終末の異世界で生き残るため、TS魔法少女となってスパチャを稼ぐことになった話 (星野スミ)
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第1話

 満月の夜だった。

 おれは切り立った崖の上から、森のはずれにある騒々しい砦を見下ろす。

 

 どうやらパーティの真っ最中のようだ。

 パーティの主役は異形の怪物たちである。

 

 無数の触手を持つ全長四メートルの毛玉、ローパーと呼ばれる化け物がいた。

 人の倍の背丈で四つの腕を持つ、ギガントと呼ばれる巨人がいた。

 三つの頭を持つ竜、キマイラと呼ばれる怪物がいた。

 

 大狼が、一本角の小鬼が、緑の肌の小人が、甲殻を背にかついだ爬虫類が、双頭の異形がいた。

 合わせて、およそ五百体。

 いずれも魔物、魔族と呼ばれる存在であった。

 

 魔王軍。

 魔王に率いられた軍勢だ。

 一般に人型の化け物を魔族、それ以外を魔物と呼ぶが、その線引きは厳密ではなく、そもそも魔族や魔物は自分たちをそういう風には区別していない。

 

 彼らは、自分たちをこう呼ぶ。

 真種(トゥルース)

 

 真種(トゥルース)に共通しているのは、いずれも人の仇敵であることである。

 

 たとえば、今、砦の中庭では、いくつもの松明の明かりのもと、知性の高い魔族たちによるゲームが行われている。

 囚われた人間の四肢を少しずつちぎって、何度目で死ぬか競うという、たいへんに知的なゲームだ。

 隅の方では、泣き叫ぶ母娘を嬲っている小鬼たちの姿がある。

 

 捕まった兵士たちが、互いに剣を向けて、剣闘士の真似事をさせられていた。

 かつての同僚である相手を殺した兵士は、奴隷たちの見張り役として生き延びることができるらしい。

 奴隷というのはもちろん、真種(トゥルース)の支配下に置かれた人類のことである。

 

 この砦はかつて、この緑豊かな国の要衝につくられた。

 隣国から攻め寄せる軍勢を幾度も跳ね返した難攻不落の砦として名高かった。

 

 でも、そんな場所も、魔族と魔物の軍勢を前にして、半日も保たなかった。

 逃げ延びた兵の話によると、キマイラに乗った軍勢が空から押し寄せて見張りの兵を殺し尽くし、ギガントが大岩を投擲して砦の壁を破壊したという。

 

 人間同士の戦いのためにつくられた砦が、空中からの攻撃やカタパルトより強力な投擲兵器の飽和攻撃なんて想定してるわけがないのである。

 でも、その砦があるから、とこの国の人々は自信満々で、結果的に周辺の民は逃げ遅れて、その大半が魔王軍の奴隷となった。

 あそこで遊ばれている人々は、その一部である。

 

 そういうわけで。

 仕事を始めようか。

 

 おれは手にした小杖(ワンド)を振るう。

 おれの身体が虹色の光彩に包まれ、たくましい身長百八十センチの二十歳男性から、身長百四十センチの十一、二歳にみえる可憐な少女へと変身する。

 

 秋の稲穂のような金髪が、透き通るような銀髪に変化した。

 海の底のような紺碧の瞳が、ルビーのような紅色に変化した。

 

 着ている服も、身体に合わせた簡素な革鎧から、派手な桃色のワンピースに変化した。

 際どいくらい短いスカートには、フリルがたっぷりついている。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)

 おれが使える、たったふたつの魔法のうちのひとつだ。

 

「いいねいいね、兄さん! 今日もかわいいよ! キュートだよ!」

 

 そばで一部始終をみていた十五歳の少女が、いえーいと拳を振り上げて、興奮していた。

 おれの妹のシェリーである。

 兄が女性になることで興奮する性癖なんて、どうしてこうなった。

 

「シェリー、いつも通り、アシスタントを頼む」

「はいはーい、任せて!」

 

 妹が己の小杖を振るう。

 ぽん、とワンドの形状が変化し、白い小鳥になる。

 小鳥はぱたぱたと羽ばたき、おれの方をみながら、ホバリングでおれのまわりをぐるりと一周した。

 

 小鳥の目が、小鳥の耳が、カメラとマイクとなって変身後のおれの姿と声を遠くに伝える。

 おれの前世におけるドローンカメラのようなものだ。

 

 これが妹の使う魔法のひとつ、物体変化の魔法(オブジェクトポリモーフ)であった。

 ちなみに妹は器用で、たったふたつしか魔法が使えないおれと違って、五十以上の魔法を自在に使いこなす。

 

 単純に、才能の差だ。

 お兄ちゃんは悲しい。

 

 いや、まあいいんだ、今は。

 それより、きっと遠方のあちこちで、今ごろ無数の人々が映像(ヴィジョン)をみているはず。

 

 おおきく息を吸い込んで、吐く。

 さあ、放送(・・)を始めようか。

 

「日々魔族や魔物と戦う勇敢な人類のみなさん、こんばんわ!」

 

 美少女になったおれは、ぱたぱた飛ぶ小鳥に向かって手を振った。

 

「今日も王国放送(ヴィジョン)をみてくれてありがとう! ヴェルン王国特殊遊撃隊所属のアリスだよ!」

「アリスお姉ちゃん(・・・・・)のアシスタント、シェルだよー」

 

 妹が画面の外から変声魔法で媚び媚びな声を出して自己紹介する。

 いや、おれも媚び媚びだけど。

 

 名前を変えているのは、魔王軍のスパイ対策である。

 おれがこうして変身してるのも同様だ。

 なんせ、今、この映像はヴェルン王国中に流れているからな……。

 

 そう、妹が行使する小鳥の目と耳を通して音と映像が伝わり、それが今、ほぼリアルタイムで彼方の地で放映されているのである。

 魔法による広域同時通信技術、すなわち王国放送(ヴィジョン)システムだ。

 

 システムを閲覧できる端末は王国内のどんな村でも最低ひとつ、小さな町でも二、三か所、王都ともなれば百か所以上も設置されている。

 今、それらのシステムが一斉におれの映像を映し出し、民も騎士も貴族も食い入るようにおれのかわいい顔をみつめているはずであった。

 

 ああ、気分がいい。

 最高だ。

 

「今日はアリス、先日陥落したエルトラ砦に来ていまーす。この砦は東エルド共和国が西エルド王国との国境いに建てた堅牢な砦で、八回に渡る大侵攻をことごとく退けたことで有名ですね。でも、魔王軍の前には無力でした」

 

 

:アリスちゃん、コメントみてるー?

:魔王軍ってそんな強いの?

:それはそう

:普通の砦、空飛ぶ魔物には無力でしょ

:アリスちゃんきゃわわ

:東エルドもだらしないよね

:そもそも先に滅亡した西エルドの方が国力は上だったんでしょ?

:西エルドの難民を追い返したんだっけ

:そう、だから東エルドは情報収集不足で魔王軍に浸透された

:アリスちゃん、こっちみて笑って

 

 

 視界の隅に半透明で表示されるコメント欄が、高速で流れる。

 王国放送(ヴィジョン)システムの副次的な機能で、各端末からコメントを送ることができるのである。

 

 もっとも、それが可能なのは主にコメント機能を個人で使用できる者、つまりある程度特別な立場の者たちであり、つまり現在のところ、貴族や一部上級騎士、それに王族たちの特権であった。

 

 ねえ、なんでそんな特別な人たちが「アリスちゃん笑って」とかコメントしてるの?

 うちの国の貴族、馬鹿ばっかりなの?

 

 っていうか誰がコメントしてるかこっち側ではわかるシステムなんだけど、おれの正体を知ってるはずの王族まで「アリスちゃんきゃわわ」とかコメントしてるのなんで?

 もう駄目だようちの国。

 

 まあ、いいや、演出(・・)を続けよう。

 小鳥に向かってにっこりとしてみせる。

 

 笑った、おれに笑いかけた、いやおれだ、とコメント欄が沸く。

 ちょろい。

 

「これからアリスはエルトラ砦に巣くう魔王軍を打倒し、砦を人類の手に奪還したいとおもいまーす。みなさん、応援、螺旋詠唱(スパチャ)、よろしくお願いします!」

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)は画面の向こう、つまり王国放送(ヴィジョン)システムの端末から特殊な方式によって魔力を供給する機能のことである。

 ただしこの魔力供給、供給する側がけっこうな魔力を消費するうえ、高価な触媒が必要となる。

 

 必然的に、その使用者は魔力豊富な騎士魔術師や貴族魔術師、王族魔術師に限られてくる。

 おれとしても、彼らの歓心を惹き続けていくのは死活問題であった。

 

 なにせ螺旋詠唱(スパチャ)システムがなければ、おれなんて三流の騎士に過ぎないのだから。

 

「それじゃ、いっくよーっ」

 

 おれは元気よく叫ぶと、崖から飛び降りた。

 強い風を浴びて落下しながら、手にした小杖(ワンド)を振るう。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)

 背中から、二枚の白い鳥の翼が生えた。

 

 この魔法を普段使いするため、ワンピースの背中側はおおきく開いている。

 おれがセクシー路線を模索しているわけでは、けっしてない。

 

 更に、もう一度、小杖(ワンド)を振るう。

 肉体増強(フィジカルエンチャント)

 これが、おれが使えるもうひとつの魔法だ。

 

 白い翼が、ちから強く羽ばたいた。

 風を掴み、滑空する。

 

 

:飛んだ! アリスちゃんが飛んだ!

:肉体の延長線上として翼を生んで動かすの、かなり難しいんじゃないっけ

:難しいはず

:かなり訓練いる

:そんなことよりパンツ見えた

 

 

 見せパンだよ。

 

 おれはゆっくりと旋回しながら、砦に向かって、落下していく。

 魔王軍の魔族と魔物は、未だ宴に夢中で上空から接近するおれに気づいていない。

 

 さて、それじゃまず、大物から仕留めようか。

 キマイラに狙いを定め、身体を傾けて急速降下する。

 

 キマイラは全長十メートル近い巨体を持つ、恐竜のような胴体とコウモリの翼、三本の首を持った魔物だ。

 その戦闘力は、単体で騎士一千人以上に相当するといわれている。

 

 たったの一体で、小国をひとつ滅ぼしたという記録があった。

 一万人の兵士で攻めかかり、返り討ちにあったという記録があった。

 魔法を操る熟練の騎士が百人がかりで立ち向かい、半数を犠牲にしてかろうじて討伐したという記録があった。

 

 とびきりの化け物だ。

 三つの首からそれぞれ炎や酸、毒霧を吐き、自由に空を舞う。

 知性も高く、一軍の指揮官であることも多い。

 

 今回も砦の広場の中央に鎮座していることから、おそらくあの魔王軍の部隊を率いているのはあのキマイラなのだろうと見当をつけた。

 よって、最初に始末する。

 

 脇の鞘から左手で小剣を抜いた。

 刃が月明りを浴びて、銀色に輝く。

 

 おれは落下の勢いを乗せて、キマイラとすれ違いざま、小剣を振るった。

 一度。

 二度、そして三度。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)によって強化された剣筋は、ほぼ同時に三つの斬撃を繰り出してみせる。

 キマイラの三本の首が、ことごとく胴体から離れた。

 

 キマイラは断末魔の声もあげられず、どうと地面に倒れ伏す。

 周囲の魔族と魔物たちが、なにごとかとキマイラの方に視線を集中させる。

 

 その間に、おれはもう別のところにいる。

 

 行き掛けの駄賃で四本腕の巨人、ギガント三体の首を刈った。

 続けて無数の触手を持つ巨大な毛玉、ローパーのひとつ目に刃を叩きこみ、これを始末する。

 ついでにその近くにいた一本角の小鬼たちの首を、五つばかり刎ね飛ばした。

 

 魔族と魔物が戦場には不釣り合いな格好で大暴れする小柄な少女を発見するまでの間に、おれは二十体ほどを始末し終えていた。

 そして、彼らは桃色のワンピース姿のおれをみて、目を白黒させる。

 

 なにが起きているのかわからないのだ。

 おれがこいつらにとっての死神であるということを理解できないのだ。

 

 なら、理解させてやろうじゃないか。

 

「そーれっ」

 

 明るい声で叫び、拘束した女たちを嬲っていた緑の肌の小人の群れに突進する。

 

「悪い子は、お仕置きだよっ」

 

 小剣を十二回、振るった。

 十二の小人の首が宙を舞う。

 

「次はこっち!」

 

 続いて、老人の手足をもぎ取り悲鳴を愉しむというセンスある遊びをしていた双頭の巨人が近くにいたので、これの手足をすべて斬り飛ばす。

 絶叫をあげて倒れ伏す巨人は放置して、次に近くにいた爬虫類の肌をした魔族の群れに突入する。

 

 この爬虫人、リザードマンという名の魔族は、首を刎ねると緑の血を噴き出して倒れていく。

 七体倒したところで、残りが背を向けて砦の外に逃げ出した。

 

「あははっ、リザードマンって逃げるときに尻尾をくるくる巻くんだね! 尻尾を巻いて逃げ出してる! 無様だね!」

 

 煽りはするが、逃げる敵は追わない。

 それよりは、今後を考えての大型の殲滅だ。

 

 実際のところ、ここまででたいした量の螺旋詠唱(スパチャ)を得ていたのだけれど、同時にふたつの魔法を維持するためにだいぶ魔力を消費してしまっている。

 

 具体的には、平均的な騎士の魔力量を100として……。

 今回得た螺旋詠唱(スパチャ)が17361、消費したぶんが9812。

 

 おれは魔力量でいうと、極めて平凡な騎士だ。

 そんなおれの継戦能力を担保するのは螺旋詠唱(スパチャ)である。

 

 短時間で、とはいえ百倍以上の力を発揮できているのだ。

 お布施はいくらあってもいい。

 

「さてさて、次はあっちのギガント五体、いってきますかーっ」

 

 四本の腕で子どもの死体を弄んでいたギガントの集団に向かう。

 

「なんだぁ、てめぇ! ガキが、てめぇも五体ばらばらにしてやる」

 

 ギガントたちは子どもの死体を捨て、怒声と共に棍棒を握って、こちらを向くが……。

 

「バラバラになるのはどっちかな?」

 

 遅い。

 おれは螺旋詠唱(スパチャ)をつぎ込んで肉体増強(フィジカルエンチャント)を増強し、一段と加速する。

 

「くふふっ、でくのぼうは頭に血が巡るのも遅いのかな?」

「こんのっ、クソガキァっ!」

 

 ギガントの棍棒が広場の地面をえぐり、土埃が舞う。

 だがそのとき既におれは棍棒の下をかいくぐり、敵の懐に飛び込んでいた。

 

 おれの小剣が煌めく。

 一体のギガントの両目を切り裂き、暴れるその個体の隣にいたやつの膝を断ち切る。

 

 残りの三体がおれを見失う。

 おれはその間に、敵の背中にまわっている。

 

「血の巡りが悪いなら、アリスがよくしてあげるね?」

 

 巨人たちの後ろから跳躍し、一体の後ろ首を断ち切った。

 もう一体の脳天に刃を突き立て、その一撃は骨を貫通して脳をえぐった。

 

 残る一体はおれに対して振り向いたところで首筋を一閃する。

 喉を切り裂かれ、赤い血を噴き出して、そいつは絶命する。

 

「ガキのくせに化け物だ! 逃げろ!」

「逃げるな! 戦え! こんなメスガキに背を向けるな!」

 

 おれの存在に気づいた魔族や魔族の反応はふたつだった。

 立ち向かってくるものと、逃げるものだ。

 

 小鬼や緑肌の小人は逃げ出す者が多かった。

 こいつらは一般兵でも倒せる程度なので放置する。

 

 ざっと、逃げる敵が七割、立ち向かってくるのが三割といったところか。

 小型、中型の比較的知性が高い魔族は、だいたい逃走を選んでいる。

 

 対してローパーや双頭の巨人は知能が低いのか、無謀にも立ち向かってくる。

 都度、おれは螺旋詠唱(スパチャ)肉体増強(フィジカルエンチャント)につぎ込んで、これを始末する。

 

 視界の片隅に浮かぶコメント欄が高速で流れていた。

 戦うのに懸命で、コメントを目で追うのも難しいが……。

 

 

:その調子だ、やってしまえ!

:ローパーは嫁と娘の仇なんだ、殺してくれ!

:なんだこの娘……強すぎる……

:うちの国は、こいつらになすすべもなく蹂躙されたんだぞ……

:これがアリスですよ

:我が国の誇りです

 

 

 他国から逃げ延びてきた貴族が、ガンガン螺旋詠唱(スパチャ)を飛ばしてくれている。

 そりゃおれの活躍に螺旋詠唱(スパチャ)をつぎ込むのは、効率のいい復讐の手段かもしれんが……。

 

 いや、おれが自国を解放してくれるとか思ってるのかな。

 そういう風にうちの国の上層部が抱きこんだのかもしれないな。

 

 まあ、いいさ。

 せいぜいおれに貢いでくれたまえ。

 

 それが、この世界を救う、ただひとつの冴えたやり方なんだから。

 

 そう、この滅亡が約束された世界で、それを覆す唯一の方法なのだから。

 

 

:その我が国の誇り、さっきから口が悪くない?

:興奮すると煽り出すアリスちゃんかわいい

:天然なのかな? 計算かな?

:何故だろう、アリスちゃんの煽りを聞くと興奮してくる

 

 

 一部変態さんがいるね?

 しかもそのコメントID、うちの王子だね?

 

 おれはそれからも暴れ続けた。

 一時間ほどで、動く魔王軍の姿は消える。

 

 積み上げた魔族と魔物の死骸は、ざっと百五十体ほど。

 残りはみんな、逃げてしまった。

 

 そいつらは別動隊が始末するだろう。

 わざわざおれが相手をする必要はない。

 

 捕虜として、奴隷となっていた人々が、呆然としつつも、戦いを終えたおれのもとに集まってくる。

 おれは愛想笑いを浮かべて、彼らの代表であるという傷だらけの騎士と、今後についての話を始めた。

 

 



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第2話

 生まれて十年ほどたったとき、唐突におれの記憶が戻った。

 この世界は、あと十五年で終わる、とそのとき悟った。

 

 だって、この世界にそっくりの物語を、おれは知っていたから。

 

 終末世界の零落姫。

 人類を代表して復活した魔王と戦う、剣と魔法のファンタジーRPGだ。

 

 物語は、かなり暗い。

 

 人類は崖っぷちに追い込まれていて、魔族と魔物に虐げられた人々の悲惨な描写が続く。

 物語の終盤では、大陸そのものが破壊されてしまう。

 

 ヒロインも主人公もロクな結末を迎えない。

 鬱展開がいろいろな意味で有名になった、同人の大作エロゲだ。

 

 同人だからってスタッフが好き勝手に性癖を開放した結果、世界観は陰鬱、起きる出来事も陰鬱、出てくる女の子たちの結末も陰鬱と三拍子揃った素晴らしいゲームだった。

 

 めっちゃ抜いた。

 正直、めちゃくちゃ好きだった。

 

 でもそれはゲームだったから。

 PCを前にして遊んでいるだけだったから。

 

 こんなクソの塊みたいな世界で生きるなんて、絶対にごめんだ。

 ましてやおれが生まれた小さな町は、その所属する国ごと、物語が始まる前にすでに滅んでいた。

 

 大陸にある七つの大国のうち、ゲーム開始時に残っているのはたったひとつだけ。

 そして、そのひとつは東西に長い大陸の最東部に存在する。

 

 おれの生まれた国、ヴェルン王国は大陸の中央南側くらいに位置していて、たしか魔王軍に侵略された順番では七大国のうち四番目。

 つまりおれに残された猶予は十五年どころか、もっと少ないことになる。

 

 それに気づいてから、おれは必死になって駆けまわった。

 転生前のおれについての記憶は曖昧で、どんな仕事で生計を立てていたかは覚えていない。

 

 いつ死んだのかも覚えていない。

 でも、おぼろげながら四十代くらいまでの記憶はあった。

 

 ゲーム三昧で、趣味にお金をつぎ込んでいた日々の記憶だ。

 なので死んだとしてもその後だろう。

 

 親や兄弟姉妹、結婚の有無なんかはまったく記憶にない。

 なので実際のところ、前世のことはどうでもいい。

 

 問題は今世のことだ。

 十歳で前世の記憶が戻ったおれには、親がいた。

 

 父は王国の騎士で、あまり裕福ではなかったが、優しい人だった。

 母はつきあいのある騎士家から嫁いできた人で、肝っ玉かあちゃんという感じのふくよかな人だった。

 

 そして、妹がいた。

 五つ年下の、ちいさな妹が。

 

 いつもおれのことを「にいたん、にいたん」と呼んでついてくる、かわいい妹が。

 

 ささやかながらも幸せな家庭だった。

 しかしこのままだと、この幸せな家庭は破滅する。

 

 町は焼かれ、人は殺されるか、魔王軍の奴隷となる。

 同人エロゲだったので、そういった人々の過酷な扱いも描写されていた。

 

 父を戦死させたくなかった。

 母を、妹を、守りたかった。

 

 なによりおれ自身が死にたくなかった。

 

 なら、どうすればいいか。

 まずおれ自身が強くならなければ、と身体を鍛えた。

 

 魔法の才能は、残念ながらたいしてなかった。

 なので、覚える魔法を絞ることにした。

 

 幸いにして、この世界でどんな魔法が強いのか、どうすれば魔族や魔物と戦えるようになるか、おれにはその知識があった。

 

 ゲームの知識だ。

 でも割と、この現実となった世界においてもゲームの知識は役に立った。

 

 肉体増強の魔法(フィジカルエンチャント)

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)

 

 おれはそのふたつの魔法を覚えることに全力を尽くした。

 

 下級の魔族や魔物ならともかく、上級の個体と人類とでは、個体としての力の桁が違う。

 野生の猪が全長十メートルになって突進してくるのを正面から相手にしなければいけない、といえばわかってもらえるだろうか。

 

 どれだけ武器が上手く扱えても、外皮を貫けなければ意味はない。

 些細な罠など力任せに食い破られてしまう。

 

 だから、不足分は魔法で補う。

 ゲームにおける人類は、そうして対魔王軍独自の戦術を開発することで、形勢を逆転させていくのだ。

 

 そこに辿り着くまでに、膨大な犠牲を出しながら……。

 

 おれが魔法の習得に一所懸命になるのをみていた妹が「わたしも、わたしも」と勉強を始めた。

 妹は魔法の天才だった。

 

 またたく間に十二の基礎魔法をすべて習得し、それらを自在に使いこなした。

 正直、才能の差にちょっと泣いた。

 

        ※※※

 

 おれの兄としての矜持はさておき、妹が魔法において素晴らしい才能の持ち主である、という事実は光明であった。

 

 破滅の未来を避けるため、採れる手段も増えようというものだ。 

 

 ただ、その前にひとつ、妹に訊ねる必要がある。

 そのときおれは十二歳、妹のシェリーは七歳だった。

 

「シェリー、おれは魔族や魔物と戦う」

 

 妹はきょとんとして、小首をかしげた。

 親譲りのさらさらの金髪が秋の稲穂のように揺れる。

 

「魔族? 魔物?」

「もうすぐ、大陸の西端、死の渓谷で魔王が動きだす。魔族と魔物の軍勢を引き連れて、大陸中を支配するための活動を開始する」

 

 魔王。

 その存在は、この時点ではただの伝説だった。

 

 五百年前、魔王と呼ばれる魔族が現れ、魔族と魔物の軍勢を率いた。

 大陸のすべての国を戦禍に巻き込み、危うくすべての人類が支配されかけた。

 

 人々は土壇場で団結し、魔王軍を追い返す。

 そして西の果て、死の渓谷と呼ばれる地に魔王を永久に封印した。

 

 ゲーム開始から十三年前のこの世界では、そういうことになっている。

 ちなみにゲームだと魔王の正体に関する真相もあったりするんだけど、ひとまず割愛。

 

 今の人々にとって、魔王なんてもうずっと昔の伝説で、魔族や魔物も小鬼などの小型のものが各地で散発的に暴れる程度であった。

 

 各国は、七つの大国で相争い、互いの足を引っ張るのに忙しい。

 周辺の小国も、自分たちのことで手一杯である。

 

 人類は、自分たちのことだけで手一杯なのだった。

 

 そんな状況だから、妹が魔王や魔族、魔物といわれてきょとんとするのも道理であった。

 その退治をする、なんて話を大人にしたら、子どもの他愛ない空想と笑われても仕方がない。

 

 でも妹のシェリーは、澄んだ空色の瞳でおれをみあげた。

 それから、こくんとうなずいた。

 

「わかった。わたし、にいたんと魔族や魔物を退治する」

「どういうことか、わかっているのか」

 

 シェリーは首を横に振った。

 

「わからない。でも、にいたんがやるなら、シェリーもやる」

「たいへんなことなんだ」

 

 今度は、シェリーは首を縦に振った。

 

「シェリー、わかるよ。にいたんは、真面目な話をしている」

「そうだ。真面目な話だ」

「シェリーは、にいたんを信じる」

 

 胸が熱くなった。

 

 シェリーは賢い。

 たぶんおれよりもずっと賢い。

 

 その彼女が、本当に心から、おれを信じるといってくれた。

 彼女は幼いながらも、自分の言葉の意味がわかっている。

 そのうえで、おれについてくるといったのだ。

 

「辛いことがたくさんあるぞ」

「にいたんといっしょなら、へいき」

「死ぬかもしれないぞ」

「にいたんはわたしが守るから」

「ひどい目に遭うかもしれない」

「でも」

 

 シェリーは、えへらと笑った。

 うちの妹の笑顔は世界一かわいい。

 

「にいたんが、守ってくれるでしょ。いっしょに、がんばろう?」

 

 そういうことになった。

 

        ※※※

 

 ふたりで、魔族や魔物を想定した訓練をした。

 

 おれは師匠から教わった対人剣術を、試行錯誤しながら魔族や魔物と戦うためのものに改造していく。

 だが、やはりおれ程度の魔力では限界があった。

 

「わたしの魔力を、にいたんにあげられればよかったのに」

 

 シェリーのその言葉がヒントとなった。

 

 魔力の譲渡。

 ゲームでも存在する概念だ。

 

 ゲームではエッチな行為によって為されたが、別にそれだけが魔力譲渡の条件ではない。

 お互いの身体が魔力的に馴染むために、エッチな行為が便利である、というのは事実だが……。

 

 おれの場合、相手が妹なのだから、もともと流れる血は同じだ。

 ゲーム中でも双子の姉妹が自在に魔力譲渡を行っていたから、あとは馴れの問題だろう。

 

 まずは手を繋いで、妹から魔力を流してもらった。

 

 激痛で悶絶した。

 どうやらおれの身体は魔力的に脆弱すぎたらしい。

 

 それでも、あきらめずに毎日、これを続けた。

 妹は泣きそうになって、「もうやめよう?」といってきたけれど、必要なことだと説き伏せた。

 

 そのうち苦痛も減ってきた。

 おれの身体が、妹から受け取る膨大な魔力に慣れたのだ。

 

 妹から魔力を貰った状態で、肉体増強の魔法(フィジカルエンチャント)を使って大岩を殴ってみた。

 岩が粉々に粉砕された。

 

 よし、いける。

 この調子で続けていけば……。

 

 慣れると、手を繋がなくても魔力の譲渡が可能となった。

 

 これはシェリーが魔法の天才だから、というのもあるだろう。

 彼女はとても器用に魔力を操って、おれに流しこむことができるのだ。

 

 とはいえ、それだけでは限界が来るのもわかっていた。

 大型の魔物や上位の魔族の強さは、ゲームでよく知っていたから。

 

「わたしがもっと魔法を上手に使えるようになれば」

 

 そういって、シェリーは高名な魔術師の弟子となった。

 おれが十二歳、妹が七歳のときである。

 



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第3話

 それから更に三年が経過した。

 おれが十五歳、妹のシェリーは十歳である。

 

「兄さん」

 

 いつしか、妹がおれを呼ぶときの呼称が、「にいたん」から「兄さん」になっていた。

 

「師匠が開発したシステムが、兄さん向きかなと思って」

 

 シェリーの師匠は、リアリアリアという名の、王国でも有名な魔術師だった。

 シェリーの天才性を見抜き、二百年ぶりに弟子をとったという人物だ。

 

 五百年前の魔王との戦いの後に生まれていて、現在、四百五十歳くらいらしい。

 それはまだ魔王との戦いの余韻が残っている時代である。

 

 彼女は、ふたたび魔王軍が大陸を蹂躙する可能性をたびたび各国に示唆しては、各国の指導者たちに嫌な顔をされてきた。

 現在はこのヴェルン王国に住居を構え、国同士の揉め事には関わらないことを宣言している大魔術師である。

 

 彼女は長年に渡り、とある装置の研究をしていた。

 きたるべき魔王軍との戦いが始まったときに備えた装置である。

 

 それが、後に螺旋詠唱(スパイラルチャント)と呼ばれることになるシステムであった。

 

 ちなみにこのシステム、ゲームにも出てくる。

 魔王軍が利用する装置として。

 

 具体的には、敗北した女性たちが凌辱される様子がこのシステムで大陸中に中継されたり、そうした奴隷たちの魔力を前線の魔王軍の幹部に送り込んだり、完全に敵側が利用するシステムとして登場するのだ。

 

 ちなみにリアリアリアという魔術師は、ゲーム開始前に魔王軍にとっつかまっていた。

 

 奴隷としてあれこれされて、まあそういうシーンがあった。

 エロというよりグロというか、リョナというか、そういう感じで。

 

 それらはすべて、この国が滅びた結果である。

 でも今は、まだ魔王軍が侵攻を開始する前だ。

 具体的には、現在、ゲーム開始の十年前である。

 

 間もなく魔王軍の侵攻が始まる。

 各国はまったく準備ができていない状態で、互いにいがみあっている。

 

 かのゲームにおいて、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を開発したリアリアリアは、装置を生かす機会を与えられなかった。

 

 だけど、それは王家がその有用性を認識できなかったからだ。

 ひいては、リアリアリアが上手く装置の有用性をプレゼンできなかったからでもある。

 

 シェリーの話を聞いていくうち、これならいけるかもしれない、とおれは考える。

 

「そうだよな。どのみちこの国を巻き込まないと、おれたちの力だけでこの国を守ることなんてできないんだ」

 

 おれは決心した。

 とことんまでやるという強い決意をした。

 

 でも。

 そのときは、女の子に変身して戦うことになるなんて思ってもいなかったのだ。

 

        ※※※

 

 十五歳の夏、おれは妹の師匠であるリアリアリアと二度目の顔合わせをした。

 

 そもそも彼女は、四百年以上を生きる大魔術師。

 一介の騎士の息子がそう簡単に顔を合わせることができるような相手ではない。

 

 妹のシェリーがリアリアリアを師とすることができたのも、たまたまおれたちがこの大魔術師と同じ町に住んでいて、町中で妹の魔法をこの人物が目撃し、その才能にほれ込んだという偶然があったからである。

 

 ちなみにおれとリアリアリアの初めての顔合わせはこのときである。

 しかしリアリアリアは、二度目に会ったこのとき、そのことをすっかり忘れていた。

 

 無理もない、おれの魔法なんて、大魔術師の彼女にとってはカスみたいなものだから。

 当時のおれは、有望な弟子の冴えない兄、程度の存在にすぎなかった。

 

 ただ、今回は少し事情が違う。

 リアリアリアが長年にわたって研究していた螺旋詠唱(スパイラルチャント)システムについて、おれは新しい提案を持参したのである。

 

 王国の貴族や王族を巻き込んだ、大規模な魔力供給システムの提案である。

 

 改めて顔を合わせたリアリアリアは、外見年齢二十歳くらいにみえる美人の女性だった。

 青髪で、緑の瞳。

 耳の端が尖っている。

 

 妖精の血を引いていて、それもあって長命なのだと噂されていた。

 実際のところ、シェリーによれば延命は高位の魔法によるものらしい。

 ただし妖精の血を引いているのは本当だ、とのこと。

 

 前世のおれが知るリアリアリアは、ゲームのストーリー開始前に魔王軍に捕まり、己の生涯をかけた研究を魔王軍に奪われ、魔力タンクとしてあれこれされた挙句、ひどい目にあって亡くなった人物だ。

 

 異形の姿に改造された状態の一枚絵があった程度で、まともな立ち絵はひとつもなかった。

 なので、あくまでもゲーム上は、螺旋詠唱(スパイラルチャント)の開発者、というだけの情報しかなかった。

 

 で、この螺旋詠唱(スパイラルチャント)は魔王軍に利用される。

 本来は人類が魔王軍に対抗するための技術が、逆に魔王軍によって人類を狩り立てるために使われるというわけだ。

 リアリアリアも、さぞ無念であっただろう。

 

 ただ魔王軍は、螺旋詠唱(スパイラルチャント)をあまり有効には活用しなかった。

 せいぜい、魔力タンクから魔力を吸い出し、一部の幹部を強化する程度。

 

 あとはエロCGとして、魔王軍にとっつかまったヒロインが晒し者にされる様子を全大陸に中継したりとかいう、とても商品的には有意義だが実際の戦略においては無意味なことに利用されていた。

 

 というか、ゲーム開発者としてはこういうシーンつくりたいから螺旋詠唱(スパイラルチャント)なんていうシステムをゲーム中にぶちこんだんだろう。

 

 エロゲにおいてエロの需要はなによりも優先されるのだから。

 リアリアリアはその哀れな犠牲者というわけである。

 

 ちなみにリアリアリアのアレなシーンはあまりにもアレすぎて抜けなかった。

 上級者向けすぎる。

 

 そんなことを、彼女と対面した瞬間、思い出していた。

 彼女の屋敷に初めて招かれ、彼女の書斎でふたりきりになったときのことである。

 

 すると、リアリアリアの端正な顔が少しだけ曇る。

 彼女は、ふう、とおおきく息を吐きだした。

 

 あれ?

 虫の知らせがして、おれは少し身構えた。

 

 もう遅かった。

 

「それは別の世界の記憶、ですか」

 

 ぞくり。

 おれの背筋を冷たいものが走る。

 

 思考を読まれた。

 魔法によるものなのだろう。

 

 そういうものがあると、今、この瞬間まで知らなかった。

 ゲームにはなかったものだから。

 

 迂闊だ。

 でも、よく考えれば、彼女は大魔術師、そういうこともあると当然、考えてしかるべきだった。

 

「ご安心を。このことは内密にいたします」

 

 そう前置きしたうえで、彼女はいう。

 

「まずは相互理解も兼ねて、あなたの知る限りのこの世界に関する……その、えろげ、ですか? それについて、考えて(・・・)くださいませ」

 

 否も応もなかった。

 

        ※※※

 

「汚されちゃった……」

 

 三十分ほど後。

 おれは顔を両手で押さえてうずくまり、しくしく泣いていた。

 

「非常に興味深いですね。とはいえ、あなたの記憶が本当に前世のものなのか、それともなにものかによって造られたものなのか、という問題はあります。本当にあなたの知る知識がこの世界の未来である保証など、どこにもありません」

 

 この世界にとって未来の出来事を知っても、自分の哀れな末路を知っても、彼女はあくまでも冷静だった。

 さすがに四百五十歳。

 

 そう考えたところ、リアリアリアは薄っすらと微笑んだ。

 あのさあ、ずっと思考を覗き見られると困るんですけど……。

 

「そうですね。――はい、もう大丈夫ですよ。以降、自由に思考のなかでわたしを嬲ってくださって結構です」

「そんなこといわれても。でも、リアリアリア様のおっしゃる通りかと。おれの記憶とこの世界の未来が一致する保証なんて、ひとつもありません」

 

 それについては、おれも前世の記憶が蘇って以降、なんどか考えた。

 

 結局のところ、「おれの知る未来が間違っているなら、それでいい。もし正しかったら、とても困ったことになる。なら万一に備えておくべきだ」と割り切ることにした。

 ドン・キホーテとして笑われるなら、それでいい。

 

「そこは割り切っているのですね。正しい態度だと思います」

「本当にもう心を読んでないんですか?」

「あなた、意外と顔に出るタイプですよ」

 

 ちくしょう、くすくす笑われてしまった。

 そりゃあ、こっちは十五歳の若造で、向こうは百戦錬磨のおばあちゃんだけどさ。

 

「あなたの持参した提案については、受け入れたいと思います」

「実際に説明する前にそういわれると、どう説得しようか悩んだ数日が無駄になった気がしますね」

「その数日があったからこそ、あなたの思考が理路整然としていて読み取りやすかったのです」

 

 そういわれれば、そうかもしれない。

 言葉にするより、頭のなかで様子を思い描く方がずっと楽だもんな。

 

 特に、今回おれがもってきた提案は、なにせ……。

 

「あなたの前世におけるユーチューバーという概念、実に面白いですね。螺旋詠唱(スパイラルチャント)システムにおける、魔力供給者の問題を解決する鍵となるかもしれません」

 

 そう、おれが持ち込んだ提案とは、目の前の人物が遠からずつくりあげる螺旋詠唱(スパイラルチャント)を用いたこの国の防衛システム、ひいては後々、組織されるであろう対魔王軍用特殊部隊に魔力を供給するシステムについてであった。

 

 その際に参考にしたのが、前世のユーチューバー、ひいてはかのサイトの投げ銭システム、つまりスパチャだ。

 貴族や王族から支持を集め、これらの人々に魔力供給者となってもらう。

 

 貴族や王族は戦場に出ることなく対魔王軍戦の支援ができる。

 おれのように魔力が足りないが魔王軍に対する準備をしてきた者たちが、後方の彼らから魔力を受けとる。

 

 まさにウィン・ウィンの関係だ。

 ここまでなら。

 

 ところが、ここから予想外の事態になる。

 おれの記憶を覗いた彼女が、思考の隅にあった前世の娯楽に存外の興味を抱いてしまったのである。

 

「せっかくですから、あなたの記憶にあったアイドルという概念も利用しましょうか」

「え? は? あの?」

「王族や貴族も、せっかくなら武骨な戦士よりかわいいアイドルを応援したいでしょうから」

 

 いってることの意味がわからなくて、おれの思考がフリーズした。

 

 リアリアリアは、にこにこしている。

 え、なんでそんな嬉しそうなの。

 

「あなたの持ち込んできた話なのです。もちろん、あなたが進んで実験に参加してくれますよね」

「じ、実験って、なんです?」

「実は、魔法って一時的に性転換するだけなら簡単なのですよ」

「待って」

 

 いや本当に待って。

 どういうこと?

 

 理解できない。

 

 いや、嘘。

 理解したくないんだけど。

 

        ※※※

 

 そういうわけで。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)システムの実験者第一号、アイドル戦士アリスが誕生した。

 

 ほかならぬ、おれのことである。

 リアリアリアは親切にも、おれに自己変化の魔法(セルフポリモーフ)の応用で性転換する小技を教えてくれた。

 

 昔、とある部族の秘儀であったという。

 知りたくなかったよそんな秘儀。

 

 たしかにスパチャを集めるなら、むさ苦しい男よりかわいい女の子の方がいいだろうさ。

 でも、わざわざ女の子に変身して戦場に行くのってどうよ?

 

 そう反論したのだが……。

 

「それくらいしなければ、王侯貴族から資金を引き出せないのですよ」

 

 ぐうの音も出ない正論が返ってきた。

 みんな貧乏が悪いんだ。

 

        ※※※

 

 システムが完成したのは、それから二年後のこと。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)による王国放送(ヴィジョン)システムは、リアリアリアに協力的なとある公爵家に置かれてなんどか実験が行われた。

 

 ほぼ時を同じくして、魔王軍が死の谷からあふれ出た。

 

 魔族と魔物の軍勢が、各地へ侵攻を開始する。

 またたく間に、一番西側の大国が呑まれた。

 

 ほどなくして、魔王軍の一部が浸透し、おれたちの住むヴェルン王国にも大型の魔物の姿がみられるようになる。

 おれは、そういった報告を受けるたびに出撃して、螺旋詠唱(スパイラルチャント)の援護を受け、これをことごとく退治してみせた。

 

「検証は充分です。王家にも、報告は上がっております。王はシステムを本格的に導入すると決断いたしました」

 

 リアリアリアがおれに対してそう告げたとき、おれは十八歳、シェリーは十三歳になっていた。

 

「あなたがたふたりは、王国の特殊遊撃隊として、各地に派遣されることになります」

「王国の外ということですか?」

「はい。現在、魔王軍はふたつの大国を飲み込み、なおも東方へ侵攻中です。ですが各国の間の調整に時間がかかり、未だわが国は援軍を送り出す準備が整っておりません」

 

 各国、お互いにいがみ合いすぎていて、軍を出すことができない。

 だからおれたちの出番、ということか。

 

 リアリアリアとしても忸怩たるものがあるのか、苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

「現在、王国放送(ヴィジョン)システムは順調に端末を増やしています。年内には各町や村に配置される端末の数が百を越えるでしょう」

 

 すでに王都をはじめとした主要な都市には端末が設置済みで、王国放送(ヴィジョン)は日々、断続的に王の言葉やら各地の様子やらを流している。

 民は、この新しい装置をあっという間に受け入れた。

 

 近々、舞台劇を配信する予定もあるのだとかいう話だけれど、現在のところ王国放送(ヴィジョン)で流れる番組に娯楽はほとんどない。

 

 それもあってか、アリスの魔物退治は人気番組である。

 たいへんに不本意だが、おれもアリスとして活動し人々に媚びを売ることに慣れてしまった。

 

 メスガキ煽りにも慣れてしまった。

 あれ、めっちゃスパチャ来るんだよ……。

 

 とはいえ、ここまでは予備段階。

 本番はこのあとにある。

 

「将来的には、王国放送(ヴィジョン)システムによって複数の部隊を支援することになるでしょう。そのためにも、まずはあなた方が目にみえる戦果をあげる必要があります。シェリー、しっかりとサポートしてくださいね」

「はい、お師匠さま! 任せてください!」

 

 おれの妹、シェリーは元気よくうなずく。

 ここ数年で、彼女はよく笑うようになった気がする。

 

「兄さん、いえ、アリスお姉ちゃんを、ばっちりサポートしちゃいますから!」

 

 ぐっと拳を握る。

 なんかうちの妹、最近はおれが魔法で女の子になってるときの方が嬉しそうなんだよなあ。

 

 兄としては妹の将来が心配である。

 

 



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第4話

 おれの名前は、アランである。

 現在、二十歳。

 

 断じてアリスではない。

 そのはずだ。

 

 でも最近、ちょっとアリスとして振る舞うのも悪くないかなあって思うんだよ。

 どう思う、リアリアリアお姉ちゃん?

 

自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で長時間、翼や尻尾を生やしていると、いつしかそれが普通に感じるようになるそうですね。性転換も、同じなのかもしれません」

「知りたくなかったそんな副作用……」

 

 慌てて自己変化の魔法(セルフポリモーフ)を解除して男に戻ったおれは、頭を抱えてうずくまる。

 

 任務から一時帰還して、王都につくられたリアリアリアの研究塔に寄ったときのこと。

 おれはこれまでのことをレポートで提出したうえで、彼女と軽い雑談を交わしていた。

 さっきまではアリスの姿で。

 

「じゃあ、アリスの姿だと敵を煽っちゃうのも?」

「それはあなたにメスガキ適正があるからでは?」

「マジレスはやめて」

 

 リアリアリアとおれは、この数年間でだいぶ打ち解けていた。

 おれの前世の記憶、という秘密を共有していることがおおきい。

 

 リアリアリアは、たびたびおれの記憶を覗き、前世の発展した技術やらなんやらを知りたがった。

 

 その結果、ヴェルン王国にはアイドルが誕生したり、王国放送(ヴィジョン)システムがちょっと妙な方向に発展したりしている。

 

 それがまわりまわって、大陸の将来のために、ひいてはおれのためになっているから、まあいいっちゃいいんだが……。

 

「男性が偶像化された女性になり耳目を集める職業、ばびにく、ですか。興味深いですね」

 

 リアリアリアは、口癖のように「興味深い」といってはおれから更なる前世の情報を聞き出そうとする。

 知識欲が旺盛すぎるといえば、まあ聞こえはいいのだが……。

 

 あとバ美肉は職業ではない。

 

「男性と男性の恋愛について、あなたがたの文明はたいへん深く掘り下げているのですね。興味深いです」

 

 腐った方面にも食指を伸ばしてみたり。

 

「ねずみこう、ですか? それについてもう少し詳しく思考してくださいますか。実に興味深い」

 

 たいへんよくない方向に関心を抱いてみたり。

 

 ねずみ講とか腐った本とか、魔王軍との戦いに全然関係ないよな!

 

「人は生きるために生きるにあらず、生を実感するために生きる。古の賢者の言葉です」

「ああ、いってることはわかりますよ。生き甲斐が必要ってことですよね。でも、今は魔王軍の対策を優先させませんか」

「わたしにできることは、おおむね終わっていますから」

 

 リアリアリアのいう通りだった。

 おれが二十歳になった時点で、王国放送(ヴィジョン)システムはヴェルン王国中に広まっている。

 

 特殊遊撃隊として、魔王軍とおれ(・・)が戦う様子を王国放送(ヴィジョン)で映し出した結果、予想をはるかに上まわる螺旋詠唱(スパイラルチャント)を獲得できることが実証された。

 

 先日の砦の戦いでは、最終的に、少しスパチャが余ってしまった。

 その余剰分は、シェリーが逃げた魔族と魔物を狩り立てるために活用したのだが……。

 

 余った螺旋詠唱(スパイラルチャント)を電池のように蓄積できる装置の開発が待たれる。

 

 アリス隊以外の特殊遊撃隊の創設も検討されていた。

 問題は、おれとシェリーのように多量の魔力譲渡が可能なコンビはなかなかいないことである。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムの運用と戦闘をひとりで同時にこなすのは、いささか困難であった。

 現状、シェリーのような中継に徹する魔術師が必要で、その魔術師から魔力を受けとれる、対魔族、対魔物戦闘に長けた者を訓練、配備するというのは一朝一夕にはいかないのだという。

 

 おれの場合、何年もかけてシェリーから魔力譲渡されてきたおかげで、普通の騎士なら魔力過剰で即座に昏倒するほど膨大な螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けとることができるようになっていた。

 同じことができる者を増やすため、現在、王国は懸命になって候補生を訓練している。

 

「あなたの記憶では、この国は王国放送(ヴィジョン)システムを本格的に普及させる前に陥落したのですよね」

「そのはずです。そもそもゲームの開始は今から五年後ですけど、この国まで魔王軍が侵攻してくるのに一、二年はかかるでしょう。この国とあとふたつの大国を攻め滅ぼすのに、五年は少々、足りない気がします」

 

 そしてこのヴェルン王国は大陸の中央南、くらいの位置。

 ゲームが開始するのは、大陸の東端の国に魔王軍が攻め込むタイミングである。

 

 それとも、なんらかの加速要因があるのだろうか。

 どこかにおれの見落としがあるだろうか。

 

「必要以上に思い悩んでも仕方がありません。それより、あなたの記憶から発掘した、このショウギでも遊びませんか」

 

 リアリアリアはおもむろにテーブルの下から木彫りの将棋盤をとりだした。

 コマはこの国の伝統的なテーブルゲームの名称に置き換わっているが、ルールは完全に将棋だ。

 

 王国の職人につくらせたのだという。

 近々、本格的に売り出すのだという。

 

 すでに王家や公爵家には試作品を配り、たいへんな好評なのだとか。

 

「おれ、将棋は苦手なんですけどねえ」

「こんぴゅーた、のゲームはさすがに再現できませんから」

 

 おれの返事を待たず、リアリアリアはコマを並べ始める。

 現状、あまりこのゲームを遊んでいる者がいないうえ、その数少ないプレイヤーも大半は王侯貴族、おえらいさんである。

 気楽にゲームを楽しめる相手に飢えているようだ。

 

 仕方がない。

 一局、つき合うことにした。

 

 と、騒々しく塔の階段を駆け上がる音が聞こえてくる。

 扉が乱暴に開く。

 

「あーっ! 師匠、兄さん! まーた、ふたりきりでいちゃいちゃしてる!」

 

 リアリアリアの書斎に大声が響いた。

 わが親愛なる妹、シェリーが用事を片づけて戻ってきたのだ。

 

 ちなみにおれの前世云々を知っているのはリアリアリアだけだ。

 王国放送(ヴィジョン)システムは、すべてリアリアリアの発案ということになっている。

 

 シェリーはおれが王国放送(ヴィジョン)システムをリアリアリアに売り込んだことを知っているが、そのあたりは「ただの騎士の息子のおれが前に出ない方がうまくいく」として、黙ってもらっている。

 

 で、そのシェリーであるが。

 なんかここ数年で、いっそうブラコンをこじらせているような気が、そこはかとなく……。

 

「わたしは触媒の発注で忙しかったのにーっ」

 

 ぷくーっ、と頬をふくらませておれとリアリアリアを睨むシェリー。

 

「わたしたちも、ついさきほどまで打ち合わせをしていたのですよ。それにシェリー、あなたはこういったテーブルゲームが苦手でしょう?」

「うう、カードゲームなら……」

 

 シェリーは完全情報ゲームが苦手だ。

 サイコロや手札で運がかかわるようなゲームはけっこう好きで、実際にそこそこ上手く立ちまわる。

 

 対して師匠のリアリアリアは、運がかかわるゲームだとなにかと不運である。

 複雑な完全情報ゲームである将棋が好きになるのも、わかろうというものだった。

 

「せっかく久しぶりに三人なんだし、サイコロ振るゲームにしようよ! ね、ね?」

「嫌です。よろしいですか、愛弟子。サイコロなんて何度振っても一と二しか出ない欠陥乱数発生機ではありませんか。あんなもの、なにが楽しいのだか……」

 

 リアリアリアの場合、これは本当にそうなのだ。

 悪い目ばかり出る。

 ちなみに、一が成功で六が大失敗のゲームをやらせると、六ばかり出す神業の持ち主でもある。

 

「うーっ、兄さーんっ」

「シェリーももう十五なんだから、少しは師匠に合わせてやれよ」

「うーっ、うーっ」

 

 下唇を突き出して、牛のように唸るだけになった親愛なる妹。

 それを放っておいて、おれとリアリアリアは駒をぱちん、ぱちんと打ち合わせた。

 

 まあ、おれがすぐに負けるんだけどね。

 さすがに四百五十年の年の功か、彼女はまたたく間に将棋というゲームのコツを理解してしまった。

 それこそ、おれなんて遠く及ばないくらいの領域に。

 

「心配しなくとも、しばらくはゆっくりしていられますよ」

 

 リアリアリアはまだスネているシェリーにそう言葉をかける。

 幼いころに弟子入りした彼女は、今やリアリアリアにとって娘のようなものであるようで、なにかと気にかけてくれていた。

 

「修行の方はいいですから、数日は家族でゆっくりしなさい」

「いいんですか、師匠!」

 

 シェリーは目を輝かせる。

 

「実家にも、ずいぶん顔を出していないのでしょう?」

 

 それは、そうなんだけどな。

 

 この王都は、実家のある町から馬車で七日の距離にある。

 おれとシェリーの場合、ふたりで飛んでいけば半日だ。

 

 リアリアリアが王都に引っ越してからは、当然、弟子のシェリーも師匠についていった。

 おれもシェリーの保護者という名目で王都入りした。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)システムと王国放送(ヴィジョン)システムの開発、実験の関係で、ここ数年はほとんど実家に戻れていなかった。

 たしかに、一度、両親に顔をみせる必要があるかもしれない。

 

 



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第5話

 おれとシェリーの故郷の町の名を、トリアという。

 未だに両親が住んでいる町でもある。

 

 人口は五千人程度で、小高いふたつの丘を巡るように建物が建っている。

 背が高い丘の頂上には寺院があり、もうひとつの背が低い丘の上には領主の館があった。

 

 町をぐるりと巡る壁は、かつては立派なものだったらしいが、いまは朽ちて、ろくに修理もされていない。

 このあたりで最後に争いがあったのは、ずっと昔のことだ。

 

 騎士であるおれたちの父が仕事もろくになく、その腕が錆びつくままに任せていて問題ない程度には、平和な町であった。

 

 父の場合、近くの森で大猪を退治したのが、おれの知る限り最大の武勇伝である。

 その大猪、全長五メートルくらいあって、魔物かよってくらいデカかったらしいけど。

 

 今も領主の館には、その大猪の毛皮が飾られている。

 幼いころ、領主様に「これがきみのお父さんの仕事だ」と自慢げにいわれたものである。

 領主様、伯爵だけど、気さくなひとなんだよなあ。

 

 そんな町に、おれとシェリーは帰ってきた。

 

 おれたちが町を出たのは、三年前、おれが十七歳でシェリーが十二歳のときだ。

 それから忙しくて、いちども帰省していなかった。

 

 ふたりして飛行していけば、そう遠くもないんだけど。

 単純に、目の前のタスクを片付けることに夢中だったのだ。

 

 なにせ、王国放送(ヴィジョン)システムの開発が終わるまでは、師匠の弟子のシェリーはめちゃくちゃ忙しかった。

 おれはそんなシェリーの脇にいつも立っていた。

 

 シェリーが「兄さんがいてくれないと、困る」とねだったからだし、実際に小さな女の子がひとりで強面の鍛冶師や気難しい建築家と渡り合うのは難しい。

 

 おれがいても難しいんだけど。

 それでも、まあ、シェリーひとりよりはマシ、というものだった。

 

 どうしても揉めた場合、リアリアリアが出張ってくることになるのだけれど、そうなる前になんとかするのが本来のおれたちの仕事である。

 

 というわけで、ふたりとも、この三年間は激務に次ぐ激務だったのだ。

 いざシステムが完成したら、こんどは極秘任務で西方に遠征しての、アリスとしての魔族・魔物狩りがあったし。

 

 ここ半年くらいは、ほとんどヴェルン王国に帰還してすらいなかった。

 高速飛行魔法を使っても数日かかるような遠方の地にいたのである。

 

 大陸は広大で、瞬間移動なんて便利なものは今のところ発見されていない。

 この先、魔王軍との戦線が拡大すれば、もっと忙しいことになるだろう。

 

 だから、リアリアリアがこのタイミングで帰省を促したのは、彼女なりの精一杯の気遣いだったのだろう。

 

        ※※※

 

 シェリーの飛行魔法で草原をかっ飛んできたおれとシェリーは、ふたつの丘を囲む壁の残骸の近くで地上に降り立つ。

 時刻は正午を少しまわったころである。

 

 季節は春。

 うちの国の場合、もう少しすると蒸し暑い日々が続くようになる。

 今は、まだ草原を吹く風も少し肌寒いくらいだ。

 

 おれ自身が飛行する場合、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で背中に翼を生やしたうえで肉体増強(フィジカルエンチャント)で翼を強化する必要があり、そこまでしてもたいした速度は出ない。

 

 シェリーの飛行魔法は完璧で、かつ非常に高速だ。

 前世でいえば、おれの飛行は各駅停車くらいなのに対して、シェリーの飛行魔法は新幹線くらいの違いがある。

 気合いを入れて飛べば音速の近くまでいける。

 

 もっとも、そこまでいく場合は空気抵抗がすごいことになるから魔法で障壁を張る必要もあるし、ふたり分ともなると彼女の消耗も激しい。

 今回はそこまで急ぐ旅でもないため、シェリー愛用の箒型の小杖(ワンド)にふたり乗りして、ゆっくり兄妹の語らいをしながら旅をした。

 

 町の正門から、堂々と入る。

 町を巡る壁はあちこち崩れているから、わざわざ門をくぐることはないんだけど、今やおれもシェリーも正式な立場というものがあるのだ。

 

 具体的には、シェリーは王国最高顧問魔術師の弟子として、赤いローブをまとっている。

 

 これは一代限りの男爵に相当する地位で、つまり今のわが妹は、立派なお貴族様なのだ。

 もちろん、うちの父より偉い。

 

 おれはシェリーの護衛として、一代騎士の地位を王国から受領している。

 これは、永世騎士である父よりちょっと下くらいの地位だ。

 

 ただしおれは、王室の直轄部隊である王国特殊遊撃隊の部隊長である。

 任務中はうちの父を顎で使えるくらいの権力を持つ。

 

 なおこの部隊長、というのは便宜上のもので実際には部下はひとりもいない。

 

 アリスという架空の存在を隠すためだからね。

 かなしいね。

 

 で、正門には一応、いつも衛兵がふたり立っている。

 彼らが町の出入りを監視している、という建前になっている。

 

 実際のところ、外に遊びにいく子どもに「危険なことはするなよ」と声をかけるとか、出入りする商人に「宿はどこそこですよ」と説明するとか、その程度の役割しか果たしていないのだけれど……。

 

 まあ、平和な町だしね。

 数年以内に自分たちが魔王軍の手にかかって滅ぶなんて、想像もしていない人々だしね。

 

 その衛兵のひとりが、おれたちの知り合いだった。

 というかおれが子ども時代、よく世話になった近所の兄ちゃんだった。

 

 そういえばこの人も騎士の息子だったなあ。

 今は、親父さんの騎士位を継ぐための見習い修行中なのだろう。

 

 この町でそういうときにできる仕事の代表が、この門を守ることなのだから。

 

「アラン! シェリー! 戻ったのか、三年ぶりだな!」

 

 大声で笑いかけてくる。

 シェリーが、おれの後ろにこそこそ隠れた。

 

 あ、これ、近所の兄ちゃんのこと忘れてるな……?

 

 小声で教えてやると、慌てた様子でぺこぺこお辞儀するシェリー。

 相手は、まあいいさ、と豪快に笑ってくれる。

 

「シェリーは大魔術師様に弟子入りしてから、ほとんど会えなかったからな。おれを覚えてなくても仕方がないさ。それにしても、赤いローブか……。本当に偉くなったんだな」

 

 しみじみと、そう言われた。

 

「あとで昔の友人を集めて、飲まないか。声をかけておくよ」

 

 というわけで、俺は夕方、酒場に繰り出す予定となった。

 もちろん、その前にまずは、実家に帰って親に挨拶しなければ。

 

        ※※※

 

 おれたちの実家は、領主の館が建っている方の丘の中腹にある。

 久しぶりに顔を合わせた母は、少し顔の皺が増えて、お腹がおおきくなっていた。

 

 聞けば、二、三ヶ月後には弟か妹が増えるらしい。

 母がおれを産んだのは十六歳で、妹が生まれてから十五年経つというのに……まあ、両親の仲がいいのはいいことだ。

 

「無事に生まれたら、連絡しようと思っていたんだけどね。あんたたちの邪魔にはなりたくないからさ」

 

 そんなことをいわれてしまった。

 気を遣われてしまっている。

 

「兄さん。わたしたち、もう少し親孝行しないとね」

 

 シェリーの言葉にうなずく。

 とは、いってもなあ。

 

 いちばんの親孝行は、この国を魔王軍の手から守ること、だろう。

 

 母さんのお腹のなかの子が無事に育つことができるような平和。

 それが、いちばん大切なことなのだろう。

 

「ところで、父さんは?」

「狩人を連れて、森で狩りをね。明日には帰ってくると思うわ」

「相変わらず、騎士というより狩人のボスだなあ」

 

 近くの森は、定期的に間引きしないと動物が巨大化する。

 なんか魔力とかの関係らしいけれど、数年から数十年に一度は、巨大な動物が群れのボスになって森を支配するという。

 

 そうなる前に駆除が必要なのだとか。

 例の巨大猪も、そうして生まれた群れのボスだったのだろう。

 

 あのときは狩人がだいぶやられた、みたいな話を老人がしていた気がする。

 まあ、領主の館でみた剥製の巨大さからして、普通の矢じゃ爪楊枝が突き立った、くらいのものだろうしなあ。

 

 そこまででかい相手となると、対するこちら側にも魔法の心得が必要となる。

 うちの父も、肉体増強(フィジカルエンチャント)は習得していて、これでもって身の丈よりでかい剣を振りまわす。

 

 これは王都に行ってから知ったことだが、うちの父は騎士のなかじゃ強い方だ。

 王国では肉体増強(フィジカルエンチャント)すら使えない騎士も、実は多い。

 

 平和ボケのせい、とは一概にはいえなくて、魔法が使える騎士にはさっさと一代限りの男爵位を与えて、貴族としてしまうという方針がこの国にはあるのだった。

 

 魔術師の需要がそれだけおおきい、ともいえる。

 ここ数年は王国放送(ヴィジョン)システムの導入のため、その傾向がいっそう強くなった。

 

 うちの父も、望めば男爵位くらいは得られるのかもしれない。

 でも父は、こうして現場で働く方が好きみたいだ。

 

 欲がないというか、もうちょっと稼ぎがよければなあと子ども時代は思ったというか……まあ、今は俺とシェリーが実家に仕送りしているから、家計が火の車ということはないはずだけど。

 

「そういえば、あんたたちの仕送りで隣家を買い取って、アパートの賃貸を始めたのよ」

「母さん、それ儲かるの?」

「入居率は八割くらいよ。三階が一室開いてるから、あんたたちが使うならメイドに掃除させておくわ」

 

 おれとシェリーは数日、滞在することになっている。

 昔、おれたちが使っていた実家の部屋は、赤ちゃん部屋にリフォームしてしまったらしい。

 

 まあ、そうだよな。

 三年も帰ってなかったもんな。

 

 ありがたくアパートの一室を使わせてもらうことにした。

 

 それにしても、仕送りでアパートが買えてしまうとは……。

 王都の高い物価に慣れてしまって、この町の物価を忘れていた。

 

「兄さん。わたしたち、少しは親孝行ができたかな」

「できたんじゃないか。あとは、生まれてくる赤ん坊のためにも……」

「うん。魔王軍がこの町に攻めてこないように、がんばらないとね」

 

 そんなことを、ふたりで話した。

 

        ※※※

 

 ところで、ひとつここまで、おれたち兄妹がひとつ、目を背けていることがある。

 町のあちこちで、ポスターをみた。

 

 旗を掲げている家もあった。

 いずれも描かれているのは、アリスの似顔絵だった。

 

「最近、大人気なのよ、アリス様」

 

 町の人々の噂話を聞いた。

 娯楽が少ないこの町で、王国放送(ヴィジョン)は数少ない、皆が夢中になれるものなのだという。

 

 で、王国放送(ヴィジョン)の一番人気はアリス関係の番組であり……。

 先日、アリスが異国で魔王軍と戦う番組を配信したときも、町中が夜通し盛り上がったという。

 

 ちなみに時差の関係で、アリスが深夜に戦っているとき、この国はお昼だった。

 町中の人が、領主の屋敷の前と寺院の前に設置された王国放送(ヴィジョン)の大型端末の前に集まって、お祭り騒ぎだったらしい。

 

 そーかー、だいにんきかー。

 ははは、アリスはにんきものだなあ。

 

「兄さん、現実逃避しちゃ駄目だよ。わたしは兄さんがすごいこと、ちゃんと知ってるから」

 

 すまん、妹よ。

 今だけは、現実逃避させてくれ。

 



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第6話

 その日の夕方、おれはひとりで酒場に赴いた。

 いちおうシェリーに「行くか」と聞いてみたのだが、彼女は首を横に振ったのである。

 

「わたし、あまりこの町の人たちのこと、覚えてないし」

 

 シェリーは七歳のとき、リアリアリアの弟子となった。

 以後、この町のはずれにあったリアリアリアの屋敷に毎日通い、懸命に魔法を習った。

 おれと共に町を離れたのが、十二歳のときである。

 

 おれと違って、同世代の友人はほとんどいなかった。

 いや、もっといえば、この町で彼女に友人と呼べるような者はまったくいなかった。

 

 幼いころは内気な性格で、いつもおれの後ろをちょこちょこついて歩くような子であった。

 

 王都に移り住んでからは、そこそこ社交的になったのだが……そのあたりはリアリアリアが「魔術師が人づきあいを避けては大成できません」という信念のもと、スパルタ教育でシェリーを鍛えたからでもある。

 

 余談だがそのリアリアリアは各国王家とのつきあいが嫌で百年くらいこの町の屋敷に引きこもっていた。

 そんな彼女だからこそ、本当に社交の重要性を認識しているということかもしれない。

 

 話を戻す。

 だから、シェリーは町に帰っても、再会するような旧友はいなかった。

 

 正直、彼女を家に残しておれひとりが旧交を温めることにためらいはあったが……「兄さんには、兄さんのつきあいがあるんだから」と妹に背中を押されて、酒場に赴く。

 

 酒場いっぱいになるほど、人が詰めかけていた。

 

 おれと共に剣を学んだ友人、おれと共に悪戯をして大人に殴られた友人、おれと毎日挨拶を交わしていた人々、町を出る前に告白してくれた女の子。

 いろいろな人が、おれの帰省を歓迎してくれた。

 

 あ、ちなみに告白は断った。

 正直、目の前に迫る危機のことで頭がいっぱいだったのである。

 

 その子は現在、別の男を捕まえて、無事に一児の母となったとのことである。

 よかったよかった。

 

「ところでアラン、王都でも王国放送(ヴィジョン)端末ってあるんだろう?」

 

 なんども祝杯をあげていると、旧友のひとりにそんなことを訊ねられた。

 おれとシェリーが王国放送(ヴィジョン)システムに関わっていることは極秘事項である。

 

 リアリアリアの名前も、今のところ表に出ていない。

 だから地元の彼らがなにも知らなくても、まったく不思議はないのだった。

 

「おれ、アリスちゃんの大ファンなんだよね! 王都ってアリスちゃんが住んでるんだろ? 会ったことないのか?」

「ないよ」

 

 おれは平静を装って返事をする。

 

「王都っていったって広いからな。そもそもアリスは貴族だろう?」

「そっかあ。彼女、いいよなあ。特にスカートのひらひらからみえそうでみえないパンツとかさぁ」

 

 聞きたくなかった。

 共に剣で競い合った友人の、おれの変装に対して萌え語りなんて。

 

「あとアリスちゃん、『王国のみなさーん』っていうとき、おれの方をみるんだよな。絶対、おれに気があるって」

 

 カメラ目線っていうんだよそれ。

 

「この前、町に巡礼の劇団がきたんだけどさ。演目がアリスちゃんの魔物討伐物語だったんだ。あれは本当に素晴らしかったなあ」

 

 くそっ、なんて時代だ。

 

 いや、最後のやつは王国が王国放送(ヴィジョン)システムを広めるための仕込みかな?

 なんかそういう計画を聞いた気がする。

 

 おれの帰還を祝う会は日が落ちても盛り上がった。

 魔法で酒場の天井に明かりが灯され、酒宴が続く。

 

「アランは一代騎士になったそうだけど、嫁は貰わないのか」

「あー、そのうち斡旋してもらうことになっているよ」

 

 斡旋してくれるのは王国だ。

 ぶっちゃけ、今のおれの立場で一番怖いのはハニートラップだから、とのこと。

 

 リアリアリアが王国放送(ヴィジョン)システムの開発に深くかかわっていることは他国も承知している。

 

 で、シェリーはその一番弟子だ。

 おれはそのシェリーの兄なわけで……いっけん、手頃なハニトラ対象にみえるわけだな。

 

 おれを篭絡して、誰がアリスなのかとか、王国放送(ヴィジョン)システムの機密部分とか、いろいろと情報を引き出そうとするに違いない、と。

 

 実際はおれこそがアリスなわけだけど。

 この秘密を知っているのはリアリアリアとシェリーを除けば、王家の一部だけなのだ。

 

 もう少しおれの地位が高ければ王女を降嫁させた、とは第一王子殿下のお言葉である。

 こわっ。

 

 王女とか絶対勘弁でしょ。

 どう考えても尻に敷かれる。

 

 まあ、そういうわけで、おれの結婚については、下手なところから受けるわけにはいかないのだ。

 加えて、魔王軍には人の姿に化けてスパイ活動に従事するやつらもいると、おれは知っている。

 

 たぶん王都にも、人に化けた魔族のスパイがいるに違いない。

 迂闊なことはできなかった。

 

「そうか。実はおまえが帰ってきたことを寺院に知らせたら、神官様が娘を、みたいな話も出てさ」

「神官様が?」

 

 この国では、一般に聖教と呼ばれる宗教を信仰している。

 このへんは王権神授説とかも関わってくるので、国家宗教として国と寺院が不可分であったりするのだが、それはそれとして寺院は寺院、民の救済を掲げて独自の活動をしたり独自の権力を持ったりしている。

 

 なにがいいたいかというと。

 この町についての説明を思い出して欲しい。

 

 トリア。

 そう呼ばれるこの町は、ふたつの丘を囲むようにして町並みが広がっている。

 

 で、高い方の丘に寺院が、低い方の丘に領主の館がある。

 

 おわかりいただけただろうか。

 寺院が、領主の館を見下ろすつくりになっているのだ。

 

 これは、そのまま町における権力構造にも関わってくる。

 結論をいえば、トリアでは領主である伯爵様より神官様の方が偉い。

 

 なぜそうなったのか、みたいな話はおれもよく知らないが、とにかく昔から、この町ではなにかにつけ領主様が神官様にお伺いを立てると、町に生まれた者は誰でも知っていた。

 

 今の神官様はもう七十歳を過ぎたハゲの老人で、人のいい、説法の上手い、それでいて世渡りは下手そうな人物であった。

 リアリアリアとの繋がりでおれもなんどか伝書鳩みたいなことをしたのだけれど、あまり権力欲がない人だな、という印象が強い。

 

 そんな人物が、おれに娘をやる、なんて政治的なことを?

 

 おれは首をかしげた。

 ちょっとよくわからない。

 

 彼は、おれが王国放送(ヴィジョン)システムの関係者だと知っているのだろうか。

 寺院独自の諜報網に引っかかった、とかならわからない話でもないのだが、それを言い出すのがあのじいさんというのは……。

 

 ここに滞在している間に、一度、会って話をしてみた方がいいかもしれない。

 おれは心のメモにそう記す。

 

 そうこうしながらも。

 さんざんに、飲んで、食べて、騒いで。

 

 半分くらいがぐでんぐでんになったところで、宴はお開きとなった。

 最後にもういちど、皆で祝いの言葉を述べたあと、数人ずつ連れだって酒場を出ていく。

 

 魔法のランタンを持っている者、自分で魔法の灯を使える者が中心になって、酔っ払いどもを家に送り届けるのである。

 

 外は真っ暗で、足下もおぼつかないからね。

 おれの場合は肉体増強(フィジカルエンチャント)で視力を強化すればなんとでもなるけど。

 

 おれは最後まで残って、酒場の店主と給仕の娘に、今日、店を貸してくれたことに対して礼をいった。

 

 酒場の店主は豪快に笑って、「こんどはシェリーちゃんも連れてこい」という。

 

「おやじさん、シェリーと面識ありましたっけ?」

「そりゃ、もちろんさ」

 

 店主は上を向いた。

 照明の魔導具が、天井に設置されている。

 

 ランタンより明るい橙色の光が、四つ。

 それぞれで酒場全体をくまなく照らしていた。

 

 この照明の魔道具は、前世における蛍光灯のようなかたちをしていて、蓄積した魔力で動く。

 どこにでも設置できるほど安くはない代物だが……。

 

「リアリアリア様は、うちの常連だったからな。おれの祖父の代に、あの方にお願いして、こいつをつけてもらったらしい」

「道理で、立派なものがあると」

「シェリーちゃんは、よくこいつの点検と修理をしてくれた。これも弟子の仕事だ、ってな」

 

 そうだったのか。

 

「リアリアリア様は、その……」

「あー、忙しくなるからしばらく戻ってこれない、って聞いてるよ」

 

 そういえばあの人、百年くらいここに住んでたんだった。

 今もリアリアリアの屋敷は町はずれに残っている。

 

 屋敷を管理しているのは王家に雇われた信頼のおける人で、いつでも戻ってこられるよう維持しているとは聞いていた。

 なんなら帰省の際、屋敷を自由に使ってもいいとも。

 

 とはいえ、今のリアリアリアの屋敷には過日の魔導具なんてひとつも残っていない。

 防衛設備も大半は外されて、王都に持っていってしまった。

 

 それなら、実家の方が居心地はいい……とその提案は断ってしまったのである。

 まさか実家の部屋が赤ん坊部屋に改造されているとは夢にも思わず……。

 

 店主からリアリアリアへの言づてを貰ったあと、おれはひとり、夜道に出る。

 空を雲が覆っていて、星明かりすら届かぬ暗闇だった。

 

 小杖(ワンド)をとり出し、肉体増強(フィジカルエンチャント)で視力強化を行う。

 小杖(ワンド)は魔法の行使を補助する魔導具で、これはリアリアリアお手製の逸品である。

 

「よう」

 

 暗がりから、軽く声をかけてくる人物がいた。

 そちらに明かりを向ける。

 

 小柄な人物が、片手をあげて、小道から出てきた。

 

 黒髪で童顔の女だが、一般的なスカートではなく職人の男性が着るような作業衣をまとっている。

 黒曜石の瞳が、まっすぐおれを射抜く。

 

 いっけん、こんな夜に不用心なことだと思える。

 こんな町でだって、女性がひとりで夜、うろついたりはしないものだ。

 

 でも彼女のことをよく知るおれとしては、もし不埒な真似をたくらむ男が彼女に狙いをつけたら……それは、ご愁傷様だな、と思う。

 なにせ、彼女は……。

 

「師匠」

 

 おれはいった。

 そう、彼女はおれの剣の師なのである。

 

 腰に下げた小杖(ワンド)を剣に変換させれば、この町で敵う者は誰もいない。

 そんな人物であった。

 

「わざわざ酒場の外で待ってたんですか」

「あたしが酒嫌いなこと、知ってるだろ」

 

 ぶっきらぼうに、彼女はいう。

 ちなみに彼女の背丈はアリスと同じくらいであるが、今年で三十六か七くらいのはずだ。

 二児の母でもある。

 

「匂いも駄目なんですっけ」

「そうだよ。近寄るなよ、酒くせーぞ」

 

 鼻を押さえて、しっしっ、と手を振るわが師匠。

 傷つくなあ。

 

「ったく、酒を呑む前に弟子から挨拶に来るのがスジだろうにさ」

「ぐうの音も出ない正論ですね」

 

 彼女から習った剣術は、小さな者が大柄な者に対してどう戦うか、というものである。

 そう、おれが魔族や魔物と戦う際、必要になるであろうものを、彼女の剣に見出したのだ。

 

 いくら感謝してもし切れない。

 たしかに、町に帰ってからすぐ、おれの方から挨拶に行くべきであった。

 

 だが、師匠はそんなに怒ってはいないようだ。

 にやにやしながら、鼻を押さえて近づいてくる。

 

「がんばってるじゃねえか、アリスちゃんよぉ」

 

 小声で、しかしはっきりと、師匠はそういった。

 

 



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第7話

 師匠に「アリスちゃん」と囁かれて、おれは飛びあがらんばかりに驚いた。

 

「えっと」

 

 おれは思わず、師匠から視線を逸らす。

 めちゃくちゃ挙動不審だな!

 

 師匠はけらけら笑った。

 

「あたしが、あたしの剣術を見抜けないわけないだろう」

「すみません、師匠。これは王国の……」

「わかってる。誰にもいったりしねぇよ」

 

 おれは安堵の息を吐く。

 心臓に悪い。

 

 だけど、まあ、師匠ならわかってしまうか。

 アリスの剣が誰のものか、なんて。

 

 もっと早く、師匠にだけは打ち明けるべきだったなあ。

 そのうえで口止めするべきだった。

 

「あたしは、感謝してるんだよ」

「師匠?」

「あたしの剣が魔族や魔物にも通用するって、あんたがそれを証明してくれているんだ。こんなに嬉しいことはない」

 

 なるほど、そういうものか。

 師匠への恩を少しでも返せたなら、なによりだ。

 

「それにしてもよぉ」

「なんでしょう」

「ぷくくっ、アリスちゃんって、おまえ……駄目だ、我慢できねえ!」

 

 ぶわーっはっはっは、と。

 師匠は馬鹿笑いする。

 

 おれの心はぼろぼろだ。

 

「好きでやってるわけじゃないんですよ!」

「本当にそうか? あの煽りとか?」

「あれめっちゃスパチャ貰えるんで……」

「マジか、貴族ってのはマゾばっかりだな!」

 

 ほんとにな。

 特に喜んでるのは王子だぞ。

 

 腹を抱えて、涙まで流して笑う師匠。

 夜中に迷惑なひとだなあ。

 

「ま、いいさ。おまえの顔をみて、安心した。心までメスガキになってるわけじゃねぇんだな」

「だからそれは……」

 

 師匠は、ぽんとおれの肩を叩く。

 ちなみに叩くためにおもいきり背伸びをしていた。

 ちょっとかわいい。

 

「妹さんのためでもあるんだろ。がんばれよ」

「ええ、はい」

「でも、あんまり無理はするなよ」

 

 それは、わからないなあ。

 おれたちは、いったいどこまで歴史の流れに逆らえるだろうか。

 

「ま、いいたいことはそれだけだ」

 

 と師匠は背を向ける。

 おれはそんな彼女に、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、師匠」

「おうっ、じゃあな」

 

 ひらひらと手をあげて、小柄な女は去っていく。

 はず、だった。

 

 ふと、身体が揺れた気がした。

 節制したつもりだけど、酒を呑みすぎただろうか。

 

 いや、違う。

 これは……。

 

「地震だ」

 

 近所の家々から悲鳴があがり、人々が飛び出してくる。

 無理もない、このあたりじゃ地震なんて珍しい。

 

 幸いというべきか、建物のつくりはけっこうしっかりしているので、倒壊の心配はあまりない。

 でも、うちの家が心配だな。

 

 師匠が振り返り、戻ってくる。

 

「嫌な揺れだな」

「師匠の道場、ボロいですもんね」

「うるせえ」

 

 シェリーには、おれの帰りが遅いようなら先に寝るようにといってある。

 大丈夫かな?

 

「待てよ」

 

 なにかがひっかかる。

 なんだ?

 

 おれは片膝をつき、地面に手を当てる。

 小刻みに揺れていた。

 でもこの揺れは……。

 

「そういえば、ゲームで一度、地震のイベントがあったな。魔物の群れが穴を掘って移動して、町中に出現するイベントで……」

 

 まさか。

 慌てて立ち上がる。

 そのときだった。

 

「化け物だ!」

 

 町のどこからか、そんな叫び声が聞こえてきた。

 続いて、あちこちで数多の悲鳴があがる。

 

 ランタンの揺れる明かりが、駆ける足音と共に近づいてくる。

 友人の数名が、おれを心配して戻ってきてくれたようだ。

 

「あれ、エリカさん」

「よー、若い酔っ払いども。くせーぞ、近寄んなよ」

「相変わらず、酒嫌いですねえ」

 

 師匠がおれの友人たちと気軽に挨拶している。

 エリカ、というのが師匠の名前だ。

 ちなみに彼女の弟子は、今回呑んでたなかではおれひとりである。

 

「それより、化け物、って声が……」

 

 おれは声がした方向を仰ぎみる。

 暗くてよくわからないが、町の一角で騒ぎが起きているようだ。

 

「アラン、おまえは家に帰れ。御母堂のお腹が膨れているんだろう?」

「シェリーちゃんも心配よね。騒ぎの方はわたしたちが調べてくるから」

 

 友人たちが、口々にいう。

 おれはほんの少し考えたあと、そんな彼らに対して、首を横に振った。

 

「おれが行く。みんな、手を貸してくれ。住民の避難を頼む」

「でも……」

「シェリーは今や、一流の魔術師だ。あいつがいれば、母さんは大丈夫。それより、化け物がどうのって声が気になる」

 

 渋る彼らを「町の人に被害がないのが、いちばんだろう」と説得し、送り出す。

 

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)で脚部を強化して、駆けだした。

 方向は、「化け物」の声がした、丘の下。

 

 三歩で限界まで加速し、跳躍。

 三階建ての民家の屋根に着地し、屋根から屋根へと飛び移る。

 

 そんなおれの横を走る者がいた。

 師匠だった。

 

 平然と、おれについてきている。

 いや、師匠はおれより魔力があるから、これくらいできて当然なんだけど。

 

「師匠、いいんですか」

「この町はあたしの町だ」

「お子さんは……」

「あいつらには、なにかあったらさっさと領主様のお屋敷に逃げ込むようにいってある」

 

 師匠の家はこのすぐ近くだ。

 いちばん近い避難場所は、領主の屋敷である。

 

 家の屋根の上から周囲をみれば、町のそこかしこで、火の手があがっている。

 その炎の明かりに照らされて、なにかが蠢いていた。

 

 家屋ひとつに匹敵する巨体だ。

 

「魔物だな」

 

 師匠がぼそりという。

 

 おれは懸命に、ゲームの知識を思い出す。

 おそらく地面の下を掘り進んできた魔物だ。

 

「ワーム系で、あれほど巨体なやつか。グリード・クロウラーかな」

「詳しいな、おまえ」

「王家の資料をみました」

 

 適当に嘘を並べる。

 だが師匠は、それで納得したようだ。

 

 そのとき、雲が割れて、月明かりが差す。

 銀色の光に照らされて、魔物がその異様を晒した。

 

 ミミズを巨大化したような魔物が、丘の斜面におおきく開いた穴か半身を出していた。

 その化け物は、天を仰いで巨大な口を開けていた。

 

 大口からは、ぬめぬめとした液体が滴っている。

 魔物がその身をくねらせると、周囲の家々が倒壊する。

 人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。

 

 間違いない、グリード・クロウラーである。

 

 巨大な口から、なんでも見境なしに吸い込む怪物だ。

 放っておけば、村のひとつくらいすべて飲み込み、消化してしまう。

 

「総員、化け物を暴れさせるな!」

 

 どこからか、そんな大声が聞こえた。

 

 強化されたおれの視力が、抜刀する革鎧の騎士の姿を捉える。

 騎士のそばで、弓矢を構える六人の男女の姿があった。

 

 この町の、ささやかな騎士団だ。

 このすぐ近くに駐屯所があったからか、動きが早い。

 

 でも、あの程度の弓矢じゃ……。

 

「射て!」

 

 合図のもと、一斉に矢が放たれる。

 それらはいずれも、的確にグリード・クロウラーの胴体に突き刺さった。

 

 見事な狙いだ。

 だが、無意味だった。

 

 その巨体もあって、魔物は数本の矢が刺さった程度では気づきもしない。

 グリード・クロウラーは騎士たちをまったく無視して、逃げ惑う民たちの方を向く。

 

 まずい。

 グリード・クロウラーの口のまわりが緑色に輝く。

 

 特に、ひときわ強く輝いているのが魔物の口の真上にある突起部であった。

 あれは魔法の発動器官、人の魔術師でいえば小杖(ワンド)にあたるものだ。

 

 この魔物は、今、魔法を行使しているのだ。

 吸引(バキューム)

 

 轟音と共に、グリード・クロウラーの周囲の空間が歪んでみえた。

 正面の瓦礫が、花壇が、木の柵が、破砕されながら口のなかに吸い込まれていく。

 

 生き物など、あの空間に少しでも触れるだけで微塵に砕けてしまうだろう。

 ただ吸い込むだけで地形すら変えてしまうほどの戦略兵器のような魔物、それがグリード・クロウラーなのだった。

 

 グリード・クロウラーの口が動き、逃げ惑う人々に追いつこうとする。

 

「させねぇよっ」

 

 師匠は屋根の上を駆けながら、小杖(ワンド)を振って、身の丈よりはるかに巨大な大剣をつくる。

 大剣は、師匠のもっとも得意な武器だ。

 

 師匠は加速しておれを引き離すと、屋根の端を蹴り、グリード・クロウラーに飛びかかった。

 すれ違いざま、一閃。

 

 太い刃が、粘膜に覆われた表皮を切り裂く。

 緑の体液がまき散らされる。

 

 グリード・クロウラーは身もだえして大暴れした。

 



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第8話

 グリード・クロウラーの相手を師匠に任せることにする。

 

 おれは二階建ての建物の屋根から、倒れた少女のそばの地面に着地した。

 少女がさきほどの吸引(バキューム)から逃げようとして、転んだ姿をみていたのである。

 

「大丈夫か」

 

 抱え起こせば、その子は昔の知り合いだった。

 まあ、あまりおおきくないこの町で、同年代から少し下くらいはだいたい知り合いなのだけれど。

 

「アラン……お兄ちゃん?」

「久しぶり。走れるか」

 

 靴屋の娘で、今は十六歳のはずだ。

 器用な子だった、という記憶がある。

 

 おれは剣の訓練や肉体増強(フィジカルエンチャント)の訓練で靴底がすぐすり減ってしまっていたから、当時見習いとして親を手伝っていた彼女に、よく靴を修理してもらったものである。

 

 口癖のように「アランお兄ちゃんはがんばり屋さんなんだね」といってくれていた。

 おれが自分とシェリーの魔法を比べて落ち込んでいたとき、「でもアランお兄ちゃんには、シェリーちゃんにはできないことができるでしょう?」と励ましてくれた。

 

 そんな彼女が、立ち上がろうとして、肩を押さえて顔をしかめる。

 よくみれば、瓦礫の欠片が彼女の左腕に突き刺さっていた。

 血が服に赤黒い染みをつくり、それがじわりと広がっていく。

 

「待っていろ、すぐ止血を……」

「これくらい、たいしたことないから」

 

 彼女はおれの言葉を遮り、首を横に振った。

 

 後ろを振り返る。

 かつて彼女の家があったところは、今やグリード・クロウラーの巨体に潰されて、ただ瓦礫が残るだけになってしまっていた。

 

「父さん、母さん」

「ふたりは、あそこに?」

 

 少女はうなずく。

 

 彼女の両親が生き残っている可能性は、万が一にもなかった。

 それくらい、無残な破壊の爪痕だけが残っていた。

 

「お客さんから預かった靴を持っていかないと、って……」

「そうか」

「アランお兄ちゃん、町を守って」

 

 おれは「わかった」といって、彼女から離れた。

 

「ひとりで逃げられるな。領主様のお屋敷に行くんだ」

「うん。戦えない人は、邪魔にならないようにしろ、だよね」

「そうだ。避難の心得、よく覚えていたな」

「アランお兄ちゃんに教わったことは、忘れないよ」

 

 親を失った少女は丘の上に駆けていく。

 それを背に、おれはグリード・クロウラーをみあげる。

 

 己を傷つけられたことに激怒しているのか、魔物はいっそう暴れまわっていた。

 

 師匠がその注意を引きながら逃げ続けている間に、騎士たちが矢を射かけている。

 しかし、やはりほとんど効いていない。

 

 無理もない、彼らの装備は、人が人と戦うためのものだからだ。

 師匠の大剣でも、かすり傷をつけられる程度だ。

 

 ほかの国々も同じである。

 人類はこの五百年、人が人と戦うための技術を磨いてきた。

 だが、魔王軍にはこの技術が通じない。

 

 人が魔族や魔物と戦うための技術が必要だった。

 その技術を四百年以上渡って研究していたのが、リアリアリアだ。

 

 人の脆弱な肉体ではその強靱さに対抗できない。

 だから、肉体増強(フィジカルエンチャント)で極限まで肉体を強化する。

 

 その際、一般的な魔術師では不足する魔力を、螺旋詠唱(スパイラルチャント)で補う。

 そのために、王国放送(ヴィジョン)システムのネットワークを構築する。

 

 ただし、今のおれではこのシステムを利用することができない。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)を展開するための魔法はシェリーしか使えないし、王国放送(ヴィジョン)システムの使用は事前に予約し、王都側で相応の準備をする必要がある。

 

「穴からなにか出てくるぞ!」

 

 誰かが叫ぶ。

 みればグリード・クロウラーの開け穴から、何体もの人型の生き物がよじ登ってきていた。

 

 燃え上がる家々の炎に照らされて、緑の鱗がテカテカと輝いている。

 顔まで鱗に覆われた、二足歩行する蜥蜴のような化け物。

 

 リザードマンと呼ばれる魔族だ。

 その全員が、粗末な槍を握っている。

 

 みる限り、ざっと二十体ほどか。

 リザードマンたちは奇声をあげて、騎士たちに襲いかかる。

 

 騎士たちは弓を捨て、抜刀して対抗する。

 だが彼らが振り降ろす剣は、リザードマンの分厚い鱗に弾かれてしまう。

 

 リザードマンたちの槍が騎士を襲う。

 騎士たちはかろうじてその攻撃を凌いでいるが、いつまで保つかわかったものではなかった。

 

「てめぇらにまで、好きにさせるかよっ」

 

 おれは小杖(ワンド)を剣に変化させ、握り直す。

 騎士たちに襲いかかるリザードマン部隊の横あいから突撃した。

 

 すれ違いざま、二体を始末する。

 相手がこちらを振り返る隙に、もう一体。

 

 おれの小杖(ワンド)はリアリアリアから貰った特別製で、変化先の武器は魔族や魔物を屠るためのものだ。

 その切れ味も、頑丈さも、騎士たちが使うものとは一線を画す。

 

「アラン、帰ってきたのか! 助かる!」

肉体増強(フィジカルエンチャント)して鈍器で殴ってください! こいつらの鱗を貫こうとは考えないで!」

 

 おれのアドバイスに、騎士たちはすぐ頭を切り替えた。

 

 まずは隊長格の男が、手にした剣を魔法で槌鉾に変化させ、力の限りに振りかぶって、リザードマンの脳天に叩きつける。

 これにはたまらず、リザードマンは地面に倒れ伏し、動かなくなる。

 

 それをみていた騎士たちも、奮起した。

 

 小杖(ワンド)を剣にしていた者たちはそれを槌鉾にしてリザードマンを殴る。

 普通の剣を使っていた者たちは、それを援護したり剣の柄で殴りかかったり。

 

 普通なら、それでも数で勝り膂力でも勝る相手だ、苦戦は免れないだろう。

 だがいまは、おれがリザードマンたちの横から切り込み、敵はまともに陣形を組むこともできなくなっている。

 

 これほどの反撃を受けるとは思ってもいなかったのだろう、騎士たちの反撃に対してリザードマンたちは踏みとどまることができず、じりじりと後退した。

 

 ついにはリザードマン部隊の後方の一部が、臆病風に吹かれて背中を向け、逃げ出してしまう。

 

 そうなると、あとは脆かった。

 雪崩のように、逃走が連鎖する。

 

 リザードマンたちは丘の下の方へ、我先へと逃げていく。

 

「追え! 逃がすな! 奴らを放置しては民が危険だ!」

 

 騎士たちは、そのリザードマンを追いかけていく。

 そんな彼らが、ちらりとグリード・クロウラーの方をみる。

 

 師匠は、未だたったひとりでグリード・クロウラーと戦っていた。

 おれは騎士たちにうなずく。

 

「ここはおれと師匠で」

「わかった、アラン! エリカ殿を頼むぞ!」

 

 騎士たちが去っていく。

 さて、と。

 

 おれは小杖(ワンド)の剣を槍に変化させる。

 おれの身の丈の三倍以上ある長い槍だ。

 

「師匠、そろそろ息切れですか?」

「ばっきゃろー、もうとっくにいっぱいいっぱいだってぇの!」

 

 師匠は縦横無尽に建物の屋根から屋根に跳び移りながら、グリード・クロウラーの攻撃を避け続けていた。

 たまに反撃するも、その表皮を浅く切り裂ける程度だ。

 

 師匠は、あのリザードマン程度なら、二十体まとめてだって瞬殺できる実力がある。

 それは弟子のおれが保証できる。

 

 しかしグリード・クロウラーは、別格だった。

 まず、生半可な武器では傷つけることすら難しい。

 

 だから、弱点を突くしかない。

 

「師匠!」

「応!」

 

 互いに声かけ、ひとつ。

 それだけで充分だった。

 

 師匠が地面に降りて、グリード・クロウラーを引きずりまわす。

 わざわざ地上を走っているのは、グリード・クロウラーに頭を下げさせるためだ。

 

 つまり、おれが狙いやすいように。

 おれは、側面を向いたグリード・クロウラーに向かって駆け出す。

 

 時間をかけていては、おれの魔力が尽きる。

 一撃で勝負をつけるしかない。

 

 速度は数歩で最大となる。

 おれは、天高く跳躍する。

 

 グリード・クロウラーの口の端が緑色に輝く。

 師匠に向かって吸引(バキューム)を発動しようとしていた。

 

 俺は槍を構え、グリード・クロウラーに対して、横合いから身体ごとぶつかっていく。

 吸引(バキューム)が発動する直前に、緑の光がひときわ強い、口の上の突起部に槍の穂先を突き刺す。

 

 すさまじい爆発が起こった。

 おれの身体は吹き飛ばされ、木の葉のように宙を舞う。

 

 爆風のなか、目を細めて、魔物の姿をみる。

 突起部どころか口全体がおおきく砕け、その身が地面に倒れ伏すところだった。

 

「よくやった、弟子っ!」

 

 師匠が叫ぶ。

 

 とはいえ、おれもしたたかにやられた。

 今の一撃で、魔力はからっけつだ。

 

 長槍が消え、小杖(ワンド)に戻る。

 もう魔法は使えない。

 

 このまま地面に叩きつけられたら、ただでは済まないな。

 消えかける意識で、そんなことを思う。

 

 でも、あの子の両親の仇はとれた。

 

「兄さんっ!」

 

 シェリーの声が響く。

 落下速度が急激に落ちて、身体がふわりとする。

 

 おれは足から地面に着地した。

 片膝をつく。

 

「無茶をしないで!」

 

 シェリーが空を飛んで、おれのもとへやってきていた。

 逆光で顔がみえないけれど、声だけで、彼女が泣いているのはわかった。

 

 




今日はもう一回、夜に更新します。


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第8.5話

今日2回目の更新です。


 あたしはエリカ。

 いさましいちびの剣士だ。

 

 あたしの背が低いのは誰のせいでもない。

 でも背が低いせいで、あたしが王都でいくら活躍しても、弟子ができなかった。

 

 背の低い者が大柄な者に対抗するための剣術。

 そんなものは必要ないと、皆がいった。

 

 伝説の魔族とでも戦うのか、となじる者がいた。

 魔族とは、もう何百年も、大陸でその姿をみたことがない存在である。

 

 貴族も、騎士も、あたしの剣に習う価値なしと断じた。

 

 あたしは失意のうちに王都を去り、旅に出た。

 旅のなかで、好きな男ができて、その男が住む町に定住することになった。

 

 トリアという小さな町だった。

 あたしはそこで、不思議な子どもに出会った。

 

        ※※※

 

 アランという十歳の子どもが、あたしに弟子入りを希望してきた。

 

 当時は、あたしより小さな小僧だった。

 でも、すぐあたしなんかよりずっとおおきくなるだろう。

 

「あたしの剣は、あたしみたいな子どもが大型な大人と戦うためのものだ。いまのあんたにはよくても、背なんて数年で伸びるぞ。その頃には、あたしの剣を習って失敗だった、って思うようになる」

 

 せっかくの弟子入り希望者に対して、あたしはそんな言葉を投げつけた。

 

 お金には困っていなかった。

 結婚して、夫となった男はそこそこ金を持っていたから。

 

 金にならない道場を開くことも許されていた。

 結婚する前、行商人だった彼を山賊たちから救った剣、それを受け継ぐ者ができたら素敵だね、と夫はいっていた。

 

 実際のところ、あたしの剣はあたし一代で終わると思っていた。

 

 こんなもの、あたしみたいな小柄な女にしか必要がないのだ。

 存在する価値がないのだと、そう思っていた。

 

 アランはまっすぐに、「その剣がいい」といった。

 彼に懇願されて、あたしは初めて、弟子をとった。

 

 アランは、練習熱心な小僧だった。

 なにかにとりつかれたように修練を積んだ。

 そうしなければ死んでしまうとでもいうかのように。

 

「魔族や魔物とでも戦うつもりか?」

 

 いちど、冗談でそう訊ねた。

 十二歳になった小僧は、真顔で、「この剣なら、魔族や魔物を斬ることができるでしょうか」と返してきた。

 

 でもそれは、子どもが伝説の英雄の物語に夢中になるようなものだと思っていた。

 まさか、本当に魔族や魔物が現れて、彼がそのときのために、それに特化した技術を磨いていたなんて、夢にも思わなかった。

 

「あたしなんかの剣で、英雄になれるわけがないだろう」

「師匠の剣がすごいことは、おれがよく知っていますよ」

 

 アランはそういって笑った。

 

「いつか、おれが証明してみせます」

 

 アランのあとに、何人か弟子ができた。

 いずれも女の子だった。

 

 女子の護身術としては優れている、というのが、あたしの道場の評判となった。

 歳月が経過した。

 

        ※※※

 

 あるとき、領主の屋敷のすぐ外に設置された王国放送(ヴィジョン)端末に映るアリスの剣をみて、すぐにわかった。

 あれは、あたしの剣だ。

 

 でも、あたしよりずっと鋭い。

 あたしよりずっと、魔族や魔物との戦いに特化して磨き抜かれている。

 

 身体にまとう魔力の差もあるだろう。

 それがどういうものか、アランという弟子が彼の妹と行っていた特殊な訓練のことを思い出した。

 

 すべてが繋がっていたのだと、そのときようやく理解した。

 最初から、アランはここを到達点としていたのだと。

 

「なんてやつだ」

 

 全身が震えた。

 あたしは、アリスの活躍を食い入るように見守った。

 

 アリスの正体がアランだと、叫びたかった。

 町中の人に、あれはあたしの剣術なのだと教えたかった。

 

 でも、それはきっと駄目だ。

 それくらいは、あたしにでもわかる。

 

 アランがあんな姿で戦っていることには、きっと意味がある。

 彼が正体を隠している以上、あたしがその邪魔をするわけにはいかない。

 

 だから、待ち遠しかった。

 いつか、彼が町に帰って来る日が。

 

        ※※※

 

 アランが町に戻ってきた日の夜。

 町は魔物に襲われた。

 

 家々が倒壊する。

 人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。

 

 数多の財貨が魔物の巨体に砕かれた。

 何人もの民が、魔物の巨体の下敷きとなった。

 

 にもかかわらず、あたしは……。

 

 喜んでいた。

 歓喜して、魔物と戦っていた。

 

 騎士の矢が弾かれる。

 あたしの剣でも、ろくに攻撃が通らない。

 

 少しでも油断すればあたしの命も危うい。

 だというのに、笑みがこぼれてしまう。

 

 アランが、蜥蜴男どもを駆逐していく。

 そして、彼がグリード・クロウラーと呼んだ魔物を、ただの一撃で屠ってみせる。

 

 力を、魔力を、一点に集中させて、大物を駆逐する。

 

 あたしの剣技の極地だ。

 彼は、それを為してみせた。

 

 いま、このとき。

 あたしの目の前で、あたしの剣が完成したのである。

 

 



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第9話

 おれは、空中から身体ごと飛び込んできた妹を抱き留める。

 

「兄さん、無茶ばっかりして!」

「悪い。ちょっと張りきった」

 

 ふらり、とよろけた。

 シェリーが慌てて身を離す。

 

「ちょ、ちょっと、兄さん。血だらけだよ」

「たいした怪我じゃない。おれより師匠の方が……」

「あたしは大丈夫さ」

 

 倒れたグリード・クロウラーの脇を抜けて、師匠がやってきた。

 左脚を引きずっている。

 

 彼女がグリード・クロウラーを引きつけてくれたおかげで、なんとか勝てたようなものだった。

 だが、さすがに無傷とはいかなかったようで、顔からも腕からも脚からも、あちこち血を流している。

 

「ふたりとも……」

「命があっただけでも、儲けものさ。なあ、アラン」

「ですねえ」

 

 おれと師匠は、笑いあう。

 互いに手を挙げ、ぱん、と打ち合わせた。

 

「むう」

 

 なぜかシェリーは、不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

「おっ、妹さんは可愛いねえ」

「もうっ、エリカさん! むーっ」

「あっはっは、むくれるな、むくれるな」

 

 師匠はシェリーの頭の上に手を置いて、金色の髪をわしゃわしゃ撫でる。

 シェリーは嫌がって頭を振るが、知ったことではないとばかりに、上機嫌で撫で続けた。

 

「ま、これであたしはお役御免だな。あとはアリスの出番、だろう?」

 

 シェリーが、はっとしておれと師匠の顔を見比べる。

 おれは肩をすくめてみせた。

 

「そうもいかないんだ、師匠。あれには、いろいろと条件があって……」

「それより兄さん! どうしてエリカさんが!」

「剣筋でバレていたってさ」

 

 シェリーは顔を曇らせる。

 

「ええと……あとでうちの師匠から制約の魔法(ギアス)を……」

「うへえ、そういうの勘弁しろよ。大丈夫、誰にもいわねぇからさ」

「で、でも、国家の機密で……」

 

 露骨にうろたえる師匠。

 そういえば、昔、国とか忠誠とか、そういうのが苦手でこの町に引っ越してきた、とかいってた気がする。

 

「と、とにかくさ。これで終わったってことだろ」

「そうだといいんですけど……」

 

 師匠の言葉に、シェリーがなにかいいよどむ。

 そのとき、だった。

 

 また、地震。

 こんどは、さっきよりずっとおおきい。

 

 ぼこり、ぼこり、ぼこり、ぼこり。

 

 周囲の地面がいくつも陥没する。

 そこから、ぬっと顔を出す巨大な影がある。

 

 確認できただけで六体のグリード・クロウラーが、おれたち三人を取り囲むように出現した。

 

「げっ」

 

 師匠が、心底嫌そうに顔をしかめた。

 

「は、はは。これはまた……」

 

 絶望的な状況に、おれは乾いた笑い声を出す。

 せめてシェリーだけでも逃がしたいが……。

 

「大丈夫」

 

 だがシェリーは、強くうなずいた。

 

「兄さん。準備はできているよ」

「準備?」

 

 返事のかわりに、シェリーは小杖(ワンド)を振った。

 おれの目の前の中空に、リアリアリアの顔が浮かび上がる。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムの応用、小型端末による個人間通話だ。

 リアリアリアは寝間着姿で、頭の上に熊耳のついたかわいらしい帽子をかぶっていた。

 

「王宮のぼんくらたちを、たたき起こしました」

 

 熊耳帽子のリアリアリアが告げる。

 

螺旋詠唱(スパイラルチャント)の用意ができました。王国特務部隊の出撃を要請します」

 

        ※※※

 

 今は夜、そして町に魔物たちが出現してから、まだたいした時間が経過していない。

 シェリーが最速でリアリアリアと連絡をとったとしても、王国放送(ヴィジョン)システムが起動するだけの時間があるとは、まったく思っていなかった。

 

「念のために、とそちら側のわたしの屋敷にとりつけておいた警報が発動しましたからね」

 

 まさか、リアリアリアは彼女の屋敷が襲われることを想定していたのだろうか。

 そうかもしれない。

 

 なにせ、四百五十歳以上の魔術師である。

 おれからの事前情報で、彼女が魔王軍に囚われることを知っていれば、そのための用心もするだろう。

 

 そもそもの問題は、なんでこんな前線からはるかに離れた地に、グリード・クロウラーのような大型の魔物が現れたのか、ということだ。

 

 はぐれた魔物が、たまたま?

 それとも、なんらかの必然があって?

 

 ゲームの前史についてはほとんど描写がないし、ゲームにはこんなちいさな町など出てこなかったから、判断の材料がない。

 

 とはいえ、この町、トリアにはひとつ、ゲームに関係する特徴がある。

 そう、リアリアリアだ。

 

 トリアは、おれがこれまで出会ったなかでは、数少ない、ゲームにも出てくる人物であるリアリアリアが百年に渡り住んでいた土地なのである。

 

 ゲーム本編において、彼女は魔王軍に囚われ、その研究は魔族たちに利用されるわけだが……。

 

 今から五年後、魔族たちが研究を利用しているということは、ある程度、研究を理解し応用するための時間があったはず。

 

 ひょっとして、彼女は本来、今、このタイミングで攫われるはずだったとか?

 だとしたら……送り込んできている戦力は、ちょっとやそっとじゃ済まないはずだ。

 

 現状、おれにみえている敵戦力は、リザードマンが二十体とグリード・クロウラーが七体。

 そのうちリザードマンたちとグリード・クロウラーの一体を討伐した。

 

「兄さん、いける?」

「大丈夫だ。シェリー、いつも通り、サポートを頼む」

 

 おれは小杖(ワンド)を振る。

 おれの身体が虹色の光彩に包まれる。

 

 アランというたくましい身長百八十センチの二十歳男性から、アリスという身長百四十センチの十一、二歳にみえる可憐な少女へと変身する。

 

 着ている服も、酒場帰りのラフな麻の服から、フリルがたっぷりついた派手な桃色のワンピースに変化した。

 

 武器は全長二メートル以上の大剣に変化させる。

 師匠の得物を思わせる武器だ。

 

 シェリーが自分の小杖(ワンド)を白い小鳥に変化させる。

 同時に、彼女自身は姿隠し(インヴィジビリティ)で消えた。

 

 敵の標的から逃れると共に、敵に囲まれたこの状況で配信に映らないようにするためだ。

 アリスのサポートをしている人物の面が割れるのは、保安の面でもおれとシェリーの平穏の面でも危険だからだ。

 

 師匠が、口笛を吹く。

 

「生アリスちゃん、可愛いねえ」

「勘弁してくれよ、師匠……」

「んじゃ、あたしは邪魔にならないところに逃げるぜ。あとは、任せた」

「ああ、任された」

 

 師匠が拳を突き出す。

 おれは、アリスの拳をちょこんと師匠の拳と突き合わせた。

 

「あたしと同じくらいの手だな」

「だから、余計に師匠の剣を使いやすかった」

「そっか」

 

 師匠は、にぱっと笑う。

 

「あたしの剣、王都じゃ認められなかったんだ」

「前に、そんなことをいってたね」

「そんなあたしの剣がおまえの役に立った。嬉しいよ」

 

 これまでみたこともない、爽やかな笑顔だった。

 思わす見惚れてしまいそうになる。

 

「兄さんの馬鹿!」

 

 シェリーの声が耳もとで聞こえてきた。

 これ、魔法でわざわざおれにしか聞こえないようにしてるな。

 

「じゃあな、がんばれ!」

 

 師匠は最後の力を振り絞り、肉体増強(フィジカルエンチャント)を自身にかけて駆け出す。

 まだ少し脚を引きずっているが、まあ彼女のことだ、自分ひとりくらい、なんとでもなるだろう。

 

「がんばって、アリスちゃん!」

 

 シェリーの声が上空から聞こえた。

 あ、あいつは飛行魔法も使って上空に逃れたのね。

 

 なら、安心だ。

 

 白い小鳥が、アリスに変身したおれのまわりを飛びまわる。

 おれは小鳥に向かってカメラ目線で手を振った。

 

「みなさん、こんばんは。トリアという町を凶暴な魔物が襲ったと聞いて、アリスは大急ぎで駆けつけました!」

 

 小鳥がアリスのそばから離れて舞い上がり、破壊された町の無残な光景と、蠢くグリード・クロウラーたちの姿を映す。

 コメントがぽつり、ぽつりと流れていく。

 

 コメントの数が少ないのは、あまりに急すぎて王国放送(ヴィジョン)端末の前にほとんど人がいないからだろう。

 

 その数少ないコメントは、アリスちゃんぷりちー、とか、アリスちゃんきゃわわ、とか。

 

 ちなみにこれ全員、王族である。

 うちの国、ほんともう駄目かもしれない。

 

 いやまあ、この人たちが螺旋詠唱(スパイラルチャント)システムでスパチャをくれるから、この窮地を脱することができるんだけども。

 

 そう、コメントの数は少ないにも関わらず、膨大な量の魔力がおれに流れ込んでくる。

 

 王族は長年に渡り、魔力の豊富な者同士で婚姻を結んできた。

 今のヴェルン王家には魔力の豊富な者が多いし、もちろん螺旋詠唱(スパイラルチャント)の触媒だってふんだんに用意する資金力がある。

 

 彼らもわかっているはずだ。

 これはヴェルン王国に対する魔王軍の組織的な侵攻である、と。

 

 もはや猶予はない。

 この国も、遠からず前線になるということを。

 

 この戦いは、その試金石となることだろう。

 

「ミミズごときが、いつまでも偉そうにして!」

 

 おれは駆け出す。

 

 先ほどよりも、はるかに身体が軽い。

 それでいて、どこまでも力が沸いてくる。

 

 強く地面を蹴って、跳躍する。

 衝撃で地面で爆発して、土煙が舞う。

 

「ちょっとおっきくて硬いだけのくせに!」

 

 グリード・クロウラーとすれ違いざま、その頭頂部にある、緑に輝く突起部を大剣で切断する。

 

 ちょうど吸引(バキューム)を発動寸前だったそのグリード・クロウラーは、口を開けたまま爆発を起こす。

 大口がばらばらになり、肉片が飛び散った。

 

 

:デカくて硬い〇〇〇がなんだって?

:はぁはぁはぁ……

:アリスちゃん、もう一回、今のお願い。ちょっとだけ、ちょっとだけだから!

 

 

 重ねていうが、今、コメントしているのはうちの国の王族たちである。

 

 



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第10話

 アリスとなったおれは、新しく現れたグリード・クロウラーのうち一体を倒した。

 残り、五体。

 

 そのときすでに、おれは背中におおきな翼を生やして羽ばたき、その場を離脱している。

 次のグリード・クロウラーのもとへ、矢のように飛ぶ。

 

 グリード・クロウラーはその巨体に似合わぬ動きでアリスの方を向いた。

 口のまわりに、緑の輪が現れている。

 

 すでに止めようもなく、吸引(バキューム)が発動されてしまう。

 おれはそれを、正面から喰らうことになるが……。

 

「でっかい図体して、同じことしかできないんだね」

 

 おれは剣を前に突き出し、そのまま突進する。

 全身が砕けそうになるほどの衝撃が襲うものの、螺旋詠唱(スパイラルチャント)をつぎ込んだ肉体増強(フィジカルエンチャント)によって強化された肉体は、かろうじて吸引(バキューム)に耐え、アリスの姿を保ったままグリード・クロウラーの口のなかに突入する。

 

 そのまま、内側から魔物の肉を引き裂いた。

 おれはグリード・クロウラーの胴体に大穴を開け、外に脱出する。

 

「あははっ、お口よりおおきな穴が開いちゃったね!」

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)で得た魔力で障壁を張ることで、体液の付着を免れていた。

 

 配信映えに影響するからね!

 いや、どろどろでぐちゃぐちゃになったアリスは、それはそれでスパチャを稼げそうだけど……アリス、そういう路線で売ってないんで!

 

 ともあれ、アリスに穴を開けられたグリード・クロウラーは、体液をまき散らして倒れ伏す。

 これで、あと四体。

 

 

:え、アリスちゃん?

:緊急配信? なにがあった?

:暗くてよくわからん

:あの魔物、なに?

:グリード・クロウラーだよ

:うちの故郷の町は、あれ一体で壊滅しました

:アリスちゃん強すぎない?

 

 

 コメントに、王族以外のものが増えてくる。

 予告なしに王国放送(ヴィジョン)システムが作動し、端末に映像が映し出されたことに気づいた人たちだ。

 

 魔王軍に侵略された国からの難民も混じってるってことは、各貴族の家の王国放送(ヴィジョン)端末も強制起動したんだな。

 

 王国放送(ヴィジョン)端末の強制起動は、まだ実験段階だったはず。

 それを今回、強引に踏み切ったということは、これも王宮の危機感の現れだろう。

 

「あと四体! さあ、吸引(バキューム)で町をこれ以上壊されないうちに、いっくよーっ」

 

 アリスは状況の説明を挟みながら、空中を高速機動して次の獲物に飛びかかる。

 

 三体目のグリード・クロウラーは、吸引(バキューム)をあらぬ方向に放ってる隙に背後から始末した。

 四体目は、口の下から上まで小剣で切り裂きながら一周し、輪切りにして倒した。

 

 五体目と六体目が、同時にアリスへ吸引(バキューム)を放つ。

 アリスはこれをジグザグの機動で回避する。

 

「ほらほら、こっちだよー! 地面に貼りついてるミミズさんにアリスが捕まえられるわけないよね? あの世で懺悔して?」

 

 相手の攻撃が終わった瞬間に一転攻勢、この残る二体も急所の頭頂部を一撃で貫き、仕留めてみせた。

 ここまで消費した魔力は、平均的な騎士を100として、5000と少し。

 

 序盤で王族がめちゃくちゃ貢いでくれたおかげだな。

 とりあえず、視聴者たちに感謝の媚びを売る。

 

「はい、勝利! やったね!」

 

 笑顔で、キメポーズをする。

 コメント欄で歓声があがっている。

 

 

:そんなことより、寺院に行って

 

 

 ふと。

 そんなコメントが、目に止まった。

 

 こっちから見えるIDで、わかる。

 いつもは「アリスちゃんのパンツ」とか「太くて硬い〇〇〇」とかふざけたコメントばかり残している、うちの国の王子のひとりだ。

 

 え、寺院?

 ここは領主の館を守る方が……。

 

 いや、ひょっとして。

 この町には、おれの知らないなにかがあるのか?

 

 それが、この町が襲われた理由?

 少なくとも、このIDの持ち主はそう考えている?

 

 考えている暇はなかった。

 アリス(おれ)は宙高く舞うと、上空から周囲を観察する。

 

 領主の館があるこちら側の丘では、あちこちで火の手があがっている。

 丘の上の方では、松明や明かり魔法などを手に、多くの人が集まっていた。

 

 あれはおそらく、町の自警団と騎士たちだ。

 彼らがいるなら、とりあえずは大丈夫だろう。

 

 対して、もうひとつの丘の方は。

 寺院がある方の丘では。

 

 業火が燃え盛っていた。

 炎にあぶられて、グリード・クロウラーよりも巨大な魔物の影がみえる。

 

 それが、少しずつ動いて、丘の上へ這い上がろうとしていた。

 勇敢な兵士たちがその魔物に挑みかかるも、あっという間に蹴散らされている。

 

 あの兵士たちは、丘の上の寺院を守る僧騎士だな。

 最低でも平均的な騎士の三倍以上の魔力を持つ、この町の最精鋭である。

 

 幼いころ、寺院の僧騎士に抜擢される者は皆の憧れだった。

 当時のおれたちにとって、それは最強の代名詞だった。

 

 そんな者たちが束になって、足止めすらできていない。

 巨大な化け物は、明らかに寺院を目指している。

 

 なるほど、コメントの警告は正しかったわけだ。

 

 こっち側は、あくまで陽動。

 敵の本命は、あっち。

 

 王都にいながらにして、どうして敵の狙いがわかったのか?

 それについては、後で聞いてみる必要があるだろう。

 

 今は、ともかく。

 

「勇敢な町の人たちを助けに行きます! みんな、アリスに力を貸してね!」

 

 そう視聴者に宣言し、隣の丘へ飛ぶ。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)が束になって降ってきた。

 

 あ、これ王族ばっかりだ。

 やっぱりなんかあるんだな、必死だわ。

 

「兄さん」

 

 おれの耳もとで、妹であるシェリーの声が響く。

 彼女はいま、少し離れた場所で王国放送(ヴィジョン)システムを展開・維持しているはずだった。

 

 魔法に関してはおれなど比べ物にならない才能を示す彼女だが、運動神経の方はいささか頼りない。

 魔族や魔物の攻撃を受けないよう隠れていてくれれば、おれも安心して戦える。

 

 そんな彼女が伝声の魔法でコンタクトをとってきた。

 おれだけに伝えたい情報があるのだろう。

 

「師匠から連絡。『寺院に聖遺物あり』」

 

 ちょっと待って。

 聖遺物?

 

 この世界において、神は実在する。

 過去には神が降臨したこともあるという。

 

 で、聖遺物というのは、神が降臨の際、残していったもののことだ。

 

 ゲームでは、星の杖、という聖遺物が登場する。

 ダイヤみたいに輝く棒状の存在で、いっけんちょっと変わった杖にみえるものだ。

 

 星の杖は、地面に深く突き刺さっている。

 問題はそのおおきさで、地面から突き出た部分だけでも五十メートル以上あるようだった。

 

 これはとある場所に突き立って、伝承によると、神がこの大陸をつくったとき、大陸を固定するための楔であるという。

 楔を引き抜くと、大陸はばらばらになってしまうのであると。

 

 この伝承は事実だった。

 ゲームのストーリーの終盤で星の杖は引き抜かれ、大陸は文字通り、崩壊する。

 

 聖遺物とは、そういうものである。

 

 そんなものが、あの寺院に?

 マジで?

 

 冗談じゃないぞ。

 詳しく説明してくれ。

 

 いや、今はそんなことをいってる場合じゃないか。

 とにかく、寺院に侵攻する敵を阻止しないと。

 

「シェル、ナビをお願い!」

 

 視聴者向けに、シェリーの偽名を呼ぶ。

 

 アリスの相棒であるシェルは一度も画面に映ったことがない、謎の人物だ。

 アリスを姉と呼んでいることから、十歳くらいのロリであると推定されている、らしい。

 

 王都では完全に妄想で描かれたシェルの絵画なんてものが出まわっている。

 アリスと同じ銀髪紅眼のロリであるらしい。

 

 十歳の女児がこんな戦場のアシスタントできるわけないだろ、いい加減にしろ!

 欺瞞工作としては完璧なので文句もいいがたいんだけど。

 

「アリスお姉ちゃん、あのおっきな魔物は推定モール・ドレイクの亜種。おっきなもぐらさんだね!」

「グリード・クロウラーといい、地面を掘り進むのが得意な魔物さんばっかりだねえ」

「でも鱗はドラゴンみたいにカッチカチなんだって! 気をつけてね、お姉ちゃん!」

 

 

:シェルちゃんの声かわいい

:もぐら、カッチカチ……閃いた

:ボ、ボクのモグラさんもカッチカチなんだな

 

 

「ちょっと! うちの妹にセクハラ禁止! アリスとの約束だよ、お兄ちゃんたち!」

 

 

:はーい

:ちーっす

:ごめんなさーい

:アリスちゃんもっと叱って

:罵って、どうぞ

 

 

 なお叱ってとか罵ってとか書いているのは、うちの国の王子と王女である。

 こいつら、さっきは焦った様子で寺院を守れっていってたくせにさあ。

 

「お兄ちゃんお姉ちゃんたち、ひととして恥ずかしくないの?」

 

 

:恥ずかしくないです

:アリスちゃんにすべてを晒したい

:剥き出しのおれを受け入れて欲しい

:すまん……うちの子たちがすまんの……

 

 

 最後のコメントは王様のものだ。

 なんかこっちが申し訳なくなる。

 

 

 



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第11話

 アリス(おれ)がコメント欄とアホな会話をしている間に、シェリーは自分の仕事を終えていた。

 

「アリスお姉ちゃん、モール・ドレイク亜種の解析完了。胴体下部の鱗が薄いみたいだよ」

「ありがとう、シェル!」

 

 よしっ、じゃあ行きますか!

 おれは寺院のある丘の上空から、モール・ドレイク亜種に急降下する。

 

 

:でかい

:なにこれ、山が動いてるみたい

:魔物って巨大な象くらいのものを想像してたわ、全然違った

:こんなの、もうただの災害

:生憎とこの災害、意思を持って動いているんだよなあ

 

 

 近くでみると、本当におおきい。

 鱗に覆われたもぐらにしかみえない魔物だが、ただ単純に巨大なのだ。

 

 全長三十メートル以上、ひょっとしたら四十メートルくらいはあるんじゃなかろうか。

 怪獣映画かよ。

 

 そんなものが、町の家々を破壊しながら丘を登っている。

 

 僧騎士たちが懸命に攻撃を繰り返しているが、武器も魔法も矢も、まったく効いた様子がなかった。

 モール・ドレイク亜種が少し身体を振るだけで、すさまじい衝撃波が走り、無謀にも接近戦を挑んだ僧騎士数名が吹き飛ばされる。

 

 運の悪い者は瓦礫に頭から突っ込み、動かなくなった。

 手足がへんな方向にねじ曲がって倒れたまま、ぴくぴく痙攣している者もいる。

 

 

:マジでやばいな、僧騎士隊がボロボロだ

:僧騎士って騎士と何が違うの?

:精鋭

:入隊基準の魔力の足切りが十倍くらいある

:しかもトリアでしょ、あそこの寺院の僧騎士は超エリート

 

 

 そう、コメント欄で解説されている通り、トリアの僧騎士は精鋭中の精鋭だ。

 それでも、モール・ドレイク亜種の前進を遅滞させることすらできていない。

 

 彼らが命を繋いでいるうちに、なんとかしないと。

 今、この化け物をなんとかできるのはおれだけなんだ。

 

 おれはモール・ドレイク亜種のそばの地面に着地する。

 モール・ドレイク亜種のが一歩、歩みを進めるたびに地面がおおきく揺れていた。

 

 おれのことなんて歯牙にもかけない。

 いっけん、ただの小娘だからか。

 

 なら、目にものみせてくれる。

 大量の螺旋詠唱(スパイラルチャント)を消費し、肉体増強(フィジカルエンチャント)の倍率をあげる。

 

「どっこいしょーっ」

 

 モール・ドレイク亜種に突進し、その胴体の鱗に手をかける。

 そのまま、力任せに持ち上げる。

 

 消費魔力は一瞬で20000以上。

 出し惜しみはなしだ。

 

 モール・ドレイク亜種の巨体が、わずかに傾いた。

 アリスの細腕によって持ち上げられたのだ。

 

 

:は?

:え、浮いた?

:あの化け物を持ち上げた?

:これ、アリスちゃんがやったの?

:遠くてみえない、シェルちゃんもっと近づいてよ

:この視点、シェルちゃんじゃなくてシェルちゃんの使い魔でしょ

:危なくて近寄れないんじゃないの

:そりゃ、僧騎士たちが吹き飛ばされるような怪物

:その怪物を持ち上げるアリスちゃん、ほんとなに?

