ウマ漢 〜燦々レーシング〜 (モン楽)
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設定集 (随時更新)

ストーリーが進むにつれて設定は開示していきます。


センジンヒノマル

世界で唯一の『ウマ漢』

早くに両親を失っており,彼はその原因から罪悪感を感じている。

両親を失ってすぐに父親の友人の所長に預けられトレセンに来るまで外に出ることはなかった。

ジュニア期の身長は161cm。現在は168㎝。髪は青鹿毛で肩にかかるくらいのハーフアップにくくっている。右側に白いメッシュの入ったとても長い髪がある。

所属寮は美浦,同室はいない。

 

何かよくわからないものが憑いている。その正体はわからない。だが、ヒノマルの生まれに深く関わっている。

 

距離適性 短距離:G マイル:C 中距離:A 長距離:A

 

 

【挿絵表示】

 

勝負服デザイン。和服のようにデザインされている。襷は赤のかかった黒色。上の服は左側(重なっている上側)が朱色、右側が白色になっている。したは灰色のグラデーションになっており、足元に色がついている。そこには墨で書かれたような桜の木が描かれている。

中にはインナーを着用しており、中指に穴を通してある。胸の方に屏風絵のような太陽と空が描かれている。

 

所長

ヒノマルの父親の友人。ヒノマルを研究施設に閉じ込めてたことを申し訳なく思っている。

ヒノマルのことは生まれた時から知っているが上記のことから他人行儀である。

 

木場仙太郎(きばせんたろう)

ヒノマルのトレーナー。タキオンを担当してから人が変わったようにやべーやつになったがそれと同じくらい仕事に熱心になった。

タキオンの怪我とある一件から怪我や故障について敏感になり担当がレースで走る時はいつも胸を冷やしている。GⅠの時はそのいつもの比ではないくらい。

また,料理が得意で,その中でも弁当は最強。彼の弁当を作る技術にかなうものはトレセンにはいない。

彼の夢はウマ娘の限界に辿り着くこと。そしてあらゆるウマ娘の夢に駆けること。

彼曰く,どんなに小さくても,どんなに暗くても,『夢』を持つものが輝くとのこと。

 

エルコンドルパサー

ヒノマルと同期。

常にマスクをしており何故か片言で喋る。

世界最強と自称しておりその実力はそれに値するだけのものがある。

ヒノマルとは同じクラスで席も隣り。ヒノマルには大いに信頼を寄せており家族専用のソースを一緒に使うほど。ただヒノマルの反応があまりにも激しかったので今後は許可を取ってから使おうと心がけている。

 

アグネスタキオン

木場を狂わせたやべーやつ。

現在は走っておらず,木場と共にチームメンバーの能力の底上げに協力している。

ヒノマルは実験体としても非常に興味を寄せている。

 

ハリボテエレジー

あらゆることが謎に包まれている。その素顔を知っているのは木場とタキオンだけであり,二人はそれについて誰にも語ることはない。

変異種と呼ばれるウマ娘で見た目がヒトに近く身体能力持つウマ娘より劣っている。

別の変異種のウマ娘には嫌悪感を示している。

第3コーナーは曲がらない。

 

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

一切の概要が不明。

誰かを追いかけて,追いつけず,もがき、苦しんでいる。とある三人に追いつけなかったという過去を持つ。

意思が最近明瞭になってきたらしく、活動も活発になっている。

 

【関係者】

北村東(きたむら あずま)

マンハッタンカフェのトレーナー。幽霊を見えることができる、そのため『お友だち』と交信することができ、ヒノマルの観察を依頼している。

木場の後輩にあたり、タキオンの実験に巻き込まれかけてから交友ができた。たまに彼は食事をせびってはしばかれる。

 

マンハッタンカフェ

タキオンの友達。初めてヒノマルの中身に気がついたもの。その得体のしれなさに東にも注意を促していた。東と違い、見る能力は劣るものの撃退する力があるため、ヒノマルをどうしようかと考えている。



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デビュー編 〜暁の夢〜
1R そのウマ娘,『漢』である。


処女作です。
目標は完結ですが、投稿は遅いですがよろしくお願いします。


 ──産まれる前からこの人生は決まっていたのかもしれない。俺のせいで両親は返ってこず,この傷は罪を忘れないためのものだと信じてきた。

 研究施設に送られた俺はただぼんやりとした日々を過ごして罪を背負ってきた。でも,もし、許されるなら少しでいい,ほんの少し、俺が生きていたことを誰かに知って欲しい。

 そんな意識が芽生えて数ヶ月たったある日のこと──

 

「君はこれからトレセン学園に編入することになった、センジンヒノマル」

「えっ……。本当ですか、それ」

 ガラス越しの面会、センジンヒノマルことヒノマルは驚愕した。今までこの施設から出たことのないヒノマルは外の世界などよくわからない。それにトレセン学園はあらゆるウマ娘が集まる場所、端的に言えば女子校である。そこに男であるヒノマルが行っていいのかと考えている。

「問題ない。いつかの君が外に出たいといったのもあるし,わざわざここにいてもらうにも時間が経ちすぎた。」

 そう所長はいった。ヒノマルはそれ以外の問題についても聞きたかったが所長は口を止めない。

「君には酷いことをした」

「どういうことですか?」

「君は十数年、この施設にいてもらった。そして一切外に出ることはなかった。これを酷いと言わず何という。

 だから謝罪をさせてほしい。君の父親にも──」

 長い間の軟禁状態とも取れる状態。だがヒノマルは気にしてなかった。むしろ感謝したいくらいだった。

 ヒノマルは物心つく前に両親を失った。その内の父親が頼ってヒノマルを預けたのが所長だ。この事実は数ヶ月前に聞かされた話だ。そのときあたりからヒノマルは外に出たいと明確に思い始めた。

「顔を上げてください。俺は大丈夫ですから。それでいつから編入するんですか」

「ああ,それは一週間後の予定だ。そして──」

 それからヒノマルたちはしばらく会話を続けた

◆◆◆

某日、トレセン学園正門前、所長のおさがりの学ランに身を包んだヒノマルはこれから始まる新しい人生に期待を胸に息を飲んでいた

「それでは、行ってきます、所長。今までありがとうございました。あなたは俺のもう一人の父さんだ」

 こうしてヒノマルはトレセン学園の門をくぐった。

「先にホームルームを始めるから待っててね」

「はい」

 緊張してきたな。そんなことを思いながら軽く担任と会話をして扉の前で待機している。

 ヒノマルは今まで決まった人間としか会話したことがない。した場面など事務的なもの、教育のとき、などぐらいしか思いつかない。ある意味これが最初の他者とのふれあいになるだろう。

(落ち着け、大丈夫だ)

「では入ってきて」

「はい!」

 ヒノマルはここ数日自己紹介の練習をしてきた。抜かりはない。しかし、

「ぶへっ!」

 ガチガチになった体が僅かな段差に引っかかってしまった。ヒノマルは若干顔を赤らめながらも黒板に名前を書き終え教卓の前にたった。

「見苦しいところを見せてしまいました。名前はセンジンヒノマル、男です。よろしくお願いします」

「はい、ヒノマルさんありがとう。それじゃ席はあそこね」

 担任の指さしたところはマスクをつけたウマ娘の隣であった。すぐさま移動して腰をおろすと安堵の息を吐き出した。

「さっきは大丈夫デスか?」

 隣のウマ娘が心配してきてくれた。他人に話しかけられることにびくついたヒノマルだったがすぐに冷静さを取り戻した。

「ああ、ありがとう。あれは我ながら酷いと思っている。えぇと君は、」

「アタシはエルコンドルパサー!エルとお呼びください!」

 快活な片言で喋るウマ娘、エルコンドルパサーことエル。彼女の明るさにはまだ慣れない。

「うん、それじゃあこれからよろしくエル」

 ヒノマルは右手を差し出して握手をした。以前握手が友達の証と聞いたからだ。

 こうしてヒノマルは友達第一号にして親友となるウマ娘ができた。そしてエルもはじめての男の友達であった。

◆◆◆

「あれ、どうしよう。生徒会室はどこだ?」

 編入から数日、ヒノマルは学園の雰囲気にも慣れてきたが迷子になってしまった。トレセン学園はとても広大である一室に行くだけで一苦労だ。

 それはさておきヒノマルは急いでいた。用事は早く終わらせたいし相手を待たせるのも申し訳ない。と地図を片手に頭を捻っていると、

「おや、どうしたんだい?」

「いえ、生徒会室に行きたいのですが」

「それならそこからは上に上がって右でよ」

「そうですか、ありがとうございます。」

 ヒノマルは親切なウマ娘に感謝しつつも焦っていたのですぐさま去ってしまった。しかし親切なウマ娘はヒノマルのことをまじまじと見つめては不穏な笑みを浮かべた。

「……ふぅん……」

◆◆◆

「失礼します。センジンヒノマルです」

 ヒノマルが扉を開けると一人のウマ娘がいた。そう、あの無敗三冠ウマ娘、シンボリルドルフだ。

「ひとまず座るといい。しかし、久しぶりか」

「俺と面識ありましたか?」

「ああ、過去に君を見たことがあったね。まあとりあえず座るといい」

 ヒノマルは焦っていたため息が乱れていた。言葉に甘えて座って少しくつろいだ。だいぶ落ち着いた様子だと確認したルドルフはヒノマルにいくつか問答をした。

「さて、センジンヒノマル。君はこの言葉の意味がわかるか?」

『Eclipse first,the rest now where』

 トレセン学園のスクールモットー。その意味は

「『唯一抜きんでて並ぶ者なし 』ですよね、会長さん」

「ああ、そうだ。君も切磋琢磨をして頑張ってほしい。そこでもう一つ,質問だ。」

 ──君はなぜここに来た

 走る理由。それはさまざまだろう。

 楽しいから。憧れたから。最強を示したいから。日本一になりたいから。

 それぞれが背負う理想と思いがある。なぜ走るのか、ヒノマルの示す答えとは

「俺が生きたことをのこすためです。」

 別に一生を施設で暮らしてもよかった。自分が自由なんて烏滸がましい。役に立ってさっさと骨を埋める。それができることだと思っていた。

 だが、あまりにつまらないと気付いてしまったのだ。せめてこの身体で産まれた意味を別に持ちたくなった。親に誇れる息子でありたくなった。

「それが俺がここに『生きたい(行きたい)』と思った理由です」

 ルドルフは満足げに微笑むと手を差し出した。ヒノマルは力強くその手を握り返した。

「では、学園の案内をしようか」

「ならばその役,わたしが引き受けてもいいかな」

 ルドルフの声を遮るようにドアが開く。そこには栗毛の,先程の親切なウマ娘がいた。

「アグネスタキオン,なぜ君が?」

 ルドルフが強めに問い詰める。

「おいおい,よしてくれ。わたしは別に怪しいことは何もしない。君が最初に依頼したものにもちゃんと許可はとっている」

 親切なウマ娘ことタキオンは変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 その様子に観念したのかルドルフは大人しくタキオンに任せた。

「すまない,センジンヒノマル。彼女の案内について行ってくれ。アグネスタキオン、君は何もするなよ」

「くく,ああ勿論だよ。わたしは何もしない」

 案内が始まった。

 タキオンはとても怪しげな雰囲気を放っていた。彼女の魂胆が見え隠れする。しかしヒノマルは人付き合いなどあまりなく多少怪しみながらも彼女について行った。

 そうしたまま案内は進んだ。彼女の放つものに対してそれ自体は何事もなく進んだ。ただ、ヒノマルには引っかかるものがあった。

 ──なんなんだこの匂いは?薬品の香りなのか?それにしても鼻につく

違和感を覚えつつも黙々と進んでいく。そしてヒノマルはとうとうその疑問を口にした。

「タキオンさん,さっきから匂うこの匂いはなんですか?それにこのあたりからも──」

「勘が鋭いねぇ。だが」

 その瞬間景色は暗転する。周りから二人ほどの気配が漂っていた時には

「もう遅い」

 袋に詰められていた。




よければ感想ください。


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2R 誘拐犯とその『チーム』

もともとプロットにあった分を投稿しているのであと2話ぐらいは連続で投稿できると思います。
それではどうぞ


 変わらず暗い景色は続いている。

 恐怖は不思議と感じない。代わりに疲労を感じる。

 どこまでいくのだろうかとどこかふわふわとした思いを巡らせながらヒノマルは、誘拐されている。

「さあ,ついたよ」

 タキオンの声が聞こえるとヒノマルは現状を把握した。脚は特に何もされていないが上半身はがっちり縛られ身動きが取れない。

「どこですか、ここは」

「ここはアタシたちのチームのトレーナー室デス」

 頭上からエルの声が聞こえる。彼女も誘拐に一枚噛んでいるのだろう。それに目の前にあと一人。段ボールで作られた謎の生物の被り物をした少女。三人でヒノマルを誘拐したのだ。

「ここは地獄か?」

「現実だよ。おや,トレーナー君。帰ってきたかい」

 エルやタキオンさんのトレーナー。彼は結論から言えば主犯だ。

 一目見ただけでも怪しいと叫べる身なり。そして──

「おまえがセンジンヒノマルか。昔にニュースで話題になったがまさかほんとにいるとは」

「いや、眩しい!?」

 なぜか発光している。もはや彼の方がヒノマルではないかとも思える。

 はるかに自分よりも異常な存在にヒノマルは困惑した。それでもなんとか言葉を紡いで疑問にした。

「誰なんだあんた一体,」

「ん、そうだな。はじめまして,俺は木場仙太郎(きばせんたろう)。このチーム『パーチ』を担当している。手荒ですまなかった」

 ここまで全て棒読みだ。

 全く誠意など見当たらない謝罪を受け取ったが今はそんなことどうでもよかった。なぜ自分を誘拐したのかを知りたかった。単純に身代金かそれを超えた人身売買,もしくはタキオンから研究者気質が感じ取れた。人体実験の線もある。

 それが伝わったのか木場は語り出した。

「言いたいことはわかるぜ。俺たちがおまえをさらったのはヒノマル,おまえが男だからじゃない。いやもちろんそれもあるが、単純に中央に編入するやつがどんなのか品定めしたくなったからだ。」

 ヒノマルはてっきり予想したことをされると考えていた。しかし目の前のトレーナーはヒノマルが男だからではなく、単純に実力が気になっただけだった。しかし実力と言ってもヒノマルはまだまだ未熟でろくに他人と走ったことのない青いものだが。

 ともかくその事実には驚きを隠せなかった。しかしそれだけなら誘拐の必要性などないのでは、と考えたがそれは引っ込めた。

「まあ,今見てはっきりした。発展途上だな。まだまだ治せる部分は多そうだし伸び代に期待ってところか。」

 そう言って木場はヒノマルの拘束を解いた。

「それとよ、一つ聞かせてほしい。おまえはどうして生きていることを示したいんだ」

 彼は普段はたくさんのことに興味をもち、よく笑顔だった。

 しかし、今はその瞳におちゃらけた雰囲気など一切ない。この質問には生半可な「答え」では逃げられない。

「それと,ルドルフんとこで話した理由はなしな。俺が聞きたいのはもっと本質的なこととか言い方変えれば原点だ。ちなみになんで知ってるのかは盗み聴きしたからだ」

 ヒノマルの本質,原点。

 一体どこからそんな考えが生まれたのだろう。固まったのはつい最近でもきっかけ自体は割と昔のはず。

「まあ難しい質問だよな。誰だって自分のやりたいことを理解するのは難しい」

 そう言って木場は煙草を一本取り出した。

「そうだな,例えばそこのタキオンならウマ娘の限界を知るためにとか,エルなら世界最強だ。要するになにが『したい』か,なにに『なりたい』を教えてくれ」

 ──生きたい。それを示したい。

 あくまでしたいことはわかっている。今はその理由を聞かれている。

 両親に誇れるようになるため,つまらない人生で過ごしたくないため,

 

 違う,そうじゃない。

 

 ──産まれて初めて,ここらか出てみたいって思ったのは

 その記憶がヒノマルに巡る。

 

◆◆◆

 

「センジンヒノマル,今日は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎があるらしいぞ。」

「そうですか所長」

 レースなんて興味はない。そんなことをするよりもできればさっさと死んでもいいと思っていた。特に生きる理由もなく,むしろ死ぬべき理由があった。

「まあ,君も見てみなさい。このレースにはいつも夢が詰まっている。わたしがウマ娘の研究をしたくなったのもこれがきっかけだ」

 曰く,そのレースはとても大きいらしい。場合によっては十万人以上が駆け寄り、ドラマを見る,希望を見る。そして『夢』を見る。

 それは出走する方も同じで,俺とは正反対だった。

「さあ,そろそろメインレースだ。」

 そして彼女達は走った。

 どんな風になろうと関係ない。今この瞬間に全てをかけて,突き進んでいる。それは残酷でもあり,儚くともあり,美しかった。

 そして誰かがゴール板を横切った。

『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎勝ち取ったぁぁ!』

 勝った彼女の表情はどれだけ歳を取っても思い出せるだろう。

 彼女の顔は『幸せ』に溢れ,綻んでいた。

 俺はあんな顔をしたことがないだろう。少なくとも記憶にある限りは

「センジンヒノマル,君にはやはり関心がなかったかな。しかし,テレビに移る彼女はいい笑顔だ。君もそう思わないか」

「そうだね所長」

 あそこは希望と夢の泉だ。

 もしかすると,俺も『ウマ娘』ならば行けるかな

 行けるやつは絶対嬉しいだろうな

 なんてそれは……

 

◆◆◆

 

「……『羨ましい』」

 木場は静かに煙草の火を消した。

「あの時だ。いつかは忘れたあの日,まだ小さかった頃だと思う。俺が画面越しにみた,誰かが大観衆の中でただ一人歓声を浴びたレース。あの時の彼女は誰からも称賛されて幸せそうで,何より『愛されていた』。俺は愛されたことなんてなかったのに,そうしてもらった記憶なんてないのに,それに,どこかで」

 ──嫉妬した。

 

 ここまで感情を吐露したのは初めてだった。でも悪い気分はしない。むしろ清々しいまである。

「なるほど。いいな、それ!ちと重たくなったけどよ。

 なあ,ヒノマル。出会いは最悪だがこのチームに入らないか」

 まさかの勧誘。ヒノマルはどうしようかと思った。誘拐された件もそうだが、まだトレーナーがウマ娘をスカウトするための選抜レースすら出ていない。つまり木場はヒノマルの走りを見たことがない。勧誘には些か不十分ではないだろう。

 そのことを伝えると

「問題ない。お前は鍛えたら化けるやつだと確信している。それにな,俺たちのチームのモットーは

『自分らしく,楽しんで走る』だ。勝利を目指さないわけじゃないぞ。この世にはとんでもなく強いやつがいる。けど弱いのもいる。そいつらひっくるめて楽しくやってほしいんだ。走るやつは楽しんでくれるのが一番なんだ」

 木場は格好に合わない無邪気な笑顔を見せる。

「ヒノマル,俺はおまえの性別など関係ない。今おまえが言ってくれたことに素晴らしいと感じている。やってやろうぜ」

 ほんとうにこのチームでいいのだろうか。

 疑問は尽きない。だが彼は確信する。

 このチームなら何かできる気がする。このチームなら俺の人生に輝きを放つと。

 ならば決断した瞳に曇りなどない。そこにあるのは輝く日の丸,彼自身。

「わかった,トレーナー。俺をこのチーム──パーチに入れてくれ!」

 センジンヒノマルの夜明けは近づいてくる。




ちなみに私,ルドルフもシリウスも当てれましたありがとうございました。
育成ガチャ?なにそれ美味しいの?


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3R 『パーチ』と全力解放

今回はチームメンバーとトレーナーの紹介が主な内容となっています。
もうしばらくは毎日投稿できそうです。


 『パーチ』に加入して数週間,ヒノマルはだいぶチームに馴染めていた。

 チームのメンバーとも特になんともなく仲良くやっている。

「ヒノマル君,タイムを計測するよ」

 アグネスタキオン。

 マッドサイエンティスト気質ですでに教室の何個かを破壊済みである。しかし一定の倫理観はあり、木場と自分以外で人体実験をするときは一応他人に許可を取ろうとする。そして木場はモルモットである。

 彼女はすでに一線を退いでいて,今はチームのサブトレーナーのような立場についている。

「ついでに君もだ,エレジー君」

「……んっ」

 ハリボテエレジー。その後素顔は一切謎。どこか見覚えのある生物を模した被り物をしており,喋るときも大体「ん」の一言だけだ。

 なぜかGⅠ『ジャパンワールドカップ』,通称JWCによく出走している。

「なら,エルも参加いいデスか!タキオンさん!」

 エルコンドルパサー。世界最強を自称するヒノマルの同期のウマ娘。マスクを付けていて,なぜかよく片言で喋るっていて,他に比べたらまともな方である。

 こんな感じでメンバーがものすごく濃く,ヒノマルの唯一のオトコという特徴すら薄く思える。こんな状態ならばハーレムで喜ぶなんて不可能だろう。

「エル,しっかりこの後休むなら走ってもいいぞ」

 そして最後にトレーナーこと木場仙太郎。常にサングラスをかけており,姿は白衣。これだけでも不審者レベルなのに追い討ちをかける特徴がある。彼は時々光っている。それはもう眩しくて仕方がない。

 しかし彼はトレーナーとして高い誇りを持っている。このチームのモットーが示すように,ウマ娘たちが一番に楽しめる環境をつくりたいと日々精進している。

 そして『夢』を見るドラマチックな感性を持っている。ウマ娘の語る憧れや夢を我がものとしてそれをつかみたがっている。木場は子どものようであった。

 しかし,勤務態度は良くない部分も多い。あろうことかトレーニング中にも喫煙するのだ。

「トレーナー,タバコはやめてくれ。匂いは気を遣っているようだが健康に悪い」

 木場のタバコの匂いは甘い。やに臭いものではなくバニラのような匂いだった。

「はぁーわかった。」

 室外だからいいだろ。そんなことがいいたげな顔をしていたが直ぐに火を止めた。

 ヒノマルはそれを確認してタイムの計測に入った。今回の計測は全速力で一ハロン。これを五セット。割と体に堪えるメニューだった。

「これって何秒ぐらいで走ったら大丈夫ですか?」

「そうだね,十三秒よりも速くできればトレーナー君も満足するかな」

 返事をするとすぐにスタート位置についた。

 十三秒以内,一体どれくらいのスピードで走ればそうなるかわからない。しかし全力でやる。それだけだ。

◆◆◆

 全力というのは想像以上に疲れる。そして,文字通り『全ての力』を出すにはそれなりに努力とコツがいる。

「タキオンさん,結果は?」

「うぅん,いまいちキレがないが……目標は突破しているよ」

 いまいち調子がでず,そうですかと生返事したヒノマルは二人をみた。エレジーはウマ娘にしては遅すぎるが,ヒトにしては早い速度であった。疑問に感じたがそれはすぐに吹っ飛んだ。

「エル,圧勝デース!」

 一つの風が心をつれ去った。

 自分の記録をものともしない速度でエルは駆け抜けた。先程,彼女は世界最強を自称していると言ったが,間違いなくその器なのだ。

 その後も何回か走り続けたが結果は変わらずヒノマルがそこそこ,エレジーがダメダメ,エルはそれを嘲笑うように圧勝。しかし嘲笑うというにはその姿は明るく輝いている。

 それでも,彼女の走りから圧倒的な実力差を見せつけられた気がした。ヒノマルは痛感させられてしまったのだ。自分では彼女は勝てない。疲弊した体はそれを伝えていた。

「ヒノマルくん,どうだい今の気分は」

「悪くはないです。ただ,」

「ただ?」

「俺の同期にあの強い走りをするやつがいると思うと、正直,その,大きい声で言いたくないですが疲れると思います」

 多少気まずい雰囲気を出していた。友達に嫉妬するなんてみっともない。そんな風に考えているのだろう。それが察せられたタキオンは高らかに笑いだした。

「アーハッハッハ!きみぃ,そんなに他人を羨ましがるのは嫌いかい!?

 まあ,わたしだって友人に嫉妬したことがある。そう嫌がる必要なんてない」

 それは意外だった。パーチに入ってすぐに木場からメンバーについて聞いていた。

 木場はタキオンは才能が溢れ出るようなやつだと語っていた。しかし,そのタキオンだって嫉妬することはあるのだ。

 ヒノマルは今までタキオンに忌避していた。タキオンが危ないウマ娘であるのもそうだが,負けることがなく現役を引退したのだ。その事実で感じてしまったのだ。

 あの人は俺みたいなのとは違う。俺が手を伸ばしても届かないところに住む住民であると。

 無論、ヒノマルはなぜ彼女が引退したのかを知らないからこんなことが思えるのだが。

「あなたもそうだったんですか……」

「そうだよ。それで,君は嫉妬してどうする?どうなりたい?『動き出さなければ動けない』トレーナー君の好きな言葉だ」

 さあ,続きをを始めよう。

 タキオンの呼びかけでヒノマルは腰を上げた。

 次は自分の番だ。準備に取り掛かったヒノマルは身体を震わせる。どうすれば全力を奮い出せるか,自分には出せない力をどうすればいいか。それがわかった気がする。

 今なら全力が出せそうだ、そんな気がした。

 そして,疲れていた時の「できる気がする」は案外あてになったりする。ヒノマルはそういうタイプのやつだ。

 

 体が熱くなる。いや,熱くなった。ヒノマルの体温は上昇しみるみるうちに調子が湧いてくる。

「──今なら、いける!」

 この時は誰よりも速かった。

 そしてそれは数字をもって示される。

「よくやった,ヒノマル!今のはさっきのエルより速かったぞ!」

 木場は歓喜の声を上げながら頭をくしゃくしゃに撫でた。いきなりの記録に興奮が止まらない様子だった。

「どうやって速く走ったんだ」

 木場の問いかけにヒノマルは口角を上げながら話した。

「文字通り,全部使って走った。脚だけじゃダメだった。だから全部の筋肉を使った」

 その答えに木場は心底満足した。二人はやったやったと言いながら賑やかになったが、すぐに終わった。

「おや,さすがエルコンドルパサー君だ。」

 タキオンは二人の方を振り向くと大声で叫んだ。

「君たち,先程のタイムはこされてしまったよー!」

「いやー、ヒノマルのタイムを越せてよかったデース!」

 無情に聞こえるタイム更新。本来喜ぶべき木場は気まずそうに顔を逸らしたがすぐに元に戻りエルの方へ向かった。

 ヒノマルはちょっとだけ悲しくなったが,その顔は木場と話していた時と変わってなかった。

──次こそは負けない

その思いに心を滾らせていた。




マルゼンスキー育成してたら2回未勝利戦走る羽目にはなった時は育成やめようかと思った。


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4R 謎の仮面、『ハリボテエレジー』先輩

とりあえず書き溜めている分は出来ました。
少なくとも一週間以内には毎日投稿は出来なくなると思います。


 時にウマ娘は半端ものが産まれてしまうらしい。いや,半端ものというかネタに走ってしまったというかなんとも言えないいる。

 異様に身長がデカいやつ,角が生えたやつ,フェロモンを撒き散らすやつ,縞々なやつ。

 他にもたくさんいて,全員おかしいが彼女たちには才能があった。

 

 わたしだけが一切ないのだ。

 

 なぜだ,なぜだ。わたしだけこんなことになるなんて,おかしいだろ

 恨み節はなんこも溢れた。

 許せなかった。

 呪わずにはいられなかった。

 ──でもそれだっていいじゃないか

 そんなことを考えれたのは二人のおかげだ。

 

◆◆◆

 

 ヒノマルが編入してはや数ヶ月。もうチームの一員として打ち解けていた,彼女を除いてだが。

 ──ハリボテエレジー

 彼女だけはなにを考えているかわからなかった。その素顔は全く分からず、返事も少ない。

 なぞの被り物はどこかで見たことがあるようなデザインで段ボールで構成されていた。そこに描かれた真っ黒な瞳は見たものを虚無へと誘う。

 ひたすら寡黙な彼女とタキオンを比べてどちらの方が接しやすいかと聞かれたらヒノマルは後者を選ぶ。タキオンは狂っているが、コミュニケーションが取れる。取れない相手など人間性以前の問題になる。

「それじゃあ,ヒノマル。今日はエレジーと組んでやってくれ。俺はタキオンとエルのデータの集計してるからわかんねぇことがあるなら連絡しろ」

 はっきり言って難しいと伝えたかった。

 しかし,木場の行動は早い。

 連絡ツールとメニューを置くと駆け足で逃げていった。その時の表情がなんとも爽やかで余計に殴りたくなった。

 「えーっと,エレジー先輩。やりましょうか、」

「……んっ」

 あんたはなんか言えよ

 それを喉の手前で引っ込めてトレーニングを始めた。

 

◆◆◆

 

 喋ったことのない人と同じ空間にいることはとても苦しい。友達の友達と二人きりになったことがある人ならわかるが,まさしくそんな状態だった。

 当然そんな状態ではトレーニングも捗るわけがなく、ヒノマルは途方に暮れていた。

 だからと言ってトレーニングをサボるわけにもいかない。なんとかして会話を絞り出したかった。

「あの,エレジー先輩」

「んっ?」

 しかし,相手は「んっ」の一点張り。

 そして,ヒノマルとて人と話すのが苦手だ。彼がトレセンに来るまでに関わった人間など数えられるぐらいしかいない。特定の人間の間で伝わったことは他人にはあまり通用しないのだ。

「……はぁ,一体俺にどうしろと,」

「んんっ」

「あなたも何か言ってくださいよ」

 大きなため息が漏れる。

 そして今日の練習は終わった。

 

◆◆◆

 

 その日のヒノマルは行動が早かった。

 授業が終わると昨日の木場と遜色のない素早さでトレーナー室に向かった。

「んで,エレジーについて教えろと」

「頼む,でなければ俺がトレーニングに集中できない」

 木場は相変わらずタバコを吸っている。

 今日はそれを消さずに語り出した。

「俺はタキオンを担当してから色々変わった。こう性格もタキオンを担当してからかね。そしてその次に契約したのがハリボテエレジーだ。あいつは顔隠すにはそれなりに理由があってな。

 ヒノマル,『変異種』ってしってるか」

「いや,聞いたこともない」

 木場は意外そうな顔をした。

「マジか。まあ簡単に言えばおまえみたく普通のウマ娘にはない特徴を持つウマ娘だ。性別が違うおまえも変異種とも言えるだろう。

 これを知ったのはタキオンを担当して数ヶ月,世界でごく稀に一世代限りで生まれてくる種類だ。その特徴はまさに千差万別。中にはこの世界に存在する生物と類似した特徴を持つ奴もいる。

 そして,エレジーもまたその一つ。あいつは変異種の中でも物珍しい,名付けるなら『半バ娘』とかだろうな。人間を超えるスペック,しかしウマ娘を超えることは絶対にない。

 変異種のほとんどは外見に特徴が現れるがエレジーは身体能力に大きく影響した。おまえもいつかの練習で見てたろ。エレジーの速さを」

 ウマ娘の変異種は世界でも報告されている。決して未知なる出来事ではないのだがエレジーだけが特殊すぎた。

 その特徴から彼女は幼少期の頃から友達も少なかった。そして,かつてはその運命を恨み,憎み,呪った。

 エレジーの走る理由──それは皆が抱くような美しいものではなかった。

「そうだったのか,そんなことが」

「まあ,これ以上のことは本人に聞け。今日も俺たちはいないが,頑張り!」

 そこまできてそれはないだろう。

 ヒノマルはまた,伝えることが出来ずにエレジーとの練習を始めなければならなくなった。

 

 

 

◆◆◆

 

「エレジー先輩,今日もよろしくお願いします」

「んっ」

 気まずい沈黙は再び襲いかかってくる。

 しかしその沈黙は無言からくるものではない。エレジーの境遇に自分に似た何かを感じてしまった,いわば『同情』というのが一番近いところだろう。

 ヒノマルは理解できなかった。木場はあんな話をされた直後に話題になっていたやつと二人だけで練習しろというのだ。

 自分のトレーナーに対する不信感は出会った時に近いものとなっていた。

「あの人,本当にトレーナーとして大丈夫なのか」

 思わず愚痴が漏れてしまう。

 するとエレジーはおもむろに立ち上がり顔を近づけてきた。

「いや,エレジー先輩,近い……です」

 これでもかとエレジーは顔を押し寄せた。

 とうとうエレジーの被り物が鼻に当たった

 その瞬間──

 一つのメモ帳が目に入った。

「トレ……ナーは,しん……らいでき、る。

『トレーナーは信頼できる』?」

 エレジーは首を大きく振った。鼻が当たって少し痛い。

 それに気づいてないのかエレジーはそのまま筆談を始めた。

「トレーナーはわたしの恩人だ。彼は,誰からも見向きされなかったわたしを見捨てずに契約をしてくれた。

 そして彼は区別などしなかった。他の普通の娘と変わらず同じだけのトレーニングをさせてくれた」

 そして最後にこう書かれていた

 

 彼は,わたしと同じ夢に駆ける

 

 エレジーのその瞳は虚無を表していなかった。ただひたすらに燃え上がる曲がることなどない,夢への『印』

 ヒノマルはそれがわかった。

「君が彼に,そしてわたしになにを思っているのかはわからない。しかし,どうか彼を信じてほしい。彼のお陰でわたしの呪いは夢へとなった。君も自ずとわかるだろう」

 エレジーはそう書いたページをデコに押し付けた。

 呆気に取られたが直ぐに正気を取り戻すとヒノマルは彼女を追いかけていった。




とりあえずあと三話以内にメイクデビューは済ませます。
明日には設定を載せようかと考えています。


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5R そうだ,『お出かけ』しよう

すいません、ヒノマルのデビューはもうちょっと先になりそうです。
一週間いないには絶対にさせます。
今回の年越しは長引き二つに分けました。
あと設定はもう少しだけ待ってください。


夢を見ているのだろうか。

 君は何者なのだろうか。俺にはなにもわからない。

 わかるのはただ君が誰かを追いかけていて,届かずに悔しくて涙を流しているところ。嫉妬した君は優れた才能に打ちのめされて悔しくて悔しくてたまらない。

 俺は君と大して違わないのかもしれない。俺も誰かを追いかけては羨ましくて、その度に申し訳なくて、みんなに喜んで欲しくなる。

 あの時は本当に悔しかった。おそらく君もそうだろう。必死に己を駆り立ててそれでもあいつに届かなかった。別の時は呆然とするしかなかった。あの時の二人はただただ恐ろしくて、前に進めなかった。

 最後のあの日に君が報われることを祈ろう。

 それにしても,ああ不思議だな。本当に君は誰だ。

 

 ──おまえは『誰』だ

 

◆◆◆

 

 朝起きればなんともない朝が迎える。

 夢を見ていた気分に似ている今はここが現実かもわからなかった。

 ヒノマルの今日は予定がなかった。そろそろ年越しでチームも練習を休みにしていて一段と暇だった。

 来年はとうとうメイクデビュー。これにより,今までこそこそ隠していたヒノマルの存在は公になる。施設に閉じ込められていたのもヒノマルを大衆の目に晒さないためだった。男のウマ娘がどれだけマスコミのネタになるかなんて容易に想像出来る。もっと早くから知れ渡っていればヒノマルの精神がもたなかったであろう。

「誰だ,あれは……いや,なんの話だ」

 まだ夢から覚めていない様子のヒノマルは尻尾と耳がしっかり隠れる服装に着替えた。ヒノマルの存在はまだ未公開。それを外に知らせるのはメイクデビューのときからだ。

 いそいそと着替えたヒノマルは寮の外で待つエルの元に向かった。今日はエルと一緒に外で買い物をする約束をしていた。もちろんそのリスクは高いし、学園もいい顔はしなかっただろう。だが,木場やルドルフの説得でしっかり変装するなら許可を取った上で外出してもいいことになった。

「ごめん,ちょっと寝坊した」

「大丈夫デス!それでは行きましょう!」

 現在午前九時三十分、二人はショッピングモールに出かけた。

 最初に行ったのは靴屋だった。ウマ娘はその脚力ゆえ靴の消費がバカにならず必ず行きつけの店を見つける。ヒノマルはそれがまだ作れておらずいつも施設から送られている靴を使っていた。

「この靴はデスね,結構重たくなっていまして」

「それでパワーとかを鍛えるのか」

「その通りデース!」

 二人は小一時間ほど靴屋でどんな靴がいいかを話し合った。例えば,この靴は曲がりやすいだとかカラーリングがいいだとか。

 現在午前十時二十五分,次は日用品だった。

「そういえば,ヒノマルは足りてない筆記用具はお有りデスか?」

「いや,必要なのは筆箱に定規、コンパス,他には消しゴム三個と鉛筆六本……あとは,ハサミ,ホッチキス,ノリ,サインペンぐらいか。大丈夫だ,全部ある」

 何という細かさだ。普通の中学生はもっとざっくりしているはずだ。そう思うような答えだった。ともかく文房具は全て揃っていたので買う必要はなかった。

 その次に行ったのは化粧品売り場だ。

「エル,俺はこういうのには疎いが早いと思う」

 ヒノマルはそんなことを言ってしまった。さすがにエルも大きなため息をついた。

「やれやれ。わかってませんね,ヒノマルは。アタシ達ウマ娘は走ったあとに何がありますか?そう,ライブデスよ,ライブ!そのため常に美白、美肌,艶肌を保たなきゃいけないデスよ!」

 失言をしてしまいヒノマルは気圧された。

 実際にエルの言ってることは正しい。普通の女子中学生でも肌のケアはよくやっている。加えてウマ娘となれば公に姿を晒すことになる。より一層のケアを施すことは当然であった。

 そんなことをしてる間に正午が近づいてきた。二人は息が合ったように腹の虫を鳴らした。

「エル,俺はよくわからないからおすすめの店はないのか?」

「あーっ,そうだ!エルについてきてくださいデース!!」

 現在正午,ヒノマルが連れてこられたのはとあるファストフード店だった。席に着くとヒノマルは当たりを見回した。こう言ったところに来るのは本当に初めてでキラキラと目を輝かせていた。

 エルがメニューをとりにいくらしいのでヒノマルはそれに従った。待ち時間というのは暇だ。ヒノマルは編入してから今日までのことを振り返っていた。

 

 

 本当にいろいろなことがあったな。短い期間だったが施設にいた時より濃い思い出がある。

 トレーナーとの出会いなんて最悪そのものだし、それからもタキオンさんの人体実験やエレジーさんと全然話せなかって,大変なことばっかりだ。

 でも,同じくらい楽しかったな。こうやって外に出て『友達』と一緒に何かをしている。

 考えたこともなかった。こんなこと,していいなんて思ってなかった。

 

 ありがとう,

 

◆◆◆

 

「お待たせしました!

 真紅に燃えるのは皿か衣か!いいや,ポテト自身が燃えているのだ!!

 辛さこそが旨さ!旨さこそが辛さ!レッド,ホット,スパイシー!エル特製ポテト,お待ちどうさまデェェェエス!!」

 エルが運んできたのはまさしくマグマとも形容出来そうな真紅に染まったポテトだった。その味は見ればわかる。語るまでもないだろう。

「すごく赤いな,何がかかっているんだ?」

 この赤さになぜかヒノマルは疑問を持たない。

「これはデスね、エルの家に伝わる秘伝のソースなのデス!昨日送られてきて全部使っ切ってきました!」

「全部?大丈夫なのか,これからも使わないのか?」

 疑問はそこじゃないだろう。周りから見ればそう突っ込まれるだろう。

「このソースはママから家族以外に使っちゃダメだって言われてました。けど,ヒノマルは同じチームのメンバーなので特別デース!」

 エルの純粋な優しさが光る。

 ヒノマルは驚いたが直ぐに微笑んだ。とても穏やかな顔でありがとうと伝えるとポテトを一本つまみ,口に運んだ。

 ここで誰かは疑問を抱いただろう。

 なぜヒノマルは躊躇わないのかと。

 ヒノマルは生まれてこのかた健康的な食事しかしていない。たとえて言えば毎日給食を食べていたどうことだ。そして,彼にとって辛い料理はカレーライス。それもとあるリンゴと蜂蜜の溶けたカレーの中辛レベルだ。

 よってここから出せる結論は二つ。

 ヒノマルは激辛を知らない。

 ヒノマルは辛さに耐性がない。

 

 口にポテトを運んだヒノマルがどうなるかは容易に想像がつくだろう。

「これはおいし───っァ」

 「えっ,ヒノマル?大丈夫デスか!?」

 彼はこの日火を吹くことに成功した。




今回の話に年越し要素ないとか言わないでほしい(切実)


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6R 進め,『先』へ

 現在午後一時四十分,なんとかヒノマルは正気を取り戻した。未だに口はヒリヒリしていたが気にしないことにした。

「本当にゴメンなさい!」

「いいよ,謝らなくても。ほら,逆に新しい味覚を感じたって考えたらいいしさ」

 これ以上謝っても仕方ないと考えたエルは次の場所に向かった。

 今度は服屋に寄って行った。それは,ヒノマルは服のバリエーションがあまりにも少なかったからだ。それは木場が全品自腹で買うほど少なかった。

「なあエル,俺は別に服はこれさえ有れば……」

「いいえ,買ってもらいます!初めて、ヒノマルの私服を見た時ほんと驚いたんデスよ!」

 それはパーチで練習がなかった日のこと。

 ──ヒノマル,なんデスかそれ!?

 ──ん,これか?

 ヒノマルは白尽くめ服を着ており、しかも何一つ特徴のない服だった。

 ──昔使っていたやつだ。新しく送ってもらったが外に出ないならこれだけでいいのにな

 ──んな……笑い事じゃっないデース!!

 施設にいた頃,普段着ていた服をずっと使っていたのだ。あろうことか、所長がわざわざ何万円かして買ってきた服も着用せずわざわざもう着る必要のない白尽くめを着ていたのだった。

 その後,エルが木場に相談して,いくつか買ってきてもらいその件は終わった。

「いや,正直私服なんて季節に上下二着ぐらい有れば大丈夫だろう」

「いいえ,だめデス!」

 とはいえ,ヒノマルは本当に服に興味がない。一体どんな服を選べばいいか頭を捻っていると

「あら,偶然ですね,エル」

 振り返ってみるとそこには一人の栗毛のウマ娘がいた。まさに清楚,美麗,そして『大和撫子』を体現しているかのようなウマ娘。

「グラス!」

 グラスワンダーはエルと寮での部屋が同じで二人は大親友だ。彼女はアメリカ生まれながら両親も根っからの日本文化好きで趣味の中に茶道があるぐらいだ。あちらも同じく休養日なのでここに来たのだろう。

「ええと,そちらの方は?なにやらフードを深く被ってますが」

「彼はヒノマル,アタシのチームメイトでほら,男の子デース……」

 エルはなるべく小声でグラスに伝えた。すると彼女はハッとしたような面持ちになりお辞儀をした。

「はじめまして、グラスワンダーと申します」

「俺もはじめまして,センジンヒノマルだ。みんなからはヒノマルと呼ばれている」

 二人は握手を交わすとエルがここに来たいきさつと悩んでいることを伝えた。

 すると意外な提案が挙がった。

「それではこのお店でエルとわたしがとってきた服を選んでもらう,なんてどうでしょう」

「ブエノ!やりましょう、ヒノマル!」

 ヒノマルの返事などいざ知らず。二人は風のごとく店内に入っていった。

 

◆◆◆

 

 数十分が経った。流石に暇になってきたころに二人は戻ってきた。

「それでは行きましょうか、フィッティングルーム」

 今回服は上のものだけだった。ズボンには木場から尻尾隠せるように施されておりそれを脱げば周りに正体を晒すことになるからだ。

 フィッティングルームに入ったヒノマルは二つの服を見た。とても二人の個性が溢れているのでお洒落を知らない彼でも似合うかどうかと考えてしまった。

 まず初めにエルの選んだ服だ。先程の激辛ポテトに似た色の縦のラインの入ったセーター。

決めてはタートルネックでありその保温性能は抜群だった。

「どうデスか、ヒノマル?」

「良いと思うけどちょっと派手かもしれないな。今はまだ目立ちたくないし」

 ヒノマル的にはよかったがいかんせん赤い服は目立ちやすくなおかつこの服は彩度が高い。故に保留となった。

 次はグラスの選んだものだ。こちらは一風変わって和風な感じのコーデだった。色は落ち着いた緑であり質素な趣が感じられる。

「どうでしょうか?」

「そうだな,今の季節にはまだ早くけどもう少ししたらたくさん着れるようになると思う」

 グラスの選んだ選んだ上着は洋服にもマッチしてカジュアルなファッションを組みやすいものとなっていた。七分丈ということも相まって幅広い季節に使えそうだった。

 しかしここで一番の問題が発生した。

「でもこれだと,正体隠す用の服と合わせられないな」

 グラスワンダー,一番大事なところが抜けていた。

 結局,どちらも買うことになり今日の買い物は終わった。

「ヒノマル,今日は楽しかったデスか?」

「うん。ありがとう,エル。俺なんか誘ってくれて」

「いえいえ。それと今日は夜に年越しパーティーをするみたいデス。トレーナー室に来てくださいね」

 どうやら,お楽しみはこれからのようだ。

 

◆◆◆

 

 現在午後七時散二十五分,パーチの面々は一つのコタツを囲んでいた。テレビには年末の歌番組が放送されており、ヒノマルは雰囲気でしか楽しめなかった。

 そして,料理がやってきた。木場特製のすき焼きだ。少し高そうな牛肉に糸こんにゃく,お麩,椎茸などがしっかり煮込まれていてけむりがあたりに漂う。

 木場は全員に具材を小分けするとビール缶を開けながら号令をかけた。

「それでは来年の新しい歴史の始まりを祝して,今年の出会いと共に過ごした時間を祝して,乾杯だぁぁぁ!!」

 今宵は無礼講,と言っても元々年齢も立場もないようなチームだ。

 ヒノマルは初めて、栄養バランスも量も考えずに悉くを口に放り込んだ。誰もがそうした。その日のパーチはいつも以上にうるさかった。しかし,不快な気持ちなど一切なかった。

 

 具材もなくなりそろそろお開きとしたかったが来年の予定を一通り伝えたいと木場に引き留められた。もっともそうした本人が酔い潰れてしまったためエルと二人でベランダにいた。

「そろそろ俺たちもデビューなんだよな」

「そうデスね。そしてエルは示します。アタシが,最速,最高,世界最強のウマ娘であることを!」

 エルは高らかに宣言する。ヒノマルの目にはそこに怯みも恐怖もないようにその姿が映る。なんと力強いのだろうか、そう思わずにはいられなかった。

「エルは,すごいな。強いし,かっこいいし,何よりしっかりとした『夢』を持っている」

「ヒノマルはないんデスか」

 疑問の声があがる。

「俺は,わからないとしか言えない。今の目標は父さんと母さんに誇れる『息子』になること,そして,後悔なんてさせないこと。レースとか自分とか全然考えてなくてさ、漠然と未来を見ているだけなんだ」

 今のヒノマルには未来を気にする余裕などなかった。今は自分にまとわりつく重いものを『過去』に進めることで手がいっぱいなのだ。

「ヒノマルは両親思いデスね、普段から連絡したりしてるんデスか?」

 その瞬間ヒノマルの耳はペタンと折れてしまった。顔色もやや青くなっている。まるで最近家族を亡くし墓前に立つかのように。

「……実は,もう二人はいないんだ。どっちも俺のせいで、」

 エルは呼吸ができなくなった。エルには両親がいる。そして,今すぐ会えなくても仕送りをしてくれたりなど確かにつながっている。

 ヒノマルにはそれがないし,感じたこともない。それがどんなことかなんて考える方法がわからなかった。

「そんな顔をしないでくれ。年越しにはもったいないだろう。

 まあ,両親は俺のせいで,そうなった。だからなにもせずに終わろうと思っていた。でももうそんなことは考えない。だって,この日々を生きてたいから,」

 力のなさそうな笑顔だった。無理矢理取り繕ったその顔からは一筋の水滴が流れていた。もったいない顔は一体どっちなんだろう。区別なんてつけられてなかった。

「おーい,おまえら,酔いが覚めたから早く来てくれ」

 現在午後十時五十五分,どうやらやっと木場が元に戻ったらしい。

 

 

 そして季節は巡り出す。ついに彼の三年間は始まりを告げることになる。




次回メイクデビューです。
ジュニア級はあっさりしてると思います。頑張ってキャラの掘り下げもできたら嬉しいなという感じで進めていきます。


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7R  『デビュー』戦は、始まりだ。

やっとデビュー入れました。
今回はヒノマルの過去についてちょっと触れています。


 ついにこの日が来た。ヒノマルたちは学年を一つ上に上げて桜は散り,新緑の若葉が萌える季節となった。

 年越しの日,ヒノマルの今年の方式として夏にデビューすることになった。理由としてはチームメンバー以外のウマ娘のいるレースに慣れてほしいこと,そしてヒノマルが顔を出しながら外を出歩けるようにするためだった。自由に外に出歩けないことがいったいどれ程のストレスになるかは計り知れない。それはどこかに閉じこもるとこに慣れているヒノマルも例外ではない。昔とは違い外がどんなところかを知ってしまったのだ。そろそろ自由になりたかった。

「おまえがトレセンに来てどんくらいだ」

「確か,夏ぐらいだ」

「なるほど,それじゃ約一年か……よく,ここまで耐えた」

 木場は天井を見上げた。この緊張感は久々だった。デビューする時のこれはGⅠに出る時とはまた違う,未来に対する漠然とした緊張があるのだ

「はっきり言って,我ながら,バカかと言いたくなるような作戦だと思ってる。もし勝てたら,美味いたこ焼きでも食おうぜ」

「ああ,任せろ」

 ヒノマルはゆっくりと先へ進んだ。

 

◆◆◆

 

『やや曇り気味の空の下,阪神競馬場ではデビュー戦とは思えないほど人が集まってます』

 ──なんたって男のウマ娘なんて出るらしいよ

 ──本当かよ!

