XX日後に担当トレーナーを分からせるウマ娘 (彩未マヤ)
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グラスワンダー登場!


マルチ投稿ですが、こちらでは1話目なので初投稿です。
スマホで書いているので誤字脱字があるかもしれません。もしそれらを見つけて頂けれ報告してくれると助かります。




 

 

 

 最後のコーナーを曲がり切ると、一気に視界が開けた。

 

 

「───っ!」

 

 

 広がるのは一面の緑。それは幾度となく目にしても決して飽きることのない景色だった。その先にある果てを目指し、頬を撫で斬る風の感覚をひりひりと感じながら、私は一層ターフを強く踏み込む。

 芝の沈む感覚と直後にくる弾むような反動。踏み出す度に身体に走る心地よい衝撃を受け止め、一気にトップスピードまで加速する。ただ果てなる栄光を目指すためだけに研ぎ澄まされた、全力全霊の私の最速。まばたきすら許さないその全速力が最終直線で解放された。

 

 

「──……っ、やあッ!!!」

 

 

 眼球が乾いていく感覚、辛い。喉も焼けるようだ、痛い。最早走る以外の余分な水分など一抹も残されてはいないだろう。カラカラだ。

 しかし、そんな不快感に耐えながらも、私は最後の力を振り絞り己を奮い立たせた。

 

 果てで待つ、あの人の元へ。

 

 私は一迅の風となり、ターフを走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全力疾走をした後ですぐに身体を止めるのは良くないので、しばらくターフを回っていると、ハスキーな声と共に黄色の物体が飛んできました。

 

 

「お疲れ様」

「はぁ……ふぅ……ありがとう、ございます」

 

 

 どうやらそれはスポーツドリンクが入ったボトルのようで。私はそれを受け取るとすぐに喉へと流し込みました。よく冷えたその液体は熱くなった身体に否応なく浸透していくのを感じます。

 

 

「タイム、悪くはないな」

 

 

 少しぶっきらぼうな声音でボトルを投げ渡してくれたのは私のトレーナーさんでした。得意そうに言う彼の表情は、少しだけ口角が上がっているようでした。コースの脇でへたり込む私を他所に、薄い灰色の瞳で利き手に持ったタブレットを凝視しています。

 

 確か……クォーターでしたかね? 彼は。

 

 別に今はそんなことどうでもいいんでしょうけど。しかし彼は私のトレーナーさんなのに、無性に御自身のことをお話にならない方なので、些細なことでも意識してしまいます。

 私は無意識に吸い込まれるようにトレーナーさんの眼を見つつ、くぴりくぴりとドリンクを飲みながら彼の話に文字通り耳を傾けます。

 

 

「タイム自体は更新されてないが……最終コーナーからに限れば、今までで1番速かったんじゃないか?」

「あらあら、本当ですか?」

「ああ。スタミナが向上したのかもな。最後のスパートに回せる体力がついてきたとか」

「ふふ、それは良かったです」

 

 

 トレーナーさんの口から語られる先程の走りの結果は、かなり上々なものでした。ふふ、やりましたね。

 綻ぶように笑みが零れます。トレーナーさんも、ちょっとだけ嬉しそうです。普段はクールな方ですが、まるで自分の事のように喜んでくれています。

 

 

「ふふふ……♪」

 

 

 それがまたなんとも言えなくて。なんだか可愛くて。

 またほろりと。口元が緩んでしまいました。

 

 

「機嫌、いいな。なんかいいことでもあったのか?」

「トレーナーさんのこと、ちょっとだけ分かったような気がします」

「……? 左様で?」

 

 

 トレーナーさんは意味を図りかねているのでしょうか、こてんと、小首を傾げました。まあ明日は土曜日だからな、と的外れなことも呟いています。

 もう。所作がいちいち可愛いです。お顔が中性的なので、そういうのも似合いますね。

 

 

「しかし……ふむ」

「?」

「ふむふむ」

「どうかされましたか?」

 

 

 中々に珍しい彼の表情。これはセイちゃんでも見たことがないのでないでしょうか。

 ふとした優越感に浸っていると、彼が顎に手を当て私を見下ろしています。……はて?

 

 

「本番を想定してとは言ったけど、なかなかに鬼気迫っていたな。……何かあったか?」

「…………」

「グラス?」

「いえ? 特に特別なことはありませんよ〜」

 

 

 彼の、灰色の眼光。それは透き通る硝子のような鋭さを垣間見せていました。それを視認すると同時、疾走後の熱い汗と別に背中に冷たい汗もゆるりと感じました。

 

 もしかしてばれているんでしょうか……。

 

 いやそんなハズは、だいいちそんな些細なことが目視でわかる筈がありません。

 心の中で何度もそう言い聞かせます。しかし彼の瞳を見ていると、何だか私の秘密がどんどん明るみに出ているような気もします。

 今日のトレーニング、にやけに熱を入れていた理由……。

 そして、今朝見た嫌な“数字”が脳裏を掠めました。

 

 

「練習は本番のように、本番は練習のように、ですよ? 何事も真剣に取り組むのは当然です」

「ま、一理あるが……」

 

 

 何だかいたたまれなくなった私はいつもの癖で身体の前で手を合わせ、なんとか平静を装い説明します。

 

 

「……はは」

「と、トレーナーさん?」

「いや、うん。確かにそれも一理あるんだけど」

 

 

 それを聞いたトレーナーさんはニヤリと、露骨に笑みを広げました。

 まるで何かを確信したように。

 

 

「でもあとひとつだけ一理……いや、それ以上にありそうな事があってな。聞くか?」

「な、なんでしょう」

 

 

 どうしたことでしょう。嫌な予感と汗が止まりません。まるで断頭台に掛けられている気分です。

 にっこりと、トレーナーさんは微笑みます。もうかなり珍しい表情です。こんな彼の表情は見たことがありません。その笑みはまさに慈悲深い修道士と言っても過言でないのでは? ということは、そんなむざむざ現実を直視させるような残酷なことはしないのでは?

 

 

「グラス」

「は、はい」

「太ったろ。ちょっと」

「………………………はい」

 

 

 ……そう思っていた時期が、私にもありました。ええ、ありましたとも。

 だって普段の私の変化に気づかないような人なのに。今日だって、少し香りを変えているのに。それに気づくような素振りは全く見せないくせに。なのにこんなことばっかり……なんなんですか、もう。

 

 普段クールで鈍感な彼からの、鮮烈な一言と、眩しい表情。

 

 それはもう可愛くも小憎たらしい、清々とした笑顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼曰く、『俺がウマ娘の体型の変化を見逃すわけがないだろ。甘すぎるぜグラス』とのこと。

 なんなんでしょうか。もしかして変態さんなんでしょうか。トレーナーさんのことをもっと知りたいとは思っていましたが、こんな特技は知りたくなかったです。彼はこれはトレーナーとしての当然の嗜みだとか言っていましたが、そんな話、聞いた事もありません。

 しかも、彼は続けて

 

 

『いや? 甘いのはそれもそうか。そういうのが好きでそうなっちゃったんだもんな。ん?』

 

 

 などと……。く、悔しいです。思い出しただけでも静かに怒りがふつふつと沸いてきます。

 しかし悪いのは私です。スペちゃんにつられてついつい食べ過ぎてしまった私の脆い自制心が悪いのです。それは百も承知。

 トレーナーさんも私の体調に気を使ってくれているのですし……まあ、言い方に少しだけ悪意を感じましたけど、許してあげます。

 

 

「……と言うわけでして、トレーナーさん」

「何がというわけなんだ、仕事中だぞ」

「減量、してきましたよ?」

「ええ……」

 

 

 あの忌々しいトレーニングから3日。休日を挟んだ週明けの放課後に、私は1番に彼にあてがわれたトレーナー室を訪れました。

 室内に入って正面。中央のソファと角テーブルを超えた先の、彼専用の作業用のL字デスクにトレーナーさんは座っていました。

 本日はトレーニングはお休みだったため彼は私の登場に怪訝な表情をつくりましたが、私の言葉を聞き、更に困惑した様子で書類の仕分けの手を止めました。

 

 

「お仕事のお邪魔をするつもりはありません。すぐに済みます」

「グラス、顔が怖いぞ」

 

 

 誰のせいだと思っているんです? と、言いたいのをグッと堪え、トレーナーさんのL字デスクの元へと近づきます。……その前に一応鍵も締めておきましょう。いえ、あくまで一応です。

 そして互いが手を伸ばせば届きうる位置にまで近づくと、私はスカートの裾を軽く摘み、その場でくるり回ってみせました。

 

 

「どうですか〜? トレーナーさん?」

「いやどうですかと言われてもな」

「あらあら? ですがお分かりになるんでしょう? ウマ娘の体型の変化が」

「まあな」

「特技なんですもんね?」

「別に特技というわけじゃないが」

「その特技で何人もの女性を泣かせてきたのかは存じ上げませんが」

「いや、泣かせてはねぇよ」

 

 

 私は泣きましたけど?

 

 

「それとも分からないんですか? ほら、ほら」

「…………」

 

 

 なかなか言葉にしないトレーナーさんに焦れて、もう少しだけ傍に。少し、掛かっちゃってるのかもしれません。

 ですがこれでもかなり絞ってきたんです。先日あの変化に気づいた彼ならば、分からないはずありません。彼の座るデスクの向かい側から最接近し、両手を付きました。

 

 

「いや、あのさ……」

「はい? なんでしょうか?」

 

 

 それ対しトレーナーさんは、何やら難しい顔をしています。どうしたのでしょうか。あそこまで挑発した手前、気まずくなっているのでしょうか。……仕方のない人ですね。気まずくなるくらいなら、あんな挑発なんてしなければいいのに。

 まあ、謝っていただけるというのであれば、此方から譲歩してあげなくもありませんが──

 

 

「変わって、なくね?」

「……今なんと?」

「変化が見られなくないでしょうか」

「……それは、増量前よりか、ということですよね?」

「んにゃ? 金曜日から」

「…………………はい?」

 

 

 少しだけ気分が上向きになってきた、その時。

 ビシリ。そんな形容し易い音が聞こえた気がします。己の内から。私は耳に届いた彼の言葉を処理しきれずに、たっぷりと数秒間固まりました。

 ようやく彼の言葉を咀嚼すると、またふつふつ、ふつふつと。此方は形容し難い感情が湧いてきました。

 金曜日。金曜日と言ったか、このトレーナーさんは。金曜日といえばあのトレーニングの日なのですけれど……!

