欧州の火薬庫異世界へ ~1914バルカン召喚~ (ypaaa)
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case.1 オーストリア=ハンガリー
1914年6月28日。
その日はグレゴリオ暦に換算すると、セルビアにおいてはコソボの戦いで大敗しながらもムラト1世の暗殺により『一矢報いた』記念日であり、オーストリアにとってはフランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ大公とゾフィー・ホテク・フォン・ホトコウヴァ伯爵令嬢の14度目の結婚記念日であり
―――バルカン半島にとっては異世界に転移した日であった。
「こうなった以上絶対にパレードは中止だ!もはやボスニアの治安云々の話ではない!」
「ですが殿下…」
ボスニア・ヘルツェゴビナ総督オスカル・パチョレックは何が起こっているのか全く理解できていなかった。
市庁舎での歓迎式中にもたらされた『ウィーンとの連絡途絶』という一報は最初はセルビアの民族主義者のテロ行為と考えていたのが、続けざまに入ったブダペスト、トリエステからも『ウィーンとの連絡がとれない』という報告によって覆され、プラチスラヴァからの『ウィーン消滅・何もない荒野の出現』という連絡と『ガリツィア・ボヘミアからの連絡も取れない。』という連絡は彼の情報処理能力を遥かに超えていたのだ。
「ウィーンからの連絡が復旧する可能性も…」
「愚か者め!プラチスラヴァから報告が来ていたのだろう?『帝都消滅』と!…それが本当ならすぐに対処しなくては。ボヘミアの工業地帯まで消えていたら我々二重帝国存亡の危機だ。」
無駄な抵抗に対し大公はそう言い捨て、連絡が取れているオーストリア領の中では最大の都市、トリエステに何はともあれ混乱の収拾のために向かう。そして、立ちすくむオスカルにサラエボ市長フェヒム・クルチッチが行った『イタリアが消えた』という報告は総督を失神させるのに十分すぎる効果をもたらした。
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ハンガリー王国首相ティサ・イシュトヴァーン伯爵はウィーンが消滅したとの報を国会で聞いたとき、他の議員と同じように沈黙せざるを得なかった。
長い間ハンガリーを縛り付けてきた美しき音楽の都が消えたことに喜んでいるわけではない。
ハンガリーにとって存続の危機が訪れたことを正しく受け止めているのだ。
「…ボヘミアは?」
「…現在騎兵隊がモラヴィア辺境伯領の消滅を確認。おそらくはボヘミアも…」
これで少なくとも
しかしボスニアにいた大公殿下が生きていただけでもマシと思おう。
そう自分に思い込ませる伯爵の顔は渋いままだ。
「アウスグライヒ会議の開催を殿下に打診しろ!ルーマニアとセルビアが動く前にだ!」
ハプスブルグという楔があっても帝国は崩壊の危機にさらされている。
楔すらなかった日には…ティサ・イシュトヴァーン伯爵はそんな想像を振り払うと、国会でアウスグライヒ会議開催に対して認可を求めるのだった。
…ウィーンもなく、今のところボヘミアは影も形も見えないのだ。鉱物資源を持つトランシルヴァニアと海に面したダルマチア・クロアチアだけはこちら側にとどめる必要があるのだから。
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数日後、ザグレブ。
「ふ~ん?アウスグライヒ会議に招待、ねぇ…」
クロアチア=スラヴォニア王国副王イヴァン・シュケルレッツ・デ・ロムニカ男爵は愉し気な顔を浮かべる。
ブダペストからこそ情報は回ってこないが、トリエステ経由で『ウィーンが消えた』だの『ボヘミアが消えた』だのといった情報は伝え聞いている。
「どうしますか?」
「もちろん行くにきまってるでしょ?逆になんで行かないのよ」
イヴァン・シュケルレッツ・デ・ロムニカ男爵…否、クロアチア民族の悲願とは何か?そう問われた場合、帝国内の大半の民族と同じような答えが返ってくるであろう。
それ即ち、帝国内の政治的地位の上昇。そしてその悲願が達成されるときは近い。
「クロアチアを高く売りつけないとね…」
交渉の場に呼ばれたのだ。夢にまで見た『三重帝国』だけでなく『クロアチア・スラヴォニア及びダルマチア三重王国』…いや、もっと多くを引き出して見せよう。
イヴァン・シュケルレッツ・デ・ロムニカ男爵は会議の開催場所であるシュタイアーマルク公爵領に残された数少ない都市、マリボルに出立する準備を整えるのだった。