 今日は一段と外野の声が耳障りだった。木場はそれを心配しつつも信じることだけをした。ただ真っ直ぐゲートを見つめていた。

『各ウマ娘,ゲートに入り……スタートいたしました!』

 まずまず揃ったスタート。ヒノマルは後方二番手の位置についた。

 ジュニア級メイクデビュー,阪神2000m。最後の直線に坂があるのが特徴だ。そして今日のバ場は稍重。特に内側が荒れていた。

 ──焦るな,俺はもう少しだけ待てばいい

 第二コーナーを回って向正面,そろそろ直線に差し掛かってきたというところで

『あぁっと、センジンヒノマル,ここから動き出すか!?』

 ここでじわじわと加速する。これは木場が伝えた作戦通りだった。

 

「ヒノマル,仕掛けどころは向正面に入ったらすぐだ」

「流石に早すぎないか?」

「いいや,むしろおまえが遅いからな」

「なに?」

「いつかのトレーニングのときにエルに一回勝っただろ?あん時のおまえはかなり綺麗だった。そしておまえので過去のデータを照らし合わせてわかったことがある。おまえはスタミナがそこらのウマ娘より多い,しかし!いかんせんスパートに入るまでに時間がかかる。そこでだが,デビューの時は──」

 

「早めのスパートで体に熱を込めてやる!」

 じわじわとした加速が効いているのだろう。周りも少しずつ焦りが見えてきた。そして活路はすぐそこにあったりする

『第三コーナーに差し掛かります!センジンヒノマル,このまま体力が持つのでしょうか』

 もつに決まっているだろう。それを示すかのようにヒノマルは笑顔を見せた。

 ヒノマルは隙間を見つけ,コーナーの,敢えて荒れた内側についた。彼にはコーナーリングには今ここにいる誰よりも自信があった。

 

「エレジー先輩。コーナーリングについて教えてください」

「んんん!?」

 エレジーは身体能力の低い変異種としてとある宿命を背負ってしまった。それは第三コーナーが曲がれないことであった。だからヒノマルが助言を求めることが不思議でならなかった。

「知ってます。だから聞いているんです。曲がれない先輩だからこそ,コーナーについては何か対策を重ねてきたはずです」

 エレジーはその勢いに負けてしこたま教えることにした。

 

 ──まず,入り方から大事だ。少し外気味から直線に近くする事で遠心力を緩和し,体はベストな角度で傾ける!

 その速度に緩みなどない

 ──そうすればスピードを保ったまま,むしろ加速しながら内側を回れる!

 その速度はついに最高まで高まった。あとは目の前の坂を駆け上るだけだ。あと少しだけ,ほんの少しでも変わらなし脚を。

『センジンヒノマル,ここで内側から踊り出た!脚色は衰えない!』

 脚が少し痛くても関係なかった。また一人,もう一人と全てを振り切る感覚に酔えば、前には誰もいなかった。

『センジンヒノマル!バテる様子もなくごぼう抜き!二バ身以上の差をつけてゴールイン!』

 仁川の舞台で雄叫びが上がる。今感じ取れるのだ。自分の鼓動が,称賛の声が,そして駆け寄るトレーナーの足音が。

「よくやったなこのヤロー!全く最高じゃねぇかよ,このこのー」

 思わず木場は全力のハグを仕掛けた。ヒノマルはそれをどつき返したが顔は綻んでいた。

 

◆◆◆

 

 現在ヒノマルはライブを終えてトレセンに戻っている途中だった。駅に向かうバスの中で木場は肩を震わせていた。

「しかし,こりゃ笑いもんだな」

「うるさい!俺だって好きできたわけじゃない!」

「まあまあ落ち着けって」

 口論の材料になっているのはネット上がった一枚の写真ないし動画。ヒノマルが例の汎用ライブ服で踊っているものだった。幸いにもヒノマルはまだ完全な成長期がまだであり中性的な美形になってはいたのだが,ヒノマル用に作ってくれと頼まれていた服が着ていなかった。

「悪い悪い。いや、ちょっ,待て痛い!」

 原因は木場がすっかり注文をするのを忘れていたからだ。とはいえデザインやスリーサイズは申告済なので次のレースまでには間に合う予定だ。どうあがいても木場が黒なので予定した量よりも多くのたこ焼きを奢らされてしまったのだった。

「まあでもこれから大事な予定があるだろ。だからほんとに,落ち着いてください」

「……ああ,わかった」

 ヒノマルは返事をするとさっきまでの勢いはどこへやら,すっかりしょぼくれてしまった。

 今の空は小雨が降っていた。木場はレースの後で良かったと胸を下ろしていた。

 

 

 関東某所,ヒノマル達は一つの墓前の前にだった。ヒノマルの顔は見えなかったがフードを深く被り,肩を震わせていた。

「父さん,母さん。俺だけど勝ったよ。こうやって前に立てるくらい大きくなったよ」

 言葉をポツリポツリと漏らしていく。木場は傘をひろげた。雨脚がどんどん強くなり、視界は悪くなる。

「聞いてよ,俺に友達ができたんだ。先輩だってできたんだ。みんないい人だよ……

 生まれてきたあの日から、迷惑ばっかりかけちゃったよね。母さんは俺を産んで亡くなって父さんは疲させたんだよな。だから,俺のせいだよね,俺がこんなやつだからだよね。みんなにもたくさんの人にも迷惑かけて不便な思いさせて。帰る家も,この傷も、全部俺が……本当に、ごめん。生まれてきて──」

「ッふざけんなよ,それ以上言うな」

 木場の怒号があたりに轟く。

「でも,『ありがとう』。」

 ひとりの懺悔が雨にかき消される。暗い暗い重たいものだ。今でも自分を引きずる,両親を奪った罪悪感にヒノマルは押し潰される。どれだけ濡れてもそこから立ち上がることはなかった。木場はその様子に先ほどの行為を悔やみ,申し訳なくなった。

「なあ,ヒノマル。今からおまえは俺をぶん殴って構わないからな」

 突然木場は頓珍漢なことを言う。だがその声は刃のように鋭かった。

「おまえよぉ,俺にあった時は生きたいとかほざいたのに何自分の道を否定してんだよ。そもそも,おまえが産まれたことでご両親に迷惑しかかけてないとか思ってんのか」

 そう言うと木場は懐から一枚の写真を取り出し,ヒノマルに差し出した。受け取った写真にには病室にいる三人の家族が写っていた。

「勝手に過去を詮索して悪かった。こいつはおまえを預かっていた所長から拝借したものだ。そこには何が写っているんだ」

 写真には両親らしき人とウマ娘が大粒の涙を流しながらも笑顔だった。そして抱き抱えられている,産声を上げる赤子は男ながらヒトとは形状の違う耳をしていた。

「これを撮った数時間後,母体は意識が急変し容態は最悪。少しもしないうちに他界された」

「もうやめてくれ」

 ヒノマルの声は弱々しく,止めるには不十分すぎた。

「確かにおまえは親を殺したかもしれない。」

「やめろって言ってるだろ!」

 ヒノマルの拳はヒトの拳より痛かった。でも力が全く入っていなかった。痛くなったのは体じゃなかった。

「でもよ,そこにあるのは迷惑を感じている顔か!?それでもおまえは今まで迷惑かけてばっかりだと言いたいのか,それは俺たちにもか!!」

 何かが外れる音がした。ヒノマルは依然肩を震わせていた。でもそれは墓前の前のとは違っていた。

「……な……いだろう」

「なんだって」

「そんなわけないだろう!むしろ,俺が,迷惑かかってるだろ、」

 ヒノマルはまたもやフードを被り直した。そして一歩と,また一歩と歩み寄っていく。その度に思いものは外れていた。

 ずっと悩んでいた。生きたいと思ってからもずっと奥底に引っ張られていた。幸せになっていいのだろうか、結局みんなに迷惑かけてないかって。でもそんなことはなかった。

 ヒノマルは木場の胸に収まった。

「ヒノマル,好きなだけ泣けばいい。夢はまだ始まったばかりだ。夢への道の中で過去を見ればいいし,好きなだけ後悔しろ,否定しろ。だけどな,産まれたことだけは絶対にそうするな。俺たちはおまえがいないと悲しくなる。」

 ヒノマルはわんわん泣いた。無様に鼻水を垂れ,涙で目を腫らしても気にしなかった。木場もどれだけ服を汚されてもそのままでヒノマルの方に傘を持ってきた。

「最後にな,ヒノマル。『パーチ』にどんな意味があるか知ってるか。『止まり木』って意味なんだ。おまえは帰る家がないとかあったな。だったら俺たちのところへ帰ってこい。俺のチームはそうやっておまえの帰りを信じてやる」

 空気が冷たくても傘の中は中は暖かかった。そうして,ヒノマルは重たいものを『過去』にすることがやっとできたのだった。




よければ感想お願いします。
設定の方では適性の方が判明します。


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ジュニア編 〜動き出す白昼〜
8R 『光速』の夢


 また,夢を見ている気分だった。君も前にいるやつを追いかけていた。ああ,でもここは負けてしまうのか,この前は勝っていたけど。俺がそこに辿り着くにはまだまだほど遠い気がするよ。君は俺より先に言っているんだな。いや,違うのかもしれない。俺はこの景色を見たことがある気がする。先頭に立ててなかったこの景色を。

 朝起きてしまえば君のことは曖昧になり、また君も俺のことを覚えてないのだろう。なんて不思議なんだ。顔を知らない君のことは誰よりも近くに感じてしまうのは,不思議なんだ。名前すらわからないのに、誰なんだろうね。

 

 ──俺は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。おまえの名前は、

 

◆◆◆

 

 早朝からヒノマルは調子が悪かった。別に寝付けなかったとかそんなことじゃなかった。ただ,教えてもらったことを全く覚えてなかったような気がした。その事実が心を陰らせていた。

「まあ,夢の話だし記憶にないこと気にしても今はどうしようもない。次のレースに気を向けろ」

「すまないトレーナー」

 次に出走予定のレースは札幌二歳ステークス,重賞レースだ。そのため確実にデビュー戦よりもレベルが上がりその分勝った時の報酬は大きいのだ。その日のパーチには程よく緊張が走っていた。

「トレーナー,勝算はあるのか」

 木場は首を縦に振った。しかし,サングラス越しに伝わるほど難しい目つきをしていた。今回のレースは1800でマイル,一応ジュニア級の中では少々長めではあるもののヒノマルが出るには,短いと判断している。

「とはいえ,おまえの体はまだまだ未熟だし本当に足りないなんてことはないと思う。札幌に行くまでにはなんとかやっておくが期待はしないでおく」

 トレーナーとして今の発言はよろしくないがヒノマルは肯定した。だから今回はひとまず,掲示板入りが目標。入着できれば御の字というところだ。今年の最終目標は年末のGⅠ「ホープフルステークス」。ここに出走するためにも成績を残しておきたいのだ。

「それじゃ,今日はタキオンがおまえを見るからそれで頼む」

 

◆◆◆

 

 ヒノマルはかつては採血や機器をつけながらのトレーニングなどはやったことがある。たまに薬品投与もあったはずだが安全性に問題がないことを伝えてられていた。

 しかし,どうだろうか。今椅子に縛りつけられよくわからない色をした液体を経口摂取させられそうなこの状況は。施設にいた時よりも人権がない気がする。

「ほら,飲みたまえ。わたしだって時間を無駄にしたくない」

「なら,やめてくださいよ!」

 これには誰でも人権思想を語りたくなってしまう,木場を除いて。それにしても不思議な部屋だ。半分はタキオンの性格を映し出したような空間なのにもう半分は落ち着いていて、しかし何かが出てきそうな雰囲気だった。今いる空間はあたりになぜか光る液体があり散らばった資料,器具,そして弁当箱。よくこんなので生活できるな,とヒノマルは呆れた。

「もう諦めたまえ。君のマイル適性を高められるかもしれないんだから」

「たとえそうでも,トレーナーみたいになるのは嫌です!」

 このまま水掛論で進展がないまま数分経つと

「……何してるんですか」

 もう一人の部屋の主がやってきた。その黒髪を靡かせながらこつこつトレーナー足音を立てている。

「嫌だなぁカフェ。そんなに睨まないでおくれ……はぁ,わかったよ。ヒノマルは解放する」

 何かが圧があったわけでもない。それなのに妙な重みがある。ヒノマルはそれを正面から受け止めることしか出来なかった。

 ようやく,自由になったヒノマルはタキオンを連れてさっさとコースの方へ向かった。タキオンも渋々それについていった。

「………初めて見ましたが,あれは一体?」

 不穏な言葉が空っぽの中に降りかかった。

 

 それからはなんともなく普通のトレーニングをこなした。課題の最高時速やスパートまでの遅さの改善に尽力していた。

「少しきついですね。マイルはあと少し走れたらないいのに」

「この時期でそんなことを言うのは君ぐらいだよ。クラシックディスタンスをこなすにはまだまだ時期が早すぎる」

 タキオンは一通りデータを閲覧した。ヒノマルはチーム加入時より確実に強くなっていた。おそらくまだ成長の余地があると考えてもいい。しかし,そのレースの決定打となる末脚の発動までが遅いのは大きな弱点だった。

「まあ,そこはトレーナー君に任せよう」

 タキオンは寝そべっているヒノマルの隣に座った。ヒノマルは思い出したように声を上げた。

「そういえば,タキオンさんは現役時はどんな感じだったんですか」

「おや,トレーナー君から聞いてなかったのかい?」

「タキオンさんがすごかったってことは聞きましたけど、もっと詳しい話がほしくて,」

 かつての木場が話したのはタキオンの残した功績。五戦四勝、とある故障が原因で即刻トゥインクルシリーズから身を引いた。それだけだった。だがその故障こそがタキオンの身体の特性を物語っていた。

「すみません。話しにくいことでしたか」

「いや,別に構わないよ。わたしには一つの目的があった。そしてわたしの脚はそれを成し遂げるには充分速かった。しかし成し遂げるには脆かった。その脆さゆえわたしはクラシック期の半ば引退,今はこうやって過ごしているわけだ」

 ウマ娘に置いてもっとも恐ろしいとされているのが怪我,故障だ。精神的なことはまだ乗り越えられる余地がある。しかし怪我や故障は著しく能力を下げる。それだけではない。レース中に発生すれば最悪命の危険だってある。それはGⅠウマ娘も例外ではない。そんな世界でウマ娘たちは走っているのだ。

「タキオンさんがこの前話していた嫉妬って他のウマ娘の身体にですか?」

 ヒノマルは察したようにつぶやく。

「ああ,そうだ。いつか辿り着きたいところに行くにはわたしは器ではなかった。わたしはウマ娘の限界が見たいのだよ。そしてその謎を解き明かしたいのだよ。君もその例外ではない。

 わたしが始めた研究は二つのプランがあった。自らを実験体としたプランAとより確実に進めるためのプランB。しかし,プランAは完全に失敗した。もうわたしの脚は小走りすらもままならない,あっても仕方ないものになったのだよ」

 タキオンはそう言ってあらゆることを諦めたように地平を見ていた。しかしウマ娘の限界の話をしていたタキオンの目は誰かのように輝いていた。同じく夢をみる誰かをヒノマルは知っている。

「タキオンさんとトレーナーって似てますね」

 木場は一人では夢を語らない。誰かと一緒に夢を持たなければ彼はただの優秀なトレーナーに過ぎない。彼は夢に駆ける時はどこまでも輝き狂気を宿す。それはタキオンだって同じだった。同じくらい狂った二人の瞳はどこまでも深く、むしろ輝かしい。

「ふふ,確かにわたしも彼も狂っているとも。なんたって彼はいきなりわたしの作ったクスリを飲み出したんだ」

「……バ鹿じゃすまないですね」

「そこで彼は大声で宣言したのさ,『人権も尊厳もいらない。モルモットでいい。おまえと契約させてくれ』とね。流石にわたしでも驚いたねぇ」

 そう言ってタキオンは優しく微笑む。木場とタキオンを見ているとつくづく似ているなと感じさせるような笑顔だった。

「今のわたしにはもう一つやりたいことがある。このチームの誰もが怪我をしないようにすることだよ。だから君たちは安心して走りたまえ。わたしたちがそんなこと絶対にさせないからね」

 最後の調整のために照らされながら二人立ち上がった。

 その日の夕日はどことなく眩しかった。




タキオンに狂気が足りないって思う方もあるかもしれませんが、わたしの宇宙ではそんなことないです。タキオンだって優しい時があっていいじゃないですか。


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9R 知るための『敗け』

今回は内容があっさりしちゃいました。
許してくださいなんでもしますから


 九月後半,ヒノマルたちは北海道札幌市に来ていた。連日の晴れ続きながらもトレセンよりはるかに涼しい大地で二人はバ場を眺めていた。

「阪神とはまるで違うな。直線に坂がない」

「よく気づいた。そもそもここは高低差が少ない。つまり体力の消耗が少ないレースになる。それを考えろ」

 ウマ娘の勝敗の要因としてバ場適性がある。どれだけ強くともバ場があってなければ惨敗,逆に一着と言ったことが起きるのだ。このレースはヒノマルの適性を測るにも充分役立つのだ。

「そういえばグラスワンダーが先日デビューで勝ったそうだ。やつもリギルにいるだけ強いな」

 グラスは学園最強のチーム『リギル』に属している。そこにはかの皇帝や女帝、怪物などの勢揃いだった。そこに入れるほど彼女は強いのだ。

「こっちだってもう一人すげーやつが控えてんだ。今に見てろよ東条」

 木場はリギルのトレーナー,東条ハナと学生時代の同期であり,今でも時々高めのバーでグラスを交わすほどのだった。そんな彼女を見返すため,今はエルを魔改造中だった。

「エルも調子を上げているみたいだしな。デビューはいつ頃なんだ」

「ああ,十一月を予定してる。まあ今はそっちよりも目の前のレースだ。もう一度言うが期待はしない」

 ヒノマルは黙って頷きそのまま控え室まで歩いて行った。

 

◆◆◆

 

 木場はなぜ期待をしなかったのか。それは以下のことに危惧しているからだ。

 ジュニア級のウマ娘は身体がまだまだ未熟なためレースは2000m以下の距離しかない。普通ならその距離があっている。しかし,ヒノマルにはその距離では足りないほどの大量のスタミナが宿っている。そして,この距離で使い切ることができるのか。

『ジュニア期の重賞の一つ,この札幌ジュニアS。どの娘が勝つか楽しみですね』

 ヒノマルは問題なくゲートに入る。

『スタートしました』

 木場の一抹の不安を消し去るように好スタート。デビューと同じように後方からのレースをしていた。そしてしばらくすればコーナーを曲がり向正面。レースは淀みなく進んだ。本当に問題なく進んだ。だがそれが違和感を呼んだ。

 

 あれ,今何秒経っている?俺はどこにいる?

 まずい,まだ温まってないぞ!

 

 ヒノマルのスパートが入った。しかしその調子はどう見ても良くない。しっかりトレーニングしたとうりに全身を使って前に進もうとしている。懸命に前に進もうとしている。それでもスピードに乗り切れていない

「……しくじったな。やっぱりもっと距離いるんだろうな。あいつの作戦で行くとこのタイミングでは遅すぎるし、しかしあいつの身体的には早すぎる」

 ヒノマルの体にはようやく熱が入ってきた。しかしそれでは遅いのだ。直線に入る前から最高速度出ない限りもう先頭には成れない。周りは以前と違ってほんの少し余裕がありそうだった。ヒノマルは苦しい顔をしながら必死に必死に食らいついた。

『先頭が今ゴールイン!』

 その声はヒノマルがゴール板を横切る前に聞こえたのだった。

 

◆◆◆

 

 今回のレース,結果は負けだった。

「負けた。追いつけなかった」

「いや,充分おまえはやってたぞ。いかにも調子悪そうだったのに四着。良くやった」

 木場は今回のことは重く考えてなかった。最初から言っていたとうり期待はしていなかった。どれだけ走るウマ娘が優れていても適性距離というのは本当に辛く当たってくる。しかしヒノマルに非がないわけでもない。

「今回の反省点言ってみろ。まさかわからないなんてことには言わないよな」

「わかっている。適性云々の前に俺はマイル戦だっていうのにデビューと同じ感じで進めていた。そこから冷静さを失いコーナーも無様になってしまった」

 ヒノマルは的確に自分のレースを振り返った。しかし木場はまだ不服そうだった。

「後一個,忘れているぞ。おまえ,バ場の特徴考えずにレースしただろ」

「うっ,」

 完全に図星だった。

「俺は一応言ったつもりだったが、今回の舞台,札幌は高低差が少なく直線の坂もない。そして今日は良バ場だ,前のレースは稍重だ。そこが全然違う。もし,今回のレースで芝が少しでも重けりゃ,直線が坂なら,周りは疲れておまえは勝っていたかもしれない。しかし現実はそう甘くない。そういうこと考えてやっとすげーレース勝てんだよ」

 完全に言われてしまった。自分の浅ましい思考が全て見透かされた気分で嘆きたくなってしまった。もちろんヒノマルも相手を舐めていたわけでもバ場について考えて無かったわけでもない。ただそれの重要さが理解しきれていなかったのだ。ヒノマルの夢にはまだまだ遠かった。

「ヒノマル,だから今回の反省を活かせ。どんな結果も努力も次に繋げる糧にしなくちゃいけない。次は京都ジュニアSだ。」

「……距離は?」

「2000。そして直線に坂はない。だが,第三コーナーにならある。情報も勝利のための道具だ」

 木場は期待をしてなかった。それはあくまでこのレースでありヒノマル自身ではない。今のヒノマルがなすべきことはたった一つ。この失敗をいかに次へと進めるかだった。

 道を歩くのは困難だ。障害は突如としてやってくる。課題だってどこからでも湧いてくる。

「トレーナー,ありがとう。だからしっかりみててくれ。俺が勝つところを」

 木場は静かに頷く。

「ああ,任せたぞ。それと俺はこいつを吸うからちょっと待ってろ」

 タバコに火が灯る。流れる紫煙は大地の風に揺られて飛んでいってしまう。

 その日の風はどことなく強かった。その風は東の方へ誰かを導くように強く,吹いていた。

 

「お母ちゃん,行ってきます」

 




 最後にとあるウマ娘が出てきましたが次はエレジーの例のあれについて書いていきたいと思ってます。


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10R 集まる強豪たちの『JWC』

ウマ漢 10R

 ハリボテエレジーに同室のウマ娘はいない。そして彼女の朝は早い。午前五時頃,目を覚ましたらそのまま自室にて調理を開始する。カフェテリアの豪華なメニューとまでいかなくともSNSにあげても恥ずかしくないほどの料理だった。そのまま弁当も作ればあとは片付けだけだった。

 そして彼女は必ず鏡を見つめる。映るのは間違いなく自分自身。そして非力なウマ娘。とてつもなく醜いこと極まりない顔が鬱陶しかった。それでももう呪いやしない。今ならこれがあるから。

「んっ」

 彼女は例の被り物をつけると部屋を出て行った。

 

◆◆◆

 

「おまえたち,府中のレース場に行くぞ」

 秋の季節,再び大きなレースが盛り上がる期間になった。そして今回は東京レース場ではとあるGⅠレースが行われる。普段はそうだからと言って見に行くことはないが今回は違った。

「エレジー君が今回のレースに出走するからねぇ」

 『ジャパンワールドカップ』,略してJWCとは東京芝1600mのレースであり一つ出走条件がある。それは変異種のウマ娘であること。そうであれば未勝利でも出走することができる。今回でエレジーの挑戦は二回目。

「やってやるぜ。なあハリボテエレジー2.0!」

 んっ,と顔見なくてわかるドヤ顔を披露したエレジーは側頭部に書かれた2.0に指差した。よっぽどの自信からかいつも以上にハリボテからきらりとした輝きが感じられた。

「それじゃあ行くぞ!」

 木場は意気揚々と車を発進させた。

 

◆◆◆

 

 今回のJWCは二度目の挑戦だった。去年は三冠ウマ娘,ギンシャリボーイが優勝した。その実力はあの生徒会の三人が認めるほどだった。

「見てみろよヒノマル。おまえも変異種だと思えば親近感も湧くんじゃねぇか」

 しかしそれは無理な話だった。

「えぇ……」

「変異種にもある程度カテゴリーがあってな。そこにいるのはリムジン種のハリウッドリムジンだ」

 アメリカ代表としてやってきたのはとにかく身体が長いウマ娘のハリウッドリムジン。特に胴体が長いことになっていてその身長はウマ娘の平均の二倍だった。

「あそこにいるのはピンクフェロモン。やつはフェロモンを放つ」

 フランス代表の彼女は恐ろしい魔性の女だった。そのフェロモンは同性相手にも遺憾無く発揮でき放たれたそれはレースを冷静に進めることなどできなくなるのだ。

「おいおいこいつも出るのかよ,バーニングビーフ」

 スペイン代表は立派な双角とウマ娘とは少々異なる尻尾を有していた。その尻尾は細く先端に丸みがかかっていた。見事に鍛えられた雄々しい身体は目の前に立つすべての障害を物理的に吹っ飛ばせる力があった。

「日本からはエレジーとギンシャリ,チョクセンバンチョーか」

 こっちはエレジーと同じく日本代表。生まれつきリーゼント以外の髪型がセット出来ず襟足は一定の長さまで毎秒伸びるというとんでもない髪質を受け取ってしまったのだ。

 変異種のウマ娘は他にもたくさんいた。縞模様や首が長いやつ,白と黒が混ざった模様をしているやつ。はっきり言ってヒノマルよりもおかしい外見だった。

「トレーナー,親近感なんて湧くわけないだろう。というか本当にウマ娘なのか?バーニングビーフなんて特徴が牛じゃないか,ジラフなんて自己紹介じゃないか。こんなの牛娘とかキリン娘じゃないか」

「……ウシとキリンは霊長類とは根本的に違うだろ。何言ってんだおまえ」

 ヒノマルは自分でも混乱した。そうだ,ウマ娘は霊長類,そこらの畜生とはわけが違うはずなのだ。ウシもキリンもヒトに似た身体を持つことなどあり得ないのだ。

「おお,やっとお披露目か。新しい勝負服」

 エレジーの勝負服は全体的に茶色いようになっていた。素材は段ボールとドラム缶。胸のドラム缶素材の鎧には2.0と刻まれており,その姿は逞しくまさしくロボットのアーマーのごとくかっこよく,そして輝いていた。しかしあと一点,顔が謎の生物でなければ完璧なのだが。

「顔のせいで締まらないな」

「それがいいんだろう」

 ファンファーレが鳴り響く。今日の東京は晴れ渡っていた。

『スタートしました。まず飛び出したのは一番人気無敗の三冠ウマ娘,ギンシャリボーイ』

 無敗三冠。それは同じ三冠ウマ娘でもやってのけたのは彼女とシンボリルドルフのみ。現在彼女の冠は加えて二冠。去年のJWCと秋の天皇賞だ。今年,再び冠を頂戴するためにやってきたのだ。一見すると彼女にはなんの変異もなく普通のウマ娘ではあったが、それは見ていればすぐわかることだった。

『ギンシャリボーイ,すでにスシウォークを実行しているぞ!』

 スシウォークとは腕を左右に振り脚を交差しながら進む走法である。主に彼女がスパートをかけた時に出す。しかし今回は開幕から披露し出したのだ。これでは最後の直線でどうなるかがわかったものではない。

「なんてことだ,エレジー!注意しろよ」

 それが聞こえたのかはわからないがエレジーは最後尾でサムズアップを返してきた。

 しかし,注意するのはまだ早すぎる。もうエレジーの先には例の第三コーナーがあるのだ。故に観客は沸き出す。曲がれ,曲がれと。エレジーは別に普通にしていれば曲線を進むことはできる。できないことは最高時速を保ったまま曲がること。曲がろうとすれば遠心力が身体にかかり減速する。だが今はレースをしているのだ。いちいち減速なんてすれば勝てやしない。外を回ればその分距離が長くなる。それではもたない。

 勝つためには何としても『最高速度』で曲がらなければいけないんだ。どれほど己が弱く、虫ケラのごとくあしらわれても,勝利のためにはやるしかなかったのだ

 

 ──曲がれー!

 

 ああやってやるとも。同志に満ちたエレジーはそのままの速度で──

 

『さぁ各ウマ娘,第三コーナーを……あぁっとここでハリボテ壊れた!コーナーに勝てない!!』

 

 ──曲がれなかった。

 作られた勝負服は完全吹っ飛んでしまい,その素顔すらも露わになりそうだった。それでもエレジーは顔を見せない。再び立ち上がると懸命に前を追いかけた。

 

『最終コーナー曲がった,内からギンシャリじわじわ上がってきた,そして先頭にたった!ハリウッドリムジン、ピンクフェロモン追い縋るが追いつけない!しかし,大外からチョクセンバンチョォォ!!追いつけるか,追いつけるか!?』

 チョクセンバンチョーの一気に追い込み。その速度は誰よりも速く,ギンシャリボーイの背に届く,はずだった。

『ここで腕を回した!回した!スシウォークターボ!まだまだギンシャ回った!ギンシャリ回った!スピンアンドッゴォォルインッッ──』

 とどめの回転。その回転はあの冬季オリンピックを連覇した彼の四回転にも劣らない素晴らしいものだった。そこにいる誰もが彼女を称えた。

「「うおおおぉぉぉぉお!!!」」

『確定しました。一着一番ギンシャリボーイ。二着チョクセンバンチョー。』

 確定を知らせるアナウンスが響いた。

 

◆◆◆

 

 ヒノマルはどんな顔をすればいいかわからなかった。本来ウマ娘の転倒は命に関わる重大なことである。しかし誰も彼もエレジーが転倒しても反応を示さなかった。正確には,またやったぐらいの薄いものだった。

「……んっ」

 エレジーが帰ってきた。先程までのレース場の雰囲気とは一転,こちらは重苦しい空気だった。

「またか」

「まただね」

「またデース」

「またなのか……」

 今回のような転倒はエレジーにとって珍しくない。ヒノマルはそれを知らなかったので第三コーナーあたりの反応が一人だけ違っていた。

 ドアノブが曲がった。帰ってきたと思い顔を上げたが誰も入ってこない。すると開いた隙間からエレジーの被りものと一枚の紙が貼ってあった。

「ちょっとの間、探すな」

 ごとんっと落とされると扉の前のエレジーはどこかへ駆けて行った。木場は少し焦った様子でエレジーを追いかけた。

「おまえら,車の前で待ってろよ!」

 しばらくすると素顔のエレジーがぽつんと立っていた。

「トレーナー,探さないでくれと言ったが」

「バ鹿野郎,だったらもっと遠くにいけ」

 エレジーは口をもごもごさせた。

「すまなかった。結局今年も曲がらせてやれなかった」

「違う!悪いのはわたしの,」

 その先の言葉は言えなかった。行ってしまっては昔の自分になってしまう。それを恐れたエレジーは咄嗟に顔を抑えた。エレジーはもう変わったのだ。いちいちあんなことをするのはもうやめたのだ。

「ごめんなさい。わたし,また」

「大丈夫だ。だから,次を見るんだ。俺たちはまだ夢に駆けているだろ」

 もうライブの始まる時間であった。聴こえてくるのは明るい曲調だった。それは哀歌のように耳に感触を残していた。。



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11R 『スペシャル』な転校生

やっとスペシャルウィーク出せた!
ついでにすり抜けできた!


 秋が始まり涼しくなる。エルのデビューも京都ジュニアSも近づいてきた。この季節にデビューするウマ娘も多く,数ヶ月後にはジュニア級のGⅠもある。教室の中は些か緊張感が漂わせていた。ヒノマルもそのうちの一人だったが

「へ,転校生が来る?」

 間抜けな声が響く。ヒノマルは芦毛のショートヘアのウマ娘,セイウンスカイが聞いた風の噂に驚きを隠せなかった。

「話を聞く限り北海道から来るらしいよ。中央にくるぐらいだからすごいんだろな〜」

 トレセン学園には二つの種類がある。地方と中央だ。地方と中央では雲泥の差,月とすっぽんほどの差があり,そこらの有象無象では通用しないのである。もっともさらなる栄光を掴めるのはほんの一握りだけだ。

「そうか,スカイにとってはこういうことは二回目なのか」

 他のみんなにとっては二回目だがヒノマルは初めての転校生。内心とてもわくわくしていた。

「まあ,ヒノマルくんはもっとインパクトあったからね。なにせ男の子だったから」

「今度来るのはちゃんとウマ娘だろうな。でも楽しみだ,これからのライバルが増えるのは。スカイもそうだろう」

「にゃはは,どうだろうねえ」

 そんな他愛のない会話をしながら午前を過ごした。

 

◆◆◆

 

「よし,そのメニュー終えたらエルはダートのマイル。ヒノマルは大外回った時の想定で全力で第四コーナーを,三回曲がれ。そいつをこなしたらおまえら今日は解散だ。それと今週は練習入れてないからぶらぶらしてもいいぞ」

 いつものメニューをこなし京都レース場での立ち回りも良くなったヒノマルはつったていた。やはり顔を晒すと騒がれてしまう。完全に暇だなと思っていた。

「それならデータを取りに行ってくれないかな,ヒノマルくん」

「当然のように思考を読まないでください。しかしどうしたんですか。いつもそんなことしないのに」

「トレーナー君が気にしているウマ娘がいるらしい。それはリギル所属のサイレンススズカ。彼女が出走するので見てきて欲しい。当日は別件があってね」

 ヒノマルは断る理由もないので受け入れた。

「了解しました。交通費は……」

「渡さなくてもいける距離だ」

 タキオンはそういうと木場のもとに向かった。渡さなくても大丈夫ならなお渡せるだろとヒノマルは言いたかったが貯蓄がないわけではない。仕方なく自腹で行くことにした。

「明日開催で近いところは……東京だな」

 

◆◆◆

 

「それでは行ってきます。ライブも見るので少し遅くなります」

 外出届を出したヒノマルは美浦寮の寮長のヒシアマゾンに一声かけて東京レース場に向かった。去年の年末に買った服を着ようかと思ったが,未だに人の目につくことが苦手なため結局耳と尻尾を隠せる服にした。道中、遠回りして人目に避けすぎたせいか午前のレースは一部見逃すことになってしまった。しかしあくまで目的はメインレース。気にしないことにした。

 レース場に着いたヒノマルはそれまでに昼食をとり,観戦したりパドックを見たりして過ごした。

 そして時間は過ぎてメインレースに出走するウマ娘たちがやってきた。しばらくそれを眺めていると

「な,な,な,なんですか!?」

 という怒号をあげるウマ娘と顔面を蹴られたのに鼻血を出す程度の怪我済んでいる不審者がいた。ウマ娘と不審者はその後しばらく口論となったがウマ娘はどこかへ去っていった。ヒノマルは不審者を白い目で見ていたが彼には見覚えがあった。

「とうとう手を染めましたか,沖野さん」

「おまえは木場のところのヒノマルか」

「そうです。ですが声を抑えてくれませんか」

 沖野は木場の同期だった。彼の率いるスピカはこちらのパーチにも負けず劣らず変人の集団である。このトレーナーも木場同様変なところは多いが優秀である。もっとも変人度合いで言えば発光している木場の方が変人だ。

「あなたは通報されたいんですか?」

「そう言われると耳が痛いな」

 しかし完全な自業自得だ。同情の余地など一切ない。

「もしかして木場に見にいけって言われたのか?」

「まあ,そうですが。それが何か?」

「いや,なんでもない。それより見に行こうぜ」

 ──サイレンススズカ,あれはすごいぞ

 沖野は不穏なことを呟いた。そしてそれはヒノマルが拾えないほど小さなものだった。

 

◆◆◆

 

 レース直前,沖野とヒノマルは最前列にいた。撮影用のビデオカメラもしっかり構えてあとはスタートを待つだけだった。

「ああ!さっきの痴漢の人!」

 すると横から先ほどのウマ娘がいた。

「いや,俺は違うって」

「まあ口論も大事かもしれませんが,レースがスタートしますよ」

 その声で二人は口を閉じた。

 スタートの直前は静かだ。この瞬間がずっと続くかのように感じてしまう。しかしそれは集中ゆえ。その感覚に浸っていると元の子もない。

『スタートしました。先頭はサイレンススズカ!これは大逃げか!?』

 早速一番人気のスズカが先頭を進む。過去のレースからは想像もつかないものだった。あらゆるものが混乱するなか沖野はたった一人ほくそ笑んでいた。そしていつのまにか1000mを通過していた。そのタイムは57秒台。これではバテてしまう。

『最終コーナー回った!サイレンススズカ,もつのか!』

 最後の直線。東京は長くもうそろそろ他のウマ娘も追いつけそうになるだろうと誰もが考えていた。しかし,スズカは『加速』した。あんな大逃げをかましておきながら加速した。

「名付けるなら『逃げて差す』とか」

 沖野は飴を舐めながら呟いた。

 ヒノマルと隣のウマ娘はその惚れ惚れするような走りに見せられていた。生涯,忘れることはできないだろう。

『サイレンススズカ,ゴールイン!圧勝,圧勝だぁ!』

 ヒノマルは確定の文字を見ると取れた映像を軽く見直して満足した。

「これならトレーナーも喜ぶだろう……って沖野さん!?」

 沖野は顔を赤くしながら倒れていた。またもや蹴られてしまったのだ。

「まあ,あとはライブぐらいだ。放っておいて大丈夫だろう」

 ヒノマルはライブを最後まで見届けると急いでトレセン学園に帰った。

 

◆◆◆

 

 転校生のスペシャルウィークことスペは困り果てていた。

「すみませーん!スペシャルウィークでーす!すみませーん!」

 どうやらライブに夢中になって門限に遅れてしまったそうだ。ヒノマルは外出届を出しているため問題はなかったが今日転校したスペが出せるわけもなく扉を叩いていた。

「どうしたんだ……って君はさっきの」

「えっと,あなたは」

 お互い知っているのに名前がわからない状態は不思議だったがヒノマルは今のスペの状態がわかった。

「もしかして門限を破ってしまったのか」

「そうなんですよ!それでどうしようかと、」

「なら俺が説明するよ。寮長とは色々あって連絡ができるから」

 ヒノマルはそういうと栗東寮の寮長,フジキセキに連絡を入れた。

「ありがとうございます。でも,なんでウマ娘じゃないのに」

 そう言われるとヒノマルは思い出したようにフードを取った。

「ああ,俺はたしかに娘じゃないけどウマ娘だから。ちゃんと学園に所属している」

 少ししたらフジキセキが玄関に降りてきた。ヒノマルが軽く説明しようとすると後ろから

「ええぇーー!!」

 スペの絶叫が聞こえてきた。

 説明を終えたヒノマルは少し急足で美浦寮に戻った。彼は沖野を蹴り飛ばすスペを見て確信した。

「俺を知らないってことはスカイの言っていた転校生だろう。多分,彼女も強いウマ娘に違いない」

 明日から切磋琢磨する仲間が増えると思うとヒノマルは明日が楽しみで仕方なかった。




 次回はスペのこと書くかエルのデビュー書くか迷っている


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12R 『怪鳥』の巣立ち

エルコンドルパサー動き出します!
ヒノマルも動き出します!


 十一月もやってきた。そして今日はエルのデビューだ。

「東京のダート1600。油断はするな」

「ハイ,トレーナーさん!」

 エルは元気な声で返事をした。この日をもって怪鳥は飛んでゆく。世界最強のウマ娘であると証明するために──

 

◆◆◆

 

 今日はパーチ総出での観戦だった。ヒノマル達は最前列に構えて待っていた。

「今日で全員デビューを終える。ヒノマル,おまえの同期だ。チーム同士の衝突は避けたいがいつかはなるかもしれない。だからしっかり見とけ」

 木場の言葉はいつも以上に強かった。

 エルは六番。先行にしても差しにしても悪くないところだった。それゆえに木場は確信した。今日のエルに負ける要素などない。他のウマ娘には悪いが今日は踏み台になってもらう。

 また,ヒノマルも確信していた。今日の友の走りは一生頭に残ることを。理由などない。ただそう思わせるほどの力を放っているのだ。

『スタートしました』

 ゲートが開く。綺麗なスタートだった。普通なら中断より前の方だろう。しかし、エルのいる場所は違った。

『一番人気エルコンドルパサー,最後方です』

 エルは流れるように後ろに下がった。前との差は二バ身ほどだろうか。実力が不揃いのデビュー戦とはいえ、マイルで先頭に入るには少し苦労するだろう。

「トレーナー,大丈夫なのか?エルの得意な距離とはいえあの位置からでは……」

「エルは勝てる。あいつはここで撃ち落とされるほどヤワじゃねぇ」

 それはおまえもわかってるだろ。そう木場は断言した。今の木場が見ているのは勝敗ではない。着差だった。それはエルが勝つことを前提にしている考えだった。そんな考え方は本来トレーナーとして侮蔑されるものだ。しかし、木場は知っている。あの怪鳥を地に堕ろすには,今は力不足だ。

『最終コーナー曲がった。ここで,エルコンドルパサー上がってきた!すでに二人を抜かしている!!』

 コーナーを曲がって外からの加速。なんて恐ろしいことだ。実況が叫んだ時にはもう一人とまた一人と追い越されていった。

『すでに先頭も捉えた!しかしまだ伸びる!その差は一バ身二バ身と伸びている』

 しかし,そのコンドルはより高く,より速く飛んでゆく。そんな差じゃ満足できないと言わんばかりにゴール板を横切った。

「エル,圧勝デェェェエス!!」

 七バ身差の圧勝。そのコンドルは大きく羽ばたいた。

 控え室に戻ると木場達がいた。

「よくやった。全員をごぼう抜きかつ,あの着差。誰も文句は言わねぇ」

「すごかった」

「ああ,素晴らしいよ」

「んっ」

 絶賛されたエルはほんの少し照れくさくなった。微笑ましい光景だったが木場はまだ緊張を緩めてなかった。

「さぁて,今回の奢りはちょっと待ってくれよ」

 木場は後ろを振り返る。

「次はおまえだ。前回の反省を活かせ。そして勝て」

「任せてくれ」

 ヒノマルは強い瞳で見つめ返した。前回の雪辱を果たすレースをして見せるとその闘志は太陽のように燃えていた。

 

◆◆◆

 

 京都レース場は四大レース場の中で唯一直線に坂がなく,坂自体も一つであるためある程度平坦だ。ヒノマルはなんとかここで勝ちをおさめたい。

「距離は2000。札幌と同じで直線に坂はない。第三コーナーのやつは高低差が激しい下り坂になっている」

 木場は淡々とレース場の特徴を伝えた。その様子は札幌ジュニアSの時と大差はなかったがひとつだけ違った。

「ヒノマル,期待してるぞ」

 それだけいうと白衣を翻し客席へ向かった。

 ヒノマルは少し緊張と不安を持っていた。前回のような失態はおかさないと決めたはずなのにまだどこかで勝てるのかと自己否定している。その様子に悩んでいると扉がたたかれた。

「お邪魔するデース」

 入ってきたのはエルだった。これからレースだし帰そうとも思ったがまだ時間がある。ヒノマルは緊張を和らげるためにも話すことにした。

「改めて、デビューは圧勝だったな」

「ええ!そしてエルは世界最強を示すデース!」

 彼女の声はいつも明るかった。その明さは太陽を浴びているかのように優しくも激しくもあった。ヒノマルは思わず笑みがこぼれた。

「すごいなエルは。絶対できるよ。エルは絶対飛んでいける」

 今日もまた先日のレースが頭をよぎる。あの走りはほんとうにかっこよく力強く,羨ましい──

「だから,負けてられないな」

「エルだって負けられないデスよ!!」

 羨ましいと思うだけではダメだ。それをバネにしてより強くなる。それはかつて学んだこと。

 ヒノマルの緊張はすっかり解けていた。

 

◆◆◆

 

 木場は最前列でゲートを見ていたが後ろからエルが帰ってきた。

「どうだった?」

 エルはしばらく考えたが満面の笑みを浮かべた。

「ばっちりデース!」

 今回はエルと二人で観戦しにきていた。いつも通り木場だけで京都に行こうと思ったがエルがついていくと言ったからだ。理由を聞くと主役は二人だから着いていくとのこと。エルはヒノマルの勝利を信じていた。

『各ウマ娘,今スタートしました』

 ヒノマルは今度は最後尾だった。今回は重賞でもあり,ウマ娘は多く,そして強い。少なくともエルのデビューのような牛蒡抜きは難しいことは明白だ。

「おまえはどうするんだ,ヒノマル」

 木場はあえて作戦を相談しなかった。無論,何もしなかったということではない。ヒノマルが勝つために京都で行われたレースの映像は何個か用意していた。ただし、距離問わず。

 これがどんなことを起こすのか楽しみで仕方なかった。

 

◆◆◆

 

「やはり,俺にはこの距離は短いのかもしれない」

 走りながらぼそりと呟いた。スロースタートでありスタミナが多いヒノマルには2000mはほんの少し短かった。しかし,それは言い訳にならない。勝つために走っているのだ。この距離でも全力を出さなければヒノマルは勝てない。しかし,短い。どうすればいいか,彼には秘策があった。

 

 ヒノマルは木場からもらったレース映像を漁っていた。中には菊花賞や天皇賞もあり距離のズレが大きく参考にならない。

「一体トレーナーはどうするつもりなんだ」

 ぼやきながらもしっかりと観察していると一つのレースが目に入った。その走りは禁止事項。しかし彼女はそれで勝った。彼女はその時に三つの冠を揃えた。

 

 第三コーナー手前よりもさらに手前。ヒノマルはここで仕掛けた。じわじわと上り詰めるように加速しだしすでに五番手まで位置を上げていた。

「なるほど、ミスターシービーか」

 ミスターシービーとはルドルフの一つ前の三冠ウマ娘だ。彼女を語る上で欠かせないのはその菊花賞。『タブーは人が作るものにすぎない』。そのレースを以って彼女は証明した。彼女が破ったタブーとは京都の第三コーナー前での加速してそのまま上って下りる。そんなことをすればすぐにバテてバ群に沈んでしまう。しかし,彼女はやってのけた。そしてヒノマルもそれをしようとしている──

『センジンヒノマル,上がってきた!そして速くももう二番手に並んでいる!』

 ヒノマルの身体はまだ未熟で才能もエルほどあるわけでもない。しかし,その熱意は熱として全身に滾っていた。

 ヒノマルは減速しない。もう加速は出来なくともその最高速度は依然として緩むことはない。後続も加速するがもう遅い。差を詰めても決してゼロになることはなかった。

 

◆◆◆

 

「おまえら,ウマ娘二人に飯を奢る俺の懐を考えたことはあるか?」

「ない」

「ないデス」

 無情な声が耳に刺さる。見事に京都ジュニアSに勝利したヒノマルは近くにあった居酒屋で食事を頂いていた。既にヒノマルも変装はしておらず顔が丸出しだった。そのため野次が多くたかったが店側の気配りにより現在個室にいた。運ばれてきた料理を二人は一瞬で平らげ、また新しい注文。木場は泣いた。

「まあそれはそれとしてよくやった。おまえもそう思うだろ,エル」

「ブエノ!ヒノマルの最後の加速は最大!最速!最強!まあエルはそれを超えますが」

「そうだな。エルはただの最強じゃなくて『世界最強』だ。俺に負けてたらダメだ」

 ヒノマルはエルのあの末脚を今でも思い出せる。後ろから全てを抜き去ったあの脚。同じ感じの戦法でエルは七バ身差だ。

「いや,真似するなよ。それはエルも一緒だ。お互い凄さが違うんだ。まずはそれを活かせ」

 木場はそういうとサングラスを外した。これは木場が本当に真面目な話をする時の合図だ。

「おまえらは同期だ。そのためレースで戦うハメにあるかも知らない。それを頭に入れとけ。ヒノマルはこのままホープフルSにいくぞ。問題は次だ。来年は大事なクラシック期,誰もがその頂を望んでいる。ヒノマルは具体的な目標もまだないからひとまず三冠路線でいく。そしてエルは,得意距離のマイルで勝ちに行く。次の目標はヒノマルは皐月賞。エルはNHKマイルだ」

 その年の栄光の頂点,クラシック三冠。それを成し遂げたウマ娘はもれなく結果を残している。その一つ目の皐月賞。ヒノマルはまさかのGⅠレースに気が引けた。

「何も直行するわけでもねぇ。おまえらにはまだ実績が足りてない。だからこの二つに出走する。それがおまえらの目標だ」

 木場はそういうとサングラスを掛け直し,酒を飲み直した。

 

 

 エルもヒノマルも、激戦の時期は近い。これがのちに『黄金世代』と呼ばれる一角の幕開けだった。




次はホープフル,若しくは日常回をやります。
アンケートにも答えてくれたら嬉しいです


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13R 彼女も『怪物』

皆さん,ヒノマルの勝負服デザインを作ってみました。設定の方にも載せています。

【挿絵表示】

よければ見てください。変更してほしいところとか有れば行ってくれるとありがたいです。今回はグラスと一流のウマ娘が出てきます。


 再び年越しの季節がやってきた。しかし,この時期のジュニア級のウマ娘は忙しかった。この時期はジュニア級のGⅠレース,そして有マ記念がやってくる。有マ記念は出走こそできないものの年末のグランプリレース。興奮しないなんて無理な話だ。

 そして今日は朝日杯フューチュリティSが行われる。かつてマルゼンスキーが勝った時の恐ろしさは今でもすぐに思い出せる。故に彼女は『怪物』と呼ばれた。

 少し話は変わるがグラスワンダーは世間で『怪物二世』と言われている。しかし二世,彼女はこれが少し気に入らなかった。グラスは怪物を超えるものとして大衆に証明する。そのための闘志を宿していた。そんな彼女に二人のウマ娘が近づいてきた。

「こんにちはデース,グラス」

「今日も調子は良さそうだ」

 グラスは軽く会釈をするといつものおっとりした顔つきになった。

「あらあら,二人とも。わざわざこんなところまで。それにヒノマルくんはホープフルSに出走するんですよね?」

「ああ。でも,俺とも戦うことになるグラスのレースを見逃すわけにはいかない」

 ヒノマルの心はずっと騒いでいる。今のグラスを絶対に見逃してはならない。そんな警告をずっと鳴らしていた。

 グラスは軽く微笑むと、再び鋭い顔つきに戻った。彼女はまさしく求道者。無論大和撫子のような柔らかさも兼ね備えているが,レースにかける思いはとても重い。

「それでは参ります」

 ──不退転、それがグラスワンダーの在り方であった。

 

◆◆◆

 

『ジュニア級の王者を決めるこのレース,一番人気はもちろんこの娘,グラスワンダー!』

 冬にも関わらずこの熱狂。それほどグラスの持つ力は大きかった。

 全てのウマ娘がゲートに入った。あとはスタートするだけ。その瞬間からグラスはもう大和撫子ではない。

『スタートしました!』

 彼女の在り方はもう一度言おう、不退転だ。意味は怠らずに励み,退かないこと。その意志は誰かに止められるものではない。そしてその走りも止められるものではない。

『グラスワンダー,外目を回って上がってきた!』

 第四コーナーを曲がり,実況も熱が入る。

『どこまでちぎるんだ,グラスワンダー!もう先頭との差はわずか!いや,差した!差したぞグラスワンダー!先頭との差は広がるばかり!勝ったぞグラスワンダー!』

 そこにいたのは栗毛の怪物。勝ちタイムは脅威の1.33.6。レコード勝ちだった。まさしくマルゼンスキーの再来としか言えなかった。しかし,その評価はグラスにとって不服だった。

「やりましたね,グラス!」

「本当にすごかった」

「ふふ,ありがとうございます」

 グラスは顔こそ笑っているもののその心は晴れていない。エルもヒノマルもそれがわかった。別にグラスとて不名誉に思っているわけではない。マルゼンスキーとはそれほど恐ろしいウマ娘だった。ただ『怪物二世』となると人の目に映るはマルゼンスキー。グラスではない。