 

 

「ちょ〜っと何を仰っているのか……分かりかねるのですが……!」

「そう? まあ、要約するとだな」

「はい」

「もしかして、ダイエット失敗?」

「そんなはずありません!」

 

 バァン! と。大和撫子の精神など微塵も感じられないような派手な音を出して、私は思わずデスクを叩いてしまいました。

 

 

「うわ、おまえ、ウマ娘の力で叩くなよ。割れちゃうだろ」

「………っ」

「ん。グラス?」

 

 

 プチン。またそんなわかりやすい音が、己の内から聞こえた気がします。

 その時にはもう、手は動いていました。

 震える手をデスクの天板からゆっくりと持ち上げます。覚束無い指先を私は自分のお腹へと持っていきました。

 

 

「……こ、これでも、ですか……?」

 

 

 いけません。いけませんこれは。絶対に掛かってます。ひ、ひと息つかなければ……。私は自分の制服の上着の裾を手に掛けます。

 しかしそれ以上に許されません。こんなこと。許されるはずがありません。

 エルにも協力してもらって、頑張って、3日という短期間で仕上げてきたのに。我慢して、好物も抑えて来たのに。

 

 一体、何のために。一体、誰の為に……!

 

 あなたに言われたから、私は……!

 

 するり、するする。制服の上着の丈を上げていく。上がっていく。顔も頭も熱く、もう何をしているのか自分でも分からない。

 

 

「はしたない女だと……思わないでください……」

「いや、はしたないが」

「くっ……!」

 

 

 同じ夢を共有する、今1番距離の近い異性に言われるのはダメージが大きいです。というかひどいです。あんまりです。ふ、ふふ……後で覚えておいてくださいね♪

 

 

「あー、グラスすまん。その、実は」

「な、なんですか? それよりも分かるでしょう……?」

「いや分かる。うん、分かったから」

「分かってません、あなたは何も分かっていませんよ……」

ませんよ……」

 

 

 トレーナーさんの手を取りました。

 ゆっくり。ゆっくりと、此方側へ寄せていきます。

 

 

「もっと……」

「いやその」

「私は、あなたの為に……」

「や。すんません」

「なんなら、触ってでも──」

「……いやだから」

 

 

 ぴとり。ついに冷たい彼の指が私のお腹に触れました。

 

 

 これで──……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、冗談だ」

「………………………は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとからかってやろうと思っただけ──ぶなっ」

「乙女の肌と想いを……許せません……!」

「ちょ、嘘ついたのは謝るけど、肌に関してはおまえ勝手に見せてきたよな」

「問答無用です。……お覚悟を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

「ということがあって。あはは、傑作だろこれ」

 

「同期がここまでバカだとオレも肩身が狭いわ」

 

「なるほど……だから石抱きをしてるんですね」

 

「あんまり見るなスズカ。バカが移るぞ」

 

「ああん? おまえ、同期だからって何でもかんでも言ってもいいと思ったら大間違いてててててて」

 

「トレーナーさん? 喋ることを許可した覚えはありませんよ?」

「すごい。頬っぺた、とても伸びるんですね」

 

「いやそこじゃなくない? 天然?」

 

「すっかり尻に敷かれてるな」

 

「な。おかしいよな」

 

「トレーナーさん?」

 

「はいはい」

 

「グラスさんのトレーナーさんも大変ですね……」(チラ)

 

「スズカ、そのタイミングでこっち見るな。やめろ」

 

「ふふっ」

 

「……おまえ、これであともうひとりいるんだから、大変だな」

 

「ほうれふね」

 

「……まあ同期として、確実に言えることがあるとすれば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえの教え子、ちょっと重いぞ?」

 

「なぁ……!」

 

「知ってるよ」

 

「な──!」

 

 

 

 

 





グラスワンダー
身長152cm。体重増減なし。
アメリカ育ちの和を尊ぶウマ娘。所作や言動が丁寧で清楚な雰囲気を纏う栗毛のウマ娘。好きな食べ物は和菓子。足が右だけ5mm大きい。
全体的に華奢な体格であるのに何故かおしr……否、腰周りだけやけに大きいのを気にしている。


トレーナー
祖母がウマ娘で、髪や瞳の色などほんのりその性質を受け継いでいる。かなりの女顔だが、その割に口が悪い。好きな和菓子はいちご大福。
仕事の一環としてグラスの体格を計測した際、ふと余計なことを言ってしまったせいで彼女に折檻された経歴を持つ。


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セイウンスカイ登場!


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「男の人って、殆どの人が巨乳好きらしいですね」

「…………」

 

 

 年代物の空調とコンピュータキーボードの打鍵音だけが支配する室内に嫌気が差した私は、突拍子もなく話を振った。いい加減この十数畳程度の広さのトレーナー室をうろうろするのにも飽きてきたところだ。

 

 

「……うるさ。今仕事中なんだけど」

「でもスマホ弄ってるじゃないですか」

 

 

 今までいっぱい我慢したんだし、これくらいなら許されてしかるべきだろう。

 しかしそんな私、セイウンスカイの暇つぶしに対し……この部屋の主と言えばいいのか、私のトレーナーさんは鬱陶しそうな声音だけで反応した。

 パソコンとにらめっこしながらキーボードをカタカタカタカタ。彼専用のデスクに座るトレーナーさんは先程から何かしらの作業をしている。

 しかしもう殆ど終わっているのか、時折別の端末でSNSアプリを操作していた。

 それに彼はうるさいなどとは言っているが私はそんなに大きな声を出した覚えはない。大方また合コンか何かのセッティング中に水を差されたとかで、ちょっとムッとしてるだけだろう。大人げない。

 セイちゃんの言い分としてはせっかく遊びに来たのだから、仕事が終わり次第スマホなんか触らずちょっとくらいは此方にも構って欲しいというのが本音である。というか本当に合コンのセッティングならば教え子が居るトレーナー室でなんかしないで欲しいが。

 何にせよ面白くない私は、続けてトレーナーさんに問い掛ける。

 

 

「トレーナーさんはどうです? 巨乳派? 貧乳派?」

「顔」

「……話、聞いてた?」

「聞いてたよ」

 

 

 聞いてたらそういう返しはしないんじゃないかな。私が瞼を落とし半眼で睨むと、彼は少し億劫そうに口を開いた。

 

 

「要は女を自分の好みで選ぶなら、そのどちらの判断基準で選ぶかって話じゃないの?」

「そうだけど……」

 

 

 彼はキーボードを叩く手を止め、視線だけを此方に寄越す。

 

 

「俺はいきなり胸では選ばないから。まずは顔でしょ」

「……トレーナーさんってことごとく残念だよね」

「心外なんだけど。人間味に溢れてると言って欲しいな」

「どうかな〜」

 

 

 確かに俗っぽくて、らしいっちゃあらしいけどさ。でもそれならお胸もおっきい方が好きなんじゃないの?

 トレーナーさんは肩を竦ませ微笑むと、それ以上は答えずにまたパソコンでの作業へ戻ってしまった。まるでもう話は終わりだと言わんばかりに。

 

 

「……むぅ」

 

 

 私はそれを見て露骨に眉を顰めた。ため息もついぞ出てしまう。……まただ。トレーナーさんはいつもこうだ。

 私が言うのもなんだが彼はかなりの気まぐれというか、掴みどころのない性格をしているように思う。というのも彼は興味のないことにはとことん興味を示さない人で、さらにひたすらに己の事を喋らない。ひねくれていて、余計なことはペラペラ喋るくせに、だ。

 寡黙という訳でもないし、お仕事はまあまあちゃんとやってくれてはいるものの、しかしその勤務態度が模範的かと問われれば、素直に首を縦には振れないというのが偽らざる本音である。私のサボりも、なんやかんや容認してるし。

 

 

「んもぅ。相変わらずだな〜」

 

 

 トレーナーさんの対応は、私達担当バに対してもでも例外ではなく……私達は彼の好きな食べ物すらロクに知り得ていない。所謂、少々ドライな性格というやつか。誰に対してでも公平に接する所は美徳なのかもしれないけれど、だけど担当バくらいにはもう少し砕けてくれてもいいんじゃないかとも思っちゃう。

 ウマ娘とトレーナーの関係は一心同体でなければならないのに。並ならぬ信頼関係をもってコミュニケーションを取り合わなければならないのに。

 しかし彼は見ての通りこういった感じなので。

 こんなんじゃ思春期真っ盛りの担当ウマ娘達を楽しませるのは難しい。これはモテないだろうなと、最初は思った。

 

 

「まっ、トレーナーさんは選びたい放題だもんね〜。特別そんなこと気にしませんか」

「選び放題? いや、そんなことはないぞ」

「どーだか」

「なんだ。ちょっと棘があるな」

 

 

 しかし残念なことに(?)、トレーナーさんは結構モテる。いやモテるというか、生徒間ではそこそこ話題に上がる。『セイちゃんのトレーナーさん』との言葉、今週で何度聞いたことか。

 1番はやはり顔だろうか。伊達に先程偉そうに顔で選ぶなどと言うだけはあるというか。歳は20代中盤。綺麗な肌で、端正な顔立ちをしている。精悍だと言うわけでは無いが、中性的な美青年という感じだ。

 

 そこまで遊んでいる……という雰囲気はないが、とはいえ真面目だと言う印象も受け取れない。

 

 会話などでの普段の様子だけでは分からない。聞けば答えてくれるだろうが、聞かなければ分からない。ほんとに掴ませない人だと思う。

 

 

「ていうか、胸で女を選ぶ方が残念では?」

「そりゃそうですよ。そんなのさいてーです」

「だろ」

「脚で選ばないと」

「脚で選ぶのはいいのか」

「そりゃあ貴方はトレーナーさんで、私たちはウマ娘ですからね。やはり、“脚”を見ていただかないと?」

「ああ、そういう? 心配しなくてもそれは見てるから」

 

 

 私がおどけて言うと、トレーナーさんも納得したように苦笑する。そしてパソコンから視線を外し、少し下げた。

 

 

「…………」

 

 

 私はそれを見逃さない。

 先程も言った通りの一癖も二癖もあるトレーナーさんだ。円滑なコミュニケーションを取るためには私も手段は選んでいられない。どうせトレーナーさんはウマ娘のトモの話だと思ってるのでしょうが、ここは私の都合がいい方向で進めさせて貰いますからね?

