風の聖痕――電子の従者 (陰陽師)
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プロローグ

「ふふふふふ、あはは、あははは、あはははははは!!!!!!!」

 

その男は狂ったかのように乾いた笑い声を上げる。

彼はたった今、目的を成し遂げた。

唯一にして、絶対の目的。

復讐と言う、たった一つの目的を。

 

彼には恋人がいた。愛しい、愛しい、何に変えても守りたい人が。

一族に蔑まれ、両親に愛されず、最後には無能者と言う烙印を押され、半ば追放される形で放り出された。

何もかもが嫌になり、命を絶つことまで考えた。

 

そんな彼を救ってくれたのが、翠鈴と言う一人の少女だった。

自分を自分としてみてくれた初めての人。

自分を必要としてくれた初めての人。

自分が絶対に何においても守ろうと決意した人。

 

でもその人はもういない。この世のどこにも、あの世にさえ・・・・・・・・。

彼女は悪魔の生贄にされた。その魂は決して救われる事が無いものとなった。

輪廻転生の輪からはずれ、成仏する事も、この世に迷い出る事も無くなった。

どんな形でさえ、もう二度と会うことができない女性。

彼は守れなかった。何よりも守りたかった一人の女性を。

 

その結果、彼は手に入れた。

風の頂点に君臨する力を。

皮肉なものである。彼が力に目覚めたのは、自分の命が消えかけようとした時。

彼女が殺されそうな時も、彼女が殺された瞬間でもない。

自分の命が失われかけた時・・・・・・・・・。

 

何の意味もなかった。

何の価値も無かった。

口先だけで何もできなかった。

彼は嘆いた。彼は自分の馬鹿さ加減に心底嫌気が指した。

自分の命よりも彼女の方が大切ではなかったのかと。

彼女を守りたいのではなかったのではないのかと。

 

だがすべては後の祭り。

彼には何も残されていなかった。

いや、一つだけ残されたものがあったというべきか。

それは恋人を殺した相手への恨み、憎しみ、殺意。負の感情の渦。

 

彼は復讐を決意する。

誰も彼を止める事はできない。誰も邪魔をさせない。

その決意は確かなものだった。

彼は翠鈴を生贄に捧げた首謀者を殺す事だけを目的として力を磨いた。

邪魔をする者は老若男女誰であろうと殺した。

戦う力を失くした者であろうが、戦意を喪失したものであろうが容赦しなかった。

 

そして彼はついに復讐を成し遂げた。

 

彼―――八神和麻―――は笑う。

 

狂ったように笑い続ける。

けれども心は満たされない。達成感など沸きはしない。

ただただ空虚な思いだけが、彼の心を埋め尽くす。

不倶戴天の相手を八つ裂きにして、百グラム以下まで粉々にし、その魂は契約していた悪魔に食われたか地獄の底にでも落としたのに、和麻の心は満たされない。

 

復讐の果てには何も無い。

最初からわかっていた事だ。奴を殺しても翠鈴は帰ってこない。

けれども彼にはこれしかなかった。これだけが和麻を突き動かす原動力だったのだから。

主のいなくなった玉座を眺めつつ、和麻は最後の力を解放する。

こんな場所要らない。こんな墓標、あいつには必要ない。

跡形もなく、すべてを消し飛ばす。

 

和麻は大型の台風にも匹敵する力を収束させ、一気に解き放つ。

全てを切り裂き、吹き飛ばし、粉々にする暴風。

和麻の意思を汲み取り、風は主を失った城を文字通り消滅させた。

 

そこには建物があったはずだが、すべて消し飛んだ。

周囲には小さな破片が空から落ちてくる。

消し飛ばし損ねた残骸のようだが、今の和麻にとってはどうでもいい。

 

彼は無傷だし、残骸が彼に向かって落ちてくることは無い。

風ですべての軌道を変えているのだから。

和麻にしてみれば、忌々しいあの男の城を消し飛ばせれば、それでよかったのだから。

 

「・・・・・・・・・・・終わった。終わっちまったな」

 

ポツリと呟く。復讐以外に何も目的を持たない男は、道しるべを見失った。

目の前に広がるのは闇。何も見えない深い闇。

復讐を糧に生きていた際は、彼には確かに道が見えていた。

血で塗り固められた道が。

 

けれども今はそれすら見えない。

残党狩りでもしてもいいが、そんな気にもなれない。

どの道、何をしようにも気力がわかない。

 

カタリ・・・・・・。

 

そんな折、和麻の耳に何か硬いものが落ちるような音がした。

粉々になった破片の一つだろうと思ったが、何故かその音が気になった。

和麻は音のした方を見る。そこにはこの場には不釣合いな物体が転がっていた。

 

「ノート、パソコン?」

 

それ自体は何の変哲も無い、珍しくも無いノートパソコン。

しかしそれがある場所が問題だった。

ここは和麻の恋人を奪った男――アーウィン・レスザール―――の居城にして、魔術結社アルマゲストの総本山。

 

現代社会において、魔術結社にもパソコンの一台くらい置いてあるかもしれないが、何となく不釣合いに思えた。

 

それに和麻が『視た』限りでは、パソコン自体にも何かしらの力があるように見えた。

 

気にならないといえば嘘になる。

 

復讐を終えて、何もする事がなくなった和麻は、とりあえずどうでもいいかと考えパソコンを手に取ろうとして・・・・・・・・やめた。

 

「なんか、嫌な感じがするな。やめとくか・・・・・・・」

『って! なんでやめるですかー!?』

 

手を伸ばそうとして、途中でやめるとどこからともなく声が聞こえた。

声はパソコンからしたようだ。

ポワンと光り輝くと、中から一人の少女が浮かび上がる。

和麻は少しパソコンから距離を取り、即座に風による攻撃を開始した。

 

「って、ええぇぇぇっ!?」

 

驚愕の表情を浮かべる少女だが、彼女は何とかパソコンを抱えて一撃目を回避した。

 

「い、いきなり攻撃って!?」

「ちっ、外したか」

「しかも舌打ち!? ちょ、ちょっと待ってください! せ、せめて話を・・・・・」

「とっとと消えろ」

「ストップ! ストップです!」

 

少女はどこからともなく取り出した白旗を振り、何とか相手からの攻撃を止めようとする。

和麻はその様子を見て、攻撃を止めようと・・・・・・・。

 

「だが、断る」

 

しなかった。

風の刃が一刀、少女に向かい振り下ろされる。

 

「げ、外道ですよ!」

 

涙目になりながら、少女は両手を前に突き出す。

少女の眼前に生まれるのは魔力の障壁。

自らの命がかかった場面において、少女は自分自身からありったけの力をかき集める。

死にたくない、消えたくない、と言う思いで一心に風の刃を防いだ。

 

その様子に和麻は少し驚く。少し手を抜きすぎたか。

違う。これは単純に自分が消耗しているだけだ。

アーウィンとの死闘やこの建物を粉砕するのにかなりの力を使いすぎた。

まさかあんな小娘に防がれるとは。些かプライドを傷つけられた。

 

「し、死ぬ・・・・・・・・」

 

へなへなと少女は地面に倒れこむと、そのまま姿を消した。

 

『な、なんてことするですかー! 死ぬかと思ったのですよー!』

 

と抗議の声が聞こえてくる。それはパソコンから聞こえてきた。

 

「パソコンに取り憑いてんのか・・・・・・・・。ここにあるってことはあいつの所有物・・・・・・・。とりあえずぶっ壊しておくか」

 

和麻のパソコンを見る目が厳しくなる。まるで親の敵を見るような目。

実際、和麻は恋人を殺されているのだからその表現は決して間違ってはいない。

 

『わーわー! ストップです! お願いですからせめて話を聞いてください! ウィル子は何もしません! て言うか、本当に怖いです! 目が怖いです! まるで何十人も殺した人殺しのような目なのです!』

 

がくがくぶるぶると震える少女――ウィル子。

彼女の感想も決して間違ってはいない。

和麻はここに来るまでに大勢の相手を殺している。

アーウィンやその取り巻きやら末端まで含めると三桁にも及ぶ。

いや、間接的に考えればもっと殺しているのだ。

 

人斬りや快楽殺人者など目では無いくらいの圧倒的人数を、和麻はその手で殺しているのだ。

その中には女や見た目子供や、実際年齢も子供や含まれている。中々に外道である。

和麻は何の反応も見せない。いや、逆に周囲に風を集めて

 

『ううっ・・・・・・・。ウィル子はこんなところで死ぬのですね。へんてこな男に捕まって、外にも出れずにずっといて、やっと開放されたかと思ったら、話も聞いてくれない人に殺されるなんて・・・・・・・・』

 

ううぅっと涙を流す。ちなみにパソコンから声が聞こえるだけで、和麻にはその姿は見えていないが。

 

「・・・・・・・・鬱陶しい」

『ひどっ! あなたはそれでも人ですか!? 良心のある人間ですか!? とウィル子は切実に訴えてみます!』

 

和麻がポツリと呟いた言葉に、ウィル子は憤慨した。

 

「ああっ? お前、自分の立場がわかってんのか?」

 

『ひぃぃっ!』

 

眼を飛ばされ、ドスの利いた声を送られ、ウィル子は震え上がり縮こまる。

 

「まあいい。お前に質問する。簡潔に答えろ。俺の望む答えが返ってこなかったらぶっ壊す。俺の気に食わない答えが返ってきてもぶっ壊す。俺がむかついてもぶっ壊す。わかったな?」

『あ、あのー、それは全部同じ意味なのでは?』

「・・・・・・・・・なんか言ったか?」

『いえ、何も言って無いです!』

 

ツッコミを入れいれたのだが、逆に恐ろしい目で睨まれた。

ウィル子は戦々恐々しながら、和麻の質問に答える事にした。

 

「お前は何者だ?」

 

『ウィル子はPCの精霊なのです。超愉快型極悪感染ウィルス・ウィル子21。ちなみに正式名称はWill.CO21なのです』

 

PC、突き詰めれば電子の精霊らしい。

精霊と言う言葉はよく耳にするが、電子の精霊など初めて聞いた。

 

「なんでお前はここにいた? アーウィンの関係者か?」

『アーウィンってあのいけ好かない奴ですか? 違うですよ! ウィル子は被害者なのです!』

 

ぷんぷんと怒ったように言う。どうやらアーウィンの仲間と言うわけでは無いらしい。

 

『聞くも涙、語るも涙のウィル子の・・・・・・・』

 

ザシュっと風の刃がパソコンの横の地面を切り裂いた。

汗がこぼれ、ウィル子はサーと血の気が引いたような気がした。

 

「話は簡潔に手短にしろと言ったはずだが?」

『は、はいなのです!』

 

有無を言わさぬ言葉にウィル子は簡潔に答える。

ウィル子はウィルスであちこちのパソコンに侵入してはデータを食い漁っていた。

しかし丁度半年ほど前、たまたま侵入したパソコンがアルマゲストのアーウィンの使っていたものだったらしい。

アーウィンはウィル子の存在に気づくと、そのまま魔術で彼女を捕獲し、自らのパソコンに封じ込めていたらしい。

 

曰く、長く生きてきたがお前のような存在を見るのは初めてだ。

と言い、探究心や色々なものが刺激されウィル子を研究しようとしたらしい。

こちらから契約を取り付けて利用してやろうと考えたが、そんな甘い考えが通用する相手ではなく、逆にいいようにやり込められ自由を奪われていた。

 

いくら電子の世界にいようとも、精霊と言うカテゴリーにあったウィル子はアーウィンの術から逃れる事ができず、ネットからも隔絶され、電源も必要最低限のものしか与えられなかった。

そのためにウィル子は何もできずに半年間、このパソコン内で生活していたらしい。

ウィル子の話を聞いて、和麻はほうっと小さな声を漏らした。

 

『ちなみに実体化とさっきの攻撃を防いだせいで、もうウィル子には力が残っていないのです・・・・・・・・。このパソコンの電池も残り僅か』

 

つまりはもうまもなく消滅すると言う事だろう。和麻にとってはどうでもいい話だが。

 

『あっ! 今どうでもいいって思いましたね! そうですね!? そうなのですね!?』

 

ぎゃあぎゃあと喚くウィル子だが、消滅間際なのによくもまあ元気なものだと和麻は感心する。

 

『ふぎゃぁ!』

 

和麻は思わず足でパソコンを踏みつけてやった。

しかしそれが災いした。和麻にしてみれば致命的なミスとも言えよう。

 

「!?」

 

自分の体から、何かが吸い出される感覚がした。バッと和麻は後ろに飛びのく。

 

『にひひひ・・・・・・失敗しましたね』

 

ブンッと再びウィル子がパソコンから実体化した。

 

「マスターの霊力を頂きました。って物凄い霊力ですね。ちょっとだけもらったはずなのに充電がMAXの電池よりも多いなんて」

 

「・・・・・・・・・・」

 

和麻は無言でウィル子を見る。その様子でウィル子は背筋が物凄く冷たくなった。

 

「ちょっ! 待つですよ! べ、別に今のはウィル子が意図してやったのではなく不可抗力なのです! ウィル子はマスターに害を及ぼす事をしないです!」

 

本来は人間にも感染して、感染したものを電気とネット回線を貢ぐだけの奴隷にするのだが、そんな事を目の前の男に言えばどうなるのか、先ほどのやり取りで十分理解している。

間違いなく消滅させられる。跡形もなく、それこそ一瞬で。

なぜかウィル子にはそれが理解できた。

未来予知能力など無いが、絶対運命のように決定した物事のように思えてしまった。

土下座しながら平謝り。何とか平に平にと相手をなだめる。

 

「おい。今、俺のことをマスターと言ったな?」

「えっ? あっ、はい。いいましたけど・・・・・・・・」

「つまりあの一瞬で俺とお前に契約が結ばれたと?」

「いえ、まだ仮契約の段階です。本契約をする場合はこのパソコンを起動させてWill.CO21を起動させてもらわなければ・・・・・・・」

「ほう。つまりお前の本体であるパソコンを潰せばいいと」

「って、やっぱりそんな流れに!?」

 

涙を流すウィル子。やっぱり消滅させられるんだと嘆く。

しかし相手に泣き落としが通用しないのは今までのやり取りを見ていれば十分にわかる。

自分の利点を語っても軽く一蹴されてしまうだろう。

と言うよりもウィル子はウィルスであり、様々な犯罪行為に手を染めてきている。

消滅させられてもいたし方が無いのかもしれないが・・・・・・・・。

 

「それにしても、それにしたって、こんなのはあんまりなのですー!」

 

うわーんと思いっきり泣き叫ぶ。あまりにも理不尽。あまりにも不条理。

変な男に捕まったと思ったら、変な男に殺されかける。

別の世界の自分は情け無く、何の力も無い男のパートナーになっていると言う電波を受信したが、この世界で自分がであった相手は力はあるのにまったく誠実ではなく最悪の連中ばかりである。

どうしてこんなにもマスター運が無いのだろうか。

 

「せめて、せめてお腹いっぱいHDのデータを食べたかったですー!」

 

泣きじゃくるウィル子に対して和麻は。

 

「うるさい、黙れ」

 

と踵落としをかましてやった。

 

「はぐっ! ひ、酷すぎるですよ! もっとここは優しく頭を撫でるとか、抱きしめるとか慰めるとか、ウィル子のマスターになってくれるとかそんな選択肢があるはずでは!?」

「知るか、アホ。なんで俺が見ず知らずの相手を気遣わなきゃならない? お前、この俺に何を期待してんだ、ああっ?」

「か、完全にチンピラです・・・・・・・」

 

ウィル子から見れば、和麻はどうみてもチンピラであった。

ただし性質が悪いのは、ただのチンピラではなく力を持ったチンピラであると言う点であろう。

 

「それにマスターになってくれだぁっ? お前のマスターになって、俺にどんな利点がある? 何か俺に利益があるのか? ウィルスを手元において、俺にどんな得がある?」

「ええとですね。ウィル子はウィルスなので電子上ならどんなところにでも侵入できるですよ」

「ほう。ちなみにアンチウィルスソフトが相手だと?」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 

嫌な沈黙が両者の間で流れる。緊張しているのはウィル子だけであるが。

 

「・・・・・・・・・・よし。潰すか」

「ひぃぃっ! 待って、待ってくださいですー!」

 

悶着を繰り返す二人。

風の契約者と電子の精霊が織り成す物語。

神と契約を結んだ男と、後に神になる神の雛形たる少女のお話。

彼らの出会いがどんな物語を引き起こすのか。

後にこの二人が色々な騒動を引き起こし、世界や一部の人々を混乱に陥れるのは別の話である。

 

 



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第一話

八神和麻とウィル子が出会い一年が過ぎた。

その一年の間に、二人は様々な事件を巻き起こした。

某国国家機密漏洩事件、マフィア秘密口座横領事件、特定個人情報流出事件などなど、大小さまざまな犯罪行為に手を染めていた。

 

彼らは気の向くまま、無計画に、あるいは計画的に自分達の能力を悪用してガッポリと儲けていた。

風によりすべての事象を識る事ができる八神和麻と、その彼と契約を結びさらにその能力を高めたウィル子。

彼らに知りえない情報など何も無い。紙媒体の文章であろうが、電子世界にしかない情報であろうが、何でも彼らは手に入れた。

 

ネットから隔離された施設であろうと、どれだけ厳重な警備を敷いた施設であろうと、二人の手にかかれば無力だった。

光学迷彩やら気配遮断、機動力に優れ隠密行動を得意とし、いかなる場所にも潜入できる和麻と、電子機器に触れるだけでそれらをすべて乗っ取ってしまうことができるウィル子。

 

このコンビはまさに凶悪そのものであった。

彼らは調子に乗り、次々に難攻不落の要塞に侵入を繰り返した。

ただしNASAやペンタゴン、ホワイトハウスやクレムリンなどにはまだ侵入していない。

さすがにリスクが大きすぎるのと、和麻にしてみれば大して旨みが無かったからである。

 

やろうと思えば事前準備をきっちりすれば可能だろうとは思う。

ウィル子は断固抗議したが、彼は無理やり力ずくでウィル子を黙らせた。

下手に手を出せば、自分達が世界中から追われることが目に見えているからである。

 

尤も、もうすでにバレれば手遅れな事を山のようにしているのだが、バレなきゃいいさという俺ルールで和麻は今も悠々自適な生活を送っている。

復讐を終えてからこの一年、ウィル子と組んで手に入れた金は個人資産で見てみれば、世界でも百位以内に入っているだろうと言うくらいなのだから恐ろしい。

情報と言うのは高値で取引される。和麻とウィル子は情報を売りまくり、または利用し大金を手に入れていた。

 

彼らは今、アメリカの高級ホテルの一室にいる。

有り余る金を手に入れ、しばらくはのんびり過ごそうという腹積もりであった。

と言うよりも、これ以上稼いでも仕方が無い気もしている。

 

和麻は高級ソファの上で足を伸ばしながら、暇つぶしのクロスワードパズルをしていた。

最近はすっかりとやる事もなく、今まで出来なかったしょうもない娯楽に興じている。

ゲームに漫画にギャンブル、ボードゲーム、クイズなどなど、色々と手を出してはいるが、結構面白いので和麻としては満足している。

 

旅と言うのも悪くは無いが、一ヶ月ほどウィル子を連れて旅をしていたら、三日に一回はトラブルが舞い込んできたので、もうしばらくは行く気にはなれなくなっていた。

幼少から少年期、または青年になるまで娯楽と言う娯楽に触れ合う機会が和麻にはまったくと言っていいほど無かった。

 

そんな時間があるのならば修行しろと、実の父親から散々言われていた。

無能者としてその父親に勘当されるまでは、一日のオフすらありえず普通なら当たり前のように経験する遊びや友人との行動など、彼にはほとんど無縁と言っても良かった。

 

ただ人間関係は一応高校まで通っていたのだから、それなりには身につけている。

ゆえに和麻は二十二歳の現在、失った青春時代ではないが、こうした無駄な事に時間を割くようにしていた。

それが中々に新鮮で、働く必要の無い今の彼にしてみればいい暇つぶしになった。

 

他人から見ればプータローのダメ人間にしか見えない。

ちなみに現在、退魔師としての八神和麻は絶賛休業中である。有り余る金銭を手に入れたのだ。働く必要が無い。

ゆえに一年前より凄腕の風術師の情報はばったりと消えている。

 

和麻自身、面倒ごとは嫌いだったので、アルマゲスト残党連中の目を誤魔化すためにも、ネットなどを駆使して、アーウィンと相打ちしたと言う情報を流している。

しかしアルマゲストの残党で取りこぼした大物連中は、出来る限り早く見つけて処理するようにしている。

 

アルマゲストの残党は和麻を恨んでいる。もし生きているとわかれば、どんな手を取ってくるかわからないので、所在が判明次第出来る限り穏便に始末している。

彼らアルマゲストは最悪の愉快犯である。

自らの楽しみのためには労力を惜しまず、さらに他人には何の容赦も慈悲もない。

 

だからこそ、和麻はそんな連中を生かしておくつもりは一切なかった。

和麻とウィル子の能力を使えば、世界の主要都市に一度でも姿を現せば見つけることはそう難しくはなかった。

彼らとて人間なのだ。生きるためには衣食住を確保しなければならない。金の流れや人の流れ。食糧や金銭の確保は人として生きる最低限にしなければならない。

 

風の精霊と電子の精霊の力を合わせれば、現代社会においておおよそ探し出せない物は無い。

アルマゲストの残党を見つけた際は、食事や入浴、果てはトイレと言った一瞬の隙をついて不意打ちで首をぱっくり刎ねたり、街中を歩いている最中に遠距離からの風の矢で打ち抜いたりと、風術師の利点を最大限に利用して殺しまわっている。

 

残っている大物はあと一人。あとは細々した雑魚が残っているかもしれないが、それ以外の序列百位以内は例外なくあの世に送っている。

文字通りアーウィンの作り上げたアルマゲストは殲滅した。

 

「残る一人を殺したら、あとはする事がなくなるな。そうなったら情報屋家業でもするか」

 

和麻はネット上でウィル子を通して謎の人物として情報を売るようにしている。

彼自身は全面に立たず、顔を見せずに商売を行い決して表に出る事は無いようにしている。

ただし、必要最低限の鍛錬は今も続けている。

和麻は自分自身に敵が多く、トラブルをひきつける体質であることをよく理解しているからだ。

しかしながら、それ以外は怠惰な日常を満喫している。

 

『マスターはくつろぎモードですね』

 

開きっぱなしのノートパソコンの画面の向こう。電子の世界の中にウィル子は存在した。

彼女用にオーダーメイドされ、カスタマイズされた最新鋭のノートパソコン。

さすがにスパコン程の性能は無いが、それでもこのサイズでは間違いなくトップレベルの性能を誇る。そのため金額のほうもハンパではないが。

 

『にしし。さすがにここは住み心地がいいですね。マスター、次はスパコンを購入するのですよ! それも体育館いっぱいの! そうすればウィル子はさらに新世界もとい、電子世界の神に近づけるのです!』

 

ウィル子は和麻の影響もあり、能力を格段に進化させ続けていた。

彼女はハイスペックのコンピューターウィルスで、あらゆる電子セキュリティを無効化にする。

アンチウィルスソフトが天敵だったが、市販されている程度ではもうすでに歯が立たない。

 

彼女と拮抗するには国家や一流企業、大きな研究施設などに配備されているスパコン並みの能力が無ければ無理であった。

 

「・・・・・・・・・まあそのうちな」

『なっ! マスターはいつもそればかりなのです!』

 

和麻はちらりとパソコンでプンプンと怒っているウィル子を一瞥するが、すぐに手元のクロスワードパズルに視線を戻す。

 

「って、人の話を利いてください! そもそもウィル子とマスターは一蓮托生! ウィル子のおかげでここまで来れたのですよ!?」

 

実体化して、和麻の傍まで寄ると、ウィル子は激しく抗議した。

この一年で二人はずいぶんと打ち解けた。ウィル子のマスターである和麻は以前よりも少し丸くなった。

いきなり問答無用で攻撃してくる事もないし、こちらの話も聞いてくれるようになった。

ゆえにウィル子もこのように気軽に和麻に話しかけられるようになった。

 

和麻は和麻であの時はアーウィンとの戦いの後で、心にまったく余裕がなかったので、かなり攻撃的な態度であったが、今ではずいぶんと落ち着いている。

そしてウィル子の言うことも間違いではない。彼女がいたから、和麻はアルマゲストの残党をあらかた見つけ出し、さらにはここまでの大金を入手できたのだ。

 

「お前こそ俺がいなけりゃあいつの城で一生飼い殺しだぞ? いわば俺はお前を救ってやった恩人だぞ? ついでに俺の力もって行っただろ」

「うっ、それは確かにそうですが・・・・・・・・。でもそれとこれとは話が別なのですよ!」

 

宙に浮かびながら、ブンブンと両腕を振り和麻に怒りをぶつける。

 

「ああ、はいはい。わかったわかった。金は十分あるんだ。お前の好きなようにすりゃいいだろ。適当な場所を買い付けて、適当な企業を抱きかかえて、適当にスパコンを用意すれば?」

「えらく適当に言いいますね、マスター」

「まあな。だってあれだけ金があるだろ? スパコンの一台二台買って維持しててもお釣りが来る。それに足りなくなったらまたどこからか稼げばいい」

 

さすがに体育館いっぱいとなると、手持ちの金では購入できても維持ができないだろうが、和麻とウィル子の能力を持ってすれば稼ぐ方法ないくらでもある。

 

「あっ、でもウィル子としてはやはり日本の職人さんが作るのがいいのですよ」

 

日本という単語に些か顔をしかめる。和麻にとって日本は生まれ故郷ではあったが、まったくと言っていいほど良い思い出が無い。ぶっちゃけ嫌な思い出しかない場所である。

 

「どうしたですか、マスター?」

「日本、日本か。あー、あんまり良い思い出がないからな」

「そう言えばマスターって、勘当されてたんですね」

「って、何でお前が知ってる?」

「にひひ。前にマスターの事を調べたのですよ。マスターってあんまり自分の事を話してくれないのですから、ウィル子としては自力で調べるしかなかったのですよ」

 

そしてPCを手に持ちながら和麻に見せる。そこには彼の個人情報が出ていた。

名前・神凪和麻。

八神和麻になる前の彼自身。ある程度の詳細なプロフィールがそこには記載されている。

と言っても、それは彼が高校生までの時の情報だが。

 

「・・・・・・・・・俺の個人情報が出回ってたのか。で、もちろんちゃんと消滅させたんだろうな?」

「抜かりはないのですよ。そのサイトを含め、関連どころは全部ウィル子がおいしく頂いておきました。ウィル子が知る限り、昔も今もマスターの情報はネットの海にはもう無いです」

 

にぱっと笑いながら言うウィル子。彼女が言うのならば大丈夫だろう。ウィル子の能力には全幅の信頼を寄せている。

その彼女が大丈夫だと言うのなら、ネット上にある情報はよほどの場所、例えばアメリカ国防総省のデータベースのような所にでも保管されていない限りは、確実に消滅しているだろう。

 

しかし一度でもネットに情報が出回れば、すべてを消去する事は難しい。これはイタチゴッコでしかない。いつまた彼の情報が出回るかわからない。

それでも出回るたびにウィル子が片っ端から食いつぶすだろう。

 

「ご苦労。とにかく俺は日本に思い入れが無いが・・・・・・つうか、何で日本なんだ?」

「メイドインジャパンをマスターは甘く見てるいるのですよ! 日本の大阪の町工場の人達なんて人工衛星を作っちゃうほどなのです! ウィル子としては、この人達にパソコンを作ってもらいたいと」

 

うきうきとした目で語るウィル子。和麻は確かに日本の技術は凄いと思った。日本の職人は技術もそうだがその職人気質こそが売りだろう。

それに大阪なら神凪に会うことも無いだろうと思った。

 

「で、日本に行きたいと?」

「はい! 直接注文しないといい物ができないものなのですよ。と言うわけで、マスター、早速日本へ行きましょう!」

「却下」

 

ウィル子の提案は一秒で却下された。

 

「なんでですか!?」

「せっかく高級ホテルに泊まってるんだ。俺としてはあと二、三日はここで自堕落に生活してる」

「はぁ・・・・・・。何でこんな人がウィル子のマスターに」

 

よよよと泣き崩れるウィル子。

だが和麻は我関せずと黙々とクロスワードパズルを続ける。

 

「って、少しはこっちにも気を使うですよ!」

 

このようなやり取りが二人の間で続けられる。

八神和麻とウィル子。二人の仲は良好(?)であり、平穏な生活が続く。

しかし残念な事に八神和麻と言う男はトラブルメーカーであった。

本人が望まないのに、勝手にトラブルの方がやってくる不幸体質。

今回も、二人が望まないのに勝手に厄介ごとが転がり込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

日本・大阪

町工場の多い東大阪。和麻とウィル子はそこに足を運んだ。

この町の一部の職人が人工衛星を作り上げたと言うのは有名な話だ。

さらに日本の技術力は世界でも有数できめ細かい。

小惑星探査機はやぶさなども日本の技術力の高さを占める指標の一つだ。

和麻とウィル子―――主にウィル子だが、下町の優秀そうな職人を片っ端から抱きかかえた。

 

「お金ならいくらでもあるですよー!」

 

にひひひと成金みたいに金をちらつかせ、ウィル子は懐柔を繰り返す。

奇しくも不況のおり、下町の職人にしてみれば大金を落として言ってくれるウィル子達は救いの神に思えた。

結果的に、下町は一時的に二人の落とした金のおかげで不況を脱出することができた。

それはともかく、ウィル子は手持ちの金を湯水のごとく使い、自分が望むスパコンの製作を依頼して回った。

 

「・・・・・・・・つうか使いすぎだ」

 

和麻はウィル子が使いまくった金の総額を計算して、苦言を呈した。

あれだけあった金の八割が消えてしまった。

スパコンにもピンからキリまであるが、大体一台数千万クラスのはずだ。

それなのにこいつはあれだけあった金の八割を損失させるだけつぎ込んだ。

 

「あっ、大丈夫なのですよ。ちゃんと維持費とかアフターケアのお金は含めてありますから」

「いや、そう言う問題じゃないだろ」

 

和麻の突っ込みは当然である。だがまあ残高二割でも、そこそこの贅沢をしても一生暮らせるだけの金額がある。

金にはある程度の執着はあるものの、和麻は別に金が好きな金の亡者では無い。

自分専用の口座には別口に金がある程度あるし、まあいいだろうとウィル子の暴走を黙認する。

 

(好きにさせるか。仮に全額使われても俺の分はあるし)

 

そう思いながらも、和麻は次の娯楽である携帯ゲームのテトリスで時間を潰すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「にひひひ。やっぱり大阪の町工場はいいですねー。完成が楽しみなのですよ」

 

満面の笑みでウィル子は喜びを表現する。思った以上のものの作製の話がついて、彼女としては大変満足だったようだ。

 

「そりゃ何よりだな。だが使いすぎだろ」

「ちっちっちっ。これは必要な先行投資です。これから先、ウィル子が電子世界の神になればマスターにだって、色々な恩恵が来ますよ」

「まあ期待してる」

「リアクション薄いですね」

 

仮にウィル子が神になった場合、和麻は二つの存在と契約を結ぶ超絶な存在となるのだが、本人にその自覚は一切無い。

今の彼にしてみれば、それは儲けたなと言う程度である。

 

「で、マスターはこれからどうしますか?」

「・・・・・・・・そうだな。少し食い歩きして一流ホテルのロイヤルスイートに泊まって、あとは適当に観光か」

 

最近はうまい飯を食べる事にも重点を置き始めた和麻。ウィル子も今では人と同じように飲み食いをできるようにもなったので、色々な食べ物を探るようにしている。

 

男一人では入りにくいところでも、ウィル子がいればそれなりに入れるから和麻としてはそんな意味でも重宝している。

 

「おっ、今日のマスターは結構前向きですね。いつもなら引きこもってそうなのに」

「引きこもるのにも飽きた。外に出るとトラブルが来るが、そろそろ退屈してきたし、体が鈍ってきた。適当にぶらついてりゃ、少しは面白い事でもあるだろ」

「マスターの場合は望んで無いのにトラブルを引き寄せますからね。じゃあいっそのこと、久しぶりに退魔の仕事でもしますか?」

 

ウィル子とは手に持っていた自分のパソコンを開いて、アンダーグラウンドや色々な情報屋が集まるオカルトサイトを開きながら和麻に見せる。

 

「日本も不況で色々と乱れてるみたいで、退魔の仕事には事欠きませんよ」

「・・・・・・・やらねぇよ」

「へっ? 何でですか?」

「日本で退魔の仕事をすると神凪とブッキングしそうで嫌なんだよ。それにそんな雑魚ばっか倒しても何の経験にもならねぇからな。かと言って俺と同等かそれ以上の奴になると化け物クラスだし、そんなもん早々にいねぇ。と言うか、いて欲しくないし、いても俺は戦いたくない」

「あ、相変わらず我侭ですね」

 

ひくひくと顔を引きつらせながら、ウィル子はこのめんどくさがりのマスターを見る。

 

「でもトラブルに巻き込まれるだけだと一銭の得にもなりませんよ?」

「そうでもないぞ。トラブルになった場合、今までの大半は第三者がいた。そいつから報酬を頂く」

「相手にお金が無い場合は?」

「金になりそうなものを奪う。一生払わせる。骨の髄まで貪りつくす」

「わ、わかりきっていた事ですが、マスターはウィル子よりも極悪ですね」

 

ある意味、超愉快型極悪感染ウィルスのウィル子と和麻がコンビを組んだのは必然だったのかもしれない。

 

「そんなに褒めるなよ」

「いえ、全然褒めてないのですが・・・・・」

 

タラリと汗を流すウィル子だが、和麻は飄々としてニヤリと笑いながら答えるだけだった。

 

「とにかく・・・・・・・・・」

 

ふと和麻は遠くのほうを見つめる。その姿にウィル子は首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「いや、少し先で炎の精霊の気配を感じたんだが・・・・・・・・・、なんか嫌な予感がする」

 

やだやだと和麻は肩をすくめる。炎術師には本当にいい思い出が無い。

特に十八年間過ごした生家・神凪一族。

炎術師の中でも古くから脈々と続く一族。他者と隔絶した力を持つ。

特に神凪一族の宗家は炎術師の中でも傑出している。

その力は、単純な戦闘力で言えば戦術兵器どころか、戦略兵器にすらなりかねない。

と言っても、それは神凪一族の中でも片手で数えるほどもいないが。

 

「マスターは本当に神凪一族と関わりたくないんですね」

「関わりたくないな。まあ連中の本拠地は東京だから大阪にいる分には関わりあう事もないはずだが・・・・・・・・・」

「でもマスターの場合、それでも関わってしまうんですよね」

「言うなよ。本当にそうなりそうだから」

 

和麻は炎術師がらみのトラブルならお断りだとぼやきながらも、一応は確認のためにその場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「出でよ、炎雷覇!」

 

パンと手と手を合わせる音が周囲に響き渡る。

鉄筋とコンクリートでできた無骨な建物。そこは建築途中で打ち捨てられたマンション。

そこにはいつしか悪霊が住み着いていた。

いや、それは悪霊と呼ぶにはあまりにも禍々しい存在。

 

妖魔と呼ばれる、悪霊よりもさらに凶悪な存在。

この敷地に入り込んだ住人を幾人も食い殺してきた邪悪な存在。

巨大なワニのような存在。しかし口はワニ以上に大きく、足も八本。大きさも人間の数倍はある。

この場に入り込んだ人間を喰らいつくし、骨まで喰らう凶悪な妖魔であった。

 

その前に立つのは一人の少女。

長い腰まで伸びた美しい髪。強い意志を宿した瞳。何者にも負けない、圧倒的な力。膨大な数の炎の精霊を従える少女。

名前を神凪綾乃と言う。

 

神凪一族宗家の人間にして、次期宗主。神凪一族の至高の宝剣・炎雷覇を継承する人間だ。

彼女は自らと同化している炎雷覇を取り出し、正眼に構える。

全身より噴出す圧倒的な炎。膨大な熱量は周囲の温度を急速に高め、大気をゆがめる。

 

その力に巨大なワニは若干の怯みを見せる。

妖魔と言えども力は様々。人間にとって脅威的で抗うことも出来ない存在であろうとも、退魔師にとって見ればそうで無いと言うことは良くある事である。

特に神凪一族の、それも宗家の人間にとって見れば、この程度の妖魔は敵ではない。

巨大な人間を簡単に噛み砕く牙と口も、人間の腕力では抗いようも無い巨体も、炎術師、それも神凪宗家の人間の前ではあまりにも無力。

 

精霊術師。

 

この世界を形作り、あらゆるところに存在する火、水、地、風の四つの元素。それらには各々精霊が宿っている。

精霊術師とは精霊の力を借り受け、その力を行使する者の総称。

 

そして使う力の系統に別れ、それぞれ炎術師、水術師、地術師、風術師に分類される。

それぞれに一長一短な力を有しているが、その中でも火の精霊の力を借りる炎術師は最高の攻撃力を保有する。

 

また炎雷覇と言う精霊達の王とも言える、精霊王より賜った神剣がある。

炎雷覇は炎術師の力をより増幅させる。

ただでさえ強力な神凪一族宗家の力が炎雷覇により増幅される。

その力は脅威の一言。

 

ワニに似た妖魔は巨大な口を綾乃に向ける。

綾乃はバックステップで後方に飛び退くと、炎雷覇をそのまま振りぬく。

炎雷覇より放たれる炎の塊。妖魔に直撃する炎は妖魔の体を容赦なく抉り焼く。

甲高いうめき声を上げながら、身体を揺らす妖魔。

しかし綾乃は追撃をやめない。怯んだ妖魔に肉薄し、炎雷覇を突き立てる。

 

ゴオッ!

 

炎雷覇から妖魔の内部に向けて灼熱の炎が入り込む。妖魔は炎雷覇を突き立てられた場所から一瞬で焼き尽くした。

何の小細工もいらない。圧倒的な力の前には技術の入り込む余地は無い。綾乃には、それだけの力があった。

並の妖魔なら一蹴するだけの力が・・・・・・・・・。

綾乃は誇らしげに胸を張る。

並の術者なら確実に梃子摺るであろう妖魔をあっさりと滅せる力を。

 

「まっ、こんなもんでしょ」

 

綾乃は最後に妖魔が完全に消え去った事を確認すると、その場を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

「炎雷覇。・・・・・・・何で神凪の術者がいるかな」

 

和麻はボヤキながら相手に気づかれないように様子を盗み見る。

八神和麻は風術師である。

風術師である彼が本気で見つからないようにすれば、炎術師には絶対に見つけることができない。

タバコを吹かせながら、どうにもこの身の不幸を呪った。

 

「にひひ。本当にマスターは不幸ですね」

「笑ってんじゃねぇよ」

 

一発チョップをお見舞いしてやった。

 

「しかし炎雷覇を持ってるって事は、ありゃ綾乃か・・・・・・・」

「ええと、神凪綾乃。炎雷覇の継承者にして、神凪一族次期宗主。現在の神凪一族宗主である神凪重悟の娘。年齢は十六歳の聖陵学園に通うお嬢様・・・・・・。と言うか、学校の制服着て退魔ですか」

 

ウィル子はパソコンを操作しながら、綾乃の個人情報を片っ端から調べ上げていく。

ネット上のどこにそんな物があるんだと疑いたくなるが、神凪一族ともなれば政府関係やらそれなりのところに個人情報が記されている。

 

「ちなみにスリーサイズ含めて、結構な情報が出回ってるのですよ」

「ネットって本当に怖いよな」

「ホントですね~」

 

ネットを悪用している二人は何てなしに呟く。

本当に恐ろしいのはネットではなくそれを悪用する人間と言うことだ。

綾乃の行動を見ながら、他に神凪の術者がいないかと視ているが、どうやら神凪の術者は綾乃一人のようだ。

 

何やら綾乃は同い年くらいの二人の少女に合流した。

術者ではなく、どうやら一般人のようだ。力を全然感じない。

 

「一般人の友人で力のことを話してんのか? 恵まれてるな、あいつ」

「そうですね。こう言うのって基本的にバレたらアウトってのが多いのに」

 

和麻は遠目で見ながらも、ウィル子の言葉に同意する。

そう言えば自分はそう言った相手がいないなと思った。

 

「で、どうするんですか?」

「あー、まさか大阪にいるとか予想外だろ? これ以上関わりたくないから、さっさと日本を離れたい」

「えー、せっかく日本に来たのにもう行くのですか? マスターも大阪のおいしい物を食べ歩く気だったのに」

「これ以上いると本当に面倒な事になりそうだからな。まあ今日はホテルに泊まって明日の昼にでも発つぞ」

「うー、名残惜しいですが、ウィル子も目的は達成できたので構わないですよ」

 

和麻もウィル子も目的さえ達成できればそれで構わない。

積極的に神凪に関わるつもりなど彼らには無い。

しかし残念ながら、彼らの願いは叶えられる事はなかった。

彼らはこの後、大きなトラブルに巻き込まれることになる。

それも和麻が懸念し、絶対に関わり合いたくない神凪がらみのトラブルに。

 

 



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第二話

 

神凪綾乃は現在、友人の篠宮由香里と久遠七瀬と共に行動していた。

三人は友人同士で、綾乃自身自らの能力の事も話している。

そもそも神凪一族と言うのは退魔の中では有名も有名であり、政財界の人間には顔も良く通る。

また先代の宗主である神凪頼道が、旧来以上にそれらの人脈とのパイプを強化した。

この国の政府とは千年来の結びつきに加え、頼道が築き上げた新しい政財界の盟主には神凪の名は広く知れ渡っている。

 

そんな中、神凪の直系と名乗れる人間は少なくなく、綾乃もその例に漏れない。

そしてそんな中、どうしてこの二人に力の秘密がバレたのかと言うと、ひとえに篠宮由香里のせいだと言えよう。

綾乃の友人である篠宮由香里と言う少女は、一言で言えば凄い少女である。

 

一見おっとりとした少女であるのだが、その実は超行動派であり、学園内に様々なコネを持ち、情報収集能力は一流であった。

そのために友人となった綾乃の情報をいち早く入手。

神凪一族の事やその歴史についても知るところとなったのである。

元々聖陵学園の理事長や校長などは神凪の事を知っていたし、多額の寄付金も寄与されていた。

情報がまったく秘匿されていたわけなどではなかったので、このように一般人の少女でも簡単に情報を入手できた。

 

またもう一人の友人である久遠七瀬も冷静沈着な落ち着いた少女であり、由香里から聞かされた情報を受け入れてなお、綾乃自身を見ることができた稀有な存在である。

神凪の炎術師としてではなく、綾乃自身を見ると言う中々出来ない事をこの二人は行った。

ゆえに彼女達は今も良き友人を続けられている。

 

「で、どうだったの?」

「ああ、別にどうってことなかったわよ。ちょっと大きなワニって感じで」

 

由香里の言葉に綾乃は軽口で返す。実際、並の術者ならばともかく、綾乃クラスにおいてあの程度の相手、どうと言うことはなかった。

ちなみに彼女達は休みを利用して大阪にやってきていた。

何故制服かと言うと、こちらの近年大阪にできた姉妹校に挨拶をしに行かねばならないと言う理由からである。

 

彼女達はまだ一年生で、別段姉妹校に挨拶に行く必要はなかったのだが、綾乃はとある依頼を同時に受けていた。

それは最近、このあたりで人が失踪すると言う事件の解決。つまり先ほど彼女が退治したワニである。

本来ならばこの付近はまた別の退魔組織の管轄であった。

 

しかし依頼人は姉妹校の理事長であり、そちらの方には綾乃が通う聖陵高校の理事長から神凪の話が伝わっていたらしく、どうしてもと言うことから綾乃が出向く事になった。

そして彼女は見事この依頼を完遂した。

 

「じゃあこれから大阪のおいしい物の食べ歩きね」

「うん。リサーチはきっちりしてるから任せて」

「由香里に任せておけば安心だな」

 

綾乃はうきうきとしながら言うと、由香里、七瀬がそれぞれに意見を述べる。

彼女達はこうして大阪の町に繰り出していく。

この時、彼女達に危機が迫っているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

「あー、くそっ。せっかく大阪で食べ歩くつもりだったのによ」

「残念でしたね、マスター。まあこれも日ごろのマスターの行いが悪いせいですよ」

「やかましい」

「はうっ!」

 

ビシッとウィル子の頭にチョップを叩き込む和麻。

彼らは綾乃の姿を確認した後、すぐさまに予約していたホテルに戻り部屋に引きこもった。

ここにいれば神凪に会うことも無いだろう、トラブルに会うこともないだろうと考え、明日の昼まで大人しくしているつもりだった。

 

しかし折角、和麻としては珍しく行動を起こして大阪の食べ歩きをしようと考えていたのに、よりにもよって会いたくない神凪の術者を発見して、お流れになるとは思っても見なかった。

 

「あれか? 神凪はよっぽど俺に嫌がらせしたいのか? 俺がそんなに嫌いか?」

 

ぶつぶつと文句を言う和麻。どうやらよほど自分の行動を邪魔されたのが気に喰わないらしい。

 

『別に神凪の術者がいたからって、それ関係で事件に巻き込まれるとはウィル子は思わないのですが』

「いいや、お前は何もわかってない」

 

パソコンの中に戻ってくつろいでいるウィル子に和麻は言い放つ。

 

「あいつらは俺にとって疫病神だ。絶対に出会うと碌な事が無い。俺の勘が告げてる。色々なところで恨みを買っている神凪にどっかの馬鹿が喧嘩を売って、何故かそれの犯人が俺になってて、めんどくさい事に神凪に狙われて、身の潔白が証明されたら今度は神凪を助けるためにこき使われる。そんな未来が見える」

 

いや、いくらなんでもそれは被害妄想じゃないんだろうかと、ウィル子は思ったが、いつにも無く饒舌に語る和麻に恐ろしいものを感じて、彼女は下手にツッコまない事にした。

それになんだか、彼が言うと本当に起こりそうだから怖い。

 

『だからここに引きこもってるですか?』

「ああ。で、明日の昼には日本を発つ。空港はできれば関空以外がいい。広島まで行っても構わないぞ。と言うかそうしろ。近場だと面倒ごとが起きる」

 

本当に今日のマスターは被害妄想が激しいですね、と汗を流す。

マスターってこんななんだっけと思わなくも無いが、ウィル子もスパコンが出来上がるまでできれば面倒ごとは嫌なので素直に同意する。

ともかくさっさと空港のチケットを取ろう。明日の昼は急だが一人分くらいあるだろう。

 

ちなみにウィル子はパソコンの中か、もしくは和麻の携帯電話の中に潜んで旅行代を浮かせるつもりだ。変なところでせこいコンビである。

 

「・・・・・・・・はぁ。つうかもうどうでもいいか。神凪のことでこんなに悩むのも馬鹿らしい。やめだ、やめだ。そんな事よりも飯だ。飯。ルームサービスで取るか」

 

和麻は部屋から一歩も出るつもりは無かった。ロイヤルスイートならばルームサービスくらい余裕で取れる。

こうなりゃやけ食いだと思い、ホテルのフロントに電話する。

 

『あっ、ウィル子の分も含めて多い目でお願いするですよ』

 

ウィル子も食べる気満々だった。大阪のうまいものは諦め、このホテルのおいしい物を堪能すれば少しは気分も変わるだろう。

和麻にしても一人で食べるのは味気ない・・・・・・・と言うよりも誰かと一緒に食べる食事が以外と楽しくうまいと言うことを今は亡き翠鈴やウィル子との出会いで知った。

 

口には出さないものの、和麻はウィル子が食事を取れるようになり、自ら頼むようになった事を密かに喜んでいたりもした。

和麻はウィル子の分を含めて二人分注文を取った。

それが終わった後、ついでに念のために周囲十キロ四方を風で調べる。綾乃達がどこにいるのか、または不審な影が無いかを。

 

周囲十キロ四方を単独で調べられると並の風術師が聞けば卒倒するだろうが、和麻にとっては普通だった。

これで何事も無く食事にありつけるだろうと和麻は思っていた。

しかしこれがいけなかった。このまま何もせず、下手に風を使わずに、あるいは索敵範囲をもう少し小さくしていれば、和麻はトラブルに巻き込まれる事もなかっただろう。

 

彼の風はある者を呼び寄せてしまう。

十キロ四方を本気で索敵したからこそ、和麻はそれを見つけてしまう。同時に相手も和麻の存在を見つけてしまう。

それは和麻達がいたホテルの先、九キロの地点に存在した。そこの精霊達に周囲の様子を調べてもらおうとしたら、突然その付近の精霊の声が聞こえなくなった。

 

不思議に思った和麻はそこを重点的に探った。

そこには何かがいた。

何か、と形容する以外に無かった。普通なら風が全てを教えてくれるのに、その周辺だけは和麻に何も教えてくれない、と言うより風の精霊達が狂っているように感じられた。

 

相手も和麻の風に気がついた。相手の風の領域が広がる。こちらを探るかのように、不気味な気配を放つ風が和麻の風を飲み込み次々に精霊を狂わせていく。

 

「おいおい、ちょっと待て」

 

思わず声が出てしまう。

もし和麻が索敵ではなく突然の奇襲であったならば、瞬時には相手の異常性に気がつかなかっただろう。

和麻は風を統べる者よりの全権を委任されているような存在だった。力量云々ではなくルールとして、和麻はどんな風術師よりも風を行使する権利がある。

 

だがこの相手はそのルールに縛られない。当然だ。相手の風は正常な風を狂わせ、そのルールを無視させているのだ。

そして攻撃において、和麻は相手が精霊を狂わせ従えさせていると言う事を瞬時に見抜くことは出来ず、ただ相手に風で不意をつかれたと言う事実を突きつけるだけだったであろう。

 

しかし幸いと言うか―――ここでは逆に不幸かもしれない―――な事に、和麻は相手が自分の風による索敵領域を侵食してくる事でその異常性に気がつくことができた。

 

それでも何の慰めにもならない。風の精霊を散らしてこちらに気づかせないようにできるかと考えたが、遅すぎた。

相手の風はこちらの風をどんどん狂わせて行く。本気を出す。出さなければ瞬時にこちらの完全に捕捉される。

尤も、本気を出せばそれで相手には気づかれてしまうが、こちらが不利になるよりはマシだ。

 

『どうしたですか、マスター?』

 

和麻が表情を一変させた事に気がついたウィル子が声をかけるが、彼はそんな彼女の声を無視する形で、風に力を込め続ける。

同時に近くにある必要なものを即座に手に取ると、ウィル子の入ったパソコンを腕の脇に抱え込むと、即座に部屋から飛び出した。

 

『ちょっ!? マスター、一体何が!?』

「風で周囲を調べてたら化け物がいた。で、そいつに見つかった。たぶん、こっちに来るぞ」

 

いきなりの事態に混乱したウィル子に和麻が簡潔に答える。

 

『って、ええぇぇっっ!?』

「とにかくここじゃ不味い! おい、この階の非常ドアのロックを外せ! そこから外に出るぞ」

 

エレベーターでチンタラ下まで降りている時間は無い。ならばとウィル子に電子制御式のロックを外させるように指示を出した。

 

『わ、わかりました!』

 

ウィル子は即座に実体化すると、そのままドアに触れて電子ロックを解除した。

和麻はバンと勢い良く扉を開いくとそのまま非常階段から外へと飛び出す。

本来なら重力に従い真っ逆さまに下に落ちるのだが、風術師である和麻は風を纏い空を飛翔する。

同時に光学迷彩やら結界を展開して相手の目を誤魔化そうとする。

だがそんな甘い考えが通用する相手ではなかった。

敵はすでに和麻を捕捉していた。

 

「ちっ!」

 

風の刃が迫る。妖気により狂わされた風の刃。本来なら風が妖気を纏っていれば和麻の感知能力ならば気づきそうなものだが、相手の風は妖気で風の精霊を狂わせているだけなので感知がしにくい。

 

(初見で命狙われてたら、たぶん防げなかったぞ!)

 

こんな状況久しくなかった。それに風で奇襲を受けるなど想定外もいいところだ。

だが相手のやり方は理解した。手の内がわかれば対処はしやすい。

和麻は自らの周囲一キロ四方の精霊を全力で自らの支配下に置く。範囲を狭くすることで絶対領域を形成し、相手の風が侵入してきたら気づくようにした。

領域内のどこかで精霊が狂い出せば、そこから敵や攻撃が来るのは明白。

 

(って言うか、予想外だろ。こんな化け物がいるなんて)

 

何の因果かそいつに目を付けられた。しかもこっちを追ってくる。

 

(逃げ切れるか? 一人での対処は・・・・・・・できればやりたくないな)

 

攻撃を受け、反撃などを行ってみてわかったが、どう低く見積もっても現時点の自分と同格かそれ以上の相手であると結論付けた。

和麻が全力を出し、ウィル子のサポートを受ければ互角には持っていけるとは思うが。

 

(勘弁してくれよな・・・・・・・・)

 

嘆きながらも和麻は命がけの逃亡劇を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

東京某所。

薄暗い闇が支配する屋内の一室。そこには数人の者達が集まっていた。

彼らはある目的のための計画を達成すべく、この場で何度目かになる話し合いを行っていた。

 

目的とは復讐。

奇しくも八神和麻と同じく、彼らはその目的のために立ち上がろうとしていた。

 

「して、首尾のほうは?」

「うむ。すでにあやつを大阪に差し向けておる。計画通りなら、今夜にでも身柄を確保できよう」

 

彼らの名は風牙衆。

風術を扱う集団であり、神凪一族の下部組織とも言える存在だった。

しかし現在の彼らは、その上位者とも言える神凪一族に反乱を起こすべく水面下で動いていた。

風牙衆とは神凪の下部組織ではあったものの、その実態は奴隷に近い物だった。

神凪一族と風牙衆とは祖を同じとするものではなく、三百年ほど前にある事情から神凪一族が風牙衆を自分達の組織に取り込んだのだ。

 

そのまま懐柔政策を取り、神凪と血を交えたりした分家を作ったり、宗家が手厚く扱い、うまく共存していけば、彼らの絆は強固になり更なる発展を遂げたであろう。

だが三百年の間に、時の宗主や神凪一族を動かす長老達はそのような事を一切しなかった。

風牙衆を取り込んだ理由が原因でもあったのだが、それを怠った事に対しての言い訳にはならない。

 

結果、神凪と風牙衆との溝は深まるばかりで、表面上の対立こそ無かった―――風牙衆が反意的な態度を見せなかっただけだが―――ものの、亀裂は修復不可能なところまで達していた。

現在の宗主である神凪重悟は風牙衆の扱いを以前よりも良くしたが、時すでに遅かった。

遅かったと言うよりは、宗主一人が頑張ろうとも長老や他の分家の長達の態度が非公式な場において変わらなかったために、風牙衆はついに決起に至った。

 

「だがこの反乱はあくまで秘密裏に進めねばならん。こちらが有利に動くためにもな」

 

そう述べるのは風牙衆の長である風巻兵衛である。

彼はこの反乱の首謀者であり、この計画を練った張本人でもある。

兵衛は反乱を起こすとは決めても、自分達の弱さを理解している。

風牙衆は風術師の集団である。そして風術とは悲しいことだが、弱者の力でしかなかった。

 

風は精霊魔術の中では最弱。それがこの世界での共通認識だった。

なぜ風術が弱いのか。それは攻撃の軽さにある。

炎ならばその圧倒的なエネルギー。地や水ならばその質量ゆえに攻撃にも向く。

しかし風術にはそのどちらも無い。ゆえに軽いのだ。

 

強力な攻撃を風術が放とうとすれば、他の三系統以上の数の精霊が必要になってくる。他の三系統が十の数の精霊で行える攻撃が、風術ではその倍以上は必要なのだ。

さらに精霊の数が増せば増すほど、その制御は困難になっていく。

つまり戦闘において風術は最も使いにくい術なのだ。

 

例外があるとすれば、凄まじい数の精霊を従え、それを完璧に制御できる存在。

そんな事ができる術者は、優れた風術師を多数抱える風牙衆にも存在しない。

風牙衆最強の戦闘力を誇る人間でも、せいぜい分家の最下位と戦えればいい方だ。

だからこそ風術に求められるのは他の要素。

 

探索や追跡。機動性と隠密性に優れた情報収集をメインとする諜報員的な立ち位置。

これは現在社会において重要な要素なのだが、神凪は戦闘力重視のためにそれに重きを置かない。

だからこそ見下される。どれだけ努力し、彼らに報いようとも感謝もされない。

 

当たり前だと言い放たれる。それくらいしかできないのだからと蔑まれる。

こんな扱いでは嫌気が指すのも当たり前だ。

兵衛は力で勝てないのならば策を弄するしかないと考えた。

しかし圧倒的な力の前では少々の策も意味を持たない。

 

毒殺を含めた暗殺も考えた。

だがそれを達成するビジョンが見えない。

分家や宗家の一部ならば風牙衆ならばやってのけるだろう。

しかし神凪の頂点に君臨する二人の術者がそれの未来を打ち砕く。

宗主・神凪重悟と現役最強の術者・神凪厳馬。

 

この二人は別格と言うよりも存在そのものが違う。

彼らは強いだけではなく、彼らの炎は物理法則すら無視した力を発揮する。

高位の炎術師になればなるほど、精霊と炎を完全に制御する。物理法則を無視して、水中で水を沸騰させる事なく炎を起こしたり、指定対象以外燃やさない事も可能。

 

調べたところによれば、摂取した毒すら炎で燃やす事が可能らしい。

即死するレベルの毒物を盛ればと考えるが、彼らの場合は死ぬ間際――それこそ一瞬でもあれば―――で毒を燃やすため、効果が出る前に無効化されてしまう。

なんだそれはと、兵衛は叫びたくなった。そんな化け物、どうやって倒せばいい!?

苦悩した事も諦めかけた事も一度や二度ではない。

 

それでも考え考え抜いた先にあったのは、力が無いのならばよそから補えばいいと言う物だった。

幸いにして、兵衛にはそれに関しての心当たりがあった。

三百年前に封じられし、かつて風牙衆が崇めた存在。『神』

実際のところ神とは違う妖魔であったと最近ではわかったが、それでも三百年前の風牙衆はその妖魔の力を借りて、強大な術を操ったとされる。

 

それが原因でかつての神凪に討伐される事になり、結果として彼らの下部組織に貶められたわけだが。

しかしそれでも兵衛は納得がいかない。

確かに精霊術師として、妖魔と契約を結び暴虐の限りを尽くした事は恥ずべき事であり、先祖が神凪に討たれたと言うのも理解しよう。

 

だが何故三百年に渡りその負債を、祖先である自分達まで払わされなければならない。

いつまで償わなければならない。いつになれば許されるのだ。

未来に希望を見出せず、奴隷として一生を終える人生。そんな物は認められない。認めてなるものか。

 

ゆえに兵衛は動いたのだ。

と言っても、先で述べたように水面下だ。

彼はまずは風牙衆の力を強化するために、三百年前に彼らが力を借り受けていたとされる妖魔の力を頼った。

自分に賛同してくれる者達と共に封印されている場所に赴き、その場に漂う残留妖気を息子である流也に憑依させた。

 

それだけで圧倒的な力を流也は得る事ができた。

だがまだ足りない。まだ不安が残る。

神凪重悟と神凪厳馬。

この二人の力は異常だ。ただ救いは重悟は四年前に事故で片足を失っていると言う事だが、二人が同時に戦場に立った場合、如何に今の流也でも敗北してしまうだろう。

 

それに神凪には精霊王より賜った神剣・炎雷覇が存在する。

今の継承者である綾乃は未熟ゆえにその力を使いこなせていないが、仮にそれが厳馬や重悟の手に渡ったら?

考えただけで恐ろしい。単体でも桁違いの能力を有する化け物が、さらにその力を増幅する神器を持ったならば・・・・・・・。それは化け物ではなく神の領域だ。

 

だからこそ、絶対にそんな事態になら無いようにしなければならない。

兵衛は考える。どうすれば神凪を滅亡させられるかを。

問題は重悟と厳馬と炎雷覇。

この三つが合わさらなければ勝機はある。

はっきり言って、他の宗家や分家―――炎雷覇を持った綾乃を含めて―――をあわせても、厳馬一人にも及ばないのだ。

 

ならば各個撃破しかない。兵法の基本を用いよう。

幸いな事に炎雷覇の継承者である綾乃は大阪に単独で出かけている。これはチャンスだった。

兵衛は流也を差し向けた。彼にはこう言明した。

 

『手足の一本や二本は構わぬが、生かして聖地へと連れて参れ』と。

 

綾乃を生かして連れてくるには理由がある。

一つは人質とするため。重悟が極度の親ばかで綾乃を可愛がっている事は周知の事実。

無論、一族の長として切り捨てる事も厭わないだろうが、それでも動きを牽制する事はできる。

 

二つ目は神凪宗家と言う理由。

風牙衆が崇めた存在を解き放つには、どうしても神凪の直系の力が必要だった。宗家ならば誰でもいいが、あまり何人も攫うのはリスクにしかならないゆえ、様々な利用価値がある綾乃が一番最適だった。

 

三つ目の理由は炎雷覇の存在。

炎雷覇は綾乃が継承している。しかしもし彼女が死ねばどうなるか。過去の神凪の文献において、継承者が炎雷覇を持ったまま死ぬと、炎雷覇はその直後に神凪に存在する炎雷覇を祭る祭壇へと転移するとあった。

 

つまり綾乃が死んだ時点で、神凪に強制的に戻ってくる可能性が高かった。

こうなった場合、厳馬か重悟が炎雷覇を持つ事になり、兵衛の目論見が崩れかねない。

だからこそ生かして連れてこいと言明した。

それにいくら術者として心身の修行を積んでいると言っても、所詮は十六歳の小娘。

力を封じ、その精神と肉体を汚し、壊すことはそう難しくは無い。

 

「綾乃の身柄を確保次第、次の段階に移る。まだ表立って動くな。この場にいる者とその子飼い以外の風牙衆にも隠し通せ」

 

風牙衆において、兵衛は意思統一を果たしてはいなかった。風牙衆の中でも不満を持っていても現状を受け入れ、強攻策に出たく無い者は多くいた。

洗脳や脅迫と言った手段でこちらの言う事を聞かせても良かったが、そんな者が何の役に立つ。逆に違和感を際立たせ、神凪に気づかれてしまう。

 

ならば秘密を共有するものを少なくして、情報の漏洩を防いだほうがよほどいい。

信用できる者のみ、兵衛は反乱に加担させた。

それにもし仮に、自分達が失敗した場合の未来も兵衛は考えていた。

彼らとて風牙衆の血を、歴史を、技術を後世に伝える責務がある。今は神凪の奴隷として甘んじていても、彼らには彼らなりの誇りが存在した。

 

それを受け継ぐ者が必要になる。

万が一、自分達が失敗しても、首謀者とその取り巻きのみの処罰で事なきを得る。神凪とてさすがに反乱を起こしたとは言え、関係ない風牙衆を皆殺しにはすまい。

さすがに今の時代にそんな事をすれば、神凪の名を地に落としかねないし、静観を決め込んでいた様々な方面から色々な問題が噴出する。

 

それでも今まで以上に風牙衆の風当たりは強くなるだろうが、その時はその時で、第二の自分達のような存在を生み出し、反乱を起こすだろう。

他にも兵衛は最悪の事態も想定して、風牙衆を散り散りに逃がす用意もしている。

 

(だがワシは絶対に勝ってみせる。見ておれよ、神凪一族。ワシの、我らの怒りを。貴様ら、一人残らず滅ぼしてくれる)

 

兵衛は復讐の炎を燃え上がらせる。そして息子流也が綾乃を連れてくるのを待つ。

それが復讐の第一歩。

だがこの時の兵衛も予想していなかった。

流也が綾乃を捕捉する前に、自分を捕捉した謎の人物の抹消に向かった事を。

そしてその人物が、色々な意味で彼らの予想を超える人物だった事を。

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、どこまで張り付いてきやがる!?」

 

大阪の夜の空。この街に住む誰一人として気づく事が無いまま、そこでは空中大決戦が繰り広げられていた。

風の刃と風の刃が交差する。

八神和麻と兵衛の差し向けた風巻流也が激しい攻防を繰り広げていた。

流也は最初は和麻の存在など知りもしなかった。神凪一族を出奔した宗家の嫡男の事など、流也も神凪に深い憎しみを持つ兵衛ですら気にも留めていなかった。

 

彼が和麻に襲い掛かったのは、ただ流也の姿を捕捉されたから。

死人に口無し。目撃者はすべて殺せ。兵衛に命じられた事を、流也は遂行しているだけに過ぎない。

だが相手は予想外に手ごわい。こちらの風をある時は避け、またある時は受け止める。

幾度も攻撃を繰り返すが、中々に仕留めることができない。

また和麻も和麻で流也の異常な強さに悪態をついていた。

 

「なんなんだよ、こいつは! 風を狂わせるだけじゃなくて、こっちの風まで防ぎやがる!」

 

和麻は幾度と無く本気で攻撃しているのだが、攻撃は相殺されるばかりで相手に届きもしない。接近戦をとも考えたが、ノートパソコンを抱えた状態では無理だ。

せめてウィル子が自由に動ければいいのだが、相手が悪すぎる。

 

風を操るだけじゃなくて、和麻と同等の速度と威力で攻撃を仕掛けてくる。和麻自身、自分を守るだけで手一杯で、ウィル子を守りきる自身が無かった。

もう一人、前衛に使える奴がいれば話は変わるのだが・・・・・・・・・。

 

(そんな都合のいい奴がいるわけ・・・・・・・)

 

こんな化け物相手に前衛を張れる術者など早々にいない、と和麻は思いかけたがふと都合のいい存在がいるのを思い出した。

 

(いるじゃねぇか、そんな都合のいい奴)

 

前衛を張れて、そこそこ攻撃力があって、反則クラスの武器を持った奴がいるのを和麻は思い出した。

 

(近くにいてくれよ・・・・・・)

 

和麻は相手への牽制を忘れずに、それでいて高速で目的の人物を探した。

相手はすぐ見つかった。と言うよりも常時でも大量の炎の精霊を従えていた。

これで見つけられないほうがおかしい。

 

(よし。手伝ってもらうか)

 

決定と心の中で呟くと、和麻は全速力でその人物の元へと向かった。

 

 

 

 

 

「うーん。おいしいわね」

 

神凪綾乃は満足げに呟いていた。たこ焼きやお好み焼きなどを食べた後、口直しでおいしいクレープ屋のクレープを、外に設置されたカフェテラスで篠宮由香里と久遠七瀬と共に椅子に座りながら、食べていた。

 

「さすが由香里の調べたお店ね。どれもおいしかったわ」

「えへへ。そう言って貰えると嬉しいな」

 

綾乃の言葉に由香里も嬉しそうに言う。

 

「しかしそろそろいい時間だからホテルに戻らないといけないな」

 

七瀬は腕時計を見ながら、もう戻らないと補導されるかもと少し冗談っぽく言う。

 

「あっ、もうそんな時間? じゃあそろそろ戻りましょうか」

 

綾乃がそう言って席を立った瞬間、ふわりと彼女達は風が吹いたのを感じた。

その直後、グイッと綾乃の制服の襟首が引っ張られた。振り返ると、そこには今の今までいなかった一人の若い男が立っていた。

 

「えっ!? あ、あんた、誰!?」

「説明してる時間が無い。すげぇ速度で追ってきてるんでな。と言うわけでこいつ借りてくぞ」

 

狼狽する綾乃に男―――和麻は短く言い放つと、そのまま彼女の襟首を捕まえて風で空に飛翔する。同時に光学迷彩も展開して周囲に気づかれないようにした。

 

その際に綾乃が「ぐえっ」とあまりにも色気の無い悲鳴を上げていた。

 

あとに残された綾乃の友人二人は、呆然としたまま、とりあえず警察に連絡しようかと言う以外に何も出来なかった。

 

 



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第三話

綾乃は現在、和麻に文字通り首根っこをつかまれて空を飛翔していた。

と言っても、正確には襟首を持たれていたのだが、綾乃にとって見ればそんな物は些細な事であった。

 

「ちょっと! あんた誰よ!? あたしをどうしようって言うのよ!」

 

ぎゃあぎゃあ騒ぐ綾乃に和麻はハァとため息をつく。その様子にさらに怒りを顕にする綾乃。思わず炎を召喚してこの男を焼き殺そうかと思った。

 

「炎を使うんだったらやめとけ。お前、この高さから落ちて生き残れる自信があるのか?」

 

その言葉に綾乃は状況をもう一度思い返す。彼女は今、大阪の空を飛んでいるのだ。

彼女には空を飛ぶ術も、この高さから落下して無事に地上に着地する術も持っていない。

 

綾乃は炎術師であり、風術師のように空を飛んだり、地術師のように大地の加護に守られているわけではない。

戦闘に特化した炎術師に過ぎず、炎に物理的な役目をさせ、自らを受け止めさせると言うような物理法則をした作用を生み出す事はできない。

 

いや、高位の炎術師ならそのような物理法則を無視した炎を操れるのだが、生憎と綾乃はまだその領域に辿りつけてはいない。

それができるのは神凪一族でも父である神凪重悟か、叔父である神凪厳馬くらいであろう。

つまりこの高さでこの男に手を離されれば、それだけで彼女は地面に落下して死ぬ危険性がある。

 

「って、あんたあたしの事知ってるの?」

 

炎を使うと言う言葉で綾乃は、男が自分が炎術師であると言う事を知っていると言う事に気がついた。

ただ神凪綾乃と言う人間は色々な意味で有名であり、術者の界隈ではそれなりに名が通っていたりはするのだが。

 

「・・・・・・・・・俺の顔に見覚えとかないか?」

 

一瞬、躊躇いがちに綾乃の顔を見ながら和麻は聞くと、彼女はその顔を見て少し考えるそぶりを見せるが・・・・・・・。

 

「・・・・・・・・覚えが無いわね」

 

ガクッと和麻は少しだけ肩が落ちる気がした。いや、確かに最後に会ったのは四年も前だし、綾乃は十二歳の子供でしかなかったのだから仕方が無いかもしれない。

それにしても一応、綾乃と同じ神凪一族の宗家で、それなりに面識もあり、四年前に継承の儀で戦った相手を忘れるか。

 

(違うか。四年前の俺は、所詮その程度の存在だったって事だな)

 

和麻は思い直す。綾乃が悪いわけではなく、かつての神凪和麻と言う存在は彼女にとって見れば覚える価値の無い存在でしかなかったと言う事。

炎を扱えず、一族から蔑まれていた神凪和麻と言う少年。

綾乃にとって見れば、別段気に留める必要性もない少年だったのだろう。

 

彼女は和麻と違い、溢れんばかりの才能を持っていた。神凪宗家に恥じない力。他者を魅了するまでの力。だからこそ和麻とは違い畏怖と尊敬の念を向けられた。

 

宗家の若手の中で和麻は一番年齢が高かった。神凪厳馬の息子と言うこともあり、生まれた当初は次代を担う優秀な術者としてなるだろうと誰もが思っていた。

しかし実際は神凪一族内で唯一炎を扱えない無能者だった。

それ知った一族の落胆や失望は計り知れない。

 

さらに付け加えるなら、厳馬の息子だったと言う点も和麻にとって見れば不幸だった。

彼の父、神凪厳馬は自他共に認める厳格な男だった。自分にも他人にも厳しい男。

息子に対しても一切の妥協をせず、甘やかしもしなかった。

 

炎術師として強くある事が何よりも必要と言う考えの下、息子を鍛え、さらには一族内で置いても、他の宗家、分家に対しても強くなるように指導した。

ただ彼自身非情に不器用だったため、他者との亀裂を深め、厳馬に対して敵意を生み出す事にもなっていた。

そのあおりを食らったのが和麻であり、彼は強さを至上とする神凪厳馬の息子でありながら、炎を扱う事もできないと蔑まれた。

 

もし和麻が神凪一族宗主である重悟の息子であったのなら、彼が神凪和麻であった時に受けた心と身体の傷は半分以下であっただろう。

 

それはともかく、そんな期待はずれと言われた和麻の後に生まれた綾乃は、神凪一族の名に恥じない才と力を持って生まれ、成長してきた。

周囲から憧れ、切望、尊敬、畏怖など様々な正の感情を向けられる事が多かった綾乃にとって、和麻などまさに取るに足りない存在だった。

炎を使えない従兄妹がいると言う話を彼女は聞いた事があり、何度か会ったり話したりする事もあったが、ただそれだけだった。

 

当時の綾乃に和麻と言う人間に何の特別な感情も生まれなかった。また当時の和麻も溢れんばかりの才能を持ち、宗主の娘と言う自分とは何もかも違う彼女にコンプレックスを抱き、極力近づかないようにしていた事もあった。

 

だから綾乃は覚えていない。和麻の顔を、その存在を。

四年前の継承の儀でさえ、あれは戦いとは言えない。一方的なものであり、和麻は何もできずに十二歳の少女の前に無様に膝をついたのだ。

綾乃も和麻の名前を出されれば思い出すかもしれないが、四年ぶりに再会した従兄妹の存在を顔を見た程度で思い出すことは今の綾乃には出来なかった。

 

「覚えて無いんだったら別にいい。そんな事よりも厄介なのは今の状況だ。おい、ウィル子、こいつに説明してやれ」

『マスターはウィル子に丸投げですか』

「って、誰よ!? それにいきなり!?」

 

いきなりパッと出現するウィル子の姿に綾乃は驚きの声を上げる。

 

「マスターの欲望と願望から生み出された電脳アイドル妖精、ウィル子なのですっ♪」

 

キラッ☆

 

と手を顔の前に持ってきてポーズを決めるウィル子。

綾乃はそんな発言をするウィル子と和麻を交互に見比べ、和麻をまるで汚物を見るような目で見る。

当の本人である和麻は思いっきり青筋を浮かべている。

 

「・・・・・・・・・いい度胸じゃねぇか、ウィル子。ああ、そうか。俺が間違っていた。うんうん」

 

しきりに頷いてみせる和麻にウィル子は、今更ながらに悪乗りしすぎたと後悔したが、すべては後の祭りである。

 

「ま、マスター・・・・・・。ウィル子は場の空気をよくしようと・・・・・・」

「いやいや。実によくなったぞ」

 

これ以上無いくらいの笑顔を浮かべ、和麻はウィル子を見る。それがかつて、アルマゲストを殺しまわっていた時に浮かべていた笑みだと言う事を知っているウィル子は、さらに青ざめた。

 

「で、どう言った死に方がいい?」

「ひぃぃぃ!!!」

 

笑顔の和麻に、ガクガクブルブルと震えるウィル子。殺される。間違いなく。殺ると言ったら確実に殺すと言う事をすっかり忘却していた。

最近はマスターである和麻も丸くなり、ウィル子に対して態度を軟化させていたが、元々こういう人だったと嘆く。

超愉快型極悪感染ウィルスであるウィル子の悪乗りが、裏目に出た事態であった。

だがそんな漫才もいつまでも続かない。なぜなら敵が彼らに迫っていたんだから。

 

「・・・・・ちっ!」

 

和麻は後ろを見ると、即座に周囲に風の刃を形成し敵が放った風の刃を相殺する。

相手は綾乃を拾った和麻の様子を少し警戒していたようだが、彼らに隙ができたと判断して攻撃に移ったようだ。

 

「ったく! めんどくさいな!」

「きゃっ!」

 

綾乃を掴みながら、和麻は空中で身体を半回転させ一キロほど離れた相手の方を向く。

数十、数百にも及ぶ風の刃を作り出し、連続で相手に攻撃を仕掛ける。

 

「えっ!? 何なのよ、一体!?」

「あー、状況を説明しますと、マスターとウィル子は現在謎の敵に追われて逃走中なのですよ」

「それでなんであたしがこんな目に合うのよ!? 何で巻き込まれてるの!?」

 

和麻が敵の攻撃を受け止めている中、ウィル子は綾乃に説明を行うが説明されている方はなぜそんなのに巻き込まれるのかとご立腹だ。

 

「それがですね、マスターとウィル子だけだとあれを相手にするのは結構きついので、少しでも楽に勝てるように協力を要請しようと思いまして」

「協力の要請って・・・・・・普通に無理やりじゃないの!?」

「にひひ。まあそうなのですよ。あっ、ちなみに相手に目を付けられた場合、多分逃げられませんので。マスターが頑張っても逃げられないくらいですから、炎術師のあなたでは絶対に無理です」

 

ニッコリといい笑顔で言い放つウィル子に、ヒクヒクと綾乃はさらに顔を引きつらせる。

 

「と言うわけで、死にたく無かったらマスターとウィル子に協力するのですよ。協力しないのであれば、今すぐにマスターに頼んで手を離してもらいますので」

 

とびっきりの営業スマイルをするウィル子に綾乃の堪忍袋の緒が切れた。元々頭に血が上りやすく、よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純で猪突猛進の娘である。

こんな挑発に耐えられる程、人間ができていない。

 

「上等じゃない! あんたら今すぐここで燃やしてあげるわ!」

 

パンと両手でかしわ手を打ち、自らの中にある神剣・炎雷覇を召喚する。

緋色に輝く絶対の刃が二人に襲い掛かろうとするが・・・・・・・・。

 

「へっ?」

 

不意に綾乃の身体が下に向けて落下し始めた。何が起こったのか、綾乃は一瞬では気がつかなかったが、良く見れば自分の襟首をつかんでいた和麻の手がいつの間にか離されていた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

重力に従い真っ逆さまに落ちる綾乃。和麻は炎雷覇を取り出した瞬間、攻撃されると面倒なので綾乃から手を離したのだ。

 

「あーあ。マスターも非道ですね。あっさり手を離すなんて」

「ここで暴れられても面倒だろ?」

 

上の方では落ち着いた会話が繰り広げられている。対照的に綾乃は叫び声を上げながら、自由落下。地表まではまだ距離があるが、あと数十秒もしないうちに地面に激突してしまうだろう。

 

綾乃はパニックに陥る。さすがに彼女もこんな状況になった事は無い。空から落ちるなんて経験、退魔などの非常識に関わっている彼女としても一度も無いし、想像した事も無いだろう。炎雷覇を手にしたまま、叫び声を上げて落ちていくしかできない。

 

「ん? 相手の攻撃が止まったな」

「あっ、そうなのですか。では、この隙に攻撃しますか?」

「もうしてる。しかしさっきと違って、少し攻撃が当たったな。つうか、あいつ綾乃に意識を向けてやがるのか?」

 

和麻は敵が動きを止めただけではなく、攻撃の手を緩めたのに便乗して苛烈な攻撃を仕掛ける。

何故か相手は一瞬の隙ができたのか、和麻の風の刃を幾つかその身に受ける。無論、それ以降は完全に防御されたが、今まで一度も攻撃が通らなかったのに比べればかなりのいい状況だ。

 

「っと。そろそろ不味いな。綾乃を回収するか」

 

和麻は綾乃の落下速度を考えると、そろそろ助けないと不味いと判断し、風で綾乃を包み込み落下速度を緩める。

彼とて綾乃を殺す気は毛頭無かった。綾乃は和麻にとって少し特別な位置にいる。

 

別に綾乃のことが好きだとか大切だとかではない。彼女は現宗主・神凪重悟の娘である。

和麻は重悟には色々と世話になった。神凪一族にいた頃の数少ない理解者であり、擁護してくれた人物であった。その恩は今も忘れていない。

今の彼では想像もできないが、和麻とて恩を恩と感じる心はある。

 

彼は基本ひねくれ者である。

彼がまだ神凪和麻だった頃、一族から苛まれ続けていた。それが彼の人格形成に大きな影響をもたらした。その後も恋人を理不尽に殺されたり、その相手に復讐するために修羅に身を堕としていたために、他者をどうでもいいと思うようになっていた。

 

だが一度でもその心の内に入り込めば、彼はそれを絶対に手放したくない。失いたくないと思う極端な精神構造を形成していた。

ゆえにここでも恩がある重悟を悲しませる真似をしたくないと思っていた。重悟は綾乃を溺愛している。それこそ理由もなく小さな傷一つでもつけようものなら、烈火のごとく怒り狂うだろう。

怒らせたくないのもあるが、悲しませたくないと思うがゆえに、和麻は綾乃を死なせるような真似をしない。

風が包み込んだ綾乃の傍まで和麻は移動する。

 

「無事か?」

「あ、あんた・・・・・・・」

 

恨めしそうに和麻を睨む綾乃。その目元には大量の涙が見て止める。どうやら本気で怖かったようだ。

人間、今まで一度も経験した事の無い、体験した事も無い未知の状況に陥るとパニックになる。

人間にとって見れば、未知と言うのが何よりも恐ろしいのだ。

 

如何に炎術師として優れていても、綾乃もまだまだ十六歳の小娘でしかない。涙を浮かべる程度は可愛いものかもしれない。

和麻は綾乃を回収した後、そのまま地表へと降りる。もう鬼ごっこをするつもりは無かった。

 

降りた場所は大阪湾に面した工場が立ち並ぶ一画。夜のできるだけ人がいない場所を選んだ。

本当なら山奥にでも行けばいいかもしれなかったが、綾乃を回収した後手近な場所がここしかなかった。

しかし和麻はここを選んだのには他にも理由があったのだが、今はあえて問題にしない。

 

「炎を出したら落とすって言っただろ?」

「言って無いわよ! そもそもあんた達が悪いんでしょ!?」

「そうだったか? いやー、覚えてないな」

「そうですね~。ウィル子も記憶に無いのですよー」

(こ、こいつら・・・・・・!)

 

互いに顔を見合わせ嘯く和麻とウィル子に、綾乃は本気で殺意を覚えた。

本当に燃やしてやろうと心に決めて、炎雷覇を握る手に力が篭る。

 

「おいおい、相手を間違えるなよ。相手はあっち」

 

ピッと和麻は指を指す。綾乃はゆっくりと視線を指の指す方に向ける。

 

そして・・・・・・

 

「えっ?」

 

ゾクリと身体が震えた。何だ、あれは? 視線の先の夜の闇の中に浮かぶ、闇よりさらに黒く禍々しい何か。闇の中ではっきりとそれを視認する事はできなかった。

見れば人のような輪郭が見えるが、綾乃はそれを人間と言い切ることができなかった。

 

あれは、あれは断じて人間なんかじゃない。

もっとおぞましく、醜悪で、禍々しく、この世界に存在することを赦されない存在だ。

 

「なに、よ、あれ?」

「さあな。俺もそれは聞きたいところだが、まともに聞いて答えてくれないだろううぜ」

 

震える声で聴く綾乃に、和麻は落ち着いたそぶりで答える。

実際のところ、和麻もこれほどの相手には早々お目にかかれないので、若干体をこわばらせている。

 

これほどの相手は中国で出会った三千年生きた吸血鬼や、中国の奥地に生き残っていた竜王に匹敵する。

 

相手から殺気がほとばしる。妖気が、妖気に狂わされた風の気配が、和麻達を飲み込んでいく。

常人なら耐え切れず、間違いなく狂ってしまうだろう。

現に訓練をつみ、退魔を幾度と無くこなしてきた綾乃でさえ、その妖気にガタガタと無意識に身体が震えていた。

 

ウィル子はまだ耐えられた。

もしウィル子が和麻に出会っていなければ、あるいは出会っても、その間に成長していなければ、この妖気を浴びた瞬間に致命的なダメージを受けたり、その妖気で中毒を起こしていただろう。

しかし成長した今ではこれだけの妖気にも耐えられる。それどころか、相手の魔力の一部を自らの中に取り込んでさえいる。

と言っても、取り込んでいるのはごくごく僅かなものである。下手をすれば即座に彼女の許容量を越えてしまう。

 

和麻も同じだ。経験上、こんな敵とも相対している上に、彼自身が強者と言う高みにいるために耐え切れていた。

 

(なんなのよ、あれ・・・・・・)

 

だがこの中で唯一綾乃だけは違った。

彼女はこんな相手、今まで一度も相対したことなどなかった。手ごわい相手と戦った事もある。苦戦した事も何度もある。

しかし綾乃は未だに命を失いかけて尚、勝利を収めるような死闘を演じた事は一度も無かった。自分よりも遥か格上と戦った経験など、一度も無いのだ。

目の前にいる相手は圧倒的格上だ。それくらい綾乃でもわかる。綾乃とてまだまだ未熟であり何とかギリギリ一流の術者と言う力量だが、相手の実力が解からないほどの弱者でもない。

 

理解したからこそ、彼女は震える。人間のほとんど退化してしまっているはずの本能までが訴えかける。逃げろと。あれには勝てないと。

炎雷覇を握る手にはさらに力が篭るが、心の奥底ではすでに心が折れかけていた。

だがそんな折、ポンと綾乃の頭に手が置かれた。

 

「おいおい、ビビるなっての」

 

見れば横にはどこまでも軽薄そうな男の顔があった。

 

「ったく。炎雷覇の継承者だろ、お前? 腰が引けてるぞ」

 

パンッと思いっきり綾乃の尻を和麻は叩いた。羞恥と怒りで綾乃は顔を真っ赤にする。

 

「な、何すんのよ!」

「ん? 何って、ビビってた奴の緊張をほぐしてやろうと。ああ、それとも尻を叩かれるより揉まれた方が良かったか?」

「この変態!!」

 

綾乃は思いっきり炎雷覇を和麻目掛けて振り下ろすが、和麻はヒョイッと綾乃の一撃を軽く避ける。

 

「避けるな!」

「いや、避けないと死ぬだろ?」

「死ね! 死んでしまえ! この変態、馬鹿、スケベ!」

 

ブンブンと炎雷覇を振り回すが、和麻はわははと笑いながら綾乃の攻撃を避け続ける。

 

「あの~、そろそろその辺にしないと、向こうが攻撃してくると思うのですが」

 

漫才を続ける二人にウィル子がおずおずと言う。

 

「おおっ、そう言えば待たせてたな」

「っ! あとで覚えてなさい・・・・・・」

 

今思い出したとでも言いたげな和麻と怒りの収まらない表情の綾乃が、再び敵に視線を向ける。

無論、血が頭に上っていた綾乃と違い和麻はしっかりと敵にも注意を向けていたし、ウィル子も万が一の際はマスターを守るべく準備はしていたのだが。

 

(しかし攻撃してこなかったのは不気味だな。隙は見せてなかったが、あいつの風なら俺と綾乃ごと攻撃できそうなものだが)

 

和麻の風に匹敵、もしくはそれ以上の力を有する風を操る謎の敵ならばあのタイミングで攻撃してこないのはおかしい。

 

(綾乃がいたから? さっきも綾乃が落ちたときに動きを止めたみたいだが・・・・・)

 

手持ちの情報をまとめるがあまり予想は纏まらない。楽観視は危険だし、明確な思考能力があるかも分からない相手に理由を期待するのも無駄かもしれない。

 

「とにかくお前も巻き込まれたからにはしっかりやれ」

「巻き込んどいてよく言うわね、あんた・・・・・・」

「俺も被害者だ。いきなり襲われたんだからな。それよりもいけるか?」

 

確認を取る。綾乃はさっきはまるで使い物にならなさそうだったが、今は緊張や恐怖が薄れたのか少しはマシな雰囲気だ。

 

「・・・・・・・行けるわよ。炎雷覇継承者の力、見せてあげるわ」

「結構。即席の連携はあんまり望めないから、お前はいつもどおりに動いて相手を燃やせ。俺が合わせる」

 

フォローは中々に骨が折れるが、相性を考えるとこれが妥当だろう。

 

「ちなみに遠距離から狙おうとするな。あのクラスだ。接近して炎雷覇を突き立てろ。それ以外に致命傷を与えられると思うな」

 

すぅっと和麻の目が細まる。先ほどの飄々とした雰囲気が消えていく。彼の纏う空気がピリピリとしたものへと変わっていく。

 

「小細工なんて考えるな。全部が全部、最高の一撃で相手を狙え。俺も、それなりにやってやる」

「って、マスターが本気モード!?」

「さすがにあいつ相手じゃ本気で行かないと不味いからな。お前は援護しろ、ウィル子。俺もこいつと前に出る。フォローはしてやるが、自分の身は自分で守れ。二人がかりなら、後衛に攻撃を向ける余裕は生まれないと思うが・・・・・」

 

それも綾乃次第である。綾乃が思った以上に動けない場合、ウィル子にさらに気を向けなければならない。

 

「お前次第だ、綾乃。お前がきっちり役割こなせたら、俺もこいつも余裕が生まれるし、お前をフォローできる」

「巻き込んどいて注文が多いわよ」

「さっきビビッてた奴が何言ってんだか」

 

ハァッとため息をつく和麻に、綾乃はまたプチプチと青筋を浮かべて怒りを増す。

 

「その怒りは俺じゃなくてあいつにぶつけろよ」

「・・・・・・・・・わかってるわよ」

 

と口では言うものの、後で絶対ぶん殴ると綾乃は心の中で思った。

だが今は目の前の敵に集中する。巻き込まれたからと言って、目の前の相手を放置しておくわけにも行かない。

 

精霊魔術師とは世界の歪みを消し去る者である。目の前の相手は世界を歪める存在。

精霊の力を借り受ける術者として、この場で倒さなければならない。

一度空気を大きく吸い込み深呼吸をする。意識を切り替え、ただ精霊に願う。

力を貸してと。

 

「・・・・・・・・・行くわよ」

 

何故かいつに無く落ち着いていた。さっきまであんなに震えていたのに、今は嘘みたいに平常心で望める。目の前の化け物も怖くなくなっていた。

ただ前を見る。そして精霊を呼び、炎を喚ぶ。

彼女の意思に反応し、膨大な数の精霊が彼女の下に集う。精霊は炎雷覇と言う増幅器により、さらに力を増す。

絶対的な力を宿した神剣を持ち、綾乃は敵へと切りかかる。

 

「やあぁぁぁっ!」

 

気合と共に炎雷覇を振るう。

敵―――流也は両手の爪を一瞬で三十cmほど伸ばし、炎雷覇を受け止める。漆黒に染まった爪を交差させ、炎雷覇の一撃を受け止める。

 

「くっ!」

 

まさか炎雷覇の一撃が受け止められるとは思っても見なかった。目と目が合う。飲み込まれそうになる深い闇を宿した瞳。

身体が再び震えだしたのがわかる。炎雷覇を握る両腕も小刻みに震えている。

しかしまた次の瞬間、パンといい音が響いた。さらに綾乃の顔が赤に染まる。

またしても和麻が綾乃の尻を叩いたのだ。

 

「あ、あんた!」

「ボケッとするな!」

 

叱咤と共に和麻が綾乃のすぐ脇を通過し、流也の背後に滑り込む。風を纏った高速移動。

拳を握りその上に風を纏う。綾乃が先ほど召喚した数の精霊を上回る量を集め、風術でありながら圧倒的なまでの破壊力を有した攻撃。

<大気の拳(エーテルフィスト)>。

ヘビー級ボクサーの渾身の一撃を遥かに上回る威力を誇る。連撃。背後に周り炎雷覇を受け止め防御ができない今のタイミングを狙い叩き込む。

 

「っらあああああああぁっ!」

 

気合と共に幾度と無く背中に叩き込む。流也の身体が少しだけ浮き上がる。

 

「綾乃!」

「っ!」

 

思わず集中力を切らしていたが、和麻の声で綾乃は我に返る。目的は変わらない。炎を喚び、炎雷覇に炎を纏わせる。

 

「はぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

爪で防がれているが、そんなもの関係ないとばかりに力を込める。膨大な熱量が流也の爪を溶かしていく。

それだけではない。綾乃の炎は魔に対して大きなアドバンテージを有していた。

 

神凪一族が最強たる所以は単純に炎術師として優秀なだけではない。

彼らが最強との呼び声が高いのは、その炎に宿した浄化の力であった。

神凪一族の始祖は炎の精霊達の王である精霊王と契約したと言われている。その契約により、彼らの血には特殊な力が宿り受け継がれていく事になる。

魔を、不浄を焼き清める破邪の力。『黄金(きん)』と呼ばれる最上位の浄化の炎こそが、神凪一族の最強の証である。

 

ただし現在では『黄金』は神凪宗家にしか現れていない。

かつては分家にも『黄金』を持つものもいたのだが、血に宿る能力ゆえか血が薄れていくに連れ能力は低下していき、分家が『黄金』を失って久しくなっていた。

それでも未だに神凪宗家にはこの力を有しており、これにより妖魔邪霊に対して絶対的な優位性に立つことができていた。

 

もちろん、力に差があればあるほど、いくら優位性があったとしても効果が薄い場合はある。

実際、綾乃自身の浄化の炎だけでは流也の風を、妖気を纏った爪を浄化する事はできなかっただろう。

 

しかし彼女にはそれをさらに覆す武器があった。増幅器にしてあらゆる魔を討ち滅ぼす最強の神剣・炎雷覇。

継承者となり早四年。そのすべての力を引き出してはいないものの、彼女がただ純粋に願い、明確な意思を示せばその力は高まっていく。

もし綾乃に迷いがあれば、心のどこかで勝てないと思ってしまっていたら、頭の片隅で燃やせないと感じていたら、流也の爪を燃やし、浄化する事はできなかっただろう。

 

だが今の綾乃はただ相手を燃やす事しか考えていない。

相手に怒りをぶつける事しか考えていない。

原因は言うまでも無く和麻である。和麻とのやり取りが、和麻の綾乃への態度が、和麻の綾乃へのセクハラのような行動が、彼女の怒りに火をつけた。

 

(二度も人のお尻を叩いて・・・・・・・・。あとで絶対に燃やしてやる!)

 

勝手に自分を巻き込み、好き勝手ほざいて、セクハラまでした和麻に綾乃は本気で怒っていた。

あの男に一撃を加えるためにも、目の前のこいつが邪魔だ。

 

幸か不幸か、綾乃は現在一流の炎術師に必要な要素を満たしていた。

炎の性は『烈火』。激甚な赫怒こそが炎の精霊と同調する鍵。冷静なだけの、温和なだけの人間に、炎の精霊達はその力の全てを委ねはしない。

激しい怒りとそれを制御する自制心を持つものだけが、一流の炎術師になれるのだ。

 

さらに和麻もそんな炎雷覇へと風を送り込み、炎を煽りその威力を爆発的に増大させていく。

 

その効果により、今の綾乃の炎は通常の数倍以上の威力になっていた。

ゆえにいかな流也と言えども、この一撃を受ければただでは済まない。

 

「どりゃぁぁぁっっ!!!」

 

綾乃は怒りに任せて炎雷覇を振りぬき、一刀の下に流也を切り裂いた。

 

 



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第四話

 

綾乃の炎雷覇による一撃は流也の身体を切り裂き、切り口を燃やしていく。

 

(やった!)

 

綾乃は内心で勝利を確信した。今の一撃は、今までに無いほどに手ごたえを感じた。炎雷覇に全力を乗せた、人生でも最高の一撃と言えるほどの出来栄えだ。

相手の身体はかろうじてつながっているが、もうほとんど、右肩から左の腰付近まで切り裂かれている。

 

和麻による風の援護もその威力を上げる後押しをしていた。

 

さらに炎雷覇での攻撃だけに、その切り口には膨大な炎が纏わり付き、一変の破片さえも残さないまでに焼き尽くす。

これで勝利を掴める筈だった。

 

しかし・・・・・・・・。

 

「っ!」

 

異変に真っ先に気がついたのは和麻だった。

綾乃の攻撃は和麻から見ても文句が無いほどの一撃だった。躊躇いも迷いも恐れも無い、ただ純粋な攻撃の意思を、相手を焼き尽くす意思を込めた全力の一撃。

一流の術者たる条件は呪力でも知識でも技術でもない。何者にも負けぬ、屈せぬ、強靭な意志である。今の綾乃は超一流の術者にも引けを取らない。

 

その綾乃の攻撃の直撃を受けたにも関わらず、相手の妖気はあまり衰えていない。

むしろ、どこか強大になっている。

 

「離れろ、綾乃!」

 

思わず叫ぶと同時に和麻は動く。風を纏い、全速力で綾乃の服の襟首を掴み相手との距離を取る。

 

「ちょっと! あんたまた!」

 

綾乃は抗議の声を上げるが、その際に和麻の顔に一筋の汗がこぼれているのを見た。

 

「おいおい。あれ喰らってもまだ消滅しないのかよ」

「嘘・・・・・・・」

 

ボコボコと黒い塊が傷口から湧き上がっていく。さらにそれにあわせるかのように妖気が煙のように噴出していく。漆黒の霧のように、周囲を黒く染め上げていく。

 

くくくくく・・・・・・・。

 

不気味な声が木霊する。数万度の炎に身体を焼かれていても、相手は不気味に笑い続ける。

炎が妖気に喰われていく。浄化の炎をものともせず、流也は身体を変貌させていく。

 

黒く、黒く染まっていく。闇が流也に取り付き、さらに姿を変えていく。

膨張していく流也の体。それは黒いどろどろした液体のような何かが纏わりついた、五メートルを超える泥人形のような姿に変貌した。

 

「巨大化って言うのはテンプレだけど、あれはどうよ?」

「ウィル子に聞かれても困るのですよ。で、マスター、どうしますか?」

「あんたら、落ち着きすぎでしょ!? それにあれ喰らって死なないなんて・・・・・・」

 

のほほんと会話を続ける和麻とウィル子に、綾乃は思わず声を上げた。

 

「いや、俺としても驚きだけどな。正直、予想外だ」

 

和麻としても本当に予想外だった。綾乃の一撃が決まった時点で、和麻としては倒せないまでもそれなりのダメージを与えられるだろうと踏んでいた。

 

実際、綾乃の攻撃は和麻が想像していた通りの威力を発揮してくれた。

あとは通常攻撃、もしくはあまり使いたくは無かったが、切り札の一つである浄化の風を使って余裕を持って殲滅するつもりだった。

 

しかし実際は対してダメージを与えるどころか、相手を暴走させる結果になってしまった。

 

オオオオオオォォォォォォォォ!!!!!

 

怨嗟の声が木霊する。聞く者を震え上がらせ、飲み込み、支配するような悪魔の呼び声。

ビリビリと空気を振るわせる、流也の叫び声。

 

「怒ってる?」

「まああれだけやられたら怒るだろう。けどそれにしてもこれは無いわ」

 

巨大な泥の塊がのそのそと動き出す。

 

「もう一回炎雷覇を叩き込むわ。あれだけの大きさだから動きは鈍いはず・・・・・」

 

綾乃が敵の動きが鈍いと感じ、もう一度炎雷覇を構えなおす。

直後、風が吹く。同時に泥の塊が動いた。それはその巨体からは想像もできないくらいに早かった。流也は真っ直ぐに和麻達に迫り、その巨大な拳を振り下ろす。

 

「早い!?」

 

綾乃が驚きの声を上げるが、その前に和麻はまた綾乃の襟首を掴んで高速で移動。ドンと地面に叩きつけられる流也の拳をじっと見ている。

地面は直径数メートルの範囲でひびが走り、地面が陥没する。

 

「おいおい。いつの間にパワーキャラになったんだ?」

「あんな巨体なのになんて速さなのよ」

「速さ自体は前に比べて落ちてるから問題じゃないが、まあ脅威だよな」

「あんたなんでそんなに落ち着いてるのよ」

 

綾乃はこんな状況なのに、嫌に落ち着いていた。普通なら、こんな今までに無かった状況に直面したなら、パニックになりそうなのに横の男がどこまでも落ち着いているためか、自分ひとりだけ喚き散らすのが馬鹿みたいに思えてしまった。

 

「喚いたところで状況は良くならないからな。で、ウィル子、準備はできたか?」

「はいなのですよ♪」

 

返事と共に彼女の周辺にいくつものノイズが走る。

ウィル子の周囲に突如としていくつもの筒が出現する。それはウィル子が作り上げた武器。

百五十ミリタングステン砲弾を初速七キロ毎秒で打ち出すレールガン。その砲身と発射システム。さらに弾丸はオリハルコン製。数は十三!

 

それはウィル子の能力。

 

01分解能。電子と霊子を司る精霊のウィル子。彼女のみに許された能力。

コンピュータの世界では使われている二進数で現実世界も素粒子が有か無の演算処理で理解し、あらゆる物質を分解、再構築できる。

無から有を生み出す能力であるが、もちろんそれに伴いエネルギーも必要となってくる。

 

そこは自然界に存在する霊子や和麻の霊力をはじめとする力、または和麻と契約している膨大な風の精霊達から少しずつ力をもらっている。

 

風の精霊は和麻に力を貸す。そして和麻と契約しているウィル子にも、彼らは少しずつ、その力を貸し与える。

 

これは本来なら、ありえない奇跡なのだ。

 

もしウィル子が精霊達から強制的に力を奪うような真似をしたのなら、精霊達は彼女を敵とみなしただろう。

また精霊を友とする精霊魔術師たる和麻も、彼らを守るべくその存在の抹消を行っただろう。

 

しかしウィル子は和麻達、精霊魔術師と同じように彼らに助力を請い、その力を分け与えてもらう。

 

個々の精霊から借り受ける力は微々足るものだが、和麻に力を貸し与える精霊の数は人類史上でも類を見ないほどに多い。

 

ウィル子は和麻と言う最高の契約者の下、その能力を進化させ、そして力を得た。

風の精霊と言う世界を司る四大の一つの分類に、彼女はその存在を認められたのだ。

 

彼女は精霊の力ではなく、精霊の存在の力を少しずつ借り受け、その能力を行使する。

和麻からも力を借り受け、精霊達からもその力を借り受ける。

行使できる能力も跳ね上がり、作り出せる物も劇的に広がった。今はこれ程の物を作り上げられる。

 

「って、何なの、それ!? それにどこから!?」

「にひひひ、企業秘密なのですよ。ではマスター、足止めをお願いします」

「んー」

 

気の無い返事をすると、和麻が流也に手を向ける。同時に膨大な量の風の精霊が集い、風が流也を拘束する。風の束縛。

 

流也の身体が巨体になりパワーが増しているため、これも数秒も持たないだろう。

それでも多少の足止めはできる。和麻一人なら決定打に欠けていたが、今は綾乃とウィル子がいるので、和麻も決定打を与える余力をあまり考えずにいられるから、このような足止めにも力を使いやすい。

速度は先ほどよりは遅くはなったが、それでもまだ早い。

しかし巨体になった分、的が大きくなった。これはこちらにとって圧倒的有利。

 

「撃つのですよ。ファイエル!」

 

一斉掃射! さらに弾丸には和麻が力を込めている。

神凪にのみ許された力。彼が手に入れた力。浄化の力。弾丸に浄化の力を付加した一撃。

威力、能力共に申し分ない。

その巨体に十三の穴が出現する。

 

オオオオオオオォォォォォォォ!!!!

 

咆哮がさらに高まる。しかしそう何度も浄化の力を受けて無事でいられるはずが無い。

それに和麻の風の浄化の能力は綾乃よりもさらに高く、完成されている。つまり無駄が無い。弾丸が貫通した周辺は浄化の力で再生する事もできない。

 

「な、何て威力なの・・・・・・」

 

あまりの威力に綾乃も思わず驚く。ただ綾乃には威力の高い攻撃にしか見えていない。浄化の力が和麻にあるなど知る良しも無いし、周囲に渦巻く風が浄化の力を纏って、蒼く染まっているわけでも無い。

ゆえに綾乃はただ純粋に、ウィル子のレールガンの威力に驚愕したのだ。

 

「炎のような圧倒的攻撃力はなくとも、ただの炎には無い貫通力とそれに伴う破壊力があります。ウィル子とマスターがそろえば、このくらいお茶の子さいさいなのですよ。にひひひ、にほほほほほ、にほははははは!!!!」

 

勝ち誇ったような笑い声を上げるウィル子に綾乃はげんなりした顔をする。

 

「おい。まだ終わって無いぞ。あいつを見ろ」

 

言われて綾乃とウィル子は、うめき負声を上がる流也を見る。

 

「あれでまだ死なないですか・・・・・・」

「あれで倒せるなら、あたしがとっくに燃やしてるわよ」

 

と、お互いににらみ合いながらムムムと言っている。

 

「とにかく最後の仕上げと行くか。つうわけで行け」

「はぁっ!?」

 

綾乃は和麻に指を指され、すっとんきょな声を上げる。

 

「『はぁっ!?』 じゃねぇよ。炎雷覇なんて便利なもん持ってるんだ。お前の役目だ」

「あんたは・・・・・・」

「ほれ、とっとといけ。今決めないと、また面倒な事になるぞ」

 

殺気を多分に含んだ視線を和麻に向ける綾乃。だが和麻はその視線に何も感じないのか、未だに表情を崩さない。

一般人や神凪の分家が今の彼女を見たら、ジャンピング土下座でもしそうなのだが。

しかし彼女も今やるべき事はきちんと理解している。

 

「本当にあとで覚えてなさい!」

 

炎雷覇に炎を集めて、綾乃は思いっきり動きが鈍くなった流也へと突撃する。刀身から黄金の炎が吹き上がり、周囲を染めていく。

 

「やぁぁぁっ!」

 

気合一閃。炎が流也を一刀両断にし、切断面から彼を燃やし尽くす。通常攻撃と和麻の浄化の風により多大なダメージを受けていた流也には、今の綾乃の攻撃を防ぐ術はなかった。

燃え上がる流也。浄化の炎に焼かれ、その身体を消滅させていく。

 

断末魔の声が闇に響く。

 

あとには何も残らない。肉片も、妖気も、一変たりとも。

ここにかつて風巻流也と呼ばれ、妖魔と成り下がった人間は消え去った。

正史とは違い、和麻と綾乃とウィル子により、その力を十分に発揮せぬままに・・・・・・・・。

 

残滓が消えうせた事を確認した綾乃は、よしとガッツポーズをする。

思った以上に今日は力を使う事ができた。明らかに自分より格上の相手に、あの男の協力があったとは言え勝つことができた。

 

(それにしてもあいつは・・・・・・・・)

 

綾乃は自分を巻き込んだ男の事を考える。

風を扱い、周囲に風の精霊を集めていた事からも風術師であると言う事は解かる。

 

しかし彼女の知る風術師よりも何倍も強い。

 

綾乃の知る身近な風術師は神凪の下部組織の風牙衆の術者である。彼らは情報収集能力こそ高いものの単純な戦闘力はほとんど無い。

戦いは神凪の仕事であり、彼らが手伝うと言っても牽制や、炎を煽りその攻撃力を高める程度である。

 

だがあの男は独力で相手を拘束し、敵の鋭い攻撃を防いでいた。この事からも高い能力を持っていると思われる。

しかし綾乃は和麻が自分よりも強いとは思ってはいなかった。凄まじい破壊力の攻撃も所詮はウィル子が生み出した武器によるもの。

和麻自身の力は炎雷覇を持った自分には届かない。そう誤認しても仕方が無い。

 

尤も、炎雷覇と言う反則級の神器を持っている時点で、綾乃は十分に卑怯と言われても仕方が無い。

ただ、実際のところ和麻は炎雷覇を持った綾乃の十倍は強いのだが。

 

(とにかくあいつをぶん殴る!)

 

今までの借りと怒りを上乗せして一発殴る。否、セクハラまでされたのだ。一発では済まさない。絶対にボコボコにしてやる! と決意を決めて振り返る。

 

「あれ?」

 

だが振り返った先には誰もいなかった。和麻も、ウィル子もあの武器も。

 

「って、あれ? あいつどこに?」

 

その時、ヒラヒラと一枚の紙が綾乃の前に落ちてきた。薄暗くはっきりとは見えないが、何か書いてあるようだった。

綾乃はそれを手に取り、炎を生み出して明かり代わりにして書かれている文字を読み・・・・ぐしゃりと読み終わった後、手紙を怒りのまま潰した。

ワナワナと振るえ、綾乃は感情のままに叫んだ。

 

「ふざけんなぁぁぁぁっっっ!」

 

紙にはこう書かれていた。

 

『お疲れ様。じゃあそう言う事で』

 

感謝も何も無いシンプルな文面。ご丁寧に一万円札が貼り付けられていたところを見ると、これで帰れと言う事だろうか。

だがそんなもので綾乃の怒りが収まるはずが無い。

 

「覚えてなさい! 今度会ったら、絶対に燃やしてやるんだからぁぁぁぁっっ!」

 

夜の闇に叫び声を上げる綾乃。和麻への罵詈雑言はしばらく続き、その不審な行動から、見回りの警備員が彼女を発見して、警察に連絡され、綾乃がそのお世話になるのは、もう少し後の話である。

それにより、綾乃が和麻にさらに怒りを覚えるのはいたし方が無いことであった。

 

 

 

「はぁ・・・・・・・。酷い目に会ったな」

 

和麻とウィル子は綾乃を置き去りにして、とっとと自分達だけで姿をくらましていた。

これ以上の面倒ごとは嫌だったのと、下手に綾乃に追及され自分達の事が神凪に伝わるのを避けたかったのだ。

綾乃も忘れているようだし、自分の事が神凪に伝わる事は無いと思う。と言うか思いたい。

 

「いや、それは無理なんじゃ。そもそも綾乃を巻き込んだ時点で、マスターの事が神凪に伝わるフラグだとウィル子は思うのですよ」

「やめろよ、そんな嫌な未来像。あいつは忘れてるみたいだったし、四年前に出奔した男が風術師になって戻ってきたとは思わないだろ」

「いえいえ。仮に神凪の写真とかが残ってたら可能性はあるのでは?」

「写真。写真か・・・・・・・。ヤバイ、あるような気がしないでもない」

 

あまり写真を撮った記憶は無いが、一枚や二枚は残ってそうな気がする。

 

「けど普通の一般家庭よりは少ないんだよな」

 

はっきり言って、小学生くらいまでは学校でそれなりに遠足とか運動会の行事で取った気がする。ただし両親がではなく、先生とか付き添いのカメラマンとかがである。

おそらく実の親はどちらも自分の写真を一枚も持っていないだろう。

中学から高校にかけてからは一日のオフすらありえない状況であり、遠足や修学旅行も満足に行けなかった。

 

あの親は本当に子供の成長教育をどう考えていたのだろうか。不意に自分を鍛え上げようとした男の顔が思い浮かんだ。

厳つい、愛想の欠片も無い、鉄仮面のような男の顔が。

なんか思い出しただけでも腹が立つ。

 

「ああ、なんかだんだん腹立ってきた」

「ま、マスターからどす黒いオーラが」

 

アルマゲストを殺しまわっていた時ほどではないが、それに近いどす黒いオーラが和麻から放たれ、ウィル子は思わず恐怖した。

 

「つうか、俺が高校入ってから神凪で写真なんて撮ったことあったかな。無いような気がしてきた」

「いや、どんな学生生活を送ってのですか、マスター」

「聞きたいか? あんまり面白くも無い、単調でつまらない、今にして思えばほとんど無駄だったような生活だが」

「いえ、止めておくのですよ。話を聞いてると気がめいりそうなので」

「そうしろ。たぶん話してたら俺もムカついてくるだろうから」

 

和麻の言葉にウィル子はマスターの不憫さに些かの同情を行う。和麻も和麻であまりにも面白くない話しなので、言いたくないらしい。

 

「とにかく写真が残ってる可能性は少ないし、あったとしてもそんなにすぐ目につくところには無いぞ」

 

一応、宗主が一族や風牙衆の人間のある程度の個人情報を記載した物はあるし、そこには確か顔写真も載っているが、そうそう綾乃が見る事も無い。

それにどんな顔だったと外見的特長を言っても、即座にそれが神凪和麻に結びつく事はないだろうし、どこかの流れの風術師と思う程度だ。

ここ一年、和麻の顔はどこにも出回っていないのだから。

 

「それにまさか俺の親が後生大事に、部屋の片隅に飾ってるなんてのは、天地がひっくり返ってもありえない。断言できる」

 

思い出すのは四年前の別れ際。

 

父には勘当を言い渡され、何とか和麻が手を伸ばし、すがり付こうとしてもその手を払いのけ、あまつさえ和麻を振り払い壁に叩きつけられたほどだった。

どれだけ叫んでも、その声が聞き入れられる事はなかった。どれだけ手を伸ばそうとも、その手を取ってくれる事はなかった。

 

母には永遠の拒絶を言い渡された。手切れ金として一千万円の入ったクレジットカードを渡され、炎術師の才能さえあれば愛する事ができ、誇りに思っただろうと言い放たれた。

何を言っているのか、最初は理解できなかったが母は和麻が無能として勘当された事を当然のごとく受け入れ、そんな息子は要らないと躊躇いもせずあっさりと切り捨てたのだ。

 

「ああ、実に酷い親だったな。いや、もう勘当されてるんだから親じゃないか」

 

きっぱりと言い放つ和麻にウィル子は、マスターの親は物凄く酷い親だったのだなと思った。まあマスターがここまで言うのならそうなのだろうと納得しつつ、この話を続けると精神衛生上悪いと判断し、ウィル子はさっさと次の話題に切り替える。

 

「ところで、これからどうするのですか? ホテルに戻って一休みして、日本を発ちますか?」

「・・・・・・・・そうしようかと思ってたんだけどな。さっきのあいつがどうにも気になる」

 

さっきのあいつとは言うまでも無く流也の事である。和麻はあの顔にどこか見覚えが合った気がした。

 

「どこで見たのか。たぶん日本でだと思うから神凪時代か。とすると、これは神凪がらみか?」

 

顎に手を当てて和麻は考える。まさか本当に神凪がらみだった場合、どうしてくれようか。

 

「お前のほうはどうだ? お前の事だ、もう調べ始めてるんだろ?」

「はいなのですよ。Will.Co21は検索中です。ウィル子が見た人相を色々と加工処理して、人間のものに置き換えて、現在日本国内を中心に探ってます」

 

ウィル子の答えに満足する和麻。ウィル子の能力を使えば、短時間に索敵が可能だ。ある程度の目星が付けば、そこからはさらに早い。

それに和麻の風術師としての索敵能力も優秀を通り越して異常だ。この二人なら驚くほど短時間にあの男の身元を割り出せる。

 

「一応現在は広範囲で調べていますし、国内の情報屋の方にも資料と金をばら撒いて調べさせてはいますけど」

「・・・・・・・・・ウィル子。お前は検索範囲を神凪一族の風牙衆に絞れ。他はその辺の情報屋に任せておけ」

「神凪一族の風牙衆ですか? えらくまたピンポイントな」

「頭に浮かんだ身近な神凪に恨みを持っていて、風を扱う奴がそれしかなかった。違ったならそれでいいけどな。それに風牙衆も数が多いって言ったって総数じゃ百にも満たない。そこからあの年代の奴と照合すれば早い。合ってても間違っていても結果はすぐわかるだろ」

「ですね。了解なのですよ。ではマスター。ウィル子はしばらくそっちの方を探りますので」

「ああ。俺も俺で少し調べてみる」

「にひひひ。サボらないでくださいね、マスター。では少し本気で調べてくるのですよ」

 

そして二人は本領を発揮する。

彼らの強さとは単純な戦闘力にあらず。彼らの真の恐ろしさは、その情報収集能力。

 

彼らに喧嘩を売った、間違えて売ってしまった風牙衆―――風巻兵衛―――は後に後悔する。何故この二人を敵に回したのか。否、巻き込んでしまったのかと。

もしこの二人を巻き込まなければ、彼の野望は成就されていたはずなのに。

だが彼らにもたらされたのは、風の契約者と電子の精霊にして神の雛形による報復だった。

 

 

 

 

 

「あー、腹が立つ!」

 

あの事件から数日が経過した。綾乃は現在、東京の神凪本邸に戻っていた。

あの後は大変だった。消えうせたあの男に向かって罵詈雑言を海に向かって叫んでいたら、突然警察がやって来て職務質問され、連行されてしまった。

事情を説明しようにも基本的には神凪が関わる仕事は一般には秘匿されている。一応神凪の名前を出し、父である重悟に連絡を取らせてももらい事情を説明し何とか解放されたのだが、あとで父に酷く怒られた。

 

さすがにそれは理不尽に思えたが、事件に巻き込まれた経緯は仕方がなくとも、叫んでいたのは言い逃れができなく彼女の責任だったので、綾乃は向こう三ヶ月の小遣い減を言い渡された。

 

「何であたしがこんな目に・・・・・・。そもそもあの男が悪いのよ!」

 

げしげしと思いっきり地面を踏みつける綾乃。思い出しても腹が立つ。あの結局名前もわからず仕舞いだった男の顔。

巻き込んだ挙句感謝の言葉もなく、そのまま姿を消した最低な男。

冗談抜きで、最低最悪で馬鹿でアホで無神経で変態でセクハラな男だと綾乃は思っている。

 

まあこれは仕方が無い。和麻は正史と違って、ここでは綾乃が最初に勘違いで手を出したのではなく、逆に彼女を巻き込んだのだから彼女の怒りも尤もである。

 

「今度あったら絶対に一発殴ってやる」

 

ゴゴゴゴゴゴと髪を逆立たせかねないオーラを発しながら、手を握る綾乃。

 

「姉さま!」

 

と、突然甲高い声が綾乃の耳に届いた。

 

「綾乃姉さま!」

 

トコトコとやって来たまだ幼さの残る顔立ちの少女―――ではなく少年。いや、少女といっても差し支えないのだが、あくまで彼は男として生を受けているので悪しからず。

綾乃の傍まで嬉しそうにやってきた彼らの名は神凪煉。綾乃の従姉弟にして何と和麻の実弟なのだから驚きだろう。

 

「お帰りなさい、姉さま」

「・・・・・・・・ただいま、煉」

「どうかされましたか?」

 

物凄く綾乃の機嫌が悪い事に気がついた煉が彼女に聞き返す。

 

「もう、聞いてよ、煉! 最悪なのよ!」

 

四つも年下の少年に愚痴を言うのはどうかと思うが、綾乃も人の子。誰かに愚痴を聞いてもらいたかった。

本当なら思いのたけを父である重悟に聞いてもらいたかったが、どうにも怒られた事もありあまり言えなかった。

 

他にも以前自分の付き人をしていた、一つ年下の風牙衆の少女がいるのだが、彼女は現在自分や煉と同じ一つ年下の宗家の男と共に退魔に出かけていていないゆえに除外した。

だからこそ、煉はある意味犠牲になったのだ。

 

「って、ことがあったのよ」

「はぁ。それは・・・・・・その、災難でしたね」

 

としか煉としては言えない。綾乃の剣幕にたじたじと言ってもいい。

 

「本当よ。だから絶対に次にあったら借りを返してやるわ」

 

あはははと煉は乾いた声を出す。この従姉弟の姉は結構過激なところがあると煉も知っている。もし次にその人が会ったなら、間違いなくひどい目に合いそうな気がした。

だから煉は思わずその人――和麻――の冥福を祈った。

と言っても、綾乃程度ではどうあがいても和麻をどうこうする事はできないのだが。

 

「あれ? ところで煉。何持ってるの?」

綾乃はふと、煉が手に何か大きなものを持っているのに気がついた。

 

「あっ、これですか? これはアルバムなんです。さっき宗主にお願いして借りてきたんです」

「アルバムねぇ。そんなもの何に使うの?」

「今度学校の課題で家族について作文を書かないといけないんですよ。それで写真とかもあるといいから」

「そうなの。あれ? でも写真なら普通にあるんじゃないの?」

「いえ。父様や母様との写真ならあるんですが、兄様との写真が一枚も無くて」

「兄様?」

 

訝しげに綾乃は煉に聞き返す。煉に兄なんていたっけと呟いている。

 

「酷いですよ、姉さま。忘れちゃうなんて」

 

非難の声を上げる煉に綾乃はあはははと笑う。実際、和麻の事はほとんど覚えていないのだから仕方が無い。

だが煉は和麻の事を綾乃よりも覚えている。

煉と和麻もあまり頻繁に会ってはいなかった。半年に一度とかその程度の出会い。それは本当に兄弟かと疑いたくなるが、実際にそんなものだった。

 

煉は和麻とは違い溢れんばかりの炎術の才能に満ちていた。ゆえに厳馬がかけた期待は尋常ではなかった。

二人が会えば煉に無能が感染するとでも思ったのか、厳馬は二人を中々に合わせようとしなかった。

これには別の事情もあるのだが、ここでは割合する。

 

とにかくそんな状況でも煉は兄を純真に慕った。和麻を捨てた両親に育てられたにも関わらず、真っ直ぐで心優しい少年に育った。

そんな煉に和麻は複雑な感情を抱かずにはいられなかったが、それに気づきもせず懐いてくる弟の可愛らしい笑顔と純粋な心を憎む事も嫌うこともできず、二人は和麻が出奔するまで実に仲の良い兄弟として過ごした。

ゆえに四年経った今でも、煉は和麻の事を覚えていたのだ。

 

「ごめんごめん。でも何でそのお兄さんの写真をお父様に貰いに行ってたの? おじ様かおば様に言えばあったんじゃないの?」

「それが二人に聞いたら、そんな物は無いって言われて」

 

しょぼんと落ち込む煉。和麻の言うとおり、彼の生みの親達は彼の写真を一切持っていなかった。

 

「だからお父様のところにね。それであったの、写真は?」

「はい! 僕と兄様が一緒に写ってる写真がありました」

 

嬉しそうに言うと、煉は綾乃にアルバムを開いてその写真を見せた。

 

「ほら、この人が兄様です。姉さまも見覚えが・・・・・・」

 

ありますよねと言おうとしたが、煉はその言葉を続けられなかった。

 

「ああぁぁぁぁっっっ!!! この男ぉぉぉぉっっっ!!」

 

直後に綾乃の叫び声が神凪の屋敷に響き渡った。

写真に写っている煉の兄の顔。それは言うまでも無く和麻。

哀れ、和麻の願いとは裏腹に綾乃は彼の存在をしっかりと知る事になった。

 



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第五話

 

時は少しさかのぼる。

流也が倒されたと言う情報は、風牙衆にすぐにもたらされた。

 

京都の合流地点で待っていた風牙衆の下に、流也が一向に現れなかったからだ。流也にはすでにほとんど自我が残っていない。ただ兵衛の命令を忠実に聞く操り人形のようなものであった。

その彼が姿を消した。同時に綾乃が警察に連行されたと言う情報が風牙衆に流れた。

 

緊急事態だった。動ける風牙衆を動員し、兵衛は情報収集に当たらせた。

反乱の計画を知る者には詳細を告げ、流也がどうなったのかを調べさせ、計画を知らないものには綾乃が警察に連行された経緯などを調べさせた。

そこから見えてきた兵衛にとって絶望的な情報。

 

すなわち流也の敗北と消滅。

 

ありえないと兵衛は情報を受け取った時に思った。今の流也の力は綾乃程度ではどうすることも出来ないはずだった。

仮に全力で綾乃が迎え撃とうが、勝てるはずなど無い相手。それが今の流也だった。

 

なのにこれはどうしたことだ?

