壊れた器は元には戻らない (火神零次)
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入学編
入学式


 真新しい制服に身を包んだ少年・矢幡秋水。

 彼の視線の先には国立魔法大学附属第一高校入学式、と電子式の掲示板に堅苦しいフォントで映し出されていた。

 彼の周囲には秋水と同じように真新しい第一高校の制服に身を包んだ新入生たちと、入学を祝う父兄の姿。これから送ることになる全くの新しい生活に心躍らせる者ばかりで、秋水のように無表情で校内のメインストリートを歩く者などいなかった。

 

 講堂に入った時点で会場の席の半数が埋められていた。

 席は自由だと知らされていたのだが、新入生の並びには明確な区分が存在していた。

 前半分、制服に八枚花弁のエンブレムがあしらわれている生徒たち。後ろ半分はそれらがない生徒たちだった。この学校には入学試験の結果に沿って、定員二百名の新入生を一科と二科に分けている。これは後進の育成に必要な教員が慢性的に不足しているという現状からくるものだった。

 入試で優秀な成績を収めた魔法師の雛鳥が大成し、微力ながらも国の戦力となるようにという思惑なのは容易に想像ができる。だから、魔法科高校では教育機会の均等というものは存在しないのだ。育成者が少ない現状ではそれは望めない。仕方のないことだ。

 

「そんな大仰なものでもないだろうに」

 

 一科と二科で意識の壁が既に出来上がっていることを感じたが、わざわざそれに従うつもりもなかった秋水は、出入り口に近い席に座った。

 一科生と二科生には意識においても厚い壁が存在している。

 一科生を花冠(ブルーム)、二科生を雑草(ウィード)と揶揄されており、これらの単語は風紀委員による摘発を受けることになる。学校側は出来る限りの差別はしていない。教育に関してはどうしようもないのだが、それ以外の点では二科の生徒たちを差別するようなものは感じられなかった。

 この差別問題はどちらかというと、生徒たちが感じている一科と二科の差によって生まれた意識の違いだろう。

 式が始まるまで秋水の周りに座ろうとする二科生はいなかった。一科生だから避けているというよりかは、どちらかというと不気味に思っているというのが大きいだろう。だが座る席も少なくなってきたこともあり、秋水の周りの席も徐々に埋められていった。

 待つだけというのは暇なものだ。何かをしている方が時間が早く過ぎていく。いつもより時間の経過を遅く感じたが、式典の開始時間になったのか、マイクの前に立った生徒が口を開き、入学式の開始を宣言した。

 

 つまらない式典が続いていたが、唯一見どころとも言うべきところがあったのは、新入生総代となった女子生徒の答辞だった。答辞の内容は素晴らしいものだったが、気になる点はいくつかあった。少女は答辞でこの学校の制度について不満を口にしたのだ。周囲の者は少女のあまりにも美麗な雰囲気に心を奪われていたのもあって、それに対して何も言わなかった。

 

「司波深雪……ね」

 

 興味なさげに呟いてはいるが、末恐ろしいものだ。

 第一高校の総代は、入学試験の成績最優秀者が選ばれる仕組みとなっている。容姿がとても美しいあの少女が総代を務めるほどの実力者であり、それ相応の成績を叩き出したということになるのだ。

 自分の生まれ、存在そのものが歪であることを自覚している秋水は、答辞を読み上げている司波深雪に思うところがあったが、それには目を瞑ることにした。

 

 式も終わると、次はIDカードの交付となる。適当な列に並んでIDカード受け取る。大半の生徒はここから自らの教室へと向かい、ホームルームにて親しい友人を作ろうとするのだが、特に拘りのない秋水は自分のクラスがD組であることを確認した後、そのまま帰路に着いた。



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出会い

 高校生活二日目、秋水はD組の教室へと足を踏み入れた。

 少し早めの登校だったとは思うが、友人作りに励もうと談笑の輪を作っている生徒たちがいた。関わるつもりはないので机に刻まれている番号を頼りに自分の席を見つけ、座る。

 少し時間が経つと予鈴が鳴り、机に設置されている端末のウィンドウからIDカードをセットするよう促すメッセージが表示されたため、それに従いセットする。どうやらこれからオンラインガイダンスが行われ、履修科目の登録などを行うことになるそうだ。

 本鈴が鳴るとカウンセラーを名乗る学校の職員が教室に現れた。この学校にカウンセラーが用意されている理由など色々なことを語ってくれているが、あいにく興味がなかった秋水は右から左へと聞き流していた。

 話を終えたカウンセラーが教室から出ていくのを視界の端で見送り、履修科目の登録に取り掛かる。

 秋水が選んだのは主に研究色の強いものだった。自分の性質を考えても実技より理論の方がありがたい。

 この後は、上級生が講習を受けているのを見学したりする時間になる。最初に工房から寄ろうと思っていた秋水は誰かとつるむことなく一人で向かった。

 

 ある程度の見学を済ませた秋水は食堂で昼食を摂ろうとしていた。が、食堂の大半の席は埋まっており、秋水のような一人で来た生徒からすれば肩身が狭い状況となっていた。

 というのも、この時期は新入生の勝手知らずという事情もあって、かなり広い方にあたる第一高校の食堂は例年通り混み合っていたのだ。

 料理が盛り付けられたトレーを片手に秋水はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 悩んでいると、食事を楽しんでいる生徒たちが視界に入った。四人掛けのテーブルだが長椅子であり、余裕を持って作られていることもあり、自分が入っても邪魔にならないであろうと思った秋水は、そのテーブルに近づいた。

 

「ごめんね。周りを見ても席が埋まっていて場所を確保できないんだよ。すぐに退散するんで、相席しても構わないかな?」

 

 秋水が声をかけたテーブルは二科生で構成されていた。男女共に二人ずつと、バランスのいい構成だ。声をかけられたこと自体は問題なかったのだが、秋水が一科生ということもあり、返答は遅かった。

 

「ど、どうぞ……」

「ありがとう」

 

 眼鏡をかけた気弱そうな女子生徒が許可を出してくれたので、それに甘えて席に着く。

 ようやくトレーを置けた秋水は食べ始める前に四人の方へと視線を向けた。

 

「助かったよ。一人だから食堂では場所を確保しずらかったんだ。ウチは矢幡秋水って言うの」

「ウチ?」

 

 秋水の話し方からは想像もできないような一人称が飛び出し、明るい髪の色をしたもう一人の女子生徒が首を傾げた。

 

「なんかそれ、変じゃね……?」

「まあ、そうね。でも、仕方のないことだから気にしないでよ。ウチっていうのは癖になってるんだ」

 

 体格のいい男子生徒からの突っ込みに、秋水は苦笑いを浮かべて返した。

 

「だから、あまり気にしないでくれると、ウチは助かるなぁ」

 

 一科生でありながら、二科の生徒を嫌っているといった印象は感じなかった。

 

「改めてありがとね。一人だったもんだから、こうも席が埋まってると肩身が狭くて……」

「一人だなんて珍しいな。知り合いとかいねぇの?」

「恥ずかしい限りだけど居ないんだよねえ、これが」

 

 言葉に嘘偽りはない。

 知り合いはいたとしても全員年上であり、年齢が近いわけでもない。

 不幸中の幸いなのが、ここにいる一年生は全員入学したてということだ。一科、二科関係なく友人関係を築くことは容易な状況だ。

 ここの差別的な風潮を考えれば、一科と二科の間に友人関係が新たに生まれるのは難しいかもしれないが。

 

「恥ずかしいことじゃないと思います。友人と一緒に入学できた人の方が少ないでしょうし……」

「そうだな。俺たちも入学してから知り合った。気にするほどのことじゃないだろう」

「そうそう」

 

 フォローの声が入る。

 一科生だからと遠慮するような話し方ではないことに好感を覚えつつ、秋水はあることに気づいた。

 

「そうだ、自己紹介がまだだったね。ウチは矢幡秋水。一応、一科生だけど……その辺は気にしない主義だから、よろしく」

 

 そうして、秋水が自己紹介をしたところで、相手の方からも自己紹介をしてもらえた。

 体格のいい男子生徒は、西城レオンハルト。

 外見は純日本風だが、父がハーフ、母がクォーターということもあり、名前は洋風。秋水からすれば珍しい人間だ。

 明るい髪色をした女子生徒は千葉エリカ。

 『千葉』という名字に少し思い当たる節があるが、本人が名前までしか明かさないあたり、自分の名字に思うところがあるのだろう。自分の勘違いという可能性もあるため、詮索は避けた。

 眼鏡をかけた女子生徒は柴田美月。このご時世に眼鏡とは珍しいものだ。今や眼鏡はファッションや個人の趣味で身に着けるものというイメージが強い。

 もしそうでないとしたら──

 

(少し、厄介かもしれないね)

 

 思い浮かぶ可能性は、霊視放射光過敏症。

 これが本当なら、少し気を付けなければならない。

 彼女の眼が、自分にとって見られたくないものを、もしくは彼女が見たくないものを映し出すかもしれない。

 

「司波達也だ。よろしく、矢幡」

 

 最後に自己紹介してきた男子生徒──司波達也は、外見からでは三人よりも強烈なイメージはない。

 しかし、彼の中に潜む並々ならぬ気配を秋水は感じ取っていた。

 

「うん、よろしく。

 ところでひとつ、司波さんの名前を聞いて思ったんだけど」

「何だ?」

「新入生総代の司波深雪さんとは、どんな関係なの?」

 

 新入生総代の司波深雪の存在は、あの入学式で全員認知しただろう。同じ姓を名乗る達也が彼女とどういう関係なのか、気になってしまうのは仕方ないかもしれない。

 

「深雪は妹だよ」

 

 達也はあっさりと答えを出した。

 優等生の妹と、劣等生の兄。それがこの高校での評価だろう。

 秋水からしたら、その評価は正しいのかどうか疑いたくなるものだが。

 

「へえ、そうなんだ」

 

 さらに詳しく聞いてみると双子ではないらしい。

 達也が四月生まれで、深雪は三月生まれ。

 その話を聞いて興味深いと感じた秋水は、そのまま達也たちと談笑していた。

 

 しばらくすると、食堂の出入り口から一つの集団が入ってきた。数人とは片づけられない人数で構成されており、その中心には司波深雪の姿もあった。同じクラスメイトであろう生徒たちからの言葉を愛想笑いなどをして受け流しつつ、食堂内を見回していた。

 彼女が探していたのは、達也だったようで彼を見つけるなり、達也が座っているテーブルに近寄る。

 

「お兄様──」

「司波さん」

 

 達也たちの輪に入ろうとした深雪を、彼女にくっついてきた一科生が引き留める。

 

「こちらのテーブルは既に席が埋まっているみたいですから、邪魔しちゃ悪いですし僕たちと昼食を戴きませんか?」

「すみません。私はお兄様と昼食を戴こうと思っていましたし、まだ座れる場所もあるので大丈夫です」

 

 深雪は達也と一緒にいたいそうだ。仲のいい友人もそうだが、信頼できる家族と共にご飯を食べるというのも必要だろう。

 だが、どちらかというと、深雪を引き留めている連中は友人というより、深雪にお近づきになりたいという邪な考えを持った者ばかりみたいだ。

 

 引くつもりのない深雪に苛立ちを覚えてきたのか、それをできる限り表に出さないようにしつつ深雪を別席へと誘う口実が子供染みたものへと変わっていく。

 二科生は相席するのに相応しくないだとか、一科と二科のけじめはつけるべきだとまで言い出し始めた。

 挙句の果てには既に昼食を食べ終えていたレオに、席を外すよう迫ってきたのだ。

 流石のレオも抵抗を始め、深雪もレオも思い通りにならないことに苛立ちを隠せなくなってきた一科の連中の一人がレオに掴みかかろうとするが──

 

「その辺にしたらどう?」

 

 掴みかかろうとした腕が横から出てきた秋水の手によって捻り上げられたことにより、男子生徒は軽い悲鳴を上げた。

 

「思い上がりも甚だしい。キミたちはウチたちの飯を不味くするつもりなの? 果てには司波さんに迷惑までかけて」

 

 秋水の腕を引き剝がそうと空いていたもう片方の手で腕を掴むが、一向に剥がれる気配はない。

 

「それとも、もっと痛い目見ないと自覚できない? 風紀委員でも呼び出してみる? 十中八九、ウチたちが勝つけど」

 

 秋水の言う通り、ここで風紀委員が介入してきても達也たちには何の非もないだろう。秋水が採った行動もレオを守ろうとした結果、彼が起こした行動とも言える。

 捻り上げた腕を放すと、秋水は深雪の側へと寄った。

 

「司波さん、ウチが使った席でよければ貸すよ。お兄さんと一緒に食べたいんでしょ? ウチはちょうど食べ終えたところだから遠慮せず使ってくれていいよ」

 

 深雪をエスコートして席に座らせ、自分の分のトレーを持つ。

 これでもう深雪と一緒に昼食を摂ることができないと実感ができた一科生たちはやり場のない怒りを秋水にぶつけようとする。しかし、ここは食堂。一科やら二科を口うるさく言う上級生たちも彼らの蛮行は流石に目に余るようだ。この場が完全に秋水に味方していると気づくと秋水に怒りをぶつけようと行動する馬鹿な生徒は出てこなかった。

 

「っ……覚えてろよ」

 

 代わりに負け犬の遠吠えのような捨てセリフを吐いた。

 

「ウチを覚えてる暇があるなら、幼稚な頭でどうしたら司波さんのお眼鏡に適うか必死になって考えたらどう? これ以上は司波さんたちの邪魔になるから去った方がいいよ?」

 

 秋水の挑発に体をピクッと跳ねさせるが、何も言い返さずに深雪に付きまとっていた一科の連中は食堂から出ていく。

 

「はあ、ごめんね? ウチがいたら良くない空気が流れそうだからこの辺りでお暇させてもらうよ」

 

 ばつが悪そうな顔をした秋水は、達也たちにそう告げると何事もなかったように去っていく。

 

「あ、おい、矢幡!」

「レオ、止めておけ」

 

 秋水を引き留めようとするレオを、達也は静止させる。

 納得のいかない顔をしたレオは達也の方へと振り返った。

 

「どう考えたって矢幡は悪くねえだろ?」

「だが、風紀委員を呼び出す一歩手前まで来ていたんだぞ。レオは抵抗しただけだが、彼らに噛みついたのは矢幡の方だ。彼自身が言っていた通り、良くない空気になりかねない」

「だから矢幡はあのまま退散したのね。他に噛みついてくる奴が来る前に」

 

 エリカの言葉に、達也は頷く。

 ここにいる五人が秋水は一切悪いことはしていないと断言ができる。だが、食事の雰囲気がいいものにはならない。それを分かっていた秋水は自ら離れることを選んだのだ。

 深雪はその行動が自分を思って起こしたものだと感じていた。彼が行動していなければ、兄に白羽の矢が立っていたかもしれない。

 深雪は兄との食事ができるよう計らってくれた彼に心の中で感謝していた。



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放課後の諍い

「僕たちは司波さんに相談することがあるんだ!」

「そうよ! 司波さんには悪いけど、少し時間を貸してもらうだけなんだから!」

「ハン! そういうのは自活中にやれよ。ちゃんと時間が取ってあるだろうが」

 

 昼の食堂で衝突していたメンバーが、放課後の校門にて、再度衝突していた。

 一つ違う点があるのなら秋水がいないことだろうか。

 言い争いはデッドヒートし、もはや話し合いによる解決は出来ないところまで来ていた。

 

「同じ新入生じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですか」

 

 決定打は、美月の一言だった。

 一科生たちは昼間の怒りを解消できたわけではない。美月たちの正論にも苛立ちを見せ、強大な力を持つが故に冷静でいなければならないことを、彼らは忘れていた。

 

「……どれだけ優れているのか、知りたいなら教えてやるぞ」

「ハッ、おもしれぇ! 是非とも教えてもらおうじゃねぇか」

 

 レオは既に構えていた。

 

「だったら教えてやる!!」

 

 一科生の一人が携えていた特化型CADを抜こうとして――

 

「――ああ、遅いね」

 

 一科生の顔面、眉間を狙って何かが飛んできた。

 

「ヒッ!?」

 

 一科生の前に現れたのは、日本刀の頭を眉間に当てる寸前で止めた秋水だった。

 

「CADを抜き、魔法を発動しようとするのは犯罪行為……言うまでもなく風紀委員に摘発される行為だよ」

「森崎!」

 

 秋水の目の前にいる男子生徒は森崎と言うらしい。

 森崎は悲鳴を零したものの、CADを落とすことはなかった。

 

「矢幡秋水……!!」

「なんだ、ウチの名前を調べたの? 覚える必要ないって言ったのに」

「次席で入学したお前の名前なんて、すぐに挙がってくるんだよ!」

 

 森崎の言葉に秋水は驚いた表情を見せた。

 

「へえ。ウチは次席だったんだ。気にもしてなかったよ」

「なに……!?」

「で、さっさとCADを下ろしてくれない? 入学早々風紀委員のお世話にはなりたくないでしょ?」

 

 入学早々に風紀委員の世話にはなりたくない。

 渋々、といった感じだったが、森崎は言われるがままにCADを下ろした。

 

「ふう。大事にならなくて良かったよ」

 

 後に続いて刀を下ろした秋水は一息ついた。

 

「この……!!」

 

 秋水と森崎のやり取りを見て呆気に取られていた他の一科生たちが我に返り、自身が持っているCADに手を出した。

 

「みんな、ダメ!!」

 

 一科生の集団の中にいる女子生徒から制止の声が発せられるが届いていない。

 このままでは後ろにいる達也たちが魔法の餌食にされてしまう。

 制止の声をあげた女子生徒もCADを操作し始めたが、間に合わないだろう。

 一瞬で刀を鞘から振り抜き、納刀する。すると、一科生たちが展開していた起動式が一斉に破壊された。

 

「あなたたち、何をしているんですか!?」

 

 タイミングが良いのか悪いのか、一科生からすればタイミングは悪く、達也たちからすればタイミングは良かったかもしれないが、介入してきたのは騒ぎを聞きつけた風紀委員長と生徒会長の二人だった。

 刀を抜いたところは速さ的に誰にも見えなかったと思うが、達也辺りは気づいていそうだ。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

 

 達也が誰よりも二人の前に出たことに、訝しむ顔を見せる風紀委員長。

 達也がこの状況を弁舌で何とかしようという魂胆が見えたところで、秋水は適当に聞き流すことにした。

 

「矢幡」

「ん、何?」

 

 役員の二人が校舎の方に姿を消したところで、達也が秋水に声をかける。

 

「助かった」

「どういたしまして。またウチが噛みついちゃったから、あの二人を誤魔化すのはちょっと面倒だったでしょ。

 二人を口で何とかしてくれたのは助かるよ。ウチだったら挑発しかねないし」

 

 振り返って食堂と会った時と同じような笑みで言葉を返してくる。

 一言多いが、ほとんど事実だったため、達也は否定しなかった。

 それよりも達也は、一つの疑問があった。

 

「どうして彼が魔法を発動すると分かった?」

 

 森崎がCADを抜いたことは間違いないが、魔法を発動しようとした兆候は感じられなかった。その前に介入してきた秋水によって止められたが、彼はその時、森崎が魔法を発動しようとしていた、と先の行動を見抜いていたのだ。

 

「それ、教えなきゃダメ?」

 

 苦笑いで面倒くさそうにしているところを見ると、森崎が魔法を行使しようとしていたと見抜いているのは間違いなさそうだ。

 

「……いや、もし矢幡の魔法だとしたら詮索はマナー違反だな。忘れてくれ」

「別にいいよ、気にしてないから。

 ……そうだねぇ、機会があったらいずれ教えてあげるよ。教えたところで減るもんじゃないけど、ウチとキミはまだそれほど仲のいい『関係』とは言えないからね」

 

 関係。

 秋水はそれを少し強調したような感じがした。

 しかし、魔法師にとってタブーだと言われているほどのことを口にしたのに、秋水は嫌悪することもなく関係によっては教えると応えた。

 何の思惑があるのか分からないが、抱いた疑念は多分晴れるだろうと達也は少しだけ前向きに考えるようにした。

 

「――さて」

 

 穏やかな表情のまま、一科生たちの方へと顔を向ける秋水。

 顔を強張らせたままの森崎は、彼を睨みつけていた。

 

「自分が一科だと驕るのはいい。だが、問題を起こし、それを自分で解決ができないままでは、キミたちが嫌う二科の生徒たち……少なくともキミたちの目の前にいる司波さんたちより、ウチはキミたちが劣っているように見えるよ」

「っ……」

 

 少なからずある罪悪感が森崎の心を締め付けていた。

 言い返す言葉が見つからず、視線を泳がせているが、それに構わず話を続ける。

 二科に劣っている、この言葉が響いている一科生たちは少ないかもしれないが、この状況で響かないというのなら、鈍感な人間か、才能に見合わぬ器の持ち主ぐらいだろう。

 

「ウチは別にキミたちが評価されているのを否定するつもりはないよ。評価の対象にされている項目は優秀な魔法師として欠けていてはいけない重要なファクターの一つだからね」

 

 確かに、一科生が二科生に魔法で劣っている部分はあまりない。そもそも、実技の面では学校側から優秀と判断されている。

 それは紛れもない事実なのだ。

 

「親しき仲にも礼儀あり。どれだけ仲のいい友達であっても、超えてはならないラインは存在する。キミたちも無意識にそれに気を付けて友達に接してるはずだよ。

 だとしたら、初対面の人間にも、それは適用されるはずだよ。いや、むしろ初対面だからこそ、気を付けるべきじゃない?」

 

 生徒会長と風紀委員長の登場もあり、苛立ちのあまり怒りすら覚えていた人間でも流石に頭は冷えてきているはずだ。

 秋水の言葉は彼らに深く刺さっていた。

 

「自分の行動を見直すといい。一か月もあれば、どうするべきなのかは分かるんじゃない?」

 

 話は終わったが、誰もここから動こうとはしなかった。

 

「……説教みたくなるのはウチの悪い癖かな?」

 

 頬をポリポリと掻いた秋水は、助けを求めるように達也たちの方へと顔を向ける。

 そこまで言っておいて締めは全く考えていなかったのかと、達也は呆れてため息をついた。

 

「それは知らないが、締めはどうにかならなかったのか?」

「痛いとこ突いてくるなぁ」

 

 肩を竦めて目を逸らす。

 自覚はしているらしい。

 

「あの……ありがとうございます」

 

 達也の隣に並び、感謝を述べたのは、こうして面と向かって話したことのない深雪だった。

 

「どういたしまして。それと、こうして話すのは初めてだから……初めましてかな。食堂の時なんかはすぐに行っちゃったもんだから」

「いえ、お兄様から教えていただきました」

「といっても、俺もあの時が初めてだったから、教えたのは名前ぐらいだが」

 

 これで名前以外を教えてたら逆に恐怖しか湧いてこないだろうと言いたかったが、口を噤むことにした。

 

「改まった話はまた別の日に。そろそろ帰らないと、いつになったら帰るんだとお小言を貰いかねないからね」

 

 確かに長居し過ぎた。

 誰から「お小言」を貰うのかは容易に想像できる。

 ついさっき手間をかけさせたというのに、また面倒なことになるのは御免だ。

 

「それじゃ、ウチは先に帰らせてもらうよ。また明日」

「ああ」

 

 そうならないためにも、秋水は黙り込んだままの一科生たちに帰るように促した後、去っていった。



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人を見る目

「矢幡が気になることを言っていた?」

 

 森崎たちと放課後での諍いがあった翌日。

 午後の授業を受けていた達也は、エリカたちから気になることを耳にしていた。

 

「そうなの」

「なんと言っていたんだ?」

「達也、昼は生徒会室に行っていただろ?」

「ああ」

 

 朝から生徒会長に会うという予想していないシチュエーションがあったが、妹の深雪に用があったらしく、達也はその付き添いで昼休みに生徒会室を訪れている。

 レオ曰く、食堂で三人で食事をしていた時に秋水が訪れたそうだ。

 

「生徒会室で何かしら厄介事が起こるんじゃないかって」

 

 エリカの言葉に、達也はため息をつきたくなった。何せそれに関しては心当たりしかないのだ。生徒会長と出くわしたのはエリカたちと登校しているタイミングだったのもあり、三人は達也が生徒会室に向かっていることを知っている。

 もし生徒会室で話していたことがそのまま実現したら、いずれこの三人の耳にも入ることだし、誤魔化しても意味がないと分かり切っていた達也は、何があったのか話すことにした。

 

「生徒会室に風紀委員長も居てね。風紀委員になれと言われた」

「何だそれ。随分急だな」

 

 生徒会に呼ばれて来た妹の付き添いで居たのにも関わらず、生徒会室には風紀委員長が居て、しかもスカウトしてきたのは劣等生の自分というのは流石に急な話だ。正確な話は少し違うのだが、ここでは割愛することにした。

 あまりにも突然の出来事だったというのが伝わったのか、レオもいきなりな話だと思っているようだ。

 

「でもすごいじゃないですか。風紀委員にスカウトされるなんて」

「妹の付き添いで来ただけなのにか?」

 

 懐疑的になっている達也は、美月のようにスカウトされたことを素直に受け入れられそうになかった。

 

「まあまあ、自虐的にならなくても。それにしても矢幡が言ってたのってこれに当たるのかな?」

「さあ?」

 

 秋水から話を直接聞いたわけではないので、首を捻ることぐらいしか達也はできないのだが。

 だが、エリカは「でも……」と言葉を続けた。

 

「何か変じゃない?」

「変?」

 

 エリカの疑問の声に反応したのは美月だった。

 

「矢幡ってあたしたちと一緒に登校したわけじゃないから、達也くんと深雪が生徒会長に来るように言われたのは知らないのよ? 生徒会長がどういう風に達也くんや深雪に接していたの見たのは昨日だけのはずだから、生徒会室で厄介事が起こるなんて言えると思う?」

「確かにそうだよね。普通は厄介事が起こるだろうなんて考えもしないと思うけど……」

 

 二人の言っていることは間違いないだろう。

 秋水は達也と深雪のことは、エリカたちよりも知らないはずだ。ましてや生徒会長と風紀委員長の二人に至っては彼はそもそも話してはいないのだ。

 彼女たちが放課後の諍いを止めるために介入してきた時、二人に説明をしていたのは達也であって秋水ではない。話しているところは見聞きしているはずだが、それだけで厄介事が起きると断言などできるはずがない。

 

「まるで未来視ですね」

 

 予知は根拠を基に推測という形ですることができる。だがそれは、『予測』という言葉が使われるものだ。

 予知とは、科学では予測不可能な未来の出来事を正しく知ること。未来視はその予知と呼ばれるものの一種に含まれている。起こり得る未来を視覚情報として捉え、未来を知る。

 とはいえ、予知ができたとしても出来事が予知した通りに起こるとは限らない。小さなきっかけで変化するなど予知には確実性というものが存在しない。

 

「本人は人を見る目がそれなりにあるだけって言ってたけどね」

 

 もし美月の言う通り、秋水が未来視などの予知能力を持っていたとしたら危険だ。

 達也には誰にも明かしてはならない素性がある。美月と初めて会った時、彼女が眼鏡をかけていたのを見て『霊子放射光過敏症』だと検討をつけ、用心をしていたのだが。

 秋水の予知能力がどのような条件で働くか分からない以上、どのように警戒していたらいいか分からない。注意深く行動した方がいいだろう。

 

「ほら、エリカの番だぞ」

「あっ、ごめんごめん」

 

 達也たちの方を向いて話をし続けていたこともあって、自分の出番が来ていたことに気づかなかったようだ。慌ててポジションについた彼女の姿を見て、本質は真面目なのではないかと達也は別のことを考えることにした。

 

 夕食後、司波家の地下にある作業室でCADの調整をしていた達也は、とあることを考えていたのだが唯一の同居人が来たことを悟って、思考を止めた。

 

「遠慮しないで入っておいで。ちょうど一段落ついたところだから」

 

 タイミングがいいのはこうしてお互い、何をしているかを把握しているからだろう。

 部屋に入ってきた深雪は、CADを握っていた。

 

「失礼します。お兄様、矢幡さんの件でお聞きしたいことが……」

 

 深雪の口から秋水のことについて聞かれるとは思ってもいなかった。何せ深雪が来るまで考えていたことは秋水に関係のあることだった。

 深雪とは達也を通して知っていることなど皆無に等しい。先日、放課後の校門で起こった諍いの後、改まった話は別の日に、と彼から言われていたことだ。時を見て、休み時間に深雪と話をしているであろう可能性は考えられないわけではなかった。

 

「休み時間に矢幡さんと話していたのですが……」

「何かあったのか?」

「いえ、何かあったというより……」

 

 珍しく歯切れが悪い。

 いつもならしっかりと言うのだが、何かあったのか。

 

「その……生徒会室で私はお兄様に迷惑をかけてしまいました」

「迷惑だなんて思ってないよ。それがどうかしたのか?」

「矢幡さんに、副会長の発言で激情してはいけない、と」

「いつ言われたんだ?」

「放課後、生徒会室に行く前に言われました。まるで予知能力です。

 本人は人を見る目があると言っていましたが」

 

 深雪にも釘を刺していたのか。

 だが、これで秋水は予知能力、もしくはそれに近しいものを持っている線が濃厚になった。

 彼がこうして知らしてくるのは何故かは分からない。ただの善意かもしれない。それだとしても警戒をしないという選択肢は達也にはなかった。

 どんな理由であれ、自分と妹の平穏を脅かされることがあるのであれば、それを許すわけにはいかないのだ。

 