 

 

 コメント欄が驚きの声で埋まった。

 こんなこともできるのか、ここまでできるのか、と。

 

 異国からこの国に来た貴族とおぼしきコメントでは「うちの国にもこの技術があれば……」とあった。

 

 まあ、そうだよな。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)王国放送(ヴィジョン)システムは、まさにこういう魔物に対抗するために開発された仕組みなんだから。

 

 本来は、魔王軍との戦いに間に合わなかったはずの技術だ。

 奇縁もあって、リアリアリアはそれを、この時点に間に合わせることができた。

 

 モール・ドレイク亜種の下腹部が露になる。

 泥にまみれた下側の鱗は、たしかに上や側面よりも薄そうだった。

 

 そのなかでも、ひときわ。

 胴体の真ん中、普段はけしてみえない場所に、白い鱗が一枚ある。

 

 あそこだ。

 おれは魔物から手を離すと、一瞬で両の掌に魔力を集める。

 

「みんな、アリスに力を貸して!」

 

 コメント欄から、応、と返事が来る。

 主に王族たちから。

 

 すさまじい量の螺旋詠唱(スパイラルチャント)が降ってくる。

 おれは、それを魔力に変換し、一気に放出した。

 

 魔法ではない。

 ただ魔力を打ち出すだけの、なんの芸もない暴力。

 

 しかし、それは螺旋詠唱(スパイラルチャント)を用いて膨大な魔力を集めることで、高純度で強大な力となる。

 名づけて……。

 

「アリス・アルティメット・ブラスター!」

 

 

:ダッサ

:ひどい

:五歳児のセンス

:アリスちゃん、ダサ可愛い

:もっとメスガキっぽい名前にしろ

 

 

 コメント欄の評判がひどい。

 このセンスの良さがわからんとは……やはりこの世界は遅れてるな。

 

 それはさておき。

 魔力の過剰放出、すなわちアリス・アルティメット・ブラスターはモール・ドレイク亜種の白い鱗をぶち抜き、内側で爆発を起こした。

 

 魔物の体内で暴れまわった魔力の暴風により、臓器がずたずたに切り裂かれる。

 モール・ドレイク亜種は断末魔の声をあげた。

 

 空気がびりびりと震える。

 風圧だけで、アリスが吹き飛ばされる。

 

 木の葉のように舞いながら、かろうじて空中で翼を広げ、制動。

 態勢を立て直す。

 

 それが、モール・ドレイク亜種の最期のあがきだった。

 巨大な魔物が、ゆっくりと地面に倒れ伏す。

 

 それきり、動かなくなった。

 

 

:倒した

:うわぁ

:え、マジで

:あんなダサい名前の魔法で?

:名前は関係ないだろ

:魔法じゃない、ただの魔力を放出しただけ

:あんなの魔法とは認めない by魔術学院教官

:魔物の内部で魔力の嵐を暴れさせて内臓を引き裂いたのか

:乱暴だけど理には適っているんだな

:技の名前はダサいけど

:アリスちゃんほんとなんなの

 

 

 おれは地面にへたり込む。

 魔力を大量に放出した反動か、身体中からちからが抜けていくような感覚を覚えている。

 

「ぷーっ、疲れたよーっ」

 

 本当は、こんな弱った姿はみせない方がいいのだろう。

 

 アリスは無敵で、可愛らしくて、小生意気で、王国の絶対の守護者。

 そうであるべきなのだろう。

 

 でも今は、そんな虚勢を張る気力がなかった。

 

 

:大丈夫?

:ちょっと無理した?

:あんな魔力の放出、初めてみた

:無茶をするから

:でもあの魔物、動くだけで周囲を破壊するからな

:存在そのものが災害だった

:あれが最善

 

 

 コメント欄が高速で流れる。

 おおむね、アリスを気遣ってくれていた。

 

 そんななか、ひとつのコメントがおれの注意を引く。

 

 

:まだだ、寺院

 

 

 うん?

 ふと、丘の上の寺院をみあげた。

 

 その瞬間、寺院の入り口付近で小さな爆発が、立て続けに起こる。

 げっ。

 

「これも、陽動だった?」

 

 だとしたら、まずい。

 慌てて立ち上がろうとして、よろける。

 

 アリスを気遣うコメントが大量に流れるが、今はそんなのに構っていられない。

 

「兄さん、無茶しないで」

 

 おれにだけ聞こえる、シェリーの心配そうな声。

 わかっている、とうなずく。

 

 おれの身体が限界に近くても、螺旋詠唱(スパイラルチャント)があればまだ戦える。

 翼をはためかせ、空に舞い上がった。

 

 



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第12話

 おれは、丘の上の聖教寺院には、あまり行ったことがない。

 知り合いが死んだときの葬儀くらいか。

 

 この世界は一般的に火葬で、残った骨の一部だけを一族の墓石の下に埋める。

 町の共同墓地は丘の下の町はずれにあるから、寺院に行く用事なんて、ほかには重い病にかかったときくらいだろう。

 

 怪我や病の治療は、寺院の役割だ。

 僧侶たちは、治療に特化した魔術師である。

 

 あと災害時には避難場所としても解放されることになっている。

 

 つまり、今夜。

 寺院には避難民が詰めかけているはずなわけで……。

 

 そんなところで戦闘が始まっているのは、非常にマズい。

 

 おれが飛翔している間にも、寺院の入り口付近で断続的に光が点滅している。

 僧騎士が攻撃魔法を使っているのか、それとも敵側の攻撃なのか。

 

 あまり派手な音がしていないということは、大型の魔物ではないようだが……。

 

「アリスお姉ちゃん。寺院の方で暴れている敵は、一体だけ。赤い肌の、腕が六つある魔族だよ」

 

 妹であるシェリーの、いやシェルの声がする。

 お姉ちゃん、と呼ぶということは、視聴者も聞いている前提の会話だ。

 

「おっけー、シェルちゃん! 魔族さんは、どんな攻撃をしているかな?」

「武器を四本持って僧騎士と切り結んでる。同時に、残ったふたつの腕で魔法の火の玉を出してるね。僧騎士十人以上が束になっても敵わなくて……全滅しそう」

「……化け物かな?」

 

 いや、化け物だったわ。

 六つの腕を自在に操って僧騎士を翻弄するとは。

 

 みえてきた。

 

 寺院の前で僧騎士部隊を相手に暴れている魔族は、単騎。

 やっぱりあれが本命か。

 

 六つの腕で、赤茶けた肌で、二足歩行。

 背丈は二メートル半、というところか。

 

 額から小さな角が二本、生えている。

 まるで日本の昔話に出てくる鬼みたいだ。

 

 下の四つの手で武器を持っていた。

 それぞれ剣、斧、槍、槌である。

 

 いちばん上の二本の手では、断続的に火球を飛ばしている。

 僧騎士たちは魔法の盾で火球を受けては吹き飛ばされ、それでも食らいつこうとしているが、接近しても相手は巧みに剣や槍、斧や槌を操っていた。

 

 うーん、戦士としての腕も魔術師としての腕も一流だな、あれは。

 まあ、そもそもゲームだと後半に出てくる魔族だしな……。

 

 マリシャス・ペイン。

 種族名ではなく、人類側がつけた個体名だ。

 

 中ボス的な存在の、魔王軍幹部。

 ゲームでは無口かつ冷酷な強敵であった。

 

 さて、ボスクラスにもいつかは遭うと思っていたが、それが今とは。

 できれば消耗した今じゃなくて、万全の態勢で挑みたいけど……そういうわけにもいかないよなあ。

 

「兄さん、いったん中継を切る?」

 

 シェリーの、おれだけに聞こえる声。

 おれは無言で首を横に振る。

 

 敵が、二重に陽動までしてこの寺院に送り込んだのが、ボスクラスの魔族だった。

 そこまでしても、聖遺物を奪いたいのだろう。

 

 それを奪われたら、きっと、ひどくまずいことになる。

 そこまでわかっていて、退くわけにはいかない。

 

 寺院の誰かがその聖遺物というものを持って逃げてくれればいいんだけど……。

 そもそも持って逃げることができるようなものなのか、それすらわからない。

 

 なにせおれが知る唯一の聖遺物は、さっきもいったようにその一部ですら高さ五十メートルの、あまりにも巨大な針であった。

 

 この寺院に保管されているということは、あそこまでのシロモノではないのだろうけど。

 容易には持ち上げられないほどのものである可能性は、充分にある。

 

 なら、ここで敵を食い止めるしかない。

 

「いくよっ」

 

 自分を鼓舞するように声を張り上げ、アリスはマリシャス・ペインに向かって急降下する。

 

 武器を槍に変え、加速。

 相手がこちらに気づく前に一撃必殺できれば最上だ。

 

 あ、マリシャス・ペインが上を向いた。

 こっちと目が合った。

 

 赤い双眸が、おれを射すくめる。

 ちっ。

 

 おれはとっさに、左手を横に伸ばすと、魔力を放った。

 反動で身体が斜め横に滑る。

 

 直後、火球が連続して、おれの脇を通り過ぎた。

 避けていなければ、完全に直撃コースだ。

 

 おれはマリシャス・ペインから二十歩ほど離れた地面に着地する。

 僧騎士たちが、桃色のワンピースをまとった少女の出現に目を丸くしていた。

 

 皆、誰だ? という顔をしている。

 

 あれ?

 こいつら、いま話題のアリスちゃんを知らないの?

 

 あ、そうか、まだ寺院に王国放送(ヴィジョン)端末が設置されてないのか。

 ちゃんとしてくれよ、王家さあ。

 

 

:もっと端末増やさないとなー

 

 

 アリスと僧騎士が顔を合わせたときの様子から、いろいろ察したらしいコメントが流れる。

 

 王様だった。

 よかった、余計なこと口に出さなくて……。

 

 それは、さておき。

 おれはマリシャス・ペインと対峙して、槍を構えなおす。

 

 相手は、急に襲ってきたおれをみて、怪訝そうな顔をしていた。

 

 戦場には不釣り合いな、小柄な少女。

 おれの脅威をどう推し量ればいいのか、わからないのだろうか。

 

 なら、先手必勝だ。

 

 

:とりあえず、いっぱいスパチャしとくわ

 

 

 これも王様のコメントである。

 フランクな態度だけど、それはそれとして一気に5000くらいの魔力が、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を通して流れてきた。

 

 おれは貰った魔力のほとんどを肉体増強(フィジカルエンチャント)にまわして、地面を蹴る。

 マリシャス・ペインに向かって突進する。

 

 一歩目で風を置いていった。

 二歩目で音速の壁を越えた。

 三歩目には、刺突の距離に迫っていた。

 

 二十歩を、三歩で埋めたのである。

 

 爆発的な踏み込みだ。

 常人の目には映らないだろう。

 

 魔族の胸めがけて刺突を見舞う。

 

「ぬっ」

 

 マリシャス・ペインがわずかに顔を歪めて、胸の前で剣と斧を交差させた。

 アリスの槍の穂先が、その二本の武器を破砕する。

 

 だが、あいにくとそれまでだった。

 刺突は勢いを削がれ、続いて槌と槍が左右からアリスを襲う。

 

 おれは身を低くし、敵の攻撃をかわす。

 それは、刺突を諦めることを意味していた。

 

 

:いま、なにが起こった?

:みえなかった

:アリスちゃん消えた?

:魔族の武器が壊れたの、アリスちゃんがやったの?

:わからん、なんもわからん

 

 

 仕方がない。

 相手の側面にまわりこむ。

 

 そこに、火球が襲ってきた。

 まるでおれがそうするとわかっていたかのような攻撃。

 

「ちぇっ」

 

 爆発が起こる。

 おれはとっさに、魔力の塊を火球にぶつけていた。

 

 火球は衝撃で破裂したのだ。

 爆風が起こる。

 

 敵の目からアリスの姿が消えた。

 その隙に、間合いを詰めようとして……。

 

 ふと、嫌な予感がして飛び退る。

 直後、マリシャス・ペインの周囲の地面が爆発した。

 

 

:今度は爆発

:え、なにが起きてるの

:戦ってるっぽい、みえないけど

:なんもみえん

:中継しっかりして

:おまえらの目がしっかりしてないだけ、少しだけどみえた

:ちゃんと目に魔力を通せばみえる

:こっちは騎士じゃないんだ、肉体増強(フィジカルエンチャント)なんて使えないよ!

:一流騎士のおれはアリスちゃんのパンツもみえた

 

 

 こいつ、アリスを狙った一撃のほかに、それをアリスが避けて反撃に出ることまで計算した置き攻撃(・・・・)も用意していたんだ。

 シューティングゲームでいえば、こちらに対する誘導弾と、黙っていればこちらに当たらないが少しでも動けば当たる攻撃をセットで放っていた、ということである。

 

 なんだこのクソゲー。

 死ぬがよい、ってことかよ。

 

 それはそれとして、パンツもみえたといってるのは王族の剣の師範代をやっているひとだな。

 達人の目をなんのために使ってるんだか。

 

「貴様、なにものだ」

 

 マリシャス・ペインが、軽く片眉をつりあげて、そう訊ねてきた。

 



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第13話

 おれはアリスとなって、魔王軍の幹部マリシャス・ペインと対峙している。

 

 アリスの後ろには、人々が避難した寺院がある。

 これ以上は、一歩も退けない。

 

「アリスは、アリスだよ」

 

 おれは相手の質問に、そう返す。

 余計な情報を与える必要はない。

 

「それより六本腕のお兄ちゃんは、どうしてこんなところに来たの? 参拝だったら朝に出直してきなよ。魔族は礼拝の作法も知らないのかな?」

 

 とりあえず、適当なことを口走っておく。

 ただの時間稼ぎだ、なにか有益な情報が得られるとも思っていない。

 

「我ら真種(トゥルース)が信仰するのは、我らが王のみ」

「ふーん、魔王を信仰するんだ。へんなの」

 

 これは設定を知っていれば、へんではない。

 だが、大陸の人類は未だ、魔王の正体を知らない。

 

「それとも、お兄ちゃんは信仰の意味も知らないのかな? 信仰っていうのはね、神様を崇めることなんだよ?」

 

 マリシャス・ペインは少し機嫌を損ねたように、表情をかたくする。

 

「この建物に隠した秘宝を差し出せ。そうすれば、命だけは助けてやる」

「なんのこと? アリスわかんなーい。いやほんとに知らないんだよね」

 

 秘宝? 聖遺物のことか。

 それが、真種(トゥルース)の秘宝?

 

 ああ、そういうことか。

 ようやく、この地に埋蔵された聖遺物とはなにか、見当がついてきた。

 

 きっとそれは、五百年前の戦いで魔族から人類が奪い取ったものなのだ。

 かつて神であった魔王、その欠片である。

 

 故に人類は聖遺物と呼び、魔族は秘宝と呼ぶ。

 

 アリス完璧に理解したよ、お兄ちゃん。

 口には出せないし、気づいたそぶりもできないけど。

 

「でも別に、なんだっていいよね。その秘宝ってやつ、お兄ちゃんに渡すわけにはいかないものだって、アリスわかるもん」

「話すだけ無駄か。所詮は下等なヒトの幼体、力でわからせてくれよう」

「あははっ、わからせられるのは、どっちかな?」

 

 戦いが再開される。

 

 マリシャス・ペインが火球を放つ。

 おれは自分に向かってくる火球を剣で弾き、地面を蹴る。

 

 火球が爆発する。

 爆発の煙を突き破って、おれは一気に距離を詰める。

 

 マリシャス・ペインは少し驚いた顔をする。

 彼の火球を弾いたことか、それともアリスの突進が彼の想像を上まわったからか。

 

 ま、そりゃね。

 さっき会話している間に、めちゃくちゃ螺旋詠唱(スパイラルチャント)を貰ってるし。

 

 

:秘宝ってなんだ? そこトリアだよな

:やっべー王国の機密が流れたような?

王国放送(ヴィジョン)端末が中継を続けてるってことは、王家も許容してる内容でしょ

:それより魔族って本当にいたんだな

:魔王が本当にいるっぽい方が驚き

:よく情報を引き出した、えらい

:アリスちゃんがんばれ、わからせてやれ

:アリスちゃんにわからせられたい

:わかる、お仕置きされたい

:それにしても、魔王信仰か……

 

 

 コメント欄はカオスだった。

 

 突然の情報の嵐に混乱する者、魔族を初めてその目でみて、魔王軍の侵攻が本当だったのだと理解する者、魔王の存在を疑っていた者、平常運転の者。

 そして、アリスのやりとりを褒める王族たち。

 

 これまで魔王軍の情報はほとんど得られていない。

 

 それがいきなり、幹部っぽい存在の口から、彼らの信仰の対象と魔王の実在、さらには彼らの行動目的の一部らしきものまでが語られたのだ。

 そりゃ、王国の上層部としては興奮もするだろう。

 

 もっと会話を引き延ばして情報を手に入れろ、という指示が出るかもしれないな、とは思っていた。

 でも王族たちは、その指示を出さないかわりに、大量の螺旋詠唱(スパイラルチャント)を送ってきた。

 

 さっさと倒せ、ということだ。

 魔王軍の手から寺院を守ることを優先することにしたのだろう。

 

 たぶん、それで正解だ。

 いま、こいつ相手に余裕を持って戦うことなどできないのだから。

 

 魔力の供給はあっても、連戦でおれの身体は限界に近い。

 レスバでは余裕そうな口を叩いていたが、長い戦闘は無理だ。

 

 短期決戦、それしかない。

 

 おれは武器を槍から大剣に変化させ、マリシャス・ペインに接近戦を挑んだ。

 おれの斬撃に対して、マリシャス・ペインは下がってかわそうとする。

 

 すでに二本の武器を折られているのだ、当然の判断だろう。

 だが、遅い。

 

 おれは斬撃の最中に、アリスの武器を大剣から槍に変化させる。

 斬撃から流れるように刺突を見舞う。

 

 斬撃から刺突の変化は読んでいただろうマリシャス・ペインも、急に武器の柄が伸長したことには対応できなかった。

 

 アリスの槍が肩に突き刺さる。

 赤茶けた肌が裂け、赤い血が飛び散る。

 

 魔族も、種族によって血の色が違う。

 魔族、魔物とひとくくりにされていても、その内実はバラバラなのだ。

 

 それらをひとつにまとめているのが、魔王であり、魔王信仰なのだ。

 故に五百年前は、魔王を討伐することで災禍を終わらせることができた。

 

「ヒトの小娘ごときが!」

「小娘ごときにやられる雑魚が、なーに偉そうな口を利いているのかな? やーい、ざーこざーこ♪」

 

 煽り散らしながら、アリス(おれ)は敵を追い詰めていく。

 マリシャス・ペインを相手に、速さで圧倒して、次々と傷を増やしていく。

 

 

:アリスちゃんがんばれ、超がんばれ

:なけなしの触媒、ここで使うわ

:家族の魔力です、お願い

:隣の丘から、伯爵の屋敷に集まった人たちの魔力を送ります

 

 

 王族が、王都の貴族たちが。

 そして、隣の丘、領主の屋敷に避難した人たちが。

 

 これまでになく豪勢に触媒を消費して、王国放送(ヴィジョン)端末から螺旋詠唱(スパイラルチャント)を注いでくれている。

 彼らも、ここが勝負どころだと認識しているのだ。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)のバックアップがある限り、おれはどこまでも強くなれる。

 この身が、際限なく注がれる魔力に耐えられる限り。

 

 やがて、アリスの刺突が、マリシャス・ペインの胸を貫く。

 魔王軍の幹部は、口から大量の血を吐いて、膝を落とした。

 

「馬鹿……な……。このおれが……五百年の雌伏の果てが……」

「残念だったね、魔族のお兄ちゃん。アリスと戦うには、あと五百年くらい足りなかったんじゃない?」

 

 おれは武器を槍から大剣に変えると、動きを止めたマリシャス・ペインの首を容赦なく刎ねた。

 頭部を失った胴体が、血を噴出させながらその場に頽れる。

 

「ざーんねん、でした」

 

 余裕しゃくしゃくの様子でそう告げて、妹が飛ばす小鳥型のドローンカメラに向けてキメポーズをする。

 

 コメント欄は歓声の渦だった。

 皆が喜びと感謝のコメントをしていた。

 

 王族たちも、喜んでいた。

 よくやった、と褒めてくれている。

 

「みんな、螺旋詠唱(スパチャ)ありがとう! それじゃ、またね! いい子は歯磨きして寝るんだゾ!」

 

 笑顔で、ばいばいと手を振る。

 本当はもっとサービスした方がいいんだろうけど……。

 

 放送が切れたことを確認したあと。

 おれは、地面に片膝をついた。

 

 ぜえぜえと荒い息を吐く。

 全身から、とめどもなく汗が滴り落ちる。

 

「やばかった。いくらなんでも魔力を使いすぎた」

「兄さん!」

 

 シェリーの声が降ってくる。

 目の前が真っ暗になる。

 

 おれはそのまま、意識を失った。

 



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第13.5話

 わたしはシェリー。

 五つ年上の兄の名はアラン。

 

 わたしたちは、代々、トリアで騎士をしている家系に生まれた。

 父の自慢は、わたしたちが生まれる前、近くの森で大猪を狩猟したことだ。

 

 わたしたちが生まれた町トリアは、王都から馬車で七日のところにある。

 森で野生動物に襲われるくらいがせいぜいの、平和な町だ。

 

 世間は、そして兄さんは、わたしのことを魔法の天才だという。

 でも本当の天才は兄さんだと、わたしは思う。

 

 兄さんは、十歳となった日から、熱心に魔法の修行を始めた。

 当時五歳のわたしは、そんな兄さんに構って欲しくて、自分も魔法を習い始めた。

 

 幸いにして父は騎士で、基礎的な魔法と狩りに使う魔法については熟練者だった。

 兄さんは、なぜかひたすらに肉体増強(フィジカルエンチャント)自己変化の魔法(セルフポリモーフ)だけを磨いていたけれど、わたしはいろいろな魔法を幅広く使えるように勉強した。

 

 魔法を覚えるのは難しくない。

 いわれた通りにすればいいだけだから。

 

 むしろ、たったふたつの魔法の可能性を追求するように、ひたすら習熟を深めていく……探求していく兄さんの方が、よほどすごいとわたしは思う。

 

 どうしてそこまで、と思ったことはあったけれど、なにかにとりつかれたように、焦った様子で魔法と剣の修行に打ち込む兄さんをみていたら、余計な声はかけられなかった。

 

 だからわたしは、剣と魔法の修行をする兄さんの隣で、魔法の腕だけを磨くことにした。

 そうすれば、ずっと兄さんといっしょにいられるだろうから。

 

 そう、ずっと。

 ずっと、いつまでも。

 

 同年代の子たちと遊ぶことには興味がなかった。

 彼ら、彼女らは、わたしが誰でも別にいいみたいだったから。

 

 兄さんだけは、わたしのことをほかの誰でもなく、ひとりの妹、ひとりのシェリーとしてみてくれた。

 外で走りまわるより花を眺めたり本を読む方が好きなわたしを、「それもいいんじゃないか」と受け入れてくれた。

 

 兄さんといれば、ほかのひとにうるさいことをいわれない。

 最初は、それだけの理由で、外に出るときずっと兄さんのそばにいた。

 

 そのうち、兄さんのそばにいることが理由になった。

 

「シェリー、おれは魔族や魔物と戦う」

 

 兄さんが十二歳、わたしが七歳のころ。

 ある日、兄さんは唐突にそういった。

 

 いや、いまから考えると、ずっと前からそう決めていたのかもしれない。

 

 じゃないと、わざわざ肉体増強(フィジカルエンチャント)自己変化の魔法(セルフポリモーフ)に絞って訓練していた意味がわからない。

 父のあとを継いで騎士になるなら自己変化の魔法(セルフポリモーフ)はいらないし、大猪を退治するならもっと弓の腕を磨くべきだ。

 

 でも兄さんは剣や斧、槍といった武器ばかり学んだ。

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で背に翼を生やすことにこだわった。

 

 それは、兄さんがずっと以前から魔族や魔物と戦うことを想定していたからにほかならない。

 

 魔族や魔物、魔王、魔王軍。

 そういった存在について、幼いながら本をよく読むわたしは、それがどういうものか知っていた。

 

 恐ろしいものたち。

 人類の敵。

 

 五百年前に退治されたものたち。

 いまはもう存在しないものたち。

 

 魔物は人里離れた秘境のような地に棲んでいて、ときどき人の生存圏の近くまで降りてくるという噂があった。

 そういうことが描かれた物語を読んだこともあったし、そういった魔物を退治する英雄の物語は心が躍った。

 

 でも大人たちは、それは絵空事で、本当のことではないのだという。

 もう魔族も魔物もいないのだと語る。

 

 だから兄さんがわたしにだけ語った決意は、わたしがまわりにそれを話せば、きっと馬鹿にされたり諫められたりするものであっただろう。

 

 もちろん、そんなことはしなかったけれど。

 誰にも話さなかったけれど。

 

 わたしはただ、兄さんの決意を肯定した。

 当然、わたしも手伝うと告げた。

 

 兄さんが魔力リンクのことを思いついたのは、その少しあとのことである。

 

 魔力に乏しい兄さんに、わたしが魔力を送る。

 そうすれば、兄さんはもっと戦える。

 

 そんなアイデアだった。

 兄妹なら魔力の融通がしやすいのだと、兄さんは語った。

 

 つまり、わたしにしかできないことだ。

 とても嬉しかった。

 

 最初は全然上手くいかなかったけれど、兄さんは、「これは絶対に必要だ」と訓練を続けることを主張したから、わたしは根気よくつきあった。

 

 ううん、嘘。

 この訓練をしていれば、ずっと兄さんのそばにいられる。

 

 いつも兄さんを感じられる。

 だから、もっとこの可能性を追求したかった。

 

 リアリアリア師匠に出会ったのはこの頃だ。

 弟子にならないか、という誘いに対して、わたしは少し迷ったすえ、彼女の差し出した手をとることにした。

 

 大魔術師である師匠に教えてもらえば、上手く魔力のリンクができるようになるかもしれないから。

 もっと兄さんの役に立てるかもしれないから。

 

 その程度の動機だった。

 実際は、もっとすごいことになったのだけれど。

 

 最初の三年は、地道な下積みが続いた。

 

 でも、ある日。

 わたしが兄さんに師匠の研究のひとつ、螺旋詠唱(スパイラルチャント)について話した、少しあとのこと。

 

 兄さんが師匠とふたりきりで話し合ってからしばらくして、すべてが変わった。

 

「これからは螺旋詠唱(スパイラルチャント)の研究に集中します。シェリー、あなたも手伝いなさい」

 

 師匠は、なぜかとてもうきうきとして部屋を出てくると、そういった。

 その後ろで、兄さんがげっそりとしていた。

 

 ちょっとちょっと、本当になにがあったの!?

 ねえ、兄さん!?

 

        ※※※

 

 それからはめまぐるしい日々が続いた。

 師匠は王都に居を移し、わたしと兄さんも師匠に従って親もとを離れた。

 

 リアリアリア師匠は国を巻き込んで螺旋詠唱(スパイラルチャント)の研究を発展させ、それは王国放送(ヴィジョン)システムとなって結実した。

 

 たったの五年で、わたしたちはここまできた。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムで大人気の、アリスとシェル。

 そんなとびきりの、正体を隠した英雄に。

 

 兄さんは二十歳、わたしは十五歳になった。

 

 兄さんは、あの日の決意の通り、魔族や魔物と戦っていた。

 わたしはそのサポートをしていた。

 

 ただし兄さんは、アリスとして。

 わたしはアリスの妹のシェルとして。

 

 兄さんが変身したアリスはとてもかわいらしくって、みているとついよだれが垂れそうになる。

 違う、ううん、ええと、目が離せなくなる。

 

 数年前から侵略を開始した魔王軍は、ふたつの大国を陥落させて、わたしたちのヴェルン王国に迫りつつあった。

 みっつ目の大国も、ほどなく陥落するだろうと思われた。

 

 大国と大国の間にある無数の小国が、魔王軍の支隊によって、片手間のように踏みつぶされた。

 おびただしい数の難民がこの国にも押し寄せてきて、貴族や民は、ようやく事態の深刻さを認識しつつあった。

 

 それ以前から、アリスはたくさんの魔物を叩き潰していたのに。

 その様子を王国放送(ヴィジョン)システムで放送していたのに。

 

 彼らはそれを、娯楽として消費するだけだった。

 ただの、遠い国の出来事、まるで物語のように思っているようだった。

 

 でも。

 わたしたちの故郷、トリアを魔族と魔物が奇襲したあの日から。

 

 すべてが、変わる。

 この国の民も、戦争が遠い地で行われている無関係の物語ではなく、いましも自分たちに迫りつつある身近な出来事なのだと、そう認識したのである。

 

 それをやってのけたのもまた、兄さんだった。

 

 町を蹂躙する、あまりにも巨大な魔物。

 それに対して無力な騎士と、僧騎士。

 

 魔族の幹部とおぼしき個体との交戦。

 一流の騎士でも目で追えないほどの攻防。

 

 王国放送(ヴィジョン)端末を通して、おそるべき敵が迫っていることを、人々は目の当たりにしたのである。

 

 吟遊詩人の弾き語りを、師匠が教えてくれた。

 こんな一節だ。

 

 そこに映っていたものの、九割九分までが、ただ絶望だった。

 ただひとつ、希望の光があった。

 その少女は、銀の髪と純白の翼をなびかせ、地獄のような戦場に舞い降りた。

 

 ――と。

 

 そのアリスの活躍をサポートしていたのがわたしであることを知る者は少ない。

 アリスは賞賛されても、サポーターのシェルのことを褒める者はあんまりいない。

 

 それで、よかった。

 わたしは、兄さんの影でいい。

 

 だから、兄さん。

 死なないで。

 

 お願い。

 どうか、目を醒まして。

 

 



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第14話

 

 目覚めてから聞いた話によれば、おれは意識を失ったままシェリーの手によって(魔法で持ち上げられて)町の外に運ばれたらしい。

 そこで王都から飛行魔法で急行してきた支援部隊による治療が行われたという。

 

 そう、盛大に魔力を注ぎ込みすぎたおれの身体は、だいぶヤバい状態だった。

 治療班の不眠不休の働きがなければ生死も危うかったらしい。

 

 もっとも、それだけの支援(スパチャ)があったということだし、そうしなければ勝てなかった。

 

 肉体の傷は癒えても、おれは昏々と眠り続けた。

 

 魂が傷ついていた、という話だ。

 夢のひとつもみなかったおれには、よくわからないのだけれど。

 

 七日後に病院のベッドの上で意識が戻った。

 すぐ横にいたシェリーは目を真っ赤に腫らしていたし、なんなら目覚めた直後に抱きつかれて大泣きされた。

 

 無茶はやめて、といわれた。

 死んだら許さない、と怒られた。

 

 次は気をつけるよ、とおれは返事をした。

 実際にそのときになったら、どうするかは……ちょっとわからないけれど。

 

 おれが起きたとき、すでに戦いの後始末は終わっていた。

 

 トリアには近衛騎士団が赴き、焼け出された民に支援物資をばらまいたという。

 第一王子が直接、その指揮を執ったとのことである。

 

 グリード・クロウラーやモール・ドレイク亜種によって開けられた穴は調査の後、しっかりと埋められた。

 逃げた魔族や魔物については、徹底的な捜索と討伐が行われたという。

 

 その過程で、近衛騎士団にも多少の被害が出たそうだ。

 

 住民の死者・行方不明者合わせて七十人以上、負傷者五百人以上。

 騎士と僧騎士の死者・行方不明者は十六人。

 

 当時、あの町にいた騎士と僧騎士は合計で五十人くらいだったはずだから、およそ三分の一が殉職したということになる。

 さしておおきくもない町にとっては、とんでもない被害であった。

 

 ちなみにおれとシェリーは、あの夜の戦いの最中、王都の部隊と接触して一時的にその指揮下に入り、逃げた魔族と魔物を追う任務についた、というあたりで話がまとまっている。

 アリスとシェルのことは国の機密であるため、カバーストーリーが必要だった。

 

 おれたちのためだけに、王家は複数の架空の部隊と架空の任務を用意してくれている。

 今回はそのうちのひとつを使ったとのことだ。

 

 そういうわけで、兄妹の里帰りはさんざんな結果に終わった。

 いや……おれたちが里帰りしなかったらもっと被害は拡大していただろうし、結果的によかったのか?

 

 わからない。

 

 両親が家の下敷きになった靴屋の娘の顔がちらつく。

 同時に、師匠の笑顔も。

 

 たしかなことは、ひとつ。

 なにもかもを守ることはできなかったけれど、あのときできることはすべてやったということだ。

 

 おれたちは母ともう一度話をする暇もなく、森へ狩りに出かけていた父と再会する暇もなく、王都に戻った。

 というかおれの場合、昏睡状態のまま、いつの間にか王都に運ばれていた。

 

「落ち着いたら、また里帰りして……今度こそ親父にも顔をみせないとな」

 

 おれの胸にすがりついて泣くシェリーの背を撫でてあやしながら、おれはそんなことを呟いた。

 

        ※※※

 

 目覚めた翌日。

 シェリーと共に、リアリアリアのもとへ報告に赴いた。

 

 今回、王族を叩き起こして王都の王国放送(ヴィジョン)端末を強制起動した彼女は、おれたちにとって命の恩人である。

 リアリアリアは、「無事でよかった」と安堵した様子で微笑んだ。

 

「アラン、あなたの身体については早急に全面検査をするとして……王国放送(ヴィジョン)システムの見直しが必要ですね。単位時間あたりの魔力の供給量にリミッターをかける必要があるでしょう」

「待ってくれ、あの魔族に勝てたのは螺旋詠唱(スパチャ)のおかげだ。リミッターがあったら、拾える戦いも拾えなくなる」

「あなたがそういう無茶をするから、ほら、隣で我が弟子が冷たい目で睨んでいるのですよ」

 

 隣のシェリーをみる。

 表情を消して、師であるリアリアリアをじっとみつめていた。

 

 へたに睨んだりするより怖い。

 

「自分がどれだけこの子を心配させたのか、少しは反省することですね」

「負けてなにもかも失うよりはマシでしょう。いざというときのリミッター解除を用意してくれるなら承知します」

「我が弟子が供給をコントロールする、というあたりで落ち着けましょう。術式の改良にしばしの時間を貰いますよ」

 

 そういうことになった。

 

 まあ、仕方がない。

 おれだって別に、死にたいわけじゃないんだ。

 

「いずれにせよ、しばらくアリスの出動はありません。あなたの身体と魂は、まだ傷ついています。休暇中にこのようなことになったのは残念ですが、どうかしばらくは安静にしていてください」

 

        ※※※

 

 安静に、といわれても、やるべきことはまだある。

 シェリーをリアリアリアのもとへ置いて、おれはひとりで、王都のはずれにある、とある屋敷へ向かった。

 

 おれの書類上の上司が住んでいる屋敷である。

 もちろん、そんな上司は実在しない。

 

 ただし屋敷には住人がいるし、その人物は実際におれの上司にあたる人物であった。

 つまり、王族だ。

 

 屋敷に通されたおれは、しばし待たされたあと、簡素なつくりの応接室に通された。

 簡素、といっても華美な装飾がほどこされていないという意味で、部屋のつくりは頑丈だし、魔法的な防護がたっぷりとほどこされていることは知っている。

 

 そこでソファーに座っておれを出迎えたのは、ひと組の男女だった。

 

 男の方は金髪碧眼のすらりとした二十歳前後の優男で、温和な笑みを浮かべている。

 女の方は同じく金髪碧眼だが、年齢は十七、八歳くらいで、傲慢にふんぞりかえり、腕組みしておれを迎えた。

 

 このふたりこそ、ヴェルン王国の第二王子と第三王女である。

 

「遅いですわ、アラン。リアリアリア様への報告にどれだけ時間をかけているのです」

「いや、報告は重要じゃないかな。なんといってもあのお方がいなければ、王国放送(ヴィジョン)システムの改良はできないのだから」

 

 女性の方がおれを叱り、男性の方がそれを宥める。

 このふたりは母親が同じ第一王妃で、共同で主にリアリアリア関係、おれやシェリー関係の実務をとり仕切っていた。

 

 ちなみにその第一王妃というのがリアリアリアの友人であり、ふたりとも幼少期、リアリアリアになついていたという。

 あの人も、長年引きこもっていたといいつつ、なんだかんだで王家と関係を深めてたりするんだよなあ。

 

 そういう関係性がなければ、こうも短期間で王国放送(ヴィジョン)システムなんてものが完成するはずもないのだけれど。

 それはそれとして……。

 

「殿下、報告いたします」

「あ、形式ばった挨拶はいいよ。ここにはわたしたちしかいないからね。ざっくばらんにいこう。座りたまえ」

「それでは、失礼いたします」

 

 おれは第二王子の勧めで対面のソファーに腰をかける。

 彼としても、形通りの報告は部下から手に入れているだろう。

 

 とはいえ、実際に戦ったおれ自身の報告を聞きたい、というのも理解できた。

 おれは、あの夜の出来事を詳細に語る。

 

「魔王軍の奇襲から聖遺物を守ることができた。幹部らしき魔族を倒すことができた。これ以上の成果はないね。きみたち兄妹のおかげだ、ご苦労だった。論功行賞は期待してくれていい」

 

 第二王子は、おれの話を最後まで聞いたあと、そう労ってくれる。

 

「でも魔力の過剰吸収は頂けないな。アリスには、今後も活躍してもらう必要がある」

「後続が育つまで、だいぶ時間がかかりそうですものね……。我がことながら、不甲斐ないことこのうえありませんわ」

 

 第三王女が腕組みしたまま、憮然とした表情で告げる。

 アリスの後続の育成については、彼女の管轄であった。

 

「ひとまず、きみはゆっくり身体を休めるように」

「ディアスアレス王子、マエリエル王女、そうなると、アリスはしばらく王国放送(ヴィジョン)に登場しないことになりますが」

「民の興味を惹き続けるために、ほかにもコンテンツを用意する予定だよ。毎日、ある程度は放送していかないとね」

 

 第二王子ディアスアレスは「アリスほど人の耳目を引く力は、いまのところ見当たらないのだけれどね」と苦笑いしていた。

 先のトリアでの突発放送も、夜にもかかわらず王都の住民が続々と酒場や公園に設置された王国放送(ヴィジョン)端末の前に集まって、最終的にすごいにぎわいであったらしい。

 

「アリスちゃんは本当に大人気なのですわ」

 

 第三王女マエリエルが頬に手を当て、そう告げる。

 

 ぱっと懐から、扇をとり出した。

 扇を広げると、表にはデフォルメされた笑顔のアリスがおおきく描かれている。

 

「このアリスちゃんラブラブ扇も大人気で、先日、第三次増産品が完売したばかりなのです」

「勝手に商品増やしますね、ほんと」

「ちゃんと、収益の一部はあなたにも還元いたしているでしょう? 次はアリスちゃんきゃわきゃわ飴を販売する予定です。二千個に一個、アタリのアリスちゃん赤面顔のアートが混入する予定ですわ」

 

 レアガチャ商法やめろ。

 

「セットのシェルちゃん赤面顔と合わせると、ふたりがみつめあっている図が完成いたしますのよ」

 

 しかもコンプガチャかよ。

 公正取引委員会さん早くきてー。

 

 そう、このマエリエル王女こそが、アリスとシェルの人気を煽り関連商品を出し品薄を煽る元凶であった。

 ちなみに王国放送(ヴィジョン)のコメントで「ぺろぺろ」とか「きゃわわ」とか書いているのもこのひとである。

 

 なおディアスアレス王子の方は「はぁはぁ」とか「パンツみえた」とか書いている。

 このひとたち、ほんとさぁ。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)をいっぱい投げてくれるから、こっちとしては助かっているんだけども。

 マエリエル王女が商品開発して民にアリス商品を売りつけるのも、螺旋詠唱(スパイラルチャント)用の触媒がめちゃくちゃ金食い虫だからだし。

 

 別に王族がアリスを利用して私利私欲を満たしているわけではない。

 

 いや、コメントの一部は私利私欲そのものな気がするけど……。

 それは置いておくとして、だ。

 

「アラン、魔王軍の幹部と戦ったあなたにお聞きします。あなた以外であれに対抗するとして、我が国はどの部隊を、どれだけ投入すれば可能でしょうか」

「数を投入しても無理でしょうね」

 

 ディアスアレス王子の問いに対して、おれは正直に答えた。

 

「寺院の僧騎士が一方的に押されていました。トリアの僧騎士は聖教でも上澄み中の上澄みでしょう? 彼らをして、時間稼ぎしかできない相手ですよ。掃討戦では近衛騎士団からも被害が出たのでは?」

「その通りなんだよね。武器の問題もあるし、対魔族、対魔物用の戦術の問題もあった。一からやりなおしだ、と第一王子(うちの兄)も頭を抱えているよ」

 

 魔王軍の厄介なところが、そこであった。

 質だ。

 

 人類の強みは、騎士という精鋭の数を揃えて集団戦を行うことができることである。

 しかし魔王軍の最精鋭、幹部どもは、その人類軍の精鋭騎士たちを単騎で圧倒する。

 

 ゲームでも、そうだった。

 人類は数の利を個の質によって圧倒され、敗北を繰り返し、大陸の東の果てまで追い詰められていた。

 

 人類が反撃に転じることができた理由は、優れた個を育成し、投入することで魔王軍の幹部を討ちとる体制が整ったからである。

 まあ、それがゲームの主人公、勇者なのだけれど。

 

 現在、ゲーム開始の五年前。

 勇者は未だ、覚醒していない。

 

 そんな状況だからこそ、アリスという存在は人類の希望の光なのであった。

 問題はそれが現在のところ唯一の光であり、後続の育成が上手くいっていないということである。

 

「トリアの地下に掘られたトンネルは埋めたし、聖遺物の場所は移動させる。再度、あの地が襲われることはないだろう」

 

 ディアスアレス王子はいう。

 

「それにしても、聖遺物(あれ)と魔王にどのような繋がりがあるのだろうね」

「さあ……。その聖遺物というのがなんなのか、自分は知りませんから」

 

 おれは未だ、聖遺物というものについて説明を受けていない。

 だから、そう返事をするしかない。

 

 そもそもゲームの知識だけでは、聖遺物というものについてどう解釈すればいいのかわからない部分が多い。

 そのうえ、魔王の正体についての問題もあるわけで。

 

 とうてい、この場で私的な見解を披露する、というわけにはいかないのであった。

 はたしてディアスアレス王子はおおきくため息をつく。

 

「きみは今後も、魔王軍の幹部と接触する可能性がある。知っておいた方がいいだろうね」

 

 そう前置きして、彼は告げた。

 

「聖遺物と呼ばれる、かの地の寺院に安置されていたものは、左腕のミイラだ。ヒトの倍くらいのおおきさの、ね」

「それは……」

「我々王家は、それが魔王の左腕そのものではないか、と疑っている」

 



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第15話

 魔王の、左腕。

 心当たりがないこともない。

 

 ゲームでは、魔王の復活に五百年かかった理由が、前回の大戦において魔王の五体がばらばらに引き裂かれたから、ということになっているのだ。

 

 ばらばらに引き裂かれた。

 それはつまり、比喩ではなく……。

 

 実際に魔王の身体が切り取られ、あちこちに保管されていたからではないだろうか。

 そして、それらの一部は聖遺物として、聖教の寺院で保管されていた。

 

 それがなんであるか、きちんといい伝えが残っていたのかもしれないし、いつのまにか失伝したのかもしれない。

 

 いずれにしろ、リアリアリアは魔王軍の狙いがそれであると知っていた様子である。

 だから彼女は、シェリーを通しておれにあのとき「寺院に聖遺物あり」と伝えてきた。

 

 時系列的に五年後のゲームにおいては、ゲーム開始時ですでに、この国は滅んでいる。

 きっとトリアの聖遺物も魔王軍に奪われたのだろう。

 

 これまでも、魔王軍はそうして奪われた魔王の身体を取り返していたのかもしれない。

 魔王軍が各国を侵略する理由の一部は、それだったのかもしれない。

 

 だとしたら……。

 

「聖教はなんといっているのですか」

「現在調査中、だとさ。馬鹿げた話だと思わないか」

「素直にぶちきれですわ。各国に手をまわして圧力をかけてやりますわ」

 

 ディアスアレス王子は、さわやかに笑った。

 マエリエル王女は、唇を尖らせて怒っていた。

 

 大陸では主流の聖教とはいえ、大国が中心となって圧力をかければ無視はできないだろう。

 ましてや、ことは魔王軍の根幹に関わることである。

 

「他国と連携、できるんですか」

「アリスちゃんの活躍のおかげで、どの国も王国放送(ヴィジョン)システムに興味しんしんですわよ」

「なるほど、王国放送(ヴィジョン)システムを取引材料にする、と」

 

 でもあれ、国内ですら端末の増産が追いついてないんだよなあ。

 

 リアリアリアが自前の工房で生産しているので、彼女の教えを受けた魔術師たちがブラック労働でがんばっている。

 工房の拡張は急務であるが、その前に生産特化の魔術師の数がぜんぜん足りていないという。

 

「あ、他国の魔術師を使って端末の増産を?」

「最初から相互乗り入れが可能なシステムにする。端末の規格を統一した方が、対魔王軍では有利となるだろう。他国でもアリスの応援ができるというわけだね」

「技術が流出して、アリス以外にも螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けられる騎士が出てくるんじゃないですか」

 

 おれは魔王軍の脅威が去ったあとのことについて、いちおう懸念を示してみた。

 実際のところ、そんな後のことまで考えている余裕などまるでないのだが、とはいえいまのおれは王族に仕えている、その点について指摘しないわけにはいかないのだった。

 

 対してディアスアレス王子は笑って首を横に振る。

 

「それはそれで、喜ばしい」

 

 と。

 うん、おれと危機感を共有できているのは嬉しいな。

 

 というかこのひと、ほんと優秀なんだよな……。

 人の上に立つ者として、英才教育を施されてきたからなのだろうけど、ものごとの先がよくみえている。

 

「魔王軍相手の戦力は、いくらあっても足りることはない。先日の戦いをみた者たちの心に、そう強く刻まれたことだろう」

 

 マリシャス・ペインとアリスの戦い、か。

 

 あの日の夜の王国放送(ヴィジョン)端末前には、他国の大使もいただろう。

 彼らは、アリスの強さと、それ以上に魔族の強大さを母国に伝えてくれたことだろう。

 

 各国がそれに対してリアクションを返してくるまでに、もうしばらく時間がかかるだろうが……。

 まだ東方で安寧を貪っている国々も、そろそろ魔王軍という脅威について充分に認識してくれた頃合いである。

 

 西方の、いままさに魔王軍の侵略を受けている国々なら、なおさらだ。

 魔王軍の通り道の小国からは、アリスを派遣してくれ、という懇願がなんども来ているとのことである。

 

「もちろんきみが充分に休養をとった後のことだけど。アリスにはしばらく、国内で活動してもらう。とうぶんの間、他国への出張はないよ」

 

 しかしディアスアレス王子は、おれにそう告げる。

 

「今回の一件で、貴族たちは肝を冷やした。アリスが離れている間にこの国が侵略を受けたらどうするんだ、ってね」

「あ、そこは保身に走るんですね」

「ずっと警鐘を鳴らしていた王家としては、忸怩たるものがありますわ。ですが実際に、戦力が足りていないと判明してしまったのです。はからずも、アリスちゃんの活躍によって」

 

 アリスが活躍すればするほど、対魔族、対魔物におけるアリスの有用性が白日の下に晒される。

 相対的に、既存戦力の価値が低下してしまう。

 

「アリスちゃんを摂取すればするほどアリスちゃんなしでは耐えられなくなるのですわ」

「麻薬みたいにいわないでください」

「実際にそういうことなのですから、仕方がありませんわ。これも、螺旋詠唱(スパイラルチャント)に耐えられる騎士を用立てられないわたくしの不甲斐なさが故、ではあります」

 

 そのへんは焦っても仕方がないからなあ。

 

 そもそも、おれがアリスをやるのだって、本来は実験のひとつにすぎなかったはずだ。

 もっと適正の高いやつがいると、そう思っていた。

 

 実際には、王国放送(ヴィジョン)システムの被検体第一号のおれが、圧倒的な適正を叩きだしてしまった。

 そのせいで後続のハードルが高くなりすぎてしまっている、というのはあるかもしれない。

 

 そのおれだって、妹から魔力を供給されることに何年もかけて慣れていった。

 もともと魔力供給適正が高い兄妹という関係で、シェリーが魔法の天才であったにもかかわらず、である。

 

 いやこれ、改めて考えると、もともとかなりハードル高いな。

 アリスの次が出てこないのも、残念ながら当然、ということなのかもしれない。

 

「リアリアリア様は王国放送(ヴィジョン)システムにリミッターをかけるとおっしゃっていました。リミッターありで用いるなら、該当者も出てくるのでは」

「戦力は低下するが、数を揃えることも必要、か。検討に値するね」

「ですわね……。特殊遊撃隊の拡充は急務ですもの」

 

 さっそく、リアリアリアからの提案を伝える。

 王子も王女も、システムで戦闘できる者がおれだけであることに強い懸念を抱いているから、この提案には乗ってくるだろう。

 

 王国の計算外は、マリシャス・ペインなんていう大物が出てきてしまったことだ。

 魔王軍の幹部なんていう一部の例外を知ってしまった。

 

 知った以上、なんの対策もなしでいるわけにはいかない。

 かといって、既存の魔王軍への対策も進めないわけにはいかない。

 

「アリスを大駒だけに当てるには、まず兵卒(ポーン)を倒す駒を用意する必要がある。大幅なリミッターは妥当なところだろう」

 

 ディアスアレス王子のいう通りだった。

 トリアの戦いで、アリスは雑魚と戦い、消耗したうえでモール・ドレイク亜種、さらにはマリシャス・ペインとの連戦を強いられた。

 

 ついでにいえば、アリスに変身する前にもアランの姿で限界まで戦っている。

 いやほんと、あの日はヤバかったわ……。

 

 あんなことがなんども続けば身体が無事で済むはずもない、というのはリアリアリアに指摘されるまでもない事実だった。

 当然、王子も王女もそのことをよく承知している。

 

「現在開発中の、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を蓄積する魔力結晶が完成すれば、リミッターによる戦力低下もある程度は補えるだろう」

 

 ディアスアレス王子がいう。

 

 あー、あの使い捨て電池みたいなやつ。

 ある程度、目処がついたのかな。

 

「とてもじゃないが、量産、というわけにはいかないがね。試作品はすでにできている」

「おれがテストしますか?」

「いや」

 

 王子は首を横に振った。

 

「それは、候補生の仕事だよ」

 

 つまり将来のアリスの後輩、ということである。

 

        ※※※

 

 最後にひとつ、あの夜の出来事のついでに、決めておかなければならないことがあった。

 我が師匠、エリカである。

 

「きみの師匠については、こちらから正式に、特殊遊撃隊所属候補生の師範として迎え入れたい」

 

 ディアスアレス王子はそう告げた。

 

「グリード・クロウラーを、多少なりとも傷つけてみせたのだろう? それもほかの騎士たちと同じ、数打ちの小杖(ワンド)で」

 

 アリスの小杖(ワンド)は特別製だ。

 それが変形する武器は、いずれも対魔族、対魔物を想定した、特別に頑丈で鋭利なものとなる。

 

 対して、一般的な騎士たちが装備する小杖(ワンド)が変化した武器は、あくまで対人か、猪程度の動物との戦いを想定されたものだ。

 

 先日の戦いでは、騎士たちの武器がリザードマンにほとんど効いていなかった。

 おれが槌鉾を使うよう指示したあとは、だいぶ戦うことができるようになったが……それとて、グリード・クロウラーのような巨大な魔物相手では蟷螂の斧に等しい。

 

「師匠の剣は自分よりおおきな相手を想定したものですから。でも、いいんですか。武術顧問にも派閥とかあるでしょうに」

「彼らが魔王軍との実戦で役に立ったなら、また考えるがね。いまの段階で役に立ったのは、きみの師の武術だ。そうだろう?」

 

 それは、そうだな。

 王都で歯牙にもかけられなかった師匠の武術が、巡り巡って、こんなかたちになるとは……。

 

 胸が熱くなる。

 おれの師匠が、そこまで認められたことに。

 

 おれが初めて出会った頃の師匠は、武の道について完全に諦めていた。

 自分の剣は誰にも継承できず朽ちるのだと。

 

 それがいま、こうして見事に花開こうとしているのだ。

 

「あー、その。師匠、けっこう難儀な性格をしているので、一応」

 

 あのひと、この地で認められなかったコンプレックスで、こじらせてるんだよなあ。

 王子たちの方で声をかけるとのことなので、いちおう、そう忠告しておく。

 

 ディアスアレス王子は穏やかに笑ってみせた。

 

「仕事柄、難儀な性格の相手は慣れているよ」

「宮廷の政治は魔境ですわ。わたくしは面倒なこと全部、兄に丸投げしておりますわ」

 

 マエリエル王女がなぜか胸を張る。

 まあ、この人はどっちかというと商売の方に才能があるって話だしなあ。

 

「騎士たちの武器の問題も、なんとかしないといけないとは思っている。だが、いまきみに使ってもらっている小杖(ワンド)は一品ものだ。王国の騎士すべてにあの性能のものを配るのは、現実的ではないだろう。まずは近衛騎士団かな」

「そうなるでしょうね」

「だから、まずは対魔族、対魔物の戦術を確立したい。特殊遊撃隊所属候補生を叩き台としてね」

 

 なるほど、そのための師匠でもあるわけか。

 アリスという前例がいるとはいえ、実質、ほとんどイチからの構築となる新しい戦理、それを成し遂げるには最適の人材だと。

 

 おれはふたりに頭を下げた。

 

「エリカ師匠のこと、どうかよろしくお願いします」

「おいおい、よろしくお願いされるのはこちらの方だよ」

 

 ディアスアレス王子は首を横に振る。

 

「それに、アラン。きみにも頑張ってもらうことになる。休養をとれ、といったばかりで申し訳がないのだが……」

「自分に、ですか」

「正確には、きみときみの妹さんにだね。対魔族、対魔物の戦術理論、現場でいちばん詳しいのはきみたちだろう?」

 

 おれは少し考えたすえ、うなずいた。

 そうかもしれない、と。

 

 



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第16話

 翌日、ぽかぽかと暖かい、春の昼下がり。

 おれはシェリーと共に、王都郊外の第三練兵場に続く道を歩いていた。

 

 ただしおれの姿は、アリスとなっている。

 そしてシェリーは、銀髪紅眼の十歳くらいの少女となって、アリス(おれ)と腕を組んでいるのだった。

 

 はためには、仲の良い姉妹にみえるだろう。

 

 シェリーのいまの姿は、マエリエル王女がおれたちに黙って勝手に部下に描かせて商品化したアリスの妹シェルの肖像画(という名の妄想画)にそっくりであった。

 なぜなら当のシェリーが、王女の提案したシェルをいたく気に入ったのだ。

 

「兄さん、わたし、このシェルがいい。アリスとお揃いで、とってもかわいいもの」

 

 とその肖像(もうそう)画をシェルの正式なものと決め、いまこうして自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で変身しているのである。

 

 いや、そもそもシェリーこそシェルなのだから、勝手に、というわけではないのか……?

 

 肖像権はシェリーにありそうだし……いやでもシェルの似姿というのは王家が勝手につくったもので……。

 

 肖像権? この世界にそんなものが? 特許に似たシステムはあるが、それはあくまで国の保証にすぎなくて……ということは王家が勝手につくった似姿はそちらが本来のもの?

 わからない、おれにはなにもわからない。

 

 それは、さておき。

 今日のシェリーはご機嫌だった。

 

 シェルの姿で、鼻歌まで歌っている。

 

「アリスお姉ちゃんと並んで歩くの、夢だったんだよ。シェル、本当に嬉しいなあ」

 

 口調まで少し変わっている。

 

 そういえば、アリスの姿で妹と並んで歩いたことなんて、いちどもなかったもんな。

 そもそもおれがアリスの姿になるのは、おおむね訓練のときと戦いのときだけなのだから。

 

 だんだんアリスになることに抵抗はなくなってきたとはいえ、そもそもこの姿は目立つ。

 今日も、町の外に出て、木陰に入り、誰もみていないことを確認してからこの姿に変身したのである。

 

 王都のほとんどの人々が、王国放送(ヴィジョン)端末に映るアリスの姿をみている。

 そんな姿で迂闊に人混みのなかを歩くことなど、できるわけがなかった。

 

 あと、アリスになることに抵抗がなくなっている、とはいってもおれの自意識はアランのままだ。

 絶対にメス堕ちなんてしないんだからね!

 

「シェリーは、ずっとお姉ちゃんが欲しかったのかな?」

「そうじゃないもん。あと、いまはシェルって呼んで」

「誰もいないのに」

「どこで探知魔法が働いているか、わからないんだよ」

 

 そうだろうか?

 シェリーは常時対探知魔法を巡らせているというし、兆候があればすぐ把握するに違いない。

 

「師匠が探知魔法を使っていたら、シェルじゃ対策できないもん」

「あのひと、わざわざアリスたちを覗き見するほど暇じゃないと思うなあ……」

 

 いや、どうだろうか。

 大魔術師だけに、思考を分割して研究の片手間で覗き見する、くらいはやってのけるかもしれない。

 

 禁断の読心魔法を使えるようなひとだからなあ。

 あれから知ったのだけれど、ひとの心を読む魔法は禁術のひとつで、汎大陸条約により現代では研究も習得も禁止されている。

 

 聖教のもと、七大国すべてが批准する条約だ。

 

 なおリアリアリアは汎大陸条約の制定前に習得したから覚えていることはセーフ。

 おれ相手に使ったのはアウト、なのだがまあおれとしても、あれのおかげで螺旋詠唱(スパイラルチャント)研究の発展と王国放送(ヴィジョン)システムの完成があったわけで、立場的に強くは出られない。

 

 あー、でも必ずしも全国家が汎大陸法を守っているとも限らないしなあ。

 各国それぞれ、暗部というものはある。

 

 そもそも、条約なんて関係なく動いている魔王軍のスパイが王都に入り込んでいる可能性もある。

 

「シェルは、アリスがアリスの姿の方がいいのかな?」

「もとの姿も好き。でも、シェルとアリスお姉ちゃんとなら、こうして腕組みして歩けるから好き」

 

 ははは、甘えん坊さんだなあ。

 アランとシェリーで腕組みしてもいいんだぞ。

 

 シェルの銀糸の髪を撫でてやる。

 

 我が妹は、気持ちよさそうにごろごろと鳴いた。

 猫かな?

 

        ※※※

 

 さて、今回、この姿になって練兵場を訪れたことには、麗しき兄妹デート以外の意味がある。

 アリスの後輩、すなわち特殊遊撃隊所属候補生たちと、今日、ここで顔合わせをするのだ。

 

 王子と王女によれば、先方から、アリスに会いたいという申し出があったとのことであった。

 

 こちらとしてもちょうど休暇であるし、かといって別にやることがあるわけでもない。

 それで彼らの士気が上がるなら、と一も二もなく了承した。

 

 昨日もディアスアレス王子やマエリエル王女と話をしたけれど、後輩が育ってくれないことにはこの先、どこかで必ず詰まってしまうからだ。

 

 訪れた第三練兵場は高い壁に囲まれていた。

 内部は観客席がないローマの闘技場といった感じで、楕円形のグラウンドには土が敷き詰められている。

 

 ここでは普段、王家や近衛騎士団が機密性の高い訓練をしている。

 働いている者たちも、王家が選んだ口が固い者ばかりであるとのこと。

 

 今日、練兵場でアリスたちを待っていたのは、六人の男女であった。

 男がふたり、女が四人。

 

 皆、十代の後半から二十代の前半くらいである。

 男女、男女、女女のペアになっていた。

 

 ………。

 どうして幼女じゃないんだ?

 

 いやまあ、このペアは、それぞれ兄弟姉妹だと事前に聞いている。

 おれとシェリーのように、魔力のリンクをするには肉親関係の方が都合がいいからである。

 

 原作ゲームではそれ以外の魔力のリンクもあるんだけどね。

 エッチな方法とか、非道な実験とか、そのへんで。

 

 でもまあ戦闘を前提に、かつ人の道に外れない方法でと考えると、もともと肉親であるのがベストなのは間違いない。

 

 特殊遊撃隊所属候補生たちは、グラウンドの入り口に現れたアリスとシェルの姿をみると、その全員が顔に喜色を浮かべて駆け寄ってきた。

 

「はいはい、お兄ちゃんお姉ちゃん、落ち着いて、落ち着いて。順番に挨拶しようね!」

 

 自己紹介と共に、ひとりひとりと握手する。

 男性のひとりが「この手はもう洗わない」と呟いて、隣の妹とおぼしき少女に蹴られていた。

 

「あ、あの、よろしくお願いします」

 

 シェル(シェリー)の場合は少し引っ込み思案が出たのか、遠慮しがちにそれぞれに対して、ぺこぺこ頭を下げていた。

 ガタイのいい男が十歳の幼女にぺこぺこ頭を下げさせている様子は犯罪臭がすごい。

 

「ちょっとちょっと、妹をいじめちゃ駄目だからね!」

「誤解です!」

「むしろシェルちゃんお友達になって欲しい……はぁはぁ」

「アウトーっ! そこのお姉ちゃんがいちばんアウトーっ」

 

 赤毛の少女が、シェルの手を握ったまま離さない。

 顔が真っ赤で、やたら息を荒くしていた。

 

 シェルは手を握られたまま、どうしていいかわからず固まっている。

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)を使って、ふたりを強引に引きはがした。

 

「シェルに悪戯するなら、アリスたちはもう帰るからね!」

「あああああっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、つい欲望が正直に……」

 

 興奮している少女を、真面目そうな角刈りの男が羽交い締めにして「申し訳ない、本当に申し訳ない」と謝っていた。

 この子の兄なんだろうけど、なんかたいへんだな……。

 

「お姉ちゃんは駄目なひとなんだね?」

「ああっ、もっと罵ってっ」

 

 正直に訊ねてみたら、身をくねくねさせてそんな返事がきた。

 うう、気持ち悪いよう。

 

「わたしはマルク、そこの興奮している妹はティナだ。よろしく頼む、アリス殿」

「お兄ちゃんはまともなんだね。でも苦労してそう。二十代の後半から額の毛が減衰しそう」

「やめてください、しゃれになっていません」

 

 本当にしゃれになってなかった、反省しよう。

 

「ごめんね、アリス正直者だから」

「なんの謝罪にもなってない謝罪ですね! いや、悪いのはこちらなのですが」

 

 てへぺろ。

 メスガキトークが板についているので。

 

「でも悪いのはそこのティナお姉ちゃんであって、マルクお兄ちゃんじゃないよ?」

 

 マルクは「そうなのですが」と苦笑いして、「しかしまあ、アタッカーの尻拭いをするのも、サポーターの役割でしょう」という。

 

「サポーター? マルクお兄ちゃんがアタッカーじゃないの?」

 

 ちなみにアタッカーというのがアリスの役割で、サポーターがシェルの役割である。

 特殊遊撃隊所属候補生は彼ら以外にもいるから、このようにきちんと役割に名前をつけて運用しているとのことであった。

 

 そういう体系化も、いずれは必要なことだとわかっていた。

 これまでは、おれとシェリーのふたりで試行錯誤していたからなあ。

 

 さて、彼らのなかでの、アタッカーとサポーターの分担であるが……。

 アタッカーは全員、女性であった。

 

 サポーターは男、男、女。

 女と女のペアは双子で、アタッカーとサポーターを切り替えられる訓練を積んできたという。

 

「だって、アタッカーは王国放送(ヴィジョン)螺旋詠唱(スパイラルチャント)を集める必要があるでしょう?」

 

 そういわれれば、そうだった。

 だからおれもアリスになったんだった。

 

 うん? よく考えると、おれってなんでこんな小柄な、十一、二歳の少女になったんだっけ?

 彼女たちのように十代の後半くらいでよくない?

 

 ロリの方が螺旋詠唱(スパイラルチャント)が集まる、みたいな意見は王国放送(ヴィジョン)システムの検討段階でも特になかったような……。

 

 あ、そうだ。

 リアリアリアが教えてくれた自己変化の魔法(セルフポリモーフ)の応用による性転換魔法を使うとき、目の前にいたシェリーを参考にしたんだった。

 

 だからアリスの背丈は当時のシェリーくらい。

 そのまま今まで、ずっと来てしまっていた。

 

 最初は自己変化の魔法(セルフポリモーフ)の幅を広げるだけのつもりでリアリアリアに教わって……でもいつの間にか、なし崩し的に、それがおれの特殊遊撃隊における正規の格好になってしまっていた。

 

 うん? これリアリアリアに謀られてない?

 まさかね、ははは……。

 

 いまからアリスの背丈が変わるのも、いろいろ宣伝工作的にまずいだろうしなあ。

 

 アリスには架空の経歴があって、王都で広まっているその設定によると、王家によって極秘に育てられた十二歳の少女で、両親を魔物に殺されていて……とかそういうのがあったりするのだ。

 

 なんだろうねその設定。

 勝手に人の親を殺さないで欲しい。

 

「それじゃ、とりあえず」

 

 ひととおり挨拶が終わったあと。

 アリスは皆を見渡して、いった。

 

「いまのお兄ちゃんお姉ちゃんの力、アリスにみせてもらおうかな?」

 

 まずは魔力リンクからだ。

 

 この三組は、もう二年以上、魔力リンクを続けているという。

 おかげでリンクしてもアタッカーが苦痛を感じることもなくなり、スムーズな魔力リンクが可能となっていた。

 

 ある程度、離れていてもきちんとリンクが通っている。

 移動していないときは。

 

 問題は、この魔力リンクを、戦いながら行わなければならないことなんだよなあ。

 うちの場合、我が妹シェリーが天才なおかげでなんとかなっているんだけど。

 

 具体的には、先日の戦いにおいてマリシャス・ペインを相手にアリス(おれ)が全力で動きまわっても、シェルからのリンクはいっさい途切れなかった。

 一流の騎士でも目で追うのがやっと、という、限りなく高度な戦いの最中でも、である。

 

 なんでもシェリーによれば「兄さんの動きは目で追っちゃ駄目、縦横高さよりもっと上の方から、相対的な二点間関係の変化として捉えるのがいい」とのことである。

 天才すぎてわけわからんな!

 

 そこまでは要求しないとしても、近接戦闘をしている最中に肉体増強(フィジカルエンチャント)が切れたらえらいことになる。

 敵と切り結んでいる間にリンクを途切れさせない程度のことができなくては、アリスと同じように戦うことなんて夢物語だ。

 

 この三組、そのあたりが未熟だ。

 

「お姉ちゃんたち、かかってきなよ。ざこざこなお姉ちゃんたちなら、アリス一歩もここから動かないよ。それに、三人同時でも片手で楽勝かなあ」

 

 そう挑発してみたところ、指示通り、彼女たちは小杖(ワンド)を剣と槍と鞭にして、三人同時に三方から跳びかかってきた。

 約一名、なんかはぁはぁと喜んでいる駄目なお姉ちゃんがいるが、それはそれとして戦意はあるからヨシとする。

 

 で。

 おれは、とりあえずとばかりに魔力を三方に放出する。

 

 アリス・アルティメット・ブラスターのごくごく弱い版だ。

 仮にプチ・ブラスターと呼ぼう。

 

 ただの牽制である。

 三人とも、見事、その魔力弾を避けてアリスとの距離を詰めた。

 

 そこで三人のリンクが途切れる。

 急な相棒の動きにサポーターが対応できなかったのだ。

 

「はい、そこ」

 

 がくんとスピードが落ちた三人の攻撃を、ほんの少し肉体増強(フィジカルエンチャント)で強化したアリスの剣が易々と打ち払う。

 

「そこ、あとそこ」

 

 三つの武器が、ほぼ同時に宙を舞った。

 

「あ……っ」

「これまで、だね」

 

 アリスは手にした剣を長い棒に変化させて、立ち止まってしまった三人の額をぴしぴしぴしと叩いた。

 

「うーん、失格! お姉ちゃんたち、このまま戦場に出たら死んじゃうよ?」

 

 



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第17話

 六人の候補生たちが、膝を抱えてうずくまっている。

 全員、意気消沈していた。

 

 アリス(おれ)の容赦ない駄目出しを喰らったのだから、無理もない。

 

 でもなあ……ここは正直に、びしっといっておかないとなあ。

 魔王軍相手の戦場に立ったら、即座に魔物の餌になること確定なのである。

 

「というか、どうしてアリスと同じ戦い方をしようとしているの?」

「どういうことでしょうか」

 

 さっき自分の妹をはがいじめにしていたマルクに訊ねると、小首をかしげられてしまった。

 うーん、伝わってないかな。

 

「アリスは自己変化の魔法(セルフポリモーフ)肉体増強(フィジカルエンチャント)のふたつの魔法しか使えない不器用さんだから、こういう戦い方をしているだけなんだよね」

「そう……なんですか?」

「あ、あとアリス・アルティメット・ブラスターもあった」

「あれは魔法じゃありません」

 

 落ち込んでたくせにマジレスだけは早いな!

 こほん、とひとつ咳をしてみせる。

 

「そういうわけで、アリスは自分にできるいちばんの戦い方を探して、それでこういうスタイルになったの。でも、さっきざっくり確認したけど、お姉ちゃんたちアタッカーはみんな、他にも魔法が使えるよね」

 

 そう、彼女たちは動かない状態での魔力リンクをアリス(おれ)にみせているとき、風刃の魔法(エアカッター)雷撃の魔法(ライトニングボルト)を使ってみせていた。

 おれにはできない器用なことしてみせやがって、と少し嫉妬した。

 

 てっきり、あれで攻撃してくると思ったのだ。

 なのに彼女たちは、馬鹿正直にアリスに接近戦を挑んできた。

 

 なんで?

 と考えてふと思ったのは、彼らが目標にしているのは、このアリス(おれ)だということである。

 

「魔族や魔物に近づいてずんばらりんするより、遠くから大火力で焼き払った方がずっと楽じゃない?」

「それで倒せるのですか?」

 

 そりゃ倒せるでしょ。

 そうか、彼らは魔王軍相手の実戦を経験していないから……。

 

「魔族や魔物相手の戦術研究とか、してるんじゃなかったの?」

「アリスちゃんの戦いは王国放送(ヴィジョン)でみました! とってもかわいらしくて、格好よくて、最高でした!」

 

 駄目なお姉ちゃんことティナが、びしっと手を挙げる。

 そういうこと聞いてるんじゃないんだよ!

 

 訓練内容について、詳しく話をさせてみる。

 どうも彼ら、彼女らは騎士の家系の出で、いずれも幼少期、騎士としての訓練を積んできたとのこと。

 

 そのなかから、魔力のリンクができそうな人材が優先して特殊遊撃隊所属候補生になったとのことで……。

 

「魔族や魔物を倒すには、通常よりずっと多い魔力を集中させて戦う、とは聞いていましたし、そのために魔力のリンクが必要というのもわかっていました。でも、お手本になるのはアリスちゃんだけで……」

「あー、そうだよね。アリス以外にお手本ってないもんね。アリスがどれだけ不器用で魔法が苦手か知らないと、アリスの戦い方が最適解にみえるよね!」

 

 これ、ちゃんとアリス(おれ)の駄目なところも伝えてないマエリエル王女が悪いよ。

 アリスを偶像化したい、というのはわかるんだけど……。

 

 それはあくまで大衆に対する宣伝工作であって、戦争の現場で偶像化はたいへんよろしくない傾向だ。

 あー、マエリエル王女は現場型のひとじゃないからなあ。

 

「わたしたち、実際に螺旋詠唱(スパイラルチャント)を使ったこともありませんし……」

「それは、そうだね。いまのところ王国放送(ヴィジョン)端末に映って戦ったことがあるの、アリスだけだもんね」

 

 そうなんだよね、システムの都合上、彼ら彼女らにテストさせるのも難しい。

 いや、でもクローズドな王国放送(ヴィジョン)システムを使って……。

 

 あれ、そんなものなかった気がする。

 というかシステム開発者であるリアリアリアが忙しすぎて、これまでそんな余計なもの開発する余力なんてなかったんだよね。

 

 いろいろなことが複合して、この人たちが情報面で割を食っていたのか。

 おれもシェリーも、もっと早く彼らと話をすればよかったなあ。

 

「全員が後方援護だけじゃおのずと限界が来るから、どっちみち魔力リンクを途切れさせないための訓練は必要だね」

「はい……そのあたり、シェルちゃんに教えて欲しいのですけど……」

「え、ええと、がんばってみる」

 

 シェル(シェリー)が、ぐっとちいさい拳を握った。

 また人見知りが発動している。

 

 途切れ途切れ、彼女は頑張って魔力リンクのコツを説明した。

 六人とアリス(おれ)、その全員が小首をかしげるなか。

 

「ど、どうでしょう」

「………。この子、天才すぎますね」

 

 やがて、ひとりが呟いた。

 緊張していた我が妹は、頬を赤らめてぺこりと頭を下げる。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 褒められてないぞ、妹よ。

 たぶん百分の一も伝わってないってことだぞ。

 

 でも、まあ。

 そんな説明でも、彼らにとってなんらかのヒントにはなったようだ。

 

 特殊遊撃隊所属候補生の六人は、互いにああでもない、こうでもないと話し始める。

 これで少しでも魔力リンクの精度が上がってくれればいいんだけど。

 

「接近戦に備えるなら、硬化魔法(ハードアーマー)みたいに守りを固められる魔法とかもいいかな」

「それはわたしたち、使えます!」

 

 双子姉妹が揃って手を挙げた。

 硬化魔法(ハードアーマー)は自身のまわりに薄い魔力の膜を張る魔法で、動きが鈍くなるかわり、魔力の膜が耐え続ける限り、いかなる攻撃も防ぐことができる。

 

 リアリアリアが、螺旋詠唱(スパイラルチャント)で増幅する魔法の候補としていた。

 もちろんおれは使えないのだけど。

 

 双子姉妹の場合、アタッカーとサポーターを随時、切り替えられるから、守りが安定するならふたりで前に出るのはかなりアリか。

 

 守りを固めるだけの硬化魔法(ハードアーマー)だけじゃ、螺旋詠唱(スパイラルチャント)で増幅してもグリード・クロウラーみたいな巨大な魔物を相手にするのは厳しいだろう。

 

 でもこの人たちは、アリスと違って単独で戦うわけじゃないしな。

 相手の攻撃をしのげるなら、少なくとも時間稼ぎにはなる。

 

 先の戦いなら、リザードマンの群れくらいなら、硬化魔法(ハードアーマー)状態で突っ込めば苦も無くなぎ倒せることだろう。

 

 トリアでの戦いにおける騎士の損耗を考えると、それだけでもいまの我が国にとってはだいぶ助かる戦力となる。

 リザードマンのような魔族が大量に浸透してくると他の候補生を後衛の固定砲台として運用するプランもとりにくくなるから、その対策としても有効だろう。

 

 おれは他にも、いくつかの魔法を挙げてみる。

 全部、リアリアリアの受け売りなんだけど。

 

 というか、だいたいアリスでは採れなかった戦法のことなんだけど。

 非才の身が悲しいなあ……。

 

「リアリアリア様から意見とか、なかったのかな?」

 

 試しに、そう訊ねてみた。

 

「リアリアリア様はお忙しいと聞きます。それにあの方は、王族の方々にお目通りできる大魔術師様、とても、個人的に話ができるような方では……」

 

 あんたらの上司であるマエリエル王女も王族でしょう?

 

 いや、直接マエリエル王女から指令が来るわけじゃないのかな。

 実際のところ、特殊遊撃隊の組織構成とかよく知らない。

 

 これはおれがいい加減なわけじゃなくて、その性質上、表向きの組織表に多数のフェイクが入っているからだ。

 これまで特殊遊撃隊といえばアリスとシェルなわけで、そのふたりの素性を隠すことが、この組織の第一義だったわけだからね。

 

 で、このフェイクだらけのままで候補生を入れて運用を拡大しよう、とか考えたから……そりゃ指示も混乱するし、風通しも悪くなる。

 今回、アリス(おれ)に話が来て本当によかったよ。

 

「とりあえず、マエリエル殿下にはそのへんちゃんと伝えておくね!」

 

        ※※※

 

 その日の出来事を手紙にしたためて、王女の使者に渡す。

 

 翌日、その使者が謝罪してきたところによれば、やはり候補生とマエリエル王女の間を繋ぐラインが貧弱だったらしい。

 王女もあれこれと事業を拡大して忙しい身、候補生とは一度会ったきりで、それ以降は書類上で進捗を確認するだけだったとのこと。

 

 事業って、アリスちゃんグッズとシェルちゃんグッズのことだよな……。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)の触媒のために儲けるのは重要な仕事で、それがなきゃアリス(おれ)は戦えないわけだけどさあ。

 

 たぶん、優秀な人材をそっちにまわしちゃってたな、これ。

 

 急拡大したベンチャー企業で人材の補充が追いつかなくてトラブルが起きるんだけどトップは前のめりすぎてそれに気づかないやつだ、知ってる知ってる。

 う……頭が……。

 

 い、いや、それは忘れよう。

 今世のおれもつい最近までデスマーチだった気がするけどそれも忘れよう。

 

 まあ、マエリエル王女は優秀な方だ、ちゃんと問題を認識さえすれば、あとは自力でなんとかしてくれるに違いない。

 特殊遊撃隊所属候補生の未来は明るい、ということだ。

 

 そうだといいなあ。

 このままだとアリス(おれ)は過労死しちゃうよ、ざこざこ王女ちゃん? わかってる?

 

 本人を前にしたら絶対そんなこといえないけどさあ。

 

 いったらいったで、なんか喜ばれそうで嫌だな……。

 コメント欄だと喜んでるもんな……。

 

 で、王女の使者から連絡を受けとるとき、おれがどこにいたかというと、街中のカフェだったりする。

 評判のおしゃれなカフェとはいえ、おれがどの店にいるとか、どうしてわかるんですかねえ。

 

 別に男ひとりで悲しくお茶していたわけではない。

 ちゃんと女性同伴だ。

 

 昨日と同様、妹のシェリーなんだけど。

 

「兄さん、お仕事の話は終わり?」

「あ、ああ」

 

 カフェに現れた王女の使者さんと話をしている間、シェリーは黙って、いま王都で流行のアリスティーを飲んでいた。

 

 アリスの瞳のように真っ赤な飲み物だ。

 前世の紅茶である。

 

 紅茶は、本場のイギリスとかだとたっぷりミルクを入れて飲むのが普通だった気がする。

 でもこのアリスティーは、そのまま飲んで、渋さ、苦さを愉しむのが()らしい。

 

 そのかわり、蜂蜜たっぷりの焼き菓子やケーキをいっしょに頂くのだとか。

 

 アリスという名前を使っているけど、別におれには銅貨一枚たりとも入ってこない。

 王女も黙認している、ただの便乗商法だ。

 

 でもこれが王都で大人気なんだってさ。

 今日も若い女性やカップルが店に詰めかけて、行列ができているほどである。

 

「ほんと、なんでこの店、こんなに人気なんだろうな」

「アリスティー一杯ごとに、一枚、アリスかシェルの描かれたカードが貰えるんだよ」

 

 ほら、とシェリーはアリスが描かれた厚紙をみせた。

 アリスがぴしっとポーズをとっているデフォルメ絵だ。

 

 版画の魔法(プリント)使ってるな、これ。

 そりゃ、大量生産するならこうなるか。

 

 ある程度魔力が高い人物にしか使えないこと以外は、実質的な活版印刷だ。

 王国放送(ヴィジョン)システム関連で文書の大量印刷が必要になったとき、リアリアリアが片手間でつくりあげた魔法である。

 

 彼女は「この程度の魔法は児戯に等しい、とうてい誇れるようなものではありません」と無料公開しようとした。

 おれは前世の記憶を全力で読んでもらって、せめて開発者としての権利だけは確保してもらった。

 

 その魔法ひとつで文明のレベルが変わるんだよ!

 これだから大魔術師は困る。

 

 で、その結果。

 この魔法の使い手がひとり増えるごとに、リアリアリアにマージンが入る仕組みがつくりあげられた。

 

 マージンといってもごくごく低率であるが、なにせ魔法の活用範囲が広すぎる。

 王都にさまざまな本が流通し始めたのはここ数年のことで、この分野はこれから爆発的に発展するだろう。

 

 おれたちのこれからのことを考えると、お金はいくらあってもいい。

 閑話休題。

 

 それにしても、シェリーのやつ、さっき店員からなにか受けとっていたと思ったら……。

 こんなカードが欲しくて、おれを連れ出したのかよ。

 

 いいけど。

 妹の些細なお願いくらい、余裕で叶えちゃうけど。

 

「でね、こっちのシェルのカードと半分重ねると……ほら、ふたりが抱き合っているようにみえるって話題なんだよ」

 

 王都の民、暇すぎない?

 



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第18話

 おれとシェリーは、ついこの間まで大陸西側に遠征していて、そこでの魔王軍の侵攻を観察していた。

 各国軍と魔王軍の壮絶なぶつかり合い、凄惨な虐殺と悲惨な避難民をみてきた。

 

 だから、というのもあるけれど。

 この大陸中央少し南側に位置するヴェルン王国の雰囲気は、全体的に極めて呑気なものだ。

 

 王都をみていると、つくづくそう思う。

 特に商区の民はのんびりしている。

 

 カフェでアリスちゃんコラボメニューに若い男女の人気が集まるくらいなのだ。

 

 ところで、このヴェルン王国。

 というかこの世界の文明レベルは、前世のそれと比べると、デコボコしている。

 

 市井の民でも、魔力がある程度ある者なら魔法を使えるからだろう。

 

 具体的に一例をあげれば、火薬兵器はまったく発達していないが、戦に使う魔法に関しては大規模な爆発をもたらすものまで存在する。

 内燃機関も航空機も、気球すら影も形もないが、高速飛行の魔法は存在する。

 

 騎士以上の魔力を持つ者たちは、小杖(ワンド)を魔法で剣や槍や弓に変形させ、それを用いる。

 おれの使う特別製の小杖(ワンド)のように、強力なものは大型の魔物の鱗すら苦も無く切り裂く。

 

 活版印刷に近いことが版画の魔法(プリント)によって可能となっている。

 そこそこ質のいい紙が出まわり、羊皮紙は辺境の一部以外では駆逐されていた。

 

 停滞の魔法(ステイシス)によって保存された食品は鮮度を保ったまま遠隔地から運ばれてくるため、王都では金さえ出せば多種多様な料理が楽しめる。

 この王都の商区においては、かまどの火や街灯、トイレにすら魔法が使われている。

 

 商区のメインストリートには街路樹が立ち並び、馬車が行き交う中央部とその左右の歩道が綺麗に掃除され、恋人たちが手を繋いで歩いている。

 豊かで、平和な光景だ。

 

 もっとも、それはあくまでおれの目の届く範囲だけの話かもしれないし、貧民区を訪れれば事情はだいぶ異なるだろう。

 西からの難民も、とりあえずこのヴェルン王国の王都を目指すというしね。

 

 頼る当てのない難民たちが、数千人という規模で貧民区に押しかけて、だいぶたいへんなことになっている、という話は聞いたことがある。

 そういった人々を救済する施策も、聖教寺院と共同で行われているとか。

 

 ただ、そのあたりはおれたちの上司であるディアスアレス王子やマエリエル王女とは別の王族の管轄なので、おれにはあまり情報が降りてこない。

 

 おれはなにもかもを知りたいというわけではないし、アリスがすべてを救えるわけでもない。

 

 おれが本当に守りたいものなんて、妹と両親、それからあとはこんど生まれてくる弟か妹か……その程度にすぎない。

 あとはまあ、友人とか師匠とか、リアリアリアとか、そういったアリス(おれ)の手が掴める範囲くらいである。

 

 問題は、おれがなにもしないと、その手で掴める範囲すらも危ういということで……。

 大陸の状況、つくづくハードすぎるんだよなあ。

 

 五年後の原作開始時、この国はとっくに滅びていて、それどころか人類国家はもはや大陸の東端部だけで。

 そのあと、勇者の加護を得た人類が巻き返しても、最終的に大陸は沈没する。

 

 大陸沈没の鍵は魔王軍が握っているけど、そっちについてはいま考えても仕方がないだろう。

 ひとまずはこの国を守るため、なにができるか、それについて考える必要がある。

 

 一昨日の王子と王女との会話でも、他国との連携、それから王国放送(ヴィジョン)システムの拡充が課題としてあがっていた。

 アリスの後輩となる特殊遊撃隊所属候補生についても、進捗は把握できた。

 

 でも、いまのペースじゃ、きっと足りない。

 魔王軍が本気を出してきたら、その物量に押しつぶされてしまうだろう。

 

 リアリアリアにはなにか考えがあるらしいが……あのひとも忙しすぎるからなあ。

 大魔術師である彼女にしかできないことが山ほどあるのだ。

 

 シェリーだって天才だけど、リアリアリアにいわせれば「経験が二百年ほど足りない」とのことである。

 魔法の実践と違って、研究は才能と積み重ねが両方必要だからね、仕方がないね。

 

 そんなわけで、おれとシェリーはカフェでアリスティー(こうちゃ)を飲んだあと、商区をぶらぶらした。

 天気のいい、晩春の午後である。

 

 この王都は、人口百万人を数える大陸でも有数の大都市だ。

 

 おおむね四つの区画に分かれている。

 公式には南の貴族区、西の商区、東の工区、北の旧区だ。

 

 このうち旧区は、一般的には貧民区と呼ばれている。

 王都を囲む壁はとっくに取り崩されているから外側に拡大し放題で、旧区のある北方は、周囲の草原に粗末な家屋が次々と増える事態となっていた。

 

 商区がある西方もけっこう西側に拡大して、商店と家屋が増え続けることが問題になっているんだけど……まあそちらについては一定の規制があるのでなんとかなっているみたいだ。

 

 ちなみにおれとシェリーは貴族区のはずれ、リアリアリアの屋敷に間借りしている。

 これは公式には、シェリーがリアリアリアの住み込みの弟子であり、おれはその護衛の騎士見習いだからである。

 

 もちろん本来の理由は、セキュリティのためだ。

 万一にも、おれの正体がバレるのはまずいからね。

 

 そもそもシェリーがリアリアリアの弟子という時点で、接触して情報を抜こうとする他国のスパイがいるとのこと。

 おれに関してもそのあたりは懸念されていて、美人局に引っかからないように、とリアリアリアや王子たちから再三、注意を受けていた。

 

 でも、まあ。

 商区の広い通りを兄妹で並んで歩く限りは、そんなに危険もないだろう。

 

「ねえ、兄さん」

 

 カフェから出て、しばし。

 隣を歩くシェリーがおれをみあげる。

 

「わたしたち、恋人同士にみえるかな?」

「似合いの兄妹にはみえるんじゃないか」

「むう」

 

 なぜか頬を膨らませるシェリー。

 恋人ごっこがしたいお年頃なのだろう。

 

 でもお兄ちゃん、シェリーが本物の恋人を連れてきたらちょっと泣いちゃうな。

 おれの方が妹離れできていない気がする。

 

 シェリーの手を握った。

 昔、トリアで外を歩くときは、シェリーが迷子にならないようにこうして歩いたものだ。

 

「恋人繋ぎじゃない」

「兄妹だからなあ。そういうのは、将来の恋人との間にとっておけ」

「兄さんは、わたしに恋人ができたら嬉しいの?」

「悲しくなるけど頑張って喜ぶことにする」

 

 シェリーは、くすくす笑った。

 

「できないけどね、恋人なんて」

「人見知りするからなあ」

「そういうことじゃないもん」

 

 そもそも最近は、おれとふたりでずっと出張だった。

 いくら支援部隊があちこちでサポートしてくれたとはいえ、十五歳の少女にはだいぶ過酷な旅だったと思う。

 

「シェリーはもう貴族だからな。そのうち、お城の方から縁談も来るんじゃないか」

「もう来てる。師匠には、断っておいてっていってる」

「そ、そうなのか」

 

 お兄ちゃんなにも知らなかったぞ?

 

「兄さんにも来てるでしょ」

「けっこう、いいところからな。裏を知らなくたって、将来有望にみえるんだろうさ。妹が出世する、ってな」

「結婚……するの?」

「いつかはしなきゃいけないんだろうな」

 

 シェリーが手に力を込める。

 離れていかないで、といっているかのようだった。

 

「心配しなくても、すぐじゃない。それに、シェリーが嫌な相手ならやめる」

「う、うん」

「でもいつかは、子孫を……家を残さないとな」

 

 苗字もない騎士家だが、家を継ぐという概念はある。

 それに、おれは遠からず一代貴族に、そしてすぐ領地持ちの男爵以上になるだろう、とディアスアレス王子にいわれていた。

 

 アリス(おれ)の実績が明らかになれば、これまでの実績から鑑みてそうせざるを得ないという。

 そりゃ、普通の騎士が何十人、何百人集まっても不可能なくらいの手柄を立てているからなあ。

 

 でもそういったことは、魔王軍との戦いがひと段落してからだ。

 第一、魔王軍との最前線の土地なんて貰ったところで身動きがとれなくなるだけで、なにひとつ嬉しくない。

 

 そもそも、五年後にこの国があるかどうかも怪しいわけで……。

 

「結婚しないと、子ども残せないかな」

「いやまあ、養子という手もあるっちゃあるが……」

「わたし思ったんだけどね。兄さんが女性になって子どもを産むことって、魔法でなんとかできないかな」

 

 真面目な顔してなにいってるんですかね、わが妹よ。

 

「だって、そうすれば、いつまでも兄さん、いっしょにいてくれる」

「心配しなくても、シェリーから離れたりしないよ」

 

 おれは笑って、不安そうなシェリーの頭を撫でた。

 愛しの妹は、んっ、と目をつぶって、少し嬉しそうに首を振る。

 

「むしろ、おれがシェリーに愛想つかされないか心配だな」

「それはないから」

 

 なぜか早口でそういわれた。

 

「絶対にないからね」

「お、おう」

 

 そりゃ、よかった。

 シェリーに見捨てられたら、おれなんてちょっと未来の知識があるだけの、魔力も少ない、どこにでもいる平凡な騎士だからな。

 

「兄さん、自分は平凡な騎士だと思っているかもしれないけど、たぶん平凡な騎士はグリード・クロウラーを倒せないよ」

「武器がよかった。あと師匠の手助けもあった」

「それでもだよ」

 

 あとはまあ、おれは魔族や魔物を倒すための訓練をしてきたからな。

 後先考えずに、損耗を無視して戦うなら、あれくらいの戦果は当然のことだ。

 

 この国の騎士にとっては、当然、にならなくちゃいけない。

 そうでなければ、きっと魔王軍を相手にすることなんて不可能だろう。

 

「兄さん、また難しいことを考えてる」

「どうすればこの国を守れるか、って考えだすと、どうしてもな」

「そういうのは師匠とか王子様が考えればいいよ」

 

 そうもいかないんだよなあ。

 リアリアリアとかディアスアレス王子とかマエリエル王女とは、危機感を共有できているんだけど。

 

 でもそれより下の人たちが、どれだけ魔王軍に危機感を持っているかといえば……。

 その脅威のほどだけは、実際にあれに相対してみないと、なかなかわからないものだろう。

 

 いくら王国放送(ヴィジョン)システムによるアリスの生放送があったとしても、である。

 いや、なまじアリスが魔族や魔物を相手に無双しちゃってるだけに、アリスがいれば大丈夫、ってなっている可能性すらある。

 

 絶対的なエースが必要なのは当然だけど、現状、そのエースしかいないんだからさあ。

 今後、魔王軍がエースの情報を集めて組織的にエースを封じてくれば、どうなることやら。

 

「やっぱり、アリスと同等の戦力が必要なんだよな」

「それってすごく難しいことだよね?」

 

 昨日の特殊遊撃隊所属候補生の様子から、シェリーもそれがわかっているのだろう。

 

 彼らもいずれ、戦力として投入される。

 でもその扱いは、おれとシェリーの補助、ちょっとしたサポートがせいぜいとなる。

 

 それ以上を期待すれば、たちまち全滅するだろう。

 とうてい、アリスと同等の戦力とはなり得ない。

 

「やっぱり、いまからでも外の人材を求めてもらうよう、王子に頼んで……」

 

 おれがそう呟いたときだった。

 轟音が響き、少し遅れて爆風が近くの通りから噴き出てくる。

 

 おれはとっさにシェリーをかばった。

 あちこちで悲鳴があがる。

 

 どうやら、ひとつ隣の区画で爆発が起きたようだった。

 

 



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第19話

 爆風で吹き飛ばされた人々が道に倒れている。

 若い男女もいれば、老人もいた。

 

 顔から血を流すもの、痛みに悲鳴をあげているもの、折れた腕を抱えて泣き叫んでいる者もいる。

 先ほどまでは平和そのものだった街路は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 

「シェリー」

「うん、師匠には報告した」

 

 さっそく、遠話の魔法(マインドボンド)でリアリアリアに状況を伝えたようだ。

 

 あらかじめ互いにリンクした札を持っていなければ使えないとはいえ、大陸の端と端でも通信できるという、王国放送(ヴィジョン)システムの応用で開発された魔法である。

 

 リアリアリアは、遠話の魔法(マインドボンド)で王族を呼び出すこともできる。

 すぐに近衛騎士団が駆けつけるだろう。

 

 負傷した人々のことは大丈夫だ。

 おれたちがやるべきは、この爆発の原因を探り、これ以上の被害を及ぼさないようにすることだろう。

 

 と、シェリーがおれの服の裾を引く。

 心配そうにおれをみあげていた。

 

「兄さんは休養中なんだよ」

 

 おれは彼女の兄だ。

 なにをいいたいのかくらい、とうに理解している。

 

 ここで騒ぎの中心に飛び込んで万一のことがあれば、と心配してくれているのだ。

 おれだって別に自分から命を捨てにいくつもりはさらさらないのだが……。

 

「なにが起こっているのか、知らない方が怖い」

 

 おれは、きっぱりとそういった。

 

「ついてきてくれるか、シェリー」

「う、うん!」

 

 我が妹は、なぜか、とても嬉しそうにうなずく。

 おれが愛しの妹を放っておくと思ったのだろうか?

 

 実際のところ、ちょっとどんくさいところのある彼女を危険な場所に連れていきたくはない。

 アリスとして戦っているとき、いつも隠れて貰っているくらいには、過保護な自覚がある。

 

 だからといって、おれひとりでできることなんて、たかが知れているのだ。

 

 爆発が起きたのは、建物を隔てたひとつ隣の通りのようだった。

 曲がり角から顔を覗かせれば、土煙に包まれて向こう側がなにもみえない。

 

 シェリーが小杖(ワンド)を振って、魔法で風を起こす。

 煙が吹き飛ばされて、道の先がクリアになった。

 

 おれはシェリーの腕を引いて駆け出す。

 

「あっ」

 

 と声をあげて、シェリーが転びかけた。

 おれは慌てて彼女を抱きとめる。

 

「ご、ごめん、兄さん」

「仕方がない」

「わっ」

 

 おれはシェリーをお姫様抱っこして、ふたたび駆けだした。

 

「ちょ、ちょっと兄さんっ、むぐっ」

「黙ってろ、舌を噛むぞ」

 

        ※※※

 

 奥の路地から剣戟の音が聞こえてくる。

 誰かが戦っているのか?

 

 でも剣と剣がぶつかりあっているなら、相手が魔物の線は薄いか。

 いきなり派手な爆発があったから、先日のように地中から魔物が現れたのかと思ったのだが……。

 

 いや、あれへの対策として王都のまわりの地中に結界盤を埋めた、みたいな話をリアリアリアから聞いた気がするな。

 ひとまず、地下から王都に接近することはできないだろう、と。

 

 地上や空中からの侵入なら、しっかり警備していれば感知できる。

 少なくとも奇襲を受けることはない、はずだ。

 

 地中に結界盤を埋める作業には王都の有力な魔術師が軒並み動員されて、めちゃくちゃデスマーチだったとかで……。

 

 貴族たちも王族も、王国放送(ヴィジョン)システムであの惨劇をみせられている。

 そりゃ、王都で同じことが起きないよう、必死にもなるか。

 

 逆にいえば、魔王軍はそんな一回限りの手札を切ってでも、あの地に眠っていた聖遺物を奪取したかったということだ。

 おれがたまたま里帰りしていなければ、彼らのたくらみは成功していただろうか。

 

 リアリアリアがあの町の屋敷に警報を用意していたというし、襲撃にすぐ気づいて、おれとシェリーを派遣しただろう。

 全力で夜空を飛んで、間に合うか間に合わないか、ギリギリだろうな。

 

 しかしその場合、マリシャス・ペインを倒すことはできても、町を破壊するほかの魔族や魔物たちは放置せざるを得なかっただろう。

 おれの知り合いは、きっともっとたくさん亡くなったに違いない。

 

 下手をしたら、母さんも。

 

 今回、こうして危険に飛び込んだ理由もそんなところだ。

 見知らぬ誰かを、そしてもちろん見知った誰かを、守れるなら守りたいと思うのである。

 

 そして、騒ぎの中心に辿り着いたおれたち兄妹がみたものは……。

 

 数人の男たちが倒れ伏していた。

 そのうえでなお、十人以上の男たちが剣を抜いて、互いに斬り合う光景だった。

 

「こんちくしょう、怪物!」

「死ね、死ね、死んでしまえ!」

「痛ぇっ、くそっ、抵抗するな!」

「うわあっ、化け物、化け物、化け物ぉっ」

 

 皆、決死の形相であった。

 互いに容赦なく剣を振るうから、深手を負っている者もいる。

 

 攻撃魔法を放つ者もいた。

 さっきの爆発は、こいつらの誰かがやったのか……?

 

 全員が互いを化け物、怪物などと呼び合っているが、皆、いっけん普通の人類にしかみえない。

 そんな彼らが、赤い血を流して斬り合っている。

 

 凄惨な光景だが、あまりにも違和感がおおきい。

 

「いったいなにが起きているんだ」

 

 おれは思わず、そう呟く。

 周囲を見渡す。

 

 男たちから少し離れて、奇妙にたたずむふたつの人影に気づいた。

 

 貧民区の住人だろうか、ぼろぼろの服を着た、ふたりの少女だった。

 ひとりはシェリーと同じくらいの背丈の子で、もうひとりはそれより少し大人びている。

 

 つまり十五歳くらいの少女と、それより二、三歳くらい上の女性。

 どちらも髪の色は黒で、茶色い瞳。

 

 姉妹だろうか、顔立ちも似ている。

 

 ふたりとも、黙って男たちが斬り合う光景を眺めていた。

 まるで、自分たちにはいっさい危害が及ばないと知っているかのように。

 

 そのふたりが、こちらに気づく。

 

「新手ね、ムリム。こいつらもわたしたちのことを攫う気に違いないわ!」

 

 姉とおぼしき方が、こちらを睨んでそういった。

 

「ん、わかった、ディラ姉」

 

 妹とおぼしき方が、すっ、とおれたちの方に右手の指を向ける。

 

「もう、誰もディラ姉を傷つけさせないから」

「兄さんっ、目をつぶって!」

「わかった」

 

 お姫様抱っこされたままのシェリーが右手に握った小杖(ワンド)を少女たちの方に向ける。

 おれは妹に指示に従って、ぎゅっと目をつぶる。

 

 理由の説明なんて必要がない。

 シェリーがこの口調でいうなら、それは正しいのだ。

 

「兄さん、そのままじっとしてて」

 

 おれは目をつぶったまま、シェリーを抱いてその場に立ち尽くす。

 

 数秒して、剣戟の音が止んだ。

 ばたばたと人が倒れる音がする。

 

「いいよ、目を開けて」

「おう」

 

 まぶたを持ち上げる。

 男たちが全員、地面に倒れていた。

 

 そしてふたりの少女は、地面から二メートルほど宙に浮いて、呆然としていた。

 

「な、なにこれ。あの女の子の魔法、長老並じゃない」

 

 姉とおぼしき方が呟く。

 妹とおぼしき方は、こくこくとうなずいていた。

 

「長老級の魔術師が誘拐犯にいたなんて……」

「待て待て待て、あんだけの騒ぎを起こしておいてその言い草はなんだよ!」

 

 思わずおれは突っ込みを入れる。

 

「シェリー、おまえがこいつらを片づけたんだよな」

「うん、暴れていた人たちは眠らせて、そこの子たちは結界で包んでる。もうなにもできないよ」

 

 忘れがちだが、シェリーは大魔術師のリアリアリアが弟子にするほどの天才魔術師である。

 姉とおぼしき方が「長老並」といっていたのは、実際にそうなのだろう。

 

 おれのサポートに徹していなければ、これくらいのことは苦も無くやってのけるのだ。

 

 兄として、鼻が高い。

 えっへん。

 

 ただ、ちょっとばかり運動の才がからっきしなだけで。

 

「そっちの子たちは……」

「彼女たちが、その人たちを操って殺し合いをさせていたの。催眠の魔法(ヒュプノティズム)だね。禁術だよ」

「禁術……」

 

 リアリアリアがおれに使った読心の魔法(テレパシー)のようなものだ。

 教えることすら禁じられているものらしいが……。

 

 こんな子たちが?

 それも、さっきおれたちに指を伸ばした……魔法を使おうとしたのは、十五歳くらいの方だ。

 

「どうする、兄さん」

「どう、っていわれてもな……。こういうのは街警の仕事だろう」

「禁術を使った以上、国に連れていかれたら、そのまま処分されるよ」

 

 処分。

 この場合、殺されるということだ。

 

 身元不詳な禁術の使い手なんて、危なくて管理することも難しいから当然だろう。

 この世界に、おれの前世のような人権という概念はない。

 

 おれはシェリーを地面に下ろして、宙に浮く少女たちに近づく。

 

「おまえたち、なんで、そこの奴らを禁術で操った?」

「………」

「悪いようにはしない。返事をしてくれないか」

「攫われそうになったからよ!」

 

 姉とおぼしき方が、険しい顔でいう。

 おれは倒れている男たちをみる。

 

 いずれも荒くれ者とおぼしき、粗野な印象の者たちであった。

 メインの通りからひとつはずれたこちらの通りは地面が薄汚く汚れていて、商区でもかなり貧民区に近い。

 

 人攫い、か。

 そういう奴らもいると、知ってはいた。

 

「ねえ、あなたたちは本当に、そこの一味の仲間じゃないの?」

「身なりで判断して欲しいな。おれと妹の格好は、貴族区に出入りできるくらいには綺麗だろう?」

 

 姉の方は、おれとシェリーをじろじろみたあと、「そう、ね。ごめんなさい、目に雲がかかっていたみたい」といった。

 

 目が曇っていた、という意味だろう。

 

 このあたりでは聞かない、変わったいいまわしだ。

 だいぶ遠くから来たのだろうか。

 

「さっきの爆発は?」

「そこに倒れているひとりの使った魔法が暴発したの」

 

 指差されたあたりに倒れる男は、おれたちが来る前にもう倒れていたうちのひとりだ。

 

 チンピラのくせに、魔力の量がおれの倍以上はあったに違いない。

 宝の持ち腐れとは、まさにこのことだろう。

 

「どこの出身だ」

「ミドーラ。魔王軍から逃げてきたわ」

 

 思った通り、ずっと西の小国だ。

 とうの昔に魔王軍によって滅ぼされた。

 

 なるほど遠方の難民、しかも禁術の使い手か。

 こりゃたしかに、最近、流民の増加による治安悪化で気が立っている街警に捕まったら、速攻で処分されそうだ。

 

「保護者は」

「いない」

「わかった」

 

 おれはシェリーの方を向く。

 

「連れて帰るぞ」

「うん」

 

 それでいいのかどうか、なんてシェリーは聞かない。

 彼女だって気づいていて、そしてだからこそ、なのだろう。

 

 この姉妹がさっき使っていた技術(・・)について、である。

 

 おれは姉妹に訊ねた。

 

「もうひとつ、教えてくれ。魔力リンクを始めてから何年だ」

「五年」

 

 また、姉の方が返事をする。

 

「ねえ、あなた。なにがいいたいの? 殺すなら、殺せばいい。でも命令したのはわたし。できれば妹は……」

「殺さない。たいしたものだ、と思っただけだ」

 

 よし、魔力リンクができたうえであれだけの魔法を使えるなら充分だ。

 彼女たちはきっと、戦力になる。

 

 特殊遊撃隊として。

 そう、アリスの後輩として。

 



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第20話

 しばしののち。

 おれとシェリーはリアリアリアの屋敷の一室で、リアリアリアの前にいた。

 

 おれの後ろにさきほどの姉妹が立っている。

 上等なソファーに腰かけたリアリアリアが、その姉妹をちらりとみていった。

 

「アラン、実験用の浮浪児を持ってきてくれたのですね、ありがとうございます」

 

 大魔術師が邪悪な笑みを浮かべる。

 姉妹は互いに抱き合ってぶるぶる震えた。

 

「ひ、ひぃぃぃっ、やっぱりわたしたち、騙されたんだっ」

「師匠、冗談にしてもタチが悪いよ……」

 

 シェリーが突っ込みを入れる。

 彼女はリアリアリアの対面のソファーに腰を下ろしていた。

 

 リアリアリアの一番弟子であるシェリーは、屋敷でも師に次いで、二番目に偉いのだ。

 ちなみにおれはシェリーのおまけ、程度の扱いである。

 

 所詮、非才の騎士見習いだからね。

 仕方がないね。

 

「すみません、少し遊びました」

 

 そういって、今度は優しい笑みを浮かべて姉妹の方をみる。

 

「懐かしいですね。この二百年ほどで絶えた血筋と思っていました」

「師匠、この人たちのこと、知っているんですか?」

「ミドーラの闇子。まさか、未だに続いていたとは、末裔が生きていたとは思いもしませんでしたよ」

 

 ミドーラの闇子?

 あれ、なんかこう、どこかで聞いたことがある気がする……。

 

 あ、まさか。

 おれは姉妹のうち、妹の方をじっとみつめる。

 

 十五歳くらい。

 少しぼーっとした顔つきで、リアリアリアの方を向いている。

 

 たぶん、原作に出てきた人物だ。

 おれの知る立ち絵の面影はほとんどないけれど、たぶん間違いない。

 

 おれはリアリアリアにちらりと視線を送る。

 彼女は、心得た、とばかりにこちらも目線だけで応えた。

 

 いまはシェリーがいるし、この姉妹にも聞かせたくない話だ。

 詳しいことは後にしようと、阿吽の呼吸でうなずきあう。

 

「わたしはリアリアリア。あなたがたの名前を教えてくださいますか」

 

 姉妹が、その名にはっとなる。

 

「あの、もしかして。螺旋詠唱(スパイラルチャント)をつくった大魔術師のリアリアリア様、ですか」

 

 姉の方が、おそるおそる訊ねた。

 

「そのリアリアリアですよ。あなたの一族の伝承に残っていますか」

「は、はい! 十代前に三つの禁術を教えていただいたこと、我が一族はけっして忘れておりません!」

 

 なにやってんだこのババァ。

 禁術は使うのも教えるのも駄目、って話だろ!

 

「いえ、いいのです。わたしはただ、あれがあなたがたの研究の、そしてこの世界の人類の礎になればと思っただけのこと。多くの種を蒔きました。長い時が過ぎました。そのひとつがいま、こうしてわたしの目の前で花開いたことをみている。とても喜ばしいことです」

 

 だからなにいってんだ、このババァ……。

 いまいってることがたしかなら、この人、何百年にもわたって、大陸のあちこちで禁術を教えていたってこと?

 

「ですが、リアリアリア様。一族も、もはや若いわたしたちふたりだけとなり、頼る先もなく……」

「ミドーラの闇子。隠れ里で己を高め続けた、ミドーラの暗部を担う一族、その末裔。魔王軍によってミドーラが滅び、彼らの技もまた潰えたと思っていましたが、その一部でも生き残ったこと、とても嬉しく思います。どうか、このわたしを頼ってください。これからは、この屋敷を自分の家と思ってくださって結構ですよ」

 

 あ、住まわせるんだ。

 つーか話が早いな。

 

 いや、これリアリアリアが先まわりして、姉妹の外堀を埋めてるんだ。

 こんな禁術持ちの姉妹を外に出しても、ロクなことにならない。

 

 さっきの会話がたしかなら、下手にとっつかまって尋問されて、誰が彼女たちに禁術を教えたのかバレたら彼女の立場も危うくなるしな……。

 

 つーかなんどでも叫びたいけど、マジでなにしてるんだよ、このババァ!

 師匠が禁術関係でお縄になったら、一番弟子のシェリーの身も危うくなるだろ! いい加減にしろ!

 

 というおれの内心の叫びが顔に出ていたのかどうか、リアリアリアはこちらを向いて、ひとつうなずいてみせる。

 

「そう怒らないでください、アラン」

「怒ってませんよ?」

「どうせ我々は一蓮托生なのですから」

「うわっ、開き直った」

 

 わかっていたけど、欠片も悪いと思ってないなコイツ。

 

「禁術といっても、それは人と人が争うに際して聖教が不要と判断しただけのもの。いずれ来る魔王軍に対しては有効でありましょう。その灯を絶やしてはいけないと、わたしは常々、各国に対して主張していたのですよ」

「主張だけじゃなくて実行もしていた、ってことですよね」

「有言実行は魔術師としての使命です」

 

 それが本当なら、魔術師、倫理観が欠片もない。

 いや、この世界、もともと倫理なんてもの未発達なんだけども。

 

王国放送(ヴィジョン)システム関係で敵も多いんですから、露骨な隙を晒すのはやめた方がよくないですか」

「ですからこの姉妹はとり込もう、という話をしているのですよ?」

「ほかにもどこに禁術をバラまいたか、って聞いてるんです!」

 

 リアリアリアは口を手で隠し、ほほほ、と笑った。

 露骨にごまかすな!

 

「あ、あの」

 

 おれとリアリアリアが和やかな会話をしていると、姉妹の姉の方が遠慮がちに手を挙げた。

 

「お願いがあるのです、リアリアリア様。あ、わたしディラーチャといいます。こっちが妹のムリムラーチャ」

 

 うん、その名前は知ってる。

 だけどおれはそんなことおくびにも出さず、リアリアリアと共にうなずいてみせる。

 

「お願い、とは? 話してください、ディラーチャ、ムリムラーチャ」

「わたしたちは、ここが王国放送(ヴィジョン)システムの中心地だと聞き、はるばる旅をしてきました。リアリアリア様、あなたが王国放送(ヴィジョン)システムの開発者だとお聞きしました。アリスちゃんの活躍をみました。彼女の活躍が王国放送(ヴィジョン)システムによるものだと知りました」

 

 姉妹は、リアリアリアに対して深々と頭を下げた。

 

「どうか、わたしたち姉妹を使ってください。魔力リンクの訓練は幼い頃から重ねてきました」

 

 あ、こっちからいい出そうと思っていたことを、先にあちらにいわれてしまった。

 

 彼女たちの魔力は、普通の騎士レベルのおれより数段上だ。

 加えて、魔力リンクにも慣れている。

 

 そのうえ、魔王軍のせいで国を失い、一族を失った。

 アリス&シェルにとって、理想的なパートナーになりうる人材であった。

 

 彼女たちなら、きっと……。

 

「わたしたちなら、螺旋詠唱(スパイラルチャント)をアリスちゃんよりも上手く扱えます。アリスちゃんなんかよりも活躍してみせますから!」

 

 おっ、いきなりアリスに宣戦布告か。

 こいつは活きがいいな?

 

        ※※※

 

 姉妹の面倒をシェリーに預け、追い出す。

 薄汚れていた彼女たちを風呂に漬け、ついでに食事も与えるようリアリアリアは命じたから、しばらくはそれにかかりきりだろう。

 

 おれはリアリアリアとふたりになった。

 

「あの姉妹のうち、妹の方が、ゲームに出てくるキャラです」

「あなたの反応から薄々察してはいましたが、やはりそうでしたか」

「おれの頭のなかを覗いたんじゃないですか」

「覗かなくても、それくらいはわかりますよ。あなたは自分が思うより顔に出やすいのですよ?」

 

 それは前もいわれたな。

 

「このクソババァ、と思っていることもちゃんとわかっています」

「本当に頭のなかを覗いてませんよね!?」

「いまのはカマをかけました」

 

 リアリアリアはにこにこしている。

 本能的な恐怖を覚えて、おれは即座に土下座した。

 

「まあ、構いませんよ。わたしがお婆ちゃんなのは事実ですし、いつか蘇る魔王軍への対策のために手段を選んではいられませんでしたからね。それで、妹の方は、ですか……たしかムリムラーチャ、と」

「はい。当然、おれが知っているのは五年後の彼女なわけですが……」

 

 ゲームに登場したのは、二十歳の状態で、だ。

 しかも、おれが即座に気づかなかったのも無理はないと思うほど、変貌した姿であった。

 

「暴走した人々に姉を殺され、自身も拷問でひどい傷を負い、人類に絶望した復讐者として、主人公たちの敵として立ちふさがるのが彼女です。人類でありながら魔王軍の手先となって、ミドーラの闇子と呼ばれる魔術師、精神を操る魔法をいくつも使い、人々を陥れては愉悦するキャラでした。たくさんの人を破滅させた挙句、ついには魔王軍に切り捨てられ、囮にされて殺されるという救いようのない最期を迎えます」

「なるほど、あの子が……」

 

 さきほどもほとんど姉の方がしゃべっていたから、妹の方の印象は薄い。

 無口なのか、怯えていたのか、それとも理由があってしゃべらないのか。

 

 ゲームでの状況から逆算すると、おれとシェリーが介入しなければ、彼女たちはあのあと、ひどい目に遭っていたことだろう。

 そして、姉を失った妹は……。

 

 いずれにしても、その未来はひとまず消えた。

 姉妹には固い絆がある。

 

 その絆が故、魔力リンクを可能としているのだ。

 

 リアリアリアは腕組みして考え込む。

 あの姉妹がおれやシェリーと、そして彼女と出会わなかった場合、どうなっていたか考えているのだろうか。

 

 禁術の使い手で、それを隠しもせず行使してたからなあ。

 そりゃ姉が暴徒に殺されるのもわかるというか……。

 

「その子のエッチシーンはあったのですか」

「そこ、わざわざ聞く必要あります?」

「知的好奇心です」

 

 あのさあ。

 いや、あったけど。

 

「彼女の名誉のために黙秘していいですか」

「あ、じゃあ魔法で心を読みますね」

「だから呼吸するように禁術使うのやめろよ!」

 

 ああっ、またおれの心が汚される……。

 しくしくしく……。

 

 



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第21話

 難民の姉妹を保護(・・)してから数日後の昼過ぎ。

 王都の大闘技場に、おれはアリスの姿で立っていた。

 

 観客席は満員で、通路には立ち見の客もたくさんいる。

 ここ、最大収容人数が三万とかあるはずなんだけどなあ。

 

 告知からたいした時間もなかったはずなのに、まったくもって王都の住民は暇すぎる。

 

 アリス(おれ)と対峙しているのは、先日の姉妹の妹、ムリムラーチャだ。

 ただし、彼女もおれ同様、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)によって別の姿に変わっていた。

 

 いまのムリムラーチャは、青い髪に紅の双眸の少女だった。

 

 背丈はアリスより少し高く、十三、四歳にみえる。

 姉のディラーチャの面影があるのは、きっと自己変化の魔法(セルフポリモーフ)の際、姉を参考にしたからだろう。

 

「さあ、ついにこのときが来ました! 新たな特殊遊撃隊員となった少女ムルフィが、先輩のアリスに挑戦状を叩きつけた! 果たして真のアイドルはアリスか? それともムルフィか? いま、王都の次世代アイドルを決める運命の決闘が始まろうとしています!」

 

 闘技場全体に、各所に設置されたスピーカーを通じてアナウンサーの音声が響き渡る。

 というかこれ、ディアスアレス王子の声だよな。

 

 あの人、なにやってるんだ……。

 

「解説のマリエルさん、今回の決闘についてひとこと、お願いします」

「わたくしがみるに、この決闘、ずばりアリスちゃんが不利ですわね」

 

 あ、この声、マエリエル王女だ。

 この国の王族たち、ほんとさあ。

 

「ほう、何故でしょうか」

「アリスちゃんの戦い方は、魔族や魔物を倒すことに特化しておりますわ。ましてや同じくらいの背丈の女の子を相手に戦った経験などあるはずもなく……」

「たしかに! しかも今回のレギュレーション、螺旋詠唱(スパイラルチャント)によるバックアップもありませんからね!」

「シェルちゃんから魔力リンクによる援護はありますが、アリスちゃんはもともとの魔力量なら普通の騎士程度です。対してお相手のムルフィちゃんは魔力量を計測してみたところ、デフォルトで通常の騎士の十倍。それにパートナーであるテルファちゃんの魔力リンクが入ってさらに倍ですわ」

 

 おいおいおいおい、解説でアリス(おれ)の弱点をバラすのかよ!

 魔王軍のスパイが聞いているかもしれないんだぞ。

 

 そのあたりは魔王軍と戦っているうちにバレるだろうと想定しているところだけどさ。

 

 でも相手に分析の手間をかけさせるのと自分たちからバラしていくのは違うんじゃないかな、王族のお兄ちゃんお姉ちゃん?

 アリスぷんぷん怒っちゃうよ?

 

 いや待て、これも作戦のひとつなのか?

 アリスのこの弱点、実際に魔王軍と戦うときはほとんど意味ないし。

 

 むしろ、この弱点が公表されることで……。

 

 ああ、そうか、他国がアリスを警戒しているって以前いってたもんな。

 この弱点をさっさと公表することで、他国からのアリスに対する警戒を少しでも和らげようって算段か。

 

 この大々的な決闘でアリスが負けても、彼女が絶対の存在じゃないという証明になる。

 一方で新戦力としてのムルフィをアピールできる。

 

 もちろん下馬評通りにアリスが勝っても、失うものはなにもない。

 

 どっちに転んでもおいしい、と。

 やっぱ頭がいいな、あのひとたち。

 

 利用されるこちらとしては、ちょっと腹が立つけど。

 そもそも、なんで公開決闘なんてアホなこと……。

 

「おーっほっほっほ、衆人環視のこの場でアリスちゃんを叩きのめして、わたくしのムルフィちゃんの実力を大陸中に知らしめてやりますわーっ」

 

 ムルフィの後ろに立つ、燃えるように赤い髪の少女が高笑いする。

 姉妹の姉の方であるディラーチャが変身した、テルファだ。

 

 ムルフィとは逆に、目は青い。

 姉妹なんだから同じにしないの? と思ったけど、最初から自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で変身していることをアピールするならまあいいか。

 

 どうでもいいけど、その追放系令嬢っぽいアホなしゃべりかた、なんなんですかね。

 キャラづけが濃い。

 

 ちなみにアリスの相棒であるシェルは、アリス(おれ)の後ろで深々とフードをかぶって、無言で待機している。

 いちおう変身して、先日と同じ十歳くらいの幼女の姿になっているけど。

 

「なお、この決闘の様子は王国放送(ヴィジョン)によって各地の端末でも視聴されております。まさに全国民が見守るなか、はたしてアリスはアイドルチャンピオンの座を防衛できるのか!?」

 

 なんのチャンピオンなの? 防衛ってなに?

 っていうかさっきはスルーしたけど魔王軍と戦うアイドルとは?

 

 アリスほんと、お兄ちゃんたちの考えていることがわからないよ……。

 そもそもこの決闘、姉妹の方からふっかけてきたものなんだけど?

 

 先日の話し合いのあと、リアリアリアは即座に、王族へ話を持っていった。

 

 ディアスアレス王子の方はノリノリで快諾、闘技場と王国放送(ヴィジョン)を予約して、告知。

 わずか数日で開催までこぎつけ……こうしていまに至る。

 

 上司たちが無駄に敏腕で困るな!

 

 なお現在、螺旋詠唱(スパイラルチャント)は非稼働なものの王国放送(ヴィジョン)システム自体は動いているため、おれの視界の隅ではコメントもだーっと派手に流れている。

 これは姉妹の方でも同じはずだ。

 

 実際のところ、螺旋詠唱(スパイラルチャント)関係の魔法を数日で使いこなせるようになってみせたディラーチャ、めちゃくちゃ有能ではあるんだよね。

 シェリーの場合、システム試作段階からとはいえ、習得に二十日くらいかかってるし。

 

 いきなり「アリスちゃんに代わって王国放送(ヴィジョン)のエースにさせろ」とかいい出すだけの実力はある。

 アリス(おれ)にとってはアイドルとかエースとかチャンピオンとかどうでもいいし、そもそもおれがアリスをやっているのだって、なりゆきの結果にすぎないんだよなあ。

 

 正直、喜んで役割を譲りたい。

 おれたちが後方に引っ込んだ方が、シェリーも安全だし。

 

 姉妹は逆に、魔王軍と積極的に戦いたいみたいだ。

 故郷を滅ぼされたわけだから、気持ちもわかるけどね。

 

 特にディラーチャは、先日の王族との顔合わせの際、この国を利用して一族の仇をとる、とディアスアレス王子を相手に啖呵を切ってみせた。

 王子は笑って、「頼もしいね」としきりに感心していた。

 

 しかも加えて「アリスを倒したら、きみたちの意向を優先して反攻作戦を立ててもいい」とまでいってみせる。

 

 なお、そこまでの覇気を出しているのは姉の方だけである。

 妹の方は変身しても相変わらずのダウナー系で、いまも呆れた様子で目線を斜め上に……あ、これコメント欄みてるな。

 

 

:テルファちゃんの高笑い、助かる

:テルファちゃんわからせたい

:わかる、土下座させたい

:おいおい、アリスちゃんこそわからせたいだろ?