 

詳細を調べているうちに、一人の男と中学生くらいの少女が綾乃に力を貸したことが判明した。

この二人は誰なのか。風牙衆は即座に調べを進めた。

 

だがその二人組みの情報を彼らは一切知ることができなかった。追跡も残滓を追う事も、潜伏先を見つける事も何もできなかった。

風を使っても、どのような情報ルートを探っても見つけられない。今までこんな事はありえなかった。

 

目撃情報を仕入れようにも現場はほとんど無人の工場区。綾乃が拉致された地点を中心に探しても、何の情報も出てこない。

風が何も教えてくれない。こんなことは初めてだった。

それは数日経っても同じだ。何の痕跡も見つけられないまま、無為に時間が過ぎていく。

 

「兵衛様・・・・・・」

「わかっておる」

 

だが今の兵衛には切実な問題がある。彼の計画には流也の存在が必要不可欠だった。

彼らの神を蘇らせる鍵とは別に、神を宿す寄り代が必要だった。

高位の存在である神をこの世界にとどめておくには、この世界に存在する寄り代が必要だった。

流也はただの戦力ではなく、復活した神を宿す存在でもあった。

だがその流也はもういない。これでは計画が破綻する。

 

(いや、まだ手駒はある・・・・・・)

 

万が一の時に予備として準備してきた器がある。それは現在、宗家の少年と分家最強の術者共に東北に退魔に出かけている。それが戻るにはあと数日かかる。

 

「大丈夫だ。まだ計画は費えてはおらん。計画は漏れてはおらぬし、器には予備もある。だから何の問題も無い」

 

兵衛は狼狽する部下に落ち着くように言う。実際、まだ終わってはいないのだ。

 

「とにかく綾乃に協力した術者を探し出すのじゃ。綾乃と協力したとは言え、流也を倒したほどの使い手。並の者ではない」

 

兵衛は誰よりも和麻とウィル子の力を評価し、恐れていた。兵衛自身が流也の力を知っていたからでもあるが、並の風術師で流也とやりあう事などできるはずが無いと確信していたから。

 

「報告書の経緯からすれば、その男が綾乃を巻き込んだらしいが、何故流也はそんな男を・・・・・」

 

まさか兵衛も和麻が偶然風で周囲を探っていたら流也を見つけ、流也も見られたと思い和麻を殺そうとしたとは思わないだろう。

真相は闇の中。考えていても仕方が無い。

 

「とにかく計画を練り直す必要がある。皆にも伝えよ、計画を練り直すゆえに集まれと。そしてまだ終わっていないと」

 

そうだ。まだ終わっていない。兵衛は部下に、そして自分自身に言い聞かせる。

だが彼はまだ気がついていない。すでに自分達の動きを監視する者がいると言う事を。

 

 

 

 

 

ドタドタドタと音を立てて神凪の屋敷を爆走する綾乃。手には煉から奪い取ったアルバムが握られ、鬼の形相を浮かべていた。

すれ違った侍女や分家の者がその姿を見て青ざめた顔をするが、本人はそんな事に気がついていない。

 

目的の場所は自分の父親がいるであろう部屋。散々怒られ、今はあまり近づきたくないと思っていたが、ふつふつと湧き上がる怒りの衝動に綾乃は支配されていた。

 

スパンといい音を立てて、目的の部屋の障子を開く。

 

「お父様!」

「何だ、騒々しい」

 

障子を開けた先には、綾乃の父である神凪重悟がいた。一線を退きはしたものの、未だにその力は衰えておらず、その体から発せられる気はかなりの者だ。

 

「って、あれ。厳馬おじ様」

 

見ればそこには和麻と煉の父親である神凪厳馬の姿もあった。どうやら二人で何かを話していたらしい。

 

「どうした、綾乃。そんなふうに慌てて」

「あっ、そうなのよ、お父様! 和麻、和麻だったのよ!」

 

和麻の名前を連呼する綾乃に重悟と厳馬は些か眉を吊り上げる。

 

「和麻とな。まさかお前からその名前が出てくるとは思わなかったが・・・・・・」

 

四年前に出奔した甥―――正確にはもう一親等離れているのだが、重悟は和麻をそう思っていた。

ちらりと厳馬の方を見る。四年前に追い出した自らの息子の名前を聞いたにも関わらず、表面上はあまり変化を見せていない。その胸中にどのような思いがあるのか、重悟には知る良しも無い。

 

「して、その和麻がどうした?」

「この間大阪であたしを巻き込んだ風術師! あいつが和麻だったのよ! ほら、この顔に間違いないわ!」

 

綾乃は物凄い剣幕でアルバムを開くと、和麻と煉が写っている写真を見せ、和麻の顔を指差す。

 

「こいつに間違いないわ!」

「いや、そのように力まずとも。と言うよりも、お前は先日の件では覚えが無い男と言っておらんかったか?」

 

うっと、綾乃は思わず言葉に詰まった。先日の報告の際では見覚えの無い風術を使う男と綾乃は重悟に報告をしたのだ。

その正体が身内だったのだから、重悟の指摘は尤もだ。

 

「よもや、お前は再従兄の顔を忘れておったのか?」

「いえ、それは、その・・・・・・・」

 

先ほどまでの剣幕はどこへ行ったのか。あはははと笑い声を出し、明後日の方向へ視線を向ける。そんな娘にハァと重悟は深いため息をついた。

 

「もうそれは良い。して、綾乃。お前が言っていた男は間違いなく和麻だったのだな?」

「はい! この憎たらしい顔は絶対に忘れないわ!」

 

とまるで親の敵を見るような目で、綾乃は写真の和麻を睨む。

そんな折、遅れて煉もやってきた。

 

「姉さま! って、父様も・・・・・・・」

「まったく。お前達は騒々しいな」

 

そんな二人に重悟は思わず笑みを浮かべる。

 

「まあ二人とも座りなさい。件の男が和麻なのだとしたら、もう少し話を聞きたい。厳馬も聞いていくな?」

「・・・・・・・はい」

 

憮然とした態度で厳馬は頷くと、そのまま重悟は煉と綾乃に座るように促し、話を聞き始めた。

 

「なるほど。しかしあの和麻がな」

 

綾乃から同じ報告をもう一度聞いた重悟だが、謎の男を和麻と置き換えて話を聞くとずいぶんと違うように思えてくる。

 

「海外に渡ったと言う話は聞いていたが、日本に戻ってきていたか。それも風術師になって」

 

重悟は和麻の事を心配し、それとなく彼の情報を集めていた。だが外国に渡った後の情報はほとんど手に入っていなかった。

風の噂で風術師になったと言う話しも聞かないではなかったが、それは眉唾物であり、ここ一年はそんな話は一切聞こえてこなかった。

 

もし風術師として大成していれば、少しくらい噂になってもいいものだが、それも無いと言うことは風術師と言っても大したものでは無いと言うことか。

しかし彼の考えは間違っている。和麻が風術師になったと言う噂は彼がアーウィンを殺すために活動していた時期によるものだ。

その後はウィル子との出会いで、彼が風術師として活動することは無くなった。

大成してはいたが、その情報はすべて秘匿され、彼自身が動き回らなかった事でさらに情報は立ち消えた。

 

「お恥ずかしい限りで」

 

厳馬は心底落胆したような声色で謝罪の言葉を述べた。

彼にしてみれば、情け無い話でしかない。

風術と言うものを厳馬は下術を評している。これは人々を守り、世界の歪みを正す精霊魔術師の中で、最も戦う力が無いゆえの評価である。

 

厳馬は良くも悪くも神凪の人間でしかなく、力こそすべてと言う神凪の古き悪しき妄執に囚われる、哀れな男であった。

彼自身、その事に何も感じないわけではなかったが、幼き頃よりそうあるべきと教育を受け、彼自身の不器用な性格も相まって、このような堅物に成り下がってしまった。

今更この生き方や考え方を矯正することはできそうにも無かった。

 

炎術の才能がなかっただけではなく、風術師になり、また中学生くらいの従者を連れていた。その少女が人間か人間ではないかなど問題ではない。

厳馬が話を聞く限りでは、和麻は自分の手に負えない妖魔に襲われ逃げている最中に綾乃を見つけ、無理やり巻き込み、何とか窮地を脱したようにしか聞こえない。

それが完全な間違いでないのだからこの話はややこしい。

 

「いえ、あの妖魔はかなり強くて、あたしだけでも勝てそうになかったんですが」

 

綾乃は正直に告白する。今までに見た事も感じたことも無い力を持つ妖魔。自分ひとりでは決して倒せなかった相手。

和麻とウィル子がいたからこそ、あそこまであっさりと倒せたのだ。

 

「だが話を聞く限りではお前が炎雷覇で止めを刺した。その上、無傷で勝利したのだろう?」

「ええ、それはそうなんですが、その前に和麻の連れていた女の子が凄い武器を出して・・・・・」

「ならば和麻自身の力ではない。話を聞いた限りでは奴は不意打ちを浴びせ、相手の動きを止めた程度ではないか」

「ええと、他にも何度かあたしを助けてはくれたんですけど・・・・・・」

 

と何故か怒り心頭だった綾乃が和麻をフォローするようになっていた。あれ、おかしいな。あたしはあいつが物凄くムカついていたはずなのにと、思いつつも何でフォローしてるんだろうと首をかしげている。

と言うかあまりにもおじである厳馬の言葉がきつく、雰囲気も重いのでそれについていけ無いと言うだけかもしれないが。

 

「不甲斐ない上に情け無い。誰かの手を借りなければ、満足に妖魔も討てぬのか」

 

苦虫をダース単位どころか桁単位で噛み潰す厳馬に綾乃はそれ以上何も言えなかった。

 

「まあそう言うな、厳馬よ。それでも和麻は綾乃と協力し、その妖魔を討った。綾乃の話しに誇張がなければ、その妖魔は炎雷覇を持った綾乃でさえ手に負えない相手だったのだ。それを討った事はそれだけで評価してやるべきであろう?」

「いえ、お父様。あたしは別に誇張してなんかは・・・・・・」

「和麻が討ったわけではありますまい。討ったのはあくまで綾乃です」

(うわぁっ、何でこんなに居心地が悪いんだろう・・・・・・)

 

内心冷や汗をかき続ける綾乃。おかしいな。ここはおじ様と一緒に和麻に対して文句を述べる所のような気がするが、何故かそれをしては逝けない気もするから不思議だ。

と言うよりも、どうしてこうなった?

 

「それでもだ。とにかく和麻が元気でやっているようで何よりだ。綾乃の扱いも以前のことがあり神凪とはあまり関わりたくはなかったのだろう」

 

重悟は綾乃を見捨ててとっとと姿を消した和麻に対して、別に大した不満は持っていない。確かに娘を巻き込んだのはいただけないが、無事に無傷で帰って来たし、綾乃もいい経験になっただろう。

 

娘の話が本当なら、格上の相手に一歩も退かずに戦えた。これは何よりも経験になる。炎雷覇を継承し、次期宗主の地位についてから、綾乃は退魔の仕事を何度もこなしているが、自分よりも強い相手と戦った経験は無かった。

そんな相手が早々にいないのと、できればもう少しだけ成長した後に自分よりも強い相手と戦ってもらいたいと言う重悟の親心だった。

だがこれで少しは綾乃も成長してくれるだろう。

 

それに警察のお世話になったのは綾乃が叫んでいたからで、和麻の責任ではないし、帰りのタクシー代も置いていっているのだ。無責任と言い切ることもできない。

できればもうちょっとだけアフターケアをして欲しかったが、和麻にそれを言うのは酷な話であると言うのは、重悟も良く理解している。

 

「思えば哀れな子だった」

 

和麻を哀れむように呟く。神凪一族にさえ生まれていなければ優秀な子として持てはやされたであろう。

頭脳明快、成績優秀、運動神経もよくスポーツ万能、術法の修得さえも優れた才を示した。

ただ唯一、炎を操る才能が無かった。たった一つの才能。それこそが神凪一族でもっと必要とされる才なのに。

 

「それにしても信じらんない。神凪一族の、それも分家じゃなくて宗家の人間が風術師になるなんて」

「・・・・・・・・そうだな。だが神凪の家にさえ生まれなければ、人としてなんら恥じることは無かっただろうに。神凪一族でさえなければ・・・・・・」

「・・・・・・・だが炎を操る才は無かった」

 

再び厳馬が口を開いた。

 

「神凪は炎の精霊の加護を受けし炎術師の一族。力無きものに居場所は無い」

 

力こそがすべて。その因習は今尚、厳馬だけではなく神凪一族の大半に蔓延している。

 

「和麻はすでに神凪とは縁無きもの。私の息子は煉だけにございます。もし次に神凪を巻き込むような事があれば、私の手で和麻にその事を思い知らせてやります」

本気だった。厳馬はもし次に和麻が神凪を巻き込むような事があれば、自らの手で倒すと公言した。

「父様・・・・・」

 

そんな厳馬を煉は悲しそうな目で見るが、厳馬の表情は変わらない。

 

「もう良いではないか。綾乃も無事であったのだ。それに和麻も風術者として大成したのであろう」

「兄様は・・・・・・神凪に戻ってくるでしょうか」

 

煉の呟きが三人の耳に入る。だが重悟と厳馬はそれはありえないと考えており、事実それは間違ってはいなかった。

悲しそうに沈む煉の表情を厳馬は少し見て、目を閉じる。その心の内にどんな思いがあったのだろうか。

 

「とにかくお前の話しはわかった。もう今日は休め。和麻の方はこちらもそれとなく調べておこう。風牙衆に頼めば、国内にいるのなら見つけるのは難しくはなかろう」

 

この話はこれで終わりだと重悟は言う。綾乃は釈然とはしなかったが、この場にい続けるのは少し辛かったので、早々に部屋を後にする事にした。

次にあったら絶対に和麻を一発殴ると拳を握り締めながら。

 

 

 

 

 

 

神凪邸で綾乃が騒いでいるのと同時刻。

東京から少しはなれた横浜の高級ホテルの一室に和麻はいた。

 

彼は現在、あちこちから集められた報告書を眺めている。

これは国内の情報屋やウィル子の集めた情報を紙面に印刷したものである。情報屋の情報もデータ上にしてネット上の一般向けのフォルダにアップしてもらい、それをウィル子がどこからかダウンロード。この方法ゆえに逆探知もできない。

 

和麻自身が調べた事は彼の頭の中に入っているし、それ以外の情報や自分が集めた情報の照合を現在行っている。

ちなみにウィル子は和麻や自分達の情報を消すためにネットで奔走している。

 

「つうか、マジで神凪がらみかよ」

 

和麻は不機嫌な顔を隠すことも無く、呟くとバッと報告書を室内に散らばらせ、そのままベッドに倒れこむ。

先日戦った相手の情報はウィル子と別れてから一時間も経たないうちから判明した。

風牙衆を調べていたウィル子が、あの男に似た男を見つけ出したのだ。

 

名前は風巻流也。風牙衆の長である風巻兵衛の息子。ただ間違いの可能性もあるゆえに、ウィル子はさらに詳細に調べを進めた。

居場所やそれまでの足取りなど様々な面で、彼女は洗い出しを行った。

 

彼女の調査は電子世界での情報収集だけではなく、電子精霊と言う特性を生かした侵入にもあった。

ウィル子は電子の精霊と言う存在上、電子機器を縦横無尽に、自由自在に移動できる。

インターネットを含む電話回線や電波、電気、様々な回線を使い、彼女は行動できる。

 

その中の一つ、電話機に彼女は移動した。電話の中にすら入り込める。と言うよりも最近の電話は高機能で容量も一つ昔前に比べてかなり大きい。少し紛れ込み、仕掛けを施す程度わけは無いのだ。

盗聴や自動録音機能を悪用し、彼女は目星を付けた風牙衆の情報を片っ端から手に入れた。

電子精霊とは未だにウィル子以外に存在を確認されていない。ゆえに未知の存在である。

 

アーウィンも彼女の事は幹部連中にも漏らしていなかったらしく、その存在は知れ渡ってはいなかった。

さらにそのアーウィン自体はすでに和麻に殺されているし、その取り巻き連中も彼に近しい者はたった一人を残して和麻に殲滅されている。

 

知らないゆえに対策の仕様が無いのだ。それに彼女の場合、霊としても新しい存在であり、妖魔や悪霊とは違いこの世の歪みではないために、よほどの探知系の術者でも無い限りその姿を確認し、気配を掴まなければ探し出す事は不可能。

また電子機器の中を移動するので実態が無く、超一流の精霊魔術師の扱う物理現象を超越する力を用いなければ、その存在を消し去る事はできない。

 

それをいい事に、ウィル子は好き勝手パソコンを飛び回り、何と神凪や風牙衆の本拠地のパソコンまで侵入したのだ。

いくら古い一族でも、最新の電子戦などしたこともなく、する必要も無い一族のパソコンに存在することなど難しくもなんとも無かった。

 

そこにはそこまで重要な情報が無くとも仕掛けはできる。PCの自動録音機能を好き勝手使い、その場にいた人間の声を集音。

さらには現代人なら必ず持つであろう携帯電話にも侵入し、録音機能をいじくり情報を集めた。さらには01分解能で通話状態でなくとも盗聴ができる機能のおまけをつけて。

 

はっきり言って反則である。

 

かつて文明がこれほどまで進歩していなかった百年ほど前ならば、ウィル子の能力などたいしたことがなかったが、この電子機器の発達した現代では反則を通り越してチートである。

和麻とウィル子が一度攻勢に出れば、単純戦闘以外では誰も勝つことなどできないのだ。

 

「何で俺が神凪がらみで巻き込まれるんだ? 俺もう、神凪と何の関係も無いだろうが。風牙衆はあれか? 神凪一族なら力も無い無能者でも許さないってか?」

「いや~、ただマスターが狙われたのは偶然のようですよ。あいつはどうも綾乃を狙っていたようですし」

 

ウィル子がいつの間にかパソコンから実体化して、ふよふよと和麻の傍まで浮いて移動してきた。

 

「何か他の動きでもわかったのか?」

「はいなのですよ。あの男、風巻流也の素性がわかってから、神凪一族の屋敷や風牙衆の屋敷に諜報活動を行っていたのですが、そこでいくつか面白いものを見つけたのですよ」

 

和麻に新しく手に入れた情報を紙に印刷して渡す。さらにはパソコンを通じて、ウィル子が盗聴した音声を流していく。

 

「風牙衆もついに耐えられなくなって暴走か。まああれだと反乱もしたくなるわな。で、こっちは逃亡用の資金と」

 

幾つかの口座に振り分けられた少なくない金額の数字を眺めながら、和麻は誰とも無く呟く。

 

「兵衛たちの話しを聞いてると、俺が巻き込まれたのは偶然っぽいな。そんなんで俺を巻き込むなよ。最初っから綾乃だけを狙っとけよ」

 

ため息をつく。何で自分がこんな面倒ごとに巻き込まれないといけないのだ。実際は和麻が風で周囲を調べなければ、こんな面倒ごとにはならなかったのだが。

これは和麻、風牙衆共に不幸な偶然であった。

 

「他にもわかっている事をウィル子なりにまとめた資料がこっちになります」

 

バサッと書類の束をおくと和麻はげんなりとした顔をする。

 

「多いな、おい」

「はいなのですよ。面白半分で調べていると結構面白い資料も出てきましたので」

「お前、まさか神凪の資料室にまで侵入したのか?」

「いえいえ。神凪の資料室には侵入していませんが、神凪一族の事は調べましたよ。にひひ、ウィル子も殺し以外の悪事には手を染めましたが、神凪一族もやる事はやっているのですね~」

 

楽しそうに笑いながら言うウィル子の言葉に和麻もどこか感じるものがあったのか、今読んでいる資料を置くと、新しい資料に手を伸ばした。

 

「おおっ、中々に面白いな、これ」

 

そこには神凪一族の一部ではあるが、分家や長老、先代宗主である頼道の悪行が記されていた。

と言っても、よくある金の問題で談合やら癒着やら、他の一族とのトラブルやらで、どこかでよく聞くような話ではある。

俗に言う殺しや強姦と言ったどうしようもないものではなく、あくまで縄張り争いやら、企業からの献金とかそう言ったものである。

 

多くの会社社長や芸能界のお偉いさんなどがやる、まあ権力を持ったり上に行った連中がやってしまう悪行である。

 

和麻自身、あまり人の事をとやかく言えるほど綺麗ではなく、確実に真っ黒なのだが、それは棚に上げていた。

 

「確かに神凪の性質上、不動産関係だと土地の除霊とかで談合とかあるよな。おおっ、さすがは先代。やる事がえげつない上に卒が無いな」

 

分家の一部の連中は金には汚いと言うのがよく分かったが、先代の頼道はさすがだ。

先代は歴代宗主の中でも最も弱かったと目されるくらいに、術者としては脆弱だった。

 

しかし彼はその類稀なる策略と謀略を持ってライバルを蹴落とし、その座についた。

和麻はそれが悪いとは思わない。それで負けるライバルが弱いのだ。そんな計略を力ずくでねじ伏せられなかった時点で、そいつは負け犬だ。

八神和麻と言う男は非常識な力を持っているにも関わらず、小細工とか姑息な手段が大好きだった。相手が嵌めるのも嵌るのも見ていて楽しいと思う性格破綻者だ。

 

仮にも神凪一族宗家の宗主になろうとも人間が、策略程度で敗れてどうする。神凪の宗家の力とはそう言った物をねじ伏せるだけの力があってこそだ。

もし他の術者の一族ならそうは思わないが、最強の炎術師の一族の最強の術者を名乗ろうと思うのなら、それくらいはしないとだめだろうと和麻はしみじみ感じていた。

 

神凪一族宗主。それは一族最強の名。神凪を護る最強の存在。

かつては脳筋も多かっただろうが、次代が移り変わり、そう言った連中は淘汰されていくのは自然なことだ。

 

頼通は誰よりも早く、炎術至上主義で実力主義の神凪を知力と策略、謀略を持って支配した男だ。

 

そこだけは和麻は高く評価している。

 

「マスターは本当に性格が捻じ曲がってますね」

「何を今更。それに俺の親父・・・・・・いや、神凪厳馬は先代を嫌っていたみたいだけど、俺はある意味好きだね、このやり方。本人が地位と権力にしか執着しない小物だから、そっちは好きになれないが」

 

策略結構。これでもう少し頼道自身が人間として大物なら、和麻はより親近感を抱いただろうが、生憎と頼道は和麻の言うとおりの謀略こそ超一流なものの、人間的には小物であったため残念な奴だと言う認識だ。

 

「証拠も残さず、周りから攻めて気づいた時にはすでに手遅れ。さすがだな。先代の頃は神凪の力が最弱まで落ち込んだって話しだけど、その分、政財界とのつながりは大きくなってたらしいぞ」

「マスターの言うとおりなのですよ。それに一族の力が最弱なっていたに関わらず、他の一族は一切神凪に手を出せずに、政財界のパイプを強くする神凪を阻む事ができなかったようなのです」

 

神凪一族の力が至上最も弱くなった。それが外部に知られれば、これ幸いに今までの恨みや国内での最強の名を奪おうと襲い掛かってきたはずだ。

当時の戦後の混乱期を抜け、高度経済成長の時代だ。躍進を果たそうとする一族や新興勢力は多かったはずだ。

 

これは戦争の折、優秀な術者が多数死に、また戦争により多くの死者が出た事で国内の陰陽のバランスが崩れ、かつて無いほどに妖魔や悪霊が溢れかえったことにも起因する。

 

当時、現在の最強の使い手として名高い神凪重悟と神凪厳馬が生まれていない時代。そう言った外敵の存在があったにも関わらず、最弱となった神凪を頼道は見事に掌握し、自らの地位と権力を確固たるものにした上で、神凪を存続させ、現代までその威光を保ち続けている。

 

後年、神凪重悟と神凪厳馬が誕生したことがあったとしても、それまでの成果は確かに頼通の力だろう。

 

「これだけみりゃぁ凄く優秀なんだけどな。術者や人間的には最低なんだよな」

 

これでカリスマ性があり、小悪党みたいな性格でなければ和麻としては最高の評価を与えるのだが、残念ながら総合的には二流の小悪党程度の評価に落ち着いてしまう。

 

「マスターに人間的に最悪と言われたらおしまいですね。とにかくウィル子はそんな頼道の粗を捜し出したわけなのですよ!」

 

自信満々に言い放つウィル子。彼女が見つけてきたのは、頼道が神凪一族の誰にも知られないで保有している莫大な裏金の存在だった。

他には大手ゼネコンとの癒着や談合。証拠を残さないようにしていたのはさすがだが、電子を操るウィル子の前にはあまりにも迂闊。

 

会社との関係がわかればパソコンを経由して銀行口座に入金が無いかどうか、もしくは会社のほうで使途不明金が無いかどうかを調べる。

ほんの少しでも痕跡を見つければあとは簡単である。ウィル子の前には電子上のごまかしなど子供だましでしかないのだ。

 

「ほかにも頼道の子飼いの分家とか、風牙衆が反乱やら逃亡やらに使う資金の流れやら色々とゲットなのです!」

「ほんと、お前ってチートだよな」

「いや、マスターも十分人間やめてチートじゃないですか」

 

チートとチートが合わさるとろくでもない。それがお互いに人格的に大いに問題があるもの同士ならなおさらだ。

 

「で、ここまで調べ上げましたがどうするのですか? まさかこのまま終わりませんよね?」

 

ニヤリとウィル子は不敵に笑う。釣られるように、和麻も笑う。ただしウィル子よりもさらに極悪な笑みを浮かべて。

 

「それこそまさかだろ。俺がやられてやり返さないと思うか?」

「にひひひ。思わないのですよ♪」

「だろ? と言う事で、こいつらに見せてやろうか。俺達を敵に回すってのがどう言う事になるのかを」

 

にひひひ、くくくと不気味な笑い声がホテルの一室に響き渡る。

ここに彼らの反撃が始まる。誰も予想しない、予想しえない反撃。見えない反撃が。

 

「あっ、でも俺の正体がバレないようにしないとな。これ以上の厄介ごとは嫌だし」

 

とあくまで正体を隠したまま、彼は反撃に出るのだった。

 

 

 

 



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第六話

「おっ、尻尾破壊」

 

反撃を決めた和麻とウィル子だったが、彼らは相変わらず横浜の高級ホテルの最上階のロイヤルスイートに滞在したまま、携帯ゲームに興じていた。

ゲーム内容は有名なモンハン。最近和麻とウィル子は二人でこのゲームの攻略にいそしんでいた。

 

先日の調査報告終了から、十日程が経過した。

今の所、風牙衆に動きは無い。まだ様子見や情報収集などを行っているようだ。

ちなみに和麻はあの一件で正体がバレないだろうと思っていたが、普通にバレていて風牙衆が自分を探していると知った時には激しく凹んだのは言うまでも無い。

 

「何であっさりバレるんだ? つうかマジで写真があったのか?」

「やっぱりウィル子の言うとおりフラグでしたね」

「嬉しくねぇよ、そんなフラグ」

 

と、テンションが駄々下がりして、一日中不貞寝してしまったのは仕方が無い。

あれから彼らは横浜のホテルで静かに、風牙衆に見つからないようにゲームに興じていた。

 

「にひひ。ウィル子がデータをいじれば簡単に、何の面倒も無く最強装備が作れるのに、マスターは地道に素材を集めますね~」

「ゲームってのは面倒を楽しむためにあるって、どっかのマダオが言ってただろ。だから俺も面倒を楽しんでるんだよ」

「よっと。確かにマスターも今の所マダオ一直線ですね。って、ああっ! マスターに吹っ飛ばされた!?」

 

画面の向こうではウィル子が操作するキャラクターが、和麻の操作するキャラクターに攻撃され空を待っている。

 

「俺はマダオじゃねぇ」

「って、こんな突っ込みは・・・・・・しかもモンスターに轢かれたのですよ! って、ライフが一気に!?」

「頑張れ~」

「外道なのですよ!」

 

画面に向かいながら、和麻は声援を送るがウィル子はそれどころではない。必死にモンスターから距離を取って回復にいそしむ。

二人は変わらぬ日常を過ごしている。彼らの周囲に変化は無い。

部屋の大型テレビはゲーム中でも相変わらず電源が入れられ、今日のニュースが流れている。

 

政治経済、様々なニュースが流れ続けている。

そんな中、何人もの大物政治家や警察の幹部が逮捕されると言うニュースが流れているが、二人の耳には大して届いていない。

これはこれで大問題なのだが、それ以上に混乱し、慌てふためいている者達がいた。

 

それも政治家や警察などではなく、古くよりその力を世界の安定に使い平和を守ってきたであろう一族と、その内部に・・・・・・・。

 

 

 

 

 

「どういうことだ、これは!?」

 

兵衛は風牙衆の屋敷の一室で部下からの報告を聞き、大きな声を上げた。

 

「我らが神凪に秘密裏に蓄えていた軍資金が無くなったなどと!」

「そ、それが、本日になり複数の銀行に秘密裏に用意していた隠し口座の資金が、何者かに奪われたようで・・・・・・」

「そんな馬鹿な話があるか!?」

 

憤慨する兵衛に部下はただただ顔を青ざめるしかない。逃亡資金の総額は数億にも達する。それが根こそぎ奪われたのだから、目も当てられない。

さらに不味いのは、兵衛はこの件を表ざたにできない事であろう。

 

この金は風牙衆の逃亡資金として、神凪に気づかれないように長い時間をかけて秘密裏に用意した。つまり隠し財産であり、発覚すれば様々な憶測や神凪の長老、分家の当主からの追及を免れない。

 

一応神凪の下部組織である風牙衆の資金はある程度の自由は宗主より与えられてはいるが、数億もの金が運営資金以外に存在すればどう言う事だと追求を受けるのは必死。

警察沙汰にもできず、まして神凪一族や宗主に報告できるはずも無い。風牙衆が秘密裏に探り出すしかない。

 

「・・・・・・・・・調査の方はどうなっておる?」

「も、目下、計画を知る風牙衆を総動員して調査に当たらせております」

 

しかし報告をする部下は気が気では無い。今の所、何の情報も出てきていない。一応銀行は秘密裏に調べてもらっているが、ハッキングやクラッキングの兆候は発見されていないらしい。何らかの人為的ミスがあったのではと至極当然な疑問もぶつけたが、そのような事実も無いらしい。

 

しかし風牙衆の誰も引き出した覚えがなく、また口座を移動させた覚えも無い。

ならば原因は何だ。

良く映画や小説である、犯罪組織や天才的なハッカーによるサイバーテロ以外に考えられない。

 

それでも銀行は数億もの金を保証してくれはしない。自分達で犯人を見つけるしかない。

だが電子上でのやり取りなど、卓越した情報収集能力を有する風牙衆とて畑違いだ。

今の所、打つ手がほとんど無い・・・・・・・・。

 

「こんな、こんな事が・・・・・・」

 

兵衛はワナワナと震える。逃亡資金が奪われてしまったのでは、仮に反乱に失敗した場合、他の風牙衆を逃がす事が困難になる。

それにその反乱自体も、流也と言う切り札を失って暗礁に乗り上げかけているのだ。

泣きっ面に蜂どころの話ではない。

 

「ひょ、兵衛様!」

 

と、今度は別の風牙衆の男が慌てた様子でやってきた。

 

「どうしたのじゃ、どんなに慌てて?」

「は、はい! 大変なのです。神凪一族の先代宗主や長老、他一部の分家の当主が・・・・・・」

 

先代宗主や長老、他一部の分家の当主と言う言葉で、兵衛は冷や汗が浮かんだ。まさか計画がばれたのか?

それで風牙衆の制裁に乗り出したのかと言う最悪の未来が脳裏に浮かぶ。

だが彼の予想は大きく外れる。

 

「一部の分家の当主が、警察に逮捕されました!」

「・・・・・・・はぁっ!?」

 

報告を聞いた兵衛は思わずおかしな声を上げてしまった。

 

 

 

 

 

神凪頼通は自室の一室で頭を抱えていた。彼と深い関係にあった大物議員が次々に逮捕されると言う事態が起こったのだ。

彼は長年にわたり、政財界と深いパイプを作り上げていた。

若い頃より、炎の才が無いと周囲に散々言われてきた。一族の宗家の中で最も弱い落ちこぼれ。

 

だが彼には執着欲があった。他の宗家の人間には無い、強さよりも地位や権力に対する執着欲が。

だからこそ、彼は策略をめぐらせた。神凪と深いつながりがある名家や政財界に顔を売り込んだ。

 

頼通にとって幸いだったのは、周囲は力こそがすべてと言う妄執に囚われる、よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純馬鹿な奴が多かったことだろう。

確かに昔ならばそれは間違いではない。力があれば、何でも思うままにできた。力があれば、己の意思を願いを簡単に通す事ができた。

 

しかし時代が移り変わり、力だけがすべては無い時代が徐々に始まった。それが頼通には追い風となった。

 

自らの力を、技を鍛える事に喜びを見出し、力があれば一族の宗主になれると勘違いした宗家の大半を、頼通は策謀で葬り去った。

ある者は妖魔との戦いで偽情報に踊らされ、妖魔と相打ちさせた。ある者は別の家の者と結婚させ、神凪の宗主の地位になれないようにさせた。

穏便な手段や過激な手段を用いて、彼は宗主の地位に上り詰めた。無論反対意見も出たが、そこは金とコネがモノを言った。

 

世の中お金がすべてではないが、金が無ければ生きてはいけない。借金を重ねれば首が回らず、一銭も無ければ今日を生きていくこともできない。

高利貸しやら何やらを抱き込み、分家、宗家限らずに頼通は反対派を金とコネの力で抑え込んだ。

 

ただ彼自身が宗主の器ではなく、人としての器も小さかったため、うまく他者を頼ることができなかった。利用する事はできても、信頼し、信用する事もできない男には限界があった。

彼は神凪の力を史上最低にまで貶めた。だがそれにも関わらず、金とコネは神凪至上最高にまで上りあがらせたのだから、プラスマイナスゼロではある。

まあそれはともかく、そんな頼通は過去最大の危機に面していた。

 

彼の最大の武器にして切り札であるコネが軒並み消えうせたのだ。さらに政財界との深いつながりがあった大物までもが、脱税や違法献金、収賄やらインサイダー取引などの罪で次々に逮捕されていく。

まるで誰かが彼らの秘密をバラしたかのごとく、一斉に。

 

「いや、これは誰かが裏で動いているに違いない。そうでなければ説明が付かぬ」

 

事態が明るみに出たのはここ数日。それまでは何の落ち度も無かった。とすれば考えられるのは、誰かが故意に自分達の悪事を警察やマスコミにリークしているしか考えられない。

 

「だが一体誰が。それにマスコミや警察には元々圧力をかけていたはずだ・・・・・・」

 

そう。万が一の事を考慮して、頼通や大物議員、政財界の顔役はそれぞれの地位や権力、金などを利用して、自分達に逮捕の手が伸びないようにしていた。

悪事を握りつぶす程度は今までにしているし、ある程度の地位にいる人間なら一度位はする事だ。

 

なのにこの事態は一体・・・・・・・・。

だが頼通には更なる悲劇が襲い掛かる。

 

プルルル

 

彼の携帯電話が鳴り響く。ディスプレイに浮かぶ相手を見れば、それは彼とつながりの深い会社の重役からだった。

 

「もしもし、ワシだ」

『頼通か!? 大変なのだ! 私の、私達の口座が!』

「口座?」

 

頼通は電話の相手の興奮した声に首をかしげながらも話を聞き進め、顔を青ざめた。

 

「ま、まさか・・・・・・」

『本当だ! 今朝になって連絡が来た。以前から運用していた隠し口座の金が一夜にして消えうせた!』

 

馬鹿なと言う。一夜にして金が消えうせるなどありえるのか。何かの間違いではないかと頼通は思ったが、話を聞けばそれは嘘でも夢でもなく現実だった。

 

『調べさせたが、間違いない。全額、どこかに移され追う事もできん! それにこの口座は公にもできない』

 

頼通は苦虫を噛み砕く。裏金とは誰も知らないものであり、知られては不味いもの。ゆえに公にできず、こんな手法を取られれば、頼通達ではどうすることも出来ない。

 

頼通はどうするかと考えをまとめようとした。その矢先、彼にとってさらに不幸な事が訪れる。

 

ドタドタドタと複数の足音が聞こえる。何事かと思い、私室の入り口の方に視線を向ける。

襖が開かれ、スーツを着た幾人かの男達がそこにはいた。

 

「何者だ!? それにここをどこだと思っておる!?」

「神凪頼通氏ですね。あなたには脱税など幾つかの容疑で逮捕状が出されております」

 

ばさりと一枚の紙を頼通に提示する。それは逮捕状であった。

男の言葉に頼通の顔が青ざめる。

 

「署までご同行願います」

 

無常な言葉が頼通に放たれた。

 

 

 

 

「はぁ……。まったく。この私がまさか神凪一族の人間を逮捕するなんてね」

 

神凪一族の屋敷の周辺を取り囲むようにして止まっている複数のパトカー。その中の一台に、彼女はいた。

 

彼女の名前は橘霧香。

警視庁特殊資料室と言う、国内では唯一の国営退魔機関に所属するエリートであり階級は警視。

女性でありながら、この若さで組織を運営する手腕と陰陽道の名門橘家の分家の出ながら、優れた陰陽術を使う才色兼備な人物だった。

 

彼女の手には分厚い資料が握られている。そこには神凪一族の一部の分家、長老、先代宗主である頼通などが不正に行っていた取引や談合、脱税を始めとした犯罪の数々が明記されていた。

 

神凪一族は政府とも深いパイプを持ち、多少ならば警察に圧力をかけることも可能だった。

しかしその大物議員がここ数日で一斉に逮捕されると言う、前代未聞の事件が発生した。

 

公職選挙法違反、脱税、収賄などなど、様々な容疑で議員が逮捕された。

証拠も十分で記載報告されていない資料や、銀行や企業からの違法な献金などが記載されていた。

 

どこからこれだけの資料を集めたのか、霧香とて不思議に思った。

さらにこれらの議員の不正の資料は、匿名で送られてきていたらしい。

普通ならこんなものは証拠として十分でも、組織のしがらみや政府や警察上層部の癒着などもあり、握りつぶされる可能性もあった。

 

だが警察上層部はそれをしなかった。否、できなかったと言うべきだろう。

なぜなら警察上層部の弱みも一緒に送られてきており、もしリストに記載された議員を逮捕しなければこれを公表すると言う脅しまでかけられていたそうだ。

そして見せしめとして、一人の警察上層部の人間の悪事がマスコミ関係に暴露された。

 

人間誰でも保身に走る。それが権力者ならなおさらだ。

警察上層部は焦った。しかし背に腹は変えられない。彼らは必死で行動を起こし議員連中を強制逮捕したのだ。

 

霧香としてはそれはそこまで重要ではなかった。彼女としては新設された資料室を大きくするために奔走しなければならなかったからだ。

 

数日前のそんな折、彼女の下へと一本の電話がかかってきた。

警視庁の地下。彼女達に割り当てられた部屋。そのデスクの上で彼女はパソコンで資料整理を行っていた。

電話の番号は見知らぬ相手。霧香は訝しげに思いながらも、電話を手に取り耳に当てた。

 

「はい、もしもし」

『橘霧香だな』

 

機械で声色を変えた、男とも女ともわからない声が電話から流れる。霧香は警戒を一気に高める。

 

「……そうですが、あなたは」

『こちらの事をお前が知る必要は無い。それよりもお前に有益な情報を渡そうと思ってね』

「有益な情報?」

『……警察上層部の件は知っているな?』

 

その言葉に霧香はハッとなる。

 

「あれはあなたが・・・・・・」

『イエスと言っておく。お前に頼むのは別の件だ。神凪一族、当然知っているな?』

 

霧香は問われてええと呟く。この業界で神凪一族を知らない人間はいない。と言うよりもいればそれはド素人かもぐりだろう。

さらに推測されるのは、向こうはこちらの情報をほとんど知りえていると言う事か。

 

『こちらはその神凪一族の弱みを握っている。と言っても、法律上の弱み。脱税や不正と言ったものの証拠だが……』

「それを使って神凪を脅せと? まさか逮捕しろって言うんじゃないでしょうね?」

『その通りだ』

 

霧香は頭が真っ白になりそうだった。神凪一族を逮捕? それは何の冗談だろうか。

 

『警察は犯罪者を逮捕する組織だろう。こちらは何も間違えた事を言っていない』

 

いや、それは確かにそうなんだが、神凪一族を逮捕させてこの電話の主に何の得があるのだろう。それに神凪一族が犯罪者?

 

『神凪と言っても所詮は人だ。一部は大物政治家と癒着して甘い汁を吸っている。脱税や横領、調べれば色々出てくるぞ』

「それはまた偉く俗っぽいわね」

 

だが証拠があるのなら、いくら神凪一族でも法律違反で逮捕はできるだろう。法律に違反すればそれが誰であろうと、平等に法の裁きを受けなければならない。

それにしてもこの相手は一体何者だろうか。霧香は会話を続けながら頭をフル回転させる。

 

(考えられるのは神凪の敵対組織で、神凪が不祥事を起こせば自動的に自分達が得をする組織って所だけど、こんな大掛かりな事をやってのける組織なんて……)

 

霧香はこれだけの膨大な量の情報を、個人で入手したとは考えられなかった。

この相手の言葉が正しければ、警視庁から政財界、また神凪一族の情報すらも握っていると言うことだ。

 

(よほどの優秀な諜報員やハッカーを抱えた集団。もしくは諜報能力に優れた術者の集団と言うところかしら)

 

国内において、特殊資料室は見者系の術者は多いが、これほどまでの情報収集を行う事は難しい。

とすればそれ以上の能力を有する諜報組織……。

アメリカCIAやロシアのKGB、英国のMI6。そんな世界の超一流のプロ組織でも動かない限りは。

 

(国内でも優秀な諜報能力を持つ術者の集団はいるけど、神凪一族の情報を得ようなんてそれこそ難しいわ。神凪一族には下部組織として諜報に優れた風牙衆がいるんだから)

 

風牙衆が優秀な組織であると言う事は霧香も良く知っている。

戦闘能力こそ無いものの、彼らの情報収集能力は民間ではトップであり、特殊資料室も警察と言う国家組織の後ろ盾が無ければ、彼らと伍して行くことすらかなわない。

 

だがその時、ハッと霧香はある事を思い立った。

個人でこれだけの情報を集める事は困難。組織であっても神凪一族の情報を得ようとすれば必ず風牙衆に見つかるだろう。

 

だが逆に内部が情報源ならば?

そうなればつじつまが合う。

 

霧香は手元にあった最近逮捕された大物議員のリストを見る。全員ではないが半数近くは神凪一族と深いかかわりがあるとされていた。

風牙衆が神凪一族の下部組織として、半ば奴隷に近い立場にあるという噂は幾度か耳にしている。

ならその風牙衆が反乱を起こしたと考えれば?

 

「あなたはもしかして風牙衆の……」

『お前が、こちらの正体を知る必要は無い。教えるつもりも無い。そっちがどう考えようと勝手だが、この話にはそっちにもメリットがある』

 

電話の相手はこれ以上の詮索はするなと言うと、霧香にメリットについて話し始めた。

 

『政府と蜜月の関係にある神凪一族がいる限り資料室が大きな顔をする事はできない。だが民間に不祥事があれば、政府としても公的機関である資料室に重きを置く可能性は高い』

「取引をしようと言うのね。そちらの狙いは神凪一族からの独立、もしくはこちらへのアピールかしら?」

『どう取ってもらっても構わない。詳細資料はそっちのパソコンに送っておく。どう使うかは自由だが……、くれぐれもわかっているな?』

 

念を押すように言うと、電話はそのまま切れた。

 

「あっ、ちょっと……」

 

霧香は話し足りなかったが、ツーツーと言う音が鳴り響く電話機から耳を話すと一度大きく深呼吸した。

 

「まったく。何なのよ、本当に……」

 

そう呟いていると、今度は自分のパソコンにメールが届いたと言う通知が現れる。

まさかと思い彼女はメールを開く。

そこにはミスターXと言う、ふざけた名前で送られたメールが何件も届いていた。

どうやってこちらのアドレスを入手したのか。いや、これだけの事をしでかす相手だ。それぐらい簡単かもしれない。

 

メールにはそれぞれに添付ファイルが添えられていた。

念のため、ファイルを開く前にUSBメモリーに保存。別の今は使用していない旧式のパソコンで解凍し、ウィルススキャンをする。何かを仕掛けられていた場合笑い話にもなら無い。

スキャンの結果、何も反応がなかったので解凍。そこにはやはりと言うか予想通り、神凪一族の一部の者の不正が綴られていた。

 

さらに後日、証拠資料を郵送するとも書かれていた。

 

「……よくもまあ、これだけ詳細に調べたわね。でも仮にこの相手が風牙衆ならこれも難しくは無いかもしれないわね」

 

霧香の頭の中ではすでに、風牙衆が首謀者と言う考えが疑惑ではなく、確信の域に達していた。

もちろん、裏づけをしなければならないだろうが、これだけの事ができる諜報組織が尻尾を掴ませるとは思えない。

 

(一応、国内の他の組織や海外の諜報員の可能性も調べないといけないけど、もしそれらに何の行動の証拠も無ければ、風牙衆で確定ね)

 

霧香はすぐに部下に指示を出す。他にも知り合いの諜報関係に詳しい部署に連絡を入れて確認を取る。日本にもあまり公にされていないが諜報を主だった仕事にする部署は存在する。

 

もし海外から何らかのアクションがあれば、そこに必ず引っかかるはずだ。証拠を残さなくても、国内に入り込めば外国人である限り否応無しに目立つ。

他の国内の場合はその線では掴みづらいが、国内の風牙衆以外の優秀な組織は霧香や諜報課でもある程度の動きは追っている。

 

(確定に数日はかかるでしょけど、これで相手が何者か、大体わかるでしょう)

 

それが数日前の話。その後霧香は言われたとおりに神凪の逮捕に乗り出した。

 

「それにしても連中の目的は何だったのでしょうね?」

 

霧香の横に立つ資料室に所属する倉橋和泉が彼女に尋ねる。

 

「さあ。わからないわね。自分達の優秀さを内外にアピールすることが目的なのか、それとも神凪からの独立を目指しているのか……」

 

霧香自身、未だに風牙衆の目的を図り損ねていた。あの後、調べたがやはり彼女の予想通り、どこの組織や一族にも目立った動きは無かった。

それに風牙衆が何らかの組織と争ったと言う報告も無い。

ただ先日、大阪で次期宗主である神凪綾乃が突発的に妖魔と戦い、そこに神凪一族を出奔した神凪和麻が手助けをしたと言う情報は掴んだ。

 

(あの男が生きていて、それも日本に戻ってきているなんて……)

 

その話を霧香が聞いた際、彼女は今までに無いほど最悪な顔をしたと言う。

神凪和麻。今では八神和麻と名を変えている男。

彼女は一度和麻に会ったことがある。二年ほど前にロンドンで。

その際、彼女はロンドンに研修に赴いていた。日本とは違い心霊捜査の本場であるロンドンへ、様々な事を学ぶために留学していたのだ。

 

そこで和麻と出会った。最悪と言うべき出会いだった。

霧香はある事件を追っていたのだが、和麻とはそこで鉢合わせした。その当時の和麻はまだ復讐の途中で今のような余裕などなく、まさに死神と形容しても差し支えない状態だった。

 

詳しい話は省くが、霧香としては和麻のおかげで事件が解決した。

これには霧香は歓喜し、安堵した。理由は事件が解決し、自分の功績が認められたからではない。

もう和麻と一緒にいなくて済むからであった。

それからの和麻については、霧香は詳しくは知らない。

 

それでも強烈な印象を与えられた霧香は、その後も彼の情報だけは集め続けた。

その約一年後『契約者がアルマゲストの首領であるアーウィン・レスザールと相打ちになった』と言う話を聞いた。

 

さらに同時期に八神和麻が死んだと言う話も、霧香の耳に届いた。

 

正直、その話事態も信じられないファンタジーな内容ではあったが、それ以上にあの男が死んだと言う話が信じられなかった。

ただその後は凄腕の風術師の噂は、ばたりと消えうせたのは事実であり、八神和麻の名前も一切聞かなくなった。

 

その代わりアルマゲストに所属する人間が次々に殺され、アルマゲストの評議会の議長を務める男一人を除いて全員殺されたと言う話が届いた。

 

それも本当かと疑いたくなったが、こちらは情報があり真実のようだった。

その犯人が和麻だと言う証拠は何一つ無い。それどころか生きていると言う証拠も無いのだ。

彼に似た人間を見たと言う話しは聞かないでもないが、風術師として活動していると言う情報は一切無いのだ。

 

彼ほどの存在が何の動きも見せない。そもそも術者であるなら、生きるためには仕事をしなければならず、何らかの組織に所属すれば必ず話し位は出てくるはずなのに。

 

(今までどこで何をやっていたのかしら。と言うか、本当に会いたくないわね……)

 

神様仏様、お願いしますからあの男だけは絶対私の前に姿を現さないようにお願いしますと、柄にも無い事を祈る霧香。それほどまでに、彼女は和麻に出会いたくなかった。

 

「それにしても一度風牙衆とは個人的に話をしないといけないわね。簡単には尻尾を出してはくれないでしょうけど」

 

嫌なことは忘れようと頭を切り替える。あの男の事を考えるのはやめだ。今の問題はこんな大きな事件を起こした風牙衆。

その彼らの目的や今後どうするのか、またどうしたいのかを知らなければならない。

自分に個人的に連絡をしてくるくらいだ。交渉の可能性は十分にある。

 

「とにかく、落ち着いたら風巻兵衛氏と神凪重悟氏に面会を求めましょうか」

 

霧香は今後資料室を大きくしていくためにも、今回の件を最大限に利用しようと心に誓う。

 

だが彼女も知らない。彼女自身も、風牙衆も神凪も、たった一人の男、否、男とその従者の掌で躍らされていると言う事を……。

彼女が再会したくないと思っている男が、この瞬間にもほくそ笑んでいる事を彼女は知る由もなかった。

 

 

 

 

そんな感じで混乱の極みにある三者に対して、すでに高みの見物に入っている和麻とウィル子。

言うまでも無く、この流れを作ったのは風牙衆ではなく彼らだ。

 

霧香に電話したのもウィル子が作り出したプログラムで和麻が喋っていただけ。彼女を選んだのは以前に一度会った事があったからと特殊資料室の室長をしていたからである。

 

「それにしても何で神凪とか警察を巻き込んだのですか?」

「ん? いや、ほら。風牙衆だけ痛い思いをするのは可哀想だろ? だったら最初の思惑通り神凪への復讐も手助けしてやら無いと悪いだろ。せっかく慰謝料を大量に貰ったんだから。ついでに迷惑料も神凪からもらえるし。警察はついで。霧香が日本にいたからな。あいつにもメリットはあるし、丁度いい機会だろ」

 

すでに風牙衆、神凪の隠し財産は綺麗さっぱり和麻とウィル子が横取りしている。口座もスイス銀行の隠し口座に移しているので誰も手を出せない。

十億円以上の金があっさりと手に入った。

 

ただまあ、風牙衆からの金は命を狙われた事に対する報復で、神凪の金は神凪の滅亡を助けてやったお助け料と言うことなので、和麻とウィル子は別に悪いとは思っていない。

風牙衆も皆殺しの目に合うよりはマシだろうし、神凪も一族滅亡に比べれば安いものだろう。

 

「なるほど。で、その本音は?」

「俺が目立たないで済むのとその方が面白いから」

「にひひひ。そうですね。ここからどうなるか、ウィル子も興味津々です」

「くくく、そうだろ? まったくどうなるか楽しみだよな」

 

実に極悪な二人であった。

 

「連中も思い知るだろうよ。俺達を敵に回すのがどう言う事か」

「そうですね。まあウィル子達の事を彼らが知ることは絶対にないですけどね」

 

そう言ってまた笑いあう。

彼らは自分達の能力に絶対の自信を持っていた。またその能力を最大限活用する頭脳も保有していた。

 

世界最高の風術師と電子の精霊にして神の雛形たる少女。

彼らの力は武力に非ず。

武力も非常識ではあるが、それ以上に強大なのが情報収集能力。

そしてそれを最大限運用、活用する能力。

 

神凪と風牙衆の地獄は、ここから始まった。

 

 



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第七話

神凪一族は戦慄していた。混乱の極みにあったと言っていい。

ここ数日、彼らは今までに無い状況に追い込まれていた。

名高い最強の炎術師の一族から、多数の逮捕者が一斉に出てしまったのだから。

 

これにはさすがに宗主である神凪重悟も頭を抱えた。

今まで退魔で死者が出る事はあった。何らかの理由で追放されたと言う事例はあった。

しかし長い歴史の中で、国家権力に逮捕されると言うのは前代未聞であった。

以前にも似たような事は無いでもなかったが、時の宗主や長老が裏から手を回し、それをもみ消したり、内々に処理したりした事でそれが表に出る事はなかった。

 

だが今回の件はあまりにも規模が大きすぎる。

先代宗主であり重悟の父である頼通始め、長老はほぼ全員逮捕。他にも分家の現当主である者達も軒並み逮捕と言う目も当てられない状況であった。

早急に宗家、分家含め全員を集めなければならない。

分家の当主はそれぞれに家に跡継ぎがいるため、彼らには早々に当主の地位についてもらえばいいのだが、それでも熟練層が軒並み逮捕では戦力の低下も無視できない。

 

戦力とは力の問題では問題ではない。数の問題だ。

神凪一族の分家・宗家の力は炎雷覇を持った綾乃を含めても、神凪厳馬や神凪重悟個人にも遠く及ばない。

しかし数と言うのは重要なのだ。いくら強くでも一人でできる事など限られている。

 

神凪一族は最強の炎術師の一族であり、千年にも渡り、この日本と言う国を守り続けてきたと言う実績がある。

そのため、政財界からも数多くの依頼が舞い込む。尤もこれは先代頼通の手腕によるところが大きかったが、それでもそれらのコネからさらに噂や実績を口コミで聞き、神凪一族に依頼しようとする者は少なく無い。

 

そのため神凪一族も、それらの依頼を振り分け、各分家や宗家の実力者に割り当てを行っている。

端は九州から東北、北海道まで広範囲に渡り神凪一族は仕事をこなしている。だからこそ人手は欲しいのだ。

 

先代や長老は現役を退いているので依頼への負担は少ないが、分家の当主は不味い。彼らもまだ現役で仕事をこなしていただけに厄介だ。

さらには逮捕された分家はそれ以上に混乱し、家督相続やら何やらで、てんやわんやになっており、退魔の仕事で遠くに出張する事も難しい状況だ。

 

(何故こんな事に・・・・・・・・)

 

重悟は今回の件が神凪の不始末であり、自分のあずかり知らぬ所でここまでの不正が横行していたとは考えもしなかった。

父である頼通が権力や地位に固執している事は重々承知だったが、まさかこのような脱税や不正を行い、政府や企業と深いつながりを持っていたとは考えもしていなかった。

いや、薄々ではあるが気がついていた。気がついていながら証拠もつかめず、何の対処もできなかった。

 

不甲斐なさに重悟は拳を握り締める。

足を失う前は神凪最強だ、炎雷覇の継承者だ、紫炎の重悟だともてはやされていたが、結局自分は一族の不正も取り締まる事のできなかった無能な男ではないか。

知らなかったと言うのは簡単だが、そんなもの言い訳でしかない。人の上に立つと言うことはそれだけで責任を持たなければならず、知らなかったと言う言葉を軽々しく使ってはいけない。

 

「ふっ、実に情け無いではないか」

 

だが過ぎてしまった事を言っていても仕方が無い。問題はこの窮地をどう脱するかだ。

重悟は手元の資料を見る。それは仕事の依頼のキャンセルの書類だった。

事件が明るみに出てから、退魔の仕事のキャンセルが後を絶たなかった。

人手不足と嘆いてはいたものの、その仕事自体が無くなりかけている。

風評被害と言うものは恐ろしいものだ。一度失った信用や信頼を取り戻すのは並大抵の事ではない。

 

しかも神凪は一斉に大勢が逮捕された。組織ぐるみの犯罪と言われても否定できない。

いくら千年に渡る実績があっても、それも所詮過去の栄光でしかない。

社会と言うものは世知辛く、また厳しいものなのだ。

さらに今回の件は金にまつわる問題。重悟も詳しく知らないが、ネットでは神凪は金に汚いとか、他の退魔の組織よりも優遇されていたのは金にモノを言わせていたからだとか言う噂が流れているらしい。

 

インターネットの普及で情報が駆け巡るのは早くなった。国内の多数の情報屋もインターネットを利用し、多くの情報を得ていた。

その彼らが仲介する仕事で神凪に回ってくるものはあまり無かった。それはそんな事をしなくても政財界から勝手に回ってきたのと、その口コミでより多くの依頼が来たからである。

 

しかしその政財界の連中も軒並み逮捕。これでは仕事が回ってくるはずも無い。さらに国内の仲介屋と連絡をとっても、事件が尾を引き色よい返事をもらえない。

当然であろう。仲介屋も仕事であり、信用の置けない相手を依頼人に紹介できない。

仮に紹介して依頼人が神凪の不祥事の件を知っていれば、何故そんな相手を紹介するのかと逆にその仲介屋が信用を失いかねない。

つまり神凪は現在、八方塞状態なのだ。

 

「とにかく一度一族をすべて集め、話をしなければ・・・・・・・・・」

 

重悟はすぐに一族の者を集めて気を引き締めなおす事を決めた。

 

 

 

 

神凪重悟が頭を抱えているのと同様に、兵衛もまた頭を抱えていた。

風牙衆はさほど大きな被害を受けてはいない。無論、神凪の仕事が激減すればこちらへの仕事も減るが、彼らは風術師であり他にも稼ぐ手段は多々ある。

 

情報を探る事に関しては一流であり、探偵の真似ごとでもすればいいのだ。神凪の名が地に落ち始めているのに対して、風牙衆の名は別にそこまで落ちていない。

ただ問題がある。それはネット上で実しやかに囁かれている今回の事件の真相。

 

『風牙衆が政財界や上部組織である神凪一族の不正を内部告発した』と言うものだ。

 

兵衛はその知らせを聞いたとき青ざめた。なぜこんな馬鹿げた話が出回っているのだと。

自分達はそんなことしていない。濡れ衣だと兵衛は声高らかに言いたかった。それにそんな噂は荒唐無稽だと何とか情報戦を行い沈静化しようとした。

しかし情報は消せない。それどころかネットではその波がさらに吹き荒れている。

唯一の救いは風牙衆に対する批判ではなく評価したり賞賛したりする声が大多数であったことだろう。

 

内部告発をすると言う事はいけないことではない。むしろ不正を正す正義の行いである。その後に来る社会的制裁を考えればとてもできないし、しり込みしてしまう事だが、それを行った勇気ある行動は評価され、賞賛に値される。

風牙衆も神凪や政府、社会の不正を見逃せない、正義の集団であるとネットでは英雄扱いされた。

 

他にも秘密裏に兵衛に接触してくる退魔組織は多かった。簡単に言えば引き抜き、スカウトである。

もちろん、神凪の不正を暴いた経緯を考えれば脛に傷を持つ古い一族は二の足を踏んだが、これから躍進しようと考える新興組織からの勧誘が多かった。

待遇もいいものが多く、兵衛としては心動かされるものがあった。

 

しかしそれでも兵衛は返事ができなかった。当然だ。これは身に覚えの無いことなのだから。

彼らの誘いを受け入れればどうなるか。

確かに一時的にはいいかもしれないが、兵衛にはこれがうますぎる話でありどこか落とし穴があるのではないかと疑ってしまっていた。

 

もし受け入れた矢先に事件を真相を何者かが暴露すればどうなるか。

下手をすれば他人の手柄を横取りしたと言われかねないし、相手にも思うところを植えつけてしまう。

それに神凪一族も黙っていないだろう。

分家の当主や長老、先代が逮捕されたと言っても、神凪の過激派はまだ残っている。そう言った者達が報復に出てこないとは限らない。

 

だからこそ、兵衛は頭を抱えているのだ。

彼は知っている。この事件を起こした第三者が確実にいることを。

調べたところ、神凪の分家や頼通、長老が秘密裏に用意していた裏金も風牙衆の裏金同様に消えうせていた。

つまりこの流れを作った者がいるのだ。

 

(この流れを作った者は我らだけではなく神凪の資金まで奪った。これだけの事をしでかす相手……。おそらくは個人ではなく組織。だがそんな組織がどこにいるのだ)

 

調べさせてはいるが、敵の影を踏む事さえできない。

神凪の裏金が奪われた事はまだ報告していない。報告するべきかと思うが、まだ決めかねている。

資金が奪われただけを報告して、後の調査はどうなっていると追及されるのは目に見えているからだ。

 

(それに下手な報告をすれば、余計に風牙衆に疑惑の目が向きかねない……)

 

タイミングを誤れば、一気に風牙衆が犯人にしたてあげられる事になる。それだけは何としても防がなければならない。

他から見れば英雄でも神凪から見れば裏切り者と言う不遇の扱い。この流れを作った者に兵衛は恨みをぶつける。

普通なら神凪が没落して万々歳なのに素直に喜べないどころか、逆に神経をすり減らしている始末。

ここ数日で抜け毛が増えて夜も良く眠れない。仕事も神凪の調査以外に金を奪っていった相手を探したりと、神凪とは逆に金にならない事が増えて風牙衆は大慌てであった。

 

いっそ、和麻にプチッと潰してもらった方が兵衛としては別の意味では幸せだったのかもしれない。

和麻に善意は欠片ほども無いが、神凪が痛い目を見て少しは風牙衆が良い思いをするかと思ったが、そんな事は無かった。

逆に真綿で首を絞められるかのごとく、精神的にも肉体的にも辛い状況に陥り始めた兵衛。

すべてはたった一つの失敗から始まった。

 

「落ち着け。まだ大丈夫だ。神凪が没落する事はいい事ではないか。それにうまく立ち回れば、風牙衆の未来は安泰。そうじゃ、うまく状況を利用すれば……」

 

兵衛は何とか状況をうまく利用する事を考える。少しでも良い風に良い風に考えを持っていこうとする。

でなければ倒れてしまいそうだったから。

 

「だが念には念を入れておかねば。もしもの際の戦力を確保しなければ……」

 

仮に戦いになった場合、風牙衆は戦闘力と言う点で言えば話にもならない。

流也がいれば何の問題も無く、逆にこの混乱た神凪相手に一族皆殺しだ! 三百年の恨みを思い知れと反旗を翻し、ウハウハの状況だったかもしれない。

もっとも戦闘になった場合、風牙衆はただ逃げるだけで良い。逃げていれば神凪は勝手に没落してくれる。

 

世間的には内部告発と言う形なのだ。もしここで神凪が実力行使に出れば、不正を暴いた正しい理があった風牙衆を力で脅し報復したと言う最悪の結果が生まれる。

そうなればもう信用関係は生まれない。神凪と言う名前はタブーとなり、その一族の血を引いている炎術師は二度と退魔の世界で活躍する事はできないだろう。

 

つまりこの状況は風牙衆にとって、最高の状況なのだが兵衛は神凪への反抗心と恐怖心ゆえに客観的に物事を考える事ができなくなっていた。

それに逃げていても見つかって殺されるのではないかと言う恐怖が生まれる。

根底にある神凪一族への恐怖。流也と言う切り札を無くし、逃亡資金も奪われ、心の余裕が和麻とウィル子に削り取られたことで、彼は最善の手を見つけられなくなっていた。

 

また他の風牙衆もそのような先見に長けた人間がおらず、長である兵衛に意見する事もできなかった。

つまり兵衛は負のスパイラルに陥り始め、安易な手しか考え付かないようになっていた。

人は単純な力に心を惹かれる。術者ならば己の力や近くにある強大な力に。神凪ならばその圧倒的な炎に。

そして風牙衆ならば、かつて封じられた自分達が神と崇めた存在に。

溺れる者は藁にも縋る。兵衛はこの状況を脱する力を求めるのであった。

 

 

 

 

 

「おし。G級に突入」

 

そんな神凪と風牙衆の混乱も他所に未だにゲームにいそしむ和麻。

 

「いやはや。それにしても神凪の混乱振りは凄まじいですね。まさかこんな事になるとは」

 

ウィル子はゲーム画面から目を離さずに、マスターである和麻にウィル子は話しかける。

 

「まあどんな事でも信用・信頼が第一だからな。術者の世界でも同じだよ。風評被害はヤバイよな」

 

それを起こした張本人達はどこ吹く風だ。

 

「ここまで行けば後は勝手に話が広がっていってくれますからね。まぁウィル子が情報屋の集まるサイトに、ある事無い事書き込んできましたからね」

 

ウィル子も影で暗躍していた。直接手を下す必要は無い。もう昔とは違う。社会的立場と言うものが重要視される現代社会において、これは致命的だ。

 

「にひひ。すでに神凪の失態は国内だけには留まらず、海外にまで出回っていますね」

「あーあ。こりゃ神凪もしばらく面倒な事になるな」

 

ニヤニヤと笑いながら、実に楽しそうに言う和麻。自分達は

風牙衆と神凪の裏金を強奪した犯罪者と言う立場では同じだが、バレなければ犯罪ではない。

そして別に濡れ衣を着せたわけではないし、間違った事はしていない。

 

「この件はもうほっといても面白い事にはなるだろう。もう俺達が何かをする必要も無い。ここまで大事になれば俺を探すとか悠長な事も言ってられないし、個人でこんな事をしでかせるとも思えないだろうよ」

 

和麻もウィル子と言う存在がいなければ、ここまでの事を調べる事は出来なかった。

如何に風ですべての事象を識る事ができる和麻でも、特定個人の行動やどこに行ってきた等を探る事はできても電子上の情報は専門外。

 

しかしウィル子はそれをカバーし、和麻の風の情報収集をもフォローする。また和麻もウィル子が知る事ができない場所でも、現実ならば半径十キロ以内ならばよほどのことが無い限り調べる事ができる。

とにかくチートすぎて超一流の存在でも、このコンビと同じ土俵で戦う事はできない。

 

神凪も風牙衆も和麻が個人、と言うかコンビで政財界から神凪まで調べ上げ、裏金全てを奪い取ったなど考えもしないだろうし、予想もつかないだろう。

もしそんな考えに至るのなら、それは予想ではなく予言や予知と言う類になってくる。

 

「おっ、獲物見っけ。ところで俺としては最近は殺すよりもこう言った報復がいいと思うんだが、お前はどう思う?」

「ウィル子も到着と。そうですね。ウィル子もマスターに連れられて殺しの現場は見ましたが、直接手を下した事は無いので、できればこのまま殺さないでジワジワといたぶるのが良いのではないかと思いますよ」

「俺もだよ。いやー、アルマゲストの連中も一部は殺さずに、こうやって痛めつけて放逐し解けばよかったかな。あの時はお前が銀行口座やらカードを使えなくして経済面から攻撃したりして、茫然自失のところを俺が風で殺しまくってたからな」

 

ここ一年ほどのアルマゲストとの戦いを振り返り、和麻はうんうんと懐かしむ。

 

「にひひ。本当にマスターは考える事が外道でしたね。向こうも魔術師といっても人間でしたからね。まあ中には人間やめてた奴もいましたが、そういった連中も魔術の研究やらで金を使ってましたからね」

 

アルマゲストとは基本的に魔術師の集まりである。人間やめている連中も多々いるが、彼らは衣食住の他に魔術の探求にその重きを置いた。

しかし魔術の研究もただ本と睨めっこと言うわけではない。研究には必要な材料がいる。それもはした金ではなく億単位の金が動くこともある。

中には物々交換でする場合もあるが、探求を続ける魔術師にとって自ら収集した貴重な物品を取引に使う事は稀だ。

 

億単位の金を動かそうと思えば、手元に現金を置くのではなく銀行などを経由してカードや小切手を用いる。

アルマゲストは西欧を中心に活動する、近代魔術の最高峰とも謳われる権威ある組織である。

EUの経済にも深いかかわりを持つ。そのため高名な魔術師や幹部になるほど、社会的地位に付いている者も多く、そんな彼らからアルマゲストに資金が流れている。

 

しかし現在社会においておおよそ経済にはパソコンなどを利用し、銀行でさえもその例に漏れない。

アルマゲストの連中も秘密主義のスイス銀行を使っていた。ここに金を預ければ並大抵の事では手を出せない。

普通ならば。

だが彼らは普通では無い。しかも当時の和麻は手段を選ばず、ウィル子もHDのデータを喰う事の衝動が今ほど抑えられなかった。

 

つまり無茶苦茶をやり、一時期EUの経済やら何やらを混乱に陥れたりもした。現在でもその事件は謎のまま、どこかのハッカーかもしくは国家的なサイバーテロかと噂されている。

とにかくそんな社会的立場にいる連中に対してサイバー攻撃で資金の流れを止め、混乱しているところを探し出し殺していく。

中には魔術師としては並だが、出資者としては超一流と言った奴もいた。そう言った奴は資金を奪ったり、罠にはめ架空の出資をさせたり株式を操作して大損させたりと言う手を使った。

 

これにはさすがのアルマゲストも太刀打ちできない。しかもそれだけではなく物理的に彼らを簡単に殲滅する化け物までいるのだ。

和麻とウィル子の同時攻撃はいかなアルマゲストと言えども抗えなかった。連絡を取り合い各個撃破を避けようとしても、魔術以外の電話などを使えばウィル子に察知され、それどころかその内容を途中で変えられ罠にはめられた。

電話に盗聴防止やら魔術的な障壁を張っても、和麻と契約を結び、日々進化を続けていたウィル子に無効化されていった。

 

さらに魔術を使えば和麻に察知され、これまた物理的に殲滅される。

それに如何に優れた魔術師でも何百キロも離れた場所と連絡を取り合うのは難しいし手間もかかる。それならば電話などの方が簡単である。

つまり無理ゲーもかくやと言う状況でアルマゲストは、攻勢に出られた和麻とウィル子に半年も待たずに物理的にも社会的にも抹殺された。

資金もすべて奪われるか罠にかけられ大損し、逆に借金を背負わされた。アルマゲストの主要メンバー含め、上位百人はすでにこの世におらず、残りの部下やその家族は不幸な事にその負債である借金や社会的制裁を受ける始末。

 

現在のところ、それらの大半は未だに逃げ延びているアーウィンの片腕であり、実質アルマゲストを取り仕切っていた評議会の議長であるヴェルンハルト・ローデスに背負わしているため、家族がアルマゲストにいただけのあまりかかわりの無い肉親には被害は少ない。

 

そのヴェルンハルトはここ半年探しているが一向に姿を見せない。自殺でもしたかと思ったが、あの男がそう簡単に死ぬとも思えない。

それでも以前は世界経済でもそれなりに顔の通っていた男だけに、この沈黙は少々不気味ではあった。

 

「今回の件がひと段落したら、ヴェルンハルトを探すぞ。今日まではあいつの事も些事ってことで放置してきたが、不安の目は出来る限り早く潰さないとな」

「はぁ、ヴェルンハルトも不幸ですね。まあマスターに喧嘩を売ったのが運の尽き。しかしマスターとウィル子が本気で探さなかったとは言え、この一年良く逃げおおせましたよね」

「まああいつはアルマゲストの議長を務める男だしな。魔術にしても一流だし、それ以外にも組織の運営手腕やら経済経営に関してもそこそこやる。一年程度逃げ続ける事も難しい事じゃないだろ。けどそろそろ気にかけるのも面倒になったからな。殺るぞ」

 

和麻の目がいつにも無く鋭くなり、纏う気配も針のようにトゲトゲしたものに変わる。ウィル子はゴクリと息を飲む。

八神和麻と言う男は普段は飄々として、こう言った絡めてが大好きなウィル子と良く似た長愉快型の人間ではあるが、ウィル子と違うところが一つある。

それは彼が人間でありながら、人を超越した力を持ち、ウィル子が苦手とする直接的な破壊活動をやってのける事だ。

ウィル子も能力やら電子精霊の力を使えば様々な破壊活動はできる。その気になれば核兵器さえも作り出せる。

 

しかし和麻は人間でありなが単独で、それも一瞬でそれを可能とする。

やった事は無いし本人もできるかは知らないが、彼は核兵器の直撃を受けても生き残るであろうし、核兵器に近い破壊力を生み出す事も不可能では無いだろう。

持てる力、それこそ契約者の力を行使すれば、核兵器の破壊範囲である数十キロ圏内を死滅させる事も不可能ではない。

そんな相手を敵に回して、一体どれだけの存在が生き残れるだろうか。

そんなウィル子の様子に気がついたのか、和麻はそんな気配を霧散させ、いつものような飄々とした態度に戻る。

 

「おいおい。何よそ見してるんだよ。お前、死にかけてるぞ」

「へっ・・・・・ってああぁっ!?」

 

見ればPSPの画面でウィル子のキャラが集中攻撃を受けている。

 

「マスター! 援護して欲しいのですよ!」

「仕方がねぇな」

 

楽しそうに呟きながら和麻はウィル子を救出する。顔を見れば実にいい笑顔を見せて貸しだななどと呟いている。

ウィル子はそんな姿にハァっとため息を吐くが、やっぱりマスターはこの方がいいと思った。

和麻と出会って一年、色々なことがあったが、このマスターは色々な意味で最悪で最高だなとつくづく思うウィル子だった。

 

 

 

 

 

神凪一族宗家の大広間。

畳の敷き詰められた部屋の中には、神凪一族の宗家・分家をはじめ風牙衆に至るまですべての人間が集められていた。

 

神凪一族は宗家と分家からなり、総数は主だった術者とその家族を含め五十余名。分家は久我、結城、大神、四条の四つからなる。

昔はもう少しあったのだが、頼通の時代に幾つかの分家は他家に婿入りしたり嫁入りしたりして幾つかが途絶え、また策謀により消滅した。

現在の長老の中にはその途絶えた分家の出身も何人かいる。

宗家の数は総数で十人にも満たない。

風牙衆は彼らよりも少ないがそれでも四十人にも達する。

 

だがそんな神凪一族だったが、今回の事件では実に十一名にも及ぶ逮捕者が出てしまった。

先代宗主頼通、長老連中五名、久我と四条の当主。さらに四条からは他に三名もの逮捕者が出てしまった。

大体一つの分家は、当主とその直系の家族、当主の弟妹の家族で構成され、大体十人前後の構成となっている。

上座の中央に座る重悟は全員の顔を見渡す。いつもならこのような会合で集まる場合、口うるさい頼通や長老連中がいるはずなのだが、その声は無い。残った長老三名も大人しいものだ。

 

上座に座る宗家の面々を見る。

神凪の名を名乗る事を許された者達。

娘である綾乃。

神凪最強の術者である厳馬とその妻である深雪と息子である煉。

その横には宗家の一員である燎とその両親が座る。

それにしても十一人もの人間がいなくなると言うのは異常事態だ。

 

「……皆、此度の件は知っておるな」

 

重悟は重々しく口を開いた。彼自身、このような不始末を出した事自体が恥ずべき事なのだ。

 

「神凪一族の中からこれ程までの逮捕者を出したのは、千年の歴史を紐解いても始めてのことであろう。本来はこのような事はあってはならん」

 

厳しい口調で彼は語る。

 

「幾人かの者には伝えておるが、今回の件で神凪の信用は地に落ちた。依頼も激減し、今受けている物もキャンセルする旨が伝えられておる」

 

その言葉に部屋がざわめき立つ。知らされていなかった者にとって見れば、寝耳に水だろう。

 

「これから神凪はより厳しい時代を迎えるであろう。今回の件は私の不徳とする事件ではある。知らなかったと言って許される事ではない。だからこそ、私は身を退こうと思う」

 

その言葉にまたざわめきが大きくなる。責任者は責任をとる立場にある。神凪で起こった不祥事の責任を取り、宗主がその地位を降りる。間違った事ではない。

 

「次期宗主は綾乃だが、まだ修行中の身。代わりに私は厳馬を綾乃が成人するまでの四年間、宗主代行に推薦したい」

 

もしこの場に頼通がいれば必ず反対意見を述べたであろう。他にも長老連中も同じだが、彼らは今回の件でいないし、残った長老も代案が無いために何も言えない。

厳馬は何も言わない。ただ目をつぶり静かに考え事をしている。

 

「お言葉ですが宗主。非才の私では宗主の大任にを努める事は叶いません」

「……お前でなくてはダメなのだ。神凪現役の術者であり、先代と反目していたと言うお前の立場でなければ」

 

厳馬が不器用であり、あまり社交的な人間とは言えない。その性格ゆえに返って反発を招きかねない。

しかし今のまま、重悟が何の責任も取らずに宗家の地位にいることは許されない。それに先代宗頼通の息子と言うこともまた余計に尾を引く。

 

体面だけでも取り繕わなければ今の神凪は不味いところまで来ていたのだ。

無論厳馬に全てを押し付けるつもりは無く、褒められた手段では無いだろうが、宗主の地位を退いても厳馬を支えると言うか裏方として神凪を支えるつもりだ。

とにかくこれは外部に対するアピールなのだ。

厳馬もその事を理解しているのか、重悟と顔を見合わせ静かに頷く。

ここに宗主は引退する事になる。

 

「宗主代行はこれでよい。あと久我と四条の当主だが、それぞれの息子に当たらせる。久我透、四条明、異論は無いな」

「はい」

「謹んでお受けいたします」

 

深々と頭を下げる二人の男達。これで一通りの話しは終わった。

だがその時、結城と大神の当主である結城慎一郎と大神雅行が別の声を上げた。

 

「宗主。此度の件で些か疑問が…」

「…なんだ、慎一郎」

「はい。今回の件はあまりにも急な事。さらに神凪一族内の情報をあまりにも詳しく警察が入手していたと言う事実があります」

 

チラリと慎一郎は風牙衆を見る。その視線に気がついた兵衛が拳を握る。

 

「……内部告発。これ以外に考えられません」

 

次に雅行が発言を行い、今度は堂々と風牙衆をにらみつけた。

 

「これはお前達の仕業では無いのか?」

「さよう。それ以外に先代や長老の不正の証拠を調べ上げれる輩がいるとは思えん。いや、もしいればそれは風牙衆が何の仕事もしていないと言う話ではないか」

 

もし風牙衆でなければ別の相手がいる。しかし諜報に関しては風牙衆の仕事。それだけしか能が無いと神凪は思っている。

外部から調べられたのに、風牙衆はそれを指をくわえてみていたのかと彼らは糾弾する。

どちらにしろ、風牙衆にとっては落ち度でしかないと、彼らは言う。

 

「各方面では色々と噂になっている。風牙衆が内部告発を行ったと」

 

その言葉に逮捕されたものに近しい者達が、一斉に風牙衆を鬼の形相で見る。

 

「何を馬鹿な! 我らにそんな事をして一体何の得がある!?」

 

思わず大きな声を上げて反論する兵衛。恐れていた事が現実に起こった。兵衛は表情こそ平静を保とうとするが、内心は激しく動揺した。

 

「噂ではそれを餌に国家権力、警視庁に自分達を売り込んだと言う噂もある」

「まさか! 長年我らは神凪一族のために仕えてきました! その神凪一族を我らが裏切ったとでも!?」

 

実際裏切って反逆しようとしていたが、それは言わないし言えるはずも無い。兵衛としては何とかこの窮地を脱しなければならなかった。

自分の一族と組織を守るために。

 

「では他に何者かが暗躍していると、お前は言うのか? 仮にいたとしても、お前達は気がつかなかったのか? ここまでされるまで」

 

どうする、どうすると兵衛は考える。どちらにしてもこの状況は不味すぎる。

自分達がやったにしてもしてなくても、神凪一族は自分達を糾弾し、処断する口実を得ている。対応を間違えれば、風牙衆は終わりだ。

 

自分達がやったと言えば分家は決して風牙衆を許さないだろう。重悟はわかってくれるかもしれないが、自分達を絶対に守ってくれると言う保証は無い。

自分達がしていないと分家に納得させても、では何者がやったのだ。それに気がつかなかったのか、また今もわからないのかと今まで以上に風牙衆への風当たりは厳しくなる。

 

「いい加減にせぬか、お前達!」

 

だがそんな時、重悟の怒号が室内に響き渡った。

 

「此度の件はすべて神凪の不始末。風牙衆の内部告発であとうと外部からの発覚であろうと、すべての罪は神凪にある! それをわきまえず、何を言うか!」

 

重悟の怒りの声に今まで声高らかに、風牙衆に噛み付いていた慎一郎と雅行は何も言えなくなり、他の分家も大人しくなった。鶴の一声とはまさにこの事だろう。

 

「この件に関してこれ以上の追求は私が許さぬ。分家、宗家とも肝に命じよ」

 

宗主にこう言われれば、この場において分家は何も言えない。

しかし兵衛はわかっていた。この場が収まっても分家の腹の虫は収まらない。この会合が終われば、分家の一部は風牙衆に詰め寄り力を用いて風牙衆を痛めつけるだろう。

それだけは断じて許してはいけない。だから兵衛は必死に考えた。

この場において神凪一族を納得させる答えを。

自分達がしたと言うのは論外。ならば外部の犯行。

 

だが最適な人間がどこにいる。この場にいる者がだれもが納得する人間。

神凪を良く知り、神凪に恨みを持ち、情報収集に優れた者などどこに……。

 

(いや、一人いるではないか!)

 

兵衛の脳裏に神凪一族を納得させる答えが浮かんだ。その人物の名前を言えば、この場の誰もが納得する最適な人間が!

 

「・・・・・・和麻です」

 

兵衛の呟きが部屋に響く。

一人の男の名前。この場の誰もが知り、誰もが納得する人物の名前。

神凪を良く知る男。神凪を恨む男。情報収集に優れた風術を操る男。

 

「この件は、和麻が起こしたものです!」

 

それは彼にとって見れば口から出任せ。風牙衆を守るためのこの場しのぎの嘘。

だが兵衛はある意味正解を口にしたのだ。それが彼らにとって、救いではなく地獄の門を開く行為だとも知らずに……。

 

 



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第八話

 

神凪一族が全員集められている同時刻、和麻はホテルでその声を盗聴していた。

ウィル子が仕掛けた携帯電話からの音声が、パソコンを通じて流れてくる。

電話の向こうにいる相手は、誰一人としてその事実に気がついていない。盗聴器を探す機械を用いれば、ウィル子の仕掛けに気がついたかもしれないが、生憎と神凪一族も風牙衆もそれらを一切していない。

 

術者の一族と言うのは、割とこういう最先端最新鋭の科学を用いた手段を用いるととたんに脆くなる。

アルマゲストの連中はまだ政財界の顔役がおり、こう言ったことへの対処も行っていたので、多少なりともまだ歯ごたえがあった。

 

しかし今回はあまりにも拍子抜けだ。

折角、ウィル子がハッキングして見つけ出した、秘匿性の高い米国が開発した軍事用の盗聴器の設計図を01分解能で作り上げて使用したのに探そうともしないとは。

 

「市販用の盗聴器でも十分だったですね」

「そうだな。でもまあ……あいつが宗主代行かよ」

 

うまいコーヒーを片手に、面白半分で会話を聞いていたが、神凪厳馬が宗主代行と言う話を聞いて、和麻は不機嫌な表情を浮かべた。

 

「神凪厳馬。マスターの一応の父親で現役最強の術者。蒼炎と呼ばれる神凪一族の歴史上でも、十一人しか会得できなかった神炎の一つを操る男。ふむふむ。アンダーグラウンドの情報屋のデータを調べると、物凄い経歴ですね。ほかにも政府のデータバンクの中にもきっちり入っていますね」

「まあ政府のところにはあるだろうよ。あいつクラスになると人間兵器って言っても差し支えないからな」

 

おそらくは神凪一族のデータは大半があるだろう。和麻の情報もウィル子は見つけてはいるが、削除はしていない。下手に削除してハッキングしたことがバレるのを恐れたからだ。

それに政府のパソコンに入っている情報は、所詮四年前のものだ。

 

「……あいつは物心付いたころから神凪一族でも類稀なる力を発揮してたって、前に宗主に聞いた事がある。あと一応の父親じゃなく、今の俺はあいつは何の関係も無い」

 

ぶすっとした声で和麻がウィル子に訂正を入れる。よほど嫌いなようだ。

 

「はぁ……。けど調べれば調べるほど、本当か嘘か疑うような戦歴が出てくるのですが」

 

アンダーグラウンドの情報を調べまわっていたウィル子だったが、そこそこに信用の置ける場所からデータを探してきた結果、恐るべき内容が記されていた。

神炎には二十代半ばで目覚め、十代の後半の頃にはすでに千年を生きた吸血鬼を討ち滅ぼしたり、神凪一族に害を成そうとした組織、妖魔などを重悟と共にことごとく返り討ちにしたともある。

 

他には開放されれば日本を滅ぼしかねない伝説級の妖魔を単独で滅ぼしたとか、胡散臭いものまである。

ほかにも武勇伝は数知れず、炎術師としての経歴だけ見れば華々しく輝かしいものだ。

 

「あいつは化け物だからな。それぐらい、ありえるだろう」

「にひひ。さすがのマスターでも真正面からだと勝てないのでは?」

 

茶化すように言うウィル子に和麻はさらに機嫌を悪くしていく。

 

「俺があいつに勝てない? 四年前ならいざ知れず、今なら負けねぇよ。あんな奴には絶対にな」

 

その和麻の言葉にウィル子はあれっと首を傾げる。マスターである和麻の様子がいつもと少し違う。

いつもなら、こういう風に戦いの事を振ると実にいい笑顔で相手を嵌めて、悔しがらせる事を考えて言うのだが、今日に限ってまるで本当に真正面から戦う事を考えているようなそぶりだ。

いつもはウィル子同様、極悪非道の外道なやり方で相手を嵌めて二人で笑っていたのに、今日の和麻は本当におかしい。

 

「そうだ。今の俺ならあいつにも絶対に負けない。お前の協力が無くても、俺一人で十分倒せる」

 

また違和感を覚える。倒せると、和麻は言った。いつもなら殺すとか勝つとかそう言う表現をする。

今まで倒すと言う発言をウィル子は和麻から聞いた事が無い。

和麻とウィル子の共通認識として、基本相手を倒すという認識は無い。

彼らの勝利とは相手を殺す、滅ぼす、精神的にも社会的にも経済的にもボロボロにするという極悪非道のものだ。

 

倒すとは、殺さずに、それも単純な力押しで勝利を収める事。

ウィル子が知る限り、和麻は契約を結んで以降、敵対した相手には一度として容赦した事は無い。

一族郎党皆殺し……とまでは行かなくても、相手が色々な意味で再起不能になる程のことはしている。と言っても主に相手はアルマゲストの連中なのだが。

 

その彼がまるで単純に試合でもして勝ちたい、と言っているかのようにウィル子には聞こえた。

 

(……マスターもいろいろ複雑なのですね、きっと)

 

と結論付ける。前から神凪厳馬の話題になると、アルマゲストの話題とは違ったような反応を示していた。

これは憎いのでも殺したいのでもなく、ただ超えたいと言う感情だろう。十八年間、和麻の心を、否、神凪和麻と言う存在、全てを絶対的な力で支配していた。

それはまるで決して逃れる事のできない鎖のような呪縛だ。

 

和麻は四年で良くも悪くも変わり、ウィル子との出会いで心に余裕も戻っていた。

しかし未だに乗り越えられない、彼に纏わり付くいくつかの過去が存在した。

その過去の一つが神凪厳馬であり、神凪和麻と言うかつての自分。

十八年間と言う長い時間。和麻の生きてきた一生の時間の大半。

その中にいる厳馬と言う存在は、和麻から大切な人を奪った憎き怨敵とは別の位置に、それも遥か高みにいた。

 

ゆえに和麻自身、その呪縛から逃れたいだけではなく、その高みへとのぼり超えたいと、無意識に思っているのかもしれない。

和麻とウィル子は契約を結んだ事によりつながっている。ゆえにウィル子は和麻の感情を感じ取る事ができる。

もちろん、すべてを知る事はできないし思考を読む事などできない。そもそも一般人ならいざ知れず、和麻ほどの使い手なら心に鍵をかけて相手に読めないようにする事すら可能だ。

 

それでも和麻はウィル子にかつての恋人である翠鈴の次ぐらいに心を許しているため、こう言ったときに、彼女は彼の感情を感じ取る事ができる。

だからウィル子はこう言う。

 

「にひひひ。そうですね。電子世界の神になるウィル子のマスターが、高々精霊王の加護を受けただけの奴などに負けるはずがないのですよ。と言うか、負けることは許さないのですよ!」

 

ビシッと指を指しながら、笑顔で言い放つ。ウィル子の言葉に和麻は一瞬きょとんとするが、すぐに小さく笑みを浮かべる。

 

「当然だろ? 俺を誰だと思ってるんだ」

 

和麻は笑う。ウィル子に釣られて。ウィル子も笑う。マスターである和麻が笑うのに釣られて。

彼らの絆は、決して浅いものではないのだ。

 

と、そんな二人だったが、未だにパソコンからは声が流れてくる。再び聞き耳を立てると、それは丁度分家の当主が風牙衆を追及している場面だった。

 

「あーあ、風牙衆が容疑者にされたな」

「少しやりすぎたですかね。ウィル子も出来る限り風牙衆を悪く書かないようにしたり、書き込みも少なくはしたつもりだったのですが」

「それでも無理だろ。噂ってのは色々と尾ひれやら背びれやら付くもんだ。こうなったら止められないぞ」

 

手に持っていたコーヒーに口をつける。いい豆を使っているのか、市販のコーヒーに比べて格段にうまい。

 

「やっぱりコーヒーは高級品に限るな」

 

金持ちだからこんな贅沢も許される。お金があるっていいなと和麻は思いつつ、もう一口コーヒーを口に含み……。

 

『……和麻です』

 

パソコンから流れてくる声にピクリと若干反応し……。

 

『この件は、和麻が起こしたものです!』

 

「ぶうっ!」

「うわっ! 汚いのですよ、マスター! って、コーヒーがパソコンに!?」

 

飲んでいたコーヒーを思いっきり吐き出し、目の前においてあったパソコンに吹きかけてしまった。

和麻は噴出してしまった口を近くに置いてあったタオルでこする。ウィル子はウィル子でコーヒーで汚れたパソコンを必死に綺麗にしている。

 

「ひーん。ウィル子のお家が……。最高級のCPUとかメモリとか大容量のHDの入ったパソコンが……」

 

うううっと涙を流しながら、ウィル子はパソコンを綺麗にしているが、キーボードとかに入ったものはふき取れない。

仕方が無いので頑張ってコーヒーだけ01分解能で分解する事にした。これはこれでパソコンの中に入ったコーヒーだけを取り除くと言う神経をすり減らす細かく正確な制御が要求される。

 

そんな風にウィル子が四苦八苦している中、和麻はパソコンの向こうから聞こえる声に集中する。

 

「おいおい、何でバレてるんだよ……」

 

和麻のぼやきは、この盗聴器の向こうには決して届かないのだった。

 

 

 

 

「この件は和麻が起こしたものです!」

 

兵衛は口から出任せを言ったのだが、悲しいかなそれは大正解であった。

もしこの場に、事情をすべて知る人間がいれば、クイズ番組のごとく大正解! と彼を賞賛していただろう。

ただしここはテレビのクイズ番組の会場では決してなく、神凪一族の大広間なのだから正解の声など出るはずも無い。

 

「和麻、だと?」

 

その呟きは誰の物だったのだろうか。

だが兵衛はそんな声を無視して言葉を続ける。何とか彼はこの場を乗り越え、風牙衆への神凪一族の疑惑の目を逸らす必要があった。

 

それが本当か嘘かなど今はどうでもいい。

ただ彼らが納得すればいい。そうかもしれないと思えばいい。疑問を浮かべながらも、その可能性を思い浮かべるだけでいい。

 

重悟からはこれ以上の追求を行うなと厳命された。身近な風牙衆に対してならともかく、和麻に対して突撃するような馬鹿はしないだろう。

仮にしたとしても、それは処罰の対象になり自分達には一切の被害は無い。むしろさらに醜聞を広げたり、重悟からの厳罰を与える口実になる。

 

和麻を犯人に仕立て上げれば、ならなぜそれを防げなかったと言う声が上がっても、犯人として吊るし上げられる事に比べればマシだ。

だからこそ、兵衛は和麻を犯人に仕立て上げる事に躍起になった。

 

『皆の者。ワシに話をあわせよ。このままでは風牙衆は神凪の一部の者に蹂躙されかねない。和麻には悪いが、ここは我らのために犠牲になってもらう』

 

兵衛は風牙衆の一部、反乱を画策している者達に呼霊法と呼ばれる風を使った伝声法を使い、指示を出す。

 

「はい。我々が調べたところによりますと、今回の件は和麻が画策した模様。個人でこのような事ができるとは思えないかもしれませんが、和麻が何らかの組織に所属していれば可能。まだ調査中ですが、何らかの組織に接触した形跡があります」

 

当然嘘であるが、そんな物は適当にでっち上げればいい。情報を収集し、それを報告するのは風牙衆なのだ。神凪に渡す情報に嘘を混ぜ込めばいい。

 

「和麻は神凪の宗家の嫡男。四年前に出奔しておりますしが、当然神凪に精通しております。また神凪を恨む理由もございます。その理由は皆様も良くご存知のはず」

 

分家、宗家とも近くの者達と顔を見合わせる。そして確かに一理あると声を漏らす者もいる。

兵衛は内心ニヤリとした。いける。和麻を犯人に仕立てあげることは十分に可能。

 

「先日、綾乃様が大阪で妖魔と対決した際、和麻が風術師であると綾乃様の報告にもあります。風術師ならば情報収集はお手の物。個人では無理でも組織を使えば。それにまだ推測の段階ですが、和麻が連れていた少女が、そう言った事に特化している可能性もあります」

 

実はこれも正解だったりするのだが、当然これも口から出任せ。しかし適当に状況に無理の無いように作るには、そういった風な嘘を用いるしかない。

兵衛もまさか思いもしないだろう。組織云々は違うが、自分が言っていることが大半正解であるとは。

 

「だが兵衛よ。ならば何故和麻は綾乃の前に姿を現した? もし和麻が綾乃と接触しなければ、和麻の情報を得る事もできなかったであろう」

「まだ推測の域を出ないのでなんともわかりませぬ。綾乃様の近辺を調べていた際に本当に妖魔に襲われたのか、はたまた自作自演を行い、自分の無実の理由付けにしようとしていたか・・・・・・・」

 

むぅと重悟は両腕を組み、兵衛の言葉を考える。筋は通らないでもないが、どこか無理があるように思える。

だがこの場でそれは違うと言う証拠も無く、デマだと言い切ることもできない。

 

「和麻は神凪時代、炎術の扱い以外は優秀でありました。当然、様々な計略を巡らせる頭脳もあります。ですので……」

 

「……兵衛。調査の方は打ち切れ。これは宗主としての最後の命である」

 

しかし重悟はそれが真実であろうと嘘であろうと、どちらでも良かった。彼は兵衛に調査の打ち切りを命じた。

 

「宗主!?」

 

声を上げたのは大神雅行であった。彼としては神凪に歯向かった、裏切り者とでも言える和麻の調査を打ち切るなどありえないと思ったのだ。

 

「言ったはずだ。この件に関してこれ以上の追求は許さぬと。和麻がこの事件を起こしたのであっても無くても、罪を犯したのは我らだ。和麻はその不正を暴いたに過ぎぬ。どちらに非があるかは一目瞭然であろう」

 

はっきりと重悟は言い放った。

 

「和麻が我らを恨んでいる、いないの話ではない。そもそも不正と言う事が恥ずべき事であり、炎の精霊の加護を受け、人々を守る炎術師の一族にあってはならぬこと。これは良い機会なのだ。これ以上炎の精霊に恥ずべき行いをすべきではない」

 

重悟は仮に兵衛の言うとおり、和麻がこの件を起こした首謀者であろうとも、彼をどうこうするつもりは一切なかった。むしろ良くやったと褒めてやりたい。

確かにこれから神凪一族にとって長く辛い時代がやってくるかもしれないが、それは身から出た錆であり、和麻の責任ではない。

 

これを一つの区切りとして、誰に恥ずる事も無い神凪一族をもう一度作り上げればいい。

仕事が少なくとも、しばらく生活をしていくのに困らない金はある。

和麻が手をつけたのは神凪の裏金であり、重悟の知らない金である。神凪が正規に、きちんとした手法で手にした金には和麻とウィル子は一切手をつけていない。

 

ただしその気になればそれらも、一夜どころか一瞬ですべて奪えるのだが。

とにかく神凪にはあと十年は一族全員、つつましく生きていくくらいの貯蓄は十分にある。その間に汚名を返上すればいい。神凪の仕事の依頼が無くとも、人々を守る事はできる。

 

真面目に、人々のために影ながらにでも尽力していれば、また神凪の力を必要としてくれる人がきっと現れる。

少し楽観的かもしれないが、重悟はそう思う。無論、何も手をこまねいて他には何もしないと言うわけではない。

重悟も厳馬と共に色々とあちこちに顔を出し、必要ならば頭を下げる事も厭わない。

あまり厳馬が頭を下げる姿が想像できないのが、重悟としては頭の痛い話ではあるが。

 

「とにかく、先にも行ったとおりこれ以上の調査は打ち切る。お前達も和麻に対しての行動はどのような場合においても禁じる。よいな?」

 

その言葉に分家、宗家とも誰も一言も発言しない。宗主の地位を降りると先ほど明言したとは言え、それでも神凪一族の最高権力者には変わらない。

特に分家は腹の底では和麻に対して、これ以上無いほどの怒りを覚えていた。怒りと言うよりも憎悪と言ってもいいだろう。

しかし宗主の厳命には逆らえない。

 

人間とは抑圧されると、よりその感情は高まっていく。すでに神凪一族の大半の中で、和麻は容疑者ではなく、犯人扱いされていた。

特に逮捕者を多数出した分家である久我と四条。中でも次期当主と指名された久我透の怒りはハンパではなかった。

 

(和麻の野郎ぉぉっっ!!)

 

彼はかつて、和麻の幼少の際、和麻に対して炎でリンチを加えていた人物達のリーダーだった。

宗家の嫡男でありながら炎を一切操れず、また神凪一族なら誰もが生まれながらに、当たり前のように持つ炎の加護を持っていなかった。

ゆえに神凪一族ならば無害であるはずの炎であっても、和麻だけは焼かれてしまう。その様が面白かったのと、決して覆ることの無い宗家と分家の立場が唯一覆るその瞬間が、透の自尊心を何よりも満たした。

 

自分は強い。自分は選ばれた存在だと。

和麻も誰かにリンチを受けている事を話さず、その証拠である火傷も誰にも見せなかったこともあり、彼らの行為はエスカレートして行った。

十年ほど前のある日、和麻は一度彼らの炎に焼かれて死にかけた。生死の境を彷徨い、最高位の治癒魔術を施されながら、日常生活に戻るのに一月を要した。

これ以降、重悟がその行為に対して激怒して厳罰を下し、和麻に対して行為をやめさせるように命令した。

 

重悟はこの時、何故もっと早くに気がついてやれなかったのかと今でも後悔している。

それ以降、和麻の心が折れ、彼らから逃げた。逃げ続けた。もし出会っても恥じも外聞もなく相手に許しを請うた。

それも相まって、それ以降和麻に対するリンチはなくなった。

透もその和麻の姿を見るたびに、ちっぽけな自制心が満たされたこともあり、それ以上は何もしなかった。

変わりに影や公の場に関わらず、嘲笑、侮蔑、侮辱された事は数知れなかったのだが。

 

今まで下に見てきた相手に好き勝手された。それも透は父親を逮捕されている。完全な逆恨みだが、それでも彼は自分が正しく、和麻が間違っていると考えた。

 

(絶対にぶっ殺してやるっ!)

