 しかし、片腕がなくなったせいか、フラリと重心が前のめりになってしまう。

 

「アヒャヒャヒャ!!今のお前に私を倒す力なんて———」

倒すのは俺達じゃねぇよ…!!倒すのは———-

 

 シン達の腕を消し飛ばした忌まわしき機械がエレクトロの怪力によって無造作に放り投げなれ、オープンになった彼女は手の内に戦斧を顕現させた。

 

 そして、青く煌めくそれは一分の狂いも無く体勢を崩したシン達の額に向かっていく。

 

 しかし、シン達は自分から地面に顔を落とす事でギリギリ回避。

 地面スレスレの所で脚を思い切り踏み出し、筋力のバネとエレクトロが戦斧を振り切った隙を利用し、一歩でエレクトロの背後に移動した。

 

 更に彼女が振り返るより一歩早く、肘打ちを彼女の背骨に炸裂させ、止めと言わんばかりに収納していた青銅刀を肘の先から射出する。

 いくら刃の無い青銅刀と言っても、この至近距離でパチンコの様に突き刺せばどうなるか。

 

 答えは簡単、腹から青銅刀が貫通する。

 

「っがぁっ!?っヅぁああ!こんな物!!電子化で———」

———倒すのは依姫だッ!!!そうだろ!?

「えぇ!!私はもう!躊躇わない!!建御雷神(タケミカヅチ)様ッ!!」

 

 天から落ちて来る依姫。

 神の名を叫んだ事で神降しが発動し、限度を超えた使用によって血管が浮きで、右目から血の涙が溢れ出す。

 恐らく全身も激痛に襲われている事だろう。

 

 しかし、身を削った神降しにより、依姫の刀に聖なる雷が灯り、彼女はそれを空に掲げる。

 

 正に、断罪の光。

 

「はぁッ!!!」

 

 天罰が、振り下ろされた。

 同時に依姫の刀から黄金の雷が放出され、蛇の様な軌道を描いてエレクトロに襲い掛かる。

 

「馬鹿がぁッ!!この私に電撃?全部吸い取ってやるよッ!!」

 

 エレクトロに襲い掛かった…?

 否。

 着弾したのはシンの青銅刀。

 

「なっ!?」

 

 シンの刀は電気を通さないのを良いことに、金色の光が青銅刀を覆い尽くし、その光景にエレクトロは驚愕し、また、ある事実に心臓を掴まれた。

 

「電子化…出来ないだとォッ!!違う!?吸い寄せられる!?何をした依姫ェッ!!!」

 

 理由は簡単。

 エレクトロのマイナスの電気エネルギー、電子。

 健御雷神のプラスの電気エネルギー、陽子。

 

 それらが惹かれあい、結果としてエレクトロなら電子化を阻止しているのだ。

 つまり、シンの青銅刀が今だけエレクトロ専用の足枷となる。

 

「がぁああああッ!!!こんなッ!!こんな物!!コイツを引き剥がせば———」

 

 エレクトロが天から落ちて来る依姫を見て焦りを抱き、せめてもの抵抗として真後ろのシン達に両手を伸ばす。

 

 だが。

 

「ッ!?!?ぎゃァアアアアアッ!?」

 

 その手は、音速を超えた弓矢に射抜かれてしまった。

 一体どこから、その一心でエレクトロは矢の飛来した方向に顔を向けると、そこには管制塔。

 

 エレクトロの常人離れした視力は、その最高層に弓矢を携え、長く束ねられた白髪の女をその視界に捉えた。

 同時に激しい後悔に襲われる。

 

(あの女ッ!!あの女ァアアアアア!!!あの時に!!私が最初に射抜かれた時に殺しておくべきだった!!!)

 

「殺しておくべきだったァァアアッッ!!!」

「よそ見している場合ですかッ!?」

 

 ブワリと脂汗が噴き出す。

 のっぺりとした顔をぐりんと依姫に向けると、そこには最早剣を振り上げ、最後の一撃を入れようとする彼女の姿があった。

 

月読命(ツクヨミノミコト)様ッ!!!」

『待ってたぞ…この時をッ!』

「ッ良いのか!?お前の親友の体をォッ!!お前は斬り殺すと言うのかァッ!?!?」

 

 エレクトロの最後の抵抗。

 それは依姫の弱さに漬け込んだ手だった。

 優しすぎる、と言う弱点に。

 

「…」

 

 ほんの一瞬だけ依姫が黙りこくり、エレクトロは無い筈の口角が吊り上がるのを感じた。

 だが、彼女は覚悟を決めたのだ。

 

———私はッ!!もうッ!!迷いませんッ!!!

やれッ!!依姫ぇえええッ!!!

 

「馬鹿な!馬鹿なッ!!馬鹿なァァアアッ!!!」

 

 再度の神降しによって身体中から血が噴き出る依姫。

 最早刀を握るだけで精一杯であり、その姿はほぼ落下しているだけだった。

 

 だが、意地で刀を振り上げ、エレクトロと視線を交わす。

 両手を塞がれ、逃げる事も出来ない。

 絶対のチャンス。

 

 ———これで、終わる。

 

「ハァアアアアアッッ!!!」

「あああッ!?!あっ!?あぁアアアアアッッッ!!!!」

 

 エレクトロの頸動脈に歯が食い込み、鎖骨、胸へと刀が滑っていく。

 

 やけにゆっくりとしていた。

 待ち望んだ瞬間だった。

 鼓膜が破れたのか、音が無かった。

 

「——!!—————!!!!」

 

 刃が滑るごとにエレクトロののっぺりとした表情に皺が重なっていく。

 やっと、カレンを取り戻せる。

 

「これで…終わりですッッ!!!」

『消えろッ!!大妖怪ッ!!!』

「くっくっ…くそ…くそっ、ッックッッソォォオオオオ"オ"ッッッ!!!」

 

 依姫の、月読命の、エレクトロの叫びと共に刀が振り抜かれた。

 血飛沫が舞い、焼印の様に残され、光り輝く痕から溢れる光があたりをてらす。

 

 そして絶望のまま硬直するエレクトロを内側から照らしていく。

 エレクトロが傷口に手を掛けた瞬間、光が爆発し、依姫も、シン達も吹き飛ばされ、発電所は光の奔流に飲み込まれた。




あめおめご拝読ありがとうございますなのぜ!

勝った!!第三部完ッ!!なのぜ。
ちなみにシン君の腕はいつか生えるのぜ、心配ナッシング。


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第三十九話 変容の赫怒

もうちょっとだけ続くんじゃ、なのぜ。
ゆっくり!


 ———遂に、依姫がやった。

 

 溢れる黄金の光がエレクトロの身体を覆い尽くし、衝撃波と光の波が全てを飲み込んでいく。

 至近距離に居た依姫は勿論、金色の光の奔流がヴェノムの凶悪な身体も吹き飛ばし、エレクトロの腹に刺さっていた筈の青銅刀が奔流に飲み込まれ、遥か彼方にぶっ飛ばされてしまった。

 グルグルと円を描いて空に消えたあたり、最早見つける事は困難だろう。

 

うぉおお…激しくないか…!?流石に…

こっちも瀕死なんだ…労われクソ神…!

 

 片手で顔を覆う様にして衝撃波に耐え、影のみとなったエレクトロを白い目で見詰めた。

 両手に突き刺さっていた矢が崩壊し、壊れたロデオの様に身体全体をガクガクと震わせている。

 

 ———-頼む…治れ…治ってくれ…!!

 

 心の中はそれだけで一杯だ。

 沢山の血を流した、沢山の血を流させた。

 依姫に辛い選択をさせた。

 

 これで戻ってくれなければ、割に合わない。

 

…!光が収まる…!

 

 遂にエレクトロを中心としたスーパーノヴァはその勢いを落とし始める。

 少しずつ光が収縮し、エレクトロの脈動も収まっていく。

 

 その頃には衝撃波も止み、シン達は緊張の糸が切れた様に地面に手を着いた。

 だが、その顔はしっかりとエレクトロを見据えている。

 

「———ッカレンさん!!」

 

 そして叫んだのは依姫。

 我慢出来ないと言った風に口火を切った彼女だったが、その身体はシン達に勝るとも劣らない程ボロボロで、至る所に血が滲んでいた。

 

 しかしその身体で彼女は駆け出し、手を伸ばす。

 勿論親友(カレン)に向かって。

 

 太陽がその一生を終えるかの様に光がエレクトロを中心として収縮し、依姫はその光を追う。

 その足取りはフラフラで、何度もつまづき、簡単に息切れを起こしている。

 

 それでも依姫は足を止めなかった。

 

「ゲホッ…ハァ…ハァ…かれっ…ゲホッゲホッ…」

 

 彼女の名を呼ぼうとして、疲労を重ねた身体がそれを止める。

 

 光は遂にエレクトロに収まり、振動を止めたエレクトロがぐらりと、糸の切れた人形の様に膝を突き、脱力してしまう。

 前のめりに倒れ込もうとした瞬間、駆けていた依姫が遂にエレクトロを抱き締めた。

 

「きゃっ…!」

 

 しかし、体力も何も無い依姫は結局そこで転んでしまい、二人して地面にスライディングしてしまった。

 依姫は力の抜けそうな身体に必死に喝を入れ、エレクトロの顔を覗き込む。

 

 ———-紛れもない、カレンだった。

 

 蒼く、電流が血液の様に流れていた皮膚は血色は悪けれど人のそれと同じで、のっぺりとした顔は何処にも見られない。

 子供らしい、けれど気の強い、いつものカレンの顔だった。

 

「ぅ…ぁ…」

「かれっ…カレンさん…カレンさん…!」

よし…よしよしよし!起きろカレン!!

終わった…やっとだ…!!

 

 そしてエレクトロ…いやカレンの、眉がピクリと動き出し、ぎこちない声が漏れ出る。

 安心からか依姫の瞳から大粒の涙が溢れ出し、されども喜びから笑顔になっていく。

 シン達もその場から動く事はしなかった…いや、疲労から出来なかったが、明確に口角を上げ、喜びの声を出していた。

 

 エレクトロの影はもう無い。

 その事実は場の戦闘の緊張感を絆し、完全に祝勝ムードの様に和やかになっていった。

 

「…より…ひめ…?」

「えぇ!わ、私でず!カレンざぁん…!、」

「…ぁあ…あああ…そうだ、アイツに…気味の悪い大妖怪に…私は…」

 

 カレンにエレクトロが乗り替わってからの記憶は無い。

 しかし、自分の自我が大妖怪に破壊されてから行った非行は頭に焼きついている。

 

 少なくともこの都市の門番二人、そして…そして母上を殺した。

 肌の蒼い自分を丸々移した目をあちらこちらに震わせ、最後に生気を無くして倒れる彼らを見て宿った優越感と殺戮衝動。

 冷たい雨の匂いと生温かく鼻をつんざく様な血の臭い、その中心でドロドロした内臓をぶち撒け、誰も顔とも分からない程ぐちゃぐちゃになった母上を俯瞰して滾る高揚、満腹感。

 

 フラッシュバックの様に脳裏を駆け巡る光景にカレンは青ざめた。

 

「わ、私は…ひとを…人、母上も殺し———」

「っ大丈夫…大丈夫です…!まだやり直せる…!!やり直せますから…!!」

 

 懺悔するかの如く漏れた一言を遮り、依姫は彼女を思い切り抱き締める。

 カレンは肩に温かい涙の感触を感じながらも、"お母さん"へ未練を感じていた。

 

(私が、私が殺した…この私が…一体…これからどうしたらいいんだ…?)

 

(…)

 

(あぁ………でも依姫の腕の中は暖けぇな…)

 

(そうだ…アイツは…っ…腕…無い…)

 

(私が…私がやったのか…アイツには悪い事をしたな…)

 

「シン…悪い…いや、ごめん」

おいおいおい…そんな目で見るな、俺はこれぐらい平気だ…義手だってヴェノムで賄える、な?

俺は許さ———

な?

 

 憤るヴェノムに無理矢理言葉を合わせ、精一杯の優しい声色でシンは語り掛けた。

 しかし口頭上で許していても、シンもしっかりと恨みを持っている。

 彼とヴェノムは事が終わったら試合でフルボッコにするつもりであった。

 

 一応依姫が居るため優しい言葉を掛けているが、野郎共には血も涙も無い。

 

「あぁ…」

 

 何となく言葉の裏を読み取ったカレンは自分のしでかした事とは別の意味で青ざめる。

 しかし今考えても無駄かと考えるのを止め、依姫の胸に顔を預けた。

 

 そうして無造作に記憶を辿るカレンだったが、ある一点を境に記憶が途絶えていることに気付いたカレンは、すぐに顔を上げた。

 

「そうだアイツ…アースは…?」

 

 ある一点、それは癖っ毛の緑髪、気弱な少年のアースとの決闘。

 追い詰めた彼に胸を貫かれた、彼女の記憶はそこで止まっていたのだ。

 

 故に、ここに居ないアースの事が気に触る。

 

「うぅ…ひぐ…アースさん…?私は知りませんが…」

…俺もだ

 

 依姫が芳しくない返事を出し、シンも目線を下げて答えた。

 しかし、シンの頭の中にエレクトロの言葉が反芻する。

 

『———殺したッ!!今頃彼は真っ二つさ!!クヒャヒャヒャヒャッ!!』

<シン、落ち着け…アイツの戯言だ>

でもよ…

 

 嫌な予感がする。

 いや、確信に近いのかも知れない。

 

 ———死んだのか…お前は…

 

 だがまだ確定した訳ではない。

 きっと、彼は全てが終わってからも何事も無く道場に来て、修行を始める筈だ。

 きっと。

 

 

 しかし、カレンがここに居る事自体が全てを裏付けている。

 

 カレンの様子から察するに、恐らくアースはカレンと交戦した。

 その途中でカレンはエレクトロへと変貌を果たし、アースを…殺し、た。

 

…チッ…

 

 殺した、なんて机上の空論でしかない。

 勿論、倒された、こちらの方に望みを掛けたい。

 

 だが、それではエレクトロがあの様な戯言を宣う訳がない。

 

…クソ

「シンさん…?どうしました?」

…何でもない

 

 …兎にも角にも、アースが居なかったら、依姫もシン達も発電所には到着出来ず、この都市の電力全てを奪われ、どうしようもない事態に陥っていたのは確実だろう。

 そう言った意味では、シンはアースに感謝していた。

 願わくば、この気持ちをちゃんと彼に伝えたいものだが。

 

…取り敢えず、どうする?言っておくが俺はもう動けねぇぞ

俺も疲れた…シンの身体の中で優雅にアドレナリンティーを広げることにしよう、デザートは妖怪の頭だ

まだヴェノムはこのままで居ろ、でないと出血多量で俺が死ぬ

「はは…兎に角は師匠を呼ばないとですね…」

「———なぁ」

 

 次第に軟化し、和んでいく空気。

 全てが終わって、やっと、一段落した瞬間だった。

 

 しかし依姫がトランシーバーをポケットから取り出した瞬間、申し訳なさげにカレンが呟いた。

 

「こんな迷惑掛けてさ…傷付けて…もう、お前の友達で居られないかも知れないけどさ…最後に…最後に頼みがあるんだ」

「…?私達は友達ですよ、これからも…最後なんかじゃありません!」

「…そう、か…あ、あのさ…」

 

 一瞬きょとんとカレンを見詰める依姫だったが、すぐに彼女はにっこりと笑ってそう言った。

 カレンはこんな目に遭ってまで優しくしてくれる聖母の様な依姫に心がきゅうと締められる様な嬉しさを感じ、気恥ずかしさから頬を赤らめ、目線を横に流して言う。

 

「———だ、抱き締めてもいいか…?少しだけ、安心するんだ」

「ふふっ、それぐらい大丈夫ですよ!」

はっ、呑気な奴だぜ

「うるせぇ…」

 

 依姫は笑ってOKしたが、シンの軽い口撃はカレンの羞恥心を大いに刺激した。

 うるさいと精一杯の反撃を起こすが、恥ずかしすぎてシン達の顔すら見れず、真っ赤になってプルプル震えている。

 

 呆れたシンはため息を吐いて一つ提案した。

 

はぁ…仕方ねぇから後ろ向いててやるよ、良くなったら言え

「…」

「ふふっ…」

 

 カレンは唇を噛み、最早涙目だ。

 彼女がチラリとシンに目をやり、彼が後ろを向いているのを確認すると、彼女は依姫に向き直った。

 

 依姫は依然微笑み掛けており、腕を広げてハグを待っている。

 

「…じゃあ…いくぞ?」

「えへへ…何ですかそれ…」

 

 まるで戦に出陣するかの様な気迫に依姫は苦笑いした。

 

 カレンは恐る恐ると依姫の腰に手を回していく。

 最初は遠慮がちだったが、次第にカレンの緊張も解かれ、まるで母親に泣きつくかの様に抱きついたカレンは最後に頭を依姫の胸に押し付けた。

 

「はは…やっぱり…あったけぇよ…」

「ふふ…」

 

(あー…甘い…甘すぎる)

 

 感動のシーンが繰り広げられる中、一方でシン達は背中に受ける甘い甘い気配に口の中が落ち着かなくなっていた。

 

<この気配は安っぽい映画のラストだ、ベタで甘い>

(別にいいけどよ…)

 

「頭…撫でてくれ」

「ふふ…まるで妹が出来たみたいですよ」

 

<もしかして俺達お邪魔虫?>

(だとしても俺は立ってるので精一杯だ、動きたくねぇ)

 

「…」

 

「カレンさん…いや、この呼び方はむず痒いのですよね…カレン…?約束、覚えていますか?」

 

 

 

 

 

「悲しい事があったら…私に教えてって、料理、私にまた教えてって」

 

 

 

 

 

「カレンが行方不明になった時…私、目の前が真っ暗でした」

 

 

 

 

 

「唯一の女友達で、親友になれた人だったんです…だから…」

 

 

 

 

 

「だから、悲しかった…大妖怪に体を乗っ取られたなんて事も…一生、カレンと友達で居られないんじゃないのか…って…ッ…」

 

 

 

 

 

「…っ…わた…し…カレンの…っ、こと…殺しちゃうじゃ…ないのか…って…っ…」

 

 

 

 

 

「カレンを…斬った…っ…あの瞬間まで……っずっと…っ…迷ってっ…いました…」

 

 

 

 

 

「親友を傷付けて…っいいのかってっ…」

 

 

 

 

 

「でも…っでも、カレンを取り戻せた…っ…!それだけ…それだけで…わたしは…っ、わたしはっ…〜っ…」

 

 

 

 

 

「———また…一緒に…料理…作ってれますよね…?」

 

 

 

 依姫の小さな慟哭が更けた夜に溶けていく。

 微かに涙の匂いが漂っている。

 

 静寂で閑散とした空間。

 風が吹けば壊れる様な、細い糸で繋がれた空間だった。

 

 シン達の瞳には、星の輝きも月光の光も無い。

 そこにはただ暗闇が広がっているだけ。

 

 …どこか悍ましく、どこか奇妙だ。

 

 まるで天が祝福ではなく、厄災を齎す前兆の様な。

 心臓がドクドクと鳴る、その意味は、警鐘。

 

 シンには、何かを見落としたかの様な、ゴキブリの小さな影を見つけた様な不信感が胸中を渦巻いていた。

 それはヴェノムも同じ。

 

 ———カツン。

 不意に響いたその音は、トランシーバーが依姫の手を離れ、地面に落ちた音だった。

 

<何か、嫌な予感がする>

(…お前もか)

 

 衣擦れの音。

 

 異常な程静かだ。

 依姫の嗚咽も、いつの間にか聞こえなくなっている。

 

 涅槃の世界とも言い難く、静寂とも言い難く。

 感じる境地は戦争の終結した激戦区、いや、束の間の平和を噛み締める防空壕の中。

 誰も言葉を発せない、発さない、そんな世界。

 

 

 

依姫?

 

 

 

 返事は、帰って来ない。

 不思議に思う程動悸がする、息が吸えなくなる。

 

 極度の緊張とも言っていい異常感に呼吸がままならず、喉が痛い。

 何が起こっている。

 そう思うのが関の山だった。

 

 そして涙の匂いが消え、血の気配。

 

 

 

<おい、何でこんなに身の毛がよだつ?>

(分からねぇ)

 

 

 

 気のせいかも知れない。

 ただの杞憂かも知れない。

 

 それとも、万が一、億が一にもありえる結末を見落としていたのかも知れない。

 

 でなければ、何故、こんなにも動悸が止まらない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 ブリキの様な、鉄錆びた音が身体から響く様な気さえする。

 ゆっくりと風景が移動し、遂にシン達の真っ白な瞳は、依姫とカレンの姿を映し出した。

 

 行き場無く伸ばす腕の様な、血溜まりの上に座り込む、二人を。

 

………いや…あ、ありえねぇよ…

 

 カレンの顔は見えない。

 代わりに依姫の瞳がこちらに向けられている。

 

 何も映していない、空虚な瞳が。

 

…な、なんでだ?どうしてだ?

「———違う」

あ…?

 

 足元が瓦解する。

 正にそんな感覚に突き落とされていく中、弱々しいカレンの声が響いた。

 

 

 

()じゃないんだ」

 

 

 

 カレンが立ち上がる。

 

 

 

「身体…か、からだが勝手に…」

 

 

 

 依姫の身体が支えを失い、べちゃりと血の池に沈む。

 その腹には穴が。

 

 そして背を向けるカレンの腕は血みどろだ。

 

 

 

 

「あ、あ…あぁぁぁ…よ、依姫…違う…違うんだ…」

 

 

 

 

 酷く動揺し、蚊のように震えた声で鳴くカレン。

 その顔が、僅かにシン達へと向けられた。

 

 瞳孔の定まらないエメラルドの瞳。

 カチカチと鳴る歯。

 

 

 ———侵食する様にカレンの片目を覆うのっぺりとした皮膚。

 

 

 嫌でも、シン達は確信してしまった。

 ソレの再来を。

 

 

「身体…なんで…?し、シン…頼む…止め———」

 

 

 その瞬間、のっぺりとした皮膚が急激にカレンの顔を侵食し尽くしてしまう。

 淡いエメラルドの瞳を一つ残して。

 

 そして、語られる言葉は邪悪に満ち始める。

 

 

「キ、ヒ…」

…ふ、ふざけんなよ…ふざけんな…ざけんなクソがァッ!!

最低だ…!安い映画でもこんな展開はあり得ないぞ…!!

 

 

 消滅したはず。

 だったら目の前のコイツは何なんだ?

 

 …もう、否が応でも理解するしかなかった。

 

 エレクトロが、復活した。

 

 

「アヒャ!アヒャヒャヒャヒャ!!!ヒャーハハハハハハハ!!!!依姫!シン!最低な気分だ!!ぁあ!?」

…テメェ——-づぅ…!

<クソ!限界だ…パンチ一発でもう俺達は一つじゃなくなる!>

 

 一変したエレクトロは叫び、顔を掻き毟り、ストレスを発散するように依姫の服を掴んで無造作に吹き飛ばしてしまった。

 無抵抗に投げ飛ばされる依姫はゴロゴロと地面に捨てられ、苦悶の声を上げていた。

 

 シン達は今すぐにでもエレクトロに飛び掛かろうと踏み込んだが、先の戦闘の代償は大きく、踏み込んだ脚がビキビキと音を立てて軋み、激痛から一歩も動くことが出来なかった。

 更にヴェノムも限界。

 

 最低なのは俺達だと叫びたい状態だった。

 だが、エレクトロが宣う。

 

「頭でコイツの声が響く…!!完全に乗っ取れなかった!絶望を直接感じ、悲しみの涙をこの目から感じ取ることが出来るのは最高だが…あぁ煩い煩い…!!しかも妖力も、霊力も、電力も空っぽだ…!!最悪すぎるぅ!!だが…それもここの管制塔から電力を吸い出せばいい…何より!!お前らの様な搾りカスなんてこの力だけでねじ伏せれるんだよォッ!!」

 

 虚ろなエレクトロの、カレンの片目が見るに耐えないシンを映す。

 そんな彼の姿は、どこかおかしな気配を漂わせていた。

 

———どうしてだ?

「あん?」

 

 

 

 エレクトロの叫びを聞いて、シンの中で激情が沸々と沸いていく。

 

 

 

何故生きてる?

大人しく死んどけよ

 

 

 

 感じた事もない様な感情が背筋を駆け上る。

 悲しみも、驚愕も抜き去って主張する思いが爆ぜていく。

 

 

 

本当に最悪だ…こんな醜い感情が出るぐらいにはなぁ…!

俺もだ…本当にムカつくぜ…!

 

 

 

 ———怒り。

 カレンごとエレクトロを殺してしまいたいほどの憤怒。

 最早シンに、シン達にそれが抑えられる訳が無かった。

 

 

 

「「殺す、殺してやるよエレクトロ」」

 

 

 

 シン達の身体が脈動を繰り返し、狂気的な気配がその身から溢れ出す。

 

 それは怒りそのものに適応するシン達の身体。

 赤い狂気をその身に宿すその巨躯。

 

 しかし、彼らにとって殺すではこの怒りを表現するに足り得ないと直感し、言葉を訂正した。

 

 

 

「「いや…違う」」

 

 

 

 顔を抑え、踏み出せなかったはずの一歩を踏み出すシン達。

 バグが起きたかの様に黒い身体の一部が血濡れて赤く染まり、力が漲っていく。

 

 まるで、今までとは違う存在になったかの様な。

 

 

 

「「俺達が…いや、俺が———」」

 

 

 

 異常への適応は、彼らを別の存在に。

 なり得ない筈の姿に書き換えて行く。

 

 そして、浮かぶ感情はただ一つであり、彼は顔をエレクトロに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———虐殺してやる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、エレクトロの視界から彼の姿が残像を残して消えた。

 

「ッ!?」

遅い、遅いぞクソ野郎

 

 声はエレクトロの後ろから響く。

 聞いた事もない様な悍ましい声だった。

 

 何が起こったかも分からないまま振り向いた瞬間、彼女の身体から血が噴き出し、身体をふらつかせて足を着く。

 そんな彼女の身体にはありとあらゆる場所に赤い線が浮かんでいた。

 

「こ、この一瞬で…?なんだ…!?お前…限界じゃあ…無かったのか!?」

俺が何かなんてどうでもいい…!ただ本能も理性も叫ぶんだよ…!殺せと、虐殺しろと!!

 

 シンともヴェノムとも言えないその者の身体は耐えず脈動しており、黒と赤が混じっては反発し合うバグった様な色合いをしている。

 そしてその身体からは幾本もの触手が天に向かって手を伸ばしており、その様子は人外に近付いていることを表していた。

 

 対してエレクトロの身体は電力もすっからかんで、身体の再生すら出来ていない。

 

「はっ…はっ…ぁ…」

 

 エレクトロは恐怖を抱いた。

 シン達との戦闘中に抱いた感情と同種の恐怖だった。

 

 踵を返し、逃走を図ろうとしたその瞬間。

 

逃がさねぇよ

 

 淡々と言葉が告げられた。

 

 彼が赤い身体を変化させ、触手から変化させたムチが凄まじいスピードで彼女の足を捉え、逃げられない様に足首を縛り付ける。

 異常な膂力に足を引っ張られた彼女の身体は、凄まじい勢いで引きづり込まれ、最終的に彼の足元にまで戻されてしまった。

 

ハハハ!言い残す事は!?

「やめろ…良いのか?確実にカレン共々死ぬぞ!?」

 

 冷たい瞳で、彼はエレクトロを見下ろす。

 あるのは殺意と言う名の狂気だけ。

 処刑人にも似た気配を漂わせて、彼は一つしかない腕を天に伸ばした。

 

 瞬間、彼の腕が赤い曲刀へと変化し、続いて背中から伸びる触手の先端が鋭利に硬質化し、その矛先が怯えた表情をするエレクトロに向けられる。

 

関係無い、死ね———」

「———待って…」

 

 風を切ってエレクトロの首に向かう凶器。

 彼女の皮膚スレスレで迫った刀と触手は、か細い声に止められた。

 

 注意しなければ聞こえない様な、小さな依姫の声だ。

 

「お願いです…お願いですから…カレンを、殺さないで…」

 

 彼は依姫を見た。

 

 目を開じなから、青白い唇でヒューヒュー音を立てて息をしている。

 時折苦しそうに血を吐き、穴の空いた腹部から血が流れて、なお言葉を紡いでいる。

 

 エレクトロに腹を貫かれて、どれだけ自分が痛い目にあっても、ずっとカレンの身を案じている。

 そんな彼女が必死になって伝えた言葉に、彼は何かを感じた。

 

 狂気とは違う、温かな感情。

 

うぐっ…!?がぁ…ぁぁああああ…」

 

 その感情に名前をつける事は出来ないが、狂気に満たされた心に異物が入り込んだ事で、彼の怒りに適応した身体が崩壊しようとしていた。

 

 殺意は霧散し、蠢いていた狂気が収まっていくのを感じていく。

 赤黒い身体は黒へと姿を戻し、曲刀も、何本も生えていた触手も溶ける様に消えていく。

 

 漲り沸る力も消え、限界を超えた事でヴェノムさえも身体に戻っていった。

 

「っ!!がぁっ!!」

 

 その隙をエレクトロが見逃す筈もなく、跳ね上がってシン達に蹴りを入れる。

 くの字に折れ曲がった彼らの身体はその衝撃に吹き飛ばされ、無様に地に舞った。

 

<ぐぁ〜〜っ…!!ッ今のは何だったんだ!?何で()()()になった!?>

「知ら…ねぇ…!はぁ…はぁ…ぐっ…」

 

 一体化していた彼らの精神も完全に分離し、気を取り戻したヴェノムは立ち上がれないシンに今の現状を問い詰めた。

 しかしそれをシンが知る筈も無い。

 

 彼らに残るのは虚脱感、僅かに残った高揚感に裏打ちされたアドレナリン、ただそれだけ。

 

 彼は失った腕に目をやった。

 絞り出したかのように血がタラリと流れ、僅かに地面を濡らしている。

 

 これは止血ができていると言う訳でなく、ただ血が残っていないと言うだけ。

 なけなしの血液を垂れ流しにした傷跡がそこにはあった。

 

 再び視線をエレクトロへと戻した彼はふらふらと立ち上がり、片腕の拳を顎の前に。

 顎を少し引き、身体は中腰に。

 

「…く、ククク…さっきは驚いたが…何だそのお粗末な構えは?」

 

 それはファイティングポーズだった。

 

 片腕だけで隙だらけ、極めて不恰好。

 足は震えている。

 怯えでも武者震いでもない、ただ限界が来ていると言う身体の悲鳴。

 

 ズタボロのエレクトロでさえも嘲笑する。

 

 しかし嘲りの中でシンの思考は鋭く、槍の様に変化し、視線は常にエレクトロを仕留めていた。

 

「…」

 

 死の寸前という状況が齎す集中力。

 意識が混濁しているからこその無我の境地。

 

 彼はただエレクトロを見詰める。

 射殺さんばかりに、敵を討つかのように観察する。

  

「何だ?その眼は…?…煩わしい…!!」

 

 エレクトロが吐き捨て、拳を握り締める。

 

「まぁいいさ、ここに立つのは私たち二人だけ…クヒッ!シン!!殺してみろォ!!殺してやるからよォッ!!アヒャヒャヒャ!!」

<来たぞシン!>

「見れば分かる!」

 

 突如として場の空気が燃え上がり、彼女は叫び声を上げながら突進した。

 いくらダメージを負おうと、いくら妖力も霊力も無かろうと、やはりそのフィジカルは大妖怪であり、凄まじいスピードで手刀が振り下ろされた。

 

 簡単に人体を切り裂く一撃。

 

 シンはそれを、まるで来るのが分かっていたかのように皮膚を滑らしてギリギリで回避し、ガラ空きの彼女の腹に一撃を加えた。

 

「ガハァッ…!!」

「ぐっ…!」

 

 ダメージが大きいのはシンの方。

 まるで鉄を殴ったような感覚であり、掌にはヒビが入っていた。

 

 だがしかし、それはエレクトロも同じ事で、彼女の肋骨にヒビを入れることに成功していた。

 

 彼女はまだまだと言わんばかりに、怯まずハイキックを繰り出す。

 

「キヒャァッ!!」

 

 しかし、シンの極限まで微細化された脳にはそれがゆっくりとした風景として出力され、身を屈め、頭上にビュンと風を感じて回避した。

 

 今のシンの思考回路は研ぎ澄まされている。

 正にトラックに轢かれる瞬間、時間が緩やかに流れる現象と全く同じように、否、今のシンの状態を鑑みるに、全く同じなのかも知れない。

 

 故に、エレクトロの素人同然の動きを回避する事は簡単な事だった。

 

 ———だが。

 

「ッ!?」

<このバカ!自分の状態も分からないのか!?>

 

 またもや隙の生まれたエレクトロに拳を叩き込もうとするシン。

 この拳は…エレクトロに当たる事もなく、空を切る事もなかった。

 

 確かに腕を振り下ろした筈。

 感覚はあった、なのに手応えは0に等しい。

 

 そして気付いた。

 自分が無い方の腕で殴っていた事に。

 

 直後に感じる幻肢痛。

 

 エレクトロがその隙を逃す筈もなく、彼は顔面に拳がのめり込み、数メートルぶっ飛ばされた。

 

「…ぐぁ…!!クッソ…!!腕が無ぇと…こんな違うのか…!!」

<シン…コイツはいるか?>

「あぁ?」

 

 片腕の無いバランス感覚に苦しめられるも、何とか立ち上がったシン。

 そんな彼に、ヴェノムは黒い触手を使い、ある物を差し出した。

 

「これは…依姫が使ってた…」

 

 それは依姫の血に赤く染まったトランシーバー。

 べっとりと付着した血を見たシンは、込み上げる感情によって僅かに眉を顰める。

 どうやら吹き飛ばされた瞬間、ヴェノムが拾い上げていたようだ。

 

 そして、そのトランシーバーからはノイズと共に声が響いた。

 

『…最悪な状況ね、消し飛ばしきれなかった…いえ、奴との繋がりが強すぎた』

「じゃあどうすりゃあいい!?俺にはアイツを倒す力なんて残ってない!!カウンターもこっちがダメージを喰らう!出来てもチンタラ殴ってたら…!アイツが…依姫が死んじまう!!オラァっ!」

「うげァッ!?」

『…方法、あるにはあるわ』

 

 永琳と会話するシンなんて知ったこっちゃないと距離を詰めるエレクトロの猛攻を執念で躱しきり、足の骨を代償にして彼女にヤクザキックをお見舞いした。

 バキリと鳴った足からは激痛が走り、最早立っているのさえ辛い。

 

 それでも彼はなりふり構わずトランシーバーに叫び立て、永琳から僅かな希望を聞き出した。

 しかし、その方法の名を言う前に、永琳はシンに一つの問いを投げ出す。

 

『一つ、聞かせて頂戴…カレンと依姫を含んだ全て…どっちが大事?』

「あぁ!?」

 

 唐突に投げ出された答え。

 

 問いが朦朧としたシンの頭にグルグルと駆け回り、理解すると同時に迷い、そして気付いた。

 もうカレンを取り戻す方法なんて無い事に。

 

 彼女を取り戻す唯一の手段である依姫はダウンしてしまった。

 更に時間を掛けてしまうと彼女は死んでしまうし、エレクトロにも電力を回復されてしまう危険がある。

 

 何より、最高峰の頭脳を持った永琳が二人とも救うと言う選択肢を出さない。

 これが全てを物語っていた。

 

 そして、彼は重々しく答える。

 

「他に…方法は…?」

<あるはずだ!>

『無いわ』

 

 言葉を出そうとしても、彼の息が詰まる。

 

「…嘘ならタチ悪ぃぞ…?」

『貴方には…0%の方法を試して依姫を死に晒すと言う覚悟はある?』

 

 苦虫を噛み潰した様に彼の表情が曇る。

 

「…」

 

 数秒程度の沈黙。

 されどその時間は何時間にも等しい苦悩が含まれていた。

 

「———だったら」

 

 やがて彼は、答え出す。

 

「だったら俺は…依姫だ…それしか方法が無いなら、俺は依姫だけは死なせたくない」

<…お前の気持ちは分かる、お前は…後悔してもいいんだな?>

「それしか方法がないんだ!仕方ねぇだろっ!!」

『決意はあるようね、分かったわ…なら、今からエレクトロを管制塔に押し付けなさい!思いっ切り!壁が壊れる程!!』

「分かったァッ!!」

 

 思考停止。

 今のシンの状態を表すにはそれがピッタリだった。

 

 どんな選択肢が最善だったのか。

 それが不正解なのか、正解なのかは分からない。

 ただ永琳なら何とかしてくれるだろうという、希望的観測。

 

 ヴェノムでさえ僅かに心配するが、シンはそれを一蹴してしまった。

 そして、シンにもう一つ言える事があるとしたら、それは彼が、避け、殴って押し付けると言うことだけを考えていると言う事だ。

 

「ァァアアアア!!!」

「キヒャアアア!!!」

 

 体術なぞ知らないエレクトロが愚直に殴り掛かり、シンはそれに応える。

 叫び声を上げながら彼女の拳を間一髪で回避し、文字通り身を削りながら一撃二撃と拳を叩き込んでいった。

 

 そして、当たらない攻撃に痺れを切らしたエレクトロは思い切り拳を振り被り、正拳突きに似た俊撃を繰り出す。

 恐ろしいスピードにシンは反応が遅れたが、頬を掠めさせて究極まで威力を減らした。

 

 ビキリ。

 

 にも関わらずシンの頬から骨の砕ける音が奏でられ、抉れた様に頬が削り取られる。

 こうまでしてもエレクトロの拳を無傷で受ける事は出来なかったのだ。

 

 だが、シンはそのままエレクトロの懐に潜り込み、振り切られた腕を羽交締め、背を向けた。

 そうして繰り出されるのはエレクトロの力を利用した背負投げ。

 

「ゴハァッ!!」

 

 地面は衝撃で蜘蛛の巣状に割れ、地鳴りの様な音と苦悶の声が響く。

 そして叩き付けられ、跳ねたエレクトロを向かい入れたのは槍の様な脚撃だった。

 

「甘いぞォッ!?」

「…っ!!」

 

 しかしその一撃はギリギリで空を切り、覆い被さるように彼女は足へ纏わり付いた。

 タコに絡まれた魚の様な、ぞっとした悪寒が背筋を駆け上り、反射的に足ごとエレクトロを地面に叩き付けようとする。

 

 だが、エレクトロの方が一歩早かった。

 

「砕け散れェ!!」

 

 木材をへし折るかの様な、バキバキとした異音。

 

 彼の表情が恐ろしい程歪み、激痛による脂汗が溢れ出す。

 まるでスポンジの様にぐにゃぐにゃに潰された足は、もう使い物にならないだろう。

 

 足を潰された事で、永琳が言っていた方法も二度と実行出来ない…

 

 ———否。

 

「まだ…ッ行けるァッ!!」

「なぁッ!?」

 

 片腕しか使えない?

 片足しか使えない?

 

 ならば片腕だけでエレクトロを抑えれば良い。

 ならば片足だけで踏み込めば良い。

 

 執念の元に、彼はエレクトロに片足を抱き付かれた状態で地面を踏み砕き、爆発的なスピードをもって彼女共々管制塔に突撃した。

 

「オォォオオオオ!!!」

「ぐっ…うっ…ぅぅうう…!?」

 

 落雷の様なスピードで彼らの身体は発電所を駆け、遂に爆音を鳴らして管制塔に激突した。

 

 衝撃によって管制塔の鉄片や配線が粉雪の様に舞い、エレクトロの身体が鉄の中に沈む。

 

「ガハッ…!!はっ、ハハッ!!悪手じゃあないかそれは!?」

 

 彼女はそう言うと、配線の一つを握ると同時に身体を金色に発光させ始めた。

 それが意味するところは、充電であり、彼女の電力が充填されると同時に敗北が決定するタイムリミットであった。

 

 ここからどうすれば。

 

 そう逡巡する中、服の中に隠れていたトランシーバーが音声を発した。

 

『シン!そのまま抑えなさい!!』

 

 ———そうか。

 

 金色に光り輝くエレクトロを押さえ付けながら、彼はその考えに至った。

 

 過充電。

 それが永琳が行おうとしている事だ。

 

 発電所から全ての地域へ送られる電荷の向きを逆転させ、この管制塔に一挙に集めさせる。

 通常なら蓄えられ過ぎたエネルギーは行き場を無くし、この施設はオーバーロード、ないしは爆発を起こすだろうが、ここに電力の行き場の果てとなり得る存在がいる。

 

 それがエレクトロだ。

 

 確かに雷の化身たる彼女ならば、この都市全ての電力を吸収できはするだろう。

 しかし、能動的な吸収と強制的な吸収は全く違う。

 

 一瞬にして莫大な電流を流し込まれるなら、間違いなく彼女の身体は許容量に達し、想像に難くない最後を迎える筈だ。

 

 そして、思考が巡り終わった瞬間。

 視界の端に映る柱状の通信機器が光り輝き、管制塔にも目が焼かれる程の光が灯された。

 

 キィーン、と。

 耳を劈く電子音が流れ、シンは終わりの時が近づいて行くのを感じる。

 

 刹那。

 管制塔の表面に紫電が流れ、シンの目に可視化出来るほど暴れ狂う電気の濁流が、エレクトロの握る配線を通してその身体に殺到した。

 

 ———しかし。

 

「あばっ、あばばば!!こっこれは…!!まずっ!まずい!!」

『っ!?っそんな!?流し切れない…!?』

 

 青白いスパークが暴れ、滝の様な火花が散る。

 

 いくら待ってもエレクトロの身体が爆散する事はなく、流れたのはエレクトロのくぐもり途切れた声と永琳の焦燥の含まれた音声だけ。

 

 けたたましく電流が迸る中、シンだけはその理由が薄明を見つめるかの様に、うっすらと解った。

 

(配線が…電流を通す配線が足りないのか…!?)

 

 今、エレクトロと電力を繋いでいるのは彼女の掴む数本の配線だけ。

 たったの二本三本でこの都市全ての電力を一挙に吸収させる事など出来る訳もなく、彼女の瞬間許容量ギリギリの所までしか行く事が出来ていなかったのだ。

 

 つまり、今エレクトロを殺す事が出来るのは。

 エレクトロを管制塔に押し付けた際に飛び出た配線の幾本を彼女に叩き込める、シン達だけ。

 

 シン達が、シンが決断を下さねばならないのだ。

 

「…!!」

 

 しかし重大な問題を忘れている。

 それは決断を下す為の手段が、腕が無い事だ。

 

 今エレクトロを抑えている腕を使おうにも、離した瞬間に彼女は何かしらのアクションを起こすだろう。

 そうなってはもう止める手段は無くなる。

 

 かと言って、何とか足を使おうとしても片足が粉砕されているのだ。

 これでは踏ん張るので精一杯。

 

 しかし、彼の胸中は焦りと言った感情があるにせよ、無意識的に今の状況と全く逆の感情が渦巻いていた。

 

 それは、安堵。

 

 なぜその感情が湧き出たのかはシンでさえ分からない。

 もしかしたら、彼にエレクトロを殺す覚悟がここになって揺らいだ…いや、元々覚悟なんて決まっていなかったのかも知れない。

 

 ただ、永琳の言う通りにしようとしていただけ?

 責任の在処は自分には無いと思い込んでいただけ?

 

 殺すと言う事の責任が、殺害不可能と言う肩書きを持って消滅したから?

 

「ぐぅぅぅ…!!」

 

 彼は、迷う。

 自分は、どうすべきか。

 

 ———いや、どうするも何も、どうすることも出来ないじゃねぇか…そんな手段も、腕も…

 

 その時、ヴェノムの声が頭をつんざいた。

 

<シン!逃げようとするな!何もしないでグスグズするのはお前の仕事じゃない!!>

「…ッ…!」

 

 ギリ、と、彼と奥歯が音を立てる。

 

 次の瞬間、彼の無くした腕から漆黒の腕が生えた。

 それはヴェノムを纏った状態の黒腕よりも細く、しかし同等に刺々しい。

 

 まるで人間のために、シンのために作られた義手だった。

 

<オレにはもう手段を与える事しか出来ない…出来る事ならお前の代わりに決断を下してやりたい…!お前が修羅の道を辿るのを黙って見ているしか出来ない…!だからシン、オレはお前の選択を責めない!絶対にな!!>

 

「…クソ…クソ!クソッタレ!!」

 

 ヴェノムの言葉を聞いて、シンは狂った様に悪態を吐く。

 怒りにも似た感情、もしくは諦めの感情に動かされるまま、彼は黒腕をエレクトロに振り下ろした。

 

 舞い散る鉄の破片と叫ぶ紫電。

 

 脱出しようと身体をくねらせていたエレクトロは、彼の黒い拳によって頭から管制塔に沈み込み、彼の刺々しい腕の隙間からカレンの瞳がシンを虚ろに移す。

 続けて彼は自由になった片腕で赤、青、黄色の鮮やかで、吐き気を催す導線を掴み取った。

 

「〜〜〜ッ…!!」

 

 この手をエレクトロに叩き付ければ、全て終わる。

 確実に。

 

 ———本当にそれでいいのか?

 

 バキリと奥歯が砕ける。

 歯を噛み締め続けたために。

 

 しかしそれも気にならない程にシンの頭の中は混雑していた。

 最早それは混乱と言っていい程に。

 

 ズキズキと頭が痛みながらも。

 迷い、紕い、逡巡し、躊躇い、猶予し、苦悩し、渋り、戸惑いながらも。

 

 拳を構える。

 

「許してくれ…カレン…」

 

 負の感情が入り混じり、ぐちゃぐちゃな表情で、彼は拳を振り下ろす。

 

 その時である。

 か細く今にも消えてしまいそうな声が空気に浸透した。

 

 反応した腕がエレクトロギリギリの所で止まってしまう。

 

 ———カレン。

 

 恐らく、そう言ったのだろう。

 他ならない依姫が。

 

「クソ…クソ…クソォッ!!」

 

 いくら腕に力を込めても、吹雪に曝されたかのように腕は固まり、動かない。

 鉄になったように重く、氷になったように冷たい。

 

 嗚咽のような息が喉から溢れ出し、ズキズキと頭が万力で締められたように痛んだ。

 

 この手を突き出せば全て終わるのに、終わってしまうのに、終わってくれるのに。

 依姫の顔が、想いが、頭を貫いて離さない。

 

 その時、今度は依姫の声とは違う、しかしそれでいてか細い声がシンに届いた。

 

「…シ、シン…」

「ッカレンか!?お前はカレンかッ!?」

 

 声の出どころは今抑えているエレクトロ…いやカレンから。

 虚だった瞳が僅かに光を帯び、押さえつけるヴェノムの指の隙間からシンを力無く見つめている。

 

 その瞳には何処か、諦めと、懺悔と、感謝が含まれているようにシンは感じた。

 

「ごめんなぁ…私が…私がもっと強くあったら…」

「違う…違うんだよカレン…!俺のせいだ…!!」

 

 エレクトロの抵抗は収まらない。

 つまり、彼女が身体を取り戻せていないと言う事は明白だった。

 

「やってくれ…シン…全部、見ていたんだ…依姫が倒れるのも、私が殺される方法も…私は…」

「駄目だ…出来ない…!!俺には出来ないんだよ…!!」

<シン!!>

 

 ヴェノムがシンを叱咤する。

 しかし言葉を紡いだのはカレンだった。

 

「………私は恨まないさ…むしろ感謝してる、まるで今まで夢みたいだった」

「止めろ…!!そんな事を言うな…!!」

 

「…お前に負けたあの日から…私の人生は色を取り戻したんだ…」

「止めてくれカレン…!!」

 

「だから…夢はもういい…依姫を、お前達を殺してまで見ていたい幻想なんて…いらないんだ…」

「死にたくないって言えよ…!!馬鹿野郎…!」

 

「…ハハ…分かるんだよ…私の魂…もう…変質しきってる」

 

「今喋ってるのも…限界なんだ…」

 

 エレクトロの反抗する力が強くなり、ビキリと腕が鳴る。

 

「恨まない、だからシン…私が…依姫を殺しちまう前に…やってくれ」

「せめて…俺を恨んでくれ…!!」

 

 せめて贖罪にと。

 彼は言葉を吐き出した。

 

 しかし。

 

「馬鹿な奴だな…私に光を見せてくれたお前に…どうして…恨む必要がある…?」

「ぐぅ…!ぅぅぅうう…!!」

 

「お前が目標になったんだ…お母さんが全てだった私に別の道をくれたのは、お前だったんだ…ありがとう…!」

「礼なんか…俺に…言わないでくれ…ッ!」

 

 短く、カレンが息を吐いた。

 

「言いたい事はこれで全部だ…さぁやれシン」

「クソ…」

 

 腕は動かない。

 

「クソ…!」

 

 後悔が洪水のように溢れ出る。

 

「やれと言っているんだ!!」

「クソッタレェェエエエ!!!」

 

 カレンの言葉、シンの怒号を最後に、空へバキンとした音が広がった。

 薄暗い薄明が照らすのは、エレクトロの身体へ叩き込まれたシンの拳。

 

 その瞬間、全ての電力とエレクトロの回路が構築され、電気の濁流が彼女に流れ込んだ。

 衝撃にシンの身体は吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面に転がる。

 

 けたたましい程に彼女の身体が光り輝き、絶叫が辺りをつんざいた。

 

「ぁッ!ぎぃ!ギィャアアアアアアッ!!!」

 

 エレクトロは逃れようと空に手を伸ばし、身体を電子化させようとするが、何本にも及ぶ電気の鎖が彼女を縛り付けて離さない。

 

 蒼い体は赤く、灼熱のように燃え、ビクビクと震える。

 

「おのっ!己ェッ!!シン!!依姫!!貴様らァァアアッ!!!」

 

 エレクトロは痙攣を遥かに超えたレベルで振動させる腕をシンに伸ばし、掴み取ろうと指をくねらす。

 まるでそこに希望が残っているかのように。

 まるで絶望から逃げていくように。

 

 その瞬間、シンは頬に熱い何かが付着したのを感じた。

 

 すぐにそれが何かは分かった。

 涙だった。

 

 彼は形容し難い表情で彼女を見る。

 

「シンンンンン"ン"ッ!!!オオオアァァァアアッ!!!」

 

 彼女のたった一つの目からは、涙が溢れていた。

 しかしそれは電流に焼かれ、すぐに蒸発してしまう。

 

 申し訳無さが溢れ出る瞳、されどそこにはたった一つの言葉が表されていた。

 そして、彼女は最後に溢す。

 

『ありがとう』

 

 直後に彼女の身体は風船が破裂したように破裂し、大爆発が起きた。

 

 炎を伴っていない、しかし威力は相当のもので、付近にいたシンの身体は更に吹き飛ばされ、爆風が撒き散らされていた。

 

 数秒後。

 

 爆発は止む。

 

 残されたのは、指一本動かせないシン達と、倒れ伏す依姫と、バラバラになった配線の残骸。

 そこにはどこにもエレクトロの姿は無かった。

 どこにも、カレンの姿は無かった。

 

「ぁ…ぁああ…」

 

 突如として訪れた静寂に、彼の声が木霊する。

 

「ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああッッ!!!」

 

 誰も救われなかった戦場で、彼の慟哭が激しく響いた。




奴隷です、ご拝読ありがとうございます。
これにて操りの大妖怪編は終わりとなります。
そして物語は遂に加速し、次なる時代へ突入していくでしょう。

ついでに私曇らせ大好きだからカレンちゃん殺しちゃいました、てへ。

ここからシン君と依姫ちゃんの鬱展開を思うと………ふぅ…

カレンが助かるifが欲しいならコメントにでもお書き下さい。
お書きしましょう、えちちなシーンでも添えてR18版に。


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第四十話 血濡れの八つ当たり

ゆっくり仕り給え。


 

「…」

 

 ふと、男の目が開いた。

 淀んで、灰色で、鬱屈した瞳だった。

 

 彼は力の無い瞳でぼうっとタイル状の天井と電気の付いていない照明を見つめたあと、やがてむくりと上半身を起こし、無くなった腕を掴もうとして、空を切る。

 彼はぼんやりと無い腕を見つめ、数秒後にそのまま項垂れた。

 

 ———彼は規則的に並べられているベッドの一つに居た。

 彼の他には誰も居ない。

 無機質で、ひたすらに静かだった。

 

 そして彼には真っ白いシーツが下半身に掛けられ、顔から下は服では無く包帯が巻かれている。

 流石に下着とズボンは穿かされていたが。

 

 彼は目だけを動かし、側の窓から漏れる光を見た。

 

「…」

 

 申し訳なさげに顔を覗かせる朝の光。

 

「黙れヴェノム…喋るな…」

 

 彼は誰に向けたでもなく、強いて言うなら自分の中に居る住人に独り言ちた。

 

 頭の中のそれが、彼に何を言っているのは知り得ないが、彼がその言葉を受け入れているわけでは無いのは確かだった。

 一言漏らした後、彼は力尽きたかのように黙りこくった。

 

◆◆

 

 それから、数分が経った。

 何も起こらず、何も起こそうとしなかった。

 

 ギギギ、と鳴るようなぎこちなさで彼はカチカチ鳴る時計を一瞥した。

 壁にかけられた、少し小洒落たアナログ時計である。

 時刻は4時27分32秒を指していた。

 

 カチ、カチ、カチ。

 秒針に合わせて彼の目は機会的に動く。

 

 まるでそれが人生の目的であるかのように、一心不乱に彼の目は時計の針を追う。

 

◆◆

 

 扉が静かな音を立てて開かれた。

 

 突然の来訪に、彼の身体がピクリと反応し、暗い瞳が扉へと向けられる。

 

「…起きたのね」

 

 暗い部屋にオレンジ色の光が侵入している。

 現れたのは銀髪白衣の医者、八意永琳だった。

 照明の光を反射する艶めかな髪と対照的に、その顔は陰っており、見るからに気まずそうだ。

 

 声に構わず、彼は再び時計に視線を戻したが、ふと、その秒針はいつの間にか6時を指していた事に気付いた。

 

「シン…」

 

 彼、シンは彼女の言葉に応えない。

 まるでそこに存在している事に無頓着な様子だった。

 

「…やっぱり、ごめんなさいね…貴方にあの選択を強いたのは———」

「後悔なんかしていない、俺は」

「…え?」

 

 起床から約二時間、一言も喋らなかった彼は遂に言葉を発した。

 永琳の瞳孔が僅かに開き、何処か期待の色を顔の裏に忍ばせる。

  

 カチ、カチ、と、時計の針が静かに時を刻み、彼は続けた。

 

「俺は後悔しない、していない…何も思ってない」

 

 彼の言葉は永琳に向けられていない。

 

 彼の言葉の矛先は彼自身に向けられている。

 つまるところの自己暗示。

 

 それが分かった永琳は一転して眉を顰め、苦々しい表情をとったその時、彼は首を彼女に向け、底無しの沼の様な瞳で彼女を射止めた。

 ギロリと睨みつけた訳でもなく。

 チラリを一瞥した訳でもない。

 

 トカゲがこちらを見つめる様な、冷たい瞳だった。

 

「だから俺に関わるな、喋りかけるな…一人にさせてくれ」

「…私に、貴方を止める資格なんか無いわよね…」

 

 彼はゆっくりとベットから起き上がり、ふらふらと立ち上がる。

 腕のせいでバランスを狂わせながらも彼は幽霊の様な猫背で踏み出し、永琳の横を通り過ぎて部屋を出て行った。

 

「…」

 

 彼女は思い詰めた表情を見せた後、彼を振り返る。

 しかし、彼は既に角に消え、何処かに行ってしまった。

 

◆◆

 

 朝の早朝だからか、幽鬼の様にふらふら歩く彼とすれ違う者は居ない。

 

 肌寒い空気の中、髪の毛に隠れた灰色の瞳が昏く前を見据えている。

 まるで倒れ込まないように足を前に出しているだけかの様な、重たい足取りだった。

 

 目的地もぼんやりしたまま歩いて。

 歩いて歩いて。

 

 無限にも思える様な道を歩き、彼は一つの角を曲がった。

 

「あっ…」

「…」

 

 運命の悪戯。

 そうとしか言えなかった。

 

 角を曲がった先。

 一直線に伸びた廊下の先に、彼女の姿。

 

 松葉杖を突いて、沈んだ表情でこちらに向かってくる依姫が居たのだ。

 

 腹をぶち抜かれた筈の彼女が生きていることを嬉しむべきか。

 曲がりなりにもヴェノムの様に一瞬で治せない怪我をしてしまったことを悲しむべきか。

 

 どちらにせよ、彼女を見た瞬間、彼は———

 

「…っ…」

 

 ()()()()()()()

 

 真後ろに。

 そう、彼女と反対方向に。

 

「あっ、待っ———」

 

 か細い声なんて彼を止める理由にならなかった。

 なれなかった。

 

 身体の悲鳴も、依姫の呼ぶ声も無視して、我武者羅に走る。

 彼女の松葉杖がガシャンと音を立てて倒れる音がつんざいたが、それすらも無視して彼は走り続けた。

 

◆◆

 

「はっ…はっ…はぁっ…!」

 

 誰かにぶつかり、怒号の音。

 

 誰かにぶつかり、泣き声。

 

 誰かにぶつかり、伸ばされた手を振り払う。

 

 彼は全てから逃げる様に走って行った。

 

◆◆

 

「はぁ…く…そ…はぁ…」

 

 そうしてたどり着いた先は、暗い、昏い、森だった。

 

 瞳孔が震え、脂汗が草を濡らす。

 冷たく湿った木に背を預け、彼は数分の間、頭を抱えて体育座りに座り込んだ。

 

 虫のか弱い演奏が耳に入り込む。

 風が草木を揺らし、彼の頬を撫でる。

 

 現実逃避にはうってつけだった。

 

「…?」

 

 しかし、時は彼に休息を与えない。

 

 危険が蔓延る森へ身を投げ出したのだ。

 じっとしていれば妖怪に見つかってしまう。

 

 無論、妖怪に対して何の対策もしていなかった彼は無防備であり、数匹の妖怪が姿を現した。

 

「グルル…ッ!」

 

 喉を鳴らしながら現れたのは黒い体毛、真紅の瞳が煌めく狼の群れ。

 奇しくも彼が初めて会った妖怪と同種の物だった。

 

 唸り声を上げながらジリジリ近寄る黒狼の群れ。

 よだれがポタポタ滴り、ただの狼の変身もしていない事から余程目の前の獲物に油断していると見える。

 

 そんな黒狼の血走った瞳に、彼の姿が鮮烈に映る。

 

「…五匹…か…」

 

 彼は焦る事なく、腕の隙間から妖怪の頭数を数えると、ゆっくりと立ち上がった。

 

「憂さ晴らしには…うってうけか…」

 

 彼はそう吐き捨てると、小さく息を吐き、上半身の包帯を掴んだ。

 沈んだ彼の気配が昂揚し、瞳に熱が帯びる。

 

「ヴェノム…少し付き合え…!」

 

 ビリビリと上半身の包帯を破り散らし、風のままにそれを放り捨てた。

 姿を現した彼の肉体は傷跡に塗れている。

 

 特に胸には痛々しい火傷の跡が残っており、まるで古い石像の様な鈍い輝きを放っていた。

 

 そんな彼の身体を黒い粘液が覆い尽くし、無い四肢に黒い腕が形作られていく。

 

———ずっと無視しやがって!いいか!?やったら戻るぞ!!それで謝りに行け!

「…」

だんまりとはお前らしくないな!

 

 顕現したヴェノムが怒気を強めて彼に言いかかるが、彼はうんともすんとも言わない。

 シンを纏うヴェノムが歯軋りし、気分が悪そうに唸り声を鳴らした。

 

はぁ…仕方ない奴だ…!

 

 その時、待ちきれないと言わんばかりに妖怪の一匹が彼ら目掛けて突進した。

 

取り敢えずお前に任せてやる!話はその後だ!!

「それでいい…!!」

「グルルルァ!!」

 

 よだれを垂らし、一直線に猛進する黒狼。

 その目に敗北の気配なんて物は存在せず、ただただ獲物を捉える喜びが爛々と光っていた。

 

 しかし、距離にして約三メートル。

 

 目の前の黒い人間の気配が変わったのだ。

 まるで、妖怪が人間を襲う時の、あの愉悦。

 

 俺達自身がいつも抱いていたこの感情を。

 ———何故、お前が…?

 

 疑問を感じたその瞬間、黒狼の視界が()()()

 まるで空間に亀裂が入ったかの様に。

 左目はドス黒い曇天を、右目はあの獲物を。

 

 更に駆け出した身体の制御が効かなくなり、黒狼の体はスライディングしながら黒い人間の足元に転がる。

 

 ———どうなっている…?

 

 疑問のまま黒狼は割れた視界の一つを頭上の彼に向けたが、瞬間黒狼の視界は黒く染まり、意識も深い闇に落ちた。

 

◆◆

 

「グルルルァ!!」

 

 ああ。

 ヴェノムを纏った興奮。

 戦闘がやって来る昂揚。

 

 これだ、この感覚だ。

 この気分が欲しかった。

 

 牙を剥き出しにして襲って来る黒狼が全てを忘れさせてくれる。

 俺を闘争の渦に惹き込んでくれる。

 

(楽しい…楽しい…!)

 

 暗い感情なんて激闘のゴミ箱へ。

 ドクドク心の臓が脈打ち、迫り来る黒狼についつい頬の肉が吊り上がる。

 

(来いよ…交戦的な奴は大好物だ…!!)

 

 理性なんてカケラも無い黒狼の突進。

 風を纏っているかの様な速度に目が追いつかなくなりそうだったが、それよりも早く俺は行動を起こした。

 

 瞬時に硬質化させた腕を、振る。

 たったそれだけ。

 

 しかし狼妖怪にはその残像を捉えることすら出来ないだろう速度。

 

 ビュンと風が吹き、木々の歯を揺らすと同時に突進していた黒狼に亀裂が入った。

 それは鼻先から始まり、眉間へ、肩へ、尻尾の付け目へと広がり。

 

 遂に尻尾の先まで亀裂が入ると、狼の体は真っ二つに割れ、制御の付かない体が慣性に従って足元までスライディングしてきた。

 ソイツはまるで自分が真っ二つになった事に気付かない様で、恨みがましく片目をコチラに向ける。

 

ハハ…ッ!!

 

 俺は迷わずその瞳を踏み砕いた。

 脳髄が弾け飛び、血飛沫が舞い、ぐっちょりとした感覚が足を伝うが、反対的に俺の気分は晴れ晴れとしていた。

 

 思うに、これは仇討ちの様な感情なのかも知れない。

 友人(カレン)妖怪(エレクトロ)にめちゃくちゃにされた、だから俺は妖怪を殺す。

 そんな理屈が頭を支配していたのだ。

 

ハハハッ!

 

 俺は再び足を上げた。

 ぐちゃぐちゃでピンクとレッドの混じった気色悪い液体が足裏に粘り付いている。

 それを確認した俺は、躊躇せずにまた足を振り下ろした。

 

 びちゃんと、飛沫が舞う。

 時々ぐりぐりと足で擦り潰し、ミンチを作り出していく。

 

 何度も。

 何度も何度も。

 

 視界の端にいた妖怪共は、ポカンと俺の足を見つめた後、憤怒の表情で俺を睨み付けた。

 この反応は二回目、やはり仲間思いだ。

 残虐な妖怪の癖に。

 

 俺は足元の脳のミンチと粉々になった真っ白の骨を蹴り飛ばし、妖怪共に向き直った。

 

クク…クハハハ!!来いよ!!死にてぇ奴から来いッ!!俺が虐殺してやらァッ!!!

