【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 (旧王朝史編纂所教授)
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序文

 ゴールデンバウム朝銀河帝国(以下、旧帝国)の歴史研究は、ほぼ未開拓の状態にあると言わざるを得ない。旧帝国下では「銀河帝国皇帝は神聖にして不可侵である」とのテーゼ、それによる不敬罪の厚い壁に阻まれて、政治史の実証研究はほぼ不可能であった。監修者自身も、斬鬼の念を以て回顧するが、旧帝国の歴史学者とは、歴代の帝国皇帝が如何に偉大で、無謬の存在であるかを「証明」する事だけが存在意義であった。

 

 そして、意外な事に、これは旧帝国の敵国・自由惑星同盟においても、同様の状態であったという。ローエングラム朝(以下、新帝国)の開闢以来、開祖ラインハルト陛下、また摂政皇太后ヒルデガルド陛下の方針により、同盟、またフェザーン自治領で、歴史研究に従事していた人材が多数、我が学芸省に採用された。彼らの証言によると、同盟での旧帝国史研究は、ルドルフ大帝=絶対悪、銀河帝国=銀河連邦の簒奪者、というイデオロギー的史学が主流で、実証史学派は学会の非主流派、アカデミズムから放逐される事さえあったという。なお、フェザーンでは、その国体から旧帝国と同様の状態にあり、また経済都市国家という性格上、歴史学の如き文系基礎学に集まる人材は乏しかったという。

 

 しかし、新帝国の方針で、今まで不敬罪の厚い壁の中に封印されてきた、帝室及び各貴族家の一次史料が一般公開された。そして、同盟・フェザーンから齎された両国の文献史料、さらに、件数は少ないながらも、旧帝国の帝室及び同盟に伝わっていた銀河連邦末期の史料など、旧帝国史の研究において、まさにエポックメーキングとも言える時代となった。

 

 現在、我が学芸省では、開祖ラインハルト陛下のご遺志に基づいて、旧帝国史を総覧する「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂作業に取り組んでいるが、その過程で、旧帝国の歴代諸帝の実態が明らかになってきた。監修者自身は、旧帝国下で歴史学者を名乗っていた事もあり、大多数の帝国臣民より、歴代諸帝に関する知識はあると自負していたが、新史料が語る諸帝の御姿は、時には偉大で、時には卑小で、また時には人間臭く、齢60歳を超えた監修者にとっても、諸帝の御霊に対して失礼ながら、新鮮な驚きと尽きせぬ興味を喚起してやまない。

 

 本シリーズは、旧帝国史を学ぶ学生、また旧帝国史に興味がある臣民を対象に、歴代諸帝に関する記述を中心とした旧帝国史の概説書である。本書を契機に、旧帝国史研究を志してくれる若者が現れてくれたならば、監修者及び筆者一同、これに勝る喜びはない。

 

 なお、本シリーズの体裁として、現在の帝国史学会で通説となっている時代区分論に基づき、約500年に亘る旧帝国史を分類、各時代名称を巻名として、当該時代に属する諸帝の記述を中心に纏めたが、読者諸氏の理解を助けるため、当時の政治・社会状況についても、現時点での定説を中心に記述した。さらに、定説には至っていないが、各執筆者の研究成果に基づく見解も「私見」として適宜、記載した。旧帝国史研究の最前線を感じて頂ければ幸いである。

 

 また、読者諸氏の興味を喚起するため、歴史書にはややそぐわないゴシップ的な内容も「コラム」として随所に掲載した。神聖不可侵と言われ続けてきた歴代諸帝の人間性や、現在まで続く貴族家の歴史など、読者諸氏には新鮮と感じられる話題を提供できたのではないかと自負している。

 

 最後に、第34代フリードリヒ4世~第36代カザリン・ケートヘン1世の御代については、監修者らにとって、直接見聞した時代である事、また関係者が多数、存命である事、歴史事実として確定しているとは言い難い事、これらの事情を鑑み、上記3代に関する記述は、基本的な事実以外は、全て監修者及び各筆者の私見である事を申し添えておく。読者諸氏の御理解と御寛恕を賜りたい。

 

 末筆ながら、本書の執筆を支援してくれた、学芸省の職員諸君と愛する家族たちに、本書を捧げたいと思う。

 

                    監修者

                    ローエングラム朝銀河帝国 学芸尚書

                    史学博士 レオポルト・フォン・ゼーフェルト

 



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第1巻「建国期~ルドルフ大帝」【はじめに】
【はじめに】


 ルドルフ1世(大帝・雷帝)

 

 生没年:宇宙歴268年~帝国暦42年 在位:帝国暦1年~42年(42歳で即位・83歳で崩御)

 

 銀河連邦の「終身執政官」ルドルフ・ゴールデンバウムが「神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」に即位し、宇宙暦を廃止して、帝国暦元年を定めた時、ゴールデンバウム朝銀河帝国の歴史は始まった。

 

 銀河帝国の成立を以て、銀河連邦は完全に滅亡、全人類社会は帝国の完全なる支配下に置かれたという言説が一般的だが、実態は大きく異なる。末期の銀河連邦政府は、加盟諸国を統制する能力を喪失した、レームダック(死に体)状態であった。

 

 ルドルフ台頭時、固有の武力と高い経済力を有する星系政府は、名目上、連邦体制に留まってはいたが、実際は連邦法で禁じられている軍備拡張と独自外交に走り、政府間紛争は頻発。また中央の統制下を離れた連邦軍が各地で軍閥化し、独立路線を取る星系政府と離合集散を繰り返した。さらに、民間軍事会社という形で武力を手に入れた企業群が国家の統制下を離れて、非合法なダーティビジネスで富を集積。それら企業群を後ろ盾とした宇宙海賊やマフィアが横行するなど、当時の人類社会は、シリウス戦役後の戦国時代へ回帰しようとしていた。

 

 連邦軍人として世に出たルドルフは、降伏と裁判を望む宇宙海賊に対して、即時の撃沈を以て応じるなど、武断的な措置で非合法集団を断罪してみせた。また、彼らから没収した富を「正当なる所有者に返還する」と称し、人民に対して分配する事も行った。

 

 それは確かに、ルドルフが権力を獲得するための手段、人気取り政策でしかなかったのかもしれないが、社会の混乱と貧富の格差に絶望していた一般有権者、特に低所得者層は、自分達の生活を守ってくれる真の政治家だと熱狂的に支持した。

 

 だが一方で、連邦体制の既得権益層は、ルドルフを自身の地位と立場を脅かす存在だと白眼視しており、特に戦争や犯罪で莫大な利益を得ていた企業群と、それらと結託した軍閥、犯罪者集団からは、明確に敵視されていた。

 

 ルドルフが連邦首相となり、終身執政官を経て、銀河帝国皇帝に即位しても、上記の如き状況が劇的に変化した訳ではない。当時の銀河帝国は、人類社会のワン・オブ・ゼムでしかなく、内外に敵を抱えていた。約40年に亘る皇帝ルドルフの治世は、それらの敵対勢力を打倒するために費やされたと言っても過言ではない。

 

 本書では、銀河帝国が内外の敵を打倒し、如何にして人類社会唯一の政体として、自己を確立できたのか、そして、ルドルフという権力者は、銀河帝国を如何なる国家としてデザインしたのか、それらの問いに答える事を目的としたい。



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第1章 銀河帝国前史~ルドルフ誕生から皇帝即位まで~
第1節 生い立ち~連邦軍人として活躍


 


 銀河連邦の首都星テオリアに生まれる。父セバスティアンは、銀河連邦軍の軍人で、主に教育関係のポストを歴任した軍官僚。特に、連邦軍士官学校では、テロ対策や治安維持に関する講義の担当教官として、高い評価を受けていた。ルドルフは幼少時代より、父親から直接、軍人教育を受けており、自身が軍人を志したのも、父親を尊敬するからであると、後年に著した自叙伝で語っている。

 

 なお、セバスティアンは、政治家や資本家と結託し、猟官運動や蓄財にのみ精を出す当時の連邦軍上層部に対して批判的であり、後年、教え子の一人が連邦政府へのクーデター未遂事件に加担した際、上層部から疎んじられていたセバスティアンも、クーデターへの関与を疑われ、軍法会議で不名誉除隊処分を受けている。その事を恥としたセバスティアンは、除隊処分の翌日、自室で拳銃自殺を遂げたと伝えられる。

 

 当時のルドルフは新任の法務将校として、リゲル航路警備部隊に着任していたが、父の死後、今まで以上に軍隊内の非行を弾劾するようになり、結果として、宇宙海賊のメインストリートと称されたペデルギウス方面への転任を余儀なくされている。

 

 青年ルドルフの行動原理として、腐敗した軍上層部の意向で、無念の死を強いられた父への想いがあった事は想像に難くない。また後年、ルドルフは銀河連邦の実権を握った後、父の裁判をやり直させ、父が冤罪であった事を表明。改めて当時の連邦政府と連邦軍の癒着と腐敗を弾劾したが、父親への哀惜の念が銀河連邦への憎悪に転化し、さらには、連邦という国家それ自体の滅亡を志向したのでは、との見方をする史家もいる。

 

 少尉から中尉に昇進の上、ペデルギウス方面に転任させられたルドルフは、宇宙暦290年、同方面警備部隊の第13警備中隊長に着任。当時ルドルフは22歳、実戦部隊の長を務めるのは初めてであったが、法務将校時代の経験を活かし、中隊内の非行、特に上官から部下へのハラスメント、暴力は厳罰を以て取り締まり、綱紀粛正を図った。部下達の信頼を得たルドルフは、宇宙海賊との戦闘では先陣を切って突撃し、他の部隊とは一線を画す勝率を誇った。

 

 この点を評して、旧帝国ではルドルフの軍事的才能を称揚するのが一般的だったが、当時の戦闘報告書によると、前線指揮官としてのルドルフは、それほど巧みな戦術を駆使した訳ではなかったが、その高いカリスマ性と命を惜しまない敢闘精神のため、部下たちが挙って勇戦し、結果として連戦連勝し続けた、というのが真相のようだ。後世、扇動政治家として非難されるルドルフだが、軍人としては率先垂範するタイプであり、決して無能でも臆病者でもなかったと言える。

 

 宇宙暦292年、ルドルフは少佐に昇進、同警備部隊司令部の作戦主任参謀に着任すると、ペデルギウス方面全体の宇宙海賊討伐戦を管掌する事になった。この頃から、ルドルフは、宇宙海賊という存在の背後には、中央で富を独占する大企業、資本家がいる事を認識するようになった。

 

 当時、首都星テオリアに本社を置く多星系企業は、軍事会社という傭兵集団を抱え、ライバル企業へのテロ行為も辞さなかったが、自社の軍事会社社員に宇宙海賊を装わせて、ライバル企業が船主の輸送船を襲撃し、積み荷を奪うという略奪行為さえ行っていた。結果、主要航路の治安は悪化し、警備料が上乗せされた結果、首都星から離れた星系の物価は高騰し、地方星系に住む住民たちの生活苦に拍車をかけていた。

 

 ルドルフはこの現実に深く憤り、宇宙海賊を装った軍事会社の宇宙船を自ら拿捕すると、大企業への警告として、裁判なしの即時撃沈も辞さなかった。海賊の横行に苦しめられていた住民は拍手喝采したが、これは連邦軍へも強い影響力を有する大企業の尾を踏みつける行為でもあった。

 

 宇宙暦293年、ルドルフは命令不服従の罪で憲兵隊に逮捕され、軍法会議への出頭を命じられる。逮捕の背景には、軍上層部に働きかけた大手輸送会社の存在があったとも言われるが、詳細は不明。階級剥奪と軍刑務所への収監は避けられないと見られていたが、ペデルギウス星系を中心に、ルドルフの釈放を求める市民デモが繰り返され、最終的には、同星系政府が連邦軍に対して、正式にルドルフ釈放を求める事態にまで発展した。世論の高まりを無視できなくなった連邦軍は、ルドルフは上官の命令に不服従ではあったが、その行為は現場指揮官の裁量の範囲内だったとして、本人の予備役編入を以て、事態の収束を図った。

 

 なお、ルドルフ釈放に至る一連のデモ行為を主導して、ペデルギウス星系政府を動かしたのは、同星系で星間輸送会社を経営する若き財界人で、中央の大手輸送会社と競合関係にあった、アルブレヒト・クロプシュトックだった。この事が縁となり、クロプシュトックはルドルフが銀河帝国皇帝に即位すると、建国の功臣として、内閣書記官長・財務尚書・内務尚書を歴任する事になる。

 



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第2節 ペデルギウス時代~星系政府首相に就任

 宇宙暦294年、26歳のルドルフは、ペデルギウス星系政府首相、イブン・エル・サイドの招請を受け、同星系政府の治安維持部隊司令官に就任、星系政府軍准将となった。エル・サイド首相の目論見は、市民に人気が高いルドルフの政治的スポンサーとなり、星系政界における自身の立場を強化する事だったが、若きルドルフにとり、政治家の思惑など関係なく、ただ憎むべき海賊どもを討伐できる事に、深い満足感を覚えていた。後年、強かで老練な政治家となるルドルフだが、まだこの時は、理想と正義感に燃える若き一軍人に過ぎなかった。

 

 だが、ルドルフとエル・サイド首相の蜜月関係は、すぐに破綻した。ルドルフは、宇宙海賊を装った大企業の私兵集団(軍事会社社員)も、抵抗・逃亡すれば即時撃滅するなど、呵責の無い措置を断行し続けたが、中央の大企業と決定的に対立する事を避けたいエル・サイド首相は、ルドルフの武断的な措置を危惧し、しばしば制止、叱責するようになった。ルドルフもまた、エル・サイド首相の態度に不満と不信を高めていった。

 

 この状況を逆に好機としたのが、ルドルフ釈放の市民デモを主導したと見られる財界人・クロプシュトックである。ルドルフの高い人気と海賊討伐の実績を以て、まず星系議会議員選挙に立候補させ、ゆくゆくは星系政府首相に擁立できれば、長年の夢だった連邦からの独立も可能だと、密かにルドルフと交渉。エル・サイド首相の優柔不断さに我慢できなくなっていたルドルフも、クロプシュトックの提案を受け入れ、自ら政治家となる決心を固めた。

 しかし、治安維持部隊の指揮権を手放す事を危惧するルドルフに対し、クロプシュトックは、政府基本法(憲法に相当)に、公務員の兼職禁止規定が明文化されていない事が利用できるとアドバイス。司令官在職のまま、星系議会議員選挙に立候補。見事、議席を獲得する。

 

 この事態に驚倒したのがエル・サイド首相である。番犬的存在と見なしていたルドルフが自身の統制から外れる事を危惧し、例え明文化されておらずとも、権力の分立と相互監視の観点から、公職の兼任は不適切だと議員辞職を勧告するが、有権者はむしろルドルフを擁護し、逆にエル・サイド首相が市民からリコールを受ける事態に陥った。この勢いに乗るべきと、クロプシュトックは周囲の経営者と語らい、エル・サイド首相へのリコールを扇動、ルドルフの擁立に動く。結果、宇宙暦295年、リコール後の議会内選挙の結果、ルドルフはペデルギウス星系政府首相に就任する。

 

 なお、リコールの結果、首相辞任を余儀なくされたエル・サイドは、首相在任中、中央の大企業からリベートを受け取っていた事を暴露され、星系議会議員も辞職、政界引退を表明した。引退後は首都星テオリアに移住し、政治家時代の縁故を頼り、細々と生活していたと伝えられるが、詳細は不明。息子のハッサン・エル・サイドは後年、テオリアの地方自治体議員から立身して、連邦議会下院議員にまで上り詰めるが、ルドルフが銀河連邦の政界で台頭してくると、激烈な反ルドルフ活動を展開する事になる。

 



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第3節 ルドルフの政治~ペデルギウス星系

 首相就任後のルドルフは、クロプシュトックら地元財界人の期待に応え、中央に本拠を置く大企業の横暴と、連邦政府の無為無策ぶりを弾劾。「私は政府首相として、このペデルギウス星系に住む市民の安寧と幸福を第一に考える」と発言。多星系企業のペデルギウス支社を強制捜査して、脱税や労働基準違反など違法行為の証拠を押収すると、支社長以下幹部社員の逮捕、追徴課税の名目で企業資産の没収を断行した。

 

 宇宙海賊やマフィアなどの犯罪者集団に対しては更に厳酷で、抵抗した構成員の即時銃殺、資産の没収はもとより、「犯罪者を罰するのに善良な市民が納めた税金を使用する事は、常識としてあり得ない」と、逮捕された構成員は原則、未開拓惑星で開拓作業に従事させ、食料や日用品は全て自給自足させるという労働刑に処した。

 

 また、公職にある者は、自らを厳しく律しなければならないと、議会議員や政府職員の汚職や怠慢を摘発するために、市民からの申告制度を設けた。申告内容は全てメディアを通じて公開。申告された議員や職員の実名や所在地も報道された。そして、その申告が仮に間違っていたとしても、市民からそのような目で見られた事自体が公職にある者として許されないと、申告した市民の責任は問わないとした。

 

 その一方で、これまで行政の怠慢や大企業の横暴で苦しめられてきた善良な市民を救わねばならないと称し、脱法企業や犯罪者集団から没収した資産は、星系市民への補償金として分配したほか、年収額が一定以下の全市民を対象に、毎月、一定額を支給する基礎的所得保障制度を創設。この他、戦傷を受けた退役軍人や、労働災害にあった労働者は、社会のために献身した英雄として顕彰、特別弔慰金制度を設けた。

 

 これら急進的な諸政策には、各所から強い批判が出された。特に、資産没収の憂き目にあった多星系企業は、財産権の不当な侵害、連邦法違反だと、連邦裁判所への申し立てを行ったが、ルドルフは「不当行為で得た財産を保護する法など無い。もしそのような法律があるというならば、それは法律が間違っているのだ。少なくとも、我が星系には、犯罪者を擁護するような法は存在しない」と発言。連邦裁判所の判決内容によっては、連邦からの脱退も辞さない、軍隊を用いても、我が星系と星系市民を保護すると述べた。

 

 このルドルフの強権的発言は、いわゆる良識人の眉を顰めさせたが、ペデルギウス星系市民の支持は、熱狂から崇拝の域に達しようとしていた。

 そして、ルドルフこそ市民を守れる真の政治家だと、その強権路線に追随する者たちが現れてきた。彼らは主として、連邦の現状を深く憂い、改革の必要性を叫ぶ若い政治家や各政府職員、連邦軍人、財界人などであったが、彼らにとって、強く、揺るぎないルドルフは、自分達が待ち望んでいた理想のリーダーだった。

 

 宇宙暦296年、ルドルフは政治に専念すると称し、ペデルギウス星系政府・治安維持部隊司令官を辞任、同時に軍籍を退いた。この時、星系議会全議員の推薦を受け、ルドルフは星系政府軍少将に進級している(同政府軍は少将が最高位)。

 

 また同年、ルドルフは「ペデルギウスから銀河連邦改革の狼煙を上げる!」として、自らに賛同する連邦議会議員や、各星系議会の議員たちと語らい、地域政党「国家革新同盟」を立ち上げて、党首に就任している。連邦議会の定数(上院300名・下院500名)に対して、上下院あわせてわずか10議席を占めるだけの革新同盟は、設立当初、所詮は人気頼みの泡沫政党に過ぎないと、古参の議員やメディア達から憫笑を以て語られる存在でしかなかったが、わずか数年後、革新同盟は上下院の約8割を占める巨大政党と化した。



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【解説】銀河連邦の議会制度

 本論からはやや外れるが、大多数の読者には馴染みが薄いと思われる連邦の議会制度について、読者の理解を助けるため、解説しておきたい。

 

 銀河連邦は約300に及ぶ星系政府や特別自治区が連合した連邦型国家である。その成立上、各星系政府の独立性は極めて高く、連邦議会の制度も、その事情を反映している。

 

 連邦議会は上院・下院の二院制であり、各院の定数は時代によって多少の変動はあるが、凡そ上院は300、下院は500程度で推移している。これは各院の成立事情に由来している。

 

 上院は、銀河連邦に加盟する各政府の代表者会議に端を発しており、人口・面積に関わらず、各政府に1議席ずつ割り当てられている。選出方法は政府ごとに異なるが、政府代表者(首相など)が連邦議会上院議員になる例が多い(ルドルフも、ペデルギウス星系政府首相に就任すると、自動的にペデルギウス星系選出の連邦議会上院議員になっている)。

 

 対して、下院は宇宙航路の維持管理など、複数の星系に跨る政策課題について、広く連邦市民の民意を聴取する場として設立。各星系に最低1議席が割り当てられるが、残りの議席は人口比によって案分される(ちなみにペデルギウス星系は、ルドルフの首相就任時、計3議席が割り当てられていた)。

 

 下院議員の任期は4年、被選挙権を有する20歳以上の連邦市民であれば立候補できる。下院の主な役割は、連邦政府が提出した議案の審議と採決。そのために、政府の各省庁に対応した常任委員会を設置、委員会で可決された議案は、年4回開催される定例会で採決される。また、下院議員は議案の提案権を有し、議員提案の議案も政府提出の議案と同様、各委員会に付託され、可決された後、定例会で採決される。

 

 また、下院は各星系の利害を超えて、広く連邦市民の民意を反映する機関とされている事から、連邦の行政を統括する政府首相は、必ず下院議員から選出されなければならない、と規定されている。制度上、全下院議員が首相候補になるが、実際の運用では、4年に一度実施される首相選挙時、立候補の意思を表明した下院議員の中から、連邦市民の直接選挙(国民投票)で選出する形が取られている。

 

 首相に当選した議員は、各省庁の大臣と内閣官房長官を選任し、自身の内閣を組閣する。また、首相の権利として、若干名の無任所大臣を任命する事が出来るが、内閣を構成する大臣の過半数は、民意を尊重するため、下院議員でなければならない、と規定されている。なお、上院議員は大臣にはなれない。

 

 対して上院は、下院で可決された議案を再審議し、採決を下す事が主な役割。これは、連邦政府が各星系政府の意向や考えと乖離しすぎる政策を強行しないための措置。よって、上院は連邦政府と下院の暴走を抑止する、チェック機関だと定義される。ただし、星系政府のエゴを抑制するため、上院で否決された議案でも、60日以内に下院で再可決されれば、その採決が優先されると規定されている。なお、上院議員は下院議員とは異なり、議案提案権を持たない。

 

 上院の特徴として、国家元首を選出する権能を有する事が挙げられる。元首の任期は2年、全上院議員の互選で選出され、上院議長を兼務する。形式的なものではあるが、上下院で可決された議案は、元首が署名する事で正式に法律として公布される。

 

 また、元首の権能として、各星系政府に対する調査権、懲罰権がある。これは、各星系政府が連邦法に違反する行為をしている疑いがある場合、立ち入り調査する事ができる権限であり、調査結果は上院に報告される。元首は違法行為があった星系政府に対して、上院の承認を得た上で、連邦軍の出兵を含めた懲罰を課す事が出来る。

 

 この他、上下院と司法機関、また連邦軍との関係もあるが、本書の主旨とは関係が薄いので割愛する。興味のある読者は、その分野の専門書を参照して頂きたい。ルドルフが銀河連邦で台頭し、終身執政官という独裁者になった事との関連でいうならば、連邦政府首相は下院議員でなければ就任できない事、連邦の元首は上院議員の互選によって選ばれ、各星系政府への懲罰権を有している事、この2点に留意して頂きたいと思う。



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第4節 連邦政府首相・国家元首への道

 宇宙暦296年、28歳のルドルフは、ペデルギウス星系政府首相と連邦議会上院議員を兼任し、地域政党「国家革新同盟」党首の地位にあった。この時点でのルドルフは、過激な言動で有名になったポピュリスト的政治家の一人に過ぎず、銀河連邦の中央政界で確固たる地位を築いていた訳ではなかった。当時の中央政界は、有力な星系政府や各省庁、連邦軍、そして企業群などを後ろ盾にした政党が離合集散を繰り返し、連邦市民の民意を体現する場所であるはずの下院は、各々のスポンサーの意向を受けた政党がパワーゲームを繰り返すだけの場に堕しており、首相選挙は派閥力学と選挙動員の結果か、もしくはアイドルの人気投票さながら、政治家としての識見や手腕ではなく、上辺だけの発言や容姿を基準に選ばれる有様だった。

 

 若きルドルフにとって、初めて目の当たりにした中央政界の現実は、あまりにも愚劣で、唾棄すべきものだと映った事は想像に難くない。ルドルフがいつから独裁者を目指そうとしたのかは諸説あるが、公開された新史料の中に、当時のルドルフが腹心達に送った書簡の写しがあり、その一節に「…貴下の提案は興味深く拝見した。政府首相と国家元首の兼任を禁止する明確な規定は無い、兼任の前提として、同一人物が上下院議員に就任する必要があるが、政治力学上、同一選挙区内で、事実上の議席減が許容される事は無いから、不文律と化しているに過ぎない、との指摘は新鮮だった。我がペデルギウス星系選挙区から、上院議員たる私が下院議員選挙に出馬する事は可能なのだろうか?貴下のご教示を乞う」とある。

 

 当時のルドルフが首相と国家元首の兼任を意識しており、自身にそれが可能かを検討していた事、またルドルフに独裁権力の掌握を使嗾する存在がいた事は注目に値する。以下、詳述していくが、今後のルドルフは、政府首相と国家元首の兼任を目的に行動していく事になる。それは、人気頼みのポピュリスト的政治家から、強固な政治基盤を有するしたたかな権力者へと、ルドルフが脱皮していく過程でもあった。

 

 宇宙暦297年、当時の政府首相、ジョルジュ・ルナールは内閣不信任決議案が可決された事を受け、下院議会を解散、総選挙に打って出る事を選択した。ルナール首相は、保守系政党「民主自由党(DLP)」党首で、ヴェガ星系を主な地盤とする、複数の軍需企業をスポンサーにした国防族議員。良く言えば老練、悪く言えば腐敗した、古参の利益誘導型政治家。不信任決議のきっかけは、年中行事と化したような汚職事件だった。

 

 DLP所属の国防大臣が新型兵器導入に関して、特定の軍需企業からリベートを受け取った容疑で逮捕され、議員辞職に追い込まれたが、首相自身もリベートを受け取った疑惑が浮上。野党からの追求に対し、ルナール首相は自身の関与を否定したが、一方、自身への捜査を中止させるよう、検察機関への指揮権発動を法務大臣に指示していた事を暴露され、世論が沸騰。野党各党は倒閣のチャンスだと、共同で内閣不信任決議案を提出。その中に、ルドルフ率いる国家革新同盟の姿もあった。

 

 ルドルフは、この倒閣運動を千載一遇の好機と捉えた。この倒閣が成功して、首相が解散総選挙に打って出るなら、以前より画策していた下院議員選挙への出馬時期が早まると判断し、激烈な首相批判を展開。ペデルギウス星系で実施した申告制度の実績を引き合いに、公職にある者は疑惑を持たれる事自体が罪だ、との持論を展開。もし首相が自身の潔白を証明したいのならば、指揮権発動のような姑息な手段では無く、正々堂々と民意を問うべきだと主張。また、贈賄側の軍需企業に対しても、即時の強制捜査を実施、違法行為が明らかになった時は、政府主導で業務改善を断行。期限内に実施できなければ、政府の管理下に置いて、国有化も視野に入れるべきだと、強硬論を主張した。政治家や大企業などの既得権益層に不平不満を抱いていた市民は拍手喝采し、世論の高まりを受けて、与野党では即時の解散総選挙を望む声が高まってきた。

 

 同年9月、与党内部の突き上げに抗しきれなくなったルナール首相は、解散総選挙の実施を表明。ルドルフは上院議員のまま、ペデルギウス星系から下院議員選挙に出馬する事を表明。事実上の議席減(同星系選挙区は、上院議員1議席、下院議員3議席と、計4議席が割り当てられており、ルドルフが上院議員のまま、下院議員に当選してしまうと、4議席のうち、2議席が同一人物によって占められるため、後2人しか議員になれなくなる)となる行為に、同星系の反ルドルフ派からは「同一人物への権力の集中は、権力分立を定める連邦基本法(憲法に相当)の精神に反する」と、憲政論を名目にした批判が上がったが、ルドルフは「選挙は何のために行うのか?市民諸君の意思を実現できる、力量のある政治家を選ぶためだ。この私、ルドルフ・ゴールデンバウムに、その力量が無いというならば、市民諸君、どうか投票をしないで欲しい。より力量ある政治家を選んで欲しい。市民諸君には、その権利があるのだ」と演説。ルドルフはペデルギウス星系選挙区で、過去最多となる得票数でトップ当選する。また、この時の選挙で、今やルドルフの腹心の一人、政治・経済のブレーンとなっていたクロプシュトックも下院議員に当選、国家革新同盟の書記長に就任する。

 

 同選挙で大きく議席を減らした民主自由党は、ルナール首相の退陣と共に、野党に転落。代わって、倒閣運動を主導した野党第一党の「国家社会革新連盟(NSIF)」が躍進。ルドルフ率いる国家革新同盟も議席を伸ばし、下院6議席が35議席に増加、上下院あわせて39議席となった。NSIF総裁、トニオ・グリマルディは総選挙の勢いのまま、首相選挙に当選。ルドルフは倒閣運動の論功行賞として、また国防族だったルナール前首相の影響力排除を期待されて、初当選議員にも関わらず、グリマルディ内閣に国防大臣として入閣した。

 

 大臣として国防省に乗り込んだルドルフは、あらゆる汚職・不正・怠慢を一掃するとして、ルナール前首相と近かった軍需企業との入札契約を一から見直して、ほんの僅かでも疑惑があれば、契約内容を破棄、入札資格を停止した。

 また、ペデルギウス星系で実施した、市民からの申告制度を連邦軍、国防省職員、同省と取引がある企業にも適用するとした。ルドルフの強権的手法に職員や企業は反発したが、世論の圧倒的支持があるルドルフの勢いに抗する事は出来なかった。提訴などの手法でルドルフに対抗した職員や企業もいたのだが、免職や降格、辺境への左遷、入札停止などの措置を執られると、連邦軍と国防省界隈でルドルフに逆らう者はいなくなった。

 

 なお、グリマルディ首相に直訴する者もいたが、首相はニュースキャスター上がりの若手政治家、容姿と弁舌と女性人気だけで議員になった、と評されるような人物。指導力など皆無で、倒閣運動の熱気が冷めて、グリマルディ首相の無能ぶりが明らかになってくると、市民は連邦軍と国防省の「改革」に邁進するルドルフこそ、次のリーダーであると注目するようになり、首相は自身の地位を守るため、逆にルドルフに追従する有様だった。

 

 政権内部で存在感を高めてきたルドルフは、支持者以外の個人や団体を自身の傘下に収めるべく、密かに行動を開始した。ルドルフが凡百の大衆政治家ならば、これまでのポピュリスト的発言で得た有権者の支持に満足していただろうが、移り気な有権者の好意など、到底当てに出来るものではないと見切っていたルドルフは、これまで敵対していた既得権益層の切り崩しと取り込みを始めた。その手法は、「分断して統治する」、古典的なマキャベリズムそのものだった。

 

 一例を挙げよう。倒閣運動のきっかけとなった軍需企業へのバッシングの最中、批判されている企業のライバル会社に接近、世論を喚起して攻撃する代わりに、自身への支持を求めた。また、バッシングしている企業に対しても、現在の経営陣と対立する派閥に接近して、世論の力で経営陣を退陣させる代わりに、自身への支持を求めた。他の企業群や政府内の官僚グループ、連邦軍内の諸派閥、あるいは労働組合などの各種団体など、即ち政治的、経済的なパワーを持つ団体であれば、悉く対象となった。

 

 この方面で陣頭指揮を取ったのが、国家革新同盟書記長となったクロプシュトック、後の初代国務尚書にして、当時はテオリアの自治体議会議員だったヘルマン・ハーン、さらには、元連邦軍人のエルンスト・ファルストロングら、ルドルフの腹心たちである。特に、ファルストロングは、ルドルフの父・セバスティアンが士官学校の教官だった時の教え子。ルドルフとは学生時代からの友人同士で、ルドルフがペデルギウス政界で台頭すると、連邦軍人の職を擲って、ルドルフの下に馳せ参じた人物。情報戦、治安戦のプロフェッショナルとして、盗聴や尾行、脅迫など、非合法な行為を指揮した。

 この時、ルドルフの周囲には、クロプシュトックやファルストロングら有為な人材が集まって、多士済々というべき状態にあった。彼らの多くは、ルドルフ即位後、銀河帝国の政府や軍部で要職に就き、帝国貴族に列せられる事になる。

 

 宇宙暦300年、グリマルディ首相が任期満了を迎えると、満を持してルドルフは首相候補に名乗りを挙げた。当時ルドルフは32歳、銀河連邦史上、最年少の首相の誕生だった。若き英雄の誕生に市民は熱狂、翌301年に実施された下院議員選挙はルドルフ一色、対立軸は親ルドルフか、反ルドルフか、でしかなく、国家革新同盟は大躍進、上下院あわせて400議席を超え、上下院で単独過半数を達成した。その勢いは衰えず、宇宙暦302年、34歳のルドルフは、上院内選挙の結果、国家元首(上院議長)に就任した。遂に、政府首相と国家元首の兼任という、連邦史上初の「偉業」を達成した。

 

 ルドルフがペデルギウス星系首相に就任したのは宇宙暦295年、そこから僅か5年で、連邦首相に登り詰める事が出来たのは何故か、後世、議論の対象になっているが、旧帝国ではその超人性に、同盟ではその悪辣さにと、属人的要素のみに答えを求める傾向にあった。

 

 確かに、銀河連邦のロストコロニーから同盟を経て伝来した、当時の反ルドルフ政治家が遺したメモワール(回想録)の一節に「ルドルフとは、決して一対一で会ってはならない。どれほど奴の事を嫌っていても、奴と一対一で話した後は、奴の事を信じている自分がいるのだ。奴はある種の怪物だ。どれほど警戒しても、し過ぎるという事は無い」とある。

 