 両手でスカートの裾に手をかけて、ほんのちょっとだけ浮かせてみる。

 

 

「お。気になります? 気になっちゃいます? 私の太もも」

「ん。脚の話では?」

「太ももも脚でしょ? ……今視線がセイちゃんの白い太ももに集中してましたよ」

 

 

 やぁん、はれんち〜♪

 でも、見てたのは事実ですからね。

 此方は胸とは違い、多少の自信はあるのだ。

 

 

「トレーニングでもいっぱい見てるでしょ? 今更恥ずかしがらなくてもいいんですよ?」

「見てるのは主にトモの働きな。走りの様子。そういう仕事なんだよ」

「ほら、ね?」

 

 

 ススっ…。

 

 

「……おまえ誰にでもそういう事してんの?」

「あ。もしかして『そういうのは俺だけにしとけ』みたいなやつですか? 独占欲ですか? 独占力ですか?」

「いや仮に他の奴にも言ってるんならおまえガチで面倒臭いことしてるから迷惑かける前にやめた方がいいよって言おうと」

「トレーナーさん中距離適正だったんですね〜」

「……うざ」

 

 

 うわお。辛辣。

 

 

「あはは。もう、相変わらずだねほんとに」

「こっちのセリフ過ぎるだろ」

「そう? そんなことないですよ?」

 

 

 うざだなんて。普通言うだろうか、歳下の女の子に。そんなセリフ。しかしこれも判明してる数少ないトレーナーさんらしさでもある。

 トレーナーさんは自分に分の悪い勝負は絶対にしない。不利な展開にはまともに取り合わない。旗色が悪かったり、手に余ったり……答えが出せない時なんかは、必ず撤退する。

 

 そうすれば私も退くって分かってるから。

 

 正直言って、ずるい人だ。ままならない。

 

 結構ギリギリまで上げたスカートから手を離し、溜めた息を吐いた。トレーナーさんは取り乱すことも鼻を伸ばすことも怒ることもしない。その対応に、私はまだまだ壁を感じてしまう。

 トレーナーとウマ娘。大人と子供。男と女。

 彼との立場の差、歳の差、性差 。感じずにはいられない。

 

 

「トレーナーさんの方が、よっぽど相変わらずですよ」

「さっきから相変わらず相変わらずって。何の事?」

「別に。なーんでもありませんよ」

 

 

 今度は私が肩をすくませて、室内の中央に置かれているソファに身を預ける。高級感のある質感と程よいスプリングが優しく私を受け止めた。角テーブルを挟んでふたつ。それらは私もよくお昼寝によく使うもので。確かトレーナーさん自ら選んだ物だったかな?

 まだ若いのに、こんな高そうなソファ買う余裕が果たしてどこにあるのだろうか。やっぱりトレーナーさんのことはまだまだ分からないことだらけだ。

 

 今日も、結局好きな女の子のタイプも分からなかったし。

 

 いつのように、まさに雲を掴むように。手応えを感じさせてはくれなかった。一応今日の数少ない情報を信じるのなら、トレーナーさんにとって胸はあんまり注視すべき項目ではないのかな? まあ、どうでもいいんだけどね。

 

 

「……セイちゃん寝ちゃいますから。18時になったら起こしてくれません?」

 

 

 本日もロクに釣果なしだと分かると、なんだか少し眠くなってきて。軽い欠伸がふわりと出た。

 

 

「やることないならもう帰ればいいのに」

「おやすみなさい。トレーナーさん」

「……まあ、静かになる分にはなんでもいいけど」

 

 

 彼の嫌味を無視して寝転がる。すぅすぅと。寝息と共に私の薄い胸が上下した。

 

 

「…………」

 

 

 薄目で彼のことを見る。トレーナーさんはすぐに仕事に戻るのかと思ったけど、少しの間だけ此方をじっと見つめていた。……ちょっと意外だった。

 いつかトレーナーさんのことを理解出来る日が来て……そして私の事も分かって貰える日は来るのだろうか。

 

 

「おやすみ。スカイ」

「……うん」

 

 

 脳裏の片隅でそんな小さな夢想を思い浮かべながら。トレーナーさんの苦笑を最後に見て、私は静かに瞼を閉じた。

 

 それは少しだけ、莞爾とした笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

 

「…………」

 

「ん、起きたか。もう18時だぞ」

 

「…………。トレーナーさんって笑うんですね」

 

「あ? また何だ。藪から棒に」

 

「夢で、トレーナーさん笑ってたから。にっこり〜って」

 

「この短時間でよくもまあそんな珍妙な夢を見れるもんだ」

 

「…………」

 

「? どしたよ」

 

「……トレーナーさんって、誰にでもあんな顔するんですか?」

 

「なんだ、おまえも独占力か?」

 

「…………」

 

「おい、なんだ。なんか言えよ。元はおまえから振ってきた冗談だろ」

 

「私のは別に冗談じゃありませんけど?」

 

「ええ……確かにおまえは中距離適正はあるけど」

 

「うざ」

 

「デバフスカイか。新しいな」

 

「トレーナーさんって結構天然だよね」

 

「あん? 誰がサイレンススズカだよ」

 

「他の女の名前を出すな」

 

「お、おお? 意外に寝起き悪いなおまえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……分かって貰えるとか、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないかもね。

 

 

 





セイウンスカイ
身長155cm 体重申告漏れ
何事にもマイペースでトレーニングもよくサボるウマ娘。特技・趣味は釣りと昼寝で、トレーニングをサボっては何処かで寝てるか魚を釣っている。
胸がないことを気にしてはいいないが、トレーナーが巨乳好きかどうかは気にしている。


トレーナー
スカイのサボりやひねくれた言葉にはそこそこ手を焼いていたが、自身もまあまあひねくれている為、割と早期に慣れる。なんなら反撃する。『ガキが、舐めていると潰すぞ』が最近のマイトレンド。
別に胸は無いよりはある方が好きだが、特にこだわりはない。強いて言うなら全体的なバランス重視。

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ルームメイトが不在なことをいいことにトレーナーを部屋に拉致するセイウンスカイ


今回はウマ娘視点ではないです。トレーナー視点です。
誤字報告をしてくださった方、ありがとうございました。助かりました。


 

 

 意識が覚醒すると、安っぽい陳腐な白色が視界を埋めつくしていた。

 

 

「…………」

 

 

 数度まばたきをした。未だに微睡みに囚われた起き抜けの意識の中で、“俺”は間抜けにもぽかんと開口した。

 それが天井だと認識するのにたっぷり数秒の時間を要した。見慣れぬ天井だった。少なくとも自分が借家として利用している施設のものではない。

 

 

「……俺、トレーナー室にいなかったか?」

 

 

 手で顔を覆いながら浅いため息を漏らす。なぜだか知らんが、ここ最近の記憶が無い。だからと言ってこの部屋に覚えがある訳でもないが。

 辛うじて分かることといえば俺はいつの間にか眠ってしまったのだろうということくらいなものだ。

 頭が痛い。泥でも詰まっているのかと錯覚するくらいにずーんと重い。僅かな嘔吐感も相まって、気分はあまり良くなかった。ここまで寝起きが悪いのは初めてだ。というか、寝落ちして起きた先が見知らぬ部屋だということ自体が初めてだった。

 

 

「いや、まず何処? この部屋──」

「にゃは、起きました?」

「──……クソが」

 

 

 気怠い身体をのそりと起こすと……聞き馴染みのある教え子の声が聞こえてきた。それも、何かと手をやかされる方の。……なんだろな、さっきよりもずっと頭が痛くなってきたぞ。

 両目頭を抑え、先程よりも大きなため息をつく。正直言ってこの猫なで声は今はあまり聞きたくはなかった。

 

 

「……おまえかよ」

「はーいそうです、セイちゃんです! おはようございますぅトレーナーさぁん☆」

「……おはようとか、そんな呑気な状況じゃないんだよ」

 

 

 声のする方に視線を向けると、案の定だった。くそぅ、なんかムカつくな。

 教え子のひとり(総じて厄介な方)であるセイウンスカイが頭の後ろで手を組み、何ともまあ小憎たらしいにこやかな笑みを浮かべていた。

 寝起きにスカイのツラを見ると、大抵ロクなことにならないのだが。経験的に。

 

 

「めちゃくちゃ頭痛いんだけど。おまえこれ、何か盛ったろ」

「にゃはは。イヤですね、さすがにそこまでするわけないじゃないですか」

「ほんとに?」

「ほんとですよ。私じゃないですって。ていうかトレーナーさん、今日ずっと体調悪そうでしたよ?」

「……ああ」

 

 

 そう言われると、まあ、そうなんだったか。

 癪だが、心当たりはある。少々朧気ではあるが思い出してきた。

 俺は昨日から今日にかけて満足に睡眠が取れていない。徹夜で作業をしていたからだ。というのもそれは昨夜、翌日に提出する必要のある書類の作成を失念してしまっていたことに起因する。

