[完結]わすれじの 1204年 (高鹿)
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第一部
01 - 1204/04/02 属性と在り方


────これは、とある人物たちのかけがえのない日常の記録だ。

 

 

 

 

1204/04/02(金)

 

入学式と同日に入寮式もあり、とりあえず何かあったら二年生に投げて大丈夫だよ、というのを一年生に伝えた三月が終わって金曜日。

新生活に慣れようとしている新入生への対応をして何かと忙しくしているトワは今日も上がるのが遅いらしい。書類整理を代わることは出来ないけれど、せめて晩御飯を差し入れようとサンドイッチとフライドポテトをこさえたところで腰につけているポーチから音が鳴り始めた。

ちょうど編み籠のランチボックスにモノを詰め終わったところだったので、エプロンを解きながら通信に出る。

 

「はい、セリ・ローランドです」

『こちらトワです。今大丈夫?』

「うん、平気だけどどうかした?」

 

ARCUSを肩と耳で挟みながらエプロンを巻き畳んで、台所の端に置いていたジャケットを羽織る。校内にはトリスタの住民の方々も入るので必ずしも制服でなければならないということはないけれど、制服を着ておいた方が何かと面倒がないというのは確かなのだ。

 

『実は……その、助けてもらいたいことがあって』

 

助けてもらいたいこと。トワがヘルプを出すこと自体珍しい気もするけれど、逆に部下の生徒会役員ではない人員でないと駄目だと彼女が判断したなら、それは正しいのだと思う。

ARCUSを持ち直してから台所の各自の私物置き場にエプロンを突っ込み、ランチボックスを携えつつ何とか寮の玄関扉に手をかける。

 

「概要は?」

『生徒手帳に載せるARCUSの説明書についてなんだ』

「なるほど、わかった。10分ぐらいでそっちに着くよ」

 

寮を出たところで、学院から続く坂道を降っていく赤い制服の数人が見えた。ARCUS特科クラス──通称VII組。ニ月頃から噂には聞いていたけれど、白と緑しかなかった制服の中にあの赤は鮮烈だなと思う。目が慣れるのに少し時間がかかるかもしれない。

 

夕陽の中で楽しそうに話している彼らを見送り、私は見慣れた坂道を籠の中身が暴れない程度の速度で駆け上がっていく。正門を通り、本校舎と図書館の間の道を抜けていけば二階奥側の窓からは煌々と灯りがこぼれているのが見えた。

学生会館へ入ると片付けをし始めているジェイムズさんと食堂のサマンサさんに挨拶をして階段へ。ノックをして入った部屋には、いつもの面子が揃っていた。どうやら私が最後のようで。

 

「セリちゃん、来てくれてありがとう!」

「あー、全員いたのかぁ。サンドイッチ作ってきたんだけど足りないね」

「それなら下で摘めるもん頼んであっから丁度いいくらいだろ」

 

クロウの言葉でさっきサマンサさんから、頑張ってね、と言われた理由に合点がいった。なるほど。

 

「それで何があったの?」

 

抱えていた籠を執務机の前にあるソファ席のテーブルに置いて近付くと、ジョルジュからペラりと紙が一枚寄越された。

 

「……ARCUS特科クラス用の生徒手帳がまだ作られてない?」

「僕も今さっき聞いたけど、そういうことみたいだね。僕たちの時は説明書も仕様書も出来上がっていなかったわけだけれど、正式なカリキュラムとして運用させるなら生徒手帳にARCUSの操作説明は入れて然るべきなわけで」

「その草稿を誰も書いていなかった、ということらしい」

 

苦笑したアンが腕を組みながら肩を竦める。

 

「……言っちゃなんだけど、それは生徒会の仕事なのかな」

「いやどう考えたって軍だかなんだかあるいはサラないしは別の教官陣の仕事だろ」

 

私の率直な疑問にクロウが答える。だよなぁ。

 

「でも教官の方々も忙しくしてるし、その」

「まぁでも、ARCUSについてなら学院で誰よりも知ってんのはオレらだろーよ」

 

クロウの言葉にトワを除く三人が頷く。扱ったこともない導力器について生徒会役員が書くより、私たちが出張った方がまだマシなものが書けるだろうことは明白だ。だからトワも私たちを巻き込む選択をした。同期に迷惑をかけることを嫌がって折角の後輩が困る、というのは大変よろしくない。

 

「生徒手帳って図書館で本借りる時に必須だし、学院生活上結構重要だよね」

 

この一年でそこそこ図書館にはお世話になったので、生徒手帳の大事さは身に染みている。というか多分一番取り出してるのはあそこだと言うのも過言ではなかろうと。緊急事態ならともかく、その他の日常生活で必要になるものではないし。

 

「それじゃ、愛しいトワのお願いだ。さっさと草稿を上げてしまおう」

「ARCUSの仕様書って今はもう出来てるの?」

「僕の方で今回分は出力はしてあるけど、生徒手帳のサイズに収めないといけないからね」

「いっそ通常の生徒手帳にそれつけるんじゃ駄目か?」

「クロウ、添付書類読んで持ち歩く?」

「絶対読まねえわ」

 

提案しておいて反対のことを溌溂に言うなぁ。まぁ添付書類読むし持ち歩くと言ったら他全員から突っ込まれること間違いなしだ。

 

 

 

 

「これどこまで書く?」

「取り敢えず最低限の仕様っつーか、オーブメントの説明とかクオーツ類の説明だとかか?」

 

ジョルジュから渡されたARCUS仕様書にざっくり目を通しながら思考を口に出すと、おんなじように一応眺めているクロウがそう返してきた。生徒手帳をあんまり分厚くしてもアレだし、やっぱりそういう操作や扱いに関わるところが一番必要かな。

 

「そうだね、ARCUSの成り立ちや根本的な内部システムの話は除外しよう」

「戦術リンクやその恩恵についても記載しておくべきだろう」

 

ARCUSは実はあれからもアップデートが繰り返され、リンク者間で出来ることに個性が持てるようになった。物理的な追撃だけではなくアーツの後押しなど、リンク感応する人物やタイミングによって効果は様々だ。

 

「ここには図表入れたいかなぁ」

「ああ、それなら前に全員のやつを撮影した写真があるからそれ使おうか」

「セリちゃんのが一番説明に使いやすいかな、四属性のみで複数LINEあるし」

「風と地だからそうだけど、トワのも四属性複数LINEでは」

「後衛導力器よりは前衛の方が分かりやすいだろう」

「そういうものかな」

 

まぁ上位属性が入っていると説明として不向きというのは分からないではないし、となるとトワと私の二択になる。そしてVII組の武器構成を見ると後衛人員より前衛人員の方が多いためそうなるのも致し方ない……のかも。

 

「そういえばトワと私以外の三人は時属性が入っているんだね」

 

ジョルジュが広げていたARCUSの盤面写真を手に取って眺めるとそんな共通点に行き着いた。

 

「そういうことなら私とセリちゃんとジョルジュ君は地属性仲間だよ」

「そこの三人が地属性はすげーわかる」

「オーダーメイド品であるし、ちょっとした性格診断みたいなきらいはあるのかね」

「こういうのってどこで何を判断してんだろうなあ」

「私たちが試験運用を了承する前に作られてたからねぇ」

 

あの旧校舎に呼び出されるまでの一週間は学院標準型の戦術オーブメントを使っていたのだけれど、今はもうARCUSに慣れ切ってしまっている。最初は嵌められるクオーツに属性の縛りがあることで制限が感じられたけれど、使ってみれば戦闘スタイルを邪魔しないものだったので特に問題は無くなった。上位属性縛りがある三人……特に空・時のアンは嵌めるクオーツに難儀していたけれど。

 

「今更だけど火属性が一人もいないね、この面子」

「ああ、そういえば」

 

前にサラ教官に、四人で運用する意見はなかったんですか、という話をしたことがあるけれど、これで私が抜けると風属性もいなくなる。あと学院内では一応主流である剣を扱う人材もいないので、こうして考えるとやはりバランスを取られているのがよくわかる構成だ。

 

地と水のトワ、時と水のクロウ、空と時のアン、地と時のジョルジュ、風と地の私。うん、アンがさっき言っていたちょっとした性格診断というのはいい得て妙かもしれない。何となく重なっているところがあるのがわかる。そしてこれでいうとクロウと私は全然似ていないんだなぁ、とほんの少しだけ苦笑が溢れるのがわかった。

それでもお互いに一緒にいたいと思っていると、そう信じているけれど。

 

 

 

 

そんな会話をしつつ持ってきたサンドイッチや、サマンサさんが上まで持ってきてくれたホットドックやナゲットなどをつまんでいく。

生徒手帳という小さな紙面にどこまで盛り込むかというのから、どう表現をするのかということまで話しあい、とっぷりと日が暮れた20時。途中で用務員のガイラーさんがやってきて、特別に内緒だよ、と施錠を最後に回してくれたのだ。

 

「うん、これでサラ教官に確認してもらうね!」

「じゃあそれ終わったら私が端末室で入力するよ。どうせやることあるし」

 

半日授業の日曜の午後にゆっくりやる予定だったけれど、まぁ前倒ししても構わない話だ。今から第三学生寮に突撃してサラ教官に草稿押し付けたら、明日の夕方には確認し終わっているだろう。それぐらいはやってもらいたい。マカロフ教官への確認提出は朝一でいい。あの人は何だかんだ最新導力器のARCUSについては結構対応が早いのだ。

 

「終わった終わった。ったく、レポートだってこんな真面目に書いたことねえわ」

「いや、それはちゃんと書きなよクロウ」

 

クロウの軽口にジョルジュが苦笑で返すのを聞きながら全員で立ち上がる。

サラ教官提出用のとマカロフ教官提出用のと原本として三部作ってあるので、一部はここに置いて、あとの二部を持ち出せば大丈夫だろう。導力複製機が部屋にあるのは便利だなぁ。

 

生徒会室の窓や扉の施錠を確認し、廊下を歩いていく。

 

「みんな、本当にありがとう」

「あは、トワのお願いなら全員来るって」

「そうそう、普段迷惑をかけてるクロウなんか働かせてやればいいのさ」

「ゼリカお前にだけは言われたくねーんだわ」

「うーん、二人ともなんじゃないかな」

 

新入生も来たことでいろいろと忙しく、こんな風に長時間五人揃うことは滅多になかった。数日前の入学式の日にあった特別オリエンテーションの準備だって二手に分かれていたし、その後も生徒会は忙しいのかトワは駆け回っていたのを思い出す。あの日は第二の先輩寮生ということで入寮式準備をするため早々に寮へ帰ったし。

 

だから久しぶりに聞く応酬に、ふっ、と笑いが溢れる。それを目敏くクロウに見つけられて、ぐしゃりと髪の毛をかき混ぜられた。大好きな手のひら。ちょうど一年前はそれが嫌で仕方がなかったのに、時間の流れというのは面白い。

 

階段を降りたら食堂で腰を落ち着けているガイラーさんが私たちに気が付き、やぁ、と。

 

「終わったかい?」

「は、はい。ありがとうございました!」

 

トワがぱたぱたと駆け寄って頭を下げるので、私たちも同じように。本来ならもうとっくに閉まっているし、最後に回したとしても戻ってきたらさっさと追い出すべきだというのに、こうして待ってくださったというのはトワの人望と生徒会の強さを表している。学院の気質的にどことなくゆるいというのもあるかもしれないけれど。ハインリッヒ教頭は除いて。いや、あの方も悪い方ではないのだ。伝統工芸を扱う街の出身ゆえ、伝統ある学院を大事にしたいというのも理解は出来る話だし。

 

学生会館を出て、さっさと正門を抜けて坂を下っていく。

 

「そういえばセリちゃんのサンドイッチ、今日のも美味しかった」

「二~三人だと多少作りすぎたかなと思ってたけど食べ切ってもらえてよかった」

「鶏肉と卵のやつは鉄板の組み合わせだけどやっぱウマいな」

 

サンドイッチは具材を作って挟んでいくのが楽しいからついつい興が乗りやすいのだけれど、そうして好きに作ったものを美味しそうに食べてくれる人が身近にいるというのは幸せなことだ。

 

「トワはこれから第三に行くのかい?」

「うん。サラ教官に渡しちゃいたいしね」

「アンがついていくなら、私は先に帰ろうかな。籠の中を拭いたりとかしたいし」

「じゃあ僕はついて行こうか。何があるとも思わないけど、一応ね」

「そんならオレは直帰組だな」

 

お互い、お疲れー、と言って三叉路で別れ、私とクロウは帰寮の道を辿る。といっても分岐点から寮は直ぐそこなので二人で帰るというほどのものではないけれど。

 

「いやー、新年度始まってからのトラブルにしては重かったねぇ」

「まったくだっつうの。予算かかってんだろうしもっと大切にしてやれや」

 

クロウの口からそんな言葉が出るとは思わず、少し笑ってしまう。やっぱり何だかんだ面倒見がいいというか、ARCUS的な意味で直接の後輩たちのことを気にしてるんだなぁ。

室内の明かりが曇りガラスからもれる玄関扉を開いて中へ入ると、夜もそれなりなせいか食堂や洗濯室などを含めても一階に人の気配はなかった。

 

籠のメンテナンスの為に食堂の方へ爪先を向けると、当たり前のようにクロウもついてくる。最低限の明かりだけつけて台所に進んでいった。

 

「最初の課外活動……じゃなくて実習か。どこになるんだろうね」

「歩いて行けて実習地になる町だとオレらが行ったラントにケルディックにリーヴスか?」

「いやー、正式カリキュラムだし鉄道沿線オンリーかもよ?」

「それは納得いかねえ」

 

そうなんだ。まぁ街道歩いていくのは思い出してみれば楽しかったし、いい経験になるとは確かに思う。

 

「あの時はいろいろ戦術リンクが切れたりして忙しなかったね」

「だな」

 

籠の中を覗けばサンドイッチの具材がこぼれているということもなかったので簡単にでいいかと一人頷いた。共用の布巾を水に濡らし、固く固く絞って中から拭いていく。植物を編んでいるので頻繁に丸洗いというのも具合がよくない。夏になったら丸洗いして乾燥する日を設けよう。

 

「……で、クロウはどうしたの?」

 

ずっと眺められているのが居心地が悪いということはないので、一緒にいたいと思ってくれているのなら嬉しいけれど。

 

「ん? いやー、ARCUSの写真見た時に何かちっと考え込んでたろ。気になってな」

 

何でもないことのように言うクロウに、少し目を瞬かせる。やっぱりよく見てくれてるんだよなぁ。本当にいろんなことがお見通しだ。

心を落ち着けるために、籠を拭く手を少しばかり丁寧にする。

 

「……途中で、ARCUSの固有属性の話になったよね」

「ああ、あったな」

「それで、クロウと自分は重なる属性がないなぁって。似てるところがあんまりないってことなのかな、とかちょっと考えてただけ。別に似てるから惹かれるわけじゃないけど」

 

メンテナンスを請負ってくれているジョルジュでもないのであんまりまじまじと人のARCUSの盤面を見る機会はなかったし、ああいう風に集めて比較するということもなかった。だから、今まで意識していなかったことに意識が引っ張られてしまったのだ。

 

「あんなんただの属性だろ」

「うん、分かってる」

 

それでも、アンの言葉がわりと腑に落ちてしまっているから。

私が笑ったのが気に入らなかったのか、クロウは唐突に両頬を軽く引っ張ってきた。そんな戯れのような指先とは裏腹に、紅耀石よりすこし暗い赤が私を真っ直ぐ見下ろして。そっと頬が解放される。

 

「分かってねえよ。……オレが好きなのは、風と一緒に地面を蹴るお前だっつうの。時も水も似合わねえしよ」

「……あり、が、とう」

 

まさか、そんな風に表現されるとは思わなくて、目線を落としてしまう。ぎゅっと手を握り込んだところで、冷えた感覚に、ああそうだ籠を拭いていたんだった、と我に返り作業を再開する。

顔が熱いのがわかる。だけど決して嫌な感覚じゃ、なかった。

 

 

 

 

それからぽつりぽつりと会話をしながら、無事に籠を拭き終わって台所を出て階段を昇っていく。男性は二階なので上がって直ぐのところでお別れだ。だからか、つい、とクロウの捲り上げられた袖を指先で引っ張った。

 

「どうかしたか?」

「……私も、クロウの水みたいな適応力の高さとか、助かってる、し……すき、だよ」

 

時属性は正直よくわからないけれど、流動性のある水だというのは何となくわかる。もしかしたら最初期にあった陰の部分が時部分だったりするのかもしれない。それでも、私は私に見せてくれているいろんな側面のクロウが好きだ。それだけは間違いない。

 

「それだけだから、じゃあね。おやすみなさい!」

 

言い逃げるように階段へ身体を向ければ、手首を掴まれる。振り解こうと思えばきっと出来る程度の力加減だったのに、私はそれをしようとは思わなかった。自覚させられる顔の熱を抱えたままクロウを見やると、へらりと嬉しそうに笑われる。

そんな君の表情に、今日も私の心臓はぎゅっとした。



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02 - 04/05 後輩との交流

1204/04/05(月) 放課後

 

ライノの白い花びらが舞い散る四月二週目。新入生たちの各教科ガイダンスも終わり、いよいよ本格的な授業が始まっていく時期になる。

部活動も動いているところはあるけれど、新入生の目に留まるといえばやはり18日の自由行動日が要となるだろう。そしてその日までに『こんな部活があるのか』と興味を持ってもらう、というのが前準備として必要になる。存在を知られていなかったら探してもらうことすら叶わない。

 

とはいっても、だ。私が一人で所属している新聞部はフェルマ美術教官の転勤により事実上の廃部となった。新しく来たメアリー教官はフェルマ教官が一昨年から担当されていた吹奏楽部・調理部・美術部をお一人で兼任されることが決まり、さすがにそこに新聞部も、と新任の方に頼む気にはなれなかった。

前年度空いていた人も今年復活した釣皇倶楽部の顧問になることが決まったようで、ARCUS特科クラスが発足したこともあり人手があるならそれの穴埋めに、ということで後任を引き受けてくれる教官はついぞ見つからなかった。フェルマ教官には謝られてしまったけれど、転勤先でお元気であればいいと思う。

それに例の事件の騒動もあったことでハインリッヒ教頭からは多少煙たがられていたし、対外的には実績らしい実績を残せていなかった、というのは私の不徳の致すところだ。かといって写真部に合流するというのも何だか違う気がするので、取り敢えず帰宅部ということでのんびり二年目を送ることに決めた。

 

特殊課外活動が消えた年度に部活動未所属というのも間抜けな話だと思う。まぁでも別軸からの話なのに妙に立て込んで忙しくなることもあれば、暇な時は探してもやることがない、なんてことは地元でもあったのでそういう巡りなんだろう。

まぁ、図らずとも出来た時間を使って、あの日クロウに語った夢への実現を探っていこう。

 

目下の作業としては前年度で最後に申請していた【部活動一覧臨時号】は掲示許可を取得しているので、今日はそれと生徒会の掲示物の張り直しの仕事をトワからもぎ取ってきた。どうせ学院内全域の掲示板を巡るのでそこに二十、三十の紙モノが追加されようとも大した違いじゃない。

 

「よっと」

 

用務員のガイラーさんから借りた背の低い脚立を肩にかけ、様々な掲示物と道具が入った箱を抱えて学生会館を出る。この状態で誰かとぶつかったりして転けると骨折しかねないので気をつけて運ぼう。まぁ極端に気配を消して学院内を歩く人もそうそういないだろうけれど。

取り敢えずの行き先は図書館かな。

 

 

 

 

図書館での作業も終わり、本校舎の方へ歩いて行こうとしたところで学生会館から白い制服の三人組が目の前を横切っていく。中心にいるのはすこし色の濃い金の髪の貴族生徒。見たことがあるような気がして立ち止まり、ああハイアームズ侯爵閣下の御子息殿だと思い出した。そういえばかなり歳が近い筈だったので、旧都から出てこられたのだろう。……あまりいい噂は聞かないので、近寄りたいグループではない。

 

「どうかしたのだろうか」

「へ?」

 

なので無難に立ち止まっていたら、背後からそんな声が聞こえてきた。振り返ってみると赤いベストを着用した男性生徒。横に立たれるとその身長の高さが如実にわかった。目元がこの状態だと見えないので、クロウよりたぶん高い。いやクロウも隣に立たれるとだいぶ表情は見えないけれど。……そう考えると、視線が合いやすいようにすこし屈んでくれているのかもしれない、と気が付いて内心照れてしまった。

 

「よければ手伝おう」

「あ、いえいえ。前の道を人が通っていたので危なくないよう立ち止まっていただけです」

 

重くて難儀していたと思われたのだろうか。嘘ではないラインの言葉を紡いだところで、物を渡して欲しいような風情で両腕を開かれてしまう。どうしたものだかな、とはっきり顔を上げたら、蒼穹のような青い瞳が柔和に微笑んで。

 

「……では、お言葉に甘えますね」

 

持っていた箱を渡すと、任せて欲しい、と彼は笑った。

 

 

 

 

「ああ、やっぱりガイウスくんはVII組の」

「ええ。面白そうなクラスです」

 

お互い自己紹介をして二年生だと分かった段階で謝られてしまいこれまたどうしたものだかと困ったら、先達者を敬うのは大切なことですから、と彼にとっての芯に関わることだったみたいなので素直にその謝罪は受け入れた。

代わりに敬語はナシで名前で呼んで欲しいと言われたので、そうすることにした。となるとVII組というか後輩勢は全員名前で呼ぶのを統一してもいいだろうかと考えて、いやそれは相手に対して不義理かなとも。敬語は、まぁ取れたり取れなかったりするだろう。

 

「セリ先輩は生徒会に所属されているんですか?」

「うん? ああ、友人が生徒会所属で、たまにこうして手伝ってるんだ」

 

生徒会認証印が捺された掲示物が詰まっている箱を見下ろしてガイウスくんがそう言うので、笑いながら訂正し、本校舎一階入って左手にある掲示板の前へ。

 

「この部活動紹介を張っていくついでにね」

「これを先輩が書かれたんですか」

「うん」

 

渡した紙に一瞬目を落としてガイウスくんは少しだけ興味深そうな表情をしてから、画鋲でそれを張ってくれた。

脚立を持ってはいるものの、高いところの張り替えはガイウスくんが行ってくれるようで、私は掲示するプリントをメモと照らし合わしながら抜き出していく方に集中する。

程なくして作業は終わり、次は保健室の方へ。ベアトリクス教官に挨拶をしながら掲示物を張り替え、今度は二階に。

 

「何か気になる部活でもあった?」

「美術部がすこし」

「絵を描いたりするってことでいいかな」

「はい。故郷で描いていたんですが、我流なもので習えたらいいと」

「なるほど」

 

メアリー教官なら親身に教えてくださるかもしれないけれど、部長に教わることを考えているならそれはたぶん無理だと思う。なんせあのクララが今年度美術部の部長になっているのだ。自分の作品を創り上げること以外に時間を払うとは到底思えない。

 

「美術部だと部長には頼れないと思うけど、美術の技法書とかは確か図書館にあったりしたからそっちの方を訪ねてみるのもいいかもね。あとはやっぱり顧問の教官とか」

「わかりました」

 

あ、とは言ってもVII組は現時点だと生徒手帳がないので本の貸与が出来ないのだったか。司書のキャロルさんにその辺の話って通っているのかなぁ。サラ教官がしてくれている気もしないから後で備品を返しに行くついでにトワへ確認しておこう。

 

「先輩は新聞部ですか?」

「そうだったんだけど、今年で廃部になって」

「廃部?」

「顧問だった教官が転勤して、代わりの方も見つからなくてね。なので今年は帰宅部です」

「写真部に入られたりはしないんですか?」

 

二階の談話スペース近くにある掲示板へたどり着き、二人で作業を開始したところで箱の中にある部活動紹介を手にしてガイウスくんが問いかけてきた。

 

「写真部は、去年見た時にちょっと違うなぁって思って」

 

去年見た写真部はトリスタや帝都の風景を導力カメラで散策撮影する部活で、自分がしたいこととは方向性が異なっていた。散策撮影は好きだけれど、部活動としてやりたいかと言われるとそういうわけでもない。

まぁ今年の部長にはフィデリオが就任したようなので、もしかしたら私の好きにやらせてくれるかもしれないけれどそれは職権濫用というものだろう。活動が濁るのはよろしくない。

 

雑談をしながらも作業は進み、一年生がよく見る場所ということで一階より掲示物は多めだったけれどここもつつがなく終えられた。

残るは修練場だけなのだけれど、どう歩いても均等に遠いので、美術室の前を通りながら中庭を経由して歩いていくことにした。脚立を返しに行くのが少し億劫なルートだけれどそれは仕方がない。

 

音楽室からはピアノの音がして、調理部は今日はお休みで、美術室からはあいも変わらず石を削る音が聴こえてくる。ガイウスくんが気になるのか耳をそばだてるので、少しだけ扉窓から覗いてみようか、と美術室の前で止まったりしつつ階段を降りていった。

 

「そうだ。VII組といえばARCUSだけど、使う機会はあった?」

「入学式当日にオリエンテーリングで旧校舎の地下で戦闘実地訓練のようなものを」

「問答無用で落とされたよね」

「もしや先輩も似たようなことが?」

「うん、私は前年度にARCUSのbeta版テスターをやっててね。今回みたいな特科クラスではないものの、その時も集められた全員が落とし穴で地下に案内されたんだ」

 

そう、ちょうど一年前の今頃。友人関係が構築されている四人の中に入ることが出来るだろうかと悩んだ時期もあったけれど、今ここにこうしている私はあそこで落とされて、試験運用に携わることが出来て本当に幸運だったと心の底から感じる。

あの半年は……いいや、一年は、掛け替えのない日々だった。私にとってだけじゃなく、みんなにとってもそうであったと信じられるほどの。そしてこれからもそんな日々であればいいと願ってしまいそうになるほどに。

 

「そうだったんですね」

「だからARCUSで何かわからないことがあったら相談に乗れると思うよ」

「助かります」

 

落とされた言葉に、ああ私も上級生になったんだなぁ、なんてぼんやりと実感した。

 

 

 

 

修練場の掲示板での作業を終え、もう後は生徒会室に戻るだけだからとガイウスくんを帰した。お礼になるかはわからないけれど、別れ際にARCUSの通信番号をメモ書きして渡しておいたので、何か困ったことがあれば連絡が来るかもしれない。何もなければないでそれは喜ばしいことだ。

 

生徒会室をノックし、馴染んだ気配の二つを察知しながら扉を開けると見慣れた顔がいた。

 

「お疲れ様、セリちゃん」

「お疲れ、セリ」

「新聞部最後の活動のついでだよ」

 

アンがいつものように、自分で持ち込んだ紅茶を優雅に飲みながらソファに腰掛けている。脚立を取り敢えず入り口近くに立てかけ、入って右手の長机に箱を置いてから使った備品をそれぞれ所定の位置へ。

 

「そうだ、セリも一口噛まないか?」

「内容による」

「金曜に全員で集まって晩を食べないかって話さ」

 

金曜日。自由行動日前日でもないし、わざわざ予定を立てるには中途半端だなと思考したところで思い当たることが一つあった。振り向くと二人とも笑っている。

 

「いいよ、一年だもんね」

 

四月十日。私たちが旧校舎地下に落とされた日だ。

 

「作るのもいいし、食べに行くのもいいかなぁ」

「トワの方は大丈夫なの? 最近忙しいみたいだけど」

「その日は早く帰るように頑張るよ!」

 

いつも頑張っている気がするのだけれどなぁ、と思うのは決して友人としての贔屓目ではないだろう。そんな自分を蔑ろにしてしまいがちな彼女の身体を案じているからこそ、アンも高頻度で生徒会室に出入りしているんだと思う。ただただ単純にトワの顔が好きというのも大いに関係しているだろうけれど、友人としてそこを疑いはしない。

 

「ま、その辺は男どもとも話し合って決めよう」

「ふふ、そうだね」

 

そんな会話を聞きながら備品収納を再開したところで、そういえばと思い出す。

 

「全然別の話なんだけど、VII組の生徒手帳ってもう暫くかかる?」

「うん、特急で入れてもらったみたいなんだけど、早くても来週末くらいかなぁ」

「何か訊かれでもしたのかい?」

「今日の掲示物の張り替えに通りかかったVII組の人が手伝ってくれて、雑談で図書館を勧めたりしたんだけど生徒手帳ないと本の持ち出し出来ないよなぁって気が付いて」

「あ、それならキャロルさんにお願いしてあるから大丈夫だよ。ありがとうね」

「さすがトワ」

 

いつも配慮が行き届いた細やかな仕事だ。というか特急でねじ込んでいると言うことはおそらく追加料金が取られていると想定出来るわけで、おおむね税金で運営されている(し、ARCUS試験運用は別途予算が出ているだろう)から税金の無駄使い、と言うことになるのだろうか。

学生の身で口を出すものではないかもしれないけれど、お金と人員スケジュールが関わることはもっと別の事務作業が得意な人が管理した方がいい気がする。サラ教官の資質として向いていないと言うのもあるし、そもそも担任教官を勤めている一人にすべてを求めるのはよくないのでそっちの方が現実的かつ効率的だろう。今回のは他の人が気付けた可能性もあったろうし。

とはいえ教員数や生徒会役員数と仕事の重さを考えた上で現実的かというと。

 

「……」

 

一生徒の懸念なんて学院側で既に承知しているだろう、とは言いたいけれどARCUSの想定外仕様部分のことを考えると一蹴するには僅かばかりの不安があるというのも確かな話で。

まぁ後でまた考えておこう。どうにかこうにかトワの負担が軽減出来る案を出したい限りだ。

 

「今日はもう二人とも上がりでいいのかい?」

「あ、私は用務員室へ脚立返しに行く」

「私はあと五分くらいかな」

「じゃあ久しぶりに三人一緒に帰ろう」

「それなら急いで返しに行ってこようかな」

 

ハインリッヒ教頭に見つかったら確実に目をつけられるし、そもそも私の速度で校舎内の角を曲がるのは危ないので、視界が開けている道ということで中庭を経由しよう。気配察知が完璧と驕るのはやってはいけないことの一つだ。

そんなことを考えつつ脚立を持って部屋を出ようとしたところで、セリちゃん、とトワの声。

 

「走るのはよくないからね」

「……はい」

 

どうやらお見通しだったようで釘を刺されてしまう。教頭以前の問題だったようだ。

 

 

 

 

安全速度で用務員室まで戻り、そこにARCUSの通信で正門集合となったようで合流したらクロウとジョルジュも揃っていた。クロウは技術棟や購買でたむろしていたようで、飯どうすっかなぁ、なんて。じゃあ久しぶりにキルシェでも行こうか、と提案したら全員乗ってきて笑ってしまった。

 

記念日でも記念日じゃなくても、一緒にいたいと思える仲間たち。

談笑するみんなを見て、心がじわりとあたたかくなる。

思い出をまた一つずつ積み重ねて、この一年が楽しく穏やかに過ぎますように。



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03 - 04/10 これからの一年

1204/04/10(土) 夕方

 

結局気兼ねなく騒げる場所がいいと言うことで、靴を脱いで寛げる私の部屋で各自の得意料理を持ち寄って晩餐会ということになった。食堂は他の生徒たちの目もあるし、キルシェももしかしたら他の人に気を使わせてしまうかもしれない。

つまり、どういう意味であっても五人だけで食べたいというのが全員の総意だったようだ。

 

「得意料理って縛りだったけど、こうも全員バラけてると意思疎通を感じる」

「そうだねぇ」

 

狭い座卓に所狭しと乗せられている料理を見て私はそう呟いた。

クロウはピザを焼き、ジョルジュはグリルチキン、私がチーズドレッシングサラダ、アンはスープでトワがシフォンケーキ。まぁ全員ある程度お互いの得意料理を鑑みてチョイスしたのだろうけど、あんまりにも過不足なくて笑ったぐらいだ。

 

「さて、それでは、この一年に乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

 

アンが林檎ジュースを掲げて音頭を取ったところで、各々自分のグラスを掲げ縁を鳴らし合わせた。ジョルジュが切り分けてくれたチキンを早速口に含むと、腹に詰められていた野菜がしっかり油を吸っていて、これはバゲットを焼いてくるべきだっただろうかと瞬間的に後悔する。いやでも穀物系はピザもあるし我慢我慢。

 

「鶏の火の通り加減が絶妙。最高。さすがジョルジュ」

「そう言ってもらえてよかったよ」

「アンちゃんのスープ美味しいね」

「ラーメンの出汁を取る技法を少し真似てみてね」

「このドレッシング、木の実が砕いてあんのか?」

「そうそう。マヨネーズを牛乳で伸ばして、チーズとかレモンとか胡椒とか木の実とか加えた」

 

わりとジャンクな味で美味いな、とクロウが言うので嬉しくなって笑みがこぼれる。森の恵みは熱を通さないと美味しくないものもたくさんあるけれど、生で食べられるものは子供の頃の貴重なオヤツだった。今回は折角ならと故郷のティルフィルに連絡をして材料の木の実を送ってもらったのだ。

 

「それにしてもいろいろありはしたが、やはりそこがくっついたのが一番の驚きだったか」

「よく言うぜ」

 

そこ、とアンに指差されたのはもちろんクロウと私なわけで。口をとんがらせて憎まれ口を叩くクロウの気持ちは少しわからないではない。だってアンは、私よりも、下手したらクロウ本人が気付くよりも以前にクロウの感情に気が付いていた節があるらしいのだから。

 

「うーん、でも私は結構納得するかな。戦闘でも息ピッタリだもんね」

「私生活ではセリが支えてるきらいがあるけどね」

「まあその辺は前からだろ」

「もう少ししっかりしてくれてもいいんですよクロウくん」

 

でも頼られんの嫌いじゃねぇよな、なんて言葉と共にこてんと頭に頭が乗っかってくるので、ええい邪魔邪魔、と頭で押し返しておいた。

 

「やさしくしてくんねーのかよ」

「この状態でそれを求められても困るんだけど?」

「つまり……クロウ、後で顔を貸したまえ」

「何でだっつうの! カノジョに優しくされたい願望くらい誰にだってあんだろ!」

 

人の目があるところでそんなことを言われても、ということはつまり、うん、そういうことなわけだけれど、当たり前のようにアンには真意が拾われてしまっているし、アンの発言で完全に他の二人にも理解されてしまっただろう(そうでなくても解られていたろう、というのはこの際無視をする)。

 

ああもう恥ずかしい!何か話題を変えなければと頭を回したところで先程のアンの言葉が脳裏をよぎる。そうだ。この一年ずっと不思議だったことがある。

 

「い、一番の驚きといえばさ!」

「うん」

 

強引な私の話題転換にジョルジュが乗っかってきてくれた。ごめん本当にありがとう大好き。

 

「そのー……四人はどうやって知り合ったの? アンとジョルジュが元からの友人ってのは知ってるし、トワとアンはまぁアンがナンパしたんだろうなって想像がつくんだけど」

「あはは、私とアンちゃんはその通りだね」

「クロウだけが謎すぎるでしょ、そこの面子」

 

わかりきった話として全員クラスが異なるし、クロウがトワやアンをナンパするとも思えず、かといって知り合いでもないジョルジュが取り仕切る技術部にわざわざたむろする理由はない。この中でクロウだけが浮いているのだ。

 

「あー、本校舎の二階に上がると談話スペースあるだろ?」

「あるね」

「そこでちょっとゲームで賭けたりしててなあ」

「えっ、クロウ君そんなことしてたの?」

 

咎める声音のトワに、さすがに時効だろ、とクロウは笑う。よくハインリッヒ教頭とかに見つからなかったなぁ。いや見つかったとしてもいの一番に逃げ出していただろうけれど。

 

「そしてそこに私が参戦して根こそぎ奪ったのがファーストコンタクトだったかな?」

「あん時のお前の顔は一生忘れねえわ」

 

心底嫌そうな顔をつくって言うものだから、もしかしてアンはクロウのそういう物怖じせず歯に衣を着せない態度が気に入ったのかもなぁなんて考えてしまった。だからこそ、空虚に笑うのが耐えられなかったのかもしれない。突き詰めるとエゴだ。

そうした中で私たちは課外活動というだけでなく一緒にいることを選択した。課外活動以外で接さない、という行動はきっと出来ただろうけれど選びはしなかった。

 

「いろんなところで縁が交わったんだねえ」

「むしろ私はあの日までセリに気が付かなかったのが気になるところなのだが」

「お前ほんとに初日からコナかけまくってたもんなあ。噂だけは流れてきてたぜ」

「アンはルーレでもずっとそうだったよ」

「だからいいってもんでもねえわ」

 

特定の傾向を持つ女性に敏感なアンゼリカ・ログナー嬢が私に気が付かなかった理由は、まぁ極めてシンプルだ。

 

「私が避けてたからだよ。アン個人を避けてた……こともあるにはあったろうけど、そもそも賑やかな場所を避けてたというか。アンの周りは特に人が絶えなかっただろうからね、目視できなければ知ることも出来ないでしょ。物理的に一番遠いクラスの平民なんて」

「人嫌いもそこまで行くと筋金入りだな」

 

クロウにさらりと評されて、首を傾げる。

 

「……人嫌いというわけじゃないと思う、けど」

 

人が嫌いというよりは、うっかり人目につくのが苦手だったのだ。誰かの視界内に入るということは、どこか何かのタイミングで誰かの興味をひく可能性がある、というわけで。自意識過剰の自覚はあるけれど、そもそもの試行回数を極力減らすとなったら、誰の目にも映らないというのが手っ取り早いのはまず間違いない。先天的なものか後天的なものか、もう判断することは難しいけれど、たまに私は極端にパーソナルスペースが広くなるようだ。

とはいえ、合同戦闘訓練も定期的にあったし、ARCUS試験運用の総括で学年生徒の目の前で大立ち回りをさせられたりもして、何より学院祭の講堂でライブをやったりしたので、ある程度視線に晒されることに慣れはしたけれど。

 

それに、入学以前よりもずっと、私は強くなった。

筋力的にも、技術的にも、精神的にも。ルーファス理事と面会を果たした際の、自分の不甲斐なさを思い知らされたあの頃よりいろんな側面で成長している自負が、今の自分をしっかと支えてくれている。これはきっと誇りと呼ばれるものだ。

 

「人嫌いっていうより、内側を大切にしたいからこそ外との関わりを浅くしてる感じかなあ」

 

黙って話を聞いていたトワが静かに言葉をこぼした。視線を向けると、金糸雀色の瞳がにこりと私に笑いかけてくる。

 

「あー、懐に入れたら最後、ずっと大事にしそうだもんな」

「うん。だからこそテリトリーにはいれる人が限られてる、ってイメージ」

 

トワから見えている自分は、そう、らしい。というかみんな、なるほどな、という顔をしているので的を射ている表現なのかこれ。えっ、私ってそんな感じなんだ。

他人から見た自分というのは、何だか不思議なカタチをしている。

 

「それなら、僕たちは幸せ者だね」

「ああ、そういう性質のセリと共に在れたというのは喜ばしい」

 

アンとジョルジュもそんな風に乗ってきて、ぐ、と言葉に詰まってしまった。

みんなと一緒にいられたことに対して、私の方こそ感謝したいのに。取るに足らない一般生徒である自分に斥候という任務を任せ、信頼してくれた。その信頼に応えたいと願った。そして果たすことが出来たと、自己認識できる、それそのものが宝物だ。

 

「ふふ、セリちゃん顔真っ赤だよ」

 

だけどそれをどう言ったらいいのかわからなくて黙っていたらそんな指摘が飛んできて、ぐうう、と呻きながら床へ倒れるようにクロウの背中に隠れた。ちょっと助けて欲しい。

 

「おうおう、見せもんじゃねえぞお前ら」

 

クロウのそんな声に次いで、笑い声が落ちてくる。

大切なものが増えるというのは、弱くなることだ、と表現したのは誰だったか。たしか昔読んだ本にそんなことが書いてあった。けれど私はみんなと一緒に強くなった果報者なのだ。

 

 

 

 

1204/04/16(金) 放課後

 

「すみません、生徒手帳完成の連絡を頂いたトールズ士官学院の者です」

 

生徒会の代行者として、生徒手帳の印刷を頼んでいた帝都の印刷所に引き取り証を携えて入っていくと受付の方は、ああ、と合点がいった顔で応接室の方へ通してくださった。

送付となると時間がかかるし、トリスタの外へ出る可能性がある自由行動日前には生徒手帳を全員に渡しておきたい、ということで人力で引き取りに行くのが一番早いということになったのだ。そしてこういうことにフットワークが軽いというか、行動範囲的に一番適任であるアンは今日自動二輪部の活動をしているらしく連絡をもらった段階で既に通信圏外に出てしまっていたのだとか。

 

「お待たせして申し訳ありません」

「お忙しいなか時間を取って頂きありがとうございます」

 

そうこうしていると人が入ってきて、物が机の上に置かれる。紺色のカバーに有角の獅子紋が刻まれていて、見た目だけでいえば私たちのと変わりはない。

 

お辞儀をして、改めて九人分の生徒手帳を見据えた。名前欄の部分まで印刷されているか一応簡易的に渡されていた名簿を片手にチェックして、うん問題なし。中も乱丁落丁は特にないようだ。顔写真は生徒会で貼り付けるし、その上からプレス割印とヴァンダイク学院長の代表者職印を捺してもらえばようやく渡せる形になる。なんとか17日の夕方までには間に合うだろう。

 

「わざわざ引き取りに来て頂きすみません」

「いえ、こちらが無理を通してもらっている立場ですので。来年はこういったことがないよう努めさせて頂きます」

 

梱包や受け取りのサインなどの事務手続きを終えて印刷所を出たらもう空は橙と藍が溶けあっていて、学院に戻る頃にはとっくに陽が落ちている時分になるだろうか。通信を入れてから急いで帰ろう。

 

 

 

 

帝都駅で列車を待つ間に晩御飯用のサンドイッチを買い、生徒会室へ走って飛び込んだらそこにはトワとサラ教官が待っていた。他の生徒会役員はとうに帰したのか部屋の中には二人だけ。

 

「あ、セリちゃんおかえり、ありがとう!」

「取りに行ってくれて助かったわ」

「ただいま、トワ。教官、こちらが生徒手帳です」

 

渡した品物を二人がさくさくとまたチェックしていき、すべて見終わったところで二人の顔が上がった。

 

「いやー、なんとか自由行動日に間に合ったわね」

「……間に合わせた、んですよ。サラ教官」

 

思わず出た私の苦々しい言葉にか、トワの目が丸くなる。

しかしどう考えたって原稿の作成から現物の引き取りまで、生徒会どころか教員事務員含めても満足に回せないというのはあまりよろしくないことだろう。特にこれは最終的に後輩たちが引っ被ることになるわけで、事実、生徒手帳完成の遅延は彼らの不利益になっている。筈。

 

「正式学級なんですし事務員雇いましょうよ。身分証明書の遅延はさすがに擁護出来ませんて」

「そうなのよね。トワも生徒会長になっちゃったし、事務仕事を回せる人員がいなくて」

「す、すみません」

「トワが謝る話じゃないよ」

 

ここで生徒会……というかトワに仕事を振るというのは酷な話だ。ただでさえ賢いが故に『見える』ものが多くて学院のいろいろな制度にメスを入れているというのに、それに加えて前例がほぼない特別カリキュラムの事務仕事を任されるというのはあまりにオーバーワークすぎる。

去年のことを考えると既に実習地の選定・伝達・交渉はとうに終わっているだろうけれど、それに付随する資料作成などは随時発生するもので。

 

「そうだ、君が手伝ってくれるのはどう?」

「へ」

 

君。その呼称が指しているのはもちろん(私が苦言を呈しているということからも)トワな筈はなく、そして発言者であるサラ教官を除けばこの空間には残り一人で、つまり明確に私を示していた。

 

「考えてみれば去年いろんなことを調べてたし導力端末も得意だし、ある程度どういう流れでカリキュラムが動いていくのか理解してるわけだから適任じゃないかしら」

 

いろいろ、言いたいことが、脳内を駆け巡りは、した。しかしここで自分が断ったら事務員は特に増えることもなくトワが巻き取ってしまうだろうな、というのも理解したし、彼女なら何だかんだそれをやり切れてしまうだろうとも。

 

「……わかりました。それでいいです」

「決まりね」

「セ、セリちゃん本当にいいの? 生徒会でやるよ?」

「大丈夫、決めたよ。教官には去年お世話になったから恩返しも兼ねてね」

 

課外活動できちんと見守ってくれてはいたし、放課後にナイフ投げや剣の個人指導をして頂いたりもしたし、一緒にバーに行ってもらったりもした。トワの身体も心配だし何より、赤い制服を着た彼らが学生生活に集中出来るよう奔走する一年というのも悪くないと思ったのだ。

まぁ部活動もなくなり、なかなかに時間があるというのも後押しになった。

 

「それじゃあ今月のことについて話したいから、明日の放課後は教官室に来てくれる?」

「はい」

 

生徒会室から出て行く教官を見送って、買ってきたサンドイッチでも食べながらトワの仕事終わりを待つかといつものソファに座れば、セリちゃん、と控えめな声がかけられる。視線を向けると、すこし申し訳なさそうな表情。

 

「────ありがとう」

 

けれど発された言葉はそういった類のもので。

その感情の揺らぎが、意思が、嗚呼本当に好きだなと改めて感じたのだ。



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04 - 04/18 実習準備

1204/04/18(日) 自由行動日

 

九時頃にトリスタを出発し、鉄道沿線で揺れる秋蒔きのライ麦が輝く風景を車窓から眺めながら一時間。VII組初めての実習地の片割れであるケルディックに到着した。目的地は工房オドウィンだ。

 

マカロフ教官曰く、オドウィンはARCUSの先行提携店ではないようで、VII組のサポートのために一度実物に触りたいという要請があったらしい。パルムの方はハイアームズ侯爵閣下のご厚意により、旧都にいるARCUS先行提携店の技術者が派遣されるらしいので、トリスタに近いケルディックは学院の方で案件を巻き取った、ということで。

であるのならば派遣するのはジョルジュが適任なのではと言ったのだけれど、ジョルジュはジョルジュで忙しく手が離せなかったようだ。なので、つい先日からVII組担当教官補佐になってしまった私が駆り出されている。簡易的な整備であればさすがに自分で出来るようにはなっているとはいえ、いいのかなぁ。

 

そんな経緯のため学院代表として赴くので制服着用の上で一応武器を携行しているけれど、ARCUSを預ける以上は町の外に出るつもりもない。さすがに過剰武装だったかと駅舎から出て一歩、そう痛感した。

 

新聞売りの少年の元気な声、観光に来たのであろう人々の足音、そうして町の中心から軽やかに伝わってくる賑やかさ。東の交易地と名高いケルディックの大市。

大穀倉地帯として帝国にとっては外せないのはもちろん、帝都・公都・貿易都市を結ぶ中継地点として発展してきた場所でもある。農作物から始まり、公都の職人通りで磨かれた宝石類にミンクの毛皮、果ては大陸諸国の輸入品までも商われるため、大市の横にクロイツェン領邦軍の詰め所が構えてあるのは当然のことと言えよう。

そんな領邦軍のお膝元で武器を持っているというのは、逆に心細いというものだ。

 

一応自分も軍関係者とはいえ、一介の学生というのも確かなので目をつけられないうちにさっさと用事を済ませてしまおうと内心で頷いた。

 

地図を確認してから駅を出て右手の方に歩いていくと程なくしてそれらしい看板が見える。ギィ、と年代を思わせる重い樫の扉を押すとカランカランとベルが鳴り響き、カウンターに若い男性、奥の方に鍛治仕事をしている老年の男性がいた。

 

「いらっしゃいませ」

「こんにちは、初めまして。本日伺うと連絡を入れていたトールズ士官学院のセリ・ローランドと申します。サムスさんでよろしいですか?」

「ああ、貴方が。ありがとうございます」

 

サムスさんが置いていたARCUSの仕様書を奥から持ってこようとしている間に、私は足につけているポーチから自前のARCUSを取り出した。

 

「これが最新戦術オーブメント、ARCUSですか」

「はい。スロットの開閉などは従来品と同じですが、回路が少し複雑になっています」

 

元々仕様書は読み込んでいらっしゃったようで、疑問は既に箇条書きにしてくれていたため読んでみると自分にわかることばかりだったから、一時間半ほどで当初の疑問は解消できたと思う。その上で触ってみるのも肝要だとARCUSを預けて二~三時間ほど町をぶらつかせてもらうことにした。

私は私でここで質問されたことはしっかり持ち帰ってマカロフ教官やジョルジュと共有しなければならない。ARCUSが汎用品として広く普及する際に、仕様書の穴を埋める形に使われることだろう。

そして投げかけられた質問から考えると、おそらくサムスさんはARCUSの仕様についてかなり深く理解されていると感じた。だからこそ預けることに不安はなかったし、これなら来週の特別実習での調整もお任せして大丈夫だろう……なんて言い方は傲岸不遜かもしれないけれど、ARCUSを理解するのは難しいというのを私たちは身をもって体験させられているのだ。最新技術というものは得てしてそういうものかもしれないけれど。

 

「宿泊先も一応見ておこうかな」

 

大市の屋台でご飯というのもいいかもしれないけれど、かなり長時間喋っていたせいか活動時間の割には空腹度合いが強い気がする。となれば、宿酒場に行かない理由もない。

幸い風見亭は工房近くにあり、そのまま流れるように扉を開けた。ふわりとバターのいい香りが漂ってきて、昼時ということで店内も賑やかで楽しさが溢れている。大荷物を持った商人らしき人から、地元の方らしき人まで。

一人ということでカウンターに通され、メニューにおすすめだと書かれているオムライスとサラダを頼む。地の物である新鮮な卵やバター、自家製ケチャップなどから作ってくれるようで、料理の音まで含めていい店だなと出来上がってくるまでぼんやりカウンター内を眺めていた。

 

 

 

 

「士官学院の子かい?」

 

少し多めの昼食を食べ終え、水を飲みながら一息ついたところで女将さんからそう言葉が。まぁ肩に校章もついているし、分かる人は分かるだろう。特にここはサラ教官が懇意にしているお店のようだし。

 

「はい、トリスタから来ました」

「来週うちで実習やるからその兼ね合いかね?」

「いえ、宿泊先についてはサラ教官が既に段取りをつけているという話だったので、単純に美味しそうな匂いに釣られました。実習の準備で町を訪れたというのは間違い無いですが」

「そうそう、サラちゃんから連絡が来てね。男女同室で部屋を用意出来ないか、って言われたんだけど……本当にいいのかねえ」

 

男女同室。記憶にあるなぁ、それ。ちょうど一年ぐらい前のことを思い出して少し笑ってしまう。

 

「士官学院生ですから、入隊すればそういうこともあるでしょうし、よければそのまま是非」

「そうかい?」

「二年生である私もそういった訓練をしたこともありますから」

「なるほど、じゃあ本当に構わないことなんだね」

 

本当に気を遣ってくださっていることが伝わってきたので、サラ教官の言葉を後押しする。

これは私たちがそうだったからそうする、という経験の話ではなく、眠りを預けられない相手に背中を預けるというのは難しいというのがある。まぁそもそも、トールズに入学出来て尚且つVII組に所属することを選んだのだから、自分からそういった方向性の不和を招くようなことはしないだろう。男女ともに。

 

「はい。来週は後輩たちをよろしくお願いいたします」

「任せておくれよ」

 

気のいい笑顔を見せてくれた女将さんにお礼を言って、会計を済ませて外へ出る。時刻は十二時半。ARCUSを回収しに行くにはまだ早いし大市でも見てまわろうか、と思案しながら駅前まで戻ると周辺地図の看板が目に入った。そうしてとある一点に視線が吸い寄せられる。

────ルナリア自然公園。ヴェスチーア大森林の一部を整備・管理し、一般人でも散策できる場所として公開されている森林区域だ。

 

「……」

 

ARCUSは、ない。けれど、そもそも士官学院に入る前、地元で魔獣と戦う時は戦術オーブメントなんて持っていなかった。この辺りの街道に出てくる魔獣程度なら、ARCUSのサポートがなくても大丈夫ではなかろうか。

考えれば考えるほど、そんな内なる声が聞こえてくる。

 

数分考えて、私はその心の声に折れることにした。

 

 

 

 

楽観的に考えた通り、導力車の通りもそれなりにあり、魔獣よけの街道灯も機能しているおかげか殆ど魔獣と遭遇することなく公園へ続いている坂道の下まで順調に来ることができた。

のだけれど、遠目に見ても公園入口の門は閉まっているように見えて、一抹の不安が胸をよぎる。そんなまさかと思いながら近づいて行くと、門の傍らに見知ったような気がする銀髪が。

 

「──クロウ?」

 

人違いだったら恥ずかしいな、と思いながらも声をかけてみるとARCUSを見下ろしていたらしい視線が私に投げられ、驚きの形に。やっぱり私服のクロウだ。

 

「なんでお前こんなとこにいんだよ。しかも制服で」

「私は来週のVII組実習の補佐でちょっと教官に駆り出されて」

 

なんで君がここにいるのか、なんて私の台詞でもあるのだけれど。

 

「あー、なるほどなぁ。そういえばンなこと言ってたか」

「で、クロウは?」

 

今日も今日とて帝都に行くとかしているのならばわかるけれど、こんなところに用事があるとは到底思えない。公園散策が趣味だというのは一度も聞いたことがないし、事実そういうわけでもないだろう。いや、そうだったっていうのなら嬉しくはあったりするけれど。

 

「……」

 

どうにも気まずそうな顔をするので、言いたくないなら別にいいよ、と言いながら門に近づいて行く。取っ手を掴んで引っ張ってみるも、かしゃん、と金属が擦れる音がするばかりで開く気配はまるでない。やっぱり閉まっているらしい。

 

「管理の都合上、少なくとも今月いっぱいまでは閉まってるみたいだぜ」

「そうなんだ。残念」

 

ため息を吐いて踵を返したところで、クロウも一緒についてくる。てくてくてくてく。妙に沈黙が続いていたけれど襲ってきた魔獣は特に問題なくいなしたところで、クロウが銃を腰に収めながら顔を顰めるのがわかった。

戦術リンクがないとはいえ怪我をするような要素はなかったと思うけれど、何かあっただろうか。

 

「……リンク、決裂してんのかこれ」

「え?」

 

重々しく繰り出された言葉の意味を一瞬取り損ねて疑問符を返してしまったけれど直ぐに、ああ、と足のポーチを開けて中身を見せた。

 

「ARCUS持ってないんだよ、今」

「忘れたのか?」

「いや、工房の人から実習対応のために実機触りたいって要請があって」

 

歩きながら一通り経緯を説明すると、なるほどな、と事態把握の言葉が落ちる。

 

「繋がった感覚ねえから焦ったわ」

「あー、特にクロウはリンク決裂の感覚知ってるもんねえ」

「お前もだろ」

「私はARCUS持ってないから未リンクの感覚はないよ」

 

とは言っても、みんなと──クロウと一緒にいる時は誰かしらとずっと繋がっていたから、戦闘で違和感が全くないと言ったらたぶん嘘になる。それでも、リンクが繋がっていなくたってこの程度の敵であるならクロウが何を求めているのかぐらい経験則でわかるというもので。それはクロウもおんなじだろうことはさっきの戦闘で明白だ。

だから非リンク状態というだけでそう狼狽されるとは思わなかった。

 

「……さっき何で公園にいたのか言わなかったせいで呆れられたのかと」

「え、いやいや。別に。誰しも言いたくないことってあるだろうし」

 

その程度で呆れるならクロウに恋などしていないと思う。

そう。これはクロウは知らないことだろうけれど、この数ヶ月、考えてみればみるほど、私はクロウのことを何にも知らないということに直面しているのだ。あまり昔の話をしないから、私から聞いていいものかどうか判断もつかなくて、進んで保留している自覚すらあるほどに。

 

「……いや、言いたくないっていうよか」

「よか?」

 

首を傾げてちらりと顔を覗き込むと、何かが恥ずかしいのか少し頬が赤らんでいるのが見えた。陽の光がまだ高いこの時間でそんな表情を拝めるのは大層珍しいので、えっ、と逆に私が狼狽えてしまう。

 

「お前はこういう公園とか、好きだろ。だから」

 

────だから。ええと、つまり?

 

発された言葉や態度から頭を回してみて、導き出された答えはあまりにも自分に都合の良いもので、いやこれ本当にそうなのか?と問い質してみたくなるものだった。二度三度問い質して、逆算して、それでもやっぱりそういうことなのでは、と。

 

「……デートの下見、とか?」

 

クロウから答えが聞こえてこないので、恥を忍んでそう問いかけてみると、先ほどから既に緩んでいたクロウの歩みがついに止まった。振り返ると、手のひらで目元を押さえて俯く姿。それでも赤い耳は確かに銀灰色から覗いていて。

 

「そ、ういうことだな」

 

観念した声音とともに顔を見せてくれるクロウがあまりにも可愛くて、ああこのまま時が止まればいいのにと一瞬でも本気で考えてしまった。

 

「って、なんでお前まで赤面してんだよ」

「いや、まさか、そんな可愛いことしてくれているとは思っておらずですね」

 

二人して顔を真っ赤にしてしまった昼下がり。どちらからともなく、また足が動き始める。

明らかに沈黙の色がさっきとは打って変わったものになっていて、どうにも心が落ち着かない。それはクロウもそうなんだろうなというのが、案外とわかるもので、ARCUSがなくてもそれなりに心情って伝わってくるものなんだなぁ、なんて場違いなことを考える。

でもそれはきっと、相手がクロウだからなのだろうけれど。

 

「あのさ」

「ん?」

「公園、再開したら二人で来たいな」

 

するりと手を取ると、呼応するように指が絡められる。指が長くて、少し骨張っていて、私の大好きな手。カタチを辿るように繋いだ手の親指で甲を撫でると、同じようにさすられる。

 

「そだな」

「だから今日は私の用事が終わった後、大市デートで手を打ちませんか、クロウくん」

「……乗った」

 

お互い顔を見合わせて、ふっと噴き出して笑ってしまった。

デートというには私服と制服ですこしちぐはぐだけれど、君がそう笑ってくれるなら私たちの在り方はこれでいいのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

口から出た言葉は、十割嘘だった。

自然公園に来た理由は帝国解放戦線の作戦用で、別にセリのためなんかじゃなかった。パトロンである領主側から協力を要請された大市掌握用の小作戦……というより小細工って言った方がいいような気もするが、それのためだ。どう事態が動いても他のことにも繋げられるだろうから了承した。

こういう時、俺は流れるように嘘をつけるんだって思い知る。ただの一欠片も自分を見せちゃいない、なんて驕ることは出来ねえけど、それでも見せてない部分の方が多いのは確かだ。

 

「あ、このストール、パルムのだ」

「パルムでは毎年職人同士が競い合う春の染め上げという行事があるんですが、そちらは今年の優勝候補の方の作品なんですよ。織り方を工夫して光の当たり方次第ではビロードのような光沢を持つのに、軽く薄く、これからの季節にぴったりの一枚かと」

「一枚あると結構華やかでいいんじゃねえか? お前シンプルな服ばっかだし」

 

だっていうのに、お前は俺がでっちあげた理由を察してデートの下見なんていう言葉で飾って信じて、顔真っ赤にして、改めて二人で来たいだなんて言う。

繋いだこの心を絶対にいつか離さなきゃならねえのに、いつかこの関係は破綻するってわかってるのに、それでも、そんなことをされちまうとお前を俺の未来の先に連れて行きたいなんて欲が首をもたげるんだよ。テロリストの隣にお前がいる未来なんてあるわけねえのに。

 

「う、確かに柄物は……合わせるのちょっと苦手かも。クロウはその辺上手いよね」

「まぁな。ようはどこに焦点合わせるかって話で、銃と似てんだよ」

「その発想はなかったなぁ。なるほど……銃」

 

そういう、本当にそういうところなんだよお前。自他境界がかなりはっきりしてやがるクセに、すぐに人の……オレの言葉を信じるっていう、そういうところが、どうしようもねえ。かわいいって言葉はこういう時に使うんだろうなって。たぶん直接言ったなら、クロウだから信じるんだよ、なんて少し口を尖らせて返してきたりすんだろうがよ。

発言の精査をしなくていい範疇に入ってる、その信頼が、信用が、たまに痛い。

 

「織物って一期一会ですよね」

「そうですね。同じ柄でも、何となく雰囲気が異なるのは事実です」

「うん、これ買います」

 

会計を手早く終わらせて、太陽光を布が反射してなめらかにあわく光るそれを抱えたセリがオレに振り向いた。

 

「ね、今度これに似合う手持ちの服、出かける前に見繕ってよ」

「それお前の服をオレが選んでいいってことかよ」

「うん? こっちが頼んでるんだけど……もちろん、いいよ」

 

自分の領域に、当たり前のようにオレを置く。

嗚呼、それが本当に。

 

 

 

 

いとしくて、くるしい。



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05 - 04/20 実習当日

1204/04/20(火) 放課後 端末室

 

「……この班分け大丈夫なんですか?」

 

端末室で資料片手に初回の特別実習について聞きながら清書用にキーボードを叩いていたところで、メンバー一覧を眺めて眉を顰めてしまった。

 

「まぁちょっとしたスパイスにはなるんじゃないかしら」

「スパイス通り越して爆竹にならないといいですけど」

 

ケルディック組はそもそも噂が流れてくるような人物がいないので特に感想はないのだけれど、パルム組は二年生の私のところにでさえも伝わってくるほどの犬猿の仲が含まれているのだ。これを分けずに一緒のグループにするところがサラ教官らしいというか何というか。

 

「ま、最終的に殴り合って解り合うとかじゃないかしら?」

「別にクロウとアンは殴り合って和解したわけじゃないですから」

 

あれはいろんなピースがあの瞬間にハマったのだ。あの猟兵とは到底言えない傭兵たちの案件に巻き込まれたことを決して是とは出来ないけれど、あのタイミングであの事件がなかったらクロウとアンはいつ雪解けをしたのだろうとたまに考えたりはする。特に意味のない話だけれど。

 

「そうね。君たち全員の賜物ね」

「まあ、三ヶ月かかりましたけど」

「じゃあ少なくともそれくらいは見守ってあげましょ」

「了解です」

 

二人で、ふふ、と笑いながら手書きの資料をめくると、何故か私の名前が書かれているのが一瞬見える。と言ってもこんな実習関連のメモ書きに自分の名前が載るようなことはないと思うので、すわ見間違いかともう一度注視する。B班案内人、セリ・ローランド。

 

「教官?」

「……」

「教官?」

 

資料を両手で持って、窓際で黄昏ているサラ教官に訊ねる。これはどういうことなのかと。するとようやく、五回目ぐらいで困った風に笑った教官が両手を合わせて小首を傾げて来た。

 

「パルムってもう行くだけで一日……いや下手すると二日仕事じゃないですか」

「そう、だからお願いしたいのよ」

「それならケルディックを私に任せて教官がパルムへ行くべきじゃないですか!?」

「そうなんだけどB班ってほらちょっとこう」

「その班分けしたのは教官ですよねえ!」

 

駄目だやっぱりスパイスどころか爆竹というか発破かもしれない。そしてそれを理解して私に任せようという教官の意図が……掴めないこともないところが正直ある。

 

「パルム、行ったことあるでしょ?」

「そりゃ、まあ、ありますよ」

 

パルムは帝国随一の織物産業を誇る町だ。おなじサザーラント州で職人を抱える街として交流があるというのは確かで、私も叔父さん叔母さんについてパルムの元締めであるガラートさんと会ったことは何度もある。でもそれとこれはまた別で。

 

「白の小道亭って宿を取ってるんだけど」

「シチューとチキンパイが美味しい店ですね」

 

パルムは観光地も兼ねているため何軒か宿屋があって、白の小道亭は特に美味しいのでアタリだと思う。というかやっぱりご飯の美味しさで宿屋を決めているのではないだろうか。モチベーション維持としては正しい選択なのだろうけれど。

 

「そうなのよ、これがお酒と合わせると本当に!」

「ってつまり教官も行ったことあるじゃないですか」

「おっと」

 

さも口が滑ったという風情だけれど、本当に言うつもりがないならこの人は言わないでいられる人だ。だからこれは戯れ。なればこそ私は考えなければならない。

 

VII組を見守りたいという気持ちは、嘘じゃない。私たちを礎として更に研鑽を重ねてARCUSが飛び立ち、その最中に今はいがみ合っている者同士がかけがえのない仲に発展したらそれは素晴らしいことだ。けれどそれを私たちが操作するわけにはいかない。あくまで見守る立場なのだから。

そしてサラ教官がケルディック組につくというのはそれだけ意味のあることだとも思う。ケルディックは交易の要衝。領邦軍の詰所があるということからもわかる通り、アルバレア公が見放すことはまずない。でもケルディックは貴族が直接統治する町ではなく、商人たちが創り上げ、現在は平民の元締めを中心として成立している場所だ。であるのなら、大市を何とかコントロール下に置きたいと考えることも?

そしてこの視点だとパルムはサザーラント州、つまり賢主と名高いハイアームズ侯爵閣下が治める土地だ。生徒同士の諍いはともかく、受け取った課題が大事になる可能性は極めて低い。ああ、だから"パルム"なのだ。あの二人が。

仮にトールズの現理事でもあるレーグニッツ帝都知事閣下の息子さんが四大名門筆頭であるアルバレア家が管理する土地で何か問題を起こす……あるいはでっちあげられたなら、それは政治的な介入の口実になる。たとえルーファス公子が同理事といえども、止められないものになる可能性だって十二分にある。そしてアルバレア公爵家の人間がいることで"建前上解決出来てしまう"という初めての実習で濁りが生じる懸念も理解できるところだ。

 

故にサラ教官はケルディックへ赴き、例の二人はパルムを実習地とする。

つまり、理に適っている。

 

「……欠席点にはなりませんよね?」

「そこはあたしがなんとかするわ」

 

土曜の時間割は、導力学・栄養学・数学・歴史学。各教科の教官に土曜日の範囲を再度確認、自己学習し、わからないところがあれば後日聞きに行き欠席日のレポートを出すというところで該当日の理解を認めてもらえるだろうか。まあ、個人的に一番授業を受けておきたい軍事学と、煩いハインリッヒ教頭の政治経済がなかったのは不幸中の幸いか。

そして土曜は諦めるにしても、日曜の授業は夜行列車を使ってでも絶対に出たい。それぐらいの予算は出して欲しい。自腹で個室にグレードアップはさせるかもしれないけれど。

 

「初回のこれっきり、ですからね」

 

さすがに初めての実習で知らない土地に説明役もなしで放り出すというのは、あんまりにもあんまりな対応だ。久しぶりに、試験監督として袖通した学院支給のスーツを着ることになるかもしれない。トワから学院腕章一つ借りられないか交渉しておこう。青いやつじゃなくてもいいし。

 

「うん、ありがと。さすがに貸しにしておいてくれて構わないわよ」

「あは、じゃあいざって時に使わせてもらいますよ」

 

教官に貸しが作れたのなら、儲けたと思っておこう。

話し合いが決着したので、レジュメを作りながら開示していい情報を確認し、教官は差し当たって明日の実技テストに向けて、私は土曜に向けて各々準備することにした。

 

さてさて、初めての実習はどうなることか。

 

 

 

 

1204/04/24(土)

 

早朝、ジャケットと一泊程度の荷物を持って一階へ降りる。さすがにこの時間に活動している人は少ないので台所は広々としていた。食堂の適当なところに荷物を置いてエプロンをつけ、パンを焼いてベーコンエッグを作りサラダを盛り付ける。昼は列車内で迎えることになるから、久々に車内販売で軽食でも買おうか。

 

朝食を摂りながら今日のスケジュールについて考えていると二階から人が降りてくる気配。トワだ。食堂の扉が開いたところで視線が合う。

 

「セリちゃん、今日は実習の付き添いだよね」

「うん」

 

どうやら見送りに来てくれたのか、対面席にトワが座った。

 

「今日の欠席届は受け取ったけど、明日は授業受けられるの?」

「たぶん帝都で一泊するからね。旧都行き最終に乗って、そこからは定期飛行船で帝都ってルートにすればぎりぎりまでパルムにいられるし、帝都からなら一限間に合う計算でいるよ」

 

帝国の中央にある帝都駅は始点であり終点だ。旧都で迷うことはまずないし、列車と飛行船の時刻表の兼ね合いから可能だという計算もした。そしてトリスタは帝都から30分程度だし、そもそも入寮せず帝都から通いの生徒もそれなりにいる。寮に一旦帰らなければならないので、通いの生徒よりは早く出なければならないだろうけれど大した違いでもない。

 

「……宿は取れてる?」

「んー、いや、でも飛行船の到着時刻に合わせて飛び込みで入れる宿は何軒か見繕ってる」

 

こういう時にクロスベルの導力通信で予約が出来るシステムというのが、きっと便利なんだろうなと思う。だけどそもそもパルムを出立できるか、というのもあるので、あまり気は進まないけれど行き当たりばったりを良しとした。もしかしたら夜行に乗る可能性もあるわけだし、何ならチームの雰囲気によっては明日の授業も急遽欠席するかもしれない。

いろいろなことを考慮して、『決めない』ということを決めた。

 

「そっか。……あの、セリちゃんさえ良ければなんだけど」

 

そう切り出してきたトワの提案はまさしく日照りに雨と言ってもいいもので、少し迷った末に頼むことを決めた。トワも忙しいだろうに申し訳ないなぁ。

 

 

 

 

ひとまずまだ腕章はつけないまま二番ホームの端で待っていると、列車が来るとほぼ同時に目当ての団体が連絡橋を渡って降りてくる。直接眺めていると視線などに敏そうなガイウスくんに悟られてしまうので、気配だけで四人の様子を確認。やっぱり例の二人はいがみ合っているようだ。

 

ため息をついて乗り込み、腕章をつける。殆ど端と端だったため、VII組を見つけた時には男性の怒鳴り声が上がったところだった。早朝とはいえ他の乗客が全くいないわけではなく、急いで近づいて行くと背の高いガイウスくんが私を見つけたようで少し驚いた表情に。

それに笑いかけながらボックス席の前で立ち止まる。すると言い合っていたらしきユーシスくんとマキアスくんは訝しむ表情を惜しまずさらけ出してきた。

 

「初めまして、トールズ士官学院一年VII組の皆さん。教官から聞いているかはわからないけれど、本日皆さんと同行する二年のセリ・ローランドです」

 

青い腕章を軽く叩きながらそう自己紹介をすると、セリ先輩がですか、とガイウスくんから言葉がこぼれる。

 

「お知り合いなんですか、ガイウスさん」

「ああ、入学直後に少しな」

「それで、僕たちに同行を?」

「はい。最初の実習ですし、不慣れな土地であると思うので、基本的な流れと質問を受け付ける教官の代理……ナビゲーターみたいなものですね」

 

隣の空いていたボックス席に自分の荷物を置いて席に座ると、ガイウスくんが首を傾げた。直接関係のある話ではないけれどフィーさんはすっかり寝ている。まぁその辺も含めて仲間内でサポートするだろう。

 

「監督……というわけではないんですね」

「そうだね、基本的には私の価値判断で貴方たちの行動を是正することはないかな」

 

命の危険があったなら介入する心づもりではあるけれど、まぁさすがに今日中にそういったことにはならない……と思いたい。過保護でありすぎてもよくないし、かといって介入が遅いというのは論外だ。薄皮一枚の判断をする可能性を改めて心に刻み、全員の顔を見渡して一呼吸。

 

「この実習はかなりの自由意思が認められていることをあらかじめ把握しておいてください。現状私からは以上です」

 

そうして現時点で発生する少しの質問に答えた後、妙に重い空気を携えたまま帝都に降り立ち、パルム支線直通の列車へ乗り込んだ。

 

 

 

 

「あの、セリ先輩」

「ん?」

 

昼食も食べ終え勉強の気分転換にパルム行きの列車の最後尾デッキで風景を眺めていると、鈴蘭のような声に名前を呼ばれる。振り返るとそこには夜明けのような色合いの髪を持つエマさんが立っていた。

 

「個人的な質問になるのですが、よろしいでしょうか」

「答えるかは内容によりますがとりあえず構いませんよ」

「ありがとうございます。その、ご出身はどちらか聞いても?」

 

出身。意外な質問だったので面食らってしまったけれど、さてどうしたものだかと考える。実習に必要そうなら答えることに抵抗はないけれど、わざわざ出身を聞かれる理由がまるで思い当たらない。とはいえ隠すほどのものでもないかと結論づけた。

 

「ティルフィルという、旧都の西南西、イストミア大森林の南にある街ですね」

「ああ、だからB班に同行してくださったんですか」

「はい、パルムは何度か訪れたことのある町ですから」

 

それ以外にもいろいろ要素としてはあるけれど、それを全て開示するほど私は優しくはない。

それでも犬猿の仲な二人を含めるという班分けの思惑に巻き込まれた三人に対して、何も感情がないと言えばそれは嘘になる。ある程度はカリキュラム運用側の事情だからだ。

 

「その、二人のことはもちろん、初めての実習で大変かもしれませんが、他の方とも協力して何とか課題と向き合ってください。実習の成功を私も祈っています」

 

なのでそう言葉をかけると、エマさんはゆっくりデッキの柵に手をかける。

 

「きっとまだお互い知らないことが多いため、こういったことが起きているんだと思います。想いはいつか伝わると私は信じていますから」

 

そう微笑む彼女と共にしばらく景色を眺めながら風を浴びて、ゆるりと席へ戻った。

 

 

 

 

16時。ようやくパルムへ到着し、駅から露天通りを抜けて予約していた宿酒場へ。扉を開けると夕食にはまだ早い時間のためかお客さんの姿はない。そうした店内のカウンターにはベルトランさんがいて、入ってきた私に気が付いたようで手を挙げてくれた。

 

「セリ嬢ちゃんじゃねえか、久しぶりだなぁ!」

「ご無沙汰しておりました、ベルトランさん。今日はトールズ士官学院として予約を入れていましたが、部屋の案内を頼んでも大丈夫ですか」

「ああ、あれか。もちろん。男女同室って話だったよな。用意してるぜ」

 

はい、と応えようとしたところで、男女同室!?、と叫びが背中側から聞こえてきた。振り返るとマキアスくんが口を戦慄かせている。

 

「ただでさえ鼻持ちならない男と同班だというのに、女子と同室というのは酷すぎませんか!」

「これはA班B班共通の実習内容です」

「だ、だからといって……君たちは気にならないのか!?」

 

マキアスくんが振り向いた視線の先、エマさんは多少の困惑を見せつつも士官学院生ですから、と答え、フィーさんは慣れてるからとすげもなく一蹴する。そうして、ふん、とユーシスくんが鼻を鳴らすのを彼は聞き逃さずに顔を向けた。

 

「女子と同室だからといってそう狼狽えるというのは余程やましいことがあるとみえる」

「……っ、何を!」

 

明らかな内面侮辱に対し、マキアスくんが拳を振り上げかけたところでガイウスくんがそれを難なく停止させる。ユーシスくんは足捌きで回避する予定だったみたいだけれど、まぁこちらの方が穏当だったろう。

それにしても本当に、気持ちのこもっていない売り言葉だ。クロウとアンは殴り合いの末にリンク不安定に陥っていたけれどそれでも最低限、課題の迷惑にはならなかった。そういう意味ではあの二人はちょっと人間が出来すぎていたとも表現できるかもしれない。こっちの二人は可愛げがあるといってもいい。

 

「……他に部屋を取るというのはありなんですか、先輩」

 

穏やかなガイウスくんに止められたことで勢いが削がれたのか、そんな質問が飛んでくる。

 

「自費で別の部屋に泊まっても特に報告したりはしないですね」

「それじゃあ……っ」

「それも貴方たちの選択です」

 

私の言葉にマキアスくんが怯んだ顔を見せる。選択という言葉に含まれる重さを何か感じ取ったのかもしれない。

 

「ただ、そうだな……ここからは引率者ではなくお節介な先輩としての言葉なのだけれど」

 

少し言葉を崩して一呼吸。

 

「君たちは入学式のあった日、旧校舎で確かに自分の命を預け、他の命を守った。能動的な意思でVII組に所属するということは、そういったことがこれからも起こり得ることを間接的に了承したのだと私は思っていた」

「……何が言いたいのですか、先輩」

「ARCUSの試験運用は、ピンとは来ないかもしれないけれど命のやりとりをする可能性がある。その際、同じ班・同じ部屋にいることすら許せない相手に、自分の命を任せられる?」

 

去年私たちは、何度となく死にかけたと思う。もし世界線という概念があるのなら、誰かが死んだ平行世界があってもおかしくはない。そういった積み重ねを経て、私たちは全員生き残ってきた。それを可能にしたのは間違いなくARCUSで、そして何よりもお互いへの信頼だ。それがなかったなら、絶対にしなかっただろう行動がいくつもある。

彼らだから私はあらゆる選択肢の中からここに至るそれらを選び取ったし、そしてみんなの中にもそれぞれそういう選択肢があっただろうことは想像に難くない。

 

だからこそ、自分の命を預けている意識はもちろん大事で、そして誰かの命を預かっているということには特に自覚的であらねばならない。何かが起きてから、そんなこと知らなかった、では済まされないのだ。

これはマキアスくんやユーシスくんだけでなく、他の三人にもきちんと心に留めておいてほしい。

 

「仮にそんなつもりではなかったのなら、特科クラスの辞退をおすすめするよ。片方だけだとわだかまりが残りかねないのでその場合は二人とも。幸いまだ四月だから、多少浮くかもしれないけれど馴染みきれないってことはないでしょう」

 

踏み込んで、一歩。無防備であっただろう心を切りつける。

 

「ただ辞退手前の相談なら私や、私が駄目でも……例えば生徒会長であるハーシェル、技術棟にいる技術部部長のノーム、それに貴族であればI組のログナーや、平民ならV組のアームブラストとか、先輩がきっと具体的に話を聞いてくれるから、それは活用してね。それに多少面倒くさがられるかもしれないけど、導力学のマカロフ教官に、もちろんサラ教官も。ベアトリクス教官もいいかもしれない」

 

ARCUSという前提条件を課した上で、相談に乗れる面子をあげていく。相談に乗るのは別に私でなくてもいい。というより、これを言う私は信頼関係を築く相手として不適当だ。だからこそ、特に他の四人は何かを察して相談を快く聞いてくれるだろう。

……出来る限り留まっては欲しくはある。あるけれど、そんなもの人命には替えられない。私はVII組に携わる者として、はっきり言わなければならない。

 

「とは言っても、本当に、君たちの行動をコントロールするつもりはないから、これは単にお節介な言葉として受け取ってくれるとありがたいかな」

 

辞退するもしないも自由という前提の元、伝え聞いたオリエンテーションでの売り言葉に買い言葉のような形で在籍するのではなく、確固たる自分の意志でVII組に居ることを選んで欲しかった。それが伝わっているかどうかは、わからないけれど。

 

「……先輩のお考えは理解しました。取り敢えず今日のところは同室で構いません」

「はい、わかりました」

 

マキアスくんの言葉を受けてちらりとベルトランさんに視線を向けると、頷いて五人を部屋に案内してくれる。階段上へ向かう六人が見えなくなってから、荷物を床に、少しだけ崩れるようにカウンター席へ腰掛けた。疲れた。

この後は元締めと教区長に挨拶をして、実習課題の封筒を彼らに渡してもらい、今日課題をこなせずとも明日の行動指針を今日話し合えるよう時間を……この短時間で上から怒鳴り声が聞こえるのはなんでだろうなぁ。

 

彼は制服着用、つまりどこかしらに所属を果たしている自分が外部で活動することによりその所属先が丸ごとどう見られるのか、というのをまだあまり意識していないのだろう。団体への帰属意識がないというのはそういうことだ。

教頭ではないにせよ、これから先の自分の未来やあるいは後輩たちのことを考えてもう少し、誇りある姿勢でもって活動を行ってもらいたい。……なんてのは絶対に言わないけれど。こんなものは自分がそう考え始めないと意味のない話だからだ。

 

そしてその言葉の売り買いの相手であるユーシスくんに問題がないとは、思わない。けれど反応をするなというのも酷な話だし、言葉とはいえ敵意を向けられ黙って殴られ続けろというのは精神衛生上よろしくないことだ。マキアスくんにかなり強いバイアスがかかっているのは傍からだと一目瞭然だけれど、これも本人が自覚しなければ意味のないことだろう。

まあ、自分も貴族嫌悪が多少なりともあったのである程度の理解はするけれど、それでも決してあの態度を是とはできない。

 

まったく、前途多難なクラスだ。サラ教官を手伝う気になってしまうのも仕方ない。

 

 

 

 

想定以上に部屋のことで手間取っている間に駅へ走り超長距離導力通信でサラ教官に連絡を無理矢理つなげ現状の報告をすると、教官が急いでこちらへ来るということで少し早めに切り上げて帝都へ帰るよう指示を出された。おそらく飛行船ルートで来るだろうので、四~五時間ほどか。心配ではあるけれど教官がこちらへ駆けつけるのなら明日のことは問題ないだろう。

そんなやりとりをして戻ってきたところでベルトランさんから実習課題がエマさんに手渡されていた。早めの夕食を摂りながらテーブル席で話し合う五人を見届け、食べ終わったところで荷物を持って私は立ち上がる。

全員の視線が私の方へ。

 

「今回の私の役割は終わったのでこのまま戻ります。実習が本格化する明日に女神の加護がありますよう」

 

告げると、心配そうな表情でエマさんが私を見る。大丈夫だよ、と安心させるように軽く頷いてから言葉を続けた。

 

「入れ違いで教官が来ることになってはいますが、そもそも貴方たちの行動の責の一切はトールズ士官学院にあります。つまり個人で責任を負う必要はなく、大切だと思った行動は、存分に。そして無要だと感じたものを切り捨てることも自由です」

 

聞こえてきた課題内容からして、ケルディック組とはかなり課題量に差が出ていることは明白だった。なんせA班は今日から既に活動を開始しているのだから。超長距離移動ということと、特定面子が険悪になるという前提もあってか課題量はかなりゆるく設定されていることが予測出来る。B班は人間関係まで含めて課題ということだ。

 

「それでは」

「うん、じゃあねー、先輩」

 

強張った空気の中、ゆるんだ声音で初めて返事をしてくれたフィーさんに手を振り返しながら、私は白の小道亭を後にし、元締めの家へと爪先を向けた。

 

 

 

 

パルムでの挨拶回りも終え、旧都に向かいそのまま飛行船で帝都へ。

シーズンではないからかちらほらとだけ埋まる客席の端の方に予約した席を見つけ、座り込む。すると途端に、人の怒鳴り声や悪態を聞き続けたせいか、妙に疲れている感覚が襲ってきた。あれは、どうにかしないと周囲のパフォーマンスが落ちるよなぁ。特に心を砕きやすそうなエマさんが心配だ。

 

やっぱりサラ教官が来るまで待機しておくべきだっただろうか。口を出す出さないはともかくとして、同じ立場の人間以外のある種の権力を持つ存在が側にいる、という安心感は私でも提供出来た。

────でもそれは、この実習に必要なものなのか、という疑問もある。

 

「……わかんないなぁ」

 

そもそもたかが一生徒にこんなことをやらせないで欲しい、という根本的な思考から逃げるために、壁に頭を預けて眠ることにした。一時間半もすれば帝都だ。

 

 

 

 

何気に初めての飛行船は無事到着し、巨大発着場であるヘイムダル空港ならではだろう円環連絡橋を通ってロビーへ向かうと、見慣れた制服が出発ロビーのソファに座っているのがわかった。

 

「トワ」

「あ、セリちゃんお疲れ様」

 

にこ、といつものように笑いかけられて思わず抱きしめそうになったのを何とか理性で押し留めた。……なるほど、アンのああいう行動はこういう心理に基づいているのかもしれない。また一つ友人を理解してしまった。

 

「セリちゃん?」

「んー、いや、トワに癒されている」

「あはは、やっぱり大変だった?」

「そうだねえ」

 

何があったのかというのを軽く報告しながら、空港を出ると道路の脇に車が停車しており傍らには男性の影。

 

「あ、叔父さん!」

「やあ、無事に合流できたみたいだね」

「うん、迎えにきてくれてありがとう」

 

銀色に近い髪色に、柔和な顔立ちのその人へトワが駆け寄っていく。私も慌てて近寄り、背筋を正した。

 

「あの、急なお願いをすみません。トワさんの友人のセリ・ローランドと申します。一晩よろしくお願いいたします」

「ふふ、こんばんは、セリさん。僕はフレッド・ハーシェル。トワの手紙でよくお名前を見ていたから、仲のいい友達だっていうのは知っているよ」

 

フレッドさんのお茶目な言葉に、トワが少し恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 

「さ、夜も遅いし家に帰ろう。歓迎させてもらうよ」

「ありがとうございます」

 

そう、朝にもらったトワの提案で、帝都ヴェスタ通りにある実家に今日お邪魔させてもらうことになった。それなら宿泊費は浮くし、連絡やチェックインの時間も気にしなくていいと言われたので、様々な要素を鑑みてお願いをしたのだった。

 

 

 

 

「二人ともおかえりなさい。それで、そっちの子が?」

 

車庫のある裏手の方から建物に入ると、奥からエプロンをつけた女性がぱたぱたとやってきた。トワの面影のある顔立ちに茶色の髪、すこし色合いは異なるけれど綺麗な金色の瞳。ああこの方がトワのご両親の血縁の方なのだとはっきりわかるほど。

 

「や、夜分遅くに失礼いたします。トワさんの友人のセリ・ローランドと申します」

「あはは、いいのいいの。トワが友だち連れてくるっていうだけで大歓迎だから。そうそう、あたしはマーサ。よろしくね」

 

遊びに来たというより完全に宿扱い状態なのだけれど、それでも本当にそれが真意で、つまりトワを可愛がっているというのがつよくつよく感じられた。それこそ、里心がついてしまいそうになるぐらいに。

 

「さ、お風呂入ってるから入ってきちゃいなさい」

「は、はい」

「じゃあ私が案内するね」

 

そう手を取られ、階段を昇ってトワが元々使っていた部屋に案内されて荷物を置き、寝巻きを渡されのんびりお風呂に浸かることになった。

久しぶりの湯船は、最高。

 

 

 

 

「お風呂先にありがとうございます」

「ほら、トワもさっさと入ってきなさい」

「うん。……あ、セリちゃんに変なこと言わないでね」

 

用意してもらったタオルで髪の毛を乾かしながらリビングへ行き、談笑していた三人の内の一人であるトワと入れ替わり、勧められるままに椅子へ。ことりと淹れられたミルク入りの紅茶にほっとした。

 

「その、本当にありがとうございます」

「気にしないで。今日朝イチでパルム行って、後輩たちの面倒見て、そのまま帝都まで戻ってきたんでしょ? そんな大移動してたら疲れるわよ」

 

そう言われると確かにそうかもなぁとしみじみする。パルムは帝国最南端の町なので、つまりすごく雑に計算すると中央から行って帰ってしたということは、帝国を縦断したと同じぐらいの移動距離になる。いやそう考えると本当に大仕事だ。

 

「トワがね、手紙で楽しそうに君や、ARCUS試験運用を一緒に行っている友達のことを書いてくれていたんだ」

「だからあたしたちも会えて嬉しいの。ね、よければ学院のあの子のこと、トワが上がってくるまででいいから聞かせてくれない?」

 

じんわり、その言葉に心があたたかくなる。自分の大切な人がこんなにも愛されているのを目の当たりにするという機会は、実のところあんまりない。だから、私も彼女はいろんな人から大切にされているというのを伝えたいと思った。

 

「トワとは、去年の四月に出会ったんですが────」

 

 

 

 

思い出話に花を咲かせているところでトワが上がってきて、学院生活のことだと勘付いたトワにちょっと怒られながら部屋へと。

 

「心配させるようなことは言ってないよ?」

「セリちゃんだからそこは心配してないけど……ちょっと恥ずかしいというか」

「あは、トワが愛されてることは伝わってきたかな」

 

そう返すと嬉しそうに、うん、と間髪をいれずにはにかまれ、嗚呼本当に好きなんだなぁと感じる。トワのそういうところが、とても愛しい。

 

「セリちゃんも叔父さん叔母さんと仲良いよね?」

「そうだね。愛されてると思う。それを疑うことだけは、絶対にしたくないぐらい」

 

そんな風に話しながら二人で髪の毛を乾かし合い、歯磨きをして布団に寝転んで、他愛のない話をしながら微睡んでいった。今日はもう寝てしまっている家族のことや、数年前に亡くなられたお祖父さんのことや、どんな風に育ってきたのか、いろんなことを。

VII組の実習が無事に終わりますように、とも祈って。

 

 

 

 

結局それは虚しい祈りに終わったわけだけれど。



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06 - 05/07 相談応援

1204/05/07(金) 放課後

 

特別実習同行から二週間弱。

補佐するなら君も読んでおきなさい、とサラ教官から各班のレポートを渡されたので人のいない屋上のベンチで読み進めていると、なるほどな、といった感じでいろいろなものが滲み出ていた。

 

ケルディック側は自分たちで問題への介入を決定し、TMPの助力はあったにしろ解決の糸口を掴み切ったようで、ああまさしく特別実習の目的そのものだなと感心した。一方でパルム側はそもそも意思疎通の問題で、ARCUSの戦術リンクが上手く機能していないのが文面からでも分かりありありと疲弊を感じられるものに仕上がっている。

しかし試験運用という点ではどちらが悪いというわけではないと思う。去年も考えていたけれど、やはりリンクの決裂というのは開発部門では再現しづらいものだ。故にそのデータは被験者の想像以上に重宝される。……というのは、完全に外部側の目線だけれども。本人たちにとってはかなりのストレスだろう。

 

「仲良く……っていう話でもないんだけど、誰か気付くかなぁ」

 

正直なところ、心が繋がってなどいなくても戦術リンクは運用できるし、実習だって問題なくこなせるだろう。とはいえ活動と心情は分けられるものだが、分け切れるものでもない。バランスの程度問題なのでやっぱりこれも本人たちの心がけの話になりかねない。

とは言っても私はおそらく、アドバイスをする立ち位置としては不適切だ。あんな風に実習地で心を抉る人間から差し出されたものなんて、内容がどうであれ聞く気持ちにはならないだろう。そういう意味で私はアプローチを失敗しているけど、ああいう役も必要だったと思う。

 

体を伸ばすために後ろへのけ反りながら、はあ、とため息を吐いたところで屋上へ至る階段に誰かの気配が昇ってきた。……これは、たぶん、ガイウスくんだ。アタリをつけた通り数秒後扉から現れたのは背の高い影。

 

「────セリ先輩」

 

気分転換に来たのなら声をかけて邪魔するのは良くないかなと思ったけれど、それとは裏腹にガイウスくんは近寄ってきてくれて、隣いいですか、と。頷けば感謝の言葉とともに座られる。

 

「それは……オレたちのレポートですか?」

「あ、うん。実習補佐だからって教官に渡されて。……先月末、お疲れさまだったね」

「不甲斐ない結果でした」

 

意気消沈しているように見えるガイウスくんに対して、まぁ人間関係なんてそんな簡単に好転しないよ、と言葉をかける。元々入学初日から関係最悪だったようだし、マキアスくんの貴族嫌悪はおそらくかなりの筋金入りだろうから、たった一ヶ月周りがやきもきしたところでどうにかなるものでもないだろう。

時間は決して万能薬ではないけれど、時間がないとどうしようもないこともある。

 

「私もそういう経験あるよ。仲間内でリンク決裂みたいなね」

「その時、先輩はどうされたんですか?」

 

さすがに本人の前でレポートを読むのは良くないかな、と思って傍らに置いていた鞄に紙束を仕舞うと同時に問いかけられた。どう……どうした、という話もないのだけれど、アンと私の関係で言えばお互いの不理解を理解しあった、という感じなのだろうか。

 

「少し長くなるけど大丈夫かな」

「はい。よければ是非」

 

請われて、わかった、とベンチに深く腰掛け直しあの日々を思い出す。

 

「実はね、私も貴族嫌悪と、容姿に関する過敏さがあって、チームの一人と完全にリンクが断裂したことがあったんだ」

「先輩がですか?」

「そう。貴族だったり、私の容姿を好んだ相手と昔いろいろあって」

 

そのいろいろを、きちんと説明するべきだったのかもしれない。ガイウスくんは留学生で、帝国の外からやってきた人だから。文脈の理解というのは言葉に対する共通見解によって行われるものだ。それでも、私はまだそれについて完全に整理できたわけではないから、『いろいろ』という言葉で曖昧にくるんだ。

 

「でもね、その断裂した相手は、私と対話しようとしてくれた。私は、どうせ貴族が聞いてくれるわけもない、って諦めていたのに。彼女のその真っ直ぐさは今でも心に刺さってるよ」

 

あの時、アンは自分が傷付く可能性をわかっていただろうに、私の世界に手を伸ばしてきた。自分が傷付き、その行為で相手を傷付けるかもしれないと理解して、なおそれは私たちが置かれた試験運用活動の妨げになると切り捨てた。その強さ。その傲慢さ。私にはない光だ。

 

「話す機会を持とうとしたことについても驚いたけど、私が"そう"であるというのを伝えた時に、私の意思を尊重するとも約束してくれた。そうしてやっと、お互い相容れないかもしれないけれど、それを理解しているならやっていけるかも、って」

「そうして、リンクが?」

「うん」

 

リンクが再接続を果たして、それによってどことなくお互いハイテンションになったのか旧校舎に忍び込んで、心配して探しにきたチームの一人にしこたま怒られて。懐かしい。

 

「そうやって四人の仲間と一緒に、かけがえのない日々を送ってた」

「楽しそうですね」

「うん。他に喧嘩が絶えない二人もいて、たまに殴り合ったりして、それを止めたり囃し立てたり、まぁ退屈しない活動だったかな」

「殴り合いが、あったんですか?」

「三人で何度止めても繰り返すぐらいのがね。だからもういっそ気の済むまでやれば?ってうっかり言っちゃったり」

 

そう言えばユーシスくんマキアスくんは最終的に殴り合いにまでは発展しなかったのだっけ。理性がある……わけではなく、単純に他のメンバーがいる前でやったんだろうなぁ。私も最初のクロウとアンの喧嘩に立ち会ったならさすがに止めていたと思う。

 

「先輩が言ったんですね」

「意外?」

「はい。……平穏を尊ぶ方かと思っていたので」

「あは、それは嬉しいけど、後輩の前だからだよ。それにパルムでは結構厳しいことを言ったし」

「そんな」

 

ケアをしてくれようとしたガイウスくんの言葉をとどめて、首を振る。憎まれ役を買って出たのは理解しているから、そこは別にいいのだ。彼らから相談先を一つ消してしまったかもしれないけれど、それ以上に適任がたくさんいるのだから大したことではなかろう。

 

「だけどね、結局、そんなことがあっても今は全員リンクが繋がってる。見た目としては何ら変わりはないけれど、最初の頃よりずっと強く」

 

過去はどうしようもないけれど、付き合い方でこれからは変えられる。

相手が苦手な要素を持つからという色眼鏡を通さず、個人として対話する、というのは言うは易しだけれどやるとなったら大層難しいことだ。自分が偏見に満ちあふれている、と自覚するのはとても恐ろしいから。それでも。

 

「私たちは私たちなりにお互いと、ARCUSのリンクというものを理解していった。だから」

「はい」

「君たちにも君たちなりの関係性を模索していって欲しいな、って。それが友情か、業務的なものか、恋愛的なものか、はたまた別のものか、どういう形になるかはわからないけれど、少なくとも当事者ではない誰かが求める形なんて目指さなくていい」

 

正式カリキュラムとなったARCUS試験運用は、面子を見る限りあらゆる政治的な思惑が絡んでいることは明白だ。公爵家、帝都知事、RF社、正規軍中将、かなりの帝国重鎮の身内がここにいる。つまり、大人の意思が介在する可能性が極めて高いということ。

それでも私は、一生徒ではあるけれどVII組がVII組なりの人間関係を築けるよう、手助けしていきたいと思う。私たちがそうしてもらったように。未来がどうなるかは全くわからないけれど。

 

「結果、卒業しても連絡を取る間柄とかになったら素敵だなとは思うけど、無理に力をかけても折れてしまうしね」

「……」

 

結局、あの二人のことは現状周囲から手は出せないだろう。『お互いのことが理解出来ない、それでいい』ということに本人たちか、あるいは周囲の誰かが気がつくまでは。正式カリキュラムということは逆にそれについてだけ最低限協力して過ごす選択肢だって十分にある。一先ずそれを是としてもいいとは思うけれど、心情的に難しいかな。

 

「だから、私は君たちが選択出来る時間を取れるよう、陰ながら微力を尽くさせてもらうね」

「はい、どうかオレたちを見守っていてください」

「一筋縄では行かないと思うけど、応援してるよ」

 

二人で笑い合って、私は一人ベンチから立ち上がり両手を組み上に伸ばして肩甲骨をほぐす。ちょっと真面目に話しすぎてしまった。でも真剣な相談だったから、せめて先輩としてはおなじかそれ以上の熱量で返すというのが礼儀だろう。

 

「先輩は青が似合う方ですね」

 

座ったままの彼はそれでも立ち上がった私より少しだけ目線が下なだけだったようで、振り返るだけで普段より難なく視線が合う。それこそ、空の色の瞳が。

 

「……ARCUSの属性は風と地だけど」

 

おそらく違うだろうと思いつつも意図が上手く汲み取れなかったので首を傾げながら返すと、オレの属性も風と地です、と笑うだけで『青』の意味は特に教えてくれなかった。

 

青が似合うなんて、初めて言われたや。

 

 

 

 

1204/05/16(日) 放課後

 

「うわ」

「読むなりとんでもない声出すじゃない」

 

次の水曜日に実施される実技テストで配られる、次回の特別実習に関する資料作成でサラ教官から渡されたメモを見て、憚ることなく渋面を作ってしまった。いや、だって、これ。

 

「面子と実習地の相性が最悪すぎませんか?」

「その点に関してはあたしも結構言ったんだけどねえ」

 

先月のメンバーでガイウスくんとリィンくんが入れ替わり、それ以外は特に変動なし、というのはまぁ多少理解は出来る。レポートを見る限り、ケルディック大市の問題に首を突っ込もうと最初に決めたのは彼のようだから。

その意味で実習の目的をおなじ目線から共有する人材として、生徒会の手伝いをやっていることもあるせいかクラス内の誰よりも適当かもしれない。けれど理解出来るのはそこまでだ。

翡翠の公都バリアハート。アルバレア公爵家のお膝元に帝都知事閣下の御子息を送り込むなんて、例え彼が貴族嫌悪を持っていなかったとしても爆弾すぎる。そしてサラ教官が難色を示しているということはヴァンダイク学院長ではなく、もっと上からの思惑。

 

「……フォロー人員確保出来てますか?」

 

公都は特急を使えばトリスタから五時間程度の距離ではあるし、なんなら飛行船もあるためパルムよりはまだ交通の便で言えば行きやすい立地だ。とは言っても私もそんなに授業を休んではいられないし、そもそも前回限りということで教頭の許可をもぎ取ったに等しい。なあなあで済まされる約束に意味などない。

 

「さすがにそれは手配したわ。ちょうど昔馴染みが手空きだったみたいでね」

 

昔馴染み。そういえば、サラ教官の過去の話は全くと言っていいほど聞いたことがないなと思った。その戦闘技術の高さや顔の広さからして、何となく、なんとなーく、こうかな?というアタリはつけているけれど。

 

「ふふ、あたしの昔のこと知りたいって顔に書いてあるわよ」

「……知りたくないって言ったら嘘になりますけど、教官が話してもいいって思ってくれるまで私は待てますよ」

 

まだまだ自分は子供で、教官は大人だ。共有できない情報なんて山ほどあるだろう。だからそれを預けてもいいと思ってもらえるぐらい、私は強くなっていこうと思う。

 

「マセてるわねえ」

「そうですか? 本心ですけど」

「……そうね、きっと話したくなる日が来るだろうから、その時はよろしくね」

「はい」

 

頷いて紙面に視線を落とし、やっぱり目下の悩み事はこれだなぁと苦笑してしまう。

 

「取り敢えずこうなると故郷のユーシスは外せないし、フィーを入れて、魔法要員としてエマ、重心としてリィンね」

「マキアスくん含めて、バランスは一応取れてますか」

「あとはこの班分けが、そういった政治的介入だって生徒たちに悟られないようにしておかなきゃ」

「もしバレたら結構思考が濁りますからねえ」

 

そういった意味では去年の私たちの活動はかなり緩かったというか、重要視されていなかったというか、好きにやらせてもらっていた部分は大いにある。正式カリキュラムとして走り出している関係上、今年はかなり雁字搦めなところもあるだろう。

現に予定されている実習先は生徒の故郷であったりそれに釣り合う大都市だったり、規模が増している。つまり関わる案件が私たちのよりも大きくなるだろうことは容易に推測できる。そういう意味で経験値としてはきっと上だ。

だから、芯さえブレなければ。

 

「ま、そういうところを隠して実習に集中出来るようにするのも大人の仕事でしょ」

「それじゃあ私は格好いい大人な教官にお付き合いしますよ」

「頼んだわ。……あ、そうそう」

 

軽口で笑ったところで、教官が窓辺から旧校舎の方向を親指で示した。

 

「ちょっと後で付き合ってくれない?」

「……? あんまり遅くなりすぎなければ大丈夫ですが」

「まぁ、君とあたしならそこまで遅くはならないでしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……教官とリンク繋いだの初めてですけど、凄まじいですね」

「ふふ、ありがと」

 

この一年間、ずっと見ていた生徒はそんなことを言いながらも、旧校舎の調査をするあたしに遅れることなく着いてきた。最初の頃は人と関わりたくない風情で本当に心配だったけど、今は友人も恋人もいて、町の人とも仲良くしているみたいで。よかった。

 

「うちのクラスの子とは話したことある? 実習以外で」

「あんまりないですね。ガイウスくんとはちょっと個人的に話したりしてますけど」

「ああ、君たち相性良さそう」

「なんせ属性おんなじみたいですから」

 

言われて、そういう考え方もあるのね、なんて笑ってしまった。戦術オーブメントであるARCUSを性格診断にするなんてなんというか、今時?

 

「あ、教官笑ってますけど、結構馬鹿に出来ないと思うんですよ」

「ごめんごめん。占いとかそういうの信じないタイプに思えてたから」

「占い……よりはまだ本人の気質に近しい感じがしませんか?」

 

そりゃどういう形で属性が決定しているのかは分かりませんけど、と大真面目に語る表情が年相応で可愛いと思ってしまう。そうよね、まだ今年で19歳だったかしら。

 

「すこし気にしておくわ」

「そうしてみてください。面白いですよ」

 

会話しながらも戦闘に入る挙動はスマートに。お互いの死角を上手くカバーして旧校舎を踏破していき、最奥にたどり着いて一息。まぁ、この程度であればそれぞれ個別に入っても時間の違いはあれど問題なく到着したでしょうけど、一応ね。

 

「誘われた時にも思いましたけど、教官一人で入った方が効率良くないですか?」

「万が一ってこともあるでしょ。……それに、最奥で強い敵が出たって話だったけど」

「何も出てくる気配はないですね。というか、本当に旧校舎の内部構造が置き換わってて気味悪くてそっちの違和感の方が敵だったというか」

「何度か出入りしてたものねえ、君は」

 

構造を知っているはずの場所が、見慣れている壁が、知らないカタチに変貌している、というのは思っている以上に脳にストレスがかかるものなのかもしれない。そういう意味で、変化があったということも踏まえてあの子たちに調査を頼み続けるしかないかしら。

 

「うん、今日のところは帰りましょうか」

「はい」

 

部屋から出て、報告にあった転位石に触れると直ぐさま眼前の風景が変わり、確かに入ってきた場所に移動しているのがわかる。隣を見るとセリも無事に転位出来ていたようでそこにいたけれど、転位石から離れて訝しげにそれを眺め始めた。

 

「どうかした?」

「いえ、妙な感覚に襲われた気がしたんですが……すみません、上手く言語化出来ません」

「そう」

 

例のARCUSの適性者を広げる元となったレポートを提出したこともあるし、セリがそういうのなら何かあるのかもしれないわね、と心の内に留める。言語化出来ないほど薄い感覚を、それでも手繰り寄せようとするのは本当に頼もしいというか。

 

「さ、晩御飯くらい奢ってあげるけど、何がいい?」

「え、いいんですか! じゃあキルシェのビーフシチューがいいです」

「遠慮ないとこいくわね!」

「教官が言ったんですよ。ほら、帰りましょう」

 

さっきとは打って変わった表情で出入口へ歩いていく君は楽しそうで、また笑いが溢れる。

多少危ういところもあるけれどミヒュトさんもそれなりに評価してくれているみたいだし、卒業後は誘ったりしてみちゃおうかしら、なんて。

悪い大人の考えね。



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07 - 05/29 走って走って走れ!