 

宗主の命があるが、バレなければいい。骨まで残さず焼き尽くしてやる。透は和麻を見つけて殺す事を決めた。

この恨みを、怒りを、何倍にもして返すと、心に決めた。

尤もそれは決して叶わない願いなのだが……。

 

「……話はこれにて終わる。以降、各自神凪の名と炎の精霊の力を借り受ける術者として、恥ずかしくない行いを努めるように。あと厳馬はここに残れ。引継ぎなどを含め話がある」

 

重悟の言葉でその場は解散となった。あとには重悟と厳馬のみが残された。

 

 

 

 

神凪一族の会話を盗聴している和麻とウィル子は何故風牙衆にバレたのかと、慌ててはいないものの驚きを隠せないでいた。

 

「……今回、ヘマしたか?」

「そんなはずは無いのです。今までどおり、隠蔽工作は完璧に行ってきたのですよ」

 

お互いに顔を見合わせる。彼らの行動は常に完璧だった。無論、神ならざる二人―――限りなく神に近いのだが―――なのだから、どこかでミスをしても仕方が無いが、こうも短時間にピンポイントで正体を突き止められるとは予想もしていなかった。

 

「だよな。俺も風の精霊にはきちんと頼んであるから、風で俺達を追う事なんて出来ないし、流也がいない今、こっちを捕捉する事なんて出来るはずが……」

 

だが和麻は言いかけて最悪の考えに思い至った。もし風牙衆の切り札がまだあるのならば。流也と同じ能力を持った存在が兵衛の手元にいたのなら。

 

「……今まで盗聴した会話から、それらしい物はなかったが、もしかすればこっちが気づいていないだけで、向こうは俺達の諜報の上を行ってるのか?」

 

まさかと思うが、ありえないとも言い切れない。和麻達は今まで以上に、会話に聞き耳を立てる。兵衛の言葉を聞き漏らさないように。

組織やら少し見当違いのことも言っているが、なんだかウィル子の能力に気がついているような発言もある。

 

「ま、マスター。これってもしかして、ウィル子の正体とか能力も知られてるのでしょうか?」

 

ウィル子の正体と能力の詳細を知るのは、この世界では和麻と本人であるウィル子のみ。それ以外には一切喋ってもいないし漏らしてもいない。

それに現在無敵を誇るウィル子の力も、その正体と能力を知られていないからである。

しかし正体と能力がわかれば、彼女に対抗する手段を用意する事も難しくは無い。

 

例を挙げれば衛星軌道上での核爆発。電磁波による電子機器への攻撃。如何に電子の精霊のウィル子でも猛烈な電磁波の影響を受ければ一時的に麻痺してしまう。

和麻と契約を結び、風の精霊からも力を貰い受けているので、消滅の危険は少ないだろうが、それでも大ダメージを受けるし、下手をすれば消滅してしまうかもしれない。

 

あとは詳細なデータを得れば、アンチウィルスを作成する事も可能。日々進化を続けるウィル子でも彼女専用の対策ソフトを作られれば、今までのように簡単に電子世界を掌握する事は出来ない。

 

「……ヤバイかもしれない。プチッと潰すか?」

 

和麻は風牙衆がどこまで知っているのか知らないが、秘密が広まる前に風牙衆を皆殺しにする事を考える。

 

もちろん、今すぐと言うわけではなく、今まで以上に風牙衆の動きを監視し、外部に漏らそうとする者を真っ先に消し、あとは風牙衆の中にあるかもしれない情報が記録されている報告書やデータを見つけ出し、それらを潰した後、事実を知るもの全員を始末する。

 

「情報を集めろ。一人残らずだ。街中の監視カメラや衛星からの監視システム、盗聴やらなんやら。アルマゲストにやった時と同じレベル……いや、それ以上でだ。俺も半径十キロを完全に支配権に置く。場所もここから都内に移動だ」

 

和麻達は風牙衆を捨て置くつもりだったが、兵衛の発言で危険レベルを引き上げた。すでに一度敵対している。それに流也のような存在を増やされても困る。

どのようにして流也をあのような化け物にしたのかは、まだ調べている途中だった。と言うよりも、別にもういないからどうでもいいかと言う風に放置していたのだ。

 

綾乃の誘拐に関しても、兵衛達の話を盗聴して知っていたが、その目的は会話の中に出てこなかったので知らない。だがここまできたのなら、それも知る必要がある。

 

「了解です。ウィル子も自分の身を守るためにがんばるのですよ」

 

兵衛はその場をしのぐための嘘を付いただけだったが、それが和麻達を本気にさせてしまった。

仮にそれが嘘であったと漏らしても、二人は止まらないだろう。なぜなら、すでに彼らのせいで、嘘は疑惑に変わってしまった。しかもそれが真実であり、事実であったのだから。

 

これを払拭するには、並大抵の事では無いだろう。

自ら蒔いた種とは言え、兵衛はとんでもないものを蒔いてしまった。

 

「……どうやら会議は終わったようですね。どうにも神凪重悟と神凪厳馬は残るみたいですが」

 

重悟が退室を促したのを聞き、ウィル子が言う。

 

「ああ。一応ここの声も流しとけ。この二人がどう動くかによって、神凪の対処も変わるからな。もちろん、兵衛の方が最優先だが……」

 

「わかったのですよ。今のところ、兵衛達は一族を集めて屋敷に戻るようなので、まだ会話らしきものはないですね。ですので、今の所ここの音声を流しておきますね」

 

和麻は頷くと、聞こえてくる重悟と厳馬の会話に耳を傾けた。

 

 

 

 

「さて、厳馬。宗主代行をよろしく頼む」

「はっ。ですが正直、私には荷が重すぎるかと。私も自分の分を理解しているつもりです」

「まああまり楽な仕事ではない上に、これからはもっと大変になるからな。だがそれでもお前にはしっかりとしてもらわねばならぬ。私の身体がこのようなものでなければ、もう少しやりようもあるが」

 

そう言って、重悟は己の右足を見る。金属とプラスチックで出来た作り物の足。四年前に事故で右足を失った。

それまでは一族最強であり、炎雷覇の使い手として名を馳せていた。しかし足を失って以降は退魔の仕事からは実質引退した。

 

作り物の足では戦うには限界がある。そこを狙われれば致命的だ。足をかばいながらではどうしても戦い方がぎこちなくなる。さらに言えば、事故の影響で彼の身体もずいぶんとダメージを受けていた。如何に最強の炎術師と言っても人間である事には変わらない。

 

肉体的強度が一般人よりも高くても、超人と呼ばれるような鋼の肉体などでは決して無いのだから。

 

「私は所詮戦えない身体だ。お前には宗主代行として前線で頑張ってもらわねばならない」

 

不正があったが、それでも神凪の力は健在だ。内外に知らしめなければならない。

炎雷覇を持っていても綾乃は未熟。分家も一流の術者が多数いるとは言え、それでも一流と呼べるのは分家のトップクラスのみ。しかも炎雷覇を持った綾乃一人にも及ばない。

 

宗家で戦えるのはあとは燎くらいだが、彼も四年前に謎の病を発症し最近まで床に伏せっていた。今はずいぶんと回復し、退魔の仕事もこなしてきたが綾乃に及ばず、煉にいたってはまだ十二歳と未熟。ちなみに燎の両親も以前に退魔の仕事で負傷しすでに引退している。

 

それでも他の一族に比べればかなりの戦力なのだが、やはり厳馬と言う切り札は大きい。

単純な戦闘では国内、いや世界においても厳馬を倒せる者はほとんどいないだろう。

 

厳馬がおり、前線でその力を振るうだけで、他の一族への牽制も出来る。その間に汚名を返上するように努めればいい。

逆に言い換えれば、厳馬に何かあればその時点で神凪はさらに窮地に陥るのだ。

 

「微力ながら神凪のために私の力を使わせていただきます」

「頼む。それと今回の件、兵衛は和麻だと言っていたがお前はどう思う?」

「……その件はすでに終わったのでは?」

「無論私とて蒸し返す気は無いが、もし和麻がしでかしたのなら逆にアッパレと言ってやりたいと思ってな」

 

重悟はやわらかい笑みを浮かべながら、厳馬に言う。しかし厳馬は相変わらず憮然としたままだった。

 

「……ご冗談を。精霊術師の力は世を歪める妖魔を討ち、理を守るためにある。奴がしたことは神凪の不正を暴いただけのことゆえ、どうこうするつもりは一切ありませんが、私には神凪の力に抗えぬ事に対するくだらない抵抗と復讐にしか見えません。仮に奴が今どこかで神凪の不正を暴いた事を誇らしげに思っているのであれば、決して間違いでは無いでしょう」

「厳馬。それは些か言いすぎではないか?」

「言い過ぎではなく、私は私の考えを述べているだけです。綾乃との共闘を聞き、四年で少しは成長したかと思いましたが……もしあれがこの件を起こし、少しでもいい気になっているようであれば、より失望したまでのこと」

 

厳馬はそう言い放つ。それを和麻が聞いているとも知らずに。

 

 

 

 

『もしあれがこの件を起こし、少しでもいい気になっているようであれば、より失望したまでのこと』

 

パソコンから流れる声に、和麻がピキリピキリとこめかみに大量の青筋を浮かべた。どす黒いオーラが彼の体からあふれ出していく。

 

「ま、マスター?」

 

ウィル子も恐ろしくなって恐る恐る和麻に声をかける。

 

「……ふざけんな」

 

小さく和麻は呟いた。

 

「ふざけんじゃねぇ!」

「ひぃっ!?」

 

いつもの彼らしくない、感情のまま荒ぶった怒声が室内に響き渡る。ウィル子もいきなりの和麻の声に小さな悲鳴を漏らす。

 

「失望だと!? 俺を捨てておいて、まるで期待してたみたいな言い方してんじゃねぇ!」

 

ドンと思わずテーブルを叩きつける。

はぁはぁと息を荒くして、和麻は己の内心を吐き出す。フラッシュバックしたかつての記憶。

四年前のあの日、自分を見下し無能者はいらないと言い放った日の事を。

 

あの日を思い出すと未だに記憶の中の古傷が疼く。彼の胸の中で決して癒えぬ傷。十八歳と言う大人になりきれていない少年にとって、家族と言う縋るべき存在から拒絶の言葉は心に深い傷を残すのには十分だった。

忘れたいはずなのに、決して忘れられない記憶。

あの日の光景が、あの男の言葉が、あの男の顔が、今でも鮮明に和麻の脳裏によみがえる。

和麻はそのまま乱暴に椅子に腰掛け、天井を見上げる。そして不意に笑い出す。

 

「くくく、くくくくく、ははははははっ!」

 

それを見たウィル子はマスターが壊れたと嘆きだした。

 

「いいぜ。そんなに痛い目を見たいんだったら、徹底的にやってやるよ」

 

すでに頭は冷えていた。今の彼は親に捨てられ、泣きじゃくる子供ではない。

良くも悪くも立派に成長した一人の男だった。

 

「予定変更だ、ウィル子。風牙衆の件と同時に神凪厳馬にも痛い目を見せる」

 

彼はウィル子に顔を向け、不敵な笑顔を浮かべた。

 

「おっ! なるほど。ではウィル子が神凪厳馬のクレジットカードやら銀行口座を潰せばいいのでね」

「いいや。今回はそう言ったもんは無しだ。……今回はある意味いい機会だと思ってな」

「へっ?」

「……久しぶりに、俺が直接やる」

「なんですと!?」

 

ウィル子が驚いた声を出す。彼らのいつものやり方は徹底的に相手を攻め立て、性も根も尽きたところで和麻が遠くから止めを刺すと言う物だった。

なのに今回は和麻が直接戦うと言うのだ。

 

「あのマスターが!? 卑怯な事が大好きで、自分で戦うよりも絡め手やら嵌め技とかが大好きで、相手が罠にかかってもがき苦しんでいるのを見るのが大好きなマスターが、バトルマニアのごとく自分で!?」

「やかましい」

「はうっ!」

 

ウィル子の言葉に和麻が思いっきり彼女の頭にチョップを繰り出す。ウィル子は涙目になり、自分の頭をさすっている。

 

「……俺らしくないって言うのは自分でも理解してる。単純な話、あいつを殺すだけなら簡単に済む。奇襲やら絡め手やらお前の協力があれば、多分すぐに片がつく」

 

だがそれではダメなのだ。それでは和麻が神凪厳馬を超えたかがわからない。

 

「殺すだけであいつを超えられるとは思えない。これはな、儀式なんだ。俺があいつを超えたかどうか。十八年間、俺のすべてを支配していたあいつよりも強くなったのかを確かめたいんだよ」

 

グッと拳を硬く握り締める。

四年ぶりにあの男の声を利いた瞬間から、ふつふつと心の中にそんな感情が浮かんだ。それが失望と言う言葉で爆発した。

 

彼も契約者としての力を手に入れていても、かなりの経験を積んでいても、まだ二十二歳の若造であり、青二才でしかないのだ。

感情に流されると言うことは愚かな事であると言うことは理解しているし、感情をコントロールする術は習得している。

いるのだが、それでも和麻は良くも悪くも人間なのだ。感情のすべてをコントロールしきれないのも無理ないことだ。

 

効率やら色々なことを考えれば、これは無駄であり面倒な事でしかない。

労力に対して、リターンが少ない。

これはただの自己満足でしかない。

本当に俺らしくないと和麻はぼやいている。面倒ごとが嫌いで、隠れてこそこそ暗躍して相手が泣きを見るのが好きなのに。

今も厳馬がそうやって泣きを見る姿を想像し、かなり楽しい光景が目に浮かんだが、それだけでは納得できなかった。

 

やるならばすべてだ。あの男が信じる物を、己の圧倒的強さへの自信をへし折り、その上でいつもの手を使う。

それでなければ、いつまでも自分はあの男の支配から抜け出せない。そう思えてしまう。

 

「だからな。ちょっとばかり面倒なことをする」

「そうですね。面倒は楽しむためにありますからね、マスター」

 

ウィル子もそんな和麻の内心を感じ取ったか、彼の考えに同意した。和麻もそんなウィル子の言葉に微笑を浮かべくしゃくしゃと彼女の頭を撫でる。

 

「ちょっ、マスター。髪の毛が滅茶苦茶になるのですよ!」

 

その照れ隠しのような行為にウィル子が声を上げてやめるようにせがむ。しかし和麻は逆にもっとワシワシと頭と髪の毛を撫で回す。

 

「マスター!」

 

涙目のウィル子の声が木霊し、和麻はそれを見て楽しそうに笑う。

 

「つうわけで、あいつらぶっ潰すぞ」

 

和麻達の攻撃が始まる。

 



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第九話

 

「和麻の野郎! あの無能者が! 絶対に許さねぇ!」

 

久我透は久我の屋敷で周辺の物に当り散らしていた。この男は当主になれたことを喜んでいない。

なぜなら当主の地位は、何もしなくても彼が自動的に手に入れられる物だったからだ。分家の跡取りとして、彼は久我の家でちやほやされて生きてきた。

 

分家には珍しく、彼は当主の一人息子で兄弟がいなかった。

術者の一族は一子相伝や一族内での後継者争いを避けると言った事を除き、基本的には何人もの子供をもうける。一人っ子と言う珍しい。

理由としては彼らの仕事は常に死と隣り合わせ。後継者や血筋を守り、一族を永らえさせるためには、保険の意味もかねて子供は多いほうがいいからだ。

 

分家の当主の子供で一人と言うのは久我の家だけだった。

その分、久我の当主の兄弟の家には子供が多かった。

そんな中、透は炎術師の才能があり、当主の一人息子と言う事でちらほやされて育ち、他の久我の者達から恐れられ、担ぎ上げられたことで有頂天となり、成長してもそれは変わらず、傲慢な人間へと成長した。

 

かつて和麻を炎でリンチしていた際、そのリーダー格で一番年上だったのが彼だ。傲慢で他者を踏みにじる歪んだ性格は、すでに十年以上前から形成されていた。次代を担う若手の分家の者のほとんどは透には逆らえなかった。

理由は幾つかある。次代を担う分家の若手の中で、透が一番体格が良く、炎の扱いも優れていたからだ。

 

同年代で彼よりも上となると、結城慎吾と大神武哉の現代の分家最強コンビぐらいで、彼らの次の三番手の位置にいたのだ。

そしてその性格。彼はやられたら何倍も割り増しで復讐する危険な性格だった。その恐怖もあり、彼は分家の慎吾や武哉を除いた何人もの分家の同年代や年下を取り巻きにしていた。

 

学校のいじめっ子と同じ理論だ。和麻をリンチしていた彼以外の少年少女も、彼が焼かれる様が面白かったのもあったが、その矛先が自分に向かってくるのが怖かったのだ。

自分が傷つくくらいなら他の誰かを差し出す。積極的に和麻を助けようとする者がいなかったのもこれに当たる。

炎に焼かれることは無いが、誰も好き好んでいじめやリンチを受けたいとは思わないだろう。その矛先を、自分に向けられたいとは思わないだろう。

 

ただでさえ透は体格も良く、体術も分家の中では優れていたのだ。大半の子供が彼に付き、その言葉に従っていたのも無理なからぬこと。

ただし、それが許されるかどうかは別の問題であるが。

また神凪一族の血を引いていたために、炎に焼かれると言うこと事態が、幼い子供には理解できなかった。

 

幼い子供が無邪気に虫の手足や羽をむしりとるのと同じだ。純粋であるがゆえにそれを忌避とは思わない。

炎と常にあり続ける神凪一族にとって、炎に焼かれると言うことはありえないことであり、その痛みも苦しみもわからない。

彼らの両親が、大人達が和麻を蔑み、見下していたからこそ、和麻に対してどこまでも残酷な仕打ちを行った。

 

透は思い出す。十年ほど前の出来事を。

あの時、和麻は透に反抗した。最初で最後の抵抗。それは確かに透に一矢報いた。ただしその返礼は、死ぬ一歩手前の炎による反撃だった。

あの時、もし大神の娘が止めに入らなければ和麻は間違いなく死んでいた。透が殺していただろう。

しかし透は思う。あの時殺して置けばよかったと。殺しておけば、今のこの状況は決して生まれなかっただろうと。

 

「あの野郎。俺がお情けで生かしてやったって言うのに、恩を仇で返しやがって」

 

目を血走らせ、透は怒りを振りまく。彼はプライドが人一倍高かった。

久我の当主の息子であり、次期当主であると言う事。炎術師として優れている言う事。

恵まれた体格、そこそこの頭、体術も分家では優秀な部類。炎術師としての力は、神凪一族の分家の中でも上位クラスの実力。

 

これだけ揃えば増長しても致し方ないだろう。

 

今では宗家や分家最強の術者である大神雅人、コンビを組めば宗家以外には負け無い言う、大神武哉と結城慎吾以外に彼と戦える炎術師は神凪にはいなかった。

透はすでに炎術師としては父を超え、分家でも一対一なら武哉や慎吾にも退けを取らない。

 

武哉と慎吾が凄いのは相性が良いのであり、現在の実力はほとんど拮抗していると言ってもいい。まあ雅人は分家の中では別格ではあるが。

 

「この俺が絶対に殺してやる・・・・・・・・」

 

神凪一族の分家の久我と言うのはそれだけでブランドだった。退魔の仕事で神凪一族の名を出せば震え上がるし、分家でも一流の術者と認識される。

しかし今や久我の名は地に落ちた。依頼も久我の名を名乗るだけで断られる。

自尊心を激しく傷つけられた。この怒りは誰かにぶつけなければ収まりそうにも無い。

 

「殺してやるぞぉぉぉっっっ! 和麻ぁぁぁぁっ!!」

 

透の絶叫が屋敷に響き渡った。

 

 

 

 

東京某所にある高級ホテル。最上階のロイヤルスイート。和麻とウィル子はそこに移動してきていた。

風牙衆を徹底的に監視するに当たり、神凪から離れすぎている横浜よりも、本邸に近いここの方が何かと有利だった。

 

すでに危険レベルを高位に設定し、ありとあらゆる監視システムを用いて監視し、和麻も風の精霊の力を借り、徹底的に彼らの動きを把握していた。

パソコンも数台用意し、リアルタイムであちこちの光景を映し出す。

それを操作しているのはウィル子。彼女は慣れた手つきでカタカタと凄い勢いでキーボードを打ち込み、神凪、風牙を問わず彼らの動きを監視していた。

 

「神凪、風牙共に今のところ目だった動きは無いのですが、風牙衆は水面下でこっちを探していますし、神凪の分家は少し暴発しそうな勢いですね」

 

ウィル子が現状の報告をしながら、さらに詳細なデータを集める。いざと言う時のために、神凪の表の資金も含めて、彼らにサイバー攻撃を行う準備はしている。

ウィル子が本気でサイバーテロを画策すれば、それこそ短時間でアメリカを傾けさせられる。和麻と共に行動を起こせば、冗談でもなんでもなくアメリカを潰せるのだ。

 

和麻の力とウィル子の力。ウィル子のサイバー攻撃で通信機構を含めたライフラインの遮断。衛星を経由すれば、同時多発的にアメリカの主要都市の機能を麻痺させられる。

そこに和麻がホワイトハウスを強襲。大統領を含めた要人を暗殺。

あとはアメリカに反感を持つテロリストを煽動して破壊活動を起こさせれば終了。間違いなく第三次世界大戦が勃発するだろうが、これで終わりだ。

 

神凪を潰すのもウィル子と和麻が本気を出せば簡単なのだ。

まずは銀行口座の資金を奪う。もしここで現金や現物で金目のものが存在しても、電子世界ではなく現実世界にあるものならば和麻が見つけさせる。それを根こそぎ奪い取り、一文無しにする。

仮に売り払っても、金を銀行経由で取引すれば即座に奪えるし、現金での取引だと隙を付いて奪えばいい。

 

あとは金融会社のパソコンをいじって神凪一族を宗家、分家問わずブラックリストに登録。これで金を借りる事も出来ない。

他にも神凪に融資するであろうところへサイバー攻撃を仕掛け、そこの資金も奪う。

これで終わりだ。打つ手など無い。神凪の名が地に落ちている今、また貸しなどしてくれるはずもなく、資金の調達も出来ない。

 

食べ物を買う事も出来ず、のたれ死ぬのを待つだけ。よしんば何らかの食い物にありつけても今までどおりには行かず、そんな生活に追い込まれたら、とてもではないがかつてのような精神的余裕を持てるはずもなく、意識が散漫する。そこへ和麻が攻撃を仕掛ければ、防げるはずもなく簡単に命を奪える。

 

アルマゲストにも使った手法であり、現代人にはこれ以上無いほど凶悪で強烈な攻撃だった。

この手の手法の場合、首謀者を取り押さえてしまえば終わりなのだが、和麻の場合風術師であり隠密性と機動力に優れ、腕っ節も世界最高峰のため取り押さえることも出来ない。

 

頭も良く、悪知恵も働き、風で相手の動きをすべて察知する。

もしウィル子のパートナーが炎術師などならば、まだ付け入る隙は十分にあるが、情報収集能力に優れた和麻の場合、それすら生まれない。

十キロ四方を探れる相手からどうやって身を隠せばいい。本気になれば魔術を使っても使わなくても見つけられてしまうのだ。近づく事すら出来ない。

 

「分家の馬鹿は監視をしつつも放っておけ。あいつらには俺を見つけられないし、そんな連中が束になってかかってきても返り討ちだ。それにあいつらが俺を見つけようと思ったら風牙衆を使うしかない。だから優先順位は相変わらず風牙衆だ」

 

重悟に和麻への行動はやめるように厳命されている。しかし分家は止まらないだろう。だが炎術師の神凪が和麻を探し出す事は不可能だ。

所詮彼らは戦うしか能が無い集団。姿を認識してからしか、彼らの強みは無い。

そうなると彼らは他の存在を使うしかないが、体外的に子飼いの集団以外を使うのはタブー。どこから情報が漏れるかわからないし、下手な事をすれば宗主にバレるだけではなく余計に醜聞を広げかねない。

 

それに今の神凪では足元を見られる。他にも余計な憶測を呼びかねない。

まあ分家の馬鹿がそこまで考えているのかは甚だ疑問ではあるが。

ならば使えるのは風牙衆しかない。風牙衆も自分達から調べるのでは問題だが、分家に命令されたと言うのなら言い訳も立つ。

 

兵衛は和麻達を犯人に仕立て上げるために、また分家の憎悪が自分達に向かないためにも和麻を探していた。

風牙衆も神凪の分家の馬鹿の行動パターンは読めていたので、和麻の居場所さえわかれば勝手に突撃してくれると思っていた。

 

基本、和麻がどうなろうが良かった。神凪から逃げてくれても、神凪に殺されても。

ただ理想は和麻が逃げ延びて、余計に神凪の立場を悪くしてもらう方がいいので、情報をリークして和麻を逃がすつもりはしていた。

 

そうすればあとに残るのは宗主の命を破った事と、内部告発したことを逆恨みして、暴力的行為に及んだと言う汚名。

うまくすればさらに分家から逮捕者を出せるし、神凪一族からの除名も望める。そこまで行かなくても、神凪や社会的な立場はさらに低いものになるだろう。

そうしてくれれば、自分達へきつく当たる連中も少なくなる。風牙衆はそう考えている。

 

「風牙衆的には神凪にはつぶれて貰いたいだろうからな。この時点で、俺が逃亡資金を奪ってなかったら、たぶん姿を消してただろうよ」

「そうですね。今の神凪にはもうほとんど力は残っていません。もちろん戦う力は十分でしょうが社会的地位やらコネやら重要な物はごっそりと消えましたからね」

「ああ。そういう意味じゃ、先代は……もう先々代か。頼通のじいさんは稀有な存在だったな。普通に風牙衆が逃げても、頼通のじいさんがいれば政府やら財界やら警察上層部を使って、風牙衆を追えただろうからな」

 

だからこそ、風牙衆は逃げられなかった。神凪のパイプは太すぎた。政財界やらそこから派生する警察上層部との繋がり。それらがあるだけで、この国どころか世界の主要国に逃げようとも、風牙衆として活動していれば見つける事は難しくなかった。

だからこそ、風牙衆は現状に甘んじていた。

 

「けど今はそれもないと」

「くっくっくっ。俺達が全部ぶっ壊したからな。その頼通含め、政財界につながりの深い長老は全部逮捕。政財界のお偉いさんも今はブタ箱行き。いや、本当に風牙衆も残念だったよな。流也が俺にちょっかいかけなきゃ、今頃ウハウハだったろうに」

「いやいや。そもそも流也がちょっかいをかけてこなかったら、マスターは政財界へのちょっかいはなかったでしょうに」

「ああ、そう言えばそうだな」

 

知ってはいたが白々しく和麻は言い放つ。

 

「ちなみに逃亡資金を返してやるつもりは?」

「何で返す必要がある? あれは慰謝料だろ。そもそも精霊術師の癖に妖魔と契約を結ぶのが悪いし、俺に喧嘩を売ったのが悪い」

「ですよー。あのお金はウィル子達が有効活用してあげましょう」

 

ふふふ、にひひと極悪な笑みを浮かべながら二人は笑う。

 

「で、風牙衆に居場所をリークするのですか?」

「お前、ここを戦場にしたいのか?」

 

ウィル子の言葉に、和麻は聞き返す。彼としては正面から戦うと言ったのは神凪厳馬のみ。他の分家の相手をくそ真面目にしてやるつもりなど和麻にはさらさらなかった。

 

「いえいえ。確認をしただけですよ。マスターだったら、神凪の分家の連中を殺すのなんて朝飯前ですよね?」

「朝飯前どころか、俺にとって分家全員を殺すのなんて、片手間もかからないんだぞ。だからこいつらには俺達が楽しめるような痛い目を見てもらおう」

 

和麻はもう神凪を恨んでいない。彼はすでに八神和麻であり神凪和麻ではないのだ。

彼としてみれば十八年間の記憶は屈辱的なものでしか無いが、だからと言って今更同じようにやり返して連中と同じところにまで落ちるつもりはなかった。

なかったのだが、向かってくるなら話しは別であり、今はあの頃以上に極悪非道になったのだ。

 

そう、リンチなどはしない。いたぶられたからと言って、より強い力でいたぶり返すつもりは無い。

今の自分達には、それ以上に凄惨でえげつなく、非道なやり方があるのだから。

 

「にひひひ。マスターは本当に外道なのですね。そこに痺れる憧れる!」

「くくく。そんなに褒めるなよ。と言うわけでプランはこうで、ああで、そうだ」

 

和麻はウィル子に作戦を伝える。一応、向こうがこっちにちょっかいを出すまでは待つつもりだ。自分から仕掛けては正当防衛が成り立たないし、こっちが悪者にされてしまう。

 

「いやー、楽しみなのですよ、マスター」

「俺もだ。分家の馬鹿はどんな風に踊ってくれるのか、実に楽しみだ。ふふふ、ふははははは」

「にほほ。にはは。にほははははははは・・・・・・・」

 

神凪と風牙衆は実に哀れだっただろう。

相手がこの二人でなければ。もしくはこのどちらかであったのなら、普通以上の悲惨な目にはあわなかっただろう。

 

しかしこの二人は風の精霊王と契約を結んだ契約者でありながら、極悪非道で自己中で軽薄で他人を省みない最低男と、電子の精霊で神の雛形なのに超愉快型極悪感染ウィルスで人命よりも食欲を優先すると言う極悪娘。混ぜるな危険の言葉どおりの二人組みなのである。

 

「では厳馬への対処はその後に?」

「ああ。先に厳馬を倒して分家が行動しにくくなったら嫌だろ? あいつらにはきちんと踊ってもらわないと。ただし風牙衆の対処はこっちから積極的にだ。情報を知ってそうな、または口走った奴を拉致って体と頭に直接聞く」

「うーん。ウィル子はあんまり拷問は好きじゃないのですよ。精神的にならともかく、肉体的苦痛を与えるのは、見ていて気持ちいいものではないので」

 

今まで一度も殺しを行っていないウィル子にしてみれば、それにつながりかねない肉体的拷問はあまり気持ちのいいものではなかった。

 

「心配するな。俺も身体をいたぶるってのは趣味じゃないからな。頭に直接聞く道具とか薬を使って穏便に済ませてやる」

 

それが穏便かどうかは別問題なのだが、彼らにしてみればまだ穏便だろう。

 

「ただし情報を知ってたら殺るぞ。情報の漏洩が命に関わることもある。まだヴェルンハルトも残ってるし、それ以外には気づかれないようにしてたって言っても、どこで俺達に恨みを持ってる奴と遭遇するかわからないんだからな」

「そうですね。自分の身が一番可愛いと言うのは当然のこと。それに先に仕掛けてきたのは風牙衆なのですから、同情の余地は無いですね」

 

先に手を出してきたのは向こうだと、二人は言う。もし風牙衆も彼らに関わらなければ、こんな目にあわなかっただろうに。

そして元を正せば、風牙衆が反乱を画策するまでに冷遇していた神凪にまで行き着く。

想像される神凪と風牙の未来は……真っ暗なのだった。

 

 

 

 

「……はぁ」

 

神凪綾乃は神凪の敷地内にある道場で、木刀を流れるような動作で振るった後、深いため息を尽いた。理由は様々。今の神凪の現状とか、これからの次期宗主としての事とか、和麻のことか。

 

「……やっぱりあたし達のこと恨んでたのかな」

 

大阪で巻き込まれてからしばらくは怒り心頭だったのだが、神凪の不祥事が発覚して少し冷静な目で彼を見るようにしてから、何故かその怒りが薄らいで言った。

それでもまだセクハラした事を許したわけではないが、当初に比べれば一発殴ればそれで気が済むと言うレベルにまで落ち着いていた。

 

それよりも驚いたのが神凪の一員が次々に逮捕されたことだろう。自分の祖父である頼通の逮捕の知らせも驚いたが、それ以外にも十人も逮捕者が出た事が驚きだ。

数が多いといっても、総勢で五十余名しかいない神凪一族の全員を綾乃は当然記憶している。和麻はすでにどうでもいい連中を忘却の彼方に放り投げたが、次期宗主の綾乃はそんなわけにも行かない。

 

良く知る、仲がいいとか言うほどのものでもなかったが、このニュースはショッキングすぎた。

この事件を起こしたのは和麻だと言う話しだ。あの時は敵意なんて物を感じなかったが、心の内にどんな思いがあったのか、綾乃には察せられない。

 

「ていうか、神凪があれだけ不祥事起こしてたって言うのも驚きだし、それを暴いたのがあの和麻だなんて、もっと信じられない」

 

一族の不正もそうだが、それを暴いたのがあのいけ好かない男。和麻の行為自体を綾乃は否定的には見ていない。むしろ肯定的に見ているし、凄いなと思った。

どう言った目的だったのかはわからない。神凪への復讐が目的だったのか、それとも不正が許せなかったのか……。

 

「……ありえないわね。不正が許せない正義感の強い男だったら、あたしを巻き込んだりしないし、終わったらすぐに姿を隠すなんてしないわ」

 

思い出してその可能性をすぐに否定する。どう考えても誠実とは正反対の男にしか思えない。とすれば復讐で神凪の不正を暴き、一族の名を貶める事が目的。

 

「はぁ……。でも元々神凪が悪い事してたのが問題なのよね」

 

自分も次期宗主として、こういう事も学んでいかなければならないと父に言われた。知らなかったのでは済まされない。一族の長ならば、すべてを把握しておかなければいけない。

 

「……あたしも頑張らなくちゃ」

 

仕事のキャンセルが多いとは聞いたが、それでもゼロになったわけではない。神凪クラスでなければならない相手と言うのも、決していないわけではない。

それに政財界以外にも神凪によくしてくれている人はそれなりにいる。そう言った人達に対して感謝して、誠心誠意仕事を行う。

 

信用と信頼の回復に近道は無い。地道な事を積み上げていく以外に、神凪がこれから復活していく道は無い。

風評被害は恐ろしいが、それでもそれでもう二度と再建できないわけではないのだ。現実にもある有名食品メーカーの偽装問題などもその会社がその事を詫び、二度とそのようなことが起きないように心を入れ替え頑張っていけば、それまでの評価や固定客のリピートで持ち直すと言う事は実際にあることだ。

 

「はぁっ!」

 

もう一度剣を振るう。何千回、何万回と続けてきた動作。完成された一つの動き。踊るように、舞うように、綾乃は動く。

と、綾乃は不意に自分を見る視線に気がつく。

 

「あれ。煉に燎に美琴じゃない」

 

入り口の方を見ると、そこには三人の人物が立っていた。

一番背と年齢が低い、彼女の弟分である煉。その横に立つのは、同じく宗家の一員である一つ年下の眼鏡をかけた少年――神凪燎と彼の付き人で少し前までは自分の付き人をしてくれていた風牙衆の一人である風巻美琴であった。

 

「あっ、姉様ごめんなさい。せっかく集中していたところを」

「別にいいわよ、煉。それよりどうしたの? 珍しい組み合わせじゃない」

「俺と美琴は鍛錬のためにここに来たんです。煉君とはそこでばったり会って。綾乃様こそ鍛錬ですか?」

 

代表して燎が説明を行った。彼は神凪一族の中でも綾乃に次ぐ使い手だった。四年前の軽傷の儀にも参加の予定であった程だ。もっともそれは彼が謎の病気を発症させた事で不可能であったのだが。

 

「ふーん。美琴も鍛錬?」

「はい。燎様にお付き合いをお願いしまして。私も少しでも神凪一族のお役に立ちたくて」

「そうなんだ。あっ、じゃあ久しぶりにあたしが相手してあげるわ。燎、武器持って」

「えっ!? ちょ、綾乃様!?」

「煉も一緒でいいわよ。煉も鍛錬するでしょ?」

「ね、姉様!?」

 

狼狽する燎と煉。二人は一応の宗家だが病み上がりと未熟者のコンビでは、神凪三番手の実力者である綾乃と戦う事は少々難しい。

 

「大丈夫よ。なんだったら美琴も一緒でいいわ。あたしももっと強くならないとダメなんだから、これくらいしないと。稽古付けてくれるのって雅人おじ様くらいしかいなし、厳馬おじ様はあんまり頼める雰囲気じゃないから・・・・・・・」

 

父である重悟も事故の影響もあり、綾乃も無理を言えない。本人は鍛錬やリハビリを続け、かつての力を取り戻そうとしているが、現状では多方面への交渉などもあり、厳馬や雅人、分家の顔が利く者達を連れて奔走しているゆえに、頼める相手がいないのだ。

 

その点、この二人なら宗家の人間だし、同時に相手をすれば綾乃とでも拮抗できるだろう。

しかしそれを相手する当人達にはたまった物ではない。

 

「ほら、早くしなさい。燎も強くなりたいんでしょ? 大丈夫よ、炎雷覇は使わないから」

「当たり前だ! 炎雷覇を使われたら、俺なんてあっさり負けるでしょうが!」

 

思わず口調がいつもに戻る燎。一応は目上で次期宗主でもある綾乃には丁寧な言葉を使うように気を使っていたが、思わず突っ込んでしまった。

 

「いいからいいから。ほら、木刀。あんた確か二刀流だったわよね? 自分の回復具合も知りたいでしょ? ほら、ファイトファイト」

「燎様、ファイトです!」

「み、美琴まで……。うぉぉっ! こうなったらやけだ! やってやるぅっ!」

「りょ、燎兄様……。わかりました。僕も頑張ります!」

 

燎がやけくそに叫びながら、少し短めの木刀をそれぞれの手に持つと、それに釣られて気合を入れる煉。

 

「あっ、美琴はちょっと下がってて。危ないから」

 

その姿に満足そうに頷く綾乃は美琴に避難を促した。心配な表情を浮かべる美琴だったが、綾乃の言う事には逆らえず、後ろに下がる。

 

「じゃあ始めましょうか」

 

こうして宗家の鍛錬が始まる……。

否、一方的な展開になった。

残念な事に二人がかりでも綾乃には勝てなかった。

燎もセンスはいいし、剣の腕も中々で炎も十分にすばらしかったが、病気で四年間を無駄にしたこともあり、煉よりは上であったが綾乃には遠く及ばない。煉も煉でまだ体術も未熟であり、炎も力だけのお粗末な物でしかなかったので綾乃には通じなかった。

しかし綾乃も何度も二人がかりの攻撃でひやりとしたり、それなりに善戦できた事は評価できるだろう。

 

「ふぅ。お疲れ様」

「……お、お疲れ様です」

「……もうダメです」

「二人ともだらしが無いわね」

 

汗を拭う綾乃と、地面に大の字に倒れている燎と煉。二人ともぜぇぜぇと荒い息を切らしながら、何とか呼吸を落ち着けようとする。

 

「二人とも体力無いわよ」

「無茶言わないでください。俺はようやく体力が戻ってきたところで、煉君はまだ十二歳じゃないですか」

 

と言うか綾乃様は体力馬鹿なのかと小さく呟く。

 

「聞こえてるわよ」

 

いい笑顔を浮かべる綾乃にひぃっと小さな悲鳴を漏らす。

 

「あ、綾乃様。もうそのくらいで。はい、タオルです。燎様と煉様もどうぞ」

 

美琴は気を利かせて、冷たいタオルを人数分用意していた。それをそれぞれに渡す。

 

「ありがとう、美琴。はぁ、美琴が付き人だと本当に助かるのにね。燎、今からでもいいから美琴を私の付き人にさせてくれない?」

 

「なっ! ダメだ! 美琴は俺の付き人なんだから!」

 

ガバッと起き上がって断固抗議する燎に綾乃も冗談よと言い返す。

 

「はぁ。私も同年代の付き人が欲しいわね。風牙衆の熟練の人もいいけど、やっぱり同姓で話が合うってのは大切よね」

「風牙衆には同年代の人がほとんどいませんからね。私の兄も病気で今もどこか遠くで療養中とのことですから」

「流也か。俺もよくしてもらったと言うか病気仲間みたいな物だったからな」

 

美琴の言葉に燎もしみじみと呟く。ここ一年は会っていないが、少しは病気がよくなったのかなと心配している。

 

「そう。美琴、お兄さんが早くよくなるといいわね」

「ありがとうございます。綾乃様」

 

しかし彼女達は知らない。流也がすでに死んでいることを。彼は妖魔の力をその身に宿し、綾乃と和麻に消滅させられた事を。

綾乃は流也の顔を覚えていない。ほとんどあった記憶もなく、妖気に取り憑かれほとんどかつてと雰囲気が変わりすぎていたから。

そして彼らは知らない。平和な日常の裏で、ある計画が動いている事を。

 

 

 

 

「……そうか。和麻の居場所がわかったか」

「はい。調べたところ、あの少女と一緒に都内のビジネスホテルの一室に宿泊している事が判明しました。今も監視は続けていますが、彼らはホテルから出る様子はありません」

 

風牙衆の屋敷では、部下の報告を兵衛が受けていた。和麻の居場所がわかったと言うのは、兵衛の中では一番の朗報だった。これで時間が稼げる。

 

「わかった。それで、分家の連中の動きは?」

「久我透が幾人かの子飼いを動かそうとしております。久我はほとんどが。結城と大神は静観を決め込み、四条は現在どう動くか判断に困っている様子」

「なるほど。分家もそこまで馬鹿ではないか。久我は次期当主の透が動くために他も嫌々ながらに協力と言った所か」

「ええ。本当に彼に賛同しているのは一人か二人でしょう。残りは嫌々といったところ。結城と大神は当主が自分達の家系の動きを止めています。下手に動いて先代宗主の機嫌を損ねるのを嫌ったのでしょう。ですが久我の動きを止めようともしていません。心情的には協力したいのでしょう」

「やはり狡猾な連中だ。久我の青二才とは違うな。奴らも我々が犯人に仕立て上げた和麻に何らかの報復はしたいが、自分達へのリスクやデメリットを考えて手を出せない。しかし久我が勝手にする分にはいい。もし何かあっても責任は久我にあり、万が一に自分達に飛び火するような場合も考え、おそらくすべての責任を宗主代行である厳馬に押し付ける気であろう。厳馬は分家の当主には嫌われているからな」

 

兵衛は結城慎一郎と大神雅行の思惑を、おおよそながらに推測した。久我の小僧を利用し、和麻を排除し、その後は自分達が好き勝手して権力を伸ばすつもりだろう。

今事を起こせば神凪にも被害が及ぶかもしれないが、そこは久我にすべてを押し付け、宗主代行である厳馬にその責任をすべて擦り付けるつもりであろう。

だが下手にこれ以上神凪の名を貶めればどうなるか。彼らはわかっていないのだろうか?

 

「しかし今神凪が不祥事を起こせば、余計に窮地に陥ると言うのに、分家は何を考えているのでしょうか?」

「考えているさ。おそらくすべての責任を久我と宗主代行である厳馬に押し付けて、自分達の安泰を図ろうとしているのだ」

 

兵衛は語る。大神と結城の思惑を。

彼らは久我を切り捨てるつもりだ。確かに分家の中のつながりは強固な物だが、それでもわが身が可愛い。自分の家系が大切である。

少しでも自分達が生き残る可能性をあげたいのだ。

 

「今回の不正では神凪一族全体が吊るし上げられた。しかし大神と結城からは逮捕者が出ていない。ここで奴らが久我が馬鹿なことをしたことを、体外的にアピールする形で弾劾すればどうじゃ? 神凪にもまだ良心は残っている。我々は決して不正を許さず、それを主導した者を許さない。そして和麻に何かあった場合、なくても奴を担ぎ上げ自分達の正当性をアピールする。やつらの理想は和麻が久我になぶり殺しにされることであろう。そこから先はお涙頂戴劇だ」

 

白々しく、彼らはこう言うだろう。我々は不正を暴き、神凪の未来を憂いた宗家の嫡男の思いに報いるため、生まれ変わる事をここに誓う。だから力を貸して欲しいと。

責任は厳馬に取らせればいい。そうなれば宗主の地位は空白だが、綾乃がいる。あとは摂政のような形で、彼らは綾乃を傀儡のごとく動かすつもりだろう。

 

厳馬も宗主代行の地位を剥奪させるだけで、術者として終わるわけでは無いから神凪の戦力も減らない。また和麻が厳馬の息子である事も重要。

神凪の不正を正したが、無念の死を遂げた息子の父親とでもなればいい。同情も集まり、比較的早く神凪の再建が出来るかもしれない。

 

「とにかく、和麻が犯人と言うのは我らにとって都合がいいだけではなく、分家にとって見てもこの状況を打開するのにはうってつけの相手だったのだ」

「はぁ、なるほど。しかし分家もよく考えますね、そんな事」

「まあこれはワシの推測に過ぎないがな。もしこれが外れていて、単純に何も考えず和麻が憎いと言うだけで久我の暴走を止めないようであれば、連中は本当に馬鹿であろう」

「確かに。しかし和麻はたまった物ではないですな」

「いたし方あるまい。我らも生き残るためじゃ。それよりも我らの計画だ。隠し資金の方は回収の目処が立っていない。犯人もわからずじまい」

「はい。方々に手を尽くしてはいるものの、何の進展の・・・・・・・」

 

他の部下からの報告に沈黙が部屋を支配する。重々しい空気が流れる。

 

「……もう良い。調査は引き続き行え。それに神凪も今のまま行けばまだ衰退の可能性は高い。じゃが、やはり切り札が必要か」

 

流也を失った今、風牙衆に切り札は無い。戦力はお寒い限りなのだ。

 

「……予備を使う。あれはこんな時のための器として用意してきた」

「しかし…よろしいのですか?」

「よい。ワシはすでに流也を堕としたのだ。今更罪が増えようと構わぬ。風牙衆の未来のために、風巻の血が途絶えようとも。風牙衆さえ存続すればよい」

 

彼は自らの血筋が耐える事を悔しく思うが、それでも風牙衆がこのまま冷遇され続けるのは我慢なら無い。それに直系が死に絶えるだけで、傍系や彼らの知識や技術は残る。

風牙衆が、風巻が完全に消滅することは無い。そして消滅するよりもいい。

 

「……ワシはこれより美琴を連れて京都に向かう。他のものは引き続き八神和麻と神凪一族の監視を頼む」

 

こうして兵衛も動き出す。

それが破滅への道を加速させているとは気付かずに。

 

 

 

 

登場作品

風の聖痕 RPGリプレイ 深淵の水流

 

紹介(公式サイトより)

神凪燎(かんなぎりょう)

年齢十五歳。

退魔師の名門、神凪家に生まれ、一族の秘宝“炎雷覇”の継承者候補になった少年。だが重病により脱落。挫折による心の傷を受けた。大切な時に動けなかった事に引け目を感じ、その反動で力に執着する傾向がある。

 

 

風巻美琴(かぜまきみこと)

年齢十五歳

神凪家に仕える風牙衆の一員で長である兵衛の娘。幼少の頃、妖魔を宿す“器”として改造されたという秘密を持つ。そのことを燎に知られることを恐れている。



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第十話

 

「和麻の野郎。待ってやがれ。これから生まれてきた事を後悔させてやるからな」

 

ぎらついた目で危ない言葉を口にするのは、久我透であった。

彼は風牙衆に命令して、和麻の居場所を秘密裏に探らせていた。

風牙衆の長である兵衛は透に一応、形だけは重悟の命でそれをするのはと多少言葉を濁しながら言ったが、当然透は聞き入れなかった。

 

「うるせぇんだよ、風牙衆ごときが! てめぇらは俺の言う事を聞いてりゃいいんだよ。先代宗主や宗主代行にはバレないようにしろ。こそこそするのは得意だろうが!」

 

と、予想通りの返事が返って来た。兵衛としてもこんな馬鹿にはさっさと退場してもらいたかったので、言われるままに和麻の情報を集め渡すと約束した。

そして二日ほど経ち、ようやく風牙衆が和麻を発見した。その知らせを聞いてすぐ、透は手下を五人ほど引き連れて和麻の下へと向かった。

 

「和麻の野郎。すぐには殺さねぇ。まずは手足を燃やしてから、その後たっぷりと

後悔させて、一週間くらいかけてじわじわと殺してやる」

 

言っていることは完全に狂人の物であり、千年もの長きに渡り、この日本と言う国を守護してきた集団の一員が述べていいセリフでは断じてなかった。

 

「お前らはあいつが逃げ出さないように気をつけてろ。燃やすのは俺がやる」

 

和麻の宿泊しているビジネスホテルに向かう車。そこに同乗している五人の手下に透は告げる。彼らは三人が久我の血縁で残りが四条の者だった。

四条としてはあまり協力はしたくは無いが、透の頼みと言うよりも半ば強制だった。

 

寄らば大樹の陰のように、四条は残念な事に透の言葉に乗ってしまった。彼らとしても当主を逮捕される要因を作った和麻を逆恨みしていたからだ。

後のことなど考えていない。と言うよりも透が大丈夫と言うだけで彼らは安心していた。考えないようにしていた。

 

ちなみにここに風牙衆は同行していない。周囲で一応見張りをしているが、透達はそれを知らない。風牙衆も自分達へのとばっちりを恐れたからだ。

今は一応三人ほどが監視を行い、万が一の際に和麻への連絡を行い彼に逃げるよう促す予定だ。

 

「……ダメです。携帯電話につながりません。電源を切っているようで」

 

風牙衆の一人がリーダーの男に報告を行う。

 

「不味いな。呼霊法での呼びかけはこちらの正体を知られかねないからできないし……」

 

最悪の展開が思い浮かぶ。いや、それも予想される一つの結果であるゆえに驚きもしない。

 

「仕方があるまい。こちらも下手な事をするわけにはいかない。監視を続け、もしもの場合は……」

 

だが彼らはそれ以降、言葉を続けられなかった。不意に甘い香りがしたかと思えば、彼らは意識を手放した。

ドサリと監視を続けていたビルの屋上に倒れる彼らの背後には、焚いたお香のようなものを持つ、八神和麻が立っていた。

 

「監視ご苦労さん。しばらくはいい夢でも見てろよ。次に起きたら、適当な記憶をでっち上げておいてやるから」

 

以前に手に入れたマジックアイテム。裏の業界を知る和麻はこういったアイテムをかなり保有している。

と言うよりもこういったアイテムを売る商人の場合、よほど昔からある老舗の何百年も生きているような奴以外は、積極的にインターネットを活用している。

 

尤も最近の爺さんは現代社会にかぶれて、結構若い連中よりもハイテクを使いこなすパワフルな奴も増えているのだが、それもごく一部だ。

また代が変わればそれはより顕著だ。彼らも物品や情報の収集を常にしなければならない。インターネットは何よりも有効な情報源だ。

 

和麻はウィル子経由でこう言った商店からアイテムを購入し、手元においている。万が一の事態や何かに使えると判断したものを、今まで手に入れた金を使い集めた。またはアルマゲストの連中からもかなりの数を奪い去った。

彼らは西洋ではかなりの規模を誇る集団。その上位の者達が昔から収集しているアイテムの数は半端ではない。

 

和麻とウィル子は片っ端からそれらを奪い去り、いらないものやあまり貴重で無い物は早々に売り払い大金を手にした。

このお香もそう言った過程で手に入れた一つだ。

 

これは密閉空間でしか効果が無いのだが、風術師である和麻なら野外でも風の結界を形成して、擬似的な密閉空間を作り出せる。

さらに風術師の頂点に君臨する男であるため、同じ風術師ではその風を感知する事さえも出来ないのだ。

 

「さてと。ギャラリーはいても良かったんだが、風牙衆にこっちの情報を与えてやるつもりは無いからな」

 

和麻は監視がついている事に気がついて、どうしたものかと考えた。流也クラスがいたのなら、正直ヤバイ。下手に手を出さないほうがいいか、それとも積極的に攻めるのがいいか。

 

考えた末に、罠にかけることを決めた。相手のタネは理解した。今も周囲一キロを完全に浄化の風を用いて支配化においている。もし妖気を纏った存在がここに侵入すれば、たちどころに感知できる。

 

風牙衆に流也のような存在がいなければそれで良し。いるようならばここで潰す。

しかし和麻はおそらくいないだろうと考えている。理由は風牙衆に動きが一切無いからだ。

現状、神凪は混乱している。未だに厳馬は健在とは言え、そんな存在がいれば即座に行動に出るはずだ。

 

いや、逆にこちらの動きを気にして行動に出れないでいるのだろうか。

とにかく、このままずるずる主導権を握られるのは我慢なら無い。ならばこちらから攻めるまで。

 

「それはともかく、手間をかけてやったんだ。せいぜい楽しませてくれよ?」

 

和麻は自分達が泊まっていると思い込んでいるビジネスホテルに向かう透達を見ながら、実にいい顔で笑うのだった。

 

 

 

 

車はビジネスホテルの前に止まった。都内の寂れた古い建物が並ぶ一角。そこには今にもつぶれそうなホテルが立っていた。

看板は傾き、建物のあちこちにはひびが入っていたり、外装が剥がれ落ちていたりと本当にボロい。人が泊まれるのかどうかも疑わしいと言うか、本当に営業しているのかと思うくらい寂れている。

 

「ここか。けっ、あいつらしい所に泊まってやがる」

 

透は鼻息を荒くして車から降りると、仲間を引き連れぞろぞろとホテルの中へと入っていく。

 

「いらっしゃいませなのですよ♪」

 

受付もぼろく、従業員は一人しかいないようだった。見た目、中学生くらいの女の子だろうか。白い制服と帽子をかぶった少女。満面の笑みで彼女は透達を出迎える。

 

「お客様、ご宿泊ですか?」

「違げぇよ。ここに神凪和麻って奴が泊まってるだろ? あいつの部屋を教えろ」

 

普通ならこんな口調で聞かれたら、怪しく思ってプライバシーやら何やらで教えないものだが、少女は笑顔で和麻が泊まっている部屋を教えた。

 

「そちらでしたら、四階の四号室なのですよ。あちらのエレベーターから行けますので」

「そうか。おい、行くぞ。あと、お前ら二人は表と裏を見張っとけ。あいつが逃げないようにな」

 

礼も述べずに、透は仲間に命令を出す。和麻を逃がさず捕まえるために、見張りを立たせる。

そして透自身は残る三人を連れてエレベーターで上へと昇っていく。

 

「にひひひ。ごゆっくりどうぞ」

 

受付嬢―――ウィル子は笑う。彼らもよく聞けばわかっただろう。ホテルなどで四号室や九号室などは不吉であるため、欠番になっていることが多い。

四階四号室など不吉でしかない。そう、不吉な部屋なのだ。

誰にとってかなど決まっている。

しばらく後、悲鳴がホテル内に木霊し、炎がホテルを包んだ。

 

 

 

 

「………」

「………」

 

重悟と厳馬は頭を抱えていた。いや、彼だけではない。神凪の分家と残った当主が集まり、新聞を開き、さらには報告書に目を通し顔面蒼白になっていた。

新聞のテレビ欄の裏にデカデカと載る白昼のホテル火災の記事。火の気はなく、放火の可能性もあるとの見出しだ。

 

「もう一度、お前の口から聞かせてくれるか、兵衛」

「はっ、ご報告させていただきます」

 

重悟に促され、兵衛は風牙衆が調べた今回の事件の内容を報告する。

久我透含め、六人の術者は重悟の厳命に背き、和麻に接触しようとした。さらにあろうことかホテル内で炎を使用し、運悪くガスか何かに引火。大爆発を起こしホテルを炎上させた。

 

その原因を作った久我透達は爆発と炎に巻き込まれ外に放り出されたらしい。久我透と他三名は、四階から落ちて、全身を激しく叩きつけられ足を複雑骨折。爆発の衝撃で身体もボロボロ。

 

普通なら死ぬのだが、彼らは死ななかった。曲がりなりにも神凪の炎術師でそれなりに気も扱えて一般人よりもかなり身体を鍛えていたからだろう。他にも炎の精霊の加護により、ある程度の炎は彼らを害する事が出来ないので、焼死することはなかった。ただし爆発や落下の衝撃は別である。

 

彼らは死ななかったが、ある意味死んだ方がマシだったかもしれない。

さらには爆発の衝撃で衣服が破れたのか、下半身を露出させ道端に倒れていたらしい。

 

そこを通行人―――不幸な事に警察関係者で特殊資料室に目を付けられていた刑事課志望の不幸な警官の青年―――に見つかり、連行された。ほかにも何人もの野次馬にその格好を見られてしまった。

 

その様子に噂では男数人で連れ立って、アレな行為に及ぼうとしていたのではないかと言う噂まで立っている。一応同性愛と言うものは広まりつつあるが、それでも世間の目は厳しい。

外で見張りをしていた二人も、爆発で飛んできた瓦礫で大怪我を負ったらしい。

 

一応は全員、入院しなければならないほどの重傷なので病院に搬送されたが、放火などの容疑もかけられ回復した後は警察の事情聴取を受け、その後は裁判ののち、刑務所行きだろう。。

さらに回復したとしても、久我透達四人の足はもう二度と元には戻らず、普通に歩くことすら困難であると言う診断が出ていた。

 

また一流の治癒魔術をかけ続けたとしても、何とか日常生活を送る程度しか回復しないという。

だが久我家にはそんな治療費を出す事は出来ない。なぜなら、久我の資金はもうすでに無いのだから。

 

「しかし久我が代々貯めていた資金をまさか、透が株で大損させていたとは……」

 

久我は当主である透のために優秀な治癒魔術の使える術者と連絡を取り、依頼を行おうとしたのだが、久我が代々貯めていた資産はほとんど残っていなかった。

これは透名義で大量の株が購入されていたのだ。しかもそのほとんどの会社が倒産していたり、民事再生法を申請したりとほとんど全部の株券が紙くずに変わってしまったのだ。

 

これを聞いた透はそんなもの知らないと言っていたが、彼のパソコンにはその証拠が残っており、銀行のほうにもきちんと契約がなされていた。

彼の話など誰も信じない。

 

「すでに久我には資金は残っておりません。それどころか久我の一党が普通に生活をしていくのも下手をすれば困難かと」

 

兵衛の重悟は表情を険しくする。

 

「治療費はこちらで出そう。ただし、通常の医療行為以上の支援はせん」

 

重悟はきっぱりと言い放つ。今回の件はさすがに温厚な重悟を激怒させるには十分だった。

 

「はい。また久我透を含め残る四人には厳しい処分を。特に久我透は神凪一族から除名し、追放処分を行うのが適切でしょう」

 

厳馬も重い口を開き、処分の内容を提案する。さすがにこれは収まりつかない。神凪に名を連ねる人間がこんな事件を起こしたなど、不正など問題にならないほどの大事件だ。

 

「いたし方あるまい。だがこれでまた神凪の名は地に落ちるどころか、地に潜るほどになってしまった」

 

重悟は腕を組み、目を閉じる。

新しいかまど出を迎えようと思っていた矢先にこの事件である。まだ救いは新聞やニュースで透達の名前が出ていない事だろう。

どこかの誰かが手を回したらしく、彼らの名前は放送されていない。だが裏社会では神凪一族の人間がこの事件を起こしたともっぱらの噂であった。

 

「とにかくもう一度一族全員を集める。お前達もこれ以上神凪の名を貶める真似をせぬよう、またさせぬように心がけよ」

 

全員を見渡し、重悟は言う。この事態は、さすがに分家の当主達や長老達は予想もしていなかったと言うか出来なかった。

透が和麻に復讐をしようと動いていた事は知っていたし、それを放置していた。それを重悟にはもちろん言っていないし、言えるはずも無い。

 

だがどう転んでも、和麻が透に殺されて終わりだと思った。仮に和麻が逃げ出して、また醜聞を広げても、自分達がそれを糾弾して終わりだと安易に考えていた。

しかしこうもあからさまに事件が明るみに出て、透達が逮捕されたのでは話しも変わってくる。

 

「それに和麻だ。ここまでのことをした手前、私が一度謝罪に出向くべきだろう。兵衛、和麻の居場所はわかるか?」

 

和麻の遺体が発見されなかったことから、彼が生きていると言うことはわかっていた。

 

「いえ。あのホテルから姿をくらまし、そのまま足取りは掴めておりません。おそらくはこちらに対してかなりの敵対心を抱いているゆえかと」

「……当然と言うべきか。ここまでされれば、和麻もこちらを敵と認識しても仕方が無いか。これ以上、下手に刺激するのもよくは無いか・・・・・・」

 

一度直接会って謝罪したかったが、それも出来ないとは。

 

「兵衛。これ以上、和麻に関わる事を禁じる。分家もわかったな。次に命を破れば、私も容赦はせぬ」

 

ごくりと息を飲む分家の当主達。神凪はより一層の窮地に立たされる。

だがこれはまだほんの始まりに過ぎなかった。

 

 

 

 

「いやー、中々に笑わせてもらえましたね、マスター」

「そうだな。金と手間かけた甲斐があったわ」

 

拠点である都内の高級ホテルに戻ったウィル子と和麻は祝杯を挙げていた。

パソコンから流れる透達の醜態を肴に、彼らは笑い声を上げる。

和麻とウィル子はかけなくていい手間をかけて、彼らを嵌めた。金、物、時間をかけただけあって、中々に面白い結果に終わってくれた。

 

「オンボロホテルを破格値で買い取って、色々と設置しましたからね。それにものの見事に引っかかってくれましたね」

「基本、あいつら頭で考えるより、身体が先だからな。考えるな感じろって名言を悪い意味で体現している奴らだからあんなのにも引っかかる」

 

透達に何があったのか。簡単に言えば、ウィル子の電子技術と和麻の風術による罠に嵌り、自爆しただけである。

エレベーターに乗った時点で、彼らの不幸は始まっていた。

エレベーターは途中で停止。電気は消え、中の温度は上昇。一応炎を操る炎術師だが、温度を高めるだけならともかく、空調温度を下げることは出来ない。それはどちらかと言うと風術師の領分である。

 

さらにはエレベーターがありえない速度で上昇、そして落下。遊園地のアトラクションかと思われるくらいである。

中に乗っている人間にとっては恐怖であろう。ただ身体が浮き上がる速度まで出なかったのは幸いだろう。

 

そしてそこから開放されてたどり着いた四階。そこでも突然の奇襲があった。

目の前に突然現れる巨大な化け物。エレベーターでパニックになりかけていたところにこれである。

 

思わず彼らは炎を放ってしまった。それはホテル内のあちこちに仕掛けた映像投影機で映し出されたもの。

連中も制御が出来ているだろうが、突然、目の前に妖魔が姿を見せれば咄嗟の反応で反撃してしまう。そこに妖気があるか、無いかなど関係ない。

 

人間とは視覚情報に惑わされやすい。風術師などならともかく、炎術師には視覚情報が自らの情報源の大半を占める。

命の危険がある退魔の現場では、突発的な出現も多く、無意識に彼らは炎を喚んでしまう。

 

そして反撃。しかし相手は映像であり、そこに存在するはずが無い。

炎は化け物を通り抜け、向こう側の壁に激突。壁が燃え上がり、轟々と炎が吹き上がる。

ヤバイと彼らは思い、何とか炎を散らそうとする。炎を操る炎術師なら、それも可能である。

 

しかしそれを許さない者がいた。映像装置から流される妖魔や化け物姿。さらには和麻の姿も一緒になって映し出される。しかも彼らを嘲り笑うような笑顔を浮かべ、周囲から笑い声の音声を流すというおまけつきで。

彼らは平静な状態ではなかった。そこにこの和麻の挑発である。またしても周囲に炎を放ってしまう。

 

それが致命傷。四階の物置に“何故”か置かれていた大量のプロパンガスの大型タンクに炎が直撃。そこからは語るまでも無い。

大爆発である。

一応、和麻が風で死なないようにはしてやったが、再起不能にはなった。いっそ殺してやったほうが、彼らのためであっただろう。

 

「そしてたまたま通りかかった警察が半裸の透達を発見と。いや、術者としても社会的にも死んだな」

「そうですね。電子カルテを見ますと、日常生活を送るのも困難なほどだとか。しかも久我の資金は透が株で大損させてますから、治癒系の術者を雇う余裕も無いと」

「神凪もそんな馬鹿のために、治癒系の術者を自分の懐から大金を出して雇うはずも無いからな」

 

にひひ、くくくと笑う二人。言うまでもなく、株で大損させたのはこの二人だ。

この場合、奪うよりもたちが悪い。

 

「そしてビルには多額の保険もかけておりましたし、神凪にも損害賠償を求める用意もしてあります。こちらは弁護士が勝手にやってくれるから問題ありませんね」

「しかも雇ったのは優秀な弁護士だからな。つぎ込んだ資金も回収できるどころか、それ以上になって返って来るし、あの土地も売り払えばそれなりの金になるからな」

「本当に笑いが止まりませんね~」

 

うはははは、にほほほと彼らは笑う。本当に笑いが止まらない。

 

「ああ、あと。マスター。久我透が半裸で道端に転がっていた映像なのですが、ウィル子の手違いでネットに流出してしまったのですよ」

 

ニッコリと笑いながら、ウィル子は和麻に言った。

 

「おいおい。手違いってお前。なんかあいつに恨みがあったのか?」

「いえいえ。ウィル子が個人的に腹が立ったので。何でも以前マスターを半殺しにしたらしいじゃないですか。ですので、マスターが許してもウィル子が許さないというノリでばら撒きました」

 

その言葉に和麻は呆れながらも、心の中では少しウィル子の言葉を嬉しく思っていた。

自分を気にかけてくれる、心配してくれる誰かがいるのがこんなにも嬉しいとは。

和麻は表情を和らげながら、コーヒーを飲む。

 

「そうか。まあ手違いじゃ仕方が無いな。ご苦労さん」

「にひひひ」

「さて、これで分家の連中も大人しくなるだろうな。で、風牙衆の動きは?」

「今の所動きは無いですね。ただ兵衛が娘の美琴を連れて京都に行こうとしているようですが」

「京都だぁ?」

 

ウィル子の言葉に和麻が聞き返す。この時期に京都に行って何があるのだ。

 

「ウィル子に聞かれてもわからないのですよ。一応調べてはいるのですが、まだ情報が少なすぎて……」

「適当に事情知ってそうな奴を拉致るか? つうか兵衛を拉致っちまえば楽か」

「物騒な物言いですね、マスター。まあでもマスターなら簡単にできると言うところが恐ろしい」

「そりゃ風術師が相手なら、よっぽどの例外が無い限りは俺の敵じゃねぇよ。あの流也にはビビッたが。ところで兵衛が京都に向かうのはいつだ?」

「ええと、色々と忙しいみたいなので五日後の日曜日ですね。娘の休みもそこしかないみたいで」

 

ウィル子は飛行機やら電車やらの予約情報を調べながら答える。

 

「なるほど。よし、それまでに厳馬との方をつけるか。あいつを呼び出してボコる」

「了解です。神凪の分家もしばらくは大人しいでしょうし、風牙衆も今のこの状況だとこっちを調べる必要も無いでしょうからね。しかしあの神凪厳馬が挑発に乗るでしょうか? 堅物の上に、今の状況だと下手に動けないのでこちらの話しに乗ってくるとは思えないのですが」

「……いや、あいつは絶対に乗ってくる。つうか乗せる。挑発なら得意だからな。あいつに電話して、一発でこっちに来るように仕向けてやる」

 

敵愾心を顕にし、和麻は携帯電話に手を伸ばす。彼はすでに神凪一族の全員の携帯番号を入手していた。

だだし、かけるのは使い捨ての携帯である。

自分の物とここの場所が特定される固定電話で厳馬と電話するつもりはなかった。

 

「じゃあ少し挑発してくる」

 

ピッピッピッと厳馬の携帯電話の番号を押して、彼は電話を耳につける。

しばらくのコールの後、相手は電話を取った。

 

『……誰だ』

「俺だ」

 

ここに四年ぶりになる親子の会話が始まった。

 

 

 

 

厳馬は一人、自室で瞑想を行っていた。神凪の不祥事が立て続けに起こり、軒並み逮捕やら入院やらで消えうせた。

彼が信じる神凪と言う存在はその根本から崩れ去ろうとしていた。

 

だがそれでも自分は強くあらねばならない。誰よりも、何よりも。もう神凪を守れるのは自分しか無い。また選ぶ道などこれしかない。他の生き方など出来ないし、するつもりもない。

強固で頑なな意思。

それが厳馬の強さでもあり、弱点でもあった。

 

不意に携帯が震える。マナーモードにしていたため、音は流れていないが着信のようだ。

長い時間、携帯が震える。

留守番電話にも設定しておらず、コールされ続ければ向こうが切るまで止まらない。

 

厳馬は瞑想を一時中断し、携帯電話を手に取る。非通知からの着信。

訝しげに思いながらも、厳馬は電話を取った。

なぜかこの電話には出なければならない。そう思ってしまったから。

厳馬は通話ボタンを押し、耳に当てた。

 

「……誰だ」

『俺だ』

 

聞こえてきたのは、四年ぶりに聞く声。厳馬は相手を知っている。忘れるはずも無い。

 

「……和麻か」

 

自らが四年前に一族より追放した実の息子。それが電話の向こうにいる。

 

『正解だ。なんだよ、つまらねぇな。俺だよ、俺って言ってやるつもりだったんだがな』

「……何の用だ」

 

厳馬はどこまでも憮然と言い放った。彼としては和麻と関わる気は無かった。

 

『つれねぇな。いやいや、神凪から大量の逮捕者が出たんで、あんたも大変だなって思ってな』

「……それだけか? 私も暇ではない。くだらない話だけならば切るぞ」

『おっと。待てよ。まだ用件は終わっちゃいない。本題はこれからだ』

 

和麻は一呼吸置くと、自らの言いたいことを述べる。

 

『ちょっと俺とサシでやりあってもらいたいと思ってな』

「なに?」

 

厳馬は息子の言葉に若干、驚きを隠せなかった。

 

『俺が風術師になったってことは知ってるだろ。で、結構強くなったんだよ。そう……あんた以上にな』

 

自信満々に言い放つ和麻に、厳馬は顔をしかめさせる。

 

『神凪はもうボロボロだ。今なら俺一人でも十分潰せる。それに久我の馬鹿が暴走したからな。この業界じゃ正当防衛も成り立つ』

「神凪と正面からことを構えるつもりか?」

『正義は我にありってな。でもそうされるとあんたも困るだろ? だからさ、相手をしてくれよ、神凪厳馬さんよ』

 

挑発。それは理解している。この話しに簡単に乗るようではダメだ。今の自分は宗主代行。迂闊な行動は出来ない。

それにこれこそ、和麻の罠かも知れない。おめおめと出向いて、罠に嵌り更なる醜聞を広めかねない。

 

『なんだよ、警戒してるのか? まあ仕方が無いか。でもいいのか? あんたが出向かないんだったら、こう言う情報を流すぜ。神凪厳馬は敵との直接対決を恐れて尻尾を巻いたって。神凪最強の術者が逃げちゃお話にもならないだろ?』

 

ピキリと厳馬もこめかみに青筋を浮かべる。

二人は良く似ていた。無論、すべてが似ているのではなく、その一部だが。お互いに頑固なのだ。しかも唯一といっていいほど、双方共に挑発に耐えられない相手。

厳馬も和麻に挑発されれば逃げるわけには行かないし、和麻も厳馬相手だと逃げるわけには行かない。

だからこそ、この勝負は成り立つのだ。

 

『はらわたが煮えくり返ってるんじゃないか。こんな事をしでかした俺を殺したいと思ってるんだろ? 俺に対して失望したんだろ?』

 

失望、と言う言葉が耳に残った。何故それを知っていると言う疑問が頭をよぎる。

しかし今重要な事はそんなことでは無い。

 

『乗ってこいよ、神凪厳馬。俺はな、あんたをこの手でぶちのめしたいんだよ』

「……いいだろう。身の程と言うものを教えてやる。貴様の天狗になった鼻先をへし折るには丁度いい」

『くくく。期待してるぜ。時間は今夜十二時。場所は港の見える丘公園。フランス山で待っている。ああ、ついでに仲間を大勢連れてきてもらっても俺は一向に構わないぜ』

「愚か者が。お前など私一人で十分だ」

『じゃあまた後で』

 

プッと電話が切れる。厳馬はそれを置きなおすと、一度息を大きく吸う。

 

「私に勝てると思っているのか、馬鹿者が」

 

そう呟いた厳馬の顔は若干、嬉しそうであった。

 

 

 

 

「じゃあまた後で」

 

携帯を切った和麻は、そのまま携帯を放り投げ近くにあったコーヒーカップに手を伸ばす。

その時、和麻は自分の手が小刻みに震えているのに気がついた。

 

「武者震いですか、マスター?」

「ああ。たぶん怖いんだろうな。これから神凪最強……いや、世界でも多分十本の指に入るであろう戦闘者と真正面から戦おうって言うんだ。武者震いくらいするさ」

 

和麻は自分が強いとは思っていても、最強とは当然思っていないし、戦いにおいて状況次第では格下にも負けるということを理解している。

勝負に絶対など無いのだ。それこそ真の強者は雫ほどの可能性から勝利を掴むのだ。

 

「だけど逃げない。負けない。俺は勝って弱かった神凪和麻と神凪と言う呪縛から決別する」

 

震える拳を握り締める。恐怖を、過去を。様々なものを乗り越えるために、和麻は厳馬と戦うのだ。

 

「悪いが夜まで一眠りする。適当な時間に起こしてくれ」

「了解なのですよ、マスター」

 

和麻はベッドに倒れこむと、そのまま寝息を立てる。

 

 

 

夜が来る。

風と炎が激突する、壮絶な戦いの夜が。

 

 



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第十一話

 

「マスター、マスター」

和麻はベッドの上で自分を呼ぶ声に意識を呼び戻された。ゆっくりとまぶたを開けると、そこには良く見知った顔があった。

 

「……時間か、ウィル子」

「はいなのですよ。決闘の五時間前。ここから身体を調整していけば、ベストコンディションで望めますよ」

 

ウィル子の言葉にベッドから起き上がり軽く身体を伸ばす。

 

「……軽く飯食ったら出かける。お前は付いて来るな」

「……了解なのですよ、マスター。ウィル子はここでマスターの無事を祈ってるのですよ。あっ、もちろん祝賀会の準備は進めておきますので。帰ってきたらシャンパンで祝杯ですね」

 

楽しそうに言うウィル子。彼女はすでに和麻が勝つと言う結末しか見えていない。

彼女も心配なのだろう。心配で心配で堪らないが、和麻を信じている。和麻の強さを。絶対に帰って来ると。

 

「ふっ、当然だろ? お前は豪華な食事と最高級のシャンパンを用意させとけ。俺が過去を乗り越える記念すべき日だから。金に糸目を付けるなよ?」

「にひひ。了解なのですよ、マスター! ではその前に軽くご飯ですね。もう準備はさせてます。身体に負担が少なくて、エネルギーになるものを」

「さすがは俺の従者だ」

「いや、せめてそこはパートナーとか相棒とか言って欲しかったのですが」

「俺がそんな事を素で言う奴に見えるか?」

「見えないですね」

 

即答である。ウィル子の言葉に和麻は笑みを浮かべ、ウィル子も笑う。

決戦まで、残り五時間。

 

 

 

 

「……」

 

和麻が目を覚ましたのと同時刻、厳馬は神凪の屋敷の中の一角、修練を行う庭先で座禅を組んでいた。

静かに、それでいて力強く。研ぎ澄まされた刃のごとく鋭い気。極限まで押さえ込んでいるゆえに、周囲には漏れていないが、もしこれを開放すれば数メートル範囲にいる一般人をたちどころに精神異常を起こさせることが出来る。

 

和麻との戦いを厳馬は舐めてかかるつもりはなかった。

様子見など考えていない。最初から本気で和麻と相対するつもりだった。厳馬は息子である和麻を放逐したが、誰よりも彼を理解しているつもりだった。

 

四年前、ただ泣くだけの、逃げるだけしか出来なかった少年が最強と称される炎術師に戦いを挑む。

普通なら愚かと言うべきだろう。神凪厳馬の力を知らない弱者が粋がっているだけ。

 

しかし厳馬はそう思わない。おそらく、和麻は本当に力をつけたのだろう。

綾乃との共闘を聞いたとき、重悟にはああ言ったものの、綾乃の手に負えない妖魔に一撃を与え、足止めをする程度は出来た事を考えるに、炎雷覇を持った綾乃よりも力をつけたと見るべきか。

 

いや、それも楽観的だろう。和麻は誰よりも己の弱さと神凪の炎の力を知っていた。

和麻は炎術の才はなかったが、それ以外は天才と言ってもいい。相手と自分の力量を測れないほど、有頂天になっているとも思えない。

 

(……実際に相対すればわかる)

 

和麻が向かってくるのならば、こちらも真っ向から向き合わねばならない。

 

「……そんなに気を張り詰めてどうした、厳馬。これから上級妖魔との戦いにでも出向くのか?」

「……宗主」

 

声が聞こえた方を見ると、そこには重悟が腕を組んで立っていた。

 

「もう宗主ではない。して、厳馬よ。それほどの気迫、私と継承の儀で戦った時と同じかそれ以上のものでは無いか。今、お前がそれほどまでに気を高ぶらせる相手がいるのか?」

「……」

 

重悟の問いに厳馬は何も答えない。

 

「……和麻か?」

「!?」

 

重悟の言葉に厳馬は珍しく驚いた顔をする。

 

「図星か。と言うよりも珍しいな。お前がそんな顔をするなど」

「……何故お気づきに?」

「気づきもする。お前がそこまで真剣に、本気で相手をしようと思う相手が世界中のどこにいる? 神凪の滅亡の際でもなく、ましてやかつての私と戦うわけでもない。ならば消去法しかあるまい?」

 

ふっと笑みを浮かべながら述べる重悟に厳馬は頭を下げる。

 

「お叱りは後でいくらでも受けます。厳命に背き、和麻と戦うなど背信として処罰されて当然のこと」

「そこまで硬くなる事もあるまいに。それで、今回は和麻からの申し入れか?」

「……はい。あれは天狗になっております。ゆえに私がその鼻をへし折ってやろうと」

「心にも無い事を言うな、厳馬よ。その程度の考えなら、お前がここまで集中する理由はあるまい。お前は、息子の成長を見たいのであろう」

 

重悟は薄々ながら気がついていた。厳馬が和麻を愛していた事を。本当に大切に思っていたことを。

 

「あの和麻がお前に戦いを挑む。四年前では考えられなかったことだ。それほどまでに強くなったのだろうな」

「おそらくは」

 

重悟の言葉に同意する厳馬の口調はどこか嬉しそうだった。

 

「嬉しそうだな、厳馬。しかし厳馬よ、何故四年前に和麻を手放した?」

「私は神凪の人間として生まれ、また生きてきました。外の世界を知らず、狭い箱庭の中のことしか知らぬゆえ、他の生き方を選べませんでした。息子にもまた、それ以外の道を示してやれませんでした」

「……お前も十年前の事件を未だに悔やんでおるのか」

「……悔やむなど。私には悔やむ資格すらありません」

 

十年前、和麻が瀕死の重傷をおった時、厳馬の態度は表面上は一切変わらなかった。しかしあれ以来、彼は何とか和麻を守ろうと必死だった。

方向性は間違っていたかもしれないが、和麻を強くして自分の身を守れるようにしようとした。

自分が守ってやればよかったのだろうが、和麻自信が強くならなければ意味が無い。親はいつまでも子供を守ってやれない。退魔に身を置く者はいつその命を落としても仕方が無いのだから。

 

「だから自分の手の届かないところに、か。好きな道を選ばせるために……。だがそれにしては乱暴すぎるだろ。何も身一つで放り出さなくても。野たれ死んだらどうする。と言うよりも恨まれ、憎まれても仕方が無いぞ」

「それで奴が生きる気力を得られるのなら、いくらでも憎まれ役を買いましょう。それと……私の息子はそれほどヤワではありません」

「あー、そうかい」

 

まったく。この頑固者がと重悟は思ったがそれ以上何も言わない。

 

「まあ和麻からの申し入れなら、断る必要も無い。ただまあ、勝っても負けても神凪としては最悪な展開だな」

「……一応、これはただの私闘と言う事で言質を取っておきます。ICレコーダーで私と和麻の会話を録音しておけば最悪の事態は避けられるでしょう」

「……少しは考えておったのだな」

「……もしや私が考えなしだと思っておられたのか」

 

いや、まあ、うーんと重悟は視線を逸らした。そんな重悟に厳馬は少し視線を険しくしてため息をつく。

 

「とにかく、今回の件は私としては逃げるわけには行きません。私自身、挑発された感はありますが、今回ばかりは……」

「よい。お前の好きにしろ、厳馬。もしここで戦いを避けても、おそらく和麻は納得すまい。他の手を講じてもお前との戦いを望むだろう。でなければお前に連絡をいれるはずもないだろうからな。だが厳馬。お前は和麻に勝てるのか?」

 

重悟の言葉に厳馬は真っ直ぐに重悟を見返す。言葉など要らない。厳馬の目が雄弁に語る。負けることなどありえない。勝つのは私だと。

 

「そうか。では言って来い。それと一つだけ。万が一負けても、命だけは失うなよ」

「……はい」

 

そして厳馬は向かう。和麻との対決の場所へ。

 

 

 

 

 

「……そろそろ時間だな」

 

時計を見ながら、和麻はホテルで呟く。食事も済み、身体もほぐした。体調は万全。気合も十分。

 

「じゃあ行って来る。お前は俺が帰って来るまで、適当にくつろいでろ。ああ、なんだったらそこら辺で適当なデータを食い漁っててもいいぞ。俺が許す」

「にひひひ。マスターの許しが出たので、ウィル子はしばらくの間お出かけをしてきますね。じゃあ、マスター、ファイトなのですよ! 負けることはこのウィル子が許しません!」

 

ビシッと親指を立てて声援を送るウィル子に、和麻は背を向けながらも同じように指を立てて返す。

ホテルの部屋の扉を開いて、和麻は対決の地に向かう。

そして閉められたドアの手前で、先ほどまでとは打って変わった心配そうな表情をウィル子は浮かべる。

 

「マスター。頑張ってくださいね」

 

唯一無二のマスターである和麻の勝利を、ウィル子は祈ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

和麻は公園の入り口にやってきて、その周辺の違和感に気づく。すでに結界が張られている。今の時刻は十一時半。約束の時間にはまだ早い。

和麻は早く来て周囲に結界を張り、人払いを行い、自分達が戦った際の余波を出来る限り押さえようと考えた。

 

控えめに言っても和麻と厳馬の戦いは怪獣の同士の戦いだ。冗談抜きでしゃれにならず、下手をすれば半径数キロは地形が変わるかもしれない。それにそんな戦いをすれば、途中で余計な介入を招きかねない。

それを避けるために和麻は結界を張ろうと考えたのだが……。

 

「ったく。来るのが早いんだよ」

 

山頂に意識を向けると、そこには気配を隠そうともしない、むしろ己の存在を誇示するかのように、まるで王者の風格を纏うかのような者がいる。

和麻は山頂に向かって一歩一歩進んでいく。まるでボクシングの世界チャンピオンに挑む挑戦者のように思える。

 

否、まさしくそうなのだ。

 

圧倒的にして絶対の頂点に君臨する炎術師の最高峰・神凪一族。その中でも現役最強の名を欲しいままにしている男に挑もうと言うのだ。

身体がまた震えだす。恐怖か、あるいは武者震いか。どちらかなどわからないし、どちらでも関係ない。

 

口元がかすかに歪む。恐怖ではない。これは歓喜。いよいよ自分はあの男を叩きのめせる。

心のどこかでこれは絶対に俺じゃないなと言う考えを浮かべながら、こんな風に熱くなれる自分がまだいたのかと驚きを隠せない。

 

和麻はゆっくりと相手の待つ広場に足を踏み入れる。相手はその中央に堂々と立っていた。

和麻の目に映る一人の男。四年ぶりに見る父であった男の顔。四年前と変わる事の無い男の姿がそこにはあった。

 

「よう、待たせたな。時間よりもずいぶんと早いじゃないか」

「ふん。わざわざ結界を張っておいてやった。これでお前も私も心おきなく全力を出せる」

「……へぇ、全力を出してくれるのかよ、俺ごときに」

「……今のお前を過小評価するつもりは無い。私に挑もうと考えるほどに成長したのならば、当然の措置だ。だが一つだけ確認しておく。この戦いは私とお前の私闘であり、神凪は関係ない。それで間違いないか」

「ああ、間違いないぜ。しっかりと胸ポケットにあるICレコーダーに録音しとけよ。俺が嘘付いた時のために」

 

和麻はニヤリと笑いながら答える。厳馬の言葉がどういう意味かを、和麻はすでに理解している。

 

「きちんと言質を取らしてやる。これは俺……八神和麻が神凪厳馬に戦いを挑んだ。他に一切の他意はない。で、いいか?」

「そうだな。ならば問題ない。これで私も心置きなくお前と戦える。……私の過大評価で終わってくれるなよ、和麻!」

 

厳馬の体から金色の炎が吹き上がる。綾乃の炎など比では無い、圧倒的な炎が厳馬の体から吹き上がる。

そして変化はそれだけでは無い。黄金の炎の色が変わる。金から透き通った蒼へと変わっていく。己の気を極限まで練り上げ、炎の精霊の力と合わせる。

 

神炎。

 

真に選び抜かれ、傑出した才能を持つものだけが習得できるとされる、黄金の炎を超える絶対無敵の力。

蒼炎の厳馬。神凪千年の歴史の中でも十一名。そしておよそ二百年ぶりに出現した神炎使いの二人のうちの片割れ。

 

(初っ端から神炎かよ!?)

 

さすがの和麻もこれは驚きだった。本気で相手をしてくれるのは嬉しかったが、さすがにこれは無い。

風術と炎術ではその力の差が大きすぎる。仮に厳馬と和麻の力量が同じでもその性質上、和麻が風で厳馬の炎に勝つには、厳馬の操る精霊の数倍の数の精霊を操らなければならない。

 

しかし厳馬は最高位の炎術師の一人であり蒼炎を操る存在なのだ。その彼の数倍の精霊を操るなど、はっきり言って無理である。

いや、不可能ではないのだが限りなく不可能に近くそれをすれば五分で倒れる。この男相手に、そんな無謀な戦いは出来ない。

 

(いや、この戦い自体が無謀ってもんだけどな。しかし聖痕“スティグマ”の開放をこの男が待っててくれるとは思えないし、これは隠しておきたいからな)

 

切り札中の切り札。現時点において世界中で和麻のみに許された絶対的な力。

しかし開放には時間もかかるため、実戦において簡単には使えない。

それに使うにしてもリスクが大きすぎる。

 

(けどそうも言ってられないよな……)

 

風術師が炎術師に勝つには、奇襲、あるいは相手が全力を出す前に倒すと言ったものしかない。

だがすでに厳馬は本気を出し、全力とも言うべき神炎まで展開している。

 

「初めて見るぜ。それがあんたの蒼炎か」

「そうだ。お前も見せてみろ。お前がこの四年で手に入れた力を。さもなくば……死ぬぞ」

 

ゾクリ!

 

和麻の身体が震える。殺気を放たれただけだと言うのに、身体を引き裂かれるかのような不快感が体を襲った。

 

(飲まれるな! 飲まれたら死ぬだけだ!)

 

激を飛ばし、身体に力を込める。四の五の言っていられない。

膨大な数の風の精霊を召喚し、周囲に集める。さらには厳馬と同じように自らの気を練り上げ、風の精霊の力を合わせる。

厳馬と同じように、周囲の風が無色から透き通るような蒼へと変化していく。

 

厳馬はその光景に驚きを隠せないでいた。和麻はまるで神炎のように風を蒼く染めたのだ。

もし神炎と同じものであるのなら、和麻は間違いなく自分と同じ領域に足を踏み込んでいる。知らず知らずのうちに厳馬にも笑みがこぼれる。

 

「勝負だ、神凪厳馬!」

 

和麻が声を発すると同時に蒼い風が刃となり、厳馬へと襲いかかる。しかし厳馬は風の刃を全身に纏った神炎で受け止める。

 

「ちっ!」

 

続けざまに刃を放つが、厳馬の身体を切り裂くことは無い。それどころか、全身に纏った神炎の表面に接触した瞬間、たちどころに焼き尽くされる。

 

(わかっちゃいたが、正面からだと辛いな。それに神炎を全身に纏わせるとか、最悪の戦闘スタイルだ)

 

炎術師は炎に対して耐性があり、また精霊王の加護を受けた神凪一族の血を引く者は、より高い耐火能力を有する。さらに高位の炎術師は指定したもの以外を燃やさない事も可能だ。

綾乃ならばこのように全身に炎を纏った瞬間、衣服は焼き尽くされるだろう。無論、退魔の際に着る可能な限りの呪的防御を施した制服ならある程度は耐えられるのだが、それでも限度がある。

 

しかし厳馬の着ている服は普通の服である。だが神炎に晒されても、燃えるどころかこげる様子すらない。

だからこそ、自らの服や荷物の心配をすることなく、最高の攻撃と防御を兼ね備えた鎧を身に纏う事が出来る。

 

これは人間の脆弱な防御力をカバーするには打って付けだ。生半可な攻撃では突破できず、常に展開さていれば接近戦を挑む事さえも困難。

また遠距離からの攻撃では途中で威力が落ちるか、または迎撃される可能性も高い。

どんな術者でも肉体は人間のものであり、人間をやめていなればほんの僅かな隙を突いて身体にダメージを与えることも出来るのだが、全身に圧倒的な神炎を纏われてしまえば手の出しようが無い。

 

おそらく相対したほとんどの人間はこう言うであろう。

無理だ。あれを突破する事など出来ない。勝てるはずが無い、と。

 

「終わりか、和麻。ならばこちらから行くぞ」

「っ!」

 

厳馬が動いた。神炎を纏い、そのまま和麻へと一直線に向かってくる。速度も気で身体能力を強化しているのか俊敏だ。

だが速さでは和麻は負けていない。機動力は風術師の十八番だ。さらに和麻は仙術もかじっている。

 

仙術は基本的には気の扱いをメインとしている。和麻は昔から気の扱いに長けていた。さらに彼に仙術を教えた師や兄弟子からは類稀なる才能を持つと言われるほどだった。

そのノウハウを活かし、彼は並々なら無い高速移動術を手に入れた。風術と仙術の融合。その速さは厳馬と言えども追いつけるものではない。

 

「むっ……」

 

突進し、拳を振り下ろした先に和麻の姿が無い事に驚く厳馬。当の和麻は厳馬の背後に回っていた。

 

「これなら、どうだ!?」

 

和麻は両手の手のひらを開き、そこに風を集める。膨大な風の精霊が左右の手のひらに集結し、高速回転を始める。生み出されるのは直径三十センチほどのチャクラム。

ただし外円から中心まで風の精霊で満たされ、中心部に空洞は無く、薄さも一センチ程度しかない。

 

だがそこに収束されている精霊の数は尋常では無い。それこそ台風に匹敵する力が込められている。もしこれを普通に開放すれば半径二百メートルを更地に出来るほどの力。

それを凝縮し、圧縮し、回転を持たせることでさらにその威力を挙げる。

 

精霊魔術とは意思の力である。その意思をさらに強固にするにはどうすれば言いか。

イメージを浮かべることだ。

スポーツ選手でもそうだ。自らのフォームをイメージし、理想の状態へと近づける。

コンセントレーションやプリショットルーティーンと同じである。

 

和麻は何の予備動作もなく攻撃を放てる。しかしそれ以上の威力を出そうと思えば、予備動作をする。

その方がイメージを精霊に伝えやすく、己の意思をより強固にするから。

原初の法則に自らの意思を割り込ませ、便宜的に新たな法則を作り出し事象を操るのが魔術である。

 

和麻は考えた。どうすれば圧倒的な力を持つ炎に対抗できるのか。

風と炎の差は大きい。それを力ずくで覆すのは難しい。力が無理ならば技だ。技術で補うしかない。

和麻には収束と圧縮の才能が誰よりもあった。これは攻撃力の弱い風の弱点を補うには最適だった。

 

総量や総エネルギー量では劣っても、一点に集めれば相手を上回れる。

そして風は切断と言う点では優れている。かまいたち現象でもそうだ。風とは時に鋭い刃で人を襲う。

斬ると言う明確な意思を、チャクラムと言う投擲武器としては珍しく斬る事に特化した形状で放つことで、通常の風の刃以上の効果を発揮する。

 

厳馬が炎を全身に纏っているのは好都合だ。総量では明らかにこちらが不利と言うか劣っているが、全身に纏っている分、そのエネルギーも分散している。

高速回転するチャクラムならば、厳馬の防御の一部を突破する事も不可能ではない。

 

和麻は大きく腕を横に振りかざし、全力でチャクラムを投擲する。この動作も威力を高めるための、厳馬の炎に向ける意思を上回るための意思を強固にする行為である。

左右より厳馬に迫るチャクラム。

 

(切り裂け!)

 

だが……。

 

「ふん!」

 

厳馬は迫り来るチャクラムをあろうことか拳で叩き潰した。

 

(おい、マジかよ……)

 

あまりの出来事に和麻も思わずぼやく。あれは対厳馬用に用意していた攻撃手段の一つだ。

風の刃以上の攻撃力に加え、台風に匹敵する力を込めた攻撃だった。それをあろうことか拳で消滅させるとは……。

それでも一度防がれたくらいで諦めるつもりは無い。

 

いくら厳馬の神炎といえども、神炎と同等の神風を極限まで研ぎ澄ませたチャクラム状にして放つのだ。ただ炎を纏っているだけで防げるはずは無い。

もしこの風が厳馬にとって驚異でも何でも無いのなら、ワザワザ拳で迎撃するはずが無いのだ。

この風が厳馬の炎を裂けぬのなら、厳馬は悠然と立ち、ただ受け止めるだけで終わるはずだ。

 

(つまりまったく効かないってわけじゃない!)

 

そう判断し、再び和麻は風を集める。同時に風の刃を放ち牽制を行うと共に、彼の周囲にも高速回転をする風のチャクラムを多数出現させる。

こちらは手で生成するよりも威力は劣るが、厳馬の集中力を分散させる程度は可能だ。

四方より襲い掛かる風の刃の群れ。しかし厳馬は冷静にそれらを見極め、精神を研ぎ澄ます。

和麻の風は速くどこまでも純化しているため、感知能力の低い炎術師では察知するのは難しい。目で追う事も、感知する事も困難。

 

厳馬は動かない。下手に動けば危険と判断したからだ。そして迫り来る刃を纏う炎をほんの少し大きくする事ですべて飲み込む。

炎に接触すれば、厳馬にも察知は可能。ほんの僅かな刹那のタイミングだが、厳馬はその僅かの時間に炎の分配を変化させる。常に均等に配分している炎をより強い風が迫る場所へ増やす。

仮にその場所へほとんど同時に風の刃が到達しても、厳馬の炎を切り裂く事は出来ない。厳馬は完全に和麻の風を消し去る分の炎をすばやく移動させているのだ。

 

「うらぁっ!」

 

だが和麻もそんな厳馬の技術に驚愕しつつも、攻撃をやめない。炎の攻防移動をやってのけるなんて思っても見なかったが、逆にそれは弱くなる箇所が生まれると言う事。

そこを強襲すれば和麻の風は厳馬の身体を切り裂ける。

和麻はチャクラムを投擲する。直線的ではなく円を描くように厳馬の周囲を回り、隙を見つけようとする。

 

「……私を舐めるな」

 

厳馬の炎がより高まる。厳馬の感情が高ぶったのだろうか。炎は輝きを増し、周囲を明るく染めていく。ここだけまるで昼であるかのような明るさだ。

拳を握り締め、厳馬は深く腰を落とす。そして拳を和麻に向かい振りぬく。

 

(この距離で攻撃だと!?)

 

和麻と厳馬の距離は数十メートル以上離れている。だが厳馬の拳が振りぬかれると、そこから炎の塊が和麻に向かい恐ろしい速さで突き進んでくる。

炎は周囲を回っていた牽制用の多数のチャクラムと本命のチャクラムを飲み込む。

飲み込んでなお、威力は半分以下にもなっていない。

 

「くっ!」

 

何とか上空に飛翔し和麻は回避する。そこで和麻は見た。厳馬が逆の手をこちらに向けて振りぬこうとするのを。

 

(やべっ……)

「ふん!」

 

第二波。迫り来る炎の塊。受け止めるなどと言う選択肢は無い。こんな炎を真正面から受け止めようものなら、一秒と待たずに風の結界は消滅し、和麻は骨さえ残らず灰に変わる。いや、灰すら残らず消滅するだろう。

だから全力で避ける。逃げる。風と仙術を駆使して、命の限り。

 

「逃がしはせん」

 

だが守勢に回った和麻を厳馬は容赦しない。侵略する事火の如しと言う言葉のように、厳馬はもう一度拳を和麻に向けて振りぬく。

今度は大きな塊ではなく、無数の小さな炎が弾幕のように打ち出される。

和麻は理解している。小さくてもその一つ一つは和麻の結界を燃やしつくし、和麻を消滅させるのに十分な力を持っていることを。かすめただけでも致命傷だ。

逃げ続ける以外に今の和麻に選択肢は無い。

 

(不味い。完全に守勢に回った……)

 

厳馬の攻撃を避け続けながら、和麻は己のミスを後悔した。炎術師相手に守勢に回ればこうなる事は目に見えていた。一度劣勢に陥れば、簡単には覆せない。

いや、そもそもの前提条件が間違っていた。

 

(これが、神凪厳馬!)

 

現役神凪一族最強の男。彼が強いのは炎の威力が高いだけでは無い。

揺るがぬ信念と自信。単純な出力としての炎の威力だけに頼らない、炎を操る技術。そして長きに渡り前線で戦い続けてきた事で得た経験。

和麻の倍以上の年月を生きてきた男の強さは、時間をかけて形成されたものだった。それは簡単に覆るものではない。

 

「後悔しろ、和麻。この私に戦いを挑んだ事を!」

 

圧倒的強者が牙を向く。

だが厳馬は知らない。二人が戦う遥か上空で、蒼い輝きを放つ風の精霊が一箇所に集結し続けていたことを……。

 

風の契約者たる八神和麻。

神凪最高峰の炎術師たる神凪厳馬。

 

風と炎の頂上決戦はまだ始まったばかりである。

 



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第十二話

 

(くそがぁっ!)

 

心の中で悪態をつきながら、和麻は必死で逃げ続ける。無様、実に無様!

だが無様でも何でも、敗北するよりもいい。死ぬよりはマシだ。

 

(落ち着け。隙を見つけろ。あいつだっていつまでも攻撃を続けるなんて無理だ。どこかで必ず一呼吸を置くはず。その隙に反撃に転じれば……)

 

如何に圧倒的な攻撃力と防御力を誇っても、厳馬はまだ人間なのだ。人間ならば付け入る隙はある。体力、精神力が共に限界がある。永遠に持続させ続ける事など不可能だ。

 

(けどあいつの体力や精神力が、簡単に尽きるなんてあるのか……)

 

弱音が漏れる。あの男は化け物だ。体力・精神力共にその限界はまだまだ先だろう。

怒涛の攻撃は続く。空を縦横無尽に飛び回る和麻。さらには光学迷彩やら蜃気楼を応用して、自らの気配を遮断し闇に同化して隙を突こうと考えた。

 

(……無理だな。下手すりゃ、広域殲滅用の攻撃が来る)

 

自分が姿を隠せば、厳馬は周囲に炎を展開しあぶりだそうとするだろう。

炎の攻防移動を簡単に行うような化け物だ。周囲に和麻の風と同等の炎を薄く展開するのと同時に、自らの身体を守りきれるだけの炎を残すくらい分けないだろう。

 

(選ぶんなら空……それも遥か上空なんだが、万が一にもあいつに気づかれる心配があるからな)

 

和麻はすでに奥の手を準備していた。遥か上空。厳馬には決して感知できないであろう場所で。

しかし和麻は厳馬を侮るつもりは無い。長い間、退魔を続け前線に立ち続けたあの男の第六感は尋常では無い。感知の能力を超越した危機回避能力。あの男ならば、感知の外にある和麻の風に気づく可能性が僅かにでもある。

 

気づかれれば終わりだ。風術師が勝つには奇襲しかない。どれだけの威力の攻撃を準備しようとも、迎撃態勢を整えた炎術師の最大級の攻撃の前には敗北する。

勝つためには、決して己の策に気づかれてはいけない。

 

(チャンスを待つんだ。何とか、少しでも今の状況を好転させる!)

 

切り札を切る最大のチャンスを作るために、今の状況を打開する。どの道、準備が整うまでまだだいぶ時間がかかる。

 

(だがしのげるか、この厳馬の猛攻を)

 

冷や汗を流しながら、和麻は必死に厳馬の攻撃を回避し続けた。

厳馬も厳馬で一向にしとめ切れない和麻に驚愕しつつも、何も出来ない、して来ない和麻に違和感を覚えていた。

 

(……ただ逃げ続けるだけ。一見すれば情けない行動だが)

 

この炎に対抗する手段が無いゆえに、逃げの一手しか無いのか。はたまたチャンスを狙っているのか。おそらくは両方か。

 

(だが解せん。逃げるならば攻撃の届かぬ遥か上空に逃げれば済む事……)

 

いくら厳馬の攻撃の射程が長くても、上空百メートル以上にまで上がられればさすがに精度と威力は落ちる。和麻も回避しやすいだろう。

それをしないのは逃げたと思われるのを嫌がっているからか。プライドが邪魔しているのか。

 

(違う。何かある……)

 

厳馬は遥か上空を見上げる。一見して何も無い。闇に浮かぶは月と星ばかり。目視できる範囲には何の変化も無い。

だが厳馬の第六感が叫ぶ。何かがあると。それが何かはわからない。わからないが、自分は脅威を感じている。

目を凝らし、視力を強化し、意識を高めても何も無いが、全身が総毛立つような奇妙な感覚が生まれる。一体空に何があるというのだ。

 

「よそ見している暇は無いだろうが!」

「むっ!」

 

厳馬が意識を上空に向けた僅かな時間、和麻は好機と判断し風の刃を解き放つ。逃げ回っている間、何もしていなかったわけではない。彼はその圧倒的な召喚速度を持って風の精霊を集め、反撃の準備をしていたのだ。

 

疾きこと風の如し。風の刃がチャクラムが、矢が、槍が、厳馬へと襲い掛かる。和麻は反撃とばかりに怒涛の攻撃を厳馬に向ける。

弾幕を張る。厳馬に効く、効かないの問題ではない。厳馬にこちらに攻撃する暇を与えないための攻撃だ。

 

(ったく。気づかれたのか!? ありえないだろ。炎術師の感知能力の範囲外どころか、風術師でも絶対に察知できない高度だぞ! 何で感じ取れるんだよ!)

 

予測の範囲だったが、それでも万分の一以下の可能性だった。それなのに厳馬は気づいた。確信があるかどうかは分からない。しかし警戒する以外に方法は無い。

 

(これが失敗したら、俺に打つ手は無い。少なくとも余力はほとんどなくなる)

はっきり言うと和麻は大博打を打とうとしていた。

 

もう少し小細工を使えば有利に運ぶのだが、今の厳馬相手にこれを使う気は無い。

 

(ほんと、せこい技を使えば楽なんだけどな……)

 

和麻の小細工。この一帯を真空状態にするとか、この一帯の大気成分の比重を変化させる。

これで人間相手には詰みなのだ。人間である限り、生命活動をするには酸素が必要だ。

それも酸素は大気中に一定でなければ人間の身体を破壊しかねない。他にも二酸化炭素や窒素の割合を増やしてやるだけでいい。

 

厳馬ならばそれらを燃やし尽くす事も可能だろうが、正常な状態の大気成分を理解していなければどれだけの酸素を、二酸化炭素を、窒素を燃やせばいいのかがわからない。

 

仮に理解していたとしても、そんな割合を感覚で作り上げる事が可能だろうか。その前に大気成分の変化で思考能力が低下し、肉体が破壊される。

つまり発動すればほとんど防ぐ手段は無いのだ。

 

もっともこんな事をやれるのは世界でも和麻のみだ。事象としてではなく、物理法則を無視した風を生み出す。いや、まだ物理法則の範疇ではあるが、それをやってのけるのは普通の風術師には不可能に近い。そもそもそんな発想も生まれないだろう。

 

それに仮にそんな発想を持ち、そんな事ができる術者がいたとしても、その効果範囲は極めて小さいものだ。それこそ一、二メートルの範囲。そんな狭い範囲ではすぐに逃げられるし、風を蹴散らせばすぐに元の状態に戻る。

 

だが炎術師が水を沸騰させずに水中で炎を起こせるのと同じように、酸素しか含まない風を操るなんて事は和麻にとって難しくなく、範囲も数十メートルから百メートル範囲を望んだ状態に出来る。

この範囲から瞬時に離脱、または破壊するなど正直厳馬クラスでも容易では無いだろう。

 

(いや、あいつなら普通に吹き飛ばすかもしれないな。……けど今回は使いたくないんだよな。あいつの全てを叩き潰すために……)

 

それらは一つの戦術であり戦法である。和麻はこれを卑怯とは思わないし、小細工大好きな男だから、強者がこんな絡め手で、あっさりやられて悔しがる様を見るのを楽しみたいのだが、この戦いでだけは使いたくなかった。

 

まあ一度勝ってしまえば仮に二度目の厳馬との戦いがあった場合は、何の躊躇も躊躇いもなく卑怯と言われても、最高の褒め言葉だとでも言いながら喜々として使うのだが。

 

(そう。今回だけ。今だけは、らしくも無いやり方で勝たせてもらうぞ、神凪厳馬!)

 

高速移動を続けながら攻撃を続け、和麻は厳馬に反撃の機会を与えないようにする。準備が整うまでの時間稼ぎ。もう少し、もう少しだけ時間が要る。

和麻の体から汗が吹き出る。体力もどんどん落ちている。

 

厳馬と相対するのに体力と精神力をすり減らし、同時に大技の準備もする。はっきり言ってとてつもない労力だ。和麻でなければ、こんな事はできない。

だが集中力は何とか持続させているが、まだ僅かな時間しか経っていないはずなのに和麻の限界は近づいていた。

 

(ちっ、やっぱり無理があるか。こいつと戦いながら“あれ”の準備をするのは。まだ十分程度しか経っていないのに、こっちの消耗が激しすぎる。それに完成にはあと二分って所か。……あと二分。あいつに反撃させないで持ちこたえる? 何の冗談だ、それは)

 

正直、無理だと思った。この攻撃もあと十秒も続かない。精霊を召喚し続けているが、厳馬が大人しくこちらの攻撃を受け続けてくれるはずも無い。その証拠に、厳馬の闘気が膨れ上がっている。

 

(来る!)

 

厳馬との目が合った。まるで獲物を狩る狩人のような鋭い眼光。厳馬は今の今まで、何もせずに攻撃を受け続けていたわけではない。和麻の動きを観察し、逃げられない攻撃を放つタイミングを計っていたのだ。

 

「おおっ!」

 

気合と共に蒼炎が牙を向く。まるで八岐大蛇のごとく、巨大なうねりを上げる炎の龍の群れが和麻の風を飲み込み、和麻自身へと迫り来る。

この瞬間、厳馬に攻撃すれば厳馬の身体を切り裂けるかもしれないが、生憎と和麻にはそれが出来なかった。

 

そんな攻撃をする余力がなかったのだ。今までの怒涛の攻撃で力を使い、厳馬を足止めしていたのだが、足止めどころか相手に貯めの時間を与えるだけでしかなかった。

厳馬はあの攻撃で足止めされていたのではない。ただ見極め、タイミングを計り、最高の一撃を放つ力を集めていたのだ。

 

対してこちらはほとんど手元に精霊を残していない。何とか神速の召喚速度で精霊を集めているが、とてもではないが厳馬の炎を超える風を生み出すことなど不可能。

迫る炎は四方より和麻に襲い掛かる。逃げ道など無い。防御も出来ない。受け流す事も、出来そうに無い。

 

「くそったれぇっ!」

 

悪態をつきながら和麻は奥の手を使う。迷う時間は無い。後先など考える余裕も無い。生きるか死ぬかの瀬戸際!

死を予感させる炎。まるで時間がスローになったかのようだ。体感時間が限りなく圧縮され、走馬灯のような状態に陥る。

 

集中力を極限まで高めた和麻は、それを発動する。己の中にある扉を、かの者へとつながる世界への扉を開け放つ。扉の向こうに広がるのは無限に続くかのような遥かなる蒼穹。

 

この全てがかの者。扉を開け放ち、和麻はかの者と一つになる。

和麻の瞳が透き通る蒼へと変わる。それは御印。契約者の証。風の精霊王より大気の全てを統べる者に捺された、風の聖痕“スティグマ”。

本来なら発動に時間がかかるが、極限状態の今、和麻は今までに無い程の速さで聖痕を発動させた。

 

人でありながら、風の精霊を統べる者へと彼はその存在を再構築される。自我が拡大し、どこまでも己の存在が広がる。

半径百キロ。それが今の和麻の意志が届く範囲。世界の事象をすべて把握する程の神の領域。

迫り来る厳馬の炎を、和麻は全力を持って受け止める。

 

「おおぉぉぉっっっ!!!」

 

厳馬の炎と和麻の風がぶつかり合う。炎は和麻の召喚し続ける風を次々に喰らいつくす。だが和麻はそのたびに無限とも言える風の精霊を召喚し続け、炎を相殺し続ける。

その光景を厳馬は馬鹿なと心の中で吐き捨てる。ありえない。全力に近い攻撃を放ったのに、和麻の風はそれに拮抗し続ける。それどころか相殺しかけているではないか。

 

(ありえん。何と言う精霊の数だ)

 

厳馬自身、非常識なほどの精霊を従えるのだが、その厳馬を持ってしてもありえないと思えるほどの精霊を和麻は従えている。

ここにきて、厳馬は和麻の事をまだ過小評価していた事に気がつく。厳馬は和麻が自分と同格の術者であると想定し、ここにやってきた。

しかし事実は違う。和麻は自分よりもさらに上の領域に進んでいる! それはまるで全盛期の重悟のような、自分が決して超えることが出来なかった存在のような領域に。

 

くっと小さな言葉を漏らしながら、厳馬は笑っていた。そう、常に無表情な男が笑っているのだ。声を上げて笑うと言う事はしていないが、厳馬の顔には愉悦の笑みが浮かぶ。

 

(強くなったのだな、和麻)

 

息子の成長を嬉しく思う。自分にそんな資格はないと言うことは理解している。だが父としてこれほど喜ばしい事は無い。あの弱かった息子が、これほどまで大きく成長して自分の前に立ちはだかっているのだから。

 

しかしだからと言って負けてやるつもりは厳馬には一切なかった。彼も和麻と同じ負けず嫌いなのだ。

自分よりも上の領域に息子がいると言って、ああそうかと簡単に敗北を認めるようなことはしない。そんな可愛げのある男ではないのだ。

むしろより闘志を燃やし、和麻との戦いを望む!

 

「ぬおぉっ!」

 

蒼炎の力を高め、厳馬はさらに攻撃を続ける。両手の拳を握り締め、和麻に向かい同時に左右時間を置いて打ち出す。うねりを上げ、さらには和麻のように回転を加えた攻撃に特化した一撃。まるでドリルのナックルである。

 

和麻はそんな厳馬の攻撃を両手をかざして膨大な風の渦で迎え撃つ。まともにぶつかることはしない。厳馬が剛の攻撃ならこちらは柔の攻撃なのだ。受け流し、その威力を殺すと言う戦法しか使えない。

 

(もう少し、もう少しだけ持ちこたえろ!)

 

厳馬の風を受け止め、受け流し続けながら和麻は必死にその時を待つ。聖痕を発動させたことで、準備の時間も短縮された。

劇的に広がった彼の知覚力は彼らの頭上、遥か上空五十キロより上で集結させ続ける風の渦を克明に捉えていた。

 

(厳馬は……)

 

炎の攻撃が続かない事を疑問に思い、和麻は厳馬を見る。そこには更なる炎の精霊を集め、最大規模の攻撃を放とうとする厳馬の姿があった。

おそらくはこれで決めるつもりだろう。普通ならそんな大技を放つ隙を与えないように攻撃を放つのだが、今の厳馬の炎を受け止めるのに精一杯で牽制に回す余裕が無い。

 

仮に牽制に回しても、今の状況では神炎を纏った厳馬の炎を切り裂き、集中力を乱す攻撃を放つことが出来ない。

 

お互いに狙うのは大技。

 

ただし和麻の場合は長い時間をかけて準備したものであるのに対し、厳馬はその半分以下の時間で準備が出来る。この差にはさすがに和麻も涙が出てくる。

奇襲をかけるつもりが、厳馬に準備を完了させる始末。当初の目論見はことごとく外される。それどころか聖痕まで使わされる結果となった。

 

(だが……準備は整った!)

 

風を開放し、自分に纏わりついていた炎を全て蹴散らす。

そして手を頭上にかざす。

 

「無駄だ、和麻! 如何に召喚速度が速くても威力は私の方が上だ!」

 

厳馬はすでに準備は出来ていた。如何に和麻の召喚速度が速くとも厳馬の最高の一撃を超える攻撃を一瞬で生み出す事は出来ない。それは当然のことであり、聖痕を発動させた和麻でも決して覆せない。

 

だが……。

 

「はっ! こっちも準備は終わってるんだよ! 受けてみろよ、俺の一撃を!」

 

和麻はバッと手を厳馬に向かい振り下ろす。瞬間、遥か上空で光が生まれる。

 

「なっ!?」

 

厳馬は見た。自分達の遥か上空より厳馬に向かい迫る流星のような光を。それは赤でも蒼でもない。黄金色(こんじき)に輝く一筋の光!

目視した時にはすでに遅かった。一瞬の硬直。あまりの光景に判断に迷ってしまった。

 

もう回避は間に合わない。厳馬に目掛けて一直線に迫る光。回避が出来ないのならば、受け止めるしかない。そのためには和麻に攻撃するために準備していた炎を使うしかない。

 

「おおおぉぉぉぉっっっ!」

 

炎を解き放つ。蒼い炎は球体状となり、厳馬の頭上で光り輝く。それはまるで太陽のようだった。否、小型の太陽と言っても過言ではない。それも計り知れないほどのエネルギーを有したもの。

 

頭上より迫り来る黄金色の流星のような風と蒼い太陽の炎がぶつかり合う。

衝撃と爆音、轟音が周囲へとあふれ出し、強固な結界に守られた空間を激しく揺らす。いや、そもそもその結界は黄金色の光が降り注いだ地点を中心にすでに崩壊を始めている。

 

(馬鹿な、この私の炎が押し負けている!?)

 

驚愕に目を見開く。厳馬は自分の全力の炎が真正面からぶつかり合って、押し負けそうになっていると言う事実が信じられなかった。

厳馬の放っている炎は厳馬が今放てる最大級の炎なのだ。極限まで収束し、圧縮した小型太陽とも言うべき炎。それがおそらくは風であろう攻撃に押し負けてそうになっているのだ。いや、気を抜けばすぐに炎を突き破られそうだ。これに驚かないはずが無い。

 

だが驚愕は和麻も同じ。最高の切り札である聖痕“スティグマ”とこの黄金色の風のコンボに対して、厳馬が拮抗している事が信じられなかった。

 

(あれを持ちこたえるのかよ、化け物が!)

 

黄金色の風の正体。それは大気層の一つである上空五十キロ~八十キロの地点に存在する中間圏に存在する平均約-92.5℃の低温の風を集め、それを収束して放つと言う物だった。

 

ダウンバーストと呼ばれる現象がある。それは強力な下降気流を発生させるものである。

和麻がダウンバーストを起こす場合、成層圏に低温の空気を送り込むのだが、和麻は成層圏のさらに上、中間圏の空気をそのまま使うと言う行為に出た。

地表から五十キロ以上の高度の空気を操るなど、普通なら無理だ。否、和麻でさえも不可能に近かった。

 

当初は何度も失敗した。しかし地上とは違い、空には遮蔽物が何も無い。風の精霊を遮るものは何もなく、どこまでも蒼穹が広がっている。それが和麻に味方をした。

自らの上空であるならば、和麻は何とか地表五十キロの風を部分的に操る事が出来た。

 

炎の圧倒的なエネルギーと熱量に相対するために、その正反対であるマイナスとも言うべき冷気に和麻は着眼点を置いた。自らで冷気を生み出せないのならば別のところから用意すればいい。目を付けたのは中間圏の温度極小層の大気。

しかもここに目を付けたのはそれだけが理由ではない。現代社会において、空気は、風は、人間の手によって汚染され続けている。

自然の風の精霊達も、人間が作り続ける大気汚染の影響でかつてのような輝きを、強さを、力を失いつつあった。

 

だが遥か上空の大気は、まだ汚染が少ない。少ないと言ってもそれでも汚染は着実に進行しているが、まだ地表ほどではない。

ここの精霊はまだ穢れが少ない。そしてその力も地表に存在する精霊よりも強い。

それをかき集め、圧縮し、収束すればどれほどの威力になるか。またそれを和麻の気を融合させた神風とあわせれば。

信じられない速さで地表に向かい落下してくる。視認した時には手遅れである。

 

さらに風は加速させれば加速させるほど、そのエネルギーは大きくなる。

その低音の風は温度差と大気の摩擦とで発光現象を起こし、和麻の蒼い風を黄金色へと変化させる。何故黄金色になるのかは和麻もわかっていないが、以前これを上級妖魔に使用した際は、その圧倒的な威力と浄化の力で塵さえ残さず消滅させた。

黄金色の風は神凪の最上位の黄金以上の、さらにその上の神炎さえ超える破壊力と浄化能力を持つ風に変貌を遂げた。

 

ただしこれには欠点もある。まず聖痕“スティグマ”を発動させていない状態の和麻では準備するのに時間がかかりすぎる。

完全にこれだけに集中すれば一、二分ほどで完成させられるのだがそれでも長い。実戦の中では五分以上もかかってしまう。それに一度集中力を切らせれば、たちどころに霧散してしまう。

 

他にも使用条件が厳しく、とても実戦で安易に使えるものではない。だがあえて和麻は己の限界に挑戦し、これを実戦で使用した。威力だけ見れば、はっきり言って和麻の手持ちのカードの中で最強の一撃なのだ。

 

まあ最初から準備して開始と同時に放っても良かったんだが、さすがにその不意打ちで勝つのもどうかと、和麻にしては珍しく彼らしくない思考の下、ほぼ同条件でこの戦いに望んだ。

 

この一撃は聖痕発動状態での使用。今まで聖痕を発動した状態で放った事は無かったが、今の黄金色の風の威力は通常よりも数段上だ。これの直撃を防ぎきる存在などいるはずが無い。そう思っていた。

 

(これでも仕留められないとか、ありえないだろうが! 何で受け止め切れるんだ!?)

 

何度目になるかわからない悪態をつく。切り札を二つも切らされたと言うのに厳馬は倒せない。それもただの切り札ではなく和麻自身の奥の手であり、これ以上無いと言うべき物を二つ使っているのに。

 

アーウィンと戦った時よりも、今の和麻は強くなった自覚はあった。ウィル子と出会い、幾つかの戦術も組み立てた。この黄金色の風も、ウィル子と出会って以降に二人で色々な情報や知識を参考にして作り上げた。

 

しかしそれを持ってしても厳馬を倒せない。

 

世界最高の魔術師で、ここ五百年では並ぶ者さえいないと言われたアーウィンでさえ、和麻は聖痕を発動させるだけで勝てた。

それはアーウィンが最高の魔術師でも戦闘者ではなかったからだ。彼は探求者にして研究者であり、様々な魔術の復活やその扱いには誰よりも長けていた。ゆえに戦闘能力も高かったが、それでも戦う者でもなく、その心構えもなってなかった。

だからこそ付け入る隙は十分にあり、自らよりも圧倒的に強い力の前にはアーウィンに抗う術はなかった。

 

だが神凪厳馬は違う。彼は探求者ではなく、戦闘者。力も、心構えもあり、自分よりも強い者と戦ったこともある老練な使い手なのだ。

それが聖痕を発動させた和麻との差を縮める要因にもなった。

契約者の力を行使する和麻と互角に戦うことの出来る男。

和麻も人と言う範疇を遥かに超える化け物と呼ばれるほどの力を持つが、神凪厳馬もまた、人を遥かに超える怪物であった。

 

「この……。いい加減にやられろ!」

 

和麻は風を己の右手にさらに集める。限界が近いのは理解している。聖痕を使える時間はおおよそ五分。それも万全の体調に近い状態でならだ。

今の疲弊した状態ではもうあと一分も続けられない。それどころか三十秒も持たないかも知れない。そして聖痕の発動が終われば一気に身体に疲労が押し寄せてくる。脳にかかる負担もハンパではない。人間の分際で神にも等しい力を行使するのだ。それくらいのリスクは当然である。

その前に何としても厳馬を倒す必要があった。

 

脳がズキズキと痛みを発している。しかし倒れるわけには行かない。限界まで力を行使しても、この男を倒すまでは倒れるわけには行かないのだ!

風を解き放ち、未だに黄金色の風と拮抗している厳馬に更なる追撃をかける。

 

「ぬぅっ!」

 

だが厳馬も負けていない。全力で、持てる力の全てを振り絞り厳馬は炎を召喚し続ける。拮抗を続ける炎と風。だがその終わりはやってくる。

 

「私を、舐めるなぁっ!」

「っ!」

 

炎が爆発する。蒼炎が最後の輝きを見せる。炎は風を飲み込み、消滅させていく。厳馬もまた、和麻と同じように限界を超えて炎を生み出しているのだ。

 

「てめぇこそ、俺を舐めんじゃねぇ!」

「ぐっ!」

 

もはやここまでくれば意地だ。意地と意地とのぶつかり合い。お互いがぶっ倒れるまで、限界まで風を、炎を召喚する。

轟音が当たりに響き渡り、衝撃が二人を襲った。

 

「がぁっ!」

「っ!」

 

お互いに衝撃で吹き飛ばされる。和麻は空から地面に落ち、厳馬は爆発の衝撃で背中から地面に激しく打ち付けられる。

 

(……身体が、動かない……)

 

和麻はうつ伏せに倒れながら、自分の体が動かない事に気がついた。限界を超える風の力を行使したのだ。さらには厳馬との戦いで神経と体力をすり減らした。聖痕の発動も、彼の身体に多大な疲労とダメージを蓄積させた。

すでに聖痕は封印している。と言うよりも発動させ続ける事が出来なかった。風を召喚しようにも、まったく風を操れない。

 

不意に厳馬の方を見る。厳馬はゆっくりとだが確実に立ち上がった。どうやらまだ彼の方がダメージが少なかったのだろう。息を荒くしているが、それでも尚、こちらに向かってくる。

 

「……よもやここまでとは思わなかったぞ。強くなったな、和麻」

 

和麻の横に立ち、彼を見下しながらも、厳馬は賞賛の言葉を送る。

四年前と似た構図ではあるが、かけられる言葉は正反対に近い物だった。

だが和麻にとって見ればそれは賞賛の言葉でもあの時を再現でしかなく、忌まわしい物だった。

這い蹲り、倒すと決めた相手を見上げている。それはまるで、自分がこの男に届いていないと言う証拠のようにも感じられた。

 

「だが私にはまだ及ばぬ。思い知ったはずだ」

 

うるさい。

 

「正面からの打ち合いでは炎の方が上だ。その炎相手にお前はよくやった」

 

黙れ。

 

「しかし結果はこの通りだ。私は立ち、お前は倒れている」

 

ほざくな。

 

「お前が望んだ戦いの結果だ。私の勝ちだ。それともまだ立ち上がる気力はあるか?」

 

問われるが和麻の身体は立ち上がることさえ出来ない。限界を超え、和麻の身体は悲鳴を上げていた。

何とか、和麻は厳馬を睨む。それでも見上げると言う構図が、和麻には屈辱的過ぎた。見下されていると言う事実が、和麻のプライドを傷つける。

 

「……まだ納得できないのであれば、お前の意識を刈り取り、確実な敗北を与えよう。心配しなくても命は奪わん。だがしばらくの間寝ていろ」

 

厳馬はその手を振り上げる。完全に勝利を収めるために。

 

「お前は確かに強くなった。この私すら負かしかねないほどに。いや、もしかすれば私の上を行っているのかもしれん」

 

負けず嫌いの厳馬らしからぬ発言。ここに重悟がいれば、かなり驚いた顔をしていたであろう。

 

「だが私には誇りがあり、信念がある。守るべき者があり、守らなければならない物がある。確かに神凪は罪を犯した。私はお前を捨てた。お前にとって見れば神凪や私はくだらなく、憎むべきものであり、消し去りたいものだろう。だが私はそれでも守る。守らなければならないのだ。宗主代行として、一族最強の術者として、神凪の名を、そこに住む者達を」

 

息子を守りきれず、結局最後には放逐しておいてこんな台詞もは無いなと厳馬自身思ってはいたが、神凪の名を持つものとして、それでも尚、背負わなければならない物があった。

 

厳馬ははっきりと言い放つ。お前と私の差は背負うべき物の差だと。

 

厳馬が手刀を和麻の首筋に向かい振り下ろす。和麻には振り下ろされる手がやけに遅く感じられた。炎を使わない辺り、厳馬もおそらくは限界なのだろう。いや、今の自分には炎を使う価値も無いと言うことか。

だがこちらはそれ以上に限界だ。もう一ミリも動きそうに無い。

 

ああ、俺はこの男に負けるのか。四年経っても、力をつけても、この男を上回る事は出来ないのか。

翠鈴。俺はやっぱり弱いままなのかな……。

弱音が漏れる。彼らしくない弱音。だがこの状況でどうすればいい。風術はもう使えない。身体も満足に動かせない。

もう、敗北以外に何が残されている。

 

厳馬の言葉が嫌に重くのしかかる。背負うべき物、守るべき者。それは四年前に失った。守れなかった。守ろうと決めていたのに、果たせなかった。

強くなったのは、もう二度と失いたくないためだった。泣くのは嫌だったから。弱い自分が許せなかったから。

けど今の自分には何がある。守るべき者、背負うべき物がどこに・・・・・・・。

 

だが不意に、和麻の頭に声が響く。

 

―――マスター―――

 

ピクリと和麻の体が震える。

 

―――マスター、頑張ってくださいね―――

 

どこかから聞こえる声援。はっきりと聞こえる少女の声。自分をマスターと呼び、この一年、共にあり続けた少女の声が聞こえる。

 

―――電子世界の神になるウィル子のマスターが、高々精霊王の加護を受けただけの奴などに負けるはずがないのですよ。と言うか、負けることは許さないのですよ!―――

 

思い出すのは彼女との会話。

微かに口元が歪む。微かに、和麻は笑みを浮かべた。負けられない。 ああ、そうだ。自分にも負けられない理由があった。

 

一族からつまはじきに合い、親に捨てられ、大切な人を守れず、復讐に生きて道を見失った自分にずっと着いて来た少女。自分の勝利を信じ、今もきっと待っていてくれるであろう者。

彼女の笑顔が浮かぶ。負けたら、どの面下げて帰ればいい。祝賀会の準備をしながら、シャンパン片手ににほほほと笑いながら、そのあたりのパソコンのデータを食べ漁っている超愉快型極悪感染ウィルスの少女になんて言われる事やら。

 

(負けらんねぇ……。負けられるかよっ!)

 

迫り来る手を和麻は受け止めた。

 

「なっ!?」

「負けられないのは、俺も同じなんだよ!」

 

和麻は叫びながら立ち上がる。

守るべき者を失ったが、また手に入れた者があった。交わした約束がある。帰る場所と人がいる。

だからこそ、和麻は負けられない!

 

肉体の限界? それがどうした。限界なら超えればいい!

和麻の屈強な精神はボロボロになった肉体を凌駕した。俗に言う精神が肉体を超えると言う状態だ。

和麻を突き動かすのは、揺ぎ無い確固たる意思であり、断固たる決意!

 

和麻の拳が厳馬の身体に直撃する。それは決して死に損ないの拳ではなかった。

厳馬の身体はまるで鋼のようだった。鍛え抜かれた屈強な肉体。厳馬の強さを支える、もう一つの武器。

しかし和麻も負けていない。和麻も自堕落な生活を送ってはいたが、それでも鍛錬を怠る事はしなかった。

 

「らあっっっっっっ!!!」

 

和麻は吼える。気合を乗せ、魂さえも乗せかねない攻撃を繰り返す。ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ!

 

「ぬぉっ!」

 

突然の反撃に厳馬もたじろぐ。実際のところ厳馬もほとんどの力は残っていなかった。立って、満身創痍の和麻の意識を刈り取る程度にしか残されていなかった。

思わぬ和麻の攻撃は、厳馬の身体を屈服させるのには十分だった。ガクガクと膝が笑う。

このまま倒れてしまいそうだ。

 

だが・・・・・・・・。

 

(私とて負けられぬ!)

 

ドンと足を地面に踏みしめ、目を見開き、厳馬は和麻を睨む。次の瞬間、厳馬の拳が和麻に突き刺さる。

激しい痛みが和麻を襲うが、和麻は倒れない。厳馬と同じように力の入らない足を何とか踏ん張らせ、大地を踏みしめ立ち続ける。

それでも厳馬の攻撃は続く。身体に顔に、厳馬の拳は容赦なく襲い掛かる。

 

「私は決して負けられぬのだ!」

 

負けられないと言う点では同じ。厳馬もまた、意地と屈強な意思で限界まで酷使した身体に鞭打ち、真正面から和麻と打ち合う。

厳馬もまた、精神が肉体を凌駕し限界を超えさせた。和麻の身体をその鍛えぬいた鋼の肉体より繰り出す拳で幾度も打ち抜く。

 

痛みに襲われ続ける和麻は、ここで倒れれば楽になれる。この痛みからも解放される。そう思ってしまった。

だが倒れない。倒れるわけには行かない。約束したのだから。勝つと。今日を、過去を乗り越える記念すべき日にすると。

 

この世界中で、唯一自分を信じる従者に、否、パートナーと呼べる存在と約束をしたのだ!

 

痛みがどうした? 疲労がどうした? そんなもの、あの十八年間や翠鈴を奪われた時に比べればどうだと言うのだ。そんな事よりも、交わした約束が守れない方が辛い。果たせない方が嫌だ。

守ると約束して守ることが出来なかった、弱かったあの頃、あの時。あの時と同じような思いをするのか。またあの時のように無様に泣くのか。

 

違う。そうならないように強くなったはずだ! こんなもの痛くも無い。こんな疲労など関係ない。

ただ目指すのはこの男に勝つことだけ! 約束を果たす事だけ!

 

だから! だから!! だからっ!!!

 

「俺が、勝つ!」

 

和麻は渾身の力を右手に込める。最後の一撃を放つために。

 

「ぬかせ、若造がぁっ!」

 

厳馬も同じく、拳を握り締める。和麻と同じように、渾身の一撃を放つために。

二人の拳がそれぞれの身体に突き刺さり、そのまま両者共にドサリと前のめりに倒れこむ。

 

ここで立ち上がった者が勝者となる。もう本当に二人には力は残っていなかった。

ゆっくりと時間が流れる。どちらも動こうとしない。否、動けないでいる。

このまま両者共に引き分けになるのか。

 

そう思われた。

 

だがピクリと動く男がいた。グッと両手を地面に付きたて、ボロボロの身体を必死に起き上がらせる。

ガクガクと震える足に力を込め、ゆっくりとだが確実に立ち上がる。

 

そして……その男は拳を握り締め、こう宣言した。

 

「俺の……勝ちだっ……」

 

ボロボロになりながらも笑みを浮かべ、彼―――八神和麻は、倒れ意識を失った神凪厳馬を見下ろしながら、己の勝利を宣言した。

 



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第十三話

 

勝った。この男にっ…!

 

和麻は倒れ、意識を失っている厳馬を見下ろしながら、笑みを浮かべる。

十八年間、自分を支配してきた男。決して手の届かぬ、決して勝つことが出来ない絶対者として和麻の中に君臨してきた男。

その男に自分は、真正面からぶつかり勝つことが出来た。

小細工を使わず、正々堂々(和麻にしてみればあり得ないやり方だが)と、炎術師と同じ土俵で戦い勝利した。

自分はとうとう、この男を、神凪厳馬を倒した。

かつての弱かった神凪和麻と言う存在と決別する事が出来た!

