疾れイグニース! (阿弥陀乃トンマージ)
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第一章
第0レース 晴れ舞台


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 『さあ大欅を抜け、18頭が最終コーナーに差し掛かる! 竜群が固まっている! 先頭の――やや苦しいか、前目につけていた――がここで仕掛けるか! それとも、おっと、中団後方のグレンノイグニースがここで外に出てきた! 大胆に行ったぞ、紅蓮炎仁(ぐれんえんじん)!』

 

 

 

 二十万人もの大観衆が詰めかけた『東京レース場』。この日のメイン、第11レースはいよいよ佳境である。最終コーナーから直線に入ろうというその時、紅色の竜体をしたやや小柄なドラゴンが大きく動き、スタンドの観衆のどよめきを誘う。数多の視線がそのドラゴンと、それに跨る赤地にさらに赤い炎の模様を重ねるという、見ているだけでも火傷しそうなデザインの勝負服を着た騎手に一斉に注がれる。

 

 スタンドの観衆はそれぞれ歓声、嬌声、怒声を上げる。すっかり興奮のるつぼである。それも無理はない。何故ならばこのレースは『第100回ジパングダービー』……。このジパング国の『競竜』――この競技発祥の地の言葉を借りるならば『ドラゴンレーシング』――に関わる全ての人々が夢見るレース。この大事なレース、ダービーを制覇するという最高の栄誉に浴するのは誰なのか。18頭の竜体色鮮やかなドラゴンたちがこれまた色とりどりの勝負服を身に纏った騎手たちを背に乗せて、翼を広げてターフを駆け抜けていく。

 

 レースはスタンド前にさしかかろうとしている。観衆の興奮と喧噪は大きな地鳴りとなって、レースを駆ける騎手たちにも嫌でも伝わってくる。それでいて紅のドラゴンに跨った騎手の頭は不思議なほど冷静だった。ピンク色のヘルメットから覗く赤茶色の髪、ゴーグルで隠れているため、はっきりとは伺いしれないが、まだどことなく少年のようなあどけなさを残した顔立ちをした若い騎手は見つけ出していた、勝利への道筋を。

 

 絶え間なく変化するレースの状況にも冷静に適応し、絶好の位置につけることが出来た。ドラゴンの轡に繋がっている手綱の手応えは十分。まだスタミナも残っている。内側はやや他のドラゴンがひしめいているが、外側には自分たちしかいない。前方の視界はこれ以上無いほど開けている。残り500mを切った、ここからこの東京レース場は高低差4m、距離220mもの長い坂がある。ドラゴンたちのタフネスぶりが試される場面だ。若い騎手は紅のドラゴンの体に一発ムチを入れる。ドラゴンの筋肉がピクリと動き、スピードが一段と上がる。騎手はすかさず手綱をさばく。それを合図にドラゴンは翼を広げ、坂道を一気に駆け上がろうとする。良い手応えだ。若い騎手はもう一度ドラゴンの体にムチを入れて声高に叫ぶ。その叫びはスタンドの大歓声にもかき消されることなく、そのドラゴンに確実に響いた。

 

 

 

(はし)れ! イグニース!』

 

 

 

 これは紅蓮炎仁という青年とその相棒のドラゴン、グレンノイグニース号の物語である。



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第1レース(1)連帯保証人だけはやめとけ

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「いいからさっさとそこをどけよ!」

 

 中年男性の怒鳴り声が響く。大人たちに取り囲まれている、赤茶色の髪でブレザー姿のやや小柄な体格の少年は一瞬ビクッとするも、負けじと言い返す。

 

「いいえ、どきません!」

 

 少年は両手を目一杯に広げて、車両や人が敷地内に入ってくるのを防ごうとする。

 

「ちょっと君さあ、さっきから何なの?」

 

 怒鳴った男性とは別の男性が呆れた顔で少年を見る。

 

「お、俺はこの牧場の関係者です!」

 

 少年の斜め後ろにある錆びれた門には古びた銘版がついている。そこには『紅蓮牧場』という文字が記されている。少年を取り囲む大人たちの一人が首を傾げる。

 

「関係者?」

 

「そうです!」

 

「名前は?」

 

「紅蓮炎仁です!」

 

 炎仁という名前を聞いて、大人たちがハッとする。

 

「もしかして、紅蓮社長の……」

 

「はい! 紅蓮炎太郎の孫です!」

 

「あ、そう……この度はご愁傷さまです……」

 

「謹んでお悔やみ申し上げます……」

 

 炎仁の言葉に大人たちは一応かしこまって、弔意を述べる。そう、炎仁の祖父で、この牧場を経営していた紅蓮炎太郎はつい先日亡くなったばかりである。

 

「ご丁寧に恐れ入ります!」

 

 炎仁は弔意に対し、元気よく返答する。言葉選びは無難だが、ふさわしい態度とは言い難い。大人たちはそんな炎仁に戸惑いながらも話を再開する。

 

「まだ喪も明けていないところ申し訳ないけど、何しろ突然のことだったからね……約束は約束だから、この牧場、俺たちで差し押さえさせてもらうよ」

 

「待って下さい!」

 

「いや、待てないよ。こっちもビジネスだからね……」

 

 大人たちが炎仁の脇をすり抜け、閉ざされた門を開けようとする。炎仁が慌てて止める。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「だから待てないって」

 

「何故そんなことをするんです!」

 

「いや、何故って……」

 

「じいさんが返すもんを返してくれなかったからだよ」

 

「返すもん……お金ですね⁉」

 

「ああ、そうだよ」

 

「ならばその支払い、もうちょっと待って下さい!」

 

「は?」

 

 大人たちは不思議そうな顔で炎仁を見つめる。

 

「その支払い、連帯保証人の俺が必ず払います!」

 

「連帯保証人……?」

 

「はい、皆さんと交わした書類に俺の名前があるはずです!」

 

 炎仁の言葉を受け、大人たちはそれぞれ鞄から書類を取り出し、確認する。

 

「あ、マジだ……紅蓮炎仁って名前がある……」

 

「あのじいさん、よりにもよって自分の孫を保証人にしたのかよ……」

 

 大人たちは困惑した表情を浮かべる。

 

「俺には支払いの意志があります! ですから牧場の差し押さえは無効です!」

 

「……君、いくつよ?」

 

「15歳、中学三年生です!」

 

「おい、さっさと門開けろ」

 

 大人たちの一人が門に手をかけていた男に声を掛ける。炎仁が慌てる。

 

「ちょ、ちょっと⁉ どうしてそうなるんですか⁉」

 

「ガキじゃねえかよ、支払い能力がねえだろ!」

 

「来年から高校です! アルバイトも出来ます!」

 

「高校生のバイト代でどうにかなるような金額じゃねえんだよ!」

 

「ええっ⁉」

 

「なにがええっ⁉だよ! こっちが驚きだわ!」

 

「……開いたぞ」

 

 門が開かれる。大人たちが話し合いを始める。

 

「さて、どうする?」

 

「埼玉の山中だが、都心からのアクセスは案外悪くねえ……いっぺん更地にしてしまって、キャンプ場でも作るのが良いんじゃねえか」

 

「さ、更地⁉ キャンプ場⁉」

 

 炎仁は仰天する。大人たちはそんな炎仁のことなど気にも留めず、話し合いを続ける。

 

「地図を見る限り、結構広い土地みたいだぜ」

 

「車で回ってざっと確認してみようや」

 

 大人たちが自分たちの車に戻ろうとする。

 

「だから、待って下さい!」

 

 炎仁が大声を上げ、門を閉め、再びその前に両手を広げて立つ。

 

「はあ……おい!」

 

「うっす……」

 

 一人の大人が声をかけると、大柄な男性が車から降りてきて、炎仁に近づく。

 

「なっ、デ、デカ⁉」

 

「このガキを〆ちまえばいいんすか?」

 

「馬鹿か、暴力は不味いだろ。ちょっと首根っこ抑えておけ」

 

「分かったっす……よっと」

 

「どわっ! な、なにを!」

 

 大柄な男性は文字通り炎仁の首根っこを掴み、片手であっさりと持ち上げる。

 

「これでいいすか?」

 

「ああ、しばらくそうしておけ」

 

 門が再び開かれ、大人たちが車で牧場内に入ろうとする。宙に吊るされたような状態になった炎仁は手足をバタバタさせながら、さきほどよりも大きな声で叫ぶ。

 

「こ、この牧場はじいちゃんが大切にしていたものなんだ! 勝手なことは許さねえ!」

 

「お前の許可はもはや必要としてねえんだよ!」

 

 大人の一人が車の運転席から叫び返す。

 

「ぐっ……」

 

「なんだ、その目は? 恨むなら返済義務を果たさなかったじいさんを恨みな」

 

「だから、返済なら俺が!」

 

「ガキのわがままに付き合ってられねえんだよ!」

 

「!」

 

 大人の一喝に炎仁が押し黙る。

 

「もうこの土地は事実上俺らのもんだ、諦めてさっさと帰んな」

 

「ぐぬぬ……」

 

 炎仁は悔しさのあまり唇を噛む。車が門を抜けようとした所、大きなクラクションが鳴る。

 

「な、なんだ⁉」

 

 大人たちがクラクションの音に驚いて振り返ると、そこにはピンク色の派手な車体の大型トレーラーがあった。助手席から一人の女性が優雅な仕草で颯爽と降りてくる。

 

「ギリギリ差し切りましたかしら?」

 

 桃色のメッシュが特徴的なショートボブで小柄な体格の美女が微笑みながら呟く。

 

「なんだあ、お姉ちゃん、いきなり出てきて……?」

 

「……確かにわたくしは姉妹の姉ですが、貴方のお姉ちゃんではありません、撫子瑞穂(なでしこみずほ)というれっきとした名前があります」

 

「撫子……瑞穂⁉ な、なんでこんなところに⁉」

 

「この『紅蓮牧場』の抱える債務は我々『撫子ファーム』が全て引き受けます。返済の詳細はそれぞれ追ってご連絡させて頂きます。今日のところは速やかにお引き取り下さい」

 

 瑞穂と名乗った女性が凛とした声で告げる。



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第1レース(2)一難去ってサプライズ

「ちっ……」

 

「お疲れ様で~す♪」

 

 牧場を差し押さえに来た連中が苦々しい表情で車に乗って去って行くのを瑞穂はにこやかな笑みを浮かべて、手を振りながら見送った。

 

「……ふぅ~」

 

 数台の車が見えなくなったことを確認し、炎仁はようやっと大きく息を吐いてその場に座り込んだ。緊張状態がほぐれたのだろう。

 

「ふふっ、君もお疲れ様♪」

 

 瑞穂がそんな炎仁を見て微笑みながら声をかける。

 

「あ、は、はい!」

 

「?」

 

 炎仁が瑞穂に応えた後、すぐに目を逸らした。瑞穂はそんな炎仁の様子に首を傾げる。しかし、それも無理はない。黒のパンツスーツをピシッと着こなし、メイクもバッチリ決まった瑞穂はまさしく『大人の女性』という雰囲気をこれでもかと醸し出していたからである。なによりも目鼻立ち整った美人だ。炎仁はどのように対応するべきか迷いながら、おもむろに立ち上がり、自分よりも小柄な女性に勢いよく頭を下げる。

 

「じいちゃんの宝物、この『紅蓮牧場』を守って下さり、ありがとうございます!」

 

「え、ええ……」

 

 瑞穂は炎仁の大声に驚いた様子を見せる。炎仁は構わず話を続ける。

 

「牧場がキャンプ場になったら、あの世でじいちゃんに顔向け出来ませんでしたから!」

 

 炎仁は牧場を見回しながら、笑って話す。その笑顔を見て瑞穂が尋ねる。

 

「もしかしてだけど……この牧場は君にとっても『宝物』なのかしら?」

 

「! へへっ、そうですね、じいちゃんとばあちゃんとの思い出が詰まった場所ですから」

 

 瑞穂の言葉に炎仁は少し照れ臭そうに鼻をこすりながら答える。

 

「ふ~ん、そう、宝物か……ねえ、その宝物、わたくしたちも案内してくれないかしら?」

 

「あ、は、はい」

 

「浅田君、わたくしたち歩いて回るから、事務所の前まで先に行っておいて」

 

「……はい」

 

 瑞穂の言葉に運転席から顔を覗かせた茶髪の若い男性が頷いて車を動かす。

 

「それじゃあ、案内よろしくね♪」

 

「は、はい、こちらへどうぞ……」

 

 炎仁は瑞穂を案内する。

 

「へえ、『角竜場』が芝と砂、2種類あるのね。少し小さいけど」

 

「は、はい、そこでドラゴンが『追い運動』、いわゆる準備運動をします……」

 

「ええ、それは知っているわ」

 

「あ、そうですか、そうですよね……」

 

 さっきは混乱してよく分からなかったが、この瑞穂という女性は『撫子ファーム』と言っていたはずだ。牧場のことなんか知っていて当然のはずである。自分がわざわざ案内する必要があるのかと炎仁が思った次の瞬間、瑞穂が芝の角竜場の先の草地を指差す。

 

「あれが『採草放牧地』ね。なかなか広いわね」

 

「ドラゴンは基本肉食です。じいちゃん……社長兼牧場長は『バランスの良い食事が良い竜体を作り上げるんだ』という考えで、牧草も食べさせるようにしていました」

 

「ぱっと見た限りだけど、結構良い牧草使っているようじゃないの」

 

「あ、そ、そうなんですか? すいません、草の種類に関してはノータッチで……」

 

「ふ~ん……君はよく来てたの?」

 

「ええ、小学生の頃はほぼ毎週、夏休みなんかお盆以外はずっと顔を出したり……」

 

「エサを与える手伝いなんかをしていたわけね」

 

「中学に上がってからは『騎乗馴致(じゅんち)』もたまに任されていました」

 

「ええ⁉ ドラゴンの乗りならしも君が⁉」

 

 驚く瑞穂に炎仁が答える。

 

「はい。もちろん、牧場長や職員の方と組んで行っていましたが」

 

「そ、そう、それでも危なくない? 落竜とかしなかった?」

 

「十頭ほど乗りましたが、ほぼ無かったです。皆気性の良い子ばかりだったので……」

 

「へ、へえ……あ、あちらが厩舎ね」

 

「はい、そうです」

 

 瑞穂が厩舎を指差す。炎仁が頷く。二人は白い三角屋根の建物に向かう。

 

「……なかなか綺麗にしてあるわね」

 

「掃除だけは牧場長が毎日欠かさず、倒れた日も……」

 

「ふむ……あら?」

 

 瑞穂が厩舎の端っこの竜房からひょこっと顔を覗かせるドラゴンを見つけて歩み寄る。

 

「これが牧場に残っている一頭です……名前は『イグニース』」

 

「イグニース、ラテン語で『炎』、竜体通りね」

 

「『炎竜』ですから、シンプルに名づけました」

 

 炎仁が手を伸ばし、竜房でおとなしく座っているイグニースの紅色の体を撫でながら言う。競争竜はその体色で『炎竜』や『水竜』などとカテゴライズされる。このイグニースは赤色系統の体色をしているため、炎竜である。

 

「……ほお、なかなか立派な血統ね。お父さんがあの大種牡竜(しゅぼりゅう)、お母さんは『グレンノメガミ』、GⅠこそ勝てなかったけど、優秀な競争成績を収めた名牝(めいひん)だったわね」

 

 瑞穂が竜房に掛けられているプレートを眺めて呟く。

 

「お詳しいんですね……」

 

「それはまあ……それが仕事ですもの……浅田君」

 

「はい……」

 

「うおっ!」

 

 いつの間にか茶髪の男が自分の背後に立っていたため、炎仁は驚く。それよりもさらに驚くことを瑞穂は話し始める。

 

「新たな生産・育成牧場を関東に増やしたかったから、やっぱりここはちょうど良いわ。ただ、施設が全体的に古いわね。一度全て取り壊してしまいましょう。その方向で進めて頂戴」

 

「分かりました」

 

「ええっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 炎仁が声を上げる。瑞穂と浅田が視線を向ける。

 

「どうしたの?」

 

「牧場を取り壊す? 差し押さえではなくてですか?」

 

「そうよ、差し押さえた上で取り壊すの」

 

「何の権限で⁉」

 

「聞いていなかった? この牧場の債務は全て撫子ファームが引き受けたの。お分かり?」

 

「そ、それは分かります……」

 

「つまり借金は私たちが肩代わりしたの。さらにしかるべき金額はそちらに支払うから、この『紅蓮牧場』の土地と権利を譲ってもらうわ」

 

「そ、そんな⁉」

 

 突然のことに炎仁が戸惑う。瑞穂が首を傾げて尋ねる。

 

「認められないかしら?」

 

「そ、そりゃあ……」

 

「じゃあ、貴方が支払えるの? おじいさんの遺した莫大な借金」

 

「ば、莫大な?」

 

「そう、莫大な」

 

「ぐっ……」

 

 炎仁は俯く。瑞穂は浅田に目配せする。浅田が尋ねる。

 

「瑞穂お嬢様、このドラゴンはどうしましょう?」

 

「そうね……当歳竜にしては体付きがしっかりしているわね。小柄ではあるけど……ひとまず茨城の方に移しましょうか」

 

「分かりました」

 

「ちょっと待った!」

 

 炎仁が叫ぶ。瑞穂がややウンザリした目で見つめる。

 

「今度は何?」

 

「そのドラゴンだけは……イグニースだけは渡せない! この牧場の希望だから!」

 

「お宝の次は希望ときたわね……そんなに思い入れあるの?」

 

「産卵から立ち会い、孵化の瞬間を見届け、馴致まで担当したドラゴンはそいつが初めてなんだ、思い入れがあるどころじゃない!」

 

「え? ちょっと待って! 当歳、0歳竜に馴致を行ったの⁉ 普通は一歳からよ⁉」

 

「早い生まれだからか、体付きがしっかりしてくるのが早かった。試しにやってみろってじいちゃんに言われて……やってみたら飲み込みが早く、すぐに慣れてくれた……俺のことを信頼してくれているのもあるんじゃないかともじいちゃんは言っていた……」

 

「……あれは?」

 

 瑞穂が厩舎の窓の外を指差す。炎仁が答える。

 

「一周1000mの調教用竜場です……」

 

「君、調教は?」

 

「え? 軽く歩かせてみたりは……走らせたのはちょっとだけです」

 

「レースの経験は?」

 

「あ、あるわけないですよ」

 

「スポーツ経験は?」

 

「サッカーでさいたま市の選抜に入ったことはあります……」

 

「ふむ……」

 

 瑞穂が腕を組んで考え込む。炎仁が尋ねる。

 

「あの……」

 

「これも何かの縁、レースで決めましょう。勝ったら牧場は貴方のもので良いわ」

 

「ええっ⁉ レース⁉」

 

「どうかしら?」

 

「……わ、分かりました! そのレース、受けて立ちます!」

 

「浅田君、ドラゴンの準備を」

 

「し、しかし、瑞穂お嬢様……」

 

「早くなさい」

 

「……分かりました」

 

 浅田が車の方へ向かう。炎仁が首を捻る。

 

「うん?」

 

「事務所を更衣室にさせてもらうわよ、OK?」

 

「もしかして貴女がレースに? あの男の人じゃなくて?」

 

「ふふっ、わたくしもまだまだのようね。これなら分かるかしら?」

 

 瑞穂が厩舎の壁にぶら下がっていたヘルメットを被って炎仁を見る。それを見た炎仁がハッとする。

 

「ああ⁉ じょ、女性トップジョッキーの一人、撫子瑞穂騎手⁉」

 

 炎仁はこの日一番の驚きを見せる。



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第1レース(3)マッチレース、スタート!

「ああ良かった。知らないって言われたら凹むところでしたわ」

 

 ヘルメットを一旦外して瑞穂は笑う。

 

「似た名前の方かなと思いました……まさか、なんで貴女がこんなところに?」

 

「まだあまり公にはしてないのですが、昨年頃からジョッキーの傍ら、家の……『撫子グループ』の仕事を手伝うようになりました。今年から系列会社の撫子ファームを任されたので、レースなどのない日はこうして忙しく動き回っていますわ」

 

「そうなんですか……」

 

「事務所お借りしますよ」

 

 瑞穂は車から荷物を取ると、事務所に入っていく。炎仁が頭を抱える。

 

「妙な展開になったな……準備するか」

 

 (くら)(あぶみ)など騎乗の為に必要な竜具を竜体に付けて、手際よく準備を終えた炎仁はイグニースを曳いて、調教用竜場に出てくる。そこにはピンク色の竜体をしたドラゴンに跨り、撫子の花模様が可愛らしく散りばめられた勝負服と白いズボンを着た瑞穂が既に待っていた。

 

「おお、見たことある勝負服だ……それにそのドラゴンは……」

 

「今年の夏引退した牝竜(ひんりゅう)、『ナデシコプリティー』、来年から繁殖牝竜として頑張ってもらおうと思っていますが、今はわたくしのビジネスパートナーとして働いてもらっています」

 

「やっぱりナデシコプリティー⁉ GⅠウィナーじゃないですか!」

 

「そうですね、この娘には色々勝たせてもらいましたね」

 

 瑞穂は竜体を優しく撫でる。炎仁が小さく感嘆の声を漏らす。

 

「綺麗な竜体だ……『華竜』ですね、近くでは初めて見ました」

 

「お褒め頂いてありがとう。撫子グループは伝統的に華竜を多く生産・育成してますから」

 

「そうですか……」

 

「雑談はこの辺りにして、早速レースと参りましょうか。左周りでいいかしら?」

 

「って⁉ ちょ、ちょっと待って下さいよ! 歴戦のGⅠドラゴンと当歳竜じゃ、まともに勝負になるわけないじゃないですか!」

 

「あら、気付いちゃいました?」

 

「気付きますよ!」

 

「まあ、少し落ち着いて」

 

 興奮する炎仁を瑞穂がなだめる。

 

「落ち着けませんよ!」

 

「ハンデを差し上げます」

 

「ハンデ?」

 

「ええ、この調教用竜場は一周1000mでしたわね?」

 

「は、はい……」

 

「貴方とそのドラゴンが半周過ぎたところで、わたくしたちがスタートします」

 

「えっ⁉」

 

「鞭を使いませんし、追うこともしません。竜なりに、所謂『持ったまま』走らせます」

 

「なっ⁉」

 

 炎仁は驚く。竜なりというのは、そのドラゴンの走る気に任せるということだ。追うというのは、鞭を使ったり、手綱をしごいたりして、ドラゴンを加速させる騎乗技術だ。それを瑞穂はしないという。ピンク色のヘルメットを被った瑞穂は小首を傾げる。

 

「如何かしら?」

 

「勝ったら……牧場は俺のものなんですね?」

 

「ええ」

 

「分かりました! レース、やります!」

 

 炎仁は赤いヘルメットをきちんと被り、黒いゴーグルを着け、勢いよくイグニースに跨って、浅田が立つスタート地点に移動する。

 

「この浅田君が立っている地点がスタートでありゴール。それでは準備はいいかしら?」

 

「……いつでもどうぞ」

 

「ゲートが無いからいまいちかっこがつかないけど、仕方ありませんわね……浅田君、スタートの合図をよろしくお願いします」

 

「はい……よーい、スタート!」

 

「うおっしゃ!」

 

 浅田が振り上げた右手を振り下ろしたのを合図に、炎仁はイグニースを走らせる。イグニースはドラゴンの中では小柄とはいえ、人よりは当然大きい。その竜体(頭から尻までの長さ)は約3mあり、体高(地面からの高さ)は約2mある。歩幅もたった一歩で約10mから12mほど進む。あっという間に最初のコーナー手前にさしかかる。浅田が叫ぶ。

 

「速い!」

 

「なるほど、当歳竜とは思えないほど、しっかりとした走りですわね……騎乗スタイルも案外様になっていますわね。多少危なっかしいですけど」

 

 炎仁たちの走りを後ろから眺め、瑞穂は笑みを浮かべる。炎仁は鞍に腰を下ろさず、足を乗せる鐙の上に浅めに足を乗せ、腰を浮かせて背を丸め、膝でバランスを取りながら前傾姿勢をとるという、オーソドックスな騎乗法を見せていた。ただ、バランスを取るのがまだ難しく、少し左右にぶれながら走っている。浅田が瑞穂に尋ねる。

 

「大丈夫ですかね?」

 

「落竜経験がほとんどないというだけありますわ、大丈夫です」

 

 そう言っている内に、炎仁とイグニースは最初のコーナーに差し掛かる。ドラゴンレースでは、コーナーリングにも個性が出る。騎手のスタイルやドラゴンの走り方にも、なによりコースにもよるが、ほとんどのドラゴンが背中の翼を広げ、滑空するかのようにコーナーを曲がる。炎仁も手綱をしごき、イグニースに滑空させる。

 

「おおっと!」

 

 竜体をやや左に傾かせながら、コーナーを曲がっていく。内側にあるラチ(柵)に当たってはいけないと気を付け過ぎてしまい、少し膨らんでしまったが、まずまず上手くいった。イグニースは翼をたたみ、地面に足を着けて走り出す。競走竜はドラゴンレース用に品種改良されている為、翼をはためかせて長時間飛行することには適していない。飛ぶ時はある程度スピードに乗る必要がある。

 

「第二コーナーです!」

 

「ええ、見えていますわ……ふふっ、コーナーリングも結構上手じゃない」

 

「うおっと!」

 

 炎仁とイグニースは先程と同じ要領で第二コーナーを回る。またも少し膨らんでしまったが、体勢は崩していない。地面に足を着けてバックストレッチに入る。

 

「もうすぐ半周です!」

 

「さて……」

 

 瑞穂がゴーグルを着け、正面を見据える。浅田が声を上げる。

 

「半周地点過ぎました!」

 

「お願いね、プリティー!」

 

 瑞穂がナデシコプリティーを走らせる。炎仁はそれを横目で確認する。

 

「って、何竜身差あるんだよ! 追い付けるものか!」

 

 炎仁は頭では落ち着いていたが、体は少し動揺してしまった。他のドラゴンとレースをするのは初めてのことなのだから、それも無理はない。だが、その動揺ぶりが手綱を伝って、イグニースにも伝わってしまった。ここまで比較的順調に走っていたが、左右にジグザクと走ってしまう。

 

「うおっ! 落ち着け! いや、落ち着くのは俺の方か!」

 

 手綱をしぼり、再びイグニースを真っ直ぐ走らせることが出来た。そして第三コーナーにさしかかろうという時、炎仁は後方に気配を感じ、慌てて振り返る。

 

「なっ⁉」

 

 炎仁は心の底から驚いた。500m差があったはずのナデシコプリティーがもう100m以内まで差を詰めてきていたからである。炎仁は思わず叫ぶ。

 

「持ったままじゃなかったんですか⁉」

 

「その子の走りを見てこちらのお姉さんの闘争本能に火が点いちゃったみたい!」

 

 瑞穂が笑い声まじりで叫び返す。後方から猛然と迫るナデシコプリティーに気圧され、炎仁とイグニースは第三コーナーを曲がる際、大きく外側に膨らんでしまう。

 

「しまっ……!」

 

「もらいましたわ!」

 

 竜体上で瑞穂はスムーズな体重移動を見せる。ナデシコプリティーも無駄のないコーナーリングで、イグニースを内側からあっという間に抜き去る。

 

「ぐっ!」

 

 炎仁は体勢を取り戻し、すぐさまイグニースをナデシコプリティーの後ろにつけるが、そこで愕然とする。

 

(抜けない!)

 

 ナデシコプリティーが内ラチピッタリに走っていたのだ。瑞穂は内心苦笑する。

 

(ちょっと大人気なかったかしらね?)

 

 炎仁は懸命に考えを巡らす。

 

(外側に持ち出すか? いや、スタミナロスにつながる。無理はさせられない……でも、このままじゃ抜くことが出来ない! 最終コーナーで膨らんだ所を内側から……いや、この人がコーナーリングをミスするはずが無い、どうする⁉)

 

 二頭のドラゴンが最終コーナーに差し掛かる。瑞穂とナデシコプリティーはお手本通りのコーナーリングで、最後の直線に入る。

 

(後は当歳竜と元GⅠ竜の地力の差が如実に出る……勝負ありかしらね。意外と良い走りを見せるから内心ちょっと焦りましたけど……)

 

 瑞穂が左後ろを振り返る。しかし、そこにはイグニースの姿が無かった。

 

「なっ⁉」

 

 瑞穂が驚いて、右後ろを振り返る。だが、そこにもイグニースの姿は無かった。

 

(内にも外にもいない⁉ 一体どこに――⁉)

 

「上か!」

 

 瑞穂が見上げると、その頭上には翼をはためかせて羽ばたいたイグニースの姿があった。イグニースはナデシコプリティーの二竜身ほど前に着地する。

 

「う、上手くいった! 良いぞ、イグニース!」

 

 炎仁が快哉を叫ぶ。瑞穂が内心舌打ちする。

 

(半分素人だと思って油断しましたわ! ドラゴンレースでは左右だけでなく、上下もある! しかし、この土壇場であのジャンプを選択した判断力! 少しでもズレたら反則行為を取られるにも関わらず、絶妙なタイミング! 何より自分たちが怪我するかもしれないという恐怖感を物ともしない度胸! さらになんと言ってもそれらを可能にしたのが、この『人竜一体』となった走り!)

 

「よっしゃ! このまま行くぞ! エンジン全開だ!」 

 

「甘いですわ!」

 

「⁉」

 

 外側からナデシコプリティーが猛然と追い込んできた。競走竜の本能をむき出しにしている。炎仁もイグニースに鞭を何発か入れるが、やや伸びを欠く。

 

「!」

 

 二頭がほぼ同時にゴール前を通過する。浅田が叫ぶ。

 

「ナ、ナデシコプリティーの勝利!」



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第1レース(4)運命は突然に

「ま、負けた……」

 

「ゴールは過ぎましたわ! ドラゴンを減速させて!」

 

「!」

 

 呆然としていた炎仁は瑞穂の声でハッと我に返り、イグニースを徐々に減速させ、第二コーナーの手前辺りで停止させる。瑞穂が笑顔で声をかける。

 

「よく出来ましたわ。スタート地点まで歩かせてクールダウンさせましょう」

 

「は、はい……」

 

 炎仁は反転する瑞穂たちの後に続く。スタートまで戻ると、瑞穂はドラゴンから降りて、ナデシコプリティーの体を優しく撫でる。

 

「引退させるのはちょっと早かったかしらね? お疲れ様。浅田君、お願い」

 

「はい」

 

 浅田がナデシコプリティーを車の方に曳いていく。

 

「……」

 

 炎仁も無言で降りて、イグニースの体を撫でる。瑞穂が苦笑する。

 

「心ここにあらずね、それでは良くありませんわ」

 

「え?」

 

「ちゃんと言葉をかけて労ってあげなさいな」

 

「言葉をかけてって……」

 

 困惑気味の炎仁に向かって、瑞穂は人差し指を左右に振る。

 

「こういうのは意外と伝わるものなのですよ」

 

「はあ……でも、何て言えば良いのか……」

 

「シンプルに『良くやった』とかでいいでしょう?」

 

「だけど、負けちゃいましたし……」

 

 炎仁は悔しそうに俯く。瑞穂がヘルメットを外して、髪をかき上げながら告げる。

 

「君の勝ちですわ」

 

「え、ええっ?」

 

 炎仁が驚く。

 

「何を驚くの?」

 

「い、いや、クビ差で負けていましたよ?」

 

「へえ……分かったの?」

 

「ええ、見えてましたから」

 

「ふむ……熱くなりがちなゴール前でも冷静さを失わないとは……なかなか」

 

 瑞穂が顎に手を当てて呟く。

 

「あ、あの?」

 

「着差はそうですけど、わたくしは反則をしてしまったので……」

 

「反則?」

 

「ええ、これを一発入れてしまいました」

 

 瑞穂は右手に持った鞭をくるっと回して笑う。

 

「あ、ああ、最後の激しい追い込みはそういうことだったんですか……」

 

「そういうことだったのです。だから、このレースは君の勝ちです」

 

「ということは?」

 

「ええ、この牧場は君のものです」

 

「よ、よっしゃ――!」

 

 炎仁は両手を突き上げながらその辺りを走り回り、喜びを露にする。

 

「ふふっ、派手なパフォーマンスね、サッカー仕込みかしら?」

 

 瑞穂は微笑みながら炎仁を見つめる。ひとしきり喜んだ炎仁は肩で息をする。

 

「……はあ、はあ……」

 

「落ち着いたかしら? それじゃあ、ビジネスの話をしましょう」

 

「え?」

 

「浅田君」

 

「はい」

 

 戻ってきた浅田が情報端末を瑞穂に手渡す。瑞穂は端末を操作して告げる。

 

「紅蓮炎仁君、勝手ながら君のご家庭を調べさせてもらいましたわ……」

 

「は、はあ……」

 

「結論から述べますけど、君のご家庭の経済状況では、この紅蓮牧場を維持するのは極めて困難ですわね」

 

「ええっ⁉」

 

「家計を圧迫するっていうレベルの話ではありませんわ。ここは素直に牧場を手放されることをお勧め致します」

 

「そ、そんな……!」

 

「それがお利口な判断です」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 詰め寄ろうとする炎仁を片手で制し、瑞穂は話を続ける。

 

「君のご両親は牧場経営する意志はあるのかしら?」

 

「そ、それは……」

 

「無いでしょう。何よりそれぞれのお仕事が忙しいようですし」

 

「……お、俺が経営します!」

 

「ふふっ、やる気十分ね。そこで話は振り出しに戻ります」

 

「振り出し?」

 

「繰り返しになりますが、現在、この牧場の債務はわたくしたち、撫子ファームが全て引き受けた形になっております」

 

「は、はあ……」

 

「この牧場を継ぐというのなら、それをわたくしたちに払って頂かねばなりません」

 

「う……は、払います! 何年かかっても必ず!」

 

 炎仁が力強く宣言する。

 

「若者らしい意気込み、大変結構……金額はこちらになりますわ」

 

 瑞穂は端末の画面を炎仁に突き付ける。金額を見た炎仁は愕然とする。

 

「ええっ⁉ こ、こんなに……?」

 

「このドラゴン一頭を見ても、君のおじい様が優れたブリーダーだったということが伺いしれます。ただ、経営者としてはお世辞にもちょっと……」

 

 瑞穂は言い辛そうに首を捻る。

 

「お、おお……」

 

「君が三百歳くらいまで生きるなら払えそうですけどね」

 

 絶句する炎仁に瑞穂が追い打ちをかける。

 

「……コ、コールドスリープとかすればワンチャン……」

 

「無いです。大体、こちらが待てません」

 

 炎仁の苦し紛れの提案を瑞穂は切って捨てる。

 

「そ、そんな……せっかく勝ったのに」

 

 炎仁が地面に両手両膝をついてうなだれる。

 

「……一つだけ方法があります」

 

「え?」

 

 炎仁が顔を上げる。

 

「これです」

 

 瑞穂は端末を操作し、再び画面を突き付ける。炎仁は画面の文字を読み上げる。

 

「『関東競竜学校騎手課程短期コース』……?」

 

「騎手になるには普通は二年か三年かかるところ、このコースはなんと最短一年で競竜騎手になれます」

 

「一年で……」

 

「そうです。但し、難しい条件が二つあります」

 

「二つ?」

 

「ええ、関係者の推薦と、一年後新竜としてデビュー出来る競走竜の確保」

 

「ま、まさか……?」

 

 立ち上がった炎仁に瑞穂は悪い笑みを浮かべて告げる。

 

「紅蓮炎仁君、推薦人にはわたくしがなります。このイグニース号とともに、このコースを受講なさい。そして、見事競竜騎手としてデビューし、大きなレースを勝って勝って勝ちまくりなさい! その賞金で借金はあっという間に消えますわ!」

 

「え、ええっ⁉」

 

 瑞穂の突拍子もない提案に炎仁はただただ驚愕の声を上げるしかなかった。



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第2レース(1)そろそろの仕掛け

                  2

 

「え、炎ちゃん、お弁当作ってきたから、一緒に食べよう?」

 

 学校の昼休み、炎仁がコンビニで買ってきた軽食を食べようとしたところ、やや青みがかったロングのストレートヘアーでおでこを出しているのが特徴的な女子が布に包まれた弁当を持って話しかけてくる。

 

「ああ、本当か? 悪いな、真帆」

 

「気にしないで」

 

 真帆と呼ばれた女子は可愛らしい笑顔を浮かべ、炎仁の机に弁当を広げる。

 

「今日は給食が無い日だって今朝気付いてな」

 

「久々の登校だものね」

 

「最近ちょっとバタバタしていたからな……」

 

「コンビニも良いけど、やっぱりどうしても栄養偏っちゃうから」

 

「おおっ! 美味そうだな~」

 

「炎ちゃんが好きなものを集めたから……」

 

「おっ、愛妻弁当ってやつか?」

 

 二人に対し、近くの席に座っていた男子生徒が声をかける。

 

「も、もう! からかわないでよ、佐藤君!」

 

「い、いや、俺鈴木だけど……」

 

「なんか言ったか、ヒロシ?」

 

「いや、タケシだよ……」

 

 悪気の全く無さそうな炎仁の言葉に鈴木タケシが悲しそうに俯く。

 

「ほら、邪魔しちゃだめよ、ヒロシ君」

 

「お、お前まで間違うなよ!」

 

 タケシの反応にショートカットの女子がクスクスと笑う。

 

「それは別にいいから」

 

「良くはねえだろ」

 

「とにかくほら、勉強するわよ」

 

「ええ、飯くらいゆっくり食わせろよ……」

 

「何言っているのよ、アタシと一緒の高校に行くんでしょ? タケシ君の成績じゃあ時間がいくらあっても足りないんだからね」

 

「は、はっきりと言ってくれるな……」

 

「そこで濁してもしょうがないでしょ」

 

「大変そうね、カズミ」

 

 真帆がショートカットの女子に声をかける。

 

「まあ、しょうがないわね。それにしても羨ましいわよ、推薦組が」

 

「そう……」

 

「あ、変な意味に取らないでよ」

 

「え?」

 

「それにふさわしい努力をしているのは知っているから……そうだ、これ見たわよ、『竜術競技で四年に一度の世界大会、日本女子勢初のメダルも狙える期待の新鋭、紺碧真帆(こんぺきまほ)』!」

 

 カズミと呼ばれた女子が自身の端末に表示された真帆のインタビュー記事を向かい合って座るタケシに見せつける。真帆が恥ずかしがる。

 

「や、やめてよ、カズミ」

 

「『可愛らしい笑顔や美しいルックスも注目』って書かれているわよ」

 

「だ、だからやめてってば」

 

「へえ、取材されるなんてすげえなあ」

 

「べ、別に大したことないわよ、高橋君……」

 

「いや、鈴木な……」

 

「東京の文武両道で有名な名門校に早々と推薦が決まったんだから」

 

「なんでお前が威張るんだよ」

 

 どうだとばかりに胸を張るカズミに対し、タケシが冷めた目を向ける。

 

「良いじゃない、将来のメダリストと親友だなんて、なかなか無いわよ」

 

「すっかり脇役ポジションじゃねえかよ」

 

「人生ってのはね、『主役』と『モブ』に分かれるものなのよ」

 

「そ、そんなこと思ってないわよ」

 

 真帆が慌てた様子を見せると、カズミが笑う。

 

「冗談よ、冗談……でも、良いわよね、一緒の学校に推薦が決まっているんだから」

 

「い、いや、それは……」

 

 真帆が恥ずかしそうに俯く。

 

「しかしまさか、炎仁にも推薦の話が来るとはなあ」

 

「だって、紅蓮君、埼玉県の選抜なんでしょ?」

 

「県じゃなくさいたま市だよ、市の選抜。そのレベルで名門高校の監督の目に留まるとは……『持っている』な~」

 

「……サトシ、その話だけどな……」

 

 食事をさっと済ませた炎仁が口元をハンカチで拭いながら口を開く。

 

「いや、タケシな……」

 

「実は……」

 

「え、炎ちゃん!」

 

 真帆が顔を上げて炎仁の方に向き直る。

 

「ど、どうした?」

 

「今度の週末空いている?」

 

「週末?」

 

「ちょっと、東京に一緒に行かない?」

 

「なんでだよ」

 

「な、なんでって……」

 

 真帆が横目でカズミを見る。カズミが呆れ気味に答える。

 

「普段、ドラゴンに颯爽と跨って、あんなに高い飛越を見せているのに、プライベートではその程度の障害も越えられないのね……」

 

「そ、そう言われても……」

 

「『そろそろ関係を進展させたい』って言ってたでしょ? 自分でなんとかなさい」

 

「どうかしたのか?」

 

 炎仁が不思議そうに首を傾げる。真帆があらためて炎仁を見つめる。

 

「えっと……高校の下見に付き合って欲しいの!」

 

「ええ?」

 

「いや、来年、一緒の学校行くんだから良いだろ、痛っ!」

 

「ちょっとアンタは黙ってなさい」

 

「カ、カズミ、すねを蹴るなよ……」

 

「ご、ごめん、武者小路君、ちょっと静かにしていてくれる?」

 

「鈴木だよ!」

 

「下見か……」

 

「う、うん……通学ルートとか確認しておきたいなって思って……そ、それで、近所にオシャレなカフェがあるから、ついでに寄ってみたいかな~なんて……」

 

 真帆がカズミに視線を送る。カズミが苦笑を浮かべる。

 

「まあ、アンタにしては精一杯のジャンプか……相当低いハードルだけど」

 

「吉田さん、さっきから何の話をしているんだ?」

 

「いえいえ、こっちは別に気にしないで」

 

 カズミが炎仁に対して手を振る。真帆が炎仁に重ねて問う。

 

「そ、それでどうかな?」

 

「い、いや、それなんだがな……」

 

「どうした、炎仁?」

 

「カゲボウシ、さっきも言おうと思ったんだが……」

 

「タケシだよ!」

 

 タケシの叫びを無視して、炎仁が意を決したように真帆の目を見て話す。

 

「……俺、高校には行かない。推薦も断った」

 

「ええっ⁉」

 

 真帆が驚く。



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第2レース(2)別れと出会いの春

「なっ……ど、どういうこと?」

 

「競竜学校の騎手課程短期コースを受講する」

 

 炎仁は鞄から書類を取り出して真帆に見せる。

 

「こ、これは……」

 

「俺は……競竜騎手、ジョッキーになる!」

 

「なんでそんなことに?」

 

 真帆が戸惑いを抑えながら尋ねる。

 

「えっと……」

 

 炎仁が軽く頭を抱える。真帆が思わず声を上げる。

 

「納得のいく説明をしてよ!」

 

「う~ん……」

 

「う~んって唸ってないで!」

 

「……『借金』、『女』、『敗北』……かな?」

 

「あ、あまりにも不穏なワード群!」

 

「他に上手く説明しようがないんだ……」

 

「圧倒的な語彙力不足!」

 

 真帆が愕然とする。

 

「とにかくジョッキーを目指すことになった……」

 

「この短期コースっていうのは?」

 

「一年で一人前のジョッキーになることが出来るらしい」

 

「ふ~ん! そうなんだ!」

 

「おっと!」

 

「真帆!」

 

 真帆は自分と炎仁の弁当箱を手際よく包むと、それを自分の机にドンと置き、教室を出ていってしまう。カズミがその後に続く。タケシが呆れる。

 

「あ~あ」

 

「相当怒っているようだな」

 

「お、そういうのは分かるんだな」

 

「どうすればいい?」

 

「そりゃあお前、ここは後を追いかけろよ」

 

「それもそうか。ただ……」

 

「ただ?」

 

「何をそんなに怒っているのか分からないんだが……」

 

「あ~そりゃ下手に謝っても逆効果かもな……」

 

「どうすればいい?」

 

「そうだな……」

 

 タケシが炎仁に耳打ちする。ハッとした炎仁は真帆を追って教室を出る。

 

「……真帆!」

 

「!」

 

 真帆とカズミは屋上のドアの前にいた。屋上に出ようと思ったが、鍵が無い為、出られなかったのだ。真帆は炎仁を無視して階段を下りようとする。

 

「真帆! 大事な話がある!」

 

 炎仁の手には屋上に繋がる鍵があった。以前ここで清掃作業をした際に鍵の保管場所を覚えていたため、ちょっと拝借するのは容易なことだった。

 

「……」

 

「聞いてくれないか」

 

「……うん」

 

「真帆、大丈夫?」

 

「うん、大丈夫、ありがとう」

 

「じゃあ、アタシは先に教室に戻っているから」

 

 カズミが去り、炎仁と真帆は屋上に出た。風が気持ちいい午後の空だった。

 

「う~ん、屋上に出るのも久しぶり……」

 

「そうか……」

 

「それで? 大事な話って?」

 

「あ、ああ、俺が高校の推薦を蹴り、競竜学校へ入るという話だが……なんでまたそういうことになったのかというと……」

 

「おじいさんが亡くなったことが関係しているの?」

 

「え! す、鋭いな……」

 

 炎仁は驚いた視線を向ける。少し硬かった真帆の表情が緩む。

 

「そりゃあ、それくらいの見当はつくわよ……でも、あの牧場はもう競走竜が一頭しかいなかったんじゃなかった?」

 

「ああ、その一頭、『イグニース』に乗り、撫子瑞穂とレースをすることになった」

 

「な、撫子瑞穂⁉ 女性のトップジョッキー⁉ なんでまたそんなことに……?」

 

「まあ、簡単に言えば牧場をかけての真剣勝負だ」

 

「炎ちゃん、レースの経験は?」

 

「知っているだろう? あるわけない」

 

 炎仁が笑って首を振る。真帆が聞きづらそうに尋ねる。

 

「……それで結果は?」

 

「勝った、俺が」

 

「ええっ⁉」

 

「それで牧場の差し押さえは当面は待ってもらえることになった。ただ……」

 

「ただ?」

 

「それはそれ、これはこれ! ということでじいちゃんの遺した莫大な借金が俺のもとには残った。これをどうにかしなければ、じいちゃんの大事な宝物が他人の手に渡ってしまう! それだけはどうしても避けたかった……」

 

 炎仁が俯いて拳を握りしめる。真帆が問いかける。

 

「それで……ジョッキー、競竜騎手になるってこと?」

 

「ああ、さっき見せた課程に合格すれば、一年でジョッキーになれる! デビュー出来る! 賞金を稼いで、稼いで、稼ぎまくって、借金を返済すれば、晴れてじいちゃんの牧場を取り戻すことが出来る! ……そういう理由だ」

 

「……ふふっ」

 

 真帆が炎仁の横顔をしばらく見つめた後、笑う。

 

「な、なんだよ」

 

「本当にそれだけの理由?」

 

「え?」

 

「他にも理由があるんじゃない?」

 

「……よく分かったな」

 

「炎ちゃんのことは昔からよく知っているつもりだから」

 

 真帆の笑みにつられ、炎仁も笑う。

 

「この間のレース、その時は無我夢中でよく分からなかったんだが……」

 

「……うん」

 

「後になって徐々に実感が湧いてきたんだ……」

 

「……うん」

 

「すごく楽しかった! イグニースだって初めてレースするにも関わらず、堂々とした走りを見せてくれた! 走っているときや滑空するときの風が気持ち良かった! それにジャンプするとき、俺とイグニースの心が一つになったような感覚になれた! あんなことは今まで無かった! 俺はイグニースともっと色々なところを走って、飛んでみたい! 色々な景色を見てみたい! そう思ったんだ!」

 

「……そっちの方が主な理由になっているんじゃないの?」

 

「かもしれないな」

 

 真帆の指摘に炎仁は笑った。真帆は屋上の出入り口に戻ろうとする。

 

「そう、それなら何も言わないわ……だけど……」

 

「だけど?」

 

「……一言でも良いから相談して欲しかったな」

 

「!」

 

 振り返った真帆の頬には一筋の涙が伝っていた。

 

「ご、ごめん……」

 

 炎仁の謝罪を聞くか聞かないうちに真帆は屋上から校舎へと戻っていく。季節はそれからあっという間に過ぎ去り、炎仁たちは中学卒業の日を迎えた。炎仁と真帆の仲は少しギクシャクしたものになってしまい、この日までほとんどまともな会話らしい会話をすることが無かった。

 

「……」

 

「真帆……」

 

「……じゃあね、炎ちゃん」

 

「あ、ああ……」

 

 炎仁と真帆は校門のところで別れた。炎仁は心の中のもやもやした気持ちを拭うことがなかなか出来なかったが、すぐに一か月が経過し、競竜学校入学の日を迎えた。炎仁は千葉県のとある駅に下り、バスの停留所に向かう。

 

「えっと……学校行きのバスは……」

 

「関東競竜学校はこちらのバスですよ」

 

 藍色の髪を三つ編みにして片側に寄せた、黒いパンツスーツ姿の眼鏡をかけた女子が炎仁に話しかけてきた。小柄な炎仁より一回り小さい。

 

「え? あ、本当だ、ありがとうございます」

 

「いえ……」

 

 しばらく待っていると、バスが来て、二人は乗り込む。炎仁は女子に空いている席を譲り、何気なく話しかける。

 

「貴女も競竜学校へ?」

 

「ええ、そうですよ、紅蓮炎仁君」

 

「え? な、なんで、俺の名前を?」

 

「御爺様のご葬儀でお見かけしましたから」

 

「は、はあ……」

 

「私の家も茨城でドラゴンの生産牧場『三日月牧場』をやっているので……」

 

「そうなんですか」

 

三日月海(みかづきうみ)と申します。よろしくお願いします」

 

「あ、紅蓮炎仁です、こちらこそよろしくお願いします」

 

 炎仁は頭をペコリと下げる。バスはしばらく走った後、炎仁たちの目当てのバス停に停車する。二人がバスを降りた先に、腕を組んだおかっぱボブのヘアスタイルでこれまた黒いパンツスーツ姿の女子が立っている。綺麗に切り揃えられた髪に混ざる桃色のメッシュが特徴的で身長は炎仁と同じくらいである。

 

「待っていましたわ、紅蓮炎仁! ここで会ったが百年目!」

 

「ええっ⁉ ど、どちら様ですか?」

 

「そんなことはどうでもいいですわ!」

 

「い、いや、どうでも良くはないでしょう?」

 

「……入学式に遅れますよ、撫子飛鳥(なでしこあすか)さん」

 

 海が眼鏡をくいっと上げながら口を挟む。炎仁がはっとする。

 

「え、な、撫子って……」

 

「確かにそちらのお嬢さんのおっしゃるように遅れてしまいますわね! それはまずいですわ! 挨拶は後ほどに致しましょう!」

 

 飛鳥と呼ばれた女性は颯爽と歩き出す。海が呟く。

 

「学校はこちらですよ……」

 

「……参りましょうか!」

 

 飛鳥はくるっと反転し、何事もなかったかのように歩き出す。炎仁が感心する。

 

「三日月さん、詳しいですね」

 

「……ライバルのことは頭に入れております。データがなにより重要ですから」

 

「凄いですね……」

 

「うおおおっ!」

 

「「「⁉」」」

 

 三人の歩いている脇道からオレンジ色の竜体をしたドラゴンに乗った女子がいきなり現れた。明るい髪色をしており、やや短い毛先を遊ばせているのが印象的で、黒いパンツスーツをやや着崩している。その女子は炎仁たちに気付く。

 

「おっと、アンタらも競竜学校の生徒か? アタシは朝日青空(あさひあおぞら)! よろしくな!」

 

「ちょ、ちょっと貴女! ……行ってしまいましたわ。いくら競竜学校だからって、ドラゴンで登校するなんて……」

 

 飛鳥が唖然とした表情で呟く。炎仁が海に尋ねる。

 

「三日月さん、ひょっとしてあの方のデータも?」

 

「い、いえ、あのような方のデータは入っておりません……」

 

 海は困惑気味に頭を片手で抑える。数分後、炎仁たちは学校の入口に近づく。

 

「おっ、人が結構いるな……あれは報道陣? 誰かを囲んでいるのか?」

 

「ええ、今回のコースの受講者には注目を大いに集める方がいますからね」

 

「ふっ、取材は極力お控え下さいとSNSでお願いしておりましたのに……これも人気者の宿命ですわね」

 

「それもゼロではないでしょうけど、一番のお目当ては他の方のようですよ」

 

「な、なんですって⁉」

 

 海の言葉に飛鳥が驚く。報道陣の声が聞こえてくる。

 

「紺碧真帆さん! 竜術競技からの転向! 一言意気込みをお願いします!」

 

「ま、真帆⁉」

 

 思わぬ名前を聞き、炎仁はびっくりする。



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第2レース(3)不審者だらけ

「えっと……」

 

 思った以上の報道陣に囲まれ、真帆は戸惑いを隠せないでいる。

 

「あらためて、今回の転向の真意について、お聞かせ下さい!」

 

「て、転向と言いましても、まずはここで合格しなければなりませんから……」

 

「『将来は金メダルとダービージョッキーの二冠』とのことですが⁉」

 

「そ、そんな畏れ多いこと、一言も言っていません!」

 

「噂の彼氏との関係は⁉」

 

「なっ、彼氏っていうか……って、そんなことお答えする義務はありません!」

 

 報道陣から矢継ぎ早に飛んでくる勝手な質問に、真帆も流石に辟易しているようである。炎仁がその輪の中にズカズカと入り込んでいく。

 

「え、炎ちゃん⁉」

 

「お集まりの皆様、将来のダービージョッキーになるのはこの俺、紅蓮炎仁です!」

 

 炎仁はそう言って満面の笑みを浮かべ、右手の親指をサムズアップする。

 

「……」

 

 一瞬の沈黙が流れる。報道陣が互いに顔を見合わせる。

 

「紅蓮炎仁って……知ってるか?」

 

「いいや」

 

「あ~あのね、君みたいな威勢の良いキャラもある意味美味しいんだけどね、メインは真帆ちゃんだから。おまけの君らの意気込みは時間が余ったら聞くからさ」

 

「お、おまけ⁉」

 

 報道陣からドッと笑いが起こる。

 

「それよりちょっとどいてくれる?」

 

「どわっ⁉」

 

 報道陣が炎仁を押しのけて、尚も真帆を取り囲もうとする。無名の受講生とはいえ、あまりにもぞんざいな扱いに流石の炎仁もムッとする。

 

「ア、アンタたち……ん⁉ な、なんだ、あれは⁉」

 

「なんだよ、うるせえなあ……って、お、おいあれを見ろ!」

 

 炎仁の声に反応し、報道陣が皆、彼の視線の先に目を向けて驚く。そこには二羽の鳥のようなものが吊るしたブランコに座った、やや紫ががった短髪の少年がいたからである。スーツを着ていることから考えて、この学校の入学者かとは思われた。しばらく様子を伺っていた報道陣の一人が気付く。

 

「あ、彼は天ノ川翔(あまのがわかける)! 天才ジョッキーの孫だ! このコースを受講するんだ!」

 

「あの競竜一家の期待の星か! コメントを取らなければ!」

 

「天ノ川君~ちょっと良いかな~?」

 

 文字通り空を翔ける少年に対し、報道陣が呼び掛ける。

 

「zzz……」

 

「反応が無い……って寝ているのか⁉」

 

「なんで寝ているんだ⁉ あの鳥のようなものはなんだ、ドローンか⁉」

 

「どうやらそのようだ! 自分で操作しているのか、どうやって⁉」

 

「天才の考えることは分からん! こっちに突っ込んでくるぞ!」

 

「……うん?」

 

 少年は目を開ける。報道陣が安堵する。

 

「お、起きたぞ!」

 

「zzz……」

 

「いや、また寝るのかよ!」

 

「よ、避けろ!」

 

「真帆!」

 

 炎仁が真帆を抱き抱えるようにして、少年の進路を開ける。報道陣も慌てて左右に避ける。その間を少年は悠然と飛んで行く。

 

「zzz……」

 

「大丈夫か、真帆!」

 

「う、うん……」

 

「……お、追うぞ! コメントを取るんだ!」

 

 一瞬呆然としていた報道陣は我に返り、その半分が少年を追いかける。

 

「お、思わぬ邪魔が入りましたが、紺碧さん……」

 

 もう半分の報道陣が再び真帆に視線を向ける。炎仁が舌打ちする。

 

「ちっ、しつこいな!」

 

「それ!」

 

「⁉」

 

 辺りを白い煙が包み込む。

 

「な、なんだ、今度は⁉」

 

「煙幕⁉」

 

「現状の把握が早い……って、呑気に感心している場合か! 真帆! 居ない⁉」

 

 炎仁が自身の両腕の間にいるはずの真帆が居ないことに驚く。すぐさま周囲を見回すと、真帆の手を引いて走り去る男の姿が見えた。

 

「はあ……はあ……」

 

 腕を引かれて体育館の裏にまで走ってきた真帆が肩で息をする。

 

「いやあ~大変だったね。大丈夫だったかい、マドモアゼル・マホ?」

 

 ウェーブの入った少し長い金髪をなびかせた男子が真帆に声を掛ける。

 

「マ、マドモアゼル? なんで私の名前を……」

 

「ああ失礼、僕は金糸雀(かなりあ)レオン、君と同じくこの短期コースの受講生さ」

 

 金髪の男性は髪をかき上げながら自らの名前を名乗る。

 

「はあ……質問良いですか?」

 

「ははっ、これはまた随分と積極的だね、良いよ、なんでも聞いてくれ」

 

「さっきの煙幕は……」

 

「ああ、僕の持ち物だ、色々持ち歩いている内の一つさ、逃げるのは得意でね」

 

「あ、そうですか……」

 

「ん? どうして距離を取るんだい?」

 

「いや、この人不審者の類だなと思って……」

 

「ふ、不審者扱いはひどくないかい⁉ ニンジャグッズは日本に住む男性なら誰しも一つや二つは持ち歩いているものだろう?」

 

「聞いたことないですけど……」

 

「あ、いた! 紺碧さん!」

 

「!」

 

 真帆を報道陣の内の一人が目ざとく見つける。

 

「せ、先輩! こっちに紺碧さんが……いてててっ⁉」

 

「うるせえ……」

 

 記者の男の腕を長身で褐色の男性がねじり上げる。

 

「ぼ、暴力反対!」

 

「過度な取材もどうかと思うぜ。どこの会社だ? 『エブスポ』か……学校に言って、出禁にしてやろうか?」

 

「そ、それは困る!」

 

「だったら見なかったことにしな。そろそろ入学式だ、写真はそこでも撮れんだろ」

 

「くっ!」

 

 男性が腕を離すと、記者はその場からそそくさと離れる。真帆が礼を言う。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「別に……騒がしいからイラついただけだ」

 

「真帆!」

 

 炎仁がその場に駆け付ける。

 

「え、炎ちゃん……」

 

「大丈夫か⁉」

 

「う、うん……こちらの方と不審者さんが助けてくれたわ」

 

「いや、不審者確定⁉ 金糸雀レオンという名前がある!」

 

「……もしかして煙幕を使ったのは君か?」

 

「そうだが?」

 

「紛れもない不審者だな」

 

「なんでそうなる⁉」

 

「くだらねえ……」

 

「あ、貴方も受講生ですよね? お名前伺ってもよろしいですか?」

 

「……草薙嵐一(くさなぎらんいち)だ」

 

「ラーメン屋さんみたいだね、美味しそうだ」

 

「そういうくだらねえことを言うやつは一人残らず〆てきた……」

 

 歩き去ろうとした嵐一が踵を返し、レオンに迫る。

 

「うわ⁉ ぼ、暴力反対!」

 

「そろそろ入学式始まるよ~っと」

 

「「⁉」」

 

 両者の間に翔がぱっと降り立つ。

 

「てめえは……」

 

「あ、天ノ川翔⁉」

 

「いや~そこの木の枝に引っかかっちゃってさ~やっと取れたよ~ほらほら皆、早くしないと遅れるよ、えっと……真帆ちゃんとその他三名」

 

「そ、その他って!」

 

 炎仁がムッとするが、翔はそれには構わず、颯爽と体育館の方へ向かっていく。

 

「い、行きましょうか」

 

 真帆たちも体育館に向かい、入学式が始まる。校長などの挨拶が終わると、眼鏡をかけ、そこそこ長い黒髪を簡素に後ろ結びにした女性が壇上に上がる。

 

「まずは報道陣の皆様、ご退場頂きたい……」

 

「……」

 

 突然の言葉に報道陣が露骨に戸惑う。女性が声を上げる。

 

「お早く!」

 

「!」

 

 報道陣が慌てて退場していく。しばらく間を置いて、女性が話を始める。

 

「諸君らの担当教官主任の鬼ヶ島甘美(おにがしまかんび)だ、早速だが、各自荷物を置いたら、ジャージに着替え、教練場に集合しろ。十分以内だ」

 

「……?」

 

 炎仁たちは揃って首を捻る。

 

「早くしろ!」

 

「‼」

 

 鬼ヶ島の一喝に炎仁たちは飛び跳ねるように体育館を出る。



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第2レース(4)訓練開始

 教練場に学校指定の赤いジャージに着替えた炎仁たちが緊張した面持ちで並ぶ。そこに真黒なジャージに着替えた鬼ヶ島が現れる。

 

「ふむ……遅刻者はいないか」

 

「あ、あの~?」

 

「なんだ、金糸雀?」

 

 おずおずと手を挙げたレオンに鬼ヶ島は鋭い視線を向ける。視線で人を貫けるのではないかという程だ。レオンは青い瞳を潤ませながら、勇気を振り絞って尋ねる。

 

「初日の午後はレクリエーションだと、頂いた資料では書いてあったかと……」

 

「それは忘れろ」

 

「え?」

 

 鬼ヶ島の言葉にレオンが首を傾げる。鬼ヶ島はため息を一つ挟んで説明する。

 

「諸君らも承知している通り、ここは関東競竜学校だ。『JDRA』……ジパング・ドラゴン・レーシング・アソシエーション、またの名を『ジパング中央競竜会』が作った学校だ。その騎手課程の目的はなんだ? 当然、騎手を育成することだ。しかしただの騎手ではない。プロの世界でも通用する騎手を育成しなければならない」

 

「……」

 

 黙り込む学生たちの前で、鬼ヶ島は説明を続ける。

 

「通常課程では三年かけて騎手を育成する。地方競竜にもいくつか学校があるが、そこも二年だな。それをこの短期コースを受講する諸君らは一年で全てのカリキュラムをこなすという……これがどういう意味が分かるか、撫子?」

 

「通常の三倍の速さでこなさければなりませんわね」

 

 鬼ヶ島の突然の問いに撫子飛鳥が落ち着いて答える。

 

「そうだ。つまり、諸君らには時間などいくらあっても足りないということだ……ここまでは分かったか、三日月」

 

「はい、よくわかりました」

 

 三日月海が淡々と答える。

 

「よって、休みも週一日だ! もっとも諸君らのドラゴンの世話もある……まだまだ手のかかる一歳竜……実質休みはないものと思え!」

 

「!」

 

 何人かが「マジかよ」と言った表情を浮かべる。それを鬼ヶ島は見逃さない。

 

「中列の二人と後列の両端、たるんでいるな、この教練場外周十周だ、早くしろ!」

 

「ふふっ……」

 

「何がおかしい? 草薙」

 

「時間ないって言っていたのに、罰走すか。それこそ時間の無駄じゃないすか?」

 

「余計な口答えは許さん、草薙……体力自慢の貴様は三十周だ」

 

「へいへい……」

 

 草薙嵐一は走り出す。他の学生も渋々ながら走り出す。鬼ヶ島が皆に向き直る。

 

「言いたいことは分かったな! それでは早速ドラゴンを使った実習に入る! 各自厩舎に向かい、竜具などを装具し、隣のコースに集まれ! 十分以内だ!」

 

「はい!」

 

 炎仁たちは戸惑いながら大声で返事をして、厩舎に向かう。

 

「ああ、朝日、天ノ川、金糸雀、お前らはいい。こっちに来い」

 

「え、なんすか?」

 

「朝日青空、ドラゴンでの通学……前代未聞の行為だ」

 

「その方が早く着くなって思ったんで」

 

 朝日青空は悪気なく舌を出す。

 

「天ノ川翔、敷地内でドローンを使用、あまつさえそれに乗って飛行するとは……」

 

「便利なものは使いたくなるので……」

 

 天ノ川翔は悪びれもせずに答える。

 

「金糸雀レオン、煙幕など怪しげな物を所持、さらに使用……」

 

「いや、あの場合は致し方なかったというか……」

 

「お前らは外周二十周だ」

 

「え~」

 

 三人とも不満そうな声を上げながら走り出す。鬼ヶ島はため息をついて呟く。

 

「……今年もまた随分と癖の強い奴が集まったな」

 

「真帆」

 

 厩舎で準備をしながら、炎仁は隣の竜房にいる真帆に話しかける。

 

「なに?」

 

「いや、なにって……なんでお前がここにいるんだよ」

 

「そりゃあ入学したからよ」

 

「それはそうだが……竜術競技は良いのか?」

 

「興味関心が移ったのよ。そんなにいけないこと?」

 

「べ、別にいけなくはないが……なんで一言言ってくれなかったんだ?」

 

「炎ちゃんも何も相談してくれなかったじゃない、そのお返しよ」

 

 真帆が炎仁の顔を見て悪戯っぽくウインクする。

 

「……しかし、推薦人の確保は俺より容易そうだが、よく競走竜を確保出来たな」

 

「親戚を当たってみたら、一頭いたわ、この『コンペキノアクア』がね」

 

 真帆が竜房からドラゴンを曳いて出る。紺碧色のドラゴンが大人しく歩く。

 

「水竜か」

 

「ええ、とっても聞き分けの良い子よ……それが炎ちゃんのドラゴンね。あら? 冠名をつけたの?」

 

「ああ、『グレンノイグニース』だ。紅蓮牧場の竜だからな」

 