1204/05/29(土)

 

「今日明日が特別実習かぁ……」

「セリちゃん最近ずっと実習のことばっかりになってない?」

 

早朝、目が冴えてしまったのと同時に、どうにも落ち着かないので体を動かしていたい、誰かといたいという私のわがままを、生徒会室で作業するトワは作業を振って許してくれた。いや作業なんかしなくても居ていいとは言われたけれど、私の気が多少紛れてトワの仕事が多少減るのであれば両得だ。やらない理由がない。

 

「いや、だってもう明らかに何かあります・やりますって布陣だから」

「そうだね。今回サラ教官はB班の方へ先に行くみたいだし、私も心配かな」

 

学院長よりも上の立場から今回の打診があったのなら、それはもう理事とかそういう類の話になる。そして今回のことでいうのなら、ルーファス理事……というよりはアルバレア公爵家からのものだろう。学院長も教官も、きっと戦ってくれただろうけれど、結局のところ『何かやる』と決まっているわけではないので強く拒否出来る理由がない。

 

国費を投じて運営されているトールズは基本的に何者にも侵されない、権力その他から独立した組織として運営することを理念とし、そう望まれている。だから理事長職は皇室の者が担い、同時に三人の理事が存在する。現状は革新派貴族派中立派と綺麗に分かれている状態というのもバランスの良い話だ。けれどその理事筋から提案があれば、飲まざるを得ないだろう。

まぁこれで逆にユーシスくんすらも外されていたら抑止の目処がなくなるため、最良ではなかったとしても、現時点の最善にはなっていると、思う。

 

「一応教官が手は打ってるみたいなんだけどさ」

 

教官があらかじめ何か備えているというのなら、それは確かなのだろう。徒に生徒を危ない目に遭わせることは……ないと信じつつも、ギリギリまでは介入しないというのを身をもって知っているのでちょっと言い切れないところもある。

いや、それでも事態の深刻度は傭兵と公爵家を比べたなら後者の方が圧倒的に高い。一瞬の判断ミスが社会的抹殺に繋がりかねない。……長年革新派と貴族派が相争っているとはいえ、さすがに革新派筆頭帝都知事の身内をそこまで貶めることは、ないと信じたいけれど、人間というのは時に恐ろしく残酷だ。楽観できる状況では決してない。

 

五月の新緑が地上を飾る青い空を、生徒会室から見上げて公都と旧都に向かっているVII組全員に思いを馳せる。

一人も欠けることなく帰ってきて欲しいなんていう何でもない、当たり前のような願いで、こんなにも胸がざわつくことがあるだろうか。

 

 

 

 

とはいっても、どれだけやきもきしても結局のところ私にはどうしようもない話なわけで、取り敢えず授業が終わったところで七耀教会へ祈りに行った。

頭痛のこともあったので七耀教会に思うところがないわけではないけれど、それでも清浄に感じられる空気の中で祈るというのは、僅かばかりでも心が救われるところがある。

 

────どうか、VII組の人たちが、トラブルに巻き込まれることなく……いや、直面するトラブルは自分たち自身で収拾がつけられる程度のものでありますように。

 

そんな身勝手な願いを、それでも大真面目に手を組み合わせて心の中で呟いた。

 

「熱心に祈られていますね」

 

無意識に詰めていた息を吐いたところで声がかかり顔を上げると、パウル教区長が微笑んでいた。

魔獣討伐や薬草調達の関係でたまに顔を出していたこともあったとはいえ、あまり敬虔な信徒ではないということは既に理解されてしまっているだろうので、すこしバツが悪く感じてしまう。

 

「……その、現金な話ではあるのですが、後輩たちが心配で」

 

だとしても祈らない選択肢は自分になかった。手の届かない彼らに対して自分が出来ることなどもうそれだけだから。何かひとつ、一歩、一枝でも足りないことがないようになればいい。

 

「誰かの為に祈るという行いそのものが、心を豊かにすると私は考えます。気の向いた時でも構わないのですよ」

 

それはあまりにも都合のいい言葉で、市井に広げるための教典によるものなのではないのかと感じてしまった。だけど今の私には何よりも必要なものだったろうと、そう、心にじわりと広がるあたたかさが訴えてくる。

教えというのは、人に根付いてこそだ。

 

 

 

 

そうして教会を出る頃には18時を回っていて、祈るというのは案外と時間が経過するものだなぁ、なんて苦笑する。さて晩御飯はどうしようか、と作るにせよ食べるにせよ商店街の方に向かえば間違いないと足を向けた矢先、足につけていたポーチから着信音。

 

「はい、こちらセリ・ローランドです」

『お、今どこよ?』

 

出るなり名乗りもしないなこの男、と多少のため息をつきながら、教会出た辺りだよと返せば、そんならキルシェで晩飯食べようぜ、なんてお誘いが。私がこの二週間ほどそわついていたのなんていつのも面子にはお見通しだっただろうから、これはそういうことなんだろうな、と笑みが自然とこぼれた。

 

「うん、わかった。直ぐに行く」

 

そういうさり気ないやさしさが嬉しくなる。

ARCUSを閉じて、ちょっと浮かれた歩調で石畳の道を通り、キルシェの扉を開けたらクロウがカウンター席で手を振ってくれた。ということは他の三人は特に呼んでいないのだろう。

 

「グリーンサラダとクリスピーピザをお願いします。あとお冷やも」

「お前ほんっとに野菜好きだよな」

「……森育ちだし?」

 

果たして関係あるのかどうかわからないけれど、食べるものはお肉も穀物も野菜もすべてバランスが良くないと力が出ない、という教育を叔母さんからされているため可能な限り野菜を摂取するというのが当たり前になっているきらいはある。魚はたまに、たまーーーに出た。

とはいえ季節や年によっては野菜が高騰してその生活が崩れてしまったりしたこともあるけれど。

 

「んで、珍しく教会行ってどうしたよ」

 

頬杖をついてかけられた問いは何もかにもわかっているだろうに、あえてされたモノ。つまり私がいま勝手に感じているこれを、口に出して、背負うなり笑い飛ばすなりしてやるという意思表示なんだろう。

 

「祈ってたよ。VII組のみんなが無事でありますように、って。自己満足だけどね」

「祈りなんて全部そうだろうよ」

「そうかな。……そうかも」

 

ティルフィルは実際のところ精霊信仰が強い場所で、七耀教会があるとはいえ埋葬方法が中央の土葬と異なり火葬だったり、祈るにしても教会ではなく森の中で行うことも少なくなく、かなり土地に根付いた信仰形態をしている。教区長の方はもちろんいらっしゃったけれど、教会は信仰の場というよりは薬をもらいに行く所、という方が主だったかもしれない。

 

「VII組の話かい?」

 

カウンターから話しかけてきたフレッドさんは先に頼んでいたらしいクロウの注文である、チキンカツトマトソースがけとライスをそれぞれ置きながら会話に加わってきた。

 

「そうです、今年出来た新設クラスですね」

「いい子たちばっかりだと思うぜ。この間なんて調味料切らして困ってたら、黒髪の男子が学院の厨房まで交渉しに行ってくれたりしてよ」

「あぁ、そりゃリィンだな」

 

リィン──リィン・シュバルツァー。東方太刀を使う彼のことだ。いまだ交流がない相手ではあるけれど、実はトワとサラ教官を筆頭に噂は聞いている。それにあのレポートを読んで、すこしだけ人となりを知ることになった。ケルディックの事件に積極的に関わろうとしたのは、彼だったと。

初期段階で領邦軍が関与しているということはわかっただろうに、それでも事件解決を目指して奔走することを決めるというのは並大抵の精神力で行えるものではないと思う。人々の生活を慮り、その脅威を排除する。姿勢としては大変"善き人物"ではあるのだろうけれど、裏腹に心配になるところもあるんじゃないかと。

そういう危うさまで含めて教官は見守っていくつもりというのはさすがに私もわかるので、きちんと信じて、だけど何かあれば手を差し出せる距離にこっそりいて、VII組の歩みを教官の隣で見守っていきたい。その立場を、何の因果かゆるされている。

 

「おーい」

 

こつん、とこめかみ辺りを軽く小突かれる。視線をやると紅耀石よりも少し暗い赤が私を見て眉根を下げて困ったように笑っていた。

 

「心配なのはわかるけどよ、お前が参るのだってよくねえんだかんな」

「それは、わかってるよ」

 

サポートする側がダウンしていたら、いざという時に動き出せない。自明な話だ。

結露した水のグラスを手に取り、中身に口をつける。喉を通るひやりとした感覚が少しだけ頭を落ち着かせてくれた。

 

「教官より遠い距離感にいるべきなんだろうけどね」

 

あくまで補佐なのだからその分を侵してはいけないような気もするし、しかしであるのならこの学院にいて、ARCUSの試験運用として課外活動をしていた意味とは何だったのかと。自分で考え、必要であれば行動を起こし、その責を己で引き取る。そこまで見据えて着火することをあの一年で学んだのではないかと。

そう、自問自答を。

 

「そりゃ無理だろ」

 

けれどクロウは私の言葉を一刀両断した。

 

「サラはああ見えて全員のことが見えてんだろうし、実技テストもやってんなら個々の能力を把握して信用も信頼も相応に出来るようになんだろうよ。だけどお前は単なる一生徒で、VII組の連中と直接やりとりすることなんか殆どねえだろ」

「……うん」

「なら、力量もわかんねえヒヨコを手放しで安全じゃねえと思える場所に放てるかって言ったらそんなんNOなワケだ。サラが納得してても信じる本人が納得してなきゃな」

 

ひよこ……扱いするのは些か気が引けるけれど、言わんとしていることは理解出来る。

 

「だから、お前はお前の信じる道を行けよ。それを支えてやるのも悪かねえ」

 

────私はとても未熟で、どうしようもないことばかりで、いつもなにかに悩んでいるような気もするけれど、それでも。そうやって頼もしく背中を叩いてくれる人がいるということは何よりもありがたく、そしてそう感じられるなら、まだやれるってことなんだろう。

 

「ありがとう、クロウ」

「惚れ直してもいいぜ?」

「惚れ直しかはわからないけど、わりと頻繁に好きだなとは思ってるよ」

 

キメ顔でスプーンを少し振るものだから大真面目にそう返すと、そーかよ、なんてちょっと顔を背けて言うのでフレッドさんと一緒になって思わず笑ってしまった。かわいい。

 

 

 

 

1204/05/30(日)

 

『セリちゃん、マキアス君が領邦軍に拘束されたって連絡が……!』

 

授業が終わった昼過ぎ、帰寮準備をしているところにARCUSへトワからそんな連絡が入った。

急いで生徒会室へ行ってみると困惑した表情のトワだけがそこにいる。おそらく私がVII組教官補佐であることから情報をくれたのだろう。たぶんこの程度なら守秘義務に引っかからないだろうし、知ったとしてどうにか出来るという話でもない。

 

「やっぱりそういうことが起きるよねえ……」

 

危惧していた案件が現実のものとなってしまった。

二人で今回の件について精査していると、どたどたどた、と聞きなれた複数の足音がすごい勢いで近づいて来る。ばたんと開いた扉から顔を見せたのは案の定いつもの三人だ。

 

「おい、何かあったのか?」

「青褪めて走る姿が見えたわけだが」

「っていう二人に連れてこられたんだけど」

 

別に私は何も言っていないのだけれど、廊下を走った記憶はあるのでそこから類推されたのだろうことは想像に難くない。

まぁ来てしまったのだし、とトワと一瞬アイコンタクトをしてから概要を話すと、貴族だからかアンは露骨に眉間に皺を寄せて口元を歪ませた。

 

「さすがにそれは……生徒の手に余る話じゃないか?」

「そうなんだよね。それに公都組は五人ではあったけれど、公爵家の人間が傍にいる状態でそれが許されるとも思えない」

「つまり分断、有り体に言えばユーシス君は離されていると見るべきだね」

 

私の言いたいことを的確にジョルジュがまとめ、全員でため息をこぼす。

残る戦力は三人だ。おそらく学院側からは正式に抗議の手配を取っているだろうけれど、四大名門というのは貴族制である帝国内で特に絶大な権力を持つ。解放までに何らかの処置が施される、あるいは何らかの条件が水面下で交わされる可能性は拭い切れないだろう。それがたとえ冤罪だったとしても、表に身内の罪がばら撒かれたら政治家としては痛手を思うモノになりかねない。もちろん学院としても。

 

「……公都に行くか? 飛行船なら二時間もかかんねえだろ」

 

それは乗り込んでVII組生徒に力を貸す、ということだろうか。それとも秘密裏に私たちが動くということだろうか。でもどちらにせよ、それは意味がないだろう。VII組の経験値としても、実入り的な話としても。

 

「私は公都に行けない。正面的な話では補佐であって教官じゃないから行っても意味がないし、裏的には学院生徒……特に補佐として認識されている人間の関与が露呈したらこれまで以上に圧力がかかる可能性がある。そういう意味ではトワもおなじかな」

「うん……そうだね。私とセリちゃんは動き辛い立場ではあると思う。アンちゃんも」

 

私はトワほど立場がある、というほどのものではないけれど、『学院側がこの生徒を送り込んだのだろう』と言われたら立ち位置的に言い逃れが出来ない。サラ教官も、マカロフ教官も、最終責任者であるヴァンダイク学院長も私という存在を"そう"と定義し認識しているからだ。秘匿することは難しい。

 

「うん、トワの言う通り私は別の意味でだが動くのは難しいな」

 

生徒という意味ではなく、貴族だから、逆に首を突っ込めない。おなじ貴族派といえど他州の話に割り込んだならそれこそログナー侯が走って学院にやってくるかもしれない。下手したら退学手続きをその場で取られてもおかしくはない類の話になる。

 

「だから、私は旧都の教官とバトンタッチする。幸い今日は日曜だからね」

 

日曜は通常、普段の半分の授業数で終わる。つまり昼過ぎで解散なのだ。公爵家の方は私にはどうしようもないから、せめて教官の後顧の憂いを消すために奔走しよう。

今から旧都に行くとなれば寮の門限を破ることにはなるだろうけれど、まぁその辺は点呼があるわけでもないし管理人がいる建物でもないので玄関扉が閉まることはほぼない。閉まっていたら第二にいる三人の誰かに泣きつくか、朝方に何食わぬ顔で入っていけばいい。

 

「しかしよ、セントアークにお前が行く必要あるか? さすがに過保護すぎやしねえか」

 

クロウの指摘は尤もなもので、そうかもしれない、と軽く頷いた。

 

「でもVII組の実習は私たちの時より数倍規模が大きくなっているんだ。大都市になるなら、そこで偶発的に起きる問題も必然的に重くなる。何もないなら、チームだけで対処出来るなら、杞憂だ過保護だと笑い話になるならそれがいい」

 

前にクロウは、私が森に入って偵察する時に着いて行くのがアンじゃなくて自分ならそれを飲むと言った。大まかにはそれと同じ構造で、バックアップをするのなら手が届く場所にいなければ意味などない。

私の言葉に納得をしてくれたのか、ため息をつきながらクロウは私の髪の毛を掻き混ぜた。

 

「じゃあ、ま、バイクで帝都に送ってやるとすっか」

「フフ、その役目はさすがにクロウに譲るとしよう。──抜かるなよ」

「アホ抜かせ、オレがそんなヘマすっかよ」

 

アンは胸ポケットから導力バイクの鍵を取り出し、クロウへ投げ渡す。私としてはどちらでもいいのだけれど、何だかたまにこの二人は言外でわかり合っているのでちょっと羨ましい気分になる。こんなことを言ったなら左右から否定される気もするけれど。

 

「バイクはアン用に調整してあるけど、クロウならまぁ心配は要らないか」

「おうよ。たまに転がしてたかんな」

「セリちゃん、私はサラ教官と連絡取れないか試してみるね。帝都を経由するなら連絡が繋がる筈だし」

「うん、そっちの方面は任せた」

 

トワと二、三の確認ごとを果たしてから技術棟へ先行するクロウを追いかけて学生会館を飛び出すと、教官室にいるマカロフ教官と視線が合ってしまったような気がした。……いや、大丈夫。単に恋人とツーリングに行くだけの可能性だって残ってる。何せ授業は昼までの日曜だ。

 

「クロウ、私は一旦寮へ戻る。着替えて行かないと目立っちゃうし」

「あくまで裏方に徹するってワケかよ」

「メインは一年生だからね」

 

旧都の流行はわからないけれど、あの辺の衣服であれば多少古くても馴染むと思うしそれなら紛れられる。それに教官がいなくなったら代わりに二年生が来ているなんて、自尊心を傷付けかねないというのもあるわけだし。どういう意味でも私服で行くべきだ。

バイク動かすから先行ってろ、と言うクロウの言葉を了承して走ると、本校舎入り口辺りで声がかけられる。振り向くとヴァンダイク学院長とマカロフ教官が立っており、心臓が多少なりとも縮んだ気がした。本日学院長は見ていなかったけれど、今回のことで急遽来られたのだろうか。

 

「忘れもんだ」

 

固まる私など知らぬ存ぜぬでマカロフ教官から投げられた何かを反射的に受け取り見ると、青い腕章。もちろんトールズを表す有角の獅子紋の刺繍が施されているそれ。

落とした視線を上げると、ヴァンダイク学院長が頷いていらっしゃって。

 

「君のその選択を、ワシは尊重しよう」

 

────それは、学院の人間として動けということ。

 

「……っ、はい、行って参ります!」

 

両の踵をつけ、背筋を正し、お二方に敬礼して走り出す。

学院長に進言してくれたのはマカロフ教官だ。いつもはめんどくせえことをするななんて言っているのに、それでも私たち生徒のことを見てくれている。そうして、必要ならその背中を立場を以て支えてくれる。あの人の生徒でよかった。この学院の生徒で、本当によかった。

 

だから私はこうして跳べるのだと思う。

 

 

 

 

結論として、旧都組を発見した後、問題に巻き込まれはしていたけれどそれを解決するところまでただ見届けるだけに終わった。私の介入は特に必要なく、それでよかったと思う。

公都へ行った教官とは旧都を発つ夕方前に連絡がつき現状のやりとりをし、B班が直面した革新派と貴族派の問題は、程度の差はあれどA班が直面させられたものとタイプとして似通っているという結論に落ち着いた。穏健派と名高いハイアームズ侯爵閣下のお膝元でよくやるものだと嘆息するしかない。

しかしここに来て帝国内の二大派閥の確執が酷くなってきているのは偶然なんだろうか。どうも言いようのない不安が削りクズのように胸へと落ちていく。

 

『まぁ、何にせよ君がいてくれて助かったわ』

「私は何もしていませんよ」

 

事実、私はただ彼らを見ていただけだ。何をすることもなく。私が存在することで風の動きその他自然環境に何らかの変化はあったかもしれないけれど、その程度で、大勢に影響はない。はず。

 

『いいから、誇りなさい。あたしが動くと信じて、君は補佐として最良の動きをしてくれた。それは間違いのない話なんだから』

「教官が生徒を見捨てるわけがないなんて、一年前から知ってますよ」

 

私が軽口を叩くと、通信口でころころと笑われる。

 

『準備やバックアップや心配なんて、無駄になるくらいでちょうどいいのよね』

「それはわかります」

 

何かが起きてからではあまりにも遅い。未然防止にコストを割くというのは、うっかりすると意味のないものだと削減されかねないものではあるけれど、防止出来なかった時のことを考えると削るべきではないものだ。

手があったというのに自らその機会を逸し、失ってから気が付くなんてことは愚かだろう。

 

「では教官、また学院で」

『ええ』

 

 

 

 

1204/06/04(金)

 

「……公都地下水道にて領邦軍は手懐けた猫型魔獣を使って退路を、か」

 

教官から渡されたレポートを読んで、既視感のある文言に眉を顰めてしまう。去年、私たちがルズウェルで検挙の一端を担ったあの事件は、確かアルバレア家が巻き取ったのではなかったか。

貴族が手に入れたものをどう使うかなんていうのは平民にはどうしようもない話ではあるし、そのことについて私が罪悪感を覚えるというのはお門違いも甚だしい。

 

それでも自分が成したことの結果をこういった形で目の当たりにして何も思わないというのは、気質的に無理な話でもある。

嗚呼、やっぱり強くなりたい。なっていこう。

 

多少なりともわだかまりを消したVII組を見習って。



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08 - 06/02 雨の季節

1204/06/02(水) 放課後

 

「雨降ってんじゃねえか」

「だから入りに来たんじゃないの?」

 

本校舎入り口で、ぱんっ、と昼から雨だろうと持ってきた傘を開いたところでさも当たり前のように左隣へクロウがやってくる。その手には傘などの雨具はなくて、というよりこの一年で傘を差している姿なんて殆ど見たことがないのだけれど。まぁ走れば10分かからず寮とは行き来が出来るのだし、その方が楽という考えもあるだろう。

他人の傘をアテにしないのなら。

 

「はい」

「おう、あんがとな」

 

開いた傘を渡せばやっぱり当たり前のように柄は右手に受け取られ、私は鞄が濡れないよう前に抱え、そうして二人で歩き出す。背の高い相手に傘を差すのは大層面倒だし、クロウ側も何だか歩きづらそうだったのでそれ以降はずっとこんな感じだ。

傘に当たる雨の音がいつもより遠い。

 

「傘絶対に持ってこないよねえ」

「持ってねえもん」

「いい加減買わない?」

「……そんなにイヤか?」

 

問われて、嫌ではないのだけれど、もし私がいなかったら別の人の傘に入るのかと考えるとちょっとそれは嫌だろうなと思う。思ってしまう。別にクロウは私と傘に入る約束をしているわけでは決してないのに。

 

「私が風邪ひいたりして欠席した日に雨が当たったらどうするのかな、とは」

「そりゃ単に走るわ」

 

走るのか。雨の日に坂道を走るのはそこそこ危ない、というのにクロウが気が付かない筈ないので理解した上でやるんだろうけれど、近しい人間としては止めるべきかもしれない。

 

「危ないよ」

「んー、じゃあ他のヤツに入れてもらうとすっかな」

「……」

 

クロウなら、それぐらい朝飯前だと思う。何だかんだいろいろやらかしているとはいえ、どうも憎めない笑顔で人の懐へ入るのが絶妙で、頼めば断られることはあんまりないだろう。そして断られない相手を見極めるのもクロウにとっては然程大変なことでもない。

────だけど、たぶん、これは、意地悪をされた。

 

坂道に差し掛かったところで歩行速度が緩み、籠る雨の音が遠くなり、生の音が近くなる。そうして傘は差し出され、また傘の雨音が。濡れた片方の肩が目に入り、そんな風に制服を汚すならやっぱり自分の傘を持ってくればいい、なんて可愛げのないことを考えてしまう。

 

「……それはいやだなぁ」

 

それでもクロウが何を私に言わせたいのかは分かっているし、仕方ないからそれに乗っかろうと鞄を強く抱き込みながらぽつりと内心をこぼす。だけどもクロウは反応を返してくれない。みなまで言わないといけないのか。

 

「クロウが、他の人とひとつの傘に入るのは、たぶん妬く」

 

それが女性であれ男性であれ、生徒であれ教官であれ町の人であれ、こんな近しい距離感で10分も20分も歩かれたくないというのが私の、本当に個人的な願望だった。

いつもの面子ならそれは思わないかもしれないけれど、ジョルジュと二人というのは物理的に難しい気もするし、アンは共に歩きたがらないだろうし、トワに至ってはどちらが傘を持ってもお互い酷い目にしか遭わないのが目に見えている。だから除外しよう。

 

「でも私にはそれを禁止する権利はないんだよ。体調崩す可能性もあるし」

 

たとえ恋人であっても、お願いこそすれ行動を制限していい理由にはならない。加えて風邪をひく可能性があるとなったら、病気しないで欲しいというのが一番の願いになる。

 

「……何その顔」

 

沈黙が続くので見上げるとクロウは何かに耐えるように、ぎゅっ、とした表情で眉間に皺を寄せておりどういう感情表現なのか全然わからない。

 

「いや、あんまりにもお前が可愛いから」

 

その物言いがどうにもこうにも癪に障って、まともに話す気がないなら帰る、とまた雨の下へ歩き出した。慌てて追いかけてくる声に耳なんて傾けてやらないと決めて、早歩きにするとやっぱりそれでも追いついてきて、そんなことを繰り返すうちに寮の扉を開いた頃にはもう殆ど走る羽目になっていた。転ばなくて良かったと心底思う。

 

ぜぇはぁと呼気を荒げながらもバサバサと傘を外に向けて雨露を払うクロウの隣で、私も必死に呼吸を整えていた。あらかた水気を飛ばし終わったところでクロウと視線が合い、緊張が解けてしまって思わずお互い笑い出す。何事かとこちらを見る寮生もいたけれど申し訳ないことに気を払う余裕なんてない。

意地の張り合いにも程があるけれど、数分前までは本気の本気だったのだ。

 

「いやー、悪い。悪かった。ちっとでも嫉妬してくれたら儲けもんだと意地の悪いことを」

「分かってたけどちゃんと言ったじゃん。応答してくれなかったのはそっちだよ」

「ほんとにな」

 

へらりと表情を崩すものだから、本当にわかっているのか疑わしい、なんて返しつつ肩に鞄をかけ直して傘を受け取り手洗い場へ。水で手を濡らし石鹸を手に取り泡立てしっかり両手を洗っていく。

 

「私たぶん、かなり嫉妬深いよ」

 

おそらくクロウが理解してくれている以上に。まぁクロウが私のことをどう考えているかだなんて推測に過ぎず、実際のところはわからないけれど。

 

「ま、それはお互いさまだっつう」

 

どうだか。返事は特にしないで備え付けのタオルで手を拭いて歩き出し、揃って階段へ。

 

「セリ」

 

すると私が三階に上がろうと方向転換した瞬間に声が聞こえ、呼ぶならもう少し早めに、と振り返ったところで掴まれた二の腕に、冷えた額へ温度。至近距離にいたクロウが顔を覗き込んできて、赤い瞳と完全に視線が交差する。心臓が完全に跳ねた。

 

「オレも、結構いろんなもんに嫉妬してんだかんな」

 

クロウは言い逃げるようにそれだけ残し、自分の部屋へと一目散に戻っていった。

……周りには、そりゃ、だれもいないけれど、三階の廊下にはすこし人の気配がある。だから顔の赤さが多少マシになるまで私は二階の踊り場に背中を預けてとどまることを余儀なくされてしまった。

かけた鞄の持ち手に、傘を片手に、両手が簡易的に塞がっている状態で額とはいえキスをしてくるなんて、やっぱりクロウはずるいと思う。私が嫌だと思わないところまで見透かされているんだろう。

 

 

 

 

1204/06/12(土)

 

「今年もこの季節が来ちまったなぁ」

 

放課後に技術棟の机を借りながらクロウ・ジョルジュ・私の三人で勉強をしているのに、クロウはといえば机に頬をつけてだらりと溶けている。初夏と呼ばれる季節とはいえ、まだまだそんなに気温が高いわけでもない。RF社は今夏に室内温度調整導力器の新型を発売するようで株価が上がっているけれど、たぶんそういうのは必要のない気温だ。まぁそんな高級品が士官学院に常設されるわけもないのだけれど。

だからこれは単にやる気が出ないという話だ。たぶん。

 

「今年もしっかりパスしてくださいよ、クロウくん」

「……努力は、する」

「一緒に卒業したいんだけどなぁ。ね、そうは思わない?」

 

煮え切らない返事をするクロウにため息をついて、その隣でノートを広げているジョルジュに話を振れば、そうだね、と頷いてくれた。

 

「仮にクロウが留年したら来年の卒業式に全員で来ようか」

「それいいアイデア」

「勘弁しろや」

 

心底嫌そうな顔してむくりと上体を起こすものだから、思わず笑うとジト目で睨まれてしまった。いやでもガイウスくんたちと並んで式典に出席するクロウは面白いからちょっと見てみたい気もする。一緒に並んで卒業する方が嬉しいから比べられないと思うけど。

 

「そういえば例のリィンくんに導力バイクの試運転頼むんだっけ?」

「そうそう。トワ経由で依頼を出す予定でね」

 

生徒会が受け持ちきれなかった生徒やトリスタでの依頼をこなしてくれるリィンくんは、校内や町で聞く評判も上々で、何なら突発的に発生した困りごとなども解決してくれている節さえあるらしい。実習地ででさえも。まるで昔のトワを見ているようだ。

 

「RF社が商業的に利益が見込めると思ってくれたら私が乗れるバイクも出るかな」

「可能性は十分あると思うよ」

「その時のために整備もうちょっと一人で出来るように……クロウ、どうしたのその顔」

 

バイクを転がしながら一人で旅をするなら、整備技能は必須だ。カリキュラムとして工学系授業もあるし、ジョルジュといういい指導者がいるのである程度の分解・清掃・交換などは出来るようになってはいるけれど、もう少しその辺の腕も磨いておきたい。のだけど。

クロウがちょっと納得のいかないような顔をしているので首を傾げてしまう。

 

「別に。お前が一人で乗れるようになったら抱きつかれることもなくなんのかって」

 

先月末のVII組特別実習の日、急いで旧都へ向かうということでクロウが操るバイクの後ろに乗せてもらったことを言っているんだろう。

 

「……並走は嫌?」

「それも悪かねえけどよ」

 

二人で一緒に風を切るというのもそれはそれで楽しいんじゃなかろうか。少なくとも私はそう思うけれど、クロウ的には私は後ろに乗せたいらしい。アンもトワを乗せたがりなので、やっぱり二人はちょっと似ている。

 

「一応アタッチメントパーツとして、サイドカーっていうのを考えてはいるけどね」

「サイドカー?」

「バイクに取り付ける一人席、みたいなものかな」

 

立ち上がったジョルジュがカウンターの方へ向かい、一冊のファイルを取り出し該当箇所を開いて渡してくれた。そこには揺り籠のようなフォルムのものがバイクに取り付けられている絵が完成ラフとして描かれている。

なるほど。これなら今の形よりも景色に集中出来るし、何なら運転手の方も多少は気兼ねなくなるかもしれない。だけど。

 

「これハンドリングの感覚結構変わるよね?」

「そう、そこが目下の調整点でね。ある程度は机上の計算でどうにかなるけど、最終的には実物作った上でまた試行錯誤かな」

 

パトロンにアンゼリカがついているからこそ出来る手法だなぁと苦笑する。でも開発人数が少ないなら実物からデータを取るというのはある程度仕方のないことだ。

 

「RF社に研究成果渡す時はちゃんと契約交わしなよ?」

「とは言ってもグエンさん……RF社の会長から研究を引き取ったものだからねえ。僕が発明したものではないし」

「それでもカタチにしたのはお前だろうがよ」

 

頬杖をついて私たちを見ていたクロウがそう口を挟んでくる。するとジョルジュは私の手からファイルを抜き取り閉じて、その表紙を撫でた。

 

「お前、じゃなくて、五人全員で、だよ」

 

静かに訂正してファイルを戻しにいく背中を見て、クロウと二人で顔を見合わせる。本当に、全員が全員を好きすぎるよなぁ、なんて。私も人のことは言えないけれど。

 

「ま、サイドカーが完成してもクロウの要望を満たすことは出来ないだろうけどね」

「話戻さなくていいんだわジョルジュ」

 

席に帰ってくると共に落とされた言葉にはやっぱり私は首を傾げるしかなく、一緒に出かけるという点で言えばバイクで並走する方がこう、機動力が上がるんじゃないかと思うわけで。すると行動圏内も広くなるのでいろんなところにいけるようになる。

ARCUSの通信機能を応用すればバイクに乗りながらでも会話とか、うん出来そう。その為にはやっぱり耳介装着式通信機の汎用度を上げる研究の手伝いをしなければ。

 

「好きな女の子を後ろに乗せて走りたいって欲求は男のものなのかな」

 

思考の淵に立っていた私の耳にするりと入り込むようにそう告げられて、クロウの顔を見て、あっそういうことかと顔の赤さが伝播する。

 

「……ご、めん」

「謝んじゃねえよ逆に恥ずいだろ」

「いやジョルジュよくわかったね」

「アンを見てるおかげかな」

 

ジョルジュの中でもその二人はわりと同列というか、同じカテゴリに入っているらしい。すごくよくわかる。私もそれを感じることがままある。

 

「じゃあクロウ、自由行動日の次の日曜日にルナリア自然公園チャレンジしよっか」

 

自由行動日の日は導力バイクの依頼があるので、出来れば立ち会いたいという気持ちがあるし、たぶんそれはクロウも同じだと思う。ジョルジュもわかってくれているので、二人で自由行動日に行ってきなよとは言わないところが何というか、安心する。

 

「VII組の実習と被ってねえか? 絶対何かあんだろ」

 

苦々しく発せられた言葉は、確かにここ二ヶ月のことを考えると十分考えられる話だ。

 

「それに関しては詳しく言えないけど、多分大丈夫だと思うよ」

 

教官補佐として来月の実習活動地まで聞かされているけれど、何せ今回は両方とも恐ろしく遠いところになる。海都オルディスとノルド高原。一つは国境越えで、一つは帝国主要都市最西端の街になる。仮に何かあったとしても私の出番ではまずない。はず。

いや先月は完全に自分で首を突っ込んだ話ではあるのだけれど。

 

「……ゼリカにバイク借りるってお前から言っとけよ」

「うん。断られたら鉄道で行こうね。それもきっと楽しいだろうから」

「仲良いねえ」

 

しみじみとした風情でジョルジュが言うものだから、こんなもんじゃない?、と返すと、わりとド直球に惚気てると思うわ、とクロウが手で顔を半分隠しながら耳を赤くして呟いた。

 

そういえば私にとっての『他者に見せていい恋人関係の距離感』というのは、もしかしたら叔父叔母夫婦なのかもしれないと思い至る。

確かにあの二人は長年見ていた私でさえも仲がいいと感じる二人に違いないので、無意識でもそれを参考にしているのだとしたらジョルジュの感想も納得のいくものになる。というか家族に見せる姿とそうでない姿ってのもまた異なるわけで。

 

「困るなら控えるようにはするけど、そういう話じゃないよねぇ」

「そういう話じゃねえなあ」

「方向性が多少修正されて何よりだよ」

 

三人で頷き合ってとりあえずこの話は終わることにした。

月末が待ち遠しいけれど、とにもかくにも今は目の前のことだ。

 

 

 

 

1204/06/15(火) 中間定期考査前日

 

「あれ、そういえば今日だっけ」

 

しとしとと雨音が外から聞こえる生徒会室は試験前ということで生徒会としての活動は"公には"停止しているため生徒会役員は居らず、トワとアンと自分だけでかなり静かなものだった。

 

「うん? 何かあったかな」

「第三学生寮にメイドさんが派遣される話があってね。学院長へ挨拶に来るとか何とか」

 

ラインフォルトの名を冠する生徒がいるせいか、RF社の会長直々にメイドを派遣するという連絡をサラ教官が貰っていた筈だ。まぁ第一でも家から侍従職の人を引き連れて来て第一で仕事をしてもらっている人も多くいる。というか大半がそうだろう。二年にいるフロラルド家の方に至っては校内でも連れ歩いている始末だ。

第二にそういう人材がいないのは単に『人を雇うことが一般的ではない』というだけで。であれば第一に降りている許可が第三で降りない道理もなく、奇妙な案件では全くない。……ただそれが理事職の人間からの通達でなければ、の話だけれど。

 

「セリちゃんの記憶通り今日だね。実際に働くのは中間試験後からみたいだけど」

「そうなんだ。試験前に生活環境変わらないようにっていう配慮かな」

 

他人が自分の生活領域に入ってくるというのは多少なりともストレスのかかるもので。それが新しい相手であるのならば尚更。

 

「ふむ、やはり第二に管理人がいないというのは些かアンバランスさを感じるな」

 

アンが腕を組みながらそうこぼす。話題に出た第二に住んでいるトワと私の視線を受けながら彼女は言葉を続けた。

 

「定期考査で概ね貴族生徒が上位を占め、平均値によるクラス順位も例年I組がトップだ。だがそれは単に貴族が優れているという話ではなく、結局のところ"注ぎこめる時間の違い"が如実に現れているだけなのでは、とね」

 

第二は基本的に自分のことやあるいは寮のメンテナンスまで含めて、寮生活で起きる大体のことは自分たちで行うことになっている。それは正直平民であれば多かれ少なかれ家のことをやってきているので変だと思ったことなどなかった。

けれど指摘されてみればなるほど。貴族生徒は身の回りや寮のメンテナンスに時間を取られない。その浮いた時間を何に使うかは無論当人の判断によるけれど、それでも平民クラスの人間よりは勉学に割ける時間は必然的に多くなると言う話だ。

 

「……そうなんだよね。第一には学院側で雇った管理人の方がいらっしゃるのも確かな話で、第二にはその役割の方がいないっていうのは今の帝国を表しているようにも見える」

 

肯定するトワの言葉。つまり、貴族と平民の不平等さ。

貴族が権力のみを持っているとは到底思わない。領地を持つと言うことは、その土地に住む領民を保護する義務が発生する。そのバランスを取って領地は運営され、平民は安寧を享受する。

けれど学院という一応平等の体を取っている生活の場でそれは通るのだろうか。あからさまに貴族生徒へお金がかけられ、平民は自分で何とかしろ、という慣習が罷り通ってそのままになっているというのは、根本的にその不平等さが空気のようなものだからなのでは、と。疑問に持つことすらない。さっきまでの私のように。

 

「ミクロに見えて結構マクロな話だねぇ」

 

それに言及するということは学院の根本的なところへナイフを刺しこむと同義だ。

例えば二百年ほど前は入学は男性のみで、特に平民は従士としてだけ在籍が許されていたわけだけれど、その従士という条件は撤廃された。撤廃の際、『従士は騎士に従い、騎士は領主に仕え、そして領主たちの上に立つのが皇帝であるべき』という帝国の伝統を重んじる意味でかなり難航したようだ。

そうして時代はさらに下って、その入学権利を女性にも広げるべきだと叫んだ生徒会長はその理念を継いでくれる相手を指名し、そうして入学条件の緩和以上に何年も何年もかけてそれを学院に認めさせた。そういう戦いの記録が何度となく残っている。

この話も管理人の有無という現実問題だけではなく、幾重にも折り畳まれ圧縮された帝国の身分社会の一端をほどくことになるだろう。

 

「うん、それでも」

 

トワは決して貴族と対立したいわけじゃない。現に、平民への見下しを隠そうともしない相手だとしても温厚に接し、最終的に毒気が抜かれているのを見たことがある。だとしても、学院という場でそれが許されていることの是非を問わなければならない、とそう。

 

「フフ、トワには貴族の隠れファンも多いから狙い目じゃないか?」

「────もう、アンちゃん! 真面目な話してたのに!」

 

固い声で視線を落としたトワに対し、いつものノリで軽口を叩いてアンは笑う。ああそうそう、こういうところ。わかってて茶化すというか。そういう意味でもクロウとアンは似ていると思う。だからこそ一年前に殴り合う羽目になったのかもなと。

 

「まぁアンの冗談はともかく、私たちも関わるよ。友人としてだけでなく、学院生として」

「冗談とは失礼な。私は至って本気さ」

 

そんな風にいい塩梅に空気が弛緩したところで、こんこん、と控えめなノックが聞こえた。

 

「はい、どうぞ」

 

トワの許可に呼応して、失礼します、と顔を覗かせたのは赤い制服を身に纏った黒髪の生徒。リィン・シュバルツァーくんだ。生徒会からこぼれた依頼を抱えて走り回ってくれているということで、トワとはそれなりに面識があるんだろう。

 

「あ、リィン君!」

「すみません、お邪魔でしたか?」

「ううん、そんなことないよ。来てくれて嬉しいな」

 

にこりと笑うトワに対して、よかったです、とリィンくんも微笑むので更に場の空気が和やかになっている。何だかふわふわと似ているこの二人をアンと一緒に眺めているというのも悪くはないかもしれないけれど、雨足が強くなる前に帰寮しよう。拾っていかないといけないのもいるし。

 

「そろそろ帰ろうかな。また何かあったら呼んで。呼ばれなくても来るけど」

 

事実今日だって生徒会が休みだというのに生徒会室へと向かうトワを見かけたから来たようなもので。生徒会に教官陣が執拗に働きかけるのも、それはそれで生徒自治組織として形骸化の一歩を辿ることになるので難しい話だ。それにトワの成績が優秀すぎて口を挟む隙がないというのもありそう。

 

「ありがとう、セリちゃん……あっ、そうだ」

 

何か思いついたようにぱたぱたと執務机から出てきたトワは私の隣に立った。

 

「リィン君、こちらがサラ教官の補佐をしているセリちゃん。もしかしたら話は聞いたことあるかもだけど、まだ面識はなかったよね?」

 

すると目の前の彼は思い当たることがあったのか、そういう表情になった。レポートに書かれていないことは確認済みなのでガイウスくん辺りから聞いていたのだろう。であれば口調もその辺に合わせておいた方がいいかもしれない。

 

「初めまして、二年のセリ・ローランドです。紹介の通りVII組教官補佐をしているけど、あんまり気負わないで貰えると嬉しいな」

「リィン・シュバルツァーです。いつもお世話になっているみたいで、すみません」

「うん? 後輩は先輩の手を借りていいんだよ」

 

とは言いつつ、私はあまり先輩という存在と交流したことはなかったけれど。なんせ一人部活だったし周りにいる面子に振れば大体何でもできてしまうので、相談するならそっちの方が近いというのもある。

まぁ私が進んで手を貸したいと思った事に間違いはないし、そういう相手の力は気にせず借りておいた方がいい。

 

「そうそう。セリは頼られるのが好きだからね」

「クロウにも似たようなこと言われたけどそんな実績はない……はず」

「ふふ、それは補佐になってる時点で説得力ないかなあ」

「トワまで!」

 

そんなに身を粉にしていた記憶もまるでないのだけれど、三人にそう評されているとなれば自覚を改める必要があるかもしれない。と呻きそうになったところで、あはは、と笑い声。見ればリィンくんが少し表情を崩している。

 

「先輩たちって仲がいいんですね」

「うん、だって去年ずっと一緒にいたもん」

「ああ、前にクロウ先輩やトワ会長が言っていた最後の一人ってもしかして」

「あの時の話題ならセリのことで間違いないよ」

 

何やら察するに他の面子がリィンくんと遭遇した時にそういう話になったようだ。まぁ四大貴族と平民の間柄で大層仲がいいのを見たら気になるだろうし、となればその辺の話題が出るのもわかる。

談笑しながらちらりと窓の外を見て、僅かではあるけれど音が強くなってきているのを確認。

 

「それじゃあクロウ拾って帰るから、私はお暇するよ」

「そっか、引き止めちゃってごめんね」

「大丈夫大丈夫。むしろ助かったぐらいだし」

「クロウ先輩なら技術棟の方にいましたよ」

「そうなんだ。ありがとう」

「足元には気をつけて帰りなよ」

 

そんな感じで三人へまとめて挨拶をして、私は生徒会室を後にした。

……本人には絶対に言わないけれど、こうして迎えに行くのはなんか、悪くないな、なんて。



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09 - 06/20 進路について

1204/06/20(日) 自由行動日

 

長雨も終わり、清々しい晴れが覗いたのをいいことに東の街道で魔獣相手に体を動かしていると誰かがトリスタから出てくる気配を感じた。アタリをつけながら一段落したところで振り返ると、深い湖水のような髪色を湛えた女性が立っている。うん、やっぱりVII組のラウラさんだ。先月の旧都組の一人。

 

「おはようございます」

「……む、おはようございます、先輩」

 

何か言いたげな表情をして黙っていたので、こちらから話しかけてはみたけれどあまり芳しい反応ではなかった。挨拶を間違えただろうか。

 

「何か御用ですか?」

「ああいや、そう言うわけではないのだ」

 

ふむ。けれど何も用がなければ戦い終わった人間に近付く人ではなかろうと思う。なんせ帝国剣術の双璧を誇るアルゼイド流の後継者の方だ。それがどれだけ危ないことであるかだなんて身をもって知っているだろう。

戦闘による高揚というのは本人が気が付かないうちに精神を支配する。場数を踏めば制御出来る範囲は増えるけれど、相手がそうであるかというのは実際のところ対峙しないとわからない話でもあるわけで。

 

「……すこし戦ってみますか?」

 

くるりと手元のダガーを回し、そう誘ってみる。すると迷いのような色を秘めた瞳はそれでも私を真っ直ぐと捉え、その手に力が籠るのが確認出来た。自分の口角が上がるのがわかる。アルゼイドの中でも主流とされる大剣の担い手と戦うなんてそうないだろう。

 

「レギュレーションはお互いARCUSの起動はナシでどうでしょう」

「……先輩相手に不遜ではあるかもしれないが、それならば私に分があるのでは」

 

大剣と両剣。手数で言えばどう考えてもこちら側が多いけれど、ARCUSで身体強化が出来ず、また支援が見込めないタイマンである以上圧倒的な力でねじ伏せられる大剣に利があるというのは彼女の指摘の通りだ。そして彼女は私よりもずっと長い間、剣という道に向き合ってきたのだろう。

だとしても。

 

「それは私に膝をつかせてからもう一度どうぞ」

 

果たして、結果は。

 

 

 

 

「────下されはしないが、下しもできない、それが解せないって顔ですね」

 

お互い汗をかき、こめかみを伝うそれを乱暴に拭ったところで私は剣を納めた。するとラウラさんは一瞬だけ両の手に力を込めたのち、ふっと肩の力を抜いて同じようにその切先を下げてくれる。

 

「先程は、その、申し訳ありませんでした」

「気にしていませんよ。それに、単純な力量でいったら貴方の方が上でしょう」

「ご謙遜を」

「いえ、これは謙遜ではありません」

 

多少流すつもりではあったけれど、それは彼女が『迷って』いたからだ。そういう相手に全力を出して仮に下すことが出来たとして、流派に属しもしていない自分の剣では意味はさほどもない。これがハイアームズ侯爵閣下の御子息のように居丈高になっている、というのであれば鼻っ面を圧し折るという意味でなくはないが彼女は別にそうではない。

 

「貴方に一対一で勝てる二年生は少なかろうと思います」

 

これは事実だ。勝つと言うのは存外難しい。特に帝国で古い歴史を持ち洗練されてきた剣術に幼少期より触れてきたともなれば、学院に入って初めて武器を持った人間なんて十人いても勝てる見込みはない。

 

「ですが、負けない二年生なら、いくらでもいますね」

 

基本戦法として多対一を作り出す身として、倒しきれずとも倒されないというのは得意中の得意であるし、多少は修羅場をくぐっている身としてその自負はある。今回はあえてそういった戦い方をさせてもらった。どことなくそういう必要がある気がして。

そしてそれが、どうにも彼女の弱いところを深く刺してしまったのか、戦い始める前に浮かんでいた迷いの色を強いものにさせてしまったようで。

 

「私の剣はそんなに、わかりやすいのでしょうか」

「……真っ直ぐなことは決して悪いことではないです。もちろんそれが弱点になることもあるかとは思いますが、強い力になる方もいるかと」

 

剣への、戦闘スタイルへの迷い。ずっとその道と向き合っていたであろう彼女がこうまで揺れている。

つまり戦闘やこの会話から導き出される事態として、仮に彼女の剣を正道とするなら邪道に属する戦い方の生徒がVII組にはいたはずだ。フィー・クラウゼルさん。猟兵上がりの推薦入学者。

加えて更なる勝手な憶測をするのなら、確か五月の特別実習で彼女は自分のことを(特に隠してはいなかったが改めて)明かしたと記されていたので、その辺りでラウラさんの中で結論が出せていないのではないか、と。

 

「相手のことを肯定できない、というのもアリだと思いますよ」

 

現に私はアンに対してそういう気持ちで握手をした。是とは出来ないけれど、理解出来ないことを理解していればいい、というところから始めたのだ。

ラウラさんは私の言葉にか目を瞬かせるので、それに笑いかける。

 

「なんて、お節介でしたか」

「いえ……かたじけなく思います」

 

お礼と共に頭を下げられ、彼女がそのままトリスタの方へ戻っていくのを私は見送った。

そうしてすこし長めに息を吐きながら大剣をいなすダガーを持っていた手をゆるく開閉させ、残っていた痺れを取る。何でもない風情を装いはしたけれど、今まで戦った二年生の誰よりも彼女の剣は重かった。それでも私は大したことないように振る舞わなければならなかったのだ。

フィーさんについては今しがた推測に至れたわけだけれど、そもそも『そういう戦い方がある/それをしなければならない時がある』というのを真正面から受け止めてもらうために私は強い人間を演じる必要があった。その結果がいつ出るのかはわからなくとも、だ。

 

────まぁ、でも、上級生の矜持が関わってないとは、言わない。

 

 

 

 

「で、どうしてトワ会長たちがいるんですか?」

 

その後、寮へ戻りシャワーを浴びて試験の見直しをしていたところでジョルジュから連絡をもらい、キルシェに寄ってから街道で待っていたら、バイクを携えたアンとジョルジュとともに現れたリィンくんからもっともな質問が差し出された。

まぁ導力バイクの試験を手伝ってくれと言われて街道に出てきたら先輩が三人追加でいると言うのは明確なツッコミどころだろう。正しい。

 

「あはは、アンちゃんたちから事前に話は聞いてたから、仕事の息抜きがてら応援させてもらおうかなって」

「私も似たようなものかな。アンやクロウ以外にも操縦出来るならバイクの未来は明るいし」

「ま、オレの方は半分冷やかしか。前にも言ったが、そいつを完成させるために協力してるもんでな。万が一ヘタでもこいて、壊すようなことのないようプレッシャーをかけに来たってわけだ」

 

依頼としては部外者ではあるし、先輩に囲まれているとなるとちょっと緊張してしまうかもしれないが多めに見て欲しい。クロウの言い方はどうかと思うけれど、激励には違いないだろう。多少捻くれてはいるが。

 

「も、も~、クロウ君たら」

「リィン君、クロウの言ったことはもちろん気にしなくてもいいからね。マシンのことはさておいて、とにかく安全第一で頼むよ」

「は、はい……ありがとうございます」

 

そうしてバイクを街道入り口の外まで転がし、リィンくんが跨がる。うん、身長がアンよりは少し高いけれどそこそこ似ているからかわりと様になっているんじゃなかろうか。

アンとジョルジュで必要な操縦に関わる手順を教えているのを三人で眺めているとトワが、ふふ、と笑うのがわかった。

 

「まさか導力バイクにリィン君が乗るなんてねえ」

「そうだね、ちょっと感慨深いというか」

「まさかそう言う意味でも縁が出来ちまうなんてなあ」

 

クラスの違う五人で制作に携わったバイクに、ARCUSという意味で直接的な後輩に当たるVII組──リィンくんが新たに加わるというのは何だか嬉しい気分になるもので。

 

「あ、そうそう、来週バイク貸してくれるって」

「おう、じゃあ覚悟しとけよ」

「何それ」

 

くすくすと笑いながらクロウの二の腕に頭を軽く預けると、髪の毛をぐしゃぐしゃにされてしまった。全くもう、と遠慮のないぐしゃりかたをされてしまったので整えると、トワがまた笑っている。今日も大きな会議があったみたいだし、プール開きや学院祭その他諸々が控え忙しくしている彼女がそんな表情を落としてくれるなら、まぁこんなコントみたいなことをやった甲斐もあるだろうか。

 

「クロウ君とデート?」

「そうそう、前に自然公園行こうねって言ってそのままだったから」

「今の季節ならいろんな植物が元気そうだし、いいね。楽しんできて」

 

可能ならトワにお茶でも買って帰ろうか。それならたまに生徒会室に集まった時にでもみんなで飲んだり出来るかもしれないし、そうでなくてもアンが勝手に淹れたりもするだろう。ジョルジュには大市で美味しそうなお菓子があれば買っていきたい。うん、楽しみだ。

 

「それじゃあ、さっそく始めようか?」

「はい、では行ってきます!」

 

レクチャーが終わったのかそんなやりとりが聞こえてきたので三人で見やると、アンとジョルジュが離れリィンくんがバイクを始動させ、鉄の体に預けた姿は排気音とともに街道の向こうへ消えていく。

 

「フフ、どうやら無事に発進できたようだ」

「なかなか綺麗に走っていったねぇ」

「さて、帰って来たらどんな顔をしてやがるかな」

「リィン君ならきっと気に入ってくれると思うけどね」

「えへへ、だといいね」

 

全員でそんな好き勝手なことを言いながら街道脇でシートを広げてのんびり待つことにした。席はトワ・アン・ジョルジュ・クロウ・私といういつもの形で円座だ。

 

「で、アンから見てリィンくんはどう?」

「うん、見込みのある少年じゃないかな。飲み込みも早いし、何より素直だ。まあ、あのスムーズな発進を見ればセリも分かったろうが」

「あは、まあね。でもアンの口から聞くのも大事だし」

 

買ってきていたドーナツをみんなで頬張りつつ、キルシェのアイスティーで口の中を潤して。贅沢な休みの日だなぁ、なんて心が緩んでくのがわかる。

 

「まぁ聞くところによるとVII組の実習レポートは分かりやすいみたいだしな、今回のバイクレポも期待していいだろ」

「ARCUSのレポートは僕も読ませてもらってるけど、なかなか興味深いよ。たまにリンク断裂の事故も起きてるみたいで」

「それ昔のアンちゃんやクロウ君を思い出しちゃうねえ」

 

トワの言葉に二人が若干バツの悪い顔をするので思わず三人で笑ってしまう。まぁでも人数が多いゆえにそういう話はこれからも出てくる可能性がある。そういう時に、断裂自体が悪いことではないのだという話はして行けたらいいなと思う。

まぁ、マキアスくんとユーシスくんの話は一応、リンクに関しては一旦の収束を見せたらしいけれど。本人たちの自認の仲がどうであれ、大きな前進だ。

 

「懐かしいねえ。……ま、そろそろ昔を懐かしんでばかりもいられないけれど」

 

私の言葉に、確かに、という形の頷きが返ってくる。そう、進路の話が出てくる時期だ。

 

「セリちゃんは帝国時報からお誘いがかかってるんだっけ?」

「マジかよ。早くねえか」

「耳聡いなぁ。トワは」

 

おそらく去年の一件で目をつけてくれていたのだろう方から、そういう話は確かに来ているけれどこの時期に二つ返事でというわけにもいかないので保留にしてもらっているところだ。先方からもいろんな道を知って、精査して、その上で選んで欲しいとも言われている。

 

「と言っても専任記者としてじゃなく、荒事用心棒で記事書いたりカメラ扱えるならラッキーって感じの話だよ。どうも一人行動するきらいのある方がいらっしゃるみたいでね」

「ああ、それでセリに」

 

得心した風にジョルジュが頷くので、話題の先をそちらに向けてみる。

 

「ジョルジュは卒業したら今度こそ工科大学の方に?」

「まあそうだね。一応はそのつもりだよ」

「フフ、これ以上ジョルジュが大学入りを遅らせたらいろいろ困る場所も出てくるだろう」

 

昔馴染みであるアンがそう言うのなら、まぁそうなんだろう。ただでさえ大学入りを遅らせて学院に入っているというのも何があったんだかと言う話だろうので、もっと大きな設備で開発出来る環境の方がジョルジュの手腕を活かせるのではないかと正直常思っていたことではある。

 

「アンちゃんは?」

「私は……そうだな、愛機と共に大陸を巡るのもいいかもしれないとね」

「豪快な話だなおい」

「アンらしいけどね」

 

私も帝国を巡りたいとは考えているけれど、アンは既にそれを学院に入る前にあらかたやり終えたようで人生のスピードと規模が違いすぎると感じたこともある。それでも私は私なりの速度と方法でやっていくしかないのだ。

いろんな土地を見て回るのは大事だよね、とアンの旅に同意しているトワを見て、そういえばとこの間小耳に挟んだ話を思い出す。

 

「この面子しかいないから言うけど、トワの方はどうなってるの?」

「えっ」

「各種公的機関から打診頂いてるって」

「……セリちゃんその話どこから?」

「内緒」

 

ミヒュトさんから振られた話なので隠すようなことでもないのだけれど、あのトワを出し抜けた表情が見れたのでそんな風に秘してしまった。まぁ私も言っていないことを把握されていたのでお互い様ということで。

 

「うーん、まぁセリちゃんの話は置いとくとしても、私も迷ってるんだよねえ」

「そうだろうねえ」

 

ミヒュトさんから聞かされた後にそのまま会話に乗って引き出したところによると、政府筋の中でもトワの進路について牽制が始まっているらしく正直ちょっと乾いた笑いが出たぐらいだ。羨ましいとかではなく、なんだろう、それだけ偉くなっても人材の取り合いって発生するんだなぁという意味で。

 

「まぁトワはいずれ自分で答えを出すだろうが、クロウはどうなんだ?」

 

ここまでで茶々を入れながらも自分の話をしなかったクロウにアンが水を向けると、ドーナツを咀嚼しながら苦い顔をする。

 

「どうせどっからも打診なんか来てねえよ」

 

不貞腐れたようにそういう姿がかわいらしくて、思わず顔が綻んでしまいそうになるけれどそこはグッと堪えた。さすがに進路について話している時に笑うのは人として無い。

 

「いやそもそも、私が言うのも何だけど普通進路って打診されるものではないんじゃない?」

 

それこそ正規軍や領邦軍に志願したり、大学に進んだり、就職活動をしたり、そういうのを経て自分の進路を決めるのが大半だと思う。けれどもARCUS試験運用面子は元々その能力と適性を買われて参加しているので、半数がこうなっているというのも致し方ないというか。

そしてクロウの場合、勉強すれば点が取れるんだから別に頭が悪いわけではないけれど、そもそも授業サボりがちで教官陣の心象が良く無いと言うのがネック部分だと思う。

 

「本当にお前が言うこっちゃねえんだよな」

「ま、私も本格的に進路を決めているわけでは無いから、そういう意味ではクロウと同じか」

「卒業までには決まってんだろうよ、……多分な」

「もう、クロウ君にはセリちゃんがいるんだし、ちゃんと考えなよ?」

「わあってるっつうの」

 

たぶん反射的な応酬なのはわかっているのだけれど、それでも、クロウの未来に自分がいるのだなぁ、なんてちょっと嬉しくなって頬が熱くなる。

学生の間だけの関係では、無いと思っていいんだろうか。いやもちろん卒業とかで別れるつもりは毛頭無いけれど、自分の感情が重いんじゃなかろうかとはわりと自問自答しているので、うん。

 

「お、セリが赤くなっている」

「アンはどうしてそういうのを目敏く見つけて指摘するかなぁ!」

 

円座の正面にいるから見えやすいと言うのはあるだろうから、たぶんその隣にいるジョルジュにも見えていただろうけれどそれを指摘すると言うのが全くもってアンゼリカ・ログナーだ。

そして思わず声を荒げてしまったけど、それをしたところで顔の熱が引いてくれるわけではなく、隣でクロウがその理由に気がついてしまっただろうし、もうなんだこれ。

 

「いやすまない、セリがあんまりにもかわいい表情をしていたから」

「おう、見せもんじゃねーぞ見るな見るな」

 

言いながらクロウがアンの視界を塞ごうとしたところで、私は手で顔を扇ぎながら遠くから聞こえてくるバイク音に意識を取られていった。なんか似たようなことが前にもあった気がする。

 

 

 

 

バイクの音が近くなってきたところで各々立ち上がり、シートなどを片していく。ちょうどいいところでリィンくんの操るバイクは街道に止まり、上がった顔は至極楽しそうなものだった。うん、見えている限りハンドリングも丁寧だったし、停止線もおそらく意識したところで止まれているんだろう。そういう手応えを感じる。

 

「どうもお疲れ様、リィン君」

「それで、実際に乗ってみた感想はどうだった?」

「ええ、なんというか……こんな乗り物があるんですね。力強い加速にエンジンの振動、そして全身に受ける風──乗馬ともまた違う、まさに未知の体験でした」

 

興奮冷めやらぬといった風情で笑う彼にアンが見込みがあると言い、その姿に私たちも相好を崩した。本当にいい人に試乗してもらえたのだなと。

 

「やれやれ、まるでガキみたいな顔してやがる」

「いいじゃん、楽しそうに乗ってくれるなら何よりだよ」

「はは、確かに。しかし報告を聞く限り──どうやらほぼ完璧に乗りこなしてくれたみたいだね。まさかあのじゃじゃ馬をそこまで操ってくれるとは思わなかったよ」

「ああ、それも初心者なだけになおさら。何だか、良きライバルが出来たようで嬉しいよ」

 

腰に手を当てたアンが本当に嬉しそうな声を出すものだから、おお、とひっそり感心する。

クロウはある種『こちら側』だからかアンのそういう相手には入ることはなかったんだろうけれど、リィンくんがそういうポジションに入るというのは彼の操縦の賜物だ。すごい。

 

そうして詳しいことは技術棟の方に戻ってからにしよう、というジョルジュの促しにより取り敢えず元々の依頼関係者の三人以外はここで解散することになった。

 

「ふふ、アンちゃんもジョルジュ君も、すごく楽しそうだね」

「確かにな」

「ああいう姿はこっちも嬉しくなるかな。リィンくんが引き受けてくれて良かったよ」

 

そんな風にゆっくり歩いて、トワは学院へ、クロウは街中に、私は寮へと。

……そういえば来週着る服はどうしよう。ちょっとだけ小物を見に帝都に行ってみようかな。



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10 - 06/21 かわいい後輩

「あ、セリちゃん。おかえり」

「ただいま」

 

帝都でいい感じのタイツを見つけて帰ったところで、寮一階の談話スペースに寛いでいるトワの姿が見えた。今日は早めに上がれたらしい。普段からこういう時間帯に寮で姿を見たいものだけれど、気質的に無理なんだろうなぁ。やっぱり私が補佐仕事を巻き取ってよかった。巻き取ることになったのが事故のようなものではあったとしても。

 

「そうそう、マキアス君がセリちゃん探して生徒会室に訪ねて来てくれたんだけど、連絡いってないよね?」

「マキアスくんが? 連絡先交換してないし、何も来てないねえ」

 

わざわざ生徒会室に来るだなんて何か用事でもあるのだろうか。そうだと知っていれば訪ねやすいだろう寮で勉強を続けていたのだけれど、まぁ今更考えても詮なきことだ。というかあれか、青い腕章をつけて案内していたから生徒会役員だと思われたのか。

 

「教えてくれてありがとう。私の方からもコンタクト取るようにするよ」

「うん、よろしくね」

 

 

 

 

1204/06/21(月)

 

授業が終わり、VII組の方へ向かおうかと荷物を纏めている時に、ふと最近見かける視線のことを思い出してしまった。緊急性でいえば、申し訳ないけれどマキアスくんの用事がわからない以上そちらを優先するべきかとため息をついてII組の方へ向かう。

けれど窓から覗いてもフィデリオの姿はなく、もしかして今日は休みだったろうか。となるとさすがに病人にするべき話ではないよなぁ、と一人考え込み決めあぐねてしまう。

 

「どうかしたかね、ローランド君」

「あ、ランベルトさん」

 

たまに馬繋がりで話すことがあった貴族生徒の方が私に気がついてくれたらしい。これはありがたいとフィデリオが今日いたか尋ねると、朝から最後まできちんといたという話が聞けた。ふむ。

 

「そうですか。助かりました。部室の方に行ってみますね」

「うむ、今度馬術部にも来てくれたまえ。君なら歓迎しよう」

「はい、ありがとうございます」

 

取り敢えず、この時間帯を逃して第一寮に行く羽目になるよりは写真部の部室へ行き、マキアスくんの為に第三へ向かう方が精神的にいい。そう判断して学生会館の方へ足を向ける。

本校舎の正面入口を抜け、学生会館に入って階段へ向かったところでサロンへ行くのだろう複数の貴族生徒が見えた。さすがに無理やり追い越すわけにもいかず、早く上がってくれないかと死角になる位置で待機しつつ気配が踊り場を超えたあたりでまた駆け出した。

 

生徒会室へ繋がる廊下の左手の部室は扉が閉まっており、どうかな、と思いながらノックをしたら中から返答。がちゃりと開けたら人影はひとつだけ。

 

「やあ、どうかしたかい?」

「フィデリオだけ?」

 

部室内の気配は気取れている筈だけれど扉を後ろ手に閉めながら一応の確認をすると、そうだね、と苦笑されながら肯定が返ってきた。

 

「そっか……学院に報告する前に一応フィデリオに伝えるのがいいかなと思ったんだけど」

 

私がそう前置きしたところで、彼の表情が剣呑なものになる。あ、これは。

 

「もしかして盗撮のことかな」

「やっぱり把握してたんだ」

「噂の域を出てはいなかったけど、君からその話が出たことで確信に変わった感じかな」

 

要らないお節介だったかもと思ったところでそうフォローされたので、まぁ意味のない行動じゃなかったのだと思っておこう。

 

「今はまだ被害者らしき人たちからの苦情はないんだけど、写真を流通させてるって噂がね」

「うわ、最悪」

 

思わず私がそうこぼすと、そうなんだよ、とフィデリオが申し訳なさそうな顔をするので発言の選択をミスったと後悔した。フィデリオは責任感が強いからそういうことを言ってはいけなかったのに、私自身の嫌悪を丸出しにしてしまった。よくない。

 

「いや、フィデリオが悪いわけではない、でしょう」

「それでも先輩として指導が行き届いていないってことだよ」

「んー、17歳にもなってたらその程度の判別はつくと思うけど」

 

無断で他人の写真を撮ってはいけない、それを他者に渡してはもっといけない、というのは導力カメラを扱う上で最低限のマナーだろう。それを先人たちが徹底してくれたからこそ、今私たちがカメラを持って歩いていても犯罪者扱いされないのだ。写真部の後輩くんはそれを理解していない。

 

「ああ、そうだ。セリは被害にあっては……いないかな?」

「視線感じたら即離脱してる」

「ということは何度かトライされてるのか、ごめん」

「いいよ。フィデリオが悪いわけじゃないからその謝罪は受け取れない」

「あはは、いつも通りはっきりしてるなあ」

 

そう笑うフィデリオの顔には苦労が滲み出ていて、ああ結構参っているなと伝わってきた。だとしてもこの謝罪を受け取ってしまえば、それは彼の非を私が認めることになる。それだけは無理だった。だってたまたま先輩だったというだけで悪くはないし、彼がこの件に関して加害者側で関わっていないということだけは断言出来るから。

 

「一応聞くけど、そっちで何とかできる?」

「うん、するよ。僕の後輩のことだからね」

 

言いにきた手前なんだけれど、後輩だからといってそこまでしなくてもいい気がする。それでもまぁそう在るのが先輩だという定義の話だろうからあまり突っ込まないでおこう。

フィデリオにも準備だの情報収集だのの時間が必要だろうから、あと一ヶ月は待とうか。それでも決着がつかなければ私も動いてしまうかもしれないけれど。正直気になるので。

 

「わかった。応援してるよ」

「うん、訪ねてきてくれてありがとう」

 

お互い軽く労いあって一階に降りると、購買のジェイムズさんと話しているクロウがいた。

 

「お、この時間にいるの珍しいな」

「まぁいろいろあって」

「そいや今日の晩どうするよ?」

「あー、結構いろいろ走り回りそうだから帰寮時間わかんないや、ごめん」

「じゃあ各自でってことで」

「うん」

 

クロウと晩御飯は正直出来るだけ一緒にしたいけれど、それはそれとしてマキアスくんが探してくれていたという話は疎かにできない。厳しいことを言ってしまった私に何か言いたいことがあるなら、それこそそれを受け止めるのが先輩の役目だろうと。

 

駆け足にならない程度の速度で本校舎二階奥のVII組に到着したところで、さすがに人は残っていなかった。どっか部活に所属してるかもしれないし、図書館の自習スペースで勉強をしているかもしれないし、選択肢がありすぎる。生徒会室に行けばマキアスくんの所属部活などを調べることは可能ではあろうけれどそれは流石に越権行為だ。ならば。

 

 

 

 

「ようこそ、セリ様」

 

第三学生寮へ赴くと、紫紺の侍従服を身に纏った女性────つい先日管理人となったクルーガーさんが迎え入れてくれた。ご丁寧に名乗った記憶のない名前まで添えて。

 

「あの、マキアス・レーグニッツさんはお戻りでしょうか」

 

まぁ自分もVII組に縁がないわけではないので、会長派遣のメイドの方であれば関係者である以上把握されていてもおかしくはない……ないか?と自問しながら流すことにした。何だかあまり深く考えてはいけない気がする。

 

「マキアス様でしたら現在はまだ帰寮されておりませんね」

「そうですか……」

 

ここから戻って行き違いになっても嫌だけれど、知らない学生寮で待つというのも何だか気が進まないのでトリスタの中央公園かキルシェのテラス席で勉強でもしていようかと思案する。

ARCUSの通信番号を管理人の方経由で渡すというのは、方法としてアリだとしてもわざわざ探してくれているという観点から対面で話したいことのような気がするので却下だ。私からそれをしたら用事を終わらせるために連絡先を渡したことになってしまうので、そのまま本人の意にそぐわぬ形で話させることになるやもしれない。

 

「もしよろしければこちらでお待ちいただけますが、如何なさいますか?」

「ああ、いえ、それには及びません」

 

思考に無理なく差し込まれる声。それでもやっぱり『自分の場所』ではないところに目的達成時刻も不明なままずっといるというのは思考が鈍りそうなので、辞退させてもらう。

踵を返したところで学生寮の扉の前に人が来た気配がし、帰寮者か、と一歩退いたところで鮮烈に光を反射する女性が現れた。金の髪に赤い瞳。アリサ・ラインフォルトさん。ああ、でもVII組ではファミリーネームを隠していたのだっけか。呼び方には気をつけねばなるまい。そんな機会があればの話だけれど。

 

「あら、お客様?」

「いえ、用事があったのですが目的の方がいらっしゃらなかったので帰るところです」

「はい、それではまたお越しくださいませ、セリ様」

 

丁寧な見送りのお辞儀に自分も誠意をもって返したところで、通り過ぎようとしたアリサさんが瞬間反転、振り返ってくる。それにすわ何事かと自分も反応してしまい、対峙したまま沈黙が落ちた。

 

「あ、あの」

「……はい」

「セリ・ローランドさんでいらっしゃる?」

「ええと、はい、そうです」

 

RF社のご令嬢に名前を知られていることなんてあるだろうか。ああでもARCUS試験をやっているという点ではそうかもしれないけれど、会長の子供であることと研究内容に携われるかどうかはまた別の話な気もするわけで。

そんなことに思考を巡らせていたらがつりと手を取られ距離を詰められる。ぬかった!と反射的に振り解こうとしたところで、光を通した紅耀石のような瞳が真っ直ぐと私を捉えているのが見えて少し心がふやけてしまう。

 

「あの、私、アリサ・ラインフォルトと申しますが先輩のARCUSの適性に関するレポートを読んで一度お話ししてみたいって思っていてお時間これからいかがですか!」

 

私を掴む手のひらから伝わってくる熱を帯びた興奮が、その言葉が嘘ではないことを裏付けてくる。……まあ、勉強をして時間を潰すにしても時刻不明なまま知らない場所で一人時間を過ごすのが憚られただけで、目的があるなら滞在もいいかと頷いた。

どうやら自分は後輩の光には逆らえない性質らしい。

 

 

 

 

そうして話す前に確認したところによると、アリサさんはもうファミリーネームを隠してはおらず、ロビーの談話スペースでARCUSの研究について話すことは特に問題がないようだった。よかった、これで初対面の方の部屋に招かれでもしたらどう接するのがいいのかわからなかったところだ。

そうしてARCUS適性者の妙な共通点について、どういう形で思考を詰めていったのか事細かに説明を終えたところで、は、とアリサさんが軽く息を吐いた。

 

「では最初は本当に些細な疑問から始められたんですね」

「そうですね。ARCUSの適性がある、と言われても正直ピンと来ていなかったというか、チームの面子を見ていてもあまり共通点があるようには見えなかったので」

 

クルーガーさんが淹れてくれた美味しい珈琲と、自家製のこれまた美味しいクッキーを頂きながらアリサさんとARCUSの話を交わしていく。アリサさんには紅茶が出されているので、どちらにも対応出来るように元々準備されているのだろう。珈琲の味ひとつとっても奇妙なほどにそつのない方だ。

 

「ARCUSの適性者を広げる取り組みは正直難航していましたが、先輩のレポートのおかげで内部の試験者数を増やすことにも成功して、本当に助かりました」

「ああ、いえ、自分が好きでやったことですから」

 

たまたまそれが研究の役に立っただけ、というのが私の見解ではある。のだけれど、ヨハン主任から頂いた手紙でもどんな風に研究が進めることが出来たのか書かれていて、完全な部外者というわけではないけれどいいのかなぁ、なんて笑ってしまった。

一介の学生のレポートをしっかりと読んでくれ、その功績を横取りせず、研究に反映させてくれる管理者の方が素晴らしいのだと思うけれど。

 

「それでも、そういう疑問を逃さず考えた方がいてくれたからこそ、私たちは日々進んで行けるんです」

 

アリサさんの真っ直ぐな言葉は、そういう研究者の方たちの考えを素地としているのだろうな、とじんわり感じられるもので、何だか勝手に心があたたかくなってしまった。

もし彼女が管理責任の立場になったなら、きっと仕事もしやすいだろう、なんて。

 

そう談笑していたところで、寮に近づく気配を察知する。これは。

 

「────」

「先輩?」

 

帰寮者を告げる扉の音とともに現れたのはやはりマキアスくんで、私を認識するなり驚いた表情が見てとれた。一瞬呆けた表情をした彼だったけれど、ぐっと何か覚悟を飲み込んだようにアリサさんと共にいる私の前へ。

立ち上がろうとしたら、そのままで、という手での制止をもらったのでその気遣いは飲むことにした。彼もいっぱいいっぱいなんだろう。

 

「こんにちは、マキアスくん。トワから探してくれていたって話を聞きました」

「ご足労おかけしました、先輩」

「え、え、どうしたの?」

 

私たちの間に何があったのか、四月のケルディック班であるアリサさんは直接には知らない話だ。レポートにも書かれていることではないし、雑談だとしても進んで話したいことではなかろう。

 

「……その、提出したレポートなどで察されているかもしれませんが」

「はい」

「相手を自分の知る"貴族"という枠に当て嵌め続け、それを諌めようとして下さった先輩に対しても失礼な態度を取ったことかと思います」

 

まぁ実際のところ確執のある二人がいる班だというのは理解して引き受けたので気にしてはいないのだけれど、私の認識がそうであることとマキアスくんが気にすることはまた別だというのもわかっている。

 

「先々月の実習の際、あえての厳しい言葉をありがとうございました」

「どういたしまして、でいいかな」

「助かります」

 

緊張していた表情が解け、向かいのアリサさんが席を詰めたところ少し迷ったマキアスくんへ手で促すと、会釈と共に座られた。

 

「いきなりびっくりしたわよ」

「ああ、すまない。先輩に会えたことで頭がいっぱいになってしまって」

「アリサさんごめんね。四月のパルム実習の際、最初の付き添いをしたのが私だったんだ」

 

その説明である程度のことは把握してくれたのか、なるほど、と頷きが。

 

「あ、もしかしてガイウスたちが言っていた教官補佐って先輩のことだったんですか?」

「そうそう。サラ教官が忙しそうだったから引き受けた形でね」

「忙しそう……まあそうなのかもしれませんが」

 

普段あんまりそういうあくせくした姿を見せない教官のせいか、マキアスくんが少し難色を示すのがわかりやすくて笑ってしまう。

 

「サラ教官はいわゆる模範的な方ではないかもしれないけれど、学べることは多いと思うよ」

 

なんなら実技訓練などで教官と戦える機会が通常のクラスより多いというのは、私にとって羨ましいぐらいで。一緒に戦うだけでもとても勉強させてもらえたけれど、やっぱり真正面から叩き伏せてやるという感情がぶつけられるのは脳によく響く。

 

「皆様、ご夕食の準備が整いました」

 

クルーガーさんの声が入ってきたところで、確かに食堂らしき部屋からいい香りが漂ってきている。もうそんな時間だったか、とポーチから懐中時計を引き出してみれば18時半。アリサさんとの会話が楽しくてかなりの時間を過ごしてしまったようだ。

もし可能だったら今度は敵性霊体への戦術リンクハックへの対処をプログラムでどのように対処出来るものなのか聞いてみたいけれど、とりあえずもうお暇するべき時間になっている。

 

「では私はこの辺りで」

「あっ、先輩」

 

立ち上がったところでアリサさんの慌てる声。振り返るとソファに座ったまま下がり眉で見上げられていた。

 

「その、もう少しお話ししたいので、よければ夕食まで一緒にどうですか?」

 

食堂からは美味しそうな香りがしていて先ほどのもてなしからも味は期待出来てしまうわけで、でもそれ以上に、それ以上に。

……後輩ってなんでこんなに可愛いんだろう。



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11 - 06/27 ハイキング

1204/06/27(日) 昼過ぎ

 

授業が終わって寮一階の談話スペースで待ち合わせだってことで、とっくに準備を終わらせたオレは壁際のソファに座って寛ぎながら思考を回す。

 

ノルド高原だのブリオニア島だのへ行く後輩どもを昨日見送って、今日が来た。まさかあいつらの実習がノルド方面だとは正直誤算だった。共和国と帝国の領有権主張地である高原でコトを起こす予定がまさに明日に迫っているわけで。

国家間の話に一介の学生に何が出来るとも思えねえというのと同時に、ケルディックで領邦軍が裏で手を引いていると悟った中心人物が高原チームに入ってるって懸念事項があるのも事実だ。計画は既に進んで、止まる箇所はとうに過ぎている。最後の狼煙になるルーレの軍需工場への機械魔獣の混入も済ませたばっかりだ。

 

個人的にはVII組どもが死のうが生きようがどうでもいいっちゃいいが、あいつらが心を痛めるだろうことは想像に容易い。だからまあ、そのためにも面倒なことに首突っ込まず、言われるままに帰ってこいとよとは考えちまった。

そんなん、計画のためにセリを殺す覚悟を何度もした俺が考えるこっちゃないんだろうが。

 

「ごめん、待たせたかな」

 

そんな思考の中へ階段を降りてくる音とともに降ってきた声に振り向きつつ仰ぎ見ると、デニムのジャケットにショーパンで黒タイツにブーツだ。首元は手に持ってるウォーマーで保護するんだろうとはいえ、お前それバイク乗るってわかってんのか?っていうのと同時に、なんというか、すげえ、いや、端的に『ダメだな』って感情が湧いて出てきた。

 

「クロウ?」

 

固まってるオレを訝しみながら階段から回ってセリが顔を覗いてくる。

 

「……二、三ほど言いたいことがあるんだけどよ」

「ああ、タイツならこの間帝都で買ってきた防刃耐風、山肌で転げ落ちても大丈夫っていう実用品だから大丈夫だと思うよ。卒業したら制服着るわけにもいかないし今のうちにね」

 

ああそういう用具品の店で買ってきたんだなそうかそりゃ試してみたいよなとそこは頷いておくことにする。でもなぁ、それ以上にオレの感情がダメだ。

前に立つセリの顔から視線を外して、目の前にあるタイツに包まれた引き締まった脚を見やるとやっぱりなんというか、エロいんだよな。正直これで外を歩くってなるともう誰にも見せたくねえ気持ちになっちまって、思考がぐるぐるし始める。

 

「あー……しぬほどカッコ悪いこと言っていいか?」

「えっ、今更格好つけたいとかあるの? 別にいいけど」

 

わりと脇腹を刺してくる発言はこの際無視するとして、ちょいちょい、と指先で顔よこせとジェスチャーすると素直に腰が折られて耳が近付いてきた。

 

「……タイツエロいから着替えらんねえか?」

「は?」

 

怪訝そうな顔と声を隠さねえそいつが体勢を戻したところで、するりと太腿を撫でればぺちんと手を叩かれる。まぁこいつの気質を考えれば共有スペースで"そういう"触り方は叩かれるってのはわかってた話だ。そんでも意識させることくらいは出来たろう。

 

「……素肌もほとんど出てないし、わりと健康的な格好だと思うのだけれど」

「そりゃお前視点だからだろ」

 

オトコの視点で言えば、決定的に印象が異なる。

活動的な短い裾のジャケットの広がるシルエットから落ちる細い腰、股下数リジュのショーパンから見える細くもしっかりとした体幹を見せつける脚は健康的だからこそエロい。織り方のせいか外側のラインも膝辺りのラインもよく見えるっていうのが目に毒すぎる。

去年からわかってた話だが、オレはどうにも自分の好きなもんを抱え込むタチなようで、本当に誰に見せるわけもなく一人で楽しみたいと思っちまった。部屋で履いてくれんなら歓迎なんだけどな。

 

「んー、……昼食奢ってよね」

「そんくらい任せとけ」

 

納得のいっていない顔をしつつもここで争う気はないようでセリは踵を返して上階へ。再度ソファに背中を預けてまたぞろ作戦について考える。

 

今回も《G》が現地に行って雇った猟兵崩れを指揮してる筈だが、VII組の実習があまりにも不確定要素すぎる。国家間の問題に発展させたい身としては、それが帝国内勢力によるものだっていうのに気付かれちゃならねえ。

普通の学生なら首を突っ込むなと言われりゃそうするしかねえわけだが、いかんせんオレたちの直接の後輩に当たる特科クラスだ。己の頭で考え行動する。そうやって去年を過ごしてきた身としては、VII組の存在を楽観するわけにもいかない。

そう考えると、来月のことだって計画の練り直しが必要になりそうな気もしてくる。別ルートから入ってきた情報だが、帝都夏至祭の警備に遊撃隊としてVII組全員が参加させられるらしい。HMPだのTMPだのの相手はするつもりだったが、軍組織としてじゃない観点と行動力を持つ団体に対しての対応も必要になってくるか。……魔笛を持ってるとはいえ一人だけに任せるにはちっと荷が重いかね。

 

七月に名乗りを上げ、八月は通商会議を襲撃し、そこで鉄血の野郎を殺せたら万々歳だがそう上手く行く気もしてねえ。そうなったら九月のどっかで組織が壊滅したと見せかけて舞台から俺たちの存在を一回消しておく必要も出てくる。シチュエーションを整えるって意味じゃあ、九月のルーレ実習は"こっち"に通じてるわけでかなり楽になるだろう。

おあつらえ向きに正規軍と領邦軍が仲違いしてる土地でもあるしな。どこにアピールするにしても面倒がなさそうだ。そういう意味で授業の欠席その他を計算してVII組編入の布石を打っておいたのは正解だったか。

まぁ期間限定のつもりとはいえ一年に編入するとなったら詰られんだろうが。しゃあなし。

 

「着替えたよ」

「おう、あんがとな」

 

階段から降りてきたセリは上半身はそのままに、下半身は革パンでバランス的にもいい感じだ。つーかやっぱ戦闘スタイル的に体型がいいから細身のファッションが似合うんだよなこいつ。あとは貴族どもが着るようなドレスも似合いそうなもんだが。ま、着たがるわけもねえか。

武器は片手剣を置いてダガーと投げナイフだけっぽいが、大森林の一角とはいえ公園として管理されてる場所だからその程度の装備でいいだろ。載せるにしても危ねえしな。

 

「バイクで一時間半ぐらいだから、昼はキルシェで食べていくんだよね」

「その方がいいだろ。腹減ったまま運転とか危なすぎるしよ」

 

だねえ、と二人で寮を出て学院から帰る時に持ってきたバイクを転がしながら店へと向かう。

 

「あ、セリさん! 今日はお出かけですか?」

 

道中で日曜教室のガキンチョどもが集まってるところを通りかかったせいで、セリに懐いてるブランドン商店の一人娘が駆け寄ってくる。

 

「うん。ティゼルはこれから勉強かな、がんばってね」

「セリさんみたいに賢くなりたいです」

 

頭を撫でられてご満悦な顔を見て嬉しそうにしちまってまあ。俺も人のことは言えねえけど。

 

「おーい、さっさと行かねえと回る時間なくなんぞ」

「そうだね。じゃあまた今度」

「はい、いってらっしゃい」

 

そう笑い合う姿は姉妹のようで、ああそういうぬるま湯みてえな平和の中にいるのが似合ってるんだろうな、なんて考えちまった。やっぱテロリストの傍にいる人間じゃねえんだ。

 

 

 

 

昼も食い終わって東の街道へ出たところでバイクに跨ると、セリが後ろに乗ってくる。ぎゅっと身体に隙間が出来ねえように密着されるのは、なんつーかいいなって思っちまう。衣服越しだから生々しくはねえけど、胸も腹も回される腕もオレとなんもかんも違う。

本人は不服かもしんねえが、そういう小ささが可愛さの一つだと感じるわけで。それを発言したら185もある男に比べたら誰だって小さいと脇腹どつかれるだろうけどよ。

 

「じゃ、行くぞ」

 

ぽん、と腹にまわってる手を軽く叩いてからハンドルとレバーに指をかけ、アクセルを回した。

 

 

 

 

流れていく景色、通り過ぎる導力車、帝都へ行く道すがらよりはよっぽど暢気な状況でのんびりとバイクを走らせていく。並走も悪かねえだろうが、やっぱ男としてはこうやって後ろに乗っけて走んのがテンション上がんじゃねえかと。その点で言えばゼリカとは気が合いそうだ。

あいつもトワを後ろに乗せたがりだからな。生徒会の仕事の合間に息抜きと称して連れ出してるのを何回か見たことあるし。

 

風を切る感触を楽しみながら暫く走らせてると、徐々に麦畑と製粉用の風車がちらほらと見える地域に入ってきた。ってなるとケルディックはもう直ぐなはずで、町に入る手前のところで北に抜ければルナリア自然公園だ。

 

分かれ道を選択しつつ何回か分岐したところでアーチ状の門が見えてきた。先々月辺りにセリと会った見覚えのある場所だが、今日は門が開いているのが見える。

 

「────っし、ここだな」

 

バイクを降りてウォーマーだのなんだの、バイク乗るための防寒具を外してバイクのストレージに畳み込んで仕舞い鍵をかける。

 

「今更だけどバイク置いて行って大丈夫かな」

「あー、まあ平気だろ。フツーにゃ価値がわかんねえよ」

 

とは言っても心配そうにするから、一応門から離して魔獣避けの香りを吹きかけつつ置き直す。森へ入る前に互いに装備を確認して、ARCUSのリンク接続も。いやここまでしねえと危ない公園は怖すぎるけどよ、前は管理人を放逐したせいで荒れ果ててたかんな。

 

「じゃあ行こうか」

「はいよ」

 

踏み入った場所は前より陽光の降り注ぎ方だなんだのいろいろ変わってて、ああやっぱ植物が伸びる時期に人の手が入ってるとこんなに違うもんなんだなと実感した。

ハイキングコースとはいえ大木の根だのなんだのが露出してて足元に注意しねえと危ないが、まぁオレよりセリの方が当たり前のように慣れているから足元に淀みはまるでない。人の気配も殆どねえから、これならタイツでもよかったかと背中から尻辺りを眺めながら思案しちまった。いやいや、この後ケルディックに行くかもしれねえしな。

 

「結構至るところに精霊信仰の碑があるね」

 

ちらほらと高い位置にある石碑を指差してセリが一瞬立ち止まる。

 

「そうだな。お前の実家の方の森じゃあんま見かけなかったか」

「かなり精霊信仰が強い土地ではあるんだけど、北の大森林は魔女の方々の聖域……みたいなものだからかな」

「へぇ、そいやンなこと言ってたか」

 

魔女。エリンの里に住まう隠者が擁する、戦術オーブメントの補助もなしに"魔術"を扱える人間の総称だ。それを受け継げるのは女だけで、大層人間の少ない隠れ里らしい。

 

「私たちは森から生まれ森に還るとされていて、他と一番違うと言えば遺体を焼くことかな」

「……遺体を焼く?」

 

森の中を歩くそいつは息がしやすいのか、普段より饒舌だ。

 

「焼かれた遺体は灰となり、それをすり鉢に入れて更に粉々にして、森に撒く。そういう弔い方が主流なんだけど……ふふ、聞いたことないって顔してるよ」

「だって大体は棺ん中入れてそのまま埋葬だろ」

 

歴史から鑑みれば併合がつい最近のジュライだって土葬文化だ。祖父さんの遺体を海が見える霊園に埋めたのは俺だから間違いない。

 

「そう、帝国に飲み込まれた後もその風習は廃れなかった。灰は森を豊かにするからね」

 

だからいつか私も森に還るんだ、とセリは笑う。自分の故郷を、亡くなった後の自分が栄えさせることの誉れを胸に抱いて生きている。嗚呼、"俺"のいっとう好きな表情だ。そしてそういう終わりもいい気がしちまった。俺が死んで、灰になって、海に撒いてくれたら、なんて。

そんな穏やかな結末があるわけもねえのに。

 

「いつかはティルフィルに戻るのか」

「うん。叔母さん叔父さんにたくさんお世話になったから、きっと」

 

孝行したい時に親はなし、なんてよく言ったもので、したいもんなら早めにするのがいい。後悔しないためにも。俺だってもっと祖父さんと一緒にいたかった。祖父さんの下で勉強して、外を見て、それで、最終的にジュライのために走り回るのもいいなって、そう。

 

んなことを頭に上らせたところで、ぎゅっと裾が控えめに掴まれた。振り向けばセリは俯いて、表情がうまく見えねえ状態で首を傾げる。数瞬の沈黙を経て、あの、と小さな声。

 

「その時に、もしクロウが隣にいてくれたらって思うけど、難しかったらちゃんと言ってね」

 

あの平和な街で、セリと一緒になって、子供なんかこさえて、そうして、ゆっくりと歳を取っていく。そんな未来がもしかしたら、今持っているもんを全部投げ捨てたら、一縷の未来としてあるのかもしれねえ。だとするなら、置いていくしかない選択肢だ。

 

────動乱に巻き込まれる運命の保持者。

 

ヴィータの言葉が脳裏によぎる。

そう、騎神の起動者は必ず、その身を戦場に預けることになるらしい。その時にこいつを連れていくつもりは微塵もない。それでも、追いかけてきてくれるなら対峙しようとはとっくの昔に決めた。

 

「ああ、そだな。そん時は、話し合うとしようや」

「うん、ありがとう」

 

辺りに魔獣どころか人の気配もないからか、ぎゅっとセリが真正面から抱きついてくる。本当に俺にこいつを抱きしめる権利があるのか、なんて自問しながら、それでも許されるだろう今この時だけはこの温度を手放したくないと思っちまって、細い肩を抱き締めた。

 

 

 

 

「この後どうする? 大市行ったりしたいなって思うんだけど」

「ああ、いいんじゃねえか。土産とか買いたいだろ」

「うんっ」

 

公園の最奥でいい感じに座れそうな大木の根の上で暫くまったり森林浴をした後、そのままバイクのところに戻ってきて後のスケジュールについて詰めていく。わりとバイク乗れたらよかったかんな、今日は。それだけでオレの娯楽としては達成というか。

 

「……クロウは何かしたいことないの? 今日は付き合ってもらってばっかりだけど」

「んー?」

 

だもんで不安そうなセリの表情にすこしばかり悪戯心が湧いちまう。そりゃもうふつふつと。

ぐい、と腰を抱き寄せて耳元に口を寄せ、囁くように。

 

「帰ったら部屋でイチャつきたいってのもアリかよ」

 

つまりそういうお誘いなわけだが、相手にも過不足なく伝わったようでセリが真っ赤になる。何かしたいことがあるのか体を動かされるけど離してやらねえと抱き寄せる力を強くしたら、観念したように胸に頭が預けられた。

 

「……い、いよ」

 

髪の合間から覗く赤い耳を見ながらこぼれた言葉に頷いてオレは離れたわけだけど、暫くそこから動けなかったのは悪くなかったな。

 

 

 

 

「で、何で私は抱えられてベッドに座らせられているんでしょうか」

 

大市で土産も買ってバイクで帰ってブランドン商店で夕飯の材料買い込んで、そうして部屋に連れ込み、ソファはねえから靴を脱がせてベッドに抱え込んだところで現在だ。19時前。飯にしてもいいけどヤるなら直後より前がいいだろたぶん。

 

「だってよく考えてみろよ、オレたちここ一……いや二ヶ月全っ然イチャついてねえぞ」

 

五月は後輩どものことが気がかりだったようで気もそぞろだったし、六月は中間試験で勉強することはあれどそういう雰囲気になるのを絶対に阻止されてたからこうやって思う存分、人目も考えずに抱きしめられたのは本当に今日が久しぶりの久しぶりだ。

すると足の間に座っているセリは妙に居心地が悪そうに身じろぎする。

 

「あの、だから」

「ん?」

「……勃ってるの?」

 

身じろぎの原因だろうもんを指摘されたが、ジャケットも脱いでやらかい衣服の下にあるやらかい体を抱きしめてりゃ、そりゃ勃つだろ男なら。それが好いた女なら尚更そうなるわ。

 

「たまに自分でヌいたりもしたけどよ、妄想のお前より実物の方がいいだろが」

「えっ」

 

汗のにおいがする首元に鼻先を擦り寄せながら呟いたところで、腕の中が驚愕に跳ねる。

 

「えっ、ってなんだよ驚くところか?」

「いや、ええと」

 

言い難そうに口籠るのを、肩に顎を乗せながら待つ。そんなに驚くこっちゃねえと思うけど。それとも健全な男子であるオレがオナニーしてねえと思ってたか?いやそもそもそういう行為を知らねえとかあったりすんのか。それなら仕方ねえ気も。

 

「……私ってクロウのそういう対象なの?」

「はあ?」

 

そう自分に自分で納得出来んこともない理屈を捏ねたところで爆弾発言が落とされた。いや、オンナ相手ならのべつ幕なしでそうなるわけじゃねえが!?

 

「だ、だってクロウって前は大きな胸の女性の水着ポスターとか部屋に貼ってたしクラスの人とそういう本で盛り上がってたりを見かけたことあるから、ひ、ひとりでする時もそういうの使って、る、んだ、と」

 

言い募るセリの尻に股間のモンを押し付けると、だんだん言葉が尻すぼみになっていくのが正直面白いと思っちまった。あー、かわいい。かわいいけど今日は許してやらねえ。

 

「ヌけもしねえ女にこんなことになる男だって思ってたんかよ」

「それとこれは別じゃん! セックスはできるけど自慰には向かないとかもあるでしょう! 知らないけど!」

「じゃあ新しいオカズ提供してくれよな、っと」

 

抱えたセリの右腕を、左手で掴んでぐるりとベッドへ寝転がし、驚いた顔が事態を把握して整っちまう前にその唇へ噛み付くようにキスをする。べたりと体重をそれなりにかけて押さえ込んだ身体が舌を絡めるたびに小気味良く跳ねた。あまい。

 

 

 

 

「……なんか納得がいかない」

「納得いかねえことあるか?」

 

存分に堪能させてもらって、一応お互いパンツだけ履いた状態で布団に潜り込んだままセリが呟いた。背中から抱きしめてるもんだから表情は見えねえけど、まぁちっと渋面作ってんだろうってのは分かる。

 

「いや、なんか、ずっと喘がされているし手慣れているような気配が」

「って言ってもお前ずっと声抑えてるじゃねえか」

「だって寮だから……聞かれたら嫌だし」

 

聴きながら、ちゅ、とうなじだの肩だの追加で吸い付くと新しく赤い痕がついた。今日は後ろからヤったせいでだいぶ見た目としては痛々しい背中になってるわけだが、……まあいいか。

 

「つーか、お前が分かりやすいっていうか反応いいからオレのせいじゃねーんだわ」

 

短い嬌声だの跳ねる体だの掴んでくる手だので、もう大体イイところが分かっちまうというか。だから決してオレが慣れてるわけじゃなく、オレのセックスがお前ナイズされてるっていう方が正しいんだろう。

 

「そう、なのかな……」

「そうそう」

 

かぷりとうなじを甘噛みしたところで、あっ、とセリが起き上がって体を捻りながら自分の背中を見ようとする。もしかしてバレたか。

 

「す、水練の授業始まるのに痕つけた!?」

「………………すげえつけました」

 

めちゃくちゃ睨まれたから思わず丁寧に肯定する。そう、水練が七月から始まることはわかりつつもどうしても痕をつけたくて無視をしたんだが、どうやらそのことに思い至っちまったらしい。

正直言わしてもらうなら学院指定の水着の背中は別に開いてねえんだからいいと思う。何なら全身覆うタイプの水着だっていいくらいで。まぁそんなデザインつまんねえから今のでいいんだけどよ。いや別クラスだしそっちの方がいいか?

 

「う~~~、水練終わるまで痕つけるの禁止!」

 

ぽこぽこ軽い拳で叩かれながらそんな言葉が飛び出してきて、水練なかったらつけ放題なんかとか、ヤるのはいいんだなとか、オレは揺れる胸を見ながらそんなことを考えていた。




(実際のところキスマークは軽い痣なので回復魔法でたぶん簡単に消せる。)
(※消すとは言っていない。)


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12 - 07/08 サイドカーの依頼

1204/07/08(木)

 

しとしとしとしと。気温は夏になったけれどまた雨が降り、待ち人の存在と、サラ教官から渡されたレポートを早く読みたくて屋上を諦めて本校舎二階の談話スペースに腰を落ち着けた。

ブリオニア島の話は、言ってしまえばパルム実習であった問題と同系統の話だ。とは言っても人間関係の話を以前あった話だと丸めて矮小化するのはよろしくないので、単純な自分の中でのカテゴリの話に留めるべきものではあるけれど。

しかしそれ以上にノルド高原での一件は、よく生きて帰ってこられたと胸を撫で下ろすものが多発していて驚くしかない。国家間紛争、猟兵の暗躍、そして巨大魔獣。果ては帝国軍情報局ときたものだ。

 

……しかしこうして起きたことを切り分けていくと、確かにケルディック実習と似通うところが見えてきたような気がする。いくら自分のテリトリーに入ることを許さない性質の魔獣だからといって、こうも都合よく現れるものだろうか、と。

狒々型魔獣のグルノージャはルナリア自然公園の主と呼ばれ、公園管理者でさえも滅多に姿を見ないと聞いた。つまりこの間行った公園の最奥はテリトリー外ということだ。でなければハイキングコースになど出来やしない。

ノルドで現れた蜘蛛型魔獣ギノシャ・ザナクは、ガイウスくん曰く悪しき精霊として大昔に封印されていた魔獣なのだとか。魔獣の寿命は分からないのでその辺りはわからないけれど、蜘蛛という生き物の性質上、蜘蛛の巣にかかった獲物を回収するのではなく対峙時点で交戦的であったというのが気になる。やはりその場にいたギデオン──《G》と名乗った男の笛によるものだろうか。魔獣を操る笛。おそらく古代遺物に該当するもの。

 

ケルディックで狒々をVII組にけしかけたのがノルドの犯人と同じであるという証言が取れていることから、彼らは二度ほどその犯人の企みを潰したことになる。……いや、もしかしたら三度。

ケルディックはクロイツェン州に属し、アルバレア公爵家の領地内だ。五月の実習地を提供し、班分けに口を出してきた可能性のある貴族。領邦軍と猟兵崩れを使役した人物たちはまず間違いなく繋がっている。

となると実行犯がトールズ士官学院の人間を疎んじるのも無理からぬ話になってくる。今月末は夏至祭の警備。皇族のお膝元である帝都であるから様々な治安維持機関がそこに集結することになるので最悪なことにはならないと信じたいけれど、ちょっかいを出されないとも限らない。

 

帰ったらちょっと図式にして書き出してみようか。そうして可能なら教官に進言を。

 

「先輩、お疲れ様です」

 

レポートから顔を上げると、美術室から出てきたのだろうガイウスくんが鞄を肩にかけてそこにいた。下校時刻なのでさもありなんではある。……出てきた美術室の方から彫刻刀の音が止んでいないのもいつものことだ。

 

「お疲れさま、帰り?」

 

私はもう少し読んでいきたいので座ったままでいると、前よろしいですかと尋ねられ了承した。

 

「先月のレポートですか」

「そう。現地にいたわけじゃないから何ともだけど、分かることもありそうでね」

 

外にいるからこそ見えるというのものは、たぶんある。もちろん最初から彼らの脅威を排除しようと考えているわけじゃないけれど、それが命に関わるのであれば成長だの何だの言っている場合ではないことは明白だ。

 

「ああ、そういえば先輩のことを知っている方とお話ししましたよ」

「……一応確認しておくけれど、ノルドで?」

「はい」

 

会話の流れからそうだろうとは思ったけれど、本当にそうだとは思わなかった。国外の地で私を知っている人と会うようなことがあるだろうか。故郷のティルフィルはサザーラント州でノルドとは地理的に全くの反対だ。

 

「ノートンという方で」

「あ、帝国時報の」

「そうです。記者の方を護衛……というより送迎することになり、その際に『君たちの一つ上にローランドって子がいるだろう』と」

 

一年前の記事を再編集してくれた方で名前を覚えていたのだけれど、今となってはよくあの下手な文章からあの記事が出てきたものだと感心するばかりである。そして私がどういった活動であの記事を書くに至ったのか把握して、その繋がりでVII組と交流があると類推されたのだろう。そしてそれは当たっている。記者というのは怖いものだ。

 

「帝国時報に記事を提供されたことがあるんですね」

「……うん、その繋がりで気に入ってくださっててね」

 

頷きはしたけれど、提供というほど可愛げのあるものではなかった。

あの時、私は自分の意思でそれを決めたと信じていたけれど、理事……いや貴族から提示されたものに対し果たして否を唱えられたのだろうか。自分がどういった人間であるのか理解され、そうして求められる方向に誘導されたというのもあり得る。自分のことには冷静でいられないというのは未熟な証拠だ。

 

「ガイウス、お待たせ」

 

隣の音楽室からエリオットくんが出てきた。なるほど、彼を待っていたわけだ。

前に第三で晩御飯を頂いた際に顔を合わせているので、一応全員に顔を知られている状態になっているのでエリオットくんとお互い会釈する。万が一またVII組補佐としてついていくことがあれば、その時は今まで以上に隠密に気を配ろうと心に誓った。

 

「先輩もお疲れ様です」

「エリオットくんもね。来月に演奏会だっけ」

「はい、よければ先輩も来てくれると嬉しいです」

 

学院生による八月の演奏会はトリスタでは伝統的な行事のようで、去年は立て込んでいたせいか情報をキャッチ出来ていなかったので聴くことは出来なかった。折角誘ってくれたのだし、時間を作って行ってみようかな。

 

「では、オレたちはこれで」

「うん。気をつけて帰ってね」

 

連れあう二人を見送り、更にレポートを読み進めていく。こうして読んでいると四月から随分とレポートが読みやすくなっているし、ジョルジュ曰くARCUSの戦術リンクも上手く回るようになっているようで成長や人間関係の変化を感じざるを得ない。

私たちの時も、忘れることを自分に許さないあの六月から確かに歯車が噛み合い始めた。人数が多いから同じように考えることは危ないけれど、人が人を知っていくのはやはり時間がかかることなんだなと改めて実感する。

 

「よーっす、待たせたな」

「君が赤点を取らなければもう少し早く帰れたんだけどねえ」

 

そう。クロウは先月の中間試験で一部教科で赤点を取り、補習を受けざるを得なくなっていたのだ。実技系は文句なしでトップクラスなのにもったいない。というか、事前に勉強したところであれば特に問題ないのだからどれだけやる気がなかったのだろうと。

ハインリッヒ教頭が苦手だからクロウもやる気が出ないのか、それともクロウがやる気を出さないから教頭が厳しくなるのか。所詮答えの出ないニワトリタマゴ論にすぎないけれど。

 

「それVII組のレポートか?」

「うん。いろいろ考えさせられるね。来月も楽しみだよ」

「お前も大概世話焼きだよなぁ」

 

そういうクロウもなんだかんだ面倒見がいいので、いつもの面子はベクトルは違えどそれなりに世話好きなのではなかろうかと思う。そんなことを考えながらレポートを鞄へ仕舞って二人揃って一階へ。受付のビアンカさんに挨拶をしながら玄関を開けると雨は既に上がっていた。

 

「夜から蒸し暑くなりそうだねえ」

「勘弁してほしいぜ全く」

 

水たまりがあちらこちらに見える道へ歩き出し、にわかに気温が上がり始めている気配を察知して夜のことを思う。普段より少し多めに水を沸かして冷蔵庫に入れておこうかな。

 

「そういえば帝都の夏至祭どうするの? 私は行く予定立てているけど」

「あー、オレも繰り出すぜ」

「一緒に行動していい?」

「もちろんだっつの」

 

そっか、としあわせが言葉になってこぼれる。

 

「やっぱり夏至賞?」

「そうだな。あとは祭りってことでいろんな店覗くのも楽しいぜ。去年は行けなかったろ」

「うん。だから今年は行っておきたいなって」

 

それにクロウとイベントごとを巡るといういかにもなデートもきっと楽しい。だから、寸暇もなく肯定されたこと自体が実は結構嬉しかったというか。あ、既にもう結構浮かれているかもしれない。

 

「近くなったらもうちょっと詰めようね」

「おう、回りたいところあったら遠慮すんなよ」

「クロウもね」

 

自分が主体となって楽しむのはもちろんだけれど、『好いた相手が楽しんでいる姿』というのもかなり見ていて飽きないので、そういう意味で私たちはきっとこれからもこういう話し合いと譲り合いをしていくのだと思う。

競馬自体はあんまり興味はないけれど、馬を見るのは楽しみだし。

 

月末の特別実習のことを考えるとVII組のことがすこし心配だけれど、現金な自分ははやく月末来てくれないかなと願ってしまったのだ。

 

 

 

 

1204/07/11(日)

 

「おー、これがサイドカー?」

 

授業後に東の街道に呼び出されてほいほいと行ってみると、ジョルジュとアンと見慣れない形のバイクがそこにいた。前にジョルジュがこぼしていた『バイクの脇に取り付ける一人席』というのは的確な表現だったんだなぁと見下ろして思う。

 

「そう。強度試験も兼ねて、事故の際に咄嗟に自力脱出出来る相手に搭乗を頼みたくてね」

「確かに初期段階でトワとか乗らせるわけにはいかないし、その点でいえば私が適任だ」

 

私へ頼む前に去年の導力車事故のことが頭のよぎった可能性すらある。あの時は寄ってたかって、車に二回撥ねられて軽傷で済むのはおかしい、と言われたものだ。

 

「そういうこと。時間は大丈夫かい?」

「うん」

 

時間が大丈夫でなければそもそも通信口で断っているけれど、確認を挟んでくる律儀さが心地いい空間を作ってくれているのだと思う。

頷いてサイドカーへ手をかけたところですこし動作を止める。

 

「どうかしたのか?」

「いや一応アダマスシールド唱えておこうかなー、と」

 

物理属性の攻撃を完全防御する魔法の名前を挙げると、ああ、と二人とも口を揃える。なくても支障はないだろうけれど、もし何かあった時に気にするのはこの二人だ。

 

「そうだね。一応お願いしておくよ」

 

前衛の私は普段魔法系のクオーツを嵌め込まないのだけれど、一応分断された時用に持ってはいる。ハザウで起きたような完全外部遮断がいつ起きるともしれないから、荷物にならない程度に懐に忍ばせているというわけで。

かちゃりかちゃりとクオーツを取り替えてARCUSの駆動を開始する。

 

「アダマスシールド、展開」

 

これで少なくとも一時間ほどは大丈夫な筈だ。折り返し地点によってはもう一回かけておく方がいいかもしれないけれど。……でもこれは事故を心配しているというよりは、本当に未然防止策でしかない。なんたって。

 

「まぁジョルジュが作ってアンが操縦するなら、何の問題もないとは思うけどね」

 

二人の技量の高さなら近くで見てきた私はようく知っている。ジョルジュの図面引きからそれをカタチにする技術に、アンの馬やバイクに乗った際の安定感。それらは決して一朝一夕なものではなく、ずっと研鑽されて続けてきたもの。

そんな二人だからこそ見える不安を見過ごさず、私に話を持ってきている。それそのものが信頼がおけるというもので。

 

「そいつは──」

「嬉しい言葉だね。ご期待に添えるよう頑張ってみようじゃないか」

 

アンがバイクに跨りながらウインクをするものだから、軽いなぁ、なんて笑って私はサイドカーへ乗り込んだ。視線の低さが面白い。

 

 

 

 

走り始めて10分。レポートを書かないといけないのでいろいろ体勢を試してみているところだ。

座り心地は正直あんまり良くない。クッション性が乏しいのかわりとお尻の下に素材感が伝わってきているので、長時間乗るのなら改良部分だ。そうは言っても重量の問題や高さも関わってくる場所だろうので、クッションを足せばいいというものでもない。難しい。

けれど受ける風の気持ちよさは楽しくて、これはこれでアリだなぁと思う。普段はクロウかアンの後ろに乗るので、受ける風の形は違う。それにちらりと横を見上げれば上機嫌にハンドルを握っているアンも見えて、普段見ることのない角度だな、とどことなく役得感を覚えた。

 

「軋むような音はないかい?」

「どっこも問題なく安定しているよ」

「それはよかった」

 

意識して耳をそば立てていても、パーツ的な問題はない気がする。思いがけず分離したりすると危ない、ということで呼ばれているので警戒はしているけれど、そういうのを気にせず、ただ体を預けて楽しめるのならいい気分転換にもなりそうだ。

 

 

 

 

あらかじめ決めておいた折り返し地点で休憩に入り、渡されていた水筒から使い捨ての紙コップにお茶を注いでアンに差し出す。私も口をつけたけれど、まぁ実際に動いているのはアンなので身体的な疲れはない。

 

「そういえば前にバイクを貸したけれど、あの日も楽しめたかな?」

「うん、ありがとうね。何回も後ろに乗ってるけど、やっぱり毎回どきどきするよ」

「フフ、サイドカーが完成しても二人はそうやって乗っていそうだ」

「そもそも私は並走したいんだけどねえ」

 

RF社で商業展開されるのはいつになるだろうか。いや展開されたとして私が気軽に乗れるモデルが発売されるかどうかはまた別の話なのもわかっているけれど。

 

「ま、その辺の売り込みについても追い追い考えていくとしよう。帰りは予定通り速度を上げるから、引き続きよろしく頼むよ、セリ」

「任されましたっと」

 

紙コップ同士を軽く合わせて私たちはゆるく笑い合った。

 

 

 

 

そのまま二人で問題なくジョルジュのもとへ帰ることができ、技術棟であれこれフィードバックをした後にキルシェでご飯を食べようという話に。

 

「セリから見てVII組はどうだい?」

 

ボロネーゼを頼んだジョルジュがフォークでくるくると麺を巻き取りながらそう話を振ってきた。ジョルジュはオーブメントの調整を任されているということもあって、たぶん私よりもVII組の人たちと関わっているのだから敢えての質問だ。

 

「四月と比べたら見違えるようだよ」

 

焼き立てのパンの熱さにちょっと我慢しながら端をちぎり、パターを乗せて一口。うん、今日も美味しい。穀倉地帯のケルディックが近いといい小麦が手に入るから助かってるんだぜ、とフレッドさんが自慢げにしていたのもわかるというものだ。

 

「フフ、セリは本当に後輩たちを気に入っているようですこし妬けてしまうな」

「妬かれても困るけど」

「クロウは何も言わないのかい?」

「え? 別に何も言われないけど……そもそもあんまり嫉妬とかしないんじゃない?」

 

本人曰く嫉妬していることもあるそうだけれど、そう言われても私が誰かと話していてクロウが嫉妬するという光景がうまく思い描けない。クロウ自体が良くも悪くも誰とでも距離感が近いので、私が後輩を気にしているという程度の話で妬かれてもやっぱり困ってしまう。それじゃあ自分はどうなんだ、と。

けれど二人は少し重いため息を吐くので、あっこれは返しをミスったなと悟った。

 

「いいかい、セリ。クロウはおそらくかなり嫉妬深いタチだ」

「その点は僕も同意するかな」

「ええー……そうなのかなぁ」

 

自分がかなり嫉妬深い性質であることは自覚しているので、それと比較するとそうでもないというか、別に行動を制限されたり、束縛されたりとかはないのでよくわからない。例えばフィデリオと廊下で話していても特にわかりやすく割って入られたことなんてないし。

何をどう見てそういう結論になるのかいまいち筋道が理解出来ないのだ。

 

「まぁでもアン、たぶん外に向くタイプだから」

「確かに。気付かせないというのはあるかもしれない」

 

私が見ることは叶わないクロウの姿を二人は観測出来ているのだなぁ、なんてちょっとだけ羨ましくなる。まぁでもきっと誰も見ることができないクロウを一番見ているのは自分だろうという気持ちもあるので、多少は仕方ないかと運ばれてきたチーズリゾットにスプーンを入れた。

友人から見た恋人の姿というのは、なんというか面白い。



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13 - 07/18 図書館案内

1204/07/18(日) 自由行動日

 

図書館の雰囲気はいつ来ても好きだ。基本的に静かで、屋内の人口密度もあまり高くなく、おまけに夏でも少しだけ涼しい。司書のキャロルさんから、クロウ君に本の貸出期限が過ぎているから伝えておいてくれる?、とたまに言われるのが瑕ぐらいだろうか。

 

「あれ、セリ先輩」

 

二階の棚を眺めていて、探したいものの方向性的に閉架の方にも潜るべきだろうかと考えていたところで名前が呼ばれた。振り向いてみるとVII組のリィンくん。足捌きがたまに独特なのでわかりやすい気配の一つだ。八葉一刀流、いつか手合わせをさせてくれるだろうか。

 

「こんにちは、何か探し物? 図書館はそれなりに慣れてるからお手伝いできると思うけど」

「いえ、俺は生徒会の手伝いついでにすこし見回ってただけですね」

「君もトワに似て働き者だねえ」

「会長と比べたらなんてことないですよ」

 

一年生の彼から見てもトワの働きぶりはわかってしまうようで、あんまり良くないなぁと思案する。努力が目に見えることが悪いわけではないけれど、おそらくトワは見せないようにしているというところもあるので、それを超えて忙しさが見えているというのはどうも手が届いていないような感覚がある、という話だ。

 

「先輩こそ探し物ですか?」

「うん。ちょっと周辺の歴史書をね。でも開架されてないみたいだから地下かな」

 

私の言葉にリィンくんが僅かに首を傾げる。

 

「閉架書庫、入ったことない?」

「ない、ですね。結構な数の蔵書が一階と二階にあるので」

「大概それで事足りるようにキャロルさんがしてくれてるからね」

 

長いこと学院に勤めているキャロルさんは生徒にとっての需要をよくわかってくださっているようで、基本的なところは閉架書庫に入らずとも問題ないよう手を尽くしてくれている。それも季節ごと・流行ごとに入れ替えている棚もあるようで頭が上がらない。

けれど歴史書に関してはトマス教官が図書館で広げてしまい他の人間が借り損なう懸念からあまり表には出されていないという、なんともな話があったりするわけだけれど。去年は地下に籠る場所を作り始めたりもあって、キャロルさんとトマス教官の攻防をたまに見かけて助太刀したりもした。

 

「よければ閉架書庫案内しようか」

 

不思議そうな顔をしていたリィンくんにそう提案すると、ぱっと顔が明るくなった。

 

「いいんですか?」

「うん。VII組は特に実習の事前学習で入ることは想定されて……もしかして聞いてない?」

「聞かされてないです」

 

サラ教官らしいや、と二人で笑いながら一階へ降りてキャロルさんの許可もきちんと得て、カウンター裏の扉から事務室横の階段へ足を踏み入れる。本は湿気に弱いためかなり高価な蒼耀石に導力回路を反応させた作りになっていて、夏でもひんやりとしている。RF社の室温調整導力器とはまた別の技術だ。

 

「涼しいですね」

「大きなクーラーボックスみたいなものだからね」

 

夏は特に外気温との差が激しいので、出入りする際は汗が冷えて風邪をひきかねないから気をつけるように、と去年キャロルさんから何度も言われたものだ。

今日はたまたま人がいないのか誰の気配もまるでなく、こつりこつりと二人の靴音をうっすらと響かせながら棚で作られた壁の間を歩いていく。

 

「想像以上にすごいですね……」

「まぁ二百年の歴史がある学院だからねえ」

 

当時勤務していた教官の手記も残されているというのだから驚きだ。まぁその教官が貴族であったから、というのもあるだろうけれど。帝国で歴史を記録するのは貴族の義務であると同時に手記をつけるのは嗜み、のようなものだったそうだから。

 

「閉架書庫は目当てがあるだろう棚に来たらハンドルを回して、棚同士の間を開ける。もし棚が動かなければストッパーが働いているから誰かがいる可能性が高い、ということだね」

 

自分が教わったことをひとつひとつ丁寧にリィンくんへ伝えながら実践しつつ書架を動かしていく。まぁ聞くところによるとリィンくんも気配に敏いようなのでそれも合わせながら目視確認を徹底すれば事故はほとんどないだろう。……声かけじゃなくて目視なのは一部の人が没頭して返事をしなかった経験があるからだ。

 

「ここは稀覯本も多いからね、キャロルさんや各教官とも相談しながら使い倒すといいよ」

 

帝都にある国が運営する図書館はここの比ではないだろうけれど、あそこは職業と身分レベルで閲覧出来る情報に差があるから学院生のうちにここで情報の探索に慣れておくのがいいと思う。

 

「はい、ありがとうございます」

 

私はただの平民で、そんなところで重要情報を見ることは叶わないだろうからここへそれなりに入り浸っているというのもある。けれどリィンくんは男爵家とはいえ貴族だから、軍属にならなくてもそういう場で何かを探すということも今後大いにあり得るわけで。

その時にちらっとでも今日のことを思い出してくれたら、なんて。我ながらお節介な先輩だ。

 

結局彼は私の探した資料を上まで持っていく手伝いまでしてくれて、いろいろやることがあるという背中を見送ってそのまま図書館に腰を落ち着けた。

 

 

 

 

にゃあ、とどこかで猫の鳴き声がしたような気がして顔を上げると、目に入った窓はもう夕方の景色だった。時間を気にしなくていいからって没頭し過ぎてしまったか、と周辺諸国────レミフェリア、ノーザンブリア、ジュライなど帝国北方についてそれぞれまとめてある本を片付け始める。この辺りは持ち出し禁止なのでまた来るとしよう。

 

「すみません、こちら返却をお願いします」

「また来られますよね?」

「そうですね」

「わかりました」

 

つまりキャロルさんが除けておいてくれる、ということのようで。閉架書庫にアクセスをする生徒はそれほど多くはなく、その中でも借りる人間が少ない分野の書籍はこうして次にも持ち出しやすいよう予約書籍の棚に分けてくれるようになっていた。

優遇され過ぎかな、と思わないではないけれど、一年半の学院生活でそうしてもいいと思ってもらえているのなら嬉しいことだとも。

 

図書館を出ると、黒いワンピース──帝都でたまに見かける聖アストライア女学院の制服を着た人が校舎脇の道を歩いていくのが見える。珍しい、というより今までなかったことなので誰かの身内なのかな、と首を傾げた。その割にはそれらしき人影も見えないけれど。

まぁでも貴族子女がいる学校だからなぁ、と納得して小道を通り階段を降りたところで学生会館から出てきたらしきクロウとかちあった。

 

「なんかご機嫌だね?」

「ジェイムズが雑誌の懸賞で夏至賞の順位当てがあるって教えてくれてな。これで馬券が買えなくてもちったあ気が紛れるっつうか」

 

そういうのもあるんだなぁ、なんて思いつつ無邪気に話すクロウに笑いがこぼれる。

本当に馬券が目当てならクロウの話術を使えば馬券購入に手を貸してくれる人もいるだろうに、それでもその選択肢を取らないのだから案外と真面目というかなんというか。

 

二人でのんびり帰寮しに歩いていると、正門の方にリィンくんが見えた。

 

「よう、後輩。何してんだ?」

「クロウ先輩にセリ先輩……いえ、ちょっと人を探していまして」

 

この時間すらも歯痒そうな表情でリィンくんは落ち着かない様子で首の辺りを掻く。玉のような汗が顔や首筋に浮かんでいるから相当探し回っているんだろう。慌てているせいで普段の気配感知もたぶんうまく発揮できていないわけだ。

しかし、うん、人探し。何か引っかかるような。

 

「なんだ、VII組のお仲間か? それとも二年の女子辺りに告られてトラぶったのかよ?」

「クロウ」

 

軽口を言っていい場面じゃないだろうと肘で脇腹を小突く。

 

「いえ、俺の妹で学院生じゃないんですが……」

「へえ、妹なんていたのかよ? オレ様のカンじゃ、一人っ子っぽい気がしたんだが」

「……それ、は…………」

 

するとリィンくんは思っていた以上に翳りを見せて、ああこれはつまりそういうことなんだろうなと理解してしまった。おそらく血の繋がりはなく、加えてリィンくん自身は貴族の血を引いていない。

ハイアームズ侯爵閣下の御子息と盛大にやり合ったという噂は聞こえて来ていたけれど、血筋第一の彼からしたら"そういう存在が貴族面をしている"というのは許せないことなんだろう。例えリィンくんが一度もそういった貴族然とした行いをしていなくとも。帝国の血統主義はここでさえも根深い。

 

「ああ、それじゃあさっきの子か。帝都にある聖アストライアの制服を着た黒髪の子だろ?」

 

クロウが空気を変えるように発した一言で、なるほど、と私も合点が行った。ユミルから帝都近郊へ出てきている兄妹なのに、忙しい彼は妹さんと会ってはいなかったのだろう。それで業を煮やして由緒ある女学院から士官学院へ押しかけてきたと。

 

「ええ、多分それです! どこで見かけましたか!?」

「さっき学院裏手の道で白服と話してるのを見かけたぞ。ほら、あの偉そうな一年……ハイアームズの坊ちゃんだったか」

「あいつと……!? 先輩、裏手の道ってどちらの方なんですか!?」

 

縋り付くようなリィンくんの慌てふためきようにクロウと私は同時に踵をくるりと返し、二人でその背中を叩く。

 

「来いよ、後輩。見かけた方向に案内してやっから」

「一応こっちの性別もいた方がいいかもしれないから、私もね」

 

────万が一そんなようなことになっていたら、例え大層お世話になっている我らがハイアームズ侯爵閣下のご子息といえど手加減といったものは出来そうもないけれど。

過去の傷による己の感情がじわりと見え隠れして、溜まる唾液を嚥下しながら足を動かした。

 

 

 

 

三人で狭くもない敷地を懸命に縦断し、裏手に回ったところで普段人の通りは全くない旧校舎の方に気配があったので急いで向かうと、くだんの貴族生徒が所在なさげに辺りを見回していた。その場に先ほど見かけた女生徒の影はない。いないならいないで問題だけれど、それでも乱暴をされた子はいないのだと僅かばかりの安堵を得た。

 

「パトリック……!」

「お、お前……」

「おい、エリゼはどうした!? まさか俺の時みたいに絡んで恐がらせたんじゃないだろうな!?」

 

胸ぐらを掴む勢いで食ってかかるリィンくんを私とクロウは特に止めるようなことはしなかった。建前的には貴族同士の喧嘩に平民が入れるわけもないというやつで、本音として言えば怒られ慣れていない手合いから情報を引き出すならたぶんこういった恫喝が一番早い。

パトリック・ハイアームズは心外だと言った風に否定をするけれど、結論として妹さんの行方は杳として知れないままだ。

 

「どうやらこっちの方に来たのは間違いなさそうだな。お前らが毎月探索してるっていうその旧校舎はどうなんだ?」

「いや、ちょうど先ほど扉を施錠したばかりですが……」

 

クロウの言葉にリィンくんが返しながらその扉に手をかけると、ふわり、風が動く。

まるで彼を待っていたと言わんばかりに、その扉は誘うように軋みもなく内側へ開いた。

 

しっかり者のリィンくんが施錠した扉が開いていたということから警戒レベルを上げて入ったところで、悲鳴が奥の方から響き渡り全員で走り始める。

エレベーターはVII組が探索を終えて戻っていたなら地上階にある筈だというのに、下から迎えに来る風情で上がってきた。先ほどの悲鳴からいって迷い込んだ人がいるのは間違いない。

 

「エリゼ!」

 

走るリィンくんの後を追うと、後ろから残りの二人もエレベーターへ乗り込んだ。降るにつれ上位三属性の気配が色濃くなり、腰に帯びていた得物を二つとも抜く。するとクロウも同時に銃をその手に構えた。

 

「先輩……!?」

「下に何か"いる"よ」

 

そうでなくとも悲鳴があった場所に行くのだ。魔獣、魔物、悪魔、あるいは──人間。例えどんな存在であっても斬り伏せなければならない対象がいることは明白で。

エレベーターが降り切る前に先に飛び出したところで目に入ってきたのは巨大な甲冑。気配としては魔導器物のようなそれは、しかし私たちを一瞥することすらなくその巨大な剣を。

 

「エリゼえええええ!!!」

 

追いついたリィンくんは慟哭と共に私の横を駆け抜けていく。それは銀色の風のように。

異貌となった彼は、おおよそ人間の膂力では不可能だろう巨大な剣との剣戟を難なくと交わし、あろうことか圧倒していく。高位の猟兵は黒い闘気を纏うとは聞いたことがあるけれど、あの"赤"はそうじゃない。もっと、何か、危うい────。

 

「……っ」

 

一瞬放心しかけた自分に喝を入れ、戦闘に巻き込まれないよう女生徒の元へ駆けつけその身柄を確保する。すると胸を押さえてリィンくんは何かを抑制したいかのように吠えた。霧散する赤い闘気と共に髪色は黒へ戻り、眼前の甲冑を見据える。

瞬間振り下ろされかけた剣に、危ないと叫ぶ前にクロウが構えているのが視界の端に入り、言葉を飲み込んで今のうちだと戦線を離脱した。

 

「加勢するぜ、後輩ッ! パトリック坊やはセリと一緒に嬢ちゃんを頼んだからな!」

 

クロウの軽口に反論しながらハイアームズ子息がこちらへ走ってくるのが見えたので、その間に上着を脱ぎ畳んで枕にさせながら襟元を緩ませ呼吸・脈拍・外傷等の確認をこなしていく。外界のことは彼に任せておけばいいだろう。

 

「先輩、彼女は────」

 

返答をするのも惜しいと反応をしないでいると、事態を理解してくれたのか騎士剣を構える。うん、問題はない、と思う。おそらく最初の一太刀が入る前に私たちが到着出来たんだろう。地上に上がれたら即座にベアトリクス教官の元へ連れていくべきだろうけれど。

頭を切り替え足のポーチから取り出したARCUSのクオーツを切り替えアダマスシールドを展開する。これで万が一何かあってもエレベーターへ走る猶予ぐらいは稼いでくれる。あれが物理攻撃であってくれるなら、だけども。

そしてそのまま通信機能を立ち上げ、サラ教官へ。現状起こっていることを手短に伝え、ベアトリクス教官を待機させておいてほしい旨を伝達する。急いでこちらへ向かうとの言葉を貰い胸を一瞬だけ撫で下ろす。

 

最重要懸念点が一段落したところで視線を上げると、リィンくんとクロウが戦術リンクを繋げ魔導甲冑へ連携しながら相対しているのが見えた。ここで私が手を出せばあれの注意がこちらへ向く可能性が大いにある。だから、見ているだけしか出来なかった。

今の私では生身の誰かを護る盾には成れやしないから。

 

 

 

 

「────っ」

 

果たして、相対した二人は傷を負いつつも魔導器物を退け、甲冑の中身は光となって散った。通常残されることのないガワの部分は剣と共にけたたましい音を立て、床へ落ち着く。

それと同時に崩れ落ちる二つの影。

 

「ったく、こういう修羅場は半年前に卒業してるっつーのに……」

「はは……助かり、ました……」

 

技量を信頼していないわけじゃない。それでも、やっぱり未知の敵との戦闘は心配になってしまう。それに自分が加勢できないとなれば尚更。

けれど二人は軽い会話が出来る程度には意識と体力が残っているようでほっとする。

 

「にい、さま……?」

 

どうやらタイミングよく気がついたようで声に駆け寄ってきたリィンくんへ妹さんの介抱位置を譲り、数歩退いたところで、ぽん、と頭を撫でられた。言わずもがなクロウなわけで。

 

「お疲れさん。お前がいてくれて助かったぜ」

「いた意味があったようで何よりだよ」

 

血の繋がりはないだろうとはいえ兄であるリィンくんはともかく、意識のない女性を異性だけに任せる事態にならず本当によかった。瞬時のメンタルケア的な意味で。

労い合いながら仲睦まじい兄妹を眺めていると、いつの間にか起動していたエレベーターはVII組、教官、そしていつもの三人を連れて地下へ降りてきた。

 

そうしてベアトリクス教官の元へ妹さんに付き添うリィンくんを除いた全員で、ジョルジュの指揮のもと上手く分割しつつ台車などを使いながら魔導甲冑をエレベーターへ載せ、技術棟へそれらを運んでいく。

 

どこかでまた、猫の鳴き声が聞こえたような気がした。



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14 - 07/26 夏至祭満喫

1204/07/26(月) 夏至祭初日

 

帝都の夏至祭。各地と一ヶ月遅れのそれは獅子戦役が終結したことを尊び、精霊のお祭りと一緒に祝うようになったのがきっかけと言われている。街は垂れ幕に造花にガーランドと飾りが散りばめられ華やかになり、街区ごとにまるで全く別の街の様相のようになるその数日間。

去年は体調が優れなくて立ち寄ることは出来なかったけれど、今年は恋人と一緒に歩けるそんな日で。だから持っている衣服の中でも動きやすさを損なわず、あのストールをメインにしつつ且つ可愛く思ってもらえるような、うん。

 

「機嫌治ったか?」

「……別に機嫌が悪かったわけではないんですよ、クロウくん。でもごめんなさい」

 

チャンクなチョコとバナナがごろっと生クリームに入ったクレープを差し出され、街角に制服の出立ちのまま二人で食べ終わろうというところでクロウからそんな声がかかった。

 

そう。トールズ士官学院からのお達しで、今年の夏至祭へ繰り出す学院生は原則制服着用で帝都へ出るように、という命令が下されていた。先日のノルド高原のこともあり、共和国との緊張は例年よりも高まっている。そこに来てこの皇族の方が参加される夏至祭が開催されるので、もしテロや何かあれば学院生は一般市民の前へ飛び出すことになるだろう。その際に『この人物は信頼していい』というのを口頭説明せずとも示せるのが制服だという話だ。理に適っている。わかる。

でもそんな三日前に言わなくてもいいんじゃないだろうかとも思ってしまうわけで。トワやアンに私服の相談していた矢先のことだったので少しテンションが下がってしまった。……普段あんまり服装に意識を向けないので想像以上にキたのかもしれない。

 

「お前が服に凝ろうとしたってだけで嬉しいけどな」

「そもそもそれは言ってない筈なんだけどねえ」

 

あの二人だってクロウに言うのは野暮だと漏らしていない確信がある。だというのにさらりとお見通しなことを言われてしまい、むず痒い気持ちを得ながら食べ終わったクレープの包み紙を畳んでポケットに入れる。

 

「まぁでもお前もわかってんだろ」

「そりゃあね」

 

せっかくの外出だというのに特に打ち合わせもなく二人とも得物を腰に帯びているというのはつまりそういうこと。トールズ士官学院は帝都の聖アストライア女学院ほど制服での知名度はないかもしれないけれど、それなりには知られている名門校だ。その身なりであれば多少物騒なものを持っていても都民並びに正規軍に疑われることはまずない。