 

だが次の瞬間、緊張の糸が切れたことで一気に彼の身体に疲労とダメージが襲い掛かる。

精神が肉体を凌駕したと言っても、それは一時的なこと。永遠に続くはずも無く、集中力が途切れれば、今までに蓄積した全てが身体を襲う。

ぐらりと身体が傾き、前のめりで倒れそうになる。

 

(あっ、ヤバイ……)

 

とても受身など取れそうに無い。もう正真正銘、身体にまったく力が入らない。

風術も使えず、腕さえも動かすことができない。

そのまま顔面から地面にダイブしそうだ。

このままだと厳馬の拳で腫れた顔が、さらにやばい事になるなと、少し見当違いのことを考えつつも、重力に身を任せる。

だが和麻の顔が地面に接触する事はなかった。その前に、彼を支える者がいたから。

 

「ボロボロですね、マスター」

 

いつの間にか、和麻の前にはウィル子が立っていた。一体どこから現われたのか。

 

「……なんでお前がここにいるんだ?」

 

和麻はとりあえず浮かんだ疑問を口にする。

 

「にひひひ。マスターの言いつけどおり、少しブラブラと適当なデータを漁っていて、ふらりとマスターの携帯に立ち寄ったのですよ。もう決着が付いている頃だと思いまして」

 

いつもどおりの笑顔を浮かべながらウィル子は語る。

しかし実際は違う。彼女は和麻の勝利を信じていたが、それでも心配だった。神凪厳馬の情報をネットを通じて得ていただけに、いくら和麻でもそう簡単には勝てないだろうと考えていた。

 

無論、ネットの情報を全て鵜呑みにするのは愚の骨頂であるが、政府のデータバンクにある情報ではさすがに信憑性も高い。

そのため、ウィル子は彼らの戦いをずっと見守っていた。彼女に出来る手段を用いて。

 

和麻に手を貸すのは論外。そんな事彼が望んでいない事もわかっていた。

だがそれでも、ウィル子は心配で心配で堪らなかった。だからこそ、自分の目で両者の戦いをずっと見ていた。

そして黄金色の風が空から降り注いだ。それは周囲に目撃され、今では大騒ぎになっている。

 

さすがにこれは不味いと思い、ウィル子は色々と手を回してフランス山に人が来ないように、または救急や消防、警察が来るのを少しでも遅らせるように細工をした。

和麻の脳裏に響いた声も、彼の幻聴ではなく、ウィル子とつながっているゆえに、彼女の想いが伝わったのである。

そして決着を見届け、彼女は和麻の元へとやってきた。

 

「それにしても派手にやりましたね、マスター。あちこちでは大騒ぎですよ。流星が落ちたって」

「まあアレはな。さすがに光学迷彩をかける余裕が無かったからな」

 

いつもなら光学迷彩を駆使して誰の目にも留まらないようにするのだが、今回はそんな事をする余裕が無かった。

 

「出来る限り時間は稼いでますが、あまり長くは持ちませんね」

「あー、そうか」

 

和麻としては正直ウィル子に支えてもらわなければ、すぐに倒れてしまう。と言うか今すぐに意識を手放して三日ぐらい眠り続けたい。違う。おそらくは今意識を失ったら、三日は間違いなく起きないだろう。

 

「では今すぐにここから離れましょうか。神凪厳馬はどうしますか?」

「何で俺がこいつの面倒まで見なくちゃいけないだよ。騒ぎになってるんだったら、そのうち誰か来るだろ。……まぁ、救急車ぐらい呼んでやってもいいが」

「にひひ。了解なのですよ。救急車を呼んでおきますね。それよりもウィル子達が無事にこの場から離れないといけませんが」

 

いつもなら和麻の風であっさりと離脱するのだが、さすがに今は風を使えないので無理だ。

となれば移動手段は限られている。

 

「ウィル子が車を回してきます。マスターは安全であまり怪しまれない場所で待っててください」

「ああ……。それとな、ウィル子」

「はい?」

「……勝ったぞ」

 

小さな呟きにウィル子は目をぱちりとさせ、和麻の顔を見る。所々腫れあがり、痛々しいものではあったが、当の和麻の顔は実に晴れやかな物だった。

ウィル子もそんな和麻に笑顔を返す。

 

「にひひ。おめでとうなのですよ、マスター。と言うよりも、ウィル子は絶対にマスターが勝つとわかっていましたので」

 

当然とばかりに言うウィル子の様子を和麻は満足そうに眺めると、彼はそのままゆっくりと目を閉じる。

今までに無いほどに心地いい。痛みや疲労が襲ってそれどころではないはずなのに、心も身体もどこまでも穏やかだった。

和麻はそのまま、意識を手放し夢の世界へと旅立つ。どこまでも無防備な彼の姿。本来なら決して誰にも見せず、または見せられずにいた姿。

例外があるとすれば今は亡き翠鈴、そして……。

 

「ゆっくりと休んでくださいね、マスター」

 

ウィル子は深い眠りに落ちた和麻にそう呟くと、そのまま彼を無事にホームであるホテルに運ぶのに四苦八苦するのであった。

 

 

 

 

 

「何!? 厳馬が病院に運ばれただと!?」

 

風牙衆の屋敷で、兵衛は部下より厳馬が病院に搬送されたと言う情報を聞き、驚きの声を上げた。

 

「はっ。先ほど先代宗主の方に連絡が入った模様。詳細は不明ですが、今宵何者かと一戦を交えたとの事です」

「まことか? だがとすればあの厳馬が敗北したと言うことか?」

「いえ、そこまではまだ。しかしどちらにしても、あの神凪厳馬をそこまで追い詰めた相手がいると言うのは間違いないでしょう」

「して、その相手は? 病院には運ばれてはおらんのだな?」

「はい。今調べている最中ですが、その情報はありません。現場付近ではその時間流星が落ちたと言う情報もあります」

「流星……。そのような術を扱う術者がいるのか。だがそうなるとおそらくは魔術師であろうな。流星など、精霊術師が起こせる事ではない」

 

兵衛の考えも尤もだろう。そもそも流星を操る術など聞いた事も無い。仮にあるとするならば魔術などだろう。

少なくとも、兵衛の知る限りで精霊魔術ではそんなことは出来ない。

火、水、風、地のどの系統がそんな事が出来るのか。こちらの世界の常識で考えてもありえない、常識に外にいる兵衛達のような異能の術者の常識から見ても、それは非常識なことだった。

 

しかしどこにでもそんな常識を覆し、非常識な事をやってのける存在はいる。

彼らの身近にいるのは重悟であり厳馬。そして本人にとって見ても非情に遺憾な事だが、その神凪の血を引く和麻も非常識な事をしてのける、と言うよりもやった張本人である。

 

まさか兵衛も風で流星のような現象を引き起こしたなど、想像も出来ないだろうし話を聞いたところでありえないと一笑に付すだろう。

とにかく、兵衛はそれと和麻とを結びつける事が出来なかった。

 

それに厳馬も重悟もこの事を口外したくは無い。和麻との戦いが私闘であったとしても、それが広がればあらぬ疑いを持たれかねない。一応言質はとってあるが、不用意に言い広めていい類の話しでは無い。

秘密は共有するものが少なければ少ないほど漏洩を防げる。重悟も厳馬も他の誰にも和麻と戦った事を言うつもりは無かった。それが一族の中であろうとも。

 

また風牙衆が調査しようにも和麻はすでに姿を隠し、前もって風の精霊には自分達の事が風牙衆に伝わらせないように手を打っていた。

他にもウィル子によって防犯カメラや様々なセキュリティを無効化し、自分達に不利な情報を流さないようにもしていた。

つまりどれだけ調べようとも、厳馬と戦った相手である和麻の正体を探りだすことは出来なかった。

 

「……だがこれは好都合だ」

 

まだ厳馬がどんな状態かはわからないが、病院に搬送されると言う事はかなりのダメージを負っている。

厳馬は一人で神凪の全戦力と言っても過言ではない。その厳馬が手傷を負った。

 

(この機に厳馬を暗殺するか? いや、厳馬がどこまで手傷を負っているかわからんし、万が一と言うこともある。意識不明の状態ならばともかく、意識があるのであれば下手に手を出せば手痛い反撃を受ける可能性がある)

 

手負いの獣と言うものが一番恐ろしいのだ。手負いの獣とはそれだけで信じられない底力を発揮する。厳馬ほどの使い手だ。迂闊に手を出せば冗談ではなく消滅させられるかもしれない。確実に殺せると判断できなければ、手を出すのは無理だ。

流也がいれば、まず間違いなく殺せるであろうに……。

 

「……ワシは早朝すぐに美琴を連れて京都へと向かう」

「えっ? それは日曜日だったはずでは」

「そこまで待ってはおれぬ。厳馬の傷がどれほどのものかはわからぬが、我らでは返り討ちに合う可能性もある。となれば、圧倒的な力を持つ存在が必要となる。流也には劣るが美琴も器としては十分じゃ。確かに流也のように妖気と身体が完全になじむまで待つ時間は無い。七日七晩あれば確実になじみ合い、流也にも匹敵するじゃろうが、厳馬に回復の時間を与える事になる」

「では厳馬を攫って復活を?」

「貴様は本気でそんな事を言っておるのか? あの男を操るなど、出来ると思っているのか?」

 

兵衛は部下の発言に対して、睨むような目で彼を射抜く。

それは無謀と言う以外にない。いくら傷ついていても、仮に死にぞこ無いだったとしても、あの神凪厳馬を操るなど不可能だ。

兵衛は誰よりも宗家の化け物たる二人を知っているのだ。常に身近で彼らを見続けた。その力に恐怖どころか憧れすら抱いた。

だからこそわかる。あの二人はどんな事があろうとも、自分達が操ることなど出来ない。神の復活の生贄にすることさえ、おそらくは無理であろう。

 

「一番は綾乃であったが、この際は煉でも構わぬ。幼さや無防備さを考えれば煉が最適であろう」

「では美琴と共に?」

「……確かに混乱に陥っている今ならば容易に攫えるかも知れぬが、抵抗された時の事を考えれば我らだけでは手に負えぬ。薬や憑依をその前に行えば済む事だが、それでもワシは神凪宗家の力が恐ろしい。それに煉はあの厳馬の息子だ。潜在能力がどれほど眠っているのかもわからぬ。土壇場で、または己の危機にその力が開花せぬと誰が言い切れる」

 

神凪宗家を、重悟を、厳馬の力を誰よりも知っているだけに、恐れているだけに、兵衛は慎重にならざるを得なかった。

それにここまで想定外の事態が起こりすぎていた。

流也の敗北、資金の強奪、神凪一族や他の組織からの嫌疑と兵衛は今、かつて無い程の精神的ストレスに見舞われていた。

ここで一つでも失敗すれば、また多くのものを失いかねない。だからこそ、普通以上に、想像以上に慎重になっていた。

 

実のところ兵衛に唯一の勝ち目があったのは、今この瞬間を除いてなかった。

厳馬も死ぬほどの怪我ではなかったが、限界まで力を使い目を覚ましてもしばらくは身動きすら取れないだろう。まあそれでも厳馬はやせ我慢でなんとも無いように装うだろうが。

和麻も和麻で三日は寝込むほどの肉体的、精神的ダメージを負っている。

煉も潜在能力こそ高いだろうが、それでも兵衛の恐れるような突然の能力開花は起こるはずもなく、心構えも経験もまったくなっていないので簡単に攫って洗脳できるだろう。

 

つまり今、この瞬間に行動を開始し、煉を即座に手元に置き、そのまま京都に向かって神として崇める妖魔を復活させれば彼らの悲願は成就されたであろう。

だが兵衛は機を逸してしまった。

なぜなら和麻が動けずとも、彼らを監視する存在は他にもいるのだから。

そしてその存在は、和麻とはまた違った意味で現代社会では厄介な能力を有していたから。

 

 

 

 

「さてと。マスターがここまでボロボロになるのは予想外でしたが、ウィル子はウィル子の仕事をするのですよ」

 

ホテルに戻り、和麻をベッドに寝かせるとウィル子はそのままパソコンの前に座り情報を集め始める。

すやすやと寝息を立て、気持ち良さそうに眠る和麻を起こすことなく、彼女は作業に没頭する。

尤も、今の和麻はよほどの事が無い限り起きることは無いだろう。

 

「マスターが動けない以上、ウィル子が風牙衆に対して色々仕掛けるしか無いですね」

 

目下最大の問題である風牙衆。先に風牙衆を潰した方が良かったと、今になっては後悔している。

和麻もウィル子もまさかここまで厳馬が強く、和麻が聖痕を使わされ寝込む羽目になるとは予想もしていなかった。

一応予定では厳馬に勝利を収めた後、祝賀会で浮かれてそのついでに兵衛達をプチッと潰すはずだったのに。

 

「まっ、言ってても仕方が無いですね。にひひ。マスターが手を下せない今、ウィル子が風牙衆に手を下すとしましょう! ではでは、まずは兵衛とその取り巻きから」

 

ウィル子は電子世界にダイブして、兵衛とその取り巻きの動きをまずは封じる事にした。

京都に向かおうとしているのは気になるが、むざむざとそれを見逃すつもりは無い。

美琴を連れて行こうと言う行動がどうにも気になる。和麻が動けるのなら、一緒に出向いて企みがあるなら実力行使で潰せるのだが。

 

「でもウィル子もそれなりに実力行使にも出れますけどね。にほほほ、電子の精霊を侮ってもらっては困るのですよ」

 

ウィル子のサイバーテロを侮ってもらっては困る。如何に異能の能力を持ち、情報収集と機動力に優れた風牙衆とは言え、彼女の能力の前には無力。

パソコンを操作し、自らを電子世界にダイブさせ、風牙衆に攻撃をかける。

さあ、始めよう。マスターである和麻にばかりに負担はかけられない。

これはウィル子の正体が知れ渡るかどうかの瀬戸際でもある。

 

さあ見せてやろう。電子の精霊の力を。

風の契約者にして、あの神凪厳馬すら真正面から打ち破る程の存在をマスターにしている自分が、簡単に遅れを取るわけには行かない。

ウィル子の戦い方を、さらに見せ付けてやろう!

 

「行くのですよ」

 

彼女の攻撃が始まった。

 

 

 

 

夜の闇がゆっくりと消え始め、東より太陽が昇り始める。

兵衛は朝日を眺めながら、今日が良き日になることを願う。娘を生贄にするのは気が重いが、もはや四の五の言ってられない。

 

守るべき者、守らなければならない物、取り返さなければならないモノが彼には多くあった。

犠牲なくして幸せは得られない。何の犠牲も無く、前には進めない。自分は、自分達は犠牲なくして何かを得られるほど強くなど無いのだ。

 

懺悔など、後悔など後でいくらでも出来る。そう、すでに自分は流也を犠牲にしているのだ。息子である流也を人から魔へと堕としたのだ。

いまさらもう一人犠牲にしたところで……。

最後に地獄に落ちるのは間違いない。

だがそれでも自分には成さねばならない事がある。この身がどうなろうと、地獄に落ちようとも……。

 

「新幹線の時間はもうすぐだな。美琴の準備は整っておろう。そろそろ出るか」

「はい、お父様」

「うむ。今回の任務は我々の未来を左右すると言っても過言ではない。お前の働きに期待しておるぞ」

 

何も知らない、知らせていない美琴に兵衛はそう告げる。

生贄にされる少女は父を信頼し、自らの職務を果たすべく気合を入れる。

 

だがこの後、兵衛は今日中に京都に付く事が出来なかった。

 

「なっ、カードが使えないだと?」

「はい。我々のどのカードもです」

 

兵衛は駅の窓口で切符を買いに行かせた部下からの報告を聞いて驚きの声を上げた。

すでに予約はネットで行い、あとは切符を買うだけだったのだが、購入の際になってカードが使え無いと言う事態が発生した。

今回の京都行きは兵衛と美琴だけではなく、他に三人の風牙衆を引き連れての事だった。

 

重悟には事件の調査と美琴の修行と言い含めた。厳馬が倒されたことで京都の古い一族が何かよからぬ動きをするかもしれないと言う理由である。

京都には古より続く一族が多く、またその実力も高い。さらには神凪に反意を抱いている者も少なくなく、今回の神凪の騒動で多少の動きを見せていた。

そのあたりを重悟に言えば、彼も納得し許可を出した。その重悟も今頃は厳馬の見舞いに出向いているだろう。

さらに現金を引き出そうにも、口座の資金が凍結されていた。この事態はさすがに異常だ。

 

「すぐに銀行に問い合わせろ」

 

彼らは現金をあまり持っていなかった。いや、あるのだが、大人一人で東京―京都は約一万三千円。往復では二万六千円。それが大人五人分。さすがに十万円以上を現金で用意していなかった。

片道分だけでもと思ったが、妖気を憑依させた美琴はともかく、兵衛達が帰って来るためにはどうしても帰りの切符も必要なる。

言っても帰って来るのに足止めを受けるわけにも行かなかった。

だがそれ以上に資金が凍結されていると言う事態の対処のほうが優先された。

 

「ええい。お前達はすぐに車を用意しろ。路線がダメなら車を使うしかあるまい」

「はっ。すぐに準備を……」

 

五人で車一台なら、少し時間はかかっても何とかたどり着ける。

 

(だが今頃になって口座が……。一体誰がこのような事を。我らの裏資金を奪った相手か?)

 

兵衛は考えるが思い浮かぶはずも無い。ウィル子の正体を、能力を知らない彼にしてみれば、当然と言えば当然であった。

だが兵衛達の不幸は続く。彼らはここからしばらく、ウィル子により足止めを喰らい続ける。

 

車においては交通管理コンピューターをハックして、信号操作やら何やらで動きを封じ、ETCカードを無効化したり、他にも警察に兵衛達の乗るナンバーの車に爆弾を仕掛けただとか、犯罪者が乗っているやら、様々な小細工で足止めを敢行した。

最後は東京から出そうになったら、車の電子機器部分に工作し、エンジンがかからないようにもした。

 

兵衛達は完全に身動きが取れなくなっていた。

しかし兵衛も兵衛で諦めない。諦められるはずも無い。こうしてウィル子との壮絶な戦いが始まった。

 

 

 

 

都内、某病院。

神凪厳馬はこの病院の個人病棟に運び込まれていた。

彼が意識を取り戻したのは夕方になってようやくだった。

顔が些か腫れあがり、身体のいたるところに殴られたような痕があるが、それ以外は別段外傷はなかった。見た目的には。

 

しかし精神や肉体を限界まで酷使したため、全身を激しい筋肉痛が襲い一人で立ち上がることも出来ない始末。こうやって横になっているだけで激しい痛みが身体を襲う。

 

正直、上半身を起こすだけでもビキビキと全身を電流が流れるほどの苦痛が襲う。

持ち前の我慢強さと無表情でそれを外には出さないが、正直動くのがこれほど苦痛と感じたことはなかった。

厳馬は大人しく横になる。天井を見上げる。思い出すのはあの戦いの結末。一体どうなったのか、覚えが無い。

最後の殴り合いは無我夢中だった。負けられ無いと言う気持ちだけで厳馬は戦っていた。

 

しかし病院に運び込まれたと言う事は……。

 

「……私は負けたのであろうな」

 

意識を失った後、聞こえるはずの無い和麻の声を聞いたような気がする。

 

『俺の……勝ちだっ……』

 

かつての和麻からは想像も出来ない言葉。それが幻聴だったのかはわからないが、厳馬には確かに聞こえた気がした。

 

「まったく。知らない間に私の想像を遥かに超えて成長したとは」

 

父として自分を超えた息子を誇らしく喜ばしく思う反面、息子に敗北した自分が不甲斐なく悔しいと思う。

その時、コンコンと部屋を叩く音が聞こえた。

 

「……はい」

「どうやら意識は取り戻したようだな、厳馬」

「……重悟か」

 

厳馬はかつてのお互いの呼び方で重悟を呼ぶ。彼が宗主になって以来、彼を名前で呼ぶ事はなかった。けじめをつける意味もあったが、厳馬自身、自分が勝てなかった従兄弟に尊敬と畏怖の念を抱いていた故にだ。

 

「久しぶりだな。お前が私を名前で呼ぶのは。ずいぶん前から思っていたが、やはりお前にはその名前で呼ばれた方がしっくりくる」

「……申し訳ありません」

「だからそんなに硬く他人行儀になるな。私も宗主の地位を降りたのだ。先代と呼ばれるのも気が引ける。出来ればかつてのように気軽に重悟と読んでくれ、厳馬。あと敬語も禁止。まあ今すぐには無理だろうが」

 

そう言いながら笑う重悟に厳馬もふっと笑みを浮かべる。

 

「わかった。出来る限り善処する」

「しかしずいぶんと酷い有様だな。まさかお前がそこまで追い込まれるとは」

 

よっこいしょっとベッドの横の椅子に腰掛ける。

 

「……重悟。和麻は?」

「お前が発見された時にはお前以外には誰もいなかったそうだ。その前に匿名で救急車の要請があったらしい。状況を考えれば和麻だろう」

「私はおそらくは和麻に負けた。まさか和麻があそこまで強くなっているとは思っても見なかった」

「そうか。和麻は本当に強くなったのだな」

 

コクリと厳馬は頷いた。その顔は嬉しそうな、悔しそうな、複雑な顔をしているが。

 

「嬉しくもあり、悔しくもあるか、厳馬。まあ負けず嫌いのお前だからな。それに父親として、息子に超えられるのは誇らしいが、息子にあっさり抜かれるのは辛いか」

「……次に戦う事があるならば、決して負けはしない」

 

厳馬はそう言い放つが、和麻はもう二度と厳馬と戦わないと心に決めていたので、それは叶う事は無いかもしれない。

またその場合は、和麻は小細工を含めてかなり陰険なやり方で厳馬に勝利すべく動くだろう。

 

「ふふ。楽しそうだな、厳馬。私は正直羨ましいぞ。私には息子がおらん。そうやって真正面から息子とぶつかれるお前が本当に羨ましい」

 

重悟もそんな厳馬に少しだけ不満を述べた。

 

「して、厳馬。身体のほうはどうだ?」

「……お前相手に嘘を付いても仕方がないな。正直、まったく動かん。限界まで気と肉体を行使したせいで、数日はまともに動けんだろう。炎術ならば多少は使えるがそれでも煉どまりだろう」

 

それでも煉程に炎が使えると言えば、どれだけの人間が十分だろと言うだろうか。

この状態でも神凪宗家で類稀なる才能を持つ煉と同程度の炎ならば、分家最強の術者である大神雅人をも圧倒的に上回っているのだ。

 

「よい。今はゆっくり休め。仕事の方もお前が動く程のものはない。分家も今は大人しいものだし、口うるさい長老もおらんからな」

「ふっ、そこは和麻に感謝しなければな」

「お前の口からそんな言葉が出る事が驚きだが、確かにそうだな。では厳馬よ、私は一旦これで失礼する。まだやらなければならないこともあるし、お前の件も誤魔化さなければならぬからな」

「……私の件は何と?」

「あの時間、お前が戦っていた流星が落ちてきたと言うニュースが流れている」

 

厳馬はそれが和麻の風が起こしたと言う事を思い出した。

 

「にも関わらず、クレーターも出来ておらず、ほとんど何の被害も無かった。ゆえにお前が全力を持ってそれを破壊し、被害を抑えたと言う事にしておく。一応、間違いでは無いだろう?」

「……はい」

 

重悟もその噂の流星が和麻と厳馬の戦いにより起こったものだと薄々ながらに気づいている。だが一体、何をどうすれば風術師の和麻にそんな事が出来るのか疑問は尽きない。

だがそれを一々詮索するつもりも無いし、逆に好都合だった。

その流星は多くの人の目に留まっている。無かった事には出来ないゆえに、裏の社会での噂にも使える。

 

「では厳馬。身体を大事にしろ」

 

重悟は厳馬の病室から出て行く。一人残された厳馬はそのまま目を閉じ再び意識を手放す。

その顔は、どこか晴れやかだった。

 

 



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第十四話

 

兵衛は何とか東京から京都へと向かおうと必死だった。

だが何者かの妨害に合い、思うように動けない。移動手段も路線、自家用車、バス、空路と様々な物を利用しようとしたが、そのどれもが無理だった。

 

そもそも公共機関などを利用する際に必要になる金が使えないのだ。カードは使用不可能。現金は引き出せず手元にあまり無い。さらには携帯電話の使用さえ出来なくなってしまった。

 

(一体、これはどうした事だ!? 何者の仕業だ!?)

 

兵衛は狼狽した。あまりにもありえない事態だった。

 

「お父様、大丈夫ですか?」

 

娘の美琴も心配そうに声をかけるが、そんな彼女の言葉も今の兵衛の耳には届かない。

兵衛は何としても、急いで京都に向かわなければならなかった。

厳馬が動けない今、神凪の戦力が衰えた今、美琴に妖気を憑依させ、自分達の最強の手駒にする必要があったのだから。

 

(なにか、何か手は無いか……)

 

もうすでに出発をしようと考えてから丸一日経つ。丸一日も足止めを喰らったのだ。

本来ならば当の昔に京都の風牙衆の神を封じている場所についているはずなのに。

 

(このままでは身動きが取れぬ。かと言って、時間をこれ以上かけるわけにも……)

 

もはやパニックになりかけていた兵衛は、最善の策を模索しながらも、何も出来ずにうろたえる事しかできなかった。

だからこそ、パニックになりかけながらもこう判断した。

 

「移動手段が全て潰されたのでは仕方が無い。だが我らには風術と言う機動力がある。こうなれば、我らの力のみで京都に向かうだけだ」

「そんな!? 兵衛様、東京から京都まで五百キロ以上あります! さすがに我らでもそんな距離を短時間に移動するのは無理です! 下手をすれば三日以上かかります」

 

無茶だ、無謀だと部下が兵衛に言う。しかし兵衛は首を横に振る。

 

「我らは絶対に京都に向かわねばならぬ。ならば頼れるものはこの身体しかあるまい。それに全てを肉体と術に頼るつもりは無い。途中、幾つかの公共機関を使えばよい。それくらいの現金はあろう」

 

資金の凍結は別の風牙衆に調べさせている。神凪の方にもこの件は連絡してある。さすがに正規の口座が凍結されたと言うか、使えないようにされているのだ。

銀行も警察も動いている。サイバーテロの可能性もあり、彼らが対処に乗り出している。

だが自分達はそれ以上に重大な任を負っている。

 

「何としても、どんな事をしても京都に向かう。付いてこれぬのならそれで良い。だがワシは行くぞ。美琴も構わぬな?」

「はい。お父様。京都で不穏な動きがあるのでしたら、当然です。神凪一族の皆様のお役に立つためにも、私はどのような苦境でも構いません」

 

美琴は神凪一族の綾乃や燎のために出来る事をすると心に決めていた。風牙衆の中では綾乃や燎と言った同年代で、風牙衆を蔑む輩と組む事も無かったので、熟練の風牙衆よりも神凪一族への不満が少なかった。

そのため、彼らのためにこの任務を全うしようと考えた。

 

だが実際は風牙衆の一部、それも自分の父親が画策する神凪一族への反乱の片棒を担がされようとしていた。それどころか、その身を妖魔に捧げられる生贄にされようとしていた。

彼女はそれを知らない。ゆえに悲劇であった。

 

「うむ。それでこそワシの娘じゃ。では行くぞ。強行軍で進み、路線やバス、タクシーなども使えば二十四時間もあれば行けるであろう」

 

そして兵衛達は動き出す。

 

 

 

 

「……ありゃ。これはちょっと困った事になったのですよ」

 

ウィル子は街中の防犯カメラの映像から、兵衛達の動きを追っていたのだが、どうにも彼らは自力で京都へ向かおうとしている。

風牙衆は風術師。その機動性はかなり高い。和麻ほど非常識ではないが、一時間に普通の人間なら五キロしか進めなくとも、その倍以上を進む事が可能だ。

 

いや、もしかすれば三倍から四倍の速さで進めるかもしれない。

東京から京都まで約五百キロ。単純に一時間に二十キロ進んだとして、丸一日と少しあれば京都に到着できる。

と言っても、さすがに休まず一睡もせず移動するはずも無いだろうし、そんな事出来るはずが無い。せいぜい半日で百五十キロから二百キロが限界だろう。

 

「電車やバスを使ってくれれば、ウィル子でも何とかできますが、風術を使って自力で進まれると打てる手があまり無いですね」

 

うーんと悩む。携帯はまだ持っているのでGPS機能を使って位置を確認する事は出来るが、だからと言ってそれ以上に何が出来るか。

警視庁のデータをいじくり、彼らを指名手配して足止めするにしても、風術師である彼らを補足するのは困難である。

一応、足止めはかけたし、移動手段の大半を奪ったので、どんなに早くても彼らが京都に到着するのは和麻が目を覚ます頃だろう。

 

「出来る限りの足止めはしたので、ここからは更なる情報収集ですね。何で兵衛達が京都に向かっているのか。そこさえわかれば、少しは有利になるはずなのですよ」

 

何か言い情報は無いかとネットの海を渡り、アンダーグラウンドの情報も漁る。

しかしいい情報は出てこない。

 

「うーん。やはりここは神凪一族に聞くしかないですね」

 

ウィル子は一番情報を知ってそうな相手から、風牙衆の情報を得ようと考えた。

神凪一族最高権力者、神凪重悟。

彼ならば風牙衆の不穏な動きを伝えれば、何かしらのアクションを取ってくれるだろう。

そこを監視、または情報を聞き出すようにすれば……。

 

「にひひ。では早速神凪重悟に聞くとしますか。それに少しは神凪さんにも動いてもらいましょう」

 

ウィル子はまた暗躍を開始するのだった。

 

 

 

 

「と言う事でしばらくは厳馬は動けん。そのため宗家であるお前達には、しばらくは負担をかけるが頑張ってもらわなければならん」

 

神凪の本邸において、重悟が綾乃、燎、煉を呼び出し話をしていた。

厳馬と和麻が戦ってからすでに二日が経ってからのことだった。ここまで話が出来ずにいたのは、重悟が忙しくて中々時間が取れなかったと言うのもある。

内容は厳馬がしばらく入院すると言う話しだ。無論、和麻と戦ったなどの話は一切していない。

 

「でもまさか厳馬おじ様が入院するなんて」

 

信じられないと綾乃は呟く。厳馬の強さは綾乃も良く知っている。重悟と唯一戦う事ができた炎術師と言うことは尊敬するおじである雅人からよく聞かされ、その武勇伝も一緒に伝えられていた。

そんな厳馬が入院するなど、とてもではないが考えられなかった。

同時に神凪内でも厳馬の入院の話は瞬く間に広がり、大なり小なり動揺が広がっている。

 

「確か流星を周囲の被害が出ないように破壊するために、ほとんどの力を使ったとか」

 

「厳馬おじ様が本気を出さないとだめだったとか、どんな凄い流星よ」

 

燎の言葉に綾乃も呆れたように言う。

 

「そうだな。一体どれほどの力だったのか」

 

重悟も二人の言葉に相槌を打つ。ただし彼の場合、それがただの流星ではなく、和麻が起こした何らかの術であると考えたゆえの疑問だった。

厳馬の実力は良く知っている。その厳馬が負けを認めるほどの強さと威力。

和麻は本当にこの四年でどれだけの力を得たのか。それを得るには並々ならぬ努力があったのは間違いないだろう。

 

だがそうなると大阪での一件が気になる。それほどまでの力があるのならば、何故和麻は綾乃を巻き込んだ。

厳馬並みの力があるのならば、単独で討滅は出来なかったのか。

 

(いや、まさか。そんな和麻でさえも単独では手に負えない相手だった?)

 

その考えに至り重悟は戦慄した。綾乃と協力してあっさり勝てたと言う話から、妖魔の強さは綾乃以上でも厳馬には遠く及ばない程度と考えていた。

だが逆に、和麻の力が厳馬以上であったのなら、その妖魔はそれ以上の強さと言う事になる。

 

(そんな妖魔がまさか国内にいるとは……。二人が無事であってよかったが、何故和麻はそんな妖魔に追われておったのだ?)

 

疑問は尽きない。考え出せば、様々な憶測が生まれるがそのどれが正解なのかわかるはずも無い。

 

「? どうかしたんですか、お父様?」

 

父が何か考え事をしているのに気がついた綾乃が声をかけた。

 

「むっ。いや、少し考え事をしていたものでな。しかしお前が気にかけることの程のことでも無い」

 

重悟はいかんいかんと自分に言い聞かせる。今はそれよりもこれからの事の方が問題だ。

 

「お前達はまだ成人しておらぬし、今このような話を聞かせても困惑するかも知らぬが、神凪がこんな状況で厳馬もしばらくは動けぬゆえに、話しておかねばならぬことがある」

 

本来ならこんな話をするのはこの子達が大きくなり、外の世界を知る時期が来てから話すつもりだったが、そんな事を言っていられる状況でもない。

 

「知っての通り神凪は炎術師としては最強と目される一族だ。それゆえに敵も多い。それは妖魔だけに限った事ではない。同じ人間、他の古い一族や術者の組織とも争いごとが絶えぬ」

 

重悟は淡々と説明を行う。

 

「お前達は知らぬであろうが、今までにも他の一族との小競り合いはあった。術者として、または炎術師として名を上げようと神凪に挑戦してくる者や妖魔、人間問わず我らを恨み、その血を根絶やしにしようとする者もいた。私や厳馬がお前達くらいの頃や、成人してからしばらくの間に、何回かそのような手合いと戦った事もある。俗に言う一族滅亡の危機と言うやつだな」

 

重悟は笑いながら自分と厳馬の武勇伝を冗談半分に言う。

 

「まあ当時も一族の存亡と言われても、実際は死者も出ずに私と厳馬で解決したと言うものだが。と、話が逸れたな。とにかく、このように一族が混乱している時に何かしらのよからぬ行動に出ようとする輩が出るかもしれん。事実、兵衛の情報では京都のほうで不穏な動きがあるとのことだ」

「あっ、そう言えば美琴が仕事で京都に行くって言ったな」

「そうなの? 美琴も大変ね。京都まで行かなきゃならないなんて。帰ってきたらきっちりと労ってあげないと」

 

燎の言葉に綾乃が友人の少女に、どんな事をしてあげるといいかなと考える。

 

「風牙衆の働きには私も頭が上がらん。しかし一族ではそんな彼らに対しての評価は悪い。厳馬も厳馬で風術を下術と言うからな。厳馬ももう少し考えて発言してもらいたいのだが……」

 

戦う事が出来ないという事は、大切な者を守れないと言う事だと厳馬は思っていた。それが完全な間違いではないが、視野が狭すぎるなと重悟は思う。

いや、妖魔と戦う術者にとって見ればそれは当然なのだ。力なくば蹂躙される。どれほどの機動力も、どれだけの情報収集力も、強大な力を持つ妖魔の前には無力なのだ。

 

人間相手には風術師は優位に立てるが、妖魔と相対した時、彼らは脆弱な存在に成り果てる。

裏の世界で、魔と戦う術者に戦う力が無いなど合ってはならない。力が無ければ何も守れない。ゆえに厳馬は風術を下術と言うようになってしまった。

 

「と、また話がずれたな。京都のほうは兵衛達からの報告待ちだが、一応心構えだけはしておいて欲しい。無論、すぐに戦いに発展すると言うわけではないが、宗家として出向く場合もあれば、万が一と言うこともある。その時は分家も総動員するが、分家最強の雅人でさえ、単純な炎の出力では煉にも劣る。まあ奴はその分、戦い方がうまいがそれでも火力に不安が残る」

 

と言っても分家最強の大神雅人の実力は術者の中では一流クラスで、宗家には一歩劣るもの、それでも十分と言ってよかった。

そして分家最強コンビの大神武哉と結城慎吾だが、こちらは組めば宗家に匹敵すると言う評判もあり、こちらもかなりの術者としては及第点は十分だった。

 

しかしそれは神凪宗家の一般的なレベルと言える。

現在の宗家の若手である綾乃、燎、煉は基本的にその一般的な宗家のレベルよりもかなり高いレベルや潜在能力を有していた。

正直、雅人や武哉と慎吾のコンビでも真正面からの炎の打ち合いでは煉にあっさり負けると言うなんとも悲しい実力差であった。

ただ、それがそのまま勝敗に直結することではないので、戦力と言う意味ではこの三人は十分と言える。

 

いや、神凪宗家が異常なだけなのだ。

分家のトップクラスの術者ならば、世間一般的に見た術者の世界では畏怖の念を抱かせる強さがある。

大神雅人も神凪宗家から見ればそれなりの術者だが、術者の界隈では超一流の実力者と思われているのだ。

 

「だからこそ、お前達には心構えだけでも持っていてもらいたい。なに、そこまで心配はいらん。刃を交えるのは最後の最後であり、そんな状況になるのは稀だ。煉もそう硬くならずに、いつもどおりにしておればよい」

「あっ、はい……」

 

この中で一番幼く、まだ心構えも出来上がっていない煉に重悟は優しく言う。重悟もさすがに十二歳の煉に、人間同士の殺し合いの経験をさせるべきではないと思ったからだ。

 

「今の所、兵衛達からは何の連絡も無い。もうすでに京都についているはずだが、携帯もつながらんからな」

「お父様、それってまさか美琴達に何かあったってことじゃ?」

「まさか。兵衛達は優秀な風術師だ。確かに戦闘力こそ高くはないが、それを一番理解しておるのは彼らだ。無茶はしないだろうし、今回は数人で行動している。万が一何かあれば、誰か一人くらいを逃がす事はするだろう。それに連絡が付かないと言ってもまだ兵衛達が京都に向かって一日しか経っておらんのだ。そう心配することもあるまい」

 

重悟は風牙衆が優秀な集団であると言う事を神凪の中では誰よりも理解している。兵衛も風術師としては優秀で老練な使い手でもある。以前にもこう言った小競り合いがあり、その際も若かった兵衛は情報収集で活躍している。

 

「もっとも、明日の朝までに連絡が無ければさすがに心配ではある。その時はさらに風牙衆の人員を京都に送る。その際は綾乃、お前も雅人と共に京都に向かってもらうぞ」

「ええ。もし誰かが神凪に喧嘩を売ってきたら、あたしが返り討ちにするわ」

「頼むから穏便に済ませてくれ。お前も次期宗主なのだから、いつまでも力押しではいかんのだぞ」

 

猪突猛進気味な娘に軽い頭痛を覚える。もう少し女の子らしく育てればよかったと若干後悔していたりもする。

 

「話しはこれで終わり……何者だ!?」

「「「!?」」」

 

重悟の言葉に全員が息を飲む。彼の視線の先、綾乃達の後ろに注がれる。

全員が一斉に後ろを振り返る。そこには真っ黒な衣服に身を包んだ謎の人物がいた。顔はローブのようなもので覆われ、うかがい知る事が出来ない。

 

「っ!」

 

綾乃は即座に炎雷覇を抜き出し相手に向けて構える。また燎も同じように炎を召喚し、いつでも放てるようにする。

 

『突然の訪問失礼します。神凪一族の神凪重悟氏に少々お聞きしたい事がありまして』

 

どこか機械音のような声。明らかに人間のものではなかった。

 

「……何者だ?」

 

重悟は座ったままの体勢で相手に聞き返す。だが彼も即座に炎を出せる体勢にある。重悟は事故の影響で一線を退いたものの、未だに炎だけ見れば厳馬に匹敵、否、それを上回る。

 

座ったままでも、それこそ指一本動かさずとも、彼は視界に映る物をすべて燃やしつくせる。

しかし彼はそれをしない。いつでも出来るという事もあるが、彼らの目の前にいる存在から、一切の気配を感じなかったからだ。

 

『そうですね。匿名希望、いいえ、ジグソウとでも名乗っておきます』

「ジグソウ? あんたふざけてるの?」

『はい。名前に関してはかなりふざけてます』

 

綾乃の言葉にジグソウと名乗った人物はそう返した。その発言に綾乃の頭に青筋が浮かぶ。

 

『と言うか、こんな怪しい格好して、最強の炎術師の一族の、それも歴代でも最高クラスと言われた術者の前に立とうと言うのをまともでできますか。とても出来ませんね』

「……あんた、酔ってるの?」

『いいえ。私は酒にも麻薬にも酔ってませんよ。ただ自分に酔っているだけです』

 

ピキリピキリと綾乃は青筋をさらに増やしていく。

 

「しかしもう少し礼儀は弁えて欲しいものだ。ここは神凪一族の本邸であり、今は大切な話し合いの最中。しかも何の連絡も無くこの場に姿を現すのは失礼極まりないと私は思うのだが」

 

綾乃がキレかけているのを察しながらも、重悟は一人冷静に話を行う。

むやみに切りかかったり、炎を召喚しない辺り大人な対応と言える。

 

『無礼はお詫びします。しかし事態は急を要するので』

「ほう。急を要する事態とな。それは神凪一族にどのような関係があるのか……」

『神凪一族滅亡』

 

短く言い放たれた言葉に、その場の誰もが表情を一変させた。

 

「神凪一族、滅亡? あんた、それは何の冗談よ」

『冗談で済めばいいですが、下手をすればそうなりますよ』

 

綾乃の言葉に謎の人物は変わらぬ機械音で言い放つ。

 

「滅亡。あまり穏やかな話ではないな。詳しく聞かせてもらいたいものだな」

『はい。そのためにここに来たので。あっ、茶菓子とかはいりませんよ。食べる気無いですから』

「んなもん出すか! 図々しすぎるでしょ、あんた!?」

「あ、綾乃様落ち着いて!」

「そうですよ、姉様! それに炎雷覇を振り回さないでください!」

 

一番年上である綾乃が燎と煉に落ち着かされる光景に、本当にこの娘はと重悟は悲しくなってきたが、今はそれよりも大切なことがある。

 

『いや~、神凪一族さんも大変ですね。この子が次期宗主じゃ。結構不安じゃないですか?』

「……」

 

問われた重悟は無言であった。

 

「えっ、あのお父様。フォローとか無いんですか?」

「……この状況で出来ると思っておるのか?」

「綾乃様、ご自身の行動を考えてください」

「姉様。自重してください」

 

そんな三人の視線に綾乃は言葉を無くし、かなりショックを受け涙目になってしまった。最後にはいじけていじいじと部屋の片隅でのの字を書いている。

 

「まああの娘の事は置いておいて、ジグソウとやら。事情をお聞かせ願いたい。そちらに敵対の意思が無いのは気配でわかる。と言うよりもそちらからは一切の気配を感じない。そこにあるのは虚像と言ったところか?」

『正解です。私はここにはいません。本体は別のところにいますので。気に喰わなければこの虚像を燃やしても構いませんが、そうなった場合、神凪一族は滅亡するとお考えください』

「いや、私も一族の存亡に関わる話だけにそのような事をするつもりは無い。ただしこちらに害があると分かれば、即座に行動に移らせてもらうが」

 

重悟は話を聞くといいつつも、相手に釘を打つ。

 

『それで結構です。さて。ではどこから話しましょうか』

「神凪の滅亡に関わる要因について話していただきたい。今、京都の方で不穏な動きがあるという話しは知っているが、まさか京都の古い一族が神凪と敵対すると言うのか」

 

重悟は手持ちのカードをまず切る。相手の話が本当か嘘かは聞いてみないとわからないが、こちらもある程度の情報を握っていると言うアピールを行う。

 

『いいえ、違います』

 

だが相手はそれを否定した。

 

『確かに京都の方で多少の動きがあるのは間違いないですが、それも小さな物。末端のチンピラが騒いでいるだけで、上の方は静かなものです。問題は神凪内部です』

「なに?」

 

相手の言葉に重悟は眉をひそめる。

 

『風牙衆。長である風巻兵衛と一部の者が神凪に対して反乱をたくらんでいます』

 

えっ、っと綾乃が息を飲む。燎も、煉も同様に驚いた顔をする。重悟も同じように驚いた顔をしているが、どこか納得しているようにも見受けられた。

 

「風牙衆が反乱? 何の冗談よ、それ」

『事実です、神凪綾乃。あなたは先日大阪で妖魔に襲われましたね』

「ええ。って、何でそれを知ってるのよ」

『その際あなたは警察にお世話になっているでしょう。他にも色々と噂は流れています。その妖魔のことですが、あれは元々人間でした』

「あれが、元人間?」

 

綾乃は思い出す。あの身の毛もよだつような、全身が凍りつくような妖気を纏った人間のような存在。だがあれは断じて人間と呼べるようなものではなかった。

 

『はい。彼の正体は風牙衆の長の息子、風巻流也です』

 

突然の正体の判明に綾乃だけでなく、その場の全員が驚愕を浮かべた。

 

「えっ、流也って。何で流也が……」

 

燎も事情を飲み込めていないのか、言葉が出てこない。

 

『これもまた事実です。調べてみればわかります。もうこの世のどこにも風巻流也と言う人間はいません。彼が病気で療養している施設、もしくは場所に行ってみればわかります。そこに彼はいません。先日、大阪で綾乃に討たれたのですから』

「そんな、あれが流也って。美琴のお兄さんだったなんて」

『まあ悔やんでもどうにもなら無いでしょうね。浄化しようにも完全に妖気に取り込まれ、自我を壊されていたのでは神凪の炎でも本質的な救済にはならないでしょう。ならばっさりと消滅させてやるのがせめてもの情け。それともあなたは自分の炎で流也を助けられると思いますか?』

 

問われて綾乃は何も言えない。無理だと思ったから。明らかに手遅れだった。あれは仮に厳馬や重悟でも浄化して助けるなんて選択肢は出来ない。

人間の身体に異物である悪霊や妖魔、妖気が取り付いても神凪の浄化の炎ならそれだけを焼き尽くし、人間を助ける事は出来る。

 

ただしそれは人間の傷ついていても魂や精神が消滅しておらず、肉体が変質しきっていないと言う前提があってのことだ。

魂や精神が悪霊や妖魔、妖気に消滅させられていれば、肉体が無事でも死んでいるも同じ。

また肉体が変質し、人間のものでなくなりきってしまっていた場合も、また然り。

 

『終わってしまった事はいいですが、風牙衆……と言うよりも風巻兵衛は流也を使い神凪一族に反乱を企てました。で、大阪では綾乃を誘拐しようとしていました。それが何を意味するのか、あなたはわかりますか?』

 

重悟はその言葉に言葉を詰まらせる。何か、彼にも思うところがあったのだろう。

 

『なるほど、それなりに心当たりがあるようで。しかもこの場での言及は出来ない。神凪としてはあまり表ざたにしたくはない、と言うよりもこんな素性のわからない相手に話したくは無いと言う所でしょうか』

「……その話が事実かどうかもわからんのだ。下手な事を言及する事は出来ん」

『ご尤も。まあいいですけど。あなたなら何か知っていると思いましたが、やはりビンゴでしたね』

「どうやってこの情報を?」

『企業秘密です。ですが今、風巻兵衛が京都に向かっているのも、反乱には無関係では無いでしょう』

 

さらなる情報を重悟へと渡す。

 

『しかし語るつもりが無いと言うのなら、私はここで立ち去らせてもらいます。こちらとしては欲しいのは情報であって、神凪がどう動こうとも、どうなろうとも別にいいので。では……』

 

そういい残すと、その人物は何の前触れも無く姿を消した。

 

「……気配も一切せんな」

 

重悟はポツリと呟く。炎術師の彼では調べるのにも限度がある。それでもアレはあまりにも気配が薄すぎた。と言うよりも術の気配が一切しなかった。

 

「……周防」

「はっ、ここに」

 

重悟に呼ばれると、一人の男の声が何の前触れも無く襖の向こうから聞こえてくる。入室を許可されると、彼はすぐに重悟の横による。

 

「風巻流也について調べよ。所在は以前に兵衛がこちらにも届けている。そこからの足取りを早急にだ。だが風牙衆には内密に。国内の情報屋を使っても構わぬ。だが今すぐに、短時間にだ。それと今この場に現れた人物についてもだ。そちらは風牙衆に内密に調べさせろ。急げ」

「はっ」

 

短く返事をすると、彼は文字通りに姿を消した。何の前触れも無く唐突に。

彼は宗主の側近であり懐刀でもある。その存在を綾乃達は知っていても、どんな実力があるのか、またいつから重悟に仕えているのかは一切知らない、文字通り謎の人物である。

 

風牙衆に謎の人物の動きを調べさせるのは、まだ疑惑が確定していないのと同時に、彼らにこの件から目をそらせるためだ。

神凪の屋敷に侵入を許したとあれば大問題だ。それだけで風牙衆を総動員する理由にはなる。彼らも必死になって情報を集めよう。

そして風牙衆に疑惑を浮かべる自分達から注意を逸らす事ができる。

 

「お父様、まさかさっきのあいつの話を信じるんですか?」

「それはまだなんとも言えぬ。だが疑惑があるのは間違いない。兵衛達に連絡が付かない理由も、自分達から絶っていると考える事も出来るからな」

「けど風牙衆が反乱を起こそうとしているって、まさか美琴も……」

 

燎の呟きに綾乃は表情を暗くする。あの美琴がまさかと言う気持ちだ。彼女の事は良く知っている。とても優しくて気が利く真っ直ぐな少女だ。そんなはずが無いと綾乃は言う。

 

「それに風牙衆はずっと神凪の下で働いてきたじゃない……」

「……丁度よい機会だ。風牙衆が反乱を起こそうとしているにしろ、違うにしろ彼らについて話しておくべきであろう。特に綾乃、お前は次期宗主として知っておかなければならん」

 

険しい顔で重悟は語り始めた。風牙衆の歴史を。

 

 

 

 

「……ふぅ。やっぱり疲れるのですよ」

 

ウィル子はホテルに戻り、パソコンから出て一息つく。

ジグソウと名乗り重悟達の前に出たのは結構綱渡りだった。と言っても、さすがに本体で出向いたわけではなく、事前に用意していた投影機から映像を映し出し、立体映像を矢面に立てていた。

 

自分は相変わらず静かにネットに潜み、音声だけを流していた。その音声も合成であり、ウィル子を特定するものではない。

少し動きすぎてこちらの正体を詮索される危険性は高いが、和麻が動けない今、風牙衆を牽制、もしくは封殺するには神凪を利用するのが一番だ。

 

下手に外部を使えば神凪との衝突で余計に話がこじれかねない。ならば神凪そのものを利用すればいい。

疑惑と言うものを広めてやれば、向こうもそれの確認やらで動かざるを得ない。しかもそれが事実であり、風牙衆が反乱のために何らかの準備をしているとなれば神凪も静観していられるはずも無い。

 

ウィル子としては情報だけいただけばいいかと思ったが、こっちばかり面倒ごとをするのは嫌だと思い、この際神凪にも動いてもらおうと途中で考えを転換した。

 

「にひひひ。さて、これで向こうも動くでしょうし、実力行使になれば風牙衆は少々荷が重いでしょうね。情報も神凪重悟の会話を聞けば手に入りますし一石二鳥ですね」

 

極悪に笑うウィル子。もし和麻が起きていれば、彼もここに加わって盛大に高笑いしていただろう。

一手で様々な問題の解決と言うか騒動を大きくして、さらに風牙衆を追い詰める。

 

「風牙衆同士の連絡も今は携帯電話の機能を止めて出来なくしているので、東京に残る風牙衆が京都に向かう風牙衆に連絡を入れるのは不可能。神凪も事実確認さえ出来れば風牙衆を拘束するでしょうから、これで兵衛も摘みですね」

 

連絡も取れず情報の共有が出来ない上に、兵衛達は神凪が反乱の情報を得たと言うのも知りえない。

ここから神凪が京都に兵を向け彼らを拘束すれば終わりだ。例え逃げようとも、彼らに行くところはなく、資金も使えない状況だ。もはや兵衛は諦める以外に無い。

 

「これで一件落着ですね。あとは兵衛をはじめ、ウィル子達の情報を知るものを消して、こっちの情報を隠蔽すれば終了なのですよ」

 

にほほほと笑顔を浮かべながら、ウィル子は作業を続ける。

だが彼女は知る由も無い。

まだ兵衛は終わってはおらず、諦めていないという事を。

彼らが京都に向かう理由とその決意を。

 

 



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第十五話

 

「まずは神凪と風牙衆の成り立ちだが、そもそもこの両者は祖を同じとするものではない」

 

重悟は綾乃達に神凪と風牙衆の成り立ちを説明する。

 

「三百年前の事だ。風牙衆は強大な風を操る一族として栄えていた。いや、暗躍していたと言うべきか。暗殺、誘拐、破壊工作と金さえ積めば何でも請け負う闇のだったらしい。だがあまりにも残虐な行為が多すぎたため、時の幕府から神凪に討伐命令が下った。激しい戦いの末、ついに我々の祖先は風牙衆の力の源を封じ、力の大半を失った風牙衆を下部組織として吸収した」

「力の源? 何かの宝具とか?」

「違う。妖魔だ」

「妖魔っ!?」

 

綾乃が驚きの声を上げる。

 

「ああ。それもただの妖魔ではない。神に近い力を持っていたとされる大妖魔だ。いや、違うか。大妖魔ではなくかつては神であり、そして人により堕とされた神と言うやつだ」

 

それは一神教における造物主とも言えなくも無い。

この世界、この業界における純粋な神と言う存在は超越存在と言う意味であり、人間には決して倒す事の出来ない、封じる事が出来ない存在の事である。

人が倒した、封じた時点で、それはすでに神ではない。かつてそれが超越存在としての神であったとしても。それを封じる際に例え精霊王の力を借りたとしても。

倒された時点で、封じられた時点で、その存在は貶められる。神としての存在価値を失った。信仰自体も弱まる。人の概念が、意思が、想いが形骸化し、神は力を失う。

 

神話にもよくある話しだ。

同一の存在でもある国では神でも、ある国では悪魔として扱われる。かつては神でも、何らかの理由で悪魔に貶められる。

風牙衆の神もそれと同じだった。神でありながら、神の座から引きずり落とされ、様々な要素が絡まりあい、神は妖魔へと堕ちた。

それが今の風牙衆の神の正体である。

 

「この話は代々時の宗主にのみ口伝される話だ。三百年前、一体どのようにして神を倒したのか、また封印したのか。そのあたりの伝承は失われておるが、おそらくは精霊王のお力を借りたのでないかと思う」

 

精霊王とはこの惑星の全ての精霊を統べる存在であり、四つの属性にそれぞれに存在するとされる。

神凪の始祖が契約し、炎雷覇を賜ったとされる炎の精霊王。和麻が契約を結んだ風の精霊王。他にも水と地の精霊王がいるとされるが、すべての精霊王を確認したものなど存在しない。

 

「話が少し逸れたか。とにかく風牙衆はそう言った経緯で力を失い、神凪の下部組織になった」

「そうだったんだ。でもじゃあ、仮に風牙衆が反乱を起こそうって考えてるんだったら、その大妖魔を蘇らせようって事?」

「おそらくはな。だがまだ確定情報ではないゆえに口外はするでないぞ。ただでさえ混乱している今の神凪をさらに混乱させるだけだ。それに封印に関する全ては代々の宗主のみに伝えられる秘伝であり、封印の地や解法を風牙衆が知りえているかどうかもわからぬ」

 

疑惑の段階であり、表立って騒ぎ立てるのは問題だと重悟は三人を言い含める。

 

「それに封印には何重もの安全弁を設けている。そう容易く封印を解く事はできぬ」

 

重悟は封印の解除の仕方を知っている。封印を解除するには神凪の直系が必要なのだ。

だがこの場に神凪の直系はほとんどそろっており、封印を解除できる可能性があるのはこの場にいない厳馬を含めて五人のみだ。

煉の母親である深雪や燎の両親も直系だが、彼らの耐火能力は何故かあまり高くなかった。能力的には分家を超えているのは間違いないが、宗家として考えるとあまり高くは無い。

 

燎の両親も以前の退魔の事故で能力自体が低下しており、風牙衆の神を解き放つのに必要な能力が失われている。

つまり風牙衆が反乱のため京都に向かおうとも、封印を解除する事が出来ないのだ。

 

もしこれが宗家の煉や燎、もしくは綾乃が誘拐されていたのならば、重悟はここまで落ち着いていられなかっただろうが、現状はまだそこまで深刻化していない。

問題があるとすれば、この三人が誘拐されないかどうかだろう。厳馬に関しては心配していない。あいつはあの状態でも、おそらくは自分の身を守るくらいはするだろうし、衰えたとは言え重悟自身も簡単に遅れを取るつもりなど無い。

 

(念のため、煉や燎達に護衛をつけるべきだな。分家の手だれを数人ずつつければ、簡単に遅れは取るまい)

 

周防の報告待ちだが、もし仮に風牙衆……兵衛が神復活に向けて動いていた場合、何としても阻止しなければならない。

 

(だが兵衛が反乱を企てていた場合、神凪の直系を確保していない状態で何故京都に向かう? 反乱とは何の関係も無く、本当にただの調査だったのか。それとも……)

 

重悟は頭の片隅で、言いようの無い漠然とした不安を広がらせながらも、周防の報告を待つことにした。

そして、周防からの報告が上がったのは、次の日のことだった。

 

 

 

 

「……あー、だるい」

 

和麻はホテルのベッドの上で、ゆっくりとまぶたを開けながら、気だるげに呟く。

厳馬との死闘から約三日。予想通りの時間に和麻は目を覚ました。

 

「あっ、マスター。目が覚めましたか」

 

声の方を見ると、変わらずにウィル子の姿がそこにはあった。

 

「……何日寝てた?」

「三日と半日ですね。今はもうお昼の二時ですが」

 

パソコンで日時と時間を表示した画面を見せながら、ウィル子は和麻に言う。

 

「身体の方はどうですか?」

「……あんまりよくないな。身体がだるい上に腹も減った。ったく、聖痕使った上に全力戦闘の殴り合いなんてするもんじゃねぇな」

 

もう二度とするかと、和麻は心に誓う。

次に戦う時は小細工や小技など、せこい手を存分に使って厳馬を倒すつもりだ。

そんな和麻の様子を見ながらウィル子が苦笑する。

 

「やっぱりマスターは裏で暗躍しておいしいところで出て行って、あっさりと勝ちを奪う方が似合ってるのですよ」

「俺もそう思う。だいたいなんだ、厳馬と戦った時の俺は? 明らかに俺じゃなかったぞ。脳内麻薬でも分泌してたか?」

「もしくはカズマ、あるいはローマ字でkazumaにでもなってましたか?」

「どこの痛い主人公だよ、俺は」

「いえいえ、十分に厨二病の要素はありますよ、マスターは」

 

ファンタジー能力に最強設定に邪気眼ならぬ聖痕と、見る人が見れば厨二病だと言うだろう。

 

「アホ。誰がそんな痛い台詞を振り回す奴になるか。つうか腹減った」

「そりゃ三日も食べてないのですから。しかし人間と言うのは不便ですね」

「お前だってデータを食うだろうが。とにかく飯だ、飯。飯と酒を寄越せ。出来なかった祝杯を挙げるぞ」

「にひひひ。了解なのですよ。あっ、でも急に重いものを食べると身体に悪いのでおかゆなどの身体にいい物を頼んで、祝杯は夜からにした方がいいのですよ。ネットで適当にメニューを見つけてホテルのほうで出すように言いますので」

「あー、そうだな。いきなり食って腹壊すのも馬鹿らしいからな」

 

ウィル子の言葉に和麻も同意する。

 

「じゃあ注文を頼む。ああ、あと俺が寝てた間に何かなかったの報告。神凪・風牙衆、両方のな」

「はいなのですよ。ここ数日で色々とウィル子も動いたのと神凪・風牙衆にも動きがあったので」

 

ウィル子は料理を注文すると同時に、その間に和麻にこの数日にウィル子がどんな行動を起こしたのか。

また神凪と風牙衆がどう動いたのかを報告した。

 

「なるほど。神凪に接触したのか。結構危ない橋渡ったな」

 

用意されたおかゆなど、身体や胃の負担になりにくいものを食べながら、和麻はウィル子の話しに耳を傾ける。

 

「はいなのですよ。他にも風牙衆には足止め工作をしましたので。それとこれがその際の会話と後の神凪重悟の話です」

 

ウィル子は音声を流し、風牙衆の成り立ちを和麻に聞かせる。

 

「まあそうだろうな。神凪と風牙衆じゃ力の質も強さも違いすぎてる。むしろ同じだと言う方がおかしい。しかし神か。本当に神だったら、精霊王の直接召喚でもやらないとまずどうにもなら無いだろうな」

「マスターなら直接召喚できますか?」

「どうだろうな。やったこと無いし、やれるとも思えない。聖痕使う以上にリスクしか無いだろ、それ」

 

そもそも今のこの時代に、そんな存在がいるはずも無い。神などの超越存在はこの世界とはまた別の世界に消え去っているはずだ。

 

「風牙衆の目的が神の復活って言うのなら、京都に向かってるのもそれ関係だな。だが宗主が慌てて無いって事は、封印が解かれる事は無いと思ってるってことだ」

「じゃあ何で風牙衆は京都に向かってるんですかね? 他に何か目的が?」

「考えられるのは、神が堕ちて妖魔になったって言う点だ。妖魔ってことは妖気を操る。流也に憑いてたあの妖気は尋常じゃなかった。あんな妖魔、どこで手に入れたんだって話しだろ? だがそれが風牙衆の神の力を借りてたって言うのなら、話はわかる」

「つまり神の封印が解けかかっていると言うことですか?」

「可能性はあるだろ。封印なんて長期間何もしなけりゃ劣化するなんて当たり前だ。封じてる奴が強ければ強いほど、封印は強固にかけ続けないと意味が無い。もし三百年間放置していた場合、解けて無くても封印が弱まっていることはある」

 

和麻は少々味気なかったが、満腹になったのに満足しながら、冷たいお茶で喉を潤す。プハッと息を吐く。これがビールや酒なら言う事がなかったのだが。

 

「じゃああの流也はその神の力を得ていたんですね」

「多分な。だが封印されててその一部だけでアレだけの力を発揮するってのは驚異的だ。もし憑依してすぐにアレだけの力を発揮できたんなら、本体はかなり強い事になる」

 

身体になじみ合う時間があったにしろ、それを完全に制御しきった流也。その力は和麻に匹敵するどころか超えていたのだ。

もし神が復活したなら、どれだけの力を持った存在なのか……。

 

「今から京都に向かって風牙衆の神を封印ごと消しますか?」

「そうだな。けど正直まだ俺の身体が万全で無いからあまり動きたくない。今でようやく本調子の半分程度だ。もう無茶って言うかあんな真正面から戦うような真似はしないが、もし封印が解けた場合の事を考えたら、ガチンコもありえる。流也で懲りてるからな」

「あの時は正直焦りましたからね」

「ああ。だから出来る限り、体調を戻しておきたい。栄養のあるうまい晩飯食って、もう一回眠れば、八割前後まで回復するとは思うから、行動はその後だな。他にもアルマゲストの連中から奪った回復薬とか金に物言わせて手に入れた回復薬とか使えば、明日には万全の体調には戻るだろうよ。ちなみに厳馬はどうだ?」

「えっとですね、今の所、退院の目処はたってませんね。しばらくは入院生活ですね」

「くくく。聖痕使って限界超えた俺の方が回復は早いか。やっぱりあいつも耄碌したな。俺とじゃ若さが違う」

 

と、実に気分良さそうに極悪そうに言う和麻。起きて落ち着いて、ようやく厳馬を倒した実感と歓喜をわきあがらせることが出来た。

倒した直後は和麻も限界であり、ここまで余裕が無かったから致し方ない。

 

「けど万が一のために“アレ”を用意しておくか」

「あれって、エリクサーですか? でもあれは一つしか無い上に、もう二度と手に入らないかもしれないですよ」

「違うぞ。エリクサーなんて代わりの無いモノを使うかよ。まあ用意しておいても損はないが、前に一回使ったアレだよ、アレ」

「……ああ、アレですか。珍しいですね、マスターがウィル子にアレを要求するなんて」

 

和麻の言葉に得心が言ったように頷くウィル子だったが、逆に彼がアレを要求してくるのが珍しく聞き返した。

アレは現在手元にない。もしあれが手元にあれば流也との戦いは綾乃を巻き込まずに、和麻とウィル子との二人だけで勝てただろう。

 

和麻の切り札の一つ。それを準備すると和麻は言うのだ。

 

「大妖魔相手に下手な小細工は効かないからな。人間相手だったら、いくらでも手があるのにめんどくさい」

 

めんどくさいのだったら、もう風牙衆に関わらなければいいだろうと思われがちだが、風牙衆はこっちの情報を握っているかもしれないし、このまま済ませるわけにはいかなかった。風牙衆自体は放置でも、兵衛だけは見逃すわけには行かなかったのだ。

 

「と言うわけで、明日の朝には京都に向かうぞ。兵衛達はまだ着いて無いんだ。仮についてても、いきなり神の復活は無いだろ。そもそもそれが簡単にできるんだったら、もう連中はそれを真っ先にやってるだろうからな」

 

和麻は現時点で最悪の展開を予想しながらも、まだ余裕があった。と言うよりも万全の体勢に無いゆえに、慎重を期そうとしたのだ。

 

「了解なのですよ。ではどのような手段で向かいますか? 新幹線か飛行機ですか?」

「ヘリでもいいな。ジェット機があればそれに越したことは無いが」

「ヘリですか。ちょっとチャーターできるか調べてみますね。まあ出来なくても、運転はウィル子でも出来ますし、マスターも出来ましたよね」

「一応はな。けど運転する場合はお前がしろよ」

「にひひひ。わかっているのですよ。ほかにもヘリを探しておきます。最悪は買えばいいだけですし、移動もマスターが光学迷彩をかけて、ウィル子が管制システムを掌握すれば誰にも見つけられませんからね」

 

この二人にかかれば、レーダー的にも視覚的にも完全にステルスを行う事が出来る。ヘリ一機が東京から京都に向かうのを完璧に秘匿するくらい簡単なのだ。

さらには仮に攻撃され撃墜されても、彼らならば何の問題も無く生き残れるというおまけつき。

新幹線で向かうよりも、よほど安全で早く面倒が少ない方法と言えなくも無い。

そして彼らも運命の地、京都へと出陣する。

 

 

 

 

「……そうか。風巻流也はいなかったか」

「はっ。他にも幾つか調べた結果、風牙衆に不穏な動きがありました」

 

周防の報告を聞きながら、報告書を眺める重悟。

結論として調査していた風巻流也はいなかった。兵衛が届け出ていた住所にもおらず、その後の足取りも追う事が出来なかった。

 

さらには調べを進めるうちに、情報屋から気になる情報が回ってきた。風牙衆は神凪に秘密裏に資金を用意していたと言うもの。そしてその資金が何者かに奪われたと言う物だった。

神凪の下部組織として風牙衆はある程度の資金は自由に使えるが、それでも億単位の金を動かしたり、ましてやそれだけの金を神凪に秘密裏に貯蓄していたのが問題だ。

 

「他にも幾つか気になる情報が……」

「報告書には目を通す。だが風牙衆を今のままにしておく事はできんな。周防、こちらに残る風牙衆を一時的に全員拘束しろ。反乱に加担している可能性のあるもの、無い者問わずにだ」

 

重悟も全員が反乱に加担しているとは思ってはいないが、現状では誰が兵衛に積極的に加担しているのかわからない。

それにあの謎の人物の言が正しければ、すでに流也は妖魔へと変貌を遂げて綾乃と敵対した。それはつまり神凪すべてと敵対するも同じ。

下手をすれば神凪に犠牲者が出かねない。ならばまずは全員拘束した方が無難だ。

 

「はっ」

 

周防は重悟に言われるまま姿を消し、風牙衆拘束に向かう。

 

「兵衛の方は相変わらず出ぬか」

 

兵衛の携帯を含め、京都に向かった全員の携帯に連絡を入れてはいるが、どの携帯も電源が入っていないか電波が届かない状態にあるとの音声が流れる。

これは意図的に連絡を絶っていると考えざるを得なかった。これが風牙衆が反乱を画策していると言う情報が無ければ、単純に兵衛達の身に何かあったと思うところだが、今の状況ではそう思えない。

 

「だが京都に向かおうとも、封印には神凪の直系がおらねば解く事は出来ぬ。宗家は全員東京にいる……。一体兵衛は何を考えておるのだ」

 

腕を組み、重悟は考えをめぐらせる。封印の解除が目的で無いならば、一体京都に何がある。神凪と戦うために、京都で戦力でも募ろうと考えているのか。

いや、それは無い。確かに厳馬が倒れ、今の神凪の力はずいぶんと落ち込んでいるが、まだ分家にも戦力は残り、綾乃もいる。

 

正直、厳馬を除いても、神凪一族と真正面から遣り合おうと言う考えを持つ組織は国内にはいない。彼らも重悟や神凪の一族の力を知っているからだ。

古い一族になればなるほど、神凪の力を知っている。

頼通や長老など、多くの一族が逮捕され、政財界とのつながりが薄れたとしても、厳馬が入院したとしても。

 

それとも神凪の情報を手土産に、京都の退魔組織に自分達を売り込もうとしているのか。

可能性としてはこちらが高い。

 

「何か引っかかる……」

 

だがその時、不意に思った。妖魔を憑依させた流也。だがその妖魔はどこから連れてきた?

厳馬に匹敵するほどの力を有した和麻が、綾乃を巻き込まなければ勝てなかった相手。それほどの妖魔を力の無い風牙衆がどうやって手に入れた?

厳馬の実力を良く知るだけに重悟は疑問をわきあがらせた。上級妖魔の力は重悟も十分理解しているし、幾度も戦ったことがある。

あれを人間が簡単にどうこうすることなどできるはずが無い。妖魔などは単純に力が無くば相手に出来ない。純粋で単純な力。暴力とでも言うべき力。

 

風牙衆にはそれが無い。魔術師ならばその叡智と集大成たる術を用いれば、上級妖魔さえ使役する事は可能だろうが、それはどれだけのレベルが必要なのだ。

上級妖魔を使役することなど、または捕らえ、人間に憑依させ、思うままに操る事など普通ならできるはずが無い。

しかし話が本当なら、兵衛はそれをやってのけた事になる。一体どうやって……。

 

「まさか……」

 

重悟は思う。上級妖魔など世界でも限られている。そんな存在がぽんぽん頻繁に出現するのなら、この人間社会は成り立たない。

神凪一族でも重悟や厳馬クラスでしか対処できない相手に対処できる存在が、この世界中にどれだけいるのだろうか。数十人から百人前後いればいい方だろう。

遭遇する事も中々無い妖魔を手に入れるにはどうすればいいのか。どこかの誰かを利用して手に入れる。もしくは傷つき、消滅しかけたものを手に入れて、操れるようにしてかえら憑依させ、力を取り戻させる。

 

だが後者の場合、上級妖魔ならばそんな束縛など簡単に敗れるかもしれない。

しかしあるのだ。彼らの身近に強大な力を誇る妖魔が。

封じられている風牙衆の神。妖魔へと堕ちた存在。その力を流也に取り込ませたとしたら。

もしそれが本当なのだとしたら、封印が解けかけている事になる。

神凪一族も秘密を守るために、三百年の間京都の封印を調べもしなかった。そもそも宗主しか知らないのだ。宗主自身が確認するしかない。

だが重悟はそれをしていない。頼通もするはずが無いだろう。

調査はなされず、今まで放置されてきた。

 

そして人間が施した封印と言うのは、どんなものであっても絶対などありえない。

神々の施した封印でさえ、人間は暴き、解き放つ。歴史や神話がそれを証明している。

どれだけ強固な封印も、どれだけ厳重に秘匿しようとも、どれだけの時が経とうとも、絶対に破られないなんてことはありえない。

ただの何も知らない人間が不意に誤って解き放つ事もある。悪しき意思を持つ者が、欲望によって解き放つ事もある。力を求め、縋るように、祈るように解き放つ事もある。

 

精霊王の力を使った封印であろうとも、精霊王自身が施した封印であろうとも、解き放つ事が出来る可能性があるのならば、他の方法も決して無いとは言い切れない。

そして封印であるのならば、時間が経てば経つほどその効力が薄れるのではないか?

 

この国には石蕗一族と言う地術師の一族が存在する。彼らは霊峰富士を守護する一族である。

彼らにはある使命が存在する。それは三百年前に富士より生まれたとされる魔獣の封印である。強大な力を宿した魔獣を封じる事は出来たが、それは永遠に続く封印ではなかった。大きすぎる力が、封印を内側から破壊しようとしたのだ。

ゆえに石蕗一族は何十年かに一度、封印を再度かけ直し、魔獣を封印し続けている。

 

しかし神凪が封じた風牙衆の神は?

三百年前に封じたきり、それ以降に誰かが封印をかけただろうか? それだけの時間があれば封印が劣化する可能性は十分にある。もしくは封印の力を内部に封じられた神が削っていくことも可能かもしれない。

 

そう考えれば、流也が厳馬に匹敵する力を有した妖魔に変貌するのも理解できる。

神の一部や写し身、あるいはその妖気を取り込ませれば。もともと風牙衆はその神の力を借り受けていた。直系である風巻の血を引くものならば、その力と馴染み易いはずだ。

 

もっとも、流也の場合、その力に馴染み易いようにさらにその身体を改造されていたのだが、それを重悟が知るよしも無い。

もし今兵衛達が京都に向かっている理由が戦力の増強のために、自身を、あるいは娘である美琴に妖魔の力を宿す事だったとすれば・・・・・・・・。

 

「これは、由々しき事態だぞ」

 

厳馬が動けない今、神凪には彼に匹敵する妖魔を相手取る戦力は無い。仮に襲われれば、ひとたまりも無く神凪は壊滅する。

 

「兵衛が京都に向かってすでに三日。ことが起こっているとすれば、そろそろ行動に移っていてもおかしくは無い」

 

すでに封印の地で、自身か娘かを強化していれば大変な事になる。救いがあるとすれば、どれだけの力でも人間の身体になじむのには時間がかかると言う事だ。

人間の身体には異物である妖気を完全に身体になじませるには、少なくとも数日はかかる。完全に使いこなそうと思えば、一週間は必要だろう。

今ならばまだ、兵衛達が妖魔の力を手に入れていても炎雷覇を持った綾乃や分家の戦力でも何とかなるかもしれない。

 

「……いや、私が出向くべきか」

 

戦える体では無いとは言え、炎術だけならば厳馬と同等かそれを上回る。綾乃や分家最強の雅人達だけを向かわせるのは心許ない。

今自分が動くには色々と問題があるが、直面している事態は深刻である。これが杞憂であるならば、または勘違いであるのならば何の問題も無い。

 

しかし事実ならば、神凪は滅亡を迎える可能性がある。

他の退魔組織への牽制や事務仕事が滞るが、一日、二日ならば周防に任せておける。京都に出向けば、京都の重鎮との要らぬ摩擦を生みかねないが、背に腹は変えられない。

 

「誰かおるか。至急、綾乃と燎、煉を呼び出せ。他にも大神雅人、大神武哉、結城慎吾の三名を呼べ!」

 

重悟は命令を飛ばし、即座に京都へと向かう準備をするのであった。

 

 

 

 

東京でそんなやり取りが行われている中、当の兵衛達は重悟が京都へ出向こうとしている時になってようやく京都へと到着した。

足止めを喰らった一日を加算しても、三日と半日もかかってしまった。その間、東京の風牙衆とは連絡が取れず、状況も把握しきれていなかった。

彼もまさか、すでに自分達の行動がばれて、風牙衆が拘束され始め、彼ら自身にも追っ手が放たれようとしているとは夢にも思わないだろう。

 

「はぁ、はぁ、皆、大丈夫か」

 

全速力で睡眠時間や食事時間もギリギリで何とか京都に到着したため、兵衛も限界が近かった。息も荒く、全身から汗を噴出させている。

 

「は、はい。お父様。私は大丈夫です」

 

美琴も、他の三人の風牙衆も兵衛の言葉に頷く。

 

「よし。少し休憩して、目的の場所へと向かう。お前達はどこからか東京の神凪と風牙衆に連絡を入れよ。ここまで連絡が出来ぬかった。不審に思われても困るし、何かあったと思われておるかもしれんからな」

「わかりました」

 

一人の男が近くの公衆電話を探して駆け出す。

 

「お父様、これから向かう先はどこなのでしょうか?」

 

美琴が今まで聞いていなかった目的地を聞く。

 

「……我ら風牙衆の聖地と言える場所じゃ」

「聖地ですか?」

 

と言っても、そこは本来は神凪の聖地であり、炎神・火之迦具土を祀る山である。地上でありながら、天界の炎が燃える契約の地。

だがここには風牙衆の神が封じられている。解き放たれれば、そこが彼らの聖地へと変貌を遂げる。

 

「そうだ、我らの聖地じゃ」

 

感慨深そうに呟く兵衛に美琴は若干だけ首をかしげた。そんな娘を兵衛は一瞬だけチラリと見ると、少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。

だがそれもすぐに打ち消す。彼にはすでに、戻るべき道も謝罪する言葉も無かったのだ。

 

「兵衛様!」

 

そんな折、連絡に向かっていた部下の一人が戻ってきた。

 

「どうした? やはり連絡は付かぬか」

「はい。神凪本家、風牙衆の屋敷、いずれも連絡が付きません」

「……一体、何がどうなっておるのじゃ」

「わかりません。しかしこの状況はあまりにもおかしすぎます」

「お前に言われんでもわかっておるわ。だがこれは一刻の猶予も無い……」

 

兵衛は即座に判断すると、そのまま全員を連れ、聖地へと向かう。

 

そして……。

聖地には薄っすらと闇が漂っていた。封じられた神より発せられる妖気。かつて流也はここでこの妖気をその体内に宿し、大いなる力を得た。いや、違う。彼はすべてを失った。

 

「お父様?」

 

不安そうに聞く美琴に背を向けながら、兵衛は何も語らない。沈黙の時間が続き、不意に彼は小さくこう述べた。

 

「……許せ、美琴」

「えっ……きゃぁっっっっ!!!??」

 

次の瞬間、周囲に漂っていた妖気が一斉に美琴へと取り憑き、彼女の悲鳴が周囲に木霊した。

 

 



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第十六話

 

美琴が妖気を送り込まれてから半日が経過した。その間にも妖気は美琴の身体を侵食する。

 

「あ、ああ、あああああっっっ!!!!」

 

声を上げながらも、彼女は妖気との融合を果たしていく。

美琴は風巻の一族の直系。その身体は堕ちた神である妖魔の力を宿すには最も適していた。

さらには若く、女性と言う意味でもすばらしい。

古来より生贄になるのは女性と言う場合が多い。何故か。それには幾つかの理由がある。

 

女性の方が肉体的には劣っていても、生命力と言う観点では優れているのだ。女性は命を宿す。子供と言う形で子孫を残していく。この点でも男とは違う。

さらにはその血や肉体が妖魔などにとっては美味であり、特に十代半ばから二十代前半の女性と言うのは最も活力に富み、精神も魂も類稀なる輝きを放っている。

神の寄り代として女性の、しかも十代半ばと言うのは最適と言えるのは、このあたりにも由来する。

 

美琴は本人も知らないうちに兵衛により、妖魔を宿しやすいように肉体を改造されていた。

肉体は人間ではあったが、常人や他の術者よりもその適合率は段違いであった。

そのため、妖気をその身に宿した直後の美琴でも、その力は流也には劣るものの、炎雷覇を持った綾乃に匹敵、あるいは上回るほどだった。また半日経った今では流也にも匹敵するほどの力を得ていた。

 

兵衛もこれには驚いた。憑依直後でも炎雷覇を持った綾乃クラス。今では流也クラスに変貌を遂げる。まだ完全に妖気がなじみきっていないのに、これほどの力を有している。もし完全になじみ合えば、一体どれだけの力を発揮するのか。

厳馬、もしかすれば全盛期の重悟をも倒せるだけの力を得るかもしれない。

これで神の封印も解ければ、自分達には敵はいない。

 

「これで、これでようやく我らの悲願が叶う。神凪一族を滅亡させる事が出来る。風牙衆、三百年の悲願が、ついに叶うのだ……」

 

感慨深く呟く兵衛。だがそれは喜びではなく、どこか悲しみを含んでいた。

直系である風巻の血は絶えるだろう。自分の息子と娘の二人を犠牲にした。自分を慕い、尊敬してくれていた二人の子供達。

 

だが兵衛は己の悲願のため、野望のため、復讐のために捨て去った。

すべては神凪一族を滅ぼし、風牙衆の未来を掴むため。

隷属され、蔑まれ、見下され、誇りをも傷つけられた風牙衆。未来に絶望し、ただ飼われるだけの犬に成り下がった自分達。

その現状を打破するためには必要な事なのだ。

 

「そうだ。これは必要な犠牲なのだ。ワシらには手段を選んでいる余裕は無い」

 

神さえ復活すれば、神は自分達に力を貸し与えてくれる。それが他者にどう思われるかなど知ったことではない。

邪術、邪教集団と言われるかもしれないし、まともな扱いをされないかもしれない。

しかし神さえいれば、力さえあればどうにでもできる。力こそ全て。力こそ正義。

 

力が足りなかったからこそ、かつての風牙衆は神凪に敗北した。

力が無かったからこそ、風牙衆は神凪の奴隷となった。

ならば逆はどうだ。

力があれば神凪に敗北する事はなかった。

力があれば、神凪の奴隷となることもなかった。

誇りを、技を、風牙衆そのものを貶められ、傷つけられ、見下される事もなかった。

力さえあれば、誰にも負けることは無い。力さえあれば、誰も自分達を隷属できはしない。

力さえあれば、自分達の身を守る事が出来る。

 

「力だ。力が無くば何も出来ぬ。すべてを支配するのは圧倒的な力であり暴力だ」

 

力ある者は力を求める。他者に無い力を持っているだけで優越感に浸るのが人間の性であり業である。だからこそ、更なる力を求める。

また人は自分には無いモノを、力を持つものを妬み、憧れる。自分も欲しい、自分も手に入れたい。自分にそれがあれば、と。

 

兵衛もまた、神凪と言う呪縛に囚われていたのだ。

生まれた時より、不必要、または理不尽、不条理と思われるほどの圧倒的力を持つ神凪一族の宗家。その中でも類稀なる才を持った重悟と厳馬を幼き頃より傍で見ていた。

妬ましかったと同時に羨ましかった。何故自分にはこんなに力が無いのだろうか。何故自分はあいつらとは違うのだろうか。

いくら風術師として優れていても、いくら神凪一族のために誠心誠意働いても、兵衛は惨めになる一方だった。

 

炎と風。扱う術は違っても同じ精霊術師なのに何故奴らはあのように褒め称えられる。逆に何故自分達の努力は、成果は認められない。

外の情報を収集する風牙衆だけに、自分達の評価の低さを良く知っていた。術者として優秀でも、評価の全ては神凪一族のみ。その下の風術師の集団など、誰も見向きもしない。

兵衛の中で負の念が湧き上がる。

 

力、力、力、ちから、チカラ、ちから、チカラ、ちから……。

 

そして兵衛は知ってしまった。かつての自分達風牙衆の事を。その力の源を。

かつての風牙衆には力があった。神凪に匹敵する、あるいはそれを上回る可能性がある力が。

兵衛は歓喜した。これだ、と彼は思った。計画を慎重に練り、反乱を起こすと同時に神の復活を目論んだ。

自らの肉体に妖気を憑依させなかったのは、色々な理由があるが、神凪への復讐をより確実にするため。

 

息子の流也を犠牲にしたのは、適合率が高く、息子もそれを望んだから。流也が病を患ったというのは本当の事である。術者として、もう思うように活躍できないと言うのも本当であった。

流也も兵衛と同じく望んだのだ。力を。健康な肉体を。渇望し、彼はその身を捧げた。

人間で無くなる可能性を彼も当然考えていた。だが人間の時でさえ死んでいるか生きているかわからない状態だったのだ。同じ死ぬのなら、力を得てから死ぬほうがいい。

 

流也は兵衛に頼み、生贄となった。いや、寄り代と言ってもいい。

封じられた神がこの世界に留まるには肉体がいる。その役目を果たすと流也は心に決めた。復活の暁には自分が神と同化し神へと至る。こんなすばらしい事は無い。

妖気をその身に宿し、流也は笑った。彼の意識が消える数日の間、彼は力を得たことを喜び、後悔も絶望も無かった。

しかし皮肉なものだ。そんな彼を打ち破ったのは神凪の血を引く者達であった。

 

「流也が死に、美琴をも犠牲にしたのだ。必ずや神凪一族を滅ぼしてくれよう」

 

兵衛の狂気が神凪へと向く。

だが彼はまだ知らない。神凪一族の主力がすでに京都へと到着している事を。

 

 

 

 

時間は少しさかのぼる。

重悟は綾乃を含めた燎、煉の宗家の若手三人と、分家でもトップクラスの大神雅人、大神武哉、結城慎吾の三名を呼び寄せた。

 

「皆、急に集まってもらって申し訳ない」

 

まず重悟は謝罪を述べる。今は夜分で、時間も遅い。煉などいつもならもう寝る時間だ。

 

「いえ。しかし一体何があったんですか?」

 

代表して聞いたのは分家最強と名高い大神雅人であった。彼は些か変わり者で、大神家の家督を実の兄である雅行と争う事を避けるために、単身チベットへと修行に出向いた男である。

炎術師としての力は宗家に劣るが、実力だけ見れば一流の術者と言える。

 

重悟は一瞬なんと説明しようと考えたが、真実を述べる事にした。これにより風牙衆への風当たりが強くなるかもしれないが、神凪滅亡を許すわけにはいかない。

宗主の地位を降りたからと言って、一族を守る義務が喪失したわけではない。優先すべきは神凪一族なのだ。

 

「……京都において、風牙衆の長である風巻兵衛がかつて封じられた大妖魔を復活させようとしている可能性がある」

「なっ!?」

 

重悟の発言に誰もが驚き、分家の武哉が声を上げる。

 

「それは本当のなのですか、重悟様!?」

「……信じたくは無いが状況証拠が幾つもある。無論、確定したわけではないが、可能性は高い。その証拠に未だに兵衛には連絡がつかん。さらにその息子である流也の所在も不明だ」

 

流也と妖魔について、重悟は分家の三名にジグソウ(ウィル子)からもたらされた情報を話す。三人は驚き、綾乃達はあの話が嘘ではなかったのかと青ざめた顔をしている。

 

「お父様。じゃああたしが大阪で倒した妖魔はやっぱり……」

「……可能性は高くなった。だが確実と断言する事もできん。だから綾乃、そう動揺するでない。お前が動揺すれば、他の者まで動揺が広がる。次期宗主として心をしっかり持て」

「……はい」

 

重悟に言われ、綾乃は意識を切り替える。そうだ。あの妖魔が例え流也だったとしても、あの場合はああするしかなかった。この業界の不文律として、命を狙われた場合、逆に命を奪っても文句は言えないのだ。そんな非情な世界に彼女達はいる。

またあのジグソウの言うとおり、浄化して助ける事も不可能だった。

殺さなければ殺されていた。もしくはあのジグソウの言葉どおり、誘拐されさらに状況が悪くなっていたかもしれない。

綾乃とて美琴の兄を手にかけたと言う罪悪感はあるが、それでも優先すべき物が何なのかを理解している。

 

「じゃあお父様。風牙衆は反乱を?」

「一部の者だがな。すでに周防に命じ、こちらに残る風牙衆は拘束した。大半の者は知らなかったが、数名が反乱に加担していたようだ。だがこちらに情報が渡るのを恐れたのだろう。その者達の半数はこちらに拘束された際に自ら命を絶ち、残る数人は逃亡中だ」

 

周防の働きで、情報収集に優れた風牙衆を拘束できたが、やはり風牙衆も優秀だった。

「数人を取り逃がしたのは不味かった。おそらく彼らも京都にいる兵衛に情報を送っただろう。もはや一刻の猶予も無いと思ったほうがいい」

 

もし重悟の考えている通りなら、第二、第三の流也を生み出している可能性もある。それが一斉に牙を向けば、神凪は滅亡する。

 

「防戦に回ればいかに我らとて勝機は薄い。綾乃の報告が正しければ、風牙衆が要していた妖魔の力は炎雷覇を持った綾乃以上。それに匹敵、もしくは上回る妖魔を他にも要していれば、あるいはこれから用意されれば致命的だ。厳馬が動けぬ今、それらに攻められては一溜まりも無い」

 

重悟の言葉に全員がゴクリと息を飲む。

 

「だから私はこちらから打って出ようと思う。この場にいる全員で京都に向かい、兵衛の身柄を押さえる。また神が祭っているであろう祭壇を破壊し、風牙衆の神を完全に消滅させる」

「しかし宗主。話を聞いた限りではかつての神凪一族は、その妖魔を封じる事しか出来なかった。それを今、消滅させることが出来るのか?」

 

雅人の疑問も尤もだ。封印とは倒せない相手に対処する場合に用いられる。かつての神凪一族が滅ぼせなかったものを今さら滅ぼせるのだろうか。

 

「わからぬ。その封印は三昧真火を用い、炎そのものが妖魔を封じている。炎を散らせば封印ごと神も消える。だが封印を散らしても、存在そのものが消えるのではなく、おそらくはどこかへと転移するだけであろう。そうなれば把握は困難となり、万が一の事態にもなりかねない。しかし私の神炎ならば、封印ごと燃やし尽くす事もできるやもしれん」

 

厳馬をも超える神炎である紫炎を操る重悟ならば、純粋な火の元素の結晶であり、地上には存在しないはずの純粋な炎であっても燃やしつくせるかもしれない。

それほどまでに重悟の神炎の威力は高いのだ。尤も厳馬の蒼炎もそれには負けるが十分非常識と言える力を有している。

 

「そしてもう一つ重要なのが、この封印を解くには神凪の直系が必要なのだ。炎の加護、それも神凪の直系クラスのものでなくば、三昧真火には触れる事ができん。つまりこの場にいる宗家と厳馬だけが封印を解く事ができる。厳馬の方は問題ない。動けないと言っても自分の身を守るくらいはできるであろうし、護衛もつけている。問題はこの場にいる者達だ」

「えっ? でもお父様。さっきはこの場にいる全員で京都に向かうって」

「そうだ。下手に分散してはリスクにしかならん。京都に向かうのも確かに危険ではあるが、全員で固まって動けば向こうも迂闊には手を出せぬし、襲ってきても対処はしやすい。少数精鋭で向かい、迅速に兵衛達を捕縛する」

 

こうして神凪の精鋭は京都へと向かう事になった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

周防から逃げ延びた風牙衆は散り散りに逃げ延びた。彼は風牙衆の長の補佐であり、実質的なNO.2だった。彼は夜のビル街の屋上を走り逃げる。風を使い、まるで忍者のようにビルとビルの間を飛び回る。

と言っても逃走できたのは自分を含めて三人のみ。他はあえなく拘束された。長である兵衛との連絡はつかない。京都に向かったはずが、未だに何の音沙汰も無い。

 

まさか逃げたのかと思わなくも無かった。自分達を見捨てて、娘と共に身を隠した。

ありえないと彼は自分自身に言い聞かせるが、心のどこかでそれを否定できないでいた。

連絡が一切つかないなど、普通で考えたらありえない。

 

「まさか、本当に我々を見捨てたのでは……」

 

そんな絶望が彼を支配していく。しかし彼の不幸はまだ始まったばかりだった。彼は逃げ延びた他の二人に連絡を取ろうとした。

携帯は神凪に知られていないものを予め用意している。いつまでも使い続けるのは危険だが、今だけならば何の問題もない。

ボタンを押し通話を試みる。だがつながらない。何度も呼び出す。しかしかからない。

 

「そんな。まさか拘束されたのか?」

「そうだな。そいつら今頃おねんねしてるぞ。ちょっと頭がおかしくなった状態で」

 

ハッと彼は振り返る。恐怖で身体がすくんだが、何とか反応し飛び退く。そこには一人の男がと少女が立っていた。

 

「ったく。手間かけさせんなよ。体調がまだ戻って無いんだぞ? 本当ならホテルで横になってたいのに」

 

ぼやきながら男―――和麻は風牙衆の男を見る。横ではにひひと少女――ウィル子が笑っている。

 

「まったくですね、マスター。せっかく豪華な食事にありつこうとしたのに」

「ああ、俺って本当に不幸の星の下に生まれてるんだよな」

 

彼らはことも何気に会話を続けているが、風牙衆の方は逆に身体をこわばらせていく。風術師である自分が後ろを簡単に取られた。

今は逃亡中であり、いつも以上に気を張り詰めていたのにあっさりと何の前触れも無く後ろを取られたのだ。驚くなと言うほうが無理だ。

 

「か、神凪和麻……」

「今は八神和麻だけどな」

 

ニヤリと笑いながら答える。八神の名を名乗ってはいたが、風牙衆や神凪はそれを知りえていなかった。

ウィル子の力で情報を完全に隠匿し、偽名や偽造パスなどを使用していたから当然と言えば当然だ。ホテルの宿泊もパスポートも全て和麻を特定できないようにしていた。

これはアルマゲスト対策であり、他にも敵が多い自分の存在を出来る限り誤魔化すためでもあった。

 

「まあそれはいい。兵衛の取り巻きで残ってるのはあとはお前だけだな。神凪の方はもう別に放置してもいいからな。あいつらは何も知らなさそうだし、俺に関しても関わってなさそうだったからな。さっきの二人にもほとんどなんの情報も無かったから」

 

一歩一歩、和麻は近づいてくる。何とか逃げようと風を使って逃走を試みようとするが、風が一切答えない。

 

「ああ、逃走は無駄だぞ。逃げられないし、逃がすつもりも無いからな」

 

無常に告げられる言葉。呼吸を荒くし、恐怖に必死に抗おうとするが、彼には和麻が死神にしか見えなかった。そしてそれは決して間違いではなかった。

 

「お前は兵衛の側近だ。色々と知ってそうだから吐いて貰う」

「ふ、ふざけるな! どんな事を聞かれようとも例え拷問されても、命を奪われようとも情報を渡すものか!」

 

男は吼える。諜報に従事する彼だからこそ、こんな場合の対処も心得ている。最悪の場合は自ら命を絶つ。それこそ指を一本一本そぎ落とされ、殺してくれと懇願したくなるような拷問をされても、男は何も吐かないつもりだった。

 

「あー、まあえげつない拷問って手もあるけど、そう言うの嫌いだから。だからもう少し穏便に済ませてやる。ただし高確率で発狂だが死ぬよりはマシだろ? ちなみにさっきの二人も発狂せずにクルクルパーになっただけだ」

 

それは発狂と言わないだろうかと場違いな事を考えながらも、彼の緊張は高まっていく。

 

「すぐ済むからそう怯えるなよ。大丈夫だ、ちょっと痛いだけだから」

 

ゾクリと身体が震えた。彼は笑っていても、目が笑っていなかったから。

 

「心配するなって。それくらいの精神力があれば発狂もしないだろうから。まあ軽く記憶が飛んだり、馬鹿になるかもしれないがお前なら大丈夫だ。それに今ならお得な得点がつくぞ」

「はいなのですよ。死んだ場合は葬儀費用はこちら持ち。発狂した場合はもれなく死ぬまでに必要な介護費用を全額負担。他にもどちらの場合でも、これからあなたが一生に稼ぐと思われる収入分をキャッシュバック。あなたの場合は約一億円ですね。さらには家族への保障もばっちりで、進学、入院、手術、再婚などには別途五百万から一千万の一時金が払われる万全のアフターケアとなっております」

 

今どきこんな保障ありませんよ、とウィル子が説明しながら笑顔で言う。なんか聞けば物凄く充実した保障制度のような気がする。

 

「プラス高台から海が見える最高の立地に最高級の墓石まで用意した、今では破格の保障となっております。あっ、印鑑とか契約書は無いですが、きちんと支払い手続きはしておきますので、ご心配なく」

「これは嘘じゃないから安心しろ。俺は神凪以上に金持ってるからな。それに他にも稼ぐ手段はあるし、これからも増え続けるから」

 

そもそも銀行口座を不正にアクセスすれば、簡単に金を操作できるのだ。風牙衆の特定口座に秘密裏に金を振り込むことも問題ない。

この万全のアフターケアは基本、可哀想な風牙衆に対して行うつもりである。

 

「だから今後と家族のことを心配せずに情報を寄越せ。死んでも発狂しても家族には迷惑はかからん」

 

そう言うと和麻は間合いを詰め、左手をゆっくりと男の頭部へと押し当てる。左手には黒い手袋がはめられていた。光を一切反射せず、まるで闇の中で消えているように見えた。

躊躇無く左手を男の頭蓋骨に押し込む。これは物理的には何の影響も与えない。ただし痛覚に対して尋常ならざる衝撃を与え、普通では考えられない痛みを感じる。

ショック死してもおかしくは無い程の痛み。心を強く持っても発狂するほどのもの。

 

ちょっと借り物の力を持らって粋がった一般人程度ならば心を強く持っても発狂するし、最悪の場合はショック死する。

ただし精神的に鍛えられた術者ならば、ある程度は大丈夫であろう。発狂まで行かなくても、精神的に不安定な状態で一生を過ごす程度であろう。

 

男の口から声とは思えない絶叫が木霊する。だがそれは誰の耳にも届かない。和麻が空気振動を操作して音を完全にシャットアウトしていたから。

和麻にもウィル子にも、この周辺には一切何の音も響かない。

探るように慎重に頭をかき回す。男の持っている情報が和麻に流れてくる。

 

「……」

 

不意に和麻の顔が不快感で歪んだ。

 

「どうかしたのですか、マスター? まさかウィル子の情報が?」

 

恐る恐る聞くウィル子だったが、和麻はそれを否定すると、左手を男から抜き出す。指先からは何か液状のものが滴り落ちている。

 

「こいつの頭にもお前に関する情報は無かった。と言うか、兵衛が俺の名前を出したのも、口から出任せ。あの場を乗り切る嘘だったみたいだ。こいつの記憶に兵衛との会話があった。つまりこいつらは俺達の秘密を一切知っちゃいない。だから俺達がこいつらに積極的に関わる必要性はなくなった」

「じゃあ何でマスターはそんな不機嫌そうな顔をしているのですか?」

 

どさりと男を放して地面に倒れさせる。ぴくぴくと痙攣しているが命に別状は無いだろう。だが精神的にどうかはわからない。途中から機嫌を損ね、少々乱暴にやったので下手をしなくても発狂しているだろう。

 

「……兵衛が京都に言った理由がわかった。神の封印を解く算段かと思ったが、違ってた。あいつは何も知らない自分の娘に妖魔を憑依させようとしてたんだ」

「……つまり生贄ですか?」

「……ああ」

 

今まで以上に不愉快そうに呟き、拳を硬く握る。手のひらに爪が突き刺さり、血がにじみ出る。

 

“生贄”

 

和麻が最も嫌うモノの一つ。かつての忌まわしい記憶が蘇る。

守りたかった、守れなかった少女の顔。

 

――――あなたは、私を護ってくれる?―――-

 

問いかけられ、自分は護ると言った。必ず、何があっても護ると約束した。

でも護れなかった。結局何も出来なかった。ただ無様に這い蹲り、彼女が生贄に捧げられ、死ぬ瞬間を見ているだけしか出来なかった。

ドンと激しい音が響き渡る。ウィル子が見れば、和麻の拳がビルの壁に突き刺さっていた。

 

「ま、マスター……」

「……中々簡単に忘れられないもんだな」

 

違う。忘れられないのではない。忘れてはいけないことなのだ。

自分は翠鈴を護れなかった。

鮮血に染まった彼女の栗色の髪。生気に溢れ輝いて見えた碧い瞳は古いガラス玉のように曇っていく。言葉を交わした彼女の唇はもう二度と開く事は無い。

 

心臓があの男によって抜き出され、その肉体は死を迎えた。彼女の魂は呼び出された悪魔に肉体と一緒に喰い尽された。一変の欠片も残さず、無残に粉々に砕かれた。

成仏し転生する事も、迷い出ることも出来ない。生き返らせることも出来ない。存在自体をすべて喰い尽されたのだから。

 

和麻にとっての忌まわしい過去。

否、自らが犯した罪。

何もできなかった無力な神凪和麻と言う男。

無様に泣くしかできなかった脆弱な存在。

 

「……マスター。マスターはどうしたいのですか?」

 

見れば不安そうにウィル子が聞いてくる。

 

「ウィル子はマスターの過去を良く知りません。あの男と何があったのか。どんな因縁があったのか、大まかにしかウィル子は知りません」

 

和麻の口から過去に何があったのかを聞いた事は無い。和麻自身があまり思い出したくない物であったことと、彼自身の鬼門でもあり出会った直後の状態を考えればとても聞けたものではなかった。

独自にある程度調べてはいたが、当事者の口から聞くのとではずいぶんと違う。

 

「ネットのお悩み相談の返事を使ってマスターに言うのは簡単です。でもそれじゃマスターの心には響かないでしょうし、まったく役にもたたないでしょうからね」

 

和麻が普通の一般人ならそれで解決しただろう。だが彼は違う。一般人ではなく、心に負った傷も小さくなど無いのだ。

 

「ウィル子は気の利いたことも言えませんし、マスターの心の内を知ることもできません。でもウィル子はマスターについていく事は出来ます。マスターが望むとおりに、マスターがやりたいようにするのなら、ウィル子は力を貸します。どこまでも着いて行きますし、どんなことでもウィル子は喜んで協力しますよ。なんて言ってもウィル子は超愉快型極悪感染ウィルスなのですから、どんな悪事も悪巧みもバッチ来いなのですよ」

 

ウィル子にとってみれば和麻は恩人であり、唯一無二のパートナーだと思っている。和麻がどう思っていようとも、ウィル子には関係ない。

ただ彼とともに歩む。この一年、そうしてきたように。これからもずっと。

 

にひひひと笑うウィル子の顔を見た後、和麻は彼女に背を向け、顔を見ないように、見せないようにした。

その際、和麻は口元をゆがめ笑っていた。心が救われるような気がした。誰かが傍にいてくれると言うのは、本当に頼もしく心強いと柄にも無く思ってしまった。

 

こいつは本当に、いつも自分が欲しい言葉をくれるような気がする。

だが和麻は感謝の言葉を述べない。述べられないと言ったところか。気恥ずかしくもあり、自分の弱さを見せるような気がして嫌だったから。

 

和麻も同じだった。

決して口にはしないが、ウィル子の事を認め、大切に思っていた。

彼女は自分の唯一無二にして、最高のパートナーであると。

これもまた決して口には出さないが。

 

「……当然だろ。なんて言っても俺はお前の恩人でマスターなんだからな。例えお前が電子の神になっても、俺が死ぬまで着いてきてもらうぞ」

 

だからこそ、尊大に言い放つ。恩人と言うのなら、多分和麻にとって見てもウィル子にずいぶんと救われただろう。

常に傍にいて、自分を助け、見守り、厳馬との戦いの時には彼女の言葉と存在のおかげで勝てたようなものだから。

 

しかし絶対にそんな感謝の言葉を口にはしない。

 

「にひひひ。やっぱりマスターはその方がマスターらしいのですよ。では生贄を捧げようとする兵衛にお仕置きをしに行きましょうか」

「お仕置きじゃねぇ。人間を生贄に捧げる奴は死刑って俺の法律で決まってるんだ。だから兵衛は死刑。他の取り巻きの連中も死刑とまではいかなくても痛い目を見てもらおうか」

「了解なのですよ、マスター。でもその前に帰ってご飯にするのですよ。腹が減っては戦は出来ませんからね。マスターもお昼はおかゆで味気なかったでしょ?」

「ああ。もっとうまい飯が食いたい。出来れば酒も欲しいが、それは明日兵衛をぶっ殺した後にするか。明日ならまだ流也クラスの状態になって無いだろうし、仮になってても俺が万全に近い状態でお前のサポートと“アレ”を使って奇襲したら余裕だろうしな」

「ついでに黄金色の風も準備しとけば尚完璧ですね」

「そうだな。まあいい。今日のところは戻るぞ。明日、全部終わらせる」

 

和麻は風を纏い空へと浮き上がる。ホテルに帰って飯を食べてそのまま寝ようと考えながら。

 

「終わったらまた海外で自堕落な生活ですか?」

「それが一番だな。ヴェルンハルトはその後にするか。少なくとも一週間は自堕落な生活をする。と言うか、俺が動かなくてもお前があちこちで情報を流してヴェルンハルトを凶悪犯にしたてとけば、CIAやKGB、MI6とかFBIやICPOが勝手に見つけてくれるだろうよ」

 

和麻一人では無理でも、ウィル子が情報操作を行えば一人の人間を凶悪犯に仕立て上げ、世界中の諜報機関に探し出させる事も可能なのだ。

特にヴェルンハルトはアルマゲストとしても、出資者としても一流だった。ゆえに罪を着せるのは簡単であり、アルマゲストの彼が組織復活のためテロ組織や邪教集団と接触していると言う情報を流し、適当な証拠をでっち上げてやれば簡単に食いついてくれるだろう。

 

「本当にマスターは外道ですね。兵衛もこの手法を使えば楽でしょうに」

「まあな。けど兵衛は俺を利用しようとしてくれた上に、人間を生贄なんてことをしてくれたんだ。俺の手で直接殺さないと気が治まらない」

 

獰猛な笑みを浮かべる和麻にウィル子は苦笑する。

ここに兵衛包囲網は成り立った。

神凪の精鋭と和麻&ウィル子。この二つに強襲される運命を、未だに兵衛は知る由もなかった。

 

 



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第十七話

 

美琴に妖気を憑依させること、美琴と妖気の同化率、増幅率、そのどれもが当初の兵衛の思惑を上回り、順調に進んでいた。

肉体の変化こそ始まっていないが、妖気は高まり続けている。

 

だが今の状況ではまだ不味い。確かに妖気こそ流也に匹敵するが、肉体が変化を遂げていない今、その力を百パーセント扱いきる事は出来ない。

さらには制御も追いついていない。流也がアレだけの力を制御しきれるようになったのは完全に憑依してからさらに数日を要した。

いくら力が強くてもその全てを扱いきれず、また制御も出来ないのでは何の意味も無い。

 

尤もそれも時間の問題。このまま行けばあと半日も待たずに美琴は完全に同化を果たし、肉体の変化を開始し、完全な魔へとなるだろう。

そうなった時こそ、神凪を打ち滅ぼす切り札となる。

 

しかし何事も思い通りに行かないのが世の常である。特に兵衛にとって見れば、最悪の事態が近づいていた。

それは遥か彼方から、また遥か上空から彼らに向かい飛来した。

真っ先に気がついたのは妖気を増幅させ続けていた美琴であった。叫び声が急に途切れた。

 

何事かと思い兵衛は美琴を見る。まさかもう同化が終わったのかと思った。

結論から言えば、兵衛の考えは間違いだった。

彼女が気がついたのは空より迫り来る破壊をもたらす悪魔の物体。彼女の風が捕らえた。

 

音速の約二十倍で迫る物体を。

美琴は本能的にそれらを攻撃する。直後、それは上空で激しい爆発を起こした。

 

「な、何じゃ!?」

 

遥か上空で爆発する幾つかの物体。その光景を見た兵衛は驚きの声を上げる。

爆音が兵衛達の耳に届いた時、すでに美琴は空へと飛翔していた。妖気を纏い、今まで以上の力を宿した彼女は上空から迫るそれを迎え撃つ。

 

美琴の妖気が刃となり、空から彼女達に向かい襲い掛かるそれらを迎撃する。爆発が空を染め上げる。

 

彼女達に襲い掛かる物体の正体。

大陸弾道ミサイル。大気圏を越え、上空千キロ以上から弾頭を落とす兵器であった。

それがなぜか、彼らに向かい放たれたのだ。

だが攻撃はそれで終わりではない。遥か上空に意識を向けていた美琴だが、不意にこちらに迫る物体に気がつく。

光学迷彩に包まれ、気配を遮断する結界のようなものに護られながらも、高速で接近する物体。

 

その正体は巡航ミサイル。数は五。それすらも美琴は迎撃をする。

しかしそれだけで終わらない。間断なく、上空からまたは地平から美琴に向かいミサイルが向かってくる。

美琴はそれらを簡単に迎撃するが、それも自分から数キロ離れた地点でしか迎撃できなかった。

攻撃は続く。美琴の妖気を消費させるように……。

 

 

 

 

 

「マスター。攻撃は全部防がれてますね」

 

遥か彼方。京都から三十キロほど離れた誰もいない地点で、結界と光学迷彩を用いたウィル子と和麻は軍用ヘリに乗りながら、幾つかのパソコンを用いて、遠距離から攻撃を繰り返していた。

 

弾道ミサイル、巡航ミサイルと言ったウィル子が01分解能で作り上げた兵器を、和麻が光学迷彩やら風での気配遮断などを施した後、京都の風牙衆の聖地に向けて打ち出していた。

 

レーダーもウィル子がハッキングにより無効化にしているため、国内や各国の軍事基地にはこのミサイルは一切映っていない。さらには和麻の風で見えなくしているため、視認する事も無理であった。

 

和麻自身、三十キロ先に攻撃を向ける事は出来ないが、ミサイルに風の精霊を纏わせる事は出来る。そのまま精霊にお願いして、ミサイルと一緒に京都まで向かってもらったのだ。

 

「……憑依は完了してずいぶんと力は増してるな。けど制御はまだできて無い」

 

和麻はウィル子が見せるデータを見ながら、自らの考えを述べる。流也の力ならば二十キロ先から攻撃を行う事が可能だろう。

しかし美琴は二キロ先まで到達しなければ迎撃できていない。いくら力が強くても制御しきれていなければ宝の持ち腐れである。

さらには亜音速、超高速で向かってくるミサイルを迎撃する事も中々に難しい。

 

「けどこのまま攻撃を続けていると向こうは慣れてきて、制御が出来るようになりませんか?」

「まあな。このまま続けてりゃ、すぐにでも制御が鍛えられるだろうよ。でもまあ、攻撃を続けてないと不味い理由があるからな」

 

和麻は別のパソコンに映る地図とそこにマークされている一つの光を見る。

 

「この神凪の主力が無事に兵衛のところについてもらわないと、こっちとしても計画が全部パーだ」

 

コンコンとパソコンを叩きながら、和麻は言う。彼らの狙いは神凪の主力を無事に兵衛達の下に送る事だった。

最大射程の長い強大な力を持つ風術師が不意打ちを仕掛ければ、まず間違いなく炎術師には防げない。奇襲を防いでも遥か上空から攻撃するだけで、炎術師は何も出来ないまま終わる。

 

仮に防げたとしても、人間と比べれば体力などが段違いな妖魔と我慢比べをすればどちらが有利かなど考えるまでも無い。

だからこそ、彼らには無事に到着してもらい妖魔となった彼女の相手をしてもらわなければ困る。

何が悲しくて、あんな流也並みの化け物と真正面から戦わなければならないのだ。

しかもこちらは一文の得にもならないことを。

付け加えるならば、嫌いな神凪の問題であると言うことも大きいだろう。

 

「でもこんな面倒な事をしなくても、マスターが出向けば楽なんじゃないですか? 今なら妖気は流也クラスでも総合面ではマスターとウィル子の方が確実に上ですよ」

「何で俺がわざわざ全力で、しかも真面目に神凪さん家のゴタゴタの解決をしないといけないんだよ。先代宗主……、ああもう言いにくいから宗主でいいな。宗主をはじめ、綾乃とか神凪の主力が出向いてくれてるんだ。ガチンコの殴り合いになれば神凪が有利だ。そいつらに任せて、俺はおいしいところだけ貰えばいいんだよ」

 

和麻はほぼ万全の体調に戻っているものの、厳馬との戦いで正面から戦う事が嫌になり、出来る限り楽に、それでいて一番おいしいところだけを掻っ攫おうと考えていた。

妖気を注入された美琴も単体ならば厳しいが、彼女には封印や兵衛を護らなければならないと言う制約がある。

 

兵衛だけなら逃げればいいのだが、封印がある地は逃げる事ができない。ミサイル程度で三昧真火が消滅する事は無いだろうが、少なくとも余波で周辺は滅茶苦茶になり、さらには京都のほかの退魔機関の介入すら招きかねない。そうなれば封印を解くどころの話ではなくなる。

 

こちらのミサイル攻撃がどれだけ続くのか向こうがわからない以上、下手に離れるわけにも行かず、重悟などがまともに持ちこたえてくれるのなら、その隙を突いて様々な策略をめぐらせる事も可能だ。

 

「つうか今って本当に便利だよな。遠距離から簡単に攻撃できる手段があるんだから」

 

和麻はもう何度目かになる弾道ミサイルと巡航ミサイルの射出を行いながら、しみじみと感想を述べる。

 

「そりゃそうですよ。今はウィル子が作ってはいますが、何の力も無い普通の人でも金さえあれば入手可能ですし、鍛える必要も無くボタン一つ、指先一つで使用可能。さらには使用されれば、並みの術者では逃げるしかできませんから」

 

科学技術の進歩は著しく、ハイテクと言う技術は日々進化している。数百年前に比べれば今はまさに魔法としか思えないものがごろごろしている。

そしてウィル子と言うまったく新しい精霊さえも生み出した。

 

「そうだな。そう考えりゃ、科学って言うのは魔法みたいなものだな」

 

そもそも今の社会が成り立っているのは科学が進歩したからだ。自分達が何気なく、当たり前に使っている物のほとんどは科学の産物である。

魔術や魔法と違い誰でも使えて、誰でも同じような効果を発揮する。これほどまでに汎用性に優れた物があるだろうか。

 

術者とはこういうハイテクを軽視しがちである。それは自分達が他者には無い、自分たちだけが使えると言う力を持つがゆえの優越感から来る油断と慢心。

だからこそ、今の和麻はその隙をつき、簡単に相手を蹂躙する事ができる。

 

「宗主達が目的の場所に着くまでに必要な時間は?」

「残り三十分くらいですね。車での移動なので、向こうも気づくとは思いますが」

「だろうな。ただでさえ常時莫大な数の精霊を従わせてるんだ。それも数人固まって移動だ。気づかないはずが無い」

 

流也クラスならば三十キロ先からでも余裕で見つけられるだろうが、今はこちらが気を引き付けているので、神凪にちょっかいをかける余裕が無い上に、制御も出来ていないので遠距離攻撃はまだ無理だろう。

 

仮に神凪に攻撃を仕掛け、少しでも隙を見せれば兵衛達の方にミサイルが飛んでいく。いくら思考能力が落ちたといっても、その程度を考えられないはずも無い。

 

「データ上では少しずつ射程が延びていますね。ですがまだ有効射程は三キロ」

「それでも三キロ先でも迎撃できるってのは厄介だな」

「ですね。でもいくら落とされても問題ないのですよ。マスターの負担にならない

程度に生成できるミサイルはあと百前後。この間に十分神凪の連中は目的地に到着できますし、爆薬も少なめにしてますので、周辺への被害はほとんどありません」

「あんまり派手にやったら後処理が面倒だからな。まあバレても逃げるし、こっちに足が着かないようには出来るけど」

「にひひひ。部品からは特定できませんからね」

「ああ。なんかあっても神凪と風牙衆に責任とか色々となすりつけたらいいし」

「酷い人ですね、マスターは」

「くくく。今さらだろ?」

 

こうしてウィル子、和麻の攻撃は続く。

 

 

 

 

同時刻、神凪の精鋭は大型の車にて目的の地に向かっていた。

重悟、綾乃、燎、煉、雅人、武哉、慎吾の七名で、運転は武哉が行っていた。

助手席には慎吾が座り、その後ろに雅人と重悟と煉。最後尾には綾乃と燎が座っている。

車内の空気は決して軽いものではない。誰も一言も発しない、重苦しい空気が漂っている。

 

そんな中で綾乃と燎の心中はかなり穏やかではなかった。

友人であり、同年代でもあった美琴が妖魔になっているかもしれない。それを思うだけで彼らの心に荒波が立つ。

 

「綾乃、燎よ」

 

そんな中、重悟の声が車に響く。

 

「お前達が何を考えておるのか、薄々は気づいておる。今は忘れよと言うべきなのだろうが、それを言うのは酷であろう。ならば助けるために力を振るえ」

「お父様……」

「綾乃よ。炎雷覇継承者として、お前はまだまだ未熟だ。だがだからと言って何も出来ないわけではあるまい。ならば持てる力を全て使い、見事に風巻美琴を助けて見せよ。燎も同じだ。風巻美琴に恩義を感じておるのなら、その恩を此度の件で返せ」

 

つまり妖魔になっていた際は、お前達が助けよと言う意味だ。まだ確定ではないが、その可能性が高いと重悟は考えていた。

 

「しかし重悟様。自分にはそんな力は……」

 

悔しそうに自分の拳を握り締めながら燎は呟く。彼には、もちろん綾乃にも妖魔になった人間を無傷で浄化するような器用な真似はできない。

 

「甘えるでない」

 

だがそんな燎を重悟は一喝した。

 

「その程度の覚悟ならば迷いを持つな。助けられないと思っているうちは、どのような状況になっても助ける事などできん。綾乃もだ」

 

厳しい重悟の指摘に綾乃も燎も黙り込む。

 

「そのような迷いは自らを危険に晒すだけではなく、他の者まで巻き込む可能性がある。私とてお前達を護ってやれるかもわからん。私も所詮は戦える身体ではないのだ。お前達がその様ではどうにもならん」

 

きつい事を言うが、今は神凪が滅亡するかも知れ無いと言う非常時なのだ。その折に子の二人がこんな精神状態では勝てるものも勝てなくなる。

 

「浄化は私に任せよ。お前達は仮に風巻美琴に妖魔が憑依していた場合、その動きを封じればよ。それならば出来るな?」

「はい。任せてください」

「俺も何としても美琴を止めます」

 

二人は力強く重悟に言う。二人の言葉に満足したのか、重悟は優しい笑みを浮かべる。

だがそれもすぐに変わる。彼らの目的地である場所の付近で大きな爆発が見えたからだ。

 

「な、なんだ、あれは!?」

 

運転していた武哉も驚きの声を上げる。彼らの見る視線の先にいくつ物爆発が生まれる。

 

「重悟様、あれはまさか……」

「誰かが戦っておるのか? しかしアレほどまでの爆発は……。大神武哉。出来る限り急いでくれ。事態は我々の予想以上に悪いのかもしれん」

「は、はい!」

 

重悟に言われるまま、武哉は車のアクセルを踏み込み現場へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

兵衛は和麻とウィル子のミサイル攻撃を防ぐ美琴を見ながら若干の安堵とそれ以上の危機感を覚えていた。

攻撃の正体が不明であり、兵衛には何が起こっているのか理解できなかった。まあそれもそうだろう。巡航ミサイルと弾道ミサイルを使ってくる術者がどこにいるか。

 

「一体何が起こっておるのだ? だがさすがは美琴だ。どんな攻撃か知らぬが、その全てを防いでおる」

 

兵衛は何とか笑うことで精神を保たせる。大丈夫だ、今の美琴ならば防ぎきれる。

 

「兵衛様。我らはこのままここに留まっては危険では?」

「いや、下手に動くほうが危険じゃ。今は美琴がおるゆえこの封印の地と我らを同時に護れるが、我らがここを離れればいくら美琴と言えども両方を護りきれるものではない」

「では事態が落ち着くまでここに?」

「うむ。どれだけの攻撃かはわからぬが、永遠に続くなどと言う事はあるまい」

 

兵衛はそう言いながら、もう一度上空を見る。

普通ならミサイル一発で終わりであるが、それを美琴は良く防いでいる。普通ならばこれだけ打ち込まれれば、一発くらいは通してしまうがそこは風の力を操るだけの事はある。

 

彼女は迫るミサイルを何とか一キロ以内に侵入される事なく全て叩き落している。しかしその力もミサイルに集中していればの話しだ。

これが仮に完全に肉体も変化を遂げた状態で妖気と同化していたのなら、彼女の体力は底なしに思えたかもしれない。危なげなくすべてを叩き落し、接近してくる神凪の精鋭をも同時に攻撃できただろう。

 

だがまだ肉体が変化しきっていない今の美琴は、徐々にではあるが妖気と体力を消費していった。

さらには和麻達が重悟達が向かってくる方向からは一発も撃っていなかった為、彼女の意識は完全に上空と和麻達がいる方へと向けられていた。

 

だからこそ、和麻とウィル子の狙い通りに、美琴は神凪が近づくのを阻止する事が出来なかった。

気がついたときにはすでに三キロの地点まで侵入されていた。攻撃をと思ったが、タイミングを図ったかのように今までに無い程の数のミサイルが来襲した。

 

しかもミサイルは一直線ではなく、同時に迎撃されないように位置や速度をそれぞれに変化させていた。

さらに核ミサイルや大火力のミサイルではないため、一発を撃墜してその余波で周辺のミサイルを破壊すると言うことが出来ないため、美琴はミサイル分の風を操り破壊するしかなかった。

 

長距離攻撃が可能と言っても、高速で迫る大量のそれも微妙に位置や速度が違うミサイル全てを迎撃するのは至難の業である。今の美琴にはあまりにも難しい作業だった。

そのため意識の全てを傾けなければ、全力を持って望まなければ到底達成できない事。

ゆえに神凪は迎撃される事なく、封印の地へと到達する事ができた。

 

「なっ、まさかこれは重悟!?」

 

七百メートルに至り、ようやく兵衛達も重悟達の接近に気がついた。しかし遅い。あまりにも遅かった。

彼らはすでに車を降りて高速で向かってくる。重悟も速度は遅いが、それでも一般人と比べるとかなり早い速度だ。

 

足を失おうとも、気を操る事で一時的に作り物の足でも無理に動いているのだろう。神炎を操る重悟だ。気の扱いは神凪一族では厳馬と同じくらい優れている。

 

「み、美琴!」

 

兵衛は叫ぶが美琴もミサイルの迎撃で手一杯だ。とてもそちらに向ける余力は無い。

そして兵衛の元に、神凪の精鋭達が姿を現した。

 

 

 

 

 

「マスター。神凪の術者が兵衛の元へとたどり着きました」

 

携帯のGPS機能を使って全員の位置情報を眺めながら、ウィル子が和麻へと報告する。

 

「そうか。何とか思惑通りの行ったな。ああ、ウィル子、ミサイル攻撃は次で最後にしろ」

「はいなのですよ。最後の弾道ミサイル三発と巡航ミサイル五発で仕上げにしますね」

 

最後のミサイルの発射を行いながら、ウィル子は一息つく。

 

「ご苦労。で、敵の動きは?」

「ええと風巻美琴の携帯のGPSの位置情報では兵衛の前あたりにいますね。多分地上に降りたのではないでしょうか?」

「わざわざ降り立ってことは封印と兵衛達を護ろうってことだな」

「おそらくは。もう少し詳細なデータが欲しいところですね。今からスパイ衛星で調べましょうか?」

「今、この上空にあるのがあるのか?」

「はい。某国が秘密裏に打ち上げたのが丁度この真上に来ています。まあスパイ衛星自体、地球の周回軌道上をいくつも回っていますからね。いっそのこと、ウィル子達もスパイ衛星を作って打ち上げますか?」

 

笑いながら言うウィル子に和麻はそうだなと少し考える。

 

「大阪の連中に作らせるか。前に人工衛星作ったって言う実績があるし、打ち上げも俺が風である程度まで運んでその後にロケット噴射をさせれば楽に上がるだろうし」

 

和麻の能力では完全に大気圏を離脱させる事は出来ないが、ある程度の高度まで運ぶ事は可能だ。

自分達専用のスパイ衛星があればかなり楽に色々なことを調べられるようになる。

 

「まっ、現状でも俺とお前の能力があれば調べるのは楽なんだけどな」

「確かに。でもウィル子の能力でもさすがに限界はありますし、マスターも十キロ圏内は完璧に調べられても、それより離れたところを調べるのは難しいですし」

「そうだな。この一件が終わったら、それも考えるか。とにかく音声を拾ってこっちに流せ。連中の携帯にも仕掛けはしたんだろ?」

「もちろんなのですよ。で、ウィル子達はこれからどうしますか? しばらくここで事態の推移を見守りますか?」

「それもいいが、それだと出遅れそうだからな。少なくとも兵衛は俺が潰したいから、少し移動するぞ」

「にひひひ。タイミングを見計らって登場ですね。俗に言う満を持して」

「最初からクライマックスでもいいけどな。宗主がどれだけ戦えるか知らねえが、それなりには戦えるだろ。炎だけ見れば、厳馬以上なんだからよ」

 

あの厳馬以上の使い手。想像するだけで恐ろしい。そこに炎雷覇を付け加えれば、本当に手におえない化け物だ。

 

「出遅れないようにしないとな。つうわけでうれし楽しの死刑の時間と行こうか」

 

最悪の敵が兵衛へと迫る。

 

 

 

 

 

美琴をまるで盾にするかのようにその背後に陣取る兵衛達。対して神凪の術者達も一列に並び、彼らと対峙する。

その中心には重悟が立ち、その脇には炎雷覇を構えた綾乃と炎を召喚した煉と両手に少し短めの刀を持った燎が経つ。分家の三人もそれぞれにその横につき炎を召喚している。

 

何故、どうして、馬鹿な。

兵衛の頭の中はぐるぐると回るように混乱していた。神凪の術者、それも重悟をはじめ宗家と分家の最強のメンバーが目の前に現れたのだ。

兵衛にしてみれば突然の出現と言っても間違いではなかった。計画はバレていないはずだった。神凪には何の情報も伝わっていない、漏れていない、そう考えていた。

 

「な、何故ここに……」

 

そう呟くしかできなかった。

 

「やはり娘に堕ちた神である大妖魔の力を憑依させていたか。兵衛、お前は神凪一族を滅亡させるために、この計画を実行したのだな?」

 

重悟が確認するかのように呟く。その言葉に兵衛は押し黙るが、内心ではなぜ知られているのかと戦々恐々していた・

 

「兵衛。諦めるのだ。すでに風牙衆は拘束し、お前を支持していたものは逃亡、あるいは自ら命を絶った。これ以上、被害を広げるべきではない」

 

その言葉に兵衛は驚愕した。まさか風牙衆が全員拘束され、味方がほとんどいなくなったなど、信じられなかった。

 

「逃亡中の者もすぐに見つけ拘束されよう。お前の計画は達成できん。またさせるつもりも無い。兵衛、大人しく縛に着け」

 

重悟は諭すように兵衛に言うが、彼は到底聞き入れない。聞き入れられるはずが無い。

 

「馬鹿なことを! そのような言葉、到底受け入れられぬ!」

 

反発し、叫ぶように兵衛は言う。

 

「何故我らの計画がばれたのか、またお前達がここに来れたのか、あの攻撃はなんだったのかと疑問は尽きぬが、今はそんな事は関係ない! こちらには美琴がおるのだ! こちらの悲願である神復活のために必要な神凪宗家もここにいる! この場で全員を倒し、我らの悲願を成就させる!」

「風巻兵衛! 美琴は、流也はあんたの子供じゃないの!? 何でその子供を妖魔の生贄なんかに!?」

 

兵衛の叫びに綾乃が過剰に反応した。彼女達の目の前にいる一人の少女。虚ろな目をして、全身から妖気を放っている彼女達の友人。その姿を見たとき、彼女は怒りを抑え切れなかった。

 

「流也の事まで知っておるのか。……美琴は、流也は風牙衆の未来のための礎になったのだ。美琴は違うが少なくとも流也は望んでその身を差し出した」

「ふざけんじゃないわよ! 精霊術師が悪魔に魂を売るなんて!」

「黙れ、小娘! 貴様に何がわかる。我らの何が! 力が無いと言う理由で我らは隷属されてきた! 確かに三百年前、我らの祖先は確かに罪を犯したかもしれん! だがそれを我らはいつまでその業を背負い続けなければならん!」

 

己の内に合った激情を兵衛は吐き出す。神凪一族に対する恨みつらみ。その全てを兵衛は吐き出す。

 

「神凪一族が我ら風牙衆をどう扱ってきたか。どう思ってきたか、知らぬわけではあるまい? いや、知らぬのなら教えてやろう。貴様ら神凪一族の大半は我らを見下し、侮蔑し、奴隷のように扱った。違うか、結城慎吾! 貴様は我らをそう思っていたはずだ!」

 

問われて結城慎吾は表情を固くする。確かに常日頃からそう思っていたが、重悟達のいる手前、それを言うわけにも行かなかった。

 

「違うか、大神雅人、大神武哉! 貴様の兄は、父は、他の分家は我らを特にそのように見てきた。扱ってきた! 違うとは、嘘だとは言わせぬぞ! 我らの親の代も、その前も……。そしてそれらはこれからも続くであろう」

 

ギリギリと歯をかみ締め、兵衛は悔しさに顔を歪ませる。

 

「一体、我らに何の咎がある!? これから先、生まれてくるであろう風牙衆がなぜそのような扱いをされねばならぬ!? 答えろ、神凪一族! 我らをそのように扱う権利が貴様らにはあるのか!?」

 

兵衛の言葉に誰も何も言わない。言えるはずが無いのだ。重悟は兵衛の言葉に動揺こそしていないものの、この状況を打開できなかった己の無力さを呪った。

また綾乃、燎、煉は兵衛の言葉に動揺を隠せないでいた。彼女達は風牙衆をそのように見たことも扱ったことも無い。

 

だが心のどこかで風牙衆を弱いと決め付けていた。さらに彼らの苦しみや扱われ方に疑問を浮かべず、神凪内でどのような扱いをされているのかを知りもしなかった。だからこそ、兵衛の言葉で戦意が砕かれた。

 

他の分家の三人は表面上は動揺も見せなかったが、雅人は自分の兄が風牙衆にどのように接しているのかを知っていたし、それを積極的に変えようともしなかったと言う事では兵衛に何も言い返せない。武哉も同じで積極的な行動こそ無かったが、風牙衆を見下していたのは否定できない。

 

慎吾は兵衛の言うような扱いをしていただけに、風牙衆のくせに生意気なと言いそうになったが、何とか言葉を飲み込む。ここで下手な事を言えば、宗家の不評を買うのは目に見えていたからだ。

 

「息子を、娘を犠牲にしようとも、それでこれから生まれる風牙衆の子供達が我らと同じような思いをせずに済むのなら、風牙衆の誇りが護られるのなら、いくらでも犠牲を出そう! 例えこの身を悪魔に捧げようとも、貴様らを打ち滅ぼしてくれよう! やれ、美琴!」

 

兵衛は宣言し、美琴へと告げる。

命令を受け、美琴は何処とも無く、両手に扇子を広げる。黒い妖気が収束し、周囲を闇色に染め上げていく。

 

重悟は不味いと思った。綾乃達が動揺している。これでは思うように実力を発揮する事が出来ない。兵衛の言葉に完全に出鼻を挫かれた。

美琴が両腕を振りかぶり扇子を重悟たちに向かい振り下ろす。

風の刃が無数に生まれ、衝撃波を発生させながら迫り来る。

 

「喝ぁぁっっ!」

 

重悟は気合を込め、炎を召喚する。黄金の炎が吹き上がると同時に、それが変色していく。重悟の気を取り込んだ最強無敵の力。神炎と呼ばれる炎に変化していく。

紫炎。

これこそが重悟を最強と言わしめた力だ。

漆黒の風と紫炎が激突する。

ここに神凪一族と風牙衆の最後の戦いが始まった。

 

 



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第十八話

 

美琴の放った風の刃と重悟の神炎が激突する。

しかし威力は重悟の方が上だった。重悟の紫炎は美琴の風を瞬時に飲み込み、衝撃波さえも燃やしてしまったのだ。

 

この結果は当然と言えば当然の結果だ。

重悟の炎は厳馬の炎よりも上である。

流也と和麻の風がほぼ互角に近かったことを考えれば、今の美琴に流也ほどの力があっても真正面からぶつかり合えば厳馬の炎さえも打ち破ることは出来ない。

それは和麻と厳馬の戦いが証明している。

 

和麻は力だけではなく技術と中間圏の超低温の風で厳馬を打ち破ろうとした。しかしそれを持ってしても、厳馬を圧倒する事が出来なかったのだ。

今の美琴はただ力のみで重悟とぶつかっている。確かに強大な力ではある。

並みの術者どころか、一流と呼ばれる術者を持ってしても、美琴の攻撃を防ぎきる事は難しい。

 

しかし目の前にいる神凪重悟と言う存在は一流を超えた超一流であり、化け物、怪物と言った形容詞が付くほどの存在である。

あの厳馬でさえ勝つことが出来なかった存在。事故で片足を失ったとしても、実戦を離れていたとしても、その力は衰えていなかった。

 

これは精霊魔術の特性にもよる。精霊魔術は意思の力である。強い意志こそが精霊魔術を強化する。重悟の意思は現役を離れてもさび付いてなどいなかったのだ。

厳馬と同じように全身に神炎を纏い、防御力を高める。この足では移動しながらの戦いは無理でも、固定砲台としてこの場に留まり攻撃を続ける事はできる。

 

美琴と重悟の戦いは厳馬と和麻との戦いには劣るものの、それでも十分怪獣大決戦の様相を呈していた。

とてもではないが入り込む余地が無い。特に分家の三人の思いは同じだった。

どれだけの技術も、どれだけの鍛錬も、どれだけの経験も、圧倒的で理不尽な力の前にはあまりにも無意味に思えた。

 

少なくとも、自分達が命を賭して精霊を召喚し、炎を生み出そうとしても今重悟が放っている紫炎には遠く及ばない。

大人と子供の差ではない。それこそ蟻と像ほどにもその力には差があった。

ゆえに彼らに出来る事はただ巻き込まれないようにすること。そして兵衛達を拘束すること。

 

「俺達は兵衛を拘束する。お嬢、坊! ぼさっとするな! あの子は宗主に任せて、俺達は俺達の仕事をするぞ!」

「は、はい!」

「わ、わかりました」

 

動揺していた綾乃と燎の意識を引き戻したのは、大神雅人であった。彼は動揺していた綾乃と燎に声をかけ、何とか気持ちを落ち着かせた。

 

「煉坊もだ。大丈夫。煉坊だって宗家の人間だし、何と言ってもあの厳馬様の息子だ。自分を信じろ」

「雅人おじ様……。はい!」

 

自分の傍らにいた煉に雅人は優しく声をかける。この中では経験も豊富で落ち着いた物腰の人物であった。こう言った状況で皆を落ち着かせる事に成功する。

重悟を除く六人は美琴の両脇をすり抜ける形で、真っ直ぐに兵衛に向かう。その行動に気がついた美琴はそれを阻止しようとするが、目の前の男がそれを許さない。

 

「お前の相手はこの私だ! 皆には雫ほどの攻撃も通しはしない!」

 

重悟の炎が輝きを増し、美琴が放つ妖気を浄化していく。しかし美琴も負けてはいない。彼女の器としての力は流也を上回っているのだ。

和麻が行ったミサイル攻撃の最中にも、彼女は力を増し制御を鍛えていった。重悟との戦いにおいてもそれは同じだった。

 

次第に、徐々にではあるが、彼女は力を増していく。ミサイルの迎撃で妖気を多大に消耗したはずなのに、重悟との戦いで妖気を消耗しているはずなのに、その力は衰えていない。

 

むしろ……。

 

(妖気が上がっている!?)