「わたしはこのレースであの人のイメージを超えるつもりでした。しかし今も人が思い馳せているのはあの深紅の衣装,わたしではない。──なんと不甲斐ない」

 二人はかける言葉が見つからなかった。しかし,それでここで腑抜けてもらっては困る。なんとかして激をいれてやりたかった。ちょっとした沈黙。エルはいてもたってもいられず大声を上げた。

「何言ってるんですか! グラス,貴女がエルの親友なら,怪物を超えてみろ!! 貴女はその『意志』がないのですか!?」

 思わず片言がなくなっている。それほど大きな叱咤だった。ヒノマルもちょっと耳が痛いと思いながらも言葉を紡いだ。

「そうだよグラス。俺はエルほどおまえを理解できてないけどグラスの勝利に秘めた思いは絶対俺たちにも負けない。いや,怪物にも負けないはずだ。世間はグラスのことを怪物二世というが少なくとも俺は──いや、俺とエルはおまえが怪物二世にとどまるやつなんかじゃないと思っている。グラスはもっと強いウマ娘になれるだけの力と『意志』がある」

 二人は本気の眼差しでグラスを射抜いた。エルもヒノマルも絶対にグラスが怪物を超えると本気で信じている。グラスはそれが,嬉しくありがたかった。

「……そうですね。わたしがやらなければいけませんね。二人ともありがとうございます。『雨垂れ石穿つ』,わたしはいつか彼女を超えてみせます」

 もう憂いを持ったウマ娘はなかった。そこにあったのはどれほど時間がかかってもいい,だがわたしは怪物すら生ぬるいそれ以上だと言いたげのウマ娘だった。

 

◆◆◆

 

 一週間後,木場に誘われてヒノマルは中山レース場に来ていた。目的は有マ記念,年末のグランプリレース。あらゆる人とウマ娘の夢を背負った舞台である。

「ヒノマル,しっかり目に焼き付けろ。ここが俺の最初の夢だ。今でも俺は夢に駆けている途中なんだ」

 その顔はいつも以上に子供のようだった。木場は有マ記念を見るときは必ずサングラスを外す。木場が初めて見た有マ記念からこのレースで勝利したいと夢見ていた。今でもそれは変わらない。

 すでにレースは始まっていた。中山2500。なかなかトリッキーな形をしたレース場で行われるこのレースは得意不得意が分かれ目にもなる。そんなことを言っているうちにすでに最終コーナーだ。みんな競い合っている。観客も沸いている。誰も彼もがこの一瞬を噛み締めていた。しかし本当に一瞬。決着は終わっていた。

 ヒノマルはこの景色を見たことがあった。ほんの少し角度は違ったが間違いなく見たことのあるレース。あぁあれか,やっと思い出した。ヒノマルは悟ったような顔になった。

「トレーナー」

「なんだ」

「あんたと会った日に話したレース。おそらくこの有馬記念だ」

 ヒノマルにまたあの時の記憶が出てくる。

「やはり、素晴らしいな。勝利したあの人は本当にいい笑顔だ」

 ──あぁ,羨ましいなぁ

 最後の一言は自覚がないまま放り出されたものだ。木場は何も言わずに会場の雰囲気にも身を任せた。

 ライブも終わり,早く寮に帰ろうとするなか、木場は車を進めなかった。

「何をしてるんだ? 帰らないのか」

 木場はおもむろに言い放った。

「ヒノマル,おまえの目標,宝塚と有マな」

 ものすごくあっさりに伝えられた。ヒノマルの最終目標はまさかの二つのグランプリ制覇。あっさりいうには重すぎた。

「……え」

「多分,おまえの求めるものはこの二つのレースにある。だからよ,『勝て』。」

 木場はそのまま車を発進させた。

 

◆◆◆

 

 数日後,ヒノマルは控え室にいた。衝撃の目標の発表から気持ちは落ち着き,なんともなくなったがそれでもふざけてんのかと言ってやりたかった。

「しかし,現実味が感じられない。でも、掴んでみたい」

 もう少し,遠い目標に目を輝かせていた。だが目の前のものに油断してはならない。強敵はどこにいるかいつだってわからないのだから。

「ヒノマル,調子どうデスか!」

 ほんの少し緊張していたらエルとグラスが入ってきた。今度はヒノマルが応援される番。頑張らなければ漢が廃る。そんな思いを持っていた。

「ヒノマルくん,頑張ってくださいね。油断大敵,気を引き締めて」

「ヒノマル,貴方はタフ,パワフル,ストロング,デス! 帰ったらまたエル特製ポテトを食べましょう!」

 ヒノマルの脳裏にあのマグマがよぎる。あの初めて感じた辛さではない痛み。あの瞬間は誰よりも強いとさえ感じるほどの錯覚を起こす辛さ。エルの好意は嬉しかったがちょっとだけ遠慮した。

「ありがとう,エル。でもまた今度にしてほしいかな」

「も〜ヒノマルくん。断るときはちゃんと断らないとまた食べさせられますよ」

「んな! エルはちゃんと許可とってるデェェェエス!」

 騒がしくなってしまった。でも不快な感じは一切なくヒノマルは笑った。

 そろそろ本バ場に向かう時間だ。ヒノマルは立ち上がって足をすすめた。ヒノマルはすこぶる調子が良かった。そこに一人のウマ娘が近づいてきた。

「ごめんなさい,どいてくれるかしら」

 少し,上から目線だったが特に気にする様子もなくヒノマルは道をあけた。その先にいたウマ娘をヒノマルは知っていた。しかし名前が思い出せない。

「あれ,誰だ?」

 その声が聞こえたのか上から目線のウマ娘は踵を返してきた。

「ちょっとちょっと,まさか貴方,このわたしを知らないわけ?」

「……はい、」

 若干,責めるような問い方に動揺したが素直に伝えることにした。相手は少し悩む素振りをするとすぐにポージングを取った。

「……ここではキングコールが出来ないから……,おーほっほっほ! ならせめて覚えていきなさい! わたしは一流のウマ娘,『キングヘイロー』よ!!」

 

 

 高らかに自己紹介をしたウマ娘,キングヘイロー。彼女もまた,黄金世代の一人である。




頑張って五月前にはクラシックの一発目を出したいところ。本当に皆さんご愛読ありがとうございます。一応,三年間は完結させたあとあいつとの対決もやりたいけど時間があればになります。
クラシックはマジで頑張りたいです。


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14R 目指したい『熱』

ジュニア級、ここで完結です。頑張ってクラシック級は遅くても頑張って濃くしたい。ヒノマルも頑張ってほしい。

ジュニア級最終話なのに前より短いのほんとごめんなさい。


 キングヘイローは一流のウマ娘である。いや、一流でなければならない。彼女の母親はとある伝説のウマ娘。それゆえにキングは『一流』という称号にこだわり,そのプライドを保たなければならないウマ娘だ。

 彼女の母親の影響は大きくデビュー前から彼女は有名であった。しかしそれは良いものばかりではなく,誰かは傲慢,誰かは七光り。そんな揶揄すらもキングは飲み干していた。

 だがヒノマルは世間を知らない。ヒノマルにとってキングはちょっと騒がしいけど慕われているなぁ、ぐらいの感じだった。

「つまり、君はすごいウマ娘ってことでいいのか?」

「ええそうよ。このキングを讃えなさい!」

 はっきり言って知らない相手を讃えることなどできない。ヒノマルはとにかく反応に困ったので逃げるように本馬場に向かった。

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 キングは呼び止めたが関係ない。今は、『逃げる』。

 

◆◆◆

 

 ──話は少し遡る。

 控え室にいたヒノマルはやっと届いた『勝負服』を開封した。

「早く見せてくれよ、なぁ」

 木場は新品のロボットのおもちゃを前にした子供のようにわくわくしていた。

「構わないが、外で待っていてくれ」

 木場は男同士だろと思ったがこういったことはセンシティブな話題だ。大人しく外で待機した。

 ヒノマルが呼ぶと木場はどんなんだぁ、と叫びながら入ってきた。

 そこにあったのは和風な感じの勝負服だった。

 上着は手前の左側は朱色で奥の右側が白色となっており襷で縛ってあった。下に履いた袴は灰色のグラデーションがかかっておりそこに桜の木の絵が施されていた。

 上に着ているインナーは中指に通らせて上半身全体を覆っていた。大胆にあけられた胸元には太陽と屏風絵になりそうな雲が描かれていた。

「かっこいいじゃないか」

「ああ,これに袖を通せれてよかった」

 ヒノマルは純粋に嬉しかった。勝負服を着用できるのはGⅠレースだけ。つまり、一生着ることのないウマ娘もいるわけだ。一部例外もあり得なくはないがそれでも一握り。勝負服とは一回着ただけで一生の誇りとなるのだ。

「それじゃ俺は席に行くからな」

 そして今に戻り、ヒノマルはゲートの前にいた。ヒノマルは重賞を二つ経験した。しかし、ジュニア級とはいえGⅠは空気が違う。より多くの闘志,期待,熱気。気を緩めては食われてしまう。だがそれでも己を保たなければ勝つことなどできない。

「やるしかない。お前たちに絶対追いつく……」

 悉く見せられた才能。それは彼を奮い立たせ力へと変わってゆく。負けてなどいられない。その気持ちが支配する。

『ゲートイン完了、スタートしました』

 ほんの少し出遅れた。しかし誤差の範囲。ヒノマルはすぐにベストポジションについた。

 中山の2000はいきなり坂に出る。これがかなり急で高低差は2.2m。ここではあまり力をいれずに登った。ほんの少し差は広がったが問題ない。彼はすぐにでも追いつける。だがそれは嘘になった。

 現在第三コーナー手前,いつも通り順位を上げていたが前が少々混み合っていた。

「ヒノマル、ブロックされてるな」

 差しや追い込みにはよくある話だがどれほど体力が残っていても前に邪魔がいたから勝てなかった。ヒノマルは今それに近い状態だった。それだけではない。中山レース場はコーナーで小回りがきかないと内側で曲がれない。ヒノマルの過去に経験したコーナーとは大違いだった。

「まずい……仕方ない、大外だ」

 ヒノマルは内に入るのをやめてなんとかして大外に回った。無論コーナーは回りやすくなるが距離は伸びるが,彼にはスタミナがある。それ自体は問題ではなかった。

 それでも問題は残る。それは中山の代名詞、『さあ中山の直線は短いぞ!』

 阪神よりも短い直線、加えて二度目の坂。勝ちにくくなる要因は溢れていた。

「うおおおお!」

 歯を食いしばる。条件は他のウマ娘も同じだ。勝ちにくくても勝てないわけはない。

『キングヘイロー速い! しかし先頭には追いつけない! おぉっとセンジンヒノマル、少しスピードが緩んだか!?』

 ヒノマルのフォームが悪くなる。バ群に揉まれた時から体力の減りは大きかった。もっと早くから外に出ていれば勝てたかもしれない。もっと早く内に行けば勝てたかもしれない。

 無意味な妄想をしながらゴール板を横切ると、二つの背中が前にあった。

 

◆◆◆

 

「初のGⅠ,よくやった」

 ヒノマルは襷を解いた。確かに悪くはなかった。しかし、勝てない。舐めていたわけではない。中山の特徴を理解していないわけでもない。実力も申し分なかった。だが今回はレース運びと運が良くなかった。割と中団が固まっていてさらに判断も遅れてしまった。

 だが、ヒノマルはそれだけじゃないと言い張った。

「……前の二人は強いとか,それ以外にも熱かった。彼女たちは俺とは違う『熱』を持っていた」

 ヒノマルはだいぶ一般的な中学生並みの欲などは芽生えたが約十年にわたる施設の生活は今も彼という人生に濃く染み込んでいる。彼は生まれてこのかた『欲』というものをあまり持たなかった。それは走る上では致命的になってしまう。執念がなければ粘れるものもなくなる。ヒノマルはそういう熱いものを持ってなかった。

「そうだな、おまえもちと気が抜けたかもしれねぇ。貪欲にいこう」

 木場はそういうと外で一服しにいった。

 しばらくするとノックが聞こえた。どうぞというと入ってきたのはエルとグラスだった。

「お疲れ様デス、ヒノマル」

「お疲れ様でした」

 今は労いの言葉が少し余計に感じられた。でも、それを無碍にしては行けないとヒノマルは笑顔で返した。

「ありがとう,でも素直に受け取らない。負けないって決めたのに負けた」

 ヒノマルは自嘲的に笑うと二人を部屋から追い出した。着替えるから,と一言言ったがあくまで建前に過ぎない。

 ヒノマルはインナーも脱ぎ捨て鏡の前に立つ。問題のない健康的な身体だ,その背中にある『もの』を除いて。

 

 

 ヒノマルはそれを抱え込むようにして,泣いた。惨めな自分を許せなかった。自分勝手な自分を許せなかった。報いれなかった自分を許せなかった。

 

 今日で未熟な俺ともさよならだ。決意を胸にヒノマルは学園に戻った。全てをかけたい,冠の奪い合いは既に始まっている。




 ついにきてしまったか。
 君もいつかは気づいてしまうかもしれない。そんなときに君はどうする。俺は君のことがほんの少しだけわかったかもしれない。
 いつかは君も夢に至る。それまでにある障害は果てしなく大きい。むしろここが正念場だろう。やっぱり君はそうなんだね。俺には良くわかるなよ。俺だってそうだった。君とは話し合ってみたいものだ,お互いまだ名前も知らないから。

 ──教えてもらったのにもらったのにもったいない。もう一度、俺の名前は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。もう一度君の名前を


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15R 『学校案内』します

クラシック入る前にほんの少し戻ります。
次回はちゃんとクラシックの話します。


 それは少し前のこと、スペシャルウィークが転校して翌日のことだった。

 スペはがちがちに緊張していた。彼女の生まれ育った環境にはウマ娘がおらず,加えて見知った顔もない。そのせいか、見事に転倒した。

「……なんだろう、既視感がある」

 ヒノマルも初日に思いっきり転けた経験がある。あの時はまだ恥ずかしいとあまり思わなかったが今となっては思い出すだけで赤くなる。

 それからヒノマルたちはすぐにスペに駆け寄った。

「大丈夫かい」

「あっ、はい! ありがとうございます……ってあなたは昨日の!」

「ヒノマル,もう知り合いだったんデスか」

 ヒノマルはことの詳細を伝えるとエルは納得した様子だった。スペが立ち上がるとみんなは軽い自己紹介を始めた。

「わたしはセイウンスカイだよ〜。よろしくね」

「俺はセンジンヒノマル。男だがよろしく頼む」

 みんな当たり障りないものだった。しかし、彼女だけは違う。

「あたしの名は、最速、最高、世界最強! そう、エルコンドルパサーデェェス!」

 初対面になんでこんなことできるんだ。そんなつっこみがちらほら湧く。当のスペだって驚いて間抜けな顔をしている。

「エ〜ル〜……」

 そんな彼女を見かねたグラスは静かにキレる。この状態では誰も抑えられない。

「ノォォォ!」

 悲痛な声が聞こえたがお構いなし。みんなそっとしておいた。

 

◆◆◆

 

「俺が、案内役ですか?」

 ヒノマルはルドルフに呼び出されるとスペの学園案内を頼まれた。ヒノマルはスペの事情を多少聞いた後待ったをかけた。

「どうして俺なんですか? 彼女はウマ娘に会ったことがないなら普通のウマ娘の方が」

「君がそういうのは承知している。だが同じく途中からここに入った間柄なら問題ないはずだ。それに君ももっと交友関係は増やしたいだろう」

 この時のヒノマルは友達が少ない現状に悲しんでいた。そのためこの誘いは悪くなかった。

「わかりました。それでは時間になったら呼んでください」

 少し時刻は過ぎて約束の時間になった。ヒノマルは生徒会室に入るとルドルフからスペを預かった。

「それじゃあ行こうか」

 かつてタキオンがヒノマルにしたように学園の案内を始めた。もっとも誘拐するなんてことはしない。命令自体受け取ってないし、受け取っても実行はしない。

「改めて自己紹介しよう。俺はセンジンヒノマル。俺も君と同じで途中からここにきたんだ。よろしく頼むよ、スペシャルウィークさん」

 いつもより口調が柔らかい。こんなものを見れば木場はゲラゲラ笑うだろ。そんな想像が容易にできたが気にしない。

「はい,よろしくお願いします」

 

◆◆◆

 

「ここはプール。足に負担をかけずにトレーニング出来るんだ」

「ここは図書室。出来る限り会話はしてはいけない」

「ここがジム。筋トレに役立つよ」

 いくつかの施設を歩きまわった。ヒノマルがやってきた時はあらゆる者が好奇の視線を送っていたが今はだいぶ日常に溶け込んでいる。

 俺も馴染んできた、とヒノマルはその事実に嬉しく感じていた。

 そろそろスペも緊張が解けてきたのか、ヒノマルにとある疑問をぶつけた。

「あの,どうしてヒノマルさんは男の子なんですか?」

「同じ歳なのに『さん』はいらないよ」

 それでもスペはさんと言ってきたのでくん付けで妥協した。それにしても、ヒノマルだってそれは知りたいことだ。なぜ俺だけ男だと思って嘆いた日々は今でも鮮明に思い出せる。だがそうし続けるのも疲れた。

「わからない。俺はこの身体について全然わかってない。でもせめてそう生まれてきた意味を持ちたいんだ,父さんと母さんのためにも」

 だがら前を向いていたい。今のヒノマルには生きるだけででは物足りない。もっと先にある意味を求めていた。

「ヒノマルくんも,ご両親のことが好きなんですか?」

 スペは確認のための疑問を口にする。

「まあ,好きというより尊敬しているかな」

「だったらわたしと同じです! わたし,お母ちゃんが二人いるんです。産んでくれたお母ちゃんはわたしを産んですぐ亡くなっちゃいましたけど,約束があるんです!」

 『日本一』のウマ娘。

 スペはその夢を嬉々と話した。ヒノマルにはレースに関する大した夢を持っていなかったからその姿が眩しかった。

 みんなそうだ。ここにきて大きな夢のために全力を尽くしている。それなのに彼は何のためにいるのだろう。劣等感にも似た感情が心を敷いてゆく。

「やはりみんなはすごいな。俺にはない、いい夢だ。そこには困難もあると思う。でも,君たちはそれを口にできるほどの『力』がある。誰かはいうだろう,無謀とか,冗談とか。だが俺は君を応援する」

 劣等感だけじゃない。純粋な敬意だってある。大きい小さい関係なく夢を語れるやつは強い。かつてそれは木場が似たことを言っていたような気がする。そこには実力の意味での強い弱いは関係なく,心の強さになる。どんなにフィジカルが優れていても心が弱ければ木偶の坊にすぎない。最後まで『立ち上がる』強さこそがヒノマルの敬意の対象だった。

「……そうだな、よし。スペ!」

 ヒノマルは少し悩むとスペの名前を略して言った。スペはいきなりで驚いたがヒノマルは話を続けた

「ここはトレセン学園、あらゆる強者たちが集う場所だ。夢破れることなんてよくあることだ。愚問だと思うが、敢えてきこう。おまえは何をしたい」

 この質問はルドルフと木場からされた質問。べつにこれが通過儀礼とかではなかったが目の前の相手を見定めるにはちょうどいい。

 スペは少し困った顔になったがその瞳に迷いなどなかった。

「わたしは二人のお母ちゃんのためにも全力で『日本一』になります!」

 ヒノマルはそれに満足そうな顔した。

「高圧的な態度ですまなかった。いきなりスペと呼んだが大丈夫か」

 ヒノマルは一気に素の喋り方に戻った。名前の呼び方もそのギャップは少ないがいきなり過ぎて混乱を招く。

「えぇと、はい。大丈夫です。前もスペと呼ばれていたので」

 スペは出来るだけ混乱を隠したかったがほんの少しだけ漏れてしまう。それに察したヒノマルはスペにおもむろに近づいた。

「どうしたんだ、もしかして熱でもあるのか?」

 そして互いの額を合わせる。

 ここで一つ教えておこう。彼は天然たらしの才能を有している。その技術はまだまだ稚拙ながらも本能だけでこんなことをやってのけたのだ。全くもって恐ろしい。

 無論そんなことされたスペはというと口をぱくぱく言わせながら

「お嫁に行けな〜〜い!!」

 と叫びながらすっ飛んでいった。

「俺が何をしたというんだ?」

 彼は無知,故に己の暴挙が理解できずに立ち尽くしていた。




みなさん,おそらくですが『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』のこと気になっている人もいると思います。一応正体は明かされますがそれはシニア級になってからです。
しかしおそらく⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はもう少し出番が増えると思います。もしこの語りが苦手ならごめんなさい。早く正体を教えてほしい人もすみません。

感想よろしくお願いします。


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クラシック編 〜宵闇の冠〜
16R “Cóndor” muy aterrador


今日のタイトルはスペイン語でできてます。
しかし、あくまでGoogle翻訳なのです何卒、


 トレーナーは優秀でなければならない。そこには蓄えた知識だけでは及ばず、教える才能、積み上げたコネクション、確かな実績。あらゆる面が絡んでくる。木場は上記のコネと実績以外は持っていた。実績がないわけではないがタキオン以外はあまりパッとしない感じだった。

 そんな彼は家のこたつの前でぽつんと立っていた。

「おまえら、なんで俺の家にいるの」

 木場は今回年越しの催しをしなかった。そのため自宅のアパートに帰ってきたのだが、そこにはスピカのトレーナー、沖野とリギルのトレーナー、東条がいた。二人は大学時代からの同期であり今でも交流はある。彼らも木場同様に優秀なトレーナーだが二人は対照的だった。

 リギルは徹底管理主義。対して沖野は自主性を重んじる放任主義。もちろん沖野はしっかり指導はしているが、その方針ゆえ切り捨てられることも多い。次に対照的なのは懐の温まり具合だろう。沖野はよく奢ってもらってる。

 そんな彼は悪びれもなく平気な顔をした。

「ああ、悪いと思っている。でもな、久しぶりにおまえの作ったメシが食いたい」

 殺意を抑えた木場はため息をついた。木場は沖野に合鍵を渡した記憶は一切ない。おそらくパーチの誰かから借りたのだろう。そしてもう一つため息をつきたくなることがあった。

合鍵(それ)は返せよ。それとな、沖野はともかくなんで東条までいるんだ!? おまえそんなにノリ良くないだろ!」

 普段は堅物というイメージが先行する彼女の印象は正しかった。だから沖野と並んでくるわけも想像できなかった。

「わたしも彼と同じ理由よ。だって貴方の料理は美味しいから」

 木場は今回は出費が少ないと贅沢していいものを買ってきたばかりだった。残念ながら食材は吹っ飛んだ。

「「「ご馳走様でした」」」

 薄くなった財布を胸に木場は泣いた。悲しいのではない、悔しかったのだ。大学からの同期に搾り取られるのが悔しかった。

「慈悲を寄越せよ。まあそれはそれとして、おまえら今年はクラシックどうなんだ。」

 もう面倒くさくなった木場は業務の話に切り替えた。お互い三人ちょうど同じ時期にクラシック戦線でぶつかる。ここは敢えて情報を交換したかった。

「んー、俺はスペが三冠目指す。多分ヒノマルと当たると思う」

「わたしのグラスはマイル戦線に行くわ。NHKマイルカップを目指して調整している」

 二人は鍋をつつきながら方針を伝えた。奇しくもパーチの二人とぶつかることになる。

「んだよ、どっちもぶつかるのか。まあ、グラスワンダーとならこっちのエルも楽しめるだろうな! ヒノマルも有力なやつが集まるし今年は荒れるぞ」

 いつも変わらない瞳。沖野と東条は知っている。木場は自分が負けそうだったり不利になっても周りと競り合えばすぐに目を輝かせる。学生のころからいつも勝負ごとを仕掛けては目を輝かせる。木場はわくわくすれば結果は二の次だった。

「アグネスタキオンを担当していろいろ変わったけど、あなたはそこだけは変わってないわね」

「同感」

「なんの話だよ」

 木場だけ何も理解出来ずに野菜をよそおった。白菜は程よく溶けて胃に優しい。はー、と息を吐くと無言で虚空を見上げた。

 

◆◆◆

 

 巡る季節は好きになれない。

 いつも遠くに行ってしまうから、

 知らない間にすぎるから、

 前をゆく彼らに似ているから、

 

 俺もちょうどこの季節から競り合った。

 懐かしいような新しいような、

 君のせいでわからない。

 せめて俺のようになるな。

 祈らずにはいられないな。

 

◆◆◆

 

 もう少し春の遠い季節、ヒノマルは再びマイルで勝てるように調整していた。今回皐月賞の前哨戦としてスプリングSを選んだために不得意な距離に四苦八苦していた。

「文句はない。弥生賞だとライバルが多いわけだ。しかし、マイルでは短い」

 弥生賞にはスペ、キング、スカイの三人が出走する。いずれも前評判は高い。

「それを人は文句と言うんだぞ。まあまだ余裕がある。三月までになんとか出来る」

 ヒノマルはぼやきながらもまじめに練習に取り組んだ。今年こそ、結果を残すべきなのだ。三冠はあらゆるウマ娘たちの誇りであり、それを奪いに行くのは当然の摂理。ヒノマルの目標である生きた証拠にも繋がる筈だ。そのためには強くあらなければならない。強者が集まった時代にヒノマルは強さを望んでいた。

 対してエルは無事勝利を重ねていた。この前のレースでは九バ身の差をつけてまさしく余裕綽々。この次も重賞の共同通信杯を控えていた。そしてそれも勝てるだろう。そんな予想が容易だった。しかし、才能に胡座をかくわけではない。油断などしない。やるならば徹底的にだ。

「ヒノマルくん、ちょっとこっちにきてくれないか」

 タキオンがヒノマルを呼ぶ。ヒノマルが駆け寄るとタキオンは一枚の紙を渡してきた。中身を見てみると中山の攻略方が書いてあった。

「君の前のレースを見せてもらった。あそこは得意が分かれるからね、出来る限りのことはさせてもらうよ」

 タキオンは普段は危険なやつだ。しかし稀に見せる優しさは、確かなものだ。タキオンだって仲間には勝ってほしい。ヒノマルはその思いが嬉しかった。

「ありがとうございます、タキオンさん」

「ああ、それと短い距離ならいつもより前に着くべきだ。追い込み以外の戦法も学びたまえ」

 まるでトレーナーのようにタキオンは教える。もう自分で戦えない、でも戦わせることはできる。

「頑張んだよ、ヒノマルくん」

 ヒノマルは頭を下げるとターフに戻った。

 

◆◆◆

 

 不安や恐怖というのはどこから湧くのだろうか。それは永遠の疑問点である。では逆にそれらを取り除くことはできんのだろうか。

 答えは可能だ。しかし、そのためには大小さまざまな努力がいるのだ。そしてそれを根本から覆していくのが『才能』だ。才能一つで努力をあしらうことなど可能なのだ。

 故にエルコンドルパサーには不安はない。あるのは勝利という道だけ。

「共同通信杯はいわゆる出世レース。勝てば後々有利に立ち回れる。エル、勝つぞ」

 木場は来たるNHKマイルカップでのグラスワンダーとの対決を見据えていた。グラスは決して才能だけで勝てる相手ではない。へたをすれば相手の方がポテンシャルは高いかもしれない。

「もちろんデス。グラスはエルが捩じ伏せます。彼女を倒すことが──『世界最強』の一段となる」

 これほどまでに闘志に燃えたエルを見たことがなかった。間違いない、勝利の風はひたすらに怪鳥を押し上げている。ここまでの高揚はタキオン以来だ。木場は再び勝利を確信した。

 

『スタートしました』

 走り出せば一気に空気は重くなる。どれだけ鍛え上げられたものでも関係ない。しかし、そこから抜け出せるものは一握り。飛んでいってしまえば全て変わる。

 エルは中団の位置についている。この位置ならば確実に行ける。

「負けるわけにはいかないデスッ!」

 第三コーナーを回って直線に入る。

 その時すでに四番手、いや気づいた時にはもう先頭に迫っている。隣の追い上げもすごいがこちらはまだ止まらない。その差は縮まらない。縮んでゆくのはゴールとの距離だけ。エルは重賞でも二バ身の差をつけた。

 しかしそれでも足りない。友とのいずれの対決のため、世界最強のためならば、エルはどこまで飛んでゆく。今ここにいるウマ娘は眼中にない。悉く無礼なことだがそれが成立するほどに強かった。

 

◆◆◆

 

 思わず漏れたのは畏怖の念。

 普段通りのエルなら笑えたかも知らないが、今のエルは『怪鳥』である。例え話にならない本物である。そしてそれは木場にとって悪い話ではないはずなのに懸念を漏らしていた。エルの夢は変わらず、勝利への飢えは上がってそれ自体はいいことだ。しかし、そのままではいけない。

「……まずいかもしれない、こいつは早くぶつけてやらねぇと」

 急がなくてはならない。今すぐにでも勝つまでの待ち時間(たいくつ)という鎖が引きちぎれそうだから。




アンケート載せました。回答よろしくお願いします


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17R 『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』と始動の春

ゴールデンウィークはなんとか投稿数を増やしたい


 俺にはだった一つのこだわりがある。

 それはどれほど冷めても美味しくいただける弁当を作ることだ。朝の五時十五分に起床した俺は朝食と昼用の弁当を作る。ここで気をつけなければならないのが使い回しをしないこと。別に食うのが俺だけならば使う。食費の軽減は重要だ。しかし、先程言ったこだわりがある。

 朝はあたたかなもので胃腸を活性化させる。こいつの残りをパックに入れると次は弁当を作る。朝の献立は確かに美味しい。しかし、あたたかいからこそ本領を発揮する。弁当はそうではなく、冷たくてもいつ食べても美味しい献立でなければいけない。

 おっと、時計を見れば出社時刻だ。白衣を纏い、荷物を確かめ、いつもと変わらない朝を進んでゆく。

 

 俺は仕事に行くならばリュックを使う。行動の邪魔にならずものを多く詰め込めるからだ。中身は別に普通だ。弁当とパソコンと渡された怪しげな薬。最後のやつはトレセンについてから服用する。もし、身体が変形でもしたら家への往復が面倒だ。

 さあ正門をくぐった。蓋を開けて飲もうとすると、

「木場さん、また飲んでるですか」

 音もなく気配もなく。こいつは急に現れる。タキオンの同期のマンハッタンカフェのトレーナー、北川東(きたがわ あずま)。東は俺の後輩で担当同士仲が良いため自然と仲良くなった。

「東、多少強引に押されてな」

「強引でも普通は飲みませんよ。それに貴方は嘘をついている」

 東はよく嘘を見抜く。いつもこの謎の第六感には驚かされる。

「小言言われるのが嫌でつまらない嘘つくのやめたほうがいいですよ」

「ぜひそうさせてもらう」

 こいつは本当に苦手だ。しかし嫌いにはなれない。

担当によく似た不思議なやつだ。倫理観は一般的なのに第六感だけが特異だ。嘘を見抜くだけではない。東の本来ある力はもう一つのほうである。

「木場さん、センジンヒノマルには気をつけた方がいい。カフェも観たらしいが彼は何かがそばにいる」

 それは幽霊とか魂とかそんなのを見る力だ。自分にとって悪いものを取り除く力はなくとも見るだけなら担当の力を越している。現にこいつはカフェの『お友だち』の姿を確認できるらしい。

「おまえのスピリチュアルな話には慣れている。ありがとな」

 思い当たる節がなかったわけではない。ときどきヒノマルから聞かされる夢の話が関係ありそうだ。心配ごとはいつになっても減ることはない。

 

◆◆◆

 

 夢というのは曖昧だ。夢を見ている時は完全にそこが現実であり感触も記憶も確かだ。しかし目覚めてしまえば一瞬でそれは無くなってしまう。だが、そんな夢は稀に既視感という形で現実を犯している。

「あの時のレースは走ったはずなんてないはずだ」

 俺は既視感に囚われていた。別に大した問題ではない。しかしあの時のホープフルSはどこかで諦めがついて──いや、この結果になるなと『納得』が来てしまった。勝利への渇望とか、夢への執着とか、そんなものがなかったわけではない。でも最後の直線で納得してしまった。

 その違和感は今でもはっきりしている。その一瞬だけは脳に焼き付いてしまった。そのせいで日常に集中できない。それに寝る時も最近は深い眠りにつきにくくなっている。睡眠の最中に誰かの語りが聞こえるような、俺の独白が聞こえるようなノイズが走る。走ってほしいのはこの脚だけだというのに全く嫌らしいものだ。

「今度、タキオンさんから睡眠薬をもらうのもいいかもしれない」

 割と危ないタキオンさんの手も借りたくなるほど疲れている。本当にどうしようもなく休み時間は廊下を回っていた。

 疲れていたのか俺は前にいるトレーナーに気付けなくぶつかった。

「あ、すみません」

「いや、大丈夫だよセンジンヒノマル。君のことは応援しているよ」

 なんとも優しい男性トレーナーはそのままゆっくりと歩いていった。しかし独特な空気を持っていた。どこかで会ったことのあるものだ。圧自体はなくとも重みがある。そんなウマ娘と一人あっている気がした。

 

 今日はカフェテリアが閉まっているため適当にコンビニで食材を揃えてパーチの部屋で食事をとっていた。しかしやはりいつものぬくもりがない。今度はトレーナーに弁当作りを教えてもらおう。そんな決意をすると本人が現れた。今日は青色に光っている。

「それじゃ、渡したからな」

「ありがとう。箱は洗って返すよ」

 タキオンさんはいつもトレーナーから弁当をもらっている。彼の腕はこのトレセンの中で一番と名高く見た目にそぐわない。中身は白米、レタス、だし巻き、にんじんの肉巻きだった。栄養管理がしっかりしていて食材の置き方もいい。いつもはモルモットになっているのにどこでこの技術をつけたのかを知りたい。

 そんな弁当を横目にしているとトレーナーが俺を呼んだ。

「ヒノマル、食い終わっても残ってくれ」

 おそらくレースについてだろう。急ぐ用事もなくそのまま俺は留まった。

 少し待つとトレーナーはいきなり塩を振りかけてきた。

「──っか、何をするんだ!」

「……」

「なんとか言ったらどうなんだ!」

 トレーナーの意図が全くわからない。俺は食材ではないし、汗をかいているわけでもない。

「……いや、一応やってみただけだ」

 サングラス越しでもトレーナーの感情は読み取れる。『本気』だ、ふざけてない。

「俺の後輩から言われてな、ちょっと調べたくなった」

 

◆◆◆

 

 木場は今朝の話の内容を伝えた。ヒノマルは驚いた様子だったが思い当たる節があった。

「確かに、それはあり得るかもしれない。もしかしたら、それが、俺がこの身体(おとこ)で生まれた理由なのかもしれない」 

 いつも忘れてしまう誰かとの夢。彼といるときは何かしらの交流をしているはず。そんな確信めいたことがあった。

「そうだ、トレーナー」

 木場は目を合わせた。ヒノマルはあのことを言わなければならない。そう──

「……それも大切だが、今は中山の走り方を教えてほしい」

 直近のレースに向けてだ。

「ああ、それもそうだ。いいか、中山は──」

 ヒノマルは何故既視感と納得したことについて話さなかったのか。それは他の夢の記憶と同じく忘却の海に沈んでしまったからだ。思い出すには少々手こずることは間違いない。

 

 ターフについたヒノマルは回っていた。例えではなく、本当に半径1mの円の端に立って回っていた。 

「なんで中山の攻略のためにに俺が振り回されている」

 謎の回転する円盤に乗せられてぐるぐる回っている。その回転は約時速50kmを超えて、走っているウマ娘と同等のスピードと同じだった。どうしてこんなことが関係あるのだろうか、意図は読めなかったがそれでも回り続けた。

 しばらくすると解放された。少なくとも十周以上は回されて吐き気も湧いている。流石に恨みの一つや二つを言いたくなるがまだ抑える。今は耐えなければならない。じっと堪えることが最善なのだ。

「今、おまえに体験してもらったのはえげつない遠心力だ。中山のコーナーは小回りが聞かなければならない。こいつに慣れたとき、おまえは皐月賞だけじゃない、最終目標だってめじゃない」

 言っていることは理にかなっていた。しかし未だに最終目標が『有マ』なのかがわかっていたない。ヒノマルは夢のことも、トレーニングも、理解が追いつかないまま練習を始めた。




キングほしい!

感想とアンケートよろしくお願いします。


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18R 『スプリングステークス』、その一

 謎の円盤練習から数日後、今日は前哨戦の弥生賞が行われる。このレースは本番の皐月賞と条件が全く同じであり参考にするにはもってこいのレースだった。

「ヒノマル、午前は好きにしていいぞ。十五時までには戻ってこい」

 そう言われても彼は暇だった。しかし、レース観戦以外のこともやりたかった。少し悩んだ挙句、彼は出走する友達の元へ向かった。

 

◆◆◆

 

「おや、ヒノマルくんじゃないですか〜」

「相変わらず自由人だな」

 スカイは本当に自由奔放だった。その証拠に彼女はヒノマルが部屋に来るまではぐっすり眠っていたのだ。しかし、彼女とてやる気がないわけではない。勝利を望む執念は誰にも負けていない。彼女はあらゆる策を練り、周りを翻弄する。そんなスカイの青い瞳はメラメラ燃えていた。

「どうなんだ、調子は」

「これといってかわってませんよ〜。わたしなんてみんなと比べて才能ありませんから」

 ヒノマルはその発言が信じられなかった。彼女は弱いわけがない。そんな考えが頭を回っていた。

「嘘をつくな。おまえみたいな策士が弱いわけがない」

「それを言ったらヒノマルくんだってそうだよ。わざわざ適正の低い方に行くんだから」

 ヒノマルは木場の言ったことを思い出した。彼曰く、スプリングSに出るのはライバルを避けるためだけではない。皐月賞と違う条件で、さらに短い距離というヒノマルの本調子を出させないという相手にこちらの情報を悟らせないための作戦だった。

「まあ、それは俺のトレーナーの案だ。俺からすればスカイの方が断然すごいよ」

「……またまたぁ、買い被りすぎだよ。わたしなんて、」

「そんなものじゃない」

 ヒノマルはスカイと目を合わせた。

「俺はトレーナーとか、タキオンさんとか、あらゆる人の助けで作戦とか考えている。でも、おまえは違う。自分でたくさん考えて、そして成功させている。スカイは本当にすごいウマ娘だ」

 ヒノマルは純粋に褒めた。

 スカイはほんの少しだけ顔を俯かせた。

 

◆◆◆

 

 次に向かったのはキングの部屋だった。

「入っていいか」

 ノックをすると中から気怠そうな返事が返ってきた。

「全くこんなときに──ってあなたは」

 二人は椅子に座るとキングはいきなり話してきた。

「あなた、もうこのわたしの名前は覚えたでしょうね」

「ああ、キングヘイローだろう。キングと呼んでも?」

「構わないわ」

 互いに名前を確かめるとキングは普通の疑問をぶつけた。

「どうして、わたしのところに来たの」

「同じ世代に走るライバルなんだ。俺はおまえと関わりが少ないから、おまえを知りたくなった」

 ヒノマルは彼女とは極端に話したことがなかった。ホープフルS以前は顔も朧げであり、最後に会話をいたのもそのレースの待ち時間だけだった。

 ヒノマルはキングを知るためにほんの少し経歴を調べた。そこからわかったのは、彼女の母親は元GⅠウマ娘であり、かなり有名であったこと。それはもちろんキングへの評判に関わる話だ。それはその血統が示し、加えて確かな才能がある。

 

 ──ゆえに『一流』。キングはそうでなくてはならない。キングの瞳は、スカイがメラメラというなら、ギラギラと燃えていた。

 

「あなたも三冠路線で挑むのね」

「ああ、そして俺はより多くの人に認められなくてはならない」

 キングは少し沈黙を作った。

「……それはどうしてかしら」

「俺の、父さんと母さんのためだ。二人のために俺は勝たなければならない」

 キングは顔を顰めた。まるで反りが合わないやつと出会ったような顔になった。だがそれを全力で隠した。ほんの一瞬だけだったからヒノマルは気づかなかった。

「それで、よければだがおまえも話してくれないか」

「──よ」

 声が小さくて聞こえなかった。

「──あなたと同じよ」

 ただし、理由は正反対。

 奇しくもヒノマルとキングはの目標は『自分の存在を知らしめす』という点では似ていた。しかし、その本質、あるいは原点は逆の道をゆく。かたや親に誇るため、かたや親を見返すため。

 ヒノマルはそれが少し意外だった。

 

◆◆◆

 

 そろそろ時間が来ていた。これが終わったらヒノマルはスタンドに戻ることにした。

「入るぞ」

「はぁーい」

 その元気な声はスペのだった。

「そういえば、スペの夢は──」

「はい、お母ちゃんと約束した日本一のウマ娘です!」

 スペとヒノマルの夢の理由はキングと違いほとんど同じと言える。しかし、そのにある純粋さは彼女の方が一枚上手(うわて)だった。

「質問だが、スペは三冠のうちどのレースを一番とりたいんだ」

 クラシックの三冠レースにはそれぞれ称号というかジンクスがある。今回の皐月賞は『最もはやいウマ娘』が勝つ。他の二つにも同じようなものがあり、どれを取るにしてもそれは名誉となる。

「わたしは、世代の王者を決める『ダービー』をとりたいです」

 『日本ダービー』、正式に東京優駿。クラシックのなかでも誉れ高いレースだ。

「ダービーは狙うものも多い。それにあのレースは積み重なった歴史が多い。頑張れよ」

 ヒノマルは激励をいうと帰ろうとした。しかし、思い出したように疑問を投げた。

「そういえば、スペ。おまえにとっての日本一とはなんだ」

 何を持って人は日本一というのか。ダービーをとった、三冠をとった、グランプリレースをとった、それとも最強となった。その形は人それぞれにあり永久の問いである。

 スペも初めて沖野と会ったとき同じことを聞かれ、答えられなかった。その答えは今でもわからないし自信もない。だが、夢のカタチとしてスペはそれをわかっていた。

「わたしにとって日本一は『立派になってその姿を見せられるようになる』ことです。えへへ、その、順番が逆かもしれないですけど」

 スペはキラキラしていた。燃えているのではない。『輝いて』いるのだ。

 彼女の抱く水晶のように純粋な想いはその身体をどこまでも運んでゆく。決して止まることはないだろう。そしてそれはときに暴力ともなり得る恐ろしさを孕んだ想いだった。

 そんな輝きにヒノマルは微笑んだ。

 

◆◆◆

 

 どれだけ想いが強くとも、才能があろうとも、結果というのは残酷だ。女神とは一人だけに微笑むものだ。

『スペシャルウィークだ! スペシャルウィークだ! 勝ったぞスペシャルウィーク!』

 今回の弥生賞はスペが勝利を掴み取った。しかし、これが本番ではない。ここで負けたものはより激しく、敗北を薪に想いを燃やす。勝利はやってこない。掴み取る(奪いとる)もの だ。

 みんなも、グラスも、エルもたった一つの未来のために立ち上がるのだ。さあ次は己の番だ。ヒノマルは学園に戻った。

 

 

 

 

 

 数日後、ヒノマルは頭を殴られたような衝撃を味わった。しかし、それをより深く味わったのは彼ではない。まだかまだかと待ち侘びていた怪鳥(エル)だった。




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19R 『スプリングステークス』、その二

 東は一人で歩いていた。

 しかし複数人の話し声が聞こえた。

「どうしたんですか」

「いや、例のあれを見てきた」

「貴方に驚く感情があるとは意外です。しかし、彼に宿るものとは一体?」

てめぇら(この世界)じゃ理解出来ない野郎だ。少なくともいきなり襲ってはこねぇだろうよ」

 うやむやな回答にため息をついた。東は見ることしかできない。退治とか成仏はカフェや隣にいるお友だちにしかできない。

「嘘はついてないようですね。わかりました。では、これだけ教えてください。なんの生物ですか、あれは?」

 お友だちはどう答えればいいかわからなかった。ただ、一つだけ言えることは

「遠いようでもっとも近い、だな」

 それだけいうとどこかへ走り去った。

 

◆◆◆

 

 その話はトレセンに留まらず世間一般の方々にも届くことになった。

 ヒノマルは病室の前に立つと数回深呼吸をした。なんというか、こうやって見舞いとして病院に来るのは初めてだったからだ。

「入るぞ、グラス」

 脚に巻かれた包帯。グラスは窓から遠い景色を見ていた。

「まあ、日常生活には問題ないと聞いている。つまらないものだが、ここに置いておく」

 見ての通り、グラスは怪我をした。幸いそこまで重いものではなかったため退院自体はすぐに済む。だがウマ娘の怪我はそれでよかったではない。そういったことが起きると大抵のウマ娘は身体能力ががくんと下降する。ウマ娘にとって怪我とは単純に痛い、不便の問題ではない。必ずどこかで人生に未練というカタチで爪痕を残してするのだ。

「そ、そうだ。グラス、最近お茶作法を勉強してるんだ。だから……その……」

 言葉に中身はなかった。ただ少しでも気を紛らわせようと意味なく取り繕うことしか出来なかった。ヒノマルは観念したようにため息をついた。

「一つだけ、いいですか」

「……俺が答えられたらだが」

 グラスは窓に映る夕日を見ていた。

「彼女は、エルは、どうしてますか」

 それはもっとも聴かれたくなかった質問だった。答えてしまえばグラスはきっと──

「正直にいうと、腑抜けたよ。それでもエルは強いままだよ」

 ──怒るから。

 ぶつんと音が聞こえた。幻聴だろうが関係ない。グラスの血管が切れた音だ。

「グラス。怒ってもいいから聞いてほしい」

 ヒノマルはこうなったら無駄なことは知っている。だからできるだけ刺激をしないように話かけた。あくまで、話かけるまでのことだが。

「俺は、正直ふざけるなって思ってる。それはエルにも、グラスにも。もちろんへんな事を言ってる自覚はある。だけど言わせてほしい、仕方ない事だってわかってる! どうして今なんだよ、本当に、どうして」

 理不尽にもほどがある文句。しかし、それはグラスだって同じだった。

 本当に、どうして今なんだ。神がいるなら殴ってやりたかった。

「ヒノマルくん、もう一つだけお願いします」

 グラスはお願いを口にすると安静にした。

 ヒノマルも決意を固めたように寮に戻った。

 

◆◆◆

 

 パーチ、いや、学園全体が暗かった。当然練習も捗るわけもなくヒノマルはキレがなかった。

「とはいえ、だいぶスピードに乗っている。ワンチャン、スプリングSにも勝てるぞ」

 円盤練習はまだまだ拙いが早いペースでのレースには着実に慣れている。マイルはともかく2000なら、今までより早くスパートをかけるほどにまで成長した。課題は確実に減らしていけてる。ただ、それ以上の問題はいつまで経っても変わらなかった。

 エルは上面は変わってなかった。片言だって使ってる。しかし、彼女の本質というものが変わっている。木場はそれを共同通信杯と時から兆候はあったと見ている。

「どうしょうかね」

 エルの不調の原因はわかる。だが、それは木場が取り除こうとしても難しい、というか不可能だった。そんなときだった。

「ふざけるなッ」

 ヒノマルの普段使わないような言葉使いに驚いた。彼とてエルの態度に腹を立てている。特定の誰かをライバルと立てるのは構わない。それは指針となり、確かな道を見せてくれる。しかし本当にそいつしか見ていないのであれば話は違う。エルはグラスに固執するあまり、今回の件で腑抜けたやつになってしまった。それでもなお強いのが余計に苛立たせた。

「トレーナー──ッ!!」

「ハイッ!」

 いつもより強い声調に木場は敬語になってしまった。

「ナンデショウカ」

「エルを借りる。悪いがあいつを連れて少し、焼きを入れてくる。トレーナーだって同じだろう」

 ──俺に任せろ。

 それだけいうとヒノマルはえるの方に向かった。

「ああ、トレーナー。さっきの話を端的に纏めると『サボる』だ」

 サボり気味でも手にしたのか、そんなツッコミを引っ込めて木場は、一服することにした。いつもの甘いものではなく、ちょっと煙たいものを。

 

◆◆◆

 

「ちょっとついてこい」

 ヒノマルはそれだけ言うと強引に腕を引っ張った。最初、エルは抵抗したがするだけ無駄だったのか直ぐにやめた。ヒノマルは少しの申し訳なさに心を痛めながらも歩き続けた。

 しばらく着いた先には一本の切り株があった。トレセン学園ないでも有名な発散スポットだ。ここではよく悔しさだとか苛立ちとかを叫ぶことが多い。ただし、彼は今回初めての使用だった。大体の悔しいときは一人で泣いたりすることが多かった。

「エル、俺はグラスから『お願い』を受けている。そいつを伝えるべきだが、俺にも言いたいことがある」

 エルはずっと黙っている。いや、苛立っている。だが、本当に苛ついているのは、苛つきたいのはヒノマル(オレ)だ。

「今のおまえははっきり言って見るに堪えない。俺はおまえのその態度を軽蔑する。実力で黙らせてもらって構わない。それでも俺は、腑抜けたエルを許せない」

 八つ当たりでもなんでもいい。本当に許せなかった。もっとも許せなかったのは、

「じゃあ、なんですか。アナタに何がわかるんですか! 彼女は絶対に超えなければならない壁! 勝たなければならないのに、なのに、突然崩れ去った……許さないのはアタシだ!」

「だから、許せないのはその態度だと言ってるだろう!!」

 もっとも許せないのは、グラスのみを見ているその態度──

「おまえの敵は、ライバルは、グラスワンダーしかいないのか! 俺たちはなんなんだ! 同じ土俵でなくとも、同じ高みでなくとも、同じ夢でなくとも、俺たちは敵であり、友であり、ライバルだ! ……少なくとも俺は、そう思ってる」

 そこに、同じものがなくても心がある。繋がっている。睨み合っている。

 ヒノマルがトレセン学園に来て学んだことの一つだ。エルは、グラスに勝つことが目的となっていた。超えるべきものはグラスだと思っていた。

 でも違う。己の夢はなんだ、目的は、超えるものは。それが思い出せたような気がした。

「俺たちはどんなところでも超えるべき相手であり続ける。それが、『超えるべき壁』だ」

 ヒノマルは言いたい事を言えた。その顔に苛立ちは消えていた。

 

◆◆◆

 

「ところで、ヒノマル。グラスからのお願いってなんデスか?」

 ヒノマルはギクッとなりそうなぐらい体を震わせた。今更言うのも恥ずかしくなりうやむやにしたかったのに気づかれてしまった。

「………ああ、それはな、」

 今すぐ逃げたい。でもエルなら追いつけるだろう。言う他ない。

「『It's bad because I was injured, but chicken is perfect for you who are shocked at this level.』と言ってくれと……言われている」

 とてつもなく言いたくなかった。別にただの罵倒とかならもう少し遠慮なく言えただろう。しかし、まさかの英文で言われた。普通なら、みんなわけが分からず日本語の意味を求めるし、グラスだって仕方なく和訳を伝えるだろう。しかし残念ながらヒノマルは物覚えが良かった。特にこう言うリスニングは鍛えられていた。ヒノマルはあえて和訳を考えずにエルに伝えた。

 この文にには意訳して、『チキンがおまえにはあっている』という文が出てくる。普通に訳すと鶏肉だが、こういう意味もあったりする。『ヘタレ』『弱虫』『雑魚』。グラスは怪鳥を鶏と暗に軽侮しただけではない。割とストレートにエルもバカにしたのだ。

 その意図に気づいたエルは、余計に不満を募らせた。

「ぜったいにぶっ潰す、デェェェェエエス!」




『It's bad because I was injured, but chicken is perfect for you who are shocked at this level.』
意訳:怪我をしたわたしも悪いですがこの程度でへこたれるなど、所詮はチキンがお似合いか

あとアンケート、全員が同じ数だけ揃っちゃってるので誰でもいいから答えてほしいです。よくを言えば感想もほしいです。
なんでもいいんで何かください(強欲)。本当にTwitterの方でもなんでもいいんで


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20R 『スプリングステークス』、その三

日曜日までに皐月賞入れたら嬉しい。


 いかにも気さくな声だった。

 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はゆっくりとヒノマルに近づいた。

「いきなり、なんだ……おまえは」

 なんだって俺なのに酷いな。まあ気にしない。こんな調子だからな。君も元気だと嬉しいが

「元気だけど、そっちに元気とかあるのか?」

 ふふ、そのとうりだ。俺にはどうこう言えるものではない。それにしても昨日のあれはちょっと良くなかったとは思うけど。彼女もつらかっただろう。

「うッ……それは、そうだと思う。でも本当に許せなかった。俺だってライバルでありたい。おまえはそうではないのか」

 どうだろう。一度諦めたかも知らないやつが名乗るには少し重い気がするね。そんなことより次のレースは頑張れよ。俺は応援しかできないからね。まあ、本番は皐月賞だ。負けても気にすることはないと思うよ。

「それは無理な話だ。君もわかってるはずだ。俺がそんなに自由じゃないことぐらい。俺にはまだ背負うものも多い。託されたものもある」

 ──それがおまえの魅力だ。ともかく俺は慣れない距離だから無理はするなとだけ言っておこう。色々言っておけば君はしっかり納得してくれるだろう。そして次に繋げるんだ。

 

「おまえは俺に勝ってほしいのか」

 それに関しては間違いなく、『頑張れ』と言ってあげるよ。

 

◆◆◆

 

 また、夢を見た。しかし、その内容はすっかり頭から出ていったようだ。この感覚にはいい加減飽きてきた。

 ヒノマルは重たい身体を持ち上げるとさっさと着替えて校門の前に着いた。

「今日こそがスプリングS。円盤には慣れたか?」

「逆に慣れた方が俺は恐ろしいと思う」

「違いねぇ」

 木場はニカッと笑うと車を発進させた。車内にはアップテンポの音楽が流れていた。曲名はサプライズドライブ、朝から聴くにはちょうどいい爽やかさだった。レースの後もこんな爽やかさがあればいいな、そんな小さなお願いをうかべずにはいられなかった。

 道中、ちょっとした渋滞にあった。余裕ある時間からなので問題はなかったが流れているCDも一周して暇になった。

「ヒノマル、俺に何か聞きたいこととかあるか?」

「別にない。そもそもいったい何を質問すればいいんだ」

 木場はなんの可愛げもないヒノマルに内心イラッとした。

「あるだろ、一つや二つ。例えばタキオンとの出会いとか、エレジー……それこそエルとか気になってんじゃねぇの!」

「……確かに、エルほどの実力者がこんな変人のもとにいるのもおかしい」

 なんて酷いこと言うんだ。もちろんそんなこと木場が言える立場ではない。

 しかし、ヒノマルは実際気になっていた。エルならば学園最強のリギルにいてもおかしくない。むしろ、タキオンぐらいしか実績のないパーチに入るのは不都合なことも多いだろう。それにグラスという伝手もある。チーム内で競う相手がいるのも互いにとってプラスになる。

 その後疑問を呟こうとしたその時、渋滞から抜けていた。安全運転に気を配る木場に話しかけるのも気が引けたので何も言わずに窓の外を眺めた。

 

◆◆◆

 

 どれだけマイルに自信がなくともやらなければならない。余力は残すべきだがなんとしてでも優先出走権を得たかった。おそらく戦績的には問題はなくとも、それが有ると無いとでは安心感が違う。

 スタンドの最前列にだった木場は特に意味もなく呟いた。

「期待したるぜヒノマル」

 届くはずのない声。それでもちょっとぐらいは言いたかった。本番でなくとも負けたくない戦いがある。スプリングSはヒノマルがいかに課題をクリアしていくかを観察するためのレースであった。もう無様な姿は見せない。絶対に奪い取ってみせる。

 春の風はまだ少しだけ冷たかった。身体は震えるが心は何も起きてない。そうだ、ここは気楽に行こう。手を抜くつもりはないが、予定がある。勝たせてもらおう。

 

 今ゲートが開いた。

 ヒノマルは殿から三番手──ではなく中団のやや後ろの位置についた。学ばない阿呆はいない。タキオンに言われた言いつけをしっかりと守りいつもより前を走っていた。いつもより早いペースだが問題はない。しっかりとフォームも保っている。走りにくさなど微塵にもなかった。

 ──とはいえ、普段ならまだまだ加速段階だ。調子が狂うな。

 そんな事を考えながら800mを通過した。ここから怒涛のコーナーが立て込んでくる。まだ小回りの効かない彼は一気に外に出た。もちろん走行妨害にならないぐらいで。

「距離は伸びる分、加速する時間が増えるものだ」

 ここまで外に出れば急なコーナーなど関係ない。あとはエレジーの曲がり方を周到しつつ、加速を止めない事だ。

 しかし、

『センジンヒノマル、ここで無理がたたったか、先頭に追いつくには距離が足りないぞ!』

 割と無理矢理外に出たため予定よりロスが大きくなった。加えて、まだ単純にキレがなかった。

「くっ、だめなのか。だいぶロスしてるし、周りの方が速い。でも──

 

 タキオンの中山についてのレポートにはこんなことが書いてあった。『中山は第四コーナーから直線の途中までには下り坂がある』、『最後の坂は高さは低くともかなり急である』。

「タキオンさん、つまり高低差がすごいから好みの幅が広いということですか」

「ああ、そうだ。中には中山しか勝てないものもいるぐらいだからねぇ。最後の坂がいつも鬼門となるのだよ。なんと言っても──

 

 ──あそこはスピードが出にくい」

 ならば、トップスピードが遅い俺でも行けるはずだ。

 もう一度あの快感を。進め、力の限り。決して勝てなくてもいい。だが、もぎ取らせてもらう!