 書類の存在に気づいたのは既に日付を跨いだ深夜3時。当時は大量の冷や汗が背中を伝ったのを覚えている。動画サイトを見ながら呑気に練習スケジュールを纏めていたことが仇になった。

 俺はすぐに作成に取り掛かり、長い夜を過ごしたが……とうとう出勤時間には間に合わず、結局今日の勤務中に間を縫って仕上げる羽目になったのだった。

 

 

「思い出した。俺が悪いわ」

「まったくもう。大事な書類なんでしょ? 締切忘れてちゃダメですよ?」

「疑って悪いな」

「ふふん♪ まあトレーナーさんなので、許してあげます」

「すまん」

「なんにせよ書類、間に合ってよかったですね」

「そだな……」

 

 

 少し、バツが悪い。完全に自業自得だった。薬を盛ったなど、幾ら日頃の行いが芳しくないスカイでもこれは良くなかったかもしれない。

 気まずそうに俺が謝ると、スカイは得意そうにによによしながら、ぽんぽんと此方の頭を撫でた。

 それにしても確かに。スカイの言う通り我ながらよく間に合ったものだ。今日は学園の授業での指導もあったのに。

 本当に余裕がなかったのを覚えている。移動とかもダッシュだったし、エアグルーヴに廊下は走るなと怒られたこともあったか。本当に危なかった。

 そうだ、確か締切の18時直前にギリギリのタイミングでメールを提出して──

 

 

「……あ?」

「? どうしました?」

「なぁスカイ」

「はい?」

「今何時だ」

「……えっ〜と」

 

 

 ふと、嫌な予感が脳裏をよぎる。いや提出は確実に出来ているだろうが。それは問題ないはずではあるのだが。

 しかし今度はまた別の問題が浮上して……その真意を確かめるべくにスカイに尋ねると、彼女はどこか確信めいた表情でいたずらっぽく答えた。

 

 

「ちょうど9時ですね」

「9時?」

「はい」

「朝の?」

「いやいや、夜に決まってるでしょう」

「…………」

「トレーナーさん? どうかしましたか?」

「……おまえ、俺を嵌めただろ」

「うわ、なにそれ。人聞きが悪いなぁ」

「なんで起こさなかった」

「ぐっすりだったので。悪いかなって」

 

 

 今日イチのため息が漏れた。こいつ、間違いなく確信犯である。

 通称『中央』と呼ばれるウマ娘育成機関のトップ、トレセン学園。国内の中心に置かれたその施設には毎年全国から多くのウマ娘が集っている。

 そしてそんなトレセン学園には主に、遠出から訪れた学生を支えるために設営された学生寮が存在している。

 美穂寮と栗東寮なるふたつの学生寮は、先述の通り自宅から通えない生徒、もしくは敢えて厳しい環境に身を置きたいストイックな生徒たちに利用されている。

 スカイも、そんな美穂寮に世話になっているのだが……。

 

 

「あのな、生徒の門限を破らせたら俺が怒られるんだよ」

 

 

 寮の門限はどちらも限らず通常19時。それは集団生活している以上守らなければいけない最低限のルールなわけであるが。

 何が問題なのかというと、単純にスカイが門限を破っているということではなく、曲がりなりにもトレーナーである自分が同伴だったのにも関わらず彼女が門限を無断で破っているということだ。

 スカイが個人の私用で門限を破ると怒られるのは勿論彼女自身だが、トレーナーが近くにいたというのにスカイが門限を破っていることがバレると、怒られるのは俺である。

 要は監督不行とのことで。いや本当に勘弁して欲しい。俺が寝てるのなんか放置して門限の方を優先しろよ。そんな思いを視線に乗せて彼女にぶつける。

 

 

「ふふふ、そう言うと思ってましたよ? でもそれに関しては大丈夫ですから」

 

 

 それに対し、そこの心配は要りませんよと。

 スカイは得意げに胸を張る。

 

 

「なんだ、もしかして寮長に前もって連絡してるのか」

「いいえ?」

「……は? 大丈夫じゃないじゃん」

「いえいえ大丈夫ですよ? だって、美浦寮ですからね」

「いやおまえは確かに美浦寮生だけども」

 

 

 何となく要領を得ないが。

 いったいどういうことだろうか。

 

 

「それともなに? 栗東寮じゃなくて美浦寮だから大丈夫ってこと? ヒシアマゾンもそんなに甘くないだろ」

「……ふふ」

「あ?」

「いえいえ、ですからね」

 

 

 にやりと笑うスカイ。対照的に表情が歪む自分。

 正直な話、めちゃくちゃ嫌な予感がする。

 

 

「ここ、美浦寮なんですよ」

「いやだからどういう……」

「ここが、美浦寮なんですよ」

「……あ?」

「えへへ」

 

 

 何故か照れるスカイ。更に表情が歪む自分。

 いや、えへへじゃないが……。

 

 

「……ここが?」

「はい」

「……美浦寮か」

「ええ」

「ここが、美浦寮なのか」

「はい美浦寮です。ですからセイちゃん、もう帰宅済みなんですよね☆」

「……なるほど? 確かにな。それはそうな」

 

 

 はぁ。なるほどな。

 

 

「ああ……なるほどな……確かに、寮の部屋っぽい……」

 

 

 ほぉ。なるほど。はぁ。

 そうか。美浦寮か。そうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おまえ、俺を嵌めただろ……」

「あはっ、人聞きが悪いな〜」

「悪いのはおまえの性格だろ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういう顔、ちょっと見たかったんですよね」

「ガチでタチが悪い」

「いっつも飄々としてるあなたの、全力で困った、そういう顔が」

「クソが」

 

 

 本当に絶望的な心地である。俺はより深刻そうに顔に手を当て、指の隙間から元凶を睨みつける。

 ということは今座ってるこれ、スカイのベッドか。まじか。まさか教え子の寝具で寝ることになろうとは。

 相変わらず読めない奴で。確かにスカイは此方の予想のしないようなイタズラをするようなやつではあるが。まさかここまでするとは。そりゃこんな天井知らないわけだ。

 そして当の本人はというと。彼女は俺の視線など気にするべくもなく、ジト目で睨む此方をどこか嗜虐的な顔で見下ろしてくる。

 

 

「ゾクゾクしちゃいますねぇ」

「おまえどうやってヒシアマゾンにバレずにここまで運んだわけ? バレるだろ絶対に」

「それは勿論、この麻袋に入れて」

「普通に犯罪だぞそれ」

「ちょっと何言ってるか分かんないですね」

「なんで何言ってるか分かんねぇんだよ」

 

 

 分かれよ。普通分かるだろ。

 あとヒシアマゾンも。俺の事見つけてくれよ。

 

 

「最初はお姫様抱っこしてたんですけど、周りの目がスゴくて」

「ちょっと待って? 周りの目って。途中までそんな方法運んでたのか?」

「はい。学校の敷地内までは」

「なんでだよ」

 

 

 それはもっと早くに断念して欲しかったが。良い晒し物ではないか。

 

 

「私とトレーナーさんとの仲を見せつけようと思って」

「周り絶対ドン引きしてんぞ。主に俺に」

「トレーナーさん女顔なので平気ですよ☆」

「ぶん殴んぞ」

「でも寮長の目をかいくぐるのにはお姫様抱っこは無理なんですよね」

「そりゃそうだろ」

「ええ、ですから結局この麻袋に入れて抱えて……」

「だからなんでだよ……」

 

 

 ちょっとでも無理って思ったんならもう断念しろよ。連れ込むな。そういうヤル気はトレーニングで見せて欲しいんだけど?

 

 

「麻袋、ゴルシさんがくれたんですよね」

「マジで余計なことしかせんなアイツ……まあ1番ムカつくのがそんな雑な方法で運ばれた俺自身ではあるけども」

「いやー私も初めてだったので優しくしてあげようかと思ったんですけどね?」

「急に何の話?」

「でもセイちゃん気づいちゃったんですよね。乱暴に無理矢理やっちゃうのも悪くないって」

「物騒なこと言うなよ」

「……セイちゃん気づいちゃったんですよね!」

「こっち見んな」

「ふふ……トレーナーさぁん♪」

「やめろ、寄るな犯罪者め」

 

 

 座るベッドに膝をつき、にじりよってくるスカイを抑える。……さすがに力が強いなウマ娘は。

 絡みついてくるスカイを捌きつつ、思考を巡らせる。今はまだ何もする気もなさそうな彼女ではあるが、これからもそうだとは限らない。自明であるが何をしでかすか分からないスカイとこれ以上一緒にいるのは得策ではないだろう。

 

 

「ちなみにだけどここ何階?」

「4階です」

「クソが」

 

 

 しかし簡単には逃げられそうにはない。どうしたものだろうか。

 

 

「もうシンプルに逃げるか? 今9時過ぎだろ? 皆部屋に篭ってるんじゃないか?」

「お風呂に入ってる子もいますよー? お風呂上がりの子と鉢合わせちゃうのはマズイんじゃないですか?」

「楽しそうだなおまえ……」

「ちなみにセイちゃんもまだ入ってません」

「はよ入れや」

「ずっとトレーナーさんの寝顔を見てたので」

「怖」

「もう。すぐそーいうこと言う」

「というかルームメイトは」

「ルームメイトは家の都合で一時帰宅中ですよ?」

「……おまえ」

「はい?」

「ルームメイトの都合知ったのいつだ」

「5日前ですかね」

「ゴールドシップに麻袋貰ったのいつだ」

「それも5日前ですね」

「…………」

 

 

 マジで確信犯過ぎる。まあ十中八九だろうとは思ったが。

 策を講じるのはレースでも頻繁に発揮するこいつの得意技だ。気になるのは俺が疲労で眠らなかったらどうするつもりだったのかということだが、こいつに限ってそこら辺は抜かりないだろう。本当に薬あたりでも用意してそうだ。

 

 

「……にゃは♪」

「この……」

 

 