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同じころトリエステ。
ナジバーニャイ・ホルティ・ミクローシュは駆逐艦『チェペル』の艦長に任命され、周辺海域の調査を命じられていた。
「水深はどんな感じだ?」
「アドリア海と同じ…みたいですがあれですな。イタリア半島が無いせいか海流が冷たいです…地中海とは思えませんよ。」
外洋にいるみたいだ。
その一言はホルティに興味深い意見だった。
(我々は何か恐ろしいことに直面しているのかもしれん。)
「半島のあった場所の水深は深めです!これなら戦艦も出れますよ!」
とりあえず、今は海図を書くのが最優先であろう。
己が敬愛するオーストリア=ハンガリー皇帝の無事を祈りながら旧イタリア半島の測量を黙々と進めるはずだった。
「未確認艦発見!距離およそ5海里!…帆船?帆船です!」
「…は?どこの船だ?!」
「わかりません!…少なくとも我々の知る国ではなさそうです。」
双眼鏡で水兵が覗く先には、帆をはらずにこちらへと向かう帆船の姿が映っていた。
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case.2 ルーマニア王国
1914年7月28日
「では、ここにサインを。」
「…えぇ。」
異世界に来たとルーマニア王国が把握して一か月もしないうちに、バルカン情勢は地球とは全く違った情勢になっていた。
ルーマニアの交渉相手は異世界に来たことで最も被害を受けたといえる国の一つだ。
「まさか、生きているうちにモルダヴィアがルーマニアのものになるとはな…」
「アントネスクも驚きなの!…トランシルヴァニアやブゴヴィナがあれば「それ以上はやめておけ…二重帝国は帝都がなくなってピリピリ来てるらしい。下手に刺激するとまずい」…わかったの。」
参謀本部でもモルダヴィアのロシア軍が自治政府の樹立を条件にルーマニアへの併合を同意した、というのは大きな話題になっていた。
しかし、その空気はコンスタンチン・プレザンにとってあまりいい空気とは言えない。
モルダヴィア統合によりルーマニアは直接未知の大地と接するようになったにもかかわらず、今話したばかりのイオン・アントネスクを筆頭に大ルーマニアについての議論がなされている。
…有能で冷静な判断を下すことができるイオン・アントネスクですら、というべきか。
「国王陛下が抑えになっているから今はまだ小康状態を保っているが…」
すでにブゴヴィナでは小規模な軍事衝突が起こっており、外務省は強硬派が抑えているため口をはさんでこない。
しかし、陸軍の参謀本部と国王が『大ルーマニアの地で死にたい』と公言しているアントネスクを含めて現状での衝突はまずいという判断を下しているからこそ
二重帝国は腐っても列強。いくら落ち目で国の中枢を失ったといっても双頭の鷲の頭はもう一つ残っている。
ハンガリー側との交渉でトランシルヴァニアを得るのは不可能だろうし、ブゴヴィナはあいにくオーストリアの管轄。国土の大半を失ったオーストリアが退くわけもない。
「国王陛下が頼り、か。」
そう、コンスタンチンがつぶやき参謀本部の扉を開こうとした刹那。
爆風が扉を破り彼は背中をしたたかに打ち付けた。
___
「犯人はすでに逮捕されましたが…参謀本部での爆弾騒ぎはポチョムキン号の亡命者の一人がしたようです。」
「…だからアントネスクは
「あのアカどもめ!」
コンスタンチンはブカレストの軍病院のベッドの上で事の顛末を聞かされて頭が痛くなってきていた。
大方テロの理由は『ロシアの正当な領土に対する侵犯だ~』だの、『我々の理想は~』とか言う飯の種にもならんものだろう。
1905年のポチョムキン号の反乱の失敗で亡命してきた大半の人間は『ポルシチの肉が腐っていたと、上官に文句を言ったら懲罰されそうになった』という笑いものにもならない即物的な理由で反乱を犯した連中だ。
しかし、その中には本物の共産党員はいても可笑しくないし600人近い元水兵の中には祖国に忠誠を誓っている者もいるだろう。
「モルダヴィアでも共産党の活動が活発になっているようです。」
「くそったれのアカどもめ!吊るし上げて処刑してやりたい気分だ!」
「モルダヴィアは自治政府だから警察行為にはルーマニアが介入できないの…」
ルーマニアの周囲はオーストリア=ハンガリーとブルガリア、そして自治政府となったとはいえルーマニア軍と同程度の戦力を保有しているロシアに囲まれている。