 二人は厩舎を出て他の学生とともに、教練場へと戻る。鬼ヶ島が早速指示する。

 

「よし、騎乗!」

 

 ドラゴンの背中辺りをポンポンと叩くと、ドラゴンはしゃがみ、人間が跨りやすい体勢になる。これによって、人間は補助なしでも騎乗することが出来る。競走竜や竜術競技用の竜には初めのうちに教える動きである。皆、苦もなく騎乗する。

 

「よっと……」

 

 炎仁もすっかり慣れたものである。鬼ヶ島は頷くと、次の指示を出す。

 

「諸君らの訓練は私を含め、四人の担当教官で見る。あそこに竜に跨った教官がいるだろう? 3ハロン、600mだ。あそこまでドラゴンを走らせろ。一頭三回ずつだ」

 

「……」

 

「最初はスローペース、1ハロン11秒台、つまり3ハロンを33秒台、次は平均ペース、1ハロン10秒台、最後はハイペース、1ハロン10秒を切るタイムで走らせろ」

 

「えっ⁉」

 

 真帆が思わず驚きの声を上げる。

 

「どうした紺碧?」

 

「い、いえ、タイム指定ですか?」

 

「さっきも言っただろう? 諸君らには時間が無い。『まずはドラゴンをまっすぐ走らせましょう』、『コーナーリングのコツは……』などと悠長なことを言っている場合ではないのだ」

 

「は、はい……」

 

「分かったのなら、二頭ずつ走れ」

 

 炎仁たちの顔にも緊張が走る。もうふるい分けは始まっているのだ。

 

「ふう……」

 

 ペースランニングが終わり、真帆が安堵のため息をつきながら戻ってくる。流石に騎乗スタイルは様になっている。

 

「よし、次は……」

 

 鬼ヶ島が次々と訓練メニューを提示する。炎仁たちは戸惑いながらもそれらをなんとかこなしていく。

 

「はあ、はあ……」

 

「今日のところはこの辺りにしておくか。それでは最後に模擬レースをする。左周り1000m、四頭で行う。結果は問わん、志願者はいるか?」

 

「は、はい!」

 

 真帆が手を挙げる。鬼ヶ島が笑う。

 

「ふむ、やる気は十分だな、後の三人は……」

 

「はい」

 

 炎仁と二人の女が同時に手を挙げる。

 

「ふむ、紅蓮と茶田姉妹か。よし、準備しろ」

 

「……」

 

 炎仁たちがスタート地点につく。スタート地点の教官が声を上げる。

 

「スタート!」

 

 炎仁たちがスタートする。大きく出遅れてしまった炎仁以外は良いスタートを切った。三頭がほぼ横並びで進み、最初のコーナーに差し掛かる。

 

「ぐっ!」

 

 真帆の乗るコンペキノアクアが若干よろける。後ろから見ていた炎仁が驚く。

 

「真帆!」

 

「ちょ、ちょっと! ぶつかっていますよ!」

 

 真帆が怒りを抑えた声で抗議する。

 

「ぶつけてんのよ!」

 

「ええっ⁉」

 

 相手の思わぬ返事に真帆は驚く。コンペキノアクアを挟み込むように走る茶色い竜体をした二頭のドラゴンの内、一頭がやや前に出て、真帆たちの進路を防ぐ。

 

「『金メダルとダービージョッキーの二冠』? 舐めたこと言わないでくれる?」

 

「そ、それは記者さんたちが勝手に言っていることで……」

 

「アンタみたいなお遊び気分のお嬢さんが一番気に食わないのよ!」

 

「今日の訓練も内容悪かったじゃない!」

 

「そうそう、経歴に傷が付く前にさっさと辞めたら⁉」

 

「くっ……」

 

 真帆は唇を噛む。茶田姉妹の言う通り、訓練内容は自分が一番良くなかった。競竜転向からたった数か月の練習だけでは所詮付け焼刃に過ぎないということを痛感した。だからこそこの模擬レースで挽回しようと思い志願した。教官は結果を問わないと言ったが、やはり一着の方が印象は良いだろう。しかし状況は芳しくない。

 

「そらっ!」

 

「⁉」

 

 前に出た一頭が巧妙に芝生を蹴り上げる。真帆たちの顔にかかり、またもや若干よろけてしまい、真帆はコンペキノアクアを後退させる。茶田姉妹が笑う。

 

「ははっ! そこで下げるって! 勝つ気あるの?」

 

(内側は完全に閉じられてしまった……外に持ち出す? いや、この人たちは対応してくるはず。悔しいけどこのまま行くしかないか……)

 

「真帆!」

 

「⁉」

 

 炎仁の言葉に真帆は驚いて視線を向ける。

 

「諦めるな! チャンスはある! 集中を切らすな!」

 

「!」

 

 真帆は視線を前に戻し、あえて竜体を前進させる。茶田姉妹はそれを見て笑う。

 

「竜術競技のように飛越してくる? 高速で走りながらそれをやるのは困難よ」

 

「……ここ!」

 

「何っ⁉」

 

 最後のコーナーで二頭のドラゴンのコーナーリングにやや乱れが生じたところを真帆は見逃さなかった。大体はここで滑空させるのだが、真帆はコンペキノアクアに細かいステップを踏ませ、二頭の間隙を縫わせるように走り、先頭に躍り出る。

 

「くっ⁉」

 

「馬鹿な⁉」

 

 レースはコンペキノアクアの一着で終わった。鬼ヶ島が口を開く。

 

「初日にしては見ごたえのあるレースを見せてもらった……茶田姉妹、貴様らは退校だ。荷物をまとめて帰れ。妨害行為が目に余る。我々の目は誤魔化せんぞ」

 

「ええっ⁉」

 

「確かにドラゴンレースというものは多少の接触ありきで、レースによっては妨害ありのものもある……しかし、今はそういった指定はしていない……事故につながりかねない危険な騎乗だ。そんな者たちに教えることはない、さっさと去れ!」

 

「ぐっ……」

 

 茶田姉妹が悔しそうにその場を後にする。やや間を空けて鬼ヶ島が皆に告げる。

 

「今日はここまで、ドラゴンを竜房に戻せ」

 

 厩舎では真帆が皆に囲まれる。飛鳥と海、青空が声をかける。

 

「紺碧さん、実に見事な騎乗でしたわ!」

 

「コーナーでステップワークを多用……その発想はありませんでした」

 

「今度はアタシと勝負しようぜ!」

 

「ははは……まだまだだから……」

 

 真帆は戸惑い気味に答える。

 

「ふふっ……」

 

 そんな様子を見て、炎仁は笑みを浮かべる。レオンが声を掛けてくる。

 

「笑っている場合かい?」

 

「え?」

 

「出遅れてほとんど見せ場なく終わったじゃないか。危機感を持った方が良いよ?」

 

「さ、早速罰走喰らった奴に言われたくねえよ」

 

「うぐっ⁉ こ、これから挽回してみせるさ」

 

「俺だってそのつもりだ!」

 

「……上がり3ハロンは最速か。グレンノイグニース、面白いかもしれんな……」

 

 教練場に一人残った鬼ヶ島は名簿を眺めながら呟く。



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第3レース(1)エリートと優等生と天才

                  3

 

「くっそー! 勝てねえー!」

 

 走り終えた炎仁は芝生に大の字になって寝転ぶ。そこに肩で軽く息をしながら嵐一がゆっくりと近づいてきて話す。

 

「……当たり前だろうが。お前いくつだ?」

 

「15だよ」

 

「俺は18だ。こないだまで中坊だったやつにそうそう負けるかよ……」

 

「えっ?」

 

「えっ?って何だ、知らなかったのか?」

 

「……このコースは15歳から20歳まで受講可能だから。年齢もばらけるよね~」

 

 自身も走り終えたレオンが二人の元に歩み寄りやや呼吸を乱しながら口を開く。

 

「そういやそんな事も要項に書いてあったような……」

 

「それくらい確認しておきなよ。それに彼は高校野球のスター選手だったわけだからね……そうそう太刀打ち出来る相手じゃないよ」

 

「ええっ⁉ 本当か?」

 

「ああ、『群馬の四刀流』……聞いたことあるだろう?」

 

「そ、そういえば! どこかで見たことあると思ったら……」

 

「……おい、おしゃべりパツキン」

 

 嵐一がレオンを睨む。

 

「ず、随分とひどいあだ名だな⁉」

 

「過ぎたことはどうでもいいんだよ、あんまりベラベラ喋るな……」

 

「そ、それは失敬……」

 

「分かりゃあいいんだよ……」

 

「お、俺だってサッカーで選抜に入ったことが……!」

 

「へえ、全国選抜かい?」

 

 レオンが興味深そうに炎仁に尋ねる。

 

「じ、地元のさいたま市の……」

 

「市かよ、せめて埼玉県選抜に入ってからこいよ……じゃなくて、いちいち張り合おうとしてくんな……ただの体力測定だろうが」

 

 嵐一が汗を拭いながらウンザリしたように呟く。炎仁は倒れ込んだままで答える。

 

「ただの体力測定でも、評価に含まれるかもしれないだろ」

 

「そうだとしたら助かるね、俺はトップ合格間違いなしだ」

 

 嵐一が笑みを浮かべる。レオンが肩を竦める。

 

「これはまた大した自信だね」

 

「事実を言ったまでだ……いつまでも寝転んでいると印象悪いぞ」

 

 嵐一は教官の方を見ながら、炎仁に声をかける。

 

「おっと!」

 

 炎仁は慌てて立つ。その場から去りゆく嵐一の背中を見て、レオンが呟く。

 

「ドラゴンジョッキーもアスリートだ。運動能力があるに越したことはない……体格も立派なフィジカルエリート。自分で言うようにトップ合格は堅いかもね……」

 

 教室でキッチリとしたパンツスーツ姿に着替えた鬼ヶ島が問う。

 

「……では、近代競竜の発祥について、答えられるものはいるか?」

 

「……」

 

「……♪」

 

「zzz……」

 

「分かりやすく視線を逸らすな、草薙、紅蓮。そして起きろ、天ノ川」

 

 翔が欠伸をしながら目を開ける。

 

「体力テストの後に座学はどうしたって眠くなりますよ……」

 

「貴様はいつも眠そうだが」

 

「こういう授業って必要ありますか?」

 

「自分たちが取り組む競技の成り立ちくらい知っておけ……なんだ、誰もいないのか? 先程の女子クラスでは、ほぼ全員が挙手したぞ」

 

 鬼ヶ島が呆れたように呟く。レオンが手を挙げる。

 

「教官」

 

「金糸雀」

 

 鬼ヶ島に指名されたレオンが起立し、答える。

 

「正式なルールに基づいて専用の競技用施設である競竜場において行われる競竜、いわゆる近代競竜は16世紀の英国で基礎がつくられたとされ、17世紀から19世紀にかけて欧州全体に広まり、また17世紀以降は、欧州諸国の植民地であった国々を中心に、南北アメリカ、アジア、アフリカ、オセアニアなどの諸地域においても行われるようになりました」

 

「ふむ、良いだろう、座れ。諸君らもこれくらいはスラスラと答えられるようになってもらわんと思わぬ所で恥をかくことになるぞ。では続ける……」

 

「すげえな、レオン」

 

 近くの席に座る炎仁が小声で称賛する。

 

「別に大したことじゃないさ」

 

 レオンは髪をわざとらしくかき上げながら答える。

 

「向こうでも座学は優秀だったんだろうな……」

 

「!」

 

 誰かがボソッと呟いた言葉にレオンの顔が一瞬曇る。

 

「どうした?」

 

「い、いや、別になんでもないよ」

 

 炎仁の問いにレオンは首を振る。

 

「はいよ~次の組、スタート~」

 

 いまひとつやる気のなさそうな男性教官の掛け声で4頭のドラゴンがスタートする。コーナーを一つ含めた約600mで行われる模擬レースである。

 

「ほい、ほいっと♪」

 

「はい、天ノ川、いっちゃ~く」

 

「よしよし、よくやったぞ、ヴィオラ」

 

 翔が紫色のドラゴンの竜体を優しく撫でる。スタート地点に並んでその様子を見ていた嵐一が苦々し気に呟く。

 

「さすがは競竜一家出身の天才、レースセンスはずば抜けていやがるな……」

 

「それにあの『ステラヴィオラ』も良いドラゴンだよ」

 

 嵐一の言葉にレオンが答える。

 

「珍しい色の竜体をしているが、あれはなんだ、座学優等生さん?」

 

「いや、本で見た気がするんだけど……なんだったかな」

 

「なんだよ、分かんねえのかよ」

 

「と、とにかくそれよりも注目すべきことがある」

 

「注目すべきこと?」

 

「入学してここ数日、ドラゴンに騎乗しての訓練は必ず模擬レースを何本かやって終わるようになっているよね」

 

「ああ、レースに慣れさせることと、俺たちを飽きさせないようにしようって狙いじゃねえのか。ドラゴンに乗りたくて集まったわけだからな」

 

 嵐一は自嘲気味に笑う。

 

「教官殿たちの狙いはさておいて……この模擬レースで、彼、天ノ川翔は全て違う戦法で走っている。先行して逃げ切る、後方から追い込む、エトセトラ……」

 

「なんだと? ってことは……」

 

「ああ、彼はこの模擬レースで自分のドラゴンに様々な戦法、走り方を教えている……そして、あのドラゴンもそれに応えるだけの自在な脚質を持っているんだ……」

 

「ちっ、合格云々よりそのずっと先を見ているってことかよ……」

 

「はいよ~じゃあ、次の組、スタート~」

 

「うおおっ! 今度こそ勝つ! って、ま、また出遅れた!」

 

 炎仁とグレンノイグニースは他の三頭から後れを取る。

 

「あいつはどうだ?」

 

「え? 運動神経は良いね。ただ、今の所それだけかな……悪い奴じゃないけど」

 

 嵐一の問いにレオンは苦笑する。

 

「初日の模擬レースは良さそうだったが、あいつは気にしなくても良いか……」

 

 嵐一は懸命に前の三頭を追いかける炎仁たちを見て呟く。



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第3レース(2)ワイルド&クレバー&スキルフル

「うおりゃ! 『サンシャインノヴァ』のお通りだぜ!」

 

 青空が叫びながら、オレンジ色のドラゴンを勢いよく先頭に躍り出らせる。

 

「粗々しい部分もまだありますが、思い切った騎乗をしますね……」

 

 走りを眺めながら海が半分感心したように呟く。真帆が尋ねる。

 

「ああいう色の竜体は珍しいですね、どういう系統なんでしょう?」

 

「競争竜とは『地竜』、『水竜』、『炎竜』、『風竜』という大元の四系統から様々に派生しています。細かく分ければ百以上の分類になりますが、あの色合いは……ちょっと分からないですね……」

 

 海が首を振る。

 

「血統的なものも?」

 

「伺ってみましたが、ただ一言『知らね』と……」

 

「し、知らないんですか……」

 

「『山の中にいた野良ドラゴンを拾ってきただけだ』と言っていましたね」

 

「まさか、冗談でしょう」

 

「あの方の場合、絶対に冗談だとも言いきれないのが……」

 

「ははっ……」

 

 真帆が苦笑を浮かべる。飛鳥が近づいてくる。

 

「ドラゴン自体もそうですが、彼女の騎乗技術も目を見張るものがありますわ」

 

「そうですね……」

 

「関東出身だそうですが、三日月さん、貴女は大会などで彼女を見かけたことは?」

 

「ありません。全く話にも聞いたことがないです」

 

「そうですわよね……ドラゴンで通学するなんて型破りな方がいたらとっくの昔に噂になっていますわ」

 

「これも彼女から伺いましたが、競竜歴はほんの数か月くらいだと……」

 

「ええっ⁉」

 

 海の言葉に真帆が驚く。対照的に飛鳥はさほど驚かずに頷く。

 

「天性のセンスというものもやはり存在しますからね……しかも、それに加えて、ドラゴンを抑え込む並の男子騎手以上の膂力、急な加速も怖がらない度胸、コーナーリングの際などに顕著な体重移動のスムーズさ……全体的にはまだまだ粗削りですが、外見同様にワイルドな騎乗スタイルは人気が出そうですわね」

 

「『野生の天才児』……」

 

 飛鳥の言葉を聞いている内に真帆はなんとなく呟く。飛鳥が笑う。

 

「ふふっ、なんとも直球なキャッチフレーズですけど、案外本人が気に入るかもしれませんわね。提案してみてはいかが?」

 

「ははっ、後で覚えていたら……」

 

 真帆は小さく笑みを浮かべる。自分の番となった海がドラゴンを進ませる。

 

「……天性のものがあるのは認めますが、ああいうのは好きになれません!」

 

 そう言って、海はドラゴンを走らせる。飛鳥が笑みを浮かべる。

 

「その割には色々とお話されているようですけどね……」

 

(大会常連の二人にもその騎乗の腕を既に認められている。さっきの話が本当なら、私と競竜歴はそれほど変わらないはずなのに……)

 

 真帆が顔を引き締める。

 

「……お次はペース走か、アタシこういうのは苦手なんだよな~」

 

 二頭ずつ走るドラゴンを見ながら青空が苦笑する。

 

「まさか、ずっとハイペースで走らせるわけにも行きませんし」

 

「理屈は分かるけどな~いまいちコツが掴めねえんだよな、ドラゴンの首元にタイマーとか付けたら駄目か?」

 

「駄目ですよ、ペース配分の練習なんですから」

 

「冗談だよ、真面目だな」

 

 真帆の言葉に青空は笑う。

 

「次に走る彼女の騎乗はとても参考になりますよ」

 

「え? あ~おさげ眼鏡か」

 

 青空は前の方に並ぶ藍色の竜体のドラゴンに乗った海を確認する。

 

「『ミカヅキルナマリア』、彼女自身が生まれたころからずっと面倒を見てきただけあって、お互いとても良い信頼関係が出来ていますね」

 

「家が牧場なんだっけ? そういや、授業でもやれ『インブリード』だ、『スタミナ・インデックス』だとか、呪文みてえなことを唱えていやがったな」

 

「呪文ではなく、専門用語ですよ」

 

「そんなもん覚えてレースに関係あるのかね……」

 

「大いに関係ありますわ」

 

 飛鳥が二人の後方からいきなり声をかける。

 

「うわっ! びっくりしたな、お嬢かよ」

 

「競竜とはブラッドスポーツ……血統のスポーツと呼ばれています。血統に関して知識を深めておくことは大事ですわ。血統を理解することでそのドラゴンの脚質、適正距離、得意なコース状態などをある程度見極めることが出来るのですから」

 

「そういうものかね」

 

「そういうものです。もちろん、例外もありますが」

 

「ふ~ん、それじゃあ、アタシはその例外になってやるぜ! あの眼鏡みたいにお行儀の良いレース運びは退屈でしょうがねえ!」

 

 自分の番となった青空はサンシャインノヴァを走らせる。

 

「三日月さんのこと、よく見ているじゃありませんか……しかし、三日月さんも相当腕を上げてきているわね。かなりの努力を重ねてきたようね」

 

 飛鳥は微笑みながら呟く。

 

(関東大会でも上位に入っていたという三日月さん……そんな彼女がさらに腕を上げてきている……『努力する理論派』……クレバーなタイプ、強敵ね)

 

 真帆は一層顔を引き締める。

 

「……さて、続いては少し趣向を変えて、このコースを使う。見ての通り、障害物があり、僅かだが起伏がジグザク続くセクションもある。タイミングよく飛んで、その中をくぐる木の葉で出来た輪など……実際の競竜レースではここまで短い間隔で障害が置いてあるということはまずないのだが、あえてより細やかな騎乗技術を諸君らには求めたい」

 

 鬼ヶ島の説明に真帆は内心頷く。

 

(ここは私の得意とするところ……ここでアピールしなければ!)

 

 何人かが挑戦し、苦戦する中、真帆の出番がやってきた。

 

「次、紺碧!」

 

「はい!」

 

 真帆はコンペキノアクアを巧みに操り、障害コースをほとんど苦もなく突破する。

 

「見事だ」

 

「ありがとうございます」

 

 真帆は教官の賛辞に頭を下げる。

 

「しかし、速さが若干物足りないな……」

 

「え?」

 

「次、撫子!」

 

「はい!」

 

「⁉」

 

 真帆は驚く。撫子が自分よりは飛越などの技術は流石に劣るものの、驚くべき速さでこの障害コースを突破してみせたからである。鬼ヶ島が満足気に声を上げる。

 

「良いぞ、撫子、諸君らも今のを見習え!」

 

「貴女のおかげで褒められたわ、『ナデシコハナザカリ』」

 

 飛鳥がピンク色の竜体を優しく撫でてやる。

 

(くっ……なんてスキルフルな騎乗スタイル……天才と呼ばれる人種はどこにでもいるのね。すっかり自惚れていたわ。とにもかくにも、現在の私には足りないものが多すぎる……しかし、ここでもアピール出来ないとなると、相当苦しい立場に立たされているわね)

 

 苦渋の表情を浮かべている真帆に鬼ヶ島が声をかける。

 

「……紺碧、元の位置に戻れ」

 

「は、はい!」

 

 真帆がドラゴンを進ませる。ただ、その足取りは決して軽くない。



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第3レース(3)それぞれの問題点

「……さて、本日も騎乗訓練がメインだ。諸君らにとっては喜ばしいだろう」

 

 鬼ヶ島が並ぶ学生たちに告げる。隣に並ぶ炎仁と真帆の顔は堅い。

 

「課題が山積みだからな……」

 

「喜んでばかりもいられないわ……」

 

「ドラゴンに乗ったらコースに出ろ。ああ、朝日と天ノ川、お前らは罰走だ」

 

「ええ~なんでですか~」

 

「なんでって、まだ一週間も経っていないのに何度目だ、寝坊は」

 

「朝は弱いんですよ~」

 

「それでジョッキーが務まるか」

 

 鬼ヶ島が翔に対して呆れた目を向ける。

 

「ちょっと待った! アタシは今日遅れてないっすよ⁉」

 

「厩舎で寝泊まりするやつがいるか」

 

「そ、その方がより確実だと思って……」

 

「決められた場所で過ごせ、ルールを守れない奴は周囲の迷惑だ」

 

「ちぇ……いいアイデアだと思ったんだけどな」

 

 翔と青空はぶつぶつ言いながら走り出す。

 

「……今日は最初から模擬レースを行う。但し、強度は少し高める」

 

「強度?」

 

 レオンが首を傾げる。

 

「教官二名が混ざり、六頭立てで行う。さらに結果も求めたい。これまでは走り切ることに重きを置いていたが、一回一回勝ちにこだわれ、以上だ」

 

「……うおっしゃ! 一着だ!」

 

 深緑色の竜体をしたドラゴンに跨る嵐一が吠える。並走していた学生が抗議する。

 

「ちょ、ちょっと待て! 今の走りは妨害だろう」

 

「あん? 難癖付けんのかよ?」

 

「やめろ……今の程度ならばルール上問題はない」

 

 レースを見ていた鬼ヶ島が冷静にジャッジする。

 

「ほら見ろ」

 

「くっ……」

 

「ただ、やや強引だった。草薙、もう少し仕掛けは早くしろ」

 

「……っす」

 

 鬼ヶ島の指摘に嵐一は頷く。

 

「三日月」

 

「は、はい!」

 

「今のレースは貴様が優勢だったぞ、最後まで油断するな」

 

「……はい」

 

 海が頷いて、スタート位置へ戻る。

 

(草薙嵐一と『アラクレノブシ』号、多少の不利な状況なら打開出来る力強さがあるな。王道路線よりもあるいはあの路線の方が可能性あるのかもしれん。ただ、草薙のすぐに苛立つ性格が厄介だな……三日月海と『ミカヅキルナマリア』号、ややお上品過ぎるな……少しでも計算外のことが起こると、すぐに対応出来なくなる。せっかくの能力を活かしきれていない……)

 

 鬼ヶ島は模擬レースを見ながら分析する。

 

「よっし! 一着ですわ!」

 

 飛鳥がガッツポーズを取る。

 

「……撫子、こっちへ来い」

 

「は、はい!」

 

 飛鳥が鬼ヶ島の下へ近づく。

 

「……」

 

「ガ、ガッツポーズはちょっとはしたなかったですわね」

 

「それはいい……何故あそこで無理に突っ込ませた?」

 

「!」

 

「そのドラゴンならば無理をしなくても勝てたレースだった」

 

「いや、その……」

 

「多少の無理をしても勝てるのは一流のジョッキーだ。ただ、貴様の技術はまだそこまでは達していない、姉の真似をして背伸びをするのはやめろ」

 

「そ、そんなつもりは!」

 

「そう言ってすぐムキになるのがなによりの証拠だ、戻れ」

 

「ぐっ……」

 

 飛鳥が悔しそうな表情を浮かべながら、スタート地点に戻る。鬼ヶ島が叫ぶ。

 

「金糸雀! こっちへ来い!」

 

「は、はい……」

 

「呼ばれた理由は分かるな……」

 

「ええっと……」

 

「何故ドラゴンを下げた? あのタイミングで抜け出せば勝ちを狙えたぞ」

 

「それは……」

 

「……事情は概ね把握しているつもりだ」

 

「えっ……」

 

「ただ、冷たいようだがそれは貴様自身で克服してもらわねばならん。この短期コースは時間が無い上に、貴様の為だけにあるものではない。戻っていい」

 

「はい……」

 

 レオンがトボトボと黄色い体色のドラゴンをスタート地点へ歩かせていく。

 

(撫子飛鳥と『ナデシコハナザカリ』号、技術はこの時点でも申し分ないが、このままではそれに溺れかねんな……金糸雀レオンと『ジョーヌエクレール』号、血統的には可能性を感じるドラゴンだが、乗っている騎手があの状態ではな……騎手の不安などマイナス要因が伝播しやすいのが競争竜というものだ。このままではポテンシャルを完全には発揮できないだろう。さてどうしたものか……)

 

「教官~走り終わりました」

 

 青空が鬼ヶ島に声をかける。

 

「ああ、貴様らもドラゴンに乗って混ざれ、今日は徹底して模擬レースだ」

 

「よっしゃあ!」

 

「やった~」

 

 青空と翔が喜び勇んで厩舎へ走っていく。鬼ヶ島は苦笑しながら呟く。

 

「奴らの場合は問題点が別の所にあるからな……」

 

「は~い、スタート!」

 

 やる気があまり無さそうな男性教官の掛け声でスタートを切る。

 

「いっくぜ~!」

 

「よっと」

 

「うおっ!」

 

 勢いよく飛び出した青空のドラゴンの前に翔のドラゴンが巧みに位置する。

 

(アタシの腕じゃ、内に包まれる! 外に持ち出す!)

 

「おわっ!」

 

 青空がやや強引に位置取りを変える。外側を走っていた学生は驚く。青空が外に持ち出したことで、内側にやや空きが生まれる。

 

(外側がかえってごちゃついた! 内側がチャンスだ!)

 

 レースを見ていた炎仁はそう感じる。少し後方を走っていたレオンとジョーヌエクレールにとってはここを突いていくべきところである。

 

「……くっ!」

 

 しかし、レオンはジョーヌエクレールを突っ込ませようとはしなかった。レースは先行策を取った翔が勝ち切ってみせた。

 

「……十分休憩だ! 金糸雀、こっちへ来い!」

 

 鬼ヶ島に呼び出され、レオンがなにやら指導を受ける。その後、レオンは皆とは違う水飲み場に向かう。気になった炎仁はそれを追いかける。

 

「レオン?」

 

 水を頭にかけて、さっとそれを振り払ったレオンは炎仁を見ずに呟く。

 

「……僕は今日限りで辞めるよ」

 

「ええっ⁉」

 

 思わぬ発言に炎仁は驚く。



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第3レース(4)愕然

「教官に伝えてくる、ドラゴンの面倒を見ていてくれないか」

 

 レオンは水で濡れた顔をハンカチで拭くと、その場から足早に去ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと待て、落ち着けよ!」

 

 炎仁がレオンの左腕をがっしりと掴む。

 

「落ち着いているよ」

 

「じゃあ、なんでいきなりそんな突拍子もないことを……!」

 

「君にとっては突拍子もないことかもしれないが、僕の中では繋がっているんだよ」

 

「繋がっている?」

 

「そう、一つの線でね。腕を離してくれ」

 

「わけを話してくれないか?」

 

「何故君にそんなことを話さなければならないんだい?」

 

「先日まで汚名返上するって意気込んでいたじゃないか。一体どうしたんだ?」

 

「……まあ、こんな奴もいるんだということを知っておいてもらっても良いかな……君は合格するのはなかなか厳しそうだけど」

 

「うぐっ」

 

「わけを話すよ、とにかく腕を離してくれないか」

 

「あ、ああ……」

 

 レオンはその場に腰を下ろす。

 

「何故か今だに全体で自己紹介させられないけど……僕は金糸雀レオン、16歳」

 

「え? 一個上かよ!」

 

「そう、だから本来、君は僕に対して敬語を使うべきなんだよね。まあ冗談だけど」

 

「このコースでは同期生に当たるわけだからタメ口で問題ないだろう」

 

「そ、そういう解釈で来たかい……ま、まあ、それはどうでもいい。僕はジパング人の父とフランス人の母の間に生まれたハーフだ。母がジョッキーで、父は調教師。天ノ川や撫子さんの家に比べれば知名度は低いけど、所謂競竜ファミリーだ」

 

「競竜ファミリー……」

 

「幼き頃からドラゴンに親しんできた僕にとってはドラゴンレーシングのジョッキーになるということは極めて自然な流れだった」

 

「ああ……」

 

「ジュニアやジュニアユース世代での関東大会ではそれなりに優秀な成績を収めていた……しかし、いつも上位には彼らがいた」

 

「彼ら?」

 

「同い年の天ノ川翔や、少しお姉さんの撫子飛鳥さん……彼らも当然ジョッキーになるのだろう……だが、このままではお互いの距離が一向に縮まらないままだと僕は思った。そこで僕は決断を下した!」

 

「決断?」

 

「競竜の本場、欧州の競竜学校で本格的に学べば、彼らを超えることが出来るはず! 僕はそう考え、母の母校であるフランスの競竜学校に昨春入学した」

 

「そうだったのか……」

 

 炎仁は俯きがちになる。レオンは右手を挙げて否定する。

 

「あ、言っておくけど、つまらないイジメの類はほとんど無かったよ。皆、ジョッキーになる為それぞれ必死なわけだからね。問題は僕自身だ……」

 

「レオン自身……?」

 

「ああ、入学して三か月が過ぎたころ模擬レースがあった。こちらの教官同様、『結果は問わない』という話だった。しかし、一着、もしくは上位で入線した方が絶対に教官たちの印象は良いはずだ。僕は張り切った、張り切りすぎてしまった……」

 

「張り切りすぎた?」

 

「ああ、前方の竜群に生じたわずかな隙間にドラゴンを突っ込ませた結果、転倒、何頭かを巻き込む派手な落竜事故を起こしてしまったんだよ」

 

「え……」

 

 レオンの言葉に炎仁は絶句する。

 

「不幸中の幸いで僕らも含めて人竜ともに皆軽傷で済んだ。学生たちも教官たちも僕を必要以上には責め立てなかった。しかし……」

 

「しかし?」

 

「そこからドラゴンを竜群に突っ込ませることが出来なくなったんだよ……いわゆる『イップス』って奴さ」

 

「イップス……」

 

「普通に走らせる分には問題ないんだけどね……激しく競り合う場面になると、どうしても体がすくんでしまう……フランスの学校は三か月待ってくれたが、状況は改善せず、僕は日本に帰国したってわけさ」

 

「そうだったのか……」

 

「そこから約半年が経過し、もう大丈夫かと思ってこのコースを受講したんだけど……現実はそう甘くなかったようだね」

 

 レオンは立ち上がり歩き出そうとする。

 

「待て、それで良いのか?」

 

 炎仁の言葉にレオンはため息交じりで答える。

 

「言っただろう、このイップスが治ってないのだから、このまま続けても、君らに余計な迷惑をかける恐れがある。ここで僕が去った方が良い」

 

「……騎手になるのも諦めるのか」

 

「!」

 

「子供の頃からドラゴンに親しんできたんだろう? 大会にも数多く出てきたんだろう? そんなことで諦められるのか?」

 

「諦めきれるわけないだろう!」

 

 ここまで冷静に話していたレオンが声を荒げる。

 

「……じゃあ、辞めるなんて言うなよ」

 

「しかし、現実問題としてイップスはどうする⁉」

 

「イップスには現代医学でも明確な治療法が確立されていないっていう話くらいは俺も聞いたことがある……」

 

「ふん、案外博識じゃないか」

 

 炎仁の言葉にレオンは失笑気味に答える。炎仁は右手でピースサインを作る。

 

「……俺から二つほど提案がある」

 

「二つ?」

 

「『ちょっとふざけた話』と『真面目にふざけた話』だ」

 

「ど、どっちもふざけた話じゃないか! ふざけるな!」

 

「だからふざけた話だって言っただろう? どっちから聞きたい?」

 

「……『ちょっとふざけた話』」

 

「入学に当たって、要項が配られただろう?」

 

「ああ、すぐに忘れろと言われたじゃないか」

 

「大事なところを見落としていないか?」

 

「大事なところ?」

 

「そう、このコース、夏に温泉付きの訓練施設で合宿があるんだ!」

 

「……それがどうした?」

 

「カァーッ! 察しが悪いな、いいか? 厳しい訓練の後は皆温泉に入るだろう、男も! そして女も!」

 

「⁉」

 

 レオンはハッとした表情で炎仁を見つめる。

 

「その時、お前の自慢のニンジャグッズが役に立つ! ……かもしれない!」

 

「な、なるほど!」

 

「楽しいことをイメージするんだ!」

 

「イメージトレーニングは重要だからね……それで本題は?」

 

「あ、それだけでは引っかからなかったか?」

 

「当然だろう」

 

「では、『真面目にふざけた話』だが……」

 

 炎仁がそっと耳打ちする。

 

「! そ、そんな……!」

 

「ダメか?」

 

「いや、やってみる価値はありそうだね……」

 

 レオンはニヤリと笑い、ドラゴンに跨って、集合場所に戻る。

 

「……では模擬レースを再開する!」

 

「よ~い、スタート!」

 

 掛け声とともにレオンとジョーヌエクレールが勢いよく先頭に飛び出す。そのままスピードを緩めず、どんどんと加速していく。

 

「は、速い!」

 

 真帆が驚く。飛鳥が笑う。

 

「そんなペースが持つわけがありませんわ……」

 

 しかし、飛鳥の読みとは異なり、レオンとジョーヌエクレールは先頭に立ったまま、最後の直線に入った。飛鳥が慌てて手綱をしごく。

 

「そ、そんな馬鹿な!」

 

 追いかけるも及ばず、レオンたちがまんまと逃げ切ってみせた。レオンは鬼ヶ島の下に近づき、口を開く。

 

「これが僕なりの答えです。助言があってのことですが……」

 

「竜群に怖さを覚えるなら群れなければいいということか」

 

「まあ、そうですね……もちろん、このジョーヌエクレールの脚質、加速力、スタートでの反応の良さを総合的に判断した結果でもあります」

 

「……それで戦えると判断したのならやってみろ」

 

「ありがとうございます」

 

 レオンは鬼ヶ島に礼を言う。

 

「くっ、届かねえ!」

 

「なんてハイペース……常識外れ過ぎる」

 

 続いてのレースでもレオンたちは大逃げをかまし、相手にかなりの着差をつけた。青空は悔しがり、海は顔をしかめた。レオンは得意気に話す。

 

「はっはっは! 誰も僕らを捕まえられないよ!」

 

「ちっ、調子に乗りやがって……」

 

 嵐一が舌打ちする。

 

「でも、あの手のタイプは一度調子に乗るとなかなか手がつけられない……」

 

 翔が淡々と呟く。嵐一が苦々し気な表情を浮かべる。

 

「そういうのはなんとなく分かる。対策は?」

 

「ただ闇雲に逃げているわけじゃない。ペース配分も完璧というわけじゃないが、ちゃんと行っている。厄介な相手だよ」

 

「お前にそこまで言わせるかよ……」

 

 翔の言葉を聞いて、炎仁は何故か我が事のように嬉しくなる。そこに近づいてきたレオンが炎仁に語りかける。

 

「はっはっは! 炎仁! 次は君にレースとはなんたるかを教えてあげよう!」

 

「なっ⁉ い、言わせておけば!」

 

 そして翌日……ある狭い教室に八人の男女が集まった。真帆が炎仁に小声で話す。

 

「一体なにかしら? ここって普段あまり使ってない教室よね?」

 

「さあ、なんだろうな。しかし集まった面子的に……」

 

 炎仁は周囲を見回す。天ノ川翔、草薙嵐一、金糸雀レオン、撫子飛鳥、朝日青空、三日月海という面々が座っている。

 

「皆、ここ数日なにかと目立っている人たちよね……」

 

「うい~す、皆集まっているね」

 

 ぼさぼさ頭によれよれのスーツを着た男性が教室に入ってきた。炎仁が呟く。

 

「いつも今一つやる気のなさそうな教官……!」

 

「え、炎ちゃん、声に出ちゃってるよ!」

 

「ははは、とりあえず自己紹介をしておこうか、僕は仏坂巌(ほとけざかいわお)、このコースの教官を務めているよ。そして、今回このクラスを受け持つこととなった」

 

「クラス……まさか!」

 

 海が信じられないといった様子を見せる。仏坂は笑う。

 

「察しの良い子もいるみたいだけど、順を追って説明させてもらうね。入学以来この一週間、君たちには選抜を受けてもらっていたんだ」

 

「選抜~?」

 

 青空が怪訝な顔つきになる。

 

「そう、クラス分けのね。厳正な選抜の結果、君たち八人はCクラスということとなったんだ、とりあえずおめでとうと言っておこうかな」

 

「ちょ、ちょっとお待ちになって!」 

 

「Cクラスって……!」

 

 飛鳥とレオンが座席から立ち上がる。仏坂がうんうんと頷く。

 

「流石に気がつく子が増えてきたようだね……」

 

「どういうことっすか?」

 

 嵐一が憮然とした表情で尋ねる。

 

「えっと……この『関東競竜学校騎手課程短期コース』は例年大体二十数名が受講し、合格は大体十二、三名くらい、ざっくり言えば、Aクラスの八人とBクラスの半分が受かるって感じかな~」

 

「! と、ということは……?」

 

 真帆がおそるおそる尋ねる。

 

「そう、君たち八人は文字通り『崖っぷち』の状態からスタートってことだ」

 

「「「「「「「えっ⁉」」」」」」」

 

「zzz……」

 

 居眠りをかましている翔を除いた七人が仏坂の言葉に愕然となる。



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第4レース(1)Cクラスの顔ぶれ

                  4

 

「……『出遅れ』って言った方がレースっぽいかな?」

 

 仏坂は笑う。

 

「な、納得がいきませんわ!」

 

「どこにいくの?」

 

 飛鳥が席を離れようとしたので、仏坂が尋ねる。

 

「抗議しに参りますわ!」

 

「やめといた方が良いと思うよ~?」

 

「しかし!」

 

「甘美ちゃん……じゃなかった、鬼ヶ島教官は優秀だよ……彼女の指導を受け、現在ジョッキーとして活躍している子は多い。彼女の判断や人を見る眼にほぼ間違いはない――もちろんクラス分けに関しては僕ら、他の三人の教官の意見も反映はされているけど――大体抗議して、例えばAクラスへの編入が認められたからといって、イコール合格だというわけではないよ」

 

「む……」

 

「……確かに聞いた話ですが、過去にCクラスからの合格者も何人かいたとか……」

 

 海がズレた眼鏡を直しながら呟き、席に座る。

 

「そうそう、まあAクラスの合格率が圧倒的だけどね~」

 

「! やはりご再考を嘆願しに……」

 

「そうやっていちいち冷静さを欠く所が引っかかったんじゃないかな~」

 

「ぐっ!」

 

 飛鳥が苦い顔になる。ある程度は自覚している部分であったからだ。

 

「……とりあえず座ろうか」

 

「……失礼いたしました」

 

 飛鳥が席に座ると、仏坂が教壇に上がり、皆を見回しながら話す。

 

「単純な騎乗技術だけでクラス分けを判断しているわけじゃない。細かい評価基準・内容については教えられないけど……。皆に言いたいのはCクラスだといって自棄にならないで欲しいということだ。約一年ある。多少の出遅れは取り戻せるよ」

 

「鬼眼鏡……鬼ヶ島教官は時間がないとか言ってましたけど?」

 

 嵐一が頬杖をつきながら仏坂に問う。

 

「まあ、それもそうなんだけどね……AクラスとCクラスでカリキュラムに大きな変更があるわけじゃない。騎乗訓練などはほとんど合同で行う。アピールのチャンスはいくらでも転がっているよ。アピールにばっかり頭が行っちゃうのも困るけど」

 

「ちょ、ちょっと安心かな……?」

 

 レオンが胸を撫で下ろす。

 

「教室は他より明らかに狭えけどな」

 

 青空が自虐的に笑う。

 

「そ、その辺はノーコメントってことで……」

 

 仏坂が苦笑する。

 

「……」

 

「それじゃあ、皆で厩舎に行こうか」

 

「え?」

 

「そうと決まったら移動、移動」

 

 仏坂は戸惑う炎仁たちに移動を促す。

 

「……厩舎で何を?」

 

 首を傾げる真帆に仏坂が告げる。

 

「それぞれ自分とドラゴンの紹介をしてもらおうかなと思ってね。名前、年齢、出身、趣味、ドラゴンの名前、性格、走りぶり……後は目標とかあれば聞かせて欲しいな、漠然としたものでもいいから。それじゃ、年長順によろしく」

 

「……俺からか、草薙嵐一、18歳、生まれは群馬、趣味は……音楽鑑賞だな。乗っているドラゴンはこいつ、『アラクレノブシ』、普段は大人しい方だが、走りぶりは結構荒々しいな。あとは目標か……『稼げるジョッキー』だな」

 

「ちょ、直球だね……」

 

「カッコつけてもしょうがねえだろ」

 

「確かに……」

 

 嵐一の言葉にレオンが苦笑交じりに頷く。

 

「お次はわたくしですわね! 撫子飛鳥、18歳、東京都出身、趣味はスイーツ巡りですわ。もちろん、体重等にはしっかり気を配っておりますのでその辺はご心配なく。ドラゴンはこの娘、『ナデシコハナザカリ』、母親もその母親もGⅠを勝っている良血竜ですわ。気性はちょっと難しいところもありますが、その内落ち着いてくるでしょう。走りぶりについては、まだ試行錯誤を重ねている段階ではありますが、母親に似て先行抜け出しのスタイルがしっくりくるかと思っていますわ」

 

「綺麗な竜体……」

 

「母竜も名牝でしたね、よく似ています」

 

 真帆と海が感嘆する。青空が尋ねる。

 

「で? 目標は?」

 

「ああ、そうでしたわね、『撫子家ナンバーワンのジョッキーになること』ですわ!」

 

「なんだよ、どうせならジパングナンバーワンを目指すとか言えよ」

 

「撫子家=ジパング競竜界と言っても過言ではありませんから!」

 

「へえ、そら失礼」

 

 青空は飛鳥の自信満々な物言いに首をすくめる。

 

「次は私ですか、三日月海、17歳、茨城県出身、趣味は……競竜のレース動画を見ることです。一日中見ていても飽きません」

 

「一日中は僕なら眠くなるな~」

 

「お前はいつでも眠そうだろ」

 

 翔の言葉に嵐一が笑う。

 

「……乗っているドラゴンはこの娘、『ミカヅキルナマリア』、お分かりの方もいるかと思いますが、私の実家『三日月牧場』で生産されたドラゴンです――孵化の瞬間から立ち会っているという多少の贔屓目を差し引いても――牧場の最高傑作になるであろうと思っています。気性面では少し落ち着きのない部分が見られますが、走りぶりは悪くないかと。目標は……『プロのジョッキーになって大きいレースを勝つ』ことですね。もちろんこの娘と一緒に」

 

 海は少し笑顔を浮かべながら、竜房から顔を覗かせるミカヅキルナマリアの額を優しく撫でる。レオンが海の顔を覗き込む。

 

「ほお、珍しく笑ったね……」

 

「な、なにか……?」

 

「いや、いつも仏頂面でいることが多かったから……もっと笑った方が素敵だよ」

 

「そ、そんなことはどうでも良いでしょう⁉」

 

 レオンの褒め言葉に対し海は目を逸らす。飛鳥が唇に人差し指を当てる。

 

「三日月さん、厩舎内ではお静かに」

 

「し、失礼しました……」

 

「さっきやたら叫んでいなかったか? おめえも変な所で発情すんなよ」

 

「い、いや、言い方!」

 

 青空の物言いにレオンが戸惑う。

 

「次はアタシか、朝日青空、17歳、出身は栃木。趣味はバイクをかっとばすことだな! 嫌なこと全部忘れられるからよ。ドラゴンはこいつ、『サンシャインノヴァ』だ! 普段はわりとのんびりしていやがるが、いざとなると気の強いところが気に入っているぜ。走りぶりはその名の通り、爆発力のある末脚が売りだ!」

 

「確かにバネのありそうな脚をしていますわね……」

 

「竜体が大きい方だけど、牝竜なんだね……」

 

 飛鳥と翔が興味深そうにサンシャインノヴァの竜房を覗き込む。

 

「おっ、お二人さんとも興味津々かい? 流石にお目が高いね~」

 

 青空が満足そうに笑う。

 

「あ、次は僕? ……天ノ川翔、16歳、神奈川県出身。趣味は……寝ることかな。ドラゴンはこの子、『ステラヴィオラ』、僕と違ってしっかり者だよ」

 

「ふふふっ……」

 

 翔の珍しい冗談に真帆が笑う。

 

「走りぶりについてだけど……今は色々な走り方を覚えさせている。自在な脚質を使い分けられれば良いなと思って……」

 

「そ、そんなことが出来るのか?」

 

 淡々と話す翔に炎仁が思わず尋ねる。翔は即答する。

 

「出来なければ困る、僕の目標は『あらゆるレースに勝てるジョッキー』だから」

 

「おお……」

 

 炎仁たちは自分よりも小柄な翔の発する静かな気迫に気圧されてしまう。

 

「つ、次は僕だね。金糸雀レオン、16歳、出身は千葉県。趣味は映画観賞かな? おすすめの映画があれば是非教えてくれ。ドラゴンは『ジョーヌエクレール』、フランス語で『黄色の稲妻』、その名の通り、稲妻のような逃げ足が持ち味だ」

 

「持ち味だ、って昨日編み出したばかりだろうが……」

 

「ふふっ、ただの一度も捉えられなかったじゃないか」

 

「ちっ、露骨に調子に乗りやがって……」

 

 わざとらしく髪をかき上げるレオンに対し嵐一が舌打ちする。

 

「ドラゴンの方は乗り手に全く似ず、調子に乗らない賢さを感じますね」

 

「ちょ、ちょっとひどくないかな⁉ 三日月ちゃん⁉」

 

「次は私ですね。紺碧真帆、15歳、埼玉県出身です。趣味は読書です。小説からエッセイやノンフィクション、なんでも読みます。ドラゴンは『コンペキノアクア』、聞き分けの良い娘で大変助かっています。走りぶりですが……前目の方でレースが出来れば良いのかなと思っています。目標は……今はとにかく『合格』ですね」

 

「どうよ、競竜オタク的には?」

 

「……血統的にも先行脚質の血が濃いので、紺碧さんの考えは概ね当たりかと」

 

 青空のからかいにややムッとしながら、海は冷静に分析する。

 

「俺が最後か、紅蓮炎仁、15歳、埼玉出身。趣味は体を動かすこと。ドラゴンはこいつ、『グレンノイグニース』。やや気が小さいところがあるが、やる時はやる竜だ。目標はこのイグニースと『レースを勝って、勝って、勝ちまくる』ことだ」

 

「頭の悪そうな目標だね」

 

「んなっ⁉」

 

 翔の遠慮のない言葉に炎仁は面食らう。

 

「やる時はやる竜って……出遅れが多いのは貴方の腕前の問題では?」

 

「ええっ⁉」

 

 飛鳥の容赦ない指摘に炎仁は動揺する。

 

「まあまあ、お二人さん……紅蓮君は現状ビリッケツという評価なんだから、もうちょっとお手柔らかに……あっ」

 

 仏坂はしまったという表情をして、手で口を覆いながら炎仁の顔を見る。

 

「ビ、ビリッケツ⁉」

 

 炎仁は自身の評価の低さに驚愕する。



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第4レース(2)尖った奴ら

「ぐおおっ!」

 

 コースで炎仁の叫びが虚しくこだまする。

 

「気合いを入れれば良いってものじゃないんだよ!」

 

 レオンが負けじと声を上げる。

 

「どうすればお前とエクレールのように見事なスタートを決められるんだよ⁉」

 

「う~ん、才能?」

 

「身も蓋もないな⁉」

 

 レオンの言葉に炎仁が愕然とする。

 

「何を騒いでいやがるんだあいつら……」

 

 離れた所にいた嵐一が呆れた様子で見つめる。

 

「いや~元気があって良いね~紅蓮君」

 

 指導用のドラゴンに跨った仏坂がうんうんと頷く。

 

「いや、教官……」

 

「うん? どうかした草薙君?」

 

「なに満足気に頷いてんすか」

 

「いや~僕さ、さっき、ついうっかり紅蓮君の評価を『ビリッケツ』って言ってしまったじゃない?」

 

「あれはついうっかりってレベルじゃなかったですね」

 

「でも見てくれ、紅蓮君のあの元気な様子を」

 

「……これ以上ないほどのカラ元気って感じっすけど」

 

「……やっぱり?」

 

 仏坂は首を傾げて尋ねる。

 

「ええ、見ていて痛々しいです。それに付き合わせられている金糸雀も気の毒です」

 

「ここは……指導に当たるべきかな~?」

 

「かな~じゃなくてべきです。そもそもなんですか、『自由課題』って」

 

「各自自由に課題に取り組んでもらおうかな~と思って……」

 

「指導教官としての職務を果たして下さい。このクラスの半分が競竜歴は浅いんだ、そんなレベルで各々の課題が解決できるはずもない。鬼ヶ島教官が言っているように時間は足りない。指導をお願いします。まずはあそこで叫んでいる馬鹿を」

 

 嵐一は顎をしゃくり、炎仁の方を指し示す。仏坂は意外そうな顔を浮かべる。

 

「え? 彼からで良いのかい?」

 

「正直、放っておいても構わないんだが……奴は馬鹿なりに懸命にやっている。そういう奴を教え導くことも指導者としては大事なんじゃないですか?」

 

「……もっともらしいことを言っているけど、僕を試しているね?」

 

「なっ⁉」

 

「このやる気の今一つ感じられないボロっちい黒ジャージの指導教官殿で果たして大丈夫なのか? 最下位の学生に対し、どのような指導を行うのか、それで僕の価値を計ろうとしているね?」

 

 仏坂の突然の問いかけに嵐一は少し戸惑いながら答える。

 

「……何度も言っていますが、時間が無いんです……!」

 

「それはそうだね……」

 

「ぬおおっ!」

 

「力みが入り過ぎだよ」

 

「⁉ 教官!」

 

「い、いつの間に……」

 

 仏坂が炎仁とレオンの側に近づく。

 

「最初から力み過ぎ。ここだというポイントで手綱を操作すれば良いんだ」

 

「ポイント……」

 

「点と点を合わせるというイメージかな、『行くぞ、行くぞ』と小刻みに波線を描いてしまってはドラゴンもどう反応していいか分からない。まあ、これはドラゴンのそれぞれの気性にもよるからなかなか難しくはあるけどね」

 

「点と点……」

 

「やってみてごらん……よーい、スタート!」

 

「! おっ、ちょ、ちょっと上手く行ったような!」

 

 炎仁がやや手応えを得たような声を上げる。

 

「ちょっとだけでも良い、そのイメージを大事にするんだ。忘れない内にもう一度」

 

「よし……おっ! 今度も良かったんじゃ!」

 

「……へえ、あれだけのやり取りで手応えを感じさせたか、一応指導教官だけはあるみてえだな……」

 

 嵐一が踵を返して、軽く自分のドラゴンを走らせる。

 

「……若干だけど体勢にブレがあるね、後ろから見るとよく分かるよ」

 

「⁉ なっ!」

 

 嵐一が驚いて振り返ると、そこには仏坂の姿があった。

 

「草薙君の場合は体格もしっかりしているし、体幹もすっかり出来上がっているんだ、そこを綺麗に保つだけでも大分変わってくると思うよ」

 

「は、はあ……」

 

 仏坂が嵐一のドラゴンに並びかける。

 

「その内に鬼ヶ島教官から話があるかもしれないし、君自身もなんとなく考えているかと思うけど、あの路線に進むにしても、正しい騎乗姿勢を身につけておくに越したことはないよ。基礎が出来ているからこそ応用がきくんだからね」

 

「……どうも」

 

 嵐一は素直に頭を下げる。

 

「……このペースでも大丈夫ですか、紺碧さん?」

 

「ええ、着いていけています、三日月さん!」

 

「併せ竜か、同じような『逃げ』・『先行』脚質だからね、良い訓練だ」

 

「「⁉」」

 

 並走する海と真帆の横に仏坂がピタッとつけてきたことに二人は驚く。

 

(結構なハイペースなのに、あっさりついてきた?)

 

(近づいてきたのに気配を感じなかった……)

 

「単純な並走もいいけど、一つ提案させてもらってもいいかな?」

 

「提案?」

 

「交代交代でどちらかが少し前を走るんだ。すぐ前、あるいはすぐ後ろに別のドラゴンが居るという感覚を早い内に覚え込ませる。レースでは必ずしも単騎逃げが出来るとは限らないからね」

 

「なるほど……分かりました、やってみます。ご指導ありがとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

 海と真帆は丁寧に礼を言う。

 

「うおおおっ!」

 

「しつこいですわね!」

 

 前を行く飛鳥のドラゴンを青空のドラゴンが追走する。

 

「ちっ! なかなか抜けねえ!」

 

(こちらはなかなか振り切れない! サンシャインノヴァ、ここまでとは!)

 

 青空は口に出して、飛鳥は内心、舌打ちをする。

 

「いやいや、なかなか迫力ある競り合いだね」

 

「なっ⁉」

 

「おっさん⁉」

 

 二頭のすぐ後方にいつの間にか、仏坂のドラゴンが来ていることに二人は驚く。

 

「お、おっさんって、一応教官だからね、僕……」

 

 青空の物言いに仏坂は苦笑する。

 

「教官なら教えてくれ! どうすりゃ、アイツを抜ける!」

 

「バイクとは勝手が違うかい?」

 

「ああ、全然違う!」

 

「それが分かっているなら上出来だ……見ていてくれ」

 

「な、なっ⁉」

 

 一瞬の間を置いて、仏坂のドラゴンが飛鳥のドラゴンを躱し、先頭に出る。

 

「ど、どうやった⁉」

 

「ドラゴンには呼吸がある。一息入れるタイミングを見計らって仕掛けてごらん」

 

「か、簡単に言うけどよ!」

 

「君のケモノみたいな……野生的カンがあれば出来るはずだ」

 

「今ちょっと良い感じに言い直しただろう!」

 

「同様のことは君にも言える」

 

「わ、わたくしにも?」

 

 仏坂は飛鳥に並びかけて告げる。

 

「相手の騎手の心理を読むだけでなく、ドラゴンの息遣いを感じるようにするんだ。そうすれば競り合われたときに、それを利用して上手く突き放すことが出来る」

 

「か、簡単におっしゃいますけど! レースの最後の局面でそんな余裕はとても!」

 

「思考を働かせるより、感覚を覚え込ませるって感じかな、プロのトップジョッキーは皆、そういう感覚が備わっている、君のお姉さんもね」

 

「! ……ご指導ありがとうございます」

 

 飛鳥は恭しく頭を下げる。

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

「朝日さん! 少し休憩したらもう一本行きましょうか!」

 

「おうよ!」

 

 飛鳥の呼びかけに青空が答える。

 

「……ふっ!」

 

 翔がステラヴィオラをスパートさせる。

 

「精が出るね~」

 

「⁉」

 

 翔は驚く。仏坂があっさりと並びかけてきたからである。

 

「さっきから同じところばかりを走っているけど、イメージは?」

 

「……中団で脚を溜め、後方一気のスパート……です」

 

 翔は淡々と答える。

 

「なるほどね~しかし、この段階でイメージトレーニングとは恐れいったよ」

 

「それはどうも……」

 

「もう一回やってみてくれるかな?」

 

「言われなくても……」

 

 翔はドラゴンを同じスタート位置に戻す。仏坂が尋ねる。

 

「ちょっと並走させてもらっても良いかな? よりイメージしやすいと思うけど」

 

「お好きにどうぞ」

 

「よし、じゃあ、スタート!」

 

「!」

 

 仏坂のドラゴンはステラヴィオラにピッタリと並走する。

 

「竜群を捌くのは大変だと思うけど?」

 

「最終コーナーを回って、最後の直線に入ったら竜群はどうしてもばらける……皆勝ちたいから……その間隙を縫うように走るイメージです」

 

「ではこうされたら?」

 

「なっ⁉」

 

 仏坂がドラゴンをヴィオラにより密着させる。

 

「ジパングではあまり無いことだけど、海外では一人のオーナーが複数頭のドラゴンを同じレースに出してくるケースが多い。自分にとっての本命のドラゴンを勝たせるために、他のドラゴンはあえて捨て駒のように扱うことも考えられる――言葉は少し悪いけど――」

 

「捨て駒……」

 

「異常なハイペースで逃げさせて、他のドラゴンのペースを乱したり、こういう風にライバルのドラゴンをひたすら密着マークし、進路を塞いだり――もちろん、反則行為とされない程度に巧妙に――色々なケースが想定されるよ」

 

「……」

 

「どうせならより高いイメージを持って日々のトレーニングに臨んで欲しいな」

 

「より高いイメージ……」

 

「君ならそれが出来ると思うんだけどね」

 

「……やってみます」

 

 翔は何度か小さく頷いた後、呟く。

 

「……各々ドラゴンを竜房に戻したね、じゃあ、今日はこれで解散」

 

「ありがとうございました!」

 

 Cクラスの八人が揃って頭を下げる。仏坂は校舎に戻り、教官室に入る。

 

「仏坂教官、ご苦労様です」

 

「ああ、凡田教官、お疲れ様です。お早いお戻りですね」

 

 仏坂は少し小太りの男に頭を下げる。

 

「いや~私のクラスは全く手がかかりませんからな~」

 

「そうですか、それは何よりです」

 

「しかし、毎年のことながら、仏坂教官も物好きですな~よりにもよって、癖の強いというか、尖った連中をまとめてお引き受けになるとは……」

 

「ご存知ありませんでしたっけ? 僕は穴竜狙いなんですよ」

 

「はっはっは! これはこれは大したギャンブラーですな、それでは私は本日分のレポートも提出しましたので、お先に失礼しますよ」

 

「お疲れさまでした」

 

「はい、どうも、ご苦労様~」

 

 凡田が教官室から出ていく。

 

「……平均的なお行儀の良い奴らよりどこか尖った奴らの方が面白いけどね……」

 

 Cクラスの学生たちのデータを見ながら、仏坂は小さく呟く。



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第4レース(3)トラブルメーカー

「ああ! もう!」

 

 鏡の前で飛鳥が苛立った声を上げる。隣に立つ青空が眠い目を擦りながら尋ねる。

 

「んだよ……うるせえなあ、朝からなにをイライラしてんだよ……?」

 

「また目覚ましが鳴らなかったのです!」

 

「目覚まし?」

 

「そうです、目覚まし時計! わたくし朝は弱いから、必ず起きることが出来るようにセットしておいたのに……また作動しませんでしたわ! 不良品かしら?」

 

 飛鳥が憤慨した様子で歯を磨き、口をゆすごうと水を含む。

 

「ああ、悪い、それ、アタシが壊したわ」

 

「ぶふっ!」

 

「うわ、汚ねえなあ! こっち向いて水吐くなよ!」

 

「……壊した?」

 

「え? ああ、音があまりにうるせえからよ。こうガンっと叩いて……」

 

 しばらくの間、沈黙が流れる。そのころコースでは……。

 

「えっと、Cクラス全員揃ったかな、クラス長?」

 

「……クラス長を拝命した覚えが全くないのですが」

 

 仏坂の問いに海が眼鏡を触りながら不服そうに答える。

 

「いや~なんだかんだ一番真面目そうだからさ」

 

「異議なし!」

 

 レオンが拍手する。皆もそれにつられて拍手する。海はため息をつく。

 

「私が異議ありなのですが……これも経験です。クラス長のお役目承ります」

 

「さすが! 頼もしい!」

 

「……例えば副クラス長を私が決めても良いですか?」

 

「あ、ああ、それは構わないよ。誰にする?」

 

 海は周囲を見渡した後、呟く。

 

「……その件に関しては保留とさせて頂きます」

 

「あ、そう……ま、いいや、決まったら教えて。それで全員揃ったのかな?」

 

「朝日さんと撫子さんがまだです……」

 

「ああ、せっかく天ノ川君が寝坊しなかったのに、今日はあの二人か……」

 

「信じられませんわ! うるさいからって目覚まし時計を壊す⁉」

 

「だから悪かったって言ってんだろ!」

 

 飛鳥と青空が言い争いをしながらコースに現れる。仏坂が笑顔で告げる。

 

「……二人とも、罰走ね」

 

「貴女のせいですわ!」

 

「起きなかったのはてめえの責任でもあるだろうが!」

 

 二人は言い争いを続けながら、走り出す。仏坂がため息をつく。

 

「今日が合同訓練じゃなくて良かったよ……」

 

「三日月さん、やっぱり起こしてあげた方が良かったんじゃ……?」

 

 真帆が海に尋ねる。

 

「お二人とも寝起きが絶望的に悪いですから、私は一度蹴られました……辛抱強く待っていては私たちまで遅刻です。はっきり言って付き合っていられません」

 

 海は二人に構うつもりはないと断言する。

 

「……」

 

「おい、カンペキちゃんよ」

 

 ドラゴンを順繰りで先頭を走らせるローテーション走法訓練を行っている最中、青空が真帆に語りかける。 

 

「……紺碧ですよ。なにか?」

 

「勝負しねえ?」

 

「は?」

 

「ただ単純に走ってるのも飽きてきたんだよ」

 

「そういう訓練ですから」

 

「まあ、そうお堅いこと言うなって!」

 

「ちょ、ちょっと、競り掛けないで下さい!」

 

 サンシャインノヴァが外側から竜体を併せに行き、コンペキノアクアもやや興奮した様子を見せ、先頭のミカヅキルナマリアを躱そうと前に進み出す。

 

「!」

 

「ああ、もう!」

 

「へへ、やる気あるみたいじゃねえか、そんじゃ、あそこのハロン棒まで競争だ!」

 

「くっ!」

 

 二頭は列から離れて、激しいマッチレースを始めてしまう。青空が笑う。

 

「お嬢や眼鏡ともまた違う走りのドラゴンだ! 前目の脚質でも色々あんだな!」

 

(振り切れそうで振り切れない……一瞬の爆発力が武器かと思ったけど、長い脚も使えるのね……それに鞍上の朝日さん、でたらめな騎乗に見えるけど、ドラゴンを気持ち良く走らせているわ。こういうスタイルもあるのね、野生的というか……)

 

 真帆は内心、青空とサンシャインノヴァに感心する。

 

「よっしゃ! 差し切った!」

 

「くっ……」

 

「え~見事なマッチレースだったけど、訓練中に勝手なことしちゃ駄目だよ~二人とも一旦ドラゴン降りて、コース内側で腕立てと腹筋50回ずつね」

 

 仏坂が注意する。真帆はつまらない誘いに乗ってしまったことを後悔する。

 

「よお、眼鏡クラス長、隣良いか?」

 

 その日の夕、食堂で飛鳥と真帆と三人で食事をしている海に青空が話しかける。

 

「……どうぞ」

 

 青空が海の隣に座る。

 

「へへっ、今日の飯も美味そうだな」

 

「ご用件は?」

 

「え?」

 

「いえ、なにか用事があって来られたのではないですか?」

 

「……ああ、副クラス長の件だけどよ、どうするんだ?」

 

「……クラス長自体も別に大した仕事があるわけではないということを、先程仏坂教官に改めて確認しました。なにかあった時にお手伝い頂きたいので、男女一人ずつお願いしようかと思っていますが」

 

「アタシがやってやってもいいぜ」

 

「は?」

 

「だからアタシがやってやっても良いって、副クラス長」

 

「……いえ、実はたった今、撫子さんにお願いしようと話がまとまった所で……」

 

「う~ん、アンタとお嬢だと真面目過ぎるな」

 

「わ、わたくしでは不服だと⁉」

 

 海の向かいに座る飛鳥が声を上げる

 

「そう怒るなよ……なんつーか、ちょっと面白味に欠けると思ってな」

 

「つまり、人の上に立つ器ではないということですの?」

 

「そういうことは言ってねえよ」

 

「そういう風に聞こえます。不愉快です、失礼します!」

 

「……勝手に話を進めてしまったことは申し訳ありませんが、私なりに考えた上でのことです。貴女の思い付きでかき回されては堪りません」

 

 飛鳥と真帆が勢いよく席を立ち、その場を離れる。青空が頬杖をつく。

 

「ちっ、分からねえ奴らだな~」

 

「……真帆、どうかしたのか?」

 

 近くの席に座っていた炎仁が真帆に小声で尋ねる。

 

「炎ちゃん……実は……」

 

「……ふ~ん」

 

「このままだと朝日さんが孤立してしまう。良くないわ……」

 

「今日は真帆も結構被害被っていたじゃないか」

 

「確かに……でも、彼女の実力はかなりのもので学ぶべき点は多いとも思ったわ」

 

「そうか……」

 

 炎仁が立ち上がって、青空に近づく。

 

「……なんだよ」

 

「明日、俺とマッチレースしてくれないか?」

 

「え、炎ちゃん⁉」

 

 炎仁の突然の申し出に真帆は驚く。

 

「タイマンか? 面白え、その話乗ったぜ!」

 

「う、受けた⁉」

 

 笑顔を浮かべ、その申し出を受ける青空にも真帆は重ねて驚く。



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第4レース(4)サンシャインノヴァVSグレンノイグニース

「……そろそろ牡竜とも本格的に走らせようと思っていたんだ。良いタイミングで声をかけてくれたな」

 

「それはなにより……」

 

 翌日、コースの内側に炎仁の騎乗するグレンノイグニースと、外側に青空の騎乗するサンシャインノヴァが並んでいる。青空が尋ねる。

 

「で、何を賭ける?」

 

「賭けるって?」

 

「おいおい、勝負事なんだ、何か賭けないと面白くねえだろう?」

 

「じゃあ俺が勝ったら、男も含め、このCクラスの連中ともっと仲良くやってくれ」

 

「あん?」

 

 青空が不思議そうに首を傾げる。

 

「そんなに変なこと言ったか?」

 

「いや、アタシは仲良くしているつもりだぜ?」

 

「あ、あれで⁉」

 

「そうだよ。見えない壁みたいなものを作っているのはむしろ向こうの方だろう」

 

「で、でも端から見れば、君に振り回されているように映るんだ」

 

「そういうものかね……」

 

「だからなんというか……アプローチの仕方を変えてみて欲しい」

 

「結構難しいことを言うな……まあ、分かったぜ。じゃあ、アタシが勝ったら?」

 

「そうだな……俺が退学するよ」

 

「んなっ!」

 

「え、炎仁⁉」

 

 青空だけでなくスタート地点でスターターを務めようとしていたレオンも驚く。

 

「どうせビリッケツ評価だ。こういうところで勝てないようじゃどうせ先が無い」

 

「思い切ったことを言うじゃねえか……気に入ったぜ」

 

「ちょ、ちょっと待て、炎仁!」

 

 レオンがラチ越えに身を乗り出して炎仁に対して慌てて声をかける。

 

「どうしたレオン?」

 

「どうしたじゃない! 君、そんなことを言って大丈夫なのか?」

 

「勝負事だから絶対大丈夫ってことはないな」

 

「おいおい!」

 

「まあ待て、俺の話を聞け……」

 

 炎仁はレオンに小声で囁く。

 

「いや……それはまあ、考え方としてはありかもしれないけど……」

 

「そんじゃ、スタートよろしく」

 

「……え、えーい! よーい、スタート!」

 

 レオンの声に反応し、二頭が勢いよく走り出す。

 

「出足はどちらも良いですわね」

 

「どちらが前を取るかが鍵になりそうです」

 

 飛鳥と海が冷静に分析する。真帆が呟く。

 

「序盤のポジション取りがどうなるか……」

 

(ふん、結構スタート良くなっているじゃねえか、どちらも差し・追込と、最後の直線で力を発揮するタイプだが……ここはアタシが前に出させてもらう!)