 

 本気のスパート。もう一人、抜かせばいい。欲を言えばあと一人──いやもっとだ。ヒノマルは前にいるウマ娘を片っ端から淘汰した。

『センジンヒノマル、驚異的だ! 驚異的だぁぁ!』

 ゴール板を今横切った。ヒノマルに後悔はなかった。マイルは無理だったが行けるところは行けただろう。悔しさは置いておくんだ。今は敗北は関係なかった。

 

『センジンヒノマルは二着だぁー!』

 

◆◆◆

 

 こつ、こつ、と音が響く。ヒノマルのなのか木場のなのかはわからない。二人はゆっくり近づいた。

「負けた割にはさっぱりだな」

「手を抜いたわけじゃないぞ」

「当たり前だ」

 

「行けるか、もっともはやい冠を」

「勝てる自信はない。あと少しだけなんだ。」

 どれだけ問答をしても顔は変わらない。

「ならば、『負けない』ようにすればいい」

「だったら、目標はダービーの出走権が得られる五着以内だ。蹴落とすんだぞ」

 ヒノマルはこくりを首を振るともう一度中山のターフを見つめた。




今回はガッツリ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎が出てきましたね。
彼の正体はまだ秘密です。ただいつになったら明かそうか回ってます。
感想、アンケート、Twitterのフォロー待ってます


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21R 『青空』は、はやい

やっと三冠ロード入りました。
ただ最近文字数少なくなってきたんですよね。
やっぱり皆さんも多い方が嬉しいですかね


 皐月賞が迫り、残すことあと一週間。

 エルはスプリングSから少し後のニュージーランドトロフィーで一着を重ねていた。本来そのレースにはグラスも出走予定で例の件ででなくなっていた。彼女はそれで例の件のようなことになったわけだが迷いなく勝利を掴んだ。この調子ならNHKマイルも堅い。

 それもあって感化されたヒノマルは走っている途中、昇る朝日を眺めていた。自主練で外を走っていたが途中で土手によった。どうしてこんなところに来たかはわからない。でもここに来れば何かある気がした。

「おや、こんなところで珍しいですね」

 いつものやる気のない声。スカイは若干眠気があるのか目を細めていた。

「スカイはこの前のスプリングSは見ていたのか」

 唐突な疑問にスカイは動揺を隠せなかった。

「見えたんだ、おまえの特徴的な頭髪が。やはり獲物の研究か」

 スプリングSの最後、木場に会う前に一瞬だけ観客席をみた。そこにはスカイと同じ髪色の後ろ姿があり、ヒノマルはそう予想付いた。

「いやぁバレバレだなぁ。気づかれないと思ったけど無理だったか……」

 彼女のオーバーリアクション気味な態度に思わずヒノマルは笑みが溢れた。しかし彼は焦っていた。あの時のレースは調子が良かった。余力を残したとはいえ結構本気に近く、直接観察されれば敗北が近くなってしまう。

「スカイ、俺はおまえの事を応援するよ。たぶんおまえは俺より前にいそうだから」

「おやおや、ずいぶん自信無さそうじゃん。どうしたの?」

 彼女はやたら食い気味に迫ってきている。あまりこの距離感になれずにヒノマルはのけぞっていた。

「いや、だって俺にはまだ2000も短い距離だから」

 途端にスカイは絶句した。心なしか日に光がないような気がしている。やがて大きなため息をつくとしゃがみ込んだ。

「なんですか〜、自分にはスタミナありすぎるって自慢なの〜」

「えっ、いや、そんなつもりは……ってそれを言えばおまえの考える作戦もすごいからこの前だって嫌味にしか聞こえなかった!」

 互いに自信を持たなないから自虐勝負、むしろ自画自賛になっていき次第には結局相手を褒め合うだけの論争になってしまった。

 そんなことでかれこれ十分以上時間が経った。二人は特に何もしてないのに息絶え絶えだった。 

「……ップ、あははは!」

「ふふ、……ははは!」

 二人はもうバカらしくなって笑い続けた。互いに褒め尽くして、本当にこれから闘うやつなのかと疑いたくなった。しかしその真実は変わらない。絶対に最後に笑うやつは一人だけ。二人のうちの一人かもしれないし全く別の誰かかもしれない。それでも今の瞬間ぐらいは仲良くしていたかった。

 

◆◆◆

 

 最後の追い切り、ペースも上がってきた。円盤にもだいぶなれてきた。ヒノマルははっきり言って直接的に関係するとまったく思わなかったがだいぶ遠心力のかかり方も理解してきた。ならば後は実践のみ。余すことなく戦うこと。

 最後の課題は坂だ。いくらヒノマルにスタミナやパワーがあろうとなの急で短い直線には骨が折れる。だが、中山レース場と相性が悪いわけではない。あそこはその特徴から最後にスピードが出にくい。もとよりトップスピードが劣っている彼にとってはむしろありがたいものだ。

「皐月賞は距離は短いけど相性は悪くないはずだ。勝てない道理なんてないんだ」

「全くそのとうりだよ、ヒノマル君!」

 突然タキオンが生えるように出てきた。思わず「うわ!」と叫んだが、タキオンは満面の笑みを浮かべていた。

「君はホープフルSでは三着で、慣れない距離でもニ着。しかも二つとも中山ときた。君が期待されるには十分さ。それにわたしがかつて渡した資料も有効活用してくれているなら──間違いない、勝てる要素が溢れているぞ」

 タキオンもかつてこの皐月賞を制している。そこまでは順風満帆と言った戦績をしているがダービーの時に全てが変わった。

 彼女は今でも後悔している。あの時にあの話をしていれば、今の彼の指導を知っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 淡い期待と意味もない空虚な欲望が幾つもよぎったあの日。それは今でもずっと染み付いて離れない、離してくれない。それはある意味もっともどす黒い感情なのかもしれない。

「タキオンさんはダービー出走後、訳あって完全に走ることを辞めたんですよね」

「そうは言わない。『辞めさせられた』というのが正しい」

 タキオンは結構すぐに諦めがつくドライな性格をしていた。それは木場にである前の話だった。彼に会ってからは絶対に最後までやり切るとか表立って言わないがそんな感じになっていった。しかし、悲しいかな。それがなんの因果かここまで酷いことになるなんて誰も知らなかった。

「一つ、昔話をしよう。そいつは単純に才能を持っていた。自他ともに認めるほどにね。しかし、なかなか面倒臭いやつだった。学園内でも十分に変人の部類に入るもので一時期追い出されることにもなりかけた。

 そんな時に運命と出会ったのさ。彼女の前にだった男は運命に惹かれたとか言い出して彼女に忠誠を誓った……

 どうだい、面白かったかい?」

 どんな顔をすればいいんだ。話の流れからわかった。これは完全に木場とタキオンの話だ。

 ヒノマルはタキオンの昔を知らない。ほんの少し聴いただけで詳しいことは知らない。今のタキオンと少し印象の違いが見受けられ、困惑していた。

「まあ、つまらない話は別の機会にしよう。それよりも君は勝たなくてはならないからねぇ」

 まだ続きが聞きたかったが中断されてしまった。仕方がないのでもう一度最後の追い切りをした。その日は疲れがすっかり抜けていた。

 

◆◆◆

 

 この服に袖を通すのもニ回目。

 次の機会がある事を願いながらヒノマルは前へと進んだ。このときから既に勝負は始まっている。負けてなどいられない、全力をかけた一度きりの──三つの冠の奪い合いが──

 

 

「ヒノマルくん、期待どうり勝たせてもらいますよ」

 

 そのゲートが開くと共に、

『スタートしました!』



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22R 『セイウンスカイ』、その一

みんなさん
アンケートありがとうございます。投票数増えていてありがたかったです。


 皐月賞の『はやい』にはいくつかの意味が込められている。

 一つ目は単純に『速い』。バ馬を高速で駆け抜ける単純で純粋な速さ(ぼうりょく)

 二つ目は成長が『早い』。まだまだジュニアからのしあがったばかりの舞台で以下に他とは違う成熟加減、これが大事だった。いかに才能を持っていようとそれが開花しなければ意味はない。そしてらそれをいかに早く爆発させるか、皐月賞ではこれが重要だった。

 今から走っている瞬間まで決して速度は緩めない。負けやしない、圧倒的な差を見せる、その気概こそが勝利へと導くのだ──

 

 そんな皐月賞ではヒノマルに自信はなかった。ローペースになれば勝ちはもっと狙いやすくなるかもしれないがおそらくそんなことはない。なのでこんな作戦を木場が提案した。

「最初から外を回ろう」

 今回の枠順は十三番。確かに内に入るには少し骨が折れる。だが、ロスの心配の声を上げたが、

「おまえは疲れると本気が出やすくなる。だからこそ、外で走ってもらう。そうすれば行けるだろ、トップスピードが遅くても」

 かなり理にかなっていた。ヒノマル自身も勝ちたいとは思っていたが互いに難しいことはわかっていた。だから全力で食い込む。何がなんでも次の舞台へ駒を進める。ドライな考えだが今はそうすることしか出来ない。

「もちろん、期待はしている。よく言われる2000以下の優勝経験もないし、まだ距離を求めていることもわかっているが勝てない訳ではない。ヒノマル、いいか。おまえはまだまだ伸びるやつなんだ。初めて出会った日から成長してもまだ伸び代はあるんだ。」

 木場は指導者としての目で見ていた。彼だって勝てるものなら勝ちたい。負ける可能性が高いのは否定したい。だが、焦らない。まだある伸び代に全部を賭けるつもりだ。最後の目標を成し遂げるため、今はまだ準備段階なんだ。

 彼はそれを伝えるとサングラスを外した。

「……はっきり言って、勿体無いと思ってる。おまえら二人は強い。ぶっちゃけ俺より優れたところに行ってほしいとも思ったこともある。それこそ、東条とか沖野とか、あいつら優秀だからなぁ。

 でもよ、おまえらは俺に夢を見せてくれるって信じてる。ヒノマル、夢を押し付けるようで悪いが絶対に進むんだ。エルはフランスのロンシャンで、おまえは中山レース場(ここ)で俺たちに夢を見せてくれ、叶えてくれ」

 それだけいうと木場は控え室から出て行った。

 地下バ道を通って本バ場に向かう途中スカイから呼び止められた。

「ヒノマルくん、勝ちたい?」

「当たり前だ。悪条件は……言い訳にはするかも入れないが、なんとしてでも俺は一冠以上もらうつもりだ」

「にゃはは♪ なんかそれを聞いたら安心したよ。それにしても正直だねぇ」

「確かにみっともない気はするが俺だってただのウマ娘で見栄をはりたくなることもある。あまり、揶揄わないでほしい」

 気まずそうに顔を背けて顔を赤らめる。男子のそういう反応がスカイには新鮮で余計ににんまりとした笑顔になった。

「悪いこと考えているな、もうやめてくれ」

「そんな顔で言われてもセイちゃんどーしよーかなー」

「正確悪いぞ」

 ヒノマルはほんの少しだけ不機嫌な顔つきになったがスカイの顔を見ればすぐに元に戻った。やはり彼女の目はメラメラと燃えていた。

「ヒノマルくん、期待どうり勝たせてもらいますよ」

 スカイの言葉が耳から離れないまま、ヒノマルはスタートを切ることになった。

 

◆◆◆

 

『セイウンスカイは二番手この位置、キングヘイローも前に着きました』

『中団外を回っておりますセンジンヒノマル、その後方にスペシャルウィークはこの位置』

 最初の坂登りは結構きつい。俺は周りを確認しながら言われたとうりの位置についた。やはり普段より前の方になると視線がささって動きが悪くなる、ような気もする。スカイは変わらず二番手の位置。今回はハナを切らずに黙々と進んでいる。しかし絶対に位置は譲らない。

 なんとも恐ろしいことだ。おそらく脚を残しているのだろうか、あのまま前に疲れると絶対に追いつけなくなる。短い距離の中で追いつくなんて無理に決まっている。しかし、算段は付いている。いつもよりしっかりと走り込んでいる状態のため身体もまだ早いが熱も入っている。スプリングSの時よりもトップスピードは早いぞ──!

 

 だが、不幸というのは突然降りかかるものだ。

『さあ残すこと800近く、後方からスペシャルウィーク上がってきた!』

「なにぃ!」

 予定外だった。この前加速したかったが横切ったスペのせいで進むことができない。このままでは無理だ。

「ッ仕方ない、もっとだ」

 もっと外に出る他なかった。しかし、ここまでのロスは本当に想定外だ。もうコーナーは曲がり切った。完全に出遅れた。スペとの差はどれくらいだ? 一バ身ぐらいか? 全くわからない。

 追いつけるのか? いや、違うだろ──俺は追い付かなくてはならない!

 

◆◆◆

 

 なんというか、調子が良かったのかもしらない。前にいる子は無理に抜かすべきではなかった。多分直線で抜ける。いや絶対に抜ける。それが何故だかよくわかった。

 後ろにはキングもいる。結構追いついてきてる。でも、あえてここは末脚勝負にでよう。

『第四コーナー回った! 大外からスペシャルウィーク、さらに外からセンジンヒノマル!』

 やっぱり二人は上がってきた。でも、関係ない。わたしはすごいんだって。

 今、直線に入って最後の前に誰もいない。つまりわたしが先頭だ。先頭にたったなら、もう順位は誰にも渡さない。たとえどれだけ周りが強くても──もう渡さない!

『セイウンスカイ、現在一番手! キングヘイローも上がってきたがその差は二バ身! 懸命に保っている! 外から登ってきた二人もキツいか!?』

 みんなどんどん近づいてくる。でも、まだわたしにも脚が残っている。間違いない、わたしは勝てる。

 ああ、見ててくれてるかな。わたしは今一着だよ。どう、すごいでしょ。

 

◆◆◆

 

 電光掲示板には確定の二文字が浮かんでいた。もう揺らぐことはない。ヒノマルは四着だった。想定より多く走っていたがまだ息切れはしていない。ただ目の前にある結果を見つめていた。

 結構険しい顔つきで見ていたのだろうか、周りはあまり近づかないようにしていたが彼女だけがゆっくり歩いてきた。

「どうだった〜セイちゃんの走りは」

「やっぱり、すごいよ。みんなもそうだったけど、おまえがすごかった。俺は全く手も足も出なかった」

 したくもない謎の納得が胸を包む。

「最後の粘りは特にな」

 いまだに顔には黒い表情が支配している。

「うん、スカイは強い。」

 揺るぎない事実が前にある。ただそれがすんと収まることが許せなかった。

 

 今回は謎の納得感に感謝するしかなかった。もしあのままだったら思いもよらない言葉を吐き捨てていたかもしれない。後悔は残っても仕方ない。

 言われた通りに進むしかもうないのだから。




次回は日常回です。
次の話を投稿するまでにアンケートの結果を反映します。なのでもし投票したい人がいるならお早めに


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23R 『ハリボテ』の歩み

アンケートの結果から最近出番の少なかったエレジーにスポットライトを当てていきます。
エルも同一だったのでNHKマイルを予定よりしっかり目に書きたいとは思ってます。なにか意見等あれば言ってください。


 ああ、皐月賞。負けてしまったか。俺も君の悔しさはよくわかる。やはり、セイウンスカイは恐ろしい。彼女の才能は何度見ても恐ろしい。

 まあほんの数回しか見たことないんだけどね。しかし、このままではいけないね。彼にもどうしたものか……

「よお、元気か?」

「誰だ!?」

 何故ここに他人が踏み込める? ありえないことだ! こんなのはおかしい!

「テメェみたいなやつが何でここに嫌がるんだぁよお〜〜」

 本当に誰なんだ『彼女』は、いや『彼』なのか? どっちなんだ。一切の概要が掴めない。こんな芸当ができるやつなんて俺は知らない、いるはずもない。

「テメェ、質問には答えろよ」

「そんなことより君は誰だ!」

 その瞬間だろうか、目の前の奴はキレた

「質問をォォ、質問でェェ! 返すなや!俺はおまえみたいな回答をするやつが死ぬほど嫌いなんだよォこの馬鹿タレが!」

 突然殴られたような痛みだった。まずい、消されるなんてことはなくともかなり痛い!

「待ってくれ! 君が殴り続ければ俺以外にも危険は及ぶ。これは脅しでもなんでもない。純然な『事実』だ!」

「……ソイツは悪いことはした。仕方ねぇ。今ぐらいは見逃してやってもォ構わねえ。ただし! いずれ貴様の尻尾掴んでやらよ。ミスターゴースト」

──Make up your mind

 

 はは、覚悟を決めろだって? そんなものこうなる以前の問題だよ。

 

◆◆◆

 

 ヒノマルが目を覚ますとなぜか違和感を感じた。筋肉痛とかではない原因不明の違和感が何処からともなくあった。木場に相談するべきか悩んだが特に困ったこともないので放置することにした。

 今日は皐月賞があったこともありトレーニングが一切ない日になった。とはいえ暇で仕方がなくやることもない。エルはNHKマイルが控えていてグラスも療養中。同じ皐月賞を出たメンバーも予定が合わない。となれば唯一誘えそうなのが彼女になった。

「ということでどこかへ行きませんか、エレジー先輩」

  後輩が誘ってくるなど予想もしていないエレジーはさぞ困惑したが彼女も同じく暇であった。断る理由もないのでついていくことにした。

 

◆◆◆

 

 ヒノマルはグラスが選んだ七分丈の和服の上着を着ていた。下半身は青色の少々大きめのもので全体的にゆったりとしていた。そしてエレジーは赤いスカーフを巻き、白と黒のストライプ入った下地に黄色い半袖を重ね着しいた。ズボンはヒノマルと対照的なぴっちりとした黒いタイトパンツだった。その二つは見事に身長168cmという女性としては高身長な体の魅力を最大限に引き出していた。ただ一点、頭のハリボテを除いて。ちなみにエレジーのこのファッションセンスは普段は意味を持たない。私的な目的で外に出ることが少なく、普段着は学校指定のジャージ。色々と素材がもったいない。

 二人はかつてヒノマルがファストフード店で火を吹いたショッピングモールに着いた。

 今回は特に用もなく適当に寄っただけなのでこれといった店に行かずに早速フードコートに向かった。しかし開幕すぐにそこで何をするというのだろう。二人は出会った時のような気まずい雰囲気になった。ヒノマルは申し訳なさを覚えて謝った。

「無理矢理連れ出してすみません。あと、あのとき勝手に同情なんてしてそれも謝ります」

 エレジーは耳を少しだけ動かした。

「ほら、エレジー先輩と初めて合同で練習した時あったでしょう。あの時あなたの真実を知って見勝手な同情をしました。本当に申し訳ないです」

 なんと真摯なやつなんだ。エレジーは別にそんなことは気にしてない。正確には『慣れた』というべきだろうか。この身体能力で生まれた以上、できることは普通のウマ娘より少なかったしそのせいで気味が悪いと騒がれたこともあった。しかしなにより多かったのが同情だった。初めはこっちの気も知らないでと言いたくなったがタキオンと出会ってからは余りそう思うことは少なくなった。彼女はこのまま頭を下げられても困るので筆談を始めた。

「顔を上げろ。私は気にしてない。」

「そうは言われても俺自身の納得の問題ですから……」

「顔を上げろ。」

 メモ帳を思いっきりぶつけられた。かなり痛かったが彼女からは怒りとかそんなものはなかった。

「かつて君に言った『トレーナーは信頼できる』という言葉は覚えているか。」

「ええ、はい」

「君は彼についてどう考える。

 簡単な質問だ。ヒノマルは木場仙太郎をどう見る?」

 あの日にエレジーは木場を信じろと言ってきた。あれから一年近く経つが未だにヒノマルは彼のことはどうも理解の範疇にいなかった。

「どうと言われましても、彼は確かに信頼できますよ。それに献身的で、色々おかしいところもありますけど尊敬はしてます」

 タキオンのモルモットになったり誘拐したり勤務中にタバコは吸うし、悪いところあったがそれでも木場はいいトレーナーだ。ヒノマルはそれを理解してきた。初めは信頼のかけらすらなかったが今なら近くにいると安心感を得るほどの存在になってきた。

 きっかけはデビュー後のあのちょっとした口論だ。あの時の木場は本当に優しかった。自分を認められなかったヒノマルの心を、自分を厄病神と信じていた心を、溶かした。あの時からパーチのメンバーのことは家族のように思っていた。彼は木場を父親のように感じるようになっていた。それが先ほどの安心感へとつながるのだ。

「エレジーさんはなにがあいつを信頼させたんですか?」

「長くなる。」

「構いません」

 そう言われたエレジーはメモ帳ではなく携帯電話を聖なるもののように高々と取り出した。いきなりなにをするんだと思いながらもヒノマルはピコンという音を逃さなかった。急いで確認すると自分の端末からだった。中身を開くとなかなかの分量であった。

「えぇ〜と、『私はかつて恨みやら呪いやらを生きる希望をそんなものにしていた。それほどまでに荒んだ理由は無論知っているだろうが、もちろんこの身体だ。私はなぜ同じ変異種でもここまでの違いが出るのか理解できずに彼女たちを呪った。だが、その運命を変えたのがタキオンだ。彼女から始まりそれはトレーナに至る。

 彼女と会わなければ私は永遠に動かぬ妄言創造機に過ぎないやつだった。つまり、私がなぜ木場仙太郎を信頼しているかというとそれは『タキオンの』トレーナーだからだ。もちろんトレーナー本人も信頼している。しかしそれは後からであって、最初に彼を信頼したのは他人を基とした危険なものなんだよ。』」

 これだけ長い文章を送ったエレジーは疲れた様子でのけぞり手を伸ばした。

 ヒノマルはちょっと信じられなかった。彼は木場の行動や性格から信頼を始めたが、エレジーは『タキオンの』という要素で信頼した。一体過去になにがあったのだろうか、それを知りたくなりもっと踏み込もうした。どんな出会いで、どんな会話で、どんな形で、気になって仕方がない。

 しかし、それを知ることは出来なかった。

「すまない、お手洗いに行ってくる。」

 彼女はそれをメモ帳に書き写すとすぐにそっちへ向かった。

「……なにがあったのだろうか。色々無関心そうな人になのに」

「そりゃ、みんな知りてぇと思ってるぜ」

 突然、ドスのきいた声が降ってきた。振り返るとそこには時代錯誤もいいところの立派なリーゼントをこさえたウマ娘、チョクセンバンチョーがいた。




みなさんは私のオリトレーナーの木場についてどう思いますか。
性格がわからない。もっと出番を増やしてほしい。掘り下げをしろ。などの意見あれば感想、DM寄越してください。活動報告もほぼ内容同じですけどよければ見てください


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24R 流れる『エレジー』

いや、読んだら分かると思うすよ。
なんかチョクセンバンチョーの回みたいになってんだよ

追記:めちゃくちゃサブタイつけんの忘れてました


 チョクセンバンチョーは思わず彼と言いたくなりそうな風貌だったが顔のパーツや体型はしっかりと女性的なそれだった。

「その髪型は、自前なんですか?」

「アタボウよ! こいつがアタイの変異?ってやつだ。襟足も無駄に伸びまくる。今ここでコイツを切ったってまた伸びるんだ。ほんとッウゼェんだ!」

 そう言ってバンチョーは髪をくるくる触る。言葉は厳しかったがどこか愛らしく髪の毛をいじる。

 

◆◆◆

 

 彼女は生まれたてのころ、なんの変哲のないウマ娘としてこの世におちてきた。母がかつてレディースの総長であり父は熱心なレース愛好家であるため『直線をかける最強の番長』という意味でその名を名づけられた。彼女自身はこの名前を気に入っており誇りに思っている。

 そんな彼女がすくすく育ったある日のことだ。いつのまにか襟足が腰のところまで伸びていたのだ。それだけではない。前髪と頭頂部の髪の毛がガチガチに固まりリーゼントになってしまったのだ。せめての救いとして九州の成人式のような派手なものではなく、軽く前に突き出ている程度だった。

 しかし、その特徴が芽生えたのは小学一年生の時である。この時期は幼稚園から上がりたてという精神が安定してない時期もあり両親は手を焼いた。変異種は珍しいので周囲の理解が少なく友達からも揶揄され、同じウマ娘からも蔑まれた。

 ──そして彼女は『グレた』。

 次第に心は摩耗し、耐えられなくなった彼女は小学三年生で六年生のガキ大将をしめた。そしてその噂は他校にも知れ渡り挑戦者も現れた。そして彼らは返り討ちにあった。彼女の名は小学校最強の勢力として広まった。もう誰も止められないと思ったとある日、一人の教師が赴任した。

 その男は立派な彼女と同じくリーゼントをこさえ、強面だった。当然そんな奴が現れてはバンチョーは喧嘩を売った。それに対して彼は、

「そんなんじゃ、ダサいんだぜお嬢ちゃん」

 大人の対応をした。ごく普通の当たり前のこと。モラルを持つなら至極当たり前のこと。

 

『だがそれが、バンチョーの逆鱗に触れた!』

 

 初めて取られたスカした態度に怒りを止められなかった彼女は彼を呼び出し、舎弟を連れてリンチした。その暴行にはバンチョーも加わり全力で痛めつけた。憤怒に身を任せた彼女はその過程で彼の骨にヒビを入れた。

 しかし、それでも彼は反撃をせずに痛みを和らげることに集中した。

「ふざけた態度とんなや! 舐めとんのか我ぇ、ええ!!」

「……俺はどんなことをされても、決して俺より弱い奴に『殴る』という行為はしない。」

「んだとォ──人間である貴様がアタイに敵うったって言いてぇのか!?」

 彼はぶんぶんと首を横にふった。

「弱い奴とは、単純に力がない奴だけを指すんじゃあない。弱い奴とは心の悪に屈したものを言うんだ、チョクセンバンチョー!」

 『屈した』、この言葉が何度も響き渡ったような気がした。

「いいか、もう一度言うぜ。おまえは屈したんだ。周りの悪意だけじゃあない。自分の中にあるそれを抑えれずに屈しただけの弱いやつよ。バンチョー、おまえは『弱い』!」

 そんなことを言われるのは初めてだった。プライドとか誇りとかそんなものではない。なにか見たくないものが大きな音を立てて崩れた。

 そして翌日、バンチョーは両親と共に学校で土下座をした。もちろん許されない行為だ。治療費だって負担する。一生かけて謝る。そう言おうとした時、彼は一言だけ言い放った。

 ──ならば、テレビに移れるだけ大きくなって、そして強くなったらまた払いにきてくれ。

 そしてバンチョーは目の前で髪を全て刈り取った。襟足は伸び続けたが、心機一転した彼女はすぐにグループを解散。そしてレースの舞台へと進むことになった。

 

◆◆◆

 

「エレジーは、凄味がある。アタイにはなかった揺るぎない力がある。アタイはアイツの行く末をみたい。心の悪に屈しないやつを見ていたい……!」

 バンチョーは初めてエレジーを見た時に強い以上に『美しい』と感じた。心の悪を知り、それに呑まされそうになりながらも、決して堕ちはしない。そこに美しさを感じてしまった。

「それでも、奴は危ねぇモン持ってんだ。後輩やチームメイトとしてアンタがエレジーをしっかり見てやんなよ」

 バンチョーはヒノマルの頭を叩いた。

「あの、つながりが見えないんですけども」

「ああ、そいつは悪かったね。アタイが初めてエレジーにあったのは入学前の顔合わせみてぇなもんでな。あの時はまだ素顔でなぁ、なかなかの美人だったな」

 変異種のウマ娘は入学前に別の変異種と会わせることを義務付けられている。ヒノマルはそんな機会はなかったが、これの目的は孤独感を与えないことに尽きる。変異が違えど逸脱したものをもつもの同士ならば分かり合うことも容易くなるだろう。バンチョーもその機会を楽しみにしていた。

 その日にあったのはギンシャリボーイ、そしてハリボテエレジー。ギンシャリは元より社交性が高いので問題はなかった。

 しかし、この機会が余計にエレジーの心を抉った。同じ変異種なのにどうして自分よりも高い身体能力を持っているんだ。その悲嘆は余計に彼女の呪いを拗らせた。

「エレジーはアンタとは違う意味で『孤独』だ。アイツも心が痛ぇんだよ。アタイじゃあどうにもならない痛みってのがあるんだよ。わかりきった未来を乗り越えられない痛みってのが放さないんだ。それに立ち向かう『勇気』にアタイは惚れたんだ」

 そこまで言うとバンチョーは天を仰いだ。眼球スレスレに無機質な瞳が現れた。そう、エレジーが見下ろしていたのだ。ヒノマルはそれに気づいていたが、なにも言うなと書かれたメモから口を噤むしかなかった。

「エ、エレジー……その、今言ったことは忘れんだよぉぉー!!」

 迷惑行為に匹敵する全力の逃げ。いつか絶対に事故を起こすだろう。それを遠目に見ながらエレジーはヒノマルに向き合った。

「君は私について知りたいか。」

「いえ、別に。貴方にも話したくないことはあるはずです」

「気遣い感謝する。私の過去は出来るだけ知らないでいてほしい。特にこの顔については質問すら許さないつもりだ。」

 目の前奥が光っているような感じだった。

 絶対に知られたくない過去は誰にでもある。ヒノマルだってまだ一つや二つある。それを察し彼はなにもしないことを選んだ。

「そういえば君はダービーに出られるのか?」

「それに関しては大丈夫です。距離が伸びて直線も長い。今までで一番の好条件ですよ」

 そうは言ったがエレジーには不安がよぎる。そもそもはじめての馬場なのだ。東京2400での激戦に耐えうるのか、不安でしかなかった。

 

◆◆◆

 

 誰しもが負けられない栄誉を目指す中、コンドルは大きく羽ばたこうとしている。ライバルがいなくとも高みを目指して。




次回、エルのNHKマイルカップです。
今日の方はマテンロウオリオンぶちかまします。ノリさんを僕は信じてます。


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25R 飛び立つ友との『約束』

だいぶ書き方変えようと思ってます。
文字数も極力五千字超えを目標に執筆していきます。
投稿頻度は落ちると思いますがご了承ください。


「これが天皇賞・春か。見応えあるな」

 

 レースの中でも歴史の重みが深いレース、天皇賞。そのうちの春で行われる方は八大競走の中で最長を誇る。二度の坂越えなどレース展開を悩ませる要素もあり、強いウマ娘が集まる。

 今年はメジロブライトが勝利を飾っていた。スタミナにしか自信がないヒノマルはいつか出れたらいいなと淡い希望を抱いていた。それに伴ってクラシックレースは菊花賞が勝利に現実味があると見ていた。もし、身体が晩成型ならば本領を出せるのは夏を越えた秋。そこ時期になる菊花賞を目標にしていた。

 さて、ヒノマルは学園のカフェテリアでこのレースを観戦していた。静かに観戦していたかったが後ろから聞こえる食事の音がとてつもなくうるさかった。初めは気にしていなかった。だがしかし、いつまでも止まらない。

 次第に眉間に皺を寄せて、耳を絞りだした。もうそろそろぷっつんとなるぐらいに達したとき居ても立っても居られず後方を振り向いた。

 そこにいたのは山ほど積まれた料理を次々に口に頬張るエルだった。

 

「何やってんだ、エル!!?」

「へっ、ヒノマル? どうしたというのデス?」

 

 頭が回ってないのか、目線が数秒間あってなかった。一体どうしたのいうのだろうか。これほどまでに積まれた食事はスペなどの健啖家の目安の量に等しく、ウマ娘の平均ほどしか食べないエルには明らかに食べ過ぎだった。実際にヒノマルがレースを見出した時より、明らかにペースが落ちていた。

 

「何しているのか、わかっているのか? それにもうすぐ十六時なんだぞ。確実に太り気味になるぞ」

「うぅ、ごめんなさい」

「……なにも、完全に怒っているわけではないんだ。いきなり友達が暴飲暴食していたら、心配するだろう。差し支えなかったら話してくれないか」

 

 あえて目線を下げてエルに話した。出来るだけ怖がらせないように冷静に対処しようとした。それでもエルはなにも話さなかった。その姿は彼女より身長が低いヒノマルよりも小さく見えた。怖がっているのか、悲しんでいるのかどうなのかわからない。だが、いつも圧倒的存在感は感じられなかった。

 

「話したくないことは誰にでもあるよな。すまない、深入り──」

「エルは、不満デス」

「え」

「グラスが居なくても全力で走ります。でも、アタシはどこに情熱をぶつければいいんデスか?」

 

 エルは一度吹っ切れたとはいえダメージが大きかった。これではいつもよりキレが出ることはない。

 こんな傷を癒すことなどできなかった。少なくともヒノマルには絶対にできないことだった。

 

◆◆◆

 

 エルはどうしてもやる気が出なかった。今週には本番が来るというのに彼女はパーチのトレーナー室で黄昏ていた。夕陽の光が今は痛いという感覚を引き出して射してくる。

 彼女はトレーニングだって真面目にやる。作戦だってしっかり練った。木場のレース展開の解説だって聞いていた。それでもどこか上の空。獲物を見失ってしまい、どこを飛んでいけばいいのかわからなくなっていた。じってしていて時間だけが過ぎていた。

 やがて、夜も近くなり月明かりが部屋に差し込む。門限も近くなり速く部屋に戻ろうとした。すると、こんこんこんとノックの音が聞こえた。こんな時間に誰だ。忘れ物でもあるのか。そんな疑問の抱えて扉を開けると見覚えのある栗毛の髪が見えた。

 

「調子はどうですか、エル?」

「な、なんでいるんですかアナタが!?」

「……なんでって今日は退院の日なので」

 

 グラスはいつものような穏やかな面持ちではなかった。目の前のエルを噛み殺さんとばかりの覇気を放っている。その恐ろしさにエルは思わず後退りした。

 

「ヒノマルくんから色々聞きました。まだそんな醜態を晒していたようですね。」

 

 反論のしようのない言葉にエルは黙るしかなかった。その態度により一層、グラスの感情は深くなる。沈黙という逃げすらも許さない圧倒的な『存在感』。それはかつての朝日杯のような、いやそれ以上の大きなものだった。

 だがしかし、エルとてこのまま黙っているわけにいかない。

 

「じゃあ、なんですか。そんな怪我したアナタが悪いじゃないですか。それとも、アタシとの勝負が怖いんデスか? むしろ安心してるんじゃないですか、このエルに負けないことに!」

「安い挑発ですね。そのようなことでわたしが何かするとでも?」

「ええ、そうデスよ! むしろ勝負に飢えているのはグラスのほうじゃないデスか。怪我をして、走れなくなってしまって……今なら併走ぐらいなら付き合ってやりますよ。ああ、でも──」

「……エル」

 

 静かな声だった。恐ろしく静かだった。聞こえるのが不思議なくらいに冷ややかで首筋を刺してくるような声だった。お互いこのままヒートアップするかと思われたが最悪の事態は避けられた。

 二人の影を月明かりが照らす。今宵は満月で普段は同じ部屋の二人だったが今日は一段と互いの顔が写っていたように感じた。

 もうここには燻ったものはない。あるのはごうごうと猛りあげる炎を身に宿していた。

 

「今はお互いにとってそれは良くないでしょう。だから、こうしましょう。わたしの復帰レースを必ずあなたに伝えます。だから必ず来てください。それまでに負けることは許しません」

「……アーハッハッハ! おやおや、このアタシを誰だとお思いで? アタシは世界最強エルコンドルパサーだ! そのレースでも負けることは許されないのデェエス!!」

 

 すっかり元気を取り戻したエルは満足げに扉を勢いよく開けた。バンッお大きな音を立てたが気にせず堂々とした態度で寮に戻っていった。

 

「それで、大丈夫ですか? ヒノマルくん」

「うん。でも怖かったよ二人とも」

「いえ、それもですけど扉は……」

「あー、そっちはなんともない」

 

 ヒノマルは扉を開けた時迫ってくる方の壁に張り付いていた。決してバレないように息を殺していたがいきなり開けられたドアが真横すれすれに迫り一時的に腰が抜ける羽目になった。

 怪我人のグラスに起こしてもらうなど情けない格好だがヒノマルは嬉しそうな表情をしていた。

 

「しかし、いきなりあんなことになるなんて思いませんでしたよ」

「それは悪いと思ってる。でもグラスだってやっぱり直接言いたいことあっだろう」

 

 グラスは退院してすぐに学園に戻った。だがしかしどうしても能力が劣っているため無理のないようにリハリビがてら学園を歩き回っているとヒノマルには出会った。

 そこで彼はエルにあってほしいと藁にも縋る思い彼女に全力で頼み込んだ。ばったり会った時は何故か苦虫を噛み潰したような顔でぐちぐち何かを言っていた。しかし、決心したのかいきなり身体を直角に曲げた。

 

「頼む! エルと話してくれ!」

「いきなりどうしたんですか。それにわたしがエルに言いたいことはもうないですし、」

「エルはしっかり走るよ。多分勝てる、いや絶対だ。でも今のままじゃ駄目なんだ! だから頼む、あいつと話してくれ」

 

 今の彼女を動かすのはヒノマルではなく結局グラスだった。グラスとぶつかることでしかエルは発散出来なかった。失った意欲を取り戻すにはそれの根源をぶつけることが手っ取り早かった。

 

「今、俺にはあいつにどうこうできない。あいつの心の大半はおまえが占めている! そもそもチームも違うのにこんなのおかしいとは思ってる。でも、俺じゃ無理なんだ……俺なんかじゃ……」

 

 出る声は段々と小さくなった。ヒノマルはなにもできない現実に涙を流していた。同じチームメイトとして、ライバルとして、自分の初めての友達としてなにもできないことが悔しかった。

 そして羨ましかった。エルの心を動かせるであろうグラスの存在がとてつもなく羨ましく、妬ましいかった。

「ごめん、変なこと言ったな。忘れて」

「『敵に塩を送る』、わたしが感銘を受けた日本の文化の一つです」

 

 ヒノマルの声を遮るようにグラスが語り出した。彼女は日本に行くと分かった時からもっと詳しくなろうと言葉を調べていると見つけたのがこの言葉だった。

 山に囲まれた土地で塩がなくなり苦しんでいる好敵手の元にわざわざ塩を送り届けたというエピソード。あくまで公平に戦おうとする気高い意志にグラスは惚れ込んだ。

 グラスが戦いたいのはあくまで全力で己を喰らわんとする怪鳥。ひとりのアスリートとして、友達として、全力でぶつかり合いたいのだ。

 

「ふふ、復帰レースが楽しみですね」

「俺も、絶対に観に行くよ。二人とも応援する」

「あらあら、ヒノマルくんも気をつけないといけませんよ」

「? どうしてなんだ」

「もしあなたと走る機会があればその時は……ですから♪」

 

 狙われていたのはヒノマルもだった。

 

◆◆◆

 

 日付けは飛んでNHKマイルカップの本番がやってきた。エルは圧倒的一番人気であり実力もはっきり言ってかなり上の方にいる。

 木場は彼女の今の最高の仕上がりに何一つ不安も不満もなかった。しかし何かに苛ついている。その証拠にタバコこそ吸わないもののずっと足をトントンと床に叩いている。そのうち苛立ちが収まったのか少々リズミカルに叩き出した。

 

「すまない、屋台が混んでいた!」

「ん!」

「おせぇーぞおまえら!」

 

 原因はヒノマルとエレジーだった。買い出しに行かせたが並んだところが想像よりも混み合ってなかなか会計まで辿り着けなかった。

 ヒノマルはすまないとは思いながらも別にいいだろうと悪態を心の中で言った。するとなぜか木場はあぁん、など心の声が聞こえてそうな反応をした。なんでばれているんだ。ヒノマルは目を逸らした。

 

「そういえば、本人はどこなんだ」

「ふっふっふ、それはここにいるデスよ!」

 

 仕切りの役目をしていたカーテンの向こうから彼女の声が聞こえた。鼻歌混じりで気分が良いことがわかった。ヒノマルはその様子にすっかり安心した。

 向こうから開けてもいいとの声が出たので木場はそれを豪快に引っ張った。ジャーッ、とレールをすべる音と共にエルの勝負服が現れた。

 黒に近い茶色のニーソックスに白いラインの入ったくすんだ紫のスカート、そして黄色いシャツと全体的にセーラー服に近かった。最後に大きく目に映るのは靴と揃えられた真紅のコートだろうか。それは彼女によく似合っていて、夢への決意で染め上げられている。

 

「綺麗だ……似合ってる」

 

 初めに反応したのはヒノマルだった。感想は至ってありきたりでそこらじゅうに並べられたものだがそこには他意はなく純粋な感想だった。

 彼はそれが口に出ていたことも気づかないほどに見惚れていた。

 

「格好いいじゃねぇか。ライバル全員はっ倒して最強になるって夢の現れか?」

「はい、そのとうりデース! この勝負服はエルが『世界最強』を示すためのもの! これを着た以上もう負けることはないのデェェエエス!!」

 

 昨日の一件もありそのボルテージは最高潮に達していた。溢れてやまないエネルギーを抑えておくには既に限界に達してしまった。まもなく本バ場入場。誰しもが待ち侘びたレースだ。

 

◆◆◆

 

 さて、読者のみなさん。『バタフライエフェクト』という話を知ってるだろうか。ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスにて竜巻を引き起こす、という説に基づいた理論である。

 ちっぽけな蝶の羽ばたきだけで災害となるのに、もし羽ばたいたのが『怪鳥』であればどうなってしまうのだろうか。

 

 結果から言えばエルは勝った。

 望む相手がいなかったとはいえその実力を惜しみなく発揮、落ち着いた先行でレースを進めることができ不安な様子もなくゴール板を横切った。

 怪鳥が引き起こした災害は止まることを知らずにデビューから五戦五勝。負けの二文字を知ることなくGⅠ制覇を成し遂げた。だがこれからも止まることはない。なぜなら目標はここではなく、もっと大きく遠く高いから。

 ところ変わってインタビューの準備を完了した。もうすぐ中継が入るという時にエルは用意されたマイクを片手にとり走っていた時の歓声よりも大きな声で宣言した。

 

「みなさん! エルは世界の強豪が集まる今年の『ジャパンカップ』を勝ってみせることを、ここで宣言するデェェェェエス!!!」

 

「えええぇぇぇぇ!??」

 レース場からは記者にトレーナー、ファン問わずと阿鼻叫喚となった。

 これにはパーチの面々も驚きを隠せなかった。その中でヒノマルだけがなんとか口を動かしていた。みんなは口をあんぐり開けていた。

 

「まさかこんな演出をするなんて、やるじゃな──」

「しらねぇよぉ!!?」

「いや、あんたもかよ!」

 

 それはトレーナーである木場すら知らなかったことだった。

 まさか自分のトレーナーすら驚かしてしまうとは、そんな感心がヒノマルの中に染み込んだ。当の本人のエルは最高の笑顔を浮かべていた。




アカイトリノムスメの引退に動揺を隠せない。


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26R 日が『昇る』まで

次回はヒノマルの過去に触れていきたいと思います。
と言っても彼が生まれる前の話ですので期待はずれになるかもしれません。


ウマ漢 26R

 ──名誉、栄光、勝利。

 掴みたいというのなら覚悟を持たなければならない。一度それを持ったなら逃げてはいけない。戻ってはいけない。恐れてはいけない。

 貪欲であれ。そうならば誰かがほほ笑むことを約束するだろう。

 

 夢に叫べ、夢に狂え、夢に『駆けろ』。

 

 願わくば幸あれ。君に結果を。

 

◆◆◆

 

 日本ダービー、または東京優駿。三冠の道の中で最も歴史と名誉のあるレースである。全てのウマ娘が、そしてその関係者の夢の先である。そこには必ずドラマがあり全てを焼き尽くしてでもその冠を頂こうとするものもいる。

 そのレースに挑もうとするヒノマルではあったがはっきり言って別にそこまでして取りたいとは思ってなかった。

 無論、ダービーを軽んじているわけではない。だが、そこまでしてその栄光を掴みたいとまでは至らなかった。

 まだはっきりとした目標がなくどうしても熱量で負けてしまう節がある彼は一応菊花賞をとることを目標にしているがそれだけでは勝てるものではない。一体どうしたものかと彼自身も悩んでいた。

 そんな様子が露呈してしたのかいきなり木場は、「お出かけしろ」と言ってきた。ダービーが近いにも関わらずトレーニングをせずに遊びにいけと言っているのだ。初めは耳を疑ったが聞いた通りであった。

 

「エルにも休息がいるだろ。お前もちょっとぐらいやらなくだってどうってことはない」

「しかしだな、俺たちが走るのは……」

「いいから休めったら休め!!」

 