 軍人時代、部下達を勇戦させたカリスマ性は、政治家になっても健在だった。ルドルフが自身の能力、魅力により、多数の有権者の支持を集め、独裁者への階段を駆け上がった事は事実だろう。しかし、ルドルフが台頭する以前から、大衆迎合的で、強硬論を主張するポピュリスト的政治家が有権者の支持を集めていた事も事実なのだ。ルドルフという強力な一個人と、強権政治を求めていた有権者達、彼らの「共振」が独裁者ルドルフを産み出したと言えるのではないだろうか。



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第5節 ルドルフの政治~銀河連邦

「強力な政府を!強力な指導者を!社会に秩序と活力を!!」

 

 統治者ルドルフの政治思想を端的に表すフレーズとして広く人口に膾炙しているが、初めて披露されたのは、宇宙暦300年、ルドルフが連邦史上最年少の首相に就任した際、上下院合同会議で行った施政方針演説だったとされている。同演説の中で、ルドルフ自身がこのフレーズを解説しているので、以下、少し長いが、該当部分を引用する。

 

「…政治の目的は2つしかない。市民の安寧と幸福、この2つだ。では、市民の安寧と幸福を実現するため、如何なる政治を行うべきなのか。その答えもまた2つしかない。社会に秩序と活力を与える事だ。秩序とは何か、市民の生命と財産が不当に奪われない事だ。活力とは何か、市民が社会の一員として生業に励める事だ。そう、具体的に言うならば、治安維持と雇用確保、我が施策はこの2つに集約できるのだ。

 ここで議員諸氏に問う。政治の本質とは何か。それは力である。力なき政治は無力である。無力な政治が何をもたらすか。連邦の惨状こそが答えである。力なき政治は、市民の生存と安寧に対し、害悪でしかないのだ。今、求められるものは、強力なる指導者が率いる、強力なる政府である。連邦首相に就任した私、ルドルフ・ゴールデンバウムは誓約する。市民の生存と安寧を守る強力な指導者になる事を!強力なる政府を率いる事を!我が力は全て、市民の生存と安寧のために用いる事を!今こそ、強力な政府を!強力な指導者を!社会に秩序と活力を!!銀河連邦に栄光あれ!!」

 

 皮肉な言い方をするならば、どれほどルドルフを否定している者でも、彼を有言不実行だと誹る事は出来ないだろう。宇宙暦300年から308年まで、3期9年間にわたる首相ルドルフの政治は、まさに治安維持と雇用確保を目的としたものだったからだ。ルドルフの価値観に沿った内容ではあるが、との前提はあれども。

 

 ルドルフは、あらゆる犯罪を一掃し、犯罪の温床となるものを撲滅する、と宣言。警察予算を大幅に増額して、警察に軍隊並みの装備を持たせると共に、警察権力の拡大を認める法案を成立させた。具体的には、犯罪者認定された組織・団体へ令状無しの強制捜査、抵抗した容疑者の射殺許可、予防拘禁の容認、勾留期間の無期限延長、公務執行妨害の対象拡大など。さらに、宇宙暦302年、国家元首を兼任した後、連邦軍の治安出動の件数が急増している事が指摘できる。

 

 また、犯した罪には、それと同等の償いが必要だ、との考えから、殺人者は原則死刑、被害者に一生癒えない傷害を追わせた者は原則無期懲役、回復可能な傷害の場合は、その度合に応じて刑期を定めた。強盗・窃盗など、個人の財産に損害を与えた者には、その被害額に応じた額を政府が補償し、犯人には、未開発惑星での開拓作業などで、金額分の労働刑を科した。これは詐欺等の知能犯でも同様としたが、被害額が莫大で、犯人の弁償能力を超えると判断された場合は、連帯責任として、家族らにも弁償の義務を課した。このため、損害賠償を求める民事訴訟の件数は急減した。さらに、少年法を原則廃止。未成年者の量刑基準も成人と同様とした上で、保護者にも監督責任を放棄した罪があるとし、被保護者が犯した罪の度合に応じた刑罰を科した。

 

 宇宙海賊やマフィアによる組織犯罪には、更に厳酷だった。降伏し裁判を望む宇宙海賊(実態は海賊を装った民間軍事会社)を艦艇ごと撃沈した事で有名になったルドルフだが、その姿勢に変わりなく、他者の人権を犯す犯罪者に人権など無いと断言。宇宙海賊やマフィアは、逮捕ではなく殲滅を旨とすべしとした。結果、ルドルフの首相就任後、海賊やマフィア構成員の逮捕者数は激減する事となる。

 

 反政府活動を行うテロリストや、連邦政府の意向に逆らう、または独立の姿勢を示す星系政府や各地の軍閥、企業群は「連邦体制を脅かす公敵」とのレッテルを貼り、治安維持の名目で、連邦軍による先制攻撃を敢行した。全面降伏に追い込むまで、攻撃の手を緩めるなと厳命した結果、9年間の首相在任中、連邦軍の攻撃による巻き添えで、数百万単位の民間人が死亡、数倍する負傷者が発生したと言われるが、ルドルフは、殲滅した星系政府や企業群から没収した財産を「公敵が不当に略取した富を市民諸君に返還する」と称し、臨時の給付金との形で有権者に分配したため、一部の良識派を除き、ルドルフの好戦性は、むしろ好意的に受け止められていた。

 

 また、健全な市民を腐敗堕落させるものこそ、犯罪の温床に他ならない、との考えから、賭博や性風俗産業は法律で規制。運営者・顧客共に刑事罰の対象とした。麻薬等の薬物も同様で、提供者・使用者共に罰せられた。分不相応な欲望を刺激するとして、宝石等の奢侈品には、極端に高い税金が課せられたほか、市民の健全な精神を惑乱させるとし、不道徳なポルノグラフィや、アナーキズムやリバタニアニズムを理想とする思想書、反国家活動を称揚する書物や報道などは規制され、過激な作品は発禁とされた。

 

 一方、健全な市民の娯楽として、学問や読書、スポーツが推奨された。頭脳と身体を鍛え、心身共に壮健な人間になる事が市民の理想とされた。職場では、学習や運動の時間を設ける事が義務化された。また、犯罪は構成しないが、過度の飲酒や喫煙に耽る者、労働を拒否して自堕落な生活を送る者、性的放縦など道徳的に低劣な者、いじめや虐待の常習者など、問題行動を起こす者は、矯正対象として、連邦軍への体験入隊や、警察での奉仕活動が科せられたが、改善が見られない場合は、精神異常の疑いありとして、精神病院へ強制入院させた。

 

 ルドルフの治安回復政策は、良識派からは「国家の監獄化」「略奪した金で有権者の支持を買い取っている」と批判されたが、一般の有権者は自分の生活に影響がなければ、犯罪が無くなるは良い事だと受け入れるか、もしくは無関心だった。驚くべき事に、ルドルフの施策を「手緩い」「不十分」と、批判する者さえいたのだ。

 

 一例を挙げよう。宇宙暦304年、遺伝病の治療以外の目的で、人間の遺伝子操作を禁じる法律が制定された。倫理上の問題から、ヒトクローンの製作を禁止する法律は既にあったが、ルドルフはそれを一歩進めて、遺伝子操作を原則禁止する方針を打ち出した。

 

 当時、富裕層を中心に、美容や身体能力の強化等を目的に、受精卵や胎児の遺伝子操作をする例が横行。また甚だしきは、妊婦を人身売買または拉致して、その胎児に遺伝子操作を施す、さらには金銭や暴力等で支配した女性に、遺伝子操作した受精卵を着床させるなどの方法で、人為的な奇形児を作り出して、生きた性具として玩弄する例さえあった。このような行為は、特権階級の横暴さの象徴だと、一般市民の強い批判に晒されていた。

 

 この遺伝子操作禁止法も、彼ら市民の意向に沿ったと見られるが、保守派人士、特に厳格派と言われる人々は、遺伝子操作のみならず、人工中絶や婚前交渉さえも法的に罰するべきだとの立場を取り、遺伝子操作禁止法は、さらに対象を拡大すべきだと主張していた。後年、暴君ルドルフの象徴とされる劣悪遺伝子排除法だが、同法の前駆的法律が連邦時代に成立していた事、そして、より厳格な内容の法律を求める人々が一定数存在していた事は注目に値する。

 

 強権的手法で宇宙海賊やマフィアを撲滅し、犯罪を厳酷に取り締まり、連邦体制から逸脱しようとする諸勢力を壊滅させていった結果、銀河連邦は急速に右傾化、軍国化したが、戒厳令下の社会が却って平穏であるように、ルドルフ統治下の連邦は、紛争や犯罪が急減したという意味では、秩序を回復したと言える。

 

 しかし一方で、警察・軍隊への投資拡大は、軍需産業の肥大化を齎した。当時、いわゆる戦時経済による景気浮揚で、兵器工場労働者や連邦軍兵士、また民間軍事会社社員など、戦争関連の雇用が拡大。ルドルフの施策のもう一つの柱、雇用確保に貢献していたが、多くの大企業は常用雇用を削減、不安定な非正規労働者を増やしたほか、劣悪な労働条件で酷使、そして不当に低い報酬しか与えないなど、労働者を使い捨てにしていると、一般市民、特に低所得者層から強く批判されていた。

 

 ルドルフ自身、ペデルギウス星系時代から、大企業には厳しい姿勢で臨んでいた事、彼ら大企業がその財力を以て、国家内国家と化す事を懸念していたので、宇宙暦303年、市民の雇用確保のため、永続的かつ抜本的な雇用対策を断行すると宣言。主要企業の国営化、業界ごとに各企業の統合と系列化を進め、経済活動を政府の管理下に置くとした。

 

 また、失業は罪である、市民は社会的存在として、労働する義務を有すると宣言。失業給付は廃止し、失業者は国家への申告を義務付けて、政府が指示する職場で就業しなければならないとした。病気や障碍など身体的条件で働く事が出来ない者には、やはり政府への申告を義務化、その障碍の程度に応じて、政府が設ける授産施設での軽作業に従事させた。重度障碍者や痴呆老人など就業能力が皆無の者は、当人が安楽死を望んでいると、家族のうち誰か一人でも証言すれば、致死行為を行った医師の罪は問われないとして、密かに安楽死を推奨した。

 

 自由経済体制を否定、地球時代の共産主義国家を髣髴とさせるような政策は、自由主義者から激烈な批判が上がったが、一般市民の反発は少なかった。大企業の横暴に対する批判は社会に根強く、国営化された企業に勤める労働者の待遇が軒並み改善された事、また国家が職業を斡旋してくれると、失業状態だった低所得者層はむしろ熱烈に歓迎した。

 

 国営化された企業経営者の中には、その信念から、ルドルフの措置に反発する者も多数いたが、ルドルフ派の経営者も多く、その抵抗は限定的にしかならなかった。また、強く抵抗する経営者らが過激な国家主義団体によって虐殺され、その様が通信網を通じて公開されると、財界もルドルフの軍門に下った。一連の虐殺の陰には、ルドルフ政権で警察大臣を務めていたファルストロングの指示があったとも言われているが、詳細は不明。

 

 宇宙暦300年から308年まで、3期9年間にわたる首相ルドルフの政治は、独善的、強権的と、一部の良識派からは強く批判されたが、多くの有権者は紛争や犯罪を撲滅し、雇用確保により生活不安も払拭してくれたと、一貫して支持。9年間のルドルフ政権に対する支持率は、80%を下回る事がなかったと言われている。



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第6節 連邦首相から終身執政官へ

 自身への高支持率を背景にして、ルドルフが自身の権力を永続化させる事を考え始めたのは、宇宙暦306~307年頃、首相任期3期目に入った時期だと考えられている。当時の連邦議会の議事録によると、国家革新同盟所属の議員から、3期目以降の去就を問われたルドルフは、市民が認めてくれるなら、人類社会の統治という、この崇高な責務から逃れる意思は無いと答弁している。すでにクロプシュトックら腹心達は、首相任期終了後もルドルフが権力の座に留まる事が出来るよう、必要な法改正を行うべく、密かに関係機関に検討させていた。

 

 宇宙暦307年、国家革新同盟所属の全議員からの発議で、憲法改正に関する国民投票法案が上下院に上程され、各院の3分の2以上の賛成で成立。改正内容は、首相と国家元首を兼任する「終身執政官」職の創設。その理由として、8年間に亘るルドルフ政権の尽力により、連邦体制を脅かす公敵は減少したが、依然として連邦の統治に服さず、今や公然と連邦体制に反旗を翻す星系政府や軍閥、企業群が存在し、彼らの活動がより過激になっている事、連邦市民の生存と安寧のために、彼らの存在を放置する事は決して許されないが、彼らを撲滅するためには、長期間にわたる闘争が必要である事、その期間は首相任期の3期9年では到底足りない事、即ち、永続的に統治権を行使できるポストが必要だ、とした。

 憲法改正を発議した議員の中には、古代地球、紀元前の共和制ローマを引き合いに出し、たとえ民主共和国家であっても、戦争など国家の非常時には、全ての権限を掌握する独裁官を設置した前例があるではないかと、終身執政官の設置を正当化した。

 

 この憲法改正が市民の前に示されると、良識派、自由主義者らは「民主共和制の死だ」「独裁者ルドルフを誕生させるな」と、強硬に反対したが、大多数の市民は歓迎、もしくは無関心で、終身執政官設置への賛成投票は、有効投票数の3分の2を超えた。

 

 宇宙暦308年、首相を3期務めたルドルフは国民投票の結果、終身執政官に就任した。同盟の歴史学界では、当時の市民の政治意識の低さ、無責任さを批判する歴史家が主流だったが、この時、反ルドルフの論陣を張った野党政治家や、良識派と自称する言論人が存在しなかった訳ではない。ただ、彼らの多くは、自身の支持者たちに向かってのみルドルフ批判を繰り返して、ルドルフを支持する市民を低能、無知と嘲笑した。彼らが提示した、ルドルフの施策への対案と称するアイデアは、財源の裏付けさえない、空疎なスローガンに過ぎなかった。彼らにとって、ルドルフ批判は自身への票と支持を集めるための「商売道具」でしかなかった。

 

 当時の連邦市民は、彼らが所詮、口舌の徒でしかないと看破していたのではないか。政治意識が高く、責任感があったからこそ、紛争と犯罪の撲滅、雇用確保による生活不安の払拭、との実績を上げたルドルフを支持したとも考えられる。同盟の歴史家達にとって、自国の国是で絶対悪とされているルドルフを支持した当時の連邦市民は、確かに政治意識の低い、無知無能で、無責任な有権者だったのかもしれないが、それは現在的視点で過去を断罪する愚行だとも言えるのではないだろうか?

 

 閑話休題。宇宙暦308年、終身執政官に就任したルドルフは、自ら退任しない限り、最高権力者の座にとどまる事は出来るようになったが、主権在民を掲げる銀河連邦の制度である以上、有権者の発議によるリコールの対象に成らざるを得なかった。憲法改正時、ルドルフは終身執政官をリコール対象外とするよう求めたが、独裁者色が強い終身執政官という名称に対する拒否反応は根強く、与党・国家革新同盟所属の議員からも反対・慎重論が出されるに至った。やむを得ず、リコール対象とする事で改正法案が通過したという事情もあり、ルドルフ自身、現行の終身執政官制度には、決して満足はしていなかったと思われる。

 

 公開された新史料によると、終身執政官就任後のルドルフは、就任前よりも、有権者や選挙制度に関する不満を漏らす事が多くなっている。

 

 例えば、腹心の議員に宛てた書簡の一節に「…有権者とは、火事場見物の野次馬のようではないか。より大きな火事が起これば、こぞってそちらに行ってしまう」。

 

 また、各星系政府首相・同議員選挙で、国家革新同盟の公認候補者が落選している事を受けて、党選挙対策本部の非公開会議の席上、ルドルフは選挙対策を抜本的に見直す必要があると、出席者へ檄を飛ばす一方で「我が党は、野党などよりも遙かに優れた人材を多数擁している。有能と無能の区別さえもつかない有権者の投票結果に従わねばならないとは、以前から思っている事ではあるが、選挙とは全く不合理、いや理不尽なものだな」と発言している。

 

 史料上の明確な根拠は存在しないが、これらの発言から、ルドルフが選挙という審判を受けない、非民主的権力者への就任を模索し始めたのは、この終身執政官時代だった、とするのが現時点の通説となっている。



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第7節 終身執政官から銀河帝国皇帝へ

 宇宙暦308年から同310年まで、ルドルフの終身執政官時代は、銀河連邦が銀河帝国へと移行するための準備期間だったと推測されるが、具体的にルドルフが何をしていたのか、現時点では、ほぼ不明だと言わざる得ない。問題の性質上、公務として取り組めない事柄であるために、公式文書には形跡が見られない事はもとより、外聞を憚る内容であるためか、制度原案や草稿の類も遺されていない。文書自体を作成していないか、または建国後、不要な文書として廃棄された可能性が高い。

 

 この時期の歴史研究では、ルドルフと腹心達の往復書簡が一次史料とされているが、内容が帝国建国に関する事柄に及ぶと、当人同士にしか分からない符丁や略語、指示代名詞を多用、一部暗号的になっている書簡もあり、研究は進んでいないのが現状。例えば、ルドルフが新国家の名称を「銀河帝国」、主権者たる自らの称号を「帝国皇帝」と、中世的印象を与える呼称を何故採用したのか、往復書簡の中には「我が国」「新国家」「新しい地位」等の語句が散見されるのみである。

 

 史料上、銀河帝国と帝国皇帝の初出は、宇宙暦310年、銀河連邦の国号を「銀河帝国」に変更、政府首相と国家元首の地位を廃止し、帝国の主権者は「神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」とした連邦議会上下院の決議文である。

 ちなみに、ルドルフが皇帝を称した理由について、旧帝国では、ルドルフの人種的ルーツ、ゲルマン民族が古代地球・ヨーロッパ地方に建国した「神聖ローマ帝国」の主権者が皇帝と称したので、それを範とした、とするのが定説。同盟では、旧帝国の説を採用しつつ、ルドルフの懐古趣味が動機だ、とするのが主流だった。ルドルフ本人は晩年に作成した回想録に「群臣の勧めに従った」とのみ記している。

 

 この2年間、ルドルフと腹心の政治家、官僚、財界人らとの往復書簡の件数が、それ以前と比較して急増している事、帝国建国後、政府組織や軍組織が急速に改編されている事からして、ルドルフ達は入念な打ち合わせと事前準備をしていたと想像されるが、その具体的な動きを描き出すには至っていない。未整理の史料、特に帝室所有の文書や、帝国建国期に創設された貴族家に遺された文書などは、未だ膨大な量があるため、これら史料の分析と考察を通じて、更なる研究の進展が望まれる。本節では、現時点で判明している歴史的事実に基づいて、非民主的権力者を志向するルドルフの姿を描くと共に、即位前夜の状況を概説したい。

 

 宇宙暦308年の冬、40歳の誕生日を迎えたルドルフは、唐突に結婚した事を発表した。これまで愛人の存在は仄めかされていたが、法的に認められた配偶者はいなかった。むしろ、ルドルフは結婚に対し、否定的でさえあった。

 

 首相時代に受けたインタビューで、自身の結婚観を問われたルドルフは「勿論、愛し合う男女が結ばれ、子を成す事は、人生最大の幸福の一つだろう。だが、私は政治家という公人だ。公人にプライベートは無い。私の人生は全て、市民のために使われるべきなのだ。結婚して妻子を持てば、私にはプライベートが生じる。今は、それを避けたいと思っている。また、私の妻子というだけで、テロや犯罪の対象になる恐れがある。愛する者を危険に晒す事は本意ではない。私が結婚するとしたら、政治家を引退した時ではないかな。私も人並みに寂しいと思っているのだけれど、こればかりはね、自分の政治信念に関わる事なので、やむを得ないと思っているよ」と語っている。

 

 やや冗談に紛らわせているが、権力の座にいる間は、結婚すべきではないとの見解を示しており、その主張通り、40歳まで独身を貫いていた。それが一転した理由について、ルドルフは記者会見の席上「連邦の公敵を打倒する戦いはまだ続く。市民諸君との交流を通じて、家庭が持つ癒やしや温もりが戦いへの活力を生む事を実感した。この度、公職にある私の責務を理解して、支えてくれる伴侶と巡り会った。卑劣なるテロリストや犯罪者の標的になる可能性は確かにある。しかし、妻はそれに屈しない強さと勇気を持つ女性だと確信している。今は、妻との間に、私の血を引く子供を儲けたいとの思いで一杯だ」と述べている。

 

 結婚しないと宣言していたルドルフが突然、出産育児にまで言及した事は、反ルドルフ派から「自分の権力を子供に受け継がせる気だ」と非難されているが、この件については、案外、正鵠を射ているようだ。事実、終身執政官時代のルドルフは世襲、親から子への事業継承を度々賞賛している。

 

 一例を挙げると、銀河連邦創設時から経営している老舗企業を視察した際、現経営者の人格と手腕を賞賛した上で「祖先たる創業者の想いを受け継いでいるからこそ、家業に誇りを持ち、祖先に恥じない人物になろうと、人格の陶冶と能力の研鑽に努めておられる事がよく分かった。世に職業は数多あれども、家業こそ最も尊い職業だと、私は思う」と、同行した記者団に語っている。

 

 また、宇宙暦309年初頭、財界人との経済懇談会の席上、退職した社員を補充するため、新規採用を計画した時は、退職者の子弟を優先的に採用して欲しい、との申し入れを行った。ルドルフは「父親の仕事ぶりを間近で見ていた子供こそ、その仕事を最も良く理解できる若者だろう。人材の有効活用の観点から、是非実施して欲しい」と発言。なお、帝国建国後、退職者の子弟の優先採用は法律で義務化されており、社会のあらゆる階層で、職業の世襲化傾向をもたらした。

 

 以上のように、終身執政官時代のルドルフは、近代社会では否定的に語られる世襲を度々称揚しており、これは世襲国家である銀河帝国と、血統によって権力を継承する帝国皇帝を人民が許容しやすくする、精神的地均しではないか、と指摘されている。

 

 なお余談ながら、ルドルフの妻は、連邦軍中央艦隊司令長官エリアス・シュタウフェン連邦軍中将の長女エリザベート。政略的な色彩が濃い結婚ではあったが、負けん気が強く、男勝りな性格のエリザベートと剛毅なルドルフの相性は決して悪くなく、ルドルフ即位後は皇后に冊立され、4人の娘を儲ける事になる。

 

 ちなみに、エリザベートの兄の子が、後年、ルドルフの長女カタリナの婿に迎えられたヨアヒム。皇后の実家と同じ家名を名乗るのは恐れ多いと、ヨアヒムは成人を期に、新しい家を興したとの意味で、姓をノイエ・シュタウフェンと改めた。



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第8節 銀河帝国皇帝に即位~銀河連邦最期の一年

 こうして、宇宙暦308~9年の2年間、連邦市民達は、ルドルフの統治下との点では、307年以前と変わらず、むしろ平穏に過ごしていた。だが、翌310年1月、新年の祝賀ムードも冷めやらぬ時、「それ」は突然訪れた。

 

 以下、主に旧帝国での定説に基づき、ルドルフ即位前夜の状況をまとめてみたい。

 

 まず、帝国建国と皇帝即位に至る動きを時系列順に並べてみる(全て宇宙暦310年=帝国暦1年の出来事)。

 

 1月5日

 連邦軍退役軍人会総連合会(与党・国家革新同盟の支持団体)の新年祝賀会で、会長ヨハネス・フィッシャーが「終身執政官の没後も、今の政治状況を維持するため、何らかの制度改正が必要ではないか」と発言。総連合会の総意として、与党へ制度改正を求める請願書の提出を決議した。

 

 1月6~31日:

 総連合会の決議を受け、与党支持の各種団体が同様の請願書を提出すると発表した。1月末までに、その数は100件を超えた。

 

 2月1日:

 総連合会のフィッシャー会長が、国家革新同盟のクロプシュトック書記長に、制度改正を求める請願書を提出。クロプシュトック書記長は「党として、速やかなる対応を約束する」と回答した。

 

 2月5日

 クロプシュトック書記長は、自身が本部長を務める「党行財政組織改革推進本部」で、請願書の趣旨に基づき、公党として対応する責務があると発言。制度改正への具体的な検討を指示した。

 

 2月29日

 同本部は「政治状況の永続的安定を実現するための制度改正に関する試案」を提出。同案の趣旨は以下の通り。

 

「…偉大なる指導者が失われると、社会の秩序が容易に崩壊する事は、過去の歴史から見ても明らかだ。地球・シリウス戦役で活躍した、シリウスの指導者、カーレ・パルムグレンが急性肺炎で没すると、シリウスを主導していたラグラン・グループは内紛の上、崩壊した。人類社会は約100年にわたる戦乱期に突入、多くの人命と財産が失われた事は周知の事実だ。我々はシリウスの轍を踏むべきではない。残念ながら、終身執政官ルドルフ・ゴールデンバウムも、人間である以上、いつかはその生を終わらせる時が来る。その時に備え、人類社会に秩序と安寧を齎す事が出来た、現行の政治状況を永続的に安定させるため、現体制の抜本的改正を求めるものである」

 

 ① 終身執政官ルドルフ・ゴールデンバウム及びゴールデンバウム家は、国家及び人民の統合の象徴である事を認める。

 

 ② ゴールデンバウム家は、人類社会の秩序と安寧を維持するため、人民の負託を受け、議会の協賛の下、社会を統治するために必要なあらゆる業務を遂行して、かつ家業として継承する義務を負う。

 

 ③ ゴールデンバウム家は、人格識見、政治能力など、あらゆる面において、社会統治という崇高な責務を全うできる人物を育成し、当主の地位に就ける義務を負う。

 

 ④ ゴールデンバウム家がその責務を放擲したと認められた時、議会はその責任を追及する事が出来る。

 

 同日、同党の常任幹事会に提案された本試案は、全員賛成の上、承認された。また、同日夜に開催された、同党両院議員総会で、本試案を与党提出議案として、3月定例議会に上程する方針を決定した。

 

 3月5日

 連邦議会3月定例会が開会。下院議会の開会冒頭、与党・国家革新同盟より、同党提出の制度改正案は、連邦体制の根幹に関わる問題であるため、個別の政策課題を取り扱う常任委員会への付託はそぐわない、上下院合同で、全議員による審議、採決が望ましいとの提案が出され、過半数の賛成で承認。定例会最終日に全議員による投票により、採決すると決定した。

 

 3月31日

 上下院合同会議で、全議員による投票の結果、与党提出の制度改正案は可決。票数は賛成655票、反対90票、無効・棄権55票。6ヶ月間の周知徹底期間を設けた後、制度改正の是非を問う国民投票の実施を決定した。

 

 4月~9月

 制度改正の是非を巡って、与野党によるキャンペーン合戦が行われた。野党は「独裁者が永遠に君臨する事になる」「数多の闘争と流血の果てに、人類が手に入れた民主主義という英知を投げ捨て、中世的迷妄の時代に逆行する愚行だ」と批判。

 

 一方、与党は「日々、懸命に生活している市民が、これだけ複雑多岐になった連邦の政治全てを調べ、考え、適切な回答が出せるものだろうか、物理的に不可能なのだ。

 今、我々は幸いにも、ルドルフ・ゴールデンバウムという優れた政治指導者を得た。彼は市民のために活動できる、プロの政治家だ。考えてみて欲しい。例えば、我々は病気になったらどうするだろうか?病院に行って、専門家たる医師の処置を求めるではないか。政治も同じではないか。アマチュアの手に負えない事柄だからこそ、対価を払い、プロに委ねるのが、成熟した社会のありようだと思わないか。

 さらに、選挙で選ばれた政治家が悪政を行っても、議会で決定した事だからとの大義名分を振りかざし、個々の政治家に責任を問う事は事実上、不可能だったではないか。

 これからは違う、ゴールデンバウム家という具体的な存在が、全ての政治責任を負うのだ。我々市民は、ゴールデンバウム家がその責務を果たしているかどうか、それだけを監視して、果たしていないと判断したら、その時こそ、議会を通じて、彼らの責任を問えるのだ。誰に悪政の責任があるのか、それさえも曖昧な状態では無くなるのだ。今までよりも、はるかに効率的で、透明性が高い政治体制を構築できるのだ」と主張した。

 

 観念論を繰り返す事だけしか出来ない野党よりも、ルドルフへの高支持率を背景に、与党の主張は有権者の圧倒的賛同を得た。

 

 10月1日

 国民投票の結果、改正法案への賛成投票は、有効投票数の3分の2を超えた。同日、ルドルフは「人民の決定に謹んで従う」と発表。また、本決定は連邦の現体制にはそぐわないとし、連邦議会に新国家の設立を提案した。

 

 10月5日

 連邦議会は、銀河連邦の国号は「銀河帝国」に変更、政府首相と国家元首の地位を廃止して、帝国の主権者は人民の負託を受けた「神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」とする決議を採択。ルドルフは受諾した。

 

 12月1日

 ルドルフは皇帝即位式典を挙行。宇宙暦を廃止し、宇宙暦310年を帝国暦元年に改元すると宣言。あわせて、首都星をテオリアからペデルギウスに移転する事を発表。それに伴い、ペデルギウス星系を「ヴァルハラ星系」に、惑星ペデルギウスを「帝都星オーディン」に改称するとした。

 

 わずか一年弱で銀河帝国の建国、帝国皇帝への即位に関する手続きを成し遂げた事から、ルドルフ達が入念な事前準備をしていた事が窺える。また、世襲による権力継承を「家業」と表現した事は、ルドルフが終身執政官在任時、父から子への事業継承や就業を賞賛した事を前提としているだろう。

 

 さらに特筆すべきは、終身執政官の設置に関する制度改正時は、与党内部からも反対・慎重論が出たが、皇帝即位時は一切の異論が出ていない事だ。

 

 宇宙暦308~309年の間、与党政治家の中でも、ルドルフと距離がある議員達が各種スキャンダルで失脚、引退に追い込まれたほか、原因不明の事故死、突然死に見舞われており、皇帝即位に先立ち、与党内部でも粛清活動が行われていた事を推測させる。

 

 その結果、中央政界からはルドルフ即位に抵抗できる勢力は消失したが、同時に、危機感を覚えた反ルドルフ派の政治家や軍人、企業家たちは挙って連邦辺境域の独立勢力に逃亡、彼らの参画が辺境勢力の拡大をもたらした。辺境勢力の拡大に伴い、ルドルフを支持していた星系政府内部にも、彼ら辺境勢力と結び、非民主的存在となったルドルフに対抗すべきでは、との声が高くなってきた。これら独立、半独立志向の勢力を如何に帝国の支配下に置くかが、即位後のルドルフに課題として残された。

 

 また、特に指摘しておきたいが、即位時のルドルフは、自らを立憲君主と規定していた。帝国建国後、連邦基本法(憲法に相当)は停止されたが、ルドルフは即位時「連邦基本法の精神を踏襲しつつ、新国家に相応しい新憲法を制定したい」との意向を示して、帝国暦2年、後述する帝国議会で、帝国憲法が可決されている。

 

 なお、帝国の議会制度は以下の通り。連邦議会の上院議員だった各星系政府代表は、帝国皇帝から総督の地位を与えられて、上院は「総督会議」に改称。そして、下院議員は民意の代表者たる地位を帝国皇帝に保障され、下院は「帝国議会」に改称された。

 

 議会議員の役割として「本法の精神に則り、帝国皇帝の施策が民意に適うものであるか、不断に検証する責務を負う」(帝国憲法第31条)と規定されて、帝国暦2年には、第1回帝国議会議員選挙も実施されている。同選挙では、与党・立憲臣民党(国家革新同盟が改称)が全500議席のうち約9割を獲得、完全な皇帝翼賛選挙ではあったが、ルドルフ統治下で選挙が行われた事実は注目に値する。

 

 また、半ば形骸化はしていたが、皇帝の勅令も総督会議と帝国議会で審議、可決後に施行されるとなっていた。即位直後、ルドルフが帝国議会で行った施政方針演説でも「神聖なる人民の付託を受け、不可侵なる議会の協賛の下、銀河帝国皇帝たる余は、全人類社会の秩序と安寧を守るという、この崇高な責務を全うする所存である」と述べられている。

 

 これは、ルドルフは一貫して専制君主だと主張したい旧帝国・同盟の歴史学者達を長年を悩ませてきた難問で、両国ともにこの事実は黙殺するか、または「300年以上に及ぶ連邦議会の歴史を尊重し、皇帝の温情として、議会の存在を容認していたに過ぎない。自らの意思(劣悪遺伝子排除法の成立)に反した時、その存在意義は失われたとして、議会を永久解散した」(旧帝国)、「即位時、議会を解散したかったが、議会内の抵抗勢力を憚り、やむを得ず、立憲君主のポーズを取ってみせただけだ」(同盟)とする解釈が一般的だ。

 

 筆者の見解は、基本的には同盟のそれと同じだが、前述した通り、ルドルフ即位時、中央政界に問題視される抵抗勢力は存在しなかった。ルドルフが憚っていたのは、議会の内部ではなく外部、すなわち辺境域の独立勢力と、半独立傾向を見せる各星系政府だったと思われる。現在の帝国史学会では、ルドルフの治世は帝国暦9年、劣悪遺伝子排除法の成立を境に、前期・後期で区分できるとするのが定説だが、次章では、辺境域の独立勢力との関係を中心に治世前期の政治状況、そして銀河帝国の統治機構と諸制度を概説したい。

 

 なお余談ながら、ルドルフが即位時、立憲君主だった事実は、旧帝国・同盟ともに、教育現場では触れられる事は無かった。旧帝国で、この事実を声高に論じる下級貴族や平民は「大帝陛下の威信を傷つける不敬者」だとして、社会秩序維持局の拘禁対象になった。

 同盟でも、大学等で帝国建国期を専門とする歴史家か、建国期の歴史研究を専攻する学生が知る程度で、同盟出身の歴史学者の証言によると、学界でも一種のタブーだったという。この事実を考察した論文を発表した研究者が勤務する大学から辞職を勧告された、この事実に触れた著作が出版拒否されたなどの事例もあった。特定のイデオロギーが学問の実証性、中立性を歪めた好例と言うべきだろう。



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【コラム】意外に筆まめ?ルドルフ大帝唯一の趣味

 終身執政官時代の政治史を研究する上で、ルドルフと腹心達の往復書簡が一次史料だと述べたが、500年近く前の手紙が現存するのか?と訝る読者も多いかもしれない。実は、歴代諸帝の中で、大帝ルドルフ1世が遺した手紙の件数は群を抜いている。剛毅果断の印象が強いルドルフだが、意外に筆まめな性格でもあったのだ。

