赤い霧が呪術廻戦の世界へやって来るようです (カルディ)
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第0話 マシな世界へ

library of ruinaのエンディング後からのスタートです。
library of ruinaを知らない方向けの注釈が大量にあります。
後々、呪術キャラにこれらの固有名詞の説明をするパートがあるので、読むのが苦しい方は0話を読み飛ばしても大丈夫です。


「ん? この階に来るなんて珍しいな、アンジェラ*1。一体どんな風の吹き回しだ?」

「頼み事があって来たのよ、ゲブラー*2。ローランに任せてもよかったのだけれど、ちょっと忙しそうだし。あなたの方が適任だと思ってね」

 

 図書館が都市*3の外郭*4に放逐されて、しばらく経ったある日の事。

 アンジェラは久々にゲブラーの担当する言語の階にやってきて、臆面もなくそう言った。

 無論、ゲブラーには上司たるこの図書館長の頼み事に、心当たりなどない。

 

「別に、私も暇ってわけじゃないんだがな」

「でも、忙しいわけでもないでしょう? 外郭に放逐されてからはゲストの接待もないし、新しく整理しないといけない本が湧き出てくる事もないし」

「違いない。それで、頼み事っていうのは何だ?」

 

 早くもアンジェラの言い分に観念したゲブラーは、半ば投げやりにそう返事をする。

 すると、アンジェラは懐から一冊の本を取り出して、その表紙をゲブラーに見せた。

 そこには、タイトルとして"呪術廻戦"と文字が書かれている

 

「これは、ネツァクがいつもみたいにビールを取り出せる本を探していたときに見つけた本よ。一見、おかしな本には見えないけれど、まるで幻想体*5の本のように中に入ることが出来るわ」

「へぇ、こんな本がね。にしたって、この図書館はお前のE.G.O*6なんだろ? 図書館の中に出現したこの本に、なんの心当たりもないのか?」

「ええ、残念ながらね。だからゲブラー、あなたにはこの本の内部の調査をお願いしたいの。それが、もしかしたら私の願いを叶えるヒントに繋がるかもしれないから」

 

 アンジェラの言葉に、ゲブラーは思わず目を見開く。

 今のアンジェラの願いとはすなわち、都市で苦痛が繰り返される理由を突き止める事だ。

 そのヒントが、こんな本の中にあるというのか。

 

「私は、この本の中身を一通り読んだわ。芸術の階らしく、絵が主体の本だったのだけれど、そこには都市とはまるで違う世界が広がっていたの。人々は絶えず争っているし、物語の世界らしい化け物もいる。けれど、私たちの世界よりずっと優しくて、苦痛を繰り返させまいと足掻いている世界だったわ」

「……確かに、こんな世界に入れれば、ヒントを得られるかもしれないな。この世界でも、苦痛を繰り返さずに済む方法の。きっと、簡単にはいかないだろうが、やってみる価値はある」

 

 ゲブラーはアンジェラから件の本を受け取り、その内容に軽く目を通しながらそう言った。

 

 確かに、この呪術廻戦という本の世界では、主人公たちと呪霊や呪詛師との戦いが続いている。

 それでもこの世界では、カネのない奴ら同士で殺し合い奪い合うことも、いつどうやって殺されるか分からないまま生きていくことも、決して当たり前のことではないのだ。

 それだけで、アンジェラもゲブラーも十分だった。

 

「この本、今のところ完結はしていないけれど、ある程度登場人物の能力は判明しているみたいだから、事前に予習しておくことをおすすめするわ。それから、この本も渡しておくわね」

「これは……まさか、ロボトミー*7のときのE.G.Oか。こんな本も作れるようになったんだな」

 

 ゲブラーが渡された本のページをぺらぺらとめくると、そこには覚えのあるE.G.Oたちが眠っていた。

 

 貪欲の王の、黄金狂。

 何もないの、ミミック。

 それから、終末鳥の黄昏などなど。

 ロボトミー時代のセフィラ暴走で、ゲブラーが扱ったE.G.Oは一通り揃っているようだ。

 

「あのときのあなたは、怒りに呑まれて何も見えなくなっていたけれど、今のあなたならこのE.G.Oの力を誰よりも引き出せるはずよ。これだけあれば、向こうの世界の困難にも十分に対処できると信じているわ。もちろん、困難には遭遇しないのが一番だけれど」

「ああ、そうだな。この餞別はありがたく受け取っておくよ、アンジェラ」

「ええ。他の指定司書には私の方から事情を話しておくから、あとは任せたわ」

 

 そう言い残して、アンジェラはいつものように能力を使い、言語の階から去って行った。

 一方で残されたゲブラーは、これから何をすべきかを考える。

 

(まず、ここの司書補*8たちにはしばらく留守にする事を伝えておかないとな。この本の中から、どうやったらこっちの世界に帰れるかも不明だし。幻想体の本と同じなら、死ぬか本の主を倒せば本から出れるだろうが……楽観的に考えるのは危険だ。死ぬ以外でこの本から出る方法か、或いは本の主を探すのが賢明だろうな)

 

 ひとまず、ゲブラーは頭の中でそう考えをまとめると、司書補たちを集めて事情を話した後に、アンジェラのアドバイス通り呪術廻戦を読み始めた。

 ゲブラーとしては、色々と本の内容に思うところはあったものの、取り敢えずは登場人物の能力の把握に注力する。

 

 そうして、準備を終えたゲブラーは赤い霧のコアページを装備して、焦げ茶色のコートに黒色に統一された服とズボンいう恰好になり、満を持して本の中へと入っていった。

*1
ゲブラーの上司にして図書館の館長。

*2
本作主人公にして図書館の指定司書。赤い長髪をポニーテールにして腰まで伸ばした女性。

*3
この世界の人間が主に暮らしている場所。

*4
都市を包むように存在している。都市の不純物を捨てる廃棄場のような場所。

*5
ざっくり言うと化け物。現在は本の中で眠っている。

*6
特殊な力を持った武器防具。アンジェラのE.G.Oである図書館は例外。

*7
正確にはLobotomy Corporation。ゲブラーが以前働いていた場所。

*8
指定司書の部下。いわゆるモブ。



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第一章 過去編
第1話 出会い


 気がつくと、ゲブラーは元いた世界では見慣れない森の中にいた。

 

 それで、まず彼女は周囲の状況を確認しようとするが、それよりも重大な異変が自身に起きていることに気づく。

 記憶の一部が、自分でも気づけるほど不自然に、すっぽりと抜け落ちていたのだ。

 

 そこで、ゲブラーは周囲に危険がないことを手早く確認すると、仕方なく記憶の整理を始める。

 

(本の中の世界に来たってことは覚えてる。そして、その目的とこれからの行動方針も。だが……この本の世界自体に関する記憶がすっかり抜け落ちてるな。予習は許さないってことか?)

 

 といったように、ゲブラーが考えを巡らせていると、二人分の足音が近づいてくるのが彼女の耳に入った。

 ゲブラーとしては、ロクに状況把握もできていない状態で騒ぎを起こしたくないのだが、どうやらそれは叶わぬ願いらしい。

 

 現れたのは、上半身お揃いの黒い制服を着た二人の青年だった。

 

 一人は、白髪で黒いサングラスを着けた美形の男。

 もう一人は、長めの黒髪をお団子状にまとめ、左側に前髪を一房垂らすという特徴的な髪形をした男だ。

 

「呪術高専の敷地内に侵入するなんて、いい度胸してるね、オバサン。何しに来たの? 見た感じ、呪力は一般人並みだし、術式も持ってないみたいだけど」

「悟、侵入者とはいえ初対面の女性をそんな風に呼ぶのはよくないよ。敵ならともかく、まだそうと決まったわけじゃないんだから」

 

 彼ら、つまりは五条悟と夏油傑が言うように、ゲブラーの今の立ち位置は侵入者だ。

 運が悪かったのか、はたまた必然か、彼女の出現場所は東京都立呪術高等専門学校の結界内だったのである。

 その為、結界の機能であるアラートが作動してしまい、たまたま授業中だったこの二人が飛んできたのだ。

 

「悪いが、どちらかまず私の状況を教えてくれないか? 自分でも記憶が混乱しているんだ。信じてもらえないかもしれないが、この場所の施設や人々に危害を加えるつもりはない」

 

 二人の"侵入"という発言で、自分が何をやらかしたのかをおおよそ把握したゲブラーは、自らの意思を示すためにそう言った。

 一方で、一番使い慣れたE.G.Oであるミミックをいつでも取り出せるように、彼女の左手はコートの外ポケットにあるE.G.Oがしまわれた本に伸びている。

 非が自分にあるとはいえ、黙ってやられるつもりは、ゲブラーにはない。

 

「ん~どうしよっかな。暇つぶしで来ただけだから、侵入者への対応とか知らないし。敵ならボコボコにするだけでよかったんだけど」

「取り敢えず、拘束でもしておいたらいいんじゃない? 色々言ってるけど、顔に切り傷あるから一般人じゃない可能性の方が高いよ」

 

 ゲブラーの顔を見て、夏油はそう言い放つ。

 それ聞いて、もはや戦闘は避けられないかと、ゲブラーがミミックを取り出そうとしたその時。

 青年には似つかわしくない、野太い男の声が響いた。

 

「コラァ! 悟、傑、補助監督もそうだが大人を置いて行くなと何度言わせるつもりだ!」

 

 現れたのは、厳つい容姿をした壮年の男、夜蛾正道だ。

 アラートが鳴り、授業をほっぽり出した二人を追いかけて来たらしい。

 もっとも、主な目的は侵入者への対処であることに変わりはないだろうが。

 

「そこのあんた、こいつらが失礼なことを言ってすまない。進んで敵対する意思はないようだが、天元様の結界の中に出現してしまった以上、高専で最低限の話は聞かせてもらう。いいか?」

「ああ、その程度なら構わない」

 

 敵地のど真ん中に連れていかれる可能性もあったが、ゲブラーは提案を了承した。

 何せ、話を聞かれるということは、話を聞くチャンスもあるということなのだから。

 

「私の名前はゲブラーだ。お前らは?」

「俺は夜蛾正道だ。こいつらは……五条悟と夏油傑。俺が担任する生徒だ」

 

 叱られて不貞腐れている二人に代わって、夜蛾は仕方なくそう言った。

 

 こうして、五条と夏油の二人はやや不満そうにしていたものの、一行は大人しく呪術高専の校舎へと向かうのだった。



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第2話 取引

「始めに言っておくと、私はこの世界の人間じゃない。わけあってこの世界に来た、いわゆる異世界の人間だ。……なんだ、その顔は。そんなに私の言うことが信じられないか?」

 

 呪術高専の、とある一室にて。

 異世界と聞いて、ポカンと口を開けて間抜けな表情を浮かべる五条と夏油に、ゲブラーはそう言った。

 一方で、夜蛾は冷静に質問をする。

 

「それなら、この世界に来た理由はなんだ? 今のところ敵意はないようだが、この世界に迷惑がかかるような事を企んでいるなら、こちらとしても対応を改めないといけなくなる」

「ヒントを探しに来たんだ。私たちの世界で、苦痛を繰り返さずに済む方法の。まぁ、要は社会見学に来たと考えてもらえればそれでいい。別に、この世界で何か大層なことをするつもりはない」

「どうやってこの世界に来た?」

「特殊な本を使って来た。本の中にこの世界があるのか、本がこの世界に通じてるのかは定かじゃないけどな。私だってこんなことは初めてだ。あと、前もって言っておくが本の内容は覚えてないぞ」

 

 話を聞いて、夜蛾はゲブラーをどうするべきか考えていた。

 嘘をついている様子はないが、問題は彼女が結界内に出現したという事だ。

 幸いなことに、彼女は比較的善人のようだが、次に出現するかもしれない異世界人が善人とは限らない。

 

 更なる情報を得て対策するためにも、夜蛾としてはできるだけ穏便に、この貴重な前例となるゲブラーを引き留めておきたかった。

 

「取引をしないか。一応、ここは学校だ。正式に入学させてやることは出来んが、この世界について教えることはできる」

「対価は?」

「出来る限りの範囲で呪術高専に協力してもらう。とはいっても、異世界の情報提供が主な協力内容になるだろうが……一応試しておくか。傑、試しに小さい呪霊を出してみろ」

 

 夜蛾がそう言うと、夏油は呪霊操術で低級呪霊の蝿頭を出す。

 本来、呪霊は一般人並みの呪力しか持たないゲブラーには見えないはずだが――

 

「なんだ? この小さいのは。これが呪霊とかいう奴なのか?」

 

 予想外のゲブラーの言葉に、夜蛾たちは三者三様の反応を見せた。

 

 五条は、途端に新しいおもちゃを見つけたとでも言わんばかりの顔になり。

 夏油は衝撃のあまり固まり。

 夜蛾は順当に驚いた。

 

「もしかしてだけど、呪霊を倒す事も出来たりする?」

「いや、無理みたいだな。殴ってみたがまるで手ごたえがない」

「そうじゃなくてさ、コートのポケットに武器、隠し持ってんだろ?」

「……気づいてたか」

 

 天才、五条悟は当然のように、対峙していたゲブラーがさりげなく左手をコートの外ポケットに伸ばしていた事を見逃していなかった。

 ゲブラーとしては、自身の戦闘能力は出来るだけ隠しておきたかったのだが、この男の前では時間の問題だっただろうと見切りをつける。

 

 彼女は本から、肉塊に覆われた目玉と骨が付いている大剣型のE.G.O、ミミックを取り出し、蝿頭を一瞬で切り払った。

 

「あ~……オバサンの世界って、そういうえげつない見た目の武器が当たり前のように使われてたりする?」

「まさか、これは特別製だ。それと、二度も私をオバサン呼ばわりするなんて、いい度胸してるな?」

 

 五条の二度目のオバサン呼ばわりに、ゲブラーは威嚇の意味も込めて一瞬殺気を放とうとする。

 しかし、それよりも先に五条に襲い掛かるものがあった。

 夜蛾の教育的指導……もとい、拳骨である。

 

 指導をまともに食らった五条は、呻き声を上げながらその場にうずくまった。

 

「悟が悪いことをしたな。だが、武器がどうであれ呪霊を祓えることが分かったのは好都合だ。呪霊を祓うのに協力してもらえるなら、金も出す。こちらの提案、飲んでもらえるか?」

「飲もう。お互い、利益のある関係は歓迎だ」

 

 こうして、呪術高専とゲブラーは協力関係となった。

 夜蛾もゲブラーも、これでようやくほっと胸をなでおろしたのだった。



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第3話 私たちについて

「さて、お互い協力関係も結べたことだし、そろそろ腹を割って話をしないか? いい加減、相手の顔色をうかがうのも疲れてきた」

「同感だ。俺の生徒たちも、これ以上堅苦しい話を続けていたら逃げ出しかねない」

 

 夜蛾は隣で、未だに拳骨を食らった場所を気にしている五条と、退屈そうにしている夏油を見てそう言った。

 実際、話し合いにこの二人は必要ないのだが、生意気にも強いこの二人がいる方が、目の前にいる得体の知れない女との話し合いはしやすいというのが、夜蛾の本音だ。

 

「それじゃ、まずは私自身について話そうか。その次に、お前たちについて聞こう。その方がやりやすいだろ?」

 

 ゲブラーの言葉に夜蛾は頷く。

 そこから、彼女の詳しい自己紹介が始まった。

 

「私には、三度の人生を生きた人の心が引き継がれている。一つ目は、都市のフィクサーだった時の心。二つ目は、ロボトミーコーポレーションという会社で働いていた時の心。三つ目は今、図書館の司書として働いている私の心だ。全部話すと長くなるから、今は一度目と今の人生について軽く話す」

 

 夜蛾としては、三度の人生というとんでもない情報に突っ込みを入れたいところだったのだが、今は一旦話を聞くのに集中することにした。

 その代わりと言っては難だが、面白そうな話に五条と夏油の気力が復活する。

 

「一度目の人生で、私は都市のフィクサーだった。都市っていうのは、私たちの世界の人間が主に暮らしている不自由な場所で、フィクサーっていうのは、要は何でも屋だ。迷い猫探しに暗殺、治安維持から戦争まで何でもやる。1~9級までの格付けがあって、1級の中でも傑出したフィクサーは固有の色を付与され、特色と呼ばれる。かつての私は赤を付与された特色、赤い霧だった」

 

 ゲブラーの話に、夜蛾と夏油が驚く一方、五条は納得の表情を見せた。

 なるほど、通りで佇まいに隙が無かったわけだ、と。

 

「それから色々なことがあったが、今は図書館の司書をしている。とは言っても、普通の図書館じゃない。本……つまりは情報を餌に、ゲストを招待して司書と戦わせ、負けたゲストを本にする、なんて事をしていた。おい、そう一斉に睨むな。これは昔の話だ。今は図書館長が心変わりしたからな。本になったゲストは生き返ってるし、図書館の運営方針も変わってる」

「いや、まさか私たちを本にしようとしてるんじゃないかと」

 

 慌てて釈明するゲブラーに、夏油は疑わし気な目つきでそう言った。

 ともあれ、話が進まないのでゲブラーは説明を続ける。

 

「図書館長の今の目的は、都市で苦痛が繰り返される理由を突き止めることだ。前にも言ったが、この目的を達成するために、私はこの世界の社会見学に来ている。この世界は、私たちの世界より幾分かマシなはずだからな」

「そうかぁ? ここも結構イカれた世界だと思うんだけど」

「なら、ここの世界は何度も隣人が変わったり、一晩寝て起きたら良くしてくれた大人が手足を切られて道端に転がってたりするのか?」

 

 ゲブラーのこの発言に、夜蛾たちは戦慄を覚えた。

 向こうの世界は、そんなにも過酷なのかと。

 そして、そんな世界で特色まで上り詰めたという彼女は、一体どれほどの存在なのだろうかと。

 

「悪い、少し過激な例を出した。だけど、私が育った場所はそんな世界だったんだよな。小さいころ生き残れたのは、運が良かっただけだ。ほら、次はそっちの自己紹介を頼む」

 

 ゲブラーにそう促され、夜蛾たちは説明を始めた。

 

 最初は、呪霊や呪術師とは何なのかについての話から始まり、次に呪術師の仕事の話をして、最終的に自分たちが何級の呪術師でどんな立場なのかを、彼らは包み隠さず説明した。

 ちなみに、この時夜蛾と夏油は一級呪術師で、五条だけは特級呪術師だ。

 

「なるほど。確かに、呪術師の世界はちょっとイカれてるかもな。じゃあ、表向きの世界は?」

「至って平和だ。人が死ぬのは当たり前じゃないし、戦争も抗争も滅多にない」

「……そうか」

 

 静かに、眩しいものを見るような目で、ほんの少し羨ましそうに、ゲブラーはそう言った。



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第4話 E.G.O

「ねぇオバ……じゃなくて、ゲブラーさん。特色って要はさ、呪術師の階級に直せば特級に当たるんだよね?」

「そうなるな。枠組み自体が違うからなんとも言えないが、突出した実力を持つ人間に与えられる階級、という意味では変わりないだろう」

「じゃあさ、同じく"特"の俺にどれぐらい力が通用するのか、試してみたくねぇ?」

 

 生意気な笑顔で、五条は煽るようにしてゲブラーにそう提案をする。

 そこで、ゲブラーは少し考えを巡らせ始めた。

 

(五条との力試しという意味では、戦う必要性はまるでないな。ただ、この世界に私の戦闘能力がどれくらい通用するかの力試しという意味でなら、戦う意義はある)

「夜蛾の許可があるなら、五条と戦ってみてもいい。もちろん、模擬戦にはなるが」

 

 考えた末、ゲブラーはそう結論を出した。

 発言のバトンを託された夜蛾も、ゲブラーと似たような考えに至ったところで口を開く。

 

「分かった、話してばかりも難だからな。ただし、ゲブラーには先に傑の呪霊と戦ってもらう。それで実力が十分だと分かったら、悟との勝負も許可しよう」

「さっすが先生! 分かってるぅ!」

 

 先に夏油の呪霊と勝負をさせるという条件はつけられたものの、おおよそ希望が叶った五条は上機嫌だ。

 物理攻撃を完全に防ぐ無下限呪術を持っている彼は、術式を持ち合わせていないゲブラーに負けるとは微塵も考えていない。

 

 そうして、一行は場所を呪術高専のグラウンドへと移すことになった。

 

「それじゃあ、まずは私が出す適当な呪霊の相手をしてもらう、という事でいいのかな?」

「そうらしい。余裕があったら、呪霊は殺さない方がいいか?」

「出来るものなら」

 

 そう言って夏油が出したのは、丸い口と鋭い牙を持つ巨大な芋虫型の呪霊だ。

 対象を丸呑みさせれば殺さずに済むため、呪霊狩りやこういう時には都合がいい。

 

 夏油は呪霊操術で、ゲブラーにこの呪霊を突っ込ませる。

 しかし――

 

「遅い」

 

 ゲブラーは突進してくる呪霊をステップで横に避けると、そのまま横を通っていく呪霊の胴に、ミミックを振り下ろす。

 それによって、呪霊の胴体が半分斬られたところに、ゲブラーはさらにもう一歩踏み込み、斬り上げで呪霊を完全に真っ二つにしてしまった。

 

「呪霊には再生能力があると聞いた。真っ二つにするぐらいなら大丈夫だろ?」

「……いや、そうなんですけど」

 