もしこの夏至祭制服着用義務が毎年のことになれば制服は高く売れるようになるだろう────テロリストに。だからこそより清廉潔白であらなければならない。何かあった際に、彼らがそんなことをするわけがない、と世論を動かすために。

制服を着用し団体に属するというのは想像以上にいろんなことを意味する。

 

「ったく、こんな日くらい有事のことなんざ考えなきゃいいのによ」

「性分だから仕方ないよ」

 

適宜自分の置かれている立場を理解し、意識を切り替えていけたらいいのだと思う。今回であれば学院生という立場は一旦置いて、夏至祭の観光客のように。それでも私にそんな器用な真似は出来ないし、そもそも制服着用の厳命はそれをさせる気がない。

衣服によってペルソナを切り替える人は多く、軍服や学生服もそういう効果を狙ってのものである以上、意識の強制は狙っていないという話は通らないだろう。

 

「まぁサラも後輩どもも好き勝手やってるみたいだからな、補佐がお前くらいお堅くてちょうどいいってもんか」

「あー……実習初日の夜に帝都の公園で切った張ったしたっていう」

 

まさかリィンくんのいるチームが面倒ごとを引き起こすとは思ってなかったので、報せを聞いた時はひどく驚いてしまった。とはいえサラ教官は深刻にならず笑っていたし、都内で武器を振り回したというのに厳重注意で終わったのは正規軍に卒業生がそれなりに在籍しているトールズだからというのもあったかもしれない。

 

「私たちの時にも似たようなことが起きたし、歴史は繰り返すのかなぁ」

「……オレらん時は軍の世話にはなってねえだろ」

 

夏至祭用の飾り付けランタンに照らされながらやったアンとの殴り合いのことを思い出してか、クロウがちょっとだけバツの悪そうな顔をするのが可愛くて笑ってしまう。

 

「ま、VII組がテロ警戒で駆り出されてるのもあるし、ちょっとぐらいね。もちろん夏至祭を楽しむつもりはあるよ?」

 

帯剣している目的は自主警戒以外にもきちんとある。帝都のライカ地区にあるヴァンダールの練武場が毎年伝統演舞や体験教室をやっていると聞いたので、ここだけは絶対に外せないとクロウに言い募ったのだ。武芸の門戸は常に開かれているとはいえ、流派として修めるつもりはない部外者が入れる時なんてこういう時ぐらいだろう。────まあ、体験教室を開催するなら練習用武器も貸してくれるだろうから、やっぱり武器を所持するのは自分の判断だ。

 

トワのお祖父さんが館長をやっていらしたという同地区にある帝國博物館も夏至祭にあわせて特別展示をされているようで興味が尽きないけれど、常設展示すらも見たことがないのでそちらの方はまたの機会にすることにした。焦って混雑の中で見てもあまり満たされないだろうし。

 

「そんじゃとりあえず競馬場の方へ向かうとすっか」

「レース前の下見みたいなのがあるんだっけ?」

「そうそう。そこで最終判断って寸法よ。ま、オレは葉書出しちまってるから変えようもないわけだが」

 

つまりいろんな馬が見られるということだ。クロウとはまた別の観点だろうけど、私も目一杯楽しもう。

 

 

 

 

「ん~、やっぱ二番のホワイトアロー調子良さそうか」

「大きなお祭りだからかみんな元気そうだねえ」

「今日この日に調子を合わせるのも腕の見せ所だかんな」

「やっぱりそこは人間と変わらないんだ」

「おう。ところでお前的にはどれがいいと思う?」

「え? んー、四番と八番と五番の子……かな。なんだか今日の地面と相性良さそう」

「……なるほどな」

 

 

 

 

朝から始まるレースもあるけれどメインレースである夏至賞はセドリック皇太子が到着される午後から開催ということで、パドックを後にしてトラムへ乗り込みライカ地区へ。あれだけ入念に出場する方も観る方も準備を重ねて、それがたったの数分で結果が出るというのだから不思議な競技だと思う。

ぎゅうぎゅうの車内の中でそんなことを考える私を、クロウは律儀に壁際に押しやって身体が密着しつつも潰さないよう両腕をついてくれた。

 

「人、すごいね」

「近隣から地方まであらゆる場所から集まるらしいかんな」

 

人前だとあまり聞かない距離でクロウの声がするものだから、なんだかちょっと心臓が跳ねてしまう。これ以上のことを部屋ではしている筈なのに。不思議なものだ。

視界の中にあるのはクロウの胸板と顎や首筋を伝っていく汗で、何だかちょっと触りたくなってくる。クロウが元々体格がいいのは知ってるけど、こうして筋張ってるところとかが見えると、本当に自分とは全く違う性別なんだなと当たり前のことを考えてしまう。

 

「っ」

 

そんな風に眺めていたらカーブに差し掛かったようで人混みが少し傾いた。ら、ぽたりと汗が垂れてきて、びっくりして体を震わせたのにクロウも気が付いたのか、悪ぃ、と目を眇めて謝罪が。この暑さでこの人混みだから仕方ないよ、と返しつつどこかにジェラート屋とかあるかな、なんて行き先に思いを馳せた。

いやしかし本当にあっつい。VII組のみんなは大丈夫だろうか。

 

 

 

 

無事にライカ地区へ降りると、水路橋と平行する坂道に築かれ二種類の石畳がきれいに道を飾る、賑わっているけれどどこか落ち着いた雰囲気に出迎えられる。

そんな見慣れない街並みを楽しみつつヴァンダール練武場へ向かう坂道の途中で、思いがけない名前が視界に飛び込んできたのでゆるやかに足が止まった。

 

「なんか気になるもんでもあったか?」

「あ、ううん。ちょっと、懐かしい名前だなって」

 

リーヴェルト社。かつて旧都に本店があり、ティルフィルで作られた楽器や消耗品などを納入していた先だ。品質重視であったから元締めの立ち合いの元で行われていたそれは次第に少なくなっていって、八年ほど前の出来事でリーヴェルト社は一回崩れてしまった。倒産したわけではないけれど、似たようなものだったのかもしれない。

内部で何があったのか。当時今よりもずっと子供だった自分には到底窺い知れなかったけれど、旧都の跡地は今も誰かの帰りを待っているかのようにひっそりと佇んでいる。それがいつもすこしだけ悲しかった。

 

「……寄ってくか?」

「大丈夫。知ってる人はいないだろうし、今は楽器から遠ざかってるからね」

 

旧都から帝都へ本店を移したのもいろいろあったからだとは分かっていたので、ここでこうしてお店が続けられているのを見れただけで今の自分には喜ばしいことだ。

願わくは、お嬢様が今も元気に生き続けてくださいますように。

 

そんな身勝手な願いを置いて、私は想いを振り切るようにクロウの手を引いた。

 

 

 

 

「……さすがに子供たちを押しのけて体験教室するわけにはいかなかったなぁ」

「まぁ落ち着いてんだろう明日とか明後日に来たらいいだろ。今日は様子見ってことで」

「そうだね。いやでも演舞が見られたのはテンション上がった。格好良かった!」

 

ヴァンダールといえば豪剣術が有名な流派であり、その通りに自分であれば両手で持つだけで精一杯であろう演舞用の飾り大剣を、舞い手の女性は時に両手で時に片手でうつくしく操っていた。

柄につけられた飾り紐がくるりくるりと宙で線をえがいていく様は生き物のようで、かと思えば室内の灯りを反射する刀身は凛とした無機質さを持ち、その両方を舞として紡いでいく演者さんの体捌きも見事なもので。許されるならばジョルジュから導力映像複写機を借りてきて撮影の許可を得たいぐらいだった。

実際はもうテスト機は返されているのでトリスタにはないのだけれど。それに生で見るのと映像で見るのはまた異なる。

 

「あれ、先輩?」

 

演舞を脳内で反芻して浮かれながら歩いていたところで聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはVII組B班の面々が揃っていた。アリサさんを先頭にみんな駆け寄ってきてくれる。

 

「おうおう、VII組じゃねえか。ごくろーさん」

「こんにちは、実習は順調?」

「はい。慣れない帝都ですこし覚束ないところもありますが」

 

アリサさんの言葉に、そうか帝都組は両方ともA班に所属しているのだったな、と思い至る。アリサさんの言う通りB班は見事に帝都から遠い場所を故郷としている人ばかりだから、今回の班分けにもっと口を出すべきだったか。夏至祭という混雑する場所なら土地勘のある人は分けて入れるべきだもの。

 

「まぁそれくらいのハンデはあってもいいだろう」

 

するとどことなく笑いながら柔らかさも含まれた声音でユーシスくんが言うので、マキアスくんがいる班に対してのものだとすぐに判る。彼も変わったなぁと心の中で笑みが落ちた。

 

「先輩たちは帝國博物館とかに行かれたんですか?」

「あ、ううん。坂道の脇にあるヴァンダールの練武場で演舞をやってるって聞いて」

「すげー良かったぜ。お前らもちょっくら時間あったらお邪魔してこいよ」

「演舞ですか」

 

エマさんの質問に二人で答えると、興味深そうにガイウスくんが目を輝かせた。そういえばノルド槍術にも型の応酬として二人舞のようなものがあるのだったか。いつかそっちも見てみたいな。

 

「うん、飾りのついた大剣を見事に操り切ってて格好良かったんだ。毎年やってるみたいだから今年逃しても来年とかやってくれるんじゃないかな」

「なるほど、心得ておきます」

「ノルドの槍術にもそういうのがあるんだよね」

「はい。先輩たちが来てくださるのなら父と自分か、或いは弟でお見せ出来ますよ」

「それ凄く嬉しい。卒業したら絶対に集落へお邪魔するね」

 

拳を軽く合わせて約束してくれたガイウスくんと笑っていると、どん、と後ろから軽い衝撃がきて腕が腰に回って頭に顎が乗せられた。

 

「後輩の面倒見るのもいいけどよ、腹減ったからちょっくら大通りとかに戻ろうぜ」

「そうだね。昼だとお店混みそうだし、早めの方がいいかな。あとくっつかないで」

 

人前でいちゃいちゃするの好きじゃないってもうわかってくれているだろうに、それでもたまーにこういうことをしてくるのだから気が抜けない。困ったものだ。

……だけど困った困ったと言いながら、実のところあんまり困ってないところが、一番困る。惚れた弱みっていうのはつまりこういうことなのかもしれない。

 

「それじゃ、みんな。体調に気を配りながら頑張ってね」

「せいぜいテキトーに気ィ抜きながら回れよ~」

「はい、先輩たちもお気を付けて」

 

二人で手を振りながらB班と別れ、また混雑するトラムへ乗り込んだ。むぎゅり。

 

 

 

 

「……おそらく、先輩方って付き合っていらっしゃる、んでしょうね?」

「あの距離感で付き合ってなかったら驚くわよ!」

「仲睦まじいのは良いことだ」

「まぁ、意外に噛み合っているのではないか?」

 

 

 

 

ヴァンクール大通りへ向かい、いろいろ見て回っているとやっぱり路面店はこの時間でもいっぱいなのが見てとれる。そこであまり期待せず向かった百貨店ビフロスト二階の喫茶店は、しかし穴場なのかほどよく席が空いておりここぞとばかりに二人で滑り込んで席を確保した。

座る前に腰の装備を一旦解除して席の下の籠へ。まぁ万が一置引きするような輩がいたら腕の一本ぐらいは貰っていこう。人の武器に手を出すというのはそういうことだ。

 

二人揃って夏至祭ランチセットを頼み、外の喧騒に耳を傾ける。

 

「平和だねえ」

「ま、HMPもTMPも気合入れてんだろうからな。むしろ一年で一番安全まであるだろ」

 

普段よりもずっと厳重警戒体制のため、それはそうだと思う。だからこそテロを起こせたなら一年の中で最上の効果を得られるとも言えるのだけれど。だってそんなの、どこのマスメディアだって黙っていない。自国以外の報道機関も入っているこの行事では言論統制することも叶わない。

そうは考えても、一個人に出来ることなんてたかが知れている。自分の能力を過信するのもよろしくない証拠なのでそこはきちんと見極めて使っていかなければ。

 

それからは他愛のないことを話しながら昼食を食べ、夏至祭中特別提供の星飾りのついた涼しげな淡い色のゼリーを食べてほっと一息。

すると、近くのソファ席にいる三人組から話し声が聞こえてきた。

 

「今年の二番はやっぱ調子良さそうだな。直線に強い馬は好きだし俺は三万突っ込む」

「夏至賞だからって景気がいいなぁお前」

 

そんな風にここでも夏至賞の話題で盛り上がっているらしく、誰がどこにどの順番でどう賭けるのか楽しそうに会話が弾んでいく。ギャンブルのことはわからないな、と隣に視線をやると、随分とにっこりとしたクロウがそこにいた。

 

「やっぱ近頃のオレは冴えてるぜ。こりゃ特賞はいただきだな」

「そうなるといいねえ」

 

懸賞の仕組みは知らないけれど、たとえ当てたからといって当てた人から抽選なのではないかと思ったりもする。まぁでもまず当てないと話が進まないと言うのはそうだろうのであまり深く追求はしないでおいた。

 

「あれ、先輩?」

 

その声に振り返ると今度はVII組A班の面々が揃っており、彼らもこの暑い中でも帝都の見回りをしっかりとやっているみたいで嬉しくなる。例の報告を聞いた時はどうしたのかと思ったけれど、たぶん必要なことだったんだろう。

 

「よう、お前らか。実習の方は捗ってるかよ?」

「え、ええ……。というか、先輩たちはどうしてこんなところに? それも制服で」

 

おや。リィンくんたちは実習ということもあってか、今年の帝都夏至祭で学院生の制服着用が原則義務付けられていることは知らなかったらしい。まぁサラ教官らしい省略の仕方だとは思う。伝えても伝えてなくても結果が変わらないのだし。

B班は気にしていなかったので誰かが別ルートで知っていたのかもしれないけれど。

 

「休みでも制服なのは学院からの指示だね。君たちは実習だから伝達が端折られたのかな」

「そんでオレは今後の学院生活を華やかに生きる為に一勝負しに来たってわけだ」

「……勝負?」

「うむ、あの夏至賞でな」

 

フィーさんの疑問に対して神妙な顔で言うクロウに、マキアスくんが驚愕の表情を浮かべながら、モロに競馬じゃないですか!?、と叫ぶので真面目だなぁとしみじみする。いや当たり前の反応か。

 

「未成年が馬券を購入しちゃまずいでしょう!?」

「おいおい慌てんなっつうの。馬券なんか買ってねーよ。とある雑誌が夏至賞に便乗した懸賞企画をやっててな。応募した予想がズバリ当たってれば、豪華景品ゲットって寸法なのよ」

「それでわざわざ帝都まで確認しに……?」

「呆れるほどの行動力だな……。セリ先輩もそれに付き合って?」

 

呆れたエリオットくんの呟きに渇いた笑いを返していると、ラウラさんから水を向けられて、まぁそんな感じだね、とフランクに頷く。前に第三寮へ行った際、出来れば自分の方が若輩者ゆえ言葉は気にしないで欲しい、と請われて了承したのだ。

しかしこうして久々に正面から向き合った彼女の気配は以前よりもずっと澄んでいて、この実習中に何か吹っ切れることでもあったのかとレポートが楽しみになる。いや、個人的なことだったら書いてもらえないかもしれないけれど。

 

「……前から気になっていたんですが」

「うん? どうしたの、マキアスくん」

「もしやお二方は、そういう……?」

 

マキアスくんの問いに一瞬止まり、どうしてそんなことを聞かれるのかと首を傾げかけたところで、ぐい、と横から肩を抱き寄せられる。

 

「おう、そういうこったな」

「……意外、かも」

「こ、こらっ」

 

フィーさんの言葉にマキアスくんが慌てるけれど表情には同意の色があるような気がするのは気のせいだろうか。でもエリオットくんとかじゃなくて、わりと何があっても動じないタイプだろうフィーさんから真っ先に言われるほど意外な組み合わせ……なのかな。お似合いだと言ってくれたのはトワとかジョルジュぐらいなのでちょっと思うところがないわけではない。

とはいえ、と最近のクロウにまつわる噂を思い出しながらそっと抱き寄せを解除する。

 

「まぁクロウって学院内で尊敬しちゃいけない先輩No.1って言われてるみたいだもんね」

「照れるな~」

「照れないで?」

 

一ヶ月前の中間試験の赤点といい、ここに来てサボりも加速しているらしいし、本当にどうして自分が同じクラスじゃないのかとちょっと思ってしまうほどで。もう少ししっかりして欲しい。……みんなで一緒に卒業したいって言ってくれたのにな。

 

「さ~て、あとはしっかり神頼みしとかなくちゃな! おあいそ、ここに置いておくぜ」

 

クロウが立ち上がるので私も素早く会計して、解除していた武装を再度腰につけ動きを確認する。うん、大丈夫。

 

「そんじゃ、オレらはサンクト地区の大聖堂に行くからよ。お前らもせいぜい頑張りな」

「暑いから水分補給とかはしっかりね」

「え、ええ」

 

何だか妙に納得のいっていない雰囲気のA班を置いて、私たちは百貨店を後にした。

 

 

 

 

「そういえば豪華景品って何なの?」

「RF社の最新モデルの導力車」

「換金前提だ……」

「寮生の身で持ってても仕方ねえかんなあ」



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15 - 07/26 夏至祭襲撃

1204/07/26(月) 午後

 

リィンくんたちと別れ、サンクト地区に降り立つと大聖堂前の広場で聖アストライア女学院の制服を着た人たちがバザーを開いているのが見えた。シートの上に広げられているのはアンティークのランプに瀟洒なドレスに小説の途中巻まで。これは……見る人が見ればとんでもない掘り出し物を見つけられそうだな、と思ってしまう。

そんなことを考えていると地区の象徴である大聖堂から人がたくさん出て来始めた。

 

「午前のミサが終わったところなのかな」

「ちょうど良かったかね」

 

確かにミサの途中に入っていくのは気が咎めるので、クロウの言う通りタイミングが良かったのかもしれない。とはいえクロウがあんまり教会のそういう行事に参加している姿は思い浮かべられないので、単にミサではない時間に来られて良かった、というだけかもしれないけれど。

家族連れで来られている方が多かったようで、大人と小さな子どもの組み合わせが手を繋いで方々へ歩いていくのを横目に、聖堂の方へ。入ってみると午前から引き続きミサに参加する予定なのかまだそこそこの人が残っていて、あれだけ人が出てきたのに、と内心驚いてしまう。

 

後ろの席へ座りにいくクロウについて、椅子に座ったところで高い天井を見上げた。

大聖堂の中はすきりと空気が透き通っていて、心なしか涼しささえある。紫を基調としたステンドグラスは陽光を受けてうつくしく輝き、一番奥にある女神さまの似姿も綺麗に彩られて。天井から吊るされているシャンデリアもつるりと曇りひとつなく磨き上げられている。

大切にされている建築物というのは、石造でも、木造でも、どこか息がしやすい。

 

「……お前って教会好きだよなぁ」

「えっ。そう、かな」

 

精霊信仰がかなり強い土地で育ったせいか、女神さまに対する信仰は他の人よりも薄い気がしていたのだけれど。

 

「だって前に課外活動で教会の司祭サマの話聞いてた時も結構熱心だったじゃねえか。後輩の無事を祈ってトリスタの教会に通ったりよ」

「そういうのは信仰心が篤いとはあまり言わないんじゃないかなぁ」

 

前者は知識欲の問題だし、後者はかなり現金な祈りになる。そういったのがなくても、日常的に祈りを捧げる人がいるからこそ女神さまと教会は成り立つのだろうし。例えば、そう、信仰心が篤いというのは出来る限り教会へ通っているトワのような人を指す。

 

「……クロウは、その、女神さまが苦手、だったり?」

 

さすがに場所が場所なだけに耳打ちする形で問いかけると、ほんの僅かな、それこそ私やいつもの面子でないと気付けないだろう間を置いて、信じてるっつうの、と笑った。

 

「なんせ夏至賞当ててもらわないと困るかんな~」

 

ニッと私に見せた笑顔は、とてつもなくこなれているけれど、去年何度となく見た"こういう表情"と用意されたものを貼り付けたようなそれだった。つきりと胸のどこかが痛くなる。

嗚呼、きっとクロウは、女神さまを信じていないのだと、単なる自分の思い違いだと信じたい話が、どうしてか確信的なものを秘めて胸に落ちていくのがわかった。

 

「……そっか」

 

やんわりと拒絶をされたことは、もちろん悲しいけれど、それ以上にクロウにそんなものを抱かせた今までのことが気になった。そうして、久しぶりにクロウの心のやわらかい場所に触れたような、そんな高揚感も伴って。そんないいものではないけれど、この時だけは敬虔な信徒でなくて良かったとも思った。そうでなければクロウに詰め寄ってしまっていたかもしれないから。

もしかしたら両親が亡くなっていることに関係していたり、今まで故郷のことをあまり話題に出さなかった理由の一つだったり、そういう可能性がある。それは傷を暴くことだ。無理矢理こじ開けることだけはしたくない。

だとしても、クロウは私に隠そうとして、きっと隠し損なった。そんなことが分かるほどに君の近くにいられたことは、やっぱり嬉しいと思ってしまったのだ。ひどい人間である。

 

クロウに付き合った形だから祈る気はなかったけれどそっと手を組み、こうべを垂れる。

女神さま、空の女神さま。いつか、クロウが私に自分のことをもっと話してくれる日が来たら、その時はどうか見守っていてください。そうであってくれたなら、私はきっと何があっても受け止められると思うのです。

 

 

 

 

そうして一応両手を合わせていた女神さまへの祈りも虚しく、クロウが敗れた夏至賞も無事に終わり、落胆するのを連れ回しながら各地を見回ってドライケルス広場で一休みしようかとジェラートを買う。私はミルクで、クロウはレモンだ。

ちょうど空いていた噴水のところに二人で腰掛けて、夏だからこそ感じられる冷たさと美味しさに笑顔になる。何も言っていないのに差し出されたレモンジェラートもありがたく一口齧り、酸っぱさの中にある甘さがすごく美味しくて、明日とかもまた屋台を開いてくれているだろうか、なんて。

 

二人とも食べ終わって紙屑を屋台横のゴミ箱に捨てたところで、皇居のお堀のところにトワにアンにA班が集まっているのが見えた。

 

「あそこにみんないるね」

「ん? ああ、ほんとだな」

 

何を言うでもなく合図をするでもなく、自然とそちらへ爪先を向ける。

 

「なんだなんだ、揃い踏みかよ?」

「やっほ。A班とは昼ぶりだね」

「あ、セリちゃんにクロウ君」

「ああ、君たちも来てたのか」

「まーな」

 

私服の相談に乗ってくれた二人なのでまぁ夏至祭に来てるのはお見通しだったろうけれど、二人でいさせてくれようとした気遣いがあったのかな、と面映くなる。おそらくいつもの面子に二人でいるところを見かけられても声をかけられることはなかったろう。

でも私もクロウもみんなと一緒にいるのも好きだから。

 

「そういえば夏至賞に行くとか言ってましたけど」

「メインレースの結果はどうだったんですか?」

 

エリオットくんとマキアスくんの台詞に、あっ、と思う暇もなくクロウが顔を覆って泣き崩れるようなジェスチャーを。もうこの仕草で察されたようでいろいろ内容と内面を吐露するその背中をちょっとだけさすった。うん、やっぱり四番の馬だったよなぁ。

 

「……先輩、本当にこの御仁でよいのか?」

 

こそっとラウラさんが口元に手を当てて話しかけてくれたので、ちゃらんぽらんだけど結構頼りになるんだよ、と。どうしてクロウを好きになったのか、なんてクラスメイトにも結構聞かれてきたことだけど、その好ましいところは誰かに分かってもらわなくてもいい話だ。

私だけの大切な感情だから。

 

「それより、いいことあったみたいだね」

「わかりますか」

「うん」

「……先輩のおかげです」

「それは光栄だ」

 

かなり推測に推測を重ねたお節介な誘いではあったけれど、あの立ち合いが彼女の糧のひとつになったなら何よりだと思う。二人でひっそりと笑い合ったところで、遠くから大聖堂の鐘の音が響き始めた。15時。

 

「────」

 

瞬間、何か足元で違和感が駆けずり回る。何だろう。帝都に張り巡らされている中世の地下道に魔獣がいるのは理解していたから、たびたび生き物の気配を道の下に感じることは今までもあったけれど。今回のものは、それじゃない。そうじゃない。

 

「すみません、先輩たち。俺たちはそろそろ……」

 

地下に気を配っていたせいでリィンくんの挨拶にハッと顔をあげる。

 

「うん、気をつけたまえ」

「もう行っちまうのかよ?」

「ARCUSも持って来てるから、何かあったら連絡してね」

「はい、それでは──」

「いや、あの」

 

ちょっと待って欲しいと全員に声をかけ始めた瞬間、後方からどよめきが広がり始め即座に振り向くと広場の各所にあった噴水から水がとめどなく溢れ続けている光景が目に入った。それに対しアンが、ふむ、と思案するような表情になる。

 

「何かの圧力が高まっているような……」

「夏至祭の余興……?」

 

そうであって欲しいかのようなエリオットくんの言葉を否定するタイミングで更にマンホールの蓋が水圧で吹き飛び、辺りへ響き渡る大きな音を立て地上へ落ちる。ゆうに3アージュはある水柱。あんなものに触れたら人体なんて無事じゃ済まない上に、落下するマンホールの蓋はただでさえ凶器だ。足元の煉瓦も割れただろう。

 

「テロリストの──!」

「そうみたいだね」

 

リィンくんの言葉に対してトワが瞬時に肯定を返す。全く、本当にこんなことになるなんて。

 

「アンちゃん、セリちゃん、クロウ君! みんなの避難誘導を手伝って! 憲兵さんたちも混乱してるみたいだから!」

 

トワの号令に合わせる形でARCUSの耳介装着型通信器をつけ、私たちはあの日々のように走り出した。

 

 

 

 

近隣にいたHMPの方たちにコンタクトを取ったトワからの要請で、ドライケルス広場から安全だろう近場の公園へのルートを確保しにいく。

テロリストたちがドライケルス広場を水浸しにしただけで終えたのは、おそらく皇居を守る近衛隊の手を民衆保護に割かせたかった撒き餌だったのだろうと思う。大聖堂と競馬場の方はTMPが警備を敷いているけれど、マーテル公園の方は近衛隊がメインに警備をしているはずで、その応援となる手数を減らしたかったと見るべきだろう。

 

そうじゃなかったら────。

 

「こんな風にあそこにも魔獣を解き放てばいいだけだもんなぁ」

 

到着した当初は安全に思えた公園も、どこからともなく──とはいえおそらく地下道から──這い出てきた鰐型魔獣が闊歩し始める。

 

ケルディックやノルドのことから、相手が持っている笛が古代遺物だろう予測は出来ていたけれどこんな風に広範囲に亘って、数量をものともせず操れる代物だとは思わなかった。

こういった物がたまにあるのだから古代遺物ってのは厄介極まりない。七耀教会が"生きている"遺物の回収に力を入れるのも無理からぬ話で。

 

近くにあった石ころに戦技を乗せて魔獣へ投擲すると、見た目から得る印象よりも遥かに俊敏なそれらはしかし上手く挑発にかかってくれたようで私へ一目散に走ってきた。

手に馴染んだナイフはここぞと言うときの為に使うべきだから、こうして石で釣れるのならありがたい。

 

アルフィン皇女殿下が居られるマーテル公園にはVII組A班が急行している。今はただそれを信じて、私は私の仕事を果たすだけだ。

 

 

 

 

パニックになった人たちは自分を守るためのことすら出来ない。どんな行動が自分の身を守ることに繋がるのか判断がつかなくなる。ましてやそれが幼い子どもであるのなら尚更。

 

「────っ」

 

攻撃のモーションへ入っていたら挑発戦技に意味はない。だから割って入って一撃を弾いたわけだけれど、これじゃあ駄目だ。後ろに無力な人を置いて戦う術を私は持ち合わせていない。強固な前衛がいてこそ、補助してくれる後衛がいてこそ、私は回避という防御で敵と戦える。

 

「大丈夫、私が絶対に守ります」

 

だけど、歯を慣らし合わせる少女を後ろにして、そんな弱音を吐いてはいられない。

思い出せ、ナイトハルト教官の戦い方を、ジョルジュの立ち方を、エミリーの豪胆さを、クレインの太刀筋を、ラウラさんの在り方を。私はとても近くで彼らの戦いを見て来たじゃないか。回避が出来ないなら相手の攻撃をダガーでいなし続けるだけだ。

多対一でもその程度のことが出来ないなんて言わせないぞ、セリ・ローランド。

 

自分を鼓舞するためにダガーを少しだけ回して、唸る魔獣たちへ踏み出した。

 

 

 

 

少しでも隙を見せてくれたら、子どもを連れて離脱が出来るっていうのに、一体倒せばまた一体とキリがない。魔獣は一定数倒すと天敵と見做して逃げ帰ってくれるモノもいるけれど、この魔獣たちは魔笛の効果なのかそういう在り方ではないらしい。

迷うそぶりもないから、倒すべき存在と私が認識されてしまっているのだろう。

 

「きゃあっ」

 

集中を全て前に注いでいたせいで後ろへの対応が遅れたかと意識を一瞬割いたところで、背後にいた少女を侍従服の女性が抱き抱えていた。

 

「こちらの方は私にお任せください!」

 

見えた震える手は、戦闘なんて身近な方ではないのだろうということを私に知らせる。それでも、自分に出来ることはないかと一歩を踏み出してくれたのだ。危険極まりないけれど、一般人を死地に踏み入れさせたことを恥じるしかないけれど、今はその勇気に甘えよう。

 

「助かりました!」

 

そうして汗を軽く拭い、目の前の敵にだけ集中出来ることに笑いが抑えられなかった。

 

 

 

 

そうして、公園だけでなくあらゆる場所へトワから飛ばされた指示に従い、通りを駆けずり回って数時間経ち、ようやく魔獣掃討終了の連絡がもたらされた。鰐型魔獣には魔笛の効果もあったろうけれど、それ以外にも彼らが出てきた地下道から操られていないのだろう魔獣まで出始めてきて地下道入口の封鎖も急務だった。そちらは人手のある憲兵隊に任せて、私たちは遊撃として戦い続けた。

ARCUSで現在の位置をお互い確認したところ、レイフト広場が均等に近いということでそこに集まることに。クロウだけは連絡がつかなかったけれど、途中でテロリストらしき人物を発見し、そのまま追いかけて地下道へ入ったため通信圏外になっているんだろう。一抹の不安はあれど、探しに行ける体力はない。自分の現状を把握するのも重要なことだ。

 

ふらりふらりと重い体を引きずって何とか広場へ辿り着くと、中央の時計台に背を預けて座るトワとアンが見えた。手を振ろうとして、全然上がらない腕に乾いた笑いがこぼれる。

なんだ、もう、体力ないなぁ。

 

「おつ、かれ」

 

二人のそばに行って何とかそれだけ絞り出し、どしゃりとトワの横へ崩れるように座り込む。

 

「セリちゃん、本当に本当にお疲れ様」

「あは、トワのおかげだよ。こんな時間まで、ずうっと頑張れたのは」

 

指揮系統が信頼出来るということがどれほど頼もしかったことか。それに割く労力を戦闘に回せたのは非常に大きいし、何百人……いや近衛隊やHMP、果てはTMPとも連携したと聞くので下手したら何千人もの命を彼女は救ったのだ。

これで政府筋からの勧誘はより強固なものになるだろう。間違いない。

 

「ああ、私もそう思う。そして、そんなトワの下で動けたというのはいい経験になった」

 

トワは私たちよりもずっと物事を俯瞰してみる能力に長けている。それを遺憾なく発揮できたのがテロ活動への対処だなんていうのは、トワ的に喜ばしいことではなかったろうけれど。

 

「ほんとにね」

 

制服はぼろぼろになって、あちこち擦り傷切り傷打ち傷で傷の種類を挙げれば枚挙にいとまがない状態ではあるけれど、それでも、自分の前で被害者を出さずに済んだのは不幸中の幸いだった。

 

「あ」

 

覚えのある気配に顔をあげると、広場の入り口の方に見慣れた姿が見えた。

────生きててくれた。

 

「よっす、おつかれ~」

「あ、お疲れ様、クロウ君! そっちも大変だったみたいだね」

 

たぶん私たちが連絡を取った後に、先に広場で休んでいたトワが連絡を取ろうと試みてくれていたのだろう。こうして対処に当たった四人全員がまた揃ったことに強い安堵感を覚える。よかった、本当に。誰も欠けなくて。

 

「マジでこんな日にテロとか起こさなくてもいいだろ」

 

遠慮なくクロウが隣に座ってきて、その姿を見て、どことなく、違和感。導力銃を使う中衛だからか、途中から地下道に入ったせいか、妙に傷が少ない気がした。いや、私に比べたら誰しも傷は少ないのだけれど。

まぁ、でも、いいか。こうしてまた集まれたなら、わりと、なん、でも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《C》として、帝国解放戦線の長として、鉄道憲兵隊並びにVII組へ名乗りを上げて地下道から脱出したところで、後のことは他の幹部に任せてアリバイ作りに奔走することになった。途中から消えたこともあんまり気にされちゃいねえみたいだな、と胸を撫で下ろす。

地下道に来たVII組は、まぁあんだけ頑張ってても所詮は学生だ。俺一人に三人でも相手になりゃしねえ。若干肩透かしをくらった気分もなくはねえけど、障害になりようもないってんなら大歓迎だ。

 

「よりにもよって終戦記念日だもんねぇ」

「まあむしろそういう意味なんじゃないか? 市民にそのメッセージが届いているかは定かではないけれど」

 

ゼリカの言う意味もないわけじゃねえが、目的としてはやっぱり『帝国で一番警備が厚い場所』を襲撃したことによる俺たちへの脅威度は計り知れねえだろ。あれだけ厳重に警備をしておいてマーテル公園の下に地下墓所へ通じる道を把握漏れしてたっつうのは、本当に笑える話だ。競馬場と大聖堂の方にも手を伸ばしちゃいたが、本命がマーテル公園の皇女だったことに変わりはない。

 

「でも本当、重傷の人とか出なくてよかった」

「トワはよくやったよ。ありがとう」

「みんなのおかげだよ。……あれ、セリちゃん?」

 

トワの言葉に、徐々に肩へ体重がかかってきた隣を見ると目を閉じて健やかに寝ている姿が目に入った。授業中にも図書館でも居眠りをしないっつう話だから、地味にレアな寝顔だ。

 

「……寝てるな」

 

よく見下ろしてみると普段肌が露出している顔や手指以外にも、特殊繊維が混紡された実戦用の制服もところどころ切り裂かれ、そこから滲んだ赤色が裂け跡を色付けている。きっと見えない箇所にも傷をこさえてんだろうな。

ほんと、知らねえ誰かのために一生懸命になれるってのは危なっかしい。

 

「セリちゃん今日はずっと慣れないことしてたもんね」

「なんかあったのか?」

 

セリの寝落ちで、得心したようにトワが頷いてほんのり笑う。

 

「私も状況からの把握なんだけど、セリちゃんが担当してくれた辺りで魔獣騒ぎもあってね、だけど近くに急行できる憲兵さんたちもいなくて……セリちゃん回避特化でしょ?」

「そうだな。自分に注目させる、避ける、カウンター、が基本だ」

「あるいは他の打たれ強い前衛の補佐だね」

「だけど周りは混乱した人たちで、だいぶ長い間、直に受けないといけなかったみたい」

「なるほどな」

 

そう言う意味で、こいつは他の前衛がいない、あるいは一人でいられない状況ってのが大層苦手なんだろう。前に聞いたクロスベルでの魔獣襲撃は、一般人がバスという小さな砦の中にいてくれたからこそそれなりに戦えたってのもあったに違いない。

オレがいたらこんな傷をつけさせなかった、なんてのは今回に限って言えば無しだ。どの面さげて言えるんだっつうの。せめてもと回復魔法をかけてやるが、深い傷はしばらく皮膚の下で痛むだろう。

 

「おつかれさま、セリちゃん」

 

今までで一番、やさしい声音でトワがセリの頭を撫でる。誰かに触れられて起きない筈がないだろうセリは、ただただそれを受け入れていた。……マジで寝てるなこりゃ。導力切れても動き続けてたところで、他の三人がいるから完全に緊張の糸が切れたって感じか。

体力ねえなぁ、って言いたいところだが、継戦することに慣れちゃいないから仕方ねえか。

 

「だけどどうしよう……。起こすのもかわいそうだけど……そもそも起きるかなぁ?」

 

トワの懸念はもっともなもんで、こうなっちまったら最後、しばらく起きねえだろう。

 

「なんだ、それならいい人材がいるじゃないか」

「……おいまさか」

「恋人一人くらい背負って帰りたまえよ。私はバイクを回収してトワと帰る役目がある」

 

ここで眠りから覚めるのを待つのもいいんじゃねえかなあ、と代替案を出しかけたところで、いや起きるかどうかはちょっと博打だなと口をつぐんだ。もう既に夕方だ。夏とはいえ夜までここで座ってるってわけにもいくまい。

 

「……クロウ君、お願い出来る?」

「断れる気もしねーんだが。まぁそんならちょっくら手伝ってくれよ」

 

 

 

 

「ん……」

「あ、起きたか」

 

背中から少しだけ意味のありそうな吐息がこぼれたのが聞こえて立ち止まる。

しばらくふにゃふにゃしていたそいつは、ん~、と若干唸りながら意識が浮上してくる気配。

 

「くろ、う……? ……、……?!」

「おっと、暴れんな暴れんな」

 

オレのジャケットとネクタイで体とか腕を固定して落ちないようにしちゃいるが、それにも限度があるっつうの。横抱きは眠ってる人間だと長距離移動するには安定性に欠けるし、肩の上に乗せるキャリー方法はガチすぎてたぶん通報されっし、今回はどっちもなしだ。

 

「えっ、ちょ、これは……どういう状況……?」

「集合したところでお前、寝たんだよ」

「……あ、あーーー」

 

ようやく意識と記憶が重なってきたのか、間抜けな声がだんだんと輪郭を得ていくのが面白くて思わず笑っちまった。

 

「そんで例の騒ぎでトラムは止まったまんま、徒歩で駅まで向かってるってワケよ」

「それは……ご迷惑を……。お、降りるから止まってよ」

 

落ちないよう下腕同士をネクタイで縛っていたのに気が付いたのか、それを器用に外してセリはオレの肩をやんわりと押す。

 

「いんや、慣れねーことして疲れてるみたいだし、駅まではこのまんまでいいぜ」

 

こんなことが贖罪になるとはこれっぽっちも考えてねえけど、今はまだ背中にお前の温度を背負っていたいって思っちまったんだよな。目の前のことに精一杯対応する、不器用なオレの彼女。こんなテロリストの横にいていいヤツじゃない。いつか、手酷く手放す日が来るってわかってるのに。

 

「あ、ありが」

「背中の感触も楽しみたいからな」

「……!」

 

自分の内心を隠すよう、真実を織り交ぜた軽口を叩くと一瞬拳が振り上げられたような気がして覚悟したってのに、それは振り下ろされず、ぽすんとまた胸の感触が背中に戻ってきた。

 

「ねぇ、クロウ」

「ん~?」

「……いや、やっぱ、いいや。ごめん」

 

思わせぶりなその中断は、だけどどうしてか追求する気にはなれなかった。もし聞いたら、何か要らないことまで喋っちまいそうで。

ようやく公に名乗りを上げたから気でも昂ってんのかね。

 

「そうかよ。ま、言いたくなったらいつでも聞いてやんぜ」

「うん、ありがとう。……だいすき」

 

ぎゅっと、自分の体を支える意味じゃなく、明らかに抱き締めてきたセリの思いを俺は受け止め切れず、ただただ、返事も出来ずに駅へと歩いて行った。

 

『すき』だなんて、そんな、たったそれだけでいられたならどれだけよかったことか。



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16 - 08/01 留年危機報告

1204/08/01(日) 夜

 

「……ごめん、もう一回言ってくれる?」

「去年サボりすぎたせいで出席点による必修の単位落としが発覚して卒業が危うい」

 

食堂で久しぶりに全員揃って、アン主導のカレー作りをしていただきますをしたところで隣に座るクロウから爆弾発言が落とされた。

 

「ご、ごめん、もう一回」

「セリ、何度聞いても結果は変わらないと思うが」

 

アンから現実逃避をするなと突きつけられて、いやちょっと意味がわからないなぁ、とカレーを一口食べる。うん、美味しい。とうもろこし、ズッキーニ、ナス、トマト、ピーマン、夏野菜をざっくりめに切って炒めて少し煮ただけだというのに何でこんなに美味しいんだろう。

駄目だ、脳が考えることを拒否している。

 

「え、それ結局どうなるの?」

「実は私の方にサラ教官から話が来ててね、いろいろ計算してみたんだけど」

 

生徒会長であるトワはそんなことまで実務の対象らしい。いや成績に関することはさすがに生徒自治の枠を超えている気がするのだけれど。まぁいいか。

 

「八月半ばから十月末までVII組に在籍すると一年の必修単位にオマケしてくれるってよ」

「じゃあクロウは一時的に一年生になるってことなのかい?」

 

ジョルジュが苦笑いで問いかけると、よろしく頼むぜ先輩、なんて笑って。笑い事ではない。

 

「成績の面倒は見られるけど出席に関しては無理だ……」

「みんなクラス違うもんねえ」

「そういえば一時期やたらとサボる時期があったらしいからそれか」

「さすがに僕も擁護出来ないかな」

 

成績が足りずに単位を落とすのならまだ理解ができる。習熟度の問題を放置したまま単位認定するとひいては学院の質が落ちることになるからだ。それでは制度に意味がない。だけど、そんな、まさか、出てさえすればいい話でそんなこと起きる?というのが正直な感想というか。いやでも実際に起きているらしいのでそれは受け止めよう。……受け止めよう。

 

「VII組への悪影響が心配だなぁ」

「なに、九対一だからそこまで浸透しないだろうさ」

「お前ら好き勝手言ってんじゃねえよ」

 

なんせ尊敬してはいけない先輩堂々の一位を取っているらしいクロウなので、その辺りのことをしっかりとリィンくん達に言い含めておく必要があるかもしれない。あとはわりとみんな純粋だから騙されないようにして欲しい。

 

「それにしてもつるんでいるメンバーから留年生が出るとはね」

「まだセーフなんだわ」

 

アンが笑いながら言うとクロウが素早く突っ込んだけれど、既に片足……いや半身ぐらいは入っているようなものな気がする。それに一年生に混ざっているからといって二年生の単位をおろそかにしていいものではないだろうし、勉強がさらに大変になるだけじゃないだろうか。

 

「夏至祭で遊んでる場合じゃなかったねえ」

「そもそもあれ遊んでたって言えんのか。途中から任務だったろ」

 

そうは言っても15時の鐘が鳴るまではかなり遊び倒していたと思うのだ。後日、日常生活程度にしか満足に身体が動かせず、結局ヴァンダール流の練武場で行われていた体験教室への参加が叶わなかったとしても。

 

「ああ、本当に大変だったみたいだね。僕は結局ジャンク屋覗いてそのまま帰ってたから」

「いやー、普段のジョルジュのありがたさが身に染みた数時間でした」

 

深く傷が入った箇所はまだ痛むけれど、回復魔法で傷口は塞がっているから無理をしなければじきに治る。導力魔法が開発される以前は軽い傷でも毎日傷口を消毒し包帯を替え、清潔にしていなければならなかったと言うのだから一瞬で傷が塞がると言うのは便利だ。

ただ治癒される側の生命力を消費するものなので病院で使えるものではなく、ましてや瀕死の人にはとどめの一撃になってしまうと聞いた。つまりカタギの方法ではない扱いなのだろう。それでも戦術導力器を使う者で世話になったことがない人はいない。

ベアトリクス教官は怪我を導力魔法ですべて解決するのはあまりお好きではないみたいなので、保健室には消毒液その他きちんと従来通りの手当てをする準備は整えられている。

まぁ急速に皮膚を閉じるのだからその分どこかで歪みが出るというのは理解出来る話だ。それにショットガンの傷に使った場合の事故事例集なども衛生学で写真を交えて教えられたので、使い所には注意というのもわかっている。

 

「まー、何はともあれ、クロウの卒業式に四人集まる日が近づいたわけで」

「アンは今のうちにスケジュール押さえておいた方が良さそうだね」

「フフ、その日には何があっても駆けつけよう」

「も、もう、みんな! 冗談にも限度があるんだからね!」

「だからまだ留年してないんだわ」

 

そんな風にトワに怒られつつ軽口を叩き合いながら、デザートまで美味しくいただいた。

 

 

 

 

1204/08/14(土) 放課後

 

「編入生、ですか?」

 

サラ教官に教官室横にある会議室へ呼び出され、渡された資料に視線を落としながら説明された概要に首を傾げる。

 

「そ。VII組にクロウとはまた別に一人来る予定でね」

「随分と中途半端な時期ですね」

 

資料に添付されていた写真にあるのは、碧い髪に透明度の高い琥耀石のような瞳を持つ少女────ミリアム・オライオン。六月のノルドで起きた帝国解放戦線によるテロ行為への対抗としてVII組に協力を要請し、そして帝国軍情報局所属レクター・アランドール特務大尉と共に姿を消した人物だ。鉄血宰相殿の懐刀の一人らしい。

 

「まぁ、素性を知っていればどういう思惑か何となく分かりますけども」

「でしょうね」

 

先月魔道甲冑騒ぎがあった旧校舎の調査が、いよいよ生徒だけの手には余るという判断の瀬戸際でバランスを取るために情報局の特務隊員──つまりプロの介入となったと推測が出来る。それに確か鉄血宰相殿はトールズの卒業生なので、母校を憂いたということも……あったりするのかもしれない。

おそらく彼女には他にも渡された任務はあるだろうけれど、私程度の立場ではここまでの情報開示が精一杯だ。あとはもう実際に人となりを見ていくしかない。

 

「それと、正規軍との兼ね合いで知るのが遅くなりましたが今月の実習日程凄いですね」

 

全て列車での移動が予定されているのに、かたやレグラムでかたやジュライ経済特区だ。レグラムが帝国内では辺境に当たる場所とはいえ、北西の果てとは比べるべくもないだろう。

 

「君ならわかってると思うんだけど、案外ともう時間がないのよ。その中で、どうしてもジュライは外せなかったの」

 

去年は十一月に行われた統括試験によってARCUSの試験運用が終わりに至ったことを考えると、今年も似たような日程ならば九月が最終実習となるのだろう。

ジュライ────八年前に帝国に併合され、経済特区として発展を遂げたとされる都市。確かに"帝国"という国家の在り方を考える上では外せない土地だ。戦争の結果として併合されたわけではないけれど、そもそも市国と大国が相対するのに武力など必要ないのもある。

まさかこんな風にVII組が訪れることになるとは思わなかったし、心がざわつかないと言えば嘘になるけれど、とにもかくにも出来ることをやっていこう。

 

「……そうですね。これがノーザンブリアやクロスベルだったなら、何を考えているんだと別の意味で苦悩するところでした」

 

外国であるノルドは帝国の友好地として留学生を受け入れ、また実習地としてVII組を送り出せた。自治州とはまたわけが違うし、クロスベルはともかくノーザンブリアとは友好的とは言い難い緊張状態が続いているのが現状だ。……まぁクロスベルも政治的には様々水面化であるだろうけれど、仮に帝国の学生服を纏った実習生がいたとしても襲われるといったことはほぼない。例え共和国の犯罪シンジケート組織があったとしても。

けれど、あらゆる思惑の上でジュライ経済特区が選ばれた。

 

そして八月末、実習最終日にガレリア要塞へ集合する手筈となっている、と。

 

「……西ゼムリア通商会議の日程と被ってるのはわざとですよね?」

 

移動距離を加味して実習が土日に収まらないというのはわかるけれど、それでもわざわざクロスベルで国際会議が開催される日に帝国最東端であるガレリア要塞で実習というのはそれこそ特別な意味を持つだろう。

 

「否定はしないわ。ところで、トワが会議の随行団に招集されたのは知ってるかしら」

「はい。本人から直接聞いています」

 

先月末にあった帝都でのテロ活動に対する迅速的確な手腕に対し、帝国は国家間会議の場に呼ぶという結論を出した。学生に対しては異例の抜擢だ。ましてやトワは政治的圧力は一切かからない平民である。実力主義者と名高い鉄血宰相殿の差配だろうか。

 

「それと同時に水面下の要請でVII組をガレリア要塞に留め置くことになったのよね」

「ああ、それも夏至祭の功績って感じですか」

「そうね」

 

マーテル公園に駆けつけ襲撃者を追跡したA班はもちろんのこと、競馬場の方に待機していたB班もTMPの指示の元でテロリストの攻撃を食い止めたという実績がある。トールズ士官学院一年VII組というのはただのお飾りの特別学級ではない、ということをあの夏至祭で正規軍内部にも知らしめることとなったのは間違いない。

 

「でも表向きは単なる実習よ。君たちが今年の三月頃にやったような、要塞や演習の見学を主として。要塞の警備だなんて最初っから告げてたら折角の機会を楽しめないでしょうし」

「要塞の見学って楽しむものですっけ」

「あら、あんなレポートを出しておいて言うわねえ」

「……」

 

ガレリア要塞に対する感情はともかくとして、歩測と目測が楽しかったのは確かなのでこれ以上藪をつつかないよう黙っておこう。

 

「それでこの無茶な日程になってるんですか」

 

閑話休題。ケルディックとパルムの時も思ったけれど、かなりの実習時間の差が出来ることについてはきちんと考慮されているのだろうか。……まあ、さすがに考えられているだろう。たぶん。

それにジュライ班にクロウがいるなら例え教官が駆けつけられなくとも滅多なことは起きないだろうし、見守りながらもそっとサポートの選択を取る信頼はある。もちろん、フォローしない方がいいという判断まで含めて。だからこその遠地挑戦なのかな。

 

「それに九月の方はもう随分前から埋まってて」

「あ、決まってるんですか」

「どちらも帝都に次ぐ大都市、ルーレとオルディスよ」

 

鋼都と海都。アンとクロウの故郷だ。VII組は予算と各地への通達の違いか、去年よりもずっといろんなところに行けているのでそういう意味では本当に羨ましい。いやもちろん課題や人間関係や土地の人との交流やら、大変なこともたくさんあるだろうけれど。

 

「今月の実習も含めて、いい経験になるといいですね」

「ふふ、すっかりお姉さん風吹かせちゃって」

「……あ、クロウは遠慮なくしごきあげてくださいね、教官」

 

サラ教官に微笑まれてしまってなんだかちょっと恥ずかしかったので、18日からVII組編入する人物について軽口を叩くことで逃げることにした。ごめん、クロウ。

 

 

 

 

「お、トワに用事か?」

「ううん、帰ろうと思ったら気配があったから来た」

 

本校舎の正面入口から出たところで学生会館方面から歩いてくる気配を感じて、少しだけそっちの方に爪先を向けたところで目当ての人物と接触できた。クロウも帰るところだったようで、そのまま帰路にお邪魔させてもらう。

 

「しっかし去年もだったけどあっちぃな」

「そうだね。それでも制服が機能的だからまだマシなんだろうけど」

 

去年と同じく、半袖のYシャツの上にジャケットを羽織っているわけだけれど、夏の日差しに直接当たるよりは個人的にはよっぽど涼しい。まぁ人によるので半袖で活動する人も少なくはないのだけれど。

 

「こうも暑いと荷造りも進まねえっつうか」

「……荷造り?」

 

クロウは確かに遠い遠い北西のジュライ実習だけれど実習地の発表はまだなはずで、今から荷造りをするにしては些か気が早すぎないだろうか。実習地の気候もわからなければ荷造りも何もないだろう。

 

「ああ、第三に引っ越すんだよ。短期だからこそARCUSの戦術リンクのためにも一年共と生活を共にしろって言われてよ」

 

引 っ 越 し 。

 

「えっ」

「なんだ、サラから聞いてなかったか? 18日に編入して、21日に転寮もするぜ」

 

聞いてない。いや、サラ教官もまさか私がクロウから聞いていないとは思わなかったのかもしれない。士官学院生にあるまじき思い込みという初歩的な伝達ミスだ。違う、本題はそこじゃない。

 

「じゃ、じゃあ朝とか晩は」

「暫く向こうで食うことになるだろうな。ったく、第二より第三の方が学院から遠いってんだから勘弁しろっつうの。朝寝る時間が短くなるじゃねえか」

 

あっけらかんとクロウは言うけれど、私の心はびっくりするほどにテンションが下がってしまった。まさか生活環境がそこまで離れるとは思っていなかった。ただでさえVII組はカリキュラムが特殊な組み方になっているし教室階も異なって、V組ではなくなるから実践訓練の合同授業でも顔を合わせられなくなるって言うのに。

 

「……そういう事情なら、お昼もVII組の人と過ごした方がいいよね」

 

基本的に学生食堂や、購買で買ったパンを屋上に持ち込んでランチとか、なるべく時間を合わせて一緒にいることが多かったけれど、それもよした方がいいんだろう。

 

「あー、ま、そうだろうな。……悪ィ。ここまで時間が拘束されるとは思ってなかったわ」

 

クロウもようやく生活時間の根本的な違いに気がついてくれたのか、申し訳ないような顔をする。でもそんな顔をされても、結局変わることはないのだ。それなら。

ぎゅっとクロウの片手を両手で取って、夕陽に照らされた紅い瞳を見上げる。

 

「今日から第三に移動するまでの数日間、クロウの晩御飯の時間は私が貰いたい」

 

それぐらいのわがままは言ってもいいんじゃなかろうか。……駄目かな。荷造りがあるといってもご飯は食べなければ健康によろしくないし、本当に不可能ならそう言ってくれる、たぶん。

 

「……むしろいいのかよ」

「え?」

「単位落とすオトコなんざ呆れられてもおかしくねえっつうか」

「んー、別に? それで私が好きになった部分が帳消しになるわけじゃないし」

 

それに、これを言うと調子に乗るか落ち込むかの二択だと思って伝えていないけれど、クロウのちょっと情けないところも私は好きなのだ。かわいい。

全くもって恋は盲目状態だというのはそうだろうと思うけれど、特に何かあるとも思っていないし成績も落ちていないので問題ないと判断してる。仮に問題があるなら、真っ先にアンが突っ込んでくる気もしているというか。だから、まあ、悪くないんじゃないか、って。

 

「そんなこと考えるより、ちゃんと成果出して十一月には帰ってきてよ。そしたらみんなでパーティしよ。何ならVII組も交えて」

 

そう私が笑うと、クロウは何だか、一瞬だけよくわからない表情をしたと思ったらすぐに私の髪の毛を掻き混ぜてきて、敵わねえな、って笑いこぼした。

 

ねぇ、それじゃあ今日は何を食べようか。



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17 - 08/20 荷造り荷運び

1204/08/20(金)

 

帰り際にハインリッヒ教頭から頼まれごとをされてしまったのもあり、あまり学院に長居はせずまっすぐ帰ろうと正面玄関まで来たところで二階から降りてくるリィンくんとかち合った。

 

「あ、セリ先輩」

「リィンくんも今帰り?」

「はい」

 

途中までは同じ道のりなので、そのまま二人で正面玄関を抜け校門へ歩いていく。てくりてくりと坂道を下りながら、ここ数日気になっていたことを問いかけることにした。

 

「……クロウ、そっちのクラスではどうかな?」

「結構馴染んでると思いますよ」

「そっか。よかった」

 

よかった、と何事もなく言える自分で、助かったと思う。後輩に醜い自分を見せずに済んだ。まぁそもそもこれは最終的にクロウだけがどうにか出来る話だったので、私が怒っても落ち込んでも仕方のない案件だ。あんまり深く考えるのはよろしくない。

とは、分かっているのだけれど。

 

「でもたまに授業で寝てますね」

「何で単位落としたのかわかる行動だねえ」

 

それでも留年の危機の理由から考えると出ているだけマシなのかもしれない。いや後輩にそう言う姿を見せて平気というのもどうかな。リィンくんたちには是非反面教師として扱ってほしい。

 

「ミリアムさんの方はどう?」

 

二年VI組は用務員室の隣でVII組のほぼ真下に当たるため、今日ちょっとだけVII組の方から鈍い音と共に騒動が聴こえてきていた。おそらくあの特殊戦術殻・アガートラム────ガーちゃんと呼ばれる相棒と共に彼女が腕を振り回したか何だかといったところだろうか。

するとリィンくんは苦笑いして、いろいろ常識が違いますが何とかやっていきたいです、と。

 

「まぁ、政府筋からの編入でもきちんと試験は受けているみたいだし、学力方面は問題ないだろうけどねえ」

 

むしろそういう意味ならフィーさんの方が少し心配ではあるけれど、学年主席であるエマさんがついているのなら基本問題ないとも思う。サボっているという話もあまり聞かないし。

サボる方が教頭のお小言が多くなるだろうので、そういうのが面倒という話かもしれないけれど。あるいはサラ教官からサボるならもっと上手くやれと言われている可能性もある(あの人は誰に対しても無理に止めはしないと思う)。

 

「先輩もご存知なんですね」

「おや、私がVII組教官補佐だって忘れているのかな、リィンくん」

 

とは言ってもリィンくんとはそういう立場であまり交流したことがないので、頭から抜け落ちていても不思議ではない。

 

「ああ、いえ、ミリアムの書類は秘匿事項が多かったみたいなので」

「なるほど。でもサラ教官はそういったことに関してはかなり開示してくれるよ。情報を抱え込む味方は味方面した敵だってことだね」

 

最低限の判断材料さえもなければ、部下は上官の想定通りに動くことなぞありやしない。誤った情報を元に思考し行動した結果は、奇跡でも起きない限り間違った結論へ至る。それを避けると言うのが担任教官の務めであり、それを補佐するのが私の役目となる。部下に最低限の情報すらも開示しないことは、生徒の不利益に直結するという話で。

そしてここで言うところの生徒の不利益は、生死に関わることでもある。いくら事務作業が苦手なサラ教官といえどもそこを疎かにする人ではない。

 

「確かに。先輩が動くにもメンバーの正確な把握は必要ってことですよね」

「そうそう。でもその点でいえばトワが特にすごいよ」

「あ、聞きました。結局夏至祭の広場であった混乱の収拾を見事やり切ったって」

 

そう、トワは例の襲撃に対して的確な判断を下し続け、その勇気と叡智ある行動を讃え正式に政府から特別感謝状を授与された。自分一人ではなく、複数の方向からもたらされる情報を結合し、その場以外で何が起きているのかというのを把握する俯瞰視点に酷く長けている。

それを課外活動や生徒会の手伝いをすることで間近で一年間見続け、図らずともその集大成といってもいい指揮の元にいられた私はとても運がいい。

 

「君がトワを信頼した上で指揮下に入ることがあれば、きっといい勉強になるよ」

 

上官が何を考えてその命令を下したのか、それを即座に理解するのも前線で動く人間に必要不可欠な要素だ。そしてそれには、多少なりとも相手を理解することも必要で、その人物を信頼出来たならそれは更に加速する。

たしか一月か二月辺りに上級士官志望生は一年とチームを組んで指揮系統アリの模擬戦をやっていたこともあるから、そういうタイミングで組むこともあるかもしれない。トワがそれを志望すればの話だけれど。

 

「……セリ先輩って」

「うん?」

「トワ会長のことすごく好きなんですね」

 

面と向かってそう指摘されるとさすがに照れてしまう。でも、うん、否定する理由はない。

 

「好きだよ」

 

彼女がいてくれたから、私は今でもここに立つことが出来ているのだと思う。クロウとは全く別の軸で世話になりっぱなしだ。それはアンやジョルジュもそうなのだけれど、どことなく境遇が似ているトワには親近感を覚えているというか。

 

「お、浮気現場目撃しちまったか?」

「……笑えない冗談は剣で決着をつけてもいいけど」

 

第二と第一の寮分岐に差し掛かり、左に曲がりながらリィンくんに手を振ろうとしたところで玄関前のベンチに座る影からそんな声がかかった。言わずもがなクロウだ。

 

「クロウ先輩、俺はセリ先輩とはそういうのじゃ」

「あー、リィンくん焦らなくていい焦らなくていい。ただの軽口だって」

「なんだよ、ちっとくらい慌ててくれてもいいだろーに」

「私が君のこと好きなのわかっててそう言うのかなりタチ悪いから」

 

申し訳ないといった表情をするリィンくんを二人で見送って、二人で寮に入る。

 

「ああいう風に後輩で遊ぶのよくないよ」

「いやー、あいつからかい甲斐があるんだよなぁ」

 

後輩をからかうためだけに恋人を持ち出さないでほしい。私にも彼にも失礼だ。というか気質的に真面目な人ほどクロウの毒牙にかかりやすいんだろうなぁ。……あれもしかしたら自分もその部類に入るのか?と少し考え始めていや考えるのはよそうとかぶりを振って切り捨てた。

 

「で、何してたの? 荷造り終わった?」

「不用品をミヒュトのおっさんに押し付けてきた」

「かわいそう」

 

つまりちょっと疲れたから、と木陰で涼みながら一休みしていたのだろう。クロウの部屋は見た感じ物が多いので、そんなことをやっていたら終わるものも終わらない気がするけど。

教頭の懸念は残念ながら当たりそうだ。

 

 

 

 

「クロウー? 引越しの荷造り進んでるー?」

「ハインリッヒ教頭から様子見てきてくれないか、って頼まれちゃって」

 

あれから暫くして、夕飯前にトワと揃って二人で寮の二階奥にある部屋の扉をノックすると、気の抜けた声が了承するので一緒に部屋を覗いたところで顔を顰めてしまった。

 

「おう、進んでるぜ」

「……と言いながら、だいぶまだ物が残っているような」

 

持ち出し中の耐久とかほぼ考えなくていいのだから、さくさく重い物を下に、軽いものを上にという順番で入れていけば片付かないだろうか。ジョルジュから台車まで借りてきているというのに。

 

「ああ、その辺はこっちに置いておこうかね、って」

「えっ、駄目だよクロウ君! 荷物は全部持って行かなきゃ!」

「そうだそうだ。一人で学生寮の二部屋専有するつもりか」

 

そりゃあ十一月に帰ってくるというかなり短期な転寮だと面倒くさくて一部物を置いていきたい気持ちもわかるけれど、それでもやっぱり一人一部屋の原則は守るべきだろう。

 

「え~、別に今から編入生が来るでもなし、いいじゃねえか」

「だめだめ、友だちだからって寮則は守ってもらわないと」

 

むしろトワは友人だからこそちょっと厳しくなるタイプだよなぁ。それをわかっててクロウも言っているんだろうけど。むしろここでトワがその提案を飲んだとしたら二人して驚いてそれどころではなくなる気もする。

 

「……わーったよ」

 

しかしこうしてみるとトワとクロウは尋常でないほどに体格差があるのだけれど、一番最初に見た時から仲良さそうにしていたし、クロウもなんというか撫でくりまわしながらも大切にしているのが見て取れたので、何だかんだ相性良さそうだなぁと一人笑みがこぼれてしまう。

 

そういえば前にジョルジュにも言ったっけ。大切な人たちが、私に対する表情とはまたちょっと違う形で笑っている、それを傍で見ることが許されているというのに嬉しさを感じるのかもしれない。

 

「その代わり箱詰め手伝ってくれな」

「さ、トワ、帰ろうか」

 

トワの両肩に手を置いてくるりと身体を反転させる。

 

「え、いいの?」

「いいんだよ。一人でやらせておけば。元はと言えば自業自得なんだし」

 

ここで手を出したって何の意味もない。せいぜい一人で苦労すればいい。

薄情もの~!、と叫ぶクロウに、19時にご飯だからね、と言い残して去ることにした。全く。

 

 

 

 

「その表情を見るに、まだ終わってないね?」

 

時間通りに食堂へ降りてきたクロウに、野菜とベーコンをたっぷり入れたトマトソースパスタを出して隣に座って食事を開始する。指摘した表情は当たっていたらしく、ちょっとだけぐんにゃりとなるのでそこは少し可愛い。

 

「もう少し……か?」

 

あまり当てにならない気もする言葉を聞いて、小さくため息がこぼれる。授業中に寝ていると言う話も聞いたし、荷造りで徹夜させても仕方ない。あくまで私たち学院生の本文は勉学なのだ。

 

「食べ終わって食器片付けたら私も手伝うから、さっさと寝なよ。居眠りしたら出席点にカウントしない教官だっているんだから」

「……お前本っ当にお人好しだな」

 

そうかもねえ、と軽く同意しながらVII組の話を楽しそうにするクロウの声を聞きながら、晩の時間は過ぎていった。

 

 

 

 

「そうだ、この辺の荷物お前の部屋に置いてもらうとか!」

「名案みたいな言い方で私の部屋を使おうとしないで?」

「え~、でも直ぐ戻ってくるしよ」

「……ちゃんと回収しに来てよ?」

 

 

 

 

1204/08/21(土) 夕方

 

「部屋にあった大体の荷物はこれで運び終わったよね」

「おう、あんがとな」

 

夕方になって気温がマシになってきている中で更に台車も使ったとはいえ、結局寮内での荷物の移動は手作業になるわけでさすがに結構汗をかいてしまった。貼り付くシャツが気持ち悪くてジャケットを脱ぐのも許されたい。

ロビーのソファに二人で座りぐしゃりぐしゃりと髪を掻き混ぜられて、何かを言う気にもなれずされるがまま。うーん、やっぱりいいように使われた気がしてならない。

首元とネクタイを緩めてぱたぱたと胸元を扇ぐとクロウが背もたれに肘をつきながら見下ろしてきたので、何、と問いかけたら、見えねえかなって、と返してきたので軽く肩でどついておいた。やっぱり首元は閉めよう。

 

「クロウ様、セリ様、こちらをどうぞ」

「あ、すみません」

 

そんな風に寛いていたところにシャロンさんに珈琲を配膳され頭を下げる。綺麗なカップに口をつけると、やっぱり美味しい。

鼻腔をくすぐる香ばしさを楽しんでいると、外から帰寮してくる賑やかな気配が。すると予想通りリィンくん、アリサさん、マキアスくん、ミリアムさんが玄関から入ってきた。

 

「よ、お疲れ~」

「お帰りなさいませ皆様」

「ク、クロウ先輩にセリ先輩……?」

「どうして第三学生寮に……?」

 

まるでさも今までいたかのような寛ぎっぷりで出迎えるものだから、三人とも訝しんでいる。ミリアムさんはクロウと同じ編入生だからかあまりそういった節はないけれど、情報局の一員としてわりと動じないのかも。まぁそれはともかく。

 

「ああ、VII組へ参加するにあたってこっちに住む事になってな」

「ええっ!?」

「……さすがに突然すぎませんか」

「戦術リンクとの兼ね合いの要請だから、仕方なかったんだよね」

 

私が補足の説明を入れるとアリサさんは思い当たることがあったのか、なるほど、と直ぐに頷いてくれた。一年という長い期間ならともかく、三ヶ月という短い期間で戦術リンクを馴染ませるには行動を共にすると言うのが一番だ。それが寮生活ともなれば尚更。

 

「いやー、それにしてもシャロンさんの淹れたコーヒーは絶品ッスね。こんなことならさっさと参加しておくんだったぜ」

 

クロウは前から美味しい珈琲には目がなかったけれど、シャロンさんのは特に気に入ったらしい。だとしてもさすがに二年生が一年生に混ざりたいって言うのはどうかと思う。シャロンさんの珈琲が美味しいのは私も同意するけれど!あとお茶菓子も。

 

「ふふ、クロウ様ったらお上手ですわね。よろしければ先ほど焼きあがったお菓子も持ってまいりましょうか?」

「お、それじゃあお願いするッス」

 

ハートマークが付いていそうな勢いで頼むものだからちょっとだけ心がささくれそうになるけれど、シャロンさんに対抗しようというのはさすがにお門違いにも程がある。そもそもそういうつもりもない人にそんな感情を持っても空気を叩くようなもので意味がない。

……ああ、こういう自分は嫌だな。やっぱりちょっと疲れてるみたい。

 

「てなわけで、急になっちまったがこれからヨロシクな」

 

リィンくんから聞いていた通りクロウはもうすっかりVII組に馴染んでいるようで、それには本当に安心した。腫れ物扱いされないような立ち居振る舞いを敢えてしているのはわかるけど、それでも受け入れられるかはまた別の話だ。

だから、クラスに馴染めず授業にも出ず留年なんてことにはならなくて、本当に三ヶ月で帰ってきてくれそうだな、とも思えたというか。

 

「それじゃ、私はそろそろ帰ろうかな」

 

珈琲を飲み干し、傍らに置いていたジャケットに腕を通し前を閉めながら立ち上がる。

 

「シャロンさんの菓子食ってかねえの?」

「前にも頂いたからね。それに、美味しいからって食べすぎたら駄目だよ」

 

座りっぱなしのクロウの銀髪にさらりと手を入れて頭を撫で、みんなに軽い挨拶をしてから第三寮を後にした。

後でちょっと街道に出て、夜になるまで素振りして頭を空っぽにしようかと思案する。

 

……ここ数日で自分の心の弱さと狭さを痛感したので、もっと強くなりたい。

でもそれは、どうしたらいいものなんだろう。

 

 

 

 

1204/08/22(日) 自由行動日

 

何だか最近ずっと精神が乱れているし、エリオットくんに誘われていたこともあって七耀教会に顔を出すと普段はないピアノや譜面台が運び込まれており、既に楽しそうな雰囲気が構築されていた。

どこに座ろうかな、と席を見回していると、会場のセッティングの最終確認をしている男子生徒と目があった。吹奏楽部部長のハイベルだ。

 

「やあ、セリ。来てくれたんだ」

「お疲れさま、ハイベル。エリオットくんに誘われて。……その、腕は災難だったね」

 

視線を下ろすと三角巾で吊るされている右腕が目に入る。先月あった不慮の事故により、トリスタの夏の恒例行事である士官学院吹奏楽部による演奏会でヴァイオリンを弾くことは叶わなくなってしまったと聞いた。

けれど彼は私の言葉に少しだけ微笑んで、首を振る。

 

「確かに残念ではあるけど、だからこそ見れたものもあると思ってるよ」

 

え、と顔を上げてハイベルが向けた視線の先を辿ると、懸命に最後の準備をしている一年生たちが見える。ピアノの前に座り呼吸を整えているブリジットさん、フルートの指さばきを確認しているミントさん、奥でリィンくんと調音しているエリオットくん。

みんな緊張した面持ちではあるけれど、どこか和やかだ。

 

「後輩だけに任せることになってしまって申し訳ない気持ちはあるけれど、こうして内側と外側の間から彼らを見て支えて、送り出してあげられるのは今年の自分だけさ」

 

あわいにいる者だからこそ出来たことがあると、そんな意味で落とされた言葉には強がりによる虚勢ではない、確かな"力"が籠められていた。

 

「……ハイベルは凄いねえ」

 

今のはまるで司祭さまのお話を聞いているような心地になった。

でも、そうか。失敗ばかりを見ていてはいけない。その中でどう立ち回り、どう見届け、どう支えるのか。誰かの未来を考えて実行出来るのはその人物を知る人間の特権だ。VII組補佐という立場は、図らずとも私にその権利を与えてくれている。公私混同をしてはいけないけれど、それはキツく当たるというのももちろんながら、避けてしまうというのもそうだ。

私はとても未熟で、現実と自分の感情の折り合いをつけることが未だ不得意だ。それでも出来ないことを悔やみ続けるより、出来ることを探すというのは心構えとしていいと思った。

 

「さ、そろそろ始まるから席について聴いていってくれよ」

 

私の感情のなにがしかに気が付いているのかいないのか、さっきと変わらない風情でハイベルは笑って席へと促してくれる。その気遣いに感謝しつつ、とうに来ていたメアリー教官の隣に座らせてもらったところで夏の演奏会が始まった。

 

 

 

 

「すっごく良かったよ、エリオットくん!」

「そう言ってもらえて嬉しいです。来てくれてありがとうございました、先輩」

 

夏ということで楽しげな旋律から始まり、どこか清廉さと涼しげな音色を交えながら紡がれていった音楽は本当に楽しませてもらった。ここ最近の悩みを考えなくても良かったぐらいに。

トリスタ教会では士官学院生徒による演奏会が恒例行事になっているとは聞いていたけれど、そりゃあこんな演奏会をしてもらえるなら町の人も集まってきてくれるだろう。それに小さい場とはいえきちんと発表する機会があるというのは奏者としても得難い経験だ。目標があるというのは大きな心の支えになる。

 

「ううん、こちらこそ誘ってもらえて良かった」

 

ハイベルと今日話すことが出来てすこし気が楽になったし、もちろん一年生みんなの演奏も素晴らしかった。二年生に代わってリードヴァイオリンを担当するということできっと緊張しただろうに、それをやりきったエリオットくんには万感の拍手を送りたい。

 

まだまだ話したいこともあったけれど、町の人で彼に話しかけたい雰囲気を出している方もいらっしゃったので、私は吹奏楽部の面々に手を振って教会を後にした。

するとタイミングよくARCUSの通信音が聴こえてきたのでポーチから出して応答すると、アンから今日リィンくんにサイドカーの依頼を出すから立ち会わないか、というお誘いが。もちろん行くよと答えて技術棟へ走り出した。



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18 - 08/28 思うところ、アリ

1204/08/28(土) 早朝

 

今日からクロウが特別実習に行くので、ちょっとだけ顔が見たいなと思ってトリスタの中央公園のベンチでぼんやりとしていた。

列車の切符を取ったのは自分なのでVII組がどういうスケジュールで動くのかははっきりと把握しているのだけれど、早朝の空気で頭を冷やしてから会った方がいいと思ってこんな時間に出てきてしまった。いくらジュライが遠いからといってキルシェも開いていない時間だ。……さすがにちょっと早すぎただろうか。

 

だけど自分に出来ることを、と言ってももう今回の実習に関して自分が関われるところはとうに過ぎ去った。たとえ何があっても私が動くことはないだろう。

クロウのことを心配しているというより、クロウともっと時間を持ちたいという、これは実習とかそういうのは関係なく単なる自分のわがまま。いや今までがあまりにも近過ぎたから離れることに慣れるべきなのかもしれないけれど。こんな状態で本当に、人生の分岐で別れる日が来たときに自分が納得出来るのだろうか。

ううん、やっぱり思考が堂々巡りになっている気がする。

 

「あら、こんな朝早くにどうしたの?」

 

思考がよくない方向へ曲がりかけていたところでその声に顔をあげると、白い帽子から長い髪の毛を覗かせ、赤い眼鏡をかけた女性が私を見下ろしていた。こんな朝早くにどうしたの、なんてそれはこちらの台詞ではないだろうか。

 

「その制服、学院生さんよね?」

「あ、はい」

 

私が少し困惑していると、その人はひらりと隣に座ってくる。驚いて一瞬距離を取ろうとしたところで、懐かしい香りがよぎった。

 

「どうかしたかしら?」

「……エリンの花の香りが、したと思いまして」

「あら、わかる? そう、お気に入りの香りでずっと使っている香水なの」

 

春頃にイストミア大森林へ入ると手に入れられる薬草のひとつだ。花としても綺麗で、香りがよく、観賞用として手に入れる人もいるらしい。旧都の大聖堂から要請を受けて持っていくこともしばしばあった。

 

「それにしてもラベンダーのなかでも特にエリンの花だってわかるなんて、すごいわね」

「故郷の近くに群生していたので」

 

どことなく懐かしい香りに惹かれたのか、つるりと初対面の人にそんなことを喋ってしまう。するとその人は、あの森の近くなのね、と女の私でさえうっとりとするような微笑みをたたえて呟いた。あ、なんだか、この人は。

 

「それで、貴方はどうしてこんな朝早くに暗い顔をしていたのかしら」

 

────たしかに何かを考えていた筈なのに、思考は問いかけの中に消えてしまった。

 

「ええと、人を、見送ろうと、思って」

「遠くに行ってしまうの?」

「いえ、数日で帰ってくる予定なんですが」

 

そう、たったの数日だ。ジュライに行って、ガレリア要塞に行って、それだけ。それなのにどうしてか心が落ち着かないのだ。

 

「ズバリ、恋人でしょう」

「えっ」

「ふふ、どうやら当たったみたいね?」

 

くすくすといたずらっ子みたいに女性は笑って、私を真正面から見つめてくる。帽子のつばの下で、紫耀石が暗がりで光った時のような色。それこそ、エリンの花が夜に咲いた時のそれ。何もかにも見透かされてしまいそうで、ベンチに置いていた手をぎゅっと強く握りしめてしまった。

 

「愛し合うって、自分を捧げるばっかりじゃ駄目なのよ。こんな早朝から待つのもいいけど、彼が訪ねてくるのを待つのもいいんじゃないかしら?」

 

なんてね、と跳ねた声と共にその人は立ち上がる。

 

「お姉さんからのアドバイス、お節介だったらごめんね?」

 

ウインクをしてその場から立ち去ろうとするその人の手首を掴まえようかと思って、いや見知らぬ人間がしていいことじゃない、と私は持ち上げかけた腕をおろし、駅舎に入っていく影をただただ呆然と見送った。

開いて見下ろした手のひらには爪の痕。いたい。

 

 

 

 

「ああ、朝にクロウこっち来たんだ」

 

昼頃に購買で買ったパンを数個技術棟に持ち込んだら、バイクのメンテナンスでかアンもそこにいてなんだかんだ三人で昼食を取ることに。

 

「うん。オーブメントの調整で実習日はいつも朝から開けてるからね。セリがいなかったのが意外そうだったけど」

 

結局、見送りには行かなかった。言われた通りにしてしまったけれど、確かに何だか自分ばかり追いかけているような気になってしまって、そんな筈はないのにそんな気分になるっていうのは良くない精神状態だと判断して会うのは諦めたのだ。

自分がこんなことになっていることについて、うまく言語化も出来ないまま会うべきじゃない。むしろ実習があって助かったとも言える。クロウがいないこの数日で何とかどうにかしたいところで。

 

「……まあ、いろいろあって」

「フフ、セリもさすがに愛想を尽かしたかな?」

「別にそういうわけじゃないよ」

 

むしろ自分に愛想を尽かし気味というか。クロウのことは今でも好きだけど、一緒に卒業しようと言ったことが反故にされかかって、それについて何とも思っていないような風情で……、ああ、そう、たぶん悲しいのかもしれない。

別に謝られたいわけじゃないけれど、話題にもしないからその程度のことだったのかなって。

 

「セリは内側に溜め込みやすいからね、きちんと言葉に出すのが当面の目標かな?」

「……ジョルジュのそういう分析って当たってるからなぁ」

「いや、これに限って言えばセリがわかりやすいんだろう」

 

言葉に出す。言うは易しだけれど難しい話だ。私は同年代の人が街にいなかったこともあって、周りは年上ばかりだった。だから、その、自分の感情を発露する前にみんな察してくれてしまっていたのだ。人の厚意にあぐらをかいていたとも言う。

それでも以前よりは言えるようになってきてはいるんだ。アンとぶつかることで自分の要求を突きつけそれが通ることを知ったし、実習の目的を見据えて自分の意見を言うことも厭わなくなったし、誰かに迫られた時にしっかりNOと発することも出来た。昔の自分からは考えられないほど進歩はしている。でも足りない。

 

「でも結局のところわがままだから」

 

クロウが今やるべきことは卒業を目指してVII組で健やかに授業へ出ることで、私に構うことではない。というかそんな暇はない。だからそれを邪魔すると言うことは卒業までの道のりを阻害しているということに他ならないわけで。

 

「セリ」

 

アンの真っ直ぐな声音に顔をあげる。大抵こういう声の時にはとても大事なことを言うのだと経験則でわかっているので、背筋を伸ばしてその瞳を見つめ返した。

 

「恋人のわがままも聞けない男とは別れてしまえ」

「極論すぎない!?」

 

だけどさすがに反論してしまった。

 

「いいや。かわいいかわいい愛しい人間のわがままを自分だけが聞き自分だけが叶えられる、その権利が恋人だと私は思っているよ。クロウにその甲斐性がないとは思わないさ」

「まぁ、わりとセリからおねだりされたら聞きそうではあるけど」

「いやそれだと余計にわがままを言っては駄目なのでは?」

 

確かにクロウは私に甘いかもしれないけれど、身持ちを崩してまで甘くされても困る。

 

「それで再度単位を落とすならそれまでということだろう。……と言いたいが、セリはそれを気にしないでいられるタチじゃないか」

「残念ながら」

 

正直学力方面の単位落ちではなく、単純な出席点での不可を貰っているらしいので居眠りさえしなければ大丈夫だとは思う……のだけれど。トマス教官やメアリー教官あたりは何とかOKをくれるかもしれないけれど、ハインリッヒ教頭相手だとたぶん駄目。いやどの単位を落としたのか具体的には知らないけれど、一年生の必修だというので専門科目じゃないのは確定だ。

 

「全く、こんなにかわいい恋人を放っておくとは。私に鞍替えするのはどうかな?」

「今のは慰めだと受け取っておくね」

「まさか、私はいつだって本気さ。セリならいつでも歓迎させてもらうよ」

 

そんな軽口とともに飛ばされたウインクに関してははたき落としておいた。恋人を放っておく人間が駄目なら、恋人がいる人間を口説く人間も駄目だと思いますよアンゼリカさん。

 

 

 

 

1204/08/30(月)

 

「おはよう、トワ」

「あ、おはよう」

 

通商会議随行団との最終の打ち合わせもあってか、八時半過ぎに専用列車で帝都を出る予定のトワはほとんど始発と言ってもいい時刻にトリスタを出発すると聞き私も早起きをして食堂へ出てきた。

 

「今日明日が通商会議だよね」

「うん、私に何が出来るかわからないけど、しっかり勉強させてもらってくるよ」

 

ぐっと両の拳を握ってやる気満タンの姿を見せてくれるトワの熱に笑いがこぼれる。うん、トワのこういうところ本当に好きだ。

 

「トワならきっと出来るよ」

 

なんなら要求された以上の仕事をこなせるだろうとも思う。ここ最近ずっとクロスベル問題について勉強し直していたし、そうでなくとも事務作業に関しての手腕は学生の域を出ていると言ってもいい。だからこそ帝国政府もトワと強い繋がりを作るため、召集という形といえど本人の意思を尊重する形で提案をしたのだ。

 

「ありがとう」

 

ふわりと笑うトワは朝食を食べ終わったようで、後片付けは帰った私がやっておくよ、と食器を水につけて出発を促す。するとジョルジュも出てきていて、それじゃあ見送りに行こうかと三人で玄関を出た。アンがいないのがそれこそ意外だけれど、まぁ寮も違うしそんなものかな、と考えつつ他愛のない話をしながら駅に着いたところで。

 

「……アン?」

「やあ、遅かったじゃないか」

 

明らかにどう見ても旅行に行くのかという風情のアンが駅舎の待合ベンチに座っていた。

 

「アンちゃん、これから旅行?」

 

まあ貴族生徒は八月いっぱい休みではあるけれど、このあと二日という時に行くものだろうか。いやアンなら思い立ったが吉日を地で行くのも不思議じゃないな。

 

「いや何、私もクロスベルに行こうかと思ってね」

「は?」

 

とはいえその発言には思わず変な声が出て、人の少ない駅舎にうっすら声が反響してしまった。

西ゼムリア通商会議という大陸の西にとってほぼ初と言ってもいい国際会議の開催でクロスベルが極度の緊張状態になっているところに、貴族派筆頭面子である四大名門の人間がクロスベル入りすることが現地に何を思わせるのか、背負わせるのか、わからないほど愚鈍じゃないだろう。

 

「もちろん、私が個人とはいえ自治州入りすることの是非はあるだろう。それでも休暇が明日まであるということの意味を考えていた」

 

組んだ膝の上で両手を絡ませ、アンは喋る。

 

「通商会議の場に行くことなど無論叶いはしないが、トワがクロスベルで誰かを頼りたいと思った時、何の憂いもなく傍にいられるのは私だけだと気が付いてね」

 

それは、そうだ。クロウはVII組にいて実習中で、私とジョルジュは当たり前のように通常授業がある。その点だけでいえばアンは適役だ。学生にとってのスケジュール的な憂いはない。

 

「アンの突拍子もない行動はいつも通りだけど、今回は特にだね」

「フフ、何もなければクロスベル観光をして帰ってくるさ」

 

ため息を吐くジョルジュにウインクをするアンはいつも通りの表情で。つまり彼女も彼女なりにトワの身を案じて、自分に出来ることをしたくなったんだろう。それを私が否定するわけにはいかない。

 

「……トワはそれでいいの?」

「正直、アンちゃんがARCUSの通信圏内に居てくれるのは心強い、かな」

 

えへへ、と笑いながらトワが心の内をそう吐露するものだから、なるほど、と小さく頷く。心配されるトワ自身がそう思うなら。

 

「アン、気をつけて行ってきなよ。今から行くなら定期飛行船使うんだろうけど」

「ああ、鉄路ではすこし時間がかかりすぎるからね」

 

拳を軽く掲げると、アンもこつんと私のそれに自分のをぶつけてきた。

そうして帝都へ向かう二人を見送り、ジョルジュと一緒に寮への道を。あとはトリスタで教会で祈ったり、空いた時間にラジオ放送を聴くことしか出来ないけれど、きっとそれも無駄じゃない。

 

 

 

 

1204/08/31(火) 西ゼムリア通商会議・本会議日

 

四限にあったハインリッヒ教頭が受け持つ倫理政経の時間では、これも帝国の歴史に刻まれることになるだろうと帝国時事放送が流すラジオ放送で通商会議の速報を聞かせてもらい、放課後は技術棟に駆け込みジョルジュと一緒に会議の内容を固唾を飲んで聞いていた。

 

クロスベルは帝国と共和国を宗主国に据える自治州だ。その成り立ちはあまりにもいびつで、税収の大半はそれぞれに分配されている公的な記録があるほど。外貨が行き交う余地があるだけまだ何かがきっかけに動く可能性はあるだろうけれど、それでも大国に挟まれている自治州という点であまりにも立場が弱いと言わざるを得ない。

 

「……これは、通商会議というよりは自治州というパイの取り合いの様相を呈しているね」

「そうだね。宰相殿も共和国の大統領閣下も、自治州の治安維持機能の脆弱さを盾にしてお互いが合意できる落とし所を探しているのが露骨というか」

 

そもそも自治州の治安維持部隊に関しては自治州法で様々な取り決めがされている。例えばRF社の最新型戦車アハツェンのようなものを購入することは固く禁じられていたはずだ。配備出来て装甲車程度のもの。いくらクロスベルがその財力で以て最新型を配備出来るといっても戦車と装甲車では雲泥の差と言える。

政治的に弾圧している自治州が武力を持ったら歴史を鑑みると刃向かいかねない、その為にあらかじめ牙を抜いておく。そういった一方的且つ不完全な法制度を自治州成立の折に帝国・共和国両者から押し付けられたというのは、記録を丁寧に紐解いていけば明らかだ。

ジュライよりは成立が過去だからか、ある程度の資料を一介の平民の身でも押さえることができたのは僥倖だった。

 

「リベールの王太女や、太閤閣下は反対みたいだけどね」

 

それはそうだろう。いわばリベールやレミフェリアはクロスベルの外の外に位置する。帝国や共和国のようにクロスベルという財源に関わってはいない。関わっていたとしても、国のトップとしてそれを反対する立場にあったかもしれないけれど、取れるものを取るという姿勢の人間がいるからこそ大国が大国でいられるのだとも思う。

 

「レマンやオレドのように、法国が宗主国であればこういうこともなかったんだろうけど」

 

しかしそれは歴史的に見て無茶な話だ。そしてこれからも、二大国が金の卵を産む鶏をむざむざと手放す筈がない。アルテリア法国は七耀教会の総本山であり、また統治については現場に委ねているため、法国が宗主国を担うということは実質上の都市国家の成立とも言われている。クロスベルが法国を宗主国といただくには、歴史的にも地理的にも政治的にも、あまりにも壁が多すぎる。

 

「……それでも、これが私たちの国なんだよね」

 

この無茶苦茶な会議を見届けるのも、帝国民としての義務だろう。歴史というタペストリを紡ぐのが政治家だとしても、国家は政治家だけで成り立っているわけじゃない。それを支持する勢力・人間がいてこそ。そしてオズボーン宰相閣下は、陛下直々に伯爵位と共に宰相の地位を賜っているというのは、つまりそういうことに他ならない。

 

ガレリア要塞の見学時に、クロウへ宣言したことを思い出す。

────私は、自分の国を誇らしく思える日を諦めたくない。胸を張って帝国国民なんだって言えるようになりたい。

 

自分がそう言えるようになるには、何十年、あるいは死後何百年もかかるかもしれない。それでも、世の礎たれ、とこの士官学院を設立されたドライケルス帝の言葉を胸にその未来を望んで一歩一歩進んでいくしかないのだ。

 

茶々を入れる人間が誰一人としていないので、静かに会議を聴いていたところで、突如妙な音が断続的に走った。ジョルジュと二人で顔を見合わせる。

 

「これ……」

「ガトリング弾が防弾ガラスに叩きつけられる音、かな」

 

音だけでそこまで把握出来るのか、とジョルジュの分析に舌を巻く。

 

「破砕音はないし、地上からわざわざ襲撃というのは警備態勢的に考えづらいからガンシップとかだろうね」

「……そりゃ、国のトップが集まる絶好の場をテロリストが逃すわけもない、か」

 

帝国政府のトップである宰相殿や士官学院知事であるオリヴァルト殿下が参加されているのは重々承知している。きっと情報局は分析しきって手を打っているだろう。それでも私は、そんな前提を考える前にトワのことで頭がいっぱいになってしまった。

 

「……嫌な案をひとつ思いついたんだけど」

 

ジョルジュが暗く固い声で呟く。心情的にはこれ以上不安になると辛いけれど、自分にない視点はいつでも知りたいし学院生として可能性から目を逸らしては駄目だ、と視線で先を促した。

 

「こうも大胆に会議の場を襲撃したテロリストたちだけど、もし、もっとなりふり構わなかったらどうだろう」

 

なりふりを構わない。それは例えば、現場に入った戦闘員ごとビルを倒壊させるとか、そういう状況だろうか。しかし大陸最高峰のビルの倒壊に必要な火薬量をざっと計算するに、ガンシップ数台に積み込める量ではないのは直ぐに弾き出せる。つまりそういう物理的な話では。

 

「────あ」

「気が付いたかい? クロスベルの西には、それを実現させられるモノがあるんだ」

 

列車砲。現時点での人類の最高到達点とも言われている大量殺戮破壊兵器。

そうだ。仮にその主導権を奪取され、タワーの崩壊に巻き込まれたらまず助からない。200セルジュ先の都市を破壊することだけ考えられた兵器であることから、照準を合わせる機構に関してもある程度簡便に運用出来るようチューンナップされていることだろう。

そしてオルキスタワーのような地上40階建ての巨大なものが倒壊したら、市街に瓦礫が降り注ぐ。タワー内部にいないからといって安全では全くない。

 

もし、帝国解放戦線が帝国内部の権力と繋がっていたのなら、要塞襲撃も計画し実行できる資産と兵力があったのなら、それを狙うのは至極真っ当とも言える。

だからサラ教官はVII組を遊撃哨戒として充てたのだろうか。偶然ではないと言っていた。であるのならばガレリア要塞も主戦場だ。

 

「……トワ、クロウ、アン……三人とも無事に帰ってきて……」

 

どくりどくりと痛む心臓を無視し、ぎゅ、と握った両手を額を当て女神さまに祈る。

遠い遠い地にいる大切な人たちに私が出来ることなど、もうただそれだけだった。



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18.5

『トワ、クロウ、みんな……!』

 

ガレリア要塞列車砲奪還の功労者として、《鋼鉄の伯爵》なんていうクソほどにいけすかねえ大仰な名前のついた政府専用────とはどうせ名ばかりだろう鉄血の野郎専用列車にトワと一緒に放り込まれ、トリスタまで送られた時の話だ(正直あんなもんに乗るくらいなら首を掻っ切って死んだ方がマシだとさえ思ったが、まぁ俺はとうに死んでるようなもんだ)。

 

サラから帰る算段を伝えられていたのかオレたちが駅舎を出たところで、セリとジョルジュが出迎えに来てんのが見えた。その瞬間、セリが走り出してトワを抱きしめ、生きててくれてよかった、と震える声で落としたのが今でも耳に残ってる。

 

『クロウも、VII組のみんなも、本当にありがとう』

 

トリスタにいて、ラジオ放送を聞いて、女神に祈るだけしか出来ないことに精神を消耗したんだろう。待つのは辛いことだ。俺もよく知ってる。

そしてそれを引き起こしたのが自分だっていうのも重々承知している話だ。

 

クロスベルでの襲撃がうまくいくとは思っちゃいなかった。

ガレリア要塞での襲撃も、布石のつもりで打ったもんだった。

 

それでも、何かが奇跡的に噛み合えばトワは巻き込まれてそのまま死んでただろう。それを理解した上で俺は最終的な作戦の実行を決めた。大勢の人間の命を奪った。帝国解放戦線の人間だけじゃねえ。クロスベルの警察だの警備隊だのの人間も、ガレリア要塞に詰めていた正規軍も、突き詰めたら俺が命を奪ったことに他ならない。その責任を負うのがリーダーの務めだ。

 

ノルドの監視塔砲撃でも死者は出たと聞いてるが、今回は規模が違う。人間の命に貴賎はないってのが理想論だが、所詮理想でしかないわけで。

ああ、人間一人殺したら殺人者で、一万殺したら英雄だってのは誰の言葉だったか。

 

まぁ、ともかく、英雄だろうがそうじゃなかろうがそんなヤツをあいつらが赦すはずもない。

今日はどいつもこいつも知らねえうちに、決定的に俺たちの道が違えた日だ。

 

分かってる。それがいつか明るみに出るってことを。

でも、今だけは。その時までは。せめてこのぬるま湯に浸かっていたいと思っちまった。想定通りとはいえ、トワが死なずに済んでよかったと、ほっとする自分を肯定してやりたかった。トワを助けてくれてありがとう、と泣きながら嬉しそうにするセリの視線を受け取る立場でいたかった。

 

「……軽蔑でも憎悪でも呪いでもいいから、お前の視界の中に、心ん中に残っていたいと思うなんて、ほんと、なんでこうなっちまったかねえ」

 

お前という世界の先に自分の席はないと分かってて、なおもこの関係を続けるだなんて滑稽にも程がある。それでも、お前を滅茶苦茶にして、お前に滅茶苦茶にされたいって、望んだ俺を、どうか一生赦さないでくれ。



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19 - 09/06 困惑感情

1204/09/06(月) 放課後

 

いろいろあった八月末の新聞と正規軍の報告書とレポートを屋上で読み終え、一息つく。

 

例のクロスベル襲撃は帝国テロリストである帝国解放戦線と、共和国テロリストである反移民政策主義一派による合同襲撃だったようで、それぞれ大国に雇われていた猟兵などが始末をつけたと記録されていた。共和国の方はそのまま連れて行かれ、帝国解放戦線の方は……ただ一人を残して鏖殺だ。

そして自治州法では宗主国の委任状がある場合、猟兵が自治州内でテロリストの殺害を行なったとしても公的執行権による処刑として認めざるを得ないらしい。自治州は自治州内での事件を己で裁くことすら出来ないのだ。

 

これによりクロスベルはより一層治安維持に関して難題を突きつけられることとなるだろうと思った矢先、ディーター・クロイス市長はクロスベルの国家独立を提唱した。

地理的にも政治的にも不利である自治州が二大国に反旗を翻すということは、何某かの備えがあるという表明でもあるだろう。一体それが何なのかはわからないけれど。

 

そして帝国内で起きたガレリア要塞内での襲撃は関係者一同に緘口令が敷かれることとなり、政治的な思惑も加わって諸外国に発表はしないという判断が下された(前年度試験運用組は流れで知らされたというだけで、通常知ることはない)。

国外で猟兵を運用しテロリストを処刑した帝国が、あろうことかおなじテロリストに軍事的重要拠点を奪取されかけたなど醜聞もいいところだ。治安維持のために軍を駐留させ有事の際に助力するという話にも説得力が出なくなる。

合理的な判断だとは、思う。それを支持出来るかはまた別の話だけれど。

 

鞄に資料を仕舞い込もうとしたところで手が震えているのに気が付き、多少開閉させる。戦闘訓練の時には起こらないので、気が緩んだ時にうっすらと出るストレス反応だろう。トワが死ぬかもしれなかった事件からまだ一週間も経っていないから当たり前といえば当たり前か。

帝国解放戦線……テロリストらしく、目的の為なら手段を問わない集団。ノルドの事件も夏至祭でもそうだったけれど、規模が段違いに跳ね上がった。ガレリア要塞の襲撃なんて、通常叶うことじゃない。なんせ共和国に対する第一線だ。備えも練度も他地方に比べて数段上の場所。

 

「帝国解放戦線、リーダー、《C》」

 

それがあのオルキスタワーの襲撃と列車砲奪取の計画を実行した人間。仮面とコートに覆われ、声も顔も体格も全て隠されていた謎の人物。唯一わかっているのは暗黒時代の武器、双刃剣の繰り手だということぐらい。しかし幹部が顔を晒していることを考えると、身分を隠さなければいけない立場……帝国内の政治的重要人物の可能性もあるだろうか。

その資金力と行動力と目的人物からして貴族派と繋がっているという噂も出ているようだけれど、あくまで噂の域を出ない。長年政争をしているのだから水面下で争うということは基本中の基本でそうそう尻尾を出さないだろうし、掴まれそうになったら切る準備もしている筈。

 

まぁ、そういう政治的側面を排除した時、残る感情は一つ。

流れ弾だとしてもトワを殺そうとした。ただその一点において、帝国解放戦線は私の敵だ。

 

 

 

 

学院から出て坂道を下り、キルシェで晩御飯を食べるなり買って行くなりブランドン商店で安い食材でも見繕うなり、どうするかと迷っていたところでル・サージュから出てくるクロウが見えた。向こうも私に気がついたようでお互いに近寄っていく。

 

「何か買ったの? 秋物?」

 

手からぶら下がっている紙袋に視線を落とすと、あぁこれか、と少し掲げられた。

 

「VII組仕様の制服を受け取れって言われてよ」

 

VII組仕様。ということはつまり赤い特科クラスの制服だ。二ヶ月だけの在籍で、特別実習はあと一回だけなのに(加えてその実習が行われるかは今月半ばの理事会で最終決定されるというのに)、それでもクロウは赤を身に纏うらしい。団体行動としてそれは理に適っている。形がいくら同じでも色が異なれば団体の一員として見なすのが一瞬遅れるからだ。予算としても問題はないだろう。

それでも、私はなんだか、ひどく泣きたいような気分になった。十月が過ぎれば、十一月になれば、クロウは帰ってくるとわかっているのに。

 

「おい、大丈夫か?」

 

声をかけられてハッとする。

 

「うん、大丈夫。……ちょっと暑気あたりかな」

 

多少涼しくなってきたとはいえ、太陽がまだまだ元気に輝くこの季節。そう言ってもあまり怪しくはないだろう。

 

「ならいいけどよ」

「じゃあ帰ろうか」

 

そう言葉をかけた瞬間、クロウの帰る場所は第二じゃなくなったことを思い出す。今日はここでお別れ。そうだ。朝食を一緒に食べることも、夕食を共にすることも、なくなっていた。

このたった二週間だけでも寂しくなっているのに、これがあと丸々二ヶ月続く。わかっていたのにこんな言葉が出てくるだなんて、認めたくないんだな、なんて自嘲が内心こぼれた。

 

「ごめん、クロウは第三だったね」

「……晩飯来るか? たぶんシャロンさんなら一人増えてもどうにかしてくれんだろうよ」

 

誘いの言葉を受けて、シャロンさんなら、まぁそうだろう。何があっても狼狽えている姿はあまり思い付かない。VII組の人たちもある程度知っている人ばかりだし、私のことを邪険にはしないだろうと思う。いい人たちだから。それでも。

 

「ううん、使い切りたい食材があるから今日は遠慮しとくよ」

 

私は、一年生の中で居場所を見つけている君を、見たくはなかった。まるでずっとそこにいてしまいそうな、そんな気がして。クロウの水みたいな適応力の高さが好きだけれど、VII組に適応している姿を見るとそれが憎らしく感じてしまいそうになる。仲良くしているのは喜ばしいことなのに、君の幸福を祝うことが出来ない自分が見えそうで。

 

そしてこんな感情、どうやって伝えればいいのかわからないし、伝えた先でどうして欲しいのかもわからない。そんな結論も要求もない感情をぶつけられてもただただ困るだろう。

だから嘘をついて、第二の方へ爪先を向けるしかなかった。

 

 

 

 

1204/09/15(水) 放課後

 

「学院長が進行役を務める理事会において、全会一致で特別実習の続行が可決されたわ」

「それは何よりです」

 

いつも通りミーティングルームで教官に呼び出され、理事会の決定を告げられる。

ガレリア要塞の警備という意味も込めた実習だったとしても、列車砲奪還に対しての行動は浅慮ではなかったか、という話も出ていたと聞いたので延期か中止か、そういう進言もあるだろうと予想していた。

けれど予定通り、鋼都と海都への実習は行われる。

 

「全く、誰も彼もスパルタよねえ。学院祭だってあるのに」

「あは、去年私たちは強制じゃなかったですけど、VII組はクラスですもんね」

 

二年生は進路等々のことがあるため希望者のみ学院祭で出し物ということになっているけれど、代わりにか一年生はクラス単位での出展がほぼ義務付けられている。無論VII組も例外じゃない。

学院祭、懐かしいな。もうあれから一年か。

 

「ま、何も思い浮かばなかったらレポートの展示にでもしましょうか」

「それは……当の本人たちが嫌がりそうですけど」

 

そうねえ、と楽しそうに笑う教官はいつも通りだ。

 

「教官はスパルタだって言いますけど、ようは愛ですよね」

 

今の理事はアルバレア公子に、帝都庁長官レーグニッツ殿、RF社会長ラインフォルト氏だ。全員の身内がVII組に在籍し、命に関わる作戦を遂行した。家族心とするなら中止を進言してもおかしくはない。が、全会一致ということは紆余曲折あったにせよ全員が続行に理解を示したということに他ならない。

すなわち、彼らならやれると。特別実習をこなしつつ、それに圧迫される通常カリキュラムも規定通り修め、学院祭出展も出来ると信じている。

 

「ええ」

 

同意して笑う教官も、みんなのことを信じているのだろう。

 

「それじゃあいつも通り、チケットの手配とかやっておきます」

「あ、それに関してなんだけど、行きの手配は必要ないのよ」

「……教官、一体何を企んで……?」

 

思わず私が訝しむと、あたしの発案じゃないわよ!、と一枚の紙を差し出してきた。私の記憶違いでなければ皇室印が捺されている上に、責任者のところにはオリヴァルト・ライゼ・アルノールと見事な筆致で帝国第一皇子殿下の名が記されている。理事長でありVII組発起人とはいえここでこの名前を見ることになろうとは。

もうそれだけでくらくらする文書だというのに、これまた内容までくらくらするもので、なるほどこれは行きの鉄道手配は要らないな、と納得して書類を返した。

 

それなら私がやるのは復路の手配に、宿泊場所に関してはおそらく鋼都組はアリサさんがいるためRF社周りへお邪魔すると思うので主に海都での調整、後日渡されるだろう資料を導力端末で打ち込みレジュメの作成、と。まぁ往路復路の手配は一括でやっていたので、あんまり手間もやることも変わりはしない。そんないつものことをまた変わらず出来るというのは嬉しいことだ。

 

「ところで、ここ最近浮かない顔してるけど」

「それ他の人にも言われました。暑気あたりかなって」

 

体調管理しっかり出来てなくてすみません、と笑ったのに、サラ教官は決して笑い返してはくれなかった。心臓がぎゅっとなる。

 

「クロウのこと? それとも、トワのこと?」

 

そうして、鋭く言葉が飛んでくる。

そんなにわかりやすいのかなぁ、自分。斥候としてはちょっと情けない気もするけれど。それでも、踏み込まれたことを拒絶する相手ではないし、踏み込むと決めた教官に誤魔化しなど通用しないのも分かっている。だから。

 

「……両方、ですかね。トワのことはもう過ぎた話ですが」

 

素直に答えておくことにした。

 

「そう」

「でもクロウに関して教官を恨んだりはしてませんよ。単位が足りていないのは事実でしょうし、帝国で起きているあらゆることを考えたら実習で直面しかねない『何か』も想定内に収まるとはいかないでしょう。そんな中で土壇場にリンクが繋がりませんでした、なんて笑い話にもなりません」

 

戦術リンクは戦場での選択肢の幅を広げる。それはすなわち、正しく運用出来るなら生存率の向上も含まれる。クロウは今年度の頭からVII組と関わっているとはいえ、戦場で背中を預けられるかどうかというのは別の話になる。故に、信頼関係を築く為に生活を共にするというのは理解するし、そうするべきだとも思う。

ただ、私の感情がついていっていないだけで。そんな個人感情で他の人を危険に晒すなどあってはならないし、カリキュラム否定の根拠にもなり得ない。加えて期間が定められていると分かっているのなら、その地点が過ぎるのを待つのもいい。それで済む。

 

「それが熟慮した上での言葉ってのはわかるけど、ちゃんと自分を労るのも大切なことよ」

 

言いながら教官は、珍しく、大層珍しく、私の頭を撫でて、部屋を出ていった。

 

────今の自分は、そんなに己のことを蔑ろにしているように見えるんだろうか。

それならどうにかしたいのに、道筋すらも見えなくて、私はただ途方に暮れるばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1204/09/19(日) 自由行動日 夕方

 

「おかえり、アン」

 

リィン君との手合わせの後、バイクでツーリングに出かけ技術棟に戻って来たところで外のベンチに座っているセリが見えた。こんなところで待っているなんて珍しいな、と思ったところで少し前に街道で止めたバイクの排気音で外に出て来たのかと理解する。全く相変わらずの察知能力だ。

 

「ただいま。私に用事でもあったのかい?」

 

転がしていたバイクを所定の位置に戻し諸々作業をしてバイクにシートをかけたところで振り向けば、セリは言いづらそうにしつつもハッキリと真っ直ぐ私を見上げて「うん」と肯定してきた。

 

「近いうち相談に乗ってもらいたいんだけど、予定どう?」

「今日でも構わないさ」

「そっか、ありがとう。じゃあこのまま私の部屋でいいかな?」

 

トワではなく私だけに相談というのも本当に珍しいけれど、その内容がおそらくあの男についてだろうというのは想像に難くない。どれだけ自分の恋人を不安にさせれば気が済むのか一回話し合うべきだろうか。拳で。

 

 

 

 

相変わらず整頓された部屋で靴を脱ぎ、道中の食堂から持ってきた水差しと共に座卓を囲む。セリは自分に注いだ水を一杯飲み干し、空になったコップを両手で掴んだまま見下ろして、もうあからさまに迷っている雰囲気を出しながら「その」と口火が切られた。

 

「すごい、心の狭いことを、言うんだけどね」

「うん」

 

とは言っても今までセリの心が狭かったことなどあった記憶がないので、他人が聞いたらそうでもないものをそうだと思い込んでいるだけじゃないのかと思案しつつ次の句を待つ。

 

「クロウがVII組に行って…………寂しい」

 

溜めに溜めた言葉はやはりクロウに関してで、やっぱりな、と一人気付かれない程度に嘆息した。まぁそれでもそれを自覚して、私に相談しようと決め、こうして言葉に出来たのはかなりの進歩じゃなかろうか。今までのセリだったらまず間違いなく溜め込んでいただろう。

私たちの言葉が少しでも届いていたのなら嬉しいが。

 

「それは……仕方ないだろう」

「いや、そうなんだけどさぁ!」

 

セリの反応に意味が取り違えられていることに気がついて片手を振る。言葉がよくなかった。

 

「違う違う。寂しくなるのは仕方ない、ということさ。なんせずっと一緒にいたのだし。だからセリがその感情を持つことに罪悪を覚える必要はない、と言いたくてね」

 

多少ちゃらんぽらんといえども、セリを大切にしたいという気持ちがあるのは見えていたし、セリも大切にされることに慣れてきて、このまま卒業まで全員変わらずにいられるだろうと思った矢先、あの単位取得失敗の話だ。

全くあれほど可愛い子たちがいるVII組に一人で編入なぞ羨ましくけしからん。許されるなら私もVII組に入ってアリサくん以外とも是非交流を深めたいものだが。

 

「……でも、なんか、クロウの成功を素直に祈れない気持ちになりそうで」

 

ようやくコップから手を放し、卓の上で頬杖をついてため息を吐くセリはひどく珍しい。あまりそういうだらけた姿を見せることはなかったのだけれど。それほどまでに参っていると見るべきか。

 

「そもそもあの男が成績を落とさなければよかった話だろう」

「それは、そう、だね」

「セリはよくやっていたさ」

 

付き合う前から勉強を見ている節はあったし、去年の冬前からは朝食を食べる頻度が上がったとクロウが笑っていたか。それでも出席についてはどうしようもない部分だ。なんせ私たちは全員クラスが異なるのだし、幼な子でもあるまいにそこまで他人が把握するものじゃない。

 

「……寮も異なっちゃったし、ご飯も一緒に食べられないし、でも、VII組に馴染む方が実習としてはいいと、思う、うん」

「そんな顔をして言っても説得力はないな」

 

行儀の良い言葉を連ねながらも真反対な拗ねた表情のセリが可愛らしくてつい笑ってしまった。するとじとりと湿度の高い視線が返ってくる。

 

「だって納得はしてないからね」

「フフ、確かに」

 

それは納得しなくてもいいところだ。むしろよくここまで耐えたとも言えるべき話な気すらしてくる。先月の実習で見送りに出てこなかったのもちょっとその辺りが関係しているのではないかな、なんて邪推まで出てくる始末で。

 

「それで『オレの荷物置いていっていいか』なんてさ!」

「でも許可したと」

 

ちらりと部屋の端を見やると、以前来た時には存在していなかった箱が数個、ひっそりと積み上げられている。

 

「……帰ってくるかなって信じたくて」

「心配性だな、セリは」

「心配にもなるよ。本人笑ってるから卒業出来るかどうかの瀬戸際な感じもしないし」

 

そのまま留年してリィン君たちと一年を共にすればいい、と揶揄した記憶はあるが、まぁセリからしたら気が気じゃないだろう。恋人だからという以前に、友人として。トワと似たようにセリもまた真面目だから。

 

「クロウだってセリと離れて寂しい筈さ。なんせあれだけ惚れていたんだから」

 

私も注がれていた水に口をつけて喉を潤すと、物言いたげなセリに気がついて、何も言わずに視線だけで先を促した。すると一瞬だけ瞼を下ろして迷ったそぶりを見せたものの、その小さな可愛い口が開かれる。

 

「……アンはさー、クロウが私のこと好きだっていつから思ってたの?」

 

水差しからおかわりを注ぎながら問われて、いつだったかな、と己の記憶に問うた。

 

「去年の……ティルフィルでの活動時には確信していたかな。だがうっすらとその前からそうだろうとは思っていた」

 

八月、セリの故郷であるティルフィルで行った実習の際、クロウがやたらとセリを眩しそうに見ていたのは今でも思い出せる。しかし思い返してみれば、もうその前からクロウにとってセリは安心して背中を預け合える戦術リンクの相性がいい相手以上の何かがあったのだろうと。

 

「おお……私が自覚するよりずっと早い……」

「セリはいつからクロウを好きだと?」

 

私としてはクロウの感情はうっすらと理解出来ていたし、クロウがセリに惹かれる理由もなんとなく分かる。

美しい貌だというのはもちろんのこと、その立ち振る舞いも清廉で高潔で、多くの人間が『こうありたい』とする善き人間の一つのモデルケースのような印象さえあった。だからこそ危ういと感じるところもなくはなかったけれど、共にいる中で改善されて来たと思う。

そしてそんなセリが、こういった可愛らしい感情を持つのはクロウだけだろうとも。

 

「えー……あれは学院祭前だったから……十月ぐらい?」

「なんだ、随分と遅かったんだな」

「自分の感情にも他人の感情にも疎いもので」

「確かに」

「そこは否定してよ」

「残念なことに否定する材料がないな」

 

トワと並んで学院の高嶺の花と言われていたことにも気が付いていない気がする。まぁクロウと付き合ったこともさることながら、例の統括試験で遠くから眺めているべき相手、という軟弱な結論を出した男どもは多いようで不躾な視線は少なくなっただろうが。

 

「ただそんなセリが、自分の感情を持て余し、あまつさえ私に相談してくると言うのだから相当だろう、今回のことは」

 

セリが何かを相談するなら真っ先にトワだと思っていたから正直わりと驚いていた。もちろん、頼られて悪い気はしないが。

 

「なんか、この話をするならトワじゃなくてアンの顔が浮かんだんだよねぇ」

「……それは光栄だ」

 

去年、試験運用を始めて直ぐの頃、セリは『貴族がこわい』と言っていた。『嫌い』ではなく『こわい』という感情から鑑みるに、昔貴族関連で何かあったことは容易く推測出来た。そしてそれがこの帝国では至極当たり前のように行われていたものだろうことも。

何らかの事件によって貴族の権力の強さというものを目の当たりにしていたからこそ、例のマキアス君のようなあからさまな嫌悪感を表出しないでいた。四大名門の人間である私が行動したらセリのような立場の人間は直ぐにへし折れてしまうから。自己防衛として正しくはある。

 

「まぁ、結局相談というか、愚痴を聞いてもらいたかっただけなんだ」

 

ため息をまた吐いて、セリがそうまとめるので私は笑う。

 

「それが自分で理解できているなら大丈夫さ。いつでも時間を空けよう」

 

告げると屈託なく「ありがとう」と疲れつつも嬉しそうに笑いかけられるので、抱きしめてしまいそうになるのをグッと堪える。今回は私の役目じゃない。

 

「しかしセリ、私もトワももちろんジョルジュも話を聞くだろうが、肝心の本人に伝える気はないのかな?」

 

すると直ぐさま表情が切り替わり、口をうっすら尖らせながら困ったように眉根を寄せ何ともまぁ絶妙な表情が繰り出されている。

 

「……私が言ってもどうにもならなくない?」

「そうかもしれないな」

「何をして欲しいとも自分でわかってないし、そんな状態で話をしても困らせるだけだし」

「困らせてやればいいじゃないか」

 

私があっけらかんに言うと、セリはぱちくりと目を丸くする。

 

「一人が一人の行いで困っているのなら、それを相手に告げることは決して悪いことじゃない。私なら、一緒に悩める相手だと信頼されているのだなと、聞く耳を持つ相手だと考えてくれているんだなと、嬉しくなったりするかもしれない」

 

特にセリは自分と他人の関係性の中で喘いでいるのだから、自分の中だけで結論づけるのは時期尚早といったものだろう。すこし強い言い方だと、傲慢とも言い換えられる。自分が我慢をすれば良いだなんて結論づけるしかない関係は、健全なものだとは到底言えるまい。

私とクロウのように殴り合えとは言わないが。

 

「前にも似たことを言ったかもしれないが、寂しいなら寂しいとぶつけてやればいい。それでクロウが何か納得の出来ないことを言ったなら私が出るさ。絶対ボコボコにすると誓おう」

「……ぼこぼこにはしなくていいけど、でも、うん。ありがとう」

 

多少なりとも心がほぐせたのか、ふわりとセリが笑う。

正直なところこんな表情を真正面から見せられて愛でるなというのも酷な話だが、きちんと正面から向き合ってくれたあの日の彼女の意志を蔑ろにするわけにはいかない。あんな風に、私を否定しながらも真正面から向き合ってくれた人はどれだけいただろうか。それが、どれほど嬉しかったことかセリはきっと今でも知らないし、知らないままでいいと思っている。

 

「何なら今から行ってくるのもいいんじゃないか?」

「えっ。えー……いや、心の準備を……するから」

「じゃあ実習日までに一度話し合うように」

「いきなり期限切る!?」

「そうでないといつまで経っても動かない気がしてね。課題だよ課題。得意だろう?」

 

「なんせ成績優秀者なんだから」とからかえば、「スパルタだぁ」なんて頭を抱えるセリがあまりにもおかしくて、大きく笑ってしまった。

 

具体的なことは知らないけれど告白を断られたり何だりで紆余曲折あった二人だから、お互いの意識をすり合わせることを覚えて、何なら結婚式に呼ばれたらその点で盛大に弄ってやろうとさえ考えているんだ。

学生の恋愛は儚いというが、いつかそんな未来が来て、そこに全員で集まれたら、なんて。

 

これは私のエゴだけれどね。



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20 - 09/21 感情吐露

1204/09/21(火) 夜

 

課題という名の建前を作ってくれたアンの心遣いを無にしないために、一日置いた上に夕食という直前インターバルまで取って第三学生寮の前まで来たわけだけれど、建物を見上げた状態で何分経ったろう。

面倒くさいやつだと思われないだろうか。しかし面倒な人間だというのをこの段階で知っておいてもらう方がお互いにとっていいのでは?でもやっぱり。

そんな思考の堂々巡りが始まってしまい、よりにもよって寮が町の端っこにあるお陰で人通りも少ないため存分に悩んでいられてしまう。いや、それでも、ここまで来たのだから、と数段のステップを昇って玄関扉に手をかけようとしたところで、キィ、と内側へ開いていく扉を察知。想定外のことに後ろへ一歩下がると、扉が開いた先でシャロンさんが笑っていた。

……誰かの気配なんかなかったけれど。

 

「いらっしゃいませ、セリ様」

 

私の驚愕を知ってか知らずか、第三の管理人であるシャロンさんは何事もなかったかのように私を招き入れる。……以前、クルーガーさんと呼んだ際、出来ればシャロンとお呼び頂ければ、と微笑みをたたえながらそっと請われたことを思い出した。

その時はぼんやりファミリーネームが嫌なのかな、と思ったけれど、そういう類の人なのかもしれないと今思い至り、うっすら背筋に冷や汗が伝う。

 

「クロウ様をお呼び致しますね」

 

私の硬直を無視しながらも、何もかにもお見通しであるという笑顔でシャロンさんは二階へ昇っていく。

えっ、いや、ちょっと待って欲しい私は私のタイミングで呼びに行きたかったしそもそもクロウに用事があるなんて一言も発していないのだけれど!VII組教官補佐なわけだから別にクロウ目的以外でも第三に来ることはあると思うのだけれど!