:いや、おれはアリスちゃんの前で土下座したいよ

:おれも土下座したい、蔑んだ目で罵って欲しい

:おれはムルフィちゃんに蔑んで欲しい

 

 

「この国、なんなの?」

 

 ムルフィが、ぼそりと呟いた。

 うん、ほんとなんなんだろうな。

 

「ふっふっふ、ムルフィちゃんもそろそろわかってきたかな、王国放送(ヴィジョン)システムで戦うということのたいへんさが。……いやほんとたいへんなんだよね」

 

 おれは胸を張って、ムルフィに告げる。

 ムルフィがジト目でこちらを見返す。

 

「こんな方向で、とは……」

「ようやくわかってくれる人がいて、アリスとっても嬉しいな!」

 

 

:おいおい、ふたりが呆れてるぞ

:呆れて当然なんだよなあ

:さっきから気持ちの悪いこと書きこんでるの誰なんだよ

:わからん、こっちからだと誰が書きこんでるか不明

:コメントが気持ちが悪いとかいうなよ! どうせならアリスちゃんに気持ち悪いっていわれたいだろ!

:おれはムルフィちゃんに気持ち悪いっていわれたい……

:おまえら本当に気持ち悪いよ、ほんと誰なんだよ……

 

 

 教えてやろうか?

 そこのアナウンサーと解説者とか名乗っている王子と王女と、あとその兄弟、つまり王族たちだ。

 

 ディアスアレス王子に至っては、アナウンスしながら器用にコメント打ち込んでるみたいだ。

 

 こっちからはコメントのIDが丸みえなんだよなあ。

 ムルフィはまだIDで誰が誰なのかわかっていないようで、戸惑うばかりである。

 

 いや、誰が打ち込んでいるかわかっていても戸惑うか。

 もちろんおれも戸惑ってるよ!

 

「さあ、ムルフィちゃん! ファイト、ですわよ!」

 

 一方、姉のテルファの方は、コメント欄も目に入らないのかハッスルしてムルフィに手を振っている。

 

「さあ、両者準備は整ったようです。いよいよ決闘開始の鐘が鳴ろうとしている!」

 

 あ、その気持ち悪いコメントをしていたアナウンサー(おうじ)が、声を張り上げた。

 いよいよか……。

 

 ちなみにこのヴェルン国をはじめとする大陸のいくつかの国には、貴族同士の決闘が行われる際、わざわざ巨大な鐘を持ってきて、開始の合図をする決闘官という役職がある。

 

 王家直属の由緒正しい職だ。

 過去、無駄に決闘が多発して貴族がばたばた死んだことから、そのへんを抑制するために生まれた制度らしい。

 

 今回もその制度に従い、円筒形の青銅製の大鐘が闘技場の一角に据えつけられている。

 大鐘のそばに立つ決闘官が、鋼鉄の棒を振りかぶった。

 

 おれとムルフィが小杖(ワンド)を握る。

 

「両者、小杖(ワンド)を構える! 決闘の作法として、小杖(ワンド)に魔力を通すのは鐘が鳴った瞬間からだ! 勝負はどちらかが降参するか、有効打を二本貰うまで! サポーターを狙うのは禁止! さあ……みなさんごいっしょに! 三、二……」

 

 観客たちが、アナウンサー(おうじ)と共にカウントを叫ぶ。

 ノリがいいなほんとこいつら。

 

「一! 始め!」

 

 槌鉾によって、大鐘が打ち鳴らされる。

 決闘開始と共に、おれは小杖(ワンド)に魔力を流し、槌にする。

 

 ムルフィの小杖(ワンド)もほぼ同時に変化する。

 小ぶりな剣だ。

 

 なるほどね、とりまわしのいいものにしてきたか。

 となると、主力となるのは……。

 

「魔法だね!」

 

 おれは身を横に投げる。

 直後、ムルフィの小剣の先端から放たれた無数の雷撃が、アリス(おれ)のいた空間を薙ぎ払った。

 

 おれの後ろにいたシェルは、すでに宙に浮いていて、射線から外れている。

 ま、これくらいは予期していて当然。

 

「そうそう、テルファちゃん、ムルフィちゃん」

 

 アリス(おれ)は横っ飛びからすぐ地面を蹴って、前に飛び出す。

 ムルフィが目でおれの動きを追いながら、下がろうとする。

 

 距離をとって、射撃戦に持ち込もうとするか。

 

 アリス・アルティメット・ブラスターは螺旋詠唱(スパイラルチャント)前提だから、今回は使えない。

 おれが使える魔法は自己変化の魔法(セルフポリモーフ)肉体増強(フィジカルエンチャント)だけ。

 

 それを知っていれば、誰でもそうする。

 わかってるか、候補生の皆?

 

 とはいえ……。

 

「下がるのが、遅いよっ」

 

 シェルから来る魔力を肉体増強(フィジカルエンチャント)に注ぎ込み、一気に間合いを詰める。

 ムルフィが慌てて剣で打ち払おうとする。

 

 アリス(おれ)は思い切り身をかがめる。

 低く、低く、もっと低く。

 

 地面と銀の髪がこすれるくらいに低く。

 それが、小柄な相手と戦うときのコツだ。

 

 なぜなら、小柄な奴ほど、自分より背が低い相手との戦い方を知らないから。

 

 頭上をムルフィの剣が通り過ぎる。

 風圧だけで刈り取られた銀の髪が、視界の隅を舞う。

 

 でも、避けた!

 

 おれは自分の間合いまで踏み込み、渾身の力で、両手で握った槌を振るう。

 一撃は、みごとにストライク。

 

 ムルフィの身体が数十メートル吹き飛ばされて、闘技場の壁に突き刺さった。

 

 

:は?

:え?

:どゆこと?

:なにが起こった?

:一撃?

:マジか

:ウッソ

:ムルフィちゃん死んだ?

 

 

 ガードしてたから、まー、死にはしないでしょ。

 

「実はアリスの師匠って、アリスと同じくらいの背丈なんだよね」

 

 師匠の攻撃をかい潜れなくて、なんど棒で頭をぶっ叩かれたことか。

 

 



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第22話

 アリスとムルフィ、ふたりの決闘が開始された、その直後。

 アリス(おれ)が低い体勢から放った一撃をまともに浴びて、ムルフィは数十メートル吹き飛ばされ、闘技場の壁に叩きつけられた。

 

 コンクリートの壁面が破砕され、少女の身体が深くめりこんでいる。

 

 観客たちが、唖然としている。

 ムルフィの相方であるテルファも、なにが起こったのかわからず呆然としていた。

 

 コメント欄でも、皆が目を剥いているのがわかる。

 下馬評を覆して、アリスがムルフィを圧倒したようにみえたからだ。

 

 開始直後の相手の隙を突いた、ただそれだけなのだが。

 なにせアリスはおっきなお兄ちゃんの相手だけじゃなくて、ちっちゃな師匠の相手もずっとしていたんだからね!

 

「あっ、あっ、圧倒的――ッ! 圧倒的な強さを発揮したアリスちゃんの一撃が、ムルフィちゃんを粉砕した――ッ!」

 

 あ、アナウンサー(おうじ)の声だ。

 いや、砕いてないよ?

 

「いったいなにが起こったのか? 解説のマリエルさん、わかりますか?」

「ええと……わたくしも魔法で視覚をかなり強化していたからかろうじてわかったのですが……」

 

 解説者のマリエルことマエリエル王女、王族級の魔力の持ち主だということを隠しもしない。

 まあ、一般の観客にはわからんだろうが……解説を聞いている貴族は、すぐそのへんのニュアンスに気づいただろうな。

 

 おれは髪についた埃を手で掃いながら、そんなことを考えた。

 

「どうやらアリスちゃんは、地面に髪がこすれるほど身を低くしてムルフィちゃんの一撃をかわすと同時に、思い切り槌鉾を叩きつけたのですわ。見事なカウンターが決まりました、これはムルフィちゃん、さすがに……」

「ムルフィ! ムルフィ、ちょっと、大丈夫!?」

 

 テルファが慌てた様子で、高飛車お嬢様の演技も忘れて叫ぶ。

 ふっ、この程度で動揺するとはまだまだだな。

 

 おれなんて、どれだけ苦戦していてもメスガキ口調を忘れなかったぞ。

 別に、素で煽っていたわけじゃないんだからね!

 

「ムルフィ、ムルフィ! しっかりして!」

「………。姉さん、うるさい」

 

 ムルフィが、よろめきながら立ち上がる。

 小柄な少女は、おれの方を睨んできた。

 

「んー、何かな、ムルフィちゃん。アリス、嫌われるようなことした? ギリギリのところでお腹に防護膜の魔法(プロテクション)を展開したのはみていたから、無事だとは思ったけど」

「別に」

「それなら、いいけどね。アリスはムルフィちゃんと仲良くやりたいんだよ。これから仲間になるんだからね」

「仲間、なんて……」

 

 ムルフィは視線をそらし、うつむく。

 姉妹の境遇については、出会ったその日のうちに、リアリアリアと共におおむね聞いていた。

 

 ミドーラの闇子。

 ミドーラという小国の王家に飼われていた一族で、代々暗部、すなわちスパイ活動や暗殺に携わっていた人々のことであるらしい。

 

 姉妹はその末裔であり、幼少期から魔力リンクと禁術を学んでいた、将来のエリート暗殺者候補であった。

 ふたりは洗脳に近い方法で英才教育をほどこされていたという。

 

 しかし、その里は魔王軍に焼き払われた。

 姉妹はたまたま生き残り、里長の最後の言葉を頼りに旅をした。

 

 遠い昔、自分たちに禁術を授けた大魔術師リアリアリアを捜索せよ。

 彼女の力を借りて、一族の再興を果たせ、と。

 

 三年近くかけて、とうとうこの王都にたどり着いた姉妹は、リアリアリアと接触する方法を探しているうちに、人攫いたちに目をつけられ……たまたま、おれたちに出会った。

 

 姉のディラーチャがそう語る間、妹のムリムラーチャは黙ってそんな姉をみていたことを思い出す。

 話そのものにも、ようやく会えたリアリアリアにも興味がない、といった様子で。

 

「わたしには、姉さんさえいればいい」

「ちょっと、ムルフィ?」

 

 テルファが驚きの声をあげる。

 

「本当は、別に一族のことなんて、どうでもいい」

「ムルフィ! あなた、そんな……」

「魔王軍から逃げ続けて、旅を続けて、人を頼って、そのたびに姉さんが傷つけられて……わたしは、このままじゃ姉さんが死んでしまわないか心配だった」

 

 おれはゲームでのムリムラーチャを知っている。

 放浪の旅のすえ、彼女の姉は、人によって殺された。

 

 ムリムラーチャをかばっての行動であったという。

 ゲーム内での具体的な言及はなかったが、おそらく姉の彼女が禁術を使ったのだろう。

 

 ゲームでの変わり果てた彼女と目の前の少女が、一本の線で繋がったような気がした。

 彼女はただ、姉がいればよかったのだ。

 

 ゲームではその姉を奪った人類の敵にまわった。

 そして今、目の前にいる少女は、姉が望む役割を果たすことだけを考えている。

 

「大丈夫だよ、姉さん」

 

 そのとき、だった。

 壁面のそばにいたムルフィの姿が、ふっと消える。

 

 次の瞬間、彼女はアリスの横にいた。

 横殴りの一撃を、アリス(おれ)は飛び退って回避する。

 

「姉さんが願うなら、わたしは勝つから」

「あははっ、そうだね! 決闘は本気でやらないとね! でもアリス相手に接近したのはミスじゃないかな?」

「近い方が当てやすい」

 

 ムルフィは数歩の距離で左手を突き出した。

 掌から十発以上の光弾が同時に発射される。

 

魔弾の魔法(マジックミサイル)、そんなにたくさん!?」

「姉さんの魔力リンクのおかげ」

 

 魔弾の魔法(マジックミサイル)で発射される光弾の数と威力は、使用者が込める魔力で変化する。

 なるほど、魔力リンクと相性のいい魔法だ。

 

 アリスもそういう魔法が使えたら、戦い方のバリエーションが増えたんだけどね……。

 残念ながら、おれにはそういう才能がからっきしないのであった。

 

 アリス(おれ)は一瞬だけ肉体増強(フィジカルエンチャント)の倍率をあげて、己に迫る光弾を紙一重でかい潜り、ムルフィとの距離を詰める。

 接近して槌鉾を振るうも、これはムルフィの小ぶりな剣に弾かれた。

 

 アリス(おれ)の体勢が崩れたところに、また魔弾の魔法(マジックミサイル)が来る。

 これはさすがにすべてを回避することはできず、一発の光弾が肩に突き刺さった。

 

 低く呻いて、いったん距離をとる。

 正解だったようで、ムルフィは小ぶりな剣を槍に変化させて、一瞬前までアリスがいた場所を薙ぎ払っていた。

 

「こ、これは! 今度はアリスちゃんに一撃がヒットぉぉぉっ! お互い、一ポイントずつゲットです! 互角! 両者まったく互角の攻防!」

「え、待って待って、いまのも一本なの!? アリスぜんぜん効いてないよ!!」

「アリス選手、抗議していますが認められません。これは往生際が悪いですね、解説のマリエルさん」

「怒っているアリスちゃんも可愛いですね。わたくしアリスちゃんにぷんぷん怒られたいですわー」

 

 おいマエリエル王女、素が出てるぞ。

 しっかし、あの程度の威力でもヒットはヒット、か。

 

 これ、軽い魔法を連打できるムルフィの方が圧倒的に有利じゃないか?

 くそっ、今更ながら、ルールでハメられたことに気づいたぜ……。

 

 

:ムルフィちゃん、つっよ

:アリスちゃん、かなり不利じゃない?

:しょせん、螺旋詠唱(スパチャ)がないとこの程度

:今度からムルフィちゃんに螺旋詠唱(スパチャ)します

:いや、ふたりとも仲間だろ

:両方に螺旋詠唱(スパチャ)しろ

:決闘とかいってるけど、ただの練習試合

:三万の観客入れて練習試合もなにもないんだよなあ

 

 

 闘技場の観客席から歓声が響く。

 アリスを、ムルフィを応援する声が聞こえてくる。

 

 結果的に、ムルフィという新戦力をアピールする場になるなら、それはそれでいいのだろうが……。

 

「兄さん」

 

 耳もとで、囁くようなシェルの声。

 おれにだけ聞こえるように、魔法を使っているのだろう。

 

「まだ病みあがりなんだし、別に負けてもいいんじゃない?」

 

 それは、おれの身体を心配しての言葉なのだろう。

 だがおれは、無言で首を横に振った。

 

 今回、別におれが負けてもなんのペナルティもない。

 姉妹が得をするだけだ。

 

 とはいえ、テルファとムルフィに戦う理由があるように、こっちにだってプライドがある。

 アリスとして、魔王軍と戦ってきたプライドが。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムでアイドルとして螺旋詠唱(スパイラルチャント)を獲得し続けてきたプライドが。

 人々の期待を一身に背負ってきたプライドがあるのだ。

 

「いちおう申し上げておきますと、腕などでガードしていればヒット判定にはなりませんわーっ」

「なるほど、肩に当たったからヒット判定、ということですね」

 

 解説者(おうじょ)アナウンサー(おうじ)がヒットの条件を丁寧に説明してくれる。

 

 なるほど、ね。

 それなら……。

 

 おれは武器を短剣に変化させると、ムルフィに向かって突進する。

 ムルフィはまた光弾を十発以上放ってくる。

 

 おれは迫る光弾を正面から迎え撃った。

 短剣を数度、振るう。

 

 おれに直撃する光弾だけを切り裂き、破砕する。

 光弾が爆発し、衝撃波がおれの身を打つが……これはヒット判定にならないだろう。

 

 痛みはある。

 だが、構わない。

 

 勢いを殺さず、まっすぐムルフィに突っ込んでいく。

 ムルフィは目をおおきく見開いて、驚いていた。

 

 おれが避けると思ったのだろう。

 

 回避する時間で次の手を打つつもりだったのだろう。

 ここまで強引な手に出てくるとは思わなかったのだろう。

 

 でもな、先にルールを利用して有効打を与えてきたのはそっちだ。

 こっちだって、今回のルールを利用させてもらう。

 

 大人げない?

 アリスはまだ十二歳なんだよ、お兄ちゃんお姉ちゃん!

 

「ちょっ、止まって!」

「アリスは急に止まらないっ」

 

 慌てたムルフィが、今度は突き出した左手から広範囲に炎を放つ。

 おれはこの炎も、短剣で切り裂いた。

 

 顔が、腕が余波の炎で焼かれる。

 だがヒット判定にならないなら知ったことか。

 

 構わず突進する。

 

 炎を抜けた先に、無防備なムルフィの姿があった。

 少女は慌てて槍でおれを突き刺そうとするが……。

 

 おれは武器を剣に変化させ、その一打を打ち払う。

 体勢を崩したムルフィ。

 

 おれはそこに剣を振るおうとして……。

 

「来た」

 

 耳もとで、シェルの囁き声。

 次の瞬間、おれの後ろとムルフィの後ろで、派手な爆発が起こった。

 

 そう、シェルが浮かんでいた場所と、テルファが立っていた場所で。

 魔力リンクが切れる。

 

「なっ、なにが起こったっ! 今の爆発はなんだ!? 騎士団、警備はどうした!」

「今、連絡を入れて……ちょっと、連絡不能ってどういうことですの!」

 

 アナウンサー(おうじ)解説者(おうじょ)が叫んでいる。

 役割を忘れ、取り乱しているようだった。

 

 気配を感じて、おれはムルフィの手をとるとその場から飛び退る。

 アリスとムルフィが立っていた地面が爆発し、派手な土煙があがった。

 

「襲撃だ!」

 

 誰かが、叫ぶ。

 その言葉とほぼ同時に、上空から高笑いが聞こえてきた。

 

「他愛もない」

 

 みあげれば、青い肌の大柄な魔族が、いつの間にかそこに浮いていた。

 身の丈は三メートル近く。

 

「われら真種(トゥルース)の作戦を妨げる者がいると聞いたが、所詮は脆弱な下等種どもの浅知恵か。補助する者を潰せば、ひねりつぶすのはわれにとって造作もないこと」

 

 背にコウモリのような翼を持ち、四本の腕を組んで、にたにたと笑っている。

 三つの目が、傲岸不遜におれたちを見下ろしていた。

 

王家狩り(クラウンハンター)……っ」

 

 ムルフィがその魔族をみあげて、唸るように叫ぶ。

 

「あれが?」

「ん。里を襲った魔族」

「そう、あいつがムルファちゃんたちの仇……」

 

 そうか、そういうことなら。

 

「ちょうどいいね!」

 

 アリス(おれ)は、にやりとする。

 

「なにを笑う? いま、おまえの妹がわれに潰されたのであるぞ?」

「そっちこそ、なにをいってるのかな、青い肌のお兄ちゃん。アリスの妹は、さっきからそこでピンピンしているよ?」

 

 おれが指さした先には、観客席がある。

 観客席の一番前列に座るフードの少女が、顔を晒した。

 

 銀の髪が流れる。

 

「え、シェル……ちゃん? どうして観客席(ここ)に?」

 

 周囲の観客が、驚きの声をあげて目を瞠る。

 

「じゃ、じゃあ、さっき爆発したのは……?」

「最初から、幻なんです」

 

 シェルは周囲の観客たちにそう告げて、ふわりと浮いた。

 観客席の最前列に着地する。

 

「サポーターが、ああして誰でも狙えるところにいれば、不埒なことを考える人が狙ってくるだろう、って」

 

 シェルが近くの座席をみる。

 数メートル隣の席に座っていた女が、やはりフードをとって顔を晒す。

 

 燃えるように赤い髪の少女だった。

 テルファだ。

 

「おーっほっほ! つまりこの決闘は、馬鹿な奴をつり出す餌だったわけですわ!」

 

 テルファもまた、いったん浮いてシェルの隣に降り立った。

 もちろん彼女も、さっきまであそこから己の幻影を闘技場に投射していたのである。

 

「さて、騙されて釣り出された魔族のざこざこお兄ちゃん」

 

 アリス(おれ)は笑う。

 

「なにか遺言はある?」

 

 



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第23話

:え、なにが起きた?

:爆発? 決闘とは関係ないよね?

:上からなにか降ってきたようにみえた

:魔族の襲撃だ

:は? 王都に? どうやって?

:飛んできたっぽいな……

:でもアリスちゃんは想定内っぽいこといってるぞ

 

 

 魔族の出現でとり乱しているようにみえた王子と王女だったが、あれは茶目っ気溢れた演技だ。

 

 おれは事前にディアスアレス王子に呼び出され、例の屋敷の例の部屋で、決闘の裏の目的を聞いていた。

 これは、どこにいるかわからない魔王軍のスパイをあぶり出すための作戦でもある、と。

 

王国放送(ヴィジョン)システムのおおまかな仕様は、別にいいふらしているわけじゃないが、隠してもいないからね。これまでの作戦で、魔王軍もアリスの存在は認識しただろう。その弱点を探るのは当然のことだ。当然、アリスをサポートするシェルの存在にも気づいているに違いない」

 

 でもシェルは、戦場で徹底的に隠れている。

 おれがそう指示しているからだ。

 

 シェルこそがアリスの力の源泉であるから、という意味もあるが……。

 それ以上に、シェリーをこれ以上、危ない目に遭わせたくないからだ。

 

 ディラーチャとムリムラーチャの姉妹の禁術を防ぎ、返す刀で拘束してしまった手際をみてもわかるように、共に戦うならかなり強力な助っ人になってくれることは、もちろん承知しているのだけれど。

 

「もしかして、妹を囮にして魔王軍を釣り出すんですか」

 

 おれは王子を睨んだ。

 王子は、はっはっは、と笑う。

 

「もちろん、きみの可愛い妹さんを危険に晒すつもりはない。彼女は我々にとっても、大切な大魔術師の一番弟子だからね。限りなく本物に近い幻影をつくってもらう。そのための魔法は、アリア婆様が片手間で構築してくれたよ」

 

 ディアスアレス王子は、大魔術師リアリアリアのことを「アリア婆様」と呼ぶ。

 ちなみに妹のマエリエル王女は、普段は「リアリアリア様」だが、時折、気を抜くと「アリア婆様」になるらしい。

 

「妹の安全が保証されるなら、おれは構いません」

 

 同じ質問をディラーチャとムリムラーチャにもしたという。

 姉のディラーチャは、魔王軍を倒すためなら、と一も二もなく了承したようだ。

 

 妹のムリムラーチャは少し戸惑った末、「ディラ姉がいいなら」としぶしぶ承諾した。

 

 ちなみにあの姉妹は、今に至ってもおれがアリスでシェリーがシェルであることを知らない。

 秘密は知る者が少ないほどいい、とはディアスアレス王子の言葉である。

 

 かくして、決闘の準備の裏で、魔王軍のスパイを発見するための作戦が開始された。

 

 闘技場の警備のほか、多くの近衛騎士団が私服で観客に混じり警戒する。

 怪しい者をチェックして、場合によっては拘束する。

 

 途中経過を聞いたところでは、各国のスパイがめちゃくちゃ摘発されてしまったらしい。

 まあ、そりゃどの国だってアリスたちの戦いをナマで見られるとなったら偵察させるよな……。

 

 で、肝心の魔王軍のスパイとおぼしき者はさっぱりみつからなかったようで、裏の作戦は失敗か、と思ったのだけれど……。

 

 決闘の最中、アリスとムルフィの戦いはまさにクライマックスというところで、シェルとテルファの幻影が攻撃された。

 もし本物があそこにいたなら、いともあっさりと、一撃で殺されていたことだろう。

 

 派手に爆発まで出してみせて、攻撃した魔族もそれが幻だと気づかず高笑いしていたのだから、本当に精緻な幻であったのだろう。

 さすがは、このためだけにリアリアリアが構築した精巧な幻の魔法(ミスリード)である。

 

 つーかシェリーはともかくディラーチャも精巧な幻の魔法(ミスリード)を数日で習得してしまったのだから、やっぱり優秀なんだよなあ。

 

 なおこの精巧な幻の魔法(ミスリード)、幻の維持に大量に魔力を必要とし、術式そのものに王国放送(ヴィジョン)システムと螺旋詠唱(スパイラルチャント)を組み込んでいるため、普通の魔術師は覚えていても行使、維持することができない。

 今回の決闘では螺旋詠唱(スパイラルチャント)禁止となっているが、じつは王族の端末から精巧な幻の魔法(ミスリード)用の魔力だけは融通していたのだ。

 

 このあたり、今後もサポーターを守るために必要な処置の実験、といったところなのだろう。

 その初回で、いきなり大当たりを引いてしまったわけだが……。

 

 そう、大当たりだ。

 見事に釣り出された青い肌の魔族を、おれは知っている。

 

 魔王軍の最高幹部、六魔衆のひとり。

 

 王家狩り(クラウンハンター)

 そのふたつ名を持つその存在は、ゲームでも大暴れした魔族であった。

 

 魔族同士で名前を呼び合う場合、彼はヴェッラクス、と呼ばれている。

 だがプレイヤーも、そしてゲーム中のキャラクターたちも、王家狩り(クラウンハンター)という名の方がよほど印象に残っていた。

 

 そして、現在のこの大陸においても、この魔族は王家狩り(クラウンハンター)と呼ばれていた。

 単独で敵の中枢に進撃しては王の首を狩る暗殺者として、ヴェルン王国でも特に要注意の存在であると認識されていたのだ。

 

 それがいま、こうしてアリス(おれ)の近くに現れた。

 おそらくは、おれたちを狩るために。

 

 はははっ、光栄だね。

 魔王軍はアリス(おれ)のことを、王に等しい戦略的目標と定めてくれたってわけだ。

 

 と――テルファが、びしっと上空に浮かぶ王家狩り(クラウンハンター)を指さす。

 

王家狩り(クラウンハンター)、あなたがわたくしたちの一族の里に現れた日のこと、ひと時も忘れませんでした。父も母も、友も想い人も、すべてあなたに殺されました。里のすべての者たちの仇、我ら姉妹がとらせていただきましょう」

 

 そうか、彼女たちの里を襲ったのも、こいつか。

 彼女たちの里もまた、魔王軍にとって王家に等しい戦略目標だったというわけだ。

 

 しかしテルファの宣言に対して、王家狩り(クラウンハンター)は首をかしげた。

 

「踏みつぶした虫のことなど、いちいち覚えてはいないな」

「あなたは――っ」

「落ち着いて、落ち着いてテルファちゃん!」

 

 激昂するテルファの肩をシェルが激しくゆする。

 一方でムルフィは、とみれば、こちらは表情を消して、じっと無言で頭上の王家狩り(クラウンハンター)をみつめていた。

 

 おれはムルフィの手をそっと握った。

 

「アリス」

「いっしょにいこう、ムルフィちゃん」

 

 ムルフィが、ゆっくりとうなずく。

 よし、少しは緊張が解けたかな。

 

 決闘といっても、さきほどまでのあれは、命のやりとりをする気もない児戯、こんなもの、準備運動に等しい。

 

 いや、アリスはムルフィの炎を突破したとき派手に火傷を負ったけど。

 それもさっきからシェルがこっそりと遠隔治療の魔法(リモート・ヒーリング)で治療してくれているから、もうじき完治する。

 

「観客のみなさん、冷静に退避してください。近くの騎士団の指示に従ってください」

 

 アナウンサー(おうじ)が慌てず騒がずの退避を促している。

 突然の魔族の存在に呆然としていた闘技場の観客たちだが、私服の近衛騎士団が声をあげて誘導しているおかげで、混乱は最小限に抑えられているようだった。

 

 さて、王家狩り(クラウンハンター)が観客たちを狙い始めたら厄介なんだが……。

 幸いにして、青い肌の魔族は、さきほど挑発したアリスに対して三つの目でガンつけするのに忙しい様子であった。

 

「アリスびっくりしたよ、いくら魔族のおつむが弱いからって、こんなみえみえの釣りに引っかかるなんて」

 

 とりあえず、追加で煽っておこう。

 

「わざと引っかかったのかな? とか少し思ったけど、シェルとテルファを倒したって自慢して高笑いするんだから、ちょっといい逃れができないよね、ざこざこお兄ちゃん?」

「貴様――っ」

「っていうかレスバもできないなんて、生きていて恥ずかしくないのかな?」

 

 

:おれもアリスちゃんにざこざこお兄ちゃんって呼ばれたい

:わかる

:あの魔族がちょっと羨ましい

:レスバできないと生きていけない国、それがヴェルン王国

 

 

 変態お兄ちゃんたちはちょっと黙ってて?

 

 自らを真種(トゥルース)と呼ぶ彼らは、人類を下等種と見下している。

 その下等種に欺かれ、こうして大衆の目前でいいように罵倒されているというのは、さぞ屈辱なことだろう。

 

「下等種の幼体ごときがっ」

 

 思った通り、空中の王家狩り(クラウンハンター)は大闘技場の中央にいるおれたちに対して、連続して魔力弾を放ってくる。

 合計で、数十発。

 

 やべっ、これはちょっと煽りすぎたか?

 と、そのとき――おれたちの全身に膨大な魔力が注ぎ込まれた。

 

 

:やってくれ

 

 

 一行のコメントが目を惹く。

 

 IDはディアスアレス王子のものだ。

 ずっと避難指示を出しながら、王国放送(ヴィジョン)システムを切り替えて、端末からの螺旋詠唱(スパイラルチャント)を可能にしてくれたようである。

 

 ちなみにリミッターについては、まだ設定されていない。

 この決闘を優先するということで、そっちの準備にリアリアリアがかかりきりだったからだ。

 

「そのお子様に翻弄されてるんだから、よわよわすぎるよね! ざーこざーこ♪」

 

 おれとムルフィは肉体増強(フィジカルエンチャント)と同時に地面を蹴り、左右に分かれて上からの砲撃を回避する。

 土煙が舞い、上空からおれたちの姿を隠す。

 

 王家狩り(クラウンハンター)は、更に連続して魔力弾を打ち出した。

 こちらの姿がみえなくても構わない、とばかりの絨毯爆撃だ。

 

 時間を稼がせてくれるのは助かるけど、サポーターからもいまのおれとムルフィの姿はみえていないだろう。

 シェルはなんとかするだろうけど、テルファは上手くやっているだろうか?

 

「ん。姉さん、さすが」

 

 ムルフィの声が土煙の向こうから聞こえてくる。

 あっちもなんらかの方法で魔力リンクを維持できているらしい。

 

「さあムルフィちゃん、反撃ですわ!」

「わかった」

 

 テルファが声をかけ、ムルフィがそう告げた次の瞬間、頭上で派手な爆発音が響いた。

 アリス(おれ)はおおきくジャンプして、一度、土煙から跳び出す。

 

 みあげれば、王家狩り(クラウンハンター)の巨体が爆炎に包まれている。

 ムルフィの火球の魔法(ファイアボール)が直撃したようにみえた。

 

「この程度の魔法がわれに効くか!」

「そうでも、ない」

 

 ひと呼吸置いて、土煙からムルフィが飛び出す。

 こちらはアリスと違って魔法で飛行しているようで、重力を無視した急角度で上昇する。

 

 そのムルフィに対して、王家狩り(クラウンハンター)が腕を突き出す。

 魔力弾が発射されようとして――。

 

 赤い閃光が王家狩り(クラウンハンター)の掌の先で生まれ、そして即座に爆発した。

 王家狩り(クラウンハンター)は不意の爆風で吹き飛ばされる。

 

「ぬ――っ」

 

 王家狩り(クラウンハンター)の四本ある腕の一本が、その半ばから消し飛んでいた。

 

「われの魔法が、暴発しただと?」

「ん。誘爆の魔法(インドゥークション)

 

 

:うわっ、禁術だあれ

:ムルフィちゃん、禁術なんて使っちゃ駄目でしょ

:いや、つい先日、王都の聖教寺院が対魔王軍に限って解禁のお触れを出してる

:え、あれってムルフィちゃんに禁術を使わせるため?

 

 

 コメント欄が騒がしい。

 アリス(おれ)との決闘じゃ禁術なんて使わなかったしな。

 

 当然だ、さすがの聖教も、対人での禁術を解禁するわけがない。

 それに切り札は、隠せるなら隠しておいた方がいい。

 

 誘爆の魔法(インドゥークション)の場合、強力な魔術師ほどその被害に遭いやすく、暗殺に便利すぎるという理由から禁術指定されていたらしい。

 

 つまり強力な魔法を行使する魔族ほど、誘爆の魔法(インドゥークション)の餌食になりやすい、ということでもある。

 不意を打っての攻撃なら、なおさらであった。

 

 もっとも、彼らの強靭な身体を貫けるだけの魔力を供給できるか、という問題は依然として存在する。

 ムルフィがこの一発の誘爆の魔法(インドゥークション)に膨大な螺旋詠唱(スパチャ)を込めたからこそ、相手にあれだけのダメージを与えることができた。

 

「下等種ごときが、われの身体に傷つけるなど!」

「下等種ごときに傷つけられるひ弱な身体が悪いんじゃないかな? くふふっ」

 

 アリス(おれ)自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で背に白い翼を生やし、宙に舞い上がつつ、積極的に煽っていく。

 武器を槍に変化させ、螺旋を描いて突っ込んでいくが……。

 

 王家狩り(クラウンハンター)は慌てた様子で翼をはためかせ、アリスの突進をおおきく避けた。

 おいおいおい、男らしく殴り合おうぜ、旦那さんよぉ。

 

 あ、これもしかして、アリスも誘爆の魔法(インドゥークション)を使えるとか思ってる?

 はっはっは、おれが使える魔法は、未だにふたつだけだぞ!

 

「あれ~? もしかして魔族のお兄ちゃん、アリスのことが怖いのかなあ?」

「このわれが! 汚らわしい貴様らごときと! じかに刃を交える必要など!」

 

 激昂しつつも、魔族はまた、大量の魔力弾を放ってくる。

 おっ、今度は誘爆の魔法(インドゥークション)にひっかからず撃てたね、えらいえらい。

 

 実のところおれが聞いた限りでは、誘爆の魔法(インドゥークション)には非常に厳しい条件があり、着弾したあと、その場を動かないこと、というのが絶対条件のひとつであった。

 王家狩り(クラウンハンター)がアリスの攻撃を避けるため移動した時点で、その条件を満たさなくなる。

 

 というか相手が余裕かまして静止していなければ決まらない魔法である、ということだ。

 

 青い肌の魔族はそれに気づいているのか、いないのか。

 なんか魔力弾を無事撃てたことに露骨にほっとしてる様子だから、暴発覚悟で撃ったっぽいかな?

 

 ここまで優位に戦いを進めて来られているのは、相手を上手く誘導できているからだ。

 このまま逆上してくれていればいいのだが……。

 

「小癪な! かくなる上は――っ」

 

 王家狩り(クラウンハンター)の手が下を向く。

 あっ、まずい。

 

「飛びまわる蠅より先に、地上の蟻を潰してくれる!」

 

 青い肌の魔族は、観客席に向かって無数の魔力弾を放った。

 その先には――無防備なシェルとテルファがいる。

 

「姉さん!」

 

 ムルフィが、きびすを返して観客席の方へ向かおうとした。

 そこに、待ってましたとばかりに放たれた王家狩り(クラウンハンター)の魔力弾が直撃する。

 

「ははっ、はははっ、所詮は下等種の幼体! この程度のことで惑うとはな!」

 

 ムルフィのちいさな身体がくるくる宙を舞う。

 

「ムルフィちゃん!」

 

 おれは慌てて、ムルフィを追った。

 観客席を襲う魔力弾をいまから追いかけても仕方がない、シェルたちを信じるしかない、と瞬時に判断する。

 

 だが――。

 

「大丈夫ですよ」

 

 大闘技場の全体に、澄んだ女性の声が響いた。

 観客席が黄金色の光に包まれ、その光に触れた魔力弾が、すべて、跡形もなくかき消える。

 

「わ、われの魔法を打ち消しただと!?」

 

 王家狩り(クラウンハンター)が目を剥いて驚く。

 

 実際に、すさまじいばかりの結界魔法であった。

 テルファでもシェルでも、あんな堅牢かつ大規模な魔法は行使できないだろう。

 

 

:え?

:なにが起きた?

:大闘技場全体に結界が張られた

:うちの国、いつの間にそんな魔道具を?

:魔道具じゃないだろ

:魔法? いったい誰だよ

:こんなことできる人、ひとりしか知らん

 

 

 いつの間にか、シェルとテルファの前に、背の高い女性が現れていた。

 青髪緑眼で、耳の端が尖っている。

 

 大魔術師リアリアリアだった。

 

 おれはリアリアリアが結界を張る様子を横目でみながら、回転しながら落下するムルフィの下にまわりこみ、その身体をキャッチする。

 

「ムルフィちゃん。観客席はリアリアリア様がなんとかしてくれるみたい」

「ん……」

「シェル、音声オフ」

「わかった」

 

 一時的に王国放送(ヴィジョン)システムの音声を切ってもらった。

 ここから先の会話は、放送で流れない。

 

「ねえ、ムリムラーチャちゃん」

 

 おれは本名で彼女のことを呼ぶ。

 

 ムルフィはおおきく目を見開いた。

 安心して、とばかりに微笑んでみせる。

 

 ムルフィは理解を示した、というようにちいさくうなずいた。

 

「ムリムラーチャちゃん。あなたたち姉妹は、ずっとふたりきりだったかもしれない。ムリムラーチャちゃんにはディラーチャちゃんしかいなくて、ディラーチャちゃんにはムリムラーチャちゃんしかいなかった。長く辛い旅で、お互いだけが頼りだったかもしれない」

 

 おれはゲームでの彼女を知っている。

 全身傷だらけで、いつも険しい目に憎悪を浮かべて、全人類を呪い魔王軍に与していた彼女を。

 

 互いが大切だった、という以上に、これまで互いだけしか頼るものがいなかったのだ。

 

「でも、いまはアリスたちがいるよ。リアリアリア様がいるよ。王国放送(ヴィジョン)端末の向こう側のひとたちもいるよ。わたしたちはひとりで戦うわけじゃない。ふたりでもない。みんながいる。――だから」

 

 おれは王家狩り(クラウンハンター)の方を向く。

 わかった、とばかりにムルフィはおれから手を離すと、上空の青肌の魔族に攻撃魔法を放った。

 

 いっけん火球のようにみえるそれを、王家狩り(クラウンハンター)はまたおおきな動きで回避する。

 うん、やっぱり未体験の厄介な魔法に戸惑っているな。

 

「音声オン」

「はい、兄さん」

 

 おれにだけ聞こえているのだろうシェルの声に、ちいさくうなずく。

 

「さあ、ムルフィちゃん。――いこう」

「んっ」

 

 アリス(おれ)とムルフィは、互いに入れ替わるように宙を舞いながら、王家狩り(クラウンハンター)との距離を詰めた。

 



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第23.5話





 ムリムラーチャ。

 わたしの名前だ。

 

 年は十五歳。

 

 姉はディラーチャ。

 わたしのふたつ上で、十七歳。

 

 わたしたちはミドーラという国の、とある里に生まれた。

 ミドーラの闇子、と呼ばれる諜報・暗殺を専門とする組織の者たちの隠れ里だ。

 

 物心つく前から、いろいろな訓練をさせられていた。

 そのひとつに、姉との魔力リンクもあった。

 

 特殊な魔法を使うためにふたり分の魔力が必要だから、ということらしい。

 後に、その魔法は禁術であると知った。

 

 禁術を使って人の心を操り、情報を集めたり暗殺したり。

 そのための訓練が、わたしと姉の日常だった。

 

 その里の内側しか知らなかったわたしたちは、毎日、過酷な訓練をすることになんの疑念も抱いていなかった。

 訓練も間もなく終了するというあの日、里を魔族が襲い、結果的に里の外へ旅立つことがなければ。

 

 ひとつ、思い出がある。

 そこがミドーラの闇子の隠れ里だと知らずに里を訪れた旅芸人の一座が、演劇を披露してくれたのだ。

 

 魔王を倒す勇者の物語だった。

 五百年前の実話を基にしているというが、どこまで本当かわかったものじゃない。

 

 勇者は神さまから与えられた光に包まれて、戦場に現れた。

 勇者から光を与えられた仲間たちが、魔族や魔物を駆逐していった。

 

 劇のなかで、即席の舞台の上に勇者が立つと、その身が光り輝いた。

 皆がその勇者を褒めたたえた。

 

 わたしも、そんな勇者の姿に憧れた。

 いつか、あんな光に包まれたいと、姉にそういった気がする。

 

 ちなみに旅芸人の一座は、里の外に出たところで全員、里の者たちによって殺されたという。

 

        ※※※

 

 およそ三年近く、魔王軍の侵攻から逃げるように、東へ旅をした。

 旅を続けるにはお金が必要で、当時、子どもだったわたしたちにはどうすればそれを手に入れられるかもわからなかった。

 

「ムリム、あなたには才能がある。お姉ちゃんに任せて。必ず、あなたを光輝く舞台に送ってあげるから」

 

 姉はそういって、どこからかお金を持ってきた。

 どうやってお金を手に入れたのか聞いても、はぐらかされた。

 

 当時のわたしは、自分の力でお金を稼ぐ機転も、姉を説得する言葉も持たなかった。

 どのみち、わたしたちには世間の常識というものが欠けていた。

 

 だから、偶然リアリアリア様の弟子であるシェリーという少女にこてんぱんにされ、リアリアリア様の屋敷に連れていかれたのは、きっと存外の幸運であったのだろう。

 

        ※※※

 

 あの日の夜、ひとりきりでリアリアリア様の屋敷の廊下を歩いていたわたしは、シェリーの兄であるアランをみつけた。

 彼はわたしをみると、少しびっくりしたような顔をしてから、ほっと安堵したように息を吐いた。

 

「なんであのとき、わざわざ禁術を使ったんだ? おまえの実力なら、ほかにいくらでも方法があっただろう」

「姉さんを、汚い手で触ろうとしたから」

 

 わたしはそう返事をした。

 実際のところ、姉さんに対してもっと下品な言葉を投げつけていたのだけれど。

 

 わたしはあんまり発育がよくないし、姉さんにいわれて小汚い格好をしていたから、彼らの目にはそういう対象として映らなかったのだろう。

 

 いつだって、姉さんは、わたしをかばって前に立つ。

 わたしはそれが悔しかった。

 

 その悔しさを、あの男たちにぶつけたのかもしれない。

 でも目の前のアランという男にそこまで打ち明ける気はなかった。

 

 なのに、アランは悲しそうな顔をする。

 

「大切な人を守れないのは、辛いよな」

 

 わたしはぽかんとして、アランをみつめた。

 なんでこのひとは、まるでわたしの心を読んだかのような言葉を口にするのだろう。

 

「大丈夫だ。これからは、おまえが姉を守ることになる。そのための力は、この国が与えてくれる。だから、無茶だけはしてくれるなよ」

 

 その言葉の意味がわかるには、もう少しだけ時間が必要だった。

 そう、大闘技場で、里を襲ったあの魔族と再会するまで。

 

 



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第24話

 ヴェルン王国が把握している限りで、王家狩り(クラウンハンター)の目撃証言があった国の数は十一。

 そのすべてで、王家狩り(クラウンハンター)は王かそれに準じる者を殺害している。

 

 その手法は簡単だ。

 単独で王宮に突撃し、向かってくる者を片っ端から血祭りにあげるのである。

 

 なによりの特徴は、その防御能力だ。

 

 その身に刃は通らず、高位の魔法も通じない。

 どんな屈強の戦士も凄腕の魔術師も、王家狩り(クラウンハンター)の前には赤子も同然であった。

 

 保有する魔力量が桁外れなのだろう、と推測されている。

 その魔力によって、常に己の周囲に防護膜を展開しているのだろうと。

 

 故にこその、相手の魔力を暴発させる魔法である誘爆の魔法(インドゥークション)だ。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)により膨大な魔力が込められた誘爆の魔法(インドゥークション)ならば、王家狩り(クラウンハンター)に一矢報いることができるのではないか。

 

 ディラーチャとムリムラーチャはそう提案した。

 リアリアリアとの検討の末、作戦は了承された。

 

 アリスが囮となって、ムルフィが誘爆の魔法(インドゥークション)を撃ち込む。

 それで相手を倒せればよし、負傷させることができたなら、そのまま一気に押し込む。

 

 正直、あそこまで策を巡らせて四本ある腕の一本だけしか奪えなかった、というのはいささか分の悪い取引だったが……。

 

 あとはもう、残りの手札で勝負するしかない。

 幸いにして、このヴェルン王国には、他国にはない武器がある。

 

 王国放送(ヴィジョン)システム。

 そして螺旋詠唱(スパイラルチャント)

 

 すなわち、アリス(おれ)ムルフィ(ムリムラーチャ)だ。

 

「下等種どもが! 下等種どもが! 下等種どもめが!!」

 

 空中で躍起になって魔力弾を連射してくる王家狩り(クラウンハンター)

 

 その魔力弾を翼をはためかせて回避、弧を描いて接近するアリス(おれ)

 そして盾の魔法(フォースシールド)を展開して直撃ルートの魔力弾を弾きながら、重力も慣性も無視してジグザグに飛ぶムルフィ。

 

 先に王家狩り(クラウンハンター)を捉えたのは、風に乗って加速したおれだった。

 

「アリス・ジャスティス・クラーッシュ!」

 

 槍を構えて矢のように突進し、すれ違いざまに刺突をお見舞いする。

 

 王家狩り(クラウンハンター)は残り三本ある腕の一本を伸ばし、掌の周囲に防護膜を張って、おれの槍を受け止める。

 突進の衝撃で弾かれたのは、おれの方だった。

 

 アリス(おれ)の身体がくるくると宙を舞う。

 王家狩り(クラウンハンター)が魔力弾でアリス(おれ)を追撃しようとするが……。

 

「させない」

 

 ムルフィが螺旋詠唱(スパイラルチャント)魔弾の魔法(マジックミサイル)を行使する。

 先ほどアリスと決闘していたときの十倍、百発以上の光弾が同時に放たれ、王家狩り(クラウンハンター)の魔力弾にぶつかった。

 

 連鎖的に爆発が起こる。

 おれはこの隙に体勢を整え、かろうじて敵の間合いから離脱した。

 

 ううむ、硬いな……。

 やっぱり、最初の誘爆の魔法(インドゥークション)で仕留めておきたかった。

 

 なにせこいつ、主人公たちが一度は負けるほどの相手である。

 マリシャス・ペインより格上、それどころか六魔衆という魔王軍最高幹部の魔族なのだ。

 

 なにかギミックがあって、そのギミックを攻略すれば倒せる系の敵ならよかったのだが……。

 ゲームだと勇者のイヤボーン頼りなんだよなあ。

 

 

:はえー、ムルフィちゃんすっごい

:決闘の時の比じゃないな……

:おれたちの螺旋詠唱(スパチャ)の威力がよくわかった

:アリスちゃんは後輩に助けられて恥ずかしくないの?

 

 

「コメントうるさーい! これは役割分担ってやつ!」

 

 

:でも突撃があっさり受け止められた以上、実質負けでは?

 

 

「はーっ? アリスは負けてないが?」

 

 ちなみに煽ってきているのは王族のひとりだ。

 あんにゃろー、あとで覚えてやがれ!

 

 いや、王族に暴言吐くなんてことおれにはできませんが。

 

 と――急に下の方が騒がしくなる。

 さっきまで冷静に避難指示に従っていた観客たちの間で騒ぎが起こっているようだった。

 

 おいおい、ここにきてパニックが起こっているのか……?

 と思ったら。

 

 

:観客を扇動してる奴らがいるな

:え、どういうこと?

:たぶん、魔王軍のスパイが暴れてるんだろ

:近衛騎士団が魔族と戦ってるっぽい

:どさくさに紛れて逃げようってわけ?

 

 

 ああ、そういうことか。

 そもそも王家狩り(クラウンハンター)がおれたちの弱点を把握して、それを的確に攻撃してきたことからも、スパイが入り込んでいるのは明らかだったわけで。

 

 そりゃスパイが観客に紛れ込んでいる、と近衛騎士団も考えるよ。

 そいつらが動き出した、となると……。

 

「こっちは大丈夫だよ、お姉ちゃん。リアリアリア様とテルファちゃんが、怪しい動きをした人を片っ端から操ってくれてる」

 

 シェルがそう教えてくれるが……。

 禁術を人に使うなって、それブリーフィングで王子からいわれてたよね!?

 

 緊急事態だから仕方ないけどさあ!!

 つーかリアリアリア様まで公然と禁術を使ってるの!?

 

「おーっほっほっほ、結果的に一部は魔族だったからOKですわ!」

 

 一部、じゃねえか!

 ああもう、聞こえないフリをしよう!

 

 

:リアリアリア様とテルファちゃんにはあとで偉い人からお話があります

 

 

 あ、コメントで静かに切れてる人がいる。

 っていうかマエリエル王女だ。

 

 おれしーらないっと。

 ともかく、いまはなんとしても勝たないと、説教されることもできないのはたしかである。

 

 テルファは周囲に禁術をばらまきながらも、ムルフィとの魔力リンクに関してもきっちりやってくれているようだ。

 ムルフィは魔弾の魔法(マジックミサイル)風刃の魔法(エアカッター)雷撃の魔法(ライトニングボルト)と魔法を連打して王家狩り(クラウンハンター)を牽制している。

 

 とはいえムルフィが大量の魔力を込めた魔法も、王家狩り(クラウンハンター)にとっては少々鬱陶しい、くらいで……。

 

 ろくに効いている様子がなかった。

 やっぱりこいつを倒すには、こいつの魔力膜を貫けるだけの一点突破のなにかがないと厳しいか。

 

 手があるか、ないか、でいえば、ある。

 そのための準備も、だいたい整っていた。

 

 

:王宮の方から飛んでくるから、よろしく

 

 

 コメントのIDはディアスアレス王子だ。

 仕込みが終わったらしい。

 

 おれは貴族区と商区の間にある闘技場の上空から、王宮の方を仰ぎ見る。

 なにかが、きらりと光った。

 

 次の瞬間には猛スピードで飛来するそれを、おれは両腕で抱きかかえるようにキャッチする。

 衝撃で吹き飛ばされて、おれの軽い身体はくるくると回転した。

 

 うぷっ、気持ちが悪い……。

 で、改めて腕のなかのそれを確認する。

 

 

:アリスちゃん、なにそれ

:え、秘密兵器かなにか?

:杭?

:武器、なのかな?

 

 

 はい、武器です。

 特別製の杭打ち機(パイルバンカー)だ。

 

 それも螺旋詠唱(スパイラルチャント)の魔力を込められる特別製である。

 アリス(おれ)杭打ち機(パイルバンカー)を高々と掲げてみせた。

 

 名づけて……。

 

「アリス・マジカル・パイルバンカー!」

 

 

:だっさ

:センスがない

:もっと感性を磨け

:どこに出しても恥ずかしい

:ヴェルン王国の恥

 

 

 うっせーっ!

 おまえら、いまはネーミングを気にしてる場合じゃないだろ!

 

「アリス」

 

 ムルフィの声が耳もとで聞こえた。

 よくシェルが使う風の魔法で、おれだけに聞こえる声である。

 

 彼女もこれ、使えるのか。

 

「それ、あいつを貫けるやつ?」

「うん! 牽制、お願いできる?」

「ん! あいつの始末は、任せた!」

 

 よし、任された!

 

「とにかく!」

 

 おれは、王国放送(ヴィジョン)端末の向こうの人々に呼びかける。

 

「お兄ちゃんお姉ちゃん、アリスに力を貸して!」

 

 

:おうさ

:もってけ!

:なにするかわからないけどおれの魔力を使ってくれ!

:やってくれ

:我が王の仇です、お願いします

:うちの国もあいつにやられたんだ、頼む

 

 

 次々とアリス(おれ)に魔力が集まってくる。

 それはおれの身体を通して、杭打ち機(パイルバンカー)に流れ込む。

 

 トリアの戦いでは、おれ自身が一度に魔力を使いすぎたことが問題だった。

 ならば外部機器を接続し、魔力の消費はそっちに賄って貰えばいい、と考えたのがディアスアレス王子である。

 

 あのひと、やっぱ優秀なんだよな。

 原因を分析して、即座に対策を打ち出してくれる。

 

 今回、数多いる研究魔術師(き○がい)のひとりが開発していたこの杭打ち機(パイルバンカー)に白羽の矢が立った。

 即席の改造を施して、まあ短時間なら使えるだろう、とのことである。

 

 耐久性? なにそれおいしいの?

 信頼性? それって何語?

 

 そんな代物だが、背に腹はかえられない。

 

 アリス・マジカル・パイルバンカーの先端が虹色の輝きを放った。

 

 夜なら目立つだろうが、いまは真昼で、ムルフィが目くらましとしてバカスカ魔法を放っている。

 王家狩り(クラウンハンター)は派手な動きをするムルフィに気をとられていた。

 

 まあ、あいつはムルフィの禁術によって腕を一本、失っているからな。

 いまのところなんの役にも立っていないアリスよりも、彼女の方を優先するのは当然だろう。

 

 だからこそ、アリス(おれ)はここまで、なるべく目立たないよう、しかし存在感が消えすぎないよう立ちまわってきた。

 口で挑発するだけの小娘、と思われているくらいでちょうどよかった。

 

 さて、それじゃ。

 おれは高度をとって、王家狩り(クラウンハンター)より上に出る。

 

「反撃、始めようか!」

 

 太陽を背にして落下する。

 王家狩り(クラウンハンター)が顔をあげ、アリスの方を向いた。

 

「脆弱な幼体ごときが!」

「そのよわよわな幼体から逃げたりしないよね?」

 

 相手も、杭打ち機(パイルバンカー)の先端に魔力が集まっているのはわかっているはずだ。

 逃げようと思えば、逃げられるだろう。

 

 だからこそ、挑発(レスバ)でそれを封じる。

 誘爆の魔法(インドゥークション)のような仕込みからの不意打ちとは違う、正面からの力押しだと判断できるだけの材料は揃っていた。

 

 王家狩り(クラウンハンター)は己の防御能力に自信がある魔族だ。

 そのプライドをくすぐる。

 

 はたして、王家狩り(クラウンハンター)はアリスの方に向き直ると、残る三本の手を前に突き出した。

 三つの掌に魔力が集まり、三つの黒い渦をつくる。

 

「ならばこい、幼体! 受け止めてやろう!」

「あははっ、それじゃ――っ」

 

 おれは落下の勢いを乗せて、アリス・マジカル・パイルバンカーを突き出し、身体ごと王家狩り(クラウンハンター)にぶつかっていく。

 王家狩り(クラウンハンター)はそれを全力で受け止めようとする。

 

「インパクト!」

 

 衝突の瞬間、おれは魔力をこめた杭を打ち出す。

 膨大な魔力が一瞬で解放される。

 

 白い光が視界を覆い尽くし――。

 杭打ち機(パイルバンカー)が、王家狩り(クラウンハンター)の三つの腕をすべて吹き飛ばし、その腹を貫通する。

 

 

:いった!

:よっしゃあ!

:胸に穴が開いたか

:これは……勝ったな?

 

 

 おいフラグやめろ。

 いや、さすがにもう動けないようだけど。

 

 

「馬鹿……なっ」

「馬鹿っていう方が馬鹿なんだよっ。ばーかばーか」

 

 

:喧嘩するところ、そこじゃないだろ

:どこに出しても恥ずかしい口喧嘩

:これ国中の人がみてるんだぜ

 

 

「あり……えんっ、このような……」

 

 

 王家狩り(クラウンハンター)の身体から力が抜けていく。

 飛行していた魔法が切れたのか、その身が落下していく。

 

 おれは、それを追おうとして……。

 右手に握った杭打ち機(パイルバンカー)が、ぼんっ、と爆発する。

 

 突然の右手からの激痛に顔をしかめた。

 同時に、がくり、と身体から力が抜ける。

 

 

:アリスちゃん、待って、腕が……

:うわっ、右手がちぎれてる

:おい、はやく治療の魔法(ヒール)

治療魔術師(メディック)! 治療魔術師(メディック)! はやくしろ!!

 

 

 え?

 あ……しまった、杭打ち機(パイルバンカー)に魔力を注ぎ込みすぎて、爆発したのか。

 

 うわあ、ちぎれた手、グロいな……。

 慌てて飛んでくるシェルの姿を確認して、おれは意識を落とした。

 

 



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第24.5話

 わたし、ディラーチャが妹のムリムラーチャと共にリアリアリア様のお屋敷に住むことになった日の、翌日の朝。

 日の出と共に起きたわたしは、中庭で剣を振る男がいることに気づいた。

 

 アランという、わたしたちを捕まえた兄妹の、兄の方だった。

 妹と違って平凡な魔力しか持たない騎士見習いで、妹のシェリーがリアリアリア様の一番弟子だから、という理由でこのお屋敷に置いて貰っているだけの男である。

 

 兄妹の仲は、とてもいい。

 お互いを心から想い合っているのは、すぐにわかった。

 

「なにを、そんな熱心に鍛錬しているの?」

 

 思わず、声をかけていた。

 アランはわたしの方を振り返り、「大丈夫か」と問いかけてきた。

 

「どういう意味?」

「だいぶ無理をしていただろう。ひと晩で身体の疲れはとれたか?」

「無理なんてしてないわ。なんでそう思ったの」

「これまでずっと、妹を守ってきたんだろう」

 

 ああ、と納得した。

 自分が彼に声をかけた理由である。

 

 彼もまた、そうなのだ。

 己の身に代えても、絶対に妹を守ってみせると、そう信じて行動してきた者。

 

 思えばわたしたちが出会ったときも、彼は妹を抱きかかえていた。

 妹は彼の腕のなかで、安心して魔法の技を振るっていた。

 

 わたしだって、そうだ。

 ムリムラーチャの才能はよく理解していたし、彼女が安心して腕を振るえる状況をつくるのが自分の役割だと知っていた。

 

 ムリムラーチャを盛り立てるには、看板が必要だった。

 この王国で活躍するアリスという存在を上書きするような、おおきな看板が。

 

 それがきっと、我が妹のためになる。

 わたしはそう、強く信じていた。

 

「ひとつだけ、忠告する。妹のためだからって、絶対に死ぬな」

「はあ?」

「おまえが死んだら、おまえの妹はきっと暴走する。ひょっとしたら、人を憎んで魔族の手下になるかもしれない」

「なにを、みてきたようなことを――」

 

 わたしは彼のまっすぐな目をみて、言葉を失った。

 嘘や冗談をいっている目ではなかった。

 

 己の言葉に確信を抱いている者の、信念に満ちた目をしていた。

 この人はいったい……。

 

「おまえの妹が頑張るとしたら、それはおまえのためなんだ」

「あなたは、なんなの?」

「妹のことが大事なだけの、ただの騎士見習いだよ」

 

 へんな奴だと思った。

 

        ※※※

 

 わたしたちの里を、わたしたちの国を襲った魔族は、王家狩り(クラウンハンター)と呼ばれているらしい。

 奴ひとりで、里は実質的に消滅した。

 

 わたしとムリムが奴の手から逃げられたのは、単に幸運が重なったからだ。

 里長の末期の言葉が、わたしたちを縛った。

 

「おまえたちに一族を託す」

 

 なにが一族だ。

 

 幼いころから薬で条件づけされて、魔法の腕を磨かされた。

 

 訓練についていけなかった子どもたちは次々と消えて(・・・)いった。

 ほかの里にいった、と聞かされたが、それが嘘だと子ども心にも薄々気づいていた。

 

 百人以上いたひとつ上の世代で、無事に訓練を終えられたのは十人ほど。

 そのあと、国に命じられた過酷な任務で、たちまち半分にすり減った(・・・・・)

 

 わたしとムリムの世代も、もうすぐ訓練が終わるという段階で、やはり同じくらいに減っていた。

 もうすぐ実戦投入、というところで――里は、王家狩り(クラウンハンター)によって壊滅したのである。

 

 魔王軍に追われるように里を、国を逃げ出してしばらく。

 わたしは、あの環境がおかしかったことを理解した。

 

 魔王軍に感謝すらしていた。

 あの異常な環境から、わたしとムリムを解き放ってくれたのだから。

 

 でも同時に、ただの難民に、流浪の民になることの辛さも充分に理解させられた。

 人が生きるには寄る辺が必要だ。

 

 わたしはともかく、ムリムには才能があった。

 才能を生かせる場所のあてもあった。

 

 わたしの身を犠牲にしてでも、ムリムには幸せになって欲しい。

 

 なのに。

 決闘の最中、アリスを相手に、ムリムはいう。

 

「わたしには、姉さんさえいればいい」

 

 そうじゃない、といいたかった。

 わたしのことなんか気にせず、あの光り輝く舞台に立つべきだと。

 

「姉さんが願うなら、わたしは勝つから」

 

 そうじゃない、と叫びたかった。

 あなたはあなたのために生きて欲しいと、そう告げたかった。

 

 わたしのことなんて、ただの捨て石にしていいのだと――。

 そのとき、脳裏をよぎったのは、あの日の朝の、あの男の言葉だ。

 

「おまえの妹が頑張るとしたら、それはおまえのためなんだ」

 

 ああ、わたしはいままで、ムリムのどこをみていたのだろう。

 あのアランという男は、どうして会ってすぐのムリムの本心を見抜けたのだろう。

 

 覚えたのは、あの男に対する強い嫉妬だった。

 同時に、そんな自分に失望した。

 

 王家狩り(クラウンハンター)との戦いのなか。

 観客席のわたしたちが狙われたとき、妹は即座にわたしのもとへ駆けつけようとして、背後から王家狩り(クラウンハンター)の攻撃を受けて傷ついた。

 

 姉さえいればいい、というムリムの言葉は、どこまでも彼女の本心なのだった。

 

 自分をかばおうとして、妹が傷つく光景をみたそのとき、先日のアランの言葉の意味が理解できた。

 彼はどこまでも正しかったのだ。

 

        ※※※

 

 ムルフィがアリスを信じて、敵を牽制している。

 そのアリスが、皆に呼びかけている。

 

「お兄ちゃんお姉ちゃん、アリスに力を貸して!」

 

 呼びかけに呼応して、王国放送(ヴィジョン)端末の向こう側から無数の螺旋詠唱(スパイラルチャント)が集まってくる。

 

 彼女がムルフィにかけた言葉は真実だった。

 わたしたちはふたりで戦っているわけではない。

 

 アリスがいる。

 シェルがいる。

 リアリアリアがいる。

 

 そして王国放送(ヴィジョン)端末の向こう側から、多くの人々が助けてくれる。

 この国が魔族の襲撃を受けてもさして動揺せず対処できている理由が、いま、わかった。

 

 ここには、人々の想いを集めて戦うシステムがある。

 そして、システムの中心にいるのが――。

 

        ※※※

 

 アリスの杭打ち機(パイルバンカー)が、王家狩り(クラウンハンター)を貫く。

 青い肌の魔族、里の皆の仇は地面に落下した。

 

 ぴくりとも動かないその姿を、わたしは観客席から眺める。

 ムルフィが、トドメを刺すべく、王家狩り(クラウンハンター)のそばに着地した。

 

 里長の遺言の半分は、これで終わる。

 残り半分、一族を再興することについては……ずっと先の、気が長い話だ。

 

 そもそも、わたしたちはあんな里を蘇らせるべきなのだろうか。

 洗脳が解けたいまとなっては、そう思う。

 

 そのためにこれ以上ムリムが傷つくなら、なおさらだった。

 

 王家狩り(クラウンハンター)はぴくりとも動かないが……。

 

「気をつけて」

 

 リアリアリア様が鋭い声で告げる。

 

「あの魔族、魔力を集めています」

「ムルフィっ!」

 

 わたしは即座に、妹へ魔力を送る。

 ムルフィが剣を逆手に握り、刃に魔力を流し、王家狩り(クラウンハンター)の首を掻き切った。

 

 青い血しぶきと共に、その頭部が宙を舞う。

 

 と――そのとき。

 王家狩り(クラウンハンター)の三つの目がカッと見開き、頭部だけの状態で高笑いを始めた。

 

「どのみち、貴様らは終わりだ。われを討ちとったところで、我ら真種(トゥルース)の軍勢はとめられん! 苦しめ、苦しめ、苦しんで死ね! それがわれの慈悲の手を振り払った報いである!」

 

 高笑いが消える。

 王家狩り(クラウンハンター)の頭部は青白い炎に包まれ、空中で燃え尽きた。

 

 それをみあげていた愛する妹が、わたしの方を向く。

 

「終わったよ」

「ええ」

 

 わたしはうなずいた。

 

「あなたが無事なことが、いちばん嬉しい」

「ん。姉さんが無事なことが、いちばん嬉しい」

 

 互いに微笑みあう。

 わたしの頬を、涙の雫が伝い落ちた。

 

        ※※※

 

 その後。

 アリスが大怪我をしてシェルに抱えられ退場していたため、わたしとムルフィだけで観客や王国放送(ヴィジョン)の向こう側の人々に挨拶をした。

 

 コメントでは、アリスを心配している声が多かった。

 リアリアリア様が「彼女の無事は保障します。手も、あの程度なら簡単に再生できますから」といっていたことを伝えると、彼らは皆、たいへんに喜んだ。

 

 アリスはこの国の人々に愛されているのだな、と肌身で理解した。

 その愛もまた、人類が魔王軍に対抗するための武器なのだろう。

 

 わたしとムリムにも、できるだろうか。

 

 アリスのように、彼らに愛されることが。

 彼らと共に、魔王軍と戦うことが。

 

 



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第25話

 決闘と王家殺し(クラウンキラー)討伐の後日譚となる。

 おれはふたたび入院させられた。

 

 王家狩り(クラウンハンター)に一撃を浴びせたあと、杭打ち機(パイルバンカー)が爆発し、その衝撃でアリスの手首から先が吹き飛んだ。

 幸いにして、その一撃で王家狩り(クラウンハンター)はほぼ戦闘不能になったようだったが、おれはそこで意識を失ってしまった。

 

 だから、その後のことは人から聞いた話しか知らないが……。

 無事に王家狩り(クラウンハンター)の討伐は成功し、魔族のスパイ狩りも上手くいったようだ。

 

 シェルが泣きながらおれを治療してくれて、最終的には治療魔術師(メディック)再生の魔法(リジェネレイト)をかけてくれたおかげで、無事に右手は再生された。

 とはいえ、数日経っても手にはまだ少し違和感が残っている。

 

 ディアスアレス王子とマエリエル王女も、おれのもとに使いの者を寄こしてきた。

 中途半端な試作品で怪我をさせてしまって申し訳ないという旨を伝えてきたが、そうはいっても、あれがなかったら勝てたかどうか怪しいところである。

 

 あるいは、またアリス(おれ)が無茶をする羽目になったか。

 ひょっとしたらムルフィが無茶をしなければならなかったか。

 

 この程度で済んだのはまだマシな方と考えるべきだろう。

 

 ディラーチャとムリムラーチャが、おれのベッドが置いてある個室に見舞いに来た。

 

「魔王軍のスパイと戦う妹を守って傷を負ったと聞いたわ。あなた程度の魔力で魔族とやりあうなんて、無謀もいいところでしょう?」

 

 そういう話になっているらしい。

 まあ、あの状況でおれとシェリーが大闘技場のまわりにいなきゃ不自然だからな。

 

 実際のところ、あの日、大闘技場とその周辺で摘発された魔王軍のスパイ、すなわち人類に変身して潜入していた魔族は十体以上。

 その大半は、王家殺し(クラウンキラー)とは比べものにならないほど弱い個体だったとはいえ、それでも平凡な騎士が太刀打ちできるような相手ではなかっただろう。

 

 なにせ、魔王軍のスパイたちを相手にした近衛騎士団は十人以上の死者と、その十倍の負傷者を出している。

 精鋭である近衛騎士団の魔力平均は平凡な騎士の五倍以上であるにもかかわらず、だ。

 

 この世界の常識なら、そうなる。

 魔族や魔物を相手にする際は人類や獣を相手にするときとはまた違った武器や戦術が必要であり、一概に魔力だけを重視するべきではない、とおれは思うのだが……そのあたりは、まだ上層部の一部としか共有できていない事柄だからなあ。

 

 もう少し準備の時間があれば、近衛騎士団にもおれのものに準じた小杖(ワンド)を提供できていたかもしれない。

 戦術を鍛える時間もあったもしれない。

 

 とはいえ、あの決闘を開催し魔族を誘い出したうえで撃滅してみせたディアスアレス王子は、関係各所からの評価をおおきく上げたとのこと。

 

 犠牲に見合うだけの戦果はあった。

 なにより、民と貴族が想いを共有することができた。

 

 国全体で魔王軍の脅威に対抗する、という思想を。

 

 目の前でぶつかりあうアリス&ムルフィと王家狩り(クラウンハンター)の壮絶な戦いをみれば、否が応でもそれを認識せざるを得なかったということである。

 大闘技場は王都のはずれなわけで、王都の全員がみあげられるところで行われていたわけだからな、あれ。

 

 民と貴族の意識を変革する。

 ひいてはアリスの力を探ろうとしていた他国の者たちの意識すら。

 

 そこまで含めて、ディアスアレス王子の作戦だったのだろう。

 あんなものをみせられたら、そりゃ魔王軍の脅威の前に人類は団結せざるを得なくなるというものである。

 

 問題は、そうして本格的な軍事行動を起こせるのがいつになるか、であるが……。

 

「一年もあれば、なんとかしてみせるでしょう」

 

 とは見舞いにきたリアリアリアの言葉であった。

 一年か……遠いな……。

 

「あと一年、魔王軍が待ってくれるんですかね」

「それこそ、わたしたちの腕のみせ所ですね」

 

 アリスだけでなんとかなるものではない。

 ムルフィが加わっても、厳しいだろう。

 

「ですが、すでに物事は動き出しました。わたしは長い時を生きて、知っています。いちど動きだした物事が、いずれ止まらない濁流となってなにもかもを押し流すときがあるということを」

「これも、そうだと?」

「そうなればいい、と思っています」

 

 さもなくば、と彼女は微笑む。

 

「遠からず、あなたが知るゲームの結末と同じ道を辿ることになるでしょう」

 

 ゲームの終盤で、大陸は崩壊する。

 これは文字通り、ばらばらに引き裂かれるということだ。

 

 大陸を支える星の杖という聖遺物を引き抜かれたことによって生じる事件である。

 そもそもなぜ、そんなことになるのかといえば……。

 

 いまから五年後に生まれる勇者が星の杖から力を吸収し、仲間に勇者の加護(・・・・・)を与えることになるからだ。

 星の杖は善き新神がこの地を立ち去るときに残した悪しき旧神に対する最終兵器であり、同時に悪しき旧神をこの大地に縛りつけるための封印でもあった。

 

 魔王軍の脅威に対抗するため星の杖から力を引き出したことにより、星の杖は引き抜かれ、悪しき旧神が復活する。

 その余波で、大陸はばらばらに砕けるのだ。

 

 魔王、すなわち善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)は、本来、善き新神が遺した悪しき旧神を監視するための機構であったというのに。

 勇者、すなわち悪しき旧神の使徒(アヴァター・オヴ・エルダーゴッズ)が、すべてを台無しにしてしまうのだ。

 

 故に、おれたちが今後も生き残るためには、勇者を覚醒させてはならない。

 おれたちの力だけで魔王軍を打ち破る必要がある。

 

「難儀なことですね。まったく、あなたの記憶を覗いていなければ、わたしだってこんなこと、とうてい信じられなかったでしょう」

「おれの記憶がすべて妄想の可能性もありますよ」

「あなたの知識、細かい設定、わたしが知るこの世界の、表沙汰にはなっていない細部の真実。それらをすべてを合わせれば、妄想と切り捨てることなどとうていできません。いったいどうして、そんなことになっているのかはさておいて、ですが……」

 

 そうだよな、どうしておれがこんな、ゲームのなかそっくりの世界に転生したのか。

 そもそもあのゲームは本当になんだったのか。

 

 すべての真実が白日の下に晒されることは、はたしてあるのだろうか。

 

「いずれにしても、退院してからしばらくは、こんどこそゆっくり休んでください」

「アリスのかわりもできましたしね」

「ええ。ムルフィは上々のデビューをいたしました」

 

 ディラーチャとムリムラーチャは、さっそく地方の魔物狩りにでかけ、配信でなかなかの評価を得たという。

 それもこれも、アリスが王都を守っている、と王家が喧伝しているからだ。

 

 ふたり目のエースの登場は、なんとしても王都を守りたい貴族や王族の一部にとって福音であった。

 片方を王都に縛りつけるためにも、派手に螺旋詠唱(スパチャ)を飛ばしてくれるだろう、とのことである。

 

「お金と魔力を出すだけで自分たちの身の安全が保障されるのです。加えて王国放送(ヴィジョン)端末があれば、万一、魔族や魔物が襲ってきてもすぐ応援を呼べる。端末をもっと設置せよと、あちこちからせっつかれています。工場も大忙しですよ」

「お弟子さんたちの過労死が心配ですね。シェリーはきちんと休ませてくださいよ」

「もちろんです。あの子は、ちょっと目を離すとがんばりすぎますからね。兄に負けてはいられない、と」

 

 それは本当に心配だ……。

 

「シェリーはすぐ無茶をするから」

 

 そういったところ、なぜかリアリアリアがじっとみつめてくる。

 え、なにさ、ため息なんてついちゃって。

 

「重ねて申します。くれぐれも、休むように」

「え、ええ、はい、もちろん」

 

 なんでそんな、念を押すの。

 

        ※※※

 

 結局、十日ほど入院していた。

 退院してからも、しばらくは常にシェリーと共にいることを命じられた。

 

 そのシェリーはリアリアリアから「しばらくは、あなたも休暇をとりなさい」と命じられている。

 

「毎日、兄さんとデートしろって」

「おれはそんなに無茶をすると思われているのかねえ」

「思われていないとでも、兄さん?」

 

 アッハイ。

 シェリーにじと目で睨まれて、おれは即座に降参した。

 

「兄さんには、わたしを毎日、甘味処に連れていくお仕事を与えます。とても重要なお仕事ですので、頑張ってください!」

「へいへい、お貴族様」

 

 えっへんと胸を張る我が妹。

 大陸一かわいい。

 

 彼女の笑顔を守ることができるなら、どこまでも頑張れる気がした。

 

 そのためには、まだまだ力を蓄えなくてはいけない。

 おれだけではない、おれたちみんなが、である。

 

 この国だけでも足りない。

 大陸中の人類の力を集めて、それでようやく魔王軍に対抗することができるかもしれないのである。

 

 シェリーと並んで街を歩く。

 商区のこのあたりでも、時折、破壊された家屋が目に入ってくる。

 

 王家狩り(クラウンハンター)の魔力弾のうち、空中のアリスやムルフィを狙った流れ弾だ。

 リアリアリアの結界も、せいぜい大闘技場の観客席を守れたくらいであった。

 

 相応の死傷者が出たという。

 逃げた魔王軍のスパイ、人に変身していた魔族が暴れた区画では、だいぶひどいことになったという話も聞いた。

 

 それでも、道行く人々の顔は明るい。

 皆が、アリスと、そして彼女に続いて現れた自分たちの守護神ムルフィについて話している。

 

 街のあちこちで、さっそくムルフィの似顔絵をみつけた。

 これから行く甘味処では、アリスとムルフィが手を繋いでいる版画を配布するキャンペーンが行われているという。

 

 ………。

 王都の商人、商魂たくましすぎない?

 

「兄さん、あっち、あっち。あそこの屋台からいい匂いがするよ」

「これから食事するんだろう?」

「別腹、別腹。えへへ」

 

 シェリーはおれの手を引いて、通りの一角の屋台へ向かう。

 香草がたっぷり入ったスープの香ばしい匂いが漂っていた。

 

 まあ、スープ一杯くらいならいいか。

 

「ふたつ、ください」

 

 おれは財布から銅貨をとり出した。

 



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第26話

 いさましいちびのエリカ。

 すなわちおれの師匠が、トリアの道場を畳み、王都にやってきた。

 

 特殊遊撃隊候補生の教官、という立場で王家から招聘されたのである。

 

 娘と夫はトリアに置いてきての、単身赴任であった。

 あの町にはせっかく彼女の夫が開いたお店があるわけで、いかに王家から招かれたとはいえ、生活基盤を手放すわけにはいかないだろうしなあ。

 

 強制的に休暇をとらされて暇を持て余していたおれとシェリーは、さっそく師匠の歓迎会を開いた。

 師匠も、まずは顔見知りだけの方がいいだろう。

 

 そういうわけで、おれ、シェリー、師匠の三人で、そこそこ高級な料理店の個室をとる。

 貴族も予約するようなところだが、服装のコードも行儀作法もいらない、気安く使えるお店である。

 

 お値段は、正直いってかなりお高い。

 でも、しっかり盗聴対策の魔法が使われているお店じゃないと、安心して特殊遊撃隊の話なんてできないからなあ。

 

 先日の大闘技場への襲撃で、人に変身した魔族が何体も王都に入り込んでいることは確定してしまった。

 かなりの数を始末したものの、あれですべてとは限らない。

 

 おれが諜報組織の長なら、ひとつの作戦に全員を投入するなんてこと、絶対にしない。

 下手したら、あの襲撃に加わった魔族のスパイは、この王都に潜伏する魔族の一割以下という可能性も……いや、王都に魔族が百体以上も潜んでいるなんて考えたくないし、ヴェルン王国たった一国にそれだけの量のスパイを投入しているとはちょっと思えないけども。

 

 捕虜をとれればよかったのだが、人に変身していた魔族は、その全員が激しく抵抗し、殺すしかなかったとのことであった。

 魔族と近衛騎士団の戦力差を鑑みれば、仕方のないところである。

 

 脳筋のアリスがいても捕虜にできたとは限らないけどね!

 なんせ、アリスが使える魔法は相手を殺すためのものだけだ。

 

 あー、でもムルフィなら禁術で捕虜をとれたかもなあ。

 今後の彼女の活躍に期待である。

 

 と、そんなことを考えながら、店員に案内されて、料理店の二階の個室の扉を開けてみれば。

 八人用の少し広い個室では、先客がふたり、テーブルの向こう側に座っていた。

 

 金髪碧眼の青年と、その妹と思われる少女。

 どちらも整った容姿と地味ながら質のいい生地の服をまとい、自然にそれを着こなしている。

 

 洗練された所作で、ふたりが立ち上がる。

 青年の方が、にこりとして手を差し出した。

 

「やあ、遅かったね」

 

 いや、予約の時間通りですが?

 

「お待ちしておりましたわーっ」

 

 いや、おまえら呼んでないからね?

 

 ディアスアレス王子とマエリエル王女であった。

 っていうか王族がなんでこんな場末(貴族にとっては)の料理店に来るのさ!

 

「きみの師に、いちど会ってみたかったのさ」

「わたくしもお会いしてみたかったのですわーっ」

 

 師匠は、気安く手を振る明らかに貴族っぽいふたりを前に、目を白黒させている。

 あ、怯えた子犬のように、おれの後ろに隠れた。

 

 はっはっは、人見知りな師匠だなあ。

 でも気持ちはわかるよ。

 

「な、なあ、アラン。この方々って、お貴族様か?」

「ええ、まあ。とりあえず入りましょう」

 

 慌てている師匠の背を押してシェリーと共に入室し、扉を閉じる。

 シェリーが魔法で、軽く周囲の状態をたしかめた。

 

「うん、大丈夫。外に声、漏れないよ。……です」

「はっはっは、シェリー、わたしたちに対して無理にかしこまる必要はないよ。今日は非公式だし、そもそもきみはアリア婆様のお弟子さんだ、わたしたちにとって、兄弟姉妹と同じさ」

「に、兄さん!?」

「公式な場で挨拶はしていたけど、非公式な場でこの方々と会うの、シェリーは初めてだったな。こういってくれているし、適当でいいと思うぞ。あとで打ち首とかはないから」

 縮こまってしまったシェリーと師匠を、テーブルを囲む椅子に座らせる。

 テーブルの真ん中が開いて、食前酒がせり上がってきた。

 

 この部屋には店員も入ってこない。

 料理のやりとりは、すべてこうしてエレベーターで行われる。

 

 これが、いまの王都における貴族社会の流行であった。

 ちなみにエレベーターは魔法で動いていたりする。

 

 店員に用があるときは壁にある金属の札に触って、魔法通信を行使すればいい。

 魔力が低すぎてその手の魔法を使えないような人は、ほとんどこの部屋を利用しないから問題ない、という話である。

 

 おれは不器用すぎて、使えないんだが。

 ちなみに師匠は、こういった基礎魔法ならそこそこ使えたりする。

 

「アラン、きみから彼女に、わたしたちを紹介してもらえるかい?」

 

 白い歯をきらりと光らせて、ディアスアレス王子がいう。

 おれはため息をついて、かちこちになっている師匠をみた。

 

「そもそも師匠、これから指導する候補生も貴族の師弟ですよ?」

「それとこれとは話が違うだろう。この方々、明らかに高位のお貴族様じゃん」

「まあ、そうですね。こちら、ディアスアレス王子とマエリエル王女、師匠を招聘した張本人です」

 

 あ、師匠、白目を剥いて気絶しちゃった。

 

        ※※※

 

 師匠を椅子に座らせてしばらく王子たちと談笑していると、師匠がはっと目を醒ます。

 

 自分がテーブルを囲む椅子のひとつに腰かけていることに気づき、周囲をきょろきょろした。

 おれとシェリーが左右に座っていることに安堵した様子で、テーブル上の果実水を掴むと一気に飲み干す。

 

 師匠は、ふう、とおおきく息を吐いた。

 それからもういちど、対面に座る王子と王女をみる。

 

 王子が、また白い歯をきらんっ、とさせた。

 あんたそれ気に入ってるのかよ。

 

「な、なあ、アラン。あたしの耳がおかしいのか? おまえの口から王子とか王女とか聞こえた気がしたんだが……」

「はい、こちら、ディアスアレス王子とマエリエル王女です」

「そっかぁ、空耳じゃなかったか……」

 

 師匠は白目を剥いて、しばし天井をみつめる。

 そのあと、ぷるぷる首を振って、もう一回、果実水に口をつけた。

 

 一気に杯を煽る。

 少し顔が赤い。

 

「ふう、落ち着いたぜ。このジュース、マジでうめーな」

「かわいらしい方だね。お酒が駄目と聞いたから、南の島からとり寄せたオレンジを用意させたんだ」

「ひゃ、ひゃいっ、こ、こここここっ」

「師匠、鶏じゃないんですから」

「こっ、光栄です、王子! あとアラン、てめぇはあとで絞める」

 

 緊張をほぐしてあげただけなのに。

 

「いずれにしろ、あなたにはわたしたちの存在に馴れて貰わないといけないね」

 

 王子は、ぱちりとウインクしてみせる。

 うちの師匠、人妻だからね、わかってるよね?

 

「アランのお師匠様には、わたくしにじかに定期的な報告をしていただく予定ですわ。先日、現場のことに目が届かないという失態をいたしたばかりですの。なんども同じ失敗をいたすわけには参りません」

 

 ちらり、とこちらをみるマエリエル王女。

 ご自身も忙しいだろうにわざわざ足を運んだのは、それをいうためか。

 

 やっぱり優秀なんだよな、このひとたち。

 頻繁に悪ノリするだけで。

 

 でも師匠ったら、口をぱくぱくさせてうなずくマシーンになってしまっている。

 これまで師匠が武術を教えていたのって、おれ以外はせいぜい騎士の娘さんとかだから、無理もないけど。

 

「おい、アラン……。あたしこんなの、困るよう」

「そんな情けない声、出さないでくださいよ」

「だってさぁ」

 

 しまいには、涙目になっておれにすがりつく始末である。

 まるで、みんなよってたかってちいさな子をいじめているみたいじゃないか。

 

 王子と王女は、はっはっは、ほっほっほ、と笑っているだけだしさあ。

 うちの妹は、知らぬ存ぜぬで勝手に果実ジュースを頼んで飲んでるし。

 

「マエリエル王女のおっしゃる通り、こればかりは仕方がないんですよ。密な情報共有と同時に、機密扱いの話になってきちゃいますから。師匠が教える相手は、王家直属の部隊ですからね」

「やっぱり断って、このまま帰っちゃ駄目か?」

「師匠、もういろいろ秘密を知っちゃってますからね。アリスのこととか」

「あんなの、みるやつがみればわかるだろ」

「おれの型がわかるの、師匠だけですって」

 

 そもそも無名の流派だからな。

 ちゃんとそれを修めているのが師匠とおれだけだし。

 

「しかも先日、アリスちゃんが大闘技場の観衆の前で堂々と公言しちゃいましたわ。『アリスの師匠はアリスと同じくらいの背丈』と」

 

 マエリエル王女がトドメを刺す。

 あーそういえばいった、いった。

 

「条件に合致する武芸の達人、王国中を探しても該当するのはエリカ導師だけですわー」

「なんでそんなこといった! アラン、おまえっ」

「いやなんかあそこはノリで……ぐええっ」

 

 師匠に首を絞められた。

 タップ、タップ。

 

「結果的に、逃げ道を完全に塞ぐことになったね。いいことだ」

 

 ディアスアレス王子が追い打ちをかける。

 師匠が、どよんと肩を落とす。

 

「信じていた弟子に裏切られるなんて……」

「どうせ逃げ道なんて、最初からなかったんですよ。諦めましょう。世の中、諦めが肝心です」

「ノリノリで女の子になって媚び売るやつはいうことが違うよなあ!」

 

 ノリノリジャナイヨ?

 こら、そこの王子と王女、けらけら笑ってるんじゃない。

 

「大切なのは、能力のある者が能力にふさわしい場所に立っていることだ」

 

 ディアスアレス王子がいう。

 

「わたしとマエリエルは、エリカ導師、あなたが今回の任務にふさわしいと思った。失礼ながら経歴は調べさせてもらったし、評判も集めた。そのうえで、あなたならいける、と判断したのだ。もし失敗しても、あなたにはなんの責任もない。責任をとるのは、わたしたちの仕事だよ。だから存分に、好き勝手に振る舞って欲しい。必要なものはすべて用意させる。教官として、あなたがやるべきだと思ったことは、なにをしてもいい。結果的に候補生たちが死んだとしても、それは仕方のないことだ。皆、それくらいは覚悟している」

 

 王子の声には力がこもっていた。

 師匠も、黙って王子の話を聞いている。

 

 うん、この王子、生まれつきなのか訓練の結果なのか、ほんと口が上手いうえに説得力のある演説するんだ。

 それでなんど、丸め込まれたことか。

 

 今回の場合、丸め込まれる相手はおれじゃないのでいいんだけど。

 

「わ、わかりました。あたしなんかでよければ……」

 

 あ、師匠、丸め込まれたね。

 うん、王子が出てきた段階でこうなるとはわかってたよ。

 

 もともと師匠、教官をすることに関してはやる気まんまんだったしね。

 武芸を多くの者に伝える、というのが師匠の望みだったわけだし。

 

「さて、それじゃわたしたちはこれで失礼させてもらうよ」

「お会計はこちらでもっておきますわー。ゆっくりしていってくださいな」

 

 王子と王女が退室する。

 やれやれ、とおれはため息をついた。

 

「なあ、アラン」

「なんです、師匠」

「この国の王族って、もしかしてヤバいやつらなのか?」

 

 ヤバいやつらだよ。

 たぶん師匠が思う以上にいろいろとヤバいよ。

 

 



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第27話

 師匠ことエリカは、たしか今年で三十七歳。

 二児の母である。

 

 息子が九歳、娘が七歳だが、自分の武術はいっさい教えていないという。

 

「あいつらには、あいつらの人生があるさ。もしあたしの剣を習いたい、っていうなら鍛えてやるけど、あいつらにはそんな気がさっぱりないみたいでさ。これからは剣より算術だって、毎日熱心に寺院に通ってやがる」

 

 聖教の寺院は、前世における学校のようなこともやっている。

 無料で、読み書き算術を聖教の教えや歴史と共に教えてくれるのだ。

 

 もっとも、この世界、子どもも貴重な労働力である。

 ある程度理解のある親でなければ、我が子を何年も寺院に通わせるような無駄(・・)なことはしない。

 

「ま、あの子らはたいして魔力がないからな。アラン、おまえ以下だ」

 

 おれの魔力量は騎士の平均くらいである。

 師匠は、おれの倍以上。

 

 ちなみに天才魔術師たる我が最愛の妹シェリーは二十倍以上。

 ディラーチャとムリムラーチャはシェリーより少し下だ。

 

 で、シェリーの師匠であるリアリアリアは、長命種ということもあっておれの三十倍以上の魔力を持っている。

 

 でもおれは、王国放送(ヴィジョン)システムによって螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けとれば、一瞬とはいえ平均的な騎士の百倍以上、ときには二百倍以上の力を引き出すことができるわけで。

 

 そりゃ強いよ、このシステム。

 閑話休題。

 

 師匠の背丈はアリスくらいで、それくらいの身長の者が戦うための武術こそ、彼女が一代で築き上げた流派であった。

 ちなみに天駆一閃流という流派名を道場の門に掲げていたものの、師匠は自分でつけた流派名をちょくちょく忘れていた。

 

「どうせあたしの一代で滅ぶ剣、名前に凝っても仕方ねーだろ」

 

 とのことである。

 そんな適当なことだから王都でも名を上げることができなかったのでは?

 

 いや、この話はやめよう。

 

 で、アリスは正式に、その天駆一閃流の使い手として発表されることになっていた。

 これから特殊遊撃隊候補生の教官となる師匠に箔づけするためである。

 

 魔族や魔物を相手にするための剣を教えるには、師匠が最適の人材であると、アリスがそう推薦した、という経緯になる予定であった。

 師匠の過去は改変され、時折、トリアの町から旅に出て、そのときアリスに天駆一閃流を教えていた、ということになった。

 

 いちおう、師匠がときどきふらりと旅に出ていたのは事実なんだ。

 商人である旦那さんといっしょに、商品の買いつけにいったりしていただけで。

 

 そのあたりは旦那さんにも話を通して、いろいろとつじつまを合わせてもらうことになっている。

 これで、トリアの町の人々も、アリスの正体を邪推することはないだろう。

 

 このへんのつじつまをきっちり合わせておかないと、どこからアリスの正体が露呈するか、わかったもんじゃないからな。

 先日の大闘技場での一件で、魔族のスパイだけじゃなく、予想以上にこの国に各国のスパイが入り込んでいたことが判明している。

 

 アリス関係には、探られて痛い腹しかない。

 おれと師匠の繋がりなんてトリアの町で探れば一発でわかってしまう以上、対策は急務であったのだ。

 

 で、王子たちが退室した料理店の二階の一室では、おれと師匠とシェリーによって、そのあたりの話し合いが行われていた。

 豪勢な料理を突っつきながら。

 

「やべーな、この肉めちゃくちゃうまいぞ。旦那と子どもたちも連れてきたかったぜ」

 

 とかいいながら、師匠はそのちいさな身体にどれだけ入るのだという量の熟成肉をもしゃもしゃ貪っている。

 もちろんおれとシェリーだって相応に食べているけど、七割くらいの肉は師匠の腹のなかだ。

 

 うーん、この肉だとワインが欲しいけど、師匠が酒を嫌がるからなあ。

 酒の匂いも駄目、というタイプなので同席するならアルコールなしが前提となる。

 

 いまおれたちが食べている牛の魔物の熟成肉は高位の魔術師がわざわざ魔法で加工したものだ。

 普段はこの店程度じゃ出せない高級品で、たぶんディアスアレス王子の差し金だろう。

 

「おまえら、いつもこんなもの食ってるのか?」

「まさか。リアリアリア様のお屋敷でも、普通の料理しか出ないですよ」

「わたしの師匠、あんまり食べ物に興味ないから……」

 

 シェリーが肩をすくめてみせる。

 

 まあ、普通の料理、といってもパンは焼きたてだし野菜も果物も新鮮だけど。

 なにせおれたちが住んでいるリアリアリアの屋敷には、食材を入れておくと勝手に停滞の魔法(ステイシス)がかかる特別な冷蔵庫があるからな……。

 

 加えて魔法の薬品を作るための大型の釜や炉なんかもあって、それらも普段は料理に使われている。

 そのあたりは大魔術師の屋敷ならでは、だ。

 

 そんな話を師匠にすると、口のなかで肉をもごもごさせながら「へえ、あのリアリアリア様がねえ」と呟く。

 

「そういえば、師匠ってリアリアリア様と面識があったんですっけ」

「うちの旦那が、あのかたのお屋敷にいろいろ搬入していたからな。っていっても、向こうは商人の妻としか思ってなかっただろ」

「あー、下手すると、『アリスの師のエリカ』と『商人の妻エリカ』が同一人物だって気づいてないかもしれませんね」

「あはは、うちの師匠、興味のないことには全然だから……」

 

 シェリーが苦笑いしている通り、リアリアリアは多忙で、しかも自分の興味がないことには記憶力を使わないタイプだ。

 おれだって、最初、弟子の兄として会ったときは顔を覚えて貰えなかったしな。

 

 今回の師匠関係のあれこれも、主に動いているのはおれとディアスアレス王子、マエリエル王女のラインで、リアリアリアは事後報告を受けているだけである。

 

 そもそも大魔術師であるリアリアリアが関わらなければいけない事業は、いまの王都では山ほど存在する。

 その大半が、将来の、そして現在の魔王軍への対策であって、とにかくそちらを彼女がこなして貰わなければならないのだ。

 

 ことがことだけに機密事項が多く、あまり他人に振れる仕事がない、とよくぼやいている。

 なまじ事務処理能力も高いせいで、自分でやった方が楽、ってタイプの人だしね……。

 

 シェリーが弟子となるまで、百年単位で弟子をとっていなかっただけのことはある。

 いまは何十人も弟子がいて、その大半が工房にこもって各種魔道具の研究と生産に励んでいるのだけど……おかげで現在の一番弟子がシェリーなんだよな、十五歳なのに。

 

「んじゃおれたちといっしょにリアリアリア様の屋敷に住んでも平気ですね、師匠」

「ん、んん? んんんんんんん?」

「安全面でもその方がいいですし、リアリアリア様もOKを出してくれていますから」

「い、いや待て、ちょっと待て、お貴族様のお屋敷だろ? しかも貴族区だろ?」

「別に隣近所に挨拶する必要はないですし、移動は基本的に馬車ですから通りすがりの貴族と談笑、なんてこともないですよ」

「うええ、馬車ってなんだよ……おまえらも武人なら二本の足で歩けよ……」

 

 シェリーは魔術師だし、そもそもあの街区の出入りは身元確認もあるから馬車の方が便利なのだ、みたいなことを師匠に説明する。

 

 めちゃくちゃ嫌な顔をされた。

 王都にいたころはずっと商区で暮らしていたらしいし、トリアの町では領主も気さくな人だったからなあ。

 

「はああああ。憂鬱だぜ……」

「あ、デザートでアイスとショートケーキを選べるって。エリカさん、どっちにします?」

「両方……」

 

 師匠はどんよりと肩を落としながら、シェリーに対してそう返事をする。

 どれだけ憂鬱でも食欲は衰えないとか、さすが師匠だなあ。

 

        ※※※

 

 結果からいうと、リアリアリアは師匠のことをぜんぜんまったく、これっぽっちも覚えていなかった。

 

「大丈夫、もう覚えました。エリカ導師、これからはわが屋敷を自分の家のように使ってください」

 

 三日、徹夜したあとの眠そうな顔で、大魔術師はそう告げる。

 ちなみに長命種はもともと睡眠が短いうえ、魔法の薬とかあれこれでドーピングして、十日徹夜まではイケる、と以前いっていた。

 

「詳しいことはメイド長に。わたしは寝ます」

 

 といって、さっさと自室に戻っていく。

 魔道具の開発がひと段落したらしいから、まあなによりであった。

 

 屋敷では男女合わせて二十人以上の使用人が働いている。

 彼らにお世話されているのは、いまのところおれとシェリー、リアリアリア、そしていまは遠征していて不在だが、ディラーチャとムリムラーチャの五人。

 

 これに師匠が加わるわけだ。

 部屋は、弟子が泊まるとき用のものがたくさん空いてるから余裕である。

 

 そう、もともと王都に引っ越してきた際、この屋敷に何人も弟子を住まわせる予定だったのだ。

 しかし工房ができあがると、シェリー以外の弟子たちは、嬉々としてそちらに泊まり込むようになってしまった。

 

 なるべく多くの時間を実験と制作にあてたい、と弟子たちたっての希望である。

 リアリアリアはそういう職人系の奴らばっかりを弟子にしたから、当然のなりゆきではあった。

 

 で、工房にリアリアリアが赴き弟子たちがそれを出迎えるという、普通の師弟関係とはちょっと逆な形ができあがったのである。

 リアリアリア本人は、「まあ、長く生きていればそういうこともあるでしょう」とあまり気にしている風はない。

 

 彼女の工房は王都のはずれにあるため普通なら馬車で二度ほど門をくぐるため、行き来の手続きやらなにやらが面倒ではあった。

 そう、普通なら。

 

姿隠しの魔法(インヴィジビリティ)を使って、空を飛んでいけば誰も邪魔しませんよ」

 

 リアリアリアは堂々とそううそぶき、勝手にこの屋敷から空を飛んで工房に赴くのである。

 王宮は現状、これを黙認していた。

 

 警備上の手続きとしては非常にマズいのだが、リアリアリアを害するような無謀な輩はいまのところ現れていないし、彼女の機嫌を損ねたくもない、というところである。

 

 念のためにつけ加えておくと、王都での飛行魔法の使用は普段、禁止されている。

 あたりまえだ。

 

 しかも魔法的な警備システムによって、王都上空での飛行魔法の行使は瞬時に感知されるはずである。

 なぜかリアリアリアのそれは引っかからないらしいが、この原因はいまのところ不明、どうも彼女だけが知る古代の魔法が関係しているとか。

 

 先日の王家狩り(クラウンハンター)の襲撃時にも、直前とはいえ飛来を感知したシステムなんだけどなあ。

 

 なお感知した数秒後に大闘技場の上空に出現してしまったから、迎撃できなかったとのこと。

 さては王都の既存の迎撃システム、魔族相手には毛ほどの役にも立たないな?

 

 そんなことを話しながら、師匠とふたりで木刀を持って屋敷の中庭に赴き、軽く剣を合わせる。

 師匠は身体を動かせてご満悦であった。

 

 とはいえ、おれの剣の上達具合はさほどでもない。

 対人剣術、それもアランの状態で、背の低い師匠を相手するとなると厳しいんだよなあ。

 

 結局、ぼこぼこにされた。

 

「まー、結構いいんじゃないか。昔より身体はキレてるぞ」

「そうですかねえ。昔より師匠に当てられなくなってる気が……」

「そりゃ、あたしの腕が上がったんだよ」

 

 むふん、と胸を張る師匠。

 かわいい生き物だなあ。

 

「師匠、まだ伸びしろあったんですか」

「めちゃくちゃ失礼な弟子だな、おまえ! そりゃあるよ! アリスちゃんの剣をみて、あたしなりにいろいろやってみたんだからな!」

 

 あー、なるほど。

 いまのおれをみてたんじゃなくて、アリスをみてたのか。

 

 そりゃ、魔力のブーストがないおれじゃ敵わないはずである。

 元の魔力は師匠の方が倍以上だからなあ。

 

 はたして師匠は、にやりとしてみせる。

 

「そういうわけで、いくつか型を考えてきたぜ。アリスの状態で使える、でかい魔族に対抗するための剣だ」

「ひょっとして、わざわざおれのために?」

「ばーか、おまえのため以外に、なにがあるってんだよ!」

 

 うわあ。

 そりゃ、嬉しい。

 

「いいんですか」

「いいもなにも、おまえはあたしの一番弟子だろう」

「二番以降、真面目な弟子いませんでしたもんね」

「うるせえ」

 

 ま、ともあれ。

 そういうことなら幸いだ。

 

 アリスはもっと強くなれる、ということなのだから。

 

「いまからお願いしてもいいですか」

「おう!」

 

 おれと師匠は、日が暮れるまでずっと、剣を打ち合わせた。

 

 



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第28話

 ディラーチャとムリムラーチャが魔物退治の遠征から帰還した。

 おれが入院している間に、我がヴェルン王国の西方、デスト帝国との国境付近の山岳地帯まで行っていたのだ。

 

 そこに、おそらくは魔王軍からはぐれたとおぼしき知性の低い大型の魔物が数匹、徘徊しているという報告が入ったからである。

 おれが無事だったら、間違いなくアリスとシェルが派遣されていたケースだ。

 

 領土問題を抱えているあたりで、本来であれば繊細な対応が必要な場所であった。

 しかし、いまデスト帝国はそれどころではない。

 

 帝国側への配慮など知ったことか、と出撃したふたりは、見事、魔物の群れを掃討し……。

 そのついでとして千人以上の難民を保護してきた。

 

 その模様は王国放送(ヴィジョン)システムによって実況されている。

 ぼろぼろの難民たちが魔物に襲われ、間一髪のところでムルフィが救援に入った、まさにその場面を、である。

 

「そこまでの政治的効果を狙ったわけではないのですが、これはこれで結果オーライですわー」

 

 とは、おれの横で盛大に螺旋詠唱(スパチャ)していたマエリエル王女の言葉であった。

 ムルフィたちの配信の際、おれとシェリーもいつもの屋敷に呼ばれていたのである。

 

「たまには螺旋詠唱(スパチャ)する側にまわるのも面白いでしょう。もちろん触媒代はこちらがお支払いいたします」

 

 と誘われたのだった。

 

 シェリーの魔力ならそこそこの螺旋詠唱(スパチャ)ができるから、ムルフィたちの実質的なデビュー戦を支援することにもなる。

 そう思えば、断る理由もなかった。

 

 おれ?

 もちろん螺旋詠唱(スパチャ)できるほどの魔力なんてないから、ただみてるだけだよ?

 

「それにしても、すでにこれほどの規模の難民が出ているとは。デスト帝国も堕ちたものだね」

 

 急用を片づけて事後に屋敷へやってきたディアスアレス王子が、辛辣な言葉を放つ。

 

「やっぱり、複雑な気持ちがありますか」

「ああ、素直にざまーみろ、と思っているよ」

 

 にこやかな笑顔でそういってのけた。

 アッハイ。

 

 デスト帝国は、我が国の西に広い領土を持つ大国だ。

 具体的には、ヴェルン王国の三倍くらい。

 

 最盛期の二百年前くらいは大陸の半分くらいを支配していた。

 ヴェルン王国は百年ほど前にこのデスト帝国から独立した国である。

 

 そのときの経緯もあって、デスト帝国とはめちゃくちゃ仲が悪い。

 つい最近まで、頻繁に領土問題で殴り合っていたくらいである。

 

 故に現在進行形でデスト帝国が魔王軍に攻められているにもかかわらず、我が国はデスト帝国の支援に動いていなかった。

 むしろ帝国を時間稼ぎの壁として、自国の守りを固めている。

 

 いや帝国を支援しろよ、と思うかもしれないが……。

 そこは、ちょっと待って欲しい。

 

 だって魔王軍対策の話し合いの機会を設けようとした王国に対して、皇帝の代理人は「おまえら属国が帝国に貢献するいい機会だ、人と物資をよこせ」という態度で望んできたのだ。

 

 そりゃあもう、「貴国のますますの活躍をお祈りしております」となる。

 誰だって秒でそうする。

 

 で、帝国はほかの国にも同じ態度で総すかんをくらったらしい。

 結局、単独で魔王軍の侵攻を受け……。

 

 現在、じわじわと追い詰められているとのこと。

 我が国の諜報組織によれば、「保ってあと百日」とのことである。

 

 魔王軍の主力を受け止めて百日も稼げるなら、たいしたもんだとは思うよ。

 

 とはいえ、それは兵と民をすり潰しての地獄のような撤退戦である。

 そりゃあ、難民も大量に出るだろう。

 

 帝国と我が国の仲の悪さは民の間でもたいがいなので、大半の難民は、ヴェルン王国を迂回して北や南まわりに抜けていくとか。

 

 正直、すでに王都には、すごい数の帝国以外からの難民が押し寄せているから、助かるっちゃ助かる。

 でも今回、ムルフィが千人もの帝国の難民を助けたことで、潮目が変わりそうとのことで……。

 

「我が国の民が立場の弱い難民を虐げても、なにも益はありません。帝国の民への感情が軟化するなら、やれることも増えてきますわ」

 

 とマエリエル王女はいっていた。

 好悪だけで外交をするわけにはいかないし、昨日の敵が今日の友になるのもよくあることである。

 

 そんなわけで、山岳地帯での魔物退治の数日後の、今日。

 ディラーチャとムリムラーチャが王都に帰還し、いつもの郊外の屋敷でおれとシェリー、ディアスアレス王子とマエリエル王女がふたりを出迎えたというわけである。

 

        ※※※

 

 いつもの応接室に現れたふたりは、疲れ切った顔をしていた。

 特にムリムラーチャの方は、王族の前だというのに、いつも以上にだるそうな態度で、視線が宙を彷徨っている。

 

「なんで人と人は争うのかな……」

「哲学的な問いかけは無意味だね。人が三人集まれば国ができる、と諺にある通りだよ」

 

 ディアスアレス王子は優雅にソファに腰を下ろしたまま歯をきらんとさせてそんなことを告げると、紅茶(アリスティー)のカップを口に運んだ。

 

「まあ、座りたまえよ。なにがあったかは想像がつく。難民を最寄りの町に引き渡す際、住民と揉めたのだろう? おそらく『おまえらにくれてやる食料なんてない』とかいいだして」

「正解。報告が来たの?」

「いや、きみたちが飛んでくる方が速かったからね。でもそれくらいは想像がつく。すでに仲裁に長けた部下を派遣させたから、安心するといい」

 

 ムリムラーチャが王子を「こいつなんなんだ」という目でみている。

 わかるよ、ほんとこの人、なんなんだろうな?

 

 時々、この王子が未来のことを知っているんじゃないかと疑うことがある。

 王子を幼少期から知るリアリアリアによれば、そんなことはないらしいんだけど……。

 

「殿下はどこまで予測されていたのですか」

 

 殿下の対面、おれの隣のソファに腰を下ろして、ディラーチャが訊ねる。

 王子は笑って「きみたちが難民を発見したのは予想外かな。でも発見した場合の対応はおおむね決めていたよ」と返事をした。

 

 姉妹が、なにかいいたげに、おれの方に首を曲げる。

 わかるよ(二回目)。

 

 ちなみにほかの王族もだいたい優秀な方ばかりだからね。

 変態が多いけど。

 

「わたくしたちは為政者側ですわ。複数の案を用意して随時使い分ける、くらいはできて当然です」

「ん、なるほど。そういうもの」

 

 ムリムラーチャが納得した様子でうなずく。

 為政者は皆、これくらい有能だと信じ込んだようだ。

 

 別にそんなことないから。

 帝国の皇帝まわりとか、正反対の意味でヤバいからな?

 

 まあ、そういう帝国貴族の首は、もうすぐ跳ぶんだけどね。

 魔王軍の手によって、物理的に。

 

 無能な為政者が民にもたらす被害のおおきさを、おれたちは現在進行形でみているわけだ。

 

 つーかあの帝国、よく反乱起こされないよな……。

 いまは同士討ちしているような余裕もないんだろうけど。

 

王国放送(ヴィジョン)システムにかけたリミッターの具合は、どうかね」

 

 今回、ディラーチャとムリムラーチャは新型の王国放送(ヴィジョン)システムを利用している。

 過剰な螺旋詠唱(スパイラルチャント)が入らないよう自動的にリミッターがかかり、余った螺旋詠唱(スパイラルチャント)を結晶型の魔道具に貯めておけるようになった。

 

 この魔力(スパチャ)貯金は一日で三割減衰する。

 せっかく貰った魔力とそれに使った触媒がもったいないとはいえ、これまではその場で使い切るしかなかったことを思えばおおきな進歩であった。

 

王家狩り(クラウンハンター)と戦ったときほど力が出ない件については、あの程度の魔物が相手なら、たいした問題にはなりませんわ。妹が過負荷で苦しむ心配がないのは、たいへん良いことです。ですが上位の魔族を相手にするとき、あの程度の出力では……」

「そこは、ディラーチャ、きみの判断でリミッターを外してくれたまえ。とはいえきみたちは、勝つことより生き残ることを優先して欲しい」

「わかりました。わたしとしてもムリムの安全が第一です。無論、わたし自身の安全も」

 

 ちらり、とディラーチャはおれの方をみる。

 そういえば、彼女たちと初めて会った日の翌日の朝に、ちょっとそんなことを話したな。

 

 自分が死んでも妹を守る、みたいな考えではムリムラーチャを不幸にする、みたいな内容だった気がする。

 おれはゲームにおけるムリムラーチャを知っているから、ちょっとだけ忠告したくなったのだ。

 

 ゲームの世界では、いまごろもうディラーチャは死んでいたのだろう。

 幸いにして、ディラーチャはこうして生きていて、しかもおれたちの頼もしい仲間になってくれている。

 

「ところで、アリスちゃんの具合はどうなのですか」

 

 ディラーチャが、おれのそばにちょこんと座って黙っているシェリーに訊ねた。

 彼女たちはおれがアリスでシェリーがシェルであることを知らない。

 

 アリスは先日の大怪我により、未だリアリアリアのもとで療養中である、ということになっていた。

 リアリアリアの一番弟子であるシェリーがそのあたりにいちばん詳しい、と考えたのだろう。

 

 うん、間違ってはいない。

 シェリーは毎日、アリス(おれ)といっしょにいるからね。

 

「え、えっと。もう少しお休みしないと駄目みたい、です」

「そうですか……。ご自愛くださるよう、お伝えください」

「う、うん! そうですよね! ちゃんと療養して欲しいよね!」

 

 はっはっは、ちょっと動揺しすぎじゃないかな、我が愛する妹よ。

 どもる妹もかわいいなあ。

 

 あ、王子と王女が生暖かい視線を向けてくる。

 

「もうしばらく、アリスは王都に常駐して療養を続けることになります。ディラーチャ、ムリムラーチャ、おふたりにはその間、各地を飛びまわっていただきます」

 

 ディアスアレス王子が、そうまとめた。

 誰にも異論はない。

 

 いや、おれとしてはもう大丈夫、とっくに全回復してるつもりなんだけどなあ。

 

「とはいえ、息抜きも必要でしょう。数日は王都でゆっくりしてください。アラン、その間のふたりの案内は任せますよ」

 

 え、おれ?

 

 



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第29話

投稿したつもりになっていた


 おれは、ディラーチャとムリムラーチャの王都での案内を任されることになった。

 シェリーもついてきたそうだったが、彼女はこれから、ディラーチャたちの採ってきた新バージョンの王国放送(ヴィジョン)システムのデータ分析をしなければならないらしい。

 

「兄さん、いい? へんなお店にふたりを連れていっちゃ駄目だからね?」

 

 と念を押された。

 

 へんな店って、どんな店だろう。

 まさかこのふたりを連れていかがわしい店に行くわけもなし。

 

 あー、アリスのブロマイドを配っている喫茶店とかはへんな店かもしれない。

 この前、あの店の前を通りがかったら、テルファとムルフィのポスターが店の前にでかでかと貼ってあったな。

 

「心配しなくても、ちょっとばかり派手なお金の使い方を覚えさせるだけだよ」

「派手な使い方?」

 

 きょとんと首をかしげる我が妹。

 かわいい。

 

「金銭感覚を壊して、いまの生活から抜けられなくなるようにするわけさ」

「な、なんで?」

「ずっとテルファとムルフィとして頑張ってもらわないとな! ちゃんと殿下たちの許可ももらってるぞ!」

「うわあ」

 

 どん引きされた。

 傷つくなあ。

 

        ※※※

 

 というわけで、「ディラーチャとムリムラーチャの金銭感覚を壊す作戦」が決行された。

 

 資金は王子たちから出ている。

 いくら豪遊しても大丈夫だ。

 

 決行時刻は、王子たちと面会した次の日、お昼のちょっと前。

 おれはディラーチャとムリムラーチャを連れて、馬車でリアリアリアの屋敷を出た。

 

「アラン、わたしたちをきちんとエスコートできますか?」

 

 とディラーチャは最初、やたら偉そうな態度だったが……。

 

 まずは腹を満たすべく、予約した店に向かう。

 場所は、師匠のときも使った料理店だ。

 

 店の前に馬車が止まる。

 降りたふたりは、料理店の立派な門構えをみたとたん、ぴしりと固まってしまった。

 

「ちょ、ちょっとお待ちください。わたしたち、このような高級店に入ったことがありませんわ。マナーなどなにもわかりません」

「ん、それに、服もいつもの……」

「マナーが要求されるような店じゃないし、いつもの服で問題ない。個室を予約してるから、細かいことを気にする必要はないよ」

「こ、個室ですって!?」

 

 ためらうふたりを無視して出迎えにきた店員に挨拶すると、馬車のことは御者に任せて、店の門をくぐる。

 二階のいつもの部屋に案内された。

 

 丸いテーブルの中央に料理を出すためのエレベーターがある部屋だ。

 

「ここなら防諜を気にせず話ができる。今後も、そういう話をするときはこういう店を使ってくれ、と殿下からいわれてるよ」

「こ、これ、りょ、料理の名前?」

 

 ムリムラーチャがメニューを手に震えている。

 うん、おれも高級料理の名前なんてよく知らないから、いつも適当だよ。

 

「ね、値段が書いてないのですが……」

 

 そりゃ時価だよ。

 

「あ、今日はコースを頼んである。きみたちがここを利用して、もし払えないなら、遠慮なくツケておいてくれればいいから」

「いいから、じゃないわ!」

「慣れてくれ」

「わたしたち、三年間も泥水をすするような生活だったのよ!」

「今後はそんな生活をする必要がない、というわけだ。遠慮なく堪能して欲しい」

 

 彼女たちは他国への諜報や暗殺のために育てられていたという。

 それなりに、一般的な知識は叩きこまれているはずだ。

 

 だからといって、それがしっかりと身についているとは限らない。

 里からほとんど出ることもなく、実践前の段階で里が壊滅してしまったらしいし。

 

 そんな田舎から出てきた彼女たちに、とびきりうまい料理を浴びせてシャブ漬けにする。

 完璧な作戦だ。

 

 そのはず、だったのだが……。

 出てきた豪勢な料理、牛より高級な魔物の肉を切り分けて口に運んだふたりは、ちょっと微妙な顔をする。

 

「おいしい、ですけど」

「ん、まあまあ」

 

 あれー? とおれは首をかしげて、はたと気づいた。

 

「ディラ姉、味付けが薄い?」

「ソースをもっとかけましょうか、ムリム」

 

 あ、こいつら貧乏舌なんだ。

 まあこれまでの経緯を考えれば仕方がないよな……。

 

 それならそれで、と濃厚なソースをたっぷりつけた料理を頼んでみた。

 こっちは上機嫌で舌鼓を打ってくれて、内心ほっとする。

 

 ちなみに料理を頼む際は、おれだと魔力が足りなくて店の無線を使えないため、彼女たちにボタンを押してもらう。

 案内しておいて情けないな……と思うけど、こればかりは仕方がない。

 

「おかわりするか」

「ん、する」

「アラン、いろいろと気をつかって頂いて、ありがとうございます」

 

 デザートの甘いケーキもぺろりとたいらげたあと。

 ディラーチャは改めて、おれに頭を下げた。

 

「最初に食べた料理も、いま食べた甘い菓子も、わたしたちには知らないことだらけなのですね」

「知らないことは、少しずつ知っていけばいい。これから、任務の間に、いくらでも。おれたちが守るのは、こういうものだってことをきみたちに知っておいて欲しいんだ」

「ん……わたしたちが王家狩り(クラウンハンター)に勝てなければ、この味もなくなっていた、ということ?」

 

 ムリムラーチャが、デザートのプリンの三杯目をぱくつきながら訊ねてくる。

 おれはうなずいた。

 

「でも、きみたちはアリスといっしょに、それを守った。だからそのプリンも、これからいくらでも食べられる」

「食い貯め、しないと……」

「しなくてもだいじょうぶだから! あとで他の甘味処に寄ってもいいんだからな!」

 

 食い意地の張ったムリムラーチャをみて、ディラーチャが「そうですね。今日たくさん食べなければ明日死ぬ、ということはないのですね」とため息をついている。

 ちょくちょく重いなあ、このふたり。

 

「それにしても、アランは女性が寄るようなお店に詳しいのですか」

「妹とふたりで出歩くと、あちこち寄るからな」

 

 加えてシェリーが最近、喫茶店でサービスしているアリスとシェルのグッズを集めているから、というのは黙っておく。

 

「アランは本当に、妹思いですね」

「あいつのおかげで、こうしていい思いをさせてもらっているよ」

 

 おれの公的な身分は騎士見習いで、妹であるシェリーの護衛だ。

 そして、シェリーはリアリアリアの一番弟子という将来有望極まりない立場にいる。

 

 はた目には、若き天才魔術師であるシェリーのおかげで羽振りがいい兄にみえることだろう。

 実際に、そう振る舞っているしね。

 

 おれのことを軽くみて、侮ってくれる方が、いろいろ都合がいいのだ。

 そういう人が相手ならたやすく本心を聞きだせるし、こっちとしても遠慮なく対処できる。

 

 ところが、この姉妹にはその手が効かないようだった。

 

「アランは、えらい」

 

 ムリムラーチャは立ち上がっておれのそばに寄ると、表情を変えず、よしよしとおれの頭を撫でた。

 

「えらい、えらい」

「な、なんだ」

「ご褒美」

 

 ディラーチャが、おれの頭を撫でるムリムラーチャをみて、ふふっ、と笑う。

 

「里での同世代で、一時期、流行ったのです。何組もいた兄弟姉妹のペアで、弟や妹はいつも兄や姉にかばわれます。ですがそれでは兄や姉ばかりすり減ってしまう。誰かがそういい出して、ならば弟や妹が、がんばった兄や姉の頭を撫でて、よしよし、をしましょうと」

「な、なるほどな……」

「そんな彼らも年を経るごとに減っていき、生き残ったのはわたしたちだけですが……」

 

 だからあんたらの過去は重いんだよ!

 

「シェリーは、本当に良い兄に恵まれましたね」

 

 まあ、いいか、と。

 おれはムリムラーチャに撫でられ続けた。

 

        ※※※

 

 食後は、徒歩で商区をぶらついた。

 ふたりは王都でも貧民区以外ほとんど訪れていなかったようで、人通りが多くにぎやかな商区のストリートに興味津々であった。

 

 業者や老人だけでなく、若いカップルや子連れの女性なども多くみられる。

 通りの店は多くがガラス窓で、洒落た内装が丸見えになっていて、そこを訪れる人々の様子までみてとれた。

 

「皆が、武器も持たずに歩いているのですね」

 

 ディラーチャの言葉に、彼女たちがこれまで訪れた場所との致命的な治安の差が感じられる。

 

「誰も警戒してない」

 

 ムリムラーチャも不思議そうにしている。

 

「通り魔も追い剥ぎもいない?」

「いないよ。商区全体がある程度は魔法で監視されているからね」

「それは感じてる。あそこ、とか」

 

 ムリムラーチャは一軒の商店の屋根をみあげた。

 彼女の視線の先には、一匹の鳩がいる。

 

 うん、あの鳩、たぶん街警の使い魔だな。

 この姉妹が暴れた事件とそのあとの王家狩り(クラウンハンター)襲撃事件を受けて、使い魔の数を増やしたとは聞いていた。

 

「それじゃ、服を買おうか」

「えっと、ドレス、とか?」

「いや、普段着だよ。ふたりとも、いま着ているのは屋敷の人に用意されたものだよね。自分で好きな服を選びたいだろ」

 

 姉妹は互いに顔を見合わせたあと、首を横に振った。

 

「別にいらないわ」

「ん、これで機能は充分」

「機能とかの話じゃないんだよなあ」

 

 周囲を見渡せば、着飾った少女たちの姿はいくらでもある。

 

「ああいうのを着ているのが、この商区に溶け込む秘訣だ」

「なるほど、溶け込む……重要ですね」

「それが任務なら」

 

 このふたりの生い立ち的に効きそうな言葉を適当に並べたら、速攻で納得された。

 きみたち、いちいち闇が深いんだよ……。

 

「でも、ああいう服は高いと聞きます」

「有名店で買いそろえても、魔術師の研究費に比べれば吹けば飛ぶような少額だよ」

「それは、単に魔術師が金食い虫なのでは?」

 

 そうだよ。

 同時にこの国でいちばんお金を生み出しているのも魔術師なんだけど。

 

 この世界における魔法、おれの前世における科学だからね。

 空を飛ぶのも活版印刷も冷蔵庫も、魔法の力で解決してしまった。

 

 いや、解決、じゃないんだけど。

 魔法の力は科学ほど量産が効かないから。

 

 加えて技術が失伝しやすい。

 未だに一子相伝の特殊な魔法なんかがたくさんあったりする。

 

 服なんかも、魔法による特殊な染色技術があるとか聞いた。

 魔法によって編まれた糸を使った服なんかもある。

 

 そういう服をつくる技術は一部の組織で秘匿されていて、だからかなりお高い。

 国によっては、技術そのものを国家で囲い込んでいるとか。

 

 魔法で特殊な糸を編んだ防弾チョッキみたいな防具とか、完全に軍事技術だからね。

 そりゃ秘匿する。

 

「ま、とにかく、服を買うのは決定事項。お店も予約してきたから、いってみよう」

 

 まだ渋るふたりの背中を押して、おれはストリートをずんずん進んだ。

 

        ※※※

 

 その日は結局、姉妹の服を三着ずつ購入しあと、喫茶店で甘味をたっぷり食べさせ、ついでにディナーでもしこたま料理を詰め込ませた。

 

 数日に渡って、そういった生活を続けた結果。

 あまりにも遠慮なく甘味を食べ続けたムリムラーチャの身体が、少し丸くなった。

 

「動きが、鈍い」

 

 稽古を再開した彼女が、あまりにも悪い身体のキレに呆然とすることになる。

 それからムリムラーチャは、屋敷でもお菓子をみると親の仇のように睨んだあと、未練たらたらに手にとることを拒否してしばらくダイエットに務めた。

 

「戦士に脂肪は禁物なんだよなあ」

 

 とは、遠慮なくムリムラーチャの目の前でクッキーをかじる師匠の言葉であった。

 

 師匠はいくら食べても、ほんと太らないんだよなあ。

 というかそもそも背が……。

 

 おっと、殺気が。

 くわばら、くわばら。

 



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第30話

 初夏の王都、曇天。

 時刻は、正午少し前。

 

 その日、朝からおれの愛しの妹シェリーは、ひどく不機嫌だった。

 

「兄さんなんか、知らないんだから」

 

 リアリアリアの屋敷の廊下で顔をつき合わせても、そう吐き捨てて、そっぽを向き、立ち去ってしまう。

 うう、悲しい……しくしく。

 

 さっきまで共に剣の稽古をしていたエリカ師匠が、なにをやらかした、といいたげにおれを睨んだ。

 

「妹は大事にしろよ」

「大事にしてますって。不機嫌な理由は、わかってるんですよ。おれ、これからちょっと出かけないといけないんです」

「ひとりで、か?」

「馬車です。例の殿下たちが使う、郊外のお屋敷に」

 

 例の王子たち、といったところで師匠が露骨に顔をしかめた。

 未だに、王都に到着した日の出来事を根にもっているらしい。

 

 いきなり現れて好き勝手いって去っていくのは、たしかにあれ王子たちの方が悪いと思うよ。

 でも師匠も、もう少し貴族慣れした方がいいんじゃないかなあ。

 

「殿下たちのところにいくだけでシェリーが不機嫌になるか?」

「お見合いですからねえ」

「見合い? は? おまえが?」

「いや、おれ二十歳ですよ。適齢期ですって。まあ、まだ騎士見習いですけど」

 

 この大陸、女性はだいたい十三、四歳から十七、八歳で婚約する。

 男性はもう少し上で、おおむね見習いがとれたら、くらいが目安だ。

 

 おれの場合、騎士見習いといっても便宜上のものだから、立場を考えればさっさと身を固めろとせっつかれてもおかしくはない頃合い。

 

 そりゃ見合いのひとつくらいするよ?