「それで、ここに来たのには他にも理由があるんだろう?」

「あ、はい。CADの調整……いえ、術式の入れ替えをお願いしたくて」

「そういうことか。どうしたらいい?」

 

 深雪の持つCADは汎用型。これに登録できる起動式は一度に九十九本。どれだけ最新鋭機でチューンアップしていたとしても、変わらない限界である。

 十五歳にして一般の魔法師が習得する魔法数を大きく上回る多彩な魔法を扱う深雪では、九十九という制限数は少なすぎるのだ。

 

「拘束系の起動式を……対人戦闘のバリエーションを増やしたいのです」

「ん? 深雪の減速魔法ならば、わざわざ拘束系を増やす必要はないと思うが?」

「お兄様もご存知の通り、減速魔法は個体作用式がほとんどで、部分作用式は困難です。部分減速、部分冷却も不可能ではありませんが、発動に時間が掛かり過ぎます」

 

 深雪は放課後に起きた達也と生徒会の副会長の試合を見て思ったのだ。自分は秋水のように予知能力じみたものは持たない。事前に諍いを止める能力は兄の達也より秀でていない。ならばスピードに重点を置き、最速で最小のダメージを与えて相手を無力化する必要があると。

 

「そうだな……生徒会で同じ学校の生徒相手にとる戦法としては、そういうのも必要になるかもしれないな。分かったよ。手持ちの魔法を削らなくても済むように、同系統の魔法を少し整理してみよう。

 本当は、もう一つCADを持つ方がいいんだけど」

「一度に二機のCADを操ることができるのは、お兄様だけです」

「その気になれば、お前にもできるって」

 

 ぷいっ、と軽く拗ねてそっぽを向いてしまった深雪の頭を、苦笑しながら撫でる。

 妹が機嫌を損ねた時に達也がいつも使う手段は、効果覿面だった。

 

 しかし、深雪は未だに拗ねていたようで、その原因が放課後に生徒会長や風紀委員長と随分親しく話していたことだったのが深雪の口から出てきた時は少し予想外だったが、兄妹の他愛のないじゃれ合いを測定を済ませてから行っていた。



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暗躍する影

 新入部員勧誘期間。

 達也は風紀委員として二科生とは思えない活躍を見せていた。

 いや、見せざるを得ない状況ばかりだったと言うべきか。

 第二小体育館で剣術部のエースを取り押さえてから、達也を探るかのように彼をあらゆる方法で妨害。中には闇討ち紛いの襲撃を受けていたりと普通の高校生なら気が滅入るはずだが、達也はそれらを相手取りながら顔色一つ変えずに風紀委員の仕事をこなしていた。

 部活に入るつもりがない秋水は、部員の勧誘が激しくなる放課後に校舎の屋上で達也と、その周囲の人間たちを監視していた。特に上からでは目が効かない場所では達也に迫る脅威を目で判別するのは難しい。

 メインストリートの喧騒に顔をしかめながら、神経を尖らせ、耳に届く音を判別する。

 トラブルがあったという連絡が来たのか、迷うことなく走り出す達也。テントが林立するエリアとは反対側にある植木の陰から、達也に向けて魔法が放たれようとしている兆候を感じ取った。それは達也も同じことだ。彼から放たれた無系統魔法――二つのサイオンの波によって魔法式が未発のまま霧散した。

 魔法式がエイドスに働きかけるのを妨害する魔法。その一種として広く認知されている魔法、キャスト・ジャミングと酷似している。

 即座にターンした達也は、魔法を撃ちこんできた犯人を追おうとした。

 しかし、追いかけてくることを想定していたのか、達也がターンしたと同時に高速走行の魔法を使って犯人は逃走。達也は長時間の追跡になると判断したのか、すぐに追いかけるのを止め、本来の業務へと戻っていく。

 秋水は達也から視線を外し、犯人の男へと意識を向ける。一見穏やかな雰囲気があるが、彼から発せられる『音』は悪意が混じったものだった。純粋な悪意ではない。彼から生じたものではなく、他の誰かに取り憑かれ、操られているようなものを感じた。

 平穏を乱す魔の手が迫ってきていることを、秋水の警鐘が知らせていた。

 相手が一人とは考えられない。裏に誰かいるはず。それを探るためにも秋水はすぐに行動に出る。

 懐から取り出したのは白紙の札。それを地面に置いて、秋水は手を合わせる。すると、札に青色で浮かび上がる文字や符号。それは、古式の魔法師が使うCADの代わりの一つである呪符を連想させる。

 

「――水面に波紋を残し、踵鳴らして何処へ行く。音、絶つこと叶わず。我が手に汝の行く末、見届けたる糸あり。四道共鳴・悪鬼月映」

 

 詠唱を終えると、札が宙に浮き、どこかへと飛んでいく。

 後は時間が経つのを待つだけとなった秋水は、再び達也の方へと視線を向けた。

 

 勧誘期間が終わってから一週間が経った頃、放送室が一科生と二科生における差別撤廃を目指すという有志同盟によってジャックされた。

 彼らは生徒会、部活連と正当な交渉の場を設けることを求めており、それを全校放送で訴えていた。すぐに風紀委員会が対応したが学校側がこの件の対処を生徒会に一任した。生徒会は有志同盟のメンバーと話し合い、交渉の場を設けるということにして討論会が開かれることになった。

 討論会に参加する生徒会の役員は生徒会長・七草真由美のみ。

 討論会は話し合いを行った二日後の放課後に行われるということになり、生徒会側には役員同士で話し合う時間がない。小さな食い違いで揚げ足を取られることを考慮した結果、生徒会長のみが討論会に参加するという判断をした。

 だが、ただの討論では終わらない。達也のそう思えてならなかった。

 

 討論会の前日の夜。

 達也と深雪はある場所を訪れていた。

 夜だというのに明かり一つついていない寺。そこには人がいるとは思えないほどの静けさ。インターホンや呼び鈴もない。玄関の引き戸を開けて来訪を告げようとするが、引き戸に手をかけたと同時に、縁側の方から声がした。

 

「達也くん、こっちだよ」

 

 達也の袖を掴んでいる深雪がビクッと震えていた。

 ここがただの寺なら、達也も苦笑いを浮かべていたところなのかもしれないが、少なくともここはそういうところではない。そのほとんどがお世話になっているこの寺の住職が原因なのだが。

 縁側へと歩を進めると、件の人物は縁側に腰かけていた。

 九重寺住職・九重八雲。高名な忍術使いであり、由緒正しき『忍び』。達也の体術の師匠でもある。

 軽く挨拶をしたところで、本題に入ろうと思った瞬間――

 

「達也くん、見られてるよ」

 

 他でもない八雲から言われた。

 すぐさま周囲を見渡すが特に気になるようなものはない。

 またお得意の悪戯か、と思ったが一向に彼の鋭い目つきが緩むことはなかった。答えを見出せずにいると、八雲が口を開いた。

 

「達也くんの背中に『式』がついてるね。こっちに向けるといい。取ってあげるよ」

 

 からかっている、という声音ではないのはすぐに分かった。八雲の言う通りに背を向ける。

 八雲が背に触れると、背中から何かが剥がれるような感覚がした。

 

「師匠、それは?」

「簡単に言えば式神だね。式とも呼んでたりする」

 

 青く光っていた札が、白紙へと戻る。

 

「とはいっても、達也くんにこれを着けた人間は、君に危害を加えるつもりはないみたいだね。外したのは間違いだったかな? とはいっても、これは君にとって邪魔になるだろう。この式の処分は僕に任せてもらっていいかな?」

 

 八雲がここまで自主的に言い出すのは珍しい。

 

「その前に、式神についてもう少し詳しく」

「古式魔法の一種。この紙に記された文字や符号は、古式の魔法師が使用する呪符などに似ているけど、この場合は式神そのものを示している」

「その式神は何の役割を?」

「それは僕にも分からないけど……君のことを知りたがっているのは間違いないんじゃないかな」

 

 監視、という単語が達也の脳裏を過った。

 警戒すべきことが増えたのにはため息をつきたくなったが、それを抑えて本来の目的を果たす。

 八雲は二人が座ったのを見て、

 

「司甲。旧姓、鴨野甲。

 両親、祖父母、いずれも魔法的な因子の発現は見られず。普通の家庭ではあるけど、実は賀茂氏の傍系に当たる家だ。血はかなり薄いんで、普通の家庭と言っても差し支えないんだけど、甲くんの『目』は一種の先祖返りだろうね」

 

 前置きなしに、淡々と語り始めた。

 

「俺が司甲の調査を依頼すると分かっていたんですか?」

「いや、依頼に関係なく、彼のことは知っていたよ」

「何か理由が?」

「僕は坊主だけどね。同時に、いや、それ以前に僕は忍びだ。

 水がないと魚が生きていけないように。常に情報を集めていないと忍びは生きていけないんだよ。

 とりあえず、縁が結ばれた場所で問題になりそうな曰くつきの人間は調べるようにしている」

「俺たちのこともですか?」

 

 彼の言葉通りなら、まだ達也たちが八雲に素性を明かしていない段階で調べに入っている可能性がある。広い情報網を持つ八雲は、自分たちの素性に最初から気づいていたのか、という不安が達也にあった。

 

「調べようとしたけどね。その時は分からなかった。君たちに関する情報操作は完璧だ。さすが、と言うべきだろうね」

 

 達也と八雲が睨み合う。

 悪ふざけの演技だったのだが、真に受けていた深雪がどうにかしようと慌てて口を挿んできたことで、二人の表情が緩んだ。

 そのまま世間話の様な口調で、八雲は深雪の質問に答えた。

 司甲の義理の兄が一枚噛んでいるのではないか、という推測も交えたものだったが、有益な情報であることは変わらなかった。

 八雲が提供してくれた情報の中で聞いておきたいことが増えた達也は、司甲の『目』がどれほどの性能なのかを尋ねた。

 

「そうだねぇ……放出された霊気の波動を認識できる程度、かな。内に秘めている霊気を認識できるほどのものではないと思うよ。

 少なくとも、達也君のクラスメイトの方が強力な霊視力を持っていると考えた方がいい」

「美月のことも調べてあるんですか?」

「君も、興味はあるだろう?」

 

 今夜一番人の悪い笑みを浮かべている八雲に、舌打ちをしたくなったが堪える。図星だというのは八雲も分かっているだろうが、それを態度に出すのはあまりにも癪に障るからだ。

 

「結論から言えば、彼女のことを警戒する必要はないと思うよ。

 君の霊気が見えたとしても、あの娘ではそれを理解することができない。そもそも、達也くん並みに魔法に精通しているのなら、自分の『目』に振り回されることもないだろうからね」

 

 彼を安心させるためにかけた言葉かもしれないが、達也は微妙な気分にならざるを得なかった。とはいえ、それをいつまでも引っ張っているわけには行かない。もうひとつの目的、それを八雲に話さなければならないからだ

 

「それと、師匠。もう一つお願いしたいことが」

「何かな?」

「矢幡秋水について教えていただきたいのですが」

 

 矢幡秋水という名前を聞いて、八雲が反応を示した。

 

「ふむ、一応調べてはいるとも。さて、どこから話したものか……長くなりそうだけど、大丈夫かい?」

 

 顎に手を当てて考え込む仕草をする八雲。

 夜もそれなりに更けてきたこともあり、一応、達也に確認を取る。

 彼が大丈夫だという頷きをしたところで、八雲はいつもと変わらない声音で話し始めた。



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矢幡秋水という男

「矢幡秋水。単刀直入に言えば彼は数字落ち(エクストラ・ナンバーズ)だ」

数字落ち(エクストラ)……ですか」

 

 数字落ち(エクストラ・ナンバーズ)

 魔法師がまだ兵器であり実験体であった頃、魔法技能師開発研究所で、成功例として数字が与えられていながら、成功例として相応しい実績を上げられなかったとして、数字を剝奪された魔法師の家系に捺される烙印である。

 剥奪の理由は様々であり、彼らは魔法師のコミュニティで厳しい孤立を味わっている。

 それもあってか、現在は「数字落ち」という名称を公式に使用することが禁じられている。また、「数字落ち」を知っている者は、現代魔法の闇の面も少なからず知っているということになる。

 

「彼の家は『八幡家』。八の数字を冠している家だ。本来なら北九州の方にいるのが普通なんだけど……第一高校に通っているのは、彼の家で起きた事件が原因だろうね」

「その事件とは……?」

 

 深雪の問いに、八雲は少し口を噤んだ。

 それを言うのは躊躇いがある、とでも言いたいのだろうか。プライバシーを思いっきり侵害する坊主であったとしても。

 

「教えてください」

「あんまり平気で言えるものじゃないんだけどねぇ……

 ある事件というのは今から七年も前のことだ。彼の家で、とある催しがあったらしい。どんなものかは分からないけど、八幡家の縁者を含んだ数多くの人がその催しに参加していた。

 ……参加していた人全員、正確には秋水くんを除いて、催しに参加していた人たち全員が惨殺されたらしい」

 

 八雲の言葉に深雪は彼の顔から視線を逸らした。

 あまりにも受け入れがたいその言葉に、達也も眉を顰める他なかった。

 

「犯行に及んだ者は未だに分からない。分かるのは、惨殺された人たちは刃物によって切り殺されたことぐらいだ」

「それで、矢幡は?」

「警察はすぐに来た。二十人ほどの死体の真ん中に、彼は茫然とした様子で血に塗れながら立っていたらしい。もちろん、すぐに病院に連れていかれた。けど、彼の精神は既に崩壊していたらしい」

 

 無理もない。家族を含め、縁があったであろう人たちが目の前で死んでいったのだろう。事件が起きたのが七年前なら、彼は当時八歳ぐらいのはずだ。魔法を使って戦闘をするには幼すぎる。

 目の前で家族が死んでいくなど、受け入れられるはずもない。人間としての防衛本能が起きただけ最悪の事態は免れたと言っていい。

 

「精神の集中治療のために、彼は半ば植物人間の状態で、東京に移された。もうこれ以上、八幡家には発展も望めなくなったと判断した第八研は数字の剥奪を決定。彼の姓は君たちの知る「矢幡」となった」

 

 悲惨、としか言いようがないだろう。

 深雪は手を口に当てて、言葉を失っている。

 

「運が良いことに、彼は一か月ほどで意識を取り戻し、すぐに退院している。それからは八幡家の財産を継いで、一人暮らしをしているみたいだね」

 

 八雲の語りが終わる。

 悲惨な過去を経験しながらも、あれだけの振る舞いをしているのは、彼の心が強靭ということか。普通なら精神に異常をきたしていそうなものだが。

 

「師匠。八幡家に、予知能力のようなものはありますか?」

「予知能力? 彼らの家は古式の魔法師も居たみたいだけど、予知能力があるような情報はなかったね。そもそも彼らは第八研の出だ。情報操作がされているのなら話は変わってくるかもしれないけど。中々ないとは思うよ」

「……そうですか」

 

 予知能力は、意識を取り戻してからものなのか。

 もし、人格が変わったなどの話があれば、あり得ない話ではない。

 

「ああ、それともう一つ。秋水くんは八幡の神童と謳われていたそうだよ。単純な魔法力なら君たちに負けず劣らずのものだろう。もし彼と戦うのであれば、油断しないようにね。まあ、戦わない関係で居続けるのが一番だと思うよ。

 明日の討論会はただでは終わらないだろう。信用できる味方は多い方がいい。誰を味方にするのかは君の自由だ」

 

 忠告のように言ってくる八雲は、達也たちがよく見る、いつも通りの顔をしていた。

 

 公開討論会当日。

 昼休みを利用して、達也は深雪を通して秋水を呼び出していた。

 

「あ~……ウチなんか悪いことした?」

「いや、そういうわけじゃない。話があるんだ」

「話? 何かあったの?」

 

 達也と向かい合うように座り、首を傾げる秋水。

 

「今日、討論会が行われるのは分かるだろう」

「ああ、差別撤廃を求める有志同盟が、生徒会と部活連に対して対等な交渉の場を設けることを要請する、とかなんとかってやつだね」

「矢幡から見て、放課後に行われる討論会をどう思う?」

 

 ふむ、と腕を組みながら考え込む。

 予知能力があるのであれば、的を射た発言をしてくれると思うが、果たして。

 

「ただの討論会で終わるかどうか、知りたいってことでいいかな」

「ああ」

「穏便に済む、なんてことはあり得ないだろうね」

「何故、そう思う?」

「有志同盟の人たちから何者かの悪意を感じるから、かな」

「何者かの悪意を感じる?」

 

 予想外の答えが返ってきたことには驚いたが、また気になることを秋水は話し始めた。

 後から八雲がさらに伝えてきた情報には、司甲の義理の兄が、反魔法国際政治団体「ブランシュ」の日本支部リーダーであることが判明した。恐らくは、その人物がこの件の首謀者なのではないかというのは、達也と八雲の共通の見解だった。

 

「そうだね。操られてる……マインドコントロールの類いかな。そこまでして中心人物は差別を撤廃させたいのかと考えると、ウチはそうは思わない。もっと別の何かがあると思う。それこそ、テロリストが乗り込んでくる可能性がないとは言い切れないね」

「……警戒する必要あり、か。一応、委員長には伝えておく」

「それでいいと思うよ」

 

 達也が秋水にアドバイスを求めているのは、彼の予知能力がどれほどのものなのかを測るためでもある。どのような条件で予知がされるのか、そのラインを知っておきたいのだ。

 

「問題なければ、何者かの悪意を感じた経緯を教えてもらってもいいか?」

「いいよ。

 分かったきっかけは、司波さんが勧誘期間中に受けた数多くの嫌がらせかな。帰るタイミングを見失って屋上にいたから、司波さんがよく邪魔されていたのは見えていたんだ。どうしてそこまで司波さんを狙うのかが分からなかったから、ちょっと探ってみたんだ。その時に悪意を感じたよ。

 それで、有志同盟の人たちが昨日の放課後、討論会に参加してほしいだのなんだのと話していたのを見かけたときに、彼らがキミを襲ってきた連中と同じ悪意を匂わせていた」

「それで、討論会は穏便には終わらないと思ったんだな?」

 

 コクリと頷く秋水。

 達也の目的の一つは達成されたとは言えないが、また別のことが聞けただけでも収穫だと言えるだろう。

 

「矢幡の言う通り、俺も穏便に済むとは思っていない。委員長にそれとなく言って警戒を高めたいと思う。だが、風紀委員だけでは対応が難しくなるかもしれない。それこそ、テロリストが乗り込んできたらなおさらだ」

「それで、ウチの力も借りたいと?」

「他の目的もあったとしたら、戦力は分散しなければならない。ほとんどの生徒はCADを持ってくることはないだろう。生徒の安全の確保やテロリストたちの殲滅もする必要がある以上、協力してくれる人間は多い方がいい」

 

 尤もな理由だ。本当に乗り込んでくることを考えたら、こちらも採れる手段が増えるというのは秋水にとってもありがたい提案だった。

 

「いいよ、ウチも手伝うよ」

 

 断る理由や必要もない。

 そもそも風紀委員長にそれとなく言ってCADを討論会の会場に持ち込もうと考えていたのだが、それを風紀委員の一人である達也から要請されたのであれば、その手間も省ける。

 

「委員長には俺から話を通しておく」

「そこは頼んだよ。司波さんからなら委員長も頷いてくれるだろうし」

 

 矢幡と約束を取り付けた達也は話を終え、風紀委員長の渡辺摩利に討論会の風紀委員の配備や、それとなく警戒度を上げるよう仄めかして、協力者である秋水のCAD携行の許可を貰いに行った。



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テロリストの襲撃

 放課後、講堂で行われる討論会には全校生徒の半数が集まった。

 一科生と二科生の割合はフィフティ・フィフティ。二科生だけでなく一科生も、この問題には関心がある、といったところだろう。

 舞台袖に控えている達也はざっと場内を見回した。

 今、自分の側には風紀委員長の渡辺摩利と、生徒会会計の市原鈴音。そして深雪がいる。

 他の風紀委員も目立たないように場内の警備をしており、反対側の袖には有志同盟の三年生四名が、風紀委員の監視を受けながら待機している。

 秋水はというと、この討論会を見に来た一科生のフリをしており、観衆に溶け込んでいる。CADは有志同盟のメンバーにバレないように携行して、来るであろう敵襲に備えてくれている。摩利にこの件を話す時には、問い詰められるのを覚悟していたのだが、あっさりと了承してくれたので、杞憂に終わった。

 

「放送室を占拠したメンバーはいないな。実力行使の部隊は別に控えているのか……?」

 

 摩利の呟きは尤もだ。

 場内には、先日起きた放送室占拠事件の実行犯であるメンバーが誰一人としていない。まるで他の有志同盟のメンバーは何処かで何かを企んでいるとでも言いたげだ。

 

「同感です」

 

 達也もまた摩利と同じようなことを考えた上での、呟きのような返答をした。

 もし、同盟が掲げている理念だけを追っているのなら、同盟に参加している生徒全員が講堂にいるのが当然だと思うが。秋水が言った『何者かの悪意』が働いているように思えてならない。

 

「何をするつもりなのかは分からないが……こちらから手出しできんからな。専守防衛と言えば聞こえはいいが……」

「渡辺委員長、実力行使を前提に考えないでください。……始まりますよ」

 

 鈴音の一言に、三人は視線を舞台へと移した。

 

 パネル・ディスカッション方式の討論は、聞く価値のあるようなものは一切聞こえてこない。ただひたすらに「平等」を謳う有志同盟側の生徒たちに、生徒会を代表して登壇している真由美が具体的な事例と明確な数字を以て、付け入る隙を見せない反論を繰り出す。

 元々、彼らは学校側に過失があると思い込んでいるだけであって、現実は全くの逆だった。中身のないスローガンは揺るぎようのない事実によって打ち砕かれた。

 そもそも切れる手札が圧倒的に少なかった同盟側は、次第に「平等」を謳うことができなくなり、真由美が完全に場を支配した。

 もはや討論という形は成していない。討論会という名前を持っただけの、真由美の演説会となった。

 真由美が会場にいる生徒に訴えてきたのは、差別意識の克服。

 一科、二科の区分で起こる差別はあってはならないものであり、それを無くすために新たな差別を生んではならない。だからこそ、彼女は生徒会役員の指名制度を変えたいとも言ってきた。

 

「人の心を力づくで変えることはできないし、してはならない以上、それ以外のことで、できる限りの改善策に取り組んでいくつもりです」

 

 生徒会長の宣言、それに感化された生徒たちは、盛大に拍手を彼女に送る。

 同盟の行動は、確かに、学内の差別を無くすための前進ができたと言えるだろう。だがそれは、彼らが望む「結果」を与えることになったとしても、納得の行かない「手段」なのは間違いないだろう。彼らは自分たちが考える手段を行使し、結果を出すことを目指しているのだから。

 

 突如、轟音が講堂の窓を震わせ、拍手という一体行動に陶酔している生徒たちの酔いを醒ました。

 このタイミングを見計らっていた同盟の生徒たちが、大層な理念を達成するために一斉に行動を起こそうとするが、動員されていた風紀委員が残らず拘束する。

 窓が破られ、紡錘形の物体が飛び込んできた。

 床に落ちると同時に白い煙を吐き出し始めた榴弾は、白煙を拡散させずに逆再生のごとく窓の外へと消えていった。

 これで終わるわけがない。爆発物など団体とはいえ高校生が用意できる代物ではない。秋水の推測も、達也の見解も見事に的中してしまった。

 講堂の扉を乱雑に開け、乗り込んでくる防毒マスクを被った闖入者たちは、何者かによって心臓を穿たれ、血を垂れ流しながら倒れた。

 この場にいる実力者たちは戦慄し、未だに状況が呑み込めていない生徒たちは固まる。まるで時が止まったかのように静まり返る会場で、一人の生徒の声が響き渡る。

 

「止まってる場合じゃないよ! 悠長な時間はない!」

 

 既に外は戦闘になっているだろう。風紀委員や生徒会が表立って動けていないことに叱責する秋水は、外へと駆けていた。

 

「彼の言う通りです。俺は爆発のあった実技棟を見てきます」

「お兄様、お供します!」

「二人とも気をつけろよ!」

 

 摩利の声に送り出されて、二人は最初の爆発があった区画へと走る。

 

 爆発のあった実技棟は壁面が焼け、窓にはひびが入っていた。実技棟の方でした爆発音は小型化された炸裂焼夷弾によるものだろう。既に教師が二人がかりで消火活動に当たっている。

 それを阻止せんとする男たちを挑発し、一人で大立ち回りを見せているレオが達也たちを見つけた。

 深雪が即座に魔法を発動し、レオを囲んでいた男たちを打ち上げる。レオを巻き込まずに済んでいるのはピンポイントで撃ち込めることが、魔法がどの兵器よりも優れている点だ。

 

「テロリストが侵入した」

「ぶっそうだな、おい」

 

 唐突に突きつけられた言葉にレオはそれだけで納得している。現に襲われたら誰でも納得せざるを得ないだろう。

 

「レオ、ホウキ! ……っと、援軍が到着してたか」

 

 手甲型と伸縮警棒型のCADの二つを抱えて事務室の方から走ってきたエリカは、レオの他に達也たちの姿を目に留めると、少し足を緩めた。

 

「二人とも、矢幡を見なかったか?」

「矢幡なら実験棟に行くって言ってたぜ。もし達也に会ったら図書館に向かってくれってよ」

「エリカ、事務室の方は無事なのかしら?」

「あっちの対応は早かったみたい。行った時には既に先生たちが縛り上げてた。やっぱり貴重品が多いからかな」

 

 ふむ、と頭の中で呟き、情報を整理する。

 秋水が向かった実験棟、そして彼から向かってくれと頼まれた図書館には、再調達が難しい重要な装置や試料、文献が置かれている。これらは破壊活動によって損害が出た場合、テロリスト側からしても不利益なものだ。

 エリカがCADを取りに行った事務室は、生徒たちのCADを預かる場所でもある。学校が備品として用意しているCADは型遅れのものばかりであり、これらは実技棟に置かれている。実技棟を襲ったとして、テロリストたちはこの中に興味はないだろう。

 となると、奴らの狙いは実験棟か図書館の二択。秋水が既に実験棟に行っているのなら、自分たちは図書館に向かうべきだろう。

 

「ここからどうしますか?」

 

 深雪の問いに達也は即断した。

 

「狙いは実験棟と図書館だ。俺たちは図書館に行こう」

「矢幡、一人で大丈夫かな?」

「それはどうか分からないが……何もできないのに一人で突っ走る奴じゃないだろ」

 

 そっか、と納得したエリカ。

 ここでお喋りしている時間はない。達也たちは急いで図書館の方へと向かう。

 図書館前は既に乱戦状態となっている。このまま駆け抜けてもいいが。

 

「パンツァー!!」

 

 雄叫びを放ちながら、乱戦へと突っ込んでいく。

 CADをプロテクターとしても扱いながら、自身には逐次展開の技法によって硬化魔法が随時更新されている。音声認識が採用されたCADを使用しているのは、この戦い方に合っているのだろう。

 

「アイツって、魔法までアナクロだったのね……」

 

 この際、エリカの陰口は無視することにした。

 

「レオ、先に行くぞ!」

「おうよ、引き受けた!」

 

 図書館前はレオに任せて、三人は中に踏み込む。

 

 図書館内は静まり返っていた。

 館内には職員の他に警備員がいるはずだが、どうやら無力化されてしまったようだ。

 意識を広げ、待ち伏せしているであろう敵の存在を探る。

 

「二階特別閲覧室に四人、階段の上り口に二人、階段を上り切ったところに二人、だな。

 敵の狙いは、魔法大学が所蔵する秘密文献だろう。特別閲覧室からなら、一般閲覧禁止の非公開文献にアクセスできる」

「待ち伏せはあたしに任せてよ」

 

 狙いも場所も分かったのなら後はそこに向かうのみ、と言ったところでエリカが飛び出した。待ち伏せしているはずの敵は、既に位置がバレていたなど思いもしないだろう。エリカの素早い動きは敵の肝を冷やすのには十分過ぎた。

 あっという間に敵二人を沈め、階段を上り切ったところにいる二人の敵が何事かと姿を見せ、階段を下りてきた。

 

「二人は先に向かって。ここはあたしだけで十分だから」

「頼むぞ、エリカ」

 

 エリカに任せて、二人で特別閲覧室に突入する。

 中にいたのは、壬生紗耶香。放送室を占拠した同盟メンバーの一人。他三人は一高の生徒ではなかった。

 情報を抜き出すために使用しているハッキング用携帯端末と記憶用ソリッドキューブが、達也によって綺麗に分解された。

 自分たちの理解が及ばないものに、人は恐怖を覚える。紗耶香は目の前で次々と起こった理解不能な現象に、それを引き起こした達也に恐怖を覚えた。

 そして、達也から冷徹に突きつけられる非情な現実に、深雪から告げられる可能性に、彼女はショックで何も反論ができなくなった。

 人は考えることを放棄した時、体に意志は宿らない。

 その瞬間に、何者かの悪意は、意志を失った体を蝕む。

 紗耶香に宿るその悪意は、強迫観念のように彼女に迫り、その体を動かす。

 アンティナイトを使用して、二人の横を走り抜ける。特別閲覧室を抜けた時には、共にいた三人の男がやられたであろう音が聞こえたが、彼女には逃げるという選択肢しかなかった。

 