当たり前にも私の内心の抵抗虚しく、引き止められるわけもなく足音はクロウの部屋へ向かっていく(どうでもいいけれど気配をあそこまで隠せる人であるならばこの足音はわざと立てられているのでは?)(死刑宣告か優しさなのかどちらだろう)。

 

────一時撤退しよう。

 

急な衝撃で痛む心臓が限界だと判断して、ばたばたと階段下へ走る。こんな状態で論理的に話せる気がしない。ただでさえ情緒がぐちゃぐちゃになっているのに、心臓がびっくりしたまま本命の前へと放り出されても訳の分からないことを口走りそうで嫌だ。

 

「シャロンさん! 呼ばなくて良いです! 用事思い出したので!」

 

階上へそう声をかけて、返事も聞かず、間隙も無く、踵を返して急いで扉に手をかけたところで、ガタンと、横から飛んできた手が扉を開けることを許してはくれなかった。

 

「帰んのかよ」

 

後ろから、頭上から、声が落ちてくる。背後に直ぐのところにうっすらと体温がある。どうしよう。どうしよう。本人が来てしまった。少し息が上がっているから猛スピードで来たのだろうか。いや多分飛び降りる音がしたから階段をスキップしたんだろう。それにしたって追いつかれるなんて……第三の扉が内開きなのがいけない!

 

「か、える」

「そんじゃ夜も遅えし送るわ」

 

送らなくていい!!!!!

内心の叫びはともかく私の掠れた声に気がついているだろうに、気が付いていない風情のクロウは私の左手を勝手に取り、玄関扉を開けて引っ張るようにして外へ歩を進めていった。

騒動だと思われたのか、後ろから出てきた後輩たちの視線が飛んできて何だか気まずい。

 

 

 

 

手を引かれながらとぼとぼ歩いていると、商店街はとうに店仕舞いをしたようでとても静かになっている。煌々と灯りがついているのはキルシェぐらいか。

中央公園に差し掛かったところでベンチに座るよう促され、大人しく腰掛けるとクロウも座ってきた。繋いだ手が熱い。指すら絡んでいない繋ぎ方で、今まで散々やってきたことなのに今更ここで恥ずかしがる要素があるだろうか。ないので完全に感情に振り回されているんだろうなと、ぼんやりどこか他人事の自分が囁いた。

 

「……」

 

クロウは無言で、私も無言で、平日だからかキルシェから賑やかな声も響いてこない。かすかに虫の音が聴こえてきて、若干壊れかけなのか導力灯が一つとても緩慢に明滅して、幾分か涼しい夜風が通っていく。刺激の少ない夜だ。

暫くそんな状態が続いたところで、繋いだ手を親指でさすられたり、ちょっと頭を乗っけられたり、無言ではあるけれどちょっかいが出され始めて、くすぐったさに少し笑ってしまう。

今までの無言は圧をかけてくるものでは全くなかったけれど、それでもクロウの気配が緩んだのがわかり、私もクロウの肩に頭を預ける。やさしいやさしいわたしの恋人。

 

「あのね」

 

だから、静かな声で言葉の始まりを紡げた。

 

「……寂しくて、いきなり訪ねちゃった。ごめん」

 

あれだけあったスキンシップやコミュニケーションの時間がある時を境にすっぱりと全部消えてしまって、頭の中が結構バグっていたのだと思う。当たり前のようにあったものが突如なくなるというのは私にとってどうやら致命的らしい。……母さんや父さんがいなくなった時の私もこんな感じだったのだろうか。あるいは、それがあったからこんなことになっているのか。

兎にも角にも、そんなことに気がつくのに、これだけかかってしまった。

 

「ンな寂しくさせてるのに気付かなくて悪かった」

 

クロウのスケジュールも鑑みずに突撃してきたのは私なのに、そんな風に逆に謝られるとは思っていなくて思わず顔を見る。

 

「な、んで、クロウが謝るの」

「あ? 元はと言えばオレが下手こいたせいだろーがよ。そうじゃなかったらお前がそこまで情緒不安定になることもなかったって話だわ」

 

言いながら赤い視線が私の方へ寄越されて、何だか久しぶりに視線が交差したな、なんて。

 

「でも、私、いまクロウの勉強の邪魔してるでしょ。……単なるわがままだよ」

 

呟きながら視線が降りていき、クロウの胸元あたりまで落ちたところでそのまま視線を前へズラした。言葉を受けたクロウは、んー、と考えるような声を出して、ずるりと椅子から落ちてしまうんじゃないかというぐらい足を投げ出し、空を見上げる。

 

「オレはさ、カノジョが出来たらかわいいわがまま言われて、しょうがねーなって笑いながらそれを叶えてやりたかったんだよな」

 

……なにその欲求。

いまいち理解が出来なくてまたもクロウの方へ視線をやると、ばっちり目が合う。

 

「だからお前のお願いならなるたけ聞いてやりてえっつうか」

「……」

 

アンとジョルジュが言っていた通りである。クロウは私に甘い。甘いから、逆に甘やかされる私が自制しなければいけないんじゃなかろうかと。

 

「それにオレだってさすがに反省してっからよ、きちんと授業受けてる日もあるんだぜ」

「毎日そうやって受けるものなんじゃないかなぁ」

 

思わずツッコミを入れてしまい、クク、と座り直した隣から笑い声が落ちた。

 

「一緒に卒業、するって言ったろ」

 

左手を持ち上げられると共に指を絡められ、手の甲に、唇が。たったそれだけなのに、夜風で冷えている身体は簡単に熱くなった。

 

────クロウはずるい。私が不安に思っていることをいとも簡単に何でもないことのように言うし、私が何をされたら喜ぶのかお見通しで、表情を繕うのが得意じゃないこともとっくに把握されていて、……面倒だなんてこともぽつりとすら溢さない。無限に甘やかされてしまう。

それは良くないことだって思っていた。でも、君が、他ならない君が、それを許してくれるなら、私も甘やかしてもらいたいなんて欲望がもたげてくる。案外二人でいる時は落ち着いた声を耳に落としてもらって、やさしくでもちょっと雑に撫でられて、やわらかく肌を重ねたりして、……そうして、可能な限り一緒に歩いて。

 

「……卒業旅行とかも行きたい」

「ああ、いいな」

「クロスベルのMWLとか」

「わりかし遠いな。でもテーマパークか、いいんじゃね」

「誰にもまだ相談してないけど、五人想定だよ」

「もちろんそのつもりだっつうの」

 

そんな何気ない言葉が、すごく嬉しくて、目頭が熱くなるのがわかってクロウの肩に目元を預ける。クロウも私の行動を理解してくれたのか、よしよしと優しく頭を撫でてくれて、またさらに制服を濡らすことになってしまった。

ごめんね、本当に。こんなに面倒くさい相手で。

 

「……帰ってくるよね、二年に」

「そりゃな。その為にサラに泣きついたんだからよ」

「うん、そっか」

 

そうだよね、と安堵の言葉を呟きながらクロウの肩から頭を退けて、右手でポーチをあさってハンカチを取り出し涙を吸わせる。

 

「ありがとう、クロウ。大好き」

「……オレも、お前のこと好きだからわがまま聞いてやりてえんだよ」

 

それだけは忘れないよう肝に銘じとけ、と言われながら目尻にキスを落とされて、そうして、そのまま第二まで送ってくれたクロウと別れて玄関扉をくぐる時の私の足音は相当浮かれていたと思う。

でも、そんなの、仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セリを送って帰ったところで心配してなのか一階まで降りてきてた後輩共を蹴散らし、自分の部屋に入って背中を扉に預けて深くため息を吐いた。

 

────好きだからわがままを聞いてやりたい。

────いずれオレはお前の前から消える、だからそれまででろでろに甘やかしてやりたい。

 

それがより一層セリを傷つける的確な手段だって理解してやってんだ。このたった一ヶ月であんなことになるヤツが、オレが"ただの学院生じゃない"と判明した時にどうなるかなんてある程度分かっちまったようなもんで。

 

それに、巻き添えとはいえトワを殺しかけたことをあいつが許す筈がねえ。

亡国の復讐者で、帝国解放戦線なんていうテロリスト集団の首魁で、学院生であるクロウ・アームブラストという存在は全部フェイクだ。帝国情報局すら欺くカバーでしかない。そうでなきゃならねえ。 

 

大切な友人が死んでもいいと作戦を実行したのが自分の恋人だなんて事実が明るみに出たら、あいつはどういう表情をするんだろうか。おそらく俺はその場にいることはないだろうが、トワなりジョルジュなり……五千歩譲ってゼリカなり、誰か支えてやれるヤツがいてくれと願うばかりだ。

まぁ、その三人も存分に傷つけるんだろうが。

 

心が痛まないわけじゃない。感情がないなら俺は今ここにいる筈がねえ。あの鉄血の野郎を赦すことが出来ず、そのままこうして生き長らえちまったその理由を復讐に託してるに過ぎない。そうでもなけりゃ名門校に来ることなんてなかったろう。浮かないよう一応年齢もサバ読んでるしな。

 

そう、こんな境遇でもなけりゃあいつらには出会わなかった。それは確かだ。どっか旅先で会うにしたって会話こそすれ友人になれる気はしねえ。いっちゃん可能性があるとしてゼリカくらいか。それも何だかな。

そんな相手だっていうのに一年半つるみ続けて、友人なんてもんになっちまって、恋人になったヤツも出てきて、俺があの街に置いてきた青春と呼ばれるようなもんをこの手に乗せることが出来たような気がしてくる。所詮"オレ"はフェイクでしかねえのに。

 

そんで後輩共も楽しそうに遠慮なくオレを慕ってくる。最近は呼び捨てに慣れてきた面子も出てきて、去年のことを思い出して居心地がよくなっちまいそうというか。ゼリカは来年卒業もいいんじゃないかとか抜かしてたが、そもそもおそらく──これは単なる勘だが──そこまで平穏な時間は続かねえだろう。

まあ鉄血が動くよう俺たちもあれだのこれだのと暗躍してるわけで、その甲斐もなく平穏に過ぎていったらさすがに泣くというか。……いや、いくら羽虫だとしてもあの男が降り掛かる火の粉をそのままにするわけもねえ。潰せる機会を引き摺り出すために何かしら行動を起こすはずだ。憎いからこそ行動人格分析しなきゃならねえってのも笑えるな。

 

今月末はルーレで帝国解放戦線が崩壊したように見せかけて、一旦の結末を提供する。だけどそんなもんであのガレリア要塞を襲撃した俺たちが終わるわけがねえと踏んでくるだろうから、鉄血という名の本命を使った餌を撒いてくるのを待つことになる。

────基本的に、鉄血を殺したら俺たちの勝ちだ。それ以降は貴族派勢力が帝国を作り変えていき、ヴィータはヴィータで何かやることがあって、どっちにも付き合って俺は終わる。国のほぼトップに手を出すんだから、その行く末まで付き合うのがまぁ礼儀っつうか、自分なりの責任の取り方になる。たぶん殺した段階で抜けるヤツは大勢出てくるだろうけどよ。

それでも、帝国解放戦線がたった一人になって組織という形を保てなくなったとしても、帝国が崩壊するなり、持ち直すなり、どうにかなる先を見届けるつもりだ。

 

その先のことなんざ何にも考えてねえけど、口封じに殺されるか、偽りの英雄として祭り上げられるか、そんなところだろ。英雄になんざなりたくねえから、殺される方がマシな気もするが。

……ま、国家転覆テロリストのリーダーにまともな終わり方なんざあるわけねえか。

 

そう一人嗤って、扉から背を離した。



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21 - 09/25 遠地バックアップ

1204/09/25(土)

 

今日はVII組が特別実習へ向かう日で、楽しいことがある為早くに起きて早くに朝食を食べて早くに寮を出たところで、同じことを考えていたらしいアンと珍しく分岐路でかち合った。

トワもジョルジュも今回の実習の兼ね合いで先に登校している筈だ。技術棟に行ったら集まれるだろうか。

 

「やっぱアンもあれを見に?」

「もちろん。お披露目してもらえるというのなら堪能するべきだろう」

 

教官から聞かされている例の『鉄路の代わり』は、前年度試験運用組である私たちにもよしみで情報共有してもらったので四人とも知っている。クロウはVII組なので内緒にされているのだけれど。

 

「そうだ、アン」

「うん?」

「この間は愚痴を聞いて、背中を押してくれてありがとう。何とか話せたし、たぶんもう大丈夫だと思う」

 

寂しいとクロウ本人に伝えられて、尚且つそれが迷惑じゃないって示してもらったことでだいぶ気持ちは落ち着いてくれたと思う。伝えていいんだ、会いに行っていいんだってわかったから。たったそれだけだけれど、言葉にしてもらうって言うのは大切なことだと思った。私ももっときちんと、自分の感情を伝えられたらと。

 

「そう言えば前にセリはわがままは申し訳ないといった趣旨のことを言っていたが」

「うん」

「クロウを甘やかすセリはもう少し無茶振りをしてもいいんじゃないか?」

「……そんなに甘やかしている気はしないのだけれど」

 

勉強で二人きりになってもきちんと時間は区別しているし、晩御飯だってどっちが作っても後からお互い材料費の計算をしているし、荷物を部屋に置いていかれたのだってまぁ面倒だよなって気持ちが理解出来たからだし、……アンは知り得ないことだけどセックスの時だって別に変なことはされていないと思う。

 

「自覚がないのか。将来駄目人間製造機になりそうだな、セリは」

「そこまで言う!?」

 

だけどアンは案外人間関係を俯瞰するのが上手いし、私とクロウの関係性もお互いが理解する前に理解していたらしいので、一理ある……のかもしれない。認めたくはないけれど。

 

そんなことを話していると技術棟まで到着し、いつも通り中に入るとカウンターに人影二つ。

 

「お、集まっているじゃないか」

「おはよう」

「アンと登校なんて珍しいね、セリ」

「ふふ、楽しみでやっぱり来ちゃうよね」

 

そうだねえ、と同意したところでトワがお茶の用意をし始めるので、私も棚から各々持ちよったマグカップを取り出す。ここにカップを置いておこうって言ったのはクロウだっけ。食堂行くよりいいだろ、なんて顔に機械油つけて笑ってたのが懐かしい。

簡易的な珈琲を説明書通り作り席に持っていくと、それぞれ自分の入れたいだけ砂糖や牛乳など調味料を加えていく。他人の味付けに口は出さないし手も出さない。それがふんわりとしたルールになっている。

ちなみに技術棟には作業時の一時冷却や触媒の冷却用に冷蔵庫があったりする。何がとは言わないけれどジョルジュもちょいちょい冷やしているらしい。

 

「そうだ、さっきセリがクロウを甘やかしている自覚がないと気がついたから他の二人からも言ってやってくれないか」

「えっ、その話蒸し返すの? 別に本当に甘やかしてないと思うんだけど」

「セリちゃんそれ本気で言ってる?」

「だいぶ甘やかしてると思うけど」

 

おっと、四人中三人から反対を食らってしまった。これは本当に私の認識を改めた方がいいのかもしれないけれど特に認識を改める必要性を感じ……いや駄目人間製造機と言われるのはさすがに心外だな。

 

「はい、反論があります。私もクロウに甘やかされているのでノーカンじゃないでしょうか」

「ん~、まぁ二人がお互い納得してるなら私たちが口を出すことじゃないとは思う、かな」

「それはそうだろうね」

 

よしよし。二人のその言葉が引き出せたし、アンも今回はこれ以上言わないでおくか、という表情になったので大丈夫だろう。そんなくだらないことを話しつつ、VII組の実習の話をしたり、各所にある不自然な点をまとめたりして、時間は過ぎて行った。

 

「あ、そう言えばVII組の学院祭の出し物決まったんだけどみんな聞いてるかな?」

「ああ、僕は導力楽器の手配をお願いされたからね。他にもいろいろ」

「それはつまりそういうことかな?」

「フフ、そうだろう」

 

トワから去年の動画を見せてもいいかと丁寧な許可の連絡をもらっていたし、クロウもいるからある程度そうなるだろうとは思っていたけれど、本決まりになったようだ。やっぱりレポート展示は悲しいものなぁ。

 

「今年の講堂使用は今のところI組とVII組ってことか、楽しみだね」

 

去年五人でやったライブを思い出す。あの時は少人数だったからあれで良かったと思うけれど、VII組は十一人いるから結構大きなステージになりそうだ。二組に分かれてもいいかもしれない。

 

「クラスのない私たちだったけど、こうやってリィン君とか後ろの子たちに伝わっていくのっていいねえ」

 

両の指先を合わせながらトワがそう笑って呟いた言葉に、全員で頷く。本当に。クラスという形はなかった面子でやったことが、直接の後輩とっていい彼らに受け継がれていくのはとても嬉しいことだ。自分たちがARCUSで成したこともそうだし、ARCUS以外で成したことも大切だから。

 

「あ、噂をすれば何とやらかな」

 

技術棟の外からクロウとかの気配がし始めて、その通りに扉が開けられる。

 

「おはようっ、リィン君たち」

「おはようございます」

「おいおい、勢ぞろいだな」

 

トワとリィンくんが和やかに挨拶する横でクロウが苦笑するものだから、何でだろうねえ、なんて誤魔化しながら笑ってしまった。

 

「フフ、君たちについてちょうど話していたところでね。実習前に学院祭の出し物が決まってなによりだ。さっそくジョルジュにも色々頼んでいるんだってね?」

「はい、ジョルジュ部長には導力楽器をお願いしてます」

「実習から帰るまでには仕上げておくよ。細かい役割分担もちゃんと決めておくといい」

「まあ、どんな曲をやるかもまだ決まってないしね」

 

フィーさんがもっともなことを言ったところでアンが、ふむ、と何か言いたげに腕を組む。

 

「それも大事だが……是非、エロい衣装を頼むよ。特に女の子たちにはね」

「おう、まかせとけって」

「き、着ませんからね!?」

 

何を言うのかと視線をやった時間が無駄だったと表現したくなるぐらいの戯言で重いため息をつくしかなかったというのに、クロウの返答もクロウの返答で頭が痛くなる。アリサさんの反応も至極真っ当なものだ。

 

「二人とも一回本気で怒られた方がいいんじゃないかな」

「先輩、本当にこんな人でいいんですか!?」

「正直ちょっと考え始めるかもしれない」

 

アリサさんに肩を揺さぶられてそんな風に返してしまったけど、でも結局クロウって下品な衣装は作らなかったんだよなぁ。その人が持ついいところをはっきりと打ち出すというか。だからこそステージで曲にも負けずにいられたというか。

……あれ、私の衣装って二人に比べてかなり露出度低かったけどもしかしてそういうことなのか?一年越しでようやくあの衣装へ籠められたクロウの感情を理解したかもしれない。だって前に分厚めのタイツですら難色を示されていたわけで……ああ、だから私だけショートパンツじゃなかったんだ。アンの言っていたことは的を射ているかもしれない。

 

「映像のハーシェル会長のような衣装だと目のやり場に困るな……」

「うう、アンちゃんもクロウ君も去年は強引だったんだから」

 

マキアスくんの言葉にぱっとトワが赤くなり、まぁ、あれは正直かなり扇情的と言っても差し支えはない格好だったと思う。普段とは違うヘアメイクもして、本当に可愛かった。……もしかしたらあれがあったから生徒会役員になった人もいるかもしれないと思う程度には。

 

「まあ、それはともかく──今回の実習地もなかなか難儀だね」

 

ノルティア州を治めるログナー侯の娘であるアンは、スッと表情を引き締めそう言葉を綴る。こういうところずるいよなぁ。

 

「君たちA班の向かう鋼都ルーレはノルティア州の中心地。B班の海都オルディスほどではないにせよ、領邦軍がかなり幅を利かせている場所だ。特にルーレにおいては、鉄道憲兵隊と縄張り争いを越えた険悪さで対立しているからね」

「そ、そうなんですか……」

「しかも、今は帝国の内外で緊張が高まりつつある……。確かに不安はありそうですね」

 

ノルドのこと、クロスベルのこと、いろいろ考えたら頭が痛くなる状況になってきているのは確かだ。正直、もう何がきっかけで共和国との戦争がまた始まってしまうかわからない。クロスベルが中間地点にある場合、お互いあそこを廃墟にするのはもったいないという思惑もあってこそだったろうけれど、今回の国家独立が現実のものとなればそういうわけにもいかなくなる。そういう意味でも、クロスベル市長のあの宣言はかなり重要なものだった。

……今のところ両国共に一笑に付している気配も感じられるけれど。

 

「でも、今回の配慮で少しは緩和されると思うよ?」

 

トワの言葉にVII組の面々が首を傾げる。

 

「あ、サラ教官もセリちゃんもリィン君たちに言ってないんだ?」

「だって伝えたら半減するでしょ」

「だったら我々が明かすわけにもいかないな」

 

ニッとちょっとだけ意地悪に笑ってしまう。どうでもいいけれどミヒュトさんは何が来るか知っている節があったんだよなぁ。サラ教官も頻繁に出入りしているし、たぶん情報屋とかそういった類の方なのだろうけれど、情報の確度からして仕入れ先など謎が深い。

 

「ふふ、君たちはグラウンドに呼ばれているんじゃないか? 行ってみれば分かると思うよ」

 

意味ありげに言葉を続ける私たちを見て、六人とも更に疑問符を頭の上に乗せることになっている。あんまり弄ってもあれだけど、まぁネタバラしはもうあと直ぐだからこのままで行かせてもらおう。

 

「おいおい、お前らが知っててオレには知らされてねーのかよ?」

「ごめんね、クロウ君」

「フッ、去年に引き続き楽しんでるバツさ」

「そういうこと」

「許されるなら私たちだってやりたいよ」

 

去年のことを思い出すと、本当にいろいろあった。いつかVII組の人たちに聞かれたら、たくさん話したいと思う。今はお互いそんな余裕もないけれど。

 

「まあ、先輩なんだからみんなをせいぜい助けてあげるんだね」

「ぬう、外野から好き勝手言いやがって」

「はは……とりあえずグラウンドに行ってみるか」

 

ジョルジュから言葉を投げられたクロウはすこし口を尖らせて、会話をまとめたリィンくんを先頭に技術棟から連れ立って出て行った。

 

 

 

 

────朝八時半。HRが始まる少し前、その音は聴こえてきた。

その音を皮切りに技術棟を四人で連れ立って歩いていくと、グラウンドの階段手前で青い空と白い雲を背景に飛ぶひとつの大きな影に気が付く。飛行船の風切り音を大きくいななかせ、現れ出でるは真紅の機体。

全長75アージュあり、リベールでその名を轟かせている高速巡洋艦にとてもよく似たそれ。しかし艦橋に掲げられたのは帝国の国章にも使われている軍馬に他ならない。

アルセイユII番艦・高速巡洋艦カレイジャス──勇敢なる者。それが、この艦の名前だ。

 

「わあっ、綺麗な飛行船!」

「話は聞いていたけど、目の前にすると圧倒的だねえ」

 

トワが興奮したように両の拳を握り感嘆の声をこぼすものだから、私も同意する。

 

「やれやれ、これは大したものだね」

「凄いな……聞いていたスペック以上にとんでもない性能みたいだ」

 

私たちよりずっといろんなものを見てきているだろうアンとジョルジュも、カレイジャスを前にしては驚きの声をあげるほかないようだ。いやぁ、事前情報をもらっている私たちでさえこれなんだから、VII組の面々はさぞかし驚いているだろう。現にみんなぽかんと見上げているままだ。

でもこれに乗れるのはいい経験になると思う。皇族専用艦ともなれば乗艦機会なんて平民には万にひとつもない。そういう意味でもVII組に編入したクロウが羨ましい限りだ。……レポートは読み込むし話は絶対に聞かせてもらおう。

 

そうして甲板のオリヴァルト皇子殿下は腕を開き、VII組を歓迎した。

 

 

 

 

VII組が特別実習へ行き、少しだけ静かな校内での授業が終わり帰り準備をしながら彼らに思いを馳せる。

カレイジャスのお披露目飛行は問題なく行われたようで、帝都から鋼都へ、鋼都から海都への道程も凄まじいほどの速度で難なくこなしたらしい。それでいてあの校庭という狭い空間で離着陸が可能だなんて。ジョルジュ曰く、モデルとなったアルセイユは小型ゆえ時速3600セルジュでカレイジャスは時速3000セルジュと速度ではもっと上がいると言いつつ、全長差が二倍ほどあるためかなり最先端の技術で作られていると認めていた。いやはやすごい。

中空に浮くことから積載量自体はあまり見込めないため航路や鉄路が消えることはないだろうけれど、特急で届けなければいけない品物や手紙などはそういう手段が主となっていくのだろうと思う。

 

そう言えば、基本的に実習はその土地の出身者がいれば案内役を兼ねて班編成を考慮していたのに、海都出身であるクロウは鋼都なんだなとぼんやり思い至った。まぁ帝都では出身者が固められていたし、海都がカイエン公のお膝元故にか貴族のユーシスくんがいて四大名門繋がりで海都へ行ったこともありそうだから心配することもないか。……天真爛漫なミリアムさんに振り回されていそうな気もするけれど。

 

まぁ何にせよ、今回はあの鋼都と海都という二大都市への実習だ。海都はもう完全に貴族派の街だから逆にそういった対立による案件は少ないかもしれないけれど、鋼都の方は領邦軍と鉄道憲兵隊の諍いによって何が起きるかわかったものじゃない。

……そういう意味で、装備を整えておく方がいいかもしれないな、とぼんやり考えた。

 

 

 

 

1204/09/26(日)

 

不意にARCUSへの通信音が耳に入り、飛び起きて取ったところで時刻を確認すると朝五時だ。こんな時間に誰が用事あるというのだろうかと応答開始するとアンからのものだった。

曰く、VII組が実習に行った鋼都があまりにもきな臭いからジョルジュと共に向かう可能性があるという話で。急いで身支度を整え技術棟へ向かうとトリスタにいるいつもの面子全員が揃っている。

 

「何があったって?」

「うん、昨日クロウ君からジョルジュ君に連絡があってね、ルーレで少し気になることがあるから私に調べて欲しいって」

 

ああ、そういえばもうルーレとトリスタは通信が出来るのだったっけ、と全然関係のないところで時間の流れを感じてしまった。

 

「単刀直入に言うと、RF社の第一製作所に軍の査察が入りそうという話さ。そしてその製作所の取締役はハイデル・ログナー、私の叔父であり強硬な貴族派とも言える」

「あー、なるほど」

 

それでアンが動こうとしているのか。やっぱり彼女はノルティア州のことには黙っていられない気質らしい。たとえそれに実家が関与している大きな何かだったとしても。まあ、それでこそ私が好きになった彼女だと思う。そういう苛烈な真っ直ぐさが何よりも眩しい。

 

「それで私は昨日頼まれたことをちょっと帝都に調べに行こうかなって考えてる。RF社の公式資料とかはたぶんそっちの方が手に入りやすいだろうから」

「そして私とジョルジュはバイクで向かう予定だよ」

「まあ長距離移動前のメンテナンスは行いたいから……八時か九時くらいには出るかな」

「今からバイクでルーレだと七……いや八時間ぐらいかな」

 

路面のコンディションも深く関わってくるので、短く見積もるよりは長く見積もっておいたほうがいい。飛行船で行く手もあるけれど、バイクがあった方がいいという判断もわかる。何があるか分からないし、取れる手はなるべく多い方が何かと便利だ。今からだと鉄道の積荷申請も間に合うまい。

 

「それじゃあ私はトワのサポートかな」

 

今日も学院の授業があると言うのは野暮というもので。動けるのが自分たちだけなら、その場で判断を行う。それを去年嫌と言うほど思い知らされた。

 

「ある程度の情報は出立前に通信で伝えるけど、引き続き資料は集めておくからね」

「助かるよ、トワ。セリもすまないな」

「友人が大切なものの為に立つなら助力は惜しまないよ。それに、これはVII組の案件で本来は私が行くべき話だ。でも鋼都のことなら二人の方が適任だと分かってる、だから謝罪は要らない」

 

教官補佐をやっている時だって出来るだけ授業に出ようとしている私がフケようというのだから、自分の都合で振り回しているとアンが気にするのも無理はない。でも私は強制されたつもりはないし、アンの大切なものを守る手伝いをさせてもらえるなら友人冥利に尽きるというものだ。

 

「そうか────では、ありがとう。三人とも」

 

くしゃりと少し顔を歪ませて笑ったアンに全員頷き、それぞれの役目をこなそうと席を立った。とは言っても無断欠席は良くないし、かといってほぼ無遅刻無欠席勢が急に休んだことでベアトリクス教官に寮へ具合を見にこられても困るし、どうしよう。やっぱりマカロフ教官を巻き込むべきだろうか。うん、それがいい。

 

 

 

 

「いやー、まさかあの朝の短時間でこれだけの資料を集められるとはって感じだし、よくこの資料を紐解いたね……」

 

私服に着替え開館と同時に転がり込んだ帝都図書館で指示されながら集めた山のような資料から、トワは的確に数字を読んでいき今ザクセン鉄鉱山とRF社の間で何が起きているのかというのを読み切った。

 

「あはは、実は通商会議の時に政府で作られる書類の基本形式は見慣れちゃったから」

 

トワは簡単に言うけれど、そうそう出来ることじゃないと思う。甲だの乙だのはまだ優しい方で、報告書だと言うのに言い回しが度し難いほどに難解だ。人に理解させる気があるのか正直疑問が生じてしまうほどに。……いや、私の読解能力の問題かもしれない。この分野に関しても精進あるのみだ。

それ故にもう完全に力仕事要員としての待機だったけれど、まぁトワに書類の束を持たせない方が最終的に時間の節約になったろう。もちろん士官学院に在籍している以上トワだって鍛えているのだけれど、筋肉がつかない性質なのかあまり芳しくないと前に嘆いていた。

 

さて、ザクセン鉄鉱山から算出されるという試算とRF社から提出されている数字の齟齬を伝えきったところでアンとジョルジュはとうにトリスタを発ったわけだけれど、だからといって休んではいられない。当事者となっているみんなではキャッチ出来ない情報を掴み、内容を精査しなければいけないのだから。

 

そうして、数時間ほど資料を返却棚へ持って行ったり新しいモノを運んできたり、席の確保のために昼食を交互に摂りに行ったり、忙しくしていたところでふと思い出すことがあった。

 

「……そういえば」

 

前にミヒュトさんと話そうと質屋へ入ろうとしたところでサラ教官と話しているのがうっすらと聞こえた記憶がある。確かその時に聞こえていた店はこの近くで、奇しくも私が知っている店だ。

……ミヒュトさんが情報屋だというのはほぼ確定的で、サラ教官もおそらくその筋──情報屋というより、情報を使って動く方──の方だという推測はついている。且つ、あのサラ教官が私の接近に気が付かない何てことあるだろうか。つまり、その二人の会話の中で出てきているのなら。

 

「そういうこと、かな」

「どうかした? セリちゃん」

「私は私に出来ることをしようって話。情報屋が近くにあるから、そっち当たってくるよ」

 

私が立ち上がると、机で資料と睨めっこしていたトワは表情を曇らせて私を見上げてきた。

 

「それ……危険じゃない?」

「うーん、危険はないと思うよ。駄目ならたぶん窘められて帰されるだろうし」

 

一度しか会ったことはないけれど、たぶんあの方はそういう矜持を持っていると思う。

すこし逡巡を見せたトワはしかし次の瞬間には私を見据えて頷いてくれた。

 

「わかった、セリちゃんを信じるね」

「ありがとう」

 

図書館の閲覧台にトワを残し、急いで私はその店へ急行する。そう、去年の十一月にサラ教官と連れ立って行ったあのバーだ。

 

 

 

 

"CLOSED"の看板が掛けられた紫色の、小窓のはまった扉。店の名前を再度確認し、うん、と一人頷く。ここに違いない。ふう、と息を小さく吐いてから、コン・コココン・コン、と会話に出てきていた符牒を叩く。十秒程度で、中から扉が開き例のマスターが現れた。

 

「おや、いつぞやの」

「その節はありがとうございました」

 

深々と頭を下げ、そうしてマスターを見据える。

 

「生憎ですが、本日はまだ開店前でして」

「……先程の符牒ではご納得頂けませんでしたか?」

 

門前払いをされると察知し、言葉に被せるとマスターは少しだけ瞼を下ろし、ではあなたは何者としてここにいるのですか、と問うてきた。

 

「私は──トールズ士官学院VII組教官補佐として、知りたい情報があってここに来ました」

 

情報屋に対して、馬鹿正直に自分の所属を言うものではないのかもしれない。それこそ売り飛ばされる可能性すらある。けれど、それでも、私はこの方に自分の誠意を見せなければならないと判断した。

 

「マスター、入れてやれよ。どうやら話が弾みそうだ」

「……そうですか、貴方が言うのであれば」

 

中から聴こえてきた男性の声にマスターの態度が幾分か軟化し、どうぞ、と薄暗い店内へ通される。中にいたのはカウンターに座る一人だけ。短い金色の髪に、白いコートを着た男性。見たことあるような、ないような。その方と二つ分ほど距離を取って座ると、サラの生徒だろ、と声が。

驚いてそちらへ視線を向けると、空色の瞳と目が合った。

 

「おっと、警戒しないでくれ。俺はトヴァル・ランドナー。遊撃士で、サラの元同僚さ」

 

遊撃士。元同僚。かちりぱちり、サラ教官の空いていたピースが嵌まっていく。ああ、前に昔馴染みに要請したと言っていたのはそういう類の人たちにということか、と勝手に腑に落ちた。なるほど、それなら教官のあの異常なまでの『実戦に極振りした戦闘スタイル』も納得が行くし、ナイトハルト教官とすこし折り合いが悪いのも何となく理解出来る。

 

「あー、もしかしてサラから聞いてなかったか」

「そうですね。教官の前職は聞いていませんでしたが、ある程度推測はつけていました」

「なるほど、噂通りみたいだな」

 

……噂。VII組関連ということで何か流出しているのだろうかと訝しんだところで、単純に考えてサラ教官からいろいろ聞いているというだけな可能性が高い。なんせたかが学生。トワほど目立つような功績は何も落としていないのだから。

 

「それで、何か訊きたいことがあって参られたのでしょう」

 

ノンアルコールのメニュー表を渡されながら、マスターが問うてきた。珈琲をまた頼んでメニューを返し、口を開く。

 

「鋼都と海都で、領邦軍あるいはTMPや正規軍が動いているという話はありませんか」

 

情報を欲するならもっと的を絞るべきだろうけれど、今の自分にはそういった漠然としたことしか言えなかった。けれどマスターが少し思案したところで、その情報なら俺から開示しよう、とまたもやトヴァルさんから言葉が飛んでくる。

 

「マスターの客を取って悪いが、サラの生徒に関わる話なら俺も無関係じゃ居られない」

 

言いながらトヴァルさんは注文を追加した。……ああ、なるほど。情報屋であるマスターが私に情報を話すことで得られる筈だった対価を、トヴァルさんが支払うことでチャラにするというそういう交渉技術が目の前で行われたのだ。

いやちょっと待って展開が速すぎてついていけないのだけれど。

 

「さて、鋼都と海都は昨日訪れたわけだが、お前さんの狙い通りだ」

 

その距離的に不思議さを含む言葉に内心で、ああ、と思い出した。カレイジャス艦長であるヴィクター・S・アルゼイド子爵の横についていた方だということを。さすがに一回のみ、しかも甲板上の小さな影を瞬時に思い出せるわけもないから、思い出せただけでも自分の記憶に及第点をあげよう。

 

「というと、やっぱり」

「そう、領邦軍と正規軍が表立って対立し緊張していた鋼都はもちろん、貴族派のお膝元である海都にも、今この瞬間鉄道憲兵隊が集まりつつある。それがどういうことだかわかるか?」

「貴族派の意向を無視してでも踏み込まなければいけない……つまり、帝国解放戦線ですね」

「そう、国家を揺るがすテロリストが貴族派と繋がっているというのなら、正規軍──特に宰相直属同然の鉄道憲兵隊はそれを見逃せる筈もない。何某かの証拠を掴んだか、あるいは掴めると踏んだんだろう」

 

多少の無茶は承知で動いているし、そうして起きる事件に対して対処する術として結集しているということだ。鋼都と海都。遠くの土地で同時にそんなことが起きているというのなら片や陽動で片や本命と見るべきだろうか。まるであの夏至祭テロ活動を大きく広げたような。でもそんなのもう一介の生徒に負わせていい話じゃないだろう。

ぎゅっと、私が膝の上で手を握ったところでARCUSの通信音が狭い店内に響く。私のじゃ、ない。となると。

 

「すまない。俺のだ……ああ、もしもし……そうか、わかった、ありがとう」

 

通信に出て二、三言でトヴァルさんは気難しい顔になり、さすがに聞いてはいけないと提供された珈琲に温かいミルクを入れて口をつけ始めた。

暫くしてトヴァルさんが私を見るので、合わせて視線を上げた。

 

「朗報……になるかはわからんが、鉄道憲兵隊に対して皇帝陛下から直接の調査許可証が発行されたようだ」

「────」

 

陛下直々のお言葉……つまりそれは勅言であり、領邦軍といえども皇帝陛下を敬う者にかわりはないため決して無視出来るものじゃない。いや、つまり、鋼都も海都も皇帝家が介入せざるを得ない事態まで来たということに他ならないのでは?

一気にカップの中身を飲み干し、お代を置く。もちろんチップは含ませてもらったけれど、正直相場が分からないので自分の中で出来る範囲で多めに。

 

「すみません、トヴァルさん、マスター。私、戻らないと」

 

この情報を今すぐ共有しなければ私がここに来た意味がない。

がたりとカウンターの椅子から降りたところではたと気がつき、トヴァルさんへ向き直る。

 

「自己紹介が遅れました。私はトールズ士官学院二年VI組所属、VII組教官補佐を務めているセリ・ローランドと申します。この度は本当にありがとうございました」

「ああ、もしまた何かあったらお互いよろしく頼むよ」

 

先程の報せを受けてトヴァルさんも動くのか、椅子から降りつつ私の挨拶を丁寧に受け取ってくれた。そうしてバーから走り出す。領邦軍と衝突していたTMPが動けるとなったら、おそらくVII組も動きやすくなったり、あるいは動かなくて良くなるかもしれない。

海都の面々に伝える術がないのがもどかしいけれど、とにかく今は、鋼都方面に注力しよう。

 

 

 

 

そうして帝都図書館へ駆けながら通信をかけて、鋼都と海都へTMPが集まり始めていることだけをとりあえずトワに情報共有し、これからのことを考える。

鋼都には行けない。海都へももう手遅れだ。それを理解して、私たちは次の一手を打たなければいけない。こんな状況で後悔している暇なんてないのだから。

 

図書館へ戻り閲覧台にいるトワに合流すると、顔を上げたトワはかなり青褪めていた。

手元の計算用紙やメモは出かけた時よりずっと多くなっているから、何もかにもわからなかったということはないと思うのだけれど。

 

「……何かあったの?」

「ク、クロウ君が、囚われてた鉱員の人たちを安全な場所まで送って、それで────リィン君たちのところへ戻る途中でザクセン鉱山への地下連絡道崩落に……巻き込まれた、って」

 

地下道の、崩落。

ヒュッ、と喉の奥が狭まる。そんなの、生身の人間がどうにか出来るモノじゃない。つまり、それは。瞬間的に最悪の想像をしそうになって、ぐっと奥歯を噛んで堪える。もしかしたら私が一緒にいたら予兆に気が付けたかもしれない。でもそんなたらればに意味はないんだ。

 

「トワ、私たちは、私たちにしか出来ないことをしよう」

 

膝をついて、視線を合わせて、椅子に座るトワの手を取る。指先が冷えて、震えているそれ。私もきっとおんなじ状態なんだと思う。だけど、このまま嘆き続けられるような存在じゃないんだ。私たちは。だって士官学院生だから。

 

「……うん、そうだね」

「そうだ、差し当たって重要な情報が手に入ってね」

 

学生に配られているARCUSということで通信セキュリティの問題を鑑みて伝えられなかった情報──TMPに皇帝陛下による調査許可証が発行されたことを口頭でそっと伝えると、トワの顔が幾分か明るくなった。わかる、私も聞いた時はそんな気分だったから。

 

「このことはトワが伝えてあげて。私は、ちょっと体を動かしていたいから」

 

立ち上がりながら、閲覧台を埋めている精査し終えたのだろう場所に置かれている資料を抱える。クロウが崩落に巻き込まれてる可能性があることについて、今はまだ考えたくない。少しでも深く考えてしまったら、歩む足が止まってしまいそうで。

 

 

 

 

────そうして、ザクセン鉄鉱山の一件はある種呆気なく終わった。

 

鉱山の集中管理室がある奥でVII組は帝国解放戦線と対峙し相手は高速飛行艇での逃亡を選択、そうしてTMPと領邦軍が駆け入ってきたところで行われた一斉射撃のせいか、はたまた謎の狙撃のせいか、突如機体は爆発四散し、鉱山の奥深くへ落ちていった、と。

資料を返却し終わって帰ってきたところで、トワからクロウもVII組も全員無事だったことを伝えられほっとしつつも、帝国解放戦線がそんなどうしようもない終わり方をするのがどうしても解せなかった。……杞憂であってくれたらいいのだけれど。



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22 - 10/01 ユミル小旅行

※ユミル小旅行について……ドラマCD版ではクロウとミリアムはいませんが、ゲーム版ではスチルや登場人物の会話から二人は旅行に来ていたと考えています。
この作品ではゲーム版での設定を採用しました。


1204/10/01(金)

 

「ケーブルカーって眺めいいんだ」

「ほんとに。すごい斜面だからこその風景だねぇ」

 

私が車体後方の席でぽつりと呟くと、隣にいるトワが頷いて一緒に窓の外を眺めてくれる。既に遠くなった山の麓を暫く堪能してから車内へ目を向けると、VII組と前年度試験運用組あわせて15人がぎゅうっと小さな車内にいるのでわりと圧が強いなと軽く笑ってしまった。

 

「それにしてもいきなりユミルへ小旅行とはなぁ」

「ザクセン鉄鉱山の案件を解決したVII組と私たちへ、って招待を皇帝陛下から頂いたらいくら教頭でも反対は出来なかったみたいだねえ……」

 

そう。九月の特別実習でVII組A班がザクセン鉄鉱山を取り巻く問題の一端を解決に導き、楽観は出来ないけれど帝国解放戦線も追い詰めた功績から、皇族とゆかりのある温泉郷ユミルへ一泊二日の旅行に招待されたのだ。

それに奔走した私たち前年度組も合わせて……だったのだけれど、ジョルジュはバイクのメンテナンスを完璧にしたいからと断ってトリスタに残っている。

 

「ジョルジュ君も来られたら良かったんだけど」

「私もそう言ったんだがね、時間がないからと譲ってはくれなかったよ」

「ま、オレら全員何だかんだ自分のやりたいこと曲げねえからな」

 

アンは、アンゼリカ・ログナーは、このユミル旅行が終わり次第学院を去ることが決まった。本来であればそのまま退学処理されていたものを、学院長が取りなしてくれて何とか休学扱いで終わらせてもらったのだとか。しかし事実上退学だろうと彼女は言っていた。

 

今回起きたルーレの事件は、領邦軍の態度・行動からしてあからさまなほどに侯爵家も関わっているものだという状況証拠が確認されている。侯爵家、つまりログナー侯の意向ということに他ならない。四大名門の中でも強硬派と名高いその方が貴族として行動し、最終的に隠そうとしたそれらをアンは独断で暴き切った。つまり当主の逆鱗に触れた。それはもうどうしようもない話だ。親と子が同じ思想を持っているとは限らない。

そしていくら独立した運営を心がけているトールズ士官学院だとしても、四大名門の一角の決定に逆らうなど自殺行為に等しい。むしろよく休学扱いになったものだとさえ。

 

つまりこれは、お別れとおんなじだ。だからこそジョルジュにも来て欲しかったけれど、だからこそジョルジュは来なかった。ジョルジュが工科大学で研究放棄されていたものを弄り、それにアンが興味を持って、そうしてみんなで作り上げた導力バイクを誰かに託すために。それだけは、侯爵家のモノにしないように。

 

「何か美味しそうな日持ちのするものがあったら買って帰りたいね」

「うん、探してみよっか」

 

それなら、二人の思いを否定せずお土産のことを考えよう。きっとその方が建設的だ。

 

 

 

 

「皆さん、ようこそお越しくださいました。本日の案内を努めさせていただきます、エリゼ・シュバルツァーです」

 

ユミルに到着し、いの一番に出迎えてくれたのはリィン君の妹さんだった。どうやら見た限りはあの後の後遺症などもなく健やかに過ごせているようで何よりだ。

全員でぞろぞろと奥まった右手の方へ歩いていくと、緑を基調とした建物が見えてくる。そうして左手には黄金の軍馬のエレボニア国章、右手には灰の雄鹿のシュバルツァー家の紋章が中央を挟んではためいている。国章と紋章を同じ重さで掲げているところからも分かる通り、ここは本当に皇族と縁がある場所なのだなぁとしみじみした。

過去、時の皇帝陛下より賜った逗留施設・凰翼館。以来アルノール家とシュバルツァー家は懇意にしているのだとか。貴族社会だと目をつけられてしまいそうだけれど、このいい感じに中央から遠い土地なのがそういった騒ぎを避けるのに適していたのかもしれない。抜け目ない方だったのだろう。

 

「おおー、すげえ建物だな」

「綺麗だねえ」

 

VII組の子たちも和気藹々と話しながら建物へ入り、支配人の男性に丁重に出迎えられる。今日明日お世話になることを挨拶し、案内されるがままに二階へ。

 

「わあ……」

「エリオット、上を見ながら歩くと階段から落ちるぞ?」

 

建物の雰囲気があまりにもいいからか、高揚しながら歩くエリオットくんにリィンくんがそんな言葉をかけながら昇っていく。建物の由縁を話すエリゼさんの後ろをついて行っていると、ふふふ、と後ろの方から何やら不穏な笑い声が。

 

「ここまでの道のりで見えた素晴らしいロケーション、趣のある宿泊先、そして案内役は魅力あふれるリィン君の妹君。俄然温泉に入るのが楽しみになってきたね」

「アンゼリカさん、何か邪なことを考えていませんか……?」

「アン、女性同士でも痴漢行為は犯罪だからね」

 

アリサさんと二人でツッコミを入れながら歩いていると、でもまぁ、と横からサラ教官。

 

「アンゼリカに同意するわけじゃないけど、ホントいいところね~。景色を肴に酒が進みそうだわ」

 

くいっとお酒をあおる仕草をした教官に対して、付き合いますよ、とアンが笑う。それに便乗してクロウが、オレもオレも、なんて言うものだからどうしたものやら。

 

「もうっ、アンちゃん、クロウ君、学生の飲酒は駄目なんだからね」

「無論付き合うだけさ。そうだ、心配ならお目付役としてトワもどうだい?」

「え? えっと、どうしようかな」

「トワは酔っ払いに付き合うと酷い目に遭うタイプな気がするなぁ」

 

お酒を飲まないというのも相まって最後まで正気を保ててしまう側だと思う。たぶん。

 

 

 

 

「お部屋はこの二階に用意してあります。今いる共用のロビーを挟んで左側が男性の皆さんのお部屋、右側が女性の皆さんのお部屋になります。上級生の皆さんやサラ様にもそれぞれ別室を用意させました」

 

丁寧な案内に加え、従業員の方も陛下の言付けを賜って張り切ってくださっていると伝えられて何だか不思議な気分を得る。こう、誰かに何かをやってもらうっていうのは慣れていないからなぁ。でもせっかくの機会だし楽しんでいきたい。

 

VII組は部屋に荷物を置いた後二階のロビーに集まるようなので、邪魔をしないようにしよう。ステージに関しては当日までのお楽しみにしておきたいし。

 

「セリちゃんとアンちゃんはこれからどうするの?」

 

部屋で荷物を少し整理していたところでトワに問いかけられる。朝に出立して、昼は車内でお弁当を食べ、今はもう14時だ。夕食まで自由行動とはいえあまり山道奥へ一人で出るのは褒められたことじゃないだろう。

 

「お土産屋さん覗いてみたいかな。あとはちょっとだけ山に入ったりとか」

「あ、そうだね。ジョルジュ君へのいいものが見つかるかも」

「二人が行くなら私もお供しようかな」

 

じゃあ決まりだ、と三人で連れ立ったところでVII組がロビーに集まっているのが見える。当たり前だけれどクロウもそこにいて、寂しさを感じないといったら嘘になるけど、それでもVII組の人たちと笑っている横顔もかわいいなんて思い始めているのだから現金だ。

 

「やれやれ、セリは本当にクロウが好きだね」

「……」

 

大勢いるところへ視線を投げていたというのに、的確にバレているようでアンからからかいの言葉が飛んできた。

 

「べ、別にいいじゃないですか。盗撮してるわけでもなし」

「ふふ、セリちゃんのそういうところ可愛いと思うよ」

 

ここで、可愛くない、と否定してもどうせ引き続きからかわれるだけなので、隠れる背中がないなら口を噤むのが正解だ。まぁ隠れる背中というのはつまりクロウのことなのだけれど。

 

そんな他愛のないことを話しながら凰翼館の外へ出ると、すっきりとした風に出迎えられる。山の上特有の空気の薄さ。高山トレーニングはきちんとしたスケジュールを組んでやると効果的だというのはこういうことなんだろうなと思った。

 

「えっとね、凰翼館からは足湯を挟んで反対側にお土産屋さんがあるみたい」

 

どうやら観光ガイドをコピーしてきたのか、トワがユミルの地図を広げる。用意がいい。

確かに視線をやると中央に湯気が立つ東屋と、その向こうに看板が掲げられている店舗が見える。この季節だとまだそんなでもないかもしれないけれど、冬に訪れたらさぞ気持ちよさそうだ。

 

「さすが私の愛しいトワ。それじゃあ早速行こう。何なら帰りに足湯に浸かって二人の生足を拝ませてくれても構わないのだけれど」

「あ、絶対にしない」

「考える余地もなく!」

 

あるわけがない。というか久しぶりだなアンのそういう軽口。一年と半年ぶりぐらいか。気丈に振る舞ってはいるけれど、アンも学院退学については思うところもあるんだろう。それとこれは話が別だけれども。

 

「そもそも私はタイツだから、浸かるなら一度戻って軽い服になってからの方がいいかも」

 

それもそうだ。アンはともかくとして、他は一応学院行事として制服で来ているから足湯に入りづらい服装の人も多そうな気がする。

 

「じゃあ明日の朝、ご飯前の散歩の時に浸かってみたりしない?」

「わあ、それいいね」

「散策の疲れを癒す足湯か、うん、悪くない」

 

そうこうしながら歩いていくとお土産屋・千鳥の前に到着し、扉を開くとからんからんと木製のベル音。それになんだか懐かしくなりながら店内を三人で眺めて行く。

 

「カレーの缶詰。しかもジビエのだ」

「ふむ、ジョルジュは作業に没頭してたまに料理の手を抜きたがるからいいかもしれない」

「こっちのはアイゼンガルド連峰をモチーフにしたクッキーだって」

「甘いものは特に好きだからなあ。それもアリだろう」

 

しかし自分が食べたことのないものをお土産にするというのも何だかふんわりしているので、カレーはともかくクッキーはいま買って夜にでも食べてみた方がいいかな。

うーん、と決めあぐねていると、アンは手作りリースが陳列された棚の前で、そっと一つを手に取る。木々を丁寧に処理して編まれたそれは、素朴だけどしっかりとした力があるように見えた。

 

「リースは魔除けの意味もあるから、一つ贈るのもよさそうだね」

「フフ、確かに。ジョルジュは人のことを優先して自分を疎かにしたりしてしまうから」

 

バイクのメンテナンスを優先したことを思い出しているのか、ふわりとした笑顔でそんなことを言う。でもその言葉はわりと全員に返ってくるんじゃないかなぁ、なんて。ただ口に出すのは野暮なので黙っておこう。

ジョルジュがアンを大切にしているのと同じように、アンもジョルジュを大切な相手だと思っている。それがどういう感情か私にはわからないけれど、誰に指示をされるでもなく、二人が落ち着く未来にこのままたどり着けばいいんじゃないかな、と。

 

「すみません、このクッキー缶の小さい方一つください」

「あ、決めたの?」

「いやとりあえず食べてから考えようと思って」

「セリのその食への貪欲さは一体どこから来ているのかたまに不思議になるよ」

 

せっかくなら自分が美味しいと思ったものを贈りたいと思うのはそんなに変だろうか。

 

 

 

 

そうして里のすぐのところの沢まで遊びに行ったり、夕食の前に一回広い湯船を堪能したいと大浴場に入ったり、そんなことをしていたらあっという間に夕食の時間になった。

 

「鴨の脂が絶妙に溶けてすごく美味しい……」

「確かに、こちらの野鴨は実に風味豊かだ。確か男爵閣下が仕留められたとか?」

「ああ、父さんの一番の趣味でさ。俺も何度も連れて行かれたっけ」

「えー! リィンも狩りするんだ! ボクも行きたーい!」

「お前が狩りに出たら獲物は全て逃げそうだがな」

 

狩猟というのは貴族の嗜みとは言うけれど、その場での処置なども上手くないとこんな風には行くまい。野生動物の料理は殺した瞬間から始まっていると言ってもいい。何故なら恒温動物は熱を持ち、その熱で肉がどんどん傷んでいくからだ。山間で仕留めた獲物を冷やす川があり、そも肉を傷つけず狩る技術があるからこその料理。美味しい。

家畜化されたお肉も研究を重ねた研鑽の結果だというのはわかるけれど、野生動物だと必要に駆られて筋肉が発達しているから噛みごたえがあるし味も濃い。

 

「料理に使われている野菜やハーブも、瑞々しくて彩り豊かですね。こちらはリィンさんのお母様が育てられたとか?」

「母さんの方は菜園をやっててさ、そっちはよくエリゼが手伝ってたよ」

 

ラウラさんやエマさんから家族のことを褒められて、満更でもなさそうにリィンくんが笑う。

 

「いっつも君達は……まあ去年の子達もだけど、実習でご当地料理巡りが出来て羨ましかったのよね~。今回はあたしも楽しめて嬉しいわ」

 

さすがに学生と卓を共にしているからかお酒は手元にない教官だけれど、言うほど当時は節制していただろうか。実習地に着いたら既に飲んでいた、なんてこともあったような。まぁ今年は実習が二組だったので、あっちに行ったりこっちに行ったりで忙しかったろうけれど。

 

「別にグルメ旅行をしていたわけじゃないんですが」

「そう言うサラもなんだかんだで行く先々にいたよね。どうせ裏でちゃっかり楽しんでたんだろうけど」

「わりとありそう」

 

呆れたリィンくんに続いてフィーさんがさっくり切り込むので同意すると、ぐっ、という顔を教官がするもので各所から笑いがこぼれる。

 

「そ、そんなこと言ったらセリだってちょっとは楽しんでたりとかあったんじゃない?」

「えっ」

「パルムに行ったりセントアークに行ったり……あ」

 

うっかり口を滑らせたと言わんばかりに教官が口を押さえる。いやでももう遅いだろう。

 

「パルムの同行は存じているがセントアークというと……」

「オレ達の五月の実習だな」

「えっ、先輩あの時いたんですか!?」

「僕たち全然気付かなかったねえ……」

 

旧都組であるラウラさん、ガイウスくん、アリサさん、エリオットくんが次々に反応してきてちょっと居た堪れなくなる。いたと言うかまぁいたけれど完全に見守るだけだったから何もしていないというか。

 

「……その、あの時は公都の方で問題が起きたから、旧都組について行った教官が存分に動けるようにってバックアップのつもりでね。君たちを信用していなかったわけじゃないんだけれど、教官がそっちに手を割けない以上万が一に備えて別の監督者はいた方がいいかなと」

「生徒会経由でオレ達も知ったからよ、何とか出来ねーかって話し合った結果なんだわ」

「今回のこともだが、後輩のことを気にするのは先輩としての性と言えるかな」

「セリちゃんだけじゃなくて私たちみんな関わった話だから」

 

何と言えばいいのやらと丁寧に説明していると、いつもの面子がさらっとフォローに入ってきてくれて嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

「でも結局私の出番なんてなかったから、杞憂でお節介だったけどね」

「それでも我らを見守ってくださっていたことは嬉しく思います」

「ええ、それは本当に」

 

にこりとラウラさんを始めみんながそう言ってくれるので、よかった、と胸を撫で下ろした。

 

「ま、話を戻すとして、数日前まで実習をしていた君達も存分に骨を休めておきたまえ。戻ったらすぐに学院祭の準備があるんだろう?」

 

閑話休題だとアンが水を向けると、リィンくんたちがしっかと頷く。そしてエリオットくんは音楽が関わるとちょっとだけ容赦がなくなるらしい。

 

「えへへ……せめて学院祭は楽しいものにしてきたいね。せっかく帝国各地も落ち着いてきたところだし」

 

トワがこぼした言葉に、明るかった卓が少し静かになる。

 

「帝国解放戦線……ルーレでの事件以来、完全に姿を消したようですが」

「彼らは本当にいなくなったんでしょうか?」

 

リィンくんとエマさんが訝しげに話題に出すと、そうねえ、とサラ教官が口を開く。

 

「彼らが乗っていたとされる飛行艇は撃墜され、テロリストは主要メンバーをまとめて失ったことになる。他の幹部がいた気配もないし、事実上完全に消滅したと言っていいのかもしれないわ」

 

────それが、そうであってほしいという気休めのような言葉に聴こえるのは気のせいだろうか。学院祭に注力できるよう学生たちに安堵を与えるための。帝国時報には死体が回収されており身元照会を急いでいるとはあったけれど、あんな大胆不敵に行動をする組織がそんなお粗末な結末を迎えるとは到底思えなかった。

 

「ただ、飛行艇を襲撃した犯人は見つかっていないから、結局謎は残っているのよね」

「そうそう、クレアとかも頑張って特定急いでるんだけど上手くいってないみたい」

 

サラ教官やミリアムさんの言葉に内心で頷く。そう。TMPでもなければもちろん領邦軍でもなく、VII組でもない。加えて誰が飛行艇に積まれていた可燃物等々を的確に狙撃出来るのか、という話だ。マッチポンプを疑うべきだと思うけれど、軍や教官がそれに気付かないはずはないので『表向きそうしておく』ということなんだろう。

 

「他の問題といえば各地の貴族派と革新派の対立か。陛下が釘を刺されたこともあって収まってきてはいるようだが」

「それもあくまで表面的なものだろう。未だに帝国各地で火種は燻り続けている」

 

マキアスくんの言葉にユーシスくんが反論する。その事に対してさすがに対立する気はないようで、そうだな、とマキアスくんは素直に頷いた。

けれどマキアスくんの言うとおり、貴族派は帝国解放戦線の壊滅という建前で静かになり、革新派はクロスベル問題で忙しくしており貴族派にかまけている暇はないようで、この一瞬だけは一種の小康状態になっているとも言えた。特にクロスベルは市長が総裁を務めていたIBCビルが猟兵に占拠され、街に火の手が上がったというニュースもあって慌ただしくなっている。

まぁ、ここで気を揉んだって仕方ないのはわかっているけれど。

 

「帝国の抱える問題は、根本的に解決されたわけじゃない、か……」

「うん、だからこそ今は学院祭を盛り上げるのがいいんじゃないかな」

 

暗くつぶやいたリィンくんやみんなを励ますよう言葉を紡いだトワを見て、アンゼリカも首肯する。

 

「確かに、トールズ学院祭は貴族から平民までさまざまな関係者が訪れ、同じ空間で同じ楽しみを共有できる得難いイベントだ」

「新聞にも載るぐらい規模の大きい扱いだもんね」

「うん。それに、VII組のみんなは貴族の人も平民の人もいるんだし、そんなクラスが頑張ったら、見ている人達の認識も少し変わるんじゃないかな?」

 

貴族だからどうたら、平民だからどうたら、というこの帝国の在り方を個人の意識レベルから変えていく。草の根運動にも程があるだろうけれど、たかが人間一人が出来るのなんてその程度だと弁えておくぐらいでちょうどいいのかもしれない。

 

「我らの頑張り次第で人々の認識を変える、か。ふふ、やり甲斐がありそうだ」

「うん、だったら僕たちの手で最高のステージを作り上げなくちゃね!」

 

気合を入れ直したVII組の面々を見ながら、こんな時間が続いていけばいいのにな、なんてあり得ないことを願ってしまった。

 

 

 

 

「そういえばロビー向こうにビリヤード台があったんだよね」

「お、出来るクチか?」

「いや全然これっぽっちも出来ない。玉とかキューとかを触ったことはあるけど」

「何でンな中途半端に……あー、職人街の出だからかお前」

「そうそう。クロウは出来るの?」

「ある程度はな。教えてやってもいいぜ」

「えっ、本当? やった、嬉しい」

 

 

「あっ、このクッキー美味しい。当たりだ」

「どれどれ、おや」

「ちょっとだけあるしょっぱさが甘さを引き立ててるね」

「アイゼンガルドで採れた岩塩を使用してるんだって」

「なるほど、それで連峰を象っているのか。案外真面目な土産じゃないか」

 

 

「あら、君もまたお風呂?」

「サラ教官もですか。広いお風呂っていいですよねえ」

「フフ、結構お風呂好きね」

「寮ではシャワーだけで済ませないといけないのが残念で」

「確かに。湯船で足が伸ばせるってそれだけで贅沢を感じるわ~」

「同感です」

 

 

そうして、露天風呂もいいかもしれないと思ったけれど夜の時間は混浴だと言うので諦めて部屋に帰り、トワやアンとわいわい話しながら早めに眠りについたのだった。

 

 

 

 

1204/10/02(土)

 

「わーお」

 

どこか静かな世界に、どさり、という音が遠くから聞こえてきたのでのっそり起きて窓の外を見たら一面雪景色で驚いた。えっ、ユミルって北の方にあるけどさすがに十月に雪は降らないんじゃない?と首を傾げて時刻を確認すると朝の五時。早朝レベルだ。

時間も時間なので他の二人を起こすのはやめておこう、と服を軽く整え、階下に降りると支配人の方は起きていらした。いつ眠っているのかという疑問はあれどそれは自分が気にすることじゃないかと納得し、事情を説明して厚手のストールを借りて扉を開けると、ぴゅうっ、と冷たい風が吹きすさぶ。

玄関を一歩出ると、さくり、白いかたまりに足跡がつく。空からも白い欠片が落ち続けてきている。────雪だ。それが楽しくて、綺麗で、さくりさくりと駆け降りていき、ケーブルカーの駅舎のところまで走り抜けるとうっすら明るくなっていく山の麓にうつくしい景色が広がっていた。吐いた息は白くなり、空からはちらちらと雪が降り続けている。

寒いし冷たいしびっくりだしいろんな感情がまぜこぜになるけれど、それでもやっぱり感動が勝ってずっと空や麓を眺めてしまう。楽しい。あっ、小さい頃に読んだ絵本の雪だるまって積雪次第で作れるのでは?なんて考えていたら後ろから足音がし始めた。

 

「こんなクソ寒い中そんな軽装とか正気かよ」

 

声に振り向くと、凰翼館で借りたのか厚手のコートを着たクロウが首をうずめて歩いてくる。相変わらずではあるけれど、私の気配に聡すぎやしないだろうか。

 

「だって雪だし」

「答えになってねえんだわ」

「見るの殆ど初めてだったから」

「あー、そうか。南だもんな」

「もちろん冬は寒いけど、山とか地理的な兼ね合いもあって雪まで降ることはなかったかな」

 

だから珍しくてつい、なんて笑ったところでむぎゅっとクロウの両手で頬が包まれる。コートのポケットに入っていたせいかあったかい。

 

「あーあー、こんなに冷えちまって。風邪引くぞ」

「んー、そうだね。そろそろ戻ろうかな」

 

テンションが上がることと風邪を引かないことはイコールではないので、忠告には大人しくしたがっておこう。それじゃあ帰ろうか、と踵を返したところで片手が引かれる。

 

「……もし風呂入んなら露天風呂行かねえか」

 

朝の六時までは混浴だという話をクロウも聞いているのか、そんな誘いをされてしまった。

 

「いいよ」

「やっぱ駄目だよな」

「いいよ?」

「は?」

 

最初っから諦めていたのかクロウがため息吐いて戻ろうとするので、隣についていきながら再度肯定。するとぴたりと足を止めて私を振り返ってきた。

 

「但し、公共の場なのでいちゃついたりは駄目です。それでもよければ」

「……」

「あ、もしかして冗談だった? それなら」

「いや冗談じゃねえんだが本当に本当にいいのか? やっぱやめたって言われたら泣くぞ」

「必死だなぁ」

 

嘘じゃないよ、と笑って私たちは凰翼館に戻り、風呂支度を済ませるために一旦二階へ。

支配人さんに見送られて脱衣所に入り、髪を纏めてお風呂用品と湯着を片手に内浴場で身体を洗う。しっかり丁寧に。そうして湯着を着用し外へ出ると雪の降る露天風呂にクロウが見えた。かけ湯をして身体が冷える前にちゃぷんと熱いお湯に入り、ゆるゆると近寄っていく。

 

「早いね。ちゃんと身体清めた?」

「爆速で洗ったわ」

 

その返答が飾り気もないからこそ可愛くて笑ってしまった。

 

「まさか学生のうちにこんな旅行する日が来ると思ってなかったや」

「確かにな」

 

のんびりしながら中央にある岩に背を預けて空を見上げると、徐々に日が昇ってきていて、空の向こうが白みつつある。

 

「あと半年で卒業だねえ」

「卒業出来るように祈っててくれ。オレも祈るわ」

「いやそこは祈りじゃなくて物理的な話だと思う」

 

学院祭で先輩として縁の下の力持ちをするのもいいけど、ちゃんと単位はしっかり取ってきてほしい。まぁでも一緒に卒業っていう約束を忘れてはいないみたいなので、きっとどうにかはしてくれるだろう。たぶん。

 

「……何?」

 

視線を感じて胸を腕で隠しながらぱしゃんと肩まで浸かると、いんや、と視線を逸らされる。

 

「湯着が張り付いてエロいなって思ってただけっつうか」

「わかった、あがるね」

「思うくらい良いだろ!」

「思ってても言わなかったら見過ごしたんだけど」

 

胸を隠しながら立ち上がったところで、強い風が吹きすさんで身体が瞬間的に冷えたので直ぐにお湯の中へ舞い戻る。だけど今の一瞬で見えた外の風景はこの数十分でかなり積雪が進んでいるように感じられた。

 

「……やっぱこの天候なんか変だよねえ。綺麗だし温泉は気持ちいいけど」

「またぞろ古代遺物が何か悪さでもしてんのかね」

 

ああー、ありそう、とうんざり同意しながらクロウに目配せをすると頷かれたので、また風が吹き始める前にそれぞれ内浴場の方へ戻った。寒い寒い。

 

 

 

 

部屋に戻ると既にトワもアンも起きていて、朝風呂かい?という問いを肯定しながら制服へ着替える。さすがにこの雪の中にこの装備で山道散策はあり得ないので、足湯はまた今度にしようという話になった。卒業後、五人で集まれる日はまた来るんだろうか。いや、来るようにスケジュールを合わせよう。

 

そうして今日も昨日の夕食と変わらず美味しいご飯を食べ終え、みんなでロビーから窓の外を眺める。当たり前だけれど白一色に成り果てたままだ。

 

「窓の向こうが一面の雪景色だな」

「……いくらなんでも早すぎるだろう」

「ああ、ノルドでもなかなか見ない現象だ」

 

ユーシスくんの言葉にマキアスくんやガイウスくんが反応し、一同で非常に困惑している。雪は止むどころか積もるばかりで、こうまで降雪していった場合にケーブルカーの運行はどうなるんだろうか。雪に詳しくない私は一人首を傾げてしまう。

 

「どんどん積もってきてる。これは雪かきが必要だね」

「この勢いだと午後には相当積もるはずです。帰りに俺達が乗るケーブルカーの運行にだって支障が出る可能性が……」

 

リィンくんが懸念したところで凰翼館の玄関扉が開き、ぱたぱたと雪をはたきながらシュバルツァー男爵とエリゼさんが現れた。二人とも幾分か顔が暗い。

 

「……おはようございます、兄様、皆さん」

「一通り里を見て回ったが、山の斜面にも雪溜まりが出来てしまっている。ケーブルカーは暫く運行出来ないだろう」

「そ、そうなんですか。昼には帰る予定でしたけど……」

「となると、暫く身動きが取れなくなりそうね」

 

従業員の方や、シュバルツァー家の方々の反応を見る限り、これはかなり季節外れの降雪ということだ。より北方のノルドでも十月にこんな雪は降らないとガイウスくんも言っていた(まあ地理的にあり得る可能性もあったろうけれど、これでなくなったとも言える)。

さてどうしようか、というところで青褪めたエリゼさんがそっとリィンくんに寄り添う。二人ともどこか思い詰めたような表情。

 

「……どうかしたのか? 深刻な顔をしているが」

 

ラウラさんの問いかけに、リィンくんが先ず顔をあげる。けれどどうにも言いづらそうにしているので席を外したほうがいいかな、と一歩後ろに下がりかけたところで口が開かれた。

 

「……実は、八年くらい前にも、似たようなことがあったんだ。父さんも覚えていますよね」

「そうだったな……。ちょうど同じ状況だ。あの時は確か三日ほど雪が降り続いていたはずだが、その後、唐突に止んでしまった」

「ふむ、なにか事情がありそうだね」

「とりあえずケーブルカーが復旧次第、すぐに連絡が行くようにします」

 

領主殿から離れられる時に離れるよう言いつけられ、里の人と相談しに行くのかそのまま踵を返したところでまた戻ってきた。

 

「そうだ、リィン。これを。トールズ士官学院VII組宛の郵便物を預かって来た」

 

領主殿が差し出してきたのは、この場にいる全員が見慣れたもので、一瞬のうちに驚きが辺りへ満ちる。士官学院実習用の封筒。丁寧に封蝋までしてあり、実習と言われたら信じてしまいそうなほどよく出来ている。けれど教官も驚いていることからそれはあり得ない。

 

「どういうことだ……?」

「へえ、面白いじゃない。リィン、開けてみなさい」

 

教官に促されリィンくんが封を切り、中の紙を取り出す。その便箋も普段士官学院で使われているものだ。

 

「ええと……『VII組諸君に特別実習の課題を手配する。ユミル渓谷に赴き、季節外れの積雪を阻止せよ』……!?」

 

文面を読み上げた瞬間、またもや全員の驚愕が落ちる。

 

「し、しかも最後に『リィン・シュバルツァー同行のこと』って書いてあるよ!?」

 

手紙を横から覗いていたエリオットくんが驚愕の声で文末を読み上げた。名指し。あからさまな罠。アリサさんが、そももそも積雪を阻止せよってどういうこと!?、と驚きを言葉にする。まぁつまり自然現象ではなくことを起こしている存在がいるということだ。正直人智を超えている所業だと思うけれど、古代遺物の悪用とかでどうにか出来ないこともない範囲か。

 

文面に関して心当たりがありそうな一部面々もいて、どうするの?、と教官が問いかける。ご指名のリィンくんへ向けて。

 

「……行きます。この雪を降らせている何者かが俺達を呼び出している。しかも俺に関してはわざわざ名指しまでして。確証はありませんが確かめないわけにはいきません」

 

紙面から顔を上げ、リィンくんは力強く言い切った。そのリィンくんの言葉がわかっていたのか、VII組一同は互いに頷く。

 

「フッ、頼もしい限りじゃないか」

「去年の試験運用を思い出すね。あの時も大変だったけど……VII組は私たちの時よりずっといいチームに育ってくれたのかもしれない」

「いやいや、負けず劣らず、私たちもいいチームだと思うよ」

「クク、そこは同意しておくぜ」

 

ご指名でない前年度組……つまりトワとアンと私は里で待機しつつ力仕事などを行うぐらいだろうか。体が芯から冷えそうなので帰る前に温泉に入らせてもらえたら嬉しいのだけど。

 

「みんな、さっそく向かおう!」

「き、危険です!」

 

リィンくんが拳を握ったところで今まで耐えていたエリゼさんが声をあげた。

 

「エリゼ……?」

「だ、だって、どんな得体の知れない相手が待っているかわからないのに……! そんな場所に兄様達を行かせるわけにはいきません!」

 

リィンくんへ縋り付くように懇願するエリゼさんを、領主殿がやさしい手でそっと引き離す。

 

「エリゼ。彼らは士官学院の生徒、危機に立ち向かう術を学ぶ者達だ。お前の兄も同じ。……見守ってあげなさい」

「父様……っ、でも、……でもっ!!!」

 

かつて、彼らしか知らない何かしらの恐ろしい出来事があったんだろう。ここまでの話を統合すれば例の旧校舎でリィンくんが異貌となり彼女を守ったことと関係する何かが、と推測も立てられる。

 

「エリゼ、大丈夫だ」

 

しかしリィンくんはしっかと頷き、エリゼさんに向き直る。

 

「確かにあの時と似た状況だけど、今回はみんながいるんだ。俺はきっと、あの日を乗り越えてみせる。……だから、いい子で待っててくれ」

 

言い聞かせるように頭を撫で、エリゼさんの頬を一筋の涙が伝う。まるで御伽噺に出てくる雪の妖精との誓いのようだなとぼんやり兄妹二人を眺めていた。そうして、一瞬だけ目を伏せた彼女は涙を切り払い、前を見据える。

 

「絶対に、無事に戻ってきてください。もし戻って来なかったら……私が兄様を助けに行きますから!」

「ああ、わかってる」

 

リィンくんの言葉に続く形で、VII組がエリゼさんに頷きそれぞれの言葉で彼女に誓う。リィンくんと共に戻ってくることを。そんなクラス愛の強い姿を眺め、VII組みんなの背中を見送り、私たちは私たちで出来ることをしようと動き出した。とりあえず朝のクロウみたいにコートを借りたりしようかな。

 

 

 

 

「って、クロウ! 耳! ピアス!」

「ん? あっ、冷え!」

「凍傷になるから外していきな!!!」

「うっわ、マジであんがとな。ってことで預かっといてくれや」

「えっ、うん……ちゃんと返却させてね」

「わあってるっつうの」

 

 

「もしかしてこのスノーダンプっていうのめちゃくちゃ疲れる?」

「セリ、それは腕力というよりコツで動かすものだよ」

「さすがにアンちゃんは降雪に慣れてて頼もしいかな」

「君達、雪の中だっていうのに元気ねえ」

 

 

「昼食は凰翼館の方が作ってくださるから、本当に雪仕事してるだけかなぁ」

「皆様はお客人なのにすみません……」

「なんの、貴女のようなうつくしい方の助けになれるなら本望ですよ」

「はいはい従業員の方をナンパしてないで仕事するー」

 

 

「そういえばアンちゃん、バイクの話ってリィン君にはしたの?」

「一応したんだが返事待ちといったところか」

「あは、それは大事に思ってくれているからこその反応だね」

 

 

 

 

そうして、ちらりちらりと降る雪の中いろいろな作業をしていると、ある瞬間から空から舞い落ちる欠片が降りやんだ。外作業をしていた人間全員が空を見上げ、VII組が使命を果たしたことを理解する。

そうしてある程度まで雪を除去し、ケーブルカーも導力融雪器を動かすことで運行が暫くしたら可能になるだろうという見込みが凰翼館へもたらされた。

 

下山してきているだろうVII組の人たちには悪いけれど昼食前に大浴場に入らせてもらい、ぬくぬくぽかぽかになったところで全員が無事に帰還を。

おかえりとクロウに言えば、ちゃんと戻ってきたぜ、なんて言いながら冷え切った両手で頬を掴まれてしまった。指先は恐ろしく冷えていたけれど、でもちゃんと帰ってきてくれたからそれぐらいは許してあげようと思う。ピアスを返して、VII組たちもお風呂の方へ。

 

そうして、昼食を摂りながらことの顛末を話された。

里から続く山道奥にある石碑が異常気象をもたらしていたこと。その石碑に封印されていたと思しき氷の魔獣を討伐する羽目になったこと。それを誘発させたのはあの巷を騒がせている怪盗Bであり、身喰らう蛇と呼ばれる暗躍集団の一人だったということ。人形兵器を輸出している組織ということで完全にテロリストと繋がっているとみていいようだ。

 

 

 

 

昼食も終わり、帰り支度を済ませてケーブルカーの駅へ。多少遅れたけれど今日中にトリスタにはつけるだろう。また明日から頑張っていこう。

季節外れな雪解けの斜面を眺めていると、リィンくんが領主殿から巻物が手渡されているのが見える。八葉一刀流・中伝目録と書かれているそれ。つまりリィンくんは一つ階段を登ったということで。

それに対してアンが話しかけ、嬉しそうに顔を綻ばせる。ああ、たぶん導力バイクの話がまとまったんだろうなと理解した。あれは本当に楽しい日々が詰まったものだから、わかってくれる人に受け継がれるなら何よりだ。

 

『ケーブルカー、まもなくユミル駅を出発致します。お乗り遅れのないようご注意ください』

 

車掌さんの声がスピーカーから聞こえてきたのでそろそろかとみんなで乗り込み、想像以上にいろいろ起きたユミルの里を後にした。

さて、学院祭で何かする予定はないけれど、どうやって過ごそうか。



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23 - 10/22 学院祭一日目

1204/10/22(金) 学院祭準備日二日目

 

「えっ、学院祭一緒に回れるの?」

 

オレはVII組やその他出しもんに、セリはトワの手伝いで生徒会の遊撃としてお互い学院祭の準備で忙しく、他寮ってこともあってようやく隙間を縫ってコンタクト出来た時に誘ったら、まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。

 

「違う違うクロウと回るのが嫌なんじゃなくて忙しいんだろうなって思っていたから」

「いくら忙しくても最後の学院祭くらいカノジョと過ごさせろって話だわ」

 

去年はちっと微妙な関係だったろ、と言い募れば、そういえばそうだったねえ、なんて可愛らしくお前が笑う。あの事故から一年。VII組の案件に首突っ込みながらもこうして五体満足に生きててくれて良かったと思う。……本当に。

 

「じゃあ、23日は空けておくね」

「おう」

 

嬉しそうにはにかむお前を見送って、さぁて有志企画の進み具合見てくるかと足を向けた。

 

 

 

 

1204/10/23(土) 学院祭一日目

 

講堂搬入前に技術棟で楽器のチェックを半分済ませ、来る時に持ってきたジャケットに腕を通して待ち合わせ場所へ向かう。ジョルジュには笑われたが構うこたねえ。

 

「おーい、待たせたな」

「あ、クロ、ウ……?」

 

生徒会執行部テントの前で来場客を見ているセリに声をかけると訝しげに首を傾げられる。……そこまで変なカッコじゃねえと思うけど。というかむしろ見慣れてるとさえ思うんだが。

 

「なんで緑の方を着てるの?」

「……VII組の制服受け取った日にお前、微妙な顔してたろ」

 

計画の為にVII組編入は仕方なかったとはいえ、制服程度であんな顔するなんて思っちゃいなかった。まぁ残り二ヶ月ってところでVII組仕様のやつを渡されるとはさすがにオレも予想外だったというか。予算余ってんのか?もっと別のことに使えよと小市民な自分は考えちまう。

 

「これならお前の大好きなV組のクロウ君だろうがよ」

「そ……っ」

 

顔を真っ赤にして絶句するセリがあんまりにも可愛いもんで、このまま寮に連れて帰っちまって良いか?って思うくらいなんだがそれはまぁ駄目だろ。寮に誰もいねえから連れ込み放題ではあるが。

 

「……VII組のクロウくんもきらいじゃないですよ」

 

顔を両手で覆いながら何とか絞り出された台詞はそんなもんで、どっちのオレも好きなんじゃねーか、って笑ったら軽い拳で胸を叩かれた。痛くねえ。

 

「ローランド先輩もアームブラスト先輩もいちゃつくなら会場回ってきたらどうですか?」

「……!」

 

生徒会の一年に促され、邪魔したな、って声かけながらセリの手に自分のを絡めて歩き出すと、あわあわと慌てていたセリもゆっくり歩いてるうちに落ち着いて来たのか手が握り返された。ごった返す人混みを抜けながら紙吹雪舞う道を講堂側へ。

 

「……クロウが関わってる企画、どれだっけ」

「ん~、いろいろ手ェ出してっけど、一番デカいのは馬術部のやつかね」

「ああ、君が胴元になってギャンブルやってるっていう」

「話題に出したいのはそこじゃねえんだよなぁ」

 

苦笑を落としてグラウンドの階段前まで来ると、校庭の半分以上を占める乗馬コースが見えてきた。うんうん、壊れてることもなく無事に稼働してるみたいで何よりだ。

 

「競馬はともかくふれあい体験の方は気になるかな」

「おう、じゃあ行ってみるか」

 

実はセリと白馬のノーブルムーンの組み合わせも結構上位に食い込んでるんだが、どっからセリが馬に乗れるって聞きつけてやがんだあいつら。ま、本人にやる気がねえならしょうがねえよな!オレのせいじゃない。

 

「どうぞ~、こちらふれあい乗馬体験を行っておりまーす」

「すみません、一人いいですか?」

「はい大丈夫ですよ」

 

馬術部一年に声をかけたセリは腰のポーチを外してオレに渡してきた。中に入ってるカメラ触って良いかと聞いたら了承が返ってきたので取り出してファインダーを覗く。うん、良い腰と尻だ。

 

「クロウさん」

「んー?」

「何か後ろから写真撮っている音が聞こえるんですけど」

「気のせいじゃないかねー?」

 

セリが馬に乗ってるのなんか去年の四月ぶりっつうか、むしろあん時もそんな見てなかったからほぼ初見みたいなもんだ。だってまさかこんなことになるなんて思わなかっただろ。そういう意味じゃこの企画を立ち上げてよかった。やっぱ昔から乗ってるヤツは様になるし、これできちんとした乗馬ジャケットとかグローブとかつけてたら一層映えそうだ。

 

「いや、撮ってる……」

「ふふ、恋人の乗馬姿を収めたいなんてクロウ先輩も可愛いですね」

 

かっぽかっぽと馬を歩かせる体験者に付き添ってた後輩女子にンなことを言われて、ぐっ、となっちまう。先輩に対して可愛いはねえだろ。

 

「ばっ、いや、そういうわけじゃなくてだな」

「いや本当にそういうつもりじゃなくて、たぶんお尻撮ってるでしょ」

「おっと、オレのことよく分かってるな~」

 

笑いながら表の方に回って写真を撮ると睥睨したセリとファインダー越しに視線が合って、僅かにぞくりとする。……普段オレより低いセリに見下ろされるのもなんつうか、悪くねえな。

 

「うん、現像するときに破棄しておくね」

 

馬の首を撫でで労ったセリはすとんと軽やかに降り、後輩に礼を言ってからカメラを収めたポーチを受け取って腰に回す。

 

「そんなに写真イヤかねえ」

「好きではないかなぁ。前よりは随分マシになったけど」

 

ああ去年衣装写真を撮ったロシュのおかげか、とそこだけはあいつに感謝してもいいかもしれねえ。どうせならあの写真貰っときゃよかったか。まぁでもあの時点での最善はあの択しかなかった。

今度はセリに手を取られ、また敷地内を二人で歩いていく。

 

「そういえばトワから生徒会手伝ったお礼にチケット何枚か貰ってるんだよね」

「チケット?」

「今年から導入したものらしくて、使うとちょっとした特典がつくんだって」

 

ああ、そういや特典用の小物とか手配もあったか、忘れてたな。そんじゃあいいところで使うかねえ、と話しながら進んでいくと修練場の方から賑やかな声が聞こえてくる。

 

「ギムナジウムでは『みっしぃパニック』を開催してま~す! みんな叩いて爽快! えんじょ~い、みっしぃ!」

 

テンションの高い客引きを横目に、クロスベルかぁ、とセリが呟いた。

 

「確か昨日の午後に市長が独立宣言したんだっけか」

「うん。法的な実行力はないし、帝国も共和国も一顧だにしていないみたいなんだけど……IBC総裁兼任ってレベルのやり手の方が勝算もナシにそんなことしないよなぁって。だからちょっと不気味だよね」

 

例の通商会議のことを経て勉強していたせいで思うところがあるのか、セリは少し視線を下げた。帝国自体が動くなら俺も無関係じゃいられねえ。そう言う意味で動向が気になる場所の一つではある。帝国政府の目が内側じゃなく外側へ向いた時、たぶんそれが転換点だ。

 

「ま、東の果てのことなんざ考えたってしょうがねえだろ」

「しょうがなくても考えちゃう性質だからねえ」

「それもそうだな」

 

自分の故郷とは真反対にある自治州についても考えずにはいられない。自分が認識したものを看過せず、思考を回す。そういうある種不器用なところも好きなったところの一つだ。ンなこと言ったら「どうしたの?」なんて笑われるか顔を真っ赤にされるかだろうけどな。

 

「そういや一階の『ステラガルテン』、かなりカップル向けみたいだから行ってみねえか?」

「いいよ。一階だったら中庭から入っちゃった方がいいかな」

 

そうだなと肯定して中庭のベンチで休んでる来場客を横目に右の扉へ入る。一年がやってる喫茶店がまず目に入るがお目当てはその奥だ。

 

「喫茶店が気になるなら昼飯食った後にでも寄ろうぜ」

「あ、いいの?」

 

どう控えめに見たって東方風喫茶に目を奪われてるセリに笑いがこぼれちまった。オレたちの中でジョルジュといい勝負するくらい食いしん坊なんじゃねえか?

 

「こんにちは、一年II組の出し物『ステラガルテン』はいかがですか? 星空の下、美しい庭園を歩く巡回式のパビリオンです」

 

丁寧な案内をする女子にチケットを一枚渡して二人で入る。ごゆっくりどうぞ、と扉を閉められたら天井にある星と共に生花が飾られたアーチに出迎えられ、プランターに植わった植物も丁寧に手入れされたもんばっかで金のかかり具合がえげつねえなと思っちまった。さすがに蝶は作りもんみてえだが。

 

「暗がりにしつつも足元にしっかりと光源を置いて転けないようにしてあるね」

「注目するところそっちかよ」

「……田舎の森育ちだから?」

 

情緒も何にもねえなあ、なんて笑って、入る時に一瞬離した手をまた繋ぎゆっくり歩いていく。ある程度入場を制限しているのか、ゆったりとした散歩が出来るようになってるみてえだな。さっきのセリの言葉じゃねえが、雰囲気作りをしつつも安全面にも配慮してあってさすが貴族クラスな感じはある。

 

「ふふ」

「ん? どうかしたかよ」

「いや、飾られてるのがグランローズだから去年のこと思い出しちゃった」

「あー……」

 

学院祭が終わって、十一月の自由行動日にやったあの情けない告白だ。考えてた言葉全部吹っ飛んで、いろんなもんでいっぱいいっぱいになっちまって、結局グランローズを差し出すしかなくなったあの日は正直封印したいまであるんだが。

 

「本当に嬉しかったなぁ」

 

だけど暗がりの中でそんな恍惚とした表情と声をいま引き出せたのはあの日の自分のおかげで、まぁそれならチャラにしてやってもいいかと過去の自分に上から目線をかましておいた。そういやグランローズが名産のドレスデンの奴が在籍してるクラスだったなここ。それでこの量か。

 

「おっと、終点みたいだな」

「だね」

 

ゆっくり歩いてる何組かを抜かしたオレらは、ベンチと半球状の装置が置いてある終点だろう場所に着いた。チケットがある場合はこのスイッチを押せるんだったか。意味ありげな黄色いスイッチを押して起動すると、天井の星空がより一層輝いた。

 

「……これは、綺麗だねえ」

「ああ、そうだな」

 

内部機構としてはだいぶ簡単なもんだとは思う。だがそれを天井に投影して輝く夜空を作るっていうのは発想の勝利だ。

手を引いてベンチに座り、二人で空を見上げる。こいつと夜空を見上げたことは何度もあった筈で、作りもんだってわかってるのにどこか胸にクる。あり得ない夜空ってのがどこか心のやらかいところに触れてんのか。笑えねえな。

 

「夜っていいよね。こわいけど、誰でも一人になるから」

「……今は二人だと思ってたんだが違うかよ」

 

拗ねたように呟くと一瞬呆けてから、そうだね、と笑い声と共に肩に頭が乗っかってくる。

普段のオレなら、リィンとかが女子といい雰囲気になってたらそこでキスの一つでもしとけと言うんだろうが、ま、こういうのもいいもんだろ。好きなやつと手ェ握って、静かに笑いあうなんて幸せがすぎる話だ。

 

 

 

 

「そろそろ腹減ったし屋台でも巡るか~?」

「そうだね。トワの様子も見たいし。役員は休憩回せててもトワは出来てない気がする」

 

ゼリカとはまた違った方向でこいつもトワ大好きっ子だよなあ。まぁ妬きはしねえけど。

食いもん系の屋台は正門の方に集まってたよな、とパビリオンから出てそのまま正面玄関へ向かい外へ出る。トワは相変わらず座りもせず各所に指示を出してんのか忙しそうにしてやがる。

 

「んー、やっぱ強制的に休ませる方向かなぁ」

「だな。使われてねえみたいだけどあいつの席でも奪っちまうか」

「一瞬どうかと思ったけどわりとアリな気がする」

 

ま、とっとと買っちまうかと肉の焼ける音と匂いがする方へ歩いていくと、串に刺さった肉がじゅわりと鉄板の上で油を踊らせてんのが見えた。おお、フツーに旨そうじゃねえか。

 

「すみません、この十連ステーキ串とターキーレッグを1つずつください」

「お、注文ありがとうな~」

「オレはあっちのホットドッグとか飲みもん買ってくるかね」

 

セリと分かれてホットドッグを買うと、オレに近寄ってくる道中でクレープ屋に引っかかってるセリが見える。まぁそこ旨そうだよな。

 

「クレープは後で買った方がいいんじゃねえか。食ってる間にクリーム溶けたら悲惨だぞ」

「わかってるけどこのたっぷり苺のクレープが美味しそうでね。後で絶対に買いに来ようね」

 

ったく、後で喫茶店行くの覚えてんだろうな。いやこいつならたぶん食べ切るんだろうが。とりあえずお互い食うもんと飲みもん確保したからそのまま執行部のテントへ。

 

「トワー、調子はどう?」

「あ、セリちゃん、クロウ君。概ね順調だよ。リィン君も手伝ってくれてるし」

「……リィンくんも大概ワーカホリックだよね」

「うん、心配かなぁ」

「それをトワが言うの?」「それをお前が言うのかよ」

 

見事にハモってオレらが指摘すると「私はそうでもないよ!」なんて両の拳を握ってトワが反論してきたがいやいやどう考えてたってお前もワーカホリックに両足突っ込んでるタイプだろ。

 

「おっ、そうだいい感じに席空いてるからここ頂くぜ~」

 

するっと後ろからテントの下に入ってどうせ使われてねえトワの席に座ると、あっ、とトワが声をあげる。

 

「もう、クロウ君。ここ休憩所じゃないんだからね!」

「だって他のベンチ空いてねえから仕方ねえだろうがよ」

「も~~~、セリちゃんも何か言ってあげて!」

 

くるりとトワに振り向かれ助けを求められたセリは苦笑する。この場合言いたいことがあるのはオレじゃなくてトワの方だかんな。今回だけはセリの小言を聞くのはオレの役目じゃねえ。それに席が欲しけりゃ最悪技術棟に行けばいいワケで。

 

「ここに私とクロウが詰めておくから、トワは休憩行ってきなって」

「あ、セリちゃんもそっち側なんだ」

「うーん、どっちかっていうとトワ側なんだけど」

 

ぶっちゃけた話それはずっとな気がするんだよな。トワ側じゃなくなったことあるか?オレとトワが喧嘩したとして味方についてくれる未来は全然思い付かねえ。いや元々のオレの素行が悪いとも言うんだが。

 

「……それはずるい言い方だよ、セリちゃん」

 

あまりにもあっけらかんとセリが言ったからか、逆に恥ずかしそうにするトワに対して、横にいた生徒会役員共が立ち上がる。

 

「会長、俺たち大丈夫ですから」

「はい、この一年会長の下で鍛えられましたし!」

「そ、そう? じゃあ……お言葉に甘えよっかな」

 

えへへ、と笑いをこぼしたトワは「学生会館の方へ行ってくるね」と残して歩いて行った。まぁでも行く先々で見つけたトラブルは解消しちまうんだろう。容易に想像がつく。そういう意味だと送り出すよりついて行ったほうが良かったか。

 

「取り敢えず休憩に出すのは成功?」

 

セリが執行部のL字に組まれた机の端っこに持ってたもんとかを置いて、後ろのベンチに座る。

 

「ああでもしなきゃ行かねえだろうからなあ」

「そうだね。……ごめんなさい、勝手に会長送り出しちゃって」

 

セリが残っていた生徒会の奴らに声をかけると、いえいえ、と勢いよく返ってきた。

 

「会長には後ろで構えていてもらいたいくらいなんですが、中々そうもいかず」

「むしろローランド先輩が来てくれて助かりました」

 

おっと、オレへの労いはなしか?と首を傾げるとやたらと敵意の強い視線が寄越されたので黙っておくことにした。空気の読める男なんだオレは。

 

そんで昼も食い終わり、セリご所望の苺山盛りクレープを食べながらその間に来た落としもんだの迷子の案内だのをこなしつつ、宣言通りトワの帰りを待つことしにした。

 

 

 

 

『ごめんねっ、いろんなところでちょっとバタバタしてきちゃって』

「トワのことだからそうだと思ってたよ」

 

随分と長い間席を開けたトワからセリに通信がかかってきてスピーカーモードで応答した時、真っ先にそう謝られちまう。まあわかっててやってんだからいいんだけどな。

 

『それでこれから食堂のコンロのトラブルでジョルジュ君のところに行かなきゃいけなくて』

「あらー、それじゃあもう暫く私たちいようか」

 

ちらっと目配せをされて、さすがに頷かねえほど人情がないわけじゃない。それに食堂のコンロがトラブルってだいぶ痛手だろうしな、と口を出そうとしたところで、いえ、とまたぞろ横から声が飛んできた。

 

「私達だけでも大丈夫です! 会長はもっと頼ってください!」

 

頼りねえから頼れねえんだろ、なんて言うのは野暮かと黙ってると、トワは少し迷った末に『何かあったら絶対に連絡ちょうだいね?』と念を押して通信が切れる。

 

「……お役御免?」

「みてえだな」

 

そんじゃあ東方喫茶行くか、とごみを捨てて手を差し出すと、何の衒いもなく繋がれた。

 

 

 

 

「へえ、結構内装も凝ってるんだ」

「かなりそれっぽい感じだな」

 

注文をしてからエプロンをつけた男子の案内で赤い布が敷かれた長椅子に座ると、暫くして抹茶と茶菓子が運ばれてくる。結構重量感のある器に口をつけると、ほろ苦い味が口の中に広がった。なるほど、つまりこれに菓子を合わせると……予想通り丁度いい塩梅だ。

 

「結構苦いんだねえ」

「けど旨いな」

「うん、珈琲とはまた違ってるけど、こっちも好き」

 

ふにゃりと緩んだ笑顔を見せられて、こういう横顔を独り占め出来ちまうのほんっとうに、ヤバいんだよな。好きな女の幸せそうな表情はいくらでも見てられるっつうか。いやだいぶ頭が茹だってるなこれ。学院祭のテンションって怖え。

 

「おくつろぎ中に失礼しま~す♪」

「えっと、突然ですが"おみくじ"を引いてみませんか?」

 

箱を抱えた女子二人が前に現れてそんなことを言うもんで、おみくじ?、とセリが首を傾げる。

 

「女神様に祈願して吉凶を占う東方の文化で、チケット使ってくれたお客様へのサービスよ」

「へえ、面白そうじゃねえか」

「じゃあ試しにひとつ」

「では、どちらから引くかお選び下さい。私の方は様々な吉凶を占う《開運おみくじ》で」

「あたしの方は恋愛や相性を占う《縁結びおみくじ》が引けるわよ」

 

たかが占いとはいえ、どっちにしろロクなもん引きそうにねえな。

 

「どうするよ」

「うーん、もうすぐ進路関係もあるし、開運の方かなぁ」

「ぐっ、おま、ンなこと思い出させんなよ」

「いやそもそもクロウは卒業できるかどうかだし……」

 

ごもっともなことを言われて閉口しちまった。そういやこいつ帝国時報に呼ばれてんだったか。かなり大手だから入れたなら人生安泰にもなりそうだっつっても、そんな理由で受けるとも思えねえな。

 

「はい、ではおみくじをお引きください」

 

差し出された箱に順番に腕を突っ込んで引けば、「引いた紙はお守りにしてもいいですし、良くなるようみくじ掛けに結んでも大丈夫です」と言い残して二人が去っていく。さてはて。

 

「えっと、『凶──いつか心揺れる日が来るだろう。しかし諦めなければ翳りを打ち払い吉と転じる可能性あり』……おっと、縁起でもないことが」

「オレの方は……『中吉──おそらくそれは一度きり。選択の時を逃さぬよう目を光らせておくべし』……こっちもだいぶ不穏なんだがこれで中吉なんかよ」

 

二人で顔を見合わせて同時に首を傾げちまう。

 

「……帰りに結んで行こうか」

「だな」

 

紙を畳んで残っていた茶菓子にセリが手をつける。

その横で、そっとセリの文面を思い出す自分がいた。どうにもこうにも不吉さが拭えない文面に、どうしても、これからのことを見透かされたような、そんな寒気が、した。

 

 

 

 

そうしてダービーの結果をこっそり聞きに行き学院長とマッハ号が一位を掻っ攫っていったと聞いて撃沈しながら夕方には技術棟に戻って、ジョルジュと一緒に導力楽器の最終チェックを済ませていく。屋台で買ってきた甘いもんをジョルジュに差し入れたセリはいつもの席に腰掛けぼんやりとしている。

 

「アン、来られるかなぁ」

「さぁな。でも、今日来なかったってことは明日に賭けてんじゃねえか?」

「そうかもしれないね。しかもアンは賭け事には滅法強いから」

「確かに。それにこんな楽しいことに顔出さない筈がないか」

 

心配しすぎも良くないね、と立ち上がって身体をほぐす。

 

「楽器の運び込み、するなら手伝うよ」

「そんじゃお言葉に甘えて来場者がハケたところで一働きしてもらうかね」

 

そんな風に笑いながらトワによる一日目閉場のアナウンスも流れ、合流してきたVII組の面子とも協力して楽器を講堂へ運び込んだ。さーて、明日はどうなるか。

 

 

 

 

そうして帰寮して夕食をとりながら三曲目への導入を詰め終わったところで、遠く鐘の音が鳴り始めた。普段昼間に鳴り響く本校舎のものとは響きの違う荘厳なそれは、どこか聞いたことのあるもんだった。────ああ、そうか。時が来たのか。

呆気ないもんだと内心で笑いながら、音の出どころに心当たりがあるらしいサラに続いて全員で学院の方へひた走る。

 

「学院長、先輩たちも!」

 

サラとリィンを先頭に、本校舎の横を通り抜け旧校舎まで駆け抜けたところで五つの影が青白い障壁の前で立ち尽くしているのが見えた。学院長、トマス、セリにトワにジョルジュ。学院に残っていたり、この鐘で駆けつけたりしたんだろう面々だ。セリだけはオレたちに気付いていたのか振り向いて出迎える。

 

「リィン君たち!?」

「おお、サラ教官も」

「……来たか」

 

そうして他の四人も振り向き、状況把握のすり合わせが始まった。

 

「先ほど鐘がなり始めた直後、この状況になったそうじゃ。複数の学生が証言している」

「な、何だか透明な壁に包まれているみたいで……」

「工具のハンマーで叩いても衝撃が吸収される感じですね」

「衝撃の強弱では結果変わらない感じかな。アガートラムレベルだと分からないけど」

 

簡単に試したことを情報共有されて、全員一様に訝しみ疑問符が上がる。

 

「物理的な衝撃を相殺するような力場……?」

「不可解な場所とは思ったがここまでだったとは……」

 

アリサやラウラの言葉が続いていく横で、どうも委員長ちゃんだけは何かを知っているかのような雰囲気で──ああ、そういえばヴィータの妹だったか。それなら魔女ってことだ。この状態にも心当たりがありまくりだろう。

ガキンチョが叩いてみようかと提案し、ユーシスがそれを即座に却下する。まあ物理的に破壊できるなら世話ねえんだよな。

 

「そういえば、レポートにあったローエングリン城のやつってもしかして?」

「ええ、青白く不可解な力で封じられた障壁。まさにこのようなものでした」

 

セリの質問にガイウスが答える。

そう、つまり人智を超えたもの──広義的には古代遺物になるんだろうが、いわゆる1200年前の大崩壊以前にあったとされる古代ゼムリア文明によるオーパーツ的なもんじゃない。暗黒時代に地精と魔女が造り上げた機体がこの旧校舎の地下に眠っている。あの魔導器物が眠っていた壁の紋様を見た時にピンときた。"あれ"がここにあると。

 

「──全教官を招集」

 

話を聞いていた学院長が厳かに口を開く。

 

「これより緊急会議を開く。最悪の事態を想定して備える必要があるじゃろう」

 

その言葉にサラ教官もトマス教官も、そうなるか、と諦観を示した。

 

「トワ君、明日の学院祭だが、中止の方向で進めておきなさい。セリ君はその補助を。ジョルジュ君は、この場所の監視機器を揃えてもらいたい」

 

全員、その言葉に頷く。

さもありなんだ。こんな異常事態が発生しているところに一般人を招き入れることは到底許せるもんじゃねえ。学院を、トリスタを、そしてすべての人間を守るためにはその判断しかないだろう。これに対して本当の意味で正確な判断が出来る存在なんざ一握りだ。

 

「ま、待ってください!」

「まさか……学院祭を中止にするつもりですか?」

 

マキアスとガイウスが堪らないといった風情で声をあげたが、それをサラが「仕方ないわ」と嗜める。

 

「教官の言う通り、周囲にどんな被害があるかも分からない状況だし、学院……ううん、トリスタにも避難指示を出す必要があるかも」

 

トワのその言葉に、この状況がいかに危ないのか、というのがようやく伝わったのか後輩共の表情が強張る。そう、VII組や前年度組は、ある種この手の騒動には慣れている。だけど通常そうもいかねえ。そして、オレたちの手は全員を守れるほど強くも広くもない。個人に出来ることなんざたかが知れてる。

そう結論も落ち着くかと思った矢先、あの、と今まで黙っていたリィンが声を発した。

 

「────この一ヶ月、俺たち、それに他のクラスも学院祭に全てを賭けてきました。単なる意地の張り合いだったり、身内への見栄もあるかもしれません。皆で一緒に何かを成し遂げるのが単純に楽しかったのもあります」

 

こぼされていく青臭い言葉にはそれでも力があって、全員でその言葉に耳を傾ける。

 

「だけど、それだけじゃない。俺たちがここにいた"証"……それが残せるかどうかなんです。勝ってもいい、負けてもいい。大成功でも、大失敗でもいい。これまで教官や先輩たちに導かれお互い切磋琢磨してきた、"全て"を込めるためにも」

 

拳を握って学院長へ真っ直ぐ視線を向けるそいつは、出会った時よりずっと強くなっていた。

そうして、理解する。たぶんコイツなんじゃねえかと。この異常事態を引き起こしている存在に呼ばれているヤツは。

 

「どうか俺たちに"明日"を掴ませてもらえませんか!?」

 

VII組のヤツもそれに続くよう言葉を重ねる。こんな終わりなど受け入れられない、出来ることがあるならそれを成すべきだと。ああもう、ほんと青臭え。でも、悪くもねえ。

 

「……本気みたいだね」

「やれやれ、聞いてるこっちが気恥ずかしくなってくるぜ」

 

ジョルジュの言葉に続くよう肩を竦める。たぶんゼリカがいたらおんなじような言葉を落としたんじゃねえかな。だけど、いいチームであるって前にトワが言っていたことに全面的に同意する羽目になるとはな。

 

「しかし、意気込みはともかくこの障壁をどうするかですが……おやぁ、リィン君? 腰の所、どうしたんですか?」

 

わざとらしくトマスが指摘したリィンのARCUSホルダーに全員の視線が向く。確かに青白く光っている。そいつはまるでARCUSの戦術リンクが完全に一致した時と似たようなもんだったが、よくよく見れば光の強さが異なる。言ってしまえば、障壁の光に似て。

そうしてリィンが取り出したARCUSを起点に、VII組全員へその光は伝播していった。ミリアムにも、そして──オレにも。

 

そうして何かを理解したのか、リィンがARCUSを片手に障壁へ手をかざす。エリオットが悲鳴をあげたが、何もなく……いや、その指は障壁へと僅かにめり込んだ。

 

「これは……旧校舎そのものと共鳴しあっているのか……?」

「ええ、間違いないと思います。そして、俺たちVII組なら旧校舎の中に入る事が出来る」

 

その言葉に、VII組の面々は障壁の前に移動し、ふれる。オレも試してみるとリィンと同じように入ることを許されているかのような挙動が見て取れた。ちらりと他の奴らを確認すると、その瞳は、もう前しか見据えていない。この異常事態を解決するのは自分たちだと、そう心に固く誓った色。

やれやれ、ここまで巻き込まれんのか。まあ、いずれ対峙する相手を拝んでやるとしよう。

 

「……参ったわね。学院長、すみません。どうやら育て方を間違えてしまったみたいです」

「フフ、おぬしはこの上なくよくやってくれたと思うぞ。それに、どのように育つか選ぶのも、また若者たちじゃろう」

 

教官の言葉に笑った学院長はVII組を整列させ、裁定を下した。

 

「現在、19:40。24:00までの探索を許可する。それ以上は"明日"に障りがあろうからな」

「君たちの"証"を残すためやれるだけやって来なさい。多少の無茶なら許可するわ」

「それと一応、女神の加護を。無理をせず退くというのも勇気のうちだと思いますよ~」

 

教官陣の言葉に、それぞれが強く頷く。

 

「みんな、くれぐれも気をつけて! 私たちも出来る限りバックアップするから……!」

「技術棟も開けておくから整備が必要なら来るといい。それと、売店や食堂も閉めないよう頼んでおくよ」

 

トワとジョルジュがバックアップをすんなら百人力だ。こいつらの実力はオレがよく知ってる。すると、セリがオレの前まで来て自分のポーチから取り出したものを手のひらに乗せてきた。

 

「私も走り回ることになるだろうけど、クロウにはこれを渡しておくよ」

 

それはセリのARCUS、そして耳介装着型通信機。一年前にあったルーレの課外活動で渡されて以来使ってきていた大切なツールだ。

 

「お前、これ」

「ずっと繋げておいて。手が塞がってもこれなら連絡が取れるから。通信するだけならARCUSとの相性は関係ないし、バッテリーの消耗も抑えられるし……そして、絶対私に直接返して」

 

何が起きるか分からない場所に赴くというのは、つまり死地への旅だ。正直なところこんだけ人数がいるんだからという油断もなくはねえが、地精どもが人数に合わせて変わるダンジョンを作り上げてる可能性もある。あん時は本当に、死ぬかと思ったかんな。

 

「おう、任せとけ」

 

耳に装着し、セリのARCUSを開けてトワへ通信を接続する。蓋の裏にオレたちのARCUS番号が丁寧に金属彫刻されてて、笑っちまった。どんだけ好きなんだよ。オレらのこと。

 

「会長、先輩たち、ありがとうございます……!」

「後ろのことはヨロシク頼んだぜ!」

 

安心させるようセリの肩を叩き、青白い障壁の中へオレたちは侵入を果たした。




原作の学院祭集合写真でクロウが標準服着てる理由が知りたすぎる。


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24 - 10/24 学院祭二日目

そうして、旧校舎の異変は無事解決され、学院祭二日目も開催の運びとなった。

 

 

 

1204/10/24(日) 学院祭二日目

 

朝食を食べているとジョルジュから例の旧校舎最奥にあった人形の解析作業補助をしてくれという要請があり、私も気になるので二つ返事でOKした。

急いで技術棟の方へ行くと解析用の導力器を用意しているジョルジュがいたのでそのまま台車に乗せてえっちらおっちらと運んでいく。もちろんエレベーターなどはないので手搬入だ。最近いろんなものを運ぶことが多い気がする。別に苦ではないけれど。

 

そうして転位装置がある最奥手前の部屋に必要な機材をすべて運び込んだところで、また台車に乗せて奥へ。するとそこには昨日と変わらず、恭しく膝をついた人形──誰かが騎士人形と称していたそれ──が鎮座していた。

 

「立ち上がればおよそ7……いや8アージュほどかな。セリの見立ては?」

「私も同じ。というか、アージュ単位の目算じゃジョルジュには敵わないよ」

 

セルジュまで行けば私の領域だけれど、リジュからアージュまではどう考えたってジョルジュの方が正確だ。まぁ、出来なくはないけれど。

灰色の騎士人形の周りには昨日のような幾何学模様で光る薄緑の障壁はなく、ただ泰然とそこに在り続けている。触れてみても特に拒絶はなく、ひやりと冷たいけれど金属とはまた違う……そう、ミリアムさんといつも一緒にいるアガートラムのような質感。

 

「セリ、解析用ケーブルを仕込んでくれるかい」

「うん」

 

機材の準備が終わったらしいジョルジュから末端で挟み込むタイプのケーブルが渡され、指示された通りの場所に接続していく。差込口があったら便利だったろうけれど、生憎千年だか数百年だか前の代物と互換性があるわけもなく。

すべて挟み込み終わったところでジョルジュが携帯型導力端末でプログラムを走らせていく。たぶん出力は端末室のものよりは劣るんだろうけど、手軽に運べるこれも最先端技術の一つだなぁ。

 

「古代といえば古代なんだろうけど、いわゆる"早すぎた女神さまの贈り物"とはまた違う雰囲気があるね」

 

七耀教会が回収をしている古代遺物はどういう機構なのかさっぱりというか、どこに導力にあたるものが仕込まれているのかすらもわからない、奇妙奇天烈なものばかりだという話だけど、この騎士人形に関しては解析すればまぁまぁいろんなことがわかりそうな風情がある。

 

「ああ、それは僕もそう感じているよ。古代ゼムリア文明のものではなく、もっと現代に近い……といっても暗黒時代程度には前の職人技術の気配がある、って」

「ジョルジュから見てもそうなんだ」

「……あ、僕は暫くここで解析を続けてるから、学院祭の続きでも遊んで来たら?」

 

私がここにいてもやることはないのかそう提案してくれたけれど、うーん、と腕を組む。

 

「昨日結構遊んだからなぁ」

 

友人と回るのもいいけれど、今はこの騎士人形を眺めているのも悪くはないと思っている。

 

「何かあった時用にもう一人ぐらい動けた方がいいでしょ。爆発しないとも限らないし」

 

まぁこの静かな佇まい的に何かそういった大きな反応が返ってくるとも思わないけれど。うん、本当に、静かで……人形と称したもののまるで眠っているかのようで。

そんな風に見上げていると、背後からコツコツと足音が聞こえてくる。クロウだ。

 

「おーっす」

「舞台の確認は終わった?」

「おう、バッチリな。旧校舎で練習してた時と殆ど変わんなかったから大丈夫そうだわ」

 

よかった、と後ろにやっていた視線を前に戻すとクロウも同じように騎士人形を見上げる形で傍に来た。遠いレグラムの地にあるローエングリン城にも似た紋様があったということは、そこにもこういった騎士人形が鎮座しているのだろうか。それとも、もっと別の形の何かが封印されているのか。

似通った青白い障壁といい紋様といい、完全に関係がないなんてことはないだろう。現代の私たちに解明が出来るかはさておいて。

 

「……共通項として、鐘の音が鍵なのかな」

 

古城でも青白い障壁が展開されている間は鐘の音が響き渡っていたというし。そして、これはあまり言葉に出す気はないけれど、リィンくんが中心のような気がする。旧校舎前で真っ先にARCUSが光を帯びたのは彼であり、また地下第四層の扉を開いたきっかけも彼と深く関係のある人物で。

考えれば考えるだけ見えてくるものもあるのに、その見えてきたものによって混乱がもたらされている部分もある気がする。

 

ふう、とため息を吐いたところで、ぐう、と誰かの腹の音のようなものが。ちらりとクロウに視線を寄越されるけれど、いや今回は私じゃないと毅然と首を振る。きちんと朝食食べてきたもの。ということは。

 

「……もしかしてジョルジュ、朝食食べてない?」

 

そういえば私が朝食を食べている時には既に学院にいるような雰囲気だったのを思い出す。

 

「あはは、早く解析を始めたくて」

「それは体に良くないよ。なんか買ってくるね」

 

クロウもいるから大丈夫だろうと判断し、踵を返し転位装置の方へ走った。

 

 

 

 

まず技術棟に置いてあるお盆を持ち出し、昨日買って美味しかったステーキ串に、すっきりと飲めるレモネード、ドーナツなども買い込んで旧校舎の方へ進んでいると、技術棟の前に三つの影。サラ教官にトヴァルさんにミヒュトさん。いろんなことが腑に落ちる組み合わせだ。

 

「おう、この間ぶりだな」

「その節はお世話になりました」

 

トヴァルさんが気が付いて手をあげてくださったところで、二人の視線も私の方へ。するとミヒュトさんが、よう、とにやりと笑う。

 

「マスターから生真面目そうな学生が来てたって連絡があったぜ」

「……やっぱりあれ、私に聞かせてましたよね」

 

情報屋の符牒。そんなものを一介の学生に教えていいものだろうか。しかしミヒュトさんは、何のことやら、と肩を竦めて肯定はしてくれない。ずるい大人だ。知っていたけれど。

 

「あんまりうちの子にちょっかい出さないでくださいね?」

 

と言いつつ不可抗力とはいえ符牒の盗み聞きをした私に気が付いていただろうサラ教官も同じようなものではなかろうか。

 

「……でも、あの時、あの場に行くことが出来たからこそいろんな選択肢の中から自分の行動をきちんと選べたんだと思います」

 

情報屋というのはカタギの商売ではない。学生が踏み入れていい領域ではたぶんない。それでもこの三人の方たちが私を守りながらも導いてくれたから、私はあのルーレの事件の時に待機していた自分で良かったと思うことが出来た。でなければあまりの歯痒さで悶絶死していたかもしれない。冗談だけど。

 

「お前さんがそう言える手助けが出来たなら、良かったよ」

「ところで、ジョルジュのところに差し入れしに行くんじゃないの? それ」

「あっ、そうでした」

 

トヴァルさんと二人で笑ったところにサラ教官の指摘が入り、お三方に頭を下げて旧校舎の方へ急いだ。お腹を空かせてている友人を待たせてしまった!よくないよくない!