「ゴル"ァァアアアアアッ!!!」

 

 先頭の狼が怒りの咆哮を上げ、残った四体の内、正面の二体が俺に向けて突撃してきた。

 他の二体は左右に散開し、紅蓮の瞳が俺をしっかりと捉えている。

 

 やはり、速い。

 特に前方に迫る黒狼共のスピードはスポーツカーに匹敵する様に思われる。

 

 だが、その程度。

 一人で突っ込んで真っ二つになったのを覚えていないのか。

 

「グルゥ!!」

むっ…!?

 

 呆れを感じると同時に、俺は目の前に迫った二体の黒狼に身構えたが、黒狼は俺に飛び掛かろうとはしなかった。

 むしろ逆。

 急ブレーキをかけ、その勢いを利用して砂塵を俺にぶつけたのだ。

 

———いいじゃねぇか

 

 すぐに目の前は濃霧の如く遮られ、黒狼共の行方を見失ってしまった。

 しかし、何をしようとしているかは分かる。

 

 先鋒部隊の陽動兼目眩し。

 からの———

 

混乱した相手に挟撃…ってところか

「ォ…グェ…!?」 

「ギャッ!?」

 

 砂煙を引き裂いて姿を現した不意打ちの二体。

 読み通り、そう感じた俺は焦ることはせず対処した。

 

 右、噛みつきを用いて攻撃しようと大口を開ける黒狼に、まるで竹串を魚に刺すかの様に、手刀で口から貫く。

 左、長く鋭い爪を振り下ろさんとする黒狼には、ソイツの頭を握り取り、行動を阻止する。

 

犬畜生には考えが足りなかったなぁ、勉強になったか?

「ア…アギャ!ギャッ!!ギャアアアアッ!!」

 

 振り抜かれた爪が俺の顔スレスレを通り抜け、苦しそうに黒狼達が呻いた。

 胃まで腕が貫通している狼に至っては白目を剥いてビクビク痙攣し、口端からゲロを吐いている。

 

授業料は命だけどな

 

 俺はハリセンボンの様に右腕を変形させ、痙攣する狼を内側から串刺しにした。

 続いて左腕に力を込め、暴れる狼の頭がミシミシと音を立て始める。

 

 狼は激しく悶え、バギンと頭蓋の砕けた瞬間、脳を守る物は無くなり、ブチュリと狼の頭は俺の掌に消えた。

 途端にダランと黒狼達は脱力し、そして俺は腕の変質化を解除し、串刺しになった狼を振り払った。

 

 未だ舞い上がる砂塵を自由になった手で掻き消し、頭の潰れた狼を口元に持っていき、頭ごと喰らう。

 黒狼を咀嚼しながら出てきた俺の姿は奴らにとって悪魔の様に思うのだろうか。

 

 咀嚼、ゴクンと喉を鳴らし、多少の満腹感。

 

さて、後二匹だな?

「グル…」

 

 冷や汗を垂らし、後退りする黒狼共。

 奴らは互いに目を合わせた瞬間、踵を返し、真後ろへ一直線に走って行ってしまった。

 

 要するに、逃げ、である。

 

まぁ、逃さねぇけどな

 

 俺はペロリと舌舐めずりし、かの黒狼達を追った。

 

◆◆

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

「グルゥ…」

 

 森の木々を疾走し、息を切らしながら逃げるのは二体の黒狼。

 彼らはただ逃げている訳ではなく、曲がりくねって進路を変えたり、協力して足跡を消したりと、その逃走ぶりには目を光る物がある。

 

 何度もフェードインし、フェードアウトする木々を抜け、やっと撒いたか、そう感じるほど走った黒狼はゆっくりとそのスピードを落とした。

 

「…?グルル…」

 

 しかし停止した瞬間、ある事に気付く。

 それは、もう一体の仲間が居ない。

 

 ついさっきまで隣に居た、じゃあどこへ…?

 瞬間、音が爆ぜた。

 

「ギャんッ」

「ッ!?」

 

 黒狼と黒い毛に鮮血が付着し、驚いた黒狼は音の爆心地から直ぐに遠ざかった。

 そこにあったのは、蜘蛛の巣状に割れた地面、骨が粉砕されペチャンコになった同胞と花のように咲く血の池。

 

 黒狼には何が起こったのか、何故起こったのか全く分からなかった。

 撒いたはず、逃げ切れたはず。

 なのに現状は追いつかれ、仲間がまた一人減った。

 

 その事を認識した最後の黒狼はある感情に支配されつつあった。

 

お前が最後か…ハハハ…!暇潰しにはなったぜ

 

 空から降ってきた黒の巨人。

 ズドンと音を立てて着地し、鞭のような物を体内に収納し、黒狼の目の前まで迫る。

 

 黒狼の身体は動かなかった。

 それは初めて感じる恐怖ゆえに。

 ただ歯をカチカチ鳴らし、怯えていた。

 

 漏れる太陽を遮り、かの化け物は手を伸ばす。

 

クハハハッ!!あの大妖怪もこうしてやりたかったぜ!クソがァッ!!

 

 ろくに抵抗しない黒狼を強引に掴み取り、彼はその頭を躊躇無く噛みちぎった。

 ダランと琴切れた黒狼を放り投げ、彼は周囲を見渡す。

 

 赤かった。

 緑の木々に血が付着し、酷く気持ちの悪い空気が溜まっていた。

 血の匂いが充満していた。

 

 彼にはそれが心地よいものに感じた。

 

これが俺の居場所だ…!戦闘こそが…全てを忘れさせてくれる!!

「キキキキ…」

 

 血の匂いに釣られて、数匹の妖怪が姿を現す。

 木々の裏から、地面の下から、あるいは空から。

 

 しかし彼は牙の生え揃った口をニィと裂かせ、呟いた。

 

来いよ

 

 途端に襲い出す妖怪の群れ。

 その数は十数体。

 

 対する彼の胸中は愉悦、ただそれだけ。

 彼はその全てを叩き潰す為、鬼神の如き表情で彼は応戦した。




御拝読、有り難き幸せ。


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第四十一話 陰の酒宴

前話の補足だぜ、ヤケクソなシン君はヴェノムの力をあんまり引き出せてないのぜ。
割合で言えば60%ぐらい。
それは何故ならヴェノムがあんまり協力的じゃないからなのぜ。
共生する事で爆発的に力を増す彼らにとって片方が乗り気じゃないってのは致命傷って事だぜ。

では、ゆっくりしていってね。


「ゴホ°ッ…げ…ぇ…ゲホッ…!っはぁ…はぁ…!」

<気分は済んだか?>

 

 時は数刻後。

 荒く、苦しそうに息をするシンの辺りには、夥しいほどの血痕に濡れていた。

 そこには白い筋繊維の残る内臓に泥に塗れた眼球、赤いシャワーを満遍なく浴びた樹木の木々。

 更に数十を優に超える妖怪の死体。

 

 それらには既に蛆が集り、彼はその内の数体が気付いた死体の山の上に座っていた。

 

 それだけでない。

 彼の身体も自分の血と相手の血で真っ赤で、元の漆黒のボディは見る影もなかった。

 

 まるで、エレクトロを追い詰めたあの赤い化身のように。

 

「ゴホッ…!」

<…辺りも暗い、もう止めろ>

「………チッ」

 

 彼は喉に挟まった異物感を感じて咳をすると、拳に入り切らないほどの血が漆黒の腕を更に赤く染めた。

 彼はそんな掌をため息と共に見つめた。

 

 赫赫と燃える光がテラテラと濡らし、濃く、深い色合いを醸し出している。

 人殺しの腕。

 シンにはそうとしか思えなかった。

 

「帰る…か」

 

 腹は入り切らないほどに満腹だ。

 傷は直ぐ治るが、疲労は限界に達している。

 

 黄昏る太陽、逢魔時の時間である今この時を境にして、妖怪は更に活発化するだろう。

 つまり、気分だけで外にいられなくなったのも事実なのだ。

 

 やっと、シンはその足を都市へと向け、ヴェノムの体を解いた。

 彼の左腕を残して黒い粘液は体の中に収まっていき、シンの死んだ瞳が露わになる。

 

 しかし、その身体はやはりと言うべきか血みどろだ。

 髪が赤黒い血で濡れ、上裸もまるで雨に濡れた後。

 

 彼は黒い腕で顔を覆う血液を拭い、ゆっくりと歩き始めた。

 

◆◆

 

 ぼんやりと。

 淡い光を受け止め、まるで頭に入らない雑音を聞き流し、吊り橋を歩くかの様に彼は無意識に歩いていた。

 

 何度か声を掛けられた気がする。

 彼はその尽くを無視した。

 

 血みどろの青年。

 常識ならば職質に掛けられ、即豚箱にGOだろう。

 しかしこの都市において近辺調査に向かった軍の隊員が血みどろで帰ってくる事は珍しくないため、治安警察に捕まる事はないのだ。

 

 得体の知れないモノを見る視線を送られる事はあるが。

 

「…」

 

 気付けば辺りは暗く、欠けた月がその顔を覗かせていた。

 冷たい空気が辺りに漂い、真っ暗な空間の中で一人彼は佇む。

 

 ふと、目の前の物に意識を向けた。

 墓だった。

 自分の1.5倍くらいの大きさで、くすんだ鼠色の墓の群れに混じって、白寄りの灰色の墓が存在を主張している。

 

 そこには、文字が刻まれていた。

 二人の名前がそこにあった。

 

「俺が負けて…何日経った…?」

<…二日だ>

「その間に、か…クソ…」

 

 彼は膝を突き、崩れ落ちる。

 語るものも無い背中からは、ただ懺悔が溢れ出ていた。

 

◆◆

 

 …途切れたように記憶が無い。

 ぶつ切りにされたビデオテープのようだ。

 

 彼はいつもの道場の縁側に居る事に気付いた。

 心なしか、彼は安堵していた。

 

<依姫に合わなくて良かった…ってか?>

「…そりゃ、そうだろ」

 

 今は夜であるが、白昼夢の様に思考がぼんやりしている。

 靴も履いたままだ。

 どうやら無意識はやるべき事———依姫への謝罪に、この身体の汚れを落とす風呂に…靴も脱がなければいけない———の前に、ただの月見を選択した様だ。

 

「…はぁ…」

 

 彼は崩れ落ちる様に座り込み、天を仰いだ。

 ただ黄昏たいのか、何も考えたくないのか、と言うよりは戦闘以外に何も考えたくないのか。

 

 それは当の本人にも分からなかった。

 

<今からでも遅くない、依姫に謝りに行け!>

「…」

 

 彼は答えない。

 ただ三日月が彼の瞳に映るのみ。

 

 ヴェノムもシンが答える気がないことを知ると、ため息を吐いて黙る。

 本当なら、ヴェノムはシンを殴り付けてやりたかった。

 

 依姫に迷惑を掛けて、恐らく悲しませて、自分の言葉すら聞かずに自分勝手に暴れ回る。

 客観的に、ヴェノムは彼を見限っても良かった。

 

 だが、シンの心に渦巻く不感情がヴェノムに届くのだ。

 形容し難い、泥のような、嫌悪感すら沸く。

 悩み、苦しみ、虚しさ。

 

 波の如く襲い掛かる感情の連鎖に、ヴェノムは思わず彼を気遣ってしまっていた。

 

<>

「…」

 

 沈黙。

 

 静寂が包み、月がぐんぐん空は上がっていく。

 三日月が空の頂点に登った頃、聞き覚えのある声が彼らの耳に入った。

 

「…シン達か?」

「…?」

 

 背後に気配。

 

 渋く、しわがれていても何処か力と芯の籠った声色。

 シン達はこの声を知っていた。

 

 彼は振り返って、力の無い瞳を向けながら言った。

 

「…玄楽…か」

 

 逆立ち、少し不衛生に見える髪。

 見る者を萎縮させるような目の十字傷。

 胴体に巻かれた包帯を内側から張らせる筋肉。

 

 依姫の父。

 玄楽だった。

 

「…帰ってきたのだな、シン達よ」

「…」

 

 シンは気不味そうに目を逸らす。

 

「依姫も心配していたぞ、動かない体で必死に探し回って…どこに行ってた?」

「…外壁の外だ」

 

「休んでからでいい、我が娘に謝罪するのだな…」

「分かってる…!!」

<分かってない!!>

 

 ギリ、と。

 歯を噛み締める音が空に溶ける。

 

「…シン達よ、悪かったな」

「………は…?なんでお前が謝るんだよ」

 

 逸らされた視線が丸くなり、再び玄楽を捉える。

 

「我が力不足だったせいで…カレンを———」

 

———違う!!

 

 突然発さられた罵声に似た声が、空間を嫌な静寂へ誘う。

 

「悪いのは()なんだ…俺なんだよ…!!弱いから…ッ!俺が弱いからッ!!〜〜〜ッ…!!」

<違うシン!!お前は悪くない!!>

「黙れェ!!クソ…!〜ッ…!!」

 

 言葉が洪水のように溢れて、詰まって、言葉にならない叫びが続く。

 シンは項垂れながらひたすらに嗚咽のような叫びを散らした。

 

 彼を見詰める玄楽の表情も痛々しい物になっている。

 

 一頻り叫ぶと、彼はポツリと呟いた。

 

「…もう、一人にしてくれ…今日だけでいい」

<>

 

 彼は重々しく振り返り、今度は月を見ることも無く項垂れた。

 

「…」

 

 少しの静けさが続き、その場から玄楽の気配が消える。

 玄楽が消えた事で彼の心情は今度こそ真っ白に、いや、何も無い虚に移り変わり、考える事なく足元の石庭を見つめた。

 

 一寸ほどの大きさで、ぎっしりと丸石が敷き詰められている。

 枯山水、と言うものだろうか。

 

 顔を上げればきっと山を模した岩や松の木が拵えられているだろう。

 月光に照らされ、それはもう美しく煌めくのだろう。

 

 しかしシンは影に濡れた足元の石を見つめるだけで良かった。

 顔を上げたくなかった。

 そんな気になれなかった。

 

 月光の輝きを放つ事も無く、ひっそり、無粋に存在する丸石。

 光を受ける事の出来ない、哀れな物。

 

 そこにはどこか親しみがあった。

 

「…」

 

 月が移動するに従って、少しずつ影は光に侵食されていく。

 その光景にシンは目を背け、視線を下に、どんどん項垂れていった。

 

 最終的に彼は瞳を閉じ、意識を静寂の海へ落としていった。

 

 ———ピトリ。

 

「っ!?」

<うっ…!?>

 

 しかし、頬への唐突な感触。

 まるで氷を押し付けられたかの様な感覚にシンは肝を抜かれ、ビクリと身体を跳ねさせた。

 

「…はぁ…玄楽、何しに戻ってきた」

 

 そこに居たのは去った筈の玄楽だった。

 しかしその手には何某かの缶と瓶が握られている。

 

 シンは頬に手を遣りながら玄楽へ問いた。

 頬は微かに濡れている。

 勿論、冷たい。

 

 玄楽は少し笑い、手元の缶と瓶を振って言った。

 

「少し、な」

 

 彼はシンの真横に座ると、缶の蓋をプシュリと開け、シンに差し出した。

 缶の蓋からは微かに苦いような、そう、アルコール臭がした。

 

 ラベルに目をやると、大きく生ビールと表記されている。

 

「飲め」

「未成年だぞ」

「まぁ、飲め」

 

 この都市では未成年が酒を飲んではいけない。

 シンには、そういう法律を無視してまで玄楽が彼に酒を勧める理由が分からなかった。

 

 取り敢えず、渋々彼はそれを受け取る。

 まず感じたのは冷気だった。

 

 きっと冷蔵庫の奥でキンキンに冷やされていたのだろう。

 それに僅かに白い冷気が漏れている。

 

 シンが困惑する中、玄楽は話し始めた。

 

「どうしようもなくなった時、我はいつもそれに溺れた」

 

「我が妻を亡くした時も、それに頼った」

 

「お前は…その時の我に似ている」

 

「今のお前は正直言って…見てられない…見ていて痛々しくなるほどにな」

 

「酒の席でこそ吐き出せる本音がある、時に悪影響もあるがな…お前の抱えたその思いを、我に話してくれないか」

「はっ…これだけでか?」

「そのための一升瓶だ、度数もかなり高い」

 

 玄楽の言葉には、何処か説得力があった。

 それはきっと、彼から親近感に近しい物を感じたからだろう。

 

 漂うアルコール臭を肌で感じながら、シンはビールを口に付ける。

 

 ———苦ぇ…不味ぃ…

 

<これ嫌いだ…>

「ぉぇ…なんてもん飲ませんだ…」

「ハハハ…そのビールは酔う為に作られた物だからな、味はそんなもんだ」

 

 炭酸がシュワシュワ口の中で弾け、麦を生で食ったような苦々しさに襲われる。

 これを人は美味しい美味しいと言って飲むのだから恐ろしい物だ。

 泡も口から溢れ出そうだ。

 

 思い切って飲み込むが、喉越しは…悪くない…気がする。

 冷えた炭酸が喉を通る時に苦味がインパクトを与え…

 

 …それらしい感想を弾き出そうとするが、やっぱり分からない。

 

<うげぇ…>

「ぉげぇ」

「まぁ、すぐに酔うさ」

 

◆◆

 

「っぷはぁ…はぁ〜…」

<あ〜…俺は駄目だ…>

「…よく飲んだな」

 

 力の抜けた表情のシンの手には空の缶ビールが握られていた。

 半分ほどビールを飲んだ段階で彼はなんだか判断が鈍くなり、そのままビールを飲み干してしまったのだ。

 

 つまるところ彼はほろ酔い状態だ。

 ヴェノムも、だが。

 

 紅潮し始めた彼は、缶を握り潰し、後ろに投げ捨てて言った。

 

「クソ…もっと俺が強ければよぉ…」

<お前は充分やったろ!この分からずや!>

「お前の気持ちも分かるさ、どうやったら良かったのか、どうしたらよかったのか…そんな事ばかり考える、ほら、飲め」

 

 シンは一升瓶を受け取り、勢い良くそれを口に含んだ。

 今度は辛いが、ビールほど不味くは無い。

 

 一口、二口と喉を鳴らした後、彼は目線を下げる。

 体がさっきの何倍にも熱い。

 喉が焼けそうで、今にも倒れてしまいそうに鳴りながらも、彼は絞り出すように吐き捨てた。

 

「…油断しなければ」

 

「あそこで勝負を決めていたら」

 

「あの攻撃を避けていれば…」

 

「一つ違えば俺達は勝ってたんだよ…この腕になる事も…カレン達が死ぬ事も無かった」

 

 彼は真っ黒に染まった腕を、掌を見た。

 

「結局の所…俺が弱くて、だから負けたんだよ…依姫のせいでも、ヴェノムのせいでも無い…」

 

 彼の肩が震え、声も次第に震えていく。

 

「…」

 

 少し沈黙の後、彼は続けた。

 

「今でも…今でもカレンにトドメを刺した記憶が鮮明に蘇る」

 

 彼はもう一つの、千切れていない方の掌を見て。

 

「…掌を見れば、真っ赤な血がべっとりと付いてんだよ」

 

「…俺が、っ俺がカレンを殺したんだ…」

 

 彼の掌に雫が落ちる。

 後悔と懺悔に濡れた掌を握り締め、彼は玄楽へと顔を向ける。

 

「なぁ玄楽…っ俺は…俺は一体どうすれば…」

「…シン」

 

「我からお前に言える事はただ一つだ」

 

 玄楽の力強い瞳がシンの瞳を射抜く。

 

()()()()()では無く、今()()()()()()()に目を向けろ」

()()()()()()()…?」

「そうだ」

 

 玄楽のどこか懐かしみを感じる瞳が月を見上げ、彼は腕を組む。

 

「昔、我が妻を亡くした時は我も何度も後悔し、過去を見つめては戻らない現実に絶望した」

 

「はは、今となってはあの時の我は育児放棄していたクソ親父だったがな」

 

 玄楽は自嘲気味を乾いた笑いを溢し、シンに目をやる。

 

「だが…そんな時永琳殿が教えてくれたのだ、過去ではなく、依姫と豊姫に目を向けろ、と」

「…」

「はっとしたさ、何せ一番大事なものが蔑ろになっていたからな」

 

 シンは気まずそうに視線を泳がせる。

 ヴェノムに、依姫に、永琳に。

 自分が酷いことをしたと分かっているつもりだったが、やはり自覚すると申し訳なさが溢れてくる。

 

「それから我は娘達に全てを費やした、それが我の罪滅ぼしとも、償いとも思ったからな」

「…そうか」

「兎に角、だな」

 

「肝要なのはお前に何が残っているかを自覚し、カレンやアースが死んでしまった様な悲劇が起こらぬよう、そのもの達に何が出来るかだ」

「何が出来るか…か」

「シン、お前には何が残っている」

 

 彼は迷う事なく答えた。

 

「…ヴェノムに依姫、永琳、玄楽だ」

「ならばその者を亡くすな、それがお前の責務だ」

「…そうか」

 

 玄楽の話を聴いて、シンは止まっていた心臓が動き出したような気がした。

 世界に色彩が戻ったような気がした。

 

 カレンへの妄執から他の事を考えられるようになったとでも言うべきか。

 ただ、後悔が無くなったと言う訳では無い。

 

 苦しみながらも、辛うじて前を見ることが出来るようになっただけだ。

 歩けるかどうかはまだ分からない。

 

 シンの表情も死んだ目に光が灯り、随分マシになった。

 それを見計らってか、それともただ酔っているだけか、機嫌の良さそうなヴェノムが肩から生えてくる。

 

じゃあ明日は依姫に謝るんだな!そしてチョコレート!

「…わーったよ…迷惑かけたしな」

OH!YAY!

 

 まるでガキ大将。

 いや悪酔いした同僚だ。

 

 やはり酒に酔っているだけだろう。

 シンを気遣ってテンションを上げているのかと思ったが…

 

「馬鹿なヴェノムにそんな事考える余地は無いか」

何だと〜!?お前ぇ!

「うぉっ!酒が!?返せよアホアメーバ!」

後で殺してやる!!

 

 酒のせいで溢れ出た言葉にヴェノムは激昂し、シンの一升瓶を奪い取ってしまった。

 

 そんなじゃれあいに微笑ましい視線を送る玄楽は、穏やかに言葉を彼らに語り掛けた。

 

「少しは顔の陰りが晴れたな…どれ、せっかくだ…今宵は飲み明かすか」

こんなもんじゃ足りん!もっと待って来い!!

「ははは…」

 

 玄楽は微かに笑いながら席を立つ。

 それは無論、冷蔵庫に眠る酒を取りに行く為だ。

 

 彼は横目でシン達を見る。

 

(さて、と依姫の方は豊姫が何とかしてくれると言っていたが…)

 

 酒の取り合いで互いを跳ね除け合うシン達の姿。

 そこに帰って来た当初の陰りは無くなっていた。

 

 しかし彼の胸中の依姫の顔は暗い。

 二人のメンタルケアは流石に玄楽でも難しい。

 

 そこで名乗りを上げたのが豊姫だった。

 

『依姫は私に任せて、お姉ちゃんだしね…シン達には諸事情でちょっと腹が立つけど、話を聞いた感じ、彼らは多分私や師匠の言葉じゃ止まらないわ』

 

 言外に玄楽しか彼らと話が出来ないと言っていた。

 

(我が娘の事だ…信じて任せてみるか)

 

 記憶の中の依姫はシン達と同じくらい消耗していた。

 依姫は素直な子だ。

 極めて実直で、故に頑固。

 

 だから物事を真っ直ぐに受け易く、今回の事も自分の責任と感じているかも知れない。

 

 だからと言って豊姫を信じない訳では無い。

 何故なら彼女は依姫を最も知る一人だからだ。

 

 ———きっと彼女の言葉は依姫に届く。

 

 そう願いながら、玄楽は屋敷の奥へ姿を消した。




ご拝読ありがとうなのぜ!
〖さかな〗さん、☆9評価ありがとうございますなのぜ!

ヴェノムはちゃんと気を遣ってるのぜ、勘違いしないでよね!
あと玄楽の語りがジンベエのパクリとか言う人は犯すのぜ。

最後に、奴隷が依姫のメンタルケアも描写しようと思ったらしいのですけども…やっぱりめんどくさいらしいのぜ。
早く物語を進めたいらしいのぜ。
だからここはアンケートで決めるのぜ!


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第四十二話 腑抜けと臆病

ゆっくりしていって!


 シンを起こしたのは、強烈な吐き気と頭痛だった。

 

「ぅぐ…ぉぉぉお…!!」

<———>

 

 ヴェノムに至っては応答もしない。

 まるで屍のようだ。

 

「ぉぇ…っ!」

 

 肌寒い空気が身を刺激する中、彼は小さく呻き、頭を抑えて立ち上がる。

 しかしその足はまるで子鹿の様で、直ぐに崩れ落ちてしまった。

 乱立する瓶をガシャンガシャンと巻き込み、再び彼は地に伏せる。

 

(眩し…)

 

 青い顔を照らすのは黄色い光を放つ太陽。

 丁度シンの顔の正面に来る様に位置している。

 時刻にして午前6〜7時と言ったところか。

 

 彼は眩しさに目を細め、構築した側からハンマーで壊される様な思考でどうしようかと考えた。

 

(とに…かく、汚れを落とさねぇ、と)

 

 玄楽は気にしなかったが、シンの体は、腐り黒ずんだ血で覆われている。

 流石にこれで出歩くのは心許ないと、彼は腹這いで地面を進んでいく。

 行く先は勿論大浴場。

 

 暫くして彼は立ち上がるが、依然ふらふらで、壁にもたれ込みながら歩いていく。

 その後ろ姿は寸分違い無くロクデナシであった。

 

◆◆

 

「…行きたくない」

<このボンクラが!腑抜け!タンカス野郎!>

 

 時は一時間後。

 大浴場にて体の汚れを落とした彼は、一人自室にて頭を抱えていた。

 

<ふざけるな!昨日のアレは何だったんだ!!>

「…謝れるかどうかは別問題だ」

<Shut up!黙れ!!>

 

 ヴェノムも完全に覚醒し、荒々し過ぎるほどシンに捲し立てている。

 最も、その原因は9割、いや、突き抜けて90割シンにあるが。

 

<足を動かせ!座るな!このボケッ!!>

「…」

 

 シンは苦虫を千匹噛み潰した様な表情で虚空を見つめる。

 それはきっと二日酔いの頭痛も要因に入っているだろう。

 

 事の発端はヴェノムがある一言を発した所で始まった。

 

謝りに行こう!ごめんなさいの時間だ!

 

 謝ろう。

 この一言。

 

 これだけで彼の身体は石の様にピシリと止まり、ベッドに腰掛けて行きたくないなんて言い出したのだ。

 昨夜あれだけ愚痴を吐いてなお、謝る決心が付いていない事にヴェノムは心底腹を立てた。

 

怯えてるのか!?お前が!?まさか嫌われるのが怖いか!?

「んなこと…」

じゃあいけ鈍間!

 

 真っ黒な左腕が変貌し、歯を剥き出ししたヴェノムがシンに詰め寄る。

 それは悪い事をした生徒に詰め寄る鬼教師…いや、その数倍の迫力。

 常人ならきっと失禁どころか失神してしまうだろう。

 

 加えてシンとヴェノムは距離にして数ミリ。

 ヴェノムが口を開ければバクリと食べられてしまいそうだった。

 

 修羅の如き威圧にはシンも目を右往左往して怯んでしまう。

 

「———分かった!分かった行くよ!」

判れば良い!判れば!!

 

 観念したかの様に彼はため息を吐くと、立ち上がってドアの前に足を進めた。

 ヴェノムはそんな彼を神妙に見つめる。

 

 そしてシンはドアノブに手を掛け———

 

「…っ…!」

 

 また手を離した。

 

っこの…!っヘタレがァーーーッッ!!!

「うぼぁっ!?」

 

 火山噴火。

 落雷発生。

 

 部屋を劈く怒号と共にシンの身体はヴェノムの頭突きによって吹き飛ばされ、ドンと音を立てて壁に激突した。

 小さく呻き声を漏らす彼にヴェノムは畳み掛ける。

 

 無論、頭突きを彼の鼻っ柱に炸裂させながら。

 

何でだ!どうして!そう!へばり付いたガムみたいに!頑固なんだ!

「ぐぅっ!お前にはわかんねぇよ!!」

悪かった!訂正する!!ガム以下だ!!

「ぐはぁっ!!」

 

 彼は右腕でヴェノムの攻撃を防御しながら反論するが、何分片腕だ。

 頭突きの連撃を受け切れず、何度も頭突きを喰らってしまう。

 

 頭突き、骨折、治癒。

 シンにはクソッタレスパイラルとしか言いようがない。

 

言え!理由は!?隅っこの蛆虫みたいにウジウジしてる理由は何だ!!

「そんなモン言って何になる!!アメーバでしかないお前に言って何が変わる!!」

っはぁ〜〜!!ああそうか!お前の気持ちは良く分かった!!

 

 呆れを含んだため息がシンの頬を撫で、ヴェノムの猛攻が鳴りを潜める。

 そしてヴェノムが元の黒い義手へと姿を変えると同時に、シンはヴェノムが諦めた事を悟り、静かに安堵した。

 

 もう殴られる事は無い、と。

 

 そして同時に疑問も抱く。

 こんな簡単にヴェノムが引き下がるタマだったか、と。

 

 そんな懐疑は現実となって牙を向く。

 

「っおっ?」

<そんなに行きたくないなら———>

 

 壁にもたれていたシンが立ち上がる。

 間抜けな声を上げたのは、その動作が自分の意思による物では無かったからだ。

 

 つまり、その意味する所は。

 

<———その重い腰を俺が上げてやる!>

「ぉ、おあああっ!!待てっ!ストップヴェノムッ!!」

 

 意思に反して前へ進む足。

 シンが青い顔で叫び、手を振りながらイヤイヤと拒否するが、足は止まらない。

 

 遂にドアノブにヴェノムの手が掛かった所で、シンは最終手段に出た。

 

「分かったっ!っ話すから!まずは俺の話を聞いてくれ!!」

<よし!聞くだけだぞ!>

 

 何故かノリノリでヴェノムが応える。

 何処か楽しんでやがる、そう確信しながらもシンは濁流のように言葉を溢した。

 

「っカレンは依姫の親友だ!けど俺はカレンを殺しちまったんだぞ!?それに油断で依姫を守り切れなかった!腹に穴を開けられた!!」

 

「俺はどんな顔してアイツに会えば良い!?依姫と話す事からも逃げた俺はどんな顔をすれば良い!?」

<気持ちは分かる!>

「分かるか馬鹿!」

<いや分かる!お前は()()()()()()怖いんだろう!?>

「…っ…ああそうだよ!!嫌われたくねぇよ!会って大嫌いなんて言われたら生きてけねぇよ!!」

 

 ヴェノムはその言葉を聞いて、クツクツ笑いながらシンに言う。

 

<よし!話は聞いた!つまりシンは依姫が大好きって事だ!!>

「っす…!?だ、誰がそんな事言った!兎に角言ったんだ!足を止めろドアノブを回すな!!」

 

 唐突に変な事を言い出したヴェノムにシンは顔を真っ赤にして反論する。

 怒りだけで無い、恥ずかしさも混ざった真っ赤だ。

 それの意味する事を考える余地はシンに無いが。

 

 しかし同時にシンは希望を抱く。

 何せ言ったのだ。

 その理由の全てを。

 

 言ったからにはヴェノムも———

 

<そうか!健気だな!じゃあ行くぞ!>

「ンの馬鹿ぁあああ!!」

 

 当然止まらない。

 

 ヴェノムの言葉を皮切りにドアが音を立てて開かれ、部屋からシン達が飛び出す。

 最早後戻りは出来ない。

 

 目まぐるしく移動する風景に諦めを抱いたシンは、せめてもの抵抗として思い切り毒を吐く。

 その絶叫は廊下の隅から隅へ、どこまでも木霊した。

 

◆◆

 

「…げほっ…ぅう…」

 

 時は遡って一日前。

 依姫を背にして逃げ出したその時、彼女、依姫は冷たい地面の上でへたり込んでいた。

 

 いや、もがいていた、と言った方が正しいか。

 手から離した松葉杖すら構わず、ただひたすらにシンへ伸ばされる彼女の腕。

 

 届く事は無いと分かっていながらも、彼女は手を伸ばさずにはいられなかった。

 

「シンさっ…しんさぁん…!!」

 

 譫言の様に漏れ出る小さな声。

 寂しい程に静かな廊下でそれはよく響き、同時に力無い依姫をより惨めにさせていた。

 

 灰色の、色素の抜けた壁。

 殺風景に伸びる廊下。

 役目を果たす事なく、力尽きた様に横たわる松葉杖。

 

 何もかもが依姫を軽蔑している様な気さえした。

 何も戻す事が出来なかった、あまつさえ失ってしまった彼女を。

 

「うぐ…っ!」

 

 しかしエレクトロに開けられた腹の穴が痛む。

 刺す様な痛みだ。

 まるでカレンが戻ったと信じ抜いていたあの時に戻ったかの様に、鮮明に、残酷に。

 

 痛みに耐え、瞼を下すと、気持ちの悪いのっぺらぼうと絶望したエメラルドの瞳が瞼の裏に映る。

 夢でも見た光景だ。

 

 脂汗と一緒に涙が流れ落ちていく。

 

 …本当ならば、依姫は出歩いては行けなかった。

 師匠にも、お父様にも、口を酸っぱくして言われた。

 

 タダでさえ腹に穴が空いているのだ。

 並大抵の医療技術ならばベッドで幾本ものチューブに繋がれていて当然の状態。

 

 今、依姫が包帯を腹に巻き、松葉杖で歩けているのは、ひとえに彼女自身の頑丈さと永琳の存在による物が大きかった。

 しかし重傷には変わりない。

 

「待って…下さい…!お願いだからっ…!!」

 

 痛みを訴える身体に鞭を打って彼女は立ち上がる。

 師匠が見たら、きっと止まれと言うだろう。

 お父様だってそう言う。

 姉さん(豊姫)は…どうだろうか、後悔しない選択をしなさい、だろうか。

 

 そもそも、これが依姫の()()()()()()なのだ。

 身体は石の様に重くなり、押さえつけられた様に頭が上がらなくなる。

 

 ———行きたくない。

 動きたくない。

 このまま倒れて、眠ってしまいたい。

 

 そう分かっていながらも、彼女は歩き続ける選択を取る。

 

 そうして松葉杖を取り、歯を食いしばって、涙目でシン達を追う。

 そこまでして彼らを追う理由は、豊姫の言葉にあった。

 

◆◆

 

「依姫、大丈夫?」

「…これが、大丈夫に見えますか…?」

 

 時は更に遡って、未だシン達が目を覚まさなかった頃。

 

 依姫は髪を下ろし、点滴に繋がれてベッドに横たわっていた。

 そして彼女の姉、豊姫はそんな依姫の見舞いに来ていた。

 ついでに数個のフルーツも持って。

 

 しかし、依姫は豊姫を背に寝ているため、彼女の顔は豊姫から窺い知る事は出来ない。

 それでも、依姫の震えた声が全てを物語っていた。

 

「依姫、シン達はもう治ったに等しいらしいわ…それと———」

「っ!シンさんが…あっ…いや、何でもないです…」

 

 豊姫が椅子に座り、リンゴを軽く剥きながらそんな話をする。

 すると依姫は跳ね起きて豊姫の顔を見た。

 

 一瞬だけ瞳が輝くのを豊姫は見逃さなかったが、すぐにそれは霧散してしまう。

 

 ———酷い顔ね…

 

 ハネの多い髪に、凝視しなければ分からない程の隈、極めつきは赤く腫れた瞼。

 きっと一晩以上は眠れなかったのだろう。

 

 豊姫には実際、どんな事があったかを目にしていなかったが、推し量るぐらいのことは出来る。

 そもそも永琳から何があったかぐらい聞かされている。

 

 十中八九依姫の悩みの種はカレンとシン達だ。

 確信すると同時に、豊姫の中で不平不満が渦巻いた。

 

「…やっぱり、ムカつくわね」

「…え…?」

「いや、何でもないわ」

 

 ———だって彼ら、()()、破ったし。

 

 約束とは豊姫とシン達が初めて会った時に一方的に結んだ物だ。

 内容は依姫を悲しませない事。

 

 その時は軽いノリで言ったかも知れないが、本人は大真面目だ。

 

(こんな悲しませて、しかも当の依姫は彼を心配してるとか…高く付くわよ、この借りは)

 

 それはさておき。

 

 豊姫は依姫に言いそびれた事を頭の中で反芻した。

 

 一つ、シン達の安否…についてはもう話した。

 

 二つ、アースについて。

 面識は無いが、道場に来ていたらしく依姫達と交友があった彼が、道路の真ん中で真っ二つになって絶命していた。

 きっとエレクトロに殺されたのだろう。

 しかし葬儀自体は終わっているが、彼らはこの事を知らないのだ。

 

 三つ、カレンの…()

 これは確定では無いが、カレンの妹と名乗る幼女を保護したらしい。

 曰く、お姉ちゃんがおかしくなった、と。

 曰く、緑色のおじさんが助けてくれた、のだと。

 

 まぁ、緑色のおじさんはアースの事だろう。

 これが本当なら、彼は無駄死にでは無く、幼女を守った上で死んだ…いわば名誉の死になるのだろう。

 

 本当ならこれらの内容は玄楽が伝える筈だったが。

 無理を言って豊姫がその役を買って出たのだ。

 姉という立場もある。

 

 代わりに玄楽はシンの元に行く予定なのだ。

 

(だけど、まぁ…)

 

 言う必要…ないか。

 

 依姫にこれ以上の心労は掛けたくない。

 言うとしても、まずこの依姫の暗い顔をどうにかしてからだ。

 

「ねぇ依姫」

「…?何でしょうか?」

「シンの事どう思う?」

 

 ———重い緊張や沈黙を解くのには、まず世間話からと相場が決まっている。

 

 いつかに齧った本にそんな事が書かれていた。

 物は試しと豊姫はそれを実践し、ついでに剥いたリンゴを爪楊枝に刺して依姫の顔の前に差し出した。

 

「…えぇ、そうですね」

 

 依姫は恐る恐るそれを受け取り、一齧りして言った。

 素直に話す辺り、やはり彼女は純粋だ。

 

「彼は、諦める事を知らない人です」

「…へぇ、やっぱり」

「やっぱりってなんですか」

「だってねぇ、依姫と戦ってる時ももまだだまだだ〜って、負けを認めないじゃない」

 

 ———依姫もだけど、ね。

 

 豊姫の言葉に、依姫は薄くはにかむ。

 まるで自分が褒められているかの様で、なんともまぁ、可愛らしいというか。

 

「ふふっ、分かってるじゃないですか」

 

 僅かに頬を赤く染める依姫。

 我が妹ながら、やはり大輪の花に見劣りしない。

 

 だからこそ、時たま見せる陰った表情に豊姫は心を痛めた。

 

「でさでさ、依姫と彼って…何処まで進んでるの?」

 

 だかそれは表に出さない。

 あくまで明るく接するのだ。

 

「何処って…何の話です…?」

「え?いや、彼氏彼女に決まってんじゃない」

 

 交わし合う視線と視線。

 キョトンと豊姫を見つめていた依姫だったが、やがてその言葉の真意に気付くと、爆発した。

 

 比喩でも何でもない。

 一瞬でトマトの如く真っ赤になり、ボンと煙を出したのを見るに、ヤカンでも沸かせそうだ。

 

 更に手に持っていたリンゴが滑り落ち、目を見開いて瞳が小さくなる。

 数秒の虚無が流れたのち、依姫は口をへの字にして反論というのも烏滸がましい駄弁を宣った。

 

 ちなみに落ちたリンゴは豊姫がキャッチしている。

 

「かれっ…!?いや…っ!その、そんな関係じゃ…!」

「えぇ?なに?まだその段階にすら行ってないの?」

「わ、悪いですか!」

「いやぁ〜…別に悪くないけどねぇ…」

 

 確か、シン達がここに転がり込んでから約一年程経っている。

 そんな中で、シン達と依姫は会わない日が無かった程互いに顔を合わせ、同時に剣も交わしている。

 軍の隊員として働いている今も、ここに修行しに来るぐらいだ。

 

 大体一日の四分の一、約六時間程度は一緒にいる筈なのだが、何の進展も無いとは恐れ入った。

 奥手というか何というか。

 意気地なしと言ってもいいかも知れない。

 

 豊姫は少し引き気味に頭を掻き、言う。

 

「うーん…依姫って彼の事が好きじゃないの?」

「ぴゃっ———」

「あ、いや、やっぱ答えなくていいわ」

 

 これ以上の詮索は依姫の心の平穏に宜しくない。

 逆の意味で心を殺してしまう。

 

 再び真っ赤に染まった依姫を見て、豊姫は質問をシャットアウトした。

 そもそも答えを聞かなくても大体知ってる。

 

 恐らく豊姫が依姫にそう聞いたのは、イタズラの様な意図も含んでいたのだろう。

 

「…でも、そうね、依姫と彼だったら私はいいと思うわよ」

 

 豊姫は穏やかに言う。

 しかし、依姫の言葉が部屋を暗く落とした。

 

「はは、()()()()()

 

 瞬間、豊姫はその異変を感じた。

 まるで部屋の温度が何℃か下がったような、重い空気感。

 

 明るい様で、その実全く中身を伴わない空虚な言葉。

 

 言葉を挟もうとするが、依姫が続ける。

 

「だって私は彼に…酷い選択を強いたんですよ?殺さないで、なんて…」

「依姫…彼はそんな事で———」

 

 依姫は痛々しい程、引き攣った笑顔を豊姫に向けた。

 心配させたくない、その一心だろう。

 

「諦めない…ずっとそう思い続けた故に、結局私は無理難題を彼に押し付けてしまった…笑っちゃいますよ」

「…」

「夏休みの終わり、友達にまるで終わってない宿題を押し付けた様な物なんです…私にはどうすることも出来なかった癖に…」

「依姫…貴方は…」

 

 依姫は豊姫の言葉を待たずに続ける。

 しかし掛けられたシーツを握り締め、目線を落として言う様は、まるで自分自身に言っているかの様だった。

 

「私の中で…この二日で、カレンの折り合いは着いたんです…!!仕方なかったって…!!でも…でもっ…!」

 

 ポタポタ、シーツに雫が落ちる。

 彼女は顔を上げて、縋る様な声を上げた。

 

「わっ、私は…!彼の事が…彼の事だけが頭によぎって、よぎって…!」

 

「今も…!彼の会ったら避けられてしまう事を恐れています…っ!」

 

「嫌われっ…嫌われてしまった様な気さえしてしまいます…!」

 

「いやっ…それだけならいいんです…私は彼に…一生の傷を…!人殺しをさせて…っ、私の無理な思いに応えようとしてくれたのに…!!腕まで失わせてしまったのにっ!失敗させて…っ!!彼が絶望なんてしたら!それは私のせいなんですよ!!」

「依姫」

 

 依姫の吐露をゆっくり聞いた上で、豊姫は優しげに言葉を発する。

 涙に濡れた赤い瞳がふるふる震え、豊姫の暖かい金色の瞳がその中で反射する。

 

 依姫はそっと依姫の肩に手を置くと、その顔の涙をゆっくりと拭った。

 

「本当…貴方は優しいのね」

「姉…さ、ん」

 

 他人の為に心を痛めると言う事の難しさたるや。

 自分だって友を失って悲しみに襲われているはずなのに、考えるのは他人の心配ばっかり。

 

 稀代の馬鹿だ。

 しかし同時に、稀代の聖人だ。

 

 豊姫は姉として、そんな妹に誇りすら持てた。

 

「はにゅ?」

「こんなに泣いちゃって…可愛い顔が台無し、確かにこの顔じゃあシンに見せられないわねぇ…」

「姉さっ、あにょぉ、むにむにしないでぇ…」

 

 豊姫は依姫の顔を伝う涙を指の腹で掬い取ると、惰性で彼女のほっぺをこねくり回した。

 もちもち手に吸い付く頬を上に下に。

 

 へにょ〜っとした顔をする依姫は芯の抜けた日本語を発するが、豊姫には届かない。

 

「うんうん、やっぱり依姫は笑顔じゃないとね」

「ひょっと!姉ふぁん!いい加減にっ!」

「そうそう、それくらい元気が無いとシン達に嫌われちゃうわ」

 

 頬は横に伸び、間抜けに開いた楕円形の口から怒りを放つ依姫だったが、豊姫はそれを軽く受け流してしまう。

 そして豊姫はニコリと笑って依姫の絹の様な髪を一撫でして。

 

「まずは彼と会って話さなきゃね」

「で、でも、私に彼と会う資格なんか———」

 

 依姫は視線をずらし、気まずげだ。

 そんな彼女に豊姫はため息を吐いて言った。

 

「はぁ〜…貴方が見てきた彼ってそんな器量の小さい男だったかしら?」

「そんなわけ…」

 

 勿論依姫は反論するが、それは豊姫の想定内。

 

「だったら彼を信じてみなさい、好きなんでしょ?」

「でも、でも…もし彼に避けられたら———」

 

 依姫は好き、には反論しない…と言うより頭に入っていない。

 彼に避けられたらどうしよう、嫌われていたらどうしよう。

 そんな事だけが頭をぐるぐる回っている状態な為だ。

 

 そんな依姫に、豊姫は一つ提案をした。

 

「でもが多いわね、()()()いいじゃない」

「お、追う?」

 

 そう、追う。

 要は話しかけると言う行為を諦めなければいいのだ。

 

 告白が玉砕してもめげずに話しかける男の子の様に。

 それくらいの図太さが依姫には必要なのだ。

 

 依姫にはその図太さを出す決心が付いていない様だが、ここで豊姫は一つの考え方を伝授する。

 

「そうよ、そもそも依姫は憶測で語り過ぎよ、貴方が嫌いだから避ける〜とか、可能性の一つじゃない?」

「可能性の一つ…?」

 

 そう、依姫は無数に存在する結果の内の一つしか見ていない。

 依姫にとって最も最悪と取れる一つを。

 

 1%で起こる災厄を危惧して対策を施しまくる都市の上層部のような物だ。

 確かにその心意気が役に立つ事はあれど、依姫の場合は少し考え過ぎだ。

 

「逆に考えるのよ、依姫に嫌われたくないから、逆に逃げちゃった、とか」

「そんな都合のいい事ある訳…」

 

 ところがどっこい。

 豊姫の考えはあながち間違えていない。

 

 …それは置いておいて。

 豊姫は先程依姫が落としてしまいそうになったリンゴを依姫の口に押し込み、有無を言わさずに続けた。

 

「兎に角二人で話さないとね、誤解があったままフェードアウトとかあり得ないわ」

「むぐ…」

 

 依姫はリンゴで頬を膨らませながら疑念の瞳を豊姫に送る。

 それに気付いた彼女は、依姫の背中をトンと押してグッドサインを出した。

 

「大丈夫!依姫は自分の事に自信が無さ過ぎ!お姉ちゃんが保証してあげる!依姫は可愛いし、優しい!たまに頑固!」

「…姉さん、明らかに褒め言葉じゃないのが混ざってるんですけど…」

「それも貴方の美点よ!」

 

 褒めてるのか貶してるのか。

 

 依姫は口の中に残ったリンゴの風味を感じながら、紫檀の髪の穂先をくるくる巻く。

 意味もなさげに巻いた髪を解くと、彼女は目線を豊姫に戻し、一言。

 

「そう…ですね、私…行ってみます」

 

 その言葉には空虚な空元気など存在しない、力強い決心が垣間見えた。

 まるで諦めたくないと願う心の様に。

 

 そんな彼女の瞳はしっかりと豊姫の黄金の瞳を捉えていた。

 

「…そう、依姫」

 

 豊姫は病室に差さる光が淡く輝いている様に思った。

 紫檀の髪はより艶やかに、より深く鮮やかに。

 きっと今ならあの黄色の大きなリボンも似合う筈だ。

 

 恐らく依姫の気、とでも言おうか、とにかく雰囲気が変わったからだろう。

 多少、姉としてのフィルターが掛かっていたとしても、この変わりようは流石の依姫の美貌とでも言うか。

 カリスマとでも言うか。

 

「ま、そんな汚れた様子じゃシン達には見せられないけどね」

「えっ」

「さってと!メイクの時間よ〜!」

「えぇっ!?」

 

 …しかし、雰囲気が変わったからと言って髪のハネや傷み、目下の隈が消えた訳ではない。

 流石にこんな酷い状態の依姫とシン達を出会わせる訳にはいかないと、豊姫はどこから取り出したかも分からない櫛とコテを手に、依姫に襲い掛かった。

 

 それから依姫が松葉杖で出歩けるまでにセッティング出来たのは、かなりの時間が経ってからであった。




ご拝読ありがとうなのぜ!

ちょっと執筆が進まない…やはりバトルせねば。
くだらん会話よりも戦いを書かねばなのぜ!!

こんなコメディとシリアスのスクランブル交差点はちょべりばなのぜ!
恥じろ奴隷!こんな描画しか出来ないとか…雑魚かな♡可愛いね♡犯すぞなのぜ。


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第四十三話 ごめん

ゆっぐりじていってね。


 閑散。

 静寂。

 

 そんな言葉が顔をチラつかせる朝と昼の間。

 俗に言う昼前という時間が齎す静かな空気が、この邸宅の廊下に漂っていた。

 

 使用人やメイドなんて者が居れば平和な気持ちで掃除でもしていただろう。

 

 しかし、廊下の奥から小さな罵声が響く。

 怒声とも悲鳴とも取れる声だ。

 

 次第にその音は指数関数的な上昇を果たし、遂に廊下の静寂を派手に破壊してその場を駆け抜けた。

 

「やめろやめろやめろっ!!止まれヴェノムゥ!!」

<止まると思うか!?だとしたらお前は馬鹿だ!!…いや、失礼!>

 

 彼ら、シンとヴェノムは韋駄天の様な速度でこの邸宅内を駆り出していた。

 ついでに大喧嘩中だ。

 

<もうお前は腑抜けの大馬鹿だったな!!> 

「言いやがったなクソアメーバ!チョコなんて二度と買ってやらねぇからなテメェ!!」

<ならチョコを盗んでやる!お前は豚箱行き!依姫にも嫌われる!!あ〜あ!最高だ!!>

「ぐっ…ッ!!こんの…クソカスがぁ〜〜ッ!!」

<ハハハ!!なんとでも言え!!元はと言えば腑抜けのお前が悪いんだからな!!>

 

 歯を剥き出しにして爆走する彼はまるで地獄の鬼。

 おまけに周りから見れば独り言を宣っているため、鬼というよりは狂人だった。

 

「身体ァッ!動けっ!!ヴェノムを殴らせてくれぇ!!」

 

 シンの身体はヴェノムによって完全に統制され、まるでスポーツ選手の様な綺麗なフォームを維持し続けている。

 彼がヴェノムから身体の自由を取り戻せないのは、彼の体力や精神が万全では無いためだ。

 

 どうやっても身体のコントロールが取り戻せないと悟ったシンは、ヴェノムを説得する方向にシフトチェンジした。

 

「ヴェノム!!お前はお前のやってる事が要らないお節介だって事が分かんねぇのか!?」

<要らないじゃない!要るんだ!ナメクジは黙れ!!>

「ナメクジはお前だこのガン細胞!!」

<うらァっ!!>

「うぐぁッ!!」

 

 交渉決裂。

 誰の目から見ても分かりきった結末だった。

 

 流石のヴェノムもガン細胞呼びには腹を立てたのか、彼を走らせながら壁に頭を打ち付けさせた。

 乾いた音が足音に混ざって廊下に響き、フラフラとバランスを崩しながらも彼は走り続けさせられる。

 

 無論、頭からは赤い噴水が出ていた。

 

「うぐ…」

<なんて言ったっけ?そうだ、インガオホーだ!!>

 

 因果応報である。

 

 あまりの衝撃に流石のシンも白目を剥いて言葉を失う。

 鬼だった彼は、血濡れの白目幽霊へとジョブチェンジだ。

 

「ぉお…ぜっ、絶対許さん…」

<待て!…足音だ!角を曲がった先に誰か居る!!>

「っま、まさか…おい…待て」

 

 白目を剥いていた彼がヴェノムの言葉に反応し、目を白黒させながら顔面を蒼白させる。

 彼はカメレオンの様に顔色をコロコロ変えているが、その心内はかなり焦っている。

 

 この角を曲がった先には誰が居る?

 

 答えは明白だ。

 気配、いや、直感で分かる。

 

 だからこそ、シンはヴェノムを止めようと躍起になった。

 

「待てヴェノム!!頼む!お願いだ!俺は話せない!!頼むっ!!」

<…全財産、チョコレート>

 

 ポツリ、と。

 ヴェノムが呟く。

 

 その言葉の意図をシンはコンマ単位で理解し、続け様に言った。

 

「チ…チョコを買ってやれば…チョコを差し出せば…ほ……ほんとに…俺の言葉…を…聞いてくれるのか?」

<ああ~、約束するぜ…!>

  

 シンの灰がかった瞳がゆらゆら揺れる。

 全財産…頷けば一文無し。

 

 そうなれば妖怪を取って食う時代の幕開けだ。

 しかし、流石にそれは余りに人間的では無い。

 

 言うなればこの選択は、人間のプライドを捨てるか否かであった。 

 

 だが、彼女と会うのとを天秤に掛ければ。

 情けない姿を彼女に見せるか、社会的に人間を辞めるか。

 

 天秤に掛かるまでもない問題だった。

 

「俺の全財産分のチョコレートと引き換えのギブ・アンド・テイクだ…行けよ…早く足を翻せぇッ!」

 

 俺は人間をやめるぞと言わんばかりの意志を持って吐き捨てたシン。

 対するヴェノムの返答は。

 

<だが断る>

 

 全くもって無惨だった。

 

「なぁ!?」

 

 シンの中で一切の感情がヴェノムの一言に殺され、足が止まらない現状に冷や汗を吹き出す。

 口をパクパクさせて言葉を引き出そうとする彼はヴェノムから見てさぞ滑稽に映っただろう。

 

<ハハハッ!このセリフ一度言ってみたかったんだ!!>

「なっ、なぁっ!?ヴェノッ!!てめ…ッ!ッダメだダメだ止まれぇええッ!!」

 

 角はもう目の前だ。

 そう思った時には、手遅れだった。

 

「っその声…やっぱり貴方…っやっと…!!」

 

 輝かしい程艶めかしい薄紫の髪。

 それらを束ねるトレードマークの大きな黄色のリボン。

 

 朱のサロペットスカートとスリットの如く露出した足。

 腰に掛けられ、剣を模したバックル。

 

 いつもの服装。

 そんな言葉がぴったりの、依姫だった。

 

「…ああ…!っあああ…!!」

 

 彼女を見れば、心臓が握り潰される。

 全身が冷や水に覆われる。

 

 考える言葉は全て霧散し、瞬きすら忘れてしまう。

 掛ける言葉は塵となって心からその姿を消してしまう。

 

 手が、足が震える。

 

「…ぁあ…!!」

 

 嫌な想像ばかりが頭に過ぎる。

 

「あああ…!!」

 

"代わりに貴方が死んでくれたら良かったのに"

"貴方のせいで私は親友を失った"

 

 彼女がそんな事を言う筈、ある訳ない。

 しかし、否応無くその言葉と情景が瞳の裏に再生され続けるのだ。

 

「シン、さん」

 

 彼女が言葉を発する。

 その瞳は真っ直ぐだ。

 

 どんな言葉が紡がれる?

 どんな罵声が飛ぶ?

 

 そんな事、聞くまでも無く逃げたい。

 しかし腕も足も、顔をヴェノムによって固定され、岩の様に動かない。

 

「私は…」

「止めてくれ…!!」

 

"貴方の事が■■■だ"

 

 言葉の続きを聞きたくない。

 それは何千と頭の中でリピートされた内容だ。

 

 そんな言葉、俺は聞きたくない。

 本当に、聞きたくない。

 出来る事なら、この身体を翻して、また、逃げたい。

 

 逃げたい、逃げたい、逃げたい。

 

「貴方の事…」

「頼むから…ッ!!それ以上…」

 

 ぶるぶる震えるシンの瞳に、言葉を紡ぐ依姫の唇が映る。

 

 貴方の事———

 その言葉の行き着く終着点が、容易に想像出来た。

 

"大嫌いだ"

 

 鮮明に、殺意の籠った瞳の依姫が頭の中を瞬く。

 その瞬間、シンの中で何かが切れた。

 

「それ以上!!俺に言葉を掛けないでくれぇッ!!」

<なに!?身体が!!>

 

 その時、不思議な事が起こった。

 ヴェノムが掌握していた筈の身体の支配権が、シンに戻った、と言うより、奪われたのだ。

 それまではヴェノムが完全にシンの身体を操っていたのに、何故なのだろうか。

 

 理由は簡単。

 シンの激情がヴェノムを上回った、ただそれだけである。

 

 その実態は逃げたいと言う情けない物だったが。

 

「ぁああああアアアアッ!!」

<なんて事だ!この土壇場で!?>

「待って!!シンさんっ!!話したい事が…!!まだっ!!」

 

 発狂した様にシンが叫び声を上げる。

 最早シンに依姫と対峙するだけの度胸、勇気は無く、180度回転して彼は逃亡しだした。

 

 それを依姫が黙って見ている訳が無く、回復しきっていない身体で彼を追いかけた。

 

「どうしてっ!?私を避けようとするんですか!?」

「っ…!!話す…意味なんて、ねぇッ!!」

「っいいえっ!…ハァ…話してもらいますっ!!…ハァ…何があっても!!」

 

 依姫は簡単に息切れするが、その速度が落ちる事は無い。

 

 彼の真意を、彼がこうまでして依姫を避ける理由を確かめる為だ。

 

 本当なら、こんな事したくない。

 と言うより、誰だってしたくないだろう。

 

 彼女の行為は、わざわざ自分から自分の欲しくない回答を得ようとしている様な物だからだ。

 簡潔に言えば、好意を抱いている相手から嫌われてると分かっているのに信じられなくて、相手にわざわざ私が嫌いかと聞いている様な物だ。

 

 どれだけ顔の皮が厚くたってそんな勇気はない。

 しかし…

 

 しかし、それでも。

 追わずにはいられなかった。

 

 姉さん(豊姫)に言われたのだから。

 私の中の激情が行けと言っているのだから。

 

「待って下さい!!シンさん!!」

<止まれ!シン聞け!!俺は止まれと言っているんだ!!>

「ぐぅ…ぅうううっ!!」

 

◆◆

 

 二人はいつの間にか外に出ていた。

 靴も履いてない、素足だ。

 

 それでも、両者どちらとも一歩も引かないままチェイスは続いた。

 

「いい加減っ!ぜぇっ、止まって下さいよ!!」

「ぜぇっ、っかひゅっ…ゲホッ!ゲホッ!頼むから!!ハァッ、ほっといてくれッ!」

 

 逃げて、追って。

 懇願し、拒否し。

 喘いで、咳をする。

 

 問題があるとすれば、昼飯の買い物帰りの主婦達の視線が彼らに突き刺さっている事だろうか。

 側から見れば喧嘩、とでも写っている事だろう。

 

 喧嘩なんて些細な物ではないが。

 

「どうしてですか!?私の事が嫌いだからですかっ!?」

「違うっ!!そんな訳ねぇ!!」

「っ!っだったらなんでっ!」

 

 玉のような汗がアスファルトを濡らし、二人の脚力でほんの少し、地面にヒビが入る。

 何度もえづき、顔を下に下げる依姫はいかにも苦しそうだ。

 

「だから!それを言う事に意味なんて…ねぇっつってんだよッ!!」

 

 叫びと同時にシンが大きく屈み、直径1メートルほどのクレーターを残して姿を消す。

 依姫は一瞬にして消えたシンを目にして焦るが、彼の姿はすぐに見つけられた。

 

 ビルの()()だ。

 

「ぐっ…ぉおおおおッ!!」

「くっ!」

 

 彼はビルの表面に掌を突き立て、イモリのようにビルの屋上まで上がって行った。

 彼の通った後には五指の穴が空いたヒビが残されている。

 これは修理が大変そうだ。

 

 一瞬にして大きな差を付けられた依姫はその場で歯軋りする。

 しかし、黙って地団駄を踏むわけではない。

 

「部分神降し…須佐男(スサノオ)様の…ッ!剛脚ッ!!」

 

 詠唱と同時に依姫の威圧感が跳ね上がり、彼女のスリットから覗く足に血管が浮き出る。

 依姫はシンと同じように大きく屈み、大ジャンプした。

 

 部分的とは言え、最上位の神の力を宿した彼女の跳躍力はシンを簡単に上回り、彼女はビルすらもやすやす飛び越えてシンの姿を瞳に入れた。

 

 彼も依姫の蹴り出した爆音が聞こえたようで、振り返って依姫を見る。

 その顔は、信じられない、だろうか。

 

「馬鹿な…っ!」

<諦めろ!俺は協力しないからな!>

 

 依姫は中で霊力を放ち、軌道修正しながらシンの元まで落下する。

 

「クソ…早い…ッ!」

 

 シンが逃げる暇もなく彼女がビルの屋上に着地した。

 その顔はシンに追いついたと言うのに苦しげだ。

 

 理由は神降しの能力使用にある。

 

 ただでさえ彼女はまだ怪我人。

 更にこの数日間の体調のコンディションは最悪だ。

 

 そんな状態の能力使用。

 流石に一部分の憑依しか出来なかったが、血管が焼き切れ、血が吹き出してももしょうがない状態だったのだ。  

 

「追いつきましたよ…!!シンさん!!」

「どうして…どうして…お前は…!諦めてくれない…っ!」

 

 シンの言葉に依姫が力強く応じる。

 

「私は、貴方に諦めない事を教わりました…!模擬戦も、軍来祭も、エレクトロとも戦いも…!貴方は()()()()()()()()()()!瞳から意志が消える事は無かった!だから、私は、そんな貴方に憧れた…まぁ、だいぶ前にも言いましたが…」

「…」

「だから私は貴方が最善を尽くして、カレンを救おうとしてくれたのは、痛いほど解ります…!だから…だから私は貴方を恨んだりなんかしてない…!!むしろ…っ!私は…!貴方の腕を奪ったし…酷い選択をさせた事が…何より…」

「恨んだりなんか、しない?そんな…俺は…」

<だから言ったんだ、俺は>

 

 シンの身体が震え、依姫を見る目が震える。

 はっきりと聞いた、恨んだりなんかしない、と。

 

 その言葉の意味するところはシンの思惑がまったくの期待外れであったことだ。

 

 しかし後に続く言葉もシンの思惑通りで無い。

 

 腕が無くなった?酷い選択?

 それで…依姫が悲しむ?