 そんな顔をすると、師匠は軽く肩をすくめてみせた。

 

「そりゃまた、たいへんだな」

「わかってくれますか」

「だっておまえ、地位にも名誉にも興味ないじゃん」

 

 そうだよ。

 十年前からおれを知ってる師匠なら、それくらい、とうに承知してるよな。

 

「あの王子たちが関係してるお見合いなんて、絶対に地位と名誉がついてるやつだろ」

「いちおう、形だけでもやってくれって、って。断ってもいい、とはいわれてるんで」

「それ本当に断れるやつか?」

 

 わからないけど、たぶん大丈夫なんじゃないかなあ。

 あの王子、基本的に味方には誠実だし。

 

 変態だけど。

 今回だって王家からの福利厚生の一環としての、お見合いのはずである。

 

 二十歳の男の部下のお見合いも斡旋できないなんて雇用者の恥。

 そういう文化なんだよね、この大陸。

 

 で、まあ当然ながら、おれの妻となる人物は、おれがアリスであることを知っている必要がある。

 王家の秘密を知ることができ、口が堅い人物でなければ、そもそもおれに近づけることがリスクになってしまう。

 

 これにさらに、妹であるシェリーが大魔術師リアリアリアの一番弟子であり、実質的にはすでに貴族の一員であって、諸侯がシェリーとの繋がりを求めていること、等を考え合わせると、更に厄介極まりなかったりする。

 

「見合いの相手はどんな女なんだよ」

「伯爵令嬢と聞いてます」

 

 ちなみにヴェルン王国の場合、一般的な爵位は下から順番に男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵となる。

 公爵家は王家の成立時に強い貢献があった三家だけで、帝国の東方、西方、北方における守りの要として要衝を支配している。

 

 侯爵家は十六侯爵家、と呼ばれる十六の家で、それぞれがひとつの地方を支配している。

 

 伯爵家は基本的に町ひとつとその周囲の村々を支配している。

 子爵家、男爵家は村ひとつが一般的な支配域だ。

 

 まあこれはうちの国における一般的なものであって、例外も多数あるのだけど……。

 

 加えて、一般的ではない爵位がある。

 代表的なのが魔術爵、大魔術爵だ。

 

 字面からだいたいわかると思うけど、魔術師に与えられる爵位で、基本的には名誉職に近いものだ。

 ちなみに現在の我が国において、大魔術爵を与えられているのはリアリアリアひとりである。

 

 閑話休題。

 

「事情を知っているなら、それくらいじゃないと釣り合わんか」

「おれとしちゃ、恐れ多いですよ。お相手の年齢は十六とか」

「妥当なところだな」

 

 基本的に地位が高い者ほど早期に結婚する。

 ディアスアレス王子の場合、たしか生まれる前からの婚約者と十歳のときに結婚、お相手はそのとき十四歳とかだったはず。

 

 マエリエル王女が婚約していないのは外交の切り札とかなんとか、だったような。

 他にも王家と貴族の派閥争いとかいろいろな事情があるらしいんだけど、おれはよくわからないし、わかりたくない。

 

 そんなわけで、おれの相手をわざわざディアスアレス王子が斡旋することになったというわけだ。

 いろいろと、気が重い。

 

        ※※※

 

 雨がしとしとと降り出した午後。

 おれはディアスアレス王子が用意してくれた馬車に乗って、王都のはずれにあるディアスアレス王子愛用の屋敷を訪れた。

 

 屋敷を囲む高い塀の内側には、広い庭がある。

 その一角の花壇で、マエリエル王女と赤い服を着た小太りの女性が、並んで傘を差し、なごやかに語らっているのがみえた。

 

 知っている人だ。

 第五王女エスアルテテルである。

 

 腹は違えどもマエリエル王女とは特に仲がよく、なんどもアリスに螺旋詠唱(スパイラルチャント)を送ってくれていた。

 エスアルテテル王女は馬車から下りたおれに気づいて、おおきく手を振る。

 

「おーい、アレンくーん! 元気してたかなーっ?」

「エスアルテテル様もお変わりなく……って、危ないっ」

「わあっ」

 

 エスアルテテル王女は、どすどすとおれの方に駆けてこようとして……。

 派手にすっ転んだ。

 

 その少し腹まわりのおおきな身体が、反転しかけたところでふわりと宙に浮く。

 

 そばで、マエリエル王女がおおきくため息をついた。

 その手には小杖(ワンド)が握られている。

 

 彼女がとっさに魔法でエスアルテテル王女の身体を浮かして、地面に尻もちをつかないようにしたのだ。

 さすが、幼少期にほんの少しとはいえ、リアリアリアの手ほどきを受けていただけのことはある。

 

「あはは、ありがと、マリー」

「ほんと、エステルはこれだから……。もう少し運動しなさい」

「えー、めんどくさーい」

 

 おれも安堵の息を吐く。

 やれやれ、相変わらずだこと。

 

 いつまでも雨に濡れるのもなんなので、共に屋敷に入る。

 エスアルテテル王女は、おれに積極的に話しかけてきた。

 

「ねえねえ、ディラーチャとムリムラーチャに贈り物をしたいのだけど、なにがいいかな。パーティ用のドレスとか、受けとってくれるかなあ」

「王都に辿り着くまでそうとう苦労したみたいですから、なんでも貰えるなら喜んでくれると思いますよ。でもいちばん嬉しいのは金貨や宝石でしょうね」

「アレンくん、夢がなーいっ」

 

 ほっといてくれ。

 だいたいあのふたり、パーティとか絶対、出たがらないだろ。

 

「エスアルテテル殿下は、今日はなんでこちらに?」

「アレンくん、ぼくのことはエステルって呼んでよ」

「いや、エスアルテテル殿下、さすがにそれは……」

「エ・ス・テ・ル!」

「エステル殿下」

「うーん、殿下もいらないと思うんだけどなあ」

 

 あなたのなかではそうなんだろうけど、ここでだって使用人の目があるし、マエリエル王女が隣で笑ってるんだぞ。

 

「それで、エステル殿下は今日、どのようなご用事ですか」

「もっちろん、ぼくはアレンくんに会いに来たんだよ」

「ひょっとして、今日のお見合いってエステル殿下のセッティングだったりしますか?」

「うーん、それはちょっと違うかな。お願いはされたけど」

 

 お願い? なんだろう。

 このひと、わりとガチで天然なので、王家もあまり重要な仕事は任せてないって話なんだよな。

 

 ただし、有能か無能かといえば、めちゃくちゃ有能。

 自分の得意分野においてはこの国でも随一の才能を持っている。

 

 ただ、その才能というのが、王族が持っていてもいまひとつ役に立たない類いのものであって……。

 

「ねえねえ、アランくん。これ、新作なんだ。食べてみてくれないかな」

 

 エステル殿下が、年配のメイドのひとりに指示する。

 そのメイドが差し出してきたのは、焼き菓子の入った籠であった。

 

 ふむ。

 いっけん、ただのクッキーにみえるけど……?

 

 おれは焼き菓子を一枚つまんで、ひょいと口に入れる。

 口のなかに、じわりと甘酸っぱい果汁が広がった。

 

 うん? なんだこれ!?

 

 唾液でクッキーの表面が溶けて、生地に包まれていたどろりとした液体があふれ出たのか。

 甘い液体と酸っぱい液体が入り混じって、舌を複雑に刺激する。

 

 おれは、さぞ目を白黒させていたのだろう。

 エステル殿下は、後ろ手に組んで少し前かがみになると、ふっふっふーっ、とにやにやしながらおれをみあげる。

 

「どーだ、アレンくん。参ったかーっ」

 

 参るとか参らないとか、お菓子と関係あるのかな?

 まあ、いいか。

 

「参りました。どうやってつくったんですか、これ。ちょっと見当もつかないですね」

「このお菓子の外側を焼いたあと、ちいさな穴を前後から開けて、二種類のシロップを同時に流し込むんだよ。でね、シロップを魔法で圧縮しておいて、なかで膨らむようにしておくの。このために開発した魔法なんだよ。とってもたいへんだったんだあ」

 

 このお菓子をつくるための魔法、ねえ。

 いやはや、その情熱だけはたいしたものである。

 

 そう、この方、料理魔法専門の魔術師なのだ。

 市井の料理店の娘に生まれれば、さぞ財貨を築いたことだろう。

 

 でも彼女が生まれたのは、この国の王家であった。

 王族である以上、王族としての責任が生まれる。

 

 そして王族は普通、料理なんてしない。

 そのための魔法なんて開発しない。

 

 まあ、いまのところ、その有り余る魔力を螺旋詠唱(スパイラルチャント)でアリスに流すという意味では、充分に王族の義務を果たしているわけだけども……。

 ちなみに、コメントでたまにアリスを煽ってる面々のひとりが彼女である。

 

 大概にしとけよ?

 

「ちなみにネタバレすると、今日、アレンくんがお見合いするのは、ぼくのところに行儀見習いに来ていた子だよ。ぼくの大切な友人なんだから、泣かせないでね」

「形式だけのお見合いって聞いたんですけど?」

「えー? ディー兄さん、話が違うんじゃないのー?」

 

 いつも密談する部屋につく。

 ノックをしてなかに入ると、なかにいたのはディアスアレス王子の使者としていつもリアリアリアの屋敷を訪れる、初老の男であった。

 

「お待ちしておりました。殿下はお忙しく、替わりにわたくしが……」

 

 うん? ディアスアレス王子、今日は来てないのか。

 向こうから呼び出しておいて。

 

 いや王族を相手にそんなこと、口が裂けてもいえないけど。

 

「あーっ、ディー兄さん、これ絶対逃げたでしょーっ!」

「ええ、逃げましたわね……」

 

 エステル王女が、だん、だん、とはしたなく足を踏み鳴らして怒る。

 マエリエル王女も、腕組みして苦笑いしている。

 

「ちょっとーっ! ディー兄さんったら、メリルに恥をかかせる気なのかな!? ディー兄さんのところの調味料、全部お砂糖に変換しちゃおうか!?」

「エステルあなた、また無駄にへんな魔法を開発しましたわね」

 

 この世界、砂糖をはじめとした調味料はわりと魔法でつくれる。

 ある程度の材料があれば、そんなに魔力が多くない者でも生産できる程度にはポピュラーな魔法だ。

 

 もっとも術式は難しかったり秘匿されていたりと寡占されている調味料も多い。

 砂糖魔法は、そんななかでも各国でさまざまな術式が広まっている魔法のひとつ、ではあるのだが……。

 

 調味料を砂糖に変換する魔法なんて聞いたことがないぞ。

 この子、ほんとにこの方面の才能だけはあるんだよな……。

 

「もうっ、もうっ、もーっ!! 段取りとか全部、無駄になっちゃった気がするよ! ――ま、いいや。メリル、呼んでくるね!」

 

 さんざん叫んだあと、ぱたぱたと走って部屋を出ていくエステル王女。

 年配のメイドが、慌てて追いかける。

 

 なんで王女が自ら、使用人を迎えにいくんだよ。

 彼女のそばに仕える者は、ほかの王族の従者たちとは別の意味でたいへんだ。

 

「それで」

 

 エステル王女を見送ったあと、おれは改めてマエリエル王女に向き直る。

 

「こんな茶番を仕立て上げたのは、なぜですか?」

「あらあら、茶番とはひどいですわー。せっかくわたくしも忙しい合間をぬって参りましたのに」

「その忙しい王族が何人も、わざわざおれごときのお見合いにつきあうんです。相手の子、どんな事情を抱えているのか、あらかじめ聞かせてくれませんか」

 

 マエリエル王女は、はたして……。

 にやりとしてみせた。

 

「そういうアランのまっすぐなところ、とても好ましく思いますわ」

「操りやすいってことですよね」

「最近、判明したのですが……メリルアリルという子は、ちょっと特殊な体質なのですわ。ですので、きちんとわたくしが見届けませんと」

「特殊?」

「過同調体質。ご存じですか?」

 

 聞いたことがない単語に、おれは首をかしげた。

 マエリエル王女は、知らないでしょうね、とばかりにうなずく。

 

「簡単に申せば、ですね。彼女は、想いが通じ合った相手となら、誰とでも魔力リンクが可能なのです」

 

 



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第31話

 その後、改めて対面したメリルアリルは、エステル王女とは正反対の、線の細い少女だった。

 シェリーよりひとつ上の十六歳だが、背丈はシェリーより十センチ以上高く、出るとこが出ていて、大人の女性、という感じがする。

 

 王族の大半と同じく金髪碧眼で、たぶん王家の分家の血が入っているのだろう、整った顔立ちをしている。

 そんな高貴な血を感じる少女は、はにかんだ笑みをみせて、「アランさん、あなたの事情はエステル様から聞いています」と告げた。

 

「いつもエステル様が煽りコメントを入れてごめんなさい」

あなたが謝ることじゃありませんよ(そう思うなら止めてください)

 

 おっと、本音が。

 おれとメリルアリルは顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。

 

 っていうかこの子の前でコメント入れてたのか、あの王女。

 行儀見習いってことは王宮で王女の側仕えとして働いていたんだろうけど。

 

 おれたちは上質なナホロ心木製テーブルを挟んで腰を下ろす。

 前世でいえば、マホガニー製というところだ。

 

 おれの横にはマエリエル王女が、メリルアリルの横にはエステル王女が座っている。

 これめちゃくちゃ居心地が悪いな!

 

 メイドさんが淹れてくれた紅茶を口に含み、エステル王女が焼いたクッキーをかじって少しリラックスする。

 

「王家としては、どうなんですか」

 

 おれは隣でにこにこしているマエリエル王女に話を振った。

 

「どう、とは?」

「おれじゃなくて、もっと強い騎士と魔力リンクさせる、という手もあるはずです。おれは所詮、王国放送(ヴィジョン)システムのテストでたまたま適正があっただけの、平凡な魔力しか持たない騎士見習いですよ」

「それについては、アラン、あなたの認識を訂正させていただかないとなりませんわ」

 

 マエリエル王女は首を横に振った。

 

「まず、魔力リンクの訓練は誰にでもできるものではありません。特にその初期、受け手側に強い苦痛をもたらします。他者から流れてくる魔力に対して、本能的な忌避感を覚えるものです。この段階で、たいていの者は挫折します。あれはなかなか耐えられるものではありませんわ」

「試したんですか」

「兄さまと。我々王族の間で王国放送(ヴィジョン)システムが使えれば、と思ったのですけどね。わたくしのほかにも、何人か試したのですよ。ですが皆、挫折しました。わたくしたち王族でも、そうなのです。あなたが思うほど、人はこの忌避感に耐えられるものではありません」

 

 そういうものか。

 おれの場合、今後のこの世界を知るものとして、力を得るためにわりと必死だったからなあ。

 

「実のところ、わたくしもアイドルというものをやってみたかったのですわ」

「うんうん、それ、わかるよ! ぼくもやってみたかった! でもあれは無理!」

 

 エステル王女も、ぴしっと手を挙げる。

 ああ、この人も試したんだ……。

 

 まあ、そうだよな。

 この国の王家は、現王を筆頭に、国を守るという強い使命感を持って働いている。

 

 しかも、魔力が高い者ばかりだ。

 そりゃ、最初に自分たちの手で王国放送(ヴィジョン)システムの有用性を確かめたかっただろう。

 

 でもそれは断念した。

 魔力リンクのハードルは、それだけ高いものなのだ。

 

 ムリムラーチャの場合、ミドーラの闇子、と呼ばれる諜報組織の手で、幼いころから薬物を投入されて魔力リンクを覚えさせられたという。

 そこまでして、ようやくだったのだ。

 

 むしろ、候補生たちが五組も集まったのが奇跡だったのかもしれない。

 その彼らも、魔力リンクの精度としてはまだまだなのである。

 

「よって、新たな受け手側を増やす、というのはなかなかに難しいのです。ならば、いまもっとも上手に魔力リンクを扱うあなたが適任である、とわたくしは判断いたしますわ」

「平凡な騎士見習いでも、ですか」

「次にそこ、ですわ。アラン、あなたは平凡な騎士見習いではありません。魔族や魔物を倒すために幼いころから鍛えあげた、一流の戦士です」

 

 まあ、それはそうだ。

 おれの武芸は、ただそのためだけにあった。

 

 でもなあ、それだけの理由で王族がわざわざ……。

 つーか、ああ、そうか。

 

「おれの正体を知る王族にも、派閥があるんですね。ディラーチャとムリムラーチャの台頭で派閥が割れる可能性がある。その前に、おれとの強固な繋がりを示しておきたい。お見合いなんて、その絶好の機会だ」

 

 はたしてマエリエル王女は、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。

 

「あなたのそういう聡いところ、好ましく思いますわ」

「王族同士の権力争いに巻き込まれるとか、心底勘弁して欲しいですね」

「諦めてください」

 

 アッハイ。

 そうきっぱりいわれると、肩を落とさざるを得ない。

 

「あははっ、アランくんは初心だよねえ。王族の紐付きな以上、権力争いに巻き込まれないはずがないんだよっ」

「エステル殿下にいわれると、なぜか腹が立ちます」

「ひどーい! でもわかるわー」

 

 けらけら笑いながらクッキーをかじるエステル王女。

 さっきから、ほかの人の三倍以上食べている。

 

 そんなんだから腹まわりに出るんだよ?

 このひとのあけすけなところは嫌いじゃないけど、それはそれとして腹が立つ!

 

 おれは、困り顔で苦笑いしているメリルアリルに向き直る。

 

「あなたも、こんなことに利用されていいんですか?」

「利用される、と申しますか……あの、じつは、わたしからエステル様に頼んだんです」

 

 メリルアリルは、おずおずとした様子で、下を向いてそう告げた。

 うん? どういうことだ?

 

「さっきもいったよね、過同調体質の特徴。想いを通じ合っている相手となら、誰とでも魔力リンクができるんだよ」

 

 エステル王女がいう。

 

「逆にいうと、想いが通じ合っている相手じゃないと魔力リンクができないのさー」

「ええと、その、アレン様……。駄目、でしょうか」

 

 少女は頬を朱に染めていた。

 繰り返すが、どういうことだ?

 

        ※※※

 

 おれの前世には鈍感系主人公というジャンルがあったが、おれ自身がそんなものを気取るつもりはない。

 彼女の態度をみれば、おれに対してどういう気持ちを抱いているかくらいはわかるつもりだ。

 

 それはそれとして、客観的にみておれが好かれる要素なんてあるだろうか?

 

 この国の慣習から考えると、彼女がエステル王女の側仕えだった、ってことはもとから伯爵以上の貴族の令嬢ということである。

 後宮で働くには一部の例外を除いて相応の身分が必要なのだ。

 

 で、一方でおれの身分は騎士見習い。

 分不相応にもほどがある。

 

 もちろん彼女はおれがアリスであることを知っている。

 おれの妹のシェリーがリアリアリアの一番弟子であることも。

 

 だとしても、青田買いもいいところだ。

 高位貴族の令嬢にとっては、もっといい縁談など山ほどあるだろう。

 

 実際のところ、おれが伯爵令嬢と婚約した場合、周囲からあまりにも目立ってしまう、というデメリットもある。

 そんなこと、ここにいる王女たちがわからないはずもないのだが……。

 

 ちらり、とマエリエル王女をみれば、にやにや笑っていた。

 なんだこいつ。

 

「念のため確認なんですが。騎士見習いと伯爵令嬢の婚約とか、おれのことが他国に嗅ぎつけられませんか?」

「まだ未発表ですが、シェリーを魔術爵に任命する予定ですわ」

 

 魔術爵。

 この大陸ではわりと一般的な爵位のひとつだ。

 

 一代限りの爵位ではあるが、その子も魔力量が一定以上あれば爵位を継承できる。

 

 伯爵に相当し、ヴェルン王国では現在、十三人の魔術師がこの爵位を与えられている。

 いずれもそうそうたる面々だ。

 

 ちなみにリアリアリアは大魔術爵で、この爵位を持つのは我が国において彼女ひとりである。

 侯爵に相当し、数年前に彼女がこの爵位を与えられたとき、百年ぶりの大魔術爵の誕生と話題になった。

 

 で、なんでこんな爵位があるかというと。

 基本的に、貴族は魔力量において平民に優越する。

 

 より高位の貴族ほどその傾向が強く、王族にいたっては、たとえばおれの斜め前で幸せそうに菓子を頬張っているエステル王女がおれの三十倍の魔力量を保有していたりする。

 そんな構造だからこそ、王国放送(ヴィジョン)システムや螺旋詠唱(スパイラルチャント)に意味があるわけだ。

 

 でも、必ずしも貴族からだけ魔力量の多い魔術師が生まれるわけではない。

 

 シェリーなんかがそうで、ただの騎士の娘があれだけの魔力量を持って生まれている。

 我が愛しの妹は珍しい存在ではあるが、しかしありえないような出来事ではない。

 

 でも、シェリーに子どもが生まれれば、その子はかなり高い確率で高い魔力を持って生まれるだろう。

 貴族としてはそういう血を取り込みたいが、それには平民の子、という部分がネックとなる。

 

 そこで、爵位だ。

 

 授爵されたばかりの女性の魔術爵ともなれば、魔力量を増やしたい貴族にとっては垂涎の的、結婚相手として申し分ないどころか完全に魔術爵の売り手市場となる。

 ディアスアレス王子と結婚しても過不足なし、となるだろう。

 

 いやシェリーとあのオタンコナスの結婚とかおれが絶対に許さないけどな!

 妹の幸せを守るのは兄の役目だ!

 

 それは、さておき……。

 

「シェリーはまだ十五歳ですよ。歴代の授爵者って、若くても三十歳とかですよね」

「リアリアリア様の一番弟子というものに、付加価値をつけたいのです。王国放送(ヴィジョン)システムを他国に売り出すうえで、その開発に携わった彼女の功績は大である、と謳うことになるのですわ」

「必要以上にシェリーが目立っちゃ困るでしょう」

「すでに目立ちすぎました。王国放送(ヴィジョン)システムの立ち上げ時のことを探られたとき、これがリアリアリア様とシェリーのふたりが王家に持ち込んだ事業であることを隠蔽するには遅きに逸したのです」

 

 あ、そうか。

 最近のことを隠すならともかく、昔のことを隠すには事前の手まわしが必要だ。

 

 アリスの師匠の件は、たまたまではあるがエリカという人物がよく夫と旅に出ていた、というアリバイがあった。

 王国放送(ヴィジョン)システムについては、そのあたりのカバーストーリーをつくる前に、あまりにもおおきな成果が出てしまっている。

 

 ならいっそ思いきり押し上げてしまえ、ということなのだろう。

 たぶんリアリアリアも承知している話なんだろうな、これ。

 

 ついでに、他国に王国放送(ヴィジョン)システムを設置する際、シェリーが赴くための身分も手に入る。

 王国放送(ヴィジョン)システムの都合上、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を送るのは貴族や王族たちになるから、それを相手に渡り合うには相応の身分が必要、ということだ。

 

 もちろん、リアリアリア自身が赴くことができればいいんだろうけどね。

 あのひと他国にもあちこちコネを持ってるらしいし。

 

 でもリアリアリアは忙しすぎる。

 魔王軍の侵攻に備えた準備を先手、先手で行っていくためには欠かせない人材であった。

 

 まあ、それをいったらシェリーもアリスの活躍に必要不可欠な人材で、王国放送(ヴィジョン)システムの設置のためだけに他国へ行かせるのももったいないとは思うけども……。

 こちらに関しては、幸い、ディラーチャとムリムラーチャという代替できる人材が無から生えてきた。

 

 いや無からじゃないんだけど、貴族や王族にとっては実質的に「無から生えてきた」といってもいい状況だろう。

 

 棚から牡丹餅、である。

 この世界にはない表現だけど。

 

「加えて、アラン。シェリーとあなたがセットで赴けば、その国で王国放送(ヴィジョン)システムのクローズドな試運転もできます」

 

 最近、ようやくクローズドなテストシステムが完成したんだよな……。

 

「ああ、現地でおれがアリスになって……。でもおれとシェリーの正体がバレませんか」

「ですので、あなたがたのチームにそこのメリルアリルを加えるのですわ。彼女も 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)は得意と聞きます」

「は、はい! シェルちゃんになることもできますし、シェリーさんのかわりを務めることもできると思います!」

 

 あ、そこに繋がるのね。

 というかこれ、メリルアリルがチームに加わることの方がメインで、そのための顔合わせじゃねーか!

 

「もうちょっと段階を踏んでもよかったのでは?」

 

 マエリエル王女に、そう訊ねてみた。

 

「どう段階を踏んでもシェリーが不機嫌になる話ですからね、さっさと行くところまで行ってしまった方がいいでしょう」

「あー、まあ、あいつ絶対、自分の居場所がとられる、って思うか」

 

 うちの妹は兄離れができないのである。

 まったくもって困ったものだ。

 

「メリルの過同調体質が判明したときから、もう十中八九、こうなると思ってたんだよね、ぼく。ま、メリルが幸せならそれでいいんだけどさ」

「も、もう、エステル様ったら……食べすぎですよ、お菓子」

「いいのいいの、まだまだいっぱいつくってあるんだから。ぼくはお菓子をいくら食べてもちゃんと夕食を食べられる体質だし」

 

 それは食い意地が張っているだけでは?

 おれはいぶかしんだ。

 

「おれたちをどこに行かせるか、もう決まっているんですか?」

「セウィチアですわ」

 

 マエリエル王女は即座に返事をする。

 あ、やっぱりもうそこまで決定されてるのね。

 

 セウィチア共和国。

 我が国の南方にある国だ。

 

 セウィチア港都という大都市を中心とした小国で、豪商たちが代表者を選挙して国を運営していたはず。

 

 なるほど、金がありそうなところだ。

 国外で王国放送(ヴィジョン)システムを設置する拠点とするには都合がよさそうである。

 

「無論、あなたがただけで行かせはしません。エステル、頼みますよ。あなたが筆頭外交官です」

「えへへ、まっかせてーっ。ぼくがきみたちの代表だっ!」

 

 ぶい、と焼き菓子の粉がついた手を突き出すエステル殿下。

 おれとメリルアリルは、同時に、え? マジ? という顔をした。

 

「「殿下が外交なんて、できるんですか?」」

 

 ふたり同時に、そう口に出す。

 よし、互いの想いがひとつになったな!

 



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第32話

 二十日ほど後。

 おれたちはセウィチア共和国の首都、セウィチア港都の商区の一角、ヴェルン王国大使館にいた。

 

 おれたち、とはおれとシェリー、メリルアリル、そして第五王女エスアルテテルとその配下二十人ばかりのことだ。

 

 もっともおれとシェリーは、今日の夕方、空を飛んでこのセウィチアで合流したばかりである。

 ギリギリまでヴェルン王国の王都で療養していたのだ。

 

 合流早々、シェリーとメリルアリルが顔を合わせる。

 

 シェリーには、あらかじめ先日のお見合い(・・・・)の顛末を説明してあった。

 だから、メリルアリルへの態度に戦々恐々であったのだが……。

 

「あなたが、兄さんの婚約者ですね。初めまして、妹のシェリーです。これからよろしくお願いします」

 

 シェリーは笑顔でそういって、ぺこりと頭を下げた。

 メリルアリルは、こちらの方がぎこちなく「わたしの方こそ」とぺこぺこ頭を下げている。

 

 ちなみにメリルアリル、彼女はヴェルン王国の東方の町を治める伯爵家のご令嬢だ。

 魔王軍の最前線に立つわけではないとはいえ、西の前線が崩壊すれば、なし崩し的に魔王軍がなだれ込んでくるだろう、という危機感は共有されている。

 

 伯爵当主には、内々にアリス(おれ)の正体を打ち明け済みだ。

 そりゃ、伯爵家としてはこの縁談に乗り気になる。

 

 メリルアリルを使って王家とおれの縁を繋ぐことができれば、それは強力な伝手になるだろう。

 

 そういった周囲の思惑とは別に、メリルアリルはおれに対して好意を抱いているみたいだ。

 ついでに、血のつながりもなにもない相手との魔力リンクができる、ちょっと特別な人材でもある。

 

 王都で一度、おれと彼女で魔力リンクを試してみた。

 思った以上に上手く、彼女はおれに魔力を流してきた。

 

 おれが走りまわっても、器用に追従できている。

 さすがにシェリーと比べれば、だいぶ拙いものではあるけれど……。

 

 シェリーとディラーチャは長年、パートナーと魔力リンクの訓練をしてきた別格の存在だからね。

 多少、乱暴に動いても魔力リンクを切らさないでくれる、というだけでも得難い人材である。

 

「幼いころから、あまり身体を動かすのが得意ではなくて……。魔力を操ってあれこれするひとり遊びをしているうちに、こんなことばかり器用になってしまいました」

 

 とのことである。

 世の中、なにが幸いするかわからないものだ。

 

 これだけ使える人材なら、縁談云々はともかく、戦力として確保しておきたい。

 で――。

 

 そんなメリルアリルとシェリーは、思いのほかちゃんとした挨拶ができている。

 人見知りで兄に対する独占欲も強いシェリーが相手だから、どうなることかとひやひやものだったが……いやはや、無事に済んでよかった、よかった。

 

「わたしのことはメリルと呼び捨ててくれて結構ですよ、シェリーさん」

「はい、わかりました、メリル。わたしのことも、呼び捨てで結構ですよ。ふたりで末永く、兄さんを支えていきましょうね」

「え? あ、はい、シェリー。……あれ、ふたりで?」

 

 小首をかしげるメリルアリル。

 うん?

 

「兄さん」

「なんだ、シェリー」

「わたしたちは、いつまでもずっといっしょだよね」

「もちろんだ」

 

 なにを当たり前のことを。

 おれたちは兄と妹なんだぞ。

 

「あっ、察した。策士よな、シェリーちゃん」

 

 エステル王女がぽんと手を打つ。

 どうしたんだ、いったい?

 

        ※※※

 

 さて、季節は夏まっさかり。

 この港都も日中は日差しが強く、人々は主に朝と夕方に活動して昼は木陰で休んでいることが多いという。

 

 もっとも、おれたちがいる大使館はクーラーが利いていて快適だ。

 

 そう、クーラーだ。

 このセウィチア共和国が開発した冷房の魔導具である。

 

 正確にはセウィチア共和国の評議会に議席を持つ豪商と魔術師協会が手を組んで、二十年ほど前、ようやく完成した魔道具が、最近になってようやく量産されはじめたのだとか。

 まだまだ魔道具の値段も高く、冷房を維持するのに必要な魔力量もあまり抑えられていないため、豪商の邸宅に用意するくらいが精一杯であるらしい。

 

 でも、そういった豪商は我が国の貴族と違って魔力量が高くない。

 冷房の魔道具を維持するためだけに魔術師を雇うのも、効率が悪い。

 

 そのため、クーラーというおれにとっては文明の必需品も、あまり普及が進んでいないのだという。

 ヴェルン王国の大使館なんかは、その例外だ。

 

 なんせここに常駐しているのって我が国の貴族、すなわち魔力量には自信がある人々なのだからね。

 うーん、でもそのへんを考えると……。

 

「クーラーもろくに稼働させられない程度の魔力量の人たちに王国放送(ヴィジョン)端末を渡しても、ろくに螺旋詠唱(スパチャ)を貰えないのでは?」

 

 おれは、先の曲がったスプーンを握って甘い水菓子をがつがつ貪っているエステル王女に訊ねた。

 大使館の一室で、エステル王女の隣にはメリルアリルが座っている。

 

 シェリーはいま、大使館の魔法的な防護設備を確認するとのことで席を外していた。

 それをいいことに、エステル王女が颯爽とおやつタイムを始めたのである。

 

 お菓子の国から来たとおぼしきふとっちょ王女は、えへらと笑って「それは向こうが考えることだよー」と返事をする。

 

「彼らは欲しいといった。協力は惜しまないって。破格の条件だった。だったらヴェルン王国(うち)としては、優先しない理由がないよ」

「魔王軍との戦争準備なんでしょう? そんな余裕あるんですか」

「戦争でも先立つものは必要だよ、アランくん」

 

 その理屈はわかるんだけどね。

 隣国があと一年保たず陥落すると考えると、どうなんだろう。

 

「それに、魔王軍の主力が南下してこっちを襲う可能性もあるよ。そうでなくても、こっちの守りを固めることで魔王軍を牽制できる。ディー兄さん、そんな感じのこといってた」

「相手に複数の戦線を強要するわけですか。でもアリスとムルフィしかまともな機動戦力がない現状だと、厳しくないですか?」

「厳しいよねえ。そのあたりの課題は棚上げな感じー」

 

 本来、血縁関係以外で魔力リンクが可能な条件というのが、なかなか厳しい。

 

 原作においては、そのひとつが性行為なんだけど……そんなの戦闘中にできるわけがない。

 薬を使った方法も、廃人になる前提だったりする。

 

 メリルアリルが思ったより上手に魔力リンクできるから、彼女のパートナーとなる人材が出てきてくれればまた別なんだけど。

 でも過同調体質である彼女が魔力リンクする条件は、「互いの想いが通じ合っていること」らしい。

 

 別にそれは恋愛関係に限らないとのことで、たとえばエステル王女なんかは、エステル王女が耐えられればメリルアリルとの魔力リンクが可能であるとのこと。

 でも、エステル王女はちょっと練習した結果、諦めたらしい。

 

 最初はあれ、めちゃくちゃ痛いし不快感もすごいんだよなあ。

 普通、魔力リンクというのは、何年もかけて身体を慣らすものなのだ。

 

「そういうわけで、明日の予定表、アランくんに渡して」

 

 エステル王女が合図すると、お付きのメイドがおれに冊子を差し出す。

 それを受けとって、ぱらぱら眺めた。

 

「なるほど、おれはアリスになって……うん? 握手会?」

「ファンサービスだよー」

 

 なんだって?

 

「トークショーもするよー。アリスがぼくのお菓子を食べながら、この国のお偉いさんたちとの話し合いをするのさ。その模様を王国放送(ヴィジョン)で中継するんだよー」

「正気ですか」

 

 思わず、そう口を突いて出た。

 エステル王女は呑気にえへらと笑っている。

 

「正気、正気。ちなみに明後日は、観劇の予定だよー。アリスちゃんが西の戦線で難民を救援するお話だよー」

 

 それアリスの姿でみなきゃいけないの?

 

 ははっ。

 羞恥心で軽く死ねそう。

 

 意図は、わかる。

 この国にプロパガンダを仕掛けるのね。

 

 トップ会談でいろいろ決まる他国と違って、豪商たちが支配する議会を味方につけるためには、有効な手段か。

 

 それにしたってここまで露骨でいいのか?

 いや、善悪の話ではなく、このセウィチアが露骨なプロパガンダを許すのか、という話で。

 

「いまの議長とは話がついてるんだよー。でもこの国は、議長の一存だけじゃ動かないんだってさー」

「あ、国内を納得させたいって話なんですね」

「そりゃそうさー。うちの国としても、スジを通したうえでやらないと、今後の他国での作戦に響くからねー」

 

 さっきまでの話を総合すると、このセウィチア共和国における王国放送(ヴィジョン)端末の設置は、あくまで他国のさきがけ、試金石なのだろう。

 この国に無理矢理いうことをきかせたところで、他国が余計に警戒するだけである。

 

 ただでさえ、アリスとムルフィは他国にとって戦略兵器みたいなもの、めちゃくちゃに警戒されてもおかしくはないのだから。

 アリスを使ってこの国の人々の好感度をあげ、抱き込むことにはおおきな意味がある。

 

「段取りはもう終わってて、あとはディー兄さんたちの計画の通りに進めるだけ。だから王族でもわりと役立たずなぼくが派遣されたってわけ。交渉のための格だけは持っているからね」

 

 エステル王女はそう自虐してみせるが、この場の誰も、彼女が無能とは思っていないだろう。

 単純にディアスアレス王子が有能すぎるだけである。

 

 ちらりとメリルアリルの方をみれば、おれの視線に気づいたのか、軽く肩をすくめてみせていた。

 こういうときは放っておけ、ということらしい。

 

「なにさなにさ、アランくんとメリルったら、視線で通じ合っちゃって。いやらしーっ」

「わたしの地方には、泣く子駄々っ子放っておけ、という諺があるのですよ、エステル様」

「なーにーそれーっ! ぼくが駄々をこねてるってわけーっ?」

 

 エステル王女は、ソファーに寝っ転がって足をばたばたさせる。

 本当に駄々っ子だ……とメイドたちが苦笑いしている。

 

 シェリーが設備の点検から戻ってきて、騒々しい様子に目を白黒させた。

 

「シェリー、おつかれさま。問題なかったか?」

「うん、兄さん。師匠から貰った最新の術式を刻んできたよ」

 

 ちょっと問題があったらしい。

 いや、単純にリアリアリアの魔法が高度すぎるってことかな。

 

 我が愛しの妹は、これでもリアリアリアの一番弟子で、しかも天才魔術師なのだ。

 えっへん。

 

 そんな彼女は、ソファのおれの横にちょこんと座ると、頭をおれの肩に預けるように寄りかかってきた。

 甘えたいらしい。

 

 おれはシェリーの頭をゆっくりと撫でる。

 シェリーは、えへへ、と少し恥ずかしそうに笑う。

 

「うーん、この子、手ごわいねえ」

 

 エステル王女が、なにかいいたそうな顔でメリルアリルをみる。

 メリルアリルはぐっと拳を握る。

 

「がんばりますね、わたし」

 

 うん、よくわからないけど頑張れ?

 



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第33話

 この熱帯の都市では、日が暮れてからが本番だ。

 灼熱の太陽が消えて月が昇り、海からの風が大気を冷却して、気温が一気に落ちる。

 

 セウィチアの商区では街灯の魔導ランプに明かりが灯り、橙色の光が街路を照らし出す。

 食べ物や飲み物を売る屋台が通りに並び、そこに人々が集っていた。

 

 セウィチアの広いメインストリートを、おれとメリルアリルが並んで歩く。

 せっかくだからデートにでも行ってこい、とエステル王女に命令されたのだ。

 

 シェリーが自然についてこようとしたものの、王女に「シェリーちゃんはあたしとお話ししようねー」と抱きつかれ、連れて行かれてしまった。

 

 すまん、妹よ。

 兄も権力には勝てない。

 

「懐かしいです、こういうの。故郷では兄といっしょに、こっそり街に出ていたんです」

 

 メリルアリルが通りを歩くセウィチアの人々を眺めて呟く。

 この地の人々は、褐色の肌の持ち主が多い。

 

 そういえば、ゲームでも褐色の肌のキャラがいたな。

 あいつら、このへんの出身だったんだろうか。

 

「お兄さんは今、どこに?」

「父の下で東方騎士団を統括しています。けっこう強いんですよ」

 

 東方騎士団は東の国との国境に配置されている。

 近衛騎士団や、帝国との国境を支える西方騎士団ほどではないが精鋭で、その構成員はみんな、おれなんかよりずっと魔力保有量が高い。

 

 ちなみにメリルアリルの魔力保有量はおれの七倍くらい。

 最近インフレしてるからアレだけど、一般騎士の七倍ってかなりのエリートだから、彼女もたいしたものなのだ。

 

「でも、きっと兄の剣術は、魔族や魔物相手にはあまり役に立たないんですよね。エステル殿下にお聞きしました」

「各騎士団でもそっち方面の訓練を始めた、って聞いたよ。それに、魔族には人型のものも多い。相手次第では充分に通用するはずだ」

 

 そういえば、とふと思う。

 彼女はおれをどこで知ったのか。

 

「ひょっとして、メリルアリルさん」

「メリル、と呼び捨てでお願いします」

「メリル、きみはエステル殿下のそばにいて、そこでおれをみたことが?」

「はい。殿下の側仕えをしていたとき、なんどもおみかけしました。それに、戦っているとき、殿下が螺旋詠唱(スパチャ)しているところもみていました。煽りコメントを入れているところも黙ってみていました」

「煽りは止めようよ!」

「ごめんなさい」

 

 言葉とは裏腹に、メリルは嬉しそうだった。

 

「殿下、アランさんと絡むとき、とても生き生きとしているんです」

「いつも自由すぎるんだよなあ。ああ、それとおれのことも呼び捨てでいい」

「はい、アラン。わたし、あなたになんどもお茶を出しているんですよ」

「すまん、気づかなかった」

「目立たないのが側仕えの務めですから、それでいいのです」

 

 そうはいっても、なあ。

 少し気まずくなって、おれは後ろ頭を掻いた。

 

「覚えていますか、アラン。殿下とあなたが初めて会ったときのこと」

「覚えてる。挑発されたな。ただの騎士見習いの身で、なにができるのか、って」

「なんて返したか、わたしも覚えていますよ。『ただの騎士見習いが王族より活躍できるシステムをつくるんだ』って啖呵を切ったんですよね」

「おれ、そんな失礼なこといったっけか……」

 

 仮にも王族であるエステル王女に対して、なんてこといってるんだ、過去のおれ。

 

「でも殿下は、とても嬉しそうでしたよ。わたしも嬉しかったんです」

「きみも?」

 

 メスガキ煽りされて喜ぶやつらはともかく?

 

「なにものでもない、ただ高い魔力を持って生まれたが故に義務を背負った人に対して、アラン、あなたはこういったのです。『魔力なんかに縛られて、己の定めを決めるな。諦めるな』って」

「それは……」

「高い魔力には強い義務が伴う。わたしたちは、もちろん殿下も、そう教わってきたんです。アラン、殿下はあなたに会う少し前に、『もうすぐ料理なんて遊びからは卒業しないとね』っていっていたんですよ」

 

 それは、知らなかった。

 ひょっとして、今みたいな食の権化になったのって、おれのせいなのか?

 

 そういえば、エステル王女と最初に会ったときって、あのひとまだあそこまでふとましくはなかった気がするな……。

 めちゃくちゃ悪い方に影響を与えてしまった気がする。

 

「わたしも、そうでした。あまり身体が強くなくて、家で活躍する道がなかったんです。貴族の家に生まれて魔力を活用できない者というのは、とても肩身が狭いんです」

「そういう話は、あまり聞いたことがなかった」

「下の者には伝えませんからね。知らなくても無理はありません。騎士は騎士の働きをすればいい、と考えるものです。貴族は貴族の働きを、王族は王族の働きを」

 

 ヴェルン王国(うちのくに)ではよく聞く言葉だ。

 でも、とメリルアリルは続ける。

 

「アラン、あなたはリアリアリア様以上に、王国放送(ヴィジョン)システムに熱心でしたね。騎士見習いが、王族の働きをするためのシステム。殿下にとって……いえ、わたしにとっても、それは救いだったんですよ」

 

 少女は、花が咲いたように笑った。

 ほんのつかの間、それにみとれた。

 

 婚約者、か。

 政治的な事情があるとはいえ、身内になる、ということだ。

 

「どうしましたか」

「守らなきゃいけないものがどんどん増えるなって思ったんだ」

「わたしのことも、守ってくれるってことですか」

 

 十歳で前世の記憶が戻ったころ。

 最初は、せめて両親と妹だけは守らなければという一心だった。

 

 やがて、少しずつ、その対象が増えていった。

 

 町の人々を守りたくなった。

 リアリアリアを守りたくなった。

 

 王都に赴いてからは、この国の王族たちを守りたくなった。

 アリスになってからは、アリス(おれ)を応援してくれる人々を守りたくなった。

 

 そして今、目の前の少女も守りたくなった自分がいる。

 

 魔王軍の侵攻から。

 迫り来る破滅から。

 

 これは分不相応な願いなのだろうか。

 

「嬉しいです」

 

 それでも、おれに対して向けてくれるこの笑顔のために、頑張りたいと思った。

 それが、どれほど無謀なことだとしても、である。

 

        ※※※

 

 セウィチアの民芸品はヴェルン王国でも人気がある。

 内陸国であるヴェルン王国では、真珠貝で装飾された指輪や腕輪を異性に送るのが最上とされていた。

 

 せっかくセウィチアに来たのだから、ということで、おれとメリルは民芸品を並べている屋台を覗き歩く。

 屋台で売っている品なんて偽物ばかり、かと思いきや、この商区の大広場では、正規の業者として許可証を掲げて商売している者たちだけが屋台を並べることができるのであった。

 

 で、正規品の指輪や腕輪、胸飾りに掲げられた値段をみて目を剥くまでがひとつのルーチンであるらしい。

 おれは騎士見習いとしてはそうとう裕福な部類のはずだが、やはりなんというか、この、値段……マジ?

 

 う、うーん、なんとか出せるけど。

 いや最悪、おれが管理している機密費に手をつければ……あとでへそくりから補填すれば……。

 

「アラン、気持ちは嬉しく思います。ですが、プレゼントは無理のない範囲でお願いしますね」

 

 速攻で釘を刺された。

 できた人である。

 

 そりゃ、あれだけ奔放なエステル王女の侍女だったんだもんな。

 

「情けない婚約者ですまないが、いまはこれを贈らせてくれ」

 

 おれは宝石を断念して、青い貝殻でできたネックレスを買った。

 その場でメリルの首にかける。

 

 胸もとで、貝殻が虹色に輝いた。

 これ、なんの貝殻なんだろうな……?

 

「嬉しいです。大切にしますね」

 

 メリルは、屈託のない笑みをみせた。

 

        ※※※

 

 セウィチアは商人たちがしのぎを削る、商売の国だ。

 国政に口を出すためには、より多くの税金を納める豪商になればいい。

 

 激しい競争の結果、勝者も出れば敗者も生まれる。

 昨日まで羽振りがよかった気鋭の商人が今日になって一家奴隷落ちなんてのもよくあること、らしい。

 

 いや、噂話にしてもそれ裏でなんか腹黒いことしてたでしょ……という感じではある。

 そもそもセウィチアで奴隷は、表向き、犯罪奴隷だけのはずだし。

 

 まあ、そういう国であるから、ちょっとでも裏通りに足を踏み込めば、かなり治安が悪いと事前に注意を受けていた。

 おれひとりならともかく、メリルといっしょに歩くような道ではないと。

 

 とはいえ商区のなかをうろついている分には大丈夫、だったはずなのだが……。

 

 気づくと、おれとメリルは前後数名ずつの、明らかにごろつき、ならず者とおぼしき方々に囲まれていた。

 半分くらいがモヒカンで、ナイフを構えてへへへと舌なめずりしたりしていて……すごいな、なんてテンプレな人たちなんだ。

 

 周囲の人影が、いつの間にか消えている。

 あーこれ、人払い系の魔法を使われてるな。

 

「いちおう聞くけど、おれたちがヴェルン王国から来た外交官と知っての狼藉か?」

 

 おれはメリルをかばうように建物を背にして立ち、腰のホルスターから小杖(ワンド)をとり出して訊ねる。

 合わせて八人の男たちは、おれとメリルをとり囲み、にやにやと笑っているだけだった。

 

 金で雇われて、目的は聞かされていないタイプかな、と当たりをつけた。

 まあ、いずれにしろ……。

 

 けっこうまずいわ、これ。

 だっておれ対魔族および魔物特化で鍛えたタイプだし、魔力リンクがないと平均的な騎士くらいの魔力量しかないし。

 

 もちろんわが国の平均的な騎士は、ごろつきの三人、四人くらいならなんとかする。

 でもこれが十人近くとなり、しかも背に女性を抱えているとなると……。

 

「メリル、おれが合図をしたら逃げてくれ」

「あ、えっと、アラン、その」

「どうした、今は……」

 

 メリルが、ちょいちょい、とおれの服の端を引っ張る。

 

「心配するな。きみはおれが守るから……」

「そうではなくて、ですね」

 

 メリルは、自身も小杖(ワンド)を握る。

 その先端が淡く輝いた。

 

「こいつ、魔法を使うぞ!」

「さっさとやっちまえっ!」

 

 ごろつきたちが、一斉に迫ろうとして……。

 

「えいっ」

 

 背から、強い風が、吹いた。

 飛び込んでこようとしたごろつき八人が、全員、吹き飛ばされて仰向けに倒れる。

 

「今のは、きみが……?」

「あ、はい。護身用の魔法です。お役に立てますか?」

「そりゃあ、もう」

 

 おれは、よろめきながら起き上がってくるごろつきたちに視線を向ける。

 そうだよな、この大陸の貴族って、つまり騎士より魔力がある奴らのことだもんな。

 

 シェリーほどじゃないにしても、彼女だっていっぱしの魔術師だ。

 ひょっとしたら、おれなんかよりよほど強いかもしれない。

 

「わかった、背中は預けた」

「はいっ!」

 

 おれは、ごろつきたちの体勢が整わないうちに、包囲する彼らの一角にとびこむ。

 小杖(ワンド)を小剣に変化させて、すれ違いざまの一撃でひとりの首を刎ねた。

 

 鮮血が舞い、頭部を失った男が倒れ伏す。

 吹き出るその血を浴びる間もなく、おれはその場を離脱している。

 

 残りのごろつきたちが、一瞬、おれの姿を見失った。

 その隙に、別の男の背後にまわり、背中からうなじのあたりに小剣を突き立てる。

 

 これで、ふたり目。

 

 なんか暗殺者みたいな戦い方だが、これって師匠から習った、大柄な相手に対して肉体強化魔法を使って優位に立つ戦い方、ってやつなんだよ。

 この戦い方を極めたからこそ、アリスがいる。

 

 ちらりとメリルの方をみる。

 彼女は小杖(ワンド)を掲げて、周囲を牽制していた。

 

 男たちはさきほどの突風をみているから、迂闊に飛び込めずにいる。

 よし、それでいい、いちばん助かるサポートだ。

 

 実際のところ、今、無差別に突風を撃たれるとおれも喰らってしまうからなあ。

 それでも、いざとなったら構わずぶっ放してくれていいけど。

 

 そう、アイコンタクトを送る。

 メリルは緊張した面持ちでうなずいた。

 

「ま、任せてください! ちゃんとアランは外します!」

 

 バッドコミュニケーション!

 

        ※※※

 

 このあと、ふたりの連係で、普通にごろつきを半分くらい倒したところで、残りが逃げていった。

 おれとメリルは、生き残りをひとり止血して、大使館に連れて帰った。

 

 その男を軽く尋問し、ついでに魔法で調べた結果、なにものかに精神操作された痕跡が発見された。

 

「禁術……かな。わたしの手には負えないやつだ」

 

 シェリーの分析に、大使館の皆が戦慄した。

 



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第34話

 おれとメリルを襲った男たちが、禁術で精神操作されて誰かに操られていた痕跡があった。

 シェリーがリアリアリアに連絡を入れ、軽く相談した結果、どうやらリアリアリアも知らない魔法であるらしい。

 

「うーん、アリア婆様でしょ。本当に知らないのかなー?」

「師匠は気軽に禁術をばらまきかねない人だけど、こんなことで嘘をつきませんから」

「それもそっかー」

 

 エステル王女とシェリーがそんな会話をしている。

 リアリアリアの人格に対する信頼が厚い。

 

「一応確認だけど、シェリーちゃん、アリア婆様が知らない魔法なんてあるの?」

「いっぱいあると思います。各国で秘匿している魔法があるでしょうし、高位の魔術師が独自に開発したものなら師匠が知らなくてもおかしくはありません。歴史のなかで消えた魔法もたくさんある、と聞きました」

 

 でも、とシェリーは続ける。

 

「そういうのとは違って、まったく系統がわからない魔法、らしいんです。わたしも術式の痕跡を辿ったんですけど、解読の手がかりすらさっぱりで……」

 

 プログラムの言語が違う、みたいなものかな。

 魔法の分析とか、まったくわからないが。

 

 でも、そんなことあるんだな。

 とおれは呑気にやりとりを眺めていたのだが……。

 

 エステル王女とシェリーの顔色が、どうもよくない。

 ふたりとも、口に出さないけどなにか思い当たる節があるらしい。

 

 おれはメリルと顔を見合わせた。

 お互いに、首をかしげてみせる。

 

「あのね、アランくん。うちらが言ってるのは、これが人類の魔法じゃない可能性が高い、という話なわけ」

 

 エステル王女が、ジト目でおれたちを睨む。

 おれとメリルは、同時にぽんと手を叩いた。

 

「エステル様。つまり、魔族、ですか」

「確定じゃないけどね。この街に潜んでいる魔族が、人を操ってアランくんたちを襲わせた、という前提で動いた方がいい。とりあえず最悪を考えて動くのが基本、なんでしょ? よく知らないけど」

 

 メリルとエステル王女はおれをみる。

 大使館は近衛騎士たちによって厳重に守られているが、相手が魔族となれば、それでも万全とはいえない。

 

ヴェルン王国(うち)の王都にあれだけ浸透されていたんです。この国に魔族がいても不思議じゃないですが……」

「明日の握手会、やめとく? いまなら大使館の者が襲われた、ってことを口実にできるよ」

 

 おれは少し考えて、エステル王女に首を振った。

 

「いや、中止はしません。あれが脅しだったら、おれたちが魔族の脅しに屈したことになる」

「そうだねー。やー、まいった、まいった。明日はせいぜい、警備を厳重にしてもらうしかないかなあ」

 

 エステル王女は明るく笑う。

 つられて笑う者は、誰もいなかった。

 

        ※※※

 

 翌日、握手会の会場となるセウィチア議会場には朝から大勢の人が詰めかけていた。

 ドーム状の建物で、中央の舞台を囲むように無数の観客席が並んでいる。

 

 満員の観客席には、三千人が詰めかけているという。

 屋内でこれだけの収容人数とは、たいしたものだ。

 

 内部はクーラーで冷却されていて、にもかかわらず満員の観客席は熱気に満ちている。

 アリス(おれ)が舞台の中央に立って、観客に対して手を振っているからだった。

 

「みんなーっ! 今日は来てくれてありがとーっ! 朝から暇なひとばっかりで、アリスびっくりだよーっ!」

 

 あっ、つい習慣で煽ってしまった。

 まあ、なんかウケてるからいいか。

 

 つーか、なんでこの国でもアリスの煽りで喜ぶ人たちばっかりなんですかね。

 アリスの等身大の似顔絵を旗にして振ってる人までいる。

 

 この大陸中、メスガキ煽りに興奮する人ばっかりなの?

 人類、やっぱり滅んだ方がいいのでは?

 

 ちなみにアリスの声は魔法で拡大されている。

 映像と音声は王国放送(ヴィジョン)システムによって、会場の外に設置されたモニターや、ヴェルン王国の各地にも配信されているはずであった。

 

「今日はセウィチア共和国のお兄ちゃんお姉ちゃんたちとお話するよ! みんな、よろしくねーっ!」

 

 ちなみに握手会といっても、あらかじめ選ばれた人たちと握手し、少し会話するだけである。

 安全保障上も、誰だかわからない一般人はさすがに通せない。

 

 セウィチアの各階層から代表となる者が二十人ほど選ばれて、アリスの前に集まってくる。

 老若男女、さまざまな人がいた。

 

 皆が褐色の肌なのは、この地特有のものだ。

 最初に前に進み出たのは、壮年の男性だった。

 

「初めまして、アリスくん。わたしはロック。商会を経営している。以前から、きみと話をしたかったんだ」

「初めまして、ロックさん! ロック商会を一代で成長させた方にお目にかかれて嬉しいです!」

 

 ロック氏と握手する。

 がっしりしているけれど、武器を握ったことはない手だった。

 

 いくらか雑談をしながら、食べ物がおいしいだのなんだのとリップサービスする。

 ロック氏は嬉しそうにしていた。

 

「孫は君の熱烈なファンでね。自慢できるよ。この手はしばらく洗わないでおこう」

 

 手は洗え。

 

 会話は二分ほどで、次の人に。

 若い女性が入れ替わりにアリスの前に立つ。

 

「わっ、わたしっ、アリスちゃんのことひと目みたときから大好きでしたっ! こっこっこっ交際を前提に結婚してください!」

「お姉さん業が深いね! ごめんなさいっ!」

 

 その次は、腰が曲がった老人だった。

 この人はとてもまともだった。

 

 ふう、よかったよ……握手会に参加する全員がやべー奴だったら、やっぱりこの世界は滅んだ方がいいんじゃないかと一瞬でも思うところだった。

 

 まあ、とにかく次々と握手して、会話をする。

 友好的な雰囲気を演出して、共和国の人々にアリスを受け入れてもらう。

 

 そうして、半分の十人ほどが終わったところで……。

 

 視界の隅、観客席の後ろの方で、きらりとなにかが光った。

 そのとき握手していたのは、議員のひとりであるという、はげ頭の男性。

 

 おれはその男性を抱え上げると、横っ飛びに跳躍した。

 一瞬遅れて、さっきまでおれたちが立っていた舞台上でおおきな爆発が起こる。

 

 悲鳴と怒号があがった。

 

        ※※※

 

 襲撃の可能性は、充分に考慮していた。

 昨日、あんなことがあったばかりである。

 

 セウィチア側にも、昨日のことは伝達済みだ。

 会場の警備を強化する、と請け負ってくれていた。

 

 でも、まあ。

 完璧に襲撃を防げるとは、思っていなかった。

 

 ヴェルン王国の王都ですら、奇襲を受けたのだ。

 魔術師の数でも質でも劣るこの国であれば、なおさらである。

 

 だからアリス(おれ)個人としても、充分に周囲を警戒していたのであるが……。

 

 おれは抱えていた男を床に下ろすと、「逃げて!」とちいさく告げた。

 でもはげ頭の男は、腰を抜かしてしまった様子で、四つん這いになって、あわわっ、とじたばたしている。

 

 これまで暴力沙汰に無縁だったのなら、無理はない。

 王国(うち)の貴族たちみたいに幼いころから訓練を受けているならともかく……。

 

 

:なんだ、爆発?

:アリスちゃん無事?

:うわっ、テロかよ

:セウィチアって王族がいないんだっけ?

:商人の国だな

 

 

 視界の隅でコメントが流れ始める。

 王国放送(ヴィジョン)システムが相互モードになったのだ。

 

 ちらり、と背後を振り返れば、エステル王女が、ぐっと親指を立てていた。

 システム起動にゴーサインを出したくれたのは、彼女だろう。

 

「今、攻撃魔法を放った奴はどこだ!?」

「階段の上の方だ、捕らえろ!」

 

 警備の者たちが急いで観客席に向かっている。

 でも観客席の人々は今やパニック状態で、右往左往していて、結果的に彼らの道を塞いでいた。

 

 まったく……こんなところでテロなんて、冗談じゃない。

 今の爆発の規模から考えてそう強力な魔法ではないはずだけど、一般人なら即死間違いなしである。

 

 あれを連射されたら、ちとまずい。

 アリス(おれ)は生き残ることができても、まわりに与える被害がでかすぎる。

 

 逆にいえば、アリス(おれ)を仕留めるにはあの程度じゃ足りないわけで……。

 とはいえ、舞台の上にいる一般人を守りながら戦うのはちと厳しい。

 

 

:狙いは王国とセウィチアの接近阻止か?

:じゃ、ないかな

:それ、セウィチア側に得がある?

:むしろ損しかないはず

:だからでは?

:セウィチアは隣国のアウエスと仲が悪い

 

 

 あー、アウエス公国。

 セウィチアのすぐ西にある国で、こっちも交易で財をなしている商売の国だ。

 

 ライバル、というか宿敵。

 そんな関係の両国は、ことあるごとに角を突き合わせて、モメにモメてきたという。

 

 まあ、とにかく……とおれは腰を抜かしたおっさんを物陰に引きずりながら周囲の状況を確認する。

 エステル王女のそばで、シェルがおれに手を振っていた。

 

 すでに魔力リンクで魔力を送ってくれている。

 その魔力で、おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)を使用し、おっさんを引きずっているわけだ。

 

 さて、普段と違って、人が密集したドームのなかである。

 このままフルパワーで戦うわけにもいかないのだが……。

 

 観客席の上の方で、また光が瞬いた。

 

「シェルっ!」

「うん!」

 

 シェルが、素早く小杖(ワンド)を前方に突き出す。

 半透明のバリアが展開され、エステル王女めがけて飛んできた光の矢を弾いた。

 

 光の矢はさらに数本、たて続けに飛来する。

 そのうちの一本はおれが引きずるおっさんに向かってきたので、おれはおっさんを一気に引っ張ると、遠くに放り投げて回避した。

 

 おっさんは宙を舞い、物陰に飛び込んで、カエルが潰れるような声をあげる。

 

「ごめんね!」

「い、いや、これもご褒美だ」

 

 おっさんから返事が来る。

 意外と余裕あるな!?

 

 



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第35話

 広いドーム状の議会場、現アリスちゃん握手会の会場は、阿鼻叫喚であった。

 観客席の上段の方に居座って中央の舞台に攻撃魔法を放ってくる敵に対して、おれたちは防戦一方である。

 

 舞台の上の一般人を守るだけで精一杯だ。

 エステル王女も、戦いでは役に立たない。

 

 反撃するには、右往左往する観客たちが邪魔であった。

 警備の者たちも、観客に邪魔されて対応できない。

 

 この光景はヴェルン王国中にもライブ配信されている以上、観客を巻き添えに攻撃、なんてわけにもいかない。

 それをいいことに、犯人は好き勝手に魔法を連射してくる。

 

 ざっとみた感じ、五人くらいか。

 交互に攻撃魔法を詠唱したり、同時に放ってみたり……。

 

 おれの知ってる魔術師ってシェリーとかリアリアリアとかなので、そのへんに比べるとお粗末極まりない魔法だ。

 でも一般人を盾にされると、いささか面倒な相手であった。

 

 これ、テルファとかムルフィなら、先の大闘技場での戦いみたいに、禁術で心を操ってなんとでもしてくれるんだけどな……。

 リアリアリアも、あのときは非常事態だからと好き勝手に禁術を使っていた。

 

 あいにくとシェリーはそんなもの学んでいない。

 兄としては嬉しいことだが、今はちょっときつい。

 

 敵が、またおれたちめがけて光の矢を放ってきた。

 全部で七本、すべて舞台の上で悲鳴をあげている一般人に対してである。

 

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)で脚力を強化して頭を抱えてうずくまる十五、六歳くらいの少女をかっさらうと、そのまま横っ飛びで迫り来る光の矢を避けた。

 まあ、この程度、上位魔族の攻撃に比べればたいしたことはない。

 

 問題は、反撃手段で……うーん、いま空を飛んで行ったら、格好の的だよなあ。

 

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫です! わあっ、アリスちゃんに抱きつかれちゃった!」

「抱きついてないから! 営業だから!」

「営業ならぎゅっとしていいんですか!?」

 

 呑気なこと言ってるんじゃないよ!

 おれは彼女を、舞台の陰の機材置き場にぶん投げる。

 

 少女は、ふぎゃっ、と悲鳴をあげていた。

 腰から落ちたから、痣くらいできてるかもしれない。

 

 このままでは埒が明かない。

 

 今度は散発的に、光の矢が舞台に飛んできた。

 一般人がまた悲鳴をあげて逃げようとして……。

 

 シェルが、広範囲に結界を展開する。

 光の矢が結界に弾かれ、結界もまたギリギリのところで持ちこたえてみせる。

 

「ここはわたしがなんとかするから、アリスお姉ちゃんは敵を!」

「うん、わかったよ、シェル!」

 

 しゃあない、ここは一発。

 

「みんなっ、アリスに力を貸して!」

 

 

:おう、よくわからんけど任せとけ

:観客の犠牲はなるべく避けてね

:でもいざとなったら見捨てていいぞ

:がんばって、アリスちゃん!

 

 

 大量の螺旋詠唱(スパイラルチャント)が来る。

 おれは流れ込んでくる魔力を肉体増強(フィジカルエンチャント)にまわして、跳躍した。

 

 斜め前の、ドームの壁に向かって(・・・・・・・・・・)

 

 犯人たちにとっては、おれが一瞬で消えたようにみえただろう。

 動揺するようにホール中央の舞台をみている。

 

 おれはその隙に、ドームの壁を蹴って反転、犯人たちの横合いから急接近する。

 全部で五人のうち、ひとりだけがおれに反応して横を向くが……。

 

「魔物よりずっとおっそいっ!」

 

 おれは小杖(ワンド)を小柄な剣にして、すれ違いざま、彼らを切り捨てる。

 

 一瞬で、五人を始末した。

 

 

:おっと、首が五つ、ぽーんと跳んだな

:今日はお祭りかな?

:こいつは景気がいいな!

 

 

 コメント欄も呑気なものだ。

 まあ、こいつらみんな魔力を贈れるくらいの貴族だからね。

 

 

:やっぱり普通の魔術師じゃ相手にならん

:そりゃそうよ、相手が魔族じゃなきゃ

:魔族相手じゃないから螺旋詠唱(スパチャ)も控え目だけど、充分みたいね

 

 

 うん、充分だ。

 いつも感謝しております。

 

 さて、これで襲撃者はすべて始末したわけだが……。

 

「あっ、駄目っ!」

 

 舞台の方から鋭い声があがる。

 シェルだ。

 

 みれば、ひとりの男が抜刀し、エステル王女に斬りかかっていた。

 シェルがとっさに、賊と王女の間に割って入り……。

 

 少女が、魔法の防壁をつくる。

 しかし賊の持つ剣の先端が防壁に触れたとたん、その防壁がぱりんと音を立てて割れた。

 

「嘘――っ」

 

 シェルがおおきく目を見開く。

 

 げっ、あの剣、おれの知っている武器だ。

 ゲームにも出てきた古代の遺産、あんなものが、なんで――。

 

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)

 相手にかかった付与魔法(バフ)を解除する武器で、とあるイベントの攻略に使用したものだ。

 

 人の心を操る禁術を使う、人類の裏切り者を倒すために。

 

 いちおうは大昔の量産品という扱いだったはずだけど、ゲーム中では一本しか出てこなかった。

 いったいどこからそんな貴重品を……。

 

 いや、それよりもアレはまずい。

 

「シェル、逃げ――っ」

 

 おれが声を張り上げた次の瞬間、シェルの身体にその剣の刀身が触れる。

 彼女の身体にかかった魔法が一瞬でかき消え、本来の姿が露わになる。

 

 幼女といってもいい小柄な少女が、十六歳の女性の姿に変化する。

 その様子が、王国放送(ヴィジョン)に映ってしまった。

 

 エステル王女をかばって、メリルアリルがそこに立っている。

 

 その肩に男の剣を受け、血を流していた。

 首から下げた青い貝殻のネックレスが弾け飛び、宙を舞う。

 

 エステル王女が「メリルっ」と叫ぶその声も、放送に乗る。

 男がけたたましい笑い声をあげた。

 

「貴様らの化けの皮、剥いでやったぞ! ざまあみろっ!」

 

 次の瞬間、男の胴体が光の矢で貫かれ、男は絶命する。

 エステル王女の背後から放たれたその魔法は、シェリーのものだった。

 

 シェリーは、肩でおおきく息をしていた。

 ここまで走ってきたのだろう。

 

 今回、彼女は奥でセウィチアの技術者と王国放送(ヴィジョン)システムの技術的な側面について打ち合わせをしていたのである。

 故に、メリルアリルがシェルとなり、アリスのそばに控えることになっていた。

 

「メリルっ!」

 

 おれは慌てて翼を生やすと、観客席から舞台まで飛ぶ。

 放送のコメントでは、多くの者が慌てふためいていた。

 

 大半は、アリスとシェルの正体を知らない。

 ただ社交界に出ている者は多いから、メリルアリルという女性のことを知っている者はいくらかいて、その者たちが彼女のプロフィールを書き込んでいた。

 

 今更、それをストップさせるには遅い。

 ヴェルン王国中が、シェルの正体(・・)を知ってしまった。

 

 でも、そんなことより、おれとしては深手を負ったメリルのことの方が心配で……。

 倒れかけた彼女を、エステル王女が抱きしめる。

 

「馬鹿っ! メリルはもう側仕えじゃないんだからっ!」

「それ……でも。殿下を守れて、よかった」

 

 メリルはうっすらと微笑み、全力で駆けてくるアリス(おれ)の方をみる。

 その唇が、「ごめんなさい」と呟いていた。

 

 

        ※※※

 

 

 結論から言うと、メリルは無事、一命をとりとめた。

 あの場にシェリーがいたから、当然だ。

 

 テロを起こしたやつらは全滅した。

 今のところ、どの勢力がやったのか、その手がかりはほとんど判明していない。

 

 残留した魔力から、おれとメリルを襲撃した奴らにかかっていたものと同じような魔法が使用されたことはわかっている。

 だとすれば、やはり魔族が関わっているのだろうか。

 

 さて、正体バレしたメリルだが……。

 

「アランくん、ごめん」

 

 エステル王女がおれに頭を下げる。

 この場にいるのはおれと彼女のふたりきりで、完全防音の大使館の個室とはいえ、王族に頭を下げさせるというのは尋常なことじゃない。

 

 でもこれは、きっと……。

 エステル王女が、本当に、心から、メリルの友人だからこその誠意なのだろう。

 

「メリルとの婚約は、なかったことでお願い」

「わかっています。公式にメリルがシェルになった以上、彼女に近しい騎士がいるのはまずい。まだメリルの過同調体質はバレていないでしょうけど、もしそれも流出したら、アリスが誰かたちどころにわかってしまう」

 

 とりあえず、頭を上げてもらう。

 いつまでも王族に頭を下げさせているのは心臓に悪い。

 

「うん、そういうこと。――コメントでメリルのこと書き込んだやつ、みつけて徹底的に締め上げてやる」

 

 エステル王女は、ぐっと拳を握っているけれど……。

 いや、それは仕方ないだろ。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)が解かれた以上、遅かれ早かれバレることだ。

 あれを解く方法、マジで対魔法剣(アンチマジック・ブレード)くらいのはずなので、どうしようもなかった。

 

「つーかさー、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)なんてピンポイントな武器、どうしてあんなやつらが持っていたんだろう」

 

 エステル王女の呟きで、はっとなる。

 

「ひょっとして、王国放送(ヴィジョン)システム対策……ですか?」

「うん? あ、そっか。螺旋詠唱(スパイラルチャント)付与魔法(バフ)の一種だわ。げっ、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)ってどれくらい発掘されてるの? うちら王族ですら、さっき知ったばっかりなんだけど」

 

 どうなんだろう、まったくわからない。

 とにかく、これで()の今回の狙いはわかった。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)対策の実験だ。

 テロリストたちは完全に捨て駒で、メリルの正体割れも事故というか副次的なもの、その本命はアリスをあれだけ強化している螺旋詠唱(スパイラルチャント)を剥がせるかどうかのテストだったのだろう。

 

 でも見当違いのところで効果を出してしまった。

 本当に螺旋詠唱(スパイラルチャント)を消せるかどうかはわからないまま。

 

 ………。

 いやこれ、魔族側も頭を抱えてるんじゃないの?

 



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第36話

 アリスの握手会があった日、そして会場に襲撃を受けた日。

 夜になった。

 

 メリルアリルは魔法で治療されたあと、大使館の一室で眠っている。

 命に別状はない。

 

 おれがプレゼントした青い貝殻のネックレスは凶刃によって破壊された。

 その残骸を、眠るメリルは両手で握りしめたまま離さないのだという。

 

 セウィチア共和国の諜報部隊が全力で動いて、その日のうちに怪しい連中の潜伏場所を暴いてきた。

 彼らとしても面子を完全に潰されたので、必死である。

 

 商区のはずれ、貧困層が住むスラムとの境のあたりの、いちばん混沌としたエリアに、それはあった。

 小汚い二階建ての家が狭い範囲に立ち並び、道は大人がギリギリすれ違えるほどの区画の、その一部。

 

 怪しい者たちが出入りしていて、周囲の住民から、「あそこは出入りする人数が合わない。入った奴の半分が出てこない」という噂が立つあたり。

 そこに、妙に広い屋敷が建っているという。

 

 あのさあ、そんな区画、どうしてこれまで注目されなかったの……。

 と聞けば、諜報部はこのところ王国放送(ヴィジョン)システム受け入れに関するあれこれでてんてこ舞いで、議会場のある商区の中央付近の調査に集中していたとのことである。

 

 その隙に他国の浸透を受けていたのだから、世話ないよ。

 といまさらツッコミを入れても仕方がない。

 

 深夜。

 周囲の区画を封鎖して、当たりをつけた建物に襲撃をかけることとなった。

 

 ガサ入れである。

 ただし、主力はアリス(おれ)だ。

 

 今回、シェルはシェリーが担当する。

 スタンダードな配置というわけだ。

 

 メリルの怪我はいちおう治療魔法で完治したけど、おれのときもそうだったように、肉体に受けたダメージが完全に消えたわけじゃない。

 それに、今の彼女は精神的にもダメージがおおきいようだった。

 

 そもそもシェリーの方が魔術師としては数段格上で、おれとのコンビネーションも熟練の域にある。

 

 公式には、伯爵令嬢であるメリルこそがシェルの中身である、ということになった、らしい。

 緊急に、伯爵家にはそれまで知られていなかったメリルの姉が存在していることが判明(・・)した。

 

 幼いころに出奔し、ずっと消息不明だったその姉がここ一年と少しで戻ってきていた、とのことである。

 もちろん架空の姉だ。

 

 その架空の人物こそがアリスの正体、というわけである。

 いまごろ、文才に長けた王族の一部が徹夜でカバーストーリーを考えているはずであった。

 

「ところでシェリー、ためしにメリルの物まね、やってみてくれないか」

「わっ、わたしったらちょっとドジっちゃったわー、でもがんばるわー、わーっ」

 

 おれとエステル王女は顔を見合わせて「難しいことを考えるのはやめて、インタビューとかがあっても、いつものシェルで」ということになった。

 

「シェリー、誰にでも苦手なことはある。おまえには魔法の才能があるんだから気にするな」

「そっ、そんなに駄目だったかな!?」

 

 おれはそっと視線をそらした。

 エステル王女は笑ってごまかした。

 

 

        ※※※

 

 月は半月。

 おれはアリスとなって、建物の屋根から屋根へと忍者のように跳躍する。

 

 隠密行動優先のため、まだ全体での王国放送(ヴィジョン)システムは稼働していないが、ヴェルン王国の王宮とだけは部分的に接続していた。

 最近可能になった部分接続は、こういうとき便利である。

 

 

:ところでアリスちゃん、今日のパンツは何色?

:はぁはぁはぁ……おじさんにだけブラの色教えて?

:おっ、さっそく部分接続を効果的に活用しているな?

 

 

「ぜんぜん効果的じゃないよっ! いま端末の前にいるひと、みんなアリスの正体知ってるでしょ? なにが楽しいの?」

 

 

:楽しい

:すっごい楽しい

:最高のストレス解消

:ほんと育て方を間違えたわ……

 

 

 最後のは国王のありがたいコメントである。

 健気に生きて欲しい。

 

 さて、目当ての建物の近くまできた。

 肉体増強(フィジカルエンチャント)を視力にまわして、周囲を窺う。

 

 あー、見張りは四人、かな。

 いっけん、ただの薄汚い住民にみえるけど……。

 

 

:騎士だよね、あれ

:たぶん探知魔法使って警戒してる

:やっぱりどこかの国が後ろにいるかー

 

 

 コメントの通り、うん、これ地上から接近してたらたちどころにみつかってたわ。

 

 

:後ろにいるのはアウエスかね

:たぶん、そう

:でも魔王軍に先に狙われるのってアウエスの方じゃ?

:だから、でしょ。おそらく魔王軍との合意ができてる

 

 

 アウエス公国はこのセウィチア共和国の西に位置する国で、セウィチア共和国とは仲が悪い。

 アウエスの方が魔王軍の最前線に近いから、本来ならこっちの方がうちの国に救援を求めるんだろうけど、先にセウィチアが接触してきたんだよね。

 

 

:魔族どもとの合意とか、守られるの?

:知らん

:あっさり反故にして、侵攻してきそう

:降伏した国の王家を全員奴隷にしてたよな、たしか

:民も貴族もみんな奴隷に落としてたから……ヒトはみんな平等に奴隷だから……

 

 

 そうなんだよなあ。

 魔王軍の奴らが約束を守るとは思えない。

 

 というか、おれはゲーム知識で知ってるけど、国家との約束なんてまったく守ってないはず。

 圧倒的な力で大陸のほとんどを征服できるんだから、守る意味もないのだ。

 

 

:ところで今日のシェルちゃんがメリルって子だったの、マジでびっくりしたんだけど

:うちは知ってた

:うちらは知らなかった。これディラちゃんの策謀でしょ

:ディラちゃんいうな

:そのあたりいろいろあるんだけど、アリスちゃん、ごめんなさいね

 

 

 いまのごめんね、はディアスアレス王子の母上、つまり王妃のひとりからだ。

 

「わかってます。アリス(おれ)の正体を知られる危険を考えたら、むしろ運がよかった」

 

 思わず素に返って、そう返事をしてしまう。

 

 

:そんなこといわないで

:もっとメスガキ風に

:もっとパンツみせて

:サービス頑張って

 

 

「無理にそっち方向に戻さないでもいいんじゃないかな、お兄ちゃんたち!?」

 

 

:いまのおれたちにできるのは、アリスちゃんを辱めることだけだから……

:しかたないよね……

:こんなことしかできなくてごめんね……

 

 

「しなくていいからね! ほんとに!!」

 

 

        ※※※

 

 

「それじゃ、シェル! プランBでお願いね!」

「了解、アリスお姉ちゃん。囮の人たちを送るよ」

 

 おれにだけ聞こえる声で、シェルが告げる。

 彼女はいま、空の上から全体を把握して、別動隊にも同じような魔法で指示を伝えているはずだ。

 

 プランBは、別動隊であるセウィチアの部隊が囮として動き、相手がそちらに気をとられた隙にアリスが強行突破する作戦である。

 できればあそこの騎士たちを捕らえて所属を吐かせたいところだが、今回はあの建物の内部を調べる方が優先だ。

 

 内部に証拠が残されているなら、証拠の隠滅を防ぐことこそ肝要。

 だからこそ、テロの日の夜という最高速度で、この作戦が実行に移されたのである。

 

 おれが隠れている一角とは反対の方で、火の手があがった。

 

 見張りの男たちが緊張して、なにごとかと首を巡らす。

 彼らがおれから背を向けた、その瞬間――。

 

「行くよっ」

 

 アリス(おれ)は屋根の上から跳び出した。

 肉体増強(フィジカルエンチャント)で脚を強化し、一瞬で屋根から屋根へ飛び移ると、見張りたちの頭上から落下する。

 

 小杖(ワンド)を剣に変化させ、一閃。

 並んで立っていたふたりの首が宙を舞う。

 

「うん、なんだ――っ!?」

 

 残るふたりが振り返ったときには、おれは地面に着地し、全身をバネにしている。

 跳躍し、一気に距離を詰めて剣を振るう。

 

 残るふたりが腰の剣を抜く前に、その首を刎ねていた。

 四つの首のない身体が地面に倒れる。

 

「入り口、制圧! フォローよろしくっ」

 

 

:よしよし、順調

:暗殺者もやっていける手際

:いまさらだけど王国放送(ヴィジョン)システムってやべーな

:いまさらすぎる

 

 

 呑気だな、王族(しちょうしゃ)たち。

 おれは背中にくくりつけていた今回の秘密兵器を抜く。

 

 昼間の敵が使ってきた対魔法剣(アンチマジック・ブレード)だ。

 扉を前にして、回収したこの対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を一閃する。

 

 扉に張られていた警報の魔法(アラーム)が解除されて、ついでにドアもまっぷたつになる。

 おれは対魔法剣(アンチマジック・ブレード)をふたたび背負い、ドアを蹴り開けて踊り込む。

 

 そして――立ち込める濃厚な臭いに、顔をしかめた。

 玄関にはひと気がないものの、奥への扉は開いていて、廊下には明かりの魔法がついている。

 

 おれは迷わず床を蹴って、廊下の奥へ駆けた。

 

 なにごとか、と横の部屋から顔を出した男たち数名を拳で昏倒させ、さくっと奥へ。

 彼らへの対処は、後続の突入隊がやってくれるはずである。

 

 ちらりと振り向けば、シェルがおれのすぐ後ろで地面すれすれを飛行していた。

 こういう狭い場所だと、さすがに遠隔で螺旋詠唱(スパイラルチャント)を送るわけにはいかないからね……。

 

 地下への階段があった。

 階段から顔を出す騎士らしきふたりの男を一撃で昏倒させ、階下へ。

 

 二十メートルくらい下っただろうか。

 正面に、おおきな両開きの扉があった。

 

 見張りは――さっきぶちのめしたふたりだったのかな?

 

 ためらいなく正面の扉をぶち破って、なかへ。

 そこは、明かり魔法のシャンデリアで照らされた、ひときわおおきなフロアだった。

 

 まず聞こえたのは、喘ぎ声。

 鼻をふさぎたくなるような臭気。

 

 天井の高さは二十メートルくらいで、ドーム状となっていた。

 そのあちこりで、裸の女たちが、グロテスクな触手に全身を拘束されていた。

 少なくとも二十人以上はいて、それと同数の触手の化け物だ。

 

 触手たちの奥に、蠢くひときわ巨大なモノがいる。

 巨大なタコに似た魔族……いや、こいつは分類上魔物だったか。

 

 こいつのことは、ゲームで知っている。

 人類を文字通り餌として魔力を搾り取り、力を蓄える、魔力喰い(マギイーター)という名の魔物だ。

 

 触手の使い魔を生み出してるのもこいつである。

 女王蟻と働き蟻みたいなものらしい。

 

 ちなみにプレイヤーからの呼び名は、エロシーン製造機。

 敗北エンドの汎用絵にも出てくる名選手である。

 

 こいつで魔力を貯めて、そうして得た魔力で大規模な魔法を行使する、というのが魔王軍の陰謀パターンのひとつであった。

 今回の場合、昨日、今日の洗脳された奴らから考えるに、洗脳の魔法のために魔力が必要だったのかもしれない。

 

 

:うわあ、エログロ

:こんな魔物の浸透に気づかなかったのか、セウィチアは

:うちも人のこといえない

:他人ごとじゃないんだよなあ

 

 

「あーもーっ、予想はしてたけど強制うまぴょいとかシェルの教育に悪いっ」

 

 

:うまぴょ……なに?

:アリスちゃんはたまによくわからないことをいう

 



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第37話

 地下につくられたドーム状の空間。

 アリス(おれ)は触手の大軍とそのボスである魔力喰い(マギイーター)に対峙している。

 

 触手たちは裸の女たちを拘束して魔力を奪い、奥にいる魔力喰い(マギイーター)へ供給しているようだった。

 

 

:大都市の地下に魔物が入り込んでるとか、諜報ぼろぼろ

:うちも他国のこといえないから……他人事じゃないから……

:あの化け物、捕獲すればなんか役に立つか?

:いらない、潰しちゃって

 

 

「もっちろんっ!」

 

 おれはぬめる液体が溜まった床を蹴り、魔力喰い(マギイーター)に突進する。

 何体かの触手の化け物がおれの行く手を阻むも、これは剣を一閃、まとめて切り捨てる。

 

 こいつら、魔力喰い(マギイーター)から低コストで生まれてくる使い魔だから、いちいち相手にしていても仕方がない。

 女王蟻である魔力喰い(マギイーター)を倒すしかないのだ。

 

 あと数歩、というところまで来て、不意に首筋に、ちりちりした感触があった。

 慌てて、飛び退る。

 

 一瞬前までおれがいた床が、まっぷたつに裂けていた。

 先ほどまではいなかった人影が、そこに立っている。

 

「誰!?」

 

 慌てて、剣を構えなおす。

 おれの前に立ちふさがった人影は、銀の全身鎧をまとった騎士だった。

 

 身の丈は二メートル弱。

 フルフェイスの兜で覆われた頭部の奥で、赤い瞳が不気味に輝いている。

 

 全身鎧の人物は、その身よりおおきな刀身の剣を両手に一本ずつ握っていた。

 こいつが魔族じゃないなら、きっと肉体増強(フィジカルエンチャント)でかなりブーストしている。

 

 大剣二刀流、か――。

 そういう魔族は知らない、けど。

 

 

:あいつ、アウエスの狂犬じゃね?

:は? 人間? 魔族じゃなくて?

:騎士百人斬りのやべーやつじゃないっけ

:なんでそんな奴が?

 

 

 アウエス公国はセウィチア共和国と仲が悪いって話だったけど……。

 こいつ、とおれはその全身鎧の人物を睨む。

 

 相手が、フルフェイスの兜の奥で嗤ったような気がした。

 アウエスの狂犬、とコメント欄で呼ばれた銀の全身鎧の人物は、ふた振りの巨大な剣を構える。

 

 大剣二刀流とは、これまたロマンの塊……とは、この世界ではいえない。

 騎士ならば誰だって肉体増強(フィジカルエンチャント)を使っているからだ。

 

 とはいえ、普通の魔力量しか持たない騎士なら、膂力一点集中でもすぐに魔力が尽きるだろう。

 おれみたいに螺旋詠唱(スパイラルチャント)の援護があれば話は別だが、でもなあ……。

 

 魔物を相手にするには、たいていの場合、素直に質のいい武器を的確な部位に当てた方が効率がいいのだ。

 

 もちろんおれだって、小杖(ワンド)を大剣にすることはある。

 でもそれは一部の敵を相手にするときだけで、普段は刀身一メートル以下の剣を愛用している。

 

 このあたりは、おれの小杖(ワンド)が特別性で、膂力極振りしなくとも魔物や魔族を外皮を切り裂くだけの切れ味があるから、というのもあるんだけど……。

 

 そのあたりを踏まえていうと。

 目の前の人物の戦闘スタイルはおれとは全然違うのだろう。

 

 騎士百人切り、ってさっきコメント欄でいってたな。

 つまりは、対人のエキスパートってわけか。

 

 たしかに、こいつの構えは隙が無い。

 迂闊に飛び込めば叩き潰される気がしてならない。

 

「かなり強いね、お兄さん。いや、お姉さんじゃないよね? ねえ、ちょっとその兜をとってみせてよ。挨拶は大事だよ?」

 

 とりあえず適当なことをしゃべってみる。

 なにか反応を引き出せれば、それだけ攻略の手がかりが得られるかもしれない。

 

 しかし相手は無言だった。

 じりっ、とスリ足でわずかに前進してくる。

 

 おれは一歩下がる。

 ぶるりと震えた。

 

 ちっ、いま、わりとガチで怯えてしまった。

 ええいっ、と心を奮い立たせて、口を開く。

 

「ちょっとちょっとーっ、無言ってどうなの! ねえ、なにかいってよ! それとも口がきけないのかな? だったらゴメンね――っ」

 

 しゃべっている最中に、鋭く踏み込んできた。

 おれは反射的に下がる。

 

 大剣が、アリス(おれ)の服の胸もとを切り裂く。

 皮膚を皮一枚斬られて、赤い血がほとばしった。

 

「レスバなしとかっ」

「アリスお姉ちゃんっ!」

「だいじょうぶっ」

 

 かなり余裕をもって避けたつもりだったけど、間合いをミスった?

 いや、相手の踏み込みがおれの想定よりずっと速かったんだ。

 

 追撃の斬撃は、もう一方の大剣から。

 そっちは小杖(ワンド)を剣に変えて受け止め――そのまま、アリス(おれ)の身体が横に吹き飛ばされた。

 

 壁に衝突する前に自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で翼を生やし、羽ばたく。

 宙で回転して、そのまま天井近くまで高度をあげる。

 

「あっぶなっ、もーっ、乙女の柔肌になんてことしてくれちゃってるのーっ、ってっ」

 

 騎士が、床から跳躍する。

 二十メートルくらいの高さの天井まで、一瞬で到達する。

 

 おれは慌てて天井を蹴ると、向きを変えて床に着地、すぐそこで飛び跳ね、こちらも天井を蹴って追撃してきた騎士の斬撃を回避する。

 大剣を浴びた床が爆発し、礫が四方に飛んだ。

 

 あーもうめちゃくちゃだよ!

 ならいっそのこと、とおれはフロアの奥に向かって駆ける。

 

 魔力喰い(マギイーター)を正面に捉え、剣を振りかぶって――。

 

「ちぇっ」

 

 騎士が全力で追いついてきて、横殴りの一撃をおれに見舞う。

 おれは攻撃をキャンセルして横っ飛びでそれを避けた。

 

 風圧だけで、吹き飛ばされる。

 回転しながら着地、素早く飛び退って追撃を警戒するが……。

 

 騎士はおれと魔力喰い(マギイーター)の間に立ちふさがる。

 魔力喰い(マギイーター)を守るように。

 

 あっぶない。

 ここで守りじゃなくて攻めを選択されたら、ちょっとヤバかったかもしれない。

 

 

:アリスちゃん、めちゃくちゃ苦戦してない?

:狂犬が強すぎる

:というかアリスちゃん、対人戦苦手だから……

:あっ、そうか、相手が魔族でも魔物でもないから

:この前の魔族とか、アリスちゃんの倍くらいの背丈だったからな

 

 

 うん、それはあるんだ。

 身長二メートル弱は充分に大柄だけど、でも普通のヒトの範疇。

 

 おれの剣は、もっとでかい奴らを相手にするのに特化している。

 いやまあ、相手が雑魚なら別に小柄でも問題ないんだけど、目の前の人物は――人類でも上澄み、凄腕だ。

 

 とはいえ、不審な点はいくつかある。

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)の援護を受けたアリス(おれ)を相手にこれだけ機敏についてきて、息を荒げてもいないというのは……こいつ、本当になんなんだ。

 

 とりあえず挑発してみるか。

 

「やっぱり、その魔物は守るんだ。ヒトなのに、それがなんなのかわかっているの? ――それとも、ヒトじゃないのかな?」

 

 騎士は無言で両手の大剣を構える。

 やっぱりレスバしないタイプか。

 

 いや、これってレスバしない、んじゃなくて……。

 ふと、とある可能性が脳裏をよぎる。

 

「シェル! 周囲の魔力の流れ、解析お願い!」

「え、ええええ!? わ、わかったよ、アリスお姉ちゃん!」

 

 隙あらば魔力喰い(マギイーター)を狙うぞ、と牽制しながら、おれはシェルに指示を出す。

 後方で透明になって待機していたシェル(いもうと)に指示を送る。

 

 目の前の光景をみて彼女としても忸怩たるものはあっただろうが、これまでおれの支援を優先して、ずっと隠れてくれていた。

 はたして、答えはすぐに出た。

 

「これって……えっ、そこのでっかい触手から、銀の騎士に魔力が流れてる! これって、魔力リンク!?」

 

 

:は?

:待って

:ちょっと?

:いまなんて言った?

 

 

 コメント欄の王族たちが混乱している。

 無理もない。

 

 この人たちにとって、魔力リンクイコール螺旋詠唱(スパイラルチャント)だろうから。

 んでもってこの人たち全員、王国放送(ヴィジョン)システム導入検討の際、一度は魔力リンクを試して挫折してるんだよ。

 

 だから、魔力リンクがいかにキツいものか知っている。

 実際のところ、魔力リンクの方法には複数ある、という話も知識として知ってはいるだろうけど、彼らにとっては血縁関係を使った魔力リンクがあまりにも強いんだ。

 

 でも、たぶんここで行われている魔力リンクはそうじゃない。

 ゲームにもあったやつだ、とおれは直感した。

 

 つまり、薬物によるものか、R18なやつか、生体改造か……。

 

 いずれにしても、魔力の供給元はいまおれの周囲で触手によってひどい目に遭っている女性たちだろう。

 んで、その触手のボスは、騎士の後ろに鎮座している魔力喰い(マギイーター)、と。

 

 いろいろと、からくりがわかった。

 なら、対処もできる。

 

「シェル、触手を潰して」

「おっけー、お姉ちゃん!」

 

 まず魔力の供給源を断ち切る。

 シェルが行使した魔法によって、周辺の女性たちを拘束していた触手が数本まとめて断ち切られる。

 

 騎士が、シェルを阻止するべく突進しようとするが……。

 

「お兄ちゃんはアリスと遊ぼっ!」

 

 おれはそれをブロック、斬撃を見舞う。

 騎士は大剣でそれを受けるが、それによって足が止まってしまう。

 

 シェルは、触手に対して攻撃魔法を放ちながら、同時におれに螺旋詠唱(スパイラルチャント)を送ってくれている。

 ほんとに器用だな、と舌を巻かざるを得ないけど、とにかくいまは妹の器用さに頼るしかない。

 

 おれが粘れば粘るだけ、相手が不利になるのだ。

 コメント欄でも、王族たちがどんどん魔力を送ってくれている。

 

 はたして、半分ほどの触手が始末されたあたりで、騎士の動きが露骨に鈍った。

 よし、いまだ。

 

 おれは武器を持ち換える。

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)だ。

 

 鋭く踏み込み、騎士の兜を対魔法剣(アンチマジック・ブレード)で弾く。

 かん高い音がフロアに響き渡り、銀の兜が宙を舞った。

 

 同時に、騎士の全身を包んでいた肉体増強(フィジカルエンチャント)が霧散する。

 赤い光の粒が周囲に散って、空気に溶けた。

 

 騎士が両手の剣をとり落とす。

 魔法によるブーストが切れて、剣を持つこともできなくなったのだ。

 

 そして。

 

 兜の下から露になったのは、まるで死者のように骨と皮ばかりになった男の顔だった。

 落ちくぼんだ眼下の奥だけが、赤く輝き、生気を持っている。

 

 

:げっ、これって……

:薬物だな

:薬で無理矢理に魔力リンクしてたってことか

:リア婆ちゃんが薬は駄目、って言ってたのこれかぁ……

 

 

 いつも元気なコメント欄が、いささか気弱になっている。

 まあ、無理もない、リアリアリアも外法について詳しい説明なんてしなかっただろうし。

 

 

:リア婆ちゃんの忠告無視して薬物実験する計画、潰れてよかった

:あれヤバかったね……

 

 

 そんな計画あったんかい!

 優秀な人たちだけど、それだけに油断も隙もないな……。

 

 それは、それとして。

 

 ここには魔物はいても魔族はいなかった。

 こいつを捕虜にとれれば、情報を得られる可能性はあるが……。

 

 いちおう、外の騎士まがいな奴らは後続が拘束しているはずだ。

 

 騎士が腰の小剣を抜く。

 弱体化しているというのに、おれの目にもとまらぬ速度だった。

 

 敵が一歩、踏み込もうとする。

 

「ごめんね。証拠が欲しいけど、いまのアリスじゃ生かして捕虜にする技量がないから」

 

 おれは剣を横に一閃、動きが鈍った騎士の首を刎ねる。

 ここまでしてなお、相手は凄腕、もたもたしている余裕はなかった。

 

 騎士の首が宙を舞う間に、おれは奥へ駆け出す。

 魔力喰い(マギイーター)が、慌てたように自身のまわりの触手を繰り出してくるが……。

 

 接近しながら数度、振るった剣が、それらをすべて断ち切る。

 

 小杖(ワンド)を槍に変えた。

 無防備な魔力喰い(マギイーター)の目に、その槍を突き立てる。

 

 魔物の、断末魔の耳障りな絶叫があがる。

 

 

        ※※※

 

 

 今回の一件について、顛末は以上の通りだ。

 

 拘束した騎士たちはいずれも口を割らず、そのまま息絶えてしまった。

 契約の魔法(ギアス)か呪いか、そういったもののせいだろう。

 

 騎士の所属は、結局、不明。

 

 セウィチア共和国に浸透した魔物と、それによって洗脳された人類によるテロ、というあたりが公式発表となった。

 実際のところ、本当にアウエス公国が主犯だったとして、それを表沙汰にしてもあまり意味はないのだ。

 

 人類の一部が裏切りを働いた、と喧伝するより、魔族と魔物が工作を仕掛けてきた、とする方が、よほど団結力があがる。

 加えてアウエス公国はセウィチア共和国やヴェルン王国に対して弱みができる。

 

 だから、事件は無事に解決し。

 メリルアリルとおれは、しばらく顔を合わせないように、とお達しが出て。

 

 ひと知れず、おれの縁談は終わったのだった。

 

 



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第37.5話

 わたし、メリルアリルは、ヴェルン王国のいち伯爵家の娘として生まれた。

 難産だったという話である。

 

 お産のために魔術師が頑張ってくれて、それでも母は産後の衰弱により亡くなってしまった。

 母を深く愛していた父は、後妻も妾もとらなかった。

 

 貴族としては失格だろう。

 でも兄弟もわたしも、そんな父が嫌いではなかった。

 

 末っ子となったわたしを、父は、兄たちは、姉たちは適度に愛してくれた。

 ただ、わたしは身体が弱くて、だから魔力はけっこう高かったけれど、兄や姉のように戦うことは無理だといわれた。

 

 屋敷の広い広い庭で皆が訓練するなか、わたしはひとり、隅っこで暇つぶしに魔法の訓練をしていた。

 繊細な魔力の操作が培われたのは、そんな子ども時代のおかげかもしれない。

 

 あまり自己主張が強い方だとは思わないし、自分から親になにかをねだったことはなかったと思う。

 同年代の子ども同士で集まったパーティなどでは、壁の花になるのがいつものパターンだった。

 

 そんなわたしを心配してか、親はコネを盛大に使って、わたしをエスアルテテル王女の側仕えにねじ込んだ。

 王都で王城に住み込みで働き、王女の従者としてだけでなく友人としての役割も持つ、重要なお役目である。

 

 なぜかはわからないけれど、エスアルテテル王女はわたしを気に入ってくれた。

 王女は気さくな方で、人がいないときなどは同世代の友人として気安く振る舞って欲しい、とわたしに頼んでくるほどだった。

 

「ぼくのことは、エステルって呼んでね。あと、気に入らなかったらぶっ叩いてくれてもいいからね!」

 

 そう言って、ちょっとふくよかなお腹をぷにぷに揺らして笑うのだった。

 うん、当時から彼女はぽっちゃりな人で、でもそれをぜんぜん気にしていなかった。

 

 王女にお仕えするのは、ちょっとだけたいへんだった。

 なにせ、料理という己の欲望がいちばんな人である。

 

 勝手に料理魔法を使って台所をめちゃくちゃにするのは日常茶飯事、塩が砂糖に変わっていることも再三再四、へんな新作料理の試食をさせられて寝込んだことも数えきれないほどある。

 

 それでも、楽しかった。

 家族の間では共有できない体験の数々だったのだ。

 

「ぼくは、ほら、王族でも駄目な子だからさ。クジのハズレはハズレなりに、好き勝手やらせてもらうさ。その結果、どんなことになっても、まあ自業自得だよね」

 

 それが王女の口癖で、たぶん自分自身にいい聞かせて、そう信じ込もうとしていたみたいだ。

 ほどなく適当な貴族に降嫁させられるんだろうな、と彼女はそういっていたし、周囲もそう噂をしていた。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)による王国放送(ヴィジョン)システムの構想をリアリアリア様が王家に持ち込むまでは。

 

 前線で戦う者のために、王城に座っていながら魔力を送り戦いを支援することができる。

 およそ戦うための才能が皆無だった王女にとって、それは天から降りてきた救いの声だったのかもしれない。

 

「リアお婆ちゃんのおかげで、ぼくは初めて、王族としての自信が持てるかもしれない」

 

 打ち合わせの帰りに、そんなことをいって、彼女は笑うのだった。

 ちなみにそのとき出会ったアランという人については、「真面目すぎるよねー」といっていた。

 

「ああいう人のお嫁さんになったら、苦労しそう」

「そうでしょうか。好青年だと思います。嘘がつけないまっすぐな性格、好ましいです」

「あれー? メリルったら、ああいうのがいいの? ほっほー?」

 

 そのときのわたしは、恥ずかしがって、全力で否定した。

 アランさんへの想いを自覚するのは、もう少し後のことである。

 

 その後。

 実用化された王国放送(ヴィジョン)システムによって、アランさんがアリスちゃんとなって活躍するなんて思ってもみなかった。

 

 

        ※※※

 

 アリスちゃんが戦うときは、王族たちは、王都の城にあるそれぞれの自室に籠りきりとなる。

 そこに王国放送(ヴィジョン)端末が設置されているからだ。

 

 掌の上に乗るサイズの、虹色の水晶、それが王国放送(ヴィジョン)端末だった。

 これはアリスちゃんの何度目かの戦いでのこと。

 

 虹色の水晶(たんまつ)から光が走り、壁にかけられた白い布にアリスちゃんの姿が浮かび上がる。

 エステル王女が触媒の宝石を手にしたまま端末に触れると、宝石が虹色に輝いて溶け出す。

 

 王女の魔力が端末に吸い込まれているのだ。

 この球体を通じて、はるか遠くで戦っているアリスちゃんに魔力が送られる。

 

「いけーっ、がんばれーっ!」

「がんばってください、アリスちゃん!」

「そこ、やっちゃって!」

 

 エステル王女のみならず、側仕えのわたしたちも声を張り上げてアリスちゃんを応援する。

 同時にエステル王女が、虹色の水晶(たんまつ)に手を触れたまま思念を送っている。

 

 思念は文字となって、スクリーンの脇のコメント欄に送られる。

 ほかの王族たちも、いまごろ彼女と同じようにアリスちゃんを応援しているはずだった。

 

 

:そこだ、スカートをひるがえせ、パンツをみせろ

:アリスちゃん、こっち向いてポーズして

:そのまま服を脱いで

 

 

「お兄ちゃんたち、ほんと人として恥ずかしくないの? 王都のみんながみてるんでしょ? 馬鹿なの!? 馬鹿なんだよね!?」

 

 

:もっと罵って

:その罵倒を聞きたかった

:はぁはぁはぁ、もっと馬鹿っていって

:今日のパンツの色も教えて

 

 

 さっきからパンツ、パンツとコメントしているのが、わたしの敬愛する主人(エステルさま)だ。

 わたし以外の側仕えたちが、一様にドン引きしていた。

 

「本当にこれでストレスの解消ができるのですか?」

「もっちろん!」

 

 おそるおそる質問したところ、とてもいい笑顔で返事がきた。

 わたしもドン引きした。

 

「でもね、それだけじゃないよ。アリスちゃんを貶めることが本当の目的なの」

「もっとひどいのでは?」

「言葉が悪かったかも。アリスちゃんを、ただの英雄にしちゃ駄目なんだってさ。民衆が親しみを覚える偶像(アイドル)にするんだって」

 

 英雄ではなく、親しみを覚える相手。

 つまり、コメントを通じて気軽に接することができ、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を投入して応援したくなるような人物、ということか。

 

 魔族との戦いは激化するだろう。

 むしろこれからが本番である。

 

 その戦いのなかで、アリスが英雄であってはならない。

 アリスは魔族との戦いで先頭に立つ偶像(アイドル)で、皆と共に戦う存在、ということだろうか。

 

 王族全体として、その目的意識を共有しているから、このひどいコメント欄がある?

 わたしが混乱していると、エステル王女は、にひひっ、と笑った。

 

「それはそれとして、困っているアリスちゃん可愛いよねえ。もっと困らせたい。辱めたい」

「最低です、殿下」

 

 でも、とわたしはスクリーンを覗き込む。

 そこで悪態をつきながら活躍しているアリスちゃんに、あの日みた青年の姿を重ねる。

 

 がんばれ、と心のなかで応援した。

 

 

        ※※※

 

 

 わたしの特異な体質、過同調体質が判明したのは、そろそろ側仕えのお役目が終わるかというころだった。

 エステル王女は、最初、この体質のことを隠そう、と提案してくれた。

 

「メリル、このことがお父さまに知られたら、きみはひとときも自由じゃいられなくなる。否応なく、国の財産として扱われる」

「そう、かもしれません。でも、この体質を使えば、少しは殿下のお役に立てるかもしれないんです」

 

 わたしはエステル王女にそういって、体質のことを上に報告してもらった。

 具体的には、ディアスアレス王子とマエリエル王女に。

 

 ふたりの王族から、王に報告がいくはずだった。

 そこから先、どうなるかはわからない。

 

「ねえねえ、ところでメリルってさ。ぼくらとアランくんが会談するとき、ずっとアランくんのことみてたよね。アランくんと結婚するの、メリル的にアリ? ナシ?」

「アリアリです、殿下」

 

 わたしは間髪いれず、そう返事をした。

 エステル王女は、にへらと笑って「そう来ると思った!」と返してくる。

 

「それじゃ、婚約ね! 明日、顔合わせするから!」

 

 わたしは目を白黒させた。

 

 それからは急展開だった。

 夢のような日々だった。

 

 わたしはアランの婚約者となり、臨時にシェルの役目を務めることとなった。

 南の国セウィチアで、彼とデートして、彼と共に戦って……。

 

 そのあげく、不覚をとった。

 シェルとしてのお役目を務めている最中に幻影を破られてしまった。

 

 後悔はない。

 あのときエステル王女を守れなかったら、わたしは一生、自分を許すことができなかっただろう。

 

 怪我は魔法で簡単に治療された。

 でも、シェルの正体はわたし、伯爵令嬢のメリルアリルということになった。

 

「ごめんね、メリル。きみはしばらく、アランと会えない。婚約もなし。そういうことになった」

 

 エステル王女に、頭を下げられた。

 

「やめてください、殿下がわたしに謝る必要なんてありません」

「でもさ! ぼくなんかを守って、こうなったんだよ!」

「まず、なんか、というのをやめてください。殿下を守ることができて、わたしは誇らしいのです」

「……うん、そうだね。いまのはよくなかった。ぼくを守ってくれて、ありがとう。メリル、きみの献身を無駄にはしない」

 

 わたしは微笑んで、泣きそうな顔をするエステル王女を抱きしめた。

 

 誇らしい、というのは本当だ。

 わたしのすべてに代えてもこの人を守ることができるなら、それはとても嬉しいことだった。

 

 そのせいで、アランとの婚約が破棄されてしまったのは悲しいことだけれど……。

 

「ほかの婚約の話が来るかもしれないけど、そういうのはちゃんと、全部却下するからね」

「はい、どのみち、受けるわけにはいきませんよね」

「そうだね。シェルが結婚するわけにはいかないんだから」

 

 今後も、魔王軍との戦いが終わるまで、わたしはシェルとして生きることとなるだろう。

 

 本来のアリスとシェルを守るための、生贄のようなものだ。

 そんなかたちでアランたちを援護できるなら、それでいっこうに構わない。

 

「だから、殿下。エステル様。泣かないでください」

「泣いてないもん」

 

 ぐすり、とわたしの胸のなかで、エステル王女が鼻をすすった。

 わたしはもう一度、やさしく彼女を抱きしめた。

 



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第38話

 セウィチアでの騒動の数日後。

 おれとシェリーのふたりは飛行魔法で、慌ただしくヴェルン王国の王都に帰還した。

 

 エステル王女たちはセウィチアでいろいろ行事をこなして、三十日後くらいに戻る予定である。

 もちろん、メリルアリルもだ。

 

 いつもの王都郊外の屋敷にて、報告の際。

 改めてディアスアレス王子とマエリエル王女から謝罪を受けた。

 

「結果的に、メリルアリル嬢にはスケープゴートとなって貰うしかなかった。申し訳ない」

「すべては魔王軍を倒すまで、でしょう。その日が一日も早く来るように、頑張りますよ」

 

 そう、アリスの秘密が重要なのは、魔王軍への切り札がそれだからだ。

 正直、アリス以上の戦力が台頭してくれれば、それでもうおれなんかお役御免、なんだけども……。

 

 現状、なかなか難しいんだよなあ。

 師匠が後輩を鍛えてくれているらしいけど、そちらもアリスとムルフィのレベルにはほど遠いという。

 

「今後について考える前に、ひとまず休んでください。三日、休暇を与えます。本当はもっと休んで欲しいのですが、いろいろ予定が詰まっていましてね……」

「今後の予定、ですか?」

「セウィチアでの夜の作戦は極秘、アリスの最後の活躍は握手会での一件になります。早急に、アリスが元気であることをアピールする必要があるのです」

 

 ああ、それはそうだ。

 他国での強襲作戦だったし、あれ明らかに別の国の騎士たちが守りについていたもんな。

 

 政治的に微妙すぎて、大々的に広報するわけにはいかない。

 かといって、アリスの健在は人々は示す必要がある。

 

「詳細については、今、父とも交渉しています。なにも問題がなければ、セウィチアで水着ダンスコンサートをして貰うつもりだったんですけどねえ」

「その予定が消えたのだけは、本当によかったですね」

 

 ふざけんな、聞いてないぞ。

 というか歌もダンスもさっぱりだぞ。

 

「拙い歌とダンスを披露することで、セウィチアの民がアリスをより身近に感じることができるのです」

「ええ……。それに、なんで水着……」

「我が国には海がありませんし、きみが水泳が得意と聞いて、これは、と思ったのですよ」

 

 なにが、これは、だ。

 いい迷惑である。

 

 いや、広告塔になることは、ある程度受け入れてるけどさあ。

 ものには限度というものがあるだろ、限度というものが。

 

シェル(わたし)もアリスお姉ちゃんといっしょに水着を着たかったよ、兄さん」

 

 妹よ、ややっこしいいい方をするな。

 

「うふふ、シェリーちゃんは自分でシェルの水着のデザインもして、ノリノリでしたわー」

 

 い、いつの間に。

 ブルータス(シェリー)、おまえもグルだったか。

 

「だってアリスちゃんったら、こんなときでもないと脱いでくれないのですわーっ」

「そもそも脱ぐ必要がありません」

「パンツは見せますのに」

「あれ見せパンですから」

「水着も見せるものでは?」

 

 あれ、そうかも。

 だったら問題ない……のか?

 

 いやそもそも、なんで水着でアピールしなきゃいけないんだ?

 わからない……おれにはなにもわからない……。

 

 

        ※※※

 

 

 報告を終えて、リアリアリア様の屋敷に戻る。

 シェリーは屋敷の主人である彼女の師匠リアリアリアの部屋へ報告に行った。

 

 今回のことで、部分接続に関するデータもだいぶ集まった。

 システムのアップデート関連でも、話し合うことが多いのだという。

 

 そういうわけでシェリーはどうしても手放せない仕事が詰まっているため、休暇はおれひとり、ということになりそうだった。

 

 あいつには申し訳ないが、とはいえ……。

 おれも、少しばかり疲れている、かもしれない。

 

 セウィチアではいろいろあった。

 考える時間が欲しい。

 

 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、師匠とばったり再会した。

 鍛錬の後なのか、全身で汗をかいていて、それをタオルで拭いながら中庭から歩いてきたところであった。

 

「よう、大変だったらしいな」

「ええ、まあ」

「少し汗を流すか」

 

 師匠はおれの顔をみて、さっきまで彼女がいた中庭を指さした。

 

「でも師匠、疲れてませんか?」

「あたしに意見するなんざ、三十年早い」

 

 というわけで、おれは中庭で師匠と組み手をすることとなった。

 夕暮れ時である。

 

 基本の型から順番に、手合わせをする。

 夢中で身体を動かす。

 

 もう、この国もだいぶ暑くなってきた。

 汗がとめどもなくしたたり落ちる。

 

 組み手のスピードが次第にあがっていく。

 頭のなかが真っ白になる。

 

 そうして、いつしか。

 日が落ちて、月が昇っていた。

 

「ここまでにしておくか」

 

 師匠が動きを止める。

 おれは精根尽き果てて、地面に仰向けに倒れた。

 

 都市の明かりのせいで、空に浮かぶ星の数はそんなに多くない。

 王都は特に、街灯の数が多い。

 

 月が昇ってくる。

 悔しいな、と思った。

 

 上手くいっているようで、肝心なところで失敗している。

 大切に思った人を、守ることができなかった。

 

 身のまわりの人々だけでも守るために、幼いころから修行に打ち込んだのに。

 それだけじゃ足りなくて、妹も巻き込んで、リアリアリア様を巻き込んで、王族まで巻き込んで――。

 

 おれにできることなんて、たかが知れている。

 だからたくさんの人を巻き込んで、螺旋詠唱(スパチャ)を貰う。

 

 でも巻き込む人が増えるほど、守りたい人も増えていく。

 どこを間違えたんだろうか。

 

 乾いた風が中庭を吹き抜けて、汗まみれのおれの身体を冷やす。

 

「せいぜい悩め、青年」

 

 はたして、師匠は寝転んだままのおれの内心をどう思ったか、師匠はおれをみおろし、けけけ、と笑った。

 ちなみに丈の短い、運動の邪魔にならないズボンを履いているから、みえちゃいけないものがみえることはない。

 

「師匠、性格が悪くないですか」

「おめーさんはなにも考えず動いて上手くいくタイプじゃねーからな。悩み抜いて自分なりの結論を出して、それで初めて十全の力を出せるタイプだろ」

「おれに詳しいつもりですか」

「一番弟子のことだ、少しはわかるさ」

 

 一番弟子以外、最近まで真面目な弟子なんてほとんどいなかったくせに。

 むすっとして睨むと、またおれが考えることがわかったのか、師匠は右の靴を脱いで素足になると、おれの額をその足でえりゃっ、えりゃっと踏んだ。

 

 一部の人にとってはご褒美かもしれないが、おれは別に嬉しくない。

 いらっとする。

 

 手を伸ばして師匠の右足を捕まえようとした。

 師匠はその手をするっとかわすと、足首のひねりだけを利用しておれの身体を持ち上げ、えいやっ、と上に蹴る。

 

 おれの身体が宙を舞う。

 うわっ、達人。

 

 そういや師匠、こういう相手の力を利用する技の専門家だもんな……。

 とか、空中で考えた。

 

 落下する。

 地面に手をつき衝撃を殺して、着地して一回転、衝撃を殺す。

 

 顔をあげたところで、鼻先に師匠の右足がぴたりと当たった。

 

「参りました」

「よしよし、素直でよろしい」

「弟子を弄んで楽しいですか」

「すっげえ楽しい。新しい弟子たちが素直すぎてなあ。おめーさんみたいにひねくれたのが懐かしいよ」

 

 師匠のいまの弟子、とは特殊遊撃隊所属候補生たちのことだ。

 かなりの勢いでしごきあげていると聞く。

 

 師匠が教えられるのは、生物としての格が上の相手から身を守るための技術だ。

 

 子どもが大人を相手に身を守る技術。

 か弱い女性が男性を相手に身を守る技術。

 

 そして、ヒトが魔物や魔族を相手に身を守る技術である。

 それはつまり、今の特殊遊撃隊所属候補生に足りないものすべて、ということだった。

 

 ちなみにおれが会った五組十人以外に二軍の十組二十人も加わって、いまはなんと三十人の弟子を教えているという。

 おれの弟弟子、妹弟子も一気に増えたものである。

 

「つーか師匠、また強くなってませんか?」

「そりゃ、まだまだ一対一でおめーに負けるわけにはいかねーからな」

「トシ考えてくださいよ、トシ」

「ぶっ飛ばす」

 

 足先で、ちょこんと額を蹴られた。

 おれの身体は後ろにのけぞって、そのまま一回転して、地面に背中から落ちた。

 

 かろうじて受け身をとれた。

 いったいなにをされたのか、よくわからない。

 

「師匠、足先になんか魔法込めました?」

「おうっ、リアリアリア様に教えていただいたやつでな、えーと、慣性にスピンを与える魔法、だっけな? けっこう便利だぞ」

 

 よくわからん。

 おれは前世からベクトルとか角運動量とか行列とかサインとかコサインとかが苦手なんだ。

 

「それ使いこなせるの、師匠だけじゃないっすかね……」

 

 いや、どうだろう。

 おれがふと思い出すのは、先日、地下で戦った、大剣二刀流の騎士だ。

 

 アウエスの狂犬、だっけか。

 アリスの螺旋詠唱(スパチャ)によるごり押しが効かなかった、厄介な相手。

 

 こんご、ああいう奴がまた出てきたら、かなり苦戦させられるだろう。

 でも、いま師匠が使った魔法みたいなのを駆使すればどうだろう。

 

 いまの魔法をおれが習得できれば……おれが使えなくても、なにか魔導具に込められれば……。

 魔法を使った接近戦って、奥が深い。

 

 そうだ、まだまだ、やれることはある。

 アリス(おれ)には先がある。

 

 ぐっと拳を握った。

 上半身を持ち上げる。

 

「おー、やる気が出てきたじゃねーか」

「はい。師匠のおかげです。とりあえずその魔法について、もっと詳しく教えてくれますか」

「もちろんだ。っていっても、だいたいはリアリアリア様の受け売りだけどな。あたしはちょっと応用しただけだ」

「そこで、すぐ応用できるのがすごいんですよ……」

 

 師匠から話を聞きながら、考えた。

 

 これからのことを。

 おれがどうすればいいのか、ということを。

 

 幸い、休暇をもらっている。

 もっと強くなれるという希望の灯を燃やす時間は、たっぷりとあった。

 

 



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第39話

 ティラム公国、という小国がある。

 我らがヴェルン王国の北西、デスト帝国の北、森と山ばかりの風光明媚な国だ。

 

 もちろん褒めていない。

 山中の盆地にある公都は、夏は蒸し暑く冬はクソ寒いという。

 

 山では魔物かと見紛うばかりの大熊が出るし、冬は大雪で街道が通行不能になる。

 深く暗い森では簡単に方位を見失い、山と山を繋ぐ細い道が崖崩れを起こすこともまれではない。

 

 大自然の前にはヒトの営みなどちっぽけなもの、と実感させてくれる、生きていくだけでもたいへんな国なのだった。

 ちなみに、百年くらい前に帝国から独立したものの、帝国の方ではときの皇帝が「あんな田舎、いらんわ」と相手にしなかったことでも有名である。

 

 もっともその後、公国はひとつだけ特産品を確立させ、それでもって外交を展開した。

 おかげで、小国ながらそこそこ有名かつ、我がヴェルン王国とも強い繋がりを持っていた。

 

 その特産品とは、公国を支配するティラム大公家の強い魔力であり、彼らだけが持つ特殊な魔法である。

 つまり、魔術師だ。

 

 ヴェルン王国との繋がりとは、現国王の側室のひとりが現大公の妹であることで、その娘がエステル王女だったりする。

 

 いやー強い魔力があってもその方向性が料理キチ(アレ)じゃどうしようもない、というやつだ。

 ちなみに大公家特有の魔法については、ちょっと適性がないとかで、エステル王女は継承できていない。

 

 で、そのティラム公国からSOSのコールが来た。

 魔王軍が、一軍をこの山岳地帯の小国にまわしてきた、という話なのだ。

 

 予期されていたことではあった。

 そして、公国のすべてを助けることはできない、ということも。

 

 ヴェルン王国には、まだ準備が整っていない。

 ましてや不慣れな森と山で魔物を相手にするとなれば、苦戦は必至なのであった。

 

 敵の方が個体戦力が上だからね。

 こっちの勝機は、数を揃えての集団戦だからね……。

 

 でも、だからといって完全に見捨てることもできない。

 側室という繋がりもあるし、助けの手を伸ばした、という事実が重要だった。

 

 できるだけのことはする。

 具体的には、公国からの避難民の一部だけでも助けて、今後に繋げる。

 

 それが、今、ヴェルン王国ができる精一杯である。

 で、そういう条件で動くなら……。

 

 まあ、特殊遊撃隊(アリスたち)の出番なわけだ。

 

 

        ※※※

 

 

 王都に戻ってからおよそ二十日後、夏真っ盛りの昼下がり。

 おれはデスト帝国の北方の小国、ティラム公国の山岳地帯にいた。

 

 二頭立ての馬車が一台、森のなかの道を疾走している。

 

 馬車は追われていた。

 追跡しているのは双頭の狼や口から火を吐く犬、そしてそれらに乗った犬頭の小人たちである。

 

 コボルドライダー隊と呼ばれるそれらは、魔王軍の機動部隊であった。

 数は四十を越える。

 

 すでに馬車の護衛だった騎士はことごとく足止めとして散り、コボルドライダー隊を阻む者はなにもない。

 馬車を引く馬たちが少しでも脚を止めれば、そのときが最後だ。

 

 御者は老女で、帯剣もしていなかった。

 馬車のなかにいる高貴な人物を守る力がある者は、もう誰もいない――はずだった。

 

 空中で馬車を発見したアリス(おれ)が全力で到着しなければ。

 

「それじゃ、いっくよーっ」

 

 上空から馬車を発見したおれは、翼をはためかせ、急降下してコボルドライダー隊に斬り込む。

 すれ違いざまに剣を振り抜き数頭を仕留め、ついでにソニックブームで残りを吹き飛ばす。

 

 コボルドライダー隊の後方に、その指揮をとる魔族がいた。

 全長四メートルはあるでかい馬の上に赤い肌のヒトのような上半身がついた、ケンタウロス型の魔族だ。

 

 ケンタウロス型の魔族は急接近するおれに目をおおきく見開き、慌てて弓に矢をつがえる。

 だが、遅い。

 

 おれはその魔族が弓を射る前に接近し、身の丈より長い大剣でその首を刎ねてみせた。

 

 

:やっぱアリスちゃん、魔族と魔物相手だと生き生きしてる

:デュアルウルフもヘルドッグもアリスちゃんにとっては雑魚とはいえ、指揮官の魔族まで一撃かー。

:よほどの魔族じゃないと、もう相手にならないよね

:そこで宙返りしてパンツみせて! はやく! やくめでしょう!