 ちゃぶ台をひっくり返す帰すかのごとく思いっきりヒノマルを追い出した。もともと今日はフリーであり暇なので休日返上のトレーニングを考えていた。しかしそれは叶わずいつしかの年末と同じくエルと出かけることになった。

 

 

◆◆◆

 

 

 二人は結局、年末にも行った例のショッピングモールに行くことにした。

 エルはこの前のレースで靴と蹄鉄にかなり負荷がかかったのでそれの補充を行うことにした。靴は前にも話だが蹄鉄にだって個人の好みがある。単純に軽いものを使用してスピードの出をあげたり、重たいものを使ってパワーが出るようにしたりなどかなりの選り好みがある。

 ちなみにエルとヒノマルは若干重たい方が好きであり、タキオンとエレジーはその身体の特徴から軽いものを選んでいた。

 ヒノマルはあの日の買い物以来蹄鉄は自分でしっかり選ぶようにした。しかしどうしても靴自体は選択ができることはなかった。

 

「そういえば、ヒノマルはどこの靴を使ってるデスか?」

「あー、俺は男だからどうしても形が合わないんだ。だから前の施設からオーダーメイドに近い形で作って貰ってる」

 

 ここで男子として弊害が出てしまった。例えば、サイズがぴったりなら必要以上に引き締まった感覚があり、かといって大きめにするとつま先がスカスカになってしまうという根本的な骨格の違いから市販のシューズを買うことができずどうやっても違和感が残ることになってしまった。

 

「なるほど……だからこの前靴選びに誘っても来なかったんデスね」

「あれは本当にすまなかった」

「いえいえ、そういうことなら仕方ないデス」

 

 以前、スペやスカイなどと共にエルが店に行こうとは言ったが誘われた内のヒノマルだけ同行をしなかった。裏の事情がわかってエルは納得したがヒノマルは行かなかったことには後悔していた。どうしても孤独な感じが抜けずに羨ましかった。

 

 

 その次は理髪店に行くことにした。実はヒノマルは三ヶ月以上髪を切ってなかった。そのため編入当初の写真と比べてかなり風貌が変わっており肩ぐらいにかかっていた髪の毛は今や肩甲骨の下の方よりも低いところになっていた。

 そろそろ髪を括るにも手間がかかるようになり彼にとっても悪い機会ではなかった。特にどうしたいもないので最初の長さまでバッサリ行こうとしたがエルが止めに入った。

 

「なんで止めるんだ。普通に切り揃えるだけだぞ」

「そ・れ・が! ダメダメデース! アナタはもっとおしゃれに興味を持つべきデス! これではウマ娘として最低、最悪、ノーセンス!」

「うっ……」

 

 ここまで言われてしまってはどうしようもない。勝てばライブのためにステージに上がるウマ娘としてヒノマル自体も多少は見た目に気を使うことはしてきたつもりだった。しかしやっているのは最低限の気遣いであり、男なのでメイクはともかくスキンケアに関しては近くの薬局で買ってきたニキビ対策のものをつけている程度だった。

 せめてもの行動としてせめて髪型の意識は当然のことだ。とはいえせっかく伸びて遊べる髪も彼は邪魔だと思っている。手早く切り揃えるたいというのが本音だった。

 

「どうしろって言うんだ、これ」

「それは自分で考えてください!」

「……はい」

 

 鏡を見つめたところで何か案が出るものか悩んでいると一つだけ目に留まったものがあった。それはヒノマルの青鹿毛とコントラストを成す真っ白な一本のライン。やや右側に伸びたそれはかなり目を引く目のだった。これならば、と彼は一つの案を思いついた。

 

「すみません。──って感じにできますか?」

 

 そして仕上がった髪型は前と変わらず肩ぐらいまで伸ばした若干不恰好なハーフアップだったが一本だけ長めに整えられた白い髪の毛があった。果たしてそれが洒落ているかは置いておいてヒノマルなりの考えが見えた。

 

「どう、だろうか。その上手くやれたかはおいといて」

「ブエノ! ヒノマル、よく出来ました!」

 

 これにはエルも満足そうな顔になった。若干恥ずかしそうなヒノマルの態度が彼女は可愛く見てえ思わず頭を撫で出してしまった。

 

「ちょ、やめてくれ。こんなところで!」

「いいえ! 絶対やめません!」

「俺は結構勇気出したんだぞ!」

 

 その後二、三分は続けられた。

 ──もう少しだけ身長が高ければエルの手が届かないのに。

 身長が2cmほど彼女より低かった彼はほんのちょっと悔しくてなった。

 

 

◆◆◆

 

 

 時間もかなり経ち正午も近づいてきた。

 昼食には些か早い時間帯ではあったが店が混み合うとかなり待つことになる。

 

「エルは何か食べたいものはあるか?」

「いやー、あるにはありますが……前例があるので……」

 

 エルの家族の特製ソースで火を噴くことになってしまったヒノマルの前例があるため彼女は店選びにはばかるようになった。グラスいわくこれのおかげで食堂での食べ方も慎むようになっていい薬になったとのこと。

 エルが選ばないならヒノマルがそうするしかないがあまり何があるかもよくわかってなかった。このままでは時間が過ぎるばかりなので至って普通の洋食チェーンにすることにした。

 

 受付で名前を書いた二人はあと十分程待つことになった。幸い椅子が一つだけ空いていたのでそこにエルを座らせることにした。

 隣の人に断りを入れてそうしようしたが何故かその人物は見覚えがあった。だがそれは誰かも分からずそのまま声をかけた、

 

「すみません、隣に座っていいですか?」

「ああ、一人なので──って君は」

 

 その人物はひどく驚いた様子だった。それはヒノマルも同じで互いに口を開けたまま止まっていた。

 エルだけが何も分からず混乱していたのでヒノマルを軽く揺すって質問した。

 

「ヒノマル、どなたデスか?」

「ああ、ごめん。この人は俺が元いた施設の所長で俺の、とう──」

「センジンヒノマル、私をそういうな。失礼、私は彼がトレセン学園に行くまで育てていたものだ」

 

 所長は非番でありレース解説の本を買いに来ていた。そして目的の品も手に入り時間も午後に近く外食をすることにした。たまたま店先に貼ってあった広告のものが美味しそうだというありふれた理由で入ってきた。そうしたら驚くことにヒノマルとの再会、というわけだ。

 所長は別々でいたかったがあちらは積もる話がしたくて半ば強制的に相席にされることになった。エルのことを考えろと彼はヒノマルに注意したが彼女自身はヒノマルの話に興味深々であり残念ながら逃げることは出来なかった。

 

「全く、君はだいぶ変わったな。あの時と変わっておもいっきりが良くなったんじゃないか」

「ええ、おかげさまで」

「それに、友達ができるようになるとは。友達とはいいものだ。かくいう私も特にあいつとは、」

 

 そこで所長の言葉が出なくなった。不自然な止まり方で二人は首を傾げたが彼がなんでもないというとそのまま黙って話を聞いていた。

 

「ともかく、友達ができたのはいいことだ。それと人生の先輩から一言だけ。絶対に喧嘩別れだけはしてはいけない。思い返した時の苦さは忘れられない」

 

 そこで話は一度途切れた。丁度三人分の料理が並んできた。もう少しヒノマルは話をしたかったが出てきてしまった以上熱いうちに食べてしまいたい。それは全員の意見でもあり手早く食べ終えようとした。

 それから黙食が続いてしまった。どうしても居た堪れない雰囲気になってしまいヒノマルは申し訳ない気分になってしまった。

 エルとの二人だけならもう少し話せることもあったが目の前には自分のトレーナー以外の成人男性がいるのだ。いつもと空気が違う。後先考えずにこんなことにしてしまったことを反省するほかなかった。

 

「すみません、ちょっとお手洗いに」

 

 いきなりエルが立ち上がっていった。雰囲気を察して逃げたくなったのかなんて想像をするとウマ娘のヒノマルだけに聞こえるような音量でさりげなく耳打ちされた。

 

「会話、楽しんでください」

 

 ヒノマルはおもいっきり振り向きそうになったが所長に怪しまれてしまう。それは避けたいのでどうにかして前を見続けた。

 それから何秒間の沈黙が過ぎただろうか。短い時間の中でどれほどの思考が渦巻いただろうか。本当に面に向かって話すということは難しいものだ。

 

「……あの」

「……センジンヒノマル」

 

 二人の会話がぶつかってしまった。だがそれは些細な問題だ。どっちが優先するかくだらない争いはいらない。ヒノマルは構わずに言葉を続けた。

 

「あなたは遠慮したが言わせてもらいます、父さん」

「センジンヒノマル、だから──」

「続けます。あなたは実父の親友であり、俺を保護してくれたことは聞いた時驚きましたよ。俺が外に出たいと言い出したときにあの告白ははっきり言って信じられなかった。もしあなたが本当にそうだとしたら絶対俺のことを恨んでいるはずだっておもったから。

 勝手な憶測なんてわかってる! あんたがそうは思わないかもなんて分かってる! だけど言わせてください。『そんな俺を助けて育てくれてありがとう、父さん。』」

 

 自然と涙が止まらなかった。子供が成長するというのはこういうことなのだろうか。是非ともこの喜びを味わってほしかった。

 亡き親友を想いながら所長は涙を流した。

 

「何が人の親だ、子供の悩み一つ聴けずに」

「え?」

「いや、私の話だ。それよりどうなんだ、日本ダービー」

「それは、やるからにはとってやりたいですよ。でも勝てるか自信はありません。あとみんなが思うよりダービーには情熱がありません」

 

 所長はその悩みに微笑んだ。ずっと生まれたことに悩んでいた彼を見ていた身としてはこうしてレースについて悩んでいることが嬉しかった。あの時はレースも何にも興味などなく淡々と生きているしかしていなかった。

 とはいえ悩みを解決するのが親の役目だ。『父さん』と言われたならせめてそういうことをしてやりたかった。

 

「だったら、根本的な解決にはならないが、ダービーではなく『菊花賞』を取ってみなさい」

「それは、一応そうしてます」

「なるほど。これは個人的な話だが三冠の中で私は菊花賞が大好きなんだ。なぜって『最も強い』ウマ娘が勝つと言っているんだ。私からすれば一番ロマンがあって好きだ」

「……最も、『強い』」

「そう、それに憧れない奴はいない。あとはやはり『有マ記念』だ。君が初めて見たレースも」

「有馬なんですよね」

 

 所長は深く頷いた。結局日本のレース好きの夢は大体有マ記念に帰結する。それほどまでに人は熱狂するのだ。

 

「あのレースに会えて三冠風につけるなら『最も愛された』ウマ娘が勝つレースだ。私はあの舞台に立つ彼女たちの目が好きなんだ」

「それは、俺も分かると思います。俺もあれで一番思い出が深いのがそれですから」

「ふふ、どうやら似ているところがあって義理の親としては嬉しいよ」

 

 二人はその後も少しだけ談笑をしていた。それを遮ったのは一本の電話だった。そこの通知欄には木場仙太郎と分かりやすく書いてあった。所長を一人で残すのは忍びなかったが仕方ないので頭を軽く下げておいた。

 

「ふー、やっと行ってくれましたか」

「おや、どうしたのいうのだい」

 

 入れ違えるようにエルが戻ってきた。

 なぜかヒノマルが通話しにいったことに安心しているような言い草に所長は疑問を持った。

 

「じつはトレーナーさんにお願いしてヒノマルを遠ざけました」

「どうしてだい?」

「……彼は前に両親を失ったと言いました。それも自分のせいだと。アタシはそれが知りたいのデス! ただ彼がいたらあまり聴けないと思ったので」

 

 所長は眉間に皺を寄せた。話しても良いのだろうか。そんな疑問が反芻し続ける。ヒノマルについては一度だけ部外者である木場には話したことはある。だがそれはヒノマルの産まれた日の話だけで詳しいことは黙秘していた。

 目の前にいる少女はヒノマルの親友とであることには彼は確信を得ていた。少なくともヒノマルの過去にはいずれ向かい合う必要があることも彼は理解している。しかし時期尚早ではないのだろうか、そんなことを思い浮かべている。

 所長はもう数秒だけ苦しそうにした。発言が足枷にならないようにどうしようかと。

 だが知る権利はあるだろう。そしてそれは必ず次に進めるためには必要なことなのだ。

 

「わかった。その前にエルコンドルパサー君、ヒノマルに何があったかは知っているのかな」

「いえ、彼は全然話さないデス。デスからこうやって聴きにきました」

「……君の片言はひょっとして作っている特徴なのか?」

「いえ! 断じて! そんなことは、ないデース!!」

「うう、すまない。どうでも良い話だったね

 話を続けよう。ではヒノマルの許可なく話すのも良くない。彼の両親の話と生まれた日のことを詳しく話そうか──」

 

 エルはごくりと生唾を飲んだ。初めて知るヒノマルの過去に興味を持たないなんて無理な話だった。

 

 だがそれは不幸の匂いに塗れた、悲しいの一言に尽きるものだった。



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27R 太陽への「出逢い」

中途半端な気がしてやまないけど投稿します。
やはり前の文章がいかに淡白かを思いしらされます。

さて、前回のヒノマルの髪型の件について。
書いていて気づいたんですが設定集の中では、トレセンに来た時には既に髪型が26R時の物になっています。
ガチガチに決めすぎるというのも考えてものです。今後は注意します。



 今から話される内容はあまり意味がないのかもしれない。だが彼には立派な両親がいた。

 その事実だけは彼を知るために必要なのだ。

 

「長話になると思うが大丈夫かい」

「トレーナーさんには頼んでおきました」

「わかった。では話すとしようか──

 

 

◆◆◆

 

 

 ──あれは高校時代だった。

 私か通った高校は割と偏差値が高くカリキュラムも良く私にあっていた。順風満帆の人生のためにも良い選択をしたものだと思いながら、私は一人で休み時間を過ごしていた。

 そんな様子で私は数ヶ月間、友達が零の状態から学園生活を過ごしていた。その時から私はウマ娘の身体能力の謎が知りたくいきたい大学もある程度決めいた。だがそれを他人に知られたくなかった。私だけ純粋にウマ娘を愛してないような感じで周りとの疎外感を感じていたからだ。

 そしてある日、どうしても早く読みたかった資料があり柄にもなくウマ娘の研究資料を読んでいた。その時に彼は現れたのだ。

 

「君、それってウマ娘については書いてる本だよね! レースの見方でもあるの?」

「誰だ君は。僕に話しかけるな」

「いいじゃないか! 俺もウマ娘好きなんだよ!」

 

 初めは無神経な奴だった。いきなりずかずかと人の領域に踏み入る阿呆がいるのだと彼を罵倒してしまった。

 そう言えば彼はもう来ない──なんてことはなくむしろグイグイしてきて流石に私は根負けした。そしてここで気づいた。まだ彼の名前すら知らない状態であることに。

 

「そういえば互いに名乗ってなかったな、僕は福井悠一。君は?」

「あー本当だ! ごめんごめん、俺は新田隆二って言うんだ。よろしくなユーイチ!」

 

 最初は休み時間にたまに話す程度だった。だが時間が経つにつれたまに家に行ったり、逆に連れてきたりなんてした。大概の時間は勉強をしたりレースの予想だったりした。学生同士でゲームをするなんてことはほとんどなかった。

 

「リュウジ、東京は左周りだ。過去の戦績から見て彼女はそれが苦手そうだから残念ながらダービーは勝てそうにないだろう」

「えぇ〜、俺ずっと応援していたのに〜! ずるいな! 勝ってくれよ!」

「……まあ、距離適性から見れば勝てない距離じゃないとは思うよ」

「ッ、ゆーいちぃぃ!!」

「やめてくれ、僕に抱きつくな!」

 

 そして私にとってのはじめての親友になった。彼は特にGⅠレースがあるならばよく観戦に誘ってくれた。

 

「なあユーイチ、わざわざ金かけて観にくる有マ記念はどうだ?」

「直にウマ娘を観察することは素晴らしいと思うよ。ほら見てくれよリュウジ、例えば彼女の脚を。あんなにしなやかそうな脚なのに僕たちが絶対に出せないような力を出すなんてすごいじゃないか」

「んー、たしかになぁ」

「……興味がなさそうだね」

「まあ、俺はレースばっか観てるからそういう細かいとこは見ないな。お、始まったな、ガンバレー! 負けるなー!」

「なあ、リュウ、ジ……」

 

 そこで彼の瞳を見て感じてしまった。

 やつは私とは違う、決して同じにならない境界を知ってしまった。その間には海にも感じてしまうほどの大河が流れていた。

 

 それ以来、どうしてもとっつきにくくなってしまった。リュウジの距離感は変わらないが迫った習慣に磁石の反発のように私が避けることになった。

 

「おい、ユーイチ! 最近どうしたんだ? お腹でも痛いのか? 教えてくれ」

「……リュウジ、僕は君と親友には成れないよ」

 

 リュウジは本当に純粋にウマ娘が好きなんだ。彼女たちの走る様を見て自分のことのように熱くなり、悲しみ、喜ぶ。

 私はそんな風にウマ娘を見ていなかった。未知なる可能性として、新たな生物の扉として、平たく言えば研究対象としてしか見たことがなかった。

 リュウジのあの瞳のせいでどうしてと自分が浅ましい屑にしか思えなくなっていた。だからすまない、近づかないでくれ。僕には君が明るすぎるんだ。だからやめてくれ。

 

「ユーイチ、なに言ってんだよ。俺はお前と過ごした日々は楽しかったぜ。そりゃ最初は無視されて悲しかったけどこうやってレース観に行けたりして嬉しかったんだぜ」

「……だが、君と違って僕はウマ娘のことを」

「お前がどう思ってるかはぶっちゃけどうでもいい!」

「えぇ……」

「だって、別に酷いことしようとか思ってないんだろ。ユーイチはウマ娘の謎を知りたいだけだろ。別にそれがいけないことなのか? 俺はそうは思わない。だって誰だって気になるだろあんなもん!? 俺だって知りたいよ!」

 

 彼は私を否定しなかった、というよりする要素なんてなかったのだろう。そんなあっけらかんな態度に、いかに私の悩みがちっぽけで意味のないことだと理解させられた。

 

 そんなこんなんで高校時代は過ぎて行った。互いにやりたいことが違い目指すところは同じじゃなかった。しかし夢を目指す意志は同じだった。

 

「ユーイチ、お前トレーナーとかならないの?」

「僕には向いてないし、何よりやりたいことと手段が一致しない」

「まぁそうか。それじゃあまたな! ユーイチ!」

「ああ、また会おう。リュウジ!」

 

◆◆◆

 

 それから私は東京の方へ行った。

 親もいず友達も顔見知りも誰もいない場所で過ごすことになった。それから私は友達を作ることが出来なかった。

 どうやら私は孤独に弱い人間だったらしい。一人で二度ほど越えた春はどことなく寂しかった。はじめて友達を深く求めた。一人で眠るのが怖いとかそういうものじゃない。誰にも見られていない漠然とした恐怖が身を包んでいた。

 それが剥がれたのは三度目の春、リュウジからの一通の連絡だった。

 内容はいたって簡潔だった。

 

「彼女ができた。」

 

  あまりに突然のことで驚いたが私はすぐに地元に戻った。相談に乗るという名義だったがはっきり言って故郷に恋しくなった。そうと決まった私は日を跨ぐ前に急いで実家に戻った。

 当然の帰郷に両親はひどく困惑した。大変申し訳ないことをしたが久々だったこともあり快く泊めてくれた。

 それにしてもあそこは東京に比べて閑散としていた。それなのに充実感は勝っていた。再びリュウジに会える喜びもあったが単純に纏う空気が安心という形で恐怖を取っ払ってくれた。

 幾年ぶりの再会だ。あの日の高校の正門前に行くとリュウジともう一人、ウマ娘がいた。しかしその様子を調べると見るからに未成年だった。

 

──ああ、なんてことだ。

「まさか犯罪者になるとは、見損なったぞ」

「いやユーイチ違うから!」

 

 移動した喫茶店でリュウジは彼女に気遣うように座らせた。

 

「ヒマワリダッシュと言います」

 

 そう名乗った彼女は顔が青かった。リュウジは宝石を扱うように彼女に優しく触れさすった。

 

「リュウジ、はっきり言って僕はなんで呼ばれたんだ。あくまで口実として利用したがなんの相談で?」

 

 リュウジはいつもとなく真剣な目をしていた。婚前前の紹介に向かうような態度だった。

 

「ユーイチには知ってほしいんだ、俺と彼女のことについて。いつかはお前に助けを求めるかもしれない」

「……どうして僕なんだ」

「なに言ってんだよ。ユーイチは親友だからに決まってるだろ! 俺たちのこと、聴いてくれるか?」

 

 本当に迷いなく臭い台詞を吐けるものだ。

 回答なんて決まっていた。なぜなら目の前には「はい」か「YES」しかなかった。

 肯定の意思を伝えるとヒマワリさんと何かを確かめるように頷き、息を吐いた。

 

 

◆◆◆

 

 

 あれはユーイチと最後にあってから数ヶ月後のことだった。実は俺も最近までは一人暮らしをしていてトレセン学園付近に住んでいたんだ。その日はいつもよりじめじめして大学から帰るのも億劫になってた。だから軽く寄り道をして──つまり夜遊びしたわけだ。

 そこで彼女と出逢った。トレセン学園指定のジャージを着ていて路地裏にこじんまりと三角座りをしていた。初めは見ぬふりをしようと思った。寮の門限は確実に過ぎている時間でいかに危ないことをしてたとしても、その時僕は既に二十歳の誕生日を迎えていて未成年に突っかかるのは危ないから。

 でも、次に彼女を見たら黙ってるわけにはいかなくなった。

 

「君、怪我してない?」

「……え」

「その、もし寮とか家とかに帰りたくないなら」

 

 待ってくれ、やっぱり犯罪では。

 理性が冷静にイエローカードを出す。というか普通にレッドカードに片足どころか半身ぐらい入っている。

 とはいえ、その身体を見れば放っておくなどできなかった。上半身はよく見えなかったが下半身には軽くあざが見えた。顔の方も若干腫れてるようにも見えた。少なくとも何かのトラブルに巻き込まれていることは目に見えていた。

 これを前にもはや理性も犯罪も関係なかった。

 

「大丈夫、なにもしないから。早く行こう」

「え、ちょっと待って」

 

 それからの行動は早かった。

 借りているアパートの部屋に着くなり急いでお風呂に入れて、温かいポタージュを作った。というのもこれぐらいしか得意料理がなかったからだ。それでもスープはしっかり温めてくれるはずだ。

 十分ぐらいたっただろうか、彼女は髪を濡らしたまま出てきた。着替えは俺のジャージだったからぶかぶかで締まらない格好になってしまった。とはいえ仕方ないので特に何も言わないようにした。

 

「えと、名前とか教えてくれる? あとこの件はトレセン学園に連絡……」

「しないで……」

「わかった。それじゃあハイ。俺の作ったスープ。あったまるから」

 

 彼女は恐る恐るお椀を手に取った。この小さな身体に一体何が覆っているのだろうか。あまり踏み込むべきではないが放っておくことなんてできない。

 賢い選択をする思考は残ってなかった。俺の中にあるのは目の前の娘を助ける意志だけだった。

 

「ヒマワリダッシュです」

「え」

「名前です。ヒマワリダッシュです」

「……わかった! じゃあヒマちゃんって呼ぶね!」

 

 その日から三日に一回ぐらいの頻度でヒマちゃんが来るようになった。かなり冷や冷やしたけどそれ以上に楽しんだ。

 例えば料理、いつもは決まった食材で決まった料理のローテーションだったが彼女が来る日は彼女の好みのものを作るようになった。あまり知らないものが出たりして、それはとても美味しかった。どうしても作れない時は一緒にちょっと話しながらしたり、失敗したり。でもそれが楽しかった。

 次に掃除。どうしてもそれは苦手だった。家に誘ったユーイチに毎回文句を言われるほど苦手だった。今でも思い出せる、彼の発言を。

 

「リュウジ、この部屋は君に対して唯一軽蔑するところだね」

 

 逆に言えば彼はそれ以外悪いところがないとか言っているのか、もしかしてそっち方面なのかな?

 つまらない冗談はさておきヒマちゃんはよく掃除、というか整理をしてくれた。辺りに散らかった参考書、捨てきれない箱、置き方のなってない冷蔵庫とかを一緒に片付けた。途中で黒光りする昆虫が出た時の反応は可愛かった。俺はなんともないからいつも外に逃しているけど、その時の掃き溜めを見るような目を忘れはしない。

 

 でもこんな日常をいつまでも続けるわけにはいかなかった。トレセン学園からいつ告発されるかもわからないし、何より彼女の傷は増えるばかりだった。──そんなの許して良いわけがなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 真実を知ると必ず元には戻れなくなる。

 それでも俺は踏み込まなくてはならなかった。

 その日は初めて出会った時の道を辿った。名残惜しむようにゆっくり、ゆっくり歩いた。これから今の距離感は変わってしまうことに俺は今更恐れていた。

 

「でも彼女の方が、」

「なんの話をしてるの?」

「ふえ!?」

 

 いきなり飛び出た彼女に尻もちをついてしまった。今日は晴れだったからお尻に何もなかったのは幸いだった。

 

「ねぇ、そんなに驚くことないでしょ」

 

 目を閉じてやれやれ言うように首を振った。

 

 ──ああ、やっぱり言いたくないなぁ

「でも、ダメだよね。こんなんじゃみんなに、特にユーイチあたりには……」

「?」

 

 ……顔向けできない。

 ヒマちゃんはきっとハテナマークでたくさんのはずだ。もう腹を割るしかない。

 

「どうして、君はいつも傷ついているの?」

「ッ──」

「俺は、出来るだけ聞かないことにした。君に無礼をはたらきたくないし、何より俺が怖かったからだ」

「やめて」

「でも、君の傷は増えるばかりで本気で心配なんだ!」

「……それ以上きかないで」

「だからお願いだ。こうやってタメ口つけるぐらいになったからこそだ」

「もうやめてッ!」

 

 ウマ娘の力でのはたき打ち。本当に身体がバラバラになるかと思ったけど、それ以上に周りの目が心配だ。

 急いで見回しだが辺りに人気はない。元より人の出入りが少なく結構遅い時刻なのも原因だろう。普段は怖いけど今日ばかりは助かった。

 

「ぁ──ごめんなさい」

 

 目の前の彼女はさっき飛び出した手を全力で握っていた。顔も耳も垂れ下がり顔が見えない。

 辺りは閑寂を保っていた。それだけに先ほどの音がまだ反響しているような感覚だった。

 急いで立たないと、彼女が罪悪感で埋もれてしまう。それじゃ本末転倒だろう。

 

「心配しないで、君の苦しみ(いたみ)に追いついたぐらいだから」

 だから、泣かないで。

 

 海にも似た暗さの中でそっと抱きしめた。

 せめて俺の体温が伝わってくれたら、ココロを溶かしてくれれば。

 

 次第に空気の音がまた聴こえるようになった。

 胸許がかなり濡れたが彼女の頬に比べればなんてことはない。彼女はゆっくりと離れた。体温がなくなり胸に冷たい温度が伝わる。

 

「わ、私は」

 

 言葉はまごついていたが決心した目つきだった。まさしくゲートに入ってウマ娘のように迷いがなかった。

 

「──正確には父が、DVを受けてるの」

 

 俺が思うよりも自体は深刻だった。



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28R 太陽と『二人』

最近週一投稿気味になってすみません。
もうすぐテストがあるので投稿はお休みします。
申し訳ありません。


「ヒノマル、ダービーでの自信は?」

「はっきり言ってない」

「そうか、まあ俺としては勝ってくれたら嬉しいんだけどな」

「はは、すまないな。でも約束する。俺は必ず菊の舞台で一番になる──!」

「……そいつはいいこと聞いた。楽しみだぜ」

 

 

◆◆◆

 

 

 DV、単語だけは知っていたがその実態を知らなかった。それにそういうことは家族内でのことで俺が関わるべきではないのかも知れない。

 俺は力になれるのだろうか。果たして本当にヒマちゃんを助けることができるのだろうか。

 いや関係ない。ここで俺がやらなければ誰がやってくれるんだ。弁護士か警察か、それとも彼女の親族か、誰かが彼女を絶対救いだせる保証なんてどこにもない。ともかく支えてやらなければならない。

 

「詳しく教えてくれる?」

「……わかってると思います、私が弱いウマ娘なんてこと。だって一度も見たことなかったでしょ。それが証拠。私がそうだからいつもお母さんは怒ってる。どうして勝てない、どうして負けるって。

 そんなのわかるわけないよ! だって私だって頑張っているけど……みんな一緒だから!」

 

 勝つものの後ろには必ず彼女のような娘がいる。もちろん仕方ないことだし誰だって努力しているから文句を言うにも憚れることになる。

 俺だって推しが負けたら悔しい。彼女の気持ちはわかる。でも理由がない限り仕方ないことだ。

 

「ごめんなさい、取り乱した。そうやってお母さんは不満を溜め続けた。いつまでも朗報が来なくて、遂にお父さんに暴力を働いた。リュウジさんなら分かるでしょ、ウマ娘に殴られたりすることがどれだけ痛いか」

 

 思わず胃の腑が震えた。さっきの力を体感したからこそわかってしまう恐怖。彼女の父親はあの痛みを、少なくとも彼女が俺の家に来る様になる前から食らっていることになる。

 それが伝わったのか彼女は一瞬俯いた。

 

「だからそれを知った時は悲しいよりも怒りが湧いた。悪いのは私なのにどうしてお父さんなの? 直接私に会えないから? ふざけないでよ! それで何も悪くない人に当たるなんて最低すぎる!」

 

 至極真っ当な話だ。もちろんヒマちゃんに暴力が降りかかっていいわけじゃない。罪なき者がただ理不尽に晒されるのが許せなかった。

 でもある意味仕方ないことかもしれない。彼女の母親だってウマ娘ならば理不尽に屈する機会はあったに違いない。そこにどれほどの絶望や恐怖があったなんてヒトである俺には分かりっこない。

 

「家に帰った私は全力でお母さんを止めようとした。でも無理だった! あれはもう狂ってる。何もできないよ、あんなの……」

 

 途端に彼女は膝を抱え込んだ。母親の顔を思い出し逃避したくなった筈だ。

 俺には狂ったやつなんて知らない。あえて言うならユーイチぐらいだが純粋な狂気とかではなかった。多分ユーイチの比にはならないぐらいの『おかしさ』があったに違いない。

 

「何もできないならせめてお父さんの盾にはなれる。そうやって庇いつづけたら今度は脚を執拗に蹴ってきた。『こんな脚だから』『無能な脚だから』っていつも一言を添えてきた。

 トレーニングにも身が入らなくなって、食べ物も喉を通らなくなって、次第に疲れてきた。寮に帰るのも疲れた。家にいるのも疲れた。何するにも疲れた。」

 

 彼女は顔を上げると路地裏を見つめた。この道から入れる路地裏に彼女はいた。誰もが気づかずすり抜ける中で俺だけが引っかかった思い出。

 あまり綺麗じゃなかったけど、むしろ汚いぐらいだけど、美しかったかもしれない。

 矛盾を抱えながら思い出は彩られていた。

 

「そんな中でリュウジさんに逢えたの。初めは変なヒトって感じだったのに、あの日のポタージュが美味しかった。たったそれだけ」

 

 得意料理のポタージュ。唯一のそれはとっくにヒマちゃんのココロを溶かしていた。俺がどうたらこうたらしなくても、とっくに終わっていた。

 

「なーんだ、そんな簡単なことでよかったのかよ」

「どうしたの、リュウジさん」

「いや、別になんか自分が急に恥ずかしくなっただけ。なんにもないよ」

 

 そうだよ、けっこう意識なんて必要なかったかもしれない。簡単なことだ。彼女を助けることなんて。

 

「俺には、今は直接何かできることはない。君には関係あっても側から見れば部外者だ。でもなんとかできるまで君を助けることはできる。

 いつでもおいでよ。ポタージュ用意しとくから」

 

 出来る限りの微笑みをした。

 不細工でもいい。せめての安らぎを彼女に与えたかった。

 

 

 でもそれは所詮理想でしかなかった。

 無理もない。彼女は学生だし今の今まで耐えてきたんだ。僕に言われてすぐに外部への助けを出せるわけがなかった。

 俺は、どこまで浅はかだったんだ。

 彼女は一週間後再び僕の部屋にやってきた。栄養も足りてずに痩せこけ、加えて脚が赤く腫れていた。

 

「ヒマちゃん! どうしたんだよ! しっかりして!」

「リュウジさん……」

 

 急いで病院に連れて行った。ウマ娘の脚への怪我は洒落にならない。ユーイチに相談する手もあったが素人の俺がどうにか出来るレベルではなさそうだ。

 熱も帯びて喘ぎが止まらなかったので仕方なく病院に連れて行った。

 

「間違いなく、骨折をしてます」

「それは、本当何ですか──」

「ええ、それも少し複雑なようでしてヒビもかなり広くなっています。おそらく完治は難しいかと」

 

 重力が何倍にも増えた気分だった。

 流石にこれほどの事態を学園に通達しないわけにもいかない。でも彼女は望んでない。俺の社会的地位は危ういがそれはどうでもいい。

 葛藤の渦の中、深く潜っていると後ろから声が出て聞こえた。

 

「リュウジさん、ありがとう」

「ヒマちゃん……」

 

 脚にはギプスが巻かれ杖を車椅子に座っていた。流石にあの健康状態では片足で動くのもこんなに見受けられる。

 しっかりと栄養を取ったのか顔色は元に戻ったがそれでも疲れは目に見えていた。

 

「ねえ、大丈夫? 学園には──」

「すでに退学通知は出たの。もう私はあそこにはいられなくなっちゃった」

 

 なんてことだ。もうそこまで行ってしまったのか。

 意味のない後悔と自責がのしかかってくる中彼女は毅然とした態度をとっていた。もはや恐るものはない、そんな様子で俺を見つめていた。

 

「リハビリを待たずに逃げようと思う。じゃないと私もお父さんも危ない。だからもう、」

 

 ここでやっと彼女との関係が終わることがわかった。ああ、なんだ喜ばしいことじゃないか。

 俺の家に来なくてもいいなんて、よかったことじゃないか。俺の社会的地位も守れて、父親は暴力から逃れて、何より彼女は自由になれるのに、

 

 何を──凹んでいるんだ?

 

「リュウジさん?」

 

 二度目の俺の名前を呼ぶ声。

 若干の幼さを感じながらもそこには芯がある。そのあべこべさが魅力だった。

 なんだ本当に単純な理由(こと)じゃないか。

 惹かれていたのは彼女だけじゃない。俺自身もだったんだ。

 なんだかもう馬鹿馬鹿しい。俺はまさかロリコンだったかもしれないなんて。なんだか余計にみんなに顔向けできない気分だ。

 でも迷いは捨てやすくなったかもしれない。だって目の前には惚れた女の子がいるんだ。笑顔を出させるようにしたくなって当然じゃないか。

 

「ヒマちゃん、なら俺の地元に行こう。どこに逃げるとか決めてなかったら、一緒に暮らそう!」

「……ふえ?」

 

 理解が及んでなかったらしい。

 でも関係ない。だって一度ココロに決めたことはもう迷わない!

 

 それから彼女の父親と初めて顔を合わせた。

 彼は俺のことは当然知らないので事情を説明するのに手間取ってしまった。とはいえ協力者できたのは嬉しいのだろう。すぐに手をむすび準備を整えた。

 翌朝、両親には事情を説明して戻ってくることを伝えた。初めは二人ともこの世のものとは思えないほどの絶叫をしたが受け入れてもらえるらしい。

 準備に滞りはなかったあとは決行だけだ。大きめワゴン車を借りて彼女たちの家の近くまで行った。

 母親がいない時間帯はかなり短く急いで荷物を積めなくてはならない。母親が眠る深夜での決行も考えたが流石に慎重さが桁違いになる。

 結局時間を縫った方が安全だった。

 

 運ばれる荷物は割と少なかった。逆に言えばそれほど自由ではなかったことだろう。父親の荷物は数着の衣類にパソコンと寝具、そしてくたびれた鞄。二人の思い出とかそういう類のものではなさそうなものだった。

 ヒマちゃんの荷物も同じくらい簡素だった。だがそこにはトレセン関係のものは一つも見当たらなかった。

 

「いいの、それだけで?」

「うん、もうあっても仕方ないから」

 

 未練たらたらと言った具合だったが本当に断ち切るつもりなんだろう。ここは黙って尊重するべきだ。

 全ての荷物を入れ終え父親はすでに搭乗済み。あとはヒマちゃんを乗せるだけだった。

 しかし、そこで聞いてはいけない声が聞こえた。背中が冷たいなんて経験を初めて味わった。

 

「ねえ、人の娘抱えて何してんのよ」

「嘘……」

「マジか──」

 

 母親だ。見た目は大して怪しいとか乱れたとかそんな様子はない。だが逆にその狂気を感じ取らせるオーラを持っていた。

 底知れぬ恐怖とはこういうことなのかとわかってしまう『なにか』がある。覚悟を決めたはずの脚は動かなくなっていた。

 

「話聞いてんのか、アァ!」

「ちょ、落ち着いてください!」

 

 俺の抵抗は無駄だった。やはりウマ娘の力に勝てるはずもない。一発もらうと蹴られそうになったがぎりぎりで避けれた。

 

 ──でもヒマちゃんが危ない!

 

「なあ、おまえねぇ。何してんだ」

「何って、何よ」

「おまえトレセン辞めたらしいな、ふざけるなよ! おまえがわたしが掴めなかった栄光を掴むんじゃなかったのか!?」

 

 やめろ、その言葉が言いたかった。でも胃の中で逆流しているだけ。

 

「わ、私はあなたの代わりじゃない!」

「うるさい! ガキが舐めた口きいてんじゃないわよ!」

 

 やめろ──喉の奥で引っかかって出てこない。

 

 黙って見ている間に事態はひどくなっていった。

 ヒマちゃんは耳を摘まれ引っ張られ、髪の毛を掴んではどこかに押しつけようとする。

 やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ

 思うだけで、もはや存在だけする景色に俺はなっていた。

 

 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け!!!

 

 そんな時にヒマちゃんの悲鳴が聞こえた。痛そうだった。涙も流していた。辛そうだった。やめてって言っていた。

 

「もう、──やめろ!」

 やっと吐き出せた。

 

 母親はビクッと怯んだ。ウマ娘の前での大声は本当に危険だからやりたくなかったけど仕方ない。

 今動いているのは俺だけ。父親は依然車の中にいる。

 当たり前だ、目の前のアレに怯まない方が不思議だ。俺だって今まで聴いたことないほどの音で鼓動が聞こえる。

 でも、俺だけが助けられるのだから。

 

 母親の手を引き剥がしてヒマちゃんの手を掴んだ。

 ほっと一息つく間もなくまた罵詈雑言が飛んできた。でももう恐怖はなかった。ヒマちゃんの手をしっかりと掴めているからだろうか。

 今ならはっきり言葉が出る。

 

「もう、諦めてください。ヒマちゃん、いやヒマワリダッシュさんはあなたじゃないし彼女の道がある。何より彼女(ヒマワリダッシュ)の『走る道』を壊したのはあなただ!」

「いきなり、なに言いだ──」

「俺は、絶対に守りきってみせる!」

 

 もう言い残すことはない。構ってる暇もない。急いで車の方へ走った。

 どうやら父親が運転してくれるためヒマちゃんによりそうことができた。

 途中罵声やら、追いかけてくる気配があったが意味はない。これで逃避行は完遂した。

 

 

 

 深夜も近く今夜は車の中で一晩過ごすことになった。

 季節は冬なのにどこか暖かい空気を感じていた。

 毛布がふわふわだからだろうか、それとも隣にヒマちゃんがいるからだろうか。

 

「ねえ、やっと逃げれたね」

「うん」

「ねえ」

「なに」

「贅沢言っていい?」

「いいよ」

「抱きしめて、あの時みたいに」

「うん、いいよ」

 

 お願いとはあまりに切実で、贅沢と呼ぶには小さすぎるものだった。

 ──もっと言ってもいいんだよ。

 言ってやりたかったけど、その小ささに僕は軽く頬を濡らした。

 

 このお願いをもっと大きくしよう。そうしよう。

 

 

◆◆◆

 

 

「──そして、二人は結婚して仲良く私の地元で暮らすことになった。これがヒノマルの父、新田隆二と母、ヒマワリダッシュの出逢いだ」

 所長、もとい福井悠一はかなりの時間をかけて詳細を話した。これを話したからといってエルのヒノマルへの見方が劇的に変わるわけではない。彼が産まれる前の話に意味はない。

 だとしても彼らがいたからヒノマルはこの世に生を享受した。悠一は残り話を続けようとした。

 

「さて、おまちかねの──いやまた後にしよう」

「なんでですか」

「ヒノマルが帰ってきてしまったようだ」

 

 ようやく木場との会話も終わりヒノマルは席に着いた。重苦しくなっていた空気に疑問は持ったが特に言及せずにもうお暇することを言った。

 

「それじゃあ所長、今日はありがとうございました」

「どうした? 私は『父さん』ではなかったのか」

「いや、そのぉ、それはぁ……」

 

 今更恥ずかしくなって彼は頬を紅潮させた。

 けっこう勢いだけで父さんと呼び、実の父ではない相手に面に向かってそう言うにはそこまでメンタルが強くなかった。痛いところをつかれたなとは思いつつもこんな反応が彼は嬉しかった。

 

「ではヒノマル、ダービーを楽しみにしている。エルコンドルパサー君も今年のジャパンCで」

「お任せくださいデース!」

「うん、勝ってみせますよ」

「それでは、残りを楽しむと良い。私は邪魔かろう」

 

 二人は悠一と別れ、彼の言うとうりに残りの休日を楽しんだ。

 クレーンゲームに音ゲー、喫茶店や服選び。門限なんて知るものか、やるならば徹底的だ。そんな心の叫びを上げながらその日に尽くした。褒められない行為とか、羽目の外し過ぎとかそんなものどうでも良くなるぐらいに楽しんだ。

 

 その日の東京の空はもやが少なくいつもより星が明るく見えた。何かを導くように一段と光がうるさかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 日にちを跨ぎ太陽が昇り出し、すでに本番当日になった。

 絶対に負けない、負けてはいけない。

 そんな使命感で身体を燃やしながらヒノマルは府中のターフを踏み締めた。



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29R 東京11R、東京優駿『日本ダービー』

やっと日本ダービーです。
今年は当てることができませんでしたありがとうございます。
今回、一人称の形式で進めていきたいと思います。これはわたしがどう書くのかが向いているかを知るための、いわば実験です。
処女作のため至らぬ点はあると思います。というかそうでなくてもあると思います。
どうか見守ってくれるとありがたいです。

それとこの小説のタイトルはこのままでいいという方が一定数いたのでこのまま続行します。
また活動報告上げたので目を通してくれるとありがたいです。


「やはり、ヒノマルは……左が……」

 

「キングヘイローが先頭だと!?」

 

「スペシャルウィークなら⬛︎⬛︎⬛︎さんじゃないか!」

 

「く、ヒノマル頑張れ!」

 

 

 ──やめろ、やめろ

 

 願ったところで変わるわけもない。

 前に進みたくても進まない、情けなさだけが残っていく。走っている間に自分の能力を置いていってしまったように力が入らず沈んで、嵌って、抜け出せない。

 

「どうした? 一体どうしたんだヒノマル!」 

 

 ──ああ、ごめんなさいごめんなさい

 俺が弱いばかりに栄光はこぼれ落ちていく。

 せっかくの機会が無駄になってしまった。ダービーという一度きりの夢はもう帰ってこない。

 前にいるスペシャルウィーク、あいつは俺たちを置き去りにした。なんでそこまで走れるんだよ。

 

 これは雲が厚かった日のことであった。

 

 

◆◆◆

 

 

「……なんで今日に限ってこんな夢を」

 

 なぜか今までと違いくっきり夢を覚えている。確かに今までレースの中で既視感を感じることはあったがまるで違う。あれはそれに留まらないもはや『予知』にも見えるような精巧な映像だった。

 だが、だった一つだけおかしいところがあった。俺たちは確実に走っていた。なのに前にいる奴らの姿がぼやけてなんとなく違うような気がしてやまない。

 

「でも、悩んだって仕方ない。約束したんだ。負けたら駄目だ。勝って勝って自慢の息子になるんだ」

 

 エルと一緒に過ごし、所長と会話できた日の茜色の空の下。

 俺たちは父さんと母さんに会いに行った。最初は俺だけのつもりだったのにエルが無理矢理ついて行った。

 デビュー以来来ることはなかったが所長がやったのかお墓は比較的綺麗になっていた。とはいえ二人になにもしないわけにはいかないので協力して綺麗にして花を手向けた。

 できればヒマワリがよかったが季節外れで適当にあった花をさすほかなかった。

 

「ありがとう、父さんも母さんも喜んでるはずだ」

「これぐらい大丈夫デス! それと自己紹介、よろしいデスか?」

「……そうだな。そういえばしっかり話さないと駄目だな。いつものアレ頼む」

「お任せください! 世界最強を証明するためにターフへと舞い降りた! その最強ウマ娘、エルコンドルパサー、デェェス!」

 

 お墓の前でやるべきことではなかったかもしれない。でもこのエルを俺は知ってほしい。この元気さには結構いつも助けられている。

 彼女は本当に明るい。俺はヒノマル(たいよう)なんて大層な名前を付けられているがそれはエルのことだ。

 トレセンに来てエルが最初に話しかけてくれたから友達ができた。エルと初めてトレーニングしたから競いたくなった。エルが強いから、どうしてでもそうなりたかった。

 

「父さん、母さん、凄いだろう俺の友達は。本当に世界最強になるんだよ。だから俺も負けたくないんだ。次のダービー、絶対に観ててくれ! 父さんの大好きな、母さんの掴みたかったレースを俺が走るから──」

 

 

 そんな約束をしたとういうのにこの有様。全身から汗が吹き出し不快感が募る。意志が固まっていても本当にそれすらも揺らぐ汗のベタつきがひどかった。

 幸いにも今日の天気は曇りで日光が照りつけることはない。それに馬場が重ければスタミナのある俺が相対的に有利だ。

 間違いない、今日は勝てるレースだ。

 

 

◆◆◆

 

 

「タキオン、懐かしいな」

「ああ、わたしの最後に走ったレース……本当に悔やまれるレースだったよ」

「仕方ねぇよ、アレはおまえだけじゃなくて俺も悪かった。だからそんなミスはもうやらねぇ……!」

「ふふ、いつにもなく燃えてるねぇ」

「当たり前だろ。なあ、ヒノマル!」

「人の部屋の前で騒ぐな」

 

 控え室を出るとみんながいた。相変わらず騒がしくて頭が痛くなるような連中だが安心感を与えてくれる。悪夢がなんだ、不安なんて彼らの前では意味を持たない。

 それにその程度のことで俺が惑わされていいわけがない。絶対に勝たなければならない勝負とはまさにここである。この先にない栄光と恩返しのために勝たなければならないのだ。

 

「まあ、別にそんなに硬くなることはねぇ。絶対に勝てるなんて保証はしないが絶対に負けるなんてのもない。気楽にいけ」

 

 悪いがトレーナーの言うようにはできないだろう。俺はいま心すら燃えている状態だ。不完全燃焼だけは絶対に嫌だ

 

「──俺は、みんなに感謝してる」

「どうした急に」

「まずタキオンさん。あなたの実験には流石に驚きの毎日でしたが正直感謝してます」

「これは嬉しいねぇ。今度トレーナー君と一緒にどうだい?」

「それは結構です。次にエレジー先輩、特にコーナーの周り方はいつも参考にしてます」

「んっ」

「……まあ、いいか。それじゃあ次はエル。同期としておまえと戦えることに感謝している。その羽ばたきは俺をより高みへと上げてくれる」

「えへへ、ありがとうございます」

「最後にトレーナー、あんたには最初本当に恐怖した。なにしろ誘拐なんて初めての経験だからな」

「いや、それはすまない」

「いいんだ。むしろ俺はあそこであんたと出会うことができたんだ。あんたのおかげで俺は今走ることができる。チームのみんなと出会えたんだ。『ありがとう』」

 

 そうだ、俺にはみんなに返しきれない恩がある。この恩に俺が返せるのはダービーの冠だけだ。必ず掴んでみせる。それが俺の使命だ。

 

 

◆◆◆

 

 

 東京の空は灰色で染まっていた。俺の嫌な予感をこれでもかと示すほどに灰色だった。だが真っ黒じゃないんだ。希望はいくらでもある。

 距離の不安はないが府中、それどころか左回りすら未経験。間に東京でのレースを挟みたかったがローテ的に入れられない間隔。あらゆる要素が俺のココロを掻き乱す。

 汗も吹き出し心臓の音がうるさくて仕方ない。それをかき消すように俺は準備運動を始めた。

 

「いや〜、ついに始まるね」

 

 すでに運動を終えたのかスカイが割と大きな声を上げる。

 

「ええ、ダービーという舞台はこのキングにふさわしいわ!」

「うん! わたしも日本一の夢を叶えるために負けてられない!」

 

 それにキングとスペが答える。こんなところでも日常会話ができるぐらいには精神が落ち着いている。やはり、強者はココロが強い。

 

「で、あなたはどうなの。ヒノマルさん?」

「え、俺もなのか、キング」

 

 まさか指定を食らうとは予想外だった。他の二人も寄ってきた。それにしても俺の話を聞きたいなんて物好きなものだ。

 

「そうだな、俺は空の父さんと母さん、それとみんなのために勝つよ。そうしないと顔向けできないから」

 

 

 誰にも譲らない。譲ってはならない。

 誰しもがその想いを胸に走りだす。

 

 

◆◆◆

 

 

 ゲートの前に立つと思わず身体が震えだす。

 ──もう二度とない栄光は俺にある。

 そう信じてその瞬間を待つ。

 

 一秒、それよりも短い時間か、はたまたとんでもなく長い時間が目の前を通り過ぎる。ファンファーレすらも届かない意識へとココロを落とす。

 

『夢への道を掴むのは誰か、日本ダービースターしました!』

 

 ゲートが開いた。思わず身体がぶつかりそうになるが構わない。それほどまでに俺のスタートは速かった。

 刹那のやりとりの中で俺はすぐに、いつもより前の方の、中団の後ろに着く。クラシックレースはよほどのことがない限り十八人だて、必ず長くなるか固まるかだ。いつも通りでは流石に博打が過ぎる。

 そしてすぐにコーナーに入る……

 

「あれ、まさか……」

 

 しまった、なんてことだ!