 

 何を言っているのか分からなかった。

 だって、そんな訳…

 

「そんな訳…ねぇだろ…お前を恨むなんて…」

「え…?」

「当たり前だろ…!それぐらいでお前の事が嫌いになったりする訳がない…逆に俺は…!お前の親友を殺したんだぞ!?謝って済むような話でも…ましてや気にしてないだと!?優しいのも大概に———」

 

 シンの言葉の途中で依姫の啜り泣く声が辺りに響く。

 シンはギョッとして下げていた頭を上げ、依姫を見ると、そこには喜色を浮かべながらもへたり込んで座り込む彼女が居た。

 

 あまりの光景にシンの動きが止まり、冷や汗を垂らす。

 

<シンが依姫を泣かせた!このクズ!>

「ヴェ、ヴェノムは黙れ!よ、依姫、なんで泣いてる…?」

「っい、いや…安心してるんです…ずっと…避けられたあの時から…もう貴方と肩を並べられないんじゃ無いかって思って…」

「…依姫…違う…違うんだ、俺は…俺は———」

 

 死にそうな表情で依姫を見つめるシンの言葉は、最後まで綴られる事はなかった。

 

「キャァアアアアアッ!!」

 

 けたたましい悲鳴が辺りをつんざいたからである。

 声色は高く、怯えが混じっている。

 恐らく、女性だ。

 

<なんだ今のは>

「わっ、分からん、強盗かなんかか?」

「…わ、分かりません、兎に角、下を見ない事には…」

 

 顔を見合わせる二人。

 流石の緊急事態には話も中断するしか無く、彼らはビルの屋上から悲鳴の聞こえた方角を見下ろした。

 

 シンも強盗程度にしか思っていなかったが、目にした光景を見て驚愕に思考を染まらせる。

 

「ギ、ギ、ギギギギッ!」

「っいやっ!たっ、たすっ、たすけてっ!」

 

「なんだ…?あれ…妖怪か?」

 

 化け物(妖怪)が、そこにいた。

 

 人間大の真っ黒な団子のようなモノから、針金のような細い腕を何本も動かし、ウサギの耳を生やした女性を雁字搦めに捉えている。

 シンからはそのカビ団子の背しか見えないが、女性がもがく度に巨大な、剥き出しの歯が光に反射してシンの瞳に映っていた。

 

 恐らく、顔面の8割方は巨大な歯で構成されているのだろうか。

 ギリギリと歯軋りをして、不快な音を撒き散らしている。

 

 周りには人が五人ほどへたり込み、這い這いになってそこから逃げ出していた。

 

 シンが驚いたのは、その妖怪の容貌もそうだが、この都市内に妖怪が現れた事に対してだった。

 眼下の人々がここまで恐れ慄いているのも、これが原因だろう。

 

 まず妖怪とは、命ある者の行き着く成れの果て、又は思念が形を浴びたモノだ。

 よって、その姿形は動物の姿を取ったり、想像上の怪物の姿を取ったりする。

 

 しかしあのカビ団子はなんだ?

 あの生物とは思えない外見。

 妖怪と言うより、呪いや悪神の一種と考えてもおかしく無いほど気持ち悪い。

 カビの妖怪と言うなら納得だが。

 

 次が最も重要なのだが、そもそもこの都市に妖怪は出現しない。

 穢れだかなんだかを月読命が排除しているおかげらしいが、あまり理解はしていない。

 

 何故なのだろうか。

 その理由を考えるのには、圧倒的に時間的余裕が足らなかった。

 

<ヤバイ!あの兎が喰われる!>

「依姫!仕方ない!行くぞ!」

「っ一瞬で行きます!あの女性を奪還した後、黒い妖怪を討ってくださいっ!」

「分かった!」

 

 兎の女性が涙を流して抵抗していたが、遂にその手が黒団子の黒鞭に絡め取られ、ついでに口も塞がれてしまう。

 遠目で見ても分かるピンチに彼らは急いだ。

 

 依姫は刀も無しにビルから飛び出し、シンはヴェノムを纏ってビルの側面に指を突き立てながら降下していく。

 

「風神様ッ!!」

 

 空を舞い、落下を始める依姫を中心に気流が発生する。

 速度を増やし、着地点を調整していく。

 風によって自慢のポニーテールが揺れるが、その顔は厳しかった。

 

 能力使用にガタが来ていたのだ。

 先程でさえ能力は一部分しか使おうとしなかったのに、今は全身に神を降ろしている。

 

(神降しは…体力がもう持たない…!)

 

 徐々に近づいていく己の体。

 黒団子は、今まさに女性の頭を齧ろうとしていた。

 

 恐らく、このスピードのままでは…

 

(間に合わない…!霊力も使ってもっと速度を!いや、そうすると着地と同時に私の方が爆散する…突撃と同時に女性を奪い取って、地面と接触寸前で風で衝撃を和らげる!)

 

 依姫の身体から更に風が吹き出し、そこには緑色の疾風も混ざっていた。

 霊力を風神の風に乗せた神風である。

 

 彼女の身体が加速度的に速度を増し、彼女は風圧に目を細める。

 

「間に合えっ!!」

「っひっ…!!」

 

 女性の声が聞こえた。

 黒団子の生臭い吐息に顔面を撫でられ、恐怖に目を閉じた様だった。

 

「ギ」

 

 短い発声。

 いただきます、とでも言ったのだろうか。

 

 しかしその顎は虚空を喰らった。

 ガキンと、金属同士を打ち合わせる音が響く。

 

「はっ…はっ、もうっ、大丈夫です!」

「あ、あっ、たっ、隊員さん…?」

「ギギ…ギ?」

 

 黒団子の視線——といっても目は無いが、恐らく口の向いた方向が視線だろう——が依姫に向けられ、歯を打ち鳴らす。

 見れば見るほど奇怪な姿だ。

 黒団子、と言うよりカビを捏ねて丸くした様な姿だ。

 

 腕も左右に六組十二本、下部にも何本も足が生えており、絶えず指先を動かしている。

 

「ギギィ…ギィ!」

 

 折角の食事を邪魔されて怒り心頭であるかのように歯をギリギリ鳴らし、黒団子は十二本もの腕を依姫達に伸ばした。

 

「ひぃっ!」

 

 依姫の腕の中の女性が再び声を漏らし、瞼を閉じるが、衝撃が来る事はない。

 恐る恐る瞼を開くと、そこにはまた別の衝撃的な風景が映っていた。

 

 黒団子の腕が、黒い鞭に絡め取られている。

 

間に合った!アレは俺の餌だ!

冗談はよせヴェノム!…冗談だよな?

チョコを買わないからだ!冗談だって言いたくなる…!本当に食べてやろうか?

あの黒団子を食べても良い!お前の同族だろう!?ピッタリだ!

同族?俺の事をあのカビ団子と同じだと言ったのか!?

 

「ギギ…!」

 

 黒団子の背後に居るのは、言い争うシン達だった。

 腕を十二本に割かせ、黒団子妖怪の動きを封じている。

 

 膂力はシン達の方が上だ、充分抑えられている。

 しかし安堵したのも束の間、なんと黒団子が自分の腕を噛みちぎり、拘束から離れたのだ。

 そのままグルリと方向転換し、黒団子はシン達に一直線に襲い掛かる。

 

 どうやらターゲットを変更した様だが、シン達には好都合。

 

コイツ自分の手ぇ食い千切りやがった!イカれてやがる!

パクリ野郎!喰い殺し…いや、不味そうだから叩き潰してやる!

「ギギィィァァア"ア"!!」

 

 よく考えてみれば、ヴェノムとこの妖怪はなんとなく似ている。

 剥き出しの歯、黒い身体。

 いや、大きな身体的特徴は勿論違う。

 

 歯だって、黒団子は規則的に並んだ人間の様な長方形型に対して、ヴェノムは不規則な円錐型の、獣の様な歯だ。

 

 しかしこの珍妙な化け物と所々似ているのはヴェノム本人も虫に触るらしく、パクリ野郎と呼ぶのもシンは理解出来た。

 

しっかしカサカサカサカサ気持ち悪い…!ゴキブリは新聞紙で叩き潰してやらねぇとなァ!!

その通りだシン!!

 

 幾本もの手を動かして爆走する黒団子に、シン達は怯む事なくその黒腕をハンマーに変えて迎え撃った。

 

 一心不乱にガチガチ歯を打ち鳴らす黒団子には知能など感じ取れず、真っ向勝負にはうってつけ。

 シン達は相手のフェイント等を恐れずに飛び出し、ハンマーを振るった。

 更に腕をムチの様に変形させ、爆発的な加速を生み出す。

 

 歯とハンマーでは、勝敗は明らかだった。

 

「ギ…ィ…!?」

大した事ねぇなぁ!この黒団子野郎!

当たり前だヴェノム、俺達の方が強いからな

 

 地面が揺れる程の重低音が響き、舞い上がった砂煙が晴れて黒団子が姿を現す。

 しかしその姿は無惨で、球体の顔部分が大きく抉られ、下部がハンマーごと地面にめり込んでいた。

 

 ギラギラ光る歯はもはや見る影も無く、大部分が消失していた。

 よく見れば、周囲に白い残骸が散っている。

 恐らく爆散した歯の欠片だ。

 

 足もほぼ全てがハンマーの激突に巻き込まれてぐちゃぐちゃになっていた為、歩く事は叶わないだろう。

 

「ギィ…ァッ…ァ…」

これで一件落着———うぉっ!?

 

 しかし黒団子もタダでは終わらない。

 抉れた顔の断面から、腕を射出したのだ。

 

 先端は鋭利に尖り、真っ直ぐヴェノムの凶悪な顔面向けて放たれている。

 

 タイミング的にも速度的にも避けられない。

 その一撃をシン達は。

 

あーん…ッング…!

「ギ…!?」

 

 食べた。

 シンが、と言うよりヴェノムが。

 

 バリバリ音を鳴らして咀嚼すると、黒団子も絶望したのか、声を漏らして溶けてしまった。

 

 ヴェノムはヴェノムで黒槍をぺっぺと吐き出し、悪態を吐いた。

 どうやら不味かった様だ。

 

おえっ!不味っ!見た目通り肥溜めの泥みたいな味だ!クソ!ぺっ!

うわきったね!なんてモン体に入れてくれてんだ!?

 

 ヴェノムがシンの体の中へ戻っていき、今にも吐きそうな表情のシンが現れる。

 しかし、ヴェノムが噛み砕いていなければ少し危なかったのも事実、仕方なしと受け入れる他ない。

 

 身体の中の嘔気を必死に抑え、彼は依姫と腕の中の女性の方を見た。

 女性は心配そうな表情で、兎耳をしゅんと垂れ下がらせている。

 

「ふぅ…よか、った…」

「だ、大丈夫…ですか…?」

 

 依姫は顔色が悪く、女性を抱えながらもぐったりしている。

 もしもの時の為に神降しを実行させ続けていた様で、彼女が安堵すると同時にオーラが霧散した。

 

「…依姫、大丈夫だよな?」

「え、ぇ…ただ少し…肩を借りられれば…」

「…あぁ、道場まで送ってやる…そこで、俺から話がしたい」

「はは…私もですよ」

 

 彼女の血色は言うまでもなく悪い。

 目を閉じていて、今にも眠ってしまいそうだ。

 

 疲労も限界が近いのだろう。

 

 それに…彼らは二人きりで話すと言う口実が欲しかった。

 さっきの話の続きだ。

 シンも本来の目的を果たせずにいる。

 

 謝るという、小学生でも出来る事だ。

 

「…なぁ、あんた、多分軍の隊員やらがそろそろここに来る筈だ、事の顛末は説明しといてくれ」

「あっ、は、はい、ありがとうございます…あなた達は…」

「俺達はコイツを休ませるからよ…そうだな、依姫がやった、とでも言っとけ」

俺達がやったと言え!

「ひぃっ!」

 

 シンは依姫を背負い、兎耳の女性にそう言ったが、ヴェノムが肩から飛び出して女性の目の前に位置取った。

 目の前に鋭利な牙と、瞳のない巨大な白い目を持った化け物に女性は腰を抜かし、青い顔でへたり込んでしまう。

 

 かなり前に兎耳の少女に出会した時も、こんな反応をされた気がする。

 シン達は兎と縁が悪いのだろうか。

 

「まぁどっちでもいい、じゃあな」

 

 彼は女性に背を向けると、眠った依姫を起こさないよう、穏やかに道場へ向かった。

 いつの間にか、すーすー、と、依姫の寝息が耳を撫でていた。

 軍来祭の終わったあの時のデジャヴと背中の温かみをを感じるのは、きっとシンだけだ。

 

◆◆

 

 依姫が目を覚ましたのは、午後八時を回った時計が指し示す通り、あれから数時間が経った後のことだった。

 眩しくない、電気が付いておらず、薄暗がりに包まれていた。

 彼女は辺りを見回し、シンがそばに居ることに気付く。

 

 椅子に座り、真っ直ぐに依姫を見下ろしていた。

 

「シンさん…ここは…?」

「俺の部屋だ、豊姫や玄楽に忙しいからって面倒見ろって言われたんだ」

「…そう、ですか」

 

 …豊姫と玄楽は忙しいと言う理由だけで二人きりにさせたわけではないが、勿論、真実はシン達に言っていない。

 いわゆる言葉の行間を読め、と言う事だ。

 

 彼女は自分に何があったのかを思い出した。

 流石にこの身体で無茶をし過ぎたのだ、意識を失った自分をおぶってもらったんだろう。

 しかもそんな彼の背で熟睡していたんだ、恥ずかしい。

 

 それに、長い事自分の事を看病してもらったのだ。

 感謝しても仕切れない。

 

 ただ、そんな彼に、依姫には言いたい事があった。

 本当なら、あの屋上で言いたかった事だ。

 

「…っ」

 

 しかし、いざ言おうと思っても、呂律が回らず、言葉がでない。

 言葉の発し方さえ忘れたような気がする。

 

 彼女は苦し紛れに彼の目を見た。

 迷いのある目だった。

 あっちに行ったりこっちに行ったり、彼女を見たり、目を伏せたり、まるで、何かを決めかねているようであった。

 

「っあの、女の人…大丈夫です、かね」

「…あ、ああ…テレビでそれが触れられてたが…大丈夫だったらしい」

「あ…そうです、か」

 

 依姫は強引に話題を作った。

 しかし、無理矢理吐き出した言葉は続かない。

 

「…」

「…」

 

 嫌な、沈黙だった。

 やはり、言うしかないのだろうか。

 

 いや、ここで言うしか、タイミングは無い。

 

「…すぅ」

「…」

 

 深呼吸、息を吸い、決心を固める。

 

 彼も、同じような事をしていた。

 彼の目が閉じられて、鄒俊後にまた開く。

 決意の込められた瞳だった。

 

「あのっ」

「…っあのさ」

 

 言葉は綺麗にハモった。

 両者共この結果は予想だにしなかったようで、冷や汗をかいて目を逸らす。

 

 依姫は暇な時や困ったに行う、髪の毛を弄るという癖をいつの間にか行っており、彼はただひたすらに色んな所を見回していた。

 時折視線が重なると、両者物凄いスピードで目を逸らす。

 

 気まずい時間が一瞬だけ流れ、耐えかねた二人がまた言葉を発する。

 

「なんだ?依姫」

「そっちこそ、どうかしたんですか?」

 

 言葉の調子こそいつも通りだが、顔色と汗の量がいつも通りでは無い。

 ゴクリと喉を鳴らしたは、一体どちらだろう。

 

 考えがままならない状態で、依姫は言葉を絞り出した。

 

「そ、そっちからどう、ぞ」

「お、おう…言わせてもら、もらうぞ」

 

 言葉を噛んでしまうのはどっちもどっち。

 まるで話し慣れてないコミュ障だ。

 

「…」

 

 また、長い間があった。

 

「俺は…」

 

 静かに、しかし怯えのような色が混ざった言葉を、彼は喋り出す。

 

「お前の親友をカレンを殺して…依姫の願いを叶える事が出来なかった…っ本当なら…最初会った時に…謝るべきだったんだ…!っでも…でもよ、俺が思っているいる以上に…俺は腑抜けだった…逃げ出したんだぜ?あの時依姫がどんな気持ちだったかなんて考えもせず…」

「…」

 

 彼女は黙っている。

 彼は俯いて震えながら続けた。

 

「俺はさ…俺は…依姫に()()()()()()()()()んだ、だから、依姫の言葉を聞きたくなかったんだ…!嫌い、だとか、死ね、だとか…そんな言葉が頭をよぎって仕方なかったんだ…逃げ出したらお前がどんな反応をするか、半ば分かっていたのに…俺は…っ自分を優先しちまった…!」

 

 そして漸く。

 漸く、シンは依姫にかけるべき言葉を吐き出した。

 

「ごめん…依姫、本当に…ごめん…!!」

「…私だって、言う事がありますよ」

 

 依姫の言葉にシンは顔を上げる。

 困惑が見てとれた。

 

 こんな自分に言う事があるのか、と。

 

「私は…貴方に酷い選択をさせたって…貴方の腕を奪ってしまったって…言いましたよね…?確かに、あの時、電流の槍が発射された時に貴方に突き飛ばされて居なかったら、私は死んでいたかも知れない…でも…!貴方が腕を失ったのは事実で…あの時の血が…腕が舞う光景が忘れられなくて…だから…ごめんなさい…ごめんなさい…!」

 

 次第に依姫も自分が何を言っているのか分からなくなって来た気がした。

 要領も得てないような気もする。

 

 しかし彼女には頭に浮かんできた言葉を放つのに精一杯だった。

 

 だが、彼は立ち上がって反論する。

 その顔には苛立った様な、申し訳無さそうな、そんな感情がありありと感じられた。

 

「…だから…!っだから!俺は気にしていないって言っているだろう!!腕も!あの選択も!だから俺の方が悪いんだよっ!ごめんっ!!」

 

「わっ、私だって折り合いは付いていますし!無視された事なんて気にして…気に、して」

 

「気にしてるじゃねぇーかッ!!だから俺が悪かったって言っているんだ!!大体なぁ!これぐらいでお前を嫌いとかあり得ないんだよ!」

 

 謝罪はヒートアップし、喧嘩の域に突入し始める。

 自分達が最終的に何に帰結すればいいかは、彼らにも分からなかった。

 

「っ違いますよ!私だって貴方に嫌いとか死ねだとか言うわけないじゃないですかっ!!私の事がそんな信頼できないんですか!?」

 

「っしてるよ!してるに決まっているだろうが!でも頭に湧くモンは湧いちまうんだよ!」

 

「なんですかそれ!!私がどんなに悩んだかも知らないで!!」

 

「悩んだぁ!?お前だって信用してねぇじゃねぇかよ!!依姫ェ!!」

 

 依姫も立ち上がり、彼を睨む。

 

「ぐ、ぎぎ…し、仕方ないじゃあ無いですか…だって…だって」

 

「仕方ない!?何が仕方ないんだ!?」

 

 自分の事は棚に上げるシン。

 兎に角彼らは、相手にごめんという事を認めさせるのに必死だった。

 

 それに何が仕方ないかなんて言えるわけが無い。

 好きだからこそ、失望されるのが怖い、だなんて、絶対に言えるわけが無い。

 

 シンが気付いていないだけで、彼が悩んでいたのもほぼ同じ理由だが。

 

「そっ、それより!貴方の腕はもう戻らないんですよ!?なんで気にしてないなんて言えるんですかっ!!もっと自分を大切にしてくださいよ!!私にごめんなさいって言わせてくださいよ!!」 

 

「それ言ったらお前…!!カレンだって戻らねぇだろうが!腕なんてヴェノムで補えるんだぞ!?」

 

「だからぁ!!仕方ないって!折り合いが!着いたってっ!言ってるでしょう!!そんな子供じゃないんですよ!!」

 

「現にお前は嫌われたらどうしようとか下らない事で悩みまくってたじゃねぇかよ!子供だろうがお前は!!」

 

 最早ヒートアップは活火山の領域に達している。

 自分が何を言っているかなんて、もうどうでもいい事だ。

 

「貴方だって…貴方だってぇ!!私の事無視してずっと居なくなってたじゃないですかぁ!私が子供なら貴方は赤ちゃんですよ赤ちゃん!!」

 

「ぐ、ぐぅ〜ッ!!大体…お前が優し過ぎるのが悪いんだよ!クソッタレ!!厳しくしてくれよ!それなら俺だって簡単にごめんって言えたのによぉ!!」

 

「貴方も私の事優しくし過ぎなんですよ!何なんですか!?全部責任は自分にあるみたいに…!!私だって悪いんですからごめんなさいぐらい認めてくださいよ!!」

 

 互いに反論出来ない言い合いに、彼らは論点をすり替えまくる。

 側から見ていたヴェノムは呆れていた。

 

「嫌われるような事をした以上、貴方の謝罪は絶対認めません!!するにしても私からです!」

 

「このっ…このぉ〜ッ!!強情女ァ!!いいか?もう一度言うぞ?俺は、お前を、嫌いになんか、ならん!天地がひっくり返ってもあり得ねぇ!!俺はお前の背を見て成長したんだぞ!?俺が世話になったのも殆どお前だ!!いいか!?お前は俺の恩人なんだぞ!?」

 

「は、はぁ〜ッ!?だったら私だって!貴方が居たから孤独から抜け出せたし、貴方と言うライバルを知る事が出来た!!貴方が諦めを知らないから私はここまで来れたし!私は強くなれたっ!!貴方が諦めなかったから!私は貴方の事が好きになったんですよ!!だからぁ!嫌いなったりなんか!絶対にあり得ないんですよ!!分かり…っま…し…た、か」

 

 言葉を綴る依姫の動きがスローモーションになって固まる。

 自分が今、何で言ったのか理解したのだ。

 

 その瞬間、両者間の時が止まった。

 

「い、いまお前」

「わ、私、は、今なんと?」

 

 ———()()()()()()()()()()()()()

 

 口が滑った、としか言いようがなかった。

 自分の言った事を噛み砕けば噛み砕く程、自分がどれだけの失言を犯したかに気付いていく。

 

 同時に顔が赤く染まっていき、口をへの字にしてふるふる震え出す。

 

「ぁ、いや…その…」

「…」

 

 取り返しのつかない事をした自分の口が恨めしく思い、依姫は口を手で塞ぐ。

 シンには真っ赤に染まった依姫が自分の顔を隠した様にしか見えなかったが。

 

「えと、貴方が…あ…ぅ」

「…」

 

 余りにも、今言う内容じゃ無かった。

 こんな事で想いを伝えるなんて、馬鹿みたいではないか。

 

 彼女は僅かに後退したが、後ろにはベットしかなく、そこに座り込む形になってしまった。

 先まであんなに怒っていたのに、今では急にしおらしく感じてしまう。

 

「今のは…ですね、あ、あはは」

「…」

(お、終わった…終わってしまいました…間抜けすぎる…こんな…うぅ…助けて姉さん…どうしたら…)

 

 観念した様にベッドに手を置き、乾いた笑みを浮かべる依姫。

 その顔色は真っ赤な恥じらいに真っ青な焦りが入り混じっていて、まさしく奇妙だった。

 

 心中も世紀末。

 神様も神降しを断念するレベルだった。

 

 見かねたシンはそこに助け舟を出した。

 

「俺の性格が好き…ってこと、か?」

「…!!っそっ、そうな、そうなんですよっ!貴方の性格が好きだって言いたかったんです!!」

 

 別に依姫の好意が伝わらなかった訳ではない、決して。

 そもそも数ヶ月前から気付いていると言えば気付いていた。

 

 だが、この告白を受けるのには余りに依姫が惨めすぎる。

 そう思っただけである。

 

(それに…俺は依姫の事が好きでもなんでもない、ただの仲間で、ライバルだ…だから…後回しにしといた方が、断るよりずっといい)

<>

 

 シンはヴェノムに厳しい視線を送られている様な気がした。

 何故かと言えば理由は簡単で、依姫がシンの与えた選択肢に飛び付き、真っ先にシンのことが異性として好きじゃないと答えた瞬間、ヴェノムは彼の心がちょっぴり傷付いたのに気付いたからだ。

 

 ヴェノムはそれをシンに伝えようとはしなかったが。  

 

「…はぁ…なんだか、馬鹿馬鹿しくなっちまったな」

「そ、そうで、すか?」

 

 依姫は未だ顔の赤らみが治らない。

 顔を見られたくないのか、顔を見たくないのか、依姫はそっぽを向きながら答えた。

 

「結局、俺達は全く同じ事を考えていたんだからよ」

「確かに、まぁ、そうですね」

 

 話し合う前はあーだこーだ考えていたと言うのに、蓋を開けてみれば、てんでつまらない内容だった。

 

 双方どう思われているかに固執し過ぎていたのだ。

 嫌われているだとか、殺意を抱かれているだとか。

 口を開けばそれが決定的になってしまう可能性があった故に、話し合う事を恐れていた。

 

 だが、勇気を出して話し合ってみれば、互いに嫌われたくなかった、それだけだった。

 

 力が抜けた様にシンは椅子に座り込む。

 

「…なんでこんな必死になって喧嘩してたんだろうな、俺達」

「それは…貴方に謝罪なんて要らないって言ってるのに、全く引かないからですよ」

「いや、それは違うな…お前だよお前…お前に責任も無いのに謝らせてるのが俺は許容出来ないんだよ」

「…」

「…」

 

 彼らの目が細められ、視線が交錯する。

 弛緩した空気が再びヒリつき、いつまた喧嘩に発展してもおかしくないようにも思われた。

 

 だが、意外な介入が入る。

 

ああ面倒くさい!これで文句無いよな?はい仲直り!

「…いきなり何するヴェノム」

「そ、そうですよ」

 

 シンの肩からヴェノムが現れ、彼の右腕が依姫に伸びたのだ。

 無論、それはシンの意思による物ではなく、ヴェノムの身体操作による物である。

 

 腕がたどり着いた先は依姫の手のひら。

 ガッチリと握手し、ブンブン振っていた。

 

 依姫は密かに汗ばんだ手のひらを握られる事に動揺していたが。

 

謝らせたくないならどっちも謝ればいいんだよ、いいアイデアだ!そうだろう?それにこれ以上は呆れて吐きそうだ!

「…はっ、もうこれ以上言い争うならこれで良いさ、ヴェノムにもこう言われちまったしな」

「…シンさんは、それで良いんですか…?」

「良い、が、それはこっちのセリフだ依姫、お前は間違い無くカレンを失って辛かった筈なんだ…どれだけ折り合いがついたと言っても、謝る義務が俺にはある…むしろ謝るだけじゃなくてこっから出ていくぐらいの責任すらあるんだよ」

 

 ブンブン。

 依然、腕はシェイクされている。

 そのままの状態で依姫は瞳をシンに向けた。

 

「そこまでしなくても…でも…うぅ…わ、わかりました…でも、一つだけ…」

「…なんだ?」

「もう、貴方は悲しむような選択をしないで下さい…私が貴方に厳しい選択をさせたからこそ、今度は自分に素直になって下さい…もっと、自分勝手にしても良いんですよ…?」

「…ああ、だから俺はもっと強くなるさ…お前達を守る選択を取れるようにな」

「…はは、本当に諦めが悪いんですから」

「お前が相手だからな、諦めも悪くなる」

 

 半ば諦めたようににっこりと笑う依姫。

 そこにもう陰りはなかった。

 

 部屋に僅かに差し込む月光のように、暖かい笑顔だった。

 思わずシンも声色に喜色を忍ばせる…が。

 

 この会話の途中でも腕はブンブンブンブン振られ続けていた。

 

「…おい、ヴェノム」

なんだ?俺は今チョコレートの事を考えるので頭がいっぱいだ、仲直りしたなら添い寝でもしてろ

「そろそろ腕をだな、止めろよ」

…オーケー、止めた、じゃあおやすみ!明日はチョコレートだ、絶対に!

 

 すんなり要望が通った。

 これは珍しい。

 

 だが、こう言う時ほど決まってヴェノムのイタズラが仕込まれているのだ。

 シンは僅かに冷や汗を垂らしながら握手している手を見た。

 

「…」

 

 確かに、止まっている。

 

「…ふぅ」

 

 …いくらなんでも疑い過ぎだったかも知れない。

 シンは己への呵責からか、小さく息を吐いた。

 

 いくら横暴とは言えヴェノムは相棒だ。

 そこまで疑うのは失礼だったかも知れない。

 

「あ、あの」

 

 確かにヴェノムは最近勝手に体の主導権を奪っていたりしたが、それはシンを思っての行動だ、多分。

 日頃の感謝も込めて、本当に全財産分のチョコを買うのも手かも知れない。

 

「あの、シンさん」

 

 ———-やっぱりヴェノムは最高の相棒なのだ

 

「シンさんったら!」

「…?さっきからなんだ依姫?」

「あの、て、手を…そろそろ、恥ずかしいです」

「…ん?」

 

 思考がトリップしていたが、現実に頭を戻す。

 また依姫が顔を真っ赤にしていた。

 

 ただ、依姫の言っている事がよく分からない。

 手はもう離したはずだが。

 

 疑問に思い、また自分の手を見る。

 

「ん?」

 

 まだガッチリ握手している。

 余程恥ずかしいのか依姫の手は真っ赤だ。

 

 僅かに、動機がシンを襲う。

 

「ん〜〜〜?」

 

 どれだけ力を込めても手のひらが動かない。

 これはヴェノムに体を操られている時と同じ感覚だ。

 

 心臓がドクドク鳴る。

 脈拍がおかしな事になっている気がする。

 

「…依姫」

「ひゃ、ひゃい…な、なんですか…?」

 

 まさか、あのクソアメーバは。

 あのアホカビは。

 

「手、戻せなくなっちった」

「え、えぇ〜っ!?」

 

 手を固定して逃げやがったのだ。

 と言うかこんな芸当ができたのかと感心する。

 

 いや感心してる場合じゃない。

 

 いつ手は離せる?

 依姫の手に負担は掛かっていないのか?

 そもそもボケ野郎は分かっていてこうしたのか?

 

 考えばかりがぐるぐる回る。

 

「おいヴェノム!ヴェノム!!…多分ヴェノムの仕業だ、応答しねぇ…よ、依姫、痛くないよな…?」

「え、ええ、絶妙で…なんか強引に手を握られてるような感じです…」

「…あのチョコ脳がぁ…!!」

 

 不味い、非常に不味い。

 ヴェノムは夜に寝ると言い出したら朝まで起きない。

 エネルギー的な問題だろう。

 

 つまり夜までこのまま…?

 添い寝してろってのはまさか直球の意味で?

 

「おいこれ…どう、寝ればいいんだ…?」

「一緒…に?」

「い、いやいやいや…それは不味いだろ…豊姫とか玄楽にバレたら…こ、殺され———」

 

 否定した瞬間、依姫の瞳がじっとシンを見つめた。

 心なしか、小動物の様にうるうる潤んでいる。

 

「し、シンさんは…私と一緒じゃ、いやです…か?」

「っ…!い、嫌じゃない…に、決まってるが」

 

◆◆

 

(なんでぇえええ!!なんでぇええええ!!なんでこうなったぁああッ!!)

(さ、誘っちゃった!誘っちゃった!横にシンさんが…!!ぁあああっ!!布団から彼の匂いが!!匂いが!!!)

 

 いつの間にか彼らは同じ布団の中に収まっていた。

 しかも握手している腕の都合上、向き合って手を握りながらである。

 

 なんとか目を閉じているが、どっちも心持ちは嵐だ。

 

(ヤバいって!絶対一線超えてるんだが!!どう弁解すりゃあ良いんだよクソ!!)

(スゥー…ハァー…あぁ…ナイスです、ナイスですヴェノムさん)

 

 じっとり手のひらが濡れ、互いの手汗が混ざり合う。

 気温の高く、湿度も高い。

 俗に言うむわぁっとした布団の中の空気が、いっそう背徳感に拍車をかけていた。

 

(ね、寝れれば良いのに…クソ、良い匂いする…クソ!眠れん!!)

(…ッハッ!この状況…シンさんは寝てるみたいだし…う、うへへ…こんな事してみたり)

 

 依姫の中に邪な感情が渦巻く。

 その瞬間、布団がモゾモゾ動き、不信感からシンはゆっくり薄目を開けた。

 

 同時に胸に何か柔らかい物が当たる。

 

(ッ!!待て…!近いっ!近い近い近いッ!!ね、寝返り!?てか寝れてんのかコイツ!?)

(う、へへへへ…こんな密着出来るなんて、ヴェノムさん様々です…)

 

 目の前に、依姫。

 もう数センチの所に、依姫の顔が。

 

 まつ毛が長い。

 肌が白い。

 唇がツヤツヤ。

 

 じゃあ胸のこの感覚は…

 

(おっ、ぱ…!!っぱ…!っぱぁ…っ!!)

(て、手を回したりぃ、とか…足を絡めたりとか…えへ、えへへへぇ…)

 

 依姫の思考は布団の中の熱気で暴走している。

 普段なら絶対しないようなハレンチな事も、どんな事も、今の依姫なら躊躇わないだろう。

 

 本能の赴くままに更に身体をぐいと寄せ、握手してない方の腕でシンの首に手を回し、彼の足に彼女の足を絡めさせる。

 更に自分の額を彼の額にコツンと合わせる。

 抱きついているとしか言えない体勢だった。

 

(———)

(あ〜♡これは快眠できますよ〜♡)

 

 依姫はR18として規制されるであろう声を心の中で叫ぶ。

 

 …ここまでこればもう言い逃れも出来ないだろう。

 ついでにシンの理性もベコベコに歪んで溶け、辛うじて残った倫理観も布団の中の熱帯夜に沸騰している。

 

 自分を抑える事なんて、シンには出来なかった。

 

(…ここまで来たら、仕方ねぇよな)

(へっ?)

 

 彼は空いている方の手で、依姫の細い腰に手を回し、更にぐいと引っ張った。

 最早つま先から頭まで距離感はゼロだ。

 

 辛うじて身長がシンの方が大きい為に唇と唇が合わさる事態には陥っていないが、それでもギリギリで、額どころか鼻先も触れ合っている。

 

(ここがヘヴン(天国)か…あ〜、甘い匂い…頭がクラクラする)

(目の前に!目の前に…!鼻息が当たるぅ…腰の腕も、ち、力強いし…流石に、おき、起きてない、ですよね?)

 

 もう体の押し付け合いと言っても良い。

 おしくらまんじゅうされて更に体感温度の上がった彼らは———-

 

(い、意識が…やべ…ばれ…たら…)

(あ…堕ちる…♡)

 

 堕ちた。

 睡眠の底へ。

 

 シンはオーバーヒート。

 依姫はオーバードーズ、と言った所か。

 

 極度の疲労状態でもあった彼らだ。

 かなり遅い起床になるのは確定している。

 

 不審に思った玄楽が部屋を訪れ、布団を捲って崩れ落ちるのも時間の問題なのだ。

 哀れ玄楽。




どうも奴隷です、ご拝読ありがとうございます。

腹をぶち抜かれた傷が五日で治るのが依姫クオリティです、はい。
余談ですが、東方修羅道における玉兎の存在は、古代に地上の妖怪兎が家畜化され、その後月に渡った、という解釈でいます。
原作と同じ様に軽く言えば奴隷ですが、ちゃんと人権も確立されているので冷遇とかはされていません。

それはそれとして少し書き過ぎました。
三話分くらい書いて死にそうです。


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第四十四話 計画名:月隠れ

ユックリ!


<おはようシン!朝だ!>

「…う、ん〜…なんだヴェノ———ッ!?」

「すー…すー…」

 

 シンの脳内で流れる大音量。

 疲労の溜まっていた彼を起こすのには不充分であったが…

 

 目の前の光景は彼の意識を覚醒させるのに充分であった。

 

「…っ…!そうだ…そうだそうだ…!ヴェノムてめぇ…!許さんぞ…」

<俺からのサプライズ!気絶する程嬉しかっただろ?>

「ああ〜…文字通り気絶したよクソッタレ」

 

 目の前に依姫の顔。

 密着した身体。

 甘い匂い。

 

 シンはこんな光景を作り出したヴェノムに小声で悪口を言った。

 そして依姫を起こさないようにゆっくりと、針に穴を通すように絡みついた身体を解いていく。

 

 依姫を起こさなければ昨日の事は無かった事にできるかも知れないからだ。

 億にもその可能性は無いだろうが、賭けないとシンの精神によろしくない。

 

 一秒に一ミリずつ。

 亀より遅く、時計の秒針よりももっと遅く。

 問題は握られたまま離せない手のひらだ。

 

「動くよな…?ヴェノム…」

<俺はもう何もしてない、ん?文句はあるか?>

「…無いが」

<ふふふ…ああ、俺は何もしていない…>

 

 もう拘束してないらしいが…手は離れない。

 シンが握ろうとしていないのに手が離れないと言う事は———

 

<つまり依姫がどうしようが俺に関係はないって事だ>

 

 依姫が握り返しているわけだ。

 

「…はぁ〜…面倒くせぇ〜…」

 

 依姫が絶対に起きないという保証があるならこのまま寝顔を鑑賞していても良いのだが、生憎そんな保証は何処にもない。

 取り敢えず今の時刻は…

 

「…十時、か…思ったより長く寝たな」

<今日は仕事もない筈だ、学生のように惰眠を謳歌しよう、しないならチョコレート>

「どの口がほざくんだよ…」

 

 チョコレートがやけに強調されている、と言うか最近のヴェノムはチョコチョコばかり言っている。

 それほどチョコを与える期間が空いたと言う事も事実だが…

 

「お前のイタズラが無けりゃあそうしていたってのによぉ…」

<そ、そうか…>

「…!」

 

 ヴェノムの、このしょんぼりとした声が脳内に走る。

 

 その時,シンに電流走る。

 チョコレート、これは利用出来る、と。

 

「本当さ、前言った全財産分ものチョコってのもあながち考えていなかった訳じゃあ無いんだぜ?」

<そうだったのか…>

「まぁ、仕方ねぇよな…依姫が起きちまえばそれどころじゃなくなる」

 

 シンの脳内のあらゆる方程式がヴェノムを欺く文章を算出し続ける。

 戦闘をするかのように脳内コンピューターはフル稼働を続け、様々な予測を立てては改良していった。

 

 シンは今、叡智に手を掛けている。

 ヴェノムを完全に欺いたその時、シンは自分がより高次元な存在になれるような気がしていた。

 

「妖怪を食うってのもあるが…あれは少し面倒臭いし当たり外れがあるしなぁ…あの黒団子みたいなジョーカーがあるかも知れねぇし…」

<確かにあれは不味かった>

「だがチョコの方が金は食うが量を買えるからな」

<む、むぅ…>

 

 ヴェノムの期待の色が強くなった。

 いいぞ、今なら大統領相手にも百万ドルぼったくれる自信がある。

 

「多分、今日ならセールスがやっていた筈だ…10%オフだったか?いつもより沢山食えるんだ」

<そうか…!>

「それにな、ここだけの情報だ…チョコが買えるスーパーは、まとめ買いで価格が安くなるんだ…十個ずつで一割引き、最大三割引きだ…つまり二百円のチョコ三十個なら合計六千円だが、この割引と10%オフで三千六百円だ…余った金で更にチョコが買える…通称まとめ割引って言うそうだ、信頼できる筋からの情報だぞ…!」

<ほう…>

 

 あと一押しだ。

 シンはゆっくりと囁く。

 

「だがな…ヴェノム」

<…なんだシン、勿体ぶらずに言え!>

「このまとめ割引、今日の午前丁度で終わる…!!あと数十分しかないんだ…!!」

<よし!仕方ないな!チョコのためだ!!>

 

 即答。

 勝った。

 

 シンは今、神になった。

 いやそれ以上の全能感。

 

(ここまで事が簡単に進むとは…ククク…フハハ……アーハッハッハッ!!)

 

 最早心内で魔王の様な高笑いが出来る。

 この世の全てを超越した悦びに浸っていると、シンの身体からヴェノムの触手が数本飛び出し、依姫のガッチリ掴んだ手のひらに向かっていく。

 

 あまり他人に見せてはいないが、実はヴェノムは手先が良い。

 ほんの一瞬で裁縫が完了するほどであり、絵を描かせれば数秒で芸術的な風景画が完成し、パソコンを触らせれば文字数は瞬く間に一万を超える。

 もしかしたらハッキングなんて事も朝飯前かも知れない。

 

 さて、そんなヴェノムが作業に取り掛かれば…

 

<よ〜し出来た!さっさと行くぞチョコレート!!>

「よし、よしよしよし…!よくやったヴェノム!!約束通りチョコをありったけ買ってやる!!」

<イェーイ!!>

 

 一瞬で問題が解決すると言う事だ。

 

 …さて、最後に、だ。

 依姫を起こすべきか否かを考える必要がある。

 何せこの部屋は、一応シン達の部屋、と言う扱いだ。

 

 男部屋に寝かせるのは如何なものだろうか。

 

<早く、早く!>

「わかったわかった」

 

 だが、生憎ヴェノムがシンを急かしている。

 それに依姫もゆっくりと寝る必要があるだろう。

 

 決めた、依姫は起こさない。

 

 そうと決まれば置き手紙でも書き置いておけばいいだろう。

 

「ああ、それと…」

 

 思い出したようにシンは机の上に寂しく佇んでいる小瓶を手に取る。

 粉状の何かが入ったそれは、永琳がヴェノムの弱点を無くそうとして失敗した、仮に呼ぶなら同化薬である。

 

 ヴェノムと永久に離れられなくなったり、アメーバと合体する為自分の身体がスライムのように変形したりする可能性があるため今まで決断を保留にしていた。

 ただこの薬を何かの間違いで依姫に飲まれたらシャレにならない。

 

 未知の生物、シンビオート用に作られた薬品だ。

 常人が飲んだら身体が爆発四散してもおかしく無い。

 

 そう言った理由からシンはポケットにこの薬を突っ込み、ヴェノムに促されるまま部屋を出た。

 

◆◆

 

こんなの初めてだ…ありがとう、ハグしてやる

「ソイツはどうも、全財産の代償がハグとは最高だね」

 

 パンパンのビニール袋を何十個と肩に掛けるシンと、ビニール袋を一つだけ口で持つヴェノム。

 キロ単位のそれを軽々と持ち運ぶ彼は、自分の部屋へと繋がる廊下を歩いていた。

 

 ヴェノムの瞳がキラキラ子供の様に輝いている。

 こんな子供っぽいところは初めて見たかも知れない。

 

食べてもいい?

「全部は駄目だぞ」

一個だけ

「じゃあいいが…どうやって食うんだよ」

 

 シンは結果的に全財産と引き換えにスーパーのチョコレートをありったけ買い占めた。

 店員が山となったチョコレートと十を超える万札を交互に見つめていたのは傑作だった。

 

こうする

 

 ヴェノムは肩から触手状に長い頭を生やしている。

 そこからヴェノムはニ本の腕を生やすと、器用に袋を持ち替え、チョコレートを取り出した。

 

 古き良き板チョコである。

 

(…なんか、ウナギ…いや、トカゲ…?それともオオサンショウウオ…?そんな感じだな)

「おいこら、ゴミは捨てるな」

 

 ヴェノムがビリビリと包装を破くのを見る傍ら、シンはヴェノムの姿に意識をやっていたが、ぽいと捨てられた塵紙を見るや否や、片手でキャッチしてヴェノムに注意した。

 

 しかしヴェノムは聞いていない。

 もっちゃもっちゃチョコを食べている。

 猫撫で声のオマケ付きだ。

 

「…はぁ…さて、依姫は寝てるかね…チョコレートでも分けてやろ———」

駄目だ!これは全部俺の!!

「あぁ〜…悪かったよ、お前のために買ったんだからな」

 

 あれから十分以上は経っている。

 恐らく起きてはいないだろうが、と、心配も込めて口に漏らすシンだったが、ヴェノムに怒られてしまった。

 

 流石にヴェノムの前では失言だった様だ。

 

「ま、今のは間違いってことにしといてくれ」

「ほう、じゃあ貴様の部屋に依姫が寝ているのも間違いか?」

「あれはアクシデントだ、偶然の…」

 

 突如背筋に走る戦慄。

 

 今のは、ヴェノムじゃ、ない。

 聞き覚えのある声だ。

 

 嗄れ始めた老人の様で、その実、力強い若さも備えている。

 聞き覚えのありすぎる声だ。

 

 誰か、それはもう分かっていたが、希望も込めて、シンは振り返って確認する事にした。

 

「ぐ、偶然…なん、だ」

「ほう…そうか…それが遺言か」

「おごごごご…ッ!!」

 

 シンは錆びついたブリキ人形の如く振り返るが、顔を見る寸前で視界いっぱいの暗闇が広がった。

 それは、手のひら。

 

 瞬間万力の様に顔面を締め付けるアイアンクロー。

 怒りの籠った声と同時に顔面がミシミシ音を鳴らす。

 

「あが…っ!」

俺のチョコ!!

「わが娘と寝たのだ、それ相応の罰は受けてもらおう…!!」

「ま、待て…っ!!やましい事は一切…ッ!!」

 

 シンの足先が段々地面から離れていく、それほど目の前の男、玄楽が力を込めていると言う事だ。

 激痛に彼は大量のチョコの入った袋を落としてしまったが、ヴェノムがそれを受け止める。

 

 ヴェノムには相方のピンチなんて気にも留めない。

 頭の中はチョコでいっぱいの様だ。

 

(ヴェノム…お前が引き起こした事態だろうがぁ…!)

「冗談を言え、あんな抱き合った状態で弄りあってないだと?驚いたぞ、看病してやれと言っただけであそこまでハッテンするとは」

「ち…違う…!ヴェノムの悪戯で…ああなっただけだ…し、信じてくれ…!!」

「ふ、む…」

 

 シンはジタバタと蠢き、玄楽の腕を掴んで抵抗する、が、巨木を相手にしているかの様に動かない。

 シンはマトモに玄楽と相手をした事が無い…と言うか稽古も殆ど受けていない。

 剣の使い方や身体の動かし方を教えたのは依姫だ。

 

 しかし、否が応でも理解させられた。

 強い、と。

 

 拳越しに理解出来る圧倒的な経験と自力。

 ヴェノムを纏えればフィジカルでゴリ押し出来るかも知れないが、ヴェノムが居ない生の状態では勝ち目が無いだろう。

 

「…」

 

 シンの視線の先の玄楽は、暫しの間モアイ像の様な顔と冷たい雰囲気を張り付かせていたが、小さく息を吐くと、拳の力を緩めた。

 

「ぐ…」

 

 唐突に拘束が終わったからか、シンは受け身も取れずに地面に崩れ落ちた。

 ヴェノムは未だにキャッキャとはしゃいでいる。

 

 恐らくだが、玄楽は何処かのタイミングで依姫と寝るシンの姿を見たのだろう。

 何故見つけた段階でシンを引っ剥がさなかったのかは疑問が残るが、それはどうでもいい。

 

「まぁ…いい、信じよう…真偽は依姫に聞く…それより吾はお前に伝えたい事があるのだ」

「…そう、か、良かった」

見ろシン!これって当たりじゃないか!?

「…頼むヴェノム、全部食っていいから静かにしてくれ」

 

 玄楽の返答に僅かながら安堵したシンだったが、視界にヴェノムが割り込み、歓喜の声を上げて包装された紙をシンに見せ付けた。

 そこには、大きく"アタリ"と、描かれている。

 アイス、ガリガリ君と同じ様なシステムなんだろうか。

 

 会話に水を差す形となってしまったが、それだけヴェノムにとって嬉しかったんだろう。

 

 シンが困った様に注意すると、ヴェノムは目を輝かせてチョコの山に頭を突っ込んだ。

 

 その光景は玄楽も見ていたはずだが、まるで何事もなかった様に話し始める。

 恐るべき胆力だ。

 

「伝えたい事とはな…単刀直入に言えば、アースは死んだ」

「…そうか…やっぱりな…いや、知ってたさ…墓が立ってたからな」

「…だがあやつは無駄死にではない…幼子を守って殉職した、そしてその幼子は保護されている」

「それは良かったな」

 

 …思ったより、哀情や悲哀の感情は湧かない。

 寝耳に水と言う言葉がピッタリだからか、どこか他人事の様に思えてしまう。

 

 それとも、あの夜、アースとエレクトロの墓を見つけた時に、悲しみの感情が出尽くしたからかも知れない。

 

 いずれにせよ、シンは玄楽の言葉に無表情で応えた。

 玄楽はそんなシンの表情を一瞥し、言葉を続ける。

 

「そして、もう一つ…これが本題だが…」

「…」

 

 玄楽は少し、言い淀む。

 しかしそれも鄒俊の事で、直ぐに話を再開した。

 

「この都市は…いや、この都市の人々は()()()()する事が上層部、ひいては月読命様の中で決定した…永琳殿から拝聴した」

「…何?」

 

 言葉を疑った。

 そんな事が出来るのか、と。

 

「分からなかったか?もう一度言おうか?」

「いや分かる、分かるが…月だと?今、月に移住するって言ったのか?…いや、悪かねぇし、可能な話かも知れないが…なんで急にその話が出た?」

 

 衝撃、その言葉がピッタリだった。

 確かにこの都市の技術なら月直通のスペースシャトルを作る事ぐらい容易ではあるだろうが、それにしたって脈拍が無さすぎる。

 

「永琳殿の話によると、だ…昨日、妖怪が出現しただろう?永琳殿曰く、アレはエレクトロ出現による人々の畏れが許容量を超えたかららしいのだ…畏れは穢れ…死にたくない、生きたいと言う感情からまろびでる穢れは最早、月読命様には対処出来ないらしい、そこで、穢れの存在しない所を彼らは探した…その理想郷が、この天の上と言うわけだ」

「よく分からんが、永琳から教えてもらったのか…確かに、アイツは医療やらのトップらしいからな…それで?そのニュースにもなってない重要事項を俺に教えた理由はなんだ?」

 

 玄楽が知っているのは軍の重鎮だったからと言う理由でカタが付く。

 しかし、この事実をただの軍人の一人であるシンに伝えるのは、違和感があった。

 

 シンの見立てでは、そこに最も重要な情報があると睨んでいる。

 

「察しがいいな、この計画は一ヶ月後に発表され、そしてその半年後に実行される…しかし、今や妖怪への畏れは止まらない、怖気は伝播していく…やがて、それは爆発する」

「つまり?」

「まずこの計画を実施する為には時間が必要だ、だが時間を掛ければ掛けるほど不安の爆発は大きくなる…そして、その爆発が最も起きる確率が高い日が、計画実施の日…ロケットを月に向けて飛ばす瞬間だ」

「…」

 

 段々、話が見えてきた。

 要約すれば、時間を掛ければ掛けるほど、そのロケットを飛ばす日に起きる穢れの爆発、ないしは妖怪の大量発生に拍車を掛かる。

 なぜロケットの日に穢れが爆発するかについては、見当が付く。

 

 人と言うのは決断の時こそ最も不安と迷いが生じる生き物だ。

 月ではどんな生活をすれば良いか、怯えなくてもいいのだろうか、そもそもロケットが墜落してしまわないだろうか。

 

 エレクトロが都市に侵入しただけでも月読命の許容量を超える穢れが出たのだ、今回の事例では一体どうなってしまうのだろうか。

 

 そして何より、大量発生した妖怪は都市に現れるか、外で発生して都市に押し寄せるだろう。

 ロケットが破壊されれば元も子もない。

 

 つまり玄楽の言いたい事は———-

 

「理解した、俺にロケットを守れ、と言う事だな?」

「そうだ、正確には軍に、だが…ロケットを守りながら戦えるのは軍の精鋭しかいない…中でもお前は最強格だ、大妖怪エレクトロを依姫と共に討った、だからこそこの計画を知らされたのだろう」

「…俺が了承するとして、どうやってロケットに乗り込めば良いんだ?まさか玉砕覚悟で突っ込めと?」

「そんなわけが無いだろう、ロケットは四機、順に軍の上層部や都市の中枢部、次に若い男や女子供、そして吾の様な老人、最後に戦い抜いた軍人が乗るロケットだ…お前が乗るのは最後のロケット、人数が少ないから機体も小さく発射も早い、どうにか妖怪を一掃した後、乗り込む…博打に近いがな」

 

 博打、そう、これは博打だ。

 妖怪が多すぎれば…それこそ百鬼夜行の如く押し寄せられたら一掃なんて事は夢のまた夢。

 

 もしかしたら依姫の様な範囲攻撃持ちの能力者なら一気に葬れるかも知れないが、ロケットの発射に間に合うか怪しい。

 誰かが殿を務める、つまりロケットに乗らずに妖怪の相手だけをするなら確実に行けるかも知れないが…

 

「かなりキツイな」

「だが、対策をすればするほど、時間を掛ければ掛けるほど妖怪の質も量も強くなるのは確かだ…それに、個人的に、一抹の不安もある」

「まぁ取り敢えず…戦局を大まかに考えるなら…常時多数vs一人…ってところか?」

 

 シンはヴェノムを纏い、妖怪を蹂躙していく様を瞼の裏に見た。

 身体を喰らい、血を浴びて、暴れ回る。

 多勢に無勢かも知れない、数の暴力に飲み込まれ、押し潰されてしまうかも知れない。

 中には大妖怪クラスもいるかも知れない。

 

 だが、どうしようもなく()()()()()

 

「ク…ククク」

 

 シンは玄楽にバレない程度の声量でクツクツ笑う。

 思えば、いつも1on1の殺し合いしかしていない。

 

 攻撃を避け損なえばその時点でピンチ。

 瞬間、防御は崩れる様に瓦解する。

 

 通常よりも気配察知も、空間認識能力も何倍にも尖らせる、正真正銘の乱戦。

 まるで甘美な試練だ。

 

「言うべき所はこれくらいか、そうだな…最後にだ」

 

 シンを背にして立ち去ろうとする玄楽の声が彼を現実に引き戻す。

 

「暫くは壁外の調査も中止だ、不安の軽減のためのパレードや都市に妖怪が現れた際の迅速な対処が今後の仕事になるらしい」

「へぇ…外に行くのは禁止か?」

「禁止というわけでは無い、その仕事が無くなるだけだ…行くなら死ぬな、来るべき日に向けて刃を研げ」

「そりゃ良かった、俺は強くならなきゃいけないからな」

「…」

 

 玄楽は静かにシンを一瞥すると、すぐに歩き出し、煙を撒いたかの様に消えてしまった。

 玄楽の能力、と考えるのが自然だ。

 

 彼の能力は聞かされていないし、大体予測も着くためこちらから聞いた事はない。

 恐らくテレポート系の能力だろう。

 

 そう考えれば、豊姫も遺伝的に同じ様な能力だろうか?

 いや、依姫の能力は神降し、一見繋がりは無い。

 

なぁシン

 

 テレポートと神降し…もしや能力は遺伝しない?

 彼女の馬鹿げたほど強力な能力を考えるに、その可能性は大いにある。

 

シンって

 

 それを考慮すれば…いや、さっぱり分からない。

 大体見たこともない能力の考察なんて事をするのが間違っているのだ。

 

 無いとは思うが、そもそも能力を持っていない可能性もある。

 

聞けシン!

「いってぇ!?なんだヴェノム!?考え事してんだよこっちは!」

 

 考えを巡らせ、思案に耽っていたシンであったが、何度も呼び掛けに応じない事にヴェノムは腹を立て、シンに頭突きした。

 ゴスンと重たい音が響き、シンは頭をさすりながらヴェノムの方を見る。

 

「…!?」

チョコがもう無い

 

 まず目に入ったのは適当に破り捨てられた包装紙の山。

 次に視界を主張したのはシンの顔を覗き込むヴェノム。

 

 頬や牙の隙間に黒茶の斑点が見られ、甘ったるい匂いがする。

 チョコの暴食をした証明だ。

 

 さしものシンのこの結果には驚いた。

 まさか百以上はあったチョコレートを物の数分で平らげてしまうなんて。

 

アタリだ、もっかいあのスーパーまで行こう

「いやいやいや…お前、キロ単位だったぞあれは…それに依姫も待たせてるかも知れないんだ、部屋だけ行かせてくれ」

いいだろう…俺は今凄く気分が良い

「その聞き分けの良さをいつも発揮してくれよ」

 

 数枚のアタリと書かれた包装をシンに差し出したヴェノム。

 文字の一部が欠損しているほどボロボロだが、辛うじてアタリと読める。

 

 スーパーに行けば交換してもらえるかも知れないが、シンはそれよりも依姫の様子が見たかった。

 ダメ元でヴェノムに尋ねたが、意外な事に帰ってきたのは好調な返事。

 

 チョコでヴェノムが手懐けられるのはこの上なく便利であった。

 

「ほら、ゴミを片付けるぞ」

面倒臭い、暇な使用人にでもやらせておけ!

「スーパー行ってやんねぇぞ」

悪かった!すぐ終わらせる!!

 

 流石チョコの誘惑。

 ヴェノムはやはりチョロい。

 

「さてと、起きてると良いんだが」

 

 そうシンが呟く間にも、ヴェノムによってどんどんゴミがビニール袋の中に吸い込まれていく。

 ゴミの山が目に見えて崩れていくのは、見ていて爽快だった。

 

よし終わった!すぐに行こう!今すぐだ!!

 

 やがてヴェノムがゴミ掃除を終えると、巨大なビニールのゴミ袋を抱えてシンを催促した。

 まるで真っ黒なサンタだ。

 プレゼントの中身はチョコのゴミだが。

 

「焦るなよ」

焦らずにいられん!チョコはすぐ逃げるぞ!

「どこの世界のチョコだそれは」

 

 ヴェノムは一体何を言っているんだ。

 どうやらシンの相方はチョコに脳が破壊されたらしい。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。


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第四十五話 ズキュゥウウウン

ゆ。


 また、数日が経った。

 

 天気は晴れ所々にわたあめ雲。

 チョコソースを掛けてやればヴェノムが飛びつきそうな良い形をした雲が点々と浮かんでいる。

 

 現在シン達は軍事パレードに出勤していた。

 この軍事パレードの規模もなかなか可笑しく、ざっと総軍の七割。

 

 数えるのも億劫になる数が列を成して街を闊歩していた。

 更に言えば、シン達は依姫と並んでその先頭に立っている。

 立場としては軍人の下っ端である彼らだが、どうやらエレクトロの件で上層部に評価されたかららしい。

 曰く、次代を代表する若人、だとか。

 

 彼らを見る人々の目は奇異や安心、不安など様々だ。

 少しでも人々が安心するなら、このパレードも無駄ではないだろう。

 

 余談だが、玄楽に計画を知らされたあの後、シンは実に苦労した。

 と言うのも、依姫が茹蛸になるわヴェノムがチョコをねだるわで話が遅々として進まなかったのだ。

 

 最終的にあの夜は忘れると言うことになったが。

 シンにとっても依姫にとっても絶対に忘れられないだろう。

 

「シンさん…最近おかしくないですか?」

「ああ?」

 

 大音量のトランペットが鳴り響く中、横を歩く依姫が唐突に声を上げる。

 辛うじて隣のシン達に聞こえる程度の音量だった。

 

「だって、仕事がこんなパレードって…まるで示威行為ですよ…目的も明かされてないですし…」

「…あぁ、もしかしたらそれが目的かもな」

 

 依姫には、あの計画を伝えられていない。

 勿論他の軍士達にも。

 

 シンはともかく、依姫まで伝えられていないのは情報漏洩防止の為だ。

 しかし察しのいい者、つまり目の前の依姫の様に、このパレードに疑問を抱く者は多い。

 

 そこで軍部はあるカモフラージュを施した。

 それは———

 

「やっぱり、あの()()事件が理由ですかね」

「多分そうだろうな」

 

 月読命暗殺未遂事件。

 つい最近に起きたとニュースに上がっていた大事件だ。

 

 しかし、カモフラージュと言った様にプロパガンダの可能性が大きい。

 ニュースによれば、ギリギリの所で月読命は助かり、容疑者は壁外追放の刑を受けたらしい。

 顔も知らない犯罪者だ、可哀想とは思わないが、どちらかと言えば哀れに思う。

 

 何故なら丸腰で妖怪の潜む森へポイだ。

 今頃血痕だけ残して妖怪の腹の中だろう。

 

「あの事件が理由だとすると、やっぱり軍の力を見せつける為ですかね…それに、この前みたいに妖怪が出現してもすぐに対処出来ますし」

「妖怪なんて出現した瞬間ミンチだろうよぉ〜」

 

 シンはつまらなさそうに言う。

 何しろ歩くだけだ。

 

 単純作業は性に合わない。

 

「あー…つまんねー…」

「我慢ですよ、我慢、仕事なんですから」

<…?…変な声が聞こえるぞ>

「ん…?」

 

 足をただ前に動かすだけの運動に嫌気が差してきた頃、唐突にヴェノムが言葉を発した。

 シンは耳を澄ますが、何しろパレード中だ。

 

 小さな音なんて騒音に掻き消されて良く聞こえない。

 

<あそこ!あそこだ!あの路地裏の奥!!>

「ん〜?」 

 

 シンの胸から黒い矢印が生え、遠くの路地裏を差す。

 そこに注目してシンは聞き耳を澄ましたが、やはり何も聞こえないし、特に異常もない。

 

 終始挙動不審にしていたシンを怪しんだのか、依姫はシンに声をかけた。

 

「どうかしましたか?」

「いや…向こうの路地に何か居るらしいが…分かるか?」

<絶対に何かがいる>

「いえ…特には…どうせ通る道です、通った時に考えましょう」

 

 アリの行列の如き軍隊は足並みを崩す事なく直進し続ける。

 そこに闇に覆われた路地があろうと、足を止めるものは居なかった。

 

 そこに何が居るかなんて大多数が気にしていなかった。

 視界の端に写ろうとソレに気付く者は居なかった。

 

 強いて言うなら、二人。

 

<ほら、居ただろ>

「い、居ましたね…まさか()()こんな事が起こるなんて…」

「くっ、ククク」

「どうしました?」

 

 彼らの足を止めたのは、闇に紛れてうっすらと輪郭を現す妖怪。

 蟷螂に似ている妖怪、しかし手足は完全に人間のそれで、感情の無い瞳がぼうっと輝いていた。

 これで都市に妖怪が現れたのは二度目、と言う事で早急にぶっ殺さなければならない。

 

 しかし、それはシンの瞳に爛々と映っている。

 まるで彼はおもちゃを見せつけられた赤ん坊だ。

 

 彼はゆっくりと舌舐めずりすると、指の骨を鳴らした。

 

「いやぁ…退屈、しなさそうなモンだからよ…!!嬉しくてしょうがねぇ!」

「…じゃあ…任せますよ?」

「ギシャッ…シャァァア!!」

 

 蟷螂型の妖怪が雄叫びを上げて路地から出ると同時に、シンの身体を黒い粘液が覆っていく。

 ここまですれば流石に騒ぎになる様で、誰かの足が止まり、また一人歩を止める。

 

 あそこに妖怪がいるぞ、と、誰かが叫んだ。

 その叫びにパレードの音が止まり、誰もが足を止めた。

 目線の先には妖怪と黒の化け物。

 

 シンが体調を整える様に身体中の骨を鳴らし、依姫を群衆へ軽く押しのけると、長い舌を燻らして叫んだ。

 

喰ってやる!!一片も残さずなァ!!