 

(ここは譲らない!)

 

「のわっ⁉」

 

 グレンノイグニースが前に出る。サンシャインノヴァは一竜身ほど遅れる。

 

「炎仁が前に出た!」

 

 スタート地点から皆のいるゴールまでドラゴンを走らせてきたレオンが驚く。

 

「……どう見るよ」

 

 嵐一が翔に問う。

 

「……グレンノイグニースが勝つとしたら前に出るしかないと僕も思う。脚質は差しだけど、現状の能力を見ても、先手を取って終始優勢にレースを進め、先行で押し切るという形がベストとは言わないまでもベターだ」

 

「現状の能力ってのは純粋にドラゴンの能力か?」

 

「もちろん、鞍上の技量差っていうのもある」

 

「天ノ川さん、貴方が評価するほどの方かしらね、朝日さんの手綱さばきは」

 

 飛鳥が翔の戦況分析に口を挟んでくる。

 

「確かにデタラメな部分もある……ただ、なんというか、一体どこで培ったのか、天性のレース勘みたいなものが彼女にはある」

 

「レース勘……バイクに乗ることで培ったものでしょうか?」

 

「そうかもね」

 

 海の問いに翔が頷く。レオンが叫ぶ。

 

「最初のコーナーだ!」

 

「あ!」

 

 真帆が思わず声を上げる。炎仁たちがコーナーリングに手間取り、かなり膨らんでしまったのだ。空いた内側を素早く青空たちが突き、先頭が交代する。

 

「なるほどな、あそこで即座に反応する辺りが天性のレース勘ってやつか」

 

 嵐一が納得したように頷く。翔が小首を傾げる。

 

「ん? ……いや、気のせいか……」

 

「このまま、最終コーナーを回って直線、内ラチ沿いを走って距離のロスも少ない朝日さんの優位は動かない……決まりですかね」

 

「姉……ある方から聞いた話では、ここからが紅蓮君たちが侮れないところですわ」

 

 海の冷静な分析を飛鳥が否定する。

 

(最終コーナーを回れば、アタシの勝ちだ! あっけなかったな!)

 

(まだだ!)

 

「⁉」

 

「あ、あれは⁉」

 

 ともに走る青空たちだけでなく、見ているギャラリーも驚く。グレンノイグニースが最終コーナーを滑空しながら、その途中で上にジャンプしたのである。しかも、前を行くサンシャインノヴァの頭上を一気に飛び越えるわけではなく、その外側にピタッとつけたからである。

 

「な、なにを⁉」

 

「いつも外側から追い込みをかけていた。逆の立場になるのは慣れていないはず!」

 

「ぐっ……」

 

 炎仁の言葉に青空が苦々しい顔を浮かべる。

 

「左右に誰もいない、窮屈さから解放された状態でこそ、サンシャインノヴァの爆発力ある末脚は活きる! 内側に抑え込まれているのは得意ではないだろう!」

 

「下手なコーナーリングでアタシらを前に行かせたのも罠だったってことかよ⁉」

 

「ある程度は!」

 

「なかなか面白えじゃねえか! 正直ちょっとナメていたぜ!」

 

「ここからは純粋な末脚勝負! イグニースの脚でも勝負になる!」

 

「アタシは空で、こいつは太陽だ! とらえられるかよ!」

 

「いける!」

 

「ぐっ⁉」

 

(やっぱり、イグニースは頭が良いというか、吸収力がある! レースの最中でも、サンシャインノヴァのこの爆発力ある末脚に対抗するにはどうすべきなのかと必死に考えながら走っている!)

 

「ちっ!」

 

「後はお前の頑張りに俺が答えるだけだ! いっけえ‼」

 

「‼」

 

「……クビ差でグレンノイグニース号の勝ちだね」

 

 仏坂が淡々と結果を告げる。

 

「よっしゃー!」

 

「炎ちゃん、凄い!」

 

「やったぞ、炎仁!」

 

 炎仁がガッツポーズを取り、真帆とレオンが声をかける。

 

「……へへっ、ビリッケツ野郎に負けるとはな、競竜もなかなか奥深いな」

 

 青空が笑みを浮かべる。その日の夕食……。

 

「これは……」

 

「アンタの目覚まし時計だよ」

 

「ど、どうしたんですの?」

 

「直した」

 

「直した⁉」

 

 青空の言葉に飛鳥が目を丸くする。

 

「そんなに驚くことかよ……機械いじりは好きなんだ、意外と簡単に直せたぜ」

 

「あ、ありがとうございます! 貴女、結構良い方なんですね!」

 

 飛鳥が青空の両手を取る。青空は照れ臭そうに眼を逸らす。

 

「壊しちまったのを直しただけだ……それとクラス長」

 

「はい?」

 

「筋トレが悩みだって言ってたな、効率の良いトレーニング法を教えてやるよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「なんだ、迷惑なら良いんだぜ?」

 

「い、いえ、迷惑ではないのですが、良いのですか?」

 

「何が?」

 

「我々は同じクラスですが、合格を競うライバル同士でもあります。そんな敵に塩を送るような行為をしてしまって……」

 

「はははっ! 強敵と書いて『とも』って読むだろう?」

 

「読まないですけど」

 

「これから切磋琢磨していく相手には強くなってもらわなきゃ困るんだよ!」

 

「! そういうことですか……」

 

「そういうことだ……おお、そうだ、野郎ども!」

 

 青空は近くのテーブルに座る、炎仁たちに声をかける。

 

「ど、どうかしたのか?」

 

 青空は炎仁たちに近づくと、小声で囁く。

 

「気になる女子がいたら教えろよ、アタシがセッティングしてやるからよ」

 

「ほ、本当かい⁉」

 

「ああ、地元じゃ『暴走キューピット』って有名だったんだよ」

 

「不穏なあだ名だが、逆に頼もしい!」

 

「少し落ち着け、レオン」

 

 炎仁が興奮するレオンをなだめる。

 

「他のクラスの娘もありなの?」

 

「おおっ!これは天ノ川! 最も意外な奴が大外から食いついてきたな……もちろん大丈夫だ、任せとけ!」

 

「ふ~ん、じゃあ、考えとく」

 

「ちっ、くだらねえ……」

 

「……そういう草薙の旦那、結構他クラスの女子から評判が良いみたいだぜ?」

 

「! ……」

 

 頬杖を突いている嵐一の眉がピクッと動く。

 

「まあ、旦那はストイックだからな、その手の話は止めさせるようにするぜ」

 

「い、いや、別に話をするのはそいつらの自由だからな、好きにすればいいさ」

 

 嵐一は青空のことを横目で見ながら、うんうんと必要以上に頷く。

 

「……私、教官に報告することがありました、ここで失礼します」

 

 海が食堂を後にして、教官室に向かう。

 

「……ええっ、女子の副クラス長を朝日君に?」

 

「正式に発表する前に教官の意見を聞きたいと思いまして」

 

「君が決めたのならそれで良い……だけど、どうしてだい?」

 

「単なるトラブルメーカーだと思っていましたが、ムードメーカーとしても振舞うことが出来るのだと感じました。先ほどからの僅かな間でクラスの雰囲気は一気に好転しています。競竜とは個々の競技ですが、レースを行う上で、お互いの信頼関係も大事になってきます。潤滑油となれる彼女の存在は貴重です」

 

「ふむ……しっかり判断したのなら、それで良いんじゃないかな」

 

「ありがとうございます。では、明朝に発表させて頂きます」

 

 海は教官室を出て、食堂に戻る。青空と真帆が小声で話している。

 

「真帆よ、お前の狙いは分かっている、炎仁との距離を縮めたいんだろう?」

 

「ど、どうしてそれを⁉」

 

「見てりゃ分かるさ、待ってろ、『炎ちゃん』との距離を詰めてやるよ」

 

「は、はい……!」

 

「炎仁! 来月の東京レース場見学の際の自由行動……アタシと回んねえ?」

 

「え? あ、うん、良いけど……」

 

「なっ⁉」

 

 真帆が愕然とする。青空が振り返って悪い笑みを浮かべる。

 

「油断したな、先手必勝だよ……」

 

「ぐぬぬ……」

 

「前言撤回……やっぱり単なるトラブルメーカーかもしれません……」

 

 海が呆れた目を向ける。



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第5レース(1)女子トーク

                  5

 

「ペア訓練?」

 

 入浴から部屋に戻った飛鳥が首を傾げる。

 

「なんだ、聞いてなかったのかよ、お嬢」

 

「明日から私たちCクラスのみですが、ペア訓練なるものを取り入れるそうです」

 

「ああ、そういえば教官がそのようなことをおっしゃっていましたね……」

 

 真帆の言葉に飛鳥が頷く。

 

「ただ、ペアって何すんだ? そんなコースあったか?」

 

「いえ、聞いたことはないですね……」

 

「あれか、二頭での脚を結んで、二頭六脚とかやるのか?」

 

「た、大変そうですね……」

 

「そんな大事故につながりそうなことやるわけがないでしょう……」

 

 青空と真帆の会話に呆れながら、飛鳥が自分の席に座る。

 

「じゃあ、どういうことをやるんだよ?」

 

「単純に併せ竜のメニューを増やすということじゃないのかしら?」

 

「あ、やっぱりそういうことですよね……」

 

 真帆は安堵の表情を見せる。青空が笑みを浮かべる。

 

「真帆、安心していて良いのか?」

 

「え?」

 

「どうにもお前さんは気を抜きがちな傾向が見られるな……」

 

 青空が両腕を組む。真帆が尋ねる。

 

「ど、どういうことですか?」

 

「ペア訓練だぞ、炎仁の奴とペアを組まなくて良いのか?」

 

「⁉」

 

「のんびりしていると、またアタシが取っちまうぞ~」

 

「そ、それは困ります!」

 

 悪戯な笑みを浮かべる青空に対し、真帆が慌てて声を上げる。それを聞いていた飛鳥がため息をつく。

 

「……貴女は彼と先日マッチレースをしたばかりでしょう。わたくしと紅蓮君とは因縁がありますわ。そろそろ併せ竜をする頃合いではないかしら」

 

「そ、その、前から聞こうと思っていたんですが、因縁ってなんなんですか⁉」

 

「え? いや、別に大したことはありません、個人的な因縁ですわ」

 

「大したことなければ因縁なんて生まれません!」

 

「まあ、そんなにお気になさらずに……」

 

「気になりますよ!」

 

 真帆が大声を上げる。

 

「何を騒いでいるのですか……」

 

 入浴を終えた海が部屋に戻ってくる。

 

「いや、ペア訓練についてだな……」

 

「ああ、そのことですか……」

 

 海は自分の席に座る。

 

「やっぱり炎仁とはアタシがペアを組むべきだな、ドラゴンの脚質も似ているし」

 

「似たような脚質では大した訓練にならないでしょう……お互いずっとぎりぎりまで待機しているおつもりですか?」

 

「末脚の追い比べってのもおもしれえだろう」

 

「実際のレースでそのようなケースはほとんどないでしょう。わたくしのドラゴンと走らせた方が良い訓練になりますわ」

 

「脚質の問題か? それなら真帆のドラゴンでも良いだろうが」

 

「……はっきり言ってしまえば、紺碧さんは流石に丁寧な騎乗をなされていると思いますが、まだまだレース経験は乏しいです。わたくしと走った方が紅蓮君にとっても良い経験になるでしょう」

 

「は、はっきりと言うな」

 

「客観的な事実を述べているまでです」

 

「真帆もなんか言い返せよ」

 

「ははっ、レース経験が乏しいのは本当のことですから……」

 

 真帆は苦笑交じりで頷く。

 

「紺碧さんは天ノ川君と併走すると、良い勉強になるのではないですか?」

 

「天ノ川さんと……」

 

「自信を失ってしまうリスクもございますけどね」

 

 飛鳥がくすっと笑う。

 

「じゃあ、アタシは誰と走るんだ?」

 

「草薙さんなんかよろしいのではありませんか?」

 

「旦那か……」

 

「荒っぽい騎乗はよく似ていらっしゃいます。紺碧さんもそう思いませんか?」

 

「そ、そう言われるとそうですね……」

 

 真帆が遠慮がちに頷く。

 

「え~! あんな荒っぽいかアタシ?」

 

「まあ、荒っぽいにも色々ありますが……あの方は確か野球でちょっと有名な方だったのですよね? やはりフィジカル面で優れているだけあって、騎乗自体はわりとしっかりされているかと思います」

 

「ちょっと待て、じゃあ、アタシはなんなんだよ?」

 

「単純に荒いですね」

 

「良いとこなしじゃねえか!」

 

「で、でも、サンシャインノヴァにはよく合っていると思いますよ」

 

 真帆がフォローする。

 

「これはあくまでもわたくしの勝手な評価ですから、教官方がどのように評価するかはまた別の話です。あまり気にしないで下さい」

 

「思いっきり気になるけどな……まあいいや、クラス長、何黙っているんだよ」

 

 青空が海に声をかける。

 

「話に参加していたつもりはありませんが」

 

「じゃあ参加しろよ、誰とペア訓練したい?」

 

「別に誰とでも良いですよ……」

 

「なんだよ、ノリ悪いな」

 

「それより大事なことがありますので……」

 

「大事なこと? なんですか?」

 

 真帆が尋ねる。

 

「男子の副クラス長を誰にお願いするかということです」

 

「ああ……」

 

「そんなの簡単ですわ、天ノ川君で良いでしょう」

 

 飛鳥が当然だとばかりに翔の名を挙げる。

 

「寝坊・遅刻の常習犯な方にはちょっと……」

 

「それはそうですが、実力には疑いの余地はありません」

 

「そういう考え方もありますが……」

 

「旦那で良いんじゃねえのか?」

 

 青空は嵐一の名を挙げる。

 

「草薙さんですか……頼めばやってくれそうではありますが……」

 

「最年長だし、ちょうど良いだろう」

 

「年功序列というのもいささか単純過ぎる気が……」

 

「単純で悪かったな」

 

 青空が顔をしかめる。海はそれを気にせず、真帆に尋ねる。

 

「紺碧さんは誰が良いと思いますか?」

 

「え、そ、そうですね……炎ちゃ、紅蓮君はどうでしょうか?」

 

「紅蓮君は真面目ですね……ただ、あまり負担をかけたくはない気もします」

 

「ビリッケツ評価だからな」

 

「そういう貴女は彼に負けたじゃありませんか」

 

「……三者三様のお答えですね。これは悩みますね……」

 

「あの……」

 

 真帆が口を挟むべきかどうか迷う。一人忘れていることを。



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第5レース(2)男子トーク

「ぶえっくっしょん‼」

 

 男子の部屋でレオンが盛大にくしゃみをする。嵐一が苦い顔をする。

 

「おいおい、汚ねえなあ」

 

「これは失礼……ふふん、どうやら女子たちが僕の噂をしているようだね」

 

「無えな」

 

「うん、それはないと思う」

 

「冗談だよ! 真面目に答えなくてもいいから!」

 

 嵐一と炎仁の否定に対し、レオンは声を上げる。

 

「う~ん……絶対にありえないと思うよ~」

 

 既にベッドに横になって布団を被った翔が寝ぼけた声で呟く。

 

「追い打ちかけなくていいよ!」

 

「それどころか、存在を忘れていると思うよ~」

 

「随分とひどいことを言うね⁉ さ、流石にそれはないだろう、Cクラスの男子は四人しかいないんだよ?」

 

「まあ、それはないだろうな……多分」

 

「うん、それはないと思うよ……多分」

 

「多分ってなんだよ、多分って⁉」

 

 レオンが叫ぶ。嵐一がうんざりしたように呟く。

 

「それはいいから、さっさと話を戻せよ」

 

「ああ、えっと……何の話をしていたんだっけ?」

 

「寝るか」

 

「ええ」

 

 嵐一と炎仁が席を立ち、ベッドに向かおうとする。

 

「ちょ、ちょっと待って! そうだ、思い出した! 明日のペア訓練のことだよ!」

 

「ペア訓練?」

 

「それがどうかしたのかよ?」

 

 炎仁と嵐一が首を傾げる。

 

「いや、ここで誰が誰とペアを組むのか、あらかじめ決めておいた方がいいんじゃないかと思ってね」

 

「くだらねえ……」

 

 嵐一が自身のベッドに潜る。炎仁は一応もう少し相手をしてやることにする。

 

「ペアを決めるのは教官じゃないのか?」

 

「あの教官殿のことだ、ひょっとしたら僕たちに希望を聞いてくるかもしれない」

 

「そうかな」

 

「そうだよ」

 

 レオンは根拠も無く力強く頷いてみせる。

 

「そうだとしたらなんなんだよ?」

 

「誰とペアを組みたいか、各々の希望を聞いておきたい」

 

「そ、そんなことを聞いてどうするんだ?」

 

 レオンの言葉に炎仁は戸惑う。

 

「せっかくの機会だよ? 『別に……』とか、『お任せします』、なんて曖昧な態度を取ったりしたら、女子たちから幻滅されちゃうよ」

 

「そ、そうなのか⁉」

 

「そうだよ」

 

「……アホみたいな話してねえでさっさと寝ろ、ガキども」

 

 嵐一がレオンたちの方に顔を向けて呟く。

 

「じゃあ、草薙君は興味なしということで……余った娘とペアを組んでもらうから」

 

「……なんでそうなるんだよ」

 

 嵐一が半身を起こす。レオンが指差す。

 

「ほら、不満だろ? だから話し合おうと言っているんだよ」

 

「ちっ……」

 

 嵐一が体を起こし、ベッドに腰かける体勢になる。レオンが笑顔を浮かべる。

 

「よし、それじゃあ決めようか。誰と組みたい? 僕は紺碧ちゃん」

 

「真帆ちゃん~」

 

「……強いていうなら紺碧だな」

 

「えっ、えっ、えっ⁉」

 

 三人の答えが揃ったことに炎仁は戸惑う。

 

「三人が紺碧ちゃんか」

 

「お、俺も真帆が良い!」

 

「はい駄目~炎仁君は出遅れました~」

 

「で、出遅れって……」

 

 呆気に取られる炎仁を無視して、レオンは話を続ける。

 

「さて、紺碧ちゃんだけど……知っての通り、基本的な騎乗技術は既に備わっている。ただ、レース経験が圧倒的に足りない。その辺りをフォロー出来るとしたら僕が適任だと思う」

 

「レースのことなら、僕も教えられるよ~」

 

 翔が布団を被ったまま手を伸ばす。レオンが目を細めて答える。

 

「却下」

 

「え~なんでさ?」

 

「……君の場合、あまりの実力差に紺碧ちゃんが自信を失ってしまう恐れがあるから良くない。僕くらいの技量がちょうど良い」

 

「なんか、自分で情けねえこと言ってねえか?」

 

 嵐一が呆れた目をレオンに向ける。

 

「というわけで紺碧ちゃんとペアを組むのは僕で決まりだ」

 

「いや、勝手に決めんなよ」

 

「草薙君は撫子さんが良いんじゃないの? 手取り足取り教えてくれそうだよ」

 

「お嬢か、悪くはねえが……って、お前の言い方なんかやらしいんだよ」

 

「じゃあ僕は~?」

 

「天ノ川君は三日月さんが良いと思うよ。色々なデータを参考にして、君にアドバイスをすることが出来るのは彼女くらいだ」

 

「海ちゃんか~まあ、悪くはないか~」

 

「お嬢は駄目なのか? 現状てめえとタメはれんのはあいつくらいだろう?」

 

「飛鳥ちゃんとは、競竜観が違うからケンカになっちゃうと思うんだよね~」

 

「そういうものか……」

 

 翔の答えに嵐一はとりあえず納得する。レオンが話をまとめようとする。

 

「じゃあ、そういうことで……」

 

「ちょ、ちょっと待て! 俺は⁉」

 

「え? 朝日さんで良いだろう。ドラゴンの脚質も似ているし」

 

「ど、どんな訓練するか分からないが、似ていたら訓練にならないんじゃないか?」

 

「似ていることで逆に見えてくることもあるよ~」

 

「な、何だよ、逆にって⁉」

 

「あいつ面倒見が良さそうだから、案外お前と相性良いんじゃねえか……多分」

 

「出た! 多分って! 適当に言っているでしょ⁉」

 

「じゃあ、電気消すよ」

 

「おやすみ~」

 

「……」

 

「い、いや、待て! ……ああ、もう!」

 

 部屋が暗くなった為、炎仁としては全然納得のいく話し合いが出来なかったが、仕方が無いので眠ることにする。翌日……。

 

「はいよ~それじゃあ、ペア訓練の組み合わせを発表するよ~」

 

「……」

 

 仏坂の言葉に皆じっと耳を傾ける。

 

「草薙君と天ノ川君君」

 

「!」

 

「そうきたか~」

 

 翔が眠い目をこすりながら呟く。

 

「朝日さんと撫子さん」

 

「げっ……」

 

「げってなんですの、げって⁉」

 

 嫌そうな顔を浮かべる青空に飛鳥が抗議する。

 

「紅蓮君と紺碧さん」

 

「おっ、おう……」

 

「良かった……」

 

 炎仁と真帆はそれぞれ胸を撫で下ろす。

 

「金糸雀君と三日月さん」

 

「よ、よろしく……」

 

「ふむ……」

 

「ど、どうしたの?」

 

「いえ、金糸雀君とペアを組むのは全くの想定外だったなと思いまして」

 

「ひ、酷くない⁉」

 

 海の言葉にレオンが声を上げる。



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第5レース(3)ペア訓練

「それじゃあ、ペア訓練開始~」

 

 仏坂の若干の間の抜けた声で、Cクラスの八人は四組のペアに分かれる。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 軽く頭を抑える嵐一に翔が声をかける。

 

「併せ竜でもする?」

 

「お、おう、そうだな……」

 

「じゃあ、この3ハロン位を何回か走るとしようか」

 

「ああ……」

 

「じゃあ、スタート!」

 

「⁉」

 

 翔の騎乗するステラヴィオラが出足鋭く、リードを奪う。

 

(アラクレノブシ……しぶとさみたいなものが滲み出ているドラゴンだから、そのペースに合わせることはない。先行して優位をとり続ければ良い)

 

 翔が余裕の笑みを浮かべ、嵐一のドラゴンからリードを奪う。

 

(自由自在の脚質を体得しつつある、ステラヴィオラ……人竜揃って天才だ、間違いなく。ただ、プロを目指していくのなら、こういうバケモノじみた連中にも喰らい付いていかないといけねえ! スピードもコース取りも向こうが一枚も二枚も上手だ……ならばどうするか……こうする!)

 

「⁉」

 

 翔が驚いて斜め後方を見る。ステラヴィオラの竜体にアラクレノブシの竜体が激しくぶつかってきたからである。

 

「ふん!」

 

 嵐一は再び竜体をぶつける。

 

「くっ!」

 

苛立った様子の翔が鞭を打つと、ステラヴィオラが加速し、アラクレノブシを突き放して先にゴールする。

 

「……」

 

「どういうことなのかな?」

 

 ゴール地点についた嵐一を見る翔の眼はいつもの寝ぼけ眼ではなく、怒りを孕んだ眼である。その程度の睨みに怯む嵐一ではない。彼は悪びれず併走を振り返る。

 

「出足もよく、コース取りも完璧、竜との折り合いも抜群……普通に走ったら、とても勝ち目がねえ……そういう場合に取れる手段は一つ」

 

「反則行為を行うってわけかい?」

 

「露骨な進路妨害などはしていない。それにあの程度の接触は競竜ならよくあることだ。反則行為と言われるのは心外だな」

 

 嵐一はわざとらしく両手を広げてみせる。翔は苛立ちを隠せない。

 

「ジャッジによれば反則を取る場合もあった! そんな危険な走行をする人とは走ることが出来ないよ!」

 

「お前、入学式の日、ドローンで報道陣に突っ込んだよな?」

 

「あれは……若気の至りってやつだよ」

 

「お前、一か月くらいで老成すんのか。卒業時にはジジイだな」

 

「とにかくだ! そんな走行をするなら自分たちだけで勝手にやっていてくれ!」

 

「いやいやそういうわけにはいかないよ~」

 

 いつの間にか仏坂が二人の側にいる。

 

「そういうわけにはいかないって⁉」

 

「今はペア訓練の時間だからね~お互いの走りなどから課題を見つけて、それに取り組んで欲しいんだよね~」

 

「課題……?」

 

「天ノ川君、レースにおいて聡明な君ならよく分かっているはずさ」

 

 少し落ち着きを取り戻した翔が答える。

 

「……混戦の対処方法?」

 

「そう、混戦では想像以上にダーティーな行為を行ってくるジョッキーがいるんだ――もちろん、大体のプロがフェアプレーヤーだけど――悲しいかな、ゼロではない。そういったときの対処法・心構えを少しでも学んでいて欲しいんだ」

 

「理想は混戦なんかに巻き込まれないことですけどね」

 

「理想が高いのは大変結構、ただ、レースというのは必ずしも、君たちの思い通りには進まない。現実を知っておくことも大事だよ」

 

「俺はダーティージョッキー要員ですか……」

 

 嵐一がわざとらしくおどける。仏坂がフォローを入れる。

 

「いやいや、草薙君も天ノ川君の見事な騎乗から学んでくれ。一流から見るだけでも学ぶことが多いというのは、君も良く分かっているはずだ」

 

「……なるほどね」

 

「じゃあ、もう一回併走する? 次は接触すらさせないよ」

 

「! 上等だよ。意地でも喰らい付いてやる」

 

 余裕を取り戻した翔の笑みを嵐一がキッと睨み付ける。

 

「くそっ、なんで届かねえ!」

 

 青空が悔しそうに声を上げる。

 

「……どうします? もう一本走りますか?」

 

 飛鳥が余裕の笑みを浮かべる。

 

「上等だ!」

 

「……では、参りましょうか!」

 

 ややインターバルを置いて、飛鳥の騎乗するナデシコハナザカリと、青空の騎乗するサンシャインノヴァが走り出す。ハナザカリの方が一、二竜身ほど先行する。

 

(先行されるのは想定内だ……最後の直線で捉えれば良いだけの話だ……!)

 

 コーナーを曲がり、サンシャインの方が仕掛けるが、なかなか差が縮まらない。

 

「……」

 

(くっ、まただ! 差が縮まらねえ! なんでだ? ……まさか!)

 

 再び、ハナザカリの方が先着する。飛鳥がホッと一息つく。

 

「ふう……」

 

「分かったぜ! カラクリが!」

 

「カラクリって……お聞かせくださいますかしら?」

 

「竜なりと見せかけてペースを微妙に早めながら走ってやがったな? サンシャインノヴァはスタミナが徐々に奪われちまって、直線で爆発力に今一つ欠けた!」

 

「ほう、思ったより早くお気付きになられましたね。天性のレース勘というのもあながち馬鹿には出来ないものですわね」

 

 飛鳥が感心した様子を見せる。

 

「くそっ! もう一回だ!」

 

「今日は良いんじゃありませんか? 何度やっても結果は同じだと思います」

 

「ぐっ……」

 

「もう一本見てみたいな~」

 

「うおっ⁉」

 

「教官⁉」

 

 仏坂が二人の間に顔を出す。

 

「よし! 教官もこう言っているんだ! もう一回やるぞ!」

 

「仕方ありませんわね……」

 

「よっしゃ! スタート!」

 

「なっ⁉」

 

「要はペースを握らせなけりゃ良いんだろ!」

 

「だ、だからと言って、そのドラゴンに先行策を取らせるなんて!」

 

 サンシャインが前に出たことにより、飛鳥は戸惑う。仏坂は笑う。

 

「セオリー通りの戦い方に強い撫子さんにセオリーに囚われないタイプの朝日さんをぶつけてみる……さて、そこでどのような化学反応が見られるか……」

 

「さあ! このジョーヌエクレールの稲妻のような走りについてこられるかな⁉」

 

「これはローテーション走です……必要以上に飛ばさないで下さい」

 

「は、はい……」

 

 調子に乗るレオンを海が注意する。エクレールのペースが落ちる。

 

「全く……うん?」

 

 ため息をつく海の視界に炎仁と真帆が入る。

 

「凄いよ、炎ちゃん! 競争竜でそんなに高く、タイミング良く飛べるなんて!」

 

「そうか?」

 

「そうだよ! 人竜一体になってないとなかなか出来ないよ!」

 

 真帆の言葉に炎仁が頷く。

 

「そこまで言われると段々とその気になってくるな……」

 

「その気に?」

 

「ああ、このジャンプを効果的にレースに取り入れることが出来ないかなって……」

 

「そ、それが実現出来たら凄いよ!」

 

「凄いか?」

 

「うん! 私も良かったら協力するよ!」

 

「……それが狙って出来るようになれば確かに凄いですが……」

 

 盛り上がる二人の近くで海が呟く。

 

「み、三日月さん⁉」

 

「紅蓮君、貴方はそれより純粋なレース技術を高めた方が賢明ではないですか?」

 

「むっ……」

 

「……紺碧さんもイチャイチャを見せつけられる身にもなって下さい」

 

「ええっ⁉ イチャイチャって……」

 

 海の言葉に炎仁と真帆は俯いてしまう。海はため息をつきながら頭を下げる。

 

「すみません。別に嫌味を言いにきたわけではありません。一つ提案がありまして」

 

「提案ですか?」

 

「ええ、私と金糸雀君のペアと貴女方二人とでレースをしてみませんか?」

 

「「ええっ⁉」」

 

 海の提案に炎仁と真帆は驚く。



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第5レース(4)ミカヅキルナマリアVSコンペキノアクア

「……では5ハロン、左周りで良いでしょう」

 

「こ、これはつまり、チーム戦ということですか?」

 

「そうなりますね」

 

 真帆の問いに海が頷く。

 

「教官の許可は下りたのですか?」

 

「『面白そうだから良いね~』とのことです」

 

「そ、そうですか……」

 

「お互いのペアの内、誰かが先着した方が勝ちです」

 

「負けたらどうしますか?」

 

 炎仁が急に海に対して語り掛ける。

 

「……勝ち負けに関しては今後の各々の反省に生かしてもらえばそれでいいかと」

 

「それでは緊張感に欠けますね」

 

「緊張感?」

 

「ええ、こっちのチームが負けたら俺が退学というのはどうでしょう?」

 

「⁉」

 

「ええっ⁉」

 

「なっ⁉」

 

 炎仁の突拍子もない言葉に他の三人は唖然となる。

 

「……何故そこまでやる必要が?」

 

「き、君、朝日さんとの勝負でもそう言っていただろう?」

 

「プレッシャーで自らを追い込む手法ですか? あまり感心はしませんね」

 

「前も言いましたが、ここで負けているようじゃお話しにならないからです」

 

「随分と舐められたものですね……」

 

「い、いえ、お二人の実力は高いと思っていますよ。だからこそです」

 

「……勝負を持ちかけた側とはいえ、私たちに付き合う義理はありますか?」

 

「無いですね」

 

「しかし、負けて何もないということはないでしょう……」

 

「で、では三日月さんはクラス長としてもっとクラスメイトとの距離を縮め、互いの親睦を深めること!」

 

「⁉ それはなかなか大変ですね……」

 

 炎仁の提案に海が渋い表情になる。レオンが恐る恐る問いかける。

 

「あ、あの、僕は……?」

 

「え、あ、レオンか、忘れてた……」

 

「今、忘れてたって小声で言ったよね⁉」

 

「一週間、男子トイレの掃除とかで良いんじゃないか」

 

「そ、それも地味に嫌だね……悪いが負けられないよ」

 

「じゃ、じゃあ、私も負けたら退学するわ!」

 

「なっ⁉」

 

「ええっ⁉」

 

 真帆の言葉に炎仁とレオンが驚く。

 

「ま、真帆はそこまでしなくて良いんじゃないか?」

 

「面白い! 負けた場合の罰は揃いましたね」

 

 急に大声を出す海に、三人は驚く。

 

「み、三日月さん、ちょっと待ってくれないか?」

 

「訓練の時間は限られています。5分後に出走ということで……じゃんけん、」

 

「ぽん!」

 

 急なじゃんけんだが炎仁が勝つ。海が笑みを浮かべる。

 

「最内の一番、そして三番は貴方方で良いです。私たちはその間に並ぶ二番と大外の四番スタートです」

 

「あ、あの……」

 

「それでは各々で作戦会議です。はい、こちらの作戦を盗み聞きしないで下さい」

 

 海は炎仁を真帆の方へと追いやる。海はレオンの方に向き直る。

 

「紺碧ちゃんが辞めちゃうなんて大変だよ!」

 

「ふふっ……」

 

「なにが可笑しいんだい⁉」

 

「金糸雀君、貴方、その口ぶりなら勝つ自信はあるということですね」

 

「え、そ、そりゃあ、レースに一日の長があるのは僕らだし」

 

「冷静な分析が出来ているようで結構です。貴方は多少距離のロスがありますが、大外の四番からスタートして下さい」

 

「そ、外かい?」

 

「二番なら出足を左右の一番三番に封じられてしまう恐れがありますから。快速を飛ばしてハナを切って下さい」

 

「な、なるほど……」

 

「さて……向こうはどんな作戦で来るのやら」

 

 海が視線を炎仁たちに向ける。

 

「ええっ⁉」

 

「向こうの方が経験値は上だ。勝つなら虚を突くしかない」

 

「う、うん……でも、そう上手くいくかしら?」

 

「やるしかないさ」

 

「……そろそろ準備は良いですか?」

 

 海が声をかける。炎仁が頷く。

 

「はい」

 

「では各自スタート位置に……教官、スタートをお願いします」

 

「はいよ……」

 

「へへっ、なんだか面白いことをやっているじゃねえか」

 

 青空が呟く。他の三人も訓練を一旦止めて、レースを見守る。

 

「よーい、スタート!」

 

 仏坂の掛け声でスタートが切られる。四頭が揃って良いスタートを切るが、中でもジョーヌエクレールが好スタートを見せる。

 

「やはりスタートは抜群ですわね」

 

 飛鳥が感心した様子を見せる。

 

「このまま逃げさせたらマズいんじゃねえか?」

 

「当然、その対策は考えていると思うけど……」

 

 嵐一の言葉に翔が反応する。

 

「む!」

 

 二番手につこうとしたミカヅキルナマリアの前にグレンノイグニースが入る。

 

「イグニースが二番手かよ!」

 

「紺碧さんが先に行くかと思いましたが……三日月さんとしては二重の意味で意外な展開でしょうね」

 

 青空が驚く横で飛鳥が笑みを浮かべる。

 

「くっ!」

 

「よしっ!」

 

 海が悔しそうな声を上げるのを聞き、炎仁は心の中で小さくガッツポーズを取る。

 

「炎仁が前に⁉ ここは引き離す!」

 

 レオンがペースを早める。

 

「エクレールがペースを上げたぞ!」

 

「さて……どうするかな?」

 

 嵐一の隣で翔が腕を組む。

 

「そうくるなら……こうする!」

 

「なっ⁉」

 

 炎仁がグレンノイグニースのペースを更に上げて、ジョーヌエクレールに一気に並びかけようとする。

 

(レオン……悪いが、お前の弱点を突かせてもらう!)

 

「くっ!」

 

「⁉」

 

 競り合いを嫌ったレオンが、ジョーヌエクレールのペースを落とし、竜体を後方に下げる。その後ろにつけていたミカヅキルナマリアにとっては前方のスペースが急に無くなってしまった格好になる。海は驚く。グレンノイグニースが先頭に出る。

 

「いけるか⁉」

 

(もう最終コーナー⁉ ただ、ジョーヌエクレールのハイペースに付き合ったグレンノイグニースには脚が残っていないはず! ここで外に持ち出せば……なっ⁉)

 

 海が驚く。外側にコンペキノアクアがいたからである。

 

「……このまま!」

 

(くっ、前に来ないと思ったら、この展開を読んでいた⁉ 前も横も塞がれた!)

 

 コンペキノアクアが一気に先頭に躍り出る。ミカヅキルナマリアも外に持ち出して、その後を追うが、抜け出しのタイミングが遅くなった為、差は縮めることが出来ない。コンペキノアクアが一着で入線する。

 

「やった!」

 

「良いぞ、真帆!」

 

 炎仁が真帆に声をかける。

 

「炎ちゃんの作戦のお陰だよ!」

 

「も、申し訳ない……」

 

 レオンが海に謝罪する。

 

「そういうこともあります。貴方のドラゴンの逃げ脚を防ぎにくるかと思いましたが、むしろ敢えて行かせるとは……勉強になりました」

 

「で、でも正直ホッとしているよ……」

 

「え?」

 

「だって下手したら紺碧ちゃんが退学していたかもしれないんだろ?」

 

「ふっ、そんなことですか……」

 

「そ、そんなことって!」

 

「今年度の注目株の紺碧さんを滅多な理由で辞めさせたりはしないでしょう」

 

 海が教官の仏坂に視線を向ける。

 

「……お互いの足りない所を補い合うのが今回のペア訓練の主な狙いだったけど、思わぬ収穫があったね」

 

 仏坂が笑いながら呟く。それから約一か月が経過し、騎手課程の受講生たちは皆東京レース場に集まっていた。

 

「このキーホルダー、一緒に買わねえか? お揃いでよ」

 

「? なんで、そんなことをする必要がある?」

 

「なんでって……そういうものなんだよ、記念だ。副クラス長同士でもあるし」

 

「分かった、じゃあ俺が買ってくるよ――しかし、副クラス長……慣れないな――」

 

「へへっ、それじゃあ頼むぜ」

 

 自由時間で炎仁と青空はお土産屋で買い物を楽しんでいる。

 

「ぐぬぬ……」

 

 物陰から楽しげな二人の様子を見て、真帆は唇を噛む。レオンが話しかける。

 

「あ、あの、紺碧ちゃん、僕らは僕らで自由時間を満喫しないかい?」

 

「ちょっと黙っていて下さい!」

 

「は、はい……」

 

「こ、こんなに買う必要があるのか?」

 

「レース場のお店は意外とくる機会がありませんから……あ、次はあちらに!」

 

「ま、まだ買うのかよ⁉」

 

 両手一杯に飛鳥の荷物持ちをさせられている嵐一が辟易する。

 

「……あまり竜券予想の才は無いようですね」

 

「……僕はジョッキーになるのだから問題ない」

 

 憮然とした様子で歩く翔の後を競竜新聞片手に海が追いかける。

 

「……さあ早くも先行竜を捕らえる形でアルマゲドンウィン、最後の直線コースに入っています! 横に大きく広がっている! レースを引っ張ったのはサンフェスタ先頭だが、外で赤い帽子アルマゲドンウィンが上がってくる! 最後の坂にかかっている! 内のほうでサンフェスタ頑張っているが、早くも、早くもアルマゲドンウィン先頭か! 内ラチ一杯でサンフェスタも頑張った! 残り200mを切りました! さあ~アルマゲドンウィン! 上がって来ているのはアルマゲドンウィン! サンフェスタを交わした! このスピード! そしてこの圧倒的強さ! ついに決めた13年ぶり! 無敗の2冠馬誕生! そして秋の京都レース場へ伝説は引き継がれます! レコードタイムで勝利! 物凄い強さを直線で見せ付けてくれました! まだその強さに場内が大きくどよめいています! 」

 

 この日東京レース場で行われた『第98回ジパングダービー』は『アルマゲドンウィン』の圧勝で幕が閉じられた。騎手課程の受講生たちも大いに刺激を受けたようである。

 

「す、凄い……まさに『翔んだ』……」

 

「これは三冠竜間違いなしか……」

 

 レオンと嵐一が感嘆する。

 

「すげえなあ! なんつーかその……すげえよ! すげえ!」

 

「興奮するのは分かりますが、もう少し語彙力を付けた方が良いですよ……」

 

 青空に肩を乱暴に揺らされながら、海はズレた眼鏡を直す。

 

「わたくしもこの舞台で必ず主役になってみせますわ!」

 

「……僕が十連覇くらいする予定だから、それは夢物語かもね」

 

「んなっ⁉」

 

 翔の言葉に飛鳥がムッとする。

 

「すごかったね、炎ちゃん……」

 

「ああ、ただ、俺も必ずイグニースとこのレースを走ってみせる! そして勝つ!」

 

 真帆の語りかけに炎仁は力強く答える。

 

「さて……今日受けたこの刺激をどう活かすかね、Cクラスの諸君?」

 

 炎仁たちのそれぞれの反応を横目で見ながら、仏坂が小声で呟く。



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第6レース(1)衝突

                  6

 

 季節は六月に入り、雨の多い季節となったが、実際の競竜もよっぽどの天気の荒れ模様でもなければ、レースは予定通り行われる。この騎手課程短期コースにおいてもそれは同様である。なにしろ『短期』コースなのだ。一日たりとも無駄には出来ない。その日は結構な土砂降りと言っても良い日だったが、鬼ヶ島主任教官の判断で、各クラス合同で訓練を行っていた。そこで騒動が起こった。

 

「お前、ふざけんなよ!」

 

 Bクラスのやや小太りな男が声を荒げる。

 

「……なんすか?」

 

 嵐一が心底面倒臭そうに答える。

 

「今の走り! 内側から強引に来やがっただろう!」

 

「……内側が空いていましたから、空けたやつがよっぽど間抜けなんでしょうねえ」

 

「わ、わざと空けてんだよ! この時期は内ラチ沿いの芝が荒れるからな!」

 

「……走って駄目だってことはないでしょう」

 

「そ、それはそうだけどよ……」

 

「……分かりましたよ、今度から気をつけます」

 

「そ、それで良いんだよ……」

 

「おい、皆! Bクラスの太井さんがびっくりしちゃうといけないから、抜くときは『今から内側を抜きますねー』とかちゃんと声がけを頼むぞ!」

 

「そ、そういうことじゃねえんだよ!」

 

「え?」

 

 嵐一はわざとらしく両手を広げてみせる。その仕草が余計に小太り男の気に障る。

 

「てめえ……馬鹿にしてんだろう?」

 

「そんなことは……無くもないですけど」

 

「て、てめえ!」

 

「あ~あ~何をしている……」

 

 凡田教官が面倒臭そうに割って入ってくる。

 

「ぼ、凡田教官! こいつが!」

 

「変な騒ぎを起こされては困る……二人とも罰走! ……と言いたいところだが、本日は訓練時間も限られている。さっさと位置に戻りたまえ」

 

「は、はい……」

 

「はい……」

 

 小太りの男と嵐一は言い争いを止めて、お互い所定の位置へと戻る。訓練が再開されるが、しばらくして再び騒動が起こる。

 

「お、お前、いい加減にしろよ!」

 

 Bクラスの瘦せっぽちの男が叫ぶ。嵐一がため息をつく。

 

「なんすか……?」

 

「なんすかじゃねえよ! 無理な割り込みはやめろよ! 竜体ぶつかってるぞ!」

 

「じゃあ譲ってくれって言ったら素直に譲ってくれるんすか? それに競竜で多少の接触云々はつきものでしょう?」

 

「それにしたって限度ってものがあるんだよ!」

 

「薄井の言う通りだ! 俺のドラゴンにもぶつかっていたぞ!」

 

 小太りの男が同調する。嵐一が再びため息をつく。

 

「なんだよ、その態度は!」

 

「呆れてるんすよ。接触するのが怖いなら競竜やめりゃいいだけのことだ」

 

「なっ⁉」

 

「違うすか?」

 

「こ、これは訓練だぞ!」

 

「訓練の時点から実戦を意識してなきゃなんの意味もないでしょ」

 

「ぐっ……」

 

「遊びでやっているんじゃないんだ」

 

「だ、大体なんだ、その態度は! 俺らの方が年上だぞ!」

 

「そうだ、そうだ!」

 

 小太り男と瘦せっぽちの男が揃って声を上げる。

 

「敬語使ってるでしょ? 一応」

 

「一応って!」

 

「もっとちゃんとした敬語使えよ!」

 

「敬うに値する相手ならね……」

 

「どういう意味だよ!」

 

「そういう意味ですよ」

 

「こ、この!」

 

「やめなさい! 貴方たち!」

 

 長身の女性教官が不毛な言い争いをする三人の間に割って入る。

 

「な、並川教官! 見たでしょ! こいつの危険な走行を注意して下さいよ!」

 

「そうです! 危な過ぎてしょうがないですよ!」

 

「……確かにやや目に余る騎乗もありますけど、プロレベルの実戦を見据えれば危険過ぎるということはありません」

 

「そ、そんな!」

 

 教官の言葉に小太り男が憤慨した様子を見せる。瘦せっぽちの男が抗議する。

 

「な、納得いかないですよ!」

 

「さっきから何を騒いでいる」

 

「あ……」

 

 主任教官である鬼ヶ島が嵐一たちに近づいてくる。並川が耳打ちする。

 

「主任……こういうわけで」

 

「ふむ、事情は把握した。諸君らも承知の通り、騎乗訓練は全て映像で記録されている。後で草薙の騎乗についてはきちんと精査しよう。その上で注意すべき点があるのなら注意する。今は……」

 

「今は?」

 

 嵐一が問う。

 

「周りの貴重な訓練時間が奪われてしまった。草薙、太井、薄井、ドラゴンを厩舎に戻せ……そしてあそこのピロティーで構わん。罰として腕立て腹筋背筋二百回だ」

 

 鬼ヶ島がピロティーを指し示す。

 

「え……」

 

「早くしろ!」

 

「は、はい!」

 

「ちっ……」

 

 小太り男と瘦せっぽちの男が慌てて、嵐一がやや憮然としながら厩舎に戻る。

 

「……た、大変だったね」

 

 訓練後のシャワールームでシャワーを終えた炎仁が同じくシャワーを終え、ベンチに腰かけていた嵐一に声をかける。嵐一が肩を竦める。

 

「下手くそどもに絡まれて散々だぜ……」

 

「へ、下手くそって言ったな!」

 

「ああ、確かに言った!」

 

 小太り男と瘦せっぽちの男が半裸のまま、嵐一に詰め寄ってくる。

 

「なんだよ、しつけえな……」

 

「下手なのはお前だ! 今日の危険な騎乗、鬼ヶ島教官から注意されるからな!」

 

「プロじゃああれくらい当たり前だって言っているだろう……」

 

「はっ、お前なんかがプロになれるかよ! 野球も半端だったやつが!」

 

「!」

 

 嵐一がガバっと立ち上がり、小太り男たちを睨み付ける。

 

「な、なんだよ……」

 

「もう一度言ってみろ……」

 

「何度だって言ってやる。『崖っぷち』Cクラスなんて逆立ちしたってプロになれねえよ! まあ、女子ども何人かがお情けで合格するかもな、『客寄せパンダ』枠で!」

 

「ふざけんなよ!」

 

「⁉」

 

「どわっ!」

 

 嵐一だけでなく、周囲も驚く。炎仁が小太り男を突き飛ばしたからである。



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第6レース(2)手打ち

「すみませんでした!」

 

 主任教官室で炎仁が勢いよく頭を下げる。席に座る鬼ヶ島が困惑する。

 

「謝罪は私に言われても困るな……」

 

「いや、もちろん相手にも謝りました!」

 

「ならば良い……」

 

「た、退学ですか⁉」

 

「……なんでそうなる」

 

「いや……あんな騒ぎを起こしてしまって……」

 

「受講生同士のちょっとした諍いなど毎年のことだ。怪我人が出たわけでもないのに、いちいち大きな騒ぎに発展させる必要はない……」

 

「……停学とか謹慎処分っすか?」

 

 炎仁の隣に立っていた嵐一が口を開く。鬼ヶ島が首を左右に振る。

 

「反省文を提出すれば、それで良い……」

 

「寛大な処置っすね」

 

「……あの場にいた周囲の受講生全員からも事情を聴取した……シャワールームで最初に絡んだのはBクラスの方だという……奴らにも原因がある。奴らには口頭で厳重注意……貴様らには反省文の提出……それで手打ちだ」

 

「……ありがとうございます」

 

 嵐一が頭を下げる。

 

「草薙……先の貴様の騎乗に関してだが……この騎手課程はプロ騎手を養成する課程だ、貴様のようにプロ入り後を見据えての騎乗、決して間違ってはいない……」

 

「……」

 

「ただ、そういった振る舞いは今回のような無用な軋轢を生む場合がある」

 

「……では大人しく、お行儀よくしていろと?」

 

「それが出来るのか?」

 

 鬼ヶ島の問いに嵐一は首を振る。

 

「一から丁寧な騎乗スタイルを身に着けている余裕も器用さも才能も俺にはないっす。一刻も早くプロのジョッキーになりたいからこの短期コースを受講したんだ。今更やり方を変える気はないっすよ」

 

「ふむ……」

 

 鬼ヶ島が顎に手をやる。

 

「そんな奴は認められないっすか?」

 

「いや、大変結構な心意気だ、貴様はそのままで良い」

 

「……」

 

「反省文は明朝、ここに持ってこい。二人とも下がって良いぞ」

 

「……失礼します」

 

「し、失礼します!」

 

 嵐一と炎仁が頭を下げ、主任教官室を後にする。鬼ヶ島はデスクの電話を取る。

 

「私だ、主任教官室に来てくれ」

 

「た、助かった……」

 

 廊下を歩きながら、炎仁がホッと胸を撫で下ろす。隣を歩く嵐一が呆れる。

 

「そんなにビビるくらいなら最初からそんなことするなよ……」

 

「だ、だって……」

 

「だって?」

 

「あいつがCクラスのことを馬鹿にしたからさ……」

 

「……俺らが『崖っぷち』だっていうのは全員の共通認識みたいだな」

 

 嵐一が自嘲気味に笑う。

 

「それに……」

 

「ん?」

 

「嵐一さんのことも馬鹿にしてたじゃないか」

 

「!」

 

「それも腹が立ってさ……」

 

「まあ、野球が半端だったっていうのは当たっているかもな」

 

「本当に? 怒っていたじゃないか? あんまり詳しくないけどさ、高校野球のスター選手だったんでしょ? 『群馬の四刀流』って言われて」

 

「ダセえあだ名はやめろ……」

 

「ご、ごめん……でも、そんなに騒がれる程の選手が半端だったはずがない。少なくとも他人に馬鹿にされることではないはずだ」

 

「……四刀流ってのはな、投手に打者だけでなく、捕手と主将までこなしていたから付いたあだ名だ」

 

「い、忙しいな」

 

「それだけ打ち込んでいたってことだ――大して強いチームじゃなかったからっていう事情もあるが――とにかくマジでやっていた……だが、無理が祟ったのかな……ある時、肘を痛めちまった」

 

「え……」

 

 炎仁が静かに驚く。

 

「満足なパフォーマンスが出来なくなった俺から多くの人が離れていった。『お前にはもう価値がない』と言われているようで辛かったよ。そして俺自身も野球から離れていった。今思えば自棄になっていたのかな。そんな時に出会ったのが競竜だ」

 

「……」

 

「野球部も退部してブラブラしている俺を見かねて、高校の教師が紹介してくれた牧場で初めてドラゴンに跨った。最初の内は全然上手く乗れなかったが、新たな世界を見たような気持ちになったよ。その時にこう思ったんだ。ああ、俺が目指すべき場所はここだってな」

 

「そうだったのか……」

 

「野球も半端って言葉にカチンときたのも事実だが、『お前なんかがプロになれるか』っていう方がキレた。今の俺には競竜のプロになるしか考えられないからな」

 

「おお……」

 

「まあ、お前が先にキレてくれて良かったよ、俺がキレてたら、あいつら二人とも間違いなく病院送りだったからな」

 

 嵐一が笑う。

 

「いや、それあんまり笑えないから……」

 

 食堂で遅めの夕食を取り、二人は部屋に戻ろうとする。嵐一が語りかける。

 

「反省文書いたら見せてくれよ、俺が写すから」

 

「だ、駄目だよ、ちゃんと自分の言葉で書かなきゃ」

 

「真面目だな」

 

「当たり前でしょ」

 

「そうだよ~そういう所も鬼ヶ島教官は見るからね~」

 

「! 仏坂教官! きょ、今日はすみませんでした!」

 

「……すいませんした……」

 

 二人の背後から声をかけてきた仏坂に二人が反射的に謝る。

 

「まあまあ、それはもういいよ。いや、良くはないか? とにかく二人に知らせておきたいことがあってね。さっき鬼ヶ島教官に話があるって呼び出されたんだよ」

 

「話? なんですか?」

 

 炎仁が問う。

 

「……どうやらBクラスの二人がまだ腹を立てているみたいでね」

 

「ひょっとしてまだ謝罪が足りないとかですか?」

 

「いや、それに関してはBクラスの並川教官がうまく宥めてくれてね。ただ、話が妙な方向に転がったんだ」

 

「妙な方向っすか?」

 

 嵐一が首を傾げる。仏坂が頷く。

 

「三日後にBクラスとCクラスの合同訓練があるんだけど、その場で向こうの二人と草薙君、紅蓮君でレースをさせようって話さ」

 

「「!」」

 

「余計にこじれそうな気もするけど、『レースで白黒つけるのが一番手っ取り早い』って鬼ヶ島教官のお達しでさ……どうする? やる?」

 

「「やります!」」

 

 仏坂の問いかけに炎仁と嵐一が揃って答える。



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第6レース(3)スリムとプレゼンス

「やるか、頼もしい返事だね」

 

 二人の返事に仏坂が満足気に笑う。嵐一が訝し気な表情で尋ねる。

 

「むしろ……止めなくていいんすか?」

 

「いやまあ、訓練の一環と思えばある意味願ってもない話だ。勝負事だから安易に勝ち負けについて話すのはともかく、ここでBクラスの連中よりも内容のあるレースをしたら、君たちの評価は間違いなく上がる。鬼ヶ島教官はちゃんと見ているよ」

 

「え、どこでですか?」

 

 炎仁が首を傾げて尋ねる。

 

「調教スタンドの上方で目を光らせているよ。眼鏡をキラーンとさせてね」

 

「も、もしかしてこれまでもですか?」

 

「そうだよ、この二か月半……ほぼ休みなしで君たちの騎乗ぶりを観察しているよ」

 

「おお……時折感じた鋭い視線はそれだったのか……」

 

 炎仁が身震いする。嵐一が笑う。

 

「嘘つけよ、『ビリッケツ』評価の奴にいちいち注目するか」

 

「わ、分からないだろう?」

 

「訓練などで目立った学生は主任教官室に呼び出されることが多いね」

 

「え……」

 

「……」

 

 仏坂のなにげない一言に炎仁たちが黙り込む。

 

「あ、あれ? どうかしたのかい?」

 

「俺たち呼ばれたことないですよ……」

 

「Cクラスは眼中無しってことっすか……」

 

「あ、いやいやいや! そういうわけではないよ。現にCクラスの学生も何人か呼び出されている……あっ」

 

 仏坂はしまったという表情で口を覆う。炎仁が詰め寄る。

 

「いるってことですね! 誰ですか⁉」

 

「そ、それは僕の口からは言えないよ……」

 

「何人かってことは少なくとも三人以上か……? 天ノ川とお嬢あたりは分かるが……もう一人はクラス長か? それともまさか……」

 

「く、草薙君、余計なことは考えないように! そ、それに鬼ヶ島教官に呼び出されたからといって、必ずしもそれだけで合格に近づくとは限らないからね」

 

「あ、そうなんですか」

 

 炎仁がいくらか冷静さを取り戻す。

 

「そうそう、もう一つ付け加えると、鬼ヶ島教官は受講した学生はほぼ必ず一度は呼び出すようにしているよ。Cクラスとか関係なくね」

 

「おおっ!」

 

「まあ、必ず褒めるってわけじゃないけどね……」

 

「えっ……」

 

「そ、それはともかくとして、今日は色々あって疲れたでしょう? 反省文を書いたらすぐ休みなさい。レースの詳細については明日話すから」

 

 そう言って、仏坂は自身の寝泊りしている施設の方に戻って行く。

 

「……俺らも戻るか」

 

「ああ、うん……」

 

 嵐一に促され、炎仁も部屋に戻る。翌日、Cクラスの教室で仏坂が説明する。

 

「コースは1600mの左周りのダートコースを指定してきているよ」

 

「1マイル=8ハロンか……」

 

 腕を組む嵐一に飛鳥が尋ねる。

 

「GⅠレースと同じ条件ですわね。これまで走った経験はございます?」

 

「距離は最長で6ハロンまでだし、ダートコースもこの学校入ってから本格的に走り始めたって程度だな」

 

「紅蓮君はどうかしら?」

 

「だ、大体同じ感じかな?」

 

「それはそれは……なんとも心細いですわね」

 

「もしかしてだけど……海ちゃん?」

 

 真帆が海に尋ねる。海は眼鏡をクイッと上げて答える。

 

「そのもしかしてです……真帆さん、この指定してきたコースはBクラスの太井さんと薄井さんがかなり得意としているコースです」

 

「Bクラスは並川教官の方針で、芝コースとダートコースのスペシャリストをはっきりと分けて日々の訓練を行っているから……太井君と薄井君、ともに侮れない実力者だと見て間違いないだろうね」

 

 仏坂が真帆の説明を補足する。

 

「汚ねえなあ! 『勝負しよう、但し俺たちの得意なコースでな』ってか⁉」

 

「そうだ、全くフェアじゃないよ!」

 

 青空とレオンが憤慨する。

 

「……プロになったら、なにからなにまで、自分の思い通りっていう状況でレースに臨めるっていうことはまずないよ~」

 

 翔が寝ぼけ眼をこすりながら呟く。

 

「天ノ川ちゃんよ~そういう正論はここでは要らねえって!」

 

「皆に話を合わせる意味もないよ」

 

「ぐっ……」

 

「まあ、教官も昨日おっしゃった通り、訓練の一環と思えば悪くない話だ、なあ?」

 

「う、うん……」

 

 嵐一の言葉に炎仁が頷く。レオンが驚く。

 

「おおっ! 前向きだな!」

 

「奴らの得意なコースで勝てば、奴らのしょうもねえプライドを叩き潰せる……おまけに鬼ヶ島教官からの評価も上がるって寸法だ。面白くなってきたじゃねえか」

 

「おおっ、草薙の旦那、悪い笑顔だね~。炎仁、お前ももっと悪く笑え!」

 

「ええっ⁉」

 

 青空の無茶ぶりに炎仁が戸惑う。海がため息混じりに呟く。

 

「意気込み云々はともかくとして……対策を練った方がよろしいのでは?」

 

「それならダートコースを実際に走ってみたら……って無理ですよね」

 

 真帆が自分の提案を即座に打ち消す。この日は前日以上の土砂降りで、コースを使用する許可が下りなかったのである。仏坂が軽く頭を抱える。

 

「多少はマシになるみたいだけど、明日もほとんどこんな空模様らしいねえ。実際のコースに関しては明後日のぶっつけ本番に近いかたちになっちゃうね」

 

「むう……」

 

 仏坂の言葉に炎仁が顔を曇らせる。

 

「……やれることをやるだけです。教官、端末とモニターを使って宜しいですか?」

 

「あ、ああ、構わないよ」

 

 海が自身の愛用する端末と教室に置いてあるモニターに手際よく繋ぎ、画面に二頭のドラゴンを映し出す。

 

「……この焦げ茶色の竜体のドラゴンは太井さん騎乗の『スリムアンドスリム』、こちらの薄茶色の竜体のドラゴンは薄井さん騎乗の『ハズアプレゼンス』、どちらも先行抜け出しを得意とするドラゴンですね。ダートコースに慣れています」

 

「なかなか強そうなドラゴンたちだな……」

 

「素直な感想だな」

 

 レオンが炎仁に呆れた目を向ける。飛鳥が問う。

 

「ジョッキーのお二人は?」

 

「ともに群馬県出身の19歳。北関東のユース大会ではそれなりの成績を収められております。以前、ある地方競竜の騎手課程を受講したようですが、合格出来なかったようですね。年齢的にも今回の短期コースがラストチャンスに近いです」

 

「群馬出身か、同郷かよ……やたら絡んでくると思ったら……」

 

 嵐一が呆れる。海が説明を続ける。

 

「これはあくまでも噂話レベルですが、Bクラスでも今の所芳しい評価を得られてない模様です。その辺の焦りや苛立ちもあるのかと」

 

「なるほど……」

 

 真帆が頷く近くで飛鳥が首を左右に振る。

 

「だからと言って、Cクラスへの暴言は許しがたいですわ」

 

「あまり気分は良くないよね~」

 

 飛鳥の言葉に翔が同調する。

 

「そうだぜ! 旦那、炎仁、こんな奴らぶっ潰しちまえよ!」

 

「い、いや、ぶっ潰すって……」

 

 青空の言葉にレオンが苦笑する。

 

「……ただぶっ潰すだけでは飽き足りません。『完膚なきまでに』!」

 

「な、撫子さんまで便乗⁉」

 

「あ、あくまでフェアなレースをしてくれよ……」

 

 仏坂が慌てて皆を落ち着かせる。そんな中でも海が冷静に説明を続ける。

 

「では、当日の予想レース展開ですが……」

 

「海ちゃん、ブレない……」

 

 真帆が感心する。そして、二日が経った。

 

「へっ、よく逃げないできたな」

 

『スリムアンドスリム』に跨った小太り男、太井が嵐一に話しかける。

 

「弱え相手に逃げる理由が無えだろう」

 

「な、なんだと⁉」

 

「落ち着け、太井」

 

『ハズアプレゼンス』に跨った瘦せっぽちの男、薄井が太井をなだめる。

 

「嵐一さんもやめておけよ」

 

 炎仁が嵐一を注意する。落ち着きを取り戻した太井が再び口を開く。

 

「なあ、一つ提案があるんだが……」

 

「提案?」

 

「負けたチームは罰ゲームってのはどうだ?」

 

「罰ゲームだと?」

 

「ああ、万が一俺らが負けたら、俺らがCクラスに降級するんだ……」

 

「! ってことは俺らが負けたら……」

 

 嵐一の言葉に太井が笑う。

 

「察しが良いじゃねえか。そう、お前らが負けたら退学するんだよ。自主的にな」

 

「そ、そんな⁉ これはあくまで訓練の一環の模擬レースだ! しかもあんたたちが得意とするコースで走るって言うのに……一方的過ぎる! 話にならない!」

 

「良いぜ」

 

「ええっ⁉」

 

 嵐一の返事に炎仁が驚く。太井が笑う。

 

「へへっ、そうこなくっちゃな。じゃあ、レース楽しみにしているぜ」

 

 太井たちがスタート地点に移動する。炎仁が嵐一に詰め寄る。

 

「なんであんな話に乗るんだ!」

 

「それくらいじゃなきゃ面白くねえ……ってのは半分冗談だが、お前も結構退学を賭けた勝負をしてきたらしいじゃねえか」

 

「そ、それは……」

 

「その時、こうも言ったらしいな、『こういうところで勝てないようじゃどうせ先が無い』って、俺もそう思うぜ、持っている奴は結局勝つんだよ」

 

「ううむ……」

 

「まあ、大丈夫だ、クラス長の行ってくれたシミュレーションなどで奴らのレースパターンは完全に把握してある。心配は無え。ほら、スタート地点に行くぞ」

 

 嵐一の騎乗する『アラクレノブシ』が最内に並び、炎仁の騎乗する『グレンノイグニース』が、左右から『スリムアンドスリム』、『ハズアプレゼンス』に挟まれる形で並ぶ。スターターを務める並川教官が声を発する。

 

「……よーい、スタート!」

 

「⁉」

 

「なに!」

 

 嵐一と炎仁が驚いた。先行型の太井たちのドラゴンが前に行かず、嵐一とアラクレノブシを先頭に押し出すような形をとったからである。



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第6レース(4)アラクレノブシ&グレンノイグニース

「アラクレノブシが先頭に!」

 

「いきなり予想外の形ですね……」

 

 スタンドで観戦するレオンが声を上げる。その横で海が冷静に呟く。

 

「こ、これは……草薙さんはどうすれば?」

 

「こうなったらこのまま行くしかありませんわね」

 

「慣れないことをするべきじゃない、ポジションを下げるべきだ」

 

 真帆の問いに飛鳥と翔が真逆の意見を述べる。

 

「お前らが言うなら、多分どっちも正解なんだろうけどな、旦那に器用なレース運びが出来るわけがねえ……アタシが言えたことじゃねえが」

 

 青空が自嘲気味にこぼす。翔が頷く。

 

「まあ、それはそうだね……ハナを切って行くしかないか……ただ、逃げって言うのも楽なわけじゃない」

 

「そうだよ、しかも彼はいつも後方からの競竜をやっていた。追われる状態というのは慣れていないはずだ」

 

 翔の言葉にレオンが同調する。海が眼鏡を直しながら口を開く。

 

「……こうなれば、このレースの鍵を握るのは案外……炎仁さんとグレンノイグニースかもしれませんね」

 

「え、炎ちゃんが⁉」

 

 真帆が炎仁とグレンノイグニースに目をやる。四頭の最後方に位置している。

 

「微妙に出遅れてしまいましたわ。実質初のダートで厳しい立ち上がりですわね」

 

「え、炎ちゃん……」

 

 飛鳥は片手で軽く頭を抑え、真帆は両手を胸の前で握る。

 

「くそが!」

 

 予想外の展開に嵐一は叫ぶ。しかし、すぐさま冷静さを取り戻して、後方にチラッと視線を向ける。

 

「……」

 

「……」

 

 約二、三竜身後方には太井騎乗のスリムアンドスリム、右斜め後方には薄井騎乗のハズアプレゼンスが並んで走っている。それからさらに三竜身ほど離れて、グレンノイグニースの紅い竜体が見える。嵐一が舌打ちして視線を前方に戻す。

 

(俺も紅蓮もレース中盤あたりまでは後方でじっくり脚を溜めて直線勝負って腹積もりだった……脚を使わされる展開は予想していねえ! どうする? ポジションを下げて、奴らと並ぶか? いいや、わざわざ密集することはねえ……となると、このまま先頭で行くか……今の俺にやれんのか? 巧みにペース配分をしながら、脚を持たせるなんて器用な騎乗が……いや、やるしかねえ!)