 

 

 

 

転位装置でお盆の上のものが暴れでもしたらどうしようと一瞬思った懸念も問題なかったようで、そのまま奥へ進んでいくと話し声が聞こえてくる。声を聞くにどうやらリィンくんのようで、やっぱり彼も騎士人形が気になったんだろう。

 

「つーか、そろそろ切り上げて学院祭を満喫しろっつーの。何だったら三人でこれからナンパにでも繰り出すかよ?」

「クロウ、それセリ先輩に聞かせられるのか? それに俺はこれから妹を案内する予定が入ってるんだ。ジョルジュ先輩。そういうわけでそろそろ失礼します」

「ああ、楽しんでくるといい。ナンパはともかく、僕ももう少しで切り上げるかな。君たちのステージも楽しみだしね」

「そうだね、私も楽しみかな」

 

お盆を携えて現れると、クロウがすこしぎょっとした顔をする。うっかり癖で気配を消してしまっていたらしい。いやー、うっかりうっかり。

 

「ナンパがどうたらとか聞こえてきたけど気のせいだよね?」

「……気のせいだろ」

「気のせいじゃないですよ、セリ先輩」

「お前には人の心がないのか!」

「いやどうせバレてるだろこの雰囲気……」

 

だよねえ、なんて笑いながらジョルジュに朝食の差し入れをしたところで、ナンパは冗談だから見捨てないでくれよう、なんて言い募る背後霊がついてしまった。どうしようこれ。

 

 

 

 

まぁとりあえずナンパは未遂だったということで聞かなかったことにし、I組の小歌劇が始まるまで勝手に校内の見回りなどをしていたら時間は着々と過ぎて行く。

そんな中、どうやら理事の方々どころかオリヴァルト殿下やアルフィン殿下まで来ていたようで校内は俄かに騒然としていた。ちらりと私も見てみたら、護衛の女性にうっすら見覚えがあるようなないような。でも直ぐに見えなくなってしまったので、結局わからずじまいだった。まぁ、軍人の知り合いがいるような立場ではないので単純に人違いだろう。

 

13時にI組の小歌劇が講堂で始まり、ステージ向かって左翼にあるギャラリーで見ていたらトマス教官が時代考証をしたということもあってか(貴族クラスという予算のかけ方もあったろうけれど)、歌も踊りもよく出来ていてとても楽しめるものが披露された。

ギャラリーの反対側にはVII組がそれを見ていて、呆気に取られている隣にいた二人とその様子を見て笑い合い、Ⅶ組が控え室に行き舞台の準備が終わったのを見計らって、通信で連絡をくれた残りの一人と合流してそちらの方へ。

 

「リィン君たち、失礼するね?」

 

こんこん、とトワがノックし、手始めに三人で入っていく。

 

「なんだなんだ、陣中見舞いか?」

 

多少緊張している表情のクロウがそんなことを言うものだから、みんなで笑ってしまう。

 

「はは、似たようなもんかな」

「えへへ……サプライズ込みだけど」

「きっと喜ぶんじゃないかなって」

「──失礼するよ」

 

声と共にドレス姿のアンが控え室に入ってきた。みんな驚いた表情で、だけど直ぐにぱぁっと表情が明るくなっていく。友人が慕われている瞬間というのは気持ちの良いものだ、そんな感想が浮かんでくるほどの笑顔。

 

「何とか間に合ったみたいだね。パトリック君たちの舞台を見逃したのは残念だったが」

「先輩……来てくれたんですか!」

「何とか来れたんだ」

 

嬉しそうな声でみんながアンゼリカの方へ集まってきた。一時はどうなるかと思ったし、もしかして来られないかもと覚悟していたけれど、ログナー侯と見合いという名の取引をすることによってアンはVII組のステージに駆けつけられたのだ。

前に着ていた貴族用の白い制服でもなく、バイク用の革ツナギでもなく、肩と鎖骨を出した艶姿のアンはそれはそれで似合っていると思ったけど。そんな格好で来たということから見合いの会場から直接来たと容易にわかる。つまりそれぐらい、彼らを好いている。

と、そんなことを考えている間にVII組の女の子たちに無理やりハグしたりするのでジョルジュと私で引き離すなんていう悶着も起きたのは仕舞っておこう。あまりにもいつも通りすぎやしないか。

 

「──ま、戯れはここまでにしておこう。君たちのステージ、楽しませてもらうよ。だが気負う必要はない。今の君たちを、VII組の全てをステージにぶつければいいさ」

 

アンの激励でその場は引き締まり、舞台袖から出ていくみんなを見送り、トワは司会用の機材の近くへ、私たちは客席の方へ退いて行った。

 

 

 

 

そうして舞台の上で行われたステージは、ユーシスくんとマキアスくんの男性デュエットから始まり、エマさんをセンターに据えサイドをフィーさんとミリアムさんがバックダンサー兼フォローボーカルとして飛び跳ね、そして舞台をしっかりと支える楽器を奏でるみんなも自分の役割をしかとこなしていって。十人全員がとても輝いていた。

 

だからか、不意に、ぽろ、と涙がこぼれ落ちる。

あんなに不仲だった彼らが、あんなにぎくしゃくしていた彼らが、こんな素晴らしいステージを築けるまでの関係性を紡げたことがあまりにも嬉しくて。三月末の入学式からずっと見守らせてもらっていた私にとって、このステージは本当に贈り物のような物だとさえ。

 

そんな感動を胸にVII組のステージ二曲が終わり、トワのアナウンスが入ったところで客席から大きなアンコールの声。おっと、これはどうするつもりなんだろう、と眺めていたらパッと舞台の右側がライトアップされ、ステージ衣装を着たクロウがそこにいた。

……クロウは先輩として裏方に徹するつもりなのか表舞台にはいないんだな、なんて思っていたのにちゃっかり自分の衣装まで作っていたらしい。そして。

 

「皆さん──ご声援ありがとう。アンコールにお応えして3曲目、行かせてもらいます」

 

その言葉とともに始まった伴奏に、会場にいるほぼ全員がピンと来ただろう。帝国民ならお馴染みの曲だ。サビに向けてクロウが手を叩き、マイクを客席に向けてきた。

 

「さあ、皆さんもご一緒に──!」

 

煽ったマイクを戻す瞬間、舞台の上のクロウがにやりと笑い目があったような気がして、ウインクまでされてしまった。……いや、これは、自意識過剰なんだろう。たぶん。ステージで恋人がウインクしただけで別に私宛とは限らない。というか単なるパフォーマンスだ。

それでもその可愛さに赤面せざるを得なかった時点で、きっと私の負けなんだろう。

 

 

 

 

夕方、ステージが終わって閉場と共に校庭に築かれていたコースの撤去が始まってつつがなく完了し、代わりに後夜祭用の篝火をつける丸太が組まれていくのを手伝って、学院祭の終わりが近付いて来る。

VII組はまだ自分たちのクラスで脱力しているみたいだけれど、まぁそれも仕方ないか、と校庭で待っていたら先に理事の方々がお揃いに。そうして殿下たちもいらして────。

 

「クレアお嬢様……?」

 

殿下たちが気兼ねなく楽しめるようにかそっと離れた護衛の将校さんに知り合いの面影を見てしまい、そう呟いてしまった。するとそれが耳に入ったのか、透き通る水色の髪の女性が振り返って、私を見て。

 

「……セリちゃん、ですか?」

「ああ、やっぱり!」

 

殿下たちの護衛を務めていた人物は私の見間違いでも何でもなく、確かにかつて旧都に本店があった楽器店・リーヴェルト社の娘であるクレアお嬢様本人だった。

 

「えっ、クレアとセンパイってもしかして知り合い?」

「ええ。昔、懇意にしていた家のお嬢さんで」

「むしろミリアムさんが知り合いだったことにびっくりというか……ああいやでも名前だけは聞かされてたっけ」

 

まさか同一人物だとは思うまい。わりとよくある名前ではあるし。世界は狭い。

というか知り合いの楽器店の娘さんが軍人さんになっているだなんて誰も思わないだろう。少なくとも私はそこに関連性は見出せなかった。でも不思議と納得があるのも確かで。

 

「消息不明と聞かされていましたが、お元気そうで何よりです」

「私の方こそ、セリちゃんがこの学校に入っているなんて思いませんでした」

 

偶然ですねえ、と笑えば、本当に、なんて昔と変わらず微笑んでくれて何だか嬉しくなる。だけどミリアムさんと知り合いということは、つまりそういうことなのかな、とも。それでもこうして生きていてくれたことそのものが嬉しくて仕方がない。よかった。

 

「ただその、お嬢様という呼び方はちょっと」

「あ、すみません。気が付かずに」

 

リーヴェルト社が旧都から店を移すことになった経緯で、いろいろごたごたがあったからということだけは知っているのでその呼称は過去を想起させるものだったろう。軽率だった。

 

「おーい、セリー」

 

反省をしていたところでクロウの声が聞こえ、半身だけ振り返る。

 

「あら、男の子から呼ばれてますよ」

「あ、っと、すみません」

「私のことは気にしないでいいですから、後夜祭楽しんできてください」

「はい。────クレアさん、会えてよかったです」

「私もです」

 

お互いにこりと笑ってクロウの方へ走っていった。

 

「なんだなんだ、軍の将校さんと知り合いか?」

「んー、うん。そう。知り合いが将校になってた、って感じだけどね」

 

篝火の周りではもうダンスが始まっていて、思い思いに相手を誘い、理事殿たちに至ってはかなり珍しい組み合わせなのでは、と驚く二人でダンスを披露している方々もいる。

 

「ほら、手ェ出せよ」

 

差し出された手に自分のそれを置いて、腰を抱き寄せられる。校庭備え付けのスピーカーから流れてくる音楽はすこしチープな感じだったけれど、それぐらいがちょうどいいんじゃないかななんて。

 

「それで、単位の方は大丈夫なの?」

「あー、まあたぶん月末には戻れんだろ」

「そっか、安心した」

「ンなことより、ステージからのオレのファンサ受け取ってくれたかよ」

 

至近距離でそんなことを囁かれてしまい思わず、ファンじゃないですし!、なんて叫んでしまった。いやでも実際ファンではない。クロウのことは好きだけど。

 

「なんだよ悲しいこと言うなって」

「……でもウインクには気がついてたし受け取ってた自意識過剰じゃなかったんだと思った」

「ハハ、オレがお前以外にんなことするかっての」

「……そ、う、それは」

「顔真っ赤にしてるとこのまま連れて帰っちまうぞ」

「っばか」

 

そんな風に笑い合って、他の子たちとも踊って、ダンスに託けてセクハラするアンを止めて、ゆっくりと後夜祭は過ぎていき、1204年度の学院祭はいろいろな人の努力の末無事に終わりを迎えたのだった。

充足感を抱いて、そのあたたかさとともに帰路につき、眠りに落ちる。

 

 

 

 

────ガレリア要塞の消滅という報せさえなければ、そう終われたのだろう、なんて。



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25 - 10/26 ぬくもりを手放す日

1204/10/26(火) 夕方

 

第二寮のロビーでのんびりしていると、セリの足音がし始めて暫くしたところで本人が玄関扉から姿を現した。すると、おや、という顔をするもんで片手をあげる。

 

「クロウがこっちにいるの久しぶりだね」

 

ちょうど二ヶ月ぶりくらいだからその感想は正しい。そしてこれから言うことが自分らしくもねえことはわかってるが、それでも暫く一緒にいてほしいという気持ちもあって、天秤にかけた際に圧倒的大差でらしくなくてもいいと思ったもんだ。

 

「お前の顔が見たくて」

「……えっ?」

 

だからそんな表情をさせちまう。ただ満更でもない雰囲気もあって、ああ可愛いな、って。

 

「クロウどうしたのそんなかわいいこと言うなんて熱でもある? パン粥作ろうか?」

「熱はねーけど晩飯は一緒に食べたいんだよな」

 

シャロンさんに暫く晩飯は要らないと伝えたら、わかりました、と何もかにも見透かされてる笑顔で承諾されたのが記憶に新しい。いやたぶん実際誰とどこで食べるかなんて想像ついてんだろう。

 

「……あ、もしかして本当に私欠乏?」

「だったらどうすんだよ」

「かわいいから手料理を振る舞ってあげよう。着替えてくるからちょっと待っててね」

 

くしゃり、と頭を撫でられて、セリが階段を昇っていく。

学院祭の二日間、そこそこ一緒にいたせいか急激なそれに見舞われてくれたとポジティブに解釈してくれたらしい。さすがにメンタルにキてるもんが何かだなんて言えるわけもねえから助かった。

 

────そう、鉄血宰相暗殺の日取りを決めただなんて。

 

 

 

 

「今日は鶏のささみ肉で簡単フライだよー。何故ならコンロが埋まってオーブンががら空きだったので」

 

丸パンとフライとサラダが出されて、こいつのレパートリーもかなり増えたよなぁとしみじみする。お互いいろんな料理を教えあって、他の三人ともそうやって学院生活を過ごしてて、本当に楽しかったと思う。

でももうそれも終わりだ。終わりの日を決めた。パトロンである貴族派連中との認識のすり合わせもあったが、最終的には自分の意志で。

ガレリア要塞が原因不明の現象……しかしおそらくクロスベル側からの攻撃により消滅し、それにより帝国の目は完全に国外へ向いた。鉄血の野郎がそれに関しての演説をぶち上げるってんだからそれに合わせない手はない。表へあの男が出てくる。いまがその時だ。内側のテロリストに手を焼いている場合じゃない。

第三の真上の部屋が情報局のガキンチョだから最近の行動はかなり緊張したが、バレた気配はない。大丈夫、このままいけるはずだ。

 

「あ、そうだ」

「ん?」

「勉強で教えて欲しいとこあんだよな」

「君が今やってるの一年生の範囲じゃなかったっけ」

「いや、オレ二年に戻るだろ? つまり二ヶ月半遅れててよ」

「ああ、そういう」

 

仕方ないなぁ、と丸パンを千切りながら対面のセリが笑う。

この表情を見るのもあと数日で見納めで、だからって走り出してる計画を止めることは出来ない。その為に、この為に、俺たちは今までを生きていたようなもんだから。《G》の死を無駄にしないためにも。……なんて、それを言い訳にしたら完全にサンクコストバイアスだから言わねえ方がいいんだろうが。なんにせよ成し遂げなきゃならねえものなのは確かだ。

どんな犠牲を払っても。

 

「教本とノートは?」

「ちゃんと持ってきてる」

「じゃあこれ食べたらそのまま上行こうか」

 

当たり前のように告げられる言葉にじわりと胸が痛くなる。それでもおくびにも出さずにいられる自分は、なんというか人情がねえのかも、なんて思っちまって、ぐちゃぐちゃになりそうだ。

 

 

 

 

「……やっぱり打てば響くし理解していないわけじゃないと思うんだよねえ」

「お前の教え方がいいのもあると思うんだわ。特にハインリッヒと相性が悪過ぎんだよ」

「政経に関してはトワの独壇場じゃない?」

 

私も得意というほどではないし、なんてあっけらかんと言うセリは、満点が取れないから得意判定じゃないとかそういうレベルの話だ。いやマジでハインリッヒの野郎とは何もかにもが噛み合わない。あっちもおんなじことを思ってんだろうけどよ。

でもトールズの名を傷つけないためにという名目でVII組編入を後押ししてくれたのは目論見通りで笑っちまったが。そういうところ弱いんだよなあのオッサン。

 

あいも変わらず部屋の扉は開け放ったまま勉強を続けていく。前にちょっと頑張ってそういう雰囲気にしようと躍起になったこともあったが、完全に徒労に終わったのでこいつの精神の切り替えは強固すぎるというのを学んだ。体内時計もそうだけどどっか導力機関なんじゃねえか。その割にたまにメンタル弱いとこもあるけど。

 

「──ん、まあ今日はこれぐらいにしておこうか」

「おう、明日もよろしくな。つうか戻ってきた後もよろしく頼むわ」

「二年の勉強なら自分の復習にもなるからいいよ」

 

戻ってくることなんてないって言うのに、そんな約束を取り付ける。

 

そう、オレに関してはかなりメンタルが弱いってわかってて、それで直前にこんな勉強会みたいなことまでやって時間を取って、その上で裏切るってんだからクソ野郎にも程がある。でも刻みたい。お前の中にオレがいたことを。ずたずたに引き裂いて、治りの遅いキズにして。

だけどその反面、健やかにいて欲しいと願う自分もいる。オレじゃない誰かと結婚して、故郷に戻って、子供を作って、そうして、安寧の中で眠ってくれなんていう自分勝手で傲慢な願いもある。どっちも自分の欲望に過ぎない。

果てしなくしあわせでいて欲しいのに、オレを想ってしあわせにならないでくれなんて。

 

────でもきっと、セリはオレのことを絶対に忘れられない。その自信がある。

 

故郷のジュライではもう誰からも忘れ去られただろう存在だから、そんな律儀なやつを愛しちまったのかもしれねえ。

そんなことを考えながら荷物をしまっていった。

 

作戦決行まで、あと四日。

 

 

 

1204/10/29(金) 夜

 

セリとの勉強の時間をちっとだけ削って、ジョルジュやトワや図書館やら、いろいろ借りてたもんを精算して、そうして晩飯を食って、また部屋に行って。

 

「取り敢えず駆け足で半月分やったけど、これからは二年の勉強と並行してやっていくから忙しくなるよ? 私も頭混乱しないように気をつけるけど」

「おー、マジであんがとな」

 

明日明後日は引っ越し作業があるから今日の勉強で一段落つけるということでそんな言葉が落とされる。ふう、と床に寝っ転がるセリの頭を撫でて、もっと撫でろと言わんばかりに手に擦りついてくるのが可愛くて、オレも横に寝っ転がった。

 

「……セリセンパイ♡」

 

ハートを語尾につけながら呟くと、降りていた瞼が上がり訝しまれる。

 

「後輩としちゃ連日部屋に連れ込まれて何されんだろってちょっとドキドキしてたんスけど」

 

女の先輩が後輩の男を部屋に連れ込んでどうにかこうにかしたりされたりなんてオトコの夢いっぱいじゃね?と気が付いてそんな軽口を叩く。いや今日でもなきゃ言えねえしなこんなこと。

 

「……なるほど」

 

何かを理解したのか上体を起こしたセリは座卓に置いてあった教本類をぱたぱたと重ね持ち立ち上がる。おっとちょっと待ってくれどういう行動だそれ!?

 

「おいおいおいおい、何でそうなる!?」

「いや、後輩のクロウくんは先輩の部屋にいるのがお望みではないらしいので」

 

部屋からもう既に出かかってるセリの腰に抱きついて阻止しようと物理問答になる。ぐぐぐ、と壊さねえ倒さねえ程度に力加減をしながら力の均衡を取っていると誰かの足音が。

 

「……何やってんのあんたら」

 

ロシュの声だ。

 

「いや、クロウが私のことを先輩と呼んだり部屋に連れ込んで何する気なんですかみたいな戯言を吐くから仕方ないと安全なロビーで勉強しようか提案したのに阻まれているところ」

「あー……」

 

なるほどねえ、と呟いたところでため息が聞こえる。

 

「セリ、ちょっとその扉の淵にかけてる手、危ないから退けて」

「うん?」

 

ロシュの言葉に素直に手を離し、オレもそれに合わせて力を緩めたところで、ぽん、と何かが飛んできた。見ればドアストッパーだ。

 

「痴話喧嘩は部屋ん中でやれ」

 

その言葉とともにバタンと扉が閉じられ、ぽかんとしているセリの横からすかさず鍵をかけそのまま反転させ引っ張り「わっ、あっ、うわっ」オレの上に寝転ばせた。

 

「顎とか打ってねえ?」

「……打っては、いないけど」

 

ぎゅうっと小さな身体を抱きしめたところで観念したようにセリからも体重が預けられる。あったけえ。……ああ、そうだ。俺はずっと寒かったのかもしれない。誰からも理解されないで祖父さんが死んだことが悲しくて、ずっと、心は冬の海に生きていた。それに春を連れてきてくれたのがお前で。

 

抱きしめるセリの身体をちょっと上に持ってきて、首元に唇を寄せる。びくりと反応する胴体に、ちょっとだけ抵抗する両手。

 

「あ、明日も学院ある、んだけど」

「……だめか?」

 

服の裾に入れかかった手を止めてそう首を傾げたら、……一回だけね、と顔を赤くして観念してくれたお前がとんでもなく可愛くて可愛くて、どうしようもなかった。

ああ、本当に、愛してた。────愛してたんだ。

 

 

 

 

1204/10/30(土) 作戦決行日

 

不思議なほど、すっきりと目が覚めた朝。

不穏な空気が高まっていく帝国で、今日、宰相の演説がかまされる発表があるだろう。時刻は正午。その前に帝都へ行って、すべての準備を終える。警備の穴なんて突かなくていい。なんせそんなもんが冗談になっちまうほどの遠距離から狙うんだから。

 

いつも通り遅めにシャロンさんの朝飯を食って、トリスタの町を見て回る。一年半。愛着がわいてないと言ったら嘘になるか。まぁでも今日で見納めだ。もうこうした形で戻ってくることはねえ。

 

だらだらと歩いているところで、妙に物思いに耽ってるパトリックの坊ちゃんが駅前付近に立ってやがる。どうかしたのかと訊ねたら、貴族はこの流れでいろいろ考えることもありますよ、と返されちまった。

 

「それより、そちらはどうしてこんなところに?」

 

問われて、真実を言う必要もないってのに少しだけ悪戯心が湧く。もう計画は進行し、誰にも止められない。それでも、もしかしたら誰かが"俺"に気がつくかもしれねえ、そんな種を残していこうかと。

 

「ん~? いやあの鉄血宰相が演説するって噂があるもんだから、ちっと帝都まで足伸ばしてナマで拝聴してやろうって思ってよ」

「はあ……物好きですね」

 

そりゃ貴族には平民の考えなんざわからんだろうよ。平民にも貴族の考えなんてのはわかるわけもないんだが。守る存在なんて自分の手の届く位置にいるもんだけで、領民なんてもんに縁はない。──でも、市長である祖父さんは国民全員を守ろうとしていたんだ。それだけは確かで。

 

「そんじゃあな、リィンにヨロシク言っといてくれ」

 

そう言って、一瞬だけ寮に帰った俺は人混みに紛れるように帝都行きの列車へ乗り込んだ。

 

 

 

 

正午。遠く離れたビルの上で待機する。傍らのラジオから鉄血の野郎の声が流れ始めた。

ドライケルス広場の中央、中興の祖である大帝の像の前で、後ろにアハツェンを何台も並べてその男は演説をかましていく。

クロスベルは属州であり、独立などというのは愚行であると。この男にとってはジュライもそうなんだろうな。とっくに自分たちのものであって、噛み付くなんてのはもっての外。経済特区とは言われちゃいるが、囃し立てられたようなもんだ。

貴族が治めていない政府直轄地であるジュライが儲けた外貨はすべて帝国政府のものであり、またクロスベルも似たようなもんで。だから、クロスベルに親近感がないかと問われたら、正直若干はある。あの男に振り回されてる土地という意味で。

 

『ガレリア要塞──帝国を守る鉄壁の守りを謎の大量破壊兵器を持って攻撃……これを"消滅"せしめたのである! 諸君、果たしてそのような"悪意"を許していいのか!? 偉大なる帝国の誇りと栄光を傷付けさせたままでいいのか!? 否──断じて否! 鉄と血を贖ってでも、正義は執行されなくてはならない!』

 

鉄血の言葉は、民衆に上手く"刺さる"ように計算されている。その証拠にラジオからは割れんばかりの歓声が聴こえてくる。ああ、反吐が出そうだ。

事前に入手して頭に叩き込んでいた演説文が刻一刻と進み、その時が近づいて来る。超長距離狙撃用導力ライフルの引き金に指をかけ、スコープを覗く。

 

『帝国政府を代表し、陛下の許しを得て、今ここに宣言させて頂こう! 正規軍、領邦軍を問わず、帝国全ての"力"を集結し……クロスベルの"悪"を正し、東からの脅威に備えんことを』

「────言わせるかよ」

 

撃ち出した弾丸は寸分違わず宰相の心臓を貫き、ライブ放送をしていたラジオからは観衆の悲鳴が聴こえて来る。心臓を貫かれて生きてる筈もねえ。処置だって間に合わないだろう。

 

「呆気ないもんだな。これで一区切り……あとは最後の仕上げ、か」

 

後ろから駆け上がってくる足音を無視して広場の方を睥睨していると、バタンと扉が開き「手を上げなさい!」と女の声がした。振り返ろうとした瞬間、容赦なく頭に弾丸が叩き込まれ、素顔を隠していたヘルメットが割れる。揺れる視界の中で、軍人──氷の乙女の異名を持つ女が銃を構えてそこにいた。

クレア・リーヴェルト。ケルディックでも、ルーレでも、邪魔をしてくれたヤツだ。だがそれも計算のうちと言ったらその表情は更に歪むんだろうか。

 

「やはり、貴方でしたか」

 

諦観と復讐の炎を宿した瞳が俺を見やる。

 

「帝国解放戦線リーダー、《C》──いいえ、旧ジュライ市国出身、クロウ・アームブラスト……!」

 

構えた銃に対して、大人しく両手を上げた。

 

「やれやれ、出身は完璧に偽装出来たつもりだったんだが。アランドールあたりに嗅ぎ付けられちまったか?」

 

海都の出身だなんてとんだ嘘っぱちだ。貴族派筆頭カイエン公がいる街だから都合が良かっただけで、俺の出身が帝国だなんてそんな笑えることあるかよ。

 

「……特定出来たのは先ほどです。偽装で撹乱されなければもっと早く特定出来たのに……。よくも、よくも閣下を!」

「ま、八年前にジュライが帝国に併合された時と同じさ。気を抜いた方が負け……コイツはそういうゲームだろう?」

 

怒りに声を震わせながら、それでも銃を支える手に淀みはない。さすが鉄血の子飼いだ。笑えるほどに忠義深い。だからこそ弱くもあるわけだが。

 

「アンタの親玉が好き"だった"な」

「……!」

 

煽ってやると激情が更に増して。そんなわかりやすくてよく務まるもんだ。

 

「とにかく腹這いになりなさい! これだけの仕込み……必ずや背景を喋ってもらいます!」

「ああ、それは無理だな」

「え──?」

 

時間通り、貴族派のパトロンどもが密かに建造していた250アージュ級空中飛行戦艦・パンタグリュエルが帝都上空に飛行してきた。そうしてその船底から極秘裏に開発されていた、騎神より得たデータをベースにシュミット博士が設計図を引き、貴族連合に取り込まれたRF第五開発部が増産した人型有人兵器・機甲兵が降下してくる。

あれよあれよと帝都は阿鼻叫喚の渦で満ちていく。

 

「あ、あんなものを、帝都に……」

 

狼狽えるところで一歩、後ろへ下がるとすかさず照準をこっちに合わせ制止を求めてくる。だからって重要参考人の俺を殺すわけにはいかねえだろ、アンタ。殺していいならとっくのとうに殺してる筈だもんな。愛しの閣下を殺した犯人として。

ま、バルフレイム宮には西風のヤツらが行ってるから心配ねえし、俺がやらなきゃならねえことをしにいくとしよう。

 

「俺は俺のケジメを付ける必要があるんでね、そいつは聞けねえな」

 

一瞬の隙をつき、ビルの外へそのまま落ちる。────来い、オルディーネ!

身体が青い光に包み込まれ、パンタグリュエルに積み込まれていた相棒を呼び寄せる。

 

「────じゃあな、氷の乙女殿」

 

唖然とするそいつに言い残し背中の翼を展開、飛翔し、帝都の東へ進路を取った。

どうせアイツらが大人しくしてるワケはねえんだ。引導を渡すのも先輩の務めってな。

 

 

 

 

上空を飛行してきて、西口の方は、まぁ貴族連合軍のヤツらで何とかなんだろう。強いと言っても所詮生身の人間でしかない。だが騎神の相手は騎神でしか出来ねえ。つまり、旧校舎に眠っていた機体の相手は俺にしか務まらねえ。

予想通り東の街道に待機させ突っ込む手筈だった《S》の機体は、灰の騎神を目の前にして膝をついていやがる。しかしまぁ、よくもこの土壇場で覚醒したもんだ。それだけは褒めてやるよ。

 

「《C》──いいタイミングじゃない!」

 

《S》の声に笑いがこぼれる。ま、自分でもそう思うくらいだ。

 

『クロウ……クロウなのか!?』

「ああ、久しぶりだな──って、昨日も授業を一緒に受けてたばかりだったか。だが、ずいぶん遠くに来ちまった気がするぜ」

 

騎神に乗り込んだリィンから声が飛んでくる。うん、やっぱりお前だよな。

 

『どうして……何故こんな事を!? 宰相を撃ったのも本当にクロウなのか!? それに……その人形は一体どこで……!?』

 

矢継ぎ早に問いかけられる質問に、本来なら答えてやる義理もない。だが、まあ踏み台として使った駄賃くらいは払ってやるかと興が乗った。

 

「そもそも士官学院に入ったのは帝国解放戦線の計画のためでな。いずれ鉄血の首を狙う時の足場にするつもりだったわけだ。まあ予想以上に楽しんじまって、失った青春を謳歌しちまったが……』

 

そう話しているところに、騎神のレーダーがもう一人街道へ走り込んでくる人影を捉える。その姿、その人間は、見間違える筈もない筈のそれで。一瞬、口を噤みかけて、いやいいタイミングだと自嘲をこぼした。

いいか、ようく聞いとけよ。お前が被害者になれる一言だ。

 

「俺の本分は《C》────学院生クロウ・アームブラストは、ただの"フェイク"だ」

 

瞬間、街道入り口にいるセリと確かに視線が合った気がする。泣いて崩れ落ちるかとも思ったが、立ったまま、はっきりと、だが諦めたように笑って。ああ、そんな表情もきれいだな。

 

『ふざけるなッ!』

 

だがリィンはなおも叫んだ。諦めないと、否定する。往生際の悪いヤツだぜ。

 

『俺たちと一緒に過ごした時間も! トワ会長やアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩との関係も! ……あんなに大事にしていたセリ先輩とのことだって! ぜんぶ偽物だって言うのかよ!? あの学院祭のステージも──嘘だったって本気で言うのかよ!』

「それは……」

 

真っ直ぐと問いかけられた言葉。

そんなん、オレだって、自分の未来に持って行けたらいいと思う。だとしたって叶うわけもない。それなら仕方ねえだろ。

 

「ああ、その通りだ」

 

全部嘘にするしかないんだ。

その言葉を皮切りに、カメラの奥に映っていたセリがトリスタの町へ駆け出す。そうだ、それでいい。そのまま逃げてくれよ。オレみたいなクソ野郎から、ずっと遠くまで。そうして、覚悟が出来たら殺しにでも来たらいい。その時だけは絶対にタイマンでやってやるから。

 

だから、今は────この勘違いした後輩を叩きのめすとしようか。



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26 - 10/30 さようなら

1204/10/30(金) 朝

 

例のガレリア要塞の件があってすこし帝国がピリピリしていたから、クロウから夜に勉強を見てくれないかという誘いは正直助かった。勉強をしながら考えることで、多少でも冷静な頭で思考を回すことが出来そうだったから。

今まで圧倒的な力で抑え込んでいたクロスベル自治州が、まさかガレリア要塞を列車砲ごと消滅させる武力を持っていた、だなんてあまりにも笑えない。ガレリア要塞は対共和国の要であり最重要拠点としてあらゆる物資・装備が融通されている。そんな場所が消されたという段階で、今の帝国に対抗する術はないのだ。そしてクロスベル市長が総裁を務める国際銀行であるIBCも帝国資本の凍結を行い始めた。それは未曾有の恐慌を引き起こすことに他ならない。

 

戦争か、冷戦か。暫くそんな日が続くかな、と学院へ登校し、HR開始を待っていると今まで遅れることがなかった担当教官はだいぶ遅れて教室へ入ってきた。

 

「ごめんなさい、遅れてしまって。緊急の職員会議が開かれ、本日は全校自習となりました」

 

曰く、本日正午に帝都ドライケルス広場でオズボーン宰相が何らかの声明を帝国民全員へ発表するという通達があったのだとか。それはつまり、この時勢においてはそういうこと。クラス内に緊張が走った。

そして、放課後まで学院内あるいは学生寮で待機を命じられた。帝都通学の学生も帰ることは許さないという決断を下されたのだ。まあ、連日デモが起きているともいうしさもありなんだ。その声明で何が起きても不思議ではないから。

学院長の決定により各クラスに一つずつ導力ラジオが設置されることになったようで、とりあえず私はラジオを持っていないのでクラスで聞くようにしようかな。……いや。

 

 

 

 

「あ、セリ先輩」

「おや、リィンくん」

 

学院の正門あたりでちょっと散歩をしながらどうしようかな、と迷っていると声がかけられた。どうしたのかと訊ねれば、クロウを見ていないか、と。自習が決まったとはいえまたサボっているのかあの男。しかも反応を見る限り朝からいないなら自習決定前からいなかったことになる。そういうところは直した方がいいと思う。

 

「今日は見てないなぁ。……昨日元気そうだったから寝込んでるってこともないだろうし」

 

結局あの後、一回という約束だったのに二回も付き合わされた挙句に首や胸元にかなり濃い痕をつけられたので、普段以上にきっちりと襟を閉ざしネクタイを締める羽目になった。いつもは全然つけないのにどうしたのかとはちょっと思ったけど。

 

「そうですか……わかりました、ありがとうございます」

 

丁寧に頭を下げられ、そのまま彼は踵を返し旧校舎の方へ。

……というか探してるならARCUSで連絡を取ればいいのでは?とポーチから取り出し、もうとっくに覚えた番号を打ち込む。けれど、その通信が繋がることはなかった。これはつまりトリスタにいないってこと?帝都に出てるにしても列車内だと通信圏外だし。

 

まあクロウの放蕩癖はいつものことか、と蓋を閉じて仕舞ったところでラジオを運んでいるトワに見つかってしまった。おっと。

 

「セリちゃん、どうしてこんなところに……あっ」

 

何かに気がついたのかトワがそんな声をあげる。

 

「……まさか、学院抜け出して帝都に行こうとか、思ってないよね?」

 

トワは私の部屋にラジオがないことはとうに把握しているし、私にラジオを聴かないという選択肢がないこともわかっている。そうした上でどうして私が教室から抜け出ているのか、ということからもう結論は明らかだ。

 

「………………」

「セーリーちゃーんー?」

「えへへ、……だめ?」

「駄目だよ、学院長も教室か寮で待機って仰ってたじゃない」

「でも、ほら、時代が動く場所にいられるかもしれないし……」

 

せっかくトリスタにいるんだから、そういう空気を肌感として覚えておくというのも大事なことではなかろうかと。きっと来たる激動の時代に備えて。

 

「学生の本分、忘れちゃ駄目だからね? ……それに、何が起きてもおかしくないんだよ」

 

帝都では今、デモが頻発している。そんな場所に行くなというのは正しいことだ。冷静に考えてみれば最近立て続けに情報屋や遊撃士と呼ばれる方々と接触して、すこし自分の力を見誤っている可能性は、ある。うん。

 

「わかった、わかったよ。トワにそんな顔させてまで行くものでもない、大人しくしてる」

「うん、ありがとう、セリちゃん」

 

観念して両手を上げると、ホッとしたようにトワが笑う。

 

「それにしてもクロウはどこへ行ったんだろうねぇ。後輩にあんな探させて」

 

 

 

 

正午前、VII組の方にちらりとだけ顔を出してみたけれど、結局クロウは捕まらなかったようでその場にはいなかった。仕方ないか、と嘆息して自分の教室へ足を向ける。

刻限直前、ラジオから広場にいるレポーターへバトンが渡され、流れてきた声は公園で会った例の謎の女性のものだった。ああトリスタ放送局に在籍しているからあんな時間にあんな場所にいたのか、と腑に落ちる。ミスティさんと言うらしい。

 

そうして、運命の演説が始まった。

 

自治州として認めている筈のクロスベルは結論のところ属州に過ぎず独立を謳うなど甚だしいことであること、帝国資産の凍結など認められないこと。そしてその過ちを正すのは侵略などではなく、宗主国の義務であること。

その末にガレリア要塞を陥落・消滅させたことは明らかな悪意であり許されざるものであるという話を、高らかに。帝国民は誇りを重んじるその心をくすぐる形で、巧みに。

 

『────鉄と血を贖ってでも、正義は執行されなくてはならない!』

 

ラジオから聴こえてくる歓声は割れんばかりのもので、すこし耳に痛い。平民に絶大な人気を誇るオズボーン宰相のカリスマ性を目の前に突きつけられているような。

私自身は、帝国交通法を整備してくれた相手ではあるけれど、それでもこんな演説が罷り通っていいのかと。

それでも私は士官学院生だから、聞き届けなければならない。

 

静かに聴いていたら、どこか遠く、遠く、発砲音がしたような気がした。次いで、どさりと何かが倒れる音。民衆による悲鳴。

────狙撃。ドライケルス広場は開けている場所だ。そんな中心で演説を行うということがどういうことか。だから周囲30セルジュは厳戒態勢だったろう。それでも、テロリストはやり切ったのだ。

 

『な、何ということでしょう! たった今、オズボーン宰相が狙撃されました!』

 

慌てるリポーターの方の後ろで、更にざわつく市民の声。うっすらと入ってくる言葉たちは倒れた宰相に対するものではなく、何か別のものの接近を慄いているような。

 

『おっと、何でしょうあれは!? 南の空に銀色の"影"が見えます!』

 

空。飛行艇。そういった類のものが帝都上空へ近づいているようで、もしそれが戦艦であれば帝都は火の海にすらなるのでは。ぞくりとする。テロリストと貴族派が繋がっているという話は聞いていたけれど、まさかそこまでするのかと。

 

『……といっても、音だけだとロクに分からないでしょうね。なら──士官学院の皆さんには学院祭で愉しませてくれた"お礼"をしちゃおうかしら』

 

まるで導力波を無視したような、まるでそこにいるかの如くクリアな声が、それでも確かにラジオから流れ始めた。

 

────響け 響け とこしえに────

────夜のしじまを破り 全てのものを 美しき世界へ────

 

その唄声に感応するように、ラジオの前面にドライケルス広場の景色が映し出される。まるでいま開発中の導力映像複写機のような、けれどそれとは比べ物にならないほど高精細・高精度な景色。何が、起きて、いるのか。

 

その中に夜明けのようなドレスを纏う女性が姿を見せ、腕に留まっていた瑠璃色の鳥が羽ばたいていく。上空に現れた銀色の戦艦が景色の中に捉えられ、その異様さを如実に知らせてきた。大きい……目算250アージュはある。

そしてその船底からは人型の、例の騎士人形によく似たモノが降りていき────。

 

「きゃあっ」

 

帝都守護隊である第一機甲師団が応戦するも、人型の兵器によって装甲車はいとも簡単に切り倒される。教室にいる生徒の一人が声を上げるのも無理はない。それほどまでにこれは、この暴力は、紛うことなく侵略だ。こんなことが、一つ先の駅で起きているという。戦車とそれに渡り合う人型兵器で市街戦をやるだなんて正気の沙汰じゃない!

夢だと思いたい。幻覚だと思いたい。だけど、そうではないのだという認識が思考を殴ってきてやまない。目を逸らすなと。

 

「え────」

 

そうして変わった映像の中に、二つの人影が現れた。銃を突きつけている人、足元にライフルを置いて銃を突きつけられている人、どちらにも見覚えがある。前者は顔が見えていて、後者は顔は見えていないけれどそれでもその後ろ姿を私が見間違えるはずが。まさか、でも、いやそんな。

ガタリと椅子から立ち上がり、そんな筈は、そんなワケはないと、机についた手が震える。

 

『あ、あんなものを、帝都に……』

 

クレアさんの呟きに一歩、黒衣の影が下がる。制止を求められたものの応じる雰囲気はない。

 

『俺は俺のケジメを付ける必要があるんでね、そいつは聞けねえな』

 

そう言ってビルの屋上にも関わらずそのまま飛び降りた黒衣の人物の顔は、どう見ても、私の恋人である────クロウ・アームブラストその人だった。

 

「……!」

 

蒼い騎士人形が見えた瞬間、咄嗟に教室の扉を開け、そのまま廊下へ躍り出る。そんな筈がない。そんなことがあっていいワケがない!がむしゃらに正面玄関へ向かおうとしたところで、目の前に出てきた影に反応が出来ずぶつかってしまい、尻餅をついたところでそのまま腕を拘束された。

 

「やだ、やだ────ジョルジュ、離して!」

 

自分の声が廊下に響く。何事かと他の教室からも人が出てきて、だけど遠巻きに見られている中で、トワが駆け寄ってきた。

 

「駄目だ、君はいま冷静じゃない。その証拠に一番敏捷がない僕に腕を掴まれている。平素の君なら絶対に躱せた筈だ」

 

冷静?冷静でいられる理由なんてあるだろうか。乾いた笑いが喉からこぼれる。

 

「……だって、あれはクロウじゃないって、あそこにいたのはクロウじゃないって、そう!」

 

虚しい叫びだって、そんなのわかってる。でも、じゃあだったらどうしたらいい?自分があんなに好きで、いろいろあった末に相手もそれに応えてくれて、お互い不器用ながら心を通わせられていたって、そう、────信じていたのに。

 

「セリちゃん」

「セリ。……本当はわかってるんだろ」

「……やだよぅ…………なんで……なんでいかせてくれないの……」

 

視界が歪み始め、冷えたものが頬を伝って、ぱたりぱたりと、とめどなく床に落ちていく。

ねえ、どうして。

 

 

 

 

目が覚めた時、どこだろうと思った。

見える天井は自室ものではないし、見覚えもあまりない。顔を動かしたらカーテンの隙間から教官の机が見えた。ああ、ここ、保健室だ。

あの後倒れてしまったのか、と上体を起こしたらジャケットは脱がされ、苦しくないようにかネクタイは取り払われシャツの前がすこし開いている。見下ろした自分の胸に、赤い痕が見えて、また涙が滲んだ。

 

導力ライフルが、足元に転がっていた。軍の大尉であるクレアさんが銃を突きつけていた。たったそれだけで、もう十分な証拠だ。帝国解放戦線のリーダー《C》の正体は、クロウだった。その帰結になるのは当然のことで、私だってわかってる。でも信じたくない。信じられない。

嗚咽がこぼれ、シーツに覆われた膝を抱き寄せ目元を預ける。

 

なにも知らなかった。なにも気付けなかった。

クロウが、あんな、あんなに暗いものを抱いていただなんて。

笑いあって、馬鹿をやって、教官に怒られて、絶妙な連携を取ったりして、そんな日々が、今でもまざまざと思い出せるのに、あまりにも────遠い。

 

ゆっくり、ゆっくりと呼吸を落ち着かせて、ボタンを閉め、ネクタイを結ぶ。傍らに置かれていたジャケットに腕を通し、ベッドから降りたところで窓の外を例の灰色の騎士人形が東の街道の方へ飛んでいくのが見えた。

灰色の、騎士人形。それはつまり。

 

「────!」

 

何が起きるのか理解し、保健室を飛び出す。正面玄関に詰めていた職員・生徒たちの隙間を縫って外へ。バリケードが張られていなくてよかった。そう駆けたところで今度は目の前にトワとジョルジュ、そして閉められた正門。だけど自分にはそんな高さの壁は意味をなさない。

 

止めに来る二人を掻い潜り、跳躍して門を飛び越える。後ろから聞こえる声をすべて振り切って、私は東の街道へ走り続けた。だって、騎士人形が飛んでいったっていうことは、そういうことでしょう?

 

 

 

 

走って、走って、今までこんな速度でトリスタを走ったことなんてないって速度で足を動かして、ようやく到達した街道入り口から、二つの騎士人形が相対しているのが見えた。荒れる呼吸を整えていると、蒼い騎士人形と、視線が、合ったような気がした。

 

『俺の本分は《C》────学院生クロウ・アームブラストは、ただの"フェイク"だ』

 

フェイク。偽物。紛い物。

蒼い騎士人形から聴こえてきた声は幾分か低かったけれど、冷たかったけれど、それでも私がよく知る声で。そして"クロウだったその人"は、これまでの日々をそう言い切った。……ああ、そうか、本当に、君は私たちの知らない人なんだ。

ようやく、蒼い騎士人形を前にして、ようやく心がそれを認めた。

 

『ふざけるなッ!』

 

けれど灰色の騎士人形は、リィンくんの声で叫ぶ。

 

『俺たちと一緒に過ごした時間も! トワ会長やアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩との関係も! ……あんなに大事にしていたセリ先輩とのことだって! ぜんぶ偽物だって言うのかよ!? あの学院祭のステージも──嘘だったって本気で言うのかよ!』

『それは……』

 

嫌だ。聞きたくない。それに対する返答なんてもう、分かり切っているもので。

 

『ああ、その通りだ』

 

耳を押さえるのが間に合わず、はっきりとした声が届いた。

ぐっ、と拳を握り、涙を抑える。取り敢えずその事実だけを受容して、私は踵を返した。

いま、自分が為すべきことを行うために。

 

 

 

 

灰色の騎士人形……おそらくリィンくんは蒼い騎士人形と戦うつもりなんだろう。でもきっと敵わない。ルーレの軍需工場爆発に、三ヶ月前から仕込みをしていた帝国解放戦線だ。あれだけ一つの作戦に対して入念に準備していた組織が、あの騎士人形を一朝一夕で操っている筈がない。搭乗したてのリィンくんが勝てる見込みなんて、万にひとつもないのだ。

 

「セリちゃん!」「セリ!」

 

閉じられた正門を再度飛び越え、駆け寄ってきた二人をそのまま抱きしめる。

 

「トワ、ジョルジュ、今のうちにトリスタから脱出して」

「えっ!?」

「蒼い騎士人形が、クロウが東の街道から攻めてきた」

 

私の言葉に二人の体が強張る。だけどそれでも言い募らなければいけない。

 

「リィンくんは旧校舎の騎士人形で応戦するつもりだろうけれど、たぶん……勝てない。だから、敗走処理をしなくちゃいけないんだ」

「でも、でも、私は生徒会長で、みんなを守らないと! 教官たちもいま西の街道に……!」

「だからなんだよ、トワ!」

 

初めてトワに対して大きな声をあげてしまった。だけど時間がない。教官たちやVII組が時間を稼いでくれているうちにこっちはこっちでいろんなことを終えなければいけない。それを無駄にすることこそがこの戦に関わっているすべてへの裏切りだ。

 

「学院は貴族派の手に落ちる。それはもう、どうしようもない。いくら教官たちが強くても物量的に攻められたら無茶な相手だ。────だけど、トワとジョルジュさえいれば、脱出した人たちを集めて、取りまとめて、その果てに何か打開策が見出せるかもしれない」

 

学院長はここの責任者だ。そんな人を脱出させるわけにはいかないけれど、トワは言ってしまえばまだ一介の生徒で、難を逃れても指名手配される可能性は低い。

 

「じゃ、じゃあセリちゃんだって!」

「私はここに残るよ」

「……正気かい?」

 

ジョルジュの問いかけにはっきりと頷く。けれどこれは諦めじゃない。次の一手への決断だ。

 

「私は、学院に残って、可能ならおそらく軟禁されるだろう教職員の方々とコンタクトを取って、外にいるトワたちとの橋渡しをするつもりだよ」

「……スパイになるって、こと……?」

「そう。占拠されたら中に入るのは特に難しい。その点で言えば私が適任だ」

 

胸を叩いて笑う。いつもの面子の中じゃ、一番目立たないポジションだもの。それがこんな風に役立つとは思わなかった。

 

「……わかった、セリ」

「ジョルジュ君!?」

 

頷いたジョルジュはトワの悲鳴のような声に反応を示さず、自分の足元に置いていた大きな工具箱からいろいろ渡される。その中でもとりわけ不思議だったのは、標準型の戦術導力器だ。

 

「いいかい、セリ。通信機能を持つARCUSは潜伏の要になる。それを誰かに渡しちゃならない。占拠された際、学院生が必ず持っている戦術オーブメントを渡せと言われたら、何食わぬ顔でそれを出すんだ」

 

ジョルジュの言葉に、合点が行ってARCUSのポーチの中身を交換し、ARCUS自体は腰の前側に差した。腰の後ろには相変わらず小型の導力銃が眠っているから。最近は出番もないけれど、もしかしたら、があるかもしれない。

 

「……セリちゃん」

「大丈夫、貴族子弟がいる中で派手などんぱちはしないよ、きっとね」

 

貴族派が動いているというのなら、むしろ丁重な占拠になるだろう。たぶん。おそらく。

私の決意が固いということが伝わったのか、トワはあふれそうだった涙を袖で拭き、視線をまっすぐに繋いでくれた。

 

「セリちゃんに」「セリに」「トワとジョルジュに」

「────女神の加護を」

 

三人で拳を合わせて、そうして、近付いてくる軍靴の気配に私は思いを馳せた。

 

 

 

 

1204年11月へ続く




【第一部 あとがき】

そんなわけで、クロウはすべてを裏切り、オリ主は崩れ落ちることを自分に許さず出来ることを探しに行きました。閃I時空ということで最後が見えていたかと思いますが、特にどんでん返しもなく原作通り道が違える結果と相成りました。
個人的にはここから始まる『お互いの背景を知ったうえで理解する・理解できないことを知る』フェイズが本当に楽しみで楽しみで仕方がなかったです。

暫く間は空きますがこのまま続いていくので、まだお付き合いいただけたら嬉しいです。


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第二部
27 - 11/02 斥候の役目


────これは、とある二人が清濁合わせて飲み込もうとした記憶だ。

 

 

 

 

1204/11/02(火)

 

あれから三日が経った。

結局あの時に予想した通り、西街道に迎撃で出ていた教官たちの殆どは貴族連合軍に捕まってしまい、一応の責任者ということで学院長は監視を付けられた上で学院へお戻りになり、監禁された。

連合軍がトリスタへ進軍する間に学院生の幾人かはトワやジョルジュと共に脱出し、その場で脱出しなかったものの軍を目の当たりにし抜け出していく人もいた。

私はといえば、此度の騒動の中心と言ってもいい人物と懇意にしていたためなるべく目立たないように暮らしている。まぁ大体は生徒会室にお邪魔させてもらっているのだけれど。

……そして蒼の騎士人形と対峙した灰の騎士人形は北へ、VII組の行方は杳として知れない。

 

「トワ会長、大丈夫でしょうか……」

「会長なら大丈夫さ。ジョルジュ部長もついているし、きっと」

 

生徒会役員の方々は私が貴族連合軍────つまりあの人物に通じているなんて可能性は排除してくれているようで今までと変わりなく接してくれている。まぁ順当に考えたらここにいる時点で協力者なわけがないのだ。どう考えたって見捨てられたと見るべきだろう。

……悲しくは、ある。正直眠れなくて泣きもした。それでも、いま己に出来ることを考えたら地面に顔を向けている場合ではないとも。きっとこの騒動、国家内部の一勢力が政府に盾突いているのだから内戦と表現してもいいこの争いが収まったら、また泣くのだろう。だからやることがある方が考えなくて済む。

 

「そうだね。トワは強いから大丈夫だと信じよう。そして学院に残った私たちはトワが戻ってこられた時のためにも中のことを整えていかないと」

「……そう、ですね。すみません、弱音を吐いちゃって」

「いやいや、弱音は吐いていこうよ。おそらく長期戦になるだろうから」

 

この戦いがいつまで続くのか。半月か、あるいは半年か。まるで見通せない。なんせ連合軍の兵士の会話から考えると四大名門全てがこの話に関わっているようで、資金面は潤沢だろう。加えて公都実習のレポートにはアルバレア公が大量の最新型戦車・アハツェンを導入していたという報告も記載されていたはずで。

帝都には防衛部隊として正規軍一の花形である第一機甲師団が駐在はしているけれど、あの奇妙な映像からして無事では済むまい。皇族の方々に危害が及ぶとは全く思っていないというか、そもそも近衛隊は貴族で構成されているため軟禁も容易と思われる。それに正当性を主張するなら皇族という名の御旗を掲げるのが今の帝国では反感を買いづらい。

ラジオ局も検閲済みのためか貴族連合の軍正当性を主張するプロパガンダとして使われているため聞くに堪えないけれど、何が手がかりになるのかわからないため聞かざるを得ないというのが現状だ。

 

学院にいた一般市民の方々は丁重に家へと帰され、今は寮にいた人たちも含めて全員届出をしていた武器を預けた上で敷地内に留まっている。……まぁ、裏手には森が広がっているのでやろうと思えば脱出は容易だ。たかが学院生。指名手配したとしても哨戒ついでの片手間のものと考えていい。そんなに危険はないとみている。

 

「取り敢えず、サマンサさんとかも協力してくださってご飯の問題は何とか出来そうですね」

「あの食料は育ち盛りの学生を舐めてる供給量だったけどねえ」

 

とはいえ士官学院だから元より非常事態用に十分な量の、そうトリスタの全住民を学院に匿って数ヶ月籠城出来る程度の備蓄は用意してある。脱出する前にニコラスがサマンサさんやラムゼイさんと手分けして、何がどれだけあるのかというのをあらかた書面にまとめて生徒会に残してくれていたのも大きい。

しかし連合軍にはトールズ卒業生も多いだろうからそれを見越した上での供給なのだろう。最低限の施しはした、という建前のために。

 

「言質を取られたら面倒だと理解されていると思うので明言はしないでしょうが、人質……というより捕虜という扱いなんでしょう」

 

こぼされた言葉に私も頷いた。

あらゆる立場においてこの士官学院にいる人材はどこに対しても大きなカードになる。現在トリスタを占拠しているのが貴族連合といえども家のことに唯唯諾諾という生徒ばかりでもないし、いざという時のために懐に入れておきたい場所だ。

けれど、もし、この学院にいる貴族生徒が連合軍と手を組んだとしたら?いやそれはそれで生徒自治となるし、この二年間見てきた中でそこまで性根が歪んでいる生徒も……いや、現在学院に残っている貴族で一番位が高いのはあのハイアームズ侯爵閣下の御子息であるパトリックくんだ。リィンくんとぶつかることで本来彼のような立場が持つ"高貴なる者の義務"に向き合ってきている、という噂は聞こえてきているけれどこの学院自体を任せられるかというと不安が残っているというのも正直なところで。

 

そんなことを考えつつ、生徒会役員の人たちと一緒に留まっている学院生と軟禁教職員に行き渡る配給計画を立てながらまたもや日は暮れていった。

 

 

 

 

夜中。

予定通りの時間に目を覚まし、周囲を確認。講堂に持ち込んだ学院祭の名残の看板立てなどを間仕切りにして作った簡易的なブースは特に問題もなく、また起きている人もいない。

いつどんな時でも何が起きてもいいように制服で寝起きをしているけれど、さすがに身体が凝ってきた。デザイナーであるハワードさんに進言でもしておこうかな。いや、またこんな状態になることは全く歓迎出来るものではないけれど。

 

周囲に気を配りながらストレッチをし、ARCUSを起動する。結局ジョルジュの懸念通り、武器没収とともに戦術オーブメントも持っていかれた。私が別の形のものを使っていると知られていることもあって、渡す時にはかなり慎重になったけれど周囲の学院生含めて気付かれなかっただろうか。……まぁ、現状貴族連合軍から詰問はされていないので、仮に見られていたとしても問題のない相手だったんだろうと思う。私はきっと恨みを買っているから、そういう人に見られたらまず真っ先に密告されていたろう。

 

間仕切りの傍らに置いていた靴を取り、そっと中央後方にあるギャラリーへ繋がる階段まで歩いていく。周囲を取り巻く窓は嵌め込みだと思われているけれど、換気のために一部だけ開けられるようになっているとは案外知られていない。まぁ建築士が本気を出したのか周囲に溶け込むデザインになっているので仕方のないことでもある。

 

靴を履き、音を立てないようそっと窓を開け、下には木々と草地があるため気をつけながら二階相当の窓からそっと落ちた。巡回ルートは三日間で把握したからこの時間・この場所なら大丈夫。

それでも周囲の索敵は怠らず、気配感知を最大限にまで広げて頭に叩き込んだ死角ルートを通り、まず技術棟裏手に隠していた品を懐に。そのまま修練場の裏手に向かい、あらかじめ鍵を開けておいた二階のこれまた開かないと思われている窓に取りついて中へと侵入。この学院が二百年以上の歴史ある場所、つまりクロスベルのオルキスタワーのような最新鋭設備を兼ね備えていなくて本当に良かったと思う。

 

更に警戒度を上げて射撃訓練場、つまり地下への針路を。

────クリア。見張りはいない。教職員が反乱を起こしたら学院生がどうなるのか分かったものではないと言い聞かせられているのかもしれない。それを聞いて立ち上がれるほど酷い方たちではないから。だって、この学院を守るために立ち上がった人たちだもの。

 

「……」

 

訓練場は複数のブロックに分かれているため全員個室というわけにはいかないとしても、ある程度分割されているのがわかった。その中でも一番会いたい方の気配がある場所まで来て、消していた気配を僅かにこぼれさせる。さすが帝国正規軍名誉元帥であるお方、それだけでも起きてくれたようだ。

 

「ローランド君かの?」

「はい、二年VI組所属のセリ・ローランドで間違いありません」

 

ヴァンダイク学院長の声に応えながら制服の内ポケットから一本の鍵を出し扉を開ける。トワとジョルジュを送り出し、教官たちが帰ってくる前に学院長室からくすねていたマスターキーだ。見つかるかは賭けだったけれど、こういったものが必ずあるとは思っていた。セキュリティ的にどうかという話もあるけれど、責任者が入れない場所などないのだ。連合軍の方は教官室にある鍵束を使っているからまだ気付かれてはいないだろう。

 

「……なるほど、ワシの机にあった鍵か」

「お咎めは内戦が終わった後に受けさせて頂きます」

 

物が運び出されたのか殺風景な部屋に入ってから扉を閉めて二人で床に腰や膝を落ち着け、私の方は万が一に備え戦技を使って気配を遮断する。何があったとしても私がここにいるというのを悟られてはいけない。

 

「この三日間で起きたこと、私が把握していることのすべてをご報告致します」

「うむ、よろしく頼む」

 

暗闇に紛れて見えづらいだろうにそれでも学院長は真っ直ぐと私を見てそう言った。

……戦技、きちんと発動出来ているよね?

 

 

 

 

宣言通り、なるべく起きた事実そのままに努めつつ伝達が終わったところで学院長が重くも短い溜め息を。無理からぬ話だ。自分が守ると決めていた生徒たちが軟禁され、政治的に考えれば危害が加えられることはないだろうがそれも可能性が高いというだけで、この町が機甲戦に巻き込まれないとも限らない。あの帝都で起きたような。

 

「生徒たちの様子はどうかね」

「今のところ恐慌状態もなく、落ち着いています。日頃の訓練の成果でしょうか」

 

ことこの状況においてパニックが発生しないというのは、士官学院生としての心構えが出来ている……つまり平素より触れてきた教官たちの薫陶の賜物だろう。常在戦場を胸に。去年の課外活動を経て、ガレリア要塞見学を機に新たにしたその在り方はとっくに私たちに根付いているようだ。

 

「生徒会も会長不在でも的確に動いていますし、ある程度はなんとかなるかと」

「そうか。ありがとう」

 

学院長に頭を下げられ、すこし困ってしまう。為すべきことを為しただけだから感謝を述べられるようなことではない……と言いたいけれど、学院長はこの場所を、ここにいる人たちを、この町を愛している。だからその安否がわかるというだけで私はきっと何か出来たのだろうと。

 

「けれど、これからどうなるかはわかりません」

「うむ、そうであろうな」

 

何せ帝国の五大都市がすべて貴族派に占拠されている実情だ。元より海都オルディス・公都バリアハート・旧都セントアーク・鋼都ルーレは四大名門直轄地で、その中央にある帝都さえも今は連合軍の手の内に。こうなると政府直属の鉄道憲兵隊でさえも上手く動くことは難しい。

 

正規軍の駐屯地は各地にあるとはいえ、基本的に対立する派閥の敷地となるためそこまで大規模なものは造られていない。それに一番大きなガレリア要塞も半壊している(仮拠点を作る場所としては気取られないという意味では優秀だろうけれど、元々の性質上すべての場所から遠いというのが難点だ)。

 

「それでも、私たちは世の礎たれるよう動いて参ります」

 

帝国中興の祖、このトールズ士官学院を設立したドライケルス大帝の言葉を借りて自分の胸を拳で叩く。学院長が入学式に私たちへ贈ってくださったものでもある。

 

「やはり、君たちを選抜したのは間違いではなかったようだ」

「学院長にそう言っていただけるなら、何よりです」

 

努めて明るくそう返すと、学院長の眉間の皺が僅かに取れたのが見えた。

 

「頼み事をしたい」

「内容によってはお受け出来かねますが、どうぞ」

「君が危険を冒して来ているというのは承知しているが、ベアトリクス殿にも同じ話をして来てはくれぬだろうか」

 

上階に再度気を配り、問題ないと判断してその要請に応じることにした。

 

「それでは、何かありましたらこの通信機を」

 

技術棟裏手から持ってきた低出力ではあるけれど小型化に成功した無線機を一つお渡しし、私は学院長の部屋に鍵をかけて次の目的地へ。

ベアトリクス教官も学院長と同じように誰かは行動することがわかっていたのか驚くこともなく、ここ数日で外で何が起きているのかというのを端的にお伝えする。

私の言葉を受け、教官も学院長と同じように硬い嘆息を。

 

「若い貴方がたにこのような重荷を背負わせて申し訳ありません」

「……重荷だなんて、少なくとも私は思っていませんよ」

 

教官たちは多くのことから私たちを守ってくださっていた。私たちが入学する以前からずっと。そしてつい数日前の街道の戦いでも。だからこれは恩返しのようなものだ。

 

「それでは、私は行きます。そろそろ夜明けも近いですし」

 

ついていた膝を離し踵を返しかけたところで、ぱしっと片手が取られる。かさついた、年齢を思わせるその肌はどこか懐かしさを私に思い出させた。

 

「保健室に私が調合した疲労回復効果のあるハーブティーがありますから、よかったら飲んでください。皆に振る舞ってもらっても構いません」

「はい、ありがとうございます」

「────おやすみなさい。あなたに、あなたの心に、女神の加護を」

 

祈るように私の手の甲へ額を当てた教官は、静かに私の手を離し背中を押してくれた。

 

扉を再度施錠した後、気配を殺しながら上階へ達し、そのまま来た道を戻っていく。

教官もラジオから映し出されたあの映像を見たはずで、だから、私がどういう感情を得たのかというのを理解されているのだろう。恋人がまさかテロリストだったなんて。でもそれを口には出さず、けれどしっかりと慮ってくださって。

ご自身もあんな硬い床に寝具と少しの物しかない物置のような部屋に監禁をされているというのに、気にかけてくださってありがたいと思う。

 

────それでもその想いが、今の私にはすこし痛かった。

 

我儘だというのは分かっているけれど。



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28 - 11/06 憎悪の行き先

※『同意のない性暴力(性行為未満)』の描写があります。
※性別問わずフラッシュバックの懸念がある方は、次話前書きにあらすじを記載するので今話は飛ばしてそちらをお読みください。


1204/11/06(土) 昼過ぎ

 

軟禁開始から一週間が過ぎた。

連合軍から言い渡されているのは校内の敷地から出るな、という程度のお達しなので完全な監禁ではない辺りが不幸中の幸いといったところだろうか。とはいえ少なからぬ人数が消えているため見回りに来る兵士も違和感を覚えたらしく、生徒会に現在学院内に確認が出来る生徒の名簿を出すよう指示が下された。これ以降の脱出は難しくなったといってもいいだろう。

元より私はここを離れるつもりはないけれど。

 

人が少なくなった敷地内の、更に静かな旧校舎を見上げてため息をつく。

例の灰色の騎士人形が出て行ったというのに傷一つないということは、中にある転位石のような機能を有していたとみるべきか。であるのなら蒼い騎士人形も同等の機能を持っている可能性が高い。ああでも旧校舎から直接街道へ転位したわけじゃないから、転位距離はかなり短いのかもしれない。あり得そうだ。

 

……トワたちは、大丈夫だろうか。

この間は生徒会役員の人にああ言いはしたけれど、心配でないはずがない。時間との勝負だと考えていたから碌に装備も整えさせられずに送り出してしまったから、どうにか頼れる人と出会えていたらと思う。例えば、トヴァルさんのような遊撃士の方とかに。

一年間の学院生活と課外活動を経ているからある程度のことや、野道には慣れたろうけれどそれでも二人では手が回らないところも出てくるだろう。やっぱり自分も一緒に行くべきだったか。いや、行かないと決めたんだ。その選択の是非を問うのはまた今度にしよう。

 

VII組も、灰色の騎士人形が北へ飛んでいくのは見えたっきり、結局彼らは学院に戻ることなくどこかへ行ってしまった。だけどきっと彼らもこの半年で得たものを無駄にせずに走り回っているのだろうと信じられる人たちだ。リィンくん共々、まず無事であって欲しい。

 

……そういえば修練場の地下にサラ教官やナイトハルト教官の気配がないのは理解するけれど、トマス教官のものもなかったような気がする。一体どうやってあの戦場を抜け出したのだろう。メアリー教官はあの時学院にいたから、そのまま他の生徒と脱出しているのでいるわけもない。貴族といえど教官であるあの人は逃げておいた方が何かとよかったろう。

非戦闘員で貴族だから交渉の矢面に立てるというのもわかるけれど、学院生だから相手も手が出せないというのに賭けたともいう。まぁ、学院生に手を出したら囚われている教職員を黙らせる手札を捨てるも同然だから勝率は高かった。兵士たちの噂を集めてわかったことだけれど、装甲車を袈裟斬りにする個人となんて戦いたくないだろう。

 

何にせよ、考えることが多過ぎるし気も張り詰めっぱなしだし、何に憚ることなく思い切り寝たいというのが今一番身体が求めているものかもしれない。

 

はあ、とため息を吐いたところで本校舎側から複数の足音が聞こえてくる。逃げてもいいけれど、明確なその指向性に私に言いたいことがあるのだろうと諦めた。

鬱憤は、適宜晴らさなければより捻じ曲がっていくものだから。

 

 

 

 

「おい」

 

声をかけられて、さもいま気が付きましたという体で振り返る。視界内には学年混在の標準制服の男性五人、小路入口の方に見張りらしき気配も一つ。

私を見る彼らの顔はどう見積もっても友好的なものではない。これは、どうやら予想通りみたいだ。

 

「なんで、なんでクロウはあんなことをしたんだよ」

 

そんなこと私が知りたい。あまり他者の感情と自分のものを比較するのはかなり非合理だと思うけれど、それでも、おそらく、この世界で一番それを知りたい人間の一人だという自負はある。問われたってわかるわけがない。

 

「……知るわけないじゃないか」

「お前、あいつの恋人なんだろ!」

 

強く言葉が突き刺さり、フェイクだと言い切ったあの声が脳裏によぎった。

そう絆を築いたと信じていたのは、こちらからだけだったことをまざまざと思い知らされる。トワ、アン、ジョルジュ、みんなと一緒にいたあの日々が呆気なく踏み躙られたのだと。

 

「知ってて加担してたんだったらここに残ってるわけない」

「知らないなんてことがあるかよ! 宰相閣下は俺たちの希望だったんだ!」

 

距離が詰められると同時に、ドン、と肩を殴られ、多少よろける。よろけたフリをする。その言葉で理解する。彼らは帝都民だ。確か、鉄血宰相殿は帝都の民からは慕われている。特に平民からは。成り上がって要人となった、平民の希望の星というわけだ。

 

「それは、本人に言うべき話だ」

 

私に言ったってどうしようもない。このトールズに通っているんだからそんなことが分からないほど馬鹿じゃないだろう。それでもその憎悪を向けるべき相手はとうに居ないからと、その側にいた人間に矛先を向けるというのはあまりに愚かしい。感情は理屈ではないとはいえ。

 

「うるさい!」

 

今度は強く突き飛ばされ、どうも想像以上に参っていたのか上手く受け流せず、ベンチの方へがしゃんと倒れ込んでしまった。若干鋭利な角が強く脇腹を殴打した。反射的に受け身を取らない選択をしたのは自分だけど、痛いのが平気なわけじゃない。当たり前のように痛い。

 

さて、一体どうしたものだろうか。本気でやればある程度どうにかは出来るだろうけれど、相手は一応、同じカリキュラムを経ている男性陣だ。ARCUSは通信波で捕捉されると面倒なため必要な時以外は導力を落としているから、生身でやりあうしかない。しかも、時間による展望もない。それなら、殴りたいだけ殴らせた方がいいのでは?とさえ思う。

……この人数相手に本気で何とかしようと思ったら、素手で殺すしかないのだから。誰かが起き上がってくるという可能性を潰して一人一人消すしかない。膝だけを砕く方法もあるけれどピンポイントだし上半身が動くというのは面倒なことになる。再起不能な傷を負わせずに丁寧に気絶だけさせるなんて芸当をしている暇もないだろう。切り札の腰の銃もここで露呈させたくはない。

 

「何で抵抗しないんだよ!」

「────っ」

 

思考を巡らせていると一人が馬乗りになってきて、膝で腹を固定しながら襟を掴み顔面を思い切り殴りつけてきた。視界が白む。耳の奥もわずかに痛む。士官学院は、軍人の養成校だ。いくら大半が軍に進まないトールズとはいえ、男女の垣根は二年生ともなると恐ろしく低くなる。これは、そういうことなんだろう。でもこの体勢はすこしマズい気がする。今は単なる暴力で済んでいるけれど、私の属性を理解するならば、もっと効率の良い尊厳破壊方法が、ある。

お願いだから、最後まで気が付かないでほしい。

 

「抵抗しないってことは、やっぱり知ってたんじゃないのか?! 贖罪か!?」

 

知らないと言っているし、そも本当に知っていたとしたら論理的にここに残っているのはおかしいとも伝えているのに、どうしてもそれを理解しない。理解したくないのだろう。怒りをぶつけるサンドバッグが欲しいだけなのだ。鬱憤を晴らすための。

そして実は、いつかこんな日が来ると思っていた。だってあの人物と私が付き合っているのなんて学院……いやトリスタの人たちでさえ知っていたから。

犯罪者の親族の家に火がつけられるなんて、まま聞く話だ。これはそういう話で。ここに残る選択をした時点で、予想出来ていなかったわけじゃない。

 

「つっ……!」

 

今度は裏拳でもう片頬が殴られ、次いで両襟を持ち上げられて頭をベンチの角にぶつけられる。熱さを感じた数瞬後にはぬるりとした物が首筋を通っていくのを理解した。ああ、人はここまで暴力的になれるのか。閉鎖空間というのはこわいものだ。心の拠り所の破壊というのは、おそろしいものだ。妙に冷静な部分で、自分がそう思考する。

 

「おい、さすがにもう」

 

襟がじわりと赤くなっているのに誰かが気がついたのか、周囲にいた一人がそう声をかけたらしい。ああ、もう、頭が酷く痛むし、視界も霞んでよくわからない。

 

「うるさい! こいつが、こいつさえ、気がついてくれていたら!」

 

鉄道憲兵隊や情報局にさえ尻尾を掴ませなかった相手を、どうして私が看破し得ると思うのだろうか。あの演説時にようやくクレアさんが……あの有名な氷の乙女が彼を突き止めてくれたというのに。

もう一度握り拳が頬をえぐり、今度は奥歯が折れたらしい。横向いてえずくと同時に口内からこぼれ落とす。飲み込んでも噛んでもかなりやばい。ふと気付けば、襟を掴む手が震えている。

 

「なあ、どうして、抵抗しないんだ」

「……抵抗をしたら、もっと酷くなる気がして」

 

殺さないで突破できる自信はないよ、とは、さすがに言わなかった。相手を逆上させるだけだろう。なんせ、殺すことを決意したら抜けられるというのと同義なのだから。それに、抵抗されなければ殴れないというのなら、それは結局、自分が正義ではないと思っているに他ならない。

 

理解してくれただろうか。諦めてくれただろうか。横に向けていた顔からちらりと見上げると、暗く澱んだ視線とかち合ってしまった。あっ、まずい。

瞬間、制服の前が露わになり、混乱しているところへ立て続けにネクタイを無視してシャツに手をかけられ、霞む視界の中で舞い飛ぶボタンだけがいやにくっきりと見えた。肌着が、普段晒すことのない場所が、寒空の下で知らない相手の眼前に出ている。その、恐怖が。

 

「おい、さすがにやめろって!」

 

他の人間が割って入ったところを、うるさいとそいつは振り払う。もう自分の目的以外見えていないんだろう。

 

「いいか、お前はクロウに対する餌になるんだ。絶対に、あいつを後悔させてやる」

 

無遠慮に首筋に土のついた手が滑り込んできて全身が悪寒に苛まれた。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。やめろ!

張り裂けそうなほどに心は叫んでいるのに、声は出なくて、その手が、目が、あまりにも恐ろしくて、ああやっぱり自分は女なんだと思い知らされる。やっぱり早々に覚悟を決めて全員殺しておくべきだったのかもしれない。────いや、こいつだけでも。

 

憤怒で心を焼き、手足に力が入ることを確認し、手始めにその眼球を抉り取ってやると力を籠めかけた、まさにその時。

 

「何をやっている!」

 

とても真っ直ぐな声が割って入ってきた。この、声は……。

 

「ハ、ハイアームズ……見張りは何やってんだ!」

「何をやっているも何もない! 先輩から直ぐに離れたまえ!」

 

パトリックくんの怒号を伴う足音と共に乱暴に襟は外され、圧迫されていた腹から重さが退いた。すると妙に胃のあたりがうずくまり、寝転んだままうつ伏せになって胃の気持ち悪さを全部吐き出しそうになる。圧迫されていた事で妙なところへ入ったらしい。いや、でも、だめだ。パトリックくんが隣に膝をついている。その制服を汚すわけには。

 

「先輩、吐きましょう。全部」

 

そっと宥めるように背中に手を当てられて、さっき私のそばにあった手とまるで違うそれに促される形ですべての気持ち悪さを地面にぶちまけてしまった。まともな量も食べていないのに、それでも地面はぐちゃぐちゃになっていく。

あ、は、と言葉にならない音を終わりの合図のようにこぼし、喉の奥のひりつきを残して流れは一旦止まる。それでもぐるぐるぐるぐる、視界が回転してうまく起きられそうにない。

 

「パトリック様!」

「担架を持って参りました!」

 

その言葉にまた別の人たちが来てくれたのだと理解する。そっとまた誰かが傍に膝をつき、肩に手がかかる。

 

「持ち上げるため、少々傷が痛むやもしれません。ご勘弁を」

 

今の私は吐瀉物でぐちゃぐちゃだろうに、それでもその人は嫌がる気配もなく丁寧に担架へ乗せてくれた。しっかりとした清潔な布の気配に、心がほっとする。

 

「セレスタン、任せた。……お前たちには話を聞かせてもらう必要がありそうだ」

 

そう低く暗い声で威圧するパトリックくんの声だけが、その時私に認識できた、最後の。

 

 

 

 

目が覚めたら、知らない天井、ではなかった。一週間前にも見たそれは忘れることも出来ない。むくりと身体を起こして周囲を確認すると、思った通り保健室のベッドに寝かされていたらしい。しかも一番奥に、カーテンまで引かれて。衣服は誰かがやってくれたのか、備え付けのだろう寝巻きが体を包んでいる。

首元を触ると包帯の感触。頬や頭にも、ガーゼや湿布が貼られていて満身創痍だ。まぁ、戦術オーブメントは取り上げられているからここの設備で出来得る限りのことをしてくれたんだろう。

誰かはわからないけれど、とりあえずパトリックくんにはお礼を言わねばなるまい。その流れで手当てをしてくれた人のこともわかるだろう。

 

そっとベッドから降り、置かれていたスリッパを履いてカーテンの外へ出ると窓の外は既に暗くなっている。そんなに眠っていたのか、と暗澹たる気持ちになった。

窓を開け、夜風に当たる。月明かりだけでも十分なほどの夜だ。

 

────絶対に、あいつを後悔させてやる。

 

投げつけられた言葉が耳の奥で響いた。

もし、仮に、あそこで私が犯されていたとしたら後悔してくれただろうか。……いや、後悔するのなら、こんなところに置いて行ったりはしないだろう。だって、私が誰と付き合っていたのか知っている人なんてこの町にはごまんといる。自分が事を成したら、自分への憎悪が私に向かうとわからないはずがない。後悔するほど大事なら、置いていくというのは不合理すぎる。

……たった一言だけでも、一緒に来るかって、言ってくれたらよかったのに。たとえ断ったとしても、そうしてくれたなら選択は私にあったのだから。問わなかったのは優しさなのかどうなのか。

 

窓辺で感傷に浸っていると、保健室の扉の前に誰かが来た気配。

 

「起きているから、入ってきて大丈夫ですよ」

 

私がそう声をかけると、遠慮がちに扉が開き、パトリックくんと彼の執事さんが姿を現した。

 

「昼間はありがとうございました。本当に危ないところを助けて頂いて」

 

あそこで、彼が入ってきてくれなかったら何が起きていたのかはあまりにも明白だ。女相手に五人来て、止めに入る人は一人だけだったから、そのまま────。

想像だけでもぞっとする思考に少し身震いして腕を組む。

 

「いえ、貴族……人として当然のことをしたまでです」

 

実質この学院では最上位の家格を持つ彼の言葉に誰が逆らえるわけもない、という話ではなく、あの時の彼は確かに、人の上に立つ存在だった。

 

「先輩」

「……お話しするならお茶でもどうですか?」

 

私がこの間教えてもらった棚に爪先を向けると、セレスタンさんが先に戸棚に手をかけてにこりと微笑まれるので、なるほど本職に任せた方が良さそうだ、と身を引いた。椅子はどうしようか、と見回したら、先輩はそちらの椅子をどうぞ、と普段教官が座られている立派な方を示されてしまう。

 

「怪我人ですから」

「では、お言葉に甘えて」

 

机の上を片付けつつ腰を落ち着けると、それに話し方ももっと砕けてくれて構いません、と声をかけられてしまい、そんな滅多なことありはしないのでは、と思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。すると横から、VII組の方々と話されているような形で大丈夫ですので、と助言が飛んでくる。

 

「……ええと、じゃあ、よろしく、ね?」

「ふふっ、硬すぎじゃないですか」

 

私のぎこちない言葉に、パトリックくんが思わずといった風に笑うので、だって君は貴族生徒じゃないか、と私もちょっと半笑いで反論してしまった。何だかとても変わったなぁ。

 

 

 

 

というか私の方が砕けた口調なのに君がそうなのは納得がいかない、と言ったら、エリゼ嬢を助けた方ですから、と言われてしまい、そういうことかとこれについて追及することはやめようと思った。他人の恋愛に口を出すのは野暮というものだ。

あともしかしたらハイアームズ侯爵閣下からティルフィル元締めの関係者だと教えられたのかもしれない。私は直接お会いしたことはないけれど、叔父さん叔母さんは度々旧都を訪れて面会していた筈だ。芸術の都である旧都近くの職人街を抱える街だから、それなりに便宜が図られていたというのはわりと簡単に推測が立てられる。

 

「お伝えしておきますと、セリ様の衣服を交換したのは第一寮管理人のロッテですからどうかご安心ください」

「それは、その、お気遣いありがとうございます。正直ほっとしました」

 

そんなやりとりのなかでセレスタンさんが紅茶を注いでくれて、伝えられた言葉も合わせてカップからのぼる香りに心がゆるんでいく。今日のことだけじゃなくて、ずっと張り詰めていた緊張が、いい塩梅に解けていくような。

導力灯は誰もつけず、月の光で紅茶を飲むというのもなんだか贅沢な楽しみ方かもしれない。

 

「……先輩は、どうして抵抗をされなかったんでしょうか」

 

暫く無言で飲んでいたところに、そっと言葉が差し込まれた。かちゃり、とソーサーにカップを戻して、曖昧に笑う。

 

「異性五人相手に、ARCUSの恩恵も武器もなく、殺さないで突破はさすがに無理だよ」

「それは嘘ですね」

 

貴方ならやってやれないことはないでしょう、と事もなげにばさりと切り捨てられた。嘘じゃないんだけどなぁ。パトリックくんの中の私は超人的過ぎやしないだろうか。

 

「だから、あれは自傷に見えました」

 

言葉に、首を傾げる。意味がわからない。

 

「恋人が反政府組織の人間だと知り、自暴自棄になっているんじゃないか、と」

「……自暴自棄には、なっていないと思うのだけれど」

 

トリスタの保全のために、学院生徒の安全のために、教職員の安否を確認するために、だけどあくまでそれは究極的に言えば自分のために、出来る限り走り回っていたと考えていた。すべてを投げ出すようなことなんて、全く。

 

「ええ、対外のことについては、僕も交渉の場に立つこともありましたから先輩は裏方に徹し本当によくやっていたと思います。けれど治安維持にご自身のことは含まれていましたか?」

「……」

 

含んでいた、とは咄嗟に切り返せなかった。

だって私はこんな日のことを予想していたから。その上で、手を打たなかった。憎悪が自分に向けば、少なくとも他の内側には向かないだろうと思っていたから。あそこまで品のない手段に出ると思っていなかったというのは、さすがに甘く見すぎていたことに他ならないけれど。

 

「学院生、とはもちろん先輩も含まれるんですよ」

「……パトリックくんは変わったねえ」

 

まるでとても大人びた言葉に、思わずしみじみとそう感情を吐露してしまった。

 

「どうもVII組の方々と交流されたのがいいきっかけとなったみたいで」

「セレスタン!」

 

今の彼なら生徒会の面々と協力しながら学院を先導する立場にもなれるかもしれない。うん、きっと、悪い方向に舵を取りはしないだろう。だって平民の私にもこうして当たり前のように話しかけて、心配してくれる彼なら。

 

「ともかく、怪我もありますし今は大人しくしていてください。それだけです」

 

パトリックくんは紅茶を飲み干して立ち上がり、セレスタンさんさえ置いてさっさと出て行ってしまった。止める暇もない。

 

「坊っちゃまはああいう方ですが、心配しておられるのは本当のことですよ」

 

その補足には、案外と恥ずかしがり屋ですよね、と二人で笑い合った。

 

 

 

 

1204/11/09(火)

 

やることがなくて暇、というのはこういう時に使うのだろうなぁ、とあくびを噛み締めながら思った。あれ以降、動き回ると簡単に傷が開いて衣服を汚してしまうので講堂での間仕切り雑魚寝は許されず、清潔な保健室で寝泊まりするようにと厳命されてしまい今はずっと保健室の住人をしている。

直ぐ開く傷に関しては縫う設備はなく技術を持つ人もおらず、外に出ることも許されず、軍からの派遣もなく、戦術オーブメントも軍が管理しているため生徒には手が出せず、私はなんとあろうことか回復クオーツを持っていなかったという。こういう時のためにEPの上限がどうとか考えずにきちんと最上位のものを一つ持っておくべきだと改めて。

 

今はロシュが気分転換にと二階の談話スペースに誘ってくれたところだ。

あんなことがあったせいで、私が本当に一人になることなんて殆どなくなっていた。心配されているというのもそうだし、もしかしたら、パトリックくんが発したことは周囲の誰もが持っていた感情なのかもな、と。

 

「顔の腫れはもうかなり引いたね」

「うん。というかあの時はロシュの取り乱しようが酷かったというか」

「あんたの顔をどこのやつとも知れないやつに台無しにされたらそりゃ怒るでしょ」

 

行方を知ってたら私がぎたぎたにしたのに、と憤懣やるかたない風情で虚空に拳を投げる。どこのやつともというか、おそらく学院生なんだけれど。たぶん。そうでなきゃあんな凶行に出る理由もなかったろうし。

 

「ま、ハイアームズの坊ちゃんが決着つけてくれたみたいだし、一番キツいかもね」

 

あの後、彼らがどのような"処分"を受けたのか。私は知らない。

校舎を歩き回っても、誰一人として出会うことはなかったのだ。中心にいた人間として、ことの顛末はきちんと聞くべきだったのかもしれない。それでも、私はあの理不尽な暴力を思い出すと今でも僅かながらに震えてしまう。ああいう可能性を排除していたなんて本当にどうかしていた。今後は逃げる一択にしよう。

 

「────?」

 

不意に、聞き慣れない音がどこか遠くの空からやってきた。覚えている限り飛行艇でも巡洋艦でもなく、ましてや戦車や装甲車でもない。まさかあの騎士人形を模した兵器が飛来しているのだろうかと急いで窓を開けたら、そこには。

 

『よう、久しぶりだな』

 

嵐のような色が風を率いて本校舎前に降り立った。

まるですべてを塗りつぶすかのように。



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29 - 11/09 蒼い嵐

【28話 あらすじ】
旧校舎前でセリは平民生徒からクロウに対する憎悪をその身に浴びることになる。
その暴力の向く先が他へ行くよりはいいと抵抗なく重ねられる暴力の果てにジャケットの前が暴かれ、硬直する精神を怒りで焼き、殺す決意を持った瞬間パトリックがセレスタンや他協力者と共にその現場へ踏み込んできた。

張り詰めていた精神の糸が切れてしまい気を失ったセリは介抱され、夜に本校舎保健室にて目を覚ます。
そこへ見舞いに来たパトリックとセレスタンを招き入れ、「自分を守る気がなかったのでは」というパトリックの指摘に口を噤むセリ。それと同時に彼の"貴族"というあり方の変化を彼女は実感する。

そうして表面上は穏やかな日々が過ぎたある日、本校舎前に蒼の騎神が何の前触れもなく降り立った。


連合軍から上がってきた報告書の中に、トリスタの、トールズについて記されているものがあった。別に選んで読んだわけじゃねえが、内容ががっつり頭に入っちまったのは未練たらしいと我ながら思う。フェイクだと言い切って、あいつらとの思い出を全部捨てて、そうして"オレ"はようやく"俺"だけに戻れたってのに。

 

 

 

 

1204/11/09(火)

 

「よう、久しぶりだな」

 

二階の談話スペースからいの一番に顔を見せてくれたそいつは、頭に包帯を巻いていて何が起きたのか如実に知らしめてくれた。そうして僅かばかり呆けた次の瞬間、腰に回した手が引き抜いたのは導力銃。しかし残念ながら撃ち出された攻撃は俺に届かない。

機甲兵は騎神を解析して作られたもんだからな。模造品に搭載されてる対戦車用結界ももちろん備わってるってわけで。

 

『……ジョルジュ謹製の銃も、その機体の前じゃ豆鉄砲かあ』

「そうだな」

 

諦めたようにまた銃を腰に戻すそいつは、怪我の様子さえなかったらあんまりにもいつも通りで笑っちまうほどだ。

つうか登録されてる武器は全部取り上げたって報告あがってたんだがなぁ。

 

『クロウ! アンタどの面下げて現れてんだ!』

 

セリの横から怒鳴り声が飛んできて、うるせえな、と耳を塞ぎたくなる。あらかた脱出したと思ってたがロシュは残ってたらしい。まぁどの面下げてってのは同意するぜ。

 

『それで、連合軍の重鎮だろうお方が一体どんな用事で来られたんですか?』

 

だからか、はっきりと境界線を引かれる。今までのようにはいられないのだと、そう。

そうして騒ぎを聞きつけてか生徒会役員やパトリックの坊やが駆けつけてきたところでタイミングがいい、と鷹揚に頷いた。

 

「貴族連合軍は、このトールズ士官学院を貴族生徒自治に任せる決定をした」

 

帝都近郊の町でうだうだしてる場合じゃねえってことだ。それに、四大名門の人間が治めるってんならそれは連合軍側の意思が介在していると表現してもいいほどで。まぁ進言したのは俺なんだが、ンなこと言う必要もない。

そしてここからは、徹頭徹尾俺のエゴだ。

 

「だがその担保として、学院生一人差し出してもらうことにしてな」

 

俺の言葉にいろんな推測を立てたのかセリの眉間に皺が寄る。いや元々深いもんが刻まれてたからより一層と表現するべきか。まあいい。

少しだけ自分の胸を叩き、喝を入れる。軽蔑なんかとっくのとうにされてんだろ。じゃあもう全部誤差だ。そう自分に言い聞かせて口を開いた。

 

「────セリ・ローランド、お前に決まったよ」

 

信じられないものでも見るようにセリが顔を歪め、その隣からロシュが散々な罵倒を浴びせてきて、足元からパトリックが異を唱えてくる。つってももう口にしちまったもんを撤回するわけにもいかねえ。一応今は上に立つ責任者だもんでよ。

それに一人くらい身柄を確保しておく方が学院生も反乱を起こしにくいだろと話はきちんと通してあるし、それを誰にするか・どうするかは俺の一存でいいって言質も取ってる。一応建前的な理由も説明しちゃいたが、ありゃたぶん聞いてねえな。ま、プロに慣れてる人間にとっちゃ学院生なんておままごとみたいなもんか。

仮にセリがいなかったとしたら、そういうことにしておいてくれ、って言う予定もしてた。

 

「なんだよ、お互いにとっていいことだろ? 学院側は俺に通じてるかもしれねえお前を排除出来て、その上で連合軍は手を引き、学院は自分たちの手に委ねられる」

 

身軽なお前がわりと派手な怪我をしてるってことはそういう話だろうしな。そして閉鎖空間内で人間一人を保護するなら、その人間に価値がなけりゃいけない。そしてその価値は俺が決定的に貶めた。つまり仮に連合軍へ盾突く際、切り捨てる方に学院内の世論を動かしやすい。

まあ、正直お前は脱出する方に入ると思ってたんだが、アテが外れたな。だがそれでも、ここにいるのは単なる停滞じゃない。確固たる意志のもとでそれを選択したんだろう。自分の身に降りかかる悪意を理解しながら。

 

『……60秒、だけ』

 

窓の縁を掴んで考えを巡らせていたらしいセリからそう言葉が落ち、次の瞬間にはロシュに抱きついていた。何かを囁いているようだが、口元は騎神の死角で、出力を上げても聞き取れないほどの極小で話してやがる。まあ、おそらくあいつが学院で担っていた働きの後釜に据えようってんだろう。

ごそり、と抱きついた身体で隠しながら制服の中から中へ何かが移動するのが見えたが、まあそれを連合軍に伝えてやる義理もない。セリが他人へ託すことを決めた事柄なら周囲へ被害が及ぶこともねえだろうしな。俺と違って。

 

話が終わったのかセリがロシュから離れ、窓辺から俺を見上げてくる。合わせて手を差し出せばそのまま窓を越えて直接乗ってきた。小せえ。

 

『セリ! アンタ本当にそれでいいの!?』

『私一人の身柄で学院の自治権がある程度戻るなら考える余地はないよ。……それが誰によって成された決定なのかは気になるところだけれど』

 

さすがにこの流れが俺の恣意的なもんだってのを見透かしているのか、ロシュにやっていた視線を鋭くこっちに返しながらセリはそう呟く。だとしてもこの場を収めるためにそれを飲み込んで承諾してきやがった。

ああ、そういう強さもオレが好きになったお前だよ。

 

「そんじゃ、行くとすっか。後から連合の人間が来ると思うから、その辺はパトリック、お前に任せたぜ」

 

背中の翼を展開すると同時に、セリはオルディーネの掌の上で座り、落ちないようぎゅっと中指に抱きついてくる。……騎神からのフィードバックが肉体へ返ってくるってのはもう重々承知している話なわけだが、いやまさかこんな形でそれに感謝する日が来るとは思わなかった。

 

「────本当に良いのか? クロウ」

「パンタグリュエルから出る時にも聞いて来ただろそれ。いいんだよ」

 

心配するオルディーネの気持ちも、まぁ、わからんではない。だってこいつは俺の身体情報を全部把握してる。テンションの乱高下が起きてることなんてお見通しってことだ。

現段階で学院で所在が確認できている生徒の名簿を見て、実際あいつが未だ学院にいるとヴィータからも聞かされて、だとしたって合わせる顔なんざねえって思ってたのに、結果はこのザマだ。俺が訪れるまでに居なくなっていてくれたらいいとさえ願ってたにも関わらず、生きてるのが、俺を見てくれるのが、こんなにも心臓跳ねることだなんて。

ああもうほんと、情けないったらありゃしねえ。

 

 

 

 

取り敢えず学院から離れ、連合軍が展開する駐屯地の外れに降り立ったところでさあどうしたもんだかと思案する。いろいろ思うところもあったせいで、セリをパンタグリュエルに連れて行く方法についてはノープランで来ちまった。多少の根回し的なもんはどうにでもなるが、物理的な手段として。

なんせ飛行戦艦、雲の上を飛ぶ鋼鉄の塊、高度3000アージュは下らねえ。戦艦自体はヴィータの魔術があるから甲板含めて気温確保出来てるとはいえ、そのまま飛んで行くのは凍えさすこともそうだし、落下リスクを考えると取りたい手段じゃない。

寄港地の宿に置いて食料その他の積み込みの時に迎えに行くって手もあるが、わりと馬鹿馬鹿しい。たぶん逃げるこたないだろうが、この間その手の補充はやったばっかだから早くても一週間後とかになる。そもそもここから一番近いってなると……帝都か?他はどこも均等に遠いんだよな。

 

『……目的地はここ?』

「ん? ああ、いや、ちっと考え事しててな。悪ぃけど待っててくれ」

 

周囲を見渡していたセリはオルディーネの掌から見上げてきて、『そう』とまた視線をそっちに戻した。特に暴れたり逃げ出すつもりはないようで静かなもんだ。

 

「オルディーネ」

「たとえ起動者の願いだとしても、それは無理な相談だ」

「だよなぁ」

 

核にセリを乗せられたならそのままヴィータが無理矢理作った道に接続して転位が出来るってもんだが、さすがに準起動者でもない単なる一般人を入れることも、転位をさせることも難しい。……例えば、クロスベルに現れたらしい"空間"に特化した機体であれば別なんだろうが。

 

『あらあら、お困りのようね。私の騎士様?』

 

操縦用の球から手を離して腕組みしたところで、とんでもない声が聞こえてきやがった。

 

「……お前の騎士じゃない。悪趣味な冗談飛ばすな」

 

いつの間にか足元にいたそいつ────蒼の深淵、ヴィータ・クロチルダは俺とセリを見てかころころと笑った。まったく、帝都歌劇場でトップを張ってる女がこんなことを企ててるだなんて知ったら帝都民は卒倒もんだろうな。

 

『ご機嫌斜めかしら? 私ならその子をパンタグリュエルへ五体満足のまま転位させることも可能なのだけれど』

 

その提案に口を噤む。

そりゃまあ、稀代の魔女にかかれば人間一人を転位させることなんざ朝飯前だろう。加えて魔術的な目印が築かれているとなれば尚更だ。その術式が築かれている契約期間中なら、パンタグリュエルはどこに行こうともこの女から逃れることは出来ない。

 

「……そんじゃ頼もうかね」

『フフ、そう』

「だが」

 

オルディーネに手で合図をして核から地上へ降りる。そうして目配せをしたら掌が降りてきたので座ったままのセリを受け取ると、眉間に皺を寄せつつも案外抵抗もなく俺の腕に収まった。首に腕を回しちゃくれねえが、まあ短時間だから問題はねえだろ。今はまだ。

 

「俺と一緒にだ。オルディーネも送ってもらうかんな」

 

告げた言葉に、そんなことで守った気でいるのか、と言わんばかりに妖艶な笑みを浮かべたヴィータはそれでも異を唱えることはなく、身長大ほどもある蒼い石を核とした杖を異空間から取り出し足下に法陣を描き出した。

あらゆる動作が見慣れないせいかびくりと腕の中のセリが強張ったのに対して、安心しろよ、と撫でる手を自分は持ち合わせちゃいなかった。

 

 

 

 

光に包まれた数瞬後、目を開いたらもう目の前に広がるのは白い甲板、そして柵の向こうにはただひたすらに広がる雲海。高度3000アージュの、どこにも逃げ場のない場所────貴族連合軍旗艦・飛行戦艦パンタグリュエルだ。

 

「……」

 

魔術なんてもんと一切合切関わったことのねえだろうセリは、降ろした俺には目もくれず、ふらふらと柵の方へ近寄って、下を覗く。雲以外何にも見えやしないってのに。

 

「嘘……」

 

柵を掴む手が震えるのが見えて、きっと掴んでねえと姿勢を保てないくらいショックなんだろう。ま、俺も初めてこいつの魔術を見た時は『この世界に自分の理解が到底及ばないモノが多数存在する』ことを直面させられてだいぶ頭が痛くなったもんだ。

それっくらい、俺とこいつの世界に対する知識や経験には差がある。どうしようもない溝だ。

 

「先ほどから気になっていたのだけど、貴方、懐に何か入れてるのかしら」

 

かなり超長距離移動をしたっていうのに疲労も見せずヴィータはコツコツとヒールを鳴らし、セリの胸元を指先で、とん、と軽くつつく。

 

「……あ、これ、ですか?」

 

内ポケットに入るもんなんざ限られるが、懐をあさって出てきたのは生徒手帳とかじゃなく銀色の小さな筒だった。火薬式の弾丸よりは幾分か大きめなそれ。

 

「ええと、これには折れた歯が」

「なるほど……それじゃあこれはサービス」

 

持っていた杖を一振りし、今度はセリの足元にだけ法陣が展開される。何事かと利き手を緊張させた瞬間、ヴィータは俺に対してウインクしてきた。……悪いようにはしねえから黙ってろってか。

 

「!?」

「はい、どうかしら?」

 

驚愕の表情とともに口元を手で覆ったセリに、何かされたか!?、と近寄っていったら余っていた掌を前に突き出されNOの意思表示。暫く何かを確かめるようにもごもごした後、頭の包帯を解き傷に触れる。

 

「……歯も、肌も、全部元通りです」

「それはよかった」

 

セリが銀の筒を開けると空になっていたようで、筒を振っても中身が出てくることはなかった。会話を統合するとあの銀の筒には折られた歯が入ってて、それを触媒にこいつがセリの怪我を完治させたってことか?……一体何が目的だ?

 

「あの、ありがとう、ございます。まさか歯まで治るなんて」

「いいのよ。前にお節介なアドバイスをしちゃったお詫びのようなものだから」

「……えっ?」

 

驚いたセリに、ヴィータは普段変装に使ってる赤い眼鏡をかけて笑いかけた。ああ、そういやトリスタ放送局でラジオのパーソナリティとかやってんだったか。ちょっと待ておいお前その状態でセリに接触してたっていうのか!?

 

「えっ、あれっ!?」

 

その瞬間、ヴィータの幻惑魔術が解呪されたのかセリの表情が更に驚愕へ満ち満ちていく。どん、と柵に背中がぶつかるもんだから、危ねえ、と今度こそそっと近付いた。

 

「ふふ、驚いてくれたかしら」

「だ、だって、蒼の歌姫であるヴィータ・クロチルダさんで、ミスティさん……です、よね?」

「ええ、そう。知っててくれて嬉しいわ」

 

ヴィータはどんな人間でもオトせそうな笑みをたたえ、「それじゃあね」とセリの頭を気やすく撫でてそのまま戦艦内へ歩いていった。マジで何だったんだあいつ。

 

「……」

 

情報があんまりにも多かったせいか額に手を当てて考え込むセリを暫く待ってやろうかと思ったが、こんな甲板でなくともいいだろ、と結論を下す。

 

「内部に入るから、もっかい抱き上げてもいいか」

「……お好きなようにどうぞ」

 

諦めたように肩を竦められちまって、いよいよもって好感度は地の底なことを痛感させられた。つっても内部を見せるわけにもいかねえよな、と目隠し用にセリのネクタイへ手を伸ばした瞬間、さっきのとは比較にならないほど強張った肩と表情が見える。

だから、伸ばした指先を握り込み、自分のバンダナを外してセリの頭を通し目元まで下げた。これでいいだろ。

 

「持ち上げるし結構な距離移動すっから、今度は掴まっとけよ」

 

返事はなかったが、持ち上げたところでぎゅっと首元に腕が回ってきた。素直だ。

 

 

 

 

中に入って、客人用じゃない通路を通り、メンテナンスアイルを飛び降りたりして、誰にも観測されず、且つ絶対に歩測はさせないルートを構築して貴賓区画へ足を進める。こいつならこんな状況でもそれくらいはやってくんだろ。

 

「……意地が悪い」

「ん~? やっぱ分かるか?」

「こんな飛んだり落ちたり、普通しないでしょ」

 

さもありなん。とはいえそれに気が付いたって今のこいつにはどうしようもない話で、大人しくしてるしかないわけだ。逃げたって空の上であることに変わりはないしな。だから見せてもいいのかもしれねえが、可能性は極力下げておく方がお互いにとっていい。情報を持っていると知られたら、万が一別の勢力の手に渡った時に面倒くさいことになる。……いや、俺の客ってだけでだいぶ面倒だろうけどよ。

 

そうしてたどり着いた貴賓区画の一室。目配せした執事が端にある俺の部屋を開けて、扉が閉まったところでセリを降ろして目隠しを取った。

 

「……捕虜や平民の人質に対する扱いには見えないけど?」

「そんなんじゃねえしなあ」

 

ただ俺が、お前を手に入れたかっただけだ。その為にタイミング的にもっともらしい建前をでっち上げた。まあ連合軍としても人間一人俺が囲ったところでどうせ痛手でもねえ。むしろ蒼の騎士が女一人で大人しくしてくれんならメリットの方がデカいだろうよ。

 

「そういや、例の小型銃は没収されてねえんだな?」

 

手の甲で銃が入ってんだろう腰の後ろを叩くと、予想通り硬い感触が返ってくる。

 

「届出を出してなかったから、武装として認識されてなかったんだよね」

「出してなかったのかよ。……意外だな」

 

だけど確かに合同訓練とかの授業でこいつがこれを使ってるところは見たことがなかったか。訓練で銃を使うこともあったろうが、それは支給された武器の中での話なわけで。

 

「奥の手っていうのは隠しておくものでしょ。まあ、サラ教官はもちろん知っていた筈だけど、届出を出しなさいとは言われなかったし」

 

なるほどな、と頷いたところで腰をあさったセリが俺に向けてその銃を差し出してくる。突きつけてきたのではなく、丁寧に持ち手を俺の方へ。

 

「持っていくならどうぞ」

「いや、持っとけ」

 

差し出されたもんを若干掌で押すと視線は訝しげなものへと変化した。

 

「……いいの? 私が自殺するかもしれないけれど」

 

そんなことを真面目に言うもんだから、俺はつい、笑っちまった。まるであの日々のように。

 

「お前はそんなことしない……というか、出来ねえだろ。覚悟がないとかじゃなくて、自分が為すべきことを考えたらその択は取るヤツじゃねえ」

 

まあ最善だと判断したら迷わずその命を絶つだろうが、自分の命に戦略上の意味が発生しない限りその選択肢を取る必要がない。それくらいの合理性をお前は持ち合わせてる。例え敵側に俺が回っていたとしても、本質はそう簡単に変わるもんじゃない。

だから、そういう意味が発生しづらいって理由でお前が平民でよかったと思うぜ。貴族で、千人の領民と自分の命を天秤にかけなきゃいけなくなっちまったら、お前その首落とすだろ。

 

「お前が本当にそれが必要だと考えたなら、花瓶壊してでも死ぬって分かってる。自殺武器取り上げたって意味ねえよ」

 

だからこれは持っとけ、と中途半端な高さにある銃を持つ手を今度は掴み上げ、ぎゅっと銃を押し付ける。お前にとって誰も彼も敵だろうこの戦艦で、ひとつくらい武器を持ってても罰は当たんねえよ。ただ、それでどうにか出来る手合いが殆どいないってところが瑕なんだが。

 

「ここで大人しくいい子にしててくれや」

 

ぐしゃりと頭を撫でて、返事も聞かず部屋を出てそっと鍵を閉めた。

ま、こんなバケモン揃いの廊下を歩きたいなんて思わねえだろうけど、後で保険をかけておかないとな。

 

そうして艦長室へ向かいながら、セリとヴィータのことを考える。

あの女が何もなくてあんなことをするとは到底考えづらい。であるのならば、何か関係性がある筈だ。共通点といえばまず真っ先に思いつくのは出身地か。セリはティルフィルで、ヴィータはエリンの里。どちらもサザーラント州にあって、両者はほど近い。つってもセリの方は魔女の噂は知ってても御伽噺だと思ってたんだよな。

それなら二人が知り合いって線は消してもいい。となると途端に手詰まりだが、知り合いじゃないって可能性は残るわけで。

 

 

 

 

「あら、お姫様置いてこんなところにいていいの?」

 

艦長室で用事を済ませ、甲板に見えた蒼い影を追いかけて来たらンな軽口を叩かれる。俺が騎士と来たらあいつは姫かよ。……似合わねえな。

 

「不思議なんだよな」

「何かしら?」

「どうしてお前がセリのことを気に掛けるのか。さっきの会話的にお前、俺がいないところでちょっかいかけてたんだろ」

 

俺が一切話しちゃいないプライベートなことに関して、こいつは首を突っ込んできたことになる。いくら俺を導いた魔女だからってそこまでやってきたことなんざ今までなかったはず。それじゃあ、これは俺起因のものじゃないんじゃないか?って結論に至るのはそう変じゃねえ。

 

「私だって人情くらいはあると思ってくれないの? かわいいかわいいあんな普通の女の子が、こーんな悪いオトナに騙されて、さすがにかわいそうじゃないかしら」

 

人を喰ったような笑み、小馬鹿にしたような台詞でヴィータは喋る。

 

「人情もないワケじゃないんだろうけどよ……お前、セリを一方的に知ってるな?」

 

問うた瞬間、目の前の相手は笑みを深くする。紫耀の瞳が昼間だって言うのに怪しげに煌めいて、ずいぶん慣れたと思ったがやっぱりこいつ底が知れねえ。

 

「そうね、その言い方は正確よ」

「……」

「知っての通り、私は16歳までエリンの里にいた。イストミア大森林に抱かれる隠れ里に」

「つまりそういうワケだ」

「ええ」

 

大森林を遊び場にする子供は、おそらくそう多くはない。南にも森は存在し、上位属性が働いてるから人払いの効果も若干あり、加えてセリ曰く魔女の聖域と呼ばれている。それでもあいつは何度となく遊び、魔女はそれを認識する。知り合いではなく、一方的な観察者として。

 

「あの子が迷子になって里に入って来てしまい大事になる前に私が帰したこともあるけれど、記憶は消してる。さっき治すついでに視たけれどそれは確実よ。彼女は何も知らない」

「なるほどな、ようやく腑に落ちたわ」

 

つまりセリは、こいつ含むエリンの里の人間が幼い頃から見守ってきた一人なんだろう。特にティルフィルは精霊信仰の強い土地らしいから、森への信仰も他の地域よりずば抜けてる。森を敬う者たちを、魔女はそっと支えて続けてきた。それには子供の安否だって含まれると。

 

「トリスタで見た時に、ピンと来たの。ああ、あの子だって。あんなに小さかったのに、こんな遠い町まで一人で出てきて生活しているなんて驚いちゃって。まさかクロウが恋い焦がれる相手が彼女だとは思わなかったけど」

 

慈しむような声音であいつのことを話すそいつはまるで"姉"のようで、すこし癪に障った。

 

「……あいつはお前の妹じゃねえぞ」

「そんなこと、わかっているわ」

 

妹弟子である委員長ちゃんがVII組に在籍してることを思い出して、目の前に出られないからってそれを他人に重ねんな、と暗に釘を刺したら、視線を落として笑われる。あいつは誰の代替品でもない。

 

「それにしても、"魔性"っていうのはああいう子もそうなんでしょうね」

「……なんだって?」

 

おおよそセリには似合わない単語が出てきて思わず顔を顰める。魔性の女なんて、あいつから程遠い単語にも程があるだろ。どっちかってえとまだVII組女子たちの方が色気があると思うんだが。

 

「あの子、若干ではあるけれど、一般人の部類にしては"境界侵犯"の性質を持っているのよ。自分が越える、相手を越えさせる、どちらにしてもね。たぶん、今まで面倒な手合いとやりあうことも多かったんじゃないかしら?」

 

それを聞いて、試験運用時の古代遺物のこと、自分があの病院で言葉をこぼれさせたこと、過去に男といざこざがあったこと、さまざまな話に合点がいく。そしてエリンの里に迷い込んじまったって言うのも、その境界侵犯の性質とやらのせいなんだろう。なるほどな、斥候に向いてるわけだ。他人の、土地の、隠したいものを暴いちまう。挑発戦技も本能による応用なんだろう。

 

「もちろん、"異能"と呼ばれるほどの強制力は殆どない。ほんのすこし、心が傾いた時にそれを増強する程度のもの。だから人であれば心を強く持っていれば何てことはない話なわけで……でも、心当たりがあるみたいね?」

 

見透かされるような言葉に無言でいたら肯定と捉えられたようで、「そう」と頷かれた。

 

「といっても明るいだとか、努力が出来るだとか、本当にそういう個人の性質程度のものよ。傾いている天秤を更に少しだけ後押しする。それが彼女自身にとっていいことでも悪いことでも関わらず、ね。だから"魔性"と表現するしかない」

「……それをどうにかする手立てってのはあるのか?」

「ないわよ?」

 

あっけらかんと言いきるその姿に、ああまたあいつはそれによって泣いたりするんだろう、なんてぼんやり他人事のように考えた。今まさに泣かせてる俺が憂うことじゃないんだろうが。

 

「言ったでしょう? 異能と呼べるほどではない、って。それでもきっと実生活上たくさん困るでしょうけど、こればっかりはね」

 

つまり深淵の名を頂く魔女に言わせても本人の鍛錬次第で制御出来るもんじゃないってことだ。耳がいいから要らんことを聞いちまうとか、鼻がいいから余計なもんまで発見しちまうとか、そういう本人にはどうしようもない領域って理解で合ってるのかね。

 

「在野の魔女にも一人そういう性質が強い方がいるの。でもあの方は自分のそういう性質を理解した上で割と楽しく付き合っているみたい。彼女はそういうのを面白がれる性格ではないだろうから、同情するわ」

 

あいつは人と触れ合うことをある程度自分から抑制していた。その上でああなってんだから、確かに本人がこれまで以上に気にしたところで実のある努力になるとも思えねえ。それなら伝える方が酷ってもんだ。

 

「彼女の存在を伝えた私が言うのも何だけれど、懐に置くなら大切にしてあげなさいな」

「……」

 

まるで何もかも見透かしたかのように笑うヴィータは、何も言えない俺を置いて、今度はどこかへ転位していった。

 

────大切になんて、どうやってしたらいいのかわかんねえよ。



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30 - 11/09 白銀の戦艦の客室

1204/11/09(火)

 

「ここで大人しくいい子にしててくれや」

 

そう当たり前のように私の頭を撫でた黒衣の相手はどこかへ行ってしまった。

見渡してみるとどうも高級そうな調度品類で囲まれた部屋だった。この部屋だけで何十万ミラとかかっているのが分かってしまい改めて頭が痛くなる。

それに鍵はかけられたけれど、内鍵もついているから外に出ようと思えば出られるみたいだ。とはいえ、自分で自分の命の保証が出来ない状況だという自覚はあるので軽率な行動は控えるべきだと思った。

 

────どうして、なんで、そもそも君は。

いろいろ問いかけたいことがたくさんあったはずなのに、どれもこれも口から出ては来なくて、ただただ多少の軽口の応酬だけをしてしまった。それだけなら、本当に、私の知る"君"なのに。それでもあれはフェイクだったと言い切られて、なのにこんな風に直々に連れてこられてしまって、連れてこられた部屋はどう見たって貴賓室と表現出来るだろう場所で、私は一体どこに感情をおいたらいいのかまるでわからない。

そんなこともきっと見透かしているだろうに何も言ってくれない君を、恨めばいいのだろうか。……恨みだけでいられたら、きっと楽だったろうに。

 

取り敢えず、こんな風に立ち竦んでいても仕方ない。頬を軽く叩いて室内を見て回ろうと歩き出した。

入って直ぐ左のところにダブルベッド、目の前は一面ガラス張りでもちろん嵌め込み窓だ。応接セットとして部屋の中央にソファもテーブルもあるし、奥側の窓際にまた1セット足の高い椅子と机もある。右手の窓際にほど近い壁には書き物が出来る机と少しの本。

 

「……?」

 

そこから扉の方を見ると、角の方に棚が見える。そっと近付いて開けてみるとスタインローゼやら何やら、つまり酒瓶が入っていた。もしかしたらグラン・シャリネのような高級ワインも頼んだら出てきそうな気がする。というかこれは、備え付けのものなのか、部屋主の嗜好品なのか。いやそもそもここは誰の部屋?……私が貴族連合軍に食客扱いされる理由はないので、おそらく、"あの男"の部屋なんだろうと思う。同い年、ではなかった、ということ、なんだろうか。

立場も名前も嘘っぱちなら、そりゃあ年齢も嘘っぱちなこともあるだろう。やっぱり私の知らない誰かなんだな、と棚の扉を閉じてまた部屋の散策を再開する。

 

左手の奥まったところに洗面所にシャワー室、トイレは別。洗面所手前のクロゼットには一応吊るされたガウンと畳まれた寝巻きが用意されているけれど、ガウンのサイズを見るにやっぱり私向けのものでは無いだろう。

洗面所を出たところで壁際から風の動きを感じて見てみると通気口のようなものがあった。新造艦なのか、ダクトといっても綺麗に見える。

一瞬、ここを使えばこの部屋があるエリアからは抜けられるのでは?と思ったけれどそれをしたってどうしようもない。雲の上だから誰かの助力があるか、あるいは食料品などを地上から積み込むタイミングでなければ脱出は不可能だ。そして脱出したとして、自分に何が出来るのか。

 

「……」

 

そう言えばARCUSも没収されなかったな、とズボンの前に差し込んで隠していたそれを取り出す。導力を落としっぱなしにしていたのを立ち上げて、一応駄目元で三人のARCUSへ通信をかける。まずトワに、次にジョルジュ、そしてアン。しかし高度からして当たり前だけれど圏外。ARCUSの蓋にある通信番号はもう一つ刻まれているけれど、さすがにそこへかける気にはなれなかった。かかっても、かからなくても、きっと私は微妙な顔をしてしまうだろうから。

随分前にジョルジュに通信波で捕捉されたこともあるし、パンタグリュエル内にそういった装備がないとも限らない。導力はまた一旦落として、普段のポーチの方に入れておこう。学院には私物を置く場所がないから空でも身につけていたけれど役に立って良かった。

 

ソファに座り、腰から銃を抜く。普段訓練などで使っていたものよりずっと小さなものだ。基本的に挑発戦技を乗せることを前提として、攻撃力を犠牲にして命中精度を高めてもらったから、死ぬならこめかみより咥えた方がブレない分致死率が高い。

だけどあの男の言う通り、それでは意味がない。ここで命を落としても何の成果も得られはしない。加えて、これはあまりにもエゴだけれど、友人に作ってもらった銃で命を落とすというのはさすがにするべきじゃないと、そう。

教義に反して自死をするにしても得物が選べるならこれじゃない方がいい、と腰に戻した。

 

窓の方へ視線を向けると、ただただ変わらず、雲海が広がっている。雲の上ということは積乱雲とかに突っ込まない限り雷雨の心配はないんだろうか。まあ、寄港地が雨ということはあるだろうけれど。しかしどうにも雲というのは頭上にあるものだから、現実感のない光景に思えてくる。今ここに自分がいることまで含めて。

そういえば最初に降りた甲板はかなり上空であるにも関わらず、普段の服装のままでもあまり寒くはなかった。というかクロチルダさんも肩が出たドレスを着ていたし、そういう、戦術オーブメントに頼らない何かを行使しているのかもしれない。おそらくあの杖が私たちにとってのARCUSのような働きをしているんだろう。

そしてこの艦は見間違いでなければラジオ映像に出ていた白銀の250アージュ級戦艦だ。規模からいって貴族連合軍の旗艦かもしれない。というか、こんな大きさの飛行戦艦をほいほいと秘密裏に造れるとも思いたくない。……それでも、四大名門全体が関わっているのならあり得るかもしれないとも、考えてしまうけれど。

 

四大名門が関わっているといっても、サザーラント州は穏健派と名高かったハイアームズ侯爵閣下の領地だ。ティルフィルもそこに属している限り、そう大きな混乱はないと思う。思いたい。どうか、叔母さんや叔父さん、街のみんなが無事であってくれますように。

 

そう両手を握り締めたところで部屋の外に人の気配。程なくして、コンコン、とドアノッカーで来客が報された。……これ、私が出ていいのだろうか。

 

「セリ様、蒼の騎士様より頼まれ昼食をお持ち致しました」

 

あ、私が目的らしい。なら開けていいのかな。

ソファから立ち上がり扉を開けると、ワゴンを傍らに置いた黒と白を基調とした侍従服の女性がそこにいた。私がソファの近くまで退くと、ワゴンから銀色の蓋が取り付けられたお皿と珈琲がローテーブルへ乗せられる。当たり前のようにミルクポットまで。

 

「何がお好きかまだ分からなかったため、軽食をご用意させて頂いた次第です」

 

お皿から銀色のカバーが取り除かれ、現れたのは小さく正方形に切られ綺麗に並んだサンドイッチ。やっぱりこれも、平民の捕虜に出すには分不相応なものだ。

 

「……もしかして苦手なものがありましたか?」

「あっ、いえ、食べます。ちゃんと」

 

ドレスでも何でもない、着飾ってもいない女がここにいるなんてあまりにも場違いだろうに、それでもその方は食事を前にして固まってしまっていた私のことを案じてくれた。その心だけは今の私にだって伝わってくる。

 

「ただ、食事は一人で摂らせて頂けませんか?」

 

食事中は無防備になるから、現時点で誰かを傍らに置いて食べるというのは個人的に進んで行いたいものじゃない。すると彼女は、承知いたしました、と外に控えている旨と共にワゴンを押して出て行ってくれた。

そこでようやくソファに座り、じっとサンドイッチを見る。きっと美味しいと、思う。こんな場所に食事を提供しているシェフが作ってくれたものだ。きっと材料はシンプルでも今まで食べたことのないほど丁寧なつくりをしているというのは、もう食べる前から明らかで。

何をするにしても、食べなければいざという時に行動が起こせない。毒が盛られているということも現段階じゃないだろう。ひとつ、手にして、ちいさく齧る。どうにも最近空腹を実感出来ずにいたけれど、それでも無理矢理咀嚼して飲み込んだ。

 

……こんな風に義務感だけでご飯を食べるなんて、両親を亡くして以来だ。

 

 

 

 

長い時間をかけて、サンドイッチの表面が乾き始めるほどの時間をかけて、ようやくお皿の上を空にした。十日ほどの軟禁生活で胃が小さくなったのか、それともストレスか。わからないけれど、食べられる時に食べておくという精神を教わっていたのはこういう時の為か、と普段の心得に得心がいった。

一口だけ飲んだ珈琲にミルクを入れて調整し、一息。サンドイッチよりはまだ味がわかる。

 

────蒼の騎士様より。

 

ため息を吐いて、先ほど耳に入った言葉を脳内で反芻する。蒼い騎士人形を駆るから、蒼の騎士。帝国解放戦線なんてテロリスト名から打って変わって随分と気取った名前だと思った。

 

カップをテーブルに戻して膝に両肘をつき、両手をゆるく絡める。

彼は、帝国解放戦線のリーダー《C》だった。つまり、六月のことも七月のことも九月のことも十月のことも……八月の通商会議のことも、ぜんぶぜんぶ、最終的にはあれの決断だったということだ。トワを、殺そうとした、その組織の、リーダー。

要塞奪還班として動いていたのは知っている。それでも、オルキスタワーにはテロリストの実働隊も押し入っていて、列車砲の作戦だって完遂出来る可能性は万に一つはあった。それを天秤にかけて、トワが死ぬ可能性をわかっていて、なお作戦を実行した。それは、まず、間違いのない事実だ。

鉄血宰相を殺せるタイミングをずっと窺っていたのだろう。それにたまたまトワが同行していた。ただそれだけ。運とタイミングの問題。それでも、それが、どうしても理解ができなくて。

 

────オレにとってもお前は大事なんだぜ。

 

あの言葉も、徹頭徹尾嘘だったんだろうか。トワを、アンを、ジョルジュを、みんなを、自分と同じように大事な仲間だと思っていると、そう、信じていたのに。あんなはっきりとフェイクだと言い切られて。だっていうのに、私をこんなところまで連れてきて。あまりにも矛盾している。おかしすぎる。何を考えているのか全くさっぱりわからない。

 

答えの出ないことだとわかっているのに考えずにはいられなくて、だんだん口の中が酸っぱくなってきて、座っているのに頭がぐらぐらと回転しているような気がしてきて、さっき場所を確認したトイレに駆け込み、食べたもの全部を吐いてしまった。嘔吐きの最後にまた胃液が喉を焼く。

 

苦しさと、気持ち悪さで涙が出てきたけれど、でもそれ以上に、それ以上に。頭を撫でられた時、咄嗟に手を振り払えなかった。どころか嬉しいとさえ思ってしまった。まるで、今までと同じように君が笑ってくれるから。でもそんなことありはしない。あり得ないのに。

 

トワの命を蔑ろにした男を、それでも、今でも好きな自分が、ゆるせない。



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31 - 11/10 残酷な晩餐

1204/11/10(水)

 

ソファから身体を起こし、上体をほぐす。数分でも無防備な姿になるのが嫌でシャワーを浴びるのも憚られ、部屋の主がいつ帰ってくるかもわからないのでベッドで寝るわけにもいかず、折衷案として銃を抱えながらソファで寝ることにした。毛布がわりのアッパーシーツだけは予備のものをクロゼットから引っ張り出したとはいえ、多分大丈夫だろう。

肌や髪は若干気持ち悪いけれど、まぁ学院の裏手の森で一週間模擬訓練した時よりはまだマシだろうので耐えられないほどじゃない。……ご飯などを持ってきてくれる方々にどう映るのかは考えないようにしよう。

 

昨日は結局昼を吐いてしまって、晩もお願いして少なめにしてもらっていた。夜中も誰かが廊下を通るたびに目が覚めて、連続して眠れたのなんて何時間だろう。なのに朝が来ても空腹感がないというのは奇妙通り越している。身体が自分の不調を隠そうとしているんだろうか。もしそうならあまりいいことじゃない。自分の状況さえ把握出来なくなるのは瓦解の一歩手前だ。

つらつらと考え事をしながらシーツを畳んでカーテンを開くと、容赦なく陽光が目に入ってくる。そうか、雲の上だから太陽を遮るものがないんだな、と光に眩む目を慣れさせて、強制的に起こした頭で洗面台の方へ。

昨日の昼食後、暫し失礼いたします、と侍従服の女性が部屋の中を整えてくださって、歯ブラシやコップ、寝巻きなどが備えられていた。実のところ高級ホテルでのマナーなどとんとわからないので、こういうのをどう扱ったらいいのかわからない。けどまあ新しいのを使う上でそんな変なことはないだろう。たぶん。

 

朝の身支度が終わり、筋トレやアンから習った徒手空拳の型を復習するにしてもシャワーを浴びることの出来ない状態ではちょっとな、と悩んだところで机の本が目に入った。続き物の小説らしく、ナンバリングされ統一感のある背表紙が並んでいる。そっと一冊手に取って読もうかというところで部屋の外に気配。

本を机に、足を扉へ。開けると先日からこの部屋を唯一出入りしている方が立っていた。

 

「おはようございます、セリ様」

「おはようございます」

 

ワゴンで運ばれてきたのはこれ以上にないほどに完璧な帝国風朝食。オムレツにサラダにコンソメスープ。加えて珈琲も。支度が終わったらそっとその方は部屋を退出する。私が一度言っただけなのに、それを丁寧に守ってくださっていて律儀な方だなぁと感心するばかりだ。

……名前は聞いたら教えてもらえるのだろうか。いやでもこの場合、一応客である私から訊いたら答えなければならない質問にならないか?そう考えると訊くのはよした方がいいかも。

 

何はともあれ、今日も食べなければなるまい、とナイフとフォークでオムレツを切り取り口に運ぶと、卵の熱さとやわらかさにどこか元気になる自分がいた。ごくりと飲み込んで、そっと唇にふれる。ご飯が美味しい。たったそれだけなのに、今の私には嬉しさが伴って。

瑞々しい葉物も、断面が綺麗なプチトマトも、透き通って何も入っていないけれど野菜の出汁がよく味わえるスープも、ぜんぶが美味しい。一日経つことで少しは気持ちが落ち着いてくれたということだろうか。まだ頭の中はぐちゃぐちゃだけれど、身体が少しでも元気になってくれたなら思考を整理する元気も湧いてくる。きっと。

 

思っていた以上に早く食べ終え、ごちそうさまでした、と女神と朝食に携わってくださった方に感謝を捧げると、控えめなノック。私が反応すると外で待機されていた方が入ってきて、ワゴンに食器を乗せていく。珈琲はまだ飲んでいるけど、たぶん後で取りに来てくださるのだろう。

 

「あの」

「はい」

 

何か粗相をしてしまっただろうか、と声の方へ顔を向けると、両膝をついた女性と視線が合う。

 

「差し出がましいかもしれませんが、お召し物の替えは持っていらっしゃいますか?」

「……」

 

そんなに、声をかけなければいけないほどみすぼらしかっただろうか。いや、でも、学院でも満足に洗濯が出来ていたとは言えないし、さすがに殴られた時のものは全て洗われたものの替えが豊富だったというわけでもない(怪我人だから衛生的に優先、と怒られてはいたけれど)。

 

「ええと、その、いえ、着の身着のまま乗艦してしまった、ので……」

 

嘘をつくわけにもいかず正直に言うと、それでは持って参りますね、と当たり前のように頷いて、私が眠る時に使ったシーツまでさらりと回収し、ワゴンを押して部屋を出て行ってしまった。えっ?