 ――それも、待ち構えていたエリカによって阻まれ、彼女が逃げ切れることはなかった。



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襲撃の代償

 第一高校への襲撃は一通り鎮圧された。

 学外からの侵入者たちは警察に引き渡されるため、教員たちが手元で拘束しているのだが、侵入者の半分が秋水の手で殺されていたのが明らかになった。

 実験室を単独で守り切り、教員たちが実験室の現状を確認しに行った時には、廊下の至るところに血がついていたそうだ。

 当の本人は何食わぬ顔で、保健室で行われている紗耶香の事情聴取に参加していた。

 紗耶香の口から吐き出されたのは、摩利との一連のやり取りだった。一年前に起きた出来事で摩利の魔法剣技に憧れた紗耶香が彼女へ指導を求めたが、すげなくあしらわれてしまった、というもの。

 しかしながら、それは紗耶香の勘違いだった。

 摩利は単純な剣の技量では紗耶香に敵う道理がない。だから、自分よりも強く、紗耶香の腕に見合う相手を見つけろ、と。

 一年間を無駄にしてしまったと後悔する紗耶香に声をかけたのは達也だった。

 

 一通りの事情を聞いたところで、同盟の背後組織がブランシュであることが判明した。

 

「さて、問題は奴らが今、何処にいるか、ということですが」

 

 どうやら達也は、ブランシュを見過ごすつもりはないようだ。

 奴らの処分を警察に任せるつもりは毛頭ないだろう。

 

「……達也くん、まさか、彼らと一戦交えるつもりなの?」

「いいえ。交えるのではなく、潰すんですよ」

「危険だ! 学生の分を超えている!」

 

 真っ先に達也の言葉に反対の声を上げたのは摩利だった。

 学内だけとはいえ、常にトラブルの最前線に立っている彼女が、危険に対して敏感なのは至極当然だ。

 

「ウチは司波さんに賛成かな。奴らが牙を剝いてきたのなら、その牙をへし折るべきだと思うけど?」

「矢幡くんまで……私は摩利と同じよ。学外の事は警察に任せるべきだわ」

 

 何故、真由美が話したことのない秋水の名前を知っているかは置いておくとして。

 真由美は厳しい表情で首を横に振った。

 

「そして壬生先輩を、強盗未遂で家裁送りにすると?」

 

 だが、達也の言葉に絶句する。

 

「なるほど。確かに警察の介入は好ましくない。だからといって、このまま放置するわけにはいけない。同じようなことを繰り返さないためにな。

 だがな、司波、矢幡。相手はテロリストだ。下手をしたら命に関わる。

 俺も七草も渡辺も、当校の生徒に命を懸けろとは言えん」

 

 部活連会頭・十文字克人は、鋭い眼光を二人に向ける。

 彼の言葉は納得のできるものだ。上に立つ者。守るべき命を背負っている者の見解だ。別に間違っているわけではない。

 

「とはいえ、そのまま放置、っていうわけには行かないでしょ。奴らは襲撃に失敗し、いくらかのメンバーを失った。そのうち、報復しに来ると思うよ」

「その大半の理由はお前だろう」

 

 そう。侵入者の半分は秋水の手で殺されている。生徒は気絶にとどめられていたが、人を殺すことに全くの抵抗がないのは、まだ高校生なりたての人間には見えない。

 既に八雲からその異常性を知らされている達也と深雪は、惨状を目にしたことがある故に、人を殺すことに抵抗がないものだと思っているが。

 

「だから? そもそも、司波さんがこの手の話をしなかったら、ウチ一人でブランシュを潰しに行ってるよ」

 

 摩利が睨んでくるのを受け流しながら、秋水は心底つまらなそうな視線を真由美と克人に向ける。

 

「奴らを潰しに行く大義名分は十分なはずだよ。

 それでも奴らを警察に任せて見過ごして、またここをつまらない戦場にするつもり?」

 

 秋水は十師族である真由美と克人の二人に、ここで十師族としての権利を使って第一高校を守らないでどうする、と脅しているようなものだ。

 彼の言う通り、早くても一年後にはブランシュはメンバーを増やして、また第一高校を襲撃するだろう。その時に、真由美や克人のような十師族の一員がいるとは限らない。

 だが逆に、ここでブランシュを壊滅させてしまえば、少なくとも奴らによる、今後起こるであろう被害を無くすことができる。

 大義名分は確かに十分。秋水や達也だけが動いて、マスコミによって大々的に取り上げられれば、収拾が容易につかなくなるだろう。だが最初から十師族が動いていれば、それも無くなる。

 

「俺は、俺と深雪の日常を損なおうとするものを、全て駆除します。これは俺にとって、最優先事項です」

 

 秋水と達也は何があってもブランシュ壊滅に動く姿勢だ。

 二人の梃子でも動かない意志を感じ取った克人は、腕を組みながら言った。

 

「分かった、いいだろう。だが、俺も向かう。

 十師族に名を連ねる者としての務めもあるが、俺も一高の生徒だ。このような事態を看過することはできん。下級生ばかりに任せておくわけにもいかん」

 

 克人も同行することになったが、これは仕方のないことだろう。

 達也はともかく、秋水がブランシュのリーダーを殺しかねないと思ったのもあるかもしれないが。

 

「七草と渡辺はここに残れ。この状況で二人が校内からいなくなるのはまずい」

「……分かったわ」

 

 まだ残党が校内にいる可能性もある。三人の中で、この状況で動けるのは克人のみだ。

 頭では理解しているが、気持ちの面で少し不満がある様子だが、ここに二人は残ることを選択するしかない。

 

「レオと千葉さんも来るでしょ?」

「もちろんだぜ」

「当然じゃない」

 

 戦力過剰とも思えるが、相手の戦力は正直言って未知数だ。

 戦える人間がそれなりにいても問題はない。

 

「しかしお兄様、どうやってブランシュの拠点を突き止めればいいでしょうか。

 壬生先輩がご存知の中継拠点はとうに引き払われているでしょうし、大した手掛かりは手に入らないと思いますが」

「ブランシュの拠点なら既に割り出してあるよ」

 

 情報端末を取り出した秋水は地図アプリを開き、ブランシュの拠点をマーカーで示した。

 

「目と鼻の先じゃねぇか」

「随分と舐められたものね」

 

 拠点となっている場所は街外れの丘陵地帯に建てられた、バイオ燃料の廃工場だった。

 レオが距離に対して、「目と鼻の先」とコメントしているように、ここから徒歩で一時間もかからないところにある。

 エリカが憤慨しているのは分からないわけではない。

 たかが高校生、と舐められたものだ。

 

「どうやって突き止めた」

「司甲に監視を張り付けて、それから接触した人間を辿って割り出したよ」

 

 司甲が接触したのは似たような悪意をした人間ばかりだからそれなりに苦労したが、飛び抜けた悪意があったおかげで、ここまで正確に割り出すことができた。

 

「だけど、中にどれだけの戦力や兵器があるかは未知数だね」

「そこは問題ないだろう。放置された様子を見るに、BC兵器の類いは無さそうだ」

 

 達也の言葉に頷く。

 

「車の方がいいだろうな」

「魔法では探知されますか?」

「どっちも同じだな。向こうは俺たちを待ち構えているだろうから」

「正面突破ですね」

「それが一番、奴らの意表をつけるだろうね」

 

 下手にこそこそするより、速攻した方がいいだろう。

 秋水と達也、そして深雪までもが好戦的なセリフを口にしながら、攻略方針を決めていく。

 

「妥当な策だ。車は俺が用意しよう」

「運転は会頭が?」

「ああ。それと司波、すぐに行くのか? このままでは夜間戦闘になりかねないが」

「問題ありません。日が沈む前に片づけます」

「そうか」

 

 達也と秋水の態度には思うところがあるのだろう。

 克人はそれ以上、何も聞くことはなく、車を回すために保健室から出ていった。

 

「矢幡、殺すのは構わないが、敵に抵抗の意志がないようなら控えてくれ」

「いいよ。極力殺さないようにする」

 

 秋水の場合、テロリストだから、と言って全員殺害をしかねない。

 叩き潰すのは変わらないが、全員殺害したとなっては十師族の力こそあれど、警察が黙ってはいられないだろう。

 

「ウチは奴らに襲撃の代償を支払わせるだけ。司波さんの命令に従うよ」

「代償は、組織の壊滅か……」

「そういうこと」

 

 達也の呟きにいつもの穏やかな表情で応えた秋水は、保健室を後にした。



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ブランシュ殲滅

 茜色に染め上げられた空の下、疾走する大型オフローダーが、閉鎖された工場の門扉を突き破った。

 

「レオ、ご苦労さん」

「……何の、チョロいぜ」

「疲れてる疲れてる」

 

 いきなり、時速百キロ超えで悪路を走行する大型車全体を、衝突のタイミングで硬化するというハイレベルな魔法を要求されたレオは、達也によるタイミングの指示があったとはいえ、かなりの集中力を要していたようで、へばってしまうのは仕方ないと言える。

 

「司波、お前が考えた作戦だ。お前が指示を出せ」

 

 克人の言葉に、達也は尻込みすることもなく頷いた。

 

「レオはここで退路の確保。エリカはレオをサポートしつつ、逃げようとする奴を始末しろ」

「……捕まえなくていいの?」

「余計なリスクを負う必要はない。下手に手心を加えるより、確実に始末しろ。

 会頭と桐原先輩は裏口から回ってください」

「分かった」

「おうよ。逃げ出すネズミは残らず切り捨てていくぜ」

 

 秋水たちが克人が用意した車に向かった時には、桐原武明が車に乗り込んでいた。

 達也が口を挿むことはなく、そのまま同行することになったが、ブランシュの拠点に乗り込むことを知っていたのか、刃引きの刀を持ち込んでいる。

 意気揚々と駆けていく桐原の背中に、悠然と克人が続いていく。裏口の心配をする必要はないだろう。

 

「ウチは?」

「俺と深雪と共に正面から踏み込む」

「じゃ、ほとんど無いと思うけど、背中は任せてもらおうかな」

「達也、矢幡、気をつけろよ」

「深雪、無茶しちゃダメよ」

 

 居残りの指示を受けた二人が不平を言うような真似はしない。

 まるでショッピングに来た客のような足取りで、達也と深雪が薄暗い工場の中へと進み、秋水はその三歩後ろを維持してついていく。

 

 工場に入ってからの遭遇は意外にも早かった。

 相手はホール状のフロアに逃げも隠れもせずに整列して、こちらを待っていた。

 

「ようこそ、はじめまして! 司波達也くん。そして隣にいるのは、妹の深雪くんかな? 後ろにいるのは我が同志たちを殺した矢幡秋水くん」

「お前がブランシュのリーダーか?」

 

 大袈裟な仕草で手を広げ、歓迎してくる男に対して、達也は冷ややかな質問を投げる。

 目の前の男がリーダーだとしたら意外と若いものだ。

 

「おお、これは失敬。仰る通り、僕がブランシュ日本支部リーダー、司一だ」

 

 随分と芝居がかった喋りをする。耳に届く悪意の雑音がうざったいが、自分が出る幕ではないことを理解している秋水は、達也と深雪との距離を保つ。

 

 男の自己紹介にただ頷いた達也は、懐から銀色の銃――CADを抜いていた。

 

「おや、それはCADだね。銃の一つでも用意しているかと思ったが」

 

 達也の手に握られているそれがCADだと見抜いた司一は、CADを見てもなお、退くことはなかった。これで怖気づくようなら問答無用で殺していたところだが。

 

「一応、投降の勧告をする。銃を置いて両手を頭の後ろに組め」

「君は魔法が苦手なウィードじゃなかったかい? おっと、これは差別用語だったね。でも君のその自信の源は何かな? 魔法が絶対的な力だと思っていたら、それは大きな間違いだよ」

 

 司一が右手を上げると、整列していたブランシュの構成員たちが銃を構えた。数だけ見れば三人でどうにかなる相手ではないだろう。第一高校に襲撃してきた時にアンティナイトを持ち込んでいることを考えると、視界に映る敵の何人かはアンティナイトを装備していると考えていい。

 

 司一が求めているのは、達也が使用するアンティナイトを必要としないキャスト・ジャミング。

 そのために司甲や壬生紗耶香を使って達也に接触、そして襲撃。それによって彼が使う魔法が紛れもなく妨害魔法だという確証を得た。

 司甲を使って第一高校の生徒を引き込み、第一高校へ大規模な襲撃を行ったのにはそれなりに多くの時間とコストを使っている。それを台無しにした達也と秋水に対する恨みこそあれど、それよりも価値のある達也のキャスト・ジャミング――否、達也自身を奴は欲した。

 

「だったらどうする」

「そうだね……では、こうしよう。

 司波達也、我が同志になるがいい!」

 

 伊達眼鏡を高く放り上げると、前髪をかき上げ、両目を達也と合わせると、妖しく光を放った。

 力が抜けたようにCADを持つ達也の手が下がった。

 

「ハハハハ! 君はもう我々の仲間だ!」

 

 会話の中に潜んでいた狂気を隠すのを止めた。達也を手中に収めたと確信した高笑いが、フロアに響く。

 

「手始めに、君の妹をその手で始末してもらおう! 最愛の兄の手にかけられるのは妹さんも本望だろう!」

 

 そうして、多くの者を従えてきたのだろう。

 そうやって、多くの者を自身の都合の良い駒に変えてきたのだろう。

 

 ――ああ、醜い。

 

「……殺していいぞ。ただし、リーダーは殺すな」

 

 無機質に小さく呟かれた達也の言葉。

 それはしっかりと、秋水の耳に届いていた。

 

 刀を握りしめた秋水が、ゆっくりと司一たちに向かって歩を進める。

 

「……何をしている? 司波達也!」

「くだらん。お前の芝居に付き合うのも飽きた」

 

 自分の物としたはずなのに、達也は平然とした様子で言葉を返した。

 あり得ない光景を前に、凍り付いた。

 

「お前が使ったのは、意識干渉型系統外魔法、邪眼(イビル・アイ)。と称されているだけの、ただの催眠術。大袈裟な動きをしたのは、CADを操作する手を見せないためのミスディレクション。

 壬生先輩の記憶も、これで上書きしたというわけか」

 

 紗耶香の記憶の食い違いは明らかに不自然な部分が多かった。

 聞き間違いだと判明した時に、大きな動揺はあったとしても、時間と共に冷静になっていくはずの彼女の姿は違った。

 

「……下種ども」

 

 深雪の端正な口から出された怒気は、熱となって凍り付いた奴らを溶かす。

 

「……貴様、何故……」

「二人称は君じゃなかった? 化けの皮が剥がれてるよ」

 

 工場に入ってから一度も口を開かなかった秋水が、冷徹な視線を向けながら歩く。

 達也から司一以外の人間の殺害をしていい、という命令が出た以上、秋水はその通りに動く殺戮兵器と化す。

 

「う、撃て、撃てぇ!」

 

 もはや自らの尊厳を取り繕うことすらできなくなった司一は、後ろに下がりながら射殺を命じる。

 だが――

 

「ぎゃああああああ!!!」

 

 次の瞬間に響いた悲鳴に、男たちは固まる。

 秋水の前にいた男の肘から先が切り落とされていたのだ。

 そこから噴き出た血は秋水の制服を汚す。

 

「ここはウチに任せて」

「ああ、分かった」

「お願いします」

 

 奥の通路に向けて、二人は歩き出す。

 このフロアに敵はいないと言わんばかりに歩く二人に、襲い掛かろうとする者はいなかった。

 何故なら、男たちが持つ銃器は、全て切断されて使い物にならないからだ。

 

 達也と深雪がフロアからいなくなると秋水は、口元を歪めながら言った。

 

「運が悪いね。キミたち」

 

 本物の狂気が、男たちの目の前に現れた。

 狂気の笑い声が木霊する。

 

「アハハハハ! キミたちはウチの渇きを潤してくれるのかな?」

 

 刀を振るい、男たちを惨殺する。一人は四肢を切り裂き、もう一人は首を切り落とす。フロアに響く悲鳴は、秋水の耳にはもう、歓声にしか聞こえなくなっていた。

 

 そうして、五分もすれば辺りは血の海になっていた。

 無残にも死んでいる男たちの血で体全体が汚れている秋水は、自らの意識が狂気の沼から這いずり出てきたのを実感する。

 ようやく落ち着いた秋水は、刀を鞘に納め、フロアの壁に寄りかかる。

 

「……やっぱり、壊れちゃったな」

 

 もう戻ることはできないと、人間としての欠落を再確認させられる。

 

 秋水が落ち着いている間に、達也たちは司一を捕らえ、ブランシュは壊滅した。



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収束

 ブランシュを壊滅させた後の始末は、克人が引き受けてくれた。

 秋水は達也たちが戻ってくる前に自らの制服についた血を魔法で取り除き、合流するのを待った。

 あまりの惨状に達也と克人が何か言いたげな顔をしていたが、言及してくる様子はなかった。

 

 十師族の介入がなければ、秋水たちは無罪放免とはならなかった。

 既に数十人殺害している秋水は、平穏でいられることなどない。

 

 だが、それを何とか出来てしまうのが十師族だ。

 彼らは権勢は、司法当局を凌駕する。

 現代魔法の才能が先天的素質によって左右されるものだと分かってしまえば、当然の帰結として、血縁による強化が図られる。

 それは日本以外、魔法を研究するだけの国力がある国でも、既に行われている。

 結果として、この国の魔法界には強大な力を持った一族が集まり、一団となった組織がある。

 それが十師族。

 彼らは表舞台には立たない。

 その代わり、兵士、警察、行政官――表舞台には立たないようにして、彼らは日本を支えている。その力を国のために使うという前提もあって、政治の裏側で、不可侵に等しい権勢を得ている。

 

 故に、普通の警察が、十師族の一人が関わった事件に、関与できるはずもないのだ。

 

 紗耶香はエリカとの戦闘で右腕を亀裂骨折をしていた。その治療と、ブランシュのリーダーが光波振動系魔法・邪眼の使い手だったこともあり、マインドコントロールの影響が残っていることも考慮して、しばらく入院することになっていた。

 

 司甲もまた同じように、マインドコントロールの影響下にあった。彼もまたその治療のために入院している。一応、退学ではなく、休学扱いで長期の治療を受けているが、恐らくは自主退学することになるだろう。そもそも、彼は魔法師志望ではなかったようだ。霊子放射光過敏症ではあったが、それも日常生活に支障が出るほどのものではなかった。

 司一がそれに目をつけ、マインドコントロールで操り、第一高校に入学させたそうだ。その目的は組織の役に立ちそうな魔法を見つけ出すことにあった。奴がアンティナイトを必要としないキャスト・ジャミングを欲しがったのも、合点が行く。

 

 有志同盟の生徒たちが起こした行動は、学校側によって隠蔽された。放送室が占拠された事件も無かったことになり、紗耶香のスパイ未遂も最初から無かったことになっている。

 学校側は生徒に鍵を盗み出されたという事実を隠蔽したいという意図は、事件を顛末を把握している者からすれば、丸分かりだった。

 

 五月に入り、ブランシュの一件が終わってから、今のところ穏やかな生活をすることができている。

 午前の授業を自主休講にして、学校の屋上でのんびりとしている秋水は、達也と深雪が何か話しながら何処かへ向かっているのを見つける。

 そういえば、今日は紗耶香の退院日らしい。これといった接点を持たない自分がお祝いに行ったとしても邪魔になるだけだろう。

 

「平穏なのは、ウチにとってありがたいことだけどね」

 

 何事もないのは、平和の証拠でもある。

 できることなら、この平穏を存分に謳歌したいものだ。

 

「そういえば、司波さんにつけた式神は処理されちゃったみたいだけど……まあ、いいか。一日経てば剥がすつもりだったからいっか」

 

 処理してくれたおかげで、達也には古式魔法に精通している人間が知り合いにいると分かっただけいいだろう。恐らく、達也たちは自分のことを警戒しているかもしれないが、こちらから手を出すことはほとんどない。

 

「このまま平和だったら、何も心配しなくていいんだけどね……」

 

 とはいえ、ブランシュでの一件があった以上、他の組織が攻撃してくることはかなり現実味を帯びている。秋水ができることはかなり限られてくるが、備えておくことはできる。

 

 未知の脅威に備えておくのも確かに必要なことなのだが、その前に――

 

「あ、九校戦、もうすぐだっけ」

 

 九校ある魔法科高校から選出された魔法科高校生たちが集い、魔法勝負を繰り広げる催しが開かれることを思い出した秋水は、まずは目の前のことに気を配るべきだったな、と先のことばかり考えていた自分に苦笑した。



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九校戦編
理論と実技


 七月中旬。第一高校では一学期期末試験を終えて一週間が経った。

 生徒たちの熱気は夏に控えているイベント――全国魔法科高校親善魔法競技大会――九校戦に注がれていた。

 九校戦はただのお祭り事ではない。これは自身の才能と努力を、この大会で見せつけることに意味がある。

 政府関係者、魔法関係者のみならず、軍や企業など、日本を支える者たちが有望な魔法師を求めて九校戦を観戦する。

 優秀な生徒には多くの企業から声がかかる。つまり、高校を卒業してからの進路が輝かしいものにするための、自身をアピールをする貴重な機会なのだ。

 

「何があったの?」

 

 進路指導室の前で一団になっているレオたちと、入学早々、風紀委員のお世話になりかけた時に、問題を起こした一科生の集団の中にいたはずの女子生徒二人を見つけた秋水は、穏やかな雰囲気は無く、いつもよりピリピリとしている空気を感じ取った。

 どうしてこんなところで固まっているのかと尋ねてみると、達也が教師に呼び出され、進路指導室に向かうことになったのだとか。原因は、彼が叩き出した期末試験の成績だろう。

 

「実技ができない二科生なのに理論で総代を超える点数を叩き出した……手を抜いているんじゃないかって、怪しまれてるってところかな」

「多分そうだとは思うけど……」

 

 達也が叩き出した成績は、教師たちからすれば理解不能、お手上げもののはずだ。

 魔法科高校の定期試験は、必修である基礎魔法学と魔法工学、選択科目より三科目を選ぶ記述式テスト。そして、処理能力、キャパシティ、干渉力の三つをそれぞれ見て、さらにその三つを合わせた総合的な魔法力を測る実技テストの二つで構成されている。

 成績優秀者――上位二十名――は学内ネットで公表されることになっている。

 

 総合順位

 一位、司波深雪

 二位、矢幡秋水

 三位、光井ほのか

 四位、北山雫

 五位、十三束鋼

 

 実技順位

 一位、司波深雪

 二位、矢幡秋水

 三位、北山雫

 四位、森崎駿

 五位、光井ほのか

 

 と、総合と実技の順位は順当とも言える結果になっている。

 どちらも名前が公表される上位二十名は一科生が独占しており、トップは一科生の中でもA組の生徒がほとんどだ。クラス編成は入試の結果を基に、A~D組でクラス平均が均等になるように割り振られている。

 この期末試験の結果を通して、A組は一学期の習熟度合いが他のクラスと明確な格差が生じているのが明らかとなった。

 これは教師陣の頭を悩ませるものでもあるのだが、それ以上の悩みの種が理論の順位である。

 

 理論順位

 一位、司波達也

 二位、矢幡秋水

 三位、司波深雪

 四位、吉田幹比古

 五位、光井ほのか

 

 一位と四位に二科生の生徒の名前が公表されている。

 また、達也に至っては平均点で二位以下を十点以上引き離したダントツの一位だった。

 

「いくら理論と実技が別だとしても、限度がある」

「でも、達也さんが手を抜くような真似なんて、考えられません」

「そんなことは雫にも分かっていますよ」

「でも、先生たちがあたしたちみたいに達也くんの人となりを知ってるわけじゃないしね」

 

 一科生の女子生徒二人は、北山雫と光井ほのかだろう。

 客観的な視点で評価した雫に、美月が食いついた。

 

 そんなことを話していると、生徒指導室からいつもと変わらない顔をした達也が出てきた。

 

「どうしたんだ、みんな揃って」

「急に生徒指導室に呼び出されたとなれば少しは心配するでしょ……理由は何となく分かってたけど」

「ああ。実技試験のことで訊問を受けていた」

「……訊問だって? 穏やかじゃねぇな。何を訊かれたんだ?」

 

 達也の口から飛び出した不穏な単語に、レオは不機嫌そうに目を細めた。

 

「要約すると、手を抜いているんじゃないかって、疑われていたみたいだな」

 

 そう言われるのも分からないわけではないが、それが達也にとって何のメリットがあるというのだろうか。

 エリカがバカバカしいと不満を溢したが、その通りとしか言えない。

 

「それで、先生の誤解は晴れたんでしょうか?」

「ああ、まあ、一応、ね」

「一応?」

 

 気が進まないといった顔と口調で説明を始めた。

 手抜きではないと理解はしてもらえたが、第四高校に転校を勧められたとのこと。もちろん、するつもりが一切ない達也はすぐに断ったそうだ。

 だが、従兄が第四高校に通っていることもあり、それなりに実情を知っている雫が、達也を第四高校に行かせるのは前提から間違っている、と言うと、憤慨を顕にしていたレオとエリカが落ち着いた。

 

「そういや、もうすぐ九校戦の時期じゃね?」

「深雪がぼやいていたよ。作業車とか工具とかユニフォームとか、準備するものが多いって」

 

 生徒会や部活連が主体となって九校戦の準備を進めている。

 達也の言う通り、どれだけ分担をしたとしてもかなりの量の準備を要する九校戦では、生徒会のメンバーが多忙になるのも仕方ないことだ。

 

「矢幡も間違いなく出るだろうから、頑張ってよ」

「お前ならモノリス・コードに出場するのは確定だな」

 

 それぞれエリカ、達也が途中から蚊帳の外にいた秋水に声をかけた。

 九校戦関連の話をしているからこちらにも振ってくるのは分かっていたが、達也が早々に口を挿んでくるとは思わなかった。

 

「矢幡がいるならモノリス・コードは問題ないだろ?」

「油断はできない。今年は三高に、一条の御曹司がいるから」

「へえ。それはちょっと厄介だね。ウチは近接戦闘がメインだから、魔法だけとなると少し分が悪いかな」

 

 モノリス・コードでは魔法攻撃以外の直接攻撃は認められていない。また殺傷力の高い魔法の使用もレギュレーション違反となり失格となる。

 刀を本分としている秋水からすれば、例年、第一高校のライバルである第三高校に一条の御曹司が入っているとなれば、分が悪い。

 

「何とかなるのか?」

「そこを何とかするのがウチだよ。切れる手札は多い方だと自負しているからね」

「一条の御曹司と矢幡さんが全力で戦ったらどうなるか、検討もつかない」

 

 雫とほのかは、秋水の実力を詳しくは知っていない。だが、ブランシュが襲撃した際に襲撃者の半分を一人で捻り潰しているのは、耳に入っている。

 期末試験の実技でも一位である深雪とそれほど差がないレベルの得点を叩き出している。少なくとも、実力者であるということは分かり切っていた。

 未だ、九校戦の出場者として決まってはいないものの、一条の御曹司が相手となると、こちらも一番の戦力をぶつけなければならない。そうなると、秋水がモノリス・コードに抜擢されるのは火を見るより明らかだ。

 

「とはいっても、モノリス・コードは一人で戦う競技じゃないからね。例え、一条の御曹司が相手だとしても、作戦次第では格上は出し抜くことはできる」

 

 秋水の言う通り、モノリス・コードは一対一のタイマン勝負ではなく、三対三のチーム勝負だ。試合場所や流れ、あらゆる要素で策を用いれば出し抜くことは可能だ。

 腕が鳴るね、といつもとは違う笑みを浮かべる。

 

「北山さんも、出場するのは間違いないだろうから。頑張らないとね」

 

 雫の実技順位は三位だ。

 深雪や秋水と同様、彼女が選ばれるのはほぼ確実だ。

 

「うん……」

 

 控えめに頷いた雫の顔には、やる気の芽が出ていた。



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九校戦の準備

 五限目に発足式が開かれるとのことで、九校戦に出場するメンバーは指定された時間に講堂の舞台裏へと集まった。

 

「にしても、司波さんがエンジニアで選出されるとは思わなかったよ。研究者肌だと思ってたんだけど、人は見かけによらないねぇ」

 

 達也がエンジニアとして選出されていたのだ。

 どうやら第一高校は魔法師志望の生徒が多く、逆に魔工師志望の生徒は少ない。そうなると必然的に、九校戦で選手のCADを調整するエンジニアが足りなくなってしまう。今年も例に漏れず、エンジニアの選出に苦労していたとのことだ。

 そこに白羽の矢が立ったのが達也だった。達也は深雪のCADの調整をしており、それが生徒会長たちの耳に入ったのだとか。深雪の願いもあり、断れなくなった達也は、その腕を披露することになった。生徒会のメンバー、摩利、克人が達也のエンジニアチーム入りを推したことで、二科生だからと難癖をつけていた反対派も押し黙り、エンジニアとなったそうだ。

 

 秋水は期末試験の結果を見て、達也は研究者肌なのではないかと思っていた。とは言っても、四月では風紀委員としても大活躍だったのを思い出すと、人は見かけによらないところが大きいのだと改めて実感した。

 

「選ばれたのは凄いけど、中々に大変だったね……」

「今に始まったことじゃない気がするがな」

 

 入学早々から、達也が色々とあったのを見ていた側である秋水は、苦笑するしかなかった。

 どうやら達也は、トラブルが起きるのはもうどうしようもないと諦め気味な様子だ。

 秋水は先日、雫が言っていた通り、モノリス・コードに出場することになった。後もう一種目はアイス・ピラーズ・ブレイクだった。

 秋水が知る限りの同級生で出場するのは、深雪、雫、ほのか、後は森崎の四人。この四人が出る競技は想像がつく。

 