 

 ルドルフは銀河連邦の政治家時代から、腹心や同僚議員、または後援者達との意見交換、連絡の手段として、紙媒体による手紙を用いる事を好んでいた。当時も今と同様に、立体映像付き音声書簡が一般的だったのだが、ルドルフは、電子媒体は複製が容易で、データを盗まれる可能性も高いと敬遠していた。

 

 対して、紙媒体の手紙なら、直接手渡せば情報漏洩の恐れもないと、周囲から向けられる奇異の視線も構わずに、手紙を愛用していた。「自分の思考を整理するには、手紙に書くのが一番良い」がルドルフの持論で、周囲の者達にも盛んに手紙書きを勧めていた。腹心達は主人の意向に背く訳にもいかず、馴れない手書きに四苦八苦したという。腹心の一人、ファルストロングはひどい悪筆で、ルドルフは度々「あいつは良い進言をしてくるのだが、それを読み取るのが大変でなあ…」と、妻のエリザベートに愚痴を零していたと言われる。

 

 また、ルドルフには几帳面な所があり、自分が書いた手紙は複写を取り、宛先別に分類、時系列順に並べて、備忘録とするのが習慣だった。この結果、ルドルフ直筆の手紙が、帝室史料の中に大量に遺される事になった。ルドルフの手紙を受け取った腹心達も、その多くが帝国貴族に列せられたため、大帝直筆の手紙は、家宝として丁重に保管された。結果、各家及び典礼省所蔵の貴族史料にも、ルドルフの手紙が相当数、含まれている。

 余談ながら、後世、美麗帝アウグスト1世、文華帝エーリッヒ1世の御代、帝国建国後に作られた美術品、また帝国史に関する遺物の市場価値が高まると、ルドルフ大帝直筆の手紙も高値で取引されるようになり、挙げ句の果てには贋作事件さえ起こっている。

 

 このルドルフの手紙愛好は、情報漏洩を防ぐためとの当初の目的を離れて、それ自体が密かな楽しみになった節がある。終身執政官時代、メディア各社との懇談会の席上、趣味の存在を問われて「無いな。敢えて言うなら政治だな」と答えたルドルフだが、結婚後は妻エリザベートに、子供が産まれた後は娘達に、プライベートでも手紙を書くようになっている。

 内容は極めて散文的で、夫また父としての訓戒や指示、生活上の注意事項など、腹心達に出す手紙と変わらないのでは、とさえ思えるが、熟読すると、随所に不器用ながらも愛情を感じさせる文章が見出される。いくつか例を挙げよう。

 

「…テオリアの冬はいつもながら寒い。風邪など引かないよう、よく注意するように。温めたミルクに蜂蜜を少々入れて飲むと、寝冷えせずに安眠できるそうだ。先日、ファルストロングが言っていた。今度試してみるとよい。視察は予定よりも一日早く帰れそうだ。日程詳細はまた連絡する。夕食は鶏肉のフリカッセが希望だ。チーズは多めに入れてくれると嬉しいが」

 

「悪阻は大丈夫か?先日よりも寛解したと聞いたが、食欲はあるのか?食べたい物があれば、家政婦のアンナにきちんと伝えるように。お前は気が強いくせに、見ていると、どうもアンナに対しては遠慮するようだ。私には遠慮しないというのにな」

 

「無事出産したと、先程、義父上から連絡を頂いた。帰れなくてすまない。お前と娘の顔を早く見たいものだ。相談されている命名の件だが、もう少し待ってくれ。ペデルギウスからテオリアへ帰るまでの間、何とか考えておく。しかし、お前の希望するカタリナという名前、私は可愛らしくて良いと思っているのだが。私も命名案を考えないといけないのか?」

 

「…エリザベートから聞いたが、算数が苦手なのか?実は儂も苦手だ。お前くらいの年だったが、数字を見ると頭痛がした程だ。だがな、分からないからと言って、勉強しないのは駄目だぞ。儂も亡き父上(お前にとってはお祖父様だな)に、足し算、引き算から教えてもらったものだ。皇帝たる儂は、仕事がとても忙しくて、お前に直接、教えてやれそうにないが、分からない事があれば、手紙に書きなさい。儂に分かる事なら答えるからな」

 

「我が愛する娘カタリナへ。12歳の誕生日おめでとう。式典での態度は実に見事だったぞ。ここだけの話だが、あのお転婆娘が立派になったと、エリザベートが涙ぐんでいたのを儂は見た。あれが涙を流す光景など、夫たる儂でさえ、片手の指で足りる程の回数しか見ていないのだよ。カタリナ殿下の偉業に敬意を表すものである、と」

 

 文中に登場する、ルドルフの長女カタリナの証言によると、ルドルフからの手紙は、多い時には週2~3回、寝ている間に、枕元に置かれていたという。カタリナ曰く「あの大柄で厳つい父が、身体を縮めて寝室に入って、私や妹達を起こさないように、枕元にそっと手紙を置いて行ったかと想像すると、誠に不敬ながら、妹達と毎回、笑い転げておりましたわ」(強堅帝ジギスムント1世の日記より引用。帝国暦52年、ルドルフ大帝没後10年を偲ぶ会での発言)

 

 娘1人に週2~3通となれば、プライベートだけでも相当数の手紙を書いていたのだろう。敢えて想像の翼を逞しくすれば、ルドルフは家族宛てに手紙を書く事自体が楽しかったのではないか?それは皇帝という激務の中で、唯一持てた「趣味の時間」だったのかもしれない。



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【コラム】帝国と同盟、両国の歴史研究から見えてきたもの

 序文で述べられた通り、ローエングラム王朝の成立で、旧帝国下では非公開だった一次史料が相当数、公開された。これは正に旧帝国史の研究上、エポックメーキングだと言える事態だが、帝国と同盟を隔てていた壁が崩壊し、両国の研究成果を自由に参照できるようになった事も大きい。同盟では未詳とされていた事柄が、帝国の研究で証明された、もしくは帝国の研究では不明だった事が、同盟由来の史料で解明されたなど、歴史研究に従事する者として、誠に喜ばしい事が起こっている。

 

 本コラムでは、そのような事例の一つとして、ルドルフ即位に異論を唱えた民主政治家ハッサン・エル・サイド(以下、ハッサン)の日記を取り上げたい。

 

 同盟では、ハッサンの日記の一節「民衆がルドルフ万歳を叫ぶ声が私の部屋にも聴こえてくる。彼らが絞刑吏に万歳を叫んだことを自覚するまで、どれほどの日数を必要とするだろう」が広く人口に膾炙しており、また、この日記が帝国当局によって発禁処分を受けたと伝えられている事で、ハッサンは皇帝ルドルフに抵抗した気骨ある人物、民主政治家の鑑だと、初等教育の歴史教科書でも紹介されている。

 

 だが、日記以外の事柄、その人物像や政治的業績など、政治家ハッサンの活動は一切、同盟では不明だった。この日記の一節は、建国の指導者グエン・キム・ホアの演説等でも、ルドルフの思想統制を示す挿話として引用されているが、日記の原本は失われている。同盟建国後の歴史研究で、連邦起源のロストコロニーで発見された、宇宙暦300~310年の連邦議会議事録に、下院議員としてハッサンが登場する事、その発言内容から、反ルドルフ派の政治家だという事が証明できただけだった。

 

 また、私的な日記が帝国政府によって発禁処分にされている事は不自然だとして、ハッサンなる実在の政治家に仮託した後世の創作、捏造なのではないか、との見解もある。だが、対帝国戦争が激化するにつれ、戦意高揚のプロパガンダに利用されるようになり、一部の歴史研究者以外は、その実在を疑わない、それどころか、実在性を問題にしない者さえ現れた。

 

 一例を挙げると、征軍帝コルネリアス1世の大親征後、宇宙暦675年(帝国暦365年)、当時の同盟議会議員で、反帝国派の論客、スティーブ・キングストンは、日記を引用して帝国との講和を主張する議員への反対演説を行っている。

 

「大衆に付和雷同せず、独裁者ルドルフの危険性に警鐘を鳴らした、先見の明ある政治家がいたのだ。我々は、ハッサンの懸念が現実になった事を知っている。

 今、帝国と講和を結ぶべきだと主張する者たちがいる。彼らは、我々の偉大なる祖先、ハッサン・エル・サイドに恥じ入るべきではないのか!

 民衆が万歳を叫んだルドルフは、すぐさま絞刑吏たる本性を現して、共和主義者たちを虐殺した。絞刑吏ルドルフの子孫どもと、我々自由の民との間に、信義が成り立つと思う迷妄から覚めよ!たとえ講和を結んでも、帝国がそれを遵守するはずがない。英雄の皮を被ったルドルフが絞刑吏の本性を現したように、ルドルフの子孫もまた、講和を遵守するふりをしながら、隙あらば我が同盟を侵さんと、虎視眈々と機会を窺うだろう。今こそ、ハッサンの明知に倣うべき時だ!」

 

 講和賛成派から、日記の実在は証明されていない、偽作の疑いがある物を論拠とするのは、良識ある政治家の態度ではない、と指摘されると、キングストン議員は激高して「仮にハッサンの日記が実在しなくとも、独裁者ルドルフは民主主義の敵であり、ルドルフへの抵抗を賞賛して何が悪いのだ!」と、実証主義者が唖然とする主張を行ったが、議場は拍手喝采に包まれたという。

 

 西暦年代にも、その実在性に疑問符がつきながら、道徳的に正しいからと、政治的に認知、称揚された事例は度々生じているが、このハッサンの日記も同様と言えるだろう。少なくとも、同盟においては。

 

 実は、ハッサンの日記は実在していた。しかも、その実在を証明したのは、帝国貴族の歴史家だったのだ。

 

 もともと、貴族にとって、自家の歴史を研究する事は半ば義務だった。自家の先祖が帝国史上で如何に活躍したかを証明できれば、それは家格に箔がつく事に他ならず、宮中席次の序列で優遇されたり、他家との縁組で有利になったりと、貴族社会を生き抜く上での武器になったからだ。そのため、旧帝国の貴族家は、才能ある学生を歴史研究員として雇用したり、また学芸省や典礼省管轄の学術機関に調査依頼したりと、自家の歴史を解明する事に努めていたが、中には、貴族自らが歴史家になる事例もあった。

 帝国暦180~200年代にかけて活躍した、フリッツ・フォン・フィッシャー子爵も、その1人だった。

 

 フィッシャー子爵家は、家祖ヨハネスがルドルフ大帝即位の口火を切った事を自家の誉れとし、大帝即位時、連邦最末期~帝国建国期の歴史研究に力を入れている貴族家だったが、フリッツは歴代当主の中でも、特にその傾向が甚だしく、自ら歴史家を志して、国立オーディン文理科大学で歴史学を専攻。爵位持ち貴族が官吏になる場合、有力省庁である国務省や財務省、内務省で勤務するのが一般的だったが、自ら望んで学芸省管轄の帝国史研究所の研究員に就任。周囲の貴族からは「変人」「学者馬鹿」と嘲笑されたが、本人は意に介さなかった。

 

 転機が訪れたのは、帝国暦185年、文華帝エーリッヒ1世の即位。自身も歴史家だった文華帝は、皇太子時代から歴史研究を行っており、フリッツとも研究者仲間として面識があった。その当時から、フリッツの歴史論文が各種史料を精緻に分析し、高い実証性を持っている事に感銘を受けていた同帝は、即位後、その学識を十分に活かして欲しいと、典礼省の家格職長(局長級)に任命した。

 

 同省は、文華帝の父、美麗帝アウグスト1世が各貴族の家格・爵位を整理して、帝室の藩屛たる貴族を再編成するために創設した新設官庁で、各貴族家に伝わる史料や文書の管理も職務の一つであった事から、生粋の歴史家・フリッツにとって、理想的と言える職場だった。

 また、文華帝の知遇を得たフリッツは、本来なら皇族と宮内省の担当職員以外は見る事が許されない、ルドルフ大帝に関する史料や文書の閲覧も許可され、旧帝国の歴史家としては、実に最上の環境で研究に邁進できた。

 

 その研究成果は「銀河帝国の成立」全10巻として結実した。同書は、ルドルフ大帝の即位、銀河帝国の成立との歴史的事象を政治・経済・社会・軍事・文化など、あらゆる方面から分析した労作であり、また連邦最末期から帝国建国期の歴史研究に必要な一次史料を徹底的に網羅している事で、史料集成としての価値も極めて高い。

 

 同書を献呈された文華帝は「間違いなく帝国史に残る名著である」と激賞。この功績で、フリッツは一代限りの伯爵位を授与された。なお、文系学問の業績で陞爵したのは、旧帝国史上、フリッツただ1人。同書は今に至るまで、連邦最末期から帝国建国期の歴史研究において、基礎的文献の1つ、との地位を失っていない。

 

 この「銀河帝国の成立」に、民主政治家ハッサン・エル・サイドと、同盟で云う「ハッサンの日記」に関する記述があるのだ。以下、同書の記述を要約する。なお、ハッサンの父、イブン・エル・サイドに関しては、本書で既述している内容もあるが、行論の都合上、再掲させて頂きたい。

 

 ハッサン・エル・サイドは、元ペデルギウス星系政府首相、イブン・エル・サイド(以下、イブン)の長男。イブンは、市民に人気が高い銀河連邦軍人・ルドルフの政治的スポンサーとなり、星系政界における自身の立場強化を狙い、ルドルフをペデルギウス星系政府・治安維持部隊司令官に招聘する。

 

 だが、中央の大企業の傘下にある民間軍事会社(宇宙海賊に偽装)に対しても、武断的措置を断行するルドルフと、大企業と完全な対立関係に陥る事を避けたいイブンは決裂。ペデルギウス星系の地元財界人で、ルドルフのブレーン的存在になったクロプシュトックの策謀もあり、ルドルフは星系政府首相に就任。首相の地位を追われたイブンは、大企業からリベートを受け取っていた事実も暴露され、政界引退を表明。首都星テオリアに移住して、政治家時代の縁故を頼って、細々と生活していたと伝えられる。ハッサンは、父親の地位を奪ったルドルフを憎悪し、自身が政治家として立身して、ルドルフ打倒を生涯の念願とするようになった。

 

 テオリアの国立大学を卒業したハッサンは、父親の縁故を頼って、テオリア選出の下院議員、パストゥール・ハビャリマナの私設秘書となり、政治家への道を歩み始めるが、宇宙暦300年、ルドルフが連邦政府首相に就任すると、タカ派政治家だったハビャリマナ議員は、強権的手法を取るルドルフに共感を覚えたと、国家革新同盟へ入党。ハッサンは、ルドルフに与する事は出来ないと、ハビャリマナ議員と袂を分かち、当時、反ルドルフの姿勢を示していた民主自由党(DLP)に入党。同党公認で、テオリアの地方都市・デルカザールで議会議員選挙に立候補、初陣を飾る。

 

 政治家としては、ルドルフの強権的手法を強く批判、自由主義と民主主義が銀河連邦の国是だとし、ルドルフは連邦体制を破壊する独裁者になろうとしている、との主張を繰り返した。反ルドルフ派の支持を集めて、宇宙暦308年、連邦議会下院議員に当選している。

 

 だが、父親とルドルフが政敵同士だった事から、その言動は私怨によると見なされ、熱烈な反ルドルフ派以外に支持を広げる事が出来ず、一般の有権者からは、感情的なアジテーションに終始する、下品な扇動政治家だと相手にされていなかった。事実、議員時代のハッサンの発言は、ルドルフへの批難だけでしかなく、政策論争や議案提出を行った形跡は無い。この点からすると、有権者の評価は正しかったと言えるだろう。

 

 しかし、ハッサンには文才があったようで、反ルドルフ文書を盛んに執筆。同僚議員や支援者の求めに応じ、選挙パンフレットやアジテーション演説の原稿なども代作していた。思想的な価値はないが、一種の風刺文学的な面白さがあったので、反ルドルフ主義者の間では広く読まれていた。

 

 特に有名なのが、ルドルフ即位直前に書かれたとされる「ある民主政治家の死」と題した文書。政治犯として収監され、死刑を宣告された民主政治家の日記という形式で、獄中生活の描写と日々の雑感を通じて、独裁政治を批判する内容。その一節に、

「12月1日 民衆が独裁者に万歳を叫ぶ日だ。厭うべき式典が始まったのだろう。今は私の部屋となった独房にまで、万歳の声が聞こえてくる。囚人たる私が絞刑吏に万歳と叫んだら、狂人だと嘲笑せぬ者はいないだろう。嗚呼、狂人なるかな、民衆よ!お前達が絞刑吏に万歳と叫んでいる事に気がつくのは、一体いつの日だろうか?その時には、絞刑吏のロープがその首筋に巻かれているだろう。これは予言ではない。近い将来の現実なのだ」とある。

 

 当時、ルドルフの即位を批判、風刺する同様の文書は数多く出回ったが、広く人口に膾炙したという点では、この「ある民主政治家の死」が群を抜いており、首都星テオリア以外、遠く連邦辺境域でも、その存在が確認されている。

 

 帝国成立後、連邦議会下院議員のハッサンも、帝国議会議員に任命されるが、既に「ある民主政治家の死」の作者である事は公然の秘密であり、帝国暦2年初頭、皇帝の品位を不当に傷つけたとして、与党・立憲臣民党が議会懲罰委員会に提訴、同委員会で議員辞職を勧告される。身の危険を感じたハッサンは、家族と共に辺境域の独立勢力へ逃亡を図るが、帝国の治安警察に察知され、逃亡中に宇宙船ごと撃沈されている。ある民主政治家の死を始め、ハッサンの著作は全て発禁処分、市中に流布した分は回収されている。

 

 フィッシャー子爵は「勇気はあるが、軽率な人物。才能はあったが、その使い方を知らず、社会に無用の混乱をもたらした」と評している。

 

 「銀河帝国の成立」に引用された「ある民主政治家の死」の一節と、同盟に伝わる「ハッサンの日記」、文章に異同はあるが、その文意は同じだと言える。

 

 ここからは推測だが、辺境域にも出回った「ある民主政治家の死」が、ハッサン死後も現地の共和主義者の間で伝承されたのではないだろうか?そして、彼ら共和主義者が旧帝国の弾圧にも耐えて生き残り、帝国暦164年に始まった、いわゆるアーレ・ハイネセンの長征一万光年にも参加したと考えれば、ハッサンと「日記」の存在、「日記」が帝国政府によって発禁処分になった事実だけが同盟にまで伝承したとの仮説が成り立つ。文章の異同と日記形式の文書が自身の日記となった事は、伝承の途中で錯誤が生じたと思われる。

 

 現時点では、ある民主政治家の死と、ハッサンの日記を直接結ぶ史料は存在しないが、本説が最も蓋然性の高い仮説ではないだろうか。読者諸氏の判断に委ねたい。

 

 最後に余談ながら、現在、帝国公用語が全銀河、全人類社会の公用語とされているが、これから歴史学を志す若者には、同盟公用語の習得を強く推奨したい。同盟の歴史研究は、我々帝国人とは全く違う視角、着想の宝庫である。是非、その魅力に直接触れて欲しいと、切に希望するものである。



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第2章 銀河帝国の成立
第1節 治世前期の政治状況~周辺諸国との関係を中心に


 


 帝国暦元年、ルドルフは銀河帝国皇帝に即位。選挙という審判を受けない、念願の非民主的権力者となったが、その反動はやはり強烈だった。

 

 銀河連邦だけに限っても約300年間、いや西暦年代から数えれば1000年以上、人類社会で最も正しい政治体制とされてきた民主政体、それを否定するかの如き行為は、多くの人民から反感と嫌悪を以て迎えられた。即位に至る周到な準備で、帝都オーディン(旧名ペデルギウス)、いまや副都となったテオリアを始め、銀河連邦中央部の星系は帝国支持で固められたが、帝都から離れるほど、反帝国勢力の活動が活発になっていた上、今までルドルフを支持していた星系政府の中にも、民主政体を懐かしみ、反帝国感情を露わにする者達が増えてきた。

 

 即位後のルドルフにとり、帝国の統治機構の整備と反帝国勢力の鎮圧、この2つが大きな課題として立ちはだかっていた。本章ではこの2点について概説したい。まずは、建国時からルドルフの治世前期(帝国暦元年~9年)までの反帝国勢力の状況と、それら諸勢力への対応について述べたい。

 

 帝国暦元年の時点で、帝国と反帝国勢力の国力比は、およそ6対4だったとされる。しかし、帝国がルドルフ支配で一本化されているのに対し、反帝国勢力は多種多様な集団が乱立、互いに抗争さえしており、個々の集団では到底、帝国の敵ではなかった。

 その点では、帝国が圧倒的に有利だと言えるのだが、反帝国勢力は挙って、ルドルフを「銀河連邦を簒奪した独裁者」と批難。連邦体制の復活と民主共和制の護持を掲げ、次々と独立国家を建国、帝国支配下の共和主義者達の決起を促していった。

 

 前述した通り、帝国支配下の星系でも、反帝国勢力の檄に応じる者たちは決して少ない数ではなく、帝国皇帝が任命した総督(星系政府代表者)を追放し、独立を宣言する星系や、帝国の治安部隊と叛乱勢力が交戦、内乱状態に陥った星系さえもあり、ルドルフはまず、帝国支配圏の引き締めを図る必要に迫られていた。

 

 しかし、建国直後の帝国軍は、ルドルフ派の連邦軍人が率いる部隊と、同じくルドルフ派の大企業が経営する民間軍事会社(傭兵集団)の集合体に過ぎず、軍隊としての統一行動を取るのは難しい状態だった。ルドルフは強権的手法を躊躇わない権力者だったが、強権を支えるのが強大な武力である事を理解しない愚者ではなかった。よって、治世前期(帝国暦元年~9年)の対外政策は、基本的には融和を求める方向で推移する事になる。

 

 帝国暦2年、連邦基本法に代わって帝国憲法を制定。第1回帝国議会議員選挙が実施される。建国後に憲法と議会を設けている事は、当時の帝国が立憲君主国だった事の証左に他ならない。ルドルフ自身も、帝国議会で行った施政方針演説で「神聖なる人民の付託を受け、不可侵なる議会の協賛の下、銀河帝国皇帝たる余は、全人類社会の秩序と安寧を守るという、この崇高な責務を全うする所存である」と宣言している。

 

 筆者は、この一連の動きは、反帝国勢力、特に帝国支配下から離脱しようとする星系政府への融和のサインと解している。事実、憲法の制定と議員選挙の後、半独立傾向を見せていた星系政府の多くが、ルドルフ支持、帝国支配を容認している。

 

 しかし、この動きは、各星系政府が立憲君主・ルドルフを信頼した結果だと断言する事はできない。もともと、帝国が支配する連邦中央部は人口密集地帯で、経済的に見れば巨大市場、金融センターでもあった。独自で経済圏を維持できる星系は少なく、政治的には半独立志向でも、経済的には中央に依存せざるを得ない星系が大多数だった。

 

 彼ら星系政府の足元を見透かしてもいたルドルフは、連邦屈指の名門政治家の家系で、元ペデルギウス星系政府首相代行だった宮内尚書ノイラートや、元財界人の書記官長クロプシュトックと国土尚書ゲルラッハらに命じて、政財界を通じての懐柔工作を続けていた。後年、強権的な弾圧を行ったルドルフからすれば驚きと言うべきだが、この時期のルドルフは、例えば、半独立傾向のある星系人民が求める人物を総督に任命するなどして、反対派への譲歩も辞さない、宥和的手法を用いていた。

 これは、当時の帝国軍が如何に弱体で烏合の衆であったかを逆説的に示すものだと言えるだろう。なお、治世前期からルドルフを支持していた星系政府代表者の多くは、貴族制成立後、その星系政府を領地とする領主貴族に封じられている。

 

 しかし、このような宥和政策は、非民主的権力者・ルドルフにとって、やはり本意ではなかったようだ。当時のルドルフが、皇后エリザベートや重臣達に送った書簡には、民主共和主義者への強い苛立ちが綴られている。

 

「政治的権利とは、それほど大切なものなのか?連邦時代、選挙で選ばれた政治家の悪口を言わない有権者は、少なくとも余が知る限りでは、ほぼ皆無だったが。権利を行使し、結果に不満しか無いのならば、その権利行使は有意義なものだと言えるのか?余には理解できない」

 

「余を批判する者達は、余を独裁者だと言う。奴らが使っている辞書は、どうやら改訂が必要のようだな。余は連邦の法が定める選挙制度に則り、正式かつ正当に、帝国皇帝の地位に就いたのだ。奴らの論法を以てするなら、これまで選挙で選ばれた、歴代の連邦政府首相も全員、批判されるべき独裁者になるのではないか?」

 

「民主共和主義者という連中は、自由なき生は無意味だと主張しているらしい。奴らは揃いも揃って、健忘症に罹ったのか?連邦時代、何をするのも自由であったために、貧富の格差が拡大し、理不尽な生と死を強制された者達の如何に多かった事か。

 余は、その現実が不公正だと思ったが故に、平等に生命が守られる社会を志向したのだ。その過程で、確かに自由は制限した。例えば、失業者から職業選択の自由を奪って、国家が指定する職場での労働を強制した。その結果、何が起こったか?余は、その失業者本人と、彼の家族達から、涙を流して感謝されたのだ。人民は自由などよりも、ただ生を望むのだ。別に答えてもらう必要などないが、民主共和主義者に問うてみたいものだ。人民が自由と権利よりも、一片のパンを望んだら、お前達はどう答えるのかと」

 

「大多数の幸福と安寧を守るために、少数の人命を犠牲にする事は、こと政治の場では当然の事だ。また、己が信じるもののために、自らの命を使う事も、余は否定しない。余自身が同様の価値観を有しているからだ。余は全人類社会の秩序と安寧を守護するためなら、それを脅かす者は躊躇わずに殺害する。同時に、余が否定する者達が余を憎悪し、余に殺意の刃を向ける事もまた、当然だと思う。

 昨日もまた、帝国軍駐屯地でテロ事件が起こった。犯人は自ら称して民主共和主義者という。独裁者である余に与する者は、須く民主主義の敵なのだという。余が彼らの存在を否定し、殺害したいと望むのと同様に、彼らが余を否定し、余を殺害したいと望む事は理解できる。だが、彼らが殺そうとしたのは、余ではない。余と余に与する者を同列に論じるなど、余への侮辱である。

 彼らが余を否定したいのならば、何故、余本人を殺害しようとしないのだ?兵士が殺害されたからと言って、彼ら民主共和主義者に対する手を緩めるつもりなど毛頭無い。それに余は、余に与する者達が全て、余に心酔し、忠誠を誓っていると思うほど、厚顔無恥ではないつもりだ。我が帝国に兵士として勤務し、給与を得て、自身と家族を養おうとしていた者達が大多数だったろう。彼らは、誰かにとっての息子であり、夫であり、兄であり、弟であり、恋人でもあった者達だ。そんな者達を殺害して、自らの正義を誇るなど、余には到底出来ない。殺害する必要も無いのに、自身の主義主張のためだけに、無辜の人民を殺して自らの正しさを誇る、そんな破廉恥漢にだけはなりたくないものだ」

 

 非民主的権力者を志向して、専制君主となったルドルフらしい、驕りに満ちた文章ではあるが、自由と平等、選挙と民意、そして正義、数千年に亘って、人類が答えを出せていない難問に対し、ルドルフは独善的ながら、明確な答えを持っていたであろう事を窺わせる。

 

 また、兵士全てが自分に忠誠を誓っているとは思っていないと、臣下に冷めた視線を向けるルドルフ、主義主張のためだけに無辜の人民を殺して、自らの正しさを誇る事を否定するルドルフの姿は、自身の正義を疑わず、自己神格化をも図ろうとしたと、同盟で強く批判されたルドルフ像とは明らかに異質だ。

 

 実は、新史料の分析を通じて浮かび上がってきたルドルフ像は、従来のそれとは大きく異なり、自己と他者に冷ややかな視線を向けるペシミスト、人間嫌いとも評せる姿だった。新解釈のルドルフ像は、最終章で詳述する予定である。

 

 さて、妥協的な宥和政策で、帝国支配圏の秩序は一旦回復できたが、ルドルフと帝国政府にとって、これは一時凌ぎに過ぎなかった。当時、辺境域には、明確に反帝国を掲げた独立国家が盤踞しており、彼らの存在を放置すれば、今は帝国の支配を受け入れている各星系で、彼ら独立国家に呼応した共和主義者たちが蜂起しない保証は無かった。宥和政策の陰で、統治機構の確立と、軍隊組織の再編成を急ピッチで進めていたルドルフは、帝国暦9年、いよいよ、反帝国志向を捨てない共和主義者らを根絶するための戦いを始める。

 それは、辺境域で帝国打倒と連邦復活を掲げる独立国家群との、長い戦いの始まりでもあった。続いて、彼ら独立国家群の状況を解説していく。

 



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1-1:シリウス民主共和国

【はじめに】で述べたように、銀河連邦末期、統制能力を喪失した連邦政府を尻目に、各勢力は独自路線への転換を図っていた。その傾向は中心部から遠く離れるほど強く、辺境域に独自の経済圏を築いた勢力も存在する。

 

 彼らの出自は多種多様で、辺境域の星系政府が自立した、駐屯する連邦軍が現地司令官の下、軍閥化した、巨大な経済力を有する多星系企業が民間軍事会社(傭兵集団)との形で軍事力を手に入れ、政治の支配を脱した、宇宙海賊やマフィアが未開拓惑星を占拠して、根拠地化したなど、出自も目標もバラバラな彼らは、互いに角逐し、当時の辺境域は地球・シリウス戦役後の銀河系を彷彿とさせる、戦国時代の様相を呈していた。

 

 彼らにとり転機となったのは、連邦政界でのルドルフの台頭。連邦体制から逸脱していた彼らに、ルドルフは連邦軍による攻撃を断行。非戦闘員の死傷も構わず、殲滅戦を仕掛けてきた連邦軍によって、彼らの多くは敗北、降伏、逃亡を余儀なくされた。

 

 危機感を強めた彼らは、反ルドルフを軸に、勢力の統合を模索していく。それに拍車をかけたのが、中央部から逃亡してきた反ルドルフ派の政治家、官僚、軍人、企業家らの存在。終身執政官から帝国皇帝を目指すルドルフによる粛清を逃れてきた彼らは、その見識と経験、人脈を買われて、各独立勢力で要職に就く。彼らの指導で、帝国打倒と連邦復活を国是とする独立国家群が生まれていく事になる。

 

 1.シリウス民主共和国

 ルドルフ即位当時、辺境域の独立国家群は、おおよそ3つに分けられた。まずは、シリウス星系政府を母体とする「シリウス民主共和国」を盟主とするグループ。地球統一政府を打倒して、一時的にだが人類社会の盟主になった歴史を持つシリウスだが、ラグラン・グループの崩壊後、国自体が内戦に突入して、一時は無政府状態に陥ったが、その後約100年かけて、秩序と国力を回復。銀河連邦創設時の主要国になっている。

 

 銀河連邦の正当な後継者を名乗り、共和主義者達の輿望を集め、その政治力と巧みな外交手腕によって、周辺諸国を糾合、一大勢力を築き上げた。連邦体制の復活と民主共和制の護持を国是とし、皇帝ルドルフからの帰順勧告にも、当時の共和国大統領ジャン・ピエール・モンテイユは「我々共和主義者は、対等の友人に差し伸べる手は持っているが、独裁者に垂れる頭は持っておりません」と拒絶している。

 

 連邦の後継国家を自任する帝国にとっては、思想上からも打倒しなければならない存在だった。しかし、後述する両国に比べると、卓越した名政治家や名将がいた訳でもなく、圧倒的な経済力を有していた訳でもない同国が半世紀以上、帝国の攻撃に耐えて、存続できた事は、民主共和主義という思想が積み重ねてきた歴史を感じさせる。事実、同国で活躍した人材は、帝国首脳部のそれと比較すると、能力的には明らかに劣っていたが、民主共和制を守ろうとする情熱だけは比類なかった。独裁者ルドルフの出現が共和主義者たちの覚醒を促したと言えるが、しかしその情熱さえも、生活という惰性の中では、摩耗せざる得ない運命だったのは、人間という存在の限界なのかもしれない。

 

 帝国暦42年、ルドルフが死去、強堅帝ジギスムント1世が即位すると、共和主義者の叛乱事件が勃発するが、帝国政府はシリウスこそ事件の黒幕だと断定。その真偽は今に至るも明らかになっていないが、逮捕された首謀者の1人は「我々が立ち上がれば、シリウスも出兵するとの約定があった」と証言している事から、あながち、帝国によるフレームアップではなかった可能性もある。

 

 帝国暦46年、帝国はシリウスと傘下諸国に遠征軍を派遣。帝国軍の攻勢の前に、傘下諸国は次々と降伏した。シリウス本国も、帝国暦51年、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムを総司令官とする帝国軍に攻撃され、首都星ロンドリーナが陥落、民主共和主義の最後の砦は潰えた。

 

 最後の共和国大統領ジョルジュ・ラヴァルは、徹底抗戦を叫ぶ強硬派を置き去りに、率先して帝国軍に降伏。総司令官ノイエ・シュタウフェン公に土下座して、情けなく命乞いする姿は、帝国軍将兵の軽侮と嘲笑を買ったが、ジギスムント1世は、共和主義者に対して皇帝の恩寵を示すと言い、ラヴァルを改姓させ、ペクニッツ公爵に封じた。一説には、シリウスの大統領は貴族に封じ、厚く遇するように、というルドルフ大帝の遺言があったためとも言われるが、現時点では証明されていない。

 

 なお、同公爵家は、旧敵国の血筋のため、家格こそ高いが、貴族社会から軽侮される存在だった。それに対する反発なのか、後世、痴愚帝や流血帝など、暗君や暴君として名高い皇帝に進んで仕え、その威を借りて、反対派の貴族達を虐殺するような人物も現れた。結果、暴君が打倒されると、懲罰的に爵位を下げられ、帝国末期には子爵家にまで没落したが、そのペクニッツ子爵家(カザリン・ケートヘン1世即位後は公爵家)から、ゴールデンバウム朝最後の皇帝が誕生したのは、歴史の皮肉だと言うべきかもしれない。