 そんな実生活でも策士を披露するスカイは、しばらくベッドの上をうろうろして……結局は俺の背中に張り付いた。居場所を見つけた後は、さすさすすりすりと。此方の首元に顔を埋めて、身体を擦り付けくる。

 

 

「暑苦しい。やめろ」

「……いいじゃん。ちょっとくらい」

 

 

 感覚としてはデカめのネコ科動物にじゃれあってると言った感じか。暑くて鬱陶しいが、不思議と悪くないのが癪だ。胸はもう少し欲しいかもだけど。

 

 

「……なんか今失礼なこと考えてない?」

「気のせいでは?」

「……ふーん」

「や、やめろ。苦しい」

 

 

 勘のいい彼女をあしらうが、察せられたのだろうか。後ろから首に巻きつけられている腕に力が籠った。

 懐いてじゃれてくる女は嫌いではないが、苦しい。それに相変わらず力が強い。

 

 

「トレーナーさんって、彼女いるんだっけ」

「い、いないけど」

「……そっか」

 

 スカイの腕をタップしながら答えると、力が緩められた。

 そして今度は彼女は腕を此方の胴体にまわし、首元にぐりぐりと顔を押し付けてくる。

 息苦しさからは解放されたが、如何せん根本的な解決にはなっていない。

 どうしたものかと考えたが、ろくな案も出てこない。スカイに抱きつかれたまま、刻一刻と時間だけが過ぎていく。

 

 

「ほにゃ?」

「……ふん」

 

 

 しかしもうここまで綺麗に嵌められた以上、そんなことを気にするだけ疲れるだけだ。即座に逃げようとする気も失せた。そう判断し、後はもうバレないように過ごすしかない。

 問題としては今の状況と、こいつが教え子だということだが。

 ただやられっぱなしなのも癪なので、仕返し代わりにスカイの顎の下をくすぐってやる。謎の鳴き声が聞こえた。やはりネコ科ではないのだろうか。

 

 

「なんか、素直ですね? 逃げないんですかー?」

「逃げられんだろこれは。わざわざ疲れることしたくないわ」

「……ここで一晩泊まっちゃうってこと?」

「……それも仕方ないか。嫌とか言うなよ。おまえがまいた種なんだから」

「い、言いませんよ」

「まあ嫌なら今すぐ麻袋でここから出してくれてもいいが」

 

 

 個人的にはその方がありがたい。

 

 

「い、嫌じゃない。嫌じゃないん、だけど……」

「急にしおらしいな。だけど、なに?」

「その、緊張しますよね?」

「ガキかよ。しねぇよ」

「……トレーナーさんってそういうタイプ?」

「その聞き方はどういう意図?」

「誘い受け系?」

「違う。どっちがリスクないか考えただけ」

「……なるほどね」

 

 スカイはそう呟くと、ぎゅっと、さらに身を寄せた。

 

 

「お風呂、入りたくないな」

「それはやめといた方がいいんじゃない? いくら今日はトレーニングしてないからって」

「うーん……」

「何か問題が?」

「なんか……身体、洗いたくないというか」

「汚いやつは嫌い」

「……入ってくる」

 

 

 そう言うとスカイは言葉の後すぐに立ち上がる。タオルと着替えを抱えて部屋を出ていった。

 

 

「あ、そういえば寝る場所どうします?」

 

 

 しかしすぐにまた戻ってきて、3分の1程度開けたドアの隙間から顔だけを出し、思い出したように問いかけてくる。

 

 

「床で寝るに決まってんだろ」

「え? いやいや、客人を床で寝させられませんよ」

「今更何ら常識人ヅラしてんの? 麻袋で拉致ってる時点で客として扱ってねぇんだわ」

「やぁんもう、こんなことするのトレーナーさんにだけ、で・す・よ♡」

「ウザすぎる……おいブラシ、忘れてんぞ」

「ブラッシングは後でトレーナーさんにはしてもらいまーす」

 

 

 俺は露骨に嫌そうな顔を出して。しっしと、彼女を浴場に行くように促す。スカイはトランプでも借りてきますね〜と呑気に部屋を出ていった。

 本当に呑気というか、マイペースな奴である。いくら距離が近いとはいえ、年頃の女子なのだから異性が部屋にいることに何か抵抗でもないのだろうか。

 

 

「同室の子が誰かは知らないけど、ちょっと申し訳ないな」

 

 

 別に俺に非は無いはずだが。

 ウマ娘は人間よりも膂力や感覚が3倍程度優れていると言うし、同室の子に事が明るみに出ないよう痕跡を残さないようにしないといけない。自分がいない間にルームメイトが男を連れ込んでるとか、正直かなり不健全だ。完全に消せるかどうかは不安だが、そこはウマ娘であるスカイにも協力してもらうしかないな。

 

 不安といえばあいつ、トランプ借りてくるとか言ってたけど、まさかオールとかしたりしないよな……。

 

 一応此方はトレーナー室でも麻袋の中でもこの部屋でもバカみたい寝ていたため、今夜はすぐには眠れそうにない。もしかすると長いこと付き合わされるかもしれない。

 あいつがそこまで考えているかは分からないが、まああいつ策士だし、全然あるかもしれないのが辛いところだ。

 

 

「担当とのコミュニケーションとでも言って割り切るしかないか。……ものすごい時間外業務だけど」

 

 

 とりあえずブラッシングのイメージトレーニングとして、スカイの置いていったブラシを手に取る。案外いい質のモノを使っていた。

 また何度目か分からないため息が漏れる。しかし先の物とは違い、それは心做しか軽いように思えた。

 

 

 今宵もまた長くなりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

「あら……スカイさん、それ、洗わなくてもいいの?」

 

「ああこれ? これね、実はもう小さくなっちゃって。汗もかいてないし、もう着ないから洗わなくてもいいかなって」

 

「ふぅん。なるほどね」

 

「お気に入りだったんだけどね〜。ま、こればっかりは仕方ないって感じかな」

 

「……その割にはやけに嬉しそうね?」

 

「え゛!? い、いや、そんなことないと思うけど!?」

 

「そ、そう? まあ気のせいならいいのだけど……」

 

 

 





セイウンスカイ
レースでも日常でも、計略を練ることを得意とするウマ娘。同室の子がいないと分かった即日ゴルシの元を尋ねた。あっけらかんと言ってはいるが内心はドキドキで決行した。
ちなみにトランプはくそ雑魚。絶望的が引きが悪い。


トレーナー
今いつもセイウンスカイを雑に扱っていたツケを払わされた。今回は嵌められたのもだいたい身から出た錆。実は拉致られたことは人生で2度目。
小学校の大富豪大会で3年連続優勝し、しばらくあだ名が怪盗キッドだった経歴を持つ。


最後まで読んでくださりありがとうございます。下に世界が幸せになるボタンを置いておきますね。

世界が幸せになるボタン



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トレーナーの家に押しかけてとんでもない湿度の高さを発揮するグラスワンダー①


タイトル通りです。②まであるので実質前編です。
pixivだとまとめて出したんですけど、1万字を超えるためハーメルンの方では分割しました。

そして、当拙作にいくつか評価が入っていました。評価の如何に問わず、入れて下さった方、この度はありがとうございます。参考にさせていただきます。



 

 スカイに嵌められた翌日、1日ぶりに自宅に帰って来れた。

 

 まあ自宅と言っても借家のマンションであるが。見慣れた筈のそこそこ上質なオートロックの玄関を眺める。それはたった数十時間ぶりだというのにえらく懐かしく感じられた。

 そう感じるのは恐らく酷く消耗しきっているからだろうか。掠れるようなため息と共に、すっかり凝り固まった左肩から先をぐるりと回す。本来鳴ってはいけないような鈍い音がした。

 

 あの後、結局スカイに深夜4時くらいまでトランプゲームに付き合わされる羽目になった。クソが。長ぇよ。

 

 いやもう本当に長い。4時て。アホか。

 別にスカイの面倒臭いテンションに付き合うのがイヤというわけではない。むしろ好きな方だ。しかし昨日は普通に休ませて欲しかった。それに途中から追加された『負けた方が1枚ずつ脱いでいく』という一体誰得なのか不明過ぎる罰ゲームの必要性もよく分からなかった。  

 しかも最終的には罰ゲームを設けたスカイ自身が下着姿にまでひん剥かれて終わるという、なんとも後味の悪い結果となってしまったし。此方としてもスカイ程度の下着姿などではピクリとも来ないので本当に誰得なのか分からない。

 しかしまああの勝負は受けない訳にもいかないわけで。年長者の沽券というかプライドというか、要はやられっぱなしでは癪だったのである。

 

 此方としては『ガキが、大人を舐めていると潰すぞ』ということを教えてやろうと思っただけなのだ。決してやましい気持ちがあったという訳では無い。

 

 まあそんなふうに色々とあって。その後へそを曲げてふて寝してしまったスカイと共に睡眠をとり、朝になるとまた麻袋を使って寮から脱出。素知らぬ顔で通常通りの業務に戻ったわけである。

 

 

「あら。あらあらあら〜」

「…………」

 

 

 して、久々の我が家にて。昨日の分と今日の業務の疲れを癒す為に普段は滅多に開けない酒なども開け豪遊してやろうかと思っていたのたが。

 

 

「遅いですよ〜? トレーナーさん」

「……とりあえず説明してくれる?」

 

 

  目の前の眺めている普段通りの玄関に、普段通りではない影がひとつ。

  自分の教え子である、グラスワンダーがそこにいた。

 

 

「昨日は帰って来られなかったようですが……昨夜はどちらに?」

「話を聞け。なんでうちの玄関の前にいるのか説明しろって言ってんのよこっちは」

 

 

 俺は詰問するように彼女に迫り、とりあえずグラスの姿を隠すようにして玄関の隅の方に移動する。曲がりなりにも社会人が、教え子とはいえ女子中学生とマンションの玄関前で話している姿というのはあまり見られてよろしいものではないだろう。

 下手をすればご近所付き合いに関わるし。警察沙汰だけは勘弁して欲しい。

 

 

「トレーナーさん」

「うん?」

「私、以前言いましたよね」

「なにを?」

 

 

 グラスは抵抗することなく俺に背中を押されていたが、玄関の隅に着くなりくるりと回り、素早く此方の腕を取ってきた。

 

 

「……っ! い、痛いグラス。な、なに?」

 

 

 いや、腕を取るというよりは完全に此方の腕を握り締めてきた。

 まるで手錠のように、逃がさないようにと。ウマ娘の腕力にモノを言わせて此方の手首を強く掴む。……なんなんだ。

 

 

「トレーナーさんはお世辞にも生活力というものがありません。欠如しています、と」

「ああ、そういや昔言ってた……かも?」

「どうして他人事なんです?」

「…………」

 

 

 グラスは眉根を寄せ、俺を責めるように言葉を放つ。

 なんだこいつ。よく分からんが、ちょっとキレてないか?