 

「コーナーをしっかり曲がりたいのに思いっきり外に出てしまった!」

 

 ここで慣れていないゆえのミス。

 というより、左に曲がるのがやりにくい──思わず舌打ちをしてしまった。

 コーナーとは『倒れて支えて』の繰り返しでありストライドを広く保つ。尚且つ身体の軸は保ってなければならない。

 だが、左周りになると歩調が狂いだす。最初のそれが連鎖的に影響を及ぼして結果外を緩く走る結果になってしまった。

 今朝の夢と同じ光景を見ていることになる。その時は誰かが近くで分析をしていた。それと同じようなことになっている。

 

 ずる──

 何かがずり落ちる音。

 

 驚きを隠せなかったがこれは単なる偶然の一致に過ぎない。そもそもこうなることはある程度予想ができている。

 それよりもこれは間違いない、俺は完全に左回り苦手のウマ娘だ。

 

 結果的にいつもと変わらない位置に着いてしまった。ならばせめて掲示板にはのってやる。視線を軽く移せば前が見えた。

 先頭はまさかのキング。あいつは差しがいいのに掛かり状態にも見える逃げで完全に判断ミスだ。それに対してスカイは落ち着きをもって二番手の位置についている。あとはポツポツいて目の前の中団だ。

 

 今回のレースはいわゆるスローペースだ。おそらく1000m通過に約一分ほどの時間がかかっている。つまり周りは疲れていない。

 俺のような走りをするものはハイペースで前が疲れていればいるほど末脚が生きるものだ。それに今の体力から逆算すればおそらく俺は力を残してゴールを駆けることになり……

 

 ばり──

 何かが剥がれ落ちる音。

 

 ……その事実がなんとなく苛立たせた。

 

 そんな状態でなぜだろう、いま囲まれているはずのスペが目について離れない。あいつだって末脚が出し切れるのかわかりもしないのに何故だろう。

 スペは抜け出すタイミングを見計らってすぐにでも外に出るつもりだ。

 でもそれは中団にいる他のウマ娘も同じはず。本当にどうして気になるのだろうか。やはり仲がいいからなのか。この前の会話があったからだろうか。それとも──

 

「あの夢のせいだろうか」

 

 今見ている並びのそれは既視感に溢れるものだった。詳細までははっきりしていないがかなり状況が一致している。妙な胸騒ぎがする。

 それよりも今はレースだ。後ろは特に問題にしなくてもいいはずだ。よほどのことがない限りすれすれに近づかれるなんてことはありえない。大丈夫、勝てるんだ。

 

 びり──

 何かが引き裂かれる音。

 

 そろそろ先頭は第三コーナーに入る頃合いだろう。大外回ってでも前に行かなければならない。ココロがどれだけ疲れていても、不安は募ってやまなくてもここまで来れば関係ない。身体も熱くなった。メンタルが不安定でも今ならフィジカルだけでなんとかなる。それに──

 

「勝たないと俺に意味はない。たとえこのレースの結果が、夢と同じ……結果で、も……」

 

 そういえば

 

 ──どうして俺は今から本気を出さなければいけないんだ。結果が決まっているのにどうして走っているんだ。

 

 どくん──

 俺の鼓動の音。

 その瞬間、俺の身体は冷えきった。

 

 

◆◆◆

 

 

 今思えば出すべきではなかったかもしれない。初の『東京、左回り、2400』。距離適性的には別に勝ち筋はあるし直線も長いから末脚も生きる。それでも悪条件がつきまとう。いっそ出さない方が救いになったかもしれない。でもそんなことをあいつは受け入れるだろうか。

 このレース(ダービー)は出るだけで素晴らしいものだ。その先が潰えてでもつかみたい栄光がある。実際にタキオンとここに来て歓喜の涙を流したぐらいだ。タキオンだって内心ちゃんと勝ちたいとか思ってたはずだ。

 でもヒノマルは違う。この舞台に嬉しいとか勝ちたいとかそんな感情が入ってない。アレはレースに対して意欲じゃなくて『使命感』を持っているやつの眼差しだ。どれだけ善戦したとしても勝たなきゃ勝手に腐りやがる、結構迷惑な思考だ。

 

 ダービーで、勝たなければ沈んでいくだろう。そもそも出なければ心を失くすだろう。

 

 つまりどれをとってもあいつのためにはならない。どれをとっても同じだ。

 だから俺はもっともマシな地獄を選んだ。そこには『夢』という一本の糸が吊るされているからだ。そこに縋り付けばなんとかなるんだ。ただヒノマル自身がなんともなければ──

 

「どうですか、ヒノマルの様子は」

「ん、これは福井さんじゃねぇか」

 

 そんな思考を遮るように福井さんが現れた。彼とこうやって顔を合わせるのはじつにデビューの少し前以来だろうか。

 

「『身体』はいい状態ですよ。不安も多いですが勝てないわけじゃないです」

「うむ、今の言い方から精神の方は芳しくないと受けても?」

「かまいません。今のヒノマルは正直言ってボロボロです」

 

 これを育ての親の前で言うのもどうかと思ったが仕方ない。これが現実だ。あんな精神状態じゃいつか限界がくる。

 それがこのレース中かもしれないこともあり得る。

 

「……私は、ヒノマルは結構思い込みが激しいタイプだと思ってます」

「そいつはまたどうして」

「ヒノマルは知ってのとうり産まれたことを後悔してました。自分のせいで両親を失ったとか、私に迷惑をかけたとか。そんなことはないんですよ。少なくとも私の場合はそんなことはない。だけどヒノマルはずっと後ろめたいモノを背負い込んでいるんです」

「確かに、そうですね。前にヒノマルが俺たちにも迷惑かけてるとか言ってたんですけど寧ろかけてるのはこっちだっていうのに、全くバ鹿なやつですよ」

 

 そう、だから俺はしっかりと向き合わなくてはならない。

 ダービー終わったらとりあえず飯を食わせてやろう。心の中のしこりもとれるくらい美味いものを作ってやろう。

 

「ところで、ヒノマルの背筋を見たことがありますか」

 

 ちょっと真面目に考えてる中の意図の読めない発言。何をどうすれば背筋への会話になるのだろうか。

 レース前にそれはあまり重要さを考えられない。ヒノマルの背筋が素晴らしく彫りが深いなんて話にでもするつもりなのか。

 

「失礼、では彼があなたたちの前で着替えたことはありますか。例えば部屋には木場さんしかいないのに一人で着替えるなんて」

「あー、ありましたよ。でも男子中学生ならありえないこともないですよ」

 

 福井さんはうーむ、とだけ言うと何も言わなくなった。何か深い問いであったとは思えないし、答えて何かあるとも──、

 

「もし、その質問に意味があるならそれは父親についてですか」

 

 俺がまだ知らないこととしてヒノマルの父親についてだ。母親は死因を知っているが父親については一切わからない。もしこれに意味があるならそれしか考えられなかった。

 

「……鋭い人だ。実際ヒノマルの父親に関係してます。ですがそれは彼自身から聞いてほしい。彼の父親、リュージの死因で思い込みが激しくなったかもしれないのです」

「……一つだけ明らかにしたい。そのリュージさんって人は───?」

「──、───ですよ。ただその事実だけが彼を苦しめています。私はそれに気づけなかった」

 

 想像以上にあのバ鹿は思い込みが激しい。これじゃ確かにメンタルが不安定になってもおかしくなかった。

 

「かぁ〜、負けんなよ。自分に」

 

 なんでこの台詞をもっと早く言わなかったか。俺はトレーナーに向いてないのかもしれない。

 頭を抱えているとゲートが開いた。

 ああ、やっぱ天敵だ。左回りを練習してないわけじゃなかったが本番では絶望的だ。

 レース展開はヒノマルの不利なものになっていっている。もう最後の直線にかけるしかないない。

 だがそれじゃ遅かった。スペシャルウィークが動き出した。一目見たらわかる。

 あれは絶対に勝てる動きだ。

 

「それより、ヒノマルはどこ行きやがった……まさか!?」

 

 最後尾だった。走り方が狂いだしいつものような重みがない。

 そもそも仕掛けが遅いのも不慣れだからで済ませていたが違うかもしれない。あいつの中の何かが折れた──!

 

「く、頑張れヒノマル!」

 

 

◆◆◆

 

 

 一旦いかれた調子を戻すのはとてつもなく辛かった。

 このまま全力を出そうにも力が入り切らない。地面を押す力もそこからの抗力に耐える力も出せずにずぶすぶと沈んでいくしかなかった。

 

 いやだ。いやだ。いやだ。

 そう願ったところで今更順位が変わるわけもなかった。

 いま一度、先頭の方を見ればスペが割って出てきた。馬群を裂いてゆくように、前へと進み、やがてスカイに追いついた。

 スカイも懸命に逃げるが意味はなかった。並ばずにその光る末脚は星の輝きのごとく、流星の流れのごとく、俺たちを置き去りにした。

 

『スペシャルウィーク、並ばない! 隣などいない、圧巻の走り! その差を広げたままゴールインッ!』

 

 みんながゴール板を横切るときにはまだ走り続けたまま。伸びない脚で俺はのろのろと走っていた。

 決定的な敗因がなかったわけでもないがそれでもこの結果は俺を地面へと叩き落とした。

 周りからは歓声が流れ込んでくる。でもそれ以上に聞こえてくるのは俺以外の十六人の啜り泣く声、泣き叫ぶ声。色々な泣き声が

 

 ぼろ──

 何かが意味なく壊れる音。

 

 父さん、母さん、ごめんなさい。

 みんな、ごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 




許せないのは俺自身だ。
それは君もなんだろう。
わかるよ。
結果のわかったものなんて本当に糞食らえってやつだ。
だから受け入れられるようになればいくらか楽じゃないのかな。


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30R 『スペシャルウィーク』、その一

非常に遅くなって申し訳ないです。
こんなに時間がかかったくせにクオリティは我ながら低いと思います
読み飛ばしても大丈夫な回となっているので、ごめんなさい。

次回、夏合宿スタート


 

 

「負けたか、やっぱりそういうことだよね」

「何が、そういうことなんだァ」

「これはこれは、あなたでしたか」

「質問に答えなァァ」

「はー、何も簡単なことですよ。彼が負けることは最初から決まっていた。それだけですよ」

「んだとぉ、テメェ。ふざけたこというんじゃねェ……」

「何もふざけてないですよ。それよりふざけてると思うのはあなたの方です。なんですかあの成績は、お子さんも大層活躍したそうで」

「──! やはりテメェはッ」

「そうそう、彼は必ず俺のことを忘れてしまうんです。だから警戒することはないですよ」

「なるほどなァ。だがテメェはいつか消えてもらうことになるぜ。こんな異常事態はありえねェんでなあ」

「……そういえばおめでとうございます。皐月賞から随分と成長しましたね」

 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は逃げるように話題を変えた。

 

 

◆◆◆

 

 

 時はかなり遡る。5月に入り皆ダービーに向けて鎬を削りあった初夏のことだ。

 チームスピカの部屋の中からは二人の男女の声が聞こえた。

 

「なに、併走だと?」

「はい! 無理はわかってますけどお願いです!」

 

 スペは内心焦っていた。

 皐月賞で敗北を許してしまい夢は少し遠のいた。しかし挽回するチャンスはある。今度こそ夢の舞台『ダービー』で日本一になるべく彼女のトレーナー、沖野に併走を頼み込んでいたのだが……

 

「ってもスペ、一緒に走ってくれるやつはいるのか?」

「う、それはですね……」

 

 彼女は何も考えてなかった。

 ダービーももはや一ヶ月以内。この時期になると皆、手の内を晒したくない。彼女と走ってくれそうなウマ娘は少ないだろう。

 

「で、でも! 一度みんなに訊いてみます!」

 

 しかしその結果はあまり良くなかった。

 

 

「併走か〜。ごめんね私はパス」

「……ごめんなさい、私も今回は」

「私、怪我してますよ?」

 

 目に見えた結果だ。同じレースを目指すスカイとキングにとどまらず、怪我をしているグラスまでに頼み込んでしまった。

 当然了解の返事などなくとぼとぼ歩いていた。

 しかし諦めるにはまだ早い。

 スペにはエルという最後の希望が残っていた。彼女はつい数日前NHKマイルカップに勝利して近いうちにレースに出ることはない。強さもこのうえなく間違いなくいい選択だ。

 そう考えて彼女のパーチの部屋に入った。

 

「エルちゃん! 私と──」

「あーいや、すまない、エルはいないんだ」

 

 残念ながらその先にいたのはジャージに着替える途中のヒノマルだった。

 下半身は済ませてあったが彼の上半身は丸見えであり見事に鍛えられた胸筋と腹筋がチラリと見えた。

 

「すすす、すみません! ごめんなさい!」

「え、いや、俺の方こそすまない! 扉の目の前で着替えていて……」

 

 ほんの一瞬とはいえ年頃の女子に健康的な筋肉は些か毒にすぎる。

 ヒノマルは急いでインナーを着用し肌色成分を抑えた。

 

「お詫びと言ったらあれだが併走、付き合うぞ」

「ほんとですか!!」

 

 

◆◆◆

 

 

「とりあえず直線長めの左周り一周を何セットか走ろうか。それにしても……焦ってるな」

「えへへ……あの、どうしてヒノマルくんは走ってくれるんですか」

 

 ことごとく失敗に終わった併走の申し込み。その理由はスペだってわかることで今こうやって走りたいなど思わなければ彼女も了解とは言わないだろう。そんな中ヒノマルはトレーナーの判断も待たずにすぐにコースへ出た。

 彼女はそれがたまらなく気になった。

 

「ふふ、簡単なことだ」

 

 ヒノマルは靴紐を結び直した。

 

「おまえ自身の仕上がりを見たいからだ」

「えっ?」

「つまり、走ったら俺の状態はスペに知られてしまうがそれはお互い様だ。だから受けてたつぞ、スペ」

 

 それは木場に相談しても同じ答えが返ってくることだ。

 

 

 タイムの計測者がいなければどこがゴールかを知らせる役もいない。走る意味は薄いかもしれないがとにかく全力で走ることにした。互いに直線を前に構えていた。

 

「それじゃ恒例のコイントスだな」

 

 トレセンでは野良レースなどではコイントスがスタートの合図となる。

 コインが落ちた瞬間、二人は一気にスタートした。

 

 スペが前であまり差がなくレースは進んだ。だがなぜかヒノマルがいつもよりペースが遅かった。

 スペは怪我でないかと心配したが彼の顔をうかがうかぎりそうではない。不安を多少拭いレースは直線に持ち越された。

 今回のコースは実際の東京レース場の直線より短く高低差も少ない。つまり、本番よりもたたき合いが緩いことになる。

 スペは後ろを気にする様子もなくいつも道理のスパートをかけた。しかしヒノマルも負けてはいられない。最後の末脚の勝負に勝てるようにスピードも伸ばしてきたのだ。

 二人は一向に譲らず前に出続けた。

 

 再びスタートした位置に戻ったときに先についていたのはスペだった。やはり真っ向からの末脚だと彼女に軍配が上がる。

 

「はー、負けた負けた。やっぱり強いな、付き合ってくれてありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます! ヒノマルくんがいなかった、できませんでしたから……」

 

 スペは気まずそうに指を合わせた。ヒノマルはいいよ、と一言いうとその場に座り込んだ。

 彼が編入してから約二年が過ぎた。最初から活躍は難しい世代だと自覚していた。だがそこにスペがやってきた。

 彼女は同じ途中からやってきた者として彼はシンパシーを感じていたが今はそんなことがなくなった。むしろ、堅牢な壁として、比較対象にするにもおこがましとまで思っている。

 そんなスペをじっと見つめていた。それに気づいたのか彼女はおもむろに口を開けた。

 

「そういえば、ヒノマルくんはどうして走るんですか?」

「ん、前に話したことはなかったか……」

「はい、ですので是非!」

 

 スペがグッと顔を引き寄せた。

 

「わかった、だからそんなに近づくなっ。ちょっと恥ずかしいだろ」

 

 ヒノマルは赤くなった顔を隠した。

 それはまさしく男子中学生のような初心な反応だった。

 

「まあ、おまえと一緒かもしれない。両親に恥じない『息子』になる。そのために俺は強くなくてはならない。スペも分かるだろう、立派な親には恩返しをしたくなるものだ。

 俺はこの外の世界で生きた証を残す。そうして恩返しついでに、この身体の意味を見つけたいんだ」

 

 この夢は、目標は何一つ変わってなかった。そうしてまた一つ、もう一つと心に楔を打つ。やり遂げるための絶対的な意志としてヒノマルは燃やし続けるのだ。

 

「やっぱり似てますね、私たち」

「ああ、そうだな」

 

 二人の間にゆるい初夏の風が通って行った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ところ変わって数日後、昼休みに黄金世代の面々はカフェテリアに集まっていた。

 

「しかし意外だねー。ヒノマルくんがおしゃれに気をつかうなんて、前はもっと髪ボサボサだったよ」

「ほんと、一流の身嗜みができてなかったわね」

「おまえら、言い過ぎだぞ」

 

 エルとショッピングモールに行ってから(27R参照)翌日、朝からネタを擦り続けられていた。とはいえ、本当に最低限もできていなかった本人が一番悪い。こうやって少しでもヒノマルを変えたエルは大手柄だ。

 

「まあそれはそうとダービーも近いね」

「ええ、このキングが取るには相応しい頂だわ!」

「おや〜すごい自信ですなぁ。まあダービーといえばアレだよね」

 

 アレというのは皐月賞の時のような言い回しのことである。

 今度のダービーは『もっとも幸運なウマ娘が勝つ』である。そこでスカイがけしかけた

 

「ねえ、運試ししようよ。ジャジャーン! セイちゃんさっき辺りつき棒アイス買ってきたんだよね」

「それイカサマじゃないわよね」

「嫌だなぁキング。私がそこまでするようなウマ娘に見えるの?」

「……いいえ、私が悪かったわ。さあ、すぐ選ぶわよ、溶けたらもったいないじゃない」

 

 キングは真っ先に一番手前、スペは左のもの。余った二択をスカイが引こうとするとヒノマルは右側をすかさずとった。

 選んだことを確認すると我先にとかじり出した。その結果──

 

「なんでキングに当たらないのよ!」

「ハズレひいちゃった」

「……何も書いてない」

「やった、当たりだ」

 

 ──スカイが当てることになった。

 他のみんなは軽くジト目になりながらも残ったアイスを食べた。だが、不幸かな。あまりの勢いだったため腹を冷やし、頭まで痛くなってきた。

 

「そうなると思ったので温かいお茶をお待ちしました」

 

 だがグラスが前もって対策をしてくれたので全員湯呑みを彼女に差し出した。

 顔を青く染めながらもなんとか胃腸に暖を届けることができた。ようやくすぼめた顔をもとに戻すとキングの「あっ」という声が漏れた。

 

「茶柱が立っているわ」

「ほんとですね〜。茶柱は吉兆の証とも言うのでよかったですね」

 

 見事に立派な一本がキングの湯呑みにそびえ立っていた。

 これで運の良かったことが起きたのは二人。残ったスペの方は若干焦りを見せたがヒノマルの方はそんなことはなかった。

 

「あわわ、どうしようヒノマルくん!?」

「俺に訊かれても困る。まあ別に運を見せるのはここじゃないから安心すればいい」

 

 ヒノマルはご馳走様というとすぐに教室に戻って一人でノートをめくっていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 ヒノマルはもう一度併走するためにコースへとやってきたが誘った本人がいない。このままでは時間がもったいないのでしばらく準備運動をした。

 ある程度身体が温まった頃、彼女はやってきた。

 

「すみませーん! 遅れちゃいましたー!」

「ん、大丈夫だ。結構時間はあけておいた」

 

 ヒノマルはスペの運動が終わるまで柔軟をしていた。しっかりと身体を伸ばすことで怪我のリスクをしっかり減らす。幸福とは常々行う行為によって起こすものだ。これが彼の考えだった。

 スペも運動を終え、いざスタートとという時、彼女は思い出したように叫び出した。

 

「そうだ、ヒノマルくん! 一つきいていいですか?」

「え、うん」

「ヒノマルくんの今までに起こった一番の良いことってなんですか?」

「なんだろう……生まれてこのかた、良かったことなんてここに来れたことぐらい、かな?」

「……それだけですか?」

「ああ、そうだと、思う」

 

 ヒノマルにとってもはや記憶があるのは直近の二年。これまでの記憶は淡白なものなのでだいぶ薄れてきた。

 とはいえかなり濃密なものだ。そもそもGⅠ級のウマ娘に薄味の人生など用意されていない。そんな彼が今までの一番の良かったことがトレセンへの編入となんとも味気ないものである。

 さらに言うなら、この解答には大した感情は込められていない。咄嗟の思いつきだけに過ぎない。

 

「いや、すまない。数年前まで俺は運がいいとか悪いとか、理解もしていなかったんだ。だから──今でもあまり良くわかってない。おまえが来る前まで自分のことを恨んだりとかで感情が一方向で向いていたからあまり俺にはわからない」

「………」

 

 気まずい沈黙に二人は包まれた。

 さっきまで快活だった少女がここまで黙り込むとは思わずヒノマルはオロオロしだした。

 

「ほんとうにすまない、今の話は──」

「じゃあ私が決めます!」

「え?」

「ヒノマルの運が良かったことは『男の子で産まれたこと』です! だって考えてくださいよ!ウマ娘ってだけで珍しいのに男の子ですよ! すごい少ないのでとても運がいいじゃないですか!?」

「……俺はオスの三毛猫か?」

「い、いえ! そんなつもりはないです!」

 

 そんなふうに言われるのは初めてだった。

 ヒノマル軽口を叩いたが、今までの考えをもう一度見つめることになりそうな鶴の一声だった。

 

「ぷふっ、スペは最高だな」

「ちょっと、笑うことないじゃないですかー!」

「ごめんごめん。いやちょっと嬉しかっただけだから」

 

 思わず最後がウマ娘にも拾えないくらい小さな声になった。スペは「ふえ?」っと間抜けな声をあげて上目遣いでヒノマルを見つめていた。

 思わず彼の頬が赤くなっている。

 それを紛らわすためスタートの合図なしにターフ駆け出した。

 

「スペ、もう走るぞ!」

「え、ええええ!?? ちょっと待ってくださいよー!」

 

 そして、東京11Rへと話は続いたのだ。



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31R 夏の『障壁』

遅くなって申し訳ないです!

そして皆さまには報告があります。この作品は菊花賞をもって『未完』とさせていただきます。
理由としては単純に創作意欲が失せてきたからです。一応最終回までの道のりは作れていますがどうもそれの文章化、時間の確保、キャラへの理解が難しくなったことが理由です。ですが必ずや菊花賞というキリの良いところまでは書き切ろうと考えています。

もし別の作品で出会えることがあればその時はよろしいお願いします。


 

 なぜ、俺はこうして立っているのだろうか。

 初めて見た海は青く美しい。後ろにそびえる山も逞しく美しい。

 それらはとても力強く立ち、その存在を主張できている。

 それに対して、どうして俺はこうも弱くあるのだろうか。俺だけこの景色を前に立つこと『しか』許されないのだろうか。

 

──羨ましい、狡い

 

 目を逸らしていたかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「やっと来たぜ、夏!」

 

 木場はバスから降りると早速パーチのメンバーを飛び出した。

 ダービーを終え、先日の宝塚記念ではサイレンススズカが見事に一着を奪い取り、夏が始まった。

 夏は基本トレーニングを積みに詰むという期間である。この夏合宿でいかにステータスを伸ばせるかが秋の本番の結果を左右する。特に今回は強いクラシック期のウマ娘が二人もいるここは余計に気だっていた。

 

 木場がしばらく海を眺める内にぞくぞくと降りてきた。そして最後に降りたヒノマルは数歩歩くと顔を横に向けた。

 目の前には青い海がある。映像では数回見たことがあったが生では初めてだ。

 鼻にツンとくる潮風、さざめく波、地平いっぱいに続く砂浜。なにもがが新しく静かな興奮が止まらなかった。

 

「海って綺麗だな」

「え、どうしたんだおまえ。おセンチな気分にでもなったのか」

「いやなに、これからが楽しみだと思って……」

 

 ヒノマルが純粋な感想を口にすると木場の肩が震えていた。いや、そこまでにはとどまらず全身まで震え、最終的に下品な笑い声を上げた。

 

「そうかそうか、ヒノマルくんは楽しみでございますか。もちろん楽しみは与えますよ〜、『地獄』のあとでな」

 

 夏合宿二年目、スタート。

 

 

◆◆◆

 

 

 灼熱の太陽の下、ヒノマルたちは……

 

「どこから待ってきたんだこのタイヤは!?」

「そんなことよりもヒノマル君、もっと早く進みたまえ」

「ゴーゴー!!」

「あーも、黙ってくださいよ!」

 

 馬鹿でかいタイヤを引きずっていた。

 それはもう、大きくてヒト二人分ほどの幅がありその上にタキオンとエルが乗っている。それを加味しなくてもそもそも重いのになぜ上に乗せた。

 その疑問に答えてくれるものは少なくともこの場にいない。あるのは理不尽なトレーニングだけだ。

 

「ヒノマルー、あと数メートルだ。いいぞ、そう、よしやったな!」

「はぁ、はぁ、辛い」

 

 その一言に尽きた。膝に手をついて肩で呼吸をしている状態に彼は驚きを隠せなかった。

 いつもの練習が厳しくないわけではない。だがなぜか合宿ではいつも以上のトレーニングをしているような気がした。

 とはいえ、レベルアップを図るにはこれくらいがちょうどいいかも知れない。そう考えながらヒノマルは進行方向を切り替えた。

 

「よし、もう一セット」

 

 復路はいくらか楽な気分だった。先程の往路より時間がかかったが引きやすい体勢の取り方がわかったので必要以上の負担をかけずに進むことができた。

 

「ハイ、ヒノマル! 飲み物デスよ!」

「ありがとう、エル」

「いえいえ、しかしトレーナーさんもハードなメニューを考えるデスね。しっかりスタミナを削って継ぎ足す、をイメージしてます!」

「ああ、全く厳しいよ」

 

 それはトレーニングに取り掛かる少し前のことだ。木場はエルとヒノマルを呼び出していた。

 

「おまえらには、徹底的なスタミナトレーニングをしてもらう」

「なぜだ? 俺に関してはスピードを鍛えたいのだが」

「ヒノマル、おまえの意見はわかる。だが二人とも、思い出せ。次の目標のGⅠを」

「エルはジャパンCデスね」

「俺は菊花賞だな」

「そうだ、そんでエルは今までマイル以上は走ったことがない。ヒノマルも幾ら元々のポテンシャルがあるといえど3000なんてそうそうねぇんだよこの距離が。

 だからこそのスタミナだ。無論、長丁場を見越したレース理論も解説する。だがやはり根本的にはスペックの殴り合いだ。それに、エルのジャパンCに関してはマジで予定していなかった。次からは要相談で頼むぞ」

「えへへ、申し訳ないデス……」

「まあ、おまえらのことは信頼している。この二ヶ月間、負けていいのは暑さだけだからな」

 

 それからスタミナ、そして根性を鍛えるメニューを中心にトレーニングをしている。

 今日はとりあえず体力を削り筋肉を痛めて、明日には休息代わりにレース展開の予想、ないし立ち回り方の指導になる。

 次の日の朝がくることが億劫になりそうだが鍛えるしかない。弱者は積み上げることでしか下剋上を果たせないのだから。

 

 

 そして翌日──

 

「じゃあヒノマル、この時の菊花賞で淀の第三コーナーで仕掛けてぶっちぎったウマ娘は?」

「ミスターシービーだ。過去に参考にさせてもらったこともある」

「よく覚えてるじゃねぇか。この作戦はおまえならできるかも知れない。菊花賞のときには頭に入れとけ」

 

 現在、宿泊施設施設の一室を借りて過去のレース展開を学ぶ場となっている。

 タキオンは木場の隣に立ち、残りが開設を聞く形になっている。その態度は三者三様でヒノマルはまじめにノートを取り板書をきっちりと書き留めている。エレジーはさらに自分での考察を逐一書き込むということまでなしている。

 一方エルは──夢の世界だ。先程の疲れに加えて彼女は単純に座学が苦手だ。今までのレースも類を見ないスペックと持ち前のフィーリング力での勝利が多い。そのため今まで木場自身も最悪予想は聴き流しでよしとしてきた。

 しかし今回のレースはそうとは行かない。故に木場は暴挙に走ることにした。彼は一気にエルの顔面に近づき──

 

「えー、それではエルコンドルパサー!」

「ケ!? ……あっ、トレーナーさん」

「シンボリルドルフの初の黒星は? 五秒以内にどうぞ」

 

──笑顔で質問した。それはもうにっこりと。それが一番似合うくらいにっこりと。

 当然そんな振りに寝起き彼女が対応できるわけもなく。

 

「にー、いち……ゼェェロォ! 正解はジャパンCだ! 次答えられなかったらタキオンの薬飲まずぞ」

「そんな!! オーノー!」

「じゃあ真面目にな、東京の直線距離は?」

「525.9メートル!」

 

 危機的状況からの即答。それほどまでにタキオンの薬は恐れられている。その効果は木場の日々の変化を見ればわかる。

 一度飲まされれば何が起こるか分かったものではない。

 

「ひどい言われようだねぇ。まあ事実だからしょうがないが」

 

 本人もこの様子。その効果は絶大だ。

 

「んじゃ続き行くぞー。エレジー、過去にバーニングビーフが起こした悲劇は?」

 

 バーニング、その単語の一文字目からエレジーの動きは終わっていた。そう、あれは第一回JWCのこと。エレジーは第三コーナーを回れずに続いた直線──

 バーニングビーフの突然の空腹にあたりは騒然とした。そして彼女は芝に食らいついた。異食症とかではなくほんのたまに起きてしまう癇癪というものでそうなってしまってはウマ娘も関係ない。前にいる全てを薙ぎ倒し、芝を美味しく頂くのだ。

 当時の日本時刻は15時35分。その時間に準えてつけられた名前が──

 

「──おやつタイム。」

「そう! 今年は起きねぇことを願うな」

 

 エレジーは得意気に鼻息を吹いた。もはや敵無し、今ならなんでもできるというような様子で机を叩いている。

 

「それじゃ次もエレジーだ。

 例えばだが、バーニングビーフとチョクセンバンチョーが直線を走っていておまえはこいつらの後ろにいる。この時すでに他のウマ娘は吹っ飛ばされてビーフの前にバンチョーだ。以上の状況になった時次の展開とおまえの勝ち筋を考えてみてくれ」

 

 エレジーはしばらくの思考のあとすぐにシャーペンを走らせた。

 まず、バーニングビーフは興奮した場合にら前にいるウマ娘を一人残らずぶっ飛ばす。その時の爆発力は最高時速75キロメートルを余裕で超え全てを灰塵とさせる。それは直線を蛇行運転するバンチョーとて例外ではなく確実にターフから消えることになる。

 しかしそのためにはあの暴れウマを捕らえる必要がある。それにはかなりスタミナが削られる。それに加えて万全を期すならば──道筋は一つ。

 

「ビーフは暴れるバンチョーを場外させる。その後かなりのスタミナが削れていると予想される。

 だがその時点でビーフの前に出れば私も吹っ飛ばされるかもしれない。だから勝負は残り50メートルを過ぎた地点。ここでぎりぎりをついて差す。」

「……グッド! そうだ。変異種、特にJWCはマジで何が起きるか予想つかないからな。安全に考慮したレース運びは懸命だぞ。だがもしおやつタイムが起きた時の想定もしていたら満点だな」

 

 木場がその時の予想もホワイトボードに書いていく。

 当たり前のようにレースの予想が書かれているが一人だけ全く理解できないでいた。

 そう、ヒノマルだ。

 

「ねえなんでレースでウマ娘が場外するんだ!? 理解不能なんだが!?」

「ヒノマル君、変異種のウマ娘は君の想像をはるかに超える。もはやフィーリングの域さ」

「なんですかそれ! 怖いですよ!」

 

 だが受け入れるしかないのだ。ヒノマルだってそのスケールに当てはまるのだ。エレジーとの付き合いが長い分、タキオンにとっては彼の方がよっぽど不思議でたまらない存在だ。

 そして数時間後。

 

「よし、今日はここまでだ。各自ストレッチ忘れねぇように。明日から身体鍛えんぞ」

 

 その日は全員が頭をしっかり使い、日はすっかり傾いていた。

 ヒノマルは身体を伸ばし、座りっぱなしで凝り固まった肉体をほぐしていた。一日中考える作業をしていた彼の脳は疲弊して糖分への欲をコントロールできない。そのため風呂の前に食事をとることにした。

 

「よし、エル一緒にご飯食べないか?」

「あ、ゴメンなさい……ちょっとトレーナーさんに聞きたいことがあるので失礼するデス」

 

 エルはバツが悪そうにノートで顔を隠したまま木場の方へ向かった。

 いつも授業では眠そうでグラスにノートを写させてもらってる彼女を知っているヒノマルはそれが意外に見えた。

 

「何してるんだろ」

「気になるかい?」

 

 疑問を口にするとタキオンが背後から首を回してきた。どうやら心当たりがあるらしく話してくれそうだ。

 

「簡単に言えばフランス語の勉強だよ」

「フランス語? 英語じゃなくてですか?」

「そう、フランス語だ。彼女は少なくとも来年のどこかで日本からフランスへと遠征する予定なんだ。だから少しでもあっちの公用語の方をね」

 

 ヒノマルはそのような話を一切聞いたことがなかった。エルの普段の様子からも特に変化はなくいつも通りだった。

 

「それって、いつから決定していたんです?」

「さあ? 私が知っているのはここまでだ。あとは本人かトレーナーくんに聞いてくれ」

 

 タキオンはそのまま歩いて行った。

 そしてヒノマルは一人寂しくぽつんと立っている。仕方ないので夕食は一人で済ませることにして食堂へと歩き出した。

 合宿施設の食堂はまだ時間も早くがらんとしていた。誰かを誘おうにも親しい仲のものがいない。ため息を吐きながら食事を受け取り、端っこの方へと腰をおろした。

 

 食堂はトレセン学園のカフェテリアより広い作りである。理由は簡単で、トレセン学園とは違いトレーナーなどといった関係者も全員入るためより大きくしなければならない。

 一番人が多く来る時間ならばいつものトレセンより賑やかでガヤガヤとしている。しかし今日は目に入る人の数が数えられる程しかいなくて静寂を放っている。

 その中でヒノマルは誰も隣にいない食事をとった。慣れた作業をこなすように食事をとるしかなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 目覚めると知らない天井が目に入った。

 なんとか布団から離れることができたが筋肉痛がビキビキと身体を引き裂く。

 

「痛てて、ってここはどこだ……」

 

 まだ完全に覚醒できておらず視界があやふやなまま立ち上がった。

 

「ん、ああそうだ。俺は合宿に来ていたんだ」

 

 そう言って部屋を見回す

 一人用になっている部屋は寮よりも狭く多少窮屈だ。しかしいつもより広すぎないため空間を独占しているという多少の罪悪感が薄れる。

 

「いつもは結構広いところで寝ていたんだな。まあ仕方ないか、俺は男で学生だから」

 

 だが寂しさを感じてないかと言われてしまえばそうである。

 もともとヒノマルだけ一人なのはパーチや同期の友人、そしてシンボリルドルフなど何人かからかは反対を受けていた。他のウマ娘や関係者はいつもと違い同室以外とも団欒ができるのに対して彼だけなのは酷であると。

 しかし前例がなく、加えて中高生の男子。安全を考慮するなら言うまでもなくだ。実際ヒノマルもそれを受け入れたため一人部屋となった。

 

「……みんなは部屋とかで盛り上がっているだろうな」

 

「いや、弱気になるな。わかっていたことだろう。それに『一人』には慣れている」

 

 髪を結い、朝食を食べ終えたヒノマルはトレーニングを始めた。

 

「しゃあ、今日は水泳、およびビーチバレーだ。各自水着に着替えてこい」

 

 命令が終われば皆の行動は早かった。

 夏合宿の醍醐味、それはプールではなく海を使ったトレーニングだ。普段とは違い開放的で水がしょっぱい。そのギャップが高揚感をもたらす。そのためウマ娘たちは毎回海でのトレーニングを楽しみにしている。

 木場も海に来たからに自身のトレーニングも兼ねて泳ぎたいと思っていた。自分の担当達が更衣室に行ったのを確認して水着を取りに行くとヒノマルが変な様子だった。

 なぜか更衣室の扉の前でしどろもどろとしてなかなか入る様子を見せない。

 

「おまえ、なにやってんだ?」

「ッ! ト、トレーナーか」

「もしかして水着作れてなかったのか?」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあなんで着替えない?」

「……」

 

 言語化することが難しいのか彼は沈黙を貫いている。このままでは埒があかない。木場は先に着替えを済ませることにした。

 

「まあ、なんかあったら言ってくれ」

「なら、待ってくれ!」

「んだよ」

「中に誰もいないとなったら何か合図をしてくれないか」

 

──意外、それは恥じらいの顔ッ!

 

「ぷぷ、え、ちょ待てよ、おまえまさか他人に身体見られるのは恥ずかしい系男子かよ」

 

 木場の語尾が一々震えている。そのうち体も大きく揺れ始めて涙さえ滲み出した。

 

「うるさい! 俺は人に裸体を見せたことが極端にないんだ!」

「あー、わかったわかった悪かった。それじゃすぐ追いつけよ」

 

──いやいや久しぶりに笑ったわ。まさかヒノマルがそんなやつだったとは

 

 木場はなかなか自分のことを話さない担当の秘密を知れてよかった、そう思っている。

 まだ何か隠し事がありそうなヒノマルにはもっと距離を詰めたかった彼にとってはまさしくグッドニュース。しかしある考えが脳裏をすぎる。

 

──いや、男子の水着は上半身露出するよな。俺は適当なシャツを着るけど大丈夫かあいつ

 

 まあいいや、その一言を添えると周りを見渡した。

 そもそもこの場所は夏合宿の時期──特に七月にはほぼトレセンの貸切になる。そのため男性トレーナーぐらいしか使う人がいないので狭い上にがらんとして変化が薄い。

 

「ヒノマル、誰もいないからとっとと着替えろ」

「ありがとう、トレーナー」

 

 ヒノマルが更衣室に入るのを確認すると木場は扉の横で一服しだした。

 しばらくしてヒノマルが着替えてきた。

 

「すまない、待っていてくれたのか」

「ああ、おまえラッシュガードきてんのか。考えたな」

「そうだ、日焼けはしたくないからな」

 

 ヒノマルは何に考えたのかがわからないが適当に答えた。

 彼の水着は学園指定のスク水、ではなくウマ娘の膂力に耐えられるように改良し、尻尾も通せるように作られた水着である。そして上半身を隠すための明るいグレーのラッシュガードだ。

 対して木場は海水浴にきたのかと言いたくなるようなラフな水着でありヤシの木の柄が入っている。加えて上から来ているシャツはボタニカルの赤がメインのアロハシャツだ。

 観光しにきたのかとヒノマルは問いたかったが意味はないことを知っている。なぜなら木場仙太郎はタバコを平気で吸う、タキオンの薬品を有無を言わずに飲む、ウマ娘を拉致するなどかなりの傍若無人ぶりである。

 

「はー、もう少し主張を抑えてくれ」

「別にいいじゃねぇか。それよりも早くいくぞ」

 

 二人が目的地に着いた時にはもう全員揃っていた。木場は念のための確認を行うと水泳の予定を伝えた。

 水泳のメニューはまさしく簡単。準備運動を済ませたものから順番に100メートルを二往復する、それだけである。この際折り返しごとに種目を替えることが必須であり四種目を全てやらなければならない。そしてそれを最低四セットこなす。

 

「以上のことを終えたものから自由行動だ。遊ぶも追加練習も良し! んで今は、午前8時15分か。よしおまえら10時までに四セット終わらせろ。念のためタキオン印の救命信号機があるからそいつを腕につけろ。それじゃ始め!」

 

 説明を終えた木場はタキオンに様子を見させて自分はこのまま気ままに泳ごうとした。

 しかし現実はそれを許してくれなかった。

 

「トレーナーくん早速ヒノマルくんからの信号だよ」

「なに!?」

 

 

 急いで救命胴衣と浮き輪を持ちながら全力で向かった。しかしレーダーを確認するとどうもおかしいことに気がつく。

 

「なんでどこにも動いてないんだ」

 

 海上なら多少動きがある筈だ。

 怪訝に思いながらも進んでいくと案の定ヒノマルがスタート地点ですくんでいた。

 その顔はいつもより蒼く心なしか魂すら見える。

 

「一応、なんでこんな苦労をかけさせたのかを聞いてやろう」

「……泳ぎ方を知らないです」

「義務教育の敗北かよ!?」

 

 木場は突っ込んでしまったがこれは仕方ないことである。ヒノマルは昔から施設いたため小学校での授業を受けたことがない。そのため四種目の泳ぎ方を全く知らないのだ。

 

「はあ、じゃあわかった。プールのトレーニングしてこなかった俺が悪かった。まず平泳ぎからな」

 

 ヒノマルは一人悲しく泳ぎの練習から始めたのだ。そして他の二人が時間ギリギリになり上がったところで無事四種目を覚えることができた。

 そして時間は過ぎて砂浜の上。タキオンを除く四人がビーチバレーをキャッキャウフフと楽しんでいた──わけではない。

 

「か、カレー!」

「連体詞、し!」

「シカゴ!」

 

 しりとりビーチバレーを行っていた。

 ルールはいたってシンプル。ビーチバレーをしながらしりとりをするだけだ。

 最初はふざけているのかと問い詰めたが木場いわく「おいおい、俺が考え無しに見えんのか? ゴルシ以上にめちゃめちゃ考えてんぞ」と説得力があるのかないのかよくわからない言い訳を吐いた。

 だが実際蓋を開けてみるとかなり難しい。

 

「ご、胡麻味噌!」

「そ……そ、わからないデース!」

「はいエルアウト!」

 

 ボールに触れたものはその誤差一秒以内にしりとりを続けなければならない。コートの中は常に二人と少なく常に忙しい。

 特にレシーブの時は辛い。瞬時にコートを移動しボールを受け止め、なおかつしりとりをしなければならない。突発的な対応が同時に求められる厳しいポジションとなる。

 現在エレジーと木場のAコンビ、エルとヒノマルのBコンビに別れているのだが……

 

「狡いぞトレーナー! エレジー先輩が喋れないことをいいことに、レシーブをサボるなんて!」

「うるせー! そもそもおまえらを鍛えるためだから俺は緩くていいんだよ。それよりゲームは続けんぞ、そらまめ!」

 

 エレジーの音なしのレシーブ、さらにそこから煽るように軽快なトスをする。インドア、ビーチ共に経験のある木場は小慣れた作業でありそこにパーチの古株エレジーとのコンビネーションが重なれば恐ろしいことこの上ない。

 見事にラインギリギリを攻めたスパイクが破裂音を伴い空を切り裂いた。

 とはいえ、身体能力の差を甘く見積もってはいけない。ウマ娘である二人には追いつないボールはほとんどない。

 

「メダカ! ヒノマルお願いします!」

「よし、貸金庫! やってやれ、エル!」

「決め技デスね! 必殺コンドルスマッシュ!」

 

 見事にエルの真上を目指すボール、これを撃てば身体能力の劣る二人は受けることができないだろう。

 だが木場仙太郎は知っている。このスパイクは必ず失敗する。そしてそれはタキオンにとっても自明の理である。唯一、エレジーだけがBコンビ以外のメンバーで理解していない。

 

「はッ──エル、もっと右だ!」

「ケ?」

 

 エルのコンドルスマッシュもといスパイクはひらりと空振りした。木場はこれを最初から理解していたためゲラゲラ笑っている。

 今の攻撃に悪いところはなかった、『インドア』であれば。

 ビーチバレーの醍醐味、それは『風』である。風の計算をしなければボールは必ず狙ったところからずれてしまい先程のような悲しい結末を迎えるのだ。

 ではなぜ木場とタキオンは予見できたのか。

 すごく簡単に言ってしまえば、経験の差である。二人はBコンビとは違い合宿に来ている回数が多い。風は時に練習を左右するので把握する必要がある。だから勝ちを確信したのだ。

 

「いやー初心者を痛ぶるのは気持ち良いぜ!」

「この指導者のクズ! トレーナー失格!」

「外道! 非道! 修羅道!」

「がーはっはっ、なんとでも言え言え! それより罰ゲーム……」

 

 地獄の1500メートルランニング!