 



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1-2:カストル・ポルックス攻守連合

 続いて、軍閥化した旧連邦軍の集合体「カストル・ポルックス攻守連合」。辺境域に駐屯していた連邦軍の警備部隊は、連邦政府が統治能力を失うと、物資や給与の遅配、欠配が常態化。現地司令官は部下達を統制する必要もあり、連邦からの自立を図ろうとする周辺の星系政府と交渉、物資援助の見返りに、星系政府の「傭兵」と化す例が多発したが、逆に連邦軍が星系政府を占領し、軍閥化する事例もあった。

 

 彼ら軍閥が離合集散を繰り返した結果、カストル星系を根拠地とした軍団と、ポルックス星系を根拠地とする軍団による二強体制となった。

 本来、両軍団は不倶戴天の敵同士ではあったが、終身執政官ルドルフが殲滅を前提とした攻撃を断行し始めた事に危機感を覚え、攻守同盟を締結。他の軍閥や宇宙海賊、マフィアなどの武装勢力を攻撃、自身の傘下に収め、首都星テオリアから逃亡した反ルドルフ派軍人とその部隊も吸収し、急速に勢力を拡大させた。最前線で戦闘を繰り返した部隊を中核とし、当時の人類社会では最精鋭の軍団を擁する軍事国家となった。

 しかし、反ルドルフしか思想的な紐帯が無く、モラルに欠け、順法精神を持たない犯罪者集団も混ざっていたため、ともすれば分裂する危険性を孕んでいたが、連合の盟主、カストル軍政府総統スー・ディン・ファンと、ポルックス人民共和国主席ヴラジーミル・ロブコフ、この2人が持つ高いカリスマ性と軍事的才能、また呵責なき統制によって、集団としての秩序を維持できていた。

 

 カストル軍政府のスー総統は、降伏を望む帝国軍艦艇にウラン238弾を打ち込み、艦艇内の人員を生きたまま焼き殺して、「お前らの親玉がやった事だ。文句はルドルフに言うんだな」と、呵々大笑するような人物だったが、天才的な戦術指揮能力を持つ闘将でもあった。

 また、性格は横暴で気分屋だったが、部下達への気前は良く、傷ついた兵士を自ら救出するなどの人情味もあったので、部下達はこの主将を恐れつつも、好意的に受け入れていた。

 

 一方、ポルックス人民共和国のロブコフ主席は、地球時代、ロシア地方で書かれた文学書や哲学書を愛読するなど、高い教養と知性を有する人物だったが、敵への呵責無さはスー総統以上とも評された。

 一例を挙げると、ある敵勢力との戦闘後、女性や老人、子供など大量の非戦闘員を連れた部隊が降伏してきた時、我が軍にはこれだけの捕虜を養える食料が無い、自軍を飢えさせて戦闘能力を落とす事は出来ない、だが解放すればテロリストや宇宙海賊と化して、我が軍の障害となるだろうと、降伏部隊を非戦闘員ごと老朽艦に乗せて、近隣のブラックホールに突入させよと命令、数十万人もの人間を平然と鏖殺した。

 その呵責無さは、部下や人民へも等しく発揮されたが、生ける軍事コンピュータと渾名された緻密な戦略家ロブコフは、冷酷だが合理的な判断を下し続け、誰からも異論を挟ませなかった。部下達はこの主将を恐れて、命令には絶対服従していた。

 

 この闘将スーと知将ロブコフのコンビは、決して友好的な関係では無かったが、お互いの不足を補い合い、結果として攻守連合軍を勝利に導いてきた。

 

 同連合は戦い、勝利する事で国内の団結を維持するという、典型的な軍事国家であったため、ルドルフ支配下の星系政府を執拗に攻撃、人民と物資の略奪を恣にし、その武力は発足間もない帝国軍を遙かに上回るという、皇帝ルドルフにとっては、正面から戦いたくはないが、放置しておけば、帝国内部の統制が乱れるという、実に頭の痛い敵国だった。

 

 即位当初は、通商破壊戦を仕掛けて、相手の補給線を断つ、また後述する「汎オリオン腕経済共同体」を通じて、時限的な講和を結ぶなど、守勢一方だったが、帝国軍の再編が進むと、その国力の差が次第に明確になってきた。天王山となったのは、帝国暦31年、ヴァルター・フォン・リヒテンシュタイン大将を総司令官とする帝国軍遠征部隊の勝利。連合軍は盟主の一人、ロブコフ主席が戦死する大敗を喫した。

 

 以降、連合の勢力は振るわず、防戦に終始する事となる。強堅帝ジギスムント1世即位時に起きた、共和主義者の叛乱事件では、叛乱軍の中核部隊として、その持てる全戦力を投入するが、叛乱はあえなく失敗。連合軍もその戦力を喪失し、帝国暦45年、根拠地としていた惑星ペイジンとルーシアが陥落、攻守連合は消滅した。

 

 だが、最後のカストル軍政府総統、ディビット・スー(スー・ディン・ファン総統の息子)は、僅かな残存戦力を統率し、連合消滅後も長く、帝国辺境域でゲリラ活動を展開。その最期は明らかになっておらず、一説には、後世イゼルローン回廊と呼ばれる航路を発見して、アーレ・ハイネセンのグループより一世紀以上早く、後に同盟領となる星域に到達、独自のコロニー国家を築いたとも伝えられる。



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1-3:汎オリオン腕経済共同体

 最後に、多星系企業の連合を母体とする「汎オリオン腕経済共同体」。帝国やシリウス、攻守連合と比べると、国家的性格は薄く、軍事力を有する企業連合と称すべき存在だった。

 

 連邦時代、複数の星系に跨がり、各種事業を展開する多星系企業にとって、航路の安全は最重要課題の一つだったが、連邦が統制能力を失い、連邦軍が宇宙海賊との戦いを避けるようになると、一部の多星系企業は自衛と利益確保のために、自社傘下に民間軍事会社(傭兵集団)を設立、自社船の護衛を始めた。連邦政府は民間企業が過大な戦力を持つ事に難色を示したが、高官への賄賂攻勢もあり、多星系企業が軍事会社を所有する事は既成事実化していった。

 

 特に、星系政府や軍閥間の紛争が激しく、宇宙海賊やマフィアも跋扈する辺境域では、軍事会社も正規軍並みの装備と練度が求められたため、連邦末期、弱体化した連邦軍に代わって、宇宙海賊やマフィアとの戦いを主導する事例も生じてきた。折しも、宇宙暦303年、連邦政府首相ルドルフは、市民の雇用確保のため、経済活動を政府の管理下に置くと発表、主要企業の国営化、業界ごとに各企業の統合と系列化を進めると宣言した。

 

 連邦中央の財界は、熱狂的にルドルフを支持する世論に抗せず、また国営化に反対する財界人が国家主義団体に虐殺された事で、ルドルフ支持を余儀なくされたが、自前の軍事力を備えて、自分達の富を奪おうと虎視眈々と狙っている星系政府や軍閥と渡り合ってきた辺境域の多星系企業は一斉に反発。自由主義経済を守るべしと、銀河連邦からの自立を模索し始めた。

 

 特に、若手経営者の中からは、独善的な政治勢力に頼る事なく、我々自ら理想とする国家を作るべきではないかとの声が上がり、その声に押される形で、大手軍需企業カストロプ・グループ総帥、ディートリヒ・カストロプが代表者となって、企業連合体国家・汎オリオン腕経済共同体を結成。参加した企業は大小合わせて数千社以上に上った。

 

 彼らはあらゆる政治権力からの独立と政治的中立、侵略戦争の否定、自由経済体制の守護を宣言。自分達は、自国民(社員)の幸福と安寧、そして私企業としての営利追求と拡大再生産を目的とする国家だとした。

 

 共同体は企業連合を母体とするため、その政体は非常に特異だった。国民は社員、民意聴取は労使交渉、議会は株主総会、内閣は取締役会と見なして、企業経営の手法を以て国家を運営。その結果、生産と販売、交易と金融だけに特化した、極端な経済偏重国家となった。

 

 そのため、政治的イデオロギーには固執せず、自由主義経済を否定した帝国とさえも、自国に利益があると見なせば、その範囲内では協力もした。帝国側も、自由主義経済を鼓吹する共同体は、経済政策上、いつかは打倒せざる得ない存在ではあったが、シリウスや攻守連合などの強敵と相対している間は、共同体を敵陣営へと追いやるべきではないと判断。帝国暦3年、皇帝ルドルフと、共同体総裁ディートリヒが秘密裏に会談。共同体は、自国で生産する艦艇や兵器、並びに軍需物資を優先的に帝国へ販売する。帝国は、帝国領内で共同体所属企業が行う自主的な経済活動を容認するとして、統制経済の限定的な解除を認めた。

 

 統制経済を国是とする帝国にとっては、外交的敗北とも言える内容であり、軍部を中心に「国是を否定してまで、あの商人どもに迎合する必要はない」との反対もあったが、元財界人の内閣書記官長クロプシュトックは「その商人どもが銀河系の富の半分を握っている事を忘れるべきではない。奴らの富がシリウスや攻守連合の物になる事だけは、断じて避けなければならない。今は譲るかもしれないが、近い将来、その富を全て、我が帝国の物とすれば良いのだ」と主張。最終的には皇帝ルドルフの裁決で、共同体との協約は成立したが、現在的視点からすると、クロプシュトックの主張は間違っていなかった。

 

 帝国とシリウス・攻守連合の戦いを横目に、共同体は兵器や軍需物資の供給元として、莫大な利益を上げる事に成功。自国の侵略戦争は否定したが、他国の侵略戦争で富を蓄積する共同体を評して「人類史上、最も巨大な死の商人集団だ」(内務尚書ファルストロング)と罵倒する者も多かったが、両陣営の中継役として、帝国と攻守連合の時限的講和を仲介するなど、外交上でも、その存在感を増していった。

 

 帝国暦元年から9年、ルドルフの治世前期は、共同体の最盛期というべきだったが、帝国軍の再編が完了して、シリウス・攻守連合が劣勢に追い込まれてくると、共同体もまた、帝国からの有形無形の圧力を受けるようになった。この状況に対して、共同体内部の意見は分裂。シリウス・攻守連合に与して帝国に反撃、自由経済を守るべきとする原理派と、帝国の存在を受け入れ、その支配下で可能な限りの自由経済を認めさせるべきとする現実派とが抗争、国論の統一が出来なかった。

 また、軍事の専門家はいても、彼らは航路警備や治安維持など、守る事に特化した軍人達で、帝国といつ戦端を開くべきかなど、戦略の判断が出来る、攻める事に長けた軍人が皆無だったため、適切な軍事上の提言もないまま、結論の出ない討議が延々と繰り返された。

 

 ルドルフ死後、共同体の没落が始まった。第2代ジギスムント1世が即位、その直後に勃発した共和主義者の大反乱が失敗に終わると、主戦力を喪失した攻守連合は事実上、滅亡。また、叛乱を主導したとの名目で、帝国はシリウスに遠征軍を派遣する。帝国軍の大攻勢により、シリウス周辺諸国は次々と降伏。帝国暦51年、シリウスの首都星ロンドリーナが陥落し、シリウス本国も帝国に降伏した。

 

 この間、共同体も手を拱いていた訳ではない。自国の独立を保てるよう、帝国政府に再三交渉を申し込んだが、すでに自国の圧倒的優位を確信していた帝国は一顧だにせず、即時無条件降伏以外の選択を認めなかった。

 事ここに至り、共同体内部でも、帝国支配を容認する現実派が主流となったが、奇妙な事に、初代総裁ディートリヒの長子で、二代目総裁マクシミリアンは、帝国への降伏を容易に肯んじなかった。その理由が判明したのは帝国暦51年3月、突如としてマクシミリアンと一族は失踪、首都星ヴェネーディヒから姿を消した。再びマクシミリアンが姿を現したのは、シリウス旧首都星ロンドリーナ、同地に駐屯する帝国軍遠征部隊総司令官、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムに伴われてだった。

 

 マクシミリアンが帝国に単独降伏した経緯は、カストロプ家が帝国末期に起こした叛乱で、同家所有の文書がほぼ消失した事もあり、明確になっていない部分も多々あるが、少なくともシリウス滅亡前後、遠征軍総司令官、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムと、水面下で交渉していた事は間違いないようだ。

 降伏したマクシミリアンは、共同体所属企業の各種データ、特に生産基地と軍事拠点の位置を記した、同国内の航路図を帝国軍に提出。そのため、共同体所属の軍事会社(傭兵集団)は、ゲリラ戦が不可能になり、大兵力の帝国軍に各個撃破されていった。マクシミリアンはこの功績により、カストロプ公爵に封じられ、共同体の首都星ヴェネーディヒを中心とする星系を領地として与えられた。

 

 同じ公爵位ではあるが、元シリウス大統領のペクニッツ公爵が帝都星オーディンで飼い殺しにされた事とは対照的に、元共同体総裁のカストロプ公爵は、一星系にのみ限定されたとは言え、それまでの権益を保証された事実は、同公爵と帝国政府、具体的にはノイエ・シュタウフェン公との間に、何らかの密約があった事を推測させるが、現時点では詳細は不明。両家とも、リップシュタット戦役以前に絶家しているため、一次史料が乏しいという制約はあるが、今後の研究を期したい。

 

 確かな事実としては、これまでシリウスや共同体が支配していた辺境域の星系では、旧国の遺民によるテロやゲリラが相次いでいたが、カストロプ家成立後、それら星系の治安が回復し、次々と帝国貴族が領主として封じられた事。この点から、カストロプ家が辺境域の治安維持に努める見返りとして、帝国政府は同家の権益を保証したのではないか、との推測が成り立つ。

 旧敵国の統治をその国の支配層に委ねるのは、占領政策の常套手段ではあるが、同時に、旧敵国の勢力を一部温存する事にも繋がるので、政情不安の温床になる危険性もある。この公式通り、カストロプ家は長く辺境域の盟主的存在となり、陰に陽に、帝国の政治に様々な影響を及ぼす事になる。

 

 なお余談ながら、フェザーン自治領に伝わる常套句「親でも国でも売り払え。ただし、なるべく高く」は、フェザーン人の拝金主義を的確に表現した言葉だと広く人口に膾炙しているが、この言葉を初めて用いたのは、初代カストロプ公マクシミリアンとの説がある。だとすれば、マクシミリアンはフェザーン人の精神的祖先だと言えるかもしれない。



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第2節 帝国の「三権」~行政・司法・立法の関係

「我が帝国の統治は、官僚・軍人・貴族の三位一体を礎とする」。これは帝国暦25年、ルドルフが御前会議で発した言葉だと伝えられている。この三者のうち、貴族は旧帝国で創設された制度だが、官僚と軍人、この二者は、銀河連邦の制度を受け継ぎ、帝国で再編されたものである。連邦から受け継いだ統治機構に、帝国は何を加えて、何を除いたのか、それを明らかにする事で、皇帝ルドルフが銀河帝国という新国家を如何にデザインしようとしたのか、その意図を分析してみたい。本節では、統治機構の前提となる権力の所在、いわゆる「三権」について、銀河連邦と対比しつつ述べたい。

 

 1.銀河連邦の三権

 銀河連邦は、民主国家として、三権分立を採用していた。三権の形態は以下の通り。

 

 行政:長は連邦政府首相。首相以下、各省を主管する国務大臣と若干名の無任所大臣、内閣官房長官が内閣を構成する。

 

 立法:長は上下院議長(上院議長は国家元首を兼任)。選挙によって選出された上下院議員が上院議会と下院議会を構成する。

 

 司法:長は最高裁判所長官。最高裁判所―高等裁判所―下級裁判所の序列で、司法機関を構成する。なお、星系政府間の裁判は、上院議会に設置される特別裁判所が代行する。

 

 2.銀河帝国の「三権」

 対して、銀河帝国では、三権という概念が消滅した。全ての政治権力は帝国皇帝が管掌する所となり、行政・立法・司法の権能は、皇帝の支配と監督の下、各機関が代行する事となった。その内容は以下の通り。

 

 行政:各省の長(尚書)と、書記官長によって構成される尚書会議(内閣は通称)が代行。同会議の議長役は帝国宰相が務めるが、宰相不在の場合は国務尚書が代行する。このため、国務尚書は筆頭尚書とも称される。

 

 同会議で決定した事は、帝国宰相(不在時は国務尚書)が皇帝に上奏。皇帝の裁可を得た案件が法律化され、各省で執行される。なお、皇帝の詔書は尚書会議の決定よりも上位にあり、詔書と法律が相違した場合は、詔書に従うとされ、それ以降、詔書の内容が慣習法として尊重された。

 

 国政上の重要問題が同会議で討議される時は、皇帝が臨席する場合もある。皇帝臨席の尚書会議は、特に御前会議と称される。皇帝の要求があれば、軍高官など、尚書会議への出席権を持たない地位の人物も参加する事は出来るが、発言権のみで、議決権は持たない。

 

【注】帝国宰相の地位:帝国の行政組織中、官吏の最高位。常置の官職ではない。行政面での皇帝代理として、各省尚書を監督する。宰相府を設置し、独自の吏員を雇用できる。国政全般にわたる調査権を有し、独自の政策立案を行う事も出来る。枢密院(後述)に、皇帝代理として出席する資格がある。

 

 立法:その権能は行政機関に吸収され、立法機関は存在しない。ルドルフの治世前期(帝国暦元年~9年)は、連邦の上院を母体とする「総督会議」と、下院を母体とする「帝国議会」が存在したが、議案の提案権はなく、皇帝が行う政治が民意に適っているかどうかを検証する事のみが同会議・同議会の責務とされた。

 帝国暦9年、ルドルフによって帝国議会が永久解散されると、総督会議もその役割を終えたとして、国務省第一調整局(後述)に吸収された。

 

 なお余談ながら、領主貴族家によって構成される枢密院を旧帝国の立法機関だとする解説をしばしば目にするが、枢密院は各貴族家の利害調整、帝国直轄領と貴族領との政策調整の場であって、立法機関ではない事を明記しておく。

 

 司法:立法と同様、その権能は行政機関に吸収され、独立した司法機関は存在しない。臣民と爵位無しの下級貴族を対象とする裁判は、司法省所管の下級裁判所で審理。爵位持ち貴族は、枢密院設置の上級裁判所(大審院は通称)で審理された。

 なお、帝国の司法行政では、警察部局に強い権限が認められているために、逮捕された容疑者が裁判無しで処罰される事例が極めて多く、司法自体が形骸化している面があった。

 

 上記の通り、帝国では行政独尊とでも言うべき状態にあり、立法と司法は、その権能を行政に吸収されているのが現状だった。これは、全ての政治権力を皇帝が管掌する帝国の国是からして、当然の帰結でもあった。



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第3節 帝国の行政組織~国務省・軍務省・財務省

 本節では、帝国の行政組織について概説したい。建国後、ルドルフは連邦の省庁を再編成し、帝国の行政組織は九省体制で発足した。各省の組織は以下の通り。

 なお、本来は局の下に各課が存在するが、煩瑣になるため、局名までの記載とした。この他、各省共通で、尚書直属の官房部局が存在するが、下記記載からは省略した。

 

 1.国務省

 

 銀河連邦の国務省を母体とする。皇帝直轄領の管理を主管する。直轄領総督と直轄領内の官吏の人事権も有する(総督職は勅任官のため、皇帝の裁可が必要)。また、各種施策を実施する上で、政府機関と貴族家との折衝が必要になった場合は調整役を務める。この他、帝国自治領の監視と交渉、各種統計の作成、そのための調査業務も所管した。

 

 連邦の国務省も、連邦政府と各星系政府との調整・折衝を担当しており、その性格は、星系政府が領主貴族に変わった事以外、大きな変化は無かった。国務省で調整できなかった案件は、枢密院に移管されて、同院で討議された。その際、国務尚書は政府代表として出席した。

 

 同省の性格上、調整型の政治家が国務尚書に就任する例が多かった。帝国末期のリヒテンラーデ侯クラウスが典型例。国務省官僚も、他省からの出向者が多く、国務省プロパーの官僚は、専門の政策分野を持たない調整型に育成された。

 また、数は少ないが、帝国領内の自治領を監視して、必要な交渉を行う事も同省の業務であり、帝国暦374年に設立されたフェザーン駐在帝国高等弁務官府も国務省の監督下にあった。

 

 特筆すべきは、連邦の福祉保健省の権能が、国務省管轄とされた事。医療・福祉・健康保険・年金など、連邦時代は有権者の関心が極めて高い政策分野だったが、担当する省を局に格下げし、福祉を重視しない姿勢を明らかにした。ルドルフは連邦首相時代から、「福祉より労働」「給付より賃金」を掲げ、手厚い福祉給付よりも、強制的な就労による自立を推進していたので、その姿勢を制度的にも明らかにした形と言える。

 

 【各局】

 

 第一調整局:各直轄領の実情を調査し、各総督の意見を聴取して、必要な施策を起案する。また、総督同士の意見交換、政策提言の場である総督会議の招集も担当する。

 

 第二調整局:帝国政府と領主貴族との政策調整を行う。調整の結果、新法が必要であれば起案し、他省への申し入れが必要であれば、文書を作成し、他省との協議を行う。

 

 統計調査局:人口調査など、政策立案の基礎となる各種の統計調査を実施する。

 

 自治局:帝国自治領の政治状況を監視し、反帝国活動などが行われていないか、管理監督する。必要に応じて、自治領との折衝も行う。

 

 医療局:公立病院や医学研究所の管理を担当。医師の育成も所管しており、軍務省軍医局、科学省科学技術局とは人事交流を行っている。

 

 福祉保健局:各種福祉制度や年金制度を担当。なお、貴族の年金は宮内省典礼職(美麗帝アウグスト1世の時、典礼省として独立)が、官僚の年金は各省官房部局が、軍人の年金は軍務省厚生局が担当している。

 

 2.軍務省

 

 銀河連邦の国防省を母体とする。軍政を主管。軍人人事、各種兵器・軍需物資の調達、兵士の徴募と訓練、諜報活動の実施、軍事関連技術の開発などを所管する。

 連邦時代、軍事に明るくない政治家が文民統制の名の下、国防大臣に就任した結果、軍事上の最善手が打てず、紛争の激化や治安悪化を招いた事への反省から、軍務尚書は制服軍人(退役・予備役含む)でなければ就任できないとした。実戦部隊との関係は第6節「帝国の軍隊組織」を参照。

 

 【各局】

 

 人事局:帝国軍人の人事を担当。収容所の管理など、捕虜に関する業務も所管する。

 

 厚生局:主に予備役・退役軍人の恩給(年金)を担当。現役軍人の福利厚生も所管する。

 

 調達局:各種兵器や軍需物資の調達を担当。

 

 整備局:軍事施設の建設と管理を担当。

 

 航路局:軍用航路の開発と維持、航路図の作成と管理を担当。軍用航路は、民間航路と重複するので、国土省航路局と必要に応じて調整した。

 

 教育局:士官学校を始め、各種軍学校・専科学校の管理と運営を担当。

 

 調査局:敵国や敵性勢力などに対する各種諜報活動を担当。統帥本部情報局とは、その担当業務が重複する面があるので、必要に応じて調整した。

 

 軍医局:軍医の育成と軍事医療技術の開発を担当。国務省医療局・科学省科学技術局とは、人事交流を行っている。

 

 科学技術局:軍事科学技術の開発を担当。科学省科学技術局とは、積極的に人事交流を行っている。

 

 憲兵局:軍警察である憲兵隊を所管。なお、旧帝国の憲兵隊は、軍隊内の警察業務のみならず、軍内の思想統制や、帝国領内の治安警察的な役割も果たしており、内務省管轄下の社会秩序維持局や治安警察と対立関係に陥る事が多かった。

 

 政治局:軍内部で民主主義や共和主義を鼓吹、宣布する思想犯罪の摘発と軍内の思想統制を担当。憲兵隊の業務と重複する事も多く、帝国の統治が安定してくると、憲兵隊に主導権を奪われ、同局のポストは貴族子弟が経歴に箔付けするための閑職と化した。下級貴族や平民出身の将兵から極めて評判が悪かったため、ローエングラム独裁体制下で廃止された。

 

 ※軍医局・科学技術局・憲兵局は、局長は慣例的に「総監」と呼称された。なお、各局所属の軍人は、その職務の専門性から、一般の軍人とは昇進のラインが異なり、階級の前に局名を付ける事が慣習化していた(例:軍医少佐・憲兵大佐など)。

 

 3.財務省

 

 銀河連邦の財務省・経済産業省を母体とする。国家予算の編成、税務行政を主管。また、帝国が採用した統制経済の根幹を成す生産計画の立案と公定価格の決定、経済規模に応じた通貨量の発行と、文字通り帝国経済の中枢だった。

 

 経済政策に関する業務量は膨大だったが、ルドルフの「政高経低(政治を重んじ、経済を軽んじる)」主義により、経済担当の独立官庁は設けられず、財務省の一部局とされた。そのため、財務省の組織は肥大化し、ともすれば汚職や利権の温床となった。

 この事を憂慮した寛仁公フランツ・オットー(老廃帝ユリウス1世の長子、同帝の摂政を務め、事実上の皇帝だった)は帝国暦126年、司法省に商務局を新設。商取引関係の法律の立案と、財務省の監査業務を担当させた。

 

 また、寧辺帝コルネリアス2世は、帝国暦420年、フェザーン自治領との関税交渉を担当させるため、関税局を新設した。

 

 【各局】

 

 主計局:予算編成を担当。各省担当官との折衝を通じて、政府予算案を立案。

 

 主税局:徴税業務を担当。なお、爵位持ち貴族の所得と資産は、基本的に非課税。平民には帝国領内で生存を保障されるための経費として「安全保障税」が課せられている。この他、生存に必要ではない奢侈品や贅沢品を平民が購入する場合は、その種類に応じて「付加価値税」や「物品税」が課される。

 

 理財局:予算の執行状況の監査を担当。適切な予算配分案を提示し、主計局に勧告する。

 

 生産局:主に禁制品―恒星間航行用宇宙船・戦闘艦艇・兵器―の生産計画の立案と指示を担当する。

 

 輸送局:主に禁制品の輸送計画の立案と指示を担当。各生産拠点と消費地の状況を監督して、禁制品の適切な配分がなされるように調整する。

 

 配給局:平民への配給制度を担当。家族数と世代によって分類された標準的世帯モデルの策定と改訂、また配給制度が適切に運営されているかどうか、各総督府の監視も行う。

 

 物価局:各地の生産・消費動向を調査、分析し、公定価格の設定と調整を担当する。

 

 企業局:生産局が策定した生産計画に則り、各国営企業の生産数量を決定する。各企業が割り当て通りに生産できているか、監督業務を担当する。

 

 投資局:貴族家が経営する公営企業への投資を担当。事業内容を精査し、必要な事業資金を融資する。資金は帝国銀行(ライヒスバンク)の預貯金から支出する。

 

 造幣局:通貨の発行を担当。帝国内での生産量に応じ、市中に流通する通貨量を決定する。



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第3節 帝国の行政組織~内務省・国土省・司法省

 4.内務省

 

 銀河連邦の警察省が前身。警察機構を統括して、国内の治安維持を主管する。

 

 旧帝国の警察機構は、治安警察と公安警察に大別される。前者は同省警察局を頂点とし、星系首都(州都)―惑星首都(郡都)―惑星内の自治体(町)で系列化、それぞれ警察本署―警察分署―派出所が置かれる。これは貴族領も同様で、臣民が暮らす惑星・衛星・人工天体には必ず警察組織が配置された。

 

 後者は同省公安局を頂点とし、組織の系列は警察局と同様、警察局の施設に併設される形で、思想警察の拠点も設けられたが、その職務上、詳細は秘匿された。

 逮捕した容疑者は、原則として司法省に移管して、裁判所で審理される事になっているが、前述した通り、旧帝国の警察は捜査現場に広範な権限が認められたため、裁判なしの処罰が極めて多かった。

 

 また公安警察は、共和主義者など反帝国思想の持主や反帝国勢力の構成員など、帝国支配を拒否する者たちを逮捕、処罰する事を職務としており、帝国暦9年、劣悪遺伝子排除法の成立に伴って設立された、ルドルフの暴政の象徴とも言われる社会秩序維持局は、この公安局を拡大、再編して誕生した。

 当時、敵対国家に支援された共和主義者らのテロ、ゲリラ活動が頻発しており、社会秩序維持局は彼らテロリスト達に対抗するため、予備役・退役軍人を大量に雇用して発足した経緯から、内務省内の一部局でありながら、帝国軍と同様の階級制度を採用していた。これは、テロ対策の現場等で、帝国地上軍と共同作戦を取る事も多かったので、指揮・命令系統を明確にするため、という事情もあった。

 

 【各局】

 

 警察局:治安警察を担当。系列の警察組織を管理、運営して、国内治安の維持を図る。なお帝国暦430年代、宣撫帝オトフリート3世の御代、猜疑心の虜となった同帝の指示で、皇宮警察の拡充が図られた。その際、警察局自体の組織再編も実施されて、警察局は警察総局に格上げされた。

 

 公安局:公安警察を担当。共和主義者など反帝国主義者や反帝国勢力の構成員など、帝国支配を拒絶する者の逮捕、処罰を所管する。帝国暦9年、社会秩序維持局に拡大、再編された。

 

 教育局:警察官の採用と育成を担当。各種警察学校を所管する。

 

 刑務局:刑務所の維持・管理と囚人らの監視、死刑を始め各種刑罰の執行を担当。旧帝国の刑務所は、惑星単位で設定されており、事実上の流刑地となっていた。

 

 装備局:警察官が使用する各種装備の調達を担当。また、犯罪捜査技術の開発なども所管する。科学省科学技術局と連携する事が多い。

 

 風紀局:賭博や性産業など、治安上、好ましくない産業や習慣の取り締まりを担当。また、臣民の義務などに関する啓発活動等も所管する。反帝国勢力による思想戦に対抗する教宣活動等も行う。

 

 事故処理局:火災や交通事故など、犯罪ではない事件・事故の処理を担当。消防組織を監督下に置く。

 

 5.国土省

 

 銀河連邦の国土省と交通省が前身。国内の公共施設・各種インフラの建設と、維持管理を主管する。しかし、貴族領内の公共施設とインフラについては、その領主に管理責任があったため、同省が担当するのは、原則として帝国直轄領内の施設とインフラのみ。そのため、連邦時代は巨大な利権を抱える強力な官庁だったが、帝国建国後、その権力は相対的に低下。二線級の官庁と見なされるようになった。

 

 【各局】

 

 航路局:民間用航路の開発と維持、宇宙港の建設と運用、航路図の作成と管理を担当。民間航路と軍用航路は重複するので、軍務省航路局と必要に応じて調整した。

 

 土地開発局:人口居住惑星の土地開発を担当。荒野の開拓や干拓等を行い、利用可能な土地を造成する。

 

 施設局:主に平民用の公共施設の建設と管理を担当。平民用施設としては、臣民の義務とされた強健な身体作りのため、各種スポーツ施設やトレーニングセンター等が建設されたほか、資格取得や学力向上を目的とした学習室や図書館、地域コミュニティのための集会場などが建設された。

 

 都市局:ごみ収集やし尿処理など、都市生活で必要な制度やインフラの整備を担当。

 

 道路局:惑星内の道路網の建設と維持を担当。自動運転地上車の航法も所管した。

 

 鉄道局:惑星内の鉄道網の建設と維持を担当。自動運転列車の航法も所管した。

 

 港湾局:惑星内の港湾設備の建設と維持を担当。自動運転船舶の航法も所管した。

 

 航空局:惑星内航空網の維持と管理、空港の建設と維持を担当。自動運転飛行機の航法も所管した。

 

 資源局:水や電気など、生活に必要な資源・エネルギーの供給体制の管理・運営を担当。また、浄水場や下水処理場、発電所など供給施設の建設と運営も所管した。

 

 6.司法省

 

 銀河連邦の法務省と各級裁判所・検察庁を母体として、各種法律の管理を主管する。各省から起案された法律案が既存の法律・慣習法(皇帝の詔書)に抵触、相違しないかを審査する。

 また、下級貴族・平民が対象の下級裁判所を運営して、内務省から送致されてきた容疑者の審理を行う(爵位持ち貴族は、枢密院設置の上級裁判所で審理される)。

 

 ただし、刑務所の管理運営と刑罰の執行は、内務省の管轄とされた。これは前述した通り、旧帝国では捜査機関に広範な権限が認められたため、裁判なしの処罰が極めて多かった事による。「疑わしきは罰する」。これが旧帝国の司法上の大原則だった。

 そのため、司法省に送致される者は、上級裁判所での審理が決まった貴族の共犯とされた下級貴族や平民、損害賠償等を伴う民事事件の容疑者が大多数だった。

 

 また、同省の権能として、官僚や軍人など公職者への監察権と弾劾権がある。これは即位前のルドルフが公務員の非行を取り締まるために、市民による申告制度を設けたが、同制度が法務省所管とされた事に由来する。ただし、皇族や爵位持ち貴族が対象となった場合は、政治的配慮で弾劾されない事が多く、高位高官に対しては、形骸化している面もあった。

 

 余談ながら、新帝国の初代司法尚書・ブルックドルフが統帥本部総長ロイエンタール元帥に叛意あり、と弾劾したのは、それが司法省の権能であったため。しかし、ブルックドルフ尚書の判断については、旧帝国、それもルドルフ大帝由来の権能で、新帝国の高官を弾劾するのは問題ではないかと、同省内にも批判の声は出ていた。最終的に、内国安全保障局長ラングがロイエンタール元帥弾劾の権利を手中に収めたのは、司法省内からの批判に対し、ブルックドルフ尚書が抗しきれなかった、という面もある。

 

 なお、財務省の項で既述しているが、帝国暦126年、寛仁公フランツ・オットーが同省に商務局を新設。商業関係、特に商取引を円滑に行う為の法律の立案と、財務省の監査業務を担当させた。

 

 【各局】

 

 第一法制局:刑法を担当。

 

 第二法制局:民法を担当

 

 第三法制局:慣習法(歴代諸帝の詔書)を担当。

 

 監察局:官僚や軍人など公職者の勤務態度等を監察。勤務成績が不良である、汚職などの非行を行っている、反帝国活動を画策しているなど、公職者の責務を果たしていないと判断した場合、当該人物の姓名・官職・所在などを公表。所属する官庁に是正処置を勧告する。