 くそ、なんかめちゃくちゃめんどくせぇな。

 

 

「……今私のこと、面倒な女だと思いましたね?」

「いや? 決してそんなことは」

「本当ですか?」

「面倒な女じゃあない。めんどくさくて重てぇガキだなと思っただけだ」

「はい怒りました。もう逃がしません」

「怒んなよほんとにガキっぽいぞ。いや、もう怒ってたか」

「怒ると子供、と言えば何を言っても咎められず許されると思っているんですか?」

 

 

 うわこわ。この子こわ。

 完全にブチキレていらっしゃる。目が笑っていない。

 

 

「あ、もしかして俺と俺の同僚に重たいって言われたこと根に持ってたりする?」

「いけませんか?」

「……すまん。なんか、ごめん」

「ふん、今更何を。ほら、もう片方の腕も出してください?」

「なんだよ。何する気だよ」

「私の事を重たい重たい言うわからず屋さんにお灸が必要でしょう?」

「やだよ。おまえ力強いもん」

「問答無用です」

 

 

 グラスは言うが早いか、俺の左手も拘束しだした。グイグイ引っ張り、此方との距離を詰める。これで完全に逃げれなくなってしまった。すっかり手錠のようである。

 そっちの腕怪我してるからやめて欲しいんだけど……。

 

 

「これで逃げられませんよ? いつもみたいにはぐらかしも出来ませんね」

「グラス。近い。もうちょい離れて」

「近くて結構です。私の目を見て話してください」

「いや誤解されるんだけど。ご近所に」

 

 

 これ、傍から見たらどうなっているのだろうか。少なくとも良くは見られないだろうな。

 しかしこの程度のことを気にして諭したとしても、不機嫌なグラスが離してくれるわけでもなし。今は話を聞くことにした方が得策だろう。

 

 

「……で? 結局何の話?」

「トレーナーさんの健康状態の話です」

「健康状態?」

 

 

 はて。そんな話だっただろうか。

 

 

「トレーナーさんは私達のトレーナーさんなわけですので、倒れられたりすれば私達が困るんです」

「そうだな」

「ですからズボラなトレーナーさんが健康に過ごしてもらう為にも、定期的に部屋や洗濯物の状況、食べたものを報告するようにと……私は言いましたよね?」

「あー……まあ、言ってはいたけど……」

 

 

 強気に出てくるグラスに俺は曖昧に返答する。いや彼女が言ってることは聞いた事があるし、記憶にもあるけれど……。

 正直な話、冗談だと思っていた。

 

 

「その定期報告が昨日だったんですが。どうして私に連絡を寄越さないんです?」

「そんなこと言われてもな。ぶっちゃけ冗談だとばかり」

「はい?」

「だって本気にしないだろ」

「なぜ?」

「いやなぜって。いくらグラスの家事の腕が立つって言ってもおまえはやっぱり教え子──」

「……部屋に行きましょうか」

「ちょ、待て待て。早まんな」

「早まってません。こっちは昨日も待ってるんです。むしろ遅すぎるくらいです」

「いや昨日も来てたのかよ」

 

 

 グラスはムスッと頬を膨らませて抗議する。そりゃあ連日待たされればこんな顔にもなるかもしれんが。

 それにしても、なるほど。だからグラスは俺が昨夜帰宅してなかったこと知ってたのか。しかしだからといって2日連続で来ることは無いだろうに。もしかして暇なんかこいつ。

 

 

「来てましたよ。でも、いませんでした」

「それは悪かったな」

「本当、昨夜はどこへ行っていたんですか」

「昨日? ……昨日は同僚の家に、ちょっと」

「同僚? またあのスズカ先輩のトレーナーさんですか?」

「ああそうそう。それそれ。そいつそいつ」

「そうですか。……また、あの人ですか……」

 

 

 じろり。下から鋭い視線が向けられた。その鬼気迫る形相に、思わずたじろぐ。

 こうなったグラスはかなりおっかないが。しかし此方としてもまさか本当のことなんて言えるわけがないので、適当なことを言って誤魔化すしかない。

 

 

「……私との約束を、差し置くほどのことだったのですか?」

「そういうふうに言われると弱いが」

 

 

 俺の返答に、不満げに小さく呟いたグラスはかなり不機嫌そうだった。頬をさらに膨らませ、腕を掴む手により力がかけられる。

 グラスとの約束は知らなかったが、此方も別に大層なことをしていたわけでは無い。実際はスカイに嵌められてただトランプをしてただけなのだから。

 察するに、グラスは俺が自分よりも同僚を優先したのが気に入らないらしい。まああのバカタレはグラス対して重たい教え子とか言ってたし、彼女がよく思わないのが分からなくはないが。

 

 

「うーん……」

 

 

 ただグラスの何が不憫なのかと言うと、先程グラスが呟いたセリフは『言いたいことは山ほどあるが、どうにかひとつに凝縮した一言』感が滲み出ていて、それは紛うことな重たい女性の典型的なセリフそのものであるということだろう。

 

 決して同僚が間違えている訳では無い。なんなら大正解まである。だってそうだろう。『あなたの身体が心配なので食生活を逐一教えてくださいね?&連絡がないので家にまで来ちゃいました』なんてムーブをかますヤツが重たくないわけないではないか。

 

 将来グラスの伴侶になる男は苦労しそうだ。で、そんな重たい教え子が果たしてどれくらい待ちぼうけをかましたのかは分からないが、ただそんな悲しそうな顔をされると此方としてと申し訳ない気分になってくる。内から罪悪感なるものがふつふつ湧き出てきた。

 

 

「……まァ、しょうがない。お茶くらいは出そう」

「……!」

 

 

 此方の都合を誤魔化す為にさらに恨まれてしまった同僚のことなどは毛ほどもどうでも良いが、しかしグラスの気をこれ以上背けてしまうと今後の信頼関係等に支障が出るかもしれない。

 

 その上彼女がうちを訪れた理由が、何はともあれ俺の為を思って来てくれてるとなると、尚更ここで無下に帰れとは言えなかった。

 

 女子中学生を自宅に連れ込むことに抵抗がないといえば嘘であるが、しかし俺は昨日教え子を下着姿にまでひん剥いた男(完全にスカイの自爆だが)。今更この程度のことでビビるのもおかしいだろう。

 此方がそう言うと、彼女は俯きながらコクリと小さく頷き、俺の利き腕である右手を解放した。

 

 

「ありがとうございます」

「ん」

「……時にトレーナーさん、今日はお風呂、入ってますか?」

「今日はまだ入ってないけど。ああ、そういえば昨日も入れてないな」

 

 

 拉致られたから。

 

 

「……そうですか。なるほど?」

「悪い、臭かったか」

「いいえ。ただ、()()()()()()はしますね」

「いやそれを臭いって言わないか?」

 

 

 一応風呂は毎日入る習慣はあるが。ただ昨日は事情が事情な為、入れていない。

 俺は玄関のオートロックを外し、グラスを連れて部屋へと向かう。

 しかし、何故か左手の方はいつまで経っても解放してくれない。ずっと組むようにして掴んでいるままだ。

 

 

「グラス、痛てぇんだけど」

「知りません。我慢してください」

「いや、左手怪我してるんだって」

「あらら、そうなんですか?」

「そうそう。昼休みに病院も行ってきたくらいで……何でも()()()()()()とかいうヤツなんだと」

「……へぇ? 橈骨神経麻痺、ですか」

「へぇって。離してくれないの?」

「それを聞いてもっと離せなくなりましたね」

「なんだそれは。ドSかよ」

 

 

 何故か、左手は部屋に着くまで離してくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嘘つき」

 

 

 





最後まで読んでくださりありがとうございます。次回に続きます。
最後に、もし気に入ってくだされば是非お気に入り登録、評価感想等など頂けると泣いて喜びます。


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トレーナーの家に押しかけてとんでもない湿度の高さを発揮するグラスワンダー②


②です。いわば後編です。ハーメルンの方にあげるにあたり、少々手直ししました。

そして誤字報告をしてくださった方、ありがとうございます。美浦寮とか、思いっきり漢字間違えてましたね。申し訳ないです。。。


 

 

「今日エルに『グラスは隠れて浮気をされるタイプのウマ娘デスね!』と言われたのですが。果たしてこれはどういうことなのでしょうか」

 

 

 散らかっていた部屋の掃除が終わり一息つこうとコーヒーを飲んでいると、おもむろにグラスが呟いた。

 

 

「あー……」

 

 

 彼女は掃除機を片しながら、なんとも答えに窮するような問いを片手間に投げてくる。それに、俺はなんとも情けない声で応じた。

 

 いや、なんと言えばいいのだろうか。すごい分かるというか。伊達に同室なだけでは無いというか。やるなエルコンドルパサー。

 

 この『あー』は、結構その通りだなと納得出来るという意味での相槌であり、それと同時にどう言って説明しようか悩んでいる唸りでもある。

 答えは割と明白なのであるが、如何せん答えづらい。未だ思春期真っ盛りの女子中学生にこんなことを言っても良いのだろうか。

 しかし此方が悩んでいると、グラスは俺のすぐ隣に座り込んだ。本人は聞く気満々だ。

 