 まさかここまで呆気なくやられるとは思わなかったと、動揺しながら夏油はそう答える。

 それと同時に、確かに実力だけで言えばゲブラーは最低一級の実力はありそうだとも、彼は考えた。

 一般人並みの呪力しかない彼女を、上層部がどう思うかはともかくとして。

 

「蝿頭を祓ったときから思っていたが、その武器は一体何だ? 呪具でもないのに、何故呪霊を祓える?」

「これはE.G.Oと呼ばれるものだ。呪霊に通用するのは、これが心から実体化され、心に感化される武器だからだろうな。呪霊は負の感情である呪い、すなわち心の一部から生まれたものなんだろ? 心から実体化されたこの武器が通用してもおかしくはない」

 

 夜蛾の疑問に、ゲブラーは自身の推測をそう話す。

 とはいえ、E.G.Oはまだまだ謎の多い存在だ。

 ゲブラー自身も、この推測が間違いなく正しいとは言い切れなかった。

 

「へぇ、面白そうな武器だね。俺も使えたりする?」

「使えるかもしれないが、おすすめはしないな。心に感化されるから、むしろ使用者の心が喰われることもあるんだ」

「もし喰われたら?」

「多分、ねじれと呼ばれる怪物になる。呪霊が人の負の感情から生まれる怪物なら、ねじれは人の欲望を具現化した怪物だ。どちらも醜いことに変わりはない」

「ウゲッ、それなら別に使いたくないな」

 

 ゲブラーの答えに、五条は嫌な顔をしてそう言った。

 

 余談になるが、ゲブラーが呪霊を見ても大して驚かなかったのは、このねじれや幻想体と言った怪物を今まで何度も相手にしてきたからだ。

 彼女は対人のエキスパートであるのはもちろんのこと、対怪物のエキスパートでもある。

 

「まっ、俺は武器なんて使わなくても最強だからいいけど」

「呪術師の中でならそうかもな。だが、それで私に勝てるとは限らない」

 

 夏油の呪霊による力試しが終わり、実力に不足なしと判断されたゲブラーは、そう話しながらグラウンドで五条と向き合う。

 最高峰の勝負が今、始まろうとしていた。



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第5話 最強

「結構そっちの手の内教えてもらったからね。代わりってわけでもないけど、俺の術式について教える。無下限呪術って言ってね。俺に近づくモノはどんどん遅くなってって、結局俺まで辿り着くことはなくなるの。んでもって、原理は面倒だから説明省くけど、それを強化すると強力な吸い込む反応が作れるんだ。オーケー? 理解した?」

「ああ、どうしてさっきからそうも自信ありげなのかも理解した。本当にその術式が通用するのか、試してみようか」

 

 ゲブラーがそう言い終わると同時に、五条は術式順転「蒼」を彼女の近くに発動させ、戦いの火蓋を切る。

 しかし、術式によって圧縮されたのはグラウンドの土のみだ。

 ゲブラーはすぐさまその場を飛び退き、五条の攻撃を回避。

 近接主体らしく、すぐさま五条に突っ込んでいく。

 

「まずは一撃」

 

 そう言って、ゲブラーがすれ違いざま横薙ぎに振るったミミックの刃は、やはり五条の身体に届くことはなかった。

 だが、無下限呪術の説明を聞いていた彼女はそんな事は予想済みだ。

 

 だんだん遅くなり、結局止まるという奇妙な感覚を、ゲブラーはこの瞬間確かに覚えた。

 

(全力で行けば、ワンチャンこの防御は貫通できるな。それでダメなら、他のE.G.Oを試すしかない)

 

 五条とすれ違った後も走り続けつつ、ゲブラーは頭の中でそう考えをまとめる。

 一方で、五条はゲブラーに向かって術式順転「蒼」を放ち続けるが、有効打は与えられていなかった。

 ゲブラーが速すぎるあまり、そもそも当たらない場合が多いのと、例え術式順転「蒼」が掠ったとしても、彼女は吸い込む力を無理やり振り切ってしまうのだ。

 

(このままじゃ埒が明かねぇ。呪力を使わねぇから、六眼で動きも読みづらい。どうする?)

 

 都市のフィクサーは、肉体改造施術を受けるのが当たり前。

 身体に金を注ぎ込めば注ぎ込むほど強くなれる。

 そんな世界のほぼ頂点に立っていたゲブラーの身体能力は、控えめに言っても桁違いだ。

 

 しかし、ゲブラーの強みは決してそれだけではない。

 五条とは違い、彼女は血にまみれた都市の裏路地で生きてきたがゆえに、圧倒的な量の対人経験がある。

 

 五条の周りを走っていたゲブラーは、彼が術式順転「蒼」の連続使用で、ほんの少し疲れを見せた瞬間を見逃さなかった。

 

 刹那、五条に向かって二度目の突進。

 一度目はあくまで様子見の攻撃だったが、二度目の今回は違う。

 間合いに入った瞬間、ゲブラーは全力でミミックを横薙ぎに振るった。

 

「は?」

 

 五条の白い髪が数本、ゲブラーに切られて宙を舞う。

 これが模擬戦ではなかったのなら、切られていたのは髪ではなく首だっただろう。

 無下限呪術は、ゲブラーの攻撃を止めきれなかった。

 

(どうなってる? 無下限呪術は確かに発動させた。ゲブラーの攻撃に、何か特殊な力が付与されていたわけでもねぇ。どんどん遅くしても止められない攻撃……まさか)

「攻撃の速度が無限だった、って事か? ハハッ、俺の術式と相性最悪じゃん」

 

 結論に辿り着いた五条は、緊張の糸が切れてその場に大の字で倒れた。

 記憶にある限りでは、初めての敗北だった。

 

「俺も人の事は言えないけど、ゲブラーさん無茶苦茶だな」

「特色ってのはそういう存在だ。特級もそうなんだろ」

「……特は、突出した実力を持つ者に与えられる称号だって、さっき話したよな? だからこそ、特同士で実力差が大きくなるのは、そっちも同じだったはずだ。あんた、特色の中ではどんな強さだったんだ?」

 

 五条の言葉に、ゲブラーは少し考える素振りを見せた。

 今のゲブラーにとって、赤い霧だったカーリーは完全に自分ではないからだ。

 しかし、赤い霧の記憶は確かに残っている。

 

「赤い霧は最強と呼ばれた。そして、数々の伝説と名声を残した。実際に剣を交えることはなかったから、他の特色と強さの比較はできないが、都市で一番有名なフィクサーは私だっただろうな。でも、そんなもんは私にとっては全部オマケだ。それに結局、赤い霧は仲間を守って死んだ。私は最強だったかもしれないけど、無敵ではなかったよ」

 

 恐らく、殆どの相手には無敵を誇るであろう五条に、ゲブラーはそう言った。

 

 嫌な記憶を思い出した彼女は、コートの内ポケットからタバコを取り出し、火を点けてそれを吸い始める。

 

 かくして、ゲブラーの戦闘能力が、呪術世界にも通用することは証明された。

 しかし、この世界でも赤い霧が立ち込めるのは、もう少し先のお話だ。




以下はlibrary of ruina内における赤い霧のパッシブスキル「最強」の効果の独自解釈です。

・ゲブラーは敵に攻撃を仕掛ける場合、最初の攻撃速度を無限にできる。
(要するに、今回のように一撃離脱を仕掛ける場合は、このスキルを毎回発動できます。連続攻撃を仕掛ける場合には、このスキルは最初の攻撃にしか発動できません)


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第6話 私たちの世界について

 あの後、ゲブラーの強さをまざまざと見せつけられた夜蛾は、彼女を上層部にどう報告するべきか悩んでいた。

 一般人並みの呪力しか持たない彼女が、模擬戦とはいえ五条悟を倒したなどと知られれば、大騒ぎになることは想像に難くない。

 まず間違いなく、ロクなことにはならないだろう。

 

 もっとも、ゲブラーの人柄と実力を考えれば、彼女が腐った上層部にいいようにやられるとはとても思えなかったが。

 

「俺はゲブラーのことを上に報告するために、書類をまとめてくる。その間、お前らはゲブラーと教室に戻って、この世界について色々教えてやれ。そういう取引だからな。一応、社会科の教科書はあるはずだ」

 

 夜蛾は五条と夏油にそう言うと、さっさと職員室に戻っていってしまった。

 それで、立ち上がった五条と夏油は面倒そうな顔をするが、なんやかんやで夜蛾のことを信頼している彼らは、大人しく言うことを聞くことにする。

 

 そうして、一行は高専の教室に戻り、ゲブラーに日本史と地理の教科書を見せたのだが――

 

「こっちの世界と違うことが多すぎるな。どこから手をつけたもんか」

 

 あくまでも、戦闘がメインのフィクサーだったゲブラーにとって、この調査作業は専門外だ。

 探す情報がはっきりしていればまだよかったのだが、彼女が探しているのは、都市で苦痛を繰り返さずに済む方法という、実に曖昧なもの。

 必然的に、調査作業は困難なものとなった。

 

「そもそもの話になりますが、ゲブラーさんが変えたいというその都市は、一体どんな場所なんです? さっきの話で、とんでもない世界だというのは理解してますが」

「確かに。手伝うにしたって、そっちの世界のこと知らないと、俺たちも何教えればいいか分からないからなぁ」

「……本当に手伝ってくれるのなら、都市について教えてもいいが」

 

 夏油と五条の話に、ゲブラーがそう返事をすると、彼らは「もちろん、手伝いますよ」とでも言わんばかりに、首をぶんぶんと縦に振る。

 その様子を見て、彼女は一度ため息をついた後に、都市について語り始めた。

 

「都市には、大きく分けて二つの場所がある。巣と裏路地だ。巣は、翼と呼ばれる二十六の大企業がそれぞれ統治していて、主に羽と呼ばれる翼の社員が住んでいる。一応、翼のもたらす物質的豊かさを享受できる場所だ」

「今のところ、いい場所そうに聞こえるな」

「それがそうでもない。大企業である翼は、まるで鳥の翼のように、次々と羽を生え変わらせる。つまり、社員である羽を使いつぶし続けるってことだ。危険な仕事を強制されるし、命の保証はどこにもない」

 

 ゲブラーの言葉に、五条と夏油は唖然とした表情を浮かべる。

 しかし、豊かな生活は保障されている分、都市の中で巣は一番マシな場所だ。

 

「そして、都市において巣以外の場所は裏路地と呼ばれる。まぁ、地域にもよるが、平時はちょっと治安の悪い場所程度に思っておけばいい。だが、この場所には一つ特殊なルールがある。裏路地では、午前3時13分から4時34分までの81分間を"裏路地の夜"と呼ぶんだ。この間は、どんな規則を破っても誰もが目を瞑る」

「は? 本当に何をしても、誰にも何も言われないんですか?」

「そうだ。一応、裏路地にも自警団とかの治安部隊は大抵いるんだが、この時間帯に起きたことを追求するのは絶対に許されない。だから、この時間帯には殺し合いに奪い合いが起こる。誰もが加害者になり、誰もが加害者になり損ねた被害者になるんだ。まさに無法地帯ってやつだよ」

 

 五条と夏油の二人は、今度は唖然を通り越してドン引きした。

 そして、ゲブラーがなぜ自分の世界を変えたいと言っているのかを理解した。

 

「こういう無茶苦茶な都市のルールは、頭と呼ばれる都市全体を掌握している連中が決めるんだ。簡単には逆らえない。かつての赤い霧が死んだのも、頭に逆らった仲間を守るために戦い抜いて、最終的に頭の構成員と相討ちになったからだ。……ここまで聞いておいて、まさか手伝わないなんて言わないよな?」

 

 都市の話に続いて、意図せず赤い霧の壮絶な最期まで聞いてしまった五条と夏油は、ゲブラーの最後の言葉に思わず固まる。

 流石の問題児二人も、ここまで言われて手伝いを放棄することはできなかった。



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第7話 契約

「お、何か面白いことになってるじゃん。二人が教科書読むなんて、何事?」

「にやにやしてないで硝子も手伝え! こっちはこき使われてんだよ!」

 

 教室に戻ってきて、目に飛び込んできた問題児二人が教科書を読むという異様な光景に、硝子は口角が上がるのを抑えきれなかった。

 五条の言葉が正しければ、彼らは誰かさんを手伝っているらしい。

 

 恐らくは、あの見慣れない赤髪の女性が五条と夏油をこき使っているのだろうと、硝子は見当をつけた。

 

「私たちが教室を飛び出してから、色々と事件があったのさ。私も、ここまで大事になるとは思っていなかったけどね」

 

 夏油はそう前置きして、息抜きがてら硝子に今まで何が起きたのかを説明し始める。

 それで、おおよそ全ての事情を把握した彼女は、今度は口角を上げるどころか笑い始めた。

 どうやら、五条が負けたというのが相当愉快だったようだ。

 

「はははっ、異世界からきた人に負けるなんて、五条への天罰かよ」

「うるせっ」

 

 硝子がご機嫌な反面、五条のイライラゲージは右肩上がりである。

 そこで仕方なく、ゲブラーは口を開いた。

 

「キリもいいし、ここで一旦休憩にしよう。夏油から聞いたと思うが、今後高専で世話になるゲブラーだ。お前は?」

「家入硝子です。このクズ共の同級生ですよ。反転術式っていう、呪力を使った治療ができるので、怪我したら呼んでください」

「そりゃまた、便利な能力だな」

 

 と、ゲブラーと硝子が話していると教室の扉が開き、今度は夜蛾が現れた。

 その手には、何枚かの書類が握られている。

 

「俺の方で色々考えたんだが、取り敢えずゲブラーは四級呪術師として登録することにした。術式を持っていないため、本来なら補助監督が適当だったが、本人が呪術師になりたいと強く希望した、という設定でごり押す」

「五条に勝てるぐらい強いのにですか?」

「悟に勝てるぐらい強いからこそだ。上層部にこの事実を知られて、大きな騒ぎを起こしたくない。この話も口外厳禁で頼む。それと、四級呪術師として扱うのはあくまでも書類上だけだ。実際には、一人で特級や一級の呪霊の相手をしてもらう。報告書は、信頼できる補助監督に改ざんしてもらうつもりだ」

 

 これが、夜蛾が考え抜いた末に出した結論だった。

 上層部にゲブラーの実力がバレないように、実力相応の働きをしてもらうには、この回りくどい方法が一番だったのだ。

 報告書を改ざんしてもらうのは心が痛むが、背に腹は代えられない。

 

「もちろん、書類上はともかく、給料は相応のものを支払わせてもらう。呪術師として登録するための書類は持ってきたから、目を通しておいてくれ」

 

 そう言われ、ゲブラーは夜蛾から書類を受け取る。

 彼女はそれに目を通しつつも、少しばかり夜蛾のことを疑っていた。

 というのも、都市ではこういった秘密の契約をした結果、最終的に裏切られるということが山ほどあるからだ。

 

 しかし、この世界は都市ではない。

 ゲブラーは、ここにいる人間の善性を信じることにした。

 

「目は通した。今のところは、この書類の内容に合意して契約しよう。給料については、また後々話し合わさせてくれ。この世界の金の価値をまだ把握できてないからな」

 

 そう言って、ゲブラーは夜蛾の持ってきた書類にサインをする。

 これでもう、彼女は表向き四級呪術師だ。

 

「感謝する。呪術師はいつも人手不足だ。呪術高専として、できる限りの融通は利かせる。泊まる場所に当てがない内は、ここの学生寮を使っても構わない」

「分かった。しばらくの間は、ここを拠点に活動させてもらおう。よろしく頼む」

 

 そうして、ゲブラーは呪術師としてこの世界に溶け込むこととなった。

 彼女は今までの経験と能力を生かして、存分に呪霊を祓うだろう。

 

 いずれ、元のイカれた世界に帰るまで。



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第8話 始まり

 あの日からおよそ一か月間、ゲブラーは夜蛾との取引通り働き続けた。

 

 情報面では、都市の情報を提供する代わりに、この世界についての情報を引き続き教えてもらい。

 戦闘面では、表向きは四級呪術師として高専で活動しつつも、実際には特級呪術師並みの実力者として、一人で一級以上の呪霊を祓い続ける。

 そんな生活だ。

 

 ちなみに、時折ゲブラーは五条や夏油に声をかけられ、戦闘訓練に付き合っているのだが、今のところ敗北はしていない。

 ただし、着実に差は縮まっているので、流石は最強の二人と言うべきだろう。

 

 さて、そんな生活が続いていたある日のこと、ゲブラーは夜蛾に呼び出されて、久々に高専の二学年の教室を訪れていた。

 教室の中では、五条と夏油がいつものように喧嘩をしていたが、ゲブラーもこれにはもう慣れている。

 

 彼女が喧嘩を無視して、教室の空いている席に座ると、間もなく夜蛾も教室に入ってきた。

 

「硝子がいないが……まぁいい。オマエ達に新しい任務を伝える。天元様が悟と傑の二人をご指名した任務だが、正直荷が重いと判断した。そこで、今回はゲブラーにも同行してもらう。依頼は二つ。星漿体、天元様との適合者。その少女の護衛と抹消だ」

少女(ガキんちょ)の護衛と抹消ォ?」

 

 夜蛾の話に、五条はそう疑問の声をあげた。

 一方で、ゲブラーも内心では疑念を持っていたが、何か事情があるのだろうと、ひとまずは話を聞くのに徹することにする。

 

 それから、ゲブラーは三人のやり取りを聞き、天元様の事情と星漿体の少女を護衛しなければならない理由を把握した。

 

 この世界に来てからは初めてになるが、護衛任務は都市でゲブラーが最も数をこなしてきた任務だ。

 都市では対象を守り切れない事も多かったが、せめてこの世界では守り抜きたいと、彼女はひそかに決心を固める。

 

 そうして、一行は星漿体の少女がいるという建物に向かい始めた。

 

「しかし、盤星教か。こんな平和な世界なら、人の命を狙うような宗教団体なんてないと思ってたんだがな」

「今までの話から推測すると、都市の宗教団体はえげつなさそうですね」

「ああ。実際その通りで、苦しい世界には狂った宗教が付き物だ。信者を歯車に改造する、歯車の教団なんてのもいたな。身内を犠牲にしてない分、盤星教の方がマシなのは間違いない」

 

 と、ゲブラーと夏油が歩きながら話をしていると、突然目的地の建物の一室が爆発する。

 

「これでガキんちょ死んでたら俺らのせい?」

「どうだろうな。とにかく、今は力の限りを尽くそうか」

 

 ゲブラーはそう言って、本の中から黄金色をしたガントレット型のE.G.O、黄金狂を取り出す。

 それと同時に、夏油はマンタのような飛行できる呪霊を呼び出し、爆発した場所から落ちていくのが見えた少女を確保しに飛び出した。

 

「恨むなら天元を恨み……なっ!?」

「目立つのは勘弁してくれ。今朝怒られたばかりなんだ」

 

 星漿体を建物から突き落とし、すっかり殺した気になっていたQの戦闘員コークンは、突如星漿体を抱えて現れた夏油に動揺した。

 しかし、すぐに気を持ち直した彼は、夏油に星漿体を渡すよう要求しようとするのだが……それよりも先に、彼と夏油の間に黄金色の魔法陣が現れる。

 

「なんだこれは? まさか、何かの術し――」

 

 コークンが何か言葉を言い終える前に、魔法陣から飛び出したゲブラーは、彼の右脚を黄金狂で殴り飛ばした。

 これは、対象の逃げ足を潰しつつ、殺さずに済ませるにはどうするべきかと、彼女なりに考えた結果だ。

 肝心のコークンは、右脚を複雑骨折して気絶しているものの、一命は取り留めている。

 

「……E.G.O、あのグロテスクな大剣だけじゃなかったんですか」

「あれは、ただ単に他のE.G.Oよりも使い慣れてるだけだ。今ので分かったと思うが、E.G.Oには特殊な能力が備わってる場合もある。例えば、これの場合は短距離のテレポートだ。ペアの魔法陣を出現させて、その間をテレポートできる。一応、覚えておくといい」

 

 と、ゲブラーと夏油が話をしている一方で、五条もQの戦闘員バイエルとの戦闘になっていたが、間もなく五条が余裕の勝利。

 Qの襲撃は失敗に終わり、星漿体の護衛はひとまず成功した。



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第9話 星漿体

「特に外傷は見当たらないんだがなぁ」

「一応医者診せる?」

「硝子がいればねぇ」

 

 とある建物の一室で、ゲブラー、五条、夏油の三人は、目を覚まさない星漿体の少女を前に、これからどうするべきかとそんな話をする。

 すると、ちょうど示し合わせたかのようなタイミングで、星漿体の少女、天内理子は目を覚ました。

 

「ん、起きたか」

 

 同じ女性で力持ちということで、天内を抱えていたゲブラーがそう言うやいなや、天内は反射的にゲブラーをビンタしようとする。

 しかし、持ち前の反射神経でゲブラーはそれを躱してしまうと、さっさと天内を地面に降ろした。

 

「むっ、下衆の癖にやりおるな!」

「一旦落ち着け、よくよく周りを見てみろ。お前に襲い掛かろうだなんて奴は一人もいないぞ」

「……確かに、黒井もおるな。でも胡散臭い男もいるのじゃ!」

 