 

 

 今日は、アリス(おれ)の活躍がヴェルン王国全土の端末で公開されている。

 コメント欄の皆も絶好調である。

 

 あとパンツパンツいってるのは安定のエステル王女だ。

 あのさあ、殿下のお母さんの国を助けに来てるんですけどー?

 

 こんなんじゃおれ、この国の貴族を助けたくなくなっちまうよ……。

 いや、助けるけどさ。

 

 

        ※※※

 

 

 さくさくと残りを掃討して、停止した馬車に追いつく。

 停止というかこれ、車輪がぶっ壊れてるな。

 

 本来は馬車なんか通れない、ろくに舗装もされてない森のなかの道を爆走してたんだから仕方がない。

 おれが援軍に駆けつけるまで、よく保った方だと思うよ。

 

 たぶん、御者の人が魔法で馬車全体を防護しながら走っていたんだろう。

 軍事用として、そういう魔法がある、と知識としては知っていた。

 

 軍事用限定なのは、そもそも魔力の消費がかなりデカい魔法だからだ。

 商人とかが気軽に使えるような魔法なら、この世界の流通もまた変わってきただろう。

 

 で、馬車のそばでは、ふたりの人物がアリス(おれ)を待っていた。

 ひとりは御者をしていたとおぼしき老女で、ぐったりとその場に座り込み、肩で息をしている。

 

 もうひとりが、その老女を心配そうにみつめている、十歳かそこらの少女だった。

 シェルが上空で周囲を監視していることを確認して、ふたりに声をかける。

 

「アイシャルテテル殿下でいらっしゃいますか。わたしはヴェルン王国特殊遊撃隊一番隊隊長のアリスです。殿下を王国までご案内いたします」

 

 少女が、顔をあげておれをみる。

 あどけない顔立ちながら、どこかエステル王女の面影があるような気がした。

 

 帝国周辺の高位貴族の系譜であるから、金髪碧眼。

 地面にこすれそうなほど長い髪をストレートに垂らしているのは、普段、自分の足で歩くということをほとんどしないからだろう。

 

 今回のアリス(おれ)の役目は、彼女をヴェルン王国に連れていくことだ。

 大公家の魔法の使い手がひとりでも生き残っていれば再起はできると、土壇場になって公国上層部は決断し、彼女を逃がすことにしたのである。

 

 その魔法とは、未来探知。

 数多ある未来のなかから、もっとも望ましい未来を手繰り寄せる力である、らしい。

 

 本当かどうか、おれは知らない。

 なにせ、ゲームの開始時点で、この国は滅亡しているのだから。

 

 結局、望ましい未来などなかったのかもしれない。

 彼女の運命も、たぶん悲惨なものだったのだろう。

 

 でも、今はおれがいる。

 ヴェルン王国は彼女を救うと決めて、アリスとシェルを送り込んだ。

 

 さて、問題は彼女を救う具体的な方法だが……。

 

「シェル! ふたりを同時に飛ばせる?」

「ひとりなら、なんとか……」

「じゃあ、こちらのご老人をお願い。殿下はわたしが抱えて走るから」

 

 飛行魔法はけっこう繊細で、シェルでも複数人を同時に運ぶのは難しい。

 で、おれが老婆を抱えて森のなかを走るのは、ちょっとばかり背丈とかの問題がある。

 

 なので、殿下には申し訳ないけど、この分担でいくしかないだろう。

 と思ったのだけれど……これには、老婆が抗議してきた。

 

「婆はここに残りましょう。どうか、殿下だけでもお逃げください」

「そんなの駄目です、ばあさま。ふたりいっしょじゃなきゃ、わたくしは嫌です!」

 

 涙目になって、アイシャルテテル殿下は老婆にすがりつく。

 いまはそんな愁嘆場を披露してる場合じゃないんだけどなあ。

 

「ご無礼、失礼しまーすっ」

 

 というわけでおれはさっくりとアイシャルテテル殿下を左腕一本でかつぎあげる。

 シェルが降りてきて、老婆に肩を貸し、宙に舞い上がる。

 

 老婆がなにやらわめいてるが、無視。

 おれの肩の殿下もなんか慌てているが、無視。

 

「アリスお姉ちゃん! 西と南から別の部隊が来てる! いちど、北東に抜けて!」

「了解っ、シェル!」

 

 おれは森のなかに飛び込む。

 太い木の枝から枝へと飛び移り、樹上を高速で移動する。

 

 

:あのー、公女様がめちゃくちゃ悲鳴あげてるよ?

:殿下、顔が地面の方を向いてるからね、そりゃ怖いと思う

:魔王軍にとっつかまるよりはマシ

:それはそうなんだけどさあ

 

 

 コメント欄がうるさいなあ!

 現場の判断だよ、現場の判断!

 

 ディアスアレス王子からは、多少乱暴でも五体が欠損しても、とにかく身柄を確保してくれればOKっていわれてるんだからね!

 もちろんそんなこと、配信では口に出せないけど!

 

 

:幼女の悲鳴、助かる

:アリスちゃん、もっと殿下を怯えさせて

:脚をばたばたさせててて、かわいいね

:そこ、スカートめくってみて

 

 

 一部コメント欄がカオスになっているが、これは安定のヴェルン王国(うち)の王族である。

 他国の貴族にセクハラはNGでしょ!

 

「ちょっとーっ! お兄ちゃんお姉ちゃんたち、セクハラするならアリスだけにして! いやアリスも駄目だけど!」

 

 

:おっ、嫉妬かな?

:アリスちゃんがデレた?

 

 

「うるさーいっ!」

 

 こいつら、ほんとたいがいにしておけよ?

 

 



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第40話

 アリス(おれ)は十歳の公女様アイシャルテテルを左肩にかついで樹上を駆ける。

 大樹の枝から枝へと飛び移り、魔王軍の追っ手から距離をとる。

 

 上空ではシェルが、公女様に仕える老婆と共に飛行していた。

 シェルがいないと、魔力リンクが途切れちゃうからね……。

 

 公女様を抱えて走るだけの肉体増強(フィジカルエンチャント)なら螺旋詠唱(スパチャ)なしでもいけるけど、樹上をマリオのアスレチックステージみたいにぴょんぴょんジャンプして移動するのは、おれの魔力だけではちときつい。

 おれは魔力リンクできることを除けば、平凡な騎士ひとり分の魔力しかない、ただの木っ端騎士見習いなのである。

 

 あとは、まあ、ちょっとばかり対魔族、対魔物特化の技を身につけている程度で……。

 

 

:ところで、逃げてるだけだと端末側の盛り上がり微妙

:公女を抱えてるんだから安全第一だろ

:こっちはちゃんと殿下の悲鳴で盛り上がってるから安心しろ

:安心……?

:ガキの悲鳴で盛り上がるような国に亡命したくねえのよ

 

 

 それな。

 ツッコンでくれたのは最近のIDのひとだから、たぶん亡命貴族とかだろう。

 

 このひとに限らずコメント欄で常識的なことをいってるのは、だいたい亡命貴族とか辺境の零細貴族だ。

 で、幼女殿下の悲鳴で喜んでいるのは安定のヴェルン王国(うち)の王族である。

 

 うん、向こうは平和だなあ。

 でもこっちは命懸けの救出ミッションなんですけど!?

 

「あ、あのっ、アリス、さん。少し、いいですか」

「なーに、公女殿下! 舌噛まないでね!」

「他の、部隊は……わたくしの姉妹が、他に、あいたっ」

 

 あ、噛んだな。

 そうか、この国から脱出する馬車はひとつじゃなくて、彼女の姉妹も同時に、なのか。

 

 あーでもこれ。

 

 

:保険、っていうより、囮かな

:たぶん、ね……

ヴェルン王国(うちのくに)が保護を頼まれたの、この子だけだもん

:自分の娘たちを囮にして、本命だけでも逃がすのか……

:貴族なら覚悟の上だろ、大公は仕事をした

:だな、あとはおれらの役目だ

 

 

 もうわかってると思うけど、ガンギまってるのがうちの王族である。

 こいつら、さっきまでパンツパンツ幼女の悲鳴ってうるさかったのにさあ。

 

 おれは太い木の枝から跳躍しながら頭上のシェルを仰ぎみる。

 シェルは黙って首を横に振った。

 

 彼女のみえる範囲内で馬車はいない、ということだ。

 囮の者たちは、とっくにやられたか、捕まったか。

 

 こういう場合、囮役の者には自殺用の武器か薬を用意しておくものだ。

 いまのおれとしては、この子の姉妹が楽に死ねたことを祈るしかない。

 

 はたして、おれの態度でだいたいのことを理解したのだろう、公女殿下は黙ってしまった。

 

 悲鳴をあげたり暴れたりしなくなったのは助かる。

 あーもう、クソみたいな世界だよ、ほんと。

 

「お姉ちゃんっ!」

 

 太い木の枝から跳躍した直後、唐突に、シェルが叫ぶ。

 おれは空中でとっさに向きを変えると、空いた右手で小杖(ワンド)を振るう。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)

  背中から、二枚の白い鳥の翼が生えた。

 

 翼をはためかせ、空中で方向転換する。

 直後、ひゅっ、となにかがおれの肩をかすめていき、近くの木の幹に突き刺さると爆発を起こす。

 

 爆風から逃れるため、いちど地面に着地する。

 その瞬間、地面から数本の槍が突き出てきた。

 

「ちょっ、待ち伏せ!?」

 

 小杖(ワンド)を剣にして、薙ぎ払う。

 槍の柄がまとめて断ち切られ、宙を舞う。

 

 おれは素早くその場から離脱。

 地面から飛び出てきた人影が三つ、いや四つ、後退するおれに襲いかかってくる。

 

 忍者かよこいつら、って感じの黒ずくめで覆面の者たちだった。

 魔族だとしても、限りなくヒトに近い姿かたちをしている。

 

 全員が槍を捨て、腰の小剣を抜いていた。

 おいおい、これどこかの国の特殊部隊か!?

 

 

:うげっ、帝国の哭暗衆だ

:なにそれ

:デスト帝国の暗部、精鋭の暗殺部隊、なんでここに?

:は? 帝国!?

 

 

「ちょっとーっ、アリスたちは魔族じゃないよ、人違いじゃないの!?」

 

 抗議してみるが、相手は委細かまわず距離を詰めてくる。

 公女殿下を抱えている状態で戦うのは厳しいが……。

 

「あーもーっ、邪魔ーっ!」

 

 哭暗衆のひとりに魔力弾を放つ。

 相手は身体を柳のように揺らして、その一撃をすっと避けた。

 

「へ?」

 

 またたく間に距離を詰められる。

 小剣の刺突がおれを――いや、公女を襲う。

 

「なんでーっ!」

 

 おれは剣でその一撃を弾き、斜め後ろに跳躍、距離をとろうとする。

 ほかの三人がおれを追って跳躍してくる。

 

「シェルっ!」

「うん、お姉ちゃん!」

 

 そこに、シェルが上空から魔法を放つ。

 哭暗衆の頭上から、白く細い粘着質の蜘蛛の糸が降ってくる。

 

 彼らはジャンプした直後、空中で、それは絶対に避けられない攻撃――のはずだった。

 黒ずくめの男たちが、剣を持っていない左手を一斉に真上に突き上げる。

 

 その掌の先から、黒い傘のようなものが広く展開された。

 蜘蛛の糸は彼らの頭上に展開されたおおきな傘にかかり、哭暗衆はあっさりと蜘蛛の糸(スパイダーウェブ)を突破する。

 

 

:え、なにそれ

蜘蛛の糸(スパイダーウェブ)にそんな突破方法あったの?

:しらん、帝国の暗部こわっ

:魔術師相手の戦いに慣れてるな……

 

 

 そうか、こいつら対人経験が豊富なんだ。

 というかそれに特化した部隊なんだ。

 

 

:アリスちゃんの天敵じゃん

:これまずいんじゃ

:え、どういうこと?

:アリスちゃんは対魔族・魔物特化

 

 

 コメント欄の王族たちが焦っている。

 しゃーない、こうなったら……。

 

 おれは背の高い木の太い枝に着地する。

 そこに、斜め下から飛んでくる哭暗衆の三人、少し遅れてもうひとり。

 

 充分に引きつけたあと、少し上の木の枝めがけてジャンプ。

 敵もそれを追って跳躍する、が――。

 

 おれは木の幹を蹴って、方向転換する。

 一瞬、高度が同じになったところで剣を振るう。

 

 おれの斬撃は敵の小剣で受け止められる――はずだった。

 ここでアレを発動、公女を抱えた左手で、ぽちっとな。

 

 おれの身体が回転して、それに伴いおれの剣の軌道が変化する。

 相手はこの変化に対応できず、おれの剣は相手の小剣をすり抜け、その斬撃が相手の首を刎ねた。

 

 よしっ、これでひとり。

 

 

:え、なに?

:アリスちゃん、いま気持ち悪い動きしたな

:隠し玉? 秘密兵器?

 

 

「ひ・み・つっ!」

 

 残る三人が木の幹を蹴っておれを追撃してくる。

 こっちは背の翼で宙を舞い、いちど高度を上げようとするが……ううっ、公女が重い。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)でつくった翼には、荷物を運ぶような力強さがない。

 少女とはいえひとひとりを抱えていては、思うように加速できない。

 

 やばいな、このままだと追いつかれる。

 

 しゃーない、もう一回、ぽちっとな。

 同時に小規模の魔力弾を発動し、跳躍の方向を変化させる。

 

 おれの身体が不規則な回転をして、あらぬ方向に向かった。

 ちょっと目がまわる。

 

 空中でこの不規則軌道は、さすがに想定外だったのだろう、相手が混乱しているのがありありとわかる。

 そうだよな、わかるよ、対人戦闘に優れた奴らほど、こういう理外の動きに弱い。

 

 すれ違いざま、おれはもうひとりを斬り捨てる。

 敵は残り、ふたり。

 

「なにが目的か知らないけど、見逃してくれるなら追わないけど?」

 

 いちおうそう声をかけてくるが、相手は無言だ。

 ちぇっ、やっぱりこいつら、プロだよなあ。

 

 

:いま連絡が入ったんだけど、帝国の一部が裏切って魔王軍についたわ

:は? 帝国分裂?

:ちょっとこれ放送で流しちゃ駄目なんじゃ?

:いまさらだよ、いまさら

:公女殿下は裏切りの手土産ってわけか

 

 

 ふざけんな、手土産ってなんだよ。

 肩でぐったりとしている少女が、やけに重く感じた。

 

「あったまにきたーっ! もーっ!」

 

 残るふたりが、空中のおれに向かって左右から同時に距離を詰めてくる。

 こいつら、木の幹を蹴るだけで、よくもまあ綺麗にタイミングを合わせてくるな……。

 

 それだけの熟練の暗殺者なのだろう。

 見事な対人連係プレイだ。

 

 でも、だからこそ読みやすい。

 ぽちっとな。

 

 おれは左手の人差し指に嵌めた指輪のボタンを親指で押す。

 魔道具だ。

 

 師匠が開発した、身体を回転させるだけの魔法、回転制御(スピンコントロール)

 それを発動させる魔道具を、リアリアリアに無理をいって短期間で開発して貰ったのである。

 

 いやあ、さすがは希代の天才魔術師、たったの十数日でやってくれました。

 おかげで積み上がったタスクがめちゃくちゃ放置状態らしいけど……いやほんとゴメン、でもこれ、マジでいま役に立ってるから。

 

 おれの身体が不規則に回転して、また相手との軸がずれる。

 一瞬、戸惑う相手の頭上から斬撃を見舞い、ふたりをそれぞれ一太刀で斬り伏せてみせる。

 

 おれは絶命した男たちから離れた場所に着地。

 ふう、とひと息つく。

 

「だいじょうぶ、公女殿下?」

「う……っ、き、きぼぢわる……」

 

 あっ、と思った次の瞬間、殿下は盛大にリバースされた。

 ぎゃあっ、背中にかかったっ。

 

 



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第41話

 公女殿下の聖なるリバースによって背中が多少濡れたものの、ひとまず危機は脱した。

 脱した、はずだ。

 

 空をみあげる。

 シェルの姿が……あれ、みえない。

 

 帝国のやつらを警戒して、魔法で隠れたか?

 さっきの敵も、飛行するシェルをみつけて、その下のアリス(おれ)の位置を知った可能性があるから……まあ、妥当な判断か。

 

 それにしても……ううっ、背中から臭ってくるよう。

 

 

:泣きそうな顔のアリスちゃんもそそる

:胃液を浴びるのも、考えようによってはご褒美でしょ

:高度すぎるプレイなんだよなあ

:アリスちゃんの胃液を浴びるならアリ

:ナシだろ

 

 

 コメント欄は相変わらずだ。

 いやまあ、たぶんこれ帝国の分裂っていう衝撃の情報から興味をそらすためのコントなんだろうけど。

 

 王族たち(あいつら)はそれくらいやる、という圧倒的な信頼感がある。

 とはいえ、そのコントでネタにされる方はたまらない。

 

「た、助けてくださった方に対して、なんという粗相を……。本当に申し訳……うっ」

「あっ、うん、仕方ないよ。でももう少し、もう少しだけ頑張ってね!」

 

 コメント欄がみえていないだろうに、心の底から申し訳なさそうに謝ってくるアイシャルテテル公女。

 でも、これ以上リバースはやめていただきたい。

 

 身分的には本来、おれなんかが話しかけることもできないような相手なんだけど。

 いい子だなあ。

 

 彼女の姉妹を助けることはもう無理だろうけど、せめて彼女だけでも、亡命させないと。

 そう、いまはひとまず、彼女の身柄の確保が第一、だ。

 

 大公家の魔法である未来探知もあるが、彼女の持つ魔力は、ヴェルン王国(うち)の王族と比べても膨大だという。

 王国放送(ヴィジョン)システムが前提なら、その魔力だけでも利用価値はおおきい。

 

 それってつまり、このコメント欄に彼女が書き込むってことなんだけど……この空気に染まって欲しくないなあ。

 おれはそんなことを考えながら、地面を蹴って駆け出す。

 

「ところで殿下、さっきの奴ら以外にも、ヒトが襲ってきたりした?」

「いえ、魔族と魔物だけで……あいたっ」

「あ、揺れるから舌噛まないでね」

 

 

:無茶振りするな

:馬上で会話するよりたいへんそう

:帝国の哭暗衆は、じゃあついさっき参戦って感じか

:アリスちゃんがギリギリ間に合ったわけだ

 

 

 そうなる、かな。

 問題は哭暗衆をはじめとした帝国勢がどれだけ来ているか、ってことと魔族や魔物とどれだけ連係してくるか、ってあたりなんだけど……。

 

「左に跳んでください!」

 

 公女の切迫した声。

 え? と思ったけど、その意味を考えるより早く、おれの身体が動く。

 

 とっさに左手へ跳躍する。

 さっきまでおれの身体があった空間を黒い波のようなものが通り過ぎて、周囲の木々を薙ぎ払った。

 

 単純に魔力を撃ちだしたものだ。

 こういう力に任せた攻撃は、だいたいヒトの仕業じゃない。

 

 振り返れば、身の丈四メートルくらいはある、六本の蜘蛛の脚と蜘蛛の胴体にヒトの上半身が乗ったような魔族が、ゆっくりと近づいてくるところだった。

 顔は無毛で、目は昆虫を思わせる緑の複眼であった。

 

 赤褐色の身体に、腕は二本。

 それぞれの腕に巨大な槍が握られている。

 

 おれはそいつをみて、思わず舌打ちしてしまう。

 ゲームで知ってる奴だったからだ。

 

 ゲリラ的にヒトの勢力圏に突入し、町や村やを襲い、これを壊滅させて生き残りを奴隷として連れていく、魔王軍の影騎士団、その頂点。

 ひと呼んで、恐れの騎士(テラーナイト)

 

 魔王軍の最高幹部、王家狩り(クラウンハンター)と並ぶ、六魔衆のひとりである。

 できれば万全の状態で戦いたい相手だ。

 

「殿下、いまのって……」

「たまたま、生き残る未来がみえた(・・・)だけです。あまり当てにはなさらないでください」

「とにかく助かったよっ」

 

 

:大公家の魔法か

:便利に使えるわけじゃないみたいだな

:シェルちゃんが狙われないように隠れてもらったところだから、助かった

 

 

 シェルは上の方の指示で身を隠したのか。

 いまの一撃があっちを狙ったものだったらどうしようもなかったから、大正解だ。

 

 それにしても、とおれは恐れの騎士(テラーナイト)を睨む。

 

「貴様、我は知っているぞ」

 

 はたして恐れの騎士(テラーナイト)が、地の底から這い出てきたような、心臓を絞めつけるような声を出す。

 その言葉そのものに魔力がこもり、畏怖の感情を想起させているのだ。

 

 おれの肩に背負われたアイシャルテテル公女が全身をこわばらせ、ひっ、と押し殺した悲鳴をあげる。

 おれは腹にちからを入れて、こみ上げる恐怖の感情を懸命にこらえるが……。

 

「アリス、という名だったな。ゴズルゥを倒した貴様と、ずっと戦いたいと思っていた」

「ゴスルゥ? 誰かな、それって」

「貴様たちが王家狩り(クラウンハンター)と呼んでいた我らが同胞だ」

 

 うんうん、王家狩り(クラウンハンター)イコールゴズルゥ、ゲームで知ってたけどね。

 おれが魔族の本当の名前を知ってたらおかしいから、知らないふりをした。

 

 それにしても、アリス、とこいつに名を呼ばれただけで全身に怖気が走る。

 やべーな、ある意味、王家狩り(クラウンハンター)より厄介かもしれない。

 

 ゲームでは恐怖の状態異常(バッドステータス)で行動が阻害されていた。

 その対策を立てたうえで挑み、勝利するという流れであった。

 

 たしか、特殊な護符で感情を凍結させることで状態異常(バッドステータス)を喰らわないようにしたんだ。

 今回、当然のようにそんなものは持ってきていない。

 

 これ、詰んでない?

 本気でマズいかもしれん。

 

 いや、今のおれの仕事はこいつを倒すことじゃない。

 いま肩に背負っている少女を無事に王国まで送り届けることだ。

 

 おれは踵を返し、味方との合流地点のある北東に駆けだす。

 こんな状態でボス戦なんて、やってられるか。

 

 

:よしいいぞ、戦うな

:相手にするだけ無駄

:全力で螺旋詠唱(スパチャ)するから肉体増強(フィジカルエンチャント)全振りで逃げ切れ

 

 

 コメント欄も、おれの決断を全力で肯定してくれている。

 配信的には見栄えが悪いかもしれないが……今はおれの命だけじゃなくて、この子の命もかかってるんでね。

 

「あーばよっ、とっつぁーんっ」

 

 北東に全力でダッシュする。

 相手は連続して魔力弾を撃ちだしてくるが、なんとかかわし続ける。

 

 

:とっつあん?

:アリスちゃんはときどきよくわからない

 

 

 ごめんねコメント欄のみんな! つい軽口が出るだけなんだ!

 ちらりと振り返れば、恐れの騎士(テラーナイト)がゆっくりと六本の蜘蛛脚で前進してきている。

 

 こいつが槍を突き出すと、その穂先から黒いビームが出てくるのだった。

 両手に槍を持っているけど、魔力弾は左手の槍からしか出していない。

 

 魔力弾の数が倍になるとさすがに辛いから、これは助かる。

 たっぷり螺旋詠唱(スパチャ)をもらっているから、このまま、相手が恐れの騎士(テラーナイト)だけなら逃げ切ることは簡単だろう。

 

 

:これなら逃げ切れそう

 

 

「跳んでください!」

 

 コメント欄でフラグを立てた奴がいて、その直後、公女の声。

 おれは反射的に跳躍する。

 

 おれと殿下が一瞬前までいた空間を、数本の投げ槍が通りすぎていく。

 空を裂いた投げ槍は、おれの右手側に立ち並ぶ木々に突き刺さり、派手に爆散した。

 

 

:うわっ、帝国騎士団の爆槍だ

:たぶん第七だな

:精鋭じゃん、最悪

 

 

 本当に最悪だ。

 またヒトを相手にするのかよ。

 

 しかも、後ろからは恐れの騎士(テラーナイト)が追ってきている状態で。

 

「ヒトと魔族の夢のタッグマッチとか全然嬉しくないんだけどぉっ!」

「くるりとするのを!」

 

 空中のおれに、また数本の投げ槍が飛んでくる。

 タイミング的に、一発目が避けられることを想定しての置き攻撃だな、これ。

 

 わかりやすく表現するなら、ソニックブームで飛ばしてサマーソルトってことだ。

 待ちガイルの動きである。

 

 対人戦闘に慣れた敵だ。

 これまでのアリスなら確殺されていたコンボであるが、今回は幸いにも、公女のアドバイスもあって心構えができていた。

 

「こんにゃろーっ!」

 

 左手の人差し指に嵌めた指輪型魔道具、を起動。

 回転制御(スピンコントロール)の魔法が発動しする。

 

 ほぼ同時に、前方へ右手を突き出し、魔力弾を放つ。

 魔力弾の反動が回転制御(スピンコントロール)によって複雑な変化を起こし、おれの身体はあらぬ方向にかっ飛んだ。

 

 投げ槍は、そんなおれのすぐそばを通り抜けて、反対側の樹木を何本か爆散させた。

 守ろう、大自然!

 

 少し目をまわしながらもおれが地面に着地すると、左手の森のなかから十人以上の男たちが飛び出してくる。

 いずれも黒い全身金属鎧を身につけた、ガタイのいい騎士たちだ。

 

 こいつらが、帝国の騎士か。

 

「ちょっとちょっとーっ、よくもまあ人類を裏切ったうえ、か弱い女の子を集団で襲うような卑怯な真似ができるよね? 帝国人ってヒトとして恥ずかしくないの? それとも帝国の外のヒトなんてヒトと思ってないのかな?」

 

 挨拶代わりに煽ってみたところ、騎士たちの親玉とおぼしき先頭の男が「小娘の分際でっ!」と激昂してくれた。

 ちなみにこのやりとり、お互いに高速で走りながらやっている。

 

 向こうも肉体増強(フィジカルエンチャント)で脚力を強化して、アリス(おれ)に追従してきていた。

 螺旋詠唱(スパチャ)のあるおれに追いつけるとか、たいしたもんである。

 

 王家狩り(クラウンハンター)との戦いで無茶をした結果、いまの王国放送(ヴィジョン)システムにはリミッターがかかっているとはいえ……。

 こいつら、ひとりひとりが普段のおれの十倍以上は魔力がある精鋭だな。

 

 その力で魔族と戦えば、多少は善戦できただろうに。

 いや、それでも後ろから追ってきている恐れの騎士(テラーナイト)相手には雑魚同然だけども。

 

 でもおれにとっては、こいつらも充分に厄介なんだよなあ。

 さっきから、回転制御(スピンコントロール)で誤魔化しながらしのいでいるけど、対人戦闘は本当に苦手だ。

 

 なんとかこいつらを振り切りたいところなのだが……。

 

「ねえねえ、こっちは忙しいからまた後にしてくれない? またこんどなら、遊んであげるからさぁ」

「ならばその肩にかついだ娘を置いていけ。その者を献上せねば、我らに未来はないのだ!」

「こーんな年端もいかない子を魔族に売り渡して恵んでもらうような未来、ロクなもんじゃないよ!」

「それでも、我らにはほかに道はない! 故郷に残した妻と娘のためだ!」

 

 その妻と娘、もう触手の餌食になってない? 大丈夫?

 正直、もともと存在しない望みにすがりついているようにしか思えないんだけど……。

 

 ここでそんなことをいいあっても仕方がない。

 この人たちの覚悟は変えられない以上、やるしかない、のだが……。

 

 まだ投げ槍を温存していた騎士たちが、追従しながら投擲してくる。

 それを回避している間に距離を詰められ、剣で斬りつけられるところをかろうじてかわす。

 

 あーもう、ジリ貧だよ!

 あと少し、なんだけども……。

 

 

:シェルの合図と同時に右手に避けて

 

 

 コメント欄で、ディアスアレス王子が発言する。

 あっ、はい。

 

「いまだよ、お姉ちゃんっ!」

 

 耳もとで、シェルの声。

 同時におれは、上体を右に倒しておおきく跳躍。

 

 直後、前方の森の木々が光に包まれた。

 純白の極太ビームが、おれのすぐ左脇を薙ぎ払っていく。

 

 男たちの悲鳴があがる。

 いやー、いまのタイミング、わりとギリギリだったぞ!

 

 で……目の前の木々がなぎ倒されて、おおきく道が開けた。

 前方、距離およそ一キロくらいのところで、小高い丘の上に固まって陣取る者たちがいる。

 

「アリス、お待ちしておりましたわーっ」

 

 遠く離れていても聞こえるかん高い笑い声は、その先頭に立つ赤毛の少女、テルファだった。

 そのすぐ横では、妹のムルフィがこっくりとうなずいている。

 

 さらに彼女たちの後ろには、総勢三十人の男女がいる。

 特殊遊撃隊候補生の三十人である。

 

 いまの極太ビームは、彼女たちが合同で放った一撃であった。

 つまり……。

 

「上手く、ここまで釣り出してくれましたわね!」

「ん。よくやった」

 

 そう、おれの今回の役割は、公女殿下とおれ自身を囮として、敵の追撃部隊をここまで引っ張ってくることだったのである。

 我がヴェルン王国の特殊機動部隊が勢揃いした、この決戦の場に。

 

 



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第42話

 森のなかにぽっかりできた空き地、その小高い丘の上。

 そこに展開するのはヴェルン王国特殊遊撃隊の候補生含めた三十余名、勢揃いである。

 

 もちろん、ムルフィとテルファもいる。

 候補生たちの上空に。

 

 いつの間にか、シェルもテルファの横に移動していた。

 見習い三十人の横には師匠の姿もあるはず……あれ、あの怪しいドクロの仮面をかぶった、まるで子どものような小柄な身体つきの女性は誰だ?

 

 あ、ドクロの仮面をかぶった小柄な女性がぶんぶん手を振ってる。

 怪しいな、とりあえず無視しておくか……。

 

 おれの師匠があんな変態仮面のはずがない。

 絶対に、ない。

 

「こらーっ、てめーっ、無視すんなーっ」

「師範、やっぱその仮面は無理がありますよ」

 

 角刈りの生真面目そうな男が師匠をいさめている。

 候補生の代表格であるマルクだ。

 

 あのひとも苦労人だなあ。

 いや、うちの師匠のアホな姿に呆けてる場合じゃない。

 

 おれは公女様を抱えたまま丘をぴょんぴょん駆けあがる。

 最後の一歩で彼らを跳び越すとその後方に着地して、殿下を下ろす。

 

 十歳くらいの少女は、目をまわした様子で、草むらに倒れこんでぐったりした。

 仕方がなかったとはいえ、かなり無茶をしたからなあ。

 

 シェルによって飛行魔法で運ばれてきた老婆が、慌てた様子で公女様に駆け寄る。

 

「おお、殿下、おいたわしい……」

「わ、わたくしは大丈夫ですよ。ばあやも無事でよかった……うえっ」

 

 ちょっとお見せできないリバースをはじめた殿下から、おれは視線をそらす。

 ひとまず、自分が駆けてきた森の方へ振り返る。

 

 森のなかから、二十人と少しの黒鎧姿の者たちが出てくるところだった。

 ありゃー、まだ生き残りがいたかー。

 

 というか、あんなにいたのかよ、帝国の騎士。

 まともに戦わなくて正解だったわ。

 

 テルファが丘の上から高笑いで彼らを出迎える。

 

「おーっほっほっほ、これよりヴェルン王国は義をもってティラム公国に助太刀いたします。汚らわしい魔族に与する人類の恥さらしども、一抹でもヒトの矜持があるなら下がるがよろしいですわーっ!」

 

 うわっ、すごい煽ってる。

 楽しそうだなあ。

 

 

:名乗りは大事だ、大義名分だからな

:王国中に正当性を主張していこうな

:おれらが正義、あいつら悪、決めつけていけ

:全力でマウントをとろうぜ

 

 

 おいコメント欄、そういう本音をコメントに書くんじゃねえ。

 まあ今回に関しては、本物のお姫様を救うおれたちと、お姫様にひどいことをしようとする悪の軍団の戦いだから仕方ないね。

 

「ええいっ、帝国騎士の意地をみせろ! 総員、構え!」

 

 黒鎧たちが、隊長らしき人物の指揮で一斉に投げ槍を構える。

 げっ、爆槍か!

 

 二十本以上の槍が、宙を舞って襲ってくる。

 よほど肉体増強(フィジカルエンチャント)の倍率をあげていたのだろう、ものすごい速度で丘に向かって飛んでくる。

 

 塹壕にでも隠れなければ、結界魔法を展開しても、爆風だけでひどい目に遭うだろう。

 ましてや殿下と従者の老婆はひとたまりもない――はずだったのだ、が。

 

「無駄無駄無駄無駄っ、無駄ですわーっ! やっておしまいなさい、ムルフィちゃん!」

「ん、任せて」

 

 ムルフィが、無気力に無造作に両手を持ち上げる。

 ぱくりと開かれたその十指から、無数の光の光線が発射された。

 

 ビームが爆槍を迎撃し、その軌道の頂点で衝突する。

 二十数本の爆槍は、そのすべてがムルフィの魔法の光線に射貫かれ、空中で爆散、消滅した。

 

「うへーっ、すげーなーっ」

 

 ドクロ仮面の小柄な女性が、まるで子どものようにきゃっきゃっと喜んでいる。

 師匠、ああいう派手なの好きだよね……。

 

 実際のところこの世界だと、ああいう汎用兵器って、だいたい突出した魔術師の個人戦力でなんとかされちゃうんだよな……。

 そんな突出した魔術師ですらも、魔族や魔物が質と数で圧倒してくるとどうしようもないんだけど。

 

 個体ごとの性能差が極端すぎる世界なのだ。

 戦争ともなれば、その個体性能の差が国家全体の戦力差に直結してしまう。

 

 でも、いまのこの状況なら、それもない。

 数による援護を受けているのはこっちで、帝国側にはムルフィという圧倒的な魔術師戦力を凌駕することができない。

 

 対人で数的に劣勢だと打つ手がなくなるアリスと、魔術師としてもひとかどの人物であるムルフィの違いはそこだ。

 この場は、彼女に任せてしまえばいい。

 

「ええい、ならば突撃だ! 恩知らずの属国どもめ、下等種どもめ、我ら真の騎士の実力、知らしめてくれよう!」

 

 すげえ、さすが帝国の騎士だ、話が通じる気なんてまったくしないぜ。

 こんなに良心の呵責なく踏み潰せる奴らも珍しい……いやそう珍しくないか? ただの山賊だと思えば?

 

 これが、大陸で最大最強の帝国の実働部隊である。

 そりゃ大陸も滅びる、滅びて当然ってなるわ。

 

 でもあいにくと、おれたちはむざむざ滅びてやる気はない。

 せめておれのまわりの人々だけでも、助けてみせる。

 

 と――おれが覚悟しなくてもいい感じだな、ここは。

 なにせ、対人戦ならムルフィたちの方が……。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)によるブーストで、ものすごい速度で丘を駆け上がってくる黒鎧の騎士たち。

 長槍を腰だめに構え、地力で駆けていながら、馬上でのランスチャージのごときものすごい突進である。

 

 そいつらの前に立つは……たったひとりの、ドクロ仮面の小柄な女。

 え、師匠がやるの?

 

「どけっ、ちびのガキがっ!」

 

 先頭の騎士が、突進の勢いを乗せて容赦のない刺突を繰り出す。

 ドクロ仮面はふわりと浮き上がってその一撃をかわすと、槍の上に飛び乗った。

 

 騎士が目を丸くして硬直する間に、ドクロ仮面は槍の上をとててと駆けて距離を詰め、兜に覆われていない無防備な顎に膝蹴りをかます。

 突進中の騎士はおおきく上体をそらし……そのまま、鎧を着た身体が宙に舞い上がる。

 

 あ、これ例の魔法(スピンコントロール)だな。

 師匠はもちろん、おれと違って自前でこの魔法を行使できるし、おれなんかよりずっと上手くこの魔法を使いこなしている。

 

 高い魔力抵抗を持つ上位魔族と違って、帝国の騎士たちには魔法が効く。

 だから師匠は、自身に対してだけでなく相手にもこの魔法を使っているのだ。

 

 ドクロ仮面は空中で騎士の甲冑に覆われた胴体に三発、蹴りを入れた。

 甲冑の正面がおおきくへこみ、一撃を放つたびに騎士が宙高く舞い上がる。

 

 ドクロ仮面が騎士の首を両脚で挟み、くるりと騎士の巨体を回転させる。

 カニばさみだ。

 

 騎士は首を固定されたまま落下する。

 落下地点には、突撃中の別の騎士の頭部があった。

 

 落下する騎士の後頭部と突進している騎士の額が、派手な音をたてて衝突する。

 両者、首があらぬ方向にまがり、その場に頽れた。

 

 ドクロ仮面は折り重なって倒れていくふたりの騎士を足場に跳躍、別の騎士に横から膝蹴りを見舞う。

 さらにそいつを足場にして、次の騎士に跳び蹴りを食らわせる。

 

 このふたりとも、横からの打撃を受けたというのに真上に向かって飛んでいき、そのままなす術なく地面に落下したまま動かなくなった。

 ドクロ仮面はその間にも、残る騎士たちを一方的に叩いていく。

 

 いちども地面に足をつけぬまま。

 その大半に対しては、どこから攻撃がきたか認識もされぬまま、突撃中の騎士たちを屠っていく。

 

 

:は? なにこれ

:相手が雑魚なのでは?

:精鋭で知られる帝国の第七騎士団だぞ

:っていうか吹き飛ぶ方向がヘンなのは、あれナニ?

 

 

 コメント欄で混乱が起きている。

 こっちにはみえているIDから判断するに、うちの下級貴族とか、亡命貴族とか、そのへんの連中だな。

 

 逆にいつも騒がしい王族は黙ってるみたいだ。

 多少なりとも師匠のことを知っているからかな。

 

 あっという間に、師匠ひとりによって帝国騎士二十数人が壊滅的な打撃を受けていた。

 生き残った数人が、それでも一矢報いようと丘の上で攻撃準備をしている候補生たちに突っ込む。

 

 候補生たちが一斉に攻撃魔法を放つ。

 だが帝国騎士たちは前面に虹色に輝く結界魔法を展開し、これをことごとく弾いてみせた。

 

 

螺旋詠唱(スパチャ)つきの攻撃魔法を弾くのか!

:腐っても帝国騎士団だわ

:やっぱ第七はつえー

:だからそれを一方的に倒していく仮面はなんなんだよ!

 

 

 近接戦の得意なら騎士なら、遠距離攻撃対策は必須だ。

 この程度のこと、精鋭の騎士団なら当然のようにやってくる。

 

 アリスはできないけどね。

 そんな器用なこと、おれには無理だから……。

 

 だがそれも、候補生たちが一斉に放った攻撃魔法は、多少なりとも敵の突進の勢いを弱めることにつながる。

 その隙に、ムルフィが残る帝国騎士たちに斬り込んだ。

 

 禁術を使えば簡単に傀儡にできるかもしれないが、今回は相手もヒトだ、それはしないということなのだろう。

 いずれ、「魔王軍与するヒトはヒトにあらず、魔族魔物と同様である」みたいなお触れが聖教から出そうな気もするけど……。

 

 今回の放送なんか、まさにそういう世論形成に使われそうだな。

 まあ、それは後々のことだ。

 

 結果、師匠の殺戮を逃れた騎士たちはムルフィの剣によって切り裂かれ、そのすべてが丘を登り切ることなく地に伏した。

 うん、かたちのうえでは圧勝だ。

 

 実際のところ、こっちは最初から砲撃に向いた地形に陣取り、アリスがその場所につり出すかたちであった。

 終始、有利を押しつけていったのだから、勝ってあたりまえなのだ。

 

 この騎士たちと、五分と五分の状態でぶつかりあったら、こちら側もおおきな被害が出たことだろう。

 アリスひとりだったら絶対に戦いたくない、逃げの一手である。

 

「ぐ……っ、辺境の属国ごときが、調子に乗りおって……っ。貴様らが手を貸さぬせいで、我らの国土は……」

「うわあ、このごに及んで上から目線って、帝国騎士さんはえらいんだねぇ。そのえらい騎士さんが、どうして魔族なんかの下僕になっちゃうのかなあ?」

 

 おれが呆れた調子で、瀕死の騎士を煽る。

 致命傷を受けてとめどもなく血を流すその男は、それなのに外れた兜の下の顔を真っ赤にして、おれを睨みつけた。

 

「妻と子らを人質にされていなければ、貴様らごときに……っ」

「負けたのは実力でしょ」

 

 あ、思わずマジレスしてしまった。

 

 

:アリスちゃん、演技、演技、スマイルスマイル

:別にこの場で煽ることはないと思うが……

:アリスちゃんの罵倒、士気向上の役には立つから……

 

 

 罵倒されて上がる士気なんて犬に食わせろ。

 



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第43話

念のため、恐れの騎士(テラーナイト)の蜘蛛脚が6本なのは仕様です。
残りの2本が手になっています。


 さて、帝国の騎士たちは倒したが、これはあくまで前座である。

 森のなかから、恐れの騎士(テラーナイト)がゆっくりと姿を現わした。

 

 走る必要も感じなかったのだろう、その六本の脚で、ゆっくりと歩いて。

 周囲には、蜘蛛型や狼型、蛇型といった各種の魔物にゴブリンやオークといった魔族をはべらせている。

 

 森のなかからこの空き地に出現した魔族と魔物は、合わせて一千体以上。

 あっちこっちの囮を追っていたこいつらが、本命がここにいると知って集合するまで待っていた、ってことかな。

 

 帝国の騎士たちは、その間の時間稼ぎか。

 してやられた、かもしれない。

 

 丘の上から周囲を確認する。

 おれたちの後方、北から東の森のなかに、さらなる魔族と魔物の姿がちらほらとみえた。

 

 挟まれた、か。

 最悪、恐れの騎士(テラーナイト)の足止めだけして撤退、というのも考えていたけど、それも難しくなった。

 

 特にキツいのが、大勢の敵を相手にアイシャルテテル公女を守りながら戦わなければならない、ということである。

 乱戦になった場合を考えると……公女の身の安全を確保するのは、ちょっと厳しい。

 

 いや、まだだ。

 今回、幸いなことに師匠がいる。

 

「師匠、公女殿下(そのこ)を任せていいですか」

「こっちのおばあちゃんはどうする」

「最悪、見捨ててください」

 

 王国放送(ヴィジョン)システムの音声を一時的に切って、そんな会話を交わす。

 老婆は黙って、納得した様子でうなずいていた。

 

 師匠はドクロの仮面をかぶったまま、沈黙する。

 きっと仮面の下で、さぞや盛大に顔をしかめていることだろう。

 

「わかった」

 

 結局、三秒ほど沈黙したあと、師匠はそういってくれた。

 隊商の護衛をしていたこともある彼女のことだ、守る対象に優先順位をつける必要があることも理解している。

 

「ありがとうございます。これで、安心して戦えます」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が槍を握った右腕を持ち上げる。

 それを合図として、魔族と魔物の群れが丘を駆け上がってきた。

 

 候補生たちが、タイミングを合わせて魔法を放つ。

 業火が、吹雪が、そして雷撃が、大蜘蛛やゴブリンやオークをなぎ払う。

 

 でも後続の魔族と魔物は死を恐れず前進し、味方の屍を乗り越えてくる。

 これが、魔王軍の恐ろしさの一端だ。

 

 圧倒的な力を持つ一部の個体が注目されるがものの、それ以上に厄介な、この数押し。

 広大な草原では数百万におよぶ大軍を展開して、食料が足りず餓えた魔物たちが周囲の草を食べ尽くしてもまだ腹を空かせ、ひとたび戦いが始まれば敵軍を文字通り飲み込んでいくのだという。

 

 この小国においては、険しい山々や深い森のせいで、それも不可能だ。

 それでも、こうして足の早い魔物を中心とした部隊を数百体から場合によっては一千体以上、余裕で動員してくる。

 

 全長三メートルほどある蜘蛛が、二十体ほどで跳躍し、候補生たちの攻撃魔法を回避する。

 大蜘蛛たちは空中でかぱっと口を開け、一斉に白い糸を飛ばしてきた。

 

「ん。させない」

 

 候補生たちの上空で滞空していたムルフィが、小杖(ワンド)を前方に向ける。

 丘の上を中心として広範囲に虹色の結界が展開され、白い糸を弾き返した。

 

 空中の蜘蛛たちが、無防備に落下する。

 そこに、候補生たちの狙い澄ました魔法攻撃が炸裂、蜘蛛たちは炎に包まれて死に絶えた。

 

 その隙に、双頭の犬型の魔物の背に騎乗したゴブリンたちが距離を詰めている。

 通称ゴブリンライダー、小柄な彼ら用の槍を腰だめ構えての、ランスチャージだ。

 

 候補生の一部が、慌てず騒がず、迫るゴブリンたちめがけて攻撃魔法を連射した。

 大半のゴブリンとその乗騎が炎や吹雪に呑まれ、風に切り裂かれ、雷に打たれて倒れ伏す。

 

 それでも、生き残った一部の前に……。

 このおれが、アリスが立ちはだかる。

 

「はーい、ここまでたどり着けたみなさんにアリスのご褒美だよっ! 死ねっ!」

 

 飛び出して、小振りの剣を振るう。

 双頭の犬と騎手のゴブリンたちの首を、まとめて刈りとる。

 

 後輩たちのもとには、一匹も通さない。

 まあ、これくらいのサポートはしないとね。

 

 振り向けば、候補生たちは肩で息をしながらも、集中して魔法を行使できていた。

 魔力リンクも、アタッカーがあまり動かない現在の態勢なら問題ないようだ。

 

 

:候補生、仕上がってるな

:初の実戦投入だけど、螺旋詠唱(スパチャ)の魔力の分配も上手くいってる

:分配してるシェルちゃんの負担がおおきすぎない?

:いまのところ大丈夫みたいだけど、そのへんが課題だよね

 

 

 そう、今回、螺旋詠唱(スパイラルチャン)の配分は、候補生たちの背後でシェルが行っている。

 けっこう術式が複雑で、いまのところこれができるのは王国放送(ヴィジョン)システムの開発に関わっていたうちの妹以外だと、リアリアリアくらいだとか。

 

 将来的には、そのあたりも魔道具によってシステマティックにやりたい、とのことだけど。

 今回は、残念なことに間に合わなかった。

 

 おれが飛び出さず、サポートに徹しているのもシェルの負担を考えてのことだ。

 実際のところ、この程度の魔族と魔物だけなら、おれひとりでも処理できるしな……。

 

 それでも、ここで候補生たちをお披露目し、活躍させるのは重要なことだった。

 王国放送(ヴィジョン)システムには価値があり、その価値を引き出せるのはアリスとムルフィだけではない、と知らしめる必要がある。

 

 もっとも今回、それはいささか勇み足ではないか、と思うところもあって……。

 敵の第一陣が全滅し、ひとときの静寂が訪れる。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)は、森のはずれにたたずみ、まだ前進してきていない。

 こちらの力を試すかのように、部下が全滅する様子を眺めていただけだ。

 

 あいつが襲ってこないか、おれはずっと警戒していた。

 あいつの周囲に展開された恐怖のオーラの効果範囲に候補生たちが入ってしまえば、彼らはおそらく行動不能になってしまうはずで……。

 

 そうなると、候補生たちはただの足手まといなのだ。

 たぶん、師匠でも駄目だ。

 

「師匠、その子たちを連れて候補生といっしょに後方を突破、撤退してくれる?」

「いいのか、おめーらは」

 

 師匠はドクロ仮面をかぶった顔を動かし、おれとムルフィ、シェルとテルファをみていう。

 

「今回のアリスたちの任務は、殿下を王国に案内することだから」

「わかった、しんがりは任せる。無茶はするなよ」

「だいじょーぶ、アリスはいつだって最強だからね!」

「最強を自認するなら、怪我しないで帰ってこいよ」

 

 それは、ちょっと保証できないかな。

 まあ、ここにはムルフィもいるから、なんとかしてみるさ。

 

 

:うん、その作戦でいい

:アリスちゃんとムルフィちゃんだけなら撤退も楽

 

 

 あ、王族たちのお墨つきをもらった。

 これしかない、ということだろう。

 

 師匠は公女と老婆を候補生に預け、先頭に立って丘の反対側を駆け下りていく。

 森からわらわらと魔物が湧いてきて、師匠たちの前に立ちはだかった。

 

 全長二メートルの蟻型の魔物、四本の腕を持つ熊、大狼の魔物や双頭の犬、合わせて三、四十体ほどだ。

 幸いにして、まだ包囲が完成していなかったのか、数は少ない。

 

 候補生たちが攻撃魔法を放ち、その魔物たちを始末する。

 敵が混乱したところに師匠が単独で切り込み、四つ手熊や大狼といった厄介そうなものから始末していく。

 

 候補生たちは、攻撃魔法を放ちながらゆっくりと前進、丘を降りていく。

 

 うん、これであっちは大丈夫だろう。

 おれは恐れの騎士(テラーナイト)の方に向き直る。

 

 なぜか、ずっと森のそばに立ったままだ。

 また罠を仕掛けているのか……? と思ったけど、どうやらそうでもない様子である。

 

「準備はできたか、戦士アリス」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が、告げた。

 丘の上に立つおれを睨む。

 

 その声を聞くだけで逃げ出したくなるほどの恐怖を覚える。

 

「わざわざ待ってくれたの? ずいぶんと紳士だね! さっきの帝国騎士とは大違い!!」

「我のそばでは、我が配下どももひどく怯えるのでな」

 

 なるほど、そういえばゲームでも、そういう設定だったな。

 恐れの騎士(テラーナイト)の恐怖のオーラは対象無差別で、敵味方関係なく怯えさせてしまう。

 

 ってことは……これ、後退する師匠たちの方には、まだまだけっこうな数の敵が向かっているんだろうな。

 そっちの援護もしたいところだけど、恐れの騎士(テラーナイト)は、ムルフィひとりじゃ手に余る相手だ。

 

 ちらり、と上空のムルフィをみる。

 普段、あまり表情の変わらない顔がいまは渋面をつくっていた。

 

 彼女もまた、恐れの騎士(テラーナイト)の声を聞いて恐怖のオーラに耐えているのだ。

 本調子ではない。

 

「さて……我の足止めはおまえたち四人、ということでいいのかね」

「正確には、アリスとムルフィのふたりだよ。そっちのシェルとテルファはバックアップだから、気にしないで欲しいな」

「ふん、まあ、よかろう。罠があろうと正面から踏み砕いてこそ、王家狩り(ゴズルゥ)の無念も晴れるというもの」

 

 やれやれ、エロゲ原作に似合わぬ高潔なやつだこと。

 おれとしては助かるけどさ。

 

 

:最初から全力でいけ

:ムルフィ、禁術でいいぞ

 

 

「ん」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が、両手でそれぞれ槍を握ったまま、ゆっくりと前進してくる。

 その蜘蛛脚の巨体が丘の下まで到達したところで、ムルフィが魔法を放った。

 

 いっけん火球の魔法(ファイアボール)にみえるそれこそ、王家狩り(クラウンハンター)の腕をもぎとった禁術、誘爆の魔法(インドゥークション)である。

 魔法耐性に優れた上級の魔族であれば、この程度の攻撃魔法は避けずにわざと喰らう、とみての一撃であるが……。

 

「つまらぬ」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)は右手の槍を振るう。

 槍の穂先から発射された極太の魔力弾が火球を焼き払い、そのまま上空のムルフィを襲った。

 

 ムルフィは慌てて魔力弾を回避する。

 魔族の放った魔力弾は、宙を焼き、隣の高い山の頂に着弾して……その山の八合目から上を粉々に吹き飛ばした。

 

 うげえっ、すさまじい威力。

 あんなの喰らったら、おれたち程度じゃ肉片も残らないだろう。

 

「その程度の詐術で我をひっかけるつもりだったか」

「あーもーっ、かわいげのないやつっ」

 

 

:蜘蛛の魔族のどこを捜しても、もとからかわいげなんてないだろ

:それはそう、まず蜘蛛というのが駄目

:あれ生理的に無理

 

 

 なんだよーっ、蜘蛛の複眼が好きなやつもいるかもしれないだろ。

 



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第44話

 恐れの騎士(テラーナイト)の恐怖のオーラは、彼に近づけば近づくほど強いものとなる。

 平均的な騎士がなんの対策もなしに剣が届く距離まで近づけば、恐怖にがんじがらめにされて、動くことすらできなくなるだろう。

 

 アリスの天敵だな、こいつ!

 せめてもう少し、準備ができればよかったんだけど。

 

 でも――おれはひとりで戦っているわけじゃない。

 

「兄さん」

 

 シェル、いやシェリーのささやき声。

 風の魔法で、おれだけに聞こえる声を届けてくれたのだろう。

 

「いま師匠から魔法を教えてもらってるから、もう少し時間を稼いで」

「リアリアリア様から? それ、リアルタイムに教わってなんとかなるものなのか?」

「なんとかする」

 

 そっかー、なんとかしちゃうかー。

 うちの妹は本当に天才だな! 兄として鼻が高い!

 

 なんて現実逃避しても仕方がない。

 

 ムルフィが上空を飛びまわりながら恐れの騎士(テラーナイト)に攻撃魔法を撃ち込んでいる。

 彼女の攻撃は全然効いていないし、恐れの騎士(テラーナイト)の反撃の魔力弾は盛大に周囲の大自然を破壊しているし、現状はちょっとどころじゃなく不利だ。

 

 この状況で、接近できないおれになにができるかというと……。

 たとえば、これだ。

 

 おれは帝国騎士が遺した爆槍のうち、使用されなかった一本を拾う。

 おおきく振りかぶり、たっぷり肉体増強(フィジカルエンチャント)して……。

 

「アリス・爆槍ストライクーっ!」

 

 丘の上から、恐れの騎士(テラーナイト)に向けておもいっきり投げる。

 

 

:だっさ

:安定したネーミングセンス

:ただ拾った武器を投げただけ

 

 

「コメント欄うるさーいっ! こっちは必死になってるの!」

 

 爆槍は一直線に飛んで、恐れの騎士(テラーナイト)の――足もとの地面に落ちた。

 地面が爆発を起こし、土煙が派手に舞い上がる。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の全身が土煙に隠れた。

 よしっ、どうせ当たっても効かないし、迎撃する気もないだろう、と思ったんだ。

 

 視界が遮られたところで、ムルフィが土煙のなかに攻撃魔法を叩き込む。

 それが命中したかどうかもわからないが……。

 

 土煙を割って、恐れの騎士(テラーナイト)が飛び出してくる。

 蜘蛛の脚をばねにして、たったのひと飛びで、丘の上のおれめがけ跳躍してくる。

 

「こざかしい真似をする!」

「実際にちいさいんだから仕方ないでしょ、このでかぶつっ!」

 

 おれは後ろに飛びすさって距離をとる。

 それでも、恐れの騎士(テラーナイト)の恐怖のオーラをだいぶ浴びてしまい……ううっ、身体が縮こまる。

 

 歯を食いしばって、恐怖を振り払う。

 幸いにして、どうしようもなくなる前に恐怖のオーラの影響圏外に離脱できた。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が丘の上に足を踏み入れた瞬間、その場所で巨大な爆発が起こったからだ。

 条件爆発魔法(ディレイドボム)、いわゆる埋設地雷をこの場所にあらかじめ仕掛けておいてもらったのである。

 

 戦況が不利になったとき、時間稼ぎとして使うために候補生たちが設置したものだ。

 幸いにして彼らはこれを使わずに済んだため、おれとムルフィで有効活用させてもらったというわけである。

 

 丘全体が陥没するほどの巨大な爆発と共に、天高く火柱があがる。

 おれは自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で翼を生やし、全力で宙を飛んで爆風から距離をとった。

 

 ムルフィは上空で、結界魔法を張って爆風を防いでいた。

 さて、この一撃で多少なりともダメージを与えられれば……。

 

 ぞくり、と全身に怖気が走る。

 おれはとっさに翼を消し、森のなかに落下、いちもくさんに遮蔽をとった。

 

 直後。

 上空を、白いビームが通りすぎた。

 

 丘だったものの中心から、空全体をなぎ払うように、極太の魔力弾が無数に放たれたのだ。

 森の木々のうち背の高い数本が、そのてっぺんを削りとられている。

 

 視界の隅では、ムルフィが結界でテルファとシェルをかばって、それでも魔力弾を受け止めきれず吹き飛ばされていた。

 いやでもこれ、ムルフィがかばわないとふたりともやられていたから、マジでGJだ。

 

「だいじょうぶ、みんな!?」

「こっちはだいじょうぶだよ、お姉ちゃん!」

「でもわりとヤバかったですわーっ! ちょっといちど、態勢を整え直したいところですわーっ!」

 

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)を脚に集中させて木の幹を駆け上がり、背の高い木の上から爆心地を観察する。

 

 丘が陥没して、クレーターとなっていた。

 そのクレーターの中央で、恐れの騎士(テラーナイト)は無傷で立っていた。

 

 やっぱり、あの程度じゃ駄目か。

 六本ある蜘蛛脚の一、二本でも折れればと思ったんだが。

 

 いや、その巨体が、ぐらりと揺れる。

 やはり少しはダメージがあったのだろう。

 

 よくみれば、蜘蛛の胴を覆う分厚い外皮、右中脚の少し上にわずかな亀裂が入っていた。

 これまで数多の攻撃を受けて、そのすべてを傷ひとつなくはじき返していたことを考えればおおきな進歩だ。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の緑の複眼が、樹上のおれをぎろりと睨む。

 ちっ、めざといことで。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の左手の槍から、おれめがけて魔力弾が放たれた。

 ほぼ同時に、おれは素早く地面に飛び降りている。

 

 幅広く展開された魔力弾、もはや青白いビームといった方がいいそれが、森の木々をなぎ払う。

 おれは着地と同時に地面に伏せた。

 

 極太ビームが頭上を通過し、アリスの金色の髪が数本、刈り取られる。

 てめーっ、禿げたら化けて出てやるからな!

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)した後の髪の毛って変身前に戻ったらどうなるのか、よく知らんけど。

 

 

:敵の火力が、ヤバい件

:近づけば恐怖のオーラ、遠距離戦ではこの魔力弾、マジで無敵だなこいつ

:さっき、自分で王家狩り(クラウンハンター)と同格っぽいこといってたよな

:六魔衆の一体だぞ、アリスちゃんとムルフィちゃんで王家狩り(クラウンハンター)を倒したときもギリギリだったからな

 

 

 あのときは王家の方から飛んできた切り札のおかげもあって、アリスの腕一本と引き換えに王家狩り(クラウンハンター)を仕留めることができた。

 周囲への被害を軽減するべくリアリアリアたちが頑張ってくれたこともおおきい。

 

 今回はそういった援護は期待できない。

 状況はずいぶんと厳しい、が……。

 

「できた」

 

 シェルの声が耳もとで響く。

 同時に、おれの全身が淡く白い光に包まれた。

 

恐れずの魔法(レジストフィアー)、かけたよ!」

「ありがとう、シェル!」

 

 このわずかな時間で、リアリアリアからの援助もあってとはいえ新しい魔法を習得してしまうのだから、さすが、わが最愛の妹!

 天才! 最高! かわいい! ヤッター!

 

 おれは立ち上がると、地面を蹴って飛び出す。

 

 木々がなぎ倒されて焼け野原も同然の森を一気に抜けて、恐れの騎士(テラーナイト)の待つクレーターに全力で接近する。

 近づいてくるおれをみて、恐れの騎士(テラーナイト)は左手の槍を構え、魔力弾を打ち出す姿勢をとる。

 

「んっ、援護する」

 

 ムルフィが光線魔法を放つ。

 光の帯が無数の光の矢に分離して、恐れの騎士(テラーナイト)に着弾、多重に爆発が起こる。

 

 爆煙により視界が遮られた瞬間、おれは横に飛ぶ。

 恐れの騎士(テラーナイト)が放った魔力弾は見当違いの方向をなぎ払い、盛大に自然破壊するだけに終わった。

 

 強い風が吹き、煙が晴れる。

 恐れの騎士(テラーナイト)がおれを認識したとき、おれはこの敵から十歩の距離にあった。

 

 恐怖のオーラの濃い影響下。

 しかし、いまのおれの身体は少し寒気を覚える程度だ。

 

 これなら充分、動ける。

 あと必要なのは、こいつの外皮を打ち破るだけの打撃力だ。

 

 

:アリスちゃん、リミッター解除しちゃ駄目だよ

:そうそう、ここで無理をしたら……

 

 

「了解っ、シェル、リミッター解除っ!」

「ちょっ、アリスお姉ちゃん!」

「解除してもしなくても、このまま突っ込むよっ!」

「ああもう、ごめんなさいっ、リミッター解除します!」

 

 

 シェルを「解除しない方が危ない」と脅迫して螺旋詠唱(スパチャ)のリミッターを解除させ、膨大な魔力を受け入れる。

 コメント欄で王族たちが発狂しているが、知ったことか。

 

「アリスお姉ちゃん、あとでお説教だからね!」

「あとでね! アリス・アルティメット・ブラスター!」

 

 至近距離から、魔力弾を放つ。

 狙うは先ほど亀裂が入った胴体の一部、右中脚の少し上。

 

 視界が閃光に包まれ、直後、爆風に吹き飛ばされた。

 くるくると宙を舞いながら、おれはみる。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)がその身をよじり、魔力弾の直撃を避けていた。

 それでも無傷とはいかず、外皮の亀裂がよりおおきくなり、わずかながら青い体液が飛び散っていた。

 

 魔族は口をおおきく開き、その鋭い牙があえぐように上下する。

 だがそれもわずかな間、恐れの騎士(テラーナイト)は爆風をこらえ、よじった身体をもとに戻して前脚を地面に叩きつける。

 

 その瞬間、蜘蛛の脚が踏みしめた地面が、ふたたび爆発を起こした。

 敵の注意がおれに向いたその一瞬で、ムルフィが先ほどの条件爆発魔法(ディレイドボム)をセットしていたのである。

 

 これはさすがに予想外だったのか、恐れの騎士(テラーナイト)のの身体が宙に浮く。

 ほんのつかの間、その身が無防備になった。

 

 おれは空中で白い翼をはためかせ、恐れの騎士(テラーナイト)に向かって落下する。

 小杖(ワンド)を槍に変え、その穂先を最大まで伸ばしたうえで、槍に魔力を集める。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が顔をあげて、その複眼がおれを睨む。

 おれの槍の穂先が、恐れの騎士(テラーナイト)の顔面をえぐる――寸前。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)がやみくもに振りまわした右手の槍が、ほんのわずかおれの槍に触れ、弾かれる。

 おれの身体が、ふたたび吹き飛ばされた。

 

 援護するように、ムルフィが攻撃魔法を放つ。

 恐れの騎士(テラーナイト)はその攻撃魔法を、これまた右手の槍でかろうじて弾き――火球の魔法(ファイアボール)にみえたその攻撃魔法は、恐れの騎士(テラーナイト)の槍に接触した瞬間、爆発。

 

「アリス・アルティメット・ブラスター!」

「いい加減、黙れ!」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が左手の槍から魔力弾を放とうとする。

 この体勢では、おれは避けられない。

 

 だがおれは、にやりとしてみせる。

 なぜなら、いまのムルフィの一撃は火球の魔法(ファイアボール)ではない。

 

 誘爆の魔法(インドゥークション)だ。

 魔力弾を放とうとした恐れの騎士(テラーナイト)の左手が、派手な爆発を起こした。

 

「まずは、手を一本!」

 

 



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第45話

今回のテーマはネットリテラシー


 誘爆の魔法(インドゥークション)によって、恐れの騎士(テラーナイト)は左腕の肘から先を失った。

 傷痕から青い体液がぼたぼたとこぼれ落ちている。

 

 だがこの程度は、六魔衆にとって、なんら致命傷とはなりえない。

 現にいま、恐れの騎士(テラーナイト)は緑の目を紅蓮に染めて、激しい動きで右手の槍を突き出し、おれを追い詰めていた。

 

「貴様らごときに! この我が、傷を! 下等な虫けらが!」

「あははっ、虫にだって針はあるし、毒を持つやつだっているんだよっ! アリスはさしずめ、ひらひら舞う無害な蝶だけどっ!」

 

 

:いや、アリスちゃんは立派な毒虫

:口を開けば挑発しかしないメスガキ

:舞っているのはスカートだけ

:パンツみせろパンツ

 

 

 コメント欄がひどい。

 こっちは魔王軍の幹部クラスとマッチングしてるんだけど!?

 

 片手を落としたといっても、まだ地力の差は歴然、こっちは避けるだけで精一杯なのだ。

 皆の螺旋詠唱(スパチャ)がなければ、たちまちミンチになること確定である。

 

 ムルフィが援護として、また誘爆の魔法(インドゥークション)を放つ。

 恐れの騎士(テラーナイト)は、おおきく跳躍してそれを回避した。

 

 その隙に、おれは恐れの騎士(テラーナイト)の間合いから一時的に離脱する。

 ふう、ひと息つけた、が……。

 

「邪魔な羽虫がっ!」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が右手の槍から小刻みに魔力弾を連射して、上空のムルフィを撃ち落とそうとする。

 ムルフィは慌てて魔力弾の回避に入るものの、でたらめに放たれた数十発から逃げるのは難しかったようで、何発かはバリアで防ぐことになる。

 

 ムルフィのバリアでは威力をすべて相殺できず、おおきく弾き飛ばされた。

 くるくる回転しながら、彼方へ飛ばされていく。

 

 しっかり魔力を込めれば、もうちょい堅牢なバリアを張れるはずだが……。

 

 あ、そもそも螺旋詠唱(スパチャ)の量が減ってきている。

 王国放送(ヴィジョン)端末の向こう側にいる貴族たち、がんばれっ! がんばれっ!

 

 

螺旋詠唱(スパチャ)が減ってきてるな

:けっこう長時間、かつ今回は候補生にも螺旋詠唱(スパチャ)してたからな……

:ごめん、俺もう限界

:魔力が尽きた、あとは任せる

:ぱ、ぱんつ……

 

 

 げぇ、王族が次々とダウンしてる。

 こいつらが弱音を吐くってことは、実際に限界まで魔力を絞り尽くしてくれたんだろう。

 

 今回、任務が任務、外国への干渉ということもあって、ヴェルン王国内の端末だけでやってるからな……。

 他国への王国放送(ヴィジョン)システムの拡張は、やっぱり急務だったってことか。

 

 とはいえ、これはマズい。

 螺旋詠唱(スパチャ)がないアリスなんて、そこらの騎士くらいの実力しかないのだから。

 

 

:え、あ、これで、いいで、しょうか

 

 

 と、視界の隅に展開されるコメント欄に、変わったコメントが入る。

 うん、これは……新しいIDだな。

 

 

:こ、こんにちは……わたくし、アイシャルテテル、と申します

 

 

 え? 公女様?

 王国放送(ヴィジョン)システムに繋いだってことは、バックアップ部隊が端末を持ってきてたのか?

 

 

:公女殿下、ここでは挨拶も個人の名前も必要ありません

:そうそう、この場ではもっと気軽にコメントしていいんだよ

:身分も関係なく、みんなでアリスちゃんをおもちゃにする場所だから

:アリスちゃん、とりあえずパンツみせなさい

 

 

 最後ぉっ! っていうかエステル殿下! さっきまでへたばってたのに!

 

 

:え、パンツ? ですか?

:アホなコメントは気にしなくていいから

:むしろ積極的にアホなコメントをしていいから

:しなくていい、純粋な子を悪い方に染めるな

 

 

「ちょっとちょっとぉっ! いま戦闘中! わかってるのかな、そこのお兄ちゃんたちっ!」

 

 

:そうだった

:アイシャ、触媒を握って、端末に魔力を込めて

:あ、はい……あの……わたくしのことをそう呼ばれるのは、エステルお姉さまですよね?

:だから名前禁止!

:ご、ごめんなさい 先ほどからパンツパンツとおっしゃっているので……

:専用端末から識別番号(ID)バラすのも禁止!

 

 

 あっはっは、エステル殿下ったら王国中に発言をバラされてーら。

 っと――おっ、すごい量の魔力が流れてきたぞ。

 

 

「ありがとう、アイシャルテテル殿下! これでアリスはまだ戦えるっ!」

 

 

 螺旋詠唱(スパチャ)を目と四肢の肉体増強(フィジカルエンチャント)にまわして、おれは恐れの騎士(テラーナイト)との距離を一気に詰める。

 上空のムルフィを相手にしていた恐れの騎士(テラーナイト)が、右手の槍をおれの方に向けた。

 

 連続して発射される、数十発の魔力弾。

 おれの強化された視力が、その一発、一発の軌道を正確に読みとった。

 

 身を低くして、地面と魔力弾の隙間を、紙一重で回避する。

 敵の至近距離まで接近した。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が蜘蛛の前脚で蹴りを放ってくる。

 でも、その動きも――いまのおれには、みえていた。

 

 小杖(ワンド)を槍から小剣に変え、向かってくる前脚に渾身の斬撃を見舞う。

 そして接触の瞬間、左手の指にはまった指輪を、オン。

 

 堅い前脚と小剣が衝突し、その反動で――おれの身体が、上方に跳ね上がった。

 

「なにっ!?」

 

 予想外の方向に跳ねたおれに、虚を突かれた相手の反応がほんの少し遅れる。

 

 おれの鼻先に、恐れの騎士(テラーナイト)の顔があった。

 考える間もなく小剣を突き出す。

 

 その一撃は、恐れの騎士(テラーナイト)の左の複眼に突き刺さった。

 金属がこすれ合うような、ひどく不快な悲鳴があがる。

 

 おれは小剣を引き抜くと、素早く身をひるがえして宙に舞いあがる。

 恐れの騎士(テラーナイト)は口をおおきく開く。

 

 口のなかから、無数の白い糸が針のように飛び出してきた。

 一瞬でも離脱が遅ければ、おれの全身はハリネズミのようになっていたことだろう。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が口から吐きだす、糸槍。

 その存在をゲームで知っていなければ。

 

 おれの離脱を許した恐れの騎士(テラーナイト)は、怒りにまかせてやみくもに槍から無数の魔力弾を放つが……。

 そんなもの、いまのおれには当たらない。

 

 地面に衝突した魔力弾がいくつも土を深く抉り、土煙が視界を覆う。

 おれはその隙に、いったん敵の背後にまわりこんでから離脱する。

 

 息が荒い、呼吸が苦しい。

 全身がばらばらになりそうなほど痛い。

 

 ついでに、さっきから視界が赤いし目を開けているのも辛い。

 リミッターを解除してあれだけの動きをしたのだから無理もない。

 

 あと少し、保ってくれよおれの身体。

 

「アリスお姉ちゃん、これ以上は駄目。撤退して!」

「駄目! こいつはここで倒す!」

 

 

:やめろ、もう充分だ

:守るべき者は守った

:こんな局地戦でアリスちゃんを失うのは割に合わないんだよ

:わたくしの姉妹の仇など、考えなくてもよろしいのです、どうかご自愛を

 

 

「そういうことじゃないよ。こいつを生かしておくわけにはいけないって、カンが働くだけ」

 

 

:カン、ですか? もしや予知?

 

 

「そこまで上等なものじゃないよ、アイシャルテテル殿下」

 

 ただのゲーム知識だから。

 恐れの騎士(こいつ)が出てきた戦場は、その時点で詰みなのだと知っているだけだ。

 

 恐怖のオーラという常時展開型状態異常(バッドステータス)

 どんな大軍も、これを前にしては塵芥と同じだ。

 

 強力な魔術師によって支援を受けた少数の強者での特攻のみが、この魔族を打倒しうる。

 いや、恐れの騎士(テラーナイト)に限らず、六魔衆はどいつもこいつも、そうなんだけど。

 

 シェリー(うちのいもうと)クラスの魔術師でも、おれひとりに対策の魔法を展開するのがやっと、というあたりでお察しである。

 

 候補生を出撃させた戦場で、よりによってこんなアンチが出てくるとは想定外だった。

 しかも、アリスのみならず、ヴェルン王国の戦略、戦術をかなりのところ晒してしまった。

 

 魔王軍だって馬鹿じゃない。

 恐れの騎士(テラーナイト)がこのまま帰還したら、必ずや特殊遊撃隊(おれたち)への相応の対策を考えるだろう。

 

 それだけは、させちゃいけない。

 わからん殺しができているうちに、可能な限り、敵の戦力を削らなきゃいけない。

 

 こいつはここで殺す。

 そういった意味をすべて込めて、あえておれは「カン」といった。

 

 はたして、それを端末の向こう側の人々はどう受けとったか……。

 

 

:わかった、おぬしの思うままにやれ

:ちょっ、父上!?

 

 

 ゴーサインを出したIDは、国王のものだった。

 よしっ、ありがとう、おっさん!

 

「アリスお姉ちゃん、無理はしないで」

 

 シェルの言葉と共に、どっさりと魔力が送られてくる。

 その魔力でもって、身体全体を一気に強化する。

 

 土煙が晴れて、恐れの騎士(テラーナイト)の姿が露になった。

 左腕に続いて左目を失い、怒り狂った敵の姿が。

 

 すかさず、ムルフィが上空から攻撃魔法を連射する。

 火球に紛れて、何発かチャージしていた誘爆の魔法(インドゥークション)が入っているみたいだ。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)はさきほどの再来を恐れてか、魔力弾を迎撃に使い、それでも迎撃しきれなかったものは左右にステップしてこれを回避する。

 よし、いまのうちっ!

 

「いっくよーっ!」

 

 気合を入れて、おれは地面を蹴る。

 恐れの騎士(テラーナイト)の背面から、突っ込んでいく。

 

 



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第46話

 魔族や魔物は、強い。

 

 たとえば先日、おれが敵から奪った、相手の付与魔法(バフ)を剥ぎ取る武器、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)

 ゲーム中で、とあるイベントで使用する武器である。

 

 あれは、たいていの局面では役に立たないアイテムだ。

 なぜかというと、終末世界の零落姫というゲームにおいて、敵の大半は魔族と魔物だったからである。

 

 この世界において、一般的にヒトは肉体増強(フィジカルエンチャント)で己の五体を強化して戦う。

 対して魔族や魔物は、そういった魔法を使わない。

 

 必要がないからだ。

 彼らの身体はヒトに比しておそろしく強靭であり、未強化の五体で易々とヒトの全力の肉体増強(フィジカルエンチャント)と互角以上に渡り合うことが可能なほどであった。

 

 加えて高い魔法抵抗を持ち、攻撃魔法ならともかく、生半可な拘束魔法、精神汚染系魔法などは容易く抵抗(レジスト)してしまう。

 もっともその代償として、大半の魔族や魔物は己の魔法抵抗に阻害され、肉体増強(フィジカルエンチャント)が使用できなかったりするのだが……前述の理由により、そんなこと些細な問題にすぎない。

 

 生まれもっての強者。

 それが、魔族や魔物なのである。

 

 そしていま、おれが相対している恐れの騎士(テラーナイト)は、魔王軍を統べる六魔衆の一角、すなわちその強者のなかでも特に優れた存在だ。

 その身を覆う蜘蛛の外皮はひどく強靭で、おれの小杖(ワンド)が変化した剣や槍でも、普通にやれば傷ひとつつけられない。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が放つ魔力弾は小規模なものでも一発一発が森の木々を粉砕し、収束して放てば遠くの山のかたちすら変えてしまう。

 そんな、とびきりの化け物だ。

 

 たとえ螺旋詠唱(スパイラルチャント)による援護があったとしても、まともにぶつかれば、たちどころに殺されてしまうだろう。

 相手が左手と左目を失った現状でも、おれやムルフィが一撃を貰っただけでおしまいなのは変わらない。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の背面から突っ込んでいったアリス(おれ)に対して、相手はまるで背中に目があるかのようにタイミングを合わせて横にステップ、おれの突進をかわしてみせる。

 同時に、右手の槍による刺突がおれを襲う。

 

 おれは小杖(ワンド)を槍にして、刺突に合わせこちらもその槍を突き出し――。

 インパクトの瞬間、左手の指輪のスイッチをオン。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の刺突によって跳ね返されるはずが、回転の方向が変化し――おれの身体は勢いよく恐れの騎士(テラーナイト)の背面にまわりこむ結果となる。

 またも予想外の動きに、相手は追従できず、一瞬、その動きが止まる。

 

 蜘蛛の脚と胴体の上にヒトに似た上半身が乗っかった、ケンタウロス型の魔族。

 その背後は隙だらけだ。

 

 おれは右後ろ脚のつけ根を狙って、刺突を見舞う。

 その一撃は、ほんのわずか、相手の外皮のやわらかい部分を貫いた。

 

 青い体液が飛び散る。

 恐れの騎士(テラーナイト)は苦痛に身もだえして、下半身を暴れさせた。

 

 巻き込まれてはたまらない、とおれは慌てて距離をとる。

 

「幾度も幾度も、奇妙な動きをっ! 貴様、いったいどんな小細工をした!」

「さーねっ! 片目がみえなくて、アリスの動きを追いきれないだけじゃないかな?」

 

 

:マジでアリスちゃんのあの動き、なに?

:詳しくは知らないけど、リアリアリア様の極秘の魔法らしい

:禁術じゃなくて?

:ははは、禁術を嬉々として伝授する大魔術師なんているはずがないでしょう

:ははははは、まったくだね

:ははははははははは……はぁ

:あの、みなさん、どうなさったのですか

:公女様は気にしなくていいから

 

 

 アリスですがコメント欄の空気が最悪です。

 まったくもう、こいつらは。

 

 おれが敵から離れた瞬間、ムルフィが攻撃魔法を連打して、相手に回避を要求する。

 恐れの騎士(テラーナイト)は、攻撃魔法のなかに混じる誘爆の魔法(インドゥークション)を恐れて、その身で受けることを嫌がっていた。

 

 こうなるとマジで強いな、誘爆の魔法(インドゥークション)

 いっけん、火球の魔法(ファイアボール)と見分けがつかないのがとても嫌らしい。

 

 誘爆の魔法(インドゥークション)にも弱点はあるのだが、こいつら魔族は相手の攻撃をいちいち研究するなんてことはしない。

 魔族は、そんなことをしなくても、これまで勝ててきたのだから。

 

 五百年前も、たとえ集団での戦いで負けたとしても、個としての力では常に圧倒してきたのだから。

 そう――リアリアリアを始めとした者たちが、この誘爆の魔法(インドゥークション)をはじめとした禁術や 王国放送(ヴィジョン)システムを開発しなければ……。

 

 ムルフィの攻撃魔法を避けて着地した瞬間を狙い、おれは地面を蹴って背後から接近、刺突を見舞う。

 相手はこれを、向きを変えて外皮の分厚い部分で受け流す。

 

 おれの身体は勢い余って恐れの騎士(テラーナイト)の前に……出ることなく、なぜか反対方向、敵の背中に流れる。

 また、指輪の力を使ったのだ。

 

 蜘蛛脚の関節の隙間に槍で一撃を入れ、また離脱。

 

「くっ、ちょこまかと、こざかしい真似をっ!」

「あははっ、でくのぼうって自白かな? 自分のことも面倒みられないんじゃ、もっと部下を大事にしてもよかったんじゃない?」

 

 おれが離れた瞬間、またムルフィが爆撃する。

 ムルフィの攻撃を避けた瞬間を狙い、おれが接近して一撃を繰り出す。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)とて、逃げまわっているだけではない。

 適宜、魔力弾や刺突、口から吐く蜘蛛糸の針で反撃をしてはいるものの、いかんせん単調な攻撃を、おれもムルフィもすでに見切っている。

 

 そう、見切り、だ。

 こいつはこれまで、主に恐怖のオーラと強力な魔力弾によって、圧倒的な戦いしかしてこなかった。

 

 ここまで接近され、反撃を受け、あまつさえ身体の一部を欠損するような戦いなど皆無であった。

 いわば、圧力をかけることに慣れ過ぎて、圧力をかけられることに慣れていなさすぎた。

 

 それが結果的に、この状況に繋がっている。

 当人の想像以上に恐れの騎士(テラーナイト)の思考を鈍化させ、おれたちへの対応をワンパターンで読みやすいものにしてしまっている。

 

 とはいえ、こちらとてリソースが無限にあるわけではない。

 おれの身体はすでにガタガタだし、螺旋詠唱(スパイラルチャント)で魔力を供給してくれている者たちとて……。

 

 

:ごめん、魔力が限界

:があっ、触媒がもうない!

:我が家はあと娘だけだ、これ以上は……

:あとは側付きに任せる、ごめんね、気絶する

 

 

 コメント欄が阿鼻叫喚である。

 みんな、倒れる寸前まで……人によっては倒れるまで魔力を絞り出してくれている。

 

 王国内限定配信の限界だった。

 候補生も入れて都合十七チームへの魔力供給、そしてこの決戦と、あまりにも戦いが長引きすぎたのだ。

 

 複数人が参加したシステムのテストケースとして、充分にデータをとることはできた。

 各国にシステムの端末が行き渡れば、もっと長時間の戦闘が可能となるだろう。

 

 でもいまは、これがおれたちの限界だ。

 螺旋詠唱(スパチャ)が切れると、どうなるか。

 

 飛んで逃げられるムルフィはともかく、おれは逃げるための肉体増強(フィジカルエンチャント)すら満足に使えなくなって、死ぬ。

 万一を考えて、恐れの騎士(テラーナイト)の脚を中心に攻撃しているが……はたして、こんな程度の負傷で動けなくなるような六魔衆ではあるまい。

 

 

:アリスさん、いまなら逃げられます、どうか……

 

 

 アイシャルテテル公女のコメントだ。

 おれは首を横に振る。

 

「全員が逃げきれる保証はないし、ここでこいつを生かして返したら、次はもっと手ごわくなる。そうなったら、もう勝てないかもしれない」

 

 先ほども伝えた通り、それがおれのいちばんの懸念だった。

 魔族たちとて馬鹿ではないし、ここまで苦戦した相手の戦術はよく研究するだろう。

 

 それは、困る。

 もうしばらく、初見殺しをしたい。

 

 六魔衆を一体、二体と倒していくことで、こちらへの注目度があがることは避けられないが……。

 きたるべき時は、なるべく先延ばししたい。

 

 そのためにも、いま、ここで恐れの騎士(テラーナイト)を仕留める必要があった。

 後退のための魔力すら、すべてつぎ込んで。

 

「我が負けるわけがない! 下等種ごときに負けるなど、あってはならぬことなのだ!」

 

 恐れの騎士(テラーナイト)が発狂したように、でたらめに魔力弾を放ってくる。

 無駄の多い動きだが、こうなると逆に、迂闊に攻め込めない。

 

 手負いの獣は厄介なのだ。

 できればこうなる前に仕留めたかったのだが……。

 

「ん。好都合」

 

 逆に結界魔法(バリア)を持っているムルフィにとっては、こっちの方がやりやすいのか。

 彼女は誘爆の魔法(インドゥークション)を放ち、それを見事、恐れの騎士(テラーナイト)の前脚に着弾させてみせた。

 

 直後、恐れの騎士(テラーナイト)は自身の放った魔力弾を誘爆させてしまう。

 前脚が二本、まとめてちぎれ飛ぶ。

 

 その身が、ぐらりとゆらぐ。

 蜘蛛脚はあと三本あるとはいえ、立っているのがやっと、というところだ。

 

「いまっ! だあっ!!」

 

 おれは小杖(ワンド)を槍から身の丈よりおおきな大剣に変化させ、恐れの騎士(テラーナイト)の懐に飛び込む。

 そのカッと開かれた口が、昆虫の牙を剥き出しにして噛みつこうとする。

 

「これ、でっ!」

 

 大剣を、開いた大口に突き入れる。

 口のやわらかい肉を貫き、その剣先は脳天まで達した。

 

 剣から手を離し、離脱する。

 直後、剣が口に突き刺さった状態で、恐れの騎士(テラーナイト)はひどく暴れ出した。

 

 振りまわされた槍が、偶然、おれの腕をかする。

 おれの身体は空中で激しくスピンして、その身が近くの木に叩きつけられる。

 

 背中に走る衝撃と共に、全身を激痛が襲う。

 手足の骨どころか、これ身体中あちこちの骨が砕けたんじゃなかろうか。

 

「兄さん!」

 

 耳もとで、シェリーの声がした。

 それに返事をする前に、意識が遠くなる。

 

 薄目で、戦況を確認する。

 せめてもの反撃を、と恐れの騎士(テラーナイト)はおれに向かって槍の穂先を突きつける。

 その先端が輝きを放ち――。

 

 そこに、ムルフィの誘爆の魔法(インドゥークション)が着弾。

 ひときわおおきな爆発が起こる。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)の断末魔の咆哮が響き渡った。

 

 



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第47話

 意識が戻ったとき、おれはリアリアリアの屋敷にある自室のベッドの上だった。

 四肢は動くものの、起き上がろうとしたら猛烈な倦怠感が襲ってくる。

 

 すぐ屋敷のメイドがやってきて、あれから二十日以上経っていることを告げた。

 身体の再生だけで数日、それからしばらくシェリーがつきっきりで身体機能の維持をしてくれていたものの、先日ついに過労で倒れたとのこと。

 

「すぐ、シェリーのところに、行く」

「駄目です、あなたも絶対安静です。ご主人様から、あなたが目が醒めたら妹のところに行こうとするから交代で見張ること、絶対にベッドから出すなと仰せつかっております」

 

 さすがリアリアリア、弟子の兄の性格などお見通しということらしい。

 彼女は希代の大魔術師だ、不思議はない。

 

「我々メイドの皆が、さもありなんと納得しました。どうかご自愛を」

 

 さすが屋敷のメイドたちだ、おれのことなどお見通しということらしい。

 なんでだろう?

 

 そういうわけで、それから数日、寝たきりで過ごすこととなった。

 

 おれが起きてから数時間後には、所用で王都を離れていたというシェリーが帰宅するや否や、おれが軟禁されている部屋に乗り込んできた。

 文字通り、飛んで帰ってきたのだろう。

 

「さて、お説教です、兄さん」

「ええと、なんについて、かな」

「まずは自分の身の安全を担保にわたしを脅して、無理矢理にリミッターを解除させたことについて」

 

 あー、そういえばそんなこともあったね。

 ああしないと恐れの騎士(テラーナイト)には勝てなかったんだから、大目にみて欲しい。

 

恐れの騎士(テラーナイト)に必ず勝つ必要はなかった。あまり手札を晒さず、粘って時間を稼ぐだけでよかったはずだよ、兄さん」

「あっ、はい」

「そもそも兄さんは、いつもいつも……」

 

 あっ、これは長くなるやつだ。

 おれはベッドの上で妹のご意見を傾聴した。

 

 

        ※※※

 

 

 後日、リアリアリアが話してくれたところによれば、今回のおれは以前にも増してヤバい状態だったらしい。

 全身あちこちの骨が砕けていたうえ、魔力を流しすぎたことによる肉体増強(フィジカルエンチャント)のネガティブフィードバックもひどく、通常の回復魔法では足りずにリアリアリアが知る古代の魔法まで使用する羽目になったとか。

 

「ただ、今回のあなたの無謀については、半分くらい恐れずの魔法(レジストフィアー)の影響でもあります」

「あー、シェリーの魔法が撤退判断にも影響を与えていたってことですか」

「彼女にも伝えてありますが、こればかりは仕方がないことでした」

 

 なにせ恐れずの魔法(レジストフィアー)がなければ、そもそも戦いにならなかったから、仕方がないといえばその通りだ。

 でも。

 

 恐れずの魔法(レジストフィアー)のせいで押し引きの判断を誤り、その結果として全滅していたら……と考えると、いまになって恐怖がこみ上げてくる。

 おれの判断のミスで、全滅していたかもしれないのだ。

 

 ディラーチャやムリムラーチャ、そしてシェリーまでも。

 結果的には、最良の成果を得ることができたとはいえ……。

 

 間違えちゃいけない。

 おれは、守りたいものを守るために戦っているのだから。

 

 わかってしまえば、そのことも含めて判断の根拠にすればいいだけの話ではあるんだけど。

 

「自分の命を盾にしてリミッターの解除を迫るというのも、想定されていませんでした。これをやられたら、あなたとシェリーの関係を考えるとどうしようもない。かといって現場の判断を無碍にしたくもない。難しいところですね」

「あ、もう二度としません。めちゃくちゃ怒られて、泣かれたので」

「なるほど、シェリーの涙が、あなたにはいちばん効果的ですか」

 

 はい、効果的でございます。

 おれも多大なダメージを喰らった。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)に全身の骨が砕かれたときより苦痛だった。

 

「わかっているのでしたら、よろしいのです。動けるようになったら、あちこちお詫びに行ってくださいね」

「あちこち、って……ディアスアレス殿下とマエリエル殿下のところには、もちろん行きますけど」

「アイシャルテテル公女殿下も、たいへん心配していらしたのですよ」

 

 あー、結局、最後まで戦えたのはあの方が魔力を供出してくれたからだもんな。

 

「アリスの姿で会いにいけばいいですかね」

「いえ、アランとしての姿で会う場をセッティングします」

「いいんですか、正体をバラして」

「彼女はもう知ったのですよ。数多ある未来のひとつに、アランとしてのあなたの姿が浮かび上がったそうです」

 

 あー、未来探知か。

 ずいぶんと特殊な魔法らしいけど……。

 

 数多ある未来のなかから、もっとも望ましい未来を手繰り寄せる力。

 でも、原作のゲームにおいては出てこなかった力だ。

 

 先日も、公女を運んでいる最中に、なんどかその力で助けられている。

 とはいえ彼女いわく、そう便利な力ではないらしい。

 

 詳しい話を聞いておきたいところだ。

 というか、アリスの正体がアランであることまで知ってしまうの、だいぶヤバい力じゃないだろうか。

 

 ヤバいからこそ、ヴェルン王国が全力で確保に走ったんだろうな。

 虎の子のおれたちをまとめて失う危険まで冒して。

 

 公国の側も、自分たちのすべてを犠牲にしてでも彼女に未来を託した。

 それが、公国の血を後の世に残す唯一の道だと信じて。

 

 あんなちいさな子に、まだ十歳の少女の双肩に、とんでもなく重いものが次々とのしかかってきている。

 そのことを知らなければ、きっとおれはなにも感じずにいられた。

 

 でもおれは知ってしまった。

 知ってしまった、からには……。

 

「また、守りたいものが増えたなあ」

 

 深いため息をついた。

 

 

        ※※※

 

 

 ディラーチャとムリムラーチャは、現在、各国を飛びまわり、対魔王軍同盟の予備段階としての、王国放送(ヴィジョン)システムを用いての魔物狩り巡業をしているという。

 本来ならアリスが赴く予定だったことだ。

 

 毎度、休暇もろくにとれない酷使状態で申し訳ないことだが、あの姉妹は、「命じられたことだけしていれば三食ご飯が食べられて、暖かい寝床を与えられて、勝手に清潔な服が出てくる、素晴らしい仕事」と真顔でいってるとのことで……。

 

 うん、今度また、たっぷりとおいしいご飯をおごってあげるな。

 おかわりもいいぞ。

 

 ってわけで、おれがベッドに拘束されている間、ほかに屋敷でフリーな人物といえば、あとひとり。

 師匠である。

 

 師匠は候補生たちの師範としての活動の合間に、こまめに見舞いにきてくれた。

 

「しかし、あれだな。おめーは目が醒めるまで怪我を全部治さない方がいいのかもしれないな」

「なんでですか、師匠」

「毎回、起きたら怪我が全治してたら、さ。おめー自分がどれだけ重傷だったかわからねーで、次もまた無茶するだろ」

 

 ソンナコトナイヨ。

 チャント、ワカッテルモン。

 

「ほらー、そうやってそっぽを向く。そんなんだからシェリーちゃんに半日も説教されるんだよ」

「シェリーがおれを心配してくれているのは、わかっているんですけどね」

「毎回、とびきりの化け物を相手に積極的に飛び込んでいく兄を持った妹はたいへんだよ、ほんと」

 

 申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

 おれが戦わないでも敵を倒せるなら、それがいちばんなんだけど、現状それは難しいしなあ。

 

 恐れの騎士(テラーナイト)を倒せたのは七割くらいムルフィの誘爆の魔法(インドゥークション)のおかげだと思うけど、それもおれが接近戦で足止めしたからだ、というのはきっとうぬぼれではない。

 恐怖のオーラがあるから、犠牲覚悟の人海戦術も封じられていたし。

 

 王家狩り(クラウンハンター)のときだって、誘爆の魔法(インドゥークション)を喰らってくれたのは最初の一発だけ。

 あれは強力な禁術だが、充分な警戒があれば喰らわない攻撃なのだ。

 

「もっとおれが強くなれば、シェリーも安心できますかね」

「わかってねーなー。おめーが無茶をするから心配するんだよ」

「強くなれば、無茶をしなくて済みます。動けるようになったら、稽古、お願いします」

 

 師匠は深いため息をついたあと、承諾してくれた。

 

 うん、まあ。

 結局のところ、強くなるしかないのだ。

 

 

        ※※※

 

 

 というわけで、目が醒めてから三日後。

 ようやく部屋から出る許可が出たおれは、まずディアスアレス王子たちのもとへ、つまりいつもの郊外の屋敷に報告に行った。

 

 今回の報告書は、すでにシェリーたちからお城に提出されている。

 おれが王子たちと顔を合わせてするべきことは、報告書には書いていない細かいことについての質疑応答程度である。

 

 屋敷のいつもの部屋で待っていたのはディアスアレス王子とマエリエル王女、それからエステル王女と、もうひとり。

 アイシャルテテル公女であった。

 

「アラン様、ですね。あなたがアリス、わたくしを助けてくれた人。あらためて、心より感謝の言葉を。わたくしのことは、どうぞ親しみを込めてアイシャとお呼びください」

 

 十歳の公女様は、花が咲いたように笑ってみせた。

 おれが助け出したときと比べると、だいぶ顔色がいい……いやあのときはあまりにも過酷だったから、そりゃ無理もないんだけど。

 

「ええと、ひとつ聞きたいのですけど、アイシャ……殿下」

「はい、なんでもお聞きください、アラン様」

 

 あと、できれば様をつけるのはやめてくれないかな……。

 といってみたところ、「ではアラン様も、殿下、とつけるのをやめていただけますか」と返されたのでいろいろ諦める。

 

 ちいさな公女様の横で、エステル王女がにやにや笑っていた。

 てめーあとで覚えてろ。

 

 気をとり直して、話を戻す。

 

「なんでメイド服なんですか」

「エステルお姉さまによれば、罰、だそうです」

 

 アイシャ公女は、なぜかメイド服を着ていた。

 おれが指摘すると、少し恥ずかしそうに身を縮める。

 

「その……王国放送(ヴィジョン)システムのコメント欄の使い方を間違え、エステルお姉さまに恥をかかせてしまった、と……」

「恥はエステル殿下のコメントそのものですから気にしなくていいのでは」

「いい方ぁっ!」

 

 エステル殿下がおれにツッコミを入れるが、ここはあえて無視。

 どう考えても公共放送でパンツパンツいってる方が悪いでしょ。

 

「まーぼくはいいっていったんだけどねー。民の間で『パンツ殿下』って愛称が広まっちゃったことを、この子ったら気にしてたからさー。罰のひとつもあった方がいいかなって」

「エステルはもう少し気にした方がいいですわ」

 

 こんどはマエリエル王女が妹にツッコミを入れる。

 いいぞ、もっといってやれ。

 

 つーかエステル王女、パンツ殿下なんていわれてるのか、いま。

 完全に自業自得だけど。

 

「ぼくは別に、そんな気にしてないんだけどねー」

「もう少し国とか王家とかの体面とか気にしてくださいよ」

「ぼくがそのへんの体面を気にするような人間だとでも?」

 

 あっはい。

 そっすね。

 

 エステル王女以外の全員が顔をみあわせ、苦笑いする。

 この話題は切り上げよう。

 

 さて……と改めて、アイシャ公女に向き直る。

 

「おれがアリスであることを、大公家の魔法で知ったって話ですけど……具体的に、どんな未来を知ったんですか」

「それは、ええと……」

 

 公女様は、さきほど以上に頬を染めて、なぜか視線をそらした。

 うん、その反応はナニさ。

 

「未来探知、と呼ばれる魔法は、とても特殊でして……特にわたくしのそれは、常時、発動しているようなものなのです。いえ、勝手に発動するというか……」

「ああ、だからアリスで運んでいるとき、急に敵の攻撃の方向がわかったんですね」

「はい、ああ動けば避けられる、という未来がみえました。わたくしが殺される未来もみていました。複数の未来が同時にみえるのです。時にみっつ、四つ、あるいはもっと」

 

 それ、頭が混乱しないのかな。

 けっこう、使い手の方もたいへんな魔法みたいだ。

 

「すぐ先の未来だけではありません。唐突に、ずっと先の光景をみることもあります。もっとも、近年は、その……」

 

 こんどは暗い顔でうつむいてしまう。

 ああ、これはどういうことか、だいたいわかった。

 

 ろくな未来がなかったのだろう。

 なにせあの公国そのものが、魔王軍の侵攻によって詰んでいたから。

 

 ひょっとして、苗床になってる自分をなんどもみたんだろうか。

 それは辛い。

 

 だとしたら、よく正気でいられるな……。

 

「ですが二年ほど前から、そうしてみる光景の一部が変化したのです。アリスという人物によって、未来が変化したのだと、わたくしたちは理解いたしました」

 

 わたくしたち、つまりこの場合、大公家ということだろう。

 彼女の父は、そうして生まれた新しい未来にすべてを託した。

 

 きっと、その未来ですら彼女、アイシャルテテルひとりを助けることが精一杯だと知っていたに違いない。

 あとは、唯一の希望ある未来をより確実なものとするため、ほかのすべてを囮として、彼女を送り出したのだ。

 

 めちゃくちゃ残酷な魔法だな、これ。

 未来がみえるということは、そのなかでもっともマシなものを選ぶしかない、ということでもあるのだから。

 

 それにしても……気になるのは、二年ほど前になって未来が変化した、ということ。

 これって、いったい。

 

「未来が変わるなんてこと、これまでにあったんですか」

「なんどか、あったと聞きます。ですがたいていは、小事でありました。そもそも、あまり先の未来については霞がかかったようによくみえないものなのです。そうであったとしても、いまから数か月後の未来はすべて、絶望しかありませんでした。これまでは」

「それが、変わった」

「はい。いくつかの未来において、わたくしはこの国で、あなたを応援して、魔力を送っておりました」

 

 なるほど、その未来がみえたから、公国は彼女にすべてを託すことができた、と。

 ここまでは納得がいく話だ、が。

 

「それでは、アリスがおれだという件も、その未来のなかで?」

 

 そう訊ねたところ、公女様は、顔を真っ赤にして告げる。

 

「は、はい。わたくしが、その……裸で、あなたに抱かれている場面のなかで……」

 

 なんて?

 



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第48話

 ディアスアレス王子たちへの報告のため訪れた郊外の屋敷。

 その、いつもの会合の間に入室したおれは、そこにいた、罰としてメイド服を着せられた可愛らしいアイシャルテテル公女によって、ひどい未来(・・)を暴露され、固まった。

 

 まだ十歳のアイシャ公女。

 おれは、その彼女を裸にして、抱いていたというのである。

 

 ディアスアレス王子とマエリエル王女が冷たい目でおれをみている。

 アイシャの保護者がわりであるエステル王女は……にやにやとした笑みをみせていた。

 

 あれ?

 ふと、首をかしげる。

 

 おれはメリルの一件でよく知っているのだけど……。

 エステル王女ってわりと身内には過保護なんだよな、と。

 

 すぅーっ、と深呼吸して気持ちを落ち着ける。

 

「確認したいのですが、アイシャ殿下、あなたがみた未来で、おれはなんといっていたのですか」

「自分は本当は、男なのだ、と。『アリスというのは仮の姿だから、こうして共に温泉に入るのは、本当は駄目なんだよ』といって、肉親をすべて失い悲しみに暮れるわたくしを抱きしめてくださったのです」

「あっはい」

 

 アリスの姿で温泉に。

 なるほどね。

 

 年の近い同性の友人としてアリスとのふれあいを求めた彼女に対して、おれがそう返事をした、と。

 

 そんなことだろうと思った。

 おれはジト目でエステル王女を睨む。

 

 この王女のことだ、どうせ、わざとまぎらわしいいい方をするよう指導したのだろう。

 おれが慌てふためくありさまをみたくて。

 

 どうせ、ディアスアレス王子とマエリエル王女も共犯である。

 さっきはエステル王女にツッコミを入れていたこのひとたちの本性も 王国放送(ヴィジョン)システムのコメント欄でよく知っている。

 

「うーん、アランくんったら、つまんないなあ」

「少し計画が雑だったのですわー」

「いやいや、なかなか悪くなかったと思うがね。あと一歩だった。相手に落ち着く時間を与えず、一気呵成に攻め込むべきだったかもしれないね」

 

 なにがあと一歩なんですか? なにが一気呵成? ねえ、殿下?

 

 エステル王女、マエリエル王女、ディアスアレス王子の順に、とてもいい笑顔になった。

 アイシャ公女はひとり、メイド服のまま、きょとんとしている。

 

 こ、こいつら……。

 

「あ、あの。わたくし、なにかアラン様を困らせてしまったでしょうか」

「悪い大人に騙されないように気をつけてくださいね、アイシャ殿下」

 

 殿下の後ろに立つ三人に白い眼を向けながら、おれは心からの忠告を送った。

 

 

        ※※※

 

 

 さて、おれとアイシャ殿下をダシにした余興は終わり。

 

 お互いテーブルを挟んで座って、お茶を飲み、エステル殿下がつくってきた焼き菓子をつまみながら、先の戦いの報告をする。

 ディアスアレス王子たちが積極的に聞きたがったのは、どうすれば六魔衆クラスの分厚い守りを突破できるか、であった。

 

「今回、幸いだったのは、恐れの騎士(テラーナイト)の機動力が低かったことだね。空を飛ばない、ただそれだけでもこちらにとってずいぶんと助かる相手だったといえる」

 

 王子はさきほどまでとは一転、苦虫を噛み潰したような表情で告げる。

 そうなんだよな、恐れの騎士(テラーナイト)は空を飛ばないから、ムルフィの爆撃に誘爆の魔法(インドゥークション)を混ぜる戦法がかなり効果的だった。

 

 これが王家狩り(クラウンハンター)の場合、空を自由に飛んで避けてくるから、誘爆の魔法(インドゥークション)なんて最初の一発以外は当たる気がまったくしなかったんだ。

 地上にいる相手というのは、それだけやりやすいということである。

 

 三次元と二次元だからね。

 

 戦場もよかった。

 森のなかにある開けた場所で、視界を遮るものがほとんどないという環境は、爆撃に最適である。

 

 もしこれで戦いが森のなかだったら、ムルフィの攻撃魔法を中心とした戦い方は難しかったに違いない。

 加えて、あの恐れの騎士(テラーナイト)、他所での戦闘の報告から、狭い場所では蜘蛛の糸を飛ばしてそれを足がかりに飛びまわるという戦法も確認できていたりする。

 

 あれだけの外皮と攻撃力に加えて森のなかを自由に飛びまわる相手なんて、アリスでもちょっとご勘弁願いたい。

 こちらに有利な戦場で、なおあれだけ苦戦したのだから。

 

「相手がわざわざ不利な地形で戦ってくれたのも、こちらを侮ってくれていたからですけどね。おれたちは六魔衆を二体も倒しました。これから先の魔王軍は、きっといままでほどは油断してくれないでしょう」

「そのあたりも含めて、こんごの参考にしたいと考えている。次もまた、きみに無理をしてもらうわけにはいかないからね」

 

 リミッター即解除のことをいってるんだろう。

 あのときは、恐れずの魔法(レジストフィアー)でイケイケ状態だったうえ、ほかに方法がなかったんだって。

 

「具体的に、どういう強化を考えているんですか」

「いちばんの課題は火力だと認識している」

 

 そうだね、やっぱりそこだ。

 火力、攻撃力、すなわちパワー。

 

 高位の魔族と相対するにあたっての問題は、ここまで一環してそれなのである。

 今回はムルフィの誘爆の魔法(インドゥークション)を有効に活用できたけど、それ以外に有効な手札がほとんどなかった。

 

 魔法は、相手の圧倒的な魔力抵抗によってほとんど効果がない。

 アリスが武器を手に殴りにいっても、全身を覆う外皮を貫くことは非常に難しい。

 

 まあ、六魔衆なんて魔王軍の精鋭中の精鋭、そのトップに君臨するやつらである。

 そうそう容易く対策できるはずもないのだが……。

 

「いくつか案はある。アリア婆様のスケジュール次第だが、あちらとも話し合って、なにか考えてみるよ。アイシャ、きみはどう思う?」

「え、わ、わたくし、ですか?」

 

 と、ディアスアレス王子がアイシャ公女に話を振る。

 公女は戸惑っていたが、無理もないよなあ。

 

「アリスが戦っている未来の様子をみたのだろう。具体的に、どのような相手に、どのように戦っていたのかね」

「わたくしがみられる未来は、そう都合のよいものではなく、しかも景色のすべてをみられるわけではありませんので……。あ、ただ」

 

 ぽん、と公女は手を打った。

 おれの方に向き直る。

 

「未来のひとつで、アラン様が、少し変わった姿のアリスとなって戦っていた光景は、覚えております」

「少し変わった姿のおれ、ですか?」

「腕を六本にして、それぞれで武器を構えていました」

 

 阿修羅かな?

 いや、そうか、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で翼を生やせたんだ、腕の数を増やすことだって可能だろう。

 

 全然練習したことがなかったから、まずは魔法の練習から始めなきゃいけないけど……それに、増やした腕を上手く使う訓練も必要だろうけど……やってみる価値はある、かもしれない。

 なんといっても、それは目の前の少女が実際に視た(・・)未来なのだから。

 

「あくまで、未来のひとつです。ほかの未来では、そのようなことはなさっていませんでした」

「だとしても、そこに強くなる可能性があるということですよね」

 

 可能性がある、ということと、確実にそれが可能であるという事実との間には、おおきな差がある。

 無論、その未来において、おれがどれだけの労力をかけたか、その労力に見合うものがあったか、というあたりは不明なのだが……。

 

「つーかさー、アイシャの力、破格だよねえ。そりゃ大公家もアイシャのこと秘匿するわ。みられる未来のバリエーション、歴代でも群を抜いてるでしょ」

 

 黙ってえんえんとお茶請けの菓子をかじっていたエステル王女がぼそりと呟く。

 え、そうなの? と一同の視線がアイシャに集まる。

 

 十歳の少女は、赤くなって縮こまった。

 そういえばこの子、けっこうな貴族なのに、注目を集めるのに慣れてないみたいだな。

 

「あまり、そういうのは、わからないのです。わたくしはあまり人と触れ合わないようにと、なるべく後宮の一室で過ごすようにと申し遣っていましたので……」

 

 正真正銘の、深窓の令嬢じゃん。

 この子の本当の価値を大公が理解していたなら、そうなるのかな。

 

「大公家のほかの人たちは、ここまでではなかったんだね、エステル」

「そーだよ、ディア兄」

 

 ディアスアレス王子の言葉に、エステル王女はそう返事をする。

 

「まー、うちの母も完全にヴェルン王国(こっち)の子なぼくにはあんまり大公家の事情を教えてくれなかったし、魔法のことは秘密にしろっていってたけど……。別に、もういいよね」

 

 そうだな、大公家はもう、目の前の少女ひとりだ。

 アイシャも「エステル姉さまのご判断のままに」と従順である。

 

「えっとね。大公家の魔法、過大評価されてたのさー。もちろん、そうなるよう大公家は宣伝工作に余念がなかったんだけどね。一族の人たちがかろうじてみえた未来をみんなで聞き取りして、手に入れた未来の断片を拾い集めて、あれこれこじつけて、なんとか『未来を視る一族』という幻想をつくりあげたんだ」

 

 未来を視る一族、という幻想か。

 帝国から独立した彼らが自らを、そして公国を侮られぬものにするために着込んだ、派手な衣装。

 

 その秘密は公国が滅ぶそのときまで厳重に秘匿された。

 

「でも実際は、一年後の自分たちのことすらよくわかっていなかった。だって一族で優秀なひとでも、年にいちど、ほんのちょっとの未来がみえる程度だったんだもの」

 

 優秀なひとで年にいちど、ほんのちょっと。

 その程度、なのか。

 

 そうなると、逃走中、なんども未来をみておれを助けてくれた彼女って……。

 皆の視線が集まって恐縮するアイシャの髪を、エステル王女がよしよしと撫でる。

 

「この子はほんとに破格。じゃなきゃ、大公家はもっと前から動いてたはずだもんね。生き残りをかけて」

「はい、姉さま。おっしゃる通りです。わ、わたくしが、もう少し早く、この力を使いこなせるようになっていれば……」

 

 アイシャはうつむき、両手で顔を覆って泣き出した。

 ありゃあ、と全員がエステル王女に非難の視線を向ける。

 

「うっ、ごめんよ……。別に誰も、アイシャを責めるつもりなんてないから。むしろ、アイシャが土壇場で目覚めてくれたおかげで、こうして細い糸が繋がったんだからね! ほら、このクッキー食べる? 甘くておいしいよ?」

 

 なんて雑な慰め方なんだ。

 ほんとエステル王女ってさあ……。

 

「エステルちゃんは本当に、料理に砕く繊細さのほんの一部でも、ヒトに向けられれば素晴らしいのですが……」

 

 マエリエル王女が嘆いている。

 王族でも、このふたりはかなり仲がいいからなあ。

 

 仲がいいだけに諦めている様子だけど。

 メリルも諦めてたみたいだけど。

 

 

        ※※※

 

 

 泣き崩れてしまったアイシャ公女は、エステル王女と共に退場した。

 家族すべて、知り合いほぼすべて、どころか国のすべてを失ってから、まだ二十日と少しなのだ、無理もない。

 

 おれとディアスアレス王子、マエリエル王女は実務の打ち合わせを続ける。

 

「特殊遊撃隊候補生だけど、正式に第二遊撃隊を立ち上げ、まず五組十名をそこに所属させるよ」

「さすがに十五組は多すぎましたか」

螺旋詠唱(スパイラルチャント)の消費量の問題もある。後半は充分な支援ができず、きみにはずいぶんと苦労をかけた」

「ですが殿下は、気絶するまで魔力を供給してくれたんでしょう?」

「当然の義務だよ。しかし全力を尽くしただけで満足する程度の気持ちでは、兵站を担うことはできないということだ」

 

 志が高すぎる。

 横ではマエリエル王女も、うんうんとうなずいていた。

 

「ちなみにわたくしは、恥ずかしながら魔力を絞り尽くしたうえ、出してはいけない液体まで出しきってぶっ倒れましたわー。王より、『乙女の尊厳まで出し尽くすのは禁止』とお言葉を賜ってしまいましたわー」

「なんで嬉しそうなんですか、マエリエル殿下」

「アリスちゃんのためになにもかも解放する……少し新鮮な気分でしたわー」

 

 地味にエステル王女の影響を受けすぎてない?

 

「戦場で、アリスちゃんが懸命に戦っているというのに、わたくしたちにはこの程度のことしかできない。いつも皆、忸怩たる思いでいるのです。アラン、あなたにそのことだけはお伝えしたかったのですわ」

「いまさら、王家の方々の献身を疑ってなんていませんよ」

 

 そう、これだけはいえる。

 おれが守りたい人々のなかに、目の前の王家の人々もまた含まれている、ということを。

 

「というわけで、王国放送(ヴィジョン)システムの拡張は急務だ。端末の量産体制が整い次第、各国に設置していくこととなる。同時に、王国放送(ヴィジョン)システムで定期的に提供する放送を用意する必要がある。アリスというキャラクターは重要なコンテンツだ。きみにも、少しはそういった活動を頼むことになるだろう」

「具体的には、どういう?」

「定期的なトークショウなどは、どうだね」

 

 どうだね、っていわれても。

 おれは渋い顔をしていたのだろう、ディアスアレス王子は笑って「まあ、考えていてくれたまえ」と話を終わらせた。

 

「きみには、しばらく王都にいてもらうことになる。体調を整えるためにも、少なくとも冬まではね」

 

 仕方がないところだ。

 今は夏の終わり、前世でいえば九月の始めといったところだから、二か月くらい待機ということか。

 

 その間に、どれだけ力を溜め込めるかなあ。

 六本腕、本格的に研究してみるか?

 



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第49話

 夏が過ぎ、秋が来る。

 間もなく畑の収穫が始まろうとしていた。

 

 今年の収穫はとても重要である。

 特に王国の西側では、収穫が終わったあと、国を挙げての疎開が開始されることとなっていた。

 

 秋が終わり、冬が来て。

 早ければ春の訪れと共に。

 

 遅くとも、来年の夏までには……。

 デスト帝国は、滅ぶ。

 

 その後は魔王軍の先遣隊が、帝国国境の山岳を越え、我が国に侵入してくるはずであった。

 王国の西に広がる草原地帯が戦場となるだろう。

 

 つまり王国西方では、今回は魔王軍との戦いの前、最後の収穫となる。

 そんな、とてもとても大切な収穫なのであった。

 

 王国は、数年かけて保存できる限りの食料を保存し、その日に備えている。

 西方の畑がなくとも二、三年は戦えるだけの準備をしていた。

 

 

        ※※※

 

 

 ある日の昼下がり、おれとシェリーは、ふたり並んで王都の商区を散策していた。

 相変わらず、おれの単独行動は禁止されていたのである。

 

 どこでどんな無茶をするかわからない、どんなトラブルに巻き込まれて無茶をするかわからない、というわけだ。

 まるきり信用がないな!

 

 ここ最近の素行から考えて、納得できるフシしかないけど。

 自分の身を人質にしてシェリーにリミッター解除を強制したのは、本当に悪かったと思っているよ……。

 

 そんなこともあって、いまのおれは以前の十割増しでシェリーに甘々である。

 デートのお誘いに一も二もなく承諾し、こうして仕事も修行もサボって妹のお供をしているわけだ。

 

 今日のシェリーは機嫌がよかった。

 おれの手をとって、あっちのお店、こっちのお店とウィンドウショッピングを楽しんでいる。

 

 ちゃんと服を買ったり魔道具を買ったりしているのだけれど、このあたりのお店はだいたい「大魔術爵の屋敷に運んでください」で終わりなので、いくら買っても商品は荷物にならない。

 それをいいことに、我が愛しの妹はだいぶ派手に散財していた。

 

 それがストレスの解消になっているのだろう。

 おれの年俸数年分から数十年分の金額がぽんぽん飛び交っていると、みていてちょっとばかり心臓に悪い。

 

「お金は大丈夫なんだよ、兄さん。わたし、これでもいろいろ稼いでるから」

「知ってる。リアリアリアとの共同開発品だけでも目が飛び出るような額だよな」

「だから兄さん、なにか欲しいものがあったら教えてね。いくらでも買ってあげるから」

 

 そういわれても、妹に貢がれる兄の立場になって考えてみて欲しい。

 戦いに関しては、いまさら情けないとは思わないけど……こういう日常においては、少しくらい兄の威厳を……。

 

 無理かな。

 うん、無理かも。

 

 大魔術師の弟子というネームバリューも含め、妹の才覚が溢れすぎていて辛い。

 

「兄さんは自分に自信がなさすぎるよ。わたしがここまで来られたのも、兄さんが背中を押してくれたからだよ」

 

 いや、それはきっかけにすぎなくて、結局はシェリーの努力と才能があったからこそ、なんだけど。

 もちろん、おれがいろいろ動いた結果、いまがあるのもわかっているつもりではある。

 

「未来が変わった、か」

 

 先日の、アイシャ公女の言葉を思い返す。

 彼女がみていた未来に、二年前のあるとき、変化が訪れたという。

 

 時系列を整理しよう。

 おれがリアリアリアに初めて記憶を覗かれ、実質的な王国放送(ヴィジョン)システム計画がスタートしたのが五年前である。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムの原型が完成したのは三年前。

 魔王軍の侵攻が開始されたのも、そのころだ。

 

 二年前といえば……そう、我が国の王が王国放送(ヴィジョン)システムの導入を決断し、特殊遊撃隊が正式に組織されたころ。

 アリスの活動が本格的に始まり、彼女が魔物を退治する光景が初めて王都の端末に映し出されたのが、そのころだったはず。

 

 アイシャ公女が生き残る未来は、そのとき生まれた。

 それまでの彼女には、どうあっても魔王軍に殺されるか、囚われるか、どちらかの未来しか存在しなかったという。

 

 そこに第三の道が現れた。

 その道は細く険しいかもしれないが、とにかく新しい道が、希望が唐突に現れたのである。

 

 それは、おれの知るゲームの世界に続く未来とはまた違う道がある、という決定的な証拠なのだろうか。

 あるいはそうしてみえた未来も、また別の絶望に繋がっているのだろうか。

 

 リアリアリアは、「ひとつの手ごたえを得た、と考えましょう」とアイシャ公女の言葉を素直に喜んでいた。

 同時に「これに油断せず、彼女がさらなる善き道を発見できるよう、力を尽くさなくては」とも。

 

 ちなみに大魔術師である彼女によると、大公家特有の魔法である未来探知とは、厳密には魔法ではなく、その一族固有の特殊能力のようなものであるらしい。

 

「とある魔族に角があるように、とある魔物が目からビームを放つように、かの一族の血には未来をみる力が備わっております。ずっと昔に、禁忌の実験によって手に入れた力です」

 

 リアリアリアは、禁忌、とはっきり告げた。

 具体的なことについては、口をつぐんだ。

 

 こと魔法に関しては倫理もクソもあったもんじゃない彼女をして、禁忌という実験。

 それがなんなのか、きっとおれは知らない方がいいことなのだろう。

 

 というかあの婆さん、なんでそんなことまで知ってるんだよ。

 四百五十歳は伊達じゃないってことか。

 

 なんてことを考えていたら、並んで道を歩くシェリーが、むーっ、と不満そうな顔で睨んできた。

 

「兄さん、ほかの女のこと考えてる顔してる」

「ああ、リアリアリア様のことを考えてた。あのひと、魔法に関しては大陸中のあらゆることを知ってるんじゃないかなって」

「どうしてデートの最中にそんなことを考えるかなあ」

 

 それは本当に申し訳ない。

 妹とのふたりきりのふれあいの最中くらい、余計なことは考えないようにしないと。

 

「ではお嬢様、次はどこに参りましょうか」

「うむ、わらわはあっちの甘味処でパフェを食べたいぞよ、ぞよ」

 

 どんな口調だ、我が妹よ。

 口を尖らせる様子もかわいいから、いいけど。

 

「あ、でね、兄さん。そのあと、ふれあい公園に行きたい!」

 

 あ、珍妙お嬢様の真似はもうやめるんだ。

 ふれあい公園ね、はいはい……知らない場所だけど。

 

「そこでね、賭けカードゲームをやってみたいんだ!」

「待って、ふれあい公園ってどういう場所なの!?」

 

 

        ※※※

 

 

 ふれあい公園。

 といってもそれは屋外ではなく、商区の郊外に建設された地上五階地下三階建ての立派な建築物で、正確にはカジノというべき遊興施設であった。

 

 もちろん国営の。

 胴元は、またもマエリエル王女だ。

 

 なにと触れ合うの?