 

妖気が膨れ上がっていく。膨大な風が彼女の元に集結していく。それだけではない。神を祭る祠から、さらに妖気が噴出しているのだ。

 

「妖気が。まさか封印が!?」

 

三昧真火に封じられていながらも、神は妖気を封印の外へと吹き上がらせていた。共鳴しているのだ。封印の外と中。隔絶され、閉ざされた場所でありながらも、神と美琴は互いに呼び合い、反応していた。美琴に憑依した妖気が封印された神の本体を呼んでいるのだ。

封印自体はまだ破られていない。しかし弱まっているのは確実だ。

 

丁度巨大な生物を絡め取っている網を想像すればいい。最初は小さな隙間ほどの大きさしかなかったところを、無理やり広げて大きくしているような感じだ。

まだ本体が抜け出す事は出来なくても、指や手を出す事は出来る。神は自らの一部を外へと送り出し、美琴へと力を与える。消耗した妖気を補充するような形で、彼女へと力を与える。

 

さらに力を与えられたのは彼女だけではなかった。

 

「ぐおぉぉぉぉっっ」

「おぉぉぉっっ!」

「がぁぁぁっ!」

 

兵衛を除く三人の風牙衆の術者が突然苦しみだした。不意に重悟が見れば、彼らも妖気に侵食されていた。

彼らも風牙衆であり、風巻の血を薄くながらに継承する者である。彼らの肉体は直系の風巻には遠く及ばないもの、神の力を宿す事も不可能ではなかった。

 

だが突然の妖気の憑依で、彼らの身体は歪に変化していく。美琴のように適合率に優れたわけではなく、内部に妖気を溜め込むことも出来ない。丁度外に妖気が纏わり付くようなものだ。

彼らの身体はどす黒く変色し、妖気が泥のように彼らの身体を覆っていく。綾乃が大阪で見た流也が変化した姿にそっくりだった。

二メートル半に達するかと思えるほどの巨体。それが三つ。

 

取り込まれ、自我をも失いかけた三人の風牙衆だったが、彼らは心にある一つの考えを忘れずにいた。

復讐。自分達を冷遇した神凪一族への恨みつらみ。負の感情が妖魔の妖気を浴びて増幅された。彼らの目に映る神凪の術者達。自分達を虐げ、見下し、蔑んできた連中。

感情が爆発する。彼らは向かってくる神凪一族に襲い掛かる。

 

「ちっ! 風牙衆の分際で! 武哉!」

「ああ!」

 

結城慎吾と大神武哉が足を止め、向かってくる風牙衆の一人に向かい炎を召喚し解き放つ。二人が組めば宗家に匹敵すると言われるほどの術者だ。二人の火が合わさり炎になるかのように、彼らの力は確かな物だった。

炎に包まれる巨体。まさに火達磨と言ったところか。これで終わりだと二人は思った。

 

しかし……。

 

『ゴガァァァァァ!!』

 

相手はすでにほとんど人間ではなくなっていた。いや、彼らが倒してきたただの妖魔でも無いのだ。

負の怨念。それも特定の者達に向けられる強固な意志。それはこの二人の炎を持ってしても簡単に燃やしつくせるものではない。

叫びとも思えない音が周囲に響く。炎に焼かれながらも、彼は慎吾と武哉に向かい拳を振り下ろす。

 

「ぐがぁっ!」

「慎吾!?」

 

炎に包まれた拳が慎吾に直撃する。慎吾はそのまま大きく後ろに吹き飛ばされ、途中にあった木に激突してようやく止まった。木の前でぐったりとして動かない慎吾。

 

「慎吾! 慎吾!? くそっ!」

 

武哉は炎で牽制しながら慎吾の下へと駆け寄る。何とか彼の下まで近づく。息はある。脈もある。だが炎で燃えた衣服の下を見るとずいぶんと腫れている。おそらくはアバラが何本か逝っている。幸い今すぐに死ぬほどではないが、戦う事など不可能だ。

その間にも風牙衆の一人は二人に向かい襲い掛かる。慎吾を護りながら戦うなど振りどころの話ではない。

 

「はぁっ!」

 

だがその間に躍り出る一つの影があった。炎雷覇を構えた綾乃である。

 

「綾乃様!」

 

「武哉さん。慎吾さんを連れて早く離脱して! ここはあたしと燎で防ぐから!」

 

見れば向こうでは燎が両手にそれぞれ日本刀を構え、風牙衆の一人と対峙していた。また残る一人も雅人と煉が二人がかりで抑えている。

 

「しかし……」

「そんな状態でここにいられる方が迷惑! 大丈夫。こんな奴ら流也よりも楽に倒せるから!」

 

綾乃は早口に言う。実際、傷ついた慎吾にここにいられるのは邪魔でしかなかった。それに綾乃は一度似たような相手と戦っている。

目の前の敵は速度、強さ共に流也に圧倒的に劣っている。和麻やあの少女の援護が無くても十分に戦える相手だ。

 

「わかりました。慎吾を安全な場所に移してすぐに戻ります。綾乃様、後武運を」

 

武哉も綾乃の言葉が正しだけにそれだけ言うとすぐに慎吾を担ぎ、その場を離脱する。二人が遠ざかるのをチラリと一瞥すると、綾乃はそのまま炎雷覇に力を込める。

 

「悪いけど大人しくやられて頂戴。あたしにはあなたを無傷で浄化するなんて器用な真似はできない。下手をすれば手足の一本や二本を燃やしちゃうかもしれない」

 

偽ざる本心である。重悟ならば簡単にできるだろうが綾乃には出来ない。だからこそかなり手荒になってしまう。

 

『ゴォォォォ!』

 

しかし妖気に支配された相手には通じない。

 

「……ゴメンね」

 

短く謝罪の言葉を述べると、綾乃はそのまま炎雷覇を構え相手へと向かう。

燎も燎でその多少苦戦しているようだが、それでも有利に戦いを進めている。雅人、煉のコンビも同じだ。まだ実戦慣れしていない煉を雅人がたくみにフォローし、敵を寄せ付けない。

 

美琴も美琴で重悟と伍して戦っているが、全体的に見ればこちらが不利だとその光景を見ていた兵衛は思った。

それに先ほど、美琴はどこからとも無く飛来した何かの攻撃に意識を割かれた様で、重悟の紫炎に危うく直撃しかけた。

幸い、美琴がすばやく回避したのと重悟も実戦を離れすぎていたために狙いが甘くなっていたために、彼女が致命傷を負う事は無かった。

 

兵衛は援護しようにも彼には美琴や他の三人のような力は無い。

いや、妖気をこの身に宿せばいいのだろうが、それでもこの状況を有利に進められる自信が無かった。

それでも状況は圧倒的に不利だ。

 

何故神は自分だけには妖魔を与えてくださらなかったのか。不意にそんな考えが浮かぶ。

いやいやと兵衛は首を横に振る。これは自分に与えられた試練だ。この状況で自分にだけにしか出来ないことがある。そう考える。そう考えなければ、あまりにもやってられなかった。

 

(援護しようにもワシの力では状況を好転させるどころか、下手をすれば不利にしてしまうかもしれない。どうすれば……)

 

その時、不意に兵衛の脳裏に策が浮かぶ。ニヤリと思わず口元を歪める。

確かに自分には戦う力は無い。しかし神凪には無い技術がある。風牙衆として、風術師として培ってきた技がある。そう、風術師の特性を利用すればいいのだ。

 

「ふふふふ。重悟、貴様はミスを犯した。確かに神凪宗家を集結させたのはいい手じゃよ。未熟とは言え、綾乃も、燎も、煉も優れた炎術師よ。しかし未熟は未熟。さらには若い。そこが貴様ら敗因よ」

 

兵衛はこの戦いに介入する。それは力を持ってではない。かつて頼通が行ったような策謀を持って……。

 

『くくく。いい気になるなよ、小娘、小僧』

 

不意に綾乃、燎、煉の耳元に声が響いた。突然の事に三人は若干の驚きを見せる。

 

「兵衛っ!」

 

綾乃は声の主を睨む。それでも目の前の相手への集中力を切らしていない所はさすがと言える。

呼霊法。風に声を乗せ耳元に運ぶ風牙衆ならば誰もが使える初歩的な技である。兵衛はこの声を、綾乃、燎、煉の三人だけに送った。

 

『確かにこのままではお前達が勝つだろう。美琴も重悟によって救われる』

「そうよ! だからあんたもこのまま大人しく」

『だが本当に美琴はそんなことを望んでおるのか?』

「えっ?」

 

兵衛の言葉に綾乃の身体が硬直した。

 

『確かにワシは美琴の意思を確認する前に妖気を憑依させた。しかし、美琴は本当に神凪に対し、お前らに対していい感情を持っておったと言い切れるのか?』

 

兵衛は揺さぶりをかける。まだ若い三人の宗家の術者に。

 

『お前達は美琴を、我らを他の神凪と同じように見てはいない。思ってはいない。そう考えておるやもしれんが、同じなのだよ。お前達は』

「な、何を……」

『知らなかった。何もしなかった。それで許されると? それで納得させられると? ふふふ。お笑い種だな。お前達は知らなかったが、美琴は風牙衆の現状を知っておった。そんな美琴がお前達を、神凪を本当に慕っておったと本当に思うのか?』

 

ドクンドクンと三人の心臓の鼓動が早くなる。

 

『仮にお前達が勝利しても、ワシを殺してもこの現状が続く限り何も変わらぬ。あの重悟でさえ何も出来なかったのだ。現状を打開する事は出来なかったのだ』

 

歴代でも類見ない力を有した紫炎の重悟でさえ、風牙衆の現状を変えることは出来なかった。

頼通や長老の影響もあった。神凪を取り巻く様々な要因があった。神凪全体の意識の変革がしきれなかった。また厳馬の発言もそれに拍車をかけてしまった。

数多の要因のせいで、重悟でさえも風牙衆の現状をよくすることが出来なかった。

 

『貴様らは重悟を、厳馬を超えるほどの力を、才能を持っておるのか? また超えられると思っておるのか? 神凪千年の歴史上でも十一人しかいない神炎使いどもを?』

 

千年の歴史で十一人と言う事は、単純に百年に一人と言うほどの天才と言うことだ。しかも重悟と厳馬は同年代である。これは稀であり、異常というべきであろう。

普通で考えれば向こう百年は神炎使いなど生まれないだろう。仮に親の力を受け継いだとしても綾乃も煉も父である重悟や厳馬を超えられるとは思えないし、何が何でも超えようと言う気概など無かった。これは和麻のような境遇にならなければ生まれるはずも無い。

 

綾乃も燎も煉も強くはなりたいと言っても、どれほどまでかと言う明確なビジョンは無い。

また重悟や厳馬の力を知っているだけに、憧れはあってもその領域に進む自分と言う姿が想像できなかった。

 

『変えられると思うか? いや、そもそもお前達にはそんな意思も気概も無い。ただ友人である美琴を助けられればいい。それだけじゃ。それ以外はどうでもいい。違うか?』

 

違うと否定できなかった。本当に違うとはっきりと口にする事ができなかった。

 

『ふん。図星か。それに美琴を助けるとか抜かしつつ、すべては重悟任せ。お笑い種じゃよ。それで美琴を助けてどうする? 美琴が本当に感謝するとでも? 本当にお前達は美琴の気持ちを理解しておったのか? 美琴も心のどこかで貴様らを恨んでおったのではないのか?』

 

兵衛は綾乃達の心を揺さぶる。真実かはたまた虚偽か。それは美琴にしかわからず、兵衛には彼女の心の真偽を知る術は無い。だがそれは綾乃達も同じだ。

兵衛はただ楔を放っただけだ。疑惑と言う見えない刃。実体の無い、だがこれ以上無い強固にして鋭い刃。

 

もしこれが重悟や厳馬ならば動揺してもそれを表に出すことなく、まずは美琴を助けるために全力を尽くしただろう。和麻ならばそんなもの関係ないとばかりに一蹴しただろう。

 

しかし綾乃や燎、煉は違う兵衛の言葉に感情を乱される。精霊術にとって何よりも必要な強固な意志。それは心が動揺すれば容易く乱れる。

 

『お前達の行動は所詮は自己満足じゃよ。そして美琴を助けてこういうつもりか? お前は助けたが、これから先生まれてくる風牙衆は今まで以上に酷い目に合うと? それともまさかお前達は自分達がそんな事は絶対させないと言うか? できるわけが無い。風牙衆だけではなく、自分達の血族さえ炎を操れなければ見下し、蔑み、放逐するような者達が』

 

兵衛はここにきてさらに新しい楔を放った。

 

『貴様らも良く知っておる宗家の嫡男であった和麻。神凪一族はあやつをどう扱った? 宗家でありながら、厳馬の息子でありながら、誰からも見下され、無能とされ、最後には実の親から放逐された。お前達は少しでも気に留めた事があるか? 綾乃に至っては四年でその存在を忘れておったな。同じ宗家でもその程度の認識。では風牙衆の貴様らに直接かかわりの無い者は?』

 

くくくと兵衛は嘲笑する。

 

『反論できまい? そしてお前達も我らを下に見ておっただろう? 対等などとは決して考えてはいなかったはずだ。弱い連中と思っていたはずだ』

「そ、それは……」

『それがすでに見下しておるのだ。対等など所詮は口だけの言葉。そんな者が風牙衆を守る? 美琴すら自分自身の手で守れない未熟者が?』

 

兵衛の言葉は綾乃達の心を乱した。戦闘に集中させないようにするという彼の思惑通りにことが進んだ。

疑念を、迷いを、動揺を心に持てば、精霊達は本来の力を発揮することはできない。

 

もし格闘家なら今まで培い、身体で覚えた技術で迷いが生まれても反射的に何らかの動きが出来ただろう。魔術師ならば予め用意しておいた術などがオートで発動したかもしれない。

 

しかし精霊術師は違う。いくら膨大な精霊を従えようとも、どれだけ才があろうとも、意思が無くば力は生まれない。

疑念を、迷いを、動揺を孕んだ心では強固な意志は決して生まれない。

 

(そうだ。もっと、もっと迷え。動揺しろ。ふふふ。いくら神凪宗家の血が流れていると言っても、所詮はまだ子供。貴様らの戦意を挫くなど容易い事。そして隙を見せれば……)

 

綾乃、燎に構っていた風牙衆の二人が、彼女動揺した一瞬の隙を突いて離脱した。狙う先は美琴と互角の戦いを続けている重悟。

 

「むっ!」

 

重悟はその接近に気がついた。視界に映る二つの巨大な泥の塊。

 

「喝ァッ!」

 

両手をそれぞれに向け、気合と共に炎を放つ。どの道放置しておける相手ではない。このまま美琴に合流されれば問題だ。

美琴にも注意を向けつつも、重悟は迫る二つの泥人形を迎撃する。浄化の炎は魔性のみを焼き尽くし、風牙衆には一切の被害を与えない。

妖気だけが焼き尽くされ、中から風牙衆の男が姿を現す。だが彼らは妖気から解放されながらも、重悟への突進を止めなかった。

 

「うぉぉぉぉっっ!」

「神凪重悟!」

 

二人は妖気に侵食されながらも意識を失っていなかった。それどころか、妖気から開放されても重悟に向かい無謀ともいえる突撃を行った。

これにはさすがの重悟も驚きを隠せなかった。しかし向かってくるのならば容赦はしない。

 

重悟は炎の一部だけを二人に向けて解き放つ。威力は意識を奪う程度。殺すつもりは無かった。

だが風牙衆の二人は炎に焼かれながらも、意識を飛ばさずにそのまま重悟へと掴みかかった。本来なら紫炎に触れた瞬間に彼らは灰すら残さず消滅するのだが、重悟は標的以外を燃やさないと言う高等技術で彼らを燃やさずにいた。

 

(やむを得ん!)

 

重悟は拳に力を込め、二人の男の腹部に拳を打ち込ませる。くぐもった声を上げながら、ようやく男達は意識を手放した。

 

「これで……」

 

地面に倒れこむ二人の男。重悟はそのまま美琴に集中しようとしたが、この時すでに彼は致命的なミスを犯していた。

見れば美琴は手を頭上に掲げ、ありえないほどの数の精霊を召喚していたのだ。

 

「なっ!」

 

風牙衆の二人の目的は隙を作る事。重悟がほんの僅かな時間、それこそ一秒か二秒でもいい。美琴から意識を逸らせばいいと考えていた。これは兵衛の入れ知恵である。

 

呼霊法により二人の術者は妖気に支配されながらも、兵衛の策を利いていたのだ。

重悟は厳馬に比べて甘い。兵衛のみならば殺す事を考えただろうが、できる限り犠牲者を少なくしようと彼は思っていた。

それはこの場にいる若い宗家の人間に血なまぐさい場面を見せたくないと言う思いもあった。首謀者さえ倒せばそれでいいと。

 

無論、彼も状況によっては殺す事も厭わないがなまじ力があるだけに、彼は理想を追求してしまった。

尤も仮に重悟が最初から風牙衆の二人を殺すつもりであっても彼らは命を賭して、それこそ捨ててでも重悟相手に数秒の時間を稼いだだろう。

 

風術師と炎術師。この両者が互角であった場合、最大規模の攻撃で打ち合えば必ず炎術師が勝利する。

あの和麻でさえ、聖痕を発動し中間圏の風をかき集め圧縮した風とは思えない最大級の一撃を持ってしても厳馬を倒しきる事は出来なかった。

今の美琴では重悟を真正面から力押しで倒す事など出来ない。

 

ならばどうすればいいのか。決まっている。相手が最大級の攻撃を放つ前にこちらが最高の一撃を与えてやればいい。

重悟は周囲に紫炎をすでに展開している。ここからさらに炎を召喚すれば、並大抵の攻撃では突破は出来ないだろう。

 

しかし今美琴が手元に集めている風の精霊はその防御を突破するのに十分だった。さらには神がそこへと妖気を流し込み、さらに力を増している。

重悟は何とか炎を召喚し続けるが間に合いそうに無い。二秒、いやあと一秒でも早く気がついていれば……。

 

「お前達の稼いだこの時間、無駄にはせぬ。やれ、美琴!」

 

兵衛の声と共に美琴は風を開放する。

 

「うおぉぉぉぉっっ!」

 

ギリギリまで召喚した紫炎を重悟は解き放つも、美琴の風はそれを切り裂き、吹き飛ばす。紫炎ににより多少は威力を落としたが、未だに消えない風は重悟の身体を守る炎さえも切り裂き、重悟自身をもその対象とした。

 

「がはっ……」

 

全身をズタズタにさえ、重悟は肩膝を付いた。未だに意識を失っていないと言うのはさすがというべき。

久しく忘れていた痛みが襲う。文字通り全身を引き裂かれ、重悟は大量の血を流す。

 

「お父様!」

「来てはならん!」

 

綾乃は思わず父親に駆け寄ろうとしたが、重悟はそれを制した。下手に動けば危険だと言う事は彼は分かっていたからだ。

美琴には変化は無い。アレだけの妖気を放ったと言うのに未だに消耗した気配も無い。

 

(いかん。予想以上に私の傷が深い。それに久しぶりの実戦で体力の消耗も激しい……)

 

自分が戦える身体では無いと言うことはわかっていた。それを承知でやってきたのにこの体たらく。自分の力を過信していたと言う事か。

重悟は自嘲する。綾乃達にあんな事を言っておきながら、自分はこの様とは。それに見れば右足が完全に壊れている。義足としての役割を果たすことなど出来そうにも無い。

 

いくら攻撃力が強くても当てられなければ意味が無い。この場を動けぬ、立ち上がることさえ出来ない今、機動力の優れた風術師に攻撃を当てる事が果たしてできるのか。

 

美琴の右手に再び風が収束していく。召喚速度も威力も高い。今の消耗し、傷ついた重悟にはあまりにもきつい。

 

「美琴ぉっ!」

 

不意に彼女を呼ぶ声が聞こえた。見れば燎が美琴に向かって飛び出していた。彼の姿を見た美琴は若干、ピクリと身体を反応させたが重悟に向ける風とは別の風を左手に集め、燎に向かい解き放つ。

 

「がぁぁぁっ!!!」

 

炎を展開しても燎の炎は重悟や厳馬とは比べ物になら無いほどに弱い。たった少し溜めただけの美琴の攻撃にも耐え切れず引き裂かれた。血を流し、身体を切り裂かれ地面に倒れ伏す。

 

「燎!」

 

思わず綾乃も叫んだ。思わず駆け出し、美琴に切りかかっていた。

 

「っ!」

 

衝動的に美琴に炎雷覇を振り下ろしてしまった綾乃は、自分が何をしているのかわからなくなっていた。助けるといったのに、自分は今、何をしている?

怒りに任せ、友人に炎雷覇を振り下ろしている。

 

といっても、仮に綾乃がここで美琴に攻撃を加えなければ彼女は追撃で重悟と燎を攻撃していたであろう。そういう意味では綾乃の行動は正しく、何もしなければ二人は美琴に殺されていただろう。

 

美琴はそんな綾乃の炎雷覇を両手に持った扇子で受け止める。破邪の剣である炎雷覇を何の変哲も無い扇子で受け止める。これだけで今の綾乃と美琴にどれだけの力量差があるかが読み取れる。

 

一度綾乃は美琴から距離を取る。はぁはぁと息を荒くしながらも、何とか炎雷覇を正眼に構え、いつでも最適な動きが出来る構えを取る。

 

しかしどうすればいいのだ。燎は意思こそ失ってはいないが、傷の影響で立ち上がれずまた炎を召喚する事も出来そうにない。重悟も同じであり、全身傷だらけで義足も破損している。雅人と煉はあの泥人形一人に手を焼いている。

 

自分がしっかりとしなければと、綾乃は自身を奮い立たせるが、未だに兵衛の言葉が耳に残る。いや、それどころか兵衛はなおも綾乃を動揺させる言葉を彼女の耳に届ける。

 

『どうした? 美琴を助けるのではなかったのか? それともやはり口先だけか。所詮、お前にとって美琴はその程度の存在じゃったか』

「違う! あたしは美琴の事を大切な友人だと!」

『ならば助けてみよ。しかし重悟でさえ出来なかったものが、お前に出来るか?』

 

くくくと綾乃を嘲り笑う兵衛に綾乃は怒りを覚えつつも、何とかしなければと考える。何かいい方法は無いか。

 

「く、そっ……」

「燎! あんたは動かないの! そんな身体じゃ無理よ!」

 

無理やり立ち上がろうとする燎に綾乃は叫ぶが燎は聞き入れない。

 

「俺は美琴に恩があります。絶対助けるって決めたんです。だからこんな傷なんて……」

 

傷口から血を流しながらも、燎は立ち上がり刀を構える。

 

『馬鹿め。死にぞこ無いが。美琴!』

 

美琴がまるで舞を踊るかのように扇子を振る。扇子から発生する衝撃波が綾乃と燎に襲い掛かる。

 

「はぁっっ!」

 

綾乃は燎を守るように彼の前に立ち、炎雷覇を振り下ろし、炎を放ち衝撃波を焼き尽くす。

 

『それで防いだつもりか! 愚か者め!』

 

兵衛の言葉が耳に届いた瞬間、美琴の姿が掻き消え綾乃と燎の眼前まで出現した。

 

「くっ!」

 

綾乃は炎雷覇を構え何とか防御をこなすが、一瞬の隙を付かれ燎ともども後方へ吹き飛ばされる。

 

『止めを刺せ、美琴!』

 

兵衛の命令で美琴は二人に向かい扇子を振り上げる。やられると二人は思った。

だが二人に攻撃が届く事はなかった。

 

『どうした、美琴! その二人を殺せ!』

 

しかし美琴は一向に動かない。それどころか小刻みに身体を震わせている。彼女の手に握られていた扇子がポトリと地面に落ちる。

 

「りょ、燎様、綾乃様……」

 

不意に美琴の口から声が漏れる。

 

「美琴?」

「あなたまさか意識が?」

 

今まで妖気に支配され虚ろな瞳を浮かべていた美琴の目が、いつもの彼女のものへと戻っていた。彼女は自分の身体を抱きかかえるように腕を回し、地面に膝を付く。

 

「馬鹿な。神の……ゲホウ様の妖気を抑えておるのか?」

 

美琴が一時的に意識を取り戻した事に兵衛自身も驚いていた。堕ちたとは言え、かつては神であり現在でも大妖魔である風牙の神であるゲホウの妖気を取り込んでも自我が崩壊していない。

一瞬とは言え、本来の自分を取り戻している。

 

「はい、燎様、綾乃様・・・・・・・・。時間が、ありません。私が、私であるうちに、お願いします。私を・・・・・・・殺してください」

 

美琴は二人に自らを殺してくれと懇願した。

 

「な、何を言ってるんだ、美琴! そんなこと出来るはずが無いだろ!?」

「そうよ! あなたを殺すなんて!」

 

燎も綾乃も声を張り上げるが、美琴は首を横に振り否定する。

 

「もう時間が、ないんです。私が、私じゃ、なくなって……」

 

途切れ途切れに美琴は告げる。自分自身でもう無理だと思っていた。浄化の炎を使える重悟は満身創痍。綾乃も燎も浄化の炎を使えない。仮に使えたとしても今の美琴に取り付いた妖気を浄化するには、それこそ神炎クラスの力が必要になってくる。

 

「私は、これ以上、燎様や綾乃様を、傷つけたく、無いんです」

 

涙を流しながら彼女は訴える。自分の身体が妖気に支配され動かなくなってからも美琴にはおぼろげながら意識はあった。夢を見るかのように、彼女は自分が何をしているのか見ていた。

 

重悟を、燎を、綾乃を傷つけた。殺そうとしている。

嫌だった。傷つけたくなかった。殺したくなかった。

 

兵衛はああ言ったが、美琴は神凪一族を恨んでいない。いや、風牙衆の扱いに対して何も思わないわけではないが、少なくとも綾乃や燎は自分を良き友人として扱ってくれた。そこには神凪とか風牙衆とかの壁は無かった。

そんな友人達を手にかけようとしている。それだけは絶対に出来なかった。

 

「だから、お願い、します。私を……」

 

気を抜けばすぐに身体が支配されそうだった。ギリギリで身体の自由を取り戻してはいるが、いつまた妖気に支配され、綾乃達に牙を向くかもわからない。

 

「早く、殺して、……ああっ!」

 

美琴の身体が激しく痙攣する。妖気が全身を駆け巡り、激しい痛みが彼女を襲う。抵抗する彼女を消そうとしているかのように。

 

「み、美琴!」

 

倒れながらも燎は必死に手を伸ばそうとする。だが美琴に届かない。触れる事は無い。身体がまったく動かない。

綾乃も何とか立ち上がろうとするが、激しく地面に叩きつけられたのか思うように立ち上がれない。

 

こうしている間にも美琴は妖気で苦しんでいるのに。何も出来ない自分達があまりにも不甲斐なかった。

美琴は必死で抗おうとしているが、脆弱な人の意思では、人の身では堕ちたとは言えかつて神だった存在の力には対抗できない。

妖気が強くなり、さらに祠から新しい妖気があふれ出す。それは黒い塊になって美琴へと迫る。これが美琴と合わされば、彼女の意識は完全に消え去る。

 

「美琴に触れさせないわよ!」

 

綾乃は動けないながらも炎雷覇を妖気に向けて構える。今持てる全ての力を炎雷覇に込めて打ち出す。黄金の炎が妖気とぶつかり焼き尽くそうとするが……。

 

「そんな!」

 

妖気は確かに燃やされた。だがそれは半分程度。残りの半分は速度こそ落としたものの、確実に美琴に迫っていた。

もう間に合わない。

 

「美琴ぉっ!」

「だめぇっ!」

 

燎と綾乃の叫びが周囲に響く。二人は見ているだけしか出来ない。ただ美琴が妖気に襲われるのを。彼女が完全に消え去るのを。

この場の誰もが諦めかけた瞬間、それは空より降り注いだ。

 

ゴォッ!

 

突風と言うにはあまりにも強大で、それでいてあまりにも優しい風が周囲を包む。蒼き風のカーテンが空より舞い降りた。

 

「なっ!?」

 

驚愕の声を上げたのは誰だっただろうか。誰もが目の前の光景に意識を奪われた。

蒼く輝く大気が妖気を飲み込む。綾乃の炎でさえ燃やし尽くせなかった妖気を浄化する。妖気に支配された風を喰らい尽くし、自らの力へと変換していく。

妖気に支配され、蹂躙されていたはずの美琴の身体さえも、風は優しく包みこむ。まるで母なる存在に抱きしめられているかのように。

 

(暖かい……)

 

風に抱かれた美琴は心の中で小さく呟く。蒼い風の奔流はしばらく続いた。風は周辺の全てを飲み込んでいく。浄化していく。

美琴に取り付いていた妖気も、風牙衆に取り付いていた妖気も、周辺に漂っていた妖気さえも、例外なく蹴散らした。

 

「い、一体なにが……」

 

兵衛は何が起こったのかわからず、呆然と呟く事しかできなかった。風が全てを飲み込むと、何事も無かったかのように蒼い風は消え去った。

空を見上げる。空に広がるは雲ひとつ無い蒼穹。そして……。

 

「な、に……」

 

何も無い空に彼は、彼らはいた。

蒼い空にポツリと浮かぶ一人の男。その表情は死神のようにも思えた。まるで忌まわしき物を見せられたかのような、そんな表情。

男は手に身の丈ほどもある槍を持ってた。蒼い輝きを放ち、いくつもの流れるような装飾が施された柄と、研ぎ澄まされた銀色の刃が伸びた槍。

 

もう一人の少女は取り立てて何も目立った武器を持っていない。強いて言えばパソコンのようなものを抱えているくらいか。

 

だが兵衛は、この場の誰もがその男には見覚えがあった。

 

「よう。来てやったぞ、兵衛」

「にひひひ。処刑の時間ですね」

 

全ての風を統べる男と電子を統べる少女。

八神和麻とウィル子。ここに彼らは参戦した。

 

 



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第十九話

天空より舞い降りる彼らの姿に、ある者は神を、ある者は天使を、ある者は悪魔を想像した。

圧倒的な力をその体から放つ。絶対的な強者の風格。膨大な数の風の精霊を従え、凄まじい力を宿した槍を持つ男。

綾乃はそれが大阪で見た和麻と同一人物には思えなかった。

あの時の和麻からはこれだけの力を感じ取る事が出来なかった。今の彼から感じる威圧感はそれこそ厳馬と同じかそれ以上にも感じた。

 

八神和麻とウィル子。

決して姿を見せず、裏より暗躍を繰り返してきた主従。

彼らが姿を現したのには理由があった。

 

(くそ忌々しいもんを見せやがって)

 

槍を握る和麻の手に力が篭る。彼は有体にいればキレていた。ここから五キロ手前の地点でヘリを降り、そのまま気配と姿を遮断し彼らは上空からこの戦いを見守っていた。

会話は全て聞いていた。状況もすべて把握していた。だからこそ、彼は怒りを込みあがらせたのだ。

別に兵衛が自分の名前を出した事に対して腹を立てているのではない。

ここまでお膳立てしてやったのに、神凪の方が一方的に敗北している事に腹を立てているのではない。

 

彼は思い出してしまったのだ。四年前のあの日、あの時の事を。

弱く、惨めで、情け無い自分を。神凪和麻と言う厳馬との戦いで決別したはずの存在の事を。

ボロボロになり、這い蹲り、何も出来ずにアーウィンが翠鈴を生贄に捧げたあの日の事を思い出してしまった。

愛しい少女がその存在を失う一部始終を、ただ見ているしか出来なかったあの時。

救い出すどころかたった一秒すら儀式を遅らせる事すら出来なかった、無力な神凪和麻と言う少年の姿を思い出してしまった。

 

美琴と綾乃と燎。

彼女達の姿があの日の自分と翠鈴の姿に重なってしまった。

妖魔に食い尽くされそうになる、生贄にされた少女。それを見ていることしか出来ず、無力に叫ぶだけしか出来ない少年と少女。

あの日の翠鈴と和麻の姿にあまりにも似ていた。記憶がフラッシュバックし、自分が許せなくなっていた。

 

気がつけば大量の風の精霊を召喚し、槍の力で増幅し、解き放っていた。

通常以上に浄化の力を増幅された風は、この周辺数キロの範囲を完全に浄化しつくした。

 

元々姿も見せる気はなかった。風牙衆がどうなろうが、神凪がどうなろうが知ったことではなかった。

共倒れしようが風牙衆が勝とうが、神凪が勝とうが関係なかった。

神凪が勝ちそうならば兵衛が殺されそうになった瞬間、彼を拉致してそのまま自分の手で殺そうと思っていた。

風牙衆が勝ったなら、そのまま姿を見せて圧倒的な力を見せつけ兵衛を殺すつもりだった。

誰にも見られず、見つけられずこのまま姿を見せずに終わらせるつもりだった。

だが出来なかった。

浄化の風を放ち、このまま兵衛だけを拉致して殺してもよかった。

 

だがそれだと気が治まらない。それだけだと納得できない。

もう別に神凪に姿を見せてもいい。力を見せてもいい。どの道、厳馬には力を知られているのだ。綾乃にも大阪で知られている。

秘匿しなければいけない情報だけを秘匿できればそれでいい。

浄化の風も別に構わない。こんなもの切り札でもなんでもないのだ。ただの手持ちカードの一つ。理由付けも忌々しい事だが、神凪宗家の血を引いているからだとかで十分に言いつくろえる。

 

顔を見られても、自分が生きていると知られたところで、すでに情報が出回っている事は知っている。

生存を隠していたのはアルマゲスト対策だったが、そのアルマゲストも殲滅したし、逆にヴェルンハルトをおびき寄せる餌にもなるだろうと考えた。

ゆえに和麻はウィル子と共に彼らの前に姿を現したのだ。

 

「か、神凪和麻!?」

 

兵衛は驚きの声を上げる。何故この場にこの男がいるのか。あの風はこの男が起こしたのか。あまりの事態に兵衛はパニックになっていた。

 

「……その名前で俺を呼ぶな。今の俺は八神和麻だ」

 

自らの名前を口に出す。偽名ではない、仙術の師である老師から譲り受けた名前。神凪に対して退かない、今の自分が誇る物の一つ。

彼をウィル子はゆっくりと大地に降り立つ。相対しただけで兵衛は全身から汗を吹き上がらせた。

 

兵衛も戦闘能力こそ低いものの一流と呼べる風術師である。さらに弱いからこそ、相手と自分の力量を測ることには長けている。長けていたつもりだったが……。

 

(な、なんじゃ、こやつの従えている風の精霊の数は!? それにこの力は何だ!? ワシがこれほどまでに震えている!? 怯えているじゃと!?)

 

脱兎のごとく、恥も外聞も無く悲鳴を上げながら逃げたいと兵衛は思った。

ありえない。ありえない! ありえない!!

この男から感じる威圧感は若かりし頃の厳馬や、全盛期の炎重悟にも匹敵するのではないか!? そう思えるほどの力を感じる。

 

兵衛の思考を他所に和麻はゆっくりと周囲を見渡す。全員生きているようだ。宗主も全身ボロボロだが死にはしないだろう。

ただかつて神凪一族内では一番世話になっている手前、今の痛々しい姿には多少憐憫の念が生まれた。

 

「おい、ウィル子。宗主に適当に薬でも渡しとけ」

「ま、マスターが他人を気遣うなんて!? これは明日は槍でも降りますかね」

「……こいつなら降らせてやってもいいが?」

 

和麻はウィル子に手に持った槍をこれ見よがしに見せる。本当にやりそうだから怖い。

 

「いえ、遠慮しておくのですよ。じゃあ渡してきますね」

「ああ。きちんと請求書はつけとけよ。相場の百倍くらいで」

「にひひひ、了解なのですよ」

 

ちゃっかり金を請求する辺り極悪と言うべきか、しっかりしていると言うべきか、それとも舐められないようにしたいだけか。

神凪に対して多少なりとも譲歩する、和麻の優しさと言うか甘さにウィル子は驚きを隠せないが、一応自分のマスターが借りはきっちり返す人間だと言う事を知っている。

かつて世話になった恩人には礼を尽くすくらいするだろうと、ウィル子は思った。そのまま彼女は自分達用に用意してきた幾つかの治療薬を手に、宗主の下へとやってきた。

 

「“お初”にお目にかかるのですよ、神凪重悟。ウィル子はマスターのパートナーのしがない妖精なのですよ」

 

一度以前にジグソウの一件で直接姿を見ているが、そんな事をおくびにも出さずにウィル子は重悟に挨拶を述べる。

 

「妖精……。和麻が風術師であるならば風の精霊の眷族であるピクシーの一種か?」

「まあそんなものだと思っておいてください」

 

自分の情報は一切渡さない。電子の精霊である事も、超愉快型極悪感染ウィルスであると言うことも。

大阪では綾乃に電脳アイドル妖精と言う自己紹介しかしていない。電脳と言う単語は出したが、あの状況で綾乃がどこまで覚えているか。

仮に覚えていたとしてもまさか電子精霊とは思わないだろう。そもそも電子の精霊などと言う概念も存在しない。和麻でさえウィル子の存在は初耳だったのだ。

 

「ええ、ではマスターからの薬です。七人分を一応渡しますので。効用は自己回復力の増進や血止めなどです。死ぬほどの怪我じゃない限りはこれを飲んでしばらく休んでいればある程度に回復します。ただし戦えるほどの体力は回復しません。あと激しく動いた場合、傷口がふさがっていても再度開きますので」

 

エリクサーのような死者さえも蘇らせるような、反則クラスのものではないのだ。飲んですぐ全回復と言う万能薬では決して無い。それでもこの薬はかなり貴重品だ。

 

「全部で一億円となりますので。あっ、ここに印鑑をお願いします。無ければ血判でもいいので」

 

どこからともなく取り出した紙を重悟に差し出す。重悟はそんなウィル子の場違いな雰囲気に緊張感を奪われていくような気がした。

 

「高い上に金を取るのか、あんたらは!?」

 

思わず綾乃が突っ込みを入れたが、そんな綾乃の姿を和麻もウィル子も一瞥した後、はぁっとため息をつく。

 

「アホか。こっちも慈善事業でやってるわけじゃないぞ。品物には対価を。商売の基本だろ」

「ついでに相手の足元を見るのも商売の基本ですよね、マスター」

「当然だ。稼げる時に稼ぐってのは世の中の常識だ」

 

と正論と言えば正論なのだが、どこかこの状況では暴論にも聞こえる。

重悟はそんな和麻の言葉と姿に微笑を浮かべる。綾乃あたりは金に汚いとか思うかもしれないが、彼はそう思わなかった。

自分が情で動いたと思われたくないのだろう。でなければ薬を出そうとはしない。仮に金を欲していた場合、いくら出す? と請求額を吊り上げようとするだろう。

それをしない事から、これは和麻自身が神凪に甘く見られないようにするためだと言う事だと気がついた。

 

「わかった。ウィル子殿、契約書にサインさせていただこう。印鑑は無いので血判にしていただきたい」

「にひひひ。毎度ありがとうございます。ではここにどうぞ」

 

自分の血で重悟は紙にサインをする。それを確認するとウィル子は重悟に薬を渡す。

 

「はいなのですよ。薬は使用上の注意をよく読んで飲んでくださいね。あと兵衛はマスターとウィル子が頂きますので」

 

そう言うとウィル子は再びふよふよと和麻の元まで飛んで戻ろうとする。

だが見れば、和麻が槍の矛先を美琴へと向けていた。

 

「えっ?」

 

美琴も驚きの声を上げている。

 

「み、美琴!?」

「ちょっと! あんた美琴に何をするつもり!?」

 

燎も綾乃も和麻の行動に驚きを隠せないでいる。

 

「お前らは黙ってろ。あとお前もじっとしてろ。じゃないと手元が狂う。久しぶりに使うんでこいつも拗ねてるんでな」

 

銀色の矛先に蒼い風が集まる。光り輝く風の螺旋。あまりにも幻想的な光景に槍先を向けられているにも関わらず美琴は見入ってしまった。

和麻は槍をほんの少しだけ美琴に向かい動かす。蒼い風が美琴の中に入り込み、直後彼女の背中から黒い影が噴出した。

 

「なっ!」

「あれってまさか妖気!?」

 

再び驚きの声を上げる燎と綾乃だったが、和麻は冷めた様な目で妖気を眺める。

 

「ったく。ずいぶんと深くまで侵食してくれてたな。最初の一撃で仕留めきれないとか、結構プライドが傷ついたぞ」

 

無手の状態ならばともかく、この槍を使った状態での浄化の力だ。はっきり言っていつもの数倍の威力を発揮している。なのに一撃で浄化しきれなかった。

それだけ美琴に侵食していた妖気が凄まじかったのか、はたまたよほど美琴の身体が妖気に適していたのか。

 

とにかく後腐れないように完全に、徹底的に、完膚なきまでたたき出した。風で調べてみたが、もう彼女の身体に妖気は残っていない。多少、普通の人間とは違うようだったが、それはさすがに風で元には戻せない。破壊するだけなら出来なくも無いが、下手に手を出せば死なせてしまいそうだったので、そちらには手を出していない。

 

「あ、あの……」

「……妖気は全部取り除いてやった」

 

短く言い放つと和麻はそのまま美琴に背を向けて彼女から離れる。和麻が離れた直後、綾乃と彼女に支えられた燎が美琴の傍にやってきて、無事で彼女を抱きしめながらよかったと涙を流している。

風でそんな彼らの姿を見ながら、和麻は思う。

もしあの時、自分の命を救ってくれた老師の到着が少しでも早ければ、自分も翠鈴を抱きしめて涙を流し喜んでいただろうか。

 

(いや、未練だな)

 

すべては力の無かった己の責任。翠鈴を守ると約束したのはほかならぬ自分自身。守れなかった責任を、罪を、他人に押し付け擦り付けていいはずも無い。

とにかく今は最高にイライラしていた。この怒りの捌け口は目の前にある。兵衛の顔を見ると思わず笑みが浮かぶ。残虐な笑みが、悪魔のような笑みが。

その表情を見れたのは兵衛のみ。残りは彼の後ろにいて、角度的に見ることは叶わなかった。

 

雅人も煉を連れて一時的に宗主の下へと戻っている。煉は和麻の登場で彼に何かを言いたそうであったが、雅人がそれを制止したようで小さく「兄様・・・・・」と呟いたきり、何も出来ないでいる。

 

「よう、兵衛。好き勝手してくれたな。いい夢は見れたか?」

 

和麻は兵衛に声をかける。どこまでも冷たく、どこまでも恐ろしい笑顔で彼は問いかける。

 

「な、なぜお前がここに?」

「ああっ? 決まってるだろ。お前を殺しに来たんだよ」

 

当然とばかりに言い放つ和麻に兵衛は驚愕する。

 

「な、んじゃと?」

 

この男が何を言っているのか、兵衛には理解できなかった。

 

「理解できないか? ああ、そうか。お前は俺達と違って状況を全然理解できていないもんな。いいぞ、最初から懇切丁寧に教えてやる」

 

和麻は今までの恐ろしい笑顔から、どこか慈悲深さすら感じさせられる笑顔にその表情を変化させた。

彼を知るものがいれば自分の目を疑うだろう。幻影だ、偽りだ、ありえないと自らの頭と視力に異常をきたしたのかと戦慄しただろう。

 

「さて。お前はどうして俺がここに来たと思う? お前ら風牙衆が神凪一族からの報復を恐れ、俺の事を利用しようとした報復として来たとか思ってるのか?」

 

混乱する頭を落ち着かせながら、兵衛は和麻の言葉の意味を考える。それ以外に参戦する理由が無い。

確かに命を狙われたのだ。この業界では報復する理由にはなる。

 

(いや、待て。そもそも何故我ら風牙衆がこやつを利用した事を知っている!?)

 

ふと思い浮かんだ疑問。そもそも和麻の名前を出したのはあの時、神凪一族と風牙衆が会した時のみ。久我透が漏らしたのか? 状況としてはそれしか考えられない。

 

「まあそれも間違いじゃないが、他にも理由はあるんだよ。と言うか、残念だったな。せっかく神凪があんなことになったのに、せっせと溜め込んでいた逃亡資金が何者かに奪われて」

「……。待て、貴様、今、なんと言った?」

 

聞き捨てなら無い台詞が和麻の口から漏れた。逃亡資金が奪われたとこの男は口にしなかったか?

それは風牙衆しか、それも自分とその取り巻きしか知らない情報のはずだ。

 

「それに京都に来るのにもクレジットカードが使えなくて、自家用車も公共機関もうまく使えずに自分達の足で来る羽目になっちまったな」

 

待て、待て、待て。何故その事をこの男が知っている?

 

「神凪の裏金も奪われて、それを報告も出来ず仕舞い。警視庁や他の組織から引き抜きの話が来てたけど、自分達が不正を暴いたんじゃないから簡単には乗れない」

 

和麻の言葉に兵衛は嫌な汗がさらに吹き上がる。自分の中で、最悪の答えが、考えが浮かんでしまう。

ありえない。そんな馬鹿な。そう思いながらも、まさかと思い和麻を睨む。

 

「き、貴様、まさか」

「ああ。そうだぞ。お前があの時、神凪一族に言った話はほとんど間違ってなかったんだよ。組織って所だけは違ったけど、それ以外は大正解だ」

 

和麻は兵衛に向かい全てを暴露する。

 

「神凪の不正を暴いたのも、神凪と風牙衆の裏金や逃亡資金を奪ったのも、ネットに情報を流したのも、お前達が京都に到着するのを遅らせるように細工したのも、全部俺だ」

「マスター。ウィル子の手柄もあるのですからそこは忘れないで欲しいのですよ」

 

文句を言いながら、ウィル子が和麻の隣までやってくる。

 

「ああ、そうだな。俺達だ。ついでに逃亡中のお前の取り巻きの三人も今頃神凪に拘束されているだろうよ。ただし頭クルクルパーだから、まともな対応は出来ないだろうよ」

 

そういう風にした張本人にも関わらず、和麻は悪びれもせずに言う。

 

「ついでに神凪の連中がここに来るように仕向けたのも俺達だ」

「な、な、なっ……」

 

あまりの事に兵衛は頭が回っていない。当たり前だ。ここまでの流れ全てが、この男によって仕組まれていたなどと信じられない。

 

「嘘じゃ、嘘じゃ! そのような事が信じられるか!? すべて、すべてお前達がしでかしたじゃと!?」

「にひひひ。信じられないのなら証拠をお聞かせしましょうか? 裏金の金額とか口座番号とか銀行の名前とか」

 

ウィル子はそう言うとカタカタとパソコンを操作しながら、歌うようにすらすらと兵衛しか知りえない情報を口にする。

さらにはパソコンで録音しておいた、神凪一族や兵衛達の話を盗聴した物を聞かせた。

あまりの事に兵衛は放心し、ガクリと膝をついた。

 

「な、何故ワシにこの話を?」

「ん? 決まってるだろ? 嫌いな相手にはとことん嫌がらせをするのが俺の信条だからな。まあ向かってこなけりゃ放っておくんだけど、お前は俺を怒らせた」

 

ゾクリと、兵衛だけではなくウィル子までもが悪寒を感じた。

 

「お前は人間を生贄にしようとした。俺はな、人間生贄にする奴が死ぬほど、殺したいほど嫌いなんだよ。だから人間生贄にする奴は死刑って決めてる。しかもお前は俺にとって激しく忌々しいものを見せてくれた。その礼もかねてだな。もうお前の切り札は何も無い。流也もいない。あの美琴って奴ももう戦えない。妖魔も風で封印に押し込めた。お前は終わりだよ、兵衛」

 

そんな言葉を聞き、兵衛は天を見上げた。全てを失い、放心したかのようだった。

その姿に和麻も中々溜飲を下げられた。これで後は殺すだけだ。

 

「……ふ、ふふふ、ふふふふふ、ふはははははっっ!」

 

いきなり兵衛は笑い出した。

 

「な、なんなのですか、いきなり?」

「壊れたか? まあ色々と暴露したし、別にこいつが壊れても構わないけど」

「ふ、ふふふ! 愚か者が! ワシを絶望させるためにその話をしてのだろうが、お前は墓穴を掘った! 今の会話は神凪の連中も聞いておる! 貴様がこれまで姿を見せなかったのは、自分の情報を知られぬためであろう!? じゃがお前は感情にかまけてワシの前に姿を現した! 貴様らがこれまで隠してきた情報、特に神凪と風牙衆の金を奪った事が知れ渡ったわけだ!」

 

兵衛は最後に一矢報いようと反撃を試みる。このまま殺されるのは我慢なら無い。少しでもこの憎らしい顔に後悔の念を浮かべさせたい。

 

だが……。

 

「ああ、それは無い」

 

和麻はきっぱりと否定した。

 

「そんな程度の事、俺が考え付かないとでも思ったのか? なんでワザワザ俺が姿を現した上に、神凪の連中に情報を渡さなきゃならん」

「そうですね。マスターとウィル子がそんなミスをするはずが無いではないですか」

「風術師は風を操るのはお前も良く知っているだろ。さてそもそも声、音ってのはなんだ? 突き詰めて言えば空気の振動を鼓膜がキャッチしてそれを脳に伝えるわけだが……」

「ま、まさか……」

「そう言う事。俺がこの周辺の風を操って音を操作してる。お前の声は、もちろん俺の声もだが神凪の連中には届いちゃいねぇよ」

「ば、馬鹿な! だ、だがそんなことをすればワシがこのように声を上げている姿を見て、聞こえないのを不審に思うはず!」

「それでしたら問題ないのですよ。神凪の方にはこの声を聞かせておりますので」

 

ウィル子はピッとパソコンを操作する。

 

『兵衛。お前は俺を怒らせた』

『抜かせ! ワシは絶対に諦めんぞ!』

 

などと和麻と兵衛の声が流れてくる。

 

「な、なんじゃそれは……」

「にひひひ。ウィル子が予め作っておいたマスターと兵衛の会話の音声です。それを今までマスターが風に乗せて届かせていたので、神凪の連中は不審には思ってないのですよ」

 

これはこんな時のためにウィル子と和麻が用意していたものだ。兵衛の声を解析し、彼と同じ声が流れるようにした。簡単に言えば高性能の変声機のようなものだ。

某街の科学者が超高性能でどんな声でも出せてしまう変声機を作って、それを身体が小さくなってしまった少年探偵に渡せるのだ。ウィル子が作り出せないはずが無い。

 

会話も様々な物を用意して、状況に合わせて流すようにしている。

微妙に会話の中には熱血和麻やクール和麻と言った、ウィル子の遊びの声も入っているが、それはまだ流していない。

他にも兵衛が神凪一族を罵倒する声や、ワシは悪くない! 全ては神凪が悪いとか、全然反省していないような声が流れてくる。

 

「ちなみに向こうの会話にもばっちりウィル子が対応しており、向こうの誰かが声を発したらそれに伴いこちらでも会話を調整しております」

 

兵衛のリアクションや唇の動きで、内容が伴っていないようにも感じられるかもしれないが、一々この状況ではそんなもの気にしない。特に唇の動きなど重悟くらいしか読めないだろうし、ウィル子も状況に合わせて受け答えを変えているので疑問に思うことも少ないだろう。

 

「よかったな、兵衛。お前が知りたかった事は全部知れたんだ。これで心置きなく死ねるだろ? ああ、なんだったら他に聞きたい事があれば聞いておいてやる」

 

槍を兵衛に向けながら、和麻はそんなことを言う。

 

「無かったら殺すぞ。本当ならこいつを使うまでも無いんだけど、ここ数ヶ月放置してたから機嫌が悪いんだよ。だから今日は使ってやらないと」

「せっかく某所から貰ってきたのに、マスターは全然使いませんでしたからね」

「使う必要も無かっただろ。けどお前も悪いだろ。元々こいつは体内に仕舞えたのに、お前が辺に改造するから……」

「なっ! マスターだってお古は嫌だし、バレると面倒だから作り直せって言ったではないですか!」

 

やんややんやと二人は言い合う。兵衛は思う。こいつらは本当に状況を理解しているのだろうか? と言うよりも自分はこんな連中に手のひらの上で踊らされていたのだろうか。

 

「ん? ああ、これか? 冥土の土産に教えておいてやろうか、こいつが何なのか」

 

これ以上聞きたくないと思いつつも、これだけの力を放つ武具に興味がわかないはずも無かった。

まるで噂に聞く、香港の最高の風術師の一族である凰一族が保有する風の神器である虚空閃のような……。

 

「虚空閃」

「………はぁっ!?」

 

思わず兵衛は変な声を出してしまった。和麻は何と言った? 虚空閃と言わなかったか。

 

「だから虚空閃だよ、虚空閃。お前も名前ぐらいは聞いた事があるだろ? 香港の凰一族が持ってた風の神器だ」

「マスター。もうかつての虚空閃では無いのですよ。ウィル子が01分解能で再構築しなおした虚空閃・改なのですよ」

「いや、一々『改』をつけるのも呼びにくいだろ?」

「だったら名前を変えればいいじゃないですか」

「それこそ厨二病みたくて嫌なんだよ、俺は」

 

ぼやく和麻にウィル子はあきれ果てる。

和麻が持っている槍。それは神凪が所有する精霊王より賜ったとされる神器・炎雷覇と同じく風の精霊王が与えたとされる風の神器であった。

これは長い年月、香港の風術師の一族である凰一族が保有していたものである。断じて和麻が持っていていいものではない。

 

いや、風の精霊王と契約した和麻が持つ資格は十分にあると言うか、本来なら彼が持つべき物だが、そんなことを凰一族に言っても納得しないだろう。

それに和麻も自分が契約者であると言いふらすつもりも無かったし、欲しいとも思っていなかった。

 

では何故この槍が和麻の手にあるのか?

それは数ヶ月前の話である。

和麻は中国のある場所に、アルマゲストの残党が逃げ込んだと言う情報を得てそこに向かった。

ヴェルンハルトではなかったが、取りこぼした序列百位以内の残りだったので和麻は早急に始末しにかかった。

 

中国はあまり行きたくない場所ではあった。香港では翠鈴と出会い、失った地でもある。他にも中国には師や兄弟子がいるため、出来る限り戻りたくなかった。

 

しかしアルマゲストがいるのなら向かわないわけにはいかない。細心の注意を払い、和麻は中国に戻り、アルマゲストを殲滅。そのままアメリカかヨーロッパ、はたまたオーストラリアにでも行こうかと考えた。

 

そんな折、偶然、上級妖魔との戦いを繰り広げる術者の一団と遭遇してしまった。何でも中国に三千年生きた吸血鬼がいたらしく、しかもそいつが中国の共産党幹部の娘を嫁にするとかで攫おうとしたらしい。

 

それを阻止するために、十人以上の術者が集められた。その中に凰一族の当主であり、虚空閃の継承者の男もいた。

 

和麻はこれに巻き込まれる形になった。丁度アルマゲストが潜伏していた場所がその吸血鬼の住処の近くであり、自分を討伐に来たのだと勘違いした吸血鬼に襲われた。

 

さすがに和麻でもこれには手を焼いた。ウィル子を守りながらでもあり、状況は不利だった。

そんな中、先に情報収集に赴いていた凰家の当主が、不幸に二人の戦いに巻き込まれてしまった。幸い戦いの衝撃で気を失っただけだったのだが、虚空閃を手に持っていたため和麻は使えると思い強奪。ウィル子の尊い犠牲(主に血を吸われただけだが)で、勝利を収めた。

 

何でも実体化したウィル子の血は病原菌(ウィルス)のようで、毒性も強く吸血鬼は逆に吐き出し、魔力も急激に消耗した。

こうなればあとは和麻が有利であった。心置きなくフルボッコにした。

 

「……虚空閃か。使えるな」

 

と、和麻はこの槍をそのまま手元に置く事にした。しかしさすがに凰一族から強奪したのがバレたら不味い。いや、無くなった時点で奪われたと騒がれるだろう。

ならばどうすればいい? 代わりのものを置いていけばいいじゃないか、と和麻はすぐさまウィル子に01分解能でレプリカを作らせた。

 

しかしレプリカと言ってもただのレプリカではない。風の属性を持ち、虚空閃と寸分たがわぬ作り。材質はオリハルコンでこしらえ、さらには風の精霊達から力を貰い受け、内部に内包する事で虚空閃と変わらぬ槍を作り上げた。刀身も重量配分も、ウィル子が計算し最適な切れ味、重さなどを実現した。

難点を言えば、これはオリハルコンで作っているため、体内に宿す事が出来ないという点であるのと、やはり神器に比べれば幾分か性能が落ちてしまうことだ。

 

それでもオリハルコン製の武器はこの地上で何よりも強度がある。そもそもオリハルコン自体神が創ったとされる鉱物だ。オリハルコン製の武器など、この世にどれだけ存在することか。

さらに凰一族は虚空閃を使いこなせていなかった。はっきり言って宝の持ち腐れである。

ウィル子が作った武器は神器ほど扱いにくく無いために、今までの虚空閃と同じような力を発揮する。

つまりオリハルコン製になったことで、より強度と威力が上がった。風を纏い、自分の気も神器に伝えやすくなった。

 

「これだけの武器と交換だ。凰一族も泣いて喜ぶだろうよ」

 

そのまま交換して自分達の痕跡を消して、その場を後にした。もちろん記憶操作も忘れない。証拠はあるが、騒ぎ立てにくいだろう。

下手に騒げば凰一族の沽券に関わるし、どの道和麻を見つけ出す事は出来ないのだ。レプリカ虚空閃も手元に残っているし、体内に宿せないのと意思が宿っていない以外の弊害ははっきり言って無いのだから。

 

「はぁ……。ウィル子としてはこの武器をマスターに使って欲しかったのですが」

 

丹精込めて作った武器を交換用に出されたのが少し納得いかないウィル子だったが、すぐに和麻がこのままだと虚空閃だとすぐバレるので作り直せと無茶を言い出した。

 

「大丈夫だ。精霊王には許可を貰ってる」

 

じゃあ精霊王が作り直したり、新しく貰えばいいんじゃないかと思わなくも無かったが、マスターの頼みは断れない。

だからこそ、レプリカ虚空閃を作るよりもさらに全身全霊をかけて作り直した。

作り直したのはよかったのだが、材質をまたオリハルコンにしてしまったため、今度は和麻の体内に宿せなくなってしまった。

しかしオリハルコンにした方が色々な面で都合がよかったのと、他にも効果が高かったので、これだけは外せなかった。

こうして作り直された虚空閃は和麻の手に渡る事になった。

 

「まっ、ここ数ヶ月使う必要性が無かったから、全然手にとってやらなかったからな」

 

虚空閃には意思が宿っている。人間のような明確にして個と言えるような物ではないが、確かにそこには意思があった。

ウィル子や和麻はその意思と共感する事が出来る。虚空閃を作り直す際、彼らはそれに触れ、同意を得てから行ったのだ。

と言っても体内に取り込めないからと、何ヶ月も放置されていればへそを曲げても仕方が無い。

 

また和麻がこの槍を厳馬との戦いの際に使用しなかったのは、あくまで自分自身の力だけで、対等に近い条件で戦いたかったからだ。

尤も、炎と風と言うあまりにもかけ離れた条件での戦いだったが、和麻はあくまで無手にこだわった。これは過去との決別の意味も込められていたからだ。

 

ちなみに流也の時は、すぐに出せるところに置いてなかったからだ。一応、持ち運びがしやすいように今それ専用のアイテムを手に入れて、もうすぐ手元におけるという時にあの襲撃であった。

そもそも和麻自身の力が強すぎて、虚空閃を使う必要性が無いと言うのも問題だろう。

 

「さて、そろそろいいな、兵衛。もう死んどけ」

 

音速を超える風が槍から放たれ、兵衛の胸を貫いた。

 

 

 



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第二十話

 

兵衛は和麻に胸を貫かれた。音速を超える風の一撃。心臓付近を確実に抉り取られ、胸には大きな穴が開いた。

 

「が、はっ……」

 

衝撃で地面から浮き上がりながら、兵衛は口から血を吐き出す。意識はあった。即死ではない。これは和麻があえて外したのだ。

付け加えるのならばあまりにも速過ぎる攻撃であったのも影響している。

しかし致命傷には間違いない。兵衛の命は残り僅か。即死させなかったのは和麻のいやがらせに過ぎない。

 

和麻はいたぶりながら殺すと言う事はしない変わりに、殺すのでも何も気づかずに即死させるのではなく、死ぬのだがその死を理解しながら死なせると言うやり方を選択した。

 

兵衛に手は残されていない。この状況で妖気を身に宿そうとも、彼は助からない。

浄化の風でもある蒼い風での攻撃だった。ポッカリと開いた兵衛の胸の穴の周囲には浄化の力が纏わりつき、妖気を即座に消滅させるだろう。

仮にそれを上回る妖気をその身に宿しても、虚空閃を持った今の和麻に対抗する事は出来ない。

あの流也でさえ、今の和麻とウィル子の前には敗北するであろう。それだけの力を今の和麻は有している。

 

兵衛は自分の胸に穴が開いているのを確認すると驚愕に顔を歪めた。痛みは無い。何が合ったのかも理解できていない。

ただ己の死と言うものが間近に迫っていると言うことだけは理解できた。

自分は死ぬ。

 

走馬灯が流れてくる。思えば碌でもない一生であった。風牙衆に生まれ、幼い頃より神凪の下で働いていた。

父や母、祖父母に技を鍛えられ、必死に努力を繰り返した。決して報われる事の無い努力でしかなかった。

どれだけ諜報技能を磨いても、どれだけ機動力を上げ、早く正確に情報収集を行おうとも、戦う力が無いと言うだけで、神凪一族には評価されることは無かった。

 

父も母も、祖父母も神凪一族のために尽くしてきた。しかし彼らが報われる事は決して無かった。

神凪頼通の時代には風牙衆はかなり汚い仕事をさせられた。主に彼のライバルの失脚を目的に。協力すれば多少の地位向上を約束しようと。

だからこそ風牙衆は彼に協力した。

しかし結局は報われなかった。所詮は口約束。ある程度の金を握らされたまま、待遇がよくなることは決してなかった。

 

彼の息子・重悟の代で兵衛は絶望した。

重悟と兵衛はほとんど似たような世代だった。

当時神凪千年の歴史の中でも九人しかいなかった神炎使いが、およそ二百年ぶりに現われた。それも穏健派として目されていた重悟であった。

兵衛は彼に期待した。彼ならば実力や性格などから風牙衆の立場をきっと良くしてくれる。

 

彼にはそれだけの力と発言力があった。兵衛は重悟が宗主になれるよう、必死に手を回した。

と言っても、ライバルであった厳馬を己の力だけで打ち破り宗主の地位に着いた。頼通とは違う。風牙衆の手を借りず、己の力だけで宗主の地位を勝ち取った。

重悟が宗主に付いた当初、兵衛は期待と希望に満ちていた。ここから風牙衆の未来は変わる。これから生まれてくる自分の子や一族のものが自分と同じような思いをせずに済む。そう考えた。

 

だが実際は何も変わらなかった。

重悟は確かに風牙衆の扱いや待遇をよくしようと尽力した。尽力したが、何も変わらなかったのだ。

頼通や長老が重悟に圧力をかけたことも理由のひとつだ。如何に宗主と言えども限界はある。さらに頼通は重悟の父親であり、策謀に長けた男である。いかな重悟と言えども親子と言う関係上、表立って、それも力を持っての対立をするわけにはいかなかった。

 

下手に対立をすれば、神凪が内部崩壊を起こす。

さらには厳馬の存在も大きかっただろう。彼は力こそ全てと妄信する男だった。力が無ければ何も出来ない。何も守ることが出来ないと常々思っていた。力の無い風牙衆に対しても、いい感情を抱いてはいなかった。

彼が力の無い一介の術者ならばそれでも良かった。しかし彼は重悟と同じ神炎使いでもあった。彼の発言は色々な意味で波紋を与えてしまった。

 

希望と期待が裏切られ、絶望へと変わり、それが怒りと憎しみに変化するのはそう時間がかからなかった。

もし兵衛が重悟に期待と希望を見出さなければ、反乱を企てようとはしなかっただろう。

人は裏切られた場合、簡単に天秤が大きく傾く。恨みつらみを募らせても、なんら不思議ではない。

 

息子と娘を犠牲にしてでも、兵衛は今の現状を打破しようと考えた。神凪一族を滅ぼし、自由を手に入れる。

正当な評価を貰えず、隷属され、希望も奪われた者の気持ちを思えば、兵衛が反乱を起こそうとしたのも無理は無い。

 

だがそれは阻まれた。それもたった一人の男に。いや、男とその従者に。

兵衛は自分の胸を貫いた男の顔を見る。笑っている。自分が死ぬ姿を見て、笑っている。

これほど憎らしいことがあるか。これほど腹立たしい事があるか。

全て目の前の男達の手の上で踊らされていた。自分達の思いも、信念も、悲願も、この男達は踏みにじった。

 

この男は自分達と同じく虐げられていたのではないか。神凪に恨みがあったのではないか。

なのに何故神凪に味方をする。何故自分達ではなく、憎き神凪に手を貸す!?

隷属され、屈辱を受けたのにも関わらず、似た境遇にありながらも、自分達の邪魔をする。

利用しようとしたことを恨んでいても、ならば何故神凪は恨まない。神凪に復讐しようとは思わない。理不尽だ。不条理だ。

我らの邪魔をするのならば、等しく神凪の邪魔をしなければおかしくは無いか。

確かに神凪の不正を暴き、頼通や長老を刑務所送りにしたり、久我透などを再起不能にしたりとかなりの事をしているのだが、それでも納得いかない。

 

いや、考えればわかることだ。所詮はこの男も神凪の人間だったのだ。神凪を追放されたとは言え、炎を使えないとは言え、神凪宗家の嫡子にしてあの厳馬の息子!

だからこそ、自分達とは相成れない。

しかし今の自分に何が出来る。もう死ぬまであと十秒も無いかもしれない。あの男に一糸報いることも出来そうにない。

 

悔しい、悔しい! 悔しい!! 悔しい!!!

憎い、憎い、憎い! 憎い!! 憎い!!!

 

このまま何も出来ないで終わるのか。この男にこんな表情を浮かべさせたまま死ぬのか。

終われない。断じてこのままでは終われない。

 

兵衛は不意に風牙衆の神が封印されている祠を見る。先ほどまでは強大な妖気で満ちていた祠は、和麻の風で完全に沈静化している。

三昧真火の封印の上から、さらに和麻が風で封印をかけたようだ。風は炎を煽る。和麻の風は三昧真火をより強力にしたようだ。

 

地面に倒れ落ち、兵衛は急速に自分の死と言うものを感じ取る。

死ぬのは怖くない。命など当の昔に捨てたつもりだ。後悔は無い。神凪の反乱の結果として殺される覚悟は持っていた。

しかし死に切れない。死に切れるはずも無い。

神凪に戦いの末に殺されるのではなく、風牙衆の悲願を達成した後に殺されるのではなく、一人の男の手のひらの上で弄ばれた上に、何一つ出来ないまま、絶望の中で死んでいくなど、決して我慢できなかった。

 

手を伸ばす。決して届かない自らが欲した存在へと。

兵衛は願う。力が欲しいと。

この命が尽きるのは理解している。残された僅かな命を持ってしても、この男に傷一つつけるどころか、触れる事も僅かに表情を崩す事も出来ないだろう。

力があれば。力さえあれば。

 

(神よ、風牙の神よ。あなたに願う。ワシの命を、肉体を、精神を、魂を、今を、過去を、未来を……。この風巻兵衛の全てをあなたに捧げる。だから、力を。この男にせめて一太刀だけでも与えられる力を……)

 

兵衛はこのままでは終われなかった。終われるはずなどない。

 

(このままでは死んでも、死に切れんっ!)

 

目を見開く。今の兵衛は風は操れない。神器を持った和麻が傍にいるのだ。並みの風術師、否、仮に世界最高峰の風術師と謳われる凰一族の人間がこの場にいようと、決して風を操る事など出来なかっただろう。

 

だが彼の全てをかなぐり捨てるほどの覚悟は、今、この瞬間だけ、死と言うすべての生物が絶対的に本能的に拒否する場面において、和麻の意思さえ上回った。

不幸な事に上回ろうとも、契約者にして神器持ちの和麻から精霊の支配権を奪えず、また風の精霊と共感するチャンネルも少ない彼ではどうする事も出来なかったが、唯一、彼だけに用意されていたチャンネルがこの時、花開いた。

 

それは三百年前より脈々と受け継がれてきた、風巻の直系にのみ与えられてきたチャンネル。風牙衆が神と崇めた存在とのチャンネル。

三百年と言う長き時と、神自身が封印された事により、今では完全に閉じられていた物。しかし閉じられていただけで、決して消滅したわけではなかったのだ。

兵衛とて風巻の血を引く、直系であった。流也や美琴と同じく、その素養は高かった。

 

彼が妖気を宿すのが二人よりも適正が低かったのかと言えば、年齢によるものもあった。衰えた肉体では、改造を施すのは最適ではなかった。もし彼が流也や美琴と同じ年齢であったならば、二人よりも適正は高かったはずなのだ。

三昧真火の中で何かが揺れ動く。

 

和麻の風で強化された封印。巨大な網に出来た穴を縫い直すように展開した風。これから逃れる術は無い。普通なら。

しかし兵衛は自らの中にある抜け道を解き放った。普通なら出来ない裏技である。抜け道があるのなら、最初からこれで神が抜け出せると思うかもしれない。

 

だが封印されたほうから抜け道を開く事はできない。風巻の直系にしても、強固に封じられ、三昧真火の中にある神へと道をつなぐと言うことは即座に炎に焼かれ、道ごと消滅を意味する。

さらに道が出来ても、その道を神が即座に通れる保証は無かった。強大な力を持つ存在が通り抜けるには、道が小さすぎては意味が無い。それこそ、美琴や流也でも神を一瞬で自らの肉体に転移させる事は出来なかっただろう。

 

兵衛はやってのけた。自らの死と和麻達への怒りと憎しみと言う強固な意志をトリガーに、一秒にも満たない僅かな時間であったが、道をつなぎだし、さらには神をも一瞬で通らせる道を、己の全てを持って作り上げた。

道が出来た時、兵衛は道を通って漏れ出した三昧真火に焼かれ炎に包まれた。だが同時に、神さえも兵衛は自らの肉体へと宿す事に成功した。

炎が吹き上がり、兵衛の身体が炭化する。だがそれもすぐに変化する。

 

身体が膨張していく。元々身長がそれほど高くなかった兵衛だが、彼はその姿を劇的に変化させていく。服は消え去り、腰の辺りに妖気でできた黒い布のようなものが巻かれる。

 

皮膚も肌色から深く濃い、黒に近い緑へと変色した。肉体が硬化し、筋肉質になっていく。身長もおよそ三メートル近くなる。歯も鋭くなり、まるで猛獣のような牙を見せ、口からは瘴気をあふれ出させている。目は赤く変化し、瞳は消失したかのようにも見える。

 

髪は逆立ち、怒りを表現するかのように天に向かい伸びている。

背中からは妖気で黒く染まった、片翼だけでも五メートルはあろうかと言う羽を生み出した。

 

ここに神は蘇った。

神と一つになった兵衛の意識はほとんど消えうせた。

 

しかし神の中で、彼の感情は脈々と残り、さらに燃え上がった。

自分達を封じ、隷属した神凪への怒りと憎しみ。

そして復活を邪魔し、風牙衆を弄び、すべてを奪った和麻への憎悪。

だからこそ、彼――ゲホウ―――は睨む。

神凪ではなく、八神和麻を。彼を八つ裂きにするために、ゲホウは咆哮を上げた。

 

 

 

 

「……おいおい、冗談だろ?」

 

兵衛を殺したと思ったのだが、何故か神が復活してしまった。

この間、僅か五秒にも満たない時間であった。変身ヒーローは変身に長い時間をかけているように思われがちだが、その実は僅か一瞬で終わっていると言うのは常識であるし、変身中は攻撃し無いと言う暗黙の了解がある。

 

しかし和麻は外道であり、そんなもの知ったこっちゃない。隙見せるほうが悪いんだよと、喜々として攻撃するような男である。

だが風で攻撃しようと思ったが、あまりの出来事に思考が停止していた。

 

和麻もまさか、風で封印しなおした神が封印を破ってではなく、いきなり兵衛の中に現われるなんて思いもしなかった。

さらに向こうは和麻の方を物凄い形相で睨んでいる。

 

「にははは、かなり恨まれてますね」

 

タラリと汗を流しながら、ウィル子は言う。出来るのなら、このままパソコンに入ってそのまま衛星を経由して国外に逃亡したい。和麻も同じでこのまま逃げ出したい。

 

「……逃げるか」

「はいなのです」

 

主の言葉に素直に同意し、そのまま彼らは風を纏って姿を消して逃走しようとする。

だがそうは問屋が卸さない。

 

『ガァァァァァ!!!』

 

ゲホウは巨体とは思えない速さで姿を消した和麻に向かい襲い掛かった。風を操る者同士であり、索敵範囲も広い。逃げ切る事など、できるはずも無い。

 

「ちっ!」

 

姿を現し、虚空閃で相手の拳を受け止める。まともに受けても虚空閃は壊れないが、衝撃はハンパではない。和麻は虚空閃を巧みに操り、衝撃を逃がして同時にゲホウの身体へと虚空閃を幾度も突き立てる。

 

『グガァッ!?』

 

さらにゲホウの身体を蹴って、自分は後ろへと下がる。おまけに虚空閃の振り下ろし、衝撃波を相手に浴びせてやる。

 

「ウィル子!」

「問題ないのですよ!」

 

和麻の声に反応すると、すでにウィル子は周囲にいくつもの武器を展開していた。無数の小型ミサイルと蒼く光輝く正八面体の物体。某ラミエルそっくりの和麻の拳大の小型結晶体が複数。

 

ウィル子は和麻がゲホウから離れたのを確認すると、ミサイルと光の粒子を束ねた光線の雨を解き放つ。和麻によって防御に徹していたゲホウに容赦なく降り注ぐ攻撃。

爆発とそれを貫く光。容赦も無いし、手加減もしない。生半可な攻撃ではダメージを与えるどころか、風の防御を突破する事が出来ない事を理解しているから。

 

「うらぁっ!」

 

ウィル子の攻撃が終わると続けざまに和麻は両手で槍を構え、神速の突きを繰り出す。槍の真髄は突きである。

和麻の腕と虚空閃の性能、風の精霊の力を組み合わせた攻撃は、まさに一撃必殺。一発だけでも並大抵の相手を貫き、巨大な大穴を開けることが可能な攻撃の乱れ打ち。爆風の向こうにある巨体に確実に突き刺さる。

だが和麻は気がついている。理解している。これだけの攻撃を繰り返していても、相手には致命傷を与えていないと言う事を。

 

「はあっ!」

 

最後に美琴の身体を浄化したときのように、虚空閃の先端に風を集めてゲホウに槍を突き立てる。オリハルコン製の武器を風で強化して突き当てたと言うのに、その肉体はあまりにも硬い。

 

「だぁっ! なんつう硬さだよ!」

 

ぼやきながら、和麻は一度後ろに跳び退る。

様子を伺う。爆風が晴れた向こうには、傷つき身体のあちこちから血を流すゲホウの姿がある。身体の一部は抉られ、さらには斬撃で斜めに大きな切り傷が出来、他にも幾つか傷がついている。血は予想に反して赤いままだった。

 

それなりのダメージを与えてはいるようではあるが、傷は見る見るうちに回復していく。大きな傷の治りは遅いが、それでも確実に回復している。和麻を睨みながら、ゲホウは忌々しそうな表情を浮かべている。

 

「いや、そりゃないだろ。今のこの状態で再生可能とか。元神でも今は堕ちて妖魔だろ? 虚空閃と浄化の風の攻撃でなんであっさり再生できるんだよ」

 

愚痴しかでてこない。腐っても神は神と言うことか。神器持ちの契約者と神の雛形の攻撃に対して、致命傷を与えられない。

 

「マスター。いっそのこと核ミサイルでもぶち込みますか?」

 

ウィル子が何気に過激な発言をするが、和麻はそれもいいなと同意する。

 

「最悪の場合、核ミサイルなり、核爆弾なり打ち込むか。さすがに何発かぶち込めばそれなりのダメージを与えられるだろうからな」

 

ただしここ数十キロが大変な事になるが、彼らは自分の命が大切な外道である。

 

『グルゥゥゥ……』

 

獣のように唸り声を上げる。もしこれが神器を持った和麻とウィル子でなければ、ダメージを与える事さえ困難であっただろう。

堕ちたとは言え、神とはそれほどまでに強力な存在なのだ。人間とは違う次元の存在。

和麻も人を超えた次元の違う存在ではあるが、それでもこの両者は現時点では同じ領域の存在でしかないのだ。

 

しかも神は怒り狂い、その力を底上げしている。

神と言う存在の本性は暴威である。暴れ回る脅威であり、人間にいいようにしてやられていたのを黙って見過ごせるはずも無い。

だからこそ、今のゲホウは本来よりもより強力な力を発揮している。

それに対抗できている和麻も明らかにおかしい存在ではあるのだが。

 

「でもまあ……。これで終わりだな」

 

和麻はそう呟くとゲホウを風で束縛する。虚空閃で増幅した風の束縛はゲホウを完全に捕らえた。さらに回復を優先していたため、ゲホウは動く事ができない。少なくとも五秒は押さえ込める。いや、今の和麻には三秒あれば十分だ。

 

「消えろ」

 

短く言い放つ。直後、頭上よりゲホウに何かが降り注いだ。光学迷彩を用いて、その光景を見られないようにしていたが、それは厳馬戦でも使用した和麻の切り札である黄金色の風である。

和麻は万が一の場合を考えて用意していた。虚空閃を使用する事で、生成時間や集中力の分散を抑える事ができたので、いつもよりも余裕で準備し、維持しておけた。

 

最悪の事態を常に想定しておく。使わなければ使わないでいい。準備過剰なら笑い話で済むが、準備できるのに準備せずに準備不足で痛い目を見たりするのは馬鹿らしい。

無駄にならず、無駄にせずに和麻は黄金色の風をゲホウへと叩き込む。虚空閃を持った状態での一撃だ。聖痕発動よりは劣るだろうが、それでも聖痕使用に準じる威力はある。

 

天空より降り注ぐ、圧倒的な破壊の風。もはや風とは呼ぶ事さえ憚られる神の一撃にも等しい攻撃だ。ゲホウは先ほど与えた傷も癒えきっていない状態での攻撃だ。効果が無いはずは無い。

 

「いやー、マスターも容赦ないですね」

「当然だろ。つうか虚空閃と黄金色の風を用意してきて正解だったな。無手の状態で、黄金色の風も用意してなかったら危なかったぞ」

 

はははと和麻は笑う。実際、ゲホウは流也を遥かに超える化け物であった。無手の状態で殴りあうなんて考えたくも無い。さらには虚空閃もウィル子が改造してオリハルコン製にしていなければどこまで通用したか。

 

炎雷覇も虚空閃も精霊の力を増幅する増幅器としてならば、他の追随を許さない最高にして最強の呪法具であるのだが、強度と言う観点だけを見れば上級と言う程度なのだ。

ミスリルと同じかそれよりも前後する程度の強度なのだ。それでも十分強固であり、精霊の力を纏わせればよほどの事が無い限り刃こぼれしたり、傷ついたり、ましてや折れたりもしない。ただしオリハルコンと比べれば見劣りする事は言うまでも無い。

 

オリハルコン、風の精霊の力、神器、契約者、和麻自身の腕と、ここまでの条件がそろってこそ、あっさりとゲホウの身体を貫いたのだ。このどれかだけでも欠けていれば、ゲホウの身体に簡単に傷を付けることはできなかっただろう。

黄金色の風がゲホウを蹂躙する。

 

だが……。

 

『グゴアァァッッッッ!!!!!!』

 

「へっ?」

「おい……」

 

咆哮が木霊した。

黒い風が黄金色の風と拮抗し、あまつさえ取り込んでいくでは無いか。見る見るうちに風は輝きを失っていく。どれだけの力を注ぎ込んでいるのだろうか。どれだけの力を発揮しているのだろうか。

ゲホウはその全てを持って黄金色の風を相殺していた。一つになった兵衛が願った、和麻に対する怒りと憎しみ。

取り込まれながらも最後の最後まで失う事がなかった執念が、主となったゲホウを突き動かすほどに作用した。結果、自らの存在も、力も、何を失っても和麻だけは八つ裂きにすると言う意思が精霊を伝い、その狂気が精霊達を狂わせて行った。

 

『ガァッ!』

 

黒い風が和麻の風を吹き飛ばす。自らの命を燃やし、傷を再生させる。黒い風の翼がはためき、どす黒い風が周囲へと撒き散らされる。

 

「そりゃ無いだろうが!」

 

和麻は虚空閃を振るい、蒼い風を生み出し周囲の黒い風と拮抗していく。浄化の風と妖気に支配された風に差は無い。正か負かの差だけである。残るはどちらの技量が上か、または意思が上かと言うことだ。

 

だが虚空閃を持った今の和麻と言えども、ゲホウの意思を上回る事は困難を極めた。

ゲホウは和麻を八つ裂きにする事だけに執念を燃やしていた。取り込んだ兵衛の意識もそれを後押しし、和麻に匹敵する二人分の意思を持って風の精霊を支配下に置き、妖気で狂わせ力を増させていた。

 

切り札とは先に切った方が不利である。それで勝てるのならば問題ないが、破られた場合、一気にピンチに陥ってしまう。

和麻もまだ聖痕と言う切り札を残して入るが、はっきり言ってこれしか残っていない。ウィル子が01分解能で作り出せる武器も確かに強力だが、黄金色の風を上回る威力を発揮する武器は核兵器くらいしかない。

作り出すにも、使用するにもリスクが高く、ここまでの相手に果たしてどれだけ通用するのかも疑問が残る。

 

しかもウィル子は先ほどまで神凪を先行させるためにミサイルを生み出し続け、色々な裏工作を進めていたのだ。もうエネルギーがあまり残っていない。

風の精霊や和麻からエネルギーを貰い受ければいいが、ゲホウと拮抗している今の和麻や風の精霊から下手に力を貰い受ければ、この拮抗状態すら崩しかねない。

 

「ウィル子! できる限りでいい。援護しろ!」

 

和麻はそのまま虚空閃を構えて接近戦を挑む。槍では接近しすぎると不利だが、和麻ならば間合いを読む程度は苦もなくできる。

遠距離攻撃ではあまりダメージを与えられない。ならば直接、虚空閃を突き立てて内部に風を送り込み切り裂くまで。

 

だがゲホウも和麻の思惑など理解している。強大な風を操り、さらには風を集めて漆黒の巨大な斧を作り出す。

 

「ちっ、どこのバーサーカーだよ!」

「十二回殺さないと死なないとか、マジで勘弁なのですよ!」

 

和麻とウィル子の言葉が聞こえているのか、聞こえていないのかはわからないが、ゲホウは咆哮を上げ、斧を和麻に向かい振り下ろす。風で出来ているだけに早い上に、ゲホウ自体が物理法則を無視しているかのように俊敏な動きを繰り返し、渾身の一撃を放つタイミングが見つけられない。

 

ウィル子も和麻が接近戦を挑んでいるので、効果範囲の大きなミサイルは使えない。光線で対応するしかない。電子精霊の能力を駆使して、彼女は瞬時にゲホウの動きを解析、シュミレートし、和麻の邪魔にならず、ゲホウの動きを止めるのに有効なタイミングで攻撃を繰り返す。

 

だがまるでウィル子の攻撃など蚊に刺された程度と言わんばかりに、ゲホウは彼女と彼女の攻撃を無視して和麻ばかりを付けねらう。

 

「ちょっ! ウィル子を無視するなですよ!」

 

ウィル子は何とかゲホウの気を引こうと、顔を中心に、それこそ目まで狙うが身体に接触する寸前に風で全部防がれる。

幸い、和麻に対応するのと、ウィル子の攻撃を防御するのに手一杯なようで、彼女の方に攻撃を向ける事は無い。

 

ゲホウの力は確かに恐ろしいが、多少ならばウィル子も十分に防ぎきる事ができる。

攻撃を続ける和麻とウィル子。

 

(ったく。この状況下で黄金色の風をもう一回準備するのは厄介だぞ)

 

虚空閃を持っている今、時間も短縮できると言っても、ここまで集中して戦っていれば難しい。三分、いや、最低でも一分半は欲しい。

それにもう一回ぶちかましたとしても、果たして今のこいつにどれだけのダメージを与えられる事か。もし効果が無ければ、あるいは防がれればこちらには打つ手がなくなる。

 

聖痕の発動も時間稼ぎをしている間に殺される。ウィル子単独で防ぎきれるはずが無い。

厳馬との戦いの際に出来た短時間での聖痕の開放は、ほとんど火事場の馬鹿力に近い。もう一度同じことをしろと言われても絶対に無理だと言える。

 

(ああ、くそ! そもそもなんで俺がこんなガチンコでやりあわないといけないんだよ!)

 

厳馬戦は望んだとは言え、あまりにも自分らしくない戦い方をした。今回はその反省を含め、高みの見物とおいしいところを掻っ攫うと言う実に楽しい展開にするつもりだった。

先ほどまで明らかに超絶な力を持つ、大魔王的な黒幕ポジションであったのに、今はパワーアップした主人公に苦戦を強いられるそこらの悪役になっていた。

この落差は明らかに酷い。

 

まあそもそも和麻が兵衛に対して嫌がらせで真相を暴露しなければ、あるいは即死する攻撃をしておけばこんな苦労をしなくて済んだはずである。

人を呪わば穴二つ。ブーメラントとも言うべきか。

 

(宗主はもう戦える身体じゃないし、綾乃も、あの燎って奴も、煉も力不足。分家なんてものの役にもたたない……)

 

宗主の傷は治っても、義足を壊されている今、まともに戦えないし回復も仕切っていない。

綾乃達を含めてあの美琴に手を焼いていた状況を考えれば、足止めにすらならない。分家は論外。

 

それに最悪なのは、彼らがこの妖魔に食われると言う事態だ。

妖魔と言うのは人間を餌にする場合が多い。かつて神でも妖魔に堕ちれば食人衝動が生まれるらしい。さらに人間は霊長類と言う、霊力を持つ生命体だ。他の生物も霊力を持つものはいるが人間はその中でも最たるものだ。

 

さらに神凪宗家や分家の力は一般人や他の術者に比べれば格段に強く、餌としての栄養価も高い。

今この場にいる神凪の人間や美琴は妖魔からすれば最高級料理のフルコースにも等しい。前菜からメインディッシュ、デザートまであるようなものだ。これを全員食われれば、かつての神に近い力を取り戻せるかもしれない。

 

和麻としては、神凪が餌になっている間に逃げればいいかもしれないが、そうすると後々神の力を取り戻したゲホウに追われる事になる。

和麻はどこまでも逃げとおす自信はあるが、さすがにこんな化け物に追われ続けるのはゴメンである。ウィル子と協力して、世界中の退魔組織を総動員し、核兵器まで使用すれば勝てるかもしれないが、それまでにどれだけの被害が出るか。さらに神の力を取り戻した存在を、果たして核兵器だけで仕留めきれるか。

 

虚空閃持ちの和麻が勝てない相手に一体世界中のどれだけの人間が抗える? それも神の力を取り戻したこいつに。和麻の師でもおそらくは難しかろう。核ミサイルも到達する前に迎撃される気がする。流也でさえ二十キロぐらい先を攻撃できるであろう力を有していたのだ。その上位の能力を持つこいつなら、五十キロ先ぐらい余裕かもしれない。

 

(あれ、これってかなり不味いかも……)

 

和麻はゲホウと戦いながら、若干弱気な考えを浮かべてしまう。

しかし和麻とて簡単に殺されてやるつもりは無い。何が何でも生き残ってやるつもりだった。

何度目かになる攻撃を繰り出し、ゲホウの身体を傷つけると再び和麻はウィル子の元へと移動した。

 

「ヤバイですね、マスター」

「そうだな。ちょっと予想外だ。虚空閃持ってこの状態だからな」

「……どうしますか? 打つ手ありますか?」

「切り札を使えばおそらく勝てる。今で拮抗状態、あるいはこっちが少々不利って状況だ。圧倒的な力で再生する暇も与えずに一気に攻撃すれば倒せるが……」

「切り札を使う暇が無い、ですね」

「ああ」

 

聖痕を使い、黄金色の風を虚空閃で叩き込めば確実とまで行かなくとも、おそらくは勝てる。そう何度も黄金色の風に貫かれて死なないはずはない。現に虚空閃の攻撃でもダメージは与えられているのだ。聖痕発動状態ならば倒せるはずだ。

 

「こっちがジリ貧になる前に何とかしたいが、お前ももうあんまり余力は無いだろ?」

「はいなのですよ。ミサイル攻撃やらなにやらに結構力を使ってしまいました。今すぐに動けなくなると言う程のものでは無いですが、マスターが切り札を使うまでの足止めをといわれれば、さすがに無理です」

 

和麻が聖痕を開放するまで約一分。その間にゲホウを一人で足止めするのは無謀すぎる。

 

「せめて宗主が動けりゃな……」

 

宗主が引き付けてくれれば楽なのだが、今の彼にそれを言うのは無理だ。

ああ、どうしたものかなと和麻が考えていると。

突然、ゲホウに向かい黄金の炎が襲い掛かった。

ゲホウはそれを確認すると、あっさりと腕で払いのける。だがそれは囮。本命はその脇から姿を見せる。

 

「でりゃぁぁぁっ!!!」

 

黄金の炎を纏わせた剣を振るう影。当然のごとく、それは防がれるのだが。

防がれたのと同時に、その人物は後ろへと飛び退く。

そんな光景を眺めながら和麻はポツリと呟く。

 

「……何やってるんだ、あいつ?」

 

和麻の視線の先には、炎雷覇を構えた綾乃の姿があった。

 



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第二十一話

攻撃を防がれた綾乃はそのまま後ろに飛び退き、相手との距離を取る。

心中はやはりと言う思いが占められている。

先ほどまでの和麻とゲホウの戦闘を、綾乃はすべて見ていた。と言っても、あまりにも速過ぎる和麻の攻撃に何とか目で追いかけられていた程度ではあった。

 

途中、何か巨大な力がゲホウに向かい襲い掛かったのも何とか気がついた。光学迷彩をかけられていたので、詳細を知る事はできなかったが、それでも和麻の力を思い知った。

 

はっきり言って、ありえないと思った。

最初にこの場に現れた時も、尋常ならざる力を身に纏っていた。とても大阪で遭遇した人物と同じとは思えなかった。

強いとか言う範疇では無い。自分とは次元が違う。それこそ尊敬する父である重悟や、叔父である厳馬と同じくらい、いや、それ以上かもしれないと思ってしまった。

 

自分とは違う領域で戦う両者。炎雷覇を持っていても自分如きが足を踏み入れられる領域で無いと言うことは理解している。肌で感じていた。

けれども飛び出してしまった。

 

(……炎雷覇の一撃を余裕で受け止めるなんて、そんなのあり?)

 

何て愚痴をこぼすが、これは自分が未熟なだけであろうと思い直す。和麻の攻撃ではずいぶんと傷を受けていたのだ。無敵で無いと言うことはそれが証明している。

 

(なんて弱いんだろう、あたし……)

 

ギリッと歯をかみ締め、己の不甲斐なさを恨む。

ゲホウは綾乃を一度だけ見ると、すぐさま視線を和麻へと戻す。炎雷覇を構え、攻撃の意思を示していると言うのに、ゲホウは綾乃を何の脅威にも思っていなかった。

 

(このっ! 少しはこっちを気にしなさいよ!)

 

だが油断しているのなら幸いだ。何でも炎雷覇で斬りつけよう。炎雷覇を突き立てることさえ出来れば、あるいは倒せるかもしれない。

 

(そうよ。もうあたししかいないんだから)

 

重悟もすでに戦える状態ではない。和麻の薬のおかげで傷は塞がってきているが、あのゲホウ相手に戦える程には回復していない。

燎も煉も自分よりは弱い。分家も出力だけ見れば、綾乃に圧倒的に劣る。それこそ水鉄砲とホース以上の差だ。だからこそ、自分がやらなければならない。

それに、綾乃は和麻に言いたいことがあった。

 

「はあっッッッ!」

 

気合と共に黄金の炎を吹き上がらせ、炎雷覇へと力を込める。大阪で流也と戦った時のように、自分の持てる力全てを込める。

綾乃はゲホウに向かい背後から迫る。炎雷覇をそのまま突き刺すべく、綾乃は突き進む。

 

対してゲホウは背中の羽を羽ばたかせ、綾乃を寄せ付けないようにする。視線は向けない。向ける必要も無い。風が綾乃の姿を捉えているし、彼女の一撃では自分に手傷を負わせる事が出来ないと思っているから。

 

ゲホウにしてみれば、飛んでいる羽虫を払いのける程度の感覚に過ぎない。食人衝動も和麻への怒りが勝っているのか、綾乃の姿を見てもこみ上げては来ていないようだ。

チャンスと思い綾乃は再度切りかかる。

 

だが羽虫と言えども、自分の周辺を飛び回られれば鬱陶しいのは言うまでも無い。近くにいなければ放っておく程度の存在でも、自分の周辺にいられれば払いのけられる。

 

ゲホウは和麻に意識を向けたまま、風を操り綾乃へと攻撃を行う。

ゲホウにしてみれば、何て無い攻撃だが綾乃にしてみれば自分の全力を持ってようやく受け止められる攻撃。

綾乃は炎雷覇で防御を行うが、それでも風で吹き飛ばされてしまう。

 

「きゃぁっ!」

 

実力の差は歴然だった。ゲホウに向かおうとした時、重悟には止められた。これほどの相手と自分の力量の差が理解できないほど未熟でもない。

重悟の制止を振り切り、綾乃はゲホウへと挑んだのにこの有様だ。

 

風で上空に吹き飛ばされ、そのまま重力に向かい自由落下。大阪でも一度体験したことではある。

このままでは地面に叩きつけられる。何とかしなければと綾乃は考えたが打つ手が無い。

だがそんな綾乃を空中で抱き止める存在がいた。和麻だ。

 

「あっ……」

「あっ、じゃねぇ! この阿呆が!」

「あ、阿呆って!」

「ああっ!? 自分と相手の力量差も分からない奴はそれで十分だ!」

 

綾乃の反論に和麻は声を荒げながらに言う。はっきり言って、綾乃が介入できるレベルではなく、逆に綾乃にまで意識を割かれて不利になる。

別に綾乃が死んでも構わないが、それで食われては元も子もない。さらには重悟の手前もある。

 

「じ、自分と相手の力量くらい分かってるわよ! でも仕方が無いじゃない! もうあたししか戦えないんだから!」

 

綾乃は和麻に反論する。彼女は何も考えなしで来た訳ではないのだ。

二人が会話を続けている間にもゲホウの攻撃は続く。和麻は器用に虚空閃を操り、距離を保ちながらゲホウの攻撃を捌く。

先ほどの攻撃のダメージがじわじわ効いているのか、ゲホウの和麻達への攻撃は先ほどより弱まっていた。

何とか会話の片手間に捌ききれる。

 

「お父様はもう戦えない。あたしより弱い燎や煉じゃ余計に足手まとい。分家の叔父様達も同じ。あんただってあいつに苦戦してたじゃない」

 

彼女もわかっていた。和麻が倒されれば次に狙われるのは自分達であると言う事を。そうなれば自分達に抗う術は無い。

 

「あんたがやられたら、あたし達も殺される。だったら、少しでも協力した方がいいじゃない」

「間違いじゃないが、それはお前の力がある程度に達してた場合だ。お前の場合、足手まといにしかならない」

 

無常に、正直に、はっきりと言い放つ。和麻としてみれば足止めや使い捨ての駒は欲しいが、吹けば飛ぶような脆い紙のような盾は邪魔なだけだ。

 

「……わかってる。わかってるわよ! それくらい! それでも命を懸ければ足止めくらいは出来るわ!」

 

手に力を込めて綾乃は言い放つ。彼女は何となくだが和麻が切り札を持っていると言う事に気がついていた。それがどんなものか、どれほどのものかまではわからないが、大阪の一件で彼女は何となく和麻とウィル子はこの状況を打開する何かを持っていると漠然と感じていたのだ。

 

「……時間稼ぎくらいはできるわ。ううん、絶対にする。だから、あたしにも手伝わせて」

「邪魔」

 

真っ直ぐに和麻を見る綾乃だったが、即和麻に切り捨てられた。

 

「ぐはっ! って、あたしがここまで言ってるのに何で断るわけ!?」

「不確定要素を組み込みたくないんだよな、俺。つうかお前程度だとマジで足手まといなんだよ。俺的に苦労は分かち合うようにしたいんだけど、今のお前じゃ本当に役に立たないんだよ。逆に俺が苦労しそうだし」

 

綾乃に気を取られていてやられましたじゃお話にもならない。綾乃が重悟、厳馬クラスとまでは言わなくとも、もう少しだけでも強ければこの申し出はありがたかったのだが、壁にすらならない今の綾乃では本当に邪魔なだけだ。

ちなみに苦労は分かち合っても、おいしい所は独り占めなのは言うまでも無い。

 

「ああ、もう! ええ、どうせあたしは弱いですよ! 足手まといですよ! 邪魔ですよ! 悪かったわね!」

「自覚してるんだったらもう少し強くなっとけよ。そうすりゃ、時間稼ぎくらいは任せたのに……」

 

はぁっと和麻はため息を吐く。綾乃はそんな和麻の態度に青筋を大量に浮かべる。

 

「もういい。話は終わりだ。お前はどっか行ってろ。そろそろお前と会話しながらあいつの攻撃を捌くのも限界だ。あいつもずいぶんとダメージを受けてるから、まあなんとかなるだろう」

 

黄金色の風の一撃は相殺されたが、確実にゲホウの身体にダメージを与えている。無理やり表面の傷を己の存在の力で回復させたが、本体の力は弱まっている。

ゲホウは今は和麻への怒りで動き回っている。感情が優先し、後先考えないで戦っている。傷の回復や和麻達への攻撃。自らの存在の力を切り崩し、神の、妖魔の力を消耗させ続けている。

 

三百年前に神凪により倒され、封印され、その間に一切のエネルギーの補充がなかった。さらには封印を破るために力を使い、流也や美琴を始めとする風牙衆に力を分け与えた。

兵衛の肉体と精神、魂を取り込み一時的にエネルギーを得たがそれも微々たるもの。すでに和麻の度重なる攻撃と黄金色の風の直撃を防ぎ、相殺したことで使い切っている。

 

こうなれば根競べなのだ。先にゲホウの力が尽きるか、和麻の力が尽きるか。

もしここで綾乃が、いや、神凪の誰かや美琴が食われればそれこそ致命傷なのだ。

 

「お前があいつに喰われたら、こっちがさらに不利なんだよ。それくらい理解してるだろ?」

「……わかってるわよ。そんなこと」

 

悔しそうに綾乃は呟く。

 

「だったら宗主達と一緒に出来る限り逃げとけよ。邪魔なんだから。今の所、あいつは俺が第一目標だから、悲しい事に俺が逃げれば絶対に追ってくるだろうしな」

 

逃げている間に時間を稼いで黄金色の風を用意しようかとも考えている。

もう一発放って、黄金色の風が直撃している間に虚空閃で全力の攻撃を叩き込めば、致命傷を与えられるのではないか。

 

「……だって、そうなったらあんたそのままあたし達には関わらないで、どっか行っちゃうでしょ? 大阪でもそうだったし」

 

思い出しただけでも腹立ってきた。綾乃は密かにそう思った。

 

「あっ? んなもん当然だろ。何で好き好んで神凪とつるまないとダメなんだよ」

 

当たり前だとばかりに和麻は言う。と言うか、こいつはこんな状況下であの時の文句でも言いに来たのか? だとすればとんだ大馬鹿で考え無しの阿呆だ。

 

「お前、まさかあの時の文句でも言いに来たのか?」

 

若干声を荒げ、怒りを沸きあがらせながら和麻は言う。ゲホウを相手にしながら、ヤバイ状況だと言うのに。

 

「違うわよ! いや、確かにあの時の恨み言もあるけど……」

 

ぼそぼそと綾乃は言う。和麻はそんな姿にさらに怒りを覚える。

 

「でも言っときたかったことは別。……その、ありがとう」

 

小さく、綾乃は呟いた。

 

一瞬、和麻の動きが止まってしまった。そんな和麻の動きを見逃さないゲホウではなかった。風の刃がいくつも和麻に迫る。

 

「ま、マスター! 前、前! って、ああ、電子武装壱号! イージス開放!」

 

隣に浮遊していたウィル子がピンチだと判断して、彼女の固有武装である魔力障壁を展開した。

イージスと称した盾はゲホウの攻撃を完全に遮断しつくす。電子の精霊の障壁はいかなる攻撃をも弾き返す。

 

「マスター! しっかりしてくださいなのですよ!」

「ああ、悪い悪い。助かったぞ、ウィル子」

 

思わず動きを止めてしまった和麻はウィル子に謝罪する。

 

「お前、いきなり何言い出すんだ。思わずピンチになっちまっただろうが」

 

恨みがましく和麻は綾乃に言うが、その顔はなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「うっ、わ、悪かったわね! でもただお礼を言っただけでしょ!?」

 

顔を若干赤らめながら、綾乃は叫んだ。

 

「いや、そもそもなんでお礼なんて言うんだよ」

 

和麻はゲホウに意識を向けながら、綾乃に聞き返す。

 

「……大阪では巻きこまれたと思ったけど、実際は助けられてたみたいだし、美琴の事もあったから……」

 

和麻のおかげで美琴は助かった。大金を請求されたが、和麻が薬を渡してくれたおかげで重悟も燎も慎吾も大事には至らずにすんだ。

だからお礼を述べたかった。このまま和麻に関わらなかったら、もう二度と言う機会が無いと思った。

 

和麻に協力しなければと思ったのも事実だが、お礼を述べたかったと言うのも本音である。我ながら、無茶をしたなと思う。

そんな綾乃の姿に和麻は……。

 

「……ああ、しまった。そっちも請求しとけばよかった」

「はぁっ?」

「俺としたことが、お助け料を宗主に請求するの忘れてた。大阪の一件と今回の件で十億ぐらい貰っとけばよかった。くそ、失敗した」

「なっ、あ、あんたは…」

「ほんと。損したな。あっ、これ終わったら請求するかな」

 

などとのたまった。

 

「さ、最低! うわっ! あたしがせっかくあんたに感謝の気持ちを抱いてたのに、全部消し飛んじゃったわよ! と言うか返せ! あたしの感謝の気持ちとかその他もろもろ!」

「いや、お前が勝手に言った事だろ?」

 

とこんな状況にも関わらず、和麻は楽しそうに軽口を叩いた。

ウィル子はそんな様子を眺めつつ、余裕だな、この人達と思いながら汗を流した。

 

しかしウィル子はわかっている。和麻がこんな風に軽口をたたくと言う事は、綾乃の言葉に戸惑っているのだという事を。

和麻は感謝されるつもりは一向に無かったし、されたいとも思っていなかった。

 

人と言うのは不思議なものである。己には決してかけられるはずの無い言葉を言われると戸惑いを感じてしまう。それが不意打ちだったらなおさらである。

和麻は絶対にそれを表に出さないし、本人にもその気は無いだろうが綾乃の感謝の言葉に戸惑いながらも心をいい意味で揺さぶられたのだ。

 

だがその時不意にゲホウの力が高まったのを感じた。風でゲホウの動きを常に把握していたが、突然ゲホウは突進をかましてきた。

音速にも近い速さで和麻との距離をつめ、巨大な斧を振りかぶる。

 

「くっ!」

 

和麻は何とか回避しようと試みる。仙術と風術を駆使し、神速の高速移動で回避を試みる。

しかしゲホウはそれすらも見抜いていた。和麻の逃げ道を漆黒の風で防いでいた。

 

「マスター!」

 

ウィル子の叫び声が聞こえる。回避は間に合わない。相殺しきれるか!?