 天内の言葉に対して、五条と夏油は「お前のことだよ」とでも言いたげに、お互いのことを指さす。

 しかし――

 

「変なグラサンの男も変な前髪の男も、どっちも胡散臭いのじゃ!」

 

 と、天内が続けて言ったことで、問題児二人は意気投合。

 五条と夏油が天内に襲い掛かろうとするが、そこに星漿体の世話係のメイド、黒井美里が割って入った。

 

「おっ、おやめ下さい! 悪気は、悪気はないはずなんです! お嬢様も、その方達は味方ですから安心してください!」

 

 そうして、この場の人間はようやく落ち着きを取り戻した。

 人一人が起きただけにしては、本当に大変な騒ぎだった。

 

「しかし、二日後に同化するにしてはやたら元気だな」

「当然じゃ。妾は、同化が死と同一だとは考えておらん!」

 

 そう前置きして、天内はゲブラーに天元様に同化する心構えを話す。

 だが、外面がどうあろうとも、ゲブラーにはそれが本心のようにはどうしても聞こえなかった。

 自らの身を犠牲にして研究を進め、結果的に大きな悲劇を生み出した、かつての自分の心を掴んだ人を思い出したがゆえに。

 

 もっとも、だからと言って心構えを固めている天内に口を出すような真似は、ゲブラーには出来なかったが。

 

 それから、一行は天内の要望によって、彼女が通う学校へ向かった。

 

 ところが、学校内に出していた夏油の呪霊が程なくして祓われてしまったため、ゲブラー、五条、夏油、黒井の四人は、結局すぐに学校内へと突入するはめになる。

 平穏な時間は、本当に束の間だった。

 

「天内の居場所は?」

「この時間は音楽なので、音楽室か礼拝堂ですね」

「それなら、二手に分かれてツーマンセルで行動しよう。私と黒井は礼拝堂に向かう。五条と夏油は音楽室に向かえ」

「襲撃者への対応は?」

「んなもん後回しだ。これがあくまで護衛任務だってこと忘れるなよ?」

 

 学校の廊下を走りながら、ゲブラーが夏油にそう返事をした後、一行は彼女の指示した通り二手に分かれる。

 そして間もなく、ゲブラーと黒井は礼拝堂に到着した。

 

 ついて行くのに必死で、すっかり息を切らしている黒井を横目に、ゲブラーは礼拝堂の扉を開ける。

 

「天内はいるか? 緊急事態なんだが」

 

 礼拝堂の通路を歩きながら、教師らしき人物に聞こえる程度の声量で、ゲブラーはそう呼びかけた。

 女子生徒の中からは「誰、理子知り合い!?」や「顔の傷やばっ、ヤクザ?」など、様々な声が上がり、大騒ぎになるが、女教師の一喝でそれも一旦静まる。

 

 その後、ゲブラーは女教師に事情を説明し、天内を礼拝堂から連れ出した。

 

「悪いな、呪詛師襲来だ。私の背中に乗れ、ここから離脱するぞ」

「は……え!?」

「お前の足じゃ遅いから、私が運ぶって言ってるんだ。学校の中で戦いを起こすのは嫌だろ? ……よし、このまま私は高専を目指す。黒井は行けそうか?」

 

 突然のことに混乱している天内を誘導して、背中に乗せたゲブラーは、黒井にそう声をかける。

 しかし、彼女は少々しんどそうだ。

 

「いえ、私はどうやら足手まといになりそうです。ゲブラー様だけでも、先に学校を離脱してください」

 

 黒井の言葉に、ゲブラーは少し考えを巡らせ始める。

 

 黒井を一人にするのは、彼女にとっては大きなリスクだろう。

 しかし、今の任務はあくまで星漿体の護衛だ。

 それに、黒井本人も決して戦えないわけではない。

 

 よって、ゲブラーは彼女の提案を受け入れることを決断した。

 

「分かった。それなら、出来るだけ戦闘を避けて五条たちとの合流を目指せ。私に追いつこうとするのはその後でいい」

 

 そう指示を出した後、ゲブラーは天内を背負ったまま塀を飛び越え、学校を離脱する。

 ただ、呪詛師の魔の手は、彼女を追うのを決して諦めてはいなかった。



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第10話 呪詛師

 ゲブラーたちが天内の確保に成功した一方で、音楽室に天内がいないことを確認した五条と夏油は、ゲブラーたちと合流しに礼拝堂へ向かおうとする。

 しかし、彼らはその道のりの途中で、目と口の部分に穴が開いている紙袋を被った、見るからに不審者の男を発見した。

 恐らくは、夏油の呪霊を祓った呪詛師だろう。

 

「Qの連中といいコイツといい、呪詛師は奇抜な恰好をするのが流行ってるのか?」

「同感だけど、さっさと仕留めよう、悟。さっき黒井さんから連絡がきた。ゲブラーさんはもう学校を出たらしい」

「クックッ、敵に情報を渡すとはな素人め。やっぱさっきのが3000万か」

 

 携帯を開きながら夏油が喋るのに対して、紙袋男はそう吐き捨てると、自身の体を液状化させて消えてしまった。

 六眼で紙袋男の術式を把握していた五条と、情報を渡してしまった夏油は、自分の迂闊さに少し後悔する。

 

「本体含めてMAX5体の分身術式だった。一体だけでも潰したかったな」

「仕方ないさ。情報を渡したのは私のミスだし、どっちにしろ逃げられてはいた。それより、今は黒井さんを探そう。私たちと合流しに来ているはずだ」

 

 そうして、五条と夏油は黒井を探すのだが、何故か彼女の姿はどこにも見当たらない。

 大声で叫んでも、携帯で連絡しても返答がなかった為、彼らは仕方なくゲブラーとの合流を目指すのだった。

 

 ++++++

 

 視点をゲブラーに戻すと、建物の屋上を伝って走っていた彼女は今、待ち伏せていた例の紙袋男五人に囲まれていた。

 

 正直なところ、この程度の相手だったらゲブラーは、タイマンだろうが五人相手だろうが余裕で勝てる自信があるが、今は背中に護衛対象の天内がいる。

 僅かな隙さえも晒したくないため、彼女は一瞬でこの呪詛師を殲滅することにした。

 

「5人、皆同じ背恰好じゃ。式神か?」

「分からない、だが無問題だ。一旦降ろすぞ、天内。あと、少しの間目瞑っててくれ。その間に終わらせる」

「舐めた真似してくれるじゃねぇの。痛い目見るぜっ!」

 

 そう言って、紙袋男は一斉にゲブラーに襲い掛かるが、彼女はそれよりも遥かに素早く、ミミックを持って紙袋男の一人に突進を仕掛けた。

 

 それで、あっという間に一人目の首を切り裂き、鮮血を噴き出させる致命傷を負わせても、ゲブラーはまだまだ止まらない。

 二人目、三人目、四人目と続けざまに突進を仕掛け、心臓を突き刺し、脳天を叩き斬り、腹を切り裂いて相手を再起不能にしていく。

 そして、最後の五人目にはミミックを投げて脚に突き刺し、その動きを封じた。

 

「……終わったのか?」

「ああ、もう目を開けてもいい」

 

 幸いにして、その時点で紙袋男の術式の効果は切れていたため、天内は無残な死体は見ずに済んだ。

 脚にミミックが刺さったまま、悶えている男の姿を目撃することにはなったが。

 

「さて、あとはコイツを拘束するなり気絶させるなりして、私たちは先を急ぐか。尋問は後でいくらでも出来る」

 

 と、ゲブラーが話していたところで、突然天内の携帯が鳴り始める。

 そこで、彼女が携帯を開くと、そこには拘束された黒井の姿があった。

 

「どっ、どうしよう黒井が……黒井が!」

 

 慌てふためく天内を見て、携帯を覗き込んだゲブラーは、映し出された写真に思わず舌打ちをする。

 黒井を一人にした時点で、こうなる可能性があることは理解していたが、これは想定内では最悪の事態だ。

 

 しかし、相手の最重要目標はあくまで星漿体。

 どう転んでも、主導権はこちらにある。

 

「こうなると、敵は星漿体への襲撃から、星漿体との人質交換にプランを切り替えたと考えるべきだな。一旦、五条たちとの合流を優先するぞ。行動方針を考え直す」

 

 そうして、五条たちと合流した一行は、天内の強い要望と五条の温情によって、人質交換の場へと向かうことになる。

 ゲブラーとしても、黒井が攫われたことには負い目を感じており、この判断に粛々と従うのだった。



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第11話 泡沫の平穏

 あの後、一行は人質交換の場所に指定された沖縄へ飛行機で向かい、難なく黒井の救出に成功した。

 非術師集団の盤星教が相手だったからか、気負った割にはあまりにも呆気ない幕引きに、一行は少々浮かれ気味だ。

 

 そんな彼らは現在、沖縄の砂浜で海水浴中である。

 

「まさか、非術師の盤星教信者にやられるとは……自分が情けない」

「いや、そうとも限らない。あの場にいなかっただけで、盤星教が金を出して雇った呪詛師がお前を攫った可能性もある。もう少し身体を鍛えるべきだとは思うが、あれは取捨選択の結果だ」

「うっ、そうですね」

 

 体力の貧弱さを指摘しつつ、擁護もするゲブラーの言葉に、黒井は申し訳なさそうな顔でそう返事をする。

 

 五条と天内が海ではしゃいでいる一方で、ゲブラー、夏油、黒井の三人は、浜辺で後方保護者面のまますっかり休憩中だ。

 ゲブラーに至っては、格好すら変わっていない。

 

「せっかくの機会ですから、ゲブラーさんも水着を買っておいてもよかったんじゃないですか? それなりに、呪術師としての給料もあるわけですし」

「いや、確かにそうなんだがな。今の私の身体は、どこもかしこも傷だらけなんだ。都市にはない、海水浴という文化に対する抵抗もある。……一応言っとくが、気にするなよ、夏油。ただ、私が肌を晒すのに抵抗があるってだけの話だ」

 

 失言だったと自分を戒める夏油に、ゲブラーはそう言った。

 

 事実として、図書館の力によって構成された彼女の身体には、何故か赤い霧時代の傷跡が残り続けている。

 顔の傷だけでも十分に痛々しいが、その全身に残る傷跡は、人前に晒しがたいものなのだろう。

 

 それからしばらく時間が経ち、沖縄から東京に帰る予定の時刻になったところで、夏油は五条に声をかける。

 ところが、そこで五条は、明日まで沖縄滞在を延長することを提案した。

 

「悟、昨日から術式を解いてないだろ。本当に高専戻らなくて大丈夫か? それに睡眠だって――」

 

 沖縄滞在を延長する理由を並べ立てる五条に対し、夏油はそう苦言を呈する。

 しかしそこで、ゲブラーが彼らの会話に割って入った。

 

「夜通しの護衛なら私がやる。慣れた仕事だ。特に、裏路地の夜を越してきた私にとっては」

 

 突然のゲブラーの言葉に、五条と夏油は一瞬ポカンとするが、その意味を理解するとすぐに薄く微笑んだ。

 

 こうして、一行はもう一日、沖縄に滞在することになる。

 

 ++++++

 

 その後の沖縄観光は、天内にとってはもちろんのこと、ゲブラーにとっても非常に有意義な時間になった。

 

 特に、都市の中には川も海もないため、カヌー体験と水族館は、彼女にとっては何もかもが未知のものだ。

 それらの情報は、都市に持ち帰っても何かの役に立つわけではないが、ゲブラーはこの何気ない時間に、平和な世界の温かさを感じていた。

 

 そうして翌日、乗り込んだ沖縄から東京に帰る飛行機の中で、ゲブラーは五条と夏油にあることを伝える。

 

「盤星教がきな臭い? どういう事です?」

「宗教団体のしつこさは、一般人の想像を遥かに上回るって話だ。特に、一神教の場合はな。盤星教の連中、教典の禁忌に天元様と星漿体の同化が書き込んであるんだろ? チャンスが残っている限り、あの類の連中は絶対に諦めない。私の経験と勘だが、もう一回何か仕掛けてくるはずだ」

 

 そこまで話したところで、ゲブラーは都内の地図を開く。

 そこには、いくつか赤い丸で印がつけられていた。

 

「これは、昨日夜蛾に電話で連絡して調べてもらった、盤星教の施設の場所だ。飛行機から降りたら、私はこの施設を片っ端から回って、不穏な動きがあったら潰しにかかる。お前らは、引き続き天内の護衛をしろ。……あいつが同化を拒んだら、何とか助けるつもりなんだろ」

 

 ゲブラーの最後の言葉に、五条と夏油はハッと顔を上げる。

 

 実は彼女の言う通り、五条と夏油は二人でこっそりと、天内が同化を拒否したときの対応を決めていたのだ。

 そして、ゲブラーはそれをひっそりと盗み聞きしていた。

 

「私は、表向きはあくまで四級呪術師だ。だから、お前たちと協力して暴れることは出来ない。だがこれで、無干渉を貫くことは出来る。あとは任せたぞ」

 

 話を聞き終わった五条と夏油は、ゲブラーの言葉に力強く頷き、彼女の意図を完全に理解した。

 ゲブラーは、盤星教の企みを潰すためというのもあるが、天元様に支えられている呪術師として、天元様に逆らう五条たちの邪魔をしないためにも、高専に戻らない選択肢をとったのだ。

 

 かくして、飛行機は東京に到着し、ゲブラーは一人で盤星教の施設へと向かう。

 

 間もなく、物語は大きな分岐点を迎えようとしていた。



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第12話 天与の暴君

 結論から言ってしまうと、ゲブラーの予想に反して、盤星教自体は特に何もしていなかった。

 

 しかし、その裏側では、盤星教が直々に星漿体の暗殺を依頼した男。

 術師殺しの異名を持つ伏黒甚爾の計画が、いよいよ最終段階に突入していた。

 星漿体の所在が発覚してから、削りに使ったこれまでの手間賃を、清算するときがついに来たのである。

 

 高専の結界内に入って、気を抜いて術式を解いた五条悟の胸を、伏黒甚爾は不意打ちで一突きしてみせた。

 それに対して、負傷を最小限に抑えた五条は、夏油、黒井、天内の三人を先に行かせると、甚爾との一対一の戦いを始める。

 だが……やはり今の五条悟では、天与の暴君に勝利することは叶わなかった。

 

 似たような戦闘スタイルのゲブラーと模擬戦をしても、彼女が夜中の護衛を代わったとしても、この結末は変わらなかったのだ。

 

 それから、甚爾は夏油たちの臭跡や足跡を追い、その道のりで黒井を殺して薨星宮に辿り着く。

 そこで、甚爾に天内も殺され、夏油も決死の戦いを繰り広げたが……彼もまた、奮闘虚しく重傷を負って敗れた。

 

 その後、甚爾は天内の死体を武器庫呪霊で回収し、盤星教本部にいる依頼主の下へ持ち帰ろうとする。

 ところが、その道のりで彼は、赤い長髪の女と鉢合わせた。

 

「止まれ。お前、血の匂いがするな。何をやらかしてきた?」

「……お前には関係ねぇだろ」

 

 そう言って、甚爾はゲブラーを軽く突き飛ばそうとするが、彼女はそれをひらりと躱す。

 そして、ゲブラーは今度はミミックを取り出し、甚爾にその切っ先を向けて口を開いた。

 

「悪いが、関係大有りなんだ。もう一度聞く。何をやらかしてきた?」

「あ~あ、分かった分かった。答えりゃいいんだろ? 星漿体のガキを殺してきたんだよ」

「護衛はどうした」

「五条悟は殺した。呪霊操術の奴は死んでねぇはずだ。実のところ、俺はお前のことも知ってるよ。あいつらと一緒に、星漿体の護衛やってた女だろ? こんな所にいたんだな。けど、仇討ちには付き合わねぇぞ」

 

 情報の開示による能力の底上げのためにも、甚爾はゲブラーの質問にそう答えた後、金にならない戦闘を避けるべく、その場から逃亡しようとする。

 

 しかし、ゲブラーは甚爾の逃げ足に先んじてミミックを振り下ろし、その動きを牽制した。

 これによって甚爾は、ゲブラーを倒さない限り、自らの逃亡が厳しいことを悟る。

 何せ、これまでの相手とは違い、身体能力に大した差がないのだから。

 

「何故だ? こんな平和な世界で、人々が奪い合う必要のない世界で、何故奪う力を振るう?」

「ハッ。次はどんなことを聞くのかと思ったら、そんなことか。単なる仕事だよ。それ以上に何がある?」

 

 甚爾の言葉に、ゲブラーは久しく思い浮かべていなかった、都市の有り様を思い出していた。

 

 他人の窮状から目を背け、何よりも自分を優先するのが常識だった。

 その癖、自身の窮状を無視した者には、呪いの言葉を吐く人ばかりだった。

 誰もが、相手の痛みに背を向けたまま進んでいた。

 そうしなければ、あのくそったれな世界で生きていくことなど出来なかったから。

 

 だが、それは都市での話だ。

 殆どの人々が、相手の痛みを直視できるこの世界で、自尊心と共に他人を尊ぶ心をも捨てた甚爾を、ゲブラーは逃がすつもりはない。

 

「私も、仇討ちは好きじゃない。怒りと復讐が受け継がれるだけだからな。だが、お前はこれからも仕事で人を殺して、苦痛を繰り返し生み出すつもりなんだろ? ……なら、誰かが止めないとな」

「そうか、残念だ」

「ああ、本当に」

 

 そうして、甚爾は武器庫呪霊から五億円の刀を取り出し、ゲブラーと同様に武器を構えて戦闘態勢をとる。

 

 呪いに満ちた世界で、呪力に頼らない者同士の戦いが今、幕を上げた。



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第13話 フィジカルモンスターズ

 ゲブラーも伏黒甚爾も、お互いに一筋縄ではいかない相手であることは、立ち振る舞いで既に理解していた。

 しかし、これまで術師を相手にしてきた甚爾と違って、ゲブラーにはフィジカルが取り柄の連中と戦ってきた経験がある。

 

 ゆえに、先に攻撃を仕掛けたのはゲブラーの方だ。

 まずは様子見として、彼女は刀を持つ甚爾の右手に、同じく右手のミミックを軽く振るう。

 

 それに対して、甚爾は右半身を引いて攻撃を躱すと、今度は右脚で逆に大きく踏み込み、カウンターでゲブラーの顔に向かって刀を斬り上げた。

 だが、これは続けてゲブラーが放ったミミックの横薙ぎとぶつかり合い、完全に相殺。

 状況は睨み合いの状態へと戻る。

 

 両者、使用している武器が長物ということもあり、深くは踏み込まないじわじわとした戦いが続いた。

 武器同士をぶつけ合い、時にゲブラーが甚爾の脚を浅く斬ったかと思えば、甚爾はゲブラーの腕に刀傷を与える。

 そんな戦いだ。

 

 ところが、お互いに全身切り傷まみれになり、服も身体もボロボロになってきたところで、伏黒甚爾はある事に気づく。

 ゲブラーの傷の一部が、何故か段々と治ってきているのだ。

 

 これは、呪術世界でゲブラーが傷を負わなかったが為に、これまでは発動することのなかったミミックの特殊効果によるもの。

 具体的には、ダメージを与えた分だけ一定の割合で、使用者の体力を回復するというものだ。

 当然、甚爾の刀にはそんな効果はないため、互角に見えたこの長期戦は、実際にはゲブラー有利で進んでいた。

 

 この事に気づいた甚爾は、一旦バックステップで距離をとると、武器庫呪霊に刀をしまい、代わりに天逆鉾(あまのさかほこ)万里ノ鎖(ばんりのくさり)を取り出して組み合わせた。

 これによって、停滞していた戦況は一気に動き出す。

 

 リーチに優れた甚爾の目標は、遠距離からゲブラーを削ること。

 リーチの劣るゲブラーの目標は、近づいて有利な間合いから甚爾を倒し切ることだ。

 

 早速、甚爾は遠心力を利用して、万里ノ鎖に繋がった天逆鉾をゲブラーに飛ばす。

 しかし、彼女はその攻撃を躱すどころか、逆に鎖を左手で掴んで引っ張り、甚爾から攻撃の主導権を奪ってみせた。

 

 この隙に、ゲブラーは一気に距離を詰めようとするが、甚爾とて無能ではない。

 もし自分自身が相手だったらという仮定から、ゲブラーが万里ノ鎖を掴むのを彼は予想していた。

 そして、予想通りの動きを彼女がした今、甚爾は最高のカウンターの準備をする。

 

 それから、突っ込んでくるゲブラーに対し、天逆鉾と万里ノ鎖をあっさりと手放した甚爾は、武器庫呪霊から刀で全力の居合切りを放った……が。

 そのとき、既にゲブラーは高く跳躍しており、今や甚爾の後方上空にいた。

 

「チッ、化物が」

「お前もな」

 

 そう言って、ゲブラーは空中からミミックを甚爾に投擲すると、代わりに本の中から黄金狂を取り出す。

 一方で、甚爾は飛んでくるミミックを迎撃するためにも後ろを向くが、その瞬間、彼の真後ろとゲブラーが落下していく方向に、黄金色の魔法陣が出現。

 

 ミミックを刀で弾いた甚爾は、真後ろにテレポートしてきたゲブラーに黄金狂で腹を貫かれ、致命傷を負った。

 

 その後、ゲブラーはそっと黄金狂を甚爾の腹から抜き、口を開く。

 