 制度の精神としては、罰する事ではなく、あくまで矯正を目的としている。しかし、高位高官に対しては、公表基準に該当しても公表しない、逆に政敵を陥れるため、些細な事でも針小棒大に公表するなど、政治闘争に悪用された面は否定できない。

 なお、軍務省政治局とは、その職務が重複する面もあるが、政治局は思想的な面を重要視したのに対して、監察局は実際の行動や態度を重視する傾向にあった。

 

 商務局:帝国暦126年、寛仁公フランツ・オットーが設置。商業関係、特に商取引円滑に行うための法律の立案と、財務省の監査業務を担当。監察局と合同で監査を行う事も多かった。

 同局設置以降、司法省と財務省は組織的に対立する傾向が強くなった。旧帝国末期、亡国帝フリードリヒ4世の御代、財務尚書カストロプ公オイゲンの職権乱用と過度の蓄財に対し、司法尚書ルーゲ伯爵が「見事な奇術」と皮肉ったのは、両省が対立関係にあったからでもある。



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第3節 帝国の行政組織~学芸省・科学省・宮内省

 7.学芸省

 

 銀河連邦の教育省を母体とする。教育行政を主管して、国内の教育機関を監督する。また、国立大学や各種研究機関等で行われる学術研究の内容を精査し、その内容に応じて、予算配分を決定。また、研究内容に反帝国思想などが含まれていないか、常に監視している。

 

 この他、国内に残る歴史的遺物や文書等の保護、管理も担当するが、これも反帝国思想に繋がるような内容かどうか、監視する事が本来の目的。連邦時代とは異なり、思想統制的な業務が増えている。

 その内容上、内務省と共同して業務を遂行する事が多いが、学者気質の官僚や研究所の職員は、それらの業務は学芸省本来の任務では無いと毛嫌いしていた。新帝国成立後、思想統制的な業務がほぼ消滅したのは、誠に喜ばしい事である。

 

 【各局】

 

 第一教育局:初等・中等教育を担当。教科内容の決定や教科書の策定を司り、私立の教育機関の監督も行う。

 

 第二教育局:大学など高等教育を担当。教授内容の決定、教育機関の監督も行う。

 

 第一学術局:大学や各種研究機関で行う学術研究のうち、文系学問を担当。研究内容が帝国に望ましいか否かを判定して、その結果に応じて予算を配分する。また、研究内容が望ましくないと判断した場合は、大学や研究機関に是正措置を勧告する。

 

 第二学術局:大学や各種研究機関で行う学術研究のうち、理系学問を担当。業務内容は第一学術局と同様。また、その業務内容上、科学省科学技術局と積極的に人事交流を図っている。

 

 文化局:国内に残る歴史的遺物や文書等の保護、管理を担当。実際は、反帝国思想の鼓吹に繋がりかねないものが無いか、内容を精査の上、必要があれば封印、または廃棄処分とする。

 

 8.科学省

 

 銀河連邦の科学技術庁と拓殖省を母体とする。各種科学技術の開発を主管する。また、FTL(超光速)通信網を始めとする、帝国領内の通信・郵便網の管理を行う。通信内容に、反帝国思想に関するものが無いか、傍受・検閲もしている。

 また、各種資源・エネルギー源の探査、資源・エネルギー採取用プラントの建設・維持も行っている。

 

 この他、居住可能惑星の探査と開発も所管業務の一つだが、帝国人口は減少傾向にあり、既知の居住可能惑星も入植者が不足、高い経費を負担して開発するメリットが無いと、未開拓のままで放置される事が常態化していたため、500年近い旧帝国史上でも、居住可能な未開拓惑星を発見、開発した事例は、ほぼ皆無だった。

 

 【各局】

 

 科学技術局:各種科学技術の開発と改良を担当。国務省医療局・軍務省科学技術局・内務省装備局・学芸省第二学術局など、科学技術関係の業務を担当する各局とは人事交流を行い、科学者・技術者の人材供給源でもあった。

 

 通信管理局:主にFTL通信網の管理を担当。なお、帝国暦373年、フェザーン自治領が成立後、旧帝国のFTL通信網は、フェザーンの通信網を介し、同盟のFTL通信網と間接的に接続された。両国とも、その事は認識していたが、情報流出の危険性を犯してでも、相手国の情報を傍受できる利点を考えて黙認していた。このため、旧帝国末期、開祖ラインハルト陛下が同盟のFTL通信網を使い、宣戦布告する事が可能だった。

 また、FTL通信以外の連絡手段、音声書簡や紙媒体の書簡を集荷、配達する事も同局の所管。FTL通信に比べれば、圧倒的にシェアは小さかったが、直筆の書簡を好んだルドルフの影響もあり、帝国末期まで手紙文化は残っていた。ただし、同局所管の郵便網を使うのは平民層、または平民に近い下級貴族に限られ、富裕な貴族は機密保持の観点からも、自家で雇用した郵便船を使うのが一般的だった。

 

 資源開発局:各種資源・エネルギーの開発、資源採取用プラントの建造と管理を担当。国土省資源局が居住可能惑星内の資源開発と管理を主としたのに対し、同局は人間が居住できない惑星・小惑星に存在する資源・エネルギーの開発を主としていた。

 

 惑星開拓局:居住可能な未開拓惑星の発見、開発を担当。しかし、前述の通り、新規に未開拓惑星を発見、開発するメリットが失われていたため、同局は事実上の左遷先、または定年間近の官僚が退職前の箔付けとして、一時的に在職する職場と化していた。

 

 9.宮内省

 

 銀河連邦の国務省儀典局を母体とするが、事実上の新設官庁。皇帝及び皇族の生活一般に必要な業務を主管するほか、各種式典や帝室主催行事に関する業務も担当。帝室予算や、帝室所有の資産等も同省が管理。皇帝のスケジュール管理を司る秘書官達は、政務に関する知識が必要とされるため、国務省ほか各省庁から出向している。

 

 建国当初は、各貴族家に関する業務、例えば貴族家の創設や絶家、家格や爵位に伴う恩典の支給などに関する事務処理も担当していたが、時代が下り、貴族家の数が増えてくると、宮内省では処理しきれないという事で、帝国暦170年、美麗帝アウグスト1世の御代、宮内省典礼職が独立、典礼省が新設された。

 

 【各局】

 

 侍従職:皇帝の生活一般を担当。また、国璽を保管する部署でもある。

 

 秘書職:皇帝のスケジュール作成を担当。なお、喪心帝オトフリート1世の御代、俗に「準皇帝陛下」とも呼ばれたエックハルトは、財務省出身の官僚で、同職所属の政務秘書官だった。

 

 後宮職:後宮の管理を担当。なお、皇帝の性格により、後宮の規模は変動したので、同職の体制もそれに応じて変化した。

 

 皇嗣職:皇太子ほか、未婚で皇宮に暮らす皇族の生活一般を担当。なお、旧帝国の男性皇族は、結婚と同時に独立し、一家を構える慣習だった。

 

 典礼職:上述の通り、各貴族家に関する業務を担当。後世、貴族家の数が増加した事で、典礼省として独立。

 

 式部職:皇宮内の各種式典、帝室主催行事に関する業務を担当。

 

 主計部:帝室予算及び帝室の資産管理を担当。

 

 書陵部:皇帝の陵墓と帝室に伝わる文書の管理と保管を担当。

 

 用度部:皇宮施設の管理と皇宮内で使用する物品の購入と管理を担当。

 

 御料部:帝都星オーディン及び他の惑星にある御料地の維持管理を担当。

 

 警備部:皇宮内の警備を担当。同部職員は内務省警察局から出向した警察官が務める。なお、近衛兵団は皇宮全体の防衛を担当し、統帥本部の指揮下にある。

 

 以上、旧帝国の統治組織を概説したが、まず指摘できる事は、組織の統廃合が進められ、連邦時代よりも省庁の数が減っている点だ。

 貴族制が成立して、貴族領の行政事務は各領主家が雇用する官僚らが担当するようになったため、連邦時代よりも政府組織の事務量が減少したのは確かだが、同時に、組織を細分化せず、一部局に広範な権限を与え、担当官の裁量で決定できる範囲を大きくする、というルドルフの政治方針の表れでもある。

 

 ルドルフは連邦の政治家時代から、権力者が法律を濫用し、合法的に社会的弱者から富を吸い上げ、また弱者からの異議申し立ても、法律を盾に拒絶している事を強く批判、法を枉げてでも民意に添うべきと主張して、有権者の支持を得た経緯がある。

 それは所謂人気取りでもあったが、同時に、政治家ルドルフに一つの確信を与えたとも思われる。即ち、法治が救わない人民は、法を超えた人の意思、人治でしか救えないと。だからこそ、人治を実行できる人材を育成、彼らを遠い将来に亘って確保するための制度として、貴族制を創設したというのが筆者の見解である。この点は第4章「貴族制度と身分制秩序」で詳述したい。



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第4節 帝国の教育・学術制度

 前節で解説した官僚機構を始め、旧帝国の支配体制を現場レベルで支えた人材は如何にして育まれたのか。本節では旧帝国の教育・学術制度について概説したい。

 

 まず、旧帝国での学術研究を一言で表すとするなら「実学偏重」、この言葉に尽きるだろう。ルドルフは文学や歴史学、哲学など、いわゆる文系基礎学と言われる諸分野に対し、ことさら悪意を持っていた訳ではなかったが、さほど興味が無かったのも事実だ。逆に、社会変革への強烈な志向を有していたルドルフは、権力や財力、武力など、社会に直接影響を与えられる力を生み出す学問には、強い興味を示した。

 

 その結果、旧帝国の学術研究は、成果が見えにくい基礎的学問は等閑視され、社会に影響を与えられる技術や制度を生み出す応用的学問が重視された。それは、学芸省の予算配分にも露骨に現れ、例えば国立オーディン文理科大学は、帝国随一の名門大学だったが、文系学部に与えられる予算は、理系学部のそれと比較すると、僅か10分の1にも満たない額だったという。

 

 この実学偏重の傾向は、旧帝国の教育制度にも反映された。技術の取得を目的とする各種専科(専門)学校は公費で運営され、平民向けの奨学金制度などもあったが、一般的な知識や教養を主に教える公立学校は存在せず、学問好きの皇族や貴族が運営する私立学校があるだけだった。

 

 そもそも、旧帝国の公的教育制度は、連邦時代のそれよりも遙かに貧弱で、連邦市民には当然だった義務教育制度も廃止。教育は義務でも権利でもなく、各人がその必要に応じて、または国家の要請に応じて、適宜学ぶべきとされた。それは、人間の能力には格差があり、出来ない者に時間と経費を投じて教育しても非効率だ、というルドルフの人間観の現れだった。

 

 終身執政官時代、ルドルフが後の学芸尚書ランケに送った書簡の一節に、その人間観・教育観を端的に表現した部分があるので、以下に引用したい。

 なお、ランケは連邦末期の著名な社会学者で、生物としての人間には、遺伝子に由来する能力の格差があり、社会的動物としての人間には、性別や出生地、そして両親の社会的地位や所得による機会の格差が不可避的に生じる、それは人間社会の宿命というべきであって、その格差を前提とした社会秩序の構築こそ、真に平等な社会であって、かつ個々人の幸福と人生の充実にも繋がるのだ、その事を理解せず、自由と放埒の区別もつかず、欲望の無秩序かつ無制限な解放を自由と称するような人間は、社会にとって害悪でしかないと、社会科学の観点から身分秩序の正当性を鼓吹。貴族制成立のイデオローグとして、ルドルフに重用された学者政治家だった。

 

「…貴下の見解に賛同する。人間の能力には限界と格差がある事は、私も平素より感じていた。能力が無い者に高度な知識や教養を教授しても、理解はおろか記憶さえも出来ないのならば、時間と経費の浪費であり、かつ、無理な課題を強制された当人にとっても、精神的な苦痛でしかない。教育現場で日夜苦心している教師らの話を聞いても、学校の授業が理解できず、周囲への劣等感から、非行や暴力に走る児童生徒らの何と多い事か!

 

 彼らには学問を修めるという能力が生来、欠如しているのだ。その事を理解せず、子供の権利だから、保護者の義務だからと、能力の欠如した児童生徒に学問を強制する事は、もはや犯罪的でさえある。彼らには、持てる能力と性向に合致した場を与えてやるべきなのだ。そして、その場で与えられるものは、その者が将来、独立した生計を営む事が出来る技術であるべきだ。子供の自己実現や個性重視などと言い、教育評論家などという馬鹿者どもが持て囃す、利益も生まない労働の真似事、愚にもつかない創作活動や似非芸術、遊戯と変わらぬ運動競技などでは、決してあってはならない。自ら生計を営める事こそ、人間の尊厳を守り、人生の充実に繋がるのだ。それを与えてやるのが、子供を産み育てる者にとって、最低限の責務だと、私は確信する。

 

 よって、子供の能力と性向に応じて、将来、生計を営める技術を習得できる場を与えるのは、その子の両親であるべきだ。その意味でも、私は貴下が提唱する「家学」という概念に深く感銘を覚えた。私自身も父から軍人教育を受けたが、親こそが子にとり最適の教師なのだ。何故なら、親以上に子を深く知る者は存在しないからだ。その事を理解せず、学校教員の非を鳴らし、自身の責任を転嫁する親など、もはや親の名に値しない。公教育に全て委ねようとする者は、その乞食根性を自覚すべきなのだ」

 

 この主張通り、即位後のルドルフは、公教育制度を大幅に縮小した一方、家庭内教育の重要性を強調。親が子を教育する事こそ、帝国の誇るべき美風だと宣言。臣民の資格取得や学力向上を目的として、地域コミュニティごとに設けた学習室や図書館を使った初等学習活動を推奨した。

 そこでは、地域の子供達が同年齢ごとに集まり、その子らの親を教師役として、公用語の読み書きや四則計算などが教育された。また、親の知的水準が低い場合は、知的水準が高い近隣住民(退職した役人や軍人など)に依頼し、子弟の教育を行う事が望ましいとされた。子供が最低限の言語能力や計算能力を身につけたら、その子の能力と性向を鑑み、特定の技術取得を目的とした専科学校に進学させて、卒業後は、その技術を必要とする企業に就職する事が一般的な平民の人生航路となった。

 

 なお、学校卒業後、一定期間を経過しても就職しない場合は、学校を通じて政府から職場を斡旋されるが、それは事実上の強制であり、特段の理由がない無職・離職は、重大な臣民の義務違反として、社会秩序維持局の処罰対象となった。

 

 また、親と同じ職場に就職する事は、子にとっても、社会にとっても、最も望ましい就業とされた。そのため、企業側にも、退職者の補充は社員の子弟から採用すべしと通達。就業適齢期の対象者がいたにも関わらず、採用しなかった場合は、臣民の義務違反として、経営者が社会秩序維持局の拘禁対象になる事もあった。

 

 ただし、これは平均的所得の平民の場合であり、家計が裕福な平民の子弟は、官僚や軍人、警察官などの国家公務員、また医療従事者や法律関係者などの専門職に就くため、上級の専門学校や大学に進学する事が多かった。また、富裕な貴族は幼少期から家庭教師をつけられて、家庭内で教育される事が常識とされた。

 

 この結果、平民の学力水準は、所得によってばらつきが大きくなり、貴族と平民間のみならず、平民層内でも意識の格差が生まれ、それは平民の団結を阻害し、所得ごとの階層化を促進した。それこそがランケ、ひいてはルドルフが意図した事で、身分制秩序が定着するための前提条件の一つでもあった。なお、旧帝国の身分制度については、第4章「貴族制度と身分制秩序」にて詳述したい。

 

 上記のように、ルドルフと帝国政府にとっては、教育制度も社会秩序を維持するための一手段に過ぎなかったと言えるが、人材育成との面からはどうだったのだろうか。結論から述べると、旧帝国の平均的労働者は、上意下達に馴れきった指示待ち人間であり、創造性や自主性とは無縁な者が大多数だった。しかし、それを以て、旧帝国は人材育成に失敗したと速断する事は出来ない。

 

 周知の通り、旧帝国には貴族層があり、彼らは幼少期より十分な教育を受け、創造性や自主性を発揮できる人材に育っていった。ルドルフにとっては、社会の指導者たる貴族が優れた人材になれば良いのであって、平民は貴族の指示を受け、その意図を実現させるための道具になるべきだと考えていた。むしろ、道具としての生を全うさせるため、貴族が必要とする技術を身につけさせる事が、平民の幸福につながると考えていた節がある。

 

 後年、同盟が旧帝国よりも人口が少ないにも関わらず、軍事的に対抗できる国家であった事から、労働者の生産性は同盟より劣っている、旧帝国の人材育成は失敗だったとする見解が同盟の社会学界では通説だったが、それは現在的視点というべきであって、そもそもルドルフは遠い将来、同盟という敵国が生まれる事など本気では想定してはいなかっただろう。同盟が生産性向上を至上命題として人材育成に励んだように、建国期の旧帝国にとっては、帝国の身分制秩序を受け入れ、優れた貴族を支える平民を産み出す事が至上命題だったのだ。あくまで、その意味においてはだが、旧帝国の人材育成は、所与の目的を達成したと言えるのではないだろうか。

 

 さて、本節の最後に、実学偏重の学術研究が後世に与えた影響について、医学を例にして解説したいと思う。

 

 旧帝国の医学は、学問というよりも、人間を労働力及び兵力として、どれほど効率的に、かつ長期間にわたって、稼働させられるか、その命題を達成するための技術論だった。

 

 よって、戦傷等で欠損した四肢を補う義手・義足の開発技術は発展したが、それよりも時間と経費を要する再生医療は等閑視された。疾病対策でも、死因の上位に来る病気の治療法開発が優先されて、人体と病因との関係を探る基礎研究や心の病を扱う精神医学、患者数が少ない難病奇病の治療法、ペインクリニックなどの終末期医療は、少なくとも公的な研究機関で扱うべきものではないとされた。

 なお余談ながら、終末期医療が等閑視された原因は、旧帝国に医療保険が無かった事も理由の一つ。回復不可能で支払能力が無い患者は、病院側にとって負担でしかなく、半ば公然と医師による安楽死が行われていた。

 

 この結果、既知の疾病や負傷の治療法は進展したが、その反面、未知の病気や新型の薬物による健康被害などには無力になりがちで、臨床研究が進展し、対処方法が確立するまで、患者の死亡率が極端に高くなる、という弊害をもたらした。誠に痛切の極みだが、開祖ラインハルト陛下の早すぎる崩御は、まさに帝国医学界の弊害そのものと言わざる得ない。本省も学術研究を主管する官庁として、二度とこのような悲劇が繰り返される事が無いよう、人体と病因の関係を明らかにする基礎研究に努める医学研究者の育成に尽力する所存である。

 

 この弊害は、旧帝国の諸帝にも襲いかかった。一部を除き、歴代諸帝が崩御された年齢は、旧帝国の平均寿命よりも10歳以上若いが、これは皇帝という激務によって、心身両面にかかる負荷を癒やせる医学的知見が乏しかったために、平均的な帝国人よりも生命力の減衰が激しかったのではないか、との見解が新帝国の医学界から示されている。

 

 また、歴代諸帝の中でも、屈指の名君である晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世が政敵に飲まされた毒物のため、半盲状態だった事はよく知られているが、一説には、同帝の視力を奪った毒物は、水面下で人的・物的交流があった同盟からもたらされた物で、旧帝国では既にその存在が失われて久しい、連邦時代に開発された有機化合物だったと言われている。現時点では、本説を証明する史料は存在しないが、ダゴン星域会戦以前から、旧帝国首脳部の一部と同盟政府とが密かに接触していた形跡があり、研究の進展によっては、証明される可能性も 無しとは言えない。

 

 なお余談ながら、晴眼帝は在位中、身体障害者用の補助機具や、治療・延命用の特殊食品などを密かに開発させていたが、その開発に当たった技術者の多くは、同盟領に近い、イゼルローン回廊方面の出身だった。敢えて想像の翼を広げるならば、それらの機具や食品には、同盟を経由した連邦時代の技術や知識が使われていたのかもしれない。なお当時の旧帝国と同盟との関係は、慈愛帝マクシミリアン・ヨーゼフ1世、百日帝グスタフ、そして晴眼帝の巻で詳述したい。

 

 以上のように、旧帝国の学術研究は実学重視、特に既存の技術を改良する方向にのみ特化しがちで、基礎研究を疎かにした結果、研究者の思考が硬直化し、新規の発明や発見が無くなり、中長期的に見た場合、学術の停滞をもたらした。私財を投じて、基礎研究に励む貴族も存在していなかった訳ではないが、それらは単なる道楽と見なされ、公共の知的財産として蓄積される事は少なかった。

 

 無駄を嫌悪したルドルフだが、無駄の中に創造の種子が潜んでいるという事実を理解する事はなかったのだろう。いや、この事を理解している権力者の方が絶対的に少ないのが現実である以上、ことさらにルドルフだけを批判するのは、不公平と言うべきだろうが。



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第5節 帝国の医療・福祉制度

 本節では帝国の医療・福祉制度について解説したい。とは言え、旧帝国では公的な医療・福祉制度が皆無に近い状態だった事は、周知の事実である。

 

 ルドルフは即位後、医療や福祉を必要としない強健な身体作りは臣民の義務、老人介護は家族の義務だとして、公的な医療・福祉に頼るのは恥ずべき事だとの価値観を打ち出した。ルドルフの価値観は、皇族・貴族の価値観として受け継がれ、歴代諸帝の中には、装甲擲弾兵並みの肉体を誇る人物もいた。

 

 また、平民にとって、介護を家族で負担しないといけない事実は、家庭内労働力、特に女性労働力の重要性を高めた。その結果、娘に恵まれなかった家庭では、女性労働力を求めて、息子を10代で結婚させる例が急増。男女ともに早婚化が進んだ。後世、旧帝国を訪れたある同盟人は、帝国の女性が10代で結婚、20代は行き遅れと言われる事に驚いたとする記録を残しているが、それもルドルフの価値観に端を発した事だと言えるだろう。

 

 帝国成立後、連邦政府の福祉保健省を解体、同省の権能を国務省の局レベルに格下げして、この価値観を制度的にも表明したが、帝国暦9年、劣悪遺伝子排除法の成立から始まる治世後期に至ると、連邦時代から続く医療・福祉制度の大半は廃止、縮小された。

 

 医療は受益者が実費負担。公的な保険制度は廃止し、不時の出費に備えた貯蓄が推奨された。児童福祉や老人介護は、家族の責務と位置づけられ、公的な支援制度は廃止。病気や負傷で働けなくなった、また災害や戦災で財産を失った場合は、犯罪歴が無く、税金の滞納が無い者に限って、一時的な弔慰金を支給される事もあった。対象者が多い場合は、国家への貢献度によって選別され、無支給の者も少なくなかった。年金も公的制度としては廃止され、帝国への貢献に対する皇帝からの恩寵、と位置付けられた。貴族はその爵位に従って終身年金が支給され、軍人や官僚もその地位に応じて支給されたが、一般平民は戦功を挙げた、犯罪者を逮捕した等、国家が認める功績を挙げた場合のみ、年金の受給資格を得た。

 

 このように、帝国での福祉とは、公的な扶助制度ではなく、皇帝から臣民への恩恵との性格が強く、かつ貴族制成立後は、身分による格差が明確にあった。

 

 医療を例にとると、富裕な貴族は専属の医師を雇用する、自身で病院を運営するのが一般的で、下級貴族であっても、国営病院で優先的な治療が受けられたが、平民は費用的な問題で専門的な治療を受ける事が難しく、大病を患ったら、それが治療可能な疾病でも、生命の危機に直面する事が多かった。

 

 この他、職業による差別も大きく、役人や軍人は所属官庁や軍隊内にある病院で治療を受けられ、家族もその恩典に預かれた。国営企業で働く労働者も、管理職や技術者は優先的に治療が受けられた。その結果、家計に余裕がある平民は、子弟を役人や軍人に育てる例が多くなり、それが巨大組織と化した各省や帝国軍の基盤を支える現業職員や下士官となっていった。

 

 日常生活のセーフティネットというべき医療や福祉をほぼ廃止して、何故、帝国の人民生活が500年近く存続できたのか、同盟の社会学界ではよく議論の対象になったが、往々にして、帝国の厳酷なる統治を受け入れるため、自身が劣悪な環境下で暮らしている事から、多くの人民が無意識的に目をそらしていたと、人間の心理的防衛機能が原因だとする説、または、農奴や奴隷といった、一般平民よりも過酷な環境で暮らしている存在を目の当たりにする事で、奴らよりはマシだと、人間が持つ差別意識と優越感に原因を求める説など、人民の精神的な部分に解答を求める傾向があった。

 筆者はこれらの説を批判する者である。イデオロギーに囚われた同盟の研究者達には受け入れ難い事かもしれないが、公的な医療・福祉の恩恵を受けられない平民の苦境に手を差し伸べたのは、貴族達だったのである。

 

 現在、旧帝国の貴族と言えば、無能・暴虐の代名詞ともなっているが、貴族が極端に強権的、暴力的になったのは、帝国暦400年代頃からだと言われる。当時、同盟との戦争が激化して、帝国内には軍国主義的な風潮が高まり、むき出しの暴力や武力が横行するようになった。当時の皇帝、残暴帝ウィルヘルム1世も激高して臣下を撲殺するような人物であり、直接的な暴力で問題を解決する空気が醸成されていったと思われる。

 また、帝国暦438年、権謀帝オットー・ハインツ2世が領主貴族の権限を大幅に拡大、事実上の半独立勢力となる事を容認する勅令、所謂「分国令」を発布した以降、貴族家が爆発的に増えて、悪貨は良貨を駆逐する、との格言通り、無能で暴虐な貴族が激増したのではないかと考えられる。

 

 無論、特権階級が腐敗しやすい事は、筆者も否定するものではない。事実、建国期の貴族の中にも、暴虐な者、無能な者はいた。しかし、大部分の貴族は、皇帝ルドルフに選ばれた事に誇りを持ち、皇室と帝国に忠誠を尽くす事に情熱を傾けていた。旧帝国の歴史を紐解くと、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を果たそうとする貴族達が少なくなかった。

 

 歴代諸帝の中で、高貴なる者の義務を最も自然に体現できた、貴族の中の貴族、皇族の中の皇族と称えられた、美麗帝アウグスト1世の御代に顕著だが、当時、皇族や貴族達が私財を投じて、無料または低価格で受診できる慈善病院、孤児院や養老院、救貧院を設立、運営している。これらの施設が最後のセーフティネットとして機能していた。

 また、領地を経営する貴族の中には、帝国政府のそれよりも、手厚い医療・福祉サービスを提供する者も多数いた。それは慈善というよりも、優秀な労働力を確保するためとの側面が確かに強かったが、真面目で勤勉であれば、より良い生活を送れる場を提供していた事もまた事実なのだ。

 

 この事を評して「支配者の恩情に頼るような医療や福祉は中世への逆行、非民主的だ」と、批判する事は簡単だろう。しかし、連邦末期、自由主義の名の下、低所得者層や貧困層が自己責任を強制され、公的な医療・福祉サービスからさえも排除されていた事実は否定できないのではないだろうか。どちらを正しいとするかは、究極的には個々人の価値観による事なので、軽々に結論を下せるものではないが、法治が持つ公平さと無機質さ、人治が持つ不公平さと温かさ、どのような政体にも長所と短所がある事、完全な政体など無い事は、歴史の教訓として明記しておくべきだと、一歴史学徒として、筆者は思っている。

 

 以上のように、旧帝国の医療・福祉は、公的制度としては確立していなかったが、皇帝や貴族たち支配者層の恩情と慈善によって、最低限、機能していたと言える。それは、前述した通り、法治よりも人治を志向したルドルフの政治姿勢と軌を一にする。繰り返しになるが、恩情と慈善に溢れた人治を遠い将来に亘って継続するために、ルドルフは貴族制度を創設したというのが筆者の見解である。



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第6節 帝国の軍隊組織~建国期の防衛戦略を中心に

 本節では、旧帝国成立後、帝国軍が如何なる戦闘教義(ドクトリン)に基づいて、編成されたのかを概説するが、その前提となる、宇宙空間の戦争形態について、まず述べたいと思う。

 

 人類が亜空間跳躍航法(ワープ航法)を手に入れた後、宇宙空間で行われる戦争とは、敢えて一言で言うなら、自軍を一気に跳躍させられるワープポイントの確保を目的としていた。

 

 技術面から言えば、大質量が存在しない宇宙空間ならば、原則としてワープは可能なのだが、艦隊が大規模になればなるほど、一気にワープさせられる地点は限られてくる。安定したワープを行える宙域がいわゆる「交通の要衝」となり、それらの宙域を結んだものが航路と呼ばれた。よって、要衝と航路を自軍の支配下に置く事が、宇宙空間の「占領」と称された。地球・シリウス戦役から連邦成立まで、宇宙空間での戦争は上記の形態で行われていた。

 

 なお、大軍が一気にワープできる地点が限られているのなら、その宙域に予め自軍を展開させ、敵軍がワープしてきた瞬間を狙って攻撃すれば、必ず勝てるではないかと論じる向きがあるが、軍事史的に見ると、素人考え以外の何物でもない。

 

 大軍が一気にワープできる地点が限られていると言っても、広大無辺な宇宙空間全体から見れば十分に多く、敵軍の進路を予想する事がまず困難。予想が当たれば、敵軍に大打撃を与えられるかもしれないが、逆に外れた場合、敵軍は抵抗を受けずに進撃してくる。

 そもそも、戦争の規模にもよるのだが、大艦隊であれば、艦隊ごとにタイムラグをつけ、相互に連携が取れる範囲で、複数のポイントを使って進撃するのが軍事上の常識。予想される進路全てを網羅できる戦力を用意する事は、ほぼ無限の艦艇が必要となるので、これは現実的ではない。事実、ワープアウトの瞬間を狙って、事前に艦隊を予測ポイントに展開させる戦術は、ワープ航法黎明期、しばしば使用されたというが、期待された戦果を挙げられず、むしろ敗北の原因にもなったため、直ぐに廃れている。

 

 結果、偵察を繰り返し、敵軍の情報を収集し、進路を予想して、敵軍の通常航行時に要撃する方が勝てると結論付けられ、今に至るも、その要撃戦法が軍事上の常識になっている、ちなみに、進撃側はこれを逆にして、敵の防衛網を看破、防衛力が無い、または乏しい航路を選んで突破する事が定石となった。

 

 このように、宇宙空間の要衝と航路を確保するためには、要撃してくる敵艦隊を撃滅する必要があり、結果、攻撃・防御ともに優れる大型戦艦が艦隊の主力となった。連邦成立まで、これが宇宙戦争のドクトリンだったが、連邦成立後、このドクトリンは転換される。

 

 全人類社会が銀河連邦という統一政体に支配された結果、国家間の大規模な戦争は無くなり、宇宙空間の占領を戦略目標として、艦隊同士が決戦する形態の戦争は姿を消した。

 代わって、宇宙海賊など小規模な集団との戦闘が主体となった。西暦時代末期、当時の大国と宗教テロリスト集団との戦闘が「非対称の戦争」と評されたが、当時の戦闘も同様だった。物量に勝る連邦軍に対し、少数の宇宙海賊は敢えて正規の航路から外れて、一撃離脱戦法を繰り返して足止め、その間に退却する事を常套手段とした。これまでの常識だった艦隊戦を挑もうにも、敵勢力が艦隊を形成しない以上、既存のドクトリンを変更するしかなかった。

 

 当時の連邦軍首脳部が考案したのは、単艦もしくは数隻単位の戦艦を中心に、近接戦闘に優れる駆逐艦や、防御力に特化した護衛艦、そして敵艦に接舷し、海賊の逮捕や人質の救出を行う強襲揚陸艦等を主戦力とした軍集団編成。戦艦は直接戦闘には参加せずに、あくまで司令部として、戦闘指揮に専念した。これら軍集団が相互に連携、精密な索敵を繰り返し、敵部隊と根拠地を発見したら、集団を連合させて襲撃する、という戦法が新たなドクトリンとなった。この戦法を実戦で使用して、連邦軍の必勝戦術として確立したのが、宇宙暦106~108年、宇宙海賊討伐で活躍した、クリストファー・ウッド提督と言われている。

 

 人類社会が連邦によって強固に統治され、戦闘が非対称の戦争に留まっている間は、このドクトリンは確かに有効だった。しかし、連邦体制が弛緩し、特に辺境域の星系政府や駐屯する連邦軍、大規模な軍事会社を抱える多星系企業らが、宇宙空間の占領と敵対勢力の撃滅を目的として抗争するようになると、連邦成立以前の艦隊戦が再び行われ始め、旧来のドクトリンが復活してきた。

 

 また、中央の連邦軍に対して、相対的に劣勢だった彼らは、少数で多数を打ち破る事を目指し、先制攻撃を可能にするため、ワープを連続実施し、高速で移動しても、艦隊編成を整然と保ち、集団としての攻撃力・防御力を維持できる手法を模索した。ここから「艦隊運用」との概念が生まれ、現在に至るまで、艦隊戦の重要な要素に位置づけられた。

 この艦隊運用という概念を軍事理論化したのが、カストル・ポルックス攻守連合の盟主の一人、ポルックス人民共和国のロブコフ主席で、実際の戦闘に応用したのが、カストル軍政府のスー総統だった。攻守連合が当時、最強の武力を誇っていたのは、艦隊運用という新しいドクトリンを駆使していたからでもあった。

 

 対して、旧帝国成立時の帝国軍は、連邦軍時代のドクトリンに従い、戦艦は主力艦艇ではなく、駆逐艦や護衛艦、強襲揚陸艦を主力とする編成のままだった。艦艇総数こそ辺境域の独立国家を上回っていたが、敵国が戦艦主体の艦隊を編成して、高速で移動、突撃してくると、駆逐艦等を主力とする帝国艦隊(軍集団)に為す術はなく、各個撃破の好餌でしかなかった。

 

 また、当時の帝国軍は、中央の連邦軍と、ルドルフ支持の大企業が抱える軍事会社の集合で、所属する軍人の階級や権限もバラバラ。数こそ多くても、軍隊として、有機的な統一行動が取れる状態では到底なかった。即位後のルドルフにとって、艦隊運用という新しいドクトリンに対応できる艦隊の編成と士官の育成、そして軍隊組織の再編と一本化、この2つが軍編成上の大きな課題だった。