 もちろんディーラーとプレイヤーさ!

 

 ポーカーに似たゲームやダイスゲーム、ルーレットのみならず、パチンコやスロットに似た魔道具の筐体まで設置されている。

 加えて、最近発売された『アリスとシェル』というトレーディング・カードゲームのレーティング戦まで行われているという。

 

 ちなみに『アリスとシェル』はアタッカーとサポーターを組み合わせて五十枚以上のデッキをつくって戦う、まったく新しいカードゲームだ。

 ブースターセットに収録されたウルトラレア、『輝光のムルフィ』と『禁術:誘爆の魔法(インドゥークション)』を組み合わせるムルフィ誘爆がトップメタだぞ!

 

 みたいなことをシェリーから早口で説明された。

 実際にどこからともなくとり出した現物のデッキをもとに。

 

 ちなみに前述の『輝光のムルフィ』の値段は、わりと眩暈がするほど高騰していた。

 封入が極悪すぎるだろ……いい加減にしろ!!

 

 札束を印刷魔法で刷ってるようだ、とはマエリエル王女の言葉だとのこと。

 

 王女の高笑いが聞こえてくるようだった。

 まあ、シェリーは当然のように、上限枚数である三枚を揃えていたけども。

 

「で、そのレーティング戦に参加したい、と」

「その……駄目かな、兄さん?」

 

 上目遣いに頼まれて、OKしないわけにはいかない。

 賭けるのはあくまで個人が持つデュエリストとしてのレートであって、別にレーティング戦でカードを賭けたりするわけじゃないらしいし。

 

 カジノのほかのゲームに比べれば、きっと健全だろう。

 

 健全だよな?

 デュエルで命のやりとりとかしないよな?

 

「ちょっと不安だから、おれも横でみていていいか」

「みていてくれるのは嬉しいけど、兄さんがなにか勘違いしている気がする……」

 

 妹が闇のゲームに巻き込まれないか心配なんだよ。

 

 

        ※※※

 

 

 ふれあい公園という名の遊興施設、端的にいってカジノ。

 なんかお城くらいあるでかい建物がいつの間にか商区のはずれに建てられてるなあ、と思ったけど、それがふれあい公園であった。

 

 ちなみにこの世界、魔法のせいでやたら建築技術が発達しており、特に優秀な建築魔術師は地下をがっつり掘り進んで土地を有効利用する。

 ただし王都においては、地下は三階までの深さしか利用することができないという制限が課されている。

 

 このへんは対魔物結界とかにも関わってくるため、厳密に守らなければならない規制だ。

 なお王族がつくる建物は、その制限の下層に秘密の地下施設をつくっているとか、いないとか。

 

 以前、ディアスアレス王子に訊ねてみたところ、そういった秘密施設は実際に存在して、わざわざ専用の対魔物結界を張った上で国防上の重要な基地となっているらしい。

 このふれあい公園もマエリエル王女のつくった施設らしいから、きっと地下三階のさらに下があるんだろうな……。

 

 ああ、そうか。

 この施設自体が、その秘密施設のためのダミーなのか。

 

 やたらに大がかりだけど、木を隠すなら森のなか。

 マエリエル王女ならそれくらいやる、という圧倒的な信頼感がある。

 

 おれとシェリーが施設のなかに入ると、胸のおおきなバニー服を着た若い女性がフロアのあちこちで案内をしていた。

 高い天井から吊り下がったシャンデリアの魔法による明かりによって、施設全体が明るく照らし出されている。

 

 来場者は、やはり金持ちの商人や貴族がほとんどのようだ。

 『アリスとシェル』らしきデッキを手にした男女もみかけるが、同様に身なりがいい者が多い。

 

 まあ、さっき聞いたウルトラレアの値段を考えたら、そりゃ貧乏人には辛いゲームだよなあ。

 別にすべてのプレイヤーがガチってわけじゃないんだろうけど。

 

 商区の裏ではクズカードが捨てられて山となっていて、そういったカードを集めてデュエルしているサテライト民もいるかもしれないし……。

 いやしらん、適当なこといった。

 

 ちなみにカードの紙質はけっこういい。

 これを刷るためだけの専用の印刷魔法がつくられたという話だから、国家レベルで気合が入った事業なだけはある。

 

 デュエル会場は三階とのことなので、おれとシェリーは魔法式の昇降機を使って三階まであがった。

 三階のフロアではいましも大会の受付が締め切られるところで、シェリーは慌てて受付のカウンターに駆け込む。

 

 で、結論からいえば。

 あっさりと一回戦負けしたシェリーを、おれは慰めることとなる。

 

「うう、緊張して、ミスばっかりだったよ……。練習では完璧だったのになあ」

「よくある、よくある。なんども試合に出ていれば、そのうち慣れてくるさ」

 

 久しぶりに、我が妹の人見知りが発動していた。

 おれはプレイを観戦させてもらったけど、プレイ中に口出しするようなマナー違反はしなかったのである。

 

 デュエリストにとってデュエルとは神聖なものだからな。

 ちなみに相手のプレイヤーは白髭の中年紳士で、たぶんそこそこな貴族家の引退した前当主とかだろう。

 

 堅実なプレイングの制御型デッキ(パーミッション)使いで、素人のおれがみていても除去を切るタイミングが上手かった。

 初陣のシェリーとでは、あまりにも相手が悪い。

 

「なにを出しても除去されるんだもん、ひどいよ」

「あー、それな。最初の二枚を切ったあとしばらくは、たぶん手札にカウンターなかったはずだぞ。ブラフにひっかかったな」

「えーっ、兄さん、なんでわかるの?」

 

 相手の目線の動き、かな。

 あの紳士も、デュエリストとしてはまだまだである。

 

 そんな単純なブラフに引っかかってしまう素直さは、うちの妹が殺し合いに適性がないことの証明だ。

 いっそ、こういうゲームから駆け引きを覚えるのもいいかもしれない。

 

「兄さんも、このゲームやってみる?」

「いや、やめておくよ。おれはもうデュエルの世界を引退したんだ」

「???」

 

 首をかしげているシェリーだが、わからなくてもいいよ。

 便所ワンキルみたいな世界はもうたくさんなんだ……。

 



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第50話

 それにしても、トレーディング・カードゲームとは。

 いったいマエリエル王女は、どこからそんなアイデアを持ってきたのだろうね……。

 

 その日の夜、リアリアリアに訊ねてみた。

 

「もちろん、あなたの頭のなかからです」

 

 やっぱりな!! そんなところだろうと思ったよ!!

 

 これ、アイデアの盗用で訴えることできないですかね……。

 よく考えたら、どのみちアイデアを考えたのはおれじゃないな。

 

「アラン、きっとあなたも喜ぶと思ったのですよ」

 

 おれとリアリアリアはふたりきりで、彼女の書斎にて。

 テーブルをはさんで向かいあって座り、リアリアリアは不敵に笑う。

 

 頭を振るたびに、青い髪が波のように揺れる。

 緑の瞳が蠱惑的に輝き、尖ったエルフ耳が嬉しそうにぴくぴく揺れている。

 

 その手には……『アリスとシェル』のカード五十枚が束ねられたものが……。

 すなわち、デッキがあった。

 

 大魔術師は、スリーブに入った五十枚のカードの束を、しゃらしゃらと手際よくシャッフルしている。

 

 ちなみにカードを入れるスリーブもまた、合成樹脂製のものが複製魔法によって大量生産されているらしい。

 なんでそんなところばかり全力を出すかなあ。

 

「さあ、勝負です、アラン。不完全情報ゲームで高頻度でファンブルを出す女という悪しき称号を、今日こそ返上してみせましょう」

「あー、トレカなら構築次第で手札事故も最小限にできるけど……まさかあんた、ただそれだけのためにトレカを広めようとしたのか?」

 

 目の前の四百五十年を生きた大魔術師は、長年の経験とその卓越した思考力故、将棋やチェスのような完全情報ゲームは王国中に敵がいないほど得意だ。

 対して、運の要素が強いトランプなどのカードゲームでは、とんでもない確率で手札事故を起こすという特技を持っている。

 

 つまりリアリアリアとチェスをしても相手が圧勝ばかりで楽しくない、トランプをすれば相手がボロ負けして楽しくない、という……。

 こうして考えると、けっこう可哀想なひとだな、彼女。

 

 だからって、わざわざまったく新しいゲームを開発させたりする?

 王国の資源は全部自分のためのものだと思ってない?

 

「わたしとあなたの長年の因縁、今日このとき決着をつけるとしましょう!」

「なんか勝手に盛り上がってますけど、おれはデッキ持ってないですし、このゲームやる気ありませんよ」

「えーっ、そういわず、やりましょうよ! ほら、カードはここに全部ありますから!!」

 

 こ、こいつ、トランクケースに全カード三枚ずつ揃えてやがる!

 

 どんな大富豪だよ!!

 我が国唯一の大魔術爵だったわ!!

 

「ほらほら、上司を接待すると思って!!」

「おれの記憶から、そういうロクでもない風習ばっかり読みとるから、ほんとにもう……」

「でも本気でやってくださいね! 手加減は駄目ですよ!!」

 

 仕方がない、一回だけだぞ。

 ルールは昼間、シェリーがやっているのをみてだいたい覚えた。

 

 リアリアリアが後ろを向いている間に、ざっくりとカードを確認して……このへんでいいか、と五十枚を揃える。

 彼女のデッキはみていないけど、ある程度は推察できるから……うん、メタになるのはこのへんかな。

 

「よし、できた。それじゃやりましょうか」

「はいっ! さあ今日こそ、不完全情報ゲームであなたをぼっこぼこにしてやりますよっ!」

 

 いつも以上にテンションが高く、エルフ耳をやたら上下させているリアリアリア。

 テーブルをはさんで座り、準備を整え。

 

 おれたちは――。

 デュエル(ゲーム)を開始した。

 

「先行、おれのターン。持続魔法『王都の大結界』をプレイ。低コストのユニットは攻撃時に追加で魔力をコストとして払わなければ攻撃できない」

「あああああああっ!! わたしの低コストビートがああああああああっ!!!! なんでぇぇぇぇっ! どうしてピンポイントで対策(メタ)カード入ってるのぉおおおおおっ!!」

 

 そりゃ、極限まで手札事故が起きにくいようにデッキを組めば低コストビートになるからじゃないかな?

 さっきのリアリアリアの発言と考え合わせると、彼女のデッキも読めてくるというもの。

 

 たいていのトレカと同様、この『アリスとシェル』にも低コストビートがあるようだった。

 そして当然のようにそのメタカードが存在した。

 

 しかもレアに一種類と、その劣化版がコモンにも一種類。

 そりゃ両方とも上限までガン積みするわ。

 

 かくしておれは、デュエルに勝利を収めたのであった。

 ふっ、これが闇のゲームでなくてよかったな。

 

「ま、まだです。この勝負はマッチ制ですから!!」

「えっ、ルールの後出しとか、まともな大人のやることじゃないですよ」

「えーいだまらっしゃい! 十五枚のサイドデッキから数枚入れ替えるので少しお待ちください。そちらは、そこの全カードから入れ替えて結構ですよ」

 

 いいけどさあ。

 そういうことなら、こっちも何枚かカードを入れ替えさせてもらおう。

 

 たぶん持続魔法を破壊するカードを入れてくると思うから、それなら……。

 五分ほどかけて、お互い、デッキのカードを数枚変更する。

 

「よし、二戦目です! このあと連勝すれば、わたしの勝ちですよ!!」

 

 リアリアリアが勇んでデッキをめくり、再戦が始まる。

 おれは先ほどと同様、持続魔法『王都の大結界』を張って相手にターンを渡した。

 

 リアリアリアは鼻息荒くドローしたあと、にやりとする。

 キーカードを引いた、か?

 

「行きますよ! 魔力を払って発動、大規模魔法『地震(アースクエイク)』! あなたの持続魔法を一枚、破壊します!」

「カウンター発動、『くすぐり(ティックリング)』、このカードは大規模魔法に対してのみ発動可能、大規模魔法の発動を無効化する。無効化した場合、カードを二枚ドローする」

「どぉぉおおおおしてそんなカードが入ってるのぉぉぉぉっ!! 大規模魔法にしか効果がないでしょ、それぇぇぇぇっ!!」

 

 そりゃ、ピンポイントの読みが当たったからじゃないかな。

 このゲーム、ちゃんとメタのメタまで用意されていて、妙にバランスがいい。

 

 くすぐり(ティックリング)は条件が厳しいカードだけど、妨害成功時にドローまでついている。

 手札で腐る可能性もあるけど、ハイリスクハイリターンなデザインが気に入って、入れてみたら最高のタイミングでプレイできたというわけだ。

 

 かくしておれは二連勝し、めでたくこのマッチ戦を制した。

 

「ふっふっふ、アラン、実はこれは十先だったのですよ」

「諦めてデッキ練り直してきてください。また相手をしてあげますから」

 

 ちなみに十先とは、文字通りどちらかが十勝するまで戦うことである。

 負けず嫌いも大概にしろ。

 

 

        ※※※

 

 

 後日のこと。

 リアリアリアは仕返しのつもりか「アランは『アリスとシェル』の達人である」という噂をばらまいたらしい。

 

 知り合いの何人かから、『アリスとシェル』の勝負を挑まれた。

 そのたびにおれは、デッキを所持していないことを理由に断る。

 

 それでも断れない相手がいたため、仕方なく、コモンとレアだけで適当にデッキを組んで持ち歩くことにした。

 そんなデッキでも、けっこう高い確率で勝てるもので……。

 

「アラン様は、人と人とのかけひきがとてもお上手なのですね」

 

 とおっしゃられたのは、相変わらずメイド服を着た十歳のアイシャ公女である。

 いつもの屋敷での、未来探知に関する打ち合わせのあと、『アリスとシェル』を一戦、挑まれたのであった。

 

 当然のようにおれが勝利したあと、彼女は負けたというのに目を輝かせて、そんなことをいう。

 おれは深いため息をついた。

 

「そうでもないです。実際に、騎士同士で模擬戦をすれば、おれは平凡な成績しか残せませんよ」

「では、こうしたゲームが得意なのですか?」

「昔とった杵柄、ですかね」

 

 彼女はきょとんとしていた。

 まあこのゲーム、出てからたいして時間が経ってないもんな。

 

 でもリアリアリアがおれの記憶からトレーディングカードゲームの基本的な概念をとり出しただけあって、この『アリスとシェル』の攻防のキモはおれがいちばん得意とする部分にフィットしているのだ。

 具体的には、メタのまわりかたとプレイングのコスト管理、事故と確率論あたりが特に。

 

「アラン様、わたくしはこのゲームでもっと強くなりたいのです。よろしければ、コツを教えていただけますか」

「おれが知る程度のことでいいなら、喜んで。まずは最初の数ターンにプレイするカードを引いてくるための確率ですが……」

 

 いきなりカードが手札に来る確率の話から始めたところ、横で聞いていたマエリエル王女が露骨に耳を寄せてきた。

 おい、あんたがそこに興味を持つのかよ!

 

「開発したわたくしたちより、アランの方がゲームに詳しいのですね」

「確率を計算するの、好きなんですよ」

 

 この世界、聖教の寺院で基礎教育として四則演算くらいは教えてもらえる。

 貴族なら、家庭教師がもっと高度な教育をするだろう。

 

 でも確率計算をきちんと学ぶ場はほとんどない。

 騎士団とかでは戦争の演習に使うシミュレーションゲームのために、確率論の基礎を習うらしいけど。

 

「ひとまず八割、手札事故が起こらない構築にすることを心がけましょう」

 

 このゲーム、サーチと初期手札引き直し(マリガン)がないんだよな。

 初期手札とは別に一枚、相棒カードがあるから、完全な手札事故というものは発生しないつくりなんだけど。

 

 でも相棒を活躍させるために必要なカードはデッキから縦引きするしかないから、やっぱり確率論が重要になってくる。

 

「アラン、あなたのデッキ構築論を広める気はありませんか? たいへんに興味深いです」

「おれの名前を広めず、開発側からのアドバイス、という体をとってくださるなら」

 

 たいしてこのゲームをやっているわけではないが、トレーディングカード全般で共通する定石、程度なら語ることはできる。

 何人かと対戦して、ついでに他人の対戦もみていて思ったけど、ターンごとに魔力が増えていくタイプのゲームなのに、みんなあまりマナカーブを意識したデッキ構築をしてないんだよな、とかその程度のことだ。

 

 ついでに、コストとリターンの配分が駄目な感じのカードについても指摘しておく。

 いわゆるぶっ壊れってやつだな。

 

 案外、コモンにもぶっ壊れカードがあったので、このへんは次の弾か次の次あたりでメタが配られるか、いっそ禁止にされることだろう。

 あるいは、そのぶっ壊れカードを中心にメタがまわっていくか。

 

 そんなことを、アイシャ公女とマエリエル王女を相手に語る。

 今日はディアスアレス王子もエステル王女も別の仕事で不在なため、おれの話を聞いているのはこのふたりだけだ。

 

「こんなことを語ってはみましたが、おれはあまりこのゲームをやりこむ気はありません。妹の練習につきあうくらいはするけど」

「まあ、もったいない。アランの腕であれば、チャンピオンも夢ではありませんでしょうに」

「そんなところで、へんに目立ちたくないですね……」

 

 ただでさえ、シェリーの兄、ということで悪目立ちする部分もあるのだから。

 シェリーは先日、十五歳にして正式に魔術爵となることが発表されたばかりなのである。

 

 ちなみにこの大陸においては、数え歳が一般的だ。

 冬の新年を迎えると一歳、年を取る。

 

「妹の金で金満デッキをつくった成り上がり貴族のチャンピオン、たしかに悪目立ちしそうですわー」

「だからコモンとレアのデッキしか持ち歩かないんですよ!」

 

 そもそもおれは、このゲームをやらないつもりだったのに、どうして……。

 思い返せば、ぜんぶリアリアリアが悪いな。

 

「わたくしとしては、アラン、あなたも多少は修行以外に目を向けていただけると安心できますわ」

 

 マエリエル王女は、少し心配そうな口調で、諭すようにそんなことをいう。

 あー、まあ、ねえ。

 

 妹といないときのおれは、このところずっと、鍛錬に励んでいる。

 まだまだ力が足りないことをよく理解したからだ。

 

 手札も、底力も、なにもかもが足りない。

 切り札も欲しい。

 

 今日も、新しい武器の開発についてマエリエル王女に相談したばかりだ。

 資金的に厳しいが、冬にはなんとかしてみせる、と前向きな返事をもらった。

 

「アラン、あまり遠くばかりみていては、近くの石に躓きますわー」

「おっしゃる通りだとは思うんですけどね」

 

 なにせ、おれは現在、出動を制限されている身だ。

 とっくに身体は全治しているのに。

 

「というわけですので、『アリスとシェル』のプロモーションの一環として、アリスちゃんがデュエルをするという企画はいかがでしょう」

「なんでそうなるんです?」

「アランとして有名になるのは駄目でも、すでに有名人のアリスちゃんがいっそう有名になる分には問題ありませんわー」

 

 うわっ、ぶっこんできたなあ。

 でもそのプロモーション、めちゃくちゃ効果あるかも。

 

「先ほども申しました通り、新兵器のための資金繰りですわー」

 

 アリスの新兵器、か。

 お金かかるっていわれてるしなー。

 

 悔しいっ、新兵器の開発資金のためには逆らえないっ!

 

 



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第51話

トレカの話は際限がないのでここで終わり


 秋のなかごろの、とある日。

 マリエル商会は 王国放送(ヴィジョン)端末を使って、トレーディング・カードゲーム『アリスとシェル』の新製品発表会とプロモーション放送を行った。

 

 マリエル商会が第三王女マエリエルが立ち上げた商会であることは公然の秘密である。

 アリスやシェル、テルファ、ムルフィといった特殊遊撃隊全般のファングッズを独占的に販売し、ここ一、二年で爆発的な成長をみせていた。

 

 そうして得た莫大な資金は、新兵器や 王国放送(ヴィジョン)システムの拡張に投入している。

 特殊遊撃隊の増強も、王女が惜しみなく資金を投入してくれているからこそ、である。

 

 だから、多少あこぎな商売をしても仕方がないよね。

 箱買いしてもなかなか手に入らないウルトラレアの、さらに特殊加工版カードとか出しても仕方がないよね。

 

 いやよくねぇよ。

 ほんとやめろそういうの。

 

 しかも大会景品でさらに限定の特殊加工カードとか出すの、本当に駄目だよ。

 最初は王都開催の大会優勝者だけが手に入れられる超強力カードとかつくろうとしていたらしい。

 

 しかしそれは、国王の「わし、それフェアじゃないと思うな」のひとことで頓挫したとのこと。

 王様、マジ良心。

 

 というか王様もやってるのかよ、このトレカ。

 謁見の間で闇の石板デュエルとかしてない? この国、大丈夫?

 

 まあ、そういうわけで。

 おれがアリスとなって、『アリスとシェル』のプロモーション放送に出ることも、巡り巡って魔王軍と戦うために必要なことなのであった。

 

 

        ※※※

 

 

 王国放送(ヴィジョン)端末に、『アリスとシェル』のフィールドが映し出されている。

 ちいさな手が、フィールド上にカードを一枚一枚、置いていく。

 

 対戦しているのは、アリスとシェルだ。

 なかの人は当然、アラン(おれ)シェリー(いもうと)である。

 

 アリスとシェルが実際に『アリスとシェル』を遊ぶ、という趣旨のプロモーションであった。

 こんなんズルいよ……王国中で人気が出るに決まってますやん。

 

 と口調がおかしくなりながらも、普段おれとシェリーが遊ぶよりずっと丁寧にゲームを進めていく。

 ちなみにデッキは、アリスが前弾の環境デッキをおれなりにちょっといじったもので、シェルには次に発売される新弾のカードがいっぱい入ったデッキを使ってもらっている。

 

 新弾カードは、前弾の環境デッキに強いことをウリとしていた。

 当然、シェルのデッキに対しておれのデッキは不利対面のはずなのだが……。

 

 

:あれれ、おっかしいぞー、新弾デッキが押されまくってる?

:プロモーションになってなくて笑う

:シェルちゃん、実はこのゲーム下手?

:明確なミスはしてないよ、アリスちゃんの手札を切るタイミングが上手い

:というかアリスちゃんのデッキ、こういうまわしかたすると強いんだな

:同じデッキ握ってもアリスちゃんと同じプレイングできる気がしない

 

 

 コメント欄が、なぜか魔族との戦闘のときより活発に流れている。

 IDをみる限り、今回は下級貴族が多く、王族のコメントはほとんどない。

 

 ちなみにお互いの手札はいまのところ非公開だ。

 ネタバレを気にせず、対戦しているおれたちも安心してコメント欄をみることができる。

 

 

:負けた方がパンツみせろ、パンツ

:パンツ殿下、ぶれないなあ

 

 

 あ、エステル王女だ。

 街角とかに置いてある普通の端末にはIDが表示されないんだけど、なぜか彼女がコメントするとすぐバレると評判である。

 

「ふっふっふ、シェル、妹が相手だからって容赦しないよ! 『地を駆ける僧騎士』をプレイ、アタックフェイズ、『地を駆ける僧騎士』でアタック、さあ真の力の前に絶望し平伏するがいい! あ、対抗ありますか」

「負けないよ、アリスお姉ちゃん! あ、でも対抗ありません」

「対抗ありません、ブロックありますか」

「ありません、ライフでもらいます。トリガーチェック、外れました」

 

 ところどころでへんな棒読み演技をしながらもゲーム用語を交えて進めていく。

 

 ひとつひとつのフェイズを飛ばすなんてことはしない。

 だって公式のプロモーションだからね!

 

 ゲーム開始時、お互いデッキから裏向きに七枚のカードがフィールドに置かれ、それがライフとなる。

 相手のユニットの攻撃を食らうたびにライフをめくり、めくったカードによってはトリガー効果があったりするが、基本的にはそのまま手札となる。

 

 で、七枚のライフがすべて無くなったら負けだ。

 シェルのライフは残り一枚、風前の灯火というやつである。

 

「はーっはっはっは、これで終わりだよっ! 姉に勝る妹などいない!! 二枚目の『地を駆ける僧騎士』でアタック!」

「ライフで。ありがとうございました」

「ありがとうございました、いいゲームでした」

 

 

:あーあ、前弾のデッキが勝っちゃった

:どーすんのこれ、完全に事故でしょ

:いや、不利対面でもデッキのまわしかた次第と知らしめたのはおおきい

:テンプレと違うコモンカードもいい動きしてたな

:このゲーム、お金をつぎ込んだ方が勝つっていわれてたし、意外なコモンの強さを知らしめたよね

 

 

 うん、そのへんはちょっと思ってた。

 コモンにだって強いカードはいっぱいあるのにね。

 

 まあそれはそれとして、今回はちょっと手札のまわりがよすぎただけだ。

 

「はい、それじゃ握手。勝負が終わったら握手する、アリスとの約束だよ!」

 

 画面に映るよう、フィールドにかぶせるようにシェルと握手してみせる。

 

 

:うん? このゲームを始めればアリスちゃんと握手できる?

:天才か

:どこでアリスちゃんとデュエルするんだよ

:むしろアリスちゃんとデュエルしたいんだが?

:おれはシェルちゃんと握手したい

 

 

 あっはっは、変態なお兄ちゃんたちばっかりだね!

 でもシェルをそういう目でみるのは許さないよ!!

 

「あ、公式大会では、行動と言動が不審なお兄ちゃんお姉ちゃんはつまみ出されるから、みんなも素行には注意しようね!」

 

 

:はーい

:へーい

:ちぇっ、仕方ないなあ

 

 

        ※※※

 

 

 さて、カードゲームの話は置いといて。

 おれが使える魔法はたったふたつだ。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)自己変化の魔法(セルフポリモーフ)である。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)については螺旋詠唱(スパイラルチャント)によって送られてくる魔力に比して効果がおおきくなる。

 この部分で、おれができることは少ない。

 

 ならば自己変化の魔法(セルフポリモーフ)はどうだろう。

 たとえばおれがアリスに変身する術式は、リアリアリアが教えてくれた、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)のちょっとした応用であった。

 

 アリスが背に翼を生やすのも、リアリアリアの教えによって獲得した術式によるものだ。

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)にはさまざまな応用方法があり、それは多くの魔術師たちが歳月をかけて研究してきたものである。

 

 歳月をかけて性転換かつロリに変身するような術式をつくった過去の名もなき魔術師がどんな性癖の持ち主だったかは、考えないことにしようと思う。

 大陸、広いなあ。

 

 大陸の広さについてはさておき。

 そういうわけでおれは、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)を使ってアリスの更なる強化を成し遂げられないかと考えた。

 

 手を何本も生やす、というのはアイデアのひとつだ。

 試しに、六本腕になってみた。

 

 アイシャ殿下のみた未来のひとつにもあったらしいし、以前故郷の町で倒した魔族、マリシャス・ペインも六本腕だったし。

 腕がたくさんあれば強そうだし。

 

 実際にやってみると、六本の腕を別々に動かすのは、けっこう難しい。

 そのうえ、腕が増えたからといってそれぞれに武器を持つ意味がどれだけあるだろうか。

 

 マリシャス・ペインはよくもまあ、それぞれの腕を別に操って……いやあいつも上の二本の腕は火球を投げるだけだったな。

 残りの四本で剣と斧と槌と槍を操っていたのは、きっと長年の鍛錬の成果だろう。

 

 あいつも毎日地道に武器を振ったりして頑張っていたんだろうな……。

 でも、そもそもおれは、二刀流すらろくに熟練していないんだ。

 

 某肉の漫画とかは、あれプロレスだから意味があったんだよなあ。

 アリスの体格で魔族を相手に格闘とか関節技とか、絶対無理である。

 

 うーん、この六本腕、すっごく頑張ればモノになる可能性もあるけど……。

 背に翼を生やして空を飛ぶ、というだけでも訓練に一年くらいかかってるからなあ。

 

 そんな簡単に新しい力を得られたら苦労はしない、ということか。

 だからといって、強くなることを諦めるわけにはいかない。

 

 日々、師匠と鍛錬を続けている。

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)についてもリアリアリアに教えを請い、応用について学んでいる。

 

 大魔術師いわく。

 

「あなたの前世の言葉に、門前の小僧習わぬ経を読む、というものがありますね。いまのあなたはそれです。ひとつの魔法を極めるならば、ある程度は術式の構造を理解する必要があります」

 

 とのことで、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)という狭い範囲ではあるが、おれは細かい術式の解析をさせられた。

 妹と師匠も、これを手伝ってくれた。

 

 結果、多少なりとも自分なりに術式をアレンジできるようになった。

 その過程で老人から子どもまで、さまざまなヒトの姿に変身し、差異を確認した。

 

 アランとはまったく違う成人男性に変身して、街中で妹とすれ違ってみたこともある。

 シェリーはおれに全然気づかなかった。

 

 ちなみに、同じことを師匠相手にもやってみたところ。

 一瞬でバレた。

 

「なんで一瞥しておれだってわかったんですか、師匠」

「そりゃおめー、歩き方の癖がアランだからだよ。以前もいったけど、アリスも同じだからな。本気でそのへん隠したいなら筋肉の動かし方から変えろ」

 

 なるほど、筋肉の使い方かー。

 忍びの道は険しい。

 

 いや、別に隠密になる気はないんだけど。

 

「妹には黙っておいてやるよ。おめーだってひとりで気分転換したいときもあるだろうからな」

「な、なんのことですか」

「気にすんな、気にすんな。おめーだって年頃の男だ、妹に把握されたくないコトもあるだろ」

 

 にやにや笑う師匠。

 理解のあるおばさん、みたいなムーヴはやめーや!

 



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第52話

 時刻は、日暮れの少し前。

 そこは、王都の商区の裏通りにある、少し薄汚れた外観の酒場だった。

 

 おれは自己変化の魔法(セルフポリモーフ)を使い、四十歳くらいの猫背の中年男に変身した。

 

 同行する小柄な女性と共に酒場に入る。

 小柄な女性とは、まあつまりおれの師匠のエリカである。

 

 おれは師匠に、最近、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)でいろいろな人物に変身できるよう訓練しているという話をした。

 すると彼女は、「じゃあいっそ、普段はいかない場所で普段はやらない役割を演じてみろよ」といいだしたのである。

 

 こんなことをしても戦闘の役には立たないかもしれないが……。

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)の幅を広げる訓練ということなら悪くはない……のか?

 

 そういうわけで、今回おれが演じる役割は、哀愁漂う冴えない中年の商人である。

 ちなみに師匠の演じる役割は、商人の護衛とのこと。

 

 それ師匠の以前の仕事ですよね?

 というか子どもみたいな外見の師匠が演じる役割として、ひどく不似合いだと思うんですけどー。

 

 ちなみに店に入る前、師匠は薬瓶をとりだすと、鼻をつまんで中の琥珀色の液体を一気に飲み干していた。

 

「げーっ、まずーっ。けどまあ、これでよし、と」

「酒に酔わない薬ですか」

「そうだぜ。あたしの場合、こういうところに入るときは必須なんだよ」

 

 師匠、アルコールが本当に駄目だからなあ。

 酒精の臭いですらアウトである。

 

 ということで、酒場に入る場合、この薬が必須なのだとか。

 たいへんだなあ。

 

「あ、そうそう。この酒場、あたしの昔の知り合いがけっこういるから」

「へー」

「だからまあ、顔パスよ」

 

 なるほどなー。

 ふたり並んで、薄暗い酒場の店内を見渡す。

 

 天井から吊り下がっている照明の魔道具が、酒場全体を橙色に照らしていた。

 席の数は五十くらいで、客入りは半分くらいか。

 

 人相の悪い男性客が多く、腰に剣を差しているもの、壁に槍を立てかけているものなど、剣呑な雰囲気の者が客の大半であった。

 彼らは新しく酒場に入ってきたおれたちをじろりと睨み――。

 

「うわっ、なんだあいつら」

「中年男とロリ? 犯罪だろ……」

「おい、やべえぞ。誰か街警に連絡しろ」

 

 おい、話が違うぞ。

 焦って師匠を見下ろすと、彼女はてへぺろと舌を出した。

 

「あたしが王都にいた頃とはだいぶ客が入れ替わったんだなあ。知り合いがひとりもいねーや」

「あら、エリカじゃない」

 

 カウンターから女性の声がかかった。

 中年で小太りのウェイトレスが泡の立つ木製のジョッキを両手で合わせて四つ持ったまま、おれたちのもとにやってくる。

 

「ずいぶん久しぶりね、エリカ。何年ぶりかしら。王都に戻ってきたのね」

「お、おう。久しぶり、ジュリ」

「どこで野垂れ死んだんだか、って噂してたんだよ。みたところ、まだ護衛の仕事をしてるのかい。そういえば、知ってる? あんたと同じ名前の凄腕の剣士が、アリスちゃんの師匠なんだって。エリカって名前、東方ではけっこうよくあるのかい?」

「あ、ああ、そうだな。うん、そういうこともある。あたしはアリスのこと、よくしらねーが」

 

 視線をあちこち彷徨わせて挙動不審になる師匠。

 おいおい、全然駄目じゃねーか。

 

 仕方なく、おれが話に割り込む。

 

「失礼、わたしは旅の商人です。護衛の彼女によれば、手頃な酒場とのこと。喉が乾きました。一杯いただけますかな」

「あらあら、ごめんなさいね。どうぞ、そこらの空いている席ならどこを使ってもいいわ。まずはエールでいいかしら。エリカは当然、果実ジュースよね」

「それと、軽くつまめるものを。彼女にも同じものをお願いします」

 

 師匠にジュリと呼ばれたウェイトレスは、笑顔で注文を受けると、ジョッキを客のテーブルに置いてカウンターの裏に戻っていった。

 注文を繰り返しているから、あちらに料理をする者がいるのだろう。

 

 おれと師匠は適当な隅のテーブルを選び、並んで席に腰を下ろす。

 周囲の客たちは、もうおれたちのことなんてみもせず、自分たちの話題に戻っていた。

 

「師匠、演技するって話、どうなってんですか」

「す、すまん。出鼻をくじかれて、ちょっとばかりテンパっちまった」

 

 額を寄せあい、小声で会話する。

 それにしても、師匠って王都にも知り合いがいたんだなあ。

 

 おれの知らない過去の師匠がこの地で暮らしていたなんて、ちょっと不思議な気分だ。

 いや、あたりまえなんだけど。

 

 で、いまのジュリさんの話からすると。

 

 エリカという人物がアリスの師であることは平民にも伝わっているわけか。

 でも、師匠がその当人であるとは、昔の知り合いは全然思ってない。

 

 いまの旦那さんに会う以前の、王都にいたころの師匠って、どんな風だったんだろうなあ。

 なんてことを考えながら、周囲の声に耳を澄ます。

 

 別人の演技をすると同時に、現在、王都のこういった店でどんな会話がなされているのか、それを調査するというのも目的のひとつであった。

 人々の噂話というのも馬鹿にならない。

 

 特に、こういった荒事を担う者たちが集まる酒場なら。

 と、師匠が勝手に決めたんだけど……。

 

 序盤から躓いてるよ。

 おれは、あまりこういう場所に来たことがない。

 

 この世界、酒を呑むのに年齢制限はないけれど、生まれ故郷の町では修行に明け暮れていたし、王都に来てからは主にリアリアリアの屋敷――つまり貴族街を中心に活動していたからである。

 

 シェリーなんて、もうすぐ正式に魔術爵として叙勲されるんだぜ。

 その兄のおれが、本来はこんな場所に出入りできるはずもない。

 

 まあ、そういうわけで、こういう場所で交わされる会話というものにも興味があったのだけれど……。

 なんか、シャカパチシャカパチと聞きなれた音がするな。

 

 ちらりと横のテーブルをみれば、ふたり組の男たちが『アリスとシェル』をやっていた。

 スリーブに入れたカードをこすり合わせたり、ぱちんぱちんと鳴らしてみたりしながら。

 

「あのゲーム、こんなところでも流行ってるのか……」

「昔はサイコロとかで賭けゲームをやっていたけどなー」

 

 師匠がおれの視線を追って、そう呟く。

 対戦が終わって、負けた方が買った方にコインを投げていた。

 

「ちくしょう、もう一戦だ」

「おれは何度やっても構わないぜ。身ぐるみ剥いでやる」

「言ってやがれ、今度は勝つ!」

 

 カードゲームで賭けをするなよ……。

 いや、どんなゲームでも賭けをするのが、この世界での普通、か。

 

「だいたい、てめぇ。さっきからムルフィちゃんのカードばっかり使って、シナジーがねぇぞ、シナジーが」

「はぁ? おれのムルフィちゃんを馬鹿にするのか? おめぇだってアリスデッキといいつつ魔物のカードが入ってるじゃねえか」

「だってティラノタートル、強いから……」

 

 別のテーブルでは、対戦しながらファンデッキ使いとガチデッキ使いで論争が始まっていた。

 目つきの悪い、汚い外見の男たちが、ロリな絵柄の入ったカードを指差しあってなにやってるんだか……。

 

 と、おれたちのテーブルの上に、どん、とエールの入った木製のジョッキが置かれた。

 中年ウェイトレスのジュリさんだ。

 

「あんたらは、やらないのかい。そのゲーム。いま、流行ってるんだろ。うちは混んでるときだけゲーム禁止にさせてもらってるが、この時間はまだOKさ」

「まあ、少しだけは」

「あたしはやらねー。ああいうの、なにが楽しいんだかねえ。いい大人たちが、昼間からなに油を売ってるんだか」

 

 師匠は呆れた様子である。

 昔から身体を動かす方が好きなひとだからなあ。

 

 だが師匠の呟きは、酒場の多くの客に聞かれてしまったみたいだ。

 皆が、ぎろりとこちらを睨んでくる。

 

「おかみさんの古い知り合いらしいが、お嬢ちゃん、あまり舐めた口を利くんじゃねぇぞ」

「いや、そんなかわいい絵柄のカード握ったまま凄まれてもなぁ……」

「ムルフィちゃんがかわいいだと? よくわかってるじゃねぇか!」

 

 師匠は無言で天井を仰いだ。

 

「いまの若いやつらの感覚、よくわかんねぇわ」

「まあ、アリスもムルフィも人気なのはわかりますよ、わたしは」

 

 おれは演技をしながら、精一杯のフォローを入れる。

 前歯の欠けた人相の悪い男が、そんなおれに「そっちのおっさんは誰が好きだ」と訊ねてくる。

 

「そ、そうですねえ。やはり……シェルちゃん、でしょうか」

「んー、シェルちゃんか……。悪くはないんだけどなあ」

「駄目ですかね」

「シェルちゃんの正体、メリルアリルとかいう女だろ? 魔法で化けていたんだぜ。あれはちょっとなあ」

「なんだてめぇ」

 

 思わず凄んでしまった。

 メリルがどんな思いで、あのとき……。

 

 師匠が立ち上がりかけたおれの肩を押さえて、「やめろ、やめろってば」と慌てている。

 おれに話しかけてきた男は、急におれが怒り出した理由がわからず、きょとんとしていた。

 

「ひょっとして、シェルちゃんデッキ使いなのか?」

「そのデッキも持ってはいますが!」

「持ってるのかよ、おめー」

 

 師匠がおれに突っ込みをいれてくる。

 だってシェルのカードってあんまりレアリティが高くない割に強いやつが多いんだよ。

 

 で、魔物を大量に出して、シェルのカードで強化するという「シェルウィニー」が強いんだこれが。

 まったくどうでもいい話だけど。

 

 おれはこみ上げてくる感情を抑えるべく、ジョッキを握ってぐいとエールを呑む。

 ふう、とおおきく息を吐く。

 

 こんなところで怒っても仕方がない。

 だいたい、いまは情報収集ゲームの最中だ。

 

 せっかくメリルアリルの名前が出たんだ、そのへんの情報が下々の間でどれだけ認識されているのか、確認してみよう。

 

「メリルアリルという人物は、どんな方なのでしょうか」

「さあなあ。貴族様だろ、きっといけ好かない性格なんだろうさ」

「ですが、シェルちゃんもアリスちゃんも、平民だからどう、と差別するような方ではないのでは?」

「演技だろ、演技。――いや、アリスちゃんはあれで素かもしれねぇな……。アリスちゃん、けっこうぽろっと罵倒してくるしな……」

 

 うるせぇ、どうせおれは素で口が悪いよ。

 あとアリスが罵倒してる相手はだいたい王族だぞ。

 

「アリスちゃんはシェルの姉って設定だけど、絶対にアリスちゃんの方が年下だよな」

「な、何故でしょう」

「だって、言動も行動も幼いだろ。シェルと比較してもさあ」

「そ、そうでしょうか?」

 

 戸惑うおれ。

 けらけら笑いだす師匠。

 

 こらこら、演技はどうした演技は。

 おれの方もさっぱり演技ができてない気がするけど……。

 

「そうだぜ。だいたい、アリスちゃんが天然で毒舌、メスガキ煽りが得意なのは公式なんだぜ。みてくれよ、このカード」

 

 男がとり出した『アリスとシェル』のカードを覗き込む。

 アリスがべーっ、と舌を出して相手を挑発しているイラストがカードの上半分におおきく描かれたそのカードの名前は『煽り散らすアリス』であった。

 

 ちなみにハイレア、という下から三番目のレアリティにもかかわらず、一部のURより高い取引価格を誇るカードである。

 強さ的には、ちょっと便利、くらいのカードなんだけど……なぜか、舌を出して笑うイラストが人気らしい。

 

「やっぱりアリスちゃんといえばメスガキ煽りなんだよ!」

 

 男は、力強く力説する。

 まわりの者たちも、うんうんとうなずいていた。

 

「知ってるか? 全カードのイラスト人気ランキングでも、アリスちゃんが挑発してるイラストが上位を独占しているんだぞ!」

 

 おれは天井を仰いだ。

 やっぱりこの国、滅びた方がいいんじゃないかな。

 

 あと師匠、さっきから椅子の上で笑い転げるのやめてください。

 

「だからさ。おれ、こんどの王都大会で決勝トーナメントに進出して、アリスちゃんと対戦するんだ。アリスちゃんにじきじきに煽ってもらうんだ」

 

 前歯の欠けた薄汚い男は、夢見るような口調でそういった。

 なんで男たちのドリーム、みたいな表情をしているの……。

 

 あとアリスちゃん、たぶんその大会に出ないと思うよ?

 

「あー、えーと。カードゲームで煽るのは、マナーが悪いですね」

「アリスちゃんの煽りは健康にいいから、問題ない」

 

 いまの会話全部、おれの健康に悪いんだが?

 やだよもう、こいつ気持ち悪い……。

 

 と周囲を見渡せば、ほかの男たちもうんうんうなずき、「おれはテルファちゃんに罵られたい」やら「ムルフィちゃんにジト目で睨まれたい」やら、思い思いの「好き」を語っていた。

 やだよもう、こいつら全員気持ち悪い……。

 

「ところで、あなたの大切なアリスちゃんのカード、端に油がついていませんか」

「げっ、スリーブの裏まで油がっ! うわあ、おれのアリスちゃんが!」

 

 酒場なんかでカードを遊ぶからだ。

 そりゃ汚れるわ。

 

「でも、油でべとべとのアリスちゃんも……少しアリ、かな」

「うわ、気持ち悪っ」

 

 思わず素で叫んでしまった。

 師匠がますます、けらけら笑う。

 



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第53話

 さて、わざわざ変身して酒場に来た目的のひとつは、情報収集だ。

 最近の王都の事情、下町の出来事、内外の人々の実情……。

 

 まとまったものなら、ディアスアレス王子のところに上がってくる報告書を読ませてもらえばいい。

 でも、それだけではない風俗、数字だけではない人々の感情といったものを知るのも勉強になることだろう……と師匠がいい出したのである。

 

「師匠の本音は?」

「なんか面白そうだろー?」

 

 いちどきりの人生を満喫してるなあ。

 ちなみにこのへんの会話は顔を寄せ合って小声である。

 

 師匠の古い知り合いでもある太った中年のウェイトレスが、その様子をジト目でみていた。

 頼んだ料理が、どん、とテーブルに置かれる。

 

 おーおー、いい香りがするひき肉のパイと、焼きたての白パンだ。

 こんな裏通りのお店なのに、ちゃんとした料理が出てくるとは。

 

「あんたらの関係については聞かないけどさ。エリカ、こんどはひとりで来なさい。根掘り葉掘り聞いてやるから」

「お、おう。お手柔らかにな、ジュリ」

 

 小太りのウェイトレスさんは、師匠のことをよくわかっていらっしゃるな……。

 師匠が少し顔を引きつらせている。

 

「それでさ、最近、この酒場って依頼の方はどうだ」

「てんてこまいの大忙しさ。なにせ、ここ一、二年で、王都の人口がめちゃくちゃ増えたからねえ」

「あー、難民で、か」

「トラブルが増えれば、うちの店の常連たちも忙しくなる。ここで暇してる奴らは、だいたい、ひと仕事終えたあとだね」

 

 この酒場の常連たちは、その大半が傭兵である。

 この世界において、ひとくちに傭兵といってもさまざまだが……。

 

 基本的には、騎士の三男坊以降が家を出てひとり立ちするために始める稼業、と思ってくれていい。

 一般人と戦闘技能習得者の戦力差が、おれの前世の世界以上におおきいのだ。

 

 具体的にはおれもよく使う肉体増強(フィジカルエンチャント)なんだけど。

 自分の肉体を強化できなければ、それができる相手とは戦いにならない。

 

 アリスみたいな小柄な少女でも、肉体増強(フィジカルエンチャント)をかければ猪の突進を受け止めることができる。

 まあアリスの場合は螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けているから、というのもあるけど……。

 

 微妙な魔力しかなくても、大人と子どもの身体能力の差など簡単にひっくり返るのが肉体増強(フィジカルエンチャント)という魔法なのであった。

 しかも習得は、容易い。

 

 魔法に関してひどく不器用なおれが幼いころに習得できたほどである。

 えっへん。

 

 ヒトが長い歳月をかけて磨いてきた力の神髄、それは肉体増強(フィジカルエンチャント)かもしれない、ってくらい重要な魔法なのだ。

 それが使えるくらいの魔力が、戦士としての最低限のスペックということで……。

 

 戦場の様相は、だからおれの前世の世界とはだいぶ異なる。

 農村から兵士を集めてきても、彼らの大部分は肉体増強(フィジカルエンチャント)すら使えないから、壁にすらならずただ食料を食い散らかすだけの足手まといなのである。

 

 もちろん農民であっても魔力がある者はそこそこいるし、彼らに数年かけて時間を与え、肉体増強(フィジカルエンチャント)を習得させれば話は別だが……。

 それには膨大な手間がかかるし、その間の彼らの面倒をみるのもたいへんである。

 

 帝国は農村から根こそぎ人をかき集めて、ろくに訓練もさせず、棍棒ひとつ持たせて魔王軍にぶつけたみたいだけどね。

 戦場が、何キロにも渡って兵の死体で埋め尽くされ、魔王軍の魔物たちが大喜びでそれをおいしくたいらげたそうな。

 

 なーんでそんな、敵に利するようなことするかなあ、ってうちの国の上層部が頭を抱えていたのも記憶に新しい。

 

 まあ、そういうわけで、傭兵となるのはだいたい騎士の子弟である。

 騎士の一族は、ある程度の魔力を代々受け継いできているからね。

 

 その傭兵の仕事は様々だ。

 隊商の護衛、害獣駆除、街路の警備などは当然として、人手が足りないときは土木工事や人足などの募集もあるという。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)が使えれば、土木工事でもひとりで数人分の働きができる。

 実際のところ、武器を手に戦うよりも、肉体増強(フィジカルエンチャント)で荷運びをしてる方が実入りがよかったりする場合もある。

 

 で、酒場の壁の一部にはそういった何十枚もの募集の紙が張り出されていた。

 傭兵たちはそれをみて、好きな仕事を請け負う。

 

 酒場は依頼人から少額のお金をとって、一定期間、この募集依頼の掲示を許可する。

 ここみたいな酒場が、王都には何十ヶ所もあるそうだ。

 

 ここは裏通りとはいえ商区だから、まだたむろする傭兵たちの質もいい方らしい。

 旧区、つまり貧民区の酒場だと、掲示された紙の文字を読むこともできないような者もいるとか。

 

 いや、そもそも文字を読めるだけの教養って、国によってはけっこう貴族だけだったりするんだけど。

 このヴェルン王国の場合、聖教の寺院がきっちりと教育機関として機能しているから、市井の人々でも簡単な文字くらいなら読めるし、足し算、引き算くらいはできたりする。

 

 もちろん騎士の子どもたちなら、依頼書の文字くらい楽勝で読めるし、四則演算もできる。

 でもいまは、魔王軍に追われて他国からやってきた騎士くずれが大勢いるから……。

 

 そういった人々が己の腕ひとつで傭兵をしようとすると、基礎教養のなさが厳しいらしい。

 そうした者たちが貧民区に集まっているから、あっち側の治安は悪くなる一方とのことであった。

 

 なまじ肉体増強(フィジカルエンチャント)は使えて、力が有り余ってる。

 平民だと相手にならない化け物みたいな奴らだし、暴れたら面倒そうだ。

 

 そんなやつらが徒党を組んだら、なおさらである。

 

「しかも最近は、そいつらが出身国ごとに集まって、なんとか国マフィア、みたいに勢力争いをしてるって話さ。もともと旧区をとり仕切っていた地元のマフィアもお手上げって話でねえ。いやはや、どうしたもんだか……。おかげで、こっち側にもそういった勢力争いに関わる依頼がいくつも来ているよ」

「知識としては知っていましたが、実情はもっと厄介なのですね」

 

 ジュリさんの話を聞いて、おれはため息をつく。

 いまのおれは商人――のフリをしているから、依頼を出す側として基礎知識が欲しい、と彼女にねだったのである。

 

 ジュリさんは苦笑いしておれの演技に気づかないフリをしつつ、このあたりの事情を教えてくれた。

 師匠に目配せしていたから、うん、いろいろと感づかれてるよなあ、これ。

 

 ちなみに傭兵ひとりあたりの相場は、おれが知る相場より値上がりしてる感じだな。

 でも王都の物価もだいぶ上がってるから、生活は……どうなんだろうなあ。

 

「いまいった相場は、あくまでも最低限だよ。騎士くらいの肉体増強(フィジカルエンチャント)が使えるなら、もっと値段は上がる。もっと上のランクになると、そこのエリカみたいにひとりで何人分もの働きをするからね。エリカの腕は知ってるだろう」

「ええ、そりゃあもう、存じておりますとも」

 

 知ってる、知ってる。

 帝国の精鋭騎士を十人以上まとめてぶち殺すくらい強いよこのひと。

 

 魔物相手の戦いは、あんまり得意じゃないっていってるけど……。

 対人戦で彼女より強いひと、どれくらいいるんだろうか。

 

 未だに、なんど模擬戦をやっても勝てる気がしない。

 もちろん螺旋詠唱(スパイラルチャント)をもらえば、話は別だけど。

 

「いまのうちの店に、エリカほど腕が立つ傭兵はいないからねえ」

「そりゃそうだ。そんなやつがいたら、とうに士官してるだろー?」

「あんたみたいに、お貴族様と喧嘩しなければね。毎回、後始末させられる身にもなってみな」

「ぐにゅう」

 

 あ、師匠がいい負かされてスネた。

 ぷーっと頬をふくらませて、そっぽを向いている。

 

「詳しい話を是非、聞きたいですね。店で一番高い酒を頼みましょうか」

「あっ、こらっ! 今日はそういう目的で来てるんじゃないだろ!」

 

 あ、そうだった、そうだった。

 でも師匠の昔の話、聞きたいじゃん。

 

 ジュリさんがけらけら笑って、「次はひとりでおいでなさい」とかわす。

 はーい、そうしまーす。

 

「でもやっぱり、優秀な人だと士官が目的になりますか」

「傭兵なんてうまみのない商売、普通は何年も続けられるもんじゃないさ。でも、まあ。いまはあんまり、この国で士官したいって奴はいないかもね。戦争が始まるって噂だ」

「魔王軍、ですか」

「そうさ。帝国がこてんぱんにされてるって話じゃないか。次はこの国で、そうなったらこの国もおしまい、そう考える奴はたくさんいる」

「アリスちゃんがいても、ですか」

「アリスちゃんがいくら強くても、ひとりで何十万も魔物を相手にできないだろ。傭兵だって数くらい数えられる」

 

 そこが問題なんだよな。

 実際のところ、魔王軍のいちばんの脅威はその数で、ヴェルン王国で魔王軍を食い止めるためには、そこをなんとかする必要がある。

 

「沈む船に乗るやつはいない、ってもっと東の国に流れていく奴は多いよ。いまも残っているやつらも多いけどね」

 

 ジュリさんは呵々と笑う。

 もちろん自分も逃げるつもりはない、と。

 

「この国に残るのは危険でも、ですか」

「商売柄、他国の話はよく聞くんだよ。他国の王族たちとうちの王族たち、魔王軍と戦をするならどっちが信じられるかって考えたら、まあ、うちの国にいた方がマシなんじゃないかなって」

「それは……わかりますね」

 

 戦に勝ってくれそうなオーラあるもんな、うちの王族たち。

 王様だけは、なぜかぺこぺこ謝ってるイメージしかないけど……それは王子たちが尖りまくってて、ちょっとやりすぎることが多々あるからだし。

 

 いや、その王様もめちゃくちゃ優秀なんだよ。

 ディアスアレス王子も、自分の外付けストッパーは王様だけ、って公言してるし。

 

 公言するなよそんなこと。

 普段から暴走してるってことじゃん。

 

 先日、マエリエル王女が『アリスとシェル』の超プレミアカードをつくろうとして王様に止められたことも記憶に新しい。

 いやーあれ本当に出してたら、いまごろ暴動が起こってたかもしれないわ。

 

「あと最近は、士官まではなくても、腕の立つ傭兵が臨時の教官として雇われることも多いやね」

「教官、ですか?」

「貴族が領地の平民に基礎的な魔法を教えたがっているのさ。少しは魔力がある平民を、いざというとき徴用するためだろうね。肉体増強(フィジカルエンチャント)を使えれば、とりあえず荷物を持って、騎士といっしょに走ることくらいできるだろう?」

 

 ああ、肉体増強(フィジカルエンチャント)での全身強化を学ばせるのではなく、腕と脚の強化だけを覚えさせて荷物持ちか。

 平時でも、民にやらせる肉体労働なんてたくさんあるから……それはそれでアリかもしれないな。

 

 魔力が一般的な騎士の百分の一とかだと、数分で強化が切れてしまうかもしれないけど。

 誰が役に立って誰が役に立たないか、その選別をあらかじめしておけば、非常時の徴用もスムーズに進むというわけだ。

 

 最近、おれのつきあいの範囲だとインフレが激しくて、平均的な騎士ひとり分の魔力、というのがだいぶショボいものに思えてきているけど……。

 じつは平均的な騎士って、だいぶ人口の上澄みなんだよな。

 

 この酒場にいる傭兵たちの大半は、この平均的な騎士の魔力に達していないだろう。

 半分以下の者も多いに違いない。

 

 つまりおれの魔力量も、いちおうは上澄みなのである。

 まわりに化け物が多すぎるだけだ。

 

 あとこの世界、騎士は馬に乗ったりしない。

 いっぱしの騎士なら自分で走る方が早いからだ。

 

 馬は、荷馬としては使われたり、馬車を引いたりはしているけどね。

 国によっては馬に魔道具をつけて、その上に騎士が乗るタイプの騎兵が存在するけど、うちの国ではコストの面で採用されていない。

 

 戦場でも物怖じしない馬を飼育するためにかかるコストがおおきすぎるんだ、とはそのへんの話をしたときのディアスアレス王子の言葉である。

 で、そのへんも鑑みて来年に迫った大戦に備えるなら、たしかに貴族たちが領地の平民に一部なりとも肉体増強(フィジカルエンチャント)を習得させ、荷物持ちとして運用する可能性というのはありそうな話なのであった。

 

 これまでは、そんなことをせずともなんとかなっていた。

 でも次に控える戦いでは、総力戦になるだろう、と予測しての行動だろう。

 

「そういうわけで、仕事が増えて賃金の相場が上がっているわけさ。これからも上がり続けるだろうね」

「たいへん勉強になりました。次はひとりで参りましょう」

「そうしな。いろいろと、昔の話をしてやってもいいよ」

「楽しみです、ははは」

「……妹にチクるぞ」

「申し訳ありませんがもう一度来るのは無理そうですな、ははは」

 

 くそっ、師匠め。

 ちらりとみれば、不機嫌におれをみあげて、口をとがらせている。

 

 師匠がこの店に連れてきたくせにさー。

 こうなると思わなかったのかよー。

 

 おれたちの関係をどうみてとったか、ジュリさんは肩をすくめてみせた。

 

「仕方がないね。エリカ、じゃあこんどは、あんたがひとりで来なよ」

「なんども薬飲みたくねーぞ」

「じゃあ、こっちがオフの日にでも……そうだね、明後日、表通りに新しくできたムルフィカフェで」

「なんだよそりゃ……いいけどさぁ。ったく、完全に忘れてたけど、ジュリはこういうやつだったわ」

 

 師匠はおおきく息を吐いて、それから果実のジュースをぐいとあおった。

 



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第54話

 夕暮れ時、酒場からリアリアリアの屋敷に帰る、その道すがら。

 まだ中年男に変装したままのおれと並んで歩く師匠がふと、こちらをみる。

 

 路地裏で、周囲にはひとの気配がなかった。

 

「なあ、立ち入ったことを聞いていいか」

「師匠になら、なんでも話しますよ」

「おめー、なんで魔族や魔物が侵攻してくるって知ってたんだ」

 

 おれは押し黙った。

 いつかは聞かれると思っていたけれど、いまだとは思っていなかった。

 

 師匠なら、気づいて当然だ。

 おれは最初から、魔族や魔物と戦うために師匠の力を求めたのだから。

 

 ほかの誰をごまかせても、師匠だけはごまかせない。

 だけど師匠は、これまで、そこに踏み込んで来なかった。

 

 それは彼女の心遣いであろうし、一線を引いている部分でもあったのだろう。

 それならそれで、いいと思っていた。

 

「おめーは初めて会ったちっちぇえころから、気味が悪いほど頭がよかったからな。そんなおめーが必死になって、あたしなんかに教えを請う。なんかあるのは、そりゃわかってたさ。あんたがあえて韜晦しているのも、ちょっとよくみればわかったことだ。でもまあ、それでなにか悪さをするわけじゃない、そんな心根の持ち主じゃないってこともわかっていた。あたしの技を後の世に伝える手段が、おめーだった。なら別に、それ以外は些細なことだって、そう思っていた」

 

 師匠の独白を、おれは黙って聞いていた。

 師匠は淡々と、言葉を紡いだ。

 

「いろいろ考えたよ。おめーの妹が大魔術師の弟子になったことも、おめーがその大魔術師のところに出入りしてあれこれ始めたことも、きっとおめーのなかでは一本、筋の通ったことなんだろうなってあたしは思った。こんなことに気づくのは、たぶんあたしか、おめーの妹か、リアリアリア様か……でもまあ、おめーの妹は案外、そういうところ抜けてるからな。で、リアリアリア様はなにもかもご存じで、おめーとつき合ってるフシがある。ここまでは当たってるか」

「はい、あの方はご存じです。じつは禁術でおれの心を読まれてしまって……」

「げっ、そんなことするのか。こえーなあのババァ。あたしも気をつけねーと」

「滅多に使わない、とはいってましたよ。どこまで本当かは、わかりませんが」

 

 師匠はあたふたと、「うう、失礼なこと考えてたの、ばれてねぇかなぁ」と呟く。

 

 リアリアリアの場合、あえて心を読まなくても顔をみただけでけっこう、他人の考えがわかるっぽいんだよな、というのがあるけど……。

 師匠の心の安寧のために、あえて伝えないでおく。

 

「ま、それはそれとして、だ」

「はい」

「おめーはなにものなんだ」

 

 ただの騎士見習いです、で済ませていい段階はとっくに終わっている。

 師匠は、おれのこれまでを、ほとんどすべてその目でみてきているのだから。

 

 もし、適当な言葉でごまかせば。

 それでも師匠は、なにもいわず、そのごまかしを受け入れてくれるだろう。

 

 それは必要なことなのだと理解してくれるだろう。

 このひとは、そういう優しい人なのだ。

 

 しかしおれの心は、もう決まっていた。

 立ち止まる。

 

 師匠は一歩先に行って、おれを振り返った。

 おれは師匠をまっすぐにみつめる。

 

「ねえ、師匠。前世って、信じますか。生まれる前に別の自分の人生があった、って」

「寺院のやつらは、死んだら神様の国に行くっていってるな」

「聖教では死後、楽園に辿り着くと教えますね。そこで永遠に、苦痛も苦難もなく暮らす日々が待っている。だから我らは死を恐れてはいけない。死は誰にでも与えられる、平穏への道なのだ。来世救済型の宗教ですね」

「そうそう、そういうやつ」

「おれには、アランとして生まれる前の記憶があります」

「そうか」

「その記憶のなかで、おれは……」

 

 おれは淡々と、前世の話を語った。

 師匠はそのすべてを「そうか」で受けれいてくれた。

 

 彼女がおれの言葉をこれっぽっちも疑っていないことは最初からわかっていた。

 すべての概念を理解したわけじゃないみたいだけれど……特に「ゲームの世界」という概念が理解し辛いとはわかっていたけど……まあ、だいたい理解してくれたように思う。

 

「おれは守りたいと思ったんです。最初は、親と妹だけ守れればいいと思いました。でもそのうち、どんどん守りたい人が増えました」

「そうか」

「師匠のことも、守りたいと思います」

「おう、守ってくれや。でも、あんまり無理はすんなよ。おめーが無理をすると、みんなが心配するんだ」

「師匠も?」

「もちろん、あたしもだ」

「ありがとうございます」

 

 師匠は晴れやかな表情で笑っていた。

 こうして話をしてよかったのかどうかは、わからない。

 

 でもきっと、ここで師匠に話をしなければ、おれはあとで後悔したような気がした。

 ひととおり話し終えたあと、おれたちはふたたび歩き出す。

 

 

        ※※※

 

 

 師匠と酒場に繰り出した数日後のこと。

 おれはリアリアリアに呼び出され、彼女の書斎に赴いた。

 

 そこには部屋の主である青髪緑瞳の美女のほか、渋い顔をした師匠がいた。

 どういうことだ、とふたりの顔を交互にみる。

 

「ジュリがさ、ちょっと嫌な話をしてきてな」

「えーと、この前お邪魔した酒場のウェイトレスさん、ですよね」

「ああ。昨日、おしゃれなカフェで改めて話をしたんだ」

 

 ああ、そんな約束をしてたなあ。

 おれの前で師匠とデートする約束なんて!

 

「こういうの、おれの前世の言葉でNTRっていうんですよね」

「絶対に適当なこといってるってあたしでもわかるわ。つーかわりと真面目な話な」

「はい、ごめんなさい」

 

 叱られて、おれは素直に頭を下げる。

 リアリアリアがくすくす笑った。

 

「エリカの前だと、本当に素直な子ですね」

「師匠に嫌われたくないですから。あ、話を進めてください」

「ざっくりいうと、ある森を探索する依頼が出てたんだが、そこに入っていったやつらがことごとく戻って来ない、って話でな」

 

 なんかRPGっぽい話が出てきたな。

 あ、RPGの世界だったわ。

 

「我が国の北東の端、テルダ森林公が治める一帯です。怪しい魔物が出る、という報告があり、詳しい調査のため腕の立つ傭兵を雇いなんどか調査を行ったのだとか」

 

 リアリアリアが話を引き継ぐ。

 

「テルダ森林公と接触してみたのですが……公は口を濁していたものの、どうやら森に騎士の部隊を派遣した結果、これも消息を断った様子」

「それ、隠していたんですか」

「己の施政の汚点となると考えたようですね。国の目が西に向いているいま、東方の守りは自分たちの手で、と考えたのでしょう。若い考えです」

 

 まあ別に、それ自体は間違っていないだろうけど。

 でも既にある程度の犠牲が出ているなら、報告をあげておかないと、あとで上が苦労するんだよなあ。

 

 その森林公ってひとのこと、よく知らんけど。

 というか森林公ってなんだ?

 

「で、おれが呼ばれたのって、その森のことを知ってるかどうか、って話ですかね。残念ですけど、ちょっと心当たりがないです」

「でしょうね。手がかりがあれば、すぐあなたの顔に反応が出ます」

 

 おれの顔をじっとみつめるのやめてくださいって。

 

「複数の騎士が失踪していること自体は、知っていました」

「知ってたんかい」

 

 師匠が思わず、リアリアリアにツッコミを入れる。

 

「あ、いや、知っているんですか」

「師匠、リアリアリア(このひと)はタメ口でも気にしませんよ」

「だ、だって、貴族様じゃん……」

 

 相変わらず権威に弱いな……。

 この世界の平民にとっては、普通のことなんだろうけど。

 

 リアリアリアとかディアスアレス王子は、そのへんあんまり気にしない。

 実力第一主義である。

 

 もちろん、権威を気にする貴族もいるから、師匠の態度も間違ってはいないのだけど……同じ屋敷で暮らしているリアリアリアに対してくらいは、もうちょっとざっくばらんな対応でもいい気がするなあ。

 

「師匠、肩が凝りませんか?」

「おっ、あたしのトシを揶揄してるのか? 今日の修行は倍いっとくか?」

「修行を増やしてくれるのは願ったりかなったりですね」

「そういえば、こいつこういうやつだったわ」

 

 話が進まない、とリアリアリアが手を叩く。

 おれと師匠は口をつぐみ、彼女をみる。

 

「騎士の失踪については、このようなご時世ですので、あまり気にしていなかったのです」

「ご時世?」

「このごに及んで国を捨てるような騎士は、どうせ本番で役に立たないでしょう? よくあることなのですよ」

 

 ああ、このひと四百五十歳だもんな。

 いろいろな国の興亡を知っているから……。

 

 来年にも魔王軍と矛を交えるとなって怖気づくひとの心理とかもわかるのか。

 だから、騎士の失踪と聞いてまっさきに思い浮かべたのが、敵前逃亡であった、と……。

 

「今回、エリカの報告を受けて、改めて調査したところ、どうやらそういうわけでもなかったようです。わたしの失敗でもありますね」

「でもそれ、森林公が報告を怠ったからですよね」

「完全に彼の失態ではあるのですが……。彼の立場からは、これが意味するところを認識できていなかったのですね」

 

 これが意味するところ、か。

 そういえばセウィチア共和国では、失踪事件の背後に魔族がいたんだったな。

 

「テルダ森林、という場所に魔族が隠れていると?」

「その可能性もある、ということです。今回改めて報告を受けた王族は、それを懸念しております」

 

 やっぱりほうれんそうは大切なんだなあ。

 現場レベル、地方レベルが持ちうる情報だけだと判断をミスる可能性がある、というのは今世でもなんども遭遇していることだ。

 

 先の、ティラム公国での作戦は、そのへんが完璧に繋がった。

 王国放送(ヴィジョン)システムによって現場と王宮が直結されていたからこそ、迅速な判断と情報の共有が可能となった。

 

 うちの国、西の方はこのあたりの情報共有の大切さをけっこう身に染みて理解しているように思える。

 対して、まだ直接の脅威がない東方は、そのあたりに鈍いのかもしれない。

 

「で、おれを呼び出したってことは、おれとシェリーでその森に行って魔族を退治しろってことですか。魔族がいると仮定して、ですが」

「あなたがたに傭兵としての技量があれば、それを頼むところですが……。森のなかの捜索、あなたたちにできますか?」

 

 おれは少し考えて、首を横に振った。

 

「親父は狩人として優秀ですけど、おれはそういう訓練の時間を全部、師匠との戦闘訓練に費やしたんですよね。シェリーについては師匠の方が詳しいと思いますが、まあ無理でしょう」

「ええ。今回はただ戦いができればいいというものではありませんので、先に専門の部隊を差し向けることになるかと思います」

 

 うちの父は、いちど森に入ると数日は出てこないで、手ごわい獲物を追いかけ、確実に仕留めて帰ってくる。

 そんな、あの町で一番の狩人だ。

 

 王の直属の部隊で、そういう感じの狩人に特化した部隊があるという。

 前世でいうレンジャー部隊みたいなやつで、飛行魔法の得意な魔術師と組んでの空挺投下から孤立した敵地で任務を果たして敵中を突破し帰還する一騎当千の騎士たちであるとか……そういう噂が、まことしやかに流れている。

 

 これも本当かどうかは知らないが、部隊名は第零遊撃隊。

 アリスが所属する特殊遊撃隊もそうだけど、正式番号外の部隊である。

 

 所属する騎士、指揮系統等、すべてが謎に包まれている。

 任務の性質上、仕方がないところだ。

 

「それじゃ、おれの出番は、魔族がいるとして、その場所を突き止めてからですね」

「そうなります。ですが、該当部隊が持ち帰る情報次第では、即座にあなたの戦力が必要になることもあるでしょう。シェリーともども、近くに待機していただきたい、とのことです」

「それ、ちゃんとした指揮系統で?」

「ええ、なにせ王じきじきのご命令ですよ」

 

 あ、もうそこまで情報が届いてるんだ。

 師匠がすぐリアリアリアに知らせて、彼女が王族に知らせて、王族は事態の重要性を鑑みてすぐ王に上申したってことか。

 

 昨日の今日でめちゃくちゃ早いなあ。

 これ、師匠にこの話を相談したあの酒場のウェイトレスさん、めちゃくちゃファインプレーなのでは。

 

「で、いつからテルダに行けばいいんですか」

「明日の昼には現地に到着してください。シェリーにはこのあと伝えます」

「急ですね」

「ですので、あなたの体調について確認したいのですが、いかがですか」

「あー、もう全快してますよ。みんな過保護なだけです」

 

 リアリアリアが、じと目でおれをみつめてくる。

 はっはっは、照れるなあ。

 

「おめーのだいじょうぶほど信用ならねーものはないんだよなあ」

 

 そばの師匠が、ぼそりと呟いた。

 そんなー。

 

 



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第55話

 テルダ森林は、ヴェルン王国の北東部に位置する広大な森林地帯だ。

 その一帯を治めるのが、土地の名を冠したテルダ公爵家である。

 

 王国に五つある公爵領のひとつで、半ば独立した国としての権限を持ち、独自の騎士団も保有している。

 王家との血の繋がりも濃く、現王の五人いる王妃のひとりが現公爵の妹である。

 

 この王妃、未だ娘ひとりしか授かっておらず、王宮での立場的にはあまり強くないのだとか。

 とはいえ王妃もその娘である王女も、アリスが出撃するたびに多量の螺旋詠唱(スパチャ)してくれているので、おれのなかでの好感度はかなり高い。

 

 いつか直接、お礼をいいたいとは思っている。

 直接のお礼なんて、王様にもいったことないんだけどね……。

 

 このへんはまあ、仕方がない。

 なにせ王は忙しいし、おれがアリスであることも一部以外には秘密だ。

 

 王も王妃も、王子や王女と違って、気軽に王宮を出るわけにもいかないのだ。

 いや他の国では王子や王女も、あまり王宮を出ないものらしいけど……。

 

 とにかくヴェルン王国(うちのくに)ではそうなのだ。

 エステル王女も、王の命令があるときは真面目に働く。

 

 いや、それ以外でも真面目に働けよ、といいたくなるが……。

 まあそのあたりは置いておくとして。

 

 リアリアリアから依頼を受けた翌日、昼過ぎ。

 おれとシェリーは王都からひとっ飛びして、テルダ公爵領の公都にいた。

 

 公都の中心たる公宮の一室、そこでおれたちを待ち構えていた女性と面会する。

 

 第六王女エネステテリア。

 テルダ公の姪にあたる人物で、つまりは先ほど説明した公爵の妹の娘である。

 

 エネステテリア王女は今年で十五歳、エステル王女のひとつ下だ。

 ほかの王族と同様の金髪ながら、北方の民の血が混じっているのか、その瞳はルビーのように赤く、透き通ったような色白の肌をしている。

 

 エステル王女と正反対で細身……というか痩せすぎな気がする。

 少し神経質そうに、口をきゅっと尖らせていた。

 

 いまは部屋でただひとり椅子に座り、ぽきりと折れてしまいそうに細い腕を組んで、ひっきりなしに身をゆすり、苛立たしさを露にしている。

 

 でもこのひとも毎回、めちゃくちゃ頑張って螺旋詠唱(スパチャ)してくれているんだよなあ。

 個人的に、あまり悪い印象はない。

 

 ほとんどコメント欄に書き込まないことも含めて。

 つまり彼女は、アリスを辱めない、王族の数少ない良心なのである。

 

 あれ? そもそもなんで王族が片っ端からアリスを辱めてくるのかな?

 いまさらだけどおかしくない? こんな国、滅んだ方がいいんじゃない?

 

「今回は、うちの叔父が迷惑をかけます、騎士アラン、それにシェリー魔術爵殿。いちど、きちんとご挨拶したいと思っておりましたわ」

 

 仏頂面で、王女はおれたちを一瞥する。

 顔は不機嫌そうだが、おれたちに投げかける言葉はやさしい。

 

「ああ、それにしても腹が立ちますね。こんな重大な報告を怠っていたとは。なーにが、わたしの負担になりたくなかった、ですか。おかげで虎の子の第零のみならず、あなたがた特の手まで借りることになったのです。あーのクソジジイ、あとできっちりと落とし前をつけてさしあげますわ」

 

 苛立たしげに、靴のつま先でなんども絨毯を叩く。

 周囲の召使いたちが縮こまっていた。

 

 彼らはテルダ公の部下だ。

 ことの次第を把握したエネステテリア王女は、おれたちより一日早くこの地に文字通り飛んできて、叔父たるテルダ公を叱り倒したのだという。

 

 おれもさっき知ったのだが、我が国のレンジャー部隊ともいうべき第零遊撃隊は、このエネステテリア王女の指揮下にあるとのこと。

 前任である現王の弟君から指揮を引き継いだばかりとのことで……。

 

 そんな状態で、実家の方から面倒事がやってきたのだから、そりゃあ不機嫌にもなるというものだろう。

 ちなみに王の弟君は外交官として現在、東方で同盟締結のため駆けまわっているとのこと。

 

 さて今回、おれたちの役目は後詰め、というより予備戦力である。

 気楽な任務になると思ったのだが……これ、エネステテリア王女のご機嫌とりも任務のうちになるのかなあ。

 

 この王女と向かい合い、おれの横に立つシェリーなんて、完全に畏縮してしまっている。

 ちなみに内々で魔術爵と呼ばれているものの、正式な叙勲はまだであるし……そもそも相手は王女様だ。

 

 これがマエリエル王女とかエステル王女なら、普段からアホなコメントしてくれているせいで、気軽に接することができるんだけど。

 マエリエル王女の場合、そのへんもあってああいうアホなコメントばっかりしてるのかもしれない。

 

 いや、考えすぎか。

 だいたい素だ、あれは。

 

「あなたがたに当たっても仕方がありませんね」

 

 怯えるシェリーの様子をみて、王女はおおきく深呼吸する。

 少しは落ち着いたのか、腕を解いて……。

 

 王女は、気落ちした様子で肩を落とした。

 顔を両手で覆う。

 

「せめて、もう少し早く報告をあげてくれれば……」

 

 おおう……。

 お気持ちはお察しします……。

 

「ひどいことになっているんですか」

「先ほど、数字があがってまいりましたわ。惨憺たるものです」

 

 王女は顔をあげると首を振り、気をとり直す。

 机の上の紙をとりあげ、渋面をつくる。

 

 彼女が軽く手を振ると、周囲の音が消えた。

 

 静音の魔法(サイレント・フィールド)によって、周囲にいるテルダ公の部下たちに声が聞こえないよう配慮したのだ。

 ここから先は機密事項アリ、ということである。

 

「改めて、諸々確認いたしましょう。ここ一年あまりで森林地帯で行方不明になった者は、現在判明しているだけで七十八人、そのうち公爵領の騎士が四十一人、残りが傭兵です。加えて、相当数の行方がわからない平民がおります。こちらは推定ですが、千人以上」

 

 千人以上、とな?

 これなんで、いままで問題にならなかったの?

 

「思った以上に数字がおおきいですね」

「一年で千人以上が行方不明になっている時点で、この問題を王都に持っていかなかったのは大失態です。膝蹴りひとつでは済ませられない問題ですわ」

 

 したのか、膝蹴り。

 使用人たちが沈痛な表情をしているの、それか。

 

「一発で白目を剥きやがりましたので、起きたらこんどはボディブローですわ」

 

 王女は拳を握って、シュッ、シュッとシャドーボクシングする。

 ひと目でわかるけど、身体のキレがいいなこのひと。

 

 華奢なみためとは裏腹に、たぶん戦ったらかなり強い。

 よくみれば、痩せてはいるけど腕の筋肉はきっちりついているし。

 

 王族でも戦えるひととそうじゃないひとがいるって話には聞いていたけど、さてはこのひと実戦派だな。

 だからこそ、レンジャー部隊の指揮を任されたってことか。

 

 そのレンジャー部隊こと第零特殊遊撃隊、これまでのところ影も形もみえないけど……。

 この部屋にいるのは、おれたちのほかに、ますます沈痛な表情を深める公爵家の使用人たちだけだ。

 

 と、王女はシャドーボクシングをやめて、なにかに耳を澄ませる。

 ここ、静音の魔法(サイレント・フィールド)がかかっているんだけど?

 

 と思ったけれど、シェリーが、ああ、という表情になった。

 

「風の魔法、届いてるね。静音の魔法(サイレント・フィールド)の上から届くって、けっこう凄いよ」

 

 シェリーが小声でつぶやく。

 

王国放送(ヴィジョン)システムじゃないのか」

「端末は使っていないけど、似たような仕組みだと思う。独自の規格をつくって、機密性を保ってるんじゃないかな。ええと、ハックはできそうだけど……」

「しなくていい、しなくていい」

 

 そんなことをしゃべっていると、エネステテリア王女がこちらを向く。

 シェリーが、ぴんと背筋を伸ばす。

 

「そう緊張せずとも結構。ですが、まあ、王族と気楽に会話するというのも難しいでしょうね。なるべく気を楽にしてください。多少無礼な口を利いても咎めるような野暮はいたしません。エステルを前にするくらい肩の力を抜いてくださってもよろしいのですよ」

 

 無茶をおっしゃる。

 普段からだらーっと気を抜きまくっているエステル王女を相手にするならともかく、この人は真面目そうだからなあ。

 

 そんな考えがどこまで顔に出ていたか、王女は首を横に振る。

 

「さて、急いで来ていただいたところ申し訳ございませんが、おふたりは別命あるまで待機をお願いいたします。わたしはこれから、現場に出ます」

「殿下自ら、ですか? でしたらおれたちも……」

王国放送(ヴィジョン)システムを使用するかどうか、その判断をするためにも、まずは下見が必要ということです」

 

 なーるほど。

 おれがアリスとなって戦う場合、けっこうな経費がかかってしまうわけだからな。

 

 それは触媒の代金でもあるし、王族をはじめとした螺旋詠唱(スパチャ)側が端末の前にその間、ずっと釘付けになるという時間的なコストでもある。

 

 これは本当に、アリスを投入するべき事案なのか。

 それを事前に判断しないと、王国放送(ヴィジョン)システムを起動するわけにはいかない。

 

 これまでは、だいたい魔族や魔物が出てくることが確定しているか、あるいはそれに準じた想定が為されているか、という状況であった。

 今回は、そもそもこの地でなにが起きているかも定かではないのだ。

 

 ちょっと強い魔物が森に迷い込んでいるのか、とも考えたが、それにしては被害の規模がおおきい。

 騎士が四十人以上も行方不明になっているとなると、最悪の場合、上級の魔物の存在すら考慮せざるを得なくなる。

 

 とはいえ上級の魔物が侵入しているとして……。

 なぜ、このような場所に?

 

 魔王軍の組織的な行動なのか。

 それとも魔物単体の気まぐれなのか。

 

 あるいは魔物などではなく、まったく別のファクターが森に存在する可能性もある。

 たとえば、魔王軍によって滅んだ国の騎士たちが落ちぶれ、森のなかで山賊まがいの行為を働いているなら……。

 

 知恵があり、狡猾で、実力もある山賊など、ある意味で魔物よりよほど厄介なことだ。

 というかそういうやつらが相手の場合、こちらも対魔物専門のアリスではなく、王国が誇る精鋭騎士を投入した方が効率的ということになるだろう。

 

 そのへんを探るためにも、まずは偵察、なのだ。

 王女自らが現地に赴くというのはちょっとやりすぎな気もするけれど、それは王家が、事態をそれだけ重くみているという証である。

 

「なんでしたら、城下に出ていただいても構いません。案内の者が必要でしたら、お申し出ください」

 

 とのことなので、シェリーと話し合ったすえ、せっかくだから公都をみてまわることとなった。

 

 

        ※※※

 

 

 テルダ公爵領の公都は、人口およそ十万人。

 王都が百万人都市という馬鹿げたおおきさなだけで、十万人都市といえば大陸では充分に大規模な部類だ。

 

 近くに緑豊かなテルダ森林を抱え、森から流れ出てくるテルダ大河に沿っていくつもの町がつくられた。

 やがて、そのうちのひとつが周囲の町から人口を吸収し、現在の公都となったという。

 

 これはどういうことかといえば。

 

 昔は定期的に、森から大量の獣や魔物が溢れ出し、近隣の町や村がそれによって壊滅すること多々であった。

 人々はばらばらに立ち向かうことを諦め、団結し、公都を中心として獣や魔物を迎撃、これの鎮圧を為したということである。

 

 この地は、その成り立ちから森の獣や魔物との戦いの歴史であったのだ。

 そういう事情もあり、公都の周囲は背の高い街壁でぐるっと囲まれている。

 

 王都ではとうに形骸化した街壁であるが、このテルダ公都では現在も人口の増加に従って壁が増築され、頻繁に改築され、補修されているという。

 とはいえ近年の流民による急激な人口の増加には耐えられず、壁の外にも貧民層の集落が形勢され、それが街の治安を悪化させているとのことであった。

 

 我が国のあちこちで聞く話だ。

 上の方も頑張っているし現場も残業に次ぐ残業で頑張っているのは知っているけれど、それでも限界はある……とのことである、が。

 

 妹とふたりで、公都の大通りを散歩する。

 行き交う人々の表情は、少し暗いようにみえた。

 

 王都と違って、おしゃれな喫茶店がアリス&シェルのブロマイドで人を集めていたりはしない。

 カジノに貴族が集まっていることもない。

 

 皆、今日の仕事に忙しいようで、道の中央では荷運びの馬車がすれ違い、その脇では人々が足早に行き交っている。

 酒場や商店をちらりと覗いてみるが、あまり人が入っていないようにみえた。

 

「王都から来なさったのか。あっちと違って、この街にはなにもないだろう」

 

 周囲をきょろきょろしながら歩いていると、もと騎士とおぼしき背筋がぴんと伸びた老人に話しかけられた。

 ラフな獣の毛皮の服を着ているものの、腰に小剣を差し、顎髭をたくわえた油断のない物腰の人物である。

 

「暇な平民は、あっちの広場に大型の王国放送(ヴィジョン)端末がある、そこのまわりでぶらぶらしているさ」

「昼間から王国放送(ヴィジョン)をみているんですか?」

「ああ、最近は常に端末が解放されていてな。もっとも、ずっと宣伝が流れていることも多いんだが」

 

 あー、そういえば宣伝枠を商人に買いとらせてどうのこうの、って話が出ていた気がする。

 将来的には地方ごとに宣伝枠をつくってローカルな宣伝を流したい、とかも。

 

 いまの段階だと、王国放送(ヴィジョン)システム全体で同じ宣伝を流すことしかできない。

 なので、どうしても宣伝枠の単価がでかすぎて、なかなか買い手が尻込みしてしまう、とマエリエル王女が嘆いていた。

 

 だからこその、王国放送(ヴィジョン)システムの分割放送だ。

 地方ごとに宣伝枠を分割し、地方分割放送でそれを流すというわけである。

 

「みにいってみるか、シェリー」

「うん、どうせ暇だし」

 

 老人に礼をいって、おれたちは広場へ向かった。

 

 



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第56話

「みんなーっ! 今日はアリスのコンサートに来てくれてありがとーっ! みんなのために、心を込めて歌うねーっ!」

 

 テルダ公爵領の公都で散策していたおれとシェリー。

 ふたりが訪れた広場の奥には、映画館のスクリーンくらいはある、巨大な王国放送(ヴィジョン)受信端末が設置されていた。

 

 広場の四方に設置されたスピーカーから、元気のいいアリスの声が流れてくる。

 端末の映像は、王都のどこか、おそらくはふれあい公園(という名のカジノ)あたりで行われている……。

 

 アリスのコンサートであった。

 紹介のテロップいわく、歌って踊って戦えるアイドル、らしい。

 

 不思議なことに、おれはこんなコンサートを開いた覚えはないし、ましては歌なんてさっぱり歌えないということであった。

 しかも、やたらキレッキレな踊りをみせている。

 

 つーかこのアリス、おれじゃないよな!!

 

「影武者……ってことは、メリルかあれ」

「た、たぶん」

 

 広場には数百人の男女が集まり、そばの屋台で買った果実ジュースや香ばしい料理を手に、映像を眺めている。

 けっこうな割合が、アリスが踊って歌う姿に見惚れているようだった。

 

 娯楽の少ない世界だ、こういう活動は地味ながら効果があるのだろう。

 

 ちなみにメリル(アリス)が歌っているのは、昔からある恋の歌のアレンジみたいだ。

 いまは会えない、引き裂かれた恋人への想いを歌う歌である。

 

 たぶんマエリエル王女とその配下の者たちが、総合的にマネジメントしているのだろう。

 おれになにも知らせずに。

 

 あーもー、勝手なことしてくれちゃってさー!

 

「想いのこもった、いい歌だ」

「アリスちゃん、恋してるのかなあ」

「きっとおれに恋してるんだろうなあ」

「おめーアリスちゃんと会ったこともねーだろ!」

「この前、画面越しに笑ってくれたもん!」

 

 見物客たちの会話が聞こえてくる。

 こいつら営業スマイルをみただけで「おれに惚れてる」とかいいそう。

 

「兄さん、あれからメリルさんと会ってるの?」

「いや、いちども。なんどか手紙のやりとりはしたけど、それだけだ」

 

 メリルアリル。

 おれの婚約者……になるはずだった少女だ。

 

 彼女は一時的に、シェリーのかわりにシェルとなり……。

 エステル王女をかばって対魔法剣(アンチマジック・ブレード)の一撃を受けた結果、王国放送(ヴィジョン)放送の最中に魔法が解けてしまった。

 

 大衆は、彼女(メリル)こそ本物のシェルだと信じている。

 マエリエル王女たちも、広報でそれを事実だと認めた。

 

 ついでにアリスはメリルアリルの姉(架空の人物)が変身した姿である、という事実(・・)も公式に発表されている。

 おれとシェリーの存在を大衆の目から、ひいては魔族の監視から隠すため、メリルアリルは影武者として生きることとなった。

 

 そのメリルアリルとおれがいま接触するのは、たいへんに不都合がある。

 どこから真実の情報が洩れるかわかったものではない。

 

 そういうわけで、おれは未だ、あれから彼女と会うことができていない。

 手紙のやりとりだけは、必ずエステル王女を経由するという条件で許可されている。

 

「みんな、アリスの歌と踊りを喜んでいるんだな」

 

 広場を見渡して、おれは呟く。

 あのアリスはおれではないが、そもそも戦うとき以外、アリスがおれである必要はないのだ。

 

 姿かたちだけではなく声だって、魔法を使えば真似することができる。

 あのアリスは、言葉遣いや微妙なイントネーションまで、おれの演じるアリスそっくりだった。

 

 きっとメリルアリルが、とても努力して、おれのアリスをコピーしてくれたのだろう。

 そこに文句は、なにひとつない。

 

 よくみれば広場に集まる者のなかには、少し薄汚れた服を着ている者、疲れ切った様子で座り込みながらも食い入るようにスクリーンをみつめている者も多い。

 

 もっと裕福な者たちは相応の酒場に設置された受信端末で、この映像をみているのだろうか。

 貴族たちは、各々の家に設置された双方向端末から応援のコメントを打ち込んでいるのだろうか。

 

 こうして掴んだ人々の気持ちは。

 おれがアリスとなって戦場にでるとき、きっとおおきな力となって返ってくるだろう。

 

 アリスの歌が終わり、舞台から手を振りながら退場する。

 司会とおぼしき若い貴族の女性が画面に入ってきて、トークが始まる。

 

 っていうかこれマエリエル王女だな。

 いちおう変装してるけど。

 

 なんで王族が自分でトークショー始めるの?

 

 しかも小粋なジョークで、みている人々を笑わせている。

 たぶん観衆は、この気さくな人物がマエリエル王女って気づいてないよなあ……。

 

「殿下、こんなことまでしてるから忙しくて徹夜が続くのでは?」

「自分がいちばん上手くやれるから、って前いってたよ……」

 

 完全にワーカーホリックな労働者の台詞である。

 困ったことに、マエリエル王女は非常に多才で、彼女の言葉は自信過剰でもなんでもなく、ただの事実なのだった。

 

 シェリーは苦笑いしている。

 ここ数か月で、マエリエル王女とは、少しは打ち解けることができたらしい。

 

 ディアスアレス王子とは、いまだにぎこちないのだとか。

 うちの妹はどこに出しても恥ずかしくない人見知りだからなあ。

 

「これ、録画か?」

「たぶん生放送だよ。殿下、そういえば今日、王国放送(ヴィジョン)の仕事があるからっていってたから……」

 

 ほんと、おつかれさんである。

 おれとシェリーも、この前、『アリスとシェル』というカードゲームのプロモーションをやらされたからわかるけど、王国放送(ヴィジョン)の番組に出るのって本当に緊張するんだよ。

 

 戦闘で王国放送(ヴィジョン)システムを利用するときは、もう完全に慣れちゃったけど。

 というか戦っている最中は、端末の向こう側の人々なんて、コメント欄に書き込んでいるひとたちくらいにしか意識していないけど。

 

「戻って、指示が来るまで待機するか」

「あ、待って。次、『アリスとシェル』の新情報だって」

 

 きびすを返そうとしたところ、おれの服の端をシェリーが掴んだ。

 あっ、これ、テコでも動かないやつだ。

 

 すでに時刻は夕暮れ時。

 広場には、ひと仕事終わった者たちが集まってきている。

 

「なんだなんだ、『アリスとシェル』の情報か? おれ、この前、新しいデッキつくったんだぜ」

「おまえ、あれやってるの? カード高いだろ」

「金持ちのガキを騙して、クソカードと強カードを交換してさ……」

 

 おい、鮫トレはやめろ。

 集まってきた労働者たちには、そこそここのカードゲームを遊んでいる者がいるらしい。

 

 王都より人口が少なく、店に並ぶパックも相応に少ないはずだが、それでもけっこうなプレイ人口がいるんだなあ。

 なんかあっという間に、前世におけるトランプくらいの立ち位置に近づいていっている。

 

 マエリエル王女には、くれぐれも激レア商法などで煽ることがないよう務めてもらいたいものである。

 

 ちなみに新情報とは、『アリスとシェル』の公式大会を王都以外でも定期開催し、冬には各都市対抗の大規模大会を開くというものだった。

 加えて、王都のふれあい公園と同様の施設を各地につくる、とも。

 

 なんでそんなこと……と思ったけど、これ、国家戦略の一環か。

 王都のふれあい公園、という名の巨大カジノ。

 

 あそこの地下は、マエリエル王女の配下の諜報組織のアジトになっている。

 大会と称して各地にマエリエル王女配下の者たちを送り込んで、諜報を強化するということか?

 

 彼女もディアスアレス王子も、各地の治安の悪化を懸念していた。

 加えて、魔族のスパイがどれだけ入っているかわからないとも。

 

 『アリスとシェル』をダシにして王国全体の諜報を強化、来年から始まるに違いない魔族との決戦に備える。

 そのための施策ということなのだろう。

 

 それにしても、魔族ってカードゲームするのかねえ。

 カードで魔族と決着がつけられたら、どれだけ平和か。

 

 無理だけど。

 この世界は一枚のカードからつくられたわけではないのだ。

 

 

        ※※※

 

 

 はたして、それから。

 公宮に戻り、あてがわれた一室で妹とふたり、『アリスとシェル』で対戦しながら待機する。

 

 夕食のあと、王女の使いを名乗る者が、おれとシェリーに報告を届けてくれた。

 というかやってきたのは、エステル王女とアイシャ公女だった。

 

「アランくんとシェリーちゃんの正体を知ってるひとは、少ないほどいいからねー」

「役職を持っていないわたくしたちであれば、身軽に動けるというのもあります」

 

 とのことで、王から命じられ、追加人員として急遽、この地に派遣されたとのこと。

 王は今回の事件をそれだけ重視しているということだ。

 

 だからってこのふたりをパシらせるのか。

 

「わたくしが望んだことでもあります、アランさま」

「場合によってはこの公都だけのローカルで王国放送(ヴィジョン)システムを稼働させるからさー。その場合、ぼくとこの子が魔力を送るってこと」

 

 なるほど、限定的な王国放送(ヴィジョン)システムか。

 エステル王女はともかく、アイシャ公女の魔力の多さは、恐れの騎士(テラーナイト)戦でも証明済みである。

 

 最後の数十秒とか、ほとんどアイシャ公女ひとりでアリスとムルフィを支え続けたからな……。

 魔力量だけなら、うちの王族の大半より上だろう。

 

 ちなみにそのアイシャ公女は、今日もなぜかメイド服である。

 エステル王女、そろそろ身バレしたの許してあげないの?

 

「あ、それでね。森に向かったエネスから通信があったんだけどさー」

 

 そうだった。

 おれとシェリーは、エネステテリア王女からの指示を待っていたのだ。

 

「大型の魔物の痕跡あり、これより森の深部へ向かう。翌朝までに続報ない場合、王国放送(ヴィジョン)システムを起動し支援を求む、だって」

「つまりおれたち、このまま朝まで公爵家(こっち)で待機ですか」

「うん、寝てていいて。いくらエネスだからって、ちょっと危ない気がするけどねー。王国放送(ヴィジョン)システムをケチってるんじゃないかな」

 

 エステル王女は呑気そうな口調でそういうが、いつもと違って目が笑っていなかった。

 アイシャ公女が、なにか感じとったのか、おろおろしている。

 

「ケチってる、ですか」

「触媒代もかかるし、ね。それにアランくんたちは特殊遊撃隊で、エネスは第零遊撃隊を仕切ってる。助けを求めるにはきちんと証拠が必要、とか考えてるんだと思うよ。あの子真面目だもん」

 

 やっぱりエステル王女って、政治に関わるのが嫌なだけで、このへんのカンみたいなのは悪くないんだな。

 あるいは今回の場合、姉妹のことだから、ある程度相手の気持ちがわかるのだろうか。

 

「アランくんなんて使い倒してナンボなのにね」

「エステル姉さま!」

 

 ある程度は事実だけど、いいかたを考えて欲しいな!

 こういうところがエステル王女の駄目な部分、というのは皆の意見が一致するところである。

 

「ぼくは別に、品行方正とかヒトを上手く使うとか目指してないから」

「それ以前の、礼儀の問題です!」

 

 はい、論破。

 十歳児に論破されてーら、へっへっへ。

 

 とかにやにやしていたら、エステル王女が唇を尖らせる。

 

「十歳に言葉で守ってもらう騎士ってさあ……」

「どんな負け惜しみですか、どんな」

 

 まあ、とにかく。

 朝までゆっくりする時間があるというなら、そうさせてもらう。

 

 いまのうちにコンディションを整えておくべきだ、という予感があった。

 



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第57話

 おれとシェリーは、テルダ公爵領の公宮にあてがわれた部屋で一泊する。

 賓客扱いで、ちょっと広すぎて落ち着かない一室をあてがわれた。

 

 絨毯も部屋の内装も豪華のひとこと。

 戸棚には高級酒の瓶が「どうぞお好きなだけ呑んでください」とばかりに並んでいる。

 

 天蓋つきのおおきなベッドは、ひとが四人くらい並んで横になれるサイズだった。

 巨人用、といわれても納得できてしまう。

 

 部屋のなかには主人と従者それぞれに専用の小部屋、風呂、トイレがあった。

 魔道具により、二十四時間いつでも湯が使えるようだ。

 

 加えてメイドを用意するといわれたが、これは断った。

 おれとシェリーは自分のことは自分でできるし、アリスやシェルのことを含めて秘密が多い。

 

 歓待する側も、シェリーは大魔術師の弟子であり、たいていのことは魔法でなんとかするといわれれば「そうですか、さすがは魔術爵」とすぐ引き下がってくれる。

 おかげでおれとシェリーは、ふたりきりでゆっくりとくつろぐことができた。

 

「兄さん、いっしょのベッドで寝ていい?」

 

 上目遣いで甘えてきたシェリーに対して、一も二もなく承諾する。

 いっぱい話がある、といっていたシェリーだが、明かりを消してから数分で寝息を立てていた。

 

 

        ※※※

 

 

 翌朝。

 軽く朝食をとってから、おれたちはエステル王女たちの部屋へ向かった。

 

 エステル王女とアイシャ公女は、難しい顔でおれたちを出迎える。

 森に入ったエネス王女と第零遊撃隊からの連絡が途絶えて久しい、とのことであった。

 

「森の外に、第零の連絡員がいるんだよ。さっきそのひとに聞いてみたんだけど、夜の間、森のなかはずっと静まり返っていたんだって。かえって不気味だ、っていってた」

「優秀な偵察要員に戦える王族まで加わって、なんの情報も持ち帰れないのは不思議だな」

 

 なにかあった、という前提で動くべきだろう。

 ちらり、とアイシャ公女をみる。

 

 彼女がなにか予知してくれていればいいのだが……。

 公女は、首を横に振った。

 

 自由自在に未来がわかるなら、苦労はない。

 彼女の一族の予知は、ひどく気まぐれなのだ。

 

 

「申し訳ありません……」

「いや、アイシャは悪くないでしょ。アランくんも別に責めてないから謝らなくていいよ、そんなことで」

 

 エステル王女が慰めて、焼き菓子にアイスクリームをたっぷり乗せてからそれを公女に手渡す。

 アイスはさきほど、時間凍結型の袋からとり出していたから、王女の自作だろう。

 

 アイシャ公女はアイスを落とさないように口をおおきく開けて、焼き菓子を半分かじる。

 口のなかでアイスが溶けて甘みが広がったようで、みるみる笑顔になった。

 

 ときに、なにかにつけお菓子をあげてるとアイシャ公女まで太っちゃうのでは?

 そう思ったけど、さすがに口に出さない。

 

「うんうん、いっぱい食べておおきくなるんだよー。ぼくはヒトがお菓子を食べてくれるだけで嬉しいんだ」

 

 なんていって、エステル王女は目を細めて従妹を眺めている。

 心温まる光景だが、まあそれはそれとして……。

 

「森を上空から偵察、ってこれまでやったんでしょうか。あと、簡単なものでも地図があればそれを。使い魔を飛ばしたりも、きっとしてますよね」

「あ、うん、そのへんの情報は昨日のうちに貰ってるよー」

 

 エステル王女が、お菓子を入れていたものとは別の袋から、こんどは書類の束をとり出す。

 そのなかの一枚に、上空から実際に森を描いたとおぼしき、カラフルな地図があった。

 

 確実に軍事機密レベルの、詳細なやつである。

 少し色あせているから、何年か前のものだと思うけど……。

 

「結論からいうと、使い魔で森の上空を飛行させてみた限りじゃ、なんの異常も発見できなかったんだよね。魔力探知は、なぜか魔力がかく乱されて駄目だった。森の奥の方に強い魔力源があるみたいだ、って第零のひとはいってる。エネスは、部下といっしょに地上からその魔力源を目指した……はず」

「ひょっとして、魔法による通信が阻害されているのも、その魔力源のせいですかね。だとしたら、王国放送(ヴィジョン)システムも……」

「うん、妨害されるかも。そのへんもあってアリスの投入が難しいんだ」

 

 妨害電波、ならぬ魔力の妨害は、王国放送(ヴィジョン)システムが想定する弱点のひとつだ。

 滅多にはないことだし、意図的にこれを発生させることも難しいのだが、魔力の伝達が阻害される地帯、というのはたしかに存在するのである。

 

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)が届かなければ、アリス(おれ)は平凡な騎士ひとり分の働きしかできない。

 最低でも、魔力を妨害する存在がどういうものか明らかにならなければ……。

 

 アリスとシェルが救出に出ても、二重遭難するに違いない。

 

「いま公爵配下の魔術師が、鳥の使い魔で森の上空を探索中。エネスのことだから、なにか手がかりを残してくれてるんじゃないかな、って公爵に頼んでみたんだ」

「こちらから提案しようと思っていたので、助かります」

 

 おー、エステル王女なのに有能だ!

 

「今朝、ディア兄を叩き起こして指示を仰いだんだよ。ぼくひとりじゃ、馬鹿だからさ、どうしていいかわからなくて。アリスの投入は難しい、というのもディア兄の判断」

 

 あ、そうなんだ。

 まあでも、それはそれで。

 

「すぐ指示を仰ぐのは正しいですよ。決断できるひとが、ちゃんといるんですから」

「お飾りだからねー。ぼく、自分で判断しないことにかけては自信があるのさー」

 

 えっへんと胸を張るエステル王女。

 ここ数年、リアリアリアの指導のもと、王国放送(ヴィジョン)システムを始めとした王国内通信網に全力でとり組んできた意味が、ここにある。

 

 困ったらすぐ、わかるひとに聞くことができる態勢。

 いわゆる、ほうれんそう、が遠隔地でもできるようになったのだ。

 

 だからこそ、今回、面子だとか日和見だとかでそれをしなかった公爵に非難が集まっている。

 逆にエステル王女のように、朝からディアスアレス王子を容赦なく叩き起こせる人材は貴重というわけだ。

 

 このシステム、優秀な判断ができる人材に負担がかかりすぎるんだけどね。

 でもそれは必要なことだと、特に情報が集まってしまうディアスアレス王子やマエリエル王女は、己たちの過労死寸前の現状を許容した。

 

 少なくとも、対魔王軍戦線が確立するまでは、多少の無茶をしてでも、トップに情報を集め、常に彼らが判断していくべきであると。

 凡人のおれとしては、なんとか頑張って欲しい、と願うばかりである。

 

「アイシャ、いちおう準備と覚悟はしておいてね」

「はい、姉さま。わたくしは万全です」

 

 エステル王女とアイシャ公女がうなずきあっている。

 うん? とおれは首をかしげた。

 

 シェリーがなにか気づいたのか、はっとしておれの服の端を引く。

 なんだ、なんだ。

 

「あのね、螺旋詠唱(スパイラルチャント)

「シェリー?」

「遠くだと妨害されるなら、端末ごと近くに持っていって……でも殿下たち、すごく危ない」

 

 あ、なるほど。

 すべて理解した。

 

「携帯用の端末か」

 

 アリスが戦うには、螺旋詠唱(スパイラルチャント)が必要だ。

 魔力を阻害する要因があって王国放送(ヴィジョン)システムで遠くの端末からシェリーまで魔力を送ることができないなら……。

 

 システムの端末をアリスの近くに持っていってしまえばいい。

 端末の向こうにいる者たちも、いっしょに。

 

 ティラム公国でも、戦いの終盤、アイシャ公女から魔力を送ってもらった。

 あのときも、試作の携帯型端末を使っていたのだ。

 

 携帯型端末、といっても大人が背負わなきゃいけないくらい大型のものなんだけど……。

 そのためだけに騎士ひとりを同行させるというのも、ひとつのオプションなのだ。

 

 携帯型端末を背負う騎士とエステル王女とアイシャ公女という魔力タンクを引きつれて森を探索すれば、当面の螺旋詠唱(スパチャ)に困ることはない。

 彼女たちふたりだけでもそうとうな魔力量だから、相手が六魔衆とかじゃなければなんとかなるだろう。

 

 ただし、王女と公女の安全はまったく保証できない。

 

「無茶では?」

「最悪の場合は、だよ。ディア兄に許可はとってる。だいじょーぶ、ぼくこうみえて、けっこう体力あるからね!」

 

 どんどん、と脂肪でたっぷりのお腹を叩くエステル王女。

 アイシャ公女も、ぐっと拳を握って「がんばりますっ」とうなずいている。

 

 不安しかない。

 おれとシェリーだけで守り切れるだろうか……?

 

 騎士が何人もいたって、森のなかで大型の魔物が出てきたら……。

 そういう事態にならないよう、できれば使い魔の偵察でいい結果を得られて欲しいものだ。

 

 はたして、しばしののち。

 使い魔を飛ばした魔術師から入った報告は、あまり芳しいものとはいえなかった。

 

 

        ※※※

 

 

 エステル王女にあてがわれた部屋の応接室で、おれたちは報告を聞く。

 

 使い魔を飛ばした魔術師によると、森林地帯の上空から観察する限り、異常はみられなかったそうだ。

 木々の間隔は密で、樹冠が厚く森を覆い、地面の様子はまったくわからないとのこと。

 

 ただし、エネステテリア王女と第零遊撃隊が向かったあたりでは、使い魔が奇妙なふるまいをしたらしい。

 そのあたりに近寄ることを嫌がり、無意識に方向転換していた、と魔術師はいう。

 

「なんらかの魔法によって、認識阻害みたいなことになっているのかな……」

 

 報告を聞いたシェリーが、口もとに手を当てて呟く。

 

「師匠に聞いてみる」

 

 というと、彼女はとてとてとベランダに出て行った。

 王国放送(ヴィジョン)システムを応用した遠距離通話魔法、遠話の魔法(マインドボンド)を使うのだろう。

 

 残ったおれたち、おれとエステル王女、アイシャ公女、そしてこの公爵領でも有数の魔術師であるという壮年の男は、ひと休憩とばかりに紅茶に口をつける。

 紅茶に入った蜂蜜が脳に染み込むようで、頭がすっきりした。

 

 ちなみにエステル王女とアイシャ公女は紅茶の上にアイスクリームの塊を乗せて、少しずつ溶かしながら飲んでいた。

 あえてカロリーについて触れるようなことはしない。

 

「それでさ。公爵家はどれだけ支援をくれるの?」

 

 一服したエステル王女が魔術師に訊ねた。

 魔術師は緊張した面持ちでうなずく。

 

「公爵家といたしましては、わたしを筆頭として魔術師五人、騎士二十人を皆さまの護衛として提供いたします。いかようでもお使いください、とのことです」

「だってさ。アランくん、どう思う?」

「魔術爵がアリスとシェルを呼ぶことを前提としても、だいぶ賭けですよね。全員行方不明になったらリカバリがきかないでしょう?」

「出し惜しみしてアリス殿とシェル殿を失うのが、王国にとってもっとも悪い、とのことです」

 

 この魔術師は誰がアリスとシェルか知らない。

 おれはあくまで、魔術爵の兄であるひとりの騎士として発言している。

 

 でも魔術師は、おれのことをいっこうに侮らず、敬意を持って返事をしてくれた。

 まあ、シェリーがリアリアリアの弟子で、おれが人見知りなシェリーの外付け外交回路だってこと、一部界隈では有名らしいからな……。

 

 ベランダからシェリーが戻ってくる。

 浮かない顔をしていた。

 

「どうした、シェリー。リアリアリア様でも芳しくないか?」

「う、うん、それはたぶん大丈夫。ちゃんと段取りを踏めば、認識阻害を解くことができると思う、って」

「さすがだな……。それじゃ、ほかになにかいわれたのか?」

「えっと」

 

 シェリーは苦笑いして、皆を見渡したあと、告げる。

 

「来るって」

「え?」

「師匠、いまからこっちに来るって。森の探索を手伝うってさ。っていうか、手伝わせろって。ディアスアレス王子は物理的に説得したから、って」

 

 こりゃまた大物参戦だ。

 おれの横で話を聞いていた壮年の魔術師が、白目を剥いている。

 

 無理もない、彼にとっては雲の上の人物、ひょっとすると王様より尊敬しているような相手である。

 

 っていうか王子を物理的に説得ってなんだよ。

 関節技でもキメてギブアップさせたのか?

 



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第58話

 正午の少し前のこと、森の入り口にほど近い、小高い丘の上、一本の大樹のそば。

 大魔術師リアリアリアは、その合流地点でおれたちを待っていた。

 

 いっけん、二十歳くらいの若いの女性にみえる、背の高い美人だ。

 その本性は四百五十歳の大魔術師なんだけど。

 

 晩秋の風が木陰を吹き抜け、青い長い髪がおおきく揺れる。

 神秘的な緑の双眸が、順におれたちをみまわす。

 

「アリス、シェル」

 

 リアリアリアは、おれと妹のことを、そう呼んだ。

 そう、おれとシェリーはいま、十二歳くらいの年恰好であるアリスと、それより少し下という設定であるシェルの姿になっている。

 

 これから森に突入するからだ。

 おれたちの背後には、身軽な服装に着替えたエステル王女とアイシャ公女の姿がある。

 

 更にその後ろには、公爵から借りた五人の魔術師と二十人の騎士が集合していた。

 これにリアリアリアを加えた総勢三十人が、今回、森に突入する部隊の全容となるはずだ。

 

 目的はふたつ。

 最優先の目的は、先に突入したエネステテリア第四王女とその部下である第零遊撃隊を回収すること。

 

 副次的な目標として、この森で多発している行方不明事件の全貌を解明し、その原因を除去すること。

 これまでのところ、森の一部にかかっているとおぼしき魔法的なジャミングも含め、森の謎はちっとも明らかになっていない。

 

 リアリアリアには、思い当たる節があるようにみうけられた。

 だからこそ、自らこの場にやってきたのだろう。

 

 たぶん王族にめちゃくちゃ止められたと思うが、それを振り切って、わずか数時間で王都からこのテルダ公爵領まで飛行してきたのだ。

 こちらとしては、頼もしい限りではあるのだが……。

 

「し……リアリアリア様、この森になにがあるんですか」

 

 シェルが訊ねた。

 我が妹よ、いま師匠っていいそうになってたぞ。

 

 現在の彼女はリアリアリアの一番弟子ではなく、アリスの妹のシェルだ。

 しかもその正体は、伯爵令嬢メリルアリルと周知されている。

 

 周囲では、なにも知らない魔術師たちと騎士たちが聞き耳を立てていた。

 アリスとシェルは、リアリアリアに先んじて、さきほど王都から到着したばかりという設定である。

 

 ちなみにアランとシェリーはリアリアリアと交代で王都に戻り、王国放送(ヴィジョン)システムのメンテナンスに従事することとなっていた。

 王国放送(ヴィジョン)システムのメンテ、はおれとシェリーがあちこち走りまわる方便として頻繁に使われている。

 

 なにせシェリーは王国放送(ヴィジョン)システムの開発者のひとりだ。

 リアリアリアの次に、このシステムに詳しい。

 

 シェルに「森になにがあるのか」と訊ねられたリアリアリアは、ふむ、とうなずいて考え込む。

 なんと話せばいいか迷っている様子であったが……。

 

「アリス、シェル。トリアという町での一件、覚えていますか」

「え、あ、はい、もちろん」

 

 シェルが戸惑ったようにそう返す。

 

 そりゃ、覚えているに決まっている。

 トリアはおれとシェリーの生まれ故郷なのだから。

 

 とはいえアリスとシェルにとっては、あちこち転戦するなかで立ち寄った町のひとつ、か。

 もっとも、あそこで戦った相手、魔王軍の幹部マリシャス・ペインは、忘れようもないほど強敵であった。

 

 あいつは……そう。

 寺院に保管されていた聖遺物を狙っていた。

 

 その聖遺物とは、ヒトの倍くらいのおおきさがある左腕のミイラ。

 推定、魔王の左腕。

 

 って……うん?

 もしか、して?

 

「え、嘘。ここに魔王の……!? って、あっ」

 

 エステル王女が大声をあげ、慌てて背後の魔術師たちと騎士たちをみる。

 彼らは礼儀正しく視線をそらした。

 

 明らかにやべー話になるよなあ。

 アイシャ公女にも聞かせない方が……いや、彼女の場合は予言のこともあるから、聞いてもらっておいた方がいいのか。

 

 一方のリアリアリアは平然とした顔でうなずいてみせる。

 

「はい、あのときのように、魔王の身体の一部がこの地に眠っているのではないか、とわたしは睨んでいます」

 

 あっ、いっちゃった。

 これ公爵領の騎士たちも盛大に巻き込んで後戻りできなくさせるつもり……。

 

 とかじゃないな、たぶんこのひとが機密とか全然気にしてないだけだ。

 この半分人外婆さんときたら、ほんとさあ……。

 

「聖教本部から得た情報によると、現在、我々ヒトが確保している魔王の身体の断片とおぼしき聖遺物はみっつ、です。右腕、左腕、そして右脚の腿と膝」

 

 リアリアリアは右手の指を三本、順に立てていく。

 更に左手を突き出した。

 

「これは不確定な情報ですが、魔王軍はすでに胴体と左脚、右足首を確保していると考えられるとのこと。魔王の身体がおおむね我々ヒトと同じパーツで構成されているのであれば、残っているのは頭部となります」

 

 立て板に水を流すようにぺらぺらと、やべー情報を並べ立てるリアリアリア。

 その情報のヤバさを理解し、顔を蒼ざめさせて狼狽える魔術師たちと騎士たち。

 

 エステル王女は苦笑いし、アイシャ公女は目を白黒させている。

 おれとシェルは揃って額に手を当てて、呻いていた。

 

 ほんとさあ、このばあさんさあ、本当にさあ……。

 

「魔王の身体と推定される聖遺物は特徴的な魔力を放射しており、この放射の波のパターンは各部位ですべて同一であると確認されております。トリアの寺院ではこの放射が周囲に拡散しないよう、厳重な封印を行っておりました」

「それって、魔族が魔王の魔力を探知してとり返しに来ないように、ってことかな?」

 

 エステル王女が訊ね、リアリアリアはまたうなずく。

 

「わたしは聖遺物を聖教に引き渡すことを条件に、この放射について分析させてもらいました。さきほどシェリーから話を聞いて、ピンときたのです。実際、いまわたしの使い魔が森の上空を飛んでいますが……」

 

 さっそく飛ばしたんかい、手が早いなあ。

 リアリアリアは、話を止め、ああ、と呟く。

 

 つかの間、目を閉じた。

 くだんの使い魔と交信しているのだろう。

 

 数秒でまぶたを持ち上げる。

 その間、皆が黙って彼女の言葉を待っていた。

 

「ええ、間違いありません。この森の一部から、あれと同様の放射が確認できました。ほぼ間違いなく、ありますね」

 

 エステル王女が、ひどく顔を歪める。

 

「ぼくとアイシャ、帰っていいかな?」

「駄目ですよ、エステル。なぜいまになって、この森から魔王の魔力が漏れ出したのかわかりませんが……こうなった以上、魔王の身体と推定される聖遺物は、一刻も早く回収する必要があります」

「ですよねーっ、うわーんっ!」

 

 くるりと背を向けて逃げようとするエステル王女の首根っこを捕まえるリアリアリア。

 仲がいいなあ。

 

 リアリアリアと親しいのはディアスアレス王子とマエリエル王女だけかと思ったけど、わりと王族みんな、このひとの世話になってたのかもしれない。

 巻き添えで逃げられなくなったアイシャ公女は、あはは、と苦笑いしているけど。

 

 ゲームの開始時点では、たぶん魔王の身体はすべて魔王軍によって回収されていた。

 おそらくは、この森に存在した部分も。

 

 きっとゲームの歴史上では、テルダ公爵が事実の隠蔽を続けていたか、それとも調査隊が全滅し続けた結果、この森を放置するに至ったか……。

 とにかく、ヒトの手で聖遺物を回収することはなかったに違いない。

 

 でも、いま。

 王国は、充分に警戒し、テルダ公爵のミスをとり返すべく、全力を挙げて行動している。

 

 ここには、おれとシェリーがいて、アイシャ公女がいて、リアリアリアがいる。

 魔族が気づく前に魔王の頭部を回収できる可能性は充分にあった。

 

「でも、魔王の頭がこの森のどこかにあるとして、それが遭難の原因になるのかな? 噛みついてきたりするの?」

 

 おれはアリスの口調で、エステル王女とじゃれている大魔術師に訊ねる。

 

「エネスほどの者が戻ってこない、となると、森の奥でなにが起こっているのか想像することは難しいですね」

 

 リアリアリアは顔を曇らせた。

 

「あの子は危機意識が強く、用心深い。今回は実家のミスを挽回する、と気負いすぎたのかもしれませんが……罠が仕掛けられていたとしても、第零の突入部隊がひとりも帰還できないとは考えにくいですから」

「罠だとして、精神的なものだったりするかな。だったら大人数を連れていくのは危険じゃない?」

 

 おれは背後の魔術師たちと騎士たち二十五人を振り返る。

 彼らは抗議の声をあげようとして、リアリアリアに目線だけでそれを止められていた。

 

「アリス、あなたが戦った恐れの騎士(テラーナイト)の恐怖のオーラのように、ヒトの脆弱な心を攻める攻撃はいくつもあります。ですがわたしたち魔術師は、そういった攻撃への対策を無数に開発してきました。たいていのものは、わたしが対策できます。ご安心を」

 

 なるほど、リアリアリアは恐れの騎士(テラーナイト)戦でも、シェルに対策魔法である恐れずの魔法(レジストフィアー)を即興で教授していた。

 そういう意味でも、彼女が探索に同行してくれるのは心強い。

 

 いやほんと、めちゃくちゃ心強い。

 回収するべきものが推定魔王の頭部なんて、超弩級の厄物でなければ。

 

「もっとも、わたしの知らない現象が待ち受けている可能性も充分にあります」

 

 ちらり、とおれに流し目をくれるリアリアリア。

 あーこれ、ゲーム知識を期待されている?

 

 残念だけど、これはおれの知識の範囲外だ。

 首を横に振る。

 

 リアリアリアは、まあそうですよねとうなずきをひとつ返してくる。

 周囲は、そんなおれたちのやりとりには気づいていない様子だった。

 

「このあたりについて、わたしが知る限りでは、三百年ほど前まで広大な森が広がり、ヒトが容易には立ち入れぬ土地であったようです。その後、帝国が辺境に少しずつ手を伸ばし、当時の人々が森を切り開いていきました。この王国が独立して以降の歴史についてはみなさんご存じの通りです」

 

 なるほどなー。

 つまり、五百年前の魔王軍との戦いの当時、このあたりはまったくの未開の地だったはずだ、と。

 

 なんで、そんな土地に魔王の身体の一部、聖遺物が埋まっているのか。

 本当は、もうちょっと時間をかけて調べたいところだ。

 

 聖教と接触を持てば、彼らがなにか知っているかもしれない。

 あれほど聖遺物に執着していた彼らだから、飛んできて協力してくれるかもしれない。

 

 でも、それだとエネス王女がどうなるかわからない。

 現時点でもう手遅れかもしれないけど……でも、罠にはまって閉じ込められているとかなら、いますぐ行けば助け出せる可能性はあがる……と思ったのだけれど。

 

「おそらくこうなるとだろう、と思いまして、聖教本部とも連絡をとりました」

 

 リアリアリアは、おれの浅知恵なんかより、もっとずっと先をいっていた。

 

「向こうからは、聖僧騎士をひとり送る、と返信がありました。間もなく到着するはずです」

 

 聖僧騎士とは、聖教が誇る僧騎士の頂点である。

 精鋭中の精鋭で、現在、聖僧騎士の名を拝する者は大陸全土でも七人しかいないという。

 

 そのうちのひとりを、即座に送ってくるということは、これはもう聖教が今回の件に本気も本気だということだ。

 これ、たぶんトリアでの一件からこっち、王国上層部やリアリアリアは、聖教と密に連絡をとりあって、緊急時の対応を相談していたんだろうなあ。

 

 聖教は、大陸の大部分で信仰されている、ヒトのための宗教だ。

 魔族は敵と教義にあり、魔王軍の侵攻に際し真っ先に立ち上がり、民をなるべく避難させることに手を尽くした。

 

 その際、民よりも国を、土地を守れ、という各国上層部と対立したという。

 実際のところ、過去のどの時点でも魔王軍の侵攻を止める方法はなかったのだから、聖教側の行動は正しかったのだろう。

 

 来たるべきときのために、ヒト全体の力をなるべく保全しておく。

 乾坤一擲の勝負に出る、そのときのために。

 

 ゲームにおいて、それはゲーム開始時点、勇者の誕生であった。

 でもおれは、その先に未来がないことを知っている。

 

 リアリアリアにも、そのことは話した。

 彼女が聖教との交渉において、どこまで情報を開示したかはわからないが……。

 

 聖教本部が、ここで聖僧騎士を即座にひとり送って来るというのなら。

 たぶんリアリアリアと王国上層部は、聖教からそうとうな信頼を得ているはずなのだった。

 

 でも、さっき連絡をとって、すぐ応援を寄こすの?

 それってリアリアリア並に飛行魔法が得意なひとってこと?