「なんとなく、お前にも色々あったのは分かるよ。でも、私たちは人間だ。何をどうしようと、感じた苦痛からは逃れられない。……何か、最期に心残りはあるか?」

「ねぇよ。だが……ニ、三年もしたら、俺の子供(ガキ)が禪院家に売られる。好きにしろ」

 

 そうして、伏黒甚爾はその生涯に幕を下ろした。

 

 武器に差がなければ、どちらが勝っていたか分からないほどの、過酷な戦いだった。



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第14話 赤い霧

 死に際で呪力の核心を掴み、反転術式に目覚めた五条悟は、血まみれの制服のまま盤星教本部へと向かっていた。

 全ては、伏黒甚爾にリベンジを果たして、星漿体を取り戻すためだ。

 

 ところが、その道のりで五条が目撃したのは、血の池に沈んだ甚爾の死体と、自分と同じようにボロボロになって道端に座り、煙草を吸っているゲブラーの姿だった。

 

「……生きてたのか」

「あぁ、喉もブチ抜かれて頭もブッ刺されたが、反転術式に目覚めて生き返ってやった」

「硝子の言ってたやつか。いいイカれ方をしたな、五条。怒りに呑まれて、自らの刃に切られて血を流すよりかは余程いい」

 

 ハイになっている五条を見たゲブラーは、吸っていた煙草を揉み消しながらそう言った。

 その後、神妙な顔をしながら彼女は話を続ける。

 

「私は、都市でいつも誰かを守る戦いばかりやってきた。そして、完璧に守り抜いたことは稀だ。正直言って、こんな悲劇には慣れてる。もちろん、今回の件で、私が怒りや後悔に苛まれていないと言えば嘘になるがな。お前はどうだ?」

「悪いけど、天内のために怒ってないし、誰も憎んじゃいない。全能感に満ち溢れてるよ」

 

 にやりと口角を上げて、五条はそう返事をした。

 それに対して、ゲブラーはすっと立ち上がると、ミミックを持って口を開く。

 

「残念な知らせだが、私はあと少しでこの世界から去らないといけない。あの男を殺したときから、元の世界に引っ張られる不思議な感覚がするんだ。また戻って来れるかもしれないが、いつになるか分からない。だから……最後の模擬戦をしようか。また、あの男のような敵が現れたとき、お前が守りたい者を守り抜けるように」

「いいけど、今の俺は多分加減できない。それでもか?」

「ああ。それと、最後に一つ教える」

 

 ゲブラーがそう言った途端、彼女の姿に異変が起き始める。

 

 身に着けていた焦げ茶色のコートは赤黒く変色して、赤い長髪と共に炎のように揺らめき始め。

 身体は、黒に赤いラインが入った機械的な全身鎧に覆われた。

 その鎧の顔と胸の中心部では、赤い円が煌々と輝いている。

 

 それから、ゲブラーは赤い霧に包まれた。

 

「私がE.G.Oに喰われなかったのは、自分だけのE.G.Oを発現したからだ。そして、これが私のE.G.Oだ。反転術式に目覚めたお前と、E.G.Oを発現した私。どちらが本当に強いのか、試してみようか」

 

 ゲブラーがそう言い終わるなり、五条は早速弾く力、術式反転「赫」を彼女に放つ。

 しかし、ゲブラーはこれを並外れた力から放たれるミミックの一振りで相殺してしまうと、そのまま五条に斬りかかった。

 

 五条の身体能力では、ゲブラーの斬撃を回避するのはまず不可能だが、彼は術式順転「蒼」によって自身を引き寄せ、巧みに身体を操作することによって、ひらりと一撃目の斬撃を躱す。

 ニ撃目の斬撃もあったが、それは無限の速度ではなかったため、無下限呪術に止められた。

 一撃目を防げないからといって、五条は術式を解いてはいなかったのだ。

 

 仕方なく、ゲブラーは一旦距離をとろうとするが、そこに二回目の術式反転「赫」が放たれる。

 一度攻撃を防がれて隙を晒したこともあり、この攻撃は彼女に命中した。

 

 ゲブラーは派手に吹っ飛び、大きな音をたてて建物に衝突したが、E.G.Oも彼女自体も非常にタフだ。

 この程度では、まだ行動に支障はでない。

 

 そこにとどめを刺すべく、宙に浮きながらゲブラーを追う五条は、虚式「茈」を放つ準備をする。

 一方で、ゲブラーも自身の持つ渾身の一撃を放つ準備をしていた。

 ミミックのもう一つの特殊能力、武器のサイズの増大を発動させるためには、チャージが必要なのだ。

 

 そして、チャージを終えたゲブラーが跳躍によって、五条の目の前まで迫ったとき、ついに技は放たれた。

 

 順転と反転、それぞれの無限を衝突させることで、生成される仮想の質量を押し出す、虚式「茈」。

 チャージによってサイズを増大させた大剣ミミックを、並外れた力でただ一つの目標に振るう、大切断-縦。

 

 両者、今放てる最大の一撃が空中でぶつかり合う。

 そして……互いに逆方向へ落下しながら吹っ飛び、五条は無下限呪術で、ゲブラーはE.G.Oの鎧で身を守った。

 結果としては、相打ちだ。

 

 この結果に、もはや戦う気の失せたゲブラーと五条は、よろよろと起き上がった後に歩いて合流する。

 この際、ゲブラーは自身のE.G.O発現を解除した。

 

「はぁ……今のお前なら、あの男にも勝てただろうな。テストってわけじゃないが合格だ。これは最期の言葉なんだが、あの男の子供が二、三年もしたら禪院家に売られるらしい。私にはどうにもできないから、お前に任せる。好きにしろとの事だ」

 

 半ば投げやり気味に、ゲブラーは五条にそう話した。

 しかし、ここで彼女は口調を真面目に戻すと、話を続ける。

 

「最後に、お前が冷静になって正気に戻ったときのためにこれだけは言っておく。天内は死んだが、お前は何も守れなかったわけじゃない。あの三日間、お前は天内の最後の日々を確かに守り抜いたんだ。何も残らなかったとしても、それだけは忘れるな。夏油にも、同じことを伝えておいてくれ。……じゃあな」

 

 その瞬間、舞台が終幕する"カッ"という音が鳴り、ゲブラーは呪術世界から消滅した。

 

「はっ、本当に消えるとか。勝手に来て、勝手に挑んで、勝手に助言して、勝手に帰るって、勝手すぎんだろ」

 

 一人、その場に残された五条はそう悪態をついた。

 

 こうして、まるで霧のように消えてしまったゲブラーの真実を知るのは、呪術世界においてしばらくは五条、夏油、硝子、夜蛾の四人のみとなるのだった。




以下はlibrary of ruina内における赤い霧のパッシブスキル「伝説」の効果の独自解釈です。

・感情が一定のレベルまで高まると、固有のE.G.Oを発現することが出来る。
(今回は伏黒甚爾との戦闘等で感情が高まったところに五条悟が来たので、ゲブラーはすぐにE.G.Oを発現できました)


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第15話 記述、法則と社会

 気がつくと、ゲブラーは元いた図書館の言語の階に戻っていた。

 

 念のため、何か違和感がないか辺りを見渡してみるが、特にそういったものは見当たらない。

 むしろ、約一か月もの時間が過ぎたにしては、周囲の光景が変わらなさすぎるぐらいだ。

 目の前の机にも、相変わらずの姿で呪術廻戦の本が置かれている。

 

 そこに、ゲブラーが帰ってきたのを察知したアンジェラは一瞬で現れた。

 

「お疲れ様、ゲブラー。思ったよりも帰ってくるのが早かったわね」

「そうか? いや、ちょっと待て。私が本の中に入ってからどれぐらい経ったんだ?」

「三日だけれど」

「となると、この本の中と外では時間の流れ方が違うな。私は向こうで一か月は過ごしたから、本の中では大体十倍の速度で時間が流れてるのか? 決めつけるには早いが、遅くなるよりかは好都合だな」

 

 そんな風にゲブラーが話をしていると、アンジェラは懐から何冊かの本を取り出して、それらをまとめてゲブラーに手渡した。

 そのどれもが、表紙も中身も白紙の未完成な本だ。

 

「向こうの世界の情報は、これらの本に分類して記入しておいて頂戴。ひと段落したら、後でまとめて確認しておくわ。大変だろうけど、支障のない範囲でなら中層*1の司書補を引き抜いてもいいから。引き続き任せたわ」

「……はぁ、こっちの世界でもペンを握らされるとか。ネツァク*2に酒を借りに行きたくなってきたな」

 

 アンジェラが去った後、言語の階に残されたゲブラーはため息をついてそう言った。

 しかし、酒を飲んで呪術世界の情報を忘れてしまっては一大事なので、仕方なく彼女は手渡された未完成の本と向き合う。

 

 一応、常に携帯している手帳にもそこそこ情報はメモしてあるのだが、所詮は手帳だ。

 あまり頼りには出来ない。

 

(取り敢えず、第一に向こうの世界の法則についてまとめておかないとだな。またあの世界に行ったときに、同じ失敗をするわけにはいかない)

 

 そう考えたゲブラーは、まず一冊目の本に"呪術廻戦の本の世界における独自の法則"という題を記した。

 そして、その内容も続けて書き込んでいく。

 具体的には、事前に予習した本の内容は忘れてしまう事や、呪力や呪霊の性質についてなどだ。

 

 途中までは順調に書き進められていたが、この本から出る方法を書こうとしたところで、ゲブラーの手は一時的に停止した。

 

(あの男を倒したのがトリガーになったのは間違いないが、あいつが本の主って感じもしないんだよなぁ。倒すことで本から出られる敵が複数存在するか、物語の区切りがついたら本から出られると考えた方が妥当か。ともかく、ここら辺は要検証だな)

 

 そうして、推測等も交えつつ簡単に本の内容をまとめ終えたゲブラーは、今日のところは寝ることにした。

 図書館の力によって、身体の傷は既に癒えているが、流石に精神的な疲れは残っている。

 

 明日以降は、中層の連中にもこの作業を手伝わせると決意して、ゲブラーは眠りにつくのだった。

 

 ++++++

 

 あれから、ゲブラーは司書補の手も借りつつ、呪術世界の社会についての情報をまとめ上げた。

 というのも、ゲブラーは向こうの世界で活動するためにも、社会に関する知識を最優先で収集していたからだ。

 逆に考えると、彼女は社会についての情報しか集められなかったとも言える。

 

 都市の社会は頭によって管理されているため、そう簡単には変えられない。

 ゆえに、最も必要なのは人そのものを変えるための情報だ。

 

 都市の人々の何かが何らかの方法で変われば、都市の病は治療され、都市でも苦痛が繰り返されずに済むかもしれない。

 その何かを探すために、ゲブラーはもう一度呪術廻戦の本の中へと入った。

*1
図書館の層の一つ。自然科学の階、言語の階、社会科学の階が存在する。

*2
芸術の階の指定司書。気だるげな酒飲みの青年。




 活動報告にて、アンケートの結果とそれを受けての今後の展開方針について書きました。
 ご投票、本当にありがとうございました。


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第ニ章 0巻編
第16話 11年後


 本の中に入ったゲブラーが目を覚ましたのは、またしても呪術高専の敷地内だった。

 

 今回は前回とは違い、ゲブラーの呪力が四級呪術師として、高専結界に登録されたままになっている。

 そのため、例のアラームは作動せず、誰もゲブラーの下にやって来ることはなかった。

 

 それで、いつものように周囲の安全確認を済ませたゲブラーは、ひとまず呪術高専の職員室へ向かうことにする。

 何よりも、まずは自身の事情を知る大人、つまりは夜蛾に挨拶をすべきだろうと考えたからだ。

 しかし、そこでゲブラーが見たのは、とある人物の意外な姿だった。

 

「お前、もしかして五条か?」

「うん、そうだけど。どなたで……は? ゲブラー?」

 

 声をかけられ、椅子に座ったまま振り向いた五条は、ゲブラーの姿を見て驚愕の声を上げた。

 目に巻いた包帯をずらし、彼女の存在を直接六眼で確認するほどには、信じがたいことだったようだ。

 

「ああ、久しぶりだな。こっちの世界はどれぐらい経った? ずいぶんと見違えたじゃないか」

「そりゃどうも。取り敢えず、場所を移そう。人目のある場所じゃ話しづらいこともある」

 

 そう言った後、五条はゲブラーを連れて、人気のない呪術高専の物置部屋に入った。

 それから、彼は改めて口を開き、ゲブラーの質問に答える。

 

「え~と、ゲブラーが消えてからどれぐらい経ったかって話だよね。確か、大体11年が経ったはずだ。いつになるか分からないとは言ってたけど、戻って来るのがここまで遅くなるなんてね。その様子だと、そっちは大して時間が過ぎてないのかな?」

「その通りだ。長く見積もっても、こっちは10日間前後がいいとこだな。先に言っておくが、私もどうしてこうなったのかは知らないぞ。何せ、この世界に来たのはまだ二回目だからな」

 

 そう話しつつ、ゲブラーは頭の中で情報をまとめていく。

 その内容は、この世界の時間の流れ方についてだ。

 

(これで、本の中では時間の流れ方が違うのはほぼ確定だな。だが、その時間の流れ方の違いはどうなってるんだ? 兎にも角にも、情報が足りなさすぎる)

 

 ここまでで、ゲブラーは一旦思考を切り上げると、五条との会話に意識を戻した。

 

「それで、あそこにいたって事は、お前は教師になったのか?」

「そっ、我ながら似つかわしくないとは思うけどね。上層部の話は昔しただろ? あそこは呪術界の魔窟、馬鹿共のバーゲンセールだ。それをリセットするために、僕は強く聡い仲間を育てることを選んだんだ。上の連中を皆殺しにして、首をすげ替えただけじゃ変革は起きないからね。悠長だと思うかい?」

 

 五条の言葉に、ゲブラーは少しの間考え込む。

 そして、結論を出すと口を開いた。

 

「かつて私たちは、世界を変えようとして、数多の犠牲を積み上げて失敗した。これは経験則だが、結局のところ犠牲を強いた時点で、いつか手痛いしっぺ返しを食らう。だから、お前はそれでいい。余裕があるならなおさらにな。……それで、他の連中はどうした? 確か、私の事情を知ってるのはお前以外だと、夜蛾、夏油、硝子の三人だったな」

 

 ゲブラーは自身の暗い記憶を誤魔化すように、五条にそう質問を返した。

 ところが、今度は心なしか五条の顔つきが暗くなってしまう。

 

「夜蛾先生は順当にここの学長になったよ。硝子は、反転術式を生かして医師をやってる。夏油は……呪詛師に堕ちた。百を超える一般人を殺して、呪術高専を追放された」

「……そうか。優しい男だったんだがな」

「術師だけの世界を作るんだって言ってたよ、術師のために。そうすれば、呪いが自然発生することは無くなるんだってさ」

「お前とは違う道を選んだわけだ」

 

 五条が口にする衝撃の事実を、ゲブラーは一つ一つ咀嚼し、飲み込んでいく。

 

 それは、ゲブラーにとってはありふれた事だった。

 優しさゆえに葛藤し、それを乗り越えた者も、結果的に狂った者も、彼女は山のように見てきている。

 ただ、都市では乗り越えた者だけが生き残り、狂った者は淘汰されるというだけの話。

 

 だから、この世界を生きる五条に、ゲブラーはうんざりした顔でこう言った。

 

「もはや争うのが避けられないのなら、その痛みから目を背けずに、夏油を殺してやろう。苦痛を繰り返さないために、痛みに背を向けたまま進まないようにな。ともかく、私はお前の夢に賭けるよ。血を血で洗うのはもう御免だ」

 

 この言葉に、五条はほんの少し安堵し、ゲブラーの珍しい表情を見てにやりと笑った。

 

 それから、二人は伏黒甚爾の息子、伏黒恵の話など、ゲブラーがいない間の話を続けるのだった。



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第17話 新任

「それで五条、私は今どういう立場になるんだ? 高専結界のアラートが鳴らなかったって事は、私の情報が残ったままだとは思うんだが」

「そうだね。確か、ゲブラーは行方不明として処理されたから、四級呪術師としての立場は一応残ってると思う」

「なら、復帰して11年前と同じように活動するのが無難か。私にとっては、そこまで昔の話でもないが」

 

 あれから、長い昔話を終えた五条にゲブラーはそう話す。

 しかし、今の五条は昔とは違い、ゲブラーを四級呪術師のままで居させる気は全くなかった。

 

「いや、これは僕個人の望みなんだけどね。ゲブラーには、もう実力相応の立場に居てもらいたいんだ」

「というと?」

「高専で近接戦の講師をやって欲しいから、実力を隠されると不都合なんだよね。生徒にまで口止めするわけにはいかないでしょ?」

 

 にやにやといい笑顔を浮かべながら、すっかり軽薄になった五条はそう話した。

 一方で、ゲブラーはこの話に渋い顔をする。

 

「私みたいなのが目立ったら、上層部に目をつけられるんじゃなかったのか?」

「それに関しては安心して、僕が手を出させないから。昔に比べれば、権力と武力の使い方には随分慣れたし」

「他に教師候補はいないのか? こんな仕事だ、私以外にも近接戦が得意な奴は居そうなもんだが」

「それはその通り。でも、みんな術式自体は持ってるから、武器と術式を組み合わせた我流になってる人が多いんだよね。純粋な武器の扱いだったら、ゲブラーに勝てる人はまずいないよ?」

 

 ここまで言われて、ようやっと観念したゲブラーは、呆れた顔をして口を開いた。

 

「あぁ分かった。一応、お前の夢に賭けるとは言ったからな。協力はしてやる。ただし、呪術師としての給料とは別に報酬は用意してもらうぞ」

「オッケィ。それじゃあ早速教室に――」

「それと、夜蛾の許可も貰ってからだ。そんな顔してないで、さっさと学長室に案内しろ」

 

 そうして、ゲブラーは面倒臭そうな顔の五条と共に、学長室の夜蛾の下へと向かった。

 

 ゲブラーに会った夜蛾は、案の定とても驚いた表情を見せたが、五条の提案に関しては意外なほどあっさりと了承した。

 どうやら、近接戦闘の講師が足りないというのは、五条だけの認識ではなかったらしい。

 

 かくして、ゲブラーは高専で講師も兼任することになるのだった。

 

 ++++++

 

「新任の先生を紹介しやす! 盛り上げてみんな!」

 

 予定していた時刻よりも遥かに遅れて教室に現れ、突然そんな事を言い出した五条に、呪術高専一年の禪院真希、狗巻棘、パンダの三人は冷たい反応を見せた。

 というのも、彼らは高専に入学してからおよそ一か月も経っているので、五条の破天荒な行動にいちいちリアクションをとるのは無駄だという事に気づいているのだ。

 

「今の今まで新しい先生の話なんてなかったじゃん。遅れて来たのも怪しいし、突然適任の人が湧いて出てきたのか?」

「そうそう、実はあながち外れでもないよ。ほら、入ってきてー!」

 

 そう言われて、ゲブラーは五条の教師としての態度に不安を覚えつつも教室に入った。

 それに対して生徒三人は、長身で傷だらけの顔に赤い長髪という、ゲブラーの異様な容姿に多少なりとも好奇心を見せる。

 

「ゲブラーだ。こいつに頼まれて、お前たちに近接戦を教えることになった。呪力も術式もないから、そのあたりはどうにもならんが、近接戦が得意な奴の立ち回りは大体教えてやる」

「ってな感じで、本日付けで四級呪術師に復帰したゲブラーさんでーす。と言っても、真希と同じく諸事情で階級が低いままになってただけで、実際には特級レベルの強さだから安心してね!」

 

 五条の発言に、生徒三人は戦慄した。

 

 実力だけは確かなこの男が言うのなら、強さに関してはまず間違いないのだ。

 特に、呪力も術式もない辛さを実感している真希にとっては、衝撃の言葉だった。

 

 それから、生徒三人も軽く各々の自己紹介を済ませたところで、ゲブラーは五条に話しかける。

 

「狗巻といいパンダといい、随分と個性的なクラスだな。都市にもこんな感じの連中はいたから、今更驚きはしないが」

「いいでしょ? 僕の自慢の生徒たちだよ」

 

 そうゲブラーに返事をした後で、五条はその生徒たちに改めて向き直り口を開いた。

 

「てことで、今日の午後は予定を変更して、早速近接戦の訓練をしよう。ゲブラーの実力も気になるよね?」

「しゃけ」

「確かに」

「……まぁ」

 

 こうして、生徒たちの同意も得たゲブラーは、早くも訓練を担当することになった。



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第18話 腕試し

(さて、どうしたもんかな。イオリ*1に面倒を見てもらった経験はあるが、弟子をとった経験はないからなぁ)

 

 一行が高専のグラウンドへと向かう中、ゲブラーは一人脳内でそんな事を考えていた。

 しかし、特に思いつく事もないので、仕方なく彼女はおぼろげなイオリとの記憶を頼りに、何とか役割を果たそうとする。

 

「取り敢えず、訓練の前に軽くそれぞれの戦闘スタイルについて聞いておく。まずは真希から」

「呪具を使って戦う。いつも使ってるのは薙刀だ」

「私と似たようなスタイルだな。次、パンダ」

「基本的には肉弾戦が得意だ。メリケンサックも使うぞ」

「巨体を生かした戦い方をするわけだ。最後、狗巻」

「おかか」

「……ああ、語彙がないんだったな。五条、説明しろ」

 

 初回の訓練ということで、付いて来た五条に対し、ゲブラーは雑にそう聞く。

 

「呪言っていって、言葉に呪力を込めて放つことで、相手に言葉の内容を適用させる術式が使えるよ。格上には使いづらいけど」

「音を使う中距離タイプか。喉を消耗するのは痛いな、呼吸の管理が大変そうだ」

 

 そう言いつつ、ゲブラーは本からとあるE.G.Oを取り出した。

 十字架の中央に、いばらの冠を被った頭蓋骨が付いている不気味な見た目のメイスだ。

 

 それを見て、真希はゲブラーに質問をする。

 

「何だそれ? 呪具の類か?」

「"懺悔"という名前のE.G.Oだ。E.G.Oっていうのは、呪霊にも効く特殊な武器程度に覚えておけばいい。これは相手の肉体ではなく、精神にダメージを与えるタイプのE.G.Oでな。大して強くはないんだが、相手を傷つけたくないときには使いやすい。最初にお前たちの実力を測る。三人まとめてかかってこい。遠慮はいらないぞ」

 

 グラウンドに到着し、懺悔を右手に構えてそう話すゲブラーに対して、真希と狗巻は正面に、パンダは後方に陣取る。

 

 あの誰もが認める最強の術師である五条悟が、その強さを認めた人なのだ。

 出し惜しみができる相手ではない事は、全員が理解していた。

 

「合図は無しだ。好きなタイミングで始めろ」

 

 ゲブラーがそう言って、少し間が空いた後に、三人は攻撃を仕掛けた。

 

『動くな』

 

 真希がゲブラーの胸に突きを繰り出した瞬間、狗巻は呪言で彼女の動きを止めようとする。

 しかし、ゲブラーは一瞬止まった後すぐに動き始め、重心の低い前傾姿勢になり、攻撃を躱すと同時に真希の懐に突っ込んだ。

 これによって、ゲブラーの背中に放たれていたパンダの殴打も自然と回避されてしまう。

 

 真希は右手で薙刀を引き戻しつつ、左足の蹴りでゲブラーと距離をとろうとするが、ゲブラーは逆に左手で薙刀を掴んで引き、真希の体勢を崩した。

 さらには、後方のパンダに引き戻した薙刀の穂先が迫っており、パンダは追撃を中止するはめになる。

 狗巻は予想以上の反動に、呪言を連発できない状態だ。

 

 続いて、姿勢を崩した真希の脇腹に、ゲブラーは右手の懺悔を一撃叩きこむと、すぐさま反転してパンダの追撃に応戦する。

 パンダは両手を使った殴打のラッシュで、ゲブラーに攻撃しようとしていたが、右手のパンチは彼女の左手で掴まれ、左手のパンチは懺悔によって弾かれた。

 

(この人、本当に人間なのか? パワーもスピードもおかしいだろ!)