 

 ルドルフはこの難問を解決するため、2人の軍人を起用した。1人は自身の義父でもある、連邦軍中央艦隊司令長官だったエリアス・シュタウフェン大将。

 

 シュタウフェン大将は、前線指揮官としての能力には乏しかったが、組織運営のプロフェッショナルで、在職中に執筆した組織科学に関する研究論文が学会で高い評価を受けた事もあった。軍人としては、国防省や統合幕僚本部で要職を歴任、近い将来、連邦軍のトップに立つ人材と目されていたが、ルドルフが連邦政界で台頭すると、当時の軍高官としては珍しく、積極的にルドルフに接近。ルドルフがグリマルディ内閣で国防大臣に就任すると、同省次官に抜擢される。以来、ルドルフの軍事行政上の補佐役として活動。軍官僚のシュタウフェン大将が中央艦隊司令長官に就任したのも、銀河帝国の建国を視野に入れて、中央の連邦軍をルドルフ支持で一本化するためだったと言われている。

 

 帝国建国後、シュタウフェン大将は帝国軍上級大将に叙され、初代の軍務尚書に就任。寄り合い所帯の帝国軍の再編と一本化に着手する。建国当時の帝国軍は、総員約1億8000万人、宇宙軍約7000万人(艦艇数は約7万隻)、地上軍1億人強、事務官など1000万弱だったと言われている。彼らの現階級と職責、軍歴等を調査して、帝国軍の階級に当てはめて、階級に相応しい職務に就かせる、言葉にすれば簡単だが、過去の経緯やしがらみ、各派閥・部署のパワーバランス等、考慮すべき要素は膨大で、軍務省の職員は過労で倒れる者が続出したという。

 

 また平行して、敵国からの攻勢に対処するため、統帥本部・内務省と連携、新しい防衛戦略の策定も進めた。対同盟戦争では攻勢一辺倒だった旧帝国軍を知る者からすれば、俄には信じ難いが、当時の帝国軍は防衛主体、敵軍との正面戦闘は極力避け、敵補給路を寸断するなど、戦わずして敵を退却させる事を戦略目標としていた。以下、当時の防衛戦略の概略を記す。

 

 戦略目標

 

 敵軍の攻撃に対し、臣民が居住する惑星・人工天体を防衛して、人命と各施設の損傷を可能な限り低減すると共に、あわせて帝国領内における人心の動揺、治安の悪化を防止する。

 

 防衛体制

 

 帝国領内に九軍管区を設定。各管区内で、惑星(人工天体含む)・星系・宙域、各レベルでの防衛線を構築する。なお、帝都星オーディンには、管区所属の地方艦隊とは別に、統帥本部総長が直率する中央艦隊と、地上軍総監が直率する地上中央軍を配備。必要に応じて、各管区への援軍を派遣する。

 

 各防衛線での対応

 

【惑星レベル】※()内は担当部局

 惑星内の臣民と各公共施設の防衛(軍管区所属の地方方面軍司令部・現地総督府・内務省警察局)

 敵勢力来襲時、山間部等への臣民の避難誘導(現地総督府・内務省警察局)

 反帝国勢力の摘発と逮捕(現地総督府・内務省公安局(のち社会秩序維持局))

 反帝国勢力による思想戦に対抗するための教宣活動(現地総督府・内務省風紀局)

 

【星系レベル】

 星系内の各惑星・人工天体等を結ぶ航路の監視と索敵活動(軍管区所属の地方艦隊司令部)

 敵勢力来襲時、惑星軌道上に展開して、惑星表面の防衛(同上)

 敵勢力来襲時、惑星内臣民の他惑星等への脱出支援(現地総督府・軍管区所属の地方艦隊司令部)

 

【宙域レベル】

 軍管区内の要衝(ワープポイント)と航路の監視と索敵活動(軍管区総司令部)

 敵勢力来襲時、敵補給路を捕捉し、補給線の寸断を企図する(同上)

 敵勢力来襲時、通商破壊戦を実施し、敵の補給体制を圧迫する(同上)

 敵勢力来襲時、敵艦隊の進路を捕捉し、一撃離脱戦法で艦隊の漸減を図る(同上)

 敵勢力来襲時、帝都駐留の中央艦隊及び隣接する管区地方艦隊と協働し、敵艦隊の邀撃を企図する(同上)

 

 旧帝国では、貴族を除いた臣民の生命は極めて軽視されていたというのが同盟での定説だが、建国期の帝国軍が策定した防衛戦略に、臣民の生命を守るため、山間部等への避難誘導や、他惑星等への脱出まで盛り込まれているのは興味深い。

 

 ただ、これは当時の帝国が人道的だったからではなく、臣民を放置して、防衛戦を展開した場合、彼らの中に潜む民主共和主義者らが敵勢力に呼応し、テロやゲリラ活動に走る恐れがあったため、避難の形で彼らを監視、隔離しておきたかった、というのが当局の本音だった。

 

 また、帝国の支配体制が盤石ではなかった当時、ことさらに臣民を軽視すれば、反帝国感情が高まり、人心の動揺や治安の悪化が避けられない、との事情もあった。プラグマティックな意味で、当時の帝国は人命を尊重しなければならなかったのだが、それは、当時の帝国軍首脳部に、それだけの理性的な判断が出来る軍人がいた事の証左に他ならない。その中の1人が、ルドルフが登用したもう1人の軍人、初代の統帥本部総長に就任した、アルベルト・リスナー少将だった。



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第7節 帝国の軍隊組織~統帥本部の組織を中心に

 リスナー少将は、ルドルフがペデルギウス星系政府の治安維持部隊司令官に就任した時、その麾下にいた軍人。下士官からの叩き上げで、兵士達の人望は厚かったが、反面、寡黙かつ非社交的な性格で、士官の中では浮いた存在だった。だが、卓越した戦術指揮能力の持ち主で、当時の階級は中佐、宇宙軍の分艦隊司令官を務めていた。

 

 エル・サイド政府首相の懇請で、司令官に就任したルドルフに対し、古参の士官たちは概して批判的だったが、リスナー少将のみ、ルドルフのカリスマ性とリーダーシップは希有な才能だと評価。ルドルフの苛烈な指揮を戦術面でサポートして、宇宙海賊との戦闘では、しばしばルドルフの危機を救った。ルドルフもまた、リスナー少将は、寡黙ながら信頼できる人材だとして、副司令官に抜擢している。

 

 ルドルフが中央政界に進出すると、後継指名されて、少将に昇進の上、司令官職に就任。宇宙海賊、そして反ルドルフ派勢力との激戦を戦い抜いて、終身執政官時代のルドルフからは「ペデルギウスの盾と称すべき武人」と讃えられている。その評価通り、攻勢より守勢を得意とする用兵家で、当時、最強の武力を誇った攻守連合の攻撃にも、自ら殿軍を務めて、自軍の被害を最小限に食い止めるなど、華々しい活躍こそないが、堅実な成果を挙げ続けた。

 

「傲岸不遜が服を着て歩いている」と評された、カストル軍政府のスー総統さえも「中央の惰弱な軍人どもなど、束になってかかってこようが、全く問題にもならんが、あのリスナーめを倒すとなると、この俺もいささか骨を折るだろうな」と、その強さを認める発言をしている。

 

 しかし、卓越した戦術指揮能力を持ちながらも、リスナー少将本人の資質は戦略家で、ルドルフ麾下の軍人の中では、シリウスや攻守連合が取り入れた、新しいドクトリン「艦隊運用」の危険性を最も早く見抜き、即位前のルドルフに対して、戦艦主体の艦隊編成の必要性を上申している。

 

 その見識と能力、実績は、建国期の帝国軍の中では、随一と言える軍人だったが、軍大学どころか士官学校も卒業しておらず、軍中央での勤務経験もないリスナー少将が初代の統帥本部総長に抜擢された事は、周囲の軍人達はおろか、当人自身にも予想外だったようで、経験不足を理由に一旦は辞退している。

 

 だが、ルドルフは譲らず、当人には「卿はかつて、戦場で余の生命を救ってくれた。今度は、強敵の脅威に晒されている、我が帝国の生命を救って欲しいのだ」と説得。書記官長クロプシュトックや内務尚書ファルストロングら、ペデルギウス政府時代からの同志にも強く説得された結果、ルドルフへの忠誠心厚いリスナー少将は、統帥本部総長への就任を承諾した。

 

 なおこの時、彼らペデルギウス派とも呼べる存在に対し、懸念と不快感を刺激された軍務尚書シュタウフェン上級大将は、軍政経験の無いリスナー少将に、新設の統帥本部で長が務まるとは思えないと、ルドルフに苦言を呈しているが、ルドルフは「義父上の申す通り、リスナーに軍政経験はありません。帝国軍を戦える軍隊にするだけなら、義父上の御力だけで十分でしょう。しかし、私が求めているのは、帝国軍を戦って勝てる軍隊にする事です。勝つためには、リスナーの力が絶対に必要なのです。まず10年間だけ、見守っていて頂けませんか」と逆に説得した。

 

 その熱意に押されて、シュタウフェン上級大将はリスナーの就任をやむを得ず認めたが、就任後、リスナーの忠誠と精勤ぶり、現実を正しく認識して、適切な対処が取れる知性、シリウスや攻守連合との戦闘で示された戦術指揮能力、また上位者たる自分を常に立ててくれる礼儀正しさなどから、シュタウフェン上級大将はリスナーを高く評価するようになり、遂には、自らの後継者に擬していた、孫のヨアヒムを「帝国軍人として鍛えてやってくれ」と、リスナーの麾下に預けるほどになった。

 

 リスナーも、エリート特有の傲慢さはあれども、卓越した行政処理能力を持ち、寄り合い所帯の帝国軍を急速に再編していくシュタウフェン上級大将の力量には素直に感嘆、部下として誠実に仕えた。当時、弱体の帝国軍が周囲の強国と互角に戦えたのは、軍令と軍政の長同士が互いを信頼し、双方の溝が狭かった事も指摘できる。

 

 かくして、統帥本部総長に就任したリスナー少将は、2階級特進し、帝国軍大将に叙された。まず、軍務省・内務省と連携、敵対勢力の侵攻に対処するため、新しい防衛体制の構築に着手。平行して、新しいドクトリン・艦隊運用に対応した、戦艦主体の艦隊編成と、指揮官の育成を急務として取り組んだ。10年を目途に、シリウスや攻守連合とも、互角以上に戦える戦力を構築せよと、主君ルドルフから命令されたリスナー大将は、文字通りの不眠不休、帝都に与えられた官舎に帰るのは年に数回、ベッドで眠る事さえ稀で、その精勤ぶりは人間業ではないと言われたほどだった。

 

 一方、新設の統帥本部を組織として確立する作業は、上官たるシュタウフェン上級大将の助言を入れて、連邦軍の統合幕僚本部で総務部長等を歴任した軍官僚、ヘルムート・ローエングラムを事務担当の次長に迎え、その手腕に委ねた。建国期の帝国軍統帥本部の組織概要は以下の通り。

 

 統帥本部の組織

 

 連邦軍の統合幕僚本部を母体とする。帝国軍の軍令を主管し、全軍を指揮下に置く。

 連邦軍は、作戦ごとに必要な戦力と機能を持つ部隊を集め、特定の作戦遂行能力に特化した軍団を編成する、所謂「任務部隊(タスクフォース)」制を用いていたが、軍管区制を採用した帝国軍は、各管区に駐屯した地方部隊が敵襲に備えて、常時、独立した作戦行動が取れる体制を作る必要があった。

 そのため、各司令部が必要な部隊とスタッフを抱える常備軍制を採用した結果、管区司令部の規模が大きくなり、建国期の統帥本部は比較的、小規模な組織にとどまった。

 

 また、後世では軍務尚書・統帥本部総長・宇宙艦隊司令長官を帝国軍三長官と称しているが、建国期に三長官という呼称は無かった。

 

 当時は軍務尚書が筆頭武官とされ、帝国軍最高司令官たる皇帝の代理として、最高司令官代理の称号を帯びていた。統帥本部総長は軍令の長ではあったが、軍隊内の序列は軍務尚書の下に位置づけられ、宇宙艦隊司令長官に至っては、まだ地位自体が存在していなかった。建国期、宇宙艦隊と呼べるものは、帝都星に駐屯する中央艦隊だったが、各分艦隊を指揮する司令官はいても、彼らを束ねる司令長官は存在せず、中央艦隊は統帥本部総長が直率する、とされた。これは、初代の軍務尚書シュタウフェン上級大将と統帥本部総長リスナー大将の力関係を反映している、との見方もあるが、あくまで実戦部隊の長たる姿勢を崩さなかった、リスナー大将の意向だった可能性もある。

 

 なお、統帥本部総長の権威が高まり、宇宙艦隊司令長官の地位が設けられたのは、帝国暦331年のダゴン星域会戦後、対同盟戦争が激化して、帝国軍の主体が宇宙艦隊にシフトした後の事だとされる。

 

 【各局】

 

 第一戦略局:宇宙戦の戦略立案等を担当。

 

 第二戦略局:地上戦(惑星・人工天体内の海戦・空戦を含む)の戦略立案等を担当。なお、第一・第二戦略局を統括するのが幕僚総監で、軍務担当の統帥本部次長を兼任する。

 

 編制局:各部隊の編制を担当。また演習計画の策定と実施も所管した。

 

 通信局:統帥本部と各軍管区、及び各部隊間の通信連絡網の維持管理を担当。

 

 情報局:敵勢力の情報収集と分析、また諜報や謀略活動等も担当。軍務省調査局とは、その担当業務が重複する面があるので、必要に応じて調整した。

 

 ※この他、本部内の事務一般を取り扱う、総長官房が設けられた。

 

 【各軍】

 

 中央艦隊:帝都星に駐屯する艦隊。統帥本部総長が直率する。規模は約2万5000隻程度。平時は、帝都星と周辺宙域の航路と要衝の防衛、また索敵活動を主任務とする。敵勢力の来襲時、必要に応じて、各軍管区への援軍として派遣される。また、建国期の後期に至ると、敵勢力への遠征部隊の主力となった。

 

 地方艦隊:各軍管区に駐屯する艦隊。各軍管区の艦隊司令官が指揮する。各管区の規模は5000~6000隻。平時は、管区内の航路と要衝の防衛と索敵を主任務として、敵勢力の来襲時は、通商破壊戦など敵補給戦の寸断、一撃離脱戦法で敵艦隊の漸減、惑星軌道上での防衛戦などを担当した。

 

 地上中央軍:首都星に駐屯する地上軍。地上軍総監が直率する。規模は1500万人程度。平時は、帝都星と周辺惑星の防衛を主任務とする。敵勢力の来襲時、必要に応じ、各軍管区への援軍として派遣される。なお、地上軍総監は、統帥本部総長を補佐し、帝国の全地上軍を統括する役職。統帥本部内での地位は、本部次長と同格。

 

 地上方面軍:各軍管区に駐屯する地上軍。各軍管区の地上軍司令官が指揮する。各管区の規模は1000万人程度。平時は、管区内にある惑星等の防衛を主任務とする。敵勢力の来襲時は、惑星等に居住する臣民と各施設の防衛戦を担当した。

 

 統帥本部の組織が確立するのと同時に、シリウスや攻守連合の艦隊に匹敵する、戦艦主体の艦隊編成も進んできたが、新編成の艦隊を指揮できる司令官の育成は容易ではなかった。リスナー大将は、シリウスや攻守連合と戦った経験を持つ士官を集め、自ら教官となり、実戦さながらの演習を繰り返した。

 その苛烈さは、1回の演習で、数百人規模の死傷者が出る事も珍しくなかった。脱落する士官たちも多かったが、厳しいながらも、将兵を慈しみ、誰よりも軍務に精励するリスナー大将の姿に心酔する者も少なくなく、彼らの中から、ルドルフの治世後期、また次代の強堅帝ジギスムント1世の御代に、帝国軍の活躍を支えた名将達が誕生している。

 

 しかし、優秀な若手司令官が育ってきたと言っても、経験の差は大きく、個々の戦闘ではシリウス、特に攻守連合の艦隊を撃破する事は依然として困難だった。リスナー大将は、短期間で帝国全軍の強化を図るため、帝国滅亡まで、軍編成の伝統となる手法を案出した。それが、各部隊・艦隊の独自化、である。

 

 当時の帝国軍が採用した常備軍制は、各部隊が戦闘集団として必要な機能を常時備えるため、平均的な編成になりがちだが、リスナー大将は、この基礎的な編成に加えて、司令官の能力・性格と合致した編成を目指した。

 

 一例を挙げると、勇猛な指揮官ならば攻撃力重視、慎重な指揮官ならば防御力重視、果断な指揮官ならば機動力重視と、司令官の裁量権を拡大し、独自の部隊編成を認めた。また、司令官人事を固定化し、ひとたび部隊・艦隊の長に就任したら、昇進して転属、退役、降格、戦死するまで、同一部隊・艦隊の長を継続して務めるとした。

 さらに、各艦隊の特色を明確にするため、西暦時代、中世・近世ヨーロッパ地方で用いられた騎兵の名称を採用。そこに、司令官の個人名や駐屯地の地名、または艦隊を象徴する色の名前などを任意に付け、艦隊名を登録する事を許可した。

 

 この結果、上は司令官から、下は一般兵まで、自分達の軍団という意識が醸成され、戦闘集団としての一体感を強化する事に繋がった。また、各隊の特色が明確になった事で、戦闘時の選択肢が増えて、多様な戦闘を展開できるようになった事は戦術の洗練をもたらし、特に宇宙戦では、後世の手本となる代表的な戦術が多数、生み出された。

 

 しかし、司令官人事を固定化し、各隊の個性を容認する部隊編成は、司令官と部下とが個人的な関係を育み、中央の統制を受け付けない、司令官個人の「私兵」化する危険性を孕んでいた。また、各隊の能力に敢えて差をつけたため、各隊を統御する上位司令官には、高い能力が求められる事にもなった。能力に乏しい司令官が上に立つと、各部隊がバラバラに戦う事になりがちで、いわゆる烏合の衆と化し、大敗の要因となった。

 

 逆に、上位司令官が各隊の特色を把握し、それに応じた戦術を展開できれば、通常以上の攻撃力を出せた。統一的な戦力を調える事を主眼にする近代的な部隊編成からすれば邪道、諸刃の剣とも言える手法ではあったが、少なくとも、建国期に限れば、リスナー大将という優れた用兵家を上位司令官に戴いた帝国軍にとって、シリウスや攻守連合を打倒するための原動力となっていった。

 

 その成果が表れたのは、帝国暦9年、リスナー大将率いる帝国軍中央艦隊と、攻守連合のスー総統が指揮するカストル軍艦隊が戦ったトラ―バッハ星域会戦。帝国軍約1万8000隻、カストル軍約2万隻と、艦艇数はほぼ互角だったが、積極的に攻撃してくるカストル軍に対し、帝国軍は重騎兵艦隊を基幹とした凹形陣を形成。敵艦隊の鋭鋒を受け止めつつ、機動力に優れる軽騎兵艦隊による迂回攻撃で、敵の補給部隊を壊滅させると、予備兵力の槍騎兵艦隊を投入、敵左翼艦隊を突き崩し、反包囲態勢に持ち込もうとした。補給線が限界に達する前にカストル軍が撤退を決断したため、完全勝利には至らなかったが、この戦いは、当時最強の武力を誇っていたカストル軍艦隊の攻撃に対し、帝国軍艦隊が耐えきれるだけの力を付けた事、各艦隊の特性を活かせば勝利する可能性すらある事、この事実を人類社会に知らしめるものだった。

 

 勝利の報を受けたルドルフは、リスナー大将こそ、帝国軍随一の名将、ゴールデンバウムの盾であると激賞。上級大将への昇進を決定すると共に、武功卓抜の帝国軍人に賜る「双頭鷲武勲章」を制定し、その第一号として、自ら勲章をその胸に付けるという栄誉を授けた。

 

 そして、この勝利は、ルドルフにある決断を齎した。もはや、シリウスや攻守連合を憚り、帝国領内の共和主義者や独立を求める勢力などに、融和的な姿勢を取る必要は無いと。これが同年、劣悪遺伝子排除法が帝国議会に上程された理由とするのが筆者の見解である。次章では、同法制定の理由と意味、さらに同盟の学界では定説となっていた貴族制度との関係について、論じてみたい。

 

 なお余談ながら、指揮下の艦隊に中世的な騎兵名をつける制度は、伝統を重んじる貴族の性向に合致していたためか、長らく帝国軍の慣習として受け継がれた。

 しかし、帝国暦436年、第2次ティアマト会戦で貴族出身の司令官が大量に戦死、下級貴族や平民出身の司令官が増えてくると、軍隊を私物化する貴族の悪習だとして、忌避される傾向が生じ、平民出身の司令官の中には、命名権を行使しない者が増えてきた。また貴族の中でも、開明派と称される者達は、大時代的な風習だと敬遠するようになった。

 その結果、帝国末期に至ると、伝統的な騎兵名を冠した艦隊の方が少なくなっていたが、敢えて艦隊の特色を誇示して、隊員の精神的な結束を図ろうとする司令官は、騎兵名を冠する事もあった。その代表的な艦隊は、獅子の泉の七元帥の1人、ビッテンフェルト元帥が司令官を務める「黒色槍騎兵艦隊」である。なお、騎兵名が表す艦隊の特色は以下の通り。

 

 槍騎兵:大型戦艦を主体として、突撃力・突破力に優れる。その反面、守勢に弱く、転進が難しい。

 弓騎兵:ミサイル艦を主体として、遠距離攻撃に優れる。敵艦隊への奇襲や攪乱を得手とする。

 竜騎兵:駆逐艦を主体として、火力に優れ、近接戦闘が得意。蹂躙戦で活躍するが、防御力に乏しい。

 軽騎兵:巡航艦を主体として、機動力に優れる。攻撃力は低いが、威力偵察や迂回攻撃を得手とする。

 重騎兵:標準型戦艦を主体として、攻守ともに優れる。新ドクトリン「艦隊運用」の根幹を成す艦隊。



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第3章 劣悪遺伝子排除法
第1節 劣悪遺伝子排除法とは?


 皇帝ルドルフの代表的な悪政と評される「劣悪遺伝子排除法」。しかし、意外な事に、同法が如何なる立法意図に基づき制定されたのか、旧帝国、また同盟の学界でも明らかになっておらず、それどころか条文の詳細も不明という状態だった。これは、両国とも、同法を学問研究の対象にするのは、ある意味でタブー視されていた事に起因する。

 

 旧帝国では、劣悪遺伝子排除法はルドルフ大帝の祖法、皇帝にしか読む事を許されない神聖な法律とされた。執行機関の社会秩序維持局では、これまでの逮捕実績を慣習法として運用。慣習法に記載が無い場合でも、現場担当者の判断で処理される場合が殆どという、極めて恣意的な運用が為されていた。

 

 同盟でも、同法の内容が不明のまま、ただ盲従した旧帝国と同様、詳細不明のまま、ただ史上最悪の法律だと、イデオロギー的に批判していたに過ぎない。劣悪遺伝子排除法は旧帝国では完全非公開だったため、同盟で得られる同法の知識は、旧帝国からの亡命者やフェザーンから得られた断片的な情報、障害者が差別、弾圧の対象になっている、社会秩序維持局が恣意的な逮捕や処罰を繰り返しているなど、同法によって生じた事象だけだった。

 

 これらの情報を取り上げ、旧帝国の非人道性を糾弾し、自国の道義的正しさを称揚するという、反帝国のプロパガンダとして同法の存在を利用していただけだった、と言える。同盟の建国初期、ある法律家が同法を評して「およそ人が持ち得る中で、最悪の愚劣さの産物。理性ある人間にとって、否定するしかない代物。学知の対象にするなど、理性への冒瀆に他ならない」との言葉が伝わっている。出典は不明だが、同盟学界では、これが常識ある研究者の態度とされた。

 

 このため、劣悪遺伝子排除法の実態は、約500年に及ぶ長い旧帝国史の中に埋没していった。しかし、新帝国成立後、新史料が公開された結果、帝国暦9年、ルドルフが帝国議会に同法案を上程した時の演説原稿、そして同法案の原文が発見された。以下、引用文としては冗長に過ぎるが、史料をして語らせたく思うので、読者諸氏のご寛恕を乞いたい。

 

 なお、現時点で発見、分析された新史料によると、同法は成立後、歴代諸帝の政治目的、また個人的嗜好によって、しばしば恣意的な改変が加えられてきた事が明らかになってきた。恐らく、同法の変遷を調査、研究するだけでも、優に専門書1冊が執筆できるだろう。本書でも現時点での研究成果に基づき、各帝の項目で適宜、解説していきたい。

 



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1-1:劣悪遺伝子排除法とは?~同法案上程時のルドルフの演説(提案理由説明)

「帝国議会に本法案を上程するに際し、余の立法意図を議員諸氏に説明しておきたい。本法の目的はただ一つ、全宇宙で唯一の知的生命体、我々人類が生物種として永遠に繁栄するため、その阻害要因となる悪性存在の撲滅と排除である。

 

 悪性存在とは何か。それは宇宙の摂理に反する存在である。宇宙の摂理は、弱肉強食、適者生存、優勝劣敗である。この摂理に則る者は栄えて、反する者は滅びる、これは、全宇宙を貫く根本原理に他ならない。

 

 だが、我々人類は集団を形成する社会的動物でもある。ここから、1つの付帯条件が生じる。即ち、宇宙の摂理たる弱肉強食、適者生存、優勝劣敗を人類社会に適用する時は、社会に不可避的に生じる格差を前提とした、同一階級内での平等な競争の結果でなければならない。

 

 言うまでも無く、生物種としての人類には、遺伝子に由来する能力の格差がある。全人類が同一社会に生まれ、同一条件で競うのであれば、遺伝子に由来する格差がそのまま、各人の格差となろう。しかし、社会が発展し、多様化した結果、社会的動物としての人間には、性別や出生地、そして両親の社会的地位や所得等による機会の格差が不可避的に生じた。

 

 今や、社会的格差は遺伝子に起因する格差よりも、遙かに大きな影響を各人に与えるようになった。即ち、生物種としては劣悪だが、社会的には上位に位置する個人または集団が、生物種としては優秀にも関わらず、社会的には下位に位置する個人または集団を駆逐するという現象が生じるのだ。その結果、宇宙の摂理は正しく機能せず、種としての強者が種としての弱者に圧殺され、生得の能力を発揮できなくなる。

 確かに、社会的格差を超克できる、卓越した個人は存在する。だが、それは歴史上の奇跡とも称すべき、希有な存在だ。責任ある統治者たる余は、奇跡に依拠して政治を行う事は出来ないのだ。

 

 それでは、生物種として劣悪な存在が社会の上位にあり続ければどうなるか、議員諸氏はすでに答えをご存じだろう。連邦末期の惨状がその回答に他ならない。人心は荒廃し、多くの者は無気力と刹那主義に陥り、麻薬と酒と性的乱交と神秘主義が蔓延。犯罪は激増し、生命を軽視して、モラルを嘲笑する傾向は深まるばかりだった。その結果、社会は秩序と活力を喪失し、連邦体制は崩壊の一途を辿っていた。

 

 故に、余は確信する。人類社会に不可避的に生じる格差を前提として、社会を階層化し、各層の中で、宇宙の摂理を適用する。各層で平等に競争が行われた結果、必然的に、優れた者が上位に、劣った者が下位に位置する。格差を超克できる、卓越した個人が生まれ、自らが属する階層の上位を突破できたならば、その者は上の階層に遷移すれば良い。逆に、生物種として劣悪で、階層内の下位に留まり続け、向上の意思さえ持たない劣等者は、それ以下の階層に転落すれば良い。これが人類社会に真の自由と平等をもたらす唯一の方途なのだと。

 

 しかし、この事実を容認せず、理解さえしない者がかつて存在し、今もまた存在する。奴らは、生物種として明らかに劣悪にも関わらず、偶然、社会の上位に位置した事を自身の優秀さの証明であるかのように振る舞い、自由競争の名の下、真に優秀な者を圧殺し、自己の欲望と快楽の充足のため、不当に社会の富を収奪し続けた。醜悪な事に、奴らに追従し、その不義の財を貪る破廉恥漢さえもいた。奴らこそ、連邦を崩壊に導いた既得権益層に他ならない。

 

 余は連邦の統治者となった時より、奴ら既得権益層は一般市民を害する存在だと、その勢力を撲滅する事を念願とし、強力に政治を進めてきた。だが、奴らは復権を企図し、辺境域を不当に占拠して、我が帝国が定める社会秩序に従わず、再び社会の富を収奪すべく、邪心を巡らしている。奴らは社会の富のみならず、人類の繁栄という宝をも収奪する賊徒であり、正しい人類社会に叛旗を翻す逆徒でもある。そう、まさに、逆賊と称すべき邪悪なる存在なのだ。奴らの復権を断じて許す訳にはいかない。これは人類の正当なる統治者たる余の責務なのだ。

 

 さらに、奴ら逆賊の罪はまだある。自己の欲望と快楽充足のために、人類の優秀さを生み出す根源、遺伝子を恣に改変し、自己に奉仕させたのだ。連邦末期、容姿の美しさや身体能力の向上を求めて、胎児に遺伝子操作を施す者が続出した。また甚だしきは、口にするのさえ悍ましいが、妊婦を人身売買または拉致して、その胎児に遺伝子操作を施す、さらには金銭や暴力等で支配した女性に、遺伝子操作した受精卵を着床させるなどの方法で、人為的な奇形児を作り出して、生きた性具として玩弄する例さえあった。まさに、奴ら逆賊が天をも恐れぬ悪逆の徒である事の証左ではないか!