虚空閃を突きつけ、漆黒の斧を迎え撃つ。蒼と黒がぶつかり合う。

 

(不味い。逸らされる)

 

振り下ろされた斧の威力に虚空閃がはじかれそうになった。いくら強力な武器でも和麻の腕力は人間の範疇である。和麻は技術を持ってそれを補っていたが、単純な力では和麻に勝ち目は無い。

キンっと音がすると虚空閃の矛先が下に逸らされた。

 

瞬間、ゲホウが笑ったような気がした。ゲホウは次の攻撃に出る。それは斧でもない。手でもない。足でもない。単純な頭突きである。

ただの頭突きと侮る事なかれ。オリハルコン製の虚空閃でも硬いと思わせる肉体。そこから繰り出される一撃は直撃すれば頭蓋骨を簡単に砕き去り、ざくろのように人間の脳髄をあふれ出させるだろう。

 

厳馬との戦いの時と同じようにスローに時間が流れるように和麻は感じた。しかしあの時とは違う。距離が、位置が、状況が。

聖痕の発動も間に合わない。ウィル子の防御が間に合うかどうか。それに先ほどイージスを発動させてしまった。

 

だがその直前

 

「はぁっ!」

 

綾乃の炎雷覇が迫り来るゲホウの頭に突き刺さった。

 

『グガァッ!?』

 

緋色に輝く刀身。横合いからゲホウに向かい突き出される炎雷覇が和麻に直撃するはずだった頭突きのコースを変えた。

 

「あたしを、舐めんじゃないわよ!」

 

綾乃が咆哮を上げた。彼女は怒っていた。あの大阪と同じように。否、それ以上に。

気性の荒い綾乃はここまでよく我慢したものではあるが、彼女は押さえ込んでいた感情をここに着て一気に爆発させた。

 

彼女を支配している怒りの感情。しかしそれは和麻に対するものではなかった。

いや、和麻に対する物もあったが、それ以上に別の存在に向ける怒りが大半であった。

 

怒りの対象は神凪綾乃と言う自分自身。

京都に来て、彼女は自分自身の弱さや愚かさが頭に来ていた。

何も出来ない自分。何も知らなかった自分。無力な自分に。

風牙衆の現状を何も知らなかった。美琴を自分の手で助ける事が出来なかった。和麻が来てくれなければ、美琴は妖魔に食い殺されていた。みんな、殺されていた。

 

次期宗主なのに、炎雷覇の継承者なのに、何の役にも立てなかった。

決死の覚悟で、思いで和麻に協力をしようと思った。自分の力が未熟であると言う事は理解している。次元が違うと言うことも理解している。

でも少しくらいは、ちょっとくらいは役に立てると、命を懸ければ、命を捨てる覚悟で望めば、足止めくらいは出来ると思った。

 

だがそれも和麻に一蹴された。邪魔だと。足手まといだと。

自分の無力さ加減があまりにも腹立たしかった。

目の前に迫るゲホウとやられそうになる和麻の姿。和麻と同じように綾乃もその光景がスローに見えた。

また何も出来ないのか。また見ているだけか。綾乃はそう感じた。

 

奇しくもそれは和麻と同じだった。彼女もまた、自らの弱さに打ちひしがれた。しかも彼女の場合は、力を持っていたにも関わらず何も出来ないと言う現実を突きつけられた。

 

ふざけるな。彼女の心の奥底で何かがキレた。

この男が死ぬ。そんなことはさせない。絶対させない!

そして絶対にこの男を一発殴る。いや、一発で済ませるものか。ボコボコに殴ってやる!

人が折角感謝の言葉を述べたのに、それを無下にされた。自分だって色々と葛藤を抱えて、何とか述べた言葉だというのに。

 

気がつけば、無意識に綾乃は炎雷覇を迫り来るゲホウに付きたて、炎を放っていた。

炎の色が黄金から徐々に赤みを帯びていく。朱金の炎が炎雷覇に収束されていく。

朱金の炎を纏った炎雷覇はゲホウのこめかみに若干ながらの傷を与える。僅かな傷ではあるが、それでも傷を付けた。

 

綾乃の攻撃は止まらない。僅かな傷から綾乃は炎をゲホウに向かい送り込む。怒りの感情を全てぶつけるかのように。

目の前のこいつが邪魔だ。和麻と話をつけるのはその後。こいつを倒してから!

 

「邪魔なのよ! あんたはぁぁっっ!!!」

『ぐがぁぁっっ!!!』

 

苦悶の声が響く。ゲホウは風を操る神であり、妖魔である。そのため浄化の風であっても、その耐性は高く、ダメージを与えにくい。

しかし炎に対する耐性は高くは無い。相性としては綾乃の方がいいのだ。それを直接、傷口から体内に、それも頭に流し込まれてはいくらゲホウと言えどもたまったものでは無い。

 

即座にゲホウはその場を離れる。離脱する。炎が未だに頭部に纏わり付く。何とか黒い風で吹き飛ばすが体内に侵入した炎を即座に消し止める事は出来ない。

 

「逃がすかぁっ!」

 

綾乃は追撃する。炎を炎雷覇より解き放ち、巨大な火球にしてゲホウに向かい打ち出す。

万全の状態ならゲホウには有効では無いだろうが、今のゲホウでは少々手を焼く。

頭に残る痛みを無視し、ゲホウは斧で朱金の炎を迎撃する。

 

和麻はそんな綾乃の姿をただ呆然と見る。彼女は気づいていない。自分が神炎を出していると言う事に。ただゲホウを倒す事を考えている。

和麻は口元を僅かに歪める。

 

「おい、綾乃」

「何よ! 今忙しいんだからか後にして!」

 

炎雷覇から炎をいくつも打ち出しながら、綾乃は和麻の言葉に険しい口調で答える。

 

「前言撤回だ。時間を稼げ」

「……えっ?」

 

一瞬、和麻が何を言ってるのか理解できなかった。思わず和麻の顔を見てしまう。

 

「余所見をするな。集中力を乱すな。攻撃の手を緩めるな。あいつだけを見ろ」

 

和麻に言われるまま、綾乃はハッとなりながらゲホウの方を見る。

 

「これから大技かます。準備まで約一分。お前とウィル子で稼げ」

 

言いながら、和麻は地面に綾乃と共にゆっくりと着地する。

 

「言ったからには実行しろ。時間稼ぎくらい出来るんだろ?」

 

綾乃はゲホウから視線を逸らさないように何とかしたが、絶対に和麻の顔が笑っていると思った。それも人を小馬鹿にしたような顔であると言う事が、簡単に想像できてしまった。

 

「当たり前じゃない。それくらい簡単にできるわよ!」

 

だから綾乃は言い放つ。ああ、それくらいできる。してやる。炎雷覇にさらに力を込める。全身から力を漲らせる。溢れさせる。怒りと共に、彼女の中で歓喜の感情がわきあがる。

何故だろう。心が弾む。心が高揚する。今なら、何でも出来るような、そんな気がした。

 

「いい返事だ。ウィル子、こいつを援護しろ」

「なんか釈然としませんが、了解なのですよ、マスター。では、はい、これ」

 

ウィル子は和麻に完全に目元が隠れるバイザーを渡す。

 

「何よ、それ?」

「これから使う大技はな、視覚を潰した方がいいんだよ。だから何も見えないこいつをかけるんだ。視覚が無くても、風術師だから見えなくなることは無い」

 

嘘である。綾乃にはこう説明したが、和麻は聖痕を発動してそれを見られるのが嫌だから目を隠そうとしたのである。

 

「じゃあしっかり時間を稼げ、お前ら。少しは期待しててやるからよ」

「言ってくれるじゃないの、和麻。時間稼ぎ? むしろ倒してやるっての!」

 

和麻に背を向けながら、綾乃はそんな事を言い出した。その言葉にウィル子はプッと噴出し、和麻も爆笑した。

 

「な、何よ! いいじゃない、少しくらい見え張ったって!」

「まあ頑張れ」

「頑張ってくださいね」

「あ、あんたら……。見てなさいよ!」

 

くくくとそんな綾乃の姿を見ていると、和麻は不意に笑みを消し真面目な顔で綾乃に言う。

 

「綾乃。死んでもとか命を賭してとかの自己犠牲なんて言葉で死を美化するな。死は全ての終わりだ。過去・現在・未来の全てが一瞬で意味を失う。やり直しなんて効かない、絶対の終わりだ。あいつを倒しても死んだら意味は無い」

 

いきなり雰囲気が変わった和麻に綾乃は若干の戸惑いを覚えながらも、彼女は素直に彼の言葉に耳を傾ける。

 

「だから死を恐れろ。生き残る事だけを考えろ。無理して倒す必要は無い。時間さえ稼げば、俺が終わらせる」

 

はっきりと言い放つ和麻。しかし綾乃もそう言われてはいそうですかと素直に言えない。

 

「馬鹿にしないでよ。誰が死ぬもんですか。あたしはね、あんたにあとで一発どころか何発も殴らないとダメなんだから。こんな所で、死んでやるもんですか」

「……じゃあ死んでもいいか」

「べーだ。絶対に死んでやらないから」

 

お互いに軽口を言い合う。そんな二人の姿にウィル子がかなり不機嫌な顔をしていたのはご愛嬌だろう。

 

「……時間は稼ぐわ。ヘマしないでよ」

「誰に物を言ってるんだ、小娘。お前こそ、きっちり時間を稼げよ、綾乃」

「言われなくても!」

 

綾乃は走る。自らに与えられた役割を果たすために。

 

「ウィル子!」

「わかってますよ、マスター。まあウィル子もマスターに色々と言ってやりたいことはありますが、全部後にするのですよ」

「くくく。怖いな。……頼むぞ、ウィル子」

「! ……はぁ、まったく、マスターは嫌な人ですね!」

 

和麻は頼むと言った。命令ではなく、自分に頼むと。そんなことを言われれば、頼まれないわけには行かないではないか。

ウィル子もまた、綾乃に続きゲホウへと向かう。

前衛とサポート。あとは二人に任せるだけだ。

 

和麻は虚空閃を手に持ったまま、聖痕を発動させるために意識を深く沈める。

最大の切り札である聖痕を発動させるために。

正直なところ、聖痕の発動には一分も要らない。意識を深く沈め集中し、己の扉を開け放つだけなら、『彼の者』と一つになり再構築されるだけならばその半分の時間も要らないのだ。

 

時間を多く見積もったのは、万が一のためを考えてであり、最悪の事態において、自らの命を守るために無防備にならないためだ。

無防備になった状態ならば、おそらく半分以下の時間で開放できる。

だが実戦の中で、敵がいる状態で無防備になれる人間がどれだけいる。下手をすれば刹那の時間で命を失いかねない状況で、誰がそんな命を捨てる真似ができる。

だからこそ、和麻は絶対に無防備にならず、ある程度の余裕を持たせ聖痕を発動させる。

 

しかし今は完全に無防備になっている。聖痕の発動の時間を短縮させるために。またあの二人を信用しているから。

綾乃の場合は信頼まではいかないが、それでも今は少しは信用している。ウィル子は完全に信用しているし、もう一年もの付き合いだ。信頼していないはずが無い。

ゆえに和麻は無防備をさらす。

 

心を落ち着かせる。

綾乃とウィル子。一人ずつでは心もとなく、万が一のためにそちらにも意識を割く必要があるが、今は二人を信用し、信頼しよう。

全てはゲホウを倒すために。

 

そんな和麻の時間を稼ぐために、綾乃とウィル子はゲホウに戦いを挑む。

稼げと言われた一分。六十秒を。

 

「はぁっ!」

 

朱金の輝きを纏う炎雷覇がゲホウを襲う。まだ頭へのダメージが残っているのだろうか。動きが鈍いし、風もうまく操れていない。

好機である。綾乃は狙う。ダメージが残っているであろう頭部を。

ウィル子も同じである。今作り出せる最大のものであるレールガン。数は一つしか無理だが威力は十分だ。

綾乃とゲホウの動きを解析し、打ち出す。決して綾乃に当たらないように。

 

残り五十秒。

残り時間が長い。十秒が永遠のように長く感じる。

だがそれでもくじけるわけには行かない。綾乃は小手先の技を使わず、渾身の一撃のみを放つ。炎を纏わせた炎雷覇の一撃のみ。効果があるのは、これ以外に無い。

 

残り四十秒。

綾乃は全身から汗を吹き上がらせる。疲労感が襲う。彼女自身気がついていないが、己の力量を超える神炎を召喚しているのだ。それを維持し、ゲホウを傷つけるための攻撃を繰り返すのはかなりの体力と精神力を消耗する。

 

ウィル子も同じだ。もうエネルギーが残っていない。レールガンを起動させられるのはあと三回。念のために和麻を守るためにイージスのエネルギーも確保しなければならない。

無謀、無茶。

そもそも綾乃程度術者とウィル子だけで抑えられるほど容易い相手ではないのだ。本来なら無理だと言える。

 

しかしウィル子も弱音を吐くわけには行かない。退くわけには行かない。あの綾乃が前衛で戦っている。和麻との約束を守るために。

ならば自分はどうだ。自分は彼のパートナーである。それがポッと出の炎術師にその役目を奪われていいはずが無い。

 

今の彼の心はどこまでも穏やかである。焦りも戸惑いも無い。済んだ青空のように透き通っている。でもウィル子には伝わってくる。彼の想いが。自分を、自分達を信じているか彼の想いが。

 

(負けられない。絶対に負けるものかぁっ!)

 

それは何に対してか、それを知るのはウィル子のみ。

残り三十秒。

綾乃とウィル子の攻勢は続く。限界ギリギリまで自分達の力を、能力を駆使する。

想いが、意思が、彼女達を突き動かす。意思の力は時として限界以上の力を発揮する。

本来のゲホウが相手なら、決して届かなかっただろうが、ゲホウには今までのダメージもあり、綾乃の神炎で直接頭の中に炎を流し込まれたのが致命的だった。

 

残り二十秒。

拮抗。ゲホウは鬼気迫る綾乃とウィル子の猛攻に手を焼く。

しかし彼とてかつて神であった存在である。和麻と神凪への恨みを抱く、兵衛の執念が、神としての矜持が、ゲホウの底力を発揮させる。

漆黒の風が襲い掛かる。

 

「なめんなぁっ!」

「負けるかぁっ!」

 

少女達の叫びが木霊する・

残り十秒。

 

「よくやった、お前ら」

 

声が響く。時間ぴったりに、彼は彼女達に声をかける。蒼い風が、膨大な数の風の精霊が綾乃とウィル子の周囲に集まり、彼女達を守るように慈しむように包み込む。

 

緊張の糸が途切れる。どっと疲れが二人を襲う。

けれども、もう心配は要らない。何の不安も無い。

なぜならすでに勝敗は決まったのだから。

バイザーの向こうで瞳が蒼く輝く。人間でありながら、神に最も近い存在と言う高みに上った和麻。契約者“コントラクター”として、彼はここにある。

 

「さあ、終わらせようか、兵衛ぇっ!」

 

大気が渦を巻く。虚空閃が震える。蒼い浄化の輝きが、世界を包み込む。

 

『ガァァァァッッッ!!!』

 

ゲホウも咆哮を上げる。負けるはずが無い。堕ちたとは言え、自分はかつて神だったのだ。神であった自分が人間如きに敗北するはずが無い。

そんなこと神の矜持が許さない!

最後の力を振り絞る。自らの存在全てを持って、今の和麻の蒼き風と拮抗する。

 

「だろうな。予想はしてた」

 

ゲホウの力を目の当たりにしても、和麻に焦りは無い。怯えは無い。どこまでも余裕の表情を崩していない。

 

「何で俺が一分も時間を必要としていたのか、わかるか?」

 

聖痕の発動自体は二十秒程で完了していた。だが和麻はその時点でまだ動かなかった。何故か。彼は確実にゲホウを葬り去るための準備をしていたからだ。

蒼き風と拮抗している今、ゲホウは動けない。状況は和麻が黄金色の風をゲホウに叩き込んだ時と同じだ。

しかし先ほどとは一つだけ、違うところがある。

 

それは……。

和麻は虚空閃を天空に掲げ、そして振り下ろす。

 

「お前を完全に消し去るためだよ!」

 

宣言と共に黄金色の風が天空より飛来する。だがそれは一つではない。三つの黄金色の風が天空よりゲホウに向けて飛来した。

聖痕の発動と虚空閃を使用する事で、強大な威力を誇る黄金色の風を三つも用意する事が出来たのだ。威力は厳馬と戦った時よりも上である。黄金色の風がゲホウに直撃する。

 

黄金色の風に包まれながらも、ゲホウは必死に耐えた。

耐えていようとも、身体は消滅させられていく。ありえない。こんなことありえない。自分は神だ。神なのだ。神が人間などに負けるはずが!

 

「違うな、お前は神じゃない」

 

ゲホウはハッとなり見れば、黄金色の風の中に、丁度ゲホウの目の前に和麻の姿があった。

彼が操る風は彼の制御下にあり、和麻には一切の被害を与えない。彼はまるでゲホウの考えを読んだように言葉を述べる。

和麻は虚空閃を構え、ゲホウに突き立てようとしている。

 

「今のお前は人を生贄にするような妖魔だよ。まあ例え神であっても、人間を生贄にする奴は俺が殺すけどな」

 

虚空閃に周辺の黄金色の風が収束する。風の精霊王から与えられた神槍であり、神すら殺す神殺し槍。それが虚空閃である。

漆黒の槍が黄金色に輝く。神秘的な光景にゲホウでさえ、息をのむ。

それは破邪の光。それは神秘の光。それは神の威光にも等しい。

 

和麻以外の誰が虚空閃を持ったとしても、決してこのような現象は引き起こさないだろう。

超越者、精霊王の代行者である契約者たる存在。

聖痕を刻まれ、その力を解放した八神和麻にのみ赦された御業。

 

「じゃあな、兵衛。風牙の神。そろそろお休みの時間だぜ!」

 

虚空閃がゲホウの身体に突き刺さる。風がゲホウの存在そのモノを切り裂いていく。契約者と精霊王の代行者としての力が合わさった時、全てを突き刺し、切り裂く神殺しの力を生み出す虚空閃。

 

『グッ、ガァァァァァッッッ!!!!!』

 

断末魔の声を上げながら、ゲホウは消えていく。ゲホウの体が光の粒子となり大気へと還元されていく。

一片の欠片さえ存在することを許されない。風がすべてを切り裂き、呑み込み、消し去る。

 

ここに神殺しは成り立った。

風牙が祭り上げた神―――ゲホウは一切の痕跡さえも残さずに消滅したのであった。

 

 



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第二十二話

 

和麻はゲホウが完全に消滅したのを確認すると、そのまま聖痕を封印する。

一週間で二度にわたる聖痕の発動は肉体と精神に多大な負担をかけた。

厳馬戦ほどの疲労は無いものの、それでもこのまままた三日は意識を手放して眠りほうけたい。

 

しかし今はまだ、意識を手放すわけにはいかない。なぜなら先日とは違い、彼の相棒たる電子精霊のウィル子も限界を迎えていたから。

 

「ま、マスター……」

 

ふらふらとパソコンを抱えながら、和麻の傍までやってくるウィル子。その身体は若干薄くなっている。どうやら実体化しておくためのエネルギーも尽き掛けているようだ。

和麻の方も力を消耗しているので、彼女にエネルギーを分け与えることができない。

和麻は自分の傍までやってきた、限界まで力を消耗したウィル子の頭にそっと頭に手を置き、優しく撫でる。

 

「よくやったな、ウィル子」

「うわっ。マスターが優しいのは違和感があるのですよ」

「てめっ、人がねぎらってやってるのにそれかよ」

「にひひ。日ごろの行いのせいなのですよ」

「お前、いつもそれだな。そんなに日ごろの行い悪いか、俺?」

「自分の胸に手を当ててみるといいのですよ」

 

言われ、自分の胸に手を当てるが……。

 

「うん、まったく心当たりが無いな」

 

と笑いながら言う。そんな和麻にウィル子も笑う。

 

「マスターらしいのですよ。ではマスター、ウィル子はしばらくお休みを貰うのですよ」

「ああ、ゆっくり休め、ウィル子」

 

和麻はどこか慈しむように言う。その姿にウィル子はどこか物凄く違和感を覚えるも、どこか心地いい気持ちに満たされる。

 

「ではお休みさせていただくのですよ」

 

そう言うと、ウィル子はパソコンの中に戻り、そのまま一時的に休眠モードに入る。

落ちそうになるパソコンを、和麻は虚空閃を持つ手とは逆の手でキャッチする。

パソコンの影響画面の中ではデフォルメされたウィル子のマークが映り、お休み中と表示されている。それを確認すると、和麻はかすかに笑みを漏らし、本当にお疲れ様と、心の中で小さく呟く。

 

「さてと。あちらのお嬢様は……」

 

次に目を向けるのは綾乃の姿。彼女は大の字に倒れながら、息を荒くして空を見上げている。

 

「よう。ずいぶんな格好じゃないか、綾乃」

「う、うるさいわね……」

「まあ自分の実力に見合わない事をやったんだ。明日からしばらく身体がまったく動かないだろうよ」

 

実体験からも踏まえて、数日は身体がまともに動かないだろうと和麻は予想した。いや、もしかすれば自分と同じように三日ほど、あるいはそれ以上に眠り続けるかもしれない。

 

(しかしこいつ程度のレベルで神炎出すか普通? 炎雷覇を持ってるからって、普通はないよな)

 

正直、こいつの才能やら底力が何気に凄いと思ってしまった。自分が力を手に入れたのは自らの命が尽き掛けようとした時。死にたくないと心の底から願った時であった。

だが綾乃は違う。自らの命が危険に晒された時ではない。

炎と風の性質の差があったとしても、それは彼女の心のあり方によるものであろう。

正直、その心のあり方や力が羨ましく思うところもある。

 

(うまくすりゃ、こいつも厳馬クラスに化けるな)

 

同じ時代に神炎使いが三人とかどんだけだよと思いつつも、和麻はこれ以上、神凪に積極的に関わるつもりも無かったので、どうでも言いかと思い直す。

こいつは見ていて中々面白かったし、いじれば暇つぶしにはなるだろうとは思ったが、こいつのお守をするつもりはさらさら無い。

例え重悟に金を積まれて護衛を頼まれても、神凪の依頼と突っぱねる心積もりだった。

 

和麻自身、神凪を恨んでいるわけではないし、復讐と言っても透は自爆して病院送りになり、社会的にも死んだ。その取り巻きも一緒だ。

ほかにも神凪の大半は病院送りや社会的に抹殺してやったので、ある意味復讐が完了したとも言えなくもない。

と言うか、よくよく考えれば復讐してるじゃん、俺。と思い至った。

 

(あー、でもあれは向こうから仕掛けてきたし、自爆だよな? 神凪の不正も身から出た錆だし、久我透達は勝手に自滅したから)

 

と、俺は復讐ではなく、正当な事をしたと納得しておく。復讐を志、成功させた和麻としてみれば、復讐の是非を問うつもりもないし、来るなら来いと言ってやる。

ただし、返り討ちに会っても責任は一切取らないが。

 

(にしても、綾乃も宗主の娘ってわけだな。ここから成長するかしないかはこいつ次第か。まっ、俺には関係ないな)

 

と、心の中で折り合いをつける。

 

「こ、の、……少しはお礼くらい言いなさいよ。もしくは労いの言葉とか」

「はっ。お前から言った事だろ、時間を稼ぐってのは。お前は当たり前の事をしただけで、別段俺が礼を言う必要は無い」

「……やっぱりあんた凄く腹立つ。うわっ、今すぐに殴りたい」

 

動くものなら今すぐにでもこの男の顔面に拳を叩き込みたいが、生憎と起き上がることさえ出来そうになかった。

 

「くくく、残念だったな、綾乃。殴れるものなら殴ってみれば?」

 

酷く憎たらしげな笑みを浮かべて、綾乃を見下ろす和麻に彼女はさらに青筋を浮かべる。

 

「兄様! 姉様!」

 

その時、遠くから声が聞こえる。不意に二人が見れば、小さな影が二人のほうに向かって走ってくる。

 

「ああ、煉か」

 

和麻は相手を視認すると、その少年の名前を口に出す。今の和麻はほとんど力を使い果たしているので、いつものように風を扱う事は出来ない。

神凪勢の位置を確認しておくほどの余裕は今の彼には無かった。無論、神凪と敵対する事になった場合のための余力は残している。

ただ虚空閃もあるし、自分の敵になりそうな重悟は戦える状態ではないし、綾乃も燎も限界で煉は論外。分家もものの数では無い。

 

「姉様!? 大丈夫ですか!?」

 

二人の傍までやってきた煉が綾乃が倒れている姿を見て驚愕と心配そうな声を上げる。

 

「限界以上の力を使ったから倒れてるだけで、別に死にはしないさ」

 

和麻は心配そうにする煉に説明をしてやる。およそ四年としばらくぶりの実弟との再会である。

綾乃も綾乃で煉に大丈夫と言っている。そんな姉の姿に煉はホッと一息つくと、今度は和麻の方に向き直った。

 

「お久しぶりです、兄様!」

「ああ、久しぶりだな、煉。元気にしてたか?」

「はい!」

 

和麻の言葉にうれしそうに答える煉。和麻にはその姿がどこかご主人が帰って来たことを喜んでいる子犬にしか見えなかった。微妙に犬の耳と尻尾が見える。さらに尻尾は大きく左右に振れている様な気がした。

 

(あれ? 俺もついに目がやばくなったか?)

 

少しだけゴシゴシと手で目をこする。ヤバイ、本気で疲れているのかもしれないと和麻はちょっとだけ心配になった。

 

(しかしよかった。ウィル子に京都に向かっている神凪のプロフィールを見せてもらっといて、本当によかった)

 

実のところ、和麻は煉と言う弟の存在を記憶の片隅に追いやっていたのだ。彼らは仲むつましかったとは言え、実の兄弟とは思えぬほどに疎遠だった。ほとんど年に数回合う親戚の子供程度の付き合いでしかなかったのだ。

しかも最後に会ったのは四年以上前である。これでは忘れていたのも仕方が無い。しかも四年で少しは成長していたため、和麻も最初写真を見せられた時には誰だけわからなかった。

 

「誰だっけな、こいつ?」

 

写真を見た第一声がそれであり、もし煉に聞かれたら、間違いなく泣かれていただろう台詞である。

昔から煉の涙には弱かった。神凪において唯一自分を慕ってくれていた存在だった事もあり、殺伐とした十八年間の中で数少ない清涼剤に近い弟の存在は、和麻の心を落ち着かせ、癒してくれていたのだ。そんな弟の泣く姿は、さすがの和麻にも来る物があった。

 

煉は和麻にとって現在では唯一の弱点と言うか、大切な肉親なのだ。

和麻はよしよしと煉の頭を撫でる。それは愛玩動物の頭を撫でるのにも等しいような感じだった。煉に取ってみて、それが良いのか悪いのかは別であるが。

煉も煉でそんな和麻に撫でられ、えへへとうれしそうな声を上げる。

正直、大きなお姉さんならお持ち帰りしたいくらいに可愛らしいだろう。さらにこれが弟じゃなくて妹なら大きなお兄さんが放って置かないだろう。

 

(ああ、なんか和むな、これ……)

 

などと少々失礼な事を和麻は思い浮かべていた。

 

(しかしこいつ、もう十二歳だろ? いいのか、こんなに可愛くて?)

 

可愛いは正義とか、最近は男の娘が流行っていると言うのをウィル子から聞いたことはあるが、それが自分の弟だと複雑な気分になる。

 

(いや、深く考えるのはやめよう。厳馬みたいになるよりはいい)

 

アレに比べたら、何百倍もマシと言うよりも、比べるのもおこがましいと思う。お前はお前のまま成長してくれと、和麻は心の中で祈った。

 

「兄様、ありがとうございました! 僕達を助けてくれて!」

 

純粋に、純真に、煉は和麻にお礼を述べる。その眩し過ぎる笑顔に、和麻は気圧されそうになる。と言うよりも、一歩後ろに足が下がってしまった。

 

――――馬鹿な、この俺が気圧されかけている!?――――

 

などと思った和麻に非は無いだろう。

とそんな彼らの下に重悟がやってきた。

 

「久しいな、和麻。此度は本当に助かった」

「いやいや、こっちもいろいろと事情があったし。報酬も頂こうかと考えてるから」

「最低」

 

和麻の言葉に綾乃は短く呟く。そんな和麻の姿に苦笑する重悟だが、不意に倒れている綾乃に視線を移す。

 

「この馬鹿娘が。自分と相手の力量も考えずに飛び出しおって」

「えっ、いや、あの、それは……」

「無事だったからよかったものの、万が一のことがあった場合はどうするつもりだったのだ。お前が死ぬだけならばまだしも、和麻の邪魔になることも考えられただろうに」

 

重悟もここでは娘に説教を行う。一族の次期宗主として、また一介の術者としても今回の行動は褒められたものではない。

 

「もう少し考えて行動せぬか。だいたいお前には次期宗主としての自覚がだな…」

 

お説教が始まり、綾乃としては泣きっ面に蜂状態である。

しかし彼女の行動が褒められたものではないにしても、それなりの結果を生み出したのだから、一定の評価はされるべきだろう。

 

「今はこれ以上は言わぬが、帰ってからはみっちりと話をせねばな」

「うっ……」

「……で、怪我は無いのか?」

「ああ、それは大丈夫。怪我はしてないけど、限界以上まで力使ったから、数日はまともに動けないと思うぞ、……厳馬みたいに」

 

最後は小さく、ポツリと重悟にだけ聞こえるような声で呟く和麻。その言葉に重悟は驚いたような顔をして彼を見る。

すると、和麻はまるで悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべていた。

 

「そうか」

 

重悟もまた和麻の顔を見て笑みを浮かべる。

 

「何か厳馬に伝えておく事があるなら伝えておくが」

「あー、そうだな。じゃあ『ざまぁみやがれ』って伝えておいてくれ」

 

本人が聞けば烈火のごとく怒り狂うだろうが、重悟は思わず声を出して笑ってしまった。

そんな二人のやり取りの意味がわからず、煉はおろおろあたふたしているし、綾乃は?マークを浮かべている。

 

「しかし強くなったな、和麻」

「まあそれなりには、な」

 

重悟の言葉に和麻はどこか苦笑しながら答える。

どこか寂しさを含んだものだと、重悟には思えた。

厳馬を倒せるほどに、また堕ちたとは言え、かつては神であったゲホウを倒し切りほどの力を得ているはずなのに、どこかまだ、力を望んでいるようにも重悟には感じられた。

 

重悟が若干、表情を変えたことに気が付いた和麻は、先ほどの雰囲気を消した。

 

「じゃあ俺はそろそろ行くわ。あんたも来たことだし、この馬鹿娘の任せられるし」

「馬鹿娘って、あんた」

「ああ、悪い。猪娘だ」

「この! 和麻!」

 

と和麻に対して罵詈雑言を繰り返すが、和麻はどこ吹く風と聞き流している。

 

「えっ、もう言ってしまうんですか、兄様!」

 

もっと話がしたいとせがむ煉だったが、正直やせ我慢がそろそろ限界だった。これ以上、この場に留まれば、いつ限界来て意識を手放すかわからない。

 

「そのうちな。神凪と関わりたくは無いが、まぁ、お前になら日本を離れる前に一度会ってやってもいいか。何日かしたら、お前の携帯に電話を入れてやるから」

 

少しだけ身体を曲げ、そっと煉の耳元に囁く。その言葉に煉はさらにうれしそうな満面の笑みを浮かべる。

 

「はい!」

「じゃあな、宗主。報酬なり、いろいろな話はまた今度だ。あんたも色々と忙しいだろうからな。それと、綾乃はもうちょっと鍛えておいたほうがいいぜ。才能はあるんだ。あとは育て方次第で化けるさ」

 

そういい残すと、彼は風を纏い、ふわりと空へと浮き上がる。

 

「そうか。わかった。和麻、今回は本当に助かった。神凪一族の代表として、または一人の男として礼を言う。いつか、お前の選んだ店で一杯飲もう。もちろん私おごりで」

「ああ、それはいいな。けど俺が選んだ店は高いぜ?」

 

ニヤリと笑う和麻に重悟も構わんと返す。それを確認すると、彼は空へと舞い上がりそのまま姿を消した。

あとには何も無い、蒼く澄み渡った蒼穹が続くだけだった。

ここに神凪一族を滅亡に追い込もうとした風牙衆の反乱は失敗に終わる。

風巻兵衛の悲願は潰えた……かに思えた。

しかし結果としてみれば、彼は負けたが何も出来ずに終わってはいなかった。

 

 

 

 

 

「風牙衆を追放!?」

 

事件より数日たった神凪邸で、綾乃が父である重悟から聞かされた話に驚きの声を上げた。

 

「落ち着きなさい、綾乃」

「落ち着いてなんかいられないわよ! 何で風牙衆を追放するの!?」

 

あの戦いから今日の朝まで、綾乃は眠り続けていた。自らの力量に見合わぬ神炎を発動させ、それを数分も維持していたのだ。その反動は計り知れない。

ただしそれを見たのは和麻とウィル子のみ。他の者は距離が離れていたために見ることが無かった。

 

今回の件で風牙衆は反乱を起こしたが、それはほとんど未遂だし、神凪の人的被害は無かったと言っても良い。

風牙衆も兵衛や流也を含め、五名が死亡。三名が精神異常を来たし入院中。それでも未だに美琴を含め二十名以上の人員がいる。その彼らを追放するなど、横暴と言っても過言ではないと綾乃は思った。

 

この場には他にも燎や煉、美琴、雅人がいたが、彼らは何も言えぬまま綾乃と重悟のやり取りを見ているだけだった。

 

「いいから話を聞きなさい」

 

重悟は暴走しかけている綾乃を落ち着かせると座るように促す。綾乃もしぶしぶながらに何とか席に着く。

 

「今回の追放には幾つか理由がある。まず最初に京都などの退魔組織への対応によるものだ」

「京都の退魔組織への対応?」

「そうだ。先日、我らは京都において兵衛達と激しい攻防を繰り広げた。それだけならば問題なかったのだが、兵衛は封印されていた大妖魔を復活させた。まあそれは和麻のおかげで倒せたし、周辺への被害や妖気による二次被害も無かったが、いかんせん京都の重鎮が騒ぎ出し、何らかの処分を行わねばならなくなった」

「でもそれは……」

「無論、非は我らにある。しかし連中からしてみれば風牙衆と神凪を一括りで考えておる。なのに神凪が風牙衆に処罰を行わなければ、何をしていると言う話になる。さらに責任を取ろうにも、私も先に一件で引責している上に厳馬が代行としての地位を降りるだけでは済まされないのだ」

 

だからこその追放処分。神凪は風牙衆に重い罰を与えたと内外に広く伝える事ができる。

 

「だからって、こんな風牙衆だけが!」

「話は最後まで聞きなさい。それだけが理由ではないのだ」

 

そう、これではあまりにも風牙衆に対して酷い扱いでしかない。散々利用し用が無くなれば、または邪魔になれば切り捨てる。

少なくとも綾乃はそう感じたし、客観的に見ればそうにしか見えない。

しかし重悟の考えは違う。

 

「この追放には神凪の意識変革も含めてある。神凪は厳馬をはじめ、お前や燎ですらも力一辺倒になりがちだ。情報や風牙衆の力がどんなものか、どれほどの価値があったのかを知る機会がほとんど無かった。それを今の状況で知れと言うのはどだい無理な話だ。私が宗主になって以来、そうした風潮を改めようとはしたが、出来なかった」

 

もし重悟がそれを成し遂げていれば、風牙衆は、兵衛は反乱など起こしはしなかっただろうに。

 

「このままでは同じ事の繰り返しだ。仮に追放しなくとも、反乱を起こした、起こそうとした風牙衆への風当たりは強くなる。いや、すでに強くなっておる」

 

重悟の言葉に美琴は顔を俯かせる。すでにここ数日で神凪内での風牙衆への風当たりは強くなっていた。和麻にしてやられた恨みや、そんな和麻に助けられたと言う事実が自分達よりも弱く、身近な存在である風牙衆へと向けられていた。

 

「これは風牙衆を守るための物でもある」

 

重悟とてこれは苦渋の決断だった。もしここで風牙衆を神凪の中に残してもさらに確執は深まり、第二、第三の兵衛を生み出しかねない。ならばまだ傷口が広がる前に対処するしかない。

それに彼も何も考えずに風牙衆を追放するわけではない。

 

「でもじゃあ風牙衆はどうするの?」

 

追放は構わないが、それで風牙衆が路頭に迷っては意味が無い。さらに独立しようにも、風牙衆には独立をさせる資金は無い。重悟にしてもポケットマネーでは賄えないし、神凪の資金を使えば確実に分家やら長老やらがうるさい。

 

それに風牙衆も独立をしようにも、先の反乱でTOPが軒並み消え去った。美琴はまだ幼すぎるし、彼女を補佐し、組織を運営できる程の能力を持った人間はいないのだ。

兵衛やその取り巻きがそれらを一手に担っていた。そんな人間が兵衛を含め軒並み死亡、あるいは精神異常を来たしているのだ。彼ら自身だけでもどうにもならない。

 

「心配はいらん。受け入れ先はすでに決まっておる。周防、橘警視をお通ししろ」

 

重悟は付き人である周防に命じると、そのまま彼は一人の女性をこの場に連れてきた。

入って来たのは細身のパンツスーツに身を包んだ二十代半ばの女性。どこまでも落ち着いた、できる女性の雰囲気を身に纏っていた。

 

「……どちら様?」

「初めまして、神凪綾乃さん。私はこう言ったものです」

 

取り出したのは一枚の名刺と警察手帳であった。そこには警視と言う役職と橘霧香と言う名前が書かれていた。さらに名刺には警視庁特殊資料室室長とも書かれている。

 

「特殊資料室ってあの?」

「ええ。光栄だわ。神凪の次期宗主に名前を知っていただけていて」

「あれって本当にあったんだ。都市伝説の類かと思った」

「うっ……」

 

綾乃の言葉に軽くうめき声を上げる霧香。確かに特殊資料室はあまり派手な活動を行っていない。そもそも戦闘系の術者がいないのだ。当然、取り扱うものは地味な縁の下の力持ちのような仕事になる。

 

「まあそれは置いておいて置いて、とにかく今回は私達が仲介に入る事になったの」

 

霧香は綾乃に説明する。

風牙衆は今後、警視庁特殊資料室の傘下で活動を行う。これは追放処分と同時に、監視の意味も兼ねてであると他の組織に伝えるつもりである。

資料室は戦闘能力こそ無いが、公僕なのだ。国家直営なのだ。そんな相手に対して何かをすれば、それこそ政府が敵に回る。そんな愚を犯すような真似はしないだろうと言うと、もしすれば、政府の名の下に国内のすべての退魔組織が敵に回る。

これには如何に神凪でも、または他の有力な組織でも二の足を踏むだろう。

 

風牙衆も迂闊なことが出来ないし、神凪も資料室の傘下に加わった彼らに迂闊なことを出来ない。つまりは利害の一致である。

先日の神凪の不正発覚の一件で、霧香は秘密裏に兵衛や重悟に接触を持っていた。風牙衆が独立にしろ、どこかの組織の傘下に入るにしろ、色々と立ち回れば資料室の益になると判断した霧香は何かと行動を起こしていた。

 

そして警視庁の情報網を駆使して、彼女は色々な情報を集めた。さらには京都での一件で彼女達はさらに重悟に接触する機会を得た。

霧香の狙いは重悟に恩を売る事である。さらにはうまく立ち回って神凪の力を一時的にでも借り受けられればと考えていた。

 

綾乃や燎にアルバイトでもいいので、資料室の仕事を手伝ってもらう。そしてそのまま就職。綾乃は無理だが、燎や煉ならばこれも可能ではないかと考えている。

さらに調べたところ、神凪燎は風牙衆の風巻美琴と良い仲と言う話だ。うまくすればこれは取り込めると霧香は考えた。

 

重悟も重悟で今の状況を打開するには霧香の提案は渡りに船だった。風牙衆を他の組織に取られるのは大問題だ。彼らは神凪の内情を知りすぎている。もし他の組織に彼らが情報ごと取り込まれれば、神凪の一大事になる。

しかし資料室ならば現時点では戦闘系の術者がいない。これはこちらに利用価値があると言う事。利用価値があるうちは、彼らもこちらを無下にはできない。

向こうも神凪の術者を取り込み、自分達の力を増そうとしている。ならばこちらはそれを利用してこちらの体勢を立て直すだけだ。

 

お互いに真意を理解しているが、霧香も重悟も本音を語らない。お互いに本音で語り合えれば楽なのだが、周囲がそれを許さない。

霧香は警察上層部が、重悟は神凪の大半が。ゆえにお互いに内心を隠しながら、表面的には協力体制を結び、利用し合い、最後には出し抜こうと言う考えだ。

下手にお互いの内心を周囲に知られれば、今の協力体制さえも壊されかねない。綱渡りであり、薄氷の上を進むように二人は慎重に事を進める必要がある。

 

「つまりこれからは私達資料室が神凪に情報を渡して、必要に応じて神凪は私達に戦力を提供する。こう言う契約と言うわけ」

「資料室には国内から様々な情報や依頼も舞い込む。今の依頼の少なくなった神凪においても、そう言った依頼の対処は術者のレベルの底上げにもなるし、こちらの汚名をそそぐ機会にもなりうる。お互いに益になることなのだ」

「私たちも神凪と協力して事件を解決したって言うのは実績や名前の箔が付くし」

 

お互いにとって利益になることと説明され、綾乃はそれ以上何も言えなくなった。

 

「綾乃。お前も学んでいきなさい。強さだけではなく、様々なことを」

「……はい」

 

綾乃は重悟の言葉に深く頷く。強くなりたい。自分の力で大切な人を守れるように。綾乃はグッと拳を握り締めながら、強くそう願った。

 

 

 

 

 

同時刻、和麻は優雅に都内のホテルで午後のティータイムを楽しんでいた。

紅茶を口に含み、用意された茶菓子に舌鼓。京都での戦いの後、和麻はウィル子のパソコンを抱えて、京都市内まで移動し、そのまま最高級ホテルのロイヤルスィートにチェックイン。そのまま昨日までホテルで身体を休めていた。

 

ようやく身体も回復したので、都内に移動し神凪がどうなったのかを探っていた。

神凪としては何とか丸く治めた感じだろう。風牙衆も兵衛の望みどおりにはならなかったが、一応の神凪から離れる事はできた。霧香ならば、うまく立ち回り、風牙衆の待遇をよくするだろう。

 

「まっ、俺には関係ないことだけどな」

 

もう一口、紅茶を口に含みおいしいパンを食べる。

 

『マスターも鬼ですね。好き勝手して、全然責任を取らないのは』

 

パソコンの中の自分の部屋でくつろぎながら、おいしいデータをむしゃむしゃパクパクと食べているウィル子。

 

「俺はそんな人間だからな。お前だって、データを食べて責任取らないだろ」

 

くくく、にひひと笑いながら、和麻とウィル子は久方ぶりに平穏を満喫する。と言っても、彼らの場合は大半は平穏でいきなり怒涛の展開に巻き込まれるのだが。

 

『でもまさか神殺しをしてしまうとは。マスターはやっぱり非常識な人ですね』

「虚空閃があったからな。無かったらいくら聖痕使っても俺にだって無理だ。虚空閃もたまには使ってやら無いとな」

 

和麻は自分の首にかけたアクセサリーに目を向ける。これは収納型の道具である。虚空閃はこの中に収納している。

 

『本当ですね。で、マスター。この後のご予定は?』

「煉に会ってそれから海外に向かうか。一応、日本で俺が活動した情報は出回ったから、ヴェルンハルトや俺に何かしら用がある奴は来るだろうが、放置だ。見つけたら、絡めてで追い詰めて潰す」

『了解なのですよ、マスター』

「しかし今回は本当に色々あって疲れたな」

 

日本に帰ってきて、厄介ごとに巻き込まれるとは本当についていない。

 

『いや、マスターの場合、どこ行っても厄介ごとに巻き込まれてるじゃないですか』

「言うなよ。そもそも今回はお前が日本に行くって言ったのがそもそもの発端だろ」

『ウィル子のせいですか』

「おう」

 

和麻の言葉にハァっとウィル子はため息を吐く。

 

「でもまあ……」

 

和麻はもう一度紅茶に口をつけ喉を潤しながら、あいた手で拳をグッと握りしめた。

 

『マスター?』

「悪い事ばかりじゃなかった」

 

思い出すのは厳馬との死闘。もう二度とするつもりはないが、それでも今までにない感情が浮かんできた。

 

歓喜や達成感と言ったものである。

 

和麻が初めて、戦いに勝利して得た物。いや、もしかすれば生まれて初めて望んで得た、否、自らの力で勝ち取った物だったのかもしれない。

 

『にひひひ、おめでとうございます、マスター。では今日は祝賀会&お疲れ様のパーティーですね! 滅茶苦茶良い料理を注文するのですよ、マスター!』

「この間からできないでいたからな。じゃあとっとと注文して来い、ウィル子」

 

この夜、神凪や風牙衆や神凪とは違い、どんちゃん騒ぎが某ホテルで行われた。

二人しかいないパーティーだったが、どちらも楽しそうに酒を飲み言葉を交わした。

 

八神和麻とウィル子。

彼らの物語はまだ始まったばかりである。

 

最強の主従はこうしてまた暗躍する。次に彼らに不幸にも喧嘩を売ってしまうのは、一体誰なのか。

それは神のみぞ知る。

 



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第二十三話

風牙衆が反乱を起こし、和麻とゲホウが激しい戦いを繰り広げていたのと同じ頃、地球の片隅では次の物語に向けての動きがあった。

 

「くそっ・・・・・・・」

 

少年は朽ち果てたボロボロの教会の片隅で悪態をつく。

ヨーロッパ・イギリスのロンドン郊外にあるその建物は、数ヶ月前までは確かにその役割を果たしていた。

人を集め、儀式を行い、神のお告げを人々に広める。

ただしそれはキリスト教の定めるイエスの教えを広める事ではなかった。

 

魔術師が己が探究心を満たす為だけに用いられ、数多の人々を惑わし、誘導し、自らの欲望のために利用した場所。

 

しかし現在ではご覧の通り、見るも無残な廃墟と化していた。

 

少年―――ミハイル・ハーレイは何故このような事になったのかを考える。

彼はアルマゲストに所属する魔術師だった。

アルマゲストは長い歴史を持つ、欧州最大にして近代魔術の最高峰たる魔術結社であり、構成員も末端を含めれば一万人を越える世界でも有数の組織だった。

盟主たる最高にして至高の魔術師であるアーウィン・レスザールの下、彼らは星と叡智のの名の下に、魔術の研究を行っていた。

 

しかしそれは自らの欲望と探求を満たすためのものであり、彼らにとって見て他人とは等しく道具に過ぎず、見ず知らずの他人から、それこそ親兄弟でさえも自らの目的のためならば利用し、ボロボロになるまで使い潰すことさえも厭わない、最悪の愉快犯の集まりだった。

 

そう、だったのだ。

歴史と権威を誇ったアルマゲストは今はもう、形骸化してしまった。いや形骸化ではない。壊滅したのだ。

事の始まりは一年ほど前。彼らの盟主であるアーウィンが一人の男に討たれた―――アルマゲストの大半は相打ちと思っていた―――事から始まる。

 

アルマゲストの大多数はアーウィンを信奉し崇拝していた。神に等しい存在として、彼ら思っていた。もっとも滅多に表に顔を出さず、末端にはすでに死んでいるとも思われたようだが、序列が二百以内の者達は彼に直接会ったことがあり、彼の存命を知っていた。

 

だがそれが突然、八神和麻と言う男と戦い敗れた。彼の居城は跡形も無く消え去り、両者の死体さえも発見できなかった。

ここ一年ほど、八神和麻の名前や存在が表に出ることも無く、彼も死んだものであるとアルマゲストは考えていた。

 

いや、彼に目を向ける事が出来なかったというべきだろう。アルマゲストの受難は、ここから始まった。

アーウィンが死んでから半月が経った頃だろうか。アルマゲストの構成員、主に幹部や序列の高い魔術師が次々に殺害、あるいは行方不明になる事件が多発した。

事を重く見た評議会は即座に対策会議を行おうとしたが、それさえも集まった直後に全員が一掃された。

 

議長であるヴェルンハルトは偶然にも、表の顔の会合で遅れていたために難を逃れる事ができた。この事件後、ヴェルンハルトは姿を消し、実質アルマゲストを取り仕切る人間が皆無となった。

TOPの不在は組織運営を困難とし、アルマゲストと言う組織は急速にまとまりを失っていく。元々個人主義の魔術師の集団である。アーウィンやその下の評議会が存在しなくなれば、個人個人が好き勝手に動くのは当然だった。

 

しかし彼らの受難は終わらない。アルマゲストに深く関わっていた人間は次々に殺されていった。

さらにアルマゲストの資金が次々に奪われ、パトロンとなっていた資産家の大半が事業に失敗し没落していった。

新しいパトロンを増やそうにも、次々に殺されていくアルマゲストにそんな余裕はなかった。

 

組織の中で比較的結びつきの強い魔術師が何人か集まり対策を取ろうと画策したと思えば、数日後にはまとめて殺されていたり、殺された連中の所持していた金銭や貴重な魔導具までもが強奪されると言う事態が頻繁に起こった。

 

これだけの事をしでかす相手となると、アルマゲストと敵対する他の組織と彼らは考えた。事実、この期にあわせて、ヨーロッパでアルマゲストと敵対していた組織が一斉に彼らに対して牙を向いたのだ。

さらには彼らに恨みを持つ組織に所属していない術者までもが、彼らに襲い掛かった。

 

彼らは知らない。それが一人の男と彼が契約を結んだ一人の少女の策略であると。

八神和麻とウィル子。彼らは自分達の手だけではなく、アルマゲストを徹底的に潰すために、他の組織や彼らに恨みを持つ人間に情報を流し、彼らを襲わせたのだ。

 

ウィル子の能力を使えば、他の組織や他の術者を動かすなど難しい事ではない。

インターネット上のオカルトサイト。多くの術者が利用するアンダーグラウンドの掲示板にウィル子が情報をさらけ出す。個人情報を含め、彼らの拠点などを。

 

前述したがアルマゲストは、ヨーロッパ最大の魔術師で最悪の愉快犯の集まりである。EUや各国の政府がそんな彼らに対して、何の対策も講じていないはずが無かった。

特にイギリスはオカルトに関しては先進国である。政府はアルマゲストとも交流を持ちながらも、独自の戦力をも有していた。

 

さらにはヨーロッパにはバチカンもあり、彼らはアルマゲストとは水面下で争いを続けていた。

彼らは彼らなりに、アルマゲストと敵対する事も考慮し、お互いに腹の探りあいや情報の収集を欠かさなかった。

 

結果、各国政府のパソコンにはその情報が集められ保存されていた。これを直接各国政府やEUが使う事は無い。現状では均衡が保たれているのだ。下手に手を出して余計な被害を生みたくも無く、アルマゲストも各国の政府と事を構えるのを良しとしていなかったため、これまでお互いに情報を集めていても敵対はしなかった。

 

しかし和麻とウィル子にとって、そんなもの関係ない。彼らは各国政府が保管していたアルマゲストの情報を強奪し、利用し、彼らを殲滅していった。

構成員情報もここで入手し、次々に殺害。疑わしい連中は和麻とウィル子が徹底的に調べ上げ、殺して回った。あとの雑魚は彼らが手を下さず、他の組織や恨みを持つ術者に任せた。ここにアルマゲストは殲滅された。

 

残っているのは本当の末端とヴェルンハルトのみであった。ヴェルンハルトはその持ち前の頭脳と術を発揮し、何とか逃げおおせた。

伊達に評議会議長を務めていたわけではない。しかしその拠点の大半を失い、持ち出せた道具、資金にも限りがあった。

 

ミハイルが生き残っているのは偶然に過ぎない。彼の得意魔術の一つに転移の術があったからだろう。それに彼はアルマゲストの序列ではギリギリで百位には入っていなかった。

 

これが彼に和麻が手を出さなかった理由である。もし彼の序列が百位以内であれば、和麻に直接殲滅されていただろう。

事実、彼の顔見知りである術者はヴェルンハルトを除き、一人として生き残ってはいない。和麻に直接殺されるか、敵対組織や恨みを持つ術者に殺されていた。

 

「何もかも、あの男があの方を害したからだっ」

 

苛立ちを抑えきれずに、彼は吐き捨てる。八神和麻。あの男さえいなければ、主たるアーウィンが生きてさえいれば、こんな事には決してならなかったはずだ。

アルマゲストが壊滅したのは、八神和麻のせいだ。ミハイルはそう考えていたし、間違ってもいなかった。

 

しかし八神和麻はすでに死んでいる。主と相打ちになったはずだ。ならばこの怒りをどこにぶつければいい。もし和麻が生きていれば、彼は迷わず彼に対して復讐に動いただろう。

主を殺した彼をミハイルが殺す事は出来ないだろうが、嫌がらせ程度は出来る。彼の大切な者を奪う。壊す。陵辱する。それくらいはやってのける。

この怨嗟を鎮めるにはどうすればいい。

 

「そうだ。確かあの男は確か神凪一族の出身のはず」

 

アルマゲストは八神和麻のことを多少なりとも調べていた。彼の以前の名前は神凪。世界にも名をとどろかせる神凪一族の出身。ならばあの男の責任を彼らにとって貰おう。

自分のこのぶつけるところが無い怒りと憎しみを、ぶつけさせてもらおう。

 

神凪一族は最強の炎術師の一族であり、まともに遣り合っては勝てるはずが無いが少しでも気をまぎれさせたかった。

そのあたりの一般人を壊してもよかったが、その程度で自分の憎悪が晴れ、欲望が満たされるとは到底思えなかった。やるならばあの八神和麻に関わりがある存在。

 

彼の思考は本来なら決してありえない短絡的な物へと変わっていた。追い詰められた人間と言うのは自棄になる。

 

ミハイルはここ半年ほど、追い詰められていたのだ。かつてアルマゲストに所属していた時は、どれだけの恨みを買おうとも、背後にある巨大な組織とそこに所属していると言う事実、さらには彼の背後にいるであろう数多の魔術師を敵に回したくないと言うことから、彼らに敵対するものは皆無だった。

 

だが今は違う。

主たるアーウィンはいない。アルマゲストは壊滅した。ミハイル以上の魔術師は殲滅された。彼を守るものは、もはや自身しかない。

それも張子の虎に近くなっている。彼の所持金もほとんど無く、術で犯罪を犯そうとすれば国家機関に目を付けられる。警察や異能に対応する特殊部署。

 

これもまたアルマゲストが存在していれば、ある程度は何とでもなったが後ろ盾の無い今、秘密裏に消されてもおかしくは無い。

そういう意味でも、日本と言う国は都合がいい。先進国の中では、国家お抱えの異能対策機関が脆弱だ。

 

ヨーロッパやアメリカ、ロシアにおいては、歴史的なものや単純な力もありそう言った組織が幅を利かせている。

日本はと言うと、神凪をはじめ優秀な術者の家系が多いがまだ国家としての動きは鈍いし、アルマゲストに対する追い討ちも少ない。

 

「日本に向かおう。そして再起するんだ。そうだ、僕はこんな所で終わる人間じゃない」

 

彼はゆっくりと立ち上がり、ふらふらとした足取りで教会を後にする。

向かう先は日本。彼は知らない。そこには不倶戴天の敵である八神和麻が居ると言う事を。

彼が向かう先は安息の地などではなく、地獄にも等しい場所であると言う事を。

この時、彼は知る由も無かった。

 

 

 

 

「ふわっ・・・・・・・ああ、ねむっ。」

 

和麻は気だるげに都内の最高級ホテルのスィートルームのベッドの上で上半身を起こしながら、コキコキと首を鳴らす。京都での戦いから一週間。和麻はまだ日本にいた。

 

本来なら当の昔に日本を離れている予定だったが、いろいろな事情で未だにここに留まっていた。

最初の三日は聖痕の発動の反動での休養。あとの三日は事後処理の確認のためやダラダラと怠けるために。また本日は弟である煉との久方ぶりの語らいのためである。

 

「ああ、まだこんな時間か」

 

時刻はまだお昼の一時である。ここ数日、朝か昼かもわからない時間に起きてごろごろだらだらとした生活を送っている。

 

「……マスター。完全なヒキコモリですね」

 

タラリと汗を流すウィル子。ここ数日の主の姿はまさにヒキコモリの青年にしか見えなかった。さらにこれで布団からも抜け出さずに、パソコンやテレビにかじりついてゲームでもしていれば、もう完全にダメな人間である。

 

「おいおい。俺をそのあたりのNEET連中と同じにするなよ。親の脛もかじって無いし、外にはきっちり出てるだろうが」

「……最近は主に、パチンコや競馬や競輪と言ったギャンブルが目的ですけどね」

 

働く必要の無い和麻はそう言ったギャンブルで時間を潰している。金は元々一生食べていくのに困らない額を持っていた上に、最近は風牙衆や神凪から奪ったので十分にある。

彼の場合ギャンブルは主に暇つぶしでしかないが、どう見てもダメ人間である。

 

「これで夜に自己鍛錬をしていなければ、ウィル子は本当にマスターを人間のクズで人間の形をしたゴミなどと言いながら、包丁を振り回いていたかもしれないのですよ」

「物騒だな、お前」

 

ウィル子の言葉に和麻はもう一度あくびをしながら返す。

和麻は一日中ダラダラしながらも、夜の三時間ほどは自己鍛錬を欠かさずに行っている。厳馬やゲホウとの戦いもあり、ここ数日はあまり激しい事はしていないが、それなりに体力や筋力を衰えさせないようには気を使っている。

 

「さてと。着替えて出かけるかな」

 

ベッドから抜け出し、和麻は服を着替える。煉との約束は午後四時である。まだ三時間はあるが、その間はブラブラと時間を潰すつもりだった。

 

「またギャンブルで時間つぶしですか?」

「いや、今日はゲーセンでも回るか。適当な暇つぶしにはなる」

「ああ、なんかマスターがどんどん最近の若者っぽくなっていく」

 

原作ではこんな奴じゃなかったのに、とどこからか電波が聞こえる。

 

「いいだろ、別に。俺だってまだ二十二なんだぞ。高校、中学と遊べなかったし、最近まであいつを殺す事だけしか見えてなかったんだ。日本に来たんだから、今時の若者を気取っても罰はあたらねぇよ」

 

と、尤もな意見を出す。ウィル子としても、確かにその通りだと思うのでそれ以上何も言わない。

 

「にひひ。そうですね。ではマスター、ゲーセンに行くんだったら、ウィル子と勝負するのですよ~」

「ほほう。俺に勝負を挑むつもりか? 後悔するなよ」

「にほほほ。そっくりそのままお返しするのですよ」

 

と、この二人も通常運転で毎日を謳歌する。すぐそこに、不倶戴天の敵の一味が近づいていると知らずに。

 

 

 

 

「邪魔だからどいて頂戴」

「はい」

 

ギンと睨みつけると、そそくさと男達は道を明ける。その様子を見ながら、ふんと小さく吐き捨てると彼女―――神凪綾乃は悠然と歩き出す。

そんな様子を彼女の友人である篠宮由香里と久遠七瀬は苦笑しながら見る。

 

ここ数日の親友である綾乃の様子が、変わってきている事に気がついていた。

今もナンパを受けたのだが、殺気をぶつけるだけで退散させた。ここ数日、そんな事が多々あった。

彼女達三人は文句なしの美少女である。並んで歩いていれば、言い寄る男が後を立たない。

 

以前の綾乃は言葉で言っても聞かない、しつこく言い寄る男に直接的な行動―――主に拳で―――黙らせていたが、ここ最近は大人しかった。

視線で黙らせる。もしくは手を出してきた相手は合気道などの比較的穏便で、怪我をしない方法で対応していた。

 

どこか大人しくなった綾乃。確かに彼女の親類縁者がいきなり大量に逮捕されると言う不祥事を犯したのだ。綾乃に何の責任が無かったとしても、大人しくならざるを得なかったのだろう。

 

「綾乃ちゃんも最近は大人しいわよね。前は物凄く過激な方法を取ってたのに」

「……別に」

 

由香里と七瀬は綾乃の家族が逮捕されたからと言って、彼女との付き合いを改めるつもりは無かった。

綾乃は綾乃であり、彼女自身を見ている二人にしてみれば些細な問題でしかなかった。

しかしここ数日の彼女はどこかおかしい気がした。

 

「うーん。まあ家の事情もあるとは思うけど、逆に男に対してきつくなってるような」

「これは男関係で何かあったか?」

 

七瀬の指摘に綾乃はピクリと反応を示した。そんなおいしい反応を見逃す二人ではなかった。

 

「あー、今ちょっと反応したー」

 

面白そうに由香里が綾乃に詰め寄る。

 

「ほほう。このファザコン娘が、ついにパパ以外にも興味を持つようになったか」

 

七瀬も由香里と同じように面白そうな顔をしながら綾乃に詰め寄る。

 

「あたしはファザコンじゃないわよ」

 

と、ブスッとした反応を返した。綾乃としてはまあ確かに男関係で何かあった。

自分でもわかっている。原因は幾つかあるが、男関係と言われればあいつしかいない。

 

八神和麻。

四年ぶりに日本に戻ってきた再従兄妹。しかも四年で信じられないくらい強くなっていた。

いろいろと助けられたし、神凪の滅亡を救ってくれた恩人ではあるのだが、綾乃はどうにも和麻を尊敬できなかった。

一々報酬を要求したり、軽薄に振舞ったり、自分に対して馬鹿だの猪だのと言う始末。

 

いや、そりゃ最近はいろいろと自分の迂闊さだとか、未熟さだとか思い知らされたり、自覚したりはしたとは言え、ああも面と向かってはっきりと馬鹿にしながら言われれば誰でも腹が立つ。さらには大阪でのセクハラ。

 

(あっ、また腹が立ってきた……)

 

ゴゴゴと少し危ないオーラを吹き上がらせながら、綾乃は拳を握り締める。もしこの場に和麻がいたら、思わず顔面を殴っているだろう。しかし京都の一件以来、和麻の所在はわかっていないらしい。一、二度報酬の件で重悟に電話が来たらしいが、こちらから連絡する事は出来ないらしい。

 

おそらくは神凪に関わりたくないので身を隠している。もしくは国外にいるか。どちらにしろ、大阪の時のようにこちらから会うことは叶わないだろう。

それが余計に綾乃を苛立たせる。あの野郎、好き勝手言ってくれて。こっちも文句の一つや二つあるって言うのよ。

 

今度会ったらどうしてやろうか……。

 

などと考えながら、ふふふふといつもの綾乃らしくない笑い声を出す。さすがの親友二人もどん引きである。

 

「いつもの綾乃ちゃんじゃなーい。それに綾乃ちゃんから何か危険なオーラが……」

「こりゃあんまり聞かない方がいいか」

 

由香里も七瀬も顔を引きつらせ、少しだけ綾乃と距離を取る。

そんな折、二人はいつもの帰宅路の大通りのゲームセンターの前で、凄い人だかりが出来ているのに気がついた。

 

「あれ、珍しいわね。こんなに人が一杯なんて」

「新作のゲームでも出たか?」

 

由香里と七瀬は興味を引かれたのか、ゲームセンターの中に視線を向ける。見ればあるゲーム機の前に釘付けになる野次馬の姿があった。

 

「あのー、なにかあったんですか?」

 

行動派の由香里が近くにいた野次馬の一人に声をかけた。

 

「ああ、何でも今時珍しいゲームセンター荒らしなんだって。ここの店って、結構全国対戦のレコーダーが多かったんだけど、それが軒並み塗り替えられてるんだ。他にもUFOキャッチャーの景品もごっそりとゲットされたみたいで」

「そうなんですか」

「ほら。あそこの兄ちゃんと嬢ちゃんの二人組み。他にもここの店のチャンプに挑んで相手をボコボコにしてるんだよ。今もあの格闘ゲームのチャンプが負けたし」

 

由香里と七瀬の視線の先には、にほほほと高笑いをする少女の姿が見える。対戦者の男は茫然自失となりながら、真っ白に燃え尽きている。

他にもその相方と思われる年の若い男が、挑戦してくるものを次々に返り討ちに、しかも瞬殺している。

 

「へぇ、凄いんですね」

 

パッと見、大学生くらいと中学生ぐらいの二人組み。あまり似ていないが、兄妹か何かだろう。それにしても凄いようだ。次々に来る挑戦者達を完膚なきまでに叩き潰し、真っ白にしている。

と言うか、あの男の人どこかで見た覚えがなかっただろうか。

 

「ねえねえ、七瀬ちゃん。あの男の人、どこかで見た覚えない?」

「んー、言われて見れば……」

 

二人が彼を見たのは大阪でだったが、その時は本当に数秒程度だったし、あまりの出来事に思考停止していたため、はっきりと覚えてはいなかった。何とかうろ覚え程度でも覚えていただけマシだろう。

 

「それにしても、なんて言うか、挑戦者が気の毒に見えるんだが」

「うーん。多分容赦なく叩き潰して心を折ってるんじゃない?」

「いや、それは見ればわかるが、極悪すぎないか、それ?」

 

七瀬はタラリと汗を流しながら、由香里の言葉に聞き返す。

 

「でも一応、ゲームだけだし、言葉で傷つけてるみたいじゃないからいいんじゃない?」

 

由香里の言葉どおり、二人組みは勝利の際は笑みを浮かべたり笑い声を上げたりはしているが、相手を貶める発言は一切していない。見下したりしたような態度も見せていない。

ただ単純にゲーム内で相手を完膚なきまでに叩き潰しているだけだろう。

 

「だから問題無し」

「そんなものかな」

 

と二人して会話をしていると、後ろから「あーっ!」と大きな声が聞こえた。瞬間、由香里や七瀬を含めた全員が一斉に声の方を向いた。

声の主は綾乃だったが、一斉に自分に注がれる視線にうっと若干声を詰まらせる。さすがの自爆に由香里と七瀬は、笑うよりも同情するような優しい気持ちになってしまった。

ちなみにゲームをしていた極悪コンビはそろって「「げっ」」と呟いていた。

 

綾乃はさすがに不味いと思いそれ以降、声を上げないように黙っていた。しばらく顔を赤くして俯いていると、他の面々も興味を薄れさしたのか、再びゲームの方に視線を戻す。

綾乃はそれを確認すると、ゆっくりと友人二人の傍にやってくる。

 

「もう綾乃ちゃんったら。もう少し気をつけないと恥ずかしいわよ」

「本当だな。まっ、綾乃らしいと言えば綾乃らしい自爆だけど」

「で、綾乃ちゃん。何がどうしてあーっ、なの?」

「えっと、それは……」

 

由香里の追及に、視線を逸らしながらももう一度、声を上げる原因になった人物がいた方を見る。

 

「あれっ?」

 

綾乃が見た先には、見覚えのある二人組みの姿はなかった。思わず走り出し、さっきまで二人がいた場所に向かう。

 

「ねぇ! ここにいた二人は!?」

 

近くにいたギャラリーの一人に詰め寄り、綾乃は彼らがどこに行ったかを聞く。

 

「えっ、さあ? なんかいきなり帰るぞって言って二人ともどこかへ行っちゃったから」

 

その言葉を聞いた綾乃は、あの野郎逃げやがったなと小さく呟き、怒りを顕にする。

 

「ふーん。あの人が目的だったんだ」

「あっ、じゃあ綾乃ちゃんが何かあった男の人ってあの人?」

 

と、親友二人に散々からかわれる事になり、綾乃は対応に四苦八苦するのだった。

 

 

 

 

「……あいつは俺に恨みでもあんのか? 大阪でもそうだが、こんなところまで俺の邪魔かよ」

「知らないのですよ、マスター」

 

並んで歩く和麻とウィル子は煉との待ち合わせ場所に向かっていた。ただし和麻は非情に不機嫌そうに呟いていたが。

 

「しかしこう会わずに姿を消すのは、ウィル子達が綾乃から逃げてるみたいで癪ですね」

「まあな。けどあいつに関わったら余計に面倒な事になる。大阪でもそうだったからな。もう煉に会ってとっとと南の島にバカンスでも行くぞ」

 

和麻としても綾乃ごときから逃げ回るみたいで癪だったが、神凪はどう考えても彼にとっての疫病神にしか思えず、このまま会わずに済ませたかった。

何が悲しくて、厄介ごとに進んで巻き込まれなければならないのか。

 

「平穏無事な生活がいいんだけどな」

「あー、無理じゃないですか? マスターはどう考えても厄介ごとに好かれる体質ですから」

「マジでそんな体質とはおさらばしたい」

 

やだやだと首を横に振る和麻だったが、不幸な事に彼はウィル子の言うとおり、不幸と動乱の星の下に生まれている。

今回もまた彼は巻き込まれてしまう。厄介ごとと言う名の不幸に。

 

 

 

 

 

その男はベッドの上で怒りを顕にしていた。

久我透。それが彼の名前であった。

神凪の分家である久我に生まれ、炎術師としても優秀な部類に属され、次期久我の当主としての地位も確立していた。

 

しかし今の彼は全てを失った。

地位も、名誉も、金も、健康な肉体さえも。彼は神凪一族からの追放を言い渡された。

宗主の命を破り、和麻に突撃した挙句、自爆して両足を複雑骨折し、日常生活さえ満足に送れなくなった。

 

さらに久我の彼の所有していたはずの資産も、いつの間にか株につぎ込まれ全てなくなっていた。名義は全て久我透名義。自分はこんなもの知らないと言っても、誰も聞き入れてくれない。

それどころか今まで自分を慕っていたはずの連中は手のひらを返したかのように、誰も見向きもしなくなった。

 

久我透を慕っていた連中と言うのは、彼が恐ろしいがゆえに、久我の次期当主であるがゆえに慕っていただけで、本心から彼を慕っていた人間など皆無だった。

それどころか和麻を襲うために無理やり連れて行かれ、透と同じように再起不能にされた者は彼を恨むようにもなった。

 

そもそも彼らが負傷した原因は、透達が無闇に放った炎がプロパンガスに引火したの事である。さらにその爆発で外で待機していた者も負傷している。

 

和麻のせいと言うには、あまりにも稚拙だった。無論、和麻に対して敵意を向ける気持ちは負傷した者達にもあったが、透が原因と言う考えの方が勝っていた。

誰からも見放された透は孤独になる。

しかし彼は心の内にある怒りを増幅させ、募らせていった。和麻に対する憎悪を。

 

(和麻の野郎ぉっ……)

 

あいつが全部悪い。あいつが大人しく自分になぶり殺しにされていれば。神凪の不正を暴かなければ。あいつがいなければ・・・・・・・・・。

 

「和麻の野郎ぉっ、和麻の野郎ぉっ、和麻の野郎ぉっ!」

 

呪詛のように怨嗟の声を透は呟く。今すぐにでも和麻を殺したい。自分をこんな目に合わせた和麻を、自分の手で殺したい。いや、殺すだけでは気が収まらない。自分と同じように、足を、いや、手も燃やして達磨にしてやる。その後、一週間くらいかけてじわじわと嬲ってやる。殺してくれと懇願するようになってから、さらに時間をかけて殺してやる。

 

そうだ。自分はこんな目に会うような人間じゃない。精霊王に祝福された一族の、分家とは言え当主になる人間。そのあたりの有象無象とは違う。

和麻は神凪の宗家に生まれながら炎を操れなかった無能者ではないか。自分達のように炎の精霊の加護すらなかった屑ではないか。自分の姿を見れば、泣いて許しを請う雑魚だったでは無いか。

 

許さない、絶対許さない!

 

「和麻の野郎。絶対に殺してやるっ!」

「君程度じゃ無理だよ」

 

不意に、透の耳に別の人間の声が届いた。驚き、透は声の方を見る。窓の傍にいつの間にか少年が立っていた。

 

「……誰だ、お前」

 

警戒し、相手を睨みながら、透は少年を睨む。

 

「僕? 僕かい。そうだね。僕は天使とでも名乗っておこうか。君の手助けをする、神の使いさ」

 

少年――ミハイルは笑う。

 

「天使だ? はっ、胡散臭い奴だな」

 

透の言葉にミハイルは苦笑する。

 

「別に信じてもらわなくても結構だけど。君はあの八神和麻に復讐したいんだろ? 今の君では何もできない。でも僕が協力すれば、あの男を……僕らにとって憎んでも憎み足りない、怨敵たる八神和麻を」

 

 

それは天使のささやきではなく悪魔のささやき。しかし透にとってはそんなものどうでもいい。

ただ重要なことは一つ。

 

「お前と組めば、あいつをぶっ殺せるのかよ?」

「ああ。僕と君ならば、あの男を必ず殺せる。いや、殺すだけでは足りない。あの男の大切なモノを奪い、壊し、そして絶望の中、死を見返させるんだ」

 

そう言ってミハイルは手を伸ばす。

 

「いいぜ。その話乗ってやる」

 

透も同じように手を伸ばし、その手を取り合う。

共に八神和麻に復讐を誓う者同士の邂逅。それがどのような結果をもたらすのか、二人は当然知る由もなかった。

 



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第二十四話

 

和麻とウィル子は煉との待ち合わせ場所に向かいながら、たわいも無い雑談を続ける。待ち合わせ場所は人の多いところにした。

下手に人気の少ないところだと目立つし、変な事件に巻き込まれそうだったからだ。

 

「でも綾乃にあそこで会ったから、もう今日は会うことは無いでしょうね」

「そうだな。待ち合わせ場所は離れてるし、俺も風で周囲を警戒するからな」

「弟に会うって雰囲気じゃないですね……」

「仕方がねぇだろ。俺が生きてるって出回ったんだ。ここ一年では恨みは買ってないが、お前に会う前はそれなりに恨みも買ってたんだ。まあ大半はアルマゲストだし、それ以外に恨みを買ったやつはほとんど生きてねぇし、生きてても直接俺をどうこうしようって言う奴は少ないだろうけど」

「……つくづくマスターは極悪非道な奴だと言う事を再認識したのですよ」

 

たははと乾いた笑い声を出す。今はこうしてずいぶんと落ち着いているが、出会った直後は本当に恐ろしい人間だった。よくもまあ一年でここまで変わるものだとウィル子自身も驚く限りである。

 

「あー、アーウィンを探して時は我ながら派手にやりすぎた。それ以外に考えてなかったつうか、考えられなかったからな。いや、本当に失敗した」

 

頭をかきながらぼやく和麻。あの時は先のことを一切考えなかったので、仕方が無いといえば仕方が無いが。

 

「無関係な奴とかも少なからず巻き込んでたからな。いや、冥福を祈りたいもんだ」

「……心にも無い事を言うと、余計に恨まれますよ」

「そうだな。気をつけるかな。話は戻るが、今の段階で俺を直接殺そうとか考えて動こうとする奴はヴェルンハルトくらいなもんだ。あるいはアルマゲストの残党達だが……。てかいるか、そこそこに腕の立つ残党で俺の事に気が付いている奴? 大概殺したか、殺すように仕向けたんだけどな」

「どうでしょう? リストに載っている大半は殺してますし、各国の追調査で死亡が確認されたのも多いですが、中には行方不明で終わってるのも多いですからね」

 

政府以外に敵対組織や個人で殺された魔術師は、死体が出てこない場合もある。その場合は、死亡を確認する事も出来ない。

 

「この一年で俺の情報は隠蔽出来るだけ隠蔽したし、俺の情報を知ってそうな奴や幹部クラス、上層部クラスは皆殺しにしたからな。下っ端が俺の事を知っていて、それでもない、俺にちょっかいかけようとかするバカはいないと思うが」

「下っ端の暴走は厄介ですよ。でも確かにそれも含めてアルマゲスト構成員のリストはそこら中に流出させましたからね。下っ端は過激派とか反アルマゲスト組織とか、アルマゲストに恨みを持つ連中とかになぶり殺しにされているのが現状でしょう」

 

この二人はアルマゲストを残した場合、自分達に被害が及ぶと考え、徹底的に殲滅するため、ありとあらゆる手段を用いた。

最近ではテロリストや過激派もSNSなどのソーシャルネットワーキングを使う場合が多い。

ゆえにそこに書き込んだり、情報を流してやれば勝手に彼らは動いてくれる。

 

ウィル子の能力を使えば難しくもなく、詳細情報や居場所をリークしてやれば自分達の手を汚さずに勝手に暴れまわってくれる。

ついでに秘密裏に資金提供もしてやればさらに言う事なし。

 

「俺の事を知ってて、恨みを買ってるやつは早々に始末だ。特にアルマゲスト関係はな。あとは思い返しても、ほとんど恨みは買ってないはずだ。兵衛の一件で恨み節は怖いってわかったからな」

「あれはマスターがやりすぎただけでは?」

「まあな。アレは反省だ。これからは調子に乗らずに気づかれずに殺すように心がけよう。とにかく、まだ俺が日本にいるって思ってくる奴はいるかもしれないからな。ああ、適当に入国管理局とか空港や港のシステムで調べとけ。密入国してくる奴はどうしようもないが、アルマゲスト関係で手に入れたリストに該当する奴がいたら教えろ」

 

昨今の魔術師も当然飛行機や船と言った普通の手段で移動をする。一昔前の使い魔や巨大生物、あるいは箒や絨毯に乗っての移動など、今の魔術師はしない。

現在は各国に様々なレーダーが張り巡らされている。物理的なものや魔術的なものだ。日本はまだ配備が遅れているが、欧州やアメリカなどでは当然のように配備されている。

それに近い距離ならばまだしも、数百から数千キロの距離を自力で移動するよりも飛行機などを使ったほうが安全だし、労力も少なく他の術者に目を付けられる可能性が少ない。

 

だからこそ、アルマゲストのTOPクラスの人間でさえ、車や飛行機、電車や船と言った移動手段を手軽に利用する。

たまに正体を隠したい場合は、術をかけるが、常日頃かけることは少ない。違和感を際立たせ、同じ術者に気づかれやすいからだ。つまり、大きな空港や駅、港では防犯カメラなどに写る可能性が高い。

 

「にひひひ。それで以前も大部分を排除しましたからね」

「ああ。パスポートを偽造してようが、お前がいれば調べが付くからな」

 

様々なコンピューターにアクセスし、世界中から情報を集め照合する。ウィル子の能力を持ってすれば、その程度わけは無い。今ならばアメリカ国防総省のパソコンにさえ侵入可能だ。

 

「わかったのですよ、マスター。ではウィル子はマスターが煉と遊んでいる間に暇つぶしでアルマゲストの残党でも探すのですよ」

「頼んだ」

 

このような会話を続けていると、ようやく目的の場所が見えてきた。

 

「あっ、兄様!」

 

煉は兄である和麻が遠くから歩いてくるのを見つけると、うれしそうに手を振った。まるでデートの待ち合わせを喜ぶ少女のようだ。

いや、この場合兄と言う言葉がなければかなりの高確率で間違われるだろう。下手をすれば和麻はロリコンとか性犯罪者とか思われたかもしれない。

 

(煉……恐ろしい奴)

 

と、これまた失礼な事を和麻が思い浮かべていたが、当然煉は気がつくはずが無い。

煉も煉で久しぶりに再会した兄との語らいと、自分に対して優しくしてくれると言う事が何よりもうれしくついつい浮かれてしまった。

 

本当なら綾乃も会いたそうだったので呼びたかったが、和麻が難色を示したのと、もし綾乃が来たら何か揉め事が起こるような気がしたので、煉も無理を言わない事にした。

和麻の横にはウィル子が並んで歩く。その姿は恋人と言うよりも年の離れた兄妹といった感じに見えた。

 

「よう、煉。待ったか?」

「いえ、僕も今来たところです」

 

待ち合わせの十分前。本当はもう少し前に来ていたのだが、煉は和麻に気遣わせないように今来たと口にした。そんな煉の気遣いがわかったのか、和麻は多少苦笑している。

若干、ウィル子はあんたらどこの恋人だなんて思わなくもなかったが、下手に言うと怖いので黙る事にした。

 

「ではマスター。ウィル子はしばらくブラブラしています。あっ、パソコンはマスターが持っていてください」

「ん、わかった。ああ、こっちの用事が終わったらこっちから連絡する。メールはいつものところで」

「にひひ。ではマスター。また後で」

 

そう言うと、ウィル子はその場から走り去り、裏路地のほうへと入り姿を消した。この場で消えても良かったが、それだと大勢の目に留まるので、人の目が少ない場所で電子世界にダイブする予定だった。

そんなウィル子を見送ると、和麻は煉へと向き直った。

 

「さてと。んじゃ、俺達も行くか」

「はい!」

 

和麻に促され、煉は彼の後を追うように付いていった。

入った先は高級レストランである。私服でも入れて、それなりにおいしいところを前もって探しておいた。

ここならば学生はあまり来ないし、神凪に連中もいろいろとごたごたが続いているので、こんな所で食事をしている余裕のある奴などいない。

 

「さて。何でも好きなもの食え。ああ、心配するな、俺のおごりだから」

「えっ、あっ、はい……」

 

和麻に言われ、煉はメニューに目を移すがどれもこれもかなり高いように思える。

目で和麻に大丈夫なんですかと心配そうにたずねてくる。

 

「ああ、何の問題も無い」

 

スッと懐から一枚のカードを取り出す。それは黒く装飾された、俗に言う最上級のクレジットカードであるブラックカードであった。

 

「こんな所で二人分の食事払っても、俺の懐は痛まないんだよ」

 

そもそも毎日最高級ホテルのロイヤルスィートに泊まっている人間である。この程度の食費の出費など何の問題にもならない。

 

「だからお前は気にせず頼め。俺も頼むから」

「わかりました。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

「おう」

 

煉はそう言うと料理を注文し、和麻も最高級のワインを頼んで喉を潤す。

料理が来る間、久方ぶりの兄弟の会話を楽しむ。一応、周囲に声が漏れないように風で音を調整しているのは言うまでも無い。

そんな折、煉は和麻にこんな質問をした。

 

「兄様、どうしたら兄様みたいに強くなれますか?」

 

強さに憧れる少年。その瞳で見る和麻の姿はまぶしく映っていただろう。

父・厳馬、兄・和麻とも信じられない程の高みにいる存在。

父である厳馬の凄さは聞き及んでいるし、自分と同じ炎術師であるのだ。常にその力を感じ、修行をつけてもらってることで、誰よりも知っている。

兄である和麻も先日の京都の一件でその強さを知った。圧倒的な風を操り、宗主が敗北した妖気に取り付かれた美琴をあっさりと浄化した。

 

それだけではなく、綾乃と協力したにしてもゲホウと言うかつては神であった大妖魔を倒したのだ。その強さは厳馬に劣るものではない。

と言うか、虚空閃を持てば、すでに厳馬を上回っているのだが、それを煉が知る事も無い。厳馬の入院も流星を防いだ事によるものにされ、和麻との死闘によるものとは知らない。

 

「俺に聞かれてもな。俺は炎術師としては無能つうか、素質ゼロだっからな。炎術師の修行法なんて聞くだけ無駄だぞ。才能無かったからな」

「兄様には才能があるじゃないですか! 風術師として物凄く。僕は宗家で一番才能が無いのかもしれません」

「いや、炎術使えずに勘当された俺の立場は?」

 

煉で才能がなければ、自分は何だと言うのか。いや、今更言っても仕方が無いし、別にもう気にして無いからいいけど。

 

「僕なんて中途半端で、この間も何も出来ませんでした。炎では父様や姉様には遠く及ばないですし……」

「おいおい。修行中の、しかも十二歳の分際で神炎使いや炎雷覇持ちと張り合おうって言うのか? そりゃ思い上がりだぞ、煉」

 

和麻は煉の言葉を聞いて反論の意見を出した。

 

「厳馬の炎は別次元だ。あんなのと張り合おうなんて、同じ神炎出してからにしろ。つうかあいつは神凪千年の歴史でも十一人しかいない神炎使いだぞ。神凪の先祖、それこそ何百人いるかわからん炎術師の中でも上位の化け物だ。それこそ歴代宗主よりも上だ」

 

思い出すのはあの一戦。聖痕発動させた黄金色の風を受け止めただけではなく、相殺した化け物。あんなのがホイホイごろごろ神凪に転がってたらゾッとするどころの話じゃない。

 

「あんなのと自分を比べるのは、お前が成人してからにしろ。そもそも今のお前があいつと優劣を競えるとか、あいつに一歩か二歩しか劣らないとか言われたら、逆に俺はお前を見る目が変わる。いい意味じゃなく悪い意味で」

 

目の前の少年が厳馬に近い力を持っているとか、それはどんな冗談だよと思う。おそらくは聖痕を発動させていない、無手の和麻ならばまともに戦えば苦戦どころか下手をすれば死闘にまで及ぶ可能性がある。と言っても、最終的には和麻は勝つつもりだが。

 

「綾乃に関してだが、あいつも未熟だよ。四年前のあいつの実力と今のお前の実力はたぶんそう変わらない。つうか炎雷覇持って四年も経ってあの程度かって思ったな。まあこの間は少しは役に立ったし、才能があるのは認めるが……」

 

最後のほうだけは少しだけ声を落として発言した。綾乃を褒めているみたいで、和麻としては気に食わなかったからだ。

それでも綾乃の心のあり方と才能は少しだけ認めている。未熟者の、あの程度のレベルの分際で神炎を出し、ウィル子の協力があり、ダメージがあったとは言え、一分間もゲホウと渡り合えていたのだ。少なくとも、将来性は十分にある。

 

「他には燎って奴だが、あいつも論外。炎術師としてはそこそこだがまだまだお粗末。確かあいつは病気してたらしいからな、それを差し引けば……。あー、普通か」

 

はっきりと言い放つ和麻。一応、京都で全員の戦いを見ていたので、和麻は自分なりの評価を下した。

 

「今のお前がコンプレックス抱くのは十年早い。っても、納得できないか」

 

強さに憧れる。強さを、力を欲する。優秀な身内に抱くコンプレックス。どれもこれも和麻自身が神凪にいる十八年間に自身で体験している。

厳馬に、周囲の存在に、煉に。もし当時の自分が仮に誰かにお前には才能があるんだと、頑張れば報われると言われたところで到底納得できなかっただろう。

 

(ああ、そうだよな。そんな言葉で救われたら、苦労しないよな)

 

和麻は炎術をのぞけば、ほとんど神童と呼ばれてもいい才能を誇っていた。神凪の外、学校では学業も運動もこなし、多くの人に切望や憧れの眼差しを受けた事もあった。

教員連中にも神凪は凄いと褒めちぎられた覚えがある。

でもそれでも和麻の心は救われなかった。軽くはならなかった。違うのだ。欲しいと思った言葉ではない。自分を救ってくれる救いの手では決してなかった。

 

だから高校時代は結構ただれた生活を送っていた。人肌を求め、多くの女生徒と関係を持った。それでも決して満たされる事はなかった。

煉の場合も似ている。和麻ほど根は深くはなく和麻のように追い詰められてはいないが、それでもあまりいい兆候ではない。

特に、先の戦いで自分の無力を思い知らされたあとでは。

 

「修行法、修行法ねぇ。俺も才能があるとか師匠には言われたが、正直、あんま関係なかったな」

 

ポツリポツリと和麻は語りだす。

 

「俺の場合、強くなったのはお前が思うほどカッコいい理由じゃなかった。どうしても強さが欲しかったって理由はあったが、それしか見えなかったって言うのが一番しっくり来るな」

 

翠鈴を生贄に捧げたアーウィンを殺すためだけ。それだけに和麻は力を望んだ。他には何もいらない。見えない。見ようともしなかった。風に目覚めたのはきっかけに過ぎない。

 

「週に一度は死にかけたな。ただ我武者羅に、それだけしか見えてなかった。今思い返せば、無茶やったなって思う。神凪にいた頃も厳馬にきつい修行をさせられたが、あの時は言われるままだった。強くなりたいって思ってても、心のどこかで諦めてた。俺は決して強くなれない。炎術は使えないって、心のどこかで思い込んでたんだろうな」

 

くつくつと笑う。透に心を折られてからか。厳馬に言われる修行はこなした。それ以上のこともした。けどしただけだった。

そこには必死さはなかった。何が何でもと言う気概は存在していなかった。ただ流されるままにこなしていた。

 

和麻にはこなすだけの器用さがあったが、打ち込んでいると言うレベルではなかった。いや、打ち込んでいたのだろうが執念とも言える感情が存在しなかった。

脅迫概念に近いものに押しつぶされまいと、ただ闇雲にしていただけだった。

 

ただ厳馬に失望されないように、見限られないように……。

縋っていたんだ。どれだけ厳しく言われても、どれだけ苦言を呈されても、厳馬は神凪の中では煉や宗主以外では唯一、和麻を見ていた。勘当を言い渡されるまで、和麻を鍛えていたのは和麻が必ず強くなると思っていたから。

 

もしなんとも思っていなければあの女のように見限り、何の興味も沸かなかっただろう。厳しい修行をこなさせず、煉にだけ心血を注いでいただろう。それこそ口で言うだけで、自らは一切見ずに。

けれども厳馬は違った煉以上に、和麻にも自分の時間を使って指導を行っていた。だからこそ、和麻は厳馬が自分を見ていると無意識に感じ取っていたのだ。

 

(ああ、そうだ。今にして思えば、あいつは俺を捨てるまでは、十八の時までは確かに俺を見ていた)

 

和麻はそう思った。あの女とは違う。決別の言葉を言われる前から、深雪が自分を愛していない事を薄々気がついていた。自分を見ていない事に気がついていた。

子供と言うのは敏感だ。親からの愛情があるかどうかくらい、幼くてもよく分かる。否、幼い子供だからこそ、敏感に理解する。

 

和麻は小学生の頃から、あるいは物心付いた時から、深雪が自分を見ていない、愛していない事に気がついていたのだ。

だが厳馬はまだ、自分を見ていた。見てくれていた。あの勘当を言い渡された時、厳馬に追いすがったのは、捨てられるのが嫌だっただけではない。

自分を見てくれていた厳馬に失望された、見限られた事がショックだったのだろう。自分を見てくれていた人が自分を見放した事が耐えられなかったのだろう。

 

何故あの時、神凪を盗聴していたとき、厳馬に失望と漏らされて何故ああまで感情を顕にしたのか。

そうだ。自分は捨てられてからも、心のどこかで厳馬に自分を見ていて欲しかったからだ。

何故自分はあんな戦いを挑んだのか。

なんて事は無い。自分は心のどこかであの男に認めて欲しかったのだ。自分はこれだけ強くなったと、あの男に訴えたかったのだ。ずっと自分を見ていたあの男に……。

 

(……ああ、くそ。最悪だ)

 

自分の心のうちに気がつき、和麻は手元にあったワインを一気に飲み干す。正直、忌々しい感情でしかない。あの男に認めて欲しいなどと思う自分が憎らしくて仕方が無い。

その考えを打ち消すかのごとく、和麻は空いたグラスにワインを注ぎ、また一気に口に含む。

 

「に、兄様?」

 

その様子にどこか心配になったのだろう。煉が声を上げた。

 

「ん、ああ、悪い悪い。ちょっと嫌なことを思い出したからな。お前のせいじゃないから。で、話の続きだな。あー、そうだな。努力に勝る才能無しって言う言葉は好きじゃないな。努力しても俺の神凪の十八年間は無意味に近かったからな。でも本気ならそんなの関係ない。本当に強くなりたいのなら、そんな事を考える余裕なんて無い」

 

和麻ははっきりと煉の目を見ながら言い放つ。

 

「俺の実体験からだが、本気で強さを求めるんだったら、無理でも無茶でも、何を捨ててでもやるし、やれるもんだ。やるしかないからな。人の十倍、二十倍、それこそ死ぬまでやってみて無理だったらその時諦めろ。途中で諦めるんだったらそれは本気でもなんでもない」

「兄様はそうやって強くなったんですか?」

「まあな。理由は……まっ、神凪を出てから俺にも色々あったんだ。その辺の事情は勘弁してくれ」

 

あまり掘り起こされたくない理由だし、煉に聞かせるような内容でも無い。

 

「……わかりました。それは聞きません」

「いい子だ。さて、強さ講義はこんなもんで面白い話を聞かせてやろうか。笑い話ならことかかないな。例えば中国の奥地で竜王に出くわしたとか、毒を吸ってもだえ苦しんだ吸血鬼の話とか……」

「あっ、じゃあ僕は兄様と一緒にいたあの人のことを聞きたいです」

 

その言葉にピクッと和麻の眉が少し動いた。確かに煉にしてみれば気になるところだろう。

ウィル子は見た目中学生。十二歳の煉とは近い年齢と思うだろう。

 

「ウィル子のことか?」

「あっ、ウィル子さんって言うんですね。中学生くらいに見えましたけど」

 

なんて説明すればいいか。いや、あいつが京都で宗主に妖精と言っていたからそれにしておこう。

 

「あいつとはもう出会って一年になるな。ある事情で、それから一緒に世界を回ってる。あいつは綾乃と違って役に立つからな」

 

もし綾乃がここにいればまず間違いなく怒り狂うだろう台詞を平気で述べる和麻に、煉もあははと苦笑するしかない。

 

「もしかして……兄様の恋人…」

 

ですかと続けようとした煉の顔を思いっきり和麻は鷲づかみにした。

 

「に、兄様?」

「おい、煉。あいつが俺の恋人に見えるか? 見えねぇよな? 見えるはずねぇよな?」

 

ニッコリと笑いながら言う和麻。しかし目が全然笑っていない。

 

「お前、俺がロリコンに見えるのか? 見えないだろ? 見えないよな? 見えるはず無いだろ?」

 

今度はどこか優しく諭すように語る和麻に、煉は何とか頭を縦に振ろうと頑張ってみた。

 

「よろしい。俺とあいつの関係はそんなんじゃねぇから。もう一度言ったり、他の連中に言われても違うって言っとけ」

 

もし変な事を言えば……と和麻は手を離しながら念を押す。煉も今度は思いっきり頭を縦に振った。

 

「あいつは、そうだな。俺の……」

 

和麻は躊躇いがちに言葉を濁しながら、もう一度ワインに口をつける。

そしてどこか誇るように彼はこう告げた。

 

「あいつは俺の……最高のパートナーだよ」

 

 

 

 

和麻が煉と会食をしている頃、事件は起こった。

入院中の久我透が忽然と姿を消し、同時に同じく入院していた厳馬を除く神凪一族に名を連ねる人間が姿を消した。

さらに事件はそれだけで終わらなかった。

 

警察の留置場。そこには逮捕された神凪の人間がいた。

と言ってもここは警視庁の地下の特殊な、一般には使われる事の無い場所であった。

主に異能力者に対して使われる。しかしまさか設計した人間は神凪の人間に使用されるとは思わなかっただろうし、しかも一気に十一人も入れるとは想定外もいいところだろう。

 

頼通をはじめ、捕まった全員はここにいる。当初、ここにいる全員は神凪が保釈金を支払いすぐにでも出れるだろうと考えていた。ところが事態はそうは行かなかった。

 

まず最初に重悟。彼が保釈金の支払いを認めなかったのだ。これは外部に対して、少しでも厳しく対処すると言う姿勢を見せたかったこともある。

他にも透の暴走や風牙衆の反乱も重なり、結局彼らが保釈される事の無いまま、二週間近くが経過した。

その中に久我家の先代当主で透の父でもある久我勲がいた。

 

「何故だ、何故こんな事に……」

 

ぶつぶつとうめくには理由があった。逮捕された事もそうだが、息子である透が重悟の命に背いた上に重傷を負い入院した。さらには彼が株で多額の損を出し、久我の資産がほとんどなくなった。またそれに伴い、透は神凪を追放になり、久我はお家が取り潰しに近い状態になってしまった。

 

久我の一門に連なっていたものは、宗家や他の分家の庇護を受ける形になった。もう久我の家は終わったも同然だった。

さらに信用をなくした術者に未来は無いし、神凪内での立場も悪くなるだろう。いや神凪に戻れるかどうかもわからない。

 

「どうして、どうしてこんな事に……」

 

頭を抱え、何度も自問する。

 

「そりゃ和麻のせいだからだよ、親父」

 

不意に声がした。ハッとなり、勲は声の方を見る。すると鉄格子の向こうにはなんと息子である透がいた。

 

「と、透。お前、何故ここに!?」

 

勲は透が重傷を負い入院していると、面会に来た者に告げられていた。なのに目の前にはぴんぴんとした彼がいた。

 

「あっ、別にいいだろ。それよりもさ、親父。協力してくれよ。和麻を殺すのをさ。あいつ、くそムカつく事に宗家並みに強くなってるんだってよ。だから俺一人じゃ無理なんだって」

「きょ、協力!? お前何を言って!」

 

だがその時、勲は自分の足元に半透明のゼリーにも似た何かが湧き上がってきた。

 

「こ、これは!?」

 

彼も分家とは言え神凪の一員。それが何のか知識としてはっきり知っている。

スライム。低級の妖魔、あるいは使い魔とされている。だが断じて、神凪の人間が扱うものではない。

 

「透! お前まさか!?」

「親父。和麻は俺がぶっ殺すんだ。だからさ、親父は力だけ貸してくれよ。分家でも集めりゃ宗家に匹敵するだろうから」

「ぎゃぁっ!?」

「こ、こやつは!?」

「おい! 誰かいないのか!?」

 

周囲から聞こえてくる喧騒と悲鳴。どうやらここにいる神凪の全員がこのスライムに襲われているらしい。本来なら、何の苦もなく焼き払える程度の存在。

 

だがここは特殊な結界が施された留置場。炎は一切使えない。つまり彼は一般人にも等しい。いや、気を多少は扱えるがスライム相手にはそれはあまりにも相性が悪すぎた。

ちぎっても、吹き飛ばしても再び集まり、再生するスライム。神凪の人間はなすすべもなくスライムに覆いつくされていく。

 

「と、透……」

 

手を伸ばすが透は何もしない。いや、面白そうに笑っている。

 

「あっ……」

 

短く呟くと勲は意識を失い、もう二度と目覚める事がなかった。彼からは血が、水分が、否、生気そのものが吸われていく。

全員がミイラのように干からび、そこからさらには衣服や装飾品に至るまで分解し吸収していく。肉を、皮を、髪の毛を、骨に至るまで全て分解し、取り込んでいく。

 

「……これであいつを倒せるんだろうな?」

 

全員が取り込まれたのを確認して、透は誰もいないはずの場所に話しかける。

 

「うん。これで良い。本当は生気の強い一般人を千人近く吸収しようかと思ったけど、さすがは神凪。十六人でもうずいぶんと力が集まった」

 

透に返すのはミハイルであった。本来ならば透では見つからずに警視庁の地下に侵入などできるはずが無い。しかしミハイルの手を借りれば別である。

彼は腐ってもアルマゲストの上位の魔術師。序列百位には入れないが、魔術の秘匿や隠密行動を得意としている。さらには転移の魔術をも使いこなす。優秀な部類なのだ。

 

彼の当初の目論見としては、生気の強い一般人を大量に襲いそのエネルギーを貰い受けるつもりだった。

しかし分家とは言え神凪の人間が入院していたり、留置場にいたりと比較的襲いやすいところにいた。

 

和麻襲撃の際に入院した透を除いた五人。逮捕された十一人の計十六人。

彼らは腐って神凪。一般人どころか術者の中でも優秀な部類にいる。潜在能力なども含め、一般人に換算すれば十数人から数十人にも匹敵した。いや頼通など宗家としては落ちこぼれの上、年で衰えていても一般人数十人分のエネルギーがあったのだ。

 

「この調子で神凪を襲えばすぐに目的は達成できるね」

 

一石二鳥どころか、三鳥とも言っていい手だった。

ミハイルは日本に来て、神凪の事を調べた。単純に情報屋を魔術で操り情報を持ってこさせたのだが、あの八神和麻が生きていた。

 

ミハイルは歓喜した。自分の怒りを、憎しみを、全てを神凪にぶつけるつもりで日本に着たが、まさかあの八神和麻がいるとは。

これは主であるアーウィンの導きかとまで考えた。アーウィンは自分に仇を討てと言っている。そうとしか思えなかった。

 

さらに彼にとって好都合だったのが、利用する駒がいたこと。

目の前にいる久我透である。この男はそこそこに力もあり、強い肉体もある。最終的には壊して捨て駒にするが、それでもそこいらの一般人や並みの術者よりも使える。

 

足もスライムを一時的に使い動くようにしている。身体も病院で奪った力を憑依させているので健康体であった。

他にも神凪もごたごたがあり、神凪最強の術者である神凪厳馬も入院中。さすがに神凪厳馬に手を出すにはリスクが大きすぎるので、まだ手を出していない。

だが和麻を倒せるだけの力が手に入れば、和麻を殺す前に襲ってさらに力を強化するつもりだった。

 

だがこの状況は好機だ。他にも神凪は下部組織で諜報に優れた風牙衆を追放している。今ならば、神凪の術者を襲ってエネルギーに出来る。

 

神凪の術者の力は凄まじく、エネルギーとして申し分ないどころではない。さらには透をコアにすれば炎への耐性も出来上がり、攻撃力の高い炎を操れるようになる。

神凪の宗家に匹敵、あるいはそれを超える攻撃力の炎を操れればあの男の風も敵ではない。

 

「さあ。次に行こうか。八神和麻に復讐するために」

「ああ。絶対に和麻の野郎をぶっ殺してやる」

 

二人はそう言うと、警視庁を後にした。

 

 



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第二十五話

 

煉との語らいは非常に充実したものとなった、と和麻は思っている。煉も兄の面白い話を聞き、満足そうに笑っている。

時間を見ればもうすでに夜の九時である。あまり小学生の煉を付き合わせていい時間ではない。

 

一応、煉も家には友人と食事をしてくると伝えているが、そろそろ時間的にも不味い。家には和麻と食事に言ってくるとは言っていなかったのだ。

和麻と食事をしてくると言えば、宗主などは納得してくれるだろうが、他の連中が不味い。

 

宗家はあまり和麻に頓着していないようだが、長老や分家はかなり和麻に敵意を抱いている。

当たり前だ。ただでさえ神凪の不正を暴いて一族の立場を悪くした(自業自得なのだが)事と、彼が綾乃を超える強大な力を身につけ、一族の危機を救ったなど、到底受け入れられる事ではなかった。

 

プライドの高すぎる一族である。今まで見下してきた相手が、自分達以上の力を得たなど到底受け入れられるはずが無い。

さらには久我の暴走で立場がこれ以上無いくらい悪いので、分家としては怒りをぶつける人間が和麻しかいないので、彼に対する風当たりは強くなる一方だった。

 

尤も、和麻としては神凪と仲良くするつもりなどこれっぽっちも無いので、どれだけ恨まれようが憎まれようが構わなかった。

もし直接敵対したり、こちらに害を及ぼそうと言うのなら、これ以上無いほどに徹底的に物理的にも精神的にも社会的にもボコボコにするつもりだったが、基本放置の姿勢をとるつもりだった。

 

しかし煉の立場が不味くなるのはダメだ。ただでさえ、煉は立場的に複雑なのだ。一応、厳馬の息子で、和麻とは違い炎術師の才能が高いゆえに陰口を叩かれる事は無いだろが、それでも心配だ。

 

煉の純真無垢な性格ゆえにこれまで、和麻のような誹謗中傷を受けずに済んでいたのだろうが、この騒ぎを起こした和麻の弟と言う立場であるゆえに、今後どんな事があるかわから無い。

またそれが影響で煉の性格がゆがんでしまったり、心に傷をつけてしまったのでは、流石に和麻も申し訳が立たない。

 

(こいつにはこのまま真っ直ぐに成長してもらいたいんだけどな)

 

煉の可愛らしい笑顔を眺めながら、和麻は表情を和らげる。

よく十二年も神凪の中にいて、それもあの父と母の子でありながら、ここまでいい子に成長するとは思いも寄らなかった。

自分がすぐ横にいて守ってやれればいいが、それだと余計に煉に迷惑がかかるだろう。それに自分は明日にでも日本を立つ。

 

和麻自身に敵が多い―――大半はすでに殺し終えて、直接何かをするような恨みを持つものは両手で数えられる程しか残っていないが―――ため、出来る限り煉にはこっち方面の厄介ごとに関わらせたくない。

 

(いや、綾乃なら巻き込んでもなんとも思わないんだけど、煉はな~)

 

これまた本人に聞かれたら、大変激怒するような台詞を心の中で吐く。

しかしそれでも綾乃を巻き込むと考えながらも、心の片隅で、少しは綾乃の力を認めていると言うことに、和麻自身は気が付いていなかった。

 

ちなみにこの時の和麻の表情はとても穏やかで、慈愛に満ちていた。

もしこれを綾乃やウィル子が見れば……。

 

「うわっ、ありえない」

「マスター、似合わないのですよ」

 

などと言われる事間違いない。

 

「さてと……。煉、そろそろいい時間だぞ」

「えー、まだお話してたいです」

「ってももう九時だ。お前も明日があるだろうし、あんまり遅くなったら悪い」

 

子供はもう寝る時間だと和麻は煉に言う。煉も子供なのだが、子供扱いされるのがされるのが気に食わないのか、少し頬を膨らませる。

いや、それは怖いどころか逆に可愛いんだけどと、和麻は思いながら、自分もずいぶんと煉に毒されてるなとため息を付く。

 

「泊めてやりたいのは山々だが、今の俺の立場的に神凪の鼻つまみで不正を暴いた憎らしい相手だからな。お前にもいらんやっかみが来ないとは限らない」

「えっ、でもそれは……」

「大人の世界には色々とあるんだよ」

 

一応、兵衛の報告で和麻が不正を暴いた張本人と言うことは確定してしまっているし、事実でもあったので、和麻とウィル子はこれをもみ消そうとはしなかった。

これで余計に名前が出回るなと思わなくもなかったが、もう出回っているので沈静化をさせずに、逆に利用するためにあえて放置した。

 

煉としては和麻が正しい事をしたと思っているし、その後も神凪の滅亡を救ってくれた恩人と思っている。煉の考えは間違いではないが、大人の世界とは正しい事だけではなく、正しくても受け入れられない事も多々あるのだ。

それを十二歳の子供に言っても仕方が無いので、和麻はあえて言わない。

 

「まっ、元々俺は神凪では嫌われてたからな。お前は気にするな。俺も連中と関わる気は無いし、それがお互いのためだ。お前は一応、俺の携帯番号を教えているから、何かあれば連絡しろ。地球上のどこでもつながる。ああ、ちなみにお前の携帯からしか無理だから」

 

和麻が煉に教えた携帯番号は言うまでもなく、ウィル子の力を使って煉の携帯からしかつながらない。しかし地球上ならば衛星を経由して、砂漠だろうが南極だろうがジャングルの奥地だろうがつながるようにしている。

 

「……はい」

 

しゅんと少し落ち込んだ煉に和麻は苦笑しつつも、彼は優しく煉の頭を撫でる。

どうにもウィル子の影響で小さい相手に対しては扱いがうまくなった気がした。和麻としても、ウィル子としても非常に不本意だろうが。

 

「じゃあ送ってってやる。ただ神凪のすぐ傍までだけどな」

「わかりました。兄様、また日本に帰ってきたら、連絡をくださいね!」

「ああ、わかってるって」

 

和麻は煉にそう言うと、そのまま彼を神凪の家まで送り届けるため、タクシーを手配した。

 

 

 

 

「じゃあな、煉。また」

「はい! 兄様もお元気で!」

 

うれしそうに手を振りながら、煉はタクシーを降りて、神凪の屋敷に戻っていく。タクシーが停車したのは神凪の正門から五十メートルほど離れた場所である。

 

和麻自身、あまり近づきたくなかったため、目の前で止めることはしなかった。じゃあ煉だけを乗せて目の前で止まればと思ったが、煉としては少しでも和麻と一緒にいたかったので、一緒に来てくださいと懇願された。ならば間を取ってこの位置と言う事にした。

 

煉はうれしそうに手を振りながら、神凪の屋敷に向けて走っていく。

和麻はそのまま様子を眺める。門が開く。その直後、和麻の顔が一瞬だけ硬直した。

煉を出迎えた相手は神凪が抱える侍女ではなかった。煉は帰る前に一度屋敷に連絡をしている。出迎えがいてもおかしくは無い。

だが出迎えたのは意外な人物だった。

 

(……あの女が出迎えか)

 

和麻の目に映る一人の女性。もう記憶の奥底に、それこそ忘却の彼方に忘れ去っていた女。

 

神凪深雪。

 

和麻の生みの親であり、四年前までは母であった女性だった。幾人かの侍女を後ろに従え、深雪はにこやかな笑顔で煉を出迎える。煉もうれしそうに、母である深雪に話しかけている。

和麻には決して見せることのなかった笑顔。和麻には決して見せることがなかった態度。和麻には決してそそぐ事のなかった愛情。煉は深雪のそれを一身に受けていた。

 

「……複雑ですか、マスター」

「いや、別に」

 

問われて、和麻は即座に返した。声の主は言うまでもなくウィル子。彼女はなんとタクシーの運転席にいた。

 

「突然呼び出して、ウィル子を文字通りタクシー代わりにするとは恐れ入ったのですよ」

「いや、使えるものは使わないと。折角タクシーをレンタルしたんだから」

「タクシーはタクシーでもセンチュリーですけどね」

 

国産高級車である。和麻はワザワザセンチュリーをレンタルして、ウィル子に運転させていたのである。

 

「で、マスター。今回は複雑じゃないのですか?」

「そうだな。厳馬の時はそれなりに色々と思ったが、正直、驚いたがそれだけだ。別に何の感慨も沸かなかった」

 

和麻が硬直したのは、あの女がワザワザ自分から煉を出迎えたことに対してである。それ以外に何の感情も沸かなかった。

あの女ならば、自分から出迎えず、自分の部屋に来るように言う程度だろうと思っていた。

 

それだけ煉を溺愛していると言うことだろうか。

自分とは違い、母親の愛を受ける煉。それが愛と呼べるものかどうかわからないが、それでも煉は母親に何らかの情をそそがれているのは間違いない。

 

和麻は理解していた。捨てられる以前からあの女が自分を愛していない事を。四年前のあの日、厳馬に勘当を言い渡されたショックで、和麻はあの女に縋った。

もしかすればあの女がとりなしてくれれば、頑なな厳馬の態度も変わるのではないかと。自分が頼めば、愛していなくとも息子と言う事で少しは何かをしてくれるのではないかと。

 

しかし突きつけられたのは拒絶の言葉と、自分を愛していないと言う事実。気づいてはいたが、直接口に出して伝えられるのとでは衝撃が違う。

その深雪が今はあんなふうに優しく、本当の母親のように煉に振舞っている。

 

「俺はもうあの女の件に関しては折りあいはつけてある。はっきり言ってどうでもいい。あの女が俺に対してなんとも思っていないように、俺もあの女に関しては何の興味も無い。もう二度と言葉を交わす事もないからな」

 

厳馬とは違う。深雪は和麻にとって見て血縁ではあるが、その距離は見ず知らずの他人と同じくらい離れている。

 

「そうですか」

「そうだ……」

 

そう言うと和麻は座席のシートに背中を預ける。その心の内には何の感情も無い。

 

「まああんまり見たい顔じゃなかった」

 

折り合いをつけているし、もう自分とは何の関係もないと割り切っているが、それでも見たいと思える顔では決してなかった。

 

「では憂さ晴らしにでも行きましょう」

「あっ?」

 

和麻はウィル子の言葉に不思議そうに首を傾げる。

 

「マスターと別れる前に言われたとおり、色々と調べていたのですが、アルマゲストの構成員と思われる人間が、数日前に来日しているのですよ」

 

そう言うと、ウィル子は何枚かの資料を和麻に手渡した。

 

「マスターが遊んでいる間、ウィル子も暇つぶしで入国管理局などのシステムに侵入したのですが、どうにもその写真の人物が東京に侵入したみたいです」

 

和麻は資料を見ながら、ほうっと小さくもらす。英語で書かれた資料。某国が集めたアルマゲスト関連の情報である。その中の人物プロフィールに書かれた名前と経歴や大まかな能力について書かれている。

 

「ミハイル・ハーレイ。アルマゲストでも結構上の方の奴か」

「序列百位には入っていませんが、数少ないアルマゲストの残党ですよ」

 

資料眺める和麻に、ウィル子が補足を入れる。

 

「しかしよく生きてたな、こいつ。百位に入って無いから、俺が直接やらなかったが、巻き添えで死んでてもおかしくは無い状況だったし、他のアルマゲスト狩りからも逃げおおせてる。そこそこ優秀だったか?」

「さあ、どうでしょう? 未確認ではありますが、ミハイルの得意の術に転移系があるとか書かれていますので、それででは無いでしょうか?」

 

アルマゲストで二百位以内に入っていれば、それはかなり優秀な部類ではあるのだが、如何せん、和麻自身が非常識すぎるので、あまり慰めにはならない。

資料を眺めながら、和麻はニヤリと唇を歪める。

 

「こいつがこの時期に日本に来るってことは、俺関連だな」

「でしょうね。でなければ、わざわざこんな極東に来るはずも無いのですよ。あるいは欧州の苛烈なアルマゲスト狩りを逃れるためにこの国に来たか」

「確かに日本じゃ宗教やそう言った争いには極力介入してなかったからな。神凪や石蕗をはじめ、この国には優秀な家系は多いが、バチカンみたいな巨大な組織としては動いていない」

「日本は宗教には寛大ですし、国の対異能組織は脆弱ですからね」

「それでも仏教とかの大陸系、陰陽道、精霊魔術と結構色々な術者が多いけどな。それらがお互いに牽制しあって、一応の均衡は保たれている」

 

この国は宗教に関しておおらかではあるが、ゆえに和麻が言ったとおり、大小さまざまな異なった手段が多いのだ。

 

「まあ運の尽きは飛行機で来たってことだな。確かにヨーロッパから日本まで密航して来るのはかなり無理があるし、時間もかかる。仮に俺が目当てだったら、時間との勝負と考えるか」

 

実際のところ、ミハイルが日本に来たのは和麻が目的ではなく、他に事情があったのだが、それを和麻が知る由も無い。

しかし飛行機で来たのは致命的だった。さらには運の悪い事に和麻とウィル子が偶然にも調べようと思った矢先の事であったのが尚更。

 

「どうしますか?」

「あーあ、めんどくさいな~。けどやることは決まってるだろう」

 

けだるそうに言うが、その顔は実に良い笑顔だった。

 

「にひひ。ではやりますか?」

「やらないなんて選択肢はないない。特にアルマゲストに関しては」

「倍返しです」

「少し古いな。でも間違いじゃない。いや、百倍にして返してやるか。ついでに利子もたっぷりとつけて」

 

と和麻は言い放ち、そのままウィル子に命じて車を走らせた。

 

 

 

神に祈りを捧げる教会。東京の片隅、池袋にある教会。

夜の闇の中、一切の光が届かない場所にミハイルはいた。

時刻は明け方だが、ここだけがまるで真夜中のように光が入ってこない。魔術的な結界を張り巡らせ、完全に気配を遮断している。

 

透は今は別の場所にいる。と言うのは神凪の連中をさらに狩るためだと言う。

本人曰く、俺を見捨てやがった連中に復讐するということらしい。

下手に動いて騒ぎを大きくされても困るので、神凪の本邸への突撃は禁止してある。それでも分家が多数いる他の場所への襲撃は、まあ見逃す事にした。

夜が明ければ戻ってくるだろうし、今の時間ならばまだ見つかる事もあるまい。

 

「それにしても神凪はやっぱり凄いな。透もそこそこにはやるみたいだし」

 

十数人の神凪を吸収しただけだが、彼の力は何十倍にも膨れ上がった。無論、それだけでは八神和麻に勝てるはずも無いが、これからさらに神凪の人間を吸収し、さらに一般人まで襲えば確実にあの男を上回れる。

まだ街にはスライムは放っていないが、透が戻り次第スライムを解き放ち、多くの人間を襲いその生気を奪い集めるつもりだった。

 

本当なら、今すぐにでもスライムを解き放ち生気を収集してもよかったのだが、すでにスライムにはかなりのエネルギーが集まっている。

さすがは神凪だ。たった十数人で一般人数百人に匹敵するエネルギーがあるとは。分家はずいぶんとその力を衰退させたと言うが、中々どうして。一流と言うべき力を未だに有しているでは無いか。黄金の炎を使えないだけで、炎術師としての潜在能力はまだまだ高いということか。

 

「ふふふ。さっき確認したけど、透も久我の人間をさらに吸収したみたいだから、これでまた強くなるね。でも透じゃあれだけのエネルギーは扱いきれないから、やっぱり僕がやるしかないね」

 

ミハイルにとって透は捨て駒であり、自分が傷つかず、八神和麻を殺すための道具に過ぎなかった。

透程度ではスライムが集めた力を制御しきれない。しかしミハイルは違う。自分ならば制御しきれる。神凪宗家に匹敵する、それを上回る力を。

力。誰もが望むもの。それがあの不倶戴天の敵である八神和麻を殺せるとあれば、これほど心躍る事は無い。

 

最初はイヤガラセ程度で、和麻を襲えればと思っていたが、取り込んだ力が思いのほか大きかったので、ミハイルも直接和麻を害する事を計画した。

あと一週間、いや、数日もあればあの男を超える力を得られる。そう考えていた矢先、彼の笑顔が凍りついた。

 

「なっ!?」

 

教会に張り巡らせていた結界が一瞬にして崩壊した。

 

「えっ?」

 

驚き、ミハイルは手足を動かそうとするが、次の瞬間、彼の四肢がまるで鋭利な刃物で切断されたかのように飛び散った。

さらにはそれは見えない刃に粉々に、それこそ細切れにされた。

 

「ぎっ……」

 

悲鳴を上げようとしたが、それより先に彼の身体に衝撃が走り、彼はそのまま壁に激突した。壁に激突しただけではない。よく見れば、彼の身体には槍が突き刺さり、彼を壁に縫い付けていた。

 

口からごふっと血を吐き出す。激しい痛みが彼を襲う。意識が朦朧とし、何も考えられなくなる。自分を守るように、使い魔たるスライム達を動かそうとしたが、それすらも操れない。否、すでに存在しないと言えばいい。周囲に蒼く輝く風が満ち溢れ、全てのスライムを浄化していく。

 

(い、一体、なにが……)

 

薄れいく意識。四肢を切断され、身体を槍で貫かれた状況ではまともに術の行使など出来ない。用意していた設置型の術も全て破壊されていた。

 

「な、なにが……」

「教えてやってもいいが、尋問しながらな」

 

不意に声が聞こえた。ミハイルの目の前の空間がぼやけ、一人の男が姿を現した。

 

「き、貴様は…っ!」

 

ミハイルはその男に見覚えがあった。忘れるはずが無い。その男は彼に、彼らにとって見て不倶戴天の敵なのだから。

尤も和麻と直接の面識はない。面識があるのはアーウィンとヴェルンハルトをはじめとする何人かの評議会メンバーとアーウィンの忠実な直属の部下だけだったが。

和麻はニヤリと笑うだけで、何も言わずに左手をミハイルの頭に押し付ける。その手には以前風牙衆にも使った記憶を読む魔法具が装着されていた。

 

「ぎ、ぎやぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

「あっ、声を遮断するの忘れてたな。まあとにかく残念だったな。お前には聞きたいことがあるが、記憶で十分だから。出来ればヴェルンハルトとかがどこにいるかの情報がいいな。他にもアルマゲストとか俺に敵対しそうな連中の記憶とか、お前の目的とか協力者の有無とか。聞くことは山ほどある」

 

苦痛に叫ぶミハイルを気にせずに、和麻は言葉を紡ぐ。兵衛の時の教訓があるため、あまりいたぶり殺すのはやめたほうがいいのだが、アルマゲストとなると情報を得なければならない。なので、殺す前にこうやって一々尋問する事にしたのだ。

 

ミハイルはと言うと、ただでさえ四肢を切り裂かれ、槍で身体を貫かれたことで激しい痛みが身体を襲っていると言うのに、さらに追い討ちをかけられもはや発狂寸前の痛みに苛まれていた。

 

彼が不幸だったのは、なまじ魔術師として優秀で優れた精神力を有していた事だろう。そのために普通なら発狂、あるいはショック死してしまう痛みにもある程度耐えられてしまった。

といっても、現在彼を襲っている痛みは尋常ならざるもので、とてもこの状況で何らかの術を行使できる余裕はなかった。

と言うよりも丹田までつぶされているため、術を発動できる状況ではなかった。

 

その間もミハイルは考える。

何故、何故、何故。何故八神和麻がここにいる!?