『止まれ』

 

 パンダが内心で文句を言う中、狗巻はなんとか二回目の呪言を使用する。

 これによって、ゲブラーはまたしても一瞬停止するが、やはり効果はほんの一時だ。

 この間に、パンダは掴まれていた右手を抜く事しかできなかった。

 

 ここに来て、攻守の立場はついに逆転し、パンダにゲブラーの懺悔が振り下ろされる。

 咄嗟に、パンダは両腕をクロスさせてそれを防ごうとするが、この武器相手にそれは悪手だ。

 

 懺悔は、肉体ではなく精神にダメージを与える武器。

 身体で受けてしまえば、その防御に意味は無い。

 

 最後に、反動で動けなくなっていた狗巻を、ゲブラーが懺悔で軽く一打したところで、この模擬戦は終了した。

 

「最初はこんなもんだな。流石に、そこまでひどくはない」

 

 精神ダメージの影響で、頭を押さえながら倒れこんでいる三人を眺めながら、ゲブラーはそう話す。

 一方で、それを見ていた五条は真希の方に近づくと、善意100%の顔でこう言った。

 

「ね? 強かったし学びがいあるでしょ?」

 

 この空気を読まない(バカ)の言葉に、真希はなんとも言えない複雑な気持ちになるのだった。

*1
紫の涙という二つ名を持つ特色の一人



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第19話 反省会

 あの後、反動でダウンした狗巻を除き、復活した真希とパンダの二人は、加減をし始めたゲブラーと何回か模擬戦をした。

 それで、二人の課題を概ね把握したゲブラーは、訓練時間の終わり際に生徒三人を集めると、反省会を開いた。

 

「ご苦労だった。取り敢えず、初回の訓練はここら辺にしておこう。私もやるべき事があるから、頻繁にとはいかないが、一週間に一度は訓練に顔を出すつもりだ。次回からは、今回の模擬戦を踏まえて分かった、お前たちの課題解決をする。最初と同じく、まずは真希から話すぞ」

「あぁ……分かった」

 

 ゲブラーとの連戦で、すっかりへばってしまった真希は、かろうじてそう返事をした。

 ちなみに、パンダも同様の様子だ。

 

「真希は武器の取り回しに関しては及第点だが、立ち回りが甘い。なまじ身体能力が高いからか、時々無茶な攻め方をする。薙刀を使うなら、もっと厭らしく距離を保って戦うべきだ。それと、もっと躱されたときに隙を晒さないような牽制技を増やした方がいい。勝ちを急がずとも、懐にさえ入られなければ、そう簡単には負けないはずだ。次、パンダ」

 

 ゲブラーはそう言うが、気力が残っていないのかパンダからの返事はない。

 しかし、一応話は聞いているようだ。

 

「根本的な話になるが、パンダは防御手段が少ないな。毛皮で打撃は防げるかもしれないが、刃物や今回使った懺悔のような武器はどうにもならないぞ。その巨体じゃ回避もキツいだろ。どうにかして、攻撃を受ける手段を確保するのを勧める。ガントレットの類を使うとかな。最後、狗巻」

 

 二人とは違って、喉の休息をとっていた狗巻は、身体の調子自体は良好だ。

 それでも、迂闊に喉は使えないため、彼は頷いてゲブラーに返事をした。

 

「正直、狗巻の術式は私のような相手とは相性が悪い。だが、一瞬でも私を止められたのは確かだ。タイミングさえ正確に合えば、格上にも有効だろう。呪力や術式には疎いから、あまり具体的な助言はできないが、呪言の発動タイミングの精度が伸びしろになるはずだ。……反省会はこれで終わりだ。私について気になる事があるなら、そこの五条か夜蛾、硝子に聞くといい。私は自分の役目に戻る」

 

 そうして、訓練を終えたゲブラーは、高専のグラウンドから去って行ってしまった。

 一方で、残された真希は持ってきていた水筒の水を一口飲むと、地面にへたり込んだまま五条に質問をする。

 

「あの人何者なんだ? いくら呪力がなくても、四級呪術師には留め置けないレベルの強さじゃん」

「異世界の人なんだってさ。……一応言っとくけど、本当だよ? 信用できないなら、夜蛾学長に聞いてもいい。自分の世界を変えるために、この世界にヒントを探しに来たって言ってたよ。向こうの世界では元特級相当の階級で、赤い霧って呼ばれてて、本当に伝説的な存在だったみたいだね」

「……マジか。呪力も術式もなしで、本当に特級レベルの強さなんだな」

 

 真希は自分の手を見つめながら、あれだけの力が手中にあれば、禪院家を見返せるだろうかと夢想する。

 どういう経緯かは知らないが、急に五条がゲブラーを連れて来たのは、まず第一に自分のためだろうというのは、真希にも想像のつく話だった。

 

「真希は強くなれるよ。呪力がなくても、術式がなくても。目標も先生も用意したし、あとは駆け上がるだけだ。期待してるよ?」

 

 そう言い残して、五条もまたグラウンドから去って行く。

 

 こうして、ゲブラーの担当する初めての訓練の時間は終わりを迎えた。

 晩春の呪術高専の、とある一日の出来事だった。



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第20話 転校生

 ゲブラーが呪術世界に戻って来てから、また一か月ほどが経過し、季節が初夏に移り変わった頃。

 呪術高専に、一人の転校生が入学することになった。

 

 その名も、乙骨憂太。

 特級過呪怨霊・折本里香に呪われ、秘匿死刑が決定しかけていたが、五条悟の提案により救われた青年だ。

 

 彼は入学初日に、真希と共に呪術実習で呪霊を祓った後日。

 他の一年生たちと同様に、ゲブラーの担当する近接戦闘の訓練に参加していた。

 

「他の誰かから聞いてるかもしれないが、近接戦闘の講師をしてるゲブラーだ。五条から、お前の話は聞いてる。取り敢えず、基礎から徹底的にやる事になるだろうが、よろしく頼む」

「あ、はい。乙骨憂太です。よろしくお願いします」

 

 長身に顔の傷で、威圧感のあるゲブラーにやや怯えながら、訓練前の集合時間に乙骨はそう返事をした。

 もちろん、ゲブラーには威圧感を出しているつもりはないのだが。

 

「そういえば、今はゲブラーさん何級なんだ? 四級呪術師のままじゃなくてもよくなったんだろ?」

「一級だ。五条の奴が言うには、あと二週間以内には特級にさせるつもりらしい。別に、私は階級なんてどうでもいいんだがな。……それはさておき、今日はせっかく四人になったから、二人のペアを作って訓練をするぞ」

 

 真希の質問に答えつつ、ゲブラーは続けてそう話した。

 彼女も、五条から頼まれたこの副業にはずいぶんと慣れてきており、今や講師としての姿にもさほど違和感はない。

 

「真希は乙骨と組んで、適当に戦いながら武器の扱いについて教えてやれ。狗巻はパンダとだ。出来る限り呪言無しで、近接タイプの攻撃をいなし続ける訓練をしろ。私は気になる事があったら声をかける。以上」

 

 そう指示を出して、ゲブラーは生徒たちに訓練の開始を促すと、自身はコートのポケットから一冊の本を出して読み始めた。

 その表紙には、心理学入門というタイトルが書かれている。

 現在、ゲブラーは都市を変えるためのヒントとして、この世界で研究されている心理学に目をつけているのだ。

 

 傍から見れば、講師としての仕事をサボっているように見えなくもないが、実際には思いのほか細かく訓練を見ているのを、元居た三人の一年生はよく知っている。

 

 どこかの白髪特級呪術師とは違い、ゲブラーは仕事に厳格だ。

 先ほど話した通り、気になる事があったらすぐに声をかける。

 

「狗巻。あくまでも、逃げるんじゃなくていなすんだ。基本は逃げでもいいが、パンダが攻撃をしてきたら、時々反転して足払いとかを仕掛けてみるといい。力の差があっても、多少は体勢を崩せる事がある。一度でも通せば、相手も反撃を警戒せざるを得なくなるから、後がかなり楽になるぞ」

「しゃけ」

 

 ちなみに、狗巻の相手をしているパンダはゲブラーのアドバイスを聞いて、ここ最近は籠手を使用している。

 巨体ゆえに、特注で作らざるを得なかったようだが、その分しっかりとフィットしているようだ。

 

(真希の方は……問題なさそうだな。格下相手というもあるだろうが、立ち回りがだいぶ安定してる。乙骨はまだまだだが、初心者だからな。武器の扱いもままならないのに、立ち回りの話をするわけにもいかないか)

 

 もう一方の、真希と乙骨の訓練を見て、ゲブラーは頭の中でそう考えをまとめた。

 

 真希は薙刀代わりに長い棒を、乙骨は刀代わりに竹刀を使っているのだが、真希はリーチを生かして戦い、乙骨を絶対に近寄らせない。

 乙骨が距離の詰め方を分かっていないのもあるが、自分の懐に敵を入らせない薙刀らしい戦い方に、真希が慣れてきたのも十分に感じられる。

 

 そんな風に、訓練を主導するゲブラーの隣に、五条はふらりと現れた。

 

「どう? 皆どんな感じ?」

「乙骨はまだ分からんが、概ね順調だな。特に、私に影響されたのか真希からは相当な熱意を感じる。……お前、こうなるのを分かっててこの仕事頼んだだろ」

「まぁね。生徒思いのいい先生でしょ?」

 

 いつも通りの軽薄な調子でそう言う五条に、ゲブラーはもはや安心感すら覚える。

 

 ゲブラーにとって、乙骨憂太の入学は、ほんの些細なイベントに過ぎなかった。



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第21話 違えた道の先に

 乙骨憂太が呪術高専に入学してから、三か月が経った頃。

 いつものように、近接戦闘の講師をしていたゲブラーの訓練時間の終わり際に、五条悟はひょっこりと現れた。

 

 主な用事として、五条は狗巻が指名された任務に乙骨もついて行くように伝えたが、何やらゲブラーにも用があるようだ。

 

「僕、今ちょっと忙しくてさ。さっき話した狗巻が指名された任務の引率出来ないんだよね。だから、ゲブラーが代わりに引率やってくれない?」

「追加報酬は? もう金はいらないぞ」

「五条家に伝わる過去に発生した呪いの記録の写し、なんてどう? そういうの、ゲブラー知っときたいでしょ」

「……はぁ。分かった、引き受ける。しかしお前、よくもそうポンポンと相伝の情報が出てくるな」

 

 呆れた様子で、ゲブラーは五条にそう言った。

 

 実はこれまでにも、五条は実家に伝わる呪い関連の情報と引き換えに、ゲブラーに個人的な仕事を任せていたりする。

 多忙な五条にとって、自身を除けば最強といっても過言ではないゲブラーは、自分の仕事を丸投げできる非常にありがたい存在だった。

 もっとも、今となってはゲブラーも特級になったため、予定がままならないときもあるのだが。

 

 そうして、ゲブラーは狗巻、乙骨と共に、任務の目的地である商店街へと向かった。 

 

「五条が言うには、狗巻だけで十分務まる任務らしい。私は基本的に手を出さないが、手に負えなさそうだったらすぐカバーに入る。安心して任務に臨むといい」

 

 商店街、伊地知によって降ろされた帳の中で、ミミックを持ったゲブラーは狗巻と乙骨にそう話す。

 この話を聞いて、二人はおおよそ安心したが、ほんの少し残念感も覚えていた。

 普段は見られない、ゲブラーの実戦での戦いが見られるかもしれないと思っていたのだ。

 

 その後、ゲブラーは予定通り、狗巻が低級の呪いの群れを呪言で祓うのを見守る。

 ところが、帳が上がらず予定外の呪霊が現れたところで、彼女は自身の出番が来た事を理解した。

 

 一行の背後に現れたのは、大きな鼻に毛むくじゃらのずんぐりとした身体を持ち、霊長類のような両足を組んで両腕を広げ、宙に浮いた奇妙な呪霊だ。

 その呪霊が、何やら片手で印を組んで、狗巻と乙骨を攻撃しようとしたところで、ゲブラーは前にいた二人を両手で突き飛ばした。

 

「ゲブラーさん!」

「予定外の相手だ、私がやる。下がってろ」

 

 振り返り、呪霊の姿を見定めながらゲブラーはそう話す。

 一方で、頭の中では呪霊の情報をまとめていた。

 

(狗巻と乙骨への攻撃痕を見るに、場所を指定して押し潰すような攻撃をするみたいだな。それと、振り返るときにチラッと見えたが、片手で印を組んでいた。予備動作か? 何にせよ――)

「私を捉えるには遅すぎるな」

 

 ゲブラーに睨まれた呪霊は、その威圧感に気圧されて、慌てて印を組み彼女に攻撃を仕掛ける。

 その攻撃は、ついさっきまでゲブラーがいた場所に丸い穴を開けたが、彼女を捉えるにはあまりにも鈍すぎた。

 

 印を組むのを見て、一瞬で呪霊に近づいたゲブラーはミミックを上から振り下ろし、呪霊を難なく真っ二つにする。

 純然たるスペックの差による、容赦のない一撃だ。

 

「すご……」

「いや、まだだ。そんな場所にいて、私の目から逃れられるとでも思ってたのか? さっさと降りて来い、夏油」

「……まさか、ゲブラーさんがついて来るとは思ってませんでしたよ。噂でこの世界に戻って来てたのは知ってたんですがね」

 

 商店街の屋根を支える柱に座り、ゲブラーたちの様子を見ていた夏油は、観念して地上に降りてくる。

 

「知り合い、なんですか?」

「ああ、だが敵だ。百を超える一般人を殺害して、呪術高専を追放されたらしいな?」

「えぇ、その通りです」

 

 ゲブラーの言葉とその返事を聞いて、乙骨は瞠目した。

 目の前の穏やかな顔をした法衣を着た男が、そのような凶悪犯罪者だとは思わなかったからだ。

 

 今や特級同士となった二人は、この場で予想外の邂逅を果たした。



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第22話 変化

「これは、かつて私が言われた事でもあるんだがな。お前が、呪いの生まれない世界という贈り物を渡したとして、術師全員がそれを喜んで受け取るだなんて思ってないよな? 余りにも多くのものを犠牲にして、前に進もうとしてるんだし」

「もちろん。ですから私も、10年前はひどく悩みました。しかしもう決めたのです。非術師は、嫌いだと」

 

 そう言った瞬間、夏油の顔から作り物のような笑みが消え、代わりに恨みがましい表情が浮かび上がる。

 これこそが、今の彼の本性だ。

 

 ゲブラーがいない間に、夏油はすっかり変わってしまっていた。

 

「そうか。なら、これ以上話す必要もなさそうだな。それぞれ、守るか奪うべきものがあるから」

「私の世界にあなたはいらない。どれだけ強くても、呪力のない非術師は猿だ」

 

 この会話を最後に、ゲブラーはミミックで夏油に斬りかかる。

 対して、夏油は特級呪具の游雲をすぐさま武器庫呪霊から取り出して、ゲブラーの攻撃を受け止めようとするが、無限の速度で繰り出される彼女の一撃は、そう簡単には止まらなかった。

 

 ミミックと游雲の衝突音が鳴った直後、衝撃をもろに受けた夏油は、商店街の中を派手に吹っ飛んでいき、とある雑貨店の一つに突っ込んで衝突した。

 そこに、ゲブラーは追撃をしようと夏油を追いかけるが、彼は呪霊操術を発動させ、何体かの呪霊を解き放つ。

 その中には、煙幕のようなものを発生させる呪霊もおり、彼女は一時夏油の姿を見失った。

 

 ためらいなく、ゲブラーは煙幕の中に突っ込んで夏油の姿を探そうとするが、その前に彼が出した数体の呪霊が、煙幕の中から飛び出してくる。

 それらの呪霊はゲブラーを無視して、彼女の背後にいる狗巻と乙骨に襲い掛かろうとしていた。

 

「決戦の時は今じゃない。おいとまさせてもらうよ、ゲブラー」

(パッと見、最低でも二級以上の呪霊が数体か。この煙幕の中で夏油を探している間、あいつらが持ちこたえられるとは限らないか)

 

 そう考えたゲブラーは追撃を中断し、放たれた呪霊の殲滅に移行した。

 

 ミミックを振り回し、反撃する暇も与えず凄まじい速度で呪霊をほぼ殲滅したゲブラーだったが、その頃にはもはや煙幕は晴れており。

 内装が滅茶苦茶になった雑貨店に、夏油の姿はなかった。

 どうやら、捨て台詞を吐いた後にまんまと逃げたようだ。

 

「ッチ、あいつも成長したな。狗巻と乙骨は大丈夫か?」

「はい、なんとか」

「しゃけ」

「ならいい。お前たちも、ちゃんと自衛はできたみたいだな。今回は運が良かった」

 

 実は、ゲブラーは数体の呪霊の内一体を、わざと狗巻たちの方に取り逃がしていた。

 それくらいなら、今の彼らでもなんとかなるだろうと判断したからだ。

 

 その判断は正しく、狗巻と乙骨は連携をとって、見事に呪霊を祓っていた。

 

「あいつのせいで予想外の事態が相次いだが、いい経験にはなっただろ。お疲れ様」

 

 そうして、任務を終えた一行は、商店街から呪術高専に帰還する。

 

 その後、高専の校内で五条と会ったゲブラーは、報酬を受け取った後に任務の顛末を話した。

 

「夏油は変わっていたな。そして、固く変わらない意思を持った。違えた道は、もう交わりそうにないな」

「……決別は10年前に済んだよ。それより、向こうの目的は何か分かった?」

「私と会うのは予想外だったみたいだから、目的は狗巻か乙骨だろう。となると、狗巻よりかは乙骨の線が濃厚だな。具体的な目的は分からないが、乙骨の持つ特殊な事情に、夏油が目をつけたと考えるのが自然だ」

 

 ここまで話したところで、ゲブラーは五条に背を向け、歩きながら改めて口を開く。

 

「まぁ、お前の方が夏油には詳しい。私は探偵じゃないし、調査活動は管轄外だ。戦力が必要だったらまた呼べ」

 

 そう言い残して、ゲブラーは自身の仕事に戻るべく、その場を去っていった。

 

 夏油の真意を知る者は、今はまだ、闇の中でじっと息をひそめたままだ。



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小話1 ゲブラーの住居事情

 これまで、ゲブラーは夜蛾学長に便宜を図ってもらい、呪術高専の学生寮に住んでいた。

 しかし、それもそろそろ終わりにすべきだろうと、彼女は任務帰りの車に乗りながら考える。

 

 特級呪術師として働き、五条から講師としての給料も受け取っているゲブラーには、現在それなりの額の貯金があった。

 それに戸籍等の重要な書類も、この世界で生活していく上で必要だろうと、補助監督の面々に助けられながらなんとか作成できている。

 

 これ以上迷惑をかけないためにも、ゲブラーは高専から引っ越す事を決意した。

 

「という事でだ。協力してくれ、伊地知。何せ私はこの世界の感覚に疎い」

「え。まぁいいですけど」

(五条さんといいゲブラーさんといい、私の事使いすぎじゃありません?)