 そして、人為的に遺伝子を改変された生物は、その生命力を減衰させて、自滅への道を辿る。かの13日戦争以前、家畜としての収量を増やす目的で遺伝子操作された動物種は、宇宙時代到来後、環境の変化に耐えられず、ほぼ例外なく絶滅していった事は周知の事実であろう。

 

 人類の統治者たる余は、この危険性を察知して、かつて人間の遺伝子を操作する事を禁じる法律を制定した。しかし、自己の欲望と快楽に溺れ、この悪行に手を染める逆賊は未だ存在する。奴らは、連邦時代を懐かしみ、人類の未来を毀損する異常者を今も作り続けている。生み出された異常者同士が交われば、劣悪遺伝子はさらにその力を増し、異常者が健常者を犯せば、劣悪遺伝子はさらに広く拡散し、後世に受け継がれてしまう。これはまさに、生物種としての人類を滅亡へと至らしめる所行に他ならない。逆賊をこれ以上放置する事は許されない。

 

 異常者が一定数以上に増えた社会は、活力を失って衰弱する。余の熱望するところは、人類の永遠の繁栄である。したがって、人類を種として弱めるがごとき要素を排除するのは、人類の統治者たる余にとって神聖な義務である。よって、本法の制定により、抜本的な解決を企図するものである。議員諸氏の賛同が得られると、帝国皇帝たる余は確信している。諸氏の良識に期待するや大である」



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1-2:劣悪遺伝子排除法とは?~同法案(全文)

 帝国法第156号(帝国暦9年12月1日施行)

 

 劣悪遺伝子排除法

 

(目的)

第一条 本法は、全人類社会を正当に統治する唯一の政体である銀河帝国(以下、帝国)の定める、人類社会に不可避的に生じる格差を前提とした社会秩序に背き、また共和主義・自由主義等に由来する反帝国思想を鼓吹、もしくは同思想に基づく破壊行為等を行い、徒に人類社会の混乱と無秩序をもたらす逆賊を撲滅するとともに、彼ら逆賊が施す人為的な手段により、劣悪遺伝子を保有する、及び保有するに至る可能性がある異常者の排除を目的とする。

 

(対象)

第二条 本法の適用範囲は、本法施行日(帝国暦9年12月1日)に生存する全人類、及びその子孫とする。

 

(定義)

第三条 本法で逆賊とは、次の各号に該当する個人及び集団をいう。

 一 帝国の支配を受け入れず、不当な政治団体を構成し、同団体を支配する者及びその支配下にある者

 二 帝国からの分離独立を企図し、政治的・軍事的・思想的活動等を行った者

 三 帝国が定める社会秩序に背き、帝国統治機関及び帝国臣民を対象とした、破壊活動等を行った者

 四 共和主義等に由来する反帝国思想を鼓吹した者、及び反帝国思想に賛意を表明した者

 五 帝国が定める臣民の義務に背き、自己の欲望充足、またはその他の理由によって、臣民に相応しくない行為を成した者

 六 帝国が認める正当な理由なく、化学的または医学的手段により、自己の欲望充足のため、自己及び他者が有する生得の遺伝子配列を改変した者

 

2 本法で劣悪遺伝子とは、帝国の定める社会秩序に背く逆賊が、化学的もしくは医学的手段によって、自己の欲望充足のために改変した遺伝子配列の事をいう。

 

3 本法で異常者とは、劣悪遺伝子を保有する者及び保有するに至る可能性がある者をいう。

 

(執行機関)

第四条 本法の執行機関は、内務省内に設置する社会秩序維持局とする。なお、同局の責任者は、本人及び三親等内の親族・姻族が過去に逮捕歴を有しない、また反帝国思想の所有者として指弾された経験を有していない事を内務尚書が確認し、帝国皇帝の勅許を得た者でなければ、就任する事が出来ない。

 

2 本法の執行上、社会秩序維持局の責任者が特に必要と認める場合は、内務尚書の了解の下、帝国の各行政機関及び帝国軍に対して、業務執行上の支援を要請する事が出来る。要請を受けた各機関及び軍の責任者は、帝国皇帝より付与されたその権限内にて、要請された内容を誠実に実行する責務を有する。なお、支援活動の細部については、同局担当者と、支援要請された機関の担当者とで、必要な調整を行うものとする。

 

(監視及び逮捕)

第五条 社会秩序維持局は、第三条第一項の各号及び第三項に定める人物及び集団が存在していないか、不断に監視するとともに、該当する人物及び集団を発見したる時は、速やかに逮捕しなければならない。ただし、該当する人物及び集団が本法施行日以前から存在し、かつ帝国皇帝によって公敵に指定されている場合は、この限りではない。

 

(尋問)

第六条 社会秩序維持局は、前条の規定により、逮捕した個人及び集団に対し、同局が把握できていない逆賊・異常者が存在しないか、必要な情報を収集するため、第七条に定める撲滅及び排除に関する措置を執行する前に、尋問を行う責務を有する。また、尋問は効率的かつ短時間で完了できるよう、同局は最適な手段を選定し、実行しなければならない。なお、同局が最適と認めた尋問の過程で、対象者が予期せずに死亡した場合は、公務執行上のやむを得ざる過失として、担当者の法的責任は免除する。

 

(撲滅及び排除)

第七条 第五条の規定により、社会秩序維持局が逮捕した個人及び集団は、その状態を鑑み、次の各号に掲げる方法のうち、適切な方法で社会から撲滅、排除されなければならない。適切な方法の選定及び執行は、同局担当者が判断、決定するものとする。なお、執行の結果は、速やかに内務尚書に報告されなければならず、内務尚書が特に必要と認めた場合は、帝国皇帝に上奏されなければならない。

 一 致死 薬物もしくは電気ショック等により、過度の苦痛を伴わないものとする。ただし、逮捕時に対象者が抵抗した結果、本人が死亡した場合は、執行済と見なす。

 二 断種 異常者の劣悪遺伝子が後世に伝播する事を防止するため、男性は射精、女性は妊娠が不可能になるよう、化学的もしくは医学的に必要な処置を取る。

 三 隔離 対象者が老衰または病気、事故等、何らかの要因によって死去するまで、流刑地として設定された惑星に存在する建物等に移送する。移送先の選定は社会秩序維持局の判断によるものとする。なお、移設後に、同局の許可なく惑星外に出た対象者は、即時の致死対象となる。

 四 矯正 対象者が現在、劣悪遺伝子を保有してはいないが、将来に保有する可能性があると認められる場合は、帝国の定める社会秩序を受け入れ、劣悪遺伝子の保有を拒絶できる、良質なる帝国臣民に回帰できるよう、社会秩序維持局は、対象者の人格矯正を図るため、医学上、必要な措置を執行する責務を有する。必要な措置の選定は、同局が業務委託する医療従事者の判断と意見に基づいて、同局担当者が決定する。なお、同局担当者が決定した措置は、同局が業務委託した医療従事者に代行させる事ができる。所定の効果が得られなかった場合、または対象者が予期せず死亡した場合は、公務執行上のやむを得ざる過失として、同局担当者もしくは代行した医療従事者の法的責任は免除する。

 

(臣民の義務)

第八条 帝国臣民は、逆賊もしくは異常者の疑いがある個人及び集団を発見した場合は、速やかに社会秩序維持局に通報する義務を負う。発見したにも関わらず、同局への通報を怠った者は、第三条第一項第五号に定める臣民の義務違反として、社会秩序維持局の逮捕対象となる。

 

(関係法令)

第九条 本法の規定は、刑法ほか社会秩序の維持と不法行為の根絶に関する帝国の諸法令に対して、上位にあるものとする。

 

(改正)

第十条 本法の改正には、尚書会議に改正案を提案、承認された上で、帝国皇帝の裁可を要するものとする。



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第2節 劣悪遺伝子排除法の「真実」

 演説中、ルドルフが口を極めて非難したのは、連邦末期の既得権益層と「奴ら(既得権益層)の復権を企図し、再び社会の富を収奪しようと、邪心を巡らす存在」だった。巷間言われていた障害者や貧困層らではなかった。また劣悪遺伝子は、法案中で「帝国の定める社会秩序に背く逆賊が、化学的もしくは医学的手段によって、自己の欲望充足のために改変した遺伝子配列」と定義されている。生来の障害者らが持つ遺伝子配列ではなかった。さらに、劣悪遺伝子に対する非難は、ルドルフが言う「逆賊」への非難と比較すれば、明らかに副次的だった。

 

 本引用に拠る限りで、劣悪遺伝子排除法とは、いわゆる「優生思想」に基づく断種や安楽死を強制する事よりも、反帝国勢力を撲滅、排除する事に力点が置かれていた。その意味では、治安維持法的な性格が強い法律だと言えるだろう。

 

 では何故、劣悪遺伝子の排除などと、優生思想を想起させる法律名を選択したのだろうか?結論から述べると、連邦末期の既得権益層と反帝国勢力を同一視し、臣民の反帝国勢力への敵意を喚起する、そして、劣悪遺伝子の排除を名目とした、恣意的な逮捕を行うため、だったと思われる。

 

 ルドルフの演説でも言及されているが、連邦末期の既得権益層は、自己の欲望充足のため、遺伝子操作を行う者が続出。甚だしきは、人身売買または誘拐した胎児を人為的な奇形児として、性的玩具として玩弄する者さえおり、特権階級の暴虐さの象徴だと、一般市民から強く非難されていた。彼ら既得権益層の中には、ルドルフの粛清から逃れて、辺境域の独立勢力に流入した者達がいたのは事実だが、ルドルフはそれを「かつての既得権益層が帝国の支配を打倒して、もう一度連邦末期のように、自分達の欲望のまま、社会を支配、収奪するため」と決めつけた。連邦末期の記憶がまだ新しく、特権階級の暴虐さで苦しめられていた臣民にとり、それは悪夢そのものだったろう。ルドルフは遺伝子改変を持ち出す事で、彼ら既得権益層への反感を反帝国勢力への敵意に結びつけたのだ。事実、この演説後、帝国軍への入隊志願者数は過去最高を記録している。

 

 さらに、人為的な奇形児などの極端な例を別にすれば、遺伝子が人為的に改変されているかどうか、外見から判別する事は不可能。故に、遺伝子改変の疑いありとする事で、捜査員による恣意的な逮捕が可能になる。地球時代、肌の色など人種的外見で差別、逮捕された者達がいたが、それを更に悪辣にした手法と言えるだろうか。

 

 つまり、劣悪遺伝子排除法とは、同盟で主張されていたように、遺伝子を盲信したルドルフの愚劣さの産物などではなく、①連邦末期の既得権益層と反帝国勢力を同一視し、臣民の敵意の対象とした、②遺伝子改変の名目で、恣意的な逮捕、処罰を可能とした、③人類社会には格差、階層がある事を宣言し、それに従った秩序こそ真の自由と平等をもたらす唯一の方途だと、後の貴族制に至る道筋を付けた。少なくとも、建国期においては、これらの立法意図を持つ法律だったと言えるだろう。

 

 そして、帝国の支配がまだ確立せず、連邦末期の記憶が社会に残っていた当時、帝国当局の恣意に拠るものではあるが、効率的な治安維持活動を展開する上で、同法の存在は有効だった。帝国領内で、辺境域の独立勢力と共闘していた共和主義者らは、劣悪遺伝子排除法に違反している逆賊だと、臣民による通報が相次ぎ、急速にその数を減らしていった。

 

 そのため、ルドルフ没後、帝国の支配体制が確立すると、劣悪遺伝子排除法はその役割を終えたという意見が出る事は想像に難くない。事実、帝国暦130~40年代、老廃帝ユリウス1世の摂政皇太子を務めた寛仁公フランツ・オットー大公は、社会秩序維持局の規模縮小を実施している。恐らく同公は劣悪遺伝子排除法を制定したルドルフの意図を知っていたのだろう。

 しかし、この社会秩序維持局の縮小が、帝国暦164年に始まったと伝えられる、かのアーレ・ハイネセンの長征一万光年をもたらした要因の一つになったのではないかとの指摘がある。もし、この指摘が正しければ、寛仁公の善政が後の敵国を生み出した訳で、誠に歴史の皮肉だと言うしかない。



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第3節 ルドルフの「遺伝子」観

 本書が提示した劣悪遺伝子排除法の姿は、特に同盟で生まれ育った者であれば、今までの常識とあまりにも違いすぎると、容易には受け入れられないかもしれない。彼ら同盟人らが抱く姿、即ち劣悪遺伝子排除法が優生思想を前面に押し出した内容に「改悪」されたのは、新史料を分析した結果、痴愚帝ジギスムント2世の手によるものだと思われる。同帝の改悪に関しては後段に譲るが、ここでは、ルドルフが遺伝子に対し、如何なる見解を有していたのか、それをまず述べたい。

 

 まず、ルドルフが遺伝子を盲信していたという同盟の定説自体、史料上からは確認できない。学芸尚書ランケとの往復書簡によると、人間には生来の能力格差があり、それは遺伝子に由来するという考えは有していたようだが、例えば、障害者は遺伝子的な異常者だから殺害されなければならない、などと発言している記録は無い。

 

 また仮に、ルドルフが遺伝子を盲信していたならば、外孫ジギスムントの即位を認めたとは思えないのだ。遺伝学的に言えば、男性性を規定するY染色体は男親からしか受け継がれず、ジギスムントのY染色体は父親ヨアヒムから受け継がれたもの。遺伝子的に言えば、既にルドルフの遺伝子、Y染色体は断絶している。これを認めたという一事だけで、少なくともルドルフが遺伝子を盲信はしていなかった事の証左になるのではないかと、筆者は考えている。それは、劣悪遺伝子排除法において、遺伝子は名目でしかなかったという筆者の見解を補強するものだと言えないだろうか。

 

 また筆者は、劣悪遺伝子排除法が優生思想に基づく法ではなく、治安維持を目的としていた事の傍証として、ルドルフが同法を議会に上程した帝国暦9年という時期に注目したい。同年、帝国軍がカストル軍に勝利、辺境域の敵対勢力と互角以上に戦える戦力を備えた事を証明した。

 これまで、ルドルフは帝国領内での共和主義者らの跋扈に苛立っていたが、彼らは敵対勢力の支援を受けており、帝国軍は敵対勢力の軍隊よりも相対的に弱体だった。その現実を踏まえ、彼ら共和主義者らに対して融和的な政策を取っていた事は既述の通りである。

 

 帝国暦9年に至り、帝国の軍事力が確立した事を受けて、ルドルフは共和主義者らの弾圧、支配体制の確立に着手する事を決断。劣悪遺伝子排除法の制定は、その決意表明なのではないか、というのが筆者の見解だ。

 

 同法違反の容疑で、多くの共和主義者らが逮捕、殺害されているが、社会秩序維持局に残された記録によると、彼らの居住地は辺境域に近い星系、また帝国からの分離独立を企図していた星系が大半を占めている。対して、帝都オーディンでの逮捕者数は、ルドルフ崩御に至る約30年間で、全体の0.001%でしかない。この点も、同法の立法意図が反帝国勢力の撲滅、排除だった事の証左になるのではないだろうか。



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第4節 劣悪遺伝子排除法と治安回復活動(平定戦役)の関係

 筆者は、同法成立後、帝国暦10年から、ルドルフが崩御した42年まで、社会秩序維持局が領内で行った治安回復活動は、事実上の内乱鎮圧だったと考えている。よって、この時期を「平定戦役」期と呼びたい。この事は、当時の社会秩序維持局の組織構成からも看取できる。

 

 同局職員は、帝国軍(連邦軍含む)の退役、予備役軍人が大半を占めて、特に実戦部隊は装備、練度共に、帝国地上軍と遜色なかった。地上軍との共同作戦を実施する事も多かった関係上、内務省の一部局でありながら、帝国軍と同様の階級制度を用いていた。局長には大将の階級が擬せられ、宮中席次は地上軍総監と同等だとされた。この事からも、当時の社会秩序維持局が国内軍的な性格を有していた事が分かる。

 

 初代局長を兼務した内務尚書ファルストロングは、連邦軍人時代、治安戦のプロフェッショナルとして活躍した経験を活かし、反帝国勢力のテロリストやゲリラ達を陣頭指揮で撃滅。帝国からの分離独立を企図する総督府(星系政府)を次々と鎮定していった。当時の地上軍総監ケッテラー大将は「内務尚書殿は、政治家にしておくには惜し過ぎる軍才の持ち主だ」と評したという。

 

 しかし、果断過ぎるファルストロングの姿勢は、反帝国勢力の憎悪を喚起せずにはいなかった。帝国暦17年、ルドルフの孫ジギスムント、後の強堅帝ジギスムント1世が産まれると、独裁者の呪われた血を絶やせと言わんばかりに、帝都オーディン市内でも爆弾テロが頻発。ファルストロングは不眠不休で対処に当たったが、腹心のズップリンブルク警察局次長らに「尚書閣下が倒れたら、誰がテロ対策の指揮を執るのですか」と諫められたため、一時帰宅する途中、シリウス民主共和国の支援を受けた共和派テロ集団・自由戦士旅団が仕掛けた中性子爆弾の犠牲になり、その命を終えた。

 

 ファルストロング死亡の報を受けたルドルフは、青年時代からの友人でもあった忠実な臣下の死を悼んで、犯行声明を出した自由戦士旅団を徹底的に殲滅せよと厳命。同旅団は、帝国からの独立を志向するアルフヘイム星系を根拠地としていたため、地上軍総監ケッテラー大将率いる中央地上軍の精鋭が同星系に侵攻。同旅団の構成員を含む星系防衛軍をほぼ全滅させると、旅団の残党が逃げ込んだと思われる地方都市も順次、攻略していった。

 

 この過程で、約2万人の民間人が犠牲になったとされるが、ファルストロングを殺したテロリストを匿う者も皆テロリストである、というルドルフの宣言で、民間人の犠牲はゼロだったと報告された。この平定戦役期の特徴として、民間人の犠牲者数が極めて少ない事が挙げられるが、それは当時の帝国軍が人道的だったからではなく、このように民間人をテロリストやゲリラとして扱った例が非常に多かったためである。

 

 平定戦役の詳細は後段に譲るが、民間人を巻き込んでも構わぬ、というルドルフの姿勢は、必然的に現場での恣意的運用を齎した。本来、劣悪遺伝子排除法の対象ではない生来の障害者も、遺伝子改変された異常者だと見なされて、逮捕、処罰された例が後を絶たなかった。

 

 また、反帝国勢力の支配する領域内で暮らしていた一般住民が貧困層、即ち失業者と見なされて、失業は臣民の義務違反だと、逮捕される例もあった。このような不法行為が相次いだ理由は、住民への略奪や暴行を正当化するため、鉱山での採掘作業など危険な労働に従事させる労働力を確保するため、逮捕者数を水増しして自己の功績を過大に見せかけるため、などだったとされている。

 

 しかし、ルドルフや帝国政府が不法行為を無くすため、何らかの措置をとった形跡はない。むしろ黙認さえしていたと思われる。このように、同法の制定後、ルドルフは即位当時の立憲君主とのポーズを捨てて、民意を顧慮しない、専制君主として行動するようになっている。それを端的に示すのが、同法に異議を唱えた共和派政治家への反撃として、帝国議会を永久解散した事だと言えるが、実は、この議会永久解散との措置も、貴族制の成立を視野に入れた、強かで老練な政治家ルドルフと、議会議員との「出来レース」だった形跡がある。



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第5節 劣悪遺伝子排除法と貴族制度の関係

 帝国議会が永久解散された際、劣悪遺伝子排除法に異議を唱えた共和派政治家が逮捕、処刑された記録は無い。確かに彼らの存在を抹消するため、逮捕記録自体を廃棄した可能性はあるが、反対に、貴族制成立時、彼らが爵位を与えられた記録はある。

 

 例えば、シャフハウゼン子爵家は中規模の領主貴族として、帝国末期まで存続した名家だが、家祖ベルンハルトに子爵位を与えるルドルフの勅書に「…汝バーナードは、全人類社会を混乱に陥れた、過てる思想を盲信していた迷妄から覚め、帝国臣民としての大義に立ち戻った。その行為を嘉し、銀河帝国皇帝たる余は、汝をシャフハウゼン子爵に封じる。あわせて、ベルンハルトへの改名を命じる」とある。

 

 この「過てる思想」とは何か、文中では明記されていないが、当時の政治状況から考えて、民主共和思想以外ではあり得ないだろう。また、シャフハウゼン子爵家に伝来した史料中に、ベルンハルトの前名は「バーナード・マツイ」と記している文書があるが、このバーナード・マツイなる人物、帝国暦2年に実施された帝国議会議員選挙で、国家社会革新連盟(NSIF)の流れを汲む革新系政党から出馬、当選しており、何よりも、帝国暦9年、劣悪遺伝子排除法が帝国議会に上程された時、反対討論を行った人物なのだ。

 

 共和派政治家バーナードが何故、帝国貴族ベルンハルトに転身できたのか、詳しい経緯は現時点では不詳。しかし、建国期に封ぜられた領主貴族の多くは、連邦の星系政府首相(帝国建国後は総督)、もしくは帝国議会議員だった事が分かっている。ベルンハルトも彼らの中の1人だったのだろうが、帝国に恭順な者たちだけではなく、ルドルフの意に反する者達まで、貴族に封じている事は意外の念に打たれる。

 

 これは推測でしかないが、或いはベルンハルトの反対自体が、事前にルドルフと取引した、政治的パフォーマンスだったのではないか。ルドルフは共和派政治家の反対を口実に、自身を監視する議会を永久に排除できる、ベルンハルトら共和派政治家は、自分たちのプライドは守りつつも、世間の関心が薄れた頃に貴族の身分を与えられ、自身の生命と財産も守る事が出来る。それだけではない、例え皇帝に逆らった者であっても、忠誠を誓えば、それ相応の地位を与えるという事実を示す事で、ルドルフは自身の度量の大きさを世に知らしめ、あわせて反帝国勢力が帝国に帰順する際の心理的障壁を下げる効果も見込める。

 

 後世、反対者は容赦なく逮捕、処刑した暴君というイメージでしか語られないルドルフだが、実際には強権と懐柔を巧みに使い分け、最小の労力で最大の効果を狙う、老練で強かな政治手腕がルドルフの真骨頂だった。

 

 上記のような劣悪遺伝子排除法と貴族制との関係、また前述した痴愚帝ジギスムント2世の「改悪」について、改めて解説したい。

 

 同盟の定説では、劣悪遺伝子排除法と貴族制とは盾の両面。遺伝子を盲信したルドルフは、同法を制定して障害者など劣悪遺伝子の保有者を排除。その反面、白人種を遺伝子的に優れているとし、彼ら「優秀な人材」に特権を与えて、貴族階級を創設した、とされる。

 

 しかし、前述した通り、劣悪遺伝子排除法において、遺伝子は名目に過ぎなかった。これは貴族制度も同様で、遺伝子的に優れていたから貴族になれたのではなく、優秀な能力の持ち主だからこそ、その遺伝子、即ち血統を保持し、ルドルフが理想とした人治の担い手として、永遠に存在させていく、その手段としての貴族制度だった、というのが筆者の見解である。

 

 なお余談ながら、前述したベルンハルト・フォン・シャフハウゼン、前名バーナード・マツイのように、その姓から見て、明らかに白色人種ではない者も貴族に封じられたのならば、何故、帝国貴族は白人ばかりになったのか、と疑問を抱く向きもあるかもしれない。

 

 実は、当時の映像史料等を見ると、明らかに有色人種と思われる人物が貴族として登場している例がある。しかし、ルドルフは自身と同じ、ゲルマン系の白色人種を貴族の標準と見なしていた節があり、有色人種を貴族に封じる時は、ゲルマン系の姓名に改めさせていた。それは貴族側でも同様で、有色人種系の貴族は積極的に白色人種との通婚を進め、甚だしきは、実子がいるにも関わらず、能力不足を理由に廃嫡、白色人種の子供を養子とした貴族家もあった。

 

 しかし、繰り返しになるが、それはルドルフが白色人種の優越性を信じるからではなく、人工的な「貴族」身分の一体感を醸成するために、自身のルーツたるゲルマン系白色人種で貴族層を統一しようとしたから、だと思われる。この結果、時代が下るに従い、帝国貴族=白色人種という公式が出来上がったが、遺伝子的には有色人種の血筋の者も大勢いると推測されている。

 

 なお、痴愚帝の改悪についてだが、同帝は即位後、帝室にのみ伝承されているルドルフ大帝の遺訓が存在すると言い出し、劣悪遺伝子排除法は本来、どのような形であれ何らかの障害を持つ者全てを、そして障害者と血縁関係を持つ者全てを対象にするものだったと宣言。そして、同法は大帝の祖法であり、ただ皇帝のみが法の真意を知り得るのである、故に、皇帝だけが法の真意に基づいた執行を命令できるのである、臣下が大帝の御遺志に触れるなど、不敬の極みであるとして、同法は完全非公開とした。

 

 その結果、痴愚帝の命令により、大量の臣民が同法違反で逮捕され、財産没収の憂き目にあった。これは、皇太曽孫カールによる皇帝弑逆の秘密を知り、カールを脅迫して、急遽自身が即位できた痴愚帝には拠るべき政治的基盤が無く、ルドルフ大帝の権威を借りるしか、自身が目指す富の収奪を実施できる術が無かったからではないかと思われる。その道具として劣悪遺伝子排除法を悪用して、ルドルフの立法意図とはかけ離れた「改悪」を行ったのだろう。詳しくは同帝の巻で述べたい。

 

 また、劣悪遺伝子排除法を有名無実化したと言われる、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世はルドルフの立法意図を知り、制定当時の形に戻しただけだと思われる。よって、生来の障害者は同法の適用外だから治療も必要と、障害者用の機具や食品の開発も行ったのだろう。

 

 しかし、晴眼帝とは逆に、痴愚帝の改悪を利用した皇帝もいた。縦横帝オットー・ハインツ1世や敗軍帝フリードリヒ3世、残暴帝ウィルヘルム1世たちがそうである。しかし、その動機は異なり、縦横帝は意に沿わない臣下を粛清するために、敗軍帝と残暴帝は恐怖で臣下を支配するため、だった。詳しくは、各帝の巻で述べたい。

 

 さて、劣悪遺伝子排除法とルドルフの立法意図を中心に述べてきたが、今まで意図的に触れてこなかった問題がある。それは、同盟では広く知られている、ルドルフの寵姫マグダレーナが白痴の子を産んだために、本人や家族、出産に立ち会った医師や看護婦も全て死を賜った、という「事実」である。これこそルドルフが遺伝子を盲信していた証左では無いかと反論する方もいるかもしれないが、この逸話の信憑性には大きな疑問符がつく。宮廷の秘事は、そもそも実証史学の対象になり難いのだが、特に同盟では人口に膾炙している逸話であるため、【コラム】「寵姫マグダレーナの死」にて、筆者の見解をまとめている。参照して頂きたい。

 



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【コラム】寵姫マグダレーナの死(上)

 ルドルフの寵姫マグダレーナが白痴を出産したため、死を賜ったとの逸話は、同盟では高等学校の歴史教科書でも紹介されているほど広く知られていた。教科書等の出版最大手、エデュケーショナル・パブリッシング社で発行された教科書「銀河帝国史Ⅰ」の記述に沿って、改めてマグダレーナの逸話を紹介する。

 

「ルドルフの晩年、寵姫のマグダレーナが男子を出産したが、生まれつきの白痴児だったと伝えられる。帝国の公式記録には一切記載されていないが、マグダレーナばかりか、彼女の両親や兄弟、さらに出産に関係した医師や看護婦まで、全員が死を賜っている。この事実から推定するに、巷間に流布されたこの噂が真実である事は、ほぼ確実である。ルドルフに白痴を生むような遺伝的要素があったはずはなく、全責任はマグダレーナにあるという訳だった」

 

 同盟社会では、完全な事実として受け取られていた逸話だが、不審な点がいくつか存在する。まず、この件が事実で、ルドルフが遺伝子を盲信する性格だったと仮定すると、旧帝国ではタブー中のタブーだった事は容易に想像がつく。故に、帝国の公式記録が沈黙を守るのは当然だが、では何故、この件が遠く同盟まで伝わったのだろうか。

 引用文では、マグダレーナの両親や兄弟、出産に立ち会った医師や看護婦までも死を賜った、とあるが、ルドルフまたは帝国政府がこの件を徹底的に隠蔽しようと図るならば、彼らの存在自体を抹消しようと、処刑された事も箝口令を敷くのが自然ではないだろうか。まして、同盟の成立はルドルフの死後、約200年を経過した後の事。不敬罪の厚い壁を乗り越え、遙か200年先の未来まで、この件が伝わるとは想定しがたい。

 

 さらに、マグダレーナと家族らが死を賜った事は事実としても、その原因が白痴を出産したからと何故、断定できるのだろうか?引用文では「巷間流布されたこの噂」と、白痴を産んだとの噂があったためとしているが、同盟まで伝わる程の噂ならば、当然、帝国でも噂になっているはずだ。もし、そのような噂を流す臣民が存在すれば、社会秩序維持局が即刻逮捕するだろう事は想像に難くない。しかし、公開された社会秩序維持局の逮捕記録等を調べても、マグダレーナに関する噂で逮捕された者は現時点では発見されていない。

 

 そもそも、同盟での本逸話の初出は、宇宙暦670年代、征軍帝コルネリアス1世の大親征後、大衆向けの娯楽雑誌や、イエロージャーナリストの手による実録系読み物。ニュースソースは「帝国から脱出した某氏の証言によると…」的な極めて曖昧なものだった。実際、同盟の歴史学界でも、同様の疑問を呈した学者はいたというが、イデオロギー的史学が主流の学界では無視されるだけだった。

 

 以上の事から、このような事実は存在しなかったと解釈する方が自然ではないだろうか。恐らく、宇宙暦670年代ごろ、反帝国のプロパガンダのため、亡命した帝国人、または亡命帝国人から情報を得た同盟人が創作した可能性が高いと思われる。

 

 では、白痴云々はさておき、寵姫マグダレーナは実在したのだろうか。公開された新史料中に、宮内省後宮職が所蔵する当時の後宮人員名簿があるが、皇帝付き女官の1人に「マグダレーナ・フォン・ズップリンブルク」なる女性が記載されている。名簿に添付された経歴書によると、女官マグダレーナは帝国暦元年生まれ。父親はヨハン・フォン・ズップリンブルク男爵。内務省に勤務する高級官僚で、最終官職は同省警察局長。帝国暦20年、20歳の時に皇帝付き女官に採用。同21年、ルドルフ大帝の閨に侍り、側室となる。同23年、難産のため母子ともに死亡、とあるのみである。これ以外で、マグダレーナに関する史料は、現時点では発見されていない。

 

 なお余談ながら、当時の後宮のシステムについて説明しておく。皇帝の側室候補に選ばれた女性は、まず皇帝付きの女官として採用。宮中で働きながら、皇帝への忠誠心や健康面等を上司が観察、良質な子を産める可能性が高いと判断されたら、宮内尚書が皇帝に推挙。皇帝が了承すれば、側室として皇帝の閨に侍った。

 その後、後宮内の序列に応じて、新無憂宮内に私室または私邸を賜った。また、皇帝と性交した後は、必ず宮内省付きの医師の診察を受けて、自身の健康状態や受胎の可能性、性病感染の兆候等について、詳細な報告書を提出する事が義務付けられた。さらに、無駄と怠惰を嫌ったルドルフらしく、側室であっても、妊娠するまでは女官として宮中で働く事を求めたので、出産を職務とする宮内省の女性職員、といった風情だった。

 当のルドルフ本人も厳格かつ禁欲的、性愛に耽溺する性格でも無かったので、当時の後宮は、例えば強精帝オトフリート4世や、亡国帝フリードリヒ4世のそれに比べると、存在しないに等しいほど小規模だったと伝えられる。

 

 ルドルフにマグダレーナという側室がいた事、そして、マグダレーナは出産時、難産のために母子ともに死亡した事、この2点は史料上で確認できた。

 

 そして、新帝国暦元年、新無憂宮内の一角、建国者ルドルフ大帝が崩御した寝室と伝えられる部屋であり、ルドルフの後継者、強堅帝ジギスムント1世の手で、ルドルフの御霊を祀る霊廟と定められた場所から、ルドルフ真筆の書簡が数通、発見された。

 そこには、寵姫マグダレーナが帝位継承を巡る暗闘の犠牲になった事が示唆されており、旧帝国史上、ただ「ルドルフ大帝の寵姫」としか認識されていなかったマグダレーナが政治的に重要な存在だった可能性が出てきた。

 

 以下の記述は、新発見されたルドルフ書簡の示唆に基づき、当時の政治状況や人間関係を加味しつつ、筆者が考えたマグダレーナの死亡に関する仮説である。

 なお、ルドルフ書簡の原文は、本書第11章ルドルフ大帝の死・第5節-5「【帝国暦23年10月3日】」を参照の事。



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【コラム】寵姫マグダレーナの死(下)

 マグダレーナの死の原因は、白痴を産んだ事などではない。彼女は帝位継承を巡る暗闘の犠牲になったのだ。彼女が皇帝付き女官、そして側室になった事は、必ずしも本人の意思ではなかった。帝国暦17年、ルドルフの長女カタリナが長男ジギスムントを出産。父親は、初代軍務尚書シュタウフェン上級大将の孫にして、後継者に擬せられていたノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム。当時は、統帥本部総長リスナー上級大将の麾下で、帝国軍少将の地位にあった。この時、皇帝ルドルフは58歳、子供は長女カタリナを筆頭に女子のみ4人、未だ男子を得ていなかった。

 

 ルドルフと皇后エリザベートは、初孫のジギスムントを溺愛。ジギスムントが幼児期を迎えて、利発さを示すようになると、ルドルフは非公式の席上ではあるが、ジギスムントを余の後継者にしても良い、と発言するまでになった。

 

 この発言に動揺したのが、内務尚書の地位にあったクロプシュトック。当時の帝国政界は、親政する皇帝ルドルフの絶対的な支配下にあったが、それに次ぐ権勢を誇ったのが、初代の軍務尚書シュタウフェン上級大将。老齢のため、既に現役を退いてはいたが、皇帝の義父、建国の功臣、建軍の父として、その権勢は依然として絶大だった。シュタウフェン上級大将を長と仰ぐ派閥は、帝国軍の幹部を始め、軍務省・内務省など、政府部内にも勢力を伸ばしていた。特に内務省次官兼社会秩序維持局長クラインゲルト退役少将は、シュタウフェン上級大将が連邦軍人だった頃からの部下で、尚書の地位にあったクロプシュトックは、常に監視されているとの意識を消す事が出来なかった。

 

 クロプシュトックは、ルドルフがペデルギウス星系で連邦軍人を務めていた時からの支援者、部下であった。そのため、自分達ペデルギウス出身者は、ルドルフ譜代の臣下だとの意識を強く持っていた。連邦軍の高級幹部だったシュタウフェン上級大将など、ルドルフが連邦政界で台頭してからの部下、所詮外様ではないかと内心、見下していた。

 

 しかし、帝国建国後、彼我の立場は逆転。ペデルギウス派は、有力幹部の前内務尚書ファルストロングはテロに倒れ、統帥本部総長リスナー上級大将はシュタウフェン派の一員に成り果て、クロプシュトックは帝国政界の中で一人、譜代の臣下とのプライドを抱えつつ、自身の権力が衰えていくのを眺めるしかなかった。

 

 そして、ルドルフの後継者発言。クロプシュトックは、激しく焦燥した。座視していては、政敵たるシュタウフェン上級大将の曾孫が次の皇帝になってしまうと。また、クロプシュトックは、ルドルフよりも遺伝子を重視する性格で、ルドルフの外孫ジギスムントが帝位につけば、その時点でルドルフのY染色体は断絶する。ゴールデンバウム朝は事実上、簒奪され、シュタウフェン朝が始まってしまう。自身の権力への渇望、譜代の臣下とのプライドと使命感から、何としてもジギスムントの帝位継承を阻止せねばならないと、密かに決意した。

 

 そのクロプシュトックに接近したのが、同省警察局長のズップリンブルクだった。連邦警察省から帝国内務省に横滑りした彼は、前内務尚書ファルストロングの腹心でもあった。生粋の警察官僚だったズップリンブルクは、内務省内にシュタウフェン派が増える事を、即ち帝国軍の影響力が強まる事を懸念。特に、同省次官兼社会秩序維持局長のクラインゲルト退役少将がクロプシュトック尚書を蔑ろにし、シュタウフェン上級大将の意向で業務を遂行している事は、内務省内の秩序を破壊するものだと、強く憤っていた。その憤りには、ファルストロングの横死後、後任の社会秩序維持局長は自分だと密かに期していたのに、シュタウフェン上級大将の意向で、退役軍人のクラインゲルトが就任した事への嫉妬と憎悪も混じってはいたが。

 

 ズップリンブルクに権勢欲があったのかどうかは分からない。だが、シュタウフェン上級大将への反感を共有するこの2人は、ジギスムントの帝位継承を阻止するため、ズップリンブルクの娘マグダレーナをルドルフの側室とし、男子が生まれたら、その子を次代の皇帝に据える、との構想を描き、マグダレーナを皇帝付き女官として採用させる事に成功する。

 

 マグダレーナが父親やクロプシュトックらの構想をどこまで知っていたのかは不明だが、帝国暦21年、当時の宮内尚書ノイラート子爵の推挙を受け、ルドルフの側室となっている。だが、後宮内の序列は下位にとどまり、ルドルフの寵を受けるのも、半年に一度あるかどうかだった。

 

 しかし、大神オーディンの気紛れなのか、翌22年、マグダレーナは妊娠の兆候を示す。なお、読者諸氏の中には、その子は本当にルドルフの子なのかと疑う方もいるかもしれないが、当時、ルドルフの意向で、皇帝付きの女官になる者は、悉く処女でなければならないと、採用前に宮内省付きの医師が処女膜の有無を確認する事が義務づけられていた。よって、後宮入りする前に妊娠していた可能性は無い。なお、これは処女性を珍重したためではなく、単に性病への感染を嫌ったという極めて散文的な理由からだったが。

 

 マグダレーナの妊娠は、帝国政界に激震をもたらした。クロプシュトックらは文字通り狂喜したが、シュタウフェン上級大将以下、同派に属する文武官の多くは、かつてのクロプシュトック同様、激しい焦燥にかられた。彼らにとって、ジギスムントの帝位継承は既定路線だったからだ。特に激高したのは、皇后エリザベートと皇女カタリナの2人。彼女らにとって、帝位はゴールデンバウム家とシュタウフェン家の後継者が受け継ぐものだという事は、物理法則と同様、絶対の定理となっていた。それをズップリンブルクとかいう小役人の小娘が産んだ赤子が継承するなど、悪い冗談以外の何物でもなかった。