どうしてこちらの事がばれた!?

神凪を襲ってまだ半日も経っていない。この男の前に姿を現した覚えも無い。そもそも、この男は自分の正体を知っているはずが無い!

驚愕と疑念がわきあがり、混乱の極みにあったミハイル。激痛の中でこんな事を考えられるのは凄かったが、何の慰めにもなっていない。

 

和麻はミハイルに術を発動させるつもりはなく、すでに槍―――虚空閃―――で、術者が術を使う上で必ず必要な丹田を貫き、術を行使できなくさせている。

 

「あー、ヴェルンハルトのは無いか。あっ、久我透? おいおい、あいつ、まだやるっつうかスライムで神凪を襲って力をつけるとか、どんだけだよ」

 

和麻は情報を得ながら、あいつも馬鹿なことをとため息を吐く。

だがまあ別に何の問題も無いだろう。あの程度なら、油断しなければ神凪全員で囲んで終わりだ。厳馬もまだ動けないが、もうしばらくすれば退院らしい。

 

神凪一族全員でフルボッコにしてやればいい。それにスライムを操るのはこのミハイルだ。確かに一部は透の支配下にあるだろうが、それでも大半の支配権はミハイルが持っている。

つまりこいつを殺せば大規模な生気略奪行為は出来ず、出来ても一人二人とちまちま吸収する程度だ。

 

「よーし。もういいぞ」

 

左手を抜き取り、虚空閃をミハイルの腹から引き抜く。

ドサリと地面に落ちるミハイルはぴくぴくと痙攣しながら、口から血と泡を吹き出し、あっ、あっ、と小さな声を漏らしている。四肢の切断面や虚空閃に貫かれた箇所から血がドクドクと流れる。放っておいても数分以内に死ぬだろう。

しかし兵衛の例があるゆえに、またはアルマゲストだからこそ、和麻は放置しておくつもりはこれっぽっちもなかった。

 

「ご苦労さん。じゃあ死んどけ」

 

短く言い放つと、和麻は風でミハイルを主であるアーウィンと同じように百グラムまで細かく切り裂いた。

何が起こったのか知る事もなく、ミハイルの命は和麻によって刈り取られた。

 

「終了。あっけなかったな」

「そりゃそうですよ。完全な奇襲ですし。マスターの力を考えれば、これくらい余裕でしょう。しかも虚空閃まで持ってるのですよ」

 

和麻の隣に立つウィル子が呆れたように言う。

確かに隠密行動は風術師の十八番だ。さらには和麻クラスならば魔術師の工房に備え付けられている魔術的トラップも即座に破壊してしまう。

ここに神器が付け加えられればもはや手が付けられない。

 

四年前、アーウィンを殺した時よりも、虚空閃を持った今の和麻は圧倒的に強いのだから。

 

「しかし偉く簡単に見つけられましたね。もう少し時間がかかるかと思いましたが」

「そうだな。まっ、お前が丁度池袋の監視カメラでこいつを見つけていたのも大きかったな」

 

ウィル子と和麻は資料を見た後、空港からの足取りを追っていた。と言っても、あの時点でウィル子がある程度の捜索を行っていたので、探すのは早々難しくはなかった。

東京には監視カメラも多い。魔術を使えば和麻が風で痕跡を探し、使わずに移動していればウィル子が監視カメラで探し出す。

ミハイルは空港から出た後、拠点となる場所、すなわちこの教会を根城にすべく透に接触する前にここに来て拠点を作っていた。

 

ウィル子が街中の監視システムで調べた結果、それらしい影を見つけた。と言っても相手も魔術師なので、簡単に見つけられないように気を使っていたが、それでも人間あり、この街にある全ての監視カメラに映らないようにするのは無理があった。

 

あとはその近辺を和麻がしらみつぶしに風で探せば終わりだ。魔術的な結界が張られていたこの教会を見つけて強襲をかけたと言うわけだ。

虚空閃を持った和麻の奇襲。これを防げる人間がどれだけいるだろうか。魔術師が拠点防衛を得意としていたとしても、ミハイル程度の、それも数日で仕掛けた程度の魔術では焼け石に水程度にしかならない。

 

「それにしても、さっき久我透がどうとか言ってませんでしたか?」

「おう、それな。説明するのも面倒と言うかアホらしいと言うか……」

 

和麻はウィル子にミハイルの記憶から見た情報を聞かせると、彼女は物凄くげんなりとした顔をした。

 

「いや、なんですか、それ。アホなのですか、馬鹿なのですか?」

「俺が知るかよ。けど大本は殺したから、これ以上騒ぎはでかくなんないだろ。妖魔に堕ちたっても、所詮は炎術師。あいつだけじゃスライムを扱いきれねぇよ」

 

ミハイルがどれだけの権限を透に譲渡していたかわからないが、炎術師が何の修行も無しに魔術師の術を使えるはずが無い。あくまで借り物であり、ミハイルがいたからこそ、透がスライムを扱えたのだ。すでに大半のスライムは透の手を離れ、消滅しているだろう。

 

「あとは神凪にこの事を伝えて連中が透を滅ぼして終わりだよ。俺がこれ以上、首を突っ込む必要は無い。そもそもアルマゲスト関係もヴェルンハルト以外は誰かに任せたいのに」

「結局、厄介ごとになりましたね。でも兵衛のに比べれば、何てなかったのですよ」

「いや、あれは特別だろ。そもそも、あんなのと一週間ごとにやりあうとか勘弁してくれよな」

「にひひひ。マスターは不運ですからね」

「ハードラックとはおさらばしたい」

 

そういいながら、ウィル子と和麻は痕跡を残さずにこの場を後にする。

これで事件は終わった。

かに思われた。

 

プルルル

 

和麻の携帯の胸ポケットにあった携帯が突如鳴り響いた。この携帯がなるのは珍しいと言うか、まったく無いといってもいい。この番号を知り、つなげられる相手と言うのは少ないのだ。

携帯を取り出し、ディスプレイに書かれた名前を見る。着信の相手は煉だった。

 

「ん、煉だ」

「どうしたのですかね。こんな明け方に。それに昨日もマスターとは会っているのに」

「なにかあったか? まあ出てみればわかるか。もしもし」

 

和麻は携帯を耳にあて、電話に出る。

 

『兄様、兄様、兄様……』

 

電話の向こうの煉は泣いているようだった。声が震え、涙を流している様子が鮮明に浮かぶ。

 

「どうした、煉。何があった?」

 

尋常ならざる煉の様子に、和麻の声が若干険しくなり、表情も硬くなる。

 

『母様が、母様が……』

「……神凪深雪が、どうした?」

『母様が、妖魔に襲われて……亡くなりました』

 

その言葉を聞いた時、和麻はなんとも言えない表情を浮かべるしか出来なかった。

 

 



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第二十六話

 

時間はさかのぼる。

神凪の屋敷では重悟が、病院と警視庁の留置場から姿を消した術者の事で霧香から連絡を受けていた。

 

「なるほど。忽然と全員が姿を消したと」

『はい。こちらも調査中ですが、全員が何の痕跡もなく姿を消しました』

 

深夜遅くの電話ではあったが、重悟は不快感を顕にする事もなく霧香の話に耳を傾ける。

当然であろう。ことは神凪に深く関わる内容だ。この時点で、神凪の術者の失踪の原因はつかめていなかった。

資料室が最近傘下においた風牙衆を総動員して調査に当たっているが、原因究明には今しばらくの時間がかかる。

 

『ただ微量ながらいずれの現場にも妖気の反応があったそうです』

「妖気。すると何者かに襲われたと?」

『それはまだわかりません。しかしその場合、神凪を狙った恨みによるものと考えられますが、推測の域を出ません』

 

神凪には敵が多い。神凪が失態を起こし、先に風牙衆の反乱で戦力を低下させていると言う事で実力行使に出たとも考えられるが、それにしても警視庁に収監されている神凪の者に手を出すのは正気の沙汰とは思えない。

いくら戦闘系の術者がいないとは言え、国家権力に手を出すだろうか。それとも舐められているのだろうかと霧香は苛立つ。

 

『こちらも全力で捜査には当たっていますので、しばらくの時間を頂きたいと……』

「こちらこそよろしく頼む。風牙衆を失った我等ではどうしようも出来ない事ゆえ、橘警視を頼る以外に方法が無い」

『そういっていただけると幸いです。こちらも警視庁の地下の留置場から姿を消したとあっては大問題ですので。ですがお気をつけください。これが神凪を狙った怨恨がらみの犯行なら、次に狙われるのは……』

「無論、こちらも十分気をつけますゆえ。では……」

 

電話を切り、ふぅっとため息をつく。厄介な事件が頻繁に起こる。重悟はどうしたものかと思わず天井を見上げてしまう。

風牙衆の反乱から始まり、次は神凪の術者の突然の失踪。全員、無事であればいいが下手をすれば全員がすでに生きていないかもしれない。

 

このような集団失踪事件と言うのはこの業界では珍しくは無い。だがその場合、高い確率で失踪した者は生きて帰っては来ない。

神凪の術者と言う事で、万が一の場合はある程度は対処できるとは思うが不安の種は残る。

いや、警視庁の地下は術者の力が使えない特殊な結界が張られている。むろん、完璧に能力を制限するなどと言う強力な結界ではないが、神凪の一般的な分家レベルなら、無効化されてしまうと言う優れものだ。

 

これが綾乃クラス以上だとさすがに完全に無効化は仕切れないのだが。

 

ちなみにこう言った術者の能力を制限する結界などを張ろうとすれば、莫大な時間と労力、費用が掛かると付け加ええておこう。

その性能が高ければ高いほど、それは格段に跳ね上がる。

 

ちなみに和麻や厳馬の力を無効化しようものなら、世界有数の力の持ち主が膨大な時間と労力、費用を用いなければ無理である。

かのアーウィンでさえも、自らの居城にそれだけの大仕掛けを作ることはできなかった。

もし設置できていれば和麻に敗れることはなかっただろうに。

 

「……全員無事であればいいが」

 

しかし重悟の願いは叶えられない。すでに全員、透と言う彼らにとっては身内である、否、身内であった人間に殺されているのだから。

 

「もしこれが神凪を狙った者であれば、次に狙われるのはこの屋敷の者か。全員に注意を促さなければならんな」

 

不意に襲われたのでは、いかに優れた術者といえども危険が伴う。まさかこの神凪の屋敷にまで襲い掛かってくるとは思えないが、万一と言うことがある。

万が一、何者かによる犯行ならば、警視庁と言う場所にまで侵入する大胆不敵な相手なのだ。ここにこないとは言い切れないのだ。

それに屋敷の外にいる者もいるのだ。警戒してしすぎるということは無い。

 

「厳馬は今の所無事ではあるが、やはり護衛をつけるべきだな」

 

厳馬もずいぶんと回復して後数日で退院できるようだが、それでも一人や二人、警護をつけておいたほうがいいだろう。

資料室にはそう言った事に向く術者がほとんどいない。その役目は神凪の担当なのだから仕方が無い。

 

「一度、私の口から伝える必要があるな。あとは分家の当主達。この時間だが緊急事態だ。すぐに呼び出さなければ……」

 

重悟はそのまま綾乃や燎を始め、分家の当主達を呼ぶ事に決めた。

 

 

 

 

深雪が襲われたのは、重悟が分家の当主や綾乃達を集め始めた直後だった。

深夜、煉は何か嫌な胸騒ぎがして目を覚ました。神凪の大きな敷地内の一画。厳馬が所有する建物。重悟や綾乃が住まう本邸よりも少しだけ離れたところにあるこの場所が、煉が住んでいる場所で、和麻も四年前まではここにいた。

 

布団から起き上がり、煉はとぼとぼと屋敷を歩く。時刻は深夜の三時。かすかな違和感が彼を包み込む。

もし彼が炎術師でなく、風術師ならばそれが妖気であると即座に気がついただろう。もし未だに神凪の屋敷に風牙衆がいれば、それの侵入に気がついただろう。

 

だが残念な事に、この屋敷に残っていたのは索敵能力の乏しい炎術師のみ。もちろん、侵入者用の結界も張られているのだが、この場合は二重の意味でそれは効果を発揮しなかった。

 

一つは侵入者が結界をすり抜ける道具を有していた事。一つは結界の弱い分と抜け穴を知っていた事だった。

侵入者の名前は久我透。ミハイルの入れ知恵と彼に与えられた道具、さらに彼の神凪にいたころの知識で、彼はまんまと神凪内部に侵入する事が出来た。

彼の狙いは神凪宗家の人間だった。

ミハイルには神凪の本家への突入を禁止されていた。だが彼はその禁を破った。

理由は幾つかある。

 

一つは分家よりも宗家の方がより多くの力を吸収できるから。警視庁の地下で神凪の人間を吸収した際、頼通から吸い出した力があまりにも大きかった。

最弱の宗主として言われてきた頼通だったが、なんと現役の分家数人以上の生気を有していたのだ。

理由は定かではない。腐っても神凪の直系の血の力なのか。はたまた精霊の加護の差なのか。まさかあの老人からこれだけの力が得られるとはミハイルも透も思っていなかった。

 

一つは自分を追放した神凪への恨み。何故和麻に対して何もせず、自分だけを捨てたのか。この時の透の思考は短絡的どころか破綻していたといってもいい。

当然だろう。すでに彼の思考回路は麻痺していたのだ。理由はミハイルの洗脳と分不相応に取り込んだ力による弊害だ。

ミハイルは万が一を考えて透が裏切らないように暗示をかけた。さらには彼の心も多少いじくった。ミハイルにとってありがたかったのは、透の心が欲望に忠実であったことだろう。

 

人としての良心や自制心が極端に薄く、自尊心が高く、和麻に対する恨みつらみが激しかった事。本来なら時間をかけて行う暗示や精神操作が驚くほどあっさりと終わった。

これならば、暗示や精神操作などいらなかったのではないかと思うくらいに。

さらに透は力に酔っていた。取り込んだ力が大きすぎ、すでに彼のキャパシティは限界を超えていた。それを押さえ込んでいるのは偏に神凪の血の成せるものだろう。

 

しかし大きすぎる力は透の精神を蝕み、単調な、それこそ感情でしか行動できないように彼を壊していた。

これらの起因となり、彼は増長していた。力を得た事による高揚感。今までに感じた事が無い程の強大な力を体中から感じる。

人は力を手に入れれば思い上がる。

 

それはいたし方が無いことだ。あの和麻でさえ、風の力に目覚め、ある程度の修行の段階でその力に溺れ、驕れてしまったのだ。

尤も、和麻の場合兄弟子に完膚なきまでに叩きのめされ、若干のトラウマになっていたりもするのだが。

 

とにかく、透はミハイルの言いつけを破った。無論、未だに自分が神凪厳馬や神凪重悟、炎雷覇を持った綾乃に勝てるとは思っていないが、あのいけ好かない神凪燎や和麻の弟である煉程度ならば倒せると自負していた。

彼が燎や煉を嫌う理由は幾つかある。

 

まずは燎。彼は風牙衆とも仲がよかった。これは流也や美琴がいたからなのだが、幾度か透が風牙衆に対して何かしらの気概を加えようとした時、彼に止められた。

その時は大人しく退いたが透は彼への不満を募らせた。本来なら敬意を払わなければならない宗家の嫡男。

だが透の中には和麻と言う前例があり、四年前の継承の儀には重い病を発症させ参加すらできなかった軟弱者。宗家だというだけででかい面をする奴と言う認識を透は持ってしまった。

 

宗家だからなんだ。宗家でも弱い奴に価値など無い。

和麻を虐げてきた事で、透の中で宗家と言う物への敬意は知らず知らずに薄れ、力無い者を見下す神凪の風潮が、さらに彼を悪い方向へと進ませた。

 

そして煉。言うまでもなく和麻の弟だからと言う理由だ。

透は煉の無邪気な笑みを好ましいものではなく、軟弱で脆弱なものだと思っていた。

宗家の嫡男であり、炎術師としては確かに優秀ではあったが、煉の姿が、態度が、あまりにも力を持つ者にしてみればふさわしくなかった。

もしその笑みが自分を称えるものであったならば、透は何も思わなかっただろう。

 

しかし今は、そんな煉の笑顔は透にとって鬱陶しいものでしかなかった。和麻の弟と言う理由がさらに拍車をかける。

潰す。潰してやる。絶対に俺が……。

和麻から全て奪ってやる。俺から全てを奪ったのは和麻だ。だから奪う。

 

短絡的どころか、逆恨み、見当はずれな思考を彼は正当化していた。妖気を取り込んだことも影響しているだろうが、彼の本質である自己中心的で自尊心が高すぎる事が問題だった。

妖気は人を狂わす。人の負の感情を増幅する。快楽に身を任せ、欲望のままに突き動かさせる。

 

透はもう戻れないところまで堕ちた。否、自ら進んで堕ちて行ったのだ。

神凪の敷地に足を踏み入れる。風牙衆がいたならば、あるいは警戒中であったならば、彼も見つかっただろうが、索敵能力の低い炎術師がミハイルの術や道具により、隠行の術を施し隠密性を上げた透を見つけることは出来なかった。

 

彼はゆっくりと神凪の敷地を歩く。一応、見つかっては不味いと理解しているのか、隠れるように進む。

神凪にとって不幸なことに―――透にとって幸いな事は―――大半のものが寝静まっていたのと、月が出ない新月の夜であった事であろう。

 

すでに霧香が緊急に重悟に連絡を入れたので、彼は起きていたし、分家の当主も集められていたが、まだ非常事態を宣言されておらず警戒されていなかったことだろう。

彼は自分を裏切った久我に名を連ねた人間と、その使用人たちをことごとく食い荒らした。彼らは神凪の屋敷の外で暮らす事になったので、襲いやすかった。四条も同じだ。あそこの当主である明もすでに食ってやった。

 

強襲であったのと、透にミハイルが力を貸していたのが大きかった。さらには今の透は分家程度では話になら無いほどに力をつけていた。実のところ、すでに単純な出力ならば煉にも及ぶほどだったのだ。

 

彼の気性が炎を扱うのには適していた。才能では劣っていても、その心が適合していたのだ。例え歪んでいても、彼の気性と本性、そして神凪の血が彼に力を与えてしまった。

 

神凪の分家である四条、久我はここに殲滅された。それも同じ神凪の分家、久我の者によって。

これを見た先祖が、あるいは第三者が、そして神凪に恨みを持ちながらも死んでいった兵衛はどう思うだろうか。

もし兵衛が生きていたならば、彼は高笑いを繰り返し、神凪の末路を祝っただろう。

 

透が目を付けたのは最初は神凪煉と深雪だった。侵入した場所が彼らの寝屋に近いところもあり、彼はそのまま屋敷に足を踏み入れた。炎術師でも同じ炎術師ならば接近をすれば気がつきそうなものだが、生憎と煉は未熟であり、深雪も戦う者ではなかった。

 

さらにこの近くには優れた感知能力を持つ者はおらず、重悟や雅人と言った手だれも、今は本邸の方に集まっている。誰もこの場に目を向ける人間はいなかったのだ。

透はスライムが感知した生気の強い人間の下へと移動する。先に足を運んだのは深雪の方だった。

 

「!?」

 

途中、一人の侍女に見つかった。鬱陶しく思いつつも、透はスライムをけしかける。声を上げられても困るのだ。

 

「あっ!」

 

声を上げる前に、彼女はスライムに取り込まれ、もがき抵抗するが何もできないままスライムに吸収されてしまう。

 

「たりねぇ、たりねぇな……」

 

飢えた獣のように透は次の獲物を探す。目的の場所にはすぐに着いた。透はゆっくり襖を開ける。そこでようやく深雪も気がつく。

 

「っ! 何者ですか!」

 

凜とした声が響くが、透は意に返さない。薄暗い中、月明かりもなく、透の顔は見えない。深雪もぼんやりと透の姿は見えているが、暗闇の中、彼の顔をはっきりと見ることなど出来ない。

 

「うるせぇよ」

 

ぶわっと透の足元からスライムが湧き上がり、深雪へと殺到する。距離は僅か数メートル。いきなりの事に深雪は反応できず、逃げる事も炎を召喚する事も出来なかった。

飲み込まれる深雪。今までに襲われた者達と同じように、彼女は生気を奪われていく。

 

「か、母様!」

 

そんなおり、不意に別の襖が開かれ、煉が深雪の寝室に足を踏み入れた。

そこで見たのはスライムに襲われる母の姿。思わず声を上げてしまった。彼は咄嗟に炎を召喚する。黄金に輝く炎。分家では到底抗えない力。

 

煉は炎をスライムに向けて打ち出す。母を燃やす可能性があるかもしれないが、深雪も神凪の宗家。煉程度の炎では死ぬ事は無いだろう。

しかしそんな炎に別の方向から黒い炎が襲い掛かる。

 

「っ!」

「てめぇも餌になれよ!」

 

炎が防がれると、同時にスライムが煉へと襲い掛かる。黄金の炎を用いて何とか焼き尽くそうとするが、未だに実戦経験の乏しい煉では荷が重すぎた。

炎に焼かれ消滅するスライムよりも、煉に殺到するスライムの方が多い。付け加えると母が襲われていると言う状況下で、煉は平常心を失っていた。

 

例え東京ドーム一杯分のスライムを集めようとも煉を倒す事が出来ないスライムでも、実戦経験が少なく平常心を失い、また透と言う敵がいる状態ではあまりにも意味が無い過程であった。

 

「あっ……」

 

スライムに取り込まれる煉。チラリと横を見れば深雪はすでにミイラになっていた。もう、あの母の面影はどこにも無い。

 

(かあ、さま……)

 

力が抜けていく。下級妖魔に吸われる精気はたかが知れている。煉程の力があれば、しばらくの間はミイラになる事は無い。

だがとても炎を召喚してスライムを焼き尽くす事は出来そうになかった。

 

(とお、さま……ねえ、さま……にい、さま)

 

薄れいく意識の中、煉は近しい人の名前を心の中で呼ぶ。

その時、黄金の炎が周囲を包み込んだ。

 

「はぁっ!」

「なに!?」

 

気合と共に透に目掛けて振り下ろされる刃。見ればそれは日本刀のような物だった。透は黒い炎を召喚しつつも、刀による攻撃を避けるために飛び退く。

同時にその人影は炎をさらにスライムに向けて解き放った。

 

「大丈夫か、煉君!」

「けほっ、燎…兄様」

 

スライムから解き放たれた煉はその人物の名前を呟く。彼の前に立っていたのは、眼鏡をかけた細身の少年。神凪燎であった。両手に刀を構え、彼は煉を守るように透と煉との間に立つ。

 

「重悟様に言われて、煉君を呼びに来たんだけどまさかこんな事になってるなんて」

 

チラリと視線を移す。そこには干からび、ほとんどミイラになった煉の母である深雪の姿があった。もう少し早く自分がここに着ていれば、あるいは助けられたのではないか。

悔しさに唇をかみ締め、刀を握る手に力が篭る。

 

燎は自分の弱さを悔いていた。病を発症させ、継承の儀に参加できなかった事も、先日の風牙衆の反乱の際、美琴があんな目に会ったのに、自分は何も出来ずにただ無様に倒れていた。今回も同じだ。自分は何故、誰も守れず、弱いのだろうと。

しかしそれよりも今は怒りがこみ上げてきていた。目の前の男に対して。

 

「久我、透。何でこんな事を!?」

 

燎よりもずいぶんと年上であったが、こんな事をしでかす男に対してはそれで十分だ。

 

「あっ? 決まってるだろ。和麻を殺すためだよ」

「なっ!?」

 

あまりにもあっさりと自供したのにも驚いたが、その理由があまりにも馬鹿馬鹿しい。和麻を殺すと、この男は言ったのだ。

 

「な、何故!? それにどうして八神さんを殺す理由で深雪様を襲ったんだ!?」

「決まってるだろ。ムカつくが今の俺じゃああいつには勝てない。だから勝てるように神凪の連中の力を貰ってんだよ」

 

彼の足元に、周囲に蠢くスライムに嫌悪感を抱きつつも、燎は心の中で激しく憤慨した。

燎も力が欲しいと望んでいた。病気を患った自分へのコンプレックス。弱い自分が許せなく事件を経験し、彼も心の底から強くなりたいと願った。

 

重悟や厳馬の強さに憧れた。先日見た、和麻の強さと姿にもまた心を奪われた。

だが誰かを犠牲にして強くなりたいとは思わない。そんなことは間違っていると、燎ははっきりと断言できる。

 

「そんな、そんな理由で深雪様を殺し、煉君まで殺そうとしたのか!?」

「ああっ!? そうだって言ってんだろが! てめえもムカつくんだよ! てめえも俺の力になれよ!」

 

スライムが一斉に蠢き、同時に透の周囲に黒い炎がいくつも召喚される。一流と呼ばれる神凪の分家でも、例え現役の術者が十人近く集まっても決して抗えないほどの力が解放される。

だが燎は怯えない。怯まない。逃げない。

まだこの程度、自分でも対処できる。

 

「久我透!」

 

怒りが彼を突き動かし、心が荒ぶる。烈火。それこそ炎術師に必要な心のあり方。無論、それを制御しなければ宝の持ち腐れだが、燎の心はあの一件以来成長していた。

成長と言っても呪力や知識、技術や経験がすぐさま身につくはずも無い。肉体が一週間程度で完成するはずが無い。術が完成されるはずも無い。

 

しかし精霊魔術の場合、それらも必要となるが最も必要なのは意思である。

意思の強さこそが力を決める。

燎があの一件で感じた己への不甲斐なさと今回を含めて抱いた怒り。それは確かに彼の炎の力を高めていた。

 

黄金と黒の炎が激突する。だが優勢なのは燎だった。黄金の炎は浄化の炎。いかに黒い炎でも魔性である限り、神凪の炎の前では分が悪い。

さらに言えば単純な力としても燎の方が上だったこともある。

 

「てめえ!」

「お前は俺がここで討つ!」

 

両手に持つ刀に炎を纏わせ、彼はそのまま透に切りかかる。周囲のスライムも炎で焼き尽くし、自身に近づけないようにする。

 

「これでぇっ!」

 

振り下ろす刃。しかし燎の刀は空を切る。

 

「なっ!」

 

一瞬の出来事だった。透の影が広がり、彼を飲み込んだ。おそらくは空間転移。知識と燎はそれを知っている。見るのは初めてだったが、高位の魔術師がよく使う術だ。

だが炎術師の透が使うにはあまりにも不釣合い。それともあれは妖魔の能力なのだろうか。

しかしはっきりしている事はある。それは……。

 

「逃げられた」

 

周囲を見渡し、気配を探る。炎術師である燎では限界があるが、それでも多少は探れる。騒ぎであちこちから声が聞こえる。炎の気配も強くなった事から、すでに屋敷は大騒ぎだった。

 

「また、守れなかった……」

 

ポツリと呟くと燎は顔を俯かせる。悔しさに叫びそうになる。でも叫ぶことは許されない。一番悲しいのは、辛いのは燎ではない。

もう一度、視線を深雪に向ける。傍には煉がいる。干からびた母の手を握り締めながら、涙を流している。

この日、神凪は妖魔に襲われると言う大事件を経験する事になった。

 

 

 

 

煉から和麻は連絡を受けたのは、それから一時間ほど経った後だった。事情の説明もあったが、煉自身が落ち着いていなかったのもあるだろう。

説明は主に燎がする事になった。深雪を助けるには間に合わなかったが、犯人の顔を見ているし、実際に戦いもしたのだ。

 

煉がまず和麻に妖魔に襲われたと言ったのは、スライムに襲われたためである。煉も犯人が透であるという事は知っている。

泣く煉の話を和麻は静かに聞く。途中、煉を落ち着かせるために何度か優しく声をかけるが、やはり動揺から立ち直っていないのだろう。彼の声は未だに震えている。

 

無理も無い。話を聞く限りでは目の前で母を殺されたのだ。

いくら神凪に属していても、十二歳の子供が耐えられる衝撃ではない。深雪は確かに数多くの問題もあったが、煉にとっては優しい母親だったのだ。目の前で大切な人間を理不尽に失う辛さ。和麻はそれを誰よりも知っている。

 

しかし深雪が死んだと聞かされても、和麻の心には何の感情も浮かんでこない。

「あっ、そう」と、近しい人が聞けば怒り狂うような台詞しか出ないし、本心でもあった。

 

怒りも悲しみも何も無い。どうでもいい。そう、どうでもいいのだ。

実の母親が死んでも、和麻の心は一切の動揺を見せない。感情が揺さぶられない。まるで世界の裏側で、知らない人間が事故で亡くなった程度の話を聞かされたような感じだった。

ここまで自分はあの女に関して無感情になっていたのかと、和麻は逆に驚いたほどだ。

 

「煉。少し出てこれるか? ああ、無理ならいいぞ。今出歩くのは、色々と不味いだろうからな」

 

和麻としてはすぐにでも煉の元へと向かってやりたかったが、煉のいるところは神凪の屋敷。和麻は出来る事なら、あそこを二度とくぐる事はしたくなかった。

 

『兄様、兄様……』

 

電話の向こうで自分を呼ぶ声。さすがに和麻の心も揺れ動く。この状況では日本を離れる事も出来そうに無い。

ああ、どうしたものかと思うが、さてどうしたものか。

 

「いつものマスターなら捨て置くのに」

「……俺に煉に対して極悪人になれというのか?」

「いや、元々極悪人ではないですか」

 

ウィル子の言葉に和麻は小声で返す。

昔から煉に泣かれると勝てなかった。四年経った今でも、どうにもこの涙に勝てそうに無い。どれだけ無理で理不尽な願いでも、煉に頼まれては断れなかった。

 

「……わかった。今すぐにそっちに行ってやる」

「!?」

 

その言葉に一番驚いたのはウィル子だった。あれほど神凪に顔を出すのを嫌がっていた和麻が、煉のためとは言え敷居をまたぐ事を嫌がっていた家に行くというのだ。

 

『兄様……』

「お前は何も心配しなくていい。お兄様が行ってやるから。だから、少しだけ待ってろ」

『……はい』

「じゃあまた後で」

 

それだけいうと、和麻は電話を切り、深いため息をついた。横ではウィル子がじと目で彼を見ている。

 

「……言いたい事はわかってる。軽率だってんだろ?」

「そうなのですよ。マスターは理解していると思いますが、あえて言わせて貰います。今神凪に行けば、間違いなくいざこざに巻き込まれる上に、神凪の大半から後ろ指を差され、恨み言を言われ、最悪は襲われますよ」

「別に襲われても正当防衛でやり返せばいいじゃねぇか。お前、まさか俺が連中にやられるなんて思ってんのか?」

「思ってないのですが、何でわざわざマスターがあんな連中のところに行かないといけないのですか! どうせ協力しろだとか言われますよ。それに分家の馬鹿はお前のせいだって言いますよ!」

 

ぷんすかとウィル子は怒りを見せる。ウィル子はマスターが有象無象共に侮辱されるのが我慢なら無い。神凪時代、和麻が連中にどんな扱いをされていたのか、ウィル子は大まかにだが知っている。

 

そんな連中の巣窟に向かって、何の得にもならない。むしろ害にしかならない。

和麻自身、どれだけ罵詈雑言を放たれようが気にもならないし、気にしないのだがウィル子は違う。マスターである和麻の侮辱を彼女は甘んじて許すつもりなど無いのだ。

 

「別に門から堂々と侵入するつもりは無いぞ。風術師の俺を神凪の連中が見つけられると思うのか?」

「いえ、絶対に見つけられないでしょうが、絶対に見つかります。そんな気がするのですよ」

「なんだそりゃ? とにかく今は煉が心配だ。宗主も忙しくて構えないし、厳馬もいない。つうかあいつが煉に優しくするところなんて想像もできないからな。綾乃も役に立ちそうに無い」

 

今の神凪で煉を任しておける人間などいない。大切な人を目の前で失った経験がある人間が、神凪にどれだけいるのだろうか。

今の煉の気持ちをおそらく一番理解できるのは和麻であろう。だからこそ、放っておけない。

 

「……透はどうするのですか?」

「あっ? 決まってんだろ。……消滅させるんだよ」

 

アルマゲストに向けるのと同じ狂気を発しながら、和麻は静かにはっきりと言い放つ。

ミハイルを殺した今、もはや後ろ盾はいない。今からどれだけ力を得ようとも、和麻には決して届かない。すでにスライムも大半が消えうせ、新しく力を得る事も難しい。

 

出来ても一般人を日に一人か二人襲うくらいか。東京は人が多いが、炎術師の透では見つからずにやるのは不可能に近い。

ミハイルの記憶を読んだ限り、すでに透の身を隠す術の効果は消えているし、転移に使う術も道具も一回限りのもの。身を守るものは、もはや己だけ。

 

「別に神凪の仇とかじゃないけどな。宗主の手前もあって神凪に譲ろうかと思ったが、俺が消滅させる。ああ、そんなに労力は要らない。虚空閃で一発で済む」

 

透は人間を取り込んで力を得た。生贄と変わらないやり方である。と言うか、生贄だろう。

ミハイルを殺した直後、そのまま放置を決め込んだのは、神凪の不始末であり、宗主に対して少しでも神凪に有利に運ぶようにさせるためだった。

 

透の一件が明るみに出れば、がけっぷちに近い神凪は間違いなく終わる。終わらなくても首の皮一枚残るか残らないかの状態になるだろう。

少しでも神凪の威信などを保つために、内々に処理しなければならない。それも自分達の手で。だからこそ、和麻は透を捨て置いたのだ。

だがもうそんな気を回すつもりはない。この手で殺す。

 

「南の島でのバカンスを潰してくれた上に、煉まで泣かせたんだからな」

 

狩人となる和麻。透程度では決して抗えない、圧倒的強者が牙を向く。

 

「神凪に来たくなきゃ、お前は適当にそのあたりをぶらついてていいぞ。透探しはある程度してもらいたいが」

「ウィル子も神凪に行くのですよ。透程度を探すのは別に片手までもできます。スパイ衛星とか、街のカメラなどを使えばすぐですし」

「そうか。じゃあ行くか」

 

和麻とウィル子はそのまま風に乗り空へと舞い上がり、神凪の屋敷を目指す。

四年ぶりになる生家への帰還。その胸中に複雑な感情を抱きながら。

 

 

 



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第二十七話

 

神凪本家は右往左往のパニックに陥っていた。

追放したとは言え、身内から妖魔を身に宿し、術者として堕ちた人間を出してしまったのだ。さらに他の警視庁の地下に拘留されていた者や、入院していた者を含め十人以上の術者を殺害し、その身に取り込んだ。

 

付け加えれば神凪本邸を襲撃し、宗家の一員である深雪をも手にかけた。由々しき事態どころではない。

燎の証言から現状ならばまだ透は、綾乃レベルでも討滅は可能と推測される。

 

しかし分家では十人集まっても透を倒す事はできない。

これが宗家の出した結論である。これにはさすがに分家も黙るしかない。分家最強の大神雅人や大神武哉を下手に差し向けて、返り討ちにあってはそれだけで大問題だ。

いや、返り討ちだけならばまだマシだ。これで取り込まれでもすればなおさら対処ができない。

 

だが事態の深刻さは、神凪を悩ませるのに十分だった。

ただでさえ世間の神凪の風当たりは強くなっている。もしこれが単独で起こった事件ならば、自分達の手で滅ぼして終わりだったのだが、今回はそれだけで済みそうに無い。

 

神凪の看板を持ってしても、立て続けに起こった不祥事を帳消しにする事は難しいのだ。

まずは神凪の不正の発覚。分家の暴走。風牙衆の離反。風牙衆の神の復活。そして神凪内部から妖魔に落ちる術者を出す。

どれか一つだけなら、あるいは幾つかだけならなんとでも出来た。しかしこれだけの事件が立て続けに起これば、政府も、他の退魔組織も神凪に対して風当たりを強くする。

 

重悟は何とか事態の沈静化を努めようとした矢先にこれである。

まだ情報は出回っていないが、すぐに情報は漏洩するだろう。事態を重く見た政府は神凪に対して今まで以上に強硬に出るかもしれない。

他の退魔組織もこれ幸いと敵対行動を増やすだろう。

 

(いや、それよりもまず何とかしなければならないのは久我透だ)

 

彼を野放しに出来ない。今のところ、一般人への被害は確認されていないが、もし一般人を襲うようなことがあれば致命傷だ。

さらにこれは神凪が自分達で片をつけなければならない問題であり、仮に和麻や他の退魔組織に横取りされるような事になれば、ただでさえ丸つぶれの面目が余計につぶれる。汚名返上どころか、汚名がさらに上塗りされる。

 

一般人への被害、神凪以外での久我透の討伐。

これがなされれば、もはや神凪は再起不能になると言っても過言ではない。

 

(それだけはなんとしても阻止せねばならん)

 

引退したとは言え、重悟は未だに神凪の最高権力者なのだ。厳馬が入院中であり綾乃では判断できない事柄を一族の長として、神凪と言う組織を存続させる義務を負う。

本当ならもう何もかも投げ出したいのだが、娘である綾乃に放り投げる事も出来ない。

はぁっと深いため息を吐くしか出来ない。

 

「久我透をなんとしても我らの手で討つ。それが出来なければ、神凪一族は術者として終わったと思え。もう我らに後は無い」

 

一族の滅亡。重悟はそう宣言した。誇張でも脅しでもない。純然たる事実として、重悟は口に出したのだ。

重苦しい空気がこの場を支配する。本来なら亡くなった深雪をはじめ、他の者達への葬儀の手配をしなければならないが、そんな暇は無い。

一刻も早く透を見つけ出し、討たなければならない。

 

「我ら炎術師では透を短時間に見つける事はできん。風牙衆を追放した今、我らは目と耳を奪われたも同じだ。もし風牙衆がおれば、神凪本邸への侵入などと言う暴挙をすぐに察せられたであろう。これが我らの限界だ」

 

重悟はこの場で如何に風牙衆が重要であったのか、彼らを説き伏せる。風牙衆を追放した事が、即座にこんな事態を招くなど分家はともかく重悟も予想していなかった。

 

「だがそれを言っていても仕方が無い。幸い、追放したとは言え、彼らは警視庁特殊資料室の傘下で我々に協力してくれるとの話だ。今までのようにすぐにとまでは行かなくても、こちらに有益な情報をもたらしてくれるだろう」

 

燎から話を聞いた直後、すでに重悟は霧香に連絡をつけていた。今も風牙衆は透の捜索を続けている。おそらくは半日、いや、数時間もあれば探し出せるはずだ。

 

「久我透に関しては綾乃、燎。お前たち二人で対処してもらう。念のため、雅人を同行させる。また風牙衆からも風巻美琴を派遣してもらう事になっている。よいか。くれぐれも無茶をするな。しかし確実に久我透を討て」

「はい」

「わかりました」

 

重悟の言葉に綾乃と燎は深々と頭を下げる。雅人も同じように真剣な表情で頷く。

 

「ところでお父様。その……和麻の方は」

 

不意に綾乃が言葉を発する。躊躇いがちにではあるが、綾乃は和麻の名前を口に出す。この場の誰もが綾乃の言葉に表情を険しくする。

綾乃もできればこの場では言いたくなかったが、それでも事件に巻き込まれる可能性のある人物の名を口に出さなければならない。

 

それに仮に久我透が和麻に突撃をしかけ返り討ちにあえば、神凪は汚名を返上する事もできなくなる。

 

「……連絡を取ろうとしてはいるが、こちらからは一切通じん」

 

重悟も表情を険しくして答える。和麻がいてくれれば、久我透への対処など簡単だっただろう。

風術師として類稀無い力を有した男。戦闘能力も厳馬を凌駕するのだ。味方でいてくれればこれほど心強い事は無い。

 

しかし今は逆に不味い。もし和麻が今回の件を知り、母の敵討ちを考えれば、神凪は何も出来ないまま終わる。和麻とて煉を大切に思っていたくらいだ。母の死を知れば、あるいは感情で動く可能性はある。

 

ただ重悟は未だに知らない。和麻が母親の死に対してなんとも思っていないことを。敵討ちは見当はずれだという事を。ただし、久我透を殺す事は彼の中で確定事項だという事を。

 

「和麻については今は何も出来ん。資料室に和麻を探す人員を割いてもらう余裕も無い。今はただ、久我透を探し出す事を第一に考える。分家は今まで以上に警戒を怠るでない」

 

話は以上だと重悟は切り上げ、彼は立ち上がる。重悟はこれから向かわなければならない場所がある。

深雪の死を、彼女の夫である厳馬に告げなければならない。それが出来るのは神凪の中では唯一自分だけなのだから。

 

「綾乃、燎。お前達は連絡があるまで屋敷で待機していなさい。久我透の行方がわかれば、橘警視から連絡を入れてもらう。それまでは……煉の傍にいてやれ」

 

重悟も自分がついていてやればいいが、最高責任者としての責務を果たさなければならない。煉一人についていてやることは出来ないのだ。

 

(こんな時に和麻がいてくれれば……)

 

思わずにはいられない重悟であった。しかし今はそんなことを言っている暇は無い。

重悟は足取りの重いまま、厳馬と話をするために病院へと向かうのであった。

 

 

 

 

風を纏い、気配と姿を消し、彼らは上空より神凪の屋敷へと降下していく。

 

「……」

「……」

 

和麻とウィル子は無言のまま、神凪の屋敷に足を踏み入れていた。四年ぶりに足を踏み入れる屋敷。敷居をまたぐ時、少しだけ和麻は躊躇ってしまった。

もう二度と帰って来ることも無い家。自分を捨てた連中がいる家。自分を蔑んだ連中がいる家。

 

足を踏み入れた瞬間、懐かしいと思ってしまった。郷愁の念が、和麻の中には確かにあった。

弱い神凪和麻と少年を十八年間守ってくれていた家。辛い思い出、嫌な思い出が大半を占めるとは言え、それでも和麻は心のどこかで思い入れを持っていたのだろう。

 

「……四年経っても、変わらないな」

 

そっと柱に手を置く。ああ、何も変わらない。和麻は少しだけ屋敷を見渡した。

 

「マスター」

 

心のどこかで、和麻はひょっとすればここに戻ってきたかったのではないかと考える。

十八年間、嫌な思い出が大半だったが、それでも和麻はここで守られていた。厳馬に勘当されるまで、母に決別の言葉を言われるまで、和麻は逃げずにここにい続けた。

 

逃げたかったが逃げられなかった。それは勇気ではない。意地ではない。ただ自分に自信が持てずに、自由に生きることに恐怖したから。

十八年間と言う今まで生きてきた人生の大半を過ごしたここに、和麻は少なからずの望郷の念を抱いてしまった。

 

だが和麻はすぐに頭を振り、その考えを振り払う。

 

「心配するな。ここは俺の帰る場所じゃない。ここが俺の原点であり、出発点であり、逃げ出した場所だけど、俺はもう、神凪和麻じゃないんだ。俺は八神和麻だからな」

 

柱から手を離し、どこか辛そうな表情を浮かべるウィル子に対して、いつもの飄々とした態度で接する。

 

「俺はお前のマスターだぞ。それがこの程度で弱音を吐くような弱い奴に見えるか?」

 

無理をしているのか、それとも素なのか、ウィル子にもわからなかったが、それでも彼女は主である和麻についていくと決めている。

 

「にひひひ。そうですね。見えないのですよ、マスター」

「そうだろ? だからお前も変な気を回すな。それよりも早く煉の所に行くぞ」

 

神凪は二人に一切気が付いていない。彼らの気配遮断は完璧だった。夜の闇の中では光学迷彩を用いれば、視認することもさらに困難になってしまう。

屋敷を気づかれずに歩きながら、和麻は気配を探る。煉の気配はすぐに見つけた。他の神凪の連中は一箇所に集まり話し合いをしている。会話は全て拾っているが、和麻にしてみればどうでもいい話ばかりだ。

 

宗主には悪いが、和麻は久我透の始末を誰かに譲る気はさらさらなかった。見つけ次第、自分の手で始末する。

とことこと和麻は屋敷を歩き回る。勝手知ったる家である。煉がいるであろう部屋の襖の前で止まり、彼は襖に手をかける。

 

「……にい、さま?」

「ああ。大丈夫か、煉?」

 

襖を開いた先では未だに泣いている煉の姿があった。その前には布団をかけられ、白い布を顔にかけられている、おそらくは深雪の遺体があった。

 

「兄様、兄様!」

 

和麻に飛びつき、嗚咽を漏らす煉。和麻はそんな煉をあやすように背中をトントンと叩く。声が漏れないように、風で結界を張り周囲に音を漏らさないようにしている。

 

しばらく後、ようやく泣き止み落ち着いたのか、煉はそのまま意識を手放し眠りについた。よほど精神的にショックを受けていたのだろう。

煉が寝たのを確認すると、和麻は錬を抱えながら少しだけ風で深雪の顔にかかっていた布を浮き上がらせて顔を改めた。ミイラになった彼女の顔は見る影も無い。

しかし顔を見てもやはり何の感慨も浮かばなかった。

 

(ほんと、ここまで何も感じないとは思わなかった)

 

それでも手くらいは合わせてやった。一応は自分を生んだ女なのだ。自分を愛していないとは言え、捨てたとは言え、これくらいはしてやろうと和麻は珍しく拝んでやった。

心はまったく篭っていなく、形だけのものでしかなかったが。

 

「……それにしても。面倒な事になったな」

 

下手をすれば煉は壊れてしまう。それだけは和麻は何とかして阻止するつもりだ。

 

「で、久我透の方は?」

「一応探してはいますが、もう少しかかりますね。マスターの方は?」

「ここ周辺、十キロの範囲にはいない。もしかすれば池袋のあの教会の方に向かった可能性はあるな」

「了解です。そっち方面で探ってみます。あれでしたら、ウィル子が出向いてカメラなどを仕掛けてきます」

「ああ。あいつ自身はただの炎術師だ。魔術が使えるわけもなく、魔法具もない。見つけるのは難しくは無いからな」

「神凪や特殊資料室の動きは?」

「警察無線とかを傍受しておけばいいだろ。どの道、連中が掴んでも神凪が動くしかないんだ。そっちに連絡をしてきたところを先に俺達が抑えればいい」

「そうですね。まっ、ウィル子とマスターの方が絶対に早いでしょうけどね」

「当然」

 

自信満々に言い放つ和麻にウィル子は苦笑する。不意に和麻の顔がこわばった。

 

「どうしたですか、マスター」

「いや、綾乃たちが来た」

「マジですか」

「マジだ。たぶん煉の様子を見に来たんだろうがタイミング悪いな。つうか空気読めよ」

「空気を読んだから来たんだと思いますが……。とにかく見つからないようにしてくださいね、マスター」

「気配消して光学迷彩かけてたら大丈夫だろうよ。とにかく煉をそのあたりに寝かせて……」

 

煉を自分から離そうと思ったのだが、煉はがっしりと和麻の服を掴んで離れない。

 

「うん。困ったな、離れないぞ」

「……フラグが立ちましたね」

 

ウィル子は和麻をそれ見たことかと言う風に眺める。視線を受けながらも和麻は飄々とした態度を崩していないが。

 

「仕方が無い。煉ごと光学迷彩をかけてこの場をやり過ごそう」

「余計に騒ぎになる方に賭けておくのですよ」

「じゃあ俺は騒ぎにならないほうに賭けておく」

 

などといいながら、和麻は結界を展開した。数秒後、部屋の襖が開かれた。

 

「煉……って、あれ? 煉?」

「いないんですか?」

 

入ってきた綾乃と燎は訝しげに部屋を眺める。いるはずの少年がいない。

 

「おかしいわね。ここにいるはずなのに」

「トイレかそれとも部屋に戻ったのか……」

 

しばらく待っていようかと綾乃は言う。

 

「あっ、じゃあ俺は念のため探してきます。部屋やトイレにいれば問題ないけど、もし外に出てたりしたら大変だから。綾乃様はここにいてください。入れ違いで帰ってきても不味いですから」

「頼むわね、燎。美琴ももう少ししたら来るらしいから、来たてそれでも帰ってこなかったら一緒に探しましょ。もし見つけたら連絡頂戴。あたしも煉が帰ってきたら連絡入れるわ」

「わかりました」

 

燎は短く返事をすると、そのまま部屋を後にする。一人残った綾乃はスッと深雪の脇に正座をし、手を合わせる。

 

「おば様。仇は取ります」

 

自らの決意を口にする。綾乃と深雪はそこまで仲がいいわけではなかったが、同じ宗家の一員として分家よりも親密な付き合いをしていた。

母親がいない綾乃としては、煉を羨ましがっていたところもあるが、母親を目の前で殺された煉の気持ちを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

 

ギリッと綾乃は歯をこすり合わせる。彼女も燎と同じように悔しさに身体を震わせる。

何故気がつかなかったのか。もし和麻なら深雪を襲う前に、いや屋敷に近づいただけでわかるだろう。

綾乃も泣きじゃくる煉の姿を目に焼き付けている。母親を理不尽に奪われた。どれだけ辛いだろう、悔しいだろう、悲しいだろう。

自分がしっかりしなければならない。もう誰も悲しませたくない。

 

「あたしが、あたしが頑張らなくちゃ」

 

炎雷覇の継承者として、綾乃は未熟すぎた。先の事件で骨身にしみていた。

強くなりたい。燎と同じように綾乃も心の底から願った。

 

「和麻みたいに強くなりたい。あいつは四年で強くなったんだ。あたしだって、今以上に努力すればきっと……」

 

グッと拳を握り締める。当の本人がいると気づかずに、彼女は自らの本心を口にする。

 

「今度こそ、和麻の手は借りない。あたしだけで絶対に勝つ。でなきゃ、あたしがいる意味が無い」

 

そんな綾乃の様子を和麻はどうでも良さそうに眺める。

 

「マスター。どうしますか、この状況?」

「あー、こりゃしばらく動きそうに無いな。ふむ、どうするかな」

 

綾乃はこちらに気が付いていないが、長時間いられると面倒だ。綾乃如きに気づかれるヘマはしないが、いつまでもこの状況と言うのは問題だ。

 

「いっそ、不意打ちで意識奪って煉を連れ出すか? 宗主には俺から連絡入れとけばいいし」

「それが一番無難ですね。綾乃程度、マスターなら不意打ちで、いや不意打ちじゃなくても十分意識奪えますからね」

 

和麻と綾乃の実力差を考えればそれくらい余裕である。

 

「んじゃ、とっとと綾乃の意識を奪ってお暇するか」

 

和麻は行動を開始しようとした時、不意に綾乃がこちらを向いた。

 

「ん?」

 

まさか気づかれたのか? そんな考えが和麻の頭をよぎる。綾乃ごときがこの結界で隔絶した中の自分の存在に気がつくか? まさかとしか思えない。

 

「マスター。絶対にバレないって言っていたのでは?」

 

疑いの目を向けるウィル子。和麻もバレないはずだったのだが、綾乃はじっとこっちを見ている。

 

「そのはずだったんだけどな。おかしいな。炎術師のあいつが俺の存在に気がつくはずが……」

 

声も漏れないようにしているので、会話も聞き取れるはずが無い。

その時、和麻はあっと思い浮かべる。和麻とウィル子だけならばなんら問題は無いのだが、今和麻の腕の中には煉がいる。

 

彼も神凪宗家の一員であり、類稀なる才能を有している。煉も綾乃と同様に常に膨大な数の炎の精霊を従えている。和麻の結界である程度隠しているが、同じ炎術師である綾乃ならば、あるいは気がつく可能性はある。

今はただでさえ襲撃された事で神経を張り詰めているのだ。ひょっとすれば気がつく可能性もゼロではない。

 

「誰かいるの? いるんだったら姿を見せなさい!」

 

綾乃は炎雷覇を抜き出し、立ち上がり構えを取る。半信半疑の様子ではある。炎雷覇を抜いたからと言って、ここで派手に戦うつもりは無いだろう。おそらくはカマをかけている。

綾乃が駆け引きかと思わなくもなかったが、和麻はどうしたものかと考える。

 

「ヘマしたな」

 

ウィル子の言うとおり、見つからないはずなのに見つかってしまった。このまま無視を決め込んでもいいが、下手に騒がれても鬱陶しい。

綾乃に見つかるのも面倒なので、当初の予定通り意識を奪おうかと考えていると、先に綾乃が動いた。

和麻がいる場所目掛けて、炎雷覇を振り下ろしたのだ。

 

「でらやぁっ!」

 

唐竹割の一撃。気合と共に彼女は炎を纏わせた炎雷覇で攻撃してきた。

これには和麻もおいおいと思わなくもなかったが、綾乃ならまああるかと納得した。

炎を展開した炎雷覇の攻撃は圧倒的な破壊力を有する。

ただし、相手が和麻クラスになると話は変わる。

 

「なっ!」

 

炎雷覇が受け止められる。何も無いと思われた場所から伸びる腕。ゆらりと周囲の景色がゆがみ、中から和麻が姿を現す。

 

「いきなりだな、綾乃」

「か、和麻!? って、煉!?」

 

いきなり現われた人物に驚きの声を上げる綾乃。その腕に抱かれた煉を見て、さらに二重で驚きの声を上げた。

 

「ああ、勘違いするなよ。煉はただ泣きつかれて寝てるだけだ。俺がここにいる理由は煉に事情を聞いてこいつが心配で来ただけだ」

 

説明する必要も無いが、騒がれても鬱陶しいので事情を話す。

 

「煉に聞いたって……。お父様でもあんたに連絡取れないって言ってたのに」

「こいつに俺の電話番号教えたからな。宗主の場合はいろいろあって連絡先教えてなかったからな」

「な、なによそれ!? て言うかいつからいたの!?」

「うるさい奴だな。別にいつからでもいいだろうが。と言うかうるさい。声を出すな。他の連中に見つかるとさらに面倒だからな。ああ、全員ボコボコにしていいって言うなら、別に誰か呼んでもいいぞ」

 

和麻の言葉に綾乃は言葉に詰まる。和麻がいたことなど、聞きたいことは山ほどあるが、ここで大声を出して事態を悪くする事だけは避けなければならない。

綾乃も和麻の神凪での立場を理解している。一族内での彼の評価は最低だった。和麻が内部告発しなければなどと言う連中は少なくないのだ。

 

もし見つかれば何かしらの手段に訴えてくる奴がいないとは限らない。その場合、高い確立で和麻は敵対し報復する。

彼の強さは骨身にしみている。綾乃が十人いても和麻には勝てないだろう。分家など、全員で挑んでも鼻歌交じりにあしらえる。化け物と言うほどの存在なのだ。

 

(と言うよりも風で声が回りに漏れないようにしてるんだけどな)

 

和麻としてはバレるのも鬱陶しいので、風で結界を張り、綾乃の声も漏れないようにしている。燎が戻ってこなければ、しばらくの間は誤魔化せるだろう。

 

「……怒ってるの? 深雪おばさんを殺されて」

「いや別に」

 

綾乃に聞かれた和麻は即座に返事を返した。すると綾乃が目を見開き驚いたような顔をしている。

 

「正直、何にも思っちゃいねぇからな。死んで悲しいとか怒るとか、そう言う感情が一切でないんだよな、これが」

 

おちゃらけて言う和麻に、綾乃は逆に怒りがこみ上げてきた。目の前の男は自分の母親が殺されたと言うのに、なんとも思ってないと言うのだ。

いや、この男の事だ。それを表面に出さずに心の中では怒っているのではないかと綾乃は考えた。

 

「言っとくが、俺が心の中で怒りを感じてるなんて思ってるんだったら、見当はずれだぞ。俺は本当に何の感情も持ち合わせちゃいない」

「深雪おばさんは、あんたのお母さんじゃないの!?」

「俺を生んだって言うのなら事実だな。だが俺はこいつを母親なんて思っちゃいねぇ。俺に両親はいない」

「あんた!」

 

はっきりと言い放つ和麻に綾乃は怒りを向ける。綾乃には母親がいない。彼女が幼い頃すでに亡くなっていた。

綾乃は母親の温もりをあまり覚えていない。父である重悟がいたから寂しいと思うことはなかった。

それでも母親のいる煉を羨ましく思っていた。綾乃は家族と言うものは大切な存在であり、両親と言う存在は子供に愛情を注ぐものだと思っていた。

 

「自分の母親が殺されて、本当になんとも思わないの!?」

 

和麻のジャケットの襟を両手で掴みながら、綾乃は顔を近づけて彼に抗議をする。

 

「……その手を離せ、綾乃。さもないと……」

「さもないと、何!? あたしをボコボコにする? いいわよ、やっても。あんたなら簡単にできるでしょうね。でもね、こればっかりは言わせて貰うわ! 煉を大切に思ってるんだったら、何で深雪おば様を大切に思わないのよ! 大切な家族なんでしょ!? だったら!!」

「うるさいのですよ! 綾乃! マスターを愛していないとほざいて捨てるような女など、母親でも何でも無いのです!」

「ウィル子!」

 

綾乃の態度に怒りを顕にしたのはウィル子だった。彼女は感情の爆発させ、綾乃に向かって叫ぶ。和麻はそんなウィル子の発言に対して声を上げた。

 

「……えっ?」

 

そんな中、ウィル子の言葉に綾乃は信じられ無いと言うような声を上げた。

 

「いいえ、マスター。こればかりは言わせて貰うのですよ! そこの女はマスターを捨てたのです! 四年前、炎術師の才能は無い息子など要らないと言って、一方的に! そんな相手に対して、マスターが何の感情も抱かないのは当然のことです!」

「捨てたって……、おば様が?」

「そうですよ! だから「ウィル子、余計な事を言うな」」

 

なおも言葉を続けようとするウィル子を和麻の声が制した。

 

「マスター……」

「これ以上、何か喋れば……」

 

和麻の目が鋭くなり、ウィル子を射抜く。彼は自分の事を他人に語られたくないのだ。それが自らがパートナーと認めたウィル子であっても。

いくらお前でも、これ以上は何も言うな。そう目で和麻は語る。

 

「お前にこれ以上話す事は無いし、話すつもりも無い。さっさとこの手をどけろ。これから俺は久我透を消滅させに行かないといけないんでな」

 

和麻の言葉に綾乃はゾッとした。和麻の目が、顔が、まるで張り付いた能面のように見える。どこまでも深く、暗い瞳。

怖い。綾乃は心の底から震えがこみ上げてくるようだった。

 

「一応、勘違いはするな。敵討ちなんて話じゃない。あいつは俺に対して敵対した。あいつが俺の命を狙ってるのは知ってる。だから消滅させるんだ。俺の手で。お前らは手を出すな」

 

問答無用で、有無を言わせぬ言葉で和麻は綾乃に言い放つ。恐怖で思わず手を離し、一報白に下がる。

だがすぐに綾乃は思った。久我透は神凪の手で倒さなければならない。それが神凪が生き残る唯一の手段である。

もし和麻の手で透が倒されれば、神凪は汚名を雪ぐ機会を永久に失ってしまう。

 

「待って! 久我透はあたし達が!」

「あたし達が? 神凪の事情なんて知らねぇよ。お前らは勝手にやればいいだろ? 俺が見つける前にあいつを見つけて倒す。簡単だろ? ああ、風牙衆がいない神凪じゃ無理か」

 

馬鹿にしたように和麻に綾乃は何の反論も出来ない。だがここで退くわけには行かない。次期宗主として何とかしなければならない。

 

(でもどうすれば?)

 

時間を稼ぐ。どうやって? 力ずく? 馬鹿な、ありえない。和麻と自分の実力差はかけ離れている。命を懸けても和麻を苦戦させる事も出来ないだろう。

 

話し合いで止める。無理だ。綾乃は自分がそこまで口の回る人間で無いし、すぐに感情的になって暴走するという事を最近はより思い知らされた。

和麻を言い負かし、行動を制限させるなどできるはずもない。

手詰まりだ。綾乃は悔しさのあまり拳を握り締める。

 

「決まりだな。ああ、煉がいたな。煉が起きるまではここにいてやる。それまでに久我透を見つけて倒してみろ。その間は俺はここを動かないでいてやる」

 

突然の和麻の言葉に、綾乃は思わず彼の顔を見た。

 

「お前らにしてみれば悪くない話だろ?」

「本当に煉が起きるまではここにいるの?」

「ああ。それよりもいいのか? こんな所で油を売ってて? 時間が無いんだろ?」

「っ……」

 

和麻の言葉に綾乃はすぐに行動を開始した。待ってなどいられない。時間が無いのだ。重悟には待機を命じられたが、状況が変わった。

透がどこにいるかはわからないため、自分が闇雲に探しても意味は無い。所詮綾乃は炎術師。探し物は不得意だ。

 

ならばどうする。決まっている。橘警視や美琴と合流する。その方が透を見つけた場合、すばやく対処できる。

綾乃はそう考え、部屋を飛び出すと携帯に連絡を入れるのであった。

 

「……よし。これで餌は蒔けたな」

「別に綾乃をダシにしなくても探すのは難しくないのに。それに本当に先を越されたらどうするつもりですか?」

「そうだな。あいつを餌にする必要はないが、ここに留まられてるのもうるさいだろ。それに先を越されるつもりも無い。久我透は、俺の獲物だ」

 

和麻は誰にも久我透を殺す権利を与えるつもりはなかった。消滅させるのは自分である。

だから、和麻は誰よりも先に彼を始末する腹積もりだ。

 

「俺を怒らせたんだ。たっぷりと思い知らせてやるよ」

 

そう呟いた頃を同じくして、一人の男が重悟の制止を振り切り久我透を始末すべく動き出していたのを、和麻は知る由もなかった。

 



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第二十八話

 

 

「綾乃様? どうしたんですか、そんなに急いで」

 

廊下を走る綾乃を見つけた燎が声をかけた。いつも以上に焦りの表情を浮かべる綾乃を訝しげに思いながらも、燎は彼女の後を追う。

 

「時間が無いわ、燎。早く久我透を見つけないと、和麻が動くわ」

「えっ?」

 

綾乃は手短に燎に事情を説明する。説明された燎も青ざめた顔をする。久我透を神凪の手で倒す。それは神凪再建の絶対条件だからだ。

 

「美琴には連絡を入れたわ。橘警視もこっちに車を回してくれるって」

「わかりました。じゃあ俺達は美琴に合流して探すんですね」

「ええ。その方が早く対処できるわ。煉が起きるまでどれだけ時間があるかわから無いけど、そんなに時間は無いはずよ」

 

数時間もあれば御の字だろう。出来れば煉には事情を話して和麻を説得してもらいたいが、綾乃が燎が煉が起きるまで傍にいるわけにも行かない。

他にも事情を説明してもらおうにも、大半の神凪の人間は和麻を敵視しているため、まともに話し合いなど出来そうにも無い。

 

話し合いが出来そうな人間を送ろうとも、和麻はそんな相手に対してどんな態度に出るかわからない。

和麻と唯一話が出来そうなのは綾乃の父の重悟くらいである。生憎と彼は今、入院中の厳馬の元へと赴いている。

 

「とにかく急ぐわよ」

 

綾乃に急かされるまま、燎も彼女の後に続き屋敷の外へと向かい、美琴と合流するのだった。

 

 

 

 

「厳馬。心を落ち着かせて聞いてほしい。悪い知らせだ。……深雪が妖魔に襲われ、亡くなった」

 

場所は移る。厳馬が入院している病院において、彼は親友より妻の死を告げられていた。

上半身を起こした状態で、ベッドの隣に座る重悟から告げられた言葉が彼の心に突き刺さる。

その言葉を聞いた厳馬は、普段は絶対に見せないような驚きの表情を浮かべ、顔を凍りつかせた。

 

「……重悟。それは……本当か?」

 

厳馬自身、絞り出すように声を発する。冗談でそのようなことを言うような男ではない。だからこそ、厳馬はその話が間違いであって欲しい。嘘であって欲しい。

そう思った。そんな願いが込められていた。

だが重悟は苦々しい表情で首を縦に振った。

 

「……そう、か」

 

重悟から顔を逸らした。その胸中にはどんな感情が渦巻いているのか、重悟にもわからない。感情を表に出すという事を一切しない男だ。

長い付き合いの中、彼が自らの感情を発露させたと言う場面を、重悟はほとんど見たことが無い。

 

「犯人はわかっている。今、神凪が特殊資料室に協力を仰ぎ全力で捜索に当たっている」

「……犯人は?」

 

決して重悟と顔を合わさずに厳馬は問う。そんな彼の態度を気にもせず、重悟は犯人の名前を口にする。

 

「犯人は久我透だ。妖魔に身を堕とし、神凪の術者を殺して回っている。すでにお前を除く先の戦いで入院した者や警視庁に拘留されていた全員が被害に合ったようだ。深雪は……神凪の本邸を襲撃された際に命を落とした。すまん。私が気づかなかったばかりに……」

 

煉の事も伝えるかと迷ったが、これ以上厳馬を動揺させることは避けるべきだと判断したので、重悟はこのことは黙っていることにした。

 

 

「……お気になさるような問題ではない。神凪一族の一員なれば、妖魔に襲われて命を落とす可能性は常にあります。私の妻もまた、その覚悟はあったでしょう」

 

若干、口調を変え、以前の宗主であった重悟に接するような態度で言う。重悟はその変化を訝しく思いながらも、そうかと口にする。

正直、重悟は深雪にその覚悟があったとは思えない。厳馬自身、本当にそう思っているのか、はたまた重悟を気遣って口にしたのかはわからない。

 

「厳馬。あまり背負い込むなよ」

「……」

 

一度だけ、首を縦に振った厳馬に重悟はこれ以上かける言葉が見つからなかった。厳馬の性格を知っているだけに、どれだけ言葉をかけてもあまり意味が無いことだと理解しているからだ。

 

「すまんが私ももう戻らねばならん。神凪一族もかなり混乱している。他にも多方面への対処がある。久我透の方は綾乃と燎に討滅を命じた。一両日中には終わるだろう」

 

楽観的かもしれないと重悟は思うが、なんとしても一両日中に終わられなければならなかった。神凪一族存続のためにも。

 

「ああ……わざわざ、すまなかった」

 

最後まで重悟と顔を合わさずに、厳馬は話を終わらせた。重悟が部屋から退室したのを確認すると、厳馬は視線を下に落とした。

 

「……っあぁっっ!」

 

声にならない叫び声を上げ、厳馬は己の両足を自分の両手でたたきつけた。激しい痛みが足を襲うが、厳馬はそれを感じないように拳をきつく握り締め、歯を食いしばる。

己の中にある荒ぶる感情を押さえつけるように。

 

妻が死んだ。退魔に関わる神凪一族であるならば、当然起こりうる事態だ。厳馬自身覚悟はしていたし、頭の中ではこんな事もあると理解している。

だが感情が納得しない。厳馬とて人間であり、感情があるのだ。

彼が許せないのは久我透ではない。いや、確かに久我透に対しても激しい感情が渦巻いているが、何より許せないのが自分自身に対してだった。

 

自分は何だ。神凪最強の炎術師。蒼炎の厳馬。宗主代行。様々な肩書きを持った最高クラスの術者のはずだ。

しかしこの体たらくは何だ。

 

息子を守れず、放り出すことしか出来ず、その息子に敗北を喫した男。

宗主代行としての役目も果たせず、風牙衆の反乱の際にも何も出来ないまま病院のベッドで横になるしかできない役立たずの男。

自分の妻さえも守れずに死なせてしまった男。

 

自分自身への怒りが厳馬に渦巻く。膨大な炎の精霊が無意識のうちに集結し、今にも天上を焼くような神話級の炎を生み出さんばかりに高まっていく。

無論、感情に流されるという愚行を厳馬は犯さない。こんな状況でも彼の長年培ってきた様々なものが、精霊と炎を制御している。

 

だがそんな技術や経験が何だと言うのだ。結局、自分は何も出来ず、守れなかったではないか。

何が最強だ。何が蒼炎の厳馬だ。

 

ここまで自分自身が不甲斐ないと思ったことは無い。十年前、和麻が死にかけた際も己の無力を呪ったが、今はそれを遥かに越えるほどの怨嗟と憎悪を自分自身に向ける。

 

幾度も、幾度も己の身体を叩きつける。鈍い音が部屋に響く。明らかに人間の身体を叩く音ではなかった。

しばらくの後、異変を感じ取った看護師が厳馬を止めるまで、彼は自分の足を叩く事をやめなかった。

 

その一時間後、彼は病院から姿を消した。その報告を受けた重悟は即座に彼を止めようとしたが、彼は止まらなかった。

彼が目指すのは久我透。自らの手で、倒すと厳馬は心に決めるのであった。

 

 

 

 

「ぐっ、がぁっ……」

 

久我透はミハイルとの合流場所である彼らの拠点である教会にいた。彼は自分の胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべうめき声を上げていた。

苦しい、熱い、痛い。

体全身に激痛が走り、教会の床をでもだえ苦しんでいた。

 

「あ、あのやろう。どこへ……行きやがった」

 

合流するはずだったミハイルは教会のどこにもいない。彼の死体も和麻が細切れにした上に、ウィル子が01分解能で分解してしまったのだ。死体の残らない完全犯罪である。

 

透はミハイルが死んだ事を知らない。彼を探しても、連絡を取ろうにも、彼を見つけることは出来ない。

さらに透はこれまでに無い程に身体が痛みを発していた。全身の血液が沸騰しそうなほどに体温が上昇し、全身の筋肉がズタズタになっていくような感覚が彼を襲う。

痛みで発狂してしまうほどの激痛が彼に襲い掛かる。

 

原因はこれまで取り込んだ二十人近い神凪の術者の力と、ミハイルと言う本当の司令塔を失った事によるスライムの暴走だった。

本来、神凪宗家でもない透のキャパシティなどたかが知れていた。そんな彼が分家の大半と頼通と言う宗家の人間の力を軒並み吸収したのだ。

 

しかも分家には現行で力を失いつつも、まだまだ潜在的にはかなりの力を持つ人間も多数いた。そんな彼らの力を一気に集めた上に、ミハイルの死でスライムの制御が失われた事により、膨大な力が暴走を始めたのだ。

透だけではその身に取り込んでおくことが出来なくなった力。スライムと言う外部存在の力を利用して維持していた力が、一気に透へと逆流したのだ。

 

普通ならそんな膨大な力の逆流ならば即座に死に至る。だが不幸と言うか幸いと言うべきか、彼も神凪と言う一族の一員。それが彼を死と言う運命から救い、延命させていた。

 

また司令塔を失ったスライムが、透を核として新しい存在へと自らを再構築しようと動いている事が、彼を延命させているもう一つの要因だった。

彼の激痛と高熱は力の逆流によるものと、スライムにより透と言う人間を改造する事により起こるものだった。

 

スライムは透を人間としてコアに組み込むのではなく、彼を作り変え、力を使うのに最適なように組み替えていく。

人間に後付けのように力を増やすのではなく、その物を作り変えて力を増やそうそしていた。

 

人間と言う限界を超え、本来とは違う形へと変化を遂げさせていく。

外見は人間のままだが、久我透と言う存在はすでに人間ではない存在へと変貌を遂げていた。

 

「がぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」

 

叫び声と共に全身から妖気を纏った黒い炎が吹き上がる。皮膚の色も褐色に変化していく。

スライムは透と融合し、一つになる事で新しい存在へと変化を遂げる。

そして彼は手に入れる。神凪宗家に匹敵する力を。

否、神凪宗家の綾乃や燎を超える力を……。

 

「すげぇ、すげぇ……」

 

激痛と高熱が収まり、身体が軽くなった透は自分自身の中にある力に酔いしれる。

力が漲ってくる。何でもできる気がする。敵などいない。自分は無敵だ。この力があれば、何でもできる。

 

嗤う。嗤う。嗤う。

 

この世界に敵はいない。自分こそが最強だ。ミハイルなどもう必要ない。

透は思う。この力があれば和麻を簡単に殺せる。神凪一族の頂点に立つことも出来る。

彼の傲慢で子供じみた支配欲が掻き立てられる。

 

「見つけたわよ、久我透!」

 

そしてその時はやってくる。

タイミングよく教会にやってくる綾乃と燎。その後ろには美琴の姿もあった。

彼女達の姿を見ると、透はニヤリと嗤う。飛んで火にいる夏の虫とはこういう事を言うのであろうと。

 

両者の視線が交差する。言葉など要らない。問答など不要。

黄金の炎と漆黒の炎が交差する。

 

 

 

 

「……マスター。久我透の居場所がわかったようです」

「場所は池袋の教会か。不味いな。ちょっとばかり射程外だな」

 

和麻はウィル子の報告を聞きながら、どうしたものかと考える。和麻の最大有効範囲は通常で十キロ。聖痕を発動させればその限りではないが、現状では少々不味い。

 

「聖痕発動させますか?」

「それも一つの手だな。つうか予想以上に綾乃達の行動が早かった上に、久我透を見つけるのも早かった」

「資料室も必死でしたからね。資料室も捕まえていた神凪皆殺しにされたと言うのは不祥事ですから、お互いに何としても早急に久我透を始末したいのでしょう」

 

資料室も自分達の監視下にあった神凪の者達を気づかれずに、皆殺しにされたと言うのは大きな不祥事なのだ。

霧香はこの件が明るみに出ても少しでも被害を最小限に抑えようと奔走していた。その過程で、一刻も早い事件の解決が望まれていたのだ。

 

「俺達には何の関係も無いけどな」

「そうですね」

 

この主従は基本的に自分達さえよければ他はどうでもいいと言う、極悪の最低コンビなのだから、この発言も最もであった。

 

「けど獲物を横取りされるのは気に食わないからな」

「でも煉が起きるまで手を出さないと言ったのはマスターですからね」

「別に手を出さないとは言って無いぞ。ただここを動かないって言っただけで」

 

和麻としてみれば、ここから動かないまでも手を出さないとは一切言っていない。

射程範囲内であれば、綾乃たちを妨害して透を殺すように行動しただろう。

 

「ここから久我透を殺す手段が無いわけでも無いですからね」

「結構ダルイし疲れるから、あまりやりたくは無いがな」

 

和麻一人では無理でもウィル子がいれば、遠距離から敵を抹殺する方法はあるのだ。そう、抹殺であり消滅させる方法が。

 

「ウィル子としてはいつでもいけますが、マスターはどうですか?」

「こっちも準備は終わってる。だから透を殺すだけなら、今すぐにでも出来るぞ」

 

すでに準備は整っていた。完全な奇襲による攻撃。この場を動かずとも、和麻とウィル子は確実に透をしとめる攻撃を繰り出すことが出来るのだ。

 

「でもそれだけ気がすまないんだよな。ここまで舐めた真似してくれたんだ。なぶり殺しはさすがにあいつと同じところまで堕ちるからやりたくないが、何が起こったかも知れないうちに殺すのは癪だ」

「でも下手に余裕を持ってると兵衛の二の舞になる恐れがあるのですよ」

「そうなんだよ。あれは本当に教訓だよな」

 

和麻としても先の一件が骨身にしみている。どうにもままならない物である。

 

「でも直接相対するのなら、そろそろ動かないと間に合いませんよ?」

「そうだな……」

 

煉を起こすのも気が引けるしと思っていると、うーんと和麻の腕の中で眠る煉が声を漏らした。

 

「兄、様?」

「おう、起きたか、煉」

 

心の中でナイスタイミングと呟きながら、和麻は満面の笑みを浮かべる。

 

「あの、おはようございます。兄様」

「おう、おはよう。少しは落ち着いたか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

泣いて、眠った事で少しは精神的にも落ち着いたのだろう。煉は和麻に礼を述べた。

 

「んじゃ、煉。俺は行くわ。ちょっと野暮用が出来てな」

 

自分の服を掴んでいた煉の手をどけてもらうと、和麻は立ち上がりながら言った。

 

「あの、もしかして、母様の敵討ちですか?」

「いや、違うぞ」

 

和麻はきっぱりと否定した。

 

「そう、ですか……」

 

和麻の言葉に煉は悲しそうに視線を逸らす。

敵討ち自体、煉は正しいとは思ってはいなかったが、自分達の母親の死に対して、和麻が何も感じていないような気がした。それがどこか辛かった。

 

「兄様。兄様は母様が死んで辛くはないんですか?」

 

綾乃に聞かれたのと似たような事を聞かれ、和麻は返答に困った。ここで辛くないというか何も思っていないと口にすれば、余計に煉の心を傷つけてしまう可能性がある。

十二歳の子供の心は繊細だ。ほんの少しの事で余計に落ち込ませてしまう。

なんて言っていい物かと和麻が思案していると、横からウィル子が口を挟んできた。

 

「辛い、辛くないは人それぞれですよ。マスターの場合、基本的にそう言った感情を口に出しませんし、出したくないのですよ」

 

と、和麻をフォローする発言をした。

 

「そう言った感情を表に出すのは未熟と思われますからね。そう言うのを聞くのは野暮なのですよ。男は黙って行動で示すのです」

「ウィル子さん……。そうか。そうなんでね」

 

ウィル子の言葉に煉はどこか納得したかのように呟く。おそらく煉の中で和麻も悲しいがそれを表に出さずに、いつものように振舞う事に努めていると勘違いしているのだろう。

 

和麻としては自分から煉に嘘を付いているわけではないので、良心の呵責に苛まれる事もないし、別に勘違いを正そうとも思わない。

 

「そうなのですよ。マスターはこういう人ですからね。だから煉もいつまでも落ち込んでてはダメなのですよ。大切な人を失って悲しいのは皆同じ。でもそれをいつまでも引きずっているのは不毛ですよ。あなたが悲しいのは本当にその人を愛していたからです。でも泣いても落ち込んでいても死んだ人は生き返りません。あなたのお母さんもそんなあなたを見て安心できると思いますか?」

 

ウィル子の言葉に煉ははっと思い知らされる。

 

「泣くのも当然ですし、悲しいと思うのも、落ち込むのも当たり前です。でもずっとでは死んだ人も周りの人も安心できませんよ」

「……はい」

「まああんまり深く考えるな。お前はまだ十二歳だ。そんなに割り切れるわけもない。こいつの言うことを真に受けるなよ」

「いや、真に受けるなって。ウィル子は一般的な話をしただけなのですが」

 

和麻の突っ込みにウィル子がタラリと汗を流す。ウィル子自身も適当にネットのお悩み相談の話をしただけだから、あまり大きなことは言えないが。

 

「とにかく言い方は悪いですが、煉は子供でマスターは大人と言う事です。子供の煉がダメだと言うことではなく、今は仕方がないと言う事です。もしマスターが煉と同い年ならば同じく泣いていた、かもしれませんね。でも今はマスターはそれを人に見せたりはしません」

 

ウィル子は適当に和麻に理由付けしていく。

 

「煉。人それぞれなのですよ。経験が、時間が人を成長させます。願わくば、煉がまっすぐに進めますように。それがマスターの願いなのですよ」

 

これでいいですか、とウィル子は和麻に目で確認する。間違ったことは言っていないし、フォローとしても及第点だろう。

 

「兄様、ウィル子さん。ありがとうございます」

 

煉はそんな二人に礼を述べる。かなり曲解されているかもしれないが。

 

「さてと、そろそろ行くか。時間もない」

「そうですね」

 

二人はそのまま煉に背を向けて、神凪を後にしようとした。

だが……。

 

「待ってください、兄様!」

 

と、煉に呼び止められた。

 

「あの、兄様。兄様の野暮用って、本当に母様の敵討ち……。あの久我透を討つことじゃないんですか?」

 

煉は先ほどの会話で和麻は自分に嘘をついて、一人で久我透を討ちに向かうのではないかと考えた。確信に似た予感があったのかもしれない。

煉の真っ直ぐな視線に、和麻は少し考える。どう答えるべきか。

そうだと言えば自分も敵討ちをしたいとばかりについてくるだろう。それはそれで問題ではある。

 

煉には自分と同じように復讐者としての道を歩んで欲しくはない。自分の過去を振り返り、後悔はしていないが、煉にさせるようなものではないと言うことだけははっきりと断言できる。

しかし下手に心にトラウマとしこりを残したままでは、これから先炎術師として煉はやっていけない可能性が高い。

 

もう神凪一族は以前のような権威を振るうこと出来ないが、逆にこれ幸いと敵対しようとする輩が出てくる可能性はある。

煉も自分の身は自分で守らなければならないだろう。いつまでも和麻が守ってやれるわけもない。

 

とすれば、これは煉を成長させるために久我透を利用するのも一つの手ではないか。無論、最後は自分で手を下すが、途中まで煉を成長させる教材として利用できれば……。

 

(どの道殺すのはすぐ出来るし、神凪に獲物を譲るわけじゃないからな。綾乃や燎って奴はこっちで足止めすればいいし、虚空閃と黄金色の風を用意しておけば万が一もないだろう。兵衛の時と違って、神なんて言う後ろ盾は無いんだ)

 

ミハイルの記憶を読んだからこそわかる。どこまで力をつけようが、妖魔に変貌しようが、神クラスの力を手に入れられるはずも無い。

 

せいぜい炎雷覇を持った綾乃と同等か、綾乃と燎を足した程度だろう。厳馬クラスでも正直虚空閃といつでも放てる黄金色の風があれば怖くはない。万全の状態のウィル子もいるのだ。

 

『ウィル子。このまま煉を連れて行くぞ。こいつも成長させないとな』

『色々と問題が起こりそうなのですが』

 

呼霊法で会話をする和麻とウィル子。ウィル子は消極的賛成だった。

 

『そこは俺とお前がフォローすればいい。黄金色の風と虚空閃。お前も武器を用意していけば万が一もないだろ』

『うーん。ウィル子としてはこれまたフラグのような気もしますが』

『もうフラグはいらねぇよ。それにやばそうだったら一も二もなく消滅させる。それにリスクを恐れてたら、何にも出来ないだろ?』

 

和麻も言う事も正論である。

 

『しかしいつの間にか憂さ晴らしが煉の成長を促す事に変わっていますね』

『仕方がないだろ。煉がいつまでも落ち込んでたり成長できなかったりだったら、俺が安心して日本を離れられないだろうが』

『はぁ、ブラコンここに極まりですね』

 

ウィル子はため息を吐く。まあここに来ると言った時から、そんなことは百も承知だったのだ。今更ではある。

 

『了解なのですよ、マスター。ウィル子はマスターに従います』

『当然。んじゃ、煉を連れて久我透狩りと行くか』

 

ウィル子との相談を終え、和麻は煉に向き直る。

 

「……ああ、そうだな。これから久我透を討ちに行く。お前も来たいのか?」

「……はい。母様の敵を討ちたいんです」

 

ゴシゴシと自分の目元を腕で拭う。煉自身、自分に何が出来るか考えた結果だろう。

彼は一般人ではない。神凪一族の宗家の人間。その心のあり方も当然教わっている。

と言うよりもあの厳馬の息子なのだ。術者としてのあり方や心構えを厳馬が教えているのは当然だ。

 

無論、あの男が饒舌に煉に物を教えているはずもないだろう。言葉少なく要点だけ教えている姿がまざまざと浮かぶ。

煉は神凪一族の一員として、母の敵を討ち、妖魔に堕ちた透を倒そうと思ったのだろう。

 

復讐。そう呼べる類に感情が煉の中で渦巻いていたのも確かだ。だがかつての和麻と違い、憎悪や何においてもと言う感情が見受けられない。

これは境遇の違いだろう。

 

和麻の場合、翠鈴は何にも代えられないたった一人の女性であり、彼女以外に大切な人間は存在しなかった。唯一無二であり、何者にも変えられない存在。

煉に取って深雪は大切な母であり、代わりがいないと言うのは同じだが、煉の場合は母親だけではなく、大勢の大切な人が周囲にいる。

厳馬であり、重悟であり、綾乃であり、友人であり、他にも多くの人がいる。だからこそ、怒りを沸きあがらせながらも、憎悪を抱くことはなかったのだ。

 

(まだマシだな。俺みたいにならなくてよかった)

 

内心安堵した。当時の復讐以外何も考えられなかった自分自身のようにならずに。

 

「わかった。だが無茶はするなよ」

「はい」

 

こうして和麻は煉を引きつれ、久我透の元へと向かった。

 

 

 

 

教会では激しい戦いが起こっていた。教会はすでに黄金と黒い炎の余波で燃え落ち、跡形も残っていない。

周囲は特殊資料室が結界を張っているために被害は無いし、気づかれてもいない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「くっ……」

 

肩で息をしながら、あちこちに傷を作っている綾乃と燎が忌々しげに通るを睨む。

二人がかりで攻めていると言うのに、透を倒せない。

それどころか逆に二人が不利であった。

 

ありえない。それが二人の感想だった。自分達が全力で挑んでいるのに、透の方が強い。

燎も報告した時から半日も経っていないのに、これだけの強さを得ている透に驚きを隠せないでいた。

 

漆黒の炎は吸収された神凪の術者の怨嗟を含むかのように、不気味な妖気を放っていた。

威力も高く、炎雷覇を持った綾乃と同等の出力を有していた。

一体何があったのか。

 

種明かしをすれば、神凪宗家の血肉を取り入れたからだった。宗家である頼通の血肉が、彼に宗家並のポテンシャルを得る下地を与えた。

そこに他の分家の血肉も加わり、スライムが透の身体を作り変え、魂と精神を変質させる事で、彼は綾乃を超える力を得たのだ。

 

さらに不運は綾乃のコンディションもベストではなかった点だろう。透の襲撃で睡眠を途中で中断した上に、和麻との約束で焦りが生まれたていた。

そんなことが言い訳になるわけでもないが、綾乃は現在、不利な状況に置かれていた。

 

「死ねぇ!」

 

透は炎を両手から放ち綾乃と燎に向ける。二人は全力を持って炎を打ち出して相殺する。しかし燎は単純出力で透に負けていた。

 

「ぐっ!」

「お前には借りがあったな!」

 

透は再び炎を放ち追い討ちをかける。

 

「燎様!」

 

様子を伺っていた美琴が風を纏って高速移動し、燎を抱きかかえる形で炎から逃がす。

 

「美琴! ありがとう」

「いえ。それよりも次が来ますよ」

 

見れば次々に炎を放つ透がいる。

 

「調子に乗るなぁっ!」

 

炎雷覇を構え、綾乃は透に接近する。

 

「ちっ!」

 

透は炎を剣のような形にして綾乃の炎雷覇を受け止める。

 

「はぁっ!」

 

幾度も斬りつける綾乃。炎雷覇からほとばしる黄金の炎が黒い炎を浄化する。

 

「ぐっ!」

 

透は不味いと感じた。接近戦では不利だった。炎雷覇と言うアドバンテージは今の透でも覆せない。

このままではやられる。そう彼が判断したと同時に、彼の背中から翼が出現した。漆黒の蝙蝠のような翼。彼の変質した身体が、彼の体内に残るスライムの残滓が飛行能力を与える。

 

「なっ!」

 

空に逃げられては、綾乃達に取れる手段は限られてくる。

透はそのまま炎を眼下に向けて解き放つ。漆黒の炎の雨が綾乃達に襲い掛かる。

 

「うわっ!」

「きゃぁっ!」

 

炎の雨に燎と美琴が飲み込まれる。

 

「燎! 美琴!」

 

思わず叫ぶ綾乃だが、彼女も他人に構う余裕はない。巨大な漆黒の炎の塊が、綾乃に向けて迫っていた。

 

「このぉっ!」

 

だが綾乃は炎雷覇の刀身を炎に向けて、先端より巨大なプラズマを纏った炎を解き放つ。

巨大な二つの力がぶつかり合い、周囲に爆音と爆風を発生させる。

 

「きゃあっ!」

 

綾乃もその衝撃で吹き飛ばされてしまった。

 

「っ……」

 

地面を転がる綾乃。すぐに体勢を立て直さなければと綾乃は思った。バッと立ち上がり、空を見る。そこにはさらに大きな炎を発生させる透がいた。

空を飛ぶ相手に、空を飛ぶ手段を持たない者が戦いを挑むのは不利すぎた。また透は人間を捨てているために、人間に比べれば無尽蔵とも言える体力や精神力を有していた。

 

透がにやりと嗤った。その嗤いが癪に障る。綾乃も最大級の攻撃を放とうと炎雷覇を構える。

直後、均衡が崩れる。

 

「がっ!?」

 

透の黒い炎と背中から生えた翼が切り裂かれた。透は重力に従い真っ逆さまに堕ちる。

地面に叩きつけられる透。その光景を呆然と見るしか出来ない綾乃だったが、それが風による攻撃だと気づく事になる。

 

ハッと綾乃は周囲を見渡す。

彼女は見つける。その攻撃を放った相手を。視線の先には一人の男とその脇に少女と少年が追随する。

最強の風術師・八神和麻。ウィル子、神凪煉。

彼らはここに参戦した。

そしてもう一つの巨大な炎がここへと近づいていた。

 

 



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第二十九話

 

「和麻、それに煉」

 

綾乃はその人物達を見ながら、呆然と呟く。周囲は警視庁が結界を張り巡らせ人払いをしていたはずだ。

尤も和麻ほどの相手に警視庁の封鎖が役に立つはずも無い。時間稼ぎにすらなりはしない。

 

「おうおう。派手にやられてるな」

 

和麻は手に持つ虚空閃を些か弄びながら、綾乃達の様子を憎たらしげな笑みを浮かべながら眺める。

 

「アレだけほざいてこの状況か、綾乃。結構無様だぞ」

 

和麻の言葉に綾乃は唇をかみ締めるだけで何も言えない。反論しようにも反論できなかった。何かを言えば、余計に自分が惨めになりそうだったから。

 

「姉様、燎兄様! 美琴さん! ご無事ですか!?」

「ああ、心配するな煉。あいつらそこまで怪我してないから」

 

煉が三人を心配そうに叫ぶが、和麻は問題無しと切って捨てる。

 

「しかしまあ……、ずいぶんと調子に乗ってるな」

 

視線を向ける先には、獰猛な笑みを浮かべ、憎悪をたぎらせる透の姿があった。

 

「和麻、和麻、和麻、和麻、和麻、和麻、かずま、かずまぁ、カズマァッッッッ!!!」

 

狂ったように和麻の名を叫ぶ透に和麻は心底嫌そうな顔をする。

 

「何が悲しくて男に名前を連呼されなきゃならないんだ? 虫唾が走ると言うかキモイ」

「ほんとですね、マスター。うわっ、本当に気持ち悪い」

「今すぐに黙らせたいんだけどな……」

 

黒い炎をいくつも召喚する透をゴミでも見るように眺めながら、和麻は嫌そうに息を吐く。

透の炎は確かに綾乃達を追い込むだけのことはあり、神凪宗家に匹敵、あるいは凌駕するだろうが、ただそれだけだ。

 

まだ神炎使いの領域にはたどり着いていない。和麻や厳馬クラスには遠く及ばない。

和麻から言わせれば、まだまだ雑魚でしかない。

 

(しかしこれは煉には少し荷が重いか)

 

炎雷覇を持つ綾乃と燎ですら倒しきれないどころか逆にやられているのだ。煉一人に任せてはどうなるか目に見えている。

 

(いたぶってもいいが、それだとな~。ああ、めんどくさい)

 

下手に刺激するのも問題だろう。一応、すでに上空に黄金の風を準備しているのでいつでも透を始末できるのだが、煉の成長やら何やらを考えるとそれは出来ない。

とすれば取るべき手段は限られてくる。

 

「煉。最後は俺が貰うが、それまでは好きにさせてやる。フォローもしてやる。アドバイスもしてやる。やりたいようにやれ」

「兄様……。はい!」

 

煉は和麻の言葉に頷くと、前に出て透を睨む。

 

「ああっ? なんだその目は」

「…よくも、よくも母様を!」

 

怒りを宿した瞳を透に向ける。憎しみほど強くも無く、さりとて人間の感情の中では大きな力を有するもの。

炎の精霊が煉に呼応する。彼の周囲に渦巻く莫大な精霊達が彼の心に突き動かされる。

 

「お前は、お前だけは絶対に許さない!」

 

黄金の炎が踊る。彼の感情により高ぶった炎が、彼の手のひらに収束する。

 

「はぁっ!」

 

気合と共に打ち出される浄化の炎。それは今までの煉の実力からすれば考えられない威力を誇っていた。綾乃ですら驚愕する炎。もしかすれば炎雷覇を持っていない状態の綾乃クラスであるかもしれない。

 

「ちっ!」

 

透も同じように漆黒の炎を打ち出す。炎と炎がぶつかり合う。だが出力はまだ透の方が上だ。いくら浄化の炎でも出力で大幅に負けていれば打ち破られる。

しかし炎が煉に届く事はない。蒼い浄化の力を宿す風が透の炎を全て切り裂き、消し飛ばしている。

 

「煉、気にせずどんどん行け。お前の持っている全てをあいつにぶつけてやれ」

和麻の言葉に煉は再び頷くと、心のままに炎を召喚し続ける。

「この……、この俺様を舐めんじゃねぇ!」

 

透が叫びと共に煉に対して苛烈な攻撃を加える。本来の煉ならば怯むであろう攻撃。まだ実戦経験の少ない煉ならば、対処できない攻撃。

だが煉は怯まない。恐怖に心を支配されない。恐怖が入る込む隙間も無いくらい、彼の心は久我透への怒りで満ちていた。前だけを見る。久我透だけを見る。

 

黄金の炎が舞い、久我透に迫る。膨大な炎の精霊が、煉により制御される。

煉の心を占める怒りだが、今はまだ彼は制御していた。和麻の存在が大きかったのだろう。ウィル子の言葉が煉の心に響いたのだろう。

 

彼の下地は厳馬により作り上げられた物だった。厳馬は色々と問題があるが、炎術師と言う術者としては優秀だった。煉には才能があり、傑出した炎術師である厳馬により指導されたことで、煉もまた炎術師として優れた力を持っていた。

それがここに来て、開花し始めた。

まだまだ拙いし、防御も脆い。攻撃に偏重した炎術師の最たるものだろう。和麻のフォローが無ければ、手痛い傷を負う。

 

(攻撃は中々だが、まだまだ防御が出来てないな。もっと修行が必要だ。しかし十二歳ならこんなもんか)

 

フォローしながら、和麻は今の煉の実力を冷静に判断する。

 

「この、くそ野郎がぁっ! 俺は和麻を殺してぇんだよ」

「そんな事、僕がさせない! もう、これ以上、誰も死なせない!」

 

黄金と黒が激しくぶつかり合う。蒼き風が透の炎を切り裂き、煉の致命傷になりそうな攻撃を吹き飛ばす。

 

「はあぁっっ!!!」

 

持てる力全てを煉は両手に黄金の炎を集め、束ね、透に向かい打ち出す。黄金の輝きは和麻の風により弱体化した黒い炎を飲み込み、浄化し、透本体を焼きつくさんと襲い掛かる。

 

「がぁぁぁっっ!!!!」

 

炎に焼かれ、透はもだえ苦しむ。本来なら炎に焼かれる事などない分家とは言え神凪の炎術師だが、人間から妖魔へと変化した今の彼には神凪の炎は毒でしかなかった。

 

ただの炎ならばまだしも、神凪の浄化の炎は不浄を滅する。透はかつて和麻が炎で焼かれた時以上の痛みと苦しみをその身に受けている。なんとも皮肉な事であろうか。

もだえ、苦しみ、地面に這いずり回る。炎を消そうと躍起になるが、炎は透を侵食し、身体を焼き尽くしていく。

 

もし人間のままであったのなら、透は生きながらえたかもしれないが、妖魔になった彼にはもう生き残る術はない。

浄化の炎により、妖気が消滅し、綾乃達との戦いからの連戦で彼の力は底を尽いていた。

 

時間をかければ回復するだろうが、外部からのエネルギー供給が無ければそれも叶わない。

しかも人間一人二人吸収したところで意味はない。それこそ神凪宗家クラスを捕食しなければ。

 

だがそんなことは和麻が許さない。和麻の目を誤魔化すなど出来ない。逃げ出す事も出来ない。この場で誰かを襲うことなど不可能だ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

肩で息をしながら、煉は透を睨む。持てるすべてを透にぶつけた。もう彼には一変の余力も残っていなかった。

 

「煉、お前はもう下がってろ。あとは俺がやる」

 

煉の隣まで移動し、和麻は彼の頭にポンと手を置く。

 

「兄様……」

「お前にさせてやるのはここまでだ。始末は俺がつける。邪魔はするな。邪魔をするなら、お前でも容赦しない。おい、ウィル子。煉を見てやってろ」

「了解なのですよ、マスター」

「あと、そこの三人。お前らも手を出すな」

「和麻……」

 

綾乃は何かを言いたそうに和麻を見るが、和麻はそれを一蹴する。

 

「残念だったな、綾乃。時間切れだ。まあ、俺を出し抜いてこいつを殺したいんだったら好きにすればいいが……、俺はな、獲物を横取りされるのが大嫌いなんだよ」

 

和麻の顔が不気味に歪む。笑みを浮かべているが、それは見るものに恐怖を与える悪魔のような笑みだった。

綾乃は動かない。動けない。動け動けと自分を叱咤するが、彼女の身体は動く事を拒否している。

 

和麻の殺気が見えない針のように、彼女の身体を縫いつけているようだった。燎も美琴も同じだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように、動けない。

 

「よしよし。そのままいい子にしてろ。んじゃあ、終わりだ」

 

虚空閃の切っ先を透に向ける。

 

「かずまぁっ……」

 

憎悪を和麻に向ける。怒りと憎しみ、ありとあらゆる負の怨念を和麻に向ける。並の人間ならたじろぐほどの感情を受けながらも、和麻はどこ吹く風と受け流す。

 

「おうおう。そんなにされてまだそこまでの気力があるのか。それよりもお前にそんな風に呼ばれる筋合いは無いし、呼ばれたく無い」

 

呆れながらも驚く和麻。こいつももう少し努力すれば宗家に匹敵するとは言われたかもしれないのに。心底どうでもいいことだが。

それにこんな風にこの男に自分の名前を連呼されるのも嫌だった。

 

「てめぇが、てめぇが……」

「ぎゃあぎゃあうるさいな。つうかもう死んどけ。俺もお前みたいな奴がいると鬱陶しいだけなんだよな」

 

覚めた目で、和麻は透を見る。地面に這い蹲る透と見下す和麻。それは十年以上前の再現。だが立場は逆になっていた。

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうと呪詛を振りまく透だが、和麻の前に何も出来ない。しかし虚空閃は透の目と鼻の先で止めている。和麻はまだ透を消滅させない。

 

「マスター。何をやっているんですか? さっさとやってしまいましょう」

 

いつまでも透を処分しない和麻にウィル子が催促するが、和麻は首を横に振る。

 

「ああ、もうちょっと待て。どうせならギャラリーは多い方がいいだろう。一人、死にぞこないが来てるんだよ」

 

その言葉にウィル子は?マークを頭に浮かべるが、それがどういう意味なのか、彼女は、彼女達はすぐに気づく事になる。

 

気配がする。巨大な気配が。同じ炎術師である綾乃が、煉が、燎が離れた距離でも感知できるほどの強大な気配。隠しているが、隠しきれていない、怒りと膨大な炎の精霊達。

恐怖を覚えるほどの強さを放つ存在。不意に和麻はニヤリと唇を釣りあがらせる。

 

「よう。遅かったな」

 

視線を透から離さずに、声を上げる。

 

「……」

 

公園の入り口。そこからゆっくりと一人の男がやってくる。

神凪厳馬。それが男の名前だった。

 

「か、神凪厳馬!? マスター! まさか待っていたのですか!?」

「ん? ああ。あいつが来てるのは気がついていたからな。どうせならと思って」

「どうしてマスターはこうフラグを立てるのですか……」

 

和麻の行動にウィル子は肩を落とす。どうしてあれほど兵衛の一件で懲りているはずなのに、こんな風に時間をかけたりワザワザ厳馬を待ったりするのか。

 

いや、厳馬が相手なら和麻がこういう風な行動に出るのも納得できる。彼がここに来たと言うことは深雪の死を知ったからだろう。出なければ入院中の身で出てくるはずが無い。

 

それにウィル子も気がついている。厳馬が怒りを発している事を。

それでもウィル子は和麻の行動が愚かな事だと思っている。普段の和麻なら、それこそミハイルを殺した時のようにあっさりと躊躇無く、簡単に済ませるのに。

 

(神凪厳馬が絡むと、碌な事が無いのですよ)

 

和麻にとって神凪厳馬と言う人間は色々な意味で特別な人間なのだろう。だからこそ、ウィル子は最悪の事態を危惧する。

 

「……そこをどけ、和麻」

 

底冷えがするような低い声で厳馬は和麻に告げる。

 

「あっ?」

「……そこをどけと言っている。その男の処分は私がする」

「ふざけた事抜かしてんじゃねぇよ。こいつは俺の獲物だ。誰がてめぇに譲るか。お得意の神凪の問題だか? 知ったことじゃねぇよ、てめぇらの事情なんて」

 

吐き捨てるように言う和麻に厳馬は少しだけ顔を俯かせる。

 

「神凪がこれで没落しようが再起不能になろうが、俺に取っちゃどうでもいい事だ。神凪の名とそこに住む者を守るためって言うあんたの大義名分なんて「誰がそんなことを言った」……何?」

 

厳馬の言葉に和麻は眉をひそめた。

 

「誰が神凪の名を守るためなどと言った。神凪など、もうどうでもいい」

「おい……」

 

和麻は信じられ無いと言うような顔で厳馬を見る。厳馬は神凪一族と言う存在を体現するかのような男だった。神凪を誇り、愛し、守るためならばどんな事でもやるような男。

 

それが和麻の厳馬と言う男に対して抱いていた印象だった。

あのタイマン勝負の際も厳馬と言う男は、神凪を大切に思っていると言う発言をしていた。なのに今は、それがどうでもいいと言っている。

 

(おいおい。どう言う事だ? 話が違うぞ)

 

和麻にしてみれば、神凪が再起不能になる材料である透を彼自身が殺すと言うことで厳馬に失望を味あわせてやろうと考えていたのだが、今の厳馬はそんな彼の思惑を大きく外れていた。

 

「どけ、和麻。さもなくば……殺す」

 

ゾクリ。

 

厳馬が顔を上げた瞬間、和麻は恐怖を感じた。殺すと言う明確な意思。あの時とは違う。あの時は厳馬は和麻を殺すつもりは無かった。ゆえに恐怖は感じてきたが、ここまでではなかった。

 

だが今始めて、厳馬は明確な殺意を和麻に向けた。心の奥底から、感情のままに放たれる殺気。それは和麻にも覚えがあった。

かつて翠鈴を殺され、アーウィンに復讐しようと行動していた時の和麻と同じだった。

 

今の厳馬を支配しているのは、本来なら決して彼が表に現さない負の感情。

怒りを超越し、憎悪へと変化させた感情。

厳馬ほどの使い手が、感情に支配されていた。それは和麻から見れば決してありえない事態。いや、今の和麻も大切な存在を奪われたり、翠鈴に関係する何かで心を抉られれば、こうなってもおかしくは無いが、厳馬と言う男がこんな事態に陥ることなど想像も出来なかった。

 

厳馬の炎が高まる。憎悪は炎さえも染め上げていく。膨大な感情が炎に浸透し、黄金の炎を強大にしていく。さらに厳馬は自らの気をあわせ、蒼炎へと炎を変化させた。

太陽どこではない。超新星の爆発クラス。いや、ビックバンと言われてもおかしくは無い。

あの時、フランス山で見せた厳馬の全力をもさらに上回る炎が厳馬の周囲に展開していく。

 

「これ以上は言わん。……そこをどけ」

 

右手を突き出し、そこにさらなる炎を集める。全身には蒼炎を纏わせて、和麻の一切の攻撃が届かないようにしている。

真正面からぶつかれば和麻の敗北は必死。いくら虚空閃を有していても、現状では五分に届かない。聖痕を発動させれば別だが、そんなことをすれば先日の怪獣大決戦を上回る死闘を演じる事は目に見えている。普通なら逃げるところだろう。

 

しかし……。

 

「はっ、やなこった!」

 

和麻は厳馬の言葉を一蹴する。

 

「何で俺があんたの言う事を、律儀に聞かなきゃならないんだ。てめぇの命令なんて死んでも聞くかよ」

 

すっと和麻は透から虚空閃を外し、厳馬と向き合う。その瞬間、チャンスと思ったのだろう。透はニヤリと笑みを浮かべ、自分に背中を向ける和麻に襲い掛かった。

 

「和麻ぁっ!」

「兄様!」

 

透の叫びと、煉の悲鳴が木霊する。

 

「邪魔だ」

 

次の瞬間、透の四肢が切り裂かれた。

 

「がっ!?」

 

さらに切断された四肢は風により細切れにされ、すりつぶされ、消滅した。地面にドサリと落ちて芋虫のように這いずり回る透に視線を向けないまま、和麻は低く言い放つ。

 

「そこで這いずってろ、バカが。お前なんて眼中にねぇ。邪魔なんだよ。あとできっちり消滅させてやる」

 

透を見ることなく、和麻は透を風で地面に縫い付け、押さえつける。今の透には何も出来ない。力は全て使いきった。もう、彼に成す術はない。

 

「よう。こいつを殺したかったら、俺を倒してからにしろよ」

「……死ぬぞ、和麻」

「誰が死ぬかよ、ボケ。つうかてめぇが俺にそんな口聞ける立場か? どこの誰だったかな。最強の炎術師なんてほざいていながら、風術師の俺に真正面から戦って負けて病院送りになった奴は」

 

ニヤリと口元を吊り上げて和麻は笑う。その言葉に厳馬はピキリと青筋を浮かべる。さらに周囲で聞き耳を立てていた綾乃達は驚愕している。

 

「えっ、兄様。それって……」

「おう。お前らは知らなかったんだったな。こいつが入院したのはな、俺がこいつをボコボコにしたからなんだよ。なあ神凪厳馬? 風術師の俺が炎術師の土俵で戦いを挑んでやったのにも関わらず無様に敗北したんだよな」

 

嘲り笑うように和麻は言い放つ。対して厳馬は無言だった。

 

「何とか言えよ。あれは油断したからだとか言い訳してもいいんだぜ?」

「……それだけか?」

「あっ?」

「言いたいことはそれだけか? ならばもういい。それがお前の最後の言葉になる」

 

炎が爆発した。放物線を描きながら和麻に向かって迫り来る数多の炎の群れ。

舌打ちをしながら、和麻は風を召喚し、虚空閃を持って迎え撃つ。

 

「ウィル子! 煉! 離れてろ! 巻き込まれて消滅してもしらねぇぞ!」

「わかりました! ほら煉も早く!」

「兄様! 父様! やめてください!」

 

ウィル子に離れるように引っ張られるが、煉は二人の戦いを止めようとする。だが煉の言葉で止まるはずもない。

 

「どいてろ、煉!」

 

和麻は煉を叱咤し、そのまま高速で移動する。厳馬の側面に回りこみ、槍を振り下ろし衝撃波を発生させる。すでに和麻も気をあわせ、風を蒼く染めている。

虚空閃により増幅された風は、厳馬クラスといえども簡単に防ぎきる事はできない。世界最強最高の風術師と神器の組み合わせだ。綾乃が炎雷覇を持っているのとはわけが違う。

それこそ全盛期の重悟が炎雷覇を持っているのにも等しい状況なのだ。

 

しかし悲しいかな、炎と風の力の差がある。いくら和麻と虚空閃でも今の厳馬の炎を真正面から打ち破ることは出来ない。

それでも集中しなければ防げない事には変わりなく、厳馬は神速の風による攻撃を炎を持って受け止める。

 

直後、周囲に風が収束し、厳馬の動きを拘束した。咄嗟に厳馬は判断する。来る、と。頭上を見上げる。黄金色の風が、厳馬の頭上目掛けて降り注いだ。

透用に用意していた風ではあるが、厳馬に対して使用する事にした。

 

「くたばれ!」

 

逃げ場は無い。迎撃するしか厳馬に方法は無い。だが前回とは違い、厳馬はまだ全力の炎を用意し切れていない。完全な奇襲。聖痕こそ使っていないが、虚空閃で増幅された攻撃だ。防ぎきれるはずが無い。

 

「同じ攻撃が何度も通用すると思うな!」

 

叫び声と共に、厳馬は右手を空へとつきあがらせる。蒼炎がまるでレーザーのように空へと伸びる。極限まで圧縮した炎。突き上げるという動作を持って、厳馬も破壊の意思を高める事で黄金色の風を迎撃しようとした。さながらそれは龍のようだった。

 

黄金色と蒼い風と炎がぶつかり合う。

互角。聖痕を発動させてはいないとは言え完全な黄金色の風と、全力ではないが今までに無い炎の威力を有した蒼炎。

あまりの光景に和麻と厳馬以外の全員が呆然としている。透など、力の差がここまで離れて居ると言う事をここに来てようやく理解した事で恐怖に震えている。

 

和麻は冷静に事態を分析する。驚愕は無い。予想の範疇。今の厳馬の炎の出力と前回の戦いで理解した厳馬の力。

前回はかなり動揺したが、聖痕を発動させていない今ならば、こんなものだろう。

黄金色の風はただの布石に過ぎない。ゲホウとの戦いでも取った戦法である。

本命は虚空閃による一撃。

 

「うらぁっ!」

「!?」

 

和麻が虚空閃を全面に突き出し、厳馬に向かい突っ込んできた。さしも厳馬もこれは予想外だった。前回の和麻の戦法は遠距離からの攻撃。神炎を纏わせた厳馬に対して接近戦を仕掛けようとは一切しなかった。これは前回は虚空閃を持った事も起因する。

 

愚かなと厳馬は思ったが、彼は左手を突き出し、炎による追撃を行う。威力こそ若干劣るが、和麻の風を吹き飛ばすには十分だった。

 

「甘いんだよ!」

「なに!?」

 

炎が虚空閃により切り裂かれた。炎が貫かれ、霧散する。虚空閃の先端から、和麻を包む風の渦。渦は炎を巻き込み、霧散させていく。激しい激流を制する清流。流れに従い時に逸らし、時に合流する。散り散りになった炎さえも、今の和麻には届かない。

 

「今のあんたなんて敵じゃないんだよ」

 

虚空閃が厳馬に纏わり付く炎を全て吹き飛ばす。

馬鹿なと厳馬は呟く。そんな厳馬を和麻は冷めた目で見ている。

 

「……こんな簡単な事にも気づかない程落ちたのかよ。情けないぜ、神凪厳馬!」

 

炎の消えた厳馬の顔に全力で拳を叩き込む。地面に激しく叩きつけられ仰向けに倒れる厳馬を和麻は見下す。

 

「今のあんたは見ていて腹が立つ。いつものあんたなら、こいつを持っててもこんなに簡単には倒せなかったはずだ。傷が治ってるとか治ってないとか関係ない。今のあんたは単純に感情任せに炎を召喚しただけだ。それで俺に勝てると思ってるのか」

 

動けない。身体が重い。厳馬は立ち上がることが出来なかった。

無理がたたったのだ。感情任せに炎を召喚した。身体が治りきっていない上に、無茶をした。さらには自分の身体を痛めつけたのも原因だ。

それよりも……。

 

(私は何をしている)

 

和麻に倒された事で、冷静になった厳馬は今の自分の状態を考える。無様だった。あまりにも無様だった。何のために力を振るうのか。それさえわからなくなった。

感情を優先させ、重悟の静止も振り切り、ここにやってきた。深雪を殺した透を殺すために。

ただそれだけのために……。

そんな厳馬の様子を見ながら、和麻はハァっとため息を付くと、こう言葉を紡いだ。

 

「……汝、精霊の加護を受けし者よ。その力は誰のために?」

 

厳馬は和麻の顔を見ながら、ハッとした表情を浮かべる。

 

「……我が力は護るために。精霊の協力者として世の歪みたる妖魔を討ち、理を守るが我らが務め」

 

厳馬もまた言葉を紡ぐ。それは神凪一族の、精霊術師のあるべき姿を規定する最初の誓約。神凪一族ならば誰もが知っている言葉。

 

「しかして人たることも忘れず、大切な者を護るために」

 

和麻は最後の言葉を紡ぐ。

 

「……今のあんたは感情に流されて力におぼれてるだけの二流以下だ。んなあんたに俺が殺せるはずも無い。一番大切なことを忘れたあんたに。自分の信念すら忘れたあんたなんて、敵じゃない」

 

和麻は苛立っていた。自分の知る神凪厳馬とかけ離れた目の前の男に。自分はこんな男に勝ちたかったのではない。超えたかったのではない。

自分はこんな情けない男に勝ったわけではない。超えたのではない。

 

厳馬の強さは前回で嫌と言うほど知った。彼が強いのは炎の出力ではないのだ。それは一側面に過ぎない。今の厳馬は本来の彼の力を一切使いきれていない。

それに本人が気づいていないと言うのは救いようが無い。

和麻は自分が超えた男が、この程度に成り下がるのが我慢ならなかった。

 

「そこで寝てろ。そこで見ていろ。あいつは俺が消す。自分の無力をそこでかみ締めてろ」

 