 

 あの後、高専の職員室に向かったゲブラーに話しかけられた伊地知は、向き合っていたパソコンから目を離して返事をした。

 内心では多少の不満はあるものの、彼は決して口には出さない。

 

 五条ほどの無茶ぶりではなく、至って単純な調べ物で済みそうなのが、伊地知にとっての救いだろう。

 

「それで、希望条件はどんな感じですか?」

「場所はここの近辺がいい。最低でも週に一回は、ここに来ないといけないからな。後はまともな生活環境さえあれば問題ない」

「予算のほどは?」

「これだけだ。それなりに余裕はある」

 

 そう言って、ゲブラーは自分の預金通帳の金額を見せる。

 それで、伊地知は特級呪術師は流石に稼いでいるなと思いつつ、五条悟名義の入金からそっと目を反らした。

 藪をつついて蛇を出す予定は、伊地知にはない。

 

 それから少しして、条件に見合った物件をネットでいくつか見つけた伊地知は、それらの物件の資料を印刷してゲブラーに渡した。

 

「時間のあるときに不動産会社に行って、これらの物件の内見に行ってみて下さい。どれか一つは気に入る物件があると思います」

「分かった、協力感謝する。次に出張があったら、何か差し入れを買ってくるよ」

 

 その後、ゲブラーはなんやかんやで希望に合った物件を見つけ、都内のとあるマンションの一室に引っ越した。

 

 高専から運ぶ荷物は大してなかったが、新しく家具を買い揃えるのに、ゲブラーは思いのほか苦労した。

 物資の乏しい都市の裏路地で暮らしていたゲブラーにとって、現代社会は買える物の選択肢が多すぎたのだ。

 それでも彼女は、諸々の買い物と手続きを全てやり遂げた。

 

(ここまで苦労するものだとは思わなかったな。だが、目的は果たせた)

 

 そう考えながら、ゲブラーはソファに座って煙草に火を点ける。

 

 最低限必要な家具や家電と本棚しかないため、部屋の中の光景はなんだか殺風景だ。

 気が向いたらもう少し物を増やしてみてもいいかもしれないと、ゲブラーは思う。

 

(出張先の土産物でも飾るかな。この世界は都市に比べて広大で、物も文化も豊富だ。酒と煙草以外の息抜きがあってもいいだろ。あくまで気が向いたらだが)

 

 少しして、煙草を一本吸い終わったゲブラーは本来の仕事のために、まだ内容を理解し終えていない心理学の本を読み始めた。

 

 まだまだ、先の道のりは長そうだ。



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第23話 宣戦布告

 時が過ぎ、季節が晩秋になったある日のこと。

 偶然にも居合わせたゲブラー、五条、夜蛾の三人は、呪術高専の窓際で話をしていた。

 その話題は、ゲブラーの前に姿を見せた夏油についてだ。

 

「未だ夏油の動向はつかめん。あいつが何か企んでいるのは確かだろうが、これではこちらも動けんな」

「何も起こらないに越したことはないんだがな。敵が何を準備しているのかすら分からないのが問題だ」

「もしかしたら、ゲブラーが元の世界に帰るのを待ってるのかもね。実力的に考えても、傑はゲブラーの相手はしたくないだろうし」

 

 と、そこまで五条が話をしたところで、その予想を裏切るかのように正体不明の呪力が近づいて来たのを、三人は感知した。

 

「迷惑な客がやって来たみたいだな」

「噂をすればだ! ゲブラーは先に正面ロータリーに向かえ。俺と悟は校内の準一級以上の術師を集めてから向かう!」

 

 それを聞いて、ゲブラーはすぐそばの窓を開けて地面に飛び降り、指示通り全速力で正面ロータリーへと向かう。

 

 そうして、到着した場所でゲブラーが見たのは、教え子である呪術高専の一年たちと、夏油が率いる呪詛師集団が向き合っている光景だ。

 その呪詛師集団の中に、見覚えある人間を一人見つけて、ゲブラーは目を見開いた。

 

「思ったよりも早く来たみたいだね、カーリー。いや、今はもうゲブラーと呼んだ方がいいんだっけ」

「イオリ? 何をしにこの世界に来た? そこにいるって事は、あまり歓迎できる立場じゃないみたいだな」

 

 ゲブラーの視線の先にいるのは、紫色のスーツを着て刀と片手剣をそれぞれ一本腰に差し、大剣を背負った中年層に見える長身黒髪の女性だ。

 その名もイオリ、またの名を紫の涙。

 かつて、ゲブラーが一度目の人生で教えを乞うた事もある人物だ。

 

「図書館で本にしたんだし、私の本の中身はもう読んだよね? 私の目的はあれからも変わらないよ」

「息子に会える世界を探すため、か。随分と遠いところまで探しに来たな。こんなところにあんたの息子はいないと思うが」

「そりゃあね。ただ、世界の可能性の因果関係は複雑なんだ。私が過去に青い小僧*1を手伝ったように、今度はこの小僧を手伝うのが、今の私のやるべきことってワケ。偶然にもね」

 

 ゲブラーとイオリがそう会話をする一方で、夏油は乙骨に話しかける。

 

「久しぶりだね、乙骨君。自己紹介はもう必要ないだろう。実のところ、あの日私が商店街を訪れていたのは、君の素晴らしい力を見学するためだったんだ。私はね、大いなる力は大いなる目的のために使うべきだと考えている」

 

 そう前置きして、夏油は自身の思想を乙骨に語り始める。

 色々と大義名分はあるが、要は非術師を皆殺しにして、呪術師だけの世界を作ろうという考えだ。

 

 熱心に乙骨に話をする夏油だったが、間もなく術師を率いた五条と夜蛾がやって来て、その話は中断された。

 

「僕の生徒にイカれた思想を吹きこまないでもらおうか。傑、どういうつもりでここに来た?」

「久しいのにせっかちだね、悟。宣戦布告をしに来たのさ。お集まりの皆々様! 耳の穴かっぽじってよーく聞いて頂こう!」

 

 そうして注目を集め、夏油は話の流れ通り呪術高専の面々に向かって宣戦布告を行う。

 

 日時は12月24日の日没と同時。

 場所は新宿と京都にて、夏油は千の呪いを放って百鬼夜行を行うと宣言した。

 呪術師たちが何もしなければ、件の場所には地獄絵図が描かれるだろう。

 

 その後、宣戦布告を終えた夏油たちは何事もなく帰ろうとしたが、そこに五条とゲブラーは待ったをかけた。

 

「このまま行かせるとでも?」

「同感だな。容易く逃がすつもりはない」

 

 そう言って、五条は夏油に、ゲブラーは呪詛師たちを運ぼうとする鳥型の呪霊に襲い掛かる。

 しかし、五条の攻撃は生徒を人質にとられた事によって中断され、ゲブラーのミミックによる攻撃は鳥型呪霊の口内にいたイオリの大剣によって防がれた。

 

「やめとけよ、かわいい生徒が私の間合いだよ」

「また今度だね、ゲブラー。昔の教えを覚えてるか、もう一度戦場で試そうか」

 

 こうして、まんまと追撃をいなした夏油たちは、呪術高専から離脱した。

*1
特色の一人、青い残響ことアルガリアの事。




余談ですが、イオリの身長はなんと195cmもあったりします。
まともな人間としては都市でも屈指の身長です。


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第24話 バタフライエフェクト

 あの後、呪術高専の術師と補助監督は会議室に集まり、今後の動きについての話と情報の共有を行っていた。

 そこで、ゲブラーは自身の知る人物、イオリについての話を始める。

 

「イオリは、都市で紫の特色を付与された紫の涙と呼ばれるフィクサーだ。私を含めた複数名の特色フィクサーの師でもある」

「目的は? というか、どうやってこの世界に来たの? 一応、ゲブラーのいた都市の住人なんでしょ?」

「ああ。だが、イオリは傍から見れば時空を自在に移動できるような能力を持っている。どんな方法であれ、この世界に来れていてもおかしくはない。本人曰く、そこまで便利な能力じゃないらしいがな。ざっくり言えば、数多の並行世界を観測して、望めばその並行世界に行ける能力だ」

 

 五条の質問に、ゲブラーはひとまずそう答えた。

 とはいえ、イオリの能力は本人ですら説明しきれないほどに複雑だ。

 正確なところは、ゲブラーも把握していない。

 

 一方で、イオリの目的は実にはっきりとしている。

 

「イオリの目的は、息子に会える世界を探すことだ。何がどう繋がってるのかは知らないが、彼女は今回みたいに突拍子もない行動をして、息子に会える世界に辿り着こうとしている。ともかく、戦いが避けられないのは確かだ。イオリは数多の並行世界を見た上で、この選択をしたんだろうからな」

「どれぐらい強い?」

「今の私でよくて五分だ。昔の全盛期*1ならともかく、今の私だと気を抜いたら負ける。刀と大剣を扱う技に優れたフィクサーだ」

 

 ゲブラーの言葉に、一同は深刻な表情を浮かべる。

 特級と同じレベルの実力者となれば、対応できる人員が非常に限られてくるからだ。

 現状だと、五条かゲブラーをぶつける他ないだろう。

 

 その後は、伊地知が夏油についての説明を行い、夜蛾学長が総力戦に向けて各所に協力を要請する事を決定したところで、会議が終了した。

 

 後日、百鬼夜行が行われる前にいつもの近接戦闘の訓練に顔を出したゲブラーは、休憩中の乙骨に話を振った。

 

「夏油の話、覚えてるか?」

「まぁ、はい。難しい話でしたけど」

「正直なところ、お前はどう思った?」

「……夏油さんの望む世界に、ゲブラーさんや真希さんはいないんですよね」

「そうみたいだな。あいつが言うには、私のような呪力のない猿はいらないらしいし」

「なら、僕は夏油さんには協力できないです。お世話になったゲブラーさんや、友達の真希さんを無下にするなんて事はできませんから」

「……そうか」

 

 ゲブラーは、乙骨に迷いがないか確かめるためにこんな問答を行っていたのだが、この分なら問題なさそうだと考える。

 

 まだ優しい方ではあるが、イオリは都市を生き抜いてきた都市の人間だ。

 自分の目的を達成するためなら、人の感情を利用するなど日常茶飯事だろう。

 容易く心を揺さぶられてしまっては困るのだ。

 

「百鬼夜行で、私たちの敵になる夏油とイオリは相当な実力者だ。基本的には逃げた方がいいだろうが、万が一戦わなければならなくなった時のために一つ言っておく。お前は恐らくイオリに相性が有利だ」

「え? どうしてですか?」

「イオリの武器は業物だが、E.G.Oじゃないんだ。呪霊には効かない可能性の方が高い。里香を前面に押し出して戦えば、最低限足止めぐらいはできるかもしれん。あくまで最後の手段だがな。基本的には、私と五条に任せておけ。間違っても自分から戦いに行こうとするなよ?」

 

 そう言って、用が済んだゲブラーは休憩中の乙骨の下を離れて、まだ訓練中の一年の方に歩いていった。

 乙骨は一人、自分ができる事を胸に刻んだ。

*1
一度目の人生で赤い霧(カーリー)が伝説を生み出していた頃の事。



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第25話 猿共

 百鬼夜行当日、真希と乙骨は休講なのにも関わらず、呪術師たちが出払っている呪術高専の教室内にいた。

 お互い、やる事もなく落ち着かなかったからだ。

 

 そこで、真希は数か月の間同級生として過ごして打ち解けた事もあり、乙骨に自身の禪院家とのしがらみを話した。

 それに対する乙骨の素直な励ましの言葉に、真希は照れと喜びがない交ぜになった感情を覚える。

 

 ところが間もなく、そんな熱い感情に冷や水を浴びせるかのような非常事態が、呪術高専に発生した。

 百鬼夜行で呪術師たちを新宿と京都に引き寄せている内に、夏油が高専に帳を下ろしたのだ。

 夏油の目的はただ一つ、特級過呪怨霊・折本里香の奪取だ。

 

 異常を察知した真希と、高専に侵入した夏油は、高専のとある広場で邂逅した。

 

「君がいたか」

「いちゃ悪いかよ。てめぇこそなんでここにいる」

「悪いが、猿と話す時間はない」

 

 そう言って、夏油は人間のような口とムカデのような脚を持つ、芋虫型の呪霊を出現させる。

 それから続けざまに、彼は呪霊と共に真希へと襲い掛かった。

 

(相手は徒手で格上だ。絶対に寄らせるべきじゃない)

 

 頭の中でそう戦いの方針を決めた真希は、薙刀を両手で構えて敵を待ち構える。

 そうして、最初に右前方から突っ込んできた夏油に、真希は薙刀を軽く突き出した。

 

 これを、夏油はサイドステップで避けるが、真希もすかさず彼を追うように薙刀を右に振る。

 それに対して、夏油は前に踏み込んで薙刀の棒部分を掴もうとするが、真希は反応して薙刀は振り続けながらバックステップを行った。

 

 その結果として、夏油の法衣の袖が僅かに切れる。

 バックステップによって、真希の薙刀を握る手がブレていなければ、夏油の肌も切れていただろう。

 左前方から呪霊も近づいてきていたが、下がった事によって真希にとってちょうどいい間合いにいたため、続けざまに左に振られた薙刀の餌食となった。

 

 この一連の出来事に、夏油は思わず眉をひそめる。

 猿に構っていられるほどの余裕は、彼にはなかったのだ。

 

 これ以上時間をかけたくない夏油は、今度は大量の呪霊を出して真希を追い詰めようとする。

 具体的には、ぶよぶよの肥満児のような呪霊数体に、大量の巨大な百足型の呪霊だ。

 

 これに対して真希は、下がりながら呪霊を一体一体着実に始末していき、捌ききれなくなった場合は付近の塀の上に避難して、登ってくる呪霊を叩き落としていった。

 

 順調に戦っていた真希だったが、夏油とてこのままやられるほど無能ではない。

 彼は呪霊の裏に隠れて真希との距離を詰めると、隙を見て一瞬で飛び出した。

 呪霊の処理に必死で虚を突かれた真希は、これによって夏油の接近を許してしまう。

 

 夏油は顔面に向かって蹴りを放ち、真希はすんでのところでそれを左腕で防御した。

 なんとか致命傷は回避したが、ダメージは重い。

 力が入らないのか、真希の左腕はだらりと垂れ下がってしまっている。

 

 片手では、薙刀を扱うのは少し厳しいだろう。

 

(クソッ、動けよ左腕! 私が終わるのはこんなところじゃねぇだろ!)

 

 心の中で、真希は必至にそう叫ぶ。

 

 ゲブラーとの訓練で、真希は確かに強くなった。

 だがそれでも、禪院家を見返すには遠く及ばない。

 呪霊操術という天賦の才を持つ夏油にも、結局は服に傷をつけただけだった。

 

 ……しかし、特級呪詛師夏油傑を、少しの間でも足止めしたというのもまた確かな事実だ。

 その事実が、真希の運命を変えた。

 

(誰かが帳に穴を開けたな。……いや待て、この雰囲気は)

「遅かったか!」

「よく耐えたな、真希。反撃の時間だ。今度こそ、こいつをしっかりぶっ潰そうか」

 

 帳をぶち抜き、あらゆる障害物を飛び越えて、最短距離で夏油と真希の間に現れたゲブラーは、力強く敵を見据えてそう言った。



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第26話 特色

 本来ならば、ゲブラーは他の呪術師たちと共に、新宿で百鬼夜行に対処する予定だった。

 しかし、伊地知の報告によって乙骨が菅原道真の子孫だと知り、夏油が姿を見せない事を訝しんだ五条が、ゲブラー、狗巻、パンダの三名を呪術高専に送り込んだのだ。

 それで間もなく、狗巻とパンダも真希の近くに合流してきた。

 

 広場にて、ゲブラーと真希たち三人は、夏油と睨み合う形になる

 

「何事もそう思い通りにはいかないもんだね」

「ああ、お互いにな。あんたもそろそろ姿を見せたらどうだ?」

 

 ゲブラーが夏油の傍にある塀に向かってそう言うと、その塀の裏から広場にイオリが出てくる。

 どうやら、少し前からここに待機していたようだ。

 

「おっと、もうバレちゃってたか」

「ずっとそこにいたのか? 君がいたなら、とっくにあの猿は殺せていたのに」

「私がするのはあくまで手伝いだよ、小僧。格下を仕留めるぐらい自分でやりな。約束通り、赤い霧の相手はさせてもらうけどね」

 

 ゲブラーを見据えて、イオリはそう言った。

 あまり良くない状況に、ゲブラーは冷や汗を浮かべる。

 

「お前たちはなんとか夏油の相手をしろ。私はイオリの相手をする。できたらサポートはするが、期待はするな。私も余裕がない」

 

 ゲブラーの言葉に、三人は頷いて返事をした。

 

 夏油と一年生三人を戦わせるのは分が悪いが、イオリとやらせるよりはマシだというのがゲブラーの判断だ。

 何せ、イオリを初見で相手にするのはかなり厳しい。

 というのも、彼女の戦い方は少し特殊なのだ。

 

 イオリは戦闘中、自身の戦闘体勢を切り替えて戦う。

 具体的には、斬撃、貫通、打撃、防御という四つの体勢だ。

 それぞれ別人のような戦い方になるため、対処の方法も変えなければならない。

 

 その点、ゲブラーは図書館でもイオリと戦っていたので好都合だ。

 

「図書館の時と同じように打ち倒す」

「あの時は一対五だったけど、今回は二対四だ。同じようにはいかないよ、ゲブラー!」

 

 そうして、ゲブラーはイオリと、一年生三人は夏油と対峙しての戦闘が始まった。

 

 最初、イオリは腰の片手剣を抜く。

 つまりは貫通体勢だ。

 これを理解した上で、ゲブラーはミミックを持ちイオリに近づく。

 

 接近してくるゲブラーに対し、イオリは洗練された片手剣の突きを何度も放った。

 その突きを、ゲブラーは斬撃で一つ一つ丁寧に弾きつつ、下がるイオリを追う。

 イオリとしては、ゲブラーをあまり近づけさせたくなさそうだ。

 

(技の洗練度は未だにイオリの方が上だ。だが、力と速さなら私の方が勝るな。近距離のぶつかり合いなら勝てるか?)

 

 そうゲブラーが考えている内に、イオリは武器を刀に持ち替える。

 今度は斬撃体勢だ。

 ところが、今回イオリはゲブラーの方には向き合わず、一年生三人の方へと走る。

 

(クソッ、私の相手をするとか言ってた癖にこれか!)