 

 嵐一がアラクレノブシを前に進ませる。

 

「ふっ……」

 

「ふふっ……」

 

 太井と薄井がそれを見てほくそ笑む。

 

「アラクレノブシ、更に前に行った!」

 

「いいんじゃねえか、余計な駆け引きなんざいらねえよ!」

 

 声を上げるレオンに青空が反応する。海が呆れ気味に呟く。

 

「駆け引きなしで押し切れる相手ならいいのですが……」

 

「問題は他にもあるね……」

 

「他にも?」

 

 翔の言葉を聞いて真帆が首を傾げる。

 

「……なるほど、そういう事態もありえますわね……」

 

 翔の発した言葉の意味を悟った飛鳥は深々と頷く。真帆が尋ねる。

 

「どういうことですか?」

 

「まあ、もう少し様子を見てみましょう……」

 

 レースは最初のコーナーを周り、次のコーナーへと差し掛かろうとしている。アラクレノブシが尚も先頭を走っている。二番手との差は五、六竜身ほど開いている。後ろを振り返ってそれを確認した嵐一は頷く。

 

(折り合いも悪くねえ、この差を保っていけばいける!)

 

 嵐一は再び後ろを振り返る。

 

「ふふっ……」

 

「ふふふっ……」

 

 嵐一の目に――ヘルメットとゴーグルで顔の半分は隠れているが――不敵な笑みを浮かべる太井と薄井の顔が映る。

 

(なっ⁉ 笑ってやがる! そこから届く脚があるのか? いや、本来は二頭とも脚質は先行タイプのはずだ、ここから伸びてくるとは思えねえ! ……⁉)

 

 嵐一が驚く。アラクレノブシの脚色が急に悪くなってきたからである。

 

「ペースが落ちた⁉」

 

「故障か⁉」

 

「いえ、違います。これは……」

 

 驚くレオンと青空に対し、海が冷静に反応する。

 

「来てしまいましたわね……」

 

 顎に手を当てて飛鳥が呟く。真帆が声を上げる。

 

「な、なにが起こったんですか⁉ ペース配分は悪くなかったはずです!」

 

「……初めての距離にほぼ未体験のダートコース、そして……」

 

「昨日一昨日の大雨を含んだ砂はかなり重くなっている。ドラゴンの脚に想像以上に負担がかかっている……」

 

 飛鳥の説明を翔が淡々と補足する。

 

「くっ!」

 

「ここだ!」

 

 太井がスリムアンドスリムを押し上げ、最終コーナーの手前でアラクレノブシをかわし、前に出る。

 

「ちっ!」

 

「おっと!」

 

「くっ⁉」

 

 前を塞がれた為、外に持ち出そうとしたアラクレノブシの斜め前辺りに薄井がハズアプレゼンスをピタリと付ける。アラクレノブシは完全に内ラチ沿いに閉じ込められた恰好となった。右斜め前――スリムアンドスリムとハズアプレゼンスの竜体の間――にはほとんど隙間がない。

 

「ここを割って入ってくるのは流石に妨害行為になるぜ!」

 

「くそ……」

 

 嵐一はアラクレノブシのポジションを下げようとも考えたが躊躇した。ここからさらに外を回るのは距離のロスであるし、なによりアラクレノブシのスタミナが持たないと思ったからである。

 

「万事休すだな!」

 

「ちっ……」

 

「まだだ!」

 

「何⁉」

 

 そこにグレンノイグニースが外側を強襲するように上がってくる。太井が叫ぶ。

 

「まだ脚を残していやがったか! 薄井! 外を警戒しろ!」

 

「ああ!」

 

 薄井がハズアプレゼンスの竜体をやや外側に向ける。グレンノイグニースが上がってきたら竜体を寄せ、末脚を鈍らせる為だ。勿論、妨害にはあたらない程度に。

 

「かかったな!」

 

「なんだと⁉」

 

 薄井が驚く。炎仁がグレンノイグニースをはばたかせ、内ラチギリギリ、アラクレノブシの左斜め後方に着地したからである。これには嵐一も驚く。

 

「なっ⁉」

 

「そ、そんなところに入ってどうする気だ⁉」

 

「こうするんだよ!」

 

「のあ⁉」

 

 炎仁はグレンノイグニースの右肩あたりを、アラクレノブシの左脚の付け根あたりにぶつける。それにより、アラクレノブシは右斜め前に押し出され、スリムアンドスリムとハズアプレゼンスの間に広がった隙間を抜けて、前方を誰にも塞がれていない状態で直線に入る。薄井と嵐一がそれぞれ信じられないといった様子で叫ぶ。

 

「くっ! 外からきたのは俺を釣り出すためか! 初めからそれを狙って!」

 

「み、味方とはいえ、押し出してくるとはな!」

 

「これくらいの接触は競竜ならよくある! いっけえ! 嵐一さん!」

 

「言われなくても!」

 

 嵐一が鞭を入れる。アラクレノブシもそれに応え、脚色を取り戻し、外からスリムアンドスリムをかわし、先頭に出る。太井が焦る。

 

「そ、そんな馬鹿な⁉ もう脚は残っていないはず!」

 

「最後は根性だ!」

 

 激しい叩き合いとなったが、最後はわずかに半竜身ほど、アラクレノブシがスリムアンドスリムに先着する。

 

「か、勝った!」

 

「うおっしゃあ!」

 

「やったあ!」

 

 レオンと青空とさらに真帆が歓声を上げる。飛鳥が苦笑する。

 

「紺碧さんまで一緒になってそんなに興奮されるなんて……」

 

「い、いや、でも凄いレースでしたよ、ねえ、海ちゃん?」

 

「ええ、そうですね、手に汗握りました」

 

「三日月さんのおっしゃったように、紅蓮君が鍵を握っていましたわね」

 

「ええ、ただ、まさかあのようなことをするとは……驚きました」

 

「確かに驚いた……思った以上に面白いね~彼」

 

 翔が感心した様に頷く。

 

「ぐっ……」

 

「ま、負けた……」

 

「……」

 

 太井と薄井に嵐一が無言で近づく。太井が悔しそうに吐き捨てる。

 

「な、なんだよ、分かっているよ、賭けは俺たちの負けだ、俺たちをCクラスに降級してもらうよう教官たちに申し出る。それで文句はないだろう?」

 

「……いらねえよ」

 

「え?」

 

「この期に及んでまだ降級だとかなんとかぬかすお前らなんざ、うちのクラスにはいらねえんだよ。精々ご自慢のBクラスで頑張ってくれや。もう二度とつまらねえことで絡んでくるなよ」

 

「ぐっ……」

 

 言うべきことを言った嵐一は踵を返す。そこに炎仁が駆け寄ってくる。

 

「嵐一さん!」

 

「ふっ、お前が出遅れたときは正直焦ったぜ」

 

「ご、ごめん……」

 

「まあ、ある程度は折り込み済みだったけどな」

 

「そ、それはちょっと酷くないか?」

 

「冗談だよ」

 

 嵐一は笑う。炎仁は唇を尖らせる。

 

「ちぇっ……」

 

「しかし、あれだな、随分と思い切ったことをしたな」

 

「イグニースも重い砂に脚を取られて結構消耗していたから……アラクレノブシの粘り強さに懸けようと思って……」

 

「って、あれは咄嗟の判断かよ?」

 

「まあ、そうなるね……」

 

「はははっ!」

 

 嵐一は炎仁と肩を組んでグイッと引き寄せる。

 

「どわっ⁉ な、なんだよ嵐一さん?」

 

「嵐一でいいぜ、同期だからな……この借りはいつか返すぜ、炎仁」

 

「あ、ああ……」

 

「Cクラス……思った以上に面白いかもしれんな」

 

 スタンドでレースを見つめていた鬼ヶ島が笑みを浮かべながら呟く。



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第7レース(1)夏だ!海だ!水着だ!

                  7

 

「ぶはっ!」

 

 青空が海中からガバッっと顔を出す。既に海、飛鳥、真帆の三人が砂浜に上がっている。飛鳥が笑う。

 

「朝日さん、潜水を競っているわけではありませんのよ?」

 

「泳いでたんだよ!」

 

「あら、そうだったのですか、それは失礼……」

 

「真帆、順位は?」

 

「ええと、海ちゃんと撫子さんにかなりの差をつけられての三着、四着です……」

 

「くっ……ここまで差をつけられるとは」

 

「『海なし県』の方々に我々が泳ぎで後れをとるわけには参りませんので……」

 

 バスト間に非常に深い切れ込みがあるワンピースタイプの水着である『プランジング』を着用した飛鳥が海水で濡れた髪をタオルで拭きながら答える。薄い桃色のカラーである水着で、切れ込みから覗く真白な肌や細すぎず太過ぎない太ももからスラリと伸びるこれまた真白な長い脚を見せつけるように砂浜を颯爽と歩く。青空が悔しそうに呟く。

 

「お嬢はともかく……まさか、クラス長にも負けるとはな」

 

 青空の言葉を聞き、水中メガネを外して、いつもの眼鏡をかけた海は彼女にしては珍しく、満面の笑みを浮かべながらこう答える。

 

「小さい頃からよく大洗海水浴場へ行っておりましたから、泳ぎには自信があります」

 

 そう言って海は胸を張る。藍色のワンピース水着で背中がUの字に開いた、オーソドックスな水着である。海は小柄ではあるが、それなりに長い手足と腰回りにはくびれも出来ており綺麗なスタイルだということが分かる。

 

「三日月さん、奇遇ですわね。わたくしも幼少期によくビーチで家族と楽しんだものですわ」

 

「そうなのですか……神奈川のご出身なら、大磯や江の島などですか?」

 

「? いいえ、オアオア島のプライベートビーチですわ」

 

「はい? オアオア島?」

 

「太平洋にある撫子グループ所有の島です。オオアライというのはどこの島なのかしら?」

 

「……」

 

「あら? 三日月さん? どうかしたかしら?」

 

「少しでも親近感を抱いた私が愚かでした……」

 

 海は飛鳥の問いかけを半ば無視し、砂浜のチェアに腰を下ろす。

 

「くそ! もういっちょ勝負だ!」

 

 青空の叫びに対し、自分もチェアに腰かけた飛鳥が苦笑交じりで答える。

 

「なんどやっても結果は同じだと思いますわよ……」

 

「じゃあ、ハンデだ、アタシと真帆はビート板使ってもいいこととする!」

 

「いや、ビート板って⁉」

 

「久しぶりに聞きましたね……」

 

 青空の提案に対し、真帆は困惑し、海が懐かしそうに呟く。

 

「駄目か……」

 

「ビート板でどうにかなるレベルじゃないでしょ……」

 

「……むしろこっちがハンデを抱えているようなもんなんだけどな……」

 

「「‼」」

 

 派手なオレンジ色のバンドゥ・ビキニに身を包んだ青空が自分の姿を見て呟く。

 

「これなんか重くてよ~メロン二つ抱えているようなもんだぜ~」

 

 『バンドゥ・ビキニ』とはトップスの部分が三角形ではなく、横長の帯状でチューブトップ型になっているビキニのことである。青空はトップスからこぼれ落ちそうになっている自らの豊満なバストを両手で掴み、わざとらしく揺らしてみせる。

 

「「……」」

 

「最近、鍛えているからかこっちの方もデカくなってきてよ~ショーツの食い込みが気になっていまいち集中出来ねえんだよな」

 

「「!」」

 

 青空はムッチリとしたお尻をプリプリと左右に振ってみせる。

 

「「……」」

 

 飛鳥と海が物凄い形相で青空を見ていることに気付いた真帆はこのままだと誰かが血を見る展開になるのではと思い、なんとか話題を変えようとする。

 

「し、しかし、この恒例だという伊豆の夏合宿! すごいハードでしたね~」

 

「先月から本格的に始まったゲート訓練には彼氏も苦戦してたな~」

 

「そう、炎ちゃんだけずっと居残りで……って、彼氏じゃないですよ! まだ……」

 

「まだ~? そんな悠長なこと言っていると、誰かに差し切られちまうぞ?」

 

「そ、そんなことはさせません!」

 

「そうだよな~その為にこういう水着を選んだんだもんな~?」

 

「キャ⁉ ちょ、ちょっと朝日さん!」

 

 青空が真帆の背後に回り込み、身体をベタベタと触る。

 

「まさか、大人しそうなお前が紐ビキニとはな~驚いたぜ」

 

 そう、真帆はショーツの横部分を紐で結んで固定する、明るい水色の『紐ビキニ』を着用しているのである。

 

「ちょっと……」

 

「しかも今まで気が付かなかったが、お前さん、着やせするタイプだったんだな~。出るとこしっかり出てて、肌触りも柔らかくてマシュマロみてえだな」

 

「言い方がなにかいやらしいんですけど⁉」

 

「毎日そそくさとシャワーを浴びていたのはこの立派なものを隠す為か……」

 

「別に隠していたつもりはないですけど……あん、変な所触らないで下さい!」

 

 青空のいやらしい手つきに真帆が腰をくねらせる。それにしても二人ともなかなかのスタイルである。今すぐグラビアアイドルと名乗っても差支えないであろう。

 

「この大胆な紐ビキニで炎仁の野郎に文字通り火を付けてやろうと思ったんだろう? 残念だったな、男子どもとは自由時間が別々でよ」

 

「そ、そんなつもりは……ちょっとだけありましたけど……」

 

 真帆が小声で呟く。青空が聞き返す。

 

「あん? なんだって?」

 

「なんでもないです!」

 

「え~い、このハレンチ娘!」

 

「そして裏切り者!」

 

「「えっ⁉」」

 

 飛鳥と海が立ち上がって叫ぶ。そのスレンダーな身体がわなわなと震えている。

 

「ど、どうした二人とも?」

 

「う、裏切り者って……」

 

「朝日さんはともかく……紺碧さん、貴女はこちら側の住人だと思っていましたわ、残念でなりません」

 

「こ、こちら側って……」

 

 飛鳥の言葉に真帆は困惑する。飛鳥は構わず続ける。

 

「自由時間と言っても、単にのんびり休憩していろとは言われておりません! 故にわたくしたちは競泳対決を行いました! 次の種目に参りましょう!」

 

「次の種目~?」

 

「そう、これです!」

 

「「!」」

 

 飛鳥が差し示した先にはビーチバレーのコートがあった。

 

「2対2のビーチバレーで対決です!」

 

 飛鳥の宣言に青空が笑う。

 

「おもしれえな、チーム分けは?」

 

「知れたこと……貴女方『チームハレンチ』とわたくしたち『チーム清楚』ですわ!」

 

「わ、わたしもハレンチ扱い⁉」

 

 真帆が戸惑う。青空がぼそっと呟く。

 

「別にいいけどよ、『チームたわわ』と『チームノットたわわ』の方が良くね?」

 

「火に油を注がないで!」

 

 真帆が青空の発言を諌める。

 

「『チーム豊満』と『チーム控えめ』はどうでしょうか?」

 

「う、海ちゃんまで何を言っているの⁉」

 

「さあ、さっさとコートにお入りなさい! ボッコボッコのギッタギッタにして差し上げますわ!」

 

「へっ、返り討ちにしてやらあ!」

 

「どうしてこんなことに……」

 

 争う必要の無い争いが始まってしまう。

 

「さあ、三日月さん、サーブは任せましたよ!」

 

「足は砂に取られ、胸には脂肪、動きにくいはず……絶対取れないコースはここ!」

 

 海がジャンプサーブを放った、ボールは鋭い弾道を描き、真帆たちのコートに向かって勢いよく速く飛ぶ。

 

「おらっ!」

 

 難しいボールだったが青空が上手くレシーブする。海が驚く。

 

「な⁉ ボールの回転、角度、スピード、どれも申し分なかった理論的には完璧なサーブ! 何故拾えるのです⁉」

 

「小難しいこと考えんな、クラス長! 己の本能に従え!」

 

「つくづく相容れない人ですね、貴女という人は!」

 

「も、もっと平和的にやりましょうよ~あっ!」

 

 トスを上げるつもりだった真帆だが、力加減を誤り、そのまま相手コートに返してしまう。いわゆるチャンスボールである。飛鳥がレシーブし、海がトスを上げて、飛鳥が高くジャンプする。

 

「喰らいなさい! 『フライングバードアタック』!」

 

 強烈なスパイクが真帆に向かって飛んで行く。

 

「えい!」

 

 真帆がレシーブする。飛鳥が驚愕する。

 

「なっ! わたくしの必殺スパイクが⁉」

 

「落ち着いてタイミングを計れば……反応出来る!」

 

「流石の運動神経だ! よし、トスを上げるぜ真帆! お前が決めろ!」

 

 青空が絶妙なトスを上げる。真帆はボールの軌道をしっかりと見極める。

 

「竜術競技の飛越と同じ……タイミング良く飛んで、合わせる!」

 

 真帆の放ったスパイクはボールにブレを生んだ。海が冷静に対応しようとする。

 

「ブレ球⁉ しかし、この程度なら……⁉ ぶはっ!」

 

 海はレシーブしきれず、顔面に受けて倒れてしまう。飛鳥が駆け寄る。

 

「三日月さん! どうしたというの⁉」

 

「球のブレと真帆さんの胸の揺れが同時に目に入って混乱させられました……」

 

「な、なんて魔球を……紺碧さん、恐ろしい娘! しかし、勝負はこれからよ!」

 

「へっ、望むところだぜ!」

 

「あ、あの、せめて普通にやりましょう……なんか恥ずかしいし」

 

 真帆の願いも虚しく、女同士の戦いはこの後もヒートアップするのであった。



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第7レース(2)水着でくんづほぐれつ

「なんでだ⁉ なんでこんなことに⁉」

 

 レオンが目の前に広がる海に向かって叫ぶ。

 

「レオン、海で叫ぶなら『バカヤロー!』だろ?」

 

「いや、いつの時代だよ!」

 

 炎仁の的外れな指摘にレオンは呆れる。

 

「何を騒いでいるんだよ?」

 

「この現状だよ!」

 

「現状?」

 

 炎仁は首を傾げる。

 

「なんで女子がいないんだよ⁉」

 

「そりゃあ、自由時間が別々に割かれているから……」

 

「若者にとっての夏とはその年代だけの限られたもの! せっかくの綺麗な海! 何が悲しくて男だけで過ごさなければいけないんだよ!」

 

「……お前みたいな邪な考えの奴がいるから別々にしてんだろ……」

 

 嵐一が心底呆れたような口調で呟く。

 

「何が邪だというんだい! 楽しく過ごすに越したことはないだろう! 親睦を深めることは良好な人間関係に繋がる! 極めて健全な考えだろう!」

 

「一理あるか……」

 

「一理も何理もねえよ、こいつの詭弁に惑わされるな」

 

 レオンの真に迫った言葉に頷きそうになる炎仁を嵐一がたしなめる。

 

「ど、どこが詭弁を弄しているんだ⁉」

 

「……大体そんな珍妙な恰好をしている奴に女は近寄らねえよ」

 

 嵐一はレオンを指差す。レオンは何故か真っ白な『フンドシ姿』である。

 

「珍妙とは心外だな! 伝統的なジャパニーズ・スイムスタイルだろう!」

 

 レオンは両手を腰に当てて、腰を突き出す。

 

「お前の重んじる伝統とやらはどこかズレているんだよ……女の気を引きたくて必死なのが透けて見えるのもマイナスポイントだな」

 

「そ、そういう君はどうなんだ⁉」

 

「あ? 俺の恰好はごくごく自然だろう?」

 

 嵐一はそう言ってポーズを取る。彼の水着は所謂『ブーメランパンツ』である。屈強かつ引き締まった褐色の肉体に薄緑色の水着がよく映える。レオンが指摘する。

 

「露出度が高すぎる!」

 

「お前なんかケツ丸出しじゃねえか」

 

「いや、それにしても布地の面積が小さ過ぎる!」

 

「面積が少ない方が動きやすくて良いんだよ」

 

「じゃあ、その股間の膨らみは一体なんだ⁉」

 

 レオンは嵐一の股間辺りを指差す。股間がきれいに丸く盛り上がっている。

 

「こ、これはいわゆるボールカップを付けてんだよ」

 

「何のために⁉」

 

「そ、そりゃあ保護するためだよ、野球でキャッチャーもやっていたからな。その頃から愛用しているやつだよ」

 

「いいや、そのカップは股間のラインを綺麗にみせる為のカップだね! 競技用などでは断じてない! 僕は詳しいんだ!」

 

「なっ、何を言ってやがる……」

 

 嵐一は分かりやすく動揺する。

 

「ほ~ら、図星だろう! 僕の目は誤魔化せないぞ!」

 

「と、とにかく落ち着け、レオン! かかりすぎだ!」

 

 炎仁は興奮するレオンを抑え込む。

 

「離せ、炎仁! 僕は冷静だ! この『股間さりげなく強調マン』を糾弾せねば!」

 

「全然冷静じゃないぞ! 落ち着け! どう! どう!」

 

 炎仁はなんとかレオンを落ち着かせようとする。

 

「……どうでも良いけど、静かにしてくれない~? 寝たいんだけど~」

 

 砂浜のチェアに寝そべる翔が面倒臭そうに呟く。

 

「ご、ごめん! いや、なんで俺が謝るんだ? ……っていうか寝ちゃ駄目だよ!」

 

「え~?」

 

「教官から言われただろう? この自由時間は別に休憩時間ってわけじゃないんだから! トレーニングに活用しないと!」

 

「そ、そうだ、炎仁の言うとおりだぞ!」

 

 嵐一が炎仁に同調する。

 

「もう~しょうがないな~」

 

 翔が渋々と立ち上がる。彼は紫色をベースとしたカラーリングの『サーフパンツ』を履いている。着心地は随分と良さそうである。

 

「……炎仁、離してくれ」

 

「落ち着いたか?」

 

「ああ……」

 

 レオンから炎仁が離れる。ちなみに炎仁の水着は赤茶色の『ハーフスパッツ』である。スポーティーでシンプルなデザインをしている。炎仁が皆に語りかける。

 

「じゃあ、どういうトレーニングをしようか?」

 

「泳ぐ~?」

 

「いや、あんまりそういう気分じゃないな……」

 

 翔の提案をレオンがやんわりと却下する。

 

「じゃあ、走るか?」

 

「う~ん、そんな気分でも無いかな……」

 

 炎仁の提案もレオンはやんわりと拒否する。嵐一が声を荒げる。

 

「どんな気分なんだよ、てめえは!」

 

「……相撲の気分かな」

 

「は? 相撲?」

 

「そう、裸と裸のぶつかり合い! それこそが強靭な肉体と精神の養成に繋がる!」

 

「わざわざ海まできてやることかよ……」

 

「むしろ海だからこそだよ!」

 

「意味が分からねえよ……なあ?」

 

「まあ、時間も限られているからそれでいいか……」

 

「土俵の線引いたよ~」

 

「なっ⁉」

 

 何故か相撲の提案をすんなりと受け入れる炎仁と翔に嵐一は戸惑う。

 

「よし! それじゃあ、総当たりでリーグ戦だ! 初めの一番は炎仁と天ノ川君!」

 

「おしっ!」

 

「やろう~」

 

「見合って見合って……はっけよ~い、のこった!」

 

「ふん!」

 

「おっと!」

 

「のわっ⁉」

 

 炎仁の突進を翔が身を翻して躱す。炎仁は前のめりになる。

 

「ひょいっと♪」

 

「ぐっ⁉」

 

 翔に背中を押され、炎仁はあえなく倒れ込む。

 

「天ノ川関の勝ち!」

 

「天ノ川関って……」

 

「くっ、小兵相手に油断した……」

 

「じゃあ、炎仁、行司お願いするよ」

 

「あ、ああ、じゃあ、レオンと嵐一、土俵に上がってくれ」

 

「おおしっ!」

 

「なんで全員ノリノリなんだよ、お前ら……まあ、多少のトレーニングにはなるか」

 

「見合って見合って……はっけよい、のこった!」

 

「はっ!」

 

「⁉」

 

 レオンが嵐一の顔面で拍手をする。ネコだましだ。嵐一の動きが一瞬止まる。

 

「かかったな!」

 

「なめんな!」

 

「どわっ⁉」

 

 横に回り込んで嵐一の水着を掴もうとしたレオンだったが、すぐさま向き直った嵐一にあっけなく投げられてしまう。炎仁が叫ぶ。

 

「草薙剣関の勝ち!」

 

「なんだよ、そのしこ名は……まあ、恰好良いからいいか」

 

「くそ……天ノ川君、行司を頼む。次の一番は僕と炎仁だ」

 

 砂にまみれたレオンは砂を払いながら立ち上がると、再び土俵に上がる。

 

「見合って見合って……はっけよ~い、のこった~!」

 

「それ!」

 

「うおっ⁉」

 

 レオンが今度は奇策を用いず、炎仁にぶつかってきた為、炎仁は面食らった。

 

「おおおっ!」

 

(くっ、レオン! 華奢な体格に見えて、どうしてなかなか引き締まっている!)

 

(炎仁! 細身だが、案外がっしりとしているたくましい体だ!)

 

「それっ!」

 

「えいっ!」

 

「「⁉」」

 

 炎仁とレオンが同じタイミングで転がる。やや考えて、翔が声を上げる。

 

「同体! よって引き分け~」

 

「くっ……」

 

「はい、行司お願い~」

 

 翔が起き上がった炎仁に声をかける。

 

「あ、ああ……じゃあ天ノ川君と嵐一は土俵に上がってくれ」

 

「よ~し」

 

 翔と嵐一が土俵に上がる。炎仁が掛け声をかける。

 

「見合って見合って……はっけよい、のこった!」

 

「それ!」

 

「なっ⁉」

 

 嵐一が驚く。体格が一回りほど違う翔が果敢に組み合ってきたのである。

 

「……ふうっ」

 

「ひゃっ⁉」

 

 嵐一が悲鳴を上げる。翔が嵐一の分厚い胸板に向かってふっと息を吹きかけてきた為である。嵐一は腰砕けの体勢になる。

 

「もらった~♪」

 

「させるか!」

 

「「⁉」」

 

 翔はバランスを崩した嵐一の脚を取り、転ばそうとするが、嵐一が踏ん張って翔を投げ飛ばす。二人は同時に転ぶ。やや間があってから炎仁が声を上げる。

 

「ど、同体! よって引き分け!」

 

「い、意外な結果!」

 

 レオンが驚く。炎仁が声をかける。

 

「次はレオンと天ノ川君だ、土俵に上がってくれ!」

 

「よしっ!」

 

「見合って見合って……はっけよい、のこった!」

 

「ほい!」

 

(! 天ノ川君、組み合ってきた! 僕より小柄だが、こうして組み合ってみると意外と男らしい体つきだな……組み合ってみなければ分からなかった……まさに『百聞は一見に如かず』! 後、良い匂いがするな……)

 

(金糸雀君、華奢に見えるけど……結構がっしりしている。お尻もいい筋肉だ……)

 

 翔がレオンの尻を力強く握る。

 

「きゃんっ!」

 

「おっと⁉」

 

 レオンが悲鳴を上げながら翔を倒す。炎仁が声を上げる。

 

「水木金糸雀関の勝ち!」

 

「いや、どんなしこ名だよ!」

 

「凄いパワーだったな」

 

「……お尻をムギュッと掴まれたから、驚いて変な声と力が出たよ……それじゃあ、最後の一番だね、炎仁と嵐一君、土俵に上がってくれ」

 

「よっし!」

 

「見合って見合って……はっけよ~い、のこった!」

 

「ふん!」

 

(嵐一! 凄いパワーだ! そして……なんてマッチョなんだ……いつもシャワールームなどで実はこっそり見惚れていたが……組み合ってみても惚れ惚れとする。『一粒で二度美味しい』とはこのことか! いや、違うか!)

 

(炎仁! サッカーをやってだけあって、下半身がしっかりとしていやがるな……特に太腿だ、かなりの良いもんを持っていやがる……!)

 

「うおおっ!」

 

「なっ⁉」

 

「ぐ、紅蓮華関の勝ち! ということは全員横並びだ! これは……」

 

「よしっ! レオン、時間の許す限り、相撲を続けよう!」

 

 炎仁が叫ぶ。半裸の男たちのぶつかり合いはまだまだ続く。



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第7レース(3)その先にはパラダイス

「ふぅ~いいね~♪ 疲れが吹き飛ぶぜ~」

 

 青空が心から嬉しそうな声を上げる。

 

「本当に……いいお湯ですね」

 

 真帆が同調する。今、彼女たちは合宿施設にある温泉に浸かって、訓練の疲れをたっぷりと癒している。

 

「露天ってのも、また雰囲気があって良いな」

 

「そうですね、良い景色です。ねえ、海ちゃん」

 

「……見えません」

 

「いや、眼鏡外せよ」

 

 湯気でレンズが曇った眼鏡をかけている海に対し、青空が呆れる。

 

「眼鏡は私のアイデンティティーなので……」

 

「なんじゃそら」

 

「冗談です」

 

 海はレンズをタオルで拭き取り、景色を眺める。真帆が尋ねる。

 

「どう?」

 

「……なるほど、見事なものですね」

 

「荒んだ心が洗われるようですわね……」

 

 飛鳥が口を開く。真帆が小声で呟く。

 

「荒んでいた自覚あったんだ……」

 

「? 何かおっしゃったかしら? 紺碧さん?」

 

「い、いいえ、なんでもないです」

 

「しかし、学校にもこういうのがありゃあいいのにな。お願いしてみるか?」

 

「予算の関係でまず無理かと」

 

 青空の言葉に海が眼鏡をクイっと上げて答える。

 

「いや、真面目かよ……そうだ、撫子グループの方で働きかけてみたら意外となんとかなるんじゃねえかな?」

 

「確かに可能かもしれませんわね。ただ……競竜学校というものはプロのジョッキーを養成する機関です。娯楽要素を含んだ施設は必要ありませんわ」

 

 青空の問いかけを飛鳥は切って捨てる。青空は唇を尖らせる。

 

「ええい、面白くねえことを言うなよ」

 

「それは失礼……わたくし、そろそろ上がらせてもらいますわ」

 

「私も……」

 

 飛鳥と海が立ち上がる。青空が驚く。

 

「ええっ? まだ10分も入っていないんじゃねえか?」

 

「これくらいの方がちょうど良い発汗作用が期待できます」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 海の言葉に真帆は戸惑いながらも頷く。飛鳥が温泉から出ながら海に話しかける。

 

「せっかくサウナルームがあるのでそこに参りますわ。三日月さんもどうかしら?」

 

「お供します。疲労回復には効果的ですから」

 

 飛鳥と海が屋内のサウナへと向かう。青空が伸びをしながら呟く。

 

「意識高いね~アタシにはとても真似出来ねえわ」

 

「朝日さんは朝日さんのやり方で良いんじゃないですか。人それぞれだと思います」

 

 真帆が微笑みながら青空に答える。

 

「……前から思っていたけどよ、青空で良いぜ」

 

「え?」

 

「呼び方だよ、知り合ってもう半年なんだ、さん付けなんて他人行儀だぜ」

 

「じゃ、じゃあ……あ、青空ちゃん」

 

「ちゃん付けか……まあ、それも結構新鮮だから良いか。改めてよろしくな、真帆」

 

「う、うん……」

 

「『チームたわわ』として頑張っていこうぜ!」

 

「そ、そのワードは無用な諍いを生むからやめようよ……」

 

 真帆は苦笑を浮かべる。

 

                  ☆

 

「ここだ、ここからなら女湯が覗ける可能性がある!」

 

「ええっ⁉」

 

 浴衣を着たレオンのストレートな言葉に炎仁が驚く。

 

「炎仁、白々しいな……合宿の真の目的だっただろう? 前言っていたじゃないか」

 

「いや、それはお前の退学を思いとどまらせる方便というか……」

 

「今更遅いよ。君は僕を唆した、いわば共犯だ」

 

「きょ、共犯って⁉ や、やめとけ、レオン!」

 

「止めても無駄だ! すぐそこにパラダイスがあるというのなら、足を踏み入れたいのが人間の本能!」

 

「り、理性を働かせてくれ!」

 

「ちっ、何かと思えばくだらねえ……」

 

 嵐一が呟く。しばらく間を置いてレオンがニヤリと笑って答える。

 

「……くだらねえと言うわりには一向に立ち去らないねえ、嵐一君?」

 

「ぐっ⁉」

 

「まあまあ、体は正直だということだね、恥ずかしがることはないよ」

 

「……参考までに聞くが、この高い柵はどうすんだよ?」

 

「嵐一⁉」

 

 炎仁が嵐一に驚いた顔を向ける。

 

「あ、あくまで参考に聞いているまでだ」

 

「何の参考だよ⁉」

 

 嵐一のよく分からない釈明に炎仁が突っ込む。翔が口を開く。

 

「……あまり大声を出さないで、気づかれちゃうよ~」

 

「あ、天ノ川君まで⁉」

 

「炎仁、静かに……柵を攻略する策だけど……ふふっ、我ながら上手いこと言った」

 

「そんなのどうでも良いから早くしろ!」

 

 嵐一が抑えた声で話の続きを促す。

 

「これだよ!」

 

 レオンが白く大きな布のようなものを広げる。内側に木の骨組みがある。

 

「そ、それは凧か?」

 

「よく分かったね、炎仁。これはニンジャが敵情視察などに活用した大凧さ」

 

「そんな大きなものどこに隠していたの~?」

 

「最新鋭の折り畳み式さ! アメゾンで買ったんだ!」

 

 翔の問いにレオンは誇らしげに答える。炎仁が呆れる。

 

「よく見つけてくるな……」

 

「で? それをどうすんだよ? まさかそれに乗るのか?」

 

「察しが良いね。そのまさかさ」

 

「で、出来るわけねえだろう!」

 

「ニンジャが出来ていたんだ、僕らにも出来る!」

 

「出来ねえよ! そういうものは架空の忍者の話で……」

 

「架空とは聞き捨てならないね! ニンジャは実在するよ!」

 

「む、昔の話であってな……」

 

「現在もいるよ! このニンジャグッズが売られているのが何よりの証拠だ!」

 

「……そ、そうだな、忍者はいる」

 

「お、折れるな、嵐一!」

 

 レオンの迫力に気圧された嵐一に炎仁が再度突っ込む。レオンが話を続ける。

 

「……とは言っても、僕もやったことが無いから分からない。付属していた取扱説明書によると……」

 

「説明書あるのか……」

 

「『軽量の方が乗るのがベターです』と書いてある。そこで、天ノ川君……」

 

「僕が乗るの~?」

 

「そうだ、空中からカメラで撮影してくれ。その映像を僕らが地上で確認する」

 

「ちょっと待て……」

 

「何だい嵐一君? 僕の完璧な作戦に疑問でも?」

 

「……どうやって凧を飛ばすんだよ」

 

「……なんかもう、すっごい風を吹かせる」

 

「だからどうやってだよ⁉」

 

「……それはもう、すっごいみんなで頑張る」

 

「もういい! どこが完璧な作戦だよ! お前に期待した俺が馬鹿だった!」

 

「嵐一……」

 

 前のめりになっている嵐一に炎仁は冷めた視線を向ける。

 

「天ノ川、お前、あの入学式の時使っていたドローン持ってきてないのか⁉」

 

「あれは没収されちゃったよ~大体、音が大きすぎてバレちゃうよ」

 

「くっ! 打つ手なしかよ!」

 

「嵐一……」

 

 本気で悔しがる嵐一に炎仁は再度冷めた視線を向ける。レオンが俯く。

 

「所詮、机上の空論でしかなかったのか……?」

 

「諦めるのはまだ早いで!」

 

「「「「⁉」」」」

 

 四人が声のした方に振り返ると、薄緑色のボサボサとした頭の少年が立っている。若干の幼さは残るが、精悍かつ端正な顔つきをしている。右頬に付いた少し大き目の傷も印象的である。だがそれよりも印象的だったのは、その傍らにこれまた薄緑色の体色をしたドラゴンが立っていることである。炎仁が尋ねる。

 

「き、君は……?」

 

「名乗るほどのものでもあらへん……」

 

「いや、名乗れよ」

 

 関西弁を話す少年に嵐一が怪訝な顔で呟く。

 

「決して怪しい者ではあらへん……」

 

「怪しいよ、思いっきり」

 

 少年の言葉を翔が一蹴する。

 

「と、とにかくや、その凧を飛ばせば良いんやろ⁉」

 

「で、出来るのかい⁉」

 

「ああ、ワイなら出来るで!」

 

 レオンの問いに少年は自信満々に答える。

 

「な、なんて頼もしい! し、しかし、何で僕らに協力してくれるんだい?」

 

「今、この柵の向こうにあの紺碧真帆ちゃんが一糸まとわぬ姿でおるんやろ……? そんな千載一隅のチャンスをみすみす逃すなんて男やない!」

 

「⁉ な、なんで真帆のことを知っているんだ⁉ 君は何者だ⁉」

 

「そんなんどうでもええやろ! ほら、そこの君、はよ凧に乗りや!」

 

「ど、どうするつもり……?」

 

 いつもマイペースな翔も流石に戸惑い気味に尋ねる。

 

「簡単や! このドラゴンにごっつい風を吹かせるんや!」

 

 少年が右手の親指でドラゴンを指差す。嵐一が声を上げる。

 

「却下だ、却下! 柵が壊れる!」

 

「え~?」

 

「こうなったら『人間はしご』だ! 天ノ川が一番上に来るように肩車をするぞ!」

 

「ええっ⁉ それは嵐一君が大変じゃないかい⁉」

 

「根性で耐える! 早くしろ!」

 

「嵐一君、君ってやつは……よし、やろう炎仁!」

 

「み、皆、ちょ、ちょっと落ち着け!」

 

「……何を騒いでいる」

 

「⁉ 鬼ヶ島教官……え、えっと、体幹とバランス感覚を鍛える為に組体操を……」

 

「こんな場所で、しかも全員浴衣姿でか?」

 

「そ、それは……」

 

 レオンが言葉に詰まる。鬼ヶ島がため息まじりに淡々と告げる。

 

「色々な意味で元気が有り余っているようだな、貴様ら四人だけ夕食の時間はずらしてやるから、グラウンドを百周してこい、タイヤを引いてな」

 

「え? 四人? あ、あいつ、居ない⁉」

 

 炎仁が気付いた時には関西弁の少年とドラゴンは居なかった。

 

「早くしろ!」

 

「は、はい!」

 

「……何かしら、向こう側で音がしたような……?」

 

 真帆が柵の方を見ながら首を捻る。青空が悪い笑みを浮かべながら呟く。

 

「エロ猿どもが鬼に懲らしめられてるんだろ……一人知らねえ声がしたが、ウチのクラスの四人で間違いねえな……こりゃ口止め代わりに色々とゆすれるな……」

 

                  ☆

 

 翌日の早朝、コース場にCクラスの面々が並んでいる。翔が目を擦る。

 

「ね、眠い……」

 

「教官、合宿のメニューは全てこなしたはずでは?」

 

「緊急の追加メニューだよ。鬼ヶ島教官から許可は得ている」

 

 海の質問に仏坂が答える。炎仁が首を傾げる。

 

「追加メニュー?」

 

「ああ、君たちと手合わせしたいという子たちがいてね……入ってきていいよ!」

 

「ふっふっふ……」

 

 関西弁の少年を先頭に四人の男女が姿を現す。炎仁たちが揃って声を上げる。

 

「「「「昨日の覗き未遂少年!」」」」

 

「いや、どんな呼び名やねん!」

 

 少年がキレの良い突っ込みを入れる。



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第7レース(4)西からの刺客

「覗き未遂?」

 

 三人の男女の内、金髪の縦ロールで、縦ロールの部分にピンク色のメッシュが所々入った派手なヘアスタイルの女子が軽蔑の眼差しを関西弁の少年に向ける。

 

「ちゃう、ちゃう! 誤解や! ……いや誤解でもないか? いやいや、それにしてもワイの単独犯行みたいになっているのおかしいがな!」

 

 関西弁の少年は一人でまくしたてる。レオンが小声で呟く。

 

「朝からテンション高いな……」

 

「……そもそもとしてこっちの男衆四人が大凧を使って……」

 

「きょ、教官! 彼らは一体⁉」

 

 炎仁たちこそ主犯であることをほのめかし始めたので、炎仁は慌てて話を変える。

 

「……大凧? 意味不明なフレーズですね……」

 

「くくく……」

 

 首を傾げる海の隣で青空が笑いを押し殺す。仏坂が口を開く。

 

「さっきも言ったように君たちと手合わせ、つまり合同トレーニングをしたいという子たちだよ。ただ、急な話の上にこちらのスケジュールも結構ギッシリ詰まっていたからね。学校に戻る今日のこの時間ということになったんだ」

 

「合同トレーニングということは、つまり……」

 

「こいつらもドラゴンジョッキーってことすか?」

 

 真帆と嵐一の言葉に仏坂が頷く。

 

「そういうこと……時間が無いので、簡単な自己紹介をお願い出来るかな。じゃあ……やたら元気のいい君から」

 

 仏坂が関西弁の少年に自己紹介を促す。少年は話し始める。

 

「ワイは疾風轟(はやてとどろき)! 滋賀県出身の15歳や! 今回は憧れの紺碧真帆ちゃんに会いにはるばる伊豆までやってきたで!」

 

「あ、憧れ⁉」

 

「なんだこいつは……小さいと思ったら同い年か」

 

 轟と名乗った少年の言葉に真帆は戸惑い、炎仁は怪訝な顔をする。炎仁の言葉通り小柄な体格をしている。続いてやや長身で赤毛のポニーテールの女性が口を開く。

 

「ワシは火柱(ひばしら)ほむら! 大阪で生まれた17歳の女や! よろしゅうな、おどれら!」

 

「す、すげえ言葉遣いだな……おっさんかよ」

 

「せっかくの美人さんなのに勿体ない……いや、『ギャップ萌え』と考えればあり?」

 

 ほむらと名乗った女子の口調に嵐一とレオンが面食らう。続いて、やや紫ががった少し長い髪をなびかせた小柄な体格の少年が前に進み出てくる。

 

天ノ川渡(あまのがわわたる)、16歳、神奈川県出身……」

 

「天ノ川?」

 

「双子の弟だよ~」

 

 首を傾げる炎仁に翔が答える。青空が驚く。

 

「ふ、双子⁉ そう言われると雰囲気とかは似ているが……顔はそうでもねえな」

 

「二卵性双生児ってやつだからね。渡久しぶり~」

 

「……」

 

「あら?」

 

 翔の呼びかけを渡は無視する。続いて縦ロールの女子が前に進み出てくる。

 

「うちは撫子(なでしこ)グレイスと申します。京都出身の18歳です。よろしゅうお願いします」

 

「撫子……?」

 

「親戚ですわ」

 

 真帆の疑問に飛鳥が答える。海が少し驚く。

 

「そのような関係が……しかし、今までどの大会でも見かけた記憶が……」

 

「彼女は英国とのハーフです。ご両親ともジョッキーですが、イギリスや香港などを拠点に活動されているので、その影響でジパングの大会にはほぼ出ておりません」

 

「なるほど……」

 

 飛鳥の説明に海が頷く。グレイスと名乗った女性が微笑む。

 

「わざわざの丁寧な紹介、痛み入ります。流石は本家の方、気が利きますわ。うちにはとても真似できまへん。改めて尊敬の念を強く致しましたわあ~」

 

「心にもないことを……」

 

 グレイスに対し、飛鳥が冷たい反応をする。仏坂が慌てて口を開く。

 

「ご、合同トレーニングに移ろうか? とはいえ急な話だからね。何をするか……」

 

「ご提案、というかお願いがあるのですが……手合せと申されましたし、シンプルにレースをさせて頂けしまへんか?」

 

「レースか、良いかもね」

 

「組み合わせも指定させてもらえしまへんか?」

 

「組み合わせかい? う~ん、まあ良いよ」

 

「おおきに、ありがとうございます……では、メインレースは天ノ川兄弟のマッチレース、準メインは撫子家本家と分家のマッチレースでどうでしょう?」

 

「……わたくしは構いません」

 

「それで良いよ~」

 

 グレイスの提案に飛鳥と翔が頷く。

 

「ちょっと待て! アタシらは⁉」

 

「前座さんはそれぞれまとめて、ほむらはんと覗き犯がお相手してさしあげますわ」

 

「ぜ、前座だあ~⁉」

 

「のぞきはんって名前みたいに言うな! 轟や!」

 

 グレイスの言葉に青空と轟がそれぞれ違うベクトルで憤慨する。

 

「まあまあ……それじゃあ、簡単にウォームアップをしたらレースをしようか。皆ドラゴンを連れてきて」

 

「はい!」

 

 仏坂の呼び掛けに応じ、各自が準備運動をした後、ドラゴンを迎えにいく。

 

「ウォームアップも完了したね……じゃあ第一レースの皆、準備して」

 

「はい!」

 

 真帆と海と青空、そしてほむらがスタート地点に設置されたゲートに向かう。

 

「赤い竜体……『炎竜』ですね」

 

「良い雰囲気じゃねえか、名前は?」

 

「『マキシマムフレイム』や」

 

 青空の問いにほむらが答える。

 

「へえ、イカす名前だな」

 

「おおきに。それは置いといて紺碧真帆はん!」

 

「は、はい……?」

 

「ワレには絶対負けへんで!」

 

「ええっ? ワ、ワレ……? な、なぜ……?」

 

 真帆が戸惑い気味に首を捻る。

 

「ワレは竜術競技で有名やった……競技は違えど間違いなく一流や! 一流を倒してこそワシのサクセスストーリーにも箔が付くっちゅうもんや! そして……」

 

「は~い、ゲート入ってね~」

 

 仏坂の気の抜けた声にほむらがずっこけそうになる。

 

「いや、最後まで言わせろや……」

 

 ゲートインし、やや間を置いてゲートが開いてスタート。綺麗に揃ったスタートになる。海騎乗のミカヅキルナマリアが先頭、真帆騎乗のコンペキノアクアが二番手。続いてマキシマムフレイム、青空騎乗のサンシャインノヴァが最後尾の体勢。

 

(抑えめに行くのか――別に潰しにかかるなんてダセえことはしねえが――実質アタシらと三対一って状況でどうする気だ?)

 

 前方を進むほむらとマキシマムフレイムを見つめながら青空は考えを巡らす。

 

「……ここや!」

 

 最初のコーナーに入る手前で、突如ほむらが叫ぶ。海たちが驚く。

 

(なっ⁉ 背後にもの凄い重圧を感じる……これはプレッシャー⁉ い、いや、そんな馬鹿な、非科学的です。し、しかし、もっとペースを上げねば!)

 

「ふん!」

 

 マキシマムフレイムが早くも仕掛け、ポジションを上げていく。

 

(こ、ここから仕掛けるのか⁉ しまった、遅れた! ここはついていかねえとマズい気がするのに、アタシとしたことが!)

 

 青空が舌打ちする。マキシマムフレイムが直線手前でミカヅキルナマリアに並ぶ。

 

(直線で追い比べ⁉ そんな早い仕掛けで脚が持つのですか⁉ い、いや、ルナマリアの方が苦しそう⁉ 焦ってペース配分を誤ってしまった!)

 

 海が唇を噛む。マキシマムフレイムが直線入口で早くも先頭に立つ。

 

「はっ、こんなもんかいな!」

 

「まだです!」

 

「! ほう、紺碧真帆、流石やな、着いてきよったな!」

 

「……」

 

「しかし、ここまでや!」

 

「⁉」

 

 マキシマムフレイムは迫るコンペキノアクアを突き放し、悠然とゴールする。

 

「真帆!」

 

 呆然とした表情で引きあげてくる真帆に炎仁が声をかける。

 

「ああ、炎ちゃん……負けちゃったよ」

 

「ドンマイ、良いレースだったぞ」

 

「ありがとう、炎ちゃんも頑張って」

 

「ああ!」

 

「じゃあ、次のレースの人、スタート地点に集まって~」

 

 仏坂の声に応じ、炎仁とレオンと嵐一、そして轟がゲート前に集まる。

 

「その体色……『風竜』か、名前は?」

 

「『ハヤテウェントゥス』や! うちの牧場自慢のドラゴンや!」

 

 レオンの問いに轟が威勢よく答える。嵐一が尋ねる。

 

「実家が牧場なのか?」

 

「せや、零細牧場やけどな……そんなことより君!」

 

 轟が炎仁に語りかける。

 

「え、俺? なに?」

 

「さっき真帆ちゃんとなんか親し気に話しとったな、どういう関係や?」

 

「え? 子供の頃からの幼馴染だけど……」

 

「お、幼馴染やと⁉ 実在するんか⁉」

 

「い、いや、実在って……」

 

「しかもあないなカワイイ子と……君、名前は?」

 

「ぐ、紅蓮炎仁……」

 

「炎仁! 君だけには絶対負けへん!」

 

「お、おおっ……」

 

 ゲートインしてスタートする。炎仁騎乗のグレンノイグニースが大きく出遅れる。

 

「しまった!」

 

「なんやねん! 醒めるな~」

 

「じゃあ、俺の相手をしてくれよ!」

 

 嵐一騎乗のアラクレノブシがハヤテウェントゥスに激しく競り掛ける。

 

「おおっ、まるでぶつけんばかりやな! せやけど!」

 

「なっ⁉」

 

 ハヤテウェントゥスが素早いステップであっさりと前に出る。

 

「そっちの得意な土俵に付き合う義理はないで!」

 

「結構やるみたいだな! だが、このエクレールの逃げ足には追いつけない!」

 

「……確かにごっついスピードやな」

 

「えっ⁉」

 

 レオン騎乗のジョーヌエクレールのすぐ真後ろにハヤテウェントゥスがつく。

 

「なんで追い付けるんやと思ったか? 焦ったのか知らんがペースが単調やで!」

 

「しまっ……」

 

 一瞬の隙を突き、ハヤテウェントゥスが先頭に躍り出る。

 

「大したことあらへんな……ホンマに前座やん……」

 

「まだだ!」

 

「なにっ⁉」

 

 轟が驚く。大きく出遅れ、ずっと後方にいたはずのグレンノイグニースがすぐ後方まで迫ってきたからである。轟が鞭を入れる。炎仁が叫ぶ。

 

「うおおっ!」

 

「負けるかい! 気張れや、ウェントゥス!」

 

 グレンノイグニースの猛追も及ばず、ハヤテウェントゥスが先着する。

 

「負けた……」

 

「……そのドラゴンの名前は?」

 

「え、グレンノイグニース……」

 

「紅蓮炎仁とグレンノイグニースか……一応覚えとくわ」

 

 轟はその場からゆっくりと去る。

 

「ちっ、二連敗か……頼むぜ、お嬢! 天ノ川!」

 

「言われなくても……!」

 

「頑張るよ~」

 

 青空の言葉に飛鳥と翔が力強く答える。しかし……。

 

「第三レース、『ナデシコフルブルム』の勝利!」

 

「そ、そんな……」

 

「本家の質も落ちたもんどすなあ……その『ナデシコハナザカリ』は紛れもない良血竜……この負けは完全に乗り手の問題どすなあ」

 

「ぐっ⁉」

 

「そちらが島国で遊んでいる間に、こちらは世界で揉まれてきました……積み重ねてきたもんが全然違う……」

 

「……」

 

 グレイスの言葉に飛鳥は黙り込むしかなかった。

 

「第四レース、『ステラネーロ』の勝利!」

 

「ま、まさか……」

 

「ガッカリだぜ、兄貴……『ステラヴィオラ』もそんなもんか……」

 

「な、なかなか腕を上げたね、渡……」

 

「この半年遊んでいたのか? こうもあっさり追い抜けるとはな、拍子抜けだよ」

 

「!」

 

 渡の言葉に翔は衝撃を受ける。

 

「……彼らはお帰りになったよ。いやいや、皆こっぴどくやられたね~」

 

「教官、あいつらは誰なんですか⁉」

 

 炎仁が仏坂に尋ねる。仏坂が首をすくめながら答える。

 

「知っている子も何人かいるだろうけど……彼らは『関西競竜学校騎手課程短期コース』の受講生だよ、Aクラスの四人だ」

 

「⁉」

 

「本当はこちらのAクラスがご希望だったんだけどね、連絡を受けたのがたまたま僕だったから、君たちがAクラスだということで合同トレーニングの話を受けた……良い刺激になればと思ったんだけど、ちょっと刺激が強かったかな~?」

 

「……」

 

「あらら、気落ちしちゃったかな? リベンジの話はしなくてもいいかな?」

 

「えっ⁉」

 

 俯いていた炎仁たちが顔を上げる。

 

「来年の年明けに毎年恒例の『交流レース』がある。順番的に阪神レース場での開催だね。関東と関西、そして地方競竜学校の学生たちが出る」

 

「そこにさっきの奴らも出てくるんですね?」

 

「ああ、関東と関西の競竜学校短期コース受講者は基本的に全員参加だよ」

 

 炎仁の問いに仏坂が頷く。

 

「ならば、そこで勝ってみせる! なあ、皆!」

 

 炎仁の檄に皆、程度こそ様々だが、前向きな反応を見せる。仏坂が小声で呟く。

 

「さて、『崖っぷち』組の下克上がここから始まるかな……?」



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第8レース(1)苛立ちのお嬢様

                  8

 

「ふっ! はっ!」

 

 9月に入り、競竜学校はますますピリピリとしたムードに包まれている。

 

「只今の合同模擬レース、一着は撫子と『ナデシコハナザカリ』だ。大分着差がついたぞ、Bクラス! このままだと貴様ら、厳しいぞ!」

 

「!」

 

 鬼ヶ島教官の言葉で更なる緊張感が走る。

 

「……クールダウン後は各教官にしたがって、メニューをこなせ」

 

 指示を受けた後、受講生たちは散らばっていく。仏坂が近づいて囁く。

 

「素直にCクラスを誉めた方が良かったんじゃ……」

 

「ほぼ休み無しという7月8月の厳しい通常訓練をこなしてきて、さらに伊豆での一週間の厳しい合宿を経ても脱落者は一人もいない。これは大変喜ばしいことではある。さらにどの受講生たちも――この例年以上に暑かった――夏を越えて大いに向上しているのが、各種記録やデータなどからも読み取れる」

 

「だったら……」

 

「かと言って、全員がプロになれるわけではない。優しい言葉をかけて受講生が成長するなら、私も喜んでそうしよう……ただ、現実はそうではない。これまでの卒業生たちを見ても、現状に甘えず厳しい言葉を浴びたものたちの方が確かな成長を見せてくれた……私としては自らの今までの指導経験を重んじていくまでだ」

 

「……これは失礼しました」

 

 鬼ヶ島のはっきりとした指導方針を聞いた仏坂は頭を下げる。

 

「ところで、Cクラスの撫子飛鳥だが……」

 

「はい?」

 

「とぼけるな。成長はうかがえるが、どうも危うい……気付いているだろう?」

 

「流石ですね……先日の関西Aクラスとの腕試し……相当堪えたようで」

 

「そう仕向けたのは貴様だろうが」

 

「危うさは感じますが、ある意味良い傾向だと捉えています。いざとなれば……」

 

「いざとなれば……?」

 

「切り札を投入します」

 

「切り札だと?」

 

「はい」

 

「それはなんだ?」

 

「それは……まだ秘密です」

 

 仏坂は唇の前に右手の人差し指を立てる。

 

「全く……まあいい、貴様を信頼しよう」

 

 鬼ヶ島は呆れながらその場を後にする。

 

「くっ!」

 

「はっ!」

 

 青空の騎乗するサンシャインノヴァが自慢の末脚を見せたが、一度交わされた飛鳥騎乗のナデシコハナザカリに内側から差し返される。青空が天を仰ぐ。

 

「かっー! やられちまったぜ!」

 

「……何故?」

 

「ん?」

 

 青空は近寄ってきた飛鳥に顔を向ける。

 

「何故? 最後にもう一伸びしなかったのですか?」

 

「は、はあっ⁉ 押してはみたさ、ただ脚が残っていなかったんだよ」

 

「何故に残しておかなかったのですか?」

 

「な、何故って、アンタがいつもより前目のポジションで、いつもより早いタイミングで仕掛けてきてくれって指定してきたんだろうが! いつもとは色々と勝手が違ったからだよ」

 

「道中もっと折り合いをつけて、スタミナ・ペースを配分し、脚を残すなどやりようはいくらでもあったはずです!」

 

「何を無茶なこと言ってきてんだよ!」

 

 飛鳥の手前勝手にも思える物言いに対し、青空も声を荒げる。

 

「お、おい、どうしたんだ?」

 

 近くを通りかかった炎仁が首を突っ込む。青空が肩をすくめる。

 

「このお嬢様が我儘なことを言ってきやがるからよ……」

 

「撫子さん、どうしたんですか?」

 

「……なんでもありません。失礼しましたわ」

 

 飛鳥はドラゴンとともに、その場を去る。炎仁が首を傾げる。

 

「ほ、本当にどうしたんだ?」

 

「……まあ、ある程度の見当はつくけどよ……」

 

「え?」

 

「まあいいや、炎仁、お前は自分のメニューを消化しろよ」

 

「あ、ああ……」

 

 炎仁に続き、青空もその場を去る。

 

「……違いますわ! もっと仕掛けのタイミングは早くしてもらわないと! それでは今の様に簡単に交わせてしまいます!」

 

「で、ですが……」

 

 興奮する飛鳥に対し、真帆が困惑する。

 

「撫子さん、確かに私のルナマリアも真帆さんのアクアも『先行抜け出し』の戦法を取ることは多いです。貴女のハナザカリと同様にね」

 

 真帆に詰め寄る飛鳥を落ち着かせるように海が冷静に話す。

 

「で、でしたら!」

 

「人には人のやり方、そしてドラゴンにもそれぞれの走り方があります。脚質として大別していますが――各々のドラゴンの体格や走行フォーム、そしてその時のコンディションなども関係して――あるドラゴンの走行を全くコピーして走ることなど不可能に近いことです。そのことはご自身もよく理解しているはず」

 

「そ、それは……」

 

 口ごもる飛鳥に対し、海が容赦なく畳み掛ける。

 

「得意とする先行抜け出しの戦法で勝利を確信し、それを見事に差されて、撫子グレイスさんとナデシコフルブルムに敗戦を喫した先日の悔しさが今だに拭えないというのは分かっているつもりです」

 

「⁉」

 

「しかし、先ほどの朝日さんを『仮想フルブルム』に、私たちを『仮想ハナザカリ』に見立てて走らされても……私たちにとってはあまりにもメリットがありません。私たちにも各々、取り組むべき、優先するべき課題があります。貴女に振り回されるこの現状……正直言って迷惑です」

 

「!」

 

「う、海ちゃん!」

 

 真帆が慌てるが、海は意に介さない。

 

「こういうのははっきりお伝えした方が良いのです」

 

「じゃあ~今日の練習はここまで~」

 

「……失礼いたします」

 

 仏坂の声を聞き、飛鳥は俯きがちに厩舎に戻っていく。

 

「……おい、お嬢!」

 

「きゃあ⁉ ちょ、ちょっと朝日さん、今わたくしシャワー中……」

 

 訓練後のシャワールームで飛鳥の個室に青空が乱入する。飛鳥は思わず体を隠す。

 

「真帆たちから聞いたぜ! あいつらにも我儘放題、無理難題を言ったみてえだな」

 

「そ、それは……」

 

「……! 青空ちゃん!」

 

「朝日さん、副クラス長なのですから冷静に……」

 

 シャワールームに入ってきた真帆と海が慌てて青空を止めに入る。

 

「……申し訳ありませんでした。わたくし苛立ちで周りが見えなくなっていました」

 

 シャワーを止め、飛鳥が三人に向かって丁寧に頭を下げる。青空が笑う。

 

「分かりゃいいんだよ、分かりゃ……」

 

「これからは御迷惑をかけないように致します。本当に……」

 

「良いんだよ、別に迷惑かけてもよ……」

 

「え?」

 

 飛鳥が顔を上げる。

 

「アタシらが納得した上でならな。そうだろ?」

 

「うん」

 

「可能な限りであれば、我々としても協力は惜しみません」

 

 青空の問いに真帆と海は頷く。飛鳥は不思議そうに尋ねる。

 

「な、何故ですの……?」

 

「何故って、縁あって同じクラスになってな、同じ釜の飯を食ったっていうか……」

 

「仲間って言いたいんだよね、朝日ちゃん」

 

「ま、真帆! お前、恥ずかしいことを堂々と言うなよ!」

 

「み、皆さん……」

 

 飛鳥は感激した様子で三人を見つめる。

 

「あの京都のお嬢みたいな見事な騎乗は今のアタシらにはちょっと無理だが、他にも出来ることがあるぜ」

 

「ほ、本当ですか⁉ 例えば?」

 

「え? ほ、ほら、映像を観て綿密なデータ分析とかな……クラス長が」

 

「大事なとこ丸投げじゃないですか……」

 

 大事なところ丸出しのままで自分を指し示す青空を海は冷ややかに見つめる。



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第8レース(2)お嬢様、試行錯誤

「……とりあえず映像を観てひたすら研究だよ、研究。これ貸してやっから」

 

 シャワーを終え、部屋に戻った青空は飛鳥に映像端末を手渡す。海が呆れる。

 

「私の私物を勝手に貸し借りしないで下さい……」

 

「……合宿のレース映像ならば、教官が撮っておいて下さって、そのデータを皆に配布されたでしょ……」

 

「あれ、そうだったっけ?」

 

「う、うん……」

 

 青空の問いに真帆が答える。

 

「それにその映像はそれこそ穴があくほど観直しましたわ」

 

 飛鳥は端末を海に返しながら呟く。やや間を置いて海が口を開く。

 

「……映像分析するというのは、野生児の朝日さんにしては良い考えだと思います」

 

「野生児ってなんだよ」

 

「ボーントゥビィーワイルドな朝日さんにしては……」

 

「カッコ良く言い直してもダメだ」

 

「カ、カッコ良いかな……?」

 

 真帆が首を傾げる。海は話を続ける。

 

「……これらをご覧下さい」

 

「こ、これは?」

 

 海の端末にいくつものレース映像が流れるのを観て、飛鳥は驚く。

 

「撫子グレイスさんのジュニア時代やユース時代の映像を集めました……英国を始め欧州、香港や豪州などで参加した大会の映像ですね……もちろん騎乗しているドラゴンが違いますから、研究材料としてはあくまでも参考程度ですが……」

 

「よくこんなものを……」

 

「英語で検索すれば、意外と見つかるものですよ……むしろ入手するのに苦労したのはこちらの方ですかね……」

 

 感心する飛鳥に対し、海は端末を操作し、他の映像を流す。飛鳥は目を丸くする。

 

「こ、これは……ナデシコフルブルム?」

 

「関西競竜学校での訓練映像ですね、模擬レースもありますよ」

 

「そ、そんなの公開されていたっけ?」

 

「つーか、微妙に映り悪いな……」

 

 首を捻る真帆の隣で青空が呟く。飛鳥がハッとする。

 

「み、三日月さん、貴女まさか……⁉」

 

「いやあ~手に入れるのが大変でしたよ……」

 

 海が眼鏡の蔓を触りながら、ニヤっと笑う。青空と真帆が揃って苦笑を浮かべる。

 

「どうやって手に入れた? ってのは聞かない方が良いな……」

 

「海ちゃんは敵に回したくないね……」

 

「この映像は比較的最近のものですので、十分研究に値するかと」

 

「良いのですか?」

 

「どうぞ、気の済むまでご覧になって下さい」

 

「三日月さん、貴女はどうしてここまでして下さるのですか?」

 

「貴女に勝って欲しいからです」

 

「! ありがとうございます! 早速観させて頂きます!」

 

 飛鳥が自身の席に座り、端末を食い入るように見つめ始める。

 

「おい、クラス長、こっちに来い……」

 

 青空が部屋の反対側に海を手招きする。

 

「なんですか?」

 

「狙いはなんだ? やべえルートを使ってまで映像を入手するなんて……」

 

 青空は小声で尋ねる。真帆も聞き耳を立てる。

 

「お忘れですか? あの撫子グレイスさんの言葉……」

 

「え?」

 

「私たちを『前座さん』と言ったのですよ、前座扱いですよ! 許せますか?」

 

「あ、ああ、そんなこと抜かしていやがったな……」

 

「これは是が非でも、何としてでも、撫子さんに勝ってもらわないといけません!」

 

「お、おう、そうだな……」

 

「ははは……」

 

 静かな怒りを孕んだ海の口調に青空が戸惑い、真帆は苦笑する。

 

「ナデシコフルブルム……血統的に優れているのは間違いない……とはいえ、ナデシコハナザカリも良血竜……やはり、先の敗北は乗り手の技量の問題……わたくしがもっと成長せねば……」

 

 映像を見つめながら、飛鳥がぶつぶつと呟く。翌日……。

 

「……良いのかよ?」

 

「ええ、思いっ切り、力強く走らせて下さい」

 

 ダートコースでドラゴンに騎乗する嵐一と飛鳥が向かい合って話す。

 

「後で苦情言われても困るぜ?」

 

「そんなことは致しませんわ」

 

「……OK。じゃあ、行くぜ!」

 

 嵐一がアラクレノブシを駆け出させる。飛鳥とナデシコハナザカリがそのすぐ後ろのポジションにつける。それを眺めている真帆に通りがかった炎仁が尋ねる。

 

「併走か?」

 

「ええ」

 

「珍しい組み合わせだし……なんだか変わったことをしているな」

 

「分かる?」

 

「あの位置取りなら、アラクレノブシが蹴った砂を被ってしまうじゃないか」

 

「それが狙いみたいよ」

 

「ええ?」

 

 真帆の言葉に炎仁が驚く。

 

「自分はどうしてもスマートにドラゴンに騎乗してしまいがちだから、泥臭さを身に付けたいんだって……苦しい状況も経験しておきたいという考えみたい」

 

「へ、へえ……」

 

「……うえっ!」

 

「大丈夫かよ?」

 

 しばらくして走り終えた飛鳥が砂を吐き出す。嵐一が心配そうに声をかける。

 

「こ、これは失礼、お見苦しい所を……口の中にも砂が沢山入ってしまって……なるほど、こういうものなのですね……」

 

「気が済んだか?」

 

「いいえ、もう一本……いや、後三本はお願いします」

 

「! マジかよ……まあいいや、行くぜ!」

 

「はい!」

 

 飛鳥は嵐一の後に続く。

 

「……本当に良いんですか?」

 

「ええ、あらためて無茶なお願いを聞いて頂いて感謝致しますわ」

 

「まあ、教官からも許可が出ているなら僕としては良いですけど……」

 

 レオンはジョーヌエクレールをかがませる。飛鳥がその上に跨る。

 

「良い気分はしないでしょうけど、少しお借りしますわ」

 

「名門の撫子家の方に騎乗して頂いたら、こいつにも箔が付きますよ」

 

「それでは、軽く走らせて参ります!」

 

「気を付けて!」

 

「うん? もしかして、ジョーヌエクレールに跨っているの、お嬢か?」

 

「ええ、そうですね」

 

 青空の問いに海が頷く。

 

「なんでまたそんなことを……」

 

「目線を広げたいそうです。あそこまでの大逃げ脚質のドラゴンは撫子グループでも珍しいそうですから」

 

 青空と海が見つめる中、飛鳥がジョーヌエクレールを走らせる。軽快そうな足取りだが、飛鳥は内心戸惑っていた。

 

(くっ! こ、これは思った以上に引っ張られますわね! これを御すなんて、金糸雀君、貧弱そうに見えて、なかなかの膂力ですわね……。わたくしも筋力トレーニングのメニューを見直しませんと……技術を高めてもそこにフィジカルがついていかないと意味がありませんから!)