 

 はたして、しばしののち。

 空から、ひとりの人物が降ってきた。

 

 文字通り、丘の上に落下してきたのだ。

 雲の上から。

 

 ものすごい衝撃音と共に、その人物は草原に着地する。

 土砂が舞い上がり、おれたちは慌てて腕で顔を覆った。

 

「はっはっは! 手荒い着地、まことに申し訳ございません!!」

 

 視界が遮られるなか、男の野太い声が聞こえてくる。

 舞い上がった土砂が落ち、視界が晴れた。

 

 それは筋肉だった。

 裸の上半身に盛り上がった筋肉、局部をギリギリ覆う黒いパンツひとつの下半身と盛り上がった筋肉、太ももくらい太い首まわりの盛り上がった筋肉。

 

 身の丈二メートルを超える大男が、そこに立っていた。

 全身あますところなく筋肉の鎧をまとい、通常のものよりふたまわりはおおきな両手剣をショルダーベルトで背負っている。

 

 大男は腕と脚を折り曲げてポーズをとり、筋肉に力を入れた。

 白い歯をニカッときらめかせる。

 

「我が名はブルーム!! 聖僧騎士ブルームでございます!!!!!」

 

 耳の奥がつーんとなるほどの大声で、巨漢は叫ぶ。

 彼は股をおおきく開き、ぐっと腕組みする。

 

「リアリアリア殿、アリス殿、シェル殿、そのほかヴェルン王国の皆々様!!」

 

 両腕を持ち上げコロンビアのポーズをとり、頭を後ろに傾け、天に向かって叫ぶ。

 丘の上の大樹が揺れ、木の葉がぱらぱらと舞い散る。

 

「吾輩のことは!! どうか、お気軽に!!!! ブルームとお呼びください!!!!!!」

 

 なんかやばいやつがきたな……。

 

 



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第59話

 聖僧騎士ブルーム。

 空から舞い降りた筋肉の天使だ。

 

 装備は局部をギリギリ覆う黒いパンツと、ショルダーベルトで背負った巨大な両手剣と、全身の筋肉である。

 聖教の最大戦力である七人の聖僧騎士、そのひとり。

 

 リアリアリアが聖教に報告した後、すぐに動いてくれた頼もしき救援。

 その、はずだ。

 

 ええと……どこから情報を処理すればいいかな……。

 おれいま、ちょっと混乱しているぞ。

 

 あ、目が点になっていたエステル王女がわれに返った。

 王女が、ブルームと名乗った筋肉の塊に訊ねる。

 

「ねー、なんで空から?」

「飛び降りて! 参上!! いたしました!!!!」

 

 ブルームは両腕の筋肉をこれみよがしにみせながら、白い歯をきらめかせ、ニカッと笑った。

 微妙に答えになってない気がする。

 

 いや、うーん、パラシュートなしで空挺落下した、ってことかな?

 天をみあげる。

 

 日は中天に達し、空は限りなく青かった。

 頭上では、鳥がのんびりと弧を描いている。

 

 ――違う。

 あれは、高度が高すぎるだけで、その本来のおおきさは……下手したら、象よりおおきいんじゃないか。

 

「聖教では魔獣を飼い慣らしていると聞きましたが、あれがそうですか」

 

 リアリアリアが呟く。

 ブルームが「いえ!」と叫び首を横に振った。

 

「魔獣ではありません! 聖獣ですぞ、大魔術師殿!! 聖獣グリフォン!!!! 我らの頼もしい信仰の友でございます!!!!!!」

 

 とても、うるさい。

 シェルが無言で耳に指で蓋をしている。

 

 エステル王女とアイシャ公女は、よほど教育が行き届いているのか笑顔を崩さない。

 たいしたものである。

 

 聖教本部が聖獣部隊と呼ばれる空を飛ぶ騎乗生物の部隊を組織しているのは噂で知っていたけど、あれは本当に虎の子、切り札中の切り札であったはず。

 ブルームを派遣するために、その切り札を切ってくれたとは……向こうは今回、本気も本気だ。

 

 と――。

 ブルームが、おれの方を向く。

 

「あなたが!! アリス殿ですな!!!! 配信、いつもみておりますぞ!!!!!!」

「あ、うん、ありがとー。あと、もう少し、ほんのちょーっとだけ声を落としてもらえるかな?」

「これは! 失礼!! 是非、握手を!!!」

 

 あ、声量が半分くらいになった。

 ブルームは腰を曲げておれと同じ視線になり、野太い手をぬっと差し出してくる。

 

 これ、アリスの手が握りつぶされない? 大丈夫?

 おそるおそる、相手の手を握る。

 

 ブルームは、意外にも紳士に、やさしくおれの……アリスのちいさな手を握り返してくれた。

 なんか子ども相手の対応が手慣れている感じがあって、そこは好感が保てるな。

 

 巨漢の大男は、少し違和感を覚えたように首をかしげたあと、すぐ「なるほど」とうなずく。

 

「本来のお身体ではないのでしたな」

 

 あっ、こいつ、自己変化の魔法(セルフポリモーフ)のこと一発で見破りやがった。

 手の感触だけでわかるものか……。

 

 いや、わかるか。

 ふだんから剣をぶんぶん振っているのに、アリスの手はタコのひとつもついてないもんな。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)によってそのへんごまかしながら戦っているので、きちんと鍛えた者になら、看破されても仕方がない。

 公式には、アリスはメリルアリルの姉が変身した姿ということになっているし。

 

 だがブルームは、おれにだけ聞こえるよう顔を近づけて、ぼそりと呟いた。

 

「あなたは男性ですな」

「えっと」

「無論、あなたの秘密は守りますとも」

 

 暑苦しい顔が離れる。

 ブルームは、がはは、と豪快に笑った。

 

 っていうかこいつ普通にしゃべれるのかよ!

 

「アリス殿と共に戦えること、身に余る光栄です! このブルーム、あなたの盾となり剣となって悪に立ち向かいましょう!!」

「あ、うん、よろしくね、聖僧騎士ブルーム。あはは……」

 

 リアリアリアの方をみる。

 さきほどのやりとりが聞こえたのか、聞こえていないのか、平然とした顔で森の方をみていた。

 

「さて、そろそろ参りましょうか」

「マイペースだなあ、リア婆ちゃん」

 

 エステル王女が呆れているが、まあこのひとのマイペースはいつものことだ。

 大魔術師は、自分が先頭に立って丘を降りていく。

 

 このまま号令もなにもなく、森に突入するつもりらしい。

 エステル王女とアイシャ公女が、慌てて彼女に続いた。

 

「アイシャ、歩くのが辛くなったらいってね。後ろのひとたちに背負ってもらうから」

「は、はい、アリスさま。ですがなるべく、自分で歩いてみます。わたくしも肉体増強(フィジカルエンチャント)程度はできるようになりました」

 

 ふたりに続いて、おれとシェルが並ぶ。

 その後ろに魔術師と騎士二十五人、最後尾にブルームが、おれと無言で視線を交わしたあと配置につく。

 

 戦力でいえば、おれとブルームがツートップだろう。

 片方をリアリアリアのそばに配置し、もう片方を最後尾に配置するということだ。

 

 最悪の場合でも、どちらかが部隊を守り、もう片方は撤退して情報を持ち帰ることができるに違いない。

 お互いの役目を考えると、螺旋詠唱(スパチャ)が欲しいおれはエステル王女たちのそばがいいし、増援でありこの一行とのしがらみがないブルームはいつでも逃げられる場所の方がいい。

 

 そもそも大魔術師であるリアリアリアが先頭に立っていることにツッコむべきかもしれないが……。

 探索系の魔法だけでも、彼女はこの大陸でトップクラスの実力の持ち主だろう。

 

 加えて肉体増強(フィジカルエンチャント)もお手の物、そのほかいくつもの魔法を同時起動して周囲を警戒しているに違いない。

 というか、シェルがこっそりおれに耳打ちしてくれたところによると、我が妹でわかる限りでも十七種類の魔法が常に発動しているとのことだった。

 

 現に森のなか、密に茂った藪を構成する草木が、まるで彼女の通り道をつくるように、すーっ、と左右に身を倒しておれたちが通りやすいようにしてくれている。

 彼女が手にした小杖で近くの木を叩けば、こん、という乾いた音と共に木々が身をよじり、おれたちの行く先の正面に立っていた大樹がぐねぐねと這いずるように動いて、リアリアリアのために道をつくった。

 

「木々が、まるで生き物のように……。このような魔法、初めてみました」

 

 アイシャ公女が目を丸くしている。

 だいじょうぶ、おれたち兄妹も、エステルも、背後の魔術師たちや騎士たちだって、きっと初めてみただろうから。

 

 最後尾のブルームはわからないが、彼はちょっと離れたところにいるから、この光景がみえていないかもしれない。

 まあ、彼が感動して大声で叫び出したらうるさくてたまらないから、あれは放置でいいだろう。

 

「これは厳密には魔法ではありませんよ、アイシャ。森にお願い(・・・)しているのです」

「それって、リア婆ちゃんが妖精の血を引いているから?」

 

 あ、エステル王女がぶっこんだ。

 妖精の血、混じり者。

 

 まあ気にしないひとは全然気にしないけど、いまはヒト至上主義の聖教から来たブルームがいるんだぞ。

 聖教もいちおう、分派によってはそのへんに対するスタンスがいろいろらしいけど……。

 

 ちらりとブルームを振り返れば、聖僧騎士はムンと胸を張って筋肉を強調し、にっこりと白い歯をみせてくれた。

 気にしていない……のかな?

 

「そうですね、もう同族はひとりも残っていませんが……。森はもともと、わたしの祖先が暮らしていた大地。妖精という種そのものが、いまよりずっと神秘が濃かった時代の残滓です。魔族と同一視されることもありますが、魔族と違い、ずっとヒトに近い存在であります」

 

 へー、そうなんだ。

 実は妖精とはなんなのか、おれはよく知らないんだよな。

 

 ゲーム中にはフレーバーでしか出てこない概念だったから。

 登場キャラのひとりに妖精の血を引く者がいたくらいである。

 

 魔族と同一視されることもある、ということは……。

 ああ、だいたいわかった、かも?

 

 あとでリアリアリアと話し合って、これが正しいかたしかめるとしよう。

 

「しかしながら妖精とは同時に、ヒトにはない、森のなかで生きるための数々の御業をもって生まれ、それを生きる術として用いるものたちです」

 

 リアリアリアはアイシャの方を向く。

 少女がきょとんとして、自分を指さした。

 

「わたくしに、なにか?」

「アイシャ、おそらくあなたのなかにも、わずかながら妖精の血が流れているのですよ」

「リアリアリアさま、それは未来探知の魔法のことですか」

「ええ。それは厳密には魔法ではなく、妖精が持つ御業の一部をなんらかの方法によって転化させたものです」

 

 そもそも魔法と魔法じゃないものって、どういう差があるんだろう。

 シェリーは知っているかもしれないが、いま聞くのもなあ、ということで黙っておく。

 

 あーでも、とおれは、背中に背負った対魔法剣(アンチマジック・ブレード)の柄に手を触れた。

 今回、相手がなにかさっぱりわからないので、念のため、かついできたのである。

 

 これが斬れるのは、魔法だけだ。

 逆にいえば、これが斬れないものは魔法じゃない、ってことなのかな。

 

 あとは、いちおう魔剣だからかめちゃくちゃ頑丈なので、硬い魔物の表皮とかをカチ割るのに便利。

 小杖(ワンド)もあるけど、あれだって他より丈夫ってだけで、壊れるときは壊れるからね。

 

 とりま、おれは、やれることをやるだけだ。

 気を楽にして、少し緊張しているらしきシェルの手を握ってやる。

 

「ピクニックみたいで楽しいね、シェル」

「うん、お姉ちゃん」

 

 おれたちの後ろを歩く魔術師たちも探知魔法で警戒してくれているし、いまから気を張っていては肝心なときに動けなくなってしまうだろう。

 からから笑ってみせれば、シェルも緊張の糸がほどけたのか、少し笑みをみせた。

 

 森のあちこちから小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 風にそよぐ枝葉が揺れる音、虫が飛ぶ高い音、そして足もとを駆けまわる小動物が落ち葉を踏む音。

 

 森に入ってから、三十分ほどであっただろうか。

 リアリアリアのおかげで想定の数倍のペースで進んでいたおれたちであるが……。

 

 唐突に、周囲の雑音がかき消える。

 強い眩暈に襲われて、おれは低く呻いた。

 

「なにが……っ」

 

 周囲をみれば、シェルにエステル王女、アイシャ公女も頭を押さえていた。

 背後の魔術師たちから、ブルームからも呻き声が漏れる。

 

 リアリアリアも頭を片手で押さえ……。

 さっと、右手の小杖(ワンド)を振る。

 

 眩暈が消えた。

 だが、虫の音や小鳥の鳴き声は未だ途絶えたままだ。

 

 まわりをよく見渡せば、心なしか、森の景色が違うような気がした。

 いや、そもそも周囲の草木をリアリアリアが割って、そうしてできた道を歩いていたはずなのに……。

 

 いま、おれたちがいる場所は、周囲を木々に覆われ、ぽっかりと開いた空き地のようなところであった。

 頭上では厚い背の高い木々が折り重なりあい樹冠がつくられ薄暗いものの、木の葉の間から差し込む明るい陽射しが緑の草に落ちている。

 

「大規模な転移の罠のようなものですか。森のなかに足を踏み入れた者たちが、あるポイントを経過して一定時間経過したのち、まとめて転移させる……。ずいぶんと古い術式です。なるほど、エネスたちが失踪した原因は、これでしょうね」

 

 リアリアリアが、ぽつりと呟く。

 

 



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第60話

 転移の罠、か。

 

 おれたちの現在地はわからないが……たぶん同じ森のなかで、しかしずっと奥の方だろう。

 そりゃ、これに引っかかったら簡単に戻ることもできない。

 

 ジャミングで通信系の魔法が使えないなら、なおさらだ。

 とはいえ、それだけで第零遊撃隊がなんのアクションもしなかったとは考えにくいのだが……。

 

 おれとシェル、エステル王女とアイシャ公女、リアリアリア、五人の魔術師と二十人の騎士、そしてブルーム。

 これだけの人数を同時に飛ばす魔法とは、いったいどういったものなのだろうか。

 

「エステル、王国放送(ヴィジョン)システムはどうですか」

「あ、リア婆ちゃん。えっと……うん、王都との連絡、できないや」

 

 リアリアリアの問いに、エステル王女は背負った袋を降ろし、なかから両手で抱えるほどおおきな青白い水晶とり出すと、それを覗き込んで告げる。

 王国放送(ヴィジョン)システムの携帯端末だ。

 

「やはり魔力の伝達を阻害する結界のようなものが張られているのですね。これが聖遺物の影響かどうかは、まだわかりませんが……」

「まずは現在、我々がどこにいるか確認するべきでしょうな!」

 

 ブルームはそういうと、全身に魔力を巡らせ、跳躍した。

 一気に十メートル以上。

 

 跳躍の頂点付近で大樹の幹を蹴り、さらに上へジャンプ。

 一気に樹冠を飛び抜けて、森の上に出る……はずが。

 

 樹冠の上に存在するなにかに衝突する鈍い音。

 ブルームの身体が勢いよく落下し、地面に衝突……する寸前、リアリアリアが小杖(ワンド)を振る。

 

 彼の巨体は、虹色の空気の塊のようなものに包まれ、ふわりと着地した。

 ハゲ頭を押さえ、むう、と呻きながらブルームは起き上がる。

 

「みえない壁のようなものが上空に張り巡らされているようですな!」

「普通、まずは使い魔などでたしかめるものでしょう。聖僧騎士ブルーム、迂闊ですよ」

「まったくもって面目ない!」

 

 リアリアリアに叱られ、しかし大男は、がははと豪快に笑う。

 ぜーんぜん反省してないな、こいつ。

 

 それにしても、上空には透明な結界か。

 予想通りではある。

 

 エネス王女だって飛べるだろうし、それだけではなく第零には使い魔持ちが何人もいたはずだ。

 この手段が使えるなら、とうに使って、外と連絡をとっていたはずである。

 

「では、我が拳で頭上の透明な壁を破壊してみるといたしましょう」

「待って、ハゲのおじちゃん」

 

 おれはふたたび飛びあがろうとした聖僧騎士ブルームを止めた。

 背負った剣を抜き、彼に手渡す。

 

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)

 付与魔法(バフ)を解除する、特別な武器だ。

 

「やるなら、これを使ってみて」

「ふむ。吾輩まだおじちゃんと呼ばれるほどの年ではなく、ハゲではなく剃っておるのですが……」

「いいから、剃ってるお兄ちゃん」

 

 怪訝な表情をしながら対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を受けとるブルームに、この武器のことを説明する。

 

「なるほど、しからば」

 

 ブルームは驚異的な跳躍力でさきほどと同様、大樹の上方まで到達、そこから樹の幹を蹴ってジャンプする。

 樹冠の少し上、前回は壁に当たり跳ね返されたあたりに剣を突き刺す。

 

 乾いた衝撃音と共に、剣が結界と衝突し――。

 そのまま、弾かれた。

 

 ブルームは落下し、空中でくるくる回転したあと無事着地。

 震える腕が対魔法剣(アンチマジック・ブレード)をとり落とした。

 

「申し訳ございません、アリス殿」

「ううん、ありがとう!」

 

 おれは地面に落ちた剣を拾う。

 幸いにして、刃こぼれひとつついていなかった。

 

 それにしても、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)でも破れないかー。

 おれは剣を手に、リアリアリアの方を向く。

 

「結界魔法って付与魔法のひとつじゃないっけ?」

「本来はそうですが、これはずいぶんと古い……わたしが生まれる前の術式のようです」

「リア婆ちゃんが生まれる前って、五百年前!?」

 

 エステル王女が驚く。

 四百五十年前だぞ。

 

 いやまあ生まれる前の、ということは五百年前の魔王戦争より前という可能性もあり得るが……。

 そのへん、どうなんですかね?

 

 と水を向けてみるが、リアリアリアは額に皺を寄せて押し黙ってしまった。

 なにやら考え事がある様子。

 

「ししょ……リアリアリアさまは、こうなったときは放っておいた方がいいよ」

 

 シェルがいう。

 そうかもしれないなあ。

 

「うーん、こりゃーリア婆ちゃんは放っておこう。シェルちゃん、周囲の捜索は、どう?」

「殿下、えーと、はい」

 

 ブルームが空と格闘している間に、シェルと魔術師たちが使い魔を放ち、周囲の情報を集めてくれていたようだ。

 それによれば、周囲は少なくとも数キロ、どこまでいっても森のなか。

 

 ひとの気配はなく、鳥や大型の動物の気配もない。

 リスなどの小型の動物や、もっとちいさな虫などは存在する模様。

 

 植生は、転移前とさして変わらない様子。

 ただし、ところどころで魔物が徘徊している。

 

「魔物ですか!! 滅ぼさなければ!!」

 

 ブルームが大声で叫んだ。

 皆が耳に手を当てて顔をしかめる。

 

「声を落として、聖僧騎士ブルーム」

「申し訳ございません、エステル殿下!」

 

 使い魔によって発見された魔物は合わせて百体ほどで、いずれも人型サイズからそれよりひとまわりおおきな程度だ。

 火吹き犬(ファイアドッグ)双頭狼(デュアルウルフ)、馬くらいのおおきさがある大蜘蛛、それからローパーと呼ばれる無数の触手を持った毛玉。

 

 魔王軍でも一般的にみる魔物たちだ。

 普通の騎士であれば、一対一ならなんとかなる程度である。

 

 今回同道してくれたような上積みの騎士たちであれば、ひとりひとりが五体を相手にしても戦えるだろう。

 とはいえ……どうして、これほどの数の魔物たちが、こんなところに?

 

「その程度の魔物たちにエネス殿下と第零が敗れるとは思えないなあ」

 

 おれが呟けば、エステル王女も同意するようにうなずいてみせる。

 

「だよねー。なのに、なんの手がかりもみつからない、となれば……なんだろ」

「ふむ、そうですね……少し実験してみましょう」

 

 リアリアリアが、いつもの調子に戻った。

 話を途中から聞いていたのか、両手を広げても抱えれきれないほど太い樹の幹に片手をつく。

 

 次の瞬間、強い風が彼女の周囲を吹き荒いた。

 太い樹は、リアリアリアの胸の高さですっぱりと切断された。

 

 めりめりと音を立てて横倒しになり、地面がおおきく揺れる。

 その音と揺れが呼び寄せたのか、魔物の唸り声が近づいてきた。

 

「大魔術爵殿、やるならひとこと断ってからにしてください!」

 

 魔術師たちが抗議の声をあげるが、リアリアリアは「あの程度、たいした脅威でもないでしょう」と平然としている。

 たしかに、たいした脅威じゃないけどさあ。

 

 おれたちのいる森の空き地に、足の速い火吹き犬(ファイアドッグ)双頭狼(デュアルウルフ)が殺到してくる。

 素早く隊列を整えた二十人の騎士がそれを迎撃し、五人の魔術師がそれを援護した。

 

 聖僧騎士ブルームも先頭に立って、その力を振るっている。

 

 ブルームの拳が炎をまとって唸り、飛びかかってきた双頭狼(デュアルウルフ)を横殴りの一撃で吹き飛ばす。

 火吹き犬(ファイアドッグ)が吐きだした炎の嵐に対して、氷の魔力がこもった蹴りを放ち、これを一瞬で四散させる。

 

 すごい。

 力こそパワー、を地でいっている。

 

 圧倒的な魔力と、それを十全に使いこなす技量、さらに筋肉、そして筋肉、もうひとつ合わせて筋肉。

 背中の両手剣を封印しているにもかかわらず、すべてを併せ持った、理想的な戦士の究極系がそこにあった。

 

 これ、もう全部あいつひとりでいいんじゃないかな。

 とは、いかないか……。

 

 よーし、それじゃおれも、いっちょ。

 と前線に出ようとしたところ、リアリアリアがおれの肩に手を置く。

 

「アリスは見学です」

「えーっ、なんでさーっ」

「いまのあなたの魔力源はそこのふたりだけであること、よくご承知を」

 

 あ、そうだった。

 エステル王女とアイシャ公女をみる。

 

 ふたりとも、少し緊張しているのか、引きつった表情になっている。

 無理もない。

 

 特にエステル王女は、これまで荒事なんて、王国放送(ヴィジョン)端末の向こう側でしかみたことがなかっただろうから。

 アイシャ公女だって、この前、おれが抱えて逃げまわったあのときが、初めてみた戦いの情景であっただろう。

 

「まー、そうだね。じゃあアリスはリアさまの護衛ってことで」

「おや、リアさま、ですか」

「リアお婆ちゃん、の方がいい?」

 

 挑発的な目で彼女をみあげてみれば、リアリアリアは面白がって「そうですね、リアちゃん、と呼ばれたいです」と返事をする。

 

「年を考えろ、年を」

 

 思わずマジレスしてしまった。

 エステル王女が、ぷっ、吹き出す。

 

「ひどいですね。どう思いますか、シェル」

「えっと、リアリアリアさまは年齢のことでいじられても怒らないひとだと思いますよ、なんとなく」

「シェルはよくわかっていますね。特別に、あなたもわたしのことをリアちゃんと呼んでいいですよ」

 

 シェルが、えーっ、という顔でおれの方を向く。

 はっはっは、愛しい妹よ、こっちに振らないで。

 

「さて、この樹をみてください」

 

 周囲で激しい戦いが行われているなか、リアリアリアは呑気な態度で、己が切り倒した樹を指さす。

 おれたちの視線がそこに集中し……そして。

 

「あんれぇ?」

 

 エステル王女が珍妙な声をあげるが、それはおれたち一同の気持ちを代弁していた。

 切断されて切り株と倒木に分離していたたはずの樹が、まるでそんなことは幻であったかのように、もとの通りの状態に戻っていたのだ。

 

「樹が……再生した、ってこと?」

 

 おれはリアリアリアに訊ねる。

 

「ええ、まるで時が逆にまわったかのように、もとの状態に戻っていきました。なんらかのかたちで状態が保全される魔法がかかっているのですね。非常に興味深いことです」

 

 雑談をしながら、そんなところまで観察してたのか、このひと。

 

「エネスたちが手がかりを残さなかった理由も、これで判明いたしました。彼女たちが手がかりを刻んでいたとしても、それは巻き戻り、消えてしまったのでしょう。第零がそれに気づいていたか、いなかったかはわかりませんが……気づいていたなら、手がかりを残すにしても、それを前提とした場所に、となるでしょうね」

 

 倒れた樹が勝手にくっついて、もとの形にもどる。

 これが状態保全の魔法のようなものだと、リアリアリアはいう。

 

 この森の環境を乱しても、すぐもとの形状に再生されるということは、森のどこかに傷をつけるような方法では目印とならない。

 ではどうすればいいか、といわれれば……。

 

「うーん、どこか目立つ場所にエネス殿下や第零の誰かの持ち物を置いておくとか? 樹の上の方に、なにか目立つ印とかない?」

 

 適当に案を出してみた。

 リアリアリアはおれの言葉にふむとうなずき、己の小杖(ワンド)を軽く振る。

 

 心地よい風が吹いた。

 風は周囲の木の葉を巻き込んで、螺旋を描きながら宙へ舞い上がる。

 

 しばしののち。

 大魔術師は、西を指差した。

 

「ありました。この先三百歩ほどの距離、樹上の高い枝に赤いリボンが巻きつけられています」

 

 よし、きっとそれだ。

 

 



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第61話

今年最後の投稿になります。
よいお年を。

気に入っていただけたらお気に入り、評価よろしくお願いします。

同作品をカクヨムでも連載していますが、よろしければそちらの方でもフォロー、応援、☆をつけていただければ喜びます。
https://kakuyomu.jp/works/16816927863102421754


 押し寄せてきた魔物たちを始末したあと。

 おれたち二十五人は、リアリアリアが発見した赤いリボンの結んである樹のそばまで移動した。

 

 おそらく、連絡を絶ったエネス王女たちが残した手がかりであろう。

 赤いリボンは、周囲よりもひとまわり以上太い巨木の、十メートルちょっとの高さの枝にかたく結びつけられていた。

 

 騎士のひとりがさくさくと樹を登り、リボンを回収して飛び降りて、リアリアリアにそれを手渡す。

 我らが大魔術師は、リボンをみて小首をかしげた。

 

「綺麗なものですね。魔力でもこもっているかと思いましたが、それもありません。エステル、これに見覚えは?」

「うーん、エネスってアクセサリをいっぱい持ってたから、ちょっとわからないなあ。部下のものかもしれないでしょ」

「それもそうですね。と、なると……アリス、みてみますか?」

 

 おれはリアリアリアから赤いリボンを受けとった。

 あれこれいじってみて、気づく。

 

 布の縫い目になにか挟まってるな。

 刃物で縫い目の糸を切り、布を広げてみる。

 

 薄い紙が布と布の間に挟まっていた。

 折りたたまれた紙を開き、ざっと中身を読む。

 

 暗号らしき、おれにはわからない象形文字のようなものが記されていた。

 うん、パスパス。

 

「アリスわっかんなーい」

「はいはい、リアちゃんが読んであげますね」

「自分でリアちゃんいうな」

 

 リアリアリアは、おれから手渡された紙を手にして、なるほど、と呟いた。

 あ、暗号がわかるんだ? さっすがー。

 

「簡単な魔法文字です。文字そのものではなく、この文字を媒介として魔法を行使しているのですよ。もちろん、相応に、これに魔力を流すことができる前提となりますが……」

 

 リアリアリアが紙に手をかざす。

 おそらく魔力を流したのだろう。

 

 紙が黄金色に輝いた。

 そよ風が吹き、おれたちの頬を撫でる。

 

「以下の文言は第四王女エネステテリアが記したものである」

 

 エネス王女の言葉が、風に乗ってどこからともなく届いた。

 紙に記された魔法が発動したのだ。

 

「すでに理解していると思いますが、この森の樹木は定点に再生します。魔物は再生しませんが、どこからともなく湧いてくる様子です。我々第零遊撃隊は、森の外に脱出するべく、もっとも魔力が薄い南部に向かったものの、森にかけられた惑わしの魔法によって、もとの場所に戻ってきてしまいました。東と西も同じです。頭上の結界を破ることも不可能でしたが、これは我らに充分な魔力あるいは打撃力に長けた者がいなかったためかもしれません」

 

 淡々と、王女の声が告げる。

 なるほど、あらかじめいくつかの可能性を潰してくれているのは助かる。

 

 彼女が挙げている調査項目は、こっちもしらみつぶしにやるはずだったことであった。

 

「深刻なのは、時間が経過しても各人の持つ魔力が回復しないことです。消費したぶんの魔力が、いつまで経っても補填されません。自分と他者の間で魔力をやりとりすることは可能でした。森全体にかかっている保全の魔法の影響でしょうか」

 

 おれたちは互いに顔を見合わせた。

 魔力が回復しない、というのは魔術師にとって深刻な事態だ。

 

 騎士にとっても同様で、彼らはさきほど、肉体増強(フィジカルエンチャント)をかけて魔物と戦った。

 多少なりとも魔力を消費している。

 

 魔物たちがどこからともなく湧いてくるというなら、この森に囚われている限り消耗が続き、いつかは魔力が尽きて戦えなくなってしまうだろう。

 それは、さきほど無双していたブルームとて同様である。

 

「故に我らは、これより最後の可能性に賭けて北に向かいます。後続の方々は、くれぐれも魔力を無駄に消費せぬようご注意ください。健闘を祈ります」

 

 言葉が途切れた。

 紙が燃え、リアリアリアの手のなかで灰になる。

 

 灰は風に乗って宙を舞い、四散した。

 おれたちは各々、黙ってそれを見守った。

 

「あの子は相変わらず、せっかちですね」

 

 リアリアリアがため息と共に、しみじみと呟く。

 

「もう少し待っていてくれれば、わたしたちと合流できたものを」

「吾輩はその方を存じませんが、合流しても魔力が消耗した状態ではさして手助けができぬとなれば、後の者たちの礎となるべきである、と信じたのでしょう」

 

 ブルームが口を開く。

 彼はそういいながら、首を横に振った。

 

「できればもう少し、後続の者を信じて欲しかったですな」

「エネスはなんでも自分で抱え込んじゃうタイプだからねえ。そのへん、あそこの公の血なのかもねえ」

 

 あー、エステル王女の言葉は耳が痛い。

 ほらー、リアリアリアが意味深におれの方をみてるー。

 

 おれは、ちゃんとこの世界の今後のこと、リアリアリアに全部ぶちまけて相談したから。

 まあ彼女に心を読まれたから、ではあるんだけど。

 

 シェルもおれをじーっとみてる。

 先日のリミッター解除の件は本当に悪かったと思ってるって。

 

 アイシャ公女もおれをじーっと……って。

 うん? 彼女は、なんでだ?

 

 というか公女の顔色が悪い。

 怯えるように、ひどく震えている。

 

「アイシャ殿下、どうしたの? 体調、だいじょうぶ? おんぶする?」

「あ、いえ、その……。みえてしまった、のです」

「みえた? あ、未来探知?」

 

 アイシャ公女は緊張するように唾を飲み込むと、ひとつうなずいた。

 わーお。

 

「どんな内容?」

「アリスさま、あなたが、ひどい怪我をしていました。いまにも死にそうで、ああっ、ごめんなさい。でも、わたくしでは流れる血を止めることもできなくて、あっ、ああ……っ」

 

 すがるように、公女はおれをみつめる。

 碧い双眸から、いまにも大粒の涙の粒がこぼれ落ちそうだった。

 

「わわっ、えっと、深呼吸しよう。はい、すーはー、すーはー」

 

 言葉に詰まってしまった少女に繰り返し深呼吸させて、気持ちを落ち着かせる。

 皆がおれたちに注目していた。

 

「はい、それじゃもういちど、ゆっくり話してみてね」

「は、はい」

「まずは、場所。どんな場所だった?」

「そ、それが……まわりが薄暗くてよくわからなくて……」

 

 少女は、ゆっくりと語り出す。

 

「土の壁で囲まれていました。あなたがひどく怪我をしていました。そばにいるのはわたくしひとりで、わたくしはあなたにすがりついて泣いていました。その光景を()たとたん、悲しくて、胸がいっぱいになって……。あなたが死んでしまうことは、避けられなくて……」

「うーん、洞窟のなか、とかかな? うん、ありがとう、殿下」

 

 おれはリアリアリアをみあげる。

 大魔術師がうなずいた。

 

「ど、どうすればいいのでしょう、リアリアリアさま。わ、わたくしは、なんという未来を()てしまったのでしょう」

「なぜ、そこで己を卑下するのです?」

 

 アイシャ公女の切羽詰まった言葉に対して、リアリアリアは不思議そうに首をかしげた。

 

「極めて有用な予言です。よく話してくれました、アイシャ。未来がわかれば、対処のしようもあります。そうですね、アリス」

 

 大魔術師が、おれの方を向いて意味深な笑みをみせる。

 ああ、そうだな……そうだよ、その通りだ。

 

 リアリアリアは、おれの記憶から未来を覗きみて、来たるべき事態に対処するべく積極的に行動した。

 いまや彼女は、未来を変える方法を誰よりもよく知っている、といってもいいだろう。

 

「おおきく分けて、ふたつ方針が考えられます。アリスとアイシャがふたりきり、ということは、ふたりがすぐ近くで活動していたということ。両者を引き離し、そのうえで充分な警戒をすれば、アイシャが覗きみた未来は変化する可能性が高い」

「でもそれだと、アリスひとりで死んじゃう可能性もあるよね。あるいは……」

 

 あるいは、アイシャ公女がひとりで死ぬか。

 彼女の予言の状況からして、アリス(おれ)が公女をかばって傷を負った可能性が高い。

 

 リアリアリアもそこまでは想像がついていたのだろう。

 おれの言葉を遮るように、軽く手を挙げる。

 

 わざわざ公女を責めるような言葉を吐くことはない。

 おれは言葉を切って、うなずいてみせた。

 

「故に、なるべく予言の通りになるように行動しましょう。そのうえで……アリス、まずはこれを」

 

 大魔術師は、黄金色に輝くコインを二枚とり出すと、おれに放り投げてきた。

 慌ててキャッチし、しげしげと眺める。

 

 なんの紋様も入っていないし、ただの金貨じゃないみたいだけど……なんだこれ。

 いや、この状況で渡してくるんだから、魔道具なのはわかるけど。

 

「使い切りの、治療の魔法が込められたコインです。キーワードひとつで魔法が発動します」

「ちなみに、これ一枚でいくらくらいなのかな?」

「値段などつけられないでしょうね。存在を知れば、各国が先を争って手に入れようとするでしょう。一枚ごとに、わたしが数年かけて魔力を込めたものです。切り札として温存してきたものですよ」

 

 おい、そんなもの気軽に二枚も渡してくるな。

 慌てるおれに、リアリアリアはにやりと笑ってみせる。

 

「アイシャの予言がなければ渡しませんし、予言があった以上、ここでためらう理由はありません。そうでしょう?」

「そりゃそうだけど! 雑に投げ渡すのはどうかな!?」

「アイシャ、あなたにも一枚、渡しておきましょう。それと、いくつか護身用の魔道具も……。あなたの()た内容から考えて、怪我をしたアリスのそばにいて彼女を援護できる可能性が高いですから」

「え……あ、はい。ありがとうございます」

 

 リアリアリアは、どこからともなくとり出したポーチにお札やらコインやら短剣やら、ついでに保存食やらを放り込んでいく。

 あのポーチ自体に空間拡張の魔法がかかっているんだろう、明らかに容量より多い物資が詰め込まれる。

 

 四百五十歳の大魔術師、さすがに対応力が半端ない。

 

「ではアイシャ、これをしっかりベルトで身体にくくりつけておいてくださいね。あなたの予言のおかげで、これだけの備えができました。あとは覚悟を決めて、そのときに備える。そのときがきたら対応する。それだけです」

「はい、リアリアリアさま! わたくしの命に代えてもアリスさまをお助けします!」

 

 涙をぬぐい、ぐっと拳を握るアイシャ公女。

 いや、そこまで覚悟を決めなくても。

 

「さて、それでは――参りましょうか」

 

 改めて。

 リアリアリアが皆を見渡し、告げる。

 

 おれたちは先発隊を追って、北を目指した。

 

 

        ※※※

 

 

 下生えの草が、リアリアリアが歩くそばから左右に割れて道をつくる。

 しかしそうしてできた道も、おれたちが通り過ぎるともとに戻ってしまう。

 

 振り返れば、自分たちが通ってきた道はない。

 もう、どこをどう歩いてきたか、さっぱりわからない。

 

 周囲は薄暗く、小鳥や虫の音に混じって時折、不気味な叫び声が響く。

 そのたびに、おれのそばを歩くアイシャ公女がびくりと身をすくめ、その隣を歩いているエステル王女の服の端をぎゅっと掴む。

 

 なんどか魔物が襲ってきたが……。

 一回ごとに数体程度の散発的な攻撃は、積極的に前に出てくれた騎士たちが、たちどころに始末してくれた。

 

 消耗した魔力が回復しない、という情報を得た以上、主力の魔力はなるべく温存して欲しい。

 騎士たちは、自らそう、献身を願い出たのであった。

 

 そもそもここにいる騎士たちは、全員がおれの倍以上の魔力があるエリートだからね!

 螺旋詠唱(スパイラルチャント)がなければ、戦士たちのなかで最弱は間違いなくアリスだからね!

 

 魔術師たちが進行方向に使い魔の鳥を飛ばし、エネス王女の残した目印を探しながら移動する。

 目印は最初に発見したときと同様、樹上に結びつけられたリボンや布切れだ。

 

 目印はいくつか発見したものの、あれからメッセージはいちども同封されていない。

 

「敵対的な存在が偽の目印でわたしたちを誘導する理由など、特に思いつきません」

 

 とリアリアリアが決断し、目印に沿って北上を続けた。

 しばらくするとエステル王女とアイシャの歩みが遅くなる。

 

 舗装された道ならともかく、こんな森のなかを歩き慣れていないのだ。

 リアリアリアが休憩を宣言した。

 

「ごめんねー、ぼくのせいで」

「帰ったら、体力をつけなければなりませんね、エステル」

「それはヤダーっ」

 

 エステル王女は、これっぽっちも悪いと思っていない口調である。

 いっぽうのアイシャ公女の方は、荒い息を整えることに集中しているが……それはそれとして自分の体力不足をしきりに申し訳なく思っているようだった。

 

 こちらとしては、十歳の子どもを連れてきてしまって申し訳ないとしかいいようがない。

 とはいえ彼女の魔力は有用だし、なによりさきほどの予言もあるからなあ……。

 

「アイシャ殿下はアリスが背負っていこうか?」

「え、そんな。悪いです」

「へーきへーき、アリスは体力があるからね。それに、予言でもわたしたち、いっしょにいるんでしょう?」

 

 そう提案したところ、エステル王女がさっと手をあげた。

 

「はいはーい、ぼくもおぶって欲しいでーす!」

「あなたは歩きなさい。帰ったあとのトレーニングも、必ずやってもらいますからね」

 

 リアリアリアが無情に告げる。

 エステル王女の情けない悲鳴が森に響き、ブルームが豪快に笑った。

 

 

        ※※※

 

 

 休憩が終わり、おれがアイシャを背負って、ふたたび歩き出す。

 さて、予言の一件もあるから充分に用心しよう。

 

 それにしても、おれが洞窟のなかで怪我をしていた、か。

 落とし穴、とかかなあ。

 

 でも、こうして足もとに注意していれば、たぶん大丈夫だ。

 落とし穴になんか絶対に落ちないんだからね!

 

 

        ※※※

 

 

 それから十分ほど歩いたあとのこと。

 おれとアイシャ公女は、転移の罠を踏んで見知らぬ場所に飛ばされた。

 



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第62話

あけおめ!(挨拶)

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 アリスです。

 いま、どことも知れぬ真っ暗な洞窟のなかにいます。

 

 アリスです。

 全身大怪我しましたが、リアリアリアから貰ったコインひとつで完全に回復しました。

 

 アリスです。

 アイシャ公女が泣きそうな表情で抱きついています。

 

 予言した人が悪いなんて思ってないし、あなたの予言のおかげでこうして命が助かったんだけどなあ。

 子どもの泣き声は心が痛む。

 

 アリスです、アリスです、アリスです……。

 

 さて。

 現実逃避はやめよう。

 

 アイシャ公女の未来探知による予言の通り、おれは大怪我を負って、見知らぬ洞窟に飛ばされた。

 同行者はアイシャ公女だけだ。

 

 といっても、その経緯は想像していたものとは少し違った。

 森を歩いていたおれたちは、充分に警戒していたにもかかわらず、魔物に奇襲を受けたのである。

 

 突然、頭上に大蜘蛛やローパーが出現し、落下してきたのだ。

 リアリアリアが、「転移の魔術ですか」と呟いていた。

 

 乱戦になった。

 まずは非戦闘員の安全を確保すべし。

 

 エステル王女に向かった大蜘蛛を、シェルがバリアでブロックする。

 おれはアイシャを背負ったまま距離をとった。

 

 それが、まずかった。

 茂みに飛び込んだその先に隠れていた双頭狼(デュアルウルフ)がおれに牙を剥いた。

 

 アイシャ公女をかばって、おれは胸と左肩の肉を抉られた。

 それでもなんとか双頭狼(デュアルウルフ)を蹴り飛ばし、距離をとって――。

 

 なにか硬いものを踏んだ感覚があった。

 下をみれば、それは地面に埋め込まれた石版だった。

 

 石版に描かれた奇妙な文字が黄金色に輝く。

 あっ、やばい、と思った次の瞬間、おれとアイシャ公女は真っ暗な洞窟のなかにいたというわけだ。

 

 見事に予言成就である。

 罠にかかることは避けられなかったが、しかし彼女の予言があったおかげで、おれの怪我は無事、治療できた。

 

 いまもアイシャ公女が蛍光灯のようなかたちをした明かりの魔道具を使い、周囲を照らし出してくれている。

 

 あちこちに岩が埋まり、支柱のようになって、一辺が十メートルほどの玄室のような場所を形作っている。

 ここはどうやら、鍾乳洞のような自然の産物ではなく、人工的に地面を掘ってつくられた場所のようであった。

 

 天井はドーム状で、高さ七、八メートルくらいか。

 

 部屋の中央の床に石版が埋め込まれていた。

 石版の表面には、森のなかでおれが踏んだものと似た紋様が描かれている。

 

 この石版を踏めば戻れるのかな? と試しに踏んでみたのだけれど、なんの反応もない。

 まあ、そうだよな……。

 

 いちおう、ほかの誰かがおれたちを追って転移してくるのを待ってみたのだが……。

 十分以上経っても、誰もやって来なかった。

 

 あの罠は、いちどきり、だっただろうか。

 いや、そもそもこれは本当に罠なのか?

 

 部屋の一角にある、たったひとつの出口をみる。

 三メートル四方くらいの通路が、ずっと奥に続いていた。

 

 ひょっとして、おれが踏んでしまったあの石版って……。

 

「入り口、だったのかな」

 

 考えが、口を突いて出た。

 ようやく泣き止んだアイシャ公女が、え、と顔をあげる。

 

 ようやく我に返ったようで、恥ずかしそうに顔を朱に染め、慌てて身を離す。

 おれは気にしていない、と身振りで示した。

 

 それよりも、現状を把握しよう。

 

「罠じゃなくて、あの石版を踏むことで、なにかの入り口に転移したんじゃないかな、って」

「この先は、どこへ続いているのでしょう」

「こんなところに隠しているんだから、きっとすごいお宝があるんじゃないかなあ」

 

 軽い感じでいってみた。

 ここで深刻になっても仕方ない。

 

 遭難のセオリー通りなら、このままここで待機して助けを待つべきだろう。

 幸いにして、予言のおかげで覚悟もできていたし、保存食の準備はある。

 

 しかしほかに出口もないし、この通路の先が気になる。

 もし魔物でもいて、そいつらがまだおれたちに気づいていないなら……。

 

 こちらから出向いて、始末した方がいいかもしれない。

 安心して休むためには、この場の安全は確認する必要がある。

 

「ですが、アリスさまはいま、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けられないのですよ」

「もちろん、無理はしないよ。螺旋詠唱(スパチャ)がなくても、さっき出てきた魔物くらいなら、なんとかなるし」

 

 さっきは不意を受けたうえ、アイシャ公女を背負っているというハンデもあって不覚をとった。

 でも正面から戦うなら、まあ、やってやれないことはないだろう。

 

 公女のポーチに入れていた対魔法剣(アンチマジック・ブレード)をとり出し、右手で握る。

 この洞窟をつくったのがどの時代の誰かは知らないが、魔法的な罠ならこれで叩き切れる可能性はあった。

 

「護身用の武器、リアリアリアさまから預かってるよね」

「は、はい。これを……」

 

 アイシャ公女が、おずおずと両手を差し出す。

 左右、それぞれの中指に、指輪がはまっていた。

 

 右手の中指の指輪は、赤い宝石。

 左手の中指の指輪は、青い宝石。

 

「わたくしの魔力で発動する、攻撃と防御の魔法だそうです」

「うん、それ、使っちゃ駄目だよ」

 

 え? と公女が小首をかしげる。

 おれはなるべく軽く、笑ってみせた。

 

「それを使うのは、本当に万一のときだけ。基本的には、殿下はアリスが守るから。戦いの素人が付け焼き刃で武器を使っても、かえって危ない。そういうの、聞いたことあるよね?」

「は、はい。護衛の方々からは、常々そのように……」

「だから、アリスとの約束。それはいざというときまで、使わないこと。でも殿下の身の危険を感じたら、アリスに被害が及んでも構わないから迷わず使うこと。――それじゃ、いこうか」

 

 おれは左手を公女に差し出した。

 アイシャ公女が、しっかりとおれの手を握る。

 

 彼女はもう片方の手のなかにある明かりの魔道具を通路の向こうに向けた。

 四角く削り出された洞窟の奥がぼんやりと照らし出される。

 

 ひとの手が入っているにしても、ずっと昔のものがここまできちんと保存されているものかね。

 魔法がかかっているなら、ありうるのかな……。

 

 周囲は静まり返っていた。

 ふたりとも黙っていると、怖いくらいに空気が淀む。

 

 かといって、騒いでしまえば、いるかもしれない敵がおれたちの存在に気づくかもしれない。

 意を決し、おれたちは歩み出す。

 

 部屋を出て、洞窟の奥へ。

 

 

        ※※※

 

 

 アイシャ公女の手に握られた懐中電灯のようなかたちの明かりの魔道具が、前方の剥き出しの地面、乾いた土を明るく照らし出している。

 彼女のもう片方の手は、アリスとなっているおれの手をぎゅっと握っていた。

 

 緊張しているのがみてとれる。

 本来は年端もいかない子どもを連れてきていいような場所ではないのだから、無理もない。

 

 しかもいまは、シェルがいない。

 魔力タンクとしての役割も果たせないのだ。

 

 まあこっちとしては、彼女の予知のおかげで、危うく一命をとりとめたわけだけども。

 彼女をかばって受けた怪我とはいえ、あの混乱した状況では、彼女以外の誰かをかばって負傷していた気もするしね……。

 

「そんなに不安にならなくても、大丈夫だよ」

 

 だからおれは、なるべく軽い口調で、そういってみせる。

 

「地面に糞も足跡もないんだから、きっとこのあたりには魔物がいない。襲われる心配はしなくても平気じゃないかな」

「あの……少々、よろしいでしょうか」

「うん、なに?」

「ここにはわたくししかおりませんのに、どうしてアリスの口調のままなのですか、アランさま」

「あーうん、そういうマジレスは心にダメージが来るかな……」

 

 なんとなく、心が身体に引っ張られるんだよ!

 この姿のときは、ついついアリスを演じてしまうというか。

 

「えーと、この口調のままじゃ嫌かな?」

「いえ、少し気になっただけですので、そのままで構いません。アランさまのご趣味に口を挟むつもりは……失礼いたしました」

「え、なんか勘違いしちゃってる? 趣味じゃないよ? そういうのじゃないんだよ?」

 

 そんな、戸惑いを呑み込んで受け入れるのがいい女、みたいな顔をしないでくれませんかねえ?

 

「お気になさらないでください。相手の趣味趣向についてはなるべく理解を示すようにと、躾けられて参りました」

「そのいいかた、絶対に誤解してるよね!? 本当に違うよ? そういうんじゃないよ?」

 

 まことに遺憾である。

 とはいえ、いつ騎士たちと合流するかわからない以上、いまだけアランの姿に戻る、というのもためらわれた。

 

「しかしそうなりますと、わたくしはアランさまに対して、どのような態度で接すればよろしいのでしょう」

「ま、まあ、あまり気にせずいつもの調子で接してくれればいいんじゃないかな! あとアリスって呼んでね!」

「かしこまりました、アリスさま。――あと、もう一点、いまのうちにお聞きしておきたいことがあるのですが……」

「うん? なにかな?」

「いざというとき、交合をもってあなたさまに魔力譲渡をするよう仰せつかっております。最低限の説明は受けておりますが、女性同士というのは、その……どのようにすればよろしいでしょうか?」

 

 知らないよ!

 っていうかたしかに魔力譲渡はエッチなことするのがいちばんロスがないけど、いくら魔力タンク扱いだからってこんなちいさな子に命令したの誰だよ!

 

 そりゃ王族たちですね、わかります。

 ディアスアレス王子でもマエリエル王女でも、それくらい余裕で命令しそうだな。

 

 まあそもそも、戦闘中にそんなことできるのは山田風太郎の忍者だけである。

 端的にいって現実的ではないし、おれは使える魔法がふたつしかない以上、戦闘以外では魔力をほとんど使わない。

 

 そもそも、お互いの身体の一部が接触していれば、ある程度の魔力譲渡は可能なのだ。

 ロスは多いけど。

 

 あとは他人の魔力を貰う際の激痛を、おれが耐えればいいだけのことだ。

 へーきへーき、痛みには慣れてるから。

 

「こうして手を繋いでるだけでも、アリスがふだん使う魔力くらいなら充分だよ」

「そうなのですか」

「うん、だってアリスの魔力、殿下に比べたらずっと低いから」

 

 悲しいなあ。

 でも事実なんだよなあ。

 

「だから、くれぐれも御身を大事にしてね」

「ありがとうございます、アリスさま。ところで、その……」

 

 アイシャ公女が、なおもなにかいいかけた。

 おれはふと気づき、空いた手で合図して静かにさせる。

 

 静寂のなか、ぴちょん、ぴちょんと断続的な水音が聞こえてきた。

 嗅覚を強化して鼻をひくひくさせれば、前方からほんの少しだけ水の臭いが漂ってくる。

 

 水がある、ということは、そこに生物が棲む可能性が出てくる。

 気楽に会話を続けるのも、ここまでだろう。

 

「殿下、忍び足は得意ですか」

「さきほどリアリアリアさまからお借りした魔道具を使ってよろしければ」

「では、頼みます」

 

 アイシャ公女がポーチから指輪をとり出し、己の手にはめる。

 彼女の周囲で弱い風が吹き、それを最後に彼女の気配が薄くなった。

 

 いや、指輪を中心として発動した魔法によって空気の渦が彼女をとり巻き、音と臭いを遮断したのだ。

 さすがは大魔術師さま、こんな状況でも便利な魔道具を、とっさに選んで渡していたとは。

 

 続いて彼女はゴーグルをとり出すと、そのうちのひとつをおれに手渡した。

 問い返さず、彼女と同時にゴーグルをかける。

 

 アイシャ公女が明かりを消した。

 にもかかわらず、ゴーグルを通したおれの目は薄暗い明かりに照らされているように周囲をよく見渡せていた。

 

 暗視の魔法がかかっているのだ。

 やけに近代的なデザインなのは、きっと制作者であるリアリアリアが、おれの記憶を参考にしたからだろう。

 

「それじゃ、いこうか」

 

 おれは魔法に頼らず足音を消して、歩き出す。

 アイシャ公女が少し遅れてそれに続いた。

 

 ほどなくして、おれたちは広い地底湖にたどり着いた。

 



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第63話

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 皆とはぐれたおれとアイシャ公女がたどり着いたのは、地底湖だった。

 穏やかな波の音が断続的に聞こえてくる。

 

 改めて暗視ゴーグルを外し、明かりをつけて遠くを照らしてみるが、湖の先にはなにもみえなかった。

 水は澄んでいるが、明かりの範囲だと動くものの気配はない。

 

 地底湖の水をひとすくいして、アイシャ公女が手に持つ魔法の明かりに近づける。

 透き通った水で、目に見える限りは微生物の姿もない。

 

 おそるおそる、舐めてみた。

 普通の水のように思えるが、いちおう、ぺぺぺっ、と吐きだしておく。

 

「殿下、悪いお知らせだよ」

「はい」

「アリスには狩人の知識も才能もないみたい」

「わたくしにも、そういった知識はございません」

 

 うん。

 なーんもわっかんないなー。

 

 お互いに、困ったねーと首をかしげあう。

 間の抜けたポーズで、うーんと悩む。

 

「ほんと、どうしよっか」

「空を飛ぶことはできませんか」

螺旋詠唱(スパチャ)がないとアリスの魔力じゃむーりー」

 

 あれは自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で翼を生やし、それを肉体増強(フィジカルエンチャント)して無理矢理飛ぶって力技だからね。

 当然のように、外部からの魔力供給が必要なのだ。

 

 平凡な騎士くらいの魔力でそれができるなら、いまごろ王国の騎士たちはみんな空を飛んでいる。

 悲しいなあ。

 

「やはり、空を飛ぶためにはわたくしから魔力の供給を……ですが、どうすれば女性同士で……」

「いや、いいから。その方法は諦めようよ」

 

 一部の昆虫は飛行中に交尾するという話を聞いたことがあるけど、あいにくとおれたちは昆虫じゃないので……。

 

「殿下の方は、こういうときに便利そうな魔法とか、なにかある?」

「申し訳ございません。訓練を始めたばかりで、基礎的な肉体増強(フィジカルエンチャント)くらいしか……」

 

 その年で肉体増強(フィジカルエンチャント)を使えるなら上等、上等。

 おれは倍の年齢なのにふたつしか魔法を使えないんだぞ。

 

 自分の才能のなさに、改めて悲しくなってくるな……。

 

「リアリアリアさまがなにか用意してくれてないかな」

「そう、ですね……」

 

 ポーチのなかのものを、ひととおり、とり出してみる。

 アリスとアイシャ公女のサイズにぴったり合った、スクール水着があった。

 

 あの?

 大魔術師さま?

 

 なんでこんなものを……?

 

「これは、なんでしょうか。アリス様、おわかりになりますか?」

「わかるけど、わかりたくないなあ」

 

 これまでも、おれの記憶を勝手に覗いてこの世界に無駄な文明の光をもたらしてきたリアリアリアであるが……。

 天才の考えを推し量るのは難しい。

 

 いや、現実逃避しても仕方がないだろう。

 おれは覚悟を決めて、アリスのサイズに合わせられたスクール水着を手にとる。

 

 よくみたら旧スクだった。

 ほんとなんで?

 

 あ、リアリアリアの筆致で書かれた紙が挟まってる。

 えーなになに?

 

 水着型の魔道具で、着用者は魔力を体力に変換できる、と?

 泳ぎができれば、魔力の続く限り泳ぎ続けられるということか。

 

「殿下」

「はい」

「まずは服を脱ぎます」

「はい?」

 

 こてん、と首を横に傾ける公女さま。

 かわいい。

 

「次にこれを着ます」

「この薄い布を、ですか?」

「次に、その地底湖を泳ぎます。……あれ、殿下って泳げる?」

「多少は。肉体増強(フィジカルエンチャント)を使ってよろしければ、魔力が続く限り泳いでみせますが……」

 

 たしかに水泳と肉体増強(フィジカルエンチャント)って相性がいいな。

 もちろんおれも泳げる。

 

 泳ぎは身体の鍛錬にちょうどいい、って町のそばの川で師匠に鍛えられたんだ。

 加えて、アイシャ公女もいってる通り、肉体増強(フィジカルエンチャント)を使えば文字通り水を切る、という勢いでスピードを出せる。

 

 まだ十歳の彼女には、モトとなる体力がないけど。

 そこは、水着の機能で魔力を体力に変換して補える。

 

 幸いにして、この地底湖では敵対的な生き物の存在が感じられない。

 万一、そういう敵が出てきたら……そのときは、そのときだ。

 

 おれとアイシャ公女はそれぞれ手早く着替えると、もとの服をポーチに仕舞い、水が入らないよう厳重に封をした。

 おれは紐でくくった対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を背負って……。

 

 おそるおそる、足先から水に入る。

 冷たいが、凍えるほどではなかった。

 

 むしろほんのりと暖かい気がするけど……温泉でも近くにあるのかな。

 岸のそばで、試しに軽く泳いでみた。

 

 アイシャ公女は、顔を水に浸けるのを怖がっているものの、水着の機能と肉体増強(フィジカルエンチャント)を使ってバタ足でなかなかの速度を出していた。

 まあこれなら大丈夫……かな。

 

 明かりの魔道具を、ふたつ。

 ハチマキのような布で、それぞれの頭にくくりつける。

 

 これで、お互いの位置を見失うようなことはないだろう。

 

「それじゃ、まずはアリスが泳ぐから……殿下は様子をみながらついてきてね」

「は、はいっ」

 

 おれたちはゆっくりと、湖の向こう側に向かって泳ぎ出した。

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 地底湖のなかの小島をみつけ、その浜にあがったおれと公女は、そこにへたりこんで荒い息を継いでいた。

 

 いやー疲れたわー。

 アリスの身体で泳いだことがなかったせいもあって、思ったより体力を使った感じがある。

 

 水着の機能も、魔力が心もとないおれにはあんまり意味がなかったし。

 アイシャ公女の方は思う存分、魔力を体力に変換したものの、そもそも四肢を支える筋力が未発達なうえ、効率的な力の入れ方、といった部分をあまり訓練してきていない。

 

 結果として、ふたりとも想定以上にへたばっていた。

 いやー辛いっす、もうマジ無理っす。

 

 この小島を発見できていなければ、ふたり揃って力尽き、湖の底に沈んでいたかもしれない。

 いや、もちろんそうなる前に別の方法を模索したけども。

 

「それにしても、この島はなんだろうね」

 

 息を整えたあと、おれは立ち上がり、明かりの魔道具を島の中心部の方に向ける。

 上陸するときに確認した限りでは、そんなにおおきな島ではないように思えたが……。

 

 岸から少し先は、草が生えた丘陵となっていた。

 真っ暗なこの巨大空洞に、なんで青々とした草が生えているんだろう。

 

 魔法的ななにかの仕業だろうか。

 うちの妹とかリアリアリアならともかく、おれにはなーんもわからん。

 

 と――がちゃ、がちゃりと金属がぶつかり合うような音が聞こえてくる。

 音は、だんだんと近づいていた。

 

 砂を踏みしめる足音と同時に、浜の左右から、ひとつずつ。

 おれとアイシャ公女は疲れた身体に鞭打ち、慌てて立ち上がる。

 

 暗闇から現れたのは、黒い全身鎧を着込んだ、大柄なヒト……にみえる存在だった。

 左右から、一体ずつ。

 

「誰? アリスたちになんの用?」

 

 誰何の声をあげてみるが、なんの反応もない。

 鎧を着たなにものかたちは、ゆっくりと背の大剣を抜いた。

 

 ピンとくる。

 あ、これなかにヒトが入ってないな。

 

「殿下、下がって!」

「は、はいっ」

 

 黒い鎧が、左右から同時に飛びかかってくる。

 アイシャ公女が慌てておれの背中に隠れようとして駆け出し……足をもつれさせて、転んだ。

 

 あっ、まだ泳ぎの疲れが抜けてない。

 こっちもへろへろだけど、おれは普段から鍛えてるからね。

 

 日頃の訓練は、こういう疲れ切ったときにこそ、力を発揮する。

 倒れた公女をかばって、黒鎧の大剣を対魔法剣(アンチマジック・ブレード)で受け、払う。

 

 もう一体が大剣を突き出してくる。

 ち――っ、これはちょっと厳しい、が――。

 

「青よ!」

 

 公女が、左手の中指にはまった青い指輪を突き出す。

 おれの前に展開された傘状の青いバリアが、黒鎧の大剣を弾いた。

 

「ありがとっ、殿下! 愛してるぅっ」

 

 最高のアシストに、思わずテンションが高くなる。

 さきほど一撃を払った方の黒鎧が横から繰り出してくる斬撃を跳躍してかわし、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を両手で握って空中で縦に振るう。

 

 黒鎧の脳天に一撃を叩きつけた。

 ぐわん、とおおきな音がして、兜がへこむ。

 

 黒鎧は、そのまま、まるで気絶するように頽れた。

 あれ……?

 

 残る一体、殿下がバリアで防いだ方の黒鎧が背後から迫る。

 殿下が半身を起こし、黒鎧に対して右手を突き出す。

 

「赤よ!」

 

 赤い指輪から閃光が走り、同時に赤いビームが放たれた。

 ビームは黒鎧に衝突し、その身が吹き飛ばされ、砂浜に激しく叩きつけられる。

 

 なかのヒトがいるなら、脳震盪を起こしてもおかしくない。

 だが、黒鎧はなにごともなかったかのように砂浜から身を起こす。

 

「あっ、そっかーっ」

 

 おれは地面を蹴って、そっちの黒鎧に迫った。

 相手がなにかする前に、剣を軽く突き出す。

 

 とん、と。

 その一撃は、黒鎧の胸もとを軽く突いた。

 

 それだけで、黒鎧は全身の力を失ったように、その場に倒れ伏す。

 おれは、おおきく息を吐き出した。

 

「あの、これって、いったい……」

「たぶん、だけど。魔法で動いていたんじゃないかな」

 

 おれは動かなくなった黒鎧に近づき、兜を軽く蹴った。

 乾いた音がして、鎧から兜が外れる。

 

 なかは、からっぽだった。

 頭どころか、鎧のなかにはなにもいない、完全にからっぽの鎧がそこに転がっていた。

 

「だから、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)で魔力を解除されたら、それで終わりだったってわけ」

 

 

        ※※※

 

 

 さて、と。

 突然、襲ってきたこの黒鎧も気になるところだが……。

 

 ふたりで話し合ったあと、まずは島を捜索することにしなった。

 水着を脱いで、いつもの装備に着替えたあと、まずは海岸に沿って一周する。

 

 十五分くらいで一周できてしまった。

 うん、狭いね。

 

 黒鎧のように襲ってくる存在は、もういなかった。

 あいつはどこから来たんだろう。

 

 ならば、と丘を登る。

 アイシャ公女の息が切れる前に、丘の頂上がみえてきた。

 

 頂上には、石造りの建物があった。

 ぱっとみた感じ、古代ギリシャの神殿のような感じのつくりだ。

 

 おれはこの大陸で、こういう建物をみたことはない。

 

「これ、どういうものかわかる?」

「古代エスシャ形式のものに似ているようにみうけられます。書籍の挿絵でしかみたことはございませんが……」

 

 ダメモトで公女に訊ねてみたら、あっさりと知らない単語が出てきた。

 ごめん、貴族の教養を舐めてたわ。

 

「ぜんぜん知らないから教えてくれる?」

「おおよそ七百年前から八百年前、大陸中央で隆盛したエスシャ帝国は、東西の流通の要衝となって栄えました。デスト帝国の源流はこのエスシャにある、といわれております。もちろんヴェルン国も、わたくしの故郷であるティラム公国も、です」

 

 嫌な顔ひとつせず、すらすらと教えてくれる。

 ひゃー、新鮮な歴史知識だ! 全然知らなかったぜ!

 

 脳筋でごめんよう。

 寺院の歴史の講義だと、王国の設立くらいからしかやらなかったんだよなあ。

 

「エスシャの滅亡は、五百年前の魔王軍の侵攻によるものである、というのが定説ですが、このあたりはよくわかっておりません。これに伴い、多くの知識が失伝し、こうした形式の建物を建築する技術もまた失われたのです」

「あー、そっか。五百年前で知識の断絶もおおきいんだっけかー」

 

 そのうえ、当時どうやって魔王軍を倒したのかも現在には伝わっていなかったりする。

 だから魔王軍の再侵攻に際して、西方の国々はろくな抵抗もできず呑み込まれてしまった。

 

 四百五十歳のリアリアリアなら、そのあたりのことも多少は知っているだろうか。

 はやく合流したいなあ。

 

 ん……? 待て、よ。

 リアリアリアは……なんで今回、おれたちについてきたんだっけか。

 

 そうだ、魔王の頭部がこの地にあるかもしれない、って彼女はいっていた。

 んでもって、ここは魔王軍が滅ぼした文明の遺跡、みたいなところで……。

 

「とりあえず、この神殿っぽいところを調べてみようか。用心しながら」

 

 なんかとっても嫌な予感はするけれど。

 ここで考えていても仕方がない。

 

 

        ※※※

 

 

 おれとアイシャ公女は小島にある丘の上の建物に足を踏み入れて……。

 そこで、魔王の首らしき物体と、それを守るようにたたずむ人物を発見した。

 

 予感、外れて欲しかったなあ。

 

 




早くストーリーを進めたいので、推敲が終われば明日も更新したいところ。


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第64話

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 神殿の正面には、灰色の謎金属でつくられた、両開きのおおきな扉があった。

 扉をゆっくりと押し開けると、きしんだ音がたつ。

 

 石畳の広い空間が広がっていた。

 部屋の中央に、赤紫色の光に包まれた祭壇が設置されている。

 

 祭壇の上に展開された六角形の結界のようなものが、まるでビロードのカーテンのような赤紫色に輝いているのである。

 神獣を模した六対の像が祭壇の六つの頂点に立ち、内側を向いて、結界の内部にあるそれ(・・)を睨んでいた。

 

 頭だ。

 ヒトの倍以上のおおきさを持った、異形の頭であった。

 

 その頭部は、赤黒い剛毛に覆われ鋭い牙を剥き出しにした獅子に似ていた。

 頭頂部からは巨大な一本角が、螺旋を描いて伸びている。

 

 閉じられた目は、額にあるものを含めてみっつ。

 そして、頭の後ろでは無数の触手のようなものがうねうねと波打ち、この頭部が完全な屍ではないことを強く主張していた。

 

 魔王。

 これは魔王の首だ。

 

 ひと目で、おれはそのことを理解する。

 だってゲームの画面でみた魔王と同じ頭だし。

 

 本当に、ここに魔王の首が封印されていたのか……。

 そして祭壇の前に、白い貫頭衣をまとった女性がひとり、ぽつんと立っていた。

 

 耳が尖った、どこかリアリアリアを思わせる、青い髪の女性だ。

 こちらに後ろを向いてじっと魔王の頭部をみつめていた女性が、扉を開ける音を聞きつけたのだろう、ゆっくりとおれたちの方を振り返る。

 

 その端正な顔は、いっけん若い女性にすぎないようにみえたが……。

 こんなところにいる大魔術師に似た人物が、みため通りの年齢だとは思えない。

 

 リアリアリアと同じ緑の双眸が、おれを射貫く。

 彼女は、まあ、と口を開いた。

 

「警邏の傀儡とのリンクが切れたので、どなたが来るかと思えば……」

 

 鈴の音が鳴るような声が響いた。

 少し意外そうな声色だった。

 

 つーかあれ、やっぱこのひとが操っていたのか。

 誰彼構わず襲わせてたの?

 

「あなたがたは、魔族ではありませんね」

「あ、うん、アリスは魔族じゃないよ」

「はい、わたくしも魔族ではございません」

「魔族ではないのですね……」

 

 おれと、アイシャ公女と、青い髪の女性。

 三人の間で、間抜けな会話が交わされる。

 

 なんなんだろうな、このひと。

 当然のように、ゲームに出てきた人物ではない。

 

 まあ、ずっとこの地を守ってきた、ということなら……。

 ゲームの開始時点でこの地はすでに魔王軍の支配下であったし、魔王の頭部はちゃんと魔王の胴体の上に乗っていたわけだ。

 

 つまりこの人物は、ゲーム開始時点で死ぬか魔族や魔物に捕まっていたか、どちらかだったのだろうから……。

 と――女性はきょとんとした様子で小首をかしげた。

 

「あなたは不思議な記憶を持っておられますね。いや、それは知識……?」

「あっ、やばっ」

 

 げっ、リアリアリアと同じ、心を読む魔法の使い手か。

 そりゃ似たようなツラなんだから、似たような系統の禁術を使える可能性も……。

 

 いやどうなんだそれは、あの大魔術師と同じ魔法を?

 つーか隣のアイシャはそのへんのこと知らないんで勘弁してください、と全力で念じる。

 

 はたしておれの心をどう読んだのか、女性はちいさくうなずいてみせた。

 わーい、アリス聞き分けがいい大人だいすきー。

 

「承知いたしました。もとよりあなたの心をかき乱すことは本意ではありません、アランさま」

「あ、うん、この姿のときはアリスって呼んでね」

「わかりました、アリスさま。あなたのご趣味について子細に問うこともいたしません」

「趣味じゃないから! この格好と口調は必要なことだから!」

 

 魔王の首を前にして、なんて間抜けな会話なのだろう。

 ともあれこの人物には、聞きたいことが山ほどある。

 

 ついでに、地上にいるだろう妹たちと合流する方法も知りたい。

 いっそ、このひととリアリアリアをさっさと合わせた方がいい気もするし……。

 

「そうですね、なにから説明したものでしょうか。まず、わらわの名はセンシミテリア。どうぞ親しく、セミとお呼びくださいませ、アリスさま、アイシャさま」

 

 女性は、語る。

 なるほどセンシミテリア、通称セミ。

 

「じゃあ、セミさまと呼ぶね!」

「はい、アリスさま。端的に申しますと、わらわは、あなたがたがリアリアリアと呼ぶ者の一族のひとりです。もっともあの子は、わらわなどとうに亡くなったと思っているでしょうが……。あの子がこの近くに来ているのですね。なんという奇縁でありましょうか」

「やっぱり、リアリアリアさまの知り合いなんだ」

 

 エルフ耳にその髪の色と目の色、そして心を読む禁術、ここまで揃っていたら満貫だ。

 リーチ一発でハネること確定である。

 

「セミさま、じゃあ次、そこのでっかい生首だけど」

「ご想像の通り、魔王の首をここにて封印しております」

 

 ですよねー。

 んでもって、なんでこいつを封印していたのか、って話になるけど。

 

善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)は、善き新神が遺した、悪しき旧神(エルダーゴッズ)を監視するための機構でございますれば、破壊することはまかりなりません」

 

 あっ、はい。

 そこまでの事情、ご存じなのね。

 

「故に、わらわがこうして見張り続けております。そうですか、もう五百年になるのですね」

「うん。でも悪しき旧神(エルダーゴッズ)はピンを残したまま、いちども仕掛けてきてない。魔王を滅ぼしても大丈夫、かもしれない。むしろ魔王が覚醒することで……」

悪しき旧神の使徒(アヴァター・オヴ・エルダーゴッズ)が呼応して覚醒する可能性がある、と。アリスさまのご懸念、理解いたしました」

 

 懸念、というかこの世界の未来、なんだけど。

 彼女がいう悪しき旧神の使徒(アヴァター・オヴ・エルダーゴッズ)とは、すなわちゲームの主人公、勇者のことだ。

 

 勇者が覚醒することで、この世界の破滅の最後のトリガーが引かれる。

 おれは頭のなかでそう念じて、彼女はそれを受けとった結果、いまの会話となった。

 

 なら、いっそ。

 もう魔王を滅ぼしてしまってもいいんじゃないの?

 

 できれば完全体になる前に。

 というのがゲームの知識から推察したおれの意見だ。

 

「あ、あの……いったい、どういうことでしょうか」

 

 アイシャ公女が、目を白黒させている。

 突然、自分の知らない単語がぽろぽろ出てきたんだ、無理もない。

 

 このことを知ってるのって、おれの記憶から知識を吸い出したリアリアリアだけだからなあ。

 世界観についての深い部分は王様にも説明してないって、彼女はいっていた気がする。

 

 理由がある。

 大陸で一般的に信仰されている聖教は、この大地を生み出した神々を崇めているからだ。

 

 その神々こそ、旧神(エルダーゴッズ)

 この世界を支配していた、古い邪悪な(・・・)神々である。

 

 彼らはどこかへ去っていった、と伝えられている。

 でも神々は、聖遺物と呼ばれるものを残していった。

 

 そのいくつかは、彼らが戯れに、去っていったあとのこの世界をめちゃくちゃにするものであったのだ。

 彼らにとって、大地に棲みついた哀れな虫がもがき苦しむ様子は、最大の娯楽であったのだから。

 

 実際のところ、起きた出来事はこうである。

 

 旧神(エルダーゴッズ)のあとにこの地に辿り着いた新しい神は、その状況を憂いて、旧神(エルダーゴッズ)たちを追放した。

 新しい神もまた、その後にこの地を去るのだが……。

 

 慈悲深きこの神は、万一、旧神(エルダーゴッズ)たちが戻ってきたときのために、それに対抗できるような保険を用意した。

 それが、善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)

 

 すなわち、いまおれたちが魔王と呼んでいる存在である。

 しかし新しい神にとって、ヒトとは当時大地で活動していた者たちの総称であった。

 

 そのとき大地では、魔族とヒトとそれ以外にもさまざまなヒトに似た存在とが、いっしょに活動していたからだ。

 で、いろいろあった結果。

 

 善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)は魔族を率いてヒトと戦うことになる。

 ちなみにこのとき、善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)の加護を得た者のなかに、妖精と呼ばれる存在も含まれる……。

 

 はずである。

 さっきリアリアリアが妖精の血を引いている、といったときおれの方を意味深にみたのは、そういうことだろう。

 

 リアリアリアの祖先は、善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)の加護を得ながら、善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)から離反した。

 そしていま、リアリアリアの一族とおぼしき存在が、ここで善き新神の使徒(アヴァター・オヴ・ゴッズ)の首を封印していることをおれは知った。

 

 どうしてそうなっているのか、ゲームの知識だけではわからないけど……。

 そのあたりの経緯を隠蔽したのは、たぶん聖教だ。

 

 その隠蔽のせいで、現在、魔王の脅威を伝える者がさっぱりいなくなっていて、リアリアリアが孤軍奮闘していた、というあたりに繋がるのだが……。

 でもその隠蔽がなかったら、いろいろと問題も起こっていただろうことはわかるので……政治って難しい。

 

 まあ、そのあたりの事情について頭のなかで高速で考えた結果。

 セミは、わかりましたとばかりに、ゆっくりとうなずいてみせる。

 

「ぶっちゃけ、この首の封印っていまも大丈夫なの? なんか地上ではヒトが行方不明になったり、森のなかに魔物が徘徊したりしてるんだけど?」

「魔物の発生については、魔王の力の一部を意図的に逃がすことで封印の圧力を一定に保っているがためです。故にこの森全体にヒト避けの魔法がかかっているはずですが……そちらに綻びが出たようですね」

 

 おれたちがこの場所に至った経緯は、頭のなかを覗いてご存じだろう。

 勝手に読みとってくれるの、まあ便利といえば便利だ。

 

 そっかー、すべては森全体にかかっていた魔法が、経年劣化したせいかー。

 っていうか突然、空中から魔物が現れたのって、魔王の力で魔物が湧いてきてたってことでいいのかな。

 

「その通りです、アリス。ちからの弱い魔物を本当に少量だけ湧かせることで、結界を長く維持することができる、はずでした」

「そのシステムが綻んできてる、と……。というかアリスの頭のなかと会話するのやめてってば!」

 

 余計な思考も読みとられてしまうんだけど。

 なので余計なことを考えないようにする方に神経を使う。

 

 はたして、おれの努力がどこまで実を結んだのか……。

 セミは、にやりとしてみせた。

 

「そう気を遣わずとも、わらわのことなど時代遅れのクソババア、と罵ってくださってよろしいですよ」

「そこまで思ってないからね!? ちょっと、殿下がアリスのことドン引きしてるよ! 待って待って! アリス誓って、そこまで考えてないから!」

 

 セミがくすくす笑う。 

 あー、からかわれたー。

 

 いや、いいけどさあ。

 この場の空気が緩くなるのは、それはそれで悪くないけどさあ。

 

 差し出すのがおれの尊厳なんだけど?

 アイシャ公女がおれからつつつーっ、と離れていくんだけど?

 

 つーかこのへんの愉快成分、確実にリアリアリアの一族だわ。

 本当、勘弁して欲しい。

 

 そのセミが、さきほどから目を白黒させているアイシャの方を向く。

 

「あなたもまた、広い意味ではわらわの一族の末裔です。あなたがこの地を訪れたことそのものが、かつて分かたれたあなたがたの一族の試みが成功した証。いまはそれを、喜ばしく思いましょう」

「それは……リアリアリアさまもおっしゃっていた、妖精の血、ということでしょうか」

「そのようなものです。さまざまな議論があったと聞いておりますが、あなたが()た光景がなければ、あなたがたはここにたどり着くことはなかったはず。そうでしょう?」

 

 まあ、そうだな。

 たぶん、だけど。

 

 公女が洞窟のなかで瀕死のおれを()たことで、その先に続く、おれの死という未来を回避できた。

 あのままだったらおれは死んでいて、公女もまたひとりでは地底湖を渡れなかったに違いない。

 

 おれたちがセンシミテリアと出会う未来は、本来、存在しなかった。

 その場合どうなっていたかというと……ゲームの知識から考えて、この地は魔族に奪われ、魔王は完全なかたちで復活を遂げていたはずだ。

 

「未来を変える、というアプローチに、アリス、あなたという別の因子が加わったことで、おおきな加速が生まれたのですね。当時は誰も予想しなかったことですが、あなたという例外が存在したことで、わらわたちの想定以上の変化が生まれつつあります」

 

 セミはおれの目をまっすぐにみつめて、そう語る。

 なるほど、ね。

 

 未来を()るアイシャ公女と、ゲームの知識という名の未来を知るおれ。

 それは、現在という地点から考えればいっしょ、ということか。

 

 どちらもただの知識で、これから先赴く道の状況を知っているというだけのこと。

 しかし辿るべき道を知っていればこそ、用意するべきものも想定できる。

 

 おれの知識と、アイシャ公女のちから。

 複数の視点から未来をみることで、より立体的に浮かび上がるものがある。

 

「ですから、聞かせてください。アリス、アイシャ。あなたがたのことを、五百年もの歳月、世間から離れていたこのわらわに教えてくださいな」

 

 



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第65話

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 地底湖の神殿で魔王の首を封印し続けていた女性、センシミテリア。

 愛称セミさまは、アリス(おれ)とアイシャ公女からここまで来た経緯を聞いたあと、深いため息をつく。

 

「やはり、結界のほころびが深刻なのですね。あなたがたが落ちた穴は、本来、トンネルとして……非常用の脱出口として用意されていたものです。普段は閉じられており、内側からのみ開くよう設定されていたものなのです」

「アリスたち外から落ちてきたんだけど!? あと中からは開かなかったよ!?」

「無論、開閉には特殊な魔法を用います。幾重にもセキュリティをかけていたのです。設計段階では完璧でした。あの部分、実際につくったのは別の者なのですが……」

 

 設計と施工を分けるとトラブルのもとだってば!

 まあ……。

 

「五百年経ってるからねえ」

「耐用年数は二千年を想定しておりました」

 

 どんだけ、このなんもない場所に引きこもるつもりだったんだよ。

 ただ、魔王を封印するためだけに。

 

 外ではみんな、つい最近まで魔王のことなんて忘れていたというのに。

 このひとは、どうしてこんな過酷な使命を……。

 

「一族の間で、わらわがもっとも高い魔力の持ち主でありました。故にもっとも長い時に耐えるであろうと目されておりました故。ほかの者は、いつの日かわらわに代わる任につく者を育てるため、地上で力を蓄えるはずでありました」

「リアリアリアさまはそんなこと全然いってなかったよ? あと、あのひと一族のほかの人のこと、最近まで全然話したことなかったんだけど」

「そのあたり、改めてあの子に聞いてみなければなりませんね。はたしてわらわの一族はどうなってしまったのか。あまり良い結果にはならなかったこと、ほぼ確実ではありましょうが……」

 

 だよなあ。

 もしリアリアリアの一族がほかに生きていたら、いまのこの状況だ、絶対に表に出てきて、力を貸してくれているはず。

 

 そもそも、孤独に何百年も対魔王軍用の魔法を研究したりしてないはず。

 結局、彼女のあの研究が王国放送(ヴィジョン)システムとして結実するには、おれとの出会いが、ヴェルン王国の資金によるテコ入れが必要だった。

 

「じゃあさ、さっさと地上のひとたちと合流したいんだけど。どうすれば合流できるかな?」

「短時間、地上への道を開きます。おふたりは地上の方々と合流を。しかるべき合図を設けて、合図と共に再度、この場所への道を開きます」

「ずいぶん厳重な警戒ですね」

 

 アイシャ公女が訊ねる。

 たしかに、もうちょっとさくさくできないものかね。

 

「魔王の身体を狙う者が、いつこの場所に気づくかわからないのです」

「あっはい」

 

 やべえ、一瞬で納得してしまった。

 なにせこのおれも、半年前に魔王の腕を狙ってきた魔王軍の幹部とやりあったしなあ。

 

 それが魔王の首なら、なおさらだ。

 表に出てないだけで、魔王軍も懸命に、この場所を捜索しているに違いない。

 

 王都にめちゃくちゃスパイがいたのも、きっとそのひとつだ。

 今回のこの作戦行動、そいつらにバレていなければいいんだけど……。

 

 本命の作戦がバレないように、昨日わざわざアリスのコンサートなんて開いたのかな。

 アリスは王都にいる、というアピールとして。

 

 そのうえで、目立つマエリエル王女に司会なんてさせて。

 裏では、エステル王女やアイシャ公女といった目立たない面子をこっちにまわした、と。

 

 うん、うちの王族たちが優秀すぎる件。

 でもあのひとたち、ここに本物の魔王の首があるなんて知らなかったんだぜ。

 

 懸念があるとしたら、今朝になってリアリアリアと聖僧騎士ブルームが動いたことを察知されたら……くらいだけど。

 リアリアリアはどうせ、いつも通り、王都から移動するとき姿隠しの魔法(インヴィジビリティ)を使っているだろう。

 

 王都側の対策は、だいだい大丈夫かな?

 聖教側はわからん。

 

「これを持っていきなさい」

 

 セミさまはどこからともなく握り拳くらいのサイズの赤黒い宝石をとり出して、おれに手渡す。

 濃い魔力を感じた。

 

「これを地面に叩きつけ、破壊することで合図とします。こちらと地上を繋ぐ道を開きましょう」

「わかったよ。でも、昨日突入した部隊ともまだ合流できてないから、ちょっと時間がかかるかも」

「すでに五百年待ったのですから、いくらでも待ちますとも。頼みましたよ、あの子の弟子の兄君殿」

 

 だから心を読むなってばさあ。

 絶対、リアリアリアと直接の血縁でしょ、このひと。

 

「さあ、それはわかりません。計画の後に生まれた子ですからね……」

 

 このひとがここに閉じこもったのが前回の魔王軍との戦いの直後、つまり五百年前。

 リアリアリアは四百五十歳くらいだから、五十年の開きがある。

 

 リアリアリア自身に聞けば、詳しいことを教えてくれるだろう。

 そのためにも、合流しないと。

 

 セミさまが、さっと右手を振る。

 おれたちの前に赤く揺れるカーテンが現れた。

 

 カーテンが左右に割れて……。

 そこに、虚空へと続く白い石造りの登り階段が出現する。

 

 階段の一段、一段を構成する石は淡い輝きを放っていた。

 おかげで階段がずっと上まで続いているありさまが見通せる。

 

 その階段が、現れると同時に、最下段から順に薄っすらと消失し始めた。

 

「ちょっ、消えるの早い、早い! いくよ、殿下!」

「は、はい、アリスさま!」

「それじゃあね、セミさま!」

 

 おれは挨拶もそこそこに赤黒い宝石を懐にしまうと、殿下の手をとり、カーテンのなかに飛び込む。

 ふたり並んで、階段を駆け上がった。

 

 階段は、無限に上方へ続いているようにみえた。

 途中でいちど、背後を振り向く。

 

 ずっと下、おれたちが飛び込んだ入り口のカーテンが閉じられていた。

 おれたちのいるところから十段くらい下までが、すでに消滅している。

 

「ひっ、階段がっ」

「ああもうっ、だから消えるの早すぎるってばあっ!」

 

 アイシャも下を向いてしまったのか、押し殺した悲鳴があがる。

 

「殿下、失礼!」

「ひゃあっ」

 

 おれはひょいと公女を持ち上げると、お姫さま抱っこした。

 こうなったら、なりふり構っていられない。

 

 肉体増強(フィジカルエンチャント)を使用して、懸命に階段を駆け登る。

 公女は少し慌てた様子で、頬を朱に染めて、おとなしく抱きかかえられてくれていた。

 

 この子にとっては、さっきの会話はわからないことだらけだろう。

 聞きたいことが、いっぱいあると思う。

 

「殿下、あのさ。ごめんね、あんまりちゃんとした説明ができなくて」

「さきほどの、魔王とか神とか、おっしゃっていたことですね」

「うん。いまは忘れてね、話せないこと、だから」

 

 悪いけど、この世界の本当の構造とかをいまの彼女に説明することはできない。

 宗教的にも、政治的にも、あまりにも微妙すぎる問題だからだ。

 

 この子なら、きっと空気を読んで黙っていてくれると思うけどね。

 いちおう、釘はさしておかないと。

 

「退屈な話ばっかりで、ごめんね」

「いえ。むしろ、わたくしは……」

 

 殿下は、ぼそりと呟いた。

 

「嬉しく思ったのです」

「うん?」

「あの方は、わたくしをみて、一族が成功した証、とおっしゃいました」

 

 セミさまのことだろう。

 妖精、という魔族から離反した一族の力をとり込んだ公女の一族は、なにを願って未来探知などという力を磨いてきたのか。

 

「そういえば、いってたね」

「わたくしは、アリスさま、あなたに命を救われ、この国に来ました」

「うん」

「わたくしひとり、生き残ってしまった。そのことを、ずっと後悔していました。わたくしもあのとき、死んでしまうべきだったのではないか、と……」

「殿下」

「実は、なんどか死のうと試みたのです。そのたび、エステルさまに阻止されました」

 

 知らなかった。

 エステル王女がこの子にメイド服を着せたりしていた裏で、そんなことがあったなんて。

 

「自死は、魔王軍に殺されていった、わたくしひとりを逃がすために死んでいった父や母、姉妹たち、家臣の方々の献身を無にする行為です。わたくしには好きに死ぬ権利すらないと、エステルさまに諭されました」

 

 この国の王族なら、そういうだろうな。

 みんなガンギマリしている。

 

「どうすればいいか、わかりませんでした。わたくしが生まれた意味はなんだのだろう、となんども考えました」

「うん」

「あの方のお言葉で救われた気がしたのです。父や母の、姉妹たちの、家臣の方々の行動には意味があったのだと。皆が繋いでくれたものの先に、いまのわたくしがあるのだと」

 

 この子は。

 おれはいま自分が抱き抱えている少女に視線を下ろす。

 

 少女はとめどもなく涙を流しながら、微笑んでいた。

 

「殿下。あのね、いえないことはいっぱいあるんだけど」

「はい」

「改めて、ありがとう。殿下が生きていてくれて、アリスも嬉しいんだよ」

「はい!」

 

 ほどなくして、上方に明かりがみえてくる。

 眩い太陽の輝きだ。

 

 おれは殿下を抱えたまま、その輝きのなかに飛び込む。

 地上に出た。

 

 

        ※※※

 

 

 アイシャ公女を抱えたおれが飛び出したのは、深い森のなかだった。

 長く洞窟のなかにいたからか、むせかえるような草木の臭いに思わず呼吸が止まる。

 

 ゆっくりと、おおきく、息を吐いた。

 それから周囲を見渡し……。

 

 呑気で悠長なことをしていたな、油断していたな、と後悔する。

 数歩の距離に、魔物がいた。

 

 火吹き犬(ファイアドッグ)だ。

 大柄な犬の口が膨らんでいる。

 

 いましも口から火焔を放つ、その直前であった。

 

「わあっ!」

 

 おれは公女を脇に抱えたまま、とっさに横に飛ぶ。

 魔物が吐きだした灼熱の火焔弾を紙一重で回避、アリスの衣装の肩口が焼け、灰となって舞い散る。

 

「あちっ、あちちっ、ああもうっ! こっちはいま、バリア張れないんだからっ」

 

 とはいえ、まあ。

 相手は中型の魔物がたったの一匹、尻を向けて逃げるほどではない。

 

 そもそも、こんな大型の犬を相手に走って逃げるのも難しいしね。

 ここは倒す、その一択。

 

 とはいえいまのおれは、十歳の少女を両腕で抱えているわけで……。

 あ、つまり、抱えてなければいいわけか。

 

「殿下」

 

 おれは親愛なるアイシャ公女に、にっこりと笑いかけた。

 

「あ、あの、アリスさま? 嫌な予感がします」

 

 さすがは、予言の力を持つ一族の最優である。

 

「なるべく優しくするから」

「ま、待ってくださ……」

 

 駄目、待たない。

 おれは敬愛する公女殿下を、ぽーんと真上に、天高く放り投げた。

 

 悲鳴をあげて空中で回転する殿下から視線を切り、背負った対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を抜く。

 直後、火吹き犬(ファイアドッグ)が地面を蹴り、弾丸のように跳び込んできた。

 

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)で一瞬だけ全身を強化し、身を沈める。

 相手の噛みつきを回避すると同時に、斜め下から上へと斬撃を見舞う。

 

 青い血と共に、火吹き犬(ファイアドッグ)の首が宙を舞った。

 頭部を失った胴体が、勢いを失い、おれの背後で転倒する。

 

「よっし、っと!」

 

 おれは刃についた青い血を掃う間もなく剣を捨て、か弱い悲鳴をあげながら落ちてきた愛すべき公女の身体を両腕でキャッチする。

 ふう、とおおきく息を吐いて、肉体増強(フィジカルエンチャント)を切った。

 

「あー、つっかれたーっ」

「そ、それだけですかっ」

 

 アイシャ公女に、涙目で睨まれた。

 普段は過酷な目に遭っても文句ひとついわない彼女でも、さすがにぽーんと放り投げられるのは堪えたのか。

 

「さ、さっきの、感動的な話の後でっ!」

「えーと、ごめんねっ! 敵が素早くて余裕がなかったから、緊急回避ってことで!」

 

 アイシャ公女が赤と青の指輪を持っているといっても、あそこまで機敏な敵が相手では素人の出番はない。

 魔物が確実におれを狙ってくるよう、公女には一瞬だけ、消えてもらわなければならなかった。

 

 敵の思考を誘導したからこその、一撃必殺である。

 シェルと合流するまでは、なんとか魔力を節約しないと。

 

 アイシャ公女は、なぜかおおきくため息をつく。

 




たぶん明日も更新します。
12時に更新がなかったら忘れてください。


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第66話

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「アリスさま、わたくし、自分の足で立っていいですか」

「あ、そうだね。ごめんごめん」

 

 危機は去った。

 おれはアイシャ公女の身体を地面に下ろす。

 

 改めて、己の二本の足で地面を踏みしめ、アイシャ公女はようやく安堵した様子であった。

 

「さて、まずはリアさまたちと合流しなきゃいけないんだけど、殿下、なにか預かってない?」

「わたくしたちが本隊と分断されることはわかっていましたから……少々、お待ちください」

 

 公女はリアリアリアから預かったポーチをごそごそと漁り、緑色に輝く彼女の握り拳大の宝石をとり出す。

 目を閉じ、祈るように両手で宝石を握る。

 

 魔力を込めているのだ、とわかった。

 宝石が緑の輝きを放ち、その光が一瞬、周囲に広がったかと思うと、嘘のように消えた。

 

 宝石が色褪せて灰色に染まり、ヒビが入る。

 宝石だった灰色のものは、少女の掌のなかでぼろぼろと砂のように崩れ去り、地面に落ちた。

 

 少女がまぶたを持ち上げる。

 普段は碧いその瞳が、ルビーのように赤く輝いていた。

 

「わっ、なにそれ」

「えっと、わたくし、どうなってますか」

「目が真っ赤」

「それは……おそらく、魔力が凝縮しているから、です。遠くの景色を……感じ、ました」

 

 少し苦しそうに、アイシャ公女はぽつり、ぽつりという。

 ゆっくりと呼吸しながら、周囲を見渡す。

 

「あちら、に」

 

 とある方向を向いたとき、その動きが止まった。

 ゆっくりと、その先を指さす。

 

「なにかが、戦って――ああ、でも、あれは、危険な――」

 

 なにかいいかけて、しかしそこで限界が来たのか、公女の全身から力が抜ける。

 倒れそうになるところを、おれが慌ててインターセプトし、その身体を支えた。

 

「ありがと、殿下。それじゃ、行こうかっ!」

 

 今度は公女を小脇に抱え、彼女が示した方角に向かって駆け出す。

 アイシャ公女は、またなにか文句をいいたそうに身をよじっていたが……ごめんな、いまは急ぐのだ。

 

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)をかけて藪を飛び越える。

 木々の間を走り抜け、深い森のなかを風のように駆けた。

 

 

        ※※※

 

 

 雨が降ってきた。

 たちまち豪雨になって、森のなかにいくつもの小川をつくる。

 

 叩きつけるような雨のせいで視界が悪く、仮に魔物が接近してきても、それを音で聞き分けることは困難だろう。

 とはいえそれは、魔物の側も同じ条件なわけで……。

 

 アリス(おれ)はアイシャ公女を小脇に抱えて背の高い下生えを跳び越えた。

 その先で、ばったりと魔物に出くわす。

 

 ローパー。

 無数の触手を持った、身の丈がアリスの背の高さくらいある、巨大な毛玉の化け物だ。

 

 どこが感覚器官かもわからないその魔物であったが……。

 その触手のすべてが、一瞬びくっとなって動きを止める。

 

 おれも驚いたが、相手よりほんの少しだけ早く我に返った。

 素早く、右手に握ったままの対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を振るう。

 

 無数の触手がおれに迫るも、それらはおれの剣に断ち切られ、青い体液をまき散らした。

 

 毛玉は激しい痛みを感じたのか、激しく震える。

 おれはすかさず、こいつの弱点である毛玉の中心に存在するコア、それめがけ、剣を突き出す。

 

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)は正確に毛玉のど真ん中に突き刺さった。

 ローパーはいちどおおきく身震いしたあと、ぐったりとなる。

 

 無数の触手が、だらりと地面に落ちて、それきり動かなくなった。

 

「だいじょうぶだった?」

 

 おれは剣を引き抜いたあと、脇に抱えたままのアイシャ公女に訊ねる。

 

「は、はい。その、触手が少し、頬に触れましたけど……」

「毒とかはないから、たぶん大丈夫。あ、でも、粘液がついたかも。拭いてあげようか?」

「あ、ええと、そのくらいは自分でできますから」

 

 腕を伸ばし、己の頬についたどろりとした液体を袖で拭う少女。

 ところによってはご褒美である。

 

 いま王国放送(ヴィジョン)システムが起動していたら危なかったぜ。

 やーまー実際、出てきたのがローパーでよかったよ。

 

 これが火吹き犬(ファイアドッグ)とかだと、彼女をかばいきれなかったかもしれない。

 それにしても……と。

 

 おれは討伐したばかりのローパーをよく観察する。

 いくらびっくりしたにしても、この魔物の動きが、やけに鈍かった気がするのだ。

 

「ねえ、みて、殿下。こいつ、怪我してる」

「え? あ、本当です。これは……氷? 触手が氷で固まっているのでしょうか」

「たぶん氷塊の魔法(アイスボール)かなにか、だと思う」

 

 リアリアリアの仕業だろうか。

 シェリーもいちおう、氷塊の魔法(アイスボール)を使えたとは思うけど……。

 

 あのふたりの場合、もっと便利な対処方法を知っているから、どうなんだろう。

 とはいえ……。

 

「このローパー、どこかでヒトと戦って、逃げてきたっぽいよね」

「そうなると、あちら……でしょうか」

 

 公女が指差す先は、ローパーがかき分けたせいか、下生えの草がなぎ倒されて小径ができていた。

 豪雨のせいで、戦闘の音とかはぜんぜん聞こえないけど……このまま闇雲に走るよりはいいか。

 

「いってみよう」

 

 おれはふたたび、公女を抱えたまま走り出す。

 

 

        ※※※

 

 

 ほどなくして、かん高い剣戟の音が聞こえてきた。

 豪雨のなか、誰かがこの先で戦っている。

 

 それも、剣と剣を打ち合わせて。

 となると、戦っているのは……。

 

 おれひとりなら、戦場にすぐ飛び込んだだろう。

 それをしなかったのは、小脇に抱えた公女の重みだった。

 

 おれは近くのおおきな樹の幹を駆けあがる。

 丈夫な木の枝の上から、音のする方角を向いた。

 

 前方数十メートル先に、木々がなぎ倒されて広場のようになった一帯がある。

 そこで、激しく戦う者たちの姿があった。

 

 雨のせいで、はっきりとはわからないが……おそらくは十数人のヒトと、数体の魔物、そして。

 二足歩行の魔族が、一体。

 

 魔族が手にした武器と、ヒトが繰り出す剣が打ち合わされてかん高い音が周囲に響く。

 その間も周囲の人々が電撃やら冷気やらを放ち、魔物を牽制していた。

 

 魔族に対して放たれた光線は、その身体にぶつかる寸前、ふっとかき消える。

 なんらかの対抗魔法を使ったのか、それとも最初から効かなかったのか、そのあたりは不明である。

 

 戦っているのがリアリアリアと共に来た者たちではないことは明らかだった。

 おそらくは第零と、エネス王女だ。

 

 たぶん、あの赤いマントを翻しては冷気の弾丸を連射している背が低い人物がエネス王女なんだろう。

 泥にまみれて、その顔もよくわからないけど。

 

 助けなければ、と思った。

 だが同時に、どうやって? とためらう。

 

 中型の魔物程度ならまだしも、おそらくあれは上位の魔族だ。

 シェルがいない現状で、螺旋詠唱(スパイラルチャント)もなしに、どうやって上位魔族と戦えばいい?

 

 と、考えているうちに、魔族がエネス王女とおぼしき人物を狙って火焔弾を放つ。

 それを、彼女は避けきれず……かろうじて、護衛のひとりが割って入り、盾となって火焔弾を喰らった。

 

 護衛は全身を炎に包まれ、断末魔の悲鳴をあげ、倒れ伏す。

 ちくしょうめ!

 

「殿下、ここで待ってて」

「アリスさま、お待ちを」

「待ちません」

 

 おれはアイシャ公女を太い樹の幹の上に下ろした。

 だが彼女は、慌てた様子でポーチを持ち上げる。

 

「存じております。ですので、これを」

 

 少女はポーチから黄金色に輝くコインをとり出すと、おれに手渡した。

 ああ、これは……さっきもおれの身体を治療してくれた、リアリアリアの魔力がたっぷりと詰まった魔法のコインだ。

 

「これは、アリスさまが持っていた方がよろしいでしょう」

「アリスはもう一枚、持ってるよ」

「わたくしは、安全なところに隠れておりますから」

 

 これを渡すことで、危険には近寄らない証とする。

 彼女はそういっているのか。

 

「わかったよ、殿下」

 

 コインを握って、おれはうなずく。

 少女の頭を軽く撫でた。

 

「いい子にしててね」

「あ……っ」

 

 やるしかないんだ。

 いま、いくしかない。

 

 樹の幹を蹴って、飛び出す。

 戦場へ。

 

 

        ※※※

 

 

 豪雨のなか、戦う人々がいる。

 魔族と魔物に対して果敢に立ち向かうのは、やはりエネステテリア王女率いる第零遊撃隊の面々であった。

 

 現在広場にいる遊撃隊で現在も立っている者は、王女を含めてわずか九人。

 周囲には、倒れている者の姿が多数。

 

 対する魔物は、ローパーや火吹き犬(ファイアドッグ)が十体以上だ。

 それだけなら、なんとでもなるだろう。

 

 だが、加えて。

 そこには、上位魔族がいた。

 

 背丈は二メートル半、六つの腕で、赤茶けた肌をした人型の魔族だ。

 かつておれが故郷の町で倒したマリシャス・ペインの同族である。

 

 マリシャス・ペインというのは人類側がつけた個体名であるが、それは単に、この種族で前線に出ていた者が当該個体しかいなかったからである。

 実際のところ、この種族は魔王軍における親衛隊のような役割を担っており、ゲーム終盤においては雑魚敵として複数の個体が登場するのだ。

 

 わかりやすくいえばバラ〇スとバ〇モスブロスってことだよ。

 いまこの場にいるのは、バラモ〇ブロスってことだ。

 

 そいつが、エネス王女と相対している魔族であった。

 もう面倒だから、こいつのこともマリシャス・ペインと呼ぼう。

 

 このマリシャス・ペインは右の上の手で剣を握り、その下の手で盾を構えていた。

 左の上の手には槍が握られ、その下の手で鞭を構えている。

 

 いちばん下の二本の手は空であったが、先ほどの火焔魔法はこの空いた手から放たれたものであろう。

 剣と魔法を両立し、しかも複数の腕を器用に操って戦っている。

 

 しかも上位の魔族らしく、魔法は無詠唱。

 第零の者たちが放つ魔法はちっとも効いている様子がない。

 

 上位の魔族、純粋に魔法抵抗が高いんだよなあ。

 以前おれがこいつの同族を倒したときは、螺旋詠唱(スパチャ)を集めて一気に魔力をぶっぱした。

 

 あのときは連戦で疲れ果てていて、いろいろギリギリだった、というのもあるけど……。

 じゃあいまの状態でなにか対策があるか、といわれると、難しい。

 

 だからといって、ここで尻尾を撒いて逃げるわけにはいかないだろう。

 あのマリシャス・ペインは、おそらくほかの魔物のように湧いて出たわけではない。

 

 外からやってきたのだ。

 おれたちや第零の者たちと同様、森に迷い込み、そしてこの地にワープしたのだろう。

 

 なぜ、魔族たちは森を探索した?

 そんなの、答えは明らかである。

 

 こいつらも、気づいたのだ。

 この地に魔王の首があることで発生する、その痕跡に。

 

 セミさまの懸念の通りだった。

 というか、想定よりずっと、状況は悪い。

 

 逃げるわけにはいかない。

 ここで、なんとしてもこいつを倒し、この地の秘密を守る必要がある。

 

 エネス王女が細身の剣で刺突を放つ。

 マリシャス・ペインはその一撃を盾で易々と払い、体勢が崩れた彼女に反撃する。

 

 王女は反撃の剣を自身の刃で弾き、上段から迫る槍をかわす。

 だが、その後に不規則な軌道で襲ってきた鞭までは避けられなかった。

 

 魔族の鞭がその身を打ち据え、少女は低い呻き声をあげて体勢を崩す。

 そこに、ふたたび剣の一撃が迫った。

 

 おれは、そこに飛び込んだ。

 アリスの剣が、マリシャス・ペインの上段からの一撃を受け止め――これの刀身を微塵に砕く。

 

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)

 相手はなんら付与魔法を使っていなくとも、ただ異常なまでに頑丈な武器としても有用なことは、これまでの検証から判明していた。

 

 今回の場合、相手が力任せになまくらの武器を使い続けた結果、おそらくは刀身にヒビでも入っていたのだろう。

 それが幸いして、相手が目を剥くほどの結果となった。

 

 おれという意外な援軍に、マリシャス・ペインの動きが止まる。

 そしてエネス王女も、突如として目の前に現れたおれに、驚きを隠せない様子であった。

 

「アラ――アリス、よくぞ……」

「ごめん、いま螺旋詠唱(スパチャ)ないから! はぐれちゃった!」

 

 お互い、視線を交わす。

 意思の疎通は、それだけで充分だった。

 

 共に後ろへ跳躍し、マリシャス・ペインから距離をとる。

 




やーっと戦闘シーンまでたどり着いた……。


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第67話

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 豪雨のなか、魔族との戦いが続いている。

 

 アリス(おれ)と第四王女エネステテリアは共に跳躍し、マリシャス・ペインからいったん距離をとった。

 王女は着地と同時に低く呻き、その身をよろめかせる。

 

 さきほどの鞭の一撃で肩の骨をやられたのか、痛みに顔をしかめていた。

 おれは黄金色に輝くコインを指で弾き、エネス王女に投げ渡す。

 

 相手がなにを受けとったのかと眺める隙も与えず、キーワードを唱える。

 コインが無数の黄金色の粒子となって消滅し、温かい光の粒が王女の全身を包んだ。

 

「治療の力ですか。あっという間に痛みまで消えるとは……たいしたものですね」

「リアリアリアさまのとっておきだって!」

「援軍は近くにいるのですね」

「そのはずだけど、はぐれちゃった! でもそう離れてはいないはず!」

「なるほど、その言葉だけで充分です」

 

 傷が癒えたエネス王女は、剣を手にした右手を天に抱げた。

 剣の刃が、ぱちぱちと乾いた音を立てて、青白く輝く。

 

 雷をまとったのだ。

 マリシャス・ペインが追撃しようとして、しかし警戒するように下がる。

 

 その隙に、エネス王女は雷を剣先にまとわせ、軽く振るった。

 轟音と共に、無数の稲妻がマリシャス・ペインの周囲の地面に突き刺さる。

 

「無駄だ。そのような魔法で、この身は貫けぬ」

 

 マリシャス・ペインが嗤った。

 たしかにいまの一撃はコントロールが甘いし、仮に直撃したとしても、この程度の魔法で上位魔族を倒すことはできないだろう。

 

 この程度、といってもこの一撃だけで、普通の騎士五、六人分の魔力を使ってるはずなんだけどね……。

 王族で、戦闘に長けた彼女ならば、もっと強力な魔法を行使できるはずだ。

 

 マリシャス・ペインはさきほどまでの戦いで、それを理解しているのだろう。

 だから最初は警戒し、しかしすぐに警戒を解いて嘲笑ったというわけである。

 

 だが、エネス王女の狙いは違った。

 

「これでよろしいのです。感覚は掴みました」

 

 王女はさらにおおきく魔力を練って雷を剣先にまとわせると――その剣を鋭く突き出す。

 天に向かって。

 

 雷が天に向かって伸びていき、そして……頭上の結界に衝突して、すさまじい爆発を起こした。

 きっとこれは、豪雨のもとでも、かなり離れていても、目印になるであろうと――。

 

 そんな、豪快な狼煙であった。

 

「あとは、時間を稼げばよろしいのでしょう?」

 

 

        ※※※

 

 

 マリシャス・ペインが下の二本の腕を伸ばし、たて続けに火焔魔法を放ってくる。

 おれとエネス王女は左右に分かれて跳び、火球を回避した。

 

 王女は行きがけの駄賃とばかりに細身の剣でローパーの中心に刺突を入れ、追い詰められていた部下を救う。

 そのままマリシャス・ペインの横にまわりこもうとする。

 

 おれは王女とは反対の方向に駆け、挟み撃ちの態勢に入った。

 タイミングを合わせて方向を転換、左右から同時に魔族への距離を詰める。

 

 これは別に、おれと王女が阿吽の呼吸で動けているわけではなく、先ほどから彼女が風を操る魔法でおれだけに囁き声を届けているからだ。

 シェリーもよく使うやつである。

 

「その程度か」

 

 だが相手は、上位魔族だ。

 余裕の態度で壊れた武器を捨てると、新たに腰から別の剣を抜く。

 

 おれと王女の攻撃を、おれの攻撃は剣で、王女の攻撃は槍で、それぞれ受け止めてみせる。

 

「あいたたたっ」

 

 手が、ひどく痺れた。

 おれは対魔法剣(アンチマジック・ブレード)をとり落とす。

 

 マリシャス・ペインは、ここぞとばかりに盾を突き出してくる。

 こっちを吹き飛ばそうとするそれに対して、おれは身をかがめて盾をかいくぐり――。

 

 直後、魔族の下の手が生み出した火球を、転がって回避する。

 火球はまっすぐ飛んで、近くの樹の幹をへし折って爆発を起こした。

 

 冗談じゃない、あんなもの、当たったらこの身がまっぷたつに砕け散る。

 ただでさえいまは、螺旋詠唱(スパチャ)がないのだから。

 

 反対側で王女が牽制し、相手の動きを押さえてくれていなければ、きっとあっという間にやられていただろう。

 というか下手しなくても……いまのおれ、足手まといになってるな?

 

「ヒトの幼体め、動きが鈍い。きさまのような雑魚が、なぜ戦場に出てきた?」

 

 マリシャス・ペインがせせら嗤う。

 相手はどうやら、アリスという存在を知らないらしい。

 

 人間の区別がつかないのかもしれない。

 こっちだって、前のマリシャス・ペインとこのマリシャス・ペインの顔の区別なんてさっぱりである。

 

 まあ、王女が掲げた狼煙は、きっと別動隊の目に止まるだろう。

 こっちは時間を稼ぐだけだ。

 

「援軍を待っているのか? 無駄だ、幼体。きさまがどこから来たか知らんが、この空間はすでに隔離した」

「空間を、隔離?」

 

 エネス王女が怪訝に片眉をつり上げる。

 マリシャス・ペインは、得意げにうなずいた。

 

「そうだ。きさまらのような矮小な者どもとて、数が集まれば面倒なことになると、おれの同族がその身をもって教えてくれた。辺境の町ひとつを落とすことすらできなかった愚か者がいたのだ」

 

 あ、そいつ知ってる、知ってる。

 殺したのおれだよおれ。

 

「矮小な雑魚を相手にいたずらに時間をかけ、無駄に敵を呼び込んだが故の愚挙だ。おれは愚か者と同じことをしない。まずはこのひとつの集団を潰すことに全力を傾けるため、周囲の空間を閉じたのだ」

 

 なる、ほど?

 でもそのなかにおれが入って来てるよね。

 

 いや、セミさまが開けた通路が、たまたま閉じた空間のなかに通じていただけか。

 ――それって、本当にたまたまなのかな。

 

 どっちでもいいか。

 セミさまがここに繋げてくれなければ、エネス王女は助けられなかった。

 

 おれは小杖(ワンド)を抜いてこれを槍に変化させ、突進する。

 マリシャス・ペインはエネス王女と刃を交えて、おれへの警戒が薄い。

 

 いや、もはやおれごとき、警戒する意味もないということか。

 事実、おれが槍で繰り出した刺突は、マリシャス・ペインの赤茶けた肌に傷ひとつつけることができず、弾かれてしまう。

 

 反動で、おれの身体が弾き飛ばされる。

 マリシャス・ペインが、呵々と笑った。

 

 くそっ、余裕かましやがって!

 

「きさまらはここで死ぬ。結界を破ることはできん。なにせ、このおれ自身が結界を維持しているのだからな」

「え、マジ?」

 

 思わず、素で返してしまった。

 マリシャス・ペインはこちらの奇妙な様子に、あれ、と首をかしげている。

 

 まあそんなことを話しつつも、この上位魔族は余裕しゃくしゃくでエネス王女と激しい戦いを繰り広げているんだけど。

 本当に、おれと話しているのも余興のつもりなんだな、こいつ……。

 

 でもいま、なんていった?

 こいつが結界を維持している?

 

 王女が、一瞬だけおれと視線を合わせる。

 おれの反応がへんなことに気づいたみたいだ。

 

 目線だけで、このまま注意を惹きつけておいてくれ、と頼みこむ。

 エネス王女は、ほんのわずか、うなずいてみせた。

 

 よし、これなら。

 おれは地面に落ちた武器を拾い、マリシャス・ペインに駆け寄る。

 

 相手は、またもや無防備であった。

 もはやおれの攻撃を防御する意味をみいだせないのだろう。

 

 故に、おれは魔族の肌に武器を叩きつける。

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を。

 

 マリシャス・ペインのまわりで、ぱちっとなにかが弾ける音がした。

 次の瞬間、叩きつけるような雨が止む。

 

 雨雲が瞬時に消滅し、森の上空にさあっと青空が広がった。

 あの雨雲が結界だったのか。

 

「幼体! きさま、なにをやった!」

 

 マリシャス・ペインが少々慌てて、鎖を振りまわしおれを狙う。

 おれは慌てて後ろに転がり、鎖を避けるも……。

 

 避けきれず、その先端が右脚に触れた。

 おれの身体は勢いよく弾き飛ばされる。

 

 鋭い痛みを覚えながら、マリシャス・ペインの方をみる。

 にやり、と不敵に笑ってやる。

 

「自慢の結界を破られて、いまどんな気持ち? ねえどんな気持ち?」

 

 ざまあみろ、おれを雑魚だと侮るからだ。

 余計なことをべらべらとくっちゃべっているからだ。

 

 だから、おまえは……。

 その愚かさを、命で贖うことになる。

 

 おれにいい返そうとしたマリシャス・ペインの頭上から、なにかが降ってきた。

 それは筋肉だった。

 

 降ってきた筋肉の塊が、魔族の身体を押し倒す。

 身の丈二メートルはあろう大男は、マリシャス・ペインよりひとまわり小柄にみえたが……それはただ、魔族がそれ以上にでかいというだけのこと。

 

 ヒトの身としては最高級の筋肉、太い太い腕が、落下しながらマリシャス・ペインの首にからみつき……。

 勢いよく、こきり、とその首をひねる。

 

 筋肉は、そのまま地面に魔族の身体を叩きつけた。

 きっと魔族は、自分の死因すらわからなかっただろう。

 

 ただ落下の衝撃を乗せて首の骨を折っただけにみえるそれは、おそらく極限までその男が身にまとった魔力によって、魔族の分厚い魔力防護を一瞬で剥ぎとっていたのだ。

 そのうえで、圧倒的な衝撃を叩きつけ、上級魔族の意識と命を瞬時に刈り取った。

 

 達人の業である。

 ひとりの達人が、磨き上げ練り上げてきた技術の粋の発露であった。

 

「聖僧騎士ブルーム!! ただいま!!!! 参上いたしました!!!!!!」

 

 相変わらず、ひどくうるさい。

 だがいまは、その大声がこのうえなく頼もしかった。

 




明日もたぶん更新します。


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第68話

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 さて、マリシャス・ペインに弾き飛ばされ、宙を舞っていたおれであるが……。

 聖僧騎士ブルームがこの魔族を文字通りひねり潰したのとほぼ同時に、空中でぴたりと停止した。

 

 直後、耳もとで囁き声が響く。

 

「よかった、無事だった」

 

 シェル(いもうと)の声だ。

 心からの安堵が、伝わってくる。

 

 おれの身体がゆっくりと地面に降りて、着地。

 と同時に、右脚にひときわひどい痛みを感じ、おれは地面に転がる。

 

 いってえええええええっ。

 つーかこれ絶対、折れてるわ。

 

「わっ、わあっ」

 

 シェルが慌ててそばに着地し、治療の魔法をかけてくれる。

 

 右脚が淡い光に包まれ、痛みがすっと消えていく。

 ほどなくして、立ち上がれるようになった。

 

 そのころには、リアリアリアをはじめとした皆も広場に集まってきている。

 すでに魔物たちも掃討され、戦いは終わっていた。

 

 アイシャ公女がエステル王女に抱きついて、再会を祝っている。

 エネス王女は、駆け寄ってきた公爵配下の魔術師たちや騎士たちに囲まれていた。

 

 おれは立ちあがり、ぴょんぴょんとなんどかジャンプしてみる。

 うん、まだ少し痛むけど、動くには支障がない範囲だ。

 

「ありがと、シェル。相変わらず、いい腕だね。……って、泣いてる?」

「心配、したんだから」

 

 涙目のシェルに抱きつかれた。

 ごめんよ、と頭を撫でてやる。

 

「本当に、心配だったんだよ」

「うん」

「こんな作戦、次は認めないから」

「そうだね。できればこんな綱渡りはやりたくないね」

 

 未来探知の範囲でおおきく物事を動かさず、生還する。

 それがいちばんだとわかっていたとはいえ、向こうは気が気ではなかったに違いない。

 

 とはいえ、なんとか全員が無事で合流できた。

 それに、数多の収穫がある。

 

 おれはシェルの頭を撫で続けながら、リアリアリアに目線で合図する。

 脳裏に、先刻の地下での出来事を思い描く。

 

 禁術でおれの心を読んだのであろう四百五十歳の大魔術師は、おおきく目を瞠った。

 ははは、そりゃ彼女でも驚くよなあ。

 

 なにせ、さきほど彼女は「同族はひとりも残っていない」といっていた。

 その同族が、しかもおそらくは肉親が、実はこんなところで生き残っていたのである。

 

 リアリアリアはつかの間、目をつぶった。

 深く考え込んでいるようだ。

 

 顔をあげたシェルが、そんな師を、ぽかんとして眺めていた。

 珍しいものをみた、というような顔である。

 

「ねえ、なにがあったの?」

「ちょっとひとことで説明するのが難しいんだけど、絶滅したと思っていたアホウドリがすぐ近くの島で発見されたというか……」

「アホ……島? え、なに?」

 

 ほんとなんなんだろうね。

 すごく重要なことがいっぱいぶちこまれてしまったんだ、これが。

 

「ところで、シェル。そっちはなにかあった?」

「ううん、特には。魔物をいっぱい倒して奥に進んだだけで……そうしたら、魔力のすごい波があって、ブルームさんが跳んでいって……」

 

 なるほど、そういう経緯か。

 まあセミさまも、すぐ合流できるように道を開けたんだろうしなあ。

 

 その際に、マリシャス・ペインの結界のなかに出てしまったのは不幸な偶然だったか、それとも幸運だったか。

 そもそもマリシャス・ペインのような上級の魔族が森に紛れこんでいる時点で、だいぶ切羽詰まった状況ではあったんだろうけど……。

 

 って、待てよ。

 マリシャス・ペインがここにいたってことは、魔王軍はすでにこの森に目をつけていたってことか?

 

 ということは……。

 

 そのときである。

 頭上から、太い男の声が降ってきた。

 

「このようなところに、劣等種どもが集まっていたとはな」

「しかも、我らが同胞をたやすく始末するとは。こやつら、油断がならぬ」

 

 慌てて、皆が顔をあげる。

 赤茶けた肌の六本腕の魔族、つまりマリシャス・ペインの同族が、広場を囲む木々の上に立っていた。

 

 一体ではない。

 二、三、四……合計で、六体。

 

 おれたちをけっして逃がさないとでもいうかのように、取り囲んでいる。

 おいおい、いつの間にこれだけの数の上級魔族が浸透して来たんだ。

 

「あのお方の気配を辿ってみれば、とんだ大物がいたものだ」

「大物?」

「うむ、あれをみよ。あれこそ同胞を倒した者」

 

 六体いるマリシャス・ペインの一体が、同族の死骸のそばに立つ聖僧騎士ブルームを睨み、ぴしっと指を突きつける。

 

「きさまが噂のアリスだな!」

「いや、吾輩違うが?」

「嘘をつくな! その練り上げられた魔力、間違いあるまい!」

 

 こいつら魔力の質でしかヒトを見分けられないのか?

 いやこっちも、マリシャス・ペインの区別なんてつかないけどさ……背の高さが全然違うんだけど?

 

 いや別に、相手がアリスを見分けられなくても、特になにか問題があるわけでもない。

 むしろ油断してくれて好都合だ。

 

 エステル王女の方をみれば、彼女は背負った袋を地面に降ろして中身の青白い水晶をとり出すと、それに手を当てていた。

 そばにはアイシャ公女も待機し、いつでもふたりで魔力を送れる態勢だ。

 

 シェルも、「いけるよ」と小声で囁く。

 よし、それじゃ……。

 

「ここまで我慢したんだもの、いっちょ暴れてあげるね!」

 

 

        ※※※

 

 

 マリシャス・ペインの一体がいる太い樹の枝めがけ、おれとブルームが同時に跳躍する。

 こちら側で上位魔族を相手に接近戦を挑めるのは、おれたちふたりだけだ。

 

 守りにまわっては不利とみての先制攻撃であった。

 螺旋詠唱(スパチャ)を受けて、肉体増強(フィジカルエンチャント)で一気に強化されたおれは矢のように跳び、マリシャス・ペインに襲いかかる。

 

 手にした小杖(ワンド)を槍に変化させ、刺突を見舞う。

 普通の魔物であれば対応できない一撃だ。

 

 マリシャス・ペインはそれを回避するべく、足もとの木の枝を蹴り……。

 おれは槍をさらに変化させ、その柄を伸長させる。

 

 先日、新しく小杖(ワンド)にとり入れたギミックだ。

 マリシャス・ペインは間合いの変化に対応できず、この一撃をまともに浴びた。

 

 肉を深く貫く感触と共に、赤い血の花が咲く。

 はっ、螺旋詠唱(スパチャ)があれば、こんなもんよっ!

 

「ぐ……このっ」

 

 紅蓮の双眸がおれを睨む。

 六本の腕のうち、上段の二本がそれぞれ握る太い剣、それが左右から同時におれを襲い……。

 

 その二本の剣は、空を斬って互いにぶつかる。

 おれの身体が槍を軸に宙返りしたからだ。

 

 指輪に込められた回転制御の魔法(スピンコントロール)を発動したのである。

 反動で槍が魔族の身体から抜け、自由になる。

 

 相手はつかの間、おれの位置を見失った。

 上空から、無防備な脳天に槍を突き刺す。

 

 赤褐色の肌の魔族は、頭から胴まで長い槍に貫かれ、一撃で息絶えた。

 よしっ、一体撃破!