 

 内心でゲブラーは、イオリの行動にそう悪態をついた。

 

 イオリの目的は分かり切っている。

 一年生を守るために、無理をするゲブラーの隙を突くつもりなのだ。

 それでも、ゲブラーとしては守らざるを得ない。

 夏油の方に行くのも手だが、そうすると一年生たちが本当に殺されかねない。

 

 ぎりぎりでイオリに追いついたゲブラーは、その背に素早くミミックを振り下ろす。

 対して、イオリは反転して刀でその攻撃を受けた。

 ややイオリの方が苦しそうではあるが、鍔迫り合いの形になる。

 

「結構熱心に先生をやってたみたいだね?」

「……戦いでお喋りをするつもりはない」

 

 ちらりと後ろで戦う一年生たちを見て、話すイオリにゲブラーはそう返事をする。

 特級相手にしては善戦しているが、一年生三人は見るからに苦しそうだ。

 

 パンダの籠手はボロボロになっていて、狗巻は苦しそうに喉を抑えており。

 真希は相変わらず右手だけで薙刀を持って戦っている。

 対して、夏油は特級呪具の三節棍、游雲を武器庫呪霊から取り出していた。

 

 それから、ゲブラーはイオリに猛攻を仕掛ける。

 後ろの一年たちに手を出されたくないのと、距離を離されないようにするためだ。

 この斬り合いによって、お互いの身体に数々の切り傷が出来る。

 

 強いて言うならゲブラーの方が優勢だったが、またもイオリが体勢を変更する。

 両手剣を持ち出した防御体勢だ。

 この体勢になってからは、イオリは回避と両手剣による防御に徹する。

 

 そんな状況が少し続いた時、猛攻による疲れから生じたゲブラーの一瞬の隙を、耐えに徹していたイオリは見事に見抜いた。

 両手剣のまま、彼女は体勢を打撃体勢に移行させ、大技の発動準備をする。

 

 その名も幻影乱舞。

 周囲の敵の間を高速で駆け巡り、斬撃、打撃、刺突攻撃をそれぞれの対象に行う全体攻撃だ。

 もちろん、イオリは後ろの一年生たちも幻影乱舞の対象に入れている。

 

 ゲブラーはイオリが準備している事に気づいたが、それを止めるにはもう遅すぎた。

 

「不味いっ、お前ら下がれ!」

 

 ゲブラーがそう叫んだ直後、紫色の閃光が戦場に煌めいた。



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第27話 熱い怒り

 イオリはゲブラーと一年生たちの間を高速で駆け巡り、武器を持ち替えてそれぞれに斬撃、打撃、刺突攻撃を行った。

 

 元より、イオリと対峙していたゲブラーは、この幻影乱舞をなんとかガードする事ができる。

 だが、ただでさえ苦しい夏油との戦いを強いられていた一年たちには、そんな事は不可能だ。

 

 元々ボロボロだった一年生たちの身体は、攻撃を受ける度に紙切れのように折り曲がり、くしゃくしゃになった。

 後に残ったのは、手足の一部がなくなった彼らの身体が、血まみれで倒れ伏している光景だ。

 皆死んではいないが重体で、いつ命の灯が消えてもおかしくはない。

 

 この有様に、ゲブラーは静かに感情を燃え上がらせる。

 そうして、E.G.O発現の条件はついに満たされた。

 

 身に着けていたコートは赤黒く炎のように揺らめき始め、ゲブラーの全身は黒い機械的な鎧に覆われる。

 赤い霧の顕現だ。

 

 そんなゲブラーは真っ先に、目の前にいるイオリに向かってミミックを振ろ下ろす。

 イオリは両手剣でそれを受けるが、大技の直後で消耗している事もあり、見るからに押され気味だ。

 しかし、彼女は一人で戦っていたわけではない。

 

 一年生たちの相手をしなくてもよくなった夏油が、すぐさまイオリの加勢に入った。

 怒りで視野が狭まっていたならば、ゲブラーはこの攻撃に反応できなかっただろうが、彼女はこれに素早く反応し、一旦バックステップで夏油とイオリから距離をとる。

 

 ゲブラーは怒りに苛まれながらもそれに呑まれず、冷静に戦う術をよく知っている。

 

 そこにちょうど、明らかな異常事態に気づいた乙骨がやって来た。

 周囲の惨状に動揺し、初めて見るゲブラーの姿に困惑しつつも、乙骨は彼女に話しかける。

 

「ゲブラーさん、なんですか? どうして、こんな――」

「細かい話は後だ。仲間を助けたいなら、生き残りたいなら刀を構えろ。……敵は見えるな?」

「っ、はいっ」

 

 にじみ出た涙を拭い、対峙する敵をはっきりと捉えた乙骨は、ゲブラーにそう返事をする。

 そして、覚悟を決めた。

 

「来いっ、里香!!」

 

 かくして、特級過呪怨霊・折本里香は二度目の完全顕現を果たす。

 これで、こちらも向こうも特級一人に特色一人。

 階級的には互角の状態だ。

 

「ゲブラーさん、僕に時間をください」

「何をするつもりだ?」

「友達を助けます」

「……一分間だけ一緒に戦え」

 

 短くそう言い切ると、ゲブラーは敵に突っ込んで行く。

 それを見て、乙骨もそれに追随した。

 

「前の話は覚えてるな?」

 

 ゲブラーの言葉に乙骨は無言で頷き、イオリの方に向かって走る。

 そして、里香をイオリに向かって真っ先に突っ込ませた。

 

 攻撃を受けたイオリは、両手剣で防御はするが反撃を行う様子はない。

 ゲブラーと同様になぜか呪霊自体は見えるようだが、呪霊に反撃を行う手段は持っていないようだ。

 これならば、乙骨はイオリとなんとか渡り合えるだろう。

 

 一方で、ゲブラーは夏油に攻撃を仕掛ける。

 

 はっきり言って、夏油はゲブラーとあまり相性が良くない。

 いくら大量に呪霊を出しても、まともな相手にならないからだ。

 それがE.G.O発現状態ともなれば、夏油は間違いなく苦戦を強いられる。

 

 ゲブラーが振るうミミックの一撃目を夏油は游雲で受けるが、その威力を殆ど殺し切れない。

 游雲を持つ手は衝撃で痺れ、夏油の身体は踏ん張り切れずに後退する。

 

 そんな状態でゲブラーの追撃を受けれるはずもなく、夏油は仕方なく大量の呪霊を出して壁にした。

 巨大なコガネムシのような見た目の雑魚呪霊たちだ。

 一瞬でやられはするが、最低限の壁にはなる。

 

 追い詰められた末の行動のため、致し方ない事ではあるが、E.G.O発現状態のゲブラーにこれは悪手だ。

 というのも、他のE.G.Oと同様に、ゲブラーだけが発現できるこのE.G.Oには特殊効果がある。

 

 この状態のゲブラーは敵を倒す度に、その力を増大させるのだ。

 大量のコガネムシ型の呪霊を倒した今、ゲブラーの力は最高潮である。

 

 そんなパワーアップ状態で、ゲブラーはミミックのチャージを開始する。

 対峙する夏油に余裕はなく、チャージの邪魔をされる心配はない。

 

「乙骨下がれ! 後は私が抑える!」

 

 そう叫んだ後、乙骨が下がったのを確認したゲブラーは逆に前に出て、大技を発動させる。

 チャージによってサイズの増大した大剣ミミックを横に振るい、範囲内の全てを薙ぎ払う全体攻撃、大切断-横だ。

 

 ゲブラーが放ったそれは、夏油とイオリを芯で捉えた。



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第28話 伝説

 ゲブラーの大切断-横を、夏油は游雲で、イオリは両手剣でそれぞれ受ける。

 しかし、その威力を殺し切れるはずもなく、両者は持つ武器が手に食い込んで来るのを感じながら、後方に勢いよく吹っ飛ばされた。

 

 夏油は黒い骸骨のような呪霊に支えてもらって、イオリは地面に両手剣を突き立てて、自身の飛ばされる身体を止めようとするが、それでもこの吹っ飛びは抑えきれない。

 両者はともに、広場を囲んでいた塀に突っ込んで行き、身体をぶつけて激しい衝撃音をたてた。

 

 土煙をたてて塀が崩れる中、ゲブラーは油断なくイオリの方に追撃を仕掛ける。

 一方で、乙骨と里香はその隙に同級生たちの身体を回収し、比較的安全な付近の建物の回廊に移した。

 

 それから、乙骨は里香の力によって反転術式を使い、同級生たちの治療を行う。

 コピーされたその反転術式の力は強力で、欠損部位さえも再生させてしまう程だ。

 これならば、後遺症が残る心配もないだろう。

 

 治療の最中、里香が真希に嫉妬してしまう場面もあったが、乙骨はそれを宥め、すぐにゲブラーの援護に向かった。

 そこで乙骨が見たのは、広場の塀の向こうにある林の中で、獅子奮迅の戦いを繰り広げるゲブラーの姿だ。

 

 ゲブラーが放った大切断-横は、夏油とイオリに確かな大ダメージを与えたが、仕留めきるには至らなかった。

 そのため、ゲブラーは足止めのためにも、二対一の戦闘を続けていたのだ。

 

 数で劣っているゲブラーだったが、そこまで苦しそうな様子は見られない。

 何せ、ゲブラーはパワーアップ状態を継続しているのに対し、夏油とイオリは大技を受けた直後だ。

 力関係は十分に釣り合っている。

 

 だが、ここに乙骨が加わるとなれば話は別だ。

 

 今度は、駆けつけてきた乙骨は夏油と、ゲブラーはイオリと対峙する形になる。

 それぞれぶつかり合うが、夏油とイオリはもう、乙骨とゲブラーに敵わない。

 

 具体的には、夏油は呪霊たちを里香の力による呪言に潰され、肉弾戦でも乙骨と里香の連携に押され気味だ。

 斬撃体勢のイオリの方も、パワーアップ状態のゲブラーとの斬り合いで押されている。

 

 追い詰められた夏油は、遂に最後の切り札を出した。

 

「やるじゃないか。だが、それもここまでだ。これは特級を冠する呪い、特級仮想怨霊「化身玉藻前」だ。更に、私が今所持している4461体の呪いを一つにして、君にぶつける」

 

 そう話して、夏油は特級仮想怨霊「化身玉藻前」と巨大な禍々しいうずまき、呪霊操術極ノ番『うずまき』を展開する。

 

「させるか!」

 

 そう叫んで、ゲブラーは夏油の邪魔をしようとするが、そこにイオリが立ちはだかった。

 防御体勢に変更してからの、決死の割り込みだ。

 ニヤリと笑みを浮かべるイオリに、ゲブラーは舌打ちをする。

 うずまきによる攻撃は、大切断-縦ならなんとか対抗できるかもしれなかったが、これではそれも叶わない。

 

 焦るゲブラーはイオリを越えるために、本からテレポート機能が存在する黄金狂を取り出そうとする。

 しかし、イオリは未来を見通したかのような反応速度で、ゲブラーが取り出した黄金狂を両手剣で叩き落とした。

 

 どうやら、イオリは意地でもゲブラーを通さないつもりらしい。

 もはや、乙骨があの『うずまき』をなんとかするしかない状況だ。

 ところが、ゲブラーはこれまでの訓練で、乙骨があれに対抗できそうな大技を使ったのを見た事がない。

 

 そんな中で、ゲブラーが手出しできない事を悟った乙骨は、突然里香に感謝の言葉を話し始め、最後には「一緒に逝こう?」と告げて彼女にキスをした。

 自らを生贄とした呪力の制限解除だ。

 

 この乙骨の決断を、ゲブラーは黙って見守るしかなかった。

 

「そうくるか、女誑かしめ!」

「失礼だな、純愛だよ」

「ならばこちらは大義だ」

 

 乙骨と夏油がそんなやり取りをする一方で、ゲブラーとイオリも口を開く。

 

「これがお前の目指した結末なのか!?」

「結末と言うにはまだ早すぎるよ。最後まで見届けるんだね」

 

 E.G.Oの鎧の内側にあるゲブラーの顔は悔し気で、イオリの顔は疲労困憊といった様子だ。

 

 間もなく、夏油の『うずまき』の呪力と里香の呪力がぶつかり、その場にいた四人は衝撃と舞い上がる土煙に呑まれるのだった。



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第29話 結末

 土煙が晴れた時、辺りにはもはや夏油とイオリの姿はなかった。

 ただ、乙骨だけが広場に倒れ伏している。

 

 それを確認したゲブラーは、急いで逃げた夏油を追いかけようとするが、足に力が入らない。

 彼女の身体はボロボロで、もう限界を迎えていたのだ。

 これまでゲブラーを支えてきた赤い霧のE.G.Oも、既に解除されてしまっている。

 

 それでも、ゲブラーは不屈の精神で立ち上がろうとするが、それに待ったをかける者が現れた。

 

「そんな身体で何しようとしてるんだよ!」

「……真希か。私は夏油を追いかけるつもりだ。ここで逃がしたら、また私たちの前に立ちはだかるだろうからな」

「いい加減悟も来てるはずだ。そんなに急ぐ事ねぇって」

「高菜!」

 

 命の危機から回復してやって来た真希、パンダ、狗巻の説得に、ゲブラーは少し逡巡した後、ため息を一つ吐いてから膝をついた。

 それを見て、一年生三人はほっとした表情を浮かべる。

 

 ゲブラーとて、無茶をしている自覚はあった。

 五条に任せられるなら、それに越した事はないだろう。

 

 それから少しして、気絶していた乙骨もようやく目を覚ました。

 次々に乙骨へ声をかける一年生三人を、ゲブラーは複雑な気持ちで見守る。

 乙骨が、自身を生贄にした事を知っているからだ。

 

 一年たちの会話がひと段落したところで、ゲブラーも乙骨に声をかけた。

 

「よくやった。お前は宣言通り、しっかり友達を助けたわけだ。それに比べて私は、お前を助けられなかった」

「そんな事ありません! 僕がみんなを助けられたのは、ゲブラーさんが敵の相手をして、僕を助けてくれたおかげじゃないですか!」

「だが、お前が最後に追い詰められた責任は私にもある。……それで、呪霊と一緒に逝くだなんて約束をしたらどうなるんだ、乙骨」

 

 ゲブラーのこの言葉に、乙骨は「えーっと……」と言葉をにごし、一年生三人はギョッとした顔をする。

 

「お前それ死ぬって事じゃねーか! 何考えてんだ馬鹿!」

「ごめん。でも、そうするしかなかったから」

 

 真希が叫ぶのをよそに、乙骨は申し訳なさそうな顔をして、里香の方に近づいて行く。

 約束を果たす時が遂に来たのだ。

 ところが、里香は乙骨を冥土に連れて行きはしなかった。

 

 それどころか、逆に里香の方の姿が一瞬で変化する。

 その姿はまさに、人間だった頃の折本里香そのものだった。

 

「おめでとう。解呪成功だね」

 

 そう言ってパチパチと手を叩きながら、目に巻いていた包帯を外した五条は、崩れた塀の向こうからこちらに歩いて来る。

 

「来てたんだな、五条。夏油はどうした?」

「あいつはちゃんと片付けたから安心していいよ。残念ながら、あのイオリって人は見つからなかったけどね。まぁ、それはさておいて、今はちょっと乙骨の話をしようか」

 

 そう言われて、ゲブラーは乙骨と里香の方に視線を向ける。

 それから、五条は事の真相を話し始めた。

 

 乙骨が日本三大怨霊の一人、菅原道真の子孫であった事。

 里香が呪霊になったのは、乙骨が彼女に呪いをかけたせいだったという事。

 そして、主従関係が破棄された今、その呪いの解呪は完了したという事。

 

 全てを知って、これまでの全ての悲劇が自分のせいだと思って、乙骨は頭を抱えて泣いた。

 しかし、里香は呪霊として乙骨の傍にいた六年間が、生きている時よりも幸せだったと言って、乙骨の呪いを穏やかに肯定する。

 

 そんな二人のやり取りを今度、ゲブラーは心底穏やかな気持ちで見守れた。

 やり取りを終えて、里香があの世に行ってしまったのは少し残念だが、これはこれで真っ当な結末だろう。

 

 ゲブラーは、都市で悲劇に見舞われた数々の男女を思い浮かべながら、心の中で二人を祝福した。



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第30話 かつて私だった者について

「さて、感動の結末に水を差すようで悪いが、私からも話がある。終幕の時間だ。あと少しで、私は元居た世界に帰らなければならん。少しの間お別れってわけだな」

 

 この言葉に、分かりやすく悲しげな表情を浮かべる一年生たちを見て、ゲブラーはふっと表情を緩めた。

 

 全てではないにしろ、夜蛾から話を聞いていた一年生たちは、ゲブラーの事情をある程度把握している。

 彼女がいずれ元の世界に帰るというのも、既に知ってはいた話だ。

 ただし、別れが悲しい事に変わりはない。

 

「そんな顔をするなよ。いつになるかは分からんが、少なくとももう一回はこの世界に来る。お互い、それまでにくたばってなければいいだけの話だ」

「また、いつか帰って来るんだな?」

「ああ、私は簡単にはくたばらんさ」

 

 真希の言葉に、ゲブラーはそう返事をした。

 ゲブラーとしては、どちらかというと自分の事よりも一年生たちに自身の事を心配して欲しかったのだが、それは言っても仕方のない事だろう。

 

 ただ、ゲブラーは願うだけだ。

 心優しいこの仲間たちが、人の呪いに飲み込まれない事を。

 都市の人々のように、苦痛の連鎖に組み込まれない事を。

 

 それから、ゲブラーは一拍間をおいてから再び口を開いた。

 

「……そうだな。まだ少し時間もある事だし、最後はちょっとした私の昔話でもしようか。五条たちにも話し損ねた、私の二度目の人生についての話だ」

 

 そう前置きして、ゲブラーは最後の話を始める。

 昔話とは言ったが、正確に言うとそれは、かつてゲブラーだった者の昔話だ。

 

「二度目の人生で私は、ロボトミーコーポレーションと呼ばれる企業で、懲戒部門と呼ばれる場所を統括していたんだ。この企業は翼と呼ばれる大企業の一つでな。五条たちにはもう話したが、労働環境はお世辞にもよくなかった。何人もの社員がゴミのように死んでいくのを見たよ。時には、私の無茶のせいで死なせたもあった。時には、私の上司……アンジェラの理不尽な命令のせいで死ぬ事もあった」

 

 そう話すゲブラーの脳裏に浮かぶのは、かつての無様な自分の姿だ。

 

 今やゲブラーは人の身体を得たが、かつての彼女は機械の箱に赤い霧の脳みそを詰め込んだだけの存在だった。

 それでも、ゲブラーは十分すぎる程に強かったが、あの時の彼女は怒りに呑まれて何も見えなくなっていた。

 

 もっとも、あの場所では台本のために誰もが仄暗い感情を抱えていたのだから、それは仕方のない事だ。

 

「それでも、ロボトミーコーポレーションは私たちの目的を達成する目前のところまで漕ぎつけたんだ。だが、アンジェラの裏切りでそれも中途半端に終わってしまった。……でも、私は実のところそこまでアンジェラを恨んではいないんだ。結局のところ、私たちは今まで与えてきた苦痛のしっぺ返しを受けただけで、アンジェラは今まで受けてきた苦痛から自由になっただけだからな」

 

 今なおゲブラーの上司であるアンジェラは、ロボトミーコーポレーションで最も苦しんだ存在と言ってもいいだろう。

 詳細は長くなるため省くが、あの時ロボトミーコーポレーションの管理補佐をしていたアンジェラは、最初は死んでいく社員たちを見て人一番悲しみ、苦しんでいた。

 

「今となってはアンジェラも心変わりしたし、目的も私たちと同じ方向を向いている。ともかく、私がこの経験から言いたい事は一つだけだ。目的に向かって進む時、犠牲を見過ごしたり我を失ったりするなよ。……またな」

 

 そう言い終わった後、舞台が終幕する"カッ"という音が鳴り、ゲブラーはまたも呪術世界から消滅した。

 

 一年生たちは少しの間、呆然とゲブラーのいた空間を見つめているのだった。



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第31話 記述、心理学

「二度目の出張、お疲れ様ゲブラー。今回は結構長かったわね」

 

 一度目の時と同様に、図書館の言語の階に帰還したゲブラーを、アンジェラはそう言って出迎えた。

 見慣れた景色に、ゲブラーは自分が思いのほか安堵しているのを感じつつも、アンジェラに返事をする。

 

「ああ、長い出張だったな。こっちの世界では何日経った?」

「三十日ぐらいね」

「それなら、前回と同じ状況か。私が本の中の世界で過ごしたのは大体十か月ぐらいだから、今回も向こうの世界では十倍の速度で時間が流れていたと考えれば、まぁ辻褄は合う」

 

 ゲブラーの言葉に、アンジェラは小さく頷いて賛同を示した。

 まだ試行回数は二回だけで、イマイチ信憑性には欠けるが、ひとまずはこの法則を信じておいてもいいだろうという判断だ。

 

「そういえば、私がまとめた本はもう読んだのか?」

「ええ、じっくり読ませてもらったわ。あの世界は、本当に私たちの世界とは何もかもが違うのね。理想の世界とは言えないけれど、比べ物にならないぐらいマシな世界。元々ある程度は本を読んで把握していたけれど、曲がりなりにも人々が協力し合っていて、ちゃんと歴史が残っているだなんて驚いたわ」

 

 アンジェラの言葉からも分かる通り、実は都市にはまともな歴史が残っていない。

 誰もがその日を生き残るのに必死だからか、後世に残された資料が少なく、歴史を調べようとする者もいないのだ。

 都市で昔の話といえば、大抵の場合は口伝である。

 

 都市を支配している頭ならば、何かしら記録を持っているのかもしれないが、言っても詮無きことだ。

 

「そうだな。そのおかげか、向こうの世界は様々な技術や学問が発展していた。おまけにどの知識も体系化されていたから、私でも色々と学べたよ。詳しい事は言われた通りまた本にまとめるから、それを後で読めばいい」

「ええ、そうさせてもらうわ。……それはそうとして、少しの間E.G.Oが入っている本を貸してもらってもいいかしら」

「ん? 大丈夫だが何をするんだ?」

「あなたが幻想体の力を借りられるようにするわ。今まで、図書館内で接待をしてきたのと同じようにね」

 

 アンジェラの言う図書館内での接待とは、図書館にやってきたゲストと司書の戦闘のことだ。

 その戦闘でゲブラーは、他の司書たちと同じように、図書館の本の中で眠っている幻想体という名の化け物の力を借りて戦っていた。

 

 向こうの世界でも、あの力が使えればかなり心強いだろう。

 

「それは助かるな。正直なところ、今の私はあの世界でずば抜けて最強とは言えなかった」

「そうみたいね。表向きは平和な世界なのに、あなたは随分物騒な人たちと関わってるみたいだから世話が焼けるわ。ともかく、私は帰ってこの本に幻想体のページを足してくるから、その作業が終わるまでは待っていてちょうだい」

 

 ゲブラーがE.G.Oが入った本を渡すと、アンジェラはそんな事を言ってさっさとどこかに行ってしまった。

 素直じゃないアンジェラの物言いに、ゲブラーは苦笑を浮かべる。

 

「さて、私も自分の仕事をするとするか。アンジェラも頑張ってるみたいだしな」

 

 かくして、ゲブラーは自分の仕事である学んだ知識を本にまとめる作業に移っていく。

 そうして出来た本のどれかが、きっといつかはアンジェラの役に立ち、都市を変えるきっかけになるはずだ。

 