「そういえば、お前が出る競技はかなり悩まされたらしいぞ」

「……だろうね」

 

 得意と言える魔法は明かしたことはないし、四月の件では刀を振り回していたから、魔法なんて人前で使っていない。

 だから、どの競技に出させるかは相当苦労したんだとか。知ったことじゃないから気にしないことにする。

 

 選手のユニフォームであるテーラード型スポーツジャケットを手早く着た秋水は、嬉しそうにしている深雪に観念して、妹の手で薄手のブルゾンを着せられていた達也を見る。

 彼女が嬉しそうなのは、達也が着る服にちゃんと第一高校の校章である八枚花弁のエンブレムが付いていたからだろう。

 仲睦まじくしている司波兄妹につい微笑んでしまうが、何故だか知らないが、口の中が甘ったるい。

 

 そして――羨ましい――とも思ってしまう。

 

 それを胸の中、奥深くにしまいこむ。

 どうしてもこの二人に重ね合わせてしまいそうになる、よく知った人の影から目を逸らし、知らないフリしながら。

 

 発足式は問題無く進んだ。

 徽章を一人一人に取り付けるという行為は、かなり手間のかかる面倒なことだと思うのだが、それをしている深雪は器用な手付きでこなしていく。彼女のにこやかな表情は男子は当然として、女子でさえ頬を赤くさせており、周りから見れば微笑ましいことになっていた。

 

「一年D組、矢幡秋水くん」

 

 一歩、前に出る。

 深雪がジャケットの襟元に徽章を取り付けている僅かな間、視線は彼女に集中する。

 これに心を惑わされない人はかなり少ないと言い切れるほどの美貌。これほどの美少女を前にして、平然としていられるのは、達也を抜いたら秋水ぐらいだろう。

 徽章を付けると、距離が離れる直前に、彼女の口から小さく溢れた。

 

「頑張ってください」

 

 それはどっちもだろう、といつもならそう返したところだが、壇上という周りの目が集中している場面でそれを口にするほど、目立ちたくはない。

 お返しとして一歩下がる直前に、式が始まってから真顔だった表情を、微笑へと変えた。

 その後、会場に響く拍手を一身に受けながら、

 

(はて、何か気に入られるようなことでもしたかな)

 

 と、真顔に戻った秋水は、緊張感の無いことを考えていた。

 

 発足式を経てから、九校戦の準備が一気に加速している。

 選手たちは既に練習を開始しており、エンジニアの生徒たちもCADの調整やらで忙しくしている。九校戦に出場しない生徒たち、特に運動部は下働きを仰せつかっているようだ。

 チーム力が試されるモノリス・コードに出場することになった秋水は、森崎ともう一人のチームメンバー、五十嵐鷹輔とお互いの得意魔法、交戦距離を見定めるため集まっていた。

 

「矢幡」

「何かな?」

 

 集まると、すぐに森崎が口を開いた。

 改まってどうしたのかと思い、彼を見ると、彼の目つきが入学早々に会った時とまるで別人に変わっていた。

 

「すまなかった」

 

 急に頭を下げて謝ってくる森崎に、五十嵐はギョッと驚いた。

 

「一か月、矢幡の言う通り考えてみたんだ。自分には、本当に実力があるのかと」

 

 顔を上げて淡々と言葉を紡いでいく。

 

「よく考えてみれば分かりきっていたことだ。傲れるほどの実力なんてなかった」

 

 森崎は九校戦に出場する選手として、生徒会や部活連が相談して決めたのだ。実力があるのは間違いない。

 

「だが、百家に連なる者として、その責務を果たしたいと思っている」

「それで……キミはどうしたいの?」

「……はっきり言って、どうすればいいのか分からない。無知ではどうにもできないことばかりだ。

 だから、九校戦の間だけでもいい。色々と教えてほしい」

 

 頭を下げて頼んでくる森崎は、覚悟を決めた男の気迫があった。変わりたいと心から願う言葉は、秋水にしっかりと伝わっていた。

 

「いいよ」

 

 謝ってきた理由が生半可なものだったら、一度、模擬戦をして徹底的に実力というものを分からせるつもりだった。しかし、この一か月、森崎が真剣に考えた末に出た答えは、彼を正しい方向へと導いたようだ。

 となれば、断る理由はこちらにはない。彼の頼みに頷くと、森崎は顔を上げて手を差し出してきた。その手に応えて、差し出してきた手を握る。

 

「モノリス・コードは全面的に矢幡に従うつもりだ。五十嵐もいいな?」

「あ、ああ……ってか、森崎、変わったな」

「一か月、自分の頭で出来る限り考えた末に出た答えだ」

「良い方向に変わったのは間違いないよ。後はウチが教えたことをどれだけ生かせるかに懸かってるからね」

 

 秋水の言葉に、森崎は深く頷いた。

 五十嵐は森崎の大きな変化に驚いているが、これが良いものに変わっているのは感じ取れているだろう。

 正直、森崎がここまで変わるとは思っていなかった。入学早々に投げかけた言葉がこんなにも効果があったのは、嬉しい誤算だ。まともに作戦が練れない、なんてことが無くなって良かったと思う。

 

「それじゃあ、新人戦モノリス・コード、優勝できるように頑張ろうか」

 

 憂いも無くなったところで、三人してそれぞれ意気込みを口にして、練習を始めた。



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移動中の災難

 八月一日。

 ついに九校戦の会場である富士へ出発する日となった。

 基本的には遠方の学校から早めに、第一高校のように近場にある学校は遅めに現地入りしている。

 今年も例年通り、第一高校は懇親会当日に現地入りすることになった。

 

 ――のだが、予定の時間を一時間過ぎてもバスは発車しなかった。

 

 その理由は、家の都合で遅れる真由美を待つことになったからだ。

 真由美から先に向かっていて構わないという連絡は来ていたようだが、三年生全員の意見が彼女を待つ、と一致した。

 

 それもあってか、炎天下の中、制服を着崩すこともせずに真由美の到着を律儀に待っている達也が気の毒だと思う。乗車確認役ということで、誰よりも外にいることになる。それは、彼が裏方で一年生、しかも二科生だからというのが大きい。

 

 一時間三十分の遅れで、真由美が到着した。

 少し気になるのは、真由美がバスに乗り込んだ際にこちらをチラッと確認してきたことだ。ただ目が合っただけと思われるかもしれないが、直感が違うと言っている。

 そもそも、真由美には二人の兄がいる。

 七草家の跡取りでもない、まだ高校生の身分を持っている彼女が、家の仕事に駆り出されるような事態は、頻繁に起こるはずはないだろう。しかも、学校の公式行事に絡んだ当日の朝になって急に呼びつけられるということは、余程、急な用事だったのだろう。

 

(変に七草が絡んでこないといいんだけど……)

 

 呼び出された理由が自分ではないか、と秋水は考えていた。

 何せ、四月は派手に動いていた。十師族、それも七草となれば、伏せられている情報を抜き出すことなど容易いはずだ。数字落ちである自分に警戒するよう言われたのだろう。

 自分に害が無ければそれでいい。そう結論付けた秋水は、これ以上考えるのを止めた。

 

 それはそうと、真由美の恰好が両腕両肩が剥き出しのサマードレスだった。

 何故、私服姿で来ているのかと言うと、制服の着用が義務付けられていないからだ。夜には懇親会があるのだが、制服も含めた宿泊用品は既にパッキングしてコンテナに積み込んでいるため問題ない。

 そのため、一年生は制服を着ているが、二年生は半数以下、三年生はほぼ全員が私服だ。

 

 真由美が席に着いたところでようやく、バスが発車した。

 

「……ええと、深雪? お茶でもどう……?」

「ありがとう、ほのか。でもごめんなさい。まだ喉は渇いていないの。私はお兄様のように、この炎天下にわざわざ外に立たせられていたわけじゃないから」

 

 ほのかが深雪の機嫌取りをしているのは、彼女が不気味な威圧感を漂わせているからだろう。秋水の隣に座っている雫が、通路の向こうにいるほのかの脇腹をつついた。

 失言したのを咎めるような雫の顔に対して、ほのかはどうしようもできなかったと言わんばかりの顔をしている。

 

「……まったく、誰が遅れて来るのか分かってるんだから、わざわざ外で待つ必要なんて無いのに……。何故お兄様がそんなお辛い思いを……」

 

 とうとう愚痴り始めた深雪を見て、ほのかが全力でこちらに助けを求めている。

 さきほどまででも怖さは十分にあったのに、ぶつぶつと愚痴を言っているせいで怖さ倍増だ。

 

「……しかも機材で狭くなった作業車で移動だなんて……せめて移動の間くらい、ゆっくりとお休みになっていただきたかったのに……」

 

 雫はため息をつき、秋水は苦笑するしかなかった。

 二人は顔を見合わせて肩を竦めた。

 

「でも深雪、そこがお兄さんの立派なところだと思うよ」

 

 ほぼ周りの耳に届いていたが、独り言が聞かれたとは思っていなかった深雪は、雫の言葉に反応はしたが、言葉は返せなかった。

 その隙をついて、雫の意図を把握した秋水が続いた。

 

「北山さんの言う通りだよ。お兄さんは面倒な仕事でも、例え想定外のトラブルがあったとしても、顔色を変えずに淡々とこなせるのは凄いことだよ」

「そう。多くの人は愚痴を溢してしまうかもしれないけど、お兄さんはそれは全く無かった。これは中々できることじゃない。深雪のお兄さんって本当に素敵な人だよね」

 

 息を合わせたかのような二人の言葉は、深雪の虚をつくには十分すぎた。

 

「……そうね、本当にお兄様って変なところでお人好しなんだから」

 

 辛うじて照れ隠しで深雪が応じたことで、底冷えするような威圧感は消え去っていた。

 

 それからというもの、いつものお淑やかな雰囲気に戻った深雪に、男子生徒たちが群がり始めた。さきほどまでは、深雪が威圧感を漂わせていたから近づこうとはしなかったというのに。

 馴れ馴れしく付きまとってくることはなかったが、主に一年生、そしてそれに混じる二年生と三年生も何かにつけて声をかけようとする。

 秋水がそれらを相手取る。少しすると一年生があまり声をかけようとはしなくなった。どうやら、森崎が一年生の男子生徒たちを上手く言いくるめていたようで、秋水は上級生を相手するだけとなった。

 見かねていた摩利が、秋水たち四人を強制的に後ろの席に座らせた。さらにその後ろの席には克人に座ってもらい睨みを効かせることで、バスの中は何とか落ち着きを取り戻していた。

 

「ありがとうございます、矢幡さん」

「どういたしまして」

 

 深雪が優しいのもあるのかもしれないが、声をかけてきていた男子生徒たちを相手にした時に、少し嫌そうにしていながらも直接的には言わず、遠回しな言い方ばかりしていた。それに気づかない、もしくは見て見ぬフリをしていた男子生徒たちに嫌気が差した。友人が嫌そうにしていたから、というのもある。だから、追い払っただけに過ぎない。

 摩利が席を移動させてくれたのもあって、ようやくの平穏が訪れた深雪は流れ去る風景を眺めていた。

 秋水は雫とほのかのお喋りに付き合っている。

 

「危ない!!」

 

 叫んだのは摩利の隣に座っている女子生徒だった。

 その声につられて、全員が対向車線側に目を向けた。

 対向車線を近づいてくるオフロード車が、傾きながら路面に火花を散らしていた。それだけならばただの事故だろう。

 急にスピンし始めた車がガード壁に衝突し、その勢いのまま、あろうことかこちらの車線に飛び込んできた。火を纏いながら、バスに向かって高速で滑ってくる。

 

 大型車がこちらの車線に飛んできたタイミングでバスは急停止した。

 だが、火の玉となった車を止めなければ、このまま事故に見舞われて九校戦どころではなくなる。

 何とか冷静を保てている雫は、体を強張らせた。自分の魔法力ならば何とかできると判断したのだろう。急いで立ち上がり、CADを嵌めていた腕を突き出した。そのまま、テンキーを押そうと手を伸ばすが、

 

「落ち着いて」

 

 突き出した腕に秋水の手が乗ったことで動きを止めた。

 自分は落ち着いている。それが分かっているはずの雫は、その手を振り払おうとしたところで、別の声が響いた。

 

「吹っ飛べ!」

「消えろ!」

「この……!」

「バカ、止めろ!」

 

 摩利が声を張り上げて、魔法をキャンセルさせようとするが、制止の声は彼らには届いていなかった。

 無秩序に発動された魔法が同一の対象に作用されれば、魔法が事象を改変しようとする働きが、お互いの魔法に干渉し合い、相克を起こす。そうなれば魔法はまともに作用しない。有効な手を打つことすらできなくなる。

 

「十文字、いけるか!?」

「っ……サイオンの嵐が酷い。消火までは無理だ」

 

 この状況を何とかする方法は、発動中の魔法を圧倒する魔法力で行使された魔法で押し切ること。

 それが可能なのが克人だと瞬時に弾き出した摩利は、克人に視線を向けるが、彼が滅多に見せない焦りの色が見えたことで、絶望に叩き落される感覚がした。

 

 そんな中、異様な空気を纏った秋水が、向かってくる車に手を伸ばしていた。

 魔法が発動できる態勢ではない。

 そんな状態で何をするというのか。

 その答えは、すぐに顕れた。

 秋水が物を握り潰す手の動きをしたタイミングで、あり得ないことが起きた。

 

 無秩序に発動していたはずの魔法式が、粉々に砕けた。

 

 そのまま続けて、車が巨大なクッションにぶつかったかのようにつんのめり、圧し潰れる音を上げた。

 

「司波さん、消火できる?」

「っ、はい!」

 

 言われるがままに深雪は冷却の魔法を発動させた。

 それを以て、摩利はようやく、魔法を知覚する、魔法師としての自分の感覚が正常であることを認識した。

 

 魔法式が砕け散った時も、車が動きを止めた時も、魔法と同じ――いや、正確には魔法に類似した何かが作用した感覚がした。

 一体何が起きた、何をした、と秋水を問おうとした時には、彼は窓を開けてそこから降り、車の方へと向かっていた。



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疑念

 窓から外へ降りた秋水は、救助活動という名の遺体の確認をしていた。

 宙を舞うほどの激しい衝突に加え、火だるまになるほどの炎上。搭乗者の生存はほぼ絶望的だったからだ。

 服の中から黒塗りの短い棒を取り出すと、それは秋水が持つ日本刀へと姿を変えた。

 刀で扉を器用に切り抜き、搭乗者を確認する。車にはドライバーしかいなかったが、無残な焼死体となっていた。

 どうしたものかと悩んでいる内に、作業スタッフが作業車から出てきていた。

 その後はほとんど、作業スタッフたちが対応してくれた。警察の事情聴取や現場を通行可能にするための手伝いとかで三十分ほどのロスをしてしまったが、出発の遅れと合わせて昼過ぎに宿舎に到着した。

 その間、秋水は摩利から問い詰められそうになったり、深雪からは懐疑的な目で見られたり、雫に謝られたりと気が休まらずにいた。

 

 九校戦の競技の性質上、そこで活躍した生徒が軍の道に進むというのは珍しい話ではない。

 軍としても優秀な魔法師は確保するために、九校戦には全面的に協力している。秋水たちが宿舎として利用するホテル、全国から集った選手たちが競う会場、果てには練習施設まで、九校戦の期間中、生徒と学校関係者のために貸切という形で提供している。

 とは言っても、至れり尽くせりではない。

 生徒や学校関係者以外に人は最低限しかいない。そのため、荷物の積み下ろしは自分たちですることになっている。

 

「では、さきほどのあれは事故ではないと?」

 

 小型の工具などをまとめた荷物を台車に載せて押している達也の隣で、深雪は眉を顰めて問い返していた。

 

「あの自動車は不自然な飛び方をしていたからね。調べてみたら、案の定、魔法が使われた形跡があった」

 

 小さく頷いた達也は、人の目、他人の耳を気にしながら小声で答える。それに倣った深雪もまた、小声で返す。

 

「私には何も見えませんでしたが……」

 

 深雪の言葉に、達也は何か言おうとは思わない。魔法が使用された形跡はわずかしか残っていなかった。恐らく、あの一連の件はほとんどの人間が事故だったと思わざるを得ないだろう。あれを事故ではなかったと言い切れるのは自分と、ここにはいない彼だろうと、達也は当たりを付けている。

 

「小規模の魔法が最小の出力で瞬間的に行使されていた。魔法式の残留サイオンも検出されないほどの高度な技術だ。専門の訓練を積んだ秘密工作員なんだろうな。使い捨てにするには惜しい腕だ」

「使い捨て、ですか?」

 

 達也から放たれた不吉な単語に、深雪の声音はさらに小さくなった。

 

「魔法が使われたのは三回。いずれも車内から放たれている。恐らくは魔法が使用されたことを隠すためだろう。現に、お前も含めて優秀な魔法師がいたのにも関わらず、誰一人として気が付かなかった。俺も車を調べるまでは分からなかった。大した腕だ」

 

 既に亡くなっているドライバーの魔法の腕を称賛する言葉を並べる。それも、今となっては何の意味のないものだと分かっているが。

 だが、あの時、彼だけは分かっていたのではないか、と達也はここにはいない生徒を訝しんでいた。

 

「では、魔法を使ったのは……」

「犯人は運転手。つまり自爆攻撃だよ」

 

 足を止めて、俯く深雪の肩は、微かに震えていた。

 

「卑劣な……!」

「元より犯罪者やテロリストなどという輩は卑劣なものだ。命じた側が命を懸ける事例など稀だという点でも然り。だから、こんなことで一々怒っていたらきりがないぞ? それより、何が狙いだったのかが気になるところだな」

 

 深雪が哀れみではなく、怒りを露わにしていたことに、達也は安堵していた。

 彼女が犯罪者に誤った同情をするのではなく、それを命じた者の遣り口に憤りを示していたからだ。

 ドライバーがどこかの組織の工作員なのは間違いないだろう。その組織が何なのかは分からないが、それを棚に上げてでも知っておきたいことが達也にはあった。

 

「深雪、車を覆っていた魔法式を破壊したのは矢幡か?」

 

 いきなり踏み込んで、達也は深雪に尋ねた。この質問がどれだけ重要なことかは、深雪もよく理解している。

 

「はい」

 

 神妙な面持ちで頷く深雪を見て、達也は「そうか」と相槌を打つものの、思いつめた顔をしていた。

 達也が車を無秩序に覆っていた魔法式を破壊しようとしたところで、何者かによって先を越されたのは分かっていた。それが秋水だろうと思っていたが、彼が魔法を使っていたところはほとんど見たことがなかった。

 だから、秋水が対抗魔法を扱えることは驚いている。それと同時に、矢幡に対する警戒の度合いは必然的に高くなるのは仕方ないことだった。既に八雲から、秋水が「八幡の神童」という二つ名のようなものがあると聞かされた時は、また大袈裟なことを言っていたかと思ったが、あながち間違いではないと認識を改めさせられた。

 

 秋水が魔法式を壊したのに使用した魔法は『術式解体』でいいだろう。

 だが、魔法とは違う感覚がしたのはなぜだろうか。

 達也には起動式や魔法式を視覚情報として認識する『眼』を持つ。だから、車を覆った魔法式がどのような事象の改変を行うかを視ることができた。しかし、魔法式を砕き、車を受け止めた秋水の魔法は、達也が精通している現代魔法と酷似していながら、それがどういう改変を起こすのか分からない。つまり、現代魔法と本質が違うものだった。

 今回はたまたま、達也が知っている魔法による改変と全く同じことが起こったから、どういう魔法を使ったのか理解することができた。

 それが、現代魔法を逸脱するものとなると、否が応でも警戒せざるを得ない。

 

「深雪、矢幡には注意してくれ。正直言って、あいつが一番の不安要素なのは間違いない」

「……分かりました」

 

 秋水は、平穏な生活が乱れてしまう可能性を誰よりも秘めている。

 それを分かっていながら、深雪は形容しがたい気持ちに苛まれていた。



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懇親会

 九校戦参加者は選手だけで三百六十名。裏方を含めると四百名を超える。

 今日の懇親会は全員出席しなければならないのだが、様々な理由をつけて欠席しようとする者がいないわけではない。

 秋水もその内の一人になろうとしていたのだが、雫とほのかに引っ張られ、強制的に参加することとなった。パーティーが嫌い、というよりかは慣れないと言うのが正しい。ネガティブな感情が支配しそうになるが、九校戦に出場する選手や、以前、雫が言っていた一条の御曹司がどういう人間なのかを知る機会になるかもしれないと、前向きに捉えることにした。

 とはいっても、こちらから話しかけたりなどするつもりはない。誰かと話しているのを聞いたりするだけで構わない――何なら聞けなくても一切問題がない以上、動く気になれなかった。

 ソフトドリンクが入ったグラスを片手に、壁際に寄りかかっていたところによく知る人の影が近づいてきていた。

 

「パーティーは苦手か?」

 

 第一高校の制服――ちゃんと校章が縫い付けてある、所謂、一科生の制服を着ている達也が、声をかけてきた。

 

「まあ……面倒だからね」

 

 苦笑交じりに返す。

 達也も「俺も同じだ」と普段言わなそうなことを呟きながら、秋水の隣に立って壁際から会場を見渡していた。

 達也が馴染めないのはどうしようもないことだろう。唯一二科生で裏方とはいえ、九校戦のメンバーの一人に抜擢された彼をよく思わない生徒は多い。彼の実力を正当に評価できる者が少ない以上、ここでは肩身の狭い思いをするのは仕方のないことだ。

 

「お飲み物は如何ですか?」

 

 秋水が手に持っていたグラスを空にしたところで、聞き覚えのある声が耳に届いた。

 声がした方向へと視線を向けると、そこにはドリンクを載せたトレイを片手に持ち、立っているエリカの姿があった。

 

「関係者とはこういうことか……」

「あっ、深雪に聞いたんだ? ビックリした?」

「……驚いた。よく潜り込めたな……いや、それくらいは当然か」

「えっと? 千葉さんがいるのはどういうこと?」

 

 二人の会話についてこれていない秋水は、首を傾げたまま尋ねた。

 

「あ、そっか。知らないのも無理ないわね」

 

 忘れてた、と言わんばかりの顔をするエリカ。このことを事前に話していたのは深雪だけだったようで、エリカがここにいるのを早めに知ったのは達也と深雪の二人だけだった。

 エリカ曰く、コネを利用したとのことだ。

 その一言で秋水は合点が行った。

 エリカの実家である千葉家は「数字付き(ナンバーズ)」と呼ばれる百家本流の一つ。特に自己加速・自己加重魔法を用いた白兵戦技で知られる名門だ。千葉家は他の家とは違い、魔法の行使に優れているだけでなく、それを体系化し、白兵戦を主なスタイルとする魔法師の、育成のノウハウを作り上げている。

 今では、警察や軍の陸上部隊に所属する魔法師が、千葉家の教えを受けているのだとか。

 コネを使ってホテルに入り込めたというのは、九校戦に軍が大きく絡んでいるというのが一番の理由だろう。

 

「コネは利用するもの、ね」

「そういうこと」

 

 秋水の呟きに、エリカは満足げに頷いていた。

 

「ハイ、エリカ。可愛い恰好してるじゃない。関係者ってこういうことだったのね」

 

 達也を見つけたからか、深雪が現れてエリカの容姿を褒めた。

 

「ねっ、可愛いでしょ? 矢幡や達也くんは何も言ってくれなかったけど」

 

 丈の短いヴィクトリア調ドレス風味の制服と、ふわりと広がったスカート。いつも活気に満ちたエリカだが、今日は随分と大人びたメイクをしている。

 最初に声をかけてきた時も、エリカのことを知っていなければ、日雇いのアルバイトか従業員と勘違いしていたところだろう。

 それだけ今の彼女には、可愛げがあり――深雪の言う通りだと思った。

 

「お兄様にそんなことを求めても無理よ、エリカ。

 お兄様は女の子の服装に囚われたりしないもの。きちんと私たち自身を見てくださっているから、その場限りのお仕着せの制服などに興味は持たれないのよ」

「ああ、なるほどね。達也くんはコスプレなんかに興味ないか」

「それってコスプレなの?」

「あたしは違うと思うだけど、男の子からしたらそう見えるみたいよ」

「男の子って西城くんのこと?」

「あいつじゃ、その程度のことさえ言えないって。ミキよ。コスプレって口走ったのは。しっかりお仕置きしといてやったけど」

 

 秋水と達也を置いてけぼりにして二人きりで会話を弾ませている。蚊帳の外にいるため、二人の会話に耳を傾けるしかないのだが、不穏な言葉と気になる単語が飛び出してきた。

 

「ミキ……って、誰かしら?」

「そうか。深雪と……後、矢幡も知らないんだっけ」

 

 深雪は不穏な言葉を気にする様子も無く、聞いたこともない固有名詞に反応していた。

 「あっ」という表情を浮かべたエリカが呟いたと思ったら、走り去ってしまった。トレイを片手に、載っているドリンクを溢すことなく走るエリカを見て、バランス感覚が優れているのだろうと達也が感心していた。

 

「一体どうしたのでしょう?」

 

 急に放置されたのもあって、零れてしまった深雪のセリフ。

 

「多分、幹比古を探しに行ったんだろう」

 

 だが、それを明確に返したのは達也だった。

 幹比古、という名前を知っているような気がした秋水は記憶を掘り出す。

 

「それって定期試験の上位者リストに載っていた名前だよね」

 

 掘り出すのにそう時間はかからなかった。達也と同じように、高い成績を叩き出し、理論順位で四位にいた生徒だ。確か、達也と同じクラスだったはずだ。

 

「エリカとは幼馴染みらしい。二人は幹比古と会ったことがなかったからな。紹介するつもりじゃないのか?」

 

 いかにもエリカがしそうなことだ。

 

「矢幡さん、深雪、ここにいたの」

「達也さんも、ご一緒だったんですね」

 

 エリカの姿が消えた方を見ていると、雫とほのかが声をかけてきた。

 

「雫、わざわざ探しに来てくれたの?」

「君たちも、いつも一緒なんだな」

「友達だから。別行動する理由もないし」

「そうだな」

 

 確かに雫とほのかは、いつも二人でいることが多い気がする。

 特に何の理由もなく、ただの好奇心で聞いた達也は愚問だったか、と苦笑する。

 

「他のみんなは?」

「あそこよ」

 

 深雪が他の生徒のことを尋ねると、ほのかが指を差した。その方を見てみると、慌てて目を逸らす男子生徒の集団と、チームメイトである一年女子も同じところに固まっていた。

 

「深雪の側に近寄りたくても、達也さんがいるからできないんじゃないかな」

「俺は番犬か?」

「みんなきっと、達也さんにどう接したらいいのか戸惑っているんですよ」

 

 本格的に蚊帳の外にいると感じ始めながらも、達也たちの退屈しない会話に耳を傾け、空になったグラスで少し遊ぶ。

 

「あれ、深雪は?」

 

 達也が雫やほのかたちを相手にして、彼女たちを見送った後、エリカが一人の男子生徒を連れて戻ってきた。

 

「クラスメイトのところへ行かせた。後で俺の部屋に来るから、その時に紹介するよ」

「あ、うん」

 

 深雪がいないことにホッとしているような様子を見せた彼は、もう一人、秋水がいることに気づいた。

 

「初めまして。僕は吉田幹比古だ」

「ご丁寧にどうも、吉田さん。ウチは矢幡秋水って言うの。よろしく」

 

 秋水の親切な態度に少し予想外という反応を見せた幹比古だが、すぐに言葉を返した。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 こちらが一科生であるのは知っているはずだが、達也とエリカの二人と一緒にいるのもあって打ち解けるのに時間はかからなかった。

 余談だが、「ミキ」というのはエリカが彼を呼ぶ時に使う渾名なんだとか。

 

 レオと美月も来ているらしいが、どこにいるのだろうか。

 

「レオに接客が務まると思う?」

「その程度の使い分けぐらいはできる思うが……」

 

 多分、レオ本人が辞退したと思っていいだろう。

 

「美月もこの恰好は嫌なんだって。ミキと気が合うのかしら」

「僕の名前は幹比古だ!」

「りょーかいりょーかい」

 

 かなりムキになって食い掛かってくる幹比古に、ぞんざいな返答をして視線を二人に戻す。

 

「というわけで、二人とも裏方。レオは厨房で力仕事。美月はお皿を洗ってるよ」

「二人とも、機械の操作は得意だからな」

「そうね。二人とも見かけによらないけど」

 

 今の時代、倉庫の出し入れも食器の洗浄も、かなり細かい部分まで機械が人の代わりを務めているため、人の手を必要とする部分が全く無いのだ。

 レオと美月は裏でキッチン用オートメーションを操作しているのは、容易に想像ができた。だが、美月はともかくレオが機械操作を得意としているのは、彼らのことをまだよく知っていない秋水からすれば、意外だった。

 

「僕もそっちのはずだっただろう。何故いきなり給仕をやらされるんだ!?」

「何度も説明したじゃない。ちょっとした手違いだって」

「説明になってない!」

 

 不服そうにしている幹比古をあしらったエリカに、達也は声をかけた。

 さきほどまでとは全く違うエリカの雰囲気に、これから始まるであろう二人の会話に介入するべきではないと悟った秋水は、その場から離れることにした。

 

 聞いたところで、自分にはどうすることもできないだろうし、何か変わるわけではない。達也より彼女のことを知らない自分では、当人があまり聞かれたくないことを話せる場を奪ってしまうだけの存在だ。