 

「……流石に上手いこと乗っているな。しかし、目線を広げると言っても……」

 

「正直、『試行錯誤』という印象ですね。どうしたのでしょうか」

 

「焦っているんだろうね」

 

「天ノ川さん……」

 

 海たちの近くで翔が呟く。

 

「その気持ちは分からなくもないけどね……良い結果に結びつけば良いけど」

 

 そう言って、翔はステラヴィオラを走らせる。

 

「撫子さん、色々とアプローチしているみたいだね」

 

 訓練後、厩舎で仏坂が飛鳥に声をかける。

 

「マズいでしょうか?」

 

「いや、成長する為には正解は一つじゃない、そういう取り組みも良いと思う」

 

「……ありがとうございます」

 

「並川教官から話があってね。Bクラスの女子二人が模擬レースをしたいそうだ」

 

「!」

 

「どうする? 自分のことに集中したいなら断っても……」

 

「挑まれた勝負はお受けします。それが撫子家の流儀ですから」

 

 飛鳥は毅然とした態度で答える。



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第8レース(3)二度にわたる接戦

「芝コース左回り8ハロン、つまり1600m……」

 

「GⅠレースと同じ距離ですね」

 

 ゲート前でそれぞれのドラゴンに跨った飛鳥と真帆がこの模擬レースの内容をあらためて確認する。

 

「しかし、紺碧さんも大変ですわね」

 

「ま、まあ、準備期間は二日ほどありましたから……」

 

「わたくしはともかく、貴女も指名されるとは……結構恨みを買いやすいのですね」

 

「ちょっと驚きましたが、え? う、恨みですか⁉」

 

「どうしてなかなか……お人が悪い」

 

「そ、そんな……全然心当たりがありませんよ……」

 

「冗談ですよ」

 

「じょ、冗談ですか……止めてくださいよ、びっくりした……」

 

 飛鳥が笑い、真帆が口をぷくっと膨らませる。

 

「ふっふっふ、逃げずにやってきたようですね!」

 

「それだけは流石、と言っておきましょうか……」

 

 やや騒がしい女性と少し大人しい女性が飛鳥たちに声をかけてくる。

 

「……」

 

「ふん、ビビッて声も出ないのかしら?」

 

「どちらさまかしら?」

 

「なっ⁉」

 

「む……」

 

 飛鳥が二人の中肉中背の女性に尋ねる。レース前でヘルメットとゴーグルで顔の大半を覆っている為に誰か分からないのである。

 

「Bクラスの脇田よ! このドラゴンは『シンプロタゴニスト』!」

 

「同じく、Bクラスの端田……このドラゴンは『ハナガタステージ』……」

 

「ああ、Bクラスの方たちですか、本日はよろしくお願いします」

 

「よ、よろしく……」

 

 竜に騎乗しながらも丁寧に頭を下げる飛鳥に脇田は戸惑いながら挨拶を返す。

 

「ところで本日は何故模擬レースの相手にわたくしをご指名されたのですか?」

 

「なっ⁉」

 

 飛鳥の問いに脇田が驚く。飛鳥が首を傾げる。

 

「生憎心当たりが無くて……」

 

「くっ、先日の合同訓練で貴女に後れを取った借りを返す為ですわ!」

 

「リベンジです……」

 

 二人は同様に薄茶色の竜体をしたドラゴンを飛鳥に見せる。飛鳥は首を傾げる。

 

「はて、そんなこともありましたか?」

 

「はあっ⁉ わ、忘れたというの⁉」

 

「必要なこと以外は忘れる性格でして……」

 

「く、くぅ~!」

 

「落ち着きなさい、脇田、相手の思うツボよ」

 

「そ、そうね、その余裕たっぷりな口ぶりをレース後は叩けないようにしてあげるから覚悟なさい! 二人とも!」

 

「あ、あの、私は何か関係があるのでしょうか……?」

 

 真帆は言い辛そうに口を開く。

 

「アンタは何かと目立つからここで倒す!」

 

「ええっ⁉」

 

「Bクラスの男子だけじゃなく、Aクラスのあの方まで貴女に夢中とか……全く羨ましいったらありゃしない!」

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

「……落ち着きなさい、脇田、本音がダダ漏れよ」

 

「と、とにかく、前回の挽回だけでは不十分! 注目度の高いアンタも負かすことで、教官殿たちの心象を一気に良くしてやるって狙いよ!」

 

「は、はあ……」

 

 まくしたてる脇田に対し、真帆は戸惑い気味に頷く。

 

「……そろそろレースの時間ね、では奇数番号の私たちが先にゲートインするわ」

 

 脇田たちがドラゴンをゲートに向かわせる。飛鳥がため息をつく。

 

「こんな場所で喚き散らす方がよっぽど心象が悪くなると思いますが……」

 

「そう言って、撫子さんも煽っていたじゃないですか……」

 

「冷静さを失って貰えればそれで良いかと思いましたが……わりとすんなりとゲートに入りましたね。そう甘くはありませんか」

 

「特に作戦などはありませんが……それで大丈夫なんですか?」

 

「別にチーム戦というわけではありませんから、お互い好きに走りましょう」

 

「はあ……」

 

 真帆と飛鳥もゲートインし、やや間が空いて、ゲートが開く。

 

「えい!」

 

「せい!」

 

 四頭綺麗なスタートを切ったが特に、脇田騎乗のシンプロタゴニストと、端田机上のハナガタステージが前に出る。

 

「こ、これは⁉」

 

「思った以上のハイペース……」

 

 二頭の立ち上がりに真帆はそれなりに、飛鳥は多少驚く。

 

「このペースについてこられるかしら!」

 

(長距離戦ではないと言っても、いくらなんでもペースが速い……これで果たして最後まで持つのかしら?)

 

 飛鳥が少し首を傾げながら先頭の二頭を観察する。

 

「脇田!」

 

「おう!」

 

 二番手に付けていたハナガタステージがシンプロタゴニストを交わし、先頭に出る。ペースが僅かではあるが上がる。飛鳥が笑う。

 

「そういうことですか……」

 

「よし、脇田! ……って何だと⁉」

 

 端田が驚く。ペースを落とし、脇田のシンプロタゴニストに先頭を譲ろうとしたのだが、上がってきたのが、飛鳥が騎乗するナデシコハナザカリだったからである。

 

「楽しそうなので混ぜて頂きますわ」

 

「くっ、いつの間に……!」

 

「端田! ハナを譲るな! ペースを握られるとマズい!」

 

 脇田がペースを上げ、二頭に並びかけようとする。それからしばらく三頭がほぼ横一線になるが、飛鳥がナデシコハナザカリのポジションを下げる。脇田が笑う。

 

「ふん、逃げ竜でもないのに、ペースを上げ過ぎだ! ……ん?」

 

「やっと気付きましたか……」

 

 飛鳥が苦笑気味に呟く。シンプロタゴニストとハナガタステージの脚色が極端に鈍くなる。脇田たちが叫ぶ。

 

「くっ、今の僅かな間でペースをかき乱された!」

 

「こ、これでは最後まで持たない……」

 

「そろそろですかね……お先に失礼!」

 

「「⁉」」

 

 ナデシコハナザカリが直線手前で抜け出し、先頭で直線に楽々と入る。

 

「こんなものですか、拍子抜けですね……むっ!」

 

 飛鳥が斜め後ろを振り返る。真帆騎乗のコンペキノアクアが迫ってきている。

 

「……」

 

(紺碧さん⁉ ドラゴンの息も上がっていない。ハイペースにも惑わされず、しっかりと折り合いをつけていたのですね。半年前はレース初心者だったのに……着実に力を付けてきていますわね!)

 

「もう少しよ、アクア!」

 

「させませんわ!」

 

 二頭の追い比べとなったが、僅かにナデシコハナザカリが先着する。

 

「負けた……」

 

「……紺碧さん」

 

「は、はい!」

 

「来週あたり、また模擬レースをいたしませんか?」

 

「は、はあ……良いですけど」

 

 真帆は戸惑いながら、飛鳥の申し出を承諾する。

 

「……その日では無いと駄目ですか? 昨日お願いしましたように紺碧さんとのマッチレースを予定しております」

 

 Bクラスの二人を一蹴した翌日、学校の廊下で飛鳥は仏坂に告げる。

 

「先方からの強い申し出でね……」

 

「次の週というわけには参りませんか?」

 

「向こうも訓練スケジュールが詰まっていてね……三つ巴でも良いと言っている」

 

「……教官は受けた方が良いとお考えですか?」

 

「ここで勝てば、君の評価はさらに上がると思うよ。相手はAクラスだからね」

 

「Aクラス⁉」

 

「上のクラスからの挑戦とは……」

 

 青空と海が二人の間に割り込んでくる。仏坂が苦笑いする。

 

「盗み聞きとは感心しないね……まあ、どうせすぐ広まることだけど」

 

「相手は誰だ? 水田優香……ああ、あのツインテールか」

 

「関東のユース大会などで何度も撫子さんと鎬を削ってきた方ですね」

 

 青空と海が仏坂の持っていた資料を覗き込んで呟く。仏坂がまた苦笑いする。

 

「君たちねえ……盗み見もやめなさいって」

 

「……その話、お受けします。但し……」

 

「但し?」

 

「紺碧さんとの三つ巴でお願いします」

 

「あ、ああ、分かった。先方や紺碧さんにも伝えておくよ」

 

「失礼します」

 

 飛鳥はその場から立ち去る。青空は意外そうに呟く。

 

「真帆との勝負にこだわるか、思っている以上に評価しているんだな」

 

「確かに昨日の勝負は思いの外接戦でしたが……」

 

 海も不思議そうに首を傾げる。そして、一週間後……。

 

「撫子さん、Cクラスになられた時はどうしたのかと心配していたけど、最近調子を上げてきているみたいね、ライバルとしては嬉しいわ」

 

「ええ……」

 

 水田の言葉に飛鳥は言葉少なに頷く。

 

「? そろそろ時間ね。今日はよろしく」

 

 水田と真帆が先にゲートに入る。

 

「今日は左周りの芝1800m、先週より少し長い……でも私のやることは変わらない」

 

 真帆が小声で呟く。最後にゲートインしようとする飛鳥が真帆に告げる。

 

「紺碧さん……わたくし決めましたわ」

 

「はい?」

 

「このレースに勝ったら、紅蓮君に思いを伝えます」

 

「はっ⁉ え、え?」

 

「だから、貴女も本気で来て下さいね」

 

「えっ、えっ……」

 

「スタートしますわよ」

 

「!」

 

 ゲートが開く。三頭ほぼ揃ったスタートとなる。飛鳥が呟く。

 

「まずまず……」

 

(よ、良かった、ちゃんとスタート出来た……そ、それにしても思いを伝えるってどういうこと? 撫子さんと炎ちゃん、いつの間にかそんな関係に? い、いや、レースに集中しないと……って、私が先頭⁉)

 

 真帆は驚いて、少し視線を後ろにやる。水田の騎乗する、水色の竜体をした『キヨラカウォーター』が二番手で、飛鳥騎乗のナデシコハナザカリは最後尾である。

 

「……」

 

(まさか先頭だなんて! 水田さんのドラゴンも前目の位置を取りたがるって海ちゃんから聞いたのに、と、とにかく、折り合いをつけることを意識しなきゃ!)

 

 先頭を行くコンペキノアクアを見ながら、水田は考えを巡らす。

 

「紺碧真帆……竜術競技からの転向から僅か半年ながら、騎乗ぶりは既に様になっているわね。とはいえ、私の相手は貴女よ、撫子飛鳥!」

 

「……」

 

 水田は飛鳥に目をやるが、飛鳥に変わった動きは見られない。

 

「中団あたりでじっくり待機……貴女に勝つ為にここまで温存していた戦法なのに、貴女がさらに後方からレースを運ぶとは予想外だわ……そうか! 貴女もまた私に勝つ為にこの戦法を隠していたのね! それでこそライバル!」

 

「!」

 

「ナデシコハナザカリ、ペースを上げた! いや、すぐに下げた!」

 

「……!」

 

「またペースを上げた! い、いや、今度もすぐにペースを下げた!」

 

「……‼」

 

「ペースを上げてきた! い、いいや、どうせまたすぐにペースを下げるでしょう……なっ、下げない⁉ ど、どういうことなの⁉ 我がライバル!」

 

 ナデシコハナザカリがキヨラカウォーターに並びかける。飛鳥は呟く。

 

「貴女、さっきから何やらブツブツとライバルだとかおっしゃっていますが……」

 

「え⁉ 心の声がダダ漏れだった⁉」

 

「貴女、どこかでお会いしましたか?」

 

「はっ⁉」

 

「ふん!」

 

 驚愕する水田を横目に飛鳥がさらにペースを上げる。

 

「くっ! 逃がさない! なっ⁉」

 

 キヨラカウォーターの脚色が鈍る。戸惑う水田を見て、飛鳥が呆れ気味に呟く。

 

「マッチレースではないのに、わたくしばかりに注目してペースを乱すとは……」

 

「!」

 

(慣れない逃げということで、下がってくるかと思いましたが、紺碧さん、しっかりと折り合いがついている! 確実にレースセンスを向上させていますわね!)

 

(くっ、撫子さんが上がってくる!)

 

 ナデシコハナザカリがコンペキノアクアとの距離を詰めにかかる。

 

(思った以上に巧みなペース配分でしたが、それくらいで揺さぶられませんわ!)

 

「なっ!」

 

「もらった!」

 

 直線に入り、ナデシコハナザカリがコンペキノアクアを交わし、差を広げる。

 

「くっ、負けられない!」

 

「なっ⁉」

 

 飛鳥が驚く、内側からコンペキノアクアが差し返してきたからである。

 

「二週連続で負けたくない! 頑張って、アクア!」

 

(この粘り強さは予想外……しかし、望むところ! ここで勝ってこそ、わたくしもハナザカリも成長出来る!)

 

「ぐっ!」

 

「はあっ!」

 

「せいっ!」

 

 激しい叩き合いとなったが、再びナデシコハナザカリが先着した。先週よりさらに僅差の決着だったが、飛鳥は手応えを得る。

 

(こういった接戦をものにすることが今後に繋がるはずですわ……っと⁉)

 

 ナデシコハナザカリがゴール後、バランスを崩した為、飛鳥が落竜する。

 

「撫子さん!」

 

 医務室に運ばれた飛鳥がベッドに横たわり、頭を抱える。

 

「受け身は取れて、頭も打たなかったとはいえ、我ながら初歩的なミス……」

 

「勝利のお祝いのつもりがお見舞いになるとは予想外でしたわ」

 

「ね、姉さん⁉」

 

 医務室に入ってきた自らの姉、撫子瑞穂の姿を見て、飛鳥は思わず半身を起こす。



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第8レース(4)ナデシコハナザカリVSグレンノイグニース

「……軽い打撲で済んで良かったですわね」

 

「ええ……」

 

 瑞穂の言葉に飛鳥はそっけなく答える。

 

「ハナザカリの方も特に異常が無くて良かったですわね」

 

「ええ……」

 

 飛鳥は再びそっけなく答える。瑞穂が首を傾げる。

 

「どうかしたのかしら? 具合が悪いの?」

 

「……休みなら昨日頂きました」

 

「念の為、今日と明日も休みということにしてもらったわ」

 

「なっ⁉ 何を勝手に! 一体何の権限で⁉」

 

「保護者権限……かしら?」

 

「困ります!」

 

 大声を上げる飛鳥に瑞穂は困り顔を浮かべる。

 

「なにをそんなに焦っているの?」

 

「ご存知でしょう! わたくしは短期コース受講者、期間はたった一年しかないのです! 一日だって無駄には出来ないのです!」

 

「体を休めるのも大事なことよ」

 

「ですから、休みならば昨日……!」

 

「まあまあ、久しぶりの姉妹水入らずの時間を大切にしましょうよ♪」

 

「大体どこに向かっているのですか⁉」

 

 飛鳥が再び大声を上げる。彼女が今座っているのは、瑞穂の運転する高級スポーツカーの助手席である。瑞穂が笑う。

 

「ふふっ、内緒♪」

 

「内緒って……ふざけている場合では!」

 

「ちょっと、ちょっと、事故になるからあまり助手席で暴れないで頂戴……」

 

「これが落ち着いていられますか⁉ 山の中ですし!」

 

「もうすぐ着くわ……ほら、見えてきた。あの看板をご覧なさい」

 

 瑞穂が窓の外を指し示す。

 

「『紅蓮牧場』……えっ⁉ も、もしかして……?」

 

「そのもしかしてよ、紅蓮炎仁君の亡きお祖父様が経営されていた牧場で、グレンノイグニース号が生産された場所……」

 

「こ、こんな場所に連れてきてどうするおつもりですか?」

 

「すぐ分かるわ……さあさあ、車を降りて」

 

 駐車場に車を停め、瑞穂と飛鳥が車を降りる。飛鳥が周囲を見回す。

 

「当グループと比べると流石に見劣りしますが、雰囲気は悪くない牧場ですね」

 

「そうでしょう? 結構わたくしも気に入っているの」

 

「瑞穂お嬢様、飛鳥お嬢様、お待ちしておりました」

 

 二人に長身の男が近づき、恭しく頭を下げる。

 

「浅田君、ご苦労様」

 

「あ、浅田さん、ご無沙汰しております……」

 

「ご無沙汰しております」

 

 浅田が飛鳥に向かって改めて頭を下げる。

 

「それで浅田君、準備の方は?」

 

「既に厩舎に入っております」

 

「それは結構」

 

 瑞穂が満足そうに頷く横で飛鳥が首を傾げる。

 

「準備? なんのですか?」

 

「決まっているでしょ、ドラゴンのよ」

 

「ドラゴン?」

 

「ええ、ナデシコハナザカリの」

 

「なっ⁉ 競竜学校から連れ出したのですか⁉」

 

「もちろん、許可は得ているわよ、かなりの特例らしいけど」

 

「な、なんの為に……?」

 

「それは……あっ出てきたわね」

 

「え? ⁉」

 

 飛鳥は驚く。牧場の事務所から炎仁とCクラスのクラスメイト、そして仏坂がぞろぞろと出てきたからである。炎仁が笑う。

 

「撫子さん、遠いところをようこそ」

 

「な、何故、紅蓮君と皆さんがここに……訓練は?」

 

「休みにしたよ」

 

「よ、よろしいのですか⁉ 一日足りとて無駄には出来ないはずでは⁉」

 

 飛鳥は仏坂の発言を咎めるような口調で話す。

 

「う~ん……正確に言えば、『牧場実習』に充てたんだよ、春も行ったでしょ?」

 

「牧場実習……」

 

「そう、その秋季の分ね。訓練ももちろん大事だけど、牧場などの生産現場について知ることもジョッキーとしては大事なことだからね」

 

「貧乏牧場だって聞いていたけど、案外設備が整っているな」

 

「これはこれで風情があって良いかもね~」

 

「撫子グループさんが結構整備してくれたからね」

 

 嵐一と翔の言葉に炎仁が答える。

 

「えっと……?」

 

 飛鳥は尚も戸惑い気味な表情で瑞穂を見る。瑞穂がウィンクする。

 

「先に言っちゃうけど、今日はここにグレンノイグニースも連れてきているのよ」

 

「えっ⁉」

 

「聡明な我が妹なら大体の察しがつくかと思うけど」

 

「し、しかし……」

 

「撫子さん……」

 

 真帆が前に進み出る。

 

「紺碧さん……」

 

「一昨日、こうおっしゃっていましたよね? 『このレースに勝ったら、紅蓮君に思いを伝えます』と」

 

「ええっ⁉ そ、それは確かにそう言いましたけど……」

 

「今、この場で伝えて下さい」

 

「こ、これは急展開だね!」

 

「真帆の奴、攻めに出やがったな!」

 

「……お二人ともちょっと黙っていて下さい」

 

 わいわいと騒ぐレオンと青空を海がたしなめる。

 

「うっ……ぐ、紅蓮炎仁君!」

 

「は、はい!」

 

 飛鳥が声を張り上げた為、炎仁は身を固くする。

 

「わ、わたくしとマッチレースをしてください!」

 

「「え?」」

 

 飛鳥の言葉に炎仁と真帆は同時に間抜けな声を出す。

 

「競竜学校短期コースを受講する為の条件に競竜関係者の推薦というのがあります。わたくしは当然、姉さん、こちらにいる撫子瑞穂に推薦を頂こうと思いました……ところが、姉は全く縁もゆかりもない貴方を推薦するというではありませんか」

 

「あ、ああ……」

 

「推薦人に関してはなんとかなりましたが、わたくしの気持ちは晴れません。詳しく聞けば、トップジョッキーの姉とマッチレースをして勝ったと! レースは全くど素人の貴方が!」

 

「ああ、そういうこともありましたね……」

 

「これが何を意味するか分かりますか? この撫子瑞穂が妹のわたくしよりも貴方にジョッキーとしての可能性を見出したということです!」

 

「!」

 

「このことはわたくしにとっては大変な屈辱です……よって、貴方と勝負をして勝たないと、わたくしは前に進めないのです!」

 

「う、うむむ……」

 

「個人的な因縁ってそういうことだったのね……」

 

 飛鳥の剣幕に圧される炎仁の横で真帆が頷く。

 

「さあ、どうです! 勝負、お受け頂けますか⁉」

 

「わ、分かりました!」

 

 炎仁が力強く返事する。

 

「……それじゃあ、両者とも準備をして頂戴」

 

「「はい!」」

 

 瑞穂の言葉に頷き、炎仁と飛鳥がレースの準備にとりかかる。

 

「それじゃあ、見物人のわたくしたちはコースの方に移動しましょうか」

 

 瑞穂が声をかけ、真帆たちは移動する。しばらくして、炎仁たちが現れる。

 

「お待たせ致しました、準備出来ました」

 

「よろしい。じゃあレースだけど……このコースを二周、2000m走ってもらいますか」

 

「「⁉」」

 

「ナデシコハナザカリはもちろんだけど、グレンノイグニースにしても血統的に適正距離のはずだから問題ないはずよ。大丈夫よね?」

 

「……大丈夫です」

 

「問題ありません」

 

 瑞穂の問いかけに飛鳥と炎仁が落ち着いて答える。

 

「それでは、スタート地点に……それじゃあ、スタート!」

 

「!」

 

 二頭とも良いスタートを切った。炎仁だけでなく、真帆たちギャラリーも驚く。先行型のナデシコハナザカリがグレンノイグニースの後方につけたからである。

 

「抑えたな」

 

「前にいかねえのか」

 

「一昨日走ったばかりですから、スタミナを極力温存するという判断でしょう」

 

 嵐一と青空の呟きに海が反応する。レオンが首を捻る。

 

「炎仁の戸惑いは誘えるかもしれないけど、それ以上の効果があるかな?」

 

「……いや、そういう小手先だけの作戦じゃないと思うよ」

 

「え? どういうことですか?」

 

「まあ……どうなるか見てみよう」

 

 真帆の問いに翔は曖昧な返事を返す。レースはグレンノイグニースが常に先行するという予想外の形で進み、一周半の地点を過ぎる。そこで飛鳥とナデシコハナザカリが動き出し、グレンノイグニースを交わしにかかる。真帆が驚く。

 

「ここで仕掛ける⁉ まだ半周弱あるのに!」

 

「いや、あれで良い……」

 

「ええっ⁉」

 

「流石は天ノ川一族の坊ちゃん……鋭いわね」

 

 翔の言葉に瑞穂は感心する。真帆が尋ねる。

 

「ど、どういうことですか⁉」

 

「ナデシコハナザカリの長所は長い脚を使えること……器用で賢いから『先行型』の戦法も取れるけど、本来は『まくり』……ロングスパートが得意なのよ」

 

「そ、そんな!」

 

 真帆が驚いている内に、ナデシコハナザカリが先頭に立って、最終コーナーへと差し掛かる。炎仁はグレンノイグニースを羽ばたかせる。内側が塞がれている為、外に持ち出して距離をロスするよりも、相手の前に降り立とうとする。

 

「⁉」

 

 またも炎仁とギャラリーが驚く。飛鳥がグレンノイグニースのジャンプを読んでいて、ナデシコハナザカリを即座に外側に持ち出したのである。内側のグレンノイグニース、外側のナデシコハナザカリ、内外が逆転し、激しい叩き合いになった。

 

「ふん!」

 

 ナデシコハナザカリが半竜身ほど前に出て、ゴール前を通過した。飛鳥の勝利である。飛鳥は派手なガッツポーズを取る。瑞穂が笑う。

 

「ふふっ、まるでGⅠを勝ったような喜びようね」

 

「……今日はありがとうございました」

 

 仏坂が瑞穂に声をかける。

 

「最初は驚きましたが、可愛い妹の為なら……でも良かったのかしら? プロがアマチュアに色々と口出しするのは……」

 

「上司にも確認しましたが、『休みに家族と会うことに何の問題もない』と……」

 

「ふふっ、甘美さんも現役時に比べて丸くなったわね……とはいえ、こうなると気になるのは推薦した彼の方ね……レース運びは格段に成長しているけど」

 

 瑞穂は炎仁の方を見つめる。仏坂は笑みを浮かべて答える。

 

「奇策ばかりではこの先通用しないと分かってくれれば上々です」

 

「……ふふふっ! どう、ご覧になった? わたくしとハナザカリの走りを!」

 

「ええ、負けました。お見事な騎乗です」

 

「ほっほっほ! そうでしょう! そうでしょうとも! おっと⁉」

 

「危ない!」

 

 落竜しそうになった飛鳥の腕を炎仁がグイッと引っ張り、鞍上に戻す。

 

「あ、ありがとうございます……な、なんて力強さ……少年だと思ったけど、もう立派な殿方ですのね……」

 

「大丈夫ですか? 撫子さん?」

 

「撫子だなんて……飛鳥と呼んで下さい。マ、マイダーリン……」

 

「は、はあっ⁉」

 

 ポッと顔を赤らめながら突拍子もないことを言い出す飛鳥に炎仁は面食らう。




※ここまでお読み頂いている方へ(2022年4月28日現在)

 男子の副クラス長を決めていないという初歩的なミスをしてしまいました。 

『第5レース(4)ミカヅキルナマリアVSコンペキノアクア』の終盤にその件を差し込みました。ストーリーには大きく影響はないと思いますが、気になる方は良かったら見直してみて下さい。

 これからはこのようなことが無いように注意致します。今後もよろしくお願いします。


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第9レース(1)アメとムチ作戦

                  9

 

「……一着はステラヴィオラ!」

 

 合同訓練の日に行われた模擬レース、Cクラスという『崖っぷち』クラス所属の天ノ川翔騎乗のステラヴィオラが快勝してみせる。レースを見届けたBクラスの並川教官が近くにいるAクラスの凡田教官に話しかける。

 

「流石は競竜ファミリーの天ノ川一族出身……レースセンス・技術ともにずば抜けています。加えて、あのドラゴンも前目に行ってもよし、差してもよしと自由自在の戦法をすっかり体得しつつありますね」

 

「……何が言いたいのですかな?」

 

 凡田はあからさまに不機嫌そうに返事する。

 

「いや、Aクラスの学生と走らせても面白い戦いになるのではと……鬼ヶ島主任はまだその組み合わせを許可しておりませんが」

 

「ふん、所詮はCクラス、我がAクラスには到底及びませんな」

 

「しかし、先月、水田優香が撫子飛鳥に負けましたが……」

 

「あれは完全に水田の騎乗ミスです。あれだけのことでAクラス全体のレベルを判断してもらっては困りますな!」

 

「それは失礼しました……」

 

 声を荒げる凡田に対し、並川は頭を下げる。

 

「分かってもらえればよろしい」

 

「ですが……そろそろ対決が見られそうですね」

 

「は?」

 

「お忘れですか? 今月末に東京レース場で模擬レースが行われるということを」

 

「!」

 

「関東競竜学校の学生が腕比べする、毎年恒例のレース……短期コースからは基本Aクラス所属の者が参加することが多いですが、訓練で優れた内容を見せている天ノ川翔、撫子飛鳥あたりも参加のチャンスは巡ってきそうですね」

 

「並川教官!」

 

「学生が呼んでいますので、失礼します」

 

 並川がその場から去る。凡田が苦々しい顔を浮かべる。

 

(競竜関係者も多数足を運ぶ模擬レースのこと、完全に失念しておったわ……一人くらいならばともかく、二人もCクラス所属の者が目立った活躍をすれば……長年Aクラスを担当してきた私の沽券に関わる……。鬼ヶ島の責任にするか? いや、現役時の実績もあってか、周囲はあの女に対してどうも甘い……どうする? このままでは……! ん? 成程、これか……)

 

 考えを巡らせた凡田は手元にあった、ある資料に着目し、醜悪な笑みを浮かべる。

 

「……見たかい? あの緊急のお知らせを」

 

 午前中の訓練を終え、教室に戻ってきたレオンが嵐一と炎仁に問いかける。

 

「緊急体力テストだろ?」

 

「一週間後だからな、かなり緊急だよな」

 

「緊急なのもそうなんだけど、妙な点があるんだ」

 

「妙な点?」

 

 炎仁が首を傾げる。レオンが説明する。

 

「そう、全員が同じ数の種目テストを行うわけではないんだ」

 

「どういうこった?」

 

 嵐一も首を傾げる。レオンが更に説明する。

 

「例えば体力自慢な君たちは三種目ほど受ければ良いんだが、僕のような並の体力の者は五種目ほど、さらに芳しくないものは七種目ほど受けなければならない」

 

「種目数が平等じゃないのは意味が分かんねえな……?」

 

「『体力面に不安を抱える者の体力向上に繋げる為』という一文があるけどね……」

 

 嵐一の疑問にレオンが答える。嵐一はますます首を捻る。

 

「うん……この時期に行うことか?」

 

「そうなんだ、しかもこの体力テスト、標準記録を突破出来なかった場合、追試が予定されているんだ。今月末に」

 

「今月末って……」

 

 黙っていた炎仁がハッとしたような声を上げる。レオンが頷く。

 

「ああ、東京レース場での模擬レースがある日と同じ日だ」

 

「なんとなくからくりが見えてきたな……」

 

「なんとなくではなく、露骨な妨害ですわ」

 

 嵐一の言葉に飛鳥が忌々し気に答える。炎仁が呟く。

 

「妨害って……」

 

「大方、わたくしと天ノ川君を模擬レースに出したくないということでしょう」

 

「あ、飛鳥さん、大丈夫なのか?」

 

「ご心配なくマイダーリン、わたくしは体力には自信がありますから。むしろ問題なのはあの方ですわ……」

 

 飛鳥が視線を向けた先には豪快に居眠りをかます翔の姿がある。嵐一が頷く。

 

「確かにあいつは春頃や夏合宿での体力測定も今一つの結果だったな……単に本気出してないだけのような気もするが……」

 

「草薙君のおっしゃるように、本気さえ出せば問題はないはずです。ただ、その本気を出させるのが問題です」

 

 飛鳥が頭を抑える。海が口を開く。

 

「……解決策はあります」

 

「本当ですか?」

 

「ええ、この策ならば間違いはありません」

 

 飛鳥の問いに海は眼鏡をクイッと上げながら答える。青空が感心する。

 

「へえ、いつの間にそんな策を……」

 

「お知らせが出てから、昼休みの間に考えました」

 

「つ、付け焼刃過ぎないかな?」

 

 レオンが不安そうに呟く。

 

「大丈夫です、問題はありません」

 

「で? どんな策よ?」

 

「それは……」

 

 青空の問いを受け、海は説明を始める。その日の放課後……。

 

「何、夕食前に寝られると思ったのに~体育館で何するの?」

 

「体育館内を二十周、腕立て腹筋五十回ずつ……最後にシャトルランだ」

 

 嵐一が竹刀を片手に寝ぼけ眼の翔に告げる。

 

「ええ~ハード過ぎない~?」

 

「いいから、さっさとしろ! 模擬レースに出れなくなっても良いのか⁉」

 

「そうは言ってもな~いまいちやる気が……」

 

「天ノ川君、私も同じようなメニューをこなしますから一緒に頑張りましょう?」

 

「え、真帆ちゃんもやるの?」

 

「ええ。それに私……頑張っている男の人って素敵だと思います」

 

「ええ~それじゃあ、頑張っちゃおうかな~♪」

 

 翔が勢いよく走り出す。体育館の入り口で見ていた炎仁が驚く。

 

「は、速い⁉ あんなスピードで走れたんじゃないか……」

 

「……ケツを叩くならよ、真帆じゃなくアタシでも良かったんじゃねえか?」

 

「草薙さんと朝日さんでは厳し過ぎます。こういうのは『アメとムチ』です」

 

 青空の問いに海が答える。飛鳥が安心したように呟く。

 

「あの調子なら体力テストも大丈夫でしょうね。しかし、三日月さん、貴女がここまで考えて下さるとは……」

 

「天ノ川君の模擬レースでの走りを見てみたいですからね……それにお二人が優秀な騎乗を披露すれば、Cクラス全体の評価が高まる可能性がありますから」

 

 海は淡々と答える。策が実り、一週間後の体力テスト、翔は無事合格する。

 

「……突然の体力テストにも関わらず、どの学生も優秀な成績を残してくれましたね。ジョッキーもアスリート、体力面の充実は喜ばしい限りです」

 

「ま、全くもって並川教官のおっしゃる通り……」

 

「それではお先に失礼します、お疲れさまでした」

 

「ご、ご苦労さまです……くっ、二の矢、三の矢を放つまでよ……」

 

 教官室に残った凡田はロクでもないことを呟くのであった。



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第9レース(2)一晩でやってくれました

「……」

 

「並川教官、ご苦労さまです」

 

 凡田は教官室に戻ってきた並川に声をかける。

 

「ああ、凡田教官、お疲れさまです。お早いお戻りですね」

 

「いや、Aクラスの連中は優秀ですからな、理解が早くて助かります。こちらも授業のし甲斐があるというものです」

 

「確かに座学も優秀ですね」

 

「それに比べて、Cクラスの授業はなかなか大変ではありませんか?」

 

「あら? 凡田教官はCクラスの方は受け持っていなかったですか?」

 

「ええ、鬼ヶ島主任が自ら御担当されるということでしたので……」

 

「そういえばそうでしたね」

 

「いやいや、主任もなかなか物好きというかなんというか……」

 

 凡田は小声で呟く。並川が尋ねる。

 

「はい?」

 

「ああ、いえいえ、私も他の業務で何かと忙しいので、主任に代わって頂くのは大変助かるなという話です」

 

「そうですか」

 

「話は戻りますが、Cクラスはどうです? 骨が折れるでしょう?」

 

「いいえ、そうでもありませんよ」

 

「ほう?」

 

「私が担当しているのは専門科目ですが、撫子飛鳥さんは流石の理解力です」

 

「むう……」

 

「三日月海さんもかなり優秀ですね。紺碧真帆さん、金糸雀レオン君も理解がなかなか早いです」

 

「うむ……」

 

「それに比べると、紅蓮炎仁君や草薙嵐一君は苦戦していますかね」

 

「ほう!」

 

「朝日青空さんは露骨に興味が無さそうでした……」

 

「ほう、ほう! ん? でした?」

 

 凡田は一瞬嬉しそうな声を上げるも首を捻る。並川が話を続ける。

 

「当初は授業態度も決して誉められたものではありませんでしたが、この科目がレースに関係するということが分かってからは意欲的に取り組んでくれています。紅蓮君、草薙君も含めて、着実に成績は向上していますよ」

 

「ちっ……」

 

 凡田は舌打ちする。並川が首を傾げる。

 

「? 何か?」

 

「い、いえ、なんでもありません、ということはCクラスも問題は無いということですな。喜ばしいことです」

 

「……いえ、少し気になることが……」

 

「ほう?」

 

「天ノ川翔君なんですが、授業中いつも眠そうだったり、どこかうわの空だったり……その影響か成績が芳しくありませんね」

 

「それはそれは憂慮すべき事態ですな……」

 

 凡田がわざとらしく大きく頷く。

 

「……聞いたかい? あの緊急のお知らせを?」

 

 朝食の食堂でレオンが嵐一と炎仁に尋ねる。嵐一がウンザリした表情で答える。

 

「緊急学力テストだろ? なんでまたこの時期に……」

 

「先週の体力テストといい、また突然だよな」

 

 炎仁が食事をしながら呟く。レオンが頷く。

 

「そうなんだ、また突然な話で……しかもこの学力テスト、赤点を取った場合、追試が予定されているんだ。今月末に」

 

「今月末って……また模擬レースの同日か?」

 

「そうだよ……これはひょっとすると……」

 

「ひょっとしなくても、わたくしたちの台頭を許さないということですわ」

 

 レオンたちの隣のテーブルで食事をしていた飛鳥が憮然とした様子で口を開く。

 

「飛鳥さん……」

 

「正確にはその寝坊助さんをどうしても模擬レースに出したくないのでしょうね」

 

 飛鳥が差し示した先には食事をしながら寝ている翔の姿がある。

 

「zzz……もう、食べられないよ~」

 

「食事をしながら食事の寝言、ある意味器用だな……」

 

 炎仁が呆れながらも感心する。嵐一が呟く。

 

「確かにこのままじゃ、確実に赤点だろうな、俺も人のことは言えねえが」

 

「ど、どうすればいい?」

 

「ご心配には及びませんわ、金糸雀君。解決策を提示します! ……三日月さんが」

 

「人任せですか……まあ、策は既にありますが」

 

「早っ!」

 

 海の言葉に青空が驚く。海が端末を指し示す。

 

「……各科目の要点をまとめました、量は少し多いですが、これらを抑えれば、少なくとも赤点は免れるはずです」

 

「この量を……海ちゃん、いつの間に?」

 

「昨夜一晩でやりました」

 

「ええっ?」

 

「冗談です。自分用にまとめていたものを編集したものです」

 

 驚く真帆に海は少し笑って説明する。青空が頷く。

 

「これがあればバッチリだな、アタシにもそのデータくれよ」

 

「……構いませんが、しっかり勉強をしなければいくら要点を抑えたとしても意味がありません。これはあくまでもベースです」

 

「楽勝ってわけにはいかねえか……」

 

 青空は肩を落とす。

 

「では、そのデータを教材に教えれば、いい結果が出るということですわね」

 

「そうなるかと思います」

 

 海の言葉に飛鳥は力強く頷く。

 

「よろしい! ではわたくしが臨時教師を買って出ますわ!」

 

「あ、飛鳥さん、大丈夫なのか? 自分の勉強は……」

 

 炎仁が飛鳥に尋ねる。

 

「ご心配いりませんわ、マイダーリン。わたくし予習復習は万全ですから」

 

「そうか、それなら良いんだけど」

 

「……マイダーリンはもう定着しているのね……」

 

 真帆が小声で呟く。海が口を開く。

 

「……しかし、それでは不十分ですね」

 

「わたくしの指導では不十分ですか?」

 

「いえ、そういった質的な問題ではなく、時間的な問題です。例えば昼間だけでなく、夜間も勉強するとか……」

 

「ああ、それならば……」

 

 飛鳥を始め全員の視線がレオンに注がれる。

 

「ええっ? ぼ、僕かい?」

 

「私や撫子さんは男子寮に入ることが出来ませんから……お願いしたいのですが」

 

「わ、分かったよ……ただ、天ノ川君はすぐ眠っちゃうからな~起こす方がなかなか大変そうだな……」

 

「ありがとうございます」

 

 海はレオンに礼を言う。策が実り、一週間後の学力テスト、翔は無事合格する。

 

「……突然の学力テストにも関わらず、どの学生も優秀な成績を残してくれましたね。ジョッキーといえども知識のアップデートを怠ってはなりませんから。こういった結果は喜ばしい限りです」

 

「ま、全くもって並川教官のおっしゃる通りですな……」

 

「それではお先に失礼します、お疲れさまでした」

 

「ご、ご苦労さまです……くっ、まだ三の矢が残っておる……」

 

 教官室に残った凡田はゲスな表情を浮かべ、呟くのであった。



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第9レース(3)お灸を据える

「あら、凡田教官? おはようございます」

 

 自らのデスクに座り、腕を組む凡田に並川が挨拶する。

 

「あ、ああ、並川教官、おはよう……」

 

「随分とお早い到着ですね、それにそのお姿はジャージ?」

 

「別に私がジャージを着ていてもおかしくはないでしょう?」

 

「そ、それはそうですが、今日は外のコースでの訓練はBクラスとCクラスの合同訓練の予定だったはずでは……?」

 

 並川が首を傾げる。凡田は説明する。

 

「鬼ヶ島主任と仏坂教官が急な出張が入った為、私が仏坂教官の代わりということになりました。いや、主任もいないわけですから主任代行ですな」

 

「主任の出張は知っていましたが、仏坂教官もですか? 凡田教官ではなく?」

 

「ええ、彼が申し出てくれました。まあ、彼にも仕事をこなしてもらわないと……」

 

「は、はあ……」

 

「他になにか気になる点が?」

 

「Aクラスの座学はどうされるのですか?」

 

「自習です」

 

「えっ?」

 

「彼らはとても優秀です。自主的にでも勉強するでしょう」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「そうですとも!」

 

「し、しかし、人の目が無いと若い子はどうしてもサボってしまいがちです」

 

「Aクラスの面々に限って、そんなことはあり得ない!」

 

 並川に対し、凡田は根拠のない自信を見せる。

 

「そ、そうですか……一応、通常課程の教官の皆さんでどなたか空きがないか……あっ空いていますね。しかも主任から既にお願いがしてあったみたいです」

 

「む……」

 

「良かったですね」

 

「ま、まあ、それは何よりです……訓練場に向かいますぞ」

 

「す、少し早くないですか?」

 

 戸惑う並川に対し、凡田は声を上げる。

 

「学生の範たる我々には万が一にも遅刻など許されません! 今の内から待機しておくべきです!」

 

「し、失礼しました! すぐに着替えて参ります!」

 

「お先に訓練場でお待ちしておりますよ……」

 

 凡田はわざとらしく大袈裟な足取りで教官室を出ていく。

 

「Bクラス、全員揃いました」

 

「Cクラス、全員揃いました」

 

 Bクラスのクラス長と海の言葉に凡田は頷く。

 

「ふむ……教官の凡田である。Cクラスの諸君とはこういう形で、向き合うのは初めてになるな……私は普段は優秀なAクラスしか見ていないからね。私の指導を直々に受けられることを光栄に思いなさい……って、そこの君!」

 

「はい~?」

 

 凡田は翔を指差す。翔はぼんやりとした様子で答える。

 

「君、今、欠伸をしただろう?」

 

「え? 眠い眼をこすっただけですよ~」

 

「同じことだ! 君は天ノ川翔君か……少しばかり優れているからと言って、調子に乗っているようだね」

 

「別にそんなつもりは……」

 

「寝坊・遅刻の常習犯ということも聞いているぞ!」

 

「……お言葉ですが、最近は大分改善されてきましたわ」

 

「撫子飛鳥君……今、君の意見は聞いていない。改善といっても大分だろう? しかも最近……そんなことでは困るのだよ。おかしな学生を輩出したら、この競竜学校騎手課程短期コース全体の資質を疑われることにもなりかねないからな」

 

「そもそも資質が疑わしいのはアンタだろう……」

 

「大体、そのだらしねえ腹、まともにドラゴン乗れるのかよ……」

 

「そこの二人、なんか言ったかね?」

 

「文句を言いました」

 

「悪口を言いました」

 

 凡田に対し、嵐一と青空は悪びれもせず答える。凡田は面食らう。

 

「んなっ⁉ こ、これは……Cクラス、かなりの問題児揃いのようだね……もういい、Cクラスの者たちは午前中ずっと走っていたまえ、罰走だ!」

 

「! そ、そんな……」

 

 レオンが絶句する。

 

「それはいささか横暴かと……」

 

「君は?」

 

「Cクラスのクラス長、三日月海です。クラスメイトの失礼な態度についてはクラス長としてお詫びします。申し訳ございませんでした」

 

 海が深々と頭を下げる。

 

「ふむ……」

 

「せっかくの凡田教官の指導を受けられるまたとない機会です。どうか、私たちにも訓練参加をお許し下さい」

 

「そうは言ってもだね……」

 

「このCクラス、おっしゃる通り、問題児揃いですが……」

 

「うん?」

 

 海が凡田の耳元に顔を近づけ、小声で囁く。

 

「競竜界では知らぬものの無い天ノ川家と撫子家のお子さん、両家には及びませんが、競竜一家出身の金糸雀君、元高校球児のスターである草薙さん、さらに竜術競技からの転向で大いに注目を集めている紺碧真帆さんがいらっしゃいます」

 

「……何が言いたい?」

 

「メディア関係にもそれなりに顔が利くと同時に、ある意味で注目度が高い特殊なクラスです……突然現れて、一方的な上からの物言いをした挙句、前時代的な連帯責任での罰走の強要など、もしも外部に漏れたりしたら……」

 

「あ~分かった、みなまで言うな」

 

 凡田が少し慌てる様子を見せる。海が列に戻る。真帆が小声で尋ねる。

 

「海ちゃん、なんて言ったの?」

 

「いえ、別に大したことではありません」

 

「え~ま、まあ確かに、せっかくの機会だ、全員罰走というのは取り消す。Cクラスも訓練に参加したまえ。では、各自厩舎からドラゴンを連れてきなさい」

 

「はい!」

 

 全員が厩舎に向かう。訓練が始まってしばらくした後、凡田が並川に尋ねる。

 

「並川教官、Bクラスで芝コースがもっとも得意な二人は誰ですかな?」

 

「え? ……ああ、あそこの二人です」

 

「そうですか。そこの君たち! 少し良いか? ……よし、全員集合!」

 

「……?」

 

 凡田の呼びかけに全員が各自の訓練を中断して凡田の下に集まる。

 

「今からレースを行う! Bクラスのこの二人と、私と並川教官、そして、Cクラスの天ノ川君、クラス長と副クラス長の男女二人、計八人が参加だ」

 

「!」

 

 突然のことに皆がざわざわとする。

 

「あ~静かに、呼ばれたものはあそこのゲートに。残りの者は見学していたまえ」

 

 皆がゲート前に集う。並川が凡田に尋ねる。

 

「凡田教官、これは……?」

 

「ははっ、半分余興ですのでお気楽に、並川教官は逃げてくださいますかな? ペースメーカーをお願いしたいのです。さあ、先にゲートにどうぞ」

 

「はあ……」

 

「Bクラスの二人! ちょっと来たまえ」

 

 凡田がBクラスの二人を呼びよせ、何やら告げる。

 

「ええっ⁉」

 

「そ、それは……」

 

「これも訓練の一種だ……プロになっても、オーナーや調教師の指示通りにドラゴンを走らせられないというのならお話にならないぞ」

 

「は、はあ……」

 

「わ、分かりました」

 

「結構、ゲートに入りたまえ。さて……」

 

 凡田がCクラスの四人に近づく。海が尋ねる。

 

「なにか? 奇数番号の方から先にゲートに入って頂かないと……」

 

「先ほどは皆の手前、ああ言ったが……天ノ川君」

 

「はい?」

 

「やはり君の授業態度や生活態度は目に余るものがある。そうだな……このレースで一着にならないと、君には月末に一人で厩舎の掃除をしてもらおうか」

 

「!」

 

「げ、月末って、東京レース場の模擬レースと日程が重なるじゃないですか⁉」

 

 炎仁が驚きの声を上げる。

 

「それがなにか? 結果を出してくれればそれで構わない」

 

「……分かりました」

 

 翔が返事をする。凡田が笑いながらゲートに向かう。

 

「はっはっは! それでは、良いレースにしようじゃないか」

 

「大丈夫かよ……」

 

「まあ、やるしかないんじゃない?」

 

「……ゲートに入りましょう」

 

 青空の問いに翔は飄々と答える。海が促してCクラスの四人がゲートインする。しばらく間を置いて、レースがスタートする。並川のドラゴンがハナを切る。

 

「⁉」

 

 翔騎乗のステラヴィオラの後方と右側をBクラスの学生が騎乗するドラゴンが、そして前方を凡田のドラゴンが塞ぐようにして走る。左のラチギリギリに追い込まれている為、翔は四方を塞がれている状態になってしまう。凡田が笑う。

 

(ふふっ、どんなに優れていようが、こんな状態を打破することなど出来まい!)

 

「くっ……」

 

 流石の翔も苦しそうな顔を見せる。

 

「ちっ、汚ねえ真似を! 待ってろ! 今助ける!」

 

「ははっ、助ける? どうやって? やれるものならやってみろ!」

 

 青空の叫びを凡田は笑い飛ばす。

 

「ふん!」

 

「「⁉」」

 

「なっ⁉」

 

 後方から迫る青空とサンシャインノヴァが発する気合いに圧され、Bクラスの二頭がやや列を乱し、ステラヴィオラの包囲が少し緩む。青空が舌打ちする。

 

(凄んでみたが、関西のなんちゃらフレイムの奴みたいには上手くいかねえか!)

 

「良いぞ、青空! 包囲が緩んだ! 天ノ川君! 抜け出せないか⁉」

 

「む、無茶を言うね! これだけの隙間ではまだ不十分だ!」

 

 炎仁の言葉に翔が戸惑う。

 

「ならば名前の如く翔けてみせろ!」

 

「⁉ やってみるか!」

 

 炎仁の檄を受け、翔が不敵な笑みを浮かべる。凡田が戸惑う。

 

「な、なにをするつもりだ⁉」

 

「はっ!」

 

「なんだと⁉」

 

 翔がステラヴィオラを羽ばたかせ、右斜め前方に華麗に着地させる。炎仁が叫ぶ。

 

「よし、見事だ!」

 

「君の騎乗を参考にさせてもらったよ!」

 

「ぐっ……しかし、時間は稼いだ! 今更抜け出しても先頭には届かん! なっ⁉」

 

 前を見た凡田が驚く。並川のドラゴンのポジションが下がっていたからである。

 

「三日月さんが上手く競り掛けて、ペースをかき乱してくれた! 天ノ川君!」

 

「ああ、これなら届く!」

 

「くっ、舐めるな、青二才が! 追い比べならまだ負けん!」

 

 直線に入り、ステラヴィオラを交わし、凡田騎乗のドラゴンが先頭に躍り出る。

 

「……」

 

「ははっ! どうした、スタミナ切れか⁉ 包囲網を抜け出すのに力を使ったな!」

 

「……もう少し痩せた方が良いですよ、ドラゴンがしんどそうだ」

 

「なに⁉」

 

「はっ!」

 

 翔が鞭を入れると、ステラヴィオラは一気に加速し、凡田のドラゴンをあっという間に置き去りにして先頭でゴール板を駆け抜けた。

 

「くっ……このままでは済まさんぞ!」

 

「いえ、ここまでですよ……スタンドをご覧下さい」

 

「並川、どういう意味だ⁉ ……あ、あれは主任と仏坂⁉ しゅ、出張では……?」

 

「色々と悪巧みをしているようでしたので、出張の振りをされていたのです。まんまと引っかかりましたね。すぐではないでしょうが、何らかの処分が下るでしょう」

 

「そ、そんな……」

 

 凡田は力なくうなだれる。



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第9レース(4)ステラヴィオラVSグレンノイグニース

「さて、とうとうこの日が来ましたね……」

 

 10月末、東京レース場のスタンドで海が呟く。

 

「結構客が来ているな……」

 

「関係者だけかと思ったんだけどな」

 

 周囲を見回して、青空と嵐一が呟く。

 

「模擬レースですからね、お客さんにもある程度入ってもらって、実際のレースのような雰囲気を再現してもらうのが狙いです」

 

 海が淡々と説明する。その隣で真帆が口を開く。

 

「こういうことを聞くのってなんだけど……このレース、合否に関係するのかな?」

 

「……勝ち負けはともかくとして、レースぶりなど、多少は評価査定に含まれるのではないでしょうか。あくまで推測でしかありませんが」

 

 海が眼鏡の蔓を触りながら答える。レオンが天を仰ぐ。

 

「あ~それはやっぱり僕も出たかったな~」

 

「まだアピールの機会は残されていますから……」

 

「とは言ってもね……」

 

「ここから挽回するしかねえな……」

 

「気が合うねえ、旦那、アタシもちょうど同じことを考えていたぜ」

 

 青空が嵐一に笑いかける。

 

「おっ、皆、揃っているね~」

 

 仏坂がCクラスの学生たちの所に歩み寄ってくる。海が尋ねる。

 

「教官、こちらに来てよろしいのですか?」

 

「皆の様子はちゃんと見てきたよ、ナーバスになってはいなかったから安心したよ」

 

「天ノ川は眠そうにしていなかったっすか?」

 

 嵐一は笑い混じりで尋ねる。

 

「いや、いつになく真剣な表情をしていたよ」

 

「へえ……あいつも流石にマジになるか」

 

「撫子さんはどうでした?」

 

 レオンが問う。

 

「彼女も落ち着いていたね」

 

「そうか……やっぱり慣れているのかな」

 

「凡田の野郎は余計なことをしてこないっすよね?」

 

「野郎じゃなくて凡田教官ね……模擬レースでなにか仕掛けたらそれこそ大問題になるから……大人しくしていたよ」

 

 青空の問いに仏坂は肩をすくめながら答える。真帆が口を開く。

 

「あ、あの……炎ちゃん、紅蓮君はどんな様子でした?」

 

「ん? ああ、一番心配していたけど、落ち着いていたよ」

 

「そうですか……」

 

「よく、紅蓮君を捻じ込めましたね」

 

「いや、捻じ込んだって……」

 

 海の言葉に仏坂が苦笑する。青空が頬杖をつきながら呟く。

 

「だってビリッケツ評価なんだろ?」

 

「……ま、まさか、炎仁はもうトップ評価に近づいているってことですか⁉」

 

 焦る様子を見せるレオンに仏坂がまた苦笑する。

 

「現時点で彼がどの程度の評価かは言えないよ……今回もたまたま空きが出たからね。鬼ヶ島教官からCクラスから誰かもう一人どうだという話を頂いたので、僕の判断で紅蓮君にさせてもらったんだ」

 

「その判断の根拠は?」

 

 海が問い詰める。

 

「う~ん、まあ、勘かな? 大舞台でなにかサプライズを提供してくれそうな気がするんだよね、彼の騎乗からは」

 

「『持ってる』ってやつか……分からねえでもねえかな」

 

 嵐一が呟く。

 

「まあ、とりあえずはその説明になっていない説明で納得するとします」

 

「て、手厳しいね、海ちゃん……」

 

「一応、応援はしていますよ」

 

 苦笑する真帆に海が答える。

 

                  ☆

 

「五味!」

 

「なんですか、凡田教官?」

 

 五味と呼ばれた学生が振り返る。

 

「いいか、この模擬レースは大事なレースだ!」

 

「理解しているつもりですよ」

 

「本命はお前の騎乗する『ハイビューティフル』だ、普通に乗れば勝てる!」

 

「でしょうね、僕はAクラスでもトップですから」

 

「ただ一人、あいつには気を付けろ……!」

 

 凡田が急に小声になる。五味が尋ねる。

 

「あいつ?」

 

「天ノ川翔だ、名門競竜一家の奴は侮れんぞ!」

 

「ああ、それは少し思っていましたが……それほど心配する必要は無さそうですよ。見て下さい」

 

 五味が顎をしゃくった先にはベンチに腰掛けて眠る翔の姿があった。

 

「ね、寝ているだと⁉」

 

「『名家三代続かず』とはよく言ったものです。大したことはありませんよ」

 

 五味は不遜な笑みを浮かべてゴーグルを掛け、自らのドラゴンの元に向かう。

 

「あ、天ノ川君! 起きなさい!」

 

「う~ん?」

 

 飛鳥に肩を揺らされ、翔が目を開く。傍らに立っていた炎仁が呆れる。

 

「さっきまで起きていたのに、ここに来て寝るとは……」

 

「集中力を高めていたら眠くなっちゃって……」

 

「どういう理屈なのですか……」

 

「飛鳥ちゃんにもお勧めするよ、リラックス出来るんだ」

 

「そこまで神経が図太くありませんわ……」

 

「かえって目が冴えてきた、良い傾向だね~」

 

 翔が笑顔を浮かべて立ち上がる。炎仁が尋ねる。

 

「い、良い傾向なのかい?」

 

「こういう時は大抵良い結果が出るんだ」

 

「人それぞれだな……」

 

「マイダーリン、妙に感心している場合ではありませんわ。良いですか、天ノ川君? 貴方を今日のレースに出す為に皆がどれほど苦労したか、どうせ貴方には伝わってはいないでしょうけど……」

 

「感謝しているよ」

 

「ええっ⁉」

 

「草薙君や真帆ちゃんには体力テストのトレーニングを付き合ってもらい、君や海ちゃんには勉強を見てもらった。金糸雀君には目覚まし係になってもらった」

 

「レオンも勉強を見る担当だったんだけど……」

 

「そして、先のレースでは、青空ちゃんの威圧と紅蓮炎仁君……君の激励に助けられた……改めて礼を言うよ、ありがとう」

 

「お、おお……」

 

 真っ直ぐな眼差しで自分を見つめてくる翔に炎仁は戸惑う。

 

「今、僕は体力知力気力ともに充実している! このレースは僕がもらうよ」

 

そう言って、翔は自らの騎乗するドラゴンの元に向かう。

 

「……言ってくれるじゃないか!」

 

「そうはさせませんわ!」

 

 炎仁と飛鳥も闘志を燃やし、それぞれのドラゴンの元に向かう。パドックで各竜に騎乗した学生たちは地下竜道を通り、本竜場に入場。録音ではあるが、本番さながらのファンファーレが流れ、雰囲気が盛り上がる中、各竜が順調にゲートインする。全竜のゲートインが完了し、ゲートが開かれ、スタートする。

 

「!」

 

 炎仁とグレンノイグニースが大幅に出遅れる。それを飛鳥も確認する。

 

(マイダーリン! 最近は順調だったのに、ここにきてスタート失敗! ですが、これも勝負! わたくしも真剣に挑みます!)

 

 飛鳥とナデシコハナザカリは中団のやや後方につける。翔とステラヴィオラは前から三番目につける。その前に五味騎乗のハイビューティフルがいる。レースは淀みなく進み、最終コーナー直前でハイビューティフルが逃げたドラゴンを交わし、先頭に立つ。そこにステラヴィオラが迫る。五味が笑う。

 

「認識を改めよう!」

 

「?」

 

「ただの馬鹿ではなかったようだ、終始僕をマークするとは! それなりのレースセンスがあるようだ!」

 

「は?」

 

 五味の言葉に翔が首を捻る。五味が戸惑う。

 

「な、なんだ、その反応は?」

 

「そこそこ良いペースで走ってくれているから、ちょうど良い目印にしていただけだけど……っていうか、君誰だっけ?」

 

「な、なっ⁉」

 

「前見ていないと危ないよ!」

 

「うおっ⁉ くっ……な、なんて脚だ、追い付けん!」

 

 颯爽と先頭に立ったステラヴィオラはハイビューティフル以下を突き放す。

 

(もらったかな……ん⁉)

 

 そこにナデシコハナザカリとグレンノイグニースが突っ込んでくる。

 

「もう少しよ!」

 

「届け!」

 

(飛鳥ちゃんは予想していたが、紅蓮君が大外からここまでくるとは! くっ!)