 

 周囲をみまわす。

 驚いたことに、聖僧騎士ブルームもおれとほぼ同時にマリシャス・ペインを撃破していた。

 

 こちらは背の大剣を横に振り抜き、一刀両断している。

 あっちは螺旋詠唱(スパイラルチャント)を貰ってるわけでもないのに、たいした腕だ。

 

 こっちはいまの一連の動作だけで、普通の騎士なら二、三十人が干からびるほどの魔力を消費している。

 エステル王女がそれだけの魔力を一気に送ってきてくれたおかげだ。

 

 さっきリアリアリアがエステル王女に耳打ちしていたから、きっと「ケチケチせずいきなさい」とかアドバイスしてくれたのだろう。

 あの婆さんは、そのへんの駆け引きをよく理解している。

 

 なにせ、いま。

 この大魔術師さまは、おれとブルームが相手にした以外の四体を同時に相手にしてるのだから。

 

 具体的には、樹上から放たれた四体分の火球の雨を、頭上に展開した防護魔法でことごとく弾いてみせているのである。

 

 さすがの彼女でも、少し苦しそうだった。

 いやいやいや、防ぐだけでも凄いんだけど。

 

 っていうか爆風がこっちまで来るほどの、地形が変わりそうな絨毯爆撃である。

 それを避けるわけでもなく、すべて防ぎきれる魔術師なんて彼女のほかにいるだろうか。

 

 少なくとも、シェルじゃ無理だ。

 彼女の限界については、おれもよく理解している。

 

 おれの知る限りじゃ、螺旋詠唱(スパイラルチャント)を受けたムルフィくらいかなあ。

 なんでそれを自分の魔力だけでやってのけるんだろう、あのひと。

 

 大魔術師とはいえ魔力の総量では王族よりずっと下だから、たぶん魔力の使い方が上手いんだと思うけど……。

 なんとかより年の功、ってやつか?

 

 まあ、とにかくリアリアリアがああして守ってくれているなら、皆のことは大丈夫だ。

 おれとブルームは心置きなく攻撃に専念できる。

 

 幸い、残り四体のマリシャス・ペインは、リアリアリアとの攻防に懸命の様子だ。

 おれとブルームに意識が向いていない。

 

 おれは樹の枝から枝へと跳躍し、別の一体との距離を詰める。

 相手の目がようやくこちらを向き――その表情が驚愕に変化する。

 

「おのれ、幼体!」

 

 慌てた様子で下の二本の腕を振り、おれめがけて火球を放つ。

 おれは自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で白い二枚の翼を生やし、これを羽ばたかせて軌道を変化、火球を回避する。

 

 ちらりと横をみれば、ブルームもまた火球に襲われていたが……。

 彼は自分に対して放たれた火球に拳をぶち当て、その一撃でこれを消滅させていた。

 

「気合が足りませぬな!」

 

 え、あれなに!?

 魔法の火球ってそれで消えるものなの?

 

 向こうのマリシャス・ペインがめちゃくちゃ驚いてる。

 そりゃそうだ、こっちもびっくりだよ。

 

「天!! 誅!! で!! ある!!」

 

 そのマリシャス・ペインの顔に、ブルームの放った拳がヒットする。

 上級魔族の身体が宙を舞った。

 

 うわあ、こりゃ負けてられないぞう。

 



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第69話

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 六体の上級魔族、マリシャス・ペインに囲まれたおれたちだったが、アリス(おれ)と聖僧騎士ブルームの速攻によって、そのうち二体は撃破できた。

 残るは、四体。

 

 樹上から魔法で攻撃を仕掛ける上級魔族たちに対して、リアリアリアが広場の中央で皆の守りを担当してくれている。

 おれとブルームは左右から順番に六つ手の魔族たちを攻略していこうとするが……。

 

 自分の力だけで戦えるブルームと違って、おれの方はエステル王女とアイシャ公女の螺旋詠唱(スパチャ)が頼りだ。

 魔力供給の面でも、早期に決着をつける必要がある。

 

 

:がんばれーっ! パンツ脱げーっ!

:あの、エステルお姉さま、アリスさましかみていないのになにをおっしゃっているのですか?

:趣味と実益!

 

 

 視界の隅に出現したエステル王女のコメントと共に、おれの身体に大量の魔力が流れ込む。

 

「呑気だね、殿下たちっ! でもまあビビってるよりはいいかな!?」

 

 マリシャス・ペインが二体、樹上からふわりと浮き上がり、白い翼で宙を舞うおれを挟み込むように動いてきた。

 残り二体も、リアリアリアの守りは容易に突破できないと悟ったか、やはり飛行魔法を行使してブルームの方へ飛んでいく。

 

 早々に二体を潰せたのはよかったが、こうなると厄介だ。

 なにせ、本来はこいつ一体でも、ちょっとした町のひとつやふたつ、簡単にひねり潰せるだけの力を持っているのだから。

 

 比較的、戦闘に長けた王族であるエネス王女が、わりと手も足も出ないくらいには強敵なのだから。

 トリアの町では、疲労困憊の果てとはいえ、このおれだって相応に苦戦した相手なのだから。

 

 マリシャス・ペインは、アリスを挟んで距離をとり、火球をたて続けに放ってくる。

 おれは翼を広げて回転しながら軌道を変化させ、弾幕を回避し続けた。

 

「ちょっとちょっと、上級の魔族さんたちがふたりでひとりの子どもを追い詰めるなんて、大人げないんじゃないの!?」

「黙れ、先ほどは騙されたが、魔力を抑えていたのだな! きさまがゴスルゥさまとルドゥハガルさまを倒した強者であること、すでに承知している!」

「それはもうちょっと前にわかって欲しかったかな!?」

 

 ゴスルゥとは王家狩り(クラウンハンター)の本来の名前だ。

 ルドゥハガルは知らないけど、流れからして恐れの騎士(テラーナイト)のことだろう。

 

 うん、そうだよ。

 六魔衆の二体を倒したチーム、そのうちのひとりがアリスだ。

 

 でもまあ、あれは大量の螺旋詠唱(スパチャ)と、ついでにいえばテルファ&ムルフィとの共同作戦だったからこその戦果なんだけども。

 ついでにどっちのときも、アリスはぼろぼろになって、大怪我でしばらく寝込んでたんだけども。

 

 まあ、なんにせよ。

 空にあがってきてくれたのは幸いだ。

 

 地上にいるこいつらの機動力には、以前もさんざん苦戦させられたのだから。

 そのぶん、こいつらの守りは薄い。

 

 経験上、おれはそのことをよく把握していた。

 螺旋詠唱(スパチャ)さえあれば、おれの持つ小杖(ワンド)でも充分ダメージを入れられる程度なのだ。

 

 まあ、それでも上級魔族にしては比較的、という程度ではあるのだが……。

 

「当たらなきゃどうってことないって偉いひともいってたっ!」

 

 指輪にこめられた回転制御の魔法(スピンコントロール)を連続して使い、空中で小刻みに方向転換しながらマリシャス・ペインの攻撃を回避。

 そのうちの片方に、ジグザグ移動で接近していく。

 

 相手は逃げることなく、六本の腕のうち四本で剣と槍、斧と槌鉾を構えた。

 よしっ、いい覚悟だ!

 

 射線の延長線上にもう一方のマリシャス・ペインを置くことで、火球の雨が止む。

 これで真っ向勝負ができる。

 

「ちょこまかと、奇怪な動きをする!」

「UFOみたいで格好いいでしょ?」

「ゆー? なに?」

 

 首をかしげつつも、マリシャス・ペインはおれの対魔法剣(アンチマジック・ブレード)の一撃を斧で弾いてみせた。

 斧の刃が砕け、破片が四方に飛び散る。

 

 武器が壊れることは察していたのだろう、マリシャス・ペインは無造作に斧を捨てると、腰から予備の小剣を抜く。

 その間にも、三本の腕で剣と槍、槌鉾を振るってくる。

 

 おれは回転制御の魔法(スピンコントロール)で空中を不規則に移動し、マリシャス・ペインの横にまわり込もうとするが……。

 射線上から外れたとたん、もう一体のマリシャス・ペインが火球を放ってこれを妨害してくる。

 

 ちっ、連係プレイが上手いじゃないか。

 上級魔族なら、ソロプレイメインで動けよ! 群れるんじゃないよ!

 

 

:へいへーい、アリスちゃん苦戦してるー?

:ちょ、ちょっと、お姉さま!

:いーのいーの、これくらい煽っておけば本気出すでしょ

 

 

「ちょっ! アリスは充分、本気なんだけどーっ!」

 

 さっきは不意を衝いて一体始末できたが、上級魔族二体にコンビプレイされると、さすがにキツいものがある。

 長引くと、魔力の供給に難があるこちらがいささか不利だ。

 

 

:あっ、もう無理……

:わっ、お姉さま! ここからはわたくしが……

 

 

 とかいってたら、エステル王女がダウンしたようだ。

 煽ってきてはいたけど、わりとガチで限界まで魔力を支援してくれていたことくらいわかっている。

 

 すぐにアイシャ公女が端末を引き継ぎ、螺旋詠唱(スパチャ)を送ってくれる。

 おれは空中でマリシャス・ペイン二体の間に入るように動き、火球を牽制しながら、一方に接近しようと試みるが……。

 

「へいへーい、誇り高い魔族さん! 小娘ひとり相手に逃げ腰で戦うとか、恥ずかしくないのかな?」

「六魔衆を倒す猛者を相手と知ったからには、我らけっして慢心などせぬ。じわじわと嬲り殺してくれよう」

「ちょっとは慢心しろこんにゃろーっ!」

 

 飛行魔法によってひらひらと舞う赤茶けた肌の魔族ふたりは、なぜだか、ひどくおれの接近を警戒している。

 もしかして、おれがろくに遠距離攻撃できないのバレてる?

 

 バレてそう。

 アリスの外見は見分けられなくても、王家狩り(クラウンハンター)たちを倒した光景は王国中に放送されていたんだから、スパイが情報を持ち帰って研究していてもおかしくはない。

 

 これまでは仲間の援護や、螺旋詠唱(スパチャ)頼りの燃費の悪いアリス・アルティメット・ブラスターとかで凌いできたけど、今回はその方法も使えない。

 なにげに、これまでで一番のピンチかもしれない、が……。

 

 

:アリスさま、みっつ数えて援護いたします

 

 

 アイシャ公女の合図と共に、おれは翼を羽ばたかせてマリシャス・ペインの一方へ突進する。

 相手は距離をとろうと高度をとるが……。

 

 

:さん、にー、いち!

 

 

 そこに、下から雷撃が放たれた。

 思わぬ一撃を、マリシャス・ペインはかろうじて回避するも、そこでバランスを崩してしまう。

 

「ぬっ、下の輩か!」

「そういうこと! アリスだって、ひとりじゃないんだから!」

 

 いまのはリアリアリアの攻撃だろう。

 あまり精度の高い雷撃ではなかったが、まあ彼女って基本は研究職の魔術師だし、援護してくれるだけでも御の字である。

 

 それに……援護は、彼女だけではなかった。

 一方に接近しようとするおれを邪魔するため、もう一方のマリシャス・ペインが火球をたて続けに放とうとするが……。

 

 その、アリスの背後の上位魔族を、突如として鋭い刺突が襲う。

 ちらりと振り返ったおれがみたのは、地面から跳びあがってそのマリシャス・ペインを襲う、エネス王女の姿であった。

 

「ええい、邪魔をするな!」

「高貴なる者の義務として、ほんのわずかでも食らいついてみせましょう! アリス!」

「うん、任せて、殿下!」

 

 エネス王女は刺突をいなされ、マリシャス・ペインに蹴り飛ばされて地面に落下する。

 だがそうして稼いでくれたほんのわずかな時間で、おれはもう一体のマリシャス・ペインとの距離を詰めることができた。

 

 いまだけは、文句なしの一対一だ。

 

「劣等種ごときが、調子に乗りおって!」

「そのアリスに追い詰められてるって、どんな気持ち?」

 

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を、相手が反応できない速度で刺突を繰り出す。

 

 速さに特化した上級魔族であるマリシャス・ペインはそれでも身をひねり、一撃をかわしてみせるが……。

 左肩の表皮一枚、刀身が切り裂き、赤い血が肌ににじむ。

 

 それだけで、充分だった。

 こいつがいま使っている飛行魔法は、立派な付与魔法(バフ)のひとつだ。

 

 その付与魔法(バフ)が、消える。

 マリシャス・ペインの身体が落下する。

 

 さしもの上級魔族もこの急激な変化に動揺した。

 無理もない、相手は対魔法剣(アンチマジック・ブレード)のことなんて知らないだろうから。

 

 だからいまこそが、いまだけが、おれにとって最初で最後のチャンスだった。

 

 回転制御の魔法(スピンコントロール)で勢いを殺さずに空中で向きを変え、落下するマリシャス・ペインを追尾する。

 相手は懸命に四肢を振って、身体のコントロールをとり戻そうと必死であった。

 

 反撃するどころではなく自由落下する相手に対して、剣を腰だめに構え、上空から落下する以上の速度で突っ込んでいく。

 その胴に対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を突き刺し、勢いのまま地面に墜落した。

 

 強い衝撃で、肉体増強(フィジカルエンチャント)をほどこした全身に痺れが走る。

 土埃が舞い上がる。

 

 地面に串刺しとなったマリシャス・ペインの絶命を確認する暇もなく、おれは上級魔族の胴を貫いたままの対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を手放し、小杖(ワンド)を手に地面を蹴って舞い上がる。

 白い翼をおおきくはためかせ、土埃を割って、上空に飛び出した。

 

「あははっ、ひとりになっちゃったね! もしかしてよわよわ魔族さんだったのかな?」

「きさま、よくも、よくも!」

「こっちだって仲間をたくさん殺されてるんだからーっ!」

 

 相方をやられたマリシャス・ペインは、怒りにその身を震わせて、馬鹿のひとつ覚えのように連続して火球を放ってくる。

 思考が硬直しすぎだよ。

 

 おれは空中できりもみ回転しながら火球を回避しつつ、距離をつめる。

 小杖(ワンド)を大剣に変化させ、すれ違いざま――。

 

 マリシャス・ペインの首を刎ねた。

 鮮血と共に頭部が宙を舞い、力を失った胴体が地面に落下する。

 

「これで、こっちの三体は終わりっ!」

 

 ブルームの方は、とそちらを向けば、彼はリアリアリアの援護を受けて二体目を撃破し、残った一体に振り向くところだった。

 

「おぬしが最後ですな」

「くっ、くそっ! かくなるうえは!」

 

 その残った一体のマリシャス・ペインが、宙に舞い上がる。

 

「ちょっとーっ! 逃げるつもりー!?」

 

 いや、しかし上空には強固な結界が張られている。

 いくら自由に飛行できたとしても、上に逃げることは叶わない。

 

 そのはずなのだ、が……。

 天蓋となっている結界のもとまで舞い上がったマリシャス・ペインは、手を突き出しその透明な壁に触れる。

 

 そして――力を、その身に溢れる膨大な魔力を結界に流した。

 赤黒い光が周囲に広がり、マリシャス・ペイン自身の姿すら覆い尽くす。

 

「ちょっ、なにをして――っ」

 

 結界を無理矢理に壊そうというのか?

 そんなこと、できるはずがない。

 

 いや、できないとしても。

 結界の外に、なにかを伝えることなら?

 

 赤黒い光が消えた。

 さきほどまで自信に満ち溢れて筋骨隆々だった上位魔族は、いまやまるで老人のように枯れ果て、しおれていた。

 

 限界を越えて魔力を絞り出したのだ。

 もはや飛行魔法を維持することすらできず、落下していく。

 

 そのマリシャス・ペインは地面に突き刺さり、そして二度と動かなかった。

 自殺も同然の行動に、おれは動くことができずにいた。

 

「こいつ、なにをしたんだろう」

 

 ふと上空を仰ぎみれば……。

 青空に、ほんのわずか、亀裂のようなものがあった。

 

「もしかして、いまの爆発で……?」

 

 だが、その亀裂は、すぐ宙に溶けるように消えてしまう。

 後には、なにも残っていなかった。

 




おそらく明日も投稿すると思われます。


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第70話

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 都合、七体のマリシャス・ペインを始末したおれたちは、いちどリアリアリアのもとへ集合する。

 おれは簡潔に合流するまでの経緯を説明したあと、セミから預かった握り拳くらいのおおきさの赤黒い宝石をリアリアリアに手渡した。

 

「それを地面に叩きつけるのが、地下のセミさまへの合図。いちどだけ、道を開いてくれるって」

「なるほど、魔王の首が安置された場所への道、ですか」

 

 リアリアリアは頭上をみあげた。

 戦闘とその最後に上空で爆発したマリシャス・ペインのせいで、背の高い木々による天蓋が破壊され、青空がみえている。

 

 最後のあれは、なんだったのだろうか。

 少し不穏な感じがする。

 

 急いでことを済ませる必要があるだろう。

 ただ、具体的なことを、となると……。

 

「魔王の首をこの地に封じるのは、もはやこれまで、ということですね」

「えっと? どういうこと?」

 

 おれが訊ねれば、リアリアリアは「自明の理です」と肩をすくめてみせる。

 

「あれほどの数のマリシャス・ペインがひとところに集まっていた、ということは……。あれらはすべて、この森に派遣されたのです。魔王軍の手によって。彼らはこの森に目をつけている。おそらく、魔王の特徴的な魔力の一端を探知したのでしょう。マリシャス・ペインたちが帰還しなければ、更なる手段を講じてくることは明白。そうなれば、もはや守り切ることは不可能でしょう」

 

 それは、そうか。

 普通に考えて、あれほどの上級魔族が七体も派遣されるなど異常も異常である。

 

 小国のひとつふたつなら簡単に滅ぼせるだけの戦力だ。

 この場に、たまたまアリス(おれ)とブルーム、それにリアリアリアが集まっていたからこそ戦うことができた、そんな相手である。

 

 敵は、最初からこの地に狙いを定めている。

 もはや隠匿は不可能、と考えて差し支えない。

 

「聖教本部で厳重な封印をほどこしましょう。吾輩は、そのために参りました」

 

 ブルームの言葉に、リアリアリアも「もはや、それしか方法はないでしょうね」とため息をつく。

 まるで、こうなることを見越していた、とばかりのふたりの会話であった。

 

「段取りがいいですね、リア婆さま」

「ええ、エネス。あなたと連絡がとれなくなった時点で、この地に尋常ならざるものが眠っていることは明白であったのです。ならば、最悪を想定するのが我々の責務というものでしょう?」

 

 ぼろぼろの格好のエネス王女であったが、魔族と魔物によってつけられた傷についてはすでに全治している。

 生き残った部下たちの治療も、おおむね完了していた。

 

「それにしても、センシミテリア、ですか。まさか彼女が生きていたとは……」

「知ってるひとなの?」

「わたしの祖母にあたる人物ですね」

 

 わーお。

 顔つきが似てるとは思っていたけど、ガチのおばあちゃんか。

 

 四百五十歳のリアリアリアの、さらに祖母って……いったい何歳なんだろうね。

 聞いてみたいような、聞いちゃ駄目なような。

 

「わたしが生まれたときは、すでに行方不明となっていたそうですから……。本当に秘密裏に行動していたのでしょう。実際のところ、魔王の首ともなれば、特に厳重に情報を秘匿する必要があったのは事実でありましょう」

 

 うん、まあそれはわかるよ。

 よくもまあ、五百年に渡って秘匿してきたものだと思うもの。

 

 当初の想定では、リアリアリアの一族がまだ生きているはずだった。

 いつか一族の誰かにバトンタッチするはずだった、とセミはいっていた。

 

 でもそれは、もはや叶わない。

 なら……あとは、それができるひとたちに任せるしかないだろう。

 

 いまのところ、その相手は聖教しか思い浮かばないわけで。

 聖教も腹に一物抱えている感じだけど、背に腹は代えられないよなあ。

 

「では、合図を送るとしましょうか」

 

 リアリアリアは、おれから渡された赤黒い宝石を握り、勢いよく地面に叩きつけた。

 ちょっ、ちょっと、覚悟とかそういうのもうちょっとさあ!

 

 と抗議の声をあげる間もなく。

 地面に叩きつけられた宝石から、眩い白い光が広がった。

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 地底湖のなかにある島、その中央の丘の上に存在する神殿にて。

 

 おれたちが見守るなか、リアリアリアとセンシミテリアがみつめ合っている。

 お互いに青い髪にエメラルドの瞳で、こうしてみると顔つきもだいぶ似ている気がした。

 

 白い光が収まったとおもったら全員がこの場にいた。

 魔王の首のでかさと禍々しさに一行の大半がおののくなか、ふたりは無言で向かい合い、そしてもう五分以上もそのままなのである。

 

 つーかお互いに頭の中身を読んでるなコレ。

 禁術を定めた聖教の上層部に近いところにいる聖僧騎士ブルームが目の前にいるのに、いい度胸である。

 

 いや、そのブルームは「おお、生き別れた祖母との感動の再会、感無量ですな」と腕組みして涙を流しているんだけど。

 さっきの話をなに聞いてたんだ、生き別れどころかこのふたり、会うの初めてだろとは誰もツッコまない。

 

 ふたりの無言での対話は、十分ほどで終わった。

 お互いにおおきなため息をつく。

 

「情報を整理いたしましょう」

 

 先に口を開いたのは、セミだった。

 

「この地に魔王の首が封印されていることは、すでに魔王軍に察知されている。当座の捜索隊はみなさんが排除しましたが、次の者たちが来ることは明白。すぐにでもこれを――」

 

 と彼女は背後を振り仰ぐ。

 祭壇の上に展開された赤紫色の結界のなかに封じられた、ヒトの倍以上のおおきさを持った異形の頭部を。

 

「別の場所に移送し、魔力が漏れぬよう厳重に再封印するべきである、と。それにもっとも適しているのが、聖教の本部であるということですね」

「そうなりましょう! 神に誓って! 我らが責任をもって管理いたしますこと、お約束いたします!!」

 

 ブルームが胸を張って、大声で告げた。

 近くの者たちが耳を押さえている。

 

 ふたりの大魔術師が、また互いに無言でみつめ合った。

 セミが、ほんのわずか、片眉をつり上げる。

 

 あーこれ、現在の聖教について知識を共有しているわけか。

 たぶんセミが知る聖教と、いまの聖教は大陸における立ち位置が違うんだろう。

 

 そりゃ、そうだ。

 セミからすれば、聖教が信仰する神って邪神そのものなのだから。

 

 五百年前、こうして魔王の首を封印するだけに留めたのも、いつかその邪神が帰還したときに備えるため、というのが理由のひとつだと……。

 そう、さきほどいっていたのだから。

 

 まあ、そもそも魔王を完全に消滅させる方法が発見できていなかったっぽいけど。

 聖教に回収されたほかの部位が、未だに封印するだけに留まっているのを鑑みると、いまもそのへんの研究は進んでいないっぽい。

 

 聖教の上層部がどこまで世界の真相についての事情を承知しているのか。

 彼らはどれだけ信用できるのか。

 

 いまふたりは、そのあたりのすり合わせをしているに違いなかった。

 結果……。

 

「わかりました、そういたしましょう」

 

 セミはそう告げると、軽く手を振った。

 結界となっていた赤紫色のカーテンが眩く輝き、そして消える。

 

 一瞬、周囲が真っ暗になった。

 すぐリアリアリアが己の小杖(ワンド)の先端を輝かせる。

 

 白い光が神殿内部に広がった。

 エステル王女が、あっ、と声をあげる。

 

「魔王の首が消えてる!」

「はい、ここに収納いたしました」

 

 セミが、腰につけた粗末なポーチをぽんと叩く。

 それだけのサイズに収納したのか、それともあのポーチが重量軽減バッグの亜種なのか、あるいは両方なのか。

 

 まあ、いまさらこの程度のことに驚いてはいられない。

 なにせ相手は、リアリアリアの祖母、ひょっとしたら大魔術師よりも魔法に精通した存在なのだから。

 

「これは、リアリアリア、あなたが持っていなさい」

「は、はい、お婆さま」

 

 セミはポーチを孫であるリアリアリアに無造作に投げ渡した。

 珍しく、リアリアリアが慌てている。

 

「それでは、五百年ぶりにこの地を離れるといたしましょうか」

「あの、お婆さま、きちんと歩けますか? 身体がなまっているのではありませんか」

「五百年、力の大半は己の身体を保全するために使っていましたからね」

 

 セミは軽く、手を振った。

 先ほどおれとアイシャ公女が駆けあがった光の階段が、ふたたび目の前に出現する。

 

「参るとしましょう」

 

 セミが先頭に立って、階段を登っていく。

 その次に、ポーチを手にしたリアリアリアが。

 

 おれたちは慌てて、彼女を追いかけた。

 

 

        ※※※

 

 

 おれたちは地上に出た。

 そしてそこで、目の当たりにする。

 

 森が、炎に包まれていた。

 誰かが炎を放ち、木々を焼いているのだ。

 

「なるほど、こう来ましたか」

 

 リアリアリアは呟き、天をみあげる。

 

「この結界を形成する条件、森の木々から少しずつ吸い上げた魔力、それを根底から破壊する。効率のいいやり方ですね」

 

 森の木々の頭上。

 いまは茜色に染まるそこに、なにかがいた。

 

 まるで太陽が落ちてきたかのようにみえた。

 巨大な剥き出しの眼球が、紅に染まって、宙に浮いていた。

 

「あれは――」

 

 誰かが、呆然と呟く。

 巨大な眼球が、ぎょろりと動いた。

 

 突然、地上に現れたおれたちをにらみ据える。

 それだけで、全身が総毛立つ。

 

「六魔衆、紅の邪眼(ブラッドアイ)

 

 




これから、またちょっとゆっくりになると思います。


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第71話





 六魔衆紅の邪眼(ブラッドアイ)

 王家狩り(クラウンハンター)恐れの騎士(テラーナイト)と並ぶ魔王軍の最高幹部、六魔衆の一体である。

 

 全長十メートルほどの、宙に浮く巨大な眼球がその本体だ。

 まるで魔物のような姿であるが……実際のところ、魔王軍でも屈指の知性を持った魔術師であった。

 

 魔王軍の再侵攻以来、人類の前に姿を現わしたのは、これまでに二回だけ。

 そのどちらも、大国がひとところに軍勢を集めての決戦時であり……。

 

 紅の邪眼(ブラッドアイ)は、人類が集めた精鋭中の精鋭を単騎で粉砕した、戦場の覇者であった。

 人類のあらゆる攻撃は、紅の邪眼(ブラッドアイ)の展開する障壁によって無効化された。

 

 巨大な眼球から放たれる紅蓮の炎によって、人類の勇士たちは無残に焼き尽くされた。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)が通った先には、ただ灰と塵が残るのみ。

 

 攻撃から生き残り逃げ出した人類の精鋭の残党も、こいつの手下である灰色のローブをまとった魔族、通称灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)によって刈りとられた。

 その戦いにおける生存者は、遠くから魔法で観察していた他国の偵察魔術師のみであったという。

 

 しかも彼らは、あえて生かされたのだ。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)は役目を終えて戦慄しつつも撤退しようとした偵察魔術師たちに対して、テレパシーを送った。

 

「劣等種よ。我らの前にすべての抵抗は無意味であること、貴様らの飼い主によく知らせよ」

 

 と――。

 彼らの報告によって圧倒的な蹂躙劇を知ったいくつかの国は、戦わずして魔王軍に降伏した。

 

 魔王軍の領土に呑み込まれたこれらの国々が現在どうなっているのか、誰も知らない。

 まーだいたい想像はつくけれども、でもそんな選択をしてしまうほど、紅の邪眼(ブラッドアイ)の力は圧倒的で、そして絶望的であったのだ。

 

 そんな魔族の頂点の一角が、いま、おれたちの頭上にいる。

 巨大な眼球が、おれたちを睥睨している。

 

 結界はまだ破られておらず、結界の外にいて、本来ならおれたちなんてみえないはずだ。

 なのにその眼球は、はっきりとおれたちを視認しているようだった。

 

 そもそも、おれたちの周囲で燃えている木々だって……。

 こいつが燃やしたんだとしたら、それはいったいどうやったというのだろう。

 

「この森の結界すら見破るとは、たいしたものですね。大戦の災禍、その生き残り。邪悪なる紅眼。深淵を視る者。すべてのいまを見通す者。次元の彼方に封印したにもかかわらず、わずか五百年で戻って来ましたか」

 

 セミが、頭上の巨大な眼球を睨んでそう告げる。

 え? いまなんか重要なこといったな?

 

 ゲームでも、紅の邪眼(ブラッドアイ)の出自とか出てこなかった気がする。

 六魔衆のうち何体かは、その出生の経緯までわかっているんだけど……。

 

 そのあたり詳しく聞いてみたいところだ、が。

 いまはそんな悠長なことをしている場合じゃない。

 

「七年、かかったのだ」

 

 老人のようにしわがれた声が、直接、頭のなかに響いた。

 それが頭上の巨大な眼球から発していることを、おれたちは誰も疑えなかった。

 

 おれたちは紅の邪眼(ブラッドアイ)に語りかけられたのだ。

 結界がまだ破れていないにもかかわらず、やつはおれたちを認識し、しかもテレパシーを繋げることすらやってのけたのである。

 

「あらゆるところに部下を飛ばし、あらゆる場所を捜させた。それでもみつからなかった。だが、それもこのときまでだ。忍従の時は去った。我らの栄光は目の前にある」

「いえ、おまえたちに与える栄光など、どこにもありはしません。いまは紅の邪眼(ブラッドアイ)と呼ばれているのですか? ふたたび遠き次元の果てに封じさせていただきましょう」

 

 セミが、軽く右腕を振った。

 その瞬間、耳鳴りがした。

 

 頭上を覆っていたなにか不可視の天蓋が、一瞬にして消えたような感覚がある。

 結界が解けたのだ。

 

 セミによって。

 なぜ? と思う間もなく、大魔術師の祖母は右手をぱちんと鳴らした。

 

 頭上で、巨大な眼球の周囲で、空間がひどく歪んだ。

 茜色の空が一瞬で黒く染まり、満月が出た。

 

 いや、それは満月のように銀色に輝く、空間の歪み、その極みであった。

 別の時空に繋がる門。

 

 それが、唐突に出現したのだ。

 セミが片手を振っただけで。

 

「結界を維持していた魔力を、一瞬で時空操作に転用した!?」

 

 リアリアリアが驚愕する。

 よくわからないけど、すごいことをしたのだという理解でいいのかな?。

 

 その満月の門が次第におおきくなっていく。

 落下しているのだ。

 

 紅の巨大な眼球が、満月の門に飲み込まれようとしている。

 門の向こう側がいったいどのような空間に通じているかはわからないが、おそらくいちど飲み込まれてしまえば、こいつはまた数百年、戻って来られないだろう。

 

 しかし――そうは、ならなかった。

 巨大な眼球が、わずかにその全身を震わせる。

 

 ぴしり、と乾いた音が響く。

 満月のあちこちにヒビが入る。

 

 そして次の瞬間。

 銀色の満月が、粉々に砕けた。

 

 周囲の空間が、もとに戻る。

 茜色に染まる空のもと、紅の邪眼(ブラッドアイ)は悠然と、森の上に浮いていた。

 

「いい罠だった」

 

 また、頭のなかに老人の声が響く。

 同時に、けたけたと耳障りな笑い声が聞こえた。

 

「だが、それはすでにみた。五百年もあって、対策しないはずもなかろう。空間の歪曲度は数倍になっていたが、根本の原理は変わらん。ならば術をほどくのはたやすいこと」

「それをたやすい、といえるのは貴様くらいでしょう」

 

 セミが吐き捨てるように呟く。

 本当にまったく全然わからないが、たぶんお互いにすごいことをやったみたいで、その結果――勝利したのは紅の邪眼(ブラッドアイ)の方みたいだ。

 

「高次元に紐状の魔力を通して縫い合わせる方程式、第六次元歪曲論、それに二重螺旋状空間理論……」

 

 かたわらのシェル(いもうと)が、ぶつぶつと呟いている。

 ひどく青ざめた顔で、頭上をみあげたまま、懸命になにかを読みとっているようだった。

 

 どうも、術式の解析をしているみたいだ。

 はっはっは、これの解析ができる程度にはなにが起きているか理解しているなんて、我が妹はすごいなあ。

 

 現実逃避である。

 正直、この戦い、おれが手を出せる部分がなにもない。

 

 ここで翼を生やして飛び上がったとしても、たぶん紅の邪眼(ブラッドアイ)の魔法によって狙い撃ちされるだけだろう。

 あるいは、さっきの攻防と同じく、よくわからない異次元の魔法を使われて、よくわからないうちに仕留められるか。

 

 聖僧騎士ブルームなら、どうだろうか。

 彼の方をみれば、難しい顔で腕組みして、獣のように低いうなり声をあげていた。

 

「ねえねえ、ちょっと相談なんだけど」

「む? どういたしましたかな、アリス殿」

「ブルームは、あそこに介入できそう?」

「起きている事象は簡単なのです。いまもただただ、お互いに向き合って魔力の奪い合いをしております。隙あらば互いの周囲の空間を歪めようと牽制しております。ですがそれ故に、手を出すことが難しい。下手な行動は、セミ殿の足を引っ張ってしまうでしょう」

 

 なる、ほど。

 下手なことをすると、足を引っ張ってしまう、か。

 

 リアリアリアすらも手をこまねいてみているだけなのは、そういうことか。

 だとしても、なあ……とリアリアリアの方をみれば……。

 

 大魔術師は、おれと目線を合わせてちいさくうなずいてみせる。

 

「アリス、皆、聞いてください。ここはお婆さまに任せて、わたしたちは撤退しましょう」

「え、リア婆ちゃん、いいの?」

「お婆さまの戦いの邪魔になります」

 

 エステル王女は、「そっかぁ」と間の抜けた呟きを漏らした。

 そうだ、いま魔王の首を入れたポーチは、リアリアリアの手にある。

 

 セミはこうなる可能性も考慮して、あのときポーチを孫に手渡したのだろうか。

 だとすれば、セミは自ら望んで、ここで囮となる覚悟も決めていたのだろう。

 

 せっかくの、祖母との邂逅だ。

 もう皆がいなくなったと思っていたリアリアリアに、同族が現れたのだ。

 

 もう少し話をさせてやりたいし、ためらう気持ちはあったが……。

 そんな、一族の情よりも優先させるべきことが、いまはある。

 

「参りましょう」

 

 リアリアリアが、そっと右手を振った。

 セミを除く全員の身体が淡い光に包まれる。

 

 身体が軽くなった。

 いや、さっきまで浴びていた紅の邪眼(ブラッドアイ)の強烈な圧力を感じなくなった、というのが正しいところか。

 

 おれは安堵の息を吐く。

 自分たちが威圧されていることにすら気づかない、おそるべき威圧であった。

 

 そして、リアリアリアはその威圧の魔力を、腕のひと振りで払ってみせたのだ。

 やっぱり彼女も、偉大な大魔術師であることは間違いない。

 

 それ以上に、祖母であるセミの力がすさまじいのだが……。

 

 ねえ、インフレしすぎてない?

 これ、おれの出番なんてもうまったくない気がする。

 

 ともあれいまは……。

 すたこらさっさ、だぜぇ!

 

 リアリアリアがほんのわずか宙に浮き、滑るように南へ飛ぶ。

 森の木々が、藪が、燃えながらも彼女を避けるように左右に割れていく。

 

「それじゃ、いくよっ」

「ひゃっ、アリスさまっ」

 

 おれは呆然としているアイシャ公女を左手でひょいと掴み、小脇に抱えて駆け出す。

 ほかの面々は、いささか慌てながらもリアリアリアとおれに続いた。

 

 セミ以外。

 彼女だけは、未だに紅の邪眼(ブラッドアイ)と睨み合いを続けている。

 

 早く行け、とその背中が語っているようにみえた。

 おれたちがいても邪魔になるだけ、というのは真実なのだろう。

 

 ちなみにエステル王女は途中で転びかけて、騎士ふたりがかりで左右から支えられていた。

 たくましい騎士さまたちでも、さすがにちょっと重そうである。

 

 シェルがおれのそばで飛んでいる。

 ちらり、と抱えられているアイシャ公女の方をみて、うらやましそうな顔になっていた。

 

 うらやましいか?

 自分でもどうかと思うけど、右手はいつでも使えるようにと、モノみたいに抱えているだけだぞ。

 

 と――左右の藪の向こう側が騒がしくなる。

 うん?

 

「わたくしを投げてください! あの方のもとに!」

 

 唐突に、アイシャ公女が叫び、前を走るリアリアリアを指さした。

 以前もあったことだから、すぐ理解する。

 

 彼女の未来探知が働いたのだ。

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)した左腕で、公女をえいやっ、と投擲した。

 

 ほぼ同時に、背の高い草を割って、ヘルハウンドとローパーがリアリアリアに飛びかかってきた。

 

 数百年を生きた大魔術師とて、こういうときの反応は鈍い。

 慌てた様子で身をひねるも、ヘルハウンドの牙がリアリアリアの首筋に狙いを定め――。

 

 空中で、アイシャ公女が左手を伸ばす。

 

 その中指にはまった青い指輪が輝いた。

 青い傘のバリアが、ヘルハウンドの顔とリアリアリアの間に割り込む。

 

 ヘルハウンドは、ぎょっとした様子で顔を引っ込めようとするが……間に合わず、バリアに衝突して、ぎゃん、と悲鳴をあげた。

 小柄な公女は、その反動で地面に叩きつけられごろごろと転がるが……。

 

 その一瞬の献身で、時間は充分。

 

「シェル!」

「うん!」

 

 シェルがおれに魔力を流す。

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)をかけて加速し、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を一閃、ヘルハウンドの首を刈りとると、左腕でアイシャ公女の身体を抱え込み、無事に着地。

 

 ほぼ同時に、反対側から飛びかかってきたローパーが、聖僧騎士ブルームの拳によって粉砕されていた。

 ふう……セーフ、セーフ。

 

「殿下、ナイスバリア!」

「とっさのことでしたが、上手くいってよかったです。わたくしでも、少しは役に立てました」

 

 おれは擦り傷だらけの公女に手を伸ばし、腕を引っ張って立ち上がらせる。

 少女はよほど怖かったのか、歯をかちかちさせながら、引きつった笑みをみせた。

 



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第72話

 陣形を少し変更することになった。

 聖僧騎士ブルームが先頭に立ち、そのすぐ後ろにリアリアリアと、アイシャ公女を抱えたおれが続く。

 

 残りの面々がその後ろに続くかたちだ。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)とセミが戦っている場所から逃げるわけだから、いまさら後方に備える必要は薄い。

 

 それよりも、先ほどのようにリアリアリアが不意打ちされることを注意する必要がある。

 なにせいま、魔王の首を持っているのは彼女なのだから。

 

「わたしとしたことが、少し焦ってしまったようです」

 

 リアリアリアが頭を下げる。

 珍しく、しゅんとしていた。

 

「無理もないよ。魔王の首とか、お婆ちゃんとか、いろいろありすぎだもん。アリスだってちょっと混乱してる」

「ですな。吾輩も少々、落ち着く時間が欲しいところです。残念ながら、そのような余裕はなさそうですが」

 

 おれとブルームがリアリアリアを励ますように告げる。

 急展開すぎてみんながついていけてない感じがあるのは、本当のところだ。

 

 魔王の首。

 それを狙って襲ってきた六魔衆の魔術師、紅の邪眼(ブラッドアイ)

 

 魔王の首を五百年間ずっと封印してきた、リアリアリアの祖母セミ。

 そんな戦いに巻き込まれ、戦いはセミに任せて逃げるしかないおれたち。

 

 そして、逃げるおれたちを襲ってくる魔物の群れ、多数。

 

 いまもまた、大蜘蛛が二体、前方の茂みから飛び出してきた。

 ブルームが速度を落とさず、遠い間合いから拳を振るう。

 

 拳の先から天馬な流星拳みたいなのが出て、十メートルほど離れた空中の大蜘蛛たちを粉砕した。

 

 アリス・アルティメット・ブラスターみたいな魔力の過剰放出だ。

 いや、おれの使う力任せのそれとは違い、充分に収束率を高めて効率化してるけど。

 

「ブルーム、いまのってなんて名前の必殺技?」

「必殺、ですか? いえ、名前などない、ただの牽制の拳ですが」

「じゃあアリスが名づけてあげるね! えーと、ブルーム・ブルシット・デストラクター……!」

 

 

:ダッサ

:アリスちゃん、名づけの才能ないよ

:ひどい……いくらなんでもひどい……

:っていうかなんなの、この集まり

:なんか森の中を走ってる?

:ムキムキのハゲのおっさん、誰?

 

 

 唐突に、視界の隅で文字が流れた。

 あっ、王国放送(ヴィジョン)システムが立ち上がってる。

 

 そうか、結界が破れたから、通信が回復したんだ。

 それに気づいた王都のひとたちが、急いで放送を始めたというわけだろう。

 

「あ、やっほー、みんな! いまね、六魔衆の紅の邪眼(ブラッドアイ)に襲われて逃げてるところ! リアさまのお婆ちゃんのセミさまが紅の邪眼(ブラッドアイ)と決闘中なんだけど、アリスじゃ足手まといなんだ! それからこっちのムキムキハゲは……」

「剃っているのです」

「ムキムキ剃ってるおっちゃんは、聖僧騎士ブルームさん! とっても頼りになるんだよ!」

 

 

:待って待って待って

:情報が……情報が多い……

紅の邪眼(ブラッドアイ)って六魔衆でもいちばんヤバいっていわれてるやつじゃん!

:セミさまって誰!? 大魔術師の祖母ってどいうこと!?

:聖僧騎士! 聖教最強の七人のひとり!? なんでそこに!?

:っていうかアリスちゃん、そこってどこなの!?

:そんな森のなかでなにしてたの!?

 

 

「あ、えっと。魔王軍が狙ってるっぽいモノがあって、それの争奪戦? をやってるんだ」

 

 

:争奪戦? あっ(察し)

:魔王軍の精鋭が浸透してくるほど重要な……

:おれたちは知らない方がいいやつだ

:間違いなく知りたくないやつ

:耳をふさいでおくわ

:理解したけど理解したくないですわー

 

 

 コメント欄が賢明すぎる。

 いまコメント書いてるアカウント、みんな高位貴族っぽいからなー。

 

 ちなみに理解したけど理解したくない、って書いたのはマエリエル王女だ。

 そりゃ彼女の立場だったらなあ。

 

「というわけで、殿下、ここから先は自分で走れるね」

「は、はいっ」

 

 おれは小脇に抱えていたアイシャ公女を地面に降ろす。

 公女はうなずき、すぐ肉体増強(フィジカルエンチャント)を使うと、自分の足で走り出した。

 

 王国放送(ヴィジョン)システムが動いたなら、おれだって立派な戦力のひとりだ。

 いつまでも荷物運びをしているわけにはいかない。

 

 自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で白い翼を生やし、宙に舞い上がる。

 前方を確認し――。

 

 赤いビームが数本、樹上を薙ぎ払ってきた。

 

「わわっ」

 

 おれは慌てて指輪の回転制御(スピンコントロール)で軌道を変化させ、薙ぎ払いビームを避ける。

 そのまま低空で加速して、ビームを放ってきたあたりに突っ込む。

 

 フードつきの灰色のローブを羽織った人型のモノたちが、十体以上、そこに集まっていた。

 

 灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)

 紅の邪眼(ブラッドアイ)の配下の魔族だ。

 

 これまで紅の邪眼(ブラッドアイ)のそばでしか観測されていないため、その実力は未知数だが……。

 マリシャス・ペインと同等か、それ以上の戦力と推定されている。

 

 

灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)! まずい、逃げろアリスちゃん!

 

 

「だーめっ! ここでアレを潰さないと、後ろが危ないよ!」

 

 だから、とおれは大声で叫ぶ。

 

「みんな、力を貸して!」

 

 応、というコメントが、無数に流れた。

 王国放送(ヴィジョン)システムを通じて、魔力が流れてくる。

 

 王国中の人々の想いが集まってくる。

 おれは肉体増強(フィジカルエンチャント)にいっそう魔力を込め、力強く翼をはためかせて、灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)との距離を一気に詰めた。

 

 回転制御(スピンコントロール)で小刻みに向きを変え、赤いビームの雨をかわす。

 集団が、慌てたように散開するが……もう、遅い。

 

 すれ違いざま、対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を振るう。

 灰色のフードに隠れた首をほぼ同時にふたつ、刎ねてみせる。

 

 フードが剥がれ、宙を舞う頭部が露となった。

 それは骨と皮だけになった、眼窩の落ちくぼんだヒトの顔だった。

 

 ただし、血が流れない。

 首を切断したというのに、その傷口からは一滴たりとも液体が流れていない。

 

 まあ、そうだ。

 この大陸の人々は知らないとしても、おれは知っていた。

 

 灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)

 その正体は、紅の邪眼(ブラッドアイ)に好き放題改造された、かつて降伏した各国の魔術師、その成れの果てなのである。

 

 もはや生命活動はとうに終わっているにもかかわらず、紅の邪眼(ブラッドアイ)の傀儡として動かされている存在。

 強大な魔力を生贄となった人々から移植され、永遠に蠢き続ける、哀れな生ける屍である。

 

 マリシャス・ペイン相当、という評価はある意味で合っていていて、ある意味で間違っている。

 たしかにその身が抱える魔力こそマリシャス・ペインと同等だが……。

 

 近接でも遠距離攻撃でも死角がなく、己の意思で戦うマリシャス・ペインと違い、灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)たちはただ紅の邪眼(ブラッドアイ)に命じられた作業を為すだけの人形に過ぎない。

 

 その特性さえわかっていれば、対処は難しくない。

 相手が振り向き、こちらを視認する前に回転制御(スピンコントロール)で急に角度を変化させ、上昇する。

 

 灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)たちは、おれを見失った様子で、きょろきょろした。

 歴戦の戦士なら絶対にしない、無防備なありさまだ。

 

 おれは上空から落下し、また二体の首を刈りとる。

 着地し、灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)たちが距離をとる間を与えずさらにもう二閃、二体の身体を両断する。

 

 これで六体、仕留めた。

 残りは……五体か。

 

 敵が散開しようとする。

 魔力を肉体増強(フィジカルエンチャント)に注ぎ込み、地面を蹴る。

 

 爆発的な加速で、飛び退る一体との距離を一気に詰める。

 対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を振るい、その首を刎ねて――。

 

 残り四体が一斉に赤いビームを放ってくる。

 おれは首がなくなった灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)の身体の後ろに身を隠した。

 

 赤いビームは、いずれもすでに機能停止した灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)の身体に当たることなく、そのすぐそばを通り過ぎていく。

 やっぱり、だ。

 

 

:そうか、同士討ちできないのか!

:へ? どういうこと?

:こいつら、ゴーレムみたいに一定の命令の通りにしか動けない存在ってことだよ

:え? アリスちゃんそれを一瞬で見破ったの?

:いまの、わかってて隠れたよね

:ごめんアリスちゃん、もっと脳筋だと思ってた

:悲報……アリスちゃん、考えて戦ってた

 

 

「ちょっとちょっとーっ! アリスだって傷つくんだからね!」

 

 コメント欄がひどい。

 でも、そんなノリノリの様子に、少し安心している自分がいた。

 

 おれはコメントに抗議を入れながら、残りの四体も手際よく始末していく。

 互いの射線上に入ると動けなくなるという弱点を露呈した灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)たちを、各個撃破する。

 

 ほどなくして、そのすべてが地に伏し、動かなくなった。

 

「まったく、もう。アリスがみんなから貰った魔力任せで暴れるしかない馬鹿だとか、みんなひどいよっ」

 

 

:そうはいってない

:そこまではいってない

:でも怒ってるアリスちゃんもかわいい

:もっとぷんぷんして

 

 



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第73話

 灰色の魔術師団(ウィザーズ・オヴ・アッシュ)を片づけて、森を南に駆け抜けている仲間たちと合流する。

 おれが不在の間は、ブルームが先頭に立ち、散発的に襲撃してくる魔物を始末しながら前進していた様子である。

 

 騎士や魔術師、第零の精鋭たち合計四十人弱が、エネス王女の指揮下で左右に流れてきた魔物を叩いている。

 エステル王女とアイシャ公女は肉体増強(フィジカルエンチャント)で身体能力を強化して、リアリアリアのそばで懸命に走っていた。

 

 ちなみに大魔術師リアリアリアは、少しだけ宙に浮いて、滑るように移動している。

 飛行魔法を超絶技巧で駆使しているようだった。

 

 おれと、おれの斜め後ろを飛行して魔力を供給してくれていたシェルが、隊列に戻る。

 離れている間の出来事は、リアリアリアのすぐ横にふわふわ浮いている青白い水晶、王国放送(ヴィジョン)端末のコメント欄で皆が把握している様子だった。

 

「その端末、魔法で持ち上げられるなら、もっと早くやって欲しかったなあ」

 

 この端末を入れた鞄を森に入るときから背負っていたエステル王女が、リアリアリアに愚痴を吐く。

 リアリアリアは口の端を吊り上げて「なんでも魔法で解決できる、というものではありませんよ」と返事をした。

 

「だいいち、エステル、あなたの体力よりわたしの魔力の方が貴重でしょう?」

「そうだけどね! ぐうの音も出ない正論だけどね!」

 

 一行は風のように森を駆ける。

 このままのペースで走れば、ほどなく森の外に出られそうだった、が――。

 

 

:アリス、いい知らせと悪い知らせがある

 

 

 あっ、ディアスアレス王子がコメントしてる。

 悪い知らせ……聞きたくないなあ。

 

「いい知らせからお願い!」

 

 

:テルファとムルフィを応援に向かわせた。間もなく合流できるだろう

 

 

「それは本当にいいお知らせだね! ……で、とっても聞きたくないけど……悪い方って?」

 

 

:六魔衆大いなる女王(エルダークイーン)と六魔衆死の暴君(デスタイラント)がそっちに向かった

 

 

「ちょっとちょっとぉっ! 六魔衆がなんでそんな湧いて出てくるの! いや……うわあ、そっか。それだけのモノだもんね……」

 

 

:待って待って待って、どういうこと

:一体でも手に余る六魔衆が三体!? アリスちゃん、なに運んでるの!?

:もう終わりだよ……うちの国は死の暴君(デスタイラント)一体に滅ぼされたんだ

:そこまで確認しているのに、途中で止められなかったの?

:六魔衆をどこの軍が止められるんだよ!

 

 

 コメント欄が騒がしい。

 これまでは、六魔衆(あいつら)が協力して行動することなんてなかった。

 

 原作でも、仲が悪いし。

 今回は事情が違う。

 

 あいつらが崇める存在、信仰の対象たる魔王。

 その首が狙いだとするなら、手を組んでくる可能性は充分にあった。

 

 だからこそ、セミはこの魔王の首を五百年に渡って封じたのだろうしね……。

 その在処が判明したら、魔王軍は血眼になってとり返しに来るだろう、とわかっていたから。

 

 で、実際。

 血眼になってとり返しに来ている、というのが現在の状況なわけだ。

 

 残る六魔衆四体のうち三体が、いまここに集まろうとしている。

 無理ゲーがすぎるんだけど!?

 

 

:聖教本部が、残る聖僧騎士六人を六魔衆の迎撃にまわすと連絡してきた

 

 

 あ、これは王様だ。

 

 

:まことですか

:うむ、我が国の上空で迎撃する許可を出した

 

 

 飛行魔法が発達したこの大陸において、国に無断での領空における武力行使は、たとえ聖教といえどもいい顔はされない。

 そのあたり、向こうはきっちりとスジを通してきたということか。

 

 いや、そもそも大陸東部に存在する聖教本部とのホットラインがあること事態、一年前では考えられないことなんだけど。

 王国放送(ヴィジョン)システムの展開がギリギリで間に合った、ということだろう。

 

 ともあれ。

 ブルームと同じくらいの戦力が六人、迎撃にあがってくれるとは僥倖である。

 

 聖教は今回、本気も本気だ。

 いや、でもいくら聖僧騎士だからって、六魔衆を二体相手にして勝ち目があるのか?

 

 

:聖僧騎士は一体の足止めに徹し、もう一体は通すとのことだ。アリス殿、申し訳ない、との言伝である

 

 

「いや、充分! 一体だけなら、やりようがある!」

 

 聖教としては二体とも相手にしたかっただろうけど……。

 無理なものは無理だ。

 

 無理を通して失敗するよりは、片方だけでも足止めしてくれる方がずっといい。

 一体だけなら、まだなんとかなるかもしれない。

 

 そもそも今回、襲ってきた相手を倒す必要はないのだ。

 リアリアリアが手にする魔法のポーチから、聖教が用意する封印の箱まで魔王の首を移す。

 

 それがどこにあるかわからなくなれば、相手も敵地に長居するわけにはいかないだろう。

 まあ、その際、八つ当たりで町のひとつふたつ焼かれる可能性はあるし、最寄りであるテルダがその対象となる恐れはあるが……。

 

 ことは大陸規模の災いだ。

 いまは、少しでもマシな選択を続ける必要がある。

 

「できれば死の暴君(デスタイラント)を止めて欲しいな! あいつが暴れると町にも被害が……」

 

 

:観測班から最新の報告、大いなる女王(エルダークイーン)と聖僧騎士六名が交戦に入った

 

 

 あっはい。

 まあ、贅沢はいうまい。

 

 

:テルダで住民の避難が開始

:なるべく時間稼ぎを、とのこと

:こちら聖教本部出張所、聖教第二騎士団、第五騎士団がテルダに向かったとのこと

 

 

 次々とコメント欄に報告があがる。

 各地のエージェントが端末に繋げているのだ。

 

 というか聖教本部の出張所、正式には春くらいから稼働するって話じゃなかった?

 もう端末を持ち込んでたのか……。

 

 状況は整いつつあった。

 敵は来るが、状況は最悪ではない。

 

死の暴君(デスタイラント)を迎撃する必要があります」

 

 端末の文字を睨んでいたリアリアリアが、口を開いた。

 

死の暴君(デスタイラント)は六魔衆のなかでも特に情報が少ない個体です。気まぐれに前線に現れ、敵味方構わず暴れて去る。後には灰燼と帰した町の残骸が残るのみ。純粋な暴力、そういった類いの存在です」

 

 大魔術師は、淡々と語る。

 おれから得た知識ではなく、あくまで聖教から提供されたデータや諜報機関が調べた情報がモトであるようだ。

 

「五つの首を持つ巨大な竜。それが死の暴君(デスタイラント)です」

 

 



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第74話

 死の暴君(デスタイラント)

 それが、間もなくおれたちに襲来する六魔衆の名だ。

 

 もちろん、人類が勝手につけた名前である。

 あまりにも理不尽で傍若無人なそのありさまから、全長二十メートルにも届く五本首の竜は、そう名づけられた。

 

 こいつは、戦場での目撃例がない。

 ひどく気まぐれに、前線より少し奥に単独で浸透し、町を、砦を、破壊し尽くしては去っていくのだ。

 

 いちど、こんなことがあった。

 死の暴君(デスタイラント)が、いつものように単独で町を襲う際、聖教本部から派遣された精鋭とかち合ったのである。

 

 聖教はこれを好機と判断。

 その総力でもって死の暴君(デスタイラント)を包囲、討伐を試みた。

 

 彼らの勇敢な試みは、あえなく失敗した。

 聖教本部の精鋭は、この戦いで戦力の七割を喪失し、以後、組織的な抵抗が不可能となった。

 

 幸いなのは、このとき聖教本部の最精鋭たる聖僧騎士には被害がなかったことだろう。

 死の暴君(デスタイラント)との戦いに参加した五人の聖僧騎士は、ほかの仲間の献身によって、その全員がかろうじて逃げ延びた。

 

 今回、その彼らが雪辱戦を挑むかと思ったのだが……。

 どうやら聖僧騎士たちを指揮する者は、冷静に彼我の戦力比を計算した様子である。

 

 出撃した六人の聖僧騎士は、死の暴君(デスタイラント)を避けた。

 こちらに迫るもう一体の六魔衆である大いなる女王(エルダークイーン)の方を足止めするとのことである。

 

 おれとしても、死の暴君(デスタイラント)を相手にするのだけは勘弁、って感じなんだけどね……。

 なにせやつは、ゲームにおいても六魔衆で最強を誇り、加えて対多数の戦いに長けた相手なのだから。

 

 全長二十メートルの巨体でありながら、五本の首がそれぞれに動き、噛みついたり、尻尾でなぎ払ったり……。

 あるいはブレスを放ったりしてくるのだ。

 

 具体的には通常攻撃が全体攻撃で、二、三回攻撃くらいある。

 紙装甲のアリスにとっては、まさに天敵といってもいいだろう。

 

 

:敵は、くだんの物から放射される魔力を感知できる様子だ

 

 

 ディアスアレス王子が告げる。

 視聴者を意識して、くだんの物、の具体的な名称には触れない様子だ。

 

 

:我らの勝利条件は、くだんの物を封印の櫃に納め、誰とも知れぬ場所まで移送すること

:封印の櫃については、聖教本部より間もなくこの近くに搬送される予定ですわ

 

 

 マエリエル王女が補足を入れてくる。

 王城に詰めているこのふたりは、この短い間にあちこちと連絡をとりあい、細かい手続きや各所との調整をしてくれたに違いない。

 

 

:つまり、きみたちが死の暴君(デスタイラント)を倒す必要はないわけだ

:時間を稼いでください、健闘を祈っております

 

 

 時間を稼ぐだけの簡単な仕事。

 そうはいっても。

 

 くだんの物、つまり魔王の首を持っているリアリアリアがそれを無事、封印の櫃に納めるまで、呑気に相手が待ってくれているはずもない。

 少なくとも、死の暴君(デスタイラント)をおれたちで押さえつけ、邪魔させないようにして……。

 

 リアリアリアが離脱するだけの時間を稼ぐ必要がある、ということだ。

 

「エネス、あなたは部下と共に公都へ。わかりますね」

「ですが、リアリアリアさま……」

 

 エネス王女は、自分も戦うつもりだったのか、リアリアリアの指示に抵抗を示す。

 この会話が放送に乗らないよう、リアリアリアが指示して、カメラがおれとブルームを中心に映していた。

 

「消耗したあなたと第零では、六魔衆を相手に、足止めすらできません。ほかの者たちも実力が足りません。あなた方が公都の避難に尽力してくれる方が、よほど助かることですよ」

「かしこまりましたわ」

 

 理性では、それがよくわかっているのだろう。

 エネス王女は不承不承、といった様子でうなずいた。

 

「我々は離脱いたします。みなさん、どうかご無事で。エステル、アイシャ。あなた方も共に参りますよ」

「へいへーい。まっ、ぼくはもう魔力切れだからね」

「あの、わたくしは、まだいささか余裕がありますが……」

「アイシャはこんな危険な場所で端末を触るより、安全なところから魔力を送るべきでしょ。それができるのが王国放送(ヴィジョン)システムなんだから」

 

 その通りだ。

 今回は森が結界で覆われ、内外での通信が不可能だったからこそ彼女たちに危険を冒してもらったが……。

 

 安全なところから、危険な前線に魔力を送るシステム。

 それが本来の王国放送(ヴィジョン)システムである。

 

 特に、魔力量は膨大なものの戦闘力に欠ける王族たちの魔力を、前線の兵士が利用することができるというのが、とてつもなくおおきい。

 エネス王女のように戦闘が得意な者もいるけれど……。

 

 その彼女とて、専門で鍛えに鍛えた騎士や魔術師に比べれば、武芸では一歩も二歩も劣る。

 

 以前、おれや一般的な騎士の魔力を百として、シェリーがおよそ二千、リアリアリアが三千という話をしたと思うが……。

 この国の王族は、エステル王女でも優に一万を越えるのである。

 

 ちなみにアイシャ公女は特に魔力量がおおきく、数値にすると十万近いらしい。

 ほかにも二、三万クラスがごろごろいるというのが、品種改良を重ねに重ねた、この大陸の王族というものであった。

 

 この資源を無駄にすることなく、適切なかたちに変換して戦力化する。

 王国放送(ヴィジョン)システムの神髄とは、その点にあるのだった。

 

「アリスさま、ではせめて、これを」

 

 アイシャ公女は赤と青の指輪をはずし、おれに手渡してくる。

 おれはそのうち、バリアを張ることができる青い方だけを受けとり、右手の中指にはめた。

 

「ありがとう。こっちだけ、受けとっておくね。左手には回転制御(スピンコントロール)の指輪があるから」

「はい。――ご無事で」

 

 

:おっと、これは公女殿下からアリスちゃんへの婚約指輪かぁ?

:ロリとロリの婚約、いい

:こんな状況なのに、呑気なやつらがいるな……

 

 

 コメント欄で騒いでる奴らがいる。

 うちの王子たちはホントさぁ……。

 

 

        ※※※

 

 

 エネス王女たちと別れたあと。

 おれ、シェル、リアリアリア、ブルームの四人は、森の出口に近いあたりで立ち止まる。

 

 適宜送られてくるコメントによれば、敵はリアリアリアのいる位置を正確に把握し、間もなく到着するとのことであった。

 

「戦いの場を整えるといたしましょう」

 

 リアリアリアが小杖(ワンド)を振る。

 周囲の木々が虹色に輝き、景色が変化した。

 

 周囲の森が、一瞬で平原となる。

 続いて平原のあちこちから、象でも隠れることができそうな鋭くとがった大岩が、ぼこぼこと生えてきた。

 

 岩はみるみる高く成長し、高さ二十メートルを越える。

 斜めになった巨大ビルのようだな、と思った。

 

 それが無数に、周囲の空間に乱立する。

 よくみれば、その表面は黒く輝き、ただの岩石ではないようだった。

 

 ああ、これは、つまり……。

 怪獣映画で都心を舞台に防衛隊が活躍するようなシチュエーションをつくったってことか。

 

「破竜鉱、と呼ばれる鉱石です。竜のブレスから身を守る程度の遮蔽にはなりましょう」

 

 はたして、このフィールドをまたたく間につくりあげたリアリアリアは冷静に語る。

 

「無論、死の暴君(デスタイラント)の巨体にのしかかられれば砕ける程度のもの、頼りにするには、いささか心もとないものですが……」

「ううん、アリスにとってはとっても助かるよ!」

「吾輩にとっても、こちらの方が都合がよろしいですな」

 

 紙装甲で機動力頼りのおれに配慮しての、地形変更だろう。

 ブルームも歓迎してくれている。

 

 間もなく到着するであろうムルフィの場合、射線が遮られてしまってやりにくいかもしれないが……それはそれ、と考えておこう。

 そうして、待つことしばし。

 

 それが、やってきた。

 破壊の権化が。

 

 頭上に影が差す。

 間髪入れず、なにか巨大なものが落下してきた。

 

 大地が揺れ、立っていられなくなる。

 おれを除く皆が飛翔し、そして……。

 

 瞬時に暴風が吹き荒れた。

 ブルームをはじめとした皆が吹き飛ばされる。

 

「ちょっ、まっ」

 

 近くの破竜鉱の大岩が粉々に砕け、破片がおれを襲う。

 慌てて地面に着地し、即座に身を低くしたおれは、右手を突き出し、青の指輪からバリアを張った。

 

 がんっ、がんっ、と指輪のバリアにおおきな石がぶつかる音が響く。

 ひえー、こんなものが頭に当たったら、ただじゃ済まないぞ。

 

 おれ以外は、まあ自前のバリアでなんとかできるだろうけど……。

 風が吹き止む。

 

 おそるおそる顔をあげた。

 破竜鉱の大岩でつくられた障害物がことごとく消え、まっさらな平原が広がっていた。

 

「え――っ」

 

 百メートルほど先の平原に、丘が生まれている。

 いや、まるで丘のように巨大な存在がそこに立ち、周囲を睥睨しているのだ。

 

 四本足で、巨大な蜥蜴のような鱗だらけの胴体と太く長い尻尾を持った、全長二十メートルの巨体である。

 二対四枚でコウモリのような漆黒の翼が、ゆっくりと折りたたまれる。

 

 その上に繋がる首は五つに分かれ、それぞれの首の上に爬虫類の頭部があった。

 それぞれの首が、まるで蛇のようにうねり――一。

 

「死を」

 

 五つ首の竜、死の暴君(デスタイラント)

 その五対十個の真紅の瞳が、おれを睨んだ。

 

「授けよう」

 

 中央の頭が、爬虫類の口を動かしてそう告げた。

 五つの首が、一斉に空気を吸い込む。

 

 まずい、来る。

 おれは慌てて立ち上がるが、しかし――。

 

 五つの口から一斉に吐き出された炎はあまりにも広範囲に広がり、おれとおれの周囲数十メートルを飲み込もうとしていた。

 いまからでは逃げる場所がない。

 

 バリアを張ったところで、酸欠で死ぬ。

 確実な死が迫るなか――。

 

 平原から、ふたたび無数の岩石が隆起した。

 一瞬で、さきほどの破竜鉱のビルディングが再生する。

 

 炎が大岩に衝突して、弾かれた。

 

「このように、ある程度は自在に岩を操ることが可能なのです」

 

 背後でリアリアリアの声がする。

 いやいやいやいや、心臓に悪いからそういうの最初にいってくれ。

 

 

:あっぶなっ

:いまのマジでやばかった

:逃げ場なかったね、絶対にもう駄目だと思った

 

 

「わたしは場を整えることに専念いたします。アリス、ブルーム、攻撃は任せましたよ」

「おっけー、任せてっ」

「ふむ、腕が鳴りますな」

 

 ブルームが大岩のビルディングに飛び込む。

 おれも少し遅れて、それに続いた。

 



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第75話

 リアリアリアが生み出した破竜鉱のビルディングを、死の暴君(デスタイラント)は首や翼、尻尾を振りまわして破壊する。

 ほんの少し前までは森だった平原にいくつもの土煙がたち、無数の大岩、小岩が散乱する。

 

 その隙に、アリス(おれ)と聖僧騎士ブルームは敵の懐に飛び込んでいた。

 

 

:ありったけの魔力を送るよ

:がんばれ、アリスちゃん!

 

 

 コメント欄が高速で流れ、中継するシェルを通じておれの身体に膨大な魔力が流れこんでくる。

 それをすべて肉体増強(フィジカルエンチャント)にまわし、おれは対魔法剣(アンチマジック・ブレード)を鱗の隙間に突き立てる。

 

 同時にブルームが、大剣を腰だめに構え、全長二十メートルの巨竜の胴体に突進する。

 ふたりの一撃は――。

 

 かんっ、と。

 ふたつの乾いた音を立てて、弾かれた。

 

 かったっ。

 堅い、堅い、めちゃくちゃ堅い。

 

 反動で、思わず対魔法剣(アンチマジック・ブレード)をとり落としそうになった。

 手がしびれる、しびれる。

 

「むう……噂に聞いた竜の鱗、これほど硬いとは」

 

 以前、七人いる聖僧騎士のうち五人が死の暴君(デスタイラント)と交戦したと聞いたことがある。

 どうやらブルームは、そのとき戦わなかった者のひとりのようだ。

 

 渾身の一撃が跳ね返されたおれとブルームは空中でくるくる回転する。

 死の暴君(デスタイラント)が、鬱陶しそうに翼を羽ばたかせた。

 

 竜の周囲に暴風が吹き荒れた。

 おれの小柄な身体が引きちぎられそうだ。

 

 慌てて自己変化の魔法(セルフポリモーフ)で生やした白い翼を羽ばたかせ、暴風域から離脱する。

 ブルームも飛行魔法でおれに続き――。

 

 五つの頭部が、離脱したおれたちを見下ろしていることに気づく。

 そのうち三つの口が、おおきく開かれた。

 

 待ち構えられていたのだ。

 地上で暴れれば上空に待避すると、完全に読まれていた。

 

 口のなかに、ちろちろと炎の舌が揺らめく。

 まずい、来る。

 

 直後、紅蓮の炎が放たれるも――。

 またも地面から隆起した破竜鉱のビルディングが、その炎を防ぐ。

 

「ナイスタイミング! さんきゅっ、リアさまっ!」

 

 おれたちは、慌ててその場から離脱する。

 さて、窮地は脱したけど……。

 

「これさぁ、どうやってダメージを与えようか?」

 

 攻撃が通じないのでは、どうしようもない。

 こちらの勝利条件が相手を倒すことではないとはいえ、傷ひとつつけられないのでは、相手は好き放題できてしまう。

 

 はたして、この状況で通じる武器とは……。

 と、視界の隅で一行のコメントが走る。

 

 

:武器はムルフィが持っていった

 

 

 ディアスアレス王子のものだった。

 そうか、あれを、か。

 

「なら、到着までの時間を稼がないとね!」

「援軍を待つのですな! しぶとい戦いであれば、吾輩にお任せあれ!!」

 

 おれとブルームは左右に分かれ、破竜鉱の大岩群を壁として別々の方角から死の暴君(デスタイラント)の脇にまわりこんだ。

 タイミングを合わせて斬り込む。

 

 死の暴君(デスタイラント)は鬱陶しそうに、またコウモリの翼をおおきく羽ばたかせた。

 竜巻が起こり、おれの軽い身体が吹き飛ばされそうになる。

 

「まったくもうっ、おんなじことばっかり!! あははっ、五つも頭があって、同じことしかできないのかな!?」

 

 おれは旋風につかの間、身を任せたあと、回転制御(スピンコントロール)で己に乗った慣性を変化させた。

 相手の生んだ竜巻を利用して加速し、宙に飛び出す。

 

 その先にあるのは、いちばん左端の首の先端、竜の頭部のひとつであった。

 紅蓮の双眸が、驚きにおおきく見開かれている。

 

「アリスのごちそうを召しあがれっ!」

 

 おれはそのおおきな眼球めがけ、手にした袋の中身をぶちまけた。

 赤い粉が飛び散り、周囲に刺激臭が漂う。

 

 竜のいちばん左の頭は、それをまともに食らい――。

 悲鳴のような咆哮をあげ、激しく身もだえした。

 

 おれは慌てて、その場を離脱する。

 

 

:うわっ、めちゃくちゃ痛そうにしてる

:というか、ごちそうは目で食べるものではない

:なにを投げたの、アリスちゃん

 

 

「さっきエステル王女が魔法で出した、濃縮トウガラシの粉」

 

 

:料理魔法を攻撃に使うな

:いや、いい機転だと思うけど……

:え、うちの娘、また新しい料理魔法を開発したの?

 

 

 最後のコメントは王様だ。

 うん、開発したらしいよ、新しい料理魔法……。

 

 あのひと、そっち方面の限定的な才能だけは溢れてるんだよなあ。

 戦場では評価されない項目ですが。

 

 死の暴君(デスタイラント)はほかの四本の首も痛覚の一部を共有しているのか、めちゃくちゃ怒り狂って無差別に暴れ始めた。

 リアリアリアが、次々と壊される破竜鉱のビルディングを片っ端から再生させている。

 

 魔力が保つのかどうか不安になってくるが……。

 大魔術師たる彼女のことだ、なにか裏技を使って、うまくやってそうだな。

 

 ビルディングから少し離れた木陰に隠れているリアリアリアの方をちらりとみた。

 平然として、暴れる巨竜をじっと眺めている。

 

 彼女には彼女なりの勝算があるのだろう。

 こうなると、ひとのことより我が身の心配だ。

 

 巨竜から離れて遮蔽をとっていれば、たいした問題はないようにみえるが……。

 

「下等種どもが、忌々しい! きさまらなど、この地ごと砕いてくれるわ!」

 

 あ、キレた。

 死の暴君(デスタイラント)は翼をはためかせ、舞い上がろうとする。

 

 上空からブレスでなにもかも燃やし尽くそうというのか。

 それをされると、ちょっとまずいかな……。

 

 と、思ったのだが。

 その翼の端で、爆発が起こる。

 

 死の暴君(デスタイラント)はホバリング中に体勢を崩し、地面に落下した。

 地響きと共に大地がおおきく揺れ、土煙が巻き上がる。

 

「あれって……っ」

 

 

誘爆の魔法(インドゥークション)の爆発だな

:来たか

 

 

 いまの魔法を行使した人物が、おれのそばの地面に着地する。

 青い髪に紅の双眸の、アリス(おれ)より少し背が高い少女だ。

 

 いったいどこから飛んできたかもわからなかったが……。

 そのかたわらには、これまたいつ現れたのか、燃えるように赤い髪の少女がいる。

 

「ムルフィちゃん! テルファちゃん!」

 

 アリスとシェルに並ぶ、ヴェルン王国のもうひとつのエースチームだ。

 

「ほーっほっほっほ、ムルフィちゃんにかかれば、こんな蜥蜴ごとき一撃でパンッ! ですわっ! パンッ!」

「ん。姉さん、油断大敵」

 

 

:間に合ったか

:ムルフィちゃん来た、これは勝つる

:高笑いありがたい、ちょうど切らしてた

:つーかいま、なんで誘爆したの?

:いつもの禁術でしょ

:いつもの禁術とかいうパワーワード

:魔族と魔物を相手に使うのはアリって聖教のお触れも出てるからセーフ

:で、なんでそれが翼に効いたの?

:あの竜は、翼を起点にした魔力で飛んでた、ってことだと思う

 

 

 なるほど、死の暴君(デスタイラント)の翼がいかに力強かろうと、それだけで全長二十メートルの巨体を宙に浮かせることはできない。

 この巨竜は、翼をはためかせることで魔法を行使していたのだ。

 

 それを知っていたのか、それともただのカンなのか。

 ムルフィは、初手で死の暴君(デスタイラント)の翼に誘爆の魔法(インドゥークション)をかけ、飛行魔法に使われるはずの膨大な魔力を暴発させてみせた。

 

 やっぱりこの姉妹、おれなんかよりよっぽど魔法について造詣が深い。

 たぶん、おれが誘爆の魔法(インドゥークション)を使えても、こういう風に応用することは考えもしなかっただろう。

 

「アリスちゃん、これを渡しておきますわーっ」

 

 おれから十歩と少しの地面に着地したテルファが、マジックバッグから、彼女の身の丈よりもおおきな大槌をとり出した。

 それをおれに手渡そうと――。

 

 して、そのあまりの重さによろめく。

 

「おっとっと……おわあっ、ちょっ、お待ちくださいですわーっ」

 

 大槌を両手で握ったまま、あっちこっちへふらふらするテルファ。

 おいおい、肉体増強(フィジカルエンチャント)くらい使えるだろうに。

 

 ムルフィが、無表情にそんな姉を眺め、「んっ」と手を伸ばして大槌を奪いとった。

 

「けっこう、重い」

「けっこうどころじゃないですわーっ! わたくしちゃんと、肉体増強(フィジカルエンチャント)を使っていましたのよーっ」

「あはは、重力大槌(グラビティ・ハンマー)螺旋詠唱(スパチャ)ある前提の武器だからね!」

 

 そう、重力大槌(グラビティ・ハンマー)

 この、おれが握るにはいささかでかすぎる武器の名だ。

 

 これこそが、王国がおれのために用意した新たな秘密兵器、そのプロトタイプであった。

 実際のところ、こいつがどこまで通用するかはわからないが……。

 

 なに、それはこれから、すぐにわかることである。

 

「本当にごくろうさまっ!」

 

 おれは素直に感謝して、ムルフィから大槌を受けとる。

 うおっ、本当に重いな……。

 

 おれの場合、常時螺旋詠唱(スパチャ)された魔力を肉体増強(フィジカルエンチャント)にまわさなきゃ、持ち上げることすらできない。

 

 でも、それでいい。

 だからこそいい。

 

 ちょうど敵に向き直ったタイミングで、死の暴君(デスタイラント)が起き上がり、激しい怒りの咆哮をあげた。

 空気がびりびりと震え、全身が怖気立つ。

 

「それじゃ、いこっかっ!」

 

 おれは重力大槌(グラビティ・ハンマー)を手に、地面を蹴った。

 肉体増強(フィジカルエンチャント)で全身を限りなく強化し、この巨大な敵に対して矢のように距離を詰める。

 



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第76話

 全長二十メートルの五つ首竜、死の暴君(デスタイラント)が咆哮する。

 大気がびりびりと震え、地面が激しく揺れる。

 

 巨大な翼が左右に広がり、羽ばたく。

 ただそれだけで竜巻が生まれ、周囲の土や小石を吸い込みながら広がっていく。

 

 すさまじい突風で、少し離れたところにいたアリス(おれ)の小柄な身体が吹き飛ばされそうになり、重力大槌(グラビティ・ハンマー)を握ったまま、慌てて身をかがめる。

 ムルフィに空から叩き落とされた巨竜は、怒りに打ち震えて身をよじり、でたらめに暴れていた。

 

 おそらく、ムルフィの誘爆の魔法(インドゥークション)はさして効いていないのだろうが……。

 きっと初めてなのだ、これほどの屈辱は。

 

 脆弱なヒトによって、ぶざまに地面に転がったのは。

 それ故の、我を忘れるほどの怒りであった。

 

 つまりこれは。

 千載一遇の好機である。

 

 

        ※※※

 

 

 おれはゲームの設定を知っている。

 六魔衆のうち、五百年前の戦いを生き残った個体は紅の邪眼(ブラッドアイ)ともう一体のみ。

 

 王家狩り(クラウンハンター)をはじめとした残りの四体は、この五百年の間に生まれた存在である。

 なかでも死の暴君(デスタイラント)は、その随一の巨体にもかかわらず、つい最近……。

 

 そう、たった十年前に誕生した個体であった。

 それは、西の果ての地に閉じ込められた魔族たちが、長い時間をかけて竜種の遺伝子をいじり、無数の魔物たちを犠牲にして生み出したモノ。

 

 いわば究極の魔族なのであり……。

 西の果てに張られた結界を、その圧倒的な力で強引にこじ開け、魔王軍の侵攻を可能とした存在でもあった。

 

 そう。

 五百年前、どの魔族も成し遂げられなかったことをやってみせたのが、この死の暴君(デスタイラント)なのだ。

 

 死の暴君(デスタイラント)こそ、魔族の希望の象徴であった。

 しかし、どれほど強大であろうと、まだわずか十歳にすぎない。

 

 その精神はまだ幼く、本能のまま動こうとする。

 魔王軍は死の暴君(デスタイラント)を持て余し、この幼い暴君を好き勝手に行動させていた。

 

 その結果、人類側は小国がいくつも潰れて、聖教の主力も壊滅的な打撃を受けたわけだが……。

 それはたまたま、なのである。

 

 魔王軍側としては偶然、上手くいったにすぎなかった。

 死の暴君(デスタイラント)が癇癪を起こして魔王軍の本隊に乱入でもしていれば、多くの魔族や魔物がなすすべもなく狩られていたことだろう。

 

 ゲームでは、魔王軍の幹部が死の暴君(デスタイラント)の対応に苦慮する様子が描かれていた。

 なにせほかの六魔衆ですら、一対一では死の暴君(デスタイラント)を止められないのだ。

 

 傍若無人に、衝動のままに暴虐の限りを尽くす、魔王軍が数多の品種改良の末に生み出された破壊の権化。

 それこそが死の暴君(デスタイラント)であった。

 

 おれがこいつと戦いたくなかったいちばんの理由は、単純である。

 こいつが六魔衆でも最強だからだ。

 

 攻撃力もそうだが、特にいかなる攻撃も弾くその防御力がヤバい。

 生半可な攻撃ではダメージ1である。

 

 いつか倒さなければならない相手だとしても、いま、この状態で当たりたくない。

 そう思うのは、当然だろう。

 

 いやまあ、だからといって聖僧騎士たちに押しつけたところで、彼らがなんとかできるとは思えないが……。

 あいつらのうち五人は、いちどこいつと戦って、ある程度はデータを把握してるし、聖教本部の方でなにか手立てもあるかな、と……ブルームの反応をみるに、なかったっぽいけど。

 

 とはいえ悪いことばかりではない。

 ほかの六魔衆であれば、おそらく魔王の首を所持するリアリアリアが集中的に狙われたはずだ。

 

 こいつには、そこまでの考えがない。

 魔王の首が放射する魔力を感知してこの場までたどり着いたのだろうが、その具体的な場所を探るより前に攻撃され、しかも手ひどい侮辱まで受けて、完全にわれを失っていた。

 

 好都合なことだ。

 この戦い、おれたちの勝利条件は相手の討伐ではない。

 

 魔王の首を封印の櫃に隠した状態でこの場から離脱できれば、それだけで充分なのである。

 もっとも、こいつから逃げるということ自体、現状では困難を極めるのだが……。

 

 だからこそ、その隙をつくるべく。

 おれは新兵器の重力大槌(グラビティ・ハンマー)を握って死の暴君(デスタイラント)に近づいた。

 

 足踏みするたびに地面が激しく揺れ、暴風が吹き荒れ、まともに立っているのも難しいという状況で宙を舞い、迂回しながら接近を試みる。

 ブルームが魔力弾を連続して放ち、ムルフィが雷撃の魔法を無数に飛ばして相手の注意を引きつけてくれていた。

 

 リアリアリアが地面から破竜鉱の大岩を生み出す。

 そのビルディングを遮蔽として、おれは左まわりで視界を切りながら移動する。

 

「兄さん、タイミングを指示するね」

 

 大岩の向こう側がみえないおれのかわりに、シェルが風の魔法を操って囁き声を伝えてくる。

 

「さん、に――」

 

 おれは無言でうなずき、大岩の陰で立ち止まった。

 

「――いち、いま!」

 

 合図と共に、飛び出す。

 目の前に、黒い巨大な柱があった。

 

 それが死の暴君(デスタイラント)の右前脚であると認識する間もなく、両手で握った重力大槌(グラビティ・ハンマー)をそこに向けて振り下ろす。

 同時に、シェルから受けとった魔力をあらん限り大槌に流した。

 

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)の先端が、黄金色に輝く。

 インパクトの瞬間、大槌は爆発的に重量を増した。

 

 

        ※※※

 

 

 頑丈な相手に刃が通らず、打撃すらろくに通じないというなら、どうするか。

 ヴェルン王国の技術部は、ならば通じるだけの打撃力を用意すればいい、と考えた。

 

 十倍で駄目なら、百倍。

 百倍で駄目なら、千倍に。

 

 アホの発想である。

 普通、そうはならんやろ。

 

 なったのだ。

 打撃力とは、速度の二乗と質量の掛け算である。

 

 ならば槌を振るう速度を増加させたうえで、インパクトの瞬間だけ質量を増せばいいではないか。

 魔法ならば、それができるのではないか。

 

 魔力を質量に変換する魔法そのものは存在したが、その効率は非常に劣悪であった。

 ならば螺旋詠唱(スパイラルチャント)で魔力を供給すればいいではないか。

 

 無理である。

 無茶である。

 

 だが、その無理と無茶を通した結果として生まれたのが、重力大槌(グラビティ・ハンマー)なのであった。

 アリスを通じて螺旋詠唱(スパチャ)を大槌に注ぎ込み、圧倒的な打撃力を生み出すこの武器は、はたして――。

 

 耳を聾する轟音が響く。

 全身の骨に、衝撃が広がった。

 

 反動で、おれは大槌から手を離し吹き飛ばされる。

 あっ、これ両手首がぽっきりといったな。

 

 手首が折れなければ、身体中の骨が折れていたかもしれない。

 だからまあ、これは結果オーライ、なのだけど……。

 

 そっかー、はんどうかー。

 そこまで考えて設計しなかったな、設計部め。

 

 呑気に、現実逃避的に、そんなことを考えながら、おれは宙を舞った。

 視線を、重力大槌(グラビティ・ハンマー)を叩きつけた右前脚に向ける。

 

 大木のように太い鱗だらけの漆黒の脚が、重力大槌(グラビティ・ハンマー)を叩きつけた場所を起点として、あらぬ方向に曲がっていた。

 巨竜が、ゆっくりと前のめりに倒れていく。

 

 

:やりやがった

:脚を! 折った!

:まじか!

:え、ハンマーなんかで折れるものなの、あれ

:じつは骨が脆かったとか……ないよね

:ないない、というか死の暴君(デスタイラント)が負傷した記録がそもそもない

 

 

 そう、ろくに負傷を与えたことすらなかった人類軍である。

 さきほどの誘爆の魔法(インドゥークション)も、せいぜい相手を驚かせた程度であろう。

 

 これが、初めてまともに死の暴君(デスタイラント)に与えたダメージなのだ。

 

「アリスお姉ちゃん!」

 

 吹き飛ばされたおれは、巨竜の下敷きになる前に、空中でシェルに抱きかかえられる。

 彼女はおれを捕まえたまま、その場を離脱した。

 

 巨竜が五つの頭から地面に突っ伏し、地響きと共に大気がおおきく揺れる。

 おれのいる空中にも、その振動は届いた。

 

 空気の激しい擾乱のなか、おれとシェルは抱き合ったままくるくる宙を舞う。

 折れた手首が熱い。

 

「ちょっ、うわっ、お姉ちゃん! 折れてる、折れてる!」

 

 

:あちゃー、肉体増強(フィジカルエンチャント)してても手首が耐えきれなかったか

:下手したら身体中が粉々になってもおかしくなかった

:次への課題かな、柄の部分に振動を吸収する魔法を……いや、いっそ綺麗に折れた方が安全か?

:技術屋が、ヒトの心がない話をしてる

:いまさらでしょ……

 

 

 コメント欄で次の設計を始めるのはやめろ。

 つーか人体破壊前提で武器をつくるな。

 

「い、いますぐ治療するからっ! あと、お姉ちゃんの身体を壊す武器は次から絶対に駄目!」

 

 

:はい……

:シェルちゃんが全面的に正しい

:もうちょっと使用者を労わって

:でも良心を犠牲に六魔衆を倒せるなら、アリよりのアリでは?

:国が滅ぶよりマシではある

 

 

 シェルに治療されながら、離れた場所から倒れた死の暴君(デスタイラント)の様子を窺う。

 四本ある脚の一本を折られただけだというのに、六魔衆の最強は、五本の首をぐったりとさせていた。

 

 五組の目が、落ち着かない様子であちこち動いている。

 どうやら、これは……ひどく戸惑っているのか。

 

 

:そうか、この竜、ろくに痛みも感じたことがないのか?

:え、そんなことある?

:わからない、アリスちゃん、慎重に

 

 

「う、うん、もちろんだけど……でも」

 

 おれはシェルと共に地面に降りて、リアリアリアのもとへ駆け寄る。

 大魔術師は、いささか疲れた様子でおれを出迎えた。

 

 

「リアさま、大丈夫?」

「ええ、わたしの方は問題ありません。ですが、あの竜の様子は……」

「いまなら逃げられると思うよ、リアさま! こっちは後詰めになるから!」

 

 おれたちの勝利条件は、こいつを倒すことではない。

 聖教本部の部隊が持ってきているはずの封印櫃に魔王の首を収め、これを魔族の手が届かない場所まで移してしまうことが第一である。

 

 リアリアリアは、おれの唐突な言葉に一瞬だけ唇を噛んだあと……。

 

「わかりました。では、聖教本部の部隊と合流いたします」

 

 そう、すぐにうなずいてみせた。

 決断が早い!

 

 リアリアリアが、短く呪文を唱える。

 次の瞬間、彼女の姿は、ふっとかき消えた。

 

 透明化なのか短距離テレポートなのかはわからないが、とにかくこの場から彼女が動いたならば……。

 あとは、おれたちがどうやって時間を稼ぐか、である。

 

「ブルーム! ムルフィ! 死の暴君(デスタイラント)の方はどう?」

「未だ、戸惑っている様子であるな!」

「ん、でも、もうすぐ起き上がりそう」

 

 これで戦意を喪失してくれるならありがたかったのだが……。

 どうやら、そこまで都合よくはいかないらしい。

 

 ほどなくして、いっそう猛り狂った咆哮があがる。

 全身が怖気立つ。

 

 おれたちは改めて、気を引き締めた。

 

 



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第77話

 おれたちと死の暴君(デスタイラント)との戦いは続いている。

 いまは、リアリアリアが戦場から離れるための時間を稼ぐことが目的だ。

 

 聖僧騎士ブルームとムルフィが遠距離から魔法で攻撃を加えている。

 ダメージを与えることが目的ではなく、派手に土煙を巻き上げて、リアリアリアがいなくなっていることを悟られないようにしているのだ。

 

 しかし……。

 死の暴君(デスタイラント)が、その広く長い翼を振るう。

 

 旋風が、土煙を一瞬で消し飛ばした。

 その余波が、ソニックブームとなっておれたちを襲う。

 

 宙に浮いていたムルフィとテルファ、それにシェルが遠くに吹き飛ばされてしまう。

 おれとブルームは、懸命に地面にしがみついた。

 

 おれは、低い姿勢で前方に青い指輪でバリアを張る。

 バリアのおかげで、音速を超えた風圧をかろうじて耐え忍ぶことができた。

 

 バリアに、がすがすと石つぶてが衝突し、弾けていく。

 ブルームは顔の前に太い腕をかざしているが、彼の腕にも無数の小石が衝突し――。

 

 ごいん、ごいん、と音がして。

 その筋肉が、小石を弾いている。

 

 すげーなほんとこのひと。

 指輪のバリアのせいで、おれの魔力が急速に消耗していって――。

 

 あっ。

 くらり、ときた。

 

 やべっ、いつの間にか、螺旋詠唱(スパチャ)が切れてる。

 おれは慌てて、青い指輪のバリアを解除した。

 

 シェルが遠くに飛ばされてしまって、一時的に魔力リンクができなくなっていたのだ。

 危うく干からびるところだったぜ……。

 

 幸いにして、突風は止んでいた。

 身を伏せさせたまま、ふうと息を吐き出す。

 

「厄介ですな! あやつは、ただ無闇に暴れているだけ! にもかかわらず、手が出せなくなってしまいました!」

「時間を稼ぐなら、このままみているだけでもいいんじゃない?」

「前脚が一本折れたことで、自由に動けなくなったのは幸いですな」

 

 とはいえ、こいつはいつでも空を飛ぶことができる。

 無論、それはムルフィが禁術の誘爆の魔法(インドゥークション)を撃ち込む隙になるのだが……。

 

 そのムルフィはいま、遠くに吹き飛ばされてしまっていた。

 シェルともども、戻ってくるには少し時間がかかりそうだ。

 

 どこまで意図しての行動だったのか。

 はたして死の暴君(デスタイラント)はいまこそ好機とばかりに翼をはためかせ、宙に舞い上がる。

 

 五つの頭部が周囲を見渡し――それぞれ口が、おおきく開かれた。

 五つの火球が、遠くに飛ぶ。

 

 そう、火球はおれたちではなく、周囲の森を焼き払ったのだ。

 土煙があがり、着弾の衝撃で地面が激しく揺れた。

 

 死の暴君(デスタイラント)は、空中でホバリングしながら、さらにおおきく空気を吸い込み――次々と、それぞれの口がてんでばらばらに火球を放ち続ける。

 森は、たちまち火の海となった。

 

「劣等種! 劣等種! もはや許さん! 殺す! すり潰してやる!」

 

 死の暴君(デスタイラント)が、耳を聾する咆哮をあげる。

 おれの全身が恐怖でうち震え、その身がこわばり、地面から立ち上がることすらできない。

 

 これ、咆哮そのものが魔力を持って、おれの身体を打ちのめしているんだ。

 恐怖耐性の魔法がまだかかっているはずなのに、それを易々と貫通してくるなんて。

 

 そのとき、だった。

 

「喝――――っ!!!!!!!!」

 

 ブルームが、叫ぶ。

 その空気の波は死の暴君(デスタイラント)の咆哮を突き破り、おれの全身のこわばりを粉々に打ち砕いた。

 

 すごい、叫び声に魔力を乗せて、恐怖の咆哮を撥ねのけたんだ。

 ブルームは立ち上がり、死の暴君(デスタイラント)を睨む。

 

「理性を無くした魔物など! いかに強大であろうと!! いささかも恐怖する必要はありませんな!!!!」

 

 耳が痛くなるような大声でそう宣言して、口の端をつり上げてみせる。

 はー、かっこいい。

 

「この聖僧騎士、イケメンすぎるでしょ」

 

 

:おっとぉ?

:ちょっと、アリスちゃん?

:いまの言葉、どういうことかな!?

:詳しく

:中断してる間になにがあった?

 

 

 あっ、このタイミングで中継が戻った。

 つーか身体に魔力が戻ってきた。

 

「お姉ちゃん、ごめんっ! だいじょうぶだった?」

「ああ、うん、シェル。こっちは平気」

「それはそれとして、お姉ちゃん。いまの台詞の意味を詳しく教えてください」

「まってシェル、声が平坦だよ? 特に深い意味はないからね?」

「ん、わたしも興味がある」

「興味しんしんですわーっ」

 

 こいつら、わかってていってやがるな。

 かつてない強敵を目の前にしているっていうのに、ずいぶん呑気なことだ。

 

 いや、逆に頼もしいか。

 絶望的な状況でも諦めない、その不屈の魂をこそ、いまは尊ぶべきか。

 

 

:ところで、あまりよくない報告がある

 

 

 ディアスアレス王子のコメントだ。

 

「え、なに?」

 

 

死の暴君(デスタイラント)が無差別に火の玉を放ったせいで、炎上が広がり、聖教の応援部隊がこちらに近づけないとのことだ

 

 

 あー、それはたしかにまずい。

 リアリアリアが上手く逃げきれればいいのだが……。

 

 彼女のことだ、魔法で上手く炎から身を守ることくらいはできるだろう。

 あとはこっちが時間を稼げば……。

 

「お姉ちゃん、まずい」

 

 と、上空にあがったシェルが焦った声をあげる。

 

「炎のなかで、一ヶ所だけ――露骨にひとひとりぶん、炎が避けて穴になってる場所がある」

「え、えっと、リアさま、透明化してても位置がバレバレってこと!? っていうか、火の玉を乱射したのってそういう戦術!?」

 

 げっ、魔王の首を積極的に探してる様子ではなかったのに。

 てっきり、戦いの空気と血の臭いに酔ってると思ってたのに。

 

 はたして、上空の五つ首が、一斉にひとつの方角を向く。

 リアリアリアがさきほど走っていった方角だ。

 

 五つの口がおおきく息を吸い込む。

 口のなかから、ちろりちろりと赤い炎の舌がみえる。

 

 まずい。

 あんなの喰らったら、いくら大魔術師とはいえ、ひとたまりもないだろう。

 

「させない」

 

 ムルフィが死の暴君(デスタイラント)に向けて、火球を放つ。

 火球に偽装しているけれど、おそらくあれも誘爆の魔法(インドゥークション)だろう。

 

 翼にぶつけて、また落下させようというたくらみだ。

 リアリアリアとの距離はかなり離れているから、地面に落としてしまえば、いくらこいつでも射線に捉えることは不可能である。

 

 しかし――。

 竜の首のひとつが素早くムルフィの方を向き、火球に向かって炎を吐く。

 

 誘爆の魔法(インドゥークション)の火球が爆発し、炎はその爆発を貫いてムルフィを襲う。

 小柄な少女は慌ててバリアを張り、炎を遮断、すぐに落下してまだ無事だった森の木々のなかに身を隠す。

 

 

:怒りにわれを忘れているかと思ったけど、思ったより冷静か?

:本能じゃないの?

:厄介すぎる

:ムルフィちゃん、完全に目をつけられてる

:なんせやつには目が10個もあるからな、がはは

:笑えない……

 

 

 コメント欄がいつものノリすぎる。

 そんな悠長なこといってる場合じゃないんだけどぉ!?

 

 残る四発の火球が、一斉に発射される。

 それらはリアリアリアが逃げた方向に飛んでいき――。

 

 小山のように巨大な岩が、一瞬にして、地面からいくつも隆起した。

 リアリアリアの生み出した、破竜鉱のビルディングだ。

 

 火球は破竜鉱の大岩に衝突し、派手な爆発を起こす。

 まさかこのタイミングで防がれるとは思わなかったのか、死の暴君(デスタイラント)がつかの間、空中で硬直する。

 

 あ、そうか。

 死の暴君(デスタイラント)からすれば、魔王の気配を追っただけ。

 

 こいつは、破竜鉱のビルディングを生み出しているのが、その魔王の気配をまとった人物だとは知らないのだ。

 故に――やつにとっての好機、おれたちにとってのピンチで、みすみす絶好の機会を逃した。

 

 おおきな隙であった。

 

「やろう、ブルーム」

「うむ、アリス殿!!」

 

 おれはブルームと顔をみあわせ、互いにひとつうなずく。

 

 おれは、白い翼を広げて宙に舞い上がる。

 同時に、ブルームが見当違いの方向へ走り出す。

 

 阿吽の呼吸で、ブルームが死の暴君(デスタイラント)の飛び立った跡地に駆け出すのがみえた。

 互いに、いまどうすれば、この傍若無人なちからを誇る化け物にダメージを与えられるか、すでに理解している。

 

 

:アリスちゃん、無謀だよ!

:なにか秘策があるの?

 

 

「あるよっ!」

 

 反射的に、そう叫んでいた。

 おおきく両手を広げる。

 

「みんな! もういちど、アリスにちからを貸して!!」

 

 

:わかった、信じる

:ありったけ魔力をあげる

:ここで気絶するね

 

 

 シェルを通じて、おれの全身に魔力が溢れる。

 おれはちらりと、下をみた。

 

 おれとは別の方向に走るブルーム。

 その彼が、地面に落ちていた重力大槌(グラビティ・ハンマー)を拾い、ちょうどおれをみあげるところだった。

 

 おれは、うなずきを返す。

 

「いっけえっ!」

「むうんっ!!!!!!!」

 

 ブルームが、重力大槌(グラビティ・ハンマー)を両手で握り、ハンマー投げの要領でなんどか回転したあと、上空のおれめがけてこれを投擲する。

 彼の視線の先には――死の暴君(デスタイラント)が、未だ呆然とした様子でホバリングしていた。

 

 おれの頭上を飛び越えていこうとする重力大槌(グラビティ・ハンマー)に追いつき、その柄を握る。

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)の回転に巻き込まれて、おれ自身もぐるぐる回転しながら死の暴君(デスタイラント)に接近し――。

 

 回転制御(スピンコントロール)の指輪を起動させる。

 

「もう一発っ! どっっっっ――」

 

 おれの役目は、最後のコントロールだけ。

 最小限の方向転換だけ。

 

 にもかかわらず、もらった螺旋詠唱(スパチャ)のほとんどが消費されてしまう。

 やっぱりこの武器、欠陥品すぎるだろ!!

 

「――っっっっっっっかーんっ!」

 

 だが、いまはこの欠陥品だけが頼りだった。

 ほかの方法では、その鱗を傷つけることすらできない。

 

「りゃあああああああああああああっ!!」

 

 渾身の一撃を、おれは――。

 巨竜の左の前翼、そのつけ根に叩きつけた。

 

 インパクトの瞬間、空気が爆発する。

 反動で、重力大槌(グラビティ・ハンマー)がすっぽ抜けてなお、おれの身体が吹き飛ばされる。

 

 空中でホバリングしていた竜の巨躯が、ぐらりと揺れた。

 耳を聾する咆哮と共に、死の暴君(デスタイラント)が落下していく。

 

 



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第78話

 死の暴君(デスタイラント)に痛撃を与えたおれは、宙を舞いながら、ふと彼方を――。

 おれたちが逃げてきた北の方角を眺めた。

 

 そこでは、いままさに。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)とセミの戦いの決着がつきつつあった。

 

 空間に、巨大な赤黒い亀裂が生じている。

 その亀裂に、巨大な目玉の化け物が引きずり込まれようとしていた。

 

 紅の邪眼(ブラッドアイ)が、最後の抵抗とばかりに身をよじる。

 それだけで地面の木々が燃え上がり、周囲の空間に無差別の黒い点、空間の穴が開いていく。

 

 いったい、あそこでどれほどの魔力が渦巻いているのか。

 余人には介入もできない、超絶ハイレベルな戦いだ。

 

 だが、それでも。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)はじりじりと、亀裂のなかに飲み込まれていくのであった。

 

 セミの完全勝利だ。

 六魔衆を相手に、たったひとりでここまでやってのけるとは――。

 

 と、思ったとき、である。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)の眼球が、青く輝いた。

 

 次の瞬間、無数の青白い鎖が紅の邪眼(ブラッドアイ)を中心とした四方八方に飛ぶ。

 そのいくつかが、空間の裂け目の縁に()()()()()()

 

 紅の邪眼(ブラッドアイ)の身体は鎖によって、かろうじて亀裂のなかに飲み込まれることを逃れる。

 のみならず……。

 

 亀裂の鎖に触れた部分が、ぼろぼろと崩れていく。

 空間の裂け目そのものが、糸をほどくように崩壊していく。

 

 時空と時空を繋げる空間の縁。

 魔力で構築されたそれが、青白い鎖によって侵食され、破壊されていっているのだ。

 

 このままでは紅の邪眼(ブラッドアイ)は脱出に成功してしまう。

 加えて、ふたつの時空は歯止めを失って混ざり合い……。

 

 付近一帯がどうなるか、わかったものではなかった。

 かなり離れたこの場所にも影響があるかもしれない。

 

 ひょっとしたら、森の外も。

 あるいは近隣の村落のみならず、公都までも――。

 

 はたして、紅の邪眼(ブラッドアイ)は勝利を確信し――。

 その眼球が不気味に蠢いたあと、一点をみて、その動きをとめる。

 

 セミが、いた。

 いつの間にか、女は紅の邪眼(ブラッドアイ)のすぐそばの空間に浮かんでいた。

 

 遠くてよくわからないけれど、彼女は紅の邪眼(ブラッドアイ)に対してなにか囁いたようだった。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)が、動揺するように眼球を激しく動かす。

 

 セミの手が、紅の邪眼(ブラッドアイ)のてっぺんに触れた。

 とたん、青白い鎖がすべて弾け飛び、もとの魔力に還って消滅する。

 

 拘束するものがなくなった紅の邪眼(ブラッドアイ)が、ふたたび空間の裂け目の向こう側に飲み込まれていく。

 接触したセミと共に。

 

 おそらくは彼女のちからが、紅の邪眼(ブラッドアイ)の抵抗を抑えているのだ。

 たったひとりで、六魔衆の魔力と拮抗している。

 

 ひとりと一体の姿が、裂け目の向こう側に消えた。

 同時に、崩壊しかけていた裂け目が少しずつ小さくなり……。

 

 亀裂が、完全に消える。

 夕日に焼けた茜色の空だけが、そこに残った。

 

「セミさま……」

 

 おれは、呆然と呟く。

 

 

:なに、これ

:すごいものをみた

:え、紅の邪眼(ブラッドアイ)を封印したの、誰? ヒトなの?

:遠くてよくわからんかった

:ヤバいことが起こったのだけはわかった

:それより、死の暴君(デスタイラント)はどうなった?

 

 

 あ、そうだ。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)とセミの壮絶な戦いに気をとられていたけど、いまおれが戦っていたのは死の暴君(デスタイラント)である。

 

 その死の暴君(デスタイラント)は落下していき……。

 派手な音を立てて、森のなかにできた荒れ地に激突する。

 

 腹の底に響く音と共に、大地が、そして上空の大気が、おおきく揺れた。

 土砂が舞い上がり、そして……。

 

 地面に激しい亀裂が走る。

 地盤が崩れ、竜の巨体がその亀裂に埋まっていく。

 

 

:うわっ、このあたり脆かったのか?

:地下水が走ってたりする?

 

 

「あっ、この下って……」

 

 おれは気づく。

 そうだ、この森の下には……。

 

「すっごく広い地底湖があるんだよね」

 

 死の暴君(デスタイラント)は懸命にもがく。

 だが四肢を、翼を、尻尾を暴れさせるたびに、その巨体が災いし、次第に沈降していくのだった。

 

 リアリアリアが、命を賭けてつくった隙。

 それのおかげで、この巨体を地面に叩きつけることができた。

 

 セミは己を捨てる覚悟で、紅の邪眼(ブラッドアイ)もろとも空間の裂け目の向こう側に消えた。

 あるいはこの戦いの行方如何で、人類と魔族の雌雄を決するかもしれないと、そう信じて。

 

 なら――。

 おれは、覚悟を決める。

 

「ムルフィ!」

 

 落下しながら、おれは叫ぶ。

 森の木々の天蓋を割って、青髪の少女が宙に舞い上がった。

 

重力大槌(グラビティ・ハンマー)を!」

「んっ」

 

 ムルフィは、おれの手から弾かれやはり宙を舞っていた重力大槌(グラビティ・ハンマー)を回収する。

 同時に、おれは体勢を変えようとして……。

 

 激痛に、呻いた。

 ふとみれば、右腕がまた、へんな方向に曲がっていることに気づく。

 

 幸いにして今回、左の腕は無事みたいだ。

 おれは懐から、最後の黄金のコインをとり出すと、そのちからを解放させた。

 

 リアリアリアの魔力がこもったコインは無数の黄金色の粒子となって消滅し、温かい光の粒がおれの全身を包む。

 よし、右腕も動く!

 

 身体のあちこちの痛みも消えている。

 これ、思った以上に重傷だったっぽいな……。

 

 とはいえ、これで。

 もういちど、おれは戦える。

 

 

:え、まだやる気?

:無茶でしょ

:もう撤退でよくない?

 

 

「いまならノーリスクで殴れるんだよ? なら、殴らないと!」

 

 

:頭のなかに筋肉が詰まっていらっしゃる?

:でも、相手が不利なときに追撃するのは正しい

:よし、もう一発かましてやれ!

:ありったけの魔力、持ってけドロボー!

 

 

 膨大な螺旋詠唱(スパチャ)が、集まってくる。

 おれは翼をはためかせ、地中に半分埋もれた死の暴君(デスタイラント)に向かって落下した。

 

 振り返れば、頭上ではムルフィが、えいやっ、と重力大槌(グラビティ・ハンマー)を投げ下ろすところだった。

 投げた拍子に空中でバランスを崩し、彼女の小柄な身体が吹き飛ばされていく。

 

「ムルフィちゃん!」

 

 テルファが、慌てて妹を追いかけていく。

 ムルフィのことは彼女に任せておけば大丈夫だろう。

 

 落下してくる重力大槌(グラビティ・ハンマー)の柄を、みたび握る。

 回転制御(スピンコントロール)で落下の方向を微修正し、確実に死の暴君(デスタイラント)のもとへ――。

 

 その死の暴君(デスタイラント)が、落下してくるおれを認識したようだ。

 まだ埋もれていないふたつの首が、こちらを向く。

 

 その口から、紅蓮の炎が吐き出されるが――。

 

「そうは、させませんぞ」

 

 ブルームが、いつの間にかおれと死の暴君(デスタイラント)の間にいた。

 筋肉の天使は両手を前に突き出し、あらん限りの魔力を振り絞って結界を張る。

 

 炎と結界が激突し――。

 ほんの一瞬の均衡の後、結界が破砕され、ブルームの身体が吹き飛ばされる。

 

 その両腕が、真っ黒く炭化してしていた。

 ほんのわずかな時間でも竜のブレスを防いだ、その代償である。

 

 だが、これで充分。

 そのときすでに、おれの重力大槌(グラビティ・ハンマー)は炎の先端に到達している。

 

「潰れろおおおおおおおおおっ!」

 

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)の一撃が死の暴君(デスタイラント)のブレスをふたつに割り、さらに打ち下ろされる。

 そのまま一気に、死の暴君(デスタイラント)の中央の頭を叩き潰す。

 

 耳を聾する竜の悲鳴が、鼓膜を破る。

 渾身の一撃は、底なし沼のように沈む地面でもがく巨竜を、さらに地の底に沈めた。

 

 おれは重力大槌(グラビティ・ハンマー)から手を離して、反動で宙を舞う。

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)は巨竜と共に、地面に沈んでいった。

 

 少し遅れて、こんどは全身に激しい痛みが走る。

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)を使った反動だ。

 

 身動きひとつとれないまま、おれは落下する。

 そのまま、地面に飲み込まれようとして――。

 

 おれの身体が、地面すれすれで受け止められる。

 振り向けば、すぐそばにシェルの顔があった。

 

「また、無茶をした」

「ごめん」

「まったく、もうっ」

 

 シェルはおれを抱きかかえて上昇しつつ、ぶつくさ呟きながら、治療魔法を使う。

 おれの全身が、暖かい光に包まれた。

 

 おれは、意識を手放す。

 



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第79話

 死の暴君(デスタイラント)との死闘のあと。

 おれは、また三日ばかり昏睡状態に陥った。

 

 重力大槌(グラビティ・ハンマー)を三回も使用した後遺症である。

 全身の骨にヒビが入っていて、普通なら廃人一直線だったとか。

 

 それでも王国でも随一の治療魔術師がめちゃくちゃ頑張ってくれたとのこと。

 いやー、あれ完全に欠陥兵器だわ。

 

 とはいえ、その欠陥兵器がなければ、死の暴君(デスタイラント)には傷ひとつつけられなかった。

 王国の研究開発部門は、現在、改良品の開発に全力でとり組んでいるとのことである。

 

 使用者にかかる負荷を軽減し、安全性を追求しつつ威力を落とさない対策を練っているらしい。

 心から、エールを送りたい。

 

 いやほんと、がんばって欲しい……。

 起きたあと、またシェリーにひどく泣かれたのだ。

 

 なんどもなんども謝った。

 途中で我が妹は「もう兄さんと口を利いてあげないんだから」とスネてしまったが……。

 

「どれくらい? どれくらい口を利いてくれないんだ?」

「み、三日くらい、かな……?」

「では三日後に会おう、妹よ」

「あっ、兄さん! ちょっと、兄さん! まだ退院は許可されてないよ!」

 

 どさくさまぎれに、リハビリもそこそこに退院しようとしたところ、後ろから抱きつかれて阻止された。

 ちっ、うまく行くと思ったんだが……。

 

 そのあと、またふてくされてしまった妹をめちゃくちゃ甘やかした。

 病院のベッドのそばに椅子を持ってきたシェリーは、そこで昼も夜もおれを見張るといい出し、実際にそれを実行した。

 

 あるとき、こんな会話があった。

 

「兄さんは、さ」

「うん」

「わたしや父さんや母さんのために、頑張っているんだよね」

「まあ、それだけじゃないが……。そうだな、守りたいひとたちがいるから、頑張れているんだと思う」

「こんな無茶をしなきゃ、駄目なの?」

「たぶん、やらなきゃいけなかった」

「いつか、死んじゃうよ」

「そうならないように、シェリーやみんながおれを守ってくれるだろ?」

 

 シェリーは押し黙ってしまった。

 そのまま、じっとおれをみつめ続けた。

 

 ひどく、居心地が悪かった。

 

 

        ※※※

 

 

 戦いのあとのことについて、報告を受けた。

 

 観測班からの報告によれば、大いなる女王(エルダークイーン)は聖僧騎士たちとの戦いが膠着状態となった末、西の空に撤退したそうだ。

 死の暴君(デスタイラント)は、地底に沈んだまま、ついに出てこなかったという。

 

 激しかった戦いは、おれが意識を失っている間に、いちおうの終わりを告げていた。

 結果だけみれば、人類は六魔衆の三体の強襲を撃退し、魔王の首を手に入れたことになる。

 

 ただしセミは、未帰還。

 第零遊撃隊は多大な被害を受けた。

 

 また、死の暴君(デスタイラント)が沈んだ森であるが……。

 ふたたび森の結界が起動し、リアリアリアでも容易には侵入できなくなったとのことであった。

 

 セミがあらかじめ仕掛けていた魔法が動いたせいなのか。

 それとも、死の暴君(デスタイラント)によってなにか奇妙なことが起きたのか。

 

 あの幼稚な暴君が無事であれば、間違いなくふたたび大暴れしていたであろうから、なにかが暴君を押さえ込み、あるいはこれを封印してしまったのかもしれないが……。

 その様子を、森の外からうかがい知ることはできない。

 

「無理に結界を破壊することも可能かもしれませんが、死の暴君(デスタイラント)が内部で生きていた場合、どう反応するかわかりません」

 

 とリアリアリアはいっているという。

 迂闊に刺激して、藪蛇となっても困る。

 

 結局、くだんの森については聖教と王国から監視の部隊を派遣し、厳重に見守る、ということになった。

 いま人類は、時間を欲していた。

 

 ひとまず、わかっていることは。

 六魔衆のうち紅の邪眼(ブラッドアイ)死の暴君(デスタイラント)は魔王軍に帰還できなかった、ということ。

 

 現在、魔王軍にいる六魔衆は、大いなる女王(エルダークイーン)を含めて二体だけであること。

 魔王の身体も、首を始めとした半分以上は聖教本部の手にあるということ。

 

 しかし魔王軍の膨大な戦力は健在であり……。

 デスト帝国をほぼ完全に飲み込み、春にもヴェルン王国への侵攻を開始するであろうということである。

 

 

        ※※※

 

 リアリアリアがセミから受けとり、守り抜いた魔王の首について。

 

 聖教の本部では、魔王の首を厳重に封印しながら、その解析を続けているとのことであった。

 これをすぐにでも破壊できれば、それがいちばんいいのだが……。

 

 未だ、魔王の首の周囲に張り巡らされた不可思議なちからの結界を破ることができないでいるとのことである。

 そんなものがあると、セミは教えてくれなかったけれど……。

 

 いや、セミは最初、自分でそのへんをなんとかするつもりだったのかな。

 紅の邪眼(ブラッドアイ)と共に裂け目の向こう側に消えたのも、たぶん不本意なことだったろうし。

 

 彼女がどうなったのかは、わからない。

 たとえ生きていたとしても、無事に帰還できるかどうか……そもそも紅の邪眼(ブラッドアイ)との戦いがどうなったのかも、おれたちからでは観測できないのだ。

 

 故に、これから先は。

 おれたちが、独力で魔王を破壊するための手立てを探るしかない。

 

 そして、来たるべき魔王軍の侵略に備えるのだ。

 残された時間で、可能な限り。

 

 幸いなことは、自国のみならず周辺諸国の多くも、今回の放送をみていたことだろうか。

 魔王軍の真の脅威を、彼らはまざまざとみせつけられた。

 

 そして、魔王軍に対抗できる存在であるアリスとムルフィ、聖僧騎士のちからを理解した。

 もともとなんのちからも持たない市井の民はともかく、騎士以上の者たちは、アリスたちと死の暴君(デスタイラント)のおそるべきちからのぶつかり合いの意味を正確に認識したことだろう。

 

 それらは噂となって東方にも伝わり……。

 大陸の東の果てからも、ヴェルン王国に問い合わせが来ているという。

 

 彼らまで、王国放送(ヴィジョン)システムの導入を求めているのだという話であった。

 現在、リアリアリアの弟子たちの工房がすさまじいブラック労働で頑張っているというが……。

 

 魔王軍の侵攻再開までにどれだけシステムを普及できるかは、未だ未知数であるとのこと。

 我が国の王城は最近、夜でもあちこちで煌々と明かりの魔法が灯され、不夜城と呼ばれているとか、いないとか。

 

 エステル王女が料理の片手間に開発したスタミナドリンクを、官僚たちが競って買い漁ったという噂もある。

 おれとしては「なるべく頑張って、でも過労死しないで」とエールを送るしかない。

 

 

        ※※※

 

 

 見舞いに来た者のなかには、聖教関係者もいた。

 というか、聖僧騎士ブルームである。

 

 彼は握手しただけでアリスの正体をみやぶっていた。

 王国上層部としては、ならばいっそ、個人的な友誼を深めてもらおうと考えたようだ。

 

 病室に入ってきたブルームは大声でおれのことをアリスと呼びそうになったため、シェリーが慌てて魔法で結界を張り、音が部屋の外に漏れないようにした。

 今回大活躍でファンクラブもできたという噂の聖僧騎士は、巨体を縮こまらせて謝罪した。

 

「無事でなによりですな!!」

「そういうあなたこそ」

 

 彼の怪我はとうに完治していた。

 灰となった両腕も、元通りの筋肉をとり戻していた。

 

 後遺症は皆無で、あの戦いの翌日にはもうぴんぴんしていたとのこと。

 

「これも、日頃の鍛錬のおかげです!」

 

 マッスルポーズでそんなことを叫ぶ彼を、おれとシェリーはジト目でみつめた。

 

「改めて、アラン殿。あのときの戦いでの、あなたの勇気に感謝を」

「おれの方こそ、ブルーム殿。あなたがいなければ、きっとおれたちに勝利はなかった」

 

 おれたちは、がっちりと握手を交わす。

 ちなみにそのあと、ブルームはシェリーとも握手したが、なぜか我が妹はガチガチに緊張していた。

 

「ご、ごめんなさい、ブルームさん。その……久しぶりに、こっちの姿で外の人と話をしたから……。その、お仕事とかなら平気、なんだけど」

「すまん、ブルーム。妹はもともと人見知りでな。仕事のときは、仮面をかぶる感じでなんとかしているらしいんだが……」

「ふむ、元来の性質を無理に曲げるものでもありません。お気になさらず。少しずつ、慣れていきましょう」

 

 ブルームはいかつい顔を歪めて笑う。

 このひと、シャイな子どもに慣れてるっぽい感じだ。

 

 児童施設とかをよく訪問する系男子なんだろうか。

 聖教本部には大規模な孤児院もあるというし、そういうことなのかもしれない。

 

「いやあ、それにしても。素顔のアラン殿も素敵な方ですな!」

「え!? わっ、わわっ、わわわっ」

 

 なぜか、シェリーが顔を真っ赤にして慌てはじめる。

 いや、たぶんそういう意味はこれっぽっちもないと思うぞ。

 

 兄としては、妹の将来が心配である。

 

「しかし、アラン殿」

「なんですか、ブルーム」

「あなたが普通の男性の口調で話していると、吾輩、いささか違和感が……」

「だからあれは営業なんだよ!」

 

 

        ※※※

 

 

 入院しているうちにも、日々は飛ぶように過ぎる。

 めっきり寒くなってきたなと思っていたら、王都に雪が降り始めた。

 

 本格的な冬の到来だ。

 こたつで猫のように丸くなりたい。

 

 残念ながら、この国にはこたつなんて素敵な暖房具は存在しないのだけども……。

 と思ったら、いつの間にかリアリアリアが、こたつ型の暖房魔導具を開発していた。

 

 退院しリアリアリアの屋敷に帰還してから、すぐのこと。

 彼女の部屋を訪ねてみたら、床に分厚い絨毯を敷いて、その上にこたつにしか思えない机が鎮座していたのだから、思わず目が点になる。

 

「あなたの記憶から、便利なものはなるべく実用化しようと思ったのです」

 

 リアリアリアは、書類の束から顔をあげて、反対側に座るよう仕草で促す。

 おれは靴を脱ぎ絨毯にあがると、彼女の反対側に座った。

 

 正座して、膝をこたつに突っ込む。

 おお……久しく忘れていたぬくもりだ。

 

「身体の加減はいかがですか、アラン」

「おかげさまで、おおむね問題ありません。この調子であれば……」

「魔王軍との戦いが終わるまでは、身体が保つと? 診断結果は聞いています。外見の傷は癒えても、身体のなかに溜まった負荷は、少しずつ蓄積しているそうですね」

「妹にはいわないでくださいよ。あまり心配させたくない」

「もちろんです。あなたもシェリーも、必要な戦力ですからね。だからこそ、無茶をされては困ると申しています。三度目の重力大槌(グラビティ・ハンマー)は無茶でした」

 

 重ね重ね、申し訳ない……。

 とはいえあのときは、少しでも死の暴君(デスタイラント)にダメージを与えることが必要だと思ったのだ。

 

 気絶するまで戦ってしまうのは、そうまでしないと六魔衆を相手にできないからである。

 加えて今回は、死の暴君(デスタイラント)というとびきりの強敵であった。

 

「冬の間は、ゆっくりと身体を休めて欲しいですね」

「そうします」

「といいつつ、どんな鍛錬をしようかと考えているでしょう」

「心を読まないでください」

「魔法など使わなくてもわかりますよ。エリカには暇を与えて、家族と過ごすよう命じました。あなたのお師匠さまは、しばらく帰ってきませんよ」

 

 げっ、師匠に相談しようと思ってたのに。

 道理で、屋敷にいないわけだ……。

 

 リアリアリアには、先手、先手を打たれている。

 いや、彼女もシェリーも、おれのことを心配してくれているのはわかるんだけども。

 

「トリアの疎開は始まっていますからね。ご両親は?」

「手紙が来ました。もう東の方に避難したから、心配するなって書かれていましたよ」

「それはなによりです。疎開先がわかるなら、あなたも、ご両親と会ってきてはどうですか」

「それは……いいかもしれません。あの、妹は……」

「シェリーにも暇を出しましょう」

「ありがとうございます」

 

 なんていい上司なんだ。

 いや、彼女としても、おれとシェリーが万全でなければ困るということなんだろうけど。

 

 じつはいちど、見舞いに来てくれたエステル王女とアイシャ公女にもそういわれている。

 万全の体調になるまでは休め、とディアスアレス王子からの命令をわざわざ伝えに来たのである。

 

 くれぐれも、無理や無茶をしないように、と。

 いやーみんな、おれをなんだと思っているのかねえ。

 

 そんなに無茶はしないさ。

 ………。

 

 ………………。

 しない、はずだ、よ?

 

「もちろん、なにかあれば、情報はすぐに共有いたします。安心して休んでください」

 

 リアリアリアからそこまでいわれてしまえば、おれとしても休まざるを得ない。

 かくして、おれはしばしの間、剣を置くことになったのである。

 

 この冬が、きっと最後の安らぎになるだろう。

 それだけはたしかなことだった。

 

 




この先の展開をいろいろ考えたいため、ひとまずここでしばらくお休みさせていただきます。

また、さきほどこちらの方を更新しました。
よろしければ是非。
感想、評価等いただけると泣いて喜びます。

死ぬに死ねない中年狙撃魔術師
https://syosetu.org/novel/309074/


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