和麻の言葉に厳馬は悔しさのあまりに言葉を発することが出来ない。腕を自分の目の前に持っていく。

その時、和麻は見た。位置的に和麻には決して見えず、厳馬も和麻に見られているとは思っていなかっただろうが、和麻は風術師なのだ。風で全ての事象を知ることが出来る。

 

和麻は見た。厳馬の瞳に涙が浮かんでいるのを。涙をこぼしているのを。

驚かないはずが無い。この男が泣いているのだ。時が止まったような気がした。

この男が涙を浮かべるなど、絶対に、それこそ世界が終わってもありえないと思っていたから。

 

和麻には厳馬の心の内にどんな想いがあったのか、知る良しもない。

厳馬を支えていた信念を捨てさせるような衝撃。ここまで厳馬を弱くしてしまう出来事。涙を浮かべるような事態。

厳馬の心は激しく揺らいでいた。守りたくて守れなかった。何もかも。

妻でさえ、守り抜くことが出来なかった。

 

かつて翠鈴を失った和麻のように、厳馬は打ちひしがれていた。和麻に倒されなければ、それこそもっと酷く暴走していただろう。

和麻と厳馬が違う事は、和麻は力が無かったから守れなかったと言う点であるのに対して、厳馬は力があったのにも関わらず守れなかったと言うことだろう。

 

弱ければ何も守れない。力こそが全て。そんな自らの信念を完全に否定されたのが、今回の深雪殺害。しかもそれを実行したのが追放されたとは言え、神凪一族人間。

厳馬の心を折るには十分だった。

 

立ち上がれないのは、肉体的な問題だけではない。精神的な問題もあったのだ。

そんな厳馬を和麻は一瞥すると、透に再び向き直る。

もう終わらせる。これ以上、時間をかける必要も無い。

だから……。

 

「終わりだ」

 

短く言い放ち、風を右手に集める。

 

「……めんな」

「あっ?」

「俺を……舐めるなぁぁっっ!」

 

透の叫びが周囲を包み込む。透の身体が変化していく。ボコボコと身体を湧き上がらせ、質量を増やしていく。

体表面が金属質の輝きを帯び始める。まるで巨大な水銀の塊。四本の脚が生え、尻尾と長い首を作り出す。背中には巨大な一対の翼。洗礼された造詣へと変化し、腕と脚には間接と鋭い爪が生える。体表にはうろこのようなものが現われ、内部にも骨格があるかのようなしっかりとした構造となった。

ドラゴンと言うにふさわしい姿。透は数十秒の間に巨大な変化を遂げた。

 

『くく、くははははは! どうだ、どうだ! これで俺は最強だ! お前を殺せるぞ、和麻!』

 

ドラゴンに変化した透。まだ意識を失っていないのは感心するが、和麻は本当に冷めた目でドラゴンを眺める。

 

『なんだ、なんだ、その目は! あの時みたいに這い蹲れよ! 俺に許しを請えよ! お前が、お前が俺にそんな目を向けるなぁっ!』

 

叫ぶドラゴンに和麻は虚空閃をゆっくりと向ける。対してドラゴンは黒い炎を口から放出する。

 

『死ね! 死ね! 死ねぇっ!』

 

叫びながら黒い炎を口から撒き散らし、和麻を包み込む。

 

「和麻!」

「兄様!」

 

綾乃と煉は叫ぶが、黒い炎に包まれる炎から和麻は何も応えない。姿は黒い炎のせいで見えない。

 

しかしウィル子は何の心配もしていない。この程度で殺せるほど、和麻は弱くないのだ。

そう、ウィル子はわかっている。和麻が何もしないのは、準備をしているからに過ぎない。

それが終われば……。

 

「終わりですね」

 

呟きと共にそれは頭上より透に落ちる。黄金色の風がドラゴンをあっさりと包み込み、全てを飲み込む。

浄化の力を纏った風の前に、透に成す術はない。一瞬も持たずに、ドラゴンの身体は粉々に打ち砕かれた。

 

その穢れた魂までも、透は一瞬にして打ち砕かれた。

黒い炎が晴れた後、無傷のまま現われた和麻は透がいたであろう場所を静かに見るのだった。

 

 



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第三十話

 

神凪一族から出したこのたびの一件。

事態は非常に厳しいものとなった。

 

それはそうだろう。神凪一族の中から妖魔を出し、一族の多くを虐殺した。透に殺された人間は十人を超える。一般人に被害が無かったのはせめてもの救いだったが、度重なる不祥事も相まって、神凪一族は単独での再建を不可能にさせてしまった。

 

何とか透を討った場に神凪の者がいたことで、最悪の事態は回避できた。和麻も自らの存在をこれ以上広げられるのが嫌だったので、あっさりと手柄を譲った。

自分の存在を抹消するかのように、何事も無かったかのようにその場から姿を消した。

 

目撃者は綾乃、燎、煉、美琴、そして厳馬のみ。他の誰も和麻の存在に気がついていない。黄金色の風も彼ら以外に目撃していないのだ。

ゆえに重悟はその話を聞いた後、即座にこの件を神凪の手柄にするように行動した。重悟は霧香へも協力を要請した。

 

霧香も神凪と共同で透を討伐したと言う実績が必要だった。

特殊資料室も留置場の神凪一族を襲われたという不始末がある。彼らとしても、下手に外部の者に手柄を取られたくなかった。

和麻の名を聞いた霧香は、心底嫌そうな顔をしていたとか。

 

和麻も和麻でそっちで勝手に処理しといてくれと重悟に連絡を入れた。彼にしてみれば、神凪の行く末など本当に心の底からどうでもよかったのだ。

神凪が没落しようが消滅しようが、炎術師として二度と活躍できなくなろうが、自分には一切関係ないと割り切っている。

 

これ以上、自分から必要以上に関わるつもりはなかったのと、後始末を再び丸投げしたかったこともあり、和麻は全てを重悟と霧香に投げ捨てた。

ただこれは重悟、霧香共に渡りに船だったので、これを最大限に利用し自分達の手柄にした。和麻がこの件でこちらの不利に動ことも懸念したが、それを考え出していては何も出来ない。

 

和麻も自分の存在を隠したいのは本当なのだ。下手に騒ぎを大きくしないだろうと言う算段もあり、二人は何とか事態を落ち着かせる事に成功した。

神凪の処遇に対してだが、これは内部の問題だけで済んだこともあり、数年間資料室の管理下に置かれる事で決着をつけた。ただしここでまた不祥事を起こせばそれこそアウトである。

 

神凪は風牙衆と同じように国の監視下に置かれる事で、事なきを得た。もしこれが一般人を巻き込んでいたなら、これだけではすまなかった。

お家断絶、神凪の退魔業界からの追放などもっと大事になっていた。

まだまだ神凪の力は必要であり、利用できるとお偉方を説得するのには苦労した。霧香の尽力があっての賜物だろう。

 

と言っても、上層部はこのまま神凪を自分達の方に取り込もうと考えている。

最強の炎術師の一族と言う看板は、地に落ちるどころか潜ってしまったが、それでもまだまだ使い道があると判断したのだろう。

現在では神凪の力を疑問視する声も上がっているが、先の京都での一件では封印されていた神を倒した功績や、流星を受け止めたという厳馬の実績もあり何とか力の誇示は出来ていた。

 

まあどちらも和麻に関するものなので、あまり大手を振って自慢できるものではないが、それでも重悟は利用できるものは何でも利用した。

神凪一族を守るためである。もしここでお家断絶などしようものなら、一族の大半は路頭に迷う。迷うだけならばいいが、炎術師としての能力が高いだけに問題だ。

神凪の術者は分家でも一流と呼ばれる実力を持つのに、それが数十数人も野に放たれればどうなるか。

 

一部は他の組織に招かれるかもしれないが、重悟は理解している。そんなことをすれば、まず間違いなく他の組織と揉め事を起こす。

人間性に問題がある術者がまだまだ多いのだ。特に最強の炎術師の一族の一員から他の組織の一員程度に貶められれば、プライドの高い人間ならどうなるか。

 

さらには神凪の戦力を組み込み、よからぬ事を考える組織や今まで均衡を保ってきた他の組織感での争いが活発化しかねない。

様々な要素からも神凪一族の分散は避けたかった。

重悟と霧香はここ数日、何とか組織を存続させるために駆けずり回った。そして神凪一族を風牙衆と同じ資料室の下部組織とすることで守る事に成功した。

 

これには一族内からも風牙衆と同じ立場と言う事で不満が出ているが、そんなことをいっていられる状況ではないと一喝した。

また風牙衆は風牙衆で、これではかつてと同じになるのではと問題する声が多々上がっていた。それも何とか霧香が不満を解消させるために奔走した。

具体的には神凪一族とは直接は一緒に仕事をさせない事や、仕事の現場も別々にすることになった。

 

重悟も霧香は何とか組織を存続させるために奔走する。

神凪一族が行った合同葬儀にも参加せずに・・・・・・・・。

 

 

 

 

神凪一族の多くの者が眠る神凪が所有する土地。そこには今回の件で無くなった大半の者が眠る。

いや、眠るも何も、遺体が残っていたのは深雪一人であり、他は誰一人として遺体どころか身体の一部さえも残されていなかった。生前使っていた遺品を納めるくらいしかない。

 

と言っても、死んだ大半は久我と四条であり、残りは長老や先代頼通と言った一族でも嫌われている者達であったため、葬儀も形だけでしか行われなかった。

それでも多くの身内を失ったのだから、形の上だけでも執り行わなければならないが、これも世間に対するパフォーマンスの一環にしか思われなかった。

果たしてこの中のどれだけが、死んで逝った者達を思っているだろうか。

 

煉は父である厳馬の横で静かに手を合わせる。もう泣かないと決めたから。泣いていては母が安心できないと思ったから。

厳馬もまた、静かに手を合わせている。その後ろには宗家の主だった面々がいる。

厳馬が何を思っているのか、他の面々にはわからない。

綾乃は空を見上げる。空を見れば、少々雲行きが怪しい。一雨来るかもしれない。

 

「叔父様、煉。もうそろそろ……」

 

綾乃は声をかけるが、厳馬は動かない。先に行けと煉に告げるだけだ。

 

「父様……」

「私はもうしばらくここにいる。お前達は先に戻っていろ」

「じゃあ僕も……」

「いや。お前は戻れ。天気も悪くなってきた。私もすぐに戻る」

 

そう言われ、一緒にいた雅人が一人にしてやるんだと年少組みを促す。雅人に言われたこともあり、他の面々はしぶしぶとその場を後にする。

しばらくの間、厳馬は一人でたたずみながら、深雪の眠る墓を見る。

 

「……しけた顔してるな」

 

突然厳馬に向かって声がかけられた。厳馬はその声を耳に入れつつも、顔を動かさない。その声の人物が誰なのかわかっているから。

 

「和麻か……。何をしに来た」

「あんたを笑いに来たって言ったら、どうする?」

 

丁度厳馬の後ろで和麻は彼を見ている。

 

「……笑いたくば笑えばいい。今の私はお前から見れば酷く滑稽だろう」

 

何を言われても、厳馬は言い返せないと理解している。今の自分はそれだけ情けなく滑稽な存在だと自覚しているから。

 

「ああ、そうだな。物凄く笑えるわ」

 

和麻は減らず口を叩くが厳馬はそれに何も言い返さない。だがしばらく後、厳馬は不意に口を開いた。

 

「……四年前、深雪がお前に愛していないと告げ、お前を捨てたという話は本当か?」

「ん? 誰から聞いた、その話」

「綾乃が宗主に話し、それを私が聞いたのだ」

 

和麻はあの小娘がと思わなくも無かったが、口を滑らせたのはウィル子だ。あとでお仕置きしてやろうと心に決める。

 

「ああ、本当だぜ。手切れ金として一千万円の入った通帳を渡された」

「……そうか」

 

呟いた厳馬はしばらくの間、無言のまま何かを考えているようだった。和麻も和麻でそんな厳馬に何も言い返さない。

 

「別に俺はなんとも思っちゃいない。その件でその女を恨んでもいない。子供を愛せない母親なんて珍しくも無い。だがそれであんたが俺に同情する方が何倍も虫唾が走る。今更父親面するなよ」

「……そうだな」

 

もはや父と呼ばれる事もないと厳馬は思った。四年ぶりに再会して以降、和麻が厳馬を父と呼ぶ事は無かった。それも当然のことであると厳馬は思う。

 

「お前にとっては今更だな。お前は強くなった。私以上に。思えば私は弱かった。結局のところ、私は何も守れなかった」

 

和麻を、深雪を守れなかった。大切な人すら満足に守れず、誇りに思っていた神凪さえも守れなかった。ここに来て、自分の愚かさに気が付いたといったところだろう。

息子に敗北し、諭された。何と情けない男か。こんな男よりも、隣にいる自分の半分も生きていない息子の方が強いではないか。

 

「……私も耄碌したな。いや、何もわかっていなかったのだろう。お前は四年で大きく成長した。対して私は何も変わらず、理解せずにいた。そのツケが今回ってきたのだろうな」

 

厳馬は自嘲するように言葉を紡いだ。

 

「何泣き言ほざいてやがる」

 

だがそんな厳馬に和麻は食って掛かった。厳馬の正面に腕を回し、黒いネクタイと襟元を力の限り掴んだ。

 

「俺はそんなあんたが見たくてここに来たんじゃねぇ! 何だ、その情けない面は!? いつもの傲岸不遜なあんたはどこへ行った!? 守るべきもの守れず、失って、それであんたは見っとも無く落ち込んでるだけか!?」

 

ふざけるなと和麻は叫ぶ。

 

「今の腑抜けたあんたに勝ったからって何の自慢になる!? 俺が十八年間恐れてた神凪厳馬はこの程度の存在だったのか!? ああっ!?」

 

和麻は自分でも何故こんなに腹が立っているのかわからなかった。だが無性に、この男の情けない顔を見るのが耐えられなかった。

本来なら、こうなった相手を腹の底から嘲り笑い、さらに貶めるような発言をするのに、この男に対しては、何故かこんな風に食って掛かってしまった。

 

「俺に負けて悔しくないのかよ!? リベンジする気にもなれないのかよ!? 強くなったな? それで終わりか!? 守れなかったから、もういいのかよ!? そんな、そんなちっぽけな存在だったのかよ、神凪厳馬!?」

 

両手で胸倉を掴みながら、和麻は厳馬に思いのたけをぶつける。

 

「……黙れ」

「言い返せもしないのか。はっ、あんたも落ちたな!」

「黙れと言っている!」

 

厳馬は拳を和麻に向かい振りぬく。顔面を厳馬の拳が打ち抜く。だが和麻はそんな一撃にビクともしない。

 

「今のあんたの攻撃なんて効くかよ。攻撃ってのはこう言うのを言うんだよ!」

 

お返しとばかりに和麻も厳馬に拳をめり込ませる。しかしそれが厳馬に火をつけた。厳馬は和麻の胸倉を掴んでいた手を振り払うと、そのまま連続して拳を和麻に向けて振りぬいた。和麻も同じように拳を振りぬく。

 

お互いに全力で顔面に拳を打ち込んでいく。もしこれが精霊魔術を使っていれば、あるいは少しでも気を収束させていれば、周囲への被害は甚大なものになっていただろう。

 

墓場で何やっているんだと言われるかもしれないが、それを止める人間は残念ながらここにはいない。

どれだけの時間打ち合っただろうか。二人とも顔を赤くしているが、そこまではれ上がっていないのは奇跡だろう。ほぼ同時にお互いは攻撃を打ち止めた。

 

「情けない面してた割にはそこそこの攻撃じゃないか」

「抜かせ、若造が。貴様の拳など蚊に刺されたようなものだ」

 

お互いに顔を手でこすりながら、言い合う。

 

「……これ以上、お前に付き合ってやるほど暇ではない。私にもやるべきことが出来た。だが覚えていろ。今抱えている問題が落ち着けば、次はお前を叩きのめす。一度の勝利で浮かれるな」

「はっ! その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。耄碌したあんたじゃ何度やっても同じだよ。まあせいぜい鍛錬でもして強くなるんだな。また泣きっ面を浮かべさせてやる」

 

そう言うと和麻は背中を向けて歩き出す。もうこれ以上言う事はないと言うかのように。

そんな和麻の背中を見ながら、厳馬は一瞬だけ目を閉じ、そして何かを決意したかのように言葉を発する。

 

「和麻!」

「あっ?」

「すまなかった。そして世話になった」

 

厳馬の言葉に和麻は足を止め、驚愕の表情を浮かべた。厳馬が感謝の言葉を述べるなど、考えも付かなかったのだ。

 

「あとこれだけは言わせてくれ、和麻。例えもう父と子ではなくとも、私を超えたお前を私は心の底から誇りに思う。お前を捨てた私にはお前を自慢の息子だという資格は無いし、お前も思われたくなど無いだろうがな」

「……ああ、そうだな。本当に不愉快だ。心の底から不愉快だよ」

 

和麻は厳馬に背中を向けたまま、厳馬にそう宣言する。厳馬はそうだなと呟く。

 

「最後の最後で本当にムカついた。何様のつもりだ。腹が立ったから、俺はもう行く。じゃあな……くそ“親父”」

 

和麻の最後の言葉に厳馬はハッとなり、和麻がいた場所を見る。そこにはすでに和麻の姿は無かった。

 

だが最後の最後に、和麻は厳馬の事を親父と言った。それが何よりも厳馬には嬉しかった。

知らず知らずの内に笑みがこぼれた。

落ち込んでなどいられない。和麻にこれ以上情け無い姿を見せるわけには行かない。ああ、そうだとも。父であるためにも、自分は強くなければならない。

 

「私も、変わらなければな」

 

空を見上げると、空はいつの間にか晴れ渡り、晴天が広がっているのだった。

 

 

 

 

「……なんだか嬉しそうですね、マスター」

「あっ? 何を言ってるんだ、お前?」

 

空港のロビーで、和麻はウィル子に話を振られなんとも言えない顔をする。

 

「本当にマスターはツンデレなのですよ。厳馬がマスターを本当は気にかけていたと知ったからって、会いに行くなんて」

「いや、アレは厳馬を笑いに行っただけなんだけどな」

 

和麻は厳馬に合う前に、ウィル子が神凪を盗聴した際に拾っていた重悟との会話を和麻に聞かせたのだった。

 

「で、殴り合いまでしてきたと?」

「あいつが先に手を出したから俺も仕方がなくだよ。俺は無実だ」

 

和麻の言葉にウィル子はハァっとため息をつく。本当に神凪厳馬に関わると、和麻は熱血成分が入るから困る。いつもならクールに決めるし、相手を貶める極悪非道の存在なのに。

 

「マスターって、本当にわからない人ですね」

「そうだな。何で俺も親父の前だとあんなになるのかわからんな」

 

親父と言う発言にウィル子は「はいはい、ツンデレツンデレ」と呟く。もうデレ期に入ったんですねとついでに言う。

 

「おいおい。何行ってんだよ、お前」

「いえ、今のマスターにぴったりな言葉をと思いまして」

 

そんな二人はたわいの無い話を続ける。

 

「それで煉にはお別れはしてきたんですか?」

「ああ。厳馬との話が終わった後にな。煉もあの一件で少しは成長したみたいでな。俺に心配をかけられない様に頑張るんだってよ」

「それは何より。正直、煉も無自覚ながらマスターに厄介ごとを持ってくる感じでしたので」

「そりゃ言いすぎだと思うがな」

 

呆れながらも、和麻はウィル子の言葉に耳を傾ける。彼女がいつも和麻を優先してくれている事は誰よりも理解しているから。

 

「まっ、ここ最近は色々あったからしばらくは骨休めだ。南の島でのバカンス。臨時収入もあったし、楽しむか」

「マスターの場合は、常に楽しんでいるではないですか」

 

軽口を叩きながら、和麻は立ち上がるとそのまま飛行機の登場ゲートに進む。

 

「ではウィル子はパソコンの中に潜んでおりますので」

「ああ」

 

ウィル子は人目が無いところで和麻の持つパソコンに入る事にする。これで旅費が浮くとせこい考えだった。

和麻は一度だけ振り返り、空港の外、神凪の本邸がある方を見る。

 

「じゃあ頑張れよ、親父、煉」

 

そう呟くと、彼は再び日本を旅立つ。今度はいつこの国に来るのだろうか。おそらくは数年は先だろう。そう思いながら、彼は日本を離れる。

だが彼は知る由もない。和麻達が再び日本の地を踏むのは、そう遠く無いと言うことを。

そして、彼らはどこへ行っても、トラブルを引き寄せてしまうと言う事を。

 

 

 



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第三十一話

 

 

神凪一族を震撼させた風牙衆の反乱と、久我透の暴走。

事件の爪あとは、神凪一族に数多の試練を与える。

 

と言っても、他人から見れば自業自得と言われても仕方が無いが、当事者達からしてみれば溜まったものではない。

分家はもちろん、宗家も窮地に立たされ、社会的、物理的にも神凪一族の没落は日に日に酷くなっていく。

 

草葉の陰と言うか、地獄の釜につかっているであろう兵衛などは、この現状を見れば腹を抱えて大笑いしていただろう。

いや、地獄で大笑いしているのではなかろうか。

 

それはともかく、神凪一族はお家再興を目標に今日も精進するしかなかった。

そんな中でも日常は回る。そして人生には出会いと別れがある。

彼らにもその片方である出会いが訪れる。

 

 

 

 

綾乃side

 

「でりゃぁっ!」

 

綾乃は本日も警視庁から回される案件の解決に勤しんでいた。

特殊資料室に依頼される国内の様々な案件。戦闘系の術者を抱えていない資料室では手に余る討滅の作業を彼女は日々こなしていた。

 

久我透の事件から丸一月。彼女は事件が落ち着いた後、こうして三日に一回の割合で依頼をこなしていた。

以前よりもこなす数は多くなってきた。以前は一週間に一度程度だったが、今ではその倍近い。

 

「お嬢。あんまり無理をするなよ」

「いいえ、叔父様。これくらいしないとだめなんです」

 

仕事を終え、自分を送迎してくれる叔父である雅人にそう答える。正直、今の綾乃は己の弱さを悔いていた。

あの二つの事件で、綾乃は結局ほとんど何も出来なかった。確かに神との戦いでは綾乃は多少なりとも和麻の役に立ったが、それでも一分程度の時間を稼いだに過ぎない。

 

和麻から見れば、弱いくせにそれなりには役に立ったと、割と高評価だったのだが、綾乃自信は自分が弱いと突きつけられる出来事だった。

未熟と言うのは彼女自身理解していたが、それでもああまで現実を突きつけられる事態に遭遇すると、アイデンティティを根底から破壊される。

 

(それにしてもあいつはやっぱり何も言わずにいなくなったし)

 

綾乃の胸中に浮かぶ一人の男。

八神和麻。四年前に出奔したはとこ。四年前は一族内で唯一、炎を扱えない無能者として扱われていた。

 

だが最近日本に戻ってきた彼はどうだったのか。圧倒的と言っても指しつけない力を身につけていた。

綾乃如きでは手も足も出ない力。さらに和麻の言が正しければ、彼は神凪最強の術者である厳馬に正面から打ち勝ったらしい。

この話はあの場にいた者以外には誰も知らないし、聞いたところで一笑に付すだろう。

 

しかし綾乃はあの圧倒的なまでの力に憧れた。全盛期の父である重悟もあんな感じだったのだろうかと思う。

 

(でも性格は最悪よね)

 

思い返してもむかむかする。色々な意味で重悟とは似ても似つかない。いや、父親である厳馬にも似ていない。ついでに弟である煉にも。まさにつかみどころの無い風のような男である。

 

ある意味綾乃の考えは間違っていない。気ままに吹き荒れ、時には暴れ、時には人の迷惑を顧みない天災。和麻を言い表すならばそんな感じだろう。

 

(あいつ、今頃どこで何してるんだろうな……)

 

綾乃はぼんやりと、車の窓から外の光景を眺めながら、そんなことを考えた。

ちなみにその頃の和麻はと言うと……。

 

「よし。そろった」

「にひひひ。これで三連続ですね」

 

ウィル子と一緒に多少着飾って、高級ホテルのカジノで遊びまわっていたとか。

神凪とは本当に正反対の状況であった。

 

「ところで、お嬢。今から友達のところに行くんだろ? このまま送っていこうか?」

「えっ、ああ、うん。どうもありがとうございます」

「なに、気にするな。お嬢もここ最近は頑張ってるんだ。たまの息抜きくらい必要だ」

「でも雅人叔父様や厳馬叔父様だって忙しいんでしょ?」

「俺はお嬢や厳馬殿ほどじゃないさ。依頼の大半は宗家に回されるから、俺はお嬢の付き添いだし」

「……まったく。お父様もあたし一人でいいって言ってるのに」

 

綾乃は多少不機嫌そうに答える。今の綾乃は以前よりも子供扱いされる事が気に食わなかった。早く一人前になりたいと強く願うようになった事による反動だ。

それに雅人クラスの術者は神凪でも稀なのだ。彼には自分の護衛ではなく、もっと違う仕事を任せればいいのにと思っていた。

そんな綾乃に雅人は苦笑する。

 

「いやいや、お嬢や厳馬殿が頑張ってくれているからだよ。聞いた話じゃ、厳馬殿が大半の仕事をこなしているらしい。それに煉坊や燎もやる気を出してるからな」

 

若手である二人も前回の事件で綾乃同様感じる事が多々あり、精力的に修行の意味もかねて仕事をこなしている。

宗家がこんな風に積極的に行動すれば、いくら仕事の依頼があると言っても分家の全員が同じくらい仕事をこなすのは無理だ。

 

それに厳馬など綾乃の倍以上の仕事を受け持っているとか。霧香としてもこれ以上の神凪の失態や失敗は許されないので、出来る限り確実な人選で仕事をこなしたい。

そこに普段以上にやる気を出した厳馬が名乗りであれば、当然彼にばかり仕事が回される。

 

重悟としては厳馬一人だと神凪の全体のレベルが下がると懸念してしまうが、下手に未熟者を仕事に出して失敗しましたでは本当に神凪が終わる。彼としても苦渋の決断だろう。

 

燎や煉も雅人や厳馬が綾乃と同じように付き添いで、仕事に赴く。綾乃と違い、場慣れしておらず、経験も少ないのでは致し方ないが、雅人から見れば、二人は中々の速さで強くなっている。煉にいたっては、目を見張るものがある。燎も燎でかつての遅れを取り戻そうと、また煉に負けないようにと精進を繰り返している。綾乃もうかうかしていられないだろう。

 

(まったく。宗家の若手が育ってきているのに、熟年層があれじゃぁな)

 

雅人は分家の内情を思い出し、内心愚痴をこぼす。分家も先の一件でボロボロだった。

四つあった分家のうち、久我は事実上のお家断絶。四条も久我透によってボロボロにされた。

 

大神と結城はまだ健在だが、当主たる雅行と慎一郎がアレでは先が思いやられる。

それに結城家の次世代は素行が悪いと言う事で有名だ。慎吾に慎治を見ればわかる。武哉や武志はまともなのが救いだが、父親がアレでが……。

 

(我が兄ながら、何と言えばいいのか……)

 

他者を見下す因習は神凪全般に広がっている。その顕著な例が兄である雅行である。

何とかしたいが、自分が言っても聞き入れるどころか逆に反発するだろう。宗主も尽力しているが、どうにも出来ない。

 

(まっ、これはお嬢達じゃなくて、俺達が何とかするしかないな。今のお嬢達にここまで要求するのは酷だし、それを要求しちゃダメだな)

 

雅人はそう考え、これはここまでと打ち切る。しばらくすると目的の場所が見えてきた。

街の一画にあるカラオケ店。

この後、彼女は一つの出会いをする。それは彼女にとって人生でも最悪の部類に属する出会いである。

 

「炎雷覇と最強の炎術師の称号をかけて勝負ですわ、神凪綾乃!」

 

アメリカより、炎術師―――キャサリン・マクドナルド襲来。

 

 

 

 

Side煉

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「どうした。煉。それで根を上げるか」

「い、いえ。もう一度お願いします!」

 

神凪の鍛錬場では、一組の親子が手練を繰り返していた。

一人は神凪煉。和麻の弟にして、将来有望とされる炎術師。

一人は神凪厳馬。和麻の父にして、神凪最強と目される炎術師。

 

しかし両者共に、自分が強いと思ってはいなかった。

煉は目の前で母が殺されたのに、何も出来なかった。厳馬は勘当した息子に炎術師の土俵で破れ、さらには妻を守れなかった。

二人も自分達の未熟を、愚かさをあの事件で嫌と言うほど味わった。

だからこそ、煉は強くなる事を誓った。もう誰も失わないために。兄に心配をかけられないように。

 

厳馬は煉の憧れだった。そして四年前に帰って来た兄もまた、煉の憧れであった。

母の死に対して動揺することなく、自然体でいられるほどの心の強さ。何者をも寄せ付けない圧倒的な強さ。さらには煉を気遣う優しさ。

かなりフィルターがかかっているし、ウィル子の言葉で勘違いもしているが、煉には和麻がヒーローにしか見えなかった。

 

そんな兄のようになりたい。兄に心配をかけないためにも強くなりたい。だからこそ、以前よりも頻繁に厳馬に修行を願い出た。

息子の積極的な行動に厳馬も答え、時間が許す限り稽古を繰り返す。傍から見れば、修練は苛烈を極めた。十二歳の煉に課す修練では無かった。

 

しかし煉はそれをこなした。だからこそ、厳馬はさらに厳しい修練を煉に与える。本人が望むとおりの。

 

厳馬もまた、煉以上の課題を自分に課していた。自分の愚かしさを無力さを突きつけられた事件。

厳馬はかつて無いほど、自分の身体をいじめ抜いた。

もし重悟がその光景を見れば、必ず止めるほどに。自らを追い込み、追い込み、追い込みぬく。さらに退魔の仕事もこなしていくあたりはさすがである。

 

厳馬は自己管理をおろそかにはしない。依頼の失敗は許されない。それを理解しているからこそ、退魔の際は体調を整えている。それでもそれ以外は限界まで自分を酷使する。

それは更なる高みに上るためか、はたまた己の行き場の無い怒りを発散するためか。

 

「……今日はこれまでだ」

「ま、まだいけます!」

 

終わりを告げた厳馬に煉は反発する。しかし厳馬は首を横に振った。

 

「身体を休めるのも修行のうちだ。お前はまだ成長途中。今無理をしても体を壊すだけだ」

「でも!」

「私は休めと言っている」

 

若干睨まれる煉。まだ何かいいたかったが、厳馬の無言の圧力の前に煉は何も言えず、そのまま短く、はいと呟くと修練場を後にする。

残った厳馬は煉がいなくなると、静かに目を閉じ、気を高める。

強く、強くなりたい。何事にも動じぬ心と、大切な者を守れる強さを。

厳馬はそう静かに願った。

 

休めと言われた煉だったが、じっとしていられなかったので、彼は街を走る事にした。体力は何よりも大切だ。家にいて悶々としているよりもこの方がいい。

走りながら煉は考える。どうすれば強くなれるのか。どうすれば兄のようになれるのか。

 

煉は和麻の言葉を思い出す。

 

『本気で強さを求めるんだったら、無理でも無茶でも、何を捨ててでもやるし、やれるもんだ。やるしかないからな。人の十倍、二十倍、それこそ死ぬまでやってみて無理だったらその時諦めろ。途中で諦めるんだったらそれは本気でもなんでもない』

 

和麻はあの時、実体験を下に煉を諭すように語った。しかしそれが逆効果になった。

煉が強くなりたいと願った思いは、和麻の想像を超えていた。強さに憧れを持っていた心が、母を失った事で悪い意味で増幅されてしまった。

 

煉は自らの身体を省みずに修練を続ける。

だが十二歳の肉体がそんな過酷な修行に耐え切れるはずも無い。どれだけ走ったかわからない場所で、煉はとうとう限界を迎える。

 

「あっ……」

 

足がもつれ、倒れそうになる。息もかなり荒く、水分も足りていない。煉はそのまま地面に激突しそうになる。

 

「おっと。危ないよ、君」

 

不意に煉を支える手が横から伸びる。その手はまだ小さく、腕も細かった。しかし崩れ落ちる煉の身体を片手で十分に支えるほどに力強かった。

 

「あっ、ごめんなさい……」

「いやいや。僕は気にしないよ」

 

何とか体勢を立て直した煉は自分を支えてくれた人物を見る。まだ煉とそう変わらない年齢。身長も煉より少し高い程度だろう。黒髪の少年。しかし顔立ちは東洋系だが、日本人ではないようだった。

 

「それにしてもかなり無理をしているみたいだね。疲労困憊に脱水症状。他にもかなり身体をいじめ抜いているのか、筋肉も傷ついているみたいだね」

 

ニッコリと笑う少年は煉から離れると、まるで医者のように診断を下す。

 

「えっ……」

 

「何があったかは知らないけど、あまり感心しないな。折角の才能をここで潰すのはあまりにも勿体ない」

「才能?」

「そうだよ」

 

端的に答える少年に煉は若干訝しげな顔をする。

 

「ああ、いきなりこんな事を言われても不審に思うだろうね。まずは自己紹介をしようか。僕の名前は李朧月。中国から来た道士見習いだよ」

 

彼――李朧月は煉に笑顔で挨拶を交わした。

 

 

 

 

Side和麻

 

「……」

「? どうしたのですか、マスター」

 

今までスロットを打っていた和麻の手が、急に止まったことを疑問に感じたウィル子が声をかける。

彼らの後ろには物凄い数のチップの山が積みあがり、周囲の人を驚愕させ、店の従業員達を戦慄させていたが、そんなことお構い無しだった。

 

「いや、急に悪寒が……」

 

周囲をキョロキョロを見渡し、ついでに風で周囲を調べるが何も無い。怪しい気配は一切無い。

 

「なんですか。また厄介ごとですか」

 

勘弁してくださいとウィル子が言うと、和麻も俺も勘弁だと言い返す。

 

「折角南の島の最高級リゾートのカジノに来てるのに、面倒ごととか嫌だぞ、おい」

 

気を取り直し、もう一度スロットに向き合う。何回か押すとまた777がそろった。

 

「スロットで偉く儲けましたね」

「ああ。そろそろ次ぎ行って見るか。ルーレットで少し消費しても大丈夫だろう」

「これだけ稼いですぐになくなることなど無いのですよ」

「そうだな。んじゃあ席を替えるか」

 

立ち上がり、いくばくかのチップを手にルーレットの台に移動する。周囲もそれに釣られ、どうなるのかを見物するために、和麻の後ろに続く。

と、そんな和麻はルーレットの席を見て、ピシリと硬直する。

 

「どうしたのですか、マスター?」

「……」

 

和麻は無言のままギギギと壊れかけの機械のように、身体を硬くしながら回れ右する。

見てはいけないものを見てしまった。いや、ありえない。ありえない。ありえない。

 

いるはずがない。こんなところにいるはずが無い。いや、いてはいけない人間がそこにいる!

 

「おいおい、久しぶりだって言うのに、冷たい奴だな」

 

和麻に背を向けているルーレット席に座る一人の男。彼は一度も振り返ってなどいないのに、まるでこちらの事が見えているかのように声を発する。

しかもそれは日本語だった。

 

和麻は声をかけられると顔をしかめ、数秒の後諦めた顔をしながら肩を落としてとぼとぼとルーレット席へと向かっていく。そして男の隣にドカリと乱暴に座った。

和麻は男と顔を合わさないままに、チップをかけてルーレットを眺める。

 

「ずいぶん儲かってるみたいだな。最近全然噂も聞かないから、死んだかと思ってたが、生きてたんだな」

「俺がそう簡単に死ぬわけ無いでしょうが」

 

和麻の口調がいつもの尊大なものから相手を敬うようなものへと変化した。その変化にウィル子は驚愕した。

 

「面白い連れもいるみたいだな。どこで拾ってきた、アレ?」

「あいつの居城でですよ。ところで、そろそろお伺いしてもよろしいですか?」

「うん?」

「何故あなたがここにいらっしゃるのでしょうか、老師?」

 

今度は男の顔を見ながら、和麻は問う。

久方ぶりの再会。和麻の厳馬とは別のもう一人の師であり、世界最高の仙人である霞雷汎との不本意な再会であった。

 

 

 

 

日本・富士の樹海。

ここには日本でも名を響かせるある術者の一族が存在した。

石蕗一族。霊峰富士の守護を任された地術師の一族である。

富士山には魔獣が存在する。それは約三百年前の宝永の大噴火の際、あらぶる富士山の気が一つの存在を生み出した。

 

魔獣である。国内最大最強の魔性として語り継がれる存在。暴虐の限りを尽くし、咆哮で噴火を、踏み降ろした足で地震を呼び、触れるもの全てをなぎ払ったとされる。

 

それを封じたのが、かつてまだ名の知られていなかった石蕗一族の、一人の幼い少女だった。少女は七日七晩、大地の精霊王に祈りを捧げ、その加護の下に魔獣を封印する事に成功した。

 

しかしこの話はここでめでたしめでたしではない。少女は自らの命と引き換えに魔獣を封印したが、封印であった倒したのでも滅ぼしたのでもない。

さらに強大な封印をしても、魔獣の力が大きすぎて永遠に封じる事ができなかった。活火山でもある富士山の化身であるのだから、必然ともいえる。

 

三十年。それが封印のリミット。石蕗一族は魔獣を封印し続けるために定期的に儀式を行い、富士山の気を静めてきた。

簡単に言えば石蕗の直系の未婚の娘が、祭主としてその命を持って魔獣の気を鎮めるのだ。ほぼ100%の割合で死ぬために生贄とも呼ばれている。

 

これはある意味で必要な犠牲と言えなくも無い。もし魔獣が開放されれば日本は文字通り壊滅する。富士山の噴火だけでも大被害なのに、そこに魔獣が加われば日本が物理的に沈没してもおかしくは無い。

 

人的、経済的、様々な被害を考慮すれば一人の人間の命を犠牲にその先三十年を無事に過ごせるのなら、国としても黙認するしかない。むしろ石蕗にはその役目を果たし続けてもらわなければならない。

 

そんな大祭は半年先の一月に迫っていた。石蕗一族も九回目を迎える次の大祭に向けて準備を行っている。

だが今年の大祭はいつもと少々違う動きがあった。

 

(ふん。馬鹿馬鹿しい……)

 

石蕗一族の直系であり、首座の娘である石蕗紅羽は心の中で呟いた。彼女は一族の中では異端児だった。

石蕗の直系であり首座の娘でありながら、彼女は地術師としての力を一切有していなかった。変わりに有していたのは重力を操る異端の力。

 

なまじ力が強かったために、彼女は父からも疎まれる事になる。

そんな父が唯一気にかけるのはもう一人の娘である真由美である。紅羽の妹でもある少女。今回の大祭の祭主に選ばれる――――はずだった娘である。

そう、はずだったである。

 

彼女が祭主に選ばれる事は無くなった。なぜなら、祭主になる娘は他にいるからだ。

いや、本来ならいないはずだった。首座の子供は紅羽と真由美の二人だけ。

もし紅羽に地術を操る才能があれば、彼女が祭主にさせられていたかもしれないが、幸か不幸か彼女にはその才はなかった。

 

消去法で残るのは真由美。だが真由美を溺愛する首座の巌はそれだけは出来ないと別の方法を選択した。代用品である。

早い話、真由美のクローンを使うという、中々馬鹿げた考えだった。

それでも巌はそれを成そうと様々な手を尽くした。そのために違法研究所を手に入れ、技術者も用意した。中々の執念だと紅羽は思う。

 

(でもお父様。最後に笑うのはこの私よ)

 

紅羽は心の中で笑う。彼女には彼女の計画があった。五年も前から計画していた。誰にも気づかれず、静かに慎重に遂行してきた。

もうすぐ、もうすぐ私の願いが叶う……。

 

そんな折、紅羽に巌よりある命が下された。

 

「……海外遠征、ですか?」

「うむ。お前にはこの依頼を遂行してもらいたい」

 

紅羽は父より受けた依頼書を眺める。それは南国のある島で起こった猟奇事件の解決だった。

 

「ワシの友人からのたっての頼みでな。ワシは大祭の準備があって動けぬ。真由美では力不足。ゆえにお前が適任なのだ」

(よく言う……。厄介者の私を遠ざけたいのでしょうが)

 

巌の考えなど紅羽にはお見通しだった。と言うよりも、巌もそれを隠そうとしなかった。

彼は今回の依頼が多少重要であり、断れないと判断したため受けたのだろう。そして紅羽を選んだのは実力もそうだが捨て駒にしても言いと考えたのだろう。

 

大祭までもう半年。石蕗もピリピリとしている。

また国内では神凪が不祥事を起こしことで、この気に国内での地位を向上させようと石蕗は躍起になっていた。

紅羽の海外遠征は薄汚れた力を使う石蕗の異端児を外にやり、単純な地術師としての力を持つもので国内での基盤をさらに大きくしたのだろう。

 

ついでに自分を恨む紅羽が邪魔をしないようにするためだ。彼女が妹である真由美を大切にしている事は巌も知っているが、それでも何かしでかさないかと不安なのだ。

ゆえにしばらくの間、海外へ行かせて下手な事を出来ないようにするという狙いもあった。

 

(私が魔獣の力に目を付けていると言うことは、まだ気がついていないでしょうけど、下手な事をしないほうがいいわね)

 

まだ時間はある。ここは従順なフリをしておくべきだろう。

 

「わかりました。その依頼、謹んでお受けいたします」

 

深々と頭を下げる紅羽。

この遠征が彼女に何をもたらすのか、この時彼女は知るよりも無かった。

ウィル子と言う異物により、物語は本来の歴史とは大きく外れる事になる。

それがどんな結末をもたらすのか、誰一人知る事はない。

 

 



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第三十一二話

 

 

霞雷汎

 

和麻の知る限り世界最高の仙人であり、超越者に尤も近いと思われる人間。

いや、すでに彼は人間と言う範疇を超え、一個として完成された存在へと昇華しているとさえ和麻は思っている。

 

単純な戦闘能力では和麻が勝るだろうが、それでも和麻は師であり、今の自分を形作るのに大きく貢献してくれたこの人に勝てると思ったことはない。

仮に虚空閃を持ち、聖痕を発動させた状態でも、この人とは闘う気にもなれない。

 

(ほんと、なんでこんな所にいるんだか……)

 

霞雷汎は何も語らない。何故こんな場所にいるのかも語らず、和麻のチップを師匠権限とかで大量に奪ってゲームに興じている。

それ自体は別に構わないし、逆にまた増やしているからなんとも思わない。しかし心臓に悪い。苦手と言うわけではないが、和麻としては頭の上がらない数少ない相手が、どう言う事情でここにいるのかわからないのでは、気が休まらない。

 

「おいおい。辛気臭い顔をしてないで、お前も楽しめよ」

「そう思うんだったら、せめて事情くらい説明してもらいたいんですが。つうか、今日は師兄は一緒じゃないんですか?」

 

和麻はもう一人の苦手な人物を頭に思い浮かべながら、老師に尋ねる。師兄である李朧月は力に目覚め、天狗になっていた和麻を完膚なきまでに叩き潰した最悪の存在だった。

当時は何をされたのかもわからないほど、圧倒的に完膚なきまでに叩きのめされ、軽くトラウマになっている。

出来ればもう二度と会いたくないなーと心の中でぼやく。

 

「マスター、マスター。どちら様なのですか?」

 

和麻が物凄く苦手意識を出していると言う珍しい光景に、ウィル子が興味津々に聞いてくる。これを気に少しは弱みでも握れるかと言う打算があったのは言うまでもない。

 

「あー。俺の師匠だな。仙術の方だけど。復讐するために力の制御が必要だったから、それ系統で鍛えてもらった」

「マスターの師匠なのですか。うーむ。どこにでもいる普通の人に見えますが」

「それがあの人の怖いところだよ。どこにでもいる普通の人間にしか見えないし、思えない。俺でも気配を探っても、よほど注意しないと気づかない」

 

自然と一体になっているかのように、そこにいるのに、いないような。それでいて違和感を生じさせることなく、自然である。

仙人としての極地にいる世界最高の存在。内包する力はかのアーウィンと同等かそれ以上。

 

「俺が戦いたくない数少ない人間だよ。いや、老師を人間って呼んでいいのか疑問だけどもな」

 

ウィル子は思う。和麻にここまで言わせる相手

それほどまでの相手なのかと、ウィル子も冷や汗をかく。

 

「とにかく、しばらくは老師に付き合う。ここにいる理由も気になるしな」

「……たぶん面倒ごとなのですよ」

「……言うなよ。俺も考えたくないんだからな」

 

やけっぱちに呟くと和麻は現実逃避の意味も込めて、ゲームに勤しむのだった。

 

 

 

 

ゲームもひと段落して、和麻とウィル子は霞雷汎は伴い、自分が泊まる予定のホテルの一室に向かった。

師は別口に部屋を取っていたようだが、こちらも事情を聞きたいので部屋に案内した。

 

「で、そろそろ事情を聞きたいんですが」

「ん? そうだな」

 

部屋のソファに座り、和麻に注文させたうまい酒を飲みながら霞雷汎は口を開く。

ちなみに和麻はベッドに腰かけ、ウィル子はふわふわとその横で浮かんでいる。

 

「俺の宝貝が幾つか盗まれた」

「はっ?」

 

師の言葉に和麻は思わず驚きの声を上げた。盗まれた? 師の保有している宝貝が?

 

「いや、それは何の冗談ですか?」

 

聞き返す。和麻にしてみればそれくらいありえない事だった。

師の所有する宝貝を盗みにいくという暴挙に出た犯人の根性も凄いが、盗まれるという失態をこの人が犯したなどとは信じられない。

 

「まあ正確に言えば、朧の奴の蔵に預けてたレプリカが幾つかだがな」

「そりゃ命知らずな奴がいたもんで」

 

あの兄弟子の蔵から強奪など考えるだけでも恐ろしい。今頃のその犯人は彼により、生まれてきたことを後悔するほどの苦痛を味合わされているだろう。冥福を祈る気には一切無いが、少しだけ心の中で馬鹿なことをしたもんだと呟く。

しかしと和麻は考える。盗まれたのが師兄の蔵からならば、師兄が赴くはず。なのに何故老師が動いているのか。

 

「で、何で俺が動いてるかなんだが、一個だけ盗まれた中で面倒な奴があってな」

「何か凄くいやな予感がするんですが」

「ああ。オリジナルの雷公鞭を盗まれた」

「ちょっと待て!」

 

和麻は思わず叫んでしまった。雷公鞭だと!?

 

雷公鞭とは宝貝の中でも最強の攻撃力を誇るもので、超強力な雷で瞬時に形あるものすべてを焼き尽くすことができる。またそれだけではなく、影や魂さえ溶かすことができると言われる、攻撃力だけで言えば最強を通り越してありえないと言えるほどの宝貝だ。

 

はっきり言えば、和麻や厳馬の全力さえも霞むほどの力である。仮にこの二人が協力しても雷公鞭の攻撃力に勝る事ができるか疑問である。

 

「まあ俺でも完璧に使いこなせなかったから封印してたんだがな」

「それも師兄の蔵に入れてたんですか?」

「いや、それは別のところだったんだがな。朧のとこに太極図のレプリカを預けてたんだが、そいつを使って雷公鞭の封印を解いたみたいだ。壊れた太極図のレプリカが残ってた」

 

話を聞いて和麻はさらにブルーになる。レプリカの太極図でも厄介だが、何だその話は。

 

「……師兄にしてはとんでもないミスをしましたね」

「あいつも俺の使いでしばらく蔵から離れてたからな。まあ盗んだ相手は三下だから雷公鞭を使いこなせるはずが無いが」

「三下が老師の蔵に封印されてた雷公鞭を盗めるんですか? ていうか雷公鞭のオリジナルなんてどうしたんですか? てか存在してたんですか?」

「質問ばっかりだな。盗まれたのは事実だからな。あと雷公鞭のオリジナルは俺が師匠から譲り受けた」

 

あんたの師匠は何者だとか、太極図のコピーって何だとか色々とツッコみたい所は山ほどだったが、話を聞いて、もうどうでもいいやと和麻は思った。

問題はここから自分が巻き込まれるという事だけだろう。和麻は一度ため息をつく。

 

「で、犯人はわかってるならなんで老師はここにいるんですか? 師兄と一緒に出向けば、万一も無いでしょうに」

「それがな。どうにも犯人は一人じゃないみたいでな。三下の方は朧に追わせてるが、本命の雷公鞭は別の奴が持ってる」

「……それがこの近くにいると?」

「ああ」

 

天を仰ぐ和麻。その様子に霞雷汎はニヤリと笑う。

 

「当然、お前も手伝ってくれるよな?」

 

和麻に拒否権など無かった。こうして和麻は巻き込まれていく事になる。

 

 

 

 

夜の街。

和麻達は闇夜にまぎれて街を散策していた。

 

「あのマスターが無条件に従わされているなんて。ウィル子にはとても考えられないのですよ」

「うるさい。黙れ」

 

ウィル子の言葉に和麻は向きになって反論する。かなり不機嫌でイライラしているが、さすがに老師にこの感情をぶつけるわけにも行かない。ウィル子に対して若干態度をきつくするのも仕方が無い。

 

「しかも老師はどっかに行っちまうし」

「あー。下手に二人で行動してると怪しまれるとか何とか言ってましたね。それに探し物はお前の方が得意分野だろうとも」

「たぶん俺を囮にしたいんだろうよ。もしくは出来るだけ楽をしたいとか。ったく。それは俺の役だろうに」

 

何で俺がこんな面倒ごとにとぶつぶつと文句を言う。

 

「しかしマスター。オリジナルの雷公鞭を相手にするのはさすがのマスターでも骨が折れるのでは?」

「当たり前だろ。つうか真正面からやり合いたくないぞ。伝説上の武器で多分聖痕を発動させた黄金色の風でも打ち破れる破壊力を持つ宝貝だぞ? 伝説では使った時には国一つを雷が覆ったとか……。しかも手加減した状態で」

「……本当にやりあいたくないですね」

「まったくだ。ただ老師でさえ扱いきれなかった雷公鞭を、使いこなせる奴がいるかって言えば多分いないだろう。……ただこういう予想は外れたときは痛いからな」

「兵衛の時とか色々ありますからね」

 

二人は顔を見合わせてハァっとため息をつく。だが言い合っていても仕方が無い。

 

「犯人を見つけてとっとと強襲して、雷公鞭を使われる前に殺して奪い返すぞ」

「了解なのですよ」

 

二人は今後の基本方針を決めて、捜索を開始する。

霞雷汎の話では相手はこの街に隠れて何かをたくらんでいるらしい。それが何かはわかっていない。また犯人の正体もよく分かっていないらしい。

あの人にしてみればありえない失態といえば失態だが……。

 

「……で、いきなりこれか」

 

周囲に漂う異様な気配。闇夜に浮かぶ赤いいくつ物光点。獣のうめき声のような声が聞こえる。

和麻は風で正体を探る。狼の顔。身体には剛毛と隆々な筋肉を引っさげる人狼と呼ばれる存在。それが一体や二体ではない。無数に和麻を取り囲んでいる。

 

さらには普通の狼に近いタイプまでいる。こちらも数は多い。

ついでに何故かゾンビも山ほどいるではないか。こちらは血を吸われた人間のようだが、ここまで来ると浄化の風でも助けられない。

 

「団体さんですね。敵はワーウルフですか?」

「基本ヨーロッパ系統の奴なんだけどな。何で南の島に団体さんでいるんだ?」

「ウィル子に聞かれてもわからないのですよ。ですがこうなると魔女とか魔術師とかそういう関係でしょうか?」

「魔術師が仙人の宝貝を強奪するなよな。研究目的とか価値があるのは分かるが」

 

宝貝の中でも最高の一つに数えられる雷公鞭。そのオリジナルの価値は計り知れない。コレクションとして、または研究用にと多くの人間が欲するだろう。

しかし盗み出した相手があの人ではかなり問題があるが……。

 

「っても雑魚だけどな」

 

瞬間、風が吹き荒れる。膨大な数の風の刃がまるでギロチンのように周囲を駆け、敵へと襲いかかかる。

疾風の前に人狼達も何も出来ない。真っ二つに切り裂かれ、周囲を赤く染め上げていく。

さらにゾンビたちは浄化の風で浄化していく。運がよければ人間に戻れる奴もいるかも知れない。

 

「この程度で俺を倒そうとか考えてるんだからな」

 

血に染まる道を何事も無かったかのように歩く和麻。ウィル子も見慣れたものとふよふよと後ろに続く。

だが狼や人狼は絶え間なく和麻に向かい襲い掛かる。ここまで倒した数は百を軽く超える。明日になれば街は大騒ぎになるだろうが和麻の知った事ではない。

 

「まっ、犯人をとっとと見つけるか」

 

和麻はこうして犯人探しを始めるのだった。

 

 

 

 

薄暗い場所。そこでは何かの儀式が行われていた。

中央に鎮座すのは最強の攻撃力を誇るといわれる雷公鞭。その周囲には幾重にも奇妙な文字が書かれた魔法陣が敷かれていた。

 

「……」

 

その中央で儀式を続ける一人の男。漆黒のマントを羽織、奇妙な言葉を口ずさみ、延々と集中を続けていた。

その片隅でもう一人別の男がその様子をじっと見据えていた。

 

(まさか八神和麻がここに現われるとは……)

 

様子を見据えていた男は焦燥に包まれていた。不倶戴天の敵にして、今はまだ関わりあうことをしたくない相手。

男の名前はヴェルンハルト・ローデス。かつてアルマゲストの評議会議長であり、実質組織を運営していた男だった。

 

しかしかつての名は今は何の意味も持たない。数百年以上の伝統を持ち、欧州最高峰の魔術組織はすでに消滅した。

アルマゲストに所属していた人間は、彼を除いてすでに生き残っていない。すべて何者かに殺されたのだ。

 

だがヴェルンハルトは気づいていた。あの男。八神和麻の仕業だと。それ以外に考えられない。

あの男が生きていたと知ったのはつい最近だった。ここ一年、姿を見せずに死んだものと思っていた。だが奴は日本に現われた。生きていたのだ。

それを知った時、ヴェルンハルトの中で全てのピースが嵌り合った。

 

今のヴェルンハルトには奴を倒す手段を持たない。再起を図り、目の前の男と協力し、ある儀式を行おうと画策した。

これは召喚の儀式。オリジナル雷公鞭と言う伝説の武器の膨大なエネルギーを使い、扉を開こうと画策した。

 

呼び出す存在は最古にして最強と呼ばれる神。伝承の生にだけ残る神らしいが、ヴェルンハルト自体もその存在についてはあまり良く知らない。

以前にアーウィンが一度だけ語ったのを聞いたくらいだ。

 

彼はこう語っていた『すべての邪神・厄神の祖』と。

 

正直言って眉唾物であるが、ヴェルンハルトの目の前で儀式を続ける男はそれを信じている。

復活させる神がどんな姿なのか。どんな能力を有しているのか。その名前さえもヴェルンハルトは知らない。

目の前の男もただ人づてに聞いたと言うだけだ。彼はアーウィンの昔からの知り合いの吸血鬼であり、ノスフェラトゥと自らを名乗った。

 

どれだけの年月を生きている吸血鬼は知らなかったが、彼曰く『これを蘇らせればアーウィンを地獄より呼び戻せるはず』と語った。

ヴェルンハルトはそれならばと協力を申し出た。どの道、彼に選択肢はほとんど残されていなかった。拠点も資金も大半を失い、彼に縋らなければ立ち行かなくなっていた。

 

彼には完成させなければならない存在があった。無論、それはノスフェラトゥの協力で完成にこぎつけそうではある。

しかし今の時期に八神和麻の襲来は不味い。

と、今まで呪文を呟いていたノスフェラトゥが突然、儀式を取りやめヴェルンハルトの下へとやってきた。

 

「どうした?」

「配下が全てやられた。ここが見つかるのも時間の問題だ」

 

不味いとヴェルンハルトは思った。今ここに八神和麻が来れば、雌伏の時と耐えてきたこの一年が無駄になりかねない。

 

「時間稼ぎを行え。あの女を使えば……」

「ラピスはまだ早い。調整にも時間が足りていないから無理だ」

「わかった。ならばアレを使う」

「あれ?」

「小うるさくも我を探っていた女がいた。我が配下の一人が起こした事件の解決で赴いたようだが、我の敵ではなかった。色々と面白いものに変質していたからな。血は不味くて飲めたものではなかったが、中々強かったので新しく我が配下に加えた」

 

ほうっとヴェルンハルトは思った。そんな手駒がいるのならば、少しは時間稼ぎが出来るだろう。ヴェルンハルトとしては、すでにこの場を如何に逃げるかと言う算段を立てていた。

 

ノスフェラトゥには利用価値がまだまだあるが、この男は逃げるという事をしない。

折角あの楊と言う道士をそそのかし、雷公鞭を手に入れるように仕向けたが、無駄に終わったようだ。それとも儀式をまだ続けるだろうか。

 

「お前の考えは手に取るようにわかる。寝首をかかれても困る。さっさとこの場から消えろ」

 

ヴェルンハルトの考えを読んだのか、ノスフェラトゥはそう告げる。

 

「……わかった」

 

何も言わず、ヴェルンハルトは短く告げると、そのまま背を向け、その場を後にした。

ノスフェラトゥはふんと小さく声を漏らす。彼もまたヴェルンハルトを利用していた。落ちぶれたとは言え、アルマゲストの評議会議長を務めた男。十分に役に立ってくれた。

 

オリジナル雷公鞭を手に入れたのは大きい。ノスフェラトゥでは使いこなせるかはわからないが、アーウィンが残した魔法陣により、そのエネルギーを得る事はできた。

雷公鞭の活用方法はその膨大な攻撃を生み出すエネルギー。儀式が完了するまであと数時間はかかる。それまであの女が足止めをしていてくれればいい。

 

ノスフェラトゥは八神和麻のことを知らない。ヴェルンハルトも話していなかった。

だからこそ侮っていた。十分時間稼ぎにはなると。それにノスフェラトゥはもう一人注意を払う必要の人物がいた。

 

「……来たか。霞雷汎」

「おうおう。俺の雷公鞭をこんな事に使いやがって」

 

スッとどこからともなく姿を現す霞雷汎にノスフェラトゥは驚きもせずに言うと、彼のほうに身体を向ける。

 

「かれこれ何百年ぶりか。相変わらず変わらんな」

「そう言うお前もな。しかしお前が黒幕だったとは。いや、確かにそう考えるとそうだけどな。オリジナル雷公鞭の存在を知っている奴は限られてた。三千年以上生きてるお前なら知っていても当然か」

「古い話よ」

 

お互い世間話をするかのように、二人は向かい合いながら対話を続ける。しかしどちらもその力は高まっている。

 

「我が配下を蹴散らした者は貴様の差し金か?」

「おう。ばったり、偶然再会した俺の弟子。使えるから利用した」

「なるほど。貴様が来る事を予想して配置していたが、思わぬ伏兵に気を取られた」

 

してやられたという風にノスフェラトゥは語る。

 

「で、雷公鞭を使って何をしようって言うんだ。見たところ、何かの召喚だろうが。お前が召喚士の真似事か?」

「そうだ。最古にして最強の神を呼び出す」

 

そう言ったノスフェラトゥの言葉に霞雷汎は顔をしかめた。

 

「おい。アレを呼び出すだと? 正気か? アレはこの世界の誰にも制御なんてできない。いや、呼び出した瞬間にお前も取り込まれるぞ。それこそ世界ごと」

「それもまた一興。長く生き過ぎたゆえに、そう言う終わりもまた良い」

「勘弁してくれよ。俺はまだ死ぬ気は無いぞ。それに自殺なら自分ひとりで勝手にやってろ」

 

霞雷汎はやだやだと首を横に振る。もしウィル子が見れば和麻のようだと評した事だろう。

 

「我と話の合う同族も今はもういない。半年ほど前、中国に居を構えていた我が友人も何者かに討たれた。共に切磋琢磨した友人であり、よき強敵であったが。その最後はあっけないものよ。何でも花嫁を奪おうとして逆に返り討ちと言う愚かしい物だったらしいが」

 

馬鹿な奴だと見下したようにノスフェラトゥは言う。

 

「だからもうどうでも良くなったってのか? 勝手なものだな」

「貴様との問答など必要ない。我は呼び起こす。かの者を。最古にして最強の神。眠り続けるもの。億千万の闇。そう、かの暗黒神、ロソ・ノアレを」

「させるかよ」

 

最強の仙人と最強の吸血鬼がここに衝突した。

 

 

 

 

ピクリと和麻は大きな力の高まりを感じた。

視線を向ける先は山の一角。そこで大きな魔力と気の衝突が起こった。

 

「おうおう。老師が始めたな。やっぱり俺を囮にして自分だけ敵地に乗り込んだのか」

 

まっ、これで俺がする事はないかと和麻は高を括る。霞雷汎は和麻が知る限り最高クラスの存在だ。あの神凪厳馬にさえ真正面から戦っても負けるイメージが無い。

つまり勝ったなと言う思いだ。

 

「しかし相手も中々……」

 

だが直後、和麻は顔をこわばらせる。相手の魔力が尋常ではない。これではまるであの時の、三千年生きた吸血鬼並みではないか。

 

「こりゃ、関わらないほうがいいな」

 

触らぬ神に祟りなし。あんな相手をしなくて良かったと安堵していると、今度はまた別の何かが和麻に向かって襲い掛かってきた。

 

「おっと!」

 

風の刃で迫った来た球体状の何かを破壊する。

 

「ん?」

 

見ればそれは女だった。スーツに身を包んだ二十代半ばから後半くらいの女性。長いつややかな黒髪を背中まで伸ばしている。

だが体から立ち上る気配は妖気であり、異質な気配が周囲を歪めていく。

 

「なんだ、お前?」

 

和麻は女に聞く。答えが帰って来るとは思っていない。どうせ魔術師か何かに操られた奴だろうと思ったからだ。

 

「……石蕗」

「はっ?」

 

だが和麻の予想に反して、女は自らの名前を述べた。

 

「私の名前は石蕗紅羽。ここより先は一歩も通さないわ」

 

ニヤリと不気味に、妖艶に笑いながら彼女は告げる。同時に周囲の景色が歪む。妖気に当てられたからだけではない。何か物理的に、空間が歪んでいるかのようにも見えた。

 

「おいおい。なんだ、そりゃ。中々面白い手品だな」

 

言って、和麻は虚空閃を抜く。無手でも負けないだろうが、少々厄介そうなので虚空閃を使う事にしたのだ。

 

「死になさい!」

 

紅羽の宣言と共に、和麻に無数の黒い球体状の物体が襲い掛かった。

 

 

 

 

紅羽は歓喜していた。

力が力がわきあがる!

この島に来て、彼女は依頼された猟奇事件の調査に当たっていた。

そして彼女は遭遇した。ノスフェラトゥに。

彼女は善戦した。持ち前の異能を駆使して。

 

しかし結果は惨敗した。手も足も出なかった。多少相手の意表をついてダメージを与える事が出来た。もし昼間に戦ったのなら、彼女ももう少し相手を追い詰められただろう。

だが夜にノスフェラトゥは紅羽に戦いを挑んだ。夜の吸血鬼を相手にするのは紅羽にも無理だった。否、ノスフェラトゥが強すぎたのだ。

傷つき、倒れ、彼女はノスフェラトゥに血を吸われた。

 

『不味いな。不味すぎる。不純物が多すぎる。貴様、人間を捨てたな』

 

最初、ノスフェラトゥが何を言っているのか理解できなかった。いや、魔獣の力を取り込もうと画策していたし、事実一部は取り込んだ。

しかしまだ自分は人間であると思っていた。

 

『哀れな奴よ。まだ自分が人間であると思っておるのか。いや、まだ引き返せるではあろうが、今のままでは遠からず人間ではなくなる』

 

私が人間ではない?

紅羽の心を動揺が走る。

 

『まあ良い。丁度手駒も欲しかった。貴様の中の不純物を我の力で上書きしてくれよう。我が手駒になれ』

 

そう言ってノスフェラトゥは紅羽を配下に置いた。彼女の中の力の源泉にして、彼女を縛り付けていた存在を破壊して。

新たな支配者の下に、彼女は生まれ変わった。

 

「あは、あははははは!!!」

 

彼女が腕を振るうと、地面が隆起した。そこから伸びるのは石の槍。

 

「地術か?」

 

和麻は冷静に攻撃を見定めると、風で宙を舞う。地術師との戦闘で厄介なのが足場を奪われること。常に足元を気にして戦わなければならないので、大抵の術師との相性は最悪といえる。

しかし風術師にはそれが当てはまらない。彼らは風を友とする。地に足をつけずとも、空で活動できるのだ。まして和麻クラスならばどうと言うこともない。

 

紅羽はそんな和麻に追撃をかける。上空から降り注ぐ黒い球体とそれに随伴するかのように高速で降り注ぐ野球ボールからバスケットボールくらいの大きさの大小さまざまな岩の塊。上と下からの二重の攻撃は並みのものならばそれだけで致命的だろう。

だが和麻は虚空閃を軽く振るうだけでその全てを徹底的に、完膚なきまでに破壊しつくす。

 

「やるわね」

 

紅羽は再びニヤリと笑った。正直、心が躍っていた。初めて使う地術を彼女は堪能していた。

ノスフェラトゥの支配下になってから、彼女は急に地の精霊達の声が聞こえるようになった。また本来持っていた異能の力も変わらず使えるようになっていた。

彼女は力を欲していた。だからこそ、ある計画を画策していたのだ。

 

「もっと! もっと力を!」

 

彼女の叫びに呼応し、大地が揺れ、空がきしむ。

そんな様子を和麻は一瞥すると、ハァッとため息を吐き、こう呟いた。

 

「……めんどくせ」

 

と。

 



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第三十三話

魔力と気がぶつかり合う。

片や三千年以上を生きた吸血鬼。

片や高いレベルで仙術を習得し、神に近いとされる仙人。

共に最上級の強さを誇る存在である。

そんな化け物がぶつかり合えばどうなるのか、それは周囲の状況が物語っている。

並みの術者がこの場にいれば、すでに肉片も残らないほどの激しい戦いだった。

 

「ちっ、相変わらずバカみたいな魔力だな」

「その我とここまで戦える貴様もさすがだよ、霞雷汎。だが貴様の方が有利であろう? 何せ貴様には宝貝があるのだから」

 

まるで挑発するかのように言うノスフェラトゥに、霞雷汎は舌打ちする。

 

「……一体何狙ってやがるんだ、お前? ロソ・ノアレにしろ、今回の雷公鞭の一件にしろ、俺を引っ張り出そうとした意図がわからねぇな」

「なに。世界の終焉を知り合いと共に見ようと思っただけのこと」

「んな席に俺を呼ぶな。迷惑極まりないだろうが。お前といいアーウィンといいな」

「アーウィンか。奴は人間にしてはやる男だった。しかし一年ほど前に何者かに殺された。惜しい男を亡くしたものだ」

 

やれやれとノスフェラトゥは首を横に振る。

旧知の者としては、彼の死はこの世界の損失だとも思えて仕方がない。

アーウィン・レスザール。アルマゲストの創設者にして、その首領。

この五百年、並ぶ者がないとさえ言われる、天才にして至高の魔術師。

彼が発見、あるいは復活された術は数知れず。

その名を知らぬ者は裏の世界には居ないと言われるほどだ。

 

「あいつも迷惑極まりない奴だったからな」

「奴もロソ・ノアレを求めていた。星と叡智の名の下に、な。この世界そのものとも言え、数多の平行世界にさえも存在するという全ての闇の象徴であり、そのものでもある存在。この儀式も四年前にその原型を作り出したようだがな」

 

霞雷汎は四年前のあの時を思い出し、一瞬だけ目を閉じる。もちろん警戒は怠らない。隙など一切見せない。

思い出すのはあの時、和麻と初めて出会ったあの場所。

俗世へのかかわりを持たないといわれる仙人である霞雷汎が、何故アーウィンの行動を阻止しようとしたのか。何故全てが終わった後に訪れたのか。

それには理由が存在した。

 

「あの時もあいつはロソ・ノアレを召喚しようとしていた。いや、その前の実験段階だったがな」

「ああ。一人の娘の命と心臓と魂と肉体を使っての検証実験。呼び出した悪魔はロソ・アノレへとつながるための布石となった。この法陣を組み上げるためにな」

 

神凪和麻と言う人間を八神和麻へと変えるきっかけとなった忌まわしき事件。

和麻が全てに絶望した事件。和麻が翠鈴を失った事件。

その一件は、アーウィンにしてみれば一つの通過点に過ぎなかった。

アーウィンの目的もまた、ロソ・ノアレと言う存在へと至るためだったのだ。

 

「全てを探求する事を目的とする魔術師の奴が、ロソ・ノアレを求めても仕方が無いな。あれは全にして一、一にして全の究極の存在にも等しい」

 

ロソ・ノアレ。

すべての邪神・厄神の祖」と謂れ、「暗黒神」「億千万の闇」「ロソ・マウソ」「アンリ・マンユ」「アーリマン」などの様々な呼び方を持つ。

物理的・概念的な闇、そのものであり、その存在は神を、超越者さえも凌駕する存在である。

 

霞雷汎はアーウィンの行動が魔術師として当然であると思っていた。しかしアーウィンはまだロソ・ノアレの存在を甘く見ていたのではないだろうか。

 

「そう。全ての知的生命体の中にも奴は存在する。心の闇の中に。アーウィンの中にも我の中にも。いや、この身近のどこにでもいると言っていい」

「ああ。だがどこにでもいて、どこにもいない存在。そして決して目覚めさせてはいけない存在。眠り続ける者、ロソ・ノアレ」

「四年前。お前はアーウィンを止めようと動いた。だが間に合わなかった。アーウィンはそれを見越して、足止めをいくつも仕掛けていたからな」

「まっ、間に合わなかったって言うのは間違いだな。あいつがあの時点で完全にロソ・ノアレを召喚しようとしてなかったから、すぐに向かう必要が無いって判断しただけだ。焦って向かったところで、いい事なんて無いからな」

「物は言いようだな」

「言ってろ」

 

実際のところ、あの時は霞雷汎も少しだけ焦った。何せロソ・ノアレが召喚されれば、如何に彼とて敗北は確定していた。それほどの相手なのだ。

 

いや、あれは何人たりとも勝つことができない。

そもそも勝つとか負けるとか、そんな概念すらロソ・ノアレの前では意味を無くしてしまう、それほどの存在だ。

 

召喚の儀式の気配を掴んでいた事で、どんな事をアーウィンがしているかも理解していた。千里眼と呼ばれる能力も、この男は持っていた。

そしてこの男は和麻のことも前もって知っていたのだ。と言っても、儀式を止めようと一人で殴りこんでいったこと所を見ていただけだが。

 

あの時、霞雷汎が和麻と出会ったのは偶然ではあったが、彼を助け弟子にしたのは気まぐれでもなんでもなかった。

そう、アーウィンを抹殺するために、霞雷汎は和麻を育て上げたのだ。

ロソ・ノアレと言う存在を召喚しようとしたアーウィンを、霞雷汎は放置しておく事はできないと判断したのだ。

 

和麻が失敗すれば自分が動くつもりだった。しかし和麻の力が予想以上であったため、彼が動く必要は無かった。

もっとも和麻を弟子にした理由はそういった打算的なもの以外にもあったりもするが、これを彼が和麻に語ることは決してないだろう。

 

何故彼がかつての己の名であった八神と言う姓を和麻に与えたのか。それを彼が語ることは永久にないかもしれない。

 

「アーウィンが死んで、あいつのやろうとしていたことも終わったって思ってたんだが、あいつ以外にこんなバカをやらかす奴がいたとは。地獄の悪魔を呼ぶのとはわけが違うぞ?」

 

地獄の悪魔をも呼び出そうものなら、一つの都市どころか国が消滅する規模ではある。どの道はた迷惑な事には変わりは無い。

 

「知っている。爵位持ちの悪魔でさえも赤子扱いの存在だからな。良いではないか。このくだらぬ世界の幕引きには、これ以上ないほどにふさわしい」

「世界がくだらないって言うのはお前の主観だな。俺はまだこの世界にそこまで絶望しちゃいない。だからお前をここで潰す」

 

スッと霞雷汎は虚空より巨大なはさみの様な道具を取り出した。

 

「ふん。金蛟剪か」

 

金蛟剪とは仙人である趙公明が愛用したとされる宝貝である。破壊力と言う点では雷公鞭には劣る物の宝貝の中でも最高クラスである。

 

「そうだ。破壊力は抜群だぜ?」

 

宣言と同時に二匹の蛟竜がノスフェラトゥに襲いかかった。

 

 

 

 

なんだ、これは!?

石蕗紅羽は目の前で起こる光景に信じられなかった。

彼女は力を得たと思っていた。事実、今の彼女の力は一族よりも尚強く、とても地術に目覚めたばかりとは思えないほどに精密に力を操っていた。

また彼女が本来元々扱えていた重力による攻撃と相まって、大半の敵に対しては苦戦を強いる事など無いはずだった。

 

だが……

 

「……だるっ」

 

気だるげに槍を振るう男―――八神和麻。それだけで紅羽の繰り出す攻撃は悉く切り裂かれ、吹き飛ばされてしまった。

どれだけの密度を誇る岩も、超重力の球体も、ただ槍を振るうだけで、もしくは突き出すだけで簡単に消滅させられた。

 

「そんな、そんな、そんな……!?」

 

紅羽は次々に攻撃を続ける。誰にも負けるはずが無い。今の自分がただの人間に負けるはずなど無いのだ。

願って止まなかった地術師としての力も手に入れた。その力は才能に溢れた妹よりも、あるいは父よりも上であると確信していた。

 

重力にしても、今まで以上に強力な重力を操れるようになった。球体だけではなく、周辺の重力操作も出来るまでになった。

今の自分はこの力を与えてくれたノスフェラトゥ以外には負けない。そう思っていた。なのに!

 

「こんな、こんな事がありえるわけが無い!」

 

ムキになりながら、紅羽はさらに重力場を強める。今の周辺の重力は通常の五倍。それを一気に十倍にまで高める。

さらに巨大な土で出来た竜を三匹作り出し、一斉に和麻に差し向ける。

並みの術者なら、重力場に押しつぶされて身動きすら取れないだろう。

その後に迫る高密度の土の竜に飲み込まれ、即座に体を押しつぶされていただろう。

 

しかし相手が悪かった。彼女の相手は世界最高の風術師であり、神器を所有する契約者なのだ。

さらに彼の風は事象としての風ではなく、風の精霊を媒体に己の意思をこの世界に具象化することが出来る。

つまり重力場であろうとも、切り裂く事が可能なのである。

 

さらには彼の力を何倍にも増幅する虚空閃と言う神器があることで、今の紅羽であってしても和麻を苦戦させる事は出来ない。

もし和麻が虚空閃を持っていなければ、あるいはもう少しいい勝負をしたかもしれない。

 

「もういい加減に面倒になった。そろそろ終われ」

「っ!?」

 

風が咆哮を上げる。質量を持たない、エネルギーも炎に比べれば少ないただの風なのに、紅羽は今までに感じた事も無い程の威圧感をその身に受けた。

 

(風!? これが風術師の扱う風だというの!?)

 

風なんてものではない。これはもうそんなレベルではない!

嵐、台風。いや、それすらも凌駕する、自然災害にも匹敵するような風の渦が、流れが、紅羽に向かい襲い掛かる。

 

「ば、化け物!」

 

そう叫ぶしか出来ない。自分を叩き潰したノスフェラトゥにもこのような感情を抱いたが、あれは三千年を生きた吸血鬼だった。

人が抗う事が出来ない、強大な力と知性を秘めた存在。だからこそ、紅羽はまだ納得できた。

しかし目の前の男はただの人間にしか見えない。人間のはずだ。なのにこの力は何だ!?

 

「化け物か。最近はあんまり言われないな。まっ、変わりにチートだとかバクキャラだとか言われるが」

 

パートナーたる電子の精霊の言葉を思い出しながら、和麻は答える。そう言えばアーウィンを殺してから日本に戻るまでの一年間は、ほとんど人前に出なかったので化け物と呼ばれる事も無かったな~、なんて場違いな事も考える。

どこまでも余裕の男だった。

 

「このぉっ!」

 

恐怖を振り払い、紅羽は膨大な土を召喚する。それを土石流のごとく和麻に向けて襲いかからせた。

 

津波のように和麻に向かい押し迫る巨大な質量の暴力。

しかし和麻はそんな土の流れを、質量を持たぬ風で完全に押しとどめた。

それだけではない。風で押し戻し、あまつさえ正面から風の刃で土を切り裂き、紅羽へと逆に襲い掛からせたのだ。

 

「っ! そんなバカな!?」

 

驚愕する紅羽をしり目に、和麻は追撃の手を緩めることは決してしない。

風の刃が、槍が、塊が、紅羽目掛けて襲い掛かる。防御に全力を費やす。周囲に巨大な岩の壁を作り出し、重力の壁まで展開する。気を抜けばすぐにでも突破される。

 

「残念。その程度じゃ防げないぞ」

 

緊張感の欠ける声で男が発する。同時にそれが事実であると紅羽は知る事になる。

彼女の作り出した岩と重力の壁は瞬く間に切り裂かれ、破壊され、紅羽の身を蹂躙する。

 

「がっ!」

 

切り裂かれ、貫かれ、叩きつけられる。

地術師としての能力を得たからこそ、超回復能力も備わっているが、この風の攻撃はそんな回復以上のダメージを自分に与えた。地面に倒れる紅羽。回復が追いつかない。

 

如何に高位の地術師といえども、瀕死の傷を負わされて一瞬で回復するなんて事はありえない。深い裂傷や切り傷、骨折や筋肉の断裂を修復しようとすれば、それこそ数時間以かかる。それもそれだけに集中してだ。

 

(……勝てない)

 

紅羽の正直な感想だった。レベルが違いすぎる。まったく歯が立たない。段違いなんてものではない。それこそ桁が違う。

力の入らない身体に無理やり力を込めて何とかうつ伏せになり、相手に顔だけを向ける。

和麻はと言うと、ぽりぽりと頭をかいている。そこに疲労の色は無い。まるで何事も無かったかのように、そこにただ立っている。

 

「いやー。わかりきっていたことですが、容赦ない上に圧倒的ですね、マスター」

 

いつの間にか和麻の横に現われたウィル子が言う。彼女は今まで巻き込まれないように和麻の携帯に避難していたのだ。

それがほとんど決着がついたと判断し、こうして出てきた。

相手は虫の息だ。和麻も気が抜けているが、これでも油断はしていない。

ウィル子に被害が及ぶ可能性はほとんどなかった。

 

「いやいや。それなりに強かったぞ。槍使ってなかったら苦戦してただろうし」

 

何をぬけぬけと、この化け物が。紅羽は目でそう和麻に向かい語る。

 

「お前も中々強かったな。殺すつもりさっきは攻撃したんだが生きてるし。でも俺に楯突いたんだ。死ぬ以外の選択肢はないわ」

 

槍を紅羽に向けて構える。この男に良心や慈悲、情けなどと言うものはない。

老若男女、歯向かう者は皆殺しが基本スタイルであり、正面切って敵対した相手はほとんど問答無用で抹殺している。まあたまに気分で見逃したりする事もあるが、今回はそのつもりは無い。

 

「お前のボスも今頃うちの老師がきっちり潰してるだろうからな。ご主人様の後をきっちり追わしてやるから心配するな」

 

笑顔で語る和麻に紅羽は身体が震える。この男は間違いなく自分を殺す。殺す事に躊躇いはない。目を見ればわかる。まるで殺しが日常の一部になっているかのようだった。

自分の周囲を飛び回る鬱陶しい羽虫を殺す程度の気持ちで、この男は人を殺す。

目の前の男と少女が死神と悪魔に見える。極悪な笑みを浮かべるこの二人に情けを期待するだけ無意味なのだろう。

 

カタカタと歯が恐怖でこすれあう。瞳からは涙が流れる。

死にたくない。死にたくない。死にたくない。

誰か、誰か助けて……。

心の中で必死に助けを求める。しかし誰も彼女を助けてくれる事はなかった。

次第に彼女は諦めていく。

 

ああ、そうだった。自分は結局のところ一人だった。

父をはじめ、一族の誰も自分を疎ましく思っていた。孤独。虚無。心に空いた穴を埋めてくれるものは何も無かった。

妹が羨ましかった。大好きな妹。自分を慕ってくれる唯一の存在。

でも大好きであったからこそ、憎かった。何故妹は何もかもあるのだろう。自分にはない、多くの物を持っているのだろう。

 

最初はそれも仕方が無いと思った。妹は二十歳にならない内に、一族のしきたりに従いその身を捧げる。生贄として、その人生を終える。

どれだけ生きたいと願おうとも、どれだけ多くの物を持っていようとも、最後にはその身を、命を捧げなければならない。

 

だから紅羽は憎くてもそれを心の奥底に仕舞い続けた。可哀想な妹。哀れな妹。そう自分自身に言い聞かせれる事で、彼女は自分を慰めてきた。

だがそれが変化したのはいつだっただろう。

 

父である巌が、妹である真由美を死なせないために奔走しだしてからだろう。計画では、妹である真由美を生贄にせず別の方法で儀式を乗り切る事になった。

それを聞いた時、知った時、紅羽の心の奥底の感情がわきあがった。

 

なんだ、それは。何故妹ばかりがこんなに愛されるのだ。

何もかも持っているくせに、何でも欲しいものが手に入るくせに、自分にとっての一番の人でさえ手に入れたくせに。そのくせ、生贄としての運命さえも逃れようとしている。

 

紅羽は思う。なら自分はなんだ。誰からも愛されず、誰からも距離を置かれ、父親にさえも愛されず、ただ妹が幸せになる光景を見ているだけしか出来ない。

今まで自分自身を慰めてきたことさえ、滑稽にしか思えなくなった。

 

紅羽の心はボロボロになった。そして今まで以上に力を求めるようになった。

自分ひとりで生きていくために。誰にも頼らずに生きていくために。

けれども結局はそれすら叶わずここで命尽きる。

 

そう考えているうちにいつの間にか怖くなくなっていた。むしろ逆に笑いが出てきた。

本当にどうでも良くなった時、人は笑うことしか出来なくなる。

紅羽も笑った。自棄になって笑い声を上げた。

 

「あは、あははは、あはははははは!!!」

 

もういい。もう何もかもどうでもいい。父の事も、妹の事も、一族の事も、自分自身の事でさえも……。

だからこそ紅羽は笑い続ける。死を受け入れ、死を享受しよう。

乾いた叫びが木霊する。そんな様子を和麻はどこか覚めた様な目で見ていた。

 

「マスター? どうかしたのですか? どうにもこの人は壊れちゃったみたいですが」

「……ああ、そうだな」

 

和麻も殺す事に躊躇いはないが、何故だろう。何故かかつての自分に重なったような気がした。翠鈴を失ったあの時のように、どうでも良くなって笑い続けたあの時のように。

 

(そう言えば、あの時に老師に会ったんだったな)

 

感慨深く、四年前を思い出す。

何もかも失い、全身をボロボロにされ、心を折られ、命さえも失いかけていた時。

神凪和麻と言う、無力で情けない存在だった自分自身を。

 

「……っても殺す事には変わりないか。放置してたら余計に面倒な事になりそうだからな」

 

和麻は躊躇わずに虚空閃を振りぬこうとした。

だが次の瞬間、轟音と爆音が響き渡り、激しい光が周囲にあふれ出した。それはまるで雷のようだった。

 

「!?」

「な、なんなのですか!?」

 

和麻とウィル子が音のした方を見る。そこは霞雷汎が敵と戦っているであろう場所だった。

 

「おいおい。何があったんだよ……」

 

炎と黒い煙が轟々と立ち上っている。和麻が呆然と呟いていると、その中からこちらに向かって一人の男が空を飛んでやってきた。

それは和麻の師匠である霞雷汎であったが、服は所々破れ、手傷まで負っているようだった。和麻はまさかと驚きの表情を浮かべる。

 

「老師。まさかと思いますが、ピンチなんですか?」

 

あり得ないことだと思いながらも、霞雷汎の姿を見れば、そうとしか思えなかった。出来れば違って欲しいなと願いながらも、和麻は聞いた。

 

「あー、少しな。厄介な儀式は潰したんだが、失敗した。あいつ、雷公鞭を使いこなしやがった」

「……はっ?」

 

和麻は一瞬、老師が何を言っているのか理解できなかった。

 

「雷公鞭って、老師でも使いこなせなかったんですよね?」

「おう。使いこなせずに封印してたって言っただろ。どうも俺とは相性が良くなかったみたいでな」

「相手は仙人だったんですか?」

「いや、三千年生きた吸血鬼。別に仙人じゃなくても宝貝が使えなくは無い。素質さえあればな」

「……相手にはそれがあったと」

「ああ」

 

まさかあいつが雷公鞭に認められるとは。はっはっはっ、と笑いながら事も無げに言う老師に、和麻は今すぐにでもこの場から逃げ出したくなった。

カッと雷光が天に向かい伸びる。膨大なエネルギーを放出する光が天を染め上げる。

伝説では国を覆ったというよりも、大陸全土に広がったとされる雷。和麻はあんなものと正面からやりあいたくなかった。

 

「で、老師。あれをどうにかできるんですよね?」

「あっ、たぶん無理」

「ちょっと待て」

 

老師の言葉に和麻はまたしても同じ台詞を吐いた。

「多分無理とか、どういうことですか? あんた最高の仙人でしょ? 色々宝貝持ってきてるんでしょ? つうか何とかしてください」

 

最後のほうは八つ当たり気味に和麻は言うが、老師はと言うと苦笑しながら言う。

 

「いや~、あるにはあるんだが、雷公鞭はそう言った宝貝を力押しで潰せるんだよ。雷公鞭用にいくつも持ってきたんだが、全部壊された。オリジナルの太極図でもあれば話は別だが、金蛟剪でも勝てなかったからな~」

 

わはははと笑う老師に思わず和麻は、こめかみに血管を浮かび上がらせる。

 

「……逃げます」

「そりゃ無理だ。あいつが逃がしてくれるはずも無い」

 

霞雷汎が指を向けた先に、空より蝙蝠のような巨大な漆黒の翼を広げて舞い降りる吸血鬼の姿が見えた。手には雷を纏う棒状の宝貝・雷公鞭が握られていた。

 

「よもや儀式を止められるとは思っていなかった。やってくれるな、霞雷汎」

「俺もまさかお前が雷公鞭を使いこなせるとは思わなかった。つうかそれは俺のだから返せ」

「無理な相談だな。儀式を邪魔してくれた礼もある。次善の策でこの雷公鞭を持って世界を破壊しつくそう」

「いや、お前死ぬ事が目的じゃなかったのか?」

「無論、最後には自ら命を絶とう。しかしこの世界を我が物顔で支配する人間を一掃してからだ」

 

バチバチと雷をほとばしらせながら、ノスフェラトゥは言う。その矛先はいつこちらを向いてもおかしくは無い。

 

「死にたくなかったら協力しろ、和麻」

「……そう言うのは俺の台詞のはずなんですが。はぁ、何でこんな事に巻き込まれちまったんだ」

 

肩を落とし、和麻はもうやだと呟く。そんな和麻にウィル子も苦笑している。

 

「とにかく、雷公鞭は俺が止めますから、老師はその間にあいつを仕留めて下さい」

「ほう。出来るのか?」

 

言葉とは裏腹に、霞雷汎は和麻の言葉が偽り無いことを理解している。

 

「あれからどれだけ経ったと思ってるんですか。今の俺はあの時とは違いますよ」

「みたいだな。ったく、しばらく見ない間にいい顔するようになったじゃねぇか」

「当然でしょ。今の俺は“神凪”和麻じゃない。“八神”和麻なんですから」

 

和麻は自分の名を誇るように言う。自分の隣に立つ男に貰った名前。今の自分の出発点となってくれた男に感謝するかのように。

和麻自身も、師であるこの男に、今の自分自身を見て欲しいと言う感情が存在することを理解していた。

だからこそ、こんな無理難題も嫌々ながらにも引き受ける事にしたのだ。

 

 

「んじゃ、ちょっとだけ頑張ってきますよ。つうわけだ、ウィル子。協力しろ」

「マスター。協力って言っても、ウィル子ではあんな雷は受け止めきれないのですよ。イージスでは確実に貫かれます」

 

和麻が一歩前に出ると、それに付き従うように彼の横にウィル子も立つ。

 

「いや、ちょっとばかり血を吸われてくるだけでいいから。ほら、前にも一回あっただろう。あの時みたいにされろ。つうかされて来い」

 

そうすれば簡単にあいつを片づけられる。

和麻はそう言って、ノスフェラトゥを指さしながら、GoGoと軽いノリで言ってくる。

 

 

「今回は無理じゃないですか? その前に雷公鞭で消し飛ばされますよ」

「無理じゃない。むしろやれ。つうかやられて来い」

「相変わらず理不尽な……。それがパートナーに言う台詞ですか!?」

「お前なら大丈夫だ。前も大丈夫だったし」

 

どこまでも緊張感の無い会話を続ける和麻とウィル子。そんな様子をノスフェラトゥは面白いものを見るように眺めていた。

 

「ほう、人間。お前が我とこの雷公鞭を受け止めると?」

「ああ。老師に約束したからな」

「愚かな。確かに貴様も強いのは認めよう。だが金蛟剪を持った霞雷汎でさえ、この雷公鞭の前には屈服したのだ」

「おい、誰が屈服した。誰が。俺は屈服してないぞ」

 

後ろで文句を霞雷汎が言うが、ノスフェラトゥは華麗にスルーする。

 

「まあいい。そうまで言うならば受けてみろ。最強の宝貝の一撃を…」

 

だがノスフェラトゥが言葉を最後まで続ける事は出来なかった。なぜならすでに和麻が奇襲をかけていたのだ。

 

「なっ!?」

「死ね!」

 

雷が発生するよりも遥か上空より降り注ぐ和麻の切り札の一つである黄金色の風。老師が来た直後から嫌な予感がしたので準備していた。

厳馬戦やゲホウとの戦いを経て、今の和麻は虚空閃を持った状態なら生成時間を短縮する事に成功した。厳馬との戦いは和麻を更なる高みへと押し上げていたのだ。

 

和麻は卑怯な事が大好きな男であり、奇襲攻撃も普通に行う。

相手が待っている隙に攻撃をする。相手が話をしていようが関係ない。隙を見せる方が悪いのだ。

それに何が悲しくてこんな化け物相手に正々堂々戦う必要があるのだ。

勝てば官軍である。

卑怯上等。卑怯万歳。

 

頭上から迫り来る、黄金色の風の回避は間に合わない。気が付いた時にはすでに手遅れなのだ。

ならばと厳馬と同じように、とっさの判断でノスフェラトゥは雷公鞭を上空に向けて構える。雷公鞭より放たれる強力な雷は黄金の風を飲み込む。

 

和麻の切り札をあっさりと消滅させた。しかし和麻もそんなことは織り込み済みだ。今のはけん制に過ぎない。

 

和麻の攻撃は終わらない。雷公鞭の雷はほとんど溜めを必要としないで強力な攻撃を放てる。攻勢に回られればアウト。

だからこそ和麻とウィル子は怒涛の攻撃を繰り出す。

ミサイルと光線。風のチャクラムと刃。さらには虚空閃から放つ強力な風の一撃。紅羽の時とは違う全力の攻撃である。

 

怒涛の攻撃に霞雷汎も和麻の成長振りには舌を巻くばかりだ。確かに才能はあったし努力もしていた。復讐のためにと言うたった一つの目的のために腕を上げていった。

その執念は凄まじいの一言だったが、あれからさらに力を上げたようだ。なるほど。アーウィンを殺すだけの事はある。

 

しかし相手は三千年を生きた吸血鬼であり、雷公鞭を使いこなす存在である。和麻の攻撃も全力の魔力放出で防ぎきった。

それどころか、雷公鞭を和麻に向けて構える。

 

「げっ!」

「人間ごと気が調子に乗るな!」

 

雷公鞭から放たれる強大な雷が、和麻達を含めた周囲を飲み込むのだった。

 



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第三十四話

 

強大な雷公鞭から放たれる雷は和麻達を飲み込んだ。

肉体どころか影や魂さえも消し去る雷公鞭。

最大出力ではないにしろ、攻撃力では神凪宗家にも匹敵、否、神炎使いにさえも匹敵する。

濛々と煙が立ち上る。雷公鞭の直撃を受ければ、いかに和麻らとて無事ではすまない。

 

ノスフェラトゥは久方ぶりの全力での戦いに疲弊した。儀式に雷公鞭に魔力の全力放出。

数百年ぶりに全力で戦う事ができる事に高揚している自分がいた。

 

しかし雷公鞭と言うのは酷く体力を消耗する。元々素質は高かったが、まだまだなれない宝貝の使用は、思った以上にノスフェラトゥを消耗させていた。さらに予想以上の和麻の攻撃に魔力もずいぶんと消耗していた。

 

全力の魔力放出でなければ防げないほどの攻撃などありえない。たかが人間。ただの人間のはずなのに。それも精霊術師の中でも最弱と言われる風術師。

 

なのにあれほどの威力の風を操る存在。

 

(一体なんなのだ、あの男は)

 

ノスフェラトゥは和麻にさらに興味を覚えた。あれほどの力の持ち主。自らの配下に加えるのもいいかもしれない。

そう考えていた。

 

「だが雷公鞭の一撃を受けたのだ。生きてはいても無事ではいまい」

 

雷公鞭の雷は物理法則に支配される雷ではない。精霊魔術と同じく、物理法則に支配されない雷を生み出す事も可能なのだ。物理法則に従うように風で雷は防げない。

しかしノスフェラトゥの予想は覆る。なぜなら、和麻も人間と呼ぶにはおこがましいほどの力を持つ存在だったのだから。

 

「なっ!?」

 

風が吹き荒れる。黒い煙が蒼く輝く風により吹き飛ばされる。周囲を包み込む膨大な数の精霊。清浄な風の下、彼らはいた。蒼く輝く風が槍によりさらに輝きを増す。

 

「だあぁっ! 死ぬかと思ったぞ!」

 

和麻は思いっきり叫んだ。風が優しく彼らの周りを包む。霞雷汎を、ウィル子を。ついでに霞雷汎の腕には紅羽が抱かれていた。

 

「つうか老師、何でそいつまで助けてるんですか?」

「女には優しくしねぇとダメだろ?」

 

なんて事を言った。まあいいけど。

ついでに暴れられても困るので浄化済み。一緒に殺してもよかったが、老師が助けると言いうなら、無理に殺す必要もない。

 

「おい、ウィル子。お前のほうはどうだ?」

「にひひひ。何とか。マスターのおかげで大丈夫なのですよ」

 

ウィル子の周りには蒼い風が彼女を守るように、優しく彼女を包み込んでいる。雷公鞭の放つ雷より発せられる電磁波などはウィル子にとっては有害で毒にしかならない。

和麻はそれらを全て遮断していた。全ての粒子を風が物理法則を無視して遮断し、ウィル子に一切の害が及ばないようにしていたのだ。

彼は自分のパートナーたる少女を傷つけさせる気はまったく無かった。

 

「ば、バカな。全力ではなかったといえ、雷公鞭の一撃を受けて無傷だと?」

 

動揺が走っているのがわかる。仙人でもない。同じ吸血鬼でもない。まして数百年を生きた魔術師でもない。

紅羽と同じように、ノスフェラトゥはあり得ないものを見るかのように叫んだ。

 

「貴様、何者だ?」

「ただの風術師だよ」

 

言うと同時に風がさらに輝きを増す。神器・虚空閃がまるで咆哮を上げるかのように風へと力を送り続ける。

 

「なるほど。お前も暴れたり無いか」

 

和麻は虚空閃へと問いかける。虚空閃に明確な意思はない。しかし知性はあり、神器としての誇りのようなものは持っている。

和麻と言う最高の使い手に握られていると言うのに、ここまで自分自身の力を存分に発揮する事は無かった。

 

違う。自分の力はこんなものではない。風の精霊王に作られた自分は、和麻のために強化された自分は、この程度ではない!

まだだ。もっとだ、もっと輝け! 我が全身全霊の力を。主たる存在のために!

そんな虚空閃の震えを感じ取ったのか、和麻もニヤリと笑う。

 

「ああ、そうだ。もっとだ。お前の力を俺に見せろ」

 

風が吼える。和麻の氣が虚空閃の刀身に伝わっていく。オリハルコンで出来た刀身が和麻の力を受け取り、さらに力を増す。

雷公鞭がなんだ。こちらは神器だ。神に作られし、最高の武具だ。その虚空閃が雷公鞭如きに後れを取るはずがない。

 

神器。それは最高の武具。神器。それは神が扱うとされる至高の存在。神器。それは頂点に君臨するものが使うことで本来の力を発揮する。

漆黒の槍が黄金色に輝く。周囲を染める蒼い風がさらに輝きを増していく。

さらに和麻の瞳が蒼く染まっていく。契約者の証・聖痕『スティグマ』。

 

「その瞳。まさか貴様は、契約者だとでも言うのか!?」

 

契約者・コントラクター。風の精霊王より大気の全てをゆだねられし者。

伝説上にしかない存在しない者。三千年生きた吸血鬼であるノスフェラトゥでさえ遭遇した事がない、架空の、御伽噺でしか存在しない者。

それが目の前にいる!

 

「超越者の代行者! 面白い! 我が最高の雷公鞭の一撃を受けてみよ!」

 

天空へと伸びる雷。それは空を染め上げ、雷を雲の目状に広がらせる。雷公鞭はその出力もさることながら、チャージの時間が極端に短いと言う点であろう。

フルチャージを許してしまったのは和麻にとって痛恨の極みだが、和麻には一切負ける気は無かった。

 

「喰らえ!」

 

雷公鞭の一撃が放たれる。厳馬の全力の炎すら凌駕する膨大なエネルギーと熱量を誇る雷が、和麻達に目掛けて迫り来る。

しかし和麻は逃げずに真っ向から雷を迎え撃つ。

 

逃げるなど論外。逃げたところで雷公鞭の有効射程圏外に逃げる事など不可能。

迎え撃つ。虚空閃もそれを望んでいる。

心の中ではあー、何でこんなに熱血仕様なのかなと愚痴る。普段なら絶対しないのに。

 

しかし今は柄でもない事をしよう。和麻は腰を落とし、槍を少しだけ後ろに引き、そして迫りくる雷に向かい、虚空閃を振りぬいた。

 

「てめぇが消えろ!」

 

神器より神気と和麻の氣と風の精霊の力が放たれる。強大にして膨大な風は、蒼から黄金にその色を変える。威力と浄化力を増した風は雷を切り裂き、貫き、受け流す。

 

「ら、雷公鞭の一撃が!?」

 

最強の宝貝たる雷公鞭も神に近い仙人が作ったとも、別の世界から持ち込まれただの、宇宙人が持ち込んだのだの色々な説があるが、神器・虚空閃は正真正銘、超越者たる風の精霊王が作ったものだ。確かにウィル子がいじくったりもしたが、それでも能力は変わらずむしろオリハルコンにより強化されているといってもいい。

雷公鞭の雷が貫かれた事に多少の動揺を見せるノスフェラトゥに、和麻はさらに追い討ちをかける。

 

彼の後ろではウィル子が01分解能である物を生成していた。それは巨大な弓。和麻は即座にそれを受け取ると、あろう事か虚空閃をセットし打ち出した。

突然の事態にノスフェラトゥは動けない。いや、動揺が原因ではない。彼の周囲を風が囲みこみ、身動きを封じていたのだ。

 

「ぐぉっ!?」

 

虚空閃に貫かれた。浄化の風を纏わせる槍はノスフェラトゥの身体を蹂躙する。

 

「ぐっ、ごっはっ……」

 

口から血を吐き出す。空を飛び続ける事も出来ない。身体が痺れ、雷公鞭を握る事も叶わない。そのままノスフェラトゥは地面に激しく叩きつけられた。

 

「こ、こんな、こんな、バカなことが…!」

 

槍を抜こうとするが抜けない。それどころか掴んだ瞬間、浄化の風で手のひらが激しく傷ついた。

最悪の攻撃と最悪の武器。杭で心臓を射抜かれたようなものだ。

 

「いやはや、我が弟子ながら恐ろしい奴」

 

苦しむノスフェラトゥを見下ろす形で、霞雷汎が近くまで寄りながら彼に言う。

 

「き、貴様。あんな化け物を弟子にしていたのか」

「いや、俺もまさかここまでとは思ってなかった。あいつ弟子にしてたのってもう一年以上前だったからな。前はあそこまで非常識でなかったんだけど」

 

どこかのほほんとしながら、霞雷汎は言い放つ。その顔には一切の焦りも驚きも無い。まだどこか自分は勝てると言うふうにも見えた。

 

ノスフェラトゥはちらりと和麻の方に視線を向ける。和麻はもう終わったとばかりに、何故かいきなり準備されていた椅子とテーブルでもう一人の少女と優雅にお茶を飲んでいる。ちなみにノスフェラトゥの腹に刺さっている虚空閃が、どこか泣いているように感じたのか気のせいだろうか。

 

「あいつ、あとは俺に丸投げしやがったからな。あっ、雷公鞭は返してもらうぞ」

 

ヒョイッと雷公鞭を拾い上げて懐にしまう。その懐は雷公鞭が入っているはずなのに全然膨らんでいない。

 

「この我がまさか敗北するとは……。それも貴様ではなく、あんな若造に」

「相手を舐めるからそうなる。まっ、雷公鞭を使いこなしたのには驚きだが、相手が悪かったな」

「ふん。我が勝てなかったのだ。お前でさえも勝てまい」

「んな訳ないだろ。まだまだ負けないぞ」

「雷公鞭を持った我に勝てないお前が、どうやって奴に勝つ?」

 

笑うノスフェラトゥに霞雷汎はニヤリと笑う。

 

「その時は封印してる幾つかの宝貝を出すさ。今回は持ってきたけど使わなかった奴とか」

 

その言葉にノスフェラトゥは驚きの表情を浮かべ、和麻もまた風で会話を聞いていたのだろう。反論の声を上げた。

 

「ちょっと待て! 老師、あんた俺がやらなくても普通に勝てたのか!?」

「まあな。できれば使いたくなかったから丁度良かった。使ったらこの周辺消滅してたし」

 

あっさりと言い放つ老師に、和麻はあんた何を使うつもりだったんだよと戦慄した。

と言うよりも雷公鞭よりもヤバイ宝貝って何だ。

 

もっともできれば霞雷汎も和麻とは戦いたくないと思った。まだ負ける気は無いが、それこそ死闘になるのは目に見えていた。

和麻が虚空閃を持っていなければまだまだ余裕をかましていただろうが、神器を所有した状態は不味い。

虚空閃は最高の宝貝である太極図か、雷公鞭を上回る出力を誇る切り札中の切り札である最強宝貝でも使わないと勝ち目は無いだろう。

 

「ふふ。なるほど。どのみち我は貴様らに勝てなかったのか……。まあ人間に殺されるという最後はあまり愉快ではないが、これも定めか」

 

ノスフェラトゥは仰向けに倒れながら、空を見上げる。腹部に刺さった槍がどうにも腹立たしいが。

彼の身体が砂のように変化していく。どうにも終わりのようだ。

 

「まっ、地獄では大人しくしてるんだな。俺はまだ行くつもりは無いから」

 

酒の入ったひょうたんを口につけながら言う霞雷汎に、怒りよりも笑いがこみ上げてきそうになった。この男はどこまでも余裕なのか。

そう言えば雷公鞭を使いこなしたというのに、確かに余裕の態度を崩していなかった。

 

「これでわが生涯も幕引きか。だがそれも良し…」

 

完全に砂になり風に運ばれて消えるノスフェラトゥ。ここに三千年生きた吸血鬼は消滅した。後に残ったのは、蒼き風を纏った虚空閃のみだった。

 

「ご苦労さん、和麻。ほれ」

 

虚空閃を無造作に掴むと、霞雷汎は和麻に向かって投げ渡す。

 

「っと。どうも。てか老師、俺いらなかったでしょうが」

「いやいや。必要だったぞ。主に俺が楽するために」

 

二人の会話にウィル子は似たもの師弟と言葉を浮かべた。

 

「と言うか強くなったな、お前」

 

霞雷汎は駆け無しの賞賛を送る。実際、色々な意味で和麻は彼の予想を上回る成長を遂げていた。

 

「……まあそれなりには」

 

まさか褒められるとは思わなかった和麻は、何と言っていいのかわからず曖昧に答える。

どこか照れくさそうにしているのを、ウィル子は見逃さなかったが。

 

「しかし派手にやったな」

 

周囲を見渡すと偉い事になっていた。余波のせいで街は瓦礫の山で、あちこちで火が上がっている。ここだけ原爆が落ちたのかと言うような惨状だった。

死傷者の数も凄い事になっているだろう。と言っても、ノスフェラトゥが支配していた地域なので、ほとんどが人間ではなくなっていただろうが、僅かに人間のまま残っていた者もいただろう。

 

「まっ、死者は数百人で済むな」

「俺は知りませんよ」

「別に責任取れっていってねぇぞ。ついでに俺は仙人でも死者を蘇らせる事なんてできないんだからな。つうわけで俺はもう行く」

「結局放置なんですね、マスターといいその師匠といい」

 

タラリと汗を流すウィル子だが二人の意見には賛成だった。彼らはそのまま証拠を残さずこの場を後にする。

後日、この街の壊滅は局地的な天変地異で雷や流星が落ちた事によるものと発表される事になる。死者、行方不明者は数百人にものぼり、復興にはかなりの時間を要するという。

 

だが裏の人間はそれ以上に戦慄することになる。かの地において、化け物が戦ったという事を理解する者達は。

無論、その正体を知る事はないが、しばらくの間この事件は南海の大決戦などと呼ばれ、その近辺に近づこうとする術者は皆無だったと言う。

 

 

 

 

「……ここは」

 

石蕗紅羽はベッドの上で目を覚ました。何が合ったのかを思い出す。自分はあの風を操る男と戦い、そして敗れた。あの男との戦い以降の記憶が無い。

上半身だけ起こして自分の身体を見る。傷は無い。手当てが施されているようで、あちこちに包帯が巻かれている。周囲を見渡すとそれは清潔に保たれた病室だった。

 

「ん。起きたか、地術師」

 

ハッと驚きの表情を浮かべる。声の方を見ると、今までいなかったはずの男がいた。

 

「あなたは…」

「ん。俺か? 俺は霞雷汎。まあ俗に言う仙人って奴だ」

「仙人……」

 

紅羽は胡散臭そうな顔をしながら、霞雷汎を見る。仙人や道士と言う存在がいることを紅羽は知っているが、目の前にいる人間はどう見ても三十代。さらに蓬髪に無精髭とあまり偉い仙人には見えない。それに放つ気配も一般人とそう変わらない。

 

「おいおい。助けてやった恩人に対してそういう顔をするなよ」

 

霞雷汎はそう言いながら、またひょうたんに入った酒をぐびぐびと飲む。部屋にはいやにアルコールの臭いが充満していた。

 

「助けた?」

「おう。お前、ノスフェラトゥの支配下にあっただろ? で、あいつにボコボコにやられたと。あっ、ちなみにノスフェラトゥはもう消滅したから」

「っ!」

 

紅羽は思い出して戦慄した。恐怖が再びわきあがる。自分の全力をまるで赤子の手をひねるかのように簡単に蹴散らした男のことを。

 

「まっ、相手が悪かったな。俺でもまともに遣り合えば分が悪い」

「何者よ、あの男」

「俺の弟子の風術師」

 

紅羽の問いにあっさり答えると霞雷汎だが、紅羽はその言葉に反論した。

 

「風術師? ノスフェラトゥの力で地術と重力操作を高いレベルで使えた私を、まるで赤子のように扱ったのが風術師ですって?」

 

風術と言うのは戦闘には向かない。精霊術師を始めとする数多の術者達の共通の認識であった。紅羽も今まで何人もの風術師を見てきたが、アレはそんなレベルと言うか存在ではない。

香港の凰一族と比べても、頭一つどころか次元が違う力といえよう。

 

(そりゃ契約者で神器持ちだからな)

 

霞雷汎も内心そんなことを考える。契約者と言うだけでも強大な力を操れるのに、それを増幅する神器まで所持している。

さらに和麻自信、はっきり言って天才や秀才の域には収まらない、まさに鬼才と言える存在だ。才能、飲み込み、身体能力、知識、知能。どれもこれも人並みはずれている。

まさにウィル子の言うとおりチート以外の何者でもない。

 

「あいつが風術師ってのは事実だぞ。世の中には常識で考えても意味が無いって事があるんだな、これが」

 

もしここに和麻がいれば、あんたが言うなと声を張り上げて言っただろう。

 

「……なんで助けたの?」

「ん?」

「あなたの弟子なのでしょ、あの男は? あの男は敵対した私を殺そうとした」

「ただの気まぐれだぞ、お前を助けたのは。お前もあいつと同じで素質(仙骨)はあるみたいだしな」

「私に仙人の才能があるの?」

「道士になる資格はな。そこから先に進めるかはお前次第だ」

 

紅羽は霞雷汎の言葉に少しだけ考える。この胡散臭そうな男の言葉を信じるか否かを。

少しだけ落ち着いてきた頭が、自分の今後の姿を想像していた。

 

一族に戻ったところで今回の一件の失敗の責任を取らされるだろう。自分はノスフェラトゥに敗北し、その下僕にされていた。あれから何日経ったかはわからないし、今の状況がどうなっているのかわからない。

 

だが自分の中で男の言葉に乗ろうとしている自分がいる。紅羽は力を欲していた。誰にも負けない、自分ひとりで生きていくための力を。

 

一度はあの男に殺されかけて生きることを諦めていたと言うのに、いざ助かったとなれば力を求めようとする。その様が少し滑稽に紅羽は思えた。

 

「ああ、それとお前、危うく人間じゃなくなるところだったな」

「……えっ?」

 

不意に告げた霞雷汎の言葉に紅羽はどういう事なのかと疑問の声を上げた。

 

「どういう意味かしら? ノスフェラトゥに血を吸われたからかしら?」

 

そう言えばノスフェラトゥも似たような事を言っていた。あの時は力が手に入った事と、彼の支配下にいて深く考えていなかったが。

 

「違うな。あいつに血を吸われただけだとまだ大丈夫だ。それ以前の問題だ。お前、何かに憑かれてた。いや、取り込まれかけてたって感じだな」

「取り込まれかけてた?」

「おう。心当たりないか。なんつうか偉く強力で大きな気だったな」

 

紅羽は心当たりが無かった。ここ最近ではそう言った輩に接触した事はノスフェラトゥ以外に無い。

 

「……無いわね。ここ最近ではそう言った相手とは戦ってないし、ましてや取り込まれるような事態にはなってないわ」

「最近じゃなくもっと前からだぞ。見た感じだけどな。たぶん生まれた時か、おそくても二つか三つくらいまでか。よく今まで人間のままでいれたなと感心したけどな。ああ、心配するな。体の方はあいつが浄化して元通りだ」

 

霞雷汎の言葉にもう一度深く考える。そしてハッとなる。

一つだけ、彼女の近くに強大な力を持つ存在がいた。それは自分がその力を得ようと画策していた相手。だがそれは…。

 

「……まさか富士の魔獣」

「富士の魔獣? ああ、あれか。三百年前に暴れまわってた奴」

「知ってるの?」

「おう。近くで見たわけじゃないが修行中にな」

 

千里眼の修行中に偶々覗いていたことを思い出す。アレは中々の奴だったなと霞雷汎は呟く。

 

「なるほどなるほど。あいつに取り込まれていたのか。だったら納得だな」

「待って。一人で納得しないで頂戴。どういう事?」

「なに。お前はノスフェラトゥに支配される前はその富士の魔獣に取り込まれかけてたんだよ。あいつからお前が地術師のくせに重力操作してたって聞いてな。ノスフェラトゥの支配を受けてそんな能力を得た奴がいなかったから不思議に思ってな。地術師があいつに支配されて重力操作なんて出来るのかって思ってたが」

「……つまり私は今まで魔獣に。でも待って。じゃあ私が今まで重力操作しかできず地術が使えなかったのは……」

「ん? 地術師の癖に地術が使えなかったのか? そりゃアレだ。精霊の声が聞こえなかったからだろ。精霊ってのは個我がないからな。それより強い強い意志と力を持つ物に取り込まれかけてたんだ。そりゃ使えるわけが無い」

 

青ざめた顔をしながら問いかける紅羽に、霞雷汎ははっきりと言う。

 

「じゃあ、私は、私の今までの人生は魔獣のせいで……」

 

ギュッと拳を握り締める紅羽。思い出すのはこの二十数年。地術師としての力を一切使えず、父親からも疎まれ孤独に生きた時間。それが全て魔獣のせいだった。

紅羽の中で明確な怒りが生まれる。今まで何かにぶつける事の出来なかった怒り、悲しみ、憎しみ。それがはっきりと一つの存在に向けられた。

 

「ああぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

紅羽は絶叫した。心の内を吐き出すかのように。

 

「おいおい。いきなりでかい声出すなよ」

 

非難するように言う霞雷汎に紅羽は視線を向け、その目を見つめる。

 

「……頼みがあるわ」

「……言ってみろ」

 

まるで四年前の再現だなと、霞雷汎は思った。似ていた。彼女の瞳があの時の和麻に。そして今の状況があまりにも。

 

「私をあなたの弟子にして欲しいの」

「ふむ。目的は……復讐か?」

「……ええ。あなたはあの男の師匠で強い仙人なんでしょ? そして私には素質がある。だったら私を弟子にして。私の人生を弄んだ魔獣を倒せる力を私に頂戴」

「いいぞ」

 

はっきりと言い放つ紅羽に霞雷汎はあっさりと肯定した。復讐が無意味だとか価値も無いなどと言う気は無い。

 

「弟子にしてやる。ただし、魔獣を倒せるかどうかはお前次第。と言うか果てしなくゼロに近いと思っておけ。お前には確かに素質はあるが、あいつほどじゃない」

 

四年前に弟子にした和麻は数百年に一人の逸材だ。もう一人の兄弟子の朧も数十年に一人の逸材だと思っていたが、上には上がいる。

しかし紅羽は見た感じ数年に一人と言う逸材でしかない。和麻ほどの力も感じない。例え宝貝を与えても和麻には遠く及ばない。

 

「……構わないわ。強くなれるんだった、魔獣に一泡吹かせれるんだったら何でも」

 

だが紅羽の意志は固い。何が何でも強くなって魔獣に復讐する。四年前の和麻と同じくらいの執念を感じる。

 

「わかった。あと以後は俺のことは老師と呼ぶように」

「わかりました。霞老師。私の名前は石蕗紅羽。以後、よろしくお願いします」

 

それは四年前の再現。霞雷汎は苦笑しながら紅羽を弟子に受け入れるのだった。

 

 

 

 

「と言うわけであいつを弟子にした」

「展開が速すぎませんか、老師?」

 

あの後、紅羽は弟子としての本格的な修行の前に身体を休めるためにもう一度眠りに付いた。

その間に霞雷汎はもう一度和麻と接触して事情を話した。

 

和麻としては一刻も早くここから遠くへ行きたかったが、老師に無断で姿を消すと今度あった時にさらにやばくなるので、逃げたくても逃げられなかった。

今二人は見晴らしのいい外の丘で共に酒を飲んでいる。

 

「そう言うなよ。お前にとっても妹弟子だぞ」

「俺が老師に弟子入りしたのはアーウィンを殺すためで、別に仙人になりたくてじゃなかったんですが」

 

ワインを片手に和麻は淡々と語る。和麻としては復讐を終えた後に、厳しい修行などしたく無いと言うのが本音だった。

 

「お前らしいな。まっ、やる気になったらまた帰って来い。朧の奴は寂しがってたぞ」

「……胡散くさ」

 

物凄く嫌そうで胡散臭そうな顔をしながら和麻は老師の顔を見る。そんな和麻の態度に霞雷汎も苦笑した。

 

「とにかく四年前のお前みたいだったぞ。あの時のお前を思い出す」

「……あの時と今は違いますよ」

「だろうな。本当に変わったな、お前」

「……色々ありましたから」

 

と言ってワインを飲み干す。本当にあれから色々あった。復讐を終えて何も見えなくなっていた自分が彼女と出会えたのは本当に奇跡のようなものだっただろう。

 

「あの時はこうやってお前とゆっくり酒を飲みながら話すなんて、想像もしてなかったからな」

「そりゃそうでしょ。俺はあの時、あいつを殺すことだけしか考えてませんでしたよ。ただそれだけが俺の生きる目的であり、目標であり、すべてでしたから」

 

霞雷汎の言葉に当時の事を思い出しながら語る和麻。あの時はそれしか見えていなかった。それしか考えられなかった。こうやってゆっくり酒を飲むなどあり得なかった。

 

「いいんじゃねぇか、別に。昔は昔、今は今だ」

 

そう言って霞雷汎は瓢箪の酒をグビグビと煽る。つられ、和麻も同じように酒を煽った。

 

「ところで、お前、これからどうするつもりだ?」

「しばらくは悠々自適にと思ってたんですけどね。けどちょっと老師があいつを弟子にしたって言う話とその経緯を聞いてから考えてる事がありまして」

「ん?」

「俺は人間を生贄にする奴が殺したいくらい大嫌いなんですよ。で、日本には生贄をやってる地術師の一族がいるのを思い出しまして」

 

ニヤリと邪悪な笑み浮かべながら、和麻は霞雷汎に言う。

 

「石蕗と魔獣。これを聞いて、ちょっとばかり面白い暇つぶしを思いついたので」

 

まるで悪戯を思いついた悪がきのような顔をする和麻に、霞雷汎も面白そうに酒を飲みながら話を聞く。

 

「ほう。言ってみな」

 

こうして海の向こう側である悪巧みが進行しはじめる事になる。

この悪巧みが実行に移されるのは約半年後のこととなる。それを知る人間はまだこの場以外に存在しないのだった。

 

 



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