 一瞬、二人に視線を向けるが、すぐに視界から消して場所を変えた。



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十師族

 真由美たちと談笑をしているのは、第一高校のライバル校と目されている第三高校の生徒会役員の面々だった。

 その後ろでは第三高校の一年生が何やらこっそりと囁き合っていた。

 その内容は、深雪についてだった。

 可愛いだの、なんだのと言いながら、深雪に並々ならぬ視線を向けている男子生徒たちの中に、目的の人物がそこにいた。

 その男子生徒の容貌は、凛々しい顔立ち、若武者風の美男子、と古風な表現が当てはまる。

 

「ジョージ、お前、あの子のこと、知ってるか?」

 

 一条将輝が隣にいた男子生徒に、深雪のことを尋ねていた。

 

「ああ、一高の一年生だよ。名前は司波深雪。出場する競技はピラーズ・ブレイクとフェアリー・ダンス。一高一年のエースの一人らしい」

「げっ、才色兼備ってやつ?」

 

 将輝がジョージと呼んだ生徒――吉祥寺真紅郎が将輝の問いに即答する。

 容姿に限らず、深雪がエースの一人とされているということに、周りにいた男子生徒が羨む声を上げていた。

 そのまま彼女に視線を向けていても良かったが、気になることを言っていた吉祥寺に顔を向ける。

 

「エースの一人? まだ誰かいるのか?」

 

 将輝からの連続の問いに、吉祥寺は頷きながら答えた。

 

「矢幡秋水。司波深雪と同じく一年のエース。出場競技は将輝と同じで、ピラーズ・ブレイクとモノリス・コード」

「ほう」

 

 自分と全く同じ競技に、一年のエースを当ててきていることに将輝は少し驚いたような声を溢した。

 

「心配しなくても、将輝が負けるような相手じゃないと思うよ」

「ふっ、そうだな」

 

 吉祥寺の言う通り、第三高校の生徒たち全員が将輝の勝利を疑っていない。逆に、十師族の一人である彼が出場する競技に合わせて、エースを当ててきた第一高校は大丈夫かと煽るようなことを言い出す生徒まで現れた。だが、それが小声だったこともあり、幸いにも聞こえたのが自分たちだけだった。

 十師族でもない生徒が相手になるわけがない。

 才能という大きな壁は、例えどんなことがあっても破られることはない。

 

「……!?」

 

 誰かの視線を感じ取った将輝は、振り返って確認をする。

 人混みに紛れて、まっすぐに彼を見つめる瞳があった。壁に背を預けて、空になったグラスで遊んでいる秋水だった。

 真面目な顔をして見ているわけでもなく、口角を上げてこちらを見るその姿に、不気味さ、そして背筋が凍るのを感じた。

 

「将輝、どうしたの?」

 

 吉祥寺たちには秋水にずっと見られていたとは思ってもいないだろう。現に将輝も、こうして視線を感じていなければ見つけることはできなかった。

 

「……いや、何でもない」

 

 油断ならない相手かもしれないと、警鐘が鳴っているのを感じた将輝は、射抜くような秋水の瞳を忘れることはできなかった。

 

 来賓の挨拶が始まり、懇親会に参加している世慣れない高校生たちは、食事の手を止め、談笑を中断して、いつも以上に真面目な態度で来賓の声に耳を傾けていた。

 魔法界の名士たちの顔を見るのは、多くの生徒が有意義なものだと思っているのかもしれない。

 ここにいる多くの人間が注目するのは、「老師」と呼ばれる人物だろう。

 その者の名は、九島烈。

 日本に十師族という序列を確立した人物であり、二十年ほど前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた。最強の名を維持したまま第一線を退いて以来、人前に姿を現すことなど稀に等しいのだが、毎年、九校戦にだけは顔を出すことで知られている。

 司会者がその名を告げた。

 眩しさを和らげたライトの下に現れたのは、パーティードレスを纏い髪を金色に染め上げた若い女性だった。

 それを見た秋水は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

(悪戯好きだねぇ……)

 

 舌打ちしたくなる気持ちを抑え、秋水は焦点を女性の後ろにずらす。

 そこには九島老人がそこに立っていた。

 彼との出会いは、これで二回目。一回目は思い出したくもない。できることなら、顔を見ることすら避けたかった。彼が出てくることを知ってはいた。登壇する前にここからいなくなるというのも考えたが、老師のお言葉を聞かない生徒が第一高校にいると、外聞に障り面倒なことになると思い、立ち去るという選択肢を消した。

 こちらの視線に反応しておきながら、九島は別のところを見ていた。その方向には秋水と同じく悪戯とも言える「手品」のタネを見破った達也がいた。

 老人の囁きを受けて、ドレスの女性が脇に退いた。

 この「手品」を見破れなかった多くの生徒たちはいきなり九島が姿を現したと思っただろう。

 

「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」

 

 齢九十に近い老人の声とは思えないほどの若々しい声。

 

「今のはちょっとした余興だ。魔法というよりは手品の類いだ。だが、手品のタネに気づけた者は、私が見た限りでは六人だった。

 もし私がテロリストだとして、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく動けたのは六人だけ、ということだ。

 魔法を学ぶ若人諸君。魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。

 私が今用いた魔法も、規模こそは大きいが強度は全く無い。魔法力の面から見れば、低ランクの魔法でしかない。だが君たちは惑わされてしまった。

 魔法力を向上させるという努力は決して怠ってはならない。しかし、それだけでは不十分だというのを理解してほしい。

 使い方を間違えた大魔法は、工夫された小魔法に劣るのだ。

 九校戦は、魔法を競う場であり、それ以上に魔法の使い方を競う場であるということを覚えておいてほしい。

 魔法を学ぶ若人諸君。君たちの工夫を、私は楽しみにしている」

 

 魔法の等級(ランク)よりも、魔法の使い方が重要だという考え方は、ランク至上主義の今の魔法師社会に異を唱えるものだ。

 だが、秋水はその考えに反感は持っていない。魔法は己が望む結果のために行使するものであり、魔法を扱うことが目的ではないからだ。



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九校戦 開幕

 懇親会の二日後、九校戦は問題なく開幕した。

 実に喜ばしいことではあるが、別の問題が水面下に現れていたことを秋水は見逃さなかった。

 事は昨日の深夜。時計の針が十二時を指そうとしていた頃だった。

 何者かの悪意を感じ取った秋水はすぐさま「見張り」を飛ばし、対処しようかと思っていたが、その場に居合わせた幹比古と達也の手によって制圧された。あの時、幹比古が使っていた魔法は古式魔法の一種、精霊魔法。「吉田」という名字を彼が名乗っていたことから、古式魔法の大家「吉田家」の者であるのは分かっていた。それもあり、彼が精霊魔法を使うことには何の疑問も無かった。

 幹比古がその場を離れてから、誰かが姿を現し、達也と話しているようだったが、深く知ろうとは思わなかった。

 とはいえ、これで一件落着とは考えにくい。宿舎に向かう際に起きた事故は、故意によって引き起こされたものだと分かっていた。気になるのは、予定していた時間より遅れてバスは出発したのにも関わらず、そのことすら織り込み済みであったように、事故に見せかけた攻撃が来たことだ。だが、そのことについてはいくら悩んでも答えが見えてくることは無いだろう。

 

「矢幡、考え事か?」

 

 遠くを見るような目で会場を見ている秋水に、達也は声をかけた。

 初日から今の第一高校が誇る真打の一人とも言える人物の登場だ。だというのに、そのことに興味がないような目をしている生徒がいたら、どうしたのかと声をかけるのも仕方のないことだ。

 達也の声に考えていたことを首を振ることで消し、苦笑を浮かべて返す。

 

「まあ、そんなところかな」

 

 曖昧な返しだったが、突っ込むほどのものではないと判断した達也は、これ以上の追及はしなかった。

 スピード・シューティングは真由美が出場する競技だ。真由美以外にエントリーしている生徒はいるのだが、注目はどうしても真由美に向いてしまう。そのため、同時に使われるシューティングレンジが四つあるのだが、真由美の姿を見ようと第一レンジに多くの少年少女たちが押しかけていた。

 秋水たちは一般用の観客席、それも少し後ろ側の席に陣取る。後ろ側の方が、全体を俯瞰することができるからだ。

 

「エルフィン・スナイパー……そう呼称したくなるのは、分からなくはないけどね」

「本人は嫌っているようだから、それを会長の前で口にするのは控えた方がいいだろう」

 

 エルフィン・スナイパーとは真由美のファンが勝手につけた異名だ。由来は彼女の容姿から来ているとのことだ。もっとも、本人はその名を嫌っているようだが。

 達也の忠告に言葉は返さないものの、それを本人の前で言おうなどとは思わない。

 途中、美月が気になることを漏らしていたが、エリカと深雪が反応している間に、開始の合図が鳴ろうとしていた。

 

「始まるぞ」

 

 達也の一言で、美月は口を閉ざす。

 会場もまた静寂に包まれ、開始の合図を待っていた。

 開始のシグナルが光り、合図が鳴った。

 軽快な射出音と共に、クレーが空中を翔け抜ける。

 スピード・シューティングは、三十メートル先の空中に射出されるクレーを制限時間内にいかに素早く魔法で破壊し、クレーの破壊個数で争う競技だ。クレーの射出数は五分間に百個だが、撃ち出される間隔は不規則であり、同時にクレーが射出されることもある。また、準々決勝からは対戦型となる。紅白のクレーが飛び回る中、相手のクレーを破壊しないよう気を付けながら、自分の色の標的を破壊することになる。

 今はまだ予選ということもあって対戦型ではないが、真由美は一つの取りこぼしもなく、一発も外すことなく、全てのクレーを的確に破壊した。

 

「パーフェクト。流石、というべきだね」

 

 真由美がパーフェクトを逃すとは誰も思っていないだろう。彼女の魔法の精度は一年前より上昇している。情報収集も兼ねて、昨年と一昨年の九校戦を映像で見たことがあるが、その時とは格段に違いが出ていたのはハッキリと分かった。その真価を発揮するのは、対戦型になってからだと思うが。

 知覚魔法まで併用しながら彼女は競技に臨んでいたので、ここでパーフェクトが取れないようなら、ある意味で失望していたところだ。

 彼女が使用した知覚魔法『マルチスコープ』。物体を多角的に知覚する魔法だ。簡単に言えば、監視カメラのようなもの。彼女は普段からこの魔法を併用している。全校集会の時なんかは、この魔法を使って隅から隅まで見張っていたのだ。

 しかし、肉眼のみで空中を飛び交うクレーを認識し、射撃するのは至難の業どころか、ほぼ無理が正しい。そのことについては、同じくスピード・シューティングに出場する雫が即座に反応していた。

 クレーを破壊するため使われた魔法は『ドライ・ブリザード』の派生形であり、真由美はこの手の魔法を得意としている。ドライ・ブリザードは効率のいい魔法だ。真由美のスタミナや魔法力などを鑑みれば、と併用しながら、千回ほど発動してもガス欠になったりはしないだろう、との達也の言だ。

 

「でもよ、この真夏の気温でドライアイスを作るのも、それを亜音速に加速するのも、相当なエネルギーを必要とするはずだぜ?」

「魔法がどれだけ埒外であっても、エネルギー保存法則とは無関係じゃないのさ」

 

 バトル・ボードの会場へ移動するために立ち上がりながら、達也は続ける。

 レオは首を傾げたままだ。

 

「魔法はエネルギー保存法則に縛られず、事象を改変する技術だ。だが、改変される側の対象物までエネルギー保存法則から自由になっているわけじゃない」

 

 状態維持の式が組み込まずに、物体を加速させた場合、その物体は冷却される。

 運動維持の式を組み込まずに、運動中の物体を加熱した場合、その物体の運動速度は低下する。

 一般に普及されている魔法には、意図しない改変が起こらないように、その要素について現状を維持する式が組み込まれている。そのため、意識する機会は中々ない。

 

「物理法則というのは結構頑固でな。魔法という()()()な力の干渉を受けても、何とか辻褄を合わせようとする復元力が働くんだよ。

 ドライアイスを作ってそれを加速するという魔法は、ドライアイス形成過程で奪い取った分子運動エネルギーを、固体運動エネルギーに変換することで物理法則を欺いている。エントロピーを逆転させるという、自然には絶対に起こり得ない現象だが、ドライアイスを加速させることで、単にドライアイスを作るよりも、熱力学的には辻褄が合っているんだ」

「……何だか上手いこと騙されてる気がするんだけど」

「覚えておいた方がいいぞ、レオ。世界を『上手いこと騙す』のが魔法の技術だ」

「つまり、あたしたち魔法師は、世界を相手取った詐欺師ということね?」

「強力な魔法師ほど、凶悪な詐欺師ということになる」

 

 真面目な説明だったのだが、エリカと雫が茶々を入れてきたことで達也は笑うことしかできなかった。

 

 バトル・ボードは直線、急カーブ、上り坂や滝状の段差も設けられた全長三キロの人工水路を、長さ一六五センチ、幅五一センチの紡錘形のボードに乗って走破する競技だ。ボードに動力はついておらず、選手は魔法を使用してゴールを目指すことになる。

 所要時間はスピード・シューティングよりも長く、十五分。

 最大速度は時速五十五キロ~六十キロにまで達する。ボード一枚の上に乗っている選手に、風除けは全く無い。追い風で速度を稼げる競技でもないので、向かい風を正面から受け止めなければならないため、選手は体力を相当消耗することになる。

 

「ほのか、体調管理は大丈夫か?」

「大丈夫です。達也さんにアドバイスしていただいてから体力トレーニングはずっと続けてきましたし、選手に選ばれてからは、いつもより睡眠を長めに取るようにしていますから」

 

 魔法の訓練も必要だが、それ以上に魔法師は体が資本だ。ほのかの体力不足を危惧した達也が、日常会話に織り交ぜる形でアドバイスをしたが、ほのかは真剣に受け取ってくれたようだ。

 そのことを深雪が弄り、ほのかが反論のために放った言葉に、達也は思わず噴き出してしまった。

 

「いいわよ、どうせ私は仲間外れだし。二人と違って、達也さんに試合も見てもらえないし」

「……ミラージ・バットはほのかの調整を担当するんだがな」

「でも、バトル・ボードは担当してもらえませんよね。深雪と雫は二種目とも達也さんが担当するのに」

 

 深雪や雫と違って、一競技しか達也に担当してもらえなかったことに落ち込み始めた。

 誤解らしき部分を解こうとした達也の言葉は、どうやら逆効果だったようだ。

 

「その分、練習にも付き合ったし、作戦も一緒に考えたし、決して仲間外れにしているというわけでは……」

 

 何とかフォローしようとする達也だが、抜け出すことのできない泥沼に嵌まっていくのを感じたのか、ついに口ごもってしまった。

 

「達也さん、ほのかさんはそういうことを言ってるんじゃないんですよ」

「お兄様……少し鈍感が過ぎませんか?」

「達也くんの意外な弱点発見」

「朴念仁?」

 

 ほのかを除いた女性陣から見事な連携攻撃を貰うことになった達也は絶句するしかなった。

 秋水たちに視線を向けるが、今回ばかりは助け舟を出してもらえそうになかった。

 レオと幹比古は露骨に目を逸らし、最後の頼みである秋水は肩を竦めて「無理だ」と言いたげに首を横に振った。

 結果として、達也はレース開始の合図まで、ひたすら耐えるしかなくなった。



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実力差

 コースの整備が終わり、選手がコールされたところで、達也はようやく解放された。

 

「うわっ、相変わらず偉そうな女……」

 

 エリカが悪びれることなく敵意むき出しで摩利を見ている。敵意を向ける理由は分からないが、知りたいとも思わないのでスルーしておく。彼女の隣に座っているレオと美月も、聞かなかったことにしている。

 横一列に並ぶ四人の選手。摩利がボードの上に悠然と立っているが、他の三人は膝立ち、片膝立ちで構えている。バランス感覚の違いを顕著に表しているのだが、エリカはどうやら別の捉え方をしていたようだ。

 選手紹介アナウンスが流れ、摩利の名前が呼ばれると、黄色い歓声が上がる。

 摩利が手を挙げて応えると、その音量はますます大きくなる。

 

「……どうもうちの先輩たちには、妙に熱心なファンが付いているんだな」

「分かる気がします。渡辺先輩は格好良いですから」

 

 達也はともかく、深雪がまるで他人事のように頷く。

 誰もが認める美貌を持つ深雪ならば、新人戦でその姿を見せるだけで、男女問わず熱心なファンを獲得することになるだろうに。狂信めいたファンは時に面倒事を引き起こす要因になりかねない。気を付けるべきだ――と言いたいところだが、当人が気を付けていたとしてもどうしようもない。人を引き付けてしまう容姿を持つ人間は、必然的に相応の苦労をすることになるのは避けられないだろう。

 

『用意』

 

 スピーカーから合図が流れ、空砲が響き渡る。

 瞬間、第四高校の選手が後方の水面を爆破した。

 

「自爆戦術?」

 

 呆れ声を出したのはエリカだった。

 爆破させることは問題ない。爆破によって作られた大波をサーフィンの要領で推進力に利用することはできる。だが、自分がバランスを崩してしまうほどの荒波では意味がない。

 スタートダッシュを決めた摩利が、第四高校の選手が起こした波に巻き込まれることも無く、早くも独走状態になっていた。

 

「硬化魔法の応用と移動魔法のマルチキャストか」

「硬化魔法? 何を硬化しているんだ?」

「ボードから落ちないように、自分とボードの相対位置を固定しているんだ」

 

 達也の言葉にしっくり来なかったのか、レオは「?」の顔をしていた。

 摩利が行っているのは、ボードと自分を一つのパーツとし、その相対位置を固定化するものだ。移動魔法は一つのオブジェクトとなったボードと自分に対してかけている。

 

「それも常駐じゃない。どちらもコースの変化に合わせて、前の魔法と次の魔法が被らないように定義している」

「へぇ」

 

 硬化魔法を得意としているレオは、それが高度な技術だと理解できていた。

 水路に設けられた上り坂を、水流に逆らって昇っていく。

 外部からのベクトルを逆転させる加速魔法。さらには造波抵抗を弱めるために振動魔法も併用しているようだ。

 

「凄いな。常に三種類、四種類の魔法をマルチキャストしている」

 

 達也の口から自然と称賛の言葉が漏れた。

 一つ一つの魔法はどれも強力というわけではない。だが、変化する状況に合わせて多種多彩に重ねられていく魔法は、観客を魅了していた。

 坂を昇り切り、滝をジャンプ。着水と同時に水しぶきを上げた。

 巻き上がる水しぶきによって、後続の選手たちに大きな影響を与え、落水寸前に陥らせた。

 

「戦術家だな」

「性格が悪いだけよ」

 

 エリカの評価は、戦術家からすれば褒め言葉のようなものだ。

 一週目、コースもまだ半ばという段階で、摩利の勝ちは必然になっていた。

 

 午後は女子のスピード・シューティングの観戦をすることにした。

 本来なら男子のスピード・シューティングに出場している森崎の様子を見るつもりだったが、「結果を待っていてほしい」と言われたので、興味がある女子の方を見ることにした。

 

「達也くん、こっちこっち!」

「準々決勝から凄い人気だな」

「会長さんが出るからですね。他はそこまで混んでいませんよ」

 

 昼に少し用事があった達也の姿を見つけたのか、エリカが声をかけていた。

 少し遅れて来ることが分かっていたので、達也の席は既に確保済みだ。人波を縫いながらこちらまで来た達也は、エリカが確保していた隣の席に座る。

 

「そういえば、幹比古はどうしたんだ?」

「気分が悪くなったんだって。部屋で休んでるって言ってた」

「熱気に当てられたみたいですよ。私も眼鏡をかけていなければ、ダウンしてたかもです」

 

 感覚が鋭敏だからこその悩み、というものだ。

 予選からかなりの熱気ではあったが、今はさらに盛り上がっているのもあって、秋水の場合は耳に来ている。また、これ以上の熱気になると耐えられなくなることも想定して、保護のために耳栓をつけている。

 開始の合図を待っていると、つんつん、と秋水の左肩を雫がつつく。

 

「どうしたの?」

「耳栓をつけてるみたいだけど……聞こえてるの?」

「全く聞こえなくなるわけじゃないよ。熱気に当てられて耳を傷めないように守ってるだけだから」

 

 魔法を用いて遮断する方法もあるわけだが、それを使う気にはならなかった。

 九校戦では外部からの魔法干渉によって不正が行われないように、対抗魔法に優れた魔法師を大会委員として起用し、会場の各所に配置している。さらには監視装置も大量に設置されていることもあり、不用心に魔法を使用して大会委員に目をつけられるのが面倒だからだ。

 

「耳が敏感なの?」

「あ、北山さんとかには言ってなかったね。でもその通りで、一応の制御はできるんだけど、大会の熱気となると流石にね……」

 

 用意はしていたのだが、まさか初日から使うことになるとは思っていなかった。もしかすると、自分の試合の時も耳栓を使うことになるかもしれない。

 

「気を付けてね」

「もちろん」

 

 感情に乏しい雫の顔が珍しく心配そうにしているのが視界に入る。あまり見たことのない表情に新鮮さを感じつつも、これ以上の心配をさせないように笑みを見せた。

 

「矢幡、副会長の方に行かなくていいのか?」

「別にウチが出る競技でもないからねぇ」

 

 バトル・ボードの第四レースから第六レースは午後から行われる。

 男子の方では、副会長の服部範蔵が出場することもあり、九校戦に出場する男子生徒、特に同じ競技に出場する一年生は皆、バトル・ボードの観戦をしている。

 とはいえ、秋水が出る競技とは関連性が無いため、わざわざ観戦する必要はないのだ。

 

「そうだったな……」

 

 それらしい理由だが、遠回しに興味ないと言いたいのが伝わったようで、達也は苦笑いしていた。

 真由美がシューティングレンジにその姿を見せると、会場が一斉に沸いた。そこら中に設置されているディスプレイに「お静かに願いします」というメッセージが映し出され、歓声は波が引くように収まっていく。会場は真由美の応援団が埋め尽くしており、対戦相手の選手の雰囲気は完全にアウェー。

 そんな相手を気遣ってなのか、真由美は観客の応援をないものとしてCADを構え、開始の合図を待っている。

 五つあるシグナルが一つずつ灯り、全て光ると赤と白の円盤が射出される。

 真由美が撃ち落とすべき赤いクレーは、得点の有効範囲に入った瞬間、一つの例外も無く破壊されていく。それでは相手が有効範囲の中心で手当たり次第に魔法を放てるというアドバンテージを与えてしまうが、それすらも凌駕する技量を真由美は見せつけてくる。

 

「『魔弾の射手』……去年よりさらに速くなっています」

 

 深雪の声に、達也は頷いていた。

 それは、白いクレーの向こう側を飛ぶ赤いクレーを、下から撃ち抜いたドライアイスの弾丸にあった。

 スピード・シューティングでは真由美のように魔法で弾丸を生成し、それを用いて狙撃するという戦術を採る選手は彼女だけと言えるだろう。基本的には、クレーに直接振動魔法をかけるか、移動魔法をかけて別のクレーと衝突させて破壊するという戦術を使う。魔法は物理的な障害物に左右されることはない。つまり、姿の見えない標的を破壊するのに特別な技術を必要とすることは本来、無い。

 『魔弾の射手』と名付けられているこの魔法の本質は、対象を死角から攻撃することにある。弾丸を作り出し、撃ち出す魔法ではなく、弾丸を射出する位置――射手のポジションを作り出す。そのために、この魔法を使うにはマルチスコープを併用することになる。結果として、真由美はあらゆる角度からの狙撃を可能とする。

 真由美の戦法上、真由美も相手選手も邪魔されることなく魔法を行使することができている。そうなれば、戦いはスピードと照準の精密さによる個人の技量での勝負となる。

 十師族である真由美に敵う選手はいないだろう。相手には気の毒な話だが、高校生レベルではもはや勝負になっていなかった。



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少しずつズレていく道筋

 九校戦二日目。

 達也は代理として急遽、女子クラウド・ボールのエンジニアを担当することになった。原因は初日男子バトル・ボードに出場した服部の不調にあった。三連覇を狙う第一高校は選手の能力を鑑みて予選、決勝をどのように勝ち進んでいくか、大体の道筋を立てている。だが、予想外にも男子バトル・ボードは予選から苦戦することになった。服部は担当のエンジニアとCADの再調整を行っている。

 服部の担当エンジニアは女子クラウド・ボールのサブエンジニアだが、当日も服部のCADを調整するだろうということで、代替案として二日目、三日目とオフだった達也に白羽の矢が立ったわけだ。

 秋水は男子アイス・ピラーズ・ブレイクを、深雪たちは女子の方を観戦することにした。

 氷柱倒し、またはアイス・ピラーズ・ブレイクとは、縦十二メートル、横二十四メートルの屋外フィールドで行われる。フィールドを半分に区切り、それぞれの面に縦横一メートル、高さ二メートルの氷柱が十二個配置される。相手陣内の氷柱を先に全て破壊した方の勝利となる。

 軍の協力があるとはいえ、この真夏に何百本もの巨大な氷の柱を準備するのは容易なことではない。そのため、競技フィールドを何面も用意することはできない。できても男女二面ずつ合計四面が限界だ。

 

 秋水は、一人で席に座り開始を待つ。興味があるのは三巨頭の残り一人、克人だった。

 『鉄壁』の異名を持つ十文字家の次期当主。アイス・ピラーズ・ブレイクで扱う魔法は、多重移動防壁魔法『ファランクス』。全系統全種類を絶え間なく連続で防壁を作り出す。あらゆる魔法に対して絶対的な防御力を誇るが、それは克人の魔法力の強さにある。物質非透過であるが故に、それを氷柱にぶつけることで粉砕する。対抗する手段はほぼ無いに等しい。彼に相対する選手は委縮してしまっている。

 克人の勝利が揺らぐことはないだろう。ファランクスをどうにかして突破するのは難しい。個人的には真由美や摩利以上に、理不尽を感じる強さだ。

 

(ファランクス……突破できる術はあるけど、戦いたくはないな)

 

 ファランクスを正面から突破するなら、幾重にも重なった防壁を一瞬で、一度に破壊しなければ突破はできない。その術を持っているわけだが、できることなら戦いたくないのが本音だ。

 試合開始の合図が鳴る。

 相手選手は速攻で氷柱を砕くつもりのようだが、干渉力、速度、共に克人に劣っている。この時点で――いや、もっと言うなら試合が始まる前から、克人の勝利は火を見るより明らかだった。

 相手の魔法は克人のファランクスには打ち勝てない。どれだけ魔法を撃ったとしても、そのことごとくを防がれる。

 観戦に来たのは良かったが、克人の試合を観戦した秋水の興味は一気に薄れていった。ファランクスを見ることができたのは収穫の一つだが、これといって興味を惹かれるものは一切無かった。

 

「女子の試合を見てた方が面白かったかな……」

 

 つまらなそうに呟いた秋水は、試合の結果を知る前に会場から立ち去っていた。

 

 達也たちよりも先に天幕に引き上げた秋水は、重苦しい雰囲気に首を傾げた。

 原因は恐らく、男子クラウド・ボールだろう。得点状況は芳しくないと言ったところだろう。作戦スタッフが既にポイントの見通しを計算し直している。

 女子アイス・ピラーズ・ブレイクの目ぼしい試合の観戦を済ませた達也たちが天幕へと戻ってきた。今日まで包まれたことのなかった空気に、達也たちは眉を顰めた。

 

「何かあったんですか?」

「男子クラウド・ボールの結果が思わしくなかったので、ポイントの見通しを計算し直しているんです」

 

 達也と同じ技術スタッフの一人である二年生、五十里啓が尋ねると、作戦スタッフの指揮を執る鈴音がそれに答えた。

 

 九校戦の順位は各競技のポイントの合計点で決まる。

 モノリス・コードを除いた競技のポイントは、一位が五十ポイント、二位が三十ポイント、三位が二十ポイント。

 スピード・シューティング、バトル・ボード、ミラージ・バットは四位のポイントも用意されており、十ポイントが与えられる。クラウド・ボールとアイス・ピラーズ・ブレイクは四位以下の順位が決まらないため三回戦敗退した三チームに五ポイント与えられる。

 モノリス・コードは一位に百ポイント、二位に六十ポイント、三位に四十ポイントが与えられ、六競技中ポイントの比率が最も大きい。

 新人戦はこれらのポイントを二分の一にして加点することになる。

 九校戦の配点の関係上、試合に勝ち進み上位に位置しなければポイントは得られない。優勝を逃したとしても、二位、三位を占めることができれば問題がないわけなのだが。

 

「一回戦敗退、二回戦敗退、三回戦敗退です」

 

 どうやら獲得できたのは五ポイントだけだったようだ。

 男子クラウド・ボールの布陣は力不足が否めなかった。他の競技に出場する選手が「優勝間違いなし」と言える実力を持っているのもあるかもしれない。それでも、優勝を狙えるレベルはあったと考えていいはずだ。

 

「新人戦のポイント予測が困難ですが、現時点でのリードを考えれば、女子バトル・ボード、男子ピラーズ・ブレイク、ミラージ・バット、モノリス・コードで優勝すれば安全圏かと思われます」

 

 作戦スタッフの二年生が試算結果を報告した。

 少しハードルが高いのではないだろうか。克人や摩利が優勝するのは間違いないかもしれないが、万が一トラブルでも起きたら、心理面で総崩れする恐れがある。

 とはいえ、外部からの魔法干渉による不正が起きないように大会委員が見張っている。この二人が優勝を逃すなど滅多にないだろう。

 