「ギシャァアアアッ!!」

 

◆◆

 

「私も戦って良かったんですよ?」

「馬鹿言うな、わざわざお前を危険に晒せるか」

<だかアレは美味かった>

 

 大勢の軍隊に囲まれながら蟷螂妖怪が凄惨な死を遂げた後、彼らはパレードも終えて帰路に帰っていた。

 夕焼けが歩き疲れた軍人の輪郭を映し、長い影が地面に伸びている。

 

 妖怪が出たと言うこともあって、彼ら軍人は気を休める事も出来なかったらしく、精神的にも大ダメージを受けたようだ。

 証拠にげっそりとした顔をしている。

 

「しっかし、まさか二度も妖怪が出るとはな、ヴェノムはよく見つけたよ」

<フフン>

「それだけ畏れが溜まっているんでしょう…しかし、月読命様さえ対処できていないとは…先の暗殺と関係が…?」

 

 そんな彼らに混じって、シン達と依姫は足並みを揃えて道場へ向かっていた。 

 シンを覗き込む依姫の顔が赫赫と輝く。

 

「さぁ、な」

「でも、一日一体のペースだと、いつか絶対に被害が出ますよ」

「そうだな、そのためにパレードなんてくだらん真似してるんだろう」

 

 シンはどうでもいいとばかりに頭に手を付いて、空を仰いだ。

 夕方の赤と夜の黒、二つの境界が揺れ動き、曖昧な空の色をしている。

 

 チラリと、依姫の方を見た。

 

「…?」

 

 頭にハテナを浮かべた彼女と目が合う。

 シンはさっと目を逸らすと、言葉を紡いだ。

 

「なぁ、あの月、あるだろ?」

「…?あぁ、アレですか?丁度新月を超えた辺り…ですかね…薄い三日月です」

 

 シンは黒い空に浮かぶ、一ミリもない様な月を指差す。

 新月が三日月かと言われれば、百人が新月と言うだろう。

 それほどまでに薄い月だった。

 

 辛うじて夕日のおかげで極小のクレーターまで見えるが、月は日が落ちれば空から姿を消すだろう。

 

 急いで言葉を発した故、シンはどう話を展開しようかと勘案する。

 しかし、口を開いたのは依姫だった。

 

「知ってますか?半年後はスーパームーンとブラッドムーンが合わさる可能性があるんですよ?なんでも数百年に一度らしいとか」

「…へぇ半年後、か」

 

 スーパームーンは月が地球に接近する事象だ。

 その夜は二回りほど大きな月が見られる為、月見に酒を仰がない人は居ないだろう。

 

 ブラッドムーンは…確か。

 皆既月食だったか、それによって月が鮮血に姿を変えると言う物だった筈。

 

 いわゆる不吉の象徴だ。

 

 しかし大事なのはスーパームーンとブラッドムーンの説明ではなく、いつ起こるか、だ。

 シンの耳が正しければ依姫は半年後、と言った。

 

 半年後と言えば月移住の実行日だ。

 成程、確かにスーパームーンの日ならば通常より行くのは簡単だ。 

 

 だが、ブラッドムーンと重なるのが気に掛かる。

 そりゃあ数百年に一度の出来事だ、めでたい様な気もするが。

 

 だが、やはり運命の日に不吉の象徴が天に居座るとなると不安が顔を覗かせる。

 

 そうやってシンは、しばし難しい顔をしていた。

 しかし、彼は依姫に声をかけられて顔を上げる。

 

「あの…い、一緒に見ませんか…折角の事ですし」

「…あぁ、そうだな…」

「えへへ…」

「…」

 

 恥じらいも混ざった、上擦った声色だった

 そして気不味そうに、と言うよりは、ぎこちなく頬を掻く依姫。

 

 シンと横目が合うと、にへら、と、屈託のない笑顔を彼に向けた。

 その瞬間、シンの脳天に電流走る。

 

「…っ…!?」

<もしかして照れてる?>

「…違う」

「どうしましたシンさん?そんな顔を抑えて」

「い、いや、違うって…その…な?」

「な?って言われましても…」

 

 感じた事が無い電流だった。

 まるでエレクトロに骨の髄まで痺れさせられたような感覚。

 

 脳幹を焼き切って考えをくしゃくしゃにし、心拍数も爆発的に上がる。

 妖怪の攻撃を受けたとさえ錯覚した。

 

 それほどまでに、心臓が煩くて周りの音が聞こえない。

 顔から火が出ている様な気がして、顔を抑えてもそれが鳴り止む気配はない。

 

 依姫から声を掛けられても口が分離した様に思った事を言えなかった。

 もどかしい気分だった。

 

「あー…っと、だな、なんだ…月、だよな」

「え、ええ、月ですね」

「あれは月だろ?」

「月ですね」

「だからこそあれは月だ」

「???」

<俺の相棒の頭がポップコーンになっちまった>

 

 シンは取り繕って言葉を吐くが、まったく言葉に意味が籠っていない。

 側から聞けば全く理解出来ないだろう。

 依姫も理解出来ていない。

 

 ついでに言えば。彼は明後日の方向を向いているし、その上から手で顔を抑えている。

 しかし依姫は隠れていない耳を、真っ赤に染め上がった彼の耳を見逃さなかった。

 

 …が。

 

「み、耳が真っ赤ですよ」

<おい、バレてるぞ>

「気のせいだ依姫」

「いやでも…もしかして風邪ですか?」

 

 どうやら依姫にはシンが何故赤くなっているかを知らないらしい。

 シン自身も何故自分が赤くなっているのか分かっていないが。

 

 それは兎も角、その勘違いはシンの今から起こす行動の言い訳になってしまった。

 

「そう、かもな…熱っぽいから先に帰る」

「えぇ、肩は…」

「貸さなくていい、じゃあな、先帰る」

 

 逃げる様に足早にそこを去るシン。

 依姫はその背を心配そうに眺めるだけだった。

 

◆◆

 

 依姫と別れたシンは、自室に籠って頭を抱えていた。

 

「…何だこれ…っ」

<恋だ>

 

 静かな部屋の静寂を荒い息で濁し、時折止まってはまた大きく音を鳴らす。

 ドッドッドッと心臓が止む事を知らず、巡る血液が体に熱を与える。

 

 今すぐにでも外に行ってこの鬱憤に似た感情を晴らしてやりたいが、シンには確かめねばならない事があった。

 

「なんで…」

 

 なんで。

 

「なんで依姫の事ばっか…頭に浮かぶんだよ…!」

<恋だ>

 

 どうしてこんな依姫の事ばかり頭に浮かぶのか。

 ヴェノムのは十中八九茶化しだから放っておくとして…

 

 この感情は放っておこうとしても、振り払ってもいつの間にか胸中に居座っている。

 邪魔だ、本当に邪魔だ。

 依姫って所が頭に来る。

 

 薄汚いオッサンなら頭の中でどうとでも出来るが、依姫だとそう邪険に出来ない。

 大事な人の写真が邪魔なところにあるのと同じだ。

 しかもそれが退かせないときた。

 

「…クソッ、妖怪の攻撃か?」

<恋だ>

「っせぇ黙れ!適当抜かすな!!俺が恋だと?そんな女々しいモンになる訳ねぇだろうが馬鹿が!」

<顔真っ赤!発情ザル!!>

「〜〜〜ッ!!!」

 

 怒鳴り声が部屋を満たし、血管ピキピキのシンが奥歯を噛み鳴らす。

 その顔は真っ赤で、どうやら今度は怒りに顔を染めているらしい。

 

 唸りながらベットから立ち上がり、壁に拳を叩きつけ、フシューと音を立てて息を吐いた。

 八つ当たりにされた哀れな壁には拳の形がくっきりと浮き出てしまっている。

 仮にも玄楽から貸された部屋なのだから丁重に扱わねばならない筈だが、シンの苛立ちの前には道徳は敗北していた。

 

「教えろヴェノムッ!冗談抜きでよォ!!」

<恋だっつってんだろボケッ!>

「天丼は笑えねぇって親に教わらなかったかクソ野郎!?」

<…このチェリーが> 

 

 名前の知らない感情から来る苛立ちは収まる事を知らない。

 ヴェノムはこの障害者に手を焼く苦労に、ほとほと溜め息を吐いた。

 

◆◆

 

「…」

 

 誰も居ない道場の縁側。

 真っ暗で静か、しかし月の光だけは染み入っている。

 

 そこで一人酒盛りをする玄楽は、瞼の上を走る十字傷に手をやった。

 日が経つに連れて、この傷が疼く。

 

「…来るか、あやつが」

 

 軍人だった頃。

 豊姫も依姫も生まれてすら居なかった頃。

 玄楽が最強と呼ばれていた頃。

 

 玄楽には因縁の相手がいた。

 

「………運命の日に、喰いに来るのか」

 

 大妖怪エレクトロとは比べ物にならないような、怪物の化身。

 鮮明に思い浮かぶ。

 あの、禍々しく捻れた()()()

 どの妖怪にも無い特徴的なシンボル。

 

「…」

 

 あの妖怪とは長い付き合いだった。

 始まりはある日、雷の様に現れ、戯れと称して玄楽の部隊を壊滅させた事からだ。

 その時は命からがら玄楽だけ助かった。

 

 それがいけなかった。

 

『ほう、人間よ…面白い奴だ…また遊ぼう』

 

 目をつけられたのだ。

 そしてそれは依姫が生まれる日まで続いた。

 玄楽の妻が死ぬ、その日まで。

 

『二十余年、退屈凌ぎになった…だが、貴様の熱さはそこで打ち止めだ…強き者よ、その傷を語り継げ、貴様の熱を受け継ぐ者と戦わせろ…喰ろうてやる…!!』

 

 この十字傷は、あの妖怪との最後の戦いで付けられた傷だ。

 同時に、呪いだ。

 

 あの時何時間も戦っていたから、玄楽は依姫の出生に立ち会えることが出来なかった。

 妻の死に隣にいる事が出来なかった。

 

 だからこれは…惨めでクズな父親という事を忘れない呪いなのだ。

 

 そして、この傷を語り継ぐ事もしていない。

 かの妖怪の思い通りになるのが癪だったからだ。

 

「考えすぎか…」

 

 今、玄楽の元にはシン達が居る。

 間違いなく全盛期の玄楽に迫る猛者だ。

 

 あと数年もすれば、確実に超えるだろう。

 いや戦い次第ではすぐに超える。

 

 何せ彼の能力は適応、彼自身は自分の能力を認識していないかも知れないが、成長率は化け物だ。

 だからこそ、あの妖怪に目をつけられる様な気がしてならない。

 

 あの妖怪が此度の防衛に姿を見せれば、その時点で敗北は決定していると言っても過言では無い。

 それ程までに強いのだ。

 

「…吾の、願いが叶えば良いのだが」

 

 ———それとも、シン達がアレを上回れば…

 

 玄楽は酒を煽って、バカな考えを掻き消した。

 そんな訳が無い。

 今の彼らでは、絶対に勝てない。

 

 あの最強の大妖怪には、絶対に。

 

「…」

 

 また、酒を煽った。

 酒を飲めば飲むほど、嫌な考えは曖昧に消えていく。

 

 考えても無駄として、玄楽はまた酒を喉に流し込んだ。

 いつになく不味い酒だった。

 

◆◆

 

「…ヒヨコが…頭角を魅せてきたな…」

 

 真っ暗闇の、何処かの森。

 誰も近寄らない未開の地には、数多の妖怪が跋扈していた。

 

 妖怪への対処を知らない人々、彼らの無情の畏れを一身に受けた妖怪達の巣。

 視界を開けば幾つもギラギラ光る眼がコチラを見据えるような密度。

 

 歴戦の戦士ですら長居は出来ない妖怪の森の中心には、奇妙なオブジェクトがあった。

 かわりに、聞こえてくるはずの妖怪の唸り声は一切無かった。

 

「ここでの退屈凌ぎは終わった…少しぐらいなら…見てもいいか…」

 

 蝿が集る山。

 蛆の湧く丘。

 

 虫を集めて粘土にした様な、殺戮の跡地。

 異様な程閑散として、もう妖怪は居ないと言っても過言でない程の静寂の跡地。

 どれもこれも原型は無く、投げ出された手足と内臓が森を真っ赤に染めている。

 

「いや…」

 

 その血濡れた山の上に、ある者が座っていた。

 胡座を掻き、木を越えた視界で遥か遠くの地平線を見つめている。

 

「———()()、してやろうか」

 

 その者はミイラの様に顔を包帯で覆っている。

 しかしそれを差し置いて最も印象が付いたのは。

 ———-捻れた一本角だった。




ご拝読ありがとうございますなのぜ。
短くて申し訳ないのぜ、戦闘が無いとやっぱりダメなのぜ。
さっさと戦って傷つこうねシン君♡


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第四十六話 黒い相棒

第一章完結まで近いのぜ。
ゆっくりしてね!


 時が経つのは早いもので、あっという間に月日は過ぎていった。

 月移住の計画が世に発表されると、人々はそれはもう混乱した。

 

 やれ世の終わりだの、やれ不可能だの、やれ月読命は本当に暗殺されただの、様々な噂や曲解が世に出回った。

 そんな人々の混乱と不安は一ヶ月掛けた熱心なパレードや演説によって収まったが、大規模な引越しによる荷造り等の慌しさは収まらなかった。

 

 不安によって犯罪率が一時的に上昇する珍事も起こったが、軍のパレードの副作用で被害は最小限に抑えられている。

 妖怪発生も同様だ。

 一日最低一体は姿を現しているが、人が死亡したケースはまだ無い。

 その分働いている軍人の休みも少ないが。

 

 中級以下の妖怪しか出現していないという事も関係している。 

 それだけパレード戦略は功を奏したという事だ。

 

 シンとしては悶々とした気持ちだけが胸の中に渦巻き、その代わりもうすぐロケットが飛び立つと言う実感が湧かずにいた。

 

「………」

「聞いてますか?あと一ヶ月ですよ?一ヶ月」

「…ああ、聞いてる」

「本当ですかぁ?目が虚ろですよ?」

「…」

 

 パレードの帰り道。

 夕焼けに照らされながらシンは依姫の言葉を華麗に聞き流す。

 

 そう、移住まで、あと一ヶ月。

 依姫へ感じる謎の感情と戦っているうちに、ここまで時間が進んでしまった。

 謎の、という副詞が付いているように、この気持ちとはまったく決着が付いていない。

 

 ヴェノムからは答えが一つ(好き)しか返ってこない為、答えを聞く事は既に諦めている。

 しかし依姫に聞くのは何処か本末転倒な気がする。

 結果シンは一人でこの問題を考え続けていた。

 

 故にぼぅっとしている時間が長くなり、依姫からの質問も聞き流す事が多くなっていた。

 

「あと、一ヶ月、か…実感がないな」

「そりゃ…そうですよね、実感なんて無くて当然ですし、覚悟が出来ていない人もいるでしょうしね、私達の様にロケットを守る使命がある軍人なら尚更覚悟ができていないかも知れません」

「…そういや、壁の外の人間ってどうなるんだ?会った事、って言うか、そもそも居るか知らねぇけど」

 

 単純な疑問だ。

 そもそもシン達は外の世界を全く知らない。

 

 ここと同じような場所があるか知りたがるのは当然だった。

 逆に今までそれを知ろうとしなかったのは流石に興味を持たなすぎであったが。

 

「居ますよ…流石に常識ですよ…」

「常識が無くて悪かったな、車が空を飛ぶ原理すら知らないぞ俺は、どうしたら車があんな低空飛行が出来るんだ」

「ハハ…まぁ…関わりは有りませんから、少なくとも月に一緒にはいかないでしょうね」

「…ちなみに、外の奴らってここぐらい文明が進んでいるのか?」

「…いえ、アトランティスやムーなど、高度な文明はありますが…ここには全く及びません、なんせここは師匠と月読命様が発展させましたからね、それも一代で」

 

 アトランティス、ムー。

 何処かで聞いた事があるような気がする。

 

 シンは引っかかるような違和感を覚えたが、それ以上に永琳の功績に驚いた。

 何故ならここの技術は言うまでも無く進んでいる。

 それこそ永久機関が半ば確立されていると聞いた程だ。

 

 恐らく天才が千年掛けて創り出す技術。

 それを、恐らく彼女一人で。

 

 改めて永琳の凄まじさに戦慄したシンだった。

 軍来祭の医務室で万能細胞だとかを使用していただけある。

 

「じゃあ依姫達が月に行ったらこの技術が、その…アト…アトなんとかに奪われるんじゃないのか?」

「…確かに、奪われないよう痕跡を消すぐらいならしそうですよね、原子爆弾でも使えばここらを吹き飛ばせると思いますよ?」

「お、おお…流石永琳ブレイン」

<シン、俺は良い事を思い付いたぞ>

 

 永琳に感心していると、それまで黙っていたヴェノムが口を開いた。

 

「…どうしたヴェノム」

 

 小声で呟くと、喜色を孕んだヴェノムの声が返ってくる。

 

<結構前からやりたかった俺の目的だ、俺の星の奴らを見返したい>

「…ロケットは?…ああ、そうか」

<そう、作ってもらう、どうだ?>

「…少し、二人きりで話そうぜ」

<…?>

 

 シンはこの場でヴェノムの問いに答える事はせず、依姫に断りを入れ、足早にそこを去った。

 

◆◆

 

 黙って歩いていたシンが辿り着いたのは壁外の森の中。

 よく壁外へ出入りする為か顔馴染みとなってきた門番とも顔パスで通り抜け、太陽が沈んで暗くなっても草木を分けて森の中へ侵入していく。

 

 巨大な白い防壁が辛うじて木の向こう側に見える程度まで歩くと、シンはようやく止まって、ヴェノムに語り掛けた。

 

「この辺でいいな…ヴェノム、なんで俺はここに来たと思う?」

<大事な話でもするためじゃないのか?>

「違う、ここに来たのは…お前の()()する為だ」

<…何?>

 

 シンがシニカルに口角を上げ、首をバキバキ鳴らす。

 

「これをお前に言えば、絶対お前は反対する、だから拳で押し倒すんだよ」

待て、目的を言え…シン、お前をブン殴るのはその後だ

 

 ヴェノムがシンの目の前に姿を現し、毅然とした態度で言う。

 何となく、シンの言いたい事が分かったのだ。

 

 それは———。

 

「俺は、俺達はここに残る…依姫達を確実に空へ飛ばすための、囮になるんだ」

何だそんなことか、いいぞ

「そう言うと思ったぜ…拳で分からせ…て…ん?」

 

 …聞き間違い?

 シンの予想では絶対ヤダと言う答えが返ってくるはずだが。

 

 シンは目を白黒させてヴェノムを見るが、当の本人はどこ吹く風。

 

「今なんて?」

良いって言ったんだ、まさかこんな事だけの為にここまで来たとは言わないよな?

「…はぁ?えぇ、いや…お前…絶対にロケットに乗りたいんじゃ———」

 

 ヴェノムの今の発言はどう考えても矛盾している。

 

 彼の望みは月に着いた後に母星行きのロケットを組み立てて貰いたい。

 しかしそれを却下するシンの考えに彼は同意した。

 

 あのヴェノムが?

 

 思考停止に陥るシンを他所に、ヴェノムは口を開く。

 

絶対じゃない、俺は全部ドブに捨てて復讐がしたいわけじゃない…だからお前の考えに沿ってやっても良い

「…マジか」

何より俺とお前は二人で一つ、リーサルプロテクター…俺達は共存しないとな

「…ハハ、良い相棒を持ったぜ…お陰でここまで来たのも無駄じゃねぇか…」

 

 シンはそう吐き捨てると、ため息を吐いて座り込んだ。

 同時にヴェノムも鼻を鳴らして身体の中に戻る。

 

 何もしてないのにどっと疲れた顔をしたシンは、空を仰ぎながら呟く。

 

「どうすんだよ、もう暗いし遠いぞ、帰るのめんどくせぇ」

<俺を分かってなかった罰だ、黙って帰れ!帰りにチョコもな!>

「んな金はねぇ!!」

 

◆◆

 

 時は更に過ぎて行く。

 太陽が昇ってビルを照らし、月が昇って小池に光が反射する。

 パレードで騒ぎ散らかして、妖怪を見つけて、死んだ顔で帰宅して、時折壁の外へ行く。

 

 何気ない日常が進んでいった。

 

 そして新月だった月が日に日に大きく、真っ白な顔を覗かせていった。

 ピンポン玉とほぼ同じ大きさな筈だった月は、どんどん大きく、握り拳大にまで成長していく。

 

 シンの予想ではこのくらいでビックムーンは終わると見当を付けていたが、成長は止まらない。

 計画の前日にはバレーボールとして手に取る事が出来そうな程まで巨大化していた。

 

 今ならクレーターが月面に幾つあるか数える事も出来る。

 

「依姫になんて言おうか、ヴェノム…」

<愛してる、だ>

「この馬鹿」

 

 シンは流し目でテレビに映るニュースキャスターを見た。

 汗を垂らして報道している。

 テーマは件の月移住についてだ。

 

『いよいよ運命の日がやって参りました、皆さん、荷物の準備を確認するなら今しかありませんよ?個人ナンバーをお無くしの方は————』

「覚悟を決めるぞ」

<誰に言ってる?>

「俺達にだ」

 

 彼はテレビをプツリと切り、覚悟の瞳を燃やした。

 

◆◆

 

『一号機セントラル号の離陸は残り十五分です!!二号機チルドレン号の締切が近づいております!個人ナンバー5000番から30000番までの方は早急に第二特別地区までお越しの上、妖魔検知器による検査を受け、ロケットにお入りください!!三号機オールド号にご搭乗の方は———』

 

 ここはロケット発射のため特別に作られた特別区、何の捻りもないネーミングだ。

 セントラル号やチルドレン号も例外ではない。

 都市の中心部が乗っているからセントラル、子供や若者が乗っているからチルドレン、ついでに老人が乗るオールド号。

 …もっと良い名前は付けられなかったのだろうか。

 

 さて、アナウンスが一分毎に鳴り響くこの場は煩い事この上ないが、ロケットに乗ってない奴でも居たら大変だ。

 仕方ない事として我慢しなければ。

 

 人々は平野の様な特別区をザワザワと群衆を作って移動している、大まかに若者と老人。

 これでも予行訓練もした筈だが、結構煩い。

 これも仕方ないと言えば仕方ないが。

 

 ちなみに四号機であるムーンラビット号はここには無い。

 

 ムーンラビット号は巨大な壁に沿う様に建てられており、先述の通り他のロケットとは出発地が全く違う。

 その理由は壁外で軍人が戦った後、すぐに乗り込める様に設計されている為だ。

 

 精鋭の軍人は、壁の外で妖怪を食い止め、三つのロケットが飛び立った後に漸くロケットに乗る事が出来る。

 しかしそれを妖怪がみすみす見ている訳じゃない。

 そうやって押し寄せる妖怪を、この都市を覆う巨大な壁が防護壁として食い止めるのだ。

 

 それも量によるが。

 妖怪の量が多過ぎれば防護壁は簡単に突破され、ムーンラビット号は見る間に袋叩きに合うだろう。

 

 それを防ぐ為にシンは地上に残るのだ。

 

 さて、そんな決意を抱えたシンはと言うと。

 

「言われた通りに来たぞ、集合まであと少ししか時間が無いんだ、手短に頼むぞ…豊姫」

<時間がない!あと三十分だ!!>

「あら、来ないと思ってたわ」

 

 三号機、オールド号の麓に足を運んでいた。

 

「ったく、なんでこんな時間がない時に…前日で良かっただろ…」

「私の都合の良い日がこの日しかなかったのよ」

 

 シン達軍人の作戦実行…と、言うより妖怪が押し寄せると予想されるタイミングまで三十分しかない。

 この予想も絶対ではない為、精鋭の軍人は大門に十五分前集合を遵守しなければならなかった。

 

 その矢先、唐突に豊姫に呼び出されたのだ。

 

「ところでお前はこのロケットじゃないだろ?」

「希望すれば親と一緒に行けるのよ、私以外にもそう言う人は多いわ」

「ふーん…ま、いい…玄楽は?」

「もう乗ったわ、私を待ってる…」

 

 豊姫は腰に手を付き、どこか非難した様な目でシンを見る。

 彼がその目線に気付くと同時に彼女は話し始めた。

 

「前に、言ったわよね…依姫を悲しませないでって」

「…ああ、それは…悪かった」

 

 そして彼は気付く。

 自分が呼ばれた理由に。

 

 説教だ、それもシンがヤケクソになっていた時、依姫を突き放した件について。

 当たり前と言えば当たり前か。

 

 シンだってあの時の行動は見るに耐えなかったと思っている。

 一体どれだけ依姫が傷付いたか、姉である豊姫が怒るのも当然だ。

 

 さて、飛んでくるのはグーパンチかパービンタか。

 どちらにせよある程度の苦痛を彼は覚悟した。

 

「…っはぁ〜、ビンタでもしてやろうと思ったけど、そんな顔されちゃあねぇ…」

 

 しかし待てども頬を襲う痛みはやって来ない。

 代わりに響いたのは大きなため息。

 

 シンはそれを不思議に思い、声を上げた。

 

「…どんな罰だって受けるが」

「いいわよ別に…依姫が好きな殿方を傷つける訳にはいかないわ、ムカつくけど」

「…冗談言うな」

「フフ…じゃあ一つだけ」

 

 目を細め、豊姫はシンの耳元に口を寄せる。

 初めて会った時と同じ行動であったが、語られる内容は似て非なる。

 

 曰く。

 

「依姫をまた悲しませたら、分子まで粉々にしてやるわ」

「お、おう」

 

 恐ろしい語り文句が追加されていた。

 

「じゃあ、また月でね」

「…」

 

 …シンは豊姫の言葉に応じる事が出来ず、ただ黙りこくる。

 そんな彼を豊姫は一瞥し、機械の検査を受け始めた。

 

 途中、検査に使われた妖魔検知器がポイと放り捨てられ、無造作に地面に転がった。

 妖怪かどうかを周波数で判別する永琳製の機械。

 シン達にとって苦い思い出の残る品。

 

 ぼうっと豊姫を見つめていると、検査が終わったらしく、豊姫は手をひらひら降ってロケットの奥に消えた。

 まるで買い物にも出かけるかの様な気楽さ。

 シン達は今から、この豊姫の気持ちを、約束を裏切るのだ。

 

「…」

 

 彼は簡単に消えそうにない罪悪感を胸に抱き、思わず胸をさする。

 気付けば騒音も止み、人の気配が無くなっていた。

 

 粗方ロケットの中に入ったのだろう。

 

「もう会えない可能性のが高いのにな、なに俺は約束してんだ」

<大丈夫だ、俺がいる>

「馬鹿野郎…共々死ぬかも知れないって事だぞ、心中したいのか?」

 

 誰にも聞こえない音量で呟くシン。

 一呼吸おいて、ヴェノムが言った。

 

<俺はそれでもいい>

 

 言葉を返す事が、出来ない。

 理解して、その意味を知って、言いようもない感情が湧いて動悸がする。

 

 シンはギリギリ歯を食いしばって、絞り出す様に言った。

 

「…っ…馬鹿野郎、本当に、馬鹿野郎だお前は…!()()()()()()だって?らしくねぇ…もっと、もっとお前は!変に茶目っ気があって馬鹿みたいで…ちっとばかし素直で…っ!そんな事言う奴じゃ———」

シン

 

 ヴェノムは言葉を遮る。

 シンは喉元まで出かかった言葉を噛み堪え、目線を下げた。

 

 視界の上に黒い左腕を変化させたヴェノムが真っ直ぐこちらを見据えている。

 いつもの凶悪で、楽しそうに頬を裂かせるヴェノムではない。

 至って真剣で、見た事ない程真っ直ぐな目をしたヴェノムだ。

 

俺は…俺は負け犬だった、そう話したはずだ

「…」

仲間共に復讐したい気持ちもあった、質の悪いシュークリームのクリームみたいに、ほんの少しな

「…」

でも、依姫も戦うお前と居て、妖怪と戦うお前と居て、いつも俺達って言ってくれるお前と居て…俺は変わった、復讐じゃあなく、シンと一緒に居る事が大切になった、シンと一緒に居る地球が好きになった

「…っ」

 

 ヴェノムはずいと顔をシンに寄せ、瞳と瞳を合わせて言う。

 

それに、依姫を見捨ててロケットに乗るのも、お前を見捨ててロケットに乗るのもカッコ悪い!俺達はなんだ!?

「俺達は、ヴェノム」

そう!そして俺達はリーサルプロテクターだ!残虐な庇護者は一心同体、離れる訳にはいかない!

「…ヴェノム…」

 

 ヴェノムが高らかに口を開けて笑い、黒い触手で肩をとんと叩いた。

 シンは泣きそうな表情になった後、ヴェノムにその表情を見せたくないが為に再び俯いてまう。

 

 何秒か経った後、シンはまた苦しそうな顔をして、地面に転がる妖魔検知器を目に入れた。

 

「…っ…」

 

 そしてヴェノムを見やる。

 さっきの言葉に嘘偽りは全く無い。

 だからこそ、こんな良い奴を死なせたくない。

 

 だから、だから———

 

「…()()()()…っ…ヴェノム…」

何を謝る必要がある

 

 シンは、行動を起こした。

 

「…」

おいシン、外はあっちだ、どこへ歩いている?

 

 彼はヴェノムの言葉に耳を貸さず、出口とは反対方向に歩いた。

 ヴェノムは嫌な予感を感じ、思わず声を荒げる。

 

おい、おいシン!

「俺は…本当に、最高の相棒を持った、持っちまった」

 

 彼は足を止め、静かに独りごちた。

 その足元には、豊姫が投げ捨てた妖魔検知器。

 

 ヴェノムは一瞬何をするのか理解出来なかったが、シンがそれを手に取ろうとした瞬間、ブワリと寒気がして、それを弾き飛ばそうとした。

 しかし、シンの方が一歩早く、既に妖魔検知器は手のひらの中。

 

っ止めろ!おい!馬鹿な真似はよせ!!

「お前には、絶対死んでほしくない…こんな良い奴、俺は死なせたくない」

 

 彼は聞く耳を持たず、ヴェノムを見ようともしない。

 ヴェノムが奪い取ろうとするが、シンは一足早くそれを片手で右腕に嵌め込み、スイッチに歯を掛けた。

 左腕はヴェノムと化している為使えないからだ。

 

違う!お前のすべき事はこんな事じゃない!俺のためを思うなら一緒に行くべきだ!!シン!!

「ああ…本当、本当にすまん…許してくれ…許してくれ…!これは俺のエゴだ…だから許してくれ…っ」

止めろシンっ!!

 

 ———カチン。

 

 言葉を吐き出したシンは、遂にスイッチを入れた。

 ヴェノムの怒号も最早意味はなく、キィィィと、特有の作動音が空間を震わせる。

 彼にとって、それは悪魔の呼び声だった。

 

ッぐきゃぁあああッ!!っ俺と一緒に…ぐぅっ!一緒に残るってのは…嘘だったのか!?

「ぐっ…俺もお前と居たいさ…けど、ぁああ"あ"…っ!!…お前にはっ、生きてて欲しいんだよ!」

馬鹿っ、野郎!!…ぐぅううう…ッ!!!

 

 4000〜6000Hzの、人間には聞こえない超音波にして、シンビオートが忌み嫌う超音波。

 当然深く共生するシンにもダメージは入り、彼らは頭が割れる様な激痛を受けた。

 

 それでもヴェノムはシンを思い止まらせようと声を張り上げる。

 身体がゲームのバグの様に痙攣しても、声を掛け続ける。

 身体がシンから飛び出しそうになっても、彼にしがみ続ける。

 

「ぉっ、ぉおおおッ…ッ!!」

止め、ろ…っ…足を止めろシン…ッ!!

 

 ヴェノムに何度声を掛けられても、シンはヴェノムを気にかける事は無く、むしろ足を前に出す。

 一歩一歩踏み締める彼が向かうのは、オールド号ロケットの入り口だった。

 

「うぉおお"お"…!!」

シン…!思い出せ…!ぐぅうう"…ッ!依姫と戦ったあの勝負を…っ!!…なあ…シンッ!

「ぐ、ぐぅ…っ!!」

 

 シンはふらふらになってロケットの合金製スロープの端に足を付く。

 しかし、ヴェノムの説得によって顔は歪み、足が震え始めていた。

 

 それでも、進み続ける。

 もうロケットに入るまで一メートルも無い。

 

「分かってる…俺は…!お前が居なけりゃ何も出来ない…出来なかった…!!」

それは俺も同じだ!!俺はお前が居ないと!"俺達"じゃないっ!!

「いいや…っ!お前なら一人でも生きてける…!!母星の奴らも見返せるくらいに…!」

言ったはずだシン…!そんな事どうでもいいと…!!シン………ッ

 

 聞いた事もない様な、縋り付く様な、弱々しい声。

 構わずシンは歩く。

 ヴェノムに体の主導権を奪われかけ、体がチグハグな反応をするが、それで後退する事も無い。

 

 それほどシンの決意、もといエゴは強かった。

 しかし、ヴェノムの説得に決意は揺らぐ。

 

頼む!!シン!!俺と一緒に居ろ!俺の願いはそれだけだ!!

「…〜ッ!!」

 

 一瞬、無限に続く様に思われる暗闇の前でシンの動きが止まった。

 その行為にヴェノムは一途の期待を寄せる。

 

 激痛に大量の汗を流すシンは、迷った様な表情から一転、穏やかな顔をして言った。

 

「じゃあな、俺なんて、っ忘れて…今度は良いパートナーに…!出会えよ…!!」

〜〜〜ッ!!…ッ!!

 

 言葉は出せなかった。

 何故ならシンが左腕を振るってヴェノムを払い飛ばし、二人を分離させたからだ。

 

 奇しくも初めてシンとヴェノムが分離した瞬間だった。

 そして、最早アメーバと化したヴェノムに口があるなら、きっとこう言うだろう。

 

———違う、俺はパートナーはシンだけだ

 

 ヴェノムの視細胞がゆっくりと自身から離れていくシンを捉える。

 手の様な触手を伸ばすが、シンに届くわけもなく、べちゃりと冷たいコンクリートに着地してしまう。

 

 アメーバらしく地面を這って移動するが、シンへの道はすぐに閉じられてしまった。

 シンが強引にロケットの搭乗口を閉めたからだ。

 

 なんとかチープなロケットの絵にある様な円形の窓へ体を這わせ、シンを覗き見るが、安心した表情をするシンが映るばかり。

 ベチベチと窓を叩いても、もはや非力なヴェノムにはそんな事も出来ない。

 中へ入って宿主を探すと言う手もあったが、焦ったヴェノムにはその選択肢は無かった。

 

「…本当に、済まない…そして、今までありがとうな、ヴェノム」

 

 一方シンはロケットに背を向け、今まさに歩き出そうとしていた。

 思考は静かで、どこか物足りない。

 力もごっそり抜けた様な気がして、嫌な気分だ。

 左腕だって無い。

 

 エレクトロに貫かれた時そのままで、義肢として体を貸してくれる存在ももう居ない。

 

 しかし、それでいい。

 

 ヴェノムと会う事ももう無いのだ、これでいい。

 後ろで窓を叩くヴェノムの気持ちももう分からない。

 頭の中で響く自信たっぷりの声も無い。

 

 これで、いいのだ。

 これで———

 

「…ッ」

 

 やはり言い聞かしても、言い聞かしても後悔が残ってしまう。

 これ以上ここに居ると後ろ髪に惹かれて戻ってしまう様な気がして、シンは早々に歩き出した。

 

 しかしふと。

 ポケットの中の異物感に気付く。

 

 なんだとポケットに手を突っ込み確認すると、小瓶が入っていた。

 同化薬と呼んだ、ヴェノムとシンを半永久的に合体させる永琳の薬。

 シンにはもう必要の無いもの。

 

 シンは決別の意味を込めてそれを叩き割ろうとした。

 ———が、寸前のところで手が止まり、力が抜ける。

 

 もう一度やっても、鎖でがんじがらめにされた様に身体が動かない。

 理由が分からず、混乱するシンだったが、集合時間が極限まで迫っている事に気付き、外へ駆け出した。

 

「……………ヴェノム」

 

 外へ出る直前、振り返らないと決めていた彼は、その戒めを破り、窓の中のヴェノムを見る。

 まだ、窓を叩いていた。

 まだ、シンが思い直す事を願っていた。

 

「ごめんな」

 

 シンは一言呟き、右腕の妖魔検知器を投げ捨てる。

 そしてロケットに背を向け、静寂が流れる外へ走り出した。

 

 もう誰も居ない、廃墟の様な街を睥睨する、巨大な紅月の元へ。




ご拝読はありがとうございますなのぜ。
そしてシャッガイ様、☆9評価ありがとうございますなのぜ。


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第四十七話 人妖大戦

ゆっくりしてね〜。


「…依姫、待たせたな」

「あっ!シンさん!遅いですよ———…?その腕は…?」

 

 ヴェノムと別れたシンは、一人である孤独感に胸焼けを起こしながらも全速力で都市を駆り、時間ギリギリで四号機、ムーンラビット号の真下に到着していた。

 そこに居たのはソワソワと周りを見渡す依姫。

 

 彼女はシンを見つけると目を輝かせて駆け寄ってきた。

 声の具合から察するに、相当待ったのだろう。

 

 しかしシンの様子と無くなった左腕を見ると、不安そうに言葉を発する。

 そして次の瞬間、何かを察した様に言葉を投げかけた。

 

「…ヴェノムさんは?」

「…それはお前が気にする問題じゃあない」

 

 これが女の勘、という奴か。

 はたまたシンをずっと見てきたからこそ、彼の微妙な変化に気付いたのか。

 

 どちらにせよ、依姫はシンの中にヴェノムが居ない事に気付いた。

 何事だろうか、そんな顔で依姫はシンを覗き込んだが、シンはそっぽをむいて言葉を濁した。

 

 しかし、彼女は追求をやめない。

 

「シンさん、もしかしてですが…ヴェノムさんと別れたんですか?」

「…」

「答えないって事は…そういう事、なんですね」

 

 寂しそうに、依姫は言った。

 そんな彼女を見ようともせず、シンは天上に映る紅月を見上げて言う。

 

「…怒らないのか?」

「私にそんな権利ありませんよ、ましてやヴェノムさんと別れるなんて、シンさんが一番辛い筈です…その苦悩ぐらい、聞かなくても分かります…非難なんて出来ません」

「…だけどよ、俺のエゴの結果だ…永琳だって…非効率的だとか、理にかなってないって非難するだろうよ」

「悩んで出した結果です、その選択に文句は言えませんよ…」

「…」

 

 少々の空白。

 ポツリと、依姫が言う。

 

「シンさん、後悔は…ありますか?」

 

 シンは暫しの間答えなかった。

 一息吐いて、彼は言葉を吐き出す。

 

「…あるさ、あるに決まってる…決断したその時から、ありもしない、出来もしない理想論を机上に描き続けてる…それでもお前は俺を軽蔑しないか?」

「しません」

 

 少々浮き足だった返答だった。

 あまりにも早い返答にシンは依姫を見つめるが、その瞬間、彼女は立て続けに言った。

 

「貴方の選択が間違いなんて、誰にも分かりません…ただきっと…悩んだ分だけ、報われる時が来ますよ」

「はっ、それこそ理想論だな」

「なんせ私は夢見る乙女ですからね」

「…自分で言っちゃあ台無しだな」

 

 シンは体を竦ませておどけると、ある隊員が勢いのある声量で叫んだ。

 

そろそろ妖怪の大群が来るぞ!身を引き締めろ!

「…」

 

 一応ここにはシン達以外にも腕利きの隊員が居る。

 さっきまでの会話を聞かれていたと思うと少々気恥ずかしく感じる二人だったが、複雑な心境なままそのリーダー隊員(仮称)の言葉に耳を傾けた。

 

作戦の予習だ!今から二分後に我々は壁外へ飛び出し、更に森を抜ける!その時点で妖怪の姿形が見えれば、そこが第一戦線だ!耐えるのは三十分!一号機セントラル号、二号機チルドレン号、三号機オールド号が離陸した瞬間、我々は退却し、四号機ムーンラビット号へ乗り込む!

「…やっぱり、無謀かもな」

「勝機があるなら、それに縋るだけです」

 

 小声で呟く二人だったが、シンは鼓舞する様に伝達するリーダーの拳が震えているのに気付いた。

 怖いのか、武者震いか。

 

 バトルジャンキーでも無ければ、前者だろう。

 彼だって分かっているのだ。

 この戦いの勝機が限りなく薄い事に。

 

 しかしリーダーはその怯えを払拭する様に叫ぶ。

 

随時戦線を維持する必要は無い!!状況に応じて戦線は下げる!最終ラインはこの聳え立つ壁だ!いかなる事があろうともこの白壁より背後、つまりこの都へ戦線を下げる事は許可しない!!兎に角三十分耐えるのだ!!

 

 リーダーは身振り羽振りで作戦を伝えており、味方を鼓舞する様はまるで演説だ。

 彼は一段と大きい声量で叫ぶ。

 

いいか!!お前ら!!お前らに我々、都の全てが掛かっている!愛した者も!守るべき者も!再び会う為に!すべてを使い切れ!

 

 隊員の顔が引き締まる。

 空気がピリピリ殺気立った物になる。

 

覚悟も!!

 

決意も!!

 

我々の!!全身全霊をォ!!

 

だが命は賭けるな!!生きてこの魂を月に持っていく!!いいな!!

 

 リーダーが叫び捨てると、大きな応答が赤い月夜に響いた。

 ビリビリと肌を焼くほどの熱意であり、リーダーの演説は隊員達に十分士気を与えた様だ。

 

「妖怪、何体ぐらいだと思います?シンさん」

「二百…三百…それぐらいなら、十分対処出来る、お前なら一掃出来るんじゃないか?」

「そうならいいんですけどね…」

 

 依姫はうるさい程檄を上げる隊員達に聞こえない程度の声量で、心配そうに呟き俯く。

 シンはそんな依姫にある事を問いた。

 

「エレクトロ以来の命の削り合いだが…依姫は…どう思う?怖いか?」

「そんなわけ…ないですよ」

 

 それが嘘かどうかはすぐ分かった。

 肩が僅かに震えている、声もどこか自信無さげだ。

 

 エレクトロの時は死んでも負けられない、それだけの理由と覚悟があった。

 何より絶対に勝つという強い決意があった。

 

 しかし今は。

 勝機も不明で、今から戦う実感も湧かない。

 依姫の反応も当然だった。

 

 そんな彼女を安心させるべく、彼は言葉を発する。

 

「安心しろ、俺が守る、絶対に」

「…っ!?なっ、何言ってるんですか…!?らしくもない…」

「…確かに、今のは…言葉の綾が過ぎたな、忘れてくれ」

「え、えぇ…?」

 

 少しプロポーズ紛いになってしまったのは置いておいて、緊張ぐらいは晴れただろう。

 少し頬が紅潮している依姫は、先の言葉で動揺しながらも、上目遣いでシンを見つめながら言葉を発する。

 

「…あ、あの…もう言えなくなるかもしれないので言うんですけど…あの…」

「…」

「…」

 

 いくら待っても言葉は出てこない。

 シンはその言葉の先を急かす事も出来たが、敢えてそうせず、依姫の言葉を待った。

 

「えと…そ、その…」

「…どう、した?」

 

 シンはなんでもないような態度で言葉を掛けたつもりだったが、どうしたか口が詰まり、変な日本語になってしまっていた。

 そこで何故か、彼は期待の感情を胸に抱いている事に気付いた。

 

 胸の中のヴェノムにこの疑問を問い掛けるも、答えは返って来ず、ひたすらに虚無感が残る。

 

(…少し、気が動転したな…もう居ないヴェノムに声を掛けるなんて…)

「あ、えと…」

 

 自分に呆れているシンとは対照的に、依姫が未だ言葉を吐き出そうと苦戦している。

 まるで自分の語彙では言いたい事が言えない幼稚園児の様だった。

 

 そして漸く、彼女はその言葉を紡ぎ始める。

 

「し、シンさん…私は———」

時間だ!!行くぞ隊員達よ!!

 

 ———しかしタイムアップ。

 依姫がそれを言う直前に予定の時間となってしまい、彼女の声は咆哮の如き鼓舞に掻き消されてしまった。

 

 これには依姫も顔をヒクヒク歪めさせ、シンもムスッとした顔でリーダー隊員を見る。

 すると依姫はため息を吐き、不満そうな顔でシンを見た。

 

「…もうっ…仕方ないですね…終わった後で言いますよ…はぁ」

「…精々、死なない様にしないとな」

 

 ———どうやら、依姫の言いかけた言葉を聞く事は無さそうだ。

 シンは壁の外へ走り出す軍人達を見ながら、そう悟る。

 

 何故ならシンは地上に残って()()からだ。

 故に彼女の想いを聞く事は一生ない。

 

「行こうぜ、妖怪全部蹴散らしてやろう」

「…そうですね、蹴散らせるかどうかは分かりませんが、精一杯を尽くしましょう」

 

 諦めたシンは、生気の無い声で冗談を言ったが、頭の硬い依姫は本気と受け取った様で、隊員達の後を追って壁外は飛び出した。

 訂正するのも面倒臭いと感じたシンも彼女の後を追う。

 

 これから大戦を行う者達とは、到底思えない気軽さだった。

 

◆◆

 

 長い森の、やがてゲリラ戦の舞台となるであろう森の最端部。

 妖怪と遭遇してもいい様に慎重に進んでいた部隊であったが、嫌になる程静かで、結局何者とも会わずに彼らはそこに居た。

 

 まるで嵐の前の静かさ。

 歴戦の猛者でもある軍人にとって、その雰囲気は最悪そのものでもあった。

 

「見渡す限りの地面…これが…森の外か」

 

 一寸先は闇、とはよく言った物だが、言い換えるならそれは荒地。

 森を出た事がないシンにとって、それは驚愕に値する光景だった。

 

 ———()が、無い。

 

 後ろを振り返れば紅月に濡れた木々が直立しているが、前方にはそれが無い。

 むしろ草木一本生えておらず、乾燥地帯の荒地と言ったほうが適切だった。

 

 それこそ地平線まで薄茶と赤茶の地面が続き、あると言えば小高い丘が乱立しているだけ。

 風も何処か乾いており、シン達はまさに豊かな地と貧相な地との境界線上に立っていると言っても過言では無かった。

 

 とすればこの戦…名付けるならば、()()()()は資源を奪い会う国同士の戦争と言えるか。

 いや、妖怪には目的がない…と言うよりも人間に害をなす事だけが目的である為、先の例は当てはまらないだろうか。

 

 兎に角、規模で言えば間違いなく"大戦"だろう。

 

「見えるか?」

「いえ…まだ…」

 

 けれども肝心の敵である妖怪は影も形も無い。

 現れるとしたら地平線から姿を現す筈だが、一匹も居ない。

 

 シン達は辛うじて妖怪の進撃に間に合った、と言う事だ。

 僅かな安堵が場を包む。

 ここで間に合ってない様ならロケットを守り切るなんて夢のまた夢である為、まずは第一段階クリアと言ってもいいだろう。

 

「…ともかく、余裕があってよかったな…少しぐらい休憩出来る」

「ええ、そうですね…」

 

 そして訪れる束の間の休息。

 緊張が晴れるわけでも無いが、シンは地面に手を付いて胡座をかいた。

 

「…?」

 

 しかし、シンは手のひらに僅かな違和感を感じる。

 ピリピリ痺れるような、そんな違和感だ。

 

 依姫がそんなシンを見た後、はっとしたような表情で今度は地平線の遥か彼方を見据えた。

 

「いえっ、っこれは…違います…!()()()()()()()()()()…!」

「何を…言ってるんだ依姫…?ギリギリだと…?まさか…これは…!?」

 

 シンも、他の隊員も遅れて気付く。

 手のひらに感じる違和感の正体を。

 足裏に感じる異変の正体を。

 揺れる木々の変化を。

 

「まさか…!っ地面が揺れている…これは地鳴りなのか…っ!?」

「えぇ!しかも発生源は見ての通り、見えないほど遠い…!!なのに…こんなに地面が揺れているのは…それほど妖怪の量が多いという事…!!それだけ多くの妖怪達の…歩くその振動がここまで伝わってきているという事…っ!!」

「もう一度聞くぞ依姫…!!妖怪の数は…!何体だと思う!?」

 

 一気に湧き上がる冷や汗。

 実際はそこまででは無いのかも知れないが、地震とそう代わりないと錯覚するほどの絶望感。

 

 場は既に臨戦体制に入り、各々が迫り来る波を覚悟していた。

 そして、確定的になってしまった自身の死も。

 

 シンが予想していた二百や三百なんてチャチな物じゃない。

 これは少なくとも———

 

「少なくとも…()()…!!」

「マジか…!ハハ…流石にそれはヤバいな…っ!」

「大妖怪もいるかも知れません…しかし…どうやってここまで数を集めて…!?」

 

 依姫が疑問を呈したその時、地平線が歪んだ。

 いや、そう錯覚した。

 

 一直線に、またはなだらかな丘に沿って描かれた地平線から妖怪の群れが現れ、美しさすら感じる空と陸の境界線が穢されたのだ。

 まるでネズミの群れのように。

 紅の月光を纏った波のように。

 

 目視だけでも先頭にいる妖怪だけで百は超えている。

 百体倒すだけでも苦労するというのに、それを五十回以上こなすと言う苦行。

 

 更に妖怪の種も量も多い。

 それこそ百鬼夜行…いや、万鬼夜行。

 

「無理だ…」

「どうやって耐えれば…」

 

 味方からそんな声が上がる。

 そりゃそうだ、いつも戦ってきたのは多くても五体程度、繊維喪失する輩が出てもおかしくない。

 

 しかし、不安を払拭するが如くリーダー隊員は声を張り上げた。

 

狼狽えるな!相手は多種多様だが一体一体が強い訳ではない!範囲攻撃が出来る者を主軸にして戦うぞ!それ以外の者はそいつらの護衛をするんだ!幸い距離はある!今のうちに前線を押し上げながら体勢を整える!!近接は前衛!範囲攻撃役は後衛だ!!

「依姫!!神降しの回数は!?何回出来る!!」

「数十回です!!多くて五十回!!」

「っじゃあ死ぬ気で七十回頼む!!おいリーダーッ!俺は危なくなった前衛の奴を助ける!!頃合いを見て後退しろ!!」

 

 リーダー隊員は大きく応答を行うと、森全体に響くような声で叫んだ。

 

行くぞッ!突撃しろぉオオオッ!!!

「ぉおおおおおおッッ!!!」

 

 今にも落ちてきそうな紅月の元で。

 雄叫びが地を鳴らす。

 

 全ては自分の莫逆の友を。

 昵懇の家族を。

 最愛の人を守るために。

 

 今、有象無象の数千 vs 選ばれし三十人余りの軍人の戦いが始まったのだ。

 

(…見れば見るほど…桁違いだな)

 

 集団を一足先に抜け、真っ先に妖怪の波に向かうシン。

 全速力で走っているのに、やけに思考は静かだった。

 

 今から自殺する人の心境に近いのかも知れない。

 そう、諦めにも似た感情。

 

 しかし一方で。

 

 対極の感情もその鎌首をもたげていた、

 

(ああ————()()()()だ)

 

 どうしようもなく膨れ上がる闘争心。

 鋭利な牙をチラつかせる殺意。

 

 片腕が無いのに今まで以上のパフォーマンスを発揮出来るような、()()()()()()

 

 ああ、ああ。

 妖怪の顔が、牙が、爪が。

 

 鮮明に見える程距離が近くなってきた。

 

 血走った目が、紅月に濡れた皮膚が、ダラダラ流れる涎が。

 

 享楽と絶望の波がすぐそこにやって来た。

 

「ク、クク…!!ハハハッ!!」

 

 シンは拳を振りかぶり、思い切り口を裂かせた。

 それこそ頬まで、面白くて堪らないと言ったように。

 

 そして、開戦の鬨を高々しく上げる。

 

「掛かって来ォいッ!!妖怪共ォッ!!」

 

 そして波の最先端。

 複数の妖怪を巻き込んで叩き込まれた拳。

 

 押し寄せる波の前には、小石がぶつかった程度の細波でしかないが、それでも妖怪が四、五匹吹き飛ぶ程の衝撃だった。

 これで数千分の数体。

 

 まだまだ戦争は始まったばかりだ。

 

 一秒後には新たな妖怪が目の前を陣取り、更にその一秒後には目の前を妖怪が覆い尽くす。

 

「…ハハッ」

 

 片腕が無い。

 手数が足りない。

 

 つまり足も頭も、五体全てを使って生き抜かなかなければいけない。

 加えて仲間へも意識を配らなければいけない。

 

 思案と絶望を重ねながらも妖怪に叩き込む腕、足。

 弱小妖怪には一撃で十分だ。

 一撃で頭が飛び、臓物が辺りに散らばるから。

 

 数十拳を振るえば数十の妖怪の命が消し飛ぶ。

 

 それでも、津波を拳で抑えれるほどシンは強くない。

 ヴェノムが居ないのだから尚更だ。

 

 シンが戦う前線の侵攻が止まっても、それ以外が止まる訳ではないのだ。

 すぐ横を通り抜けても、シンなんて見向きもしない猛獣達。

 シンの四方が囲まれたその時、シンの頭に四面楚歌の文字が浮かんだ。

 

「…ッ!!」

 

 いや、浮かんだのは。

 心臓を脈打たせる、興奮。

 

 瞬間頭を駆け巡る脳内麻薬。

 衝動と感情、本能のままに振るわれる拳。

 これから死ぬ運命にあるであろう妖怪の瞳に映る、ヴェノムと遜色無い凶悪な顔。

 

 しかしその拳が届く前に、周囲の妖怪が吹き飛んだ。

 

「っシンさんっ!早過ぎますって!もう少しで波に飲まれるところでしたよ!!」

「いいだろこれぐらい…」

「駄目ですよ!ッ愛宕(あたご)様の火!!」

 

 妖怪達を吹き飛ばしたのは遅れて合流した精鋭達と依姫。

 彼らが持つ能力や、霊力の波状攻撃で一帯の妖怪全てを弾き飛ばしたのだ。

 

 シンの周りの妖怪が消え去り、依姫がシンの隣へと身を置く。

 

「貴方が今怪我を負ったら!それこそ絶望的なんですからね!分かりますか!?」

「ぐ…悪かった、悪かった、よぉっ!!」

「愛宕様の炎っ!!」

 

 依姫を守る様に迫り来る妖怪を蹴散らし、頃合いを見て依姫が軻遇突智の炎で相手を焼き尽くす。

 そこには会話を交わしながら苦もない様に振る舞う彼らのコンビネーションが伺えた。

 

「…あっち側が少し危ないな、ちょっくら行ってくる!」

「えぇ!武運を祈りますっ!それとこれを持っていって下さい!金山彦命(かなやまひこのかみ)様の鉄剣です!」

「確かに受け取った!サンキューッ!」

 

 現在シン達は妖怪の津波に蓋をする様にして広がっている。

 だとすればそこのどこかに綻びが生まれるのも当然。

 

 そしてその綻びを治すのがシンの役目だ。

 言うなれば彼は、一人遊撃隊。

 

「どけどけどけぇッ!!」

 

 振るわれる刃に舞う鮮血。

 妖怪が縦に進軍するとすれば、シンはそれを横から突き刺す。

 

 一切足を止められないシンは、振り抜いた刀を戻さず、そのまま体ごと回転させる事で妖怪を切り伏せていく。

 すると、ある妖怪が群れから飛び出した。

 

 ムカデの様な多足に、縦と横両方に大きく裂けた十字顎。

 意識外からの異形には完全に不意を突かれたシンだったが、瞳に諦めは映っていない。

 

「ギヂヂヂヂヂッ!!」

「ッらぁっ!」

 

 このままでは腰から両断されるコース。

 シンは済んでのところで腰を逸らし、ムカデ妖怪の突進を回避した。

 

 眼前に広がるムカデの甲殻。

 

「真っ二つにしてやらァッ!!」

「ギジャッ!?」

 

 真上に剣を突き出し、ムカデの突進に合わせて刃を走らせる。

 甲殻と刃の奏でる火花。

 身体を持っていかれそうになるが、膂力で耐え、シンは遂に剣を振り切った。

 

 バツンと大きな音が響き、シンの背に真っ二つになって妖怪の波に墜落するムカデが映る。

 紅い月夜の元では、シンの方がよっぽど妖怪じみた光景だった。

 

 背後の惨劇に構わずシンは走り去り、彼は遂に目的地に到着した。

 

「オラァ!助けに来たぞ!」

「…ぐ…っ!!」

「っ!?助かった!」

 

 シンの眼下に映るのは、所々に生傷が見られる、名も知れぬ軍人二人。

 

 一人は息が荒く、妖怪の攻撃を受け止め、鍔迫り合いになっていた。

 しかしこの災害の前に攻撃の手を止める事は自殺行為。

 

 彼が鍔迫り合いを制し、妖怪を切り伏せた瞬間、四方八方から妖怪が襲い掛かろうとしていた。

 

 シンはチラリともう一人に目をやる。

 脂汗を流して歪な魔法陣の様な物を携えている。

 

 シンは魔法やら霊力の応用やらはからっきしだが、その魔法陣が未完成である事は一瞬で理解がついた。

 

 とすれば、手を貸すべきは前衛の方。

 

「その攻撃の準備が出来次第撃て!!分かったな!!それで少し後退しろ!!」

「あ…ああ!了解した!」

 

 怒号の様に後衛に知らせると、シンは手始めに前衛の目の前を陣取り、剣を薙いで迫り来る妖怪の腕ごと一刀両断した。

 

 飛ぶ血飛沫。

 その一滴がシンの頬に付着するが、シンはそれを一瞥するだけ。

 むしろニヤリと笑い、真後ろの前衛役の服をむんずと掴み、真上に放り投げた。

 

「うぎゃああっ!?何するだァーーーッ!?」

「出来たぞ!撃つっ!」

「良いタイミングだ!!ぶちかませ!!」

 

 爆弾が爆発したかの様な轟音。

 それを聞いた瞬間、シン自身も真上に飛ぶと、真下を光の束が通過した。

 

 妖怪を薙ぎ払いながら唸る光線はまるでレーザー兵器。

 鮮烈な光を放ちながら光の蛇は妖怪を狩り喰らい、蒸発させていく。

 

 依姫に勝るとも劣らない一撃。

 その一方でシンは———

 

(そういやぁ、コイツらって強いんだったよな…)

 

 眼下の激しさの裏に、シンはぼんやりとそんな事を考えていた。

 

◆◆

 

 彼らが窮地を脱したその後。

 彼は同じ様な事を二、三度繰り返していた。

 

 助けて、救って、ぶちのめして。

 永遠に続く妖怪殺し。

 

 何度も同じ事をしていれば、集中力も切れるという物。

 プツプツ電波の悪いテレビの様に途切れる集中の中、シンはあるミスを起こした。

 

 なんて事はない。

 間合いを一歩間違えただけ。

 血を浴びて、視界が悪くなっていた事もある。

 隻腕である事も理由の一つだ。

 

 しかしそれが、取り返しの付かない一撃を受ける要因となった。

 

「———ぐぁ…っ!!ぁぁああ…ッ!!」

 

 避けれた筈の、或いは防御出来た筈の鋭い爪。

 間合いを見誤った事により、それは不可避の一撃へと変貌する。

 

 そして払った代償は顔への斬撃と吹き飛ぶ鉄剣。

 赤く染まった左の視界と、真っ暗な右の視界。

 額から右目にかけての激痛。

 

(右目…!やられたか…っ…クッソいてぇ…!)

 

 溢れる血の涙。

 左腕を失った時と同じ悪寒。

 最早、自分の右目が景色を映す事はないだろう。

 

 ヴェノムが居れば。

 そんな事を頭に浮かんだが、それを振り払う。

 

 ここでそんな後悔をしていたら、ヴェノムにやっぱり俺が居ないとダメだな、なんて言われてしまう。

 

 ヴェノムが居なくても、俺は強い。

 自己暗示を掛けながら、シンは冷静に迫り来る波を捌いていく。

 

「…助かった…!感謝する!」

「気にする———」

これ以上はダメだ!森まで後退しろォッ!!