二重帝国はともかくとして、ブルガリアやロシアが攻撃してくることもあるのに国内には共産主義者。
(まずは二重帝国との国境紛争をどこかで止める必要があるな)
軍病院で横たわりながら、コンスタンチンは紛争の止め方を考えるのだった。
「…オーストリアが…!」
「…そうなの…バルカン情勢が…」
そんなコンスタンチンの病室の外ではまた、火薬庫の情勢が変わっているようだ。
コンスタンチンは目まぐるしく変化するバルカン半島の情勢にため息しか出なかったのだった。
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case.3 ブルガリア王国
ブルガリア王国。
第一次世界大戦において中央同盟国側で参戦し、大ブルガリアの悲願を達成しようとしたもののあえなく敗戦した国家…となるはずだった国だ。
その国の国王であるフェルディナント1世はオスマン帝国からの食糧の緊急輸出要請に困惑せざるを得なかった。
オーストリア=ハンガリーやルーマニアが欧州から切り離され不毛の大地が北に広がっているということは知っていたものの、ブルガリアは今回の件でほとんど影響を受けていない。
だが、隣国のオスマン帝国はそうでもないようだ。
「ダーダネルスの対岸が謎の国だと?」
「えぇ…ミクラジア統一帝国と名乗っているとのことです。」
外務大臣からの報告を聞く限り、オスマン帝国は本体ともいえるアナトリアを失いミクラジア統一帝国と名乗る国家を対岸に得たようだ。
瀕死の病人が頭だけになって瀕死のけが人にもなりおった。と、不謹慎なことを考えつつも外務大臣に話を続けるよう促す。
「実はその国の外交官と名乗る者が帝都に来て、『我々の被召喚物たる貴様らには偉大なる皇帝陛下の威光に服する権利を~』だのと宣ったそうです。」
「…ほう?」
それが本当に外交官なら大したものだ。
外交の何たるかを知らない猿ですと自己紹介しに来るとは面の皮が厚い。
しかし。フェルディナント1世には一つ気がかりな点があった。
「『我々の被召喚物』といったのか?」
「そのようです。まあ、それが本当ならオスマン帝国への要求は我々へも為されそうですが…」
動員令はかける必要はなくとも即応部隊程度は展開しておいたほうがよい。
そう言外に告げる外務大臣だが、今はまだ8月。農業を主要産業として持つブルガリアは収穫のために農民が働く時期に徴兵はしていられない。
少なくとも、今はまだ傍観する時期であろう。
「食料に関しては一部を我々が出した後はルーマニアとギリシャに丸投げしておけ。ギリシャはともかくルーマニアは麦を持っているだろう。」
「御意に。」
とにもかくにもバルカン半島が元の世界と連絡が取れなくなって約一か月。
政情不安で大規模な反乱(ブルガリアが裏で糸を引いている)が勃発しているセルビアやロシア系住民のテロが相次ぐルーマニア、国王と首相が絶妙に息が合わないギリシャなどの隣国たちよりかは状況はましだが先行きの見えない不安は全国家が共通して持っていることだろう。
「おぉ…神よ、ブルガリアを救いたまえ…」
今のところフェルディナント1世の日課は神に祈って十字を切ることである。
「…ついでにマケドニアとドブロジャと東トラキアを恵み給え…」
大ブルガリアの野望は、国王と国民の心の中に今でも眠っているのだから。
___
???
「野蛮人の国かと思っておりましたが、都だけは評価してもいい国かもしれませんな。」
「しかし首都が我々の対岸というのは都合がいい。そこを落とし、皇帝をとらえればその他の地域も降伏するだろう。」
「此度の召喚された地域は山がちであると魔法省も言っておった。長期戦になると面倒ですからな。」
「…しかし、あの城壁。海側の防御は固そうであるし、陸軍に上陸してもらうか。」
「主力艦隊から召喚国ごときに砲艦を持ってくるのは問題ですしね。」
『オスマン家の崇高なる国家』と名乗る傲慢な国家の首都を眺めながら談笑する軍人たち。
彼らの目線の先には海峡を挟んだ対岸にある、バルカン半島で最も古くかつ繫栄してきた『イスタンブール』と呼ばれる都市がその威容をたたえていた。
以下設定
召喚される場所は、
・単体ではミクラジア統一帝国未満の国力
・外交か内政に問題を抱えている
・平均した人口密度は低くもなく高くもない
・資源がある
・それなりに広い
という欲張りセットの条件を抱えている場所しか選ばれない。
…バルカン半島は満たしてるな、ヨシ!
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