 

 完全にステラヴィオラの勝ちパターンかと思われたが、最後の最後で三頭の激しい叩き合いとなる。観客も大いに盛り上がる。結果……。

 

「グ、グレンノイグニース! ハナ差で勝利! 二着はステラヴィオラ!」

 

「か、勝ったのか……?」

 

「おめでとう……飛鳥ちゃんとナデシコハナザカリのまくりについてきて上がってきたのか、凄い末脚だったよ」

 

「あ、ありがとう。正直スタート出遅れたから無我夢中で何がなにやら……」

 

「! 限りなく集中していたってことか……良い勉強になったよ、炎仁」

 

「あ、ああ……」

 

「でも次は負けないよ。同じ相手に二度と負けないのが天ノ川家の流儀だからね」

 

 そう言って、翔はゴーグルを外し、ウィンクしてみせる。



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第10レース(1)ドキドキドタバタ文化祭

                  10

 

「文化祭?」

 

「毎年この時期に近隣の専門学校で行われるものなんだけどね。色々趣向を凝らした出し物があってなかなか面白いんだ」

 

「これが何か?」

 

 チラシを手にした海が仏坂に尋ねる。

 

「気晴らしも兼ねて、皆で行ってくると良いんじゃないかな?」

 

「皆……Cクラス全員で、ですか?」

 

「そう」

 

「……確かに今週の休日と重なりますが、全員は無理です。厩舎の掃除やドラゴンの世話もありますから」

 

「その日一日くらいは僕と厩務員さんで大丈夫だよ」

 

 仏坂の言葉に海は目を丸くする。

 

「何故にいきなりそのような好待遇を……」

 

「この間の模擬レースさ」

 

「模擬レース……」

 

「Cクラスの学生が出るのだけでも珍しいのに、ド派手な1・2・3フィニッシュ! ……あまり大きな声では言えないけど、Cクラスの評価は着実に高まりつつある」

 

「……つまり、そのご褒美代わりだと」

 

「そういうこと」

 

「お断りします」

 

 海はチラシを仏坂に突き返す。

 

「ええっ⁉」

 

「『勝って兜の緒を締めよ』とも言うでしょう。今は浮かれずに更なる努力を積み重ねる時期だと考えます」

 

「真面目だな~そんな堅苦しく考えなくても……」

 

「大体、レースに出たのは三人です」

 

「あの三人が良い結果を出せたのは君たちと切磋琢磨したからだと思うけど」

 

「そういう考え方もあるかもしれませんが……」

 

「まあ、ここでシャットアウトせず、皆にも知らせてみてよ。行きたくない人がいれば、それはそれで良いからさ」

 

「はあ……」

 

 海はチラシを持って、部屋に戻る。青空が声をかける。

 

「おおっ、仏坂さん、なんだって?」

 

「……真帆さんがいませんね」

 

「少し体重が気になるということで臨時のトレーニングを。今はシャワーですわ」

 

 海の問いに飛鳥が本を読みながら答える。

 

「なるほど。では戻ってからの方が……あっ!」

 

 青空が海の手からチラシを取る。

 

「何々……へ~文化祭か、楽しそうじゃん」

 

「どういうことですか?」

 

 青空の言葉に飛鳥が反応する。海は仕方なく説明を始める。

 

「……こういうわけです」

 

「っていうことは、ペアを決めなきゃな!」

 

「はい?」

 

 青空の言葉に海は首を傾げる。

 

「こういうのは八人全員で回るにはちょっと多すぎる。どこの出店に行くとかで絶対揉めるしな。二人くらいで回った方がちょうど良い」

 

「なるほど、そういうものなのですね……」

 

 青空のもっともらしい説明に飛鳥が頷く。

 

「……というわけで、誰と回りたい? アタシは炎仁だな!」

 

「マイダーリンはわたくしと回ります!」

 

「いきなり被ったな……クラス長は?」

 

「別にまだ行くと決めたわけでは……」

 

「何だよ、ノリ悪いなあ」

 

「……例えば、紺碧さんとか……」

 

「こういうのは男と回るって相場が決まってんだよ、誰が良い?」

 

「だ、男子とですか? そうですね、強いて言うなら……」

 

「ほう、そう来たかい」

 

 海の答えに青空が面白そうに頷く。飛鳥が尋ねる。

 

「どうしますの?」

 

「まあ、それは待て、考えがある……このチラシは男子どもには見せたか?」

 

「いいえ、もう一枚あるのでこれから持って行こうかと思いました」

 

「アタシが持っていってやるよ、副クラス長だからな」

 

「男子寮には入れませんよ」

 

「分かっているよ、入口で渡す。男子の副クラス長殿に連絡してっと……あれ、おかしいな? 炎仁の奴、出ねえぞ」

 

「マイダーリンなら先ほどグラウンドをランニングしていたのを見かけましたわ」

 

「ってことは今頃シャワーでも浴びてんのか。なら、金糸雀に渡してくるか」

 

 青空は部屋を出ていく。そしてその文化祭当日……。

 

「こ、これはどういうことですか⁉」

 

「いや、希望を募ったところ、紺碧ちゃんと回りたいって三人の意見が重なってね」

 

「それぞれ時間を区切って、二人で一か所ずつ回ろうってことになったんだ~」

 

「い、いや、意味が分かりません!」

 

 上品なワンピース姿で真帆は立ち尽くす。レオンは落ち着いた色のジャケットを羽織っている。翔は上下ともだぼっとした服を着ている。

 

「時間ごとに一旦ここに戻ってきて、別の相手と出かけるってことだ。行きたい場所はアンタが自由に決めていい」

 

 ヒップホップなファッションで決めた嵐一が真帆に告げる。真帆は頭を抱える。

 

「い、いつの間にこんなことに……ん? あれは……草薙さん!」

 

「お、おう……」

 

「行きますよ!」

 

 真帆が嵐一の腕を引っ張っていく。嵐一が戸惑いながら尋ねる。

 

「ど、どこに行くんだ?」

 

「あの方たちと同じ所へ!」

 

 真帆が前方を指し示す。そこにはカジュアルな服に身を包んだ炎仁と楽し気に腕を組む青空の姿がある。青空はボーイッシュなファッションスタイルである。

 

「あ、あいつらか……」

 

「東京レース場での自由時間と言い……青空ちゃん、油断も隙もないんだから!」

 

「どこに行くんだ、あいつら? どこかに入っていったぞ?」

 

「私たちも行きますよ!」

 

「あ、ああ……って、『お化け屋敷』⁉」

 

「突入!」

 

「ちょ、ちょっと待て、紺碧!」

 

 しばらく間を置いて、二人の男女がお化け屋敷から出てくる。炎仁と青空である。

 

「大丈夫か、青空?」

 

「……我ながらベタベタだが、『キャア~怖い♡』とか言って、イチャイチャを狙ったんだが……予想外に本格的だったぜ……腰が抜けちまった」

 

「? 何をブツブツ言っているのか分からんが、そんなに怖かったか?」

 

「ギャアアー‼」

 

 お化け屋敷の中から男性の野太い叫び声が聞こえてくる。青空が呟く。

 

「ほ、ほら見ろ、大の男でもあんなにビビるんだ。お前が鈍いだけだよ」

 

「そうかなあ……まあ、感性は人それぞれだからな。それより立てるか?」

 

「い、いや、もう少しかかりそうだな。腰抜けたことねえから分からねえけど」

 

「仕方ないな……よっと」

 

「⁉ お、おい⁉」

 

 青空が驚く。炎仁が青空をおぶったからである。

 

「時間も無いし、このままさっきの場所へ戻るぞ。恥ずかしいのは我慢してくれ」

 

(は、恥ずい! ……けど、これも悪くねえな、結果オーライか)

 

 青空は顔を赤らめながらも、炎仁の背中で満足気に頷く。

 

「はあ……はあ……お、重い……」

 

「こ、紺碧ちゃん⁉ どうしたの⁉ 嵐一君を引き摺って!」

 

「彼の名誉の為に詳細は言えません……全ては私の不徳の致す所です」

 

「名誉? 不徳? 文化祭であまり聞かないワード!」

 

「うう……」

 

 嵐一が目を覚ます。真帆が胸を撫で下ろす。

 

「良かった、気が付きましたね。ん? あれは! 天ノ川君、行きますよ!」

 

「う、うん!」

 

 唖然とするレオンと嵐一を置いて、真帆は翔の腕を引っ張っていく。

 

「ふむ……食事時ですからね」

 

「真帆ちゃん、どこに行くの?」

 

「あの方たちと同じ出店に!」

 

 真帆が指差した先には炎仁とお嬢様コーデに身を包んだ飛鳥が腕を組んで歩く姿があった。二人は出店の席につく。やや距離を取って、真帆たちも席につく。

 

「どうせなら隣のテーブルに座れば良いのに……」

 

「しっ! 黙っていて下さい!」

 

 真帆は炎仁たちの会話に聞き耳を立てる。

 

「お昼、本当にたこ焼きで良いの?」

 

「わたくし、こういう庶民的なファストフードに憧れておりましたの!」

 

 炎仁の問いに、飛鳥は目を輝かせて答える。炎仁は苦笑する。

 

「変な憧れだな……まあ、おいしいけどさ」

 

「……いただきます。 ! 熱々でとても美味しいですわ!」

 

「お気に召したようで何より……あっ」

 

「⁉」

 

 飛鳥は驚く。炎仁が自分の口元を指でさすり、それをペロッと舐めたからである。

 

「あっ……青ノリが付いていたからつい……はしたなかったな、ごめん」

 

「い、いえ……」

 

 二人はその後も和やかなムードのまま食事を終え、席を立つ。真帆が慌てる。

 

「あ、後を追わなきゃ! って、えええ⁉」

 

 真帆が驚く。自分の目の前に山盛りの焼きそばがそびえ立っていたからである。

 

「通算200組目のお客さんへの特別サービスだってさ……とても食べられないから、残して帰ろうか?」

 

「い、いいえ! 出されたものは食べるのが礼儀です! いただきます!」

 

「真面目だね~でも、小食の僕にはちょっと……」

 

「きゃっ!」

 

 真帆たちが山盛り焼きそばと格闘しているころ、飛鳥が躓く。

 

「ど、どうしたの?」

 

「い、いえ、ヒールが折れてしまって……」

 

「ああ、本当だ」

 

「困りましたわ……」

 

「ちょっと失礼して……よっと!」

 

「ええっ⁉」

 

 飛鳥は再度驚く。炎仁が自分を抱きかかえる、所謂『お姫さまだっこ』をしてきたからである。炎仁が申し訳なさそうに言う。

 

「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど我慢して」

 

「い、いえ、大丈夫です……」

 

 飛鳥は顔を真っ赤にしながら頷く。二人は集合場所に戻る。青空が驚く。

 

「おいおい! どういう状況だよ!」

 

「飛鳥さんのヒールが折れちゃってさ……」

 

「……最寄り駅に修理してくれるお店があります。そこに向かいましょう」

 

 派手過ぎず地味すぎない落ち着いた服装の海が端末を見て、冷静に告げる。

 

「いいや、それには及ばねえ……」

 

「え?」

 

「これくらいならアタシでも直せる。あくまで応急処置だけどな。だからクラス長、お嬢のことは気にせず行ってこい」

 

 青空が海に告げる。海は頷く。

 

「では、お言葉に甘えて……参りましょうか、紅蓮君」

 

「ああ、はい……」

 

 炎仁と海がゆっくりと歩き出す。一方その頃……。

 

「はあ……はあ……重い! さっきよりは軽いけれど!」

 

「こ、紺碧ちゃん⁉ どうしたの⁉ 天ノ川君をお姫さま抱っこして!」

 

「お腹いっぱいで動けなくて、後なんだか眠くなってきて……」

 

「この状況で寝る⁉」

 

 レオンが驚く。翔をベンチに横たえ、真帆は肩で息をする。

 

「はあ、はあ……」

 

「お、お疲れさま……」

 

「……あれは⁉ 金糸雀君、行きますよ!」

 

「うおっ⁉」

 

 真帆が今度はレオンの腕を強く引っ張っていく。

 

「一体どこに行こうと……」

 

「紺碧ちゃん、どこに行くの?」

 

「あの二人と同じ場所へ!」

 

 真帆が指差した先には連れだって歩く炎仁と海の姿があった。

 

「意外な組み合わせだな……あっ、部屋に入っていった」

 

「行きますよ!」

 

 真帆たちも後に続く。

 

「……すみません、このような場所に付き合って頂いて……」

 

「いや、別に良いですよ。来たかったんでしょ?」

 

「目玉企画の一つだというので、興味を持ちました……あ、あの、如何でしょうか?」

 

 そこには綺麗にメイクされ、華麗にドレスアップされた海の姿があった。

 

「……とても綺麗ですよ」

 

「お、お世辞は良いですよ……」

 

「本当にそう思いますよ。いつもの眼鏡も似合っているけど、無くても良いですね」

 

「そ、そうですか? コンタクトも検討してみましょうかね……」

 

 記念写真を撮り終え、着替えた海は部屋を出て、炎仁と並んで歩く。

 

「しかし、今日はなんでまた俺と回ろうだなんて思ったんですか?」

 

「……この文化祭は先の模擬レースのご褒美だそうです」

 

「ああ、それはレオンから聞きました」

 

「模擬レースの殊勲者と回りたいと思ったのですが、それは建前です」

 

「建前?」

 

「本音を言えば、私は貴方に強い興味を抱いています」

 

「ええっ⁉ な、なんで?」

 

「私の実家も牧場です。ですが、正直言って経営状態は良好とは言えません……だからジョッキーになって、牧場の名を挙げようと思い、このコースを受講しました。そんな中、牧場を守る為に奮闘する貴方にシンパシーを感じました。シンパシーは気付けば憧れに変わっていました。そして先の模擬レースでの見事な勝利には心を大きく動かされました。貴方の存在に心惹かれつつあります」

 

「三日月さん……」

 

「海で良いですよ、後、敬語なんか使わないで下さい。ちょっと寂しいから」

 

「分かりまし……分かったよ、海さん」

 

「ふふっ、そろそろ戻りましょうか、炎仁君」

 

 海と炎仁は青空たちの元に戻る。一方その頃……。

 

「はっ! し、しまった! 金糸雀君のメイクアップにすっかり夢中になって、炎ちゃんたちを見失ってしまったわ!」

 

「な、なんだか、新たな世界が開けたような気分……」

 

 鏡で自分の顔を眺めてうっとりするレオンの横で真帆は頭を抱えた。



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第10レース(2)こ、これがTDL……

「もう年の瀬……一年経つのは早いですわね……」

 

 飛鳥が寮の部屋で呟く。

 

「年明けすぐに阪神レース場で『交流レース』か」

 

「うん、仕方がないことだけど、今年の年末年始は休みがないね」

 

 真帆がカレンダーを見ながら、青空に答える。

 

「アタシ、関西方面って行ったことないんだよな。京都とか大阪に行けねえかな?」

 

「……ちょっとそういう時間は無さそうだね」

 

「そっか~つまんねえなあ~」

 

 青空がベッドに横になる。飛鳥が呆れ気味に呟く。

 

「プロのジョッキーになったら年末もレースに臨む可能性があるのですよ」

 

「それは分かるけどよ~息抜きが欲しいところだぜ~」

 

「……息抜き、出来ますよ」

 

 海が部屋に入ってくる。青空が尋ねる。

 

「どういうこった?」

 

「教官からこういうものを頂きました……」

 

 海が複数枚のチケットのようなものをヒラヒラとさせる。真帆が尋ねる。

 

「そ、それはチケット?」

 

「ええ、ペアチケット四枚です……日付はクリスマス……」

 

「クリスマス⁉」

 

「……その前にどこのペアチケットですの?」

 

 目の色を変える真帆とは対照的に飛鳥が冷静に尋ねる。

 

「千葉ですが東京……TDL……」

 

「「「⁉」」」

 

 海の呟きに真帆だけでなく、飛鳥と青空も目の色を変える。

 

「チケット貸してみろ!」

 

「ちょっとお待ちを……」

 

 海が青空を手で制する。

 

「な、なんだよ……」

 

「先月の文化祭では組み分けで不公平が生まれました。今回はフェアーに行きます。明日の夕食時に男子の皆さんも交えて決めましょう」

 

 その翌日、組み分けが行われる。そしてクリスマス当日……。

 

「炎ちゃん! 楽しみだね!」

 

 お気に入りの服で決めた真帆が喜々とした様子で炎仁に話しかける。

 

「ああ……でも良いのかな? 年明けには交流レースなのに……」

 

「丸一日休みは今日くらいだから、『あまり根を詰めてもしょうがない、楽しんでおいで』って教官も言ってたでしょ?」

 

「まあ、確かに言っていたが……楽しめと言われてもなあ」

 

 首を傾げる炎仁に向かって、真帆が指し示す。

 

「ほら、着いたよ! 東京ドラゴンランド! 略してTDL!」

 

「俺の知らないTDLなんだが⁉」

 

「JDRA、ジパング中央競竜会が完全監修したどこもかしこもドラゴンだらけのアミューズメントパーク! いや~楽しみだね~」

 

「真帆! なんだかやけくそになっていないか⁉」

 

「そんなことないよ! さあ、早く入場しよう!」

 

 真帆が炎仁を連れて園内に入る。園内にはドラゴンの像などがひしめいている。

 

「本当にどこもかしこもドラゴンだらけだな……」

 

「なにかアトラクションに行こうか? 『ビッグサンダー・ドラゴン』? 『ドラゴン・マンション』? 『ジャングルドラゴン』?」

 

「どこかで聞いたことのあるアトラクション名!」

 

「どうする?」

 

「じゃ、じゃあ……『ビッグサンダー・ドラゴン』にするか……」

 

「うん! これはドラゴンを模したコースターに乗るアトラクションだよ!」

 

「うん、それは大体予想がつく……」

 

「じゃあ、並ぼうか! 待ち時間22分だって!」

 

「結構待つんだな……まあいい、並ぼうか」

 

「くっ、炎仁の奴楽しそうだな……」

 

 物陰から炎仁たちの様子を見て歯噛みするレオン。それを見て嵐一は呆れる。

 

「楽しそうには見えねえが……」

 

「クリスマスに女の子と二人でTDLだよ! 楽しくないわけがないだろう!」

 

「俺の知らないTDLなんだが……」

 

「まあ、ここはわりと穴場的スポットだからね」

 

「穴場にも程があるだろう、何故だか結構人はいるが……ん? 人だかりが出来ているぞ、ちょっと行ってみようぜ」

 

「ちょ、ちょっと⁉」

 

 嵐一がレオンの腕を強引に引っ張り、人だかりの方に向かう。

 

「⁉」

 

 そこには小柄なお坊さんが唱える念仏と打ち鳴らす鐘の音に合わせ、マッチョな男性が派手なブレイクダンスを踊る光景が広がっている。レオンが唖然とする。

 

「な、なんだ、このカオスとしか言い表せない空間は……」

 

「ヒュー! なかなかクールじゃねえか、兄ちゃん!」

 

「ええっ⁉」

 

 ダンサーの男性に声をかける嵐一にレオンは驚く。

 

「サンキュー! あんちゃん、良かったらチップよろしく!」

 

 ダンサーの男性は嵐一の掛け声に陽気に応える。

 

「誰だ、園内で勝手なことをしているのは! ほら、皆さん、散って散って!」

 

 警備員が駆け付ける。坊主が顔をしかめて叫ぶ。

 

「アカン! 逃げるで!」

 

「待て! どわっ!」

 

 警備員が転ぶ。嵐一の足に引っかかった為である。嵐一が謝罪する。

 

「あ、すいません……」

 

「い、いいえ、こちらこそ! うん、あの怪しげな奴らはどこへ⁉」

 

「あっちの方へ逃げて行きましたよ」

 

「そうですか! 待てー!」

 

 警備員は嵐一が指差した方に走っていく。間を置いて嵐一が呟く。

 

「もう出て来ても大丈夫だぜ」

 

「お、おおきに……」

 

 マッチョな男性が先ほどまでの威勢とは打って変わった様なか細い声で呟く。

 

「こ、声ちっさ!」

 

 レオンの言葉にマッチョな男性はビクッとなる。

 

「ひ! す、すんまへん……」

 

「あ、い、いや、別に謝らなくても……こちらこそごめんなさい」

 

「……礼を言うで兄ちゃん。それにしてもなんで助けてくれたんや?」

 

 小柄な坊主が嵐一に尋ねる。

 

「特に信心は無えが……今日くらいは坊さんに親切にしねえとな……」

 

「クリスマスだけどね」

 

 嵐一のよく分からない言葉にレオンが突っ込みを入れる。

 

「とにかく……クールなもんを見せてもらったからよ、その礼だ」

 

「ほう、今の良さが分かるとは……兄ちゃん、なかなかセンスあるな」

 

「僕には理解出来ない領域だ……」

 

 謎のやりとりにレオンが呆れる。嵐一が尋ねる。

 

「ところでなんでこんなところでパフォーマンスを?」

 

「いや、東京観光のついでにTDLの無料チケットがあるから来てみたら、どうやら思っていたんと違うTDLに来てもうたみたいでな……それに気付かんと、入園料払ったら、ホテルに帰る路銀が無くなってもうて……」

 

「それは災難だな……レオン、金貸してやれ」

 

「な、なんで僕が⁉」

 

「坊さんに親切にするといいことあるぜ……今日は特別な日だからな」

 

「だから今日はクリスマスだけど⁉」

 

「あの……」

 

 マッチョな男性が自分の端末を坊主に見せる。

 

「なんや? あ、あいつらもここに来てんのか? それなら合流すればなんとかなるな。すまんなパツキンの兄ちゃん、金は貸してもらわんで大丈夫やわ!」

 

「貸すつもりありませんでしたけど⁉」

 

「ほな、縁があったらまた会いましょう!」

 

 二人がその場から去る。レオンが呆然と呟く。

 

「な、なんだったんだ、一体……」

 

「……なにが悲しくてクリスマスに女同士でTDLなんだよ」

 

「貴女があみだくじで決めようとおっしゃった結果です……」

 

 園内を憮然とした様子で歩く青空の横で海がため息をつく。

 

「ちっ……うん、人だかりが出来ているな、行ってみようぜ」

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

 青空が強引に海の腕を引っ張り、人だかりの方へ向かう。

 

「私、ファンなんです! サイン頂けませんか?」

 

「握手して下さい!」

 

「写真良いですか?」

 

「え、えっと……」

 

 ピンク色の派手な髪と派手なファッションに身を包んだ長身の女性が他の客に囲まれ、困惑している。海が人だかりとは別の方向を指差して叫ぶ。

 

「あ! あっちにドラキーとゴンニーが歩いています!」

 

「ええっ⁉ ドラキーとゴンニーが⁉」

 

「一匹でもレアなのに二匹で歩いているってマジ⁉」

 

「写真撮らなきゃ!」

 

 長身の女性を取り囲んでいた客らはすぐにいなくなった。青空が呟く。

 

「ミーハーな連中だな……」

 

「ど、どうもおおきに……」

 

 長身の女性が海に礼を言う。

 

「いえ、お困りのようでしたので」

 

「悪いが知らねえけど、姉ちゃん有名人なのか? ならもうちょっと変装しねえと。そんな派手な恰好してたら見つけて下さいって言ってるようなもんだぜ……!」

 

 青空が長身の女性に近づこうとした時、口元を布で隠した小柄な女性が空中を舞って両者の間に割って入り、青空を睨みつける。

 

「申し訳ないが、プライベート故……迷惑行為は慎んでいただきたい」

 

「め、迷惑行為だあ⁉」

 

「ちゃ、違うって! その人たちが助けてくれたんよ!」

 

 長身の女性が小柄な女性を諌める。

 

「む……それは失礼いたした」

 

 小柄な女性が頭を下げる。

 

「別に良いけどよ……」

 

「それにしても……拙者の側を離れてはならぬとあれほど……」

 

「そっちが道に迷ったんやん」

 

「む……」

 

 小柄な女性が注意するが、長身の女性にノータイムで言い返される。

 

「あっ、おったおった、お~い」

 

「⁉ 坊さんとマッチョ?」

 

 小柄な坊主とマッチョな男性が走り寄ってくるのを見て青空は驚く。

 

「ドラキーたちいないじゃん……あ、まだいた~♪ すみません~」

 

「ミーハーな方々が戻ってきましたね。そうそう騙しきれませんか……」

 

 海が淡々と呟く。小柄な女性が懐から小さな玉を取り出し、地面に投げつける。

 

「どわっ! 白い煙がモクモクと!」

 

「これは煙幕! !」

 

 煙が少し晴れ、海たちが気付くと、女性二人と男性二人は既に遠くまで走り去っていた。青空が戸惑い気味に呟く。

 

「煙幕って忍者じゃねえんだからよ……」

 

「女性ですからくのいちですね」

 

「どっちでも良いよ……コスプレか? ハロウィンじゃあるまいし……」

 

「コスプレ? とんでもない、彼女は本物ですよ」

 

「……そういうことにしておくわ」

 

 海のあまりにも真っ直ぐな瞳を見て、青空は黙ることにした。

 

「……何やら騒がしいですわね」

 

 テラスから下の騒ぎを眺めながら飛鳥が呟く。向かいに座る翔が口を開く。

 

「ご飯食べたら眠くなってきちゃった……」

 

「貴方どこでもその調子ですわね……」

 

「ごめん……飛鳥ちゃん、僕に構わず、アトラクションを回ってきたら?」

 

「わたくし、東京ドラゴンランドの年間パスを持っているほどのヘビーユーザーですの。特に真新しいアトラクションはないようですから、ここでゆっくりします」

 

「ね、年間パスとかあるんだここ……誰が来るのかって思っていたけど……」

 

 翔が僅かながら目を丸くする。

 

「炎ちゃん、次は『リューさんのドラゴンハント』に行こう!」

 

「や、やっぱり、やけくそだろう、真帆!」

 

 テンションがおかしなことになっている真帆に炎仁は振り回されている。



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第10レース(3)交流レースに向けて

「さて、今日は大事な話があるよ……」

 

 12月もいよいよ残り後数日に迫ったある日、仏坂がいつになく真面目なトーンで話し始める。皆も緊張感を感じ、無言で聞いている……一人を除いて。

 

「zzz……」

 

「天ノ川君が寝ています」

 

「……起こしてくれる?」

 

「……」

 

 海は端末を天ノ川の耳元に近づける。

 

「うわっ⁉」

 

 翔が跳ね起きる。青空が驚く。

 

「おおっすげえな! 今までバイクの爆音とか聞かせても効果なかったのに!」

 

「天ノ川君、一体何を聞いたのですか?」

 

 飛鳥の問いに翔が小さく震えながら答える。

 

「い、いや、思い出したくもないよ……」

 

「すっかり怯えている……」

 

「何を聞かせたんだよ?」

 

 レオンが怪訝そうな目を海に向け、嵐一が首を傾げる。

 

「それは秘密です……」

 

「海ちゃんだけは敵にまわしたくない……」

 

「全くだな……」

 

 真帆の言葉に炎仁が頷く。仏坂が咳払いを一つして、説明を再開する。

 

「年明けの1月7日、阪神レース場で『交流レース』が行われる。関東関西の両競竜学校の通常コース受講の三年生と短期コース受講の学生はよほどのことがなければ全員参加してもらう。さらに、各地方競竜学校の学生も何人かがゲストとして参加する」

 

「……」

 

「レースは全部で8レース、出走に関しては牝竜限定競争が一つあるが、それ以外の7レースに特に指定はない。一人で戦うも集団で戦うも自由だ」

 

「集団で戦う?」

 

 炎仁が首を傾げる。仏坂は説明を続ける。

 

「少し言い方は良くないかもしれないが、例えば逃げ竜を捨て駒として、目茶苦茶なハイペースで逃がし、そのレースの本命竜を二、三頭でブロック、自分のペースに持ち込んだこちらのエースが確実に一着を狙う……とかね」

 

「ルール違反というわけではないのですね」

 

 海が尋ねる。仏坂が答える。

 

「明らかな妨害行為など見られなければね。まあ、これは一つの考え方だ」

 

「例えば、Cクラスを二チーム四頭ずつに分けて、今おっしゃったような戦法を実行すれば、8レース中、2レースを勝てる可能性が高くなりますわね」

 

 飛鳥が顎に手をやりながら呟く。仏坂が頷く。

 

「そういうことになるね」

 

「ただ、それだと……」

 

「ん? なんだい、紅蓮君?」

 

「勝った二人しか合格の可能性が高まりませんよね?」

 

「レース内容にもよるけど、今言ったようなレース運びだったら、そうなるね」

 

「だったら、俺はその作戦には乗れません。ここまで来たんだ、このCクラス全員が合格する可能性に賭けたい!」

 

「炎仁……」

 

 翔が炎仁の方に振り返る。炎仁は苦笑いを浮かべる。

 

「分かっているよ、翔。甘いって言うんだろ?」

 

「いいや、僕も君と同じ考えだ」

 

「!」

 

 翔の言葉に炎仁だけでなく、皆も驚く。翔は仏坂の方に向き直って告げる。

 

「策を弄し過ぎてもよくないと思います……幸か不幸か、このCクラスの注目度は関西の方ではさほど高くはありません。先の東京レース場での模擬レースも展開がハマっただけのまぐれ勝ちと評価する向きもある。つまり、全国的に見て……僕らは相変わらず『崖っぷち』の集まりに過ぎないということです」

 

「げ、現実は厳しいなあ……」

 

 翔の説明にレオンが嘆く。それに構わず翔が説明を続ける。

 

「レース予想風に照らし合わせてみたら、僕らは『×(大穴)』か『☆(穴)』、せいぜい『注(注意)』と言ったところでしょう。1レースに何頭出るのかが今のところわかりませんが、せいぜい5~7番人気と言った所でしょうか」

 

「……下位の方ですね」

 

「間違っても上位ではないってことか」

 

 海の言葉に青空が笑う。

 

「『崖っぷち』クラスだからな、大方そんなもんだろう」

 

 嵐一も自嘲気味に笑う。翔が再び口を開く。

 

「僕らに出来ることは大穴竜として、文字通りレースに大穴をあけることです」

 

「それってつまり……」

 

 真帆の言葉に翔が頷く。

 

「8レースそれぞれに一人と一頭が出走、各自好走して存在感を示すんだ! 君もそういう考えだろう炎仁?」

 

「ああ、俺たちのそれぞれ培ってきたものをぶつけるんだ!」

 

「……つまり、1レースに一人ずつエントリーということでいいんだね?」

 

「はい!」

 

 全員が元気よく答える。仏坂は満足気に頷く。

 

「では芝が4レース、ダートが4レースだけど……」

 

「ちょっとよろしいですか?」

 

「ん? どうしたの、三日月さん?」

 

「私たちが勝利を目指す上で最大の障害になるのは関西競竜学校Aクラスの方々ですよね? 色々と因縁のある方もいると思いますし……」

 

「あ、ああ、それもそうだね……」

 

「相手のデータ等も踏まえて、各々出走するレースを決めても良いですか?」

 

「それは構わないけど、相手のデータなんかあるのかい?」

 

「独自のルートで入手しました」

 

「な、なんのルートかは聞かないでおくよ……」

 

 眼鏡をキラッと光らせる海に対し、仏坂は苦笑を浮かべる。海が教室の前に進み出て、モニターに様々な映像データを表示させる。

 

「ではまず……ダート1800mですが、金糸雀君にお願いしたいのですが」

 

「えっ⁉ ジョーヌエクレールがダートか、走れなくはないと思うけど……」

 

「阪神のダート1800は逃げが有利だ。ハイペースで行って構わないと思うよ」

 

「教官がそう言うなら……でも正直ちょっと不安だな~」

 

 レオンが不安そうに頷く。海が補足する。

 

「ちなみに関西はこの方がエントリーしています」

 

「え? TDLでブレイクダンスしていた気弱なマッチョさん⁉」

 

 モニターに映った男性と檸檬色の竜体のドラゴンを見て、レオンは驚く。

 

「この方は安寧乱舞(あんねいらんぶ)さん、和歌山県出身の18歳。騎乗するドラゴンは『ブトウカイノハシャ』。巧みなステップワークで竜群を捌くのに定評があります」

 

「ドラゴンはなかなか良さげだけど、この人自身は体格に似合わず、なんだか気弱そうだったしな~うん、勝てそうな気がしてきたよ!」

 

「調子の良い奴だな……」

 

 途端に強気になるレオンに嵐一が苦笑する。

 

「では、牝竜限定の芝2200mは私とミカヅキルナマリアが出走します」

 

「うん、逃げが有利とは言えないけど、ここは三日月さんに任せよう」

 

 仏坂の言葉に海が頷く。

 

「ちなみに関西からはこの方が出走予定です」

 

「おっ、この間TDLで会った、派手な姉ちゃんじゃん!」

 

 モニターを見て、青空が驚きの声を上げる。真帆が首を傾げる。

 

「この人、美人さんですね……どこかで見たことあるような……」

 

桜花華恋(おうかかれん)さん、兵庫県出身の17歳、某有名歌劇団を退団され、ジョッキーを目指している異色の経歴の持ち主です」

 

「ああ、だから見たことがあったんだ」

 

「私はそちらには疎いので気付きませんでした……それはともかくとして、騎乗するドラゴンは桜色の竜体が特徴的なこの『トキメキエンプレス』、なんというか……華のある走りが印象的ですね」

 

「対策はあるのかしら?」

 

「派手さに惑わされず、あくまで堅実にレースを進めようと思っています」

 

 飛鳥の問いに海は淡々と答える。飛鳥は笑う。

 

「三日月さんらしいお答えですわね」

 

「次はダート1400mですが……朝日さんにお願いしようかと……」

 

「アタシか? ダート?」

 

「ダート1400は意外と追い込みが来る、サンシャインノヴァの爆発力は面白いよ」

 

「教官が言うなら、それに乗っかるぜ。で、どいつを〆れば良い?」

 

 青空が指の骨をポキポキと鳴らす。

 

「関西はこの方です」

 

 モニターに黒髪短髪で、布で顔を半分隠した女性が映る。

 

「⁉ こいつもこないだTDLで会ったやつじゃねえか!」

 

蛇尾(だび)ゆとりさん、三重県出身の15歳、本物のくのいちです」

 

「い、いや、くのいちって……」

 

「真帆、いいからそういうことにしておけ……」

 

 青空が真帆を制す。海が説明を続ける。モニターに銀色の竜体が映る。

 

「騎乗するドラゴンは『メタリッククノイチ』、道中で存在感を消したかのように見せる走りが印象的ですね」

 

「そ、それは……消えるってこと?」

 

「金糸雀、そんなわけねえだろうが……アタシは後方待機型だから、後ろからは全部丸見えだっつーの。落ち着いて対処すれば問題は無えよ」

 

 レオンの疑問に青空は呆れ気味に答える。

 

「……ダート2000mは草薙さんとアラクレノブシでお願いします」

 

「そうだね、力強さが求められるコースだし、草薙君が適任だろうね」

 

 仏坂がうんうんと頷く。嵐一が尋ねる。

 

「関西は誰が出るんだ?」

 

「この方です」

 

「⁉ こいつは……TDLで会った坊主?」

 

鳳凰院金剛(ほうおういんこんごう)さん。奈良県出身の16歳。騎乗するドラゴンは『サイキョウベンケイ』、大きい竜体をしています。道中のポジション取りで負けないように……」

 

「心配すんな、その辺で後れをとるつもりは無えよ」

 

「頼もしい限りですわね」

 

 嵐一の言葉に飛鳥は笑みを浮かべる。

 

「芝1600mですが、天ノ川君とステラヴィオラにお願いしたいのですが……」

 

「果たして適正距離かなって気もするんだけどね」

 

 仏坂が首を捻る。やや間を置いて翔が口を開く。

 

「……十分適応出来ますよ。それに……あいつが出てくるんでしょ?」

 

「ええ、天ノ川渡さんとステラネーロがエントリーしています。夏合宿での因縁を抜きにしても、勝負出来るのはやはり天ノ川君かと……」

 

「あいつに勝てるのは僕くらいだろうね~」

 

「大した自信ですわね。夏は結構な差があったように見えましたが?」

 

「僕は同じ相手に二度は負けないよ」

 

 飛鳥の問いに対し、翔ははっきりと断言する。青空が口笛を鳴らす。

 

「おお~言うねえ~」

 

「芝2400mは撫子さんとナデシコハナザカリにお願いします」

 

「ラストの直線勝負になりがちだからね。撫子さんのペース配分に期待するよ」

 

「お任せ下さい」

 

 海と仏坂に向かって飛鳥は力強く頷く。真帆が海に問う。

 

「ということは、関西の方は……」

 

「ええ、撫子グレイスさんとナデシコフルブルムが出てきます」

 

「天ノ川の心配をしている場合じゃねえんじゃねえか?」

 

 嵐一がからかい気味に声をかける。

 

「わたくしは撫子家で一番、つまりジパングナンバーワンを目指しておりますの。これしきの壁、なんてことありません。軽々と乗り越えてみせます」

 

「す、凄い自信だ……」

 

 レオンが感心する。

 

「ダート1200mは真帆さんとコンペキノアクアにお願いしたいと思います」

 

「ダートですか……」

 

「阪神のダート短距離は先行が有利だ、紺碧さんで良いと思うよ」

 

「教官がそうおっしゃるなら、それを信じるだけです」

 

「ちなみに関西はこの方、火柱ほむらさんとマキシマムフレイム、追い込みの脚に注意して下さい」

 

「あの威圧感は本当に凄かったです……」

 

「なんだよ、ビビッてんのか?」

 

 青空の問いに真帆は首を左右に振る。

 

「いいえ、夏に対戦出来たことである程度のイメージは持てていますから、過度に恐れてはいません」

 

「流石、前向きですね」

 

 真帆の言葉に海も満足そうに頷く。

 

「対戦を組んだ甲斐があったかな?」

 

 仏坂も笑みを浮かべる。

 

「最後に芝2000m、炎仁君とグレンノイグニースにお願いします」

 

「ああ!」

 

「差しが決まりやすいコースだ。自信を持って大丈夫だよ」

 

「はい!」

 

 仏坂の言葉に炎仁が力強く頷く。海が補足する。

 

「関西はこの方です。疾風轟さんとハヤテウェントゥス」

 

 モニターに夏合宿で苦杯を舐めた相手が映し出される。

 

「炎仁、まさか、同じ相手に二度負けないよね?」

 

「もちろんだ、翔!」

 

「俺らの借りもまとめて返してくれよ」

 

「そのつもりだ、嵐一!」

 

「頼むよ、炎仁!」

 

「任せろ、レオン!」

 

「マイダーリン、一着でわたくしの元まで駆け抜けてくれるのを願っていますわ」

 

「ああ、期待していてくれ、飛鳥さん!」

 

「炎仁君、必ず勝って、私とのラブデータを解析して下さい」

 

「ああ、見守っていてくれ、海さん!」

 

「炎仁、熱いレースでアタシの心にも火を付けてくれよ」

 

「ああ、待っていてくれ、青空!」

 

「ちょ、ちょっと、女子陣、激励のベクトルおかしくないですか⁉」

 

 真帆が声を上げる。女子三人が顔を見合わせる。

 

「なにかおかしいことがありまして?」

 

「いいえ……」

 

「別に?」

 

「ま、まあ、今は良いでしょう……炎ちゃん、必ず勝ってね!」

 

「ああ、勝利を願っていてくれ、真帆!」

 

 炎仁は力強く声を上げる。



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第10レース(4)関西勢の意気込み

「うおおおっ!」

 

「舐めんなワレコラ!」

 

 兵庫県にある関西競竜学校のコースで疾風轟騎乗のハヤテウェントゥスと火柱ほむら騎乗のマキシマムフレイムが激しく競り合いながら駆け抜ける。轟が叫ぶ。

 

「よっしゃー! ワイの勝ちや!」

 

「ちっ、もう一回や!」

 

「おう、なんぼでもやったらあ!」

 

「……そこまでです」

 

 ナデシコフルブルムに騎乗する撫子グレイスが二人を制止する。

 

「なんや、グレイス! 水を差すなや!」

 

「教官さんの話をもう忘れたんですか? どれだけ鳥頭なんですの?」

 

「なんやと! ……なんて言うてた?」

 

「さあ?」

 

 ほむらの問いに轟が首を傾げる。グレイスがため息をつく。

 

「関東や地方の競竜学校の方たちがいらっしゃっていて、その人たちに練習場所を貸すから練習時間は短くなるって言うてはったでしょ……」

 

「そ、そういえば、そんなこと言うてたかな?」

 

「言ってたかもしれんな、あっはっは!」

 

「……時間は限られている、邪魔だからどけ……後、うるさいぞバカコンビ」

 

 ステラネーロに騎乗する天ノ川渡が冷めた声で告げる。二人が色めき立つ。

 

「バ、バカって言うたなワレ⁉ 轟なんかと一緒にすなや!」

 

「いや、なんかってなんやねん!」

 

「……集中したいんだ、頼むから静かにしてくれ」

 

 渡が真面目な声色で呟く。グレイスがほむらと轟に告げる。

 

「お二人とも元気があるのは大変結構……ただ、これ以上はオーバーワーク気味です。今日はもう上がりなさい」

 

「む……しゃあないな」

 

 ほむらと轟が引き上げていく。グレイスが渡に話しかける。

 

「併走しても構いまへんか?」

 

「……ああ」

 

「それじゃ……スタート!」

 

 渡とグレイスのドラゴンが併走する。どちらも鋭く素早い走りを見せるが、僅かに渡が先着する。渡が一息つく。

 

「……ふう」

 

「当たり前ですが上々の仕上がりですなあ、死角はないのでは?」

 

「レースに絶対は無い……特に兄貴相手には……もう一本だけ走ってくる」

 

「ふむ、油断も無いと……これはなんとも頼もしい限りですなあ」

 

 渡の背中を見て、グレイスが頷く。

 

「見たか、乱舞!」

 

「ひぃっ⁉ な、なんでっか……金剛はん?」

 

 教室で鳳凰院金剛に声をかけられ、安寧乱舞はその巨体をビクッとさせる。

 

「お前なあ、いきなり声かけられたくらいでビビりすぎやろ……まあ、それはええわ、さっき関東の連中見たんやけど、こないだTDLで世話になった、褐色の兄ちゃんとパツキンの兄ちゃんおったで!」

 

「あ、見てないですけど……出走表で顔写真確認出来るんで知ってはいました」

 

「え? そうなん?」

 

「金剛、それくらい端末で確認しとけや~ホンマアナログ人間やな~」

 

 教室に入ってきた轟がからかいの声をかける。その後ろにいた渡が呟く。

 

「お前もついさっき知っただろ、アホ……」

 

「なっ! バカの次はアホって言うたな、渡?」

 

 轟を無視し、渡は席に座る。華恋がゆとりに声をかける。

 

「でも、私らもTDLで会うたあの二人と同じレース出走とは驚いたなあ?」

 

「世間は狭い……」

 

 ゆとりが頷く。ほむらが話に加わる。

 

「その二人なら夏に走ったけど、ワシが軽く捻ってやったで、大したことあらへん」

 

「ええ、そうなん?」

 

「と……言いたいところやけど、さっき見かけたときはなかなか良い面構えしとったからな、油断大敵やな。『男子三日会わざれば刮目してみよ』や。男子ちゃうけど」

 

「珍しく、ほむらはんがええこと言うてはりますね」

 

 教室に入ってきたグレイスが笑う。ゆとりが頷く。

 

「確かに、無理して難しい言葉を用いている……」

 

「ワシはええことしか言わんわ! って、ゆとりも何気に馬鹿にしとるやろ!」

 

「静かに、ほむらはん。これから教官がいらっしゃいます、皆さん席について……交流レースの対策についての話をされるそうです。各々気になる相手もいらっしゃるようですが、マッチレースをするわけではありまへん、他のデータもしっかり頭に入れて、交流レースに臨みましょう。なんと言っても、今回は地元の阪神レース場での開催……恥ずかしいレースは出来まへんから、お分かりですね?」

 

「……」

 

 一人を除いた全員が真面目な表情で頷く。それを見て、グレイスも満足気に頷く。

 

「紅蓮炎仁、こんなに早く再戦するとはな……今度も勝って、紺碧真帆ちゃんのハートはワイがガッツリ頂くで……」

 

 炎仁の顔写真を見ながら、轟だけが不真面目なことを呟く。



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第11レース(1)ジョーヌエクレールVSブトウカイノハシャ

                  11

 

「金糸雀君」

 

「は、はひ⁉」

 

 パドックで騎乗前に仏坂に声をかけられたレオンの返事は裏返った声になった。

 

「緊張している?」

 

「す、すこひだけでふ!」

 

「うん、大分緊張しているね……そう言えばさっき控室で朝日さんに言われたんだけどさ、『金糸雀が緊張しているようだったらこの言葉を伝えてくれ』って……」

 

「え?」

 

 スーツ姿の仏坂がレオンの耳元で囁く。

 

「『夏合宿……大凧……購入履歴は抑えてあるぞ』」

 

「ひ、ひい⁉」

 

 レオンが直立不動の姿勢になる。仏坂が首を傾げる。

 

「これはどういう意味?」

 

「い、いえ、あまり意味は無いっていうか、と、とにかくレースに集中しましょう!」

 

「よくわからないけど、緊張はある程度は解けたみたいだね。OK、それじゃあ、最終確認といこうか」

 

「はい、お願いします」

 

「この阪神レース場、ダート1800mはコーナーを4つ回る上、スタートから最初のコーナーまでの距離が短い。そのため逃げ・先行がかなり有利なコースになっている。最後の直線はダートコースとしては長めな約353mで、途中に急な坂もあるが、道中スローペースになりがちで前を行くドラゴンの脚は止まりにくい。よって急坂を意識して、差し・追込が決まりやすいとは考えがたい。逃げ・先行型のドラゴンが優位だ」

 

「はい、つまり……僕とジョーヌエクレールは『大逃げをかます』だけです」

 

「ああ、ただ、ダートは消耗しやすい。ペース配分はいつも以上に気を配ってくれ」

 

「はい!」

 

「良い返事だ。よし騎乗開始だ。うん? その身に付けているのは……御守?」

 

「宿舎近くの神社を参拝した際、皆で買いました。竜体と同じ色なので目について」

 

「……ご利益あるといいね」

 

「ええ! 行ってきます!」

 

 ジョーヌエクレール号は確かな足取りでパドックを周り、地下竜道へ向かう。

 

「『安産祈願』の御守だったけど……まあ、気分の問題だからね」

 

 仏坂は微笑みながら頷く。竜道を歩くレオンは、立ち止まる乱舞の姿を確認する。

 

(知らない仲じゃないし、ちょっと大きい声で声をかけてみようかな……動揺してくれたらしめたもの……少しズルい気もするけど……これも駆け引き……よし!)

 

「お~……」

 

「しゃあ!」

 

「⁉」

 

 レオンは驚く。乱舞が急に大声を発したからである。一呼吸おいて乱舞はドラゴンを前に進ませる。レオンが戸惑う。

 

(な、なんだか、先月とは雰囲気が違うような……ん?)

 

 レオンが周囲を見回す。妙な視線を感じたからである。しかし、その視線の主を確かめることは出来なかった。レオンは首を左右に振り、ドラゴンを進ませる。本竜場に入場し、全10頭が順調にゲートインする。一瞬の間があり、ゲートが開く。

 

「!」

 

 レオンのジョーヌエクレールが珍しくスタートに失敗し、やや出遅れる。

 

(しまった! だけど、まだ立て直せる!)

 

「オラオラ! ドンドン行くで‼」

 

「⁉」

 

 レオンは再び驚く。隣のゲートでスタートした、乱舞が荒っぽい叫び声を発したからである。レオンの動揺はエクレールに伝播し、かなりの出遅れになってしまう。

 

(そうだ、忘れていた、あの人ダンスを踊っているときも妙にテンションが高かった! 普段は気弱だけど、ここぞという時にスイッチが入るタイプなんだ! くっ、動揺させられたのはこっちか! ミイラ取りがミイラになってしまった!)

 

「ジョーヌエクレールが大きく出遅れ⁉」

 

「金糸雀君、スタートが上手なのに……」

 

 この交流レースも先の模擬レースのように満員ではないが、観客が入っている。スタンドで見つめる飛鳥と真帆が戸惑いの声を上げ、炎仁が心配そうに呟く。

 

「レオン……」

 

「起こってしまったことは仕方がない。ここからどう立て直すか、臨機応変さが彼には求められる」

 

 冷静に分析する翔に飛鳥が尋ねる。

 

「『大逃げ』こそ、金糸雀君たちの生命線ですわ! ここからどうしろと⁉」

 

「……誤算であったことは間違いない、だけど戸惑っているのは彼らだけではない」

 

「え? ……あ!」

 

 真帆がレースを見て驚く。皆、まるで先頭を譲り合うかのように固まった集団で走っていたからである。

 

「皆、エクレールの『大逃げ』をレースプランに組み込んでいたはずだ。それが早々に崩れてしまった。恐らく、冷静にレースを進められている人は少ないはずだよ」

 

 レースは中盤あたりまでほぼ団子状態で進む。飛鳥が呟く。

 

「皆さん、落ち着きを僅かながら取り戻したのかしら、本命竜の『ブトウカイノハシャ』を警戒していますわね。一、二……七頭が包囲網をしいていますわ」

 

「第三コーナー、そろそろ終盤、誰が仕掛けるか……!」

 

 翔が呟いた瞬間、並んで先頭に位置していた二頭が仕掛ける。

 

「待っとったで! この瞬間を!」

 

 乱舞が叫び、手綱をリズミカルに動かす。それに呼応するかのように、ブトウカイノハシャを巧みなステップワークを見せ、竜群をすり抜けていき、前に出る。

 

「するすると前方に!」

 

「包囲網の一瞬のほつれを見逃さなかった、大した集中力だね」

 

 驚く真帆の横で翔は感心する。次の瞬間、スタンドがざわめく。飛鳥が叫ぶ。

 

「ジョーヌエクレールが後方から凄いスピードで上がって来ましたわ!」

 

「後方で脚を溜めていたんだ!」

 

「圧倒的な逃げ脚をまくりに応用するとは……臨機応変だね」

 

 炎仁の言葉に翔が笑顔を浮かべる。真帆が声を上げる。

 

「でも、包囲網がばらけたことでエクレールの前方に新たな竜群が!」

 

「竜群……!」

 

 炎仁が苦い表情になる。竜群での接触事故がトラウマとなって、レオンは大逃げ戦法を編み出したのである。レオンも一瞬渋い顔つきになるがすぐ真顔になる。

 

(……プロになる為には、トラウマだとかイップスだとか言っていられない! 僕はこれからもレースは逃げるが、困難からはこれ以上逃げない!)

 

「!」

 

 炎仁が驚く。ジョーヌエクレールが竜群に突っ込み、抜け出してきたからである。レースは最後の直線、早めに先頭に立ったブトウカイノハシャに外側から、ジョーヌエクレールが襲いかかる。翔が珍しく大声を上げる。

 

「竜群を捌いたことでハシャはスタミナを使った! エクレールの脚色が良い!」

 

「いけえ! レオン! エクレール!」

 

 炎仁も立ち上がって声援を送る。鞍上のレオンも手応えを感じていた。

 

(伸びがある! 急な作戦変更にもよく応えてくれた、エクレール! なっ⁉)

 

 その時、赤色の竜体が外から二頭を差し切った。レース場にアナウンスが響く。

 

「第1レース、外から差し切ったのは、フィーバーアロー! 鞍上は中国競竜学校所属、大毛利竜子(たもうりりゅうこ)!」

 

「出遅れは焦ったで……でもアンタをマークしといて間違いじゃなかったわ」

 

 竜子は振り返りながら、レオンを指差す。レオンは肩を落とす。

 

「ま、負けた……!」

 

「イップスを克服したと思ったのに……」

 

「これが競竜と言えばそれまでだけど……大穴狙いは僕らだけではないようだね」

 

 スタンドで炎仁は悔しがり、翔は腕を組む。



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第11レース(2)ミカヅキルナマリアVSトキメキエンプレス

「負けてしまったよ……」

 

「良いレースでした、胸を張って下さい」

 

 肩を落とすレオンを海は励ます。

 

「ありがとう、三日月さんも頑張って」

 

「ええ」

 

 レオンを見送ると、華恋が話しかけてくる。

 

「……三日月海さん、こないだはどうもおおきに」

 

「ああ、いえ、別に大したことではありません」

 

「そんなことないですわ、助かりました」

 

「大変そうですね」

 

「ホンマですわ。なかなかプライベートの時間が取れなくて……」

 

「それは当然でしょう!」

 

「「!」」

 

 海と華恋に強気な眼差しの女性が話しかけてくる。女性は華恋の体を指差す。

 

「桜花華恋さん、貴女、ただでさえ有名人なのにショッキングピンクなんて派手な勝負服! 自ら注目してくださいと言っているようなものでしょう!」

 

「で、でもお気に入りの色やし……」

 

 長身の華恋が縮こまる。海が口を挟む。

 

「プロの世界なのですから目立つようにするのは悪くないことだと思いますよ」

 

「む……」

 

「悔しいのならばご自分の実力を証明してみせては如何ですか? またとない機会でしょう」

 

「も、もとよりそのつもりです! 私は中部競竜学校所属の織田桐冬(おだぎりふゆ)! 騎乗しているドラゴンは『ダイロクテンマジョ』! 本日はどうそ宜しく! 桜花さん!」

 

「あ、はい……よろしくお願いします」

 

「一応、貴女の名前も聞いておこうかしら?」

 

 冬は海を見つめる。

 

「関東競竜学校の三日月海です。『ミカヅキルナマリア』に騎乗します」

 

「ああ、良い竜体をしていたドラゴンね……良いレースにしましょう。失礼!」

 

 冬は踵を返し、自らのドラゴンに向かう。海は華恋に声をかける。

 

「大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫。レースって感じがしてきたね……ほな、失礼」

 

 華恋は目つきを変え、自らのドラゴンに向かう。その背中を見て海が呟く。

 

「むしろ闘志に火が点いたようですね……」

 

「揉めていたのか?」

 

 仏坂が海に声をかける。

 

「いえ、別に……単なる挨拶です」

 

「そうか、最終確認だけど、阪神2200mはスタミナがある差し型の竜が有利だ」

 

「ええ、なるべく距離のロスを避けてペース配分に注意します」

 

「さすが、分かっているね」

 

「では、行ってきます」

 

 海がドラゴンに騎乗し、本竜場に入場してゲートイン。スタートする。各竜揃って好スタートを切る。スタンドの真帆が声を上げる。

 

「海ちゃん、良い位置につけている!」

 

「先行型のルナマリアにとっては理想的なポジションだね」

 

 翔が頷く。炎仁が尋ねる。

 

「本命のトキメキエンプレスは後方に下げ過ぎだな。他に気になる竜はいるか?」

 

「……あの6番の黒い竜、良い感じだね」

 

「ダイロクテンマジョか……地方の竜だな」

 

 鞍上の海は内心舌を巻く。

 

(トキメキエンプレスが後方に下がったと見て、先行する私に狙いを切り替えた⁉ 織田桐さん、なかなか冷静な方ですね……)

 

(三日月海……関東競竜学校では何故かCクラスという低い評価みたいだけど、関東のアマチュア大会では、それなりの好成績を残しているのを私は見逃さなかった……! トキメキエンプレスはかなりの良血竜だけど、鞍上の桜花さんは経験不足が否めない! 今日の敵はミカヅキルナマリア!)

 

 ダイロクテンマジョがミカヅキルナマリアに迫る。二頭とも好位置でレースを進めている。海が考えを巡らせる。

 

(自惚れていたつもりはありませんが、学校ではまさかのCクラス……流石に動揺しましたし、落胆しました。そこから自問自答の日々でした。自分に何が足りないのか? 答えはなかなか出ませんでした……そこで発想を転換してみました。自分の長所は何かということ。導き出した答えは『理論的な、セオリー通りの騎乗』。ということはつまり! 常識外の騎乗をすれば、私はもう一段階上に行ける!)

 

「⁉」

 

 冬が驚く。勝負所と見られる第三コーナーのやや手前からミカヅキルナマリアが抜け出したからである。スタンドの真帆が驚く。

 

「ちょっと早くないかしら⁉」

 

「いや、皆の虚を突いた! ペース配分も上手くいっている、良い仕掛けだ!」

 

 翔が頷く。炎仁が叫ぶ。

 

「行け! 海さん! ルナマリア!」

 

(くっ! このまま逃がさん! ダイロクテンマジョならば追い付ける!)

 

「くっ⁉」

 

 海が驚く。ダイロクテンマジョがミカヅキルナマリアに肉薄してきたからである。二頭は激しく競り合ったまま、最終コーナーを周る。冬が手綱をしごく。

 

(直線、スピードに乗っているのはこちら、手応えは良い! 行ける!)

 

(直線の叩き合い……柄でもないことをしてみますか!)

 

 海が鞭を入れて叫ぶ。

 

「ルナマリア! 最後は根性ですよ!」

 

「なっ⁉」

 

 ミカヅキルナマリアがやや差を付ける。

 

「行ける……なっ⁉」

 

 次の瞬間、大外からピンク色の影が豪快に飛びこんできた。

 

「勝利への花道は……譲らへん!」

 

 軽快な手綱さばきと鋭い鞭の振りを見せながら、桜花華恋騎乗のトキメキエンプレスが前を行く二頭をあっという間に交わし、先頭でゴールインする。

 

「一着はトキメキエンプレス! 大外から豪快な脚で突っ込んできた! 鞍上の桜花華恋、中腰体勢から体を伸ばして……さらに鞭を上に軽く投げて、それをキャッチしてガッツポーズ! 人竜揃って派手なパフォーマンスがよく似合う!」

 

 華恋の振る舞いに観衆から大きな歓声が湧く。正真正銘の地元のスターの活躍にスタンドは興奮に包まれる。

 

「……おめでとうございます」

 

「ああ、おおきに!」

 

 海の祝福に対し、華恋は満面の笑みを見せる。

 

「一応、おめでとう……」

 

「ああ、織田桐さんもおおきに!」

 

「ただ、忘れないで頂戴! この借りは必ず返すわ!」

 

「うん、楽しみにしているわ! またええ勝負しましょう!」

 

「! ぐっ……」

 

 華恋はスタンド前に向かい、声援に応えようと、海たちから離れる。

 

「厄介相手にも神対応ってやつ……? 今日のところは完敗だわ……」

 

 悔しそうに呟いて、冬は引きあげていく。

 

「自分的には殻を突き破ったつもりでしたが……それすらも軽く凌駕してしまいますか、スターの輝きというものは……」

 

 海がスタンドに手を振る華恋を見つめながら淡々と呟く。

 

「海ちゃん……」

 

「関西勢、流石に手強いな……」

 

 スタンドで真帆と炎仁が立ちつくす。



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第11レース(3)サンシャインノヴァVSメタリッククノイチ

「へっ、なんだよ、つまらねえな」

 

 レース後、控室に戻ってきた海の顔を見て青空は天を仰ぐ。

 

「……なにがですか?」

 

「惜しいレースだったからな。悔し泣きしてたら慰めてやろうと思ったのによ」

 

「……悔しいですが、貴女の前では絶対に泣きません」

 

「へ、そうかよ」

 

「それより朝日さん、この後、教官から最終確認があるかとおもいますが……どうせ細かな指示を出されても分からないでしょう?」

 

「そうだな」

 

「ですから、私から一言……」

 

「ん?」

 

「『一番早くゴール板前を駆け抜けなさい』、以上」

 

「ははっ、そりゃあ分かりやすい」

 

「ご健闘をお祈りします」

 

「おうよ!」

 

 青空が手を挙げて海を見送る。

 

「ククク……青臭い友情ごっこだな?」

 

「あん? 誰だ?」

 

 青空が振り返ると、ヘルメットやゴーグルで半分顔を覆われているが、緑色の髪に右眼に黒い眼帯をしている女性が立っている。背丈は青空と同じくらいである。

 

「関東の連中はお子ちゃまだらけか? エール交換って運動会気分かよ!」

 

 女性が青空に思い切り顔を近づけて叫ぶ。青空もこれくらいでは動じない。

 

「……てめえなんか運動会気分でも楽勝なんだよ」

 

「ああ? 言ってくれるじゃねえか?」

 

「大体てめえ誰だよ?」

 

「アタシは東北競竜学校所属の伊達仁鮮(だてにあざやか)、乗っているドラゴンはこっから見えるあの緑色の竜体の奴、『モリドクガンリュウ』だ」

 

 青空はドラゴンを見て驚く。ドラゴンの右眼にも眼帯がついていたからである。

 

「おい、中二病の姉ちゃんよ……」

 

「あん? おっと!」

 

 青空はドラゴンを指差しながら、鮮の胸ぐらをつかむ。

 

「ありゃあどういうこった?」

 

「メンコ(マスク)とかあるだろ、似たようなもんだ」

 

「ふざけんなよ、てめえで竜の視界を限定するならまだしも完全に遮るやつがいるか。てめえらの黒歴史発表会じゃねえんだよ……」

 

「離せ、あれはあれで調子良く走れるんだよ、部外者がとやかく言うな」

 

 鮮も青空の襟首を掴む。二人の間に険悪な雰囲気が流れる。それを察知した職員が近づいてくる。二人は互いの手をパッと離す。

 

「何をしている?」

 

「えっと……」

 

「少々じゃれ合っているだけです」

 

 後頭部を抱える青空の脇にいつの間にか立っていた蛇尾ゆとりが呟く。

 

「あ、そうなんすよ~。二人で顔を合わせるといつもこのノリで……」

 

「そうそう、ついついガンのつけ合い、飛ばし合いになっちゃうんす」

 

 ゆとりに合わせ、青空と鮮は揃って笑顔を浮かべる。

 

「そ、そうか? 紛らわしい真似は止めなさい! 全くこれだから若い子は……」

 

 職員がその場を去る。青空が一息ついて、ゆとりに礼を言う。

 

「悪いな、助かったわ」

 

「お気になさらず、先日華恋が世話になった礼。それに……」

 

「それに?」

 

「見たところ拙者にとって有力な対抗竜になるのは貴女達のようでござる」

 

「「おおっ、目の付け所が良いな! ん? アタシだろ⁉ ぐぬぬ……」」

 

 青空と鮮の声がシンクロし、再び互いに睨み合う。

 

「……そうやって掛かり気味になって、共倒れになってもらうと助かる」

 

「なっ⁉ あ、あいつ、いつの間にあんな所に……」

 

 青空が振り返ると、ゆとりは二人から離れ、自らのドラゴンの元にいた。

 

「まあ、レースでどっちが上か雑魚かは分かるこったな」

 

 そう言って鮮もその場を離れる。青空が声を上げる。

 

「上等だ! ん?」

 

「少し落ち着こうか、朝日さん……」

 

「……す~はあ……悪い、落ち着いた」

 

 青空が深呼吸して仏坂に向き合う。

 

「最終確認だ。このダート1400mはハイペースになり易い傾向で……って難しい説明はいらないか。最後の直線まで良い位置で脚を溜め……ドーンと爆発させるんだ!」

 

「へへっ、教官も分かってきたじゃねーか……そろそろ時間か、行ってくらあ」

 

 青空がサンシャインノヴァに騎乗し、コースに向かう。そこにモリドクガンリュウに跨った鮮が近づいてきて、眼帯をさすりながら呟く。

 

「実はこの眼帯で隠した眼はな……なんでも見通せる『魔眼』なんだよ」

 

「大分手遅れだな、お前」

 

 冷淡な反応をする青空に構わず、鮮は話を続ける。

 

「お前はアタシに後方から鮮やかにブチ抜かれて負けるぜ」

 

「ほざけ……」

 

 各竜ゲートインし、一瞬間があって、ゲートが開く。ほぼ揃ったスタートになる。

 

「⁉」

 

 青空は目を疑う。モリドクガンリュウが先頭で飛び出していったからである。

 

(あの中二病! 逃げかよ! 我ながら単純なブラフに引っかかっちまった!)

 

 青空はサンシャインノヴァのポジションを大胆に上げる。

 

「サンシャインノヴァ、ちょっと前目過ぎないかな⁉」

 

「パワーのいるダートに短距離戦、前に行く判断はそこまで間違っていないはず!」

 

 スタンドに上がってきたレオンの声に真帆が答える。しばらくして、モリドクガンリュウの位置が下がってきて、サンシャインノヴァが左斜め後ろに付く。

 

「へっ! 奇策敗れたな! 無理にスピード上げるからだ」

 

 青空の言葉に鮮は振り向いて答える。

 

「その目立つ竜体で良い感じにかき回してくれたぜ……伏兵くらいにはなったな」

 

「なんだと⁉」

 

「光あるところに影あり! そこに隠れていやがるな! くのいち!」

 

 サンシャインノヴァの左斜め後方に蛇尾ゆとり騎乗のメタリッククノイチが息を潜めるように走っている。青空が驚き、鮮が叫ぶ。

 

「脚色は今ひとつのようだな、突き放す!」

 

 モリドクガンリュウが再びスピードを上げる。青空が目を丸くする。

 

「なっ⁉ もう一段階ギア上げやがった!」

 

「想定通りのペース配分か……やるものだ……」

 

 ゆとりが感心する。青空が彼女なりに頭を回転させる。

 

(小難しい駆け引きは無しだ! ここが勝負所だとアタシの本能が告げている!)