「っ予想より早いな…!」

 

 助っ人を終え、その場を去ろうとした瞬間、戦場に響く声。

 リーダー隊員の声だ。

 妖怪がひしめき合う戦場でも届くのは流石としか言いようがないが、問題は後退するという内容。

 

 早過ぎるのだ。

 まだ二号機の離陸が済んですらいない。

 

 このペースでいけば、シン達が脱出出来ても三号機オールド号が間に合わない可能性がある。

 それは絶対に避けなければならない。

 老人ばかり乗っているとしても、あそこには豊姫が乗っている。

 

「クッソ…ッ!」

 

 悪態を吐くシン。

 幸い妖怪が進軍するスピードより、シン達が後退するスピードの方が早い。

 これなら体勢を立て直す事も、ほんの一時の休憩を取る事もできる。

 

 彼はどうにかしてこの状況を打開できないか模索する為、依姫の元に向かった。

 

◆◆

 

 森の端。

 緑の荒野の境界線上。

 

 妖怪から距離を取り、一分程度の休憩を得た軍人達。

 その中で一際騒がしい所があった。

 

「依姫!不味いぞ!兎に角不味い!最悪だ!」

「落ち着いて下さいシンさん!って大丈夫ですか!?そんなに目を抑えて!?」

 

 シンと依姫だ。

 

 彼は依姫の姿を比較的簡単に見つけることが出来ていた。

 他の隊員が傷だらけに対して、彼女は疲弊していたが殆ど軽症だったからだ。

 

 服もシンと違って返り血が少ない。

 それだけ妖怪を寄せ付けずに戦っていたという事だ。

 

 シンはというと、片目を抑えて依姫に駆け寄った。

 激痛は治まり、正直目を押さえる必要は無くなっていたが、何故だか彼は依姫に虚勢を張っていた。

 

「…大丈夫だ!瞼を切っただけだ!」

「そ、そうですか?」

 

 嘘である。

 目を開ければ抉られた眼球から血の泉が湧き出ている事だろう。

 

 あまり触れられたくないと言わんばかりに彼は話題を変える。

 

「それより時間が不味いっ!このペースじゃあロケット発射に間に合わん!」

「やっぱり…でも安心して下さい…!策ならあります!」

「あ、あるのか!?」

 

 彼女が長刀に滴る血で飛沫を上げると、それを地面に突き刺す。

 目を丸く…いや片方の目しかないが、兎に角驚いたシンは依姫の言葉の先を追い、質問を重ねた。

 

「間に合わせる為には一瞬で…そうだな、少なくとも千の妖怪を倒す必要がある…お前に、出来るのか?」

「何を今更…私は…貴方のライバル…無敵の乙女ですよ?」

 

 依姫の身体から霊力の波動が溢れ出る。

 美しく華やぐ紫檀の髪。

 長刀の柄にそっと手を置くと、彼女はゆっくりと語り始めた。

 

 ただならぬ気配に、軍人の視線も集まる。

 

「ずっと、考えていたんです」

 

「自分の能力の()()を」

 

 依姫の存在感が、一つ大きくなった。

 彼女を中心に風が吹き出し、木々の葉を揺らし、小さな砂塵を巻き起こす。

 

 何度も依姫と対峙してきたシンには、一柱の神をその身に降ろしたのだろうと予測が付いた。

 

「今までは一度に一柱の神様しか身に降ろせなかった、でも…今なら」

 

 更に、風が吹き荒れる。

 霊力と神力の圧に、空気が唸りを上げる。 

 

「一度に、二柱を———」

 

 瞬間、雷が轟いた。

 

 爆心地は依姫の刀。

 スパークと共に砂塵を吹き消し、彼女は刀を振るう。

 

「愛宕様×火雷神(ほのいかづちのかみ)様…ッ!」

 

 そして、閃光が爆ぜる。

 

「焼き尽くせっ!!熱雷の龍よ!!」

 

 現れたのは何十メートルもある、まさに炎の龍。

 以前呼び出した異界の炎神と遜色無い威圧感。

 

 かの龍は、顎門を重々しく開き、雷の吐息を漏らしている。

 雷が弾け、地面を焼いていく。

 すると、黒い眼光が迫る津波にギョロリと向けられた。

 

 一瞬、妖怪の波が止まった様な気がした。

 ほんのひと時の静寂が示していたのは、妖怪が怯えたから、だろうか。

 

 なんにせよ、妖怪が龍を恐れようが怯えようが、やる事は一つ。

 

「ォォオオオオオオッ!!!」

 

 殲滅あるのみ。

 

 雄叫びを上げる炎龍が雷を巻き散らしながら、妖怪の波に牙を突き立てた。

 

「すっげ…あのカス共がありえん動きでぶっとんでやがる…」

 

 炎龍が波に向かって頭突きを立てると、数十の妖怪が炎に消し飛び。

 雷の息吹を浴びせると炭化した妖怪の跡が波にくっきりと残り。

 尾を薙ぐと、それこそ水飛沫を立てるかの様に吹き飛ぶ。

 

 まるで龍神と人が、究極の個と夥き全が戦ってるかの如き有様。

 人がゴミの様だとはよく言ったものだ。

 

 正に、妖怪がゴミ同然。

 

「これならイケる…よくやった依———」

 

 しかし、人智を超越する者には、必ず代償が訪れる。

 

「っごふっ…げほっ!げほっ…!」

「お…っおい大丈夫か依姫!っおい!!」

 

 崩れ落ちる依姫。

 何とか刀を支えにして持ち堪えるが、即座に目や鼻、口から鮮血が溢れ出した。

 さぁっ、と冷水をぶっかけられたシンは、自分の怪我の事も構わず依姫に駆け寄り、肩に手を置く。

 

「はは…流石に二神同時は堪えますね…」

「馬鹿野郎!怪我するなって言ったお前がボロボロになってどうするってんだッ!喋らなくて良いから休んでろ!」

「ふ…ふふ…そう言うシンさんだって…目がやられてるじゃないですか…なんで嘘なんか吐いたんですか…?」

「それは…!」

 

 シンは目を逸らした。

 自分でもその答えが分からないからだ。

 

 視線の先に炎龍が映る。

 所々炎が弱まり、何処かツギハギの身体になっている。

 

 依姫の神降しの力が及ばなくなってきた証拠だ。

 

 再び、半分しか無い視界で依姫を見た。

 口から溢れる血が止まらない。

 片方の腕から、ゴロゴロと、嫌な音が伝わる。

 

 肺が破れたのだろうか、だとすると息が出来ず苦しみを感じている筈だ。

 

 更に血管が浮き、圧力に耐えられなくなった皮膚が破れて血が溢れる。

 誰がどう見たって、この場で居る人間の中で最も重症だった。

 

 しかし、彼女の力に頼らないとこの戦に勝てないのもまた事実。

 

「依姫…っ…!お前にはもう戦って欲しくない…!でも…お前に頼らないとこの戦争は勝てない…!!そんな選択を取らなきゃ行けないくらい俺は馬鹿だ…!戦ってくれとお前に言う俺をっ…許してくれ…!」

「…優しいですね、貴方は」

「俺に…優しいなんて言うな…っ!」

「いえ、貴方は優しいですよ」

 

 依姫にこの選択を強いる事しか出来ないシンは、その後悔に押し潰れるが如く、顔を歪めた。

 そんな彼に、白い指が差し出され、彼の頬を撫でる。

 

「俺は…戦いを楽しんじまう様な…クズだぞ…?」

「…私の事をこんなに思ってくれる…ヴェノムさんとの問題に苦悩する…そんな貴方を、他の誰かが貴方を侮辱しても、貴方自身が自分を自虐しても、私は貴方を優しいと言い続けますよ…」

「…敵わねぇ…お前こそ…お前の方が………お前の、方が…っ!」

 

 血の涙。

 それが本当の涙か、それともただ血が流れただけか、シンには分からなかった。

 

 嗚咽を噛み殺し、少しずつ思考をクリアにしていく。

 

「…もう妖怪が動き出した、立てるか…?」

「えぇ…なんとか、神降しも中断されてしまったようですね…」

 

 依姫が彼の手を取って立ち上がった時には、再び地鳴りが鳴り始めていた。

 依姫の神降しが切れたのだ、足を止めていた妖怪が進軍を再開したのだろう。

 

「踏ん張りどころだ…こっからは何があってもお前を守ってやる…!」

「つい先刻と同じ事言ってますよ…」

「それだけ決意が固いって事だ、依姫…!」

 

 その時が来るまで、何があっても依姫だけは守る。

 守って、玄楽と、豊姫と、永琳が待つ場所に送り届ける。

 

 シンは迫り来る妖怪を前に、強固な誓いを胸に刻んだ。

 例え、この命が燃え尽きたとしても。

 

 ———絶対に、守る。

 

 彼は拳を握り締め、これが最後になるであろう休息の一息を吐いた。




ご拝読ありがとうございますなのぜ…遅くなってすまんのぜ…


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第四十八話 最初で最高、最後で最低

ゆゆっくり! また遅れてすみませんのぜ!


「…っ!大丈夫だよな依姫っ!!」

「まだ…まだいけます!」

 

 平野戦とは打って変わっての森林戦。

 相手に視認されない状態、かつ、木々によって進行も妨げるゲリラ戦。

 

 負傷していた隊員にも好都合なこの状況だったが、シンと依姫は隣合わせの状態で大群と戦っていた。

 そちらの方がより多くの妖怪を倒せるからである。

 

 しかし、出血多量の二人。

 いずれミスは起こってしまう。

 

「———あっ」

 

 踏み込みすぎた依姫。

 シンと同じ様に集中を欠いた行動だ。

 

 幾重に並んだ妖怪の牙が顔を覆い、生臭い吐息に思わず息を漏らす。

 

 死ぬ。

 思考が、真っ白になる。

 

「っ危ねぇっ!」

「…っ助かりました!」

 

 次の瞬間、依姫はシンに手を引かれ、代わりに妖怪の顎門は何も無い空間を八つ裂きにした。

 依姫は冷や汗をかき、己の不甲斐無さに唇を噛む。

 

(もっとちゃんとしないと…)

「依姫っ!後悔なんてしなくて良い!今はただ…戦いの事だけを考えろォッ!!」

「…!」

 

 心を見透かした様にシンが叫び、その手に持つ獲物を振るう。

 依姫がなけなしの力で創り出した金山彦命(かなやまひこのかみ)の大剣だ。

 

 恐ろしい腕力を持つシンに最適で、掃討戦向きの武器。

 同時に扱いも難しい武器だったが、適応の能力を持つシンにはあまり関係の無い事だった。

 

「だりゃぁっ!!」

 

 踏み込み。

 割れる地面。

 

 振るう大剣。

 真っ二つになった妖怪。

 

 どこか情報がマトモに頭は入らず、ただ刹那的な情景が流れていく。

 それはきっと、依姫もだ。

 そうでもしないと集中が切れる。

 

 鋭利な殺意、尖った本能、そしてそのスパイスに信頼関係。

 それだけだ。

 帰り血で視界が滲む二人は、それだけの感覚を頼りに妖怪を切り刻んでいった。

 

愛宕(あたご)様…ッ!」

「ぶっ潰れろォッ!!」

 

 神の炎が大剣に纏わり付き、続けてシンがその赤く染まった大剣を振り下ろす。

 すると炎はハエ叩きの様に姿を変え、妖怪共を押し潰し、焼き殺そうと炎の唸りを上げた。

 

 シンが繰り出したのは個の一撃では無く、面の一撃である。

 単なる薙ぎ払いで倒せるのは数体が限度。

 

 だったら範囲攻撃だ。

 

 さらにこちらの方が依姫にとっても能力の燃費がいい。

 

「っ何分経った!?あと何分耐えればいいっ!?」

「戦い初めてから二十分程度です!あと数分前後!!」

「っおしっ!死ぬ気で行けばいけるぞ!」

 

 彼は大剣を握る力を強め、口角を上げる。

 依姫の身を挺した一撃のお陰で、ギリギリ持ち堪えれそうだ。

 

 そう確信した瞬間、()()が真横を通り抜けた。

 

「———あっ?」

 

 直後に半身を切り裂く烈風。

 巨大な爆発音。

 

 幸い依姫はシンと彼の持つ大剣が盾となる形で負傷を防いだが、その顔はポカンとしている。

 

「っう…ぐぅうう!いってぇっ!ックッソ!!今度はなんだ!?」

「分かりません…事実だけ伝えるなら…前方からレーザーの様な竜巻が飛んできました…!そして…後ろの壁が…!」

 

 シンが依姫の言葉を待たずに振り返ると、漸く恐ろしい事態に気付いた。

 シンですら破壊することは困難と思われたあの、巨大な白壁が。

 

「…っな…!?なっ…なんだと…!?」

 

 ()()、している。

 

 外見は辛うじて壁としての機能している、だが、防御力は大幅に落ちただろう。

 そしてそれは、今度の作戦に重大な被害を齎す事を暗示していた。

 

「…これじゃ…ロケットが離陸出来ない…っ!」

 

 そう、ロケットの離陸、だ。

 隊員達を乗せた無防備なロケットを守るのはあの白壁しかない。

 

 ヒビの入った防波堤で大津波を止められるか?

 答えは否だ。

 ロケット離陸にかかる時間は数分。

 

 これでは、絶対に耐えられない。

 

「…落ち着けよ依姫…焦った所でアレが元に戻るわけじゃあない…!ただ信じるだけだ、妖怪達が壁を超えない事をな」

 

 至って冷静に、シンは言う。

 それは後に訪れる彼の役目を考えれば、彼にとって白壁の破損は些細な問題でしかなかったからなのかもしれない。

 

 それに、彼にとって最も重要な問題はそこではなかった。

 

「それに問題はそこじゃあない…問題は…()()()()()()()()()か、だ…!あのレベルの攻撃…少なくとも大妖怪以上だ…!」

「…!…っ間違いなくエレクトロ以上ですよ…!?一体…誰が…!?」

「さぁな…だが、まずは目の前の妖怪だ…!さっきの攻撃で相当数消し飛んだが…こっちの被害もどれくらいか分からん…!」

 

 先の攻撃で倒れ伏していた妖怪達がのそりの起き上がり、殺意を帯びた瞳でシン達を睨み付ける。

 

「…兎に角、やる事は一つですね…!」

「ああ…時間一杯、相手をしてやるだけだ…!」

 

 彼らは刀と大剣を握り締め、迫る妖怪を前に構えを取った。

 

◆◆

 

 ほんの少しだけ、時は遡って。

 コギブリの大群の様な妖怪の奥の奥。

 そこにはポツンと、妖怪が横切らない空間があった。

 

 まるで龍でもそこにいるかの様に。

 妖怪達は本能でそこに居るナニカを避けていた。

 

「ふむ…予想より遅いな」

 

 何物も近付かない空白の中心には、捻れた一本角の、ミイラの様なナニカが突っ立っていた。

 それは顎に手をやって考える仕草を取っている。

 首を傾げる動作は何処か少年少女のそれを想起させた。

 

「もう頃合いだと思っていたが…意外に耐える」

 

 顎から手を離し、ニヤリと口角を上げる。

 顔が包帯で隠されているため、具体的な表情は分からないか、少なくとも笑っている事は確かだ。

 

「少しちょっかいをかけてやろう」

 

 一言呟くと、ソレはゆっくりと、大きく拳を振りかぶった。

 限界まで、振りかぶる拳が後ろの地面に着くほど。

 

 まるでバネの様に、ギギギと音を響かせる様に、力を充填していく。

 

 異様な光景だった。

 

 戦闘ではまるで見られない構え方。

 防御の事を一切考えない、攻撃に全振りした構え。

 

「フゥ…!」

 

 ソレの細い腕に、血管が浮かぶ。

 拳を中心にぐにゃりと景色が歪み、まるで陽炎の様に揺らめいていく。

 

 物理も、常識も、この世の理の一切合切を無視して。

 

 力の権化が。

 閉じ込められた暴力が。

 

 今、解放された。

 

「シャァッ!!」

 

 それは鞭と、形容できるだろうか。

 

 いや、そんな生易しい物じゃない。

 

 形容出来るとしたら、そう。

 核爆弾。

 

 爆発したのだ、音が。

 振り抜いた瞬間に。

 

 コンマ一秒後。

 極大の衝撃波がソレの拳から生まれ、ソレの目の前を埋め尽くす妖怪達に牙を剥く。

 

 コンマ二秒後。

 圧倒的エネルギーにより妖怪は衝撃波に触れた瞬間から消し飛び、血の雨を残して消える。

 

 コンマ三秒後。

 衝撃波は波を駆け抜け、まるでモーセの海割りの如く妖怪の群れを二分化していく。

 

 そして、衝撃波の終わり、コンマ五秒後。

 真紅に濡れる森を割り、衝撃波は巨大な白壁に直撃し、その姿を消した。

 残されたのは、一直線に伸びる台風の通り道と、貫通してないにしろ、これまでに無いほど破壊された白壁。

 

「さぁ…どう乗り切る…?童ども…!」

 

 呟くソレの、捻れた一本角に、真紅の月光が禍々しく反射した。

 

◆◆

 

 土煙と怒号が空気を満たす。

 砂煙は赤い月光が反射し、まるで血の霧だ。

 

 いや、もしかしたらそれは、本当に血の霧なのかも知れない。

 

「…っ…」

 

 さっきからもう何度も意識が飛んでいる。

 叫ぶ元気も無いが、薄暗い視界の中で剣だけは振るわれる。

 三徹した後の退屈な授業の様に、眠気に襲われる、これももう五回目だ。

 

 もういいんじゃないか。

 そんな甘言が脳裏に過る。

 

 味方の上げる雄叫びの数も随分少なくなった様に感じる。

 最初の半分ほどだろうか?

 何故か、それを考えるには脳のキャパシティが限界だ。

 

 それに考えたくも無い。

 だってそれは…

 

「…」

 

 棄却。

 強引にテレビの電源を落とす様に考えを断ち切り、目の前の妖怪達に意識を注ぐ。

 

 が、しかし。

 

「…ぅぷ…げぼぁ」

「っだ…大丈夫ですか…っ…」

 

 ぐらりと視界が揺れ、吐き気と共に口から酸っぱい何かが溢れ出る。

 絞り出された様な依姫の声も何処か聞き辛い。

 

 朧げに、シンは感じた。

 

 体力が底を着いたのだと。

 いや、体力なんてとっくの昔に底を着いている。

 これは、無理をし過ぎた故の代償なのだ。

 

 身体の末端から力が抜け、急速に景色が闇に覆われていく。

 

 第一、この数の妖怪を相手取るのが間違っていたのだ。

 殺した数は千を超えた、それなのに押し寄せる妖怪の勢いは衰える事を知らない。

 

 あとどれだけの妖怪を殺す必要があるのだろうか?

 限界で、片目も片腕も使えないこの身体で。

 

「…あぁ…」

 

 スン、と、鼻腔に粘ついて気持ちの悪い霧が漂った。

 誰の血が混ざった霧だろうか。

 

 士気を挙げていたリーダーの血?

 妖怪に押し潰された隊員達の血?

 狂った様に行進を続ける妖怪達の血?

 

 じっとりと濡れる背中。

 それが気持ち悪さを増大させ、シンは落ちゆく意識の中でえずいた。

 

「…」

 

 倒れる身体。

 ふと、視界の端に、顔をくしゃくしゃに歪ませる依姫が居るのに気付いた。

 

 どうして、そんな顔をするのだろうと。

 細分化された意識の中、それが過ぎる。

 

 シンが死んだら、作戦が失敗に繋がるからか?

 それとも、自分の危機に直結するから?

 

 いや、違う。

 

 依姫のことだ、シンが死ぬ、それ自体に言いようのない絶望感を感じているのだろう。

 

 逆に。

 依姫が死ぬ様なことがあれば、シンはどうするのだろう。

 

「………分かりきってるな…」

 

 呟きは静かに喧騒へ消える。

 

 そうだ、そんな時はいつも、限界を超えてやる。

 今のままじゃ足りないから、更なる力を引き出すのだ。

 

「…っ…!」

 

 強引に足を前に出し、倒れゆく身体を止める。

 バキンと地面を割り、シンは吠えた。

 

「…ォ…ォォオオオッ!!!」

 

 突如として戦場に響く怒号。

 

 そうだ。

 

 守ると、誓ったのだ。

 約束したのだ。

 

 他ならぬ彼女の前で。

 

 ならば諦めるわけにはいかない。

 

「っちょ!?シンさんっ!?何やってるんですか!?」

「今から妖怪を荒らすッ!!全身全霊で…血祭りにしてやらァッ!!」

 

 限界を超える。

 即ちシンの能力、適応の真骨頂。

 

 先までを遥かに超える力を捻り出し、屠り尽くす。

 

「止めっ…自殺行為ですよっ!」

「がぁあああ"あ"ッッ!!」

 

 その時、シンの中の人間が姿を消した。

 

 獣の如く、血に濡れた手を伸ばして、最早牙とも言える歯を剥き出して。

 鬼神の如く、足りない血を啜って、肉の塊に喰らい付いて。

 

 爪を突き立てられれば握り潰し、牙を突き立てられれば喰らい返す。

 

 ひたすらに本能に従った。

 狼の様に常に移動し、終わらない狩りを続ける。

 抵抗として繰り出された拳すら避けず、代わりに自身の拳を繰り出す。

 

 手を振るえば妖怪の首が宙を舞う状況に、面白さすら感じた。

 

 うっすらと、シンの中の人間が目を覚ましたその時。

 シンの口には妖怪の血が溢れ、身体は真っ赤に染まっていた。

 

 しかし、それでいい。

 人間で勝てないなら、獣になるしか無い。

 

 この腕で大地を蹴ろうが、雄叫びを上げようが、勝てるなら人間性でもなんでも捨ててやろう。

 

「ハァアア…!」

 

 生臭くなってしまった吐息を吐き、次なる獲物を求めて、目をギョロリと動かす。

 次だ、もっと———

 

「シンさんっ!!!」

 

 遠い意識の中で、声が響いた。

 

「っうっ!?」

 

 突然身体が引き寄せられ、妖怪の群れが景色と共に遠くなっていく。

 一瞬、俺を引き寄せたのは誰だと、邪魔者は殺せと獣が囁き、彼は身じろぎして抵抗した。

 

「バカ!バカバカバカッ!何やってるんですかっ!」

「よ…りひめ…?」

 

 その瞬間、鼓膜を震わせる声。

 心まで届く声。

 

 ハッとしてシンは、自身の身体を引き、森を駆ける彼女を見た。

 そして彼は獣になっていたといえ、依姫を殺すと一瞬だけでも頭に浮かべた事に言いようもない後悔を覚える。

 

 しかし、それとはまた別の問題に、彼は焦りを見せた。

 

「待て…っ…依姫…!まだ時間稼ぎは…」

 

 しかし、言い終わるよりも早く依姫が捲し立てる。

 

「もう十分ですっ!それよりも…そんなことよりも…〜っ!」

 

 依姫は声にならない声を上げた。

 彼女に抱えられ、おんぶにだっこの状態となっている今では彼女の顔は分からない。

 

 しかし、良い表情ではないのは確かだった。

 

「もう…時間稼ぎは十分ですから…っ休んでください…っ!」

 

 妖怪が遠くなっていく、意識も遠くなっていく。

 朧げな感覚だった。

 

 しかし、依姫が口にした内容に耳だけは澄ましていた。

 

 曰く、シンが戦っている間、リーダー隊員の大声が聞こえたそうだ。

 退却しろと。

 全速力で巨大な壁の大門まで帰還しろと。

 

 つまりシン達は、一、ニ、三号機を離陸させるという最低限の任務をこなしたと言う訳だ。

 

「…」

 

 少しの安堵に包まれ、シンは瞠目して目を閉じた。

 

◆◆

 

「…ん…」

 

 次に目を開けた瞬間には大門の前まで来ていた。

 一瞬、玄楽のように瞬間移動でもしたかと混乱したが、どうやら意識を失っていたらしく、ぼうっとした視界で目の前の景色を見つめる。

 

 十数の隊員。

 いずれの隊員も酷い怪我を負っており、四肢欠損している者も居た。

 パートナーが殉死し、命からがら帰ってきた者もいるだろう。

 

「生存者は…これ、だけだな…早く行くぞ…時間がない」

 

 血塗れのリーダーは荒い息でシンを含めた隊員達を一瞥すると、眉に顰めて彼らを急かした。

 

 現在、シン達全員は戦線から退却している状況にある。

 その戦線には当然、殿も何も無い、つまり当然妖怪の群れがここ目指して歩を進めているのだ。

 

 その妖怪達がここに着くまでの猶予。

 それが最早三分も無いと、この場の誰もが確信していたが故に、隊員達はリーダーの言うことに忠実に従った。

 

「…もう、歩ける、ありがとな」

「…無理はしないでください」

「あぁ、先行ってくれ」

 

 地面が微かに揺れている。

 シンは草木がふるふる震える背後の森を一瞥した後、依姫の後を足早に続いた。

 

◆◆

 

 やっと、この時が来た。

 大門を大岩で塞ぎ、いよいよロケットに乗り出す隊員達を見つめながら、俺は深呼吸をした。

 

 目の前のロケットは言うまでもなく巨大で、赤い月光に照らされて鈍い光が反射する様は目に悪い。

 それは仰々しく出入り口の扉を開いており、雪崩れ込むように隊員達が入っていった。

 

 ロケット出発のコードは既に起動しており、後三分ほど。

 隊員達は粗方搭乗している。

 

 しかしまだロケットに乗っていない者が居るとしたら、それは故郷を懐かしむ者か、目的を持った者だけだ。

 

「シンさん…?早く行かないと…」

「…」

 

 腕を引かれた、依姫に。

 しかし俺は動かない。

 

 残るから、だ。

 この地上に。

 

 不安そうに俺の瞳を見つめる彼女を見ると、たちまち俺はズキズキと胸が痛んだ。

 これは責任と後悔の色をした、嫌な気持ちだ。

 

「なぁ、依姫…俺は———」

 

 この言葉を吐き出せば、彼女はどんな顔をするんだろうか。

 そんな考えが脳を過ぎると同時に、言葉が詰まった。

 

「…ッ…」

 

 言わなければ。

 

「…依、姫…俺は…!」

 

 言わな、ければ。

 

「…っ…ちくしょぉ…っ!」

 

 結局、言葉は出て来ず、喉が痛むほどの苦痛を味わうだけ。

 …いつもそうだ。

 臆病な自尊心のせいで、俺は俺の心の内を晒すことが出来ない。

 

 どんな形であっても、依姫を傷付ける事をしたくない。

 俺が嫌われる事をしたくない。

 

 それだけ、それだけの事で、俺はいつも後回しにしてしまうのだ。

 

「…」

 

 依姫が、何かを察したように息を呑んだ。

 しかし、その考えを認めたくないのか、真意を探るために俺の言葉を待っている。

 

 あの時とは、依姫に謝罪したあの時とは違う、違うのだ。

 逃げて、逃げて、逃げた先で漸く謝罪したあの時とは。

 

 沈黙する彼らを尻目に、刻一刻と時は過ぎる。

 言葉に詰まっていると、妖怪が来てしまう。

 

「…俺は…」

 

 タイムリミットが迫る中、シンは遂に言葉を吐き出した。

 

「俺は…残る…!」

 

 その瞬間、俺は反射的に横目を逸らした。

 依姫の顔を、見たくなかったからだ。

 

 彼女の視線が突き刺さり、一瞬の空白の後、彼女は言葉を綴る。

 

「…じょ、うだん…ですよね…?」

「…」

 

 震えた声。

 ああ、彼女の顔を見たくない。

 

 俺は横目を逸らしながら、依姫に背を向けた。

 

「う、うそ…嘘だと言ってください…!」

「…嘘じゃない」

 

 依姫が俺の、ボロボロで血に濡れた服の裾を掴む。

 

「駄目ですよそんな…!だってそんなの…!」

「…」

 

 裾を握り締める音と、依姫が崩れ落ちる音が響いた。

 

「死んじゃうじゃないですか…!?どうして…っ!?」

「お前を、守る為だ」

「…う…っぐ…ぅう〜〜…っ!」

 

 依姫の嗚咽が耳に入る。

 いっその事、一緒に月に行ってしまおうかと、心に浮かんだ。

 

 駄目だ。

 依姫が死ぬ確率があるぐらいなら、俺は絶対にここで足止めを選ぶ。

 

 それに、それは身勝手に別れを告げたヴェノムへの侮辱だ。

 俺は俺の行動の責任を果たさなければいけない。

 

「…頼む依姫、ロケットに乗ってくれ…!」

「あっ、…待っ———わっ、私は…!」

 

 裾を握って離さない依姫を突き放し、強引に扉へ歩を進めた。

 

 彼女は遠くなっていく俺を縋るように見て。

 叫んだ。

 

「あっ、貴方が好きなんです!!」だから、だから…行かないで…

 

 …一瞬、言っている意味が分からなかった。

 貴方が好き?

 いや、その後なんて言った?

 

「…依姫」

 

 辛うじて、彼女の名前を呼んで振り返った。

 余りに突飛な展開過ぎて、時間をも忘れ、周囲すら関係無く、まるで二人だけの空間のように思えた。

 

 しかしながら思考へいたずらに浮かぶのは幾千もの雑念。

 ヴェノムが言ってた事は本当だった、とか。

 実際言われると言葉も出なくなる、とか。 

 

 何より混乱したのは。

 

 ———どうしようもなく、()()()()()事だ。

 

「…」

「えっ、あのっ」

 

 俺は再び依姫と向き合い、スタスタと歩を進める。

 何の為かは、正直俺も分からない。

 

 ただ、そうしなければならないと。

 こうするしかないと、本能が告げていた。

 

 付け加えるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「シン、さん?もしかして…」

 

 依姫と俺は最早目と鼻の先。

 頭ひとつ分小さい依姫が、俺を見上げる形だ。

 

 喜色を浮かばせ、浮ついた声で話す依姫。

 

 …そんな彼女に抱いていたモヤモヤ、言いようもない感情。

 依姫の吐露を聞いて、それはハッキリと分かった。

 

「考え直してくれたのですか———」

 

 それは依姫が俺に抱く感情と同義。

 好きと言う、最大の弱みだ。

 

「っんっ…!?」

 

 俺は、言葉を綴る依姫の口を塞いだ。

 それも指じゃなく、口で。

 

 しかもかなりディープな…と言うより、歯がカチカチ当たる下手くそなキスだが。  

 

「っぷはっ…んっ…」

 

 依姫のじっとりと濡れた瞳が俺を射抜く。

 困惑、歓喜、興奮。

 

 されるがままだった依姫もキスの最中に落ち着いたのか、力を抜いて俺に身を委ねた。

 

 キスは十数秒に及び、息継ぎを挟みながら、何度も情熱的に交わした。

 やがて、俺は口を離し、熱い吐息を吐く依姫に告げる。

 

「これが俺の気持ちだ…ずっと、依姫と戦った日々が、過ごした日常が、お前が、大好きだ、だから…行かせてくれ」

「…ぅ…ぅあ…そんな卑怯ですよ…こんな…下手くそなキスなんかして…!」

 

 目下の依姫の目尻に涙が溜まる。

 ひくひくと瞳孔が震え、嬉しさと悲しさでぐちゃぐちゃになって泣き出してしまいそうになっても、俺に縋り付く。

 あとほんの少しで妖怪が大挙して来ると言うのに、弱々しく裾を握り締めて俺を離さない。

 

 ———俺が彼女にキスをした理由は、俺の決意の覚悟を見せる為だ。

 俺を引き止める事を、諦めてもらう事だ。

 

「あぁ…卑怯だと思う…それぐらいしないと、お前は折れてくれない」

「…本当に…卑怯です…っ!絶対、許しません…っ!こんなの…こんなの…っ!」

 

 依姫が膝から崩れ落ち、地面に涙が滴り落ちた。

 

「じゃあ…じゃあ、約束してください…っ…!帰ってくるって…生きて帰るって…!」

「ああ、約束する、絶対だ」

 

 ———()だ。

 俺はここで死ぬ。

 

 助かる確率は億が一つにもない。

 しかし、依姫を安心させる為には、嘘をつく他なかった。

 

「他の人も好きにならないで下さい…!ずっと私だけ好きでいて下さい…!!」

「勿論だ」

 

 否定、出来なかった。

 

 俺は永遠に帰る事はないのに。 

 俺は永遠に彼女を待たせようとしているのに。

 彼女が死ぬまで俺と言う存在で縛り付けようとしているのに。

 

 あまつさえ、俺はそれを望んでしまっている。

 

 恋を自覚した今では、依姫が他の男を好きになるなんて考えたくもないからだ。

 

 要は俺の為に一生苦しんでくれと言っているのだ。

 俺を忘れて、新しい男を見つけて欲しくないのだ。

 

 当然、のしかかって来るのは良心の呵責なんて物の比じゃない。

 今でさえ罪悪感に押し潰されそうだ。

 

 いや、きっと、罪悪感を感じる資格すらないのだろう。

 

「約束するから…俺を信じて、安心してくれ」

「わかり…っました………ぜったい、帰ってきて…!」

「…」

 

 極めて優しい口調で告げる、軽い、軽い口約束。

 しかしそれに縋らなければならない己の不甲斐なさに、ほとほと辟易した。

 

『ドアが閉まります ご注意下さい』

「…じゃあな、また会おうぜ」

「…〜〜〜っ!!」

 

 無機質なアナウンスと、妖怪の行軍による地響きが轟き、それを別れの合図として、俺は依姫にさよならを告げた。

 しかし彼女は答えず、ひとしきり震えると、俺を思い切り抱き締め、踵を返してロケットに駆け込んでいってしまった。

 

 ———これでいい。

 

 バタンと、自動ドアが閉まった音を聞き届けた俺はロケットに背を向け、外界と都市を繋ぐ大門へと向かう。

 ふと、依姫が、こちらを振り返った気がした。

 俺はその気配に思わず足を止めるが、振り返らなかった。

 

「さて…命を賭けてやるか」

 

 直後、空気を震わせるように巨大な壁が唸りを上げ、ヒビの隙間から少なくない砂塵を噴き出した。

 妖怪が遂に到着し、壁に激突したのだ。

 

 ロケット出発まであと一分。

 壁の耐久は軽く見積もって三十秒。

 

 壁の外には千単位の妖怪。

 

 やはり、足止めは出来ても生き残る確率は無い。

 

「…へへ」

 

 俺は軽く自嘲し、バキバキと首の骨を鳴らした。

 体力は大体戻っている。

 人間性を捨てれば、即ち獣になれば、俺は俺を忘れて、戦いだけに身を投じる事が出来る。

 

 その果てに、俺は死んでもいい。

 依姫を無事に月は送れるなら、何も要らない。

 この命すらも。

 

「覚悟を決めろよ…俺…!」

 

 俺は拳を握り締め、壁の向こうを睨み付けた。

 

◆◆

 

 ベチン、ベチン。

 薄暗い、電気も付いていない部屋に響く間抜けな音。

 

 ベチ、ベチ。

 巨大な扉の前で、窓ガラスを何度も叩く黒いスライムが居た。

 

 そこは三号機オールド号の出入り口。

 離陸から数分が経ち、外には星の光すら瞬いているのに、その黒い者は扉を叩くのを止めようとしなかった。

 例え出られたとしても、生きて地面に降り立つなんて不可能だと言うのに。

 

 更に彼は、この環境下では人に寄生しないと生きられない。

 段々叩く力が弱くなっていき、ペチンペチンと言う瑣末な音が出入り口の空間に響き渡っていた。

 

 そこに、また別の音が反響した。

 

「…手を貸そう」

 

 コツコツ。

 靴音の音。

 

 振り返ると同時に、眩しい光が黒いスライムの視神経を焼く。

 人間で言う目を細めるに値する動作をしたが、薄暗く、逆光もあってその人物の顔は分からなかった。

 

 しかし、誰かは分かる。

 よく聴いた声だ。

 

 よく見ると、その人物は手に刀の様な物を持っていた。

 

「…これか?…まぁ、救援物資みたいな物だ、保険だがな」

 

 そして、その人物は黒いスライムに手を差し伸ばす。

 

「いくぞ、()ならいける」

 

 黒いスライムは差し出された手を取るのに躊躇した。

 しかしそれも一瞬のことで、乱暴に手を取り、その手に自身の身体を這わせていった。

 

「…こんなジジイとは嫌か?…一瞬の事だ、我慢してくれ」

 

 黒い生物がその人物をを覆い尽くすと、彼はどこに向けてでも無く呟く。

 次の瞬間、そこには誰も居なくなり、元の静寂だけが残っていた。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。


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四十九話 WE ARE VENOM

ゆっくりなれば、ゆっくりなりけり。


「さて、と…」

 

 いよいよ一人となり、静かに佇むのは彼、シン。

 

 彼は背後のロケットのエンジン音と、前方の壁が破壊される爆音をBGMに、深く深呼吸をした。

 深く、深く。

 

 血生臭い空気に咽びそうになるが、我慢して、思い切り吐き出す。

 後悔も未練も吐き出す様に。

 ストレス解消には深呼吸が良いと彼は本から齧っていたが、どうやらこれは真実らしい。

 

 彼の心拍が落ち着き、思考がクリアになっていく。

 

 ビシ、と。

 彼の集中を破砕音が乱した。

 

「あと、数秒か」

 

 彼は大門と、先の謎の旋風で大ダメージを受けた壁を交互に一瞥した。

 大門は破壊の様子を見せない。

 精々バンバンと衝撃が与えられるだけだ。

 しかし隣の巨大な壁はさっきから何度も粉塵が吹き出しており、限界が近いだろう。

 

 妖怪が飛び出すとしたら、十中八九壁の方からか。

 それも、後数秒で。

 

「…残ってといて良かったぜ」

 

 彼は僅かに()()した。

 壁が破壊されそうなこの状況に対して、だ。

 

 と言うのも、言葉の通り、シンが依姫の静止を振り切ってここに残ったと言うことに意味が生じたからだ。

 これで壁も壊れず無事ロケットが飛び立てば、シンは何の為に残ったか分からない。

 

「じゃあ…行くか」

 

 現実に意識を戻すシン。

 いよいよ壁は崩壊を目前とし、ヒビがどんどん広がっていく。

 妖怪の激突に際す轟音も、スパンが短くなっていき、こちらに侵入しようとする妖怪の腕すら見える程だ。

 

 シンは心の中でカウントダウンを開始し、その時を静かに待った。

 

 三。

 

 ゴクリと喉を鳴らし、拳を握り締める。

 

 二。

 

 一際大きな轟音が鳴り、ガラガラと壁の一部だった物が地面に激突する。

 

 

 

 一。

 

 

 

 その時、音が消えた。

 轟音も、妖怪の怒号も、シンの息遣いさえも聞こえなかった。

 

 こんな状況を表すのに、ピッタリな言葉がある。

 

 

 

 それは、嵐の前の静かさ。

 

 

 

「…ッ!!」

 

 直後、爆発。

 

 眼前に広がるのは粉々に破壊された壁。

 噴火でも起こったかの様に噴き出す妖怪。

 

 砂塵の中から狂った瞳が月光に反射して幾重にも煌めき、その全てがシンに向けられていた。

 シンは何重にも重ねられた敵意の視線に身慄いし、それを払拭する様に叫んだ。

 

「ッかかってこいッ!!死にたい奴からなァッッ!!!」

 

 シンは瞳の裏に、巨大な雪崩を見た。

 人一人が雪崩を抑えると言う事が、どれだけ滑稽だろうか。

 

 だが、やれるやれないではない。

 やるのだ。

 

「ォオオオオオ"オ"ッ!!!」

 

 シンは駆け出し、雄叫びを上げながら妖怪の波へ身を投じた。

 

 後はもう、拳を振るうだけ。

 

「ぁあ"ァッ!!」

 

 一度に数十も及ぶ腕を躱し、避け、捌き、受け流し、防御し、受け、折る。

 視界を埋め尽くす掌に爪、妖力弾は圧巻と絶望の二言に尽き、防御するだけで全身全霊を尽くした。

 

 早々に筋肉が悲鳴を上げ、ピクピクと全身の肉が震え始める。

 

 全力疾走だって常人は数秒しか持たないのだ。

 全方位からの攻撃に反応するシンの負担は、想像を絶するだろう。

 

「っぐぶ…ぁ…ッ!」

 

 運悪くか、物量ゆえか、防御の合間を縫って接近した一体の妖怪。

 まるで武術の様な足運びでシンは懐に潜り込まれ、鳩尾に一撃を貰った。

 

 そこで始めてシンは目の前の妖怪を認識した。

 端的に言えば、猿。

 

 醜悪に、野生的に笑みを浮かべ、拳をシンの鳩尾に捻り込む。

 

「ウキャァッ!!」

 

 知覚した瞬間、シンにダメージが現れ、ゲロを吐きながら怯———まない。

 

「んン"っ!!」 

「ヒュッ———ギュ…ッ…!」

 

 猿の瞳に映ったのはまさに鬼の形相。

 顔を青くして逃走しようとする猿妖怪を逃がさず、顔面を殴って首と胴体を千切り飛ばした。

 

 しかし数千vs一の状況で一体の妖怪に構った代償は大きい。

 

 シンの視界の端に二、三匹の妖怪が映る。

 はっとして振り返ったシンだったが、数匹の妖怪が既に彼の包囲網を抜け、今まさにロケットに襲い掛かろうとする直前だった。

 

「待てよゴミカス共ォァ"ッ!!」

 

 それを黙って見逃すシンではない。

 背後の大群に背を向け、目だけを動かして飛び出した妖怪の頭数を数える。

 

(五!離陸までは…あと三十秒…!!)

 

 シンが地を蹴り出そうとした瞬間、爆音が鳴り響いた。

 

「ッ!?…ッエンジンか!占めた!」

 

 ロケットのエンジンが着火され、炎が吹き出し始めたのだ。

 熱風に肌が焼かれるも、構わずシンは飛び出す。

 

「焼けちまえッ!!」

 

 シンは駆け出す妖怪より早く疾走し、一体目の首根っこを掴むと、思い切り前方に投げ付けた。

 目標はそう、ロケットの真下。

 

「———!?———…!」

 

 投げ出された妖怪。

 自らの突進にシンの投擲が合わさったのだ。

 当然、抵抗することも出来ずにロケットの炎に焼き尽くされ、もがきながら細胞一片も残さず消滅してしまう。

 

 そしてそれは、残りの四体の末路でもあった。

 

 一体目が焼き尽くされた瞬間、続け様にロケットのエンジン下方に妖怪が送り込まれ、叫び声も上げれずに消滅していく。

 四つの黒い影が踊り狂う様は、見ていて滑稽ですらあった。

 

「はっ、はっ…はっ、はぁっ…!」

 

 一方、シンは体力切れを起こし、背後に迫る妖怪と目の前のエンジンの起こす熱風に立ち尽くしていた。

 

「はぁっ、あと…二十秒ッ!」

 

 いや、立ち尽くした?

 体力切れ?

 そんな物が障害になるとは、そんな物でシンが立ち尽くすとは、誰も思っていない。

 

 シンはゆっくりと振り返り、地に片手を付いた。

 

「ハァァァ"ァ"…ッ!!」

 

 倒れたのではない。

 

 そう、今こそ、人間性を捨てる時。

 四足歩行が齎す機動力で、手数で、本能で。

 

 妖怪を、駆逐する。

 

ガァアアア"ア"ッ!!!

 

 シンは音速に近い速度で飛び出した。

 

 流れる思考は刹那的に。

 二の手は考えない、今、この瞬間だけを。

 

 常に全力で、常に最高速を。

 

「ォアアアアア"ア"ッ!!」

 

 一つの壁が立ちはだかるように妖怪が殺到するが、シンは防御はしなかった。

 防御する事で生まれるロスより、傷を負ってでも攻撃する事の方がリターンが大きいからだ。

 

 結果、彼は夥しい数の生傷を受けるが、攻撃の最中、彼は一体の妖怪の腕を掴んだ。

 

 そのままシンはぐちゃりと骨を握り潰し、その妖怪を引き抜くと、力の限りそれを振るった。

 

「ぁあ"ッ!!」

 

 差し詰め、鞭。

 音速の壁を超えた妖怪の鞭は、鞭となった妖怪全身の骨を砕かれて絶命しただけに留まらず、発生したソニックブームによって周囲の妖怪が消し飛ぶまでに至っていた。

 

 しかし。

 突如として赤く染まる視界。

 

 返り血が運悪く顔に飛んで来たのだ。

 

 ただでさえ片目を負傷していたと言うのに、これは———

 

 シンの動きかほんの一、二秒が鈍る。

 

 ———ドン。

 胸に、衝撃と違和感。

 

「…っう…ッ!?ぐぅっ!」

 

 視界が晴れたその時、シンの胸に激烈な痛みが走った。

 視界を下げると、一体の妖怪。

 

 胸を、貫かれた。

 

「…っんのォッ!!」

 

 目の見えない状態ながら、胸を貫いただろう妖怪が居る位置を狙い、アッパー。

 結果その一撃は腹パンとなってを決まり、勢いのままその妖怪を殴り飛ばした。

 

 生まれた僅かな(いとま)に血を拭い、シンは拳を構え直したが、喉に血が溢れ、濁った咳を起こしてしまう。

 激痛の位置からして肺の辺りに穴が空いたか。

 

 構わない、動けるなら。

 

 肺がゴロゴロ鳴り、痛みに歯を食いしばる。

 目の前に妖怪が迫り、彼は迎撃しようと拳を繰り出した。

 

 しかし。

 

「っう…ぐぉおお…っ!!」

 

 キレが無い。

 速さが無い。

 威力が無い。

 

 肺の一つが機能しなくなった以上、こうなる事は自明の理ではあったが、それにしたってここまでの弱体化は想定外であった。

 

 ならばやるべき事は一つ。

 大ダメージ必須の爪と牙は死に物狂いで避け、殺害に至らなくても足を折って前進を遅延させる。

 

「っぐぁっ…!ぁああ"ッ!!」

 

 しかし、そう上手くいく訳が無い。

 瞬く間に生傷と赤い列線、打撲痕がシンの身体に広がっていき、一本、また一本と骨がイカれていった。

 

「あとっ!!五秒ッ!!」

 

 背後のロケットのエンジンが激しく唸りを上げる。

 後退は出来ない、ロケットとシンの距離はおよそ十数メートルだ。

 

 加えて熱風がシンの背を焼き、ほぼ無い体力をじわじわと奪っていく。

 

 ———まだ、まだだ、耐えろ。

 

 シンの動きが加速度的に遅くなっていく。

 その隙を突いた一撃が、彼の横腹を貫いた。

 

「…がっ…ッ!ぁアッ!!」

 

 ———あと、三秒。

 

 死に物狂いで横腹を貫いた一匹の妖怪の顔面を鷲掴み、握り潰そうと握力を篭める。

 

 しかしその姿は恰好の的でしかなく、傷を抉る様にボディブローが飛び、更に数十の拳の嵐が飛び交った。

 弾き出される様に十数の妖怪ごと上空に吹っ飛ばされて、漸くシンは吐血した。

 

 ペットボトル一本分の、大量の血だ。

 

 ———あと、いち、びょう。

 

(これだけやりゃあ…十分…だろ…)

 

 奇妙な浮遊感の中、シンは赤く染まった視界でチラリと、ロケットを一瞥した。

 いよいよ炎の噴出が激しくなり、轟轟と心臓まで響くほどの音を鳴らしている。

 

 そしてもう機体が宙に浮くのではないかと思われたその時。

 

 一匹の妖怪が機体に飛びかかった。

 

「…なっ…!?」

 

 狭窄した視界は、それがなんの妖怪かすらも映すことはない。

 しかし、その妖怪が口元に炎を溜め込んでいる事だけは分かった。

 

 もしあれが、エンジンに直撃したりでもしたら。

 

「な…にを…!!」

 

 瞬間湧き出す怒り。

 

「何を…ッ!」

 

 ———依姫は必ず守る。

 

 それを、俺の決意を台無しにするのか。

 俺の最も大切だと言える存在を、奪うのか。

 

 妖怪に向けた怒りがシンに力を宿す。

 

 そして俺は、それをみすみす見逃すほど、弱かったか。

 

 自己に向けた怒りがシンに闘志を燃え上がらせる。

 

「何をォオッ!!」

 

 喉から血が溢れて止まらない。

 身体も動かない。

 

 いつもの事だ。

 限界を超えればいいのだ、超えてこそ、力を手に入れられる。

 

 例えそれの行き着く先が死だとしても、構わない。

 これが最期として、最後の全力として。

 

 彼は吠えた。

 

何をしやがるァァア"ア"ッッ!!!

 

 瞬間、シンの周囲に居た妖怪が凹んだ。

 まるで潰された空き缶の様に。

 そこにシンの姿は形も無く、空気の壁を超越した破裂音が響いた。

 

 彼は宙に浮かぶ妖怪を蹴ったのだ。

 それも限界を超えた脚力で。

 その軌跡はまさに、(いかづち)

 

 普段人間は筋肉にリミッターを掛けて過ごしていると言うが、シンの行動はまさにリミッターを解除したその先の次元にあったのだ。

 

 

「うるぁア"ッッ!!」

 

 掛け声に炎を吐き出そうとする妖怪が反応し、そのまま振り返った。

 間抜けに開いたその顎に、シンは拳を叩き込む。

 

 ぐちゃり。

 

 そんな音が拳から伝わる。

 次の瞬間、拳の中の炎が瞬くと、暴発を引き起こし、シンを巻き込んで大爆発。

 

 不味いと思った瞬間にはもう遅く、気付けばシンは黒煙の中から力無く墜落していた。

 しかもリミッターを超えたシンの両足はぐちゃぐちゃ。

 

 もう歩く事は叶わないだろう。

 最も、そんな事はどうでもいいのだが。

 

「ッかはっ!ゲホッ…!…やった…やったぞ…!…はは…」

 

 彼はチラリとロケットを見た。

 今の爆発で黒い煤が付いているが、離陸に問題は無い。

 

 妖怪にも、もうロケットの発射をを邪魔出来る奴は居ない。

 

 良かった、間に合った————

 

 思考が閉じ終わる前に、シンの視界を光が満たした。

 

「————…ぅ…が…!」

 

 ————熱い。

 

 ————エンジン?

 

 ————そうだ、そりゃ、これぐらい火が出るよな。

 

 ————傷が焼ける、痛い。

 

 ————骨が痛い、爆風、もみくちゃにされる。

 

 ————明るいのに、暗い。何故?

 

 ————目が、見えない、焼かれたのか。

 

 ————身体中、感覚無い。

 

 ————なのに痛い、痛い、痛い。

 

 ————背中、衝撃、壁?そこまで吹っ飛ばされたのか?

 

 ————多分、地面が近付いてる。

 

 ————受け身、取れない。

 

 ————死ぬ?

 

 ————衝撃、浮遊感が、終わった、肌が冷たい、生きている。

 

 ————地面?

 

「…ぅ…」

 

 ロケットのエンジンによる爆風。

 それに巻き込まれていたのは、どれくらいだったろう。

 

 長い間、思考を駆け巡らせていた気がする。

 死に瀕し、極限まで引き延ばされた時間の中で、無限に及ぶ拷問を受けた様な気もした。

 

 ただ分かるのは、自分が壁を背にもたれかかっている感覚と、僅かな喧騒を示す聴覚だけた。

 それ以外は何も無い。

 目は見えないし、指一本動かない、さらに下半身に至っては感覚が無い。

 

「死、ぬのか…俺」

 

 死の静寂に、限りなく近く感じる。

 これまで無いくらい、はっきりと。

 

「ははは…」

 

 ロケットの轟音が遠くなっていく。

 役目を終えた安堵と、自身の生への諦めが混ざり合い、乾いた笑いが出た。

 

「…はは」

 

 ビリビリと肌が焼けるような感覚。

 殺意の籠った、妖怪の視線だ。

 

 目の前で獲物に逃げられ、内包する暴力を振るう相手が居なくなった彼らの行動は一つ。

 目の前の死に損ないを殺す。

 

「ああクソ…やっぱ死にたくねぇなぁ…」

 

 カラスが死肉に集るように。

 数秒後には自身に夥しい数の妖怪が殺到する光景を瞼の裏に幻視したシンは、やっと自分の本当の願いを想起した。

 

 本当の願いというよりも、それはワガママの様なものであったが。

 

「依姫…ヴェノム…」

 

 ()()()()()()()()()

 どうして別れるなんて選択を取ったんだろうか。

 

 シンと一緒に死んで欲しかったと言うわけじゃない。

 

 ただ、選択肢はいくらでもあったのではないかというタラレバであり、後悔が後になって襲って来ただけだ。

 

 極論、ロケットなんて見捨てて、依姫もヴェノムも一緒に何処か遠くへ逃げ出しても良かった。

 そうしなかったのは、何故だろう。

 

「…っ…」

 

 意識が段々と曖昧な物へと姿を変えていく。

 けれども思考は止めなかった。

 

 シンは、豊姫や永琳、それに地上の人々を助けたかったのだろうか。

 彼らを見捨てた末に、依姫やヴェノムに失望されたくなかったのだろうか。

 

 ふと、ある考えが浮かんだ。

 烙印を押し付けられたように、拭おうと思っても離れない、そんな考えだ。

 

 ———()()()()()()()()

 

 そんな訳が無い。

 …果たしてそう言い切れるだろうか?

 

「…」

 

 …きっと、そうだ、そう言う事なんだ。

 無意識下の内に、シンはこの戦争を心待ちにしていたのだ。

 

 永遠に戦い続けられるような、そんな戦いが。

 事実、存分に暴れられたこの戦争は、心のどこかで楽しいと感じていた。

 

「クズ野郎…」

 

 依姫を守ると言う大義名分の裏で、戦闘欲を満たしたいと言う身勝手な願いを叶えようとしていたのだ。

 そして自分のせいで彼女をイタズラに傷付けて、悲しませた。

 

 だと言うのに、いっぱしにシンは後悔を感じている。

 死んでも良いと決めていたのに、今になって死にたくないと心に浮かんでくる程には。

 

 なんて半端者。

 なんて人格破綻者だ。

 

「クソ…クソ…!!」

 

 ジリ、と、にじり寄る妖怪の気配が近付いてくる。

 死に対する恐怖はない、どうせあと数分の命だ。

 

 ただ…ただ、後悔が残るのだ。

 

「依姫…!ヴェノム…!俺は————」

 

 身勝手に死んで、身勝手に迷惑を掛けた、この俺をどうか許してほしいと。

 そして————

 

「お前らと一緒に居たかった…!!」

 

 最後の最後に、こんなわがままを言う俺を許して欲しい、と。

 

「ギィアアッ!!」

 

 ああ、汚い声が聞こえる。

 あと数秒で、死ぬ。

 

 その刹那、依姫とヴェノム、玄楽に永琳といった、いわゆる走馬灯が浮かんだ。

 楽しすぎたあの日常。

 この俺には勿体なさすぎたあの生活。

 

 今になって愛しくなっしまった依姫。

 馬鹿で、最高の相棒の、ヴェノム。

 

 思わず、身体が動かない筈なのに、シンは手を伸ばしてしまった。

 記憶の中だけでも、最期に、彼らに触れたかった。

 

「ギャッ!?!?」

 

 瞬間、手に感触。

 そして轟音と頬を撫でる風圧。

 

 同時に、何かに手を握られた。

 硬いような、筋肉質なような触感だ。

 …これは、()()()()

 いやそんな筈は無い。

 

 記憶の中の、意識の深層で起こった出来事は、時に現実の身体にも作用すると言う。

 シンが今、手を握られていると言うのは所詮、妄想と現実が錯綜しているだけに過ぎないのだ。

 

 何故なら、妄想でもなければ、ヴェノムがここに居るなんて、絶対にあり得ない。

 信じられない。

 

シン、ただいまだ

 

 …この戯言も、都合の良いように作り出された幻想に過ぎないのだ。

 第一、ヴェノムがここに居れる訳がない。

 

 宿主も居ないヴェノムが、落下の摩擦熱に耐えてここに来たと?

 シンのために?

 

 その発想こそ思い上がりだ。

 

「ヴェ…ノム…」

 

 しかし。

 妄想なら妄想なりに、心の内を暴露してしまっても構わないだろう。

 ヴェノムに聞かれたくないような内容も、今なら独り言だ。

 

「すまなかった…俺は…俺の気持ちだけを優先してたんだ…俺はお前らと一緒に居たかった筈なのに…勝手に自分で自分を押し殺して…勝手に別れて…それが最善って言い聞かせて…お前らの気持ちも考えなかった…」

大馬鹿野郎だな、両目も、足も無くなってる、それに酷い顔だ

「はは…許してくれ…勝手に死んじまう俺を…本当にお前は…最高の相棒だった…」

 

 こんな時も罵倒から入るなんて、随分解像度の高い妄想だ。

 

俺は許さない、勝手に死ぬな、それに相棒だったじゃない!今も相棒だ!

「…はっ、何から何まで、ヴェノムそっくりだ…妄想にしては…出来が良い…ははは…心残りが…少しぐらい晴れたか…」

 

 数秒の沈黙ののち、ハァ〜、と大きな溜息が聞こえてきた。

 ヴェノムが発した物だろうか。

 

 というか、結構長い時間妄想が居座っているような気がする。

 こういう幻影は直ぐに消える物だと思っていたが。

 

…うーむ、コイツ頭を打ったみたいだ、仕方ないから治してやる

「なに…言ってんだ…?」

 

 その時、懐かしい感覚が身を襲った。

 

 ヴェノムと邂逅した、あの時だ。

 黒い粘体が指、腕、体と絡めとるように巻き付いていき、どこか心地よい感覚に身を委ねる、あの感覚だ。

 

 シンの身体に黒が浸透していき、強さの次元を一段階引き上げるこの共生の感覚。

 強靭な身体に生まれ変わった、高揚感だ。

 

 この感覚はもう、妄想とは呼べなかった。

 

「嘘だろ…おい夢か…?本当に…お前なのか…?」

俺がここに戻ってきて何が悪い?

「っはは…ヴェノムそりゃあ、間違ったやり方だぜ?」

分かってないなお前は、世の中には三つのやり方がある…正しいやり方、間違ったやり方…そして、俺のやり方!

 

 痛みが失せていく。

 死の淵から引き摺り出されたシンは、現実を受け入れられず呆然としていたが、身体が治っていくのを感じ、徐々に余裕を取り戻しつつあった。

 と言っても、欠損した部位、特に腕と目が治った訳では無い。

 

 この間に妖怪が襲って来ないのには疑問を感じたが、再会の衝撃と比べれば些細な事である。

 暗闇の視界の中で、シンは語り掛けた。

 

「お前の母星には…帰らなくて良かったのか?」

家みたいな場所は世界で一つだけって言うだろ?俺の家はお前だ

「ったく、お前も馬鹿野郎じゃねぇか」

 

 ヴェノムのアメーバ状の身体全てがシンの身体へと入り込むと、シンはおもむろにポケットへと手を突っ込んだ。

 

「…良かった、あった」

<薬か、永琳の>

 

 ボロボロのズボンのポケットから取り出したのは、嘗て永琳から与えられた薬だった。

 名を、同化薬。

 

 効果はシンとヴェノムの一体化。

 両者の細胞を掛け合わせ、ヴェノムの不老性をシンにも反映することが出来るのだ。

 

 勿論人間では無くなり、滅多な事でヴェノムと離れる事も出来なくなるが、承知の上だ。

 

「使っても良いよな」

<シン、やっばりお前も俺を待っていたんだな>

「うっせぇなぁ、捨てられなかったんだよ」

 

 こんな物、ヴェノムと別れた直後に捨てて仕舞えば良かったのに。

 捨てられなかった。

 

 きっと心の何処かで、ヴェノムが戻ってきて欲しいと渇望していたからだ。

 それがヴェノムに見透かされた瞬間、シンは気恥ずかしそうにそう吐き捨てた。

 

 勿論、先の戦いで割れていたり、ポケットが破けて紛失したりしていてもおかしくなかった。

 それが無傷の状態だったのだ。

 思わずシンは、運命的な物を感じずにはいられなかった。

 

「…っ」

 

 もうこれを飲まない理由は無い、と。

 シンは一息に薬を飲み干した。

 

「…っふぅ〜…」

 

 変化は直ぐ現れた。

 妖怪に切り裂かれた左目、炎に焼かれた右目に僅かに光が灯ったのだ。

 

 モザイクのような風景は次第に輪郭が伴っていき、鮮烈な風景が瞳を焼いていく。

 紛れもなく、両目の再生が行われたのだ。

 

 そこで彼は、衝撃的な光景を目に映す事になる。

 

「…は…?げ、玄楽…?なんでお前も…」

「…」

 

 依姫の父親、玄楽。

 刃の潰れた(なまくら)を地面に突き刺し、腕を組んでシンを見下ろしていた。

 

 その背後では、有象無象の妖怪が後退りをしながらシン達を睨み付けている。

 そこでシンは、玄楽が異様なな威圧感を背後へ飛ばしているのに気付いた。

 

 そうか、彼が妖怪を止めていたのだ。

 

 しかしシンはヴェノムが戻って来た事は理解出来るが、玄楽も居る事には全く理解出来なかった。

 

「ヴェノムと、船で会った…そこで吾の能力を使い、共に地上へ降り立ったのだ」

「い、いや…そこは何となく分かる…!俺が言いたいのは…なんでヴェノムと玄楽が…!?」

 

 シンが依姫と別れた理由の一つに、玄楽があった。

 彼なら、シンが居なくなった依姫の心の傷を癒せるだろうと。

 豊姫や、永琳も居る。

 

 しかし現実として、今ここに玄楽が居る。

 それは、依姫が父を失うという事で———

 

「依姫は…」

 

 シンが冷や汗を流したその時。

 玄楽が目を伏せて話し出した。

 

「依姫はよくお前の事を話していた」

 

 玄楽に浮かぶのは家族団欒。

 豊姫と依姫と、三人で食卓を囲んでいた時の風景だった。

 

「吾が娘ながら、曇りの無い笑顔だった」

 

 彼の記憶の中の依姫は、よくシンの事を話していた。

 時に笑い、時に怒り、時に文句を言う。

 しかしいずれも、彼女は幸せそうだった。

 

 それを豊姫が茶化し、依姫がぷりぷりと怒るのが玄楽にとっての日常だった。

 

「吾は…豊姫の笑顔を取り戻す事さえ、数年掛かった」

 

 彼が妻を亡くしてから、豊姫は幼気ながらに顔に陰があった。

 その陰を晴らすのに、玄楽は数年掛かったのだ。

 それに父親として努力しても、最後は結局豊姫が自分で立ち直った。

 

 故に玄楽は、娘のトラウマすら治せない自分は、父親失格なのではないかと思い続けていた。

 彼の妻が死ぬまで、親ではなく、軍人として生きていたのだから、尚更である。

 

「だから吾には…依姫に、想い人を失わせるという心の傷を癒す事は出来ない、豊姫でさえ、ままならなかったのだ」

 

 彼は縋るような目でシンを見る。

 シンにとってそれは、玄楽が初めて見せる姿だった。

 

「だから吾は…命を賭けて、お前を生かしに来た」

「…叫びたい気分だ、お前は間違ってるって…いや、俺が言えた事じゃないが…親として、お前は失格なんかじゃねぇって…けど、過ぎたモンはしょうがねぇ…」

 

 シンはヴェノムを全身に纏い、片手も両足を再生させ、ゆっくりと立ち上がった。

 

命を賭けると言ったな…絶対に生かしてやるぞ

「…そうか…有難い言葉だな…」

 

 玄楽は一瞬俯き、笑みを浮かべた。

 娘を任せるのには、十分な男だと。

 

 そして地面に突き刺さった鈍を引き抜き、シンにそれを手渡した。

  

「受け取れ、刃は潰れているが、お前なら武器になるだろう」

お、おう…?

確かに武器にはなるが…チョイスが謎だな

「手頃な獲物がそれしかなかったのだ」

 

 ヴェノムが言うように、謎のチョイスだ。

 正直刃が潰れているかいないかで言ったら、ちゃんと刃の潰れていない獲物が欲しかった。

 

 ヴェノムの粘液で覆って仕舞えば強力な鈍器となるが…

 

 しかし、一番の謎は———

 

(エレクトロの戦いで…無くした…よな?)

 

 ()()()()()()()()だった。

 

 湾曲した刀。

 銀ではなく、黄金に似た青銅色。

 間違いない、エレクトロとの戦いで使った、あの刀だ。

 

 10円玉の様な青銅色がギラギラと紅の月光に煌めき、無骨な光を放っている。

 

(なんで今…回収された刀が偶然玄楽の目の届く所に巡ってきたのか…?)

 

 エレクトロとの戦いで絶体絶命となった時、雷の如く飛来した刀。

 最終的に爆発に飲まれ、行方が分からなくなっていた筈。

 

 巡り巡ってシンの元に帰って来たのは、運命か。

 

まぁ…いい…先ずは妖怪だ

ディナーが沢山、ご馳走だ

 

 ひとまず、刀の事は後回しにしようと決めたシンは、握り込んだ鈍にヴェノムの粘液を纏わせた。

 泥のように刀身を覆い尽くし、黒曜石の如く硬化させる。

 

 折られた事もない、彼ら特製の武器だ。

 

「では、参ろうか」

 

 玄楽もシンに背を向け、妖怪達と対峙する。

 妖怪達への牽制を込めた殺気が消え、肌を刺すような威圧感が二人に降り注いだ。

 オマケに『待て』を食らった妖怪達の興奮のボルテージは最高潮、加えて数は約千匹。

 

 玄楽とシン達は構えを取ると、疑問でもあったのか、玄楽が首だけシン達の方へ向け、質問を投げ掛けた。

 

「ああそうだ…お前達はシンと呼べば良いか?それともシン達か?」

ふん、違うな

ああ、俺達は———

 

 ヴェノムが否定。

 続けてシンが言葉を発すると、ヴェノムが合わせるように言った。

 

「「俺達は!(WE ARE!)ヴェノムだ!!(VENOM!!)」」

 

 シン達は、いや、ヴェノムは再び戦火を身を投じるのだった。




ご拝読ありがとうございますなのぜ。
間違いなくシンの本心はヴェノム達と一緒に居たい、なのぜ。
でも心の裏にはそれを上回る程の戦闘欲が潜んでいるのぜ。

その軋轢が、シンを一番苦しめているのぜ。

そして獻蔴.www様、Ametprase様、それぞれ☆9、☆5評価ありがとうございますなのぜ。


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第五十話 『父』と『鬼』

いざ、ゆっくり。


 一人は、大切な物を守ろうと、戦った。

 その裏で、戦いに身を投じる快感に酔いしれた。

 

 戦う理由が、自己の欲望の為、そして他人の為。

 その矛盾の果てに、彼は全てを投げ打ってか、それとも贖罪の為からか死を選び、結果死ねなかった。

 捨てた筈の友情に、彼は救われた。

 

 そして、『彼ら』として、最後は共に戦う者の為に剣を振るった。

 

 また一人…いや、一体は、同じ様に友の為に戦った。

 最初から、最後まで。

 一方的に別れを告げられても、その芯が曲がる事は無かった。

 人より人外の方が心の芯がはっきりしているのは如何な物だろうか。

 

 そして、もう一人。

 彼は、『父親』として戦った。

 

 『父親』としての責務を全うする為に、少しでも娘達の為に命を賭そうと決意した。

 これまで『軍人』だった彼は、やっと『冴えない父親』まで昇格したと言えるだろう。

 

 『良い父親』ではない。

 それに成るには、彼は不器用過ぎたし、遅過ぎた。

 

 だから、せめて娘達が誇れる『父親』であろうと。

 妹の方の娘に地獄の様な想いをして欲しくないと。

 姉の方の娘一人に妹を任せる事を許して欲しいと。

 

 彼は、今だけ『軍人』になった。

 『父親』で、ある為に。

 

◆◆

 

…ハッハッハッ…!まるで痛くねぇ…!