 ――だが、先程から感じる嫌な予感は何だろうか。

 見逃してはいけない何かがあるようで、秋水は気がかりだった。

 

(嫌な予感って、結構当たる方なんだよね……)

 

 天幕にいる生徒たちがこれからの展開に頭を悩ませている中、秋水は一人だけ別の事を考えていた。

 

 夕食前、秋水は一人ホテルの屋上にいた。

 持ってきた天秤を置いて、左の皿に人形のようなものを載せた。

 

 手を合わせ――呟く。

 

「――流れ行く風、集い顕すは空の凶。秤に示せ。四道共鳴・天変証衡」

 

 秤に載せられた人形が青く淡く光る。すると、天秤が傾いた。人形が載った皿よりも、何も載っていない皿の方が下の方へと傾いた。

 あり得ない現象が起きているが、誰も分からない。これが何を示すのか、それが分かるのはこの天秤の用途を知っている秋水のみ。

 天秤が示した結果に、秋水は深いため息をついた。

 

「警戒しなきゃいけない、か……ウチがどうにもできないものじゃないといいんだけど」

 

 面倒くさそうにしながら呟いた秋水の言葉は、誰にも聞かれることなく、ただ虚空へと消えていった。



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妨害

 九校戦三日目。

 男女アイス・ピラーズ・ブレイクと男女バトル・ボードの各決勝が行われる三日目は、九校戦前半のヤマと呼ばれている。

 

「はて、どうしようか」

 

 第一高校の勝ち残り状況は、男子アイス・ピラーズ・ブレイク、男女バトル・ボードがそれぞれ二人、女子アイス・ピラーズ・ブレイクが一人。

 秋水は組み合わせ表を見て悩んでいた。

 服部が男子第一レース、摩利が女子第二レース。千代田花音が女子第一試合、克人が男子第三試合。

 

「時間的に……二つ同時に直接観るのは難しいかな」

 

 競技によって開始時間や試合時間も異なるとはいえ、服部と千代田の試合を観戦するのは不可能だ。同時に観戦する方法が無いわけではないが、妨害があったとしても、それに反応することが難しい。となれば、外部からの干渉を受けやすいバトル・ボードの観戦をした方がいい。

 

 そう思って服部の試合を観戦したわけだが。問題なく第一レースを走り切り、勝利した。

 注意深く、さらには耳栓も外して、外部からの干渉に警戒していたのだが、その網に引っ掛かることはなかった。見ている限りでは、他の選手にも異常が見受けられることもなかった。

 アイス・ピラーズ・ブレイクの方でも何か異変があったなどという騒ぎはなかった。千代田は順調にコマを進めていると見ていいだろう。

 

 そのまま摩利のレースを深雪たちと観戦するために席を確保。開始直前、といったところで達也が合流した。

 達也曰く、真由美に引き摺られる形で作業車へ連れていかれ、彼女の用事に付き合っていたとか。

 バトル・ボードの準決勝は一レース三人。それを二回。それぞれの勝者が一対一で優勝を争うことになる。

 他二人が緊張で顔を強張らせているが、摩利は不敵な笑みでスタートを待っている。

 スタートの合図であるブザーが鳴る。

 予選と同じように先頭へと躍り出る摩利だが、その背中にぴったりとくっつく選手がいた。

 

「やはり手強い……!」

「さすがは『海の七高』」

「去年の決勝カードですよね、これ」

 

 第七高校は水上・海上に特化した魔法を教えている。

 その証拠に、前を走る摩利と同じスピードで走行している。本来ならば、摩利の方が引き波の相乗効果もあって有利なはずだが、第七高校の選手は巧みなボード捌きで魔法の不利を補っている。

 スタンド前の蛇行ゾーンを過ぎ、差もほとんどつかないまま、コーナーに差し掛かる。

 コーナーを過ぎれば、秋水たちの席からは見えなくなる。そのため、用意されている大型のディスプレイに映されているコーナー出口の映像に目を向けようとした瞬間、耳に届く熱気の中に混じって――

 

 バチッ、と何かが弾けるような音が聞こえた。

 

「あっ!?」

 

 観客席から聞こえる悲鳴。急いでコーナーに視線を戻すと、大きく体勢を崩していた七高選手がいた。

 

「オーバースピード!?」

 

 通常、コーナーを曲がる際には減速し、曲がったところで加速の魔法をかけるものだ。加速したままコーナーに突っ込めば、間違いなくフェンスに衝突する。

 七高選手のボードは水をつかんでいない。オーバースピードというよりは、もはや前に飛んでいる、といった表現が正しい。

 彼女が突っ込む先には、減速を終え、次の加速に入ろうとしていた摩利がいた。

 迫り来る選手の気配に気づき、肩越しに振り返る。

 すぐさま加速の魔法をキャンセルし、水平方向の回転加速に切り替える。水路壁に反射した波も利用して、ボードを百八十度ターンさせた。

 そこからさらに、七高選手を受け止めるための魔法と、突っ込んでくるボードを弾き飛ばすための魔法をマルチキャストする。

 

「まずい!!」

 

 摩利の進行方向に不自然に起きた、小さな変化。

 誰もが事故に目を向けている中、唯一気づくことができた秋水が席を立ち上がりながら声を張り上げるも、既に遅かった。

 突如浮力を失い、意識を削がれた摩利の魔法はボードを弾くことに成功したものの、選手を受け止めるための魔法が発動する前に、衝突。

 もつれ合いながらフェンスを破壊して水路から二人の体が飛び出た。

 受け身は取れていない。骨は間違いなく折れているはずだ。

 レース中断の旗が振られ、ここにいる全員が二人の安否を気に掛ける。

 

「お兄様!」

「行ってくる。お前たちは待て」

「分かりました」

「っ……」

 

 ここで出しゃばったところで、何もできないことは理解している。飛び出したい気持ちをなんとか抑えながら、秋水は席に座る。

 何かできる術を持っているであろう達也は、人の密集するスタンドを手品のようにすり抜けながら駆け下りていく。

 

「……何も、できない。よく分かっているはずだよ、ウチ」

 

 冷静さを欠こうとしている自分に言い聞かせ、頭を冷やす。

 正直、親しい間柄でもない摩利が事故に遭ったとしても、秋水に何か大きく変化が訪れることはない。今のように冷静さを欠くことなどありはしない。

 だが、それを嘲笑うように、過去の記憶が牙を剥く。

 頭を横に振ることでそれを振り払い、担架で運ばれていく摩利を見守る。

 昨日、天秤が示した凶が、降りかかってきたのだと秋水は思った。

 

 三日目の試合が全て終了した後、秋水は達也に呼び出されて、美月、幹比古と共に彼の部屋を訪れた。

 

「ご紹介します。俺のクラスメイトの、吉田と柴田です。矢幡は違いますが、新人戦のエースの一人とされていますのでご存知かと。

 知っていると思うが、二年の五十里先輩と千代田先輩だ」

 

 既に中には五十里と千代田がいて、お互いに簡単な自己紹介を済ませた。

 

「三人には、水中工作員の謎を解くために来てもらいました」

 

 五十里と千代田の二人に対しての説明。

 

「俺たちは今、渡辺先輩が第三者の不正な魔法により妨害を受けた可能性について検証している」

 

 そしてこれは、秋水たち三人に対しての説明。

 秋水は既に妨害を受けた可能性があるとたどり着いているので、特に驚きはしないが、幹比古と美月は驚いていた。

 

「渡辺先輩が体勢を崩す直前、水面が不自然に陥没した。その所為で渡辺先輩の慣性中和魔法のタイミングがずれ、フェンスに衝突することになってしまった。この水面陥没は、ほぼ確実に、水中からの魔法干渉によるものだ。

 コース外から気づかれることなく水路内に魔法を仕掛けることは不可能だ。遅延発動魔法の可能性も低い。

 だとすれば、水中に潜んだ何者かによって仕掛けられた、というのが俺と五十里先輩の見解だ」

 

 確認の眼差しを向けてきたので、理解の意を頷きで返す。

 

「しかし、生身の魔法師が水路内に潜んでいたと考えるのは荒唐無稽です。現在知られている限り、現代魔法にも古式魔法にも、完璧に姿を隠す術はありません」

 

 達也の言葉に、今度は五十里と千代田が頷いた。

 

「ならば、魔法を行使する人間以外の何かが潜んでいたと考えるのが合理的でしょう」

「……司波くんは、精霊(SB)魔法の可能性を考えているのかい?」

 

 達也は頷く。

 現代魔法を行使する魔法師は、通常、サイオンの波動によって魔法を知覚している。

 しかし、SB――Spiritual Being(心霊存在)の本体はプシオンで構成されるものであって、観測されるサイオンは、その「運動」を方向付けする外的付加物、と考えられている。

 だが、普通の魔法師では沈静化されているプシオンを感知することはできない。活性化したプシオンでさえも、そこにある、という風にしか知覚できない。

 達也が言いたいのは、心霊存在使役魔法――精霊(SB)魔法によって遅延発動型の術式が仕掛けられていたなら、大会委員の監視網を潜り抜けた可能性がある、ということだ。

 

「吉田は精霊魔法を得意とする魔法師です。また、柴田は霊子光に対して特に鋭敏な感受性を有しています。そして、矢幡ですが、一般の魔法師とは違う別物の感受性があります。

 幹比古、数時間単位で特定の条件に沿って水面を陥没させる遅延魔法は、精霊魔法により可能か?」

「可能だよ」

 

 幹比古が言うには、半月ほどの準備期間と何度かの試合会場の下見、後は条件に沿って精霊に命令をすれば可能であり、当日、会場に忍び込む必要もないらしい。

 秋水が使う魔法は精霊魔法とはまた毛色の違うもののため、この辺りについては何も言えない。

 

「……ただ、そんな術のかけ方だと、意味のある威力は出せない。精霊は術者の思念の強さに応じて力を貸してくれるものだ。数時間も前から仕掛けるとなると……せいぜい侵入者を驚かすレベルにとどまると思う。

 水面を荒らすだけで、渡辺先輩が体勢を崩すほどの大波はできない。それこそ、七高の選手が突っ込んでくるという事故が重ならなければ、子供の悪戯程度にしかならないよ」

「そうか……美月、渡辺先輩の事故の時、SBの活動は感じたか?」

 

 達也の言葉に、美月は首を横に振って応える。あの時は眼鏡をかけていたのもあって、精霊の活動を見ることはできなかっただろう。

 となれば、他の魔法師とは全く違うものを感じ取れる秋水に懸けるしかない。

 

「矢幡は?」

「確証はないし、会場が熱気に包まれていたから何とも言えないけど……水面が陥没する瞬間は見えた。それと――七高の選手が突っ込んでくる直前、何かが弾けた音が聞こえたね」

「弾けた音、か。もしかしたら、これに繋がるかもしれないな」

 

 弾けた音が何かの証明に使えるかもしれない。あの時に聞こえた音は間違いなく、会場で起こる音ではなかった。

 

「七高選手の暴走は、単なる事故ではないと俺は思っている。これを見てくれ」

 

 達也はそう言って、シミュレーション映像を再生した。

 その映像ではオーバースピードが起きてから、摩利と衝突し、フェンスに衝突するまでのルートをシミュレートした映像だった。

 本来ならば減速をする必要のあるタイミングで、減速することなくさらに加速するという不自然な現象が起きていた。

 単純なミスは、九校戦に選抜された選手が犯すものではない。

 

「恐らく七高の選手は、CADに細工をされていたのだと思う」

 

 達也の言葉に、秋水を除いた全員がギョッと驚いた。

 

「確かにね……コースで減速が必要になるのは、このコーナーが最初。しかも、減速の魔法式を加速の魔法式とすり替えられたら、間違いなくここで事故が起きる。去年の決勝カードのラップタイムを見れば、渡辺さんと七高の選手がもつれ合いながらこのコーナーを回る」

「俺に妨害の意思があれば、優勝候補の二人を一気に潰すチャンスだと考えるな」

「確かに理屈は通っていると思うけど……CADに細工をするにしても、一体いつ?」

「七高の技術スタッフに裏切り者がいるとか?」

 

 五十里と千代田の問いに、達也は小さく頭を振った。

 

「残念ながら確証はありません。裏切り者がいるという可能性も捨てきれませんが、俺は大会委員に工作員がいる可能性が高いと思います」

「大会委員が、ですか? どのようにCADに細工をするのでしょうか。競技用のCADは各校が厳重に保管しているはずですが……」

「CADは必ず各校の手から離れ、一度、大会委員の手に引き渡される」

 

 大会委員がCADに細工をするタイミングがあるとしたら、そこだろう。

 だが一体、どうやって、何の目的のために?

 何者かからの妨害、CADへの細工。

 謎は解決されないまま、迫り来る不可視の敵に、後手を取らなければならないことに、秋水は舌打ちしたくなった。



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新人戦 開幕

 九校戦四日目。

 本戦は一旦休み。今日から五日間は一年生のみで勝敗を争う新人戦が行われる。

 ここまでの成績は一位である第一高校は三百二十ポイント、二位の第三高校は二百二十五ポイント、三位以下は団子状態の混戦だ。第一高校が大きくリードしているが、新人戦の結果次第では逆転を許してしまう状況だ。

 新人戦のポイントも二分の一とはいえ、総合順位に関わってくる。一年生にとっては新人戦優勝は自分の栄誉となる。気合の入り方は本戦に見劣りすることはなかった。

 今日の種目は男女スピード・シューティングの予選、及び決勝と男女バトル・ボードの予選だ。

 スピード・シューティングは決勝まで行うこともあってか、女子が午前、男子が午後に全ての試合をすることになる。バトル・ボードは一日かけて行うことになっている。試合の出場順次第では、知り合いの観戦ができない可能性がある。

 

「と言っても、森崎さんは結果を楽しみにしていてほしいって言ってたからなぁ」

 

 森崎は優勝したという結果だけを伝えたいのか、それとも試合を観られるのが恥ずかしいのかは分からないが、その意思を汲み取って、彼の試合を観戦するのは止めておこう。

 

「そうなると、北山さんと光井さんの試合を観戦するくらいかな」

 

 ほのかが出場するバトル・ボードもまた一日かけて予選が行われるわけだが、彼女が出るのは午後の最終レースということもあって、雫が出場するスピード・シューティングと時間が被ることはない。

 

「後ろ、座らせてもらうよ」

「どうぞ」

 

 既に席に着いている深雪たちの後ろに座る。

 後ろから見ても分かるくらいに緊張しているほのかの様子に苦笑を浮かべた。

 

 ランプが全て点った瞬間、クレーが空中に飛び出した。

 得点有効エリアに飛び込んだ瞬間、それらが即座に粉々に砕けた。

 次にエリアに飛び込んだクレーは中央で砕け散る。

 

「……もしかして有効エリア全域を魔法の作用領域に設定しているんですか?」

 

 美月の問いに深雪とほのかが肯定した。

 

「雫は領域内に存在する固形物に振動波を与える魔法で標的を砕いているんです」

「より正確には、エリア内にいくつか震源を設定して、固形物に振動波を与える仮想的な波動を発生させているのよ」

 

 得点有効エリアは空中に設置された一辺十五メートルの立方体。

 雫が使っている魔法はエリア内部に一辺十メートルの立方体を仮想的に設置して、それの各頂点と中心の九つのポイントが震源になるように設定されている。また、震源から発生する波動は中心から六メートル。魔法を発動するたびに半径六メートルの球状破砕空間が形成されることになる。

 各ポイントは番号で管理されている。精度を犠牲にして、速度に特化しているわけだ。

 

「なるほど。スピード・シューティングは選手の立ち位置や得点有効エリアとの距離、方向、広さは常に同じだから、座標を変数として毎回入力する必要がないんだね」

 

 選択肢を最初から決めていれば、CADの照準補助システムで的確なポイントへと誘導してくれる。威力、持続時間も変える必要はなく、起動式で定数として処理されている。

 制御面で神経を使うこともないため、魔法の発動だけに、演算領域のポテンシャルをフル活用することができる。

 雫はCADの補助に従ってポイントを入力。ただ引き金を引くだけで標的を破壊している。

 そのままの勢いで、パーフェクトを取った。

 

「魔法の固有名称は『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』。お兄様のオリジナルです」

 

 魔法すらも作り出してしまう達也の才能に、感嘆の息を漏らすしかなかった。

 

 雫の準々決勝戦。既に席に着いている秋水は、腕を組んで考え込んでいた。

 第一高校はスピード・シューティングに出場している一年生三人が予選通過。さらに雫がこの試合に勝利すれば、全員がベスト4に進むことになる。

 他の試合を観戦して思ったことだが、雫の魔法力は高い。だが、残りの二人の魔法力が雫と同等というわけではない。それでも、全員がここまで順調にコマを進めてられているのは、ひとえに達也のおかげだ。

 エンジニアを重要性を理解している生徒や、彼が担当した選手たちからの評価は高くなっているだろう。

 

(……高校生レベルのエンジニアじゃないでしょ。司波さん)

 

 化物級とも言える彼のエンジニアの腕は、特に魔工技師を欲しがっているところからは、喉から手が出るほどの存在だろう。雫が専属のエンジニアとして達也を雇おうと何度も声をかけているのを見かけたことがある。

 それほどの腕がある彼を求めたくなる気持ちは分からないわけではない。

 

「あのCAD……?」

 

 幹比古が見ているのは、雫がたすき掛けにストラップでぶら下げ、脇の下に抱え上げたCAD。

 

「……汎用型?」

「え、マジか?」

「小銃形態の汎用型ホウキなんて聞いたこと無いよ? 第一、照準補助システムと汎用型の組み合わせなんて、技術的に可能なの?」

 

 レオとエリカから疑問の声が上がる。

 しかし、幹比古の目に間違いはないと秋水は思っている。雫が持つCADは他の選手が持っている競技用のものより、幾分厚みを帯びている。

 それに、エリカが疑問視しているところは、既に一年前に研究がなされていたのを知っている。

 

「いや、吉田さんの言う通りだと思うよ。北山さんが持っているCADのベースはFLTの車載用汎用型CAD『セントール』のシリーズだろうね。後、照準補助システムと汎用型の組み合わせは、一年前にドイツで発表されたものだね」

「一年前なんて、ほとんど最新技術じゃない……」

「よくお分かりですね。あれはお兄様のハンドメイドです」

「……わざわざ試合のために作ったの?」

「はい」

 

 まさか、九校戦のためにCADまで作り出すとは恐れ入った。達也の技術力が高校生のレベルをはるかに凌駕しているのがよく分かる。そこまでの知識も、その技術も一体どこで手に入れたのだろうか。

 その結論を出すよりも先に、競技開始のシグナルが点り始めていたのに気づき、雫の試合を観戦するために思考を止めた。

 

 紅白のクレーが宙を舞う。

 雫が破壊すべき紅のクレーは軌道を曲げ、有効エリアの中央に集まって衝突し、砕け散った。

 今度は有効エリアの奥を飛び去ろうとしていた紅のクレーが、また中央に吸い寄せられて砕け散る。

 

「……収束系?」

 

 幹比古の呟きに、秋水は反射的に頷いていた。

 収束系魔法の基本形は、魔法式で定義した空間内に存在する、魔法式で定義した「情報」を持つ対象を、定義された座標に選択式で集める魔法だ。これを物質に対して発動した場合、対象物質の密度を高めると同時に、対象物質以外の密度を低下させる効果を発揮する。

 雫の場合、収束系魔法で定義された空間の中心に当たる位置は、有効エリア中央だ。中央に近づけば使づくほど、紅のクレーの密度が高い空間という魔法を行使している。だから、有効エリアの外縁部を飛ぶ紅のクレーは自然と中央部に集まり、逆に中央部を飛ぶ白のクレーは外へと弾き出される。

 対戦相手は移動系魔法により白のクレー自体を弾丸として、別の対象に当てて破壊する、オーソドックスな戦法だった。しかし、雫の収束系魔法によって中央部を飛ぶ白のクレーが外へと弾き出されているため、狙い撃つのは至難の業である。

 相手を妨害しつつ、自分はひたすら中央部に集まるクレーを破壊。実に巧みな作戦だ。

 

「……いや、振動系も発動している?」

 

 飛翔中のクレーが一つの時に限って、振動系の破砕魔法が発動しているように見える。

 

「雫は収束系と振動系魔法を連続で行使しているんです」

 

 秋水の言葉に反応したほのかの説明になるほど、と再び呟く。

 雫が使っているCADが汎用型だと分かっていなければ、ほのかの説明をすんなりと受け入れられなかっただろう。

 汎用型でありながら、特化型と遜色ない魔法の発動スピード。

 

「理解を深めれば深めるほど、司波さんが異次元の存在に思えるよ……」

 

 今まで蓄えてきた知識がある故に、達也が魅せてくる魔工技師としての腕に理解が及ばなくなってきているのを感じて、不意にそう呟いてしまった。

 

「ふふ」

 

 深雪からの冷笑かと思ったが、冷たい空気になることはなかった。彼の腕を素直に褒めていると受け取ってくれたのだろうか。

 残り時間と両選手の得点が表示されているモニターに目を向ける。

 得点差を見れば、雫が勝利をするのは確定されたことだった。



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快挙と懸念

 スピード・シューティングの全試合を終えた後、昼の休憩が入る。

 達也のずば抜けた技術力によってスピード・シューティング女子の一位から三位を独占することができた。天幕では浮ついた雰囲気に満たされているところだろう。

 だが気を付けなければいけないのは、選手の実力では第三高校も負けてはいない。達也が担当しない競技では苦戦するのは免れないだろう。

 とはいえ、気にする必要はない。自分が出場する競技に全力を注げばいいだけだ。

 

「とりあえず、午後は光井さんの試合を観戦しようか」

 

 一人で昼食を取った秋水は、会場に向かって先に席を取っていた。

 その後に席を探しに来た達也たちを呼んで一緒に観戦することにした。

 バトル・ボードの平均的な競技時間は十五分。しかし、ボードの上げ下ろしや水路の点検、魔法によって損傷した箇所があればその修復など、レースの準備にはその倍以上の時間が掛かる。そのため、バトル・ボードの競技スケジュールは一時間に一レースで組まれている。

 最終レースの開始は午後三時半。選手は既にスタート位置に移動している。

 スタート位置で待機しているほのかの様子を見る。肩が強張っている様子もなく、変に緊張しているということもない。いい感じに集中できている。不測の事態が無ければ、負けるということは無さそうだ。

 手首と足首まで覆うウェットスーツは選手の体に圧迫気味に張り付いており、それによって発育段階にある少女たちの体をより扇情的に見せている。

 

「それにしても、濃い色のゴーグルをつけているんだね」

 

 ほのかだけが濃い色のゴーグルをつけている。どうやら達也が持ち込んだものらしい。随分西に傾いてきた真夏の日差しは、向き合うと邪魔になる程度には眩しい。しかし、水飛沫がグラス面に付着することで視界が遮られるのを嫌う選手は多い。

 恐らくは作戦の一部なのだろうと思う。

 

「それも気になるんですが……光井さんは何故、光学系の起動式をあんなにたくさん準備しているのでしょう?」

 

 ほのかのエンジニアを担当している二年生、中条あずさが疑問の声を上げた。

 エンジニアが起動式の種類まで口を出すのは稀なことだ。エンジニアは選手の希望通りに起動式をCADにインストールする。

 だが、ほのかが得意とする光波振動系の幻影魔法はバトル・ボードの性質上、出番がないのではないか、とあずさは思っているのだ。

 

「バトル・ボードのルールでは、他の選手に魔法で干渉することは禁じられています。しかし、水面に干渉した結果、他の選手の妨害となることは禁止されていません」

 

 達也の言葉に、何を企んでいるのか気づいた秋水は苦笑した。

 

「なるほど……」

「矢幡は分かったみたいだな」

「キミ、人が悪いって言われたりするでしょ」

「人聞きが悪いな」

 

 人の悪い笑顔をしているというのにどの口が言ってるんだ、と突っ込みたかったがもうすぐレースが始まるのもあって止めておくことにした。

 

 予選第六レースのスタートが切られる。

 その直後、フラッシュでも焚いたように、水面が眩く発光した。

 発光に加え、波が荒れているせいでバランスを崩し、加速を止めたり、中には落水してしまう選手もいたが、一人だけ綺麗にスタートダッシュを決めることができた選手がいた。

 

「よし」

 

 してやったり、と達也は声を上げる。

 フラッシュの影響を受けずに先頭に躍り出たのはほのかだ。

 訳も分からずサングラスを渡されていた深雪たち三人は、達也に言われるがまま付けていたおかげで平気だった。

 四本しか持ってきていなかったので秋水の分は無かったのだが、フラッシュの影響を受けないように視界を手で覆っていたので問題はない。

 

「……これがお兄様の作戦ですか?」

「確かに、ルールは違反していないけど……」

 

 流石の深雪と雫も呆れ声を出していた。

 フェアプレーの精神に反していると言われればそれまでだが、大会委員は達也の作戦を容認したようだ。著しくアンフェアなプレーがあった場合に示されるイエローフラッグ、ルール違反選手の失格を示すレッドフラッグも振られてはいない。

 

「……水面に光学系魔法を仕掛けるなんて、思ってもみませんでした」

「策士だねぇ……でも、目くらましなんて、昨年や一昨年の九校戦で使っている選手はいなかったね」

「水面を沸騰させたり、全面的に凍結させたりするのは流石に危険だと思いますが、目くらまし程度のものが今まで使われてこなかったことの方が、俺は不思議だと思いますがね」

 

 素直に称賛するあずさ。

 昨年と一昨年の九校戦の試合の映像を引っ張り出して見たことのある秋水は、達也の作戦が使われていなかったことを思い出していた。

 水面に対して魔法を使用し、妨害することは禁じられていないからこその作戦だ。初歩的なものとはいえ、何の心構えもなしに目を潰されては、すぐに視力が回復するものではない。

 コースが蛇行している以上、視界が塞がれた状態で全速力で走ることはできない。そのため、他の選手がようやく本来のスピードを出せる頃には、先頭を走るほのかとの間に、決定的な差がついていた。

 最初の奇策で得たリードを守り切り、ほのかはそのままトップでゴールした。

 気になるのはこの奇策が一回限りだということだが、達也がそこも考えないはずがないだろう。

 

 新人戦一日目の競技を全て終えた後、幹部三年生はミーティングルームに集まっていた。話題はやはり、日中の試合を結果だろう。

 チームメイトの活躍を見て「今度は自分が」と意気込むことは味方の士気を上げる簡単な方法だ。そのため、勝利は士気を高める一番の特効薬とされている。

 しかし、時として『やる気』は『気負い』となり、『気負い』は『空回り』に直結しやすい。ここにいる幹部たちは気づけていないのかもしれないが、一年男子は一部を除いて、エンジニアに達也がいることを良く思っていない。

 森崎は自らの気持ちに区切りを付けられたのもあって、スピード・シューティングでは僅差で敗北してしまったものの、優勝した第三高校の選手の得点との差はほとんど無かった。

 

「森崎くんが準優勝したけど……」

「あとの二人は予選落ち……か」

 

 男子の戦績が思ったよりも振るわないことに、ため息をついていた。

 正直、一日目から女子と結果に大差が開くとは思っていなかった。

 その原因はやはり、あの生徒以外に他ならないのではないのかと、ここにいる全員がそう思っていた。

 

「三高は一位と四位ですから、女子で稼いだ貯金がまだ効いています。あまり悲観し過ぎるのもどうかと」

「……そうだな。市原の言う通り、悲観するのは良くない。元々、女子の成績が出来過ぎだったんだ。今日のところはリードを奪えただけでもよしとするしかない」

「しかし、男子の不振は『早撃ち』だけではない。『波乗り』でも女子は予選通過が二人に対し、男子は一人だけだ」

 

 鈴音の冷静な分析によって重苦しい空気を立て直そうとしたが、そう簡単に戻せるものでもない。

 

「このままズルズルと不振が続くようであれば、今年は良くとも来年以降に差し障りがあるかもしれん」

 

 特に魔法科高校のリーダーを自認し、常勝を自らに課している幹部たちからすれば「今年さえよければ」と甘えた考えをすることはできなかった。

 

「男子の方は梃入れが必要かもしれんな」

「しかし十文字、梃入れをするにしても今更何ができる」

 

 確かに今更だ。

 達也のおかげで技術スタッフにも力を入れるべきだということも分かったが、第一高校の特性上、魔工技師志望という生徒が少ない。

 それに新人戦は既に始まってしまった。今からでは選手もスタッフも入れ替えることはできない。

 

「男子で頼りになるのは矢幡だと思うが……」

「優勝できるとは言い難いだろう。何せ彼が出場する競技には一条も出る」

「……確かにな。モノリスはともかく、ピラーズ・ブレイクは準優勝が限界か」

 

 非情かもしれないが、秋水では十師族の一人である一条には勝てない。チーム戦であるモノリス・コードは違うが、個人技能や才能が物を言うアイス・ピラーズ・ブレイクではどうしても一条に軍配が上がる。

 

「…………………………」

「真由美? どうかしたのか?」

「……いえ、何でもないわ」

 

 目を伏せて黙って考え込んでいる真由美に、何か違うものを感じた摩利が声をかけるもはぐらかされてしまった。



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雫の技巧魔法

 新人戦二日目。

 今日は、第一高校が誇る新人戦のエースたちが揃って出場する。

 司波深雪と矢幡秋水。

 どちらもアイス・ピラーズ・ブレイクに出場し、なおかつもう一つの出場競技はそれぞれの花形競技。第一高校の優勝を阻止せんとする第三高校からすれば、この二人が出る競技を見逃すわけには行かないだろう。