 

「行くぜ相棒! もう二段階ギアを上げるぞ!」

 

 サンシャインノヴァが猛スパートをかけ、モリドクガンリュウを交わしにかかる。

 

「よし、行け! 青空! サンシャイン!」

 

 炎仁の叫びが届いたわけではないだろうが、サンシャインノヴァが先頭に立つ。

 

「二着が二回続いたが、Cクラス三度目の正直だ!」

 

「二度あることは三度ある……」

 

「ちっ⁉ ついてきていたかクノイチ! んなっ⁉」

 

 青空が驚嘆する。左斜め後方にいたメタリッククノイチがその竜体を翻し、サンシャインノヴァの右斜め前方に着地したのである。そのままゴールインする。

 

「一着はメタリッククノイチ! 驚天動地なアクロバティックな動きで、サンシャインノヴァをゴール前で交わしてみせた!」

 

「ちっ……マジで忍者がいやがったぜ。笑うに笑えねえ……」

 

 スタンドの声援に応えるゆとり達を見て、青空は苦々しい顔で呟く。



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第11レース(4)アラクレノブシVSサイキョウベンケイ

「まさか一回転ジャンプで交わすとはな、見せ場作ったじゃねえか」

 

「……引き立て役としてな!」

 

 嵐一の皮肉に青空は言い返す。

 

「元気そうじゃねえか」

 

「落ち込む柄だと思うか?」

 

「いいや」

 

「流れ自体は悪くねえ、あとはきっかけさえあれば……頼むぜ旦那!」

 

「言われなくてもやってやるさ」

 

 嵐一は青空を見送る。鳳凰院金剛が嵐一に話しかけてくる。

 

「先日は世話になったな」

 

「アンタか……まさかこんな場所で再会するとはな……」

 

「人の縁っちゅうんは不思議なものやな~これも兄さんの日頃の行いの賜物やな」

 

「あまり良いことしてきた覚えは無えけどな」

 

 金剛の言葉に嵐一が笑う。

 

「不思議な縁ついでに、お願いしたいことがあるんやけど……いや、お勧めかな?」

 

「……なんだよ」

 

「このレースワイに勝たせてくれたら、きっとエエことあるで~?」

 

「はい、分かりました、って言うわけねえだろう」

 

 金剛の提案を嵐一は即座に却下する。

 

「坊さんには親切にしといた方がエエで~?」

 

「勝負事では別だ、そもそも俺はそんなに信心深く無え」

 

「なんや、いけずやな~」

 

「あ、あの~?」

 

「ん?」

 

 嵐一と金剛が振り返ると、そこには小柄な女性が立っている。

 

「なんや、姉ちゃん?」

 

「先ほどのお話なんですが……」

 

「え?」

 

「貴方に勝たせたら、良いことがあるっていう話……本当ですか?」

 

「ああ、ホンマやで」

 

「そ、そうなんですか? 私これまでの人生、あまり良いことがなくて……」

 

「ほんなら姉ちゃん、ワイに勝たせてくれたら、これからきっと幸運続きやで」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「んなわけねえだろうが、アンタ、真に受けんな」

 

 嵐一が堪らず口を挟む。

 

「え?」

 

「戦う気が無えなら、この場所からさっさと失せろ……幸運は己で掴むものだ」

 

 嵐一が女性を睨み付ける。

 

「! す、すみません! 私ったら、幸運にすがりたいあまり、とんでもない失礼なことを口走ってしまって……!」

 

 女性が頭を下げる。金剛が間に入る。

 

「まあまあ兄ちゃん、そんなにマジなんなや、ただでさえおっかない顔なんやから」

 

「おっかない顔⁉」

 

「姉ちゃんも出走者やんな? えっと……」

 

「はい、四国競竜学校所属の平末乙女(ひらすえおとめ)です! 騎乗ドラゴンは『ホシキララ』です!」

 

「まあ、さっきの話はあくまで冗談やから、お互いベストを尽くそうや」

 

「は、はい、よろしくお願いします!」

 

「ほな、兄ちゃんも頑張ろうや」

 

 乙女がその場から去る。金剛も嵐一に手を振って、その場から離れる。

 

「……」

 

「草薙君、最終確認良いかな?」

 

 仏坂が声をかけてくる。

 

「ええ、大丈夫っす」

 

「阪神ダート2000mは先行型の竜が優位と言われているが、最後の直線は353mとダートとしては長いので末脚勝負になる場合も多い。冷静にレースを進めよう」

 

「分かりました……行ってきます」

 

 嵐一がアラクレノブシに跨り、本竜場に向かう。各竜スムーズにゲート入りして、ゲートが開く。各竜出遅れもほとんどない揃ったスタートになる。

 

「アラクレノブシ、悪くない位置につけましたね」

 

 スタンドに上がってきた海が呟く。レオンが不安そうに尋ねる。

 

「わりとペースが早目なような気がするけど?」

 

「極端な逃げ方をするドラゴンはこの中にはいません。レース中盤でペースは緩むはずです。やはり直線勝負になるかと」

 

 海が淡々と答える。

 

「折り合いもついているわね」

 

「ああ」

 

 真帆の言葉に炎仁が頷く。レースは早くも第三コーナーを過ぎ、最終コーナー手前に差しかかる。早くも仕掛けたドラゴンが何頭か出て固まっていた竜群がややばらける。嵐一が己に言い聞かせる。

 

(慌てるなよ俺! 直線を向いてからが勝負だ!)

 

「前が何頭か抜け出した!」

 

「まだ慌てなくてもいいはずです」

 

 叫ぶレオンに海が冷静に答える。真帆が呟く。

 

「よく堪えている……」

 

 鞍上の嵐一が内心苦笑する。

 

(てめえで言うのもなんだが、落ち着いているな。以前までの俺だったら、先行竜につられて、焦って上がっていくところだった。イライラしてどこか気が逸っていた俺も少しは変わったものだぜ……これもこの一年間の成果か?)

 

 レースは最終コーナーを周り、竜群がさらにばらける。アラクレノブシの右斜め前方にぽっかりと一頭分のスペースが出来る。

 

「! ここだ!」

 

「ここや!」

 

「⁉」

 

 アラクレノブシがポジションを確保しようとすると、右側から左に進もうとした灰色の竜体のドラゴンと少し接触する。金剛騎乗のサイキョウベンケイである。

 

「ははっ! 考えることまで一緒とは!」

 

(ちっ! 当たりが強え! だが、このポジションは譲れねえ!)

 

 アラクレノブシとサイキョウベンケイが激しく競り合いながら、二頭とも直線を良い脚で伸びてくる。真帆が声を上げる。

 

「どちらも脚色が良いわ!」

 

「負けるな! 嵐一! ノブシ!」

 

 炎仁が叫ぶ。嵐一は心の中で闘志を燃やす。

 

(互いに何度か接触しているが、これくらいなら反則にはならねえ! この勝負、怯んだ方が負けだ!)

 

「しつこいやっちゃで! む!」

 

「こっちの台詞だ! ん!」

 

 接触の影響か、二頭がそれぞれ左右によれる。二頭の間に一頭分の隙間が出来る。

 

「し、失礼します!」

 

「「⁉」」

 

 そこに一頭の蜜柑色の小柄なドラゴンが突っ込んでくる。小柄だが、それを感じさせないパワーで二頭の間に割って入り、その勢いのまま突っ切る。

 

「い、一着はホシキララ! 鞍上は平末乙女! 四国の伏兵がやってのけました!」

 

「人竜ともにちっこいのに、なんちゅうパワーや……」

 

「ありがとうございます! 御言葉通り、自分で幸運を掴み取れました!」

 

 乙女は笑顔で嵐一に頭を下げる。

 

「柄にもねえこと言ったらこれだ……」

 

 嵐一は苦笑を浮かべる。



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第12レース(1)ステラヴィオラVSステラネーロ

                  12

 

「ふ~危ない、遅れるところだった……」

 

「お嬢が慌てていたぜ、天ノ川君はまだですの⁉ってな」

 

 嵐一が笑う。翔が唇を尖らせる。

 

「飛鳥ちゃんだって順番を勘違いしていた癖に」

 

「……負けちまったよ」

 

「二着は誇っていいことだよ」

 

「一着じゃなきゃ一緒だ」

 

「今回の交流レースは地方勢も例年以上に侮れないメンバーを送ってきているね」

 

「ああ、それより二着が続いているこの流れを変えること、期待していいんだな?」

 

「一着のイメージしか持っていないよ」

 

「はっ、頼もしい限りだぜ」

 

 嵐一は手を振って、その場を去る。

 

「あ、あの……」

 

「ん? 君は? 確かAクラスの……」

 

 女子が翔に声をかけてくる。

 

「はい、水田優香です……先日の模擬レース、大変感銘を受けました。今日は一緒に走れることを光栄に思います」

 

「AクラスがCクラスに感銘を受けるとはね……」

 

「す、すみません、変なことを言ってしまって……」

 

「いや、別に良いけど……ちゃんと勝つ気を持ってレースに臨んでよ? そんな相手に勝っても嬉しくもなんともないから」

 

「そ、それはもちろんです! 失礼しました!」

 

 水田がその場から離れる。翔はにこやかに手を振る。

 

「随分と余裕だな、兄貴……」

 

 天ノ川渡が声をかけてくる。

 

「渡、君の方から話しかけてくるとは意外だね。てっきり無視されるかと」

 

「ふん、はっきりと言っておこうと思ってな……」

 

「うん?」

 

「夏の伊豆でのマッチレースに続き、今日も俺が勝つ。そして俺が上に行く」

 

「堂々と勝利宣言ってわけか……いや~立派になったね~お兄ちゃん嬉しいよ~」

 

「! や、やめろ!」

 

 翔が頭を撫でようとするので渡が避ける。

 

「なんや知らんけど、兄弟でいちゃついているで、兄ちゃん?」

 

「レース前に……余裕の表れやろうなあ」

 

「誰?」

 

 翔たちの前に、二人のやや小柄な少年たちが現れる。

 

「誰とはご挨拶やなあ、天ノ川家の天才さんはご存知ないか」

 

「ほんなら自己紹介しとこうや、兄ちゃん?」

 

「ああ、僕は近畿競竜学校所属の和泉武蔵(いずみむさし)や」

 

「同じく、近畿競竜学校所属の和泉大和(いずみやまと)や」

 

「顔が似ているね~」

 

「そりゃあ俺らは双子やからな」

 

 翔の呟きに弟の大和が答える。

 

「双子? 僕らと同じだね」

 

「僕らは一卵性双生児やけどな」

 

 翔の言葉に今度は兄の武蔵が答える。

 

「双子のジョッキーって結構いるんだね」

 

「いや、そう多くはあらへんよ……」

 

「そう、だからこそ今日のレースで俺ら和泉ブラザーズの名を知らしめたんねん!」

 

「そっか~頑張って~」

 

「いや、エール送ってくれるんかい!」

 

「爽やかと取るか余裕の表れと取るか……」

 

「……単に深く考えてないだけだ。ちなみに……」

 

 渡が口を開く。武蔵が首を傾げる。

 

「ちなみに……?」

 

「俺はお前らのことなど眼中にない」

 

「んなっ⁉ 言うてくれるやんけ!」

 

 渡の言葉に大和が噛み付く。

 

「やめろや、大和」

 

「せやけど兄ちゃん! こいつ中央所属やからって調子乗っとんで!」

 

「冷静さを欠いた方が負けや……地方所属の意地はレースで見せたろうやないか」

 

「うむう……」

 

「ほな、ご挨拶はこの辺で。失礼します」

 

 武蔵が丁寧に頭を下げ、不満気な大和を引っ張るようにその場を去り、それぞれの、薄水色の竜体のドラゴンの元に近づいていく。その様子を見た渡が淡々と呟く。

 

「近畿地方では中堅どころの『和泉スタッド』で生産された、兄の和泉武蔵騎乗の『イズミソニック』、弟の和泉大和騎乗の『イズミライトニング』……血統的に見ると、短距離からマイル戦、つまり今日のレースが適正距離だな」

 

「なんだよ渡~全然知っているじゃん、彼らのこと」

 

「そっちが知らなすぎなんだ……まあいい、つまらんレースはしてくれるなよ」

 

 そう言って、渡もその場から立ち去る。仏坂が近寄ってくる。

 

「天ノ川君、最終確認しても良いかな?」

 

「あ、はい、どうぞ~」

 

「阪神1600mは外回りコースを使用する。直線が約474mと長く、勾配がキツい急坂があるのが特徴だ。差しや追込が決まりやすいが、ステラヴィオラは自在の脚質を体得しつつあるとはいえ、比較的前につけた方が良いと思うけど……まあ、君に任せるよ」

 

「え? 良いんですか?」

 

「人竜ともに自由にさせた方が一番良いだろうと思ってね」

 

「ははっ、僕の乗りこなし方、分かってきましたね。それじゃあ、行ってきます」

 

 翔がステラヴィオラに颯爽と跨り、本竜場に入場、他のドラゴンとともに順調にゲートインする。一瞬間を置いて、ゲートが開く。

 

「⁉」

 

 皆が驚く。ステラヴィオラがかなり出遅れたのである。視界にそれを捉えたステラネーロに騎乗する渡が内心舌打ちする。

 

(つまらないレースをするなと言ったのに……がっかりだぜ、兄貴)

 

「出遅れ⁉」

 

「つまずいたわけではなさそうですが……」

 

 スタンドで声を上げるレオンの横で海が呟く。

 

「いいや、天ノ川ならまだやれるはずだぜ!」

 

「ああ、青空の言う通りだ!」

 

 スタンドに上がってきた青空の叫びに炎仁は頷く。レース序盤、イズミソニックとイズミライトニングが忙しなく位置取りを変える。海が首を傾げる。

 

「イズミの二頭、前の方に位置するかと思いましたが、落ち着きがありませんね」

 

「かかっているわけでもなさそうだけど……」

 

 レオンも首を傾げる。青空が口を開く。

 

「比べて折り合いがついているのはAクラスの水田騎乗のキクラゲクォーターか」

 

「キヨラカウォーターな……確かに良い位置につけている」

 

 青空の言葉を訂正しながら炎仁はレースを見つめる。

 

(ちょろちょろ動き回りやがって、何を狙っている……む⁉)

 

 渡が気付く。いつの間にか内ラチ沿いに追い込まれていたからである。

 

「思ったより気付くのが遅かったな、眼中に無くて助かったで」

 

 ポジションを下げ、ステラネーロの左側にイズミソニックを並ばせた武蔵が笑う。渡が前方を見ると、キヨラカウォーターが前を塞ぐ形となっている。

 

「巧妙に集団をコントロールして、俺の包囲網を形成したか、案外やるな」

 

「褒めとる余裕あるんかい! そこからはよう抜け出せへんで!」

 

 イズミソニックの後方に位置するイズミライトニング騎乗の大和が叫ぶ。レースは早くも最終コーナーへと差し掛かる。阪神レース場のこの辺り急な下り坂となっており、各竜ともそれを利用して加速する。武蔵が呟く。

 

「お先に失礼させてもらうで」

 

 イズミソニックがイズミライトニングを連れ、先頭に抜ける。大和が声を上げる。

 

「ははっ、兄ちゃんの想定通りや! ワンツーフィニッシュと行こうか!」

 

「最後まで気を抜くなよ、大和!」

 

「しっかりしている兄貴で羨ましいな……」

 

「「⁉」」

 

 和泉兄弟が驚く。内側にステラネーロが並びかけてきたからである。

 

「そんな! 内側の竜場は荒れているから皆避けるはずやのに!」

 

「いや、今日は芝の外回りはこれが初めてのレース! そこまで荒れてへん!」

 

 大和の叫びに武蔵が冷静に答える。ステラネーロが二頭を交わし、先頭に立つ。

 

「もらった!」

 

「させへんで、大和!」

 

「おうよ!」

 

 イズミライトニングが更に加速して、ステラネーロを交わす。

 

「! 兄貴をアシスト役にして脚を溜めていたのか⁉」

 

「金を賭けるプロではよう取れん戦法やけどな! これも勝つための作戦や!」

 

「息の合った双子ならではだな! しかし!」

 

 ステラネーロがもう一伸びを見せ、イズミライトニングを交わす。

 

「なんやと⁉」

 

「二人で一人前な奴らに負けるわけにはいかねえだろう!」

 

「三人だったりして~♪」

 

「「⁉」」

 

 渡と大和が驚く。外側から翔とステラヴィオラが突っ込んできたからである。

 

「上がってきた! 差せ! 翔! ヴィオラ!」

 

 スタンドで炎仁が叫ぶ。

 

(あえて後方に下げてみて気付いたことがある。渡の努力、巧みな作戦を練る人たち、皆の勝負に懸ける気持ち……今までの自由奔放に振舞っていた僕だったら気が付かなかっただろうね……Cクラスで個性的な人たちと触れ合ったお陰かな)

 

「一着はステラヴィオラ! 関東勢、初勝利!」

 

「後方で僕ら兄弟をまんまと利用しおったか、天ノ川翔……悔しいが天才やな」

 

 武蔵が苦笑を浮かべる。

 

「出遅れもワザとか……なんつうレースを……ただ、それでこそ俺が憧れた兄貴だ」

 

 渡は悔しそうだが、どこか嬉しそうな声色で呟く。



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第12レース(2)ナデシコハナザカリVSナデシコフルブルム

「勝ったよ~♪」

 

「実にお見事なレースでしたわ」

 

「飛鳥ちゃんも勝ってね~」

 

「もちろんですわ」

 

 翔を飛鳥は見送る。

 

「これはこれは、関東Cクラスの撫子飛鳥さんじゃありませんか?」

 

 撫子グレイスがわざとらしく大声を出して近寄ってくる。

 

「……ごきげんよう」

 

「ごきげんよう。しかし、驚きましたわ。貴女様がAクラスではなく、Cクラスだなんて……撫子の本家ではどのようなことになっておりますの?」

 

「……さあ? この一年、家にはほとんど帰っておりませんので……」

 

「それはそうでしょうね。一体どんな顔してお戻りになることが出来るのか、うちには恐ろし過ぎて想像もつきませんわ」

 

 笑みを浮かべるグレイスを見て、飛鳥は一呼吸入れてから話す。

 

「……ここまでのとあるクラスの戦績なのですけど、5戦2勝2着1回3着2回……なるほど立派な戦績です」

 

「それはそうでしょうとも」

 

 飛鳥の言葉にグレイスは微笑みながら頷く。

 

「……ここが地元の阪神レース場でなければね」

 

「……なんですって?」

 

 グレイスの笑顔が消える。

 

「片や……それぞれのドラゴンにとってはほとんど初めてとなる長距離輸送、人竜ともにほぼ初めて走るレース場、調整期間も決して十分ではない、しかも騎乗する人間はクラスの半分が約一年前までまともなレース経験なし……そんな『崖っぷち』と揶揄される集団が5戦1勝2着4回という戦績を残している――これはとあるクラスに匹敵する程の勢いです――しかも前述したように不利な条件を抱えて。一方のとあるクラス……お膝元とも言えるレース場でこの調子では撫子分家どころか、関西競竜界で今後肩身の狭い思いをするのではと、他人事ながら心配です」

 

「い、一度勝ったくらいで随分と気が大きくなるんですのね、単純そうな脳みそで羨ましい限りやわ。中身が大して詰まってなさそうだから軽そうですし」

 

「ええ、お陰で体重管理が楽なのです」

 

「おほほ……」

 

「うふふ……」

 

 グレイスと飛鳥が見つめ合いながら笑い合う。

 

「楽しそうに歓談中の所申し訳ないが……」

 

「はい?」

 

「貴方は……」

 

「関東Aクラスのエース、五味だ、今日はお互いに良いレースにしようじゃないか」

 

「はあ……」

 

 その場の空気にそぐわない爽やかな物言いをする五味にグレイスは冷ややかな目を向ける。それに気付いていないのか、五味は握手をしようと手を差し出す。

 

「五味さん、貴方……」

 

「ん? なんだい、撫子飛鳥さん?」

 

「先日の模擬レースで私たちにかなりの着差をつけられての1・2・3フィニッシュを許しましたよね? 一着の紅蓮君や二着の天ノ川君には勝てそうにもない、あるいはまた負けると恥だから、わたくしとのレースを選んだ……違いますか?」

 

「そ、そんなことあるはずもないだろう?」

 

「露骨に声が震えていますわよ」

 

「し、失礼する!」

 

 五味がその場からそそくさと立ち去る。グレイスが笑う。

 

「なかなか手厳しいことをおっしゃりますなあ」

 

「ああいう空気の読めない殿方が嫌いなのです」

 

「珍しく気が合いましたなあ、ウチもです」

 

「がっはっは! これはまた気の強かお嬢さん方やなあ!」

 

「「!」」

 

 いきなり大声が響き、飛鳥たちが振り返ると、熊のような大男が立っている。ギョロッとした大きな目と、ふさふさの髭が印象的である。飛鳥が恐る恐る尋ねる。

 

「あ、貴方は?」

 

「おっと、こりゃあ失敬! おいは竜勝寺盛頼(りゅうしょうじもりより)! 九州競竜学校所属ばい!」

 

「九州……教官か関係者の方ですか?」

 

「いやいや、学生ばい! バリバリの17歳ばい!」

 

「「ええっ!」」

 

「ふ、二人揃ってそがん驚くことかい?」

 

「い、いやわたくしたちより年下とは思えない貫録……」

 

「顔写真は単なる手違いかと思っていましたが、まさか御本人やったとは……」

 

「どうやら皆、撫子家の争いにばかり注目をしとーみたいやが……ばってん、おいと相棒、『バーニングバレット』が勝利を頂くばい!」

 

「「⁉」」

 

 盛頼の言葉に飛鳥たちの顔色が変わる。

 

「挨拶は済んだ。そいじゃ、失礼!」

 

 盛頼はどかどかとその場から去る。

 

「……邪魔が入りましたが、良いレースにしましょう」

 

「ええ」

 

 グレイスもその場を去ると、仏坂が近寄ってくる。

 

「最終確認、良いかい?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「阪神芝2400mは道中スローペースに流れてラストの上がり勝負になるのがほとんどだ」

 

「……ええ、わたくしも勝負所は終盤とみています」

 

「出走メンバーを見た所逃げ竜もいないしそこまでハイペースにならないだろう」

 

「……では、行ってきます」

 

 飛鳥はナデシコハナザカリに騎乗し、本竜場に出て、ゲートに入る。他の竜も順調にゲートインし、一瞬の間を置いて、ゲートが開く。

 

「!」

 

 ほぼ揃ったスタートになったが、赤茶色の竜体をしたドラゴン、竜勝寺盛頼騎乗のバーニングバレットが大きく出遅れる。スタンドに上がってきた嵐一が呟く。

 

「あの目立つ9番、大分出遅れたな」

 

「いや、すぐに体勢を立て直して前に上がっていくぜ、すげえ勢いだ」

 

「距離はありますし、各竜の力関係的にもそこまで慌てる必要は無いと思いますが」

 

 青空の言葉に海が答える。しかし、バーニングバレットはどんどん上がっていく。

 

「集団には追いついたのにペースを緩めない! こ、これは先頭に立つつもりだ!」

 

 レオンが驚く。鞍上の盛頼は笑いながら叫ぶ。

 

「がっはっは! どんどん行くばい!」

 

「な、なんだあいつは……」

 

 交わされたハイビューティフル騎乗の五味は只々困惑する。中団につけているナデシコフルブルム騎乗のグレイスは前方を見て考えを巡らせる。

 

(データを見る限り、逃げの脚質ではなかったはずや。他に逃げる竜がおらんから虚を突いた? それとも状態が良くないから一か八かの大逃げ? ……人を見た目で判断するのもアカンことやけど……恐らく後者やろうな、恐らく……)

 

「撫子さんとナデシコハナザカリ、後方に位置取ったわね」

 

 勝負服に着替え終わった真帆が控室でモニターを見つめる炎仁に声をかける。

 

「ああ、それにしても9番、すごい逃げているな……」

 

 バーニングバレットは二番手に約十竜身以上差を広げ、レースは半分の距離を通過した。二番手以下の面々が徐々に焦り始める。

 

(ペースが落ちない! このままだとマズいか!)

 

 五味がハイビューティフルのペースを上げ、それに何頭か続く。第三コーナー手前、残り約1000m付近でバーニングバレットの脚が鈍り、五味らが追い付く。

 

「やけくそな逃げもここまでだ!」

 

「ふん!」

 

「何⁉」

 

 バーニングバレットが再びスピードを上げ。下り坂となっている阪神レース場の外周りコースを一気に駆け下りていく。バーニングバレットの脚が止まったと判断した五味らはその再加速に反応出来ず、遅れてしまう。盛頼は笑う。

 

「がっはっは! 中央競竜所属も大したことなかね! 所詮見かけ倒しばい!」

 

「……ホンマに見かけで人を判断したらアカンですわ」

 

「⁉」

 

 完全に抜け出したかと思われたバーニングバレットにナデシコフルブルムが並びかける。グレイスが笑う。

 

「流石に三度目の加速は無い! 出し抜けずに残念でしたな!」

 

「ふん、まだ脚は残っていると! こうなったら直線勝負ばい!」

 

 最終コーナーを周り、長い直線に入って、バーニングバレットとナデシコフルブルムによる二頭の叩き合いとなる。グレイスは叫ぶ。

 

「人竜ともに鍛えたええ体付きしてはるなあ! プルプルしてはるで!」

 

「日頃の厳しい鍛錬の賜物ばい!」

 

(もう限界やろって皮肉が通じんのかいな⁉ やせ我慢⁉ それともまだ余力がある⁉ どれやねんな、面倒な殿方やな! ん⁉)

 

「むっ⁉」

 

 グレイスと盛頼が驚く。外側からナデシコハナザカリが突っ込んできたからである。モニターを見ていた真帆と炎仁が声を上げる。

 

「ハナザカリ、凄い脚で上がってきたわ!」

 

「よっしゃあ! 行け! 飛鳥さん! ハナザカリ!」

 

(今までのわたくしならレース前のグレイスさんの見え透いた挑発に引っかかったり、熊ヒゲさんの激走に慌てふためいたりしたでしょうね。ですが冷静に対応出来ました。我ながら成長しているのでしょうか? それをここで証明します!)

 

 ナデシコハナザカリは二頭を交わし、先頭でゴール板前を通過する。

 

「一着はナデシコハナザカリ! 関東勢、連勝だ!」

 

「くっ、負けたばい……こいが名門、撫子家の底力か……」

 

「……東京での模擬レースも見ていましたが、本格的に脚質転換しはったんですね」

 

「ええ、大分試行錯誤を積み重ねましたが……ここにきて上手くいきましたね」

 

「ちなみに仕掛けはどのタイミングで?」

 

「熊ヒゲさんが二度目の加速をした辺りです」

 

「! うちと一緒……またもや珍しく気が合いましたなあ」

 

「ふふっ、そのようですね」

 

 飛鳥とグレイスは目を合わせて笑い合う。



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第12レース(3)コンペキノアクアVSマキシマムフレイム

「勝ちましたわ!」

 

「おめでとうございます」

 

 満面の笑みを浮かべ引きあげてきた飛鳥を真帆は迎え入れる。

 

「これでCクラスは2連勝、良い流れが出来ています! 紺碧さんも頑張って!」

 

「は、はい! ベストを尽くします!」

 

 真帆は飛鳥を見送る。

 

「気に入らんな……」

 

「え?」

 

 真帆が後ろを振り返ると、そこには自分よりも一回りほど小さい女の子が立っている。ややダボダボだが、勝負服を着ているということは、彼女もレースに出走するのであろう。青い瞳の女の子は真帆に向かってビシッと指を差してきた。

 

「紺碧真帆! このレースに勝つのはわらわじゃ!」

 

「は、はあ……」

 

「ふん、驚きの余り声もあるまい」

 

「ど、どちら様ですか?」

 

 真帆の質問に女の子はガクッとなる。

 

「し、知らんのか?」

 

「えっと……」

 

 真帆が頭を回転させて答えを探すが思いつかない。痺れを切らして女の子は叫ぶ。

 

「わらわは美麗(びれい)ローズマリー! 欧州のある高貴な国の血を引くものじゃ! 南関東競竜学校に所属しておる!」

 

「ええっ! ジョッキーの方ですか?」

 

「対戦相手のことも把握しておらんのか?」

 

「そ、そういえば見ましたが、子供の頃の顔写真とか載せちゃったのかなって……」

 

「子供⁉ わらわは17歳じゃ!」

 

「ええっ⁉ 年上⁉」

 

「そんなに驚くことか⁉」

 

「い、いえ、失礼しました……」

 

 真帆は頭を下げる。ローズマリーはふんぞり返る。

 

「ふん、分かれば良い……」

 

「そ、それで私のなにが気に入らないのでしょうか?」

 

「ヴォルフ!」

 

「はっ……」

 

 ローズマリーが指を鳴らすと長身男性がスッと姿を現す。真帆が困惑気味に頷く。

 

「あ、貴方は確か……」

 

「お初にお目に掛かります。ローズマリーお嬢様の執事を務めております、日辻(ひつじ)ヴォルフと申します。お嬢様と同じく、南関東競竜学校に所属しております」

 

 そう名乗ってヴォルフは真帆に向かって折り目正しく礼をする。

 

「は、はあ、はじめまして……」

 

「ご質問についてですが、お嬢様は幼少期より、様々な分野で輝かしい栄誉に浴してこられました……競竜でもトップに君臨したいとお考えです。そこに至るまでの道として、今日のレースは大事な大事な第一歩……ただ、注目が竜術競技からの転向組、紺碧真帆さん、貴女に集まってしまっていることに大層ご立腹なのです」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「だからといって出走するなというのは乱暴な話じゃ……よって正々堂々とそなたを倒してわらわがターフの『姫』となる!」

 

「……」

 

「はははっ! 驚いて声も出まい!」

 

「えっと、ターフは芝のことですよね、このレースはダートですが……」

 

「……」

 

「ですから、何度もご指摘申し上げましたのに……」

 

 ヴォルフが俯きながら呆れたように呟く。ローズマリーが首を振って声を上げる。

 

「と、とにかく、わらわはこのドラゴンレーシングで世界の頂点を極める! その序章として、今日、そなたを倒す!」

 

「気に入らんのお! ワレ!」

 

「む!」

 

 ローズマリーたちが振り返ると、火柱ほむらが腕を組んで立っている。

 

「この見るからに柄の悪い女は……」

 

「関西競竜学校所属の火柱ほむらさんです」

 

 首を傾げるローズマリーにヴォルフは耳打ちする。

 

「ワシも世界を目指しとる! そのサクセスストーリーのプロローグとして、この紺碧真帆を血祭りに上げるのはワシじゃ!」

 

「ち、血祭りって……」

 

「言葉のあやっちゅうやつじゃ!」

 

「そ、それは分かりますが……」

 

「面白いことを言う……そなたもまとめて倒してやろう、行くぞヴォルフ!」

 

「はっ……失礼します」

 

 ヴォルフが真帆たちに一礼し、ローズマリーに続いてその場を去る。

 

「けったいなやつらやで……まあ、それはええわ。夏に続いて勝ちはもらうで」

 

「! ま、負けません!」

 

「どないなレースになるか楽しみにしとるで」

 

 ほむらもその場を去る。仏坂が近寄ってくる。

 

「えっと……最終確認しても良いかい?」

 

「あ、はい、お願いします」

 

「ダート1200mは圧倒的に逃げ・先行が有利だ。皆が前に行きたがるだろう」

 

「スタートに気を付けて、良い位置を確保します……では、行ってきます」

 

 真帆がコンペキノアクアに騎乗し、本竜場に入場し、ゲートインする。各竜のゲートインが完了し、ゲートが開き、各竜が飛び出す。

 

「はっ!」

 

 スタンドでレオンが感嘆の声を上げる。

 

「あの3番の薔薇色のドラゴン、抜群のスタートを決めたね」

 

「南関東の美麗ローズマリーさん騎乗の『ウルワシノバラ』ですね……真帆さんもなかなか良い位置につけましたね」

 

 海が冷静に答える。

 

「関西の奴が乗っているあの赤いの……えっと、マキシマムフレイムだっけか? 随分と後方につけたな。天ノ川よ、どう見る?」

 

 青空がスタンドに戻ってきた翔に尋ねる。

 

「……それも気になるけど4番の濃い青色のドラゴン、不気味な感じだね」

 

「あれも南関東の奴か……日辻ヴォルフ騎乗の『ブラウエライター』だな」

 

 嵐一が出走表を確認する。レースは早いペースで動く。ウルワシノバラが内ラチ沿いを快調に飛ばす。真帆が内心驚く。

 

(あの自信は確かな実力からくるもの! 絶好のスタートから折り合いも良い! このままだと逃げられてしまう! もう少し位置取りを押し上げないと……!)

 

「……させません」

 

 ヴォルフとブラウエライターが真帆とコンペキノアクアの左斜め前につける。

 

(嫌らしいところに……! ならば少し抑えて外に……!)

 

 真帆は外側、斜め左後方に目をやって驚く。竜群がひしめいていたからである。

 

(このまま内側を進んでも正面はお嬢様が塞いでいます……斜め前は私がブロックしていますので持ち出せません……コンペキノアクア、チェックメイトです)

 

(くっ……自分の位置取りばかり考えてしまって、周囲を確認しきれていなかった! 私もまだまだね……でも、諦めたくない!)

 

 真帆は周囲の様子を伺う。控室のモニターで見る炎仁は険しい顔で呟く。

 

「真帆はまだ諦めていない……しかし、状況は厳しいな……」

 

(なにか……局面が打開されれば……)

 

「よっしゃ! いてもうたれ! フレイム!」

 

「⁉」

 

 叫び声がしたかと思うと、竜群が左右にばらけて、その中央を赤いドラゴンが突き進んでくる。ほむらとマキシマムフレイムである。ヴォルフは驚く。

 

(そんな馬鹿な、プレッシャーに圧されて、竜群が……⁉ しかし、人竜ともになんという威圧感! 一体、どんな修羅場を潜り抜けてきたのだ⁉)

 

「ふん! このまま、前のお嬢様を捉えるで!」

 

「そうはさせません!」

 

 ヴォルフがブラウエライターの竜体をマキシマムフレイムに併せに行く。

 

「ほう! ワシにビビらんとは! 羊かと思って見くびってたわ!」

 

「執事です……そして今、このレースでは姫を守る『青い騎士』!」

 

「かっこええやんけ! ただ、甘やかし過ぎも考えもんやで!」

 

「ぬおっ⁉」

 

 マキシマムフレイムが加速し、ブラウエノライターを一気に振り切る。

 

「こいつは競り合った方がより熱く燃えるんや!」

 

 ほむらは外側を走るマキシマムフレイムを内側のウルワシノバラの方に迫らせる。ローズマリーが驚く。

 

「くっ⁉ なんという脚色!」

 

「もろたで!」

 

「今よ!」

 

「「⁉」」

 

 真帆がコンペキノアクアを羽ばたかせ、内からマキシマムフレイムの外側に着地させる。ローズマリーとほむらが揃って驚く。

 

「こ、ここでジャンプを決めるとは!」

 

「ワシが外側から迫られるのはなんとも新鮮やな!」

 

「タイミングばっちりよ! 良い子ね、アクア!」

 

 三頭が横一線になる。炎仁が叫ぶ。

 

「よし! 行け! 真帆! アクア!」

 

(正直、衝動的に決めてしまった競竜への転向だけど……後悔だけはしたくない! 決断が間違いでなかったことを証明したい! Cクラスの皆からは沢山刺激を受けた……私も負けずに上を目指したい! その為にもこのレースを勝ちたい!)

 

「お願い、アクア!」

 

 真帆が懸命に鞭を入れながら叫ぶ。その結果……。

 

「コンペキノアクアが一着! 関東勢これで三連勝!」

 

「わ、わらわが負けた……?」

 

「ワシが競り負けるとは……紺碧真帆、やっぱり大した奴やな」

 

「ありがとう……アクア!」

 

 真帆は勝利の余韻に浸るよりもまずコンペキノアクアを心から労うのであった。



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第12レース(4)グレンノイグニースVSハヤテウェントゥス

「やったよ! 炎ちゃん!」

 

「おめでとう、真帆!」

 

「うん! でもまさか一着だなんて……」

 

「良いレースをしたんだから当然の結果だ」

 

「うん! ありがとう!」

 

「! ま、真帆⁉」

 

 真帆が周囲の目も構わず、炎仁に思いっ切り抱き付いてきたので、炎仁はとりあえずお互いの体を引き離す。真帆は不満気な声をあげる。

 

「あ……」

 

 炎仁が努めて冷静さを保ちながら尋ねる。

 

「ど、どういうつもりだ?」

 

「喜びの気持ちを伝えたくて……」

 

「そ、そうか、うん、嬉しいのはすごく伝わった! だからちょっと離れて……」

 

「え~」

 

 炎仁の言葉に真帆は露骨に不満そうになる。

 

「え~じゃなくて、俺は次のレースがあるから、な?」

 

「うん……炎ちゃんも頑張ってね」

 

 手を振り去っていく真帆の後ろ姿を見送り、炎仁はため息をつく。

 

「ぷは~」

 

「なにがぷは~じゃ、このボケ!」

 

「⁉」

 

 炎仁の後頭部が勢いよく叩かれる。慌てて顔を上げると、緑色の勝負服に白いパンツ姿をした関西競竜学校所属の疾風轟が立っていて炎仁を睨み付けている。

 

「おのれ炎仁……」

 

「い、いきなり何をするんだ! 疾風!」

 

「こっちの台詞じゃ! 公共の場で……あの紺碧真帆ちゃんと……だ、抱き合いおって! お前ら一体どこまで進んでいるんや⁉」

 

「何を言っているんだ? そうだな、クリスマスはTDLで過ごしたが」

 

「なっ……TDL⁉」

 

「いや、マイナーな方だぞ。東京ドラゴンランドって知ってるか?」

 

「ランドの近くにはホテルも併設されているところやんけ!」

 

「あ、ああ、確かにあったけど……」

 

「ま、まさか、お泊りしたわけやないやろな!」

 

「そ、そんなわけないだろう!」

 

「否定する所が怪しい!」

 

「なんでそうなる! 門限もあるからちゃんと寮に帰った!」

 

「門限なんて破る為のものやろうが!」

 

「お前の価値観を押し付けるな!」

 

「はあ……はあ……」

 

 興奮し過ぎたのか、轟は肩で息をする。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「……やっぱりごっつ腹立つ! 一発殴らせろ!」

 

「ええっ⁉」

 

 轟が炎仁の胸ぐらをつかみ、右腕を振り上げる。パンチを放とうとした次の瞬間、二人よりはやや身長の高い青年が轟の右腕をガシッと掴む。

 

「む!」

 

「暴力沙汰は駄目だ……文句があるならレースでケリをつけよう……」

 

「だ、誰や……?」

 

「……ちょっとふざけているだけです。問題ありません」

 

 青年は轟の腕を離し、振り返って周囲の職員に対し問題はないということを伝えた。ヘルメッドとゴーグルで顔の半分を覆われていても分かるほど、端正な顔立ちをしており、短すぎず長ずぎない白い綺麗な髪が覗いている。炎仁が尋ねる。

 

「君は……?」

 

「北海道競竜学校所属の白銀輪廻(しろがねりんね)だ、よろしく」

 

「ああ、俺は関東の紅蓮……」

 

「紅蓮炎仁君だろ? 知っているよ、それで君は関西の疾風轟君」

 

「な、なんで俺たちのことを? い、いや、関西Aクラスの疾風はともかく……」

 

「先日の東京レース場での模擬レースは映像でだけど見たよ、見事な勝利だった。君と君の相棒、『グレンノイグニース』はかなりのものだね。このレースの本命竜に対する対抗竜といったところだ」

 

「本命竜は自分だ、とか言うつもりやないやろな」

 

「いやいや、そこまで自惚れてはいないよ、本命はもちろん君とその相棒、『ハヤテウェントゥス』だ。僕と『シロガネグラシエス』はせいぜい伏兵止まりの評価だね」

 

 そう言って輪廻はやや銀色の竜体をしたドラゴンを指差す。

 

「ふん、悪くないドラゴンやな」

 

「ありがとう、うちの『白銀牧場』が自信を持って送り出した一頭さ」

 

「君の家も牧場を?」

 

 炎仁の問いに輪廻は頷く。

 

「うん、北海道は国内有数の竜産地だからね、牧場がとても多いんだ。うちはひいき目に見ても中小規模の牧場だけどね……」

 

「そうなのか……」

 

「それよりもだ、北海道にいると、なかなかこういう大きなレースの機会がやってこないんだ。僕にとってはせっかくのチャンス、それなのに二人が問題を起こして出走取り消しになったらつまらないよ」

 

 輪廻は屈託のない笑顔を見せる。轟が呟く。

 

「ワイらが出ない方がチャンス広がったんちゃうか?」

 

「実力者に勝たないと意味ないだろう?」

 

「! はははっ、言ってくれるやんけ」

 

 轟が大笑いする。炎仁は輪廻と握手するため手を差し出す。

 

「良いレースにしよう」

 

「……ああ」

 

「むっ⁉」

 

 炎仁の顔がゆがむ。握り返してきた輪廻の力が思いの外強かったのである。

 

「……」

 

「ちょ、ちょっと、白銀君?」

 

「あれは二年ほど前のこと……」

 

「え?」

 

「北海道で竜術競技の大会があり、僕はボランティアに駆り出された。運営にこき使われて色々大変だったけど、良い思い出が一つある……」

 

「ん?」

 

「僕の女神、紺碧真帆ちゃんと出逢ったことだよ。彼女は誰に対しても分け隔てなく接してくれた。もちろん僕に対しても……彼女を崇めるのに時間は要らなかった。それから二年、彼女のことは片時も忘れたことはない……」

 

「そ、そうなのか……」

 

「ところがどうだ! 久々に出逢った女神がなんと男と抱き合っているじゃないか⁉ これは許せるかい? 許せないよね⁉」

 

「お、落ち着いてくれ……」

 

「僕は落ち着いているよ」

 

 輪廻はようやく炎仁の手を離す。

 

「……ぶはあっ! 細身なのになんていう握力……」

 

「……あれは女神の一時の気の迷いだろう、このレースに勝って、誰が女神の抱擁を受けるに相応しいか証明してみせよう!」

 

「ぐっ……」

 

「真帆ちゃんのハートを掴むんはワイやで! ほな、レースでな!」

 

「失礼するよ……」

 

 轟と輪廻がその場を去る。仏坂がそろりそろりと近寄ってくる。

 

「あの~最終確認良いかな?」

 

「あっ、は、はい、大丈夫です……」

 

「阪神2000mは序盤それほど速いペースにはなりにくい。勝負所は第三コーナーから直線途中までの下り坂。ここでスピードがつきやすい。勢いに乗っての差しがかなり決まる」

 

「イグニースにも十分勝機がありますね」

 

「ああ、とにかくレース中盤までは位置取りを意識しよう」

 

「分かりました。それじゃあ行ってきます」

 

 炎仁はグレンノイグニースに跨り、パドックから地下竜道を通り、本竜場に入場する。このコースはちょうどスタンドの目の前からのスタートである。スタンドにいる観客のざわめきも多少あるが、各竜とも落ち着いてゲートインを完了させる。少し間を置いてゲートが開き、レースがスタートする。

 

「⁉」

 

 ほぼ揃ったスタートだが一頭、グレンノイグニースのみがかなり出遅れてしまう。

 

「ああ、出遅れた! 本当にスタート苦手だな~」

 

 レオンが頭を抱える横で嵐一が呟く。

 

「まあ、致命的な出遅れではねえが……対照的に1番が良いスタートを決めたな」

 

「北海道のシロガネグラシエスですね。この竜に先行させると厄介かもしれません」

 

 海が淡々と呟く。青空が口を開く。

 

「えっと……あの関西のやかましい兄ちゃんはどこだ?」

 

「……ハヤテウェントゥスは中団後方あたりですわね。こちらもスタートがそれほどよくありませんでしたね。天ノ川君はどう見ますか?」

 

 飛鳥が翔に問う。真剣な眼差しでレースを見つめる翔が答える。

 

「どちらかと言えば先行型だろうから、前目につけたかっただろうね。ただ、まだ慌てる状況ではないね。炎仁とイグニースにもそれは言える」

 

 レースは第一コーナーを周り、シロガネグラシエスを先頭にゆったりとしたペースで進んでいく。鞍上の輪廻は冷静に考えを巡らせる。

 

(二、三番手がもっと後方を突っついてくるかと思ったけど、案外大人しいね……それならありがたく主導権を握らせてもらおうか)

 

 第二コーナー前後の辺りでシロガネグラシエスが若干ペースを速めたり、緩めたりを繰り返す。嵐一がレオンに尋ねる。

 

「どうよ、あの逃げは?」

 

「うまく緩急をつけているね。二番手以降はなかなか判断が難しいと思うよ」

 

「それにしてももうちょっと差を詰めた方が良いんじゃねえか? 陣形がやや縦長になってきているぜ?」

 

「金糸雀君の言う通り、上手くペースをコントロールしているのでしょう。差を詰めるか、このままか、こちらから見ている以上に迷いが生じていますね」

 

 青空の問いに海が答える。

 

「……ハヤテウェントゥスが少し位置取りを上げてきましたわ。マイダーリンも最後方から後方二、三番手まで上がってきました」

 

「比較的緩いペースだけど、もう半分過ぎるしね。そろそろ仕掛けないとマズいと判断したんだろう……あの二人の場合は直感に従っているのかもしれないけど」

 

 飛鳥の言葉に翔が反応する。レースは第三コーナー手前に差し掛かる。

 

(そろそろ勝負所や! もうちょっと前に行きたいんやが、竜群がなかなかごちゃついとるな……あの兄ちゃんに緩やかにかき回されてしもうたか?)

 

 轟が内心舌打ちする。一方、輪廻は内心してやったりと微笑む。

 

(想像以上に簡単にペースを握れたね……全国から集まった割には大したことはないな……所詮はプロデビュー前の人たちならこんなものなのかな……まあ、最後まで油断はしないように……⁉)

 

 輪廻が驚く。第三コーナーで巧みなコーナーリングを見せて、先頭のまま最終コーナーに差し掛かろうとしたところ、左斜め後ろに轟とハヤテウェントゥスが迫ってきたからである。

 

「逃がさへんで!」

 

「へえ! チラッと見たら竜込に包まれていると思ったけど!」

 

「あの程度の竜込、『西の疾風』にかかればお茶の子さいさいや!」

 

「西の疾風? 初耳だね?」

 

「今思い付いたからな! 先頭もらうで!」

 

「そうはさせないよ!」

 

 シロガネグラシエスとハヤテウェントゥスがほぼ並んだまま、最終コーナーを回る。スタンドに戻ってきた真帆がそれを見ながら呟く。

 

「1番の竜、最内を避けているわ。竜場が荒れ気味なのを冷静に判断出来ているのね……でもハヤテウェントゥスも良い脚色を見せている……⁉」

 

 真帆が驚くと同時にスタンドがざわめく。轟と輪廻も後方に迫る気配に気付く。

 

(来おったな、炎仁!)

 

(グレンノイグニース⁉ かなり出遅れたのをスタンド前のモニターで確認したから消えたと思ったが、上がってくるとは!)

 

 グレンノイグニースの猛追を見て、Cクラスのメンバーが口々に叫ぶ。それが聞こえているわけはないのだが、炎仁の脳裏にもクラスメイトの顔が次々と浮かぶ。

 

「炎仁! 伸びてきているよ!」

 

(レオンとジョーヌエクレールの大逃げに慣れているから対応出来た!)

 

「炎仁! ぶっ飛ばせ!」

 

(青空とサンシャインノヴァの様に末脚勝負に上手く持ち込めた!)

 

「炎仁君! 良い位置です!」

 

(海さんとミカヅキルナマリアの冷静なレース運びの影響で落ち着けた!)

 

「炎仁、やっちまえ!」

 

(嵐一とアラクレノブシ程強引じゃないけど、竜群を臆せず突破出来た!)

 

「マイダーリン、もう一伸びですわ!」

 

(飛鳥さんとナデシコハナザカリの様にロングスパートを仕掛けられた!)

 

「炎仁! 交わせるよ!」

 

(翔とステラヴィオラの様に自在な脚質ではないけど、逆に己を突き詰められた!)

 

「行け、炎ちゃん! イグニース!」

 

(真帆とコンペキノアクアのレースから、諦めないことを教えてもらった!)

 

 直線、最後の急坂に差し掛かろうとする。輪廻と轟は後方からどんどん圧力を増してくるグレンノイグニースの出方を見逃すまいとする。

 

(ちょうど二頭の後方に! 内か外か、どちらから交わしてくる⁉)

 

(夏の時より威圧感増しとるやないか!)

 

 グレンノイグニースがわずかに内側に進路を取る。輪廻が反応する。

 

(内か、確かにこちらからの差しがよく決まるのは見るが……させない!)

 

「ここだ!」

 

「なんやと⁉」

 

 轟だけでなく、全員が驚く。炎仁がグレンノイグニースを羽ばたかせ、前を行く二頭の外側に着地させたのである。輪廻と轟は即座に反応する。

 

(ここでジャンプ⁉ なんという判断力と度胸だ! しかも脚色は良さそうだ! それならば!)

 

(! 兄ちゃん、考えることは同じことやな! ここは反則にならん程度に竜体を寄せに行って、イグニースの勢いを少しでも削ぐ!)

 

「もう一丁!」

 

「「⁉」」

 

 二頭が外側に寄せたその瞬間、炎仁は再びグレンノイグニースを羽ばたかせ、二頭の頭上を越えて、その内側に着地する。輪廻と轟が驚愕する。

 

(ま、また飛んだ⁉ 内側狙いだったか、引っかかった!)

 

(二連続ジャンプとか正気かいな⁉ 外に重心傾けてしもうた、体勢を……)

 

 外側に寄せた分、二頭の伸びがわずかに鈍り、グレンノイグニースがやや前に出る。炎仁は鞭を入れて叫ぶ。

 

「疾れ! イグニース!」

 

 炎仁はありったけの力を目一杯込めて、グレンノイグニースの竜体を思いっ切り押す。そして次の瞬間……。

 

「一着はグレンノイグニース! まさに驚天動地のフィニッシュ!」

 

「よっしゃあ! やったぞ、イグニース‼」

 

 炎仁は叫びながら右腕を豪快に突き上げる。



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第13レース それぞれの道

                  13

 

「しかし驚きましたよ、まさかCクラスが全員合格とは……」

 

 教官室で仏坂が鬼ヶ島にしみじみと語る。

 

「……交流レースの好成績が大きな決め手となった。四人が一着、他の四人も二着というのは過去を見ても例がない。しかも関西へ乗り込んでいってだからな」

 

「上の方は何か言ってきていないんですか?」

 

「無くはないが……最も優先されるべきなのは現場の意見だ。ここぞというところの勝負強さ、騎乗技術、レースセンスなどを各厩舎が評価したのだからな。どこも欲しいのは『勝てるジョッキー』だ」

 

「それは確かに……」

 

「正直、卒業試験の筆記試験は何人か危なかったがな」

 

 そう言って鬼ヶ島は笑う。

 

「通常課程や関西も含めると、かなりの人数が合格ですね。メディアは『今年は豊作』や『黄金世代』と早くも煽っています」

 

「……競竜騎手の競技人生というのはそれほど長くない。怪我や病気などもあるが、勝てないことを理由に数年で辞める者が圧倒的に多い。資質の高い世代だとは思うが……これからが大変だろう。月並みな言い方になってしまうが、ここからがようやくスタートだ。改めて強い覚悟を持ってこれからの日々に臨んで欲しい」

 

「……ひょっとして今のって卒業式のリハーサル?」

 

「もう少しオブラートに包んだ方が良いか?」

 

「いや、良いんじゃないの、甘美ちゃんらしくて」

 

 仏坂と鬼ヶ島が互いに目を合わせてふっと笑う。

 

「この部屋ともお別れか……」

 

 寮の部屋でレオンがしみじみと呟く。嵐一が笑う。

 

「四人部屋にしては狭いとか文句言ってなかったか?」

 

「確かに言っていたけど……やっぱり寂しいよ」

 

「俺なんか今度は知らねえ先輩と二人部屋だぜ?」

 

「かなり厳しいって噂の厩舎だけど……」

 

「別に遊びに行くわけじゃねえからな、厳しい上等だぜ。それより親父さんの厩舎に入るのもある意味きついだろ、周囲の期待とかよ」

 

「うん、まあ……それは覚悟しているつもりだけど……」

 

 レオンは黙り込む。嵐一が首を傾げる。

 

「どうしたよ? 他に悩み事があんのか?」

 

「……夏合宿の件で朝日ちゃんにゆすりまがいの行為を受けているんだよ⁉」

 

「ああ……まあ、お前は主犯格だからな」

 

「そうは言ってもさ! 未遂だったわけだし!」

 

「あいつも別にマジで言っているわけじゃねえだろう」

 

「嵐一君はゆすられてないの?」

 

「『プロで獲得した賞金で良い飯奢る』つったらそれでいいぜって言ってたぞ」

 

「な、なるほど、そういうことを言えば良いのか……」

 

 レオンは深々と頷く。

 

「……ふう」

 

「何をしているかと思えば掃除かよ、ホント真面目だな」

 

 教室にいた海に青空が声をかける。

 

「ここの埃が少し気になったものですから」

 

 海はゴミ箱に集めた埃などを捨て、掃除用具を片付ける。

 

「しかし、改めて比べてみたけどよ、やっぱり他のクラスより明らかに狭いぜ、この教室。扱いの差が露骨なんだよな」

 

 そう言って青空は笑う。海が眼鏡を抑えながら答える。

 

「奮起を促すという意味では正解だったのではないでしょうか」

 

「まあ、結果としてはな……ってか、意外だなそういう精神論みたいなこと言うの」

 

「そういう考えを持つこともありますよ……意外と言うなら、貴女の進路ですよ。何故わざわざあの厩舎を選んだのです?」

 

「何故って誘いがあったからだよ」

 

「それはそうでしょうけど……決め手となった理由を聞いているのです」

 

「理由ねえ……なんつうか、あっちの方がアタシに合うんじゃねえかと思ってさ」

 

「理由になっていませんよ」

 

「いいだろ、こういうのは直感に従うんだよ」

 

 青空の物言いに海がため息をつく。

 

「……やっぱり貴女とは考えが合いませんね」

 

「それは同感だ」

 

「まあ、お互い頑張りましょう……そろそろ失礼します」

 

「おう、頑張ろうぜ、海」

 

「!」

 

 海は青空の顔を見つめる。青空が首を傾げる。

 

「なんだよ? もうクラス長じゃねえだろう?」

 

「……そうですね、青空さん」

 

 海は微笑を浮かべる。

 

「……ここにいらしたとは」

 

 厩舎でぼんやりと佇んでいる翔に飛鳥が声をかける。

 

「あ、見つかっちゃったか~」

 

「報道陣の皆様が貴方のコメントを欲しがっていましたよ」

 

「それが面倒だからここに来たんだよ」

 

「メディア応対もプロアスリートとしての大事な仕事ですよ」

 

「う~ん、もうちょっとしたら顔を出すよ」

 

 翔ががらんとした厩舎の中を歩く。飛鳥が尋ねる。

 

「プロの騎手は初めの内は竜の世話もしなければなりません。厩舎にもよるでしょうけど、天ノ川厩舎といえども貴方を特別扱いはしないでしょう。ちゃんと早起き出来ますか? この一年での朝の厩舎作業、寝坊が目立ちましたよ」

 

「飛鳥ちゃんだって結構朝弱いじゃん」

 

「流石に貴方には負けます」

 

「……慣れるしかないよね。まあ、あいつも一緒だから大丈夫だよ」

 

「……あの方も苦労しそうですね」

 

 飛鳥は翔の相変わらずのマイペース振りに呆れる。

 

「炎ちゃん、ここにいたんだ」

 

 訓練場を眺める炎仁に真帆が声をかける。

 

「ああ、真帆、インタビューはいいのか?」

 

「合同記者会見って形にしてもらったから案外すぐ終わったわ」

 

「報道陣の人、聞きたいこと一杯あったんじゃないか?」

 

「まだプロジョッキーとしてはなにも成し遂げてないから、多くは語れないわ」

 

「まあ、それもそうか……」

 

「それよりも炎ちゃん、本当に良いの?」

 

「何が?」

 

「あの厩舎に入ることよ。言いにくいけど、もっと良いお話があったんでしょ?」

 

「色々話を聞かせてもらって最終的にあそこに決めたんだ。『ビリッケツ』評価から始まった俺にとっては合っていると思う。俺の目標を叶えられる気がするんだ」

 

 そう言って炎仁は遠くを見据える。その横顔を見て真帆はため息をつく。

 

「今は他のことは目に入らない感じかな……」

 

「ん? なんか言ったか?」

 

「ううん、なんでもない。炎ちゃん、これからもお互い頑張ろうね」

 

「ああ!」

 

 そして競竜学校卒業から約一か月後、紅蓮炎仁とグレンノイグニースが早くもデビューの日を迎える。若干緊張した面持ちで炎仁はゲートに入る。

 

(まさかこんなに早くデビュー出来るとはな……ただ、これが俺の選んだ道だ。ここから勝って勝って勝ちまくって爺ちゃんの残してくれた牧場を取り戻す!)

 

 ゲートが開く。炎仁は力強く叫ぶ。

 

『疾れ! イグニース!』

 

                  ~第一章 完~




お読み頂いてありがとうございます。


以上で第一章終了になります。続きの構想もありますので、早い内に更新を再開出来ればと思っております。

今後もよろしくお願いします。


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第二章
第0レース デビュー戦


                  0

 

 まだ若干の肌寒さも残る初春の中山レース場。コースに繋がる地下の竜道を歩いている少年騎手とその相棒である紅色の竜体をしたドラゴンは人竜ともに落ち着きはらった様子を見せている。少年は一度ドラゴンを立ち止まらせ、深呼吸する。

 

「……はっ!」

 

 少年はドラゴンを本竜場に入場させる。ドラゴンも手綱に応え、リズムよく走る。

 

「……まさかクラスでビリッケツ評価のあいつが一番にデビューとはな」

 

「とにかく仕上げの早い厩舎って有名だからね。あまりよくない噂も聞くけど……」

 

 その様子をスタンドで並んで見守る長身で短髪の褐色の男子の言葉にウェーブの入った長い金髪をかきあげながら隣の男子が答える。

 

「羨ましい限りだね……」

 

「おっ、エリート様のライバル心に火が点いたか?」

 

 褐色の男子が笑いながら、後ろの席に座る、やや紫がかった髪の少年の方を見る。少年はコースではなく、スタンドの上方を見ている。

 

「Cクラス女子陣は竜主席で優雅に観戦だって。ズルくない?」

 

「レ、レースを見てあげようよ、ほらそろそろゲートインだよ」

 

 金髪の少年は苦笑しつつ、二人の視線を前方に促す。一方竜主席では……。

 

「いや~こんなふかふかな椅子に座ってレース観戦とは! 良いご身分だね~」

 

 明るい髪色でパンツスーツをやや着崩している女子が椅子にどかっと座る。

 

「……はしたないですよ」

 

 藍色の髪を三つ編みにした眼鏡をかけた女子がたしなめる。

 

「しかし、よくこんなVIP席に入れたな?」

 

「我がグループの竜は毎週、どのレース場でも走っておりますから」

 

 綺麗に切り揃えられたおかっぱボブに混ざる桃色のメッシュが特徴的な女子が当然だとばかりに答える。やや青みがかったロングのストレートヘアーでおでこを出しているのが特徴的な女子が心配そうにコースを見つめる。

 

「炎ちゃん……」

 

 眼鏡の女子が心配そうな女子に優しく声をかけ、肩に手を置く。

 

「返し竜も良い感じでした。少し人気しすぎなのが気になりますが……」

 

「我がグループ所有の竜というのが竜券人気に影響してしまいましたかしら?」

 

 おかっぱボブの女子が首を傾げる。そこにレース実況が流れてくる。

 

「2歳新竜戦、8頭立てのこのレース。特に仕上がりの良いドラゴンが揃いました。特に注目は3番『グレンノイグニース』、現在一番人気。鞍上はこれがデビュー戦。……さあ、スタートした! おっと! グレンノイグニース号落竜だ!」

 

「「「「「「「えっ⁉」」」」」」」

 

 観戦していた7人が揃って驚く。



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第1レース(1)それは触れないでくれ

                  1

 

「はあ……」

 

 赤茶色の髪でのやや小柄な体格の少年がトレーニングウェア姿でベンチに座り俯く。

 

「おはようございます!」

 

「うおっ⁉」

 

 元気の良い声が響き、少年は驚いて顔を上げる。そこにはショートカットで眼鏡をかけた、そばかすが特徴的な女の子が立っていた。女の子は笑顔で話しかける。

 

紅蓮炎仁(ぐれんえんじん)ジョッキーですね!」

 

「そ、そうですけど……貴女は?」

 

 炎仁と呼ばれた少年は、女の子に尋ねる。

 

「私は黒駆環(くろがけたまき)と言います!」

 

「黒駆……って、もしかして……?」

 

「はい、黒駆厩舎の黒駆環太郎(くろがけかんたろう)の孫です!」

 

「せ、先生のお孫さん……その恰好は?」

 

 炎仁は環の服装を指差す。自分と同じようなトレーニングウェア姿である。

 

「はい、私はJDRA、ジパング中央競竜(けいりゅう)会の厩務員課程を修了後、厩務員として黒駆厩舎に務めた後、今年から晴れて調教助手になりました!」

 

「は、はあ……」

 

「年始のあたりからちょっと体調不良が続いておりまして、顔合わせにも参加出来ませんでしたが、すっかり元気になりました! 本日から同じ厩舎の一員として、よろしくお願いしますね!」

 

「あ、はい……よろしくお願いします」

 

 炎仁は環の元気の良さに若干気圧されている。

 

「本日はもう調教終了ですか?」

 

「え、ええ、自分の担当分は……もっとも、まだ一頭しか任されていませんけど……」

 

「そうですか! 私は後何頭か残っています!」

 

「た、大変ですね……」

 

「大変ですが、やりがいを感じています!」

 

「やりがい……ですか?」

 

「はい! 私は日本一のドラゴンを育てたいんです!」

 

「! 日本一の……」

 

 炎仁が環のことを、驚きをもって見つめる。環は笑顔で頷く。

 

「幼いころから競竜、『ドラゴンレーシング』に魅せられて育ってきましたから、気が付いたら、そんな夢を抱くようになりました!」

 

「夢……」

 

「まあ、私が相変わらず厩務員や事務員も兼ねるような人材不足の弱小厩舎ですが……夢を見る自由は誰にだってあるはずです! 違いますか⁉」

 

「え、ええ、おっしゃる通りだと思います……」

 

「む……」

 

 環が突然黙り込む。炎仁が首を傾げる。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

「……笑わないんですね、私の夢を聞いても」

 

「いや、笑わないですよ。夢を叶えるチャンスは誰にだってあると思っていますから」

 

「!」

 

「まあ、新人ジョッキー、新米騎手の自分が偉そうに言えることじゃありませんが……」

 

「……ということは紅蓮さんにもなにか夢があるんですか?」

 

「え、ええ……あなたのように大きな声では言えませんが……」

 

「分かりました!」

 

「は、はい?」

 

「無理に聞き出そうとは思っておりません! 夢の実現の為にお互いがんばりましょう!」

 

 環が右手を差し出す。炎仁は慌てて立ち上がり、握手をかわす。

 

「が、がんばりましょう、黒駆さん」

 

「私のことは環で構いませんよ」

 

「え?」

 

「先生と同じ苗字だから色々ややこしいでしょう?」

 

「そ、そうですね……よ、よろしくお願いします、環さん」

 

「お願いします! それでは失礼!」

 

 環はにっこりと笑って、その場から離れる。残された炎仁は呟く。

 

「俺の夢か……とてもじゃないけど言えないな。でも……」

 

「でも……何?」

 

「うわあっ⁉ ま、真帆⁉」

 

 やや青みがかったロングのストレートヘアーでおでこを出しているのが特徴的な女の子が炎仁の後ろに立っている。体格は炎仁と同じくらいだ。

 

「そんなに驚くことないじゃない……」

 

「いや、驚くだろう。いきなり後ろに立っているんだから……」

 

「声をかけようと思ったら、女の人と楽しげに話しているからね」

 

「楽しげにっていうか、終始テンションに圧倒されていたけどな……」

 

「でも、顔がにやついているわよ」

 

「え? なんというか、ちょっと元気をもらった感じがするからかな……」

 

「その役目は私がやろうと思ったのに……」

 

 真帆と呼ばれた女の子はぷいっと唇を尖らせ、横を向いて小声で呟く。

 

「え? なんだって?」

 

「なんでもないわ」

 

「そうか? そういえば、調教の方はもう終わったのか?」

 

「ええ」

 

「もう何頭か任されているんだろう? 流石だな、紺碧真帆(こんぺきまほ)の名前はもうすでに有名だぞ」

 

「それは竜術競技で得た知名度でしょう? 競竜騎手としてはまだまだだわ」

 

 彼女、紺碧真帆は竜術競技で金メダルも狙えるほどの逸材であったが、幼なじみの炎仁に触発されるようなかたちで競竜騎手に転向し、世間を驚かせた。

 

「いやいや、騎乗技術を褒めている記事を読んだぞ」

 

「話題作りよ。それより、この後はなにか予定あるの? 食堂にお昼食べに行かない?」

 

「ああ、その前にうちの厩舎の竜房に寄ってもいいか?」

 

「ええ、構わないわ」

 

 炎仁と真帆は竜房の方へ向かう。ここは茨城県にある美浦トレーニングセンター。ジパング中央競竜会の東ジパングにおける一大調教拠点であり、広大な面積を誇る。はじめはあまりの広さに迷うこともあったが、騎手となって数ヶ月の今はすっかり慣れて、迷わず竜房が並ぶエリアに到着する。

 

「お、こちらも早い昼飯か……」

 

 炎仁の視線の先には、紅い竜体をしたドラゴンがむしゃむしゃと食事をしている。

 

「『グレンノイグニース』、元気みたいね」

 

「ああ、それはな……」

 

 炎仁がイグニースの体を優しく撫でる。真帆が尋ねる。

 

「今朝も乗ったんでしょう?」

 

「ああ」

 

「なにか気になることでもあるの?」

 

「いや、さっき環さん……うちの厩舎の調教助手さんと話をしたときに色々と思い出してさ……初心というかなんというか」

 

「初心?」

 

「騎手になって、賞金を稼いで、稼いで、稼ぎまくって、借金を返済すること! そして晴れてじいちゃんの残した牧場、『紅蓮牧場』を取り戻す! ……だよ」

 

「そういえばそうだったわね……まさかデビュー戦、スタート直後に落竜するなんてね」

 

「そっちは直ちに忘れてくれ!」

 

 炎仁はイグニースや他のドラゴンたちも驚かさないように、声を抑えて叫ぶ。



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第1レース(2)既読スルーはやめよう

「そういえば皆とは連絡を取っているの?」

 

 食堂で真帆は真向いに座る炎仁に問う。炎仁が首を傾げる。

 

「皆? 中学のクラスメイトととか?」

 

「いや、そっちじゃなくて、あのCクラスのことよ」

 

「ああ、『崖っぷちクラス』のことか……」

 

 炎仁は思い出してニヤリと笑う。炎仁と真帆は前年春に揃って、『関東競竜学校騎手課程短期コース』に入学し、そこで『崖っぷちクラス』と揶揄されるCクラスに振り分けられた。

 

「炎ちゃんは『ビリッケツ』という評価だったわね」

 

「周囲のレベルの高さは感じたが、まさか最低評価からのスタートとはな……」

 

 笑う真帆に対し、炎仁は腕を組んで眉間にシワを寄せる。レース未経験者だった炎仁は、約三十名の受講者の中でもっとも低い評価であったが、真帆の他に、男子三人、女子三人の計七名と切磋琢磨し、なんとか全員合格を果たしたのであった。

 

「男子の皆とは話したりしないの?」

 

「いや、全然だな」

 

「炎ちゃんってそういうところあるよね……」

 

 真帆が苦笑する。

 

「悪いかよ?」

 

「別に悪くはないけどね」

 

「『最近どう?』って聞いてもしょうがないだろう。大変なのは分かっているつもりだし」

 

「まあね……でも、気にならない?」

 

「知っているのか?」

 

「馴染みの記者さん……女性の方なんだけどね。おしゃべりな人で、こちらが聞いてもないのに色々教えてくれるのよ」

 

「ふ~ん……」

 

草薙嵐一(くさなぎらんいち)さんの入った厩舎とか大変みたいよ……」

 

「ああ、嵐一……」

 

 炎仁は長身で褐色の男性のことを思い出す。クラスの中では最年長で、ぶっきらぼうだが面倒見の良い性格であった。やや頭に血が上りやすいのが欠点だが……。

 

「調教師の先生の『騎手もアスリートだ!』っていうポリシーの下、厳しい体力トレーニングを課せられているみたいよ」

 

「それは俺も聞いたよ」

 

「大変よね……まあ、あくまで噂レベルだけど」

 

「いや、噂じゃなくて本当だな」

 

「なんで分かるの?」

 

「俺もその厩舎から誘われたからな。見学にも行ったし」

 

「え⁉ そうだったの?」

 

 真帆が驚く。

 

「そういうパーソナルトレーニングはトレセンとは別のところでやるんだよ。ハードなトレーニングについてこられる人間を選んでスカウトしているらしい。騎乗技術よりも体力測定の結果を重視するみたいだな」

 

「そ、そんな厩舎もあるのね……」

 

「サッカーでさいたま市選抜に入った俺レベルにも声がかかるんだから、元甲子園球児の嵐一なんて喉から手が出るほど欲しい人材だろうな」

 

「な、なるほど……でも大丈夫かしら?」

 

「平気だろう。並のフィジカルじゃないからな」

 

「そうじゃなくて、結構先輩騎手との上下関係とかも厳しいらしいのよ」

 

「嵐一なら逆に先輩を〆ちゃいそうだな」

 

 炎仁が笑う。真帆が戸惑う。

 

「そ、そんなことになったら大事よ」

 

「冗談だって。それにそういう体育会系のノリなんて今さら慣れっこだろう」

 

「でも、本当にそんなパーソナルトレーニングに意味があるのかしら?」

 

 真帆が首を傾げる。

 

「少なくとも何らかの意味があるからその厩舎は続いているんだろう」

 

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 

「もちろん、それが唯一の正解ってわけじゃないが」

 

「ふむ……」

 

「そういう類のトレーニングの効果ってすぐに出るもんじゃないからな、一年後……いや、半年後の嵐一に要注目かな。マッチョがさらにゴリマッチョになってそうだな」

 

 炎仁は想像して笑う。真帆が問う。

 

「金糸雀君とも連絡は取ってないの?」

 

「レオンか……」

 

 炎仁がウェーブの入った少し長い金髪をなびかせた男子、金糸雀(かなりあ)レオンを思い出す。

 

「一番仲が良さそうだったけど」

 

「まあ、都度連絡は来ているけど、大体既読スルーだな」

 

「ひ、酷くない?」

 

「だって、ほとんど下らない内容だぜ? 『トレセンで可愛い子を見かけたよ!』とか……」

 

「か、金糸雀君らしいわね」

 

「まったく……お気楽な厩舎なのかね?」

 

 炎仁が首を捻る。真帆が首を振る。

 

「そんなことはないと思うわ。彼はお父さんのところの厩舎に入ったわけでしょう? かえって特別扱いとかないから大変みたいよ?」

 

「そうか……」

 

「お母さんはフランスの名ジョッキーだし、なにかと比較されてそれなりのプレッシャーがかかっているはずよ」

 

「そういやジパングとフランスのハーフか。煙幕とか持ち歩いているから、あんまりフランス感がないんだよな、あいつ……」

 

「別に煙幕を持ち歩くのもジパング感ってわけじゃないと思うけど……」

 

「たまには返信くらいしてやるか……」

 

「そうしてあげなさい……そういうプレッシャーとは無縁そうなのが彼ね、天ノ川翔(あまのがわかける)くん」

 

「翔か……」

 

 炎仁はやや紫ががった髪色の短髪の少年を思い出す。

 

「彼もお父さんのところの厩舎に入ったわけだけど、すごい注目度の高さよ」

 

「記事はいくつかチラッと見たよ。さすがは競竜一家だよな」

 

「しかも双子の弟の(わたる)さんと同時に入ったわけだからね」

 

「ああ、関西競竜学校の方を卒業した彼か……」

 

 炎仁は翔と二卵性双生児のやや紫ががった髪色の少し長い髪の少年のことを思い出す。

 

「メディアや競竜ファンからはかなり期待されているわ。もう密着ドキュメンタリーが制作されて放送されていたわよ」

 

「まだデビュー前だろう? 随分と気の早い話だな……」

 

「それを見たんだけど……」

 

「だけど……?」

 

「天ノ川君、朝寝坊ばっかりして怒られていたわね……」

 

「相変わらずだな、あいつ……」

 

「でも調教とかではさすがの乗りこなしぶりで、天ノ川厩舎の先輩ジョッキーの方も『センスがずば抜けている』って高評価だったわよ」

 

「今年の新人ジョッキーの中ではダントツかもな……俺も負けていられないな」

 

 炎仁は笑みを浮かべる。

 

「天ノ川兄弟には及ばないけど、関西競竜学校卒業の彼も注目されているわね、疾風轟(はやてとどろき)君」

 

「あいつか、一月の交流レースでは勝ったが……やっぱりあいつの評価が俺より高いか」

 

 炎仁は薄緑色の髪色でボサボサとした頭の少年のことを思い出し目つきを鋭くする。

 

「その疾風君の記事で、好きな有名人の欄にわたしの名前が書いてあったんだけど……」

 

「単なる誤植だ、気にするな」

 

 炎仁はそう言って、食後のお茶をすする。

 

 



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第1レース(3)女の子が気になるの?