やっぱり俺達は最強だ!!

 

 彼らは腕を広げ、まるで春風に当たるかの様に心を落ち着かせていた。

 最も、受けているのは春風ではなく攻撃の嵐だが。

 

 牙、爪に味方を巻き込んだ妖力弾。

 

 絶え間無い連撃を喰らえば、誰でもお手頃なミンチにされるだろう。

 しかし、妖怪の相手をしているのは埒外の化け物。

 

 人間なんてとうに超えているヴェノムには、防御する意味も無かった。

 

 ゲームの様に表現するならば、0か1ダメージ。

 怯む事も無く、ヴェノムのオートリジェネ付き。

 

…フーッ…

 

 野球バットをスイングする様に、彼らは剣と化した黒腕を振りかぶった。

 いわゆるテレフォンパンチ。

 

ッらぁッ!

 

 視認してから回避も出来た筈だが、妖怪達は後ろの妖怪達に押され、マトモな回避も出来なかった。

 ならば、結果は分かりきっている。

 

 ザン。

 

 シンは剣の達人などでは無い。

 故に音も出さずに両断するなんて真似は出来なかったが、それでも小気味良い音が鳴った。

 

「—————!?!?ー!!」

 

 続いて声にならない悲鳴。

 痛みに咽ぶ、妖怪の悲鳴だ。

 

 ヴェノムが黒刃から滴る血を振り払うと、彼ら十数の妖怪は上半身と下半身に分けて滑り落ち、先までの絶叫が嘘の様に静かに絶命した。

 

…次は…どいつだ?

 

 シンによってボソリと告げられた言葉は、嫌に大きく聞こえた。

 ヴェノムを見る目には明らかに怯えが混ざり、後退りするモノまで現れる。

 

来い!害虫ども!!

「グゥ…!!」

 

 しかしその時。

 ヴェノムの放った言葉が、妖怪達のプライドを傷付けた。

 

 ————何故、たかが姿の変わった人間に、我々はここまで怯えなければならない?

 

 ————我々は恐れを受けるモノ、我々は人を喰らうモノ。

 

 ————我々を恐れる筈の人間に、害虫呼ばわりだと?

 

 ————その輩に…我々は怯えているだと?

 

「グルル…!!」

「シャァァッ!!」

「ォォオオオ…ッ!」

 

 ————断じて許容出来ない、殺してやる。

 

 彼らに知能は無い。

 ただ、本能が叫ぶのだ。

 

 侮辱されたと感じた瞬間、妖怪としての誇りが彼らの戦意を燃え上がらせた。

 それぞれの妖怪が唸りと咆哮を上げ、目の前の痴れ者を殺そうと牙を向く。

 

 初めて、享楽と食欲では無く。

 自身の、妖怪としてのプライドを理由に本能を滾らせた瞬間だった。

 

…いいぞ!その調子だ!!殺意を向けろ!!熱意を滾らせろ!!

かかって来いちっぽけな餌共!!

 

 灼熱の様な殺意と熱意。

 今の彼らには恐怖も怯えもない、湧くのは戦意だけ。

 

 異形の舌を燻らし、頬まで裂けた口腔を更に裂かせて笑う。

 彼らの真っ白な瞳に、肉の雪崩が襲い掛かる光景が映った。

 

◆◆

 

「…あれが、常識の外側と言う奴か」

 

 玄楽の瞳に、妖怪を頭から噛み砕くヴェノムの姿が映り、彼はそう呟いた。

 

 かく言う彼もよそ見をしていると言うのに、攻撃に当たる気配は無い。

 壁の如く押し寄せる攻撃に潰れてもおかしくない。

 

 しかし、彼は最短最小の動きで避け続けていた。

 

「…むん」

 

 そして、カウンター気味に一撃。

 軽いジャブ程度の打撃は、明確に急所を貫き、相手を絶命に追いやっていく。

 

 避ける、カウンター。

 

 避ける、カウンター。

 

「貴様らでは…吾らを止められんぞ」

 

 圧倒的に経験から成る打撃を前に、妖怪達は決定打を得る事が出来なくなっていた。

 気付けば死体の山が足元に築かれ、足を崩した妖怪から命を刈り取られていく。

 

 妖怪達は、玄楽の背後に感情の灯らない死神を幻視した。

 もしくは、機械。

 微塵も精度を崩す事も無く、リズムを崩す事も無く。

 ただ機械的に『処理』していく姿に、妖怪は玄楽に恐怖を抱き始めていた。

 

 ヴェノムへの恐怖とは違う。

 彼らへの恐怖を言葉にするなら、絶対的暴力への怯え。

 

 対して玄楽に抱いたのは、理解不能から来る恐怖だ。

 

「…む」

 

 そこらの人間とはまるで変わらないのに、当たらない。

 雲を掴まされた様に逃げられ、気付けば周りに同胞の死体が転がっている。

 

 ————分からない。

 ————理解が出来ない。

 ————あっちの黒い人間の方がマシだ。

 

 残虐を尽くす妖怪にも、恐怖が生まれる。

 ダムの決壊の如く恐怖が溢れ、まるで幽霊を見た少年の様にガタガタと震える妖怪達。

 大多数の妖怪は彼から逃げ出し、代わりに黒い化け物の方へ挑んでいった。

 

「待つと良い」

 

 しかしその行手を彼が阻む。

 それも一瞬で、だ。

 

 まるで瞬間移動の様に現れた彼に、妖怪達は怯えを加速させた。

 

「吾は彼らを守る使命があるのだ」

 

 彼は霊力を解放し、腕を組んだ。

 その姿はまさに仁王立ち。

 

 金剛力士の様な重たい圧を放つ彼は、自身に言い聞かせる様に啖呵を切った。

 

「吾は最強の軍人」

 

 妖怪達の瞳に、『最強の軍人』が映る。

 彼らは『最強の軍人』の背後に、幾万もの妖怪の死骸を幻視した。

 

 どれだけ殺したかも分からないくらいの、大量の死体。

 何故か、濃密な死臭が彼から漂った。

 紛れもない、死の匂い。

 

「一匹足りとも、逃しはせん」

「グ…グゥ…!グォオオオッ!!」

 

 妖怪達は自身の生を諦め、ヤケクソ気味に玄楽へ突撃した。

 

◆◆

 

シン、お前はこの程度の奴らにボロボロにされたのか?

…悪いかよ

いや、お前は俺が居ないとダメだと分かっただけだ、出来の悪い相棒を持つと大変だな!

出来の悪い相棒で悪かったな馬鹿タレ

 

 シンは不機嫌にそう吐き捨てる。

 

 まるで散歩でもしているかの様な愉快な会話。

 対照的に、周囲は惨状と呼ぶしかなかった。

 

 赤月の元に妖怪の血が妖しく反射し、ヴェノムの身体が真っ赤にテラテラと濡れている。

 死体の山が幾万も築かれ、まるでスクラップ場の様な雰囲気が漂っていた。

 

 それでも、妖怪の波は止まる事を知らない。

 軽口を叩き合う彼らに容赦無く襲い掛かり、同時に死体の山の一員となっていく。

 若しくは彼らの胃の中へ送り込まれるか。

 

 彼らは無造作に妖怪達へ手を突っ込み、捕まえた妖怪の頭を食い千切ると、シンが呟いた。

 

しっかし、こうやって余裕もって戦場見ると…見えるモンがあるな

 

 シンの視線の先は妖怪の波の向こう側。

 釣られて、ヴェノムも異変に気付いた。

 

…多過ぎるな、何処かで湧いてるのか?

 

 いくらなんでも、多過ぎる、という事だ。

 

 戦闘開始から五百以上は頭数を減らしている筈なのに、勢いが衰えない。

 それは戦争開始時からずっと変わらなかったが、あの時は目の前の妖怪に夢中で気付かなかった。

 

 しかし、こうやって冷静に戦況を俯瞰すると、シンの言った通り見えて来るものがある。

 

 四機のロケットが飛び立つ直前まで大量発生の兆しも無かったのに、急に湧き出て来た妖怪の雪崩。

 移動による疲れを見せない妖怪達。

 

 この事実が示す事柄は、この近くで湧いて出現しているだろう、と言う予測だ。

 

玄楽っ!少し遠出する!!ここは任せたぞ!!

「任された!!行ってこい!!」

 

 ならばそこを叩けばこの妖怪も収まるだろう。

 そう目論んだシンは妖怪の群れに身を突っ込んだ。

 

◆◆

 

 ダンプカーに撥ねられた人は、一体どうなるだろうか。

 …逆にダンプカーが破砕する?

 それはシン達だけだ。

 

 ここで言う人とは、文字通りの人、シン達の様な人外ではない。

 と言っても、言葉にする必要も無いだろう。

 そう、真上にカチ上がられ、全身の骨が粉砕される。

 

「ギャァァア“ア"!!」

邪魔くせぇ!どけどけどけぇッ!!

 

 今まさに妖怪達は、ダンプカーの如き化け物に跳ね飛ばされていた。

 

どんどん妖怪の密度が上がっていくな!!ヴェノム!

そろそろ上に飛ぶぞ!!妖怪だらけで何処がそうなのか分からん!!

 

 都市を抜け、森を抜け。

 赤い月光とゴキブリの様な妖怪に濡れる荒野を掛ける彼ら。

 

 正に真横の妖怪の顔すら視認出来ないスピード。

 そのスピードで衝突し続けるヴェノムに一切の傷は無く、逆に衝突された側の妖怪が絶命してしまう。

 

 あるモノは回転しながら宙にぶっ飛ばされ。

 あるモノは正面衝突で全身が砕け、妖怪の足蹴になる。

 あるモノは突進するヴェノムに掴まれ、バクリ。

 

 ヴェノムの通った後には、文字通りの地獄が広がっていた。

 

っしゃァッ!!

 

 しかし、彼らは急に足を止め、剣が一体となった黒腕を振るった。

 突進の勢いが乗った一撃だ。

 踏み込みによって地面が同心円状に割れ、悠々と剣先が音速を超える。

 

「ッァアアアアア"ッ!?!?」

 

 轟音と風圧。

 黒曜の輝きを放つ剣に触れたモノは抵抗を許さず両断され、近くに居た妖怪達も巻き起こった旋風に吹き飛ばされていく。

 規模にして半径十メートル。

 範囲内に居る生物は、ヴェノムを除いて存在しなかった。

 

 そして、殺戮を尽くした彼らは地を蹴り、高々と飛び上がる。

 

———見つけた

 

 真っ白な瞳に映るのは、人三人分程度の空間の亀裂。

 端がリボンで紡がれた奇妙な形のゲートから、まるで嘔吐でもするかの様に妖怪を吐き出し続けていた。

 

 ———あれが、元凶。

 

 ここまでの大行進を生み出した元凶。

 そう考えると怒りが沸々と湧く。

 空間を裂くゲートなんて彼らは見たことも無かったが、大方それが妖怪の仕業であろう事は予測出来た。

 

ふざけやがって…!

喰ってやる!!

 

 安全圏からぞろぞろぞろぞろと。

 大妖怪だろうが、中級妖怪だろうが関係無い。

 ヴェノムは勿論、シンまでもが、ここまで面倒臭い状況を作り出した妖怪を頭から喰らってやろうと決意した。

 

むんっ!

 

 地面に着地したヴェノム。

 今度は突進しようとはしなかった。

 

 代わりに、跳躍。

 

 風を肩で切り、妖怪の身体を踏み台にしながらぴょんぴょんと、まるで兎のように妖怪の頭の上を駆けていった。

 何も考えず突進しても良かったが、敢えてそうしなかったのは、ただ単にゲートを作り出した妖怪の怯えた顔が見たかっただけだった。

 

 ここには敵は来ないだろうと安心し切っている妖怪の、強襲された時の顔ときたら。

 きっと、面白くてたまらない。

 

…?ガキか…?

 

 その妖怪を見つけ、近付く事自体は簡単だった。

 ゲートの真上まで飛び、件の妖怪を探した際、『明らかにそうである』と言う妖怪が居たからだ。

 

 その妖怪は、ゲートのすぐ側に立っていた。

 容姿も他の妖怪とまるで異なり、狼や猿、魑魅魍魎と言うよりは、少女のそれ。

 

 と言っても、真上から見た感想であり、更にナイトキャップを被っていた為、詳しくは分からない。

 しかしソレが人間に近い妖怪、つまりは中級以上の妖怪という事は確定していた。

 

 だが、人間に近いからと言って手加減はしない。

 ヴェノムは予定通り大きく叫び、ズドンと大きな衝撃を響かせてその妖怪の目の前に着地した。

 

よぉガキ!!食い殺しに来たぜ!!

死ぬ覚悟をしろ————

「ひっ…!?…ぁ…ぁ…」

 

 問題だったのは、他ならぬ、雰囲気だった。

 

 金髪の幼女。

 今にも泣き出しそうな怯えた表情。

 

 ()()()()()()

 

 

 別に顔付きが似ている訳は無い。

 ただその特徴が、嫌でも彼女を思い出させるのだ。

 

 シンが殺した、カレンの姿を。

 

…はぁ〜…

…シン、俺も気が失せた

 

 小学生に近い背丈の少女妖怪が、腰を抜かして、へたりと座り込む。

 瞳に涙を溜め、絶望した表情で泣き出してしまいそうだ。

 

 ———これじゃあ、これが悪者みたいじゃねぇか。

 

 嫌でも、手が止まる。

 手を下すべきだ。

 しかし、そうすればシンは人間で無くなる気がして、手を下げた。

 

 だから。

 代わりにヴェノムが叫んだ。

 

———失せろガキッ!!

「ひっ、ひぁぁああっ!!」

 

 ヴェノムが少女に顔を近づけて吠えると、彼女は泣き出しながらわたわたとリボンで結んだゲートを作り出し、そのまま空間の隙間に消えてしまった。

 第三者から見れば小さな少女に頭からかぶりつこうとする真っ黒い化け物だ。

 そりゃ逃げ出しもする。

 

 同時に、巨大なゲートも閉じた。

 それは、妖怪の波は止まった事を意味していた。

 

…これでいいだろ?

………あぁ…ありがとうヴェノム

 

 呆気のない終わり。

 どうしようも無い虚無感。 

 

 暫くの間、シンは立ちすくんでいたが、周囲から殺気を向けられている事に彼は気付き、すぐに臨戦体制を取った。

 

ちっ…憂さ晴らしだ、代わりにテメェらをぶっ飛ばしてや———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その必要は無い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声。

 ()の声。

 

 唐突に現れた声に対して、ヴェノムは振り向き様に裏拳を叩き込んだ。

 これ以上無い程力を込めて。

 気配も無く後ろを取ったストレンジャーを最大限に警戒した為だ。

 

「まぁ焦るでない」

 

 パン、と。

 皮膚と皮膚がぶつかり合う音が響き、衝撃により砂塵が舞う。

 

 砂煙の中から帰って来たのは、気楽な声だった。

 そこらの妖怪じゃあ絶対に止められない一撃を受けておいて。

 まるで蚊にでも刺された様な反応。

 

 思わず、シンは狼狽して疑問を口に出した。

 

なんだ…?お前…!?

「いやなに、妾の捕まえた妖怪の(わっぱ)が逃げたのでな、少し見に来たのだ」

 

 腕が一ミリも動かない。

 まるで大岩に挟まれたかの様に動かない。

 

 更に言えば、身体も蛇に睨まれたカエルの様に動かなかった。

 危険を肌でひしひしと感じ、これまでに無い悪寒を走らせる。

 

 砂煙が晴れると、周囲の妖怪の殺気が嘘の様に消え、逆に空気に滲む程の怯えをその身に孕ませた。

 シン達も目の前の異常存在の姿をその瞳に捉える。 

 

 何より先んじて煙から姿を現したのは、捻れた一本角。

 そしてヴェノムとタメを張る体躯にデカい胸。

 ミイラの様にキッチリと巻かれた顔面の包帯。

 対照的に全く感じない気配。

 

 ソイツはヴェノムの腕を、まるで壊れ物を扱うかの様に優しく掴んでおり、微塵も動揺を表していなかった。

 そして、今度は喜色を浮かばせて呟いた。

 

「ついでに、青い果実の『味見』だ」

『味見』だと…?俺達の事か…!?舐めるなよババァ!!

 

 舐められている。

 この戦意の無さ、まるでアリと接するかの様な尊大な物言い。

 

 激しくプライドを揺さ振る言動に、シンは激怒し、空いている片方の腕でソレの顔面を殴り付けた。

 

 バキャ。

 今度は確実に骨を粉砕する音が鳴り響いた。

 誤算だったのは、その音の出所がヴェノムの拳だった事だ。

 

がっ…!?

硬い…!

 

 苦痛に喘ぐシンとヴェノム。

 拳の先に視線をやれば、微動だにしていないソイツと砕けたヴェノムの掌が映っていた。

 

 そして、ソイツは一転、苛立ちを含んだ声で言う。

 

「…ババァ…ババァ、か…言葉には気をつけぃ、童」

なっ———

 

 瞬間、ヴェノムの目の前に、手が現れた。

 

 中指を親指で押さえ付け、力を溜めるその動作。

 デコピンだ。

 

 同時に手のひらの現れたその速度に驚愕するシン。

 その攻撃に防御しようにも最早遅く、更に両手が使えないこの状況では、この攻撃を甘んじて受け入れるしか無かった。

 

 しかし、たかがデコピンだ。

 元の技の威力の低さにタカを括ったシンは、直後にカウンターを決めてやろうと決意した。

 最も、その思考はただの現実逃避に過ぎないのだが。

 

 そして、炸裂。

 

…ッ!!…ぅ…が…っ!?

 

 ヴェノムの額ど真ん中を中心とした爆音。

 彼ら首が吹っ飛ぶほどの衝撃が脳を伝わり、そして突き抜け、衝撃が空気を揺らした。

 そして弾ける様に彼らの身体が宙に舞い、芸術的な縦回転を描いていく。

 

 数秒ほど吹き飛ばされた彼らは受け身も取れず、まるで水切りの様にバウンドしながら地面に沈んでしまう。

 そして、その身体がすぐに動く事は無かった。

 

 何故なら、彼らにその意識はないから。

 シン、及びにヴェノム。

 デコピン一撃でKOされた、初めての瞬間だった。




ご拝読、ありがとうございます。
どうも奴隷です、丁度五十話で終わらせるつもりが、想像以上に続いてしまいました。
東方プロジェクトのキャラと組み合わせる劇が書きたいのに、オリキャラだけの戦闘となってしまった事も反省ポイント。
正直蛇足と言ってもいいかもしれません。

しかし、書いてしまった物は仕方がありません。
もう少しお付き合いください。

そしてgonndai様、文才の無い本の虫様、☆9評価×2、ありがとうございます。


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第五十一話 原初の『三歩必殺』

ゆっくりしていってねるね。


「…おや、力加減を間違えたか…だが…ちと弱いな」

 

 ヴェノムを弾き飛ばしたソレは、顎に手を添えて訝しげに呟いた。

 その視線は地面に倒れ伏す彼らに向けられている。

 

 続けて、彼女は周囲の妖怪を一瞥した。

 口を発する者は居らず、重々しく沈黙を保っている。

 

「うーむ、放っておいてもよいが…此奴らに食われるか…それに、(わらわ)の事を婆呼ばわりしたしの」

 

 うん、と頷いたソレは、ゆっくりとヴェノムに向かって歩き出し、手を伸ばした。

 その包帯の裏の顔には一切の情が無く、月光の陰が常闇となって映る。

 

「———仕方のない、殺すか」

「そうはさせん」

 

 彼らの首を捻じ切ろうと伸ばされた腕。

 真っ黒な首に触れようかというその時。

 

 パシンと軽い音を立ててその手は振り払われた。

 

 お、と、小さく音を漏らすソレ。

 流石に予想外だったのか、目を丸くし、突然現れた彼を見つめていた。

 

「その力、隠したつもりでも、この吾は見逃さんぞ…化け物め…!」

「…この声、お前は…玄楽か!久しいな!何年振りだ?」

「答える義理は…無い!」

「むっ」

 

 ソレはフレンドリーに話しかけるが、玄楽にその気など無く、地面を抉りながら蹴り出し、目潰しを兼ねたハイキックをソレの顔面に叩き込んだ。

 ———しかし。

 

「この妾に目潰し程度の一撃が効くと?」

「チッ!」

 

 人体の急所、鼻にクリーンヒットした一撃だったが、ビクともしない。

 目潰しも兼ねていた筈だが、元より顔面を包帯で巻いていたソレにはなんの意味も無かった。

 

 玄楽の苦々しい舌打ち。

 

 彼は攻撃の手を止めず、ハイキックの状態から体を回転させ、二度目のハイキックを繰り出した。

 今度は顔面では無く、顎に。

 

 地面と直角に繰り出された一撃はまたもソレに直撃し、ソレを天高く空中へ投げ出した。

 

「お〜…良〜い一撃だ、が、少し威力が落ちたかの…ん?」

 

 だと言うのにダメージは全く入っていない。

 重い一撃を顎に喰らえば、確実に脳を衝撃が突き抜け、脳震盪を起こす。

 しかしソレにとっては、玄楽の蹴りは脳を揺らすに値する物ではなかったのだ。

 

 ソレはエビの様に仰け反った体勢からくるりと回転し、着地と共に玄楽の方を見つめた。

 しかし、そこに居た筈の彼の姿は跡形もなく、ついでにヴェノムの姿も無い。

 

「…ふふふ…その能力は健在か…!…ぬしらはもう逃げても良いぞ、巻き込まれたくなければな」

 

 ソレは変わらない彼の強さに口角を上げ、静かに笑いを漏らした。

 

 そして、石の様に動かない妖怪達に言葉を投げ掛ける。

 すると、妖怪達の止まっていた呼吸が再び動き出し、場は足音と悲鳴に包まれた。

 

 一目散に逃げていく妖怪達を背に、一人ソレは笑みを溢した。

 

◆◆

 

…ぐ…っ…

「…クソ」

 

 人がすっぽり入る程の大きさの岩の裏。

 そこで、玄楽は頭を抱えていた。

 

 彼の顔はこの上なく焦っており、歯を食いしばっている。

 最悪の事態、と、でかでかと顔に文字が載っているが丸わかりだった。

 

う…ぐ…玄楽…?…っそうだ…!あのババァ…!

おい!なんだ玄楽あの化け物は!

 

 彼らは飛び起き、ヴェノムが苛立った表情で玄楽に詰め寄る。

 ヴェノムにとって、彼らにとって、ここまでの敗北は想定外であり、それだけプライドがガタガタになっていた。

 故に、あの女への怒りが天元突破し、ヴェノムは歯を剥き出しにして激怒。

 シンも心内で静かに復讐の炎を燃やしていた。

 

「…」

 

 しかし、玄楽はヴェノムの質問に答えない。

 なにか考えを巡らせている様で、時折眉間に皺を寄せている様であった。

 

 そして奥歯を噛み締める様に険しい表情を見せると、ヴェノムの肩に両の手を置いて話し出した。

 

「すまない、吾は今、吾が囮となりお前らが逃げ出せる確率と、共に戦い勝利する確率を考えていた…無理を承知で聞く、共に戦ってくれるか?」

当たり前だ!

デコピンの『お返し』をしなければ!

 

 ヴェノムはフシューと熱い息を吐き、手に持つ鈍を体内に収め、拳を握り締めた。

 それなりの長さを誇る剣だったが、案外ヴェノムの中に収納できる物だ。

 

「吾はお前を守る使命がある、それを放棄して、共に戦おうと言っているのだ…それでもか?」

そんなもん理由にならねぇな

「…逃げ出した方が、恐怖はないぞ?」

それはクールじゃない!それはただのチキンだ!!

「…そうか、仕方ないな」

 

 シンとヴェノムの言葉に、玄楽は口角を上げ、手を差し出した。

 傷と汚い瘤に塗れた手。

 ヴェノムは目を丸くしてその手を見つめていた。

 

「どうした?握手だ握手、共に生き残ろうと決めた者同士には握手とハグが通例だ」

男とハグしたい奴がどこに居るかよ…

 

 シンはそう文句は言うが、なんだか戦場におけるロマンを感じ、軽い握手とハグを交わした。

 そうこれは…いつかに見た戦争映画、追い詰められた二人の兵士が、お互いを尊敬し合ってハグを交わすシーンだ。

 

 少なくともヴェノムにとっては、心を躍らせるシチュエーションだった。

 

意外と良いなこれ!

…まぁ、普通だな

「そう言うなシン———」

 

 その瞬間、破砕音と共に石飛礫と砂埃が彼らの間を遮った。

 すぐに隠れていた大岩が粉砕されたのだと気付き、ヴェノムは戦闘体制に入る。

 

「見つけた———」

 

 しかし、砂埃の中玄楽に手を引かれると、視界が一変し、破砕された岩も、何処かに消えてしまった。

 見つけた、と言う歓喜の響きを伴った声も途中で消失し、徒に口の中の砂だけが残る。

 

 ————玄楽がやったのか。

 

 そう確信すると同時に、ヴェノムは不味い砂の味に襲われ、眉間に皺を寄せて喘いだ。

 

ぺっぺっ…!…今の、玄楽のか?

「あぁ…話している余裕はあまりない、確認だ…今から戦う大妖怪、ソイツを吾は『角』と、呼んでいる…そして吾の能力は瞬間移動する程度の能力…自身と触れた者を五秒後に瞬間移動させられる、体力は使うがな…お前は?」

俺達に依姫みたいな大層な能力はねぇよ、あるの相棒の力だ、強いし自在にタコみたいに腕を生やせる、あと武器にもなる

 

 瞬間移動、その力の存在は嘗てより知っていた。

 なぜなら、この都市に訪れた頃、地獄のマラソンを行う際に、彼が門下生全員を道場から外壁までワープさせていたからだ。

 

 更に言えば、ヴェノムがロケットからここに戻ることが出来たのも、この能力のお陰だったろう。

 

 ヴェノムは勿論、玄楽も落下に対して発生する摩擦熱に耐える事は出来ない筈だ。

 普通に落ちれば、恐らく流れ星の様に燃え尽きて終わる。

 

 その問題を玄楽達は、ロケットから地上まで直接テレポートする事で解決したのだ。

 

 そうやってシンが納得していると、玄楽が不思議な顔をして彼に問い掛けた。

 

「…?何を言っている?お前も能力を()()()()()だろう」

いやいや何言ってんだ、ヴェノムの事か?

「違う、お前自身の能力だ」

…?

 

 玄楽がヴェノムの中のシン向けて指を指す。

 何の事かとシンは黙りこくっていると、玄楽は驚愕した目でシンを見始めた。

 

「…まさか、気付いていないか?自分の能力の存在に」

マジで言ってんのか?なぁヴェノム?

…心当たりはある

あんのかよ

「いや、突如として発現する例もあれば、生まれながら持つ能力もある、シンは後者だろう」

 

 ヴェノムは、半ば能力は分かっていた。 

 

 共生すれば宿主を破滅させるシンビオートに、ここまで完璧に適応した唯一の男。

 

 それはとあるマルチバースの地球で暮らす男を凌ぐ程であり。

 種としてのシンビオートの中で共有される記憶の中にも、ここまでの男は居なかった。

 

 そしてこれまでの戦いでの急成長。

 死に近付けば近付くほど強靭になっていくこの身体。

 

「よく聞け、シン」

 

 玄楽が声を掛けた瞬間、彼らの視界の端に砂の間欠泉が湧き上がる。

 恐らくあの間欠泉は、地面を蹴った衝撃で巻き上がった砂塵だ。

 他ならぬあの大妖怪、『角』の手で。

 

 瞬間、夥しいほどの殺気と圧が彼らに降り注ぎ、空気が何倍にも重くなった様に思われた。

 まるで死と言う名の風が、生ぬるく吹いているかの様だ。

 

「…お前の能力は、恐らく『()()』だ」

…!

 

 ドクン、と。

 シンの心臓が鳴る。

 

 能力を自覚した事で、何かがストンと落ちた気がしたのだ。

 その瞬間だけは、肌を差す殺気を忘れ、自分というモノの存在が確固たるモノになった気がした。

 

 一方玄楽は冷や汗を垂らし、ヴェノムに背を向けながらも、語り掛ける。

 もう時間は無いと、言外に語られる内容には、『熱』があった。

 

 彼らヴェノムの可能性を押し広げる、期待の『熱』が。

 

「能力に上限はない…空を飛ぶ能力があれば、次元を超える力になる事もあるだろう…能力を自覚したお前達ならば、戦いの中でどこまでも強くなれる…!」

そうか…!だったら、もっと戦わねぇとなぁ…!

 

 彼らはニヒルに口を裂かせて笑う。

 この力とヴェノムの力で、勝てなかった依姫に勝つ事が出来た。

 

 ———なら、あの化け物だって。

 

 その瞬間、彼らの遥か前方が爆発した。

 

 いや、何かが着地し、その衝撃で砂が巻き上がったのだ。

 その何かとは無論、『角』だ。

 

「来たか…!」

「…ふふふ…もう、逃げるなんて味な真似はせんよなぁ!?」

 

 砂塵を通して大きな声が響く。

 しかし、その言葉に耳を傾ける者は居なかった。

 砂塵が晴れるのも、開始の合図も要らない。

 

 兎に角先手を打ち、少しでも傷を負わせれば良かった。

 

玄楽!危なくなったら助けてくれ!

「…分かった!」

 

 ヴェノムは弾丸の様に飛び出す。

 

 意表が付けないなら下手な奇襲はできない。

 心無しか、『角』は顔の包帯越しにこちらを見据えている様な気がした。

 

 使うのは我流のステゴロ。

 慣れない武器を使うぐらいなら、こちらの方が良い。

 

 そして、思い切り殴り付けるには、思い切り踏み込み、思い切り加速すればいい。

 ヴェノムと『角』の距離が十メートルを切った瞬間、彼らは踏み込みを始めた。

 

 そこで拳を振るおうが『角』には届かない事は百も承知だ。

 必要なのは、加速、スピードだ。

 

(いち)ッ!!

 

 掛け声と共に、地面が音を立てて割れる。

 ヴェノムの視線がしっかりと『角』を射抜くと、彼らは弾かれた矢の如く地面を滑走した。

 

 いや、形容するなら、黒い豪速球。

 

()ィッ!!

 

 五メートル程進んで、豪速球が更なる一歩を踏み出した。

 より強く、より深い踏み込み。

 

 地面に雷が走るかの様に、衝撃が大地を揺らす。

 そして、更なる速さを手に入れた彼らは、黒腕を振りかぶった。

 

(さん)ッ!!!

 

 辿り着いたのは『角』の懐。

 最後の一歩をそこで踏み切ると、当たり前の様に大地が破砕し、彼らは全ての力を拳に集約させた。

 

 拳は浅く握り、親指は添えるだけ。

 身体の関節部分で加速を繰り返す事で、拳はマッハを超え、肉体の限界を越える。

 

 インパクトの瞬間に握り込む握力の置換。

 ヴェノム自体の質量の置換。

 急停止による速さの置換。

 

 握力×体重×スピード。

 =破壊力。

 

 三歩の加速によるヴェノム最大の一撃が、『角』に襲い掛かった。

 

「むっ…!」

消し飛べッッ!!!

 

 鳩尾へ向かう拳に、『角』の掌が割り込み、拳と掌が触れ合う。

 音を超えた一撃は、感情が抜ける程、静かだった。

 

 次の瞬間、空間が軋み、衝撃波とソニックブームが大地に亀裂を作る。

 鼓膜が破れる程の轟音の中で、確かに『角』は仰け反った。

 しかし、逆に言えばそれだけ。

 

 全身全霊をいとも簡単に受け止められたヴェノムは、信じられないと言った目で『角』を見た。

 

「三歩の加速による必殺の一撃…差し詰め『三歩必殺』と言ったところか」

クソッタレ!!

んのバケモンが!!

「この妾を防御に追い込んだのだ、誇って良いぞ」

 

 ギリ、と、ヴェノムの牙が唸る。

 防御に追い込んだくらいで誇れるか、そう叫んでやりたかった。

 

 しかし思考は冷静に。

 彼らは拳をヴェノムの特徴である軟体のソレへと変え、拘束を逃れた。

 

 流石に予想外の行動だったのか、『角』は小さく声を漏らす。

 その鼻っ柱に、彼らはフックを繰り出した。

 

「ならば武の極みを魅せてやる」

 

 『角』は迫る拳と自身の顔の間に掌を挟み、力のベクトルをずらしてヴェノムの拳を滑らせた。

 まるで最初からそう殴るつもりだったと錯覚するほど自然で、違和感が無かった。

 

 そしてガラ空きになった腹部に手を置かれる。

 

「『発勁』」

っはっ…!?

「ヴェノムッ!」

 

 その時、彼らは全身に悪寒を感じた。

 玄楽の声が響くがしかし、既に時は遅く、ズンという衝撃と共に、骨が粉砕される音が体内から響く。

 

 それだけに止まらず、内臓が弾け、体の末端まで衝撃が突き抜け、ヴェノムは呻き声すら上がれずに膝を付いた。

 今やシンの視界は真っ白だ。

 

ぉ…オ…!!

「これは大陸の技でな、妾の予測では内部から血を吹き出して絶命する筈だが…玄楽に瞬間移動で邪魔を———」

 

 『角』の言葉を終える前に、崩れていたヴェノムが跳ね起き、『角』の懐まで飛び込む。

 ダウンを取っていたと油断していた『角』は反応出来ず、腹部に手を置かれた。

 

 そして繰り出したるはコピーの一撃。

 適応にて体に備わった、反則技だ。

 

がぁッ!!

「かはっ…」

 

 発勁。

 『角』のそれとは精度が落ちるが、ヴェノムの膂力で繰り出した発勁は確かに『角』に届いた。

 

 即座にヴェノムはバックステップで背後に飛び、玄楽の隣で構える。

 

「…ははは、内臓も破裂した筈、よもや人間ではあるまいな」

俺達はヴェノムだ!!これくらい効かねぇ!!

「…」

「ふむ、面白い」

 

 効いていない、は、嘘であった。

 今、ヴェノムの身体は発勁による力の奔流によって幾度も破壊されている。

 激痛と引き換えに、ヴェノムを完全に治癒に回す事で身体を動かしていた。

 

 背後に飛んだのも、追撃が出来ず回復に努める必要があったからだ。

 玄楽はそれを見透かしているのか、横目で心配の籠った瞳を向けている。

 

 『角』は一撃を受けた場所をさすると、楽しそうに僅かに顔を歪める。

 

「良い事を思いついたぞ」

あ?

 

 『角』はおどけた様に手を広げる。

 

「なんて事はない、戯れだ、そこの黒いのと一騎打ちだ」

「…どこにそんなメリットがある?化け物」

 

 玄楽の言う通りだ。

 ただでさえ劣勢な状態で、彼の助け無しで『角』に勝つ事は出来ないだろう。

 

 仮にあったとしても、勝算は無いに等しいが。

 

 すると『角』は人差し指を立て、チッチッチッと舌を打つ。

 妙に道化臭い動きで、ヴェノムの神経が逆撫でされた。

 

「勿論褒美はある…満足させられたならば逃してやろう」

 

 ヴェノムは訝しげに『角』を睨み付ける。

 その約束を守るメリットがあちらに無いからだ。

 

 しかし、しかしだ。

 憎たらしい事に、『角』に敵いそうも無い事も事実。

 乗れることなら乗りたい条件だった。

 

 すると、玄楽は耳元でヴェノムに囁いた。

 

「吾が戦ってきた中で、奴は極端に嘘を吐く事を嫌った、自分に出した条件がなんだろうと決して破らなかった…この提案、受ける価値はあるぞ」

 

 そこまで言葉を綴ると、玄楽は一段と張り上げた声で『角』に言った。

 

「その勝負、吾が受けてはどうか!」

「それは認め———」

駄目だ玄楽、この勝負、俺達に任せろ

 

 玄楽にはシンを死なせたくないと言う思いで提案したのかも知れない。

 しかし、それを拒否したのは『角』は勿論、シンもであった。

 

俺達はアイツに何の恨みも因果も無いが…だからといって玄楽と戦わせるのは違う

「そうか!そうだよな!分かっているではないか童よ!」

 

 別に大層な願いは無い。

 玄楽を死なせたくない思いもあるかも知れないが、シンの根底にはやはりと言うべきか、戦いたいと言う欲があった。

 

 この化け物に拳を打ち込んで、叩き込んで、死のスリルを味わいたい。

 そんな無意識下の願いとも言える願望は、シンの知らぬ間にに肥大化していったのだ。

 

「童!名前は!」

俺達はヴェノム、俺はシン

「やはりか、その身体内には二人いるな?人間とも妖怪とも言い難いその身体の中に!」

「…止めろとは言わない、ヴェノムよ…どうか頼む、死なないでくれ」

 

 玄楽の嘆願に似た呼びかけには、ある種の諦めがあった。

 

 もう何を言っても、彼らは彼らのしたい様にやるのだろうと。 

 どれだけ守ると言っても、話を聞かないのだろうと。

 

 ならばせめて、せめて彼らの邪魔にならない様にと、玄楽はヴェノムを見送る。

 そんな視線に彼は。

 

誰に言ってる

もう身体は万全だ、全部をぶつけてやろう

 

 軽く、一言で答えた。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
お前が三歩必殺打つんか〜い、なのぜ。


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第五十二話 ヴェノム VS 鬼の祖

ゆっくらぽん!


 彼ら、ヴェノムは『角』と向き合っていた。

 手を伸ばせば届く程の、まるで恋人同士の距離だ。

 

 しかしその間には親しい感情なんて無い。

 『角』の投げかけられる興味。

 ヴェノムの滲み出す敵意。

 

 いつ崩れてもおかしくは無い、針の上の均衡だった。

 

「…そう見つめるな、照れるではないか」

 

 『角』がクツクツと笑い、ヴェノムが一歩を踏み出す。

 

 巨躯故にミシミシと地面が唸り、彼らの距離が一層近くなる。

 『角』を睨むヴェノムの視線も険しくなり、今にも食ってかかりそうな雰囲気だった。

 

「その皮がヴェノム…中身がシン、だったか…確かシンとは…そう、SIN()と言う意味だったか?良い名前だ、妾にはまだ名は無いからな」

お前に説明する価値はねぇ

俺の親友の名を馬鹿にするな!

 

 ヴェノムの瞳が『角』を射抜く。

 反対に、『角』の瞳もヴェノムを射抜く。

 

 張り裂けそうな緊張が場を包み、生じた重圧が玄楽に一筋の汗を流させた。

 

「さて、問おう、ぬしは人間か?妖怪か?神か?はたまたそれ以外の何だ?」

俺達は人間で、ヴェノムだ、それ以外でもそれ以上でも無い

「…くくっ」

 

 何が面白いのか、包帯の上から分かる程笑いを溢す『角』。

 次の瞬間、溢れ出す笑いが止まり、代わりに圧が吹き出した。

 

「…長話だったな」

 

 ———来る…ッ!!

 

「では妾から行くぞ…ッ!」

うぉおお…!?

 

 来ると分かっていた。

 しかし、反応出来なかった。

 

 思考の合間、呼吸の継ぎ目。

 刹那に繰り出された急所四連撃。

 

 金的、鳩尾、喉仏、人中。

 

 龍が登るが如く繰り出された連撃だった。

 

ッぐぅおおおッ!?あがぁ…!!ッッコンヤロォッ!!

野郎ぉっ!!

 

 口から内臓が出て来そうな程の激痛。

 絶叫したとしても、戦意で奮い立ち、絶叫を雄叫びに変える。

 

 そして苦し紛れに彼らは左の拳を顔面向けて振るうが、『角』の頬を掠るだけ。

 逆に腕を絡め取られ、グンと身体を引き寄せられる。

 

 しまったと言う文字が頭を覆い尽くす中、視界には『角』の肘。

 

なっ———

 

 肘打ち、またの名をエルボー。

 『角』の怪力と引き寄せられた慣性によって、ヴェノムの顔面はめり込む肘によって陥没した。

 

 衝撃のままヴェノムの顔が後方に吹き飛び、シンは空を仰ぎ見る形となってしまう。

 

 視界が淡い光に溶け、点滅する。

 シンの走馬灯の様に駆ける脳内には、嘗て自身をボコボコにした女の姿が映っていた。

 

(………あの時も…こう、避けられて、コテンパンにされたっけな)

 

 強情女と呼んでいた頃の、初めて戦った相手。

 そう、依姫だ。

 彼らはあの時ボッコボコにされ、完膚なきまでに叩き伏せられた。

 

 その後も、何度も、何度も。

 自分でも驚く程のスピードで成長したが、届かなかった。

 

 しかし最高の場で、軍来祭最後の試合で、彼らは勝ったのだ。

 激情が依姫を上回ったのだ。

 

 ならば…

 ならば、この怪物に勝てない道理は無い。

 

…よし、先ずは死ぬ気で喰らい付くか

そのまま喰っちまおうぜ

 

 意識が薄れる中、彼らは生え揃った牙を剥き出して笑う。

 決意と戦意をマグマの様に煮えたぎり、この激情を晴らすべくヴェノムは勢い良く『角』と向き合った。

 

「…っくは」

ハハハ…!!

 

 まさに触れ合う顔と顔。

 殺し合いを行う彼らが、戦闘の最中に恋人とも言える距離に居る事は何処か可笑しく、両者に笑いが込み上げる。

 

 それは、向き合う彼らが命を顧みずに戦いを楽しんでいる事に他ならなかった。

 

「ハッ!」

 

 遅れて『角』の拳がヴェノムの顔面向けて放たれる。

 受ければ顔が吹き飛ぶだろうが、そんな事は恐れる理由にはならない。

 

 ヴェノムは防御でも回避でもなく、拳に向けて突っ込む事を選択した。

 

 そして、ギリギリで回避。

 肌に滑らすかの様な回避だったが、交わしきる事は出来ず、ジッ、と剛拳が音を立てて頬を掠める。

 それだけで身体が持っていかれそうだった。

 

「…ほう…!」

んんッ!!

 

 伸び切った『角』の腕を左腕と肩から生やした二つの触腕で拘束し、空いた右腕で『角』の首を掴む。

 そして、顎門を開けた。

 

 それは呈するに獲物の捕食。

 彼らはそのまま『角』へ齧り付き、頭を喰い千切るつもりだった。

 

 しかし『角』には届かない。

 

「『逆鱗打ち』」

がひゅ…っ!?

 

 繰り出すは神速の一撃。

 ヴェノムが気付いた頃には『角』の親指が深々とヴェノムの喉に突き刺さっていた。

 

 瞬間、脳が訴える喉への激痛、吐き出す空気。

 抗う事も出来ず、ヴェノムの動きが止まり、『角』の追撃を許してしまった。

 

「爪が甘かった…なッ!!」

ぐぁっ!!

 

 手刀の振り上げ。

 一本の線が空間に刻まれ、ヴェノムの触腕二本、加えて肘から先の左腕がずれ、真っ二つに断ち切られてしまった。

 

 更に鳩尾へ蹴りが入り、ヴェノムは吹き飛ばされ———

 ない。

 

まだ…終わらねぇぞ…!

「むっ!」

 

 彼らはギリギリで蹴りを往なし、辛うじて吹き飛ばされずにいたのだ。

 喉への激痛が治らぬままヴェノムは左腕を再生させ、刹那に思考を巡らせる。

 

 力の差は歴然。

 適応をもってしても、意識外の一撃、あるいは重い一撃を喰らえば気絶は必至。

 意表を突けなければ、仰け反ることすら出来ない。

 若しくは全身全霊の一撃。

 

 

 工夫。

 『角』にダメージを与えるには、殴る蹴るだけの一芸では務まらないのは理解した。

 だから、意表を突く様な工夫が要る。

 

やれ!ヴェノム!!

アイアイサー!

「伸縮する腕、か…来る事が分かっている攻撃など———」

 

 彼らは両手を『角』の顔面向けて突き出した。

 かと思えばその両腕をゴムの様に伸ばし、『角』の顔目掛けてピストルの様に放たれたのである。

 

 彼らの身体の伸縮性を生かした攻撃だが、いかんせん軌道が丸見えだ。

 そう『角』も心の中で溜息を吐いたが、その侮りはすぐに払拭される事となる。

 

「…!…むぅ、成程…真髄はゴムではなく粘体か」

 

 『角』よ顔に触れる直前、ヴェノムの伸びた腕があり得ない慣性で屈曲し、『角』の腕を捉えたのだ。

 慢心している今だからこそ、そしてヴェノムの特性をまだ知らない今だからこそ通った策だ。

 

 ヴェノムの伸縮性、と言うよりは流動性が成せる離れ業。

 

 結果として、ヴェノムは『角』の隙を突き、彼女の両手を地面に固定させる事が出来た。

 

次ッ!

銅でも食ってやがれ!!

「…?…何を———」

 

 そして、第三の腕、触腕による掌底。

 『角』の顎をカチ挙げる為の一手。

 それ自体が『角』にダメージを与える事は無く、かと言って陽動でも怯ませる為でもない。

 

 ———ではこの掌底はなんだ?

 

 疑問を露わにする『角』は次の瞬間、天を仰ぎ見る事となる。

 

「が…っ…!」

 

 破裂音。

 まるで銃が暴発したかの様な、異様な衝撃が耳を劈く。

 

 その出所は、ヴェノムの掌からだ。

 

「鈍でも役に立つモンだぜ…!」

 

 彼らは体内に収納された鈍を鉄砲の様に発射したのだ。

 

 内側の筋肉をもって剣を引っ張り出し、体内で加速させる事で、初速は音速を超える。

 それをゼロ距離で、この質量で、だ。

 

 いくら怪力を誇る『角』だろうと、この一撃には応えた筈。

 

 空には刃の潰れた刀が空を舞い、銅の如き輝きが紅月を受けて鈍く、重い光を散らしている。

 予測では『角』の防御力に負けて切先から砕けると思っていたが、空に舞う刀は、変形どころか刃こぼれの跡すらない。

 

 名だたる名工によって鍛えられたのだろうか、そんな考えが過った。

 

シン!チャンスだ!!

…!そうだなヴェノム!!ここで決めてやるッ!!

 

 そうだ。

 『角』が顔を天に向け、仰反っているこの状況。

 雲から差し込む日光の様に垣間見えた、隙。

 

 活かさない手は無い。

 絶対に無駄に出来ない。

 

 だがどうする?

 この力の差、相手が無防備だろうと単に殴る蹴るではリターンが少ない。

 

 確実に、少なくとも骨だけは持っていく。

 

 その為に彼らは…人生初とも言える行為に出た。

 

(依姫に一度だけ…遊びとして教えられた技…!)

 

 ヴェノムはサイドステップを踏み、『角』の正面から消えた。

 そして、『角』の真横、左手側から飛び蹴りを繰り出した。

 

 否、飛び蹴りでは無い。

 何故ならその技は、相手に絡み付く技であって、打撃を加えるものでは無いからだ。

 

(力を使わない技…性にあわねぇって思ってた…喰らえよ『角』…俺の人生で初めての…()()()だ…!!)

「…この技は…!」

 

 『角』の左腕を抱く様に両手で掴み取り、両足で『角』の頭部を挟み込む。

 まるで虎の牙の如く。

 

 『角』の頭は差し詰め獲物の頭。

 虎が獲物の頭部を、その巨大な上顎と下顎で噛み、延髄に牙を突き立ててとどめを刺す事になぞらえた、王の名を冠する曲技。

 

オルァッ!!

「ぐっ…」

 

 重力に任せて『角』の顔面を地面に叩き伏せ、彼女の腕を真上に捻り上げる。

 仕上げに倒れ伏す『角』の首を脛で抑え、がっちりホールドした腕は天を向き、完全に極まっている。

 最早『角』がこの状態から抜け出す事は出来ない。

 

 その瞬間、宙を待っていた鈍が地面に突き刺さった。

 

感謝するぜ依姫…!俺達の勝ちだ!!

 

 秘技の名は、虎王。

 

「…くっ、くっくっくっ…はははは…!組み伏せられるのは何十年振りだ…?玄楽にさえここまではいかせなかった…!!」

地面の味はどうだ…?美味いだろ…!俺もよく味わったぜ…!!

 

 このまま強引に極め続ければ、『角』の肘を破壊できる。

 勝利の目が、僅かに見えた気がした。

 

「…まったく…褒めてやるぞ?掌から剣が飛び出すなんぞ、誰が予想出来ようか…完全に虚を突かれた、同格だったならばあそこで死んでいたぞ」

嬉しい…っね…!

 

 ヴェノムは錆びついたナットを回すかの様に『角』の左腕を極め続け、肘の破壊を狙う。

 しかし『角』の頑丈さ故か、どれだけ力を込めても、あと一歩の所で折る事が出来ない。

 

 更に『角』にとって圧倒的に不利な状況な筈だというのに、余裕を崩さない彼女に、ヴェノムは不吉な予感を隠せなかった。

 

 その時、戦いを観戦していた玄楽の声が響き渡る。

 

「っまさか…止めろシン!!()()()では———」

何が止めろだ玄楽!あと少しだ…あと少しで折れる!黙って見てろ!!ヴェノム!お前も手伝え!!

おうよ!!

 

 二本の触腕が『角』の腕に絡み付き、力を込めると同時にミシリという音が伝わった。

 ———あと、一センチも動けば。

 

()()()()()()()()()()()()()ッ!ヴェノム!今すぐ『角』から離れろォッ!」

「そのと〜り」

 

 その瞬間、『角』が空いている右腕を振り上げた。

 

なっ、何…!?

 

 この体勢からの攻撃は不可能な筈。

 腕を振り上げたからと言って、この技を抜ける事はあり得ない。

 

(反撃か…!?いや、その前にへし折ってや———)

「むんっ!」

 

 刹那、『角』は地面に振り上げた拳を叩き込んだ。

 爆音と舞う砂粒。

 

 シンは理解出来なかった。

 何の理由があってこんな事を。

 

ッ離れるぞシンッ!

 

 ヴェノムはその意味を理解した。

 しかし遅過ぎた。

 

 ヴェノムが手を離し、距離を取ろうとした瞬間、『角』の右拳が地面から襲い掛かったのだ。

 

ごはぁッ!?

 

 くの字に体がへし曲がり、ゴロゴロと地面に転がるヴェノム。

 その腹には『角』の腕によって貫通した穴が丸々と空いており、彼らは力を入れる事もままならず、立ち上がれずに居た。

 

…なんでだ…!どうやった…!?

スポンジの上で相手を組み伏せても、相手は動けないわけじゃない…あのクソ野郎にとって、地面はスポンジ同然という訳だ…!

 

 そうヴェノムがシンを諭す。

 

 彼の言う通り、『角』は地面を拳でくり抜き、身体を捻って拳をヴェノムに当てたのだ。

 地面を抉る事の異質さ、規格外。

 関節技は決まれば勝ちと言う常識を、常識を超えた大妖怪にも適応する。

 そんなタブーを犯したからには、痛いしっぺ返しを喰らうのは当然であったのだ。

 

ぐぅ…!痛ぇ…!やっぱ、殴り合うしかないな…!

ああ…!

 

 ふらふらとヴェノムは立ち上がり、徐々に塞がっていく風穴を摩りながら『角』を睨む。

 彼女は既に立ち上がっており、服に付いた砂埃を払いながら、地面に突き刺さった鈍を手に取って紅月に翳していた。

 

 折れなかったにしろ関節系に少なくないダメージが入っている筈なのに、余裕な態度を見せる『角』にヴェノムは歯軋りをする。

 

「ぬしら、この刀…どこで手に入れた?妾に負けぬ不壊性…錆びを知らぬこの刀身…神剣か、はたまた妖刀か…」

知るかよそんなモン…!俺が知りてぇよ…!!

何にしても、刃が潰れているのは惜しいのう…

 

 『角』はポイと鈍をガサツに投げ捨てると、再びヴェノムに身体を向けた。

 

「ではヴェノムよ、小細工は無しだ、殴り合おうぞ」

そのつもりだ…!もう武器も関節技も使わねぇ…絶対にぶちのめしてやるッ!

最強は俺達って事!頭ん中に刻め!それでミートパイにして食ってやる!

 

 工夫は通じなかった。

 ならば真正面から競り勝つ。

 

 啖呵を切れば切るほど猛獣の巣に足を踏み入れる様に感じたが、恐れは無かった。

 それ以上に高揚が身を支配していたからである。

 

 負ければ死と言う、玄楽の命も背負ったデスゲーム。

 しかし、だからこそ楽しい。

 まるで甘露の蜂蜜であり、激毒の蜂毒。

 

 気付けば燃え上がる憎悪も姿を消した。

 

 今、シンにとって『角』は全てをぶつけられる敵。

 これまでの培った全てを出し切れる、身を燃やす闘争の出来る化け物。

 

「視覚も、触覚も、嗅覚も、妾の能力(ちから)も…必要ない…!この肉体で語り合う事だけが妾の好物だ…!行くぞ!人外の者…ヴェノムよ!!」

来い『角』ォッ!

 

 最早勝つ為ではない。

 シンは楽しむ為に、その身を戦いに身を投じていた。

 

「『空削打』ッ!」

 

 意識の合間を潜り抜ける歩法によってヴェノムの目前まで肉薄する『角』。

 そこから繰り出される拳技は、結晶化した時間と言っても過言ではなかった。

 

 捻りを加えた手刀突き。

 

 空間ごと削り取るその拳に宿る、幾年もの修行。

 技を実践へ昇華させる努力。

 途方も無い時間を持つ妖怪だからこその、武術。

 

 喰らって平気な物では、決してない。

 

ぐぅッ!!

 

 横に飛ぶ事でギリギリで回避。

 しかし次の一手。

 

「『失天撃』ッ!」

 

 手刀の薙ぎ払い。

 ヴェノムを内側に引っ込め、身体の体積を縮小し、更に思い切り腰を沿ってなんとか回避するシン。

 

 それでも完全回避とはいかず、巻き込まれる風が烈風となってシンの服を切り裂いた。

 しかし、真に彼らを驚かせたのは。

 

マジか…っ

 

 地平線まで分断された雲。

 拳圧によって両断された夜の姿だった。

 

 雲が払われた空からは、無数の星が戦う彼らを俯瞰しており、キラキラと瞬く姿は、嘲ている様にも楽しんでいる様にもみえた。

 

「『崩界穿』ッ!!」

 

 そして星が見下ろす激戦地では、世界を揺るがす貫き手が生身のシンに襲いかかっていた。

 空を削り、天を割り、世界を穿つ『角』の拳。

 避けなければ、消し飛ぶ。

 

 焦りと享楽が混ざり合う中、彼の身体は導かれる様にして動いた。

 

らぁっ!!

 

 無意識に『角』の貫き手を回転しながら威力を殺し、得た回転エネルギーと共にアッパー。

 パァンと気持ちの良い音が鳴り響き、続けて中段蹴り。 

 

 『角』はそこで吹き飛んだものの、シンに人を蹴った感触は無く、まるでティッシュに向かって蹴りを繰り出した様に感じた。

 

「…くは…不思議だろう?今のは大陸の達人から盗んだ技だ…!しかし…しかしまるで玄楽と戦っている様で、その実は別の存在…楽しいのう、楽しいのう…!」

………ああ、楽しいぜ、ムカツク位に…なぁッ!

 

 諦めを孕んだ言葉を返し、シンはヴェノムを纏わずに『角』を追撃する。

 力より速さを追求する為であり、シンは回避に全てを掛けてラッシュを叩き込んだ。

 

「くぁああ"ッ!!」

「軽いが良い疾さ!!」

 

 イメージは関節の増加。

 ヘビの様に、ムカデの様に。

 

 しなりと脱力。

 瞬発と爆発。

 

 幾重にも増やした関節にて加速を行い、加速を行い、加速を行い…

 もっと、もっと早く。

 身体も捻りを加え、足首、膝、腰、肩、肘、手首、五指を中心に加速を促す。

 

 息をする暇も惜しく、無呼吸のラッシュは少しずつシンから意識を奪っていく。

 全力を出し続ける超負荷に、肉は耐えられずブチブチと嫌な音が響き渡る。

 

 倒れるな。

 限界を越えろ。

 適応しろ。

 

 ラッシュの拳先は次第に音速を超え、威力を増していく。

 千切れた筋繊維が再生し、より強靭に磨き上げられていく。

 適応する身体が最適解のルートを算出していく。

 

 しかし。

 その尽くを、『角』は回避していった。

 

「美しい傷だ!惚れ惚れするのう!!」

「ッ…触るな———」

 

 『角』は蛇の如く乱打をすり抜け、剥き出しとなったシンの胸元をつぅ、と、指でなぞった。

 電熱による火傷で焼け爛れ、醜い焦茶の痕が残る胸元を、だ。

 

 その傷を美しいと評した彼女は、ポンとシンの胸に手のひらを置き。

 

「『発勁』!」

 

 ノーインチパンチ、浸透勁の連撃を繰り出した。

 

「…ッは………ァ"…っ…ガ…!」

「シンッ!!」

 

 ネイルガンの如き、三度に及ぶ連打。

 フラフラとシンが後ずさった瞬間、骨中の破砕音が響き渡り、彼は膝を付いた。

 

 玄楽の呼び声すら遠く、ヴェノムの治癒も響き続ける衝撃に意味をならない。

 治った側から破壊され、激痛に次ぐ激痛が身を貫く。

 

 シンは『角』を睨み付ける事すら出来ず、臓物混じりの吐瀉物を撒き散らし、身体中の穴と言う穴から血を垂れ流すことしか出来なかった。

 

「ぉっ…ぐぇ…ッ!ぁぁあ…ッ!!」

「骨、内臓、心臓に至る内側を破壊する浸透勁、持続する衝撃…フフ…死んでくれるなよ」

「止めろ『角』ォッ!!」

 

 無防備なシンにトドメを刺そうと、『角』は腕を振り上げるが、玄楽の怒声がそれを遮る。

 しかし『角』は手を止めた物の、彼の叫びには冷淡に応え、足元に伸びるシンの血液を見下ろした。

 

「玄楽よ、立場を忘れるな、妾はその気になればこの()を解き、全てを使って主らを叩き潰す事だって出来る」

「ぐっ…!」

 

 『角』は何十にも顔に巻かれた包帯に手を滑らす。

 壊れ物を扱うかの様に優しく、玄楽からすれば、それは悍ましい物だった。

 

 ———行かなければ…っ…しかし…本気の『角』に敵うか…!?…違うっ吾は助けに行かねば…いや…今の吾では足手纏いか…っ…。

 

 玄楽の拳には血が滲んでおり、戦いに参加できない自分を憎んですらいた。

 人として、親としてシンを助けなければいけない。

 しかし、ここで助けに行けば『角』に皆殺しにされる。

 

 決意と脅威による、ジレンマだ。

 

 いっそのこと、何も考えずに助けに行くのが正解ではないか、そんな考えすら彼の頭に過る。

 しかし。

 

「…シン…!?」

 

 不意に、彼の瞳が『角』からシンへ移った。

 そして、思い出す。

 シンの能力を。

 

 彼の闘志を。

 

「『角』ォ…!まだ俺達は…死んでねぇぞ…!!」

「ほう…ほう…!ほうほう成程のう!!その治癒力に再生!更には打てば鳴る金の身体に不屈…いや…っ狂気に近い闘心!!極上ではないかっ!!ぬしは玄楽よりも良いっ!」

 

 シンの能力は『適応』だ。

 痛みと苦しみを超え、シンは遂に『発勁』の衝撃を適応したのだ。

 

 『発勁』は持続する衝撃であり、死に瀕する威力。

 『発勁』は『角』の攻撃に適応するにはうってつけの攻撃であり、彼らの肉体は以前より遥かな高みに昇った。

 そして、闘志も。

 

「今の俺達なら!お前をぶち殺せるッ!!」

行くぞシン!こっからが本番だ!!

「その飽くなき闘争への探究、どこまでも昇るその力…この我に魅せてみろッ!!ここからが激闘だ!!」

 

 シンを抱擁するかの様に腕を広げる『角』。

 彼はそれに、拳を持って応えた。

 

 溢れ出すヴェノム。

 立ち上がる身体。

 繰り出す鉄拳。

 

「遅いッ!!」

 

 豪快な右フック。

 故に隙も多く、『角』に一手先を取られてしまう。

 

 ヴェノムの視界に映るのは、顔面に迫り来る『角』の拳。

 辛うじて目で捉えられるのは、最速の縦拳。

 …避ける事は出来ない。

 きっと、防御も。

 

 しかし、ヴェノムは焦るでもなく、慄く訳でもなく、ただ笑った。

 

…ッッ!!

 

 空き缶を握り潰したかの様な、異様に乾いた爆音。

 その場に居た誰もが、勝負の行方を確信した。

 

 このまま彼らの真っ黒い頭は弾け飛び、膝を付いて倒れ伏すと。

 誰もがこの後に起こる未来を幻視した。

 

 しかし現実は———

 

っぬっぐぉォォオオ"オ"ッ!!!

踏ん張れぇッ!!

 

 耐えて、いる。

 デコピンにKOを喰らった彼らが。

 『角』の一撃に耐えている。

 

ォオオオオ"オ"ッ!!

「ぬっ!?」

 

 その時、『角』の拳が、滑った。

 いや、滑らされた。

 

 ヴェノムが顔面を回転させて威力を流し、『角』の一撃を凌ぎ切ったのだ。

 

 そして死に物狂いで繰り出す、カウンター。

 『角』の一撃によって得た回転エネルギーと。

 強化された彼らの力で。

 

 ただ思い切り殴り付ける、必殺の右フック。

 

ッゥうるぁああ"あ"ッ!!!

「ごふッ…!』

 

 鈍々しい、金属音に似た思い音色。

 そして浮かぶ、巨大な壁の如き『角』の膂力。

 

 これを超えねば、『角』に打ち勝てない。

 この防御にも満たない()()()を破らねば、絶対に勝機は無い。

 

貫けぇえエ"エ"ッ!!!

 

 雄叫びを上げて、『角』の頬に突き刺さる拳に力を込める。

 『角』の顔を覆う包帯に一条の亀裂が入った瞬間、彼らは全身全霊を込め、拳を振り切った。

 

「がぁ…!!」 

 

 吹き飛びこそしなかったが、完全に真横へ向かされた『角』の顔。

 

 そして地面に飛び散る『角』の血液。

 口から溢れ出た、ダメージの塊。

 はらりと地面へ僅かに垂れる包帯。

 

「———この妾が…血を…」

どうだオラァッ!これで互角だ!!