……そうか、貴賓室というのはそういうのの対処も出来るようになっているんだなぁ、なんて、私が外で受けられるサービスの上限値をずうっと突破しているような気持ちにさせられた。いやでも服まで用意出来るってどういうことだ。

 

しかしこの分だと服を脱がせられてそのまま着せられるということも大いにあり得るので、銃とARCUSは別のところにしまっておかねばなるまい。もし所持しているのがバレたら他の人間に伝わる可能性がある。……取り敢えずはさっき小説が置いてあった机の裏でもいいか。引き出しだと単純な点検でバレそうだし。

 

ごそりごそりと机の下に潜り込んで仕舞い込み、手をはたきながら窓の外を見る。やっぱりそこは雲海だけが広がっていて、ここにずっといると気が滅入りそうだなという感想が出てきた。たまに雲の切れ間から下が見えることもあるけれど、かなりラッキーな部類だ。まあ、下が見えてもどこにいるのかわからないので現在地把握としては意味がないとも言う。でも視界が雲に占拠されているよりはいい。

 

「失礼いたします」

 

ノックの音に呼応すると、移動式ハンガーラックと共に女性が入ってきた。……どれもこれもドレスな気がするのは気のせいだろうか。

 

「セリ様に似合いそうなものを幾つか見繕って参りましたが、如何なさいましょう?」

「……あの、今私が着ているような庶民向けのシャツやズボンなどで良かったのですが」

 

すると、僅かながらにも確かに困った表情で、セリ様の体格でその形のシャツはご用意がなく申し訳ありません、と謝られてしまった。一般的な男性体格だったら良かったのかなぁ。しかしないものは仕方ないし、暗に着替えた方がいいと言われている手前、固辞するのも変な話だ。でもドレス……動きづらい服装にはあまりなりたくないのだけれど。

 

気が向かないまま用意されたものを見ていると、わりとタイトめなシルエットのものが多く、雑誌で見る皇女殿下のようなフリルがたっぷりとしたものはあまりなかった。うーん、と唸りながら、この中ならこれかな、と装飾の少ないドレスを手に取ると、こちらでございますね、と瞬時に反応が返ってくる。

 

「それではご用意させて頂きますので、その間にシャワーなどいかがですか?」

「………………はい」

 

高そうな服に腕を通すのだから、それは礼儀だろうけれど、やっぱり気は進まない。だけど私がどういう理由でここに来ているのかもきっと知らないだろう人にそんなことを言っても仕方がないし、そもそも警戒しているのが馬鹿な話なのかもしれない。そんなことすら、自分で判断が出来ない。無力だなぁ。

 

 

 

 

そうして身体を洗い、髪を乾かされ、ドレスを纏い、ヘアセットまでされてしまって(さすがに斥候としてメイクと香水だけは断固拒否をしてしまった)。まぁしかしどうせこの部屋から出られないのだしこんなことをしたって無意味の極みなのでは、とさえ思えてくる。

 

「……そういえば質問なんですが」

「はい、何なりと」

「この部屋に元々いた方って、帰って来ているんですか?」

 

昨日出て行ったっきり、部屋の外に来た様子すらない。もしかして別室で寝ているとかそんなこともあったりするのかもと。

 

「蒼の騎士様は現在、西部に出陣されておられるようですね。セリ様がここでお待ちになっていらっしゃいますから、きっとご無事ですよ」

 

西部。海都が主戦場になるわけはないから、その北だったり南だったり、沿岸の町々が被害に遭っているのだろうか。そうなると小さくない規模の街であるティルフィルは難民を受け入れる方向に走るかもしれない。そう、なると、あの二人は避難民の誘導で主戦場に突っ込んでいきかねないのでは?

 

「……」

 

嫌な考えというのは、連鎖するもので。

もし海岸沿いじゃなくて内陸に戦場が移動したとしたら、仮に街は無事でも森が傷つくかもしれない。そうなると年単位、下手したら十数年単位での損失が出る。それをなんとかするのが元締めだろうと言えばそれまでだけれど、お抱え職人のために一帯を予約している貴族の方だっていらっしゃった筈だ。それにケチがつけば補填は何百万ミラどころじゃ済まない。

ハイアームズ侯爵閣下やアルトハイム伯爵閣下に助力を仰げば資金や説得で援助をしてくれる可能性が高いとはいえ、それは結局一時凌ぎだ。根本的な解決にはならない。

この戦が終わったら授業を多少休むことになっても一度帰るべきかな、と結論を出してようやくそこで思考を一旦保留にした。考え続けても仕方ない話だと理解出来たから。

 

「蒼の騎士様はとてもお強いと兵がみな噂をしておりますよ」

 

にこりとその人は憂いなく笑う。

きっと、これは、私が蒼の騎士とやらの恋人だと思われているんだろう。まあいきなり女性を連れてきて自分の部屋に入れて世話を申しつけたらそういう反応にもなるか。……本当は、もう、そんな間柄ではないのに。

 

いや、ちょっと待ってほしい。

いきなり間接的にとはいえ恋人に絶縁を叩きつけ、己が所属する連合軍が町と学院を占拠し、かと思えば何の説明もなく学院の自治権を盾に身柄の拘束を迫り、当の本人は遠征に出かけていて何の説明もなく一日以上放ったらかしというこの状況。私はキレるべきなのでは?

そこまで一息で考えて、深くため息をつく。怒ったって結局意味のない話だろう、と。きっと徒労に終わるだけだと。そんなもののために怒るのは馬鹿らしいと。そんな風に諦める言葉が脳裏に積み上がっていく。空気を叩くような真似はしたくない。

だからこれも保留しておくことにした。きっと今はわからないから。

 

「……着替えの手伝い、ありがとうございました」

 

私が腰を折ってお礼を告げると、お綺麗です、とお世辞を残してその人はハンガーラックと共に退室してくれた。意味が伝わったようでなによりだ。

ソファに座り背中を預けて、今の自分に何が出来るのか。それについて考えてみたけれどいい案も悪い案も引っくるめて、何一つ思い浮かばなかった。出来の悪い頭を呪おう。

 

 

 

 

1204/11/11(木)

 

就寝前にシャワーを浴びたし諦めて寝巻きに腕を通したけれど結局ソファで眠ることだけは譲れずに、夜中に起きてしまうのも昨日通りで、そんな三日目の朝を迎えた。

どうやらこの艦には衣類乾燥導力器が設置されているようで、昨日いつの間にか持って行かれていた私の制服は丁寧に洗濯され、シャツとズボンはアイロンまできっちりかけられて返却されたので今日はそれを着用させてもらった。ジャケットは乾燥に時間がかかっているようだ。

 

昨日の段階で現状把握に難があると痛感したのでラジオと新聞を頼んだところ、ラジオは通信圏外で新聞は五日前に寄港した際に購入されたものしかない、と返されてしまった。どうしてこの戦艦は一週間も航行できるようなあほな造りをしているんだろう。いや造りとしては一流なのだろうけれど今の私からしたら全く歓迎できるものではない。

とりあえずそれで大丈夫です、とお願いして読んだ帝国時報の記事はどう見積もっても貴族連合軍の検閲が入っているもので大した情報は得られなかった。加えて他の地方新聞は購入していないらしい。

結局、他の人と連絡は取れず、外界の情報も仕入れられず、やることもない部屋で一人放置されているという状況を打破することは出来なかった。小説を読もうと思った瞬間もあったけれど何だかそういう気分にもなれず。

 

仕方がないので昔アンに習った東方武術の型を復習したり、室内で出来るトレーニングをしたり、そんな風に過ごすことにした。いつまでこんな時間が続くのだろう。

 

 

 

 

「失礼致します、ローランド様。ご夕食をお持ちしました」

 

シャワーを浴びて、着替えはないからシャツとズボンを再着用して、肩にタオルをかけて出たところでそんな言葉と共に入ってきたのは見慣れない方。そういうこともあるか、というのと、もうそんな時間か、と段々慣れてきてしまった自分にちょっと嫌気がさす。慣れていいものじゃないだろう、こんな生活。ずっとこんな感じだったら料理や雑事の感覚を忘れてしまいそうだ。

自分に苛立ってしまいつつもソファの近くに立ちながらいつものように配膳を眺めていると、メイン皿の保温カバーが外された時、喉が引き攣った。フィッシュバーガー。何度となく作ってもらったり作ったりして食べた、それ。私が知る人の得意料理。

 

────これを作ったのは誰ですか?

 

そう、問いかけることも出来ず、退室する音を聞いて、そっとソファに座る。素材自体は普段使っていたものより数段上等なのだろうけれど、それでも、挟まっているものや挟まっている順番や大きさや付け合わせなど、全部が全部、見覚えのあるかたちで。

食べたくない。食べたい。食べたくない。食べたい。相反する感情がぐるぐると胸中に渦巻いていく。この数日で出されたメニューと打って変わってジャンクな品。これに、"誰か"の思惑が絡んでいないとは言わせないほどの異質さ。

水を飲んで、心を落ち着かせる。

……これはなんてことない、ただの夕食だ。もしかしたら蒼の騎士の客ということで何か厨房の方が気を利かせてくれた可能性だってある。だから気構える必要なんてない。そう自分に言い聞かせてバーガーを両手で持ち、一口。

 

「……」

 

口の中に広がるのは、懐かしい味。しっかり噛んで、飲み込んで、持っていたバーガーを置いて、肩にかけていたタオルで目元を抑える。これを作ったのは、あいつだ。この艦の誰がわからなくても私にはわかる。そして、判別がつくと知っていてこれを出している。────どうして。なんで、そんなひどいことができるの。私が好きな君の気配を私の前に出してきて一体何を伝えたいの。

わからない。全くもって、わからない。だけど食事を残すのは自分のポリシーに反するし、何より負けを認めたような気になってしまうから、すべて平らげた上で、真意を問いただそう。

嗚咽を止め、涙を拭い、私はまた料理に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眠ったみたいだな」

 

メイドが飯を持っていった時間から見計らって部屋に入ると、完食した食器の前でソファにセリが横たわっていた。起きる確率を下げたくて部屋の灯りを消し、窓から採光されるものだけに。

料理に薬を混ぜるなんざ悪党のすることだと思ったが、まぁ端から悪党だろと割り切って仕込んだわけだが目論見通りセリは全部食べ切ったらしい。わかりやすいっつうかなんつうか。これからの人生で騙されないか心配になっちまうな。俺が言うこっちゃないか。

 

用意してきたシャツワンピの寝巻きと鎖をベッドに放り出し、ソファからセリを掬い上げる。そのままベッドに横たわらせ、シャツのボタンを静かに外し、体の前面が露わになった。腹の部分が記憶より薄くなってる気がして、ああやつれたんだな、と苦しくなる自分と嬉しくなる自分が同居しているのを実感する。どうしようもない野郎だ。

シャツとブラジャーを肩から落として次は下。ベルトのバックルを外してショーツごと脱がしていく。さすがにこれからやることにこの辺は邪魔だかんな。

 

そうしてほっそりとした肢体全部が月明かりに照らされて、綺麗だな、と素直に。ヴィータが治してくれたおかげか、どう考えてもあっただろう傷跡も全部跡形も無くなって、つるりとした肌だけが残ってる。

数秒眺めたところで、風邪引くか、と持ってきた紺色のワンピースのボタンを開き、両腕をそれぞれ通し肩に羽織らせ、太ももの方まで生地を敷いたところで下から閉じていく。

胸元のボタンに差し掛かったところで手が止まり、静かに眠るセリの頭を撫でた。メイド曰く、ベッドを使ってる様子がないってこったから、ずっとソファで寝て、どうせ逐一気配察知して眠れずにいたんだろう。じゃなかったら薬を盛られたからってここまで深く眠るなんてそうそうない。そのいじらしさがかわいくて、口元が歪んじまう。

開けたままのシャツの襟を手にして、そっと鎖骨に赤い痕。

 

そんじゃあとは仕上げだな。



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32 - 11/12 不自由の証

1204/11/12(金)

 

陽光の気配がして、ああまた朝が来たのかと上体を起こす。すこし霞む視界を振り切ったところで自分の居場所がベッドであるのが分かった。服も着替えさせられて、つけていた下着も外されている。自分の意思で行った記憶はないため誰かにされたのだろうとは容易に想像がついたけれど、そんなことをされて自分が起きなかったというのだろうか。そもそも眠る準備を行なった記憶がないのだけれど。

 

「お目覚めになられましたか、ローランド様」

 

声をかけられて窓辺へ視線をやると、逆光の中に影が一つ。声、身体的特徴、服装からみるにおそらく、女性。眩しい光に徐々に目を鳴らしていくと、ここ数日見慣れた侍従服に、昨日私の夕食を運んできてくれた方だとわかった。……いつからそこにいたのか。

 

「私は貴方様の世話役を仰せつかったヒエリアと申します。どうぞよろしくお願い致します」

 

何を、と問いかけてベッドから降りようとしたところで足に違和感が降りかかる。アッパーシーツを剥ぎ取って見やれば左足首に、鎖が繋がれた輪が取り付けられていた。伸びる鎖は部屋の中央に固定された机の根元から伸びており、床に蛇行しながら横たわっているそれは目算10アージュほど。引き千切れるほど細かい鎖じゃない。

詰まるところ、服を着替えさせられベッドに移動し鎖をつけられたということで。そんなことをされて私が起きなかったというのはあまりに不自然だ。

 

「ローランド様の疑問にお答えする各種返答の用意が私にはあります」

 

静かで透明感のある声は、無理なく私の思考の中へ入ってくる。であるのならば早く説明が欲しいと視線で促した。

 

「ですが、その前に朝食に致しませんか? 頭を働かせるためにも必要かと」

 

提案されて、すぐには返答ができなかった。だってそうだろう。この意識の欠如と不自然な状態は、どう考えても昨日の夕食に薬が盛られていたと見るべきなのだから。懐かしい味を差し出されて泣いて、これは挑戦だと受けた自分を恥じるしかない。そんな思考もきっと見透かされていたろうから、掌の上で踊らされっぱなしということだ。

 

「────何も、今回は何も入っておりません。だからどうか」

 

ヒエリアさんは毅然とした声で、そう言った。主人の命令やそれに間接的に関わる人間の命令は絶対だ。この貴族社会の帝国で、侍従職の人間が命令に否を唱えることは甚だ難しい。離職どころか親族の命の危機にさえ繋がる。

けれどこの人は命令だとしても、誰かに薬を盛るだなんて行為を見過ごすことに罪悪を抱かない方ではないのだろう。その高潔な精神を、信じてみたいと思った。

 

「……わかりました。用意、お願い出来ますか?」

「はい」

 

ほっとしたような表情でヒエリアさんが部屋を後にする。着替えるにしても足に鎖がついているのなら難しいし、そもそも着替えるものがない。顔を洗って、歯を磨いて、精々それぐらい。

じゃらりと存在感を主張する鎖を引きずって先ほどカーテンが開かれていた窓辺へ近付く。そこには初日から変わらない雲海がただひたすら広がっており、やっぱり現実感のない景色だな、という感想を落とすしかなかった。

 

 

 

 

今日の朝はベーコンエッグにサラダにミネストローネで、やっぱり簡単ではあるけれどとてもおいしそうな朝食が用意された。加えて珈琲も。そして目の前には事情をある程度知っているというヒエリアさん。ソファに座ることを最初は是としてくれなかったけれど、無理を言って座ってもらった。話す相手が立っていて自分が座っているというのは物理的にも精神的にも落ち着かなかったからだ。

真っ直ぐな金耀石の瞳と視線が合う。本当ならこれらを施した本人の口から聞きたいのだけれど要請を受けてまたどこかに飛んでいっているようで、それについてこの方に当たっても仕方ない。

 

「私が訊きたいことは三点あります。まず、何があったのか。何を目的とした行為なのか。そして何故昨日だったのか、です」

 

私を鎖で拘束するにしたって、搭乗したその日に有無を言わせずつければいい。納得はしなくとも大人しく従っただろう。こんな薬を盛ってまで不意打ちするようなことじゃない。衣服の着脱が大変になるという話なら、やっぱり今みたいに用意されたものに着替えたろう。

ヒエリアさんは私の言葉に頷き、一つずつお話しさせて頂きます、と口を開いた。

 

「まず、昨晩は蒼の騎士様がローランド様のお食事を作り、私はその調理補助をしておりました。そして推測されている通り睡眠薬を混入させ、ローランド様の意識をなくした上でお召し物を替えられたのだと思います」

 

口調から考えると、着替えは一人でやったのだろうと思う。まぁ人手がいるような服は着ていなかったし、今までの性格を考えると、誰にも見せることなくそれを終えたかった、というのもあるのかな、と。……いや、今までの性格から考えることなんて意味はないか。

 

「この拘束の目的は、ローランド様がこの部屋から出なければその生命を保証する、といったものだと仰っておりました」

「……?」

 

私はこの部屋から出るそぶりなんて一切見せていないのに、それはやっぱり何だかおかしな話だ。これが何度も脱走を試みている、とかなら理解も出来るけれど、自分でいうのも何だけれどかなり大人しくしているのではなかろうか。なのにそんなことを言われても困ってしまう。今まで以上に従順でいろと?

 

「実行が昨晩だった理由は二つあり、まずお召し物の入手が叶ったこと、そして……ああ、到着するようですね」

 

ヒエリアさんが私から視線を外し、窓の外を見る。促される形で一緒に立ち上がり、窓辺に近付いたところで理解した。ぐんぐんと高度が下がり、雲を抜け、街並みが見えてきた。この250アージュ級飛行戦艦が発着出来る空港は帝国でもかなり限られていて、主要五大都市に加えジュライ経済特区のみ。見覚えがないことから旧都と鋼都は外していい。遠くにすら海が見えないことから海都とジュライも除外だ。となると、公都バリアハート。

 

「お分かりになったかと思いますが、定期的な物資の積み込みが本日だったのです」

 

脱出する意志があるなら、今日、それを為しただろうと。そしてそれを絶対にさせないためにこんな拘束を私に施した。……そんなの、まるで、私がここから消えたら困るかのような。どうせ私一人消えたって学院に危害が及ばないようにすることなんて朝飯前だろう。仮に捕虜がいなくなって連合軍が動くにしたって、露呈させなければいい(そもそもたかが平民一人が逃げ出したところで動く気もしないけれど)。

だから、これは、あまりにも個人的な思惑すぎるのではないか。

 

「……説明をありがとうございました」

 

相手が何を考えているのか全くわからないけれど、それをヒエリアさんに問うても意味がないし、何より本人から聞くべきだと判断して頭の片隅に置いておくことにした。

 

「ローランド様にはご不便をおかけするかと思いますが、私が誠心誠意、お仕えさせて頂きます。何なりとご命令下さい」

 

隣に立つヒエリアさんは丁寧に頭を下げてくださる。そうは言っても私の脱出は手伝ってくれないだろう。まあ、もし手伝ってくれたとしてもその後どうなるのか想像もつかないから頼むことは出来ないけれど。

 

「よろしくお願いいたします、ヒエリアさん。……その、早速で悪いんですが」

 

話が話なので真面目な顔をして会話をしていたけれど、一段落ついたとみて話を切り替える。下着をつけていないというのは、こんなにも心細いのだな、なんて。

 

 

 

 

ヒエリアさんに頼んでみたらサイドで結ぶ形の下着を数セット買ってきてくれて、とりあえずその方面での問題は解決した。動いても外れない結び方の研究は必要としても、ないよりはずっといい。助かった。それに結索術は学院でも教え込まれているしそう困らないだろう(実戦より早くこんな形で使うとは思っていなかったけれども)。

彼女曰く、貴族の間ではこういった形のものが流行しているらしく、寄港地が公都であったことは不幸中の幸いだったようだ。お貴族様が何を考えているのか本当にわからないな、という気分になったのは言わないでおこう。

 

「セリ様は士官学院の制服を着ていらっしゃいましたが、やはり戦われるのですか?」

 

暇だし鎖がついていては(下着も相まって)武術の型確認等はしづらいため、お茶をしながら会話相手になって欲しい、その際に名前で呼んで欲しい、とわがままを言ってみたらヒエリアさんは多少困った表情を見せつつも応えてくれた。

 

「はい、両手に剣を持って前に出る人員でした。前衛が敵の注意を引ければ後衛が安全になるのでそういった役割で」

 

ARCUS面子以外と組むことももちろん多々あったけれど、やっぱり私にとってのチームはあの四人と組むものだった。前衛が食い止めつつダメージを蓄積させ、中衛が前後両方の補助をし、後衛が最大火力を叩き込む。教官たちが言っていた通り、とてもバランスが良かったと思う。

 

「ヒエリアさんはこの仕事を始めて長かったりするんですか?」

「十年ほどでございましょうか。日曜学校を終えて奉公に出て、初めてのお屋敷で沢山のことを教わりましたが奥様が亡くなられ、また別のお屋敷へ紹介状を頂いて。楽しい日々です」

「十年……」

 

今までの歳月を思い出してか、にこりと笑うヒエリアさんが眩しくて、きっと犯罪行為と無縁だっただろう方をこんなことに巻き込んでしまって申し訳なくなった。私があの時、あそこにいなければ彼女が後悔に苛まれることもなかったろう、と。もちろんこれは傲慢なものの考え方だというのは重々承知している。それでも無関係だと割り切れはしない。

 

「そういえば、セリ様はカイエン公爵閣下についてはご存知ですか?」

「ええと、名前だけならさすがに」

 

クロワール・ド・カイエン。ラマール州を統治する四大名門貴族の一つであるカイエン公爵家の現当主だ。帝国で二番目に栄えているとされる海都オルディスに屋敷を構え、街は大陸各地との交易で随分と賑わっているらしい。

 

「では申しておきますと、可能な限り接触を控えさせるよう蒼の騎士様から仰せつかっております」

 

……そんなに危険人物なのだろうか。いやこの貴族連合軍の総主宰と目される人物で、つまり十月末日のテロを企てた張本人ということになるのだから反政府思想という意味では十分危険人物だというのはわかる。しかも皇帝陛下から直々に爵位を賜っているあの宰相殿を殺したともなれば皇家に弓引くも同然ではなかろうかとも。

 

「といっても、当分この部屋から出られる気もしないですし、大丈夫だと思いますが」

「はい。そうであっていただける限り、私もそのように動けます」

 

これは、たぶん、本当に私の身を案じている話なんだろうと思った。ヒエリアさんにしても、この部屋の主にしても。

 

 

 

 

1204/11/14(日)

 

昼食を終え腹ごなし程度に筋トレをしていると、明らかに普通の人ではない気配が対面の部屋からこちらへ向かってくる。なんだろう?と首を傾げ、何があっても対応出来るよう窓際の方へ。扉の直線上じゃなければ一足でここまで入ることは難しいはず。

 

「《S》様、現在蒼の騎士様は不在でございます」

 

外で待機してくれていたヒエリアさんがそう応対してくれるけれど、ああ違うの、と女性の声。

 

「リーダーじゃなくて連れてこられた女の子にちょっと興味があってね」

「……少々お待ちください」

 

そんなやりとりが扉の外から聴こえてきて、そっと入ってきたヒエリアさんは緊張した面持ちで窓際にいる私に近付いてくる。

 

「その、帝国解放戦線幹部の女性の方がセリ様に面会をしたいと仰られていまして……おそらく断ることも可能ではあると思うのですが、如何なさいますか?」

 

帝国解放戦線の幹部の方。それは、あの八月のガレリア要塞襲撃に関わっていた人物と見るべきで、つまりどうあっても私の敵に他ならない。それでもこれはチャンスだと思った。私の知らない"あいつ"をとても知っている人。そんな方が私をわざわざ訪ねに来てくれたということは、害意はないのだろうと、思う。たぶん。おそらく。

 

「わかりました、準備が出来次第通してください。……大丈夫です」

 

本当にいいのかと視線で問いかけられたけれど私はしっかと頷き、すこし時間がかかる旨を伝えてもらい急いでシャワーを浴び、ドレスを着せてもらった。

 

 

 

 

「突然お邪魔してしまってごめんなさいね」

 

支度を終えて迎え入れ、共にソファに座ったところで謝られてしまった。昼間の太陽のような朱け色の長い髪の毛に、右目が眼帯に覆われた深い森の湖面のような瞳。とても綺麗な方だけれど、その歩き方や体重移動からして戦う人なのだということは如実に理解させられた。

 

「あたしのことはスカーレットって呼んでちょうだい」

「私はセリと申します」

 

相手がファミリーネームを名乗らないなら、自分も同じ重さで対応するべきだろう。

 

「リーダーが女の子を連れ込んでる、って聞いてお話ししてみたいと思ったの」

「……そんなに気になるものですか?」

 

横からヒエリアさんがお茶の用意をしてくれて、提供されたクッキーに口をつけた。するとスカーレットさんは赤いルージュを引いた印象的な唇を横に引き、妖艶に笑う。クロチルダさんも相当だったけれど、この方も随分と"こわい人"だと思った。

 

「だってあのリーダーがふつうの子に固執するなんて、到底考えられなかったことだもの」

 

それは、まぁ、理解出来る。反政府組織として地下活動をしている団体のリーダーがまさか身分工作の為に入学した先で恋人を作るどころかその本人をこんな内側まで連れてくるなんて頭がどうかしたのかとしか言いようがない。……いやそこまでは言ってないか。

 

「……スカーレットさんはあいつと長いんですか?」

 

ゆっくり飲むからと頼んだ紅茶のカップとソーサーを取りながら問いかけると、そうね、と。

 

「ここ数年くらいかな。貴方は?」

「私は、入学式付近からなので一年と半年ぐらいですね。……《C》だと知ったのはたったの二週間前で、全然知らなかったんだなぁって。どうでもいい相手だったんでしょうけど」

 

あまり自分のことを話さないとは思っていた。問いかけたら教えてはくれるけれど、いつか自分から話してくれるようになったら嬉しいと女神さまに祈っていたのに。今となっては馬鹿馬鹿しい願いだ。たとえ話されてもそれは真実じゃなかったろうし、そもそも今まで話してもらったパーソナリティすら真実であるとは限らない。

 

「……それはむしろ、大事にされていたんじゃない?」

 

その言葉に、いつの間にか液面に落ちていた視線を上げると優しげな瞳とかち合う。どうしてそんな表情をするのだろう。出来るのだろう。

 

「《C》が表向きの職業として学院生活を送っていたのは分かっているわよね」

「はい」

 

具体的なところはわからないけれど、帝国軍情報局などを欺く一環としてトールズ士官学院に入学し、平和な学生生活を送っていたのだろうことは想像に難くない。何せ学生がそんな大それたことを先導している人物とは思わないだろう。ある種舐められる為に偽装していたということだ。

 

「うん、だから、私たちの知ってる《C》は絶対に恋人をつくる筈がない、そんなボロが出るだろう深みにはまりにいくわけがない、そういった可能性があることすら切り捨てていた」

「……」

「別に女の子を泣かせたい趣味があるわけでもないだろうしね。それでも、《C》は貴方を選んだ。道が徹底的に重ならないと知っていても、いずれ関係が瓦解すると分かっていても、選ばずにはいられなかった」

 

一度断られた告白と、病院のことと、告白返しのことが脳裏によぎる────『オレは絶対にお前を傷付ける』、確かそんなことを言っていた。あれはこういうことだったんだ。

 

「思い当たる節があるみたいね」

「はい」

 

頷いたところでスカーレットさんの視線がちらりと下に寄越された。ローテーブルがあるから判然とはしないけれど、鎖のことを気にしているのかもしれない。

 

「不器用って言葉じゃ片付けられない精神性なのは確か。一般人の子をこんなところに引きずり込んで、あまつさえ監禁するなんてどうかしてる。正直恋愛に関してロクな人間じゃないとあたしは思うのよ」

「……ですよね」

 

そうはっきり言われてしまって、考える。なんで好きなんだろう。今でも残っているこの感情は単なる意地だったり、今まで支払った感情という名のコストが無に帰すのを怖がっているだけなんじゃないかとも思ったりした。だけど、好きでいた時間の分、心の整理も相応にかかる。すぐに憎しみだけに振り切るなんて器用な真似は、私には出来なかった。

────ああ、そうか。どれだけあの学院生活がフェイクだったと言われても、それがどんなに悲しかろうと、私は、"あの人"の優しさを好きになってしまったのだ。これまでの一年半のことをなかったことになんて誰にも出来ない。

 

「それに、貴族連中に弱みを晒してるわけだし、そこまでして?ってところも勿論あるのよ」

「どう取り繕っても生きる弱点ですね」

 

どれだけ自分が否定をしたくてもそれはわかる。仮に本人が大切ではないと言ったとしても周囲はそうと見做さないだろう。弱点にならないと切り捨てられるなら、そもそもここにいないのだから。弱点にならないというのなら、どうして貴賓室にあてがわれている自室に連れで込んでいるんだ、という話なわけで。

 

「えぇ。それでも、自分の手で守りたくて、自分の目の届く範囲にいて欲しかったんでしょうね。事情を考えると」

 

……だったら、初めから一緒に行くかと言って欲しかった。私がその手を取ることはきっとなかっただろうけれど、それでも私に選択肢を与えて欲しかった。あんな一方的にすべてを断ち切って、だっていうのにまた一方的に関係を結ぼうとして。私の心をこんなにもぐちゃぐちゃにして。

 

「それで、最初の話に戻るけど、話したら勿論計画がオシャカになる可能性が高い。でも、もし話して、貴方が賛同してくれてこの帝国解放戦線に入ったとしたら、貴方は拷問にかけられる可能性が飛躍的に高まるってことに他ならない」

 

スカーレットさんの言葉を静かに聞いていく。もっともな話だ。理解出来る。それでも、なお、私は、どうして、と問うてしまいたくなるのだ。

 

「だから、話せなかった、って思ってあげて欲しいな、私たちの不器用なリーダーを」

「……やさしいんですね」

 

そのやさしさが局所的なものであっても、この人が彼を案じているのはよく伝わってきた。

 

「リーダーには精神的に安定していて貰いたいってだけよ?」

「そうであっても、です」

 

だから、私は改めて線を引くことにした。

紅茶のカップをソーサーごと机に置き、真っ直ぐとその姿を見据える。その眼帯が、その肉体が、どういった経緯で傷付き、鍛え上げられたものなのか私は知らない。けれど知りたくないと否定することはしたくなかった。

 

「スカーレットさん、八月のあの日、何処にいましたか?」

 

雰囲気を変えたことに気がついてくれたのか、スカーレットさんもしっかりと私を見てくれる。

 

「……ガレリア要塞ね。貴方もあそこにいたの?」

「いいえ、トリスタにいました。授業がありましたし、勤勉な学生なので」

 

肩を竦めながら発した言葉にスカーレットさんが、ふふ、と笑い声。

思わず軽口を叩いてしまったけれど、授業が終わって、ラジオをジョルジュと一緒に聴いていた。そこに飛び込んできたノイズがかった銃撃の音は今でも耳に残っている。

 

「でも、私の大切な人がいたんです。オルキスタワーに」

 

帝国解放戦線が武装突入し、別プランとして列車砲で破壊せんとした大陸最大級の建造物。初めての西ゼムリア通商会議の場となり、彼らのターゲットであった鉄血宰相をはじめとした各国の首脳陣が集まっていた。

スカーレットさんは一瞬だけ目を伏せて、けれどまた視線を繋いでくれる。

 

「だとしてもあたしは謝れないわ。間違っていたとは思わないもの」

「はい、謝らないでください。幸いにもその人は生きて帰ってきてくれましたが、そもそも自陣にも死人が出るとわかっていながら行った、信念を賭した作戦でしたでしょうから。だけど私も許しません。貴方のことも、貴方たちのリーダーのことも」

 

そう。単なる巻き添えだったとしてもかけがえのない人の命が危険に晒されたことは間違いのない事実で、それについて許すことは多分出来ないんだろうと思う。だけどだからといって対話を拒絶するというのもまた違う。

 

「その上で、私は貴方をやさしい方だと思うんです。到底相容れない敵だとしても」

 

やさしさというのは、あらゆる方向に発揮されるものだけじゃない。正直なところ私だってとてもやさしい善人というわけではないからだ。それを突き詰めていくと、スカーレットさんのようなやさしさの在り方も自然なんだろうと感じる。

暴力で解決するというのを決して是とは出来ない。けれど、自分が持っている思想を共に大切にしてくれる相手というのはかけがえのないものだろうともわかる。許せないものを許せないと自覚しつつ、話すことは出来るんじゃないかと。……もしかしたら、この部屋の主とも。

 

「……なるほど、《C》が入れ込むわけだわ」

「そうですか? 私にはわかりませんけど」

 

お互い相手のどこを好いたのか。すこしだけそんな話をしたこともあるけれど、たとえ本当のことを言ってくれていたとしても、奥底のことは話してくれていなかったろう。それを理解するには、私はまだあの人のことを知らなすぎる。

 

────だから、理解したいと、願ってしまった。

 

好きで居続けることも、嫌悪に転じることも、どちらの道を選んだとしてもきっと疲れるし傷付くのは分かりきっている。だとしても、自分の感情を見て見ぬ振りをするのは止めよう。否定するのも止めよう。

たとえ彼が、"クロウ"じゃなかったとしても。



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33 - 11/17 心の在り処

※『同意のない性暴力(性行為未満)』の描写があります。
※性別問わずフラッシュバックの懸念がある方は、次話前書きにあらすじを記載するので今話は飛ばしてそちらをお読みください。


1204/11/17(水)

 

久しぶりに昼間のパンタグリュエルの自室の前まで帰ってきて、中にいるヤツが起きてんのを察知して立ち止まっちまった。

まさかこんなに酷使されるとは思ってなかったっつうか、まあ人間一人囲いたいって言ったのは俺だから大抵の要請は多少無茶でも通すつもりだったんだが、連日の戦闘から騎神の中で眠る方が霊力の回復も捗るせいでずっとそっちで眠っちまってた。

一度帰ってきてあいつの服を着替えさせたって言っても直接お互いに顔を合わせたのは一週間以上前になる。……いや、出撃は言い訳だ。欲望に忠実な行動だったことは認めるが、落ち着いた段階で真正面から対峙してどんな表情を向けられるのかが怖かった。だから近付かなかった。やろうと思えば隙間時間に会いにくることも、眠るだけでも自室に帰ることだって出来たのに。

つまり逃げてたんだ。だけど短いながら休暇を与えられたら戻ってくるしかないワケで。

 

「そこで立ち尽くすぐらいならさっさと入ってきて欲しいんだけど」

 

がちゃりと部屋の扉が開けられたと思ったら、目の前に呆れ顔のセリ。何か書き物をしていたのか右手の壁際にある机にノートと本が広げられていて、そっちへ戻っていく背中に、じゃらりと追随する鎖。

まぁ確かに立ち止まってても仕方ねえ、と部屋ん中に入って対のソファの左側に腰掛ける。特にやることもねえから作業してるやつを眺めてて気が付いたが、この間着せたワンピースに似た衣服でヴィータが着てるドレスのような煌びやかさは一切ない。ああいうのもわりと似合うと思うんだがな。胸と尻が薄いからその辺にフリルを盛ったのとかどうだろう。

 

「……あんまり見つめられると集中しづらい」

 

またも呆れ顔のセリが振り向いてきて、そりゃ悪かったな、と両手をあげる。立ち上がって近付き、椅子の背もたれに手をかけたところでちらりと見上げられたが、何も言われなかった。

 

「何書いてんだ?」

「この艦に置いてあったレシピ本を写してる。といっても全部じゃなくて、帰っても作れそうなものだけなんだけどね」

 

つまり最近食って美味かったもんとかレシピで気になったもんを下船しても作りたいっていう、食い意地の張った話らしい。全くもってこいつらしい。

カリカリカリ、と丁寧な筆致でレシピが写されていくのをただただ見下ろす。光源的に絶対俺は邪魔だと思うんだが、気にしていないのか関わりたくないのか。

 

「……ところで、君はシャワー浴びてさっさと寝た方がいいと思うよ」

「あ?」

 

ペンを動かす手を止めて、セリが見上げてきて自分の目元を軽く叩いた。

 

「隈出来てる」

「……俺がシャワー浴びてても文句ねえのかよお前」

「もともと君の部屋だから私が文句つける筋合いはないんじゃない?」

 

お前と俺が二人とも軽装になることの危険性に考えが及ばないワケねえだろ、と言外に含めて言ったってのにあっけらかんと返されて本当にこいつのことがわからねえと内心頭を抱えた。もしかして伝わってないとかあるか?

だから試したくて──知りたくて──ノートに再度落とされた視線を、ぐい、と後ろから顎を持ち上げて無理やり繋げる。少し傾けて口付けようとしたところで、掌で拒絶された。

真っ直ぐな瞳が俺を見て、その視線を受けて顔を退ける。

 

「私たちって、今でもそういう間柄?」

「……いや、違うな」

 

恋人関係は解消してる。というか、俺が一方的に破綻させた。だからセリにそういう意味で触れることは許されない。分かってたってのに、もしかしたら、受け入れられるんじゃないかって心のどこかで望んでた自分がいる。ンなことあり得るわけもねえのに。

 

「シャワー浴びて寝るわ」

「はい、いってらっしゃい」

 

そう送り出してくれるお前は、もう俺を見ちゃいなかった。

 

 

 

 

シャワーを浴びてぼすりとベッドに寝っ転がる。セリの気配が少しだけするそれに若干邪な気持ちを抱いちまった。ベッドから見えるそいつはいまだに書き物を続けてて、やることないにしてももうちょっと他になんかねえのか、と思ったところで、やることないようにしてんのは俺なんだよな、と自問自答。

 

しかし半月前に始まったこの内戦はどこまで続ける予定なんだったか。案外と各地の正規軍勢力の抵抗も強く完全な掌握は遅々として進んでいない。とはいえ、ガレリア要塞が生きてりゃ東西どちらも警戒しなきゃならなかったところをクロスベルの"神機"とやらで第五師団は壊滅、生き残りがいるとはいえあんなモンに巻き込まれたら当分立ち直れねえだろうってのは幸いだった。要塞責任者の司令官であるワルター中将も消えたって聞いたしな。そういう意味じゃ西部にかかり切りになれるのは楽なもんだ。

だがこっから先の話は連合軍だけじゃなくヴィータの動きも必要になってくるもんで、表と裏の連動を考えると俺が持ってる手札だけで盤面を整理し切るのは難しい。まあ、それでも年度内には終わるだろう。資金体力があるとはいえ徒らに長引かせる意味はねえし、何より早々に正規軍の心を折るために騎神みたいな人智を超えたモンが駆り出されてんだからよ。

……帝国解放戦線も人数は少なくなった。鉄血の野郎を殺すために集まった面子だからその大目標を達成した時点で半数は消えちまった。それを咎める気はねえが、俺はこれを始めた人間の一人として見届ける責任があると思ってる。帰る故郷を失くした野郎でも、それくらいの矜持は持ってると、そう。

 

「眠れないの?」

 

写し終えたのか、中断したのか、セリが立ち上がってンなことを聞いてきた。問いかけに答えあぐねていると、全部の窓のカーテンが閉められ、天井の導力灯も落とされる。もしかして灯りがあるから眠れねえと思われたんかこれ。

 

「お腹空いてる?」

「……いや、空いてねえ」

「ホットミルクでも頼む?」

「それも要らねえ」

「熱があるとか?」

 

ベッドに近付いてきたセリが畳み掛けるよう問いかけてきたもんだから全部否定して、額へ伸ばされた右手を掴んだ。びくりと跳ねる様子を無視して、力を籠める。

シャワーを浴びた俺よりずっとあったかい手。握ってると俺の方までぽかぽかしてくるような気がして、気分が微睡んでくる。もうそんな権利を持っちゃいないってのに。

逡巡の沈黙が落ちた数秒後、さらりと頭が撫でられた。

 

「……添い寝は、してあげられないけれど、眠るまで傍にいようか?」

 

どんだけ手酷いことをされたのか分かってるだろうに、それでも目の下に隈を作った男を見捨てられねえのか、セリが提案をしてきた。お前のやさしさにつけ込み続けてる最低なヤローだってのは自覚してるが、それでも、その手を伸ばしてくれるってんなら、俺はどれだけ最低でも繋いでいたい。

返事はせず、だけど手を放しもせず、ズルいだろうが沈黙を貫いていたらため息と共にベッドの端に重さが乗ってきた。繋いだ右手はセリの太ももに置かれ、腰掛けた尻に少し頭を寄せたら、空いてる左手が頭を撫でてきて思考がとろりと溶けていく。子供をあやすようなやさしい指先が肌をくすぐって、嗚呼、まるで、許されたような気分になっちまう。

お前の視界も思考もぜんぶ俺だけになればいいって、そんな欲望が首をもたげてくる。一生消えない傷を、更に重ねて、そうして。俺が死んだ後も俺に縛られてくれたらいいなんて。それでもしあわせな世界にいて欲しいと願う自分も確かにいて、馬鹿野郎だなと笑いながら意識はゆっくりと落ちていった。

 

 

 

 

────どれくらい眠ってたのか。

うっすら開いた視界にはまだ太陽の光はなく、カーテンの向こうも夜の気配が降りたまま。どうするかな、と横向きに寝っ転がったまま思考を回したところではたと気がつく。自分が何かを握っていることに。既に温度が同じになっているそれは間違いじゃなきゃ誰かの手で、自分が眠る前にやった行動を考えたら該当者は一人きりで、つまりそれは。

暗闇で目と耳を凝らしてみると、すうすう、と眠りにつくセリがそこにいた。丁寧にシーツはそれぞれ一枚ずつ体にかけられて。今日は薬も何も盛っちゃいない。それでも、俺が起きてもセリが寝てる。言ってしまえばただそれだけだってのに馬鹿みたいに嬉しくなっちまった。

だから、余計に求めたくなる。お前の世界が俺だけになればいいって。

 

そっと繋いだ手を離し、無防備になったその右手を左手で思い切り引っ張りながらシーツを剥ぎ、ベッドの上で仰向けにさせた。さすがにセリも起きたようで暗闇の中、俺を見ている。たぶん俺よりも夜目が利くだろうその瞳が上手く見えなくて助かった。嫌われるようなことをしでかそうとしてるってのに、軽蔑した目を見たくないってのはどんな矛盾だ。

だけどこれをやったらお前の傷は、感情は、上塗りされるだろうから。

 

「……何がしたいの」

 

眠る前に聞いた声とは似ても似つかないほど冷えた響き。完全に一線が引かれてる。だけどそれでいい。だって俺はトワを見捨てる一手を打ったんだから。あの日から完全に道が違えてることなんて知ってた話だ。

 

「男が女の上に乗っかるなんて、用事は一つだろうがよ」

 

言葉に対してセリの腕が反撃に動く前に顎を捕らえて無理やりキスをすると、びくりと身体が跳ねて、俺を押し離そうと懸命に両手が抵抗してきた。だけど結局ウェイト差ってのはこういう時に純粋な暴力になるもんで。

息が苦しいのか一瞬だけ緩んだ口元に舌を捩じ込んだら身体は可愛らしい反応を返してきた。暴れてたくしあがったワンピースの裾から覗く太ももに、するりと手を這わせると、うっすら力が抜けかけてた手にまた力が戻る。

 

そっと口を離すと色っぽい吐息がこぼれ落ちて、完全に勃っちまった。

鍛え続けて引き締まっているのに、それでもどうしようもなくどこかやらかい身体。この一年でようく知ったイイところをまさぐりながら、拭えない違和感を耳もとで問いかける。

 

「……なあ、本気で抵抗しようってんなら、マジで出来るヤツだと、思って、るんだけどよ」

 

股間を蹴るなり目潰しするなり喉をつくなり舌を噛むなり、必要だと思えば容赦なくしてくるヤツだと。だけどそれをしないってことは許されてるんじゃないかと勘違いしそうになる。いやまぁ抵抗出来ないよう力を上手く誘導してるところはあるんだが、それにしても覚悟してたより抵抗が薄いというか。

すると嗚咽を殺し、涙をこらえて、戦慄く声を必死に抑えるように、言葉が紡がれる。

 

「……そんな言い方、ずるい」

 

ズルい。か細い声で突きつけられたその言葉がぞくりと腰を這い回り、余計嗜虐心を煽られた気分になっちまう。口ん中に溜まる唾液を飲み下して、肩の上あたりに両手をつきすこし体を離してセリを見下ろすと、暗闇に慣れた視界がセリの目の端に浮かぶ涙を捉えた。

そうして、ついた俺の手首へ目元を隠すよう顔を寄せて、そっと指を絡ませてくる。無防備な首筋が露わになり思わず喉が鳴った。

 

「おねがいだから、せめて、無理矢理にしておいて」

 

頼むからこれを合意と見做すなと、そう懇願される。

だけどそれはつまり、お前の心のどこかにまだオレがいるってことなんじゃないか、なんて誰かが囁いてきた。俺がそうと認識しなければ、恋人同士が肌を重ねることと何ら変わりない行為になると言ったも同然で。

 

────もう、それが、どんな肯定よりも全てを物語っていた。

 

手をついたまま、静かに深く呼吸する。昂ってた感情を抑え込んで頬に指を滑らせると僅かに拒絶の気配。だけどそれを見なかったフリをして、震える小さな身体を出来る限り丁寧に抱き寄せる。俺がこんなことしても逆効果かも知れねえと思いながらそれでも力を緩めず、頭を撫でたりしていたら、躊躇いがちに背中に手が回ってきた。

こぼれる嗚咽がどれだけ怖い思いをさせたのか頭を殴ってくる。だけどそんなもん、こいつが得ちまったもんに比べたら可愛いもんだ。それだけのことをしてる。その自覚はなきゃならねえ。こいつにとって俺は居るだけで暴力だから。

どれくらいそうしてたかわかんねえけど、背中に回されてた手が小さく俺の服を握ってきた。何を言われてもいいように心構えをしつつ頭を撫でる手を少し弾ませて、言葉を促す。

 

「いま、きみに抱かれるのは、いや」

「ああ」

「……少し前にあったこと思い出すから、無理矢理なのは、本当はやめてほしい」

「……悪かった」

 

少し前。詳しくはわからねえけど、たぶんセリが傷を負う原因となった事態の際、組み敷かれそうになったってことなんだろう。まさかそんなことをしでかそうとするヤツがあの学院にいるなんて思いもしなかった。精々、単なる暴力だけだろうと。だけど想像が甘かった。

ヴィータが話していた例の境界侵犯の性質があるせいか、俺が考えられる以上にセリはいろんなもんに傷付けられてここにいる。それでもなお、お前は綺麗で。……だからその傷を上書きしたいと欲望っちまったのは、否めないんだが、それでも。

 

ある種軽蔑されたかったってのに身体が許されてると理解しちまったら、汚すのを躊躇うなんてどうかしてやがる。それでも最後の一線だけは踏みにじれなかった。

そんな浅ましい自分を嘲笑いながら、抱き締めあって寝転び、そのまま眠りへと。

 

明日の朝も、きっとお前がそばにいる。

そんな奇跡のようなことを俺のような人間が手に入れちまってもいいんだろうか。なあ。



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34 - 11/21 ここから、また

【33話 あらすじ】
疲れを指摘され眠る自分に寄り添っていたセリを、消えない傷をつけたいと組み敷いたクロウはしかし相手の薄い抵抗に疑問をいだいた。問うて返ってきた答えに『未だ自分を想う部分がある』と理解してしまい、最後の一線を踏み越えることが出来ず、共に眠る選択をする。
また朝日が昇ろうとも自分の腕の中に愛しい体温がいるというのは、あまりにも奇跡のようだとわらいながら。


1204/11/21(日) 昼過ぎ

 

「セリ様、《S》様がいらっしゃいましたが如何致しますか?」

 

ヒエリアさんとお茶をするにしても彼女の仕事があるため四六時中そうする訳にはもちろんいかず、どうしても暇を持て余してしまっていたところにそんな言葉がもたらされた。さすがに一瞬考えはしたけれど、お通ししてください、という選択をとってしまった自分は寂しがり屋なのかもしれない。

だけど学院じゃこんなことはなかったし、人は他者から交流を制限される生き物じゃないんだと思う。たぶんそう。だから仕方ない。

 

「こんにちは。暇してそうだから来ちゃったわ」

 

そんな風に私の状態をお見通ししたスカーレットさんは、小脇に抱えられそうなサイズの化粧箱を持ったまま笑って対面のソファに座った。

 

「……私が聞くのも何ですが、お仕事の方は大丈夫なんですか?」

「他の傭兵も動いてるもの。それに機甲兵の練度も上がってきたのもあってね」

 

機甲兵。おそらくあのクロチルダさんが見せてくれたラジオ映像で帝都の守護部隊を蹂躙し、そしてトリスタの東西街道に現れた機体のことだ。騎士人形を模して造られたのだろうというのは揃って見たから何となくピンときた。

 

「あ、機甲兵っていうのは」

「見たことあります。トリスタの東街道で」

「あら、貴方もあそこにいたのね」

 

ということは蒼い騎士人形の後ろにいた二機のうちどちらかに乗っていたんだ。まさかこんなところで顔を合わせるなんてお互い思っていなかったろうけれど。

 

「手酷く裏切られた現場に、ですけど」

「……ああ、そういえば灰の騎神のボウヤが『セリ先輩』って叫んでたものね」

 

灰の騎神。おそらくリィンくんが操縦していた機体のこと。もうあれから三週間経過しているけれどトワとジョルジュは、VII組は、どうしているだろう。トリスタは離れてから十日ほどだし、自治権が貴族生徒……おそらく一番位の高いパトリックくんに渡っているだろうからそこまでおかしなことにはならないと信じているし、彼の傍にはセレスタンさんもいる。学院長たちももう少し待遇が良くなっているといいけれど。

 

「そう、それで今日は目的があって訪ねたのよ」

 

ソファの間にあるローテーブルの上に先ほど持っていた化粧箱が置かれ、チャックを開いて中身が取り出される。色とりどりの綺麗な小瓶。数週間前まではそれなりに身近だった品だ。

 

「前に見た時にちょっと気になっちゃって」

 

丁寧に整えていた部位ではあったけれど、これだけ時間が経過したらもう随分と荒れてしまっているのは否めない。一応爪切りなどは持ってきてもらっていたけれどその程度だ。やすりがけをすることも保護ネイルを塗ることも出来ていなかった。

 

「たぶん爪を綺麗にしてる子なんだろうなって思ったから」

「そう、ですね。剣を振るったりナイフを投げるなら指先は保護しておけって教わって」

「なるほどね」

 

うんうん、と頷きながらスカーレットさんが私の横に座り直してくる。おや。

 

「でも今日はそういう実用的なものじゃなくて単にお洒落のために塗るのもいいんじゃない? 色もたくさん揃えてあるから似合いそうなの選びましょ」

 

するりと私の手を取ってきたスカーレットさんの指先は綺麗な紅に彩られていて、長い指をより一層魅力的に仕上げているのがわかった。

 

「まぁまずは簡単にやすりがけしちゃいましょうか。貴方はどれがいいか選んでね」

 

膝掛けを広げて当たり前のように手を取られ鑢が指先を掠める。どうもネイルをする人は世話焼きな人が多いのかも知れないとぼんやり思考する。アンがやってくれた時も結構甲斐甲斐しかったというか何というか。

とりあえず、言われた通り机に並べられた小瓶を眺めることにしよう。スカーレットさんに似合う色の系統から暖色系が多いけれど、たまに寒色も混ざっているので本当にラインナップが幅広い。前に私が貰ったパール質感のものもあったりして、丁寧に指先で遊んでいるんだろうなぁ、なんて。これだけあるとどれにしようか迷うのも楽しみの一つだったりするのかも。

 

「どれがいいか選べた?」

「あっ、いえ、正直どれがいいのやらと。ずっと透明なものばかりだったので」

「もったいないわねえ」

 

ここずっと構えていなかった指先が、綺麗に整っていく。何だかそれだけで大切にされているような気分になってしまい、彼女と自分の立場を考えると少し精神が摩耗する音がした。

 

「うん、これでどうかしら」

「あ、ありがとうございます」

 

だけど単にやすりがけをされただけなのに、それだけでもちょっと気分が上がる。どこの鑢使ってるんだろう。あとで聞いてみようかな。

 

「それじゃお湯を汲んでくるから、細かいのを拭ったらこれ塗り込みましょ」

 

私が足に鎖をつけられているからかスカーレットさんは有無を言う前にさっと立ち上がって浴室の方へ行ってしまう。一応お客様にそういう場所に立ち入らせるのはどうかなと思ったけれど、まぁ見られて困るものは置いていなかったと思うので気にしないでおこう。

渡されたクリーム瓶はたぶん無香料のもので、蓋を開いても香りは気にならなかった。

 

 

 

 

そんなこんなでネイルを塗る段階になって、結局似合いそうだと言われた落ち着いた橙のものを塗ることになった。色付きのネイルは剥がれた時ちょっとかなしいけれど、塗ったことのない色を塗るのは楽しみかもと心が弾んでしまう。

速乾のベースを塗ってもらい、お話をしながら乾くのを待って本命を。じっとその動作を見ながら何か思い出しそうだな、と首を傾げたところで、あっ、と思い当たることを引き出してしまった。

 

「……スカーレットさんって、誰かにネイルの塗り方を教えたことってありますか?」

 

誰かとはつまり誰かさんなのだけれど、私のその意図は過不足なく汲み取られたようで、リーダーに教えたことがあるわね、と返される。やっぱり。近所のお姉さんじゃないじゃないか。いや仕方ない話ではあるのだろうけれど。

 

「……もしかして《C》から何か聞いたことがあるのかしら」

「ええと、はい。昔塗ってもらった時にちょっとだけ」

「一応言っておくとあたしと《C》の間には何にも一欠片もそういう要素はないから」

「それはさすがに分かってます。大丈夫ですよ」

 

いろいろ嘘ばかりだけれど、その辺りの恋愛遍歴に関して虚偽申告をする理由はない、と、思う。たぶん。おそらく。見栄を張るなら真反対のベクトルだろうし。……いやでもちょっとなんか慣れてるような気配もあったりするけど、そうだったとしても本当にスカーレットさんじゃないとは、うん。あまり考えないようにしよう。

 

……今でも好きだって、認めて、だけど関係性はいまだに宙ぶらりんだ。手を握られて、弱ってるところを見て、すこしだけ優しくしたくなってしまって。組み敷かれたのだって、身体は思っていた以上に素直に反応するものだから驚いた。それでもあんな状態で抱かれたくはなかった。向こうからの感情はフェイクだって言われていたのに、まるであんな、私のことが好きみたいなことをされても困ってしまう。

性欲処理だとしたらあそこで止める意味はないし、そもそも立場的にはそれこそプロの方を呼ぶことだって出来る筈で。だからこそわからなくなる。

 

「うん、やっぱりこれ似合うわね」

 

片手が塗り終わり、すこし掲げてみる。見慣れない色だけれどかわいい。気がする。そうして残った方にも塗られて、トップコートまで手厚く処理されて、久々に私の指先は色を得た。

 

 

 

 

1204/11/22(月)

 

朝、起きてみると部屋の中心にあるローテーブルには花が一輪飾られていた。最近起床の支度をヒエリアさんがしてくれているから、彼女が用意してくれたのだろうか。それにしては突拍子もないけれど。

 

「おはようございます、セリ様」

 

タオルなどを補充してくれていたらしいヒエリアさんが浴室の方から現れ、おはようございます、と私も挨拶をする。

 

「あの、そこの花って」

「蒼の騎士様からです。今日はどうしてもこちらを飾ってくれと仰られて」

「……そう、ですか」

 

それから何事もなく身支度を済ませ、朝食の準備のためにヒエリアさんが出ていき一人になった部屋でソファに座り花を眺める。丁寧に棘を落とされた、赤いグランローズを。

 

 

 

 

本日もつつがなく終わってしまい、あとは眠りに落ちるだけというところで部屋の主が帰ってきた。もうシーツも被ってしまっているし、ベッドの端には寄っているから狸寝入りを決め込んでもいいだろうか、なんて考えながら部屋の中心側へ寝返りを打ったところで、その姿が目に入る。

月明かりが欲しかったのかカーテンを開けて、ほの明るい部屋の中、ソファに座ってウイスキー瓶らしきものをグラスに傾けるそれは、やっぱり私の知らない人だと思ってしまった。

だけど机に飾られた赤い薔薇を愛おしそうに眺めているのが見えてしまい、嗚呼、今日、今だけだと思わず体を起こして、

 

「────クロウ」

 

そう、名前を呼んだ。

 

「ん?」

 

すると君は何でもないことのように私の呼びかけに応えてこちらを見る。それだけのことに何だかとても泣きたいような気分になってしまった。ねえ、どうして。

 

「……なんで、返事、するかなぁ」

「お前が呼んだんだろ」

 

呼んだ。呼びはした。だけどそれは私の知る君の名前であって、私の知らない貴方の名前じゃない。スカーレットさんが《S》と呼ばれているから、もしかしたら偽名ではないのかもしれないけれど、それでも私は君のことを何と呼べばいいのか全くわからない。

私が知っている君は、ただの"クロウ・アームブラスト"という学院生でしかないのだから。学院生であることをフェイクだと言い切った相手に、否定をされる可能性がある名前で問いかけるのは分が悪い。

 

「ああ、もしかして偽名だと思ってたか?」

 

テロリストが偽証のために潜入してたって言うならそう考えて然るべきだと思うけれど、違う。そうじゃない。そういうことじゃない。

 

「……だって、学院生クロウ・アームブラストはフェイクなんだよね。それ以外の名前は、立場は、知らないから呼びようがない。たとえそれが、本名であったとしても」

 

《C》だとも、蒼の騎士だとも、呼びたくなかった。だって私まで君の存在をそう規定してしまったら、私の中の君を殺してしまいそうだと、怖くて、恐ろしくて。この艦に居る限り、私だけがその存在を補強できる。だけど裏腹に、クロウと呼ぶ気概もなかった。

 

「本名だな。クロウ・アームブラストの学院生としての側面は全部フェイクって話だ」

「……危ない話をあえて渡ってたってこと?」

 

私の問いかけに、相手は苦笑するだけでその口を開こうとはしなかった。ああ、これは答えてはもらえないやつだ。それがやっぱり悲しくて、ぎゅ、と思わず口を噤む。拒絶されるのは苦しい。それでも、今日、グランローズを私に贈るなら、あんな風に花を愛でるなら、その真意を私は問うべきだと思った。

 

「話をしたい。私は、君のことを知らなすぎる」

 

そう告げると、相手は氷とお酒が入ったグラスに口をつけて笑った。

 

「……そんじゃ、ここからまた始めるとすっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、通商会議の時、君はトワがあそこにいるのを知った上で計画を実行したんだよね」

 

そっと、静かに、視線を逸らすことを許さないかのように真っ直ぐと俺を見て問いかけてくる。ガレリア要塞を襲撃し、列車砲を起動させようとした時の話だ。

俺はソファで、セリはベッドの上のまま、話をするというには離れすぎてる気もするがたぶんこれが今の俺たちの距離感なんだとも思った。

 

「ああ、そうだ」

 

確率としては、おそらく阻止される方が高いとは睨んでいた。それでも、殺してしまうことももちろん折り込んで、鉄血の野郎を殺せたら万々歳だと計画を実行した。天秤にかけてあいつの命を粗末に扱ったことは間違いない。

 

「うん、わかった」

「幻滅したかよ」

 

肩を竦めながら軽口を叩くと、「下らない問いかけをしないで」なんてぴしゃりと静かに嗜められる。ああ、そう、お前のそういうところだよ。絶対に流されてくれねえ。

セリは一つ溜息をついてから、両手を握る。身じろぎした時にしゃらりと鎖が微かに鳴った。

 

「あのね、ハッキリ言っておくと、私はことここに至っても君を軽蔑し切れていないんだ。……君の本名が真実、クロウ・アームブラストであるというのなら、私が好きになった側面を内包していると、そう、信じたい。たぶんきっとこれは愚かな選択なんだと思う」

 

俺に好意を寄せ続けることをお前は愚かだと断じながら、それでも自分の感情を吐露していく。自分が持つものを無視出来ない、否定出来ない、ただひたすらに己の状態を見据えて受け止める。それは誰もが出来ることじゃないと思った。何に対しても誠実で在り続けようという精神の賜物だ。

 

「嫌えたら、軽蔑出来たらどんなに楽だったか」

 

自嘲するように落とされた言葉。「そうだな」と思わず同意を口にする。本当に、そうであってくれたならお互いいろんなことがすっきりとしてた筈だ。たとえ苦しむとしても。

 

「大勢の人が死ぬきっかけを作り、そして何よりトワが死んでも構わないとした君を許すことはきっと出来ない。────でも、君がフェイクだと言い切った"クロウ・アームブラスト"を、私は確かに愛しているんだよ」

 

発されたのは、現在進行の形。

 

「こうして君とまた話せることをどこか嬉しく思ってしまう自分がいるのも確か。浅ましいかもしれない、トワへの裏切りかもしれない。だけど、自分の感情に嘘はつけない」

 

自分の胸に手を置いてお前はきっぱりと言い切った。その感情を認めるのだってきっと辛かったろうに、それでもなかったことにしないところが本当に"らしい"と思わず笑っちまった。

 

「まぁ99%は不服なんだけどね?」

「……でもその1%のところで俺に情があるってことだろ」

 

突っ込んでみれば、「そうだね」と何の躊躇いも含みもなく静かに微笑まれる。窓から離れてる寝台の上だから月の光もうっすらとしかなくて、その儚げなところに少しどきっとした。

その感情を隠すように酒を口に運ぶ。じりじりと喉がやける感覚が落ちていって、美味い酒だってのにこんな飲み方は失礼な気もした。

 

「ただ、君におなじように愛して欲しいなんて思わない。フェイクだったんだもんね。無理させててごめん」

 

自分と俺の感情の釣り合いは取れるものじゃないと言う。一方的なもんだって。どうしてンな結論になるのかなんて愚問だろう。

 

「……でも、フェイクだって言うなら、最後までそう振る舞って欲しいよ。なんで、こんな、まるで……私が死ぬのを恐れているみたいな」

 

それはかなり的を射てる発言だった。

貴族連合軍と政府正規軍が争う中で、そのとばっちりで壊滅した村を見てきた。トリスタもその戦火に巻かれる可能性がある。その中にお前がいるって知っちまって、どうしてもその命を掬い上げたかった。そんでもって考え得る限り俺の傍が一番安全だと思ったんだ。

 

「その通りだ。お前には死んで欲しくない」

「────っ」

 

俺の言葉は逆鱗に触れたらしく、セリは傍らにあった枕を引っ掴んで投げてきた。滅多にねえことだとは思いつつ顔面に物をぶつけられる趣味はねえから受け止めて、隣に置く。

 

「なんで、そんなこと」

 

戦慄く声で問いかけられて、「何でだろうな」と答えながら足を投げ出し、ずるりとソファから落ちるか落ちないかっていうギリギリのところまで浅く座る。

 

「俺だってわかんねえよ。お前には生きてて欲しいし、それなら俺の傍にいさせるのが一番だし、だからって俺の考えに賛同するお前は俺が好いたお前じゃねえからどうしようもねえ。……そう判断して、フェイクだって、自分に言い聞かせたんだ」

 

それにお前たちが俺に騙された純然たる被害者の扱いであって欲しいって願いもあった。ただ利用されたお人好しの集団。帝国解放戦線とは一切関係のない一般人。戦後何があっても、たとえこの内戦の果てが失敗だったとしても協力者として断罪されないよう。その程度が俺に出来る最後のことだった。

 

「だけどトリスタにお前がまだいるって知って、居ても立っても居られなくなって、あとは知っての通りだ。お前の全部が欲しくなっちまった。身体も心も、傷跡さえも」

 

まぁ、心は俺に寄せられるワケもねえと思ってたから手に入るとはこれっぽっちも思っちゃいなかったんだが。だからお前にとって最低最悪な男でいることで、残りたかった。結局日和って無理矢理抱くことすら出来なかったんだが。

 

「趣味が悪い」

「だけどそういう"分かり易い理由"があれば、お前が俺を拒むのも仕方ねえって思えるだろ」

「……?」

 

訝しげな表情に、ピリ、と空気が軋む。きっとこれもお前の逆鱗に触れることだけど、俺は臆病もんだからそんな手段を取っちまった。

 

「宰相殺しをしたのは俺の本質だ。それで嫌われてると思うよか、俺にわかりやすい落ち度を作ったならお前に嫌われるのも仕方ねえって諦められる。……誰でも自分が否定されんのはこわいだろ」

 

鉄血の野郎を殺すのは悲願だった。あの街を出てからずっとそれだけを抱いて生きてたんだ。仮にそれがぶった斬られたなら、今までの半生をもぐちゃぐちゃに踏み躙られたって感じるかもしれねえ。それをお前にされるのは、避けられなくても真正面から受け止めんのはキツいだろうなって。

 

「……話を統合すると、君は私に『奥底にある本当の自分』を否定されたくないって結論になりかねないのだけれど」

「まぁ、そだな。この間のあれをやり切った状態でお前が俺を拒否しても、その拒否の内容を"そう"だと思い込んでいられるって話だわ」

 

カバーとしての過ち。認識のすり替え。そうでもしないと保っていられないと判断して、自己防衛のためにお前を傷つけようとした。愚かな野郎の選択だ。

 

「それは、どうしようもないほど我儘だよ……」

「テロリストなんて強欲なもんだぜ」

 

グラスに残ってた酒を呷り、テーブルに置いたところで立ち上がる。

それに怯えたのか少し身体を震わせたのが見えたが、やっぱりそれも見なかったフリをして近づいて行った。緊張する相手を見下ろして、どさり、とその足元に座ってベッドのヘリに頭と肩を預ける。

 

「……フェイクだって言い切って、それで終われると思ってた。自分の感情にケリがつけられるって。だってのにお前がまだ学院にいるって知った瞬間にこの有り様だ。自分の弱点を晒すようにこんな場所まで連れてきちまって」

 

寝台の縁に軽く置かれていた手の指先に少し自分のそれをじゃれつかせて、綺麗に整えられた爪に気が付いた。こんなんやるってことはスカーレットだかヴィータだかが来たな。オレンジってことはスカーレットの方か。

 

「ねえ、違ったら遠慮なく笑い飛ばして欲しいんだけど、もしかして」

 

震える声でセリが喋り始める。指先にじゃれつくのをやめて言葉の先を待ってると、暗い部屋の中といえど確かに視線がかち合った気がした。

 

「……君は、私のことが好きだったりするの?」

 

落とされた言葉に、思わずくしゃりと笑う。まさかそんなダイレクトに突っ込まれるとは思わねえだろ。だけど、ああ、何も間違っちゃない。

 

「そうだ。俺は、ずっとお前が好きなまんまなんだ。……情けねえことにな」

 

告げると、何かが零れ落ちるのが見えた。涙。俺が手酷く裏切った時でさえ泣き崩れたりしなかったこいつが、静かに泣いている。ぎゅっとシーツを掴んで、泣き声を堪えるように。

 

「フェイクじゃ、なかったんだ……」

 

絞り出された一言に心臓が痛む。

俺がセリの心に自分の居場所はないと決めつけたように、セリも俺の言葉を真正面から受け止めて真実だとしてくれていた。

 

「口に出したら真実そうなる予定だったんだけどな。というか、そうするべきなんだ、本来」

 

そのすれ違いは、人生の最後まで解けるもんじゃなかった。誰にも理解されず、誰にも気取られず、そうして死ぬ予定だったってのに。気が向いたのかお節介な深淵の魔女にお膳立てされちまって。

 

「そうだとしても、嬉しいよ。私も、君のことを好きでいていいのかもって」

「……いいのか?」

 

こんな情けねえ中身をぶちまけて、それでもなお好いてくれるって言うのか。

くす、と笑った気配と共にまた頭が撫でられる。さらさらと髪の毛ですこし遊ぶような指が気持ちよくて、何だか泣きそうになっちまう。

 

「割りきれないままでも取り敢えずいいかなって。全肯定するだけが傍にいられる条件ではないわけだし。トワのこととかいろいろあるけど、それでも、私は────クロウが好き」

 

また、名前が呼ばれて、その響きがじわりと耳を通って頭に浸透していく。

 

「ねえ、今日は一緒に寝てくれる?」

「……おう、任せとけ」

 

返しながら膝立ちになってセリの手を引けば、泣き笑いながらもキスに応えてくれた。

絡めた舌が、あつい。

 

 

 

 

シャワーを浴びて、寝巻きに着替えて、投げられた枕は元の位置に収まって、セリが寝転んでいたベッドの上に俺もお邪魔する。そうしたら、そっと胸元に頭を預けられたもんだから、抱えるようにして抱き締めた。

 

「愛されてんなぁ」

 

こんな風にまた戻れるなんて期待すらしてなかったってのに。するとセリは、ふふ、と笑う。

 

「そう、愛してる。嫌えたらお互い辛くてもきっと楽なのにね」

 

そうであれたら、とお前は涙なくともまた泣いている。俺と世界の間で。そうして、それが酷い疵になればいいって思っちまうんだから、ああ、本当にお前は見る目がない。

それでも手放してやれるところなんてとっくに過ぎてんだ。



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35 - 11/23 過去話

1204/11/23(火) 夜

 

ここずっとクロウは出ずっぱりだったため暫くは待機という名の休養日を貰ったようで、数日は一緒に居られるぜ、と言っていた。その宣言通り、まるでこれまでの穴を埋めるかのように抱きしめられて一日が終わった。

シャワーはさすがに一人で浴びさせてもらったけれど、ベッドに入ろうとしたら当たり前のように腕を広げられたので、抵抗もせずその胸にいざなわれて今に至る。

乾かした髪の毛をさらさらとくしけづるように撫でられて、とくとくする心臓の音を聞きながら心が微睡んでいく。クロウは私があたたかいと言うけれど、クロウといるからあたたかいのではなかろうかと、なんて。

 

「なあ」

 

静かな声が落ちてきて、うん?、とちょっと眠たげな返事してしまった。それがクロウのツボだったのか笑い声と振動が伝わってきて、ごくごく軽い頭突きをお見舞いしたらあやすように背中も撫でられる。……あ、でも心臓の音が少し速い。何かあったかな。

 

「どうしようもない男の昔話、聴いてくれるか?」

 

気になって顔を上げたところで、思いがけない言葉。カーテンはきっちり閉めて、灯りもなく、隙間から入ってくる街灯なんてものはないから本当に深い暗闇の中、それでも視線があったと思った。紅耀石よりも少し暗くて深いあの紅色と。

 

「うん、聞かせてくれるなら、喜んで」

 

────いつか、クロウが私に自分のことをもっと話してくれる日が来たら、その時はどうか見守っていてください。

かつて女神さまにそうお祈りをしたことを思い出す。きっとそれが、今夜なのだと。

 

 

 

 

「前にオルディス出身だって言ったろ。あれがそもそも嘘なんだわ」

「随分と大胆な嘘だねえ」

「ま、オルディーネのこともあるし縁深かった街なのは確かだけどよ」

 

オルディーネ。単語の雰囲気からして海都オルディス繋がりの何かだろうか。……例えば、あの蒼い騎士人形とか。だけど話の腰は折るまいと一旦疑問は保留する。なんてことない声音を装ってはいるけれど、心臓の速さからしてきっといっぱいいっぱいなのだろうから。

 

「俺の本当の出身地は、ジュライ市国だ」

 

その一言で、どうしてあれほどまでにオズボーン宰相を憎むのか理解した。理解せざるを得なかった。そして私は、あのガレリア要塞でジュライの話を、クロウとしたじゃないか。

帝国内で一般人が閲覧出来るレベルの情報にはジュライ市国の内情を記したものは一切なかった。それその現状がジュライの帰属は政治的な侵略の上で行われたのだと私は判断していたのに、まさかその当事者と話していただなんて思いもしなかった。

もっと私に権限があればあの時点で本当の君を掴まえて、嘘をつかせずにいられたのだろうか。意味のない後悔がよぎる。いや、私が気がついたと察知したらその段階で姿を消していただろうけれど、それでもそんな"もしも"を考えずにはいられない。

 

「……おれはさ、市長の孫で、両親ともに早逝だったから祖父さんに育ててもらってた。それなりに友人もいて、楽しい日々を送ってたんだ」

 

ぽつりぽつりと、つっかえながらもクロウは昔のことを語り始めてくれた。

クロウのお祖父さん、アームブラスト市長は明るく楽しい方でありつつも確かな政治手腕を持っており、市民の方から厚い信頼を得ていた。ノーザンブリアが塩の杭の異変で倒れかかった時も、交易が縮小して衰退が見え始めたとしてもその手を離さなかった。レミフェリアとも協力し、共に生きる道を探っていたと。

もう、それだけでクロウがお祖父さんのことをどれだけ好きだったのか、慕っていたのか、大切だったのか、痛いほどに伝わってきた。語る言葉の端々に愛しさがあふれている。

 

「だけど十年前、帝国政府が鉄路を繋がないかと提案してきた。北方貿易は弱まっていたもんだから、渡りに船に見えたんだろうな。市議会は慎重派であった祖父さんを置き去りにして鉄路延伸を可決した」

 

それは、延命にはなるだろうとは思った。けれど大国と密に繋がると言うことはその国のあらゆるものが流れ込みやすくなるのと同義になる。人間も、商会も、裏社会も、何もかも。北方内で回していたジュライの経済は滅茶苦茶になったというのは容易に想像がつく。

病人に回復を促すなら病状に合わせて重湯から始めたりしなければならないのと同じで、経済もゆるやかに外貨が混ざっていくならともかく、急激な変化は一時は良くても長期的に見れば身を滅ぼすのと同じだ。

 

「市議会が望んだ通り、一年でかなり景気は持ち直してな、ミラ儲けでどこもかしこも沸いてやがった。────鬱陶しいくらいに」

 

国中が浮き足立つ中でアームブラスト市長はなんとか取り込まれきれないよう策を巡らしていたけれど、ある日、その要である鉄道が何者かに爆破されたのだ、と。

 

「復旧を急ぐ声の中、しかし被害国であるはずの帝国は"待った"をかけた。『ジュライはあまりにも安全保障体制が脆弱であることが判明したためこのままでは不安だ』って建前を押し付けてな。笑えるだろ。あの頃からあいつ手の内変わってねえぞ」

 

それは八月にあった西ゼムリア通商会議の内容のことを指しているのだと直ぐにわかった。あれも確かに、『クロスベルが国際会議という重要な場を守りきれなかった、だから治安維持の脆弱性は疑うべくもなく、宗主国が介入するのもやむなし』という論調で決着をつけようとしていたじゃないか。

 

「それでも、今じゃそんな使い古された手でも、ジュライにとっちゃ大打撃だった。帝国が手を引くだなんて今更考えられねえ、って。つまりそういう仕込みをしてたんだな。帝国にずぶずぶにしておいてその松葉杖をいきなり外す。上手くやられたもんだ」

「……それは、つまり、鉄路復旧と警備を交換条件に、国を……?」

「ああ」

 

そう言葉を落とす時、ぎゅっと肩を寄せられて、クロウにとって本当に辛いことなのだとその背中に腕を回した。落ち着くように、ゆっくりでいいと伝えるように。

静かに呼吸を整えるクロウは、強ばらせていた身体を徐々に解き、場違いに笑った。

 

「その上で、祖父さんに、鉄道爆破事件の容疑がかけられたんだ。あんなに、誰よりも国のことを考えて、愛し、奔走し、ずっと人生を捧げてきたってのに」

 

帝国資本は麻薬のように甘美で、逆らい難くて、だけどその蜜は手が届かないところまで引き上げられてしまった。そこに、元々鉄路延伸反対派だった市長という名のスケープゴートに適した人材がいたら、なるほど、生贄として祭り上げられるというのはあまりにも合理的すぎる。吐いてしまいそうになるほどに。

 

「市議会から責められ、市民からは詰られ、祖父さんは市長を辞めざるを得なくなった。そうして辞表の同日、ジュライは市国としての幕を降ろした。呆気ないもんだったぜ」

「……鉄道爆破の犯人は、捕まったの?」

「いんや。どころか祖父さんにかけられた嫌疑ごと有耶無耶になってな、投獄されることはなかったが、名誉が回復することもなく、半年くらいでぱたっと逝っちまった」

 

それは、どれほど悔しかったろう。悲しかったろう。辛かったろう。

帝国が大国だから享受できた安寧の中でのうのうと暮らしてきた私には、一生かかってもわからない感情かもしれない。そんな犠牲の中で豊かさを保っていた国で、安穏と暮らしていた私に何を言われても届くものはないかもしれない。だけど、それでも。

ごそりとクロウの腕の中から上側に抜け出し、枕に半分乗り上げるような体勢で半ば無理やりその頭を胸に抱き寄せた。

 

「苦しかった、よね」

 

これは徹頭徹尾私のエゴだけれど、大切な人がぐちゃぐちゃにされて、ジュライという故郷を捨てて反政府組織を結成したクロウのことを、きっと誰も抱きしめられなかったのだと思う。打倒鉄血宰相を掲げ、どう推測しても十代にして年上の幹部を率いて組織のリーダー足る男。その人は、一体いつ誰に弱みを見せられただろうか。

 

だから、抱きしめられるのではなく、抱きしめたかった。

帝国解放戦線の首魁ではなく、蒼の騎士でもなく、ただのクロウ・アームブラスト個人を。

 

「────ああ」

 

震える声と共にぎゅっと顔が押し付けられ、腰に腕がまわり、すこし荒くなる呼吸。十年分の涙とまではいかなくても、クロウのやわらかい場所ふれた上で、少しでも優しくできていたらいいと、そう。

 

 

 

 

「……お前の話も聴きてえな」

 

さらりさらりと頭を撫でると同時に手で髪の毛を梳いていたら、ぽつりとクロウがそんな言葉をこぼした。胸元で文章を話されるとすこしこそばゆい。

 

「それこそ帝国ならどこにでもあるような話だよ」

「だとしても、お前の人生はひとつっきりだろ」

 

……相手の中心にクリティカルな言葉を選べるというのは、稀有な才能じゃなかろうか。ああ、もしかしたらこういう風に人たらしをして人を集めていたのかもしれない。それはアンとはまた別のベクトルで、だけど確かにカリスマと呼ばれるものなんだろう。

 

「私の両親が亡くなっているのはもう知ってるよね」

「あぁ」

 

ARCUSの適性に関するレポートでいつもの面子は全員お互いに家族構成をうっすらと知ることになった。クロウは出生地は別だと言っていたけれど結局のところご両親が亡くなっていることに変わりはなかったし。

 

「二人が亡くなったのは帝都での導力車による事故で、事故を起こしたのは貴族だったんだよね。巻き込まれつつも守られた私は幼かったから、名前を教えてはもらえなかったけど」

 

今度帰省した時、復讐云々ではなく、叔母さんと叔父さんに訊いてみようか。今の私なら受け止められる気がするから。友人や後輩や教官に恵まれて、肉体的にも精神的にも強くなれたと思う。きっと二人も教えてくれるんじゃないかな、なんて。

もしかしたら人生でいつか交わってしまう可能性もあるし、それなら知らないより最初から知っていた方がいい。そうであれば、心を殺すことだって自分で選べる。整理の時間だって取れるだろう。

 

「で、まぁ見当はついてると思うけど、なかったことにされた話だった。今でこそ多少緩和したとはいえ、帝国は圧倒的な身分制度が根付いているから貴族というのは絶対なもので、仕方ないんだけれど。でも私にとってそれは決してなかったことにはならない。世界が崩れて、それなのにどうしてか世界は当たり前のように回り続けている」

 

それがずっと、今でも納得出来ていない。理解はしている。だけど、腑に落ちているわけじゃないんだ。燻り続けている炎はいつか私を燃やすのかもしれない。それでも私は私を信じてくれた人たちに顔向けできないようなことはしないと女神さまに誓えるから、本当、いろんな人に生かされている。

 

「あぁ、それでか」

 

合点がいったようにクロウが言葉を発するものだから軽い疑問符を出してしまった。

 

「いや、新聞部だったのは"なかったことにさせない"ためなのかって、いま思ったんだが」

「ああ、うん、そうだね。猟兵襲撃騒ぎの時も私の名前で記事を出すことは止められて、だけど帝国時報に提供することを勧められて是としたし」

 

自分の名前が残る残らないじゃない、ただあったことをなかったことにさせない、それだけが私にとっての原動力だった。記者としては落第だろう。それに、記事に起こされたからって"あった"とは限らないなんてことも重々承知している。それでも声を上げなければ誰にも気付かれないんだ。特に平民は。

だから帝国時報にお誘い頂いているというのは日照りに雨なんだと思う。たとえそれが荒事のためだったとしても、勤めていればチャンスにはいくらでも巡り会える。着実にキャリアを積み上げていけばいつか、帝国という概念を解体する日も訪れるかもしれない。

 

「こんな話、お前と出来る日が来るなんて思っちゃいなかった」

「あは、クロウからしたら本当にそうだろうね」

 

自分の正体を明かすまでは嘘をつき続けるしかなくて、正体を明かした後はお互いの心のうちを晒せる距離にいるわけがないとそう確信していたろう。自分だけが一方的に知っているという重さをずっと抱えて。

私がもっと聡ければ、この人にこんな重さを背負わせ続けることもなかったんだろうか。……いや、帝国きってのエリート集団である鉄道憲兵隊や情報局のエージェントでさえ気付けなかったものを私が察知出来たなら、なんてのは烏滸がましい。そんなことは出来なかった。たらればに意味はない。

ただ今ここに、私の胸に、クロウがいてくれている。それは真実だ。

 

「ねえ、クロウ」

「ん?」

「今すごくキスしたい」

 

抱えた頭の髪の毛を指先で遊びながら告げると、一瞬だけ止まったクロウによってずりずりと体が下へ引きずられる。暗闇の中で両手で顔を探り当て、唇に片手の親指が当たる。それをガイドにして自分のを押し当てて、唇を食むように啄んで、舌を差し出したら、ぬるりと絡め取られた。おなじ部位なのに、大きさも分厚さも全然違う。

腰は抱きとめられ、足は絡められ、身動きの出来ない状態でただただ気持ち良さだけが降ってくる。服越しに感じる手のひらのあたたかさでさえ今の私にはゆるやかな刺激だ。

 

「……いいか?」

 

お互い横向きだったのにいつの間にか押し倒されていて、熱が籠ったクロウの声が問いかけてくる。……どうしよう、別にそんなつもりじゃなかったのに、シたくなって来てしまった。だけど昨日の今日でさすがにどうかと思う自分がいるのも確かで。いやそもそもその前に。

 

「スキン、あるの?」

「あ」

 

あ~~~、と嘆きながらぽすんとクロウの頭が鎖骨あたりに降ってくる。密着するとクロウの身体ですごく主張する塊を如実に感じてしまい、どうしたものだかと赤くなってしまうのがわかった。暗闇でよかった。

 

「……実はその辺、対策してるって言ったらどうするよ」

「ほう」

 

ここ最近ずっと人間の人智を超えているものを目の当たりにさせられ続けていたので、もしかしたらそういうのかな、と好奇心がもたげてそんな声を出してしまった。

 

「それはやっぱり魔術的な?」

 

どういうプロセスを踏んだら結果的にそうなるのか。魔術もプログラミングの技術で理解出来たりしないだろうか、なんて。でも結局のところ法陣による出力と結果の話なんだからわりと何とかなるようなならないような。さすがにならないか。

 

「……いややっぱ今のなし。すげえカッコ悪ぃ」

 

この期に及んでいまだに格好つけるところがあるらしいことに内心少し驚いてしまったのだけれど、まぁそれは完全に本人の意識の問題なので突っ込まないようにしようと心の中で一人頷いた。

 

「お前なんか失礼なこと考えてね?」

「いやまさかそんな」

 

バレバレの誤魔化し方にクロウが笑って、私も笑って、そんな風に夜は更けていった。

いつかまた、君と肌を重ねる日が来るんだろうか、なんて安穏とした思いを抱えながら。



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36 - 11/某 魔女の来訪

1204/11/某日

 

「セリ様」

 

朝。起きて身嗜みを整えていたらヒエリアさんが何かを持って洗面台にいる私に声をかけてきた。新しい部屋着かな、でも結局ワンピースタイプしか着られないものな、と歯ブラシを立てかけ、渡されたものを広げて首を傾げてしまう。デニムのショートパンツ。

 

「これがどうかしましたか?」

「以前ワンピースが苦手と仰られていたので、僭越ながら縫わせて頂きました」

 

その気持ちは嬉しいけれど、思わず自分の足元を見る。じゃらりとした鎖は未だ私の足首に纏わりついているのだから到底着られるものではない。そのことを彼女もわかっていると思っていたのに。

 

「このズボン、横にファスナーがあるんです」

 

困惑している私を見てくすりと笑った相手がそっと左足を差し込む部分を広げると、そこには確かに上から下までを両断する金具が付いていた。サイドがすべて開くのなら足枷がついていようとお構いなしに履くことが出来る。まさかそんな画期的な衣服を用意してもらえるとは思わなかった。

 

「デニムですしファスナーを使う関係上、多少丈は短くなってしまいましたが」

「……いえっ、ありがとうございます」

 

この内戦が終わるまで、あるいはクロウの気が済むまで、私はもうずっとズボンを履けないのかと、身の危険があまりないとはいえこんな精神的に心許ない衣服と下着を着用していなければいけないのかと、正直そこは本当に暗澹たる気持ちになっていたのにヒエリアさんのおかげであらかた解消された。

 

「寝巻きの方もスナップボタンのものをお作りしましたので、よろしければ」

「えっ、そっちもですか。すごく嬉しいです、本当にありがとうございます」

 

渡された服を脇に抱えて、ヒエリアさんの両手を取って私は感謝の意を示す。なんなら飛び跳ねたかったぐらいだけれど、鎖が煩いし擦れて痛いだろうからやめておいた。

 

 

 

 

昼食も終えた昼下がり。休養を取らされていたクロウに合わせてわりとのんびりする日が続いていたので、重めの筋トレでもしようかな、と前にお借りしたトレーニングマットを部屋の中央に敷いたところでノック音。扉の前にある気配はヒエリアさんでもスカーレットさんでも無論クロウでもない。

これ私が応対していいものなのか。

 

「セリちゃん? ヴィータ・クロチルダよ。いまどうかしら?」

 

私が出あぐねていると外からそんな声が聞こえてくる。どうやらクロウではなく私に用事のようで、簡易的に自分の姿を確認してから扉の方へ歩いていった。

 

「急にごめんなさいね。あら、お邪魔だった?」

「ああ、いえ、やることもないのでやろうとしていただけですしお気になさらず」

 

部屋の中央に広げてあったマットを見てかクロチルダさんが申し訳ない風情で言うもので、片付けながらソファを勧める。壁際にマットを移動させ私も対面に。

 

「すみません、いつもお世話してくれる方が今はいないのであまりおもてなしは出来ないのですが」

 

この部屋は給湯設備がない。一応小さな冷蔵庫にお水などは入れてもらっているけれどその程度だ。お湯を沸かすことも出来ないため紅茶すら提供出来ない。それに不便を覚えないようなるべくヒエリアさんは私についてくれているけれど、まぁこういうこともある。それに私は平民だから始終誰かにお世話される、その為に一緒にいる、というのは慣れておらず気疲れしてしまうので時折距離が離れてくれるのはありがたいことだ。

 

「それに関しては持って来てもらうよう頼んでいるから大丈夫よ」

「あ、そうなんですね。お気遣いすみません」

 

一体いつの間に、と思ったけれど部屋に入る前に頼んでおいて、部屋に入れたら動き出すよう頼んでおけば特にタイムロスもなくそういう注文は通る筈、と思ったので気にしないことにした。何よりクロチルダさんは私よりもずっとこの船について詳しいのだろうし。

 

「それで、ここでの生活はどう?」

 

蒼のドレスを着たその人は、ゆっくりと笑って私を見た。

長い髪はしかしたっぷりとうつくしく、素肌やソファに落ちて綺麗に世界を縁取っている。紫耀の瞳はあの日と同じように光を通したかのように煌めいて。

 

「……どうしてクロチルダさんが気にされるんですか?」

「だって私が貴方を連れてこなければ、もう少し別の未来もあったかもしれないでしょう?」

 

確かにクロウは駐屯地で何か迷うそぶりを見せていた。今ならこんな飛行戦艦にどうやって私を連れて行くのか、という方法で困っていたというのは直ぐに分かる。けれどそれは早いか遅いかだけの話で、クロチルダさんがやったことは単純に早回しをしただけ。きっとクロウは私をここに縛りつけることをどうであれ成し、そして私も、逃げ出さずに受け入れたろう。

 

「いいえ、たぶんそれはないです。きっとクロウは、数日寄港地に私を軟禁してでもこの戦艦に乗せたと思いますよ」

 

だからそれについては否定しよう。

 

「ただクロチルダさんが関与して下さったおかげで、今日も私は美味しいご飯を気兼ねなく食べられるのは間違いないですが」

 

頬、正確に言うなら折れていた奥歯付近を指先で叩いて笑うと、それもそうね、と笑って下さった。クロウは基本的にやると決めたことはやり遂げる。それが暗殺という大きなことであれ、学院祭の企画という比較すれば小さなことであれ。故に、私のことも。

 

そこでノックの音がして、出迎えるとワゴンに色々乗せた方が入ってきた。紅茶とつまめる数種類のクッキーやスコーンなど。バターやクリームにジャムもたっぷりと。美味しそう。

準備を終えてそっとその方はワゴンと共に退室していった。

 

「ふふ、それじゃあ頂きましょうか」

 

すらりとした指先がクッキーをつまむので、たったそれだけの行為が絵になる方もいるんだな、とぼんやり思ってしまった。あまり注視しても失礼なので、スコーンが温かいうちに食べてしまおう、と割ってバターを塗る。あちち。

 

「クロチルダさんはなんか、こう、確認で来られたんですか?」

「それもあるけど、単純にお話ししてみたかったのよね」

「?」

 

蒼の歌姫と呼ばれる帝都歌劇場のトップスターにそんなお誘いを受けるような人間ではないと思うのだけれど、まあクロウと関係が深いらしいのでそういう意味で興味が湧く対象なのかもしれない。……多少嫉妬しないでもない、けれど、たぶんそれを言ったら二人ともに笑われる気がする。

 

「そういえば、クロチルダさんって魔術が使えるんですよね」

「ええ」

「この戦艦に何かかけてたりしますか?」

 

甲板が寒くなかったし、たぶん何かしらの結界のようなものは張られているのだと思うけど、この間のクロウの態度からしてまた別のものもあるんじゃないだろうか。

 

「……もしかして分かるの?」

「あ、いえ、クロウがうっすらそんな話をしていたので」

 

魔術的な結界の気配。判別がつけばきっとこれからの斥候に役立つだろうけれど、生憎とそんな気配はまるで分かりはしない。素養がないということだ。

 

「そう」

 

一つ相槌を打ったっきり、クロチルダさんは何か考えるように黙り込んでしまった。悪いことを言ったかな、と困りかけたところで、でも気にしても仕方ないな、と二つ目のスコーンに手を伸ばした。

スコーン自体、小麦粉がいいのか凄く美味しいのに加えて、このバターだ。バターが本当にいいものを使っているというかもう食べたことのない味がする。ちょっと多めに乗せてしまったかな、と食べたところで全然くどくなくてむしろバターだけ食べたくなる人もいるのでは?というぐらいで、正直なところ地上に帰った時に口が肥えていない自信がない。うっかりすると美味しいご飯を食べるために仕事を頑張る日々になりそうだ。

 

「契約上、話せない結界もあるのだけど」

「はい」

 

今度はクロテッドクリームと苺ジャムを乗せながらクロチルダさんの言葉を待つ。

あっ、このジャムも香りが全然飛んでなくて美味しい。銘柄を訊いてみたいけど、市販品だったら逆に『お金を出せば買える』確率が高いということに他ならないのでいつか苦しむ自分がいるかもしれない。いや貴族御用達で注文するどころか店に入ることすら出来ない、なんてこともありうるのでやっぱり聞かない方が賢明そうな気がしてきた。こわい。

 

「クロウにごく個人的に頼まれた術式もあるのよ」

「そうなんですか」

 

クロウは貴族連合軍の重鎮とはいえ別に戦艦の持ち主ではないのだから、クロチルダさんに頼んで戦艦に魔術をかけるなんてのはよろしくないのでは、と思わないではない。ただ『魔術がかけられている』と分かる人間なんてのは一握りだろうから、気付かれなければないも同然という理論も一応罷り通ってしまう。認識出来ないものはどうしようもない。

そして多分、戦艦の持ち主は私と同様素養がない。

 

「"この艦において何人足りとも胎に命を宿すこと能わず"。意味わかるかしら。自然の摂理に反するモノを敷いているのよ」

 

胎に、命を宿すこと能わず。それはつまり人の営みのとある結果を阻害するという、結構人体にダイレクトな影響を与える術式なのではなかろうか。どうしてそんなもの、を……。

 

「気付いた? 貴方が乗せられて直ぐに頼まれたの」

「……自分に術式をかけるんじゃなく、私に術式をかけるのでもなく、戦艦自体にかけてもらうというところが何というか、クロウらしいですね」

 

自分に術式をかけたなら万が一私に何かあった時に意味をなさず、私個人に術式をかけた場合は何か不備があった際に気が付きにくく、乗艦している人間全員を巻き込めば術式の穴が判明しやすく、また実行者が何を考えていてもその規模の人間に影響及ぼすことを是とはしないだろう、という信頼。本当に、なんというか、よく気が回る。

 

「愛されてるってことよ」

「……」

「そういえば、あの日はお見送りには行ったの?」

 

一瞬考えて、ああミスティさんの格好で早朝に出会った日のことだ、と理解した。

 

「いえ、結局見送りには行きませんでした。ちょっと精神が荒れていたのは確かですし」

「相手がクロウだと分かってたら、いっそ不満をぶつけてやりなさいって言ったのだけど」

 

つまり、別にクロウ繋がりで私に話しかけていたわけではない、ということらしい。それが建前かどうなのかはわからないけれど、ここで嘘をつく理由もない、と思う。たぶん。

 

「クロチルダさんはクロウと長いんですか?」

「そうでもないわよ。解放戦線の面々や、パトロンであるカイエン公の方が長いもの」

 

目の前の方は紅茶の香りを楽しむようにカップに口をつける。

カイエン公。ラマール貴族の筆頭者。その人物がクロウに帝国解放戦線という手段を可能にさせたのだ。もちろん本人がそう望んだというのは大きいだろうけれど、可能にさせるというのは存外、強い。お金も後ろ盾もコネもなければこんなことは出来ようもなかった。それは間違いない。

 

「けれど蒼の騎神……貴方を掌に乗せた蒼い騎士人形にクロウを導いたのは私ね」

「蒼の騎神、というからにはおそらく複数体あるんですね。灰色以外にも」

 

一騎や二騎であれば色を銘にする必要性は薄い。となると五騎ぐらいはありそうだ。もしくは御伽噺に出てくる女神の七至宝が表すように、円環や完全を示す七の数字を冠していても据わりがいい。元々騎士人形──騎神は人智を超えた存在であるのだから、御伽噺を引き合いに出してもさして変じゃない。

 

「ええ。だけどそれらを貴方が見る機会はない、といいのだけれど」

 

蒼と灰。その二騎だけでも機甲戦に特化しつつある帝国正規軍を過去のものに出来るポテンシャルを秘めている。しかしそれが複数あるとすれば戦場の概念は覆る。たかが一騎で出来ることは限られる、と切り捨てることは出来ない。

旧校舎が破壊されていない以上、灰の騎神は短距離だとしても空間転位をしている。それが、たとえば搭乗者の練度によって距離が伸びるとしたら?西の戦場にいたからといって東の戦場に来られない、時間がかかるとは言えない。戦車を投げることだって戦法の一つになる場合、おいそれと機甲師団を出すのも憚られる。そういう時代に突入する。……ただ、ここまでの思考は全部"表"の話だ。

魔術を扱う者が騎神へ人を導く、となればそれは表の世界で生きている私たちが絶対に感知・関与出来ない何かに関係しているのだろう。国家転覆が瑣末だとは言わないけれど、それすらも瑣末だと表現していいような事態が進行しているのかもしれない。大陸全土が危機に陥るような。

 

「クロチルダさんは、他の色が現れるのは歓迎ではない、と」

 

問えば、曖昧な微笑みで口を閉ざされた。なるほど、私に話せるのはここまでのようだ。

 

それからは他愛のない話をしてクロチルダさんは帰っていった。

そして入れ替わりに帰ってきたヒエリアさんに相談し、扉横にベッドが見えないよう衝立を設置してもらうことにした。人が来ることもないと思っていたけれど、案外と訪問者がいるので寝床が入って直ぐ丸見えというのはちょっと恥ずかしい。気にするのは自分だけかもしれないけれど。

 

さて、予定にないおやつを食べてしまったし、ズボンも履けたし、トレーニングしようか。

 

 

 

 

「おかえり」

 

シャワーを浴びて上がったところでクロウが帰ってきたので出迎えたら、くるりと背中を向けられて何かを確認している。確認し終えたようで視線がこちらに戻ってきた。

 

「お前、なんでズボン」

 

パイル生地のショートパンツを指摘されて、指先で裾を引っ張る。

 

「かわいいでしょ。ヒエリアさんが作ってくれたんだって」

 

左サイドのボタンを見せると、鍵落としたのかと思ったわ、なんて。どうやらさっきの不審な行動は鍵の在処の確認だったようだ。いつも身につけているというのはちょっと、なんか、嬉しくなってしまう。いや私がこの部屋にいるしどうせ誰に預けるつもりもない以上持ち歩くしかないだろうけれど。

 

「でもショーパン、なあ」

 

言いながらコートを脱いでソファに放り、手袋も机の上に。そうして目の前に来たクロウはするりと足を撫でてくる。うん、これは予測出来てた。

 

「嫌?」

「………………まあ、外に出るわけじゃねえかんな」

 

何だか若干自分に言い聞かせているところもあるような気がしたけれど、そうそう、と同意して、お尻や太ももをゆるく撫でる手から逃れてぽすんとベッドの上に座る。シャワー浴びて来なよと促したら、そうすっか、と笑って部屋の奥へ消えていった。

クロウが浴室へ入った音をしっかりと確認してから、ころんと寝転がりソファへ無造作に置かれた上着を見る。もしかしたらあそこに鎖の鍵が入っているかもしれない。確認は胸元のみで行われ、今日着ていたインナーに胸ポケットはない。チェーン類をつけてペンダントにしていない限り、コートの内ポケットなどに入っている確率はそれなりに期待出来る。

 

そこまで推測をして、私は肌がけのシーツに潜り込んだ。

この鎖はクロウの感情だ。いつか本人が外してもいいと思う日までそのままにしておくしかない。それがいつになるのかは全くわからないし徹頭徹尾不本意ではあるのだけれど、それでも、私の身の安全を気にしているというのは確かだから。

 

「……あーあ、ほんと、好きなんだよなぁ」

 

そうひとりごちて、瞼はゆるやかに閉じていった。



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37 - 12/01 命の立場

1204/12/01(水) 昼過ぎ

 

不意に、普段聞き慣れない足音が気になった。

 

ここに来てから二十日ほど。外の気配はなるべく覚えるようにしていたから、通常この区画は限られた人のみが出入りし、兵士といったような入れ替わりが激しい部類の方々はこちらにはこないことが判明している。つまり存在を許されているものを極端に制限し、何事もその区画内で完結させられるようにする。それはセキュリティを堅牢にする上でかなり重要なものだ。

 

無論、ここが貴賓区画ということから招待客ということもあり得るかもしれないけれど、それにしては一人だ。そして明らかに訓練されている人間のもの。かと言って、たまに部屋の外の廊下を通っていく……あまり使いたい表現ではないけれど、化け物としか言いようのない方々の気配ともまた違う。あくまで人間の範疇。

そっと導力銃を机の裏から持ち出し、ブラジャーへ押し込みながら入口から死角になる場所、浴室側へヒールを脱ぎながら移動した。今日はクロウのリクエストによるドレス着用で動きづらいし、隠れたとしても足の鎖でどこにいるかは明白だろうけれど、それでも居場所を把握するための一瞬で稼げるものもある。

浴室前のクロゼットにあるパイル生地のガウンから腰紐を二本取り、置きっぱなしになっているベルトも手にし床へ。拘束道具を用意するに越したことはない。うっかりすれば自分に使われる可能性もあるけれど、私が敵意に対応した場合の反応として拘束するより殺害の方が高い。

 

そうして壁に肩をつき目を閉じて気配に集中──歩幅から推測するに175リジュ程度、そこから自ずと頭部の位置もある程度わかる。

 

「セリ様、リネンのお取り替えに参りました。こちらを開けてくださいませんか?」

 

この艦で私の世話役の人員はヒエリアさんが来てから以降、一度たりとも他の方に変わったことはない。また、他に誰もいない状態で別の方が入ったこともない。あまりにも毎日なせいで休みはとれているのか聞いてしまったほどだ。私を危険にさらさないために一人が担うことでそれを解決しているのです、と微笑んでいた人が私への紹介もなしに誰かへ仕事を振る筈がない。体調不良でダウンしているならその旨の連絡をくれる信頼がある。それがプロというものだろう。

 

息を殺し、相手の出方を窺っていると、鍵の開く音がした。

 

「セリ様?」

 

絨毯を踏む音がベッドの脇を通り過ぎ、こちらへ向かってくる。何がリネンの取り替えだ。音からして取り替え用の品を仕舞ったワゴンを押すこともしていなかったじゃないか。

 

覚悟を決め死角から飛び出し、その男を見る。

やっぱり服装は使用人だというのにそこにそぐわない消音器(サイレンサー)付きのアサルトライフルを携えていたのを確認し、そのまま勢いを乗せて顎を掌底で打ち抜いた。舌を噛みきらせる可能性もあるけれど、こちらだって命がかかっている。

しかしそれで意識を落とさず構えようとしていたのが見え、咄嗟に銃身を掴み、自分の体へ回転を加えながらもぎ取り遠心力そのまま振りかぶって相手の頭へ。こめかみを砕く感覚が手に伝わってきたのを無視して振り抜き、昏倒した相手を見下ろした。完全に意識を失っている。ガンスリングで胴体と銃身を固定していない相手で助かった。

私を単なる蒼の騎士が囲う令嬢だと判断していたのか、相手の対応が鈍かったのは不幸中の幸いだ。

 

銃をローテーブルへ置き、一応呼吸を確認。生きていることを確かめたのちに先程放っておいたガウンの腰紐で両手首を縛り、口に猿轡を噛ませ、足の方は私物のベルトで固定だ。

拘束のためについた膝をそのままに、は、と息を吐いて両手を見下ろす。人を殺す覚悟が、こんな時でも持てないのかと。自分の愚かさと弱さに嘲笑いたくなるような、そんな気分だった。もう、傷付けることには逡巡しないのに。────と、感傷に浸っている暇はない。

直ぐにでもこの侵入者を引き取ってもらわねば。

 

一つ自分の胸を叩いてから立ち上がって、ここに来てから初めて、誰が訪ねて来たわけでもないのに部屋の扉を開けた。

 

「……おや?」

 

すると、そこには月の銀光を湛えたとしか言いようのない美しい髪色の女性が、執事らしき男性を伴って歩かれていた。薄紫のマントに白を基調とした軍服、ラマール領邦軍の色。銀の色に映える紫水晶のような瞳が私を見て、執事の方へ手で合図をしてからこちらの方へ。こつりこつりとヒールの音がやけに耳鳴りのように感じる。蛇に睨まれた蛙というのはこんな寒気がするのかもしれない。

 

「如何なさいましたか、お嬢様。そのような格好で」

 

中世の騎士のように恭しくその方は私に問うた。これは、たぶん、勘違いされているけれど、それを訂正する前に部屋の中のものをどうにかしたいという一心が勝ってしまった。

 

「あ、の、部屋の中に不審者が」

 

私の言葉を受けて即座に眼差しを鋭くしたその方は、失礼、と短く発して部屋の中に入り、執事の方と一緒に私もその後を追う……までもなく、部屋の入口で薄紫のマントが立ち止まっている。

 

「……これは貴女が?」

 

気を失いパイル生地の猿轡を噛まされている男を見下ろして言葉が投げられた。

 

「はい。咄嗟のことだったので手加減が出来ず」

「いえ、この状態を見れば生きているということそのものが手加減でしょう」

 

膝をついて男の様子を確認したその方はひとつ頷き立ち上がる。こうしてある程度落ち着いた状態で対峙すると背の高い方だとわかる。もしかしたらアンよりも。

 

「ああ、そういえば名乗っておりませんでしたね。私はオーレリア・ルグィンと申します」

 

オーレリア、ルグィン。名前が耳に届き、さぁっと血の気が引くのが分かった。ああ、どうしようもないほど身体が、心臓が、震え上がるに決まっている。トールズにいて、剣を選択して、その名を知らない人間はいない。

帝国の武門の双璧を誇ると謳われるヴァンダール流ならびにアルゼイド流の両方から免許皆伝を受けており、個人の武力だけを考えたら帝国最強とも噂される方じゃないか!

 

「────ルグィン閣下、丁寧なご挨拶痛み入ります。私はセリ・ローランドと申す者で、先程はお伝えし損なってしまいましたが、家格を持たない平民でございますれば」

 

本来であればルグィン伯爵閣下とお呼びするべきだけれど、爵位を自分から名乗っていない方に告げるのは不敬に当たるだろう。しかし、貴族である貴方に、そして何よりも武人の頂点の一人である貴方に、騎士のように振る舞ってもらえる理由はない。

 

「そうは言っても、貴女はいま、パンタグリュエルに乗艦し歓待されている御客人に変わりはないでしょう。蒼の騎士殿が大切にされている女性ともなればそれだけで我らにとっては十分です」

 

蒼の騎士の女。やはりそれはずっと、ここにいる限り永遠について回るのだろう。

 

「が、それ以上に、侵入者に対して的確な処置を施した貴女の行動と、それを研鑽し続けた努力に対し私は敬意を評しましょう」

 

思いもよらなかった言葉をかけられ、声は出さずとも驚いてしまった。感情の変動を隠しきれなかったことを当たり前のように見通してか、ルグィン伯爵閣下はゆるく笑う。

 

「トールズの後輩がこうして逞しく育ってくれているのは、私にとっても嬉しいことだ」

 

崩した言葉でそう告げられた。どくりと心臓が跳ねる。どうして私が後輩だと分かったのか、それはこの方の洞察力を持ってすれば何てことないことなんだろう。そう思わせてくれるほどの実力者であることは、肌できりきりと感じ取れる。

 

「さて、この男は私が回収しても?」

「はい、お願いしてしまってもよろしいでしょうか」

 

特に苦も無くルグィン伯爵閣下は男を肩に担ぎ、立ち上がると共にテーブル上の銃を持ち、待機されていた執事の方と共に退室の体勢を取った。けれど出ていく直前、ぴたりと止まり振り向いてくる。

 

「そういえば、その足の鎖。意思にそぐわないものであるのなら私が斬っても構わないが」

 

足の鎖。それは確かに指摘をしたくなるほどこの場に不釣り合いなものだろう。綺麗なドレスを着ているのに、慌てていたとはいえ裸足で、鎖が取り付けられた輪が擦れ足首は赤くなってしまっている。何度この鎖に消えてほしいと思ったかもう数えきれない。だけど。

 

「お気遣いありがとうございます。ですがご心配には及びません」

 

これは、クロウと私の問題で、それを第三者に解除してもらおうとは思わない。

提案を突っぱねるという無礼な行為が、閣下を否定しているわけではないということを伝える為に丁寧に腰を折る。

 

「そうか。無粋なことを言った」

「いえ、お気持ちは嬉しいです」

 

では行こう、と去っていく二人を見送り、扉に鍵をかける。

流石に気力をかなり消耗してしまったのでクロウのリクエストなんか知るかとドレスを脱ぎ、寝巻きへ着替えてベッドへ倒れ込んだ。服を着替える理性と気力があったことを褒めて欲しいぐらいだ。

肌がけのシーツにごそごそとくるまり、意識を落とす。

 

────ああ、今の私って命を狙われる立場なんだなぁ。なんて。そんなことを考えながら。

 

 

 

 

と、眠ろうとしてはみたものの結局安眠は出来ず、ヒエリアさんの気配でですら起きてしまったのでそのまま、クロウが帰ってくるまで待つことにした。

 

夕食の前にヒエリアさんと貴賓区画前にいるらしい警備の隊長の方が謝罪に来て下さったけれど、侵入した男が誰の手の者なのか、というのは教えてもらえなかった。とはいえ、この段階で貴族連合軍の重要人物である蒼の騎士……が囲う女を殺そうとするというのなら、間違いなく反対一派の者であることは明白だ。そして貴族派と対立するのであれば自ずとその立場は明らかになる。だけど証拠など出やしないだろう。

殺せたら万々歳だが殺せなくとも、こちらはそういう情報を持っているぞ、という牽制になる。それは蒼の騎士、ひいては騎神の動きが鈍くなるという遅効性の毒を混入させられたも同然だ。私の安否を気にしないではいられないよう。そういう意味で私はどんな立場であっても餌で、弱点で、何も出来やしないお荷物だ。

そんな自分に嫌気がさしながら月光だけの部屋の中でベッドの上で膝を抱え、顎を置く。

 

「ルグィン伯爵、格好良かったなぁ……」

 

大の男をあんな軽々と持ち上げ、颯爽と去っていった背中を思い出す。確か二つ名は、黄金の羅刹だったか。あれほど高貴な雰囲気を纏わせているのだから納得というものだ。

そして、目の前にしてありありと分かった。例えこれからずっと鍛え続けても私はあの域には達せまい。もちろん戦場での在り方がまるで違う。私はどちらかといえば正面から斬り結ぶのではなく、長引かせたり、あるいは不意をついて戦う。けれどルグィン伯爵はそういった手合いすらも真正面から斬り伏せていくのだろうという、そういう豪胆さがはっきりと見て取れた。

かといって貴族社会であの地位を保っているということは腹芸といったことが不得意ということもなかろう。うつくしく、つよく、芯のある方だった。

 

「まぁ、でも、閣下のように強くはなれなくても、歩みを止める理由にはならないか」

 

私は、私が求めるカタチを探りながら、それを実現させるために歩いていかなければならない。そのカタチは今よりもずっと、クロウと訣別をする可能性も含んでいる。だとしてもそれを選ばなければいけない日というのは来るかもしれないと。そう。

……本来であれば今もそうなのだろうけれど。

 

ため息を吐いたところで貴賓区画へ走って入ってくるよく知った気配。それに笑いながらベッドから降りて扉の前へ。がちゃがちゃと慌てたように解錠され、開いた扉の先には廊下の明るい光と、私の愛しい人。

 

「おかえり」

 

両腕をゆるく広げて出迎えれば、ぐしゃりとした表情でクロウは私を抱き竦めてきた。押し付けられた胸板から、コートやベルト越しだというのに多少走っている心臓の音が聞こえてくる。心配してたんだなぁ。

 

「……何にもされてねえって報告は受けてるけどよ、ほんとか?」

「うん。私でも対処可能なレベルだったし」

 

そっと離れて、棚からグラスを二つ。冷蔵庫から水差しを一つ。それらを持ってソファに座り、それぞれに水を注いでソファの隣を叩いた。座った相手にグラスを一つ渡すと一息で飲み干したので更に注ぐ。まぁ水でも飲んで落ち着いて欲しいし私は今でも生きているのでそんなに心配しないでもらいたい。『自分がここに縛り付けている』という意識がある限り無理だろうけれど。

 

「落ち着いた?」

「……ん」

 

私もグラスに口をつけて喉を潤したところでクロウは立ち上がり、ウイスキー瓶やらマドラーやら別のグラスやらを持ってきて、お酒を水で割りながら混ぜていく。叔父さんも似たような飲み方だったな。

 

「お酒好きだねえ」

「お前も飲んでみるか?」

 

渡されたグラスを思わず受け取ってしまい、すん、と嗅ぐ。懐かしい木の香りがしたような気がした。樫の木かな。そういえば叔父さんが昔、ウイスキーは樽で熟成させるし、その樽を作るためにうちの木を買い付ける業者もいるんだ、と酔っ払いながら話していたことがあったっけか。そう思うとちょっと愛おしくなる。

うん、と頷いてクロウにグラスを返した。

 

「受け取ったのに飲まねえんかよ」

「いやだって未成年だし。一緒に飲みたいなら来年まで待っててよ」

「一歳くらい誤差だろ」

 

と言っても無理強いする気はないようで、そのままグラスはクロウの口元へ。私も水のグラスを再度手にし、そういえば、と前々から気になっていたことを訊いてみることにした。

 

「前から気になっていたんだけど、クロウは成人してるの?」

「……あー、ま、一応な。ギリ成人してっから酒飲んでて悪いワケじゃねえよ」

「そうなんだ」

 

じゃあいいか。さすがに未成年だと言っていたら取り上げていたかもしれないけど、それなら本人の嗜好品として置いておこう。真実どうだかはわからないけれど、信じてもいいという気分になっている。……あれだけ手酷く裏切られたっていうのに笑うしかない。まぁわりとどうでもいい情報だからというのもある。

 

こつん、とクロウの肩に頭を預けると、隣からもいつものように返ってくる。

それでも、この温度を、重さを、暗闇に溶けるような愛しさを、手放したくないと誰よりも私自身が思ってしまったのだ。きっとこのままではいられないとわかっているけれど、傍にいたい。それを他でもない君が望んで、許してくれたから。

 

「そういえば、ルグィン伯爵に会ったよ。いや会ったというか、助けて貰った、かな」

「あー、お前好きそうだよなああいう強い女」

「……別にそこまでは言っていないのだけれど」

 

もちろん、クロウの指摘通り現状はかなり好意的に見てしまっているのでこれは照れ隠しだ。

 

「俺はちっと苦手だな。何もかんも見透かされそうでよ」

 

言わんとしていることはなんかわかる気がした。あの切れ長の眼差しは、鋭い洞察力は、目の前にした存在のすべてを丸裸にしかねない畏怖がある。そして丸裸にされたその先で、あの方が振るう大剣によって一刀両断されそうな。いっそ、そうされたいという破滅願望を相手に持たせることすらありそうな凛とした立ち姿だった。

 

「そうだね。でもそこまで含めて、あれだけ強く在れる方はそうそういないと思うよ」

 

この一ヶ月、私はARCUSを起動して魔獣と戦うことはおろか、武器を握ることすらまともに出来ていない。筋トレだって続けてはいるけれど運動に適した場所ではないのは確かで、日に日に鈍っていっている焦燥感がまとわりついている。もしこの戦いが長引いて、半年も続いたらいろいろなことを忘れていそうだ。強くなりたいのに、強くはなれない。

クロウはそんな私を求めているのだろうか。そうではないと思いたいけれど。

 

「セリ」

 

思考の淵に立ち尽くしていたところに名前を呼ばれて顔を上げると、手からグラスを抜かれ、顎を掬い上げられたと思ったら唇を重ねられた。なぞるような舌に身体が反応して、薄く開けた場所からぬるりと自分以外が入ってくる。さっき嗅いだお酒の匂いを纏った舌は普段と違って、すこしだけくらくらする。

押し込まれる身体を支えるように背中へ手を回したら、いつの間にかソファに寝転がされて。するりとショートパンツの裾から手が入ってきて、思わず胸板を押す。

 

「ここ、で?」

「……悪かねえと思うんだが」

 

高級なソファの上で、性行為。汚れでもつけたら頭を抱えるしかないから嫌だと首を横に振ったら、諦めてくれたのかクロウは身体を起こして、代わりにぐいっと横抱きに持ち上げられる。あ、やっぱりやめるっていう選択肢はないですよね。わかってた。

寝台の足側に纏められたシーツを一瞥もせず、ぽすん、と上に寝転がされ、クロウが覆い被さってくる。ふわふわとした銀髪が月に照らされて綺麗だ。私たちが肌を重ねるのは大体昼間だったり、そうでなくても小さな窓しかない寮だったから何だか新鮮な気がする。

 

「……いいか?」

 

スキンの箱を見せて来ながらちゃんと確認してくれるのが何だか可愛くて、嬉しくて、少しだけ笑った私は、いいよ、とその背中に腕を回してキスをした。



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38 - 12/某 転がる酒瓶

侵入者騒動があった夜、帰ってきた当初から右奥壁際の机の位置が若干ズレてるように見えたもんで、セリから聞いた立ち回りから数アージュ以上離れたそこが動くのは奇妙に感じた。

身体を拭ってセリを寝かしつけた後、何となく調べてみたら裏からジョルジュに作ってもらったっつう例の導力銃に、ARCUS。最新鋭の戦術オーブメントを没収したって報告はなかったから持ってるとは思っちゃいたが、こんなところに隠し込んでたとはな。

まぁ俺は取り上げるつもりもねえし、と戻そうとしたところで少し好奇心がもたげた。

 

導力が落ちているARCUSを立ち上げ、戦術器がセリと今でも繋がっていることを確認。そうして床に放り投げてたコートから俺のを取り出して、リンクの接続を────。

 

「……繋がらねえか」

 

両方とも再起動しても、どう操作をしても、俺とセリのARCUSが同時に青く光ることはなく、ただただ虚しい白の点滅を繰り返すだけ。リンク出来る相手がいない時の挙動だ。眠ってる相手とでもリンクの切断・接続は試したことあっから、タイミングの問題じゃないことだけは明白だ。

どれだけ言葉を交わして、肌を重ねることさえ許されても、深層心理はこのARCUSが示している通り。裏切ったこと……いや、トワを殺しかけたことを、許せちゃいないんだろう。それでも俺の傍に居たいと泣いてくれたお前が本当に愛しくて、胸が痛む。

 

ため息を吐いてセリのARCUSの導力を落とし、元々隠してあった場所へ押し込みベッドの方へ。腰掛けたところで、んん、とむずかる子供のように小さく声を出したから、宥めるようにその頭を撫でる。

 

「手放してやれなくて悪ぃな」

 

心底、手放せると思ってた。そうしなきゃならねえと心の準備もしてた。だけど、またお前の手を掴む道筋が見えて誘われてこんなトコまで。内戦が"その段階"へ至った際に俺もお前もどういう選択を取るかはまだわかんねえけど、今はまだ、こんなぬるま湯も悪くねえって、そう。

 

セリがくるまるのとはまた別に用意したシーツに潜り込み、さらさらと指通りのいい髪の毛に小さく口付けて俺も寝ることにした。

 

 

 

 

1204/12/某日 夜

 

『よう、クロウ』

 

オルディーネに乗って帰艦したところで甲板にいるマクバーンから声がかけられた。相変わらず空とプラムが混ざったようなけったいな髪の毛をピンであちこち止めてるが、不思議と似合ってるんだから大したもんだと思う。

 

「珍しいな、アンタがここにいるなんて」

 

大体において結社とやらの命令を一応は聞きつつ、やる気が出なければそのまま行方をくらましたりして、ペアを組まされてるデュバリィがやたらと腹を立ててんのを見るのが日常だったが。それに熱くなれる戦いを求めるヤツでもあるから、こんな戦いと無縁のパンタグリュエルに寄りつく理由は殆どない。

 

核から降り立つと、マクバーンはオルディーネを見上げてる。

 

「なあ」

「言っとくがオルディーネと戦いたいって要望なら聞かねえぞ」

「なんだよ、つれねえなあ」

 

生身で騎神と戦いたがるヤツと戦りたいかってえと、これからのすべてをふいにされる可能性を天秤にかけたらそんなんNOに決まってる。そもそもここで本気でやったら甲板が融解するなり何なりして戦艦ごと落ちかねねえぞ。

……いや、案外とマトモな感性を持ち合わせてっから場所を移すくらいはしてくれそうではあるが。たとえそっちの方が気にせず力が振るえるって理由だったとしても、だ。

 

「ま、今回に限っちゃ本題はそっちじゃなくてな」

 

肩を竦めたそいつは何かを飲むジェスチャーをして合点が行った。

 

「いいぜ。俺も最近あんま飲んでなかったから付き合って欲しかったとこだ」

 

部屋行くまでにツマミとか頼んじまうか、なんて話しながら俺たちは貴賓区画の方へ歩を進めた。どうせ来ることなんざ伝えてねえだろうが、まあ空き部屋くらい借りられんだろ。

 

 

 

 

塩茹でされたピーナッツを放り込みながら、スタインローゼを注いだ脚の短いグラスを素手であっためるように飲んでると、横でモルトウイスキーのケルデダランをストレートでぐいぐいと飲むヤツがいる。うっかりこいつのペースに合わせると潰されんだよな。

 

「なぁ、マクバーン」

「あん?」

「アンタ、人を好きになったことはあるか?」

 

俺の問いかけにえらく渋面を作った相手は一瞬口を閉ざしてから、あのな、と。

 

「俺に恋愛相談はさすがに頭がトチ狂ってると言わざるを得ねえぞ」

「振っといて何だけどさすがに俺も思ったわ」

 

得体の知れねえ何かを"裡"に溶かし込んだようなヤツに訊くことじゃなかったな、と内心で反省する。訊くならせめて《V》……は頼りにならねえだろうから、やっぱ《S》辺りか。ヴィータはヴィータで参考になりそうにねえしな。というかどっちかっていうとセリの肩を持ってもおかしくねえ。いやそれくらいの方がバランスいいか?