「ご、誤植……そうだったの……」

 

「ああ、それよりもCクラスの女子はどうなんだ?」

 

「え? 気になるの?」

 

 真帆が急にジト目で炎仁を見つめる。炎仁が戸惑う。

 

「い、いや、話の流れ的に聞くだろう、それは……」

 

「ふ~ん……」

 

「連絡とか取り合ってないのか?」

 

「まあ、ぼちぼちね……」

 

「そ、そうか……」

 

「飛鳥さんは色々と忙しそうよね」

 

撫子飛鳥(なでしこあすか)さんか……」

 

 炎仁はおかっぱボブのヘアスタイルで綺麗に切り揃えられた髪に混ざる桃色のメッシュが特徴的な女性を思い出す。真帆が笑う。

 

「名門と呼ばれる厩舎に入ったから、片時も気が抜けませんわ!って、この間すれ違った時にぼやいていたわ」

 

「プレッシャーとかが大変そうだな」

 

「そうね、親戚の撫子(なでしこ)グレイスさんも同じ厩舎に入ったことだし」

 

「ああ、関西競竜学校を出た彼女か……」

 

 炎仁は金髪の縦ロールで、縦ロールの部分にピンク色のメッシュが所々入った派手なヘアスタイルの女子のことを思い出す。真帆が頷く。

 

「ジパングと英国のハーフの方ね」

 

「ご両親ともジョッキーなんだっけ?」

 

「そうね、英国や香港などを拠点に活動しているわ」

 

「娘さんは日本でデビューか……」

 

「その辺りは色々と考えがあるんでしょうね」

 

「飛鳥さんとお互いに意識し合っている感じか?」

 

 炎仁の問いに真帆が首を傾げる。

 

「どうかしらね? 以前トレセンで見かけた時は和やかに談笑していたけどね」

 

「それ、本当に和やかだったのか?」

 

「う~ん、そう言われてみると、若干バチバチ感が漂っていたかも……」

 

 真帆が苦笑を浮かべる。

 

「やっぱりな……」

 

「でも、そういう対抗心はあっても良いんじゃないかしら?」

 

「まあ、それはそうだけどな」

 

「問題は彼女よ……」

 

「彼女?」

 

「青空ちゃん」

 

「ああ、朝日青空(あさひあおぞら)か……」

 

 炎仁は明るい髪色をしており、やや短い毛先を遊ばせているのが印象的なスタイル抜群の女の子を思い出す。真帆が頷く。

 

「そう」

 

「関西の厩舎に行ったんだよな?」

 

「ええ」

 

「さっそくやらかしたのか?」

 

「やらかすのは前提なのね……」

 

「まあ、あのキャラクターだからな……」

 

「同じ厩舎に入った火柱(ひばしら)ほむらさん、覚えている?」

 

「ああ、彼女も関西競竜学校出身だったな……」

 

 炎仁はやや長身で赤毛のポニーテールで、かなり荒っぽい関西弁が特徴的な女の子のことを思い出す。真帆が頭を軽く抑える。

 

「これは噂レベルなんだけど、青空ちゃんと火柱さん、栗東トレセンで取っ組み合いのケンカをしたとか……」

 

「ほ、本当かよ?」

 

「でもやりかねないでしょう?」

 

「確かにな……連絡は取っていないのか?」

 

「電話では元気そうだったけどね……」

 

「マジだったら謹慎処分とかが下るから、こっちにも伝わってくるだろう」

 

「それはそうね……」

 

 真帆が顎に手を当てて頷く。

 

「それくらいマジな気持ちで取り組んでいるってことじゃないか?」

 

「そうだと良いんだけど……」

 

「取っ組み合いをしても不思議じゃない組み合わせではあるけどな……火柱さんに関してはほとんどイメージだけど」

 

「心配ではあるわね……」

 

「そもそもなんで関西に行ったんだ?」

 

「あっちの方が自分に合うって思ったみたいよ」

 

「ふ~ん、まあ、本人が決めたことだから、俺らがとやかく言ってもな」

 

「青空ちゃんの場合、直感で動いているところがあるから……」

 

「勝負事の世界だ、直感で動いた方が良いかもしれないぞ」

 

「それはそうかもしれないけどね……」

 

 真帆が頬杖をつく。炎仁が尋ねる。

 

「直感と言えば、理論派の彼女はどうなんだ?」

 

「え?」

 

「我らがクラス長だよ」

 

「ああ、海ちゃん?」

 

「そう、三日月海(みかづきうみ)……」

 

 炎仁は藍色の髪を三つ編みにして片側に寄せた髪型で眼鏡をかけた小柄な女の子のことを思い出す。真帆が首を捻る。

 

「あれ? 最近会っていない?」

 

「いや、何度か見かけただけだな」

 

「そう……調教の様子を見学させてもらいましたとかって言っていたけど……」

 

「そうなのか?」

 

「声はかけられなかったの?」

 

「いいや、全然」

 

 炎仁は首を振る。真帆は苦笑する。

 

「……彼女のことだから、何らかのデータを取るだけだったのかもしれないわね……」

 

「そこは声をかけて欲しいところだぜ……何のデータを取ったんだよ……不気味だな」

 

「今度会ったら聞いてみるわ」

 

「答えを聞きたいような、聞きたくないような……」

 

 炎仁が軽く頭を抱える。真帆が笑う。

 

「まあ、Cクラスの女子陣は大体そんな感じよ」

 

「そうか、みんな頑張っているんだな」

 

「そうね」

 

「俺も負けずに頑張らないとな!」

 

 炎仁が両手を力強く握る。

 

「あら? 落竜で落ち込んでいるかと思ったらそうでもなさそうね?」

 

「うん?」

 

「あ、貴女は⁉」

 

「な、撫子瑞穂(なでしこみずほ)! ……さん」

 

「お久しぶりね、紅蓮炎仁君と紺碧真帆さん」

 

 ピンク色の派手なトレーニングウェアに身を包んだ、桃色のメッシュが特徴的なショートボブで小柄な体格の美女が炎仁たちに向かって微笑む。



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第1レース(4)飲んだくれトレーナー

「お、お疲れ様です!」

 

 真帆が立ち上がって頭を下げる。瑞穂が苦笑する。

 

「同じ厩舎でもないのだし、そんなに畏まらなくても……」

 

「い、いえ、トップジョッキーに対して失礼ですから!」

 

「あら、お上手ね」

 

「ほ、本当のことです!」

 

「まあ、それはいいわ、彼氏君、借りてもいい?」

 

「は、はい! ど、どうぞ! って、か、彼氏ではありません、まだ!」

 

「まだ?」

 

「あ、い、いや、あの……」

 

 真帆の顔が真っ赤になる。瑞穂が微笑む。

 

「ふふっ、まあいいわ。それじゃあ、紅蓮君?」

 

「は、はい!」

 

「この後は厩舎に戻るのでしょう?」

 

「え、ええ……」

 

「わたくしもご一緒します。参りましょう」

 

「は、はい……」

 

 炎仁は急いで食事を片付け、真帆と別れて、食堂を出る。

 

「そういえば言ってなかったわね……」

 

「え?」

 

 先を歩いていた瑞穂が炎仁の方に向き直り、笑顔で告げる。

 

「騎手課程合格おめでとう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「わたくしも推薦人として鼻が高いわ」

 

「い、いえ、まだまだこれからですから……」

 

「これから?」

 

「え、ええ、まだジョッキーとしてスタートラインに立っただけです」

 

「ほう……それが分かっているのなら結構よ」

 

 瑞穂は頷いて、前を向き、再び歩き出す。

 

「俺はイグニースとともに、勝って、勝って、勝ちまくります!」

 

「その意気よ、じゃんじゃん賞金を獲得して頂戴……」

 

「はい! 祖父ちゃんの遺した『紅蓮牧場』を守るために!」

 

「正確には、貴方のお祖父さんが遺した、莫大な借金を返すためにね……」

 

「うぐっ!」

 

「我が撫子グループが肩代わりしている分をきっちり稼いでね」

 

 瑞穂が微笑を浮かべながら、振り返る。炎仁が頭を軽く抑える。

 

「げ、現実を思い出させないで下さいよ……」

 

「ダメよ、現実とはしっかり向き合わないと」

 

「はあ……」

 

「着いたわね」

 

 トレセンの中にある各厩舎の事務所が並んでいるエリアまでやってきた。瑞穂は迷いなく、炎仁が所属する黒駆厩舎の事務所に向かう。

 

「あれ? 場所、ご存知なんですか?」

 

「それはそうよ、新人の頃はよく乗せてもらったから」

 

「ああ……」

 

「最近はとんとご無沙汰だけど……ここね」

 

 瑞穂が立ち止まる。『黒駆厩舎』とボロい看板がかかっている。炎仁が慌てて前に出る。

 

「あ、ドア開けます……お、お疲れ様です!」

 

「ばっきゃろう!」

 

「うえっ⁉」

 

「学生の部活動じゃねえんだ! いちいち大声出さなくても良いつっただろう!」

 

 薄くなった頭に、顔には無精ひげを生やし、だらしのない体つきで眼鏡をかけた初老の男性が炎仁に対して怒鳴る。炎仁は一瞬怯むが、言い返す。

 

「と、とはいっても挨拶は基本ですし……」

 

「大声出されると頭にガンガン響くんだよ! うっ……」

 

「大声出しているのは先生の方じゃないですか……って、いつにもまして一段と酒臭っ⁉」

 

 炎仁が部屋の中に立ち込める酒の匂いに顔をしかめる。

 

「ふん、そりゃあ酒飲んでいるからな……」

 

「真っ昼間から酒なんてやめて下さいよ!」

 

「仕事はほとんど終わったから良いだろうが!」

 

「まだ、全部終わってないでしょう⁉」

 

「俺は調教は乗らないからよ……」

 

「事務作業とかもあるでしょう⁉」

 

「その辺もアイツが戻って来たから大丈夫なんだよ」

 

「アイツ? あ、そうだ、お孫さんがいるなら、ちゃんと紹介して下さいよ!」

 

「あん? 環と会ったのか?」

 

「ええ、先ほど……」

 

「じゃあそれでいいじゃねえか……」

 

「いや、良くないですよ!」

 

「うるせえなあ……孫の環が正式に調教助手として入った! 分からねえことがあったら、アイツに聞け! 面倒くせえから……」

 

「め、面倒くせえって言った⁉」

 

「だから、大声出すな! 頭に響くんだよ……」

 

「だから、大声を出しているのはむしろ先生の方です!」

 

「……コホン」

 

「あっ……」

 

 瑞穂が咳払いをする。男性がズレた眼鏡を直し、瑞穂の方を見る。

 

「ん~? これはこれは、珍しい来客だな」

 

「かつての名伯楽として鳴らした黒駆環太郎先生も、今ではただの飲んだくれですね……年は取りたくないものです……」

 

「年は関係ねえ! ちょっとスランプなだけだ……」

 

「七年も重賞勝ちがないとは、流石は名トレーナー、随分と長いスランプですね」

 

「なんだ、わざわざ嫌みを言いに来やがったのか⁉」

 

「いえいえ、竜主として、今後の方針を伺いに来ました」

 

「あん? 方針だあ?」

 

「ええ、『グレンノイグニース』号の」

 

「ああ、あれはなかなか良いドラゴンだぜ……」

 

 環太郎が酒瓶をテーブルに置き、真面目な顔つきになって呟く。瑞穂が笑顔で頷く。

 

「そうでしょうとも」

 

「しかし、解せねえ……なんだって、撫子厩舎じゃなく、俺んとこに預ける?」

 

「……あのドラゴンのポテンシャルを引き出せる可能性がもっとも高いのは黒駆先生だと判断したからです」

 

「見ての通りの飲んだくれだぜ?」

 

 環太郎が自嘲気味に首をすくめる。瑞穂は小さくため息をつく。

 

「……もうお忘れですか? あのドラゴンは紅蓮牧場の生産竜です」

 

「!」

 

「先に亡くなった牧場主とは、良き友人だったと伺っていますが?」

 

「え⁉ そ、そうだったんですか⁉」

 

 炎仁が驚いて、瑞穂と環太郎の顔を交互に見る。環太郎が鼻の頭を擦りながら笑う。

 

「へっ、そういやそうだったな……」

 

「本当に忘れていましたね……」

 

「今、思い出したから良いだろう」

 

「はあ……わたくし、そういう縁も重視するものなので」

 

「だから俺に預けたってわけだな。合点がいったぜ……」

 

「それで、今後はどうされますか?」

 

「んなもんは決まっている、次の未勝利戦行くぞ! 来週だ!」

 

「ええっ⁉」

 

 初耳のことで炎仁は驚く。



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第2レース(1)オーナーの意向

                   2

 

「そうですか」

 

 瑞穂が頷く。炎仁が戸惑いながら瑞穂に尋ねる。

 

「い、良いんですか⁉」

 

「なにが?」

 

「だ、だって、次って今週末ですよね?」

 

「そうなるわね」

 

「そ、それって……いわゆる連闘ってやつじゃないですか?」

 

「まあ、そういうことになるかしら」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫もなにも、お前がスタート直後に落竜したろうが」

 

「うぐっ⁉」

 

 環太郎の言葉に炎仁はギクリとする。

 

「お陰様でほとんど疲れは残ってねえよ」

 

「は、ははっ……」

 

 環太郎の皮肉に炎仁は苦笑する。環太郎が瑞穂に問う。

 

「竜主さんのお考えはどうだい?」

 

「特に異論はありません」

 

「よし、決まりだ。小僧、そのつもりでいろ」

 

 環太郎が炎仁に告げる。炎仁は困惑する。

 

「えっ、い、良いんですか?」

 

「……何がだよ?」

 

「い、いや、俺が続けて騎乗しても……」

 

「あれだけの素質を持ったドラゴンだ。本音を言っちまえば、お前みたいなペーペーには任せたくはねえよ」

 

「や、やっぱり……」

 

「なんだ、降りたいのか?」

 

「い、いえ!」

 

 環太郎の問いに対し、炎仁は激しく首を振る。

 

「ならせいぜい頑張れや」

 

「は、はい……」

 

「……ボーっと突っ立ってねえで、スタートの練習でもしてこい!」

 

「は、はい!」

 

 炎仁が慌てて部屋から出ていく。環太郎がため息をつく。

 

「乗り替わり出来るもんならさせてえよ……」

 

「ふふっ……」

 

「なにがおかしい?」

 

 環太郎が瑞穂に問う。

 

「口ではそんなことを言いながらも、彼に続けてチャンスをあげて優しいなと思いまして。新人がせっかく任されたドラゴンを取り上げられたりしたら、モチベーションを低下させてしまう恐れもありますから」

 

「ふん……」

 

 環太郎が酒を一口飲む。瑞穂が笑顔で続ける。

 

「まあ、乗り替わりさせたくても出来ないですよね。このところ、トップクラス、またはそれに準ずるジョッキー達から、先生は敬遠されていますし」

 

「むぐっ⁉」

 

「ちなみにわたくしも敬遠している側になります」

 

「お、お前さんはキツいこと言いやがるな⁉」

 

「そうですか?」

 

「そうだよ、新人の頃のかわいげはどこ行きやがった?」

 

「最近、実家の経営にも本格的に携わるようになって、少しシビアになりましたかね?」

 

 瑞穂は首を傾げる。環太郎が笑う。

 

「はっ、経営者目線ってやつか」

 

「大げさな気もしますが、それに近いかもしれません」

 

 瑞穂は腕を組んで頷く。環太郎が再びため息をつく。

 

「お前さんあたりに頼めるもんなら頼みてえんだがな……」

 

「わたくしはオーナーサイドの人間ですから、あのドラゴンには乗れませんよ」

 

「んなことは分かっているよ」

 

「そして、あのグレンノイグニース号に最優先に騎乗するのは、紅蓮炎仁君というのが、わたくしからのオーダーです」

 

「オーナー様の意向は無視出来ねえからな……しかし、本当に良いのか?」

 

「彼はイグニースを孵化の頃から世話しています。イグニースも彼によく懐いている。ベテランのジョッキーでもなかなか構築しにくい『人竜一体』という関係性を紅蓮君は築き上げています。その辺はお気づきではありませんか?」

 

「まあ、それくらいは察しているよ……」

 

 瑞穂の問いかけに環太郎が頷く。

 

「そういう点を踏まえても、ジョッキーとしてイグニースのポテンシャルを引き出せるのは彼以上の存在はいないと思います」

 

「随分と評価するな、あの小僧を。そうだ、ちょっとあいつにアドバイスしてやってくれよ」

 

「お断りします。わたくしも一応現役のジョッキー、敵に塩を送るような真似はしません」

 

「シ、シビアだねえ……」

 

 環太郎が瑞穂の答えに苦笑する。



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第2レース(2)未勝利戦に向けて

 翌日の早朝、調教を眺める環の近くに、環太郎が歩み寄ってくる。環が少し驚く。

 

「おじいちゃん、じゃなかった、先生?」

 

「なんだよ、その反応は?」

 

「い、いえ、いつもモニターを確認するだけじゃないですか。わざわざこうしてコースの方まで見に来るなんて珍しいなって思って……」

 

「ふん……春とはいえ朝はまだまだ寒いんだよ。年を取ると堪えるんだ、この寒さは」

 

「それなのにきたということは……グレンノイグニースに期待を寄せているんですね!」

 

「声を張るな、ドラゴンたちが驚くだろう……」

 

「す、すみません……」

 

 環は慌てて口を覆う。環太郎は無精ひげをさすりながら答える。

 

「……半分正解だな」

 

「え?」

 

「期待を寄せているっつうことだよ。あのドラゴンは近年ウチに来た中では久々の素質を感じさせる竜だ」

 

「おお……それでもう半分は?」

 

「不安だ」

 

「不安? ケガの様子などは見られませんよ」

 

 環が首を傾げる。

 

「そうじゃねえよ……俺が言いたいのは、屋根のことだ」

 

「屋根……乗り役のことですね」

 

「そうだ……あのペーペーには正直荷が重いぜ」

 

 環太郎がため息交じりでグレンノイグニースに跨る炎仁を眺める。環が呟く。

 

「でも、紅蓮騎手が騎乗することが、オーナーサイドからの条件でしょう?」

 

「ああ、そうだ……」

 

「他に頼める人もいないからしょうがないんじゃないですか?」

 

「専属騎手がいねえわけじゃねえぞ?」

 

「もちろんそれは知っています。ですが今週は皆さん予定が埋まっちゃっているし……」

 

「珍しいことにな」

 

「有力なジョッキーさんに頼もうにも、先生、露骨に避けられているじゃないですか」

 

「ぐっ……お前な、孫ならもう少し遠慮した物言いをしろよ」

 

「孫だからこそ正直に申し上げているんです」

 

「ふん……」

 

「ですが、調教を見る感じ、紅蓮騎手とグレンノイグニースの相性はとても良さそうに見えます。流石、孵化の瞬間から立ち会っただけありますね」

 

「へっ、新竜戦の前もあんな感じだったよ……期待させるだけさせといてよ……スタート直後に落竜って……」

 

 環太郎が軽く頭を抑える。環がフォローする。

 

「紅蓮騎手にとってもデビュー戦でしたし、緊張もあったんでしょう」

 

「それにしても粗削り過ぎるぜ。まあ、短期課程卒業者に期待した俺が馬鹿だったか……」

 

「失望するのはいくらなんでも早いんじゃないですか」

 

「それはそうだがな……」

 

「先生も光るところを感じたから、彼をスカウトしたんでしょう?」

 

「まあな、俺の目がまだ節穴じゃなければ良いんだが……」

 

「きっと大丈夫だと思います」

 

「そうだと願いたいね」

 

 環太郎が笑う。

 

「はっ!」

 

 二人の前を炎仁とグレンノイグニースが走り過ぎる。環がストップウォッチを確認する。

 

「タイムは……です」

 

「ふむ、悪くねえな。さてと……後は任せるぜ」

 

「え?」

 

「どうしたよ?」

 

「い、いや、そろそろ未勝利戦に向けての対策を紅蓮騎手にアドバイスしてあげた方が良いんじゃないかと思いまして……」

 

「同じレース場で、同じ距離とコースだ。新たに対策立てなくても問題ねえよ。色々言っても小僧が混乱するだけだろう」

 

「い、いや、そうは言っても、相手も変わるわけですし……」

 

「この時期に早々と未勝利戦に出してくるなら、それなりに期待されている素質竜か、あるいは超のつく早熟か、はたまた有力竜が本格的に出揃う前にちゃっかり勝ち上がりか賞金上積みを狙う空き巣犯か……なかなか読めねえ、対策とってもあんまり意味がねえよ」

 

「そ、そうかもしれませんが……」

 

「どうしてもというなら、お前がアドバイスしてやれば良いだろう」

 

「わ、私が……?」

 

「ああ、それで不安がなくなるならな……じゃあ、お先……」

 

 環太郎が片手を挙げて、調教コースを後にする。環はその後ろ姿を見て、ため息をつく。

 

「はあ……ウチの厩舎にとって久々の大物かもしれないのに、あの様子ではとても……これは私がしっかりしなきゃダメね!」

 

 環は力強く拳を握りしめる。

 

「中山芝1200m……新竜戦と同じですね」

 

 厩舎事務所のホワイトボードに貼られたコースの図を見て、炎仁が呟く。環が説明する。

 

「三角形のような形状の外回りコースを使用しています。その頂点に当たる第2コーナーの終わり辺りがスタートです。そこから最終の第4コーナーまで緩やかなカーブが続きます。道中はずっと下り坂で、ハイペースになることが多いです。内枠がかなり有利になりますね。直線は310mと短めですが、途中、高低差3.3mの急坂があります。差しや追込竜がよく勝つ傾向ですね」

 

「なるほど……ということは?」

 

 炎仁が環の顔を見る。環が笑う。

 

「脚質としては追込のグレンノイグニース向きです」

 

「へえ……」

 

「内枠が取れれば言うことはありませんが、外枠でもそう悲観することはありません。スタートさえしっかり決まれば……」

 

「スタート……」

 

 炎仁が苦い顔になる。環は慌ててフォローを入れる。

 

「た、多少出遅れても大丈夫です。先ほども言いましたが、ハイペースになることが多いので、そこに焦らずについていき、中団辺りでじっくり脚を溜めるのが良いでしょう」

 

「勝負は直線ですね」

 

「そういうことです」

 

 炎仁の言葉に環が頷く。炎仁がぶつぶつと呟く。

 

「ハイペースに惑わされず……道中は中団待機……直線勝負……」

 

「正直、グレンノイグニースならばもう少し長い距離の方が向いているかなと思いますが、十分に勝てると思いますよ」

 

「ふん……」

 

 部屋にいた環太郎が椅子にふんぞり返る。環が目を細めながら尋ねる。

 

「何か用ですか、先生?」

 

「俺の事務所に俺がいて悪いのかよ」

 

「悪くはないですけど……やっぱりなにかアドバイス無いですか?」

 

「別に無えよ……」

 

「……冷やかしなら出ていってもらえますか?」

 

「ああ、もう昼過ぎだしな、帰るわ……ん?」

 

 席を立った環太郎が机の上にある紙を手に取る。炎仁が告げる。

 

「あ、今度の未勝利戦の出走予定表です」

 

「小僧……一つだけ忠告がある」

 

「は、はい!」

 

「レースは最後の最後まで諦めるな」

 

「は、はあ……」

 

 環太郎が部屋を出る。

 

「何を当たり前のことを……」

 

 環が呆れる。そして、未勝利戦の日がやってきた。



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第2レース(3)未勝利戦、スタート

「ふう……」

 

 レース当日、炎仁は準備を終え、ベンチに腰かける。

 

「緊張しているようだね?」

 

「は、はい!」

 

 先輩ジョッキーに声をかけられ、炎仁は慌てて立ち上がって返事する。やや茶色い髪をした人である。この人の名前はなんだっただろうかと考えていると、その先輩は笑う。

 

「わざわざ立たなくても良いって」

 

「は、はあ……」

 

「おい、三郎、早速新人イビリか?」

 

「いやだな、次郎兄さん、ちょっと挨拶をしただけだよ」

 

「今のご時世、パワハラで炎上だな」

 

「太郎兄さんまで、やめてくれよ」

 

 先輩によく似た顔だちをした男たちが声をかけてくる。そういえば今日のレースは三兄弟が同時に騎乗するって出走表にも書いてあったか……ということを炎仁は今さらながら思い出す。我ながらかなり緊張していると思う。

 

「あ、あの……」

 

「グレンノイグニース、良いドラゴンだよね」

 

「は、はい、ありがとうございます」

 

「俺も調教VTRを少し見たけど、なかなかの素質を感じさせるな」

 

「あ、そ、そうですか……」

 

「私も記事を見た。今年の二歳竜戦線を賑わせる可能性があるという記事をな」

 

「へ、へえ、そ、そうなんですか……」

 

 三郎があらためて声をかける。

 

「まあ、お互い頑張ろうよ」

 

「は、はい……」

 

 次郎が笑いながら、炎仁の肩をポンポンと叩く。

 

「おいおい緊張し過ぎだぜ、リラックスしなよ」

 

「す、すみません……」

 

 太郎が手を差し出し、炎仁と握手する。

 

「良いレースにしよう」

 

「あ、は、はい……」

 

「紅蓮騎手! よろしいですか?」

 

 スタッフが炎仁を呼ぶ。

 

「あ……し、失礼します!」

 

 炎仁は頭を下げてその場を後にする。

 

「……どう思う?」

 

「そもそもスタートがまともに切れるかどうかってレベルだろう?」

 

「警戒するに越したことはない……」

 

 三郎の問いに、次郎と太郎がそれぞれ答える。出走の時間が近づいてきた。

 

「大丈夫でしょうか、紅蓮騎手?」

 

 スタンドの関係者席で眺めていた環太郎に環が尋ねる。

 

「……面子的には苦戦はないと思うがな」

 

「そ、そうですよね」

 

 環の表情が明るくなる。

 

「もちろん、競竜に絶対はないが」

 

「そ、そうですよね……」

 

 環の表情が暗くなる。環太郎が苦笑する。

 

「お前が緊張してどうすんだよ」

 

「と、とは言っても……結構人気してますし……」

 

「三番人気か……調教の仕上がり具合もまずまず良かったしな、なんだかんだでフアンの連中はよく見ているぜ」

 

 環太郎は関係者席からスタンドを見回して笑う。そんなことを言っていると、ファンファーレが鳴る。環が胸の前で両手を合わせる。

 

「始まる! 返し竜も悪くなかったです……うん! ゲートにもすんなりと入りました!」

 

「横で実況すんな、ちゃんと見ているよ」

 

 環太郎が呆れる。ゲートが開く。環が叫ぶ。

 

「ああ、ゲートが開いた!」

 

「うるせえな!」

 

「……よ、よし! スタート出来た!」

 

 炎仁が小声で呟く。今回はスタート直後に落竜ということはなく、まずはホッとした。それにより、緊張が少し解けた炎仁はレースプランを思い起こす。

 

(思ったとおりのハイペースだ。焦らずについていって、中団で脚を溜める……!)

 

「ふふっ……」

 

「!」

 

 先ほど、声をかけてきた先輩ジョッキーが並びかけてくる。

 

「今日はちゃんとスタート出来たみたいだね?」

 

「あ、は、はい……」

 

「出遅れでもした方が良かったのにね!」

 

「‼」

 

 炎仁が驚く。先輩ジョッキーが竜体をぶつけてきたのだ。

 

(わ、わざと⁉ い、いや、これくらいの接触は普通か……)

 

「へえ、動じないね……生意気!」

 

「⁉」

 

 再び竜体をぶつけられる。炎仁は戸惑いながら、考える。

 

(さっきよりも強いが、これも普通? もう少しポジション取りを意識しないと……!)

 

 気が付くと、内ラチ沿いギリギリまで追い込まれてしまっていた。内側が有利とはいえ、これではいざという時に外に持ち出せない。炎仁は慌てて前に進もうとする。

 

「……そうはいかないよ」

 

「さすが、太郎兄さん」

 

「くっ⁉」

 

 もう一頭のドラゴンによって、イグニースの前は完全に塞がれてしまった。

 

(な、ならば、ややロスになるが、後ろに下げて……!)

 

「へへっ……どうした? レースってのは前に進むもんだぜ?」

 

「ナイス、次郎兄さん」

 

「うっ⁉」

 

 さらにもう一頭のドラゴンによって、イグニースの後ろも完全に塞がれてしまった。内ラチを含めると、四方を完全に塞がれた状態だ。

 

(そ、そんな……! 絶妙に誘導された⁉)

 

「ふふふっ!」

 

「ふっ!」

 

「ぐっ!」

 

 三度竜体をぶつけられ、さらに前方のドラゴンが強く蹴った芝が炎仁とイグニースの顔にかかる。炎仁は顔をしかめながら、後方をチラッと見る。後方にいる次郎が笑う。

 

「ふふっ! 後ろには下げられないぜ! そらっ!」

 

「うおっ⁉」

 

 やや斜め後方から次郎が竜体をぶつける。

 

「まだまだ!」

 

 隣からも三郎が竜体を細かく接触させてくる。炎仁が呟く。

 

「な、なんで……?」

 

「いや~君と紺碧真帆ちゃんには、僕らの可愛い妹たちが世話になったみたいだからね!」

 

「! あ……」

 

 炎仁は競竜学校初日の模擬レースを共に走り、ダーティーな騎乗で退学処分になった茶田姉妹のことを思い出す。そういえば、この三兄弟の苗字も茶田だ。スタンドで環が叫ぶ。

 

「こ、こんなのレースじゃありません! 抗議してきます!」

 

「待て!」

 

「え⁉」

 

 環太郎が立ち上がった環を制して呟く。

 

「まだアイツらの眼は死んでねえ……!」



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第2レース(4)未勝利戦、決着

「死んでねえ……!って、ここから見えていないでしょう⁉ なにをちょっとキリっとしているんですか⁉」

 

「う、うるせえな! 雰囲気だよ! とにかく、あの程度なら妨害にはならねえよ! 抗議しても無駄だ。まったく、うまくやってやがるぜ……」

 

「どうするんですか⁉」

 

「信じろ、アイツらを……!」

 

「そ、そんな……」

 

「いいから座っていろ」

 

 環は席に座る。レースは第三コーナーを回っている。

 

「くっ!」

 

 依然として、炎仁とグレンノイグニースは三頭のドラゴンと内ラチによって四方を囲まれてしまっている。

 

「コーナーリングでの乱れを突こうとしたって、そうはいかないよ!」

 

 三郎が声を上げる。炎仁は懸命に頭を回転させる。

 

(どうする⁉ この人たちの騎乗はやはり上手い。隙を見出すのは難しい……!)

 

「はっ、所詮、そんなもんかよ!」

 

 後方で次郎が笑う。

 

「期待外れかな……」

 

 前方で太郎が呟く。

 

「ここで、君とそのドラゴンを潰す。次の標的は彼女だ」

 

「⁉ か、彼女?」

 

 三郎に対し、炎仁がチラッと視線を向ける。三郎が笑みを浮かべる。

 

「紺碧真帆ちゃんだよ、そして彼女の騎乗するコンペキノアクアだ」

 

「なっ……」

 

「それで可愛い妹たちの溜飲も少しは下がるだろう」

 

「……」

 

「もっとも君がその程度ならば、紺碧ちゃんも大したことはないんだろうね」

 

 三郎が笑う。炎仁が問う。

 

「あ、貴方たちは……」

 

「うん?」

 

「そんなことの為だけにレースに出ているんですか?」

 

「そんなこととは言ってくれるじゃないか。僕らも一応競竜一家のはしくれだからね。恥をかかせてくれたお礼はしっかりとさせてもらうだけのことだよ」

 

「……真帆が出るレースにも貴方たちが揃って出るんですか?」

 

「ああ、祖父の代から懇意にしてくれている竜主さんがいるからね。その方に頼んで、別のドラゴンを用意してもらう形にはなるだろうね」

 

「そ、そこまでして……」

 

「借りはきっちりと返す主義でね」

 

「……分かりました」

 

「そうかい」

 

「貴方たちはここで止めなければいけないということが!」

 

「は? どういうことだい?」

 

 三郎が首を捻る。

 

「貴方たちの言葉を借りるなら潰すということです!」

 

「はっ、生意気言ってくれるじゃないか!」

 

 炎仁の言葉に三郎の目の色が変わる。レースは最終コーナーに差し掛かる。

 

「むっ……」

 

 三郎が炎仁を煽る。

 

「さあ、これをまわったら最後の直線だぞ、どうするんだい⁉」

 

「……ここだ!」

 

「なっ⁉」

 

 炎仁はグレンノイグニースを右にジャンプさせ、内ラチを思いっきり蹴らせる。内ラチは弾力性のある素材で出来ており、柔らかくなっている。それをバネのように利用して、グレンノイグニースが太郎の竜の外側、三郎の竜の前に着地する。炎仁が頷く。

 

「よし!」

 

「し、しまった! 前に出られた! くそ!」

 

 三郎の竜がわずかに外へ出してグレンノイグニースに並ぼうとさせるが、反応が鈍い。

 

「余計な接触を繰り返しているからだ! もう余力はないはず!」

 

「くっ……」

 

 炎仁の言葉に三郎は黙り込む。

 

「三郎、後は任せろ!」

 

「す、すまない! 太郎兄さん!」

 

 太郎の竜が内側からグレンノイグニースに競りかけていこうとする。

 

「先は行かせん! ⁉」

 

「……芝をわざと強く後方に蹴とばす、せっかくの技量をそんな風に無駄遣いする人には絶対に負けない!」

 

「むう⁉」

 

 炎仁とグレンノイグニースの迫力に圧され、太郎の竜の脚が鈍る。対照的にグレンノイグニースの脚がよく伸びる。炎仁が頷く。

 

「いける!」

 

「いけねえよ!」

 

 斜め後方から次郎の竜が迫ってくる。炎仁が少し振り向く。

 

「! ……」

 

「最後は外から捲って俺が勝つっていう筋書きだったんだ! よって、こいつと俺の力はまだ十分に残っているぜ!」

 

「……黙れ」

 

「あん⁉」

 

「黙れと言っている!」

 

「うっ⁉」

 

 炎仁の一喝に次郎が怯む。その気持ちが竜に伝わり、竜の脚色が鈍る。炎仁が叫ぶ。

 

「行け! イグニース!」

 

「……外からグレンノイグニースが鋭い脚で伸びてきた! 先頭の竜群と脚色が違う! ここでかわした! グレンノイグニースが一着!」

 

 実況がレース場に大きく響く。

 

「よっしゃあ!」

 

 炎仁が右手を大きく突き上げる。

 

「やったあ! やりましたよ!」

 

 スタンドで環が環太郎に抱きつく。環太郎が苦笑する。

 

「未勝利戦で喜び過ぎだ……」

 

「私が調教助手になってからの初勝利ですよ!」

 

「そういえばそうか」

 

「そういえばって……」

 

「まあいい、竜場に下がるぞ」

 

「淡々としているな~」

 

 環太郎が席を立つ。環が唇を尖らせる。

 

「……あ、先生、環さん!」

 

 引き上げてきた炎仁が環太郎たちを見て笑顔を見せる。環が声をかける。

 

「紅蓮騎手、初勝利おめでとうございます!」

 

「ありがとうございます!」

 

「ふん……」

 

「ちょっと、先生も何か声をかけてあげて下さいよ」

 

 環が肘で環太郎を突っつく。

 

「まあ、よくやったな。あそこで内ラチを蹴るとは珍しいものを見させてもらったぜ。だが、今後はああいう奇策だけじゃあ通用しねえぞ……ほら、インタビューに答えてこい」

 

「は、はい、すみません、失礼します……」

 

「……褒めてあげれば良いのに」

 

「褒めたつもりだぞ? ただ、こんなところで満足してもらっちゃあ困るからよ……」

 

 環太郎が戸惑いながら記者のインタビューに答える初々しい炎仁を見て目を細める。



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第3レース(1)条件戦に臨む

                  3

 

(東京レース場の芝1400mは、スタート直後から上り坂になって、そのままコーナーに入ります。そのため、短距離戦ではありますが、前半でのペースはそれほど早いものにはなりません。長い直線での“キレ”が求められるコースですね)

 

(直線でのキレ……)

 

(差しや追込竜に有利に見えますが、道中息が入りやすいので……)

 

(息が入る……道中ペースを落として、ラストスパートに向けてスタミナを温存することが出来るってことですね)

 

(そういうことです。そのため、逃げ・先行竜が粘って上位に残る……! というのも案外よく見る展開です)

 

「……」

 

 5月の上旬のある日、2歳1勝クラスの条件戦にグレンノイグニースと出走していた炎仁は、前日に環と行ったミーティングを思い出していた。

 

「さあ、先頭をいく、イッツプレシャス! ここらへんで少し苦しくなったか! しかし後続とはまだ距離があるか⁉」

 

「ここだ!」

 

「!」

 

(ペース配分出来ていたのは逃げや先行竜だけじゃないんですよ!)

 

「良い位置に持ち出した!」

 

 スタンドで見ていた環が頷く。

 

「今だ!」

 

「良い脚色!」

 

「おっと! 外からグレンノイグニースが良い脚で伸びてきているぞ! 鞍上、鞭を二、三回入れて、さらに伸びて、ここでかわした! グレンイグニースが一着! 二連勝です!」

 

「よしっ!」

 

 炎仁が控えめにだがガッツポーズを取る。

 

「やった!」

 

 環がスタンドでやや大げさに万歳をする。

 

                  ☆

 

(京都レース場の芝1800mは、スタート地点が向こう正面のポケットです)

 

(ポケット? ああ、スタンドから見て奥まった場所ですね)

 

(そうです……最初のコーナーまでの距離が900mと長いため、どうしても縦長の展開になってしまいやすいコースです)

 

(はあ……)

 

(このストレートに加えて、最初の坂の下りで、皆、スピードに乗りやすいのが特徴的です)

 

(ふむ……)

 

(最後の直線も平坦なため、高速での決着ということが多いです)

 

「ふむ……」

 

 5月下旬のある日、2歳2勝クラスの条件戦にグレンノイグニースと出走していた炎仁は、前日に環と行ったミーティングを思い出していた。

 

「さあ、先頭をいくのはグッバイヒューマンだ! 最終コーナー手前で早くも先頭に! 下り坂でついたスピードは緩まない!」

 

「む……」

 

「後方の竜も動き出してはいるが、グッバイヒューマンが差をつけたまま、先頭で最終コーナーを回った! さて、ここから届く竜はいるか!」

 

「ふん!」

 

「おっと! 紅の竜体が外から突っ込んでくるぞ!」

 

「長いストレートでも下り坂でも、スピードに乗り過ぎず、ある程度のスタミナを残せた! 勝負はこの直線!」

 

「グレンノイグニースが外からグングンと伸びてきた! グレンノイグニースが一着! 初の関西への輸送もなんのその! これで三連勝!」

 

「おしっ!」

 

 炎仁が大人しめにガッツポーズを取る。

 

「やったあ!」

 

 環がそれなりの声を出して万歳をする。

 

                  ☆

 

(阪神レース場の芝1600mは、外回りのコースを使用。直線が約474mと長く、ゴール前には中山レース場に次ぐ、勾配のキツい急坂があるのが特徴です。当然ですが、後方からの差し・追込が決まりやすいコースです)

 

(ええ)

 

(スタートからコーナーまでの距離が長く、さらに3、4コーナー間の距離も長いので、内枠外枠の不利は生じにくいコース形態です)

 

(言い換えれば、ポジションの取り合いですね)

 

(そうとも言えますね。なんだかんだで内枠が有利だと言われていますが……)

 

(いますが?)

 

(実際のデータでは外枠が圧倒的に好走していますね)

 

(では外枠を取れれば……)

 

(理想的です)

 

「さて……」

 

 6月上旬のある日、2歳3勝クラスの条件戦にグレンノイグニースと出走していた炎仁は、前日に環と行ったミーティングを思い出していた。

 

「さあ、ロードトラベルが先頭に! 4コーナーを回った!」

 

「むう……」

 

「期待のグレンノイグニースはまだ4コーナーあたり! ここからは届かないか⁉」

 

「届く!」

 

「おおっと⁉ 外からグレンノイグニースが伸びてきた!」

 

(……4コーナー途中からの下り坂を利用しての、追い込み策がピタリと合った!)

 

「グレンノイグニースがあっという間に先頭に! 坂も駆け上がり、一着! 4連勝!」

 

「おっしゃあ!」

 

 炎仁がやや派手にガッツポーズを取る。

 

「いやったあっ!」

 

 環がかなりの声を出して万歳をする。

 

                  ☆

 

(東京レース場の芝1800mは、2コーナー近くにあるポケットからスタート。スタート後すぐに2コーナーに向けて斜めに進路を取る為、内枠が有利なコース形態になっています)

 

(はい……)

 

(3コーナーまでのバックストレッチが長い為、前半は比較的ゆったりとしたペースで流れ、長い直線の瞬発勝負になることが多いです)

 

(瞬発力勝負……)

 

 6月下旬のある日、2歳オープンクラスにグレンノイグニースと出走していた炎仁は、前日に環と行ったミーティングを思い出していた。

 

「さあ、人気のグレンノイグニースは内に閉じ込められ、窮屈なレース展開が続く!」

 

「ちっ、内枠取って喜んでいたらこれだ……」

 

「最後の直線に入った! おっと! ラブウィナーが飛び出した。脚色が良い! これはこのまま決まってしまうか!」

 

「! 今だ!」

 

「おおっと、内からグレンノイグニースがするすると伸びてきたぞ!」

 

(ラブウィナーの飛び出しで、こちらのマークがわずかに緩んだ! 内から追い込む!)

 

「グレンノイグニースが良い脚だ! ラブウィナーも粘るが、グレンノイグニースがかわした! そのままゴールイン! グレンノイグニース一着! これで5連勝です!」

 

「うおっしゃあ!」

 

 炎仁がかなり派手にガッツポーズを取る。

 

「いやったわあっ!」

 

 環が大声を出して万歳をする。

 

(しかし……)

 

(それにしても……)

 

(レース使い過ぎじゃないの?)

 

 炎仁と環は喜びもそこそこに、揃ってもっともな疑問にいきつく。



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第3レース(2)夏に向けて

「先生!」

 

「大声出すな、聞こえているよ……」

 

 事務所の部屋内で、環太郎が環の大きな声に耳を抑える。

 

「……お聞きしたいことがあるのですが」

 

「小僧も連れてきてか?」

 

 環太郎が環の後ろに立つ炎仁に顎をしゃくる。

 

「ええ、彼は主戦騎手ですから」

 

「主戦騎手、ああ……」

 

「グレンノイグニース、いくらなんでもレースに使いすぎではありませんか?」

 

 環が環太郎の机に両手を突く。環太郎が笑う。

 

「はっ、競走竜をレースに使うなとは、随分とおかしなことを言いやがる」

 

「使うなとは誰も言っていません。ローテーションの問題です」

 

「ローテーションの問題?」

 

 環太郎が首を傾げる。

 

「この二か月で4回出走ですよ? ゲームじゃないんですから……」

 

 環は右手の指を二本、左手の指を四本立てる。環太郎が笑みを浮かべる。

 

「2回目くらいで気付くかと思ったぜ」

 

「そ、それは……」

 

「それぞれ中一週は空けているだろうが」

 

「それにしてもです」

 

「お前らも勝って喜んでいたじゃねえか」

 

「それは目の前のことに一杯一杯だったというか……」

 

「今更言ってこられても困るな」

 

「そ、それもそうですが、今後は考えて頂きたいのです!」

 

「とは言ってもだな……オーナーサイドのご意向だからな」

 

「え?」

 

「簡単に言うと……『レースに勝って勝って勝ちまくれ』という趣旨のオーダーなんだよ」

 

「な⁉」

 

 環が驚く。

 

「言い換えると、『賞金を稼げるだけ稼げ』っていうこった……」

 

「な、なんでそういうことに……」

 

「その辺は小僧の方が良く知っているんじゃねえか?」

 

 環太郎が再び炎仁に向けて顎をしゃくる。

 

「ええ?」

 

「は、ははっ……」

 

 環から視線を向けられた炎仁は苦笑しながら目を逸らす。

 

「じ、事情はなんとなく分かりましたが……」

 

 環が環太郎の方に向き直る。

 

「俺もそこまで無茶をさせているつもりは無えよ。故障などはないか、ドクターにいつも以上に細かく確認させているだろう?」

 

「は、はい……」

 

「体調面に変化は?」

 

「今のところ変わったことはありません、至って健康です……」

 

「そうだろう?」

 

「し、しかし……」

 

「元々レースは多めに使うっていうのが俺の主義だ。それは承知しているだろう?」

 

「え、ええ……」

 

 大げさに両手を広げる環太郎に環が頷く。

 

「十の調教より、一のレースだ。レースをこなすことによってしか得ることの出来ない経験や、見えてこない課題もある」

 

「そ、それは分かりますが……」

 

「グレンノイグニース号はひ弱なドラゴンじゃねえ、根性あるドラゴンだと思った。だから、レースを使いつつ良くしていこうというのは最初から決めていたことだ。方針は大まかではあるが伝えておいたはずだぜ?」

 

「は、はい、そう聞いていました……」

 

 環が大人しく頷く。

 

「……とはいえ、まさか4戦4勝とはな。一つ勝てば御の字、二つ勝てば万々歳って感じだったが、小僧、よくやったな」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 炎仁が頭を下げる。

 

「……ただし、これくらいで調子に乗るなよ?」

 

「は、はい!」

 

「お前もよくやってくれてるよ。調教助手一年目から良いドラゴンを担当出来るなんて強運だな。そういう縁は大事にしろよ」

 

「ありがとうございます……」

 

 環も頭を下げる。

 

「お陰で注目が高まってきやがったぜ」

 

「取材要請も数件入っています」

 

「へへっ、そりゃあなんとも結構なことじゃねえか、注目されてナンボの世界だ」

 

 環太郎が笑いながら腕を組む。

 

「……我が厩舎にとっては大事なドラゴンです。もちろん他のドラゴンもですが……」

 

「ん?」

 

「ですから、ローテーションについては見直し頂きたいのです!」

 

 環が再び机に手を置く。

 

「何が不満なんだよ?」

 

「京都、阪神と関西に二回も輸送したのは?」

 

「長距離輸送なんて珍しい話じゃねえだろう」

 

「短期間に二回というのは……」

 

「向こうに泊まる金が無かったからな……賞金を使うわけにもいかねえし」

 

 環太郎が苦笑する。

 

「関東で4戦でも良かったのでは?」

 

「分かってねえなあ……」

 

 環太郎が首を左右に振る。環がムッとする。

 

「どういうことですか?」

 

「相手のレベルもそこまで高くないこの時期に経験させておきたかったんだよ……中山、東京、京都、阪神という主要レース場をな」

 

「!」

 

「グレンノイグニースはそういう場所で今後も勝負出来るドラゴンだと見ている……」

 

「な、なるほど……」

 

「分かったか?」

 

「理解は出来ますが、それにしても思い切りましたね……」

 

「へっ、せっかくレースは開催していて、参加資格もちゃんとあるんだ。それに参加しない手は無えだろう?」

 

「確かに……ということは……」

 

「ん?」

 

 環太郎が首を捻る。

 

「照準は年末ですね?」

 

「ああ、当然そこは狙っていくさ」

 

 環太郎が頷く。

 

「では、この夏は休養に充て、秋から本格的に再始動ですね」

 

「いいや」

 

「ええ?」

 

「毎年夏頃からどんどんと素質竜がデビューしてくる……いずれぶつかるなら、ここで戦っておいた方が良いだろうが」

 

「えっと……」

 

「まずは来月の『函館2歳ステークレース』、GⅢだ。初重賞、獲りにいくぞ」

 

「「ええっ⁉」」

 

 環と炎仁が揃って驚く。



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第3レース(3)対策会議

「なにをそんなに驚く?」

 

 環太郎が首を傾げる。

 

「い、いや、重賞挑戦ですか?」

 

「オープン競走も勝ったんだ、自然な流れだろうが」

 

 環太郎が環の問いに答える。

 

「そ、それはそうですけど……」

 

 環が顎に手を当てる。

 

「なにか気になることでもあんのか?」

 

「……鞍上は?」

 

「小僧で良いだろう」

 

「それは問題が……!」

 

「なんだよ?」

 

「新人ジョッキーには重賞での騎乗条件というものが……」

 

「それなら例外があんだろ」

 

「え?」

 

「え?じゃねえよ、競竜学校からコンビを組んでいるドラゴンとなら、一年目からでも、勝利数が足りなくても、重賞やGⅠに出れるって特別ルールだよ」

 

「ああ……」

 

 環が思い出して頷く。

 

「分かっただろう?」

 

「ええ……」

 

「それじゃあ、グレンノイグニース号の次走は7月第三週の函館2歳ステークレースだ」

 

「はい……」

 

「小僧もそのつもりで準備しておけよ」

 

「は、はい……」

 

 炎仁が戸惑い気味に頷く。

 

「なんだ、気合が足りねえなあ?」

 

「と、突然のことで驚いてしまって……」

 

「別に他の乗り役に替えても良いんだぞ?」

 

「い、いえ! それは……」

 

「じゃあ、ビッとしろ!」

 

「は、はい!」

 

「勝ちにいくぞ!」

 

「はい!」

 

「話は終わりだ、俺はもう上がるからよ……ご苦労さん」

 

 環太郎が部屋を出ていく。炎仁と環が目を見合わせる。

 

「ど、どうしましょうか?」

 

「決まったのなら仕方がありません。急ではありますが、調教スケジュールを組み直します。紅蓮さんも函館遠征の準備をしておいてください」

 

「も、元々帯同させてもらうつもりでしたけど……」

 

「心構えとしての意味です。グレンノイグニースの騎手として」

 

「! わ、分かりました」

 

 それから数週間後、函館の宿舎の一室で、黒駆厩舎が会議を行っていた。

 

「いよいよ、グレンノイグニース号にとって初の重賞となる函館2歳ステークレースが近づいてきました……」

 

「前置きはいい、話を始めろ」

 

 環太郎の言葉を聞いて、環は一つ咳払いをする。

 

「おほん……6戦5勝という成績から見て、グレンノイグニースが一番人気に推されるということは確実です」

 

「へへっ、我が厩舎からは久々だな、重賞で一番人気っていうのも……」

 

 環太郎が腕を組みながらどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

「当然ですが、他竜からマークされることになります」

 

「マーク……」

 

 炎仁が呟く。環太郎が出竜表を眺めながら告げる。

 

「複数頭出している陣営はいねえ、露骨なブロックはねえから安心しろ」

 

「は、はあ……」

 

「もっとも……重賞ともなると、一流どころのジョッキーたちが出てくる。奴らは阿吽の呼吸で封じ込めに来るかもしれねえな。そうなってくると、ペーペーのお前さんじゃあ、まず対処出来ねえな」

 

「はあ……」

 

 炎仁が顎に手を当てる。

 

「先生、いたずらに不安を煽るようなことを言わないで下さい」

 

 環が環太郎を注意する。

 

「俺はあくまでも可能性を伝えているまでだ。レースっていうのは、最後まで何が起こるかわからねえもんだからな」

 

「それはそうですが……」

 

「だが安心しろ」

 

「え?」

 

 炎仁が環太郎に視線を向ける。

 

「グレンノイグニースが本領を発揮すれば、このレベルでもまず後れは取らねえ……」

 

「そ、そうですか?」

 

「ああ、俺の勘がそう告げている」

 

「か、勘ですか……」

 

「長年の経験からくるものだ、馬鹿には出来ねえぞ」

 

「はあ……」

 

 環太郎の話に炎仁は困惑する。環がもう一度咳払いをする。

 

「おほん……レースは勘だけではどうにもなりませんので、コースと有力竜の確認をします。よろしいでしょうか?」

 

「は、はい、お願いします!」

 

「はい、まずコースですが、函館の芝1200m、スタート位置は向こう正面のポケットからで、そこから第3、第4コーナーまでの800mが上り坂、残りの400mが下りとなっています」

 

「はい」

 

「直線が短いため、先行有利です。本来ならば……」

 

「本来ならば?」

 

「函館レース場と札幌レース場は寒地に適した西洋芝を用いている……」

 

 環太郎が口を開く。

 

「いわゆる洋芝ですね」

 

「そうだ、それにより開催時期が進むと、竜場は重くなる。そうなると……」

 

「そうなると?」

 

「函館開催の最終週に行われるこのレースは差しが決まりやすくなります。後方からでも十分勝負になるということです」

 

「そういうことだ」

 

「なるほど……」

 

「続いて注意すべき有力竜です。まずは『ホロウスター』、逃げ竜ですね。2戦2勝、2勝とも逃げを決めて勝っています」

 

「このレベルだと、ドラゴン同士の実力差というのもあるからな。ただ重賞ともなれば、そう易々と逃げられねえだろう」

 

 環太郎が顎をさすりながら呟く。

 

「もう一頭、『ツヨキモモタロウ』、先行竜です。先々週デビューしましたが、同じコース、距離のレースを楽々と勝ちました。調教の具合を見ると、疲れもないようです」

 

「なかなか良いレース内容だった。2戦目だが、侮れねえな」

 

「最後にもう一頭、『パワードアックス』、差し竜です。グレンノイグニース同様、春先のデビュー、4戦3勝、新竜戦こそ敗れましたが、その後は順調に勝っています」

 

「名前の通り、2歳竜にしては力強い走りを見せるな……」

 

「……以上が注意すべき有力竜です。先生……」

 

「そいつらが注意するのがグレンノイグニースなわけだが……取るべき策は……だ」

 

「「ええっ⁉」」

 

 環太郎の言葉に炎仁と環が驚く。



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第3レース(4)函館2歳ステークレース

「~♪」

 

 ファンファーレが響き、各竜がゲートに入る。グレンノイグニースは5枠8番に入った。

 

「!」

 

「はっ!」

 

「‼」

 

 皆が驚く。グレンノイグニースが大方の予想に反して、逃げに入ったからである。スタンドはどよめく。そのどよめき具合を見ながら環太郎がほくそ笑む。

 

「へへっ、どいつもこいつも驚いていやがるな……」

 

「ここに来てスタートが上手く決まりましたね」

 

「函館に来てから集中的にスタートの練習をさせていたからな」

 

 環の言葉に環太郎が応える。

 

「最初からこういうレースプランを?」

 

「いいや、半分思いつきだ……」

 

「思いつきって⁉」

 

「まあ、見てろって……」

 

 先頭を行くグレンノイグニースはスピードを緩めない。それを見て、ホロウスターが並びかかろうとする。

 

「まあ、そうくるよな……」

 

 炎仁はそれをしっかりと確認する。

 

「……」

 

 ホロウスターがグレンノイグニースに並ぼうとする。ホロウスターの騎手が語りかける。

 

「おいおい! まさか逃げるとは聞いてないぜ……」

 

「それっ!」

 

「なっ!」

 

 炎仁は再びグレンノイグニースを加速させる。ホロウスターの騎手は一瞬迷うが、再びグレンノイグニースを追いかけさせる。

 

「ふっ……」

 

「おい新人よ! そのドラゴンは追込型だろうが! 初めての重賞だからって舞い上がってんのかよ⁉」

 

「えっ⁉ なんですか⁉」

 

「ったく、聞こえてないのかよ!」

 

 ホロウスターが再び並びかけようとする。

 

「おおっ!」

 

「はあ……」

 

「そらっ!」

 

「なっ⁉」

 

 炎仁は三度グレンノイグニースを加速させる。それを見たホロウスターの騎手がたまらずに声を上げる。

 

「おい、そのドラゴンにしてはペース速すぎだぞ! せっかくの一番人気なんだからファンの期待に応えるようなレースをしろよ!」

 

「ええっ⁉」

 

「駄目だ、すっかり舞い上がってやがんな……」

 

「なんですか⁉」

 

「もう良いよ!」

 

 ホロウスターが三度並びかける。グレンノイグニースがずるずると下がっていく。

 

「くっ!」

 

「言わんこっちゃない!」

 

 ホロウスターの騎手が苦笑する。

 

「レースは中盤過ぎです……」

 

「上り坂が終わって下りに入るな……」

 

 環の呟きに環太郎が反応する。するとスタンドから再びどよめきが起こる。グレンノイグニースが最後方近くまで下がったと同時に、ホロウスターをはじめとした先頭集団も失速したからである。

 

「ちっ!」

 

「いただきっす!」

 

「ああん⁉ てめえ!」

 

 4コーナー途中でホロウスターをツヨキモモタロウがかわしにかかる。

 

「これはツヨキモモタロウの勝ちパターン⁉」

 

「いや、まだ分からねえよ……」

 

 声を上げる環に環太郎が笑みを浮かべる。

 

「もらったかな……!」

 

 スタンドから歓声が上がる。もっともレースに集中しきっている騎手たちにはその声はほとんど聞こえないが、気配は感じた。ツヨキモモタロウの騎手が一瞬後ろを振り向くと、斜め後方から、複数のドラゴンが突っ込んできた。

 

「この時期はやはり後方からの差しが決まるな……」

 

 環太郎が呟く。環が叫ぶ。

 

「パワードアックスの脚色が良いです!」

 

「力強い走りだな」

 

「もらったぜ!」

 

「くそっ!」

 

 パワードアックスがツヨキモモタロウをかわして先頭に立とうとする。パワードアックスの騎手が声を上げる。

 

「はっ! こういう硬くて重い竜場には強いな! これからが楽しみだぜ!」

 

「勝利を確信するのはまだ早いですよ!」

 

「なにっ⁉」

 

 パワードアックスの騎手が視線を斜め後方に一瞬向けて驚く。グレンノイグニースが突っ込んできたからである。

 

「レースはここからです!」

 

「な、なんでお前が……後方に沈んだだろう? まさか⁉」

 

 視線を前に戻したパワードアックスの騎手がハッとなる。

 

「そのまさかです!」

 

 炎仁が笑みを浮かべる。

 

「ハイペースはわざと⁉ 死んだふりしていたのかよ⁉」

 

「そうです!」

 

「新人の癖に少々生意気だぜ!」

 

「レースに新人もベテランも関係ない!」

 

「‼」

 

「うおおっ!」

 

 グレンノイグニースがパワードアックスに並びかける。

 

「舐めるなよ!」

 

 パワードアックスも粘りを見せる。

 

「そっちこそ、イグニースの勝負根性を舐めるな!」

 

「⁉」

 

 グレンノイグニースがさらにひと伸びし、ゴール直前でパワードアックスをかわず。

 

「いっけえええ!」

 

「グレンノイグニース、一着! 今年の函館2歳ステークレースはグレンノイグニースが制しました! これで破竹の6連勝です!」

 

「よっしゃあ!」

 

 炎仁が派手なガッツポーズを取る。

 

「やったあ!」

 

 スタンドでは環が環太郎に抱き着く。

 

「お、おい、はしゃぎすぎだ!」

 

「だって、うちの厩舎久々の重賞勝利ですよ⁉ 今はしゃがないでいつはしゃぐんですか⁉ しかし、紅蓮さん、見事な騎乗でしたね……」

 

「集中するマークを逆手に取って、こちらのペースで動かせてもらったな。まさか重賞初騎乗の新人がレースをかき回すとは誰も予想しなかっただろうな」

 

「これは本当に……ひょっとするとひょっとするかも?」

 

 環太郎と環がファンの声援に応える炎仁とグレンノイグニースを笑顔で見つめる。



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