 

 今、彼らは初めて。

 『角』に傷を与えたのだ。

 

 破られた包帯からは。

 金色の瞳が妖しく光り、ヴェノムを覗いている。

 

 好意と殺意に塗れた、狂気の瞳だった。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
しれっと登場する虎王やらマッハ突きやら消力…

とまぁ…恐らく次回決着ですのぜ。
ゆっくりしていってね!


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第五十三話 破綻者

ゆ…ゆっくり!


 打ちひしがれた様に顔を上げない、『角』

 

 時折闇夜から金色の光が漏れ出で、煌々と煌めいている。

 その光源は彼女の瞳からだった。

 

「なんという…禍々しい瞳だ」

 

 そして包帯の間から垂れる朱色の髪と金色(こんじき)の瞳。

 玄楽でさえ思わずそんな言葉を漏らした。

 昏い輝きが瞳の奥でゆらゆらと燃え、引き込まれる様な雰囲気を滲み出している。

 気を抜けば心を奪われそうな気さえした。

 

 魔性、そんな言葉がピッタリと当て嵌まる。

 

 その時、『角』は自身の頬に手をやり、ねっとりと破れた包帯をなぞった。

 

「いい…善い…好い…良い拳…!!ぬし!私と夫婦(めおと)にならないか!?っいや!なれ!!」

なるかボケ!頭湧いてんのか!

外れたネジを叩いて戻してやるよ!!

  

 ヴェノムに向けられた『角』の顔には、明らかに朱色が混ざっていた。

 ついでに、情欲の混ざった黄金の瞳も。

 

 ぞっ、と。

 形容し難い…粘着的な好意とドロドロとした重い視線を受け、ヴェノムは身体を震えさせる。

 殆ど生理的嫌悪感に近かった。

 

「そんなぁ…悲しいのう…乳房だって妾はあるのにのう…」

さっきまで殺し合いをしてたんだぞ…どんな情緒してやがる…

 

 『角』は露出した片目を残念そうに伏せ、彼女の胸に手を置く。

 無駄にデカい、夢と希望が詰まった双子の山。

 着物に似た服に包まれてなお存在感を放つソレは、魅力的と言えば魅力的だ。

 

 しかし、殺し合いをする化け物が急に求婚して胸を主張するなんて。

 意味不明過ぎて逆に笑えてくる。

 

「仕方ない…なら殺すか」

…イカレ野郎が

 

 しかもこの様に、唐突に殺戮モードに入る。

 

 長い時を生きる…若しくは本能でしか考えられない妖怪の殆どは、刹那的な考えを持っている。 

 前者は退屈を紛らわす、後者は欲にただ従う為だ。

 だから、退屈や欲(価値)に見合わないと見るや、呆気なく切り捨てるのだ。

 

 だからこそ、人間達と根本的に、それも致命的に価値観が合わない。

 いや…相性なんて合わなくて良い、分かり合えなくて良い。

 

 分かり合えないからこそ、妖怪は人類の敵だ。

 そう、友達だからとか、顔見知りだとか、そんなチャチな事を考える必要がない、ただ殺せば良い。

 奴らの根っからの性悪には罪悪感もクソも無い。

 

 簡単な話だ。

 敵は殺す、俺達が強くなるための踏み台にさせる。

 目の前の女がどれだけ魅力的でも、人間に見えても、容赦はしない。

 

「来ぬのか?もしや妾と契りを交わしたくなったか?」

っせぇな…黙ってろ…!!

「ふふふふ…来ぬなら妾から行くぞ…?」

 

 小難しい思考をドブに捨て、ヴェノムは姿勢を低くして小回りが利くように触腕を二本、肩から生やし、カウンターの構えを取った。

 どういった方法かは知らないが、『角』の初動は彼らには感知出来ないからだ。

 動体視力を超えるというより、意識の合間を縫う歩法。

 

 睨み合いが続く中、『角』は嬉しそうに言葉を発する。

 

「…良い手だ、だが、この妾が何度も同じ手を使うと思わない事だ」

…フン、どうだか

 

 『角』はリラックスした様に肩を脱力させ、猫背の体勢になる。

 いや、猫背というよりかは…()()()()()いる?

 

「…知っているか?人は意思決定から0.5秒先に行動する…その0.5秒間、妾は殴り放題と言う訳だ」

…!?

 

 『角』の輪郭がぐらりと揺れ、彼女だったものの液体が地面に染み込んでいく。

 目を閉じれば確かに『角』の気配はそこにある、しかし見ている光景は紛れもなく『角』の溶解。

 

 ドロドロに溶けた『角』から声が届くのはどうにも気味が悪かった。

 頭では何も起こっていないとわかっている筈なのに。

 イメージだけで他人にまで錯覚させる『角』の技術の賜物だろうか。

 

 軽い混乱に陥れられていたヴェノムに、地面のシミとなった彼女は更に言葉を投げ掛ける。

 

「そして、ゼロに近き脱力は圧倒的な速度を生む…さぁ、ぬしはこの意味が分かるか?」

脱力…?

 

 これが、脱力?

 体全てが溶けていると錯覚する程の脱力、それが何だと、馬鹿馬鹿しいと一蹴しようにも、この『角』の異常なイメージの投影が油断を払拭する。

 

 恐らく常人には抵抗すら出来ないだろう。

 視認も出来ず、痛みも感じず、ありとあらゆる反応も出来ず、その生涯の幕を下ろすのだろう。

 

 神風は、人間には捉えられないと言う。

 今から襲うのはその神風だ。

 

 だが、それがなんだと言うのだ。

 彼らはヴェノム。

 人であって、人でない。

 

俺達には恐れるに足りないな!

ああ…!要はその0.5秒より速く、この俺達に攻撃を当てたいんだろ?…来いよ、お望みの反応を見せてやる

「…蛮勇か、確信か…見定めてやろう…!!」

 

 そして、襲い来る神速。

 

「『泥雷威(どろかむい)』」

 

 『角』の姿が消え、代わりに地面の欠片が弾ける。

 0.1秒にも満たない須臾の世界で、『角』は既にヴェノムの正面まで迫っていた。

 

 そして、顎へのジャブ。

 

 雷の如き速度を生かした、誰にも捉えられない神速の一撃。

 威力はあまり無いが、顎を掠めれば、衝撃が頭蓋へ脳へと伝わる

 そしてシェイクされた脳は機能を停止し、敵は何も知らないまま崩れ落ちるのだ。

 

 当然ヴェノムにも感知すら出来ずに———

 

 パシ。

 

「———むっ…!」

 

 なんら問題も無く、彼らはジャブを手のひらで防いだ。

 

おいおいおい、確かに速ぇがよ…軽すぎるぜ

そうだシン、もっと言ってやれ!

 

 からくりは簡単。

 

 シンビオートは全身が脳細胞の様なアメーバ。

 故に、見た光景を身体に伝え、行動を命令する事に0.1秒のタイムラグも無い。

 

 しかし、ただの共生関係にあるシンビオートと人間とではこのプロセスは有り得ない。

 あくまでシンビオートは人と共に住んでいるだけであり、不適合により細胞を破壊する事はあっても、細胞を作り変える事は無いからだ。

 

 そう、シン達こそが例外なのだ。

 ヴェノムと融合したシンだからこそ、身体が従来の物に加えてシンビオートの特性も併せ持ち、この様な超速反応を行えていた。

 

隙だらけだ角野郎ッ!!

 

 攻撃を防いだと言う事は、反撃のチャンスと言う事。

 ヴェノムは予め生やしていたニ本の触腕をはためかせ、『角』の禍々しく捻れた一本角に巻き付かせた。

 

 そして後ろに飛ぶ様に引っ張り出し、ヴェノム自身は反作用の力で飛び蹴り。

 メキャリと『角』の顔面が膝に沈み、彼らは口角を上げた。

 

(完全に入った!!通じる!)

 

 絶対的な存在である『角』に一撃を加えれるようになるまで、彼らは適応している。

 考えられない程の力の上昇幅にシンは興奮を隠せず、依姫さえも今なら簡単に崩せると確信していた。

 

 それでいて尚、彼に油断はない。

 油断はないが———

 

「その反応速度っ!やはり人間では無いか!!」

ぐっ!?

 

 顔面に膝蹴りが入っていると言うのに、まるで構わないと言わんばかりに『角』はグイと腰を逸らす。

 角に絡まった触腕を離す暇も無く、彼らヴェノムは大きく体勢を崩してしまった。

 

 そこに、『角』の頭突き。

 

っぐがっ!?

「あぁ痛い!痛みを感じる!久しくこの感覚を…忘れていたッ!!」

 

 頭蓋骨、粉砕。

 

 身を震わせて感動する『角』は、激情に突き動かされるがままにヴェノムを引き剥がし、地面に叩き付けた。

 まるで抵抗出来ない彼らはそのまま衝撃によって跳ね上がり、地面に落下する前に『角』の拳を受ける。

 

「そらそらそらどうした!?受け流せ!避けろ!反撃しろ!妾を楽しませろ!!」

ぐっ…ぉお…ぁ…!!

 

 身を突き刺すは打撃の嵐。

 一撃二撃と喰らいながらも体勢を戻し、揺れる視界で防御を狙う。

 

 拳一つ一つが大岩を砕き、大河を割り、空を切断する文字通りの必殺であり、死に物狂いで受け流す、しかしそれだけで骨身がパキパキと砂糖菓子のように折れていく。

 

 激痛を精神力で押さえ付けるものの、やがて細かな治癒が追い付かなくっていく。

 そして治癒に時間を掛ければ、激痛が集中力を削っていく。

 

 勝負は詰将棋の様相を呈していた。

 

ぐうぅ…!!

不味いぞシン…!反撃が出来ん!

 

 ヴェノムのアシストも『角』に叩き落とされ、逆にこちらがダメージを負う始末。

 

(これが…っ…本物の大妖怪の力か…!!)

 

 防御以外に何も考えられない頭で、ふとそんな思考が浮かぶ。

 エレクトロより何倍も、何百倍も重い鉄拳。

 

 今だって、音速を超えた拳が、腕でしか防げない拳が———

 

…っ…ぁ…!?

 

 ———拳が、来ない?

 停止している、目と鼻の先で。

 

 混乱によって掻き乱された脳内は、刹那の長考を弾き出した。

 何故、何の為に。

 

 予想もしなかった問題にフリーズする学生の様に、彼は簡単な答えを出すのに随分時間を掛けてしまった。

 その刹那は、まさに格好の的。

 

「ハァッ!!」

ぐぁッ!?

 

 上段蹴り一閃。

 顔を守る腕ごとへし折られ、ヴェノムの首元からボキリと痛々しい音が奏でられる。

 

 視界外、意識外からの一撃。

 それを喰らって、シンは初めて気付いたのだった。

 

 今のは寸止めはフェイントであり、本命はこのハイキック。

 何故分からなかったのだ、と自分自身を非難したくもあったが、最早後の祭り。

 

 ヴェノムは首をあらぬ方向に曲げて地面と平行に吹き飛び、数回バウンドして倒れ伏した。

 彼らが立ち上がる気配は、ない。

 

「シン…ああクソ!大丈夫か!」

 

 形容し難い声色で玄楽が叫ぶ。

 しかし『角』は、その声に耳を傾ける事なくヴェノムへ歩を進めた。

 

 そして、ヴェノムの首を掴み、持ち上げる。

 その様はまさに、勝者と敗者。

 

 『角』が反応しないヴェノムを見兼ねてか、一つ溜息を吐くと、おもむろにヴェノムの腕を掴み。

 

「ふんっ!!」

…ッ!?…ぐぁ…ぁあああ……ッ!!

 

 強引に千切り取った。

 

 胴体と泣き別れた腕は、乱雑に投げ捨てられ、地に溶けていく。

 

てめ…っ!…『角』…!!

離せ…っ!この野郎…!

 

 瞳に戦意は残っている。

 しかし、度重なる負傷で体に力が入っていない。

 

 どれだけ闘志を滾らせても、今の彼らに『角』を振り解く余裕は無かった。

 

「骨という骨、内臓という内臓を、心の臓を潰して、よくぞここまで戦った…ぬしは玄楽より良い…終わらせるのが勿体無いのぅ…どうだ?負けを認めんか?」

 

 空間が歪む程の敵意をぶつけられても、平然と口角を上げる『角』。

 彼女の金色の瞳が、不気味に輝いている。

 

まだ…!まだ!俺はッ!!俺はぁアアッ!!

「あくまで矜持を掲げるか…ふふ…だがその答えが聞きたかった」

 

 戦いの熱が冷めやらぬシンの、剥き出しの狂気が『角』を貫く。

 しかし、その行為は降参と言う選択肢を自ら消すのと同義。

 

 しかし、その選択は正しい。

 なぜならここで降参を選んでいれば、失望した『角』に嬲り殺されていたからだ。

 

「ならば死ね…!」

 

 もっとも、負けを認めなくても『角』は殺す気だったのだが。

 彼女にとって自身の勝負を降りないと言う事は、そう言う事なのだ。

 

 『角』が拳を脇に置き、正拳突きの構えを取る。

 その矛先は、ヴェノムの顔面。

 

「頭を潰されて生きている者は居ない…!仮に生きていれば…粉微塵にして殺してやろう…!!」

…クソ…ッ!クソッ!

<済まないシン!こればかりはどうしようも出来ない!>

 

 指一本動かせない。

 ヴェノムも悲痛な声で叫んでいる。

 

 詰み、そんな文字が大きく頭に浮かぶ。

 しかし、シンはその文字を振り払った。

 

 玄楽がシンに命を捧げ、ヴェノムが戻った。

 紡がれたチャンスを無駄になど、到底出来ない。

 

俺は…!

 

 依姫と約束をした。

 生きる、と。

 あの時は嘘だった、だが今は違う。

 

 ———ぜったいに、帰ってきて…!

 

 彼女の、悲しみと諦めが綯い交ぜになった言葉が頭に浮かぶ。

 とても小さい声で、小動物のように頼りない。

 

 思い返すだけで、自分の不甲斐無さに吐きそうになった。

 

 彼女に会いたい。

 会って抱きしめたい。

 

 正直気持ち悪いが、本心だ。

 こんな想い、この都に来た頃では考えられなかった。

 

 だから。

 だからもう、こんな所で負けられない。

 こんな所で死ねない。

 

「辞世だ…言い残す言葉は?」

黙れクソアマ…!俺達はこんな所で負けられねぇんだよ!!

「違う、ぬしの負けだ…恥を晒して生きながらえるつもりか?」

 

 『角』の金色の瞳に冷たい物が走る。

 しかし、シンは真正面から言葉をぶつけた。

 

ッ違う!俺の為に玄楽が!相棒が戻って来た!!その瞬間から…!俺はアイツの為に!相棒の為に死ねなくなったんだよ!!生き恥を晒しても…俺は負けられねぇッ!」 

「そうじゃないだろう!?拳を交えた妾なら分かる!ぬしは戦いたいから戦っているのだ!ずっと()()()()()()()から死にたくないのだ!狂気を持つぬしにはそんな慈悲は無い!!狂気と慈悲を併せ持つ者が居るとしたら!それはただの破綻者だ!!」

 

 真っ向からぶつかり合う言葉。

 しかし『角』の言葉は、何よりも鋭利で、苦しみを伴う口撃だった。

 

 ()()()()()()()()()

 

 何度も、何度も、何度もその考えが頭を過り、その度に無視をしてきた。

 しかし、シンの中にある情も虚実ではなく、確かにそこにある。

 

 案外、破綻者という表現がシンという人間に合っているような気がした。

 

「教えてやろうか!?情なんぞ…!脆い慈悲なんぞ!圧倒的な力には何の意味も無い!!」

 

 ヴェノムの目に金色の輝きを放つ『角』の瞳が映る。

 力と言う絶対的な物に魅せられ、戦いに没頭する狂気の瞳。

 

 シンと何処か似た瞳。

 

「この世は!!力だけが全てを支配する!!より深い戦いの世界に!情けは要らぬ!!」

 

 違うのは、その考え方。

 似て異なる、相容れないその思考。

 

「妾は失望した!!死して後悔しろヴェノム!!ぬしの敗因は…その甘っちょろい考えだッ!!」

ッ!!

 

 構えられた拳が、無慈悲に突き出される。

 ゴゥと風を巻き込んで唸る『死」が、すぐそこまで迫っている。

 

 ギリギリと、ヴェノムはその鋭い歯を食い縛った。

 

 ———何か手は無いか。

 ———諦めるな、何処かにチャンスがある筈。

 ———いや…無い?

 

 捻り出した手段はただ夢想に終わり、至る道筋はどんどん暗く、細くなっていく。

 遂に辿るべき道筋が消え失せたその時、何かがシンの脳内に駆け巡り始めた。

 

 それは、走馬灯。

 

 ヴェノムとの邂逅に、依姫との戦い。

 彼女を担いで帰った軍来祭の夜。

 エレクトロの鼻も耳も口も目も、顔全てが無い、のっぺりとした奇妙な面。

 荒れる蒼電の中、満足そうにはにかんで爆死したカレン。

 泣きそうな目でこちらを見つめる依姫。

 それを断り、彼女と別れた俺。

 

 記憶の中は笑ってしまう程暖かく、死んでしまいたくなる程冷たい。

 しかし、思い出したモノがあった。

 今一度、心に刻んだモノがあった。

 

 それは、不屈。

 依姫との戦いで育んだ、意地。

 

俺達は…!

<…シン…!>

 

 するべき行動は一つ。

 

負け…ねェ…!

<…ッ…>

 

 抗う事、それのみ。

 

おぁあッ…!!

「…生き汚い、だがそれも良し…!」

 

 死を体現する拳に対抗するのは、漆黒の鉄拳。

 しかしまるで力が入っておらず、ブルブルと震えた情け無い一撃だった。

 拳がぶつかり合った瞬間、勿論ヴェノムの腕は粉々に砕け、勢いすら衰えずに『角』の拳がヴェノムの顔に迫る。

 

………ハハ…

 

 嗚呼、結局。

 何一つ出来ない。

 

 シンは静かに虚空に目をやり、終幕を待った。

 

 あと瞬き一つで、彼らは死ぬだろう。

 少なくとも『角』は、そう確信していた。

 

 だがしかし、『角』は知らなかった。

 

 意思は伝播する物だと。

 無意味に見えた行動は誰かの決意に火を付けるのだと。

 

「ぬぅ…!?」

「———シンッ!!」

 

 金色の瞳に写るのは彼、玄楽の姿。

 カメラのシャッターが落ちるように、景色が刹那に流れていく。

 

 玄楽の体当たり。

 ヴェノムを掴む『角』の腕が突き飛ばされる。

 ヴェノムの頭と言う目標を失った『角』の拳は、導かれるままに玄楽へ向かい———

 

 その胸元を貫いた。

 

「———な…ぁ…っ!?」




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
遅れて申し訳ないのぜ、理由は活動報告にお越し下さいのぜ。

それはさておいて、彼らが『角』と戦えた理由の一つに、ヴェノム本来の能力があるのぜ。
それが、共生した相手の能力をコピーする力。
原作でもヴェノムはスパイダーマンと共生した事でスパイダーセンスを得、エディ達ヴェノムはスパイダーマンの第六感を潜り抜ける力を得ましたのぜ。

今回ヴェノムがコピーしたのは玄楽の戦いの記憶、『角』との幾度に渡る戦いの記録なのぜ。
故に、彼らは無意識ながらに『角』の致死的攻撃をギリギリ避ける事が出来たのですのぜ。

そして終わる終わる詐欺について。
今回もっと執筆していたのですが、これ以上待たせないために途中で切り上げて先に投稿しましたのぜ。
次こそ絶対終わらせるのぜ、お待ち下さいのぜ。

最後に昆布の魔法使い様、陽炎様、☆9評価×2ありがとうございますなのぜ。


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第五十四話 大虐殺を冠する者

ゆぐにぃ。


「…ッ…!…ガフっ…」

「っな…ぁ…っ…ぁぁああ…!!」

玄楽!!」 

 

 目の前の光景を理解するごとに、悲痛な声が漏れた。

 流れる鮮血が地面に染みるごとに、夢想が打ち砕かれた。

 

 燃えていた心臓を握りつぶされた様に、息が出来ない。

 考えが纏まらない。

 玄楽は心臓をぶち抜かれている。

 どう足掻いても死は逃れられない。

 

 そんな事は分かっている。

 それでも、彼は玄楽を助ける方法を模索した。

 

 ———ああ駄目だ………

 ———無い。

 

 シンの絶望に合わせてヴェノムが剥がれ、絶望を誤魔化す様に彼は言葉を紡いだ。

 

「なんでだ…玄楽…なんで俺達を…!!」

<…玄楽>

 

 終始、玄楽は不思議そうに虚空を見つめていた。

 が、やがて何かに納得した様に息を吐くと、シン達に濁った声で語りかけた。

 

「…吾にも…分からぬ…た、ただ…お前達の姿を見て…吾は…」

 

 動かずには居られなかった。

 きっと、そう言ったのだろう。

 小さな声だった。

 

「…畜生…分かってんのか玄楽…!お前には依姫も豊姫も居るのに…居るっていうのに…!!」

 

 シンの掠れた嗚咽は、吐き切る前に大きな溜息によって遮られた。

 その出所は、『角』だ。

 

「…分かっているな?玄楽…その行動の意味する所を」

「…勿論分かって、いた…だが…身体が動いた…」

 

 血混じりの吐瀉が玄楽を襲うも、彼の瞳は力強い。

 『角』の押し潰される様な圧に怯む様子も無く、彼はただ言葉を綴っていた。

 

「ぬしは昔、ぬしの仲間の命すら使ってこの妾を討とうとした…そう、軍人、合理を求める機械だった筈だ…ぬしは…なぜこの童を助けた?…この童に何を感じた?」

「応える義理も無い…いや、そうだな…ただ…理屈ではどうにもならんのが人間だ」

「…そうか、ではさらばだ」

 

 吐き捨てると、彼女は血糊を落とす様に腕を払い、玄楽を弾き落とした。

 抵抗も見せず、水切りの様に地面を跳ねていく彼が辿り着いたのは。

 

 幸か不幸か、シンの、目の前だった。

 

「っあぁ…っ!っおい!おいっ!玄楽!!起きてくれ!!」

 

 震える身体に鞭を打ち、どうにか片腕を再生し、這い這いになって玄楽の肩を揺するシン。

 勿論彼が再び立ち上がるなんて事は無く、失われていく体温がシンの焦燥を煽った。

 

 血の池が広がり、肉の断面からピンク色の内臓が零れ落ちていく。

 酷く異常的な光景で、動揺も重なり、シンにはどうすることも出来なかった。

 

「ヴェ…ヴェノム!お前なら…!お前なら治せるよな…!?そうだよな!?」

<…済まないシン、無理だ>

「なんでだ!?今は冗談を吐く時間じゃねぇんだ!頼むから…!!頼むヴェノム…ッ!!」

<…もう手遅れだ、コイツとは適応もしなかった、ただ死期を早めるだけだ…それに今お前の元を離れれば、お前が死んじまう>

 

 どうしようもなくシンは喘ぎ、歯を食い縛る。

 死に体の彼には、死にゆく玄楽を見つめる事しか出来なかった。

 

 治してやれなくてごめん。

 珍しいヴェノムの謝罪も、耳を通り抜ける。

 

 掌から奪われていく温度が、感情を揺らし、酷い吐き気を催す。

 気持ち悪さを振り払う様に、彼は叫んだ。

 

「だったら…だったら俺がやってやるよ!!俺の命なんて知った事じゃねぇ!!」

 

 ヴェノムと一体化したシンなら、多少なりともヴェノムの真似事が出来る筈だ。

 そう考え彼は玄楽の胸に手を伸ばす。

 その時、玄楽がその手を振り払った。

 

「なっ…!?」

 

 パシンと、乾いた音だった。

 そして、ゆっくりと彼の口を開かれる。

 

「…っ…シン…そこに、居るな…?」

「っおい…!喋らなくていい…!!俺達が…俺達が治してやるから…っ!!」

 

 彼の声は濁声混じりで、殆ど聞き取れなかった。

 加えて彼の瞳には光は映っておらず、冷たい鈍さを放っている。

 

 どうしようもなく、心臓がうるさかった。

 

「…聞いても…聞かなくても…良い………これは吾のワガママだ…」

 

 玄楽が血を吹き出し、赤い飛沫がヴェノムの頬に付く。

 生温い感触であり、彼は言葉を失った。

 

「依姫を…幸せに…してやってくれ…お前なら———」

「…ッ…」

 

 シンは何かを言おうとして、しかし目を閉じ、歯を食いしばってその言葉を聞き入れた。

 しかし、待てども待てども言葉はそれ以降続かない。

 

 彼は漸く、鉛の様に思い瞼を開いた。

 そこに居たのは、静かに瞼を閉じている玄楽。

 

 未だドクドクと血が流れ出ている一方で、血色は土塊のそれと同じ。

 静かで、静かで。

 まるで息さえ()()()()いるような。

 

「ぁあ…ぁあああ…!!」

 

 シンの顔が歪み、絶え間無い怒号にも似た慟哭が空間を裂く。

 けれどもほんの一途の希望に身を寄せ、彼は玄楽に触れた。

 

 死人の冷たさだった。

 嫌が応にも理解させられた。

 彼は、玄楽は、死んだのだ。

 

「ぁぁあああああッ!!!」

<…っ!?よせ!シン!>

 

 現実に頭を殴られ、シンを目眩が襲う。

 ヴェノムの声がシンを制止するが、全く届かない。

 動悸がより激しく高鳴り、嗚咽が地面に溶けていく。

 そんな時、玄楽越しに何かが見えた。

 

「はぁっ…はぁっ…!ぁあああ…ッ!!」

<深く息を吸え!落ち着くんだ!>

 

 幻覚だった。

 死んだカレンだった。

 シンが殺したカレンだった。

 

 彼女は何も言わない。

 

 ただ昏い瞳でシンを見ているだけだ。

 まるで、お前のせいだと言う様に。

 

 違う、これはカレンではない。

 これは()()だ。

 あの時、カレンを殺めてしまった事に対する後悔だ。

 

 そして、その後悔は必ず一つの答えへと帰着した。

 

(俺が…もっと強ければ…!)

 

 そして、虚しい怒りが湧くのだ。

 今の自分に。

 弱い自分に。

 何も出来なかった自分に。

 

「ぐっ…ぅう…ぐぅう…!!」

<っそれ以上は止めろ!怒りに身を任せるな!!>

 

 シンは頭をガリガリと掻き、拳を地面に打ち立てた。

 大きな蜘蛛の巣状に地が割れ、それでも発散されない怒りがシンを襲う。

 

 奥歯がバキリと、痛みが脳髄を立ち昇る。

 握り込んだ拳がミチミチと鳴り、怒りが身を支配する。

 

 ヴェノムの意思に反して黒いアメーバがシンの身体を覆い尽くし、後戻り出来ない領域まで感情が黒く染まった。

 

ぁああアア"ア"…ッ!!」

俺の言葉を聞け!シン!駄目だ!

 

 深く、吐息を吐いた。

 身に残った理性を吐き出すかの様に。

 

 そして残るは殺意。

 血一色に染められた思考は、彼らを別の存在へと変貌させ、単一の『一人』へと変容させる。

 

ッ『角』ぉぉオオオオッッッッ!!!

ぐぅ…!シン———

 

 瞳には殺意。

 拳には怒り。

 言葉にして虐殺。

 

 今こそ、大虐殺(カーネイジ)だ。

 

ギィァアアアア"ア"ッッ!!!

 

 獣の咆哮が天地を走る。

 瞬間、彼らの姿が変わった。

 

 黒い巨躯は赤黒く。

 背からは幾本もの触手。

 赤黒く太い血管が全身を覆い尽くし。

 血に似た筋組織がこびり付いた顎門が大きく開かれる。

 

 咆哮は空気を震えさせ、ビリビリと『角』の肌を焼いた。

 

「もしやと思い待っていたが…ここまでの変貌を遂げるか!良い姿だ!!」

ァァアアア"ア"ア“ッッ!!!

 

 軽口を叩く『角』に、ソレは甲高い咆哮をもって答えた。

 そして刺々しい銃口を向ける幾重もの触手。

 

 対してニッと口角を上げる『角』。

 重々しい殺意の中でも、彼女は平然としていた。

 

「本気を———」

 

 しかし『角』が自身の顔を覆う包帯に手を掛けた瞬間、ソレの姿が残像を残して消えた。

 そして言葉が終わらない内に『角』の顔面に衝撃が走り、彼女は大きく仰反る。

 

 何が起きたのか、『角』はほんの一瞬理解出来なかった。

 

 しかし、顔面を覆う包帯に亀裂が入ると同時に理解した。

 一瞬のうちに殴られたのだ、それも『角』が認識出来ないスピードで。

 振り向けば、ソレが『角』の背後で拳を振り抜いている。

 

 その光景に、彼女は笑いを抑えきれなかった。

 

「…ふ、っくくく…そうか…!待ちきれないか…!?折角のお披露目だ!その姿の名は!?」

 

 大きく亀裂の入った包帯がはらりと地に落ち、『角』の素顔が明らかとなる。

 

 黄金の双眼。

 ピンクに似た緋色の髪に彩られた、ざっくばらんなショートヘア。

 まるで強引にねじったかの様な、奇妙な一本角。

 

 剥き出しの殺意と好意がソレを襲い、更なる闘志を呼び起こす。

 ソレは勢い良く振り向き、咆哮を上げながら答えた。

 

俺は!!カーネイジ!!!

 

 カーネイジ。

 殺戮の象徴、暴の化身。

 

 何故、その姿になったのか、なる事が出来たのか。

 知る者は居ない。

 

 しかし断言出来るのは。

 彼はヴェノムではなく、それ以上の存在だと言う事だ。

 

「ハハハハハッ!!なぁ!?何故私がこの包帯を顔に巻いていたか!分かるか!?」

ギャァッ!!

 

 カーネイジは『角』に耳を貸そうとしない。

 それどころか、両腕を曲刀に変化させ、雄叫びを上げて突進。

 

 しかし。

 

「要らなかったからだッ!!」

 

 バゴン。

 そんな音がカーネイジの胸元から発せられる。

 

 『角』はカーネイジの突進を一切避けようともせず、寧ろ懐に入り込んで『発勁』を炸裂させたのだ。

 怯む事も許さず、彼女は連撃を浴びせる。

 

「妾の能力も!!視覚も!!嗅覚も!!触覚もォッ!!」

グォオッッ!!

 

 『角』にとって、退屈は最大の敵だった。

 全力を出そうが出さまいが、死闘無くして必ず勝利する。

 ひたすらに退屈だった。

 

 そして編み出したのが、自身に縛りを付ける行為。

 しかしそれは、半ば遊びであり、戯れ。

 戦闘欲が満たされる事は無く、格下を虐めて暇を潰すのみ。

 

 そこに現れたのが全力でも壊れなさそうなサンドバッグだった。

 もっと言えば————

 

「ッ!!」

 

 ———殴り返してくれるサンドバッグだ

 

ガァッ!!

 

 音速を超える拳をカーネイジの触手に掴まれ、彼女がそれに気付いた瞬間、頭大のハンマーの振り下ろしが炸裂する。

 低い轟音が鳴り、瞬きのうちに『角』の頭が地面に埋まった。

 

 破砕音、舞う粉塵。

 

 カーネイジはそれを掻き消す様に『角』の足を掴んで振り回し、慣性に乗せて『角』を地面に叩き付けた。

 

「カハァ…ッ!!」

死ね…ッ!!

 

 肺の空気を全て吐き出し、苦しそうに目を見開く『角』。

 カーネイジに容赦は無く、トドメを刺そうと宙に飛び、腕を変化させた剣で突き刺そうとした。

 

「っくはっ!ここまでやるか!!」

ッ!

 

 しかし、ここで黙っていては大妖怪では無い。

 

 彼女は突き刺される寸前、カーネイジの赫い剣に触れ、そのまま完全にベクトルを逸らしてしまったのだ。

 弾くでも防御でもない、ましてや傷一つ付かせずに刃を逸らされ、カーネイジは『角』の髪を切るだけに止まってしまう。

 

 そこに合わせられた、『角』の轟脚。

 強靭なバネにより引き起こされる、ハイキックだ。

 

「ハァッ!!!」

無駄だ…!

 

 しかしその強襲もカーネイジには届かない。

 ドロップキックを避ける様にして腹に穴が空き、『角』の一撃を躱すと同時に、その穴を閉じて彼女を拘束したのだ。

 

グゥオオッ!!!

 

 起きあがろうと踠く『角』をそこまま押し倒し、地面の海に沈めさせる。

 更に抵抗も許すまいと、背中から生える触腕で彼女の腕を拘束した。

 

 マウントポジション。

 それがこの状況を表すピッタリな言葉だ。

 

 裂ける口元。

 怒りに溢れた彼には、ただ一方的に発散するカタルシスに笑みを浮かばずにはいられなかった。

 

潰れろ

「ふむぅ…陵辱でもする気か?」

減らず口を塞いでやる

 

 両腕を剣に変化させ、『角』の顔目掛けて振り下ろす。

 刃が通らないなんて事は起こり得ない。

 今の彼には間違いなく彼女を殺せると言う自負があった。

 

 しかし剣が『角』を貫く瞬間。

 彼女と目が合った。

 

 光り輝く黄金の双眸。

 その眼はカーネイジを見ている様で、違う何かを見ている様だった。

 

 ———関係ない。

 

 思考を断ち切って振り下ろした剣。

 しかしそれが『角』を貫く事は無く、彼女の頬を切り裂くだけに終わってしまった。

 

 つまり、避けられた。

 

「…フフ…妾はのう、最初は…最初はただの木っ端妖怪だった…しかし闘争の魅力に気付いた頃、妾は爆発的に成長した…そして遂に大妖怪になったその日、妾は変化に気付いた。それがこの金色の瞳、経験と予測から視覚にない物すら映すのだ…妖力も…霊力も………そして勝負がつまらなくなった…だから閉じた、この瞳を…」

ガァッ!!

 

 『角』の頭目掛けて刺突の連撃。

 しかしその尽くを避けられる。

 

 依然として、『角』の瞳は光り輝き、剣閃の隙間から存在感を放っていた。

 まるで全てを見通すかの様に。

 

「そう、流れが分かれば扱い方が分かる…!扱い方を極めば『理』を掴むッ!『理』を極めば…()()()()()に気付くッ!!」

グォ…ッ!!

 

 『角』を取り巻く感情が大きく波打ち、それは妖力の洪水となって閃光を放ち、カーネイジを照らした。

 光の中に鮮血の様な紅の妖力。

 瞬間、溢れた妖力は大爆発を起こし、カーネイジは大きく吹き飛ばされてしまった。

 

 ぐるぐる回る視界で、砂塵の向こうの『角』を睨み付ける。

 砂塵からは血の霧の様な妖力が溢れ、更に光り輝く一筋の黄金が漏れている。

 

 今までは本気ではなかった、寧ろここからが本番。

 

 妖力と、恐らくあるであろう『角』の能力の解放、手加減の消滅。

 それがどんな事を意味しているか、勿論分かっている。

 まさに鬼に金棒か。

 

 カーネイジが武者震いに震えた瞬間、砂塵を突っ切って何かが飛来する。

 辛うじて捉えたソレは、緋色の妖力弾。

 

ッ!!!

 

 腕を剣に変形させるが、振るう暇は無く、ただ妖力弾とカーネイジの体の間に剣を挟み込む事しか出来なかった。

 彼の体がくの字に折れ曲がるが、妖力弾が体を貫通しなかっただけマシだ。

 

ッオォアアッ!!

 

 在らん限りに叫び、剣を振り抜いて妖力弾を両断する。

 余りの威力に手がビリビリと痺れるが、それを無視して彼は地面に剣を突き立て、吹っ飛ぶ勢いを減衰しながら『角』を見た。

 

「それは万物の持つ意志のッ魂の揺らぎ!それは先行する意思の軌跡!それは迸る生命力!名付けるなら『気』だッ!!『闘気』だッ!!」

 

 砂塵を手で掻き消し、狂った瞳が神々しく光る『角』。

 カーネイジの超人的な視力は、『角』から立ち昇る鮮血の様な妖力を捉えた。

 

 そして、その裏に潜む暴力的な気配も。

 それは大妖怪と言う括りに入れるには、余りに異次元過ぎた。

 

 絶望感を超えた気配は、カーネイジにヒリヒリした感覚を与える。

 しかし、それはただのカンフル剤だ。

 彼の興奮を助長する物以外の何物でもない。

 

「全てを出し尽くそう!!妾の全力をもって!!ぬしを殺してやろう!!」

耳障りだ!!

 

 瞬間、『角』の身体が溶ける。

 それは、不可視のスタートダッシュだ。

 

「『泥雷威(どろかむい)』ッ!!」

 

 液体に見間違う程の脱力による疾風迅雷。

 しかし初見で無いならば、『適応』が火を吹く。

 

 一直線に向かう『角』の姿を、彼は完全に捉えたのだ。

 ならば互角だ、居合に似た一撃に拳を合わせられる。

 

ガァッ!!

「武の答えッ!その一つを教えてやろうッ!!」

 

 拳と拳がぶつかり合う。

 戦闘が始まって以来最大の衝撃波が空気に走り、耳鳴りの様な歪んだ音が辺りに響く。

 

 瞬間の鍔迫り合いは長くは続かない。

 突如カーネイジの腕が隆起し、一瞬で弾け飛び、彼自身も大きく吹き飛ばされたのだ。

 

 爆散した腕が辺りに飛び散る。

 余りに現実的では無いこの現象は、『角』による物か。

 

「ッこれこそが『発勁』の昇華!名を『雁蹄(がんてい)』!!これが妾のたどり着いた武の極地ッ!」

ギィッ!!

 

 それは『発勁』の力積と『角』の妖力、気を相乗した、増幅し膨れ上がる衝撃。

 物理学ではまるであり得ない神業を、『角』は自身の能力と妖力をもって実現させたのだ。

 

 カーネイジは受け身を取り、腕を再生させながら苦しそうに彼女を睨み付ける。

 が、すぐに表情から苦の色が消え、ただただ凶悪に笑った。

 

 そう来なくては面白くない、と。

 極限の殺意は痛覚を置き去りにし、極度の興奮がカーネイジをゾーンへと導ていく。

 

 (理性)は破壊された。

 今、彼に。

 限界は無い。

 

ハハッ!ハハハハハッ!!

「ッやはりぬしは最高だァッ!!」

 

 蹴り出し。

 真紅の弾丸が血を駆け、嗤い声が地平に響く。

 

 激突。

 

 それだけに収まらず、地面が破砕し、二人はその場から消え失せた。

 彼らの足跡は地面のヒビ割れとして現れ、地形を変えていく。

 

 大地が弾ける最中、『角』が先手を取った。

 

「むぅんッ!!」

 

 上空に飛び、妖力で加速しながら両腕の振り下ろし。

 さながらオニヤンマの様な移動スピードだ。

 

 しかし、真に恐ろしいのはカーネイジの適応性。

 彼はギュルンと顔を『角』へと向けると、彼女の動きを目で追い、鼻先に拳が掠りながらも振り下ろしを避けたのだ。

 

 ニヤついた二人の、戦いに狂った二人の視線が交錯する。

 

 瞬刻、『角』の拳が着弾し、火山が噴火した様に大地が波打ち、粉々に破砕した。

 

「ァァアハハハハハッ!!楽しいッ!!楽しいぞぉおおッ!!!」

 

 破砕した岩塊から岩塊へ。

 カーネイジを置き去りにして彼女は超高速で地を駆け回り、岩塊を砂屑に、崩れた大地を再び平野に帰していった。

 

 そしてカーネイジを取り囲むような移動。

 四方八方から溌剌とした少女の様な笑い声が劈く。

 

 その時、バスケットボール大の岩石がカーネイジへ一直線に飛来した。

 

ッ!!

 

 ———『角』の投擲ッ!!

 

 認識した瞬間に岩を叩き割る。

 次に視界が移したのは———

 

 視界一杯の拳。

 

「ッハァッ!!!」

くぶぁッ…!!

 

 仕掛けは単純。

 『角』は岩石をカーネイジの顔面に投げる事で彼の視線を遮り、岩石の影に隠れて拳を繰り出したのだ。

 

 一重に初見の技術だった事が防げなかった要因。

 

 その失敗は格上との戦いに於いて甚だしく、彼は音速を超えて殴り飛ばされてしまった。

 背後の荒れた大地に頭から衝突しながらも、その勢いが落ちる事は無い。

 

「まだ終わってくれるなよ…!?ハハハ…!」

 

 戦いの舞台が、移り変わる。

 

◆◆

 

 ああ。

 随分と、疲れた。

 

 『角』によって一閃された雲の筋から、神々しく星が光を放っている。

 しかし星の光は俺を慰めるどころか、非難する様な視線を突き刺さしていた。

 一体、何故だろうか。

 

 星を押し除けて空に居座る月は巨きく、真紅に染まっている。

 そのせいで視界が紅い気がする。

 血の霧が纏わり付いている様で、今ならどんな事をしても赦される気がした。

 

 吹き飛ばされる中で、掌を見る。

 月と同じく、真っ赤だ。

 

 これは人を殺した掌だ。

 掛け替えの無い人を、自らで殺した掌だ。

 俺が弱いから、カレンを殺してしまったのだ。

 

 これは殺しを止められなかった掌だ。

 大事な人の父を、目の前で殺されるのを止められなかった掌だ。

 俺が弱いから、玄楽を殺されてしまったのだ。

 

 この掌は汚れ切っている。

 もう血に染まっている。

 

 なら、これ以上染まっても、何も変わらない。

 むしろ今なら。

 もっと。

 

…もっと

 

 呟いた瞬間、背後の何かと激突し、それでも止まらずに何かに激突し続けた。

 勢いが止まり、喘ぎながら周囲を見渡して初めて気付いた。

 

 妖怪達と、木。

 

 そこはシン達と依姫、数多の妖怪達と激戦を繰り広げた森林であった。

 『角』から逃げ出していたのであろう妖怪達は突如現れた俺に驚き戸惑い、紅い光を反射する木々には戦争の名残に血痕がいくつも残されている。

 

 俺は近くの怯えた人形(ひとがた)の妖怪を見て、触手を伸ばした。

 

 …ああそうだ。

 俺が先からずっと感じていた違和感の正体に気付けた。

 

おい、お前ら妖怪だろ…?食いモンの癖に人間面しやがってよぉ…!!

「やっ、やめてくれ!お前だって妖怪じゃないか!?なんでこんな事を!?」

そうか、今の俺は妖怪みたいに見えるか

 

 簡単な事だった。

 

 強くなる為に、妖怪が邪魔だ。

 強くなる為に、殺さなければ、食わなければ。

 この血塗れの狂気に、身を委ねなければいけないのだ。

 

 それが心の何処かで決意出来ていなかった。

 湧水の様に沸いていた殺意に振り回されていただけだったのだ。

 

 この戦いが終わったら、後悔するだろう。

 ヴェノムにも責められる。

 妖怪とは言え、知性を持ち、感情を持った、限りなく人に近い妖怪を食い殺す。

 それは人として、一歩道を外れると言う事だ。

 

 しかしそれでも、頭の中の狂気がやれと叫んでいる。

 

 …ああ、今の赤く染まった思考が異常な事ぐらい分かる。

 しかし狂気に身を委ねなければ、『角』に勝てない。

 

 そうさ、人道を外れたって、別にいいだろう。

 もう手は血塗れなのだから。

 今の俺はリーサルプロテクター、ヴェノムじゃないのだから。

 

 そう俺は———

 

俺は妖怪じゃない、俺はカーネイジ…さぁ、パワーアップだ

「あっ、あっ!やめっ———」

 

 身を捩る妖怪の断末魔も聞かずに、頭を齧り取る。

 その時頭に浮かんだのは、ああ、しまった、と。

 取り返しのつかない事をしてしまった、と言う事だ。

 

 悪の蕾が俺の未来を暗く照らし、貫いて、一瞬間に俺の前に横たわる全生涯に薄暗い墨汁を振り溢す。

 

 俺はほんの数秒、眼球が義眼にでもなってしまったかの様に動きを止め、呆然と齧りとった妖怪の首を見つめていた。

 ピクンピクンと脈動し、洗礼として血の噴水を浴びせられる。

 

 動きを止めた瞳の奥で、誰かの首を喰らう俺が映る。

 それは悪逆を尽くした妖怪か、偶然化け物に出会った人か。

 はたまた、俺の仲間か。

 

 これはいつか来たる俺の未来。

 道を滑り落ちた俺の結末。

 

 そこまで理解して、俺は怖くなった。

 俺は薄暗い夜道を振り返る様に、焦った心持ちで今まで辿ってきた道筋を振り返ろうとした。

 俺の記憶が、仲間が俺の道を教えてくれる、間違えた道から這い上がれる、そう信じて。

 

 だが、手を引かれた。

 足を掴まれた。

 顔を向けた。

 

 何に?

 

 狂気だ。

 

 そこには魅惑的で艶めかしい狂気があった。

 暗い道の先に、闇に包まれた道の先に。

 強さの、答えが。

 俺の求めていた強さが、そこに。

 

 ごくりと喉を鳴らす。

 そうやって妖怪の脳髄を喉に流し込んだ事に、俺は気付かない。

 

 首は後ろへとは動かない。

 俺は目の前の狂気に釘付けだ。

 

 もう俺は振り返れなかった。

 とうとう俺は振り返らなかった。

 

 足を進めた。

 力弱い歩調だった。

 

 されども確かに本来の道から遠くなった。

 

 視線の先に道はない。

 遠くで、微かなレッドライトを灯す終着点があるだけだ。

 けれどもこれは道だ。

 俺の。

 俺だけの。

 

 誰にも負けない強さを求める。

 これが俺の。

 

 ———()()()

 

…ハハ…ハハハ

 

 襲い来る現実。

 堪らない全能感。

 

 外れた道。

 歩き始めた道。

 

 真の意味で狂気が身を包む。

 薄れる事はあれど決して消える事の無い汚泥が纏わり付く。

 

 最初に実感したのは、味だった。

 

…ああ、美味い…これが血の…脳髄の味…

 

 暴力的な麻薬が脳を支配し、爆発する旨みにグニャグニャと視界を歪める。

 ヴェノムだった頃では味わえなかった、今までにない激烈な旨み。

 

 そこにはステーキより濃厚な血のコクがあった。

 ひだをかき分けるように咀嚼する脳髄はデザートだ。

 口の中で弾ける目玉は大きなアクセントになっている。

 パリパリと砕ける骨々はスナック菓子の様だ。

 

 あらゆる喩えを尽くしても言い表せない、極上の絶品。

 あらゆる美味をごちゃ混ぜにした禁忌の一品。

 ()()ならば一体どんな味が———

 

 いや、ヴェノムはいつもこんな美味しい餌を食べていたのか。 

 

 ごちそうを食べたからか、不思議と心は晴々とする。

 爽やかな気分に身体から活力が漲り、血生臭い空気がまるで天国の様な心地良さを放っている気がした。

 五感の全てがこの俺に世界を与え、全能感に酔いしれる。

 

 そして同時に、真っ赤な憎悪と殺意が空っぽな身から湧き出ている。

 そうだ、忌まわしい妖怪の血肉が俺の力となっている。

 

 空気の流れが、草木の触れる音が、背後の『角』を俺に知らせる。

 俺はゆっくりと振り向いた。

 木々の向こうで、血の霧の先で、彼女の黄金の瞳が光っている。

 

 歩き出す。

 『角』も歩き出す。

 

 何気ない会話の様に、言葉を投げかけられた。

 

「…変わったな…!また一つ…狂気の次元が!!」

…テメェは頭の次元が飛び抜けてんだよ、ゴミクズ

 

 拳を握り、俺は走り出した。

 目の前の狂気へ。

 

◆◆

 

 外壁に囲まれた都市を更に覆う森のあちこちで、衝撃音が上がる。

 太い大木がブーメランの様に飛んでいくのは当たり前。

 木々ごと地面がひっくり返る事すらあった。

 

 今の二人はまさしく災害。

 これでなお森としての形を保っているのは、一重にその森が樹海と言って良い程広かったからだ。

 

 そして巻き上がる砂煙に混じって空気を汚すのは血飛沫。

 森へ逃げていた妖怪達が災害に巻き込まれていたのだ。

 

ッッガァァァッッ!!!

 

 周囲すら破壊する拳撃が鳴りを潜め、今度は森から急速に緑が禿げていく。

 カーネイジが木々を『角』に投擲し始めたのだ。

 まるでマシンガンの様に。

 投擲物にはカーネイジから逃げられなかった妖怪も含まれており、大木や妖怪が着弾した地面はまるで爆発した様な抉られ方をしていた。

 

 そして、巨木弾丸が『角』を覆い尽くした瞬間。

 ———バツンと、真っ二つに大木が割れた。

 

 割れた大木の先で、口角を僅かに上げる『角』が呟く。

 

「少し…物足りないんじゃないかぁッ!?」

 

 手刀、脚撃。

 たった二つの動作を織りなすだけで、迫り来る飛来物を文字通り両断していく。

 

 彼女の周辺は既に隕石の落ちた様なクレーターに覆われている。

 『角』の立つ地面だけが、投擲による地形破壊を免れていた。

 

 悠然と大木の嵐を往なすその様は正に、怪物。 

 

「んっん〜〜〜良〜い事を思い付いた…!」

 

 怪物は嵐の中悪戯を思い付いた子供の様に頬を裂く。

 そして、拳を思い切り後ろに振りかぶったのだ。

 

 大木のマシンガンへの迎撃を緩めた事で、幾本もの木々が『角』の身体を襲い、バキバキと木のへし折れる音が空気をつんざく。

 しかし、その程度で『角』が倒れる訳が無い。

 直撃しようが、急所に当たろうが、そのどれもが『角』の体制を崩すに値しないのだ。

 

 その時、木々を投げ続けるカーネイジの瞳におかしな光景が映った。

 

「フゥゥゥゥ…!!!」

 

 それはゆらゆらと揺れる『角』の背景だ。

 そこだけ空気が震え、陽炎の如く空間が歪んでいた。

 

 『角』の熱い吐息と共に、更に歪む空間。

 その発生源は大きく振りかぶられた彼女の手のひら。

 

 引き寄せられる様に思考が縫い付けられ、陽炎の様に揺らめく風景に危険信号が洪水の如く溢れ出る。

 大技だ。

 カーネイジの勘が間違いなく大技だと言っている。

 彼と『角』の距離は離れている、それでも技を放とうとするのは、必ず当たるという自負があるからに違いない。

 

 取る作戦は一つだ、遠距離で潰す、ただそれだけ。

 このまま巨木を連投し、『角』を封殺する———

 

埋もれて潰れろ『角』ォッ!!

 

 そのシュミレートにシュミレートを重ねた思考、時間にして3秒。

 ———しかし、先手を取られたのはカーネイジの方だった。

 3秒は、『角』には長すぎたのだ。

 

 今、彼がするべきだった行動は本能に従って即断即決する事。

 即断しなかったが故に、彼は選択を見誤った。

 

「シャァッッ!!」

 

 大木が『角』を飲み込む寸前。

 目の鼻の先にまで接近した巨木を前に、『角』は拳を、手刀を振り抜いた。

 

 断裂。

 それは袈裟斬り一閃、()()斬撃。

 

 手刀の軌跡全てが両断され、分かたれた大木が『角』の左右を通り抜けた。

 無論、周りの木々も、草も、妖怪も。

 上と下、半身に分断され、重力に従ってずり落ちていく。

 

 枝が折れ、幹が折れ、けたたましい伐採の音が戦場に鳴り響く。

 

 木々の崩落が響く戦場で、『角』は口角を上げた。

 斬撃の延長線上に、カーネイジは居たからだ。

 

………ぐぉ…ォ…

 

 彼の胸中央辺りに一筋の線が入り、それが右鎖骨へ、ついで左脇腹へ一文字に広がっていく。

 

 ———ズッ。

 肉肉しい音を立てて、下半身と左腕の感覚が消え、身体が滑り落ち———

 

 いや。

 

「———ッまだだァッ!!

 

 滑り落ちるより先に彼は下半身を掴み、再生力に物を言わせて断面を接合。

 下半身の感覚を取り戻し、カーネイジは地面を爆砕して蹴り出す。

 

 繰り出す拳に込めたのは、確信と怒りだった。

 

今分かったッ!ッお前だったんだな!!この壁を破壊したのはァッ!!この俺があんな苦労するハメになったのはァッ!!

 

 拳は『角』に難なく受け止められ、超至近距離で熱い視線が絡み合う。

 彼女は一瞬何のことかと眉を顰めたが、やがて気付いたのか、軽く声を漏らした。

 

「成程…成程のぅ…」

 

 それは人妖大戦、中盤での出来事。

 この血濡れた森で依姫とシン達は防衛戦を築いていた、数十分前の話だ。

 シン達は互いに協力し合い、防衛戦は死者を出しながらも概ね順調に進んでいると思われていた。

 

 しかし。

 

 健闘を嘲笑うかの様に、シン達を災害が襲った。

 台風の様な、火災流の様な。

 暴力の化身とも言うべき何かが空気を切り裂いてシン達を、その背後の白壁を破壊したのだ。

 

 あの時は大妖怪以上の何かによる攻撃と断定していたが。

 今の飛ぶ斬撃を身体に受けて、カーネイジは確信した。

 

 コイツがやったのだ、と。

 

「確かに妾だ」

 

 あっさりと『角』は自白する。

 特段問題がない様な口振りに、カーネイジは怒りを募らせた。

 

ッてめ ———」

「だが」

 

 カーネイジを遮って、ピシャリと告げられる。

 

「それを知ってどうなる?恨むか?この妾を?」

…あ?

 

 綴られる言葉には、『角』との価値観の相違に、妖怪と人間の確執に満ちていた。

 

「ここに至った過程なんぞどうでもいい、妾とぬしが今ここで蜜月を交わしている…その事実で十分ではないか」

」 

 

 妖怪は、刹那主義者だ。

 快楽主義者とでも言おうか。

 

 自身の悦に結び付く行為には全力を注ぎ、それ以外には毛ほどの価値も見出さない。

 空腹を満たす為、暇を満たす為、空っぽな何かを満たす為。

 

 彼らはそこに人道的な躊躇いや我慢なんぞは決してせず、文字通り何百年掛けてもそれを達成しようとする。

 道端に倒れそうな老人が居たとしても、餓死しそうな赤子が居ても、目的の為に蹴飛ばし、最短経路を踏み締める。

 

 故に、過程なんてものはただの過程に過ぎず、そこで得るだろう副産物にはそうそう興味を見出す事は無いのだ。

 副産物、例えばそう、感謝や謙虚といった美徳。

 

 勿論例外もあるだろうが、『角』は例外ではない、生粋の妖怪であった。

 

 だからこそ。

 結果を求めすぎると、近道を求めすぎると、辿り着くべき結果を、真実を見失う人間とは。

 過程を重視し、それを踏まえて結果に辿り着こうとする人間とは、決定的に反りが合わない。

 

ああそうか…!!やっぱりテメェは死ぬべきだッ!!

「殺せるかァッ!?ぬしにこの妾がッ!!」

ッぬぐぉおおおッ!!

 

 話し合いは無駄だ。

 言外にそう伝えたカーネイジは、がっぷりと組み合う手のひらを粘体と化し、『角』の拳をすり抜け、彼女の懐へ潜り込んだ。

 

 そして、地を砕き、『角』のレバーへ。

 

ハァッ!!

 

 『発勁』。

 だが。

 

「言ったろう!!『気』が…力の動きが見えているとッ!!」

 

 特段効いた様子もない『角』の声が、カーネイジの鼓膜に響いた。

 さぁ、と、この真っ赤な身体から出る筈のない冷や汗が、彼の全身を包む。

 

 再び、『角』の黄金の瞳が彼の真っ白な瞳を捉える。

 力の動きが見えている、と彼女は言った。

 そうか、悪手だった、力の流れが視えている彼女に、『発勁』は———

 

「精々耐えろ!!ッ『雁蹄』ッッ!!」

ぉオッ ———」

 

 『発勁』の力がそのまま、『角』に吸収される。

 

 カーネイジの『発勁』が加算された『雁蹄』。

 『角』にもそのエネルギーは扱いきれない様で、身体に浸透する筈の爆発的エネルギーは、文字通りの衝撃波となってカーネイジを襲った。

 

 瞬間、彼の姿が森の奥へ掻き消え、音速超えを示すソニックブームが暴風を撒き散らす。

 本日二度目となるカーネイジのぶっ飛びは一度目のソレとは比較にならない。

 

 それを示すのは、森の先の先。

 『角』の一撃に仮にも耐えた筈の防壁が、粉々に破壊された姿だった。

 

◆◆

 

 仰向けの、大の字で倒れ伏す彼。

 ピクリと、彼の指の先が動き、彼の飛んでいた意識が戻る。

 

 背に感じる地面は硬い、土ではなく、コンクリートか。

 となると、しろ壁を貫いて都市まで吹き飛ばされたのか。

 

 夜の冷え込みで地面が異様に冷たく、粛々と彼から熱を奪っていく。

 ぼんやりとした瞳に、妖艶と佇む紅月が映った。

 

 ペタペタと、足音が耳に入る。

 いや、耳に入ると言うよりも、小さな足踏みの振動が頭に響いていた。

 

 ———途端に血を含んだ吐瀉物が溢れ出る。

 

「———がはッ!ッハッ、ハッ…!おぼッ…ォ…!!

 

 カーネイジの意識が一瞬飛んでいた事に気付いたのは、その瞬間。

 

 内臓にダメージを受けていた彼は、身体が裏返る様な気持ち悪さに襲われていた。

 喉からえぐみと酸味が溢れ出し、カーネイジは長い舌を突き出して牙の間から胃酸と血の塊を吐き出す。

 

 先ほど妖怪の頭を胃に入れたが、もう消化済みである。

 それよりも問題なのは、口内から吐き出された血の塊。

 

 どんな傷でも治る彼が血を吹き出したという事実は、再生させる体力すらも底をついた事を示していた。

 

 それを知ってか知らずか、『角』は軽口叩く。

 

「おーおーおー、壁の中はこんなにも発展していたのかのう…っふん」

 

 竹を切った様な、子気味の良い音。

 瞬間、土砂崩れの如き崩落。

 

…っ…このバケモンが…

 

 首だけ持ち上げると、そこにはバッサリと切断されたビルが滑り落ちていく様が目に入った。

 試し切りのつもりか、暇つぶしか。

 どちらにせよ『角』がやった事に違いは無く、カーネイジは不愉快な瞳でビルの倒壊を見流した。

 

 そしてビルの崩落に伴う暴風に晒されながら、震える身体に鞭を打って立ち上がり、『角』を睨み付ける。

 

「まるで遊園地に訪れたようだ」

はっ…はあっ…ふぅっ…フゥ〜ッ…

 

 ガシャンガシャンと、建材の不協和な轟音。

 崩壊したビルによる砂塵が、両手を広げて笑う『角』を薄く包み、朱色の髪が影となって大きく靡く。

 ぼんやりと砂煙を照らす彼女の黄金の瞳に、カーネイジは苛立ちを募らせた。

 

目ん玉抉ってやる…!!

「やってみろ、童」

 

 ぼんやりと、気怠い霞が掛かる思考の中で、ただ怒りが脈動する。

 火が燻っている様なひりつきに、言いようもない興奮を抱く。

 

 第三ラウンド開始のゴングは、必要無かった。

 

ギャアアッ!!

「むっ!?そんな事も出来たのか!!」

 

 彼は飛び起き、背中から幾重もの触手を生み出し、その矛先から鋭く固形化した肉片を発射する。

 一本一本が銃より高い殺傷力を秘めており、コンクリの地面は易々と抉られていたが、『角』は物ともしなかった。

 

 だが、それで良い。

 『角』の動きを封じられれば。

 

ォォオオッ!!

 

 突進。

 肉片を発射しながら両手を血黒い刃に変え、疾走する。

 

 さしもの『角』もカーネイジ直々の肉片ライフルは喰らいたく無い様であり、両の腕を使って完全に防いでいた。

 爆走するカーネイジを見据えても、それは変わらない。

 

 つまり。

 手が塞がっていても彼女にとって、カーネイジの突進は脅威では無いという事。

 

(だが…それは甘えだ『角』…!!読み勝ってやるよ…!!お前は次に———)

 

「胸元がガラ空きだぞ!!」

そう来るよなァッ!?馬鹿女ァッ!

「むっ!?」

 

 そう、肉片が発射出来ない超至近距離まで接近し、突進の勢いごとカーネイジを伸す。

 

 それが彼女の最適解、だった。

 カーネイジがそれを読むまでは。

 

 真意に気付いた『角』が後ろに跳ぼうと全身を硬直させる。

 『気』を読むという瞳で何を見たかは定かではないが、それでもカーネイジのほうが一歩早い。

 

喰らえッ!!

「ぐぉっ!?」

 

 胸元を砲門とした一撃。

 クロスボウの構造をアレンジし、体内でそれを再現し、カーネイジの筋力で打ち出す。

 

 当然初速は音速を超え、『角』に突き刺さった瞬間、巨大な輪ゴムを弾いた様な爆音が響き渡った。

 すかさず追撃。

 横薙ぎに刃を振るい、『角』を両断しようと腰を捻る。

 

「くぉお…ッ!!」

ガァッ!!!

 

 金属音の如き衝撃。

 

 合金より硬いと思われる『角』に刃は通らず、赤黒い剣が横腹にめり込むだけだったのだ。

 もしくは厚いゴムのように、筋肉によって阻まれている。

 

 しかし、だからといってここから別の手を展開する事も出来ない。

 いや、逆だ。

 今、このシチュエーションが、『角』に攻撃を通す貴重な一時。

 

 一瞬でも、『角』を超えてやる。

 

 彼の表情が、修羅の如く恐ろしい物に変わる。

 怒り、殺意、負の感情をごちゃまぜにした彼は、全力の先を『適応』し、遂に刀を振り切った。

 それは正に、『角』の膂力を超えた一撃だった。

 

「くぁあああっ!?」

 

 彼女は真横に吹き飛び、彼女はビルへ突っ込んで入り口のガラス扉を破壊する。

 

 ———まだだ、間髪入れずに追撃を。

 

 一撃当てて浮かれそうな思考に喝を入れ、残心する。

 カーネイジは地面をまた蹴り出し、吹き飛んだ彼女が破壊した入り口にすぐさま入り込んだ。

 

「…ッくぁ〜…!ッくく…ッハハハ!!奇襲も結構結構!!らしくなってきたじゃないかッ!!」

ッチ!全然応えてねぇじゃねぇか!!合金でも食ってんのかッ!!

 

 パラパラと舞う、壁の塗料の混じった粉塵。

 その奥から脇腹を抑えた『角』が現れる。

 

 薄暗く、荒れ果てたエントランス。

 格式の高かった所らしく、灯りの無いシャンデリアや、機能美の美しい給水機が存在感を放っている。

 

 しかし、先の騒動で椅子があちこちに散乱しており、更に粉塵によって壁や床が薄汚れている為、見る影もない廃墟と化してしまっている。

 

 その廃墟に佇む『角』の姿はどうにも、様になっていた。

 

「————よそ見はするなよ?」

ッ!?ぐっ…!!