 

「矢幡さん」

 

 秋水のエンジニアを担当するあずさとCADの調整を始めようと思ったところで、雫から声が掛かった。

 

「北山さん。もうすぐ試合じゃないの?」

 

 雫が出る第五試合が始まるまであまり時間はない。こんなタイミングに来るということは何かあったのだろうか。

 

「そうだけど……矢幡さんに言っておきたいことがあって」

「言っておきたいこと?」

「試合、見に来てほしいの」

 

 直接会場に来てほしいということだろうか。わざわざ言いに来なくても、映像で観戦しているつもりなのだが。

 

「それは……会場に来て見てほしいってこと?」

「うん」

「えっと……映像で観戦するのは、ダメかな?」

「ダメ」

 

 即答は困る。

 これからCADの調整だということを考えると、少し気が引ける。あずさに迷惑をかけてしまうのだが、どうしたものか。

 自分だけで判断するのはダメだろうと思った秋水は、あずさの方に視線を向けた。

 

「大丈夫ですよ。矢幡さんのCADの調整にはあまり時間が掛かりませんし、お友達のお願いならそちらを優先して構いませんから」

「分かったよ。お言葉に甘えさせてもらうね」

「ありがとうございます。それじゃ、待ってるから」

 

 あずさの気配りのおかげで観戦しに行ける。

 彼女に感謝した雫は、そのまま控室の方に向かっていく。

 

「じゃあ、ウチは会場の方に行くよ」

「はい」

 

 苦笑を浮かべている秋水は「仕方ないなぁ……」と小さく言葉を漏らした。

 

 秋水に約束を取り付けた雫は少し上機嫌で控室に入る。

 

「戻ったか。どうだった?」

「取り付けてきた」

 

 いつもは感情に乏しい雫だが、秋水が絡むと少しだけ感情が豊かになっているのを見ていると、彼女が秋水に対して何を思っているのか何となく察することができた。

 とはいえ、それが正しいのかは達也には分からない。精神が欠落し、感情を失っていることを自覚し、感情が何たるかは知識としては知っている。

 だが達也にそれが芽生えることはない。同じ境遇になったわけでもないから、適切な言葉をかけることもできないし、どうしようもできないのだ。

 雫は時に、大胆に動くことがある。それは雫という人間を理解してから分かったことだった。

 いつもより気合いが入っている雫の瞳を見て、今回は少しばかり手を込んで調整しようと達也は思った。

 

「会場で雫の試合を見に来て良かったんですか?」

「ん~?」

 

 選手・スタッフ用の観戦席、隣に座っているほのかが秋水に尋ねる。

 彼の試合は昼の休憩が終わってすぐだ。雫の試合を観戦しても時間があるとはいえ、エンジニアとCADの調整を始めているものだが。それこそ、モニター室で観戦するのも一つの手だ。

 

「試合を観てほしいなんて言われたら、普通断れると思う? 一応、CADの調整は間に合うから、大丈夫」

 

 正直に言えば、映像で観戦するつもりだったのだが、雫から試合を直接観戦してほしいと言われたし、あずさからは観戦に行った方がいいと押し切られ、こうして来たのだ。かといって二人を悪者扱いしたくもなかったので、このような言葉選びになった。

 

「そうでしたか」

 

 秋水の理由に納得したほのかはそれ以上の詮索を止めた。

 

「振袖……似合ってるねぇ」

 

 櫓の上に現れた振袖姿の雫を見て、そう言葉を溢した。

 アイス・ピラーズ・ブレイクでは選手は純粋に遠隔魔法のみで競い、肉体を使う必要は全く無い。つまり、この競技を行うに際して、選手の服装は一切影響を及ぼさないのだ。

 ルール上、服装に対する規制はただ一つ、「公序良俗に反しないこと」であり、本人の気合いが入る服装を選んでも違反にはならない。

 結果的に、女子のアイス・ピラーズ・ブレイクではファッション・ショーなんて呼ばれたりする。無論、男子も好きな服装をしていいのだが、やはり華やかさでは女子に見劣りする。

 服を用意していない、というか用意するのが面倒だったので、秋水はこのまま制服で競技に出るつもりだ。

 

「汎用型のCAD……正攻法、ということかな?」

 

 最近では女性魔法師でもコンソールが外向きにするのが主流となっている中で、彼女は普段使いのCADと同じ内向きのものを愛用している。少し珍しい存在だ。

 そして、雫が腕に装着しているCADは汎用型。アイス・ピラーズ・ブレイクでは特化型より汎用型を採用する選手は多い。CADを複数操作する技術を得ていない限り、汎用型でなければ攻守の切り替えができない。正攻法を達也は採った、ということだろう。

 

 フィールドの両サイドに立つポールに赤い光が灯った。

 光の色が黄色に変わり、さらに青へと変わった瞬間、両選手が動きを見せた。

 先手を取ったのは雫。自陣にある十二本の氷柱すべてを対象として、魔法式が投射される。

 一拍遅れて、相手選手の魔法式が雫の陣内に襲い掛かるも、氷柱は微動だにしなかった。

 

(流石に雫はきちんと仕上げてきているな)

 

 選手の状態を監視するモニターを見ながら、達也は無言で頷いていた。

 自陣の氷柱は未だ十二本。一本も崩されることはなく、敵陣の氷柱を残り四本まで追い詰めている。

 達也がもう一人担当している第一試合に出てきた選手は寝不足もあって残り三本の辛勝。寝不足がここまで自分を追い詰めたことを実感した当人は、現在感覚遮断カプセルに入って睡眠を取っている。

 雫はそういう不調はなかった。相手選手の魔法を防いだ『情報強化』も、相手の氷柱を崩す『共振破壊』も、練習の時よりもスムーズに行使できている。

 雫が使っている『共振破壊』は彼女の母親が得意としていた魔法で、雫と組むことになる前から高校生よりも高いレベルで使いこなしていた。

 本来の『共振破壊』は、対象に無段階で振動数を上げていく魔法を直接かけて、固有振動数を一致させ、「振動させる」という事象改変に対する抵抗が最も小さくなった時点で振動数を固定、対象物を振動破壊するという二段階の魔法だ。対象物に直接行使する場合は、エイドスの抵抗によって感覚的に共鳴点を探ることができるが、間接的に行使する場合、対象物の共振状態を別に観測しなければならない。

 今回は相手の対抗魔法に避けるために、相手陣内の地面に魔法をかけている。そのため、観測機械に頼ることなく共鳴点を探る必要がある。それを魔法の工程として起動式に組み込んだのが、達也の工夫だった。

 自分が慣れ親しんだ魔法に新たな工程が加えられたところで雫が手こずるわけがない。とはいえ、技術的な面で見れば千代田の『地雷原』よりも高度な技術が求められるわけだが。

 敵陣の氷柱が一本砕けるのと同時に、自陣の氷柱が一本倒された。

 しかしながら、それは最後の悪あがきにすぎない。相手選手は今の攻撃に魔法力の全てを注ぎ込んでいる。完全敗北だけは避けようとしたのだろう。

 雫に、変化は見られない。動揺も焦燥もない。見ていて安心できる戦い振りだ。

 全力を出した相手に、雫の攻撃を防ぐ余力など残っているはずもなく。

 残り三本になっていた敵陣の氷柱は、いとも容易く崩れ去った。



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エースの登場

 昼休憩も終わり、とうとう初試合の舞台に立つ秋水は、櫓の可動式足場に乗る。

 慣れない銃形態、それも汎用型のCADを握り直す。自分が得意としているのは近接戦。銃を使うことはほとんどない。

 アイス・ピラーズ・ブレイクという競技の性質もあるが、それ以上に知られたくないことがあるからだ。できることなら十師族にも知られたくないが、情報操作もできるほどの力を持たない人間にできることはない。

 精神が壊れた時、東京の病院に移送され、一か月ほどで意識を取り戻した。退院の三日前、九島が病室に訪れた。

 

『――八幡家を再興する気はないかね?』

 

 九島のその言葉は今でも覚えている。八の数字を剥奪され、姓が『矢幡』になるという通知を受けてすぐのことだ。

 するわけないだろう、と言葉を返した。八幡家を再興する理由など持っていないからだ。

 九校戦に出て自分が八幡家の人間だと誇示するつもりはない。

 

「ウチは八幡秋水で居たいわけじゃない」

 

 今はただ、矢幡秋水でありたいだけだ。

 

 ステージに上がった秋水は雫のように着飾ることはせず、制服姿のままだった。

 

「矢幡くん、顔がいいから着飾れば人気が出そうなものだけど……」

「おしゃれとは無縁じゃないか?」

 

 制服姿しか見たことがないが、秋水の顔は良い方だ。ちゃんと着飾れば女子生徒にモテるだろう。とはいえ、おしゃれとは無縁そうな気配がするのは否めない。

 摩利の苦笑混じりの言葉に真由美も「そうなのよねぇ……」と残念がる。

 バトル・ボード準決勝で事故に見せかけた妨害工作によって全治一週間の怪我を負った摩利だが、魔法治療の効果もあり無理をしなければ日常生活に支障がないレベルまで回復している。

 とはいえ、重傷は負ったのだからベッドで安静にしていた方が望ましいのだが。

 

「あいつをコーディネートする奴が必要だろうな」

 

 果たしてそんな人物が現れるのかどうかは、真由美たちはあずかり知らぬところだ。

 

「汎用型のCADということは、北山さんと同じ正攻法かしら」

「そうですね。彼の魔法力を考えても、正攻法が一番期待できるでしょう」

 

 発展しない話題を切り替え、秋水が持つCADに目を向けた。

 定期試験において実技二位の成績を叩き出した彼の魔法力は、とてもバランスの取れたものだ。汎用型を用いて安定した戦いをすれば、対戦相手が十師族のように飛び抜けた選手でない限り、彼の勝利は固いだろう。

 

 試合開始を告げるポールに赤い光が灯り、黄色、青へと変わった瞬間、一足先に秋水が動きを見せた。

 CADの銃口を自陣の氷柱に向け、引き金を引く。

 

「今のは、硬化魔法か?」

「ええ。ですが、彼が使った硬化魔法には氷柱の状態・運動を維持する式も組み込まれています」

「状態・運動の維持も?」

 

 秋水が用いた硬化魔法は、氷柱を形成している水分子の相対位置の固定。それに加えて、熱による変化で蒸発させないための状態維持、さらには振動や衝撃によって砕けるの防ぐ運動維持。それによって強固となった氷柱の状態をゼロと定義・固定し、相手の魔法によって改変するのを防ぐ。

 

「――つまり、相手は矢幡さんよりも強い干渉力を持っていなければ、彼の硬化魔法を突破することはできません」

「処理能力、キャパシティ、干渉力……深雪さんほどではないけど、どれも優秀な矢幡くんだからこそできることね」

「それ以外の要素を含んだとしても、矢幡ほどバランスの良い魔法師はいないな」

 

 秋水が使用した魔法は、単純に干渉力での勝負だ。深雪のように干渉力がずば抜けて高い選手が相手だと押し負けてしまう。

 だが、彼よりも干渉力の高い選手はそういない。一条将輝という例外はいるが、他の選手を相手につまずくことはないだろう。

 その証拠に、相手は魔法を秋水の陣に放っても、大した効果を見せることはできていない。

 敵陣の氷柱六本に魔法式を投射する。上から圧し潰されたように氷柱が砕けた。

 

「……加重魔法ね」

「対象を氷柱全てにしなかったのは、対抗魔法を使われた時に干渉力で押し切るためだろうな」

 

 氷柱を圧迫している空気圧の力を魔法によって増幅することで砕いている。

 残り六本となった氷柱を守ろうと相手は情報強化を仕掛けるが、それは意味をなさず、先程よりも出力を高めた加重魔法によって、全て砕け散った。

 

 初の試合で勝利を収めた秋水だが、その喜びは一つも無かった。

 与えられた仕事を果たしただけに過ぎないと言わんばかりの秋水は、終始無表情だった。

 試合を終えて、彼は深雪の試合を観戦するべく、観客席へ向かう。

 

「矢幡さん、こっち」

 

 席を探していると、雫が声をかけてくる。

 声がした方に目を向ければ、雫とほのか、さらにはエリカたちもいた。何人か手招きしてこちらを誘っている。誘われるまま向かうと、問答無用で雫の隣の席に座ることになった。

 

「おめでとう。凄かったよ」

 

 雫から称賛の言葉を投げられる。素直に受け取ってもいいのだが、雫が試合で見せた魔法よりも単純な魔法しか使っていなかったのもあって、称賛されるべきは雫だと思った。

 微笑みながら雫に言葉を返す。

 

「ウチが使ったのは単純な魔法だからね。北山さんの魔法の方が優れていると思うよ」

「そんなことない」

「いや、でもねぇ……」

「はいはい、二人ともそこまで。深雪が出て来るわよ」

 

 このままだとお互い全く退かずに相手を持ち上げようとして、会話が終わらなそうだと判断したエリカが間に入って止める。

 

 第一高校の生徒ならば見逃せないこの試合。誰もが待ちわびている天才の登場を静かに待った。

 深雪が櫓の上に現れる。すると、観客席が大きくどよめいた。

 仕方ないことだと思う。深雪の衣装は、白の単衣に緋色の女袴。白いリボンで長い髪を首の後ろでまとめたスタイル。ただでさえ整い過ぎている彼女の美貌が、その衣装との相乗効果もあって、神懸かりという域を脱している。言葉では形容できない美しさだ。

 

「うわぁ、相手呑み込まれちゃってるよ……」

「とても綺麗ですね……」

 

 エリカと美月が各々の感想を言う。

 深雪の静謐なたたずまいは男性より、女性を釘付けにしている。

 彼女の美貌を生かして会場の雰囲気を奪う、などと言う作戦を達也は考えていないだろう。どちらかと言うと、この衣装は深雪が着たがったようにも思える。

 神道系の家ではないが、日本人だから……みたいな理由だろう。

 

 ポールに赤い光が灯る。

 強い光を放つ深雪の瞳が敵陣の方へと向けられる。

 ライトの色が黄色に変わり、さらに青へと変わった瞬間、

 強烈なサイオンの輝きが、自陣・敵陣関係なくフィールド全体を覆った。

 フィールドが二面に隔たれ、それぞれ変化を起こす。

 深雪の陣地は、冷気に満ちる極寒の地。

 敵の陣地は、業火に満ちる灼熱の地。

 敵陣の氷柱の全てが溶け始めている。必死の面持ちで冷却の魔法を編み上げる相手選手だが、何一つとして効果が無い。

 ほどなくして、自陣は氷の霧に覆われ、敵陣は昇華の蒸気に覆われ始めた。

 

氷炎地獄(インフェルノ)……」

 

 深雪が行使している魔法の名称を秋水は低い声で呟いた。

 中規模エリア用振動系魔法『氷炎地獄(インフェルノ)』。

 対象とするエリアを二分し、一方の空間内に存在する全ての物質の振動・運動エネルギーを減速、それによって生まれた余剰エネルギーをもう一方の空間に逃がし、加熱させることでエネルギーの収支の辻褄を合わせる魔法。

 魔法師ライセンス試験において、A級受験者用の課題として出題されている高難度魔法だ。

 不意に、気温の上昇が止まった。

 次の瞬間には、敵陣の中央から衝撃波が広がる。

 アイス・ピラーズ・ブレイクで使われている氷柱は、急冷凍で作られたものだ。そのため、内部に気泡を多く含む粗悪な氷であり、摂氏二百度を超える灼熱の炎にさらされた結果、気泡が膨張し熱で緩んだ氷柱にひび割れを起こしている。

 ひびが入った氷を砕くのは簡単なこと。それこそ、ちょっとした衝撃を与えるだけで砕ける。

 脆弱化した敵陣の氷柱は、陣の中央から発生した衝撃波に耐えられる強度などない。

 

 敵は自身が守るべき氷柱が儚く砕け散るのを見届けるしかなかった。



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秋水の師

 二日目の試合も終わり、夕食を取った秋水は部屋に戻っていた。

 部屋に置いていった通信端末が震える。

 何も考えずに端末を手に取り、通話を開始する。

 

『驚いたぞ。まさかお前が九校戦の舞台に上がるとはな』

 

 すぐに女性の声が耳に届く。

 通話相手を確認せずに始めたせいで、久しぶりに聞いたその声に驚いたが、平静を保って口を開く。

 

「まあ、選手に選ばれたからね」

『面倒事を嫌うお前が選手になるとは思わなかったんだがな』

「キミには言われたくないなぁ、巫女さん」

 

 苦笑いを浮かべながら言葉を返す。

 通話の相手は北九州にある八幡宮の宮司・狐塚神楽という女性だ。齢四十のはずだが、二十歳ぐらいと見間違えるほどの美貌の持ち主で、最強の古式魔法師と名高い人物だ。「巫女さん」と呼んでいる理由だが、彼女が名字で呼ばれるのを嫌っているからであり、名前で呼ぶか「巫女さん」と呼ぶか、選択を迫られた結果「巫女さん」と呼ぶことにした。

 選手に選ばれたという旨は伝えていないのだが、どこでそれを知ったのだろうか。

 

『九校戦は毎年必ず見ているからな』

「なるほどね」

 

 これなら合点が行く。アイス・ピラーズ・ブレイクに出場したのを見て連絡を寄越してきたのだろう。

 

『ところで、墓参りにはいつ訪れるのだ?』

「うーん、九校戦が終わってからになるかな」

『そうか、では待っているぞ』

 

 故あって、彼女にはある人の墓を管理してもらっている。それができたのは彼女が秋水のことを気に入ってくれているからであり、秋水もそれに甘えさせてもらっている。

 

『話は変わるが、お前の耳に入れておいた方がいいことがある』

「何?」

『今年の九校戦――どうやら「無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)」が絡んでいる』

 

 富士にいるわけでもない神楽がどのようにしてその情報を知り得たのか、それを問い詰めることはしない。独自の情報網を持つ彼女の手にかかれば、この程度の情報を集めることなど容易いだろう。

 嫌な予感が的中して、秋水はため息をつきたくなった。

 

「絡んでいる理由は?」

『そこまでの情報を掴みたいと思うほどの収集癖は私にはないのでな。それに、これ以上の情報を与えなくてもお前なら分かるはずだが』

 

 それを言われると何も言えない。無頭竜が絡んでいる九校戦の会場にいる以上、現地で何が起きているのか秋水なら分かるはずだと、遠回しに言われているのだ。

 

「……三高を優勝させたいんだろうね。何故そうしたいのかは分からないけど」

『既に国防軍が動いているから観客に被害は及ばんだろう』

 

 神楽の言う通りだろう。観客に被害は出ていないが、選手には既に被害が出ている。本戦バトル・ボードで起きた事故に見せかけた妨害工作がいい例だ。

 だが、観客に被害が出ないと約束されたわけじゃない。最悪の場合、選手を殺す、もしくは観客を虐殺でもすれば九校戦を中止させることができる。そこまでするかどうかは分からないところだが。

 

『ピラーズ・ブレイクは優勝する気か? 優勝を狙うとするなら、一条の息子の魔法力に劣るお前は奥の手を使う必要がある。面倒事を嫌うお前ならば、十師族に勝つなど避けたいところのはずだが』

「さあ?」

『はぁ……好きにしろ。だが、面倒事に追われて、その対処を怠るな』

 

 曖昧な返答をしたつもりだったが、意図を読んだ神楽は呆れてため息をついた。

 

 秋水との通話を終了した神楽は端末を服のポケットにしまう。

 障子を開けて縁側に出ると、鋭い目つきになって冷たい声音で言う。

 

「いつまで監視しているつもりだ、小僧」

「一応、僕は君より年上なんだけどねぇ」

 

 監視していたことを指摘された八雲だが、飄々とした態度は崩さずに姿を現した。

 

「私からすれば小僧だ。情報の収集癖は相変わらずだな、九重」

「僕は『忍び』だからね。君と違って必要な情報はできる限り集めるのさ」

 

 この男は平然と他人を監視する、と過去の経験から分かっていたことだ。八雲は自分よりも多くの情報を持っている。無論、八雲が持つ情報のほとんどは収集が可能ではあるが、興味がないためそこまでのことはしない。

 

「秋水くんに式神を教えたのは君だろう?」

「私のお気に入りなのでな。贔屓するのは人として当然だろう」

 

 八雲は古式魔法を伝える者としての義務を果たしているが、神楽はそれを放棄している節がある。その証拠として彼女が扱う古式魔法「式神」の術式は特徴的でありながら、それを扱う者は神楽一人しか存在しなかったのだ。

 それがもう一人現れたとなれば、八雲は情報を集めなければならなかった。

 

「宮司になってもなお、君は自由奔放だね」

「好きに言うがいい」

 

 神楽は今、東京にある別荘に来ている。宮司としての仕事を放棄していると捉えられるかもしれないが、彼女の性格や経歴を知る八雲はそれをどうにかしようとは思っていない。

 そもそもお互いに宗派が違う。下手に口出しすれば面倒事が起きるのは避けられない。

 

「君が宮司になると知った時は驚いたよ。何が君を変えたんだい? 巫女になることを嫌った君が」

 

 情報を集めるのが当然である『忍び』でさえも分からないことがある。それは人の感情だ。

 何がきっかけで神楽は宮司になることを望んだのか。巫女になることさえ嫌った彼女が、どうして家を継ぐことにしたのか。それだけが、八雲はどうしても分からなかった。

 

「お前にそれを教える義務は私には無い。知りたければ自分で調べてみろ、忍び」

「そうしても分からなかったから聞いてるんだけどねぇ……」

 

 興味のない対象に冷たい態度を取るのは変わらないな、と改めて思う。

 

「何故そこまで知りたがる?」

「それは言えないんだよねぇ」

「ふん……上の差し金か」

 

 上の人間としては自分を抑止力の一つとして使いたいのだろう。だが、宗教で力のある人間は政治には関われない。政教分離の原則は法律で定められている。神楽が宮司となったことで、表立って彼女の力を当てにすることができない。

 

「よく伝えておけ、九重。私は上の思惑に付き合うつもりはないし、愛弟子に手を出さないと約束した上で、諸外国が侵略してくるのであれば力を貸してやるとな」

 

 そう言うと、神楽は部屋に戻って障子を閉める。

 一人になった八雲は苦笑を浮かべると、姿を消して別荘から立ち去った。



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宣戦布告

 新人戦三日目。

 達也と深雪がアイス・ピラーズ・ブレイクの控室に赴いたところ、その前に二人の第三高校の生徒が立っていた。

 姿を一瞥しただけで、それが誰なのか、達也は分かった。

 向こうも同時に気づいたのか、こちらへとまっすぐに向かってきた。

 

「第三高校一年、一条将輝だ」

「同じく第三高校一年の、吉祥寺真紅郎です」

 

 二人の瞳から見えるのは、むき出しの闘志。

 

「第一高校一年、司波達也だ。それで『クリムゾン・プリンス』と『カーディナル・ジョージ』が試合前に何の用だ」

 

 上辺だけの礼儀を取り繕う方が、かえって失礼だろうと達也は思った。

 

「ほう……俺のことだけではなく、ジョージのことまで知っているとは話が早いな」

「しばたつや……聞いたことがない名です。ですが、もう忘れることはありません。恐らく、この九校戦始まって以来の天才技術者。試合前に失礼かと思いましたが、僕たちは君の顔を見に来ました」

「弱冠十三歳にして基本コード(カーディナル・コード)の一つを発見した天才少年に『天才』と評価されるのは恐縮だが……確かに非常識だ」

 

 お互いに敵を見据える。

 どうやら、もう少し相手をしなければならないようだ。

 

「深雪、先に準備しておいで」

「分かりました」

 

 深雪は達也に一礼した後、一瞥することもなく、存在していないかのように、一条たちの隣を抜けて控室に入る。

 一瞬、一条は深雪の姿を目で追ったが、すぐにその目を達也へと戻す。

 

「……『プリンス』、そっちもそろそろ試合じゃないのか?」

 

 呆れを隠すつもりもなく、たっぷりと声音に乗せて放ったからか、一条は返答に詰まった。

 

「……僕たちは明日のモノリス・コードに出場します。

 君はどうなんですか?」

 

 新人戦男子スピード・シューティング優勝者の吉祥寺と、新人戦男子アイス・ピラーズ・ブレイクの優勝候補筆頭である一条が、各校がエース級を投入してくるモノリス・コードに出場するのは予想の範囲内だ。

 吉祥寺の問いに、懇切丁寧に教えてやる必要はない。

 

「そっちは担当しない」

「そうですか……残念です。いずれ、君の選手と戦ってみたいですね。無論、勝つのは僕たちですが」

 

 喧嘩を売っているのか――と思ったが、この二人は目的は、そもそも喧嘩を売りに来ていたのだと思い直した。

 

「時間を取らせたな。次の機会を楽しみにしている」

 

 達也が吉祥寺に言葉を返す前に、一条はそう告げて、吉祥寺と共に達也の横を通り過ぎる。

 最後まで偉そうな奴だと思ったが、振り返ることをせず、深雪が待つ控室に向かった。

 

「結局、彼らは何をしに来ていたのですか?」

 

 開口一番、深雪は達也に訊ねた。

 

「偵察じゃないか? 意味はないだろうが」

 

 偵察をするとしたら自分ではなく、もっと相応しい相手がいるはずだが。いや、十師族ではないからと高を括っているのだろう。それだけの理由で見下せるほど、秋水(かれ)はただの魔法師ではないのだが。

 

 試合前だ。これ以上、思案するのは止めよう。余計なことに気を取られるのはマイナスでしかない。達也はこの話を終わりにしたかったが、深雪は意味ありげな笑いを漏らした。

 

「宣戦布告、だと思いますよ、お兄様」

「……だとしたら、俺以上の適任がいるはずだが」

 

 妹が何が言いたいのか、分からなくはなかった。喧嘩を売られていると感じていた。

 そもそも喧嘩を売るのであれば、選手で、優勝候補の一人を目されている秋水に売るべきだろう。選手でもない自分を、対等の敵手であると――ライバル視する必要はないはずだ。

 本気でそう思っている兄を見て、妹は深くため息をついた。

 

「……お兄様、ご自分の過小評価はこの場合、戦況の誤認に繋がります。どれだけご自分が注目され、意識されているのか、どれだけ他校がお兄様に――お兄様の技術と戦術に対抗心を燃やしているのか、もう少し客観的に認識なさるべきだと思いますが」

 

 深雪が秋水のことを口に出さないのは、彼と兄とでは役割が違い過ぎるのだ。選手である矢幡秋水と、エンジニアである司波達也。秋水が警戒の対象入っていないとは思っていない。だが、それよりも達也が担当している選手が使用しているCADに目を引かれ、その技術を警戒しているのだ。達也が担当した選手は魔法式の構築が速く、それでいて淀みがない。その原因がCADであることは他校も分かっているはずだ。

 その結果、選手一人よりも、多くの選手に影響を及ぼすエンジニアを警戒する事態が引き起っているのだと――それは達也がやってのけていることだと実感してもらいたかったのだ。

 

 しかし、達也は妹からの遠慮のない諫言に目を白黒させるしかなかった。

 

 ♢ ♢ ♢

 

 午前の競技が終わって、第一高校の天幕は完全なお祭り状態になっていた。

 新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイク三回戦三試合、三勝。

 バトル・ボードでもほのかが決勝に進んでいる。

 一方、男子はというと、秋水を除いた全員が敗退。本来であれば、女子にそれほど見劣りしない戦績を収められるはずのメンバーで揃えた。しかし、気合いが空回りし、些細なミスを連発して敗北。さらに焦りを募らせるという悪循環に陥っていた。

 秋水一人では、男子たちを奮起させることは叶わなかった。本人はそんなつもりは毛頭ないため関係ないところだが、優勝を狙う幹部たちはこの役目を秋水だけで解決するものではないと、男子の不振は感情の面が影響しているのではないかと考え始めていた。

 

「矢幡、お前はこれをどう思う」

 

 克人に呼び出され、天幕の奥で問われる。

 その内容は言わずもがな、男子の成績の不振だ。

 

「やる気の空回りだろうね」

 

 女子の輝かしい戦績に続くように、と意気込んでいた彼らに振って落ちてきたのは『勝てない』という現実だ。

 

「原因はエンジニア以外にもある、か」

 

 克人の呟きは達也を意識したものだろう。ずば抜けた技術によって、新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイクの決勝は第一高校の選手で独占している。

 選手の技術だけでは埋まらないものがあるのは克人たちは強く感じていた。

 だが、一年男子の成績の不振はエンジニアの違いでどうこうできるものではない。

 

「これはもうどうしようもないと思うよ。今年の九校戦はどう転んでも新人戦男子の成績は振るわないでしょ」

 

 バッサリと切り捨てる。

 フォローをしたところでどうにかなるものじゃない。一度嵌まった悪循環から抜け出すには大きなきっかけがないと難しい。

 

「ウチが一条さんに勝てば多少はマシになると思うけど……」

「……厳しいか」

「そこまでは期待できないでしょ。それこそ重荷になりかねない」

 

 過度な期待は重荷になる。

 決勝で一条に勝ったとしても、それが彼らを鼓舞できるかと聞かれれば怪しいところだ。

 

「もういい? 控え室に行きたいんだけど」

「ああ。時間を取らせたな」

 

 いたずらに時間を消費する暇はない。決勝に備えて準備をしなければならない。

 