 

「まぁしかし、変な女を好きになったもんだよな」

「……どういう意味だ?」

 

セリは部屋から出ちゃいないし、偶然会ったのだってオーレリアくらいでこいつと顔を合わせる機会は万に一つもないだろうに。それにセリだってマクバーンの異質さは肌感で理解出来るから、たとえ頼まれたって顔を出すことはない筈だ。

 

「分かってねえのかよ、面倒くせえな」

 

だるそうに頭を掻いてソファに背を預けたそいつはちらりと扉側、いやもっと言うなら完全に対角線上にある部屋を見ていた。貴賓区画内でここから一番遠くに割り当てられてる俺の部屋。

 

「あんな弱っちいのに、部屋の前を通るとたまに引き摺られる感覚があんだよ。それが気持ち悪ぃっつうか」

 

引き摺られる感覚。到底聞き逃せない表現だった。

 

「────境界侵犯」

「お、何だ知ってんじゃねえか。説明させんなよ」

「いや、ヴィータからあいつはそういう性質をほんの僅かだけ持ってる、って説明されただけだ。アンタみたいなのの内側を引っ張るようなもんじゃねえ……と思うんだが」

 

魔術結界の中に常時いるもんだから、それがセリの性質に拍車をかけたかあるいは変質させたって可能性はあるのか?いやでもそれならある程度気にかけてるらしいヴィータが気が付いて勝手にどうにかしてそうなもんだが。

 

「ああ、そりゃ俺のナカが強すぎるからで、その言葉は間違っちゃねえぞ。ただちっとだけでも珍しいって話だ。分かってて傍に置いてるなら酔狂だな」

 

"己が自覚していない己まで引き摺り出される可能性"。そういう話をしてんだろうが、まぁそんなんこの一年でたんと味わってきたことでもある。そしてセリのそう言うところまで含めて、俺は好ましいと感じていることも自覚してんだ。

あの秋晴れの日、つい口からこぼれた言葉は、そりゃ確かにセリの何かに反応したことは拭えねえ。誰も確かめようがない。だけど、なかったことにしないと決めたのは俺自身だ。傷つきやすいクセに相手のことを慮ろうとするあいつを好きでいたいと、その感情を表明した上で傍にいたいと、他の誰よりも傍にいることを許されたいと、欲望いを。

だから酔狂だなんだと言われても特に思うことはねえ。

 

「まあ、アンタと酒を飲む程度にはそうだろうよ」

 

そんな軽口を返すと大声で笑って、違いねえ、とグラスを掲げて来たので返しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食の後ぐらいだっただろうか。クロウが得体の知れない気配と一緒に歩いていたのは。特に殺気のようなものも敵意のようなものも感じられなかったので、帝国解放戦線のお仲間かな、とちょっと複雑だけれどクロウにとっては大切だろう相手とみて見送った。

 

のだけれど、帰ってくる気配がない。飲んでいたらそのまま潰れて転がされているという大人は何人も見たことがあるし、もしかしてクロウもそうなっているのかな、と心配になってしまった。とはいえ私にはどうすることも出来ない。物理的にも、人間関係的にも。

恋人だからといって入れない関係性というのは存在する。何もかにも知っていなければいけないということもなく、また開示しなければいけないということもない。私だってクロウに言っていないこと・踏み入って欲しくない場所なんて幾らでもあるわけで。

 

一応ヒエリアさんには冷蔵庫へ多めに水を入れておいてもらったけど、このまま寝てしまおうか、と思案したところでクロウの近くにある大きな気配が、動き始めた。ざわりと心臓が畏れで脈打つ。ルグィン伯爵の前でだってこんな反応は見せなかったというのに。

ぎゅ、とTシャツの上から握り込み、呼吸を殊更丁寧に整える。こわい。稀にうっすら感じていたものではあるけれど、こんなに近くになったことは今までなかった。というかやっぱり貴族連合軍ってだいぶヤバい面々と繋がっている。それこそ国家を裏からひっくり返せるような。

 

段々と近付いてくるそれを固唾を飲んで窺っていると、ぴたりと部屋の前で立ち止まった。肌が粟立つ感覚がひっきりなしに止まらない。どうしようもないほど、こわい、存在。ヒトではない。ナニか。

すると、ゴンッ、と扉の足元付近から音が鳴った。……え、いや、まさか。

 

「おい、クロウが潰れたから持って来てやったぞ」

 

あっ、ノックだ!ノックで合ってたんだ!

急いでそのことを飲み込み、もう寝る準備をすっかり終えていた寝台から飛び降りて部屋の扉を開ける。その先には、明るい廊下の光を背負った派手な髪色の、おそらく、男性がクロウに肩を貸しながら立っていた。

 

「ほらよ」

 

赤い顔でぐにゃりとしたクロウが渡され慌てて支えると、連れて来てくれたのだろうその人は、よし、と満足げに笑って去っていってしまった。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

私の声が聞こえているのかいないのか。まぁさしたる問題ではないか、と気持ちを切り替え、ぐにゃぐにゃになったクロウを懸命に引きずってベッドの方へ仰向けで転がした。

これ私が士官学院生でなかったら潰れていたと思う。……いや、士官学院生でもトワだったら絶対に無理だったと思うから、それなりに筋肉がつく体質であったことに感謝して欲しい。

 

そんな横道に逸れた思考を追い払い、じっと寝台の影を見て検分する。バンダナつけたまま、コートも着たまま、辛うじて手袋は脱いでいるけれどポケットの膨らみからしてそこに手袋が入っているんだろう。

そしてさっき見えた赤い顔、アルコールの匂い、ふにゃふにゃして眠っている本人。推定、飲み過ぎ。お水を飲んでいたのかも怪しいけれど、とりあえず服を脱がそう、とひとり頷いた。

 

バンダナを外し、脱がせる最中に引っ掛けたら危ないかとピアスの方へ先に手を伸ばす。……スタッド型のはいいけれど、このフープ型のやつってどうやって外すんだろう。裏に何かあるとか?と困惑しながらよくよくピアスを見てみると、針の根元が可動式になっているのが分かったのでそっとすべて外し、無くさないよう洗面所にある小皿を持ってきてローテーブルへ。

 

そうして、ぎし、とベッドの上に乗り上げ、クロウを腰辺りで跨いでベルトだのコートの留め具だのを外していく。やっぱり体つきがいい。私もこれぐらい筋肉があれば、と考える時もあるけれどそれはそれで今のようには動けていなかったろうし、ARCUSの試験運用面子に抜擢されたかどうか怪しくなるので今の状態でよかったのだと思う。

 

かちゃり、かちゃり。

妙に多いベルト群を緩め、スナップを外し、ずるりと引き抜く。もしかしたら適当な場所に仮止めしておいて後でガバッと着るとか本人の流儀があったかもしれないけれどわからないので仕方ないとしよう。黒いコートも脱がし、中の厚手の赤いシャツも脱がせていく。寝顔がかわいい。黒いタートルネックは、ちょっと諦めた。

 

お次にズボンのベルトも外したはいいけれど、仰向けだと脱がしづらいのでちょっとまたころんと。まだ起きない。ここまでされて起きないのか。いや、でも、戦いに身を投じると覚悟を決めて訓練をしてきていたであろう人が起きないというのは、なんだか最上の表現のような気がして勝手に照れてしまった。

 

今度は太もも辺りに股がるようにして、上から手を鼠径部に潜り込ませ腰を浮かせてからズボンをぐいっと引き下ろす。そこからちまちま裾を起点に手繰り寄せていき、そこそこの時間をかけてようやくズボンが脱がせられた。そこまでに脱がせた他のものもまとめて皺にならないよう軽く畳んでソファに置き、ベッドの上に戻る。すると下着の上からだけれどなかなか引き締まったいいお尻が月光に照らされているのが見えた。一瞬悩んで、構わないような気がしたので手を伸ばす。

 

もに。もに。

うーん、やっぱりクロウの身体のあちこちが好きかもしれな「えっち」い。

 

弾かれたように音の発生源へ顔を向けると、下半身はうつ伏せのまま、顔と肩だけすこし捻って寝転がったまま紅い瞳が私を見ていた。

 

「………………この程度が嫌だとはまさか言うまいね」

 

それであるならば、この男はそんなことを私にしているということになる。普段眠っている私の脚だの尻だのへうっすら手を這わせていること、知っているのだからね。眠いし害はないからそのままにしているだけで。

 

「いやいや、セリから触って貰えるのは大歓迎だぜ」

 

いたずらっ子のように小さな笑い声をあげて、ベッドの傍らに立ち尽くしていた私へどうぞと言わんばかりに胸を開け両腕を差し出してきた。すこし止まって、まぁいいか、とその胸に飛び込んだ。これだけ軽口をハキハキと叩けるなら水はそれなりに飲んでいたんだろう。たぶん。

胸に顔を寄せるとすこし汗くさくて、生きている証であるその匂いにすこしぐっとくる。

 

「脱がせてくれてあんがとな」

「……まぁ私が寝づらいからね」

 

嘘じゃない。あんなコートで寝かすわけにはいかないし、それに隣で寝ている私をたまに眠ったまま抱き寄せてくるのだから、自分の安眠のために動いたというのも建前じゃなく本音だ。

クロウにはその本音同士の比重はとうに看破されているのだろうけれど。

 

足の方に避けていたシーツを再度かけられ、ぽん、ぽん、とゆっくりとしたリズムで軽く背中を叩かれる。ゆるりと聴こえる心臓の音とあいまって、私は、ほどなくして眠りに落ちたのだ。



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39 - 12/09 好きの理由

1204/12/09(木)

 

クロウは今日も外へ出る。

朝食を一緒に摂って、黒いコートを羽織って、ベルトを締めて、手袋を嵌めて。戦支度をする。対して私は鎖に繋がれたまま、寝巻きから部屋着に着替える程度しか出来ず、可能なことなんて扉の前で見送ることぐらいで。

 

「いってらっしゃい」

 

クロウが何をしているのか、知らないわけじゃない。分からないわけじゃない。誰かを傷付けて、誰かを殺して、ここにいる。戦というのはそういうものだと割り切れてはいないけれど、それでも無事に帰ってきて欲しいという願いはあまりにも強く、私の心はずうっとぐちゃぐちゃなままだ。

だけど戦へ出るのだろうクロウに『女神の加護を』と初めて言葉を掛けた時、ほんのすこし口許を歪んだ形にして私の頭を撫でただけだった。おう、とも、ああ、とも返事をせずにそのまま外へ。

だから私は確信をしたのだ。君は本当に女神さまが嫌いなんだって。けれどその一方で、私に対してそれを取り繕う選択肢を外してくれたんだと、そう感じる自分がいたのも確かで。

 

 

 

 

こうしている間、どうしても時間はたっぷりとあるからいろいろなことを考えてしまう。思考を巡らせることが出来てしまう。考える暇もないほどに忙しければ良かったのに、現状がそれを許してはくれなかった。

女神さまを嫌いであることと、女神さまを信じていないことと、女神さまを否定することはすべて似ているようでとても違う。クロウは一体どう考えているのだろう。この大陸、少なくとも西ゼムリア大陸……帝国をはじめとしリベール王国、レミフェリア公国、ジュライ、ノーザンブリア、オレド、クロスベル、ノルド、そしてカルバード共和国に至っても、七耀教会が奉じる"空の女神"を信じている。東の大部分だって、名称は違えど『同じ神を信じている』とされている。己の魂がいつか導かれることを願って。

────信仰というのは、その人の思想だ。生き方であり、規範とするモノであり、それを信仰しているからこそ、人の道に反した行いはしないだろうという信頼関係を構築するものでもある。だから、女神を否定し、別のものを信仰するというのは邪教に他ならない。共和国などでかつてそういった大きな騒ぎがあったと私が知っているぐらい、それはあってはならないこと。

もしくは、何も信じていないのかもしれない。己の外に規範がない存在。それはきっと今までの私であったなら恐ろしかったと思う。理解が出来なかったと思う。だけどたとえそうであったとしても、クロウなら愛していられると感じてしまう。

 

私たちが、女神の加護を、と唱えていた時、共に発していた君は何を考えていたのか。

そして、女神を信仰する私を、どうして君は愛してくれたのだろうと。

 

 

 

 

 

1204/12/10(金) 夜

 

「……おかえり」

 

次にクロウが帰ってきたのは私がもううとうとと眠りに入ろうとしていたところで、シャワーを浴びてベッドへ入ってきたところでそう声をかけたら、ぎゅっと抱き竦められてしまった。何かあったのか、そう思わせるには十分な行動だったけれど、きっと問うても答えてはくれないのだろうなともわかったので、その背中をゆるく叩くだけに留めておいた。

とくりとくりと耳元を叩く鼓動はどこか私の心を緩やかにしていく。

 

「ねえ」

 

クロウの手がすこし背中をまさぐって来たりして余裕が感じられるようになったので、その手を軽くはたきながら声をかけたら、ん?、と応答が。

 

「……クロウっていつぐらいから私のことを好いてくれていたの?」

「話が唐突だな」

 

君にとってはそうかもしれないけれど、私にとってはわりとずっと心の中にあった疑問だ。こんなこと自分から聞くべきじゃないのかもしれないけれど、でも待っていてもクロウは絶対に自分から話してはくれない。だったら知りたい私は踏み込むしかないんだ。

すり、と胸元に顔を強く寄せると頭を撫でられて、その指先に安堵する。拒絶じゃない。あのどうしようもない笑顔をこんな時でも見せられたらどうしようと考えていたのに。

 

「自覚しかけたのは、ルズウェルの課外活動の時だな」

 

去年の六月。猟兵とも言えないお粗末な傭兵騒ぎがあった時だ。私がクロウに無茶振りをした記憶はさすがに残っているけれど、心をこんな風に動かすようなことをしたつもりは全くないので疑問符が飛び交ってしまう。

 

「案外早かった」

「悪ぃかよ。お前ほんとにただ嬉しいってだけで抱きついてきたろ。あん時の目が……」

 

さらさらと髪の毛に指が通り、聴こえる鼓動は少し速くて。それを如実に感じる私もすこしつられて心臓が速くなって来たような気がする。発端が自分だというのに恋人から聞く自分の話というのは、どうもとてもどきどきするモノらしい。

 

「やっぱ恥ずかしいからナシ」

「えっ、そこでナシとかひどい」

 

思わず顔を上げると、暗闇の中で視線が合う。私の好きな紅耀石よりすこし暗い紅。じんと脳の奥が痺れるような色だと思う。ああ、もう随分とこの色に魅せられている。

 

「そっちはどうなんだよ。俺だけ話すのもアンフェアだろ」

 

不貞腐れたように唇と言葉を尖らせて、ぎゅっとまた抱きしめられるので押しつけられたクロウの胸板で少し呼吸をしてクロウを吸う。シャワーを浴びていたけれど、疲れていたのかおざなりなせいですこし汗の匂いがした。

 

「私は……学院祭前にあったあの出来事で、君が手を引いてくれた時、かな」

「遅くねえか」

 

あっ、これはわりと真面目にドン引きされた声だ。

 

「まぁ自覚したというか言語化出来たのがその時ってだけで、たぶんもっと前からクロウのことは好きだったよ。初めての模擬訓練で対峙したときの瞳とかまだよく覚えてるし」

「あー……」

 

チーム戦だったっていうのに、結局お互いのチームメイトは二人とも倒れ、真正面から対峙することになったあの時の鮮烈な視線は今でも私の宝物と言ってもいい。もちろん、恋愛感情ではなかったろう。だけど強い感情を得たというのに間違いはない。友愛も恋情も、そういうところから始まるのだろうと今なら思う。

それと、あの時のことを思い出すと自分にとって不利な状態だったなと理解する。相手が目の前の自分にだけ注意を払えばいいという状態は自分の戦闘スタイル的によろしくない。だから突っ込むのだとしてもそれを理解していなければならなかった。一対一になるのなら、注視させない方向に舵を切るべきだったと。

 

「もっと早く自覚してたら、ロシュに頼まれたあの写真はあんなスムーズに撮れなかったよ」

「それはそうだろうな。俺は内心もうどうにでもなれ早く終われって叫んでたわけだが」

 

そんなことを考えていたのか。ふふ、と笑うと、笑いこっちゃねえんだわ、と軽く頭をはたかれる。まぁクロウにとっては本当に勘弁してほしい感情だったろう。

 

「いやでも、俺も今考えれば六月がきっかけってだけで、あぁ好きだなってなったのは……」

「なったのは?」

「八月、の、活動でだな」

 

ひどく言いづらそうに言うクロウの言葉に一瞬飲み込みが遅れてしまう。

 

「……私の故郷へ行った時では?」

「……」

「えっ、私なんかそんな変なことしてた!?」

「まず変なことで俺が惚れたと思うなよ!」

 

だけど君の気を引くようなことをしていたとは本当に一切思えないので、真面目にそうとしか言えない。ティルフィルでの活動で結構浮かれてはいたと思うから、その辺をかわいいと思ってくれたとか……?自分で言うのもなんだけれどだいぶ変な趣味では?

 

「でも、だって、好いてもらえるようなこと何もしていないような」

 

私が反論するとちょっと頑なになった雰囲気を感じたので、ぎゅっと身体を寄せると、すこし綻んでいく感情が見えて嬉しくなる。クロウ、私のこと好きすぎやしないか。いや私も好きだけど……。

 

「……街を紹介するときにすげえ楽しそうにしてただろ」

「そう、かな」

 

実際楽しかったのは事実なのだけれど、見てわかるほどだったのか、とちょっと恥ずかしくなってしまう。

 

「それに、あの明け方、自分の故郷が本当に愛しくてたまらないって笑って、そこにオレたちといられるのが嬉しいって、誰に憚ることもなく言い切ったお前が……かわいいと思った、思っちまったんだよ」

 

肩に腕が回ってきて、また強く抱きしめられる。

────嗚呼、そうか。クロウは、故郷を捨てた人だ。自分を育ててくれたお祖父さんを見捨てた街を見限って飛び出した。だから故郷を愛した私に強い感情を抱いてくれた。それはどこかが掛け違っていたら帝国民である私のことを恨んでも良かったのに、クロウはそうしなかった。

その事実がどこか痛くて、きっとクロウも自分の故郷を愛していたかったんだと、そんな風に思った。愛していた人が愛したものを斬り捨てるのは、苦しいんじゃないかって。

そして私の言葉をそう受け取ってくれたクロウの心が、本当に嬉しい。

ああ、やっぱり、たとえ君が女神さまのことが嫌いでも、憎んでいたとしても、内戦への引き鉄を引いたのだとしても、規範のない無秩序な人だとは到底思えない。私が好きになった君は、確かにここで生きている。

 

「……つまり、私が振られたのって君が《C》だったから、だよね」

「傷付けると明らか分かってる未来に引きずり込むのはクソ野郎だろ。さすがにな」

「いい隠れ蓑になったのに」

 

学生らしいカップルの姿で、安穏と学院生活を送るのに大層役立っただろうと思う。あんな計画群を立てるクロウにそういう計算が出来なかったとは到底思えないので、きっとそれも誠意の形のひとつだ。

 

「そういう風に使いたくなかったって話だ。結局はそうなっちまったがな」

「……愛されてるなぁ、私」

 

呟くと、おう愛してるぜ、と目尻にキスを落とされて、私たちはまた笑い合って眠りに落ちた。

 

 

 

 

1204/12/12(日)

 

部屋の中で出来る程度に身体を動かしていたら、戦艦の高度が下がったような気がして窓の外を眺めると、雪化粧な景色が近付いて来ていた。どこか見覚えのあるようなそれに首を傾げたけれど、私の中にある『見覚えのある雪景色』というのは少なかったので直ぐに心当たりに行き着く。

温泉郷ユミルの近く。十月の頭に皇帝陛下に招待され行ったばかりの場所だ。

だけどユミルは山間にあるためこんな飛行戦艦が着陸する場所なんてないわけで。搭乗者の誰かが湯治のためにここに来た、ということもあるまい。何せ今は戦中だ。貴族といえどもシュバルツァー男爵が今回の内戦に与しているとも考え難い。

残念ながら私がいる部屋からではユミルの里自体は見えなかったので、何が起きているのやらと気を揉むしか出来なかったのだけれど。

 

 

 

 

そうこうしているといろいろ一悶着も終わったのか、夜になってソファでのんびりしているところで貴賓区画に誰かが入って来たのがわかった。……この歩き方は、おそらくリィンくんだ。八葉一刀流にまつわる癖なのか、それともリィンくん個人の癖なのかは今の自分には判別がつかないけれど、歩く時の地面への足の付け方がとても特徴的なのだ。

そうして、ため息を吐く。

 

リィンくんは灰色の騎士人形……クロウやクロチルダさんの言葉を借りれば灰の騎神とやらの乗り手なのだろう。そして蒼の騎神を擁している貴族連合軍からしたらそれを勧誘しない手はない。だってそれだけでこの戦争に勝つ算段がつくほどだろう。

だけどクロウ自身は、リィンくんが貴族連合軍に協力する筈はないとわかっているだろうに。それでも選択肢を提示するのは、優しさだったりするのかな。

 

程なくしてクロウが部屋に戻って来たので、隣にいるのリィンくん?、と尋ねたら、さすがに分かっちまうか、と苦笑した。

 

「後輩いじめるの、あんまりいい趣味じゃないと思うな」

「別に趣味じゃねっつの」

 

心外だとでも言うかのように表情を歪ませるので、まぁ懐柔できたら儲けもの程度の話なのだろうと頷いた。

対面のソファにクロウが座るので、どうやら時間があるようだ、と会話を続ける。

 

「クロウはリィンくんが連合軍につくと思ってる?」

「思っちゃいねえよ。ただ、そういう道もあると分かった上で自分で選べってだけだわ」

 

あれほど完膚無きまでに裏切ったというのに、そういうところがあるんだからこの男は酷いと思う。あくまで自分で選んだという意識を明確にリィンくんへ持たせる。それは、これからの帝国で生きていく上でとても重要なものだ。それをわざわざ示してあげるだなんて、敵に塩を送るようなものだろうに。

 

────それでも、そんなことをしたくなる相手なんだというのが強く伝わってくる。蒼の騎神と、灰の騎神。帝国に古くから残る伝承である、巨いなる騎士と目される存在。その乗り手。数日遅れの新聞を読む限り、他の色の騎神は現れていないようで、つまり現状における対になる二人だとも言える。

お互いがお互い、戦場で唯一対等に戦える立場。もちろん技量差というのは存在するだろうけれど、そもそもの機体のスペックというのは戦況に大きく関わってくる。

だから、騎神を駆るクロウの前に立ちはだかることが可能なのは、現状リィンくんだけ。

私がどれだけ願っても、その立場は叶わない。

 

「ま、アイツがどういう立場を取るのか、楽しみにさせてもらうとするぜ」

 

妙に楽しげなクロウを見ながら、どこか暗い感情が灯るのを私はただただ傍観していた。

 

 

 

 

1204/12/13(月)

 

「セリ様、本日のお召し物についてご相談が」

 

ヒエリアさんがそんなことを言うだなんて滅多にないことで、私は(早朝にベッドを抜け出したクロウを見送った後の)二度目の起き抜けに首を傾げてしまった。

 

「本日は貴賓区画に特別なお客様を招いており、もしかしたらその方がこちらへいらっしゃる可能性があるとのことです。故に普段の簡単な装いではなく、ドレスを着用されることをお勧め致します」

 

なるほど。この区画に通されているということで、リィンくんはある程度の自由は認められているということだ。そして、この区画に今日いる面々が錚々たる存在感を放っている人たちであるというのはそれに影響しているのだろう。

連合軍の内情を知った上で、懐柔できると踏んでいる。少なくとも主宰であるカイエン公は。

 

「わかりました。ヒエリアさんが選んでくださった物を着用します。持ってきて頂けますか」

「はい。朝食後、ただちにご用意致します」

 

私は、こういった場面に適した衣装というのがおそらく的確に選べはしないので、ヒエリアさんの勧めに従う方が失敗はないだろうと踏んだ。リィンくんなら気にしないかもしれないけれど、扉を開いた時に他の人に目撃でもされたら面倒だ。

 

ヒエリアさんが退室し、静かになった部屋でため息をついた。

きっと今日を境に何かが大きく変わるだろうと、そんな予感を覚えさせられてしまったから。



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40 - 12/13 運命がそこに立っている。

1204/12/13(月) Side:Rean

 

クロウの過去を聞かせてもらって、どうしてアイツがあれほどまでにオズボーン宰相を狙ったのか、ある程度は理解した。悪だと思って断じたわけじゃなく、ただひたすらに『自分が何を為したいのか』を突き詰めた結果なんだと。

呼吸を整えて、思考を纏める。ユミルの里にみんなを置いてきてしまったけれど、絶対に、どうあっても帰ると言ったからにはなるべく情報を集めて帰るべきだ。

客人として見張りがついていないなら、俺が艦内をうろつくことも想定内なんだろう。気を巡らせて辺りの様子を探ると各部屋に人の気配があるし、ひとまず隣の部屋から始めることにした。

 

部屋を出て右隣の部屋にノックをすると、入って来て頂いて大丈夫ですよ、とどこか聞いたことのあるような声が返ってくる。まさかと扉を開けた先には、蒼いドレスを身に纏った────セリ先輩が微笑みと共に立っていた。

 

「せん、ぱい」

 

先輩は近くにいたメイドさんに視線をやり、その人は俺を中央のソファに案内し、お茶の用意をしてから静かに部屋を出て行った。湯気の立つ紅茶に、綺麗なお茶請けの焼き菓子たち。それを挟んだ対面に先輩が優雅な所作で座り、しん、と沈黙が落ちる。何を言えばいいのか。どうしてこんなところにいるのか。何で、そんなものが裾から覗いているのか。

 

「久しぶり、リィンくん」

 

かけられた声に顔をあげると、たった一ヶ月半ほど前にも見た顔だって言うのにどこか印象の違う先輩が俺を見て、しかし明らかにほっとした表情を浮かべていた。

 

「見たところ身体的な問題はなさそうで良かった。心配だったから」

「はい。その、先輩、も、お元気そうで……」

 

パンタグリュエルの貴賓区画にこうして待遇の良い形で滞在しているっていうことは、つまりそういうことなのかと疑問が駆け巡る。

 

「リィンくんが持ってる疑問に、私は答えられる限りを尽くそうと思っているよ」

 

静かな声。まるで俺がここに来ていることを知っていたかのような。いや、どんな疑問を持つのかも理解されているかのような。それでいて、自分の疑問をきちんと言葉に出すことを求められている。それは俺が知っている先輩の姿とはっきり重なった。

 

「……じゃあ、まず、先輩も貴族連合軍の一人なんですか?」

「私自身は連合軍の人間ではないね。なるほど、まずはそこから話そうか」

 

鷹揚に頷いた先輩は、あの演説の日から今に至るまでを簡単に説明してくれた。

連合軍に学院が占拠される可能性を踏まえ、トワ会長とジョルジュ部長を学院から脱出させて自分は内外の手引き者として残留を選択したこと。そうして連合軍からの指示に従いながら学院の運営に携わる生徒会へこっそりと裏から関わっていたこと。その折にクロウが蒼の騎神で迎えに来たこと。そしてそれが学院の自由と引き換えだったということも。

 

「そんなの……まるで人質じゃないですか」

「というわりにはこんな贅沢させてもらってるから、そう言っていいものかどうかだけど」

 

あは、と笑う先輩の足元で、しゃらりと金属が擦れる音が鳴った。さっき見えたものは見間違いじゃなかったってことだと、理解が思考を殴ってくる。ぐ、と両手を握って先輩に視線を繋げると、柔和な瞳が俺の言葉の先を促した。

 

「人質じゃないって、言っても、じゃあ、足元のそれは何なんですか」

 

ドレスの裾から覗く鈍い色の鎖。ある程度の長さが見てとれはしたけれど、最終的に脚が固定された中央のテーブルへと繋がっているそれは、どう考えたって先輩の行動を縛るものでしかない。そして、クロウが先輩をここに連れてきたなら、それは。

 

「あぁ、うん、鎖だね。私、この部屋から出られないんだ」

 

当たり前のように言う。あんなに……あんなに自分の考えでいろいろ俺たちを助けてくれていた先輩が、諦めたようにそう笑うものだから、俺はどんな風に何を言えばいいのかわからなくなってしまった。

 

「……それって、やっぱり、クロウが」

「そう。クロウがここに私を留め置いてる」

「そんな……」

 

クロウがセリ先輩を本当に好きで、大切にしているなんてVII組の中でもそれなりに話題にされていて、惚気を聞かせろとたまに囃し立てられて恥ずかしそうにしていた姿だって見てきた。それが、あの想いが、こんなところでこんな形に終着するものなのか。

 

「でもね、最終的には私が選んだことだよ」

 

少し冷めてしまっただろうティーカップにミルクを注いで、先輩がこくりと口をつける。

 

「クロウが何をしたのか、何をしているのか、何をしようと考えているのか、はっきりとは聞いていないけれど、ある程度は理解している……つもり。その上で私はクロウを今でも愛しているし、クロウもたぶん同じように。少なくとも、そう言ってはくれている」

 

言葉を綴っていく先輩は、きっとクロウの過去を知ってるんだと思った。それを前提として、クロウの傍にいることを選んだ。同情でも憐れみでもなく、ただ深い愛情のもとに。

 

「だからこれは私たちの問題であって、君が背負うものでは全くないんだ。でも心配してくれてありがとう」

「……先輩は、このままでいいんですか?」

 

だけどこんなの、健全とは言い難い関係じゃないか。学院の自治を交換条件に自分の身を捧げて、衣食の不自由はないかもしれないけれど、あんなに活動的だった先輩が広いとはいえたった一つの部屋に留められて。そんな。

 

「リィンくん」

 

名前を呼ばれていつの間にか下がっていた視線を上げると、ピシッと背筋を伸ばし、真っ直ぐな視線で、いつも通りの先輩の姿がそこにはあった。

 

「別にこのままでいいとは一言も言っていないよ。ただ私たちの問題だってだけで」

 

そうして先輩は困った風に笑った。

 

「灰の騎神の乗り手としてこんなところに連れてこられて、協力しろと言われている君に、これ以上考えることを増やしたくないんだよ。そのことだけは分かって欲しい」

「それ、は……」

 

確かにVII組のみんなと合流は出来て、革新派でも貴族派でもない第三の道を探って行きたいと話はしたけれど、個人個人に成したいことや身内の心配もある。結局これからどうしていくのか、どうしていったらこの内戦を終わらせられるのか、それらを叶えるための道筋すらもまだ具体的なことは何も話せていないままだ。

話し合いの最中にパンタグリュエルが来てしまったから。

 

「まずは自分たちのことをしっかり考えてね。緊急性の低い気遣いは二の次にするべきだよ」

 

マキアスが言っていたように、セリ先輩はかなりはっきりと物を言う。「君の刀のようにばっさりと斬られたよ」といつの日だったか笑って話していた。

今のこれがそれなんだろうと実感を伴って理解させられる。

 

「そうだ、もしリィンくんが隠れてこの区画から出たいと思った時用に教えておくね」

 

言いながら先輩は立ち上がり、小さな指先で招かれるままに部屋の奥へと進んでいくと、人一人が通れそうな通気口があった。

 

「方向、角度、聞こえてくる音からして貴賓区画からは確実に出られるルートだと思う。でもリィンくんは客人扱いだろうし、正面から出ていくのを止められることはないか」

「……いえ、脱出するなら俺たちが相手になるって、クロウに真正面から言われました」

「それは……困ったものだねえ」

 

先輩も、今この艦に残っている面々がどれほどの逸材なのか理解しているようで、どうしたものだか、といった風に眉尻を下げる。でもそれこそ、先輩の言葉を借りるなら俺の問題だ。数々の強敵だとしても……たとえ、あの力を解放せざるを得なかったとしても、貴族連合軍に協力することは出来ないと決めたならやり遂げるしかない。

席に戻って淹れられていた紅茶を飲むと、強張っていたどこかが緩んでいくのが分かった。紅茶を飲む余裕もないほどに混乱していたのかと改めて理解する。いやでも知ってる人が鎖で繋がれていたら混乱もするだろう。

 

「おそらく困る時間もない気もしますが、これから他にもいろいろと話を聞いてみます」

「うん、それがいいと思う。私に出来ることは少ないけれど、何かあれば協力させてね」

「ありがとうございます」

 

カップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がり、扉の方へ。見送ってくれる先輩に続いて鎖の音はしゃらりしゃらりと絶え間なく続いてくる。

 

「先輩」

「どうかした?」

 

ドアノブに手をかけたところで振り向いて、真っ直ぐとその姿を見据えて俺は口を開いた。蒼いドレスに身を包み、鎖に繋がれて、貴族連合軍旗艦にいるこの現状。それは、俺に口が出せるものではないのかもしれない。クロウとセリ先輩の間でしか解決出来ないものだっていうのは確かにそうなんだろう。

だけど。部外者が口を出さないといけないことだってきっとある。

 

「お節介と言われるかもしれませんが、それでも、俺は先輩とクロウを諦めたくはないです」

「……リィンくんらしいね。じゃあ、余裕があった時にでも気にしておいて」

 

呆れられたかもしれないけれど、やっぱり俺は、後顧の憂いなく仲睦まじく寄り添える日々が二人の未来にあって欲しいと、そう願ってしまうんだ。大切な人たちだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リィンくんが部屋を去り、張り詰めていた緊張がほどけ、深く息を吐くと共にソファへ座り肘置きにもたれかかる。本当はベッドに倒れ込みたいぐらいだったけれど、ドレスを借りている身としては変な皺をつけるわけにはいかないと、こんな時でも辛うじての理性が働いた。

 

私とクロウの関係性をどうにかしたいと言ってくれた彼の言葉はあまりにも真っ直ぐで、眩しすぎた。そして、リィンくんなら本当にどうにか出来てしまうかもしれない、だけどどうにかなんてしないで欲しいと、そう考えてしまう自分が嫌だった。

だって、この鎖はクロウが私を欲してくれた証のようなもので、同時に生命線の役割を果たしている。確かにどれだけの不自由を強いられているのかなんて数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだけれど、だとしても、それはクロウと私の間だけで解決する話にしておきたいのだ。

仮にリィンくんの言葉でクロウがこの鎖に手をかけるのなら、私はそれを絶対に是とはしたくない。……面倒なヤツだなんて自分が一番よく分かってる。

 

後輩の、それも男の子に嫉妬するなんておかしな話だ。

しかし私は彼のような立場にはいられない。VII組のように、真正面に立つ資格も今はない。ただただ与えられる安穏としたこの環境にいたいと願う愚かな自分が、本当に、嫌になってしまう。

 

────それでも。あの乾いた愛しい人の傍にいたいと選択したことに、後悔はないから。

 

 

 

 

今の服装で出来ることなど限られているので軽い作業をして、リィンくんが置かれているこの状況から下で何が起きているのか逆算していこうと、それなりの時間を思考に耽っていたところで急ぎ足の気配がして席を立った。ヒエリアさんではないし、リィンくんともう一人、誰か。

何にせよこちらに向かってきているのが明白な足音なのでノックされる前に扉を開いた瞬間、リィンくんの後ろに美しい金色の髪の女性が見えた。

けれどそれを問うよりも前に、誰かに気付かれる前に早く中へ、と二人を中に招き入れ静かに扉を閉める。そして振り向いた部屋の中央にはリィンくんに寄り添う、長く美しい金色の髪を一房だけ赤いリボンでまとめ、緋色を白いフリルで縁取った可愛らしいドレスに、夏の空を思わせる透き通った青の瞳の女性。

────間違いない。帝国の至宝と謳われる、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下だ。

 

「すみません、先輩」

「いきなりごめんなさい」

「いえ、皇女殿下へのお手伝いが出来ると言うのであれば、帝国臣民としてこれほど嬉しいことはありません。このような形ではありますが、御目通りが叶い嬉しく思います」

 

蒼いドレスの裾を上げ、ヒールを履いた足を引き、膝をつく。ドレスを着用した淑女の礼ではないけれど、私はそういった存在ではそもそもなく、今でも心は士官学院生なのだ。すなわち、この国の君主とそこに連なる方々を間接的であれ護る者。

 

「それで、先輩」

「通気口だね。開けてあるよ」

「助かります!」

 

リィンくんから脱出が阻まれる可能性がある、と聞いていたのでもし必要となったら一瞬のロスもしたくないだろう、とあらかじめ開けておいたし、ヒエリアさんも部屋に近付かないよう言い含めておいた。役に立ってよかったと心の中で頷く。

とはいえまさかリィンくんがこのような尊い方を連れてくるとは露ほども考えていなかったので、驚いたかといえば大層驚きはしたけれど。

 

そして二人を通気口のところまで案内し、ああそうだ、と内心一人呟いた。

 

「リィンくん、出来れば伝言だけ頼まれてくれないかな」

「はい、何でしょうか」

「もしトワかジョルジュに出会えたら、『約束守れなくてごめん』って。それだけで伝わる筈だから」

 

私は学院の内と外を繋ぐためにあそこへ残ったし、脱出を促した二人もそのことの重要性を理解してくれたから私を残していってくれた。不可抗力だったとはいえ自分の仕事を途中放棄したことには違いない。一応ロシュに道具と情報は残していたけれど、身の安全を最優先に、とも告げておいた。だから今あそこがどうなっているのか私にはまるでわからない。

パトリックくんとセレスタンさんが残っているのならおかしなことにはなっていないだろうという信頼は多分にあるけれど。

 

「わかりました、必ず伝えます」

 

タイミングが合えばでいいからそんなに気張りすぎないで欲しいな、と思ったけど、でもそれを言うのも酷な話か、と飲み込んだ。気を張っていなければこんなところで、このような方を連れて脱出だなんて出来ようもないだろうから。

 

「みんなによろしく、リィンくん。そして、ご無事をお祈りしております、アルフィン殿下」

「ええ……あなたにも女神の加護がありますように」

「もったいないお言葉です」

 

私の足元を見てか、殿下が痛ましい表情で手を組みそう言葉を告げてくださった。必要があればリィンくんが説明をしてくれるだろう。

そんなやりとりをした後、通気口へ潜り込む二人を見送り、私は暫くその場で女神さまへ祈ることにした。どうかこの高度3000アージュの絶空の世界で、彼らへ助けが差し伸べられますように、と。

 

 

 

 

そして願いは無事聞き届けられたのか、九月の学院の空に見たあの紅き高速巡洋艦がパンタグリュエルに並航する形で現れ出でたのだ。そして一瞬だけ見えた艦橋の奥に、彼らの姿もあった。どうして皇族専用艦のそんな場所にいるのか、問いたくもあったけれど今の私にそれは叶わない。

だから、今はただ無事を喜ぼう。あとはアンも健やかでいてくれるといいのだけれど、こんな状況で大人しくしている筈もないか、と思わず苦笑をこぼしてしまった。

ま、それも信頼の証の一つということで。



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41 - 12/15 海都寄港

1204/12/15(水)

 

その日は、起きた時にまず違和感があった。

なんだろうかと身体を起こしベッドから降りてみると直ぐに理解する。左足の鎖が消えていると。じゃらりとした不自由の象徴は、みみず腫れの傷を残して消えてしまっていた。いや案外と痛いなこれ。装着時はそこまで気にならなかったのに。

一体全体何が起きているのか。状況の説明を求められる相手はクロウも、ヒエリアさんも、誰も近くにいない。クロウは昨日一緒に寝た筈なので、逃げやがったなあの男。

 

気を取り直して辺りを見回し、今度は今まで部屋になかったものが床に鎮座しているのが見えた。靴だ。それも、一ヶ月ほど前まで私が履いていたけれどどこかに隠されてしまっていたコンバットブーツ。ローテーブルには動きやすそうな服が一式、学院に留まっていた時に取り上げられた武器まで揃えられ、部屋の角にあるポールハンガーにも知らないコートが掛けてある。もちろん服類は全てクロウのサイズではない。

いよいよもってなんだこの状況は、と思い始めたところで、壁際に置いてある作業机の上にこれ見よがしに鞄が置いてある。近づいて行ってみるとそれは見たことがないものだったけれど、私の好みそうな色合いのボディバッグ。中身を検めると、財布がひとつ。一応確認してみるとおかしなほどの額が入っていた。

おっとこれは、と怯んだところで、私の制服の内ポケットに入れていた筈の学生身分証明書が何でかそこに入れられている。

────つまり、これは、そういうことなのだろうか、と。

 

窓を確認してみるとパンタグリュエルは青を基調とした街に停留しているようで、手前に空港の風景が広がっている。250アージュ級飛行戦艦が停泊できる空港は帝国内でもそう多くはない。風景から導き出される場所としてはおそらく海都オルディスだろう。

すこし考えた私は、服を着て、靴を履き、ARCUSをポーチに、鞄を持って、パンタグリュエルを降りることにした。

 

 

 

 

戦艦を降り、ステップを降りて空港の連絡通路に降り立つ。それだけで嗅ぎ慣れない街の香りがして遠くの街に来てしまったなあ、とすこし心細くなってしまった。まぁそんなことも言っていられまい、と頭上にある看板に従って歩いていくと待ち合いのロビーのような場所に出た。

出口付近にインフォメーションセンターのようなカウンターが見えたので近寄っていくと、案内の女性がにこりと笑い、ご用件をお伺い致します、と。

 

「あの、実はたまたま乗っていた艦がこちらに停留したため出てきただけなので、街の名物や観光名所など簡単に教えて頂けたら嬉しいんですが、お時間大丈夫ですか?」

「はい、構いませんが……失礼ですが何時の便にお乗りになられていましたか?」

「ああ、定期船じゃ無いんです。パンタグリュエルという飛行船で」

 

正確には飛行戦艦、なのだけれど意図は伝わったようで女性の顔つきがうっすらと変わる。この発言で、白銀の飛行戦艦パンタグリュエル──つまりカイエン公にゆかりのある船に乗り、観光を所望している令嬢、という肩書きになった筈。それぐらいは利用させてもらってもいいだろう。

 

「よろしければこちらから送迎車をお出しすることも出来ますが如何なさいましょう」

「すみません、自分の足で気軽に歩いてみたいんです」

 

私の発言に相手は、なるほど、と得心した顔でこの街の地図を広げてくれた。

うん、嘘は言っていない。嘘は。相手が勝手に勘違いしてくれただけなのだ。だいぶ怪しいゾーンではあるけれど。

 

「まず、オルディス空港を出ますと聖堂地区──貴族の方々の邸宅が並ぶので通称貴族街とも呼ばれる場所に出られます。左手に見える大聖堂はやはり一度は訪れておきたい場所かと」

 

そんな風に丁寧にいろいろ教えてもらい、最後には地図を貰って私は空港から歩き出した。

 

 

 

 

空港から道沿いに進んで行くと、ある地点で光が射す感覚が強くなり駆け足になってしまう。すると直ぐに視界が開け、道の先にあるちょっとしたテラス的な公園へ降りて行くと階段状になっている建物群の向こう側に大きな尖塔と青い、写真でしか見たことがない海がずうっと向こうまで広がっていた。

 

「────すごい」

 

森でしか過ごしたことのない私にとって、こんな風景は雪景色と同じぐらいお伽話の世界のようなものだ。それが今、目の前にある。青い空に、広い海。ひらけた空の向こうには鳥が優雅に舞い飛んで。手すりに腕と身体を預け、走って火照った身体を冷ますような冬風が気持ちよくて瞼を下ろす。

 

『視界さえ開けてれば大体どっからでも海が見える作りになってるぜ』

 

不意に以前クロウが海都について話してくれた言葉を思い出してしまった。本当だね。旧都とはまた違った趣のある綺麗な街だ。夏至祭の時にはここから見えるあそこ一帯に篝火が灯されるんだろうか。どんな景色なんだろう、見てみたいな。

 

何だか出鼻で感傷的になってしまって気合を入れ直して後ろを向けば、立派な大聖堂が建っている。建物の規模としては旧都と同じぐらいかな、と考えながら中へ入ると大司教さまたちがいらっしゃった。

私は静かに腰を折って挨拶をし、並べられている長椅子の適当な場所へ座り両手を組む。

 

────女神さま、空の女神さま。いつか私は、大切な人が自分のことを話してくれる時が来たらどうか見守ってくださいとお祈りしました。それは無事果たされたので、ここに感謝の意を捧げたいと思います。本当に、ありがとうございました。

 

顔を上げると厳かな空気の中、光を透かし綺麗に光るステンドグラスの女神さまの似姿が。

何かあった時だけこうして祈るだなんて、あまりにも現金すぎる自分に苦笑しか出ないけれど、それでもやっぱり私は祈ることを止めないと思う。

今でもそこまで敬虔な信徒というわけではなくとも、以前より多少心構えは変わった気がする。これは単なる想像……いや妄想の類かもしれないけれど、どうしてか帝国はもっと混乱の渦が満ちて行くような、そんな予感がしてしまうから。

そしてもしそんな時代が来たら、自分に為せることを探していけますように。そう誓いを小さく立てて、私は大聖堂を後にした。

 

「まだ九時か」

 

ポーチから取り出した懐中時計に視線を落として呟く。そういえば今日はまだ朝食を食べていなかったな、と気が付いたので商業地区からぐるっと街を回りながら美味しそうな店を探して行こう。小目標を打ち出したところで足を動かし始めた。

 

道を駆けて行く子供、買い物をするご婦人、どこかの邸宅から漂ってくる美味しそうな香り。

内戦中だというのに街は驚くほど穏やかだ。街角で談笑する人々の顔にも不安は全く見えない。ここだけ見たら帝国内で争っているだなんて嘘のよう。

まぁ海都オルディスは貴族連合軍総主宰であるカイエン公のお膝元ということで、戦火とは程遠いからかもしれない。この分ならもしかしてティルフィルや叔父さん叔母さんに被害が行っている可能性も少ないかな、とちょっとだけ心が緩む。

 

邸宅街を抜けると丸い広場のような場所に出た。中心の像へ近寄ってみると、足元の銅板に『人々の航海の安全を見守りし、碧のオンディーヌここに』と刻まれている。

岩場に座った女性を象った彫像は長年風雨にさらされているせいか、丸みがかっている箇所が多いように見えた。しかしその眼差しのやさしさは海に向けられ、これからも彼女はここで海都を見守って行くのだろう。

 

「その石像はね、海の大精霊の娘であるオンディーヌを彫ったものと言われていて、中世の時代から人々の航海を見守ってくださっているんだよ」

 

その声に振り返ると、幾分かお年を召した男性が立っていた。格好からして貴族然とした方ではあるけれど、柔和な雰囲気がありどこか親しみやすさを覚えてしまう。格好からしてラマール貴族の方ではないようだけれど。

 

「ここは精霊信仰が今も残っているんですね」

「そう。お嬢さんのいる街はあまりそういうことはなかったかな」

「いえ、私がいた街も森の精霊さまを祀っているので、親近感がわく方です」

「それはいいことだ」

 

ふふ、と二人で笑い合い、丁寧にお礼をする。優しい方もいるものだ。

そしてどうやら地図によればここらはラマール街道やオルディス駅もあり、海都の玄関口のひとつのようで、高級百貨店やホテルなどが並んでいる。買うものも後であるかもしれないけれどとりあえず今はあまり関係はないかな、と丘の上に成る広場から景色を眺め、また歩を進めた。

 

 

 

 

広場を北へ抜けるとまた住宅街に入ったのか、軒を連ねる家々に囲まれた道に出る。ただこの坂を降っていくと港湾地区に出られるようなので、探検の終端はそこにしようと頷く。一応空港のある地区にも戻れるようだし。

それに帝国都市の中でも人口は帝都に次ぐ街と謳われるほどの広い街だから、あまり端の方まで行って迷子になっても困ってしまう。今日のところは空港で訊いた案内の方のおすすめに従って動いておくというのが得策だろう。

 

坂を道なりに歩いていると、生花を売っているお店が見えて思わず足が引き寄せられる。十二月だというのにわりと色とりどりの花があって驚いてしまった。薬草には冬に採れるものももちろんあるけれど、やはり春夏に比べて森の中の色数が少なくなるのは常だったから。

 

「おや、珍しいかい? オルディス近辺は陽射しが強くてね、生花の栽培に最適って有名で花卉農家がたくさんあるんだよ」

「へえ、初めて知りました。それでこんなにたくさんあるんですね」

 

風対策がされている花たちはどこか誇らしげで、七分咲きのものなどは買って帰ったらその蕾が綻ぶ前後の数日間を楽しませてくれるだろう。……そういえば、クロウから初めて貰った薔薇も満開ではなかったっけ、なんてことを思い出す。綺麗に咲いていく過程を写真で撮ったりして、あれも嬉しくて楽しかった。

 

「どうだい、一輪。大切な人へも、自分へでも、あるいは何でもない日の食卓を飾ったりね」

 

言われて、すいっと視線を奪われた花があった。オレンジ色の、花びらが何重にもなった可愛らしい小ぶりのそれ。添えられた札によるとカレンデュラという名前らしい。

 

「それじゃあ、まだ街を見て回る予定なので、そこのカレンデュラを一本取っておいてもらえますか? 代金はここで支払いますから」

「あいよ」

 

快く応じてくれた店主の方にお金を渡し、よい一日を、と見送られてまた坂道を。

すると美味しそうな香りがしてきて、ふらふらとまた吸い寄せられるように歩いていくと一軒の宿酒場の前に着いた。ぐう、とお腹が空腹を主張してくるので、遅い朝食でも摂ろうか、と扉を開けて中を覗いてみる。地元っぽい方から、宿泊など観光客のような方まで、朝と昼の間だからそこまで混んではいないけれど、楽しそうな声が。

 

「いらっしゃいませ、一名様ですか?」

 

給仕の女性に頷くとテーブル席へ案内され席に着く。メニュー表を渡されたところで、そうだ、と口を開いた。

 

「あの、この美味しそうな香りの料理って」

「ああ、ブイヤベースですね。野菜を炒めた後に魚を入れて煮込んだ具沢山のスープみたいな。うちの自慢の料理なんです」

「じゃあそれをひとつお願いします。あとパンも」

 

海辺のお店で海鮮料理なんて、そんなの絶対に美味しい。

 

 

 

 

魚と貝と野菜を煮込んだスープがこんなに複雑な味わいだなんて知らなかった。だけどこれを自分でやろうとしてもきっと上手くはいかない。鉄道が発達したとはいえやっぱり生鮮食品は高くつくから学生には手が出しづらいし、それ以上にこれはこの街だからこそだろうとも思う。

最初にこれだけ美味しいものを食べてしまったら、内陸の方で作る自分の料理に満足が出来るかと言ったら否だ。またひとつ美味しいものを知れたのは大きな収穫……だと思う。

それと残ったスープにパンを浸して食べるのも、ちょっと行儀は悪いかもしれないけれど余すことなく頂けるという一点において許されたい。

 

「あら、綺麗に食べてくれてありがとう」

「本当に美味しかったです!」

「それは良かった」

 

ゆっくりしたいけれど、まだまだ動く予定なので手早くお会計を済ませてしまおう、と席を立ちカウンターへ。精算をしたところで、あの、と声をかける。

 

「観光で来ているのですが、近辺でここは見ておいた方がいい、って場所はありますか?」

「それならやっぱりシュトラウス工房かな。道を少し上ったところの対面にあるんだけど、硝子細工を専門にされている方でね、見るだけでも楽しいと思うよ」

 

硝子細工。それは是非とも見たい、とお礼を言って店を出た。少し戻ってしまうけれどそこまでロスじゃない。たぶん。……大丈夫だよね?と時計を出して確認したけれどリミットまでは十分時間があった。よしよし、体内時計はまだ狂ってないな、と満足して工房を目指す。

 

坂道を戻って行くと右手にそれらしき建物が見えてきた。看板を確認して入ると、中にはこれまたたくさんの色が飾られている。花を模したランプや、花器、流線型のグラスや、細かい細工が入った杯、小物入れなど、いろいろな硝子で作られたものたちが。店の中央にある獅子を象った細工など、今にも動き出しそうなほどで驚いてしまう。

天井からの光を受けてきらきらと輝く硝子工芸品を見て、ああそうか、と納得がいった。さっき花屋の方からオルディスは陽射しが強いと聞いた。強い陽射しは硝子を退色させるものでもあるだろうけれど、それと同時に硝子を美しく魅せるものでもあるのだ。そして花を生ける花器も需要が高いのは明白なこと。

 

知らない街でも、そこには人々の生活が、文化が息づいている。

私は帝国という概念にアプローチをかけるためにティルフィルの外へ出ることを考えているけれど、もしいつかあの街へ戻るのなら、それらをきちんと理解して街のために働きたい。でもその為にはやっぱり他の場所を知った上でないと、何が弱くて何が強いのかわからない。

だから、そう、あの街を愛しているからこそ外へ。

 

自分の心が定まって行くのを感じる。知らない街なのに、知らない街だからこそ、浮き彫りになるものもあるんだな、なんて。

 

きれいな硝子工芸品の数々。残念ながら今の私では購入することは出来ないけれど、いつかまたこの街へ来た時には何かひとつ自分のお金で買いたいと心に決める。

カウンターに立っている男性に会釈して店を出たときの私の足取りは、本当に軽かった。

 

 

 

 

「……な、んで、お前がここにいるんだよ」

 

そうして街を巡り、歩きながら必要なものを考え、物を引き取ったり買い物をしたりして、私はパンタグリュエルの一室へ戻りソファへ座った。というところでクロウも帰ってきたのだけれど、第一声がそれだった。

 

「なんでって、いや、むしろなんで?」

 

そう言われる筋合いは一切ないと思うのだけれど。

 

「足枷外れてお誂え向きに停留してんだろうが」

「あぁ、一度外出はしたよ。怪我してるから傷薬とか、暇だから参考書とかまとめ買いとかしてきて重かったかな。一緒に来てくれたら良かったのに」

 

どうせなら二人で街を歩いた方が楽しかったかも、と考えないではない。でも二人だったらあんな風に落ち着いた心にはならなかっただろうという気配はあるので、これもまた女神さまのお導きだろう。

 

「……逃げてくれって、つもりだったんだが」

「もちろんそれは理解したけど、元々どこかへ行くつもりはなかったよ」

 

出掛ける時に武器だけは置いていった身として苦笑するしかない。あれだけあからさまな意図を見逃す筈もないわけで。

クロウは閉めた扉の前で立ち尽くし、理解不能だというような表情で私を見下ろしている。

 

「出ていかねえ理由がないだろ」

「君がいるから。君が私を求めてくれるから。それじゃあ駄目?」

 

君は自分ばかりが好きでいるかのような行動をするけど、私だって君のことが好きだし、何よりやっぱりここにだって夜中にクロウのことを抱きしめられる人間なんてのは存在していないと思う。私が安らぎの場になれるのかどうか、ちょっとだけ自信はないけれど、僅かにでも安寧を差し出せるなら傍に居たい。その程度には、愛しているから。

それにやっぱり、この間の今日ということはリィンくんがどこかで関係しているのだろうということは想像に難くない。私の言葉は届かなくても、彼の言葉なら届くんだな、なんていう嫉妬も混じっている。だからこれは意地のようなものだ。

 

「……」

「あ、というか時間あるなら薬塗って欲しいな。自分じゃやりづらいから」

「ん? あ、あぁ、そういや怪我したって」

「そう。左の足首」

 

紙袋から小瓶を取り出してひらひらと振ると、思うところがあるのに噛み殺したんだろうクロウが手袋を外しそれを受け取って、私の前に膝をつく。いや別に椅子に座ってくれてもいいんだけど。だけどどうやら自罰的なのかそこがいいようで、まぁいいか、と靴などを脱いで足を差し出した。

蓋を開いたそこから適量を指先で掬い、冷たいものが足首に乗るのですこし声が漏れる。一周ぐるりとついた傷跡は、それほどもなく消えるだろう。

 

「足枷ももう少し肌に優しいものだったら嬉しかったなぁ」

「……以後善処する」

「しなくていいけどね! もう嵌めないでね!」

 

まるでこれからも鎖を嵌める可能性があると言わんばかりの発言に思わず反論を返してしまった。戻ってきたと言っても別にそれを了承したわけじゃないからね?

今後もそれがあったらさすがに室内が傷つくという天秤をひっくり返して、導力銃で鎖を撃ち抜かせて貰うとしよう。ああ、でも、そう。実のところ脱出しようと思えばいつでも出来たというのをこの男は知るべきなのかもしれない。もちろんヒエリアさんに迷惑がかかるとか、そういう状況も含むとおいそれとするつもりはなかったけれど。最終的には自分の意志であることは明確だ。

 

「というかさ、たとえ貴族派が大多数を占める平和な場所だとしても知らない街で放り出すのは責任なさすぎでは? 拾った動物の面倒は最後まで見て欲しいにゃあ」

 

おどけて言ったところで包帯も巻き終わり、訝しむようなクロウの頬に両手を添えて目尻にキスをする。ぱちぱちと瞬きする隙間で暗い紅耀石の瞳と視線が合い、私は笑みを深くした。

するとお返しだと言わんばかりにそのまま唇を合わせられ、無遠慮に差し込まれた舌が私のに絡みつきナカを蹂躙していく。自分の意思以外で動くそのあたたかさが気持ちよくて、首へ絡めるように腕を巻きつけた。

暫くそうして貪り合っていたところで、不意に終わりが来る。すこし物足りなくて閉じていた瞼を開くと、真っ直ぐな瞳に射竦められ、背筋がぞくりとした。

 

「……お前自身がそれを望むなら、もうなかったことになんてしてやらねえぞ」

「そんなの、元からそうじゃない?」

 

この関係を清算できる地点なんて、とっくのとうに過ぎ去っているのだから。

 

 

 

 

「そういえば財布に引くほどお金が入ってたんだけど」

「お前が何処へ逃げても当分暮らせる額は入れてた」

「愛が重い……」



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42 - 12/17 ラウンジ茶会

1204/12/17(金)

 

「セリちゃん、ちょっと部屋から出てお茶してみない?」

 

私の足首から鎖が消えたことを(もしかしたら当の本人よりも)喜んでくれたスカーレットさんからお茶会に誘われたのは、一時間ほど前のことだった。

ドレスを選び、靴を選び、ヘアアレンジまでされてしまい、何でこんなことにと思う暇もなく、あれよあれよとラウンジの一角で美味しそうな焼き菓子や摘めるサイズのサンドイッチなどと対面しているのが現在だ。

 

「それにしても、本当に良かった」

 

しみじみとスカーレットさんが言うので、見ず知らず且つ一応敵だと断言した私に対してそこまで心配してしまうほどあの状況は異質だったんだな、とぼんやり紅茶に口をつけながら思考する。……そう、敵では、あるのだけれど。どうもそういうことを感じさせないというか、気にしていない風情で少し混乱してしまう。

とはいえ相手がそういう対応をしてこないなら持てない敵愾心なんてその程度のものだし、同陣営ではないからといって場所問わず噛み付くと言うのはよろしくない。それに裏の世界には敵であってもお茶をするというなんかそういう作法があったりする可能性だってある。世界とは不思議なものなので。

 

「一ヶ月以上つけていたので、ないとちょっと不思議な気がしますけどね」

「ない方が圧倒的に長かったんだから、すぐまた慣れるわよ」

 

それもそうだ。

爪に見慣れない色が乗った指で小さなサンドイッチを口に運び首の動きで同意する。

 

「そういえば昨日からランニングしてるって聞いたんだけど」

「ああ、甲板でですね。何せ鈍りに鈍ってしまったので。どこかの誰かさんのおかげで」

 

いくら部屋としては大きいと言っても運動が出来るほどではない。毎日これから100から150セルジュほど走らないと失った体力は戻ってこないだろう。それもいつまで続けることになるのかはわからない話だけれども。

何だかちょっと監視されている雰囲気もありはするけれど、特に実害はないので仕方ないかと諦めている。慣れてきたら許可を取って剣を振るのもアリかもしれない。

 

「それでも、ここに残ったのね」

「はい。脅されたとか、懇願されたとか、そんなこと一切なく、徹頭徹尾私の意志で」

 

リィンくんへの対抗意識がないとは言わないけれど、それだって私の中にある感情だ。クロウはことあるごとに私を置いていこうとするけれど、もう諦めて欲しい。君が好きになった相手はしつこい人間なんだってことを。

もちろんクロウがこの恋人関係を継続したくない、というのであれば悲しくはあるけれど解消するつもりはきちんとある。だけどそうじゃない。そうではないのだ。それぐらい、人の感情に疎い私にだって分かってしまう。

私は君の愛情を疑わないのだから君も私の愛情を疑わないで欲しいのに。でも親しい人が亡くなって、すべてを断ち切ってこんなところまで来てしまったから、新しく出来てしまったそういう立場の存在をどう扱っていいのか困っているというのもうっすら伝わってくる。だからもうこれは言い続けるしかないんだ。

 

「スカーレットさん」

「どうかした?」

 

深い湖面のような瞳を真っ直ぐに見ると、ゆっくり微笑まれる。穏やかな表情。帝国解放戦線に入る前は、こんな表情でいつもいたのかもしれないと、そう思わされた。そしてそんな人の人生を全て塗りつぶして行ったのがあの鉄血宰相なのだろうと。

私を案じてくれるのも、きっとスカーレットさんにとっては『当たり前のこと』なんだろう。私が敵だと言ってもこうして顔を見に来てくれる。クロウの女だからというよりは、私個人を気にしてくれているような風情があって。やっぱりやさしい方なのだと思う。

 

「その、ずっと心配してくれてありがとうございます。クロウのことは……今でもいろいろ考えますけど、とりあえず対話するところから始めようって話せて、こんな感じです」

 

ゆるく組んだ両の手の甲を見せて笑う。そこに見える私の爪は蒼──海都のような、あの騎神のような色で飾られていた。クロウが一昨日丁寧に塗ってくれたものだ。お前のここに俺の色をずっと塗りたかったって、そう告白されてしまって、暫くぶりに素直に照れてしまった。

 

「……前にね、リーダーに苦言を呈したのよ。『あんな子をこんなところに連れてきて、遊びにしては趣味が悪いわよ』って」

 

遊びかどうかはともかく、趣味が悪いというのは同意せざるを得ない話だ。

一方的に裏切りを押し付けて関係を解消した恋人を、これまた一方的な交換条件で引き取りに来て、それどころか鎖で自室に繋ぐという。仮にクロウが貴族だったら恋人を鳥籠に入れたがる趣味があるのでは、と懸念が発生してしまうからそういう地位がある人間じゃなくて良かったと不謹慎ながら思ってしまうほどで。

 

「そしたらなんて言ったと思う? 『本気だから連れてきてんだよ』ですって」

「……本気だからってしていい仕打ちだとは思いませんけどね」

「フフ、それは確かに。でも、貴方の居場所を聞いて、どうしようもなくなって、正気じゃなくなるくらい、本当に好きなんだなって。さすがにお手上げしちゃったわ」

 

クロウが私のことを好きでいてくれているなんて、今はわかって、いる、けれど。それはそれとして他の人からそういう話を聞くと際限なく照れてしまう。

 

「あたしが会った時は確か16か17で……その頃から妙な迫力があったものだけど、貴方のおかげで年相応なところを見られたというか。ああ、人を好きになることが出来るんだ、ってね」

 

つまり。スカーレットさんは、組織のリーダーとしてクロウを認めていたと同時に、もしかしたら、弟のようなものだと思っていたのかも知れない。だってあれだけ綺麗にネイルをしている人が頼まれたからといって、リーダーだからといって、自分の爪に触ることを許すというのはなんだか不自然だ。

私だって最低限ではあるけれど自分で施すからわかる。自分の命を預ける指先を他人に預けることの意味を。

 

「スカーレットさんって、クロウのことを大切に思っているんですね」

 

私が思わずそう口に出すと暫しの沈黙の後に、よくもそうハッキリと、なんて呆れたように笑われてしまった。

 

「ま、大切かどうかは一旦置いておくにしても、目的を達成した後でも真面目なリーダーの不器用な矜持に付き合おうと思う程度には、それなりにね」

 

目的。鉄血宰相の殺害。言葉からしてあの日を境に大多数が脱退したのだろうけれど、それでも残ることを選択したということで。それはやっぱり、そこに至るまでの情を築くほど近しい間柄だったと言うことなんじゃないかな。あまり人の感情を推し量って押し付けるのはよくないけれど。

 

「……そういえば、その、気になったんですけど」

「うん?」

「16の時のクロウってどんな風でした?」

 

少し声を潜めて問いかけたら、一瞬真顔になったスカーレットさんは次の瞬間肩を震わせて思い切り笑い始めてしまった。そんな変なこと言ったかなあ!

 

「いえ、そうね、気になるわよね」

「……言えないようなことでしたら、別に」

「ああ違うのそう言う意味じゃなくて。うん、出会った頃のリーダーね、一言で言えばやさぐれてたわよ」

 

やさぐれ。私が知っているような平和な不良学生という側面じゃなくて、本当に、裏の世界的な意味でのことだとはさすがに理解した。

 

「まぁ16でパトロンを手に入れて帝国解放戦線を立ち上げるような精神状態だもの。決して健全と言えるものじゃないわ。それでもあたしたちはその熱に魅せられてここまで走ってきた。年下の、男の子とも言える子を頭に据えてね。そのことに後悔はないのだけれど」

 

クロウの周りには人が集まる。それは学院で生活をしていれば自ずと見えてくるものではあったけれど、どうやら昔から人たらしの素養があったようだ。

 

「どう? 怖くなった?」

「……怖くないって言ったら、たぶん嘘になります。でも、クロウが歩いてきた道に血溜まりがあるとわかっていても、私は向き合いたいと願ってここにいますから」

 

何度遠ざけられても、クロウの心に私が有ってくれるのならそれに応えたい。出来れば都合の良い存在としてではなく、対等な立場の人間として。

 

「それならあたしから言えることは何もないわね」

 

そう言ってくれたスカーレットさんと二人で笑いながら、平和なお茶会はクロウを話題にしつついろいろなところへと及んでいった。

 

 

 

 

「────」

「セリちゃん?」

 

そんな平和な会話の中に、不意に誰かの気配が引っかかる。顔を上げたところで死角になっている通用口の壁際から金の髪に翠耀石の瞳を持つ貴人──ルーファス・アルバレア公子が出てきた。

その姿を確認した瞬間、思わず立ち上がって両腕を腰の後ろに回し気をつけをして、しまった。私の行動に驚いたのかスカーレットさんが私と公子を見比べている。どうしよう。癖って怖い。

 

「おや、ローランド君。息災なようで何より」

「ルーファス理事……いえ、ルーファス閣下もご壮健そうで何よりです」

「理事でも構わないよ。君はトールズの生徒であるのだし、私もまたそれに変わりはない」

「そう、ですか」

 

楽にしてくれたまえ、といった手振りをされたので、少し体勢を改め真っ直ぐと見る。しかし考えてみればアルバレア公爵家は四大名門筆頭とも言えるわけで、この船に乗ってきても全くおかしなことではない。

 

「あの、その節はいろいろとご配慮いただきありがとうございました」

 

去年あった例の猟兵崩れの事件に関して、あれ以来顔を合わせることもなかったから言えていなかったけれど、時間もあるのか無視もされなかったのでちょうど良いと腰を折る。助けられたというのは確かだから。

 

「いやいや、私の方こそ、あれはいい話だった」

「ご謙遜を。わたくしなどいなくても、どうとでもなりましたでしょう」

「それでも、だよ。士官学院生の育ちを見るのは興味深く、楽しくもあるものだからね。これは本当のことだよ」

「では、その言葉はありがたく受け取らせて頂きます」

 

これほど立場のある人であれば私の記事を私の意向など関係なくどうにでも出来たろうというのは確かだし、領邦軍に引き渡した猟兵崩れをどうしたのかという話も結末を例の特別実習で知ってしまった。

それでも私のことを(ある程度意識操作が入っていたとはさすがにわかっているけれど)尊重してくれたという事実はある。

 

「フフ、それにしても彼と君が恋人同士だったとは。世界とは面白い」

「……そうでしょうか?」

 

その言葉が何か変だな、と思ったところで、そうか学院への手引きをしたのはこの方なのか、と合点が行ってしまった。もちろん、裏口入学といったことではないだろうけれど、学院長などに気付かれないよう何重にもくるんだ便宜を図ったのだろうということは想像に難くない。

学院という狭い狭い世界において、上層部に協力者がいないとどうして思えたのだろうか。そしてこの方は、クロウが"そう"であることをもちろん知っていた。

生徒個人のパーソナリティに興味がなく、人間関係の移り変わりを知らなかったというのは本当なのだろうけれど。

 

「時に、進路の方は考えているのかな」

 

いきなり話が飛んだせいで、へ、と間抜けな声が出た。

 

「卒業後のことについてだよ」

「……いえ、その、まさかこんな場で進路の心配をされるとは思いませんでした」

 

反政府組織と繋がっていた貴族連合軍旗艦パンタグリュエルの貴賓区画の片隅で、公爵家長男次期当主筆頭という重鎮ともあろうお方に、平民である自分の進路を訊かれるだなんて予想を誰が出来るだろうか。少なくとも自分は出来なかった。

 

「そうかね。例えば君なら帝国時報からお誘いがあってもおかしくはないと思うが」

「……」

 

まるで現状を見透かしたかのように言われたものだからそれが表情に出てしまったのか、ふふ、と笑われてしまった。

 

「ああ、もしそういうことがあるのであれば私から進言したわけではないよ。ただ君が行ったことを考えればそういう未来もあり得るだろうと」

 

順当な推測の結果だと言う。それはそうなんだろう。この方が私を帝国時報に推薦する理由は欠片たりとも見当たらないし、それに公爵家の進言があってのオファーなら私に選択肢があるような勧誘にはなる筈もなく。

 

「……わからないのです。自分が、何を為せるのか。何を為せば良いのか。為したいことはあるのですが、その為に帝国時報に入ることが必要なのかどうかも」

 

だから、思わず、そんなことを。まるで真っ当な進路相談のようなことを。

 

「為したいことがあったとしても、それに囚われ過ぎてしまえば自身に為せることを見失いかねない。君が今まで何と向き合って来たのか、よく考えるといい。無論、物事の良し悪しもね。────ああ、時間だ。では息災で」

 

ルーファス……理事は、そう会話を切り上げて階段を昇り、奥の部屋へと歩いていった。

想像以上にきちんと返答をもらえてしまい、混乱の極みの最中にいるところへ、とりあえず座ったら?、とスカーレットさんの声が聞こえてくるまで私はずっと立ち尽くしてしまった。



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43 - 12/18 蒼嵐との邂逅

1204/12/18(土)

 

運動が見込まれている服装とはいえ、さすがに制服で戦艦の甲板で走っていると不気味だろうと言われたので、大人しくクロウが用意してくれた長袖長ズボンの運動に適した服で走っていた。

こんなところで誰が見るわけでもないのにご苦労なことだとちょっと思わないでもないけれど、まぁ固辞するほどこだわりがあるわけでもないので素直に受け入れている。

甲板はクロチルダさんが魔術防壁を施しているのか、特に寒くもなく暑くもなく、快適だ。

 

それにしてもただ走ることが出来るというのがこれほど開放感を伴うとはなぁ、なんて。部屋では走っても何千周とかしなければならないし、そもそも鎖が絡まる。スピードも出し辛く目も回るだろう。その意味で、この雲海しか見えない景色だったとしても空の下でのびのびと速度を上げられると言うのは、思った以上に私の心を癒してくれた。たとえ振り切れない監視の目を感じるものだったとしても。

いや本当にストレスだったんだな、あれ。繋がっている時はそう感じないよう努めて意識をしないようにしていたから。

それにこの雲海も、一ヶ月も見ていればわりと表情があることに気がついてしまった。相変わらず地上を見下ろせるのは一瞬だけれど、雨雲の種類や風の向きなど、上から見ているとくるくると変わっていく様子が一目瞭然で。部屋の窓もそれなりに大きかったけれど、やっぱり情報量は甲板上とは雲泥の差だ。

 

「……」

 

そして、いまクロウは艦橋の方に行っているのか例の蒼の騎神が甲板で膝をついている。一息ついたところで近付いて、灰の騎神より少し大きいかな、と目測して頷いた。

この騎士人形もリィンくんが駆るという灰の騎神と似たような場所に安置されていたのだろうか。するとクロウは、リィンくんたちが遭遇したという試練を一人で成し遂げてここにいるのかもしれない。もしそうだったなら、クロウは何を考えて彼らとあの旧校舎の中へ入って行って、何を感じたろう。

たった一人で向き合わなければならなかった自分の境遇を目の当たりにしなかっただろうか。

 

「あなたは、それを知っているのかな」

 

ぽつりと言葉を零した途端、騎神の頭部だろう部位に光が灯り、"視線"は私へと向けられた。

 

「それとは何を指している?」

 

頭上から降ってきた音に対応出来ず、思わず口をつぐむ。すると次いで、どうかしたのか、と再度問いかけが落ちてきて、ああやはりこれは白昼夢などではないのかと思い知らされた。

 

「しゃべ」

「私は自律意思を持つ」

 

じゃあ、クロウは戦場で一人ではないんだ。それは本当によかった。

きゅっと心を改め、胸に手を当て、真っ直ぐと蒼の騎神殿へと視線を返す。

 

「失礼しました。私はセリ・ローランドと申します。よろしければあなたの名前を教えて頂けますか」

「我が名はオルディーネ。クロウを起動者(ライザー)として頂く騎神だ」

 

オルディーネ。クロウの口からたびたび出て来ていた単語はやはり蒼の騎神の名前だったらしい。海都オルディスに眠っていた、蒼の騎神。ドライケルス帝が築いた士官学院に眠っていた灰の騎神。であるのなら、ローエングリン城の紋章も同じものの可能性は高いのでは?槍の聖女の騎神、なんてさすがにそれはお伽話が過ぎるだろうか。

 

「……っ」

 

急に風が吹いて少しよろけたら、支えるように大きな掌が私の傍に。大きな指だ。

 

「あ、ありがとう、ございます」

「甲板の端は危険だ。用事も終わったのなら早く帰るといい」

 

無骨ではあるけれど確かに私を心配してくれるその言葉は、どこかクロウにも似ている気がした。いや口調とかは全くもって違うんだけど。なんというか、世界への在り方というか。

 

「……オルディーネさんは、帝国に伝わる巨いなる騎士のお一方なんですか?」

 

この国の古い伝承にある、帝国を平定する巨いなる騎士と目される存在。それが目の前にいるというのは私の好奇心を刺激して止まなかった。

 

「呼び名も口調も、そう構えなくてもいい」

 

言われながらすっと掌を上に向けるように私の傍らへ手が降りてきて、ちらりと上を見上げれば頷かれる。数瞬迷って、その掌に腰を下ろしたところでもう片手が合流してきて、落ちないようお椀の形に作られた手を眼前まで持ち上げられた。

……もしかしてずっと見上げ続けていたから首を心配されたのかもしれない。

 

「質問に関しては、そう呼ばれているようだな」

「……随分と、その、簡単に答えてくれたのだけれど、いいの?」

「秘するようにという行動指針の登録などは特にされていない」

 

そうなんだ。じゃあやっぱり槍の聖女が騎神を駆っていたなんてことはなかったんだろう。さすがに250年前とはいえ歴史を綴る人は多くいたろうから、もし今回のように出現していたら歴史書あたりに残っているはずだ。特に獅子戦役なんていう、今の帝国を語る上では決して外すことの出来ない歴史の転換点に於いては観測者も多かったと残された書物が証明している。

 

「あなたはクロウとは長いの?」

「魔女クロチルダにクロウが導かれ、私の前に現れたのは三~四年ほど前だったか」

 

三~四年前。今年20歳と言っていたから、それが本当なら16歳や17歳の頃。スカーレットさんもその頃に会ったと言っていたから嘘ではないと思う。やっぱりその頃がクロウにとっての運命の分岐路だったんだろうな、なんて。

 

「だが、我が起動者はそなたと出会ってから、苦しくも楽しそうだ」

「え?」

「誤算とも言っていたし後悔もあるかもしれないが、それでも憂いは無いように見える」

 

偽物の学院生活。私のことを一度断った行動。きっと誰のことも好きになる予定なんてなかった。それを私が壊してしまって、あの交通事故がすべてをぐしゃぐしゃにして、クロウは何を考えたのか私を受け入れることにした。誤算という言葉はそれらを端的に表現している。

 

「だからこれからも、可能であればクロウのことを頼みたい」

「────もちろん」

 

私に出来ることがあるのかはわからないけれど、私よりもずっと長く傍にいた方からそう言ってもらえるなら心強い限りだ。

 

「……む」

「あ」

 

お互い甲板へ出て来た馴染みのある気配に顔を向けると、その通りの人物が多少早足でこちらへ向かってくるのが見えた。半身振り向いたままオルディーネの指に手をかけ、顔が良く見える距離まで二人で待つことに。

 

「何やってんだよ、お前ら」

「……お話?」

「単なる世間話だな」

 

問われたのですこし顔を見合わせてから言うと、話すだけでなんで持ち上げられてんだって話だわ、と頭が痛いのかクロウが少し嘆くように言葉を吐く。

 

「セリが話しづらそうだったのでこうしたまでだ」

「という厚意に甘えました」

「ったく、物怖じしねーヤツ。もしオルディーネが力加減間違えたらとか思わねーのかよ」

「クロウが信頼してるなら大丈夫だろうって」

「あー……、そうだよな。お前はそういうヤツだった」

「訂正を求める。現在の出力の参照元は以前、クロウがこの者を掬い上げた時のものだ。当時は全身を緊張させてはいたが操作を誤らないよう細心の注意を払っていたことは身体データからはっきり読み取っている。私もそれを踏襲して扱っているといったことは伝達しておこう」

 

呆れたようなクロウに対してオルディーネは容赦なく曝け出すものだから、ほんの僅かだけ固まったものの次の瞬間には顔を隠すように蹲ってしまった。つむじがはっきり見えて、どことなくかわいい。

 

「……愛されてるなぁ、私」

「しみじみ言うな!」

 

 

 

 

夕方になり、クロウは呼び出しを食らって西部の方へ飛び立っていった。

暇になった私は艦内をうろつくならドレスの方がいいとヒエリアさんからアドバイスを受け、その通りに以前のとはデザイン違いの蒼いドレスを着用して散歩をしている。もう夜になってしまったのでそろそろ部屋に戻ろうか。というところで後ろから人の気配。

振り返るとラマール流の豪奢な装いをした人物がそこに立っている。その姿から、それが誰なのかは容易に想像がついた。クロワール・ド・カイエン公爵。貴族連合軍の総主宰を務める人物で、クロウへ一番最初についたパトロンだ。クロウがこの内戦を引き起こすことに力を貸した直接の人物。

 

「おや、もしかすると、蒼の騎士殿の花ではないか」

「────カイエン公爵閣下。この艦に乗船を許可して頂いている身にありながら、ご挨拶もせず申し訳ありません」

 

スカートをつまみ、淑女の礼をして廊下を譲ろうとしたところで、公爵は私の前に立ち止まった。嫌な予感しかしない。

 

「いや、構わんよ。何せ君は蒼の騎士殿の客人だ。私にとっても大切な相手と言えよう」

 

そんなことをのうのうと抜かせるのだから、大した人物だと思う。先ほど私のことを蒼の騎士の花と、そう言ったというのに。つまるところ添え物で、人質で、ここにいる存在が誰であってもそう規定されていれば構わないのだろうに。

 

「いやしかし、確かにうつくしいご令嬢だ。蒼の騎士殿が部屋から出したくないというのも頷ける話であろう」

 

そっと、顎に指をかけられ、顔を上へ向かせられた。

その行為に全身の肌が粟立ったけれど、まさか突き飛ばすわけにもいかず、さりとてどうしたら無礼にならずこの場を切り抜けられるのかもわからない。仮に無礼を働いて私が打首になる程度ならまだいい。クロウには危害は及ばないだろうけれど、私の実家に手を出されないとは限らない。ハイアームズ侯爵閣下の領地とはいえ、もしかしたら、あるいは、そんな可能性を考えないわけにはいかない。だって相手は四大名門の当主の一人だから。

 

それにまさか総主宰ともあろう人間がこんな"一般人と同じような気配"しかないだなんて思わなかったし、護衛の人間も連れていないだなんてそんなことあり得るだろうか。かのルーファス公子が武人としてもただならぬ気配をしているものだし、ルグィン伯爵閣下も見ていたせいで総主宰と聞かされていたカイエン公もてっきりそういった類の人間だとばかり。

そして、いま、この艦にクロウはいない。本当に、抜かったとしか言いようがない。

 

「お戯れを、カイエン公爵閣下。わたくしのような者には分不相応な言葉です」

「いや、そなたは気がついておらぬようだが」

「────カイエン公」

 

すると私の顔を近距離で覗いて来ているカイエン公爵の背中側、私にとっての完全な死角から、姿は見えずとも聴き慣れた声が飛んできた。敵意を隠そうともしないモノで。

 

「……これはこれは、蒼の騎士殿のご帰還か」

 

笑いながらカイエン公爵が私から離れる。ぞっと、背筋に汗が流れていく。

 

「フフ、騎士殿の不興を買うわけにはいかない。私はこれで退散するとしよう。それでは、よい空の旅を」

 

こつりこつり、踵を返したカイエン公爵とすれ違うようにクロウが足早に私の傍へ来てくれる。そうして有無を言わさずに横抱きで持ち上げられ、そのまま何も言わずに部屋へ連れて行かれた。

部屋に入って直ぐぼすんとベッドの上へ放られ、靴を脱ぎたいと上体を起こしたところへ覆いかぶさってきて顎を持ち上げられ、首筋を入念に観察される。

 

「────何もされてないか?」

 

今度は顔を横に向けさせられ、耳の裏までチェック。

 

「うん、距離は詰められて顎も持ち上げられたけど、そこで君がきてくれたから」

 

今度は反対側を。簡易チェックは終わったのか、ため息を吐いてクロウが隣へうつ伏せに寝転んできた。今度こそ靴を脱いでクロウを軽く横断しながらベッドの下へヒールを下ろし、私も寝転んだ。

ドレスは皺になってしまうだろうからヒエリアさんには謝ろう。今はクロウの傍にいたい。

 

「焦った。めちゃくちゃ焦った」

「……ごめん、油断してた」

 

さらり、銀色の髪の毛を撫でる。

あぁ、というか、なるほど。クロウの位置関係だと上手く見えなかったのだ。私へ屈むあの男の姿しか。なんというか、あそこでクロウが来てくれていなかったらどうなっていたことか、と本当にぞっとする。私に告げ口をさせない方法なんて幾らでも持っているだろうから。

 

「いや、まさか全員が出払ってるとは思わなかった。俺のミスだ」

 

出払っていなくても誰が助けてくれるのかと言ったらだいぶ疑問じゃなかろうか。スカーレットさんはどうしてだか私に良くしてくれているので、もしかしたら牽制してくれそうではあるけれど。あとは……正直、ちょっと想像がつかない。

 

「でも今回のでカイエン公爵の気配は覚えたから、今度からはエンカウントしないようにもっと上手くやれると思う」

 

ドレスでどれだけやれるかはわからないし、艦内構造もきちんと把握し切れたわけではないけれど、会わないようどうにかするぐらいは出来る、たぶん。

シーツを掴むクロウの手にそっと自分のを絡めてそう誓うと顔を横を向いてくれて、視線が繋がった。

 

「……お前のそういうスキルは昔っから信頼してるぜ」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

 

きっと私の戦闘能力は、学院生という枷を外したクロウには到底及ばない。それでもそう言葉にしてくれるのだから私も頑張ってみようと思う。

そっとやわらかい銀色の髪にキスを落として、私たちは束の間の微睡みに耽ることにした。



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44 - 12/19 告白

1204/12/19(日)

 

それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 

「────っ」

「お、なかなかええ反応するやん」

 

いつものように甲板で走っていたら、死角から一閃。何とか避けたところで軽妙な言葉と共に革のジャケットを着て色硝子の眼鏡をかけた男性が出てきた。肩に担ぐは大型のブレードライフル。それをいとも簡単に片手で操りきる腕力と膂力がそれだけで理解させられてしまう。

 

「……西風の旅団」

「ほう、その名が出てくるか」

「フィーさんから少しだけ聞いたことがありまして」

 

ブレードライフルの方の横へまたも一人現れる。浅黒い肌に筋骨隆々のその方は特に武装はしていなかったけれど、こちらも只者じゃないことだけは理解した。そして二人の左胸元に刺繍されている碧い風切り鳥の紋章、かつて大陸北部で活躍していたという高位猟兵団の証。

会話をしながら跳躍し後ろへ下がりつつ、影を見失わないようしっかと視線は揺らさない。

 

「……それで、いきなりどういうつもりですか。甲板で運動している存在が目障りというわけでもないでしょう」

「ハハ、まあ、ちーっとばかし気になってな?」

 

言いながら好戦的に得物を振り回すその姿に私の肯定など必要ないことが分かったと同時に、猟兵団っていうのは頭がおかしい人ばかりなのかもしれないという気にもなってしまった。いや何だかんだやっぱりカタギの仕事ではないし当たり前かもしれないけれど。

 

「ではこちらは回避に専念させてもらいますが、それでよければ」

 

武器もない徒手空拳でブレードライフルに挑もうなんて気はさらさらないけれど、仮に武器を持ってきていたとしても砕かれていた可能性がよぎった。それはそれとして高位猟兵団の方が試合ってくれるなんてことそうそうないし機会が向こうから転がり込んで来たのであれば、きっと楽しんでおいた方がいい。

 

 

 

 

明らかに手加減されているとはいえ、それでも得物を振る鋭さは一級品だ。眼鏡のおかげで視線のフェイントをされることはないけれど黒い革のジャケットのおかげで筋肉の移動が見えづらくなっているから、それを見切って次の行動を定めていかないといけない。加えて殺気がない分、逆に避けるのが難しい。

私が必死に避けているというのに、この程度はお遊びということだ。ちくしょう!

 

「ようついてくるやん」

「どう考えても手加減中にそれ言いますか!」

「うん、せやから速度上げてこか」

「!」

 

藪をつついて蛇を出したかもしれない。いや、明言されなくても徐々に速くなっているのは分かっていたけれど、それでも改めて言うということは今までの比ではないってことだ。

汗を拭いながら体勢を整え、よろしくお願いします、と構えた自分は一体どんな顔をしていただろう。

 

 

 

 

「ん、まあこんなとこか」

「ありっ、あ、とう……ご、ざいま、す」

 

感謝の言葉すら満足に出せないほど体力を削り切られた。というか私がその時点の体力で全力を出した場合どの程度なら避けられるのかというのを全て見切られ、そのギリギリを延々と突いてこられた。だっていうのに相手は息一つ切らしていない。相手の力量を見極め、手加減をし続けるというのはそれこそ相当の労力が必要だと思うのだけど。……化け物すぎる。

 

「すまなかったな、うちのゼノが」

「セリ様、水とタオルをどうぞ」

 

いつの間にか来ていたらしいヒエリアさんが駆け寄ってきて、水の入ったグラスを差し出してくる。膝についていた震える手を叱咤して落とさないよう一気に呷った。運動後の水は最高。

 

「いやー、ちょっと前に騎神の手ェに乗ってお話してる嬢さん見てな。ええ脚しとるなって」

「……それで、いきなりこんなことを……?」

「オレらも若干時間空いてしもたし、まあ単に走っとるよりはええ時間になったんちゃう」

 

それは確かにそうだ。たとえ数十分だったとしても何倍も勉強させてもらった。それに現役の猟兵の方に、イケるイケるまだイケる、とチリつくような挑戦をさせられ続けたというのは自分の限界を知る意味でも大層良かったと言わざるを得ない。自分はまだあんなに動けるんだと。

 

「しかしお礼出来そうなものが何もないんですよねえ」

「別にこっちから構ったんやし別に気にせんでも……ああ、せや。フィーのこと知っとるなら聞かせてもらったり出来ひん?」

「え、ああ、その程度のことでしたら」

 

たしか西風の旅団は団長の死亡後、フィーさんを置いて離散し、一人になった彼女をサラ教官がトールズ士官学院へ迎えたと聞かされている。故にそういうことなのかと勝手に思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。少なくとも、フィーさんの名前を出すときに柔らかくなったのは事実だ。

 

「ふむ、であればラウンジの方に昼食を用意させよう。部屋に招いたとあらば蒼の騎士が駆け込んできてしまいそうだからな」

「あは、そうですね」

 

冗談だったかもしれないけれどクロウなら本当にやりかねない。

それなら取り敢えずシャワーを浴びて、ラウンジに出向いて、そうしてやっぱりまずは自己紹介からだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西部への出撃を終わらせ、なるべくここには帰ってくるようにしてるわけだが、今日は特に一人でいたくねえと夜中になろうと自室へ戻って来た。とはいえ案の定セリはもう寝てる時間だ。コートと手袋を脱ぎ捨て、バンダナも放って、適当にズボンも上も取っ払って、シャワー浴びるのもめんどいとベッドへ倒れ込んだ。

セリの方へ顔を向けると振動で睡眠が阻害されたからか眉間に皺が寄ってるのが見えて、思わず可愛いと笑っちまう。それが最後の引き金になったのか瞼が上がって視線がこっちに向いた。

 

「今日、黒竜関の方でゼリカが親父と機甲兵でやり合ったらしいぜ。タイマンで」

「……やっぱりアンがじっとしてるわけないよねえ」

 

ふにゃふにゃとしながら的確な言葉が返ってくるもんだから、そうだな、と同意する。トワもジョルジュもゼリカも、リィンもVII組の面々も、どいつもこいつも走ることを諦める道を知らねえ。そんな真っ直ぐな奴ら。

そんで、そんな奴らの前に、アイツは汚名を濯ぐと言わんばかりに立ちはだかった。

 

「……泣いてる?」

 

どうも変な顔をしちまったのかいきなりそんな言葉がかけられ、泣いてねえよ、と短く返す。

 

「そ。泣いてるなら胸貸してあげようと思ったけど要らないね」

「……泣いてる」

 

肌かけのシーツをめくり、有無を言わさずその胸に頭を預けた。すると引き離すこともなく、さらりさらりと髪の毛に指が通されていく。頬や腕で感じるやらかい身体。もしかしたら、しあわせなんてのはこんな形をしているのかも知れねえと錯覚しちまうほどに。

 

「どうしたのか訊いてもいいやつ?」

「……《V》が、ヴァルカンがな、今日死んだ」

「……帝国解放戦線の幹部の方だっけ」

「ああ」

 

セリと一緒にいる時に部屋に一回だけアイツが訪ねて来たことはあったが、衝立でお互い姿は見えなかった筈だ。その程度。そしてガレリア要塞急襲作戦の一人でもあった。だからか悼む言葉は落ちてこなかったが、それでよかった。

許せないことがあったとしても死を詰ることはしないヤツだって分かってるから。

 

「仲間が亡くなったとしても、降りることは考えていないよね」

「まぁな。それが始めた人間の責任ってもんだろ」

 

《V》の前に《G》だってその命を落としてる。今更この流れを止められるワケもねえ。それならその結末がどんな形になろうとも、俺は付き合うべきなんだ。

 

「……本当、クロウって案外と律儀だね」

 

ほんのちくりとした言葉に、すこし疑問がもたげた。今まで怖くて訊けなかったこと。それが頭を覗かせて、俺の胸を突いて出た。

 

「……なあ、俺がこうだって知って、ここまで着いてきて、お前は後悔してねえのか?」

 

頭を撫でる指先が止まり、ああやっぱり問いかけるべきじゃなかった、と悔いかけたところで小さな笑い声が落ちてくる。

 

「それがさ、びっくりするほどしてないの」

 

思った以上に明るい声で言われて、俺の方が驚いちまった。

 

「トワとジョルジュと行かなかった時、君の手を取った時、帰ってきた時、この選択を後悔するかもしれない、って考えないではなかったよ。その結果殴られはしたし、いろいろ他にも酷い目には遭ったけど、今ここでこうして君の傍で味方面出来てるのは嬉しいんだ」

「味方じゃなくて味方面かよ」

「うん。だって、味方にする気、ないでしょ。情報共有しない味方は敵だよ。だから仮初め」

 

朗らかに、何でもないかのようにお前はそんなことを言う。俺がこれからのことを何にも話しちゃいないって看破しつつ、それを責めもしない。ンなことを言わせるつもりなんてなかったってのに、だけど、そう言ってくれたことが嬉しくて、つよくつよく抱きしめる。

相反する感情で頭がごちゃごちゃになって、ああやっぱり俺はお前が好きなんだって、そんなことしかわからなかった。

 

「ま、そうは言ってもいつか本当に味方になれたらいいとは思っているよ」

 

ゆるく頭が撫でられて思考がとろりと溶かされそうになっていたところで、はっきりとその言葉が耳に届く。こんな男の味方になりたいって思ってくれてんのか。

 

「私は両親を亡くしはしたけれど、それでもとても平和に生きて来られた人間だと思う。だから君の人生の話は、私には最終的に理解は出来ないかもしれない」

「……」

「それでも私は君のこれからに関わっていきたいなって。迷惑かもしれないけれど」

「んなことは……」

 

そもそも、こんな状況に落とし込んでる奴が何を迷惑だというんだって話だ。たとえ迷惑だとしても受け入れろレベルのもんだと思うが。……いや、人間一人の人生の話をしてんだ。そういう妥協とか譲歩で話すもんじゃねえとコイツは考えてんだろう。真面目だから。

 

────碌でもねえ人生を歩んできた自覚はある。ガキの時分で故郷を捨てて、犯罪に手を染めながら生き長らえて、パトロンに出会って反政府組織を立ち上げて、大勢の人間を殺した。帝国の重鎮もこの手にかけた。どう考えたってマトモな終わりがある筈もない。たとえ貴族連合軍が国の中枢を掌握し、俺のしでかしたことが犯罪として認められず英雄として祭り上げられたとしても。

好いた女を裏切るとんでもねえ野郎だと自覚しながら告白して、それで大怪我するような羽目にも陥らせて、それでもたった一人──お前がそう望んでくれるなら。

 

「なあ、この戦が終わって、指輪贈ったら受け取ってくれるか」

「……贈るから結婚してくれとかじゃなくて確認からというのはあまりにも及び腰では」

 

ぐうの音も出ないほどの正論だ。しかも顔を隠しながら言うこっちゃねえかもしれない。だけどこわいんだ。散々な目に遭わせておいてどの面下げてだが。

しかしセリは、俺の頭をまるで自分の心臓の音を聴かせたいかのように強く抱き寄せた。とくんとくん、と生きた音がする。

 

「────君は、自分の行為に罪があると考えている?」

「……ないとは言わねえよ。大勢の人間の命を敵味方問わず奪ってきたのは確かで、そいつは帝国の貴族制が強固なものになったとしても消えるもんじゃない」

 

血の流れない革命なんて綺麗事を抜かすつもりは毛頭なかった。そもそも貴族連中が結果的に伝統再興の革命に仕立て上げようとしてるだけで俺自身にご大層なモンがあったわけじゃねえし、つまりは単なる私怨で、自分が計画したことで大勢の人間が死ぬことになるなんてことも分かった上で走り続けてここまで来たんだ。後悔がないことと罪があることは両立する。

 

「それに、トワを殺してたかもしれないのも事実だ。たとえ奪還面子にオレがいてもな」

 

こいつから、あいつらから、大切な人間を一人奪いかねなかった。目的のために見捨てた事実は歴然と今も俺の横にある。改めてそれを告げると、ふっ、と軽く笑う音が聞こえた。

 

「わかった。そこの見解が一致しているのなら、君のその言葉を受けようと思う」

「────」

 

まさか、この真面目が服着てるようなヤツが俺の提案を受け入れてくれるとは思っちゃなくて顔を見る。そこにはうっすらと笑みを浮かべたまま、俺の頭を撫でるそいつが。

 

「一緒に罪を雪ごう。戦争が終わって、もし離れることになっても、何年でも待ってるから」

 

お前に罪なんてないのに、お前が引き取るもんでもないのに、お前の時間を費やすほどのもんでもねえってのに、それでも、俺と一緒にいる選択をしてくれるっていうのか。

 

「私もね、君を愛してる」

 

今まで何度となく囁かれた言葉が、また響く。

嗚呼、どうしようもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1204/12/20(月) 早朝

 

不安定なクロウをゆっくり寝かしつけて、私も寝た筈だったのだけど、不意に目が覚めてしまった。カーテンの隙間から見える光は早朝のもので、たぶんまだ五時にもなっていない。

どうしようかな、と思いを巡らせたところで体を起こしてみる。随分と深い眠りに入っているのかクロウが起きる気配はなくて、ああそれなら、とベッドを抜け出し、服を多少着替えて、用意していたのに使われなかったシーツを一枚ストールがわりに肩へかけ、早朝のしじまの中へ歩き出した。

 

朝の甲板は思っていた以上に陽光を反射していて少し目に痛い。手でひさしを作りながら進んでいくと甲板の端に蒼い影。

 

「随分と早いな。眠れなかったのか?」

「そんな感じ。ごめん、眠ってた?」

 

私の気配に気が付いていたのか、驚いた風もなく尋ねられ素直に頷いた。

 

「休眠機能はあるが、今は霊力が足りている。完全な待機状態だが眠ってはいない」

「そっか」

 

軽い応酬をしながら足元の柵に背中を預けて座ろうとしたところで静かに手を差し出される。優しい方だな、と昨日……正確には一昨日のように腰を預け、小指に乗るような形で足を下ろしながら上を向いた。

肩から羽織り、足元へ落ち、オルディーネの指の間からこぼれるシーツが光を受けながら風に揺らされて綺麗だ。

 

「きっともうすぐ、大きなことが起こるんだ」

「クロウがそう言ったのか?」

「ううん。クロウは戦争について何にも話さないよ。表のことも、裏のことも。私に知らされるのは終わった後の出来事だけ」

「……それは」

 

言い淀むオルディーネがあまりにも人間らしくて、私は笑ってしまった。

 

「そう、きっと私を守るためだと思う。でもさ、ここまで巻き込んでおいてそれはないって気もするんだよ」

 

ただ守られたいがためだけにここにいるわけではないのに。きっとここにいつもの三人がいたらみんな、過保護にも程があるだろう、と呆れながら口を揃えて言ってくれる。それぐらい、クロウは私を大事にしすぎている。まるで壊れやすい陶器の人形かのように。

 

「巻き込むなら最後まで巻き込んで欲しいのにな」

 

婚約を申し込まれはしたけれど、クロウは私を戦場へ連れていくことを是とはしないだろう。たとえ他でもない私が願ったとしてもきっとクロウは叶えてはくれない。対等になんて扱ってくれていない。それでも私がクロウの言葉を受けたのは死んで欲しくないからだ。戦の渦中へ飛び込むということは死が身近にあるという状態で、私への約束が生への楔の一つになればいいって、祈りのように。

 

「────だが、我が起動者にはおそらくそなたが必要なのだろう」

「……」

 

いつの間にか下へ落ちていた視線を上げ、陽光に照らされる蒼いその顔を見ると、表情が変わるわけではないのにどこか自信があるようにも見えた。

 

「そなたがここに来てから、ここにいると知っているからか、戦闘効率は明らかに上がっている。それは紛れもないことだ」

「驚いた。あなたにそんな風に言ってもらえるなんて」

「事実を伝えているに過ぎない」

 

その言い切りように、ああ今までずっと長くクロウを見て来たんだろうな、と心の奥深いところがあたたかくなった。カイエン公に出会わなければ内戦を引き起こすことは出来なかった反面、そうでなければクロウはオルディーネに出会うこともなかったというのは、少々複雑な話ではあるけれど。

 

「……クロウのことはきっと私より知っているんだろうね」

「確かに私は起動者と深く繋がっているが、それでも人間同士の繋がりというものは侮れまい──その証拠に、迎えが来た」

 

オルディーネが視線を遠くにやったのを見て、私もそっちの方へ向けると甲板の端っこ、艦内へつながる扉のところに確かに見慣れた影が小さくある。

そうして相手もこちらを視界に捉えたのか、思っていた以上の速度で近づいて来て直ぐにオルディーネの足元まで。バンダナすらつけず、本当に簡素な格好で。

 

「おっま、え……こんなド朝に、ベッド抜け出してンなところにいるとか」

「えっ、これ浮気カウントされてるの?」

「いや、さすがにする気はねえよ。ただ、ちょっと目が覚めたら隣にいた筈のヤツが部屋のどこにもいねえとか何の悪夢かと思うだろ」

「あー、うん、思う、かも? いや思わなくない?」

 

鎖も無くなったんだし早朝の散歩ぐらい許して欲しい。やっぱりクロウは過保護がすぎる。

 

「いいから、ほら、帰るぞ。気持ちよく二度寝しようぜ」

 

そんな風に腕を伸ばしながら当たり前のように言うものだから、何だかちょっと反抗心がもたげてしまった。

 

「やだ」

「は?」

「二度寝するならここでする」

 

ぎゅっとオルディーネの指に抱きついてそう言うと間抜けな顔をしたクロウが見える。ほらね、私が断るだなんて一切思ってなかったって顔だ!

 

「いや、あぶねーだろ」

「雲の上であり、雨による脅威はないな」

「そういう事じゃなくってだな!」

 

ああ、もう、とクロウが頭を掻いて嘆息する。膠着状態。

 

「……何が悪かった。直せなくても善処くらいは……出来る……かもしれねえから……」

 

歯切れの悪い言葉だが、しかし言い切らないあたりがある種の誠実さとも言える。こと、この男に限っては。確約しないのが誠実だなんてちょっと笑ってしまうけれど。

 

婚約の予約を提案されはしたし受けはしたけれど、でも結局私がいろんなことを知るのは全てが終わってから何だろうって思ってる。君の人生に関わりたくて、君も私の人生に関わりたいと言ってくれているのに、その実そんな行動は見せてくれない。それが寂しい。

所詮私は表の人間でしかないと言われているようで。

 

だけどどうにも自分の考えがまとまらず言いあぐねていると、オルディーネの稼働音と共に地面へ近くへと下ろされた。

 

「わっ、ちょ、オルディーネ!」

「……さんきゅー」

 

オルディーネの指の間を縫うようにクロウが私へ手を差し出してくる。陽光で綺麗に照らされたその紅い瞳には抗えず、そっと横抱きにされるがまま部屋へ帰ることになった。ずるい。

 

 

 

 

「そんで、何か言いたいことでもあんのかよ」

 

ぐずる私をベッドに放り投げ、あやすように背中を叩きながらクロウはそんな事を言う。

だけど私がどうしても思考を纏められなくて黙っていると、あろうことかこの男は少し困った顔をしたのだ。かわいい。心底、かわいい。違うそんな場合じゃない。

 

「……お互いの人生を預け、預けられたいって言うには、隠しごとが多すぎると思うんだよ」

「そいつは……」

「うん、私がどれだけ言い募っても話さないと君が決めたなら意味がないとも分かってる」

 

裏のことに私を巻き込みたくないというクロウの意図もさすがに伝わってきている。加えてこうと決めたことを成し遂げるポテンシャルは存分に知らされてもいるわけで。

そんなモノを折る方法は今の私にはない。

 

「だから、ジュライでどんな風に過ごしてたのか、代わりに教えてくれたら手打ちにする」

「……何があるでもない、平凡で退屈な話だぞ」

「それは私が決めることだ」

「ああ、そだな」

 

さらりさらり、髪の毛をいじりながら、クロウは昔々の話をし始めてくれた。

 

 

 

 

「両親を早々に亡くしてた俺は祖父さんに育てられてたんだが、これがまた茶目っ気のある人でな。勉強もそうだったが、カードから始まってチェスだのダーツだのそういう遊びも教えてくれた……謂わば師匠みたいなもんだった。たまにイカサマまでされてよ、見抜けない方が悪いなんて言われて、弟分のスタークってヤツと一緒に手元を研究したこともあったっけか」

「海が近い国なんだよね」

「おう。釣りはもう飽きるほどやってたが、まぁ海ってのは面白いもんで一日もおんなじ表情がねえんだよ。だから隙あらばバケツと釣竿持って出掛けて、晩飯引っ提げて帰るのもよくあった」

「それで晩御飯作ったりして、お祖父さんを待ってたりしたの?」

「毎日忙しそうに、でも国のことで頭悩ませてる祖父さんがすげえ楽しそうだったから、俺も支えたいって思ってたかんな」

「その頃のクロウ、見てみたかったな。絶対可愛いよね」

「アルバムとかは残ってねえからなあ。ま、現時点の俺で勘弁しといてくれや」

「……いやまあ今のクロウくんももちろん可愛いし格好いいし好きですけどね」

「照れながら言うのやめろ俺も照れるだろ」

 

 

「あとこっちに来て驚いたのはサウナとか風呂文化があんま浸透してないとこだな」

「……サウナ?」

「蒸気で部屋をあっためてそれで汗を流すっつうか。風呂好きなら気にいると思うぜ」

「へえ。そういえばリィンくんも温泉好きだったよね。北の方って山もあるし盛んなのかな」

「そいつはあるかもな。あとは温泉──特に塩泉て呼ばれるのもあって、薬効が高いってことでその筋の観光客もそれなりにいたな」

「そうなんだ。入ってみたい」

 

 

 

 

「と、まあ、こんなところか」

 

ジュライの文化や、クロウの交友関係など、どんなことで遊んでいたのかなんてことまでいろいろ、半生にまつわる話を終えたところで、けほ、とクロウがむせる。長い間話していたせいか喉が渇いたのだろう。

 

「お水持って」

「いや、いい。ここにいてくれ」

 

私がシーツから抜け出そうとすると、クロウの胸元に抱き込まれる形で阻止されてしまった。

 

「どこにも行かないよ?」

「それでも」

 

ジュライのことを話させてしまったから、ナーバスにしてしまったのかもしれない。ねだったのは自分なのでこれはさすがにどうこう言う権利はないなと言葉を飲み込んだ。

 

「……どこにも行かないから、せめて置いていかないで欲しいな」

 

してくれるわけもないと分かってて、困らせると理解してて、言う私は意地が悪いんだと思う。

 

「俺は……あいつを戦場で待つつもりだかんなあ」

 

"あいつ"。あぁ、やっぱり妬けてしまう。君の心を掴んでやまない男の子。騎神の起動者として相対するこの時代唯一の相手。私では何がどう転がってもその視線に晒されることは許されない。

 

「……私、やっぱりリィンくんが羨ましい」

 

最後の最期まで、対峙できる、その立ち位置。

最後の最期まで、見てもらえる、その場所が。

 

「おいおい、ヤローを羨んでくれるなよ」

 

笑いながらそっと小さく、目尻にキスが落とされる。

それが妙に物悲しくて、私は心の中で泣いてしまった。ばかやろう。




【補足】「婚約の予約」は誤字でも重複でもないです。


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45 - 12/23 空下の昼食

1204/12/23(木)

 

今日も今日とて甲板を走っていてそろそろ昼前かなという時間帯、視界の端でテーブルが運び込まれたりそこに椅子が添えられたり、何だかちょっと不思議な空間が出来上がっていっているのを横目に認識しながら気にしないように日課分の距離を走り、クールダウンまで終えたところでいつの間にか蒼いドレスを纏った女性がそこに居た。

 

「セリちゃん」

 

優雅な微笑みと蕩けてしまうような声音で名前が呼ばれ、本能かあるいはそれに近いような場所で逃げる判断は許されないことを理解した。最近多いなそういうこと。いや別に何か用事があるだとか嫌だとかでは全くないのだけれど、何かあった際、咄嗟に逃げる算段を考えてしまうのは最近ついてしまったクセのようなものかもしれない。

 

「たまには太陽の下でお昼ご飯もいいと思わない?」

「……ええと、お邪魔でないのなら」

「ふふ、良かった」

 

お邪魔でないどころか明らかに私を招くために甲板に机やら椅子やらが置かれていたのだろうと言うことは理解していたけれど、一応。

何処にあったのか完璧にセッティングされた屋外用のテーブルセットの一脚に腰掛けると対面にクロチルダさんが座る。しかし、こうしてきちんと真正面から見たらどう見たって蒼の歌姫であるし、あのラジオ放送の不可思議な映像に映っていた姿だって今考えればそうとわかるのに、あれらを見ていた私たちはそんな簡単なことにすら気が付けなかった。たぶんきっとミスティさんと同一人物だと判断出来なかった時のような、認識を逸らす魔術か何かが使われていたのだろうけれども。

気が付くことが出来ないというのは恐ろしいなと改めて。だって気が付けなければ意識することだって出来やしない。それは致命的な隙に繋がりやすいものだ。

 

注がれた水に口をつけながらクロチルダさんに視線を送ると、私を見返すその紫耀の瞳は輝く青空の下であってもどんな思惑をも隠す深さが眠っているようだった。

 

「風、気持ちいいわね」

「そうですね」

 

ゆるやかに吹く風へ豊かでうつくしい髪を遊ばせている姿は、うっかりすると魅入ってしまいそうなほど。そんなに歳も違わない筈だけれど、数年でこんな風になれる気はしないのでクロチルダさんの努力や資質によるものなんだろう。さすが帝都歌劇場で頂点を取りながら同時にこんな計画を進行させていた人だ。とんでもなく忙しかったろうに。

 

「……あれ?」

 

会話も少なく、かといってそれが苦しいというわけでもなく、なんだかのんびりしていたところで甲板へ出てくる見知った影が見えた。片方だけ見える青い瞳が私を捉えると、足早にやってくる。

 

「セリちゃん、ここにいたのね」

「はい、あれ何か約束とかしてましたっけ」

「ああ、違うの。ちょっと気乗りのしない任務が入ったから、出る前にお話ししたいなって」

 

……これは、その、薄々そうではないかと思っていたけれど、クロウが弟だとするなら妹のように思われているのでは?胆力が違いすぎる。いやそれぐらいでもないとやっていけない立場というのはそう。たぶん。

 

「ええと、誘ってもらえるのは嬉しいんですが」

 

ちらりとクロチルダさんの方を見ると、好きにしてくれていいわよ、といった雰囲気を確実に伝わるような笑い方をされたので、スカーレットさんも一緒にどうですか、と昼食を誘うことにした。いやしかし変な面子だ。

 

 

 

 

「そういえば、リーダーとは普段どういう話をしてるの?」

 

三者三様に用意された昼食で、私に提供された赤身肉のステーキへナイフを入れていたところにスカーレットさんからそんな疑問が飛んできた。どういう……?