 

 『泥神威』。

 

 完全に虚を突かれた彼は、反射的に左の拳を繰り出した。

 

「さては疲れてきたな?」

ッ!?

 

 勿論、当たる訳も無く。

 それどころか『角』は割れ物を扱うようにカーネイジの拳を包み、更にドアノブを回すように半回転させた。

 

 ぐるんと肘が下を向き、抵抗する間も無く『角』の膝蹴りが———

 

 バキン、嫌な音が響いた。

 膝蹴りによって彼の肘の可動域を大きく超え、関節が破壊、だらんと重力に従って腕が落ちる。

 

ギィッ!!

 

 苦痛に喘ぎながらももう片方の腕を鞭と化して『角』を薙ぎ払うが、エントランスに一筋の痕を残しただけで、『角』には当たらない。

 それどころか、彼女は視界から消えていた。

 

 ————気配。

 それは真下から。

 

「っあは♡」

ガァッ!!

 

 悪寒が足先まで突き抜ける。

 視界の外に、三日月の様に口を裂き、悪魔の如く嗤う『角』を幻視した。

 

 マトモに確認もせず、叩き付けるように拳を振り下ろす。

 確認も思考もする必要はない。

 ただ先手を———

 

「ッ甘ぁァァあいッ!!!」

ごぶッ!?

 

 拳が届くより先に、彼女の剛脚がカーネイジの顔面を貫いた。

 カーネイジの牙が折れ、視界が淡く光り、パチパチと閃光が瞬く。

 

 彼の身体は真っ直ぐ上方に吹き飛ばされ、そのまま天井を貫通した。

 

うぐぉおおおおッ!?!?

 

 意識はあるものの、見えない手に体を押し潰されているように身体が言うことを聞かない。

 重力が反転したのか、そう思わせる程までに『角』の脚撃の威力は高かった。

 ここに鏡は無いが、もしあったとしたら、間違いなく陥没した顔面を写していただろう。

 

クッ…ッソォッ!!

 

 十数枚の床をぶち抜いて、カーネイジは漸く頭を回し始める。

 身体中から触手を伸ばしてアブソーバーとし、粘着するガムとして勢いを弱め続けたのだ。

 

 ボロボロの状態で細胞を消費する事は好ましくないが、背に腹は変えられない。

 

ッぐっ…っはっ…!!

 

 自身の触手と天井をぶち抜く衝撃で揉みくちゃにされながらも、彼は更に数回天井を砕いて漸く勢いを止めた。

 最終的に彼は天井に備え付けられた蛍光灯にめり込み、パラパラと瓦礫が地面に落ちる。

 

 両手両足が天井に突き刺さっている中で、舌だけが重力に従って地面に伸びていた。

 

 やがて自重で瓦礫と共に落下しそうになるも、触手を使って回避し、何とか地面のある方に体を投げ出す。

 

がはっ…クソッ…げほッ!

 

 受け身も取れず、金属製のデスクをクッションとして破壊しながら転がる。

 悪態を吐きながら周囲を見渡すと、そこには真っ暗なオフィスとも言うべき空間があった。

 

 規則正しく並んだパソコン。

 持ち主が去り、寂しく佇む椅子。

 ホコリの被った観葉植物。

 

 どれもこれも暗い暗闇に当てられ、言いようも無い寂しさを滲み出している。

 言い換えれば、廃退していた。

 カーネイジが潰したデスクや、ヒビ割れた天井、地面に落ちた円柱型の蛍光灯があったとしても、なんら違和感は無かった。

 

はぁ…はぁ…畜生…ックソ…

 

 カーネイジは触手を引っ込め、ドスンと壁を背にして座り込む。

 

 破壊されてそのままであり、力の入らない左腕の肘。

 骨が砕かれた顎と牙。

 

 ()()()()()身体。

 

 とっくに限界だった。

 いや、体力は限界すら超えている。

 言うなれば今は血が無い状態だ。

 

 体を動かす燃料が尽き、再生すらもままならなくなってしまったのだ。

 

 だが。

 まだ怒りは収まってない。

 戦意が灼熱の火山のように滾っている。

 

 しかしふと、ヴェノムの事が頭をよぎった。

 

…お前なら、どうするんだ?

 

 呟きは闇に溶け、意味も無く頭に反芻する。

 その瞬間、彼の身体の一部が血染めの赤から、一瞬だけ黒く染まった。

 

 口火を切った様に、疑問が溢れ出す。

 それは一重に、後悔とも呼べた。

 

違う…今は、『角』だ…そうだ考えろ…!!こっからの勝ち方…

 

 きっとヴェノムは軽口を叩くだろう。

 それがシンの力にもなった。

 理論付け出来ない力が湧いた。

 

 彼が俺達は最強だなんて嘯くと、身体中に気が巡り、本当になんでも出来る気がした。

 ああ、断言出来る。

 俺達は最強だった。

 

 だが。

 ()は?

 

短期決戦…それしかねぇ…それしか…!!

 

 考えたくない、無意識にそう思う。

 無駄な事は考えたくない。

 思考を止める為に、意志の無い言葉が紡がれる、まるで寝言の様に、譫言の様に彼は呟いた。

 

 それでも、自問は止まらない。

 

 止まらない思考に、早く『角』が現れて欲しいとすら思ってしまった。

 早く死闘の渦に叩き込んで欲しかった。

 しかし、肝心の彼女は現れず、残酷な休憩時間を彼は過ごす。

 

…アイツを殺さないと

 

 力が無い俺は、力を求めた。

 だから、力を得た。

 

 何も違和感は、間違いは無い筈だ。

 

 『角』に迫る力を得た。

 俺は今までの俺より、言い表せない程強くなった筈だ。 

 

 じゃあ、この胸の苦しさは、なんなんだ。

 俺に、何が足りないんだ。

 

 まだ、力が足りないのか。

 

「のぅ、カーネイジ、それで終わりか?」

 

 凹凸の無い地面が素足に踏みつけられ、ペタペタとこの場にふさわしく無い音を漏らす。

 どうやって気配も無く現れたのか、そんな事はどうでも良い。

 

 待ち望んだ、『角』だ。

 その濃密な死の気配に肌がひりつき、思考が戦闘一色に染まる。

 

 カーネイジは壁に背をもたれながら立ち上がり、触手を立ち昇らせた。

 

やっと来たか、ノロマが…それとも年か?あぁ?

「途端におしゃべりになったのぅ…ぬしの様な丈夫はただ叫んでいる位が丁度良いぞ?」

ぬかせ

 

 無駄な思考が削ぎ落ちていくのを感じる。

 ナイフを研ぐ様に、心意を純化させる。

 

 ヴェノムの事も、今は思い出す必要は無い。

 残るは真っ赤な感情。

 目の前の敵をどう殺すか、それだけに頭を回す。

 

 彼は猫背に息を吸い、小さく吐息を吐く。

 空っぽな身体に少しでも空気を取り込みたかった。

 その姿は、正しく幽鬼だった。

 

 相対する『角』。

 金色の光を漏らす瞳がカーネイジを濡らす。

 

 彼女は確かに今のカーネイジの状態を見抜いていた。

 殆ど血が無い事も、もう全力と呼べる物は出せない事も。

 

 だから、彼がもう少し力を出せる様に、言葉を発した。

 

「限界、か…結局、玄楽の死も無駄だった、そう言う訳だな」

意味を持たせるのは…これからだ…!

「っくく、その通りだカーネイジ!妾を殺して名誉の死に変えてやるといい!」

ッ玄楽を殺したお前が…お前が!!

 

 暗いオフィスに殺気が押し寄せる。

 冷たい空気が熱く滾り、それは殺意をもって爆発した。

 

軽々しくッ!!語んじゃねェェえッ!!

 

 咆哮が、『角』の肌を焼く。

 

 彼は触手を纏い、『角』へ突撃。

 片腕が無いも同然だが、怒りがカーネイジの力を底上げする。

 

 彼女は避けもせずに受け止めたが、カーネイジの膂力に勢いは落とせない。

 咆哮と共に触手を薙ぎ、『角』を吹き飛ばすと、彼女はオフィスの窓ガラスを突き破り、向かいのビルの一角へ消えていった。

 

ガァアアアア…!!!

 

 勿論の事だが、細胞分裂にもエネルギーが要る。

 今までのヴェノムは細胞分裂もあまり行わず、多くはステゴロで解決して来ていたが、カーネイジは違う。

 

 背から伸びる触腕。

 細胞を変形し硬化させた剣。

 弾丸の様に発射する肉片。

 

 細胞を自在に使う汎用性、その気になればこの都市をシンビオートの細胞で覆い尽くす事も出来るだろう。

 しかし、それはそこまでのエネルギーがあっての話。

 

 今のカーネイジには細胞を分裂させるだけの体力は残っておらず、いつもならばヴェノムが引っ込み、剥き出しの肉体で戦っている所だ。

 故に怪我の治りも極端に遅く、壊された左肘も完治したとは言えない。

 

 ———だからこそ。

 彼は次の交戦に全てを掛ける。

 長期戦は死を意味するからだ

 

グルルルルルッ!!!

 

 なけなしの力を振り絞り、身体中から触腕を生み出す。

 これ以上傷を治せない事を引き換えに、身体の全ての傷を完治させ、彼は四足歩行に切り替える。

 

 持てる全てを捻り出し、理性を捨て、『角』にありったけをぶつける。

 決着に1分と掛からないだろう、そんな予感がした。

 

ッ殺すッ!!お前は俺がッ!!絶対にッ!!

 

 オフィスを、それどころ(その時、またヴェノムの事が浮かんだ)かビルの一角を破壊して蹴り出し、『角』の消えたビル棟へ、荒れ果てたオフィスへ侵入する。

 カーネイジを出迎えた(駄目だ、ヴェノムが居ると、殺意が鈍る)のは、巨大な斬撃。

 

「おかえりカーネイジッ!!最後の殺し合いだァッ!!」

ッァアアア"ア"ア"ッッ!!

 

 視線の先に、腕を振り(なんでまた、そんな思考はすぐに消え去った)抜いた『角』が瓦礫の上で立っていた。

 カーネイジは幾本の触腕(俺にとって彼は、そう言う存在なのだ)を犠牲にし、四足を用いた三次元的な動きで『角』に接近する。

 

 天井、(あぁ、ヴェノム)壁、床。

 瓦礫が(お前と話がしたい)あっても関係無い。

 

 オニヤンマの様(お前が消えた理由は、やはり分からない)に移動しながら、彼は『角』を殴り付けた。

 

「ッグふっ…!!」

 

 『角』(なぁヴェノム)は避けない。

 それどころか自分(楽しいよ、この戦闘が楽しくて最低な気分だ)から受けに来た。

 それが意味する所、それは(こんな気分を味わう為に戦ってないのに)———

 

(不味っ!カウン———)

 

 眼前、岩の如き巨拳(お前はいつも俺に語りかけてくれた)

 完璧なタイミングで(お前が居なかったら、俺は折れていた)繰り出されたカウンターに、彼は避ける術がなかった。

 

(避けられない!?いや、活路は———あるッ!!)

ッぐぉああああッ!!

 

 数本の触腕を目(お前が居たからここまで進む事が出来たんだ)の前に挟み込み、更に後ろに飛んで極限まで威力を減らす。

 それでもバキバキと顔面(お前が居たから、依姫に勝てたんだ)と首の骨が折れ、触腕が纏めて千切れ飛ぶ。

 その瞬間、死の文字が頭をよぎった。

 

ッッァアアアア"ア"ッッ!!ッまだ!!まだ死ねるかァッ!!

 

 『角』の拳によって(お前が居たから、カレンの死から立ち直れた)折られた牙が地面に落ちる。

 それより先に、カーネ(依姫との別れも、お前なら止めてたな)イジはバク転で吹き飛ぶ勢いを殺し、飛び出して『角』の鳩尾に拳を叩き込んだ。

 

「ごぶぁっ!!」

 

 ボディブロー、『角』が(…ああ、そうだ、依姫、彼女に会いたい)明らかによろめき、間髪入れずに拳を振り下ろし、そのまま脳天に叩き込む。

 

 しかし、その時ぐらりと(なんで俺はもっと早くに気付かなかった)世界が揺れた。

 脳震盪だ、関係無い、今追撃(好きだって、早くに気付ければ良かった)を止めれば、勝機は消え失せる。

 

 揺れる瞳で地面に沈んだ『(ヴェノム…教えてくれてもよかっただろ?)角』を追い、重力と触手による加速を加え、『角』の元に飛び込む、そして繰り出すは、踵落とし。

 

「ッうぐっ!うぐぉおおおおッ!!!」

 

 真っ赤な脚は寸分(ああ…お前らと居た頃に戻りたい)違わずに『角』へ突き刺さり、そのまま床をぶち抜き、何回も何回も床を破砕する。

 

 破壊されていく(…もし、依姫がここに居たら…)瓦礫の隙間から、『角』の顔が目に入る。

 彼女は確かに(お前は助けてくれるか?)口角を上げ、嗤っていた。

 

 そして、その瞳に映る(それとも俺を…止めてくれるか?)俺も————

 

「ぐはっ!!」

ッぐぎッ!!

 

 落下する両者の(分かってる、こんなのはタラレバだ)身体が地面に叩き付けられ、カーネイジは現実に戻る。

 

 気付けば砂煙により(だけど…ここにお前がいれば)目の前が茶色く濁り、『角』の姿さえ煙に消えてしまっていた。

 標的が視界から消える(依姫が居れば、ヴェノムが居れば…)デメリット、それを理解しているカーネイジは、『角』に何もさせまいと残りの触腕全てを『角』に放った。

 

 その瞬間、砂埃に映る(どんなに心強かったか分からない)『角』の陰が大きく揺れる。

 

 気付いた時(今の俺は一人だ)には、もう手遅れだった。

 

ぐぁッ…!!

 

 右半(孤独だ)身、そして触腕全ての感覚が消え失せる。

 同時に、背後から瓦礫(ヴェノムにも止められたのに、結局一人だ)の落ちる崩落音が響く。

 

 『角』が仰向け、つまり(なんで俺は一人になろうとした?)ガードポジションの状態から手刀を繰り出したのだと、理解するのにそう時間はかからなかった。

 その直線上に居たカーネ(なんで自らこの道を歩き始めた?)イジとビル棟が切り捨てられた事も。

 

ッぐ…ぁ…

「…終わったか」

 

 ボトボト(もう頭が回らない)と断裂した触腕が地面に落ち、続いて力尽きた様にカーネイジの身体が地面に沈む。

 彼の身(身体が動かない)体は右半身が切り飛ばされ、再生もせず、鮮血も吹き出さずに冷たくなり始めていた。

 『角』の斬(誰か教えてくれ)撃によりビルが内部から大きく抉られた為か、ビル全体がギシギシと軋んでいる。

 

 仰向け(誰でもいい)に倒れたカーネイジの瞳に、ビルの空いた壁から顔を覗かせる、大きな紅月が浮かんだ。

 

 地面に停滞(このまま死ぬ前に、誰か)していた砂煙が漸く晴れ、『角』の姿が露わとなる。

 

「もうじきここも崩れる、そしてぬしはそれに巻き込まれ、死ぬ…分かるか?これは慈悲だ、ここまで妾に傷を負わせたぬしへの慈悲…何かの間違いで生きながられる事を、祈っているぞ」

 

 話し(…違う)終えた『角』に目をやると、彼女は口の端から血を垂らしていた。

 最後の一撃が効いた(…今、するべき事は、自問じゃない)のか、今までの蓄積か。

 なんにせよ、彼女はゆっ(…足掻く事だ、まだ、俺は———)くりとした足取りでカーネイジに背を向けた。

 

 ———俺は、まだ

 

「———俺は

 

 彼の呟きが、静かに響く。

 

「…何?」

 

 『角』のあり得ないモノを見る瞳で、後ろを振り向く。

 そこには、目の前には。

 

 ———()()が立っていた。

 

 片腕だけを振り上げて、今にも『角』を殴り付けようとしている。

 

 最早『角』の瞳には彼が、カーネイジの個としての形では無く、燃える陽炎として映っていた。

 執念の炎だ。

 溢れ出る業火に空間が歪み、狂的な熱気が『角』の頬を撫でる。

 

 力の流れを捉える、『気』を操る程度の力を持つ『角』でさえ、その力の出所が分からない。

 

 正確には、どうやって動いているか、それすら分からなかった。

 今の彼に流れる力、『角』の感じる所の『気』は無い。

 言ってしまえばゾンビに近かった。

 

 否、ゾンビという表現は正しくない。

 人、その向こう側。

 彼は人としての限界を超越し、『角』との決着を望むべく立ち上がったのだ。

 

 果たして、その原動力は玄楽を殺された怨みか、依姫に会う為に生き残るという使命感か、戦いを楽しむ狂気か。

 きっと、その全てなのだろう。

 

「———」

「…済まない、妾が悪かった」

 

 片や怨念に似た雄叫び。

 片や小さな呟き。

 

 その後に続いたのは、後者だった。

 

「ぬしはここで、妾が直接手を下そう」

 

 言葉が紡がれた頃には、全てが終わっていた。

 

 瞬く間にカーネイジの拳は、合わせられた『角』の拳により破壊。

 残った腕をその拳圧により消し飛ばし、更にローキックにて両足も刈り取る。

 

 そして。

 

 ローキックにより片足軸のなった下半身を、即座に両足軸に直し。

 両の足で地面を踏み締め。

 腰を落とし。

 倒れ行く彼の胸に手を当て———

 

「『雁蹄』」

 

 ダメ押しの一発。

 彼は抵抗すら出来ず、バキバキと骨を砕きながら、されどコップが手から滑り落ちたかの様に静かに地面に沈んだ。

 

「———」

「…悲しい事だ、妾を殺し得る童を、妾自身の手で葬る事になるとは」

 

 四肢を落とされ、立ち上がる事すら出来なくなった彼。

 そんな彼に、『角』は最後のトドメを与える。

 

「今度こそ…さようならだ」

 

 彼女は天を手を掲げ、天を掴む様に掌を握り始める。

 拳を握る、ではない。

 文字通り空間を掴んでいる。

 拳に集められた斥力が物理の法則の範疇を超え、空間を面として捉えて始めているのだ。

 

 それは途方もない妖力量と、『角』にだけ認識出来る『気』が成せる技。

 

 それは単なる引力に収まらず、視界に映る空間までも巻き込み、赤月がぐにゃりと歪むほど。

 ギチギチと空が歪み、歪みに耐えられない都市の一角が崩れる。

 

 空の撓み、ビルの捻れ。

 そんな空間の歪みは最早、都市全域に及んでいた。

 

「———」

 

 カーネイジの身体が、僅かに上下する。

 

 けれども起き上がる事は無い。

 起き上がれるだけの力は、カケラも残っていなかった。

 もっと言えば、起き上がる気力も無かったし、彼は拳を掲げる『角』も見ていなかった。

 

 ただ、ここに無い何かをその瞳に映していた。

 彼は、それに向けてうわごとを呟く。

 

「———」

 

 けれども、血と内臓混じりの肉片が吐き出されるだけだ。

 

「『空卸(そらおろし)』———」

(…ここで…)

 

 ここで、俺の人生は終わる。

 ヴェノムも巻き込んで死んでしまう。

 

 だが、ヴェノムなら分かってくれる筈だ。

 俺は全力を尽くした。

 

 持てる全てを吐き出した。

 執念も思いも、本当に全てを。

 出し尽くして、負けた。

 

 彼ならきっと分かって———

 …分かっている、許して貰える訳がない。

 

 ()()()()自体じゃない。

 こんな、許してくれなんて、傲慢にも思える態度が許されない。

 俺達は対等だから、相棒を信じられないなんてことはあってはならない。

 あぁ、それは分かっている。

 

 それでもやはり、ヴェノムに顔向け出来ない。

 許してもらうより、地獄で憎まれた方が良い。

 

 依姫にも、悪い事をした。

 結局、死なないなんて約束を守る事もできず、会いに行くなんて事もできない。

 俺に依姫を託そうとして逝った玄楽も、無駄死になった。

 

 懐かしいあの頃に、戻りたい。

 依姫を倒そうと躍起になっていた、強情女だなんて罵っていた頃に帰りたい。

 

 アイツらに会いたい。

 ヴェノム、声をかけてくれ。

 何処に行ったんだ。

 俺が悪かったから、機嫌を直してくれ。

 

 謝りたい。

 ヴェノムにも、依姫にも。

 

 俺は、馬鹿野郎だ。

 本当に済まない。

 

 申し訳ない。

 

 本当に———

 

「———『圧潰(あっかい)』ッ!!」

 

 懺悔に耽るカーネイジに、シンに、空が堕ちる。

 隕石が落ちるが如く繰り出されたそれは、ビルも、木も、妖怪も、文字通り全てを押し潰しながらシンに迫った。

 

 しかし彼が押し潰れる、正にその時。

 

<申し訳ない?そんなのお断りだ>

 

 胸の中の最奥で小さく。

 されどはっきりと声が響いた。




 どうも奴隷です、お待たせしました…そしてここまでご拝読ありがとうございます。

 ンアー!文章が長すぎる!!って?はい、三ヶ月掛けたせいです。
 そして第一章完です、勿論シン君は消し飛ばされたけど死んでおりません。

 もうちょっと後悔に塗れながら生きていて欲しいからです自分の選択に何度も苦しみながら戦闘に現実逃避する彼の姿が好物ですへへへそれでヴェノムが側に居る為孤独に狂えず死ぬ事も出来ない彼を書いていたいです依姫と一緒に居たかったなんて嘯く彼にヴェノムが馬鹿にしながらも慰めて欲しいです勿論ヴェノムは相棒でもありヒロインでもあるのでヴェノムを子馬鹿にして返り打ちに合うシン君も書きたいですねふふふ。

 本音を言えば、彼と東方Projectのキャラをもっと絡ませたいですね、いいえ絡ませなければいけません。
 オリキャラと戦うヴェノムでは無く、霊夢や魔理沙と戦うヴェノムが皆は見たい筈です。
 その為にオリキャラは大体死んで貰いました、名残惜しいですが生きてもらう意味もありません、その方がシン君に曇らせが入りますし、でも『角』は知りません、今のシン君じゃ殺せませんでした、いつか退場させます、退場させられないかもしれません。
 
 次章の考えは勿論あります。
 詳しい事は活動報告にて発表していますが、投稿頻度がかなり落ち、少なくとも一年は二ヶ月に一回とかそんなペースです。
 しかし失踪なんて真似はしません、絶対に幻想郷まで持っていき、完結させます。

 次の章を楽しみに待っていて下さい!いいですね!!

 そして最後に中学生の暇人集団様、斬月乱火様、のうこ様☆10×3評価
 亜瑠世様☆9評価ありがとうございます!!


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第二章 諏訪大戦編
第五十五話 目醒め、そして汚濁


ゆふんふん、ゆがたふんふん。


 そこは、暗かった。

 

 気にならない程度の湿気、快適とも言える冷気。

 しかしどこまでも暗いと言う訳でもなく、黄色い光が暗闇を僅かに晴らしており、暗闇に目が慣れていなかったとしても周囲を確認出来る、ぼんやりとした暗さだった。

 

 有り体に言えば、そこは洞穴だ。

 

 深さは約3メートル。

 高さは2メートルに届かない程度。

 

 目を凝らせば足の付き場も無いほどに何かが散乱しており、無駄な生活感が溢れ出ている。

 具体的には雑にくり抜かれた石の机に、無駄に丁寧に編まれた藁の布団。

 生活レベルは最低限だが、誰かが住んでいると判断するのには充分だった。

 

 そこで異彩を放つのは、最奥で壁に背をもたれながら目を閉じる男。

 彼の顔は洞窟の影によって暗闇に閉ざされ、入り口に伸びた足にだけ太陽の光が当たっている。

 

 彼は微動だにせず、まるで置物の様に鎮座するだけ。

 呼吸音も響かないあたり、死人と言った方が正しいのだろうか。

 

 しかし。

 

 ———ピクン。

 

 流れる静寂を破って、彼の掌が一瞬動く。

 

「………ん…」

 

 暗闇の中に三白眼染みた灰の瞳が、うっすらと浮かび、まどろむ視界の中で彼は周囲を見渡す。

 彼は硬い壁から背を離し、軽く伸びをした。

 

 ゴキゴキと、心地良い様な気持ち悪い様な音が洞窟に反響し、彼の顔が顕わとなった。

 

 彼の上半身は裸だ。

 端から端まで鍛え上げられ、大小様々な傷跡がアクセントとして主張している。

 

 特筆すべきは、胸の中心の傷跡。

 焼け爛れた様に大きく赤黒い跡が染み付いていたのだ。

 

「………俺は…」

 

 彼の顔は整っている。

 髪質も悪くはなく、ごく普通の好青年と言った所。

 しかし瞳は淀んで昏く、三白眼に近い瞳は彼の危険な雰囲気を訴えていた。

 

 彼は底知れない苛立ちを感じながらも、自分の身に何があったかを思い出し始める。

 

<おはようシン>

「…おはよう、ヴェノム」

 

 彼の名前はシン。

 その中に居る相棒の名前はヴェノム。

 

<覚えているか?>

「…」

 

 ヴェノムの言葉には、どこか含蓄があり、怒っている様な、労っている様な、複雑な感情をはらんでいた。

 そして、彼自身もその声を、その存在を懐かしいものと感じていた。

 

 しかし彼は、その感情そのものに疑問を覚える。

 

(()()()()…?俺は…何を———)

 

 そして、記憶は雪崩の如く甦り、彼に現実を叩き付ける。

 

「…『角』…そうだ『角』…!!俺は戦って…!道も踏み外して…!!俺は…ぁぁあああ俺は…!!」

 

 玄楽の

 無視したヴェノムの声。

 『』との死闘。

 そして、負けた

 

 鮮明な、残酷な記憶が脳内を駆け巡り、一つ一つの事実に目を背けたくなる。

 

 シンはガクリと膝を抜かし、頭を抱えて地面に蹲った。

 そして、俺は負けた、と小さな声を溢した。

 

 まるでヴェノムに謝っている様でも、神に懺悔している様でもあった。

 

「負けた…俺は………玄楽の想いも無駄にした…!」

 

 シンは怒りに任せて地面を叩き付けて小さなクレーターを作り、小さな砂埃が舞った。

 彼は洞穴が崩壊する可能性なぞ、まるで考えていなかった。

 

「っこれで二度目だ!!」

 

 一際大きな声が洞穴に反響する。

 

「カレンの時もそうだった!」

 

 シンは髪を掻き乱し、半狂乱になって叫ぶ。

 嗚咽の様な叫び声は、行きどころの無い怒りを発散されている様でもあった。

 

「ッ分かってんだよ!!全部全部全部ッ!!俺が弱いからだッ!!俺のせいで———」

シン、それは違う

 

 頭の中では無く、耳を通して響く声。

 顔を上げると、シンの身体から顔を生やし、シンと向かい合うヴェノムの姿。

 

 シンはゆっくりと頭を上げ、暗闇だと言うのに小さな瞳孔をした目を、動揺にがくがく震える目を向けた。

 

お前の間違いは二つだ

 

 入り口から差し込む陽光がヴェノムを照らし、凶悪な面相に反して暖かい印象をシンに与える。

 暗闇の中で蹲るシンとは対照的だ。

 

第一にだ、"玄楽の想いを無駄にした"…思い出せシン、玄楽は最期、何を言ってた?

 

 シンの瞳が僅かに揺れる。

 脳に浮かぶのは、思い出したくもない玄楽の最期。

 

「…依姫を…頼むって…アイツは…」

そうだ

 

 うんと、ヴェノムは頷く。

 

アイツはお前に『角』を殺せなんて言っていない…シン、お前は"想いを無駄にしたから"じゃない…玄楽を殺した"アイツに負けたから"、怒りと責任を感じているんだろ?

「…ッ」

 

 彼の瞳が、真っ直ぐにシンを貫く。 

 

だがな、どちらにせよだ…"俺が弱いから玄楽の意思を無駄にした"…そんな言葉で締め括るな、それはお前の為に命を賭けたアイツへの侮辱だ、意味を取り違えるんじゃない

「…じゃあ…じゃあ俺は、どうすれば…」

 

 確かに、玄楽は敵を討ってくれだとか、『角』を殺してくれだなんて言葉は遺していない。

 

 あの戦いはあくまで…シンの、怒りの捌け口だった。

 大義も、目的も曖昧で。

 敵討ちを銘打った八つ当たりだった。

 

 そして、彼はその戦いに負けた。

 今、正当性を持つ理由を失った彼に残っているのは、ヴェノムの言う通り言い表せられない心の汚濁。

 言い換えるならば敗北感と言う名の自暴自棄。

 

 どうすればいいのか分からない、そんなシンに彼は苦々しい表情である言葉を発した。

 

 

大いなる力には…大いなる責任が伴う

 

 

 その言葉に、シンがピクリと反応する。

 ただの格言と捉えるには、些か含みがありすぎたからだ。

 

…どこかの馬鹿が言ってた言葉だ…だが、俺はそう思わない…俺達は俺達の為に力を振るうんだ…だからシン、お前が"玄楽を殺された"とか言う無駄な責任を感じる必要はない

「………もっと、自分勝手に生きろってか?」

そうだ

 

 ヴェノムが頬を裂かせて笑い、ニチャニチャとした粘着音が洞穴に響く。

 

俺達には好き勝手振る舞える力がある

「ああ、その通りだ…だがその力で俺は守りたい者を守れなかった」

 

 自虐的に、シンは言葉を漏らす。

 そんな姿にヴェノムは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

 何が何でも自分の責任にしたがる馬鹿に辟易し始めたのだ。

 そこで、ヴェノムはかつて玄楽の言っていた言葉を思い出す。

 

シン、いつかに玄楽は、残っている者に目を向けろ…そう言ってた

「…そうだな」

玄楽じゃない、お前は依姫に目を向けるべきだ

 

 力強いヴェノムの瞳に、思わずシンは目線を逸らした。

 ほんの少しだけ、納得してしまったからだ。

 玄楽を殺された罪を、自分自身を赦そうとしてしまったからだ。

 

 認められない彼は、言い訳をヴェノムに、自分に言い聞かせる。

 

「でもな…玄楽を死なせて…負けた俺に…」

それだシン、二つ目だ、お前の一番の間違いだ

 

 ヴェノムの触手がシンの頭を掴み、強引に目線を合わせられる。

 心に直接訴えかけるような瞳に、彼は最早目線を外そうなどとは思わなかった。

 

俺達はまだ負けてない、先に喰った方が勝者だ…だからお前が責任を感じる要素はどこにも無い…それでも怒りを感じるなら…強くなって次会った時、ぶちのめしてやれ

「…!」

 

 ヴェノムの真っ白な瞳に、熱意をぶつけられる。

 冷め切った心臓の鼓動が脈打ち、言いようのない汚泥が注ぎ落とされて行く。

 

 まだ負けていない。

 そんな稚拙とも捉えられる考え方を、彼は受け入れようとし始めていたのだ。

 

 それでも、納得出来ない事が胸の中で渦巻いている。

 それをシンは、ヴェノムにぶつけた。

 

「だけど…だけどなヴェノム…俺は赤いアレの時に…自分の意思で人に似た妖怪を喰ったんだぞ…!?」

…?別にいいだろ、ムカつく奴は喰ってしまえば

「〜!!そう言う話じゃない!」

 

 ムカつく奴は喰う。

 倫理的におかしい。

 しかし単純で、残虐、これこそまさしくヴェノムであり、シンもその考えには半ば賛成だ。

 

 だが、ヴェノムでない時に、シンは自分の意思で妖怪を喰った。

 それはヴェノムでも何でもない、『俺達』としてのプライドも無い、ただの怪物なのではないか。

 

 そんな考えが頭の中に根を張り、彼の思考を締め上げていた。

 しかし、それは彼の本心を巧妙に隠した()()

 本当の理由を、それらしい別の理由に差し替えていた事に、彼は気付いていなかった。

 

 むしろその苦悩の本質を理解しているのは、ヴェノムの方。

 

…ほ〜う成程な〜…さてはシン、そんな姿を依姫に見られたら失望されるから、とか思ってるな?

「…っ!…な…っ!…!」

ハハハハ!大丈夫だ!!そうやって心配してる内は嫌われないぞ!

 

 ハッと彼は気付き、同時に納得という屈辱に曝される。

 そして好きだの嫌いだのくだらない理由で悩んでいた自分に羞恥を抱き、それをヴェノムに見抜かれていた事に恥を掻いた。

 

 最早シンは言葉を失うしかなく、口をぱくぱくしながらシンの肩を叩いて笑い飛ばすヴェノムを見つめるだけ。

 やがて彼はガックリと肩を落とすと、体育座りで壁に身を寄せた。

 

 その姿は、実に情けない物だった。

 

「…なんだよそれ…あぁ馬鹿馬鹿しい………」

 

 そのまま彼はずるずると背もたれながら寝転がり、深いため息を吐いた。

 しかしそこに先程までの悪感情は無く、瞳にも幾らか光が戻ったように思える。

 

 こんな事態になってまで依姫の事を考えている自分を省ると、急に悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなったのだ。

 絶望の代わりに希望ではなく、羞恥が湧くのは何とも言えないが、さっきまでの荒れ様よりはマシだ。

 

 もう大丈夫だろうと判断したヴェノムは、話題を変えてシンに話しかけた。

 

…これからどうする?チョコの代わりになる食べ物でも探すか?

「強くなる」

…HMMM

 

 即答。

 彼は、カレンの様に、玄楽の様に、目の前で友人が死なれるのはもう嫌だった。

 強くなれば、そんな事は起こらない、そう信じて。

 

 言外に提案を却下されたヴェノムは唸りながらシンの体へ戻って行く。

 

「それと…依姫に会いに行く」

<…俺の案の次ぐらいに良い考えだ、どうせ泣きながら止められたのに無理して振り切ったんだろ、記憶を見なくても分かる>

「…ああ、キスして諦めさせた」

<なに!?この女たらしめ!!キスはその為にあるんじゃない!!>

 

 依姫は今も、俺を待っている筈だ。

 何より約束したのだ、必ず戻ると。

 あの時は嘘の約束だった、しかし、生き残ったからには、玄楽がシンを生かしたからには、会いに行かなければならない。

 

 正直依姫が他の男に目移りしてしまう事を危惧しているから、と言う事も理由の一つだ。

 

 そんな一抹の不安を抱くシンに、ヴェノムは畳み掛ける。

 

<シン!聞いてるのか!キスは女が寂しいときにしてやる物だ!決してそんな風に使う物ではない!!>

「ごちゃごちゃうるせぇよ寄生虫、そうするしかなかったんだ」

「一線超えたな!わからせてやる!!」

はっ!来いよ!どっちが正しいか教えてやる!!

 

 寄生虫、そう言った瞬間に再びヴェノムが視界に滑り込み、鬼の形相をシンに見せ付ける。

 しかし彼は全く怯まず、むしろ啖呵を切った瞬間、口火は落とされてしまった。

 

 頭突き、ぶん殴り。

 噛みつき、ぶちかまし。

 

 デフォルメするならばボコスカ喧嘩する五歳児園児だ。

 実態はド突き合いで鼻血が宙に舞う、血生臭い喧嘩。

 

 こうなる事は分かっていた、ヴェノムは寄生虫と呼ばれるのが大嫌いな事くらい、分かっていた。

 だからこれは喧嘩とは程遠い、じゃれあいだ。

 それにヴェノムとの些細な喧嘩は、日常なのだ。

 

 まるで朝のルーティーンを済ませるかの様に。

 ヴェノムと話している事が嬉しくて、わざと悪口を吐いてしまったかも知れない。

 

 それで寄生虫と呼ばれるヴェノムはたまった物じゃないが、彼も満更じゃない。

 

「…っはは」

何笑ってやがる!

 

 砂浜で水を掛け合う男女の様に、それはそれは楽しい一時だった。

 こんな時間を過ごしたい、『角』に負けた瞬間、そんな事を考えていたシンにとっては、尚更だ。

 

 しかし、楽しい時間と言う物は必ず水を刺される物だ。

 それを示すかの様に、シンでもヴェノムでもない声が洞穴に反響した。

 

「…あ…あ…!!」

 

 暗闇が深くなっている、それに気付いたのは、差し込む陽光が一つの影に遮られたからだ。

 そして鼓膜を震わせるのは少女を思わせる、しかし誰とも知れない高い声。

 

 シンとヴェノムは手を止め、こちらに伸びる影を見遣った。

 更に目線を上げ、その人物を認識する。

 

「お前は———」

 

 それは、何処か見覚えのある少女だった。

 

 紫のワンピースに似た服に身を包み、太陽の光に反射した長い金髪が黄金に濡れている。

 その毛先の幾つかはリボンで結ばれており、更にナイトキャップの様な帽子を被り、これもまたリボンが飾り付けられている。

 真ん丸に見開かれた瞳は、紫にも金色に見える。

 

 十人が十人美少女と声高に言うであろうその少女。

 

 しかし、()()()()()()()と言う既視感が拭い切れず、シンはヴェノムと組み合ったままの状態で固まっていた。

 数秒の間、双方が見つめ合うなんとも言えない虚無が流れる。

 

 しかし、少女はシンのヴェノムを交互に、何度も見比べると、こちらに震える指を刺して叫んだ。

 

「あ!あ〜〜〜!!!」

「はぁ…?」

 

 更にあんぐり口を開けて、驚愕する少女。

 錯乱しているのだろう、目に焦点があっていない。

 

 その姿は変人と言わざるを得ない、が…まぁ、悪い奴では無さそうだ。

 そう彼は結論付ける。

 

 それが、後の大妖怪とシン達の、(ゆかり)の始まりだった。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
シンがヒト型妖怪を喰った、その事実は変わらないのぜ。
いくら本心が馬鹿馬鹿しい物だとしても、その経験は彼の頭のネジを緩め続けるのぜ。
どこか歯車が狂えば、彼は元来の戦闘狂の性質も併せて簡単に無差別殺人犯になるだろうのぜ。
おぉこわいこわい。

それはそうと最後の人物は一体全体誰なんだ…

あけぼのじゅういち様、☆7評価ありがとうございますなのぜ。


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第五十六話 八雲紫は脳を焼かれた

ゆっくりしてねぇ!
今回は衝撃がいっぱいですのぜ。
夏油スグリ君ぐらいシン君は心が荒れるのぜ、でも大丈夫。
シン君には苦しませるだけで、発狂なんてさせてあげないのぜ。


「あっあっ!あなっ!貴方!!やっ、やっと目覚めたのっ!?」

「あん?」

 

 見知らぬ金髪少女の捲し立てる声が洞穴に木霊する。

 一体何をそこまで早口で言う必要があるのだろうか。

 ヴェノムを見て怯えているだけかも知れない。

 

 シンはその様子に怪訝そうな声を上げ、しかし特に深く考えもせずに応えた。

 

「…あぁ、まぁ、そうだな…今、起きた」

「へ、へぇ…!」

「ヴェノム、一応戻っとけ」

分かった、けど納得してないからな

 

 わざとらしく首をゴキリと鳴らしてやると、生返事が返ってくる。

 

 少女に怯えさせない様、ヴェノムにも戻る様に指示すると、彼は悪態を吐きながらも身体の中に戻っていった。

 しかしキスの事でこうも引き摺るとは、ヴェノムの新たな一面に驚きだ。

 

 そしてシンは質問を投げ掛ける、しかし彼の抱く不信感ゆえに、敵意は隠さない。

 少女はその敵意に怯えながらも、しどろもどろに話し出した。

 

「んで…あんたは誰だ…ここはどこで、何しに来た?」

「わ、私は八雲紫(やくもゆかり)…ここは私の住処で…いま帰ってきたの…」

「…そうか」

 

 彼は周囲を見渡し、散らかった部屋を一瞥して少々引きながらも、嘘は言っていないと断定した。

 警戒を続ける彼に、少女、八雲紫は言う。

 

「貴方は…ずっと硬くて黒い石の様な状態で、私が家に置いておいたの…」

「…!ヴェノム…嘘は?」

<吐いてない、多分傷を癒す為の仮死状態の事だ>

「傷…か…お前仮死状態なんて出来たんだな」

<フフン>

 

 ヴェノム、と言うよりシンビオートにそんな能力があったとは驚きだ。

 いや、微生物だって仮死状態になれるのだ、万能な細胞を持つシンビオートなら意外と当たり前に出来るのかも知れない。

 

 仮死状態になった理由は『角』の最後の一撃…恐らくだがアレが原因だろう。

 兎も角生き残れたのは幸いだった。

 この少女が生き残った俺達を拾ったのだとしたら、この少女には感謝しなければならないだろう。

 

 仮死状態のシン達を知らなかったとはいえ、匿い、守ってくれた様なものだ。

 そう考えるとさっきの態度は失礼だっただろうか、そう反省し、彼は謝罪した。

 

「悪かったな、紫…だったか、失礼な態度だった」

<謝れてエライぞ>

「いやっ…そんな…えへへ」

 

 可愛らしく、にへへと笑う紫。

 その姿が依姫と絡む時のカレンに似ていて、ずきりと心が痛んだ。

 

 アイツが生きていたら、こんな風に笑ってたんだろうな、と。

 

 話題を変えようと、シンは紫に世間話を持ちかける。

 

「俺は邪魔だっただろ?自己紹介が遅れたな、俺はシン、こっちがヴェノムだ」

ハロー!俺達を助けてくれてありがとう!

「わっ!これがあの…!」

「…なんだ?知ってんのか?」

 

 突如、鎌首をもたげる()()()

 知らぬ間に心に巣食っていた大きな違和感が顕在し、背筋を冷やす。

 

 何か、大きな何かを見落としている気がする。

 

「えぇ、ずっと、何年も…」

 

 そうだ、この違和感は、この少女に会ってからずっと胸にへばりついていた。

 既視感だけじゃない。

 言葉の節々に異変を感じる。

 注意しなければ分からない、矛盾のない様に見えて、食い違っている会話。

 

 最初にこの少女は『やっと目覚めた』と言っていた。

 

 つまりこの八雲紫と言う少女は俺達のことを()()()()()のではないか?

 だが、どこで?

 

 疑問は尽きない。

 こんな齢十五にも満たない少女が、何年も?

 

 おかしい、前提条件を間違えている様な気がする。

 致命的な見落としを———

 

<シン!!この女は俺達を助けてくれたんだ!恩人を疑うなんてもってのほかだ!!>

「…あぁ、確かに、そうかもな」

 

 体の中に戻ったヴェノムの怒声が頭に響く。

 

 確かに、失礼だった、そうシンは反省する。

 見た目も幼い少女だというのに、何でもかんでも疑いに結び付けるのは人道に反するだろう。

 

 第一、こんな小さい子供が何かを企むと言う事こそ、ぶっ飛んだ妄想だ。

 彼女が何者だろうと、シン達を助けてくれたのは変わりないのだ。

 

 不信感を無視して、おしゃべりを続ける。

 彼女も緊張がほぐれてきたのか、落ち着いた雰囲気で話し始めた。

 

「本当に…長かったわ…」

「…お前は月に行かずに地上に残ったクチか?」

「そりゃあそうよ、そもそも私には永遠の命なんていらないし、それを受け取る事も出来ないもの」

「あ?永遠の命?」

<…?…なんだそれは>

 

 藪から棒に発せられた、永遠の命。

 

 ヴェノムが興味深げに呟く。

 永遠の命、そして月移住。

 両者に繋がる共通点を見出せず、シン達はきょとんとした顔で紫を見つめた。

 

 彼女も彼女で、きょとんと惚けた顔をシンに晒した。

 まるで、シン達が知っていて当然だとでも言わんばかりに。

 

「え?知らないの?」

「ヴェノム、知ってるか?」

<さぁ>

「相棒が知らないって事は俺も知らねぇ、第一月に移住するのは穢れが無いからどうたら…って話だろ?不老不死だかと関係あんのか?」

 

 うんうんと、年相応の仕草で紫が頷く。

 

「えぇ、確かに月には穢れが無いわ…だからこそなの」

「だからこそ?」

「ええと…穢れが妖怪の力の源になっている事は知ってるわよね?」

「あぁ」

 

 人差し指を立て、身振り羽振りで説明しようとする紫。

 何処か微笑ましい光景である。

 

「穢れっていうのは欲望そのもの…人が生きたいと思う感情すらも穢れとなって、妖怪への畏れへと繋がるわ…でも…」

「でも?」

「生きたいと言う感情を捨てれば…人は穢れを超えて、ある種の神に近づくわ、人の寿命と言うシステムを破壊してね…大体の半神半人や仙人はそれに当たるわね」

「ほう…」

 

 人を超える。

 俄かには信じがたい話だ。

 

 月読命は、不浄の地である月には妖怪が出ないからだと、その様に声明を発表していた。

 しかし、神であるあの月読命の事だ。

 不老についても何かしら知っていたはずだ。

 

 何故、その事実を黙っていた?

 

 シン達はおろか都の住人にすら知らせていないとなれば、どうにも不信感が湧く。

 

 何か理由があってその事実を隠していたか、あるいは———

 

(コイツが嘘をついているか…だが…)

<だが見たところ嘘をついている様子はないぞ、冷や汗も出ていないし瞳孔の大きさも変わっていない>

 

 ヴェノムの言う通り。

 目の前の少女が噓を吐いているとはとても確信が持てず、ただただ月読命への不信感が募る。

 

 生きたいと言う思いを捨てる、それが良い物であるとは決して言えない筈だ。

 まるでロボットの様に生きるのかも知れないし、もしかしたら逆に、争いもなく平和に生きていくのかも知れない。

 

(…依姫が無事なら…それでいいんだが…)

 

 難しい顔をするシンに紫は気付かず、そのまま話を続ける。

 

「だから穢れの無い月に行けば、人は次第に穢れを捨てることで出来て、寿命が無くなるってわけ」

「…そうか、分かった、ありがとう」

 

 短く告げ、沈黙が訪れる———

 と、思われたが、紫は息つく暇も無く顔をシンに寄せた。

 聞きたくて聞きたくてしょうがない、そんな顔だった。

 

「ねぇ、私からも少し良いかしら?」

「…?なんだ?何か聞きたいのか?」

「貴方は…どうして———」

「…?」

 

 紫が小さな身体をシンに寄せ、傷に塗れた上半身に触れる。

 それどころか首に手を回し、火傷の跡の残る胸を指先で撫で、瞳をシンに合わせた。

 

 その姿は酷く蠱惑的で、シンを軽く誘惑した時の『角』に重なる。

 どうしても癪に障る光景だ、しかし少女に抱くには少々不躾、彼はそう切り捨て、代わりに顔を顰めた。

 

「どうしてこの穢れた地上に残ったの?」

「俺には、守りたい物があったからだ」

「それは何?それは一体誰?」

「…教えてほしいなら離れろ」

<シン、少し落ち着け>

「…そう、ごめんなさいね」

 

 紫の瞳はひたすらにシンを粘着する。

 そこにあるのは泥の様な昏い何か。

 にんまりと笑っている様で、気持ちの悪い薄ら笑い。

 

 無垢な少女と言うには、余りに穢れていた。

 

 思わずシンは紫を拒否し、彼女もまた大人しくシンから離れる。

 目の前の少女に僅かばかりの忌避感が湧き出るが、助けてくれたという事実がそれを抑えた。

 

 警戒が混ざる友好関係という、チグハグな状況。

 

 複雑な心境のもと、彼は呟く様に話し始めた。

 

「…好きな奴が居る、そいつを確実に月に行かす為に、俺は残ったんだ」

馬鹿みたいな理由だが、本当だぞ?

「…!」

 

 ヴェノムが茶々を入れ、ピクリと、ほんの少し紫の目尻が上がる。

 だがそれも一瞬の事で、構わずにシンは続けた。

 

「ま、理由はそれだけだ、暫くはそいつに会いに行く為に行動するさ」

「…中々ロマンチックね、でも、もうその人、貴方の事忘れちゃってると思うわよ?」

「んなわけねぇだろ、あの強情女の事だ、知った口聞いてんじゃねぇ」

「…?」

 

 紫の言い様に少しばかり苛立ち、シンは語気を強めて反論する。

 依姫が簡単に人の事を忘れる人だと言外に馬鹿にされている様な気がしたからだ。

 そのせいか、強情女とシンとヴェノムしか知らないあだ名を呼んでしまい、その意味の分からないのか紫は首を傾げた。

 

 いや、首を傾げた理由の主軸はそこでは無い。

 

「いや、貴方———」

 

 紫の不思議そうに言葉を発する様子に、シンは目を離せない。

 まるで本当に疑問で、当たり前の事を忘れているのかと聞いている様な態度に、抱いていた不信感が這い寄る。

 

 この答えを聞けば、後悔する気がする。

 馬鹿げた妄想だ、そう自身に言い聞かせるが、目線は紫の口元に合わせたまま。

 

 そして遂に、聞いてしまった。

 聞くべきではなかった、真実を。

 

 

 

「あの戦争からもう、()()()()経ってるわよ?」

 

 

「———は…?」

なに…!?

 

 最早、自分でどんな声を出したか分からなかった。

 何万年も経った、それが意味する所を突き付けられ、理解と無理解の狭間を往復する。

 簡単な文字の羅列、脳が理解する事を拒否し、終わる気配の無い処理にぐるぐると視界が回る。

 

 ヴェノムが現れ、驚愕の声を上げる。

 それすらも耳に入らず、シンの視界は売れない画家のキャンバスの様に色褪せていく。

 

 真っ黒に、絶望に。

 

「…ぁ…?」

シン!

「ちょっと…?大丈夫…?」

 

 必然とも言えるだろう、立っていられない目眩がシンを襲い、彼は崩れ落ちた。

 そして縋る様に紫の肩を掴み、訳も分からないまま叫んだ。

 

「………冗談だよな…?っおいアンタ!!噓だと言えよ!!」

「えぇ…!?冗談も何も…なんでここで冗談を言うのよ…?」

噓だ!

 

 信じられない、彼のぐらぐら揺れる瞳がそう訴える。

 ヴェノムが彼らしくも無い声を上げて、顔を悲壮に歪める。

 

 シンがここまで大きく取り乱した理由はただ一つ。

 依姫だ。

 

 今からでもすぐに依姫に会う為に、あらゆる方法を探し出そうとしていたのに。

 少なくとも十年以内には月に行く方法を見つける筈だったのに。

 

 もう、数万年も経った?

 

 依姫はもう、死んでいる?

 いや、彼女達は紫によると不老になったと言う話だ。

 生きている筈なんだ。

 

 違う、そうじゃない。

 何万年も会いに来ない男を、彼女がまだ待つと?

 あり得ない、現実的じゃない。

 待っている訳がない。

 

 もう、誰の目から見ても明らかだった。

 彼女はもう、シンの事を忘れている事に。

 

「ぁあ…ああああ…!!!」

………

「えっ?えっ?」

 

 一人状況を理解出来ていない紫。

 ポカンと口を開けて、戸惑いながらおろおろとする彼女に、彼は堪らなく苛立ちを覚えていた。

 

 ———-お前がこんな事を言わなければ。

 

 半ば、いや、完全に八つ当たりだった。

 

「ぁあああッ!!テメェ!!噓を吐くなァ!!そんなモン…ありえねぇだろうがァ!!」

「うぐっ…!?」

っ止めろシン!!

 

 ぬらりとシンの腕が紫に伸び、その細い首を握り締める。

 息がかひゅっと弱々しく鳴り、あまりの腕力に彼女の頚骨の軋みが掌越しに伝わる。

 

 それだけで殺意の衝動は止まらない。

 遂に紫の足先が地面から浮き、宙ぶらりんとなる。

 

 紫の混乱を帯びた瞳と、シンのぼんやりと光だけを反射する瞳が交差したその瞬間。

 

 彼は吹き飛ばされ、壁に頭から突っ込んだ。

 

「…がっ!?」

「ッゲホッ!ゲホッ…!!」

頭を冷やせ馬鹿野郎!女を無闇に傷付けるお前じゃない筈だ!!

 

 シンを頭突きで吹き飛ばした張本人はただ一人。

 当たり前と言うべきか、理性を失った彼を止めるのは、やはりヴェノムだった。

 

 紫は喉を締められた為か何度もえずき、胃液混じりの咳を吐きながら、頭を抑えるシンを見る。

 ()()()()()()ように、怯えた瞳で。

 

「…ぐっ…ぅうう…!!止めろ…!!その目を止めろ!!」

 

 彼らの視線が交錯し、瞬間、何度も抱いていたデジャブが爆発する。

 

 こちらを見つめる怯えた瞳、妖怪を食う内に何度も向けられた。

 捕食者が非捕食者に回ったかのような、絶対的に勝てない存在に出会したかのような。

 生きる事を諦めた者達の、虚しい視線。

 

 その中の、1番新しい記憶。

 あの。

 金髪のクソガキだ。

 

 妖怪を通すゲートを開けていた、戦争の主因とも言える妖怪。

 その金髪と体躯がアイツ(カレン)に似ていたから、殺す事も出来ず逃してしまった妖怪。

 

 ちょうど目の前の幼女と、姿が重なる。

 あの忌々しい妖怪。

 

 ああ、そうか。

 コイツが。

 

「…そうか…!!このクソガキが…!!ッテメェが!!あの時のクソ妖怪かッ!!」

じっとしてろ!!

「ごばァ!!」

 

 彼は感情を爆発させると同時に、ヴェノムによって再び壁の中に埋まり、即鎮火。

 その隙にヴェノムがヴェノムウェブに似た物質でシンを締め上げ、困った様に唸った。

 

 パラパラ岩の破片が天井から落ち、遠慮がちな紫の声が響く。

 

「え…えと…」

「ヴェノムゥゥウ…!!これを解け…!!コイツをぶっ殺してやる…!!」

…いつもはこんなんじゃないんだ

 

 困り果てた声色をするのはヴェノム。

 この数分間に何度も衝撃を受けているシン、その感情の嵐がヴェノムに分からない訳ではない。

 

 しかしこの少女がシンを助けた事は百を承知、二百も合点。

 正気を失っているシンとは違い、ヴェノムは紫をそこまで敵対していなかった。

 

…お前は『角』のやつの攻撃を耐えた後に紫に拾われたと思っているだろう?そうじゃない、あいつの攻撃を受けている最中に、俺達は救い出されたんだ、紫の気色悪いゲートにな

「…なんだよ、このガキが俺達を救った恩人だとでも言いたいつもりか!?」

そうだと言っているんだ!

 

 意外と義理人情を重んじるヴェノムは、徹底的にシンと反対の立場を取る。

 そしてそれは、外道の道に落ちようとするシンを諌める為でもあった。

 感情のままに紫を殺しても、シンは後悔するだけであり、何より後味が悪い。

 

 対して、黙って話を聞いている紫は何も言わずにシンを見つめており、それがまたシンを苛立たせた。

 

「ッコイツは妖怪だ!一丁前に笑ったり怯えたり人間みてぇなフリしやがって!!どうせ俺達を助けたのにも裏があるんだよ!!」

裏がある以前に紫は俺達を助けた!!それは変わらん!!

「だから見逃せって!?馬鹿を言うのもいい加減にしろヴェノム!!」

 

 頭では、分かってる。

 紫は恩人で、妖怪だとしても傷付けるのは外道の行為、若しくは考えなしの馬鹿のする事。

 

 ただ、シンは目の前の妖怪を認めたくなかった。

 エレクトロや『角』といった飛び切りの外道を見て来た故に、妖怪に対する偏見とも言える嫌悪が、『見逃す』という選択肢を排除していた。

 

 最初から少女に向けるべきではない感情があったのも、彼女が妖怪だと、無意識的に気付いていたからであろう。

 

「コイツは!()()だ!!俺達とは分かり合えない!!妖怪と人間が一緒に住むくらいありえねぇんだよ!!」

 

 叫び尽くすが如き怒号。

 

 その迫力にヴェノムも僅かにたじろぎ、シンの荒く息を立てる音だけが残った。

 分からず屋、そう叫ぼうとしたヴェノム。

 しかし、彼が反論に口を開いたその瞬間。

 

「…ひぐっ」

 

 すすり泣きが、シンに冷水をぶっ掛けた。

 

「うぇえ…そこまで言わなくたって…いいじゃない…」

「…っ…ぉおっ…」

おい!女を泣かせるなんてサイテーだぞ!

 

 失念していた、と言うより考えてもみなかった。

 目の前にいる者は確かに妖怪だが、同時に少女だ。

 

 目の前で罵倒紛いの事をされて、傷付かないはずが無い。

 ましてや見た目は思春期に入ったばかりの子供。

 言葉のナイフが刺さりやすい子供だ。

 

 もしかしたらこの啜り泣きも演技なのでは、そう頭によぎるが、それ以上にショックを受けたのは。

 

 事実であろうとなかろうと、女を泣かせた自分自身だ。

 

「…っ…!…〜っ……〜〜〜っ…!!」

 

 激しい感情の波にシンは溺れる。

 彼は息も出来ず、歯を食いしばって激情に耐えるしかなかった。

 

 演技ではないかと訝しむ疑念、目の前で女が泣いているのにそう思う自分自身への失望、理性が生み出す申し訳無さ、それら全てを上回る憎しみ。

 

 火山の様な感情を抑える為には、建前を用いて自分を抑えるしかない。

 そうして助けてもらった義理という物を胸に刻み込み、感情を抑えた彼は、遂に言葉を搾り出した。

 

「…ッ…紫、わる、かった…俺が言い、過ぎた…」

 

 一度言葉を吐き出して仕舞えば、溜飲もある程度下がる。

 自分の非を認める行為、プライドを捨てるとも言える行為は、彼に冷静さを取り戻させた。

 

 そう、紫が多くの妖怪達を連れて来た、その事実を一旦忘れる事にしたのだ。

 つまり彼は少しだけ、大人になったという訳だ。

 

「…ぐすっ…謝らなくたっていいわよ、私も酷い事をしたとは思ってるし…」

「…じゃあ、何でやった」

 

 戦争に加担した事を、紫は酷い事をしたと言っている。

 快楽愉悦の為に都を襲ったと思っていたシンは、驚きの混ざった不機嫌な顔で彼女を見つめる。

 

 そうだと分かっているならば、何故襲った、と。

 

「私は貴方と戦っていた大妖怪に従ってたの、暇潰しになるからって…それで私は…」

「いや…言わなくていい…アイツの命令でゲートを開けたんだな…?」

もう分かっただろ?

「…ああ」

よかったな、お前への俺の評価は大馬鹿から馬鹿にアップだ

「…」

 

 シンに施した拘束、それを解きながら皮肉を言うヴェノムは無視だ。

 

 シンはさっきまでの自分の言動を省みようとした。

 酷く自分勝手で、自己中だった。

 だがそう反省しても、紫を認めたくない気持ちが根底にあった。

 

 彼女の話がまるっきり嘘だと疑う程に。

 

 だから、結局。

 

「…もう、俺達は行く」

「…え…?」

 

 彼は目を背ける事にした。

 人間みたいに考える、理解し難い妖怪を。

 

 何故シンを助けたのか、そんな事を聞く気にすらならなかった。

 一刻も早く視界から無くしたかった。

 

 いいのか?と、小声でそう尋ねるヴェノムに頷き、出口に向かい歩を進めた。

 

「ど、どこに行くの…?」

「…人の、いる所」

 

 洞窟の出口に近づくにつれ、光に目が焼ける。

 困惑した紫の質問には、適当に答えた。

 

「…西の近くに、人里があったと思うわ…」

「そうか」

<親切なやつだ>

「あと…これ…」

 

 すれ違う瞬間。

 紫の空間に切れ端を作ると、無数の目玉の浮かぶ空間が現れ、何かを取り出した。

 

 そうして現れた物に、シンは立ち止まって目を丸くした。

 

 それは刃の潰された日本刀、いや、形状は片刃の曲刀に近い物だ。

 重厚かつ鈍いブロンズ、もしくは青銅の鏡面が紫を写している。

 

 片手で剣の柄を、片手で剣の側面を危なっかしく持つ彼女の姿は、見てられないほどに不釣り合いだ。

 

「なんで…お前が()()を…」

 

 シンはそれを見た事があった。

 最初は軍来祭で、次はエレクトロとの決戦で、最後は『角』との死闘で。

 無くす度に誰かがシンの元に持ってくる、訳の分からない青銅刀だった。

 

 混乱しながらも彼はそれを受け取り、触り心地を確かめた。

 

 ———やはり、しっくりくる、手のひらに馴染む。

 

「貴方があの妖怪と戦っているとき、私がこっそり回収しておいたの…何故かずっと錆びなかったし…い、要らなかったかしら…?」

「いや…そうか…あ、ありがとう」

 

 ぎこちなくシンは礼を言う。

 特に感謝はしていなかったし、礼を言いたかった訳でもないが、折角渡してくれたのだから、と、最低限の気持ちだ。

 

 ヴェノムが気を利かせて鞘と腰にかけるベルトを作り、彼は腰にかけられた鞘に差し込み、今度こそ外へ歩き始めた。

 

 陽光が目を刺激する、と言っても、ここは山の麓の様で、木漏れ日が差し込んでいるだけの様だった。

 それでも薄暗い所より、気分は幾らか晴れる。

 さっきまでのイライラも少しは解消されたかも知れない。

 

「…」

 

 …だが、紫の目線が背中にチクチクと突き刺さる。

 名残惜しい様な、べったりとした、そんな視線だ。

 

「…」

 

 彼は終始無表情で目の前の木々を見つめていたが、やがて小さく息を吐くと、徐に言葉を発した。

 

「…おい」

「…ぅえ…?」

「…お前が何か困ったら、俺を頼れ…一度だけだ、内容次第だが、助けてやる」

 

 それは彼なりの最大限の借りの返し方だった。

 不用意に傷付け、真摯な謝罪もしなかった詫びでもあった。

 

 このまま去るのは、居心地が悪かったからとも言える。

 

 そして森の中に溶け込む声、されどしっかりと紫は聞き入れ、うん、と短く返した。

 顔は見えなかったが、浮き足だった返答だった事は分かる。

 

 ———これでもう、未練も無い。

 

 彼はまた歩き始める。

 生い茂る草を踏み締めるのは、いつぶりだろう。

 そんな事を考えながら、シンは道の中へ消えていく。

 

 そして、そんな彼を見えなくなるまで見つめていた彼女、紫。

 表情の読み取れない彼女の独り言が、薄暗い洞穴内に静かに響いた。

 

「…妖怪と、人間が、()()()()()

 

 その瞳は、未だシンだけを見つめていた。




 ご拝読、ありがとうございますなのぜ!

 ゆかりちゃん、ねんれい、すうじゅうまんちゃいっなのじぇっ!
 まぁ因幡のウサギも万単位の年齢であの見た目だし、紫自身に精神的成長もなかった為、ゆかりちゃんモードなのぜ。
 そのうち大人になるのぜ。

 にしてもゆかりちゃんシン君にペタペタ引っ付きすぎじゃないのぜ?
 これは…匂うのぜ…
 シン君の前だからっていい子ぶってるの、バ レ バ レ なのぜ。

 最後に猫じゃらしだまし様、☆10評価
 けん0912様、☆9評価、ありがとうございますなのぜ!


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