「矢幡」

 

 天幕から出ようとしたところで声を掛けられ、足を止める。

 

「勝てるか?」

 

 彼がこんな質問をするとは思わなかった。当然のことだが、ただの魔法師が十師族に勝てるとは思えない。

 

 秋水が『ただの魔法師』という枠組みに入るのであれば。

 

「――勝つよ」

 

 相手が十師族だろうと関係ない。勝つと決めたからには勝つ。

 いくつもある手札をひとつ見せるだけだ。それだけでモノリス・コードに支障が出ることはない。

 振り向くこともせずに言葉だけを返した秋水は天幕を出ていった。



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強者に挑むとは

 新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイクの決勝リーグは第一高校の選手三人が独占。

 故に、大会委員会から提案が出されていた。

 それは、三人を同率優勝という扱いにしないか、というもの。決勝リーグの結果がどうなろうがポイントが変わることはない――というのは建前で、本音は自分たちが楽をしたいということだ。

 

 真由美は選手三人と、この三人のエンジニアの担当である達也を呼び出して、この提案の話を出した。

 一人は三回戦が激闘だったためかコンディションが優れておらず、これ以上の試合は避けた方がいい状態だった。本人も自覚しており、決勝リーグは辞退し、三位という位置に甘んじるつもりだったようだ。

 残った二人。

 

「私は……戦いたい、と思います。

 深雪と本気で競える機会なんて、この先何回あるか……正直、分かりません。だから、私はこのチャンスを逃したくないです」

 

 雫は、深雪との決闘を求めた。

 

「深雪さんはどうしたいですか?」

 

 真由美は視線を深雪へと移す。

 雫との決闘に応じるか、否か。

 

「北山さんが私との試合を望むのであれば、私の方にそれをお断りする理由はありません」

 

 深雪がこれに応じたことにより、新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイク決勝戦が執り行われることになった。

 

 ♢ ♢ ♢

 

 新人戦男子アイス・ピラーズ・ブレイクの決勝リーグ一回戦を即行で終わらせた秋水は、関係者用の観戦席に向かう。

 観戦する試合はもちろん、新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイク決勝戦。

 他の競技とわざわざ時間をずらして行われるこの試合を見逃すわけにはいかなかった。

 席はほぼ満席。だというのに未だに会場に来る人々の足は止まる気配を知らない。それだけこの試合に注目が集まっているのだろう。

 

「お前も見に来たんだな」

「矢幡くん、こっちこっち」

「真由美の隣が空いているぞ」

 

 関係者用観戦席の最後列の席に座っている達也から声がかかる。

 達也を挟むようにして座っている真由美と摩利からも手招きされ、言われるがままに真由美の隣の席に座る。

 

「調整はもういいのか?」

 

 優勝へと王手をかけた秋水は、この試合が終わればすぐに決勝戦へと出なければならない。今はCADの最終調整のために控え室にいるのがベターなはずだ。

 

「大丈夫」

 

 一言だけ返した秋水は、ステージに上がった二人を見据える。

 客席は水を打ったように静まり、会場を包むのは静寂のみとなった。

 深雪は髪を縛っておらず、雫は襷をかけていない。

 それは、何者にも縛られず、己の思うがままに戦う意志の表れか。

 決勝戦だけを行う経緯は知らない。だが、二人の顔を見れば何となく理由が分かる。

 深雪も薄情な人間ではない。雫が自分との決闘を望んでいるのなら、それを拒否するとは考えられない。この決勝戦は雫が深雪との決闘を望んで出来たものだろう。

 

(司波さんという規格外に挑もうとするその意志……どれほどのものか)

 

 雫が深雪との勝負を望むその気持ち。

 秋水には理解できないものだ。何故、自身よりも強大である敵に自ら望んで立ち向かうのか。試合を観ることで、その問いに答えを得られるかもしれない。そう思ったからここにいる。

 

 始まりの予告となるライトが灯る。

 その灯りが色を変える。

 その瞬間、同時に、魔法が撃ち出された。

 

 熱波が雫の陣地を襲う。

 氷柱はしぶとく耐えている。

 エリア全域を燃やし尽くさんとする炎は、氷柱の温度改変をさせまいとする『情報強化』によって、抵抗されていた。

 

 地鳴りが深雪の陣地を襲う。

 しかしながら、その振動が共振を呼ぶことはなかった。

 エリア全域の振動と運動を抑える力が、地表・地下にも影響を与えていたのだ。

 

 お互いの攻撃に対し、対応策を講じ、そのうえで敵に打撃を与えようとするその姿は、とても玄人受けする互角の攻防のように見える。

 

(さて、ここからどうする? このままだとジリ貧だよ、北山さん)

 

 この状況では、互角とは言い難い。このままでは雫は負ける。

 『情報強化』は、魔法による対象物の情報書き換えを阻止するもの。物理的なエネルギーに変換された魔法の影響までは排除できない。

 氷柱が直接受ける熱波は防げても、それによって加熱された空気により氷柱が融け出すのは時間の問題だ。

 左腕を右の袖口に突っ込んだ雫。引き抜いた手に握られていたのは、拳銃形態の特化型CAD。そして、彼女は銃口を敵陣最前列の氷柱に向けて引き金を引いた。

 

 ここで繰り出された奥の手に秋水は目を見開いた。

 

(文字通りの全力……か。勝ちに行くつもりなんだね)

 

 複数のCADを同時操作するのは、難度が高い。

 特に混信させずに別種の魔法を発動させるとなるとその難度はさらに跳ね上がる。

 同種の魔法であれば混信による干渉波は起こらないらしいが。

 

(二つのCADの同時操作!? 雫、あなたそれを会得したの?)

 

 深雪の心に動揺が走る。

 その証拠に、一瞬、彼女の魔法が止まった。魔法の継続処理が中断する。

 サイオン信号波の混信を起こすことなく、二つ目のCADで起動処理を完了させた雫は、そこに新たな魔法を放つ。

 

「『フォノンメーザー』っ?」

 

 真由美が悲鳴のようなものを上げた。

 振動系魔法『フォノンメーザー』。超音波の振動数を上げ、量子化して熱線とする高等魔法。

 深雪の陣地、最前列の氷柱から白い蒸気が上がっている。

 今までの試合で一度も変化することのなかった深雪の氷柱が、初めてまともにダメージを受けた。

 しかし、深雪の動揺はほんの一瞬。雫が新しい魔法を繰り出したのに合わせて、深雪も魔法を切り替えた。

 深雪の陣地が瞬く間に白い霧で覆われる。その霧はゆっくりと雫の陣地へと押し寄せていく。

 

「『ニブルヘイム』だと……?」

 

 呻き声が、摩利の口から漏れた。

 広域冷却魔法『ニブルヘイム』。領域内の物質を比熱、(フェーズ)に関わらず均質に冷却する魔法。

 液体窒素すらも凍らせる霧は雫の陣地を通り過ぎ、フィールドの端で消えた。

 

(ここまでだね、北山さん)

 

 ここから雫が勝てるビジョンは見えない。

 『情報強化』の干渉力を上げたところで、それは意味をなさない。

 『ニブルヘイム』を解除した深雪は、再び『氷炎地獄(インフェルノ)』を発動した。氷柱にびっしりと付着した液体窒素の滴が、冷却効果を上回る急激な加熱によって一気に気化した。

 轟音を立てて、雫の氷柱が一斉に倒れた。

 蒸気爆発によって氷柱は粉々に弾けており、爆発の激しさを物語っている。

 一拍遅れて、試合終了が告げられた。

 

「強者に挑む意味、か……」

 

 小さく呟いた秋水は席を立つ。

 

「矢幡。次は、お前の番だな」

「そうだね。

 いいものを観させてもらったよ。お礼として、決勝戦で面白いものを見せてあげよう」

 

 何かを決意したような顔で告げる秋水を見て、達也は「楽しみにしておく」とだけ言った。



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埒外の力

 新人戦男子アイス・ピラーズ・ブレイク決勝戦。

 秋水は正面にいる一条を見据えながらも、彼の思考は決勝戦のことでも、一条のことでもない。

 自分が「一条に勝つ」という決断をした理由について考えていた。

 

 過去の自分ならどういう反応をするのか。

 酷く驚くだろう。もしかしたら、発狂するかもしれない。

 自分らしくない、というのは秋水自身がよく分かっている。

 その原因が、深雪と雫の一戦であったことも理解している。

 

 あの一戦、とても美しいと感じた。

 己の信念を以て強者に挑むという行為が、目を背けたくなるほど美しいものだとは感じたことがなかった。

 ただ馬鹿正直に挑むだけで、意味なんてひとつもないものだと。

 あの一戦で秋水は見てしまった。人が美しいものに見惚れるように。人の中に、輝かしい宝石があることを。

 だが、それを知るのはあまりにも遅すぎた。血に塗れた手で触れれば、宝石は穢れ、価値を失う。

 

(……巫女さんに伝えたらなんて言うんだろうね)

 

 驚くだろうか。彼女の驚く顔は見たことがないから、ぜひとも見てみたいものだ。

 

 ♢ ♢ ♢

 

「お兄様はどちらが勝つと思われますか?」

 

 深雪は隣に座っている達也に尋ねる。

 秋水の試合は深雪も観戦している。彼の魔法力は、確かに神童と呼ばれるに相応しい実力だと思っている。だが、アイス・ピラーズ・ブレイクではどうしても一条に軍配が上がる。

 一条の魔法『爆裂』はアイス・ピラーズ・ブレイクとあまりにも相性が良い。

 九校戦では殺傷性ランクB以上に指定されている魔法、または同等の殺傷力を持つ魔法の使用は禁じられている。

 『爆裂』は殺傷性Aランクに位置づけられている発散系の魔法だ。本来なら使用はできないのだが、スピード・シューティングとアイス・ピラーズ・ブレイク、この二つの競技は殺傷力の規制を掛けられていない。

 アイス・ピラーズ・ブレイクと相性がいいのは『爆裂』という魔法が対象内部の液体を瞬時に気化させることにある。氷柱の水分を一瞬で気化させてしまえば、水蒸気爆発が起こる。一瞬で勝負を着けることできる魔法だと言ってもいい。

 魔法力では互角──いや、一条の方が少し上だろう。十師族としての教養に加えて、彼は実戦経験を既に積んでいる。

 

「一条の『爆裂』は確かに強力だ。ピラーズ・ブレイクにおいては敵がいないと言い切れるほどだ」

「ですが……それだけで一条さんが勝つとは言い切れない、と?」

 

 神妙な面持ちで頷く。

 秋水と一条の魔法力だけで二人を比較することはできる。だが、秋水が持つ魔法のような『何か』が分からない。

 だが、それでも分かることはある。

 

「ああ。間違いなく、矢幡には隠し玉がある」

「隠し玉、ですか?」

「しかも、俺たちに見せても問題がないんだろう」

 

 そう。秋水は力を隠している。

 恐らく、自分と同じように周りには見せられないものだろう。

 違いがあるとすれば、彼には本来の力を伏せたままでも切れる手札が多い故に、秘密が誰かに知られることもないということ。

 羨ましい限りだ。立場上、多くの敵を抱えることになりかねない達也からすれば、秋水のように自ら戦場の前線に出たとしても、自分が何者なのか露見する可能性を限りなく抑えることができるからだ。

 

「私たちに見せても平気……ということは」

「……矢幡は敵に回したくないものだな」

 

 その力は一条の『爆裂』を超え得るものだ。

 これから、それを見ることになる。

 この一戦で彼を見極める必要があると、達也は思っていた。

 

 ♢ ♢ ♢

 

 一条は相対している秋水を見やる。

 懇親会で初めて彼を見た時は、背筋に悪寒が走った。

 関わってはならない、と警鐘が鳴っていた。

 彼がアイス・ピラーズ・ブレイクでその強さを見せるたびに、警鐘は激しく鳴り響いた。

 気になって調べてみれば、彼は八幡家の生き残りだという。

 数字落ち(エクストラ・ナンバーズ)は様々な理由で数字が剥奪されているのだが、非人道的な研究も、何もしていない家がたった一夜にして息子を一人残して滅ぶという結末を辿っている。

 一条は同情することしかできない。友人の両親を救うことができなかった苦い過去を持っているが、自分を残して家族が皆死ぬなどということが起きたら、自分はどうなってしまうのだろうかとも考える。

 

(……分かりきっている。俺は家族の喪失に耐えられないだろう)

 

 目の前にいる彼のようにはなれないだろう。

 考えただけでもゾッとする話だ。

 

(だが、もうすぐ試合だというのにそんなことを考えてる暇はないな)

 

 彼には悪いが、過去に同情はしてもこの大会の勝ちを譲ってやる気は微塵もない。自分には関係のないことだ。

 今年は第三高校(おれたち)が優勝する。

 その覚悟を、一条は胸に抱いていた。

 

 ポールが赤く光る。

 

(……なんだ……!?)

 

 異様な空気が一条を包み込む。

 確認すべき相手はもちろん秋水だ。

 体全体がピリピリと静電気を受けているように錯覚し、脳が目の前にいる少年の警戒度を最大まで引き上げている。

 目の前にいる少年はいたって平然としている。穏やかな表情で笑みまで浮かべているのだ。

 

 灯りが黄色へと変わる。

 思考を切り替える。別に殺し合いを行うわけではないのだ。

 試合開始と同時に相手側の氷柱全てに爆裂を撃ち込めばいい。それだけで試合は決着となる。

 真紅の銃形態CADを強く握り込む。

 今までの試合と変わらない。そう自分に言い聞かせて、一条は落ち着きを取り戻す。

 

 灯りが、試合開始を告げる青色に変わった瞬間、一条は迷うことなく己の得意魔法である爆裂を容赦なく撃ち込んだ。

 

 魔法式は敵陣の氷柱全てに照射され、爆裂は間違いなく発動した──はずだった。

 

(領域干渉!? いや、これは……!?)

 

 爆裂が発動しない。

 一条の顔は驚愕へと変わった。

 魔法力で負けているはずがない。彼の試合を観てきたが、魔法力では自分の方が勝っているはずだ。

 それよりも気になるのは、爆裂を防いだ魔法は、本当に魔法なのかということだ。感覚が研ぎ澄まされているからか、彼が使ってきたのが自分の知る魔法ではないと感じた。

 

(考えるのは後だ! 今は……!)

 

 思考を振り払い、一度防御に専念しようとしたところで、自陣の氷柱に変化が訪れた。

 

(何が……起きてる……?)

 

 目の前で起きている事象に、一条の頭には「理解不能」の四文字が浮かびあがっていた。

 それもそのはず、一条側の氷柱が「燃え上がっている」のだ。

 すると、轟音をあげて氷柱は破裂した。

 氷柱は熱によって溶かされ、中にある気泡が熱によって膨張。耐えきれなくなり、崩壊したのだ。

 対抗魔法は効かなかった。

 

 いや、そもそもあれは──魔法なのか?

 

 一条のように自分の力を正しく理解している魔法師はそう思うだろう。

 あれは魔法師(じぶん)たちがよく知っている魔法なのか、と。

 

 ♢ ♢ ♢

 

「……お兄様、今のは」

「ああ……あいつの隠し玉だろう」

 

 一条は秋水の隠し玉に抗うことも出来ずに敗北した。それだけ、隠し玉が強力であると同時に『異物』であることの証だった。

 

(面白いものなんかじゃないぞ……)

 

 悩みの種でしかないと言ってやりたいが、どうしようもない。

 分かりやすく「魔法ではない」とアピールしているが、ほとんどの魔法師は魔法だと思っているだろう。

 だが、十師族などの実力のある魔法師は勘づくだろう。

 秋水の力を欲して、十師族、国内の犯罪組織──さらには他国の干渉が懸念される。そうなると、国防軍も動くことになるだろう。

 

「まさに埒外の力だな」

 

 達也の眼は秋水の力を正しく認識していた。

 あれはこの世にあっていいものではない。魔法の常識が通用せず、十師族をも超えるその力は紛れもなく『埒外』。

 

(……何があっても、深雪は俺が守る)



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悪意の獣は雛を踏み潰す

丸々1年、投稿できず申し訳ありませんでした。
事情により、時間を取ることが難しく状況が落ち着くまで時間がかかってしまいました。

時間の確保もできるようになってきましたので、執筆を再開していきます。
稚拙な作品ですが、これからもよろしくお願いします。

また、入学編「出会い」を一部分編集しました。


 新人戦四日目。

 今日は、九校戦のメイン競技とも言えるモノリス・コードの予選リーグが行われる日だが、観客の関心は花形競技ミラージ・バットに集まっていた。

 男が戦い合うより、派手なコスチュームで空を舞う少女たちの方が華やかに見えるのは間違いない。ミラージ・バットの会場は常に人で埋め尽くされているところだろう。

 

(……何も起こらなければいいんだけど)

 

 今までの試合を鑑みても、妨害の対象が第一高校であるのは間違いない。その目的は不明だが、妨害の可能性を常に孕んでいるというのは、秋水にとって懸念点であり、何とかしたいという気持ちがある。

 とはいえ、秋水はモノリス・コードの選手だ。どれだけ早くモノリス・コードの試合を終わらせたとしても、ミラージ・バットの予選の様子を見ることは難しい。だが、達也がミラージ・バットのエンジニアを担当しているため、あまり気にする必要はないかもしれない。

 

(今は、モノリス・コードに集中しよう)

 

 モノリス・コードは三対三のチーム戦だ。相手チームを全員戦闘不能にするか、モノリスと呼ばれる板状の物質を二つに割り、中に隠されているコードを送信することで勝敗を決める。モノリスを割るためには無系統の専用魔法式を撃ち込む必要がある。

 第一高校のオフェンスは森崎。五十嵐は森崎が戦いやすいようにサポートし、モノリスを守る役目は秋水が担う。

 先日のアイス・ピラーズ・ブレイクの結果を得て、作戦スタッフからは秋水をアタッカーに据える提案があったが、秋水はそれを拒否した。作戦を大幅に、しかも直前に変えるとなると森崎と五十嵐に大きなプレッシャーを与えかねない。既に今のポジションでの連携、作戦を確立していた秋水たちからすれば余計なお世話だった。

 試合開始の合図と共に森崎と五十嵐の二人が駆け出す。

 作戦は綿密に組んでいるわけではないが、臨機応変に対応できるように様々なシチュエーションを想定して動く練習はしている。

 駆け出した二人の動きに、ぎこちなさは見受けられなかった。

 

(初戦だけど……これなら問題は無さそうかな)

 

 心配する必要は無いだろう。

 初戦の相手高校は森崎たちから戦闘不能にしようとしたようだが、二人は練習期間でみっちり秋水に鍛えられている。

 教えるのは苦手としている自覚があったのだが、元々一科生で入学している二人だ。自分なりに考え、理解することはできる。秋水のアドバイスを基に立ち回りなどを改善している。

 白兵戦の実力がアップしているのは間違いない。

 問題なく返り討ちにし、秋水の出番は一度もなく、初戦を白星で飾ることができた。

 

 ♢ ♢ ♢

 

 初戦から少し間が空き、正午を前にしたところで二試合目が始まる。

 相手はここまで最下位の第四高校だ。

 アイス・ピラーズ・ブレイクで十師族を圧倒した秋水がいることから、ここで負けることはないだろうと第一高校の生徒たちはそう思っている。

 会場で二試合目の観戦をする雫たちも、そう信じて疑っていない。

 

(……でも何だろう。この胸騒ぎは)

 

 二試合目のフィールドである市街地には重苦しい雰囲気で包まれているように見えた。廃ビルで構成されているから、廃れているというマイナスの印象がそう思わせているだけかもしれないと考えたが、それでも受け入れがたい何かが雫の胸中を渦巻いていた。

 そんな雫の心配を無視して、試合開始の時間が迫ってきていた。

 そうして、試合開始の合図が鳴ろうとした瞬間──

 

 秋水たちがいる廃ビルが轟音を上げて崩れていった。

 

「矢幡さん!!」

 

 モニターに映し出された惨状に、雫は声を張り上げた。

 市街地フィールドは会場から離れているため、試合の様子を中継するライブカメラがフィールドに多数存在している。

 秋水たちを間近で映していたライブカメラの映像は途切れ、雫たちが見ているモニターには崩れた廃ビルを映すばかり。これでは秋水たちの安否が分からない。

 

「雫、戻りましょう」

 

 情報を得るのであれば、各校の本部が設置されている天幕に戻るのが一番だ。

 深雪の言葉に頷いた雫は、急いで第一高校の天幕へと戻る。

 会場全体が動揺に包まれている。

 それは第一高校の天幕も当然であった。むしろ、生徒が廃ビルの崩壊に巻き込まれたこともあり、どの高校よりも動揺の色は濃いと見ていい。

 

「会長、状況はどうなっていますか?」

「二人とも、戻ったのね。

 ……状況はモニターが映し出している通りです」

 

 真由美に諭され、モニターに視線を移すと大会委員の救助隊が廃ビルに乗り込んでいる様子が映し出されていた。

 すると、瓦礫を押しのけて自力で抜け出した秋水の姿が見つかった。

 外見からでは負傷している様子は見受けられないが、自力で動けるほどの姿を見せてくれたことで、雫は少し安堵していた。

 他二人の救助に時間はかからなかった。

 一通りの指示を出し終えた真由美は、一人病院へと向かおうとしていた。

 

「あの、私も一緒に行っていいですか」

 

 真由美にそう申し出たのは雫だった。

 少し目を丸くした真由美だったが、森崎たちが目を覚ました時に知り合いの一人でもいた方が気が楽だろうと捉え、同行を許可した。

 深雪はミラージ・バットの決勝に備えて、休憩を取っている達也が戻ってくるのを待つことにした。

 病院へと向かった二人は、すぐさま秋水のところに案内された。

 案内された先には、椅子に座っている秋水の姿が見えた。

 

「矢幡さん……!」

「無事だったのね、良かったわ……」

「なまじ体が頑丈だったのが功を奏したみたい。二人はまだ治療中だよ」

 

 確かに外見からは怪我をしているようには見えない。

 怪我をしているのであれば、こうして座って話してはいないだろう。

 

「……矢幡くん、ビルが崩壊したのは」

「一高の優勝が許せない連中の仕業だね」

「やっぱり、四高の選手が……」

「いや、四高は利用された側だろうね。一高の選手を潰すために」

 

 何も知らない人間からしたら、この妨害は第四高校がしたもののように見えるはずだ。

 実際、第四高校の選手たちから悪意は感じなかった。

 達也は大会委員に工作員がいるだろうと言っていた。今回も、それで間違いないだろう。

 事は悪い方向に進みつつある。今回は運良く生きているが、妨害してきている者はなりふり構っていられなくなっているのだろう。下手をすれば誰かが死んでいた。

 

「つまり、この妨害は、それぞれの高校が仕組んでいるんじゃなくて──」

「別の何かが動いていることになる、ということ。被害が出た試合の『事故』の起き方を洗い出しても、不自然なものばかり。

 どこの誰がそんなことをしているのか、どうしてこんなことをしているのかはウチには分からない」

 

 無頭竜が絡んでるとなると、やたらなことは言えない。

 ここは知らないフリをするしかないだろう。

 

(……実行犯に直接問い詰めるしか、方法はないかな)

 

 後処理は軍や大会委員の誰かにでも任せればいいだろう。

 実行犯には当たりを付けている。

 

「犯人が分からない現状では、ウチたちは常に後手を取らなきゃいけない。何とかしたい気持ちは分かるけど、今は耐えるしかないね」

「森崎くんと五十嵐くんは?」

「二人は今、治療中だね。いくら軍用の防護服(プロテクション・スーツ)を身に着けたところで、あのコンクリートの塊を耐えしのげるほど人間は頑丈じゃない。

 ……ウチは防御が間に合ったけどね。二人の分までは回せなかった」

 

 身に着けていたヘルメットと立会人が加重軽減の魔法を発動したのは感じていた。しばらくは安静にしていなければならないだろうが、死ぬことはない。

 

「……本部は今どんな状況?」

「十文字くんが大会委員会本部と折衝中よ。そこで四高のCADを借りられたら……って考えてたんだけど」

「まあ、借りたところで、確たる証拠は得られないだろうね」

 

 バトル・ボードで衝突事故を起こした第七高校からは何も得られなかった。今回も、成果は何一つ得られないだろう。

 重苦しい雰囲気となっていたところに、森崎たちの治療を行っていた医者が来た。

 医者からは、二人の怪我の具合は酷く、魔法治療を以てしても全治二週間の大怪我。三日間はベッドの上で絶対安静にしなければならないと告げられた。

 これで、第一高校がモノリス・コードを続けるにしても、秋水一人で臨むことになる。

 

(……やってくれたね、本当に)

 

 これ以上、状況をかき回されては困る。

 灸を据えてやる必要がある。

 

 ♢ ♢ ♢

 

「それで、当の本人がこんな時間になっても姿を見せなかった理由を教えてもらおうか」

 

 モノリス・コードでの事故に見せかけた妨害が発生した夜。

 達也は秋水を問い詰めていた。

 

「いやあ、面目ない。ちょっと、やっておかなきゃいけないことがあってね」

 

 申し訳なさそうに言ってはいるが、ちっとも申し訳なさそうに聞こえると、流石の達也も嫌そうな顔をした。

 

「ほんとごめんって。本当にやっておかなきゃいけないことだったから」

「それで、やったことはなんだ? 逃げるのは無しだからな」

 

 百歩譲って、日を跨ぎかけようとするところまでホテルに戻ってこなかったのは許すにしても、その理由を聞き出すまでは逃がしはしないといった顔だ。

 この話に同席している深雪と雫も、秋水のことを射抜かんとするほどの視線を向けている。

 手早く済ませるべきだったかと心の中で苦笑する秋水は、逃げられないことを悟り、口を開く。

 

「運営が設定したフィールドの調査をね」

「調査?」

 

 深雪と雫が首を捻る。

 モノリス・コードで使われるフィールドは抽選で決められるが、どのようなフィールドが使われるかは通告されているが、現地調査は許されていない。

 

「大会委員や俺たちにバレないように、現地調査したのか」

「そう。何か仕掛けがないかと思ってね。まあ、無駄足だったけど」

 

 昼間に起きた妨害──秋水たちがいた廃ビルを崩壊させた魔法『破城槌』は、事前に仕掛けられたものだと、気づいた秋水は他のフィールドに同じようなものが仕掛けられていないか調べに出ていた。

 だが、調べた限りではそのような痕跡は見られなかった。

 

「無駄足、ということは今回の事件も、やはり仕組まれたものか」

「そうだね。市街地フィールドが出るように仕組まれたんだろうね。観客や選手たちには抽選だと伝えられているから、大会委員に工作員がいるとするならいくらでも仕組める」

 

 行動力があるのは喜ばしいことだが、あり過ぎるのも困りものだと達也はため息をついた。

 

「会長たちから話は聞いている。モノリス・コードに出ろ、とな」

「それで、その話には頷いたの?」

「退けないところまで追い詰められたからな。それで、どうして俺を選んだのか、理由を聞きたい」

 

 達也は同日、ミラージ・バットの方を担当し、無事に一位と二位を独占。

 ミラージ・バットの決勝は夜に行われることもあり、第一高校の幹部からモノリス・コードに出ろとの話を受けたのは、三時間ほど前のことだった。

 事が事だからと、委員会側は試合のスケジュールの調整、人員の補充などを例外的に認め、第一高校を棄権にすることはしなかった。

 第一高校側は新人戦の優勝を狙うことを決めていた。軽い傷すら見受けられない秋水は続投するにしても、他二人をどうするか悩んでいた。

 当の本人はいつの間にか姿を消していた。どこに行ったのかと心配していたが連絡を取ることができた雫を伝手に、本人から要望を聞いた。

 

『司波さんを起用できるならしてほしいかな。他の一年で実力をそれなりに知っているのは彼だけだから』

 

 エンジニアとして選抜された生徒を選手として起用する。

 その発想には一部の幹部が驚いたものの、今更例外が増えたところで何も変わらないと判断した克人はミラージ・バットでの一仕事を終えた達也を呼び出し、そして今に至る。

 

「会頭からは、実力を知っていると聞いたが」

「概ねその通り。風紀委員での活躍は聞いてたし、実際に見てたからね。他の選手は見てないから、少しでも動きを知っていて信頼に足る人物を挙げるとするなら、司波さんしかいなかったんだ」

 

 秋水との関わりは雫たちよりもないはずだが。

 

「嫌なら断ってもらって良いからね。最悪一人で何とかするよ」

「もう受けた話だ。今更断る方が印象を悪くするだろう。矢幡がそこまで言うとは思わなかったが……まあいい。その期待には応えよう。

 残りの一人は俺が決めたが、文句はないな?」

「無いよ。分かっていて姿を消したわけなんだから、贅沢は言わない」

 

 残り一人に指名されたのは幹比古だった。

 レオの線も考えたそうだが、幹比古が持つ古式魔法に軍配が上がったとのことだ。

 

「矢幡はディフェンスを頼む」

「了解、ちゃんと守るよ。オフェンスは司波さんがやるのかい?」

「ああ。幹比古には遊撃を頼んである。俺もお前がどういう魔法を得意としているかは知らないからな」

 

 次の試合まで時間がない。

 得体の知れない隠し玉を持つ秋水よりも、どのような手を使うのかある程度想定できる幹比古の方が、予測からはみ出ることは少ない。

 なら、最初からディフェンスに置かれている秋水はそのままにした方がいいだろうと達也は判断した。

 その結果、また悪目立ちするのは避けられなくなってしまったのだが。



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