 

「……学院生時代は戦闘訓練の反省会とか、勉強一緒にしたりとか、カードゲームで遊んだり、チェスを教わってボロ負けしたり、そんな感じでしたよ」

「じゃあ今は?」

 

どうやらクロチルダさんも面白そうだと思ったのか話に乗ってきてしまい、これは選択をミスったのでは、と後悔がちらりとよぎる。

 

「あんまり話さないです。抱きしめたり抱きしめられたりで、ただまどろむだけの時間が多いかなって」

 

そも活動場所の違いと機密事項のせいで共通の話題がないというのが大きいのだろうけれど、それはそれとして別に話さなくてもぎゅっとされているだけでわりと、まぁいいかな、という気持ちにさせられてしまうのだ。

そのふれあいがいかがわしい方向に進むこともなくはないので一長一短ではあるが。本人曰く可愛い彼女が腕の中にいたらこうなるのは男の性だとかなんとか力説していたけれどその辺は理解に苦しむ。だってそうでない時もあるのだし。

 

「案外静かですよ」

 

二人でいる時のクロウが他の誰かといる時よりちょっとやわらかく笑うのが好きだけど、そういう情報は私だけが知っていればいいと思う。独占欲が強いというのはもういろいろと思い知っているので自分の感情とはうまく付き合っていきたい。

 

「……なんか甘酸っぱさに訊いたこっちが赤面しそうになるわね」

「《S》に同意するのは少し癪だけど同じ気分よ」

 

そんな反応をされるようなことは言っていないと思うのだけれど。……いや、前にクロウからお前は全部顔に出ると言われたからわかる人にはわかるのかもしれない。だとしたら表情で判断が付きづらいと言われた幼い日々は何だったのだろうか。学院生活で情緒と表情筋が育ったのかもしれない。遅すぎる。

 

切ったお肉を口に運びながら、なんか逸らせる話題ないかな、と脳内を検索して前々から気になっていたことがあったことを思い出した。

 

「そういえば前に、黒いうさぎの耳の服を着た女の子や、甲冑を纏った女性や、胡散臭い貴族風衣装の男性とかを見かけたんですが、猟兵という雰囲気もないですし、もしかしてクロチルダさんと同じところに所属している方々なんですか?」

 

あとは泥酔したクロウを運んできてくれた男性とかもそうか。

……あれ、でも黒いうさぎ耳の彼女はミリアムさんと似たような戦術殻と共にいた。彼女が結社に属する人物であるのであれば、ミリアムさんは一体何者なんだ?一応情報秘匿作業が施される前の書類では政府機関に所属していた筈だけれど。

 

「あら、どうしてそう思うの?」

「この戦争に結社と呼ばれる暗躍組織が関与しているというのがこちらの見解だったので」

 

ミリアムさんのことは一旦置いておくにしても、八月のガレリア要塞や九月の鉄鉱山などで結社が開発・運用していると噂されている機械魔獣が惜しげもなく投入されていたのは事実だ。そして帝国解放戦線が貴族連合軍と繋がっているのなら、帝国解放戦線に機械魔獣を提供していた結社が現在の内戦に関わっている可能性は高い。

そして本物の猟兵というのを目の当たりにした今、そことは明らかに一線を画している面々だというのも肌感で理解した。

 

「ええ、そう。セリちゃんが上げた人たちは大体結社・身喰らう蛇に所属する者よ。一部ちょっと所属が複雑な人もいるのだけれど概ね合っているわ」

 

身喰らう蛇。通称、結社とだけ呼ばれるその組織は帝国だけではなくゼムリア大陸において裏の世界を牛耳るものの一つらしい。VII組補佐でもなければそんな話を知ることはなかっただろうけれど、見れば何となくなるほどという気配もある。猟兵以上に浮世離れしている……というよりそのことに頓着していない、と言うべきか。

そして所属が複雑な人、という表現をされた以上うさぎ耳の彼女がそうであるという推測も成り立つ。これはさすがに想像に想像を重ねているから論理的ではないけれど、でも仮にそうでなかったとしても帝国情報局とも貴族連合軍とも繋がりのある『何か』がいるというのは確実だ。まぁ、戦においての武器商人のようなものだからそこまで疑問視するものでもないかもだが。無論彼女たちがそうであるというのではなく、比喩として。

 

そこまで考えたところで思考をシフトする。猟兵がカタギではないとはいえ表の世界に属する存在であるとするなら、結社という裏の世界の人材も惜しげなく投入されているこの状況。

 

「クロチルダさん、加えて質問いいですか?」

 

パンを千切ってお皿に残ったソースをぬぐい、相手の返答を待つ。クロチルダさんは更に笑みを深くして頷いてくれた。

 

「答えられるかはわからないけれど、構わないわよ」

「ありがとうございます。それでは────もしかしてもう終わりが近かったりしません?」

 

私がこの場において、戦争を始めた帝国解放戦線に属するスカーレットさんではなくクロチルダさんに問うことの意味。新聞によるとクロスベルの方でも不可解な現象が起きているようで、こんな同時期に大陸西方の近しい場所で表の人智から離れた出来事が起きているということに一切何の関連もないなんてことはないだろう。であるのなら、長くは続かない。

その状態が長期間続いた場合、世界情勢的に共和国や法国が割って入ってくる可能性が高いからだ。戦場の盤面は参加者が多くなれば多くなるほど指数関数的に先を見通すのが難しくなる。それが大国とも重要国ともなれば尚更。参加者として取れる択が無限に等しい故に。

 

「ええ」

「……誤魔化したり隠したりはしないんですね」

 

無論、真実を言っているとも限らないのだけれど。

 

「そこに行き着いたご褒美として受け取っておいて。それに、クロウに幸せになって欲しくないわけじゃないのよ、私も」

 

その表情に嘘はない気がしたので、返答ありがとうございます、と頭を下げる。

そういえばここに居るのは意味は違えど全員クロウに魅せられた人間ばかりなのか。そういう観点でいくと一番の新参者は自分だけれど。

 

「十二月の晦日、その日にあらゆるものが動く──クロウには私が言ったとは内緒よ?」

「わかっています」

 

私がそのことを知っていると知られたら何が何でも下ろし、確実に干渉出来ないようにするだろう。それは都合がよろしくない。それに情報提供してくださった方の安全を守るというのは受けた側の最低限の誠実さだ。

 

十二月末。あと一週間。こんなところにいる私に何が出来るわけもないけれど、それでも身体を鍛え、女神さまに祈ることぐらいはしよう。クロウが安心して帰る場所になれるように。

 

 

 

 

「あ、渡り鳥ですよ」

「あら、本当ね」

 

昼食も終わり、食後のなんてことない会話を楽しんで、そろそろ中に入ろうかというところで雲海の上に鳥が見えた。黒い嘴が特徴的なそれらはおそらくレンチョウヅルだろう。確かアイゼンガルド連峰を越えていく数少ない渡り鳥と何かに書いてあった。ユミルで実際に山々を見たおかげか強く印象づいている。

 

「こんな雲の上まで飛んでくるんですね。凄いなぁ」

 

柵に手をかけ、鳥の群れを視線で追いかけていく。生存のために、種を残すために、彼らはこんな上空まで飛び、山を越える。人間とは全く異なる生き物。鳥になりたいとは思わないけれど、自分の意志で隣に飛んで行けたらとは、思ってしまう。

戦場で果てる可能性のあるあの人の横へ。

 

「スカーレットさん、クロチルダさん」

 

名前を呼ぶ時、声が震えなかっただろうか。私が二人を見ると、それぞれ色彩は違うのに表れている表情は似ていて、ああやっぱり私が言いたいことなんて看破されているんだろうな、と心の中で苦笑した。だけど口に出さなければいけない。

 

「クロウのこと、よろしくお願いします」

 

表の内戦は長引くかもしれないけれど、決定的なことはもう直ぐその日が来る。そしてきっと私はその場に居られない。もちろん正直な話をすれば誰かになんて託したくないけれど、計画のことを知らない自分が計画の中心だろうクロウの場所に行ける見込みなんて殆どないから。

クロチルダさんだって訊いてもそこは教えてくれないと分かる。なら自分のプライドや嫉妬なんて全てかなぐり捨てて、安全を確保する方に舵を切ろう。それが一番生存に繋がると信じて。

 

「えぇ、任せて。最も、私の方は同じ戦場で戦うことが作戦に組み込まれたらの話だけど」

「私は蒼の導き手として、今幕の語り手として、最大限のことをするわ」

 

お二方のそんな頼もしい言葉を聞いて、私はまた感謝の言葉を紡いだ。そして同時に空を仰いで女神さまへ祈りを捧げる。

 

────どうかあなたと一緒に、あの町へ帰れますように。

 

 

 

 

そして、双龍橋を陥落せしめた正規軍駐留を良しとしたケルディックが、領を守護する筈のクロイツェン領邦軍主導による焼き討ちに遭い、それにより元締めが亡くなり、オーロックス砦に詰めていたスカーレットさんがリィンくんに敗れ正規軍鉄道憲兵混合部隊に拘束されたという報せが届いたのは、三日後のことだった。



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46 - 12/31 拳の会話

1204/12/31(金)

 

目が覚めて体を起こした瞬間に事態をある程度把握し、ふざけている、と思った。

何が何でもあの男を殴り倒さないと気が済まないと心に誓い、ヒエリアさんが作り持って来てくださっていた朝食のサンドイッチを食べ始める。

 

「……ということで、クロウ様は帝都に残られ、パンタグリュエルが空域警戒として戦闘参加をすることになりました。故に海都近郊にある私の邸宅、もしくは必要であれば船を使って国外までセリ様をお連れする予定というのはご理解頂けましたか」

「はい、概ね」

 

私の目の前に座っているラマール領邦軍の軍服を身に纏った女性──シャロナ・ヴェンデットさんはラマール州に領地を持つ伯爵家の人のようで、今回私の護衛という名の監視・移送任務を命ぜられたようだ。そういえばたまにパンタグリュエル内でも見かけていた顔のような気がする。ああそうだ、そして、私を遠くから監視していた。その視線には覚えがある。

 

考えてみれば昨日の夜中に起きていたクロウから勧められ、紅茶を飲んだのが敗因だったのだろうと思う。まんまと深い眠りについてしまい、起きたら二人に囲まれた寝台のある特別客室へ詰め込まれていたというのが現状だ。

ちらりと窓の外を見れば季節は違えど帝都とグレンヴィル市への鉄道路線の道中に見えた。少なくともリーヴスは越えているはず。グレンヴィルから帝都までは一時間半ほど。鉄道の時速を1200セルジュほどだとするなら距離1800セルジュ。私はARCUSの身体能力強化を加味しても平均時速200セルジュ程度しか出せない。今は午前六時前。ぶっ通し走り続けて九時間、十五時着。距離としては、まだ十分現実的な範疇だ。体力もなんとか保たせられるだろう。但しクロウが携わる計画に間に合うかどうかはわからない。

時間短縮をするなら鉄道を使いたいところではあるけれど、新聞によると貴族以外の乗降は数日単位で時間のかかる許可制になっているようであまり現実的じゃない。密乗も発見された時のリスクが高すぎる。

そもそも帝都で降りただけで留まり続けているかも不明だ。だけど裏の世界だの霊力だのうっすらと言葉の断片を聞いていて思ったのは、儀式というのは『見立て』も重要なのじゃないかと。その意味でこの国の中心地である帝都でことを為すというのは、なんとなく、意味が通るように思えた。だからそこに賭ける。

けれど。

 

「ああ、罷り間違っても逃げ出そうなどと思わないで下さいね。私も斬りたくありません」

 

現役の軍人。私がどれだけ今鍛えていようとも、クロウが私につけることを選択しているという段階でかなりの腕前というのは前提として理解するし、事実そうだろうというのがわかる。きっとこの人はあえて力量の差を隠さないようにしている。私の戦意を殺すために。

 

「……換気のために窓を、開けてもらってもいいですか」

 

シャロナさんは横についていたヒエリアさんに視線を飛ばし、しずしずと窓が開けられる。最低限の動きで意図を汲む姿を見ると、ヒエリアさんが特によく出来ている方なのか、あるいは知り合いの可能性に思い至った。

まぁ今更人間関係を考察してもどうにもなるまい、と脱出経路の方に思考をシフトする。窓は縦にスライド式。留め具は螺子。閉められてしまえば咄嗟に跳ね上げて外に飛び出るということはしづらい構造だ。

 

「走行中の列車から落ちることは死を意味しますよ」

「わかっていますって。別に逃げ出そうとなんてしていないじゃないですか」

 

サンドイッチを食べ終わったのもあって両手を降参の形にあげると、失礼致しました、と謝罪の言葉が届いた。もしかしたらクロウから何か言われているのかもしれない。おそらく逃げ出そうとするから油断するなよ、とか何とか。逃げ出すと思っているのならこんな不意打ちで遠ざけるのをやめて欲しい。

……もし、正面から離れていてくれと頼まれたら、私はそれを飲むつもりだった。元々パンタグリュエルかどこかでクロウの帰る場所になりたいと願っていたのだから。だけど人の意思をないものとするのなら私にだって意地がある。

 

「着替えます。監視として目を離すわけにはいかないでしょうが、私も気にしませんよ」

「ええ。むしろ申し訳ありません。ただ武器の方はこちらで確保させて頂きます。ARCUSだけは通信が出来るよう念のためお持ち下さい」

 

用意されていたある程度動きやすそうな服に腕を通し、机の裏から見つけられていたARCUSも中を確認し導力をONにしてからポーチに入れる。着慣れた服ではないから少し動きが鈍くはあるけれど、走れないほどじゃない。ARCUSがあるなら最低限どうにかはなる。

そして服をすべて着用し、姿見を眺めてわかった。これはクロウの趣味じゃない。いくら服への興味が薄いからといって並べて見ればわかる。あの日からクロウが用意した服やドレスをそれなりの頻度で着ていたのだから。わざわざ他人に用意させた服。時間がなかったのなら今までの手持ちや、ジャケットを抜いた制服との組み合わせでいい。だからこれは敢えてだ。

着替え終えたところで渡されたボディバッグの中には相変わらずの財布と、国際銀行のカード。さすがにIBCでは差し障りが発生しているせいか別の銀行のもの。

服も、財布も、後から本当に合流してくる予定ならこんなもの要らないだろうに。おそらく予防線のひとつ、そこに行き着いた一瞬思考がチリついた。

 

深く呼吸を吐き、意識を落ち着かせる。ボディバッグに財布を戻してハンガーラックにかけ椅子に戻る。座る時にヒエリアさんと視線があったような気がしたけれど、彼女は申し訳なさそうな顔をして私から視線を逸らした。

 

グレンヴィルまではあと二十分といったところだろうか。

 

 

 

 

「グレンヴィルに着きますね。ヒエリア」

「はい」

 

名を呼ばれた彼女は窓を下ろし、キィキィと少しだけ掠れる金属の音を鳴らしながら窓の螺子をも締め────いや、半分締めたところで再度上げるようにして、いなかったか?

視線からシャロナさんに気取られないようあくびをして腕を組み、目を閉じながら考える。もしかしたらヒエリアさんは私の味方なのかもしれない。アイコンタクトなどで意思疎通することは出来ないけれど、おそらく、たぶん、そっちの確率が高い。……我ながら何とも自信のない。でも、二対一じゃないのであれば。

 

そうしてグレンヴィルに到着し、乗降・荷物の積み下ろし作業などが終わったようで動き出し、駅を抜けるその瞬間、脚に力を入れ窓に飛び付き枠を跳ね上げる。さすがの反射神経でシャロナさんの手が爪先にかすりはしたけれど初速で抜けきった私に追いつけるわけもなく、そのまま肩から落ちるようにしてホームへ転がり出た。

辺りに人はいたけれど幸運なことに人にぶつかることはなく、そして速度を上げていた列車も止まることなく線路の向こうへ過ぎ去っていく。しかし切符も持っていない私が改札から堂々と出るわけにもいくまいと、騒ぎを聞きつけて駅員がこちらへ来る前に線路へ降りそのままサイドから街道へ抜けることにした。

 

さあ、走ろうか。

 

 

 

 

季節が極まる十二月の晦日ゆえに厚着をしているとはいえコートがないとさすがに走っていても寒いけれど、鉄道沿線というわかりやすい街道敷設のおかげで道に迷う不安もなく、思考のリソースを別のことに割けることに安堵しながら走り続けて二時間ほどしたところ。

導力車の音が聴こえ始めた。この街道は真っ直ぐで、音が聴こえる程度になったら既に視界内に入っているも同然。振り返って見えたのは導力車を駆るシャロナさんだった。

 

「────!」

 

丘もない、森もない、しかも直線は不利!現状振り切るのは無理だと理解して体を反転させ拳を構えた。時間をかけるわけにはいかず、かといって格上相手に武器もなく対峙を強いられ、時間を気にして意識をそぞろにすることは決して許されない。

矛盾した条件を達成しなければどうしようもない場面で笑ってしまう。

しかしさすがに導力車で私を撥ねるつもりはないようで車は少し離れたところに停止し、中から出てきたその人の手には剣がしっかと握られている。

 

「逃げないのですか。武器もない貴方が私に勝てる見込みはないというのに」

「だとしても、一切の抵抗もせず目的をただ諦めるよりはマシでしょう」

 

私の言葉を受けた後、相手はすらりと得物を抜き、鞘を車の天井へ置いた。陽光を反射する曇りなきその刀身は明らかな業物。腕の一本程度、落としても綺麗にくっつけられそうなほどの鋭さだ。

 

「────では」

 

剣を構えた刹那、シャロナさんが突っ込んできた。とんでもない迅さ……ではあるのだけれど、十日ほど前に馬鹿みたいな鍛錬をさせられていたせいで目が、足が、淀みなく思考についてくる。だから何とか切っ先が私の身体を襲う前に回避出来た。

シャロナさんの視線が笑うのが見える。初動を避けた私の評価を上げてくれたのだろうか。普段であれば嬉しいかもしれないが、今回においては弱い護衛対象だと侮ってくれていた方が良かったのに。ああ、でも甲板での鍛錬を見られていたなら力量は把握されていると判断するべきで、であるのなら私の抵抗の意志の強さを見るための突進だったかもしれない。

 

そうしてまたシャロナさんが走ってくる。受け手に回ってばかりいては駄目だと脳が鳴らす警鐘に応じ、剣を避けながら拳を振るえどしかしそれも当たらない。お互い速さを得意としているのなら制限時間のある私の分が圧倒的に悪い。何ならシャロナさんは海都まで連れて行けなくとも私をここに足止め出来ていればそれでいいのだから。

 

剣の腹を撃ち上げ、足技を使い、戦技を使っても、シャロナさんが行動不能になる一撃を入れられない。何だかんだ鍛錬は裏切らないおかげで想像以上に手応えはあるけれど、やっぱり主軸にしている武器がないっていうのは辛いものだ。誰も通らない街道で続く戦闘音は一体いつまで鳴り止まないのかと思う。

お互い一旦飛び退いたところでシャロナさんが剣の先を下ろした。

 

「すこし、問答をしませんか」

 

血が滲み始めた拳を構えたまま状況を把握する。進行方向にはシャロナさん、車をパンクさせるなりで逃げるにしても車に対する距離も向こうのほうが近い。圧倒的に有利な状態で剣先を下げる理由がない。油断を誘うためのものか?いや、誘わなくていい油断だ。じゃあこれはなんだ。

 

「────セリ様」

 

私が黙っていると静かな声が耳に届いた。

 

「貴方の心の安寧は、どこにありますか?」

「……?」

「外の国ですか? 帝国内ですか? あるいは、誰かの傍であったりは、しませんか」

 

意図が理解出来ずに眉を顰めると、ふっ、と柔らかくその人は笑い、胸に片手を当てた。

 

「実を申しますと、私は一ヶ月ほど前から直接の護衛騎士に任じられておりました」

 

一ヶ月前。侵入者が入り込んだ時がちょうどそれぐらいだった記憶にある。半月ほど前に鎖が取れてからこの人を見かけるようになったけれど、それ以前から私の護衛としてあの区画にいたらしい。あそこを出入りする気配は覚えるようにしていたし、言われてみれば極端に薄い気配が一つあったような気がする。害意もないからあまり気に留めないようにしていたけれど。

しかし考えてもみれば私が部屋に人がいるのか、下手すれば誰がいるのかさえ分かってしまうのなら、他の人間にそういう芸当が出来てもおかしくはない。そして今日、ようやく人物の顔と視線が合致したとはいえ、彼女の視線を薄々と感じ取っていたのも事実だ。

 

「ですから誤解を恐れずに言えば安心した次第です」

「え?」

 

思わず反応を返してしまうと、やわらかな表情のまま相手は続ける。

 

「短い間ではありますがここずっと貴方を見ていましたし、元々ヒエリアから報告も受けておりました。その印象としては、セリ様はとても芯がお強く、また深くクロウ様を愛しておられるのだと」

「……そんな風に見えていましたか?」

「はい。そして甲板で走り、剣を振るい、体術の型を確認し、鍛錬を欠かさない姿から、武器を取り上げられたとしても貴方はその想いを果たせる力があることを自覚している」

 

正直なところ、私はこの感情が、本当は単なる意地だったりするのかもしれないと感じていた。負けず嫌いの延長線上にあるものだと。恋人だからとか、相棒だからとか、そういう関係性の話ではなく、ただただ私が蔑ろにされたことに端を発しているのではないかと、そう。

 

「ですから、抵抗しないのであれば静かに精神が壊れてしまった可能性をも考えました」

 

そこでシャロナさんは車の方へ近づき、天井に置いていた鞘へ完全に剣を収めた。戦気の消失。

 

「安全の保証とは、もちろん貴方様の命の話です。それには自殺という自己を害する懸念も含まれて然るべきでしょう。けれど力無き者を死地へ送るのも是と出来るものではありません」

「……」

 

そんなことは、考えてすらいなかったけれど。そもそも女神さまはその行為を認めてはいらっしゃらない。……でも、そうか、なるほど。時に敬虔な信徒でさえそういう手段を選ぶこともある。だから私が取ることもあり得る、というよりどうしたって零にはなり得ない。

 

「……私の心の安寧は、クロウのそばに」

 

構えていた拳を下ろし、最初の質問への返答をする。

 

「裏の用事が動くからその過程で命を落とすかもしれない、それを心配するのはわかります。それだけ愛されている自覚もあります。だけど、私はそれでも、クロウを殴らないといけないんです。この手で、今すぐにでも。死地へ向かい、生存出来る程度の強さは認めてもらえますか?」

 

自分が死ぬ可能性があるとわかっていながら私を遠ざけるそのふざけた思考を、誰でもない私が叩き割る必要がある。それが、友人であり、恋人であり、仲間であり、相棒たる私の役目だ。

 

「承知致しました。貴族連合軍の末席に身を置くものですが、今だけは、時代錯誤であっても貴方様の騎士となりましょう。それとこの車はミルサンテにいる古くからの友人より借りた物のため、少々慣れず運転が荒いやもしれませんがご容赦下さい」

 

助手席の方の扉を開けたシャロナさんに回復魔法を施されつついざなわれ、私は車の中へと乗り込む。

 

「参りましょう、帝都ヘイムダルへ」

「────はい」

 

車体は反転することもなく進み、街道の風となり走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パンタグリュエルからセリを下ろし鉄道に乗せ、俺はといえばバルフレイム宮の地下で最後の準備をしているところに場違いな通信音が鳴り響いた。

 

「はいよ、ルーファスの旦那か?」

『セリです』

 

聞き違える筈のない、だけどあり得ることもない声が耳の側で発されて思わず俺は自分の頭を疑った。

 

「……海都も通信可能圏域だったか?」

『もしかしたらそうかもしれないね』

 

いやそもそも帝都から海都までは少なくとも九時間程度はかかる。到着するにしても昼過ぎから夕方前。だっていうのに今はまだ昼にもなってない時間だ。仮に海都に帝都直通の通信網が敷かれていたとしたってその道中で通信出来るわけがねえ。

 

『ただ、この通信は帝都から行われているよ』

「振り切ったっていうのかよ」

『現役軍人相手にそんなわけないでしょう。協力してもらった、ただそれだけ』

 

途中で街道を塞ぐ大型魔獣が出たし開戦直前だからか陣を張ってた軍勢のこともあって私だけ隠れて森を走ることになったけどね、と笑いながら注釈が入ったが俺は全然笑えねえんだよ。

 

『で、どうしたら君に会いに行ける? とりあえずドライケルス広場の前なんだけど』

「……なんで俺がお前に会うと思うんだよ」

 

バルフレイム宮の地下、許されざる存在は入れない場所に俺はいる。俺はこいつを戦場に連れて行かねえって決めた。だからお前も退いてくれよ。頼むから。

 

『別に気が向かないなら会いに来なくてもいいけど、君がここに居るってことは計画の中心地が帝都なのは間違いないよね。だとしたら激戦地だろうし巻き込まれて死ぬかも』

 

コイツとうとう自分の命を盾にしやがった。もしかしてそういう手法で説得したんじゃねえだろうな!?

 

「…………わかった、とりあえずそっちには行く。広場の方だな?」

『そう。じゃあ待ってる』

 

通信を切って、いつの間にか近くにいやがった魔女の方へ視線を向けると明らかに愉しそうに笑って俺を見て。

 

「……お前、気付いてたろ」

「あら、何のことかしら」

 

計画がうまくいきやすいよう帝都に"自分"の霊力を張り巡らせてる女が言う台詞じゃねえ。嗚呼、畜生。だから現役軍人を見張りにつけたっていうのに。せめてこれ以降は計画通りに行ってくれ。

ただひたすらにそう願いながら廊下を走るしかなかった。

 

 

 

 

皇居を囲む堀を突っ切る長い長い橋を渡りきり、近衛兵が引き上げられ閑散とした広場へ走っていくと、真正面に足を肩幅に開いて立ち睨んでいたセリが唐突に地面を蹴り拳を振り上げて来やがった。

 

「……っと。何のつもりだ?」

 

腰につけた武器を抜く様子はないものの、拳を収める気もさらさらないようで第二第三の攻撃が飛んでくる。

 

「っるっさい! いいから殴らせろ!」

 

怒り心頭の拳というのは得てして避けやすいもんだが、それでもその拳の鋭さは怒りに我を忘れているものじゃなかった。的確に、しっかと見て、相手のクセを知り尽くしていなけりゃ避けられる攻撃じゃねえ。

それでもこの一年以上、ずっと後ろからこいつの戦い方は見てきた。きっと誰よりも知ってる。

 

「君は! あんな別れ方が望みだっていうのか! 私が望むとでも! そう!」

 

時折混ぜられる足技が以前よりも鋭さを増している。そういや西風と昼飯食って鍛錬にも付き合ってもらったとか言ってたか。そいつらに思うところがないわけじゃねえが、成長を目の当たりにできたのはどうしようもなく、たまらなく嬉しかった。

そんで肩へ僅かに当たり始めてくるもんで。この数瞬の遣り合いで即修正してくるその貪欲さにぞくぞくするほど。

 

「ンなわけねえだろ! ただ、生きていて欲しいってだけだ! 俺の! エゴだ!」

「私はそれにずっとそれに振り回されっぱなしで! 最後までそんなんとか! アリナシでいったらナシだわ!!!」

「そこは悪ぃと思ってるけどよ!」

「というかむしろ別れたいって遠回しな意思表示だったりする!? ならハッキリ言え!」

 

叫びに一瞬気を取られ、腹に一発、重いのがぶち込まれた。……ここまで中心捉えて殴られたのは訓練含めても初めてだな。げほ、とたたらを踏み追撃に構えたところで、それはこなかった。あー、これ、意識引っ掛けられたな。くそ。

 

「私は……君が、リィンくんと決着をつけるその場に居たい。何が出来なくても」

 

見れば数歩下がったセリはぶち込んできた拳をゆっくりと下ろし、悲痛な声でそう呟く。だけどそれだけは、どれだけ望まれても叶えてやる気にはなれねえ。

 

「俺は嫌だ。んな危ないところに連れて行けるかってんだ」

 

カイエン公もいる。緋の騎神・テスタ=ロッサもいる。何が起こるかわかりゃしねえ。むしろクロスベル方面に現れた零の御子とやらが顕現させた碧の大樹──人が到達しうる"奇跡"の到達点みたいな代物をこの帝都でもぶちかますってんなら、『どんなことでも起こり得る特異点』にだってなる場所だ。

 

「……シャロナさんは問うてくれたんだ」

 

不意に、護衛につけていた軍人の名前が出てくる。

 

「『貴方の心の安寧はどこにありますか』って。私の身の安全というのは、私の命の話で、自死からも守らなければらない、だから貴方は今どこに行きたいのですか、って」

 

胸の中心を、心の臓を上から押さえつけて、セリは淡々と告げる。ああ、だからこいつはここにいる。本当に逃げ切ってきたわけじゃないらしい。

全く、これも境界侵犯の力ってことかねえ。勘弁して欲しいぜ。

 

「君はそれを何も聞いてくれない。自分のことばかりで、私の願いなんてどうでもいいみたい」

「それは……」

 

否定、出来なかった。だってお前に生きていて欲しいってのはどうしようもない俺のエゴだ。わかってる。んなこと。お前を説得出来る気もしなくて、逆に説得されかねないそれが怖くて。だから対話する道すら飛ばして有無を言わさずに押し込んだ。

 

「君が私の希望を聞いてくれないのであれば私が君の要望を聞いてやる義理もないんだよ」

 

真っ直ぐとした視線でもって、高らかに宣言される。ああ、俺が惚れ込んだ目だ。

 

「君が私をここで追い払ったって何とかして事態の中心へ潜り込むよ。そして君の知らないところで果てる可能性に困ればいい」

 

おそらく生きているだろう、から、もしかしたら死んでいるかもしれない、への転落。それを天秤にかけてきやがって。つまるところ脅迫だ。いや、こいつがそんなすぐに死ぬとは思えやしないが、それでも煌魔城は異界とも言っていい場所だ。

そんで、トワと連絡が取れればリィン達と合流することだって難しいことじゃない。やると言ったらこいつは間違いなくやる。

 

「……俺は……オレは、お前にだけは生きてて欲しいんだ」

「うん。去年もそんなことを言ってたね。ようやく意味が理解出来たよ」

 

離れていたセリが近付いてきて、そっと俺の身体を抱きしめた。とくりとくりと心臓の音が伝わってくる。きっと俺の音もセリに伝わっていってるんだろう。

 

「君が私の生存を願ってくれるように、私も君に生きていて欲しい」

 

だから。

 

「ね、一番近くで見ててよ。きっとそれがお互い一等安心だから」

「……わかった。降参だ」

 

俺に腰が入った重い一発を当てて来やがったし、戦闘能力も心配ないと証明されちまった。

だからここまでついて来てくれた愛しい存在を傍らに置こう。国家転覆に手を貸したテロリストでもそんくらいは許されてもいいだろ。差し出した手を、躊躇いもなく掴んでくれるヤツがいるのは、きっと、おそらく、幸せと呼ぶんだろうから。



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47 - 12/31 紅の晦日

1204/12/31(金) 昼

 

クロウに殴りかかって観念してもらったところで、皇宮に進んだと思ったらまさかの地下に昇降機で降りることになった。ルーレで見たようなエレベーターでもなければ、作業用機械の昇降機でもない、どう考えたって今稼働している技術の数段上のもの。

思っていた以上にヤバい場所に来てしまった。

 

「もしかして、想像より恐ろしいことに首を突っ込んでしまった、と思っているかしら?」

 

クロウが騎神の起動者となる導き手を務めたらしいクロチルダさんが、グリアノスと呼ばれる綺麗な蒼い鳥を介して空間に映した姿で妖艶に笑いかけてくる。

 

「……いえ、思っていないです」

 

それでもここで強がならなければいつ強がるのだと思って真正面からそう言い切ると、それでもクロチルダさんは、ふっ、と笑って体温も形もない手で私の頭を撫でるのだった。

 

 

 

 

案内された場所は広く、明るいのにどこか薄暗い空間で、中央には緋い機体が埋め込まれた柱が屹立していた。蒼、灰、ときて緋。やっぱり七体いるのだろうか。

 

「なんだ、来たのか」

「はっはー、騎士サンが折角遠ざけてたのになあ」

 

レオニダスさんとゼノさんが私を見るなりそう言って、他の面々の視線もこちらに向く。自分がどうしようもなく場違いだというのは理解しているから、せめてその視線に臆さないでいようと思った。

クロウの後ろについて行き、オルディーネの横に立つとようやく少しだけ呼吸がしやすくなったような気がする。肌がひりつくこんな環境で和んでいる暇なんてないだろうけれど。

 

そうして改めて見回し、帝都の地下にこんな空間があるだなんて、という感想がこぼれてしまう。どうしようもなく禍々しさを感じる緋は、見方を変えれば封印されているようにも見えた。

 

「いいか、セリ。基本軸としてお前は戦闘に参加するな。自分の身を守ることだけ考えてろ」

「…………わかった。それは、約束する」

 

リィンくんたちがここへ辿り着いた時、それと対峙するパートナーとしてはクロウの横にクロチルダさんがいるんだろうと何となく理解した。だって他には誰もいない。《V》と呼ばれた人も、ノルドにいた《G》と名乗った幹部も、スカーレットさんも。ARCUSの戦術リンクを使うならお互いを深く知っていれば知っているほど戦闘能力は飛躍的に高まる。だから、クロチルダさんなのだ。

それを見るのはきっと辛いけれど、それでも見届けるという意志を持ってここに来た。私の命を気にしてクロウのパフォーマンスが落ちるなんてあってはならない。

 

「約束するから、クロウは私のことを気にせず戦ってね」

「騎神同士の戦い以外であれば、私も傍にいよう」

 

オルディーネが膝をつき、私に寄り添ってくれる。

正直なところ計画のことが何もわからない自分にとって今回の戦いで、クロウに勝って欲しいのか、リィンくんに勝って欲しいのか、判断をつけることは難しい。だけどクロウがずっと気にしていたリィンくんとの戦いは、何の横槍もなく、また憂いもなく、決着がつけばいいとは思っている。

 

「そんじゃ、お前が惚れた男の最後の仕事を見守っててくれや」

 

クロウはいつものように笑って、私の頭を優しく撫でた。

 

 

 

 

「────ッ」

「お、始まったか」

 

カイエン公が目隠しをされたセドリック皇太子殿下を緋い騎神の前に差し出したと思ったら、殿下は酷く身体を痙攣させ苦しそうに苦悶の声を上げるのが見えた。まるで構図は供物のよう。

 

「そうだ、それでいい! "愚帝"に打ち砕かれし祖先の野望、今こそ叶えてみせよう──!」

 

そして殿下に対して臣下である筈のカイエン公は意に介した風もなく、むしろ予定通りと言わんばかりに両手を広げ、妄言とも取れるような言葉を放って事態を眺めていた。

 

「────悪ぃな、殿下。全ての決着が付くまで少しばかり我慢してもらうぜ」

 

クロウが懺悔するように呟いた瞬間、ぐにゃり、と空間が歪み、殿下を軸にして空間の全てが"書き変わって"いく。緋から流れ出すように、殿下を導力源にするかのように、それらは足元を通り過ぎ、部屋をあかく染め上げていく。

 

西風の方々や結社の方々も知らされていなかったのか驚愕の声をあげ、振動と共に内部構造が変化していくのがわかる。まるで、足元が急激に上昇しているような錯覚さえ覚えるほど。

ここは皇宮地下──魔術というのはあんな巨大建造物までどうにかしてしまうものなのか。

 

そうして振動が一段落したところで中央の歪みは収まり、何事もなかったかのように殿下と騎神はそこにいる。けれど何もなかったなんてことはあり得ない。外はどうなっているんだろう、と辺りをもう一度見回したところで階段の下に法陣が光り始め、数瞬後にはクロチルダさんが立っていた。

 

「よお、上手くいったみてーだな?」

「ええ、煌魔城は成立した。あとはどう転んでも目的は達成される筈よ」

 

階段を昇ってきたクロチルダさんは私に笑い、杖を軽く振る。そうしてあのラジオ映像のように中空に映し出されたのは、帝都であるのに帝都ではない姿。バルフレイム宮が存在する場所に、全く知らない別の城が建っていた。空もまだ昼過ぎだっていうのに、赤黒く、闇が落ちている。

……これが煌魔城と呼ばれる場所、なんだろう。いま、私たちがいるこの場所がそう成った。

 

「では、各自持ち場に着くのだ!」

 

緋の騎神へ続くよう組み立てられた足場の上からカイエン公がそう叫ぶと、その場にいた方々はクロウとクロチルダさんを除いて昇降機に乗って下の階へと歩を進めていく。全員でかからないのにもおそらく儀式的な意味があるんだろう。そして最終的にリィンくんをここに寄せ、クロウの騎神と戦うことがトリガーとなる。

 

それを引き金にして、一体この人たちは何をしようとしてるんだろう。

本当に私は、何も知らない。

 

 

 

 

幾度か階下で轟音が響き渡るのを聞いて、どれぐらい経っただろう。

階下へ繋がる昇降機が起動し、稼働音を鳴らし始めたところでクロウとクロチルダさんが階段の方へ移動する。始まるんだ。勝っても負けても、今まで通りではいられない勝負が。

戦闘の邪魔にならないようオルディーネの足元に寄ると、彼は大きな手で抱き寄せてくれた。そして心をどこに置けばいいのかわからないまま、リィンくんたちが昇降機に乗って姿を現す。

 

「……来たか」

「フフ……ようこそ、物語の終焉へ」

 

鷹揚にVII組とサラ教官を迎え入れる彼らは、全ての覚悟を決めている人たちの目だった。それに対峙する彼らもまた同じ光を灯している。

 

「来たよ、クロウ」

「白銀の戦艦以来か」

「どいつもこいつも一丁前の顔になりやがって。修羅場を潜り抜けてきただけはあるみたいだな?」

 

VII組の彼らと会話をしていても、学院にいたころのクロウの軽薄さはもうとうにない。だけど仲間として、あの旧校舎の異変を解決してきた相手として一目は置いていたんだろう。たとえそれが自分一人で解決したものと同種だったとしても。

 

「ああ……不本意ではあるが。だが、そうでもしないと先輩には追いつけなかった」

「共に在り、強くなる事で我らもまたこの場に辿り着けた。ならばこれも良き巡り合わせだろう」

「わたしも一応、自分のケリは付けられたし。少しは成長、出来たかな」

 

どうやら西風の面々とフィーさんは会話が出来たようで、彼女の顔は前に見た時よりもずっと晴れやかで、それは本当に良かったと思う。あの昼食の時にゼノさんとレオニダスさんが彼女を気にしていたのは事実で、慈愛だったから。

それらを受け、まったく、とクロウは困ったように笑って。

 

「──それと、先輩たちの想いもちゃんと受け取ってきた」

「……」

「何としてもクロウとセリ先輩を取り戻して一緒に卒業をさせる──そう約束してきたよ」

 

卒業。それは、きっと叶わない話だ。だってクロウは明らかな国賊で、この戦いが連合軍側の勝利に終わったとしても自分の罪を清算するつもりがあったろう。それは平和な学院生活とは真逆のもの。それを彼らが理解していないはずないのに。

……それでも、リィンくんにその想いを託すことを選んだ。私はそうは在れない。

 

「……冗談だろ。それがあり得ないことくらい、いい加減判ってるだろうが。現実逃避か?」

「違うわ、クロウ」

 

うんざりしたような声で反論するクロウにクロチルダさんが笑いながら言葉をかける。

 

「数多の困難や現実を前にただ立ち竦むのではなく……ある一つの想いを抱いて明日へ続く道を歩んでいく。────それを、"夢"と言うのよ」

 

ああ、そう。そうだ。夢と表現して差し支えのないほどに、現実味がなくて、青臭くて、馬鹿馬鹿しくて、だけど、そうであって欲しいという魅力がある。そんな未来が、来たらいいのになんて空に願いたくなってしまう。

 

「……その通りです」

「私たちは未熟で、若い。でも、だからこそここまで辿り着くことが出来たと思うの」

「誰一人欠けることなく、みんなの想いも受け取りながら。これって何気に凄いことだよね?」

「ならば、困難な明日を夢見るくらい構わないだろう。可能性が零であるとは誰にも言い切れないのだから」

 

みんな、そんな明日が来ることを諦めていない表情でそこに立っている。私もそんな風に真っ直ぐで在れたなら、こんな事態も回避出来たんだろうか。そんなことを考えずにはいられない。たらればに意味なんてないというのに。

 

「此度の経緯を考えれば俺もまた危うい立場にある。自分一人が特別だとは思わぬ事だ」

「ボクの立場も何気に微妙な感じだしねー。細かいことは後から考えればいいんじゃないの?」

 

好き勝手言う彼らに、呆れたようにクロウが笑う。まるでそれは、あの日々の延長線上にある微笑みだった。

 

「目くらましのつもりだったんでしょうけど。トールズ士官学院、しかもVII組に潜り込んだのはアンタの失敗だったみたいね? そこにいるセリのことも含めて」

「ああ────とんだ見込み違いだぜ。まさかここまで祟ってきやがるとはな」

 

サラ教官が私に水を向けたせいか、階段下にいる彼らの視線が私に向く。

 

「先輩、預かった言葉は伝えました。トワ会長たちが心配してましたよ」

「……そっか、三人には悪いことしちゃったかな」

 

海都で降ろされた時に手紙を書けたら書きたかったけれど、流石にどこにいるかも分からない巡洋艦に手紙を書くというのは無茶が過ぎる。だから、まぁ、仕方のないことだ。

 

「でも、あんな目に遭ったとしても、私はクロウの傍にいたいから。君たちと合流する選択肢を取らなかったのは謝らないよ」

 

クロウがどうしても私と会わないと頑として意志を曲げなかったらそういう未来もあったかもしれないけれど、結局のところクロウは私を手放しはしない。それを分かってて口にしたところはある。

 

「……わかりました。やっぱり、あの日俺に言った言葉は今も変わりないんですね」

「うん」

「だったら、やっぱりセリ先輩も俺たちが取り戻します」

 

そんな、うっかりすると熱烈な告白に聞こえてしまう台詞をリィンくんが発したところで、気のない拍手が背後から降ってきた。そこにいるのは殿下とカイエン公だけだから、自ずと誰のものか分かってしまう。

 

「いやはや、美しくも愛おしき光景だ。見果てぬ夢を共に追い求め、一時の情熱に酔いしれる……これも若さゆえの特権だろう」

 

明らかに侮蔑を含んだ言葉に全員が嫌悪感を露わにしたところでマキアスくんが目を見開いた。

 

「……その、紅くて大きなものは……」

「緋の騎神・テスタ=ロッサ──永きにわたり帝都に封印され、幾度も災厄をもたらした存在」

「"千の武器を持つ魔人"とも伝えられているわね。250年前、獅子心皇帝と槍の聖女に封じられたはずだけど……」

 

マキアスくんの疑問に対してエマさんと……猫、が、喋っている、ような。たしかよく学院の敷地内に潜り込んでいた猫のように見えるのだけれど。ああ、うん、グリアノスみたいな存在がいるのだから猫が喋ったって今更不思議じゃないか。

……いや不思議だと思う。VII組の人たちとクロチルダさんはともかくクロウすらも突っ込んでいないからやっぱり自分って何も知らないんだななんてことを改めて思い知ってしまった。

 

それから、カイエン公は語り始める。

緋の騎神を起動出来るのは皇族アルノール家の血筋のみだということ、それゆえに殿下に協力を要請(という名の拘束を)していること、そしてカイエン家にはあの帝都を支配したもののドライケルス皇子に討ち倒され、後の世では偽帝と呼ばれしオルトロス帝の血が流れていることを。皇帝の血が流れるカイエン家が帝都を支配するに相応しく、それが悲願であると。

故に、緋の騎神と煌魔城を自身が手に入れるのは当然の権利であると高らかに。

けれどクロワール・ド・カイエンには緋の騎神は動かせなかったらしい。直系でないと動かせないというのなら、やはりカイエン公にはその資格はないのではなかろうか。その事実から目を逸らし、殿下を使い潰すつもりであることに帝国臣民として怒りを覚える。

 

それに対し、リィンくんは真っ向からカイエン公の望みを否定する。ただただ、大切な家族を取り戻したいという皇太子殿下のご兄姉からの望みを果たすために、殿下の解放を誓って。

そこまで聞き、クロウとクロチルダさんが一歩、前へ出る。

 

「……もはや言葉は尽くしたでしょう」

「約束通り、この場は俺たちに任せてもらうぜ?」

「フン……まあよかろう。儀式完了までの余興だ。せいぜい愉しませてくれたまえ」

 

クロウは双刃剣を、クロチルダさんは蒼い水晶石の嵌った杖を構え、VII組を睥睨するその姿を見て一歩下がる。オルディーネの掌の限界まで。

 

「とっとと騎神に乗り込んでもいいがそれじゃあ芸がねぇだろう。前座と言っちゃあなんだが、まずは全員、相手をしてやるぜ」

「私も相手をさせてもらうわ。紫電のバレスタイン……少しばかり反則でしょうからね?」

「あら、光栄ね。悪名高き深淵の魔女に言われたくない気もするけど」

「フフ……それは失礼。────エマ、全力で来なさい。このまま魔女として全てを背負っていく覚悟があるか確かめてあげるわ」

「姉さん……判ったわ。与えられた使命ではなく、私なりに見出した可能性を姉さんに証明してみせる!」

 

エマさんの宣言を聞き届け、クロウとクロチルダさんの間に戦術リンクが浮かび上がる。

その光景が、どうしても強く私の胸を痛ませた。私がもっと強かったなら、私がクロウの思想に賛同できたなら、あそこに立っていられたのだろうか。味方面じゃなくて、本当にただひたすらにクロウを支えられる存在になれたんじゃないか、って。

そんな問答に意味はないというのに。

 

「帝国解放戦線リーダー、クロウ・アームブラスト────組織最後の一人として活動を締めくくらせてもらうぞ!」

「使徒第二柱・蒼の深淵、ヴィータ・クロチルダ────"終焉"への導き手として君たちを案内させてもらうわ」

「────VII組総員、迎撃準備! 全力をもって目標を撃破する!」

 

 

 

 

そうして宣言通り十一人を相手取り、さすがの二人も一瞬退かざるを得ない状況にまで陥った。……すごい、全員の戦術リンクが二ヶ月前とは比べものにならないほどに向上してる。

何より、リィンくんの刀はしっかとクロウに届いていた。

 

「これは……驚いたわね」

「だから、言っただろうが。あんまり俺の級友どもを甘く見るんじゃねえってな」

「なるほど……」

「ええい、痴れ言を! 万が一このまま敗れたら契約を……!」

「るせえ! アンタは黙ってろ! ────さあ、終幕だ。ケリをつけるとしようぜ?」

 

クロウはカイエン公を一喝し半身こちらに振り返る。それは合図。私の傍に待機していたオルディーネは顔をあげ、自身の起動者を待つ。

 

「来い────灰の騎神、ヴァリマール!」

 

リィンくんは拳を掲げて天高く叫び、轟音で空を裂きながら騎神が階下から飛び立ってくる騎神の中へ恐れることなく搭乗する一人と一匹。

それを見て走ってきたクロウは双刃剣を私へ預け、オルディーネの中へと吸い込まれる。

 

階段下のホールで二体の騎神は相対し、お互いの得物を抜いた。リィンくんが抜いたその刀身は、戦場だというのに見惚れてしまいそうな輝きを放っている。

 

『ゼムリア鉱石の太刀……なかなか大したシロモンだな。どうやら今回ばかりは手加減をする必要はなさそうだ』

『……』

『……? なんだ、今更ビビってんのか?』

『ああ……そうみたいだ。勝つにせよ、負けるにせよ……これが最後になると思うと何かが変わってしまいそうで……多分……それが怖いのかもしれない』

『────甘ったれんな!』

 

何かが変わるなんて、そんな当たり前のことを憂うリィンくんにクロウの叱咤が飛ぶ。

ああ、そういうところ、本当にクロウらしい。

 

『"今"を踏ん張ってこその"未来"だろうが! 俺の首根っこを引っ掴んで卒業させるんじゃねえのか!?』

『……そうだな。だったら俺も、全てを出し切ってみせる。今回ばかりは、皆の想いも、帝国の命運も関係なく』

 

迷いを振り切り決意を固めるよう灰の騎神は太刀を構え────確かに笑った。

 

『クロウ、お前とただ対等に渡り合うために!』

『……上等だ』

 

それに呼応する形で蒼の騎神も腰の後ろへ双刃剣を構える。

 

『騎神は"力"、"想い"は逆に動きを鈍らせる。刀匠が己の持てる全てを剣に込めて鍛え上げるように……"想い"は戦いの前に自分の血肉にしておけばいい』

 

語るように、己に言い聞かせるように、クロウは言葉を紡ぐ。そうして一瞬だけ、オルディーネを介して私に視線が。────この想いが君の血肉になっているのなら、私は祈ろう。

勝つとか負けるとかじゃなく、貴方たちが、悔いなく戦い終えるまでこの場が保たれるように。

 

『さあ、始めるとしようぜ! 誰にも邪魔はさせねえ! 俺とお前の最期の勝負を!』

『ああ、望むところだ! 真っ白になるまで……互いの魂が燃え尽きるまで!』

 

蒼と灰はもうお互いしか見ず、それから────。

 

 

 

 

熾烈な戦い、歴史に残る一戦だったと思う。灰の騎神の一刀は全てが全力というわけじゃなく、流動するように運用される力の形は蒼の騎神を翻弄し、けれど蒼の騎神も長年乗っていたアドバンテージを確かに感じさせるほどの体捌きだった。それでも。

蒼の騎神の双刃剣は弾かれ、同時に灰の騎神も膝をつく……しっかと得物は持ったまま。

 

「勝負あったわ。────リィンの勝ちね」

 

サラ教官の勝敗を定める言葉を皮切りに騎神の中央部分が光り始める。クロウが出てくると察知して双刃剣を置いて走り出し、その体を受け止め一緒に膝をつく。騎神を動かすには霊力を消耗し、そして攻撃を受ければ起動者も無事ではいられない。それも同じ騎神同士なら尚更だろう。

 

「……はは、最後にカッコ悪いところ見せちまったか」

「ううん、格好良かったよ、すごく」

 

負けたとしても、クロウが懸命に戦ったことは誰に笑われることじゃない。自分の信念を貫こうとして戦った結果がこれなら、それはもう仕方のないことだ。

 

「……無理しない方がいいわ。だいぶ霊力を消耗している」

 

クロチルダさんがそう言葉をかけてきた。クロウを導き、ここまで連れ添った蒼の魔女。その彼女が言うのなら間違いないことだ。ぎゅ、っとクロウの服を掴む。

 

「ったく、何が『皆の想いは関係ない』だ。騎神でのARCUSのリンク……完璧に使いこなしてたじゃねえか」

 

────騎神で、ARCUSの戦術リンク。ああ、そうか。VII組のみんなは旧校舎に入って、その果てにあの灰の騎神を見つけた。おそらくその過程で何らかの起動者に準じる契約者となったのだろう。故に、騎神戦闘でもその力をリィンくんに貸せた。

 

「悔しいな、それ」

「……ん?」

「私もクロウに力を貸せたら良かったのに」

「なんだ、そんなことかよ。お前にはずっと前からいろんなもんを貰ってるっつうの」

 

たまらないほど優しい声音でそんなことを言うものだから、私の心臓はまたもやぎゅっとなってしまった。ぼろぼろになってそんな表情でそんなこと言うのはずるいと思う。

 

「……すまねえな、ヴィータ。いろいろ借りを作ったのに期待に応えられなくてよ」

「気にする必要はないわ。正直、想定外だったけど……これはこれでアリかもしれない」

 

クロチルダさんが主導する結社の計画において、蒼と灰の決着はどちらでも良かったということなのだろうか。……まぁ、それは、そうか。蒼の勝ちを絶対とするならばここまでにVII組の何人かを、命を散らすまで行かずとも戦闘不能にまで追い込んでおけばいい。それをしなかった時点で『戦う』という行為そのもの自体に意味があると考えていいだろう。

 

「ふ、巫山戯るなあああッ!!!」

 

そこまで考えたところで、カイエン公が叫んだ。クロチルダさんを糾弾するも、しかし結社の目的としては騎神の勝負を見届けること以外に興味はないと斬り捨てられる。するとカイエン公は苦虫を噛み潰したような顔で緋の騎神の前に建てられた足場を駆け上がっていく。

まさか────!

 

クロウから体を離し、腰のナイフへ手を回しながら二度跳躍して振りかぶったその時にはもうカイエン公の手は皇太子殿下の首にかかっており、笑いながら殿下の御体を緋の騎神の胸へと沈め込んだ。

 

「セリ、今直ぐ離れろ!」

 

クロウの言葉が聞こえた瞬間、力場が発生し木端のように吹き飛ばされた。階段下まで落とされ何とか着地だけは出来たけれど、殿下を飲み込んだ騎神のあまりの威容に息を呑む。

 

「あれが、緋の騎神を核に250年前にも現れた……」

「紅き終焉の魔王────」

 

その緋は全てを叩きつけるかのように威圧だけで全てを薙ぎ倒し、クロチルダさんとエマさんが結界を瞬間的に構築してくれはしたものの、その圧倒的な力はこちらを明確な敵と見做し圧し潰そうとしてきている。

 

「……ヴィータ、隙は作れるか?」

「隙──あの強化術式ね?」

「ああ、三年前の試練で突入前にかけてもらったアレだ。出来るか?」

「……やってみましょう」

 

それまで苦しそうに膝をついていたクロウが立ち上がり、にやりと笑った。

 

「俺とヴィータでアイツの隙を作ってみせる。その間、お前たちで凌げるだけ凌いでみせろ。騎神の霊力を回復させて皇太子が取り込まれた核さえ取り出せれば、起動者を失った騎神になって、こっちのモンだ!」

「ええ、それならこの次元には顕現できなくなるはずです!」

 

クロウの提案に対しエマさんの力強い言葉に作戦が決まる。さすがに私も武器を抜いたところで昇降機の方からおどろおどろしい叫び声が聞こえ始めた。

見れば魔王に傅く為にか、階下の形容する言葉すら見当たらない全く見たことのない魔獣たちがこちらへ向かってきているのが見える。

 

「チィッ、後ろからもか!」

「……いや、あれらは私一人で何とかしよう」

「正気ですか!?」

 

ユーシスくんの焦りに私が答えるとマキアスくんが叫び、私もクロウのように笑った。ここで笑えなければ先輩として恥ずかしいというものだ。

 

「正気も正気だよ。多対一は私の得意分野だからね。────クロウ、任せてくれるかな」

「……ああ、お前になら、背中を任せていられるってもんだ」

 

ふっとお互い笑い、そうして各々、自分の戦場へ駆け出した。

 

 

 

 

力が劣っていたことが、いつも悔しかった。

私一人では敵を引きつけることは出来ても戦闘を畳むことは難しく、それ故に補助要員として走り回って。別にその役割が嫌だったわけじゃない。敵の目を欺いて、挑発して、私を信じてくれた仲間であるみんなが倒し切ってくれるそのことは誇りにさえ思っていた。

その上でもっと強くなりたいと願って、いま、この場に立っている。

 

「あっちに比べたらこっちなんて大したことないね。いくら来ても通しはしないよ」

 

前を見据えれば対峙したことのない大勢の敵。相手に挑発が効くかも分からない。だったとしても、私の──最高の相棒が任せてくれたこの戦場で遅れをとるわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

激しさが増していく戦場を走り、VII組のみんなが、クロウとクロチルダさんが、魔王だけに集中出来るよう、全てを切り裂いて。

 

『クロウ!?』

 

悲痛なリィンくんの声が聞こえ、思わず後ろへ振り返った瞬間、そこには胸を貫かれた蒼の騎神の姿があった。

 

『……カスっただけだ! 立ち止まらず前を向いて、お前にしか出来ない事をやれ!』

 

その言葉を受けて灰の騎神は刀を振り上げ、幾太刀もの攻撃を浴びせ続けたところで騎神の核が露出し、緋い緋い美しく輝くそれを灰の騎神は奪取した。

同時に風が吹き荒れ、周囲のあらゆるものを吹き飛ばす衝撃波に抵抗しながら、階下の魔獣たちが散っていくのが見える。まるですべての役割を終えたかのように。

その光が弾け飛んだ時、ホールは私が来た時のような静寂さを取り戻していた。

 

「────!」

 

中央の柱へ続く階段の下で、蒼の騎神が膝をついているのが見える。武器を納め必死に走って、胸が穿たれている騎神の足元に縋りついた。そこはクロウが騎神へ乗り込むときにいつも光が溶ける場所。

傍らから殿下の無事が聴こえてきて喜びたいけれど、それどころじゃない。

 

「クロウ! ねぇ! お願い、出てきて! オルディーネ、聞こえる?!」

 

────騎神のダメージは起動者にフィードバックされる。

さっき理解した事柄がぐるぐると脳裏を駆け巡る。それじゃあ、核を壊された騎神のダメージは?嫌な予感を振り払いたくて、蒼銀に輝く鋼鉄の身体を叩く。ごめんなさいオルディーネ。痛くはないかもしれないけれど、それでも、ごめんなさい。だけどどうしても今、クロウの顔が見たい。

すると騎神の胸元で常より弱々しい光が発生し、地上へ。弾けた光が生み出した胸を押さえた影は足元から駆け寄った私に倒れ込んできた。支えようと踏ん張った瞬間、摩擦係数が低かったのか背中から転んでしまったところで、ぬるり、手をついた床に妙な感触があった。

 

「……わ、りぃ」

 

体を離してみると、だばだばと黒衣から溢れる鮮やかな赤色。それは容赦なく私の服を染め上げていく。

 

「いや、いやだ、クロウ……!」

 

仰向けに寝かせてみても、それが軽くなることすらなかった。私が学院で習ってきた応急処置なんてまるで意味がない。だって、だって、心の臓が穿たれているのだ。

私の悲鳴が聞こえたのか、ばたばたとVII組のみんなが集まってきて、リィンくんが向かいに座り、エマさんが傷口に手を当てて何かを唱える。私は、クロウの頭を膝に抱きながら、だたそれを眺めているしかできなかった。

 

「……鉄血と同じ……場所、とはな……これも、因果応報、ってやつか……」

「やだ、喋らないで、ねえ、クロウ、お願いだから……!」

 

胸に当てた手からだぱりだぱりと、止めどなく血が流れていく。

 

「……悪いな、リィン……約束、守れなくしちまった……。……一緒に……卒業を……」

「いい、それはいいんだ!」

 

リィンくんが空いているクロウの手を握り締め叫ぶ。その横でクロチルダさんが杖を構えようとして、諦めたように首を振った。痛みを取り除くしかもう出来ないと、そう。

蒼き深淵の魔女、結社と呼ばれる組織の中でも特に魔術に秀でているのだろうその方から落とされた言葉は、私の涙腺を決壊させるには十分なものだった。

 

「だ、駄目……これ以上は……」

「委員長ちゃん、黒猫も……ありがとな……おかげで……最期の挨拶ができる」

 

さいご。最期。いやだ、やめて、そんなこと言わないで。

それでもクロウは喋ることを諦めず、みんなへの言葉を紡いでいく。ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。あぁ、この人は、ほんとうにしんでしまうのだ。顔を伏せても、膝の上にいるクロウには丸見えで、そっと涙を拭うように頬を撫でられる。ぬるりとした感触にまた涙がこぼれた。

 

「……リィン、これから先……色々あんだろう……。……俺は、立ち止っちまった……だがお前は……お前ら、は、まっすぐ、前を向いて……」

 

おねがい、女神さま。この人を連れていかないで。願う私にクロウの紅い視線が寄越された。

 

「セリ……本当は、偽の学院生活で……大事なものなんて、つくる、べきじゃ、なかった……それでも……おまえをすきになった、おれのよわ、さを……ゆる…………」

「────クロウ?」

 

落ちる手。降りた目蓋。吐息が聞こえない。さっきまで、あんなに耳をつんざくように聞こえていたのに。

 

「クロウ?」

 

ねぇ、起きてよ。それで、いつものように、抱きしめて、頭を撫でて、あなたの体温を感じて抱きしめ返したいのに。

 

「あっ、ああ、うぁ、あ……っ」

 

今までの生活が脳裏を過ぎる。

ARCUS試験運用でみんなに出会って、勉強をみたり帝都へ行ったり、実習で危ない目に遭ったりして、君に恋をして。二年生になって、君がVII組に行って楽しそうにしているのを聞いて嬉しくて、すこし寂しくて、遠隔魔術の映像の《C》を知って心臓が凍りついて、パンタグリュエルでの日々だって嫌なこともあったけど過ごした日々はかけがえのないもので、それで────。

 

「愁嘆場はそこまでだ!」

 

ハッ、と意識を揺さぶる声に仰ぎ見れば、カイエン公がナイフで皇太子殿下を拘束していた。

 

「あれだけ目を掛けてやった恩も忘れて我が大望を妨げるとは……! 許さん、許さんぞ……! ……亡国の浮浪児ごときが!」

 

クロウは、国賊には違いない。それでもその叫びは、いま、たったいま、命を落としたこの人を愚弄するもので、逡巡もなく私の手は腰の導力銃を抜いていた。照準を────額に合わせて。うん、いける。前衛といえども伊達にこの二年訓練はしていない。どうか、一発で仕留められるよう、動かないでほしい。

 

「……およしなさい。あなたのすべてを、クロウは守ろうとしていたのだから」

 

引き金に指をかけたところで、そっとそんな声が聴こえてきた。"この場に命を持って存在する意味"を"銃"に見出しかけていた私を、引き止めるように、その女性はうつくしく笑ったのだ。

 

「……っ」

 

銃が両手から床へこぼれ落ち、そのまま崩れるようにクロウの頭を抱きしめた。もう、赤い血潮さえ噴き出ない、静かになった身体。

私を愛して、死ぬのが怖くなって欲しかった。私は────貴方の楔でいたかったのに。

 

 

 

それから、恐るべきことに心臓を貫かれた筈の鉄血宰相が姿を現し、その懐刀と呼ばれる鉄血宰相の子供達と呼ばれる面々がこの場を収めるに至る。

私は、"戻ろうとする"煌魔城からクロウの遺体を抱き上げて駆け下り、降りる前に連絡していたトワたちと合流してその遺体をジョルジュに託すことにした。

 

葬儀は、二日後に執り行われる。



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48 - 1205/01/03 森薫る街の涙

「生年は1184年なんだって。一歳歳上だったみたいだよ」

 

 

 

 

1205/01/03(月) 朝

 

昨日、帝都近郊ヒンメル霊園でクロウの葬式はつつがなく執り行われ、私の手には喪主を務めてくださった教官から渡された墓の管理者を示す銅板が残された。

お祖父さんが眠るだろう場所の近くに埋葬するどころか、故郷であるジュライへ遺体を送ることすらも政治上許されず、それなら全員がアクセスしやすい霊園にしようという話になったのだ。その管理証を私が預かることにいろいろ思うところはみんなにあったと思う。

亡き恋人に縛られ続けることを選ぶのか、と。墓を預かるということは一生のものだ。それでも私は、クロウから迂遠とはいえ告げられた婚約を了承した人間だから、きっと誰と添い遂げることも選ばないだろう。見晴らしのいいあの丘、君の横で歳をとっていく予定だ。

 

「セリちゃん、どこか行くの?」

「ああ、うん。学院も暫く休みだし、西部……特に内陸の方は結構戦闘が激しかったみたいだからティルフィルに一旦戻ろうって」

 

寮の部屋から出たところでトワとかちあい、二人で階下に向かう。

鉄血宰相殿の懐刀であったルーファス公子主導のもと、内戦が収まりつつある中で自分の地元へ戻っている生徒は多いのか寮はいつもより閑散としていた。まぁ、長期休暇中だと思えばむしろ人はいるぐらいなのかもしれないけれど。

 

「そっか、心配だよね。叔父さまと叔母さまによろしくね」

「うん」

「……セリちゃん。疲れてるだろうし、もし何なら」

「授業開始頃までには帰ってくるよ。勉強しないと」

 

いつまでも落ち込んではいられない。クロウだって前を向いて歩いていけと言っていた。

帝国という概念を解体するには、私には知らないことが多すぎる。そして、知らないことを認識するには、まずは勉強しかない。学院の勉強で足りないことなんて山ほどあるだろうけれど、基礎がなければ知識に当たる算段すら思いつけないのも事実で。

 

「それじゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

 

 

 

 

トワに見送られ、帝都行きの列車に乗り込む。事実上貴族しか乗れなくなっていた鉄道は即日規制が解除され、昨日と一昨日はすごい人出だったらしい。だけどそれも落ち着きつつあるのか早朝にしては多いにしても満員には程遠い。

どうせ一駅だと扉の前で三十分待ち、そのまま旧都行きの列車へ乗り込んだ。帝都は始発駅だから絶対に座れるのが楽だなと思う。

眠ろうか考えたけれどどうも眠気がないので風景でも眺めていようと視線を向けた窓に映る自分の顔があまりに酷く、トワに心配されるわけだ、と苦笑するしかなかった。

 

ため息を吐き、前に抱えた荷物を抱きしめる。

 

────彼が迷わぬよう、みなで送り出そう。

────戦乱の中で失われし魂が、女神の下で安らかに眠らんことを。

 

昨日、クロウの葬式で司教さまがそう言葉を贈ってくださった。定型句ではあると分かってはいるけれど、女神さまを信じていない人の魂は何処に行くのだろう、と気になった。精霊信仰が強い土地の生まれとはいえ自分が信仰する宗教のことを何も知らないんだな、と己の愚かさを嘆きそうになる。そういうことも今のうちに勉強していきたい。

 

「……」

 

オズボーン宰相は、生きていた。つまりクロウは復讐を果たすことは出来ていなかった。なら、彼があんな結末を迎える必要なんて本当はなかったんじゃないかと思わないではいられない。

時には軽口を叩きながら、ある時からは想いを寄せながら、みんなと走ってきた一年と半年。その間に憎しみで満ちていた器を、私たちは代わりに別のもので満たすことはできなかった。かけた年月のことを思えば、それを覆せたかもしれないと考える方が傲慢だろうけれど。

不幸中の幸いというのなら、クロウが息を引き取ってからあの宰相殿が現れたことぐらいか。そうでもなければ死んでも死にきれない。死んでいて欲しかったというわけではないけれど、生きていて欲しかったと言えるかというと微妙な立場だ。だって宰相殿が生きていようが死んでいようが、クロウが大勢の命を奪ったことに変わりはない。

 

……一旦考えるのをやめにして、暫く目を閉じることにする。それだけでも削れた何かが少しは回復してくれるかもしれないから。

 

 

 

 

しかし目を閉じてじっとしていれば案外と眠れるもので、旧都直前のアナウンスで目が覚めた。降りる準備をして西街道の方へ。けれど待合場は道が破壊されていたり、そもそも馬車を駆る人が居なくなっていたりなどで運行中止をしているらしい。

疲れてはいるけれど、徒歩で行けない距離じゃない。途中に深い谷底があるわけでもないので道が壊れていてもある程度迂回すれば到着の見込みは十分ある。計算と見通しを終え荷物を肩に抱え直し、私は慣れた道を歩き始めた。

 

 

 

 

旧都側だからか壊れた道に遭遇することは少なく、この分なら街は大丈夫かな、と思ったところでその姿が見えてきた。パッと見た感じでは、壊れてはいない。

叔母さんも叔父さんも心配しているかもしれない、と足早に街へ入り家へと急ぐ。いろんな人に声をかけられそうになったけれど、ごめん急いでるから、なんて返事を繰り返し自宅まで。去年の八月の短期休暇では帰ってこなかったからちょうど一年ぶりの我が家。

鍵を開けて中へ入ると、何だか埃っぽかった。

 

「ただいまー」

 

声をかけても誰が来ることもなく、気配を辿ってもここ最近この家に入った人はいないようだと首を傾げる。ここが住居として機能していたのかどうか確かめようと台所の冷蔵庫を覗くと、干からびた野菜だけが残っていた。

……まさかどちらかが怪我をして旧都の大きな病院に運ばれているとか?いやいや、他の町や村の支援で暫く家に帰れていないだけかもしれない。

嫌な予感を抱えつつ、家を出て教会の方へ。元締めである叔父さん叔母さんに何かあれば教区長さまが聞いている筈だ。

 

走って教会へ入れば、そこには会いたかった教区長さまが居てくださった。よかった、忙しくて席を外している可能性もあったから。

 

「教区長さま」

 

私が声をかけると、何かの指示をしていた人が振り返り、ああ帰ってきたのですね、と安堵したように笑う。

 

「はい、それで、叔母さんと叔父さんが今何処にいるのか知りませんか?」

「……」

「家には、誰もいなく、て……」

 

教区長さまのお顔が、周りにいる人の顔が、暗く澱んでいく。それは、みんな、駄目になってしまった木材をお腹に抱えたかのようなもので、嫌な予感が加速していく。

 

「セリ、こちらへ」

 

有無を言わさない案内で執務室の応接席へ座らされ、そのまま教区長さまは奥に進んだと思ったら二つの壺を抱えて戻ってくる。ごとりと丁寧に置かれたその壺には、二人が肌身離さず身につけている、結婚時にグウィンさん手ずから作り贈った揃いのペンダントがかけられていた。どうして、こんな、縁起でもない。

 

「……アルデ殿とエッタ殿は、先月亡くなりました」

 

────亡く、な、った?

 

「この街は被害に遭いませんでしたが、近隣では激戦区になってしまったところも多く、そちらの避難誘導をしている際に巻き込まれ、暫く身元不明者として扱われていたそうです」

 

そこにこの街を出入りしている商人さんが訪れ、遺体は既に火葬されていたけれど残されたペンダントから身元が判明しこの街へ運ばれてきたのだと。

教区長さまが、何を、言っているのか、分からなくて──理解したくなくて──耳を押さえそうになる。だって、そんな、わたし、八月には帰らなくていいかなって、一月に会ったっきりで。

 

「通信網が復活し学院の方へ連絡を入れたのですが、入れ違いになっていたようですね」

 

叔母さんと、叔父さんが、亡くなった。ああ、そうか。街の人たちが私に話しかけてこようとした理由がわかった。そして、普段なら立ち止まるのに私がそれに対して軽く返事をしただけで足を止めなかった理由もわかった。

みんなの表情が、声が、言葉が、二人が亡くなったことを間接的に報せて来ていたから、見たくなくて、見えないふりをして、家へと帰ったんだ。本能的に拒否をして。

 

「今日のところは、これくらいに」

 

教区長さまがやさしさからかそんなことを言うけれど、私はかぶりを振って先を促した。細切れに話されるより、もう、いっそ、一気に話してほしい。

 

「……骨はまだ砕いておりませんが、もし無理であるのなら」

「やります」

 

反射的に、そう言葉がついて出た。固く、震えすらない、自分からこんな声が出るのかと場違いに驚きそうになるほどの。

 

「わたしが、やります」

「……わかりました。道具はこちらから貸し出しましょう」

 

教区長さまは立ち上がり、すり鉢やすりこぎなどを乗せた台車を私の横へ置く。それが酷く恐ろしいものに感じてしまったけれど、悲鳴と嗚咽を飲み込んで、二つの壺を隣に並べた。傾けた時にからりと音が鳴り、置いた時にはかしゃんとペンダントが陶器に当たった音がする。

私は黙ったまま、お礼も言えないまま、ただ頭を下げて台車と共に教会を後にした。

 

がたん、ごとん。石畳の道を歩いていくと、道行く人たちが作業帽を取って頭を下げてくれる。この街の誰もが知っている。世界に、私の大切な人たちがもういないことを。

 

家につき、鍵と扉を開けて、壺を二つとも抱える。重かったけれど、生前の二人であればこんな風に私が同時に抱えるなんてことは出来なかった。小さくなってしまった。

腕と肩を駆使して、二人が寛ぐときによく使っていたリビングのローテーブルへ。

 

「……おかえり、叔母さん、叔父さん。おつかれさま」

 

そう言葉をかけた途端、感情が目からあふれ、ぼたぼたと涙がこぼれる。絨毯の上に崩れ、喉が引き攣り、掠れた声が喉の奥から落ちる。それを、もう、止められはしなかった。

────大好きだった。私を大切にしてくれた。愛してくれた。長く長く一緒にいて、家族というものをまた教えてくれた。戦で混乱する中それでも周囲の人たちへ手を差し伸べ、それが自分のやるべきことだと信じた、そんなやさしい人たちを、内戦が、奪っていったのだ。

 

 

 

 

どれくらいそうしていただろう。

顔を上げたらもうとっくに日は暮れていて、意識を呼び戻した音が──ドアノックがコンコンコン、と玄関の方からまた鳴っている。来客。私が帰って来たと知って弔問にいらした方だろうか。今は応対出来る精神状態ではないのだけれど、それでも立ち上がり、玄関へ。

 

「はい、どちらさ、ま」

 

扉を開けたら、そこには。

 

「……トワ?」

「ご、ごめんね、セリちゃん。いきなり押しかけて」

 

ステップの下に制服姿のトワが立っていた。

どうして、こんな、驚くほど田舎の私の故郷にトワがいるのかわからなくて、夢なのか、それとも現実逃避に自分に都合のいい幻覚でも見ているのか、そんな可能性しか思いつかない。

 

「あの後、サラ教官が走ってきて、セリちゃんの保護者の方の……訃報が学院に入ったって。だから、わたし」

「……まさか、それで、来てくれたの……?」

 

どれだけ遠いかなんてもうとっくに分かってる場所に、乗合馬車も動いていないから徒歩で、こんなところまで。

問いかけた私の言葉に一拍置いて、金糸雀色の瞳がしっかりと私を見据え。

 

「うん、そうだよ」

 

その言葉が耳に届いた瞬間、私は目の前の彼女を引っ張り上げ、扉を閉めると同時に強く強く抱きしめていた。感情の抑制も出来ず、当たり前のように力の加減なんてものも全然出来ず、それなのにトワは一瞬の呻き声も出さず、背中を撫でるあたたかな手のそのやさしさを私は、こぼれる涙をそのままにただただ享受するしかなかったのだ。

 

 

 

 

夜は、買い出しに行くのも億劫で、地下の食糧庫に仕舞い込んでいた缶詰をいろいろ使って終えることにした。内陸の私の家は魚といったら缶詰で、ほぐした身が入ったあったかなスープは今までのことを思い出してしまって、やっぱり私はまた泣いてしまった。

それからお風呂に入って、私の部屋で布団を二組。いつかの夜のように横で寝転んで。

 

「アンちゃんはルーレの方に喚ばれて、ジョルジュ君も技術方面で忙しくなったみたいで、私が代表して来たんだ」

 

灯りも消した中でトワの声が静かに届く。

 

「セリちゃんをひとりにしたくなかったから」

「……ありがとう」

 

どうやら私の涙腺はちょっと壊れてしまったみたいで、もうそれだけで涙があふれこめかみを伝っていく。涙が耳に入りそうだったからごろりと横向きになった。

 

「トワは、いつまで居られるの?」

「一週間は外出届出してきたよ」

 

そんな長期間の外出、トワのことだから実家の方にも連絡をしているのだろう。ただそれが私を刺激する可能性があると理解して端的な伝達のみで終わらせる。その気遣いが、本当に細やかで。

 

「じゃあ、明日、ちょっと、付き合ってくれる? 午前はやることがあるから、午後辺りに」

「大丈夫」

 

そのために来たんだもん、なんて静かに笑ってくれて、どうしようもなくトワのやさしさに溺れそうになるけれど、今は、その身体を掴ませていて欲しい。

 

 

 

 

昨日食事をして分かったのが現在私が固形物を咀嚼することが難しいということで、今日も朝食はスープの形にした缶詰だ。トマトだの豆だのヤングコーンだの、いろんなものを入れてみたけれどなかなか食べやすくて良かった。

 

「……見てて楽しいものじゃないよ?」

「うん、でも、一緒にいたいな」

 

リビングのローテーブルの前、汚れるからと絨毯も巻いて傍に避け、ソファにも座らずトワが横にいる状態で私はすり鉢をあぐらの間に置いている。最初にペンダントを外した叔父さんの壺の蓋を開け、小さなスコップで中身をすり鉢に。灰色になって、ところどころ崩れている人の骨。それを、すりこぎでぐしゃりとすりつぶしていく。生前ガタイがよかった人は骨もしっかりとしているから崩すのに体力がいるとは昔誰からか聞いたけれど、叔父さんも森林地帯の元締めの例に漏れずかなり骨の形が残っている。

 

がしゃり、ごしゃり。あらかた潰したところで別の器に入れ、また壺から未破砕の骨を取り出し、それをただただ繰り返していく。トワは何も言わない。私も何も言わない。それでも、ひとりじゃなくてよかったと思った。たったひとり、この静かな家でこの作業を自分だけでやるとなると、宣言通り出来はしても苦しかったろう。

 

暫く続けていくと叔父さんの壺が空になった。粉になったそれを壺に戻し、中を拭って今度は叔母さんの方に手をつける。女性だからか、慣れたのか、さっきよりは幾分か楽だな、なんて感じながら作業を続けていった。

 

そうして昼になり二人分の骨砕が終わったところで、お昼出来てるよ、といつの間にかいなくなっていたトワから声がかけられる。自分だけだったら食べずに出掛けていたかもな、とありがたさを覚えながら叔母さんの壺の蓋を閉め、服をはたいて、手を洗ってから食卓についた。

 

 

 

 

午後になり二人で作業着に着替え、教会に道具を返すついでに顔を出して教区長さまとお話をしてから山の方へ向かった。ポケットに自前のスコップを突っ込んで叔父さんの壺を私が、トワが叔母さんのを持ってくれている。

 

「ティルフィルは火葬文化で、しかも灰撒地域なんだよね」

「灰が肥料になるから?」

「うん。私たちは森に生かされているから、最後はそこに還るんだ」

 

教区長さまと話していた地点に辿り着くと、そこは森の中でも一際光が差し込む特別な場所。二人とも、ここが好きだった。

 

「はい、スコップ」

 

ポケットのものをトワに渡し、私は軍手をはめた後に壺を開け手で粉を少し掬う。

 

「これぐらいの量を撒いて徐々に円を作っていくんだけど、ちょっと足りなくても大丈夫だから気楽にやってね」

 

他人の骨粉を撒くなんて気が進まないだろうに、トワはわかった、と頷いて私の外をついてくるようにして一緒に撒き始めた。

さらり、さらり。細かくなった骨は風にさらわれたり、軍手にくっついたりしながら、長い時間をかけてひとつの円になろうという段階までくる。そこで一旦止まって、深呼吸をした。

 

「────ティルフィルにはね、『灰で生者を囲んではいけない、その人を連れていってしまうから』っていう言い伝えがあるんだよ」

 

あと50リジュで完成する円。一歩踏み出して閉じてしまえばそれは成立する。

 

「セリちゃん」

 

ここに来て初めて、咎めるような声でトワが私の名前を呼んだ。

 

「大丈夫、まだ生きていたいから」

 

だったら話さなければよかったけれど、こうして咎めてくれる人がいるから、私はこの一歩を踏み出さないと誓えるんだとも思った。他者への誓約は呪いにも、支えにもなり得るから。

壺の底に残った粉を掻き集めて、また円を作り始め、最終的に逆さまにした壺をコンコンと叩いて終わらせ、私が外へ出たところでトワも円を閉じてくれた。

 

壺を足下に置き、軍手を取って両手を組む。

────どうか、二人の魂が迷わず女神さまの下へ行けますように。

 

暫くそのままに、組んだ手をほどいて光射す場所をぼうっと眺める。どこか現実感のないその光景は、しかし代々の街の人々が作った場所で、その一端を私も担った。

 

「……懺悔、していいかな」

「うん」

 

唐突な私の言葉に対してトワは間断の隙もなく肯定してくれる。そのありがたさに少し笑いながら、口を開いた。

 

「十年……もう十五年以上か。ずっとお世話になった人たちでさ、本当に愛してもらっていたと思うし、助けられるなら助けたかったって、思うのに、どうしても内戦の引き金を引いたクロウのことを憎み切れない自分もいるんだ」

 

内戦がなければ二人はきっと命を落としはしなかった。

ずっとこの街で、一筋縄じゃいかない職人さんたちを相手にしながら、大変なこともたくさんありつつ、それでも笑って、長く生き続けられた人たちだったって、そう。

そしてその内戦を始めたのは私の恋人で、その事実はどうしようもないほど感情をぐちゃぐちゃにしていく。

 

「それで、そのことをトワ話すってことは、慰めて欲しいと同義だなって思う自分もいて」

 

だって、私の友人はやさしいから。私が自分を責めたらきっと慰めてくれる。それを分かりながら言うのは卑怯だ。それでも、この思考を自分の中に押し込んでおけるほど強くなくて。だから。

 

「……セリちゃんは、クロウ君を憎みたいんじゃなくて、相反する大好きな人たちを両方とも大切にしたいことを我儘だと思ってて、それを求める自分が許せないんじゃないかな」

 

トワは、静かに、そしてはっきりと物事の核心を突くのが上手い。それを、私は、とっくのとうに知っていた筈なのに。

いつの間にか自分の手の甲に爪を立てていた両手を取られ、視線を合わせられる。陽光を浴びたトワの瞳はきらきらと光って、すごく綺麗。

 

「でもね、その想いは我儘じゃない。好きな人たちを大事にしたいって思うのは当たり前のことで、とても大切で、それは個別に考えてもいいことだとわたしは思う。……だから、クロウ君のことを好きでいてもいいんだよ」

 

────ずっと、罪悪感があった。

国賊である男を、好きでいることに。そして私の大切な人を奪った内戦を始めた存在を今でも好きでいることに。間接的にとはいえ親友を殺しかけた相手であるとも分かっていたのに。

懇願して預かった銅板。渡された形見のピアス。それらをきっと私はこれからずっと手放せない。だけどそうであることが、まるで裏切りのようにも感じていて。

 

「……なん、で、トワは、わかるのかなぁ」

「わかるよ。ずっと一緒にいたんだもん」

 

ぼろりとまた涙を流す私を抱きしめて、トワはずっとそこにいてくれた。

ねえ、トワ。本当にありがとう。大好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三月ぐらいまで、ここに残ることを決めたよ」

 

壺を教会に返して、買い物をして、スープをメインにだけどサラダも作ったりした夕食時。セリちゃんはそう呟いた。

 

「元締めがいなくなって、私に代行が出来るわけもないけれど、書類とかはこの家にあるから私がいた方が何かと動きやすいだろうし、だから」

 

私はセリちゃんが学院を出発する前、療養の意味でティルフィルに残ることを勧めたけど、自分にしか出来ないことを見つけてそれを果たそうと決めたみたい。うん、やることがあるなら大丈夫かな。

 

「いいと思う。セリちゃん元々成績優秀だし、何かあれば私の方で調整しておくから」

「ありがとう。合間に勉強もちゃんとしておく予定だし、何とかなればいいな」

「手紙送るね。忙しかったら返事はしなくていいけど」

「あは、きっと忙しくて弱音吐きたくなるだろうし私にも送らせて」

 

もしひとりでここに残るだけだったら、私は連れて帰ってたと思う。クロウ君とセリちゃんの噂は学院でざわざわと一人歩きはしてるけど、それでもそういう悪意からも私は護れると思ってる。だけどこうしてあの十月末のように自分が為すべきことを、と定めたセリちゃんがまた見れたから。

 

「応援してる」

「うん、頑張るよ」

 

涙で腫れて赤くなった目元だけど、そう笑うセリちゃんは眩しかった。



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49 - 03/06 さいごのことば

1205/03/06(日)

 

「セリちゃん、久し……えっ?」

「これは、また、思い切ったねえ」

 

白いライノの花が咲き始めるトリスタの地に降りた私を迎えてくれたのは気の置けない仲間の二人だったわけだけれど、トワが私の左側をうろちょろしたり、ちょっと屈んでみてくれる?なんて言うので私は笑ってしまった。

 

「そんなに目立つかなぁ」

「うーん、今は透明だからそこまでだけど、左ってことはゆくゆくはアレつけるんだろ?」

「まぁね」

 

少し前に帝都に仕事で行った帰りにピアススタジオを見つけて衝動的に入り、その結果左の耳たぶに透明な石が嵌ったピアスが鎮座するようになっていた。穴が定着するまでケアを欠かさないのはもちろん、回復魔法をかける際には特に気をつけるよう厳重に注意された。

曰く、体が"そう"であることを認識する前に回復魔法をかけると傷だとみなし完全に塞がってしまい、うっかりするとアクセサリーを巻き込んで塞がりかねないのだとか。事故だなぁ。

 

「夏よりは冬の方がいいってお店の方も言ってたし、ちょうどいいかなって」

「………………まぁ、セリちゃんがいいなら、いいんだけど」

 

珍しくトワが渋面のまま煮え切らない言葉を落としてキルシェの方へ歩き始めるので、そっとジョルジュに近付いてゆるやかに追いかけながら声を潜めつつ話しかける。

 

「お疲れモード?」

「いや、形見を常日頃見える場所にっていうセリが単純に自傷に見えるんだと思うよ」

 

なるほど。端的に言ってくれる友人はありがたいな、と思いながら速度を上げてトワの隣に。ちらりと見上げてくる綺麗な金糸雀色の瞳を受けて、さらりと髪を上げて左耳を見せた。

 

「トワ、これは確かにクロウを忘れたくなくて開けたものではあるけれど、一応私自身の今後のことも考えて開けたんだよ」

「……後で教えてくれる?」

「うん。むしろ聞いて欲しいかな。ジョルジュも含めて」

「本当はアンも復学出来たらよかったんだろうけどね」

「ま、あっちはあっちで忙しいだろうし仕方ないって」

 

アンの父であるログナー侯が皇族への不敬を理由に自己謹慎に入ってしまい、表に出ざるを得ない仕事が息女であるアンの方に回されることとなり、結局復学は難しくなってしまったと嘆きの手紙が来ていたのを思い出す。そんな状態でも私の慣れない街の運営にアドバイスをしてくれたりして本当に頼もしかった。

 

 

 

 

「お、戻ってきたのか」

「お久しぶりです、フレッドさん。寮の片付けもしないといけないですからね」

 

休校もあったとはいえ三月にもなると二年生は殆ど授業がなくなるので、本当に片付けがメインの滞在になるだろう。と言っても私は単位に問題はないとしても一応試験願いを出しているので二日後に受ける手筈を整えているのだけれど。クロウが聞いたら渋面になりそうだな、と心の中で一人笑った。

 

三人で適当に分けられそうな料理を頼んで、運ばれてきたお冷で喉を潤す。

 

「ティルフィルの方はどうだい?」

「ハイアームズ侯爵閣下やアルトハイム伯爵閣下とお話をさせてもらってね、セレスタンさんも旧都の方に戻られてて、出入りの信頼出来る商人さんも交えながら何とか、ってところ。もう直ぐ代行管理者の私がいなくても回せるように役場も出来る予定だよ」

 

そう、穏健派と名高いハイアームズ侯爵は貴族連合軍に表立って協力はしていなかった。けれどティルフィル近郊が激戦区になってしまったり、そういう余波もあってかなり忙しくされている。サザーラント州が誇る職人街の元締めが居なくなったのもその一つだ。

 

「元々個人の家が回すには規模が大きくなってたし、良くも悪くもいい機会だったんだろうね」

「役場も出来るならいつか市になったりするのかな?」

「はは、そうなったら凄い街になりそうだ。僕もまたお邪魔したいな」

 

個人の手を離れ、侯爵閣下の手に委ねられる。きっといろいろな騒動がこれからも起きるんだろう。実際に職人さんたちとの折衝を行っていた元締めがいなくなったことで、元々出入りしていた商人以外は街に入れるな、と言う人も出てきて正直まぁまぁ荒れた。

私はローランド家の人間であるというだけで、職人さん個人との信頼関係を築いていたワケじゃない。大切に大切にそれを育んできたのはアルデさんで、エッタさんだ。だからそれを娘だからといって私が掠め取るわけにはいかなかった。一から、こつこつと。

 

「ハイアームズ侯爵閣下が元カイエン公みたいな人物じゃなくて良かったよ」

 

実は海都でオンディーヌについて話してくださった方が閣下だとは思わなかったけれど、あれは気がついた時にお互い笑ってしまった。ラマール貴族じゃないとは思ったけどさあ。

 

「あはは、セリちゃんには言葉の重みがあるねえ」

 

個人的にも迷惑がかけられたからね、とうんざりした言葉をこぼしたところで感じ慣れた気配がキルシェに向かってきているのを察知し、背凭れに肘をかけて入口の方を注視する。

残る二人がどうかしたのかといった声をかけてくるけどあと数秒でわかると思う。

 

「やあ、私の愛しのトワはここかな!」

 

そんな扉を盛大に開けながら高らかに妄言を吐くのはアンゼリカ・ログナーしかいない。感知通りとはいえもうちょっとなんとか出来ないのかその登場。

 

「アンちゃん!」

「驚いた、来週来るとは聞いていたけど」

「ふふ、セリが戻って来ると聞いて急いで仕事を片付けた次第さ」

「わー、それはうれしいなー」

 

空いていた椅子にアンが座り、そうだろうともそうだろうとも、と満面の笑みで言うものだから思わず私も笑ってしまった。

 

「久しぶり、アン」

「フフ、元気そうな顔が見られて安心したよ」

「いやー、その節は本当に助かりました。ありがとう」

 

領地ではないけれど領地運営のことなんか欠片もわからん!!!と叫んでいたのを多分思い出されているのだろうなぁ、とちょっと恥ずかしくなってしまう。

 

「おうおう、揃ってんなあ」

 

カウンターから滅多に出てくることがないフレッドさんが大きなベーコントマトピザと、頼んでいないミネストローネを置いていく。俺からのサービスだと思ってくれよ、とウインクして戻っていったのでありがたく頂くことにした。

 

「しかしアンの方も大変そうだったねえ」

「あの親父殿が頑として意見を曲げなかったものだからね。全く」

 

ログナー侯はこうと決めたら基本的に曲げない精神の持ち主だと聞かされていたし(アンはそれに対して強硬な態度を取ることで突破していたんだろう)、そもそも皇族への敬意がないどころか強い方ではあるようで、今回のことは本当に堪えたという想像がつく。元カイエン公が何か上手いこと──例えば宰相に操られている皇族を救い出そうとか──言って引きこんだ可能性もある。

それでも手を貸すと決めたのならそれに付随する責任はしっかと負うべきだ。皇族の管理下にある筈のザクセン鉄鉱山の産出品横流しを黙認していたのは事実ではあるのだし。

 

「ま、何にせよ、ただいまだ」

「そうだね、おかえり。そして私もただいまかな」

「うん、おかえり!」

「おかえり、無事に顔が見れて嬉しいよ」

 

 

 

 

四人だと少し多い量を注文してしまったせいでなかなかにお腹いっぱいとなり、ドリーさんが机をひょいひょいと軽やかに片付けていく。そうだ、全員揃っているならと荷物をあさって取り出したるは三つの小さな紙袋。

 

「これ、グウィンさんから」

「……まさか御業神グウィン氏か?」

「そうそう」

 

アンの質問に答えながら、まぁ開けてみてよ、と三人に渡し開封を促す。そうして出てきたのは。

 

「……東方の根付けに似てるな」

「あ、向こうにもそういうのがあるんだ」

「いや、これものすごいものじゃないかい?」

「こ、これ本当に貰っちゃっていいの?」

 

トールズ士官学院の有角の獅子紋をモチーフにグウィンさんのアレンジも加わった透し彫り、それに網紐を加えた装飾品だ。

 

「うん。一昨年私たちが行ってから少しずつ作ってくれてたんだって。私が二月以降帰ってなかったから渡すタイミングがなかったとか言われちゃった」

 

だから渡されたのは五つだ。クロウの分は先にお墓へ見せに行って、私の実家で眠っている。

 

「材料の木材に粘り強い性質があるから、壊れ難いと思うよ」

「では、ありがたく貰うとしよう」

 

いいものを貰ってしまったね、とアンが笑うから、グウィンさんも喜んでくれるよ、と。

 

「ああ、そうそう。お礼ってわけじゃないけど、導力バイクの方で進展があってね」

 

進展。ジョルジュの言葉に首を傾げるとアンがにやにや笑っている。

 

「RF社が再開発を検討してくれているみたいで、もしかしたらテスターとしてセリも招集されるかもしれないよ」

「えっ、それは本当に嬉しいね」

「あくまで検討段階ではあるが、かなり手応えはあったと思う」

 

聞くところによるとリィンくんはアンから譲られたバイクを内戦中も使っていたようで、結構な数の人に見られていたらしい。そうしてあんなものをつくるのならRF社だろう、ということでそれなりの数の問い合わせがあったのだとか。動く広告塔すぎる。

 

「そういえばセリはピアスを開けたのか」

「うん。そうだ、アンもいるからちょうどいいか」

 

こほん、と小さな咳払いをして三人を見渡す。

 

「実は卒業と同時に帝国内を旅しようと思ってて、先日正式に帝国時報へは辞退の旨を送らせてもらったんだ」

「セリちゃんも旅に出るんだ」

「ちょっと思うところもあってね。アンみたいに大陸一周なんて大きな話じゃないけど、そんな時間取れるのなんてもうこのタイミングぐらいかなって」

「ああ、わからないではないな、その感覚。うっかり立場ある人間になってしまったら一年放浪なんてことは出来やしないだろうしね」

 

何だかんだこういう突拍子もない話に一番理解を持ってくれるのはアンだなぁ、なんて一人しみじみしてしまう。まぁ本人が元々規格外というのは多分にして大いに関係しているとは思うけれど。

 

「ジュライやクロスベルにも行く予定でね」

「それはまた、いろいろというか、なんというか」

「で、女の一人旅だと舐められかねないからピアスを増やしていこうって」

「あ、そういう方向で繋がるんだ」

 

ピアスは帝都にピアススタジオがある程度にはとてつもなく珍しい装飾品というわけではないけれど、かといってネイルのように淑女の嗜みというわけでは全くない。むしろ真逆をいくアクセサリーではあるので、そういう意味で片耳に四つピアスがついている女はあんまり声をかけたくならんだろう、という方向に舵を切ったということで。別の意味で人が寄ってくる可能性はあるけれどそれはそれ。

役場の建築も終わるし、代行終了も目処がついたからちょうどいいと思う。

 

「セリ側の実利もあるってことか」

「まぁ形見を付けられるってだけで実利なんだけどね?」

「セリちゃんそういうところある」

 

きゅっ、とトワが眉間に皺を寄せるのがあんまりにも珍しくて笑ってしまった。

 

 

 

 

1205/03/12(土) 夜

 

頼み込んで受けさせてもらった試験も(マカロフ教官には余計な仕事を増やすなとうんざりされつつも)問題なく通り、自分の荷物は生活必需品を除く大部分を箱に収めることに成功し後は発送するだけになった。荷解きが大変かもしれないけれど、まぁ腐るものでもないし最悪放っておいても大丈夫だ。

そして残すところ、部屋の角に残っている大きな、私のではない荷物が三箱。

 

大したものが入っているとは思わない。第三寮にも持って行かれなかった程度のもの。だけどここに置いておくわけにもいかず、中身もわからないからこのまま発送することは輸送倫理的にNGだ。

 

「セリちゃん、荷造り終わった?」

「ん、ああ、大体ね。あとは……クロウの置いていったこれだけだよ」

 

換気のために開けておいた扉からトワが覗いてきて、それがあったかあ、と一緒に嘆いてくれる。たぶん仕分けするだけなら大した時間は要らないだろうけれど、単純に、怖いのだ。一人でやると何がきっかけで感情があふれてしまうか分からない。

前を向いて、自分に何が出来るのか知りたくて帝国を旅することを決めて、強くあろうとはしている。だけどやっぱり、忘れるなんてことは出来ないわけで。

 

「そうだ、リィン君に頼んでみるのはどうかな。明日自由行動日だし」

「ああ、そういえば」

 

リィンくんは生徒会の依頼を外部委託としてこなしている確かな実績があったな、と思い出す。だけど、リィンくん。いや彼もクロウの被害者の一人だろうし、こんな依頼を持ち込むのはわりと人道にもとるのではないのかと感じないではない。

 

「クロウ君、きっとセリちゃんとリィン君になら自分の荷物見られても恥ずかしがるだけで済むと思うよ」

 

そうかな。まぁ少なくとも私に見られて困らないものか、あるいは私が絶対に見ないという信頼を置いていたことは確かか。でなければこんな大量の私物を置いていくなんてこと考えもしないだろう。

しかし冗談みたいだけれど最大の懸念点がこの荷物には存在する。それを解消しているのかどうかというのを私は全く聞いていないし、仮に聞かされていたとしてどういう反応をすればいいのか困ったろう。

 

「……エロ本出てきたらどうしよう」

「……さす、がに……恋人の部屋にそういうのは置かないと思う……けど……」

 

トワでも断言出来ない辺りが、クロウがクロウらしいところだと私は思う。

 

 

 

 

1205/03/13(日)

 

今日はどうやらアンとリィンくんが導力バイクのレースをするようで、荷造りで行き詰まっていたし何より二人の勝負の行く末は見届けたいと思い外へ出た。

途中でトワと合流し街道へ行くと既に三人が集まっていて、絶好のレース日和で良かったなと心の中で女神さまに感謝する。

 

「トワ会長にセリ先輩……見に来てくれたんですね」

「えへへ、当たり前だよ。今日は二人の勝負をしっかり見届けさせてもらうから。ただし安全第一だからね」

「それと同じぐらい楽しむのも大事だろうけど」

「ええ、分かっています」

 

肯くリィンくんからアンの方に視線を動かすと、卒業と同時に大陸一周すると豪語している彼女の新しい相棒がそこにあった。リィンくんへ渡したものよりアン向けにチューンアップされているのが見て取れる。ジョルジュも器用だよなぁ。

 

「さて、ルールの方だが内容はいたって単純。コースに従ってスピードを競い、先にゴールに着いた方が勝ちだ」

「なるほど、シンプルですね」

「ああ、だが単に勝敗を決めるだけではつまらない。敗者はここにいる全員にドリンクを一杯ずつ奢る、というのはどうかな?」

 

何を賭けなくてもいいと思うのだけれど、私やジョルジュの苦言をスルーしたアンの視線にリィンくんは笑って了承した。いい子すぎる。将来悪い大人に利用されないか心配……いや、クロスベル戦線なんてものに参加させられてこの間ようやく帰ってきたのだから、もう既に悪い大人に利用されているも同然だったか。笑えない話だ。

 

「さあ、ではいざ尋常に勝負だ。リィン君、バイクに乗りたまえ!」

「了解です!」

 

だから、この勝負がリィンくんの心を穏やかにするひと時になればいいと勝手ながら願う。

 

「それじゃ二人とも、準備はいいかな」

「行くよ────位置について!」

 

ジョルジュの確認を経て、トワのカウントダウンが始まり、そうして戦いの火蓋は落とされた。

順調に走り出し消えていく二台のバイクを見送って、街道脇にいつものようにシートを広げて腰を据える。勝負のことを考えると少なくとも二十分は帰ってこないわけだし。

レースコースはケルディックに繋がる街道の途中で折り返し、ゴール地点はこの場所だ。直線もカーブも存分にあり、またショートカット出来る場所も少ないながらあるので駆け引きには持ってこいの場所なんだとか。

 

「クロウがここにいたら羨ましがってただろうねえ」

「そうだね、何だかんだ結構乗ってたから」

「クロウ用のバイクを組む未来もあったかもしれないね」

 

会話の中ではもう、思い出のように語れてしまう。努めてそうしているというのはもちろんあるけれど、それでも名前を出すだけで泣く日々は過ぎたから。

 

 

 

 

そうしてレースはリィンくんの勝利となり、だけど二人とも本当に楽しそうな顔で笑っていて、ああやっぱりこれは勝っても負けてもどっちでも良かったんだろう。世界に二台しかないジョルジュ謹製のバイクを使って勝負だなんて贅沢にも程がある。

 

「まさか、ここまで上達しているとはね……。本当に見事だった────私の完敗だ」

「アンゼリカ先輩こそ……途轍もないプレッシャーでした。正直、勝てたことが自分でも信じられないくらいです」

「フフ、だがそれが今の君の紛れもない実力だ。……正直、こういうのは柄じゃあないんだが、全力を出し切ったからか気分がいいよ」

 

バイクから降り足でスタンドを立てながら、とても清々しい顔でアンは笑っていた。それを見てトワが目尻を指先で拭ったのをリィンくんは目敏く見つけ小首を傾げる。

 

「何だか感動しちゃって。レースを通して、二人の真剣さがひしひしと伝わってきたから……」

「ああ、確かに素晴らしいレースだった。また機会があれば、ぜひ立ち会わせてもらいたいな」

「その時にもし私がバイクを持っていたら参戦させてもらおうかな」

 

三者三様の言葉ではあるけど、心に刻みつけられたのはみんな等しくおなじのようだ。うん、バイクの組み立てを手伝って、ここまで見届けることが出来たのは本当に僥倖だと思う。たった一つ欠けているものがあるけれど。

 

「そうですね……いつか必ず」

「ああ、リベンジできる機会を楽しみにしているよ。さてと、忘れない内に敗者の務めを果たすとするか。ドリンクの数は……六つでよかったかな」

「六つというと……あ」

 

私たちは、五人でチームだった。ARCUSの試験運用をしていた時も、バイクの製作をしていた時も、VII組をサポートしていた時も。仲間外れはきっと拗ねてしまうだろう。

どうやらアンも、いやみんなも同じ気持ちだったようだ。

 

「うん、今日はただでさえ私たちだけで楽しんじゃったし」

「何だかんだ寂しがり屋だもんね」

「ああ、それでお願いするよ」

 

それからみんなでアンの奢りの飲み物を飲みながら中央公園で話し、技術部へ戻っていく三人を見送る際、後で絶対に先輩の手伝いに行きますから、とリィンくんに言われたので私は寮の方へ戻ることにした。楽しかったな。

 

 

 

 

部屋で宛名書きなど自分の荷造りの続きをしていたところで特徴的な気配とともに、コンコン、と扉がノックされる。

 

「すみません、遅くなりました」

「いやいや、別にいいよ。忙しいだろうしね」

 

部屋に招き靴を脱いでもらったところで、これですか、と苦笑いのリィンくん。やっぱり人の部屋に置いていくには多い荷物だよねえ。

とりあえず重ねてあった状態から荷物を下ろし、手分けして開けることにした。……教本まで入ってるけどこれはよかったんだろうか。いやあんまり深く考えないでおこう。

 

「第三の方はもう片付けられてるんだっけ」

「はい。重要証拠品として押収されていったみたいで」

「それも仕方ないかなあ」

 

帝国を半年以上にわたって脅かした帝国解放戦線、そのリーダーが過ごしていた部屋だ。おそらく物的証拠など何も残っていないだろうけれど持っていかないわけにも行かなかったと。その点でいえば私の部屋に調査が入らなかったのは誰かの計らいかもしれないな、なんて。

この国の諜報部が本気を出せばクロウが私の部屋に荷物を置いていったことは調べるまでもなく調査が済むはずだろうから。

 

「……そういえば、先輩は就職されるんですか? 確か帝国時報からお誘いがあるって」

「ああ、そういうの全部断って旅に出るつもりだよ」

「えっ」

 

驚いたリィンくんがこっちを見るので、ちゃんと話すから手も動かしていこう、と会話を止めずに中身を取り出していく。

 

「保護者が居なくなった私にとって就職先があるっていうのは魅力的だけど……」

 

正直、この続きをはっきりと言うかどうか迷った。リィンくんを傷つける可能性があるんじゃないかと。だけど彼には、クロウのことで誤魔化すことはしたくない。

 

「帝国時報の今の紙面の色がね、自分と合わないだろうなって」

「それ、は」

「リィンくんが悪いわけではないんだけど、あの記事を見てるとまだちょっと辛くなるのは事実だし、ああいう記事を私が是としている、って認識されるのも困るしと思って。だから、知らない帝国を見に行くんだ。出来れば外にも足を伸ばしたいけどどうかな」

 

内戦終結、そしてクロスベル戦線の立役者として表に出されたリィンくんを、大人は誰も護らなかった。護りたい大人は遠ざけられ、利用する大人ばかりが周りにいたろうと。彼が悪いわけじゃない。だけどリィンくんを担ぎ上げるこの現状を、私は、私だけは、肯定するわけにはいかないのだ。

だって、もしリィンくんが救国の英雄ならば、彼はそれに逆らった反逆者になる。国家に反旗を翻したのは事実だとしても、リィンくんと分かり合える余地がなかったほどの悪党ではなかったから。過程を無視することになる結論には、賛同できない。だけど真実も言えない。

 

「そう、なんですね……」

「生きてればどっかでひょっこり会うかもしれないよ」

「はは、そうですね。その時はよろしくお願いします」

「うん、こちらこそ」

 

 

 

 

あらかた終わり、予備の制服を私が貰い受けたり、書き込みの少ない教本や参考書をリィンくんが自分のものにしたり、教会に寄付する用のボードゲームを端に寄せたり、捨てるものを選んだり、そうして箱の中身が大体片付いたところで一息ついた。

 

「ありがとう、リィンくん。私だけじゃこれだけ捗りはしなかったろうから」

 

特に、緑の標準制服が出てきた時は呼吸が止まったかのように思えて。

 

「いえいえ、結構面白かったです。最後のこれは毛布ですかね……あれ?」

 

奇妙な声を出したリィンくんの視線の先を後ろから覗き見ると、箱の底に封筒がひとつ。しっかりと封のされているそれをリィンくんの手が表に返したところで、今度こそ息が止まるかと思った。

 

────セリ・ローランドへ

 

たったそれだけ書かれているそれは、ずっと見てきた筆跡で、間違える筈のないもの。

 

「……俺、この辺のボードゲームとか全部教会に持っていきますね」

 

私に封筒を渡してきたリィンくんは床に置いていた選別済みのものを次々と箱に入れ、軽々と持ち上げる。捨てるものに関しては先輩にお任せしていいですか、と問われたので頷いた瞬間、それでは、と風のような速さで居なくなってしまった。

 

ちらり、と目線を落として"それ"を見る。私の手元に残った封筒。推定、手紙。

この荷物が運び込まれたのは確か八月頃だ。その時から仕込まれていたもの。読みたいような、読まないでいたいような、妙な感覚に感情がぐるぐるする。だって、もう、会えないと思っていた人の新しい言葉に触れられるだなんて誰が想像する?

だけどリィンくんの厚意を無下にするわけにも、と覚悟を決めて座り、封を切った。

 

 

セリ・ローランド

 

この手紙を読んでるのが宛名の人間じゃなく、もし別人だったらさすがに恥ずかしいので見なかったことにしてくれ。機密情報などは一切書いちゃいない、ごく個人的なものだ。

 

そしてこれをお前が読んでるってことは、たぶん俺は目的を果たしたんだろうとは思う。それ以降はやりたいことを為して死んだのか、それとも再編を見届ける途中で死んだのか、それはわからねぇけど、荷物を整理してくれてる傍に俺はきっといない。いたらこの手紙を真っ先に処分する筈だしな。ま、死んじゃいなかったらテキトーに流してくれ。

言う機会ももうないだろうから俺の感情について記しておく。

 

俺はお前に出会って楽しかった。

本当なら恋人なんて作るつもりもなかったし、それはきっと知ってたと思う。なんせ一回告白を断ったからな。だけどそれでも喪いたくなくて、手の届くところにいて欲しくて、可能なら、俺が目的を果たして関係が破綻した後に瑕になればいいまで考えていたが、どうなってるかね。

まぁその辺の話はいいか。

 

バレた立場としちゃどうしようもない話だが、お前や、あいつらと過ごした日々は、本当にかけがえのないものになった。全部過去に置いてきた青春みたいなもんを、少しでも取り戻せたような気分だ。

 

そんで、さっき書いたこととは矛盾になるかもしれねぇけど、俺のことなんか忘れて、幸せになってくれ。誰かと添い遂げてもいいし、添い遂げなくてもいい。

俺に言われるこっちゃねえと思うが、お前の幸せを追求して欲しい。

 

じゃあな。愛してるのは本当だったんだぜ。

 

クロウ・アームブラスト

 

 

ぽたり、と手紙に涙が落ちて、慌てて拭ったところで、手紙をぐしゃぐしゃにしないよう机に置いてから、慌ててタオルを手にして目元に当てる。

ずるい。こんなの、ずるい。忘れろなんて言われて忘れられるほど私が器用じゃないこと絶対に分かっている筈なのに。もちろんこれを書いた時にはパンタグリュエルであんな風に日々を過ごすことになるなんてクロウの中でも想定外だったろうとは思うけれど、それでも、こんなのってない。

 

涙が止まったなんて嘘だった。今でもこうして、君の心に触れただけでとめどなくあふれてくるこれを、どうやって堰き止めたらいいのかわからない。

 

「────私、も、」

 

愛してる。あなたのことを、ずっと。

零れるように呟いたその言葉を受け取ってくれる人は、もう、この世にいないけれど。



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50 - 03/24 白き花が咲く頃に

1205/03/24(木)

 

「ああ、セリ。よかった」

 

学院の敷地をぶらぶらと歩いて、今までの日々を思い出していたら校庭付近の階段辺りでフィデリオが手を振ってやってきた。手には何か封筒……いや紙袋と言って差し支えない程度の厚さがあるものを持っている。

 

「どうしたの?」

 

フィデリオは例の内戦を撮影した写真が評価され、1204年度フューリッツァ賞特別賞を受賞してそのまま帝国時報に誘われたと聞いた。私も入社することを決めていたら肩を並べて走り回っていた未来もあったんだろうか。

 

「その、感光クオーツと写真の整理ついでにロシュとも手分けして、君たちが写っていたやつを集めてみたんだ。……余計なお世話だったら置いてってくれて大丈夫だけど」

 

渡された紙袋の中を出してみると数々の写真の中に、彼がいる。楽しそうだったりロクでもなさそうだったり。もう取り戻せない愛しい日々が切り取られた、そんな姿を。

ああ、そう。こんな風に笑ってた。

 

ぎゅっと唇を噛み締めて、涙を落とすことだけは我慢して、笑った。学院解放の交換条件だったとはいえテロリストだった恋人と出て行った人間なんて、とんでもない噂の対象だったのに、それでも変わらずに接してくれたフィデリオには感謝しかない。

 

「……ううん、嬉しい、ありがとう。あんまりみんなで写真を撮る機会はなかったから。アルバムに収めて大切にするよ」

「そっか、良かった」

 

それじゃ、とやることがあるのかフィデリオが走っていくのを見送り、私はそのまま写真を手に校庭近くのベンチへ座って写真を眺める。

私は写真に収まることは殆どなかったけど、それでも一昨年の冬辺りからほんのちょっとずつ増えて、ロシュとフィデリオのカメラには嫌悪感を抱かなくなっていっていたようだった。

クロウが写真の中で笑ってる。楽しそうに。……ねえ、こんな表情でフェイクだったなんて言っても全然説得力ないよ。その辺わかってたのかな。

 

 

 

 

1205/03/26(土) 卒業式当日

 

「あ、いたいた」

「サラ教官。どうかされましたか?」

 

式も終わり、写真も撮って、朝に返し忘れていた寮の鍵を返却しに来たところで教官に捕まった。この後はキルシェを借り切って打ち上げだからみんなは先に行っている筈だ。

 

「いやね、君ってば旅に出るそうじゃない?」

「はい」

「だからこれ」

 

渡された封筒には遊撃士協会のマークが印刷されており、それが数通。おそらく内容としては同じものなんだろう。

 

「もし何かあったらギルドに行きなさい。紹介状なんてなくても話は聞いてくれる筈だけど、話も早くなるし念の為ね」

 

お守りだと思って持って行くといいわ、と言いながら教官は私の頭を撫でる。教官はたまにこうやってお姉さんぶるのだけれど、もしかして私の頭は撫でやすい位置にあるのかなと最近思い始めた。確かクロチルダさんにもスカーレットさんにもこんなことをされていた気がする。

しかしそもそも、だ。

 

「教官、私は国外に出ないんですけど」

 

一応帝国内を見て回る予定で、そうすると遊撃士協会というのは酷く冷遇というか撤退を強いられた立場のためこの紹介状はあまり使えそうにない。たしかレグラムとか一部には支部が残っているそうだけれど。

 

「えっ、そうなの? アンゼリカがそうだったからてっきり」

「でも去年の自主休講させられた貸し、これでチャラにしておきますね」

 

笑って鞄の中へしまうと、よく覚えてるわねえそんな昔のこと、なんてしみじみと言われてしまった。いやいや忘れるわけないじゃないですか。あの無茶振りをどうやって忘れられるのかと思うけれど、たぶんそれ以上の無茶振りをしたりされたりしてきた結果なのかなと少しばかり遊撃士時代のことを考えずにはいられなかった。

 

 

 

 

1205/03/27(日)

 

実家が遠い私は打ち上げの後そのままキルシェに泊まり、朝食を摂ってからティルフィルに戻ることにした。役場の建物はもう完成しているだろうし、後は事務手続きとかを終わらせたら晴れて自由の身だ。

暫くの食べ納めになるキルシェのご飯をゆっくり味わって、二年間ありがとうございました、とフレッドさんとドリーさん、常連の方々に挨拶をしてトリスタの駅に入る、直前。

 

駅前に赤髪の男性が立っていた。妙に視線を惹く瞳の色と、それに似たブローチを首元のジャボに留めた人。そしてどこかで見たことがあると内心で首を傾げた瞬間、三ヶ月前の煌魔城にもいた人物であることを思い出した。

そしてVII組のレポートでも散々書かれていた────レクター・アランドール特務大尉。

クレアさんと同じくオズボーン宰相の懐刀である鉄血の子供達の一人、かかし男。

 

「よ、こうして直接言葉を交わすのは初めてか」

「……どのような御用件か伺ってもよろしいですか? レクター・アランドール殿」

 

別にクロウの思想に共感したわけではないけれど、それでもさすがに宰相側の人間と相対して完全に冷静でいれられるほど人間が出来ちゃいない。

だって貴族を煽り、自身の死亡まで道具にして、そうしてあの結末を導こうとしていたのは紛れもない事実なわけで。そんな陣営が私に今更何の用だと言うのか。

 

「おう、お前さんの進路が未定って話を聞いてな、情報局にスカウトしに来たぜ」

 

は?

 

「……ご冗談を」

「冗談じゃねえんだな、これが」

 

その飄々とした態度もあるし頼むから冗談であって欲しかったというのに、ばっさりとその可能性を切り捨てられる。……まぁ、情報局の特務大尉という立場は一個人に冗談を言いに来るほど暇ではない。そんなの端から分かっていたけれど。

 

「……単なる平民一人、どうにでもなると?」

「いやいや、国家に関わることだからな、キッチリ納得させた上で連れてこいってお達しだ」

 

つまり、納得させられる自信があるということだ。馬鹿にしている。

 

「ではお引き取りください。私は、少なくとも貴方たちと仕事をする気にはなれないので」

「帝国の明日を見据えるって意味じゃ、うってつけの場所だと思うがねえ」

 

それは私が大手帝国時報のお誘いを蹴ってまでどうして旅をすると決めたのか、その理由を看破しているとでも言いたげな物言いだった。

 

「……そこまで分かっているのであれば、腹芸が得意でないことはご存知でしょう?」

「だが類稀なる斥候能力がある。加えてその容姿だ。使える場所なんざ幾らでも思いつけるぜ」

 

使えるものは使う。その信念自体は素晴らしいものだ。トワを起用したのも本当に徹頭徹尾、能力主義による差配なのだろうと確信できた。一平民の学生であるにもかかわらず素質を見出す力は素晴らしいの一言だろう。そして私が活躍出来るというのもきっと嘘じゃない。

だけど、さすがに。

 

「私がかつて敵の恋人だったとしても、ですか。らしい考えですね」

「だがそいつはもういない」

「ええ、亡くなりました。それでも私はそこまで器用じゃありません。どうか、お引き取りを……お願い致します」

 

懇願のような声になってしまった。でも、これ以上感情を抑える自信がない。こういう手合いに感情を露わにしたって何のメリットもないと理解出来るのに。

 

「わかった。今日のところは引いとくとするか」

「今後一切私から手を引いてください」

「そいつは無理な話だ。それにお前さんはきっとまたいつか、大きな流れに首を突っ込んでる。そいつが性分だってな」

 

不吉な予言めいた言葉を残して、レクター・アランドール特務大尉は私の前から姿を消した。

帝国の風は、未だやまない。




【第二部 あとがき】

どう足掻いても結末が見えていた第二部ですがどうしてもこの、関係の破綻から再度の成立を書きたい!と当初から目標にしていたので無事ここにたどり着くことが出来て嬉しいです。
書いてみたら思ったよりも関係が決裂している期間が短かったな、という印象になりました。とんでもなくいちゃいちゃしている。でも戦術リンクは破綻中という(一応12/31のタイマンを経てもう一度繋がっているのですが、正直それどころではなかったので彼らがそれを認識することはありません)。
描写としてはパンタグリュエル側での生活を延々と書いておりましたがいかがだったでしょうか。案外と結社方面と絡まなかったので驚きです。やはりオリ主は一般人(表世界の存在)という証左かもしれません。一番首を突っ込んできそうな怪盗紳士に関してはヴィータさんからちょっかいかけるなと釘を刺されていたのかな、とも思ったり。

個人的に書けてよかった部分は『クロウのお墓に刻まれている生年を誰が言い出しのか』を示せたことかと思います。
閃IVで驚いているのでリィン君ではもちろんないですし、じゃあ誰が正しい生年を?、となるので自分なりの答えとして出しました。いや本当に原作だと誰が教えたんでしょう(もしかしてサラ教官が書類をちゃんと見たら書いてあったとかでしょうか)(トワさんとかから年齢訊かれた時にテキトーに「おう、おんなじおんなじ」とか言っていそう)。


トワさんのことをどうしても看過出来ない不器用な相手の真っ直ぐさを好いたクロウと、そんなオリ主の道がまた交わる時を楽しみにしながら、のんびり1205年に想いを馳せたいと思います。

そんな感じなので、もしまた縁があったら嬉しいです。


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