 

「まず男がなんで浮気をするか知ってるか」

「分かりません。というか、分かりたくもありません」

「分からないと将来困るかもしれんぞ」

「…………」

「冗談だ。だからそんな顔しないでくれ」

「……不貞な行為をする理由なんて、それが面白いと思い込んでるからでは?」

 

 

 どうだろう、こういうことを言ってもいいのだろうかと思う。ただせっかく聞かれていることではあるので、この際答えてあげた方がいいだろうか。

 しかし、どうやら逃げようにも、はぐらかせそうもなかった。いつの間にか彼女は俺の隣に腰を落とし、袖を摘んできている。

 ……仕方ない。もしかしたら社会勉強にもなるかもしれないし、抵抗がないわけじゃないけれど。グラスの為の行動と割り切るか。

 

 

「勿論それもあるだろうし、多分だいたいはそうなんだろうけど」

「でしょう?」

「ただそれはあくまで女遊びを好きでやってるヤツに限るからな」

「……女遊びをしない真面目な殿方は、まず浮気なんてしないでしょう?」

「する」

「嘘です」

「ほんとだよ。てかいちいち遮らずに話聞け」

「だ、だって」

「わかんねぇだろどうせ。男も知らねぇくせに」

「…………」

「痛って」

 

 

 ぺしりと。

 背中を叩かれた。しっぽで。……器用だな。

 

 

「逆にトレーナーさんはデリカシーというものを知らないご様子ですね」

「は? 知ってるが? 知っててわざとやってるに決まって」

「次は痛いですよ?」

 

 

 そして怖い。

 

 

「……いやまあ、そんなに難しい話でもないんだけど」

「と、言いますと?」

「女遊びをしないように見える男が浮気をする理由なんて基本的に2つくらいしかないと思ってる」

「は、はぁ」

「ひとつはシンプルに飽きたとか、好きじゃなくなったとか。まあこれはよくある話ではあるし、身も蓋もない話どうしようもないからそこまで気にしなくてもいい」

「よ、よくあるんですか」

 

 

 そりゃあよくあるだろ。特に学生なんかしょっちゅうではないだろうか。

 ここは実質女子校であるし、グラスは大和撫子の精神を重んじて生きているからか、そういうことは想像しづらいのかもしれないけれど。

 とても健気で好感は持てるが、同時に心配にもなる。一途と過ぎるというかなんというか。……どうりでこんなに性格が重た

 

 

「次は痛いと言ったはずですよ」

「ごめんなさい」

「まったく……それで? 2つ目は何なんです?」

「それは勿論、しんどいから、だと思うな俺は」

 

 

 冷たいナイフで背筋を撫でるかのような彼女のしっぽ捌きを制して……俺はずばりと結論から述べていく。

 ちらりと見ると、グラスはぽかんと、唖然とした顔で此方を見つめていた。

 

 

「しんどい……? しんどいって、どういう意味ですか?」

 

 

 しかしそれも束の間で。

 しばらくすると、その表情は不安そうに陰り始めた。

 

 

「別に特別な意味なんてないよ。言葉の通り。単に現実でイヤな事があるから、それから逃げて、他に癒しを求めようとするって話」

 

 

 この場合のイヤな事というのは、だいたいは恋人関係のことになる。

 そう続けると、さらに彼女の顔が険しくなる。

 

 

「理性的に行動するより、欲や感情に従って行動した方がよっぽど楽だと思わんか」

「それは……」

「知恵のある生物はみんなそうだろ」

「そういうもの、ですか?」

「そういうもんだ。苦しいのは誰だってイヤなんだよ」

「…………」

「だから女の方が浮気なんてしないように〜なんて厳しく管理すればするほど、それは逆効果になりかねないってワケ」

 

 

 一部例外を除いて、ではあるけれど。

 しかしそれをウマ娘に言うのは、少しアレな気がしたので、絶対に言わないが。

 

 

「……なるほど」

 

 

 俺の言葉を聞いたグラスは上を向いて何かを考えるようにして目を瞑った後、むすっとしたように口を開く。

 

 

「あなたの仰りたい事はよく分かりました」

「その割には納得いかないみたいな顔してるな」

「ええ。言ってる事の理解は出来ます。ただ、納得はしていません」

 

 

 何故? 

 そう聞くと、グラスはたどたどしく口を開いた。

 

 

「だって、伴侶を裏切る行為ではないですか。そんなの……」

「グラス、言っちゃなんだが今取り上げてるケースについては、浮気をされる方が悪い」

「!」

「だってそういうタイプの人間はその相手が原因で浮気してるようなもんだろ」

「それは……」

「不満なんて幾らでも溜まるぞ。例えば仕事から帰っても労ってくれない、素っ気ない、褥に付き合ってくれない……とか」

「…………」

「女にうんざりしたらどんな男でも愛想を尽かす可能性はある。それはグラスが言う真面目な殿方も例外じゃないだろ」

 

 

 勿論、これは男女逆も言えるけれど。

 

 

「…………」

 

 

 これは推測の域を出ないが、エルコンドルパサーが言っていたという『グラスは隠れて浮気をされそうなウマ娘』というのは、ルールや作法に厳格な彼女の性格は時として相手を辟易とさせるから気をつけろ、的な意味合いを含んでいたのかもしれない。そのせいで惚れた男を逃がすのは勿体ないぞ、と。

 あの子がそこまで考えているかは知らないが。ただあの子は賢さ補正あるし、ない話ではないのかもしれない。

 それよりもグラス、どうしようか。完全に黙ってしまった。俯いて小さく震えている。やはりまだ15歳の子に言うべきことではなかったかな……。

 

 

「あー、まあ。だからちゃんと優しく労ってやるとか、飴と鞭とかで上手く躾とけばいいんじゃないか? 知らんけど」

「……トレーナーさんもですか?」

「……ん?」

 

 

 たっぷり数十秒。互いに流れる沈黙に耐えきれず、俺がヘタなフォローを敢行した瞬間だった。

 ゆっくりとグラスが顔の向きを此方に向け、しおらしく問いかけてきた。瞳には雫が溜まり、未だにか細く震えている。袖を掴む力も強くなった。

 

 

「ちょ、どうしたグラス」

「トレーナーさんも、浮気をするんですか……?」

「……え? 俺?」

 

 

 その不意打ちとも言える投げかけに素っ頓狂な声が出る。

 

 

「あー……えぇ……?」

 

 

 これはまた、答えに困る問いが来た。いやマジか。どう答えたもんかこれ。

 この場合、安易に『しないよ』なんて答えても信じてはくれないだろうし。かと言って『やるヤツはやるし、やらない奴はやらない』なんて曖昧なことでも納得してくれないだろう。

 というか現在進行形で歳下の女の子を泣かせているクズ男には少々難易度が高くないか?

 答えに詰まり、うんうんと唸っていると、彼女は追撃とばかりに口を開いていく。

 

 

「例えば……わ、私みたいな、仰る通り性格が重たいような女だと……」

「うわ、ガチで気にしてんじゃねぇか」

「茶化さないで下さい……トレーナーさんも、こういう性格のウマ娘はイヤですか……?」

「えぇ」

 

 

 やばい。どうしよう。なんて言えばいいんだ。

 

 

「う、あ、むむ。ええ〜〜〜〜〜〜っとなぁ」

 

 

 こんな時、なんて言えばいいのか分からない。笑えばいいだろうか。バカがよ殺されんぞ。

 しかし今回は昨日のスカイの件とは違い完全に俺が悪い。こいつの性格を知っていながら、調子に乗りすぎて不安を煽り過ぎた。

 

 

「……昨日は女子寮に忍び込んだ犯罪者。今日は歳下の女の子を言葉で泣かせた犯罪者、か」

 

 

 いや別に歳下の女の子を泣かせることが犯罪になる訳では無いけどね。

 だがまあ字面だけ見るとクズなのは確かである。これが中央のトレーナーですか。そらオグリキャップも無礼(なめ)るわな。

 

 

「グラス」

「な、なんですか……というか、顔見ないで下さい……っ」

「あー。えっと、そのだな」

 

 

 しかしとは言ってもだ。

 

 

「おまえは、アレだ。前提を間違えている」

「……はい?」

 

 

 ここは中央。狭き門をくぐり抜けた、選りすぐりのエリートだけが集められたウマ娘育成の最高峰の機関である。

 そのレベルと来れば、トレーナもまた同じ。

 普段周りからクールだなんだと言われているが(ほんとはただ冷めてるだけ)、所詮コミュ力が無いだけのヤツだと思われるのも癪だ。ここは大人の口のウマさの見せどころである。

 

 

「俺のさっきの話は、アレだ。そもそも普段女遊びなんてしない真面目な男の話だ」

「……? あの、どういうことですか?」

「俺は別に、女遊びは嫌いじゃない」

「………………………は?」

 

 

 中央でのトレーナーライセンスをとること。これにどれだけ苦労したことか。それに比べれば、中等部のウマ娘を窘めることなど朝飯前だ。

 要はグラスのそれは関係ないよって分かってくれれば言いわけだ。余裕である。

 

 

「……すみません。どういう意味か説明して貰えます?」

「言葉どおりの意味よ」

「……それは結局女遊びをして、浮気をしているということでは?」

「いやまあ率先してやろうとも思わないけど。ただまあ男ってのは実はそんなやつばかりなワケ」

「…………」

「正直な話、考えるだけ無駄なんだ」

「…………」

「だからグラスが自分の性格をなんだかんだ気に病む必要はな」

「ふんっ!」

「い──ぶなっ!?」

 

 

 数年前の面接の時のことを思い出しながら語っていると。

 その間のほんの短い時。刹那とも言える一瞬の出来事だった。

 横一閃。何かが俺の視界を両断した。

 

 

「ちょっ。は? え?」

 