 少なくとも、ゲブラーはそう信じている。

 

 ++++++

 

 あれから、ゲブラーは呪術世界の法則、社会についての本に追記をしつつ、心理学についての本も新たにまとめ上げた。

 しかし、彼女はまだ都市を変えるための情報が足りているとは思っていない。

 

 ゲブラーは頭の中で、あの世界でロボトミー手術と呼ばれた研究を思い出す。

 何の因果か、かつて自分が働いていた会社と同じ名前をしていたあの研究は、脳の一部を切除して人間を壊してしまう倫理観に反するものだった。

 

 無論、あの研究を都市で使おうとは思わないが、あの研究を産んだ脳科学という分野は、都市の人々を変えるヒントになる可能性が十分にあるだろう。

 今回、ゲブラーは主にそれについて調べるために、呪術廻戦の本の中へと入るつもりだ。

 

 アンジェラによって手が加えられた、E.G.Oと幻想体の力が封じられた本を携えて、ゲブラーは三度世界を渡る。



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第三章 呪術高専入学編
第32話 三度目


(さて、取り敢えずは学長室に向かうとするかな。ここの景色は相変わらずだが、今度はどれぐらい時間が経ったのやら)

 

 これまでと同様に、呪術高専の敷地内で目覚めたゲブラーは、そんな事を考えながら学長室へと向かう。

 夜蛾から、現在の呪術世界についての情報を教えてもらうためだ。

 

 そうして、学長室にたどり着いたゲブラーは夜蛾の姿を見て、意外そうな表情を浮かべた。

 

「驚いたな。その姿を見るに、そこまで時間はたってないのか?」

「驚いたのはこっちの方だぞ、ゲブラー。君が元の世界に帰ってから、こっちは半年程度になる」

「……そうか。前回の十一年と比べれば随分と早いな」

「てっきり我々は、また十年程度は待たされると考えていたんだがな。何はともあれ、早く戻ってきてくれたのは喜ばしいことだ。呪術界の一員として、呪術高専の学長として、特級呪術師であり講師でもある君の帰還を歓迎しよう」

 

 そう言って、夜蛾はゲブラーに手を差し出し、彼女は求められた通りにその手を握った。

 

 すっかり定着してしまったこの関係を再確認して、ゲブラーは何とも言えない気持ちになる。

 今の彼女にとって、一番大切なのは無論図書館の仲間たちだが、この世界の仲間たちにも少し深入りしすぎてしまったようだ。

 これまで過ごしてきた時間を考えれば、情が湧くのも自然だと言える。

 

 とはいえ、ゲブラーは図書館の目的のためになるなら、彼らのことを容赦なく裏切れるだろう。

 今のところ彼女にそんな予定はないし、彼女もそんな事はしたくないだろうが、その心構えはある。

 それだけの話だ。

 

「それで、その特級呪術師に任せる仕事はあるか? 半年しかたってないなら、呪術師の人手不足も相変わらずだろう」

「その通りだ。今も人手不足のせいで、うちの一年生が特級呪物である両面宿儺の指の回収をやっている」

「ここの一年? となると、まさか恵か?」

 

 少し驚いた表情で、ゲブラーは夜蛾にそう聞いた。

 

 五条に任せてしまったとはいえ、ゲブラーは遺言で託されたあの子供のことを、それなりに気にかけていたのだ。

 ゆえに、彼女は伏黒恵の年齢や術式の事情をしっかりと記憶している。

 

「覚えてたか。あいつも成長したが、階級はまだ二級だ。呪物とはいえ、特級の相手は手に余るだろう。ギリギリだがまだ間に合う時間だ。復帰の手続きはこっちでやっておくから、今話した案件のカバーに向かってくれ」

「分かった」

 

 こうして、ゲブラーは伏黒恵の手助けをするために、宮城県仙台市の杉沢第三高校へと向かうことになる。

 既に十か月もの間、特級呪術師として活動をしていたため、彼女もこのような出張にはもう慣れっこだ。

 

 夜中にはなってしまったものの、ゲブラーは東京から目的地の高校までたどり着いた。

 

「ッチ、少し遅かったか」

 

 件の高校から漂う異様な雰囲気を感じ取って、ゲブラーはそう舌打ちをする。

 それから間もなくして、校舎からは次々に衝撃音が聞こえてきた。

 これを確認したゲブラーは、迷わず高校の敷地内に突入する。

 

 しかし、彼女が衝撃音の出所に到着した頃には、事は既に終わってしまっていた。

 その結果として、校舎の渡り廊下の天井に以下の人物が集まることになる。

 

 伏黒恵の手助けをしにきたゲブラー。

 上にせっつかれてやってきた五条悟。

 呪霊に殺されかけてた伏黒恵。

 宿儺の指を食べた虎杖悠仁の四人だ。

 

「この状況……一体何がどうなってるんです?」

 

 そんな伏黒の言葉に、その他の三人は全力で同意した。



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第33話 器と息子と最強と

「まずはゲブラーさんから説明してください。あなたは確か、元居た世界に帰っていたはずですよね?」

「ああ。だが数時間前にこの世界に帰ってきたんだ。夜蛾と話をして、取り敢えずお前の手助けにきたんだが……この分だと、特に助けはいらなかったみたいだな」

 

 五条のことを見ながら、ゲブラーは伏黒の質問にそう答えた。

 それを聞いた伏黒は、今度は五条の方に質問を投げかける。

 

「それで、五条先生はどうしてここに?」

「来る気なかったんだけどさ。特級呪物が行方不明となると、上がうるさくてね。観光がてらはせ参じたんだけど、思わぬ再会だよ。で、それはそうとして呪物は見つかった?」

 

 五条が逆にそう聞くと、伏黒は気まずそうな顔で虎杖の方に視線を向ける。

 そして、虎杖は衝撃の告白をした。

 

「ごめん。俺それ食べちゃった」

「は?」

「マジ?」

「マジです」

 

 それぞれが三者三様のリアクションをする中、五条は六眼でまじまじと虎杖のことを見つめる。

 それで、虎杖が呪物と本当に混じっていることを確認した彼は、ゲブラーの方に話しかけた。

 

「本当に混じってるみたいだよ、彼。試しに戦ってみない?」

「遠慮しておく。無駄に体力を使いたくない」

「ちぇっ、そういう真面目なところは相変わらずだね~」

 

 そう言うと、五条はゲブラーを置いてさっさと虎杖の方に歩き始め、彼に代わってもらった宿儺と十秒間限定の戦いを始めてしまった。

 その光景を見て、ゲブラーはやれやれと首を振る。

 

 ちなみに、彼女は五条からの仕事の報酬で、両面宿儺についての情報は既に把握済みだ。

 

(宿儺の実力を測るにしたって、別の場所でやればいいと思うんだが……あいつは理屈だけで動いてるわけじゃないだろうからな)

 

 伏黒の隣で、そんな事を考えながら戦いを眺めていると、程なくして五条は虎杖を気絶させてから戻ってきた。

 そして、五条は伏黒に一つ質問をする。

 

「さて、ここでクエスチョン。僕たちは彼をどうするべきかな」

「……呪術規定にのっとれば、虎杖は死刑対象です。でも死なせたくありません」

「それって私情?」

「私情です。何とかしてください」

「だってさ。ゲブラーはどうしたい?」

 

 そう言って、五条はゲブラーの方を向く。

 それに対して、彼女は少し考えた後に口を開いた。

 

「伏黒の頼みならある程度は協力しよう。色々と縁もあるからな」

「そうこなくちゃ。可愛い生徒の頼みだからね、僕ももちろん協力するよ」

「……しかし、お前が協力するなら私が出る幕はないんじゃないのか?」

 

 そんな事を言うゲブラーに、五条はいやいやと首を振ってからこう答える。

 

「そりゃ僕ほどじゃないけど、ゲブラーって結構影響力あるよ? 呪力がないから最初は舐められてたけど、今はもう十分に実力を示したし、仕事ぶりも呪術師の中じゃ真面目過ぎるぐらいだからね。いなくなった後の穴埋めも大変だったよ」

「……そういう事なら、復帰の挨拶も兼ねて適当な関係者に話でもしに行こうか。多少なりとも、いい影響は与えられるだろう」

 

 かくして、最強二人は虎杖悠仁の死刑回避のために奔走することになる。

 

 無茶苦茶なことを言ってはいるのだが、恐らく彼らの要求はある程度通るだろう。

 何せ、彼らは誰もが認める最強なのだから。



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小話2 教え子たちとの再会

 虎杖悠仁の死刑回避に協力するかたわら、ゲブラーはついでに半年前までの知り合いへの挨拶回りも行っていた。

 そして、その挨拶の対象にはもちろん呪術高専の教え子たちも含まれている。

 

 時間が空いて、自分たちの教室を訪ねてきたゲブラーを、現二年生たちは快く出迎えた。

 

「久しぶりだな、ゲブラーさん。私たちが学生の内には、もう会えねぇもんだと思ってたけど」

「夜蛾にも似たような事を言われたよ。そっちも、全員無事に半年間生き残ったみたいで何よりだ」

「なんやかんやで俺たちも成長したからな」

「しゃけしゃけ」

 

 和気あいあいとそう話をする二年生たちを見て、ゲブラーは顔を綻ばせた。

 

 何せ呪術界は相変わらず過酷な業界だ。

 無事に生き残ってくれてよかったと、ゲブラーは本気でそう思っている。

 

「そういえば、あの事件の後乙骨はどうなった? 海外にいるとは聞いてるが、詳しい事は聞いて無くてな」

「里香がいなくなって一旦四級にまで降格したけど、また三か月で特級に戻ったぞ。結局のところ、憂太はセンスも呪力量もピカイチだ」

「そりゃまた、人の事は言えないが規格外だな。あいつとも再会するのが楽しみだ」

 

 パンダが質問に答えるのに、ゲブラーはそう言葉を返した。

 

 事実として、乙骨は里香無しでも十分すぎるほどの力を手に入れている。

 菅原道真の子孫でもある男の実力は、伊達ではない。

 

「そういや、いつになったら訓練には顔を出せるようになるんだ?」

「あー、今は復帰直後で少し忙しくてな。面倒な案件にも首を突っ込んじまったし。まぁ、数日中には片が付くと思う」

「そいつはよかった。半年間の鍛錬の成果を、しっかり見てもらわないといけないからな」

 

 ニヤリと笑って、真希はゲブラーにそう言った。

 

 確かに、講師ならば教え子の成長を確かめる義務があるだろう。

 そして、その機会は後でも今でもいい。

 

「……一時間程度なら、今でもなんとか時間がとれる。軽い手合わせぐらいならできると思うが、やるか?」

「やる」

「明太子」

「二人がやるなら、俺ももちろん付き合うぞ」

「よし、決まりだな」

 

 こうして、ほんの僅かな時間ではあるが、ゲブラーと二年生たちは久しぶりの手合わせをすることになる。

 

 彼らにとっては残念なことに、手合わせの勝敗は相変わらずだったが、ゲブラーは二年生たちの成長を十分に感じることができた。

 それと同時に、ゲブラーは二年生たちの新たな改善点を見つけてしまったが、まぁこれはどちらかと言えば良い事だろう。

 

 今日はあくまでも再会の日。

 丁寧な指導はまた後日、じっくりと行われるはずだ。



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第34話 東京観光

 あの後、虎杖悠仁はゲブラーと五条悟の尽力によって、どうにか死刑執行までの執行猶予を得ることとなった。

 それも、全ての宿儺の指を取り込むまでという条件付きでだ。

 宿儺を取り込まないのならば、即刻死刑執行という状況で、虎杖は悩んだ末に宿儺を取り込み生きる道を選んだ。

 

 そうして、これからの活動のためにも呪術高専に入学した虎杖は、三人目の一年生を迎えるためにも、伏黒、五条、ゲブラー、新一年生と原宿で待ち合わせをすることになる。

 もっとも、ゲブラーの目的は他のメンバーとは少し異なるのだが。

 

「釘崎野薔薇。喜べ男子、紅一点よ」

「俺虎杖悠仁。仙台から」

「伏黒恵」

 

 無事、原宿にて集合した一年生三人は、そんな飾り気のない自己紹介を行う。

 その後、伏黒は引率の五条に質問をした。

 

「それで、これからどっか行くんですか?」

「せっかく一年生が三人揃ったんだ。しかもその内二人はおのぼりさんときてる。行くでしょ、東京観光」

 

 五条がそう言うと、そのおのぼりさんである虎杖と野薔薇は目を輝かせてはしゃぎ始める。

 その光景をよそに、ゲブラーは淡々と自分の話を始めた。

 

「私は別の仕事があるからここでお別れだ。一応、私はあいつらとの顔合わせのつもりでここまで付き合ったんだが――」

「ゲブラーさん、あの二人もう話聞いてないですよ」

「……まぁいいか。どうせあいつらとも、いつかは訓練でまた会うことになる」

(五条はあんな事言ってるが、あいつらもどうせ仕事だろうな)

 

 それから、ゲブラーはしれっと一行から別れ、自身の目的地へと向かい始めた。

 その目的地とは、都内の裏路地に存在するとある祠だ。

 

 参拝する人がいなくなり、すっかりボロボロになってしまったその祠の周辺にて、二級以上だと思われる呪霊が窓によって発見されている。

 それを祓うために、ゲブラーが派遣されたのだ。

 

 祠付近に到着したゲブラーは、目的の呪霊をすぐに発見した。

 

(見た目から推測するに蚊の呪霊か。夏になって、蚊への恐れが運悪く集結したってところだろうな)

 

 蚊が全長二メートル程度にまで巨大化した後、六本の手足を人間のそれにした姿が、まさしく今回現れた呪霊の姿だ。

 小さな祠の天井にとまっていたその呪霊は、近づいてくるゲブラーの姿を発見すると、その細長い口を彼女に突き刺そうと奇声をあげながら突撃する。

 

「キエアアアアア!」

「ッチ、蚊なだけはあって素早さは一級品だな」

 

 ゲブラーは難なく突撃をかわし、通り過ぎていった呪霊をミミックで切りつけようとしたが、その時には呪霊はもう攻撃の範囲外の空中へと移動してしまっていた。

 しかし、まだチャンスはある。

 

(幸いにも、蚊の呪霊の狙いはまだ私だ。さっきは躱してから反撃しようとしたのが失敗だった。今度はもっと単純に――)

「ギエァッ!?」

(直接反撃する)

 

 またも空中から突撃してくる呪霊に対し、ゲブラーはミミックを縦に振るう。

 その斬撃は、呪霊の身体の中央を正確に捉えた。

 細長い口から膨らんだ腹まで刃が通り、呪霊は綺麗に真っ二つになる。

 そして、それは間もなく残穢となって消滅した。

 

 裏路地という狭い空間で、素早い呪霊を周囲の建物に被害を出さずに祓うというのは、中々できる事ではない。

 特級呪術師にして、近接戦の達人の面目躍如といったところだろう。

 

「終わったな。さっさと帰って、家にある脳科学についての本でも読むとするか」

 

 そう呟くと、ゲブラーは祠をあとにして自宅へと帰還した。

 

 暇があったのなら、一年生たちの実地試験の様子を見に行ってもいいとゲブラーは考えていたのだが、生憎と彼女には本来の目的がある。

 仕事は早いが、二足の草鞋を履いているゲブラーは今日も多忙だ。



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第35話 呪胎戴天

 呪術高専の一年生たちが、六本木の廃ビルで実地試験を行ってからおよそ一か月がたったある日のこと。

 西東京市英集少年院運動場上空にて、特級仮想怨霊の呪胎が確認された。

 

 本来ならば特級呪術師が対処するべきところだが、五条は出張で、ゲブラーは任務で高専には不在だ。

 そこで、一年生三名が少年院内の生存者の確認と救出にあたることになったのだが……その途中経過は惨憺たるものだった。

 

 少年院内の生死不明者五名は、恐らく全員が死亡。

 釘崎野薔薇は呪霊の攻撃により、左目を負傷して戦線を離脱した。

 そして今、虎杖悠仁の身体を一時的に乗っ取った両面宿儺が、伏黒恵の前に立ちはだかっている。

 

 宿儺はわざわざ自身の心臓を抉り取り、虎杖を人質にして伏黒と戦うという選択をとった。

 伏黒からすれば、呪いの王と一対一をやらされるという絶望的な状況だ。

 しかし、ここで戦いが始まる直前に、赤髪をたなびかせて一人の呪術師が到着する。

 ゲブラーだ。

 

 いつものように自身の任務をさっさと終わらせた彼女は、野薔薇を連れて帰った伊地知の連絡を聞いてこの場に急行してきたのだ。

 

「貴様、あの時もいた女か」

「ゲブラーさん、どうしてここに!?」

「私の話は後だ。伊地知から話は聞いたが、応援が必要なこと以外は聞いてない。私は何をすればいい?」

 

 ゲブラーの問いに、切羽詰まった伏黒は即答する。

 

「宿儺を追い詰めてください。あいつが、心臓を欠いた身体では勝てないと思うまで!」

「分かった、可能なら援護しろ」

 

 そう言うと、ゲブラーは懐の本から先端が八分音符に似た形状をしている白黒の大鎌を取り出す。

 ダ・カーポという名のE.G.Oだ。

 

 このE.G.Oは、以前ゲブラーが現二年生たちとの腕試しで使った懺悔と同じで、対象の肉体は傷つけずに精神へと直接ダメージを与える。

 ただし、その強さは懺悔とは桁違いだ。

 伏黒の話を聞いて、虎杖の肉体を傷つけるのは得策ではないと判断したゲブラーが、両面宿儺の精神のみを追い詰めるために選択したE.G.Oである。

 

 ゲブラーは宿儺に真正面から突っ込み、無限の速度でダ・カーポを振るった。

 

(速いっ!)

「その身体、五体満足で返してもらう」

 

 ゲブラーの初撃は、宿儺が腕を前に構えて防御行動をとったところに、ガンッという音を立てて命中した。

 その瞬間、宿儺は自身の精神が削られるという初めての感覚を覚える。

 しかし、宿儺にはその初めての感覚を味わう余裕はなかった。

 

 ダ・カーポの真髄は、その圧倒的なまでの連撃性能だ。

 ゲブラーは指揮者のように滑らかに舞い、音符をモチーフとした大鎌を宿儺の周りで振り回し続ける。

 伏黒の式神である鵺も、ゲブラーの邪魔にならないように援護攻撃中だ。

 

 対する宿儺は防戦一方。

 ダ・カーポの刃は、彼の身体に命中し続けている。

 いくら呪いの王でも、このまま攻撃を受け続ければただでは済まないだろう。

 

(術師でもないのにこの強さ。おまけにあの得体の知れない武器……あの女、何者だ?)

「そろそろ苦しくなってきたんじゃないか? このままならお前は精神ダメージで発狂して終わりだ」

「ハッ。まだ心臓(ココ)を治すには足りんぞ、女ァ!」

 

 そう叫ぶと、宿儺は一瞬の隙を見て地面を殴りつけ、ゲブラーに向けて土くれや土埃を飛ばす。

 そして、ゲブラーとは反対方向に大きく跳躍した。

 

 ゲブラーは飛んでくる土くれを切り飛ばしてから、宿儺を追いかけ容易く追いつく。

 その事自体はよかったのだが、変わった辺りの景色を見てゲブラーは僅かに冷や汗を流した。

 

(住宅地か。クソッ、狙ったかどうかは知らないが嫌な場所に連れてこられたな)

(カイ)

 

 宿儺がそう唱えると、不可視の斬撃がゲブラーに向かって飛んでくる。

 ゲブラー自身は、優れた動体視力でその斬撃を躱したが、彼女の後ろの一軒家には斬撃が直撃した。

 ガラガラと一軒家が崩れる音を聞いて、ゲブラーは鵺を用いて追ってきた伏黒に指示を出す。

 

「伏黒は一般人の救出と避難にあたれ! 心臓どころじゃないぞ!」

「了解です!」

(流石は呪いの王といったところか、性格の悪さも最悪だ。全力で止めるしかない)

 

 そう決意し、感情が一定のレベルまで高まったところで、ゲブラーは自身のE.G.Oを発現しようとする。

 彼女の全身が、徐々に赤く揺らめく鎧に覆われていく様を、宿儺は興味深そうに見ていたのだが……E.G.O発現の途中で、突然宿儺の様子が変わった。

 

 全身の体表にある黒い模様がスゥ…と消えていき、三、四個目の目も閉じていく。

 虎杖が身体のコントロールを奪い返したのだ。

 しかし、その身体の心臓はまだ治っていない。

 

「なんで戻ってきたんだ」

「ここで戻らずに、宿儺のせいで人が死んだら絶対後悔するから。生き様で後悔はしたくねぇって、決めたから」

「……そうか。最期に何か、言うことはあるか?」

「あー、五条先生とゲブラーさんは、心配いらねぇと思うけど。伏黒も釘崎もみんな、長生きしろ、よ」

 

 そう言い終えると、虎杖はその場にどさりと倒れた。

 もはや動く気配はない。 

 

「悔しいが……受け入れないとな。クソッ」

 

 ゲブラーはそう言うと拳を強く握りしめ、されど立ち止まることなく歩き始める。

 悔しさで立ち止まるよりも、前に進み続ける方が残された者たちのためになることを、彼女はよく知っていた。



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