 

 テンションが最骨頂なのか酔ったように煽りのダンスを差し込んでくる。あまりにも屈辱的だが従うしかない。そのまま二人は走り出そうとした。

 

「あ、今日はこれで終わりだからジャージで走れよ」

 

 

◆◆◆

 

 

「いやートレーナーさん容赦なかったデス」

「ああ本当にひどい男だ」

「ふふ、でも結構楽しんでますね」

 

 二人は仲良く並びながらアスファルト走っている。木場の温情で疲れやすい砂浜から補填された道にしてもらった。

 共に今日のトレーニングを振り返りながら少々ゆっくりめにゆとりを持って走った。

 

「ヒノマルの最初は驚きでした。男の子のウマ娘でしかも思い切りずっこけちゃうなんてアナタかスペちゃんぐらいデスよ」

「それは忘れてくれッ。……恥ずかしいから」

「おやおや声が小さくて聞こえないデスよー。もう一度大きな声で、ハイ!」

「恥ずかしいから言うなー!」

「アーハッハッ! 本当に大声て行きましたね。アタシはウマ娘なので最初から全然聞き取れましたデスけどね」

「……」

「顔がソースのように真っ赤デス。これはヒノマルの弱みを握ったことでよろしいデスか」

「おい、語尾が震えてるぞ。忘れてくれ」

「駄目デース。ヒノマルにはもぉぉっと真っ赤になってもらうデース!」

「なんでそんなことするんだ!」

「だってもっと笑ってほしいから、なんて言ったら信じます?」

「え、どういうことだ」

「エルはヒノマルのご両親について福井さんから少し聞きました。あまりヒノマルについては教えてくれなかったけどアナタがどれだけ辛い思いをしたのかを察せます。

 でも、アタシはヒノマルを完全には理解できていません。だから、いつかで良いんです。あなたについて話してほしい。きっとアタシ達のチームは力になれます。そう思えるようにもっと笑顔になってほしいです!」

 

──脚が動かない

 エルも数歩先で止まった。

──俺はこのまま隠したままでいいのか

 エルは彼を見つめた。

──俺の罪が軽くなったりするのかな

 エルは彼に近づいた。

──いや、そんなわけがない

 エルはどうかしましたか、と呼びかけた。

──俺はまだ許されない存在だ

 

「ごめん、何にもない。それより早く戻ろう。トレーナーがなにいうかわからないからな」

「あ、ちょっとヒノマル! そんな急に動いたら」

 

 ヒノマルが逃げるように動いたその数秒後だった、彼の脚に激痛が走ったのは。

 その身体は加速について行けず筋肉を硬直させて痙攣した。いわゆる腓返りというものだ。

 

 それだけならよかっただろう。

 もし、倒れた先が砂浜のような柔らかなものであればただの痛みで済んだのかも知れない。

 だが道は硬いアスファルト。そしてヒノマルの速度は最高までとは行かずとも既に惨事になるには充分なものだった。

 

 

 そして辺りには悲痛な叫びがこだました。



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32R 深まる『隠し事』たち

 

 一人部屋の中、二人の男が

 ヒノマルは木場と面に向かいながら、互いに皺を寄せ合っていた。もはや顔を見なくてもなにを思っているかは予測可能。言葉も必要ない。

 

「ヒノマル、休め」

 

 木場が入念に脚を触った後に発した言葉は弱気なものだった。つまり言いたいことは一つ、怪我だ。

 グラスやタキオンの前例があるためヒノマルの目はすぐに乾いた。

 目の前の脚が壊れているかも知れない、嘘だ、信じられない。

 その感情がとめどなく溢れた今、なにも現状を見逃すわけにはいかない。そのために目は閉じられない。

 その様子を見かねた木場はため息を漏らすと安心することを促した。

 

「大丈夫だ、おそらくおまえの成長期、つまり本格化の時期がやってきて身体がその変化に対応しきれていないだけだ。加えて疲労が溜まりまくった。軽い不幸ってだけで心配はいらねぇ。菊までには間に合う」

「それじゃあ今すぐ──」

「それは承認しかねる。あくまで間に合うのは安静にした場合だ。とりあえず、なにもしないでくれ」

 

 詳しいことはまだわからないないため大きく言えないがとても重大な怪我というわけではない。しかし、万が一がある。そのためしっかりドクターストップをかけてもらわなければならない。

 

「とにかく俺だけじゃ怪我の程度は分からん。早いうちに医者に見てもらって調整する。飯は持ってきてやるから待ってろ」

「お、おい! 俺はどうなるんだ! 本当に菊花賞──」

「いいから黙って従え! ……従え」

 

 

◆◆◆

 

 

「色々調べた結果、足首の筋肉が軽く炎症を起こしているようだ。知らないうちに身体の方が大きく発達しバランスが取りにくくなっていたことが原因、とどめは転倒だろうねぇ」

「そうか、ありがとなタキオン。それで全治は」

「まあ安静にすれば八月までには治るよ。

 しかし驚いた。身長に関しては去年より7センチメートルも伸びている。私は入学から身長の変化が乏しいのにこうも成長するとは……」

「ヒノマルは男だ。成長期がほかのウマ娘より遅くてもおかしいことはない」

「明日からどうするんだ?」

「どうって決まってる、安静だ。もうおまえみたいな二の舞は嫌いだ」

「……何度でも言うが私はあまり悔いてないし恨んでもない」

「それでも俺は、俺が許せない」

「ふぅン、モルモット君の扱いは難しいねぇ」

 

 

◆◆◆

 

 

 翌日、ヒノマルは脚にテーピングを巻きながら部屋から出た。足首が固定されて動きにくいが嫌な顔をしてはならない。

 迷惑をかけたのは自分だ、馬鹿なことをした報いだ。

 ネガティブ思考になりながら食堂に向かった。

 

 ちょうど繁盛期になのか食堂にはほとんど席が埋まっている。一人で食事を取ろうにも相席をするほか無さそうだ。

 それを許してくれそうな心優しい人を探して10分間、知り合いが誰もいない。

 仕方なくそのまま待ち続けようと決心しかけたけたその時だった。

 

「おーいヒノマル君、僕のところ、使うかい?」

 

 マンハッタンカフェのトレーナー、北川東だ。

 

「席が無さそうで暇だろ。ほら空いてるからどうぞ」

 

 いかにも無害そうな笑顔を見せながら隣に座ることを催促した。

 特に接点がない人の隣に座るとこは憚られたが仕方ない。彼と向かい合う形で座ることになった。だが、なぜかその隣にカフェがやってきた。彼女はヒノマルを、珍妙な生物を初めて見たかのような目でまじまじと観察していた。

 

「あの、東トレーナー。どうしてカフェさんは俺のこと」

「ふふ、だって君は男の子だからね。珍しくて興味しんしんじゃないかな。不快なようならば止めておくけど」

「いえ、大丈夫です」

「ならよかった」

 

 とはいえここまで見られると恥ずかしい。そろそろやめてほしいと思い出したところでカフェは正面を向いた。

 終わったと一息つくと今度は東の方が見つめてきた。

 もしかして熱烈なファンなのか、くだらない妄想をしていると東の方から話をふってきた。

 

「ヒノマル君って、まだ木場さんとかにも何か隠してることあるよね」

「えっ、そんなことないですよ」

「いやいやぁ嘘はいけないよ。それに隠すには結構バレバレなんだよね」

 

 なぜか東は出会って二度目のヒノマルに対して真実を言い当てていた。あまりの謎に対してタキオンとはまた別の方向性の恐怖を隠すことができなかった。

 するとそれを汲み取ったようにカフェがにじり寄り、「……トレーナーさんには、正直になった方が身のためです」と一言だけ告げ、食事に戻った。

 

「これで正直に話す気になった?」

「もはや脅しじゃないですか」

「まあ隠し事があるかないかだけ。それ以上は詮索しない」

「……ありますよ、一つや二つぐらい。でもまだ話さない」

「嘘はないね、うんうん。それじゃ僕はこれで」

「はあ」

「あ、あと心の声にはしっかりとしてね」

 

 東は意味深なセリフを残すと食器を返しにいった。

 ヒノマルはよくわからないもやもやを心に残しながら朝食をいただくことになった。

 

 

◆◆◆

 

 

 たくさんのウマ娘がトレーニングで声を上げる中、ヒノマルはベンチで焼きそばを食べている。

 怪我のため絶対安静を言い渡され暇を持ち余しているところ、なぜか焼きそば販売をするゴルシに目をつけられ渡された。

 味は特に変でもない。まさに屋台で売ってそうな焼きそばの一言に尽きる。

 

「ゴルシさんって本当に何者なんだろう」

 

 永久に答えのない疑問を漏らしながら残りの麺を啜る。普段ならばご馳走様と一言入れるのだが今は不機嫌だ。そのままゴミ箱にパックと割り箸を捨てると辺りを見回す。

 海は広大で夏の爽やかさを際立たせる。山は壮大で夏のはつらつさを表す。双方、優劣がつかず共に美しい。

──対して自分はどうだ。身体の状態も把握できず、ほんの軽い事故にも関わらずこの様

──全く、腹立たしいものだ

 夏の暑さに負けぬよう己を奮い立たせるウマ娘の姿はどうもヒノマルにとって今は毒だ。

 嫉妬、羨望、そんな感情が蝕んでゆく。

 それで顔を歪ませていたのだろうか、休憩に入っていたエレジーが無言で迫ってきた。

 

「どうしたんですか」

「私も君と同じ顔をした頃もあったものだ」

 

 急に地声で話してきた。

 聴き慣れてないせいで最初全く知らない誰かかと思ったが間違いなくエレジーから出されたものだ。

 

「ええ!? 喋れたんですか!」

「ん、いつ私が喋れないと言った。私は『喋れない』のではなく『喋らない』のだ」

 

 エレジーはそのまま筆談ではなく会話を続けながら隣に腰掛けた。ただし被り物は外さないまま。

 

「ヒノマル、周りが羨ましいか」

「ええ、まあ」

「だろうな。ではなぜそう思う?」

「……走れないから?」

「私に聞くな」

 

 エレジーは尋問を続けるように覗いてくる。

 被り物が本体ではないかと思うくらいに黒い瞳が訴えかける。

 

「あの同じってどういうことですか。先輩も何か」

「私の場合は奪われたからだ」

「『奪われた』? 何をですか」

「……君もあるだろう。それを考えるんだ」

「えぇ」

 

 エレジーは大事なところをはぐらかすような答えを言う。

 これは試験だ、おまえがやれ。言ってもない言葉が聞こえるようになるほどの声のトーンだ。

 このままでは時間の浪費だと理解したヒノマルは質問を変えた。

 

「じゃあこれには答えてください。なんで会話の選択をしたんですか。紙がないからですか、それとも単に面倒だからですか」

「そうだな。ヒノマル、これは同情、いや共感というのが正しい。今の君の境遇はあの日の私にそっくりだ。吐き気を催すほどに」

 

 エレジーの過去を知る人物は少ない。それにも関わらず悪態をつかれても困るというのがヒノマルの意見だ。

 しかし、エレジーも不調に陥ったというのならどうやって戻ってこれたのかを聞きたい。彼女の過去を知りたい。好奇心に歯止めが効かなくなってきた。

 

「……なら教えてください、先輩。今の俺があなたにとってどれだけ愚かに映るかを教えてください」

 

 しかし、エレジーからは返答はこない。返ってきたのは首を横に振る動作だけだ。

 ヒノマルは無意味だと分かるとそのまま無言で海を見つめていた。もはや気まずさもなく焼きそばを頬張っていた。

 それから十分ほど経過しただろうか、エレジーはおもむろに立ち上がり言葉を残した。

 

「もし君が乗り越えられたのなら、私の全てを曝け出そう。その時が来ることを楽しみにしている」

 

 全て──それは過去も素顔も、ということだ。エレジーの表情はなにも見えないが声の調子から本当に楽しみにしていることがわかる。

 彼女は砂浜を駆けながらトレーニングに戻った。

 

 

◆◆◆

 

 

「──ノマル、ヒノマル……センジンヒノマル!」

「っは」

「四回ぐらい呼んだのによく反応しなかったな。ったく、ボーっとしすぎだろ」

「すまない」

 

 ところ変わって室内、レース展開の予想などは脚を使わない賢さトレーニングのためヒノマルも参加する。しかし彼は放心していた。そのため後半の方はほとんど聴いてなかったのだ。

 

「まあ今日はこれで終わりだ。明日は一日中、身体鍛えるから楽しみになー」

 

 木場はそれだけ言うとすたこらさっさと行ってしまった。

 どうしよう、ヒノマルの脳内にその言葉が出た。なぜなら彼は一度も授業に遅刻、早退、居眠りなど怠惰に働くことはなかった。

 そのため、トレーナーの話であれど聴き逃してしまったことに非常に顔を赤くした。

 

「どうしたんだい? 君が明後日の方向を向くなんて」

「タキオンさん……」

 

 彼は正直、誰にも顔を見られたくなかった。

 笑われることが嫌なのではない。そうなったあと、自分が余計に真っ赤になるのが嫌だからだ。

 

「ふふ、とても赤いねぇ。君の勝負服のように」

「うう、あまり揶揄わないでください」

「いやすまない」

 

 タキオンは謝罪を述べるとヒノマルの前に立った。いくらヒノマルが動こうと合わせてとうせんぼをして進めない。

 

「さっきからなんですか」

「話をしたいだけさ。さあ座りたまえ」

「はあ」

 

 ヒノマルが腰掛けたその時、腹の虫がうるさく鳴った。早く食堂に行きたかったがタキオンは許してくれない。

 再びはあ、とため息を漏らしながら彼はタキオンを見つめた。

 

「辛いかい?」

「はい」

「気持ちはわかるよ。私だって脚を壊した身だ。君の事はよくわかる」

 

 タキオンは静かにうなづく。

 昔を懐かしむようにタキオンは天井を見上げた。

 

「周りがとても羨ましくて思わず躍起になってしまう。そうならないようにトレーナー君は安静にしろと命令した、それには不満かな」

「……正直、不満ですよ。でもこれは俺の自分勝手です。何も言わないで欲しい」

「それはすまなかった」

 

 タキオンはクスクスと笑いを上げる。全く真剣なのか揶揄っているのかわからない態度にヒノマルは若干神経を尖らせた。

 

「用がないならもう行っていいですよね」

「待て。君、本当に安静にしなよ。でなければわた──」

「うるさいッ」

 

 ヒノマルは机を叩きつけた。

 すぐに正気を取り戻したが爆発した手前、相手の顔を見れない。

 

「すみません、ちょっと一人にさせてください」

 

 ヒノマルは断りだけ入れると急ぎ足で食堂に向かった。

 しばらくして後ろから足音が聞こえた。しかしそれは遠のくばかりで決して近づくことはなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

「はは、ヒマちゃんは早いな。俺もう追いつけないや」

──父さん、母さん! ねぇ、待ってよ!

「すまないヒノマル、俺ももう少しおまえに寄っていたかったけどもう行かないと」

──いやだよ。俺もそっちに行くから

「だめだ! こっちに来るな!」

──なんで? 俺が男だから?

「……ヒノマル、おまえだけはこっちに来るな。絶対に来るな」

──そんな、置いてかないで!

──俺、一人はいやだよ!

──父さんも母さんも、一人にしないでよ!

「ごめんなぁヒノマル。俺も一緒にいたいよ。でもこれだけは覚えていてくれ」

 

 俺たちはおまえを愛してる

 

──なんだよそれ! それよりも一人にしないで……一人は、いやだよ

 

 軽快な足音が近づく。

 

──俺、どうすればいいんだよ

 

 足音はしばらくすると止まった。

 

「一緒に走ろうか」

──俺、ウマ娘だよ

「大丈夫、俺もそれくらい速いよ」

──置いてかない?

「それだけはないよ。約束する」

──じゃあ、行こ!

 

 ヒノマルは誰かと走りだした。

 そしてその翌日だった、木場の怒号が飛び出たのは。



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33R 檻にて『サンデー』との出会い

すみません。やっぱり本編進ませてもらいます。
コロコロ言ってることが変わって申し訳ありません。


「ふざけんなよ。俺、安静にしろったよな!」

「……」

「黙ってねぇでなんとか言え!」

 

 木場は顔を真っ赤にさせた。全血液が顔に集まったかのように真っ赤にした。

 なぜこうなったかというと時間は少し遡る。

 

 それは午前四時ごろだった。木場は誰にも見つからないうちにタバコを吸おうと外へ出た。朝日が昇りだし、その美しさに茫然としていると一つのウマ娘の影が見つかった。

 しかしそれはおかしいことだ。まず今起きているウマ娘はいても外出許可は出ない。加えてトレーニングのためとは言えこんな早くから行うのは、はっきり言って馬鹿げている。

 

「何やってだか。さっさと戻しといてやるか」

 

 木場は出来るだけ穏便に済ませたいのでそのウマ娘に近づいた。

 その時からだろうか、彼の拍動はうるさくなりだした。なぜか嫌な予感が胸を叩き続ける。

──そんなはずはない、あいつはバ鹿じゃない

 信じたくてもそれは裏切られる。

 うっすらと見える骨格はまさしく男性のそれ。だがウマ娘の耳を有する、影の特徴は明らかになっていった。

 そして、疑惑が確信に変わった時、ウマ娘は倒れた。

 

「……ッ、ヒノマル!」

 

 そして今に至る。

 あえて木場は二人だけで話すことした。ヒノマルの名誉のためではない。お互いの信頼のためだ。

 

「俺は、そんなことしないと思っていた。でもッ、どうやら見当違いだった」

「トレーナー、俺は……」

「ヒノマル、もう外に出んな。従えないなら来るな。頼むから休んでくれ」

 

 ヒノマルからは木場の目は見えない。

 サングラスのせいではなく頭を下げているからだ。その理由がはたして失望なのか、懇願なのか、悲哀なのか、ヒノマルには理解できなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 パーチの練習は変わりなく行われていた。しかしエルはどことなく不安を感じていた。

 いつもならヒノマルが見える位置からこちらを見ているというのに、今日はどこにも見当たらない。彼の性質をよく知る彼女だからこそ不安なのだ。

 

「トレーナーさん、ヒノマルはどこデスか? いつまでたっても来ないデス」

「あー、エル。今は気にせずやれ。あいつには別のトレーニングをやらせてる」

 

 エルは釈然としかったが実際そうなる理由がある。彼女はそのままトレーニングはと戻った。そして辺りを見渡すとピーッと口笛を吹いた。

 その頃タキオンとエレジーはタイムの計測に測っていた。今年で三度目のJWC、今お馴染みのメンバーでレースができるのも今年で最後かもしれない。

 切磋琢磨してきた仲、どれほど苦汁を飲まされていても絆は深まるものだ。特にチョクセンバンチョーなどは同じ国もありよく話す。

 そして炎天下の空の下、白い砂浜が美しいこの場所で二人は走る。

 

「こりゃ珍しい。まさかエレジーから誘いがくるとは」

「私も久々にバンチョーと走りたくなった。悪くないだろう」

 

 二人は睨み合って言葉を交わす。

 能力にどれほど差があっても二人はライバル。ならば遠慮は侮辱、全力こそ称賛。

 タキオンの合図と共にスタートした

 スタートしてから一秒、エレジーは前に出た。そしてコンマ数秒、バンチョーが先に出る。その差は開くことしかなく、エレジーは完全に負けた。

 

「やるねェエレジー。あんた前より速くなってんじゃねえか」

「ふ、以前は大差負けなどザラだが今は違う。私はおまえとの差を六バ身ほどまで縮めれたんだ」

 

 とはいえまだまだだ、とエレジーは補足した。

 しかしよくやったものだ。

 バンチョーはつくづくそう感じる。確実に入学当初は気配もしないような奴がいつからかその影を見るようになった。

 もしかしたらこいつは勝てるようになるかもしれない、そんな淡い期待が寄せていた。

 

「じゃあ今度はJWCだ。がんばろーな」

「ああ」

 

 二人は熱い握手を交わし決意を誓った。

 

 

◆◆◆

 

 

 時計を見る、秒針の音を聞く。

 完全にやることがない。

 ヒノマルは死んだ魚のようにぐったりと動かなくなった。

 ケータイでゲームをやろうとしてもいまいち面白さを感じない彼にとっては地獄。ウマ娘として、走らない現状にはもはや悟りの境地にいたるほどの苦痛だ。

 

「筋トレ……もできないのか」

 

 絶対安静は筋トレすらも禁じられた今、身体は完全に鈍っている。そんな状態では立って歩くことすら億劫だ。

 何かやりたい、でも動けない。

 心と体が矛盾した今は何もできない。

 しばらくゴロゴロして時計を見た。時刻はやっと九時を過ぎたところまだまだお昼には早い。二度寝から起きたのは七時でまだ二時間しか経っていない。

 あまりに遅い時間の経過に苛つきを覚えてきた。

 そんな時、窓を叩く音が聞こえた。

 ヒノマルは身体を起こすと、のそのそとそちらに歩み目を擦った。

 そこから見える影がなんとなく怪しい。

 おそらく鳥だろうが猛禽類の骨格。

 こんなに人に近いところに来るのか、そんな疑問を挙げながらも判断力の落ちた彼は窓を開けた。

 

「ん、おまえは確か……」

 

 エルの愛鳥、マンボだ。よく彼はコンドルと言われるがサイズ的にはタカがいいところだろう。

 そんなマンボは何やら巻かれた紙をしっかりと掴んでいた。

 

「なんだこれ」

 

 中身を確認すると小さな字で「元気ですか」と一言だけあった。筆跡を見ればエルのだとわかったがいつもと違い文字が小さい。

 ヒノマルは紙を取り、すぐさま返事を書いた。

 

「これをご主人に渡して──おい」

 

 手紙を渡そうとするとマンボは「キーッ」と鳴きながら部屋の中へ飛び移ってきた。

 流石に部屋は不味いと帰そうとしたがその気もなくずっと止まっている。むしろヒノマルの腕へと飛び移ってきた。

 うわっと驚きの声を上げたが仕方ないので彼の気のすむまで腕に乗せることにした。

 

「頼むから静かにしてくれよ。見つかると面倒だから」

 

 しかし退屈な時間の中、心強い仲間が増えた。折角ならばと思いヒノマルは思い切って部屋を出た。

 施設内は閑散としていてた。途中、人に会わないか冷や冷やしたがそれもまた楽しませるものであり、珍しくヒノマルはスリルを味わった。

 手始めに彼らは廊下を出てすぐにあるパーチの部屋に来ていた。真ん中に小さな机とその先にはテレビ。それ以外には特になく広い以外にはヒノマルの部屋とは大差がなかった。

 

「なるほど三人か。流石にトレーナーも別室か」

 

 部屋はろくに片付けができておらずさっきまでここにいたかのようだ。あまりいじっては来ていたことがバレるのであえて無視を貫いたが、机の上に何冊も積まれたノートがあった。

 特に下段のものは使い古されぼろ雑巾のように茶色くなりかけていた。

 

「誰のだろう? こういうのはタキオンさんだろうな」

 

 ああ見てみたい。もしかしたら怪我をした時のトレーニング、馬場における有利な戦法など有利な情報があるかもしれない。

 若干の罪悪感を覚えながらも好奇心は抑えられない。ヒノマルはそのノートの一頁をめくった。

 

「……これは」

 

 そこに書かれていたのはフランスのロンシャン競バ場、過去の凱旋門賞についてのレースの様子だった。他のノートにはフランス語で埋め尽くされたページ、合宿以前からのトレーニングや自主練習の内容が幾つにもわたって揃っている。

 

「エルの、だったか」

 

 よく見ると木場やタキオンの筆跡も見あたる。きっと二人だけにずっと相談していたのだろう。そのことがよく伝わる。

 この事実を知らないのは誰だろうか、自分だけなのだろうか。くだらない考えが脳を侵し、口の中に苦いものがこみ上げてくる。

 

「そんなわけない、言いたくない事情ぐらいみんなあるだろう」

 

 ヒノマルは若干の後悔を残しながら部屋を出た。

 

 

◆◆◆

 

 

 人が残りそうな食堂や厨房を避けながらマンボとヒノマルは探索を続けた。

 これと言っためぼしいものはなかったが動物とあちこちを周るという非日常がヒノマルの退屈を削り取った。最初は困ったものだがこういうのも悪くない。彼はマンボを見て口角を上げた。

 

 少し時間も経ち一階はもう飽きたと、しばらく歩き階段を上っていた時だった。普通ならトレーニングに行っているはずのカフェの後ろ姿が見えた。

 

「キィー!」

「こらマンボ、落ち着け」

 

 だが彼は落ち着かない。威嚇の体勢をとりカフェを睨みつけている。ヒノマルは思わずため息を漏らした。

 

「ん、お……あなたたちは」

 

 カフェこちらに気づいた様子で振り返らずヒノマルの名前を呼ぶ。

 

「すみませんカフェさん。このタカのことは黙っててくれませんか」

「ええ、構わ、構いません」

 

 そこまでカフェが言うとヒノマルは突如違和感を抱き始めた。

 彼女の喋り方は確かに『溜め』が多い。しかし今はためというより詰まる感覚。明らかに特徴が異なる。

 そして──ヒノマルの直感。彼からすればカフェの持つ雰囲気はおどろおどろしい恐ろしさ。しかし目の前の彼女からは荒々しい恐ろしさが放たれている。

 

「あなた、カフェさんですか?」

 

 思わず口から漏れた。

 しまった、失言だ。

 いくら相手が怪しくても無礼が過ぎる。すぐに謝ろうとしたが、喉から言葉が出なくなった。それはカフェがしないような笑みを浮かべたからだ。

 

「ククク、テメェらなかなかやるなァ、ええッ。流石と言ったァところか」

「──ッ、あんたは一体誰だ」

「アアァ、そうだな。俺の名前かァ、今は……サンデーとでも言っとこォかなあ」

 

 カフェ、改めサンデーはヒノマル達に顔を向けた。その姿はカフェと瓜二つだがワインや血液のような赤い瞳が特徴的で加えて歯がギザギザだった。

 

「なんでここにいるかは聞かない方がいいですか?」

「フフ。身のため、だな」

「わかりました」

 

 ヒノマルは確認してすぐに大人しくSSに従った。そしてすぐさま理解した。逆らえば命すらも──と。

 

「言っとくが、俺に人を食う趣味はねェよ」

 

 恐怖が伝わったのかサンデーは見透かしたかのようにくすくす笑う。

 そしてニタァとした笑みを浮かべ、

 

「テメェら、俺に付き合え」

 

 どうやらヒノマルには拒否権は無いようだ。

 



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34R 『本質』を知る

遅れて申し訳ありませんでした


 トランプを一枚捲る。現れたのはスペードのキング。ヒノマルは冷や汗をかきながらさらにもう一枚を捲った。そこに写っていたのは、

 

「残念だァがハズレのようだな」

「またか……」

 

 引いたのはハートのエース。サンデーはそのカードを見ると目を細めた。そしてそのままスペードのキングのカードを裏返すと今度は別のカードを引いた。描かれた絵はクラブのキングだ。

 そしてハートのエースを捲ると立て続けに隣のカードを捲った。

 

「また当てっちまったなァ」

 

 これ見よがしにサンデーはダイヤのエースを示してきた。ヒノマルは苦い顔をしながらも床のカードたちを見つめる。

 現在サンデーの提案で神経衰弱をやっているのだが彼女ばかり成功していてヒノマルはこれでは面白くない。別のが良い。と思っている始末だ。

 彼の手持ちはゼロ、それに対してサンデーが十ニ枚ほど得ている。

 

「すいません、つまらなくないですか」

 

 頬杖をつきながらヒノマルはため息を吐く。

 

「ハッ! そりャァ二人だからな。こういうのは多人数でェ意味がある」

 

 サンデーは再びカードを2枚捲ったが今度はハズレ。ヒノマルの番が回ってきた。彼は残りのカードを吟味した。いやらしいことにサンデーはヒノマルが捲ったカードを全て取っているため、すでに裏がわかっているのは先ほどの二枚──ハートの七とクラブのエース。

 冷や汗がつー、と頬に流れる。これを逃せばもうカードを得ることはできない、そんな気がしてきた。勝利の女神は誰に口付けをするのか、試される気分だ。「これでどうだ」と捲られたカードは──

 

 ハートのエースだった。

 

「ほう、やるじャねェか」

 

 二切れの紙がとても重い感触だった。普通ならなんてことも無いことだ。別に逆転できたわけでもない。だがヒノマルにとってサンデーから一本取れたことが嬉しくて堪らないのだ。クラシックロードでの苦渋を思えば、何と心地いいのだろう。

 

「さァ、もう一枚選びな」

 

 サンデーは不敵な笑みを消さない。彼女はむしろ火がついたように身を乗り出した。

 

 ──この気迫は一体?

 

 ヒノマルの指が震え、正常な判断を失った。そして、全く関係のないカードを捲った。

 

「しまった!」

「ククク」

 

 だが勝利の女神の口付けはヒノマルにあった。現れた数字は七、つまり露出済みのカードと同じ数字だ。

 

「なにッ」

「俺の勝ちです」

 

 サンデーの笑みは直ちにヒノマルへと移った。それもすぐ戻ってしまうのだが。

 

「……悪い、最後は俺の勝ちだァな」

「嘘だろ──」

 

 その後ヒノマルはカードを何枚も外し、そのままサンデーが差し返した。そもそも差し返したと言ってもヒノマルは一度も枚数でリードはしていないし連続で取れたカードの枚数も彼女に負けている。つまり、完敗ということだ。

 だが今のヒノマルは結構粘着質だ。このままではいられないと再び勝負を仕掛けた。そして三十分後。

 

「テメェ悲しくならねェのかァ?」

 

 哀れ。幽霊に憐憫の目を向けられるとは。

 ヒノマルはその後五回挑んだが悉く敗北。一回は上手くいった時もあったが虚しく敗北。もうプライドを立てることもなくボロボロになったのだ。

 

「なんでですか。なんでそんなに強いんですか」

 

 ヒノマルは床にうつ伏せになった。それを強調するようにマンボが頭に乗ってきた。爪が痛かったがそれも気にならないほどにサンデーの強さにやられてしまった。

 

「んなの、決まってんだろォ。迷わねェからだ」

「迷わない?」

「テメェはカードを取るときちょっとだけ迷う。だが俺は違う! 迷うのは手を伸ばす前だけ。決めたら俺ァ止まらねェだけさ」

 

 ヒノマルはさっきまでの光景を思い出す。確かに取る前にコンマ数秒、止まっていた気もする。だがその刹那が自信を表すのだ。しかし、

 

「関係ないんじゃないですか、それ」

「ああそうだ、運の有無だぜ。つまり俺が良すぎた訳だァァ」

 

 挑発行為とも取れる語尾の伸ばし。思わず手が出たがその拳は届かなかった。正確には捉えられなかった、が正しいだろう。

 

「本当に幽霊なんですね」

「そうだ。つーかこの喋り方疲れたな。普通でいいか?」

「キャラ作ってたのかよ!」

 

 サンデーは不気味な雰囲気を演じるのが疲れたようで語尾を伸ばすような喋り方をやめた。なぜそんな喋り方をしていたのかというと「ああ? 幽霊なんだから雰囲気出そうぜ」とのことらしい。

 このあまりに人間臭い幽霊にヒノマルは親近感が湧いてきた。ちょうど利害も一致しているのだ。このまま付き合うのも悪くないとババ抜きを始めた。

 

「サンデーさんはどの競馬場が得意ですか?」

「あー日本は知らん。俺はアメリカンなんだ」

「えっ、そうなんですか。じゃあGⅠ取ってたりします?」

「取ってるぞ。ケンタッキーダービーとかな」

「……強いですね」

「テメェもそうだろ。周りがアレなだけだ」

「そんなことないですよ。でも確かにみんな強いです」

「テメェな、強いヤツは自覚しなきゃならねェんだよ。下手な謙遜は嫌味だ。覚えときな」

「肝に銘じます」

「んでよ。パッパ、パッパ進んだおかげでもう2枚だ。ジョーカーは俺が持ってる。さあ選びな」

 

 ここで当たりを選べば勝ち。外れたらチキンレース、いやすぐに決まるだろう。それに目の前の幽霊が遥かに強い者だと知ると余計に肩をすくめる。とはいえ引かなければならない。

 どっちだ。相手はブラフもなにもしていない。故に完全な運試し、勝率も五分五分。ならばそれを少しでも引き寄せる──。

 

「サンデーさん。どっちがジョーカーですか?」

「アァ? んなの決まってるだろ。お得意様だぜ」

「つまり?」

「馬場適性」

 

 初めはわからなかったが理解した。つまりサンデーは馬場がどっち回りかという問題だ。右か左か、結局ヒントにはならない。

 そもそもヒノマルの得意な方なのか、それともサンデーか。またサンデーの得意な馬場がわからない以上どうすることもできない。一応断っておくと左右の選択はヒノマル目線だ。

 

「ハハ、分かんねェだろ。普通のブラフよりよっぽど効いてらぁ」

 

 サンデーはアメリカンのように豪快な笑いを飛ばした。

 そして数分、無駄な思考が脳を熱した。このままでは余計に時間を食らうまま。ヒノマルは意を決して──

 

「待てよ。俺は迷わんとは言ったが当てずっぽうほど萎えるもんはねェぜ」

「はぁ?」

「レースはそんな時間はない。だが今は違う。もっと冷静になれ」

 

 冷や水をかけられた気分だった。今なら先ほどの十倍は考えられる筈だ。

 ヒノマルは今までの会話を思い出した。そもそもサンデーが無意味なことを言う性格なのか、いや違う。故にヒノマルの知れる範囲で得意なものが分かるはずなのだ。

 

「そうか! サンデーさんは一つのレースしか言ってない!」

 

 サンデーが言及したレースはケンタッキーダービーのみ。具体的な内容は理解してないがダービーというくらいだ。左回りに違いないとヒノマルは考えた。そして二分の一になった。事態は結局は変わらない。だが確実にヒントがあるのだ。少なくとも会話を思い出せれば。

 

 そして腕が飛び出た。

 

 

「どうして分かった?」

「アナタ、俺の得意な馬場知らないでしょ」

「正解だ」

 

 初めて勝てた。勝てないと思った相手に勝てた。それがなによりも嬉しかった。ほんの一回だけに過ぎない勝利は今までのレースよりもヒノマルを酔わせた。

 

「ハハハ、良い食いつきっぷりだったじゃねェか。レースでも頑張れよ!」

「はい!」

「アァ、それとな」

 

 

 サンデーは弱ったような、心配そうな声で言った

 

「心の声が甘く聞こえたら注意だぞ」

 

 意味深に言葉を残したサンデーはトランプ以外のものを取りに行くとどこかへ行ってしまった。今ここにいるのはマンボとヒノマルのただ二人。しばらく暇だなと寝転がった時だった。

 マンボは急に窓の外へと飛び出したのだった。流石にヒノマルも危機感と共に焦って追いかけたがどうも初速はタカが早い。窓から飛び出るとみるみるうちに空へと高く飛んだ。せめて場所だけでもと目で追うと彼はとある地点に降り立った。そこにいたのはパーチの面々だった。

 それらが映った視界は──水っぽく歪んだ。訳もわからず声を上げた。そして頬が濡れているのがわかった。

 

「俺、そうか。泣いてるのか」

 

 ヒノマルは今までなぜ怒りや不満、やるせなさに満ちていたのかが涙と共にわかった。

 

「あぁ、怖かったんだ。みんなあっちにいるのが」

 

 怖かったのだ。一人だけでいることが恐ろしかったのだ。

 走ることができずに、トレーニングができずに、共に楽しむことができずに、一人でいることが堪らなく心に傷をつけるのだ。痛くて仕方なくて怖い。ヒノマルの心は一色に染まった。

 

 時刻は既に昼を過ぎ、ウマ娘も施設に戻ってくるだろう。だがこの部屋にはただ一人だけが片隅に座っているだけだった。



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35R ヒノマルの『罪』

 昼食後の砂の上。熱せられたそれは人もウマ娘も裸足ではまともに行動出来ず、靴という壁がなければ誰もが狂い踊るであろう。ハリボテエレジーはそんな中で自然な脚で歩いていた。そして誰かは聞くだろう。「熱くないのか」と。だがそれ以外エレジーは熱い状態になっている。

 ジャパンワールドカップ、略してJWC。それは夏合宿が終わるとすぐやってくるもので、十月第二日曜日には世界中のへんてこなウマ娘が集う。そのへんてこの中に当然、エレジーは含まれており、また彼女の親友チョクセンバンチョーも然り。彼女たちは唯一の栄光のために研鑽していたのだが……

 

「なんであんたこんなバカみてェな条件で!」

「いいだろう? いくばくか私が有利になる」

 

 エレジーが裸足なのははっきり言ってズルだ。作戦と呼ぶには少し卑しく、反則というには悪どくはない。バンチョーは彼女の耐久性に感嘆しつつも毒づき、目を細めて、いわゆるジト目で睨んでいるのだ。だがハングリー精神の強いエレジーには効果なし。平然とした態度で走り出したのだ。

 一方その頃、エルは水着に着替えてスタミナを鍛えていた。波に揉まれながら進むというのは困難であり同時にパワーも鍛えるのには最適解だ。隣には万一のことがあったようにゴムボートを漕ぐ木場とタキオンが声をかけていた。

 

「エル! フォームを崩すな! 疲れているからこそ、疲れないためのフォームだ!」

 

 現在エルは折り返し地点に立っておりあとは波と共に浅瀬を目指すだけ。少しだけ体勢を崩した。しかしそれが間違いだった。

 

「馬鹿野郎! 波にさらわれているぞ!」

 

 木場が投げ出した浮き輪に捕まるとエルはなんとかゴムボートに上がった。油断していた彼女は波の速さに押されてしまい沈みかけたということだ。流石に彼女はこれには反省して頭を下げた。

 その様子に木場は注意を一言だけ入れてそれ以上は咎めなかった。無茶をさせているのは自分だと木場も理解している。だが、もともとマイラー気質の彼女に2400メートルのジャパンCを勝たせるためには仕方ないことなのだ。

 

「次は絶対に油断するなよ。おまえは俺の大切な教え子だからな」

「了解デス! それにしてトレーナーさん。ヒノマルは元気なのデスか? エルはそれが心配デス……」

「あー。確かに今日のことはやりすぎたかもしれねぇ。反省するわ」

 

 三人が乗ったゴムボートは特になにも起きないまま浅瀬に着いた。あとは平穏な波の音がみんなの耳にするすると入っていくだけだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 若干古びた施設の床は歩くたびギシギシと音を立てる。木場は速る拍動に重ねながら真っ直ぐ歩く。そしてヒノマルのいる()()の部屋の前に着く。木場は一抹の不安を抑えるように息を吐く。そして引き戸を思いっきり開けた。

 部屋の端にヒノマルが赤い陽に照らされながらこじんまりと寝息をたてる。異常なく部屋にいてくれた安心感から彼は大きなため息をついた。

 

「ヒノマル、飯食ったら早く風呂入れよ」

 

 ヒノマルが男という関係上、ウマ娘が使う大浴場には入れない。そのため男性職員に混ざって入ることになるのだが、ヒノマルも思春期の男子である。彼は誰もいない時間帯に──極端に早いか遅いか──風呂に入る。木場もある程度は理解を示している。だからわざわざこの事を伝えにきたのだ。

 だがヒノマルはあまりにぐっすりとしている。このまま起こしてやるのもかわいそうだ。木場はそれ以上、体を揺らすことをせず、タバコを取り出して喫煙所に向かった。

 おおよその人間が嫌う匂いの中、木場は紫煙を吐き出した。体中に悪いものが入っている自覚はあるが彼は止めることはない。むしろその背徳感に心地良さを見つけていた。そして灰皿に火を押し付けようとすると、耳障りなノック

が聞こえた。振り向くとそこにはカフェのトレーナー、東がいた。

 

「なんの用?」

 

 ぶっきらぼうに答えた。

 

「やだなぁ。僕と木場さんの仲じゃないですか」

「うるせぇ。わざわざこんな所まで来やがって。一人の時間ぐらいよこせ」

「そうは言ってもですね、木場さん。ヒノマルくんが浴場に行きました」

 

 その情報になんの意味がある。木場は軽くあしらったが、どうやら東にとっては重要そうなことである。彼はじっと木場の瞳を覗いた。

 

「な、なんだぁ」

「ヒノマルくんの秘密を知るチャンスですよ。行かなくてもいいんですか?」

「ばーか! わざわざ思春期の子供に嫌われるようなこと」

「これどうぞ」

 

 尊敬する先輩を押し退けてまで東が渡したのはコピー用紙だった。そこには古い記事が貼ってあり、その年は十年ほど前である。

 すると木場は動悸が止まらなくなっていた。見出しから小見出し。さらには本文と目を進めるたびにその瞳は大きなものへと変化した。

 

「おまえ。これをどこで!?」

「知り合いの伝手ですよ。苦労しましたよ」

 

 東は肩をすくめた。探し出すのに相当時間をかけたらしく一部法外的手段にも乗りかけたぐらいだ。だがその苦労は木場の耳には入ってなかった。記事を東に押しつけるとヒノマルの許へと軽い駆け足になった。

 

「ちょっと、木場さーん! まあいいか」

 

 東はクシャクシャになった紙を元に戻し、今度は自分が読み始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

 大浴場はとても広く、ヒノマルだけならば泳ぐことも可能だ。だが行儀の悪いことはしない。というかできない。痛めた脚を早く治すためにも余計なことはやらない。彼は風呂に浸かると外の見える景色に黄昏た。

 悩みがわかったとはいえ、だからなんだというのだ。ヒノマルの中で何かが劇的に変わったわけではない。ほんの少しだけ、自分について分かったような気がする。それだけで自己否定が無くなるわけではない。

 

「そうだよ……だからなんなんだよ」

 

 ヒノマルの走る目的は変わらない。せめて生まれてきたなら名を残そう。ずっと同じ思いだ。そしてそこに私欲はあってはならない。これは償いであり楽しむものではないのだから。

 

「また一日、過ぎたな」

 

 日も暮れて暗闇がやってきた。さらには雲もやってきて光を遮断する。すっかり月も隠れた夜だ。

 風流がないなと呟くと引き戸開けられる音がした。

 

「よお。元気か」

 

 木場が現れた。当たり前だが纏うものはなく美しい筋肉が丸見えだ。ヒノマルは逃げるように湯船に浸かり彼と向き合った。その睨む目は逆鱗を触れられた竜のように爛々と光っている。

 

「何しにきた」

「んなの決まってるだろ。裸の付き合いってヤツだ。隣──いやそのままでいいわ」

 

 互いに睨み合うように浸かった。互いに一歩も動かず事態は耐久戦へと変化した。だがヒノマルのほうが浸かっていた時間が長い。みるみるうちに顔を真っ赤にさせてふらふらお頭を揺らしている。だが決してその目は変わりなく睨み続けている。

 

「なあ。俺が憎いか?」

「そんなわけない。でも、怒ってはいる」

「走らせなかったからか」

「違う! なんで俺とおんなじ時に風呂に入ってきたんだ!」

「悪りぃ。でもよ、おまえの過去を少し知った」

「ッ──! まさか」

 

 そこでヒノマルは転倒した。予想していた木場は急いで駆け寄った。そこで彼の一番の秘密に触れたのだ。

 

「うッ! ヒノマルがずっと素肌を見せなかったのはこういうことか!」

 

 そこには爛れた皮膚がこびりついていた。ヒノマルがずっと罪の証と呼び続けたそれは背中にこびりついていた火傷痕のことだったのだ。

 そして木場の脳裏に先程読んだ記事が思い出された。その記事の見出しは『唯一のウマ男、放火』。その時期から照らし合わせると実に幼少期のヒノマルの背に焼き付けられたのだ。その痛々しさに木場は目を背けたくなった。だがやっと知れた教え子の過去なのだ。手放すつもりは毛頭ない。すぐに湯船からヒノマルごと上がると彼はヒノマルの部屋でじっと座って待っていた。

 数十分だった時、ヒノマルは目を覚ました。一瞬木場を睨んだがすぐに諦めににた表情になった。

 

「やっと起きたか。ヒノマル、おまえの過去を教えてくれよ」

「……嫌だって言ったら?」

「今は聞かねぇ。おまえに辛いもん、思い出させるもんな。でもよ、おまえの口から聞きたい。純粋に心配なんだよ」

 

「意地でも聞いてやる」と付け加えると木場は服を投げた。ヒノマルはなんとか受け取ると無言で着替え始める。

 

「……トレーナー。俺の部屋に来てくれ」

「ん、わかった」

 

 木場は頷いた。それ以上何かを言うわけでもなく天井を見つめた。

 

 

◆◆◆

 

 

 重たい話になるのはわかっている。話すことが辛いのもわかってる。だがトレーナーとして、導く立場としてヒノマルを受け止めてやらなければならない。ゆっくりと一歩を進める。

 部屋につけばヒノマルが椅子にちょこんと座ってる。髪が垂れていて顔は見えないが分かってしまう、そんな雰囲気だった。木場は真正面に座ると少し口角を上げた。

 

「久しぶりだな、こうやってゆっくり会話するのは。俺も叱ってばかりは疲れるからよぉ。絶対におまえを拒絶もしない。ゆっくりでいい。話してくれ」

 

 ヒノマルの首が上下に動く。

 

「俺は、見ての通り男だ。だから病院にいたときから家にいるときも、記者はずっといたんだ。だから父さんと俺は何も言わず実家から遠くへ行ったんだ」

 

 たかれるフラッシュ。その眩しさを忘れたことはない。

 

「前にも話したよな。母さんは俺を産んだ時に亡くなったって。だから父さんが俺を一人で育ててくれたんだ。でも無理がある。その時に助けてもらったのが所長だ。あの人はずっと俺たちのことを気にかけてくれた」

 

 それでもマスコミの調査能力は半端ではない。ヒノマルたちの居場所は突き止められた。

 

「だから父さんは、きっと疲れたんだ。俺が憎かったんだ。父さんは自分ごと家に火をつけた。あとは……」

 

 言葉はそれで途切れた。これ以上言う必要はない。なぜなら木場がもらった記事。そこにはその真実が書かれている。

 

「つまり、そこでおまえは背中の火傷を負ったのか」

「うん」

 

 だが木場は訝しんだ。なぜなら記事の見出しは『愉快犯、放火』。つまりヒノマルの話とはわけが違うのだ。今すぐ聞きたいがそれは無理な話だ。今度、誰かに聞くことにした彼はヒノマルをそっと抱きしめた。

 

「辛かっただろ。俺にはなんもわかんねぇけど、一つだけ言える。おまえはなにも悪くない」

 

 鼻水を啜る音がこだました。木場は濡れた肩に目をやり、そのまま時間を過ごした。



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36R 父との『思い出』

 薄暗い部屋の中を月明かりだけが照らしている。今は黄金色に見えてあたたかさを感じるがその日は一段と青白い月が見えていた。あの日から彼は自分を許せなくなっていた。遠い遠い、父との記憶。

 

◆◆◆

 

 パシャリ。

 田舎ではそうならない音が空気を裂く。隆二は聞き慣れたくなかったそれにため息を吐くと息子の名前を呼んだ。

 

「ヒノマル。ごめんね、いつもいつも。こっちに来ようか」

 

 彼の息子は産まれてまもない、数ヶ月も経っていない赤子だ。そして人間にはない耳と尻尾を持っている。この子こそが巷で話題のセンジンヒノマルだ。

 ヒノマルは無邪気に笑うと手を伸ばした。隆二はその手に触れ慈しみ、同時に憎らしくもあった。というのもそれはヒノマルの出生に原因がある。

 

「ヒマちゃん、しっかり!」

 

 ヒノマルの母、ヒマワリは流産を経験していたということもあり若干、精神的に衰弱していた。そこに出産後の大量出血が重なり他界した。

 なにもせず逝ってしまったわけではなく医師たちも尽力した。だが敢えなくそれも終わり、ヒノマルだけを残して彼女は帰らぬ人となった。

 

「ごめんな。情けない父親で。こんなにも可愛いおまえを、憎む俺を許さないでくれ」

 

 再び我が子の頬を隆二は撫でる。せめてこうやって触れることが唯一の父親としていられるのだと零しながら。

 そして水を差すようにインターホンがなる。毎日のようになるそれは時間を考えずにやってきたりもする。ピンポンとうるさいそれは大概マスコミのものだからと彼は無視を極めた。

 こうなること覚悟をしていなかったわけではない。そもそもヒノマルが男だと発覚した時点でどうなるかは想像に難くなかった。

 

「大変伝えにくいですが、男の子です」

 

 ヒマワリのお腹も大きくなったころ、検査をすればありえない結果が出た。

 

「あの、俺たちの子供はまたウマ娘なんですよね」

「そうです。前回と同じように頭の方に耳が見えますよね。ですが完全に男の子の特徴があります」

「……それじゃあこの子は、いったい」

「分かりません。ただこのことはできるだけ秘匿しておきます」

 

 二人は受け入れるしかなかった。否定したところでお腹の子が女の子になるわけではない。そして同時に眉間に皺が寄った。間違いなく産まれてくる子はまともに生きることは限りなく不可能に近い。それを理解できないほど、お気楽には生きていない。

 だがどうすれば良い。こんな事例は過去を遡ってもあるわけがない。妊娠することは二回目でも、子育ては初めてだというのにこれ以上の重圧をどう背負おうか。それを思えば隆二は自然と拳を握りしめていた。

 だがそれをすぐに彼は解いた。周りを見れば皆は怖いものを見ているような目線をかけられている。彼は「すみません」と謝ると脱力した。

 時はすぎて出産予定日の二週間前になった。近いうちにヒマワリは入院することになるため家族ぐるみで準備を行っていた。

 母に従い準備をしていた隆二は部屋の隅でちぢこっているヒマワリを見つけた。

 

「どうしたの」

 

 触れたその手は大きく震えていた。そして何かが壊れるように彼女は涙を溢れさせる。

 隆二はわけもわからず汗をかく。しかし彼女の開く口を見ると戸惑いは消えた。

 

「私、今更不安なの。またお腹の子供を失うんじゃないかって」

 

 当たり前のことだ。流産をしておいて不安なわけがない。その時は赤ん坊は子宮から出てこれたが衰弱した様子で出てきた。懸命な処置をしても復活することはなく、そのまま他界。

 そして今度はまた同じことが起きるのではないか、それが恐ろしくて仕方ないのだ。

 

「やっぱり怖いわけないよね」

「うん。とっても怖い」

「でもね、やっぱりどうしようもないんじゃないかなって。そう思うんだ」

「どういうこと?」

「ほら、あの時は元々お腹の中の子はあまり成長できてなかったって先生と言っていた。でも今回は違うだろ。きっと前回とは違うことになると信じてるけど、どんな時だって意外なことは起きてしまう。

 だからね、これ以上悩んでも仕方ない。忘れようとは言わないけど、考えないでいこう。あの子はあの子、この子はこの子ってね」

 

 そして出産予定日がきた。その日は珍しく雪の降って、頬が真っ赤に染まる。はやる気持ちを抑えながら隆二は仕事を早く終えて、それこそウマ娘のように病院へ駆けつけた。

 急いで、静かに病室に着くと看護士が状況を伝えた。曰く、難産であると。ただ隆二はそれを聞くことしかできず見つめるほかない。

 どくん、どくん。誰の鼓動だろうか。彼は自分の鼓動のうるささに自分のものだと認識できていなかった。それほどまでに感覚が()()()()とけたたましく広がっていく。落ち着きを取り戻せない隆二は一旦病室を出た。

 

「あぁ。なにやってんだよ」

 

 思わず自分を殴りたくなる。だが衝動を抑えて近くの椅子に座った。天を見つめて何になる。ただ「ぼー」としてどうしたい。このままなにもできないのか。もどかしくて頭を掻きむしると小さな着信音が聞こえた。

 

「ユーイチ?」

 

 電話の主は大親友、福井悠一のものだった。

 

「もしもし」

「やあリュージ。僕だよ」

「ひ、久しぶり」

「どうしたそんな声を震わせて……なにかあったのか」

「色々とね」

 

 隆二は身に起こった全てを話した。ヒノマルのこと、そしてそのお産に立ち会っていることを。

 

「そうか。それはすまないね」

「いいよ。むしろ気が楽になった」

「よかった」

 

 そして電話の向こうで少しだけ唸り声が聞こえた。それが止むとコホンと一息ついた悠一は澄ました声で話しかけた。

 

「よかったら、子供は僕が預かろうか」

「え?」

「恐らくだが、君たちには予想もないくらいに重圧もかかるし子供だってそれを食らう。きっと二人だけだと耐えられない。だから──」

「ユーイチ」

 

 どすの効いた声だった。

 

「俺は、親として子供に向き合いたい。だからおまえに頼りっぱなしはダメだと思う」

「でも、それじゃ」

「だからユーイチに全部頼るのは最後だ。俺たちになにかあった時に頼んだ、親友」

 

 そしてできるだけ明るい声で言い放った。向こうからは嗚咽に似た声が聞こえた。そしてなにかを啜る音がしたと思ったら返答がきた。

 

「わかった。でも僕にもサポートさせてくれよ、親友」

「うん。ありがとう!」

 

 そして病室に戻り、悲劇は起こった。最初で最後の家族写真はここで撮られたのだ。

 

「ヒノマル。最期にヒマちゃんはさ、おまえの名前を言ったんだよ。声が消えそうな中で振り絞って、やっと言ったんだ。俺の相談無しにね」

 

 隆二は悪戯っぽく笑うとヒノマルの頬をつついた。それは柔らかくてすべすべして──

 

「戦いの神様のように立派に勝ち、太陽のように輝く。それがおまえの名前、戦神日の丸(センジンヒノマル)

 

 ──お日様の香りがした。

 

「なあヒノマル、遠くに引っ越そうか」

 

◆◆◆

 

 悠一の車で揺られて小一時間、二人は外に出ると一戸建の木造の家の前にいた。

 

「僕の持てる限りの伝手で見つけた空き家だ。住宅の密度も薄いしいいところだろう」

「うん。ありがとう」

「それじゃあリュージ、元気でな。ヒノマルも」

 

 ヒノマルはくぅくぅ眠っている。その頭を優しく撫でるとユーイチは足早と去っていった。

 新しい生活が始まる。親の助けはないが自分一人で立派な父親になる。隆二は決心を掲げて扉を開けた。

 

「予想していたけど酷いな」

 

 だが数日後、もうここを嗅ぎつけたメディアがやってきた。一時間に二度ほどなるインターホンはもはや故障を願うくらいにはうざったい。彼は無視を極めながらひたすらに育児に手をかけた。

 そもそもここにやってきたのは他人に迷惑をかけないためだ。近隣の住民はどうなのかと聞かれればそこまでだが、とにかく彼は身内に被害が行くのが嫌だった。そのためシングルファーザーとしてここまで逃げてきた。マスコミがやってくることは寧ろ計算内であり、彼からすれば良いことであった。

 

 そして二年が経った。ヒノマルは成長が早くすぐに歩けるようになりよく散歩に連れていた。マスコミもそろそろ少なくなり時間を図って出歩くようにはなってが、それでも密着したりする輩はいるものだ。

 

「すみません、お話いいですか」

「こっちは時間がないので」

「一言だけでも! 息子さんについて」

「本当にすみません。どいてください」

 

 こんな具合で来ることもあり、酷い時は五社連続で来たりといらぬモテモテ度を発揮するときもある。そんなことから隆二は粘り気のないスライムのように伸びきってしまった。それでも彼は頑張るのだ。愛する妻の忘形見に恥じないため、息子のために。だから隆二には限界がなかった。困難を跳ね除ける力が確かにあったのだ。だがこの問題は彼だけのものではなかった。

 ある日のこと、いつものようにインターホンがなったと無視をした。だが今度はどうもしつこく帰らない。重たい腰を持ち上げて戸まで行くと不思議とそれを開けたくなくなる。だが開けなければいけないと思いっきりに開けてやった。すると目の前には近所の人たちがいた。

 

「あれ? みなさんおそろいで……」

「あのねぇ、あんたが悪い人じゃない事はわかってんだけどね」

 

 ──でていってくれ

 仕方がないことだ。隆二やヒノマルのことで近隣住民たちは飛び火を喰らって気分がいいはずがない。理解していなかったわけではないがこれはマスコミの波よりも、痛い一撃を残していったのだ。

 

「ヒノマル、どうしよう。俺疲れちゃったよ」

 

 一日を置いて夜、出来事を整理した。

 隆二は他人様に迷惑をかけまいとここまでやってきた。だが結局、ヒノマルのせいで誰かに迷惑をかけている。彼はどうすることもなく若干疲れが見え始めた。床にへばりついた。

 その時だった家の中に煙が充満していると気づいたのは。

 

◆◆◆

 

 傷が久しぶりに痛んだ。ヒノマルは目が覚めると隣にいる木場に驚いた。なぜここにいる。

 だんだんと思い出せば、精神の安定するまでと木場が同じ部屋で寝ることになった。だからここにいた。それを思い出すとのっそりと立ち上がり窓を見る。

 なぜ今になり父を思い出す。そこには見たくないような、記憶がある。ヒノマルは再び目を閉じると景色に合わせて記憶を辿った。



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37R チームに『言葉』を

新年あけましておめでとうございます

長らくお待たせしました!
次回、おそらく未完最終回です。読者の皆さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました


 物が焦げた匂いは、あまり好きじゃない。不快なものに包まれるというのは堪らない屈辱にも似ていた。隆二は煙を吸い、立つこともままならないまま這いずってヒノマルの許へと進んだ。そして残る体力で携帯電話をかけた。

 そしてツーコールもしないうちに彼は出てくれた、

 