 

 それはグラスの方へ視線を戻した瞬間に放たれた、神速の剣戟だった。

 俺はそれを辛うじて眼で捉え、紙一重で直撃を避けた。そしてその後に認識したのは、長物を構えたグラスの姿。

 

 クイッ〇ルワイパーだった。

 

 俺の命を狩り取らんばかりに襲撃した凶器の正体は、どうやら先程の掃除に使っていた掃除用具のようで。

 ……いや、本気で言っているのだろうか。

 確かにグラスはよく悪戯をするエルコンドルパサーとスカイを薙刀でシバいているし、長物の扱いには慣れているのかもしれないが、それにしたってこの迫力はどうなんだ。

 

 

「ふっ、ふふふ、ふふふふふ……」

 

 

 グラスは幽鬼の如くゆらゆらと明確な怒気を募らせている。なんだこれ、怖すぎる。あいつら普段からこんなもん受けてるのか。逞しいなオイ。

 俺は初めて食らったが、正直ビビり散らしてめちゃくちゃ後ずさっている。彼女の慣れた初動から振るわれた獲物は見事俺の髪の毛を数本持っていった。

 

 

「ちょっと待て。なんで掃除用具で髪切れるんだ。普通じゃないだろ」

「普通じゃないのはトレーナーさんの方でしょう?」

 

 

 マンションの部屋の中で固有スキルなんて発動するものではないよ? 危ないから。

 やるならもっと広い部屋でやるように……そんな注意もする間もなくグラスは俺の方にじりじりと寄ってくる。

 

 

「待ってグラス、何する気だ」

「教育です」

「ほんとに待て。絶対違うだろ。落ち着け」

「いいえ? お説教ですよ? とりあえずさっきみたいなふざけたことは言えないようにしますね♪」

「野蛮が過ぎんか? これがお説教? お調教の間違いでは?」

「あまり聞き分けがないと、そうなるかもしれませんね〜?」

 

 

 うわぁ。不退転こわぁ……。

 冷たく微笑を浮かべる彼女は、やっと本調子に戻ってきたように見える。それが果たして喜ぶべきことなのかどうかは甚だ疑問であるが。

 というか激変し過ぎじゃないだろうか。さっきのやつ嘘泣きまであるだろ。

 

 

「真面目な男の人ほど厳しくされると浮気する、ですか。確かに一理ありそうですよね」

「分かってもらえたなら俺も説明のしがいがあるな」

「ですがトレーナーさんは全然真面目ではなさそうなので、厳しくしてもよろしいですよね?」

「いやそんなことは。結構甘やかして欲しかったりす」

「ですよね?」(チャキ)

「……バッチリ分かってるみたいで何よりだ」

 

 

 今掃除用具から鳴ってはいけない音がなった気がするぞ。下手すればマジでヤられるのでは。

 にしても、くそ、何が間違いだったんだ。いい感じに話を逸らして解決しようと思ってたのに。

 

 

「私、本気でお話を聞いていたんですけどね」

「嘘をつくのは違うかなと」

「へぇ? やはり私の性格は浮気をされやすいと?」

「やや、そういう傾向にあるって言っただけで」

「これでも結構ショックだったんですよ?」

「ぜ、絶対そうだねと断定したわけでもないってば」

「不安にさせるだけさせておいて。泣かせるだけ泣かせておいて」

 

 

 そんなことを言い出すのならばそもそもグラスを部屋に入れたこと自体が間違いだったのかもしれない。

 あとグラス、その話を盾にしてくるのはちょっとズルいだろ。それこそ何も言えないではないか。

 

 

「すっごく悲しかったです。なのに、その上それは真面目な男だけ。俺は女好きだから心配要らない……だなんて」

「いやそれもなんていうか……というかこれはグラスの将来出来る伴侶の話なのであって、相手が俺前提の話なのはおかしくないか?」

「私は初めからあなたの話しかしていませんが?」

「お、重たぁ……」

 

 

 重い重い。潰れちゃうが?

 なんか嫌な汗出てきたわ。ちょっと湿度高くないですかこの部屋。

 

 

「もう、さっきから重たい重たい言わないでください。嫌なこと思い出しちゃうじゃないですか」

「嫌なこと? もしかしてあの石抱き事件か?」

「貴方に太ったって言われたので、3日で元に戻したんですよ?」

「あれはよく頑張ったな」

「貴方に言われましたから。ですから、貴方の為に痩せたんです」

「……グラスもしかして俺の事好きなの?」

「今更ですね。分かりませんでしたか?」

「……う。あー……やべ」

「ふふ、心当たりはありましたが、もしそうだとすると引き下がれないので黙っていた……という感じでしょうか」

「もしかして切れ者発動してる?」

 

 

 察し良すぎだろ。

 スキルpt10%もお得になって、コンデションは絶好調ですな。ふはは。

 

 

「いや笑えんが。そういえばグラスにお茶を出す約束がまだだったな。獺祭とかでいいか?」

「何を普通にお酒なんて勧めてるんですか? 私の酔わせて記憶を無くさせようとするのは無理がありますよ」

「……普通取り繕わんか? こういうの」

「後戻りはしません。不退転なので」

「ふ、不退転こわぁ……」

 

 

 不退転強すぎる。禁止カードだろこんなん。

 今の俺とは正反対だ。グラスのその真っ直ぐ過ぎるセリフにまた脚が後ずさる。

 

 

「あのトレーナーさんがここまで取りみだしているのを見ていると、少し可笑しいですね。成り行きとはいえ、勢いに乗ったのが功を奏しましたか」

「言っておくけど笑えるようなかわいい状況じゃないからな」

「そうですか? 可愛らしいですよ?」

「何が?」

「勿論トレーナーさんがです」

 

 

 ダメだ。もうダメだこいつ。早急に家に帰した方がいいだろこれ。

 それにしても明日からどうやって指導したものか。流石にあんなにストレートに言われたことを無視できるはずもない。

 普通なら子供の戯言だと割り切って冷めるまで待つのがいいんだろうけど、ただ相手はあのグラスワンダーだしな。誤魔化すのは無理かもしれない。

 現に未だににじりにじりと此方に歩いてきている彼女は、その脚を緩める気配はない。それはついに壁にもたれた俺のすぐ傍にまで到達した。

 

 

「まあ今日のところはもう帰れ。茶は出せなかったし、返事も今すぐは出来ないが。それでも門限を超えるのはまずいだろ」

「それは大丈夫ですよ〜? 今日はちゃんと外泊届けを出してきていますから」

「は? 何やってんの? もしかして泊まる気?」

「ええ勿論」

「な、なんでそうなる」

「だって、セイちゃんだけ特別扱いなんて、ズルいじゃないですか♪」

「それはそうかもしれんけどなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………あ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

「橈骨神経麻痺、でしたかね」

 

「俺の怪我のこと?」

 

「はい。その左腕のことですね」

 

「まあそんな気にすることじゃないよ。軽傷らしいし。というかそんなことはどうでもいいんだよ。さっきのセイちゃん云々はなんの事──」

 

「いつから左腕に違和感を?」

 

「聞いてねぇなこいつ。確か、朝起きた時だったかな」

 

「そうですか〜……ふふっ」

 

「あ?」

 

「知っていますか? トレーナーさん」

 

「なにを」

 

「橈骨神経麻痺というのはですね……あなたの場合は主に二の腕から肘あたりでしょうか。その部位への過度な圧迫が原因で起こるものなんですよ?」

 

「へぇ。そうなの?」

 

「ええ。回復には数週間〜2ヶ月。早い時で2週間程度要します」

 

「詳しいじゃん」

 

「調べましたからね。……それで、主に腕枕なんかをすると発症するらしいですよ?」

 

「へぇー、腕枕ねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………うん? 腕枕?」

 

「おや、心当たりがおありですか?」

 

「……グラス、おまえってやつは。まさか……」

 

「その左腕」

 

「ま、待って」

 

「どうしてセイちゃんの匂いがするんでしょうか」

 

「───」

 

「確か、今日も昨日も、お風呂には入っていないんでしたよね?」

 

「待って? ほんとに。違うから」

 

「そして今日は私ずっとセイちゃんと一緒だったんですけど。今日はそんなに匂いが着くまで接していませんのに、おかしいですねぇ」

 

「だから違くて。いやその……あのその……」

 

「そしてその左腕の症状は今朝発症したと。トレーナーさん、改めてもう一度、お聞きしますが〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨夜、どちらにいらっしゃいました?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今夜は貴方を私の抱き枕にします」

 

「腕枕への対抗意識やめろ。はしたないぞ大和撫子」

 

「イヤです。ちゃんと、グラスって呼んでください」

 

「めんどくせぇ女ムーブもやめろや」

 

「いいじゃないですか。……嘘までつかれて、その上隠れて浮気をされていたんですし?」

 

「おまえまさかあの話、スカイの件を知っていた上での仕込みじゃないだろうな?」

 

「さあ? どうでしょうね」

 

「クソが、マジで分かんねぇ。ほんとどこまで湿度高ぇんだよ勘弁してくうぐぇ」

 

「ふふふ♪」

 

 

 

 





グラスワンダー
仮に嫉妬でもさせようものなら何故か大雨が降る、そんな感じのウマ娘。非常にしっとりとしている。彼女の近くではスナック菓子が食べられない。
長物を奮っている時はいつもトレーナーが避けられるギリギリの速度で振っている。絶対に怪我はさせないが、しかし必死になっているトレーナーを見ては悦に浸っているとかないとか。真偽は不明。完全にドS。


トレーナー
加湿器。雨男。学生時代から彼女と長続きしない為、女運ないなぁとか言ってはいるが、だいたいこいつが悪い。天然ボケ男。好きなスナック菓子は堅〇げポテト。
昨夜はスカイにガキが舐めていると潰すぞと言っていたが、今夜は自身がウマ娘の嗅覚を舐めていたため敗北、撃沈。


最後まで読んでくださりありがとうございます。


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