「もしもし僕だ。リュージ、何かあったのか?」

 

 悠一は心配の声をあげた。だが返事は返ってこない。声を大きくしても隆二は何も喋らない、いや喋れない。ただ上げるのは咳き込む音だけ。悠一も只事ではないとすぐに悟った。

 

「リュージ、家にいるのか? 僕が今すぐ向かう!」

「いや、待って……」

 

 やっと隆二は声を絞った。本当に弱々しく、老いぼれのような枯れた声だった。

 

「俺よりも、ヒノマルだ。もし俺に何かあったら、その時はって頼んだから」

「リュージ、まさか……ッ諦めるな!」

 

 だがリュージは悟ったような目で電話を切り立ち上がる。せめてヒノマルが火の手に晒されないように、遠くに運びたかった。だが力が入らない。視界もぼやけている。それでも動こうとした。

 だから彼はぎゅっと抱きしめた。我が子を守るために力いっぱいに、わがままに抱きしめた。

 

「こんなところで、か。ごめんね。ちょっと疲れて眠るだけだから……一緒に、生きたいから」

 

 それが最期の言葉になった。そしてヒノマルの耳に、奥底にべったりと焦げついた。

 

◆◆◆

 

 父の最期の言葉は忘れられないもの、忘れてはいけないものだった。いつしかそれは呪いに転じてヒノマルを閉じ込めてきた。「一緒に生きたい」という言葉は父を求めさせ、彼をその許へ行かせる死へ近づけさせるには充分だった。

 だがある日、それはヒノマルの原点となるレースで綻び始めた。そして今に至り、生きたいと体が、魂が叫んでいる。ゆえに彼は外の世界へと飛び出して己の名前を残したいとまで欲求を取り戻すことができた。やっと歩き出すことができたのだ。

 焦げついた思念は簡単には剥がれなかった。だがあの日のことを思い出し、そして今を積み重ねた。もう縛るものなどない。あとは魂の思うままに進むだけだ。

 

「そうか。俺は愛されてるいたのか」

 

 不思議と涙は出なかった。代わりに笑みが溢れた。ヒノマルはなんだかおかしくなってぷくぷくと笑い出した。

 

「うん。ありがとう父さん、俺を守ってくれて。この傷は罰なんかじゃなかった。父さんの最期を思い出すための、鍵だったんだ」

 

 窓を開けて風を浴びる。もう湿っぽい匂いはしなかった。山の香りを連れた実りを感じる風だった。

 

 そして数日後、ヒノマルはジャージに着替えて砂浜に立つ。

 

「センジンヒノマル、復帰しました! 迷惑かけてすみませんでした!」

「おう、ほんと心配させやがってよ」

「全く怪我を嘗めるなと言っただろう」

「暴走しないか心配デース」

「んっ」

 

 お出迎えをしたのは総スカンだった。

 それはともかく、驚異的な回復力により脚の怪我もおおむね治り復帰宣言が出た。やっとみんなと一緒にトレーニングできる。そう思うと心が躍って仕方なかった。ヒノマルは笑顔でチームメイトの許に走り出した。

 

「それじゃあヒノマル、遅れを取り戻すぞ」

 

 そして徹底的な扱き。トレーニングに次ぐトレーニング。遠泳に砂浜ダッシュ、筋トレにビーチフラッグときどきクイズ大会。必要性を問いたくなるメニューもあるがこれをより濃くされたメニューをヒノマルはなんとかこなした。

 それが終える一週間後、彼は最初の元気はどこへやら。すっかり消沈していた。

 

「すっかりやられてしまってるねぇ。ちゃんと休息はとっているかい?」

「も、もちろんです、タキオンさん。言われた通りのストレッチもやってます」

「過不足は?」

「ありません」

「よろしい」

 

 そして現在タキオンによる健康診断が行われていた。結構圧がすごくて謎の薬も飲まさせるため人気はないが、怪我をしたヒノマルには拒否権がない。渋々、というほどではないが抵抗を残しながら彼はそれを受けた。

 しばらく検査をしていると前の戸が開いた。現れたのは見知った段ボールの謎の被り物、エレジーだ。

 

「いや突然入ってきてなんのようですか」

「ヒノマル、君は一皮剥けたようだ。目を見ればわかる。約束通り、私の全てを話そう」

 

 すると被り物はタキオンに預けられ、隠された素顔はあらわになった。そこには短く切り揃えられた髪に左頬にある大きな傷、そして剃刀のような目が美しい端麗なウマ娘がいた。

 

「エレジーさん、その傷は……」

「私が初めてレース中に転倒した時の傷だ。二度と消えないらしい」

 

 そして彼女は左頬を撫でた。その時の瞳は虚。なにも映さずそこにはなにがあるのだろうか。タキオンもヒノマルもただ沈黙を守っていた。

 

「そろそろ話そうか。あれは──」

「待ってください!」

「ん、ヒノマル?」

「まだ、大丈夫です。その傷のこと、話してくれてありがとうございます。俺もエレジー先輩と同じで傷があって」

 

 そして彼はトレセンに来て以来初めて誰かの前でずっと来ていたインナーを脱いだ。あらわになった傷に二人は目を見開く。そしてエレジーの顔色が青くなった。

 

「まあ、見て気持ちいい物じゃないですよね。すみません。でも知って欲しかったんです、俺の原点。みなさんを心から信頼した証として、本当にいつもありがとうございます」

 

 ヒノマルは二人へ心からの笑顔を見せた。

 

 

 それからいくつか日にちは進み、夏合宿も終わりが見えた。練習は終わったが今日という日はまだ終わらない。

 

「ヒノマル、着付け手伝ってくれ」

「任せてくれ、きつくないか?」

「大丈夫だ。まだそんな腹は出てねぇ」

 

 私服の甚平に着替えたヒノマルは木場の帯を締める。彼の私服には和服も何個かあるため手慣れた作業だ。

 なぜこのように着替えているのかというとそれは近くで夏祭りがあるからだ。合宿で頑張った分、学園関係者の何割かはそこに行き、パーチももちろん楽しむタイプだ。

 

「これで終わりだ。うん、似合ってるよトレーナー」

「ありがとな。おまえも良いもん持ってんなぁ。若いのにそんな服、まあまあ高かったろ」

 

 木場は甚平の裾を持ち上げて聞く。

 

「そうだな、一万円とちょっとだった」

「そうか……出してやろうか?」

「いやいらない。レースの賞金で買った物だしあんまり痛くはなかった」

 

 レースに勝つと当然のことながら賞金が出る。とはいえ学生身分にとってはあまりの大金のためほとんどがトレーナーに支給される。だがパーチのメンバーは普通のウマ娘よりも多くの金額を渡されている。これは木場の計らいで彼曰く「走ったのは本人だし、そりゃ報酬出さなきゃやってらんねぇ」とのことらしい。

 それもあってヒノマルは割と手軽に服を買い足せるほど懐が暖かった。甚平も何着もあり人にも貸せるほどある。

 

「そろそろ女子陣もいい頃合いだろ。見てきてくれ」

 

 そう言われたのでてくてくと女子部屋に向かう。やはり夏祭りに行く者が多くすれ違うウマ娘たちは色とりどりの浴衣を着ているものもいる。中にはジャージのままやただ私服の子もいて、ヒノマルは「それも青春か」と横目に流した。

 部屋の前に行くと不思議な緊張に包まれる。目の前にはチームのみんながいる。だが普段とは違う姿で……などと妄想するとやはり緊張する。女性に対する免疫はできたつもりでもやはり接してきた時間が短い、要するに不安だ。

 意を決して戸に触れて呼び出そうとする。

 

「ヒ、ヒノマルですが。入っていいですか?」

 

 裏返って変な声が出た。我ながらなんと気持ち悪いかとヒノマルが自己否定に入りそうになると奥からどうぞと呼ばれる。一安心するとそのまま戸を開けた。

 すると目の前にすぐ入ったのは太陽のように明るい赤。

 

「どうだいヒノマル君! なにか一言かけてあげなよ」

 

 おめかしをされたエルだった。真っ赤な浴衣に相性のいい帯を可愛く結び髪も普段とは違いお団子に結われている。他の二人は特に何もない状況からおそらく、囲まれておめかしをされたのだろう。ヒノマルはそう結論づけた。

 頭の中でそんなことをしているとエレジーが寄ってきて誰にも聞こえないくらいの声で耳打ちをした。「早よなんか言えや」と。そして彼は思い出しかのように言葉を紡ぐ。

 

「あ、えっ、その……」

 

 だが彼はめんどくさい。ここで素直に褒めていいのかと邪推してしまう。だがその姿を賛辞したい。心が二つある状態での結論は──

 

「と、とても似合って綺麗だ!」

 

 逃亡しながらの褒め言葉であった。

 そしてヒノマルが知るよしはないがこのあとエルの顔は着物に負けないくらいの色になったのだ。

 

◆◆◆

 

 逃げる様に戻ってきたことを木場に問い詰められ弄られ、女子陣と合流してもまた同じこと。若干気まずい空気の中、パーチの五人は夏祭りへと向かった。

 ヒノマルにとっては初めての祭囃子だった。五感全てで味わうそれらは彼を酔わせるには充分だった。

 

「祭りだっつーのに体調崩しちゃ世話ねぇな」

「はぁ、すまんトレーナー」

 

 ひとまず人気のなさそうな神社の階段前に移動して彼を休めていた。

 

「いいって、いいって。それじゃエル、悪いけどこいつの様子見といてくれ。なんか買ってくるわ」

「は、は、ハイ! 了解デス!」

 

 さっきから会話の一切なかった二人が並んでもどうすることもできない。ただエルはヒノマルの隣に座りじっとしている。雑踏の中で消え入りそうなこの空気は、なんとももどかしい。

 

「エル」

「あの」

 

 二人の声が重なった。きっと譲り合うことになるだろうからヒノマルはおもむろに声を出した。

 

「もしかして怒っていたりする?」

「……ケ?」

「いや、俺があの時──呼びに行った時に発言したことが気に触れたかなぁ、なんて思って。実際どうなのかわからないから」

 

 思いっきり逃げてしまったあの瞬間。もっと正面からむかえればよかった。その()()が心を燻らせていた。

 

「アハハハ! 違うデスよ、ヒノマル。エルは怒ってませんし、むしろ嬉しかったです」

「本当か!? よかったぁ……でもごめん。褒め言葉の一つや二つぐらい、ちゃんと言えばよかった」

「ッ、べ、別にエルは構いませんよ! だって、だって──」

 

 顔を真っ赤にさせていた。なんて言えるわけもなくまたもどかしい雰囲気になる。数秒が十秒にも感じる、そんな感覚だった。そこにたけを割ったようにエルは声を上げた。

 

「どうかしたか?」

「ヒノマル、やっぱりエルは怒ってるデス」

「えっ、そんな……でも何に?」

「アタシ以外のチームの人にはありがとうって言ったのにアタシだけは何もないなんて、どういうことデスか!? それは許せないデース!!」

「あ、それは……」

 

 ど忘れ。完全など忘れである。これほどまでに失礼な男がいて良いのか、いや良くない。だが言うタイミングがなかったといえばなかった。

 彼は遅れを取り戻す為にかなり忙しかった。タキオンとエレジーも偶然隙間ができたから話せたのであって、そう言う意味では仕方ないとも言える。

 

「これにはワケが……!」

「ワケがあっても許さないデス!」

 

 とはいえ失礼なのはそうだ。ヒノマルは言い訳をやめて向き合った。

 

「そうだなぁ。エルには私生活でも世話になったし、同期ってことで仲良くしてきたし、本当に。ありが──」

 

 だがここでヒノマルは止まった。

 

「ヒノマル?」

 

 本当に言うべき言葉はそれなのか。そうではない、きっと別の言葉だ。それに気づいた彼は頬を叩き、立ち上がった。

 

「俺は、あえてありがとうを言わない! きっとこれからも感謝するだろうし、それにこんな関係じゃない。『負けてなんてやるものか』! きっとこう言うのが正しい。

 俺はエルと違ってGⅠ取ったりしてないけど、目指すところも違うけど、負けたくない! 同じバ場を走ることが無くても、ライバル同士だ! だから負けてなんてやるものか! これが正しいんじゃないかって、思うんだ」

 

 心の底からの闘志だった。轟々と燃えるそれはまさしく太陽(ヒノマル)。立ち昇るそれはまさしくウマ娘の本質であった。

 

「だからエル、悪いけどありがとうは言えない。本当にごめん」

「……いいえ、ヒノマルがアタシのことをそこまで思ってくれていること、とっても嬉しいデス!」

 

 思わず頬がほんのり朱に染まる。普段は見えないようなその顔を見たヒノマルに電撃が走った。頭にハグが発見されたような気持ちになった。そして暴走した彼はエルを抱きしめた。

 

「──ッ! ヒノマル、なにしてるの!?」

 

 そして良いのか悪いのか、彼が帰ってきた。

 

「おー、盛大にいちゃつきやがって。こりゃほっといていいんじゃねぇか」

「ちょ、トレーナーさん助けて! トレーナーさん!」

 

 エルの可愛い絶叫がこだました。




 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は黙って見ていた。

「ふふ、どうやらいい方向に舵が向いたか。流石は──」

 彼は大人しく沈んでいった。


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38R 夢へと『菊花賞』/『セイウンスカイ』、その二

今まで、応援ありがとうございました!
読者の皆様にはもう更新されないんじゃないかって不安にさせてきたと思います。完結が目標と言ってましたが、正直モチベーションを保てなかったり、創作の難しさが想像以上にキツいなどが未完に至る理由です。

最後にこの作品を愛してくれる皆様、もし続きが投稿されるようなことがあったらまた会いましょう!


 

 そして夏合宿は終わった。長かったような短いような、でも確実に感触のあるものだった。心残りや後悔はたくさんあるけど、その分成長できたはずだ。

 俺はこの道に来たことが何より嬉しい。この場に立てたことが嬉しい。そして、全力で爪痕の残せる。何よりも心昂る。

 

 走って、走って、最後まで走り切る。

 さあ、地に足つけよう。いざ昇らん。

 

◆◆◆

 

「早く走り過ぎだ、止まれ!」

「え、でももう少しだけ……」

「ダメだ、ダメだ!」

 

 木場はヒノマルの駆け足を止める。怪我はある程度治ったとはいえ、完治とまではいかない。再発されると困る者しかいないのに、どうしてもこう元気なのか。ウマ娘の性なんだろうなと遠い目で見つめた。

 

「いいか。最後の最後に泣くか笑うか決めるんだ。それにまあ、今回は前哨戦抜きで行く。セントライト記念辺り使おうと思ったんだけどなぁ」

 

 怪我が思いのほか早く治っていたとしてもまだまだ脚部不安はある。そんな中でレースに出すわけもなく、胸にしこりを残しながら菊花賞に出ることになる。

 

「しっかり叩いてやりたかったし、何より勝利数足りてるかって話でもあるしな」

「もう、その心配は仕方ないだろう。出れなければそれまでだった、そうだろう?」

「おまえ、ちょっとドライになったな」

 

 かれこれ十月になった。余裕も少なくなり、怪我も完治したヒノマルは再びハードなトレーニングへと戻ることができた。レベルを5段階に分けるなら三ぐらいだろうか。適度に負荷をかけて筋肉を育てる。

 そして何よりも彼が今伸ばすべきポイントはキレ。京都のターフは持久力はもちろんだがキレが必須の能力となっている。元からの持久力と強い心肺機関を持つ彼はより最高速度を上げるように鍛えていた。

 

「おっ、悪くないタイムだ。やっぱ夏合宿で先に持久力伸ばしてて良かったぜ」

「うん、今の感覚は掴めた。それに止められるだろうがアレをやる」

 

 途端に木場の顔は青くなった。

 

「えぇ……嫌だよあんな変なことするの。それに今負担をかけ過ぎるわけには──」

「トレーナー。俺はこの世に名前を残したい。生きてきたことをみんなに知っていてほしい。だから寧ろ本望だ」

 

 そう言われると引き下がるしかない。だが木場としてはその作戦はやめてほしかった。勝利を目指すにしても体を労るにしてもやめてほしいと思うしかなかった。

 

「わかったけどよ、絶対に終わらせんなよ」

「ふふ、約束する」

 

 ヒノマルはターフに戻り呼吸を整える。青い匂いが和ませるような、露に濡れてより鮮明に感じる。靴紐をしっかり結び今という時間を噛み締める。この緊張が少し好きなのだ。

 ピンと張り詰めた弦のように、集中する。そして木場からスタートとの合図を受けるとそのスピードを上げて行く。風が頬を撫で切り、その感覚を掴み取る。だんだんと五感が鋭くなり地面の濡れ、ラチのその先、地面蹴り上げる音、どれもかしこもわかった。

 そして上り坂を走り、コーナーに入って下り坂。そのスピードは最骨頂に至る──ことはなかった。失速をするとそのままゆっくりホームストレッチまで歩いた。

 

「ヒノマル。やめろとけ、それでいい」

「悪い、ちょっと我慢が効きそうになかった」

「ほんと不安になるようなことやめてくれよ」

 

 やろうとしていたことは第3コーナーからの加速。いわゆるタブーだ。

 バインダーをパタパタあおり汗を乾かしながら木場はサングラスを掛け直す。預かった教え子をこれ以上壊すわけにはいかない。その使命が彼にあるのだ。当然冷や汗の一つや二つぐらい出る。

 

「ヒノマル、それ以外なら、バ鹿げたことを許容してやるが……流石に負担が大きすぎる」

「なるほど。あんたはやっぱり最高のトレーナーだ。そうするよ」

 

 一方ヒノマルも汗を書くがそれはさっぱりとした、そう青春味と言いたくなるようなそれだった。

 

◆◆◆

 

 数日後、ヒノマルは土手を歩いていた。何もトレーニングをサボっているわけではなく木場直々に「休めバ鹿」とのお叱りを受けて歩いている。

 とはいえ、いつも急に休もうと思っても充実した日が過ごせるわけでもなく退屈でしかない。ならばと思い、軽い運動がてら散歩をしているのだ。そしてこうして日だまりの中を歩いているわけだが、やはり面白みがない。

 割と土手の方には自主トレで来ることがあるので見たことある景色を見たところで、というものだ。何かないか尻尾を煩わしそうに振ると何かが擦れた。振り返ると何もない。だが下を見ると? 青空色の髪の毛が見えた。

 

「わっ!」

「うおぉ……てなんだスカイか」

「にゃはは、びっくりした?」

「うん、結構」

 

 またサボりでもやっているのだろうとヒノマルは思い、彼女の格好を一瞥したがどうもそうではない。釣具は見当たらないし、私服でもないし、何より言葉にする必要のない『闘志』が瞳に宿っている。

 

「ごめん」

 

 第一声は謝罪だった。

 

「え、何が?」

「いや正直サボってるんだろうなとか浅はかなこと考えてた。でも違う、しっかりと燃えている瞳だ」

「ふふ、なんか見透かされた気分だなぁ。まあでもそうかな。ダービーはスペちゃんに取られちゃったし、結構悔しかった。だから今度は──ううん、今度『も』私の番。皐月賞に加えて菊花賞も頂いちゃうよ」

 

 するとヒノマルは我慢できなくなり、膝が崩れて笑い出した。

 

「ちょっと、なに!?」

「ごめんごめん! 決して馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ新鮮だったからさ、そんな真剣なおまえが」

「……それなら、まあいいけど」

 

 怒りの気は失せたのかスカイは口笛を吹き始めた。ヒノマルは黙ってしばらく見ていたが思い出したように声を上げる。

 

「こんなところで止まってていいのか? 走ってた途中だろ?」

「うん、そうだよ。でも見覚えある青鹿毛を見たらねぇ、イタズラしたくなっちゃっただけだよ」

「……つまりそれはいい獲物がいたからトレーニングをサボったって言ってるのか?」

「──なんのことかな?」

 

 若干キリッとした口調で言うが意味はない。

 

「やっぱりスカイはスカイだった。サボり魔なんだな」

「なに、サボって悪い!?」

「俺は少なくともとても悪いと思うけどな」

「ケチッ!」

「えぇ……」

 

 『呆れた』。ヒノマルの脳にそれが生まれた。なぜか当然のことを言えば非難された。困惑しないわけもなく、口をむっ、と閉じた。

 しかし、同時にスカイの言い分もわかるような気がした。靴とジャージを見れば誰でもわかる。その汚れ具合と綻びを。土が付き茶色に染まり、擦り切れた靴底は最低限の役割しかしていない。そこまでの努力を鑑みればサボりたくなるのも仕方ない。

 

「ほどほどにな。多少休息は必要だもんな」

「うん、そういうこと。ヒノマル君もどう? 一緒にサボる?」

「悪いが共犯者にはならない」

「ちぇ、つまらないの。まあヒノマル君らしいけど」

 

 褒め言葉として受け取っていいのか、悪いのか。対応に困りながら彼は頭を掻いた。髪の毛のごわごわした引っかかりが少しだけ痛い。

 だがそれを振り切るように、思いっきり髪の毛をといだ。

 

「そろそろ練習に戻れよ。俺が掻っ攫って行っても知らないぞ」

「はいはぁい。セイちゃん大人しく戻りまーす」

「……負けるなよ、絶対に!」

 

 思わず口に出していた。

 

「俺も勝ちたいけど、やっぱり全力でぶつかり合ってから勝ちたい。だから、勝つ気でいてほしい」

 

 ヒノマルは変なことを言ったような気分になった。敵を鼓舞して何になる。でも、言いたくてたまらなくなった。

 頬を青い風が切り裂いた。

 

◆◆◆

 

 十月の下旬、気温も涼しくなりまさしく快適と言った具合だ。必ず約束した勝利を掴むためにヒノマルは大きく息を吸い、そして吐いた。体の中身が入れ替わるような感触。全てが切り替わるような、そんな気分だった。

 二人の親に報いるため、己の存在を肯定するため、爪跡を残してやるため、存在をいざ残そう。勝負服の襷を縛った。

 

「みんな、いってきます」

 

 そして観客としてヒノマルを見つめるチーム・パーチは全員、住んだような目をしていた。ある意味ここがヒノマルの分岐点だと暗に理解していたからだ。

 

「おまえら、ヒノマルの勇姿を焼きつけろ」

「もちろんだとも。ヒノマル君はできる限りの最高のコンディションに仕上げた。あとは怪我がどこまで尾を引くか」

「タキオン、私は彼を信じてみたい。きっと思い出にしっかり残るレースをしてくれると」

 

 その中でエルはただ一人沈黙を作っていた。

 

「……さっきからエルは黙ってるが、どうかしたか?」

「いえ、たださっきヒノマルにあってきました。いつも通りだけど何かが違うような、見ている先がここじゃないような、そんな雰囲気でした」

「なるほどねぇ」

 

 木場はゲートを見据えた。ヒノマルはもう中に収まっていて様子も見えない。やはり最後まで見ておくべきだっただろうか。一抹の不安が少しだけ心に染み渡る。でも不思議と感じ取れるものがある。それは、ヒノマルが一味違うということだ。

 ゲートが開く。そしてヒノマルは、あえて大きく前へと飛び出した。バ群をかき分け、後ろに固まる集団より前、それもスペよりも前目についた。位置は完全に追い込みや差しよりも手前。つまり先行あたりという位置だ。

 

「ほお、なるほどな。あいつなりに考えてんのかな?」

「どういうことだい? いきなり先行なんて訓練は……」

「いやしてねぇ。少なくともあんなペースではな。だが悪くはない。そもそも追い込み──後方からの脚質は足への負担が一気にかかる。たが敢えて先行で負担をレース全体へと分散させる、そういうことだろ」

「ヒノマルにとってそこまでの賭けをする意味はあるのデスか?」

「うんまあ、そうなんだけどなぁ。確かに負担はソフトにしろと言ったが……マジでやるとは」

 

 実際にそうである。何食わぬ顔で彼は走っているが、いつもより視線が多い。確実に増えてるそれは単なる圧として降りかかり殺しにくる。だが彼はそうなりながらも、むしろ口角を上げた。

 なぜならそれはある種の承認欲求。ヒノマルの誰かに見てもらいたい、一緒にいたいという感覚が潰れることを防ぐ。視線による他人の明白な存在感こそが彼を支える。

 それだけではない。彼は確実にギラついた目で見ていた。先頭を切り裂く青空の景色を。

 

 怖いと思った。彼への感情として初めてのものだった。男であるがそれ以外は他のウマ娘とあまり変わりない、ただちょっと珍しい、それだけだった。だがスカイにとって今は違う。己を焼き尽くさんとする気配が見えていないにも関わらず主張を繰り返してきた。

 先頭をを大きく走り続ける。そして早足にいく。少しだけ加速しよう。それで気にしないでいこう。そうは思っといても、無視しきれないでいる。嫌な存在としてスカイは彼を感じ続けていた。だが、彼女は、今回は少々違う。乗り越えるという絶対的な意志がある。それはやがて大きな力へと変わっていく。

 

 ──最初に気がついたのは第三コーナーだった。

 ──確実にスカイを追い詰めるために俺は先に走って、三コーナーでの仕掛けをやめておいた。

 

 まるでダレる気配はなかった。

 

 ──いや、なんというか予感はしていた。

 

 むしろ加速している。決して掛かりではない。

 

 ──きっと、超えてくるだろう。

 ──その通りだった。

 

『セイウンスカイ先頭! さあリードはあるがその差は数馬身。さあ追いつくことはできるのか!!』

 

「いや、ちょっとずるいだろ」

 

 思わず弱音をでた。それくらい軽かった。でも確実にヒノマルの心を蝕んでゆく。決して無視できないほどの現実が迫ってきたのだ。

 

「待てよ、スカイ。待ってろよ」

 

 ずるずると出てきた。もう吐きたくないのにそうすることしかできない。苦虫を潰したように食いしばった。

 だが少しだけ、スカイの顔が見えたような気がした。それはヒノマルの表情を写したように、苦しそうだった。

 スカイは予定していたペースを見出された。想像以上のスピードを出してしまった。ヒノマルの知らず知らずの主張がそれを許したのだ。

 

 ──そうか、まだ行けるんだ。

 

 脳内に直接聞こえた。響くように聞こえる。ヒノマルは思わず当たりをキョロキョロとしてしまう。でも見つからないことはわかっている。なぜならそれの座標は変わりなく、いつでも()()なのだから。彼はそれに気がつくと思わず叫ぶように、念じた。

 

 ──手を貸してくれ! 勝ちたい!

 

 目の前の景色が崩壊した。いやもっと単純だ、()()()()()。それこそ正しい。ヒノマルの視界にどんどん赤が混ざっていく。混ざるたびに景色は停止していく。やがてそれは雲の動きも、風の揺らぎも、セイウンスカイすらも。

 

「至ったのか、おまえ……」

「トレーナー君、まさか彼も」

「ああ領域(ゾーン)だ。でもまだ未完のだが」

 

 ウマ娘の選ばれた存在には領域と呼ばれるものに触れることがある。それは限界を超えた力を引き出し、次のステージへと登らせる。ヒノマルはその一角を引きずり出したのだ。

 彼は燃える体温を迸らせ、ただ真っ直ぐに加速する。真っ直ぐに真っ直ぐに。前のウマ娘を避けるのは簡単だった。なぜなら止まっているのだから。一人、二人。簡単に抜き去った。後ろからは誰も来ない。

 あとは前のスカイだけ。縋るような思いで掴み取るように、そして触れる──瞬間までは与えてくれなかった。

 

「おっ先〜!」

 

 世界が侵略された。赤の景色には美しく淡い、それでいて奥は深くブルー。急な視界の変化についていけずに思わず減速する。

 同じく、セイウンスカイもこの瞬間至ったのだ。青い空の広がる領域(ゾーン)へと。

 

『セイウンスカイ、ゴールイン! センジンヒノマルは一馬身、いえそれよりも積めましたが惜しくも敗れてしまいました……!』

 

 遅れて駆け込んだヒノマルからは汗の蒸気が噴いていた。それのせいか疲労のせいか、視界がぐわんと歪む。そしてがくりと倒れそうになった瞬間、腕が伸ばされた。

 

「おっとと。ヒノマル君大丈夫?」

「ああ、すまない。勝者をこんな風にしてしまうなんて、情けないな」

 

 ヒノマルはなんとか直立すると客席の方を見つめ、やがて歩き始めた。目の前にはチームのメンバーがいた。大きな深呼吸を三度すると額の汗を拭い問うた。

 

「今日の俺を、みんなに焼き付けることはできたか?」

 

 木場サングラスを外しはっきりと言った。

 

「んなもん、これが答えだ」

 

『うおおおおお!!!!』

 

 溢れんばかりの大歓声だった。もちろんそれはスカイを讃えるものでもあるが、同時に彼女へ迫った、ヒノマルへの賞賛でもあった。

 

「こんだけの人間を熱狂させたんだ。菊花賞を逃げ切ったセイウンスカイに、追い迫るクソほど速え末脚を見せたセンジンヒノマル。盛り上がれねぇわけがねぇ!」

 

 やっと辿り着いた。見たかった景色だ。

 ヒノマルは今に至ったのだ。夢を見つめ、初めて外に出たいと思い、原点のレースのように人の心を震わせた。まさしく感無量。

 だがこの瞬間、彼はさらなる夢へと触れた。

 

「トレーナー──」

「……どうした」

「勝ったら、もっといい景色と思うんだろうな」

 

 そして一つの夢は終わりを迎えた。



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シニア編「そして明日はやってくる」
39R 自分との『対話』


お久しぶりです!
遂に完結まで駆け抜けます!
ただモチベーションの都合でダイジェストも増えると思います。
ですがせめてこの作品は完結させたい、その一心でPCに向き合っています。
皆さん、この作品に最後までお付き合いよろしくお願いします。

それでは39R、スタートです


 菊花賞が終わって、それからの話をしよう。

ある秋の中、JWCが行われた。結果、ハリボテエレジーの惨敗。再び第三コーナーでの転倒ということであり、受身が取れていたため大事には至らなかった。

 

「というわけで、また負けてしまった。すまないみんな」

「……魔の第三コーナー、んぐぐ」

「こればっかりは私もどうにかできないねぇ」

 

 タキオンから聞いた話だがエレジーがコーナーを回り切れないのはメンタル的なこともある。あまりそこに触れるのはいくらチームメイトであるとはいえヒノマルも、トレーナー助手ポジションのタキオンも、そしてトレーナー本人の木場も不用心には行けなかった。

 それぞれが悩みぬく中、レース終わりにエレジーは控室でその被り物を脱いだ。その行為にチームのみんながみんな驚いた。真っ先に声を上げたのはタキオンだった。

 

「エレジー君、どうしたんだい? 君自らそれを晒すとは」

「なにも言わないでくれ。どうかみんなに聞いてほしい」

 

 それからの話はシンプルだった。エレジーの体自体、もうコーナーを曲がることは可能になっていた。だからただのコースについては問題なかった。しかし本物のレース場ではそうはいかない。初めて転倒して以来、エレジーの傷から語りかけてくるのだ。『こわい』と。

 

「私は未だに乗り越えられない恐怖がある……どうしても怖いんだ!」

「エレジーさん」

 

 簡単に頑張れと言えるはずがない。本来ウマ娘の転倒は死にも直結する。その恐怖を誰がどう取り除けようか。少なくともヒノマルは何も言えなかった。だが誰よりもエレジーを見てきた二人は違う。

 

「そうだよな。けど怖いもんなんて無理に乗り越える必要なんてないぜ」

「そうだとも。君の恐れは正しい。だからこそ私たちで切り拓く」

「エレジー、俺ぁ不甲斐ないトレーナーだ。でもお前がどうなっても見届けてやる。絶対だ」

 

 何の解決にもなってない、ただの励ましの言葉。だがエレジーにとってそれはたまらなくうれしかったのだ。

 

◆◆◆

 

 十一月の末、そのレース、「ジャパンカップ」は行われた。

 栄誉あるGⅠの一つであり海外からの強豪も来るレースだが、その彼女たちや一番人気のスペシャルウィーク、女帝エアグルーヴさえも突き放しエルコンドルパサーは見事に一着をつかみ取ったのだ。

 

「優勝、快勝、エル圧勝! 皆さん次にエルは世界最強を証明デース!」

 

 その宣言は東京レース場に大きく響き日本中を沸かせた。そしてレースが終わり、トレセンにも戻ってきたころ、チームでは祝勝会が行われた。やはり毎度のことながら皆で鍋を囲う様子。もう誰もが遠慮なく箸をつつきあった。

 そして〆の一品も食べきったところでチームはもう来年の話をする空気に切り替わった。

 

「エレジーは他の伝手も借りてコーナーを曲がれるようにしよう。まあ、無論勝ちは目指すがJWCの完走、やってやろう」

「わかった」

「ヒノマルは年内まだ一戦だな。ステイヤーズステークス……長丁場になるが冷静に考えてやれ」

「任せろ。むしろ得意なくらいだ」

「最後にエル! ……春からフランス、寂しくなるな」

「デスね。アタシもみんなとしばらく会えないのは、ちょっと寂しくなります……」

 

 エルは敢えて、長いことフランスのトレセンにいてもらうことになっている。洋芝や時差ボケ、不慣れな環境に慣れさせるための選択。当然、向こうに行っている間、木場の指導ではなくなる。彼からすれば、本当に彼の実力で凱旋門賞を取った、という、世間からの評価はもらいにくくなる。

 それでもエルに凱旋門賞という栄光を掴ませてやりたいのだ。その想いは誰よりも強い。そのことは誰もが重々承知している。無論エルだって。

 

「トレーナーさん!」

「どうした?」

「必ずアタシは世界最強を証明してみせます。あなたを、凱旋門賞を取ったトレーナーにして見せます!」

 

 木場の指導があったからこそ()()まで来られた。この宣言はその証明だ。

 

「そっかぁ。ありがとな」

 

 その言葉は普通にうれしかった。思わずうるっと来てはいたがまだそこまで涙もろくない。こらえた木場は一呼吸置くと手を大きく鳴らした。

 

「それじゃ、今日はここまでだ! 今年の年末は自由で構わん。んじゃ解散!」

 

 お開きということで各々自分の部屋に戻っていった。

 

◆◆◆

 

『前方にセンジンヒノマル! 後方は豪脚で追うがセンジンヒノマル先行してゴールイン!』

「なるほど……先行も大分理解した」

 

 ステイヤーズステークス、ヒノマルは勝利を収めた。前回の菊花賞をふまえて先行策にも適性があるのではないか、それを図るためのレースとして今回出走した。後方からのウマ娘も活躍した今回だったがそれは上がりが早いウマ娘、ヒノマルはそこまで優れた末脚はない。

 だが彼には無尽蔵のスタミナがある。それを活かすためにハイペースを作りやすい先行にも適性があるはずと見たのだ。

 ──結果は正解でもあったが、だが向いてないのも確かである。

 今回のレースをふまえて中山から戻る中で木場とヒノマルは反省をしていた。

 

「まず俺は駆け引きが苦手だ。前について後ろはどうとか考えるのが苦手だ」

「だろうな。お前、ニブいもん」

「そうか?」

「……まあいい。次は」

「前につくにはスタートが下手だ。俺の反応が悪いんだ、ちょっと無駄に体力を使う」

「なるほどね……ぶっちゃどっちが走りやすい」

 

 ヒノマルは回答に困った。どっちも一長一短。それに先行は始めたばかり。すぐに結論を出すのは難しいというよりできない。もちろん、トレーナーである木場は百も承知である。

 

「悪い。結論を急ぎすぎた。どっちかに絞れって話じゃないしな」

 

 一抹の気まずさを含みながら歩みを進める。

季節は冬、もう空は暗い。ヒノマルは思い出したようにあのことを尋ねた。

 

「そういえば、菊花賞のときに不思議な感覚があったんだ。なんか世界が止まって見えるというか、真っ赤に見えたというか」

「そりゃ領域(ゾーン)のことだな。いるんだってさ、本気が一気にはじけるヤツ」

「本気がはじける……その時、声みたいなのが聞こえたんだ」

「だれの?」

「わからない。でも……ずっと近くにいたようなそんな声」

 

 正直感覚の話なので話半分に木場は聞いていたが、ヒノマルの力への戸惑いにその態度を改めた。目線を合わせて、真摯に、ヒノマルの目を見据えた。

 ──そういえばこういう些細なことを見逃したからあんなことがあったんだったか。

 

「俺はヒトだからお前の走る感覚もよく分からん。はっきり言ってその声もよく分からん。けど俺たち仲間だろ、困ったことは何でも相談してくれよ」

「うん。ありがとう」

 

 ふとふたりは空を見上げた。トレセンの方向には月が輝いている。仄暗い夜を照らしてくれるそれはよく目立っていた。

 

「ヒノマル、じゃあおやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 美浦寮に戻り、食事と風呂を済ませる。一日の疲れが抜けた、とまではいかないのでヒノマルは思いっきりベッドに体をなげだした。ふかふかの布団に包まれて、何だか体がぽかぽかする。そこから一気に睡魔が押し寄せて、完全に寝落ちした。

 目覚めるとは彼はなんの物音一つない暗闇、というには明るい奇妙な空間にいた。やがて景色は鮮明に見えて、目をこすると、そこには青空とどこまでも続く草原が目に見えた。

 ヒノマルは察した。ここは夢だ。だが、限りなく現実に近いとも感じた。若葉のにおいや太陽の熱が五感を通してひしひしと感じるのだ。

 

「俺は死んだのか?」

「いいや、生きてる」

「じゃあなんで俺は寮にいないんだ。なあ()()()()()()()()!」

 

 振り返ったヒノマルの後ろにはセンジンヒノマルがいた。ただし、ウマ娘だったりとかウマ漢ではなく四足歩行で真っ黒い毛皮を持つ、馬としてここにいるのだ。

ヒノマルはその姿を見て一目でわかった。このよくわからない生物は自分自身であると。しかし決定的に違う別世界の自分であると。

 

「え、こういうことってよくあるのか?」

「ない。僕らが例外さ」

「そうだよな」

 

 このようなこと、本来起きるはずもないだろう。よくわからないが自分だと思える何かと流暢に意思疎通ができるなんて精神を病んだかと思う。だがヒノマルはこの会話にはちゃんと意味がある、その確信があった。きっと、この馬のセンジンヒノマルこそに自分の秘密があるのだと、目に見えているのだ。

 

「じゃあ質問なんだが、領域のときに俺が聞いた声はお前か?」

「そうだろうね。君自身に語りかけてたよ」

 

 実を言うとヒノマルには自分の中に何かいるというのは勘付いていた。過去に言われたこと、ときどき身に覚えのないことから二重人格でもあるかと思っていたがやはり居た。このセンジンヒノマルこそが自分に厄介ごとを押し付けていたのだ。

 そしてヒノマルにはもう一つ聞きたいことがあった。

 

「……もう一個。お前、本当は俺じゃないだろう」

「その根拠は?」

「違和感。……俺という存在の違和感はお前と俺、そこに決定的な違いがあるからだと思った」

 

 ヒノマルがなぜこんな形で生まれたのか、その核心にふれた。センジンヒノマルは何も喋らない。だがその眼差し、口にできないその雰囲気から沈黙は肯定であると考えられる。

 

「お前をセンジンヒノマルとしているが、俺じゃないのか」

「そうとも言えるしそうでないとも言える」

「やめろ、そういうこと言うの。分かりにくい」

「すまない。簡単に言えば僕は君が走ったレースを駆けた。でも名前はセンジンヒノマルじゃないし、君という肉体に宿る予定もなかった。僕らはこの世界での歯車にうまくかみ合わなかったんだ」

「説明が難しいが、もしかして俺より先に生まれる予定だった──」

 

 センジンヒノマルは首肯した。本来、センジンヒノマルはヒノマルではなく■■■■■■■■■という名前で走っていた。そしてこの世界でウマ娘として生れ落ちるはずだった。しかしバグが起きた。本来の器がなくなってしまい、そこにヒノマルという新しい器が誕生してしまった。そこに魂が宿ったことによりウマ漢、センジンヒノマルが生を受けたのだ。

 

「……スピリチュアルすぎてなに言ってるのかさっぱり」

「だろうね。要約すれば、僕が必要以上に生を望んだ。だから君が生まれてしまった。申し訳なく思って──」

「ふざけるな!」

「なに?」

 

 センジンヒノマルの言葉がヒノマルという漢の逆鱗に触れた。

 

「『生まれてしまった』だと。もう一度言ってみろ! 俺は確かに生まれたことを後悔した。でも仲間たちのおかげで『生きたい』って思えたんだ! 今の俺は生まれたことに後悔はない。全力で応えたんだ、ここにいることを! だから二度と言わないでくれ」

 

 存在を後悔し続けた自分を変えてくれたこの世がある。そして助けてくれた仲間たち。みんなに生きてることを応えたヒノマルには、今更生まれたことを否定したり謝られたりするのはどうしても許せなかった。

 

「お前がなに言おうと関係ない。俺は生きてやりたいことをやらせてもらう」

 

 力強いその宣言はこの空間の太陽のように輝いている。それを見たセンジンヒノマルは大きく鳴いた。その急さにヒノマルは驚くが彼に構うことなくセンジンヒノマルは語りかけた。

 

「だったら、僕を超えよう! 君と僕にできる最高を、やってやろうじゃないか!」

「ああ! まずは目指すぞ、天皇賞・春!」

 

 太陽はまた昇る。新しい一日が始まる。

 そしてヒノマルは目覚めた。

 

 

シニア編「そして明日はやってくる」、開始

 



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40R 『自分』を信じて

 時は巡り、春の開花しきったころ。ヒノマルはパドックに出て準備運動をしていた。

 中山2500m日経賞。天皇賞・春の前哨戦にヒノマルは参加する。セイウンスカイやその他強豪もいて油断ならない。

 

「ヒノマル君も、狙ってるんだよね」

「もちろんだ。それにお前と違って確実に出走できるか不安でな」

「ふーん。まあお互いに頑張ろうね」

「今日は追いつく」

 

 互いの健闘を祈りあいレースへと出走する。

 今回の作戦に関しては必ずしも先行有利とはいかないので殿からのレースにならなければ、という旨になっている。走りだす瞬間に決めろと木場から言われた。

 そこらへんは決めてほしいというのがヒノマルの本音ではあったがこうなっては仕方ない。潔く諦めてじぶんで考えるしかないのだ。

 と、どうこう考えているうちにゲートインの時間である。枠は内側、ならばそれを活かさない手はないということで先行策に出た。

 

 結果は二着。まさかの逃げのスカイが上がり最速でありヒノマルはそれに追いつけず着差も大きく開いた形で日経賞は幕を閉じた。

 

「末脚勝負に勝てない!」

 

 現在、控室にて着替えを済ませたヒノマルがその悔しさを叫んだ。無理もない、全てが末脚というわけではないがそれが強い方か強くない方かでいえばそれは前者がレースで有利なのは間違いない。

 それに天皇賞にはスペシャルウィークや前年度覇者のメジロブライトも出てくる。両者ともに末脚が優れたウマ娘。このままだと天皇賞は敗色濃厚。だがそこにタキオンの一言が入る。

 

「ならば君がレースのペースを作ればいいじゃないか」

「ん?」

「君はまるで先行というものを理解してない。先行ウマ娘はペースメイカーだ。特に……二番手三番手辺りはね」

 

 ようするに、もっと早く前についてそこから自分の好きなレース展開を作れということだ。

 ヒノマルの、先行での、得意な展開はやはりハイペースで疲れたところを押し切ることが一番適してると言える。しかし以前にも話した通り決して先行が向いているとも言えない性格。

 

「つまり、器用貧乏か」

「そうなるねぇ。後方前方、どちらからのレースができるとはいえ決定力がない」

「……トレーナー、タキオンさん。俺はどっちを取ればいい?」

 

 木場にとってその質問はあまりうれしいものではない。責任を負うことに難色を示しているのではない。きっとヒノマルは素直に従う、だから自分の間違った発言でこれ以上ない栄誉を見逃させてしまう。それが嫌なのだ。

 そんな調子で彼は唸っていたがタキオン口を開く。

 

「自分で決めたまえよ。君ぃ、私たちが、君が不利になるような発言をしても従うだろ」

 

 悩んでること、全部言ってのけた。ヒノマルはそれを否定しようとするができてない。そこにタキオンはさらに言葉を重ねるがその寸前、一瞬彼女の瞳が木場の方向に向けられた。

 そうだ、今ここでヒノマルにしっかり向き合わなければトレーナー失格だ。木場はサングラスを外すとヒノマルと目線を合わせた。

 

「もちろん作戦は考えるがどっちをとるかは自分で決めろ」

「なんで!」

「俺たちを頼ってくれるのはすげぇ嬉しいけどよ、最後はお前自身しかわからない。最後の最後は自分を信じろ。今回の天皇賞、それが課題だ」

 

 自分を信じる。それは彼にとって最も難しいことに感じた。過去を踏まえても自己肯定感が高いわけもない。同時にこう考えた、人を信じる事のほうが遥かに簡単だ。

 純朴が過ぎる。しかしそのヒノマルの弱点は無論長所にもなりえる。

 

◆◆◆

 

「どう……行くべきか。どの作戦とるにしても内枠のほうがいい。だからこそ悩む」

 

 寮の中でヒノマルはうんうん唸る。どうしても自分で決めることが難しい。別に考えることを放棄しているとかではなく、迷うことが嫌なのだ。迷えばそれだけ作戦に合わせたトレーニングができない。今回ばかりは誰にも相談できない。

 唯一、それができる相手は別にいるのだが。

 

「お前はどう思うか」

「僕に聞いていいのかい?」

 

 魂の隣人、センジンヒノマル。彼に聞いてみるが逆に質問返しにされる。

 

「流石に、誰にも打ち明けないのは、問題かなって」

「他人にも出力しなよ……」

「そうだよなぁ」

「とにかく僕は君になにも言わない」

 

 正論に加えて相手にもされない。いよいよ困った、そんな時だ。ふと電話が来た。

 

「もしもし! アタシデース!」

「っ、エルか!?」

 

 まさかのフランスに旅立った友の声。こんな時に電話してくるのはさすがに予想外で、どうやらエルも狙ってかけてきた。

 

「ビックリしましたか? エル、サプライズ成功デス!」

「う、うん。いきなりどうしたんだ?」

「特に用はないデスがこの時間ならびっくりするかと思いまして!」

 

 日本の空はもう真っ暗で月も雲で見えないが、フランスの方はまだ明るいのだろう。それなら納得いった。

 エルの話の内容が本当ならここで電話を切りにかかるだろう。しかし、ヒノマルはそれでは味気ない、なによりもっと話したくなった。特に天皇賞のことを。

 相談してもいいのか、一瞬その考えがあったが別にやましいことがあるわけじゃない。構わないと話題を振った。

 

「もしもし……」

「どうかしました、ヒノマル?」

「天皇賞のことでな、ちょっと。トレーナーに自分を信じろって言われたんだ。でもできそうにない……俺は誰を信じればいいんだ」

 

 ただ会話しに来ただけのエルになにを聞いているんだ、ヒノマルはそんな自己嫌悪に陥った。だが電話の向こうから聞こえる声は、やはり明るかった

 

「なーに言ってるんデス? なにも変える必要はありません。トレーナーさんやみんな、そしてアタシ。あなたを応援している誰かを信じればいいんです。」

 

 雲が晴れて、月明かりがヒノマルの目に刺さる。はっきりと周りのものが見えるようになった。

 他人に依存しやすい。それがヒノマルの弱さ。でもその指針は自分に向ける事だってできるはず。エルはそのヒントを与えた。誰をどう信じればいいか、その答えは得た。

 

「そっか。ありがとう、エル。勝ちにいこう!」

「ハイ!」

 

 今なら掴める。ヒノマルは春の頂へと立ち上がる。

 

◆◆◆

 

『天皇賞・春』。日本のGⅠレースで最長を誇るレースであり、その栄光はあまりにも眩しい。ヒノマルは久々に勝負服を身にまとう。自らの誇りを纏っている、その高揚はいつになっても抑えがたいものだ。

 パドックに上がるとタスキを締める。気合が入ると戦う相手がよく見えるものだ。

 

「よう、スカイにスぺ」

「おやおや。これはこれはヒノマル君じゃないですか、リベンジ宣言かな?」

「ヒノマル君! 私、菊花賞のときは先着されたけど負けないよ!」

「あー、そうだな……でも今の俺は、最高にハイってやつだ」

 

 バチバチと火花が飛び散る。ともに黄金世代、お互いに譲り合うつもりは一切ない。

 そしてその時はやってきた。ゲートイン完了。春の盾をめぐる戦いの火蓋は切って落とされた。

 

『天皇賞・春、幕開けです! さあまず先頭につくのは6番、セイウンスカイここで上がって二番手……そこに続いてセンジンヒノマルは3番手というかなり前目のレースを展開します』

 

 ヒノマルはゲートの最内枠という、かなり有利な枠に入った。そしてそれを最大限、自分に有利な場を設ける先行策で行く。当然マークも入るが前についたということはそれだけブロックに合いにくいということ。かなりうまくことが運んでいる。

 だが、これでも不安だ。なぜなら後ろには自分より優れた脚を有する者がいるのだ。いくらでも最後の直線で有利不利を無視してくる。

 

「だから、つつく」

 

 一周目の直線に入るころ、ヒノマルが先頭に入れ替わろうというスカイに対してギアを上げる。しかし絶妙に対抗できる速度しか上げない。じわじわと先頭の上昇するスピードに先団は速度を上げ始める。しかしそれに周りは気づかない。

 

「よし」

 

 そして迎える向こう正面、若干苦しくなるスカイにヒノマルは好機を見た。

 

禁じ手(タブー)を重ねる!」

 

 三コーナーの坂から加速ここで先頭を奪取する。それにより周りの反応は様々だ。落胆する者、驚愕する者。そして高笑いする者──。

 

「いっけぇ! ヒノマル!」

「おうとも!」

 

 この作戦を考えたのはヒノマル自身だった。自信のある武器であるスタミナ、そしてそれを使い加速できる馬場。博打も良いところな作戦。しかし、チームのみんなはこのために共に歩んでくれた。信じられる誰かが信じる自分を信じる。少なくとも今のヒノマルは自信にあふれていた。

 どくんと、心臓が跳ねる音が聞こえた。ただはっきりと聞こえた。やがて視界は真っ赤に、されど黄金にも見える輝きを解き放つ。

 

「俺は負けない! 決めたんだ、勝った先の!」

「僕はあの日のままじゃいられない!」

「「栄光の景色を見たい!」」

 

 魂はその領域へ導く。刻む蹄跡は全てを焦がす勢いに。

 

『先頭のセンジンヒノマル粘る! 後方からスペシャルウィーク、メジロブライト来るが、ゴールイン!! センジンヒノマル、初のGⅠ勝利です!』

 

「ううるぅあああああ!!!」

 

 両手を大きく上げて膝をついて雄たけびを上げる。

 顔は汗だくで息も絶え絶えである。視界は最悪ではっきり言って気分は悪かった。

 しかし、それでも見えるものは清々しかった。

 



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