 

 この件について、「父親」のルドルフはどう反応したのだろうか。果断なルドルフらしくなく、拱手傍観という言葉の生きた見本の如く、公私ともに沈黙を保っていた。

 元々、ルドルフは性愛よりも政治が好きという極端な仕事人間で、側室を持つ事に積極的ではなかった。しかし、貴族制成立後、臣下に側室を持つ事を許した以上、陛下も側室を持つべきです、でなければ臣下が萎縮して、側室を抱える事が出来ませんと、クロプシュトックの進言をきっかけに、やむを得ず側室を抱えるようになった。

 

 しかし、皇后エリザベートとの夫婦仲は悪くなく、ルドルフは皇后に対し、常に後ろめたい気持ちを抱いていたと思われる。また、側室を持った事で、4人の娘達との仲が拗れてきたのも、子煩悩なルドルフには辛かった。娘達はちょうど思春期を迎え、若い娘特有の潔癖さから、父親が自分達と年齢が近い若い女性と性交する事に強い嫌悪感を示した。クロプシュトックらは、子煩悩なルドルフの事、側室に子供が出来れば、必ず溺愛するだろうと予測していたが、ルドルフにとって子供とは、エリザベートとの間に儲けた娘の事だった。この点を読み誤った事が、後にクロプシュトックらが失脚する原因となった。

 

 妊娠したマグダレーナは、新無憂宮内に私邸を与えられた。使用人や護衛は、父親のズップリンブルクが手配した子飼いの警官達が務め、毒殺や襲撃に対し、水も漏らさぬ警戒体制が敷かれた。母子健診で、胎児が男子である事が判明すると、警戒体制はさらに強化された。

 

 この間、シュタウフェン派は手を束ねて傍観していたのか。その答えが明らかになったのは、マグダレーナの出産当日。分娩室から出てきた医師エルンスト・ウェルニッヒは、酷い難産のため、手は尽くしたが、母子ともに死去した、と発表した。立会人の宮内尚書ノイラート子爵も、医師の発表通りだと証言した。この死を自然死だと受け止めた者は、当時の帝国政界には皆無であっただろうが、ルドルフはマグダレーナと子供の死を悼むと共に、宮内尚書と医師の労をねぎらう談話を発表。その後、ルドルフの口から、マグダレーナの事が語られる事は一切無かった。

 

 マグダレーナと子供を手にかけたのは、出産に立ち会った医師である事は間違いないが、指示を出したのは誰なのか。恐らく、宮内尚書に直接指示を出せる立場の皇后エリザベートではないかと思われるが、確証は無い。

 

 しかし、娘と孫を一度に失い、自身の栄達の道も閉ざされたズップリンブルク男爵は、皇后こそが真犯人と確信したのだろう。警察局長としての自身の権限を用い、出産に立ち会った医師や看護婦らの身辺調査を開始、皇后が関与した証拠を見付けようとしたが、それは余りに危険な行為だった。

 

 帝国暦23年、ズップリンブルク男爵は、公権力濫用の容疑で司法省監察局から弾劾され、同時に、宮内省からも、帝室に対し不敬の行為があったと告発された。結果、本人は自裁、家族は処刑、親類縁者は流刑星へ移住、家門は廃絶、族滅とされた。上司たる内務尚書クロプシュトックも、部下の監督不行届で厳重注意となった。同日、クロプシュトックは急遽参内し、病身を理由に、皇帝ルドルフに辞職願を提出、自領への移住を願い出た。ルドルフは何も言わず、ただ頷いたという。後任の内務尚書は、内部昇格で、同省次官兼社会秩序維持局長クラインゲルト退役少将が就任。尚書として初めての命令は、宮内省付医師エルンスト・ウェルニッヒと、その妻で看護婦のハンナ、この両名に劣悪遺伝子排除法違反の疑いあり、即刻逮捕の上、然るべき処置を執れ、だった。

 

 翌24年、皇孫ジギスムントの立太子式が挙行された。皇太孫ジギスムントの許嫁に、宮内尚書ノイラート子爵の孫娘アデルハイドが内定し、同子爵家の侯爵位への陞爵が発表された…

 

 さて、如何だっただろうか?上記の内容で、歴史的事実と認められるのは、マグダレーナの経歴と出産時の状況、その他は父親ズップリンブルク男爵が帝国暦23年、公権力濫用と不敬罪で族滅された事、内務尚書クロプシュトックが辞職、後任に同省次官のクラインゲルト退役少将が就任した事、宮内省付医師エルンスト・ウェルニッヒと、その妻で看護婦のハンナが社会秩序維持局に逮捕された事、同24年、皇孫ジギスムントの立太子式が挙行され、許嫁に宮内尚書ノイラート子爵の孫娘アデルハイドが内定し、同子爵家が侯爵位に陞爵された事である。

 

 当時の政治状況やルドルフの為人を勘案すると、「白痴を産んだ事を隠蔽するために殺された」よりも、蓋然性ある仮説ではないかと自負している。今後の研究の進展を期待し、かつ読者諸氏のご批判を俟つものである。

 

 最後に余談ながら、ルドルフに白痴の子がいた、との着想は何故、生まれたのだろうか?これも、推測の上に推測を重ねた形ではあるが、痴愚帝ジギスムント2世の勅令がヒントになったのではないかと思われる。

 

 前述の通り、同帝は劣悪遺伝子排除法で、生来の障害者も逮捕、処罰の対象にすると宣言。その一節に「恐れ多くも、皇祖ルドルフ大帝陛下は、たとえご自身の血縁であろうとも、障害をもたらす劣悪遺伝子の所有者と分かれば、肉親の情を捨て、大義の刃を振るい、人類社会から異常者の因子を排除なされ…」とある。この勅令をヒントに、死んだ寵姫マグダレーナという存在を知った、反帝国思想を有する誰かが、白痴云々の話を創作したのではないだろうか?



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第4章 貴族制度と身分制秩序
第1節 各身分の定義


 旧帝国の貴族制度は、帝国暦15年に施行された「銀河帝国における貴族身分の権利及び義務に関する法律」(貴族法)に基づく。第3章「劣悪遺伝子排除法」で述べたように、帝国貴族とは、遺伝子的に優れていたからではなく、優秀な能力の持ち主だからこそ、その遺伝子、即ち血統を保持し、ルドルフが理想とした人治の担い手として、永遠に存在させていく、貴族制度とはその手段だった、というのが筆者の見解である。また、社会的格差に基づく身分制秩序を構築する上で、貴族制度はその根幹を成すものでもあった。本章では、旧帝国の貴族制度と身分制秩序について概説したい。

 

 まず、旧帝国の身分制だが、微に入り細に亘って、各種身分が定められていた訳ではない。貴族法が定めるのは、あくまで「貴族」という身分だけであって、旧帝国の身分を定義するなら「貴族(皇族含む)」と「貴族以外」が正しい。俗に、貴族に対置される身分として「平民」との呼称が用いられるが、平民という身分があった訳ではなく、貴族以外の全臣民が平民だった。その中で、社会的な立場や法的権利等の差異から、擬制的身分として「農奴」「奴隷」などの呼称が生まれていった。貴族以外の身分は、おおよそ以下の通りである。

 

 1.平民

 貴族身分以外のあらゆる臣民を指す。元々、貴族が自分達以外の者を蔑視して用いた差別表現だった。平民は「従臣」「領民」「国民」「農奴」「奴隷」といった擬制的身分の総称でもある。

 

 2.従臣

 特定の貴族家(主家)に、子々孫々に亘って忠誠を誓約した者。家臣・陪臣とも云う。その能力を以て、主家に尽くす代わりに、主家は当人と子孫の生活を保証する義務を負う。建国期、高級官僚や高級軍人、国営企業の社長らが爵位持ち貴族に列せられると、その部下達が従臣になる例が多かった。

 主家内部で出世すると、主君の推薦を得て、貴族に取り立てられる事もあった。平民ではあるが、最も貴族に近い存在。また、従臣でありながら、主家に匹敵、または主家を凌ぐ権力を手に入れた者もいた。

 

 3.領民

 領主貴族が統治する領地で暮らす者。私有財産権は持っているが、領主が指定する仕事に就かねばならない。また、領主の同意がなければ移住する事は出来ない。特定の貴族家に仕えるという点では従臣と同じだが、企業に例えるなら、従臣は幹部社員、領民は一般社員に近い。

 また、形骸化していたが、領民(従臣含む)を正当な理由なく殺害、負傷させた場合、法律上、領主も罪に問われる。そのため、領民は司法省管轄の下級裁判所で裁判を受ける権利があり、領主の不当な行為を皇帝(政府)に訴える事も出来るとなっていたが、領民だけの判断で、領主貴族を告訴した例は皆無。

 ただ、ある領主貴族を陥れるため、政敵の貴族が領民を扇動、枢密院に直訴させて、統治能力欠如とのレッテルを貼り、領地を没収されるよう仕組んだ策謀はしばしば行われた。

 なお、帝国領内の自治領に住む者も領民と呼ばれた。

 

 4.国民

 皇帝直轄領に暮らす者。法律的には領民と同じ立場だが、職業選択の自由を有し、直轄領間の移住であれば、原則認められるなど、領民よりも自由度が高かった。その反面、直轄領の行政サービスは最低水準なので、医療・福祉・教育などの各種サービスを自費で賄えるだけの経済的余裕を持つ高額所得者が多い。これは、開発に熱心な領主貴族は手厚いサービスを掲げて、労働者の誘致をしていたので、低所得者層は生活条件の良い領地で暮らしたがったため。

 なお、直轄領でも帝都オーディンだけは別格で、他の直轄領から移住する際は、厳密な思想調査を受け、反帝国思想の持ち主でないと認められなければ、居住する事を許されなかった。そのため、帝都に住む事は国民にとって一種の憧れで、ステータスでもあったが、これは皇帝の誕生日や即位記念日といった慶事の都度、皇帝から臣民への慈悲との名目で、肉やワインの無料配布が実施されたり、臨時の給付金が支給されたりするなど、他の直轄領より手厚い恩典が存在していた、という即物的な理由もあった。

 

 5.農奴

 臣民としての権利を「一時停止」された者。私有財産権を始めとして、あらゆる権利・自由を一時的に喪失した存在。帝国政府または領主貴族の支配下で、過酷な労働に従事していた。ルドルフが連邦の終身執政官時代、強盗・窃盗など他者の財産に損害を与えた犯罪者に、未開発惑星での開拓作業など、損害額に相当する労働刑を科した事に由来する。税金滞納など、臣民の義務を果たしていない者が懲罰的に農奴とされたが、一種の刑罰であるため、定められた刑期を満了すれば、元の地位に戻れた。作業自体は無報酬だったが、最低限の食料や日用品などは現物支給された。

 また、ルドルフ及び第2代ジギスムント1世の御代、反帝国勢力の下で生活していた人民が大量に農奴とされたが、これは彼らが反逆者予備軍と見なされたため、臣民としての権利を認めるまでの経過措置であった。

 なお余談ながら、農奴という名称ではあるが、必ずしも農作業にだけ従事した訳ではなく、何らかの技術を持つ者は、公共工事の建設現場や帝国軍基地などで作業員として働いた。

 

 6.奴隷

 臣民としての権利を「剥奪」された者。農奴と異なり、死ぬまでその立場からは逃れられず、帝国政府の支配する矯正区(流刑地)で、死と紙一重の危険な作業に従事していた。

 反帝国活動を行った国事犯や、反帝国思想を鼓吹した思想犯など、社会秩序維持局の隔離対象となった者が奴隷と認定された。使い捨て同然の労働力と見なされていたので、原則として食料等も全て自給自足させるなど、例えるなら緩慢に処刑されている死刑囚、というべき存在。後世、同盟軍の捕虜も思想犯と同一視されたため、奴隷と同様の扱いを受けた。

 なお余談ながら、同盟の建国者アーレ・ハイネセンは、旧帝国の奴隷階級出身だったというのが同盟の通説だが、旧帝国で奴隷が置かれていた状況を考えると、どのような形態でも恒星間宇宙船を建造できる可能性は乏しい。詳しくは再建帝オトフリート2世の巻で述べたいが、自由惑星同盟を建国したのは、辺境域の領主貴族らが密かに派遣した深宇宙探査を目的とする農奴・奴隷と思われる。そして、アーレ・ハイネセンは、彼らが同盟領に到達した後、自分たちの団結の象徴として掲げた偶像だったのではないか、というのが筆者の見解だ。

 

【注】自治領の定義:特別な事情で、帝国皇帝の宗主権を認める事を前提に、自治を認められた地域。実際は、辺境に取り残された惑星や人工天体など、人間は居住しているが、帝国の支配下に置いてもメリットが乏しい難治の場所を名目上、自治領としていた。実質的に見捨てられた地域なので、国務省の管轄下ではあるが、帝国政府が自治領側からの要望や要請に応じる事は、ほぼ皆無だった。例外は、旧帝国史上、最も豊かな自治領だったフェザーン自治領。

 なお、かの地球教団が統治していた地球(太陽系)もまた自治領であり、国務省には「テラ自治領」との名前で登録されていた。

 

 以上のように、貴族ではない身分の者達も、その社会的立場等によって、階層分化が生じていた。とは言え、貴族のように法律で定められた身分ではないため、個人が各階層間を移動する事は比較的、頻繁に生じていた。特殊な技術や能力を持つ農奴が勤務地の領主貴族に見込まれて、その領民になるのはごく普通の事であり、それから従臣に登用される例も少なくなかった。また、希有な例ではあるが、貴族身分ではない者が貴族となって、尚書に抜擢された事もあった。

 

 寛仁公フランツ・オットー大公に仕えて、財務尚書に抜擢されたベーリング帝国騎士は、父親の代に農奴から従臣に取り立てられ、本人は天才的な計数の才を見込まれて、長らくフランツ・オットー大公家の家宰を務めていたが、同大公の父ユリウスが即位、大公が皇太子に立てられると、エックハルト時代の弊風を一掃するため、特に大公から財務尚書に任命された。その時、貴族身分でない者が尚書職に就いた先例は無いと、廷臣から異論が出たため、新設された貴族身分の帝国騎士に叙せられた。

 

 これは貴族家内でも起こっており、例えば、皇太后ヒルデガルド陛下の御実家、マリーンドルフ伯爵家は、もともとカストロプ公爵家の従臣だったが、再建帝オトフリート2世の御代、一時的にカストロプ公爵家の実権を握って、自家を貴族にするよう公爵家から帝国政府に申請させ、爵位を得たと言われている。

 

 また逆に、貴族身分の者が不敬罪等を犯し、貴族位を剥奪される例もあり、時代が下ると、後述する帝国騎士や家士、従士といった、貴族と平民の間に位置する者たちも現れてきた。貴族と平民との間の垣根は、一般的に言われているより、遙かに低かったと言わざるを得ない。逆説的ではあるが、ルドルフが目指した通り、階層間、そして階層内での流動性がある程度、確保されていたからこそ、旧帝国は人材の新陳代謝が図られて、約500年近い身分制社会を保つことが出来たとも言えるのだ。



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第2節 貴族制度とは

 続いて、貴族制度の概要について述べたい。まず、貴族として認められるために必要なものは何か、端的に言えば、帝国皇帝が認める、この一事だけである。

 

 特定の家を貴族に叙する時、皇帝が勅書を発して、宮内省典礼職(後の典礼省)に登録されれば、皇帝の勅令によって、その登録が抹消されない限り、その家に属する者には貴族身分が与えられる。貴族身分を与えられた者は、その表徴として、姓名に「フォン」の称号を付ける事を許される。また、ゲルマン系の姓名を持たない者には姓名を改めさせたが、これは貴族層の一体感を醸成するため、特にルドルフが命じた事だったと云う。

 

 ここで注意すべきは、貴族身分が与えられるのは個人ではなく、家であるという事実。爵位を持つのは当主のみだが、その家に生まれた者は、生まれながらにして貴族身分が与えられた。この点、特に同盟では誤解される事が多かったが、爵位を持つ者だけが貴族ではなく、逆に爵位を持たずに、貴族身分だけを持つ者も多数存在した。いや、全体の比率から言えば、後者の方が圧倒的に多かった。

 

 新史料によると、貴族制創設時、貴族身分は個人単位で与えるのか、それとも家単位で与えるのか、特に宮内省と財務省の間で、激烈な議論が起こったと云う。

 

 宮内省は、貴族身分は爵位と一体のもので、爵位を持たない者が貴族になるのは不自然。また、貴族身分は帝国の統治体制を支える根幹でなければならない、仮に家単位で与えてしまうと、相応しくない者にも貴族身分が与えられる恐れがあると、個人単位の付与を主張した。

 

 一方、財務省は、仮に個人単位で与えると、貴族身分=爵位となり、貴族は当主のみとなってしまう。これでは貴族の絶対数が少なくなり過ぎて、統治に必要な人員を確保する事が出来ない。貴族身分を与えたい者全員に、爵位も同時に与えてしまえば、尊貴なるべき爵位の希少性が失われる上、爵位に対して与えられる貴族年金の支出が嵩み、帝国政府の財政負担が莫大になるだけではなく、事務処理も煩瑣になり過ぎるとした。貴族身分を家単位で与え、爵位を有するのは当主のみとすれば、爵位の希少性は保たれる上、帝国政府の負担も抑える事が出来ると主張した。

 

 最終的には、財務省の主張が通り、貴族身分は家単位で付与する事に決まったが、時代が下るに従い、貴族身分の保持者が幾何級数的に増える事は、創設時から指摘されていた。それへの対処も論じられたが、結局、同族ではあっても、どこまで貴族身分を与えるかは、各家当主の裁量に任せると、玉虫色の結論しか出なかったと云う。

 これは問題の先送りという面も確かにあるが、同時に、これから帝国の支配体制を構築する上で、貴族身分の保持者は、最終的に何人が適正数なのか、全く予見できないという事情もあった。

 

 この結果、当主の後継者以外の男子は、分家して独立する、または他家に婿養子に行くという選択肢を選べた者を除き、ただ貴族身分と家名のみを保持する事となった。彼らは「家士」と呼ばれ、その貴族家の一員として、一家を立てる事が出来た。当主家と分家、家士家を包括して「家門」と称した。

 

 彼ら家士の範囲と待遇は各家で異なり、大諸侯であれば家士家にも生活の保障が与えられたが、中小の貴族家では、家士も従臣と同様、労働して当主家から報酬を得るか、自ら事業を行うか、または帝国政府や帝国軍、他の貴族家に就職する必要があった。

 彼ら家士層が政府や軍で中堅の官僚や士官を務め、また各貴族家の領地経営でも、従臣や領民を統制する管理職的な存在となっていった。旧帝国の人口(約400億人)と支配機構の規模に比して、支配層たる貴族家は4000家程度と、その数が極端に少ない事は以前から指摘されていたが、彼ら家士の存在がその答えになると言えるだろう。

 

 しかし、時代が下るに従い、家士の数が増加して、家士層内でも階層分化が発生。家士家の分家たる「従士」、また家士家を束ねる「家士長」なる家も生まれてきた。帝国末期に至ると、ただフォンの称号だけを持ち、平民と同様、またはそれ以下の生活を余儀なくされている者も多数いたが、彼らの多くは家士、従士の出身であった。

 

 以上のように、貴族身分でも平民と同様、階層内部での分化が生じていった。しかし、平民が社会的な立場や法的に認められた権利の有無で分化していった事とは異なり、貴族では爵位を与えられた当主家との血縁関係、その親疎を基準に分化が進行した。続いては、その爵位について説明したい。



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第3節 五等爵制―公・侯・伯・子・男―

 旧帝国での爵位は、周知のように、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵と、五等爵制が採用されていた。各爵位を与えられる基準は以下の通り。ただし、下記の基準はあくまで原則であり、皇帝の意向、また権臣の専横により、本来なら得られない爵位を賜爵された例は、旧帝国史上、枚挙に暇が無い事を付言しておく。

 

 1.公爵

 皇族男子及び皇帝の姻族が対象。その中でも、皇帝の息子、同母兄弟、長女の婿に限られた。同じ娘婿でも、次女以下は侯爵位が与えられる。帝国末期、ともに亡国帝フリードリヒ4世の娘婿ながら、ブラウンシュヴァイク家が公爵、リッテンハイム家が侯爵だったのは、ブラウンシュヴァイク公オットーの妻がフリードリヒ4世の長女だったため。

 なお、建国期のみの例外として、旧敵国の代表者だったペクニッツ家やカストロプ家、ルドルフの皇后エリザベートの実家たるシュタウフェン家にも公爵位が与えられた。

 

 2.侯爵

 皇帝の異母兄弟、皇后の実家、皇帝の次女以下の娘婿が対象。この他、皇族男子が臣籍降下して一家を立てる時、今上帝から見て三親等以内の男子にも賜爵された。なお、帝国末期、亡国帝フリードリヒ4世の国務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデが当主を務めたリヒテンラーデ侯爵家は、もともとは子爵家だったが、美麗帝アウグスト1世の皇后を輩出したため、侯爵位に陞爵している。

 なお、公爵と同様、建国期のみの例外で、降伏した旧敵国の有力者に与えられた例もある。

 

 3.伯爵

 帝室と血縁、姻戚関係がない臣下が到達できる最高位。文官なら各省尚書、武官なら帝国軍三長官等の政府や軍の要職についた者か、主要国営企業の最高支配人(社長)、特に皇帝が認める功績を挙げた子爵位所有者などが対象。伯爵位以上がいわゆる「諸侯」で、貴族家全体の約25%を占める。

 

 貴族達の意識では、子爵位と伯爵位の間には大きな懸隔があり、子爵以下の貴族は、ほぼ例外なく伯爵位への陞爵を熱望していた。そのため、開祖ラインハルト陛下が旧帝国時代、帝国騎士から一足飛びに伯爵位を賜爵された事は、当時の貴族達にとって僭上の沙汰以外の何物でもなく、とりわけ子爵・男爵位の若手貴族に憎悪されたのは、伯爵という爵位の重さがその理由でもあった。

 

 4.子爵

 政府や軍に仕える中堅の官僚や軍人、国営企業の幹部、公益団体の長らが通常与えられる爵位。建国期では、星系政府首相(総督)や、有力な議会議員を貴族に叙する時に与えられた。旧帝国では、皇帝の傍近くにいる者には比較的高い爵位が与えられ、地方の領地で暮らす貴族には、子爵・男爵と下位の爵位が与えられる事が多かったが、これは中央政府の威信を高めるためだったと言われている。

 

 5.男爵

 特に賜爵の基準は無く、功績を挙げた家士や従臣を貴族に取り立てる時に与えられた。また、有力貴族の子弟らが分家する時は、男爵位を与えられるのが通例だった。

 

 その結果、時代が下ると、男爵位を有する者が増え過ぎ、年金支出は増加の一途を辿った。帝国暦110年代、喪心帝オトフリート1世の御代、この事を問題視した権臣エックハルトの意向で、特に皇帝の勅許が無ければ、新規に男爵家を立てる事は原則禁止されたため、有力貴族の子弟であっても、男爵にさえなれないと、貴族内に不平不満が高まってきた。エックハルト誅殺後、この問題を解決するため、寛仁公フランツ・オットー大公の改革の一環として、男爵位の下に「帝国騎士(ライヒスリッター)」の位が設けられた。

 

【注】帝国騎士という位:増え過ぎた男爵位の希少性を確保するために、帝国暦130年代、寛仁公フランツ・オットー大公が創設した新しい貴族位。男爵の下位ではあるが、皇帝の直臣と位置づけられた。爵位持ち貴族のように貴族年金は与えられなかったが、高利率の債券を与えられて、その運用益が年金に相当するとされた。貴族家の子弟で、政府や軍に就職し、功績を挙げた者に対して優先的に賜爵されたため、中央の官界や軍隊での出世を目論む家士達にとり、帝国騎士は憧れの位となった。

 

 また、貴族の特権の一つ、経済主体になれる権利を行使、自ら事業を営み、経済的に成功する者達も現れた。彼らの成功に触発された平民層にとっても、帝国騎士は羨望の対象となった。その事につけ込み、騎士位の取得に便宜を図る見返りに、金品を要求する皇族や貴族も現れ、貴族の風上にも置けない連中だと、しばしば非難の対象になっている。

 

 以上のように、帝国騎士とは貴族と平民の中間に位置し、両者の人的交流を促す役割を果たしたが、爵位持ち貴族からは平民と同じ下賎な存在だと見なされ、同じ貴族と見なされる事を酷く嫌悪する者も多かった。

 しかし、開祖ラインハルト陛下も帝国騎士の出身で、新帝国の重臣の中にも、例えば統帥本部総長、新領土総督を務めた故ロイエンタール元帥を始め、帝国騎士位を持つ者が多数存在する。西暦時代、歴史学のテーゼの1つに「歴史の変革をもたらす力は、中央の文明と辺境の野蛮とが混じり合う場所に生まれる」というものがあるが、貴族の洗練と平民の生命力を合わせ持つ帝国騎士は、将に銀河帝国の変革をもたらした力の母体になったと言えよう。

 

【注】大公という位:公爵の上位に位置し、皇太子、帝位に就いていなかった皇帝の父親、その他特に皇帝が認めた皇族男子にのみ付与された。旧帝国での代表的な例として、敗軍帝フリードリヒ3世の三男で、皇太子に内定していたヘルベルト大公、老廃帝ユリウス1世の皇太子だったフランツ・オットー大公、止血帝エーリッヒ2世の父親アンドレアス大公らがいる。

 

 なお、開祖ラインハルト陛下が旧帝国の帝国宰相に就任し、独裁体制を実現させた際、親友たる故キルヒアイス元帥に大公位を与えたが、旧帝国の原則に拠る限り、皇族男子ではないキルヒアイス元帥が大公位を得られる根拠は無い。この事から、ラインハルト陛下が自らを新帝国の皇帝に擬し、故元帥を新帝国の皇族男子として認めた、即ち近い将来の簒奪を決意した、と確信した旧帝国の廷臣も多い。



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第4節 職能による区分―文官・武官・領主―

 このように、上は大公から下は帝国騎士まで、貴族は爵位に基づくピラミッド型の秩序を形成していた。一方、この縦方向の秩序とは別に、各貴族の職能や社会的立場による横方向の秩序もあった。それが文官・武官・領主の区分に基づく秩序である。まず、各区分の意味について述べたい。

 

 1.文官貴族

 帝国政府の官僚、また国営企業の幹部など、主に官界・経済界で活動する貴族。即位前のルドルフの側近だった官僚や政治家、企業家を起源とする。彼らの多くは帝都オーディンに住み、基本的には帝国から支給される俸禄と貴族年金で生計を立てる。政治・行政能力に優れた人材が多く、政府の主導権を握っていた。

 

 2.武官貴族

 帝国軍の高級士官など、主に軍隊で活動する貴族。即位前のルドルフに従った連邦軍人や、民間軍事会社の関係者を起源とする。文官貴族と同様、帝都オーディンに住む者が多く、基本的には帝国から支給される俸禄と貴族年金で生計を立てる。軍事能力に優れた人材が多く、帝国軍を実質的に支配していた。

 

 3.領主貴族

 皇帝から下賜された領地に住み、自領の経営を行う貴族。連邦末期の星系政府首相や議会議員がその星系(選挙区)を領地として与えられた例が多い。未開拓惑星の開発や公営企業(国ではなく、貴族家が所有する企業)の経営を行い、帝国の生産・経済活動の主体となった。同盟の成立までは外国が存在しなかった銀河帝国にとり、ある意味、貿易相手国であり、仮想敵でもあった。また、枢密院議員(後述)ともなり、帝国政界に有形無形の影響を及ぼした。

 

 旧帝国の貴族はほぼ例外なく、上記の区分のどれかに属した。尤も、その区分は永続的なものではなく、時代の変遷と共に変化していった。

 

 例えば、文官・武官貴族は領地を与えられても、その統治は政府に委任し、自らは税収だけを得る事がほとんどだったが、中央での職を辞し、領主貴族に転身する例もあった。逆に、領主貴族の一族が分家して、政府や軍で職を得て、独立した文官・武官貴族になる事もあった。

 また、有力な領主貴族が家士や従臣を政府や軍の要職に送り込み、中央への影響力を確保しようとする事もよくあり、甚だしきは当主が形式的に隠居して、中央政府で官職に就き、任期が終了して領地に帰ると、再び当主に復帰する、という例さえあった。

 

 彼ら貴族達は、爵位と職能(社会的立場)、そして血縁と、多方面で濃密な結びつきを持ち、複雑な秩序を形成していった。また、有力諸侯は分家以外の中小の貴族家をも傘下に置き、帝国内部に巨大な勢力を築き上げた。

 

 一例を挙げると、有力な領主貴族だったカストロプ公爵家は、マリーンドルフ伯爵家、キュンメル男爵家など、血縁や職能で結ばれた各家を影響下に置き、自らが党首となった。これを主家―従家関係と言い、この関係を結ぶ貴族家の連合を「一門」と称した。

 彼ら領主貴族の如き大勢力にはならなかったが、文官・武官貴族でも一門を築く家はあった。旧帝国末期で言えば、文官貴族では、リヒテンラーデ侯爵家とゲルラッハ子爵家・ワイツ帝国騎士家、武官貴族ではメルカッツ男爵家とシュナイダー帝国騎士家が一門の関係にあった。これら一門が互いに離合集散して、政府や軍、後述する枢密院での派閥となっていった。



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第5節 開明派貴族の誕生

 その一方で、帝国暦330~340年代に至ると、自分達の利益を最優先する一門を「国家内国家」だと批判、貴族は自家の利益より、帝国全体の公益増進を考えるべきだと主張する貴族家が現れた。

 

 そのきっかけは、帝国暦331年、ダゴン星域会戦での帝国軍の大敗。敗戦の結果、当時の有力な武官貴族が戦死、また敗戦の責任追及の結果、軍から追放されたため、貴族間のパワーバランスが変化し、それに伴い、権力闘争が激化。さらに、当時の皇帝、敗軍帝フリードリヒ3世も、権力闘争と謀略に長けた人物であり、皇太子に内定させていたヘルベルト大公の失墜によって、自身の権力基盤に悪影響が出始めた事を恐れ、自らの政敵たる異母兄マクシミリアン・ヨーゼフ(後の慈愛帝マクシミリアン・ヨーゼフ1世)に与する有力な貴族家に無実の罪を着せ、当主の処刑や追放などを行い始めた。

 

 その結果、帝国政界は、いわゆる「暗赤色の六年間」と称される、陰謀・暗殺・テロが横行する混乱状態に陥り、それは慈愛帝、百日帝グスタフ、そして晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の治世に至るまで続いた。

 

 晴眼帝に仕えた貴族の一部は、この混乱状態を招いた一因は、支配者層たる貴族の腐敗だと指摘。彼らは、多くの貴族は自家や一門の利益を優先して、時の皇帝に阿り、皇祖ルドルフ大帝陛下が定めた「大帝遺訓」(第11章で詳述)に背き、帝国全体の公益を顧みなかった。その結果、叛徒達の軍(同盟軍)を目の当たりにしても、目先の権力闘争に囚われ、帝国と皇帝のために団結する事が出来なかったのだと主張した。

 

 彼らは自らを開明派貴族と称し、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世と、司法尚書オスヴァルト・フォン・ミュンツァー伯爵を理想の君臣関係として称揚。貴族は皇帝陛下に忠誠を誓い、各々の地位と職能を尽くし、臣民を善導して、帝国の発展に尽くすべきだとした。

 

 対して、旧来の貴族たちは、開明派は人類社会の支配者階級たる帝国貴族の団結と連帯を阻害し、貴族の伝統を破壊する異端者だと批判した。また、彼ら開明派も一枚岩という訳ではなく、同盟という外敵を認めて、共和主義にも理解を示す寛容派、貴族制度自体を不合理、廃止すべきものと主張する平民派(過激派)などが派生し、彼らは時として互いに批判しあい、旧帝国末期に至るまで、彼ら開明派は貴族社会中の少数派ではあったが、帝国騎士を中心とする下級貴族、また台頭してきた富裕平民からの支持を集めて、政界・官界の中では、一定の影響力を発揮していた。

 

 そして、開祖ラインハルト陛下が旧帝国の実権を掌握すると、多くの開明派貴族を登用。新帝国の初代尚書中、ブラッケ子爵家、オーベルシュタイン男爵家、リヒター男爵家、そしてシルヴァーベルヒ帝国騎士家と、著名な開明派4家の当主が就任している。

 

 彼らの登用は、その思想と力量を活用して、民生重視の政治を実現するためだったが、貴族たちの権力基盤とも言える一門を破壊する事も狙いだった。皇帝にのみ忠誠を誓い、貴族同士の結びつきを重視しない開明派の姿勢は、皇帝親政を行うラインハルト陛下の姿勢と非常に相性が良く、さらに誕生間もない新帝国の皇帝権を確立する上でも、一門関係を重視する旧来の貴族を重用する事は出来なかった。この点を見抜き、開明派の登用を進言したのは、自身も開明派たる故オーベルシュタイン元帥であった。

 



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第6節 枢密院という組織

 一門を形成した貴族達は、その勢力を背景に権力闘争を繰り広げたが、その主舞台となったのが「枢密院」という組織である。皮肉な視点を持つ者から「優雅なる戦場」とも評された枢密院制度について述べたい。

 

 枢密院とは、帝国政府と領主貴族たちとの利害調整、また政策協議の場として設けられた。貴族領内の政治には、例え皇帝でも直接介入する事は出来なかったため、皇帝直轄領と貴族領双方に影響がある政策、例えば直轄領と貴族領を横断する新規航路の開設を政府が計画した時、関係する貴族達の同意は得られるのか、貴族領内の既存航路と干渉しないか、また干渉する場合、当該貴族への補償はどうするのか、開設後の維持管理で、貴族領内に管理設備を設ける必要がある場合、管理責任は誰が負い、管理費用の分担割合はどうするのか…など、権利関係から実務に至るまで、大小様々な問題が発生した。

 

 本来、このような問題を処理するため、帝国政府と領主貴族との調整機関として、国務省第二調整局が設けられていたが、面子を重んじる貴族達にとって、現場レベルの些末事であればともかく、自領の支配権にも関わる内容であれば、国務省の官僚などと直接協議するのは家名に傷がつく、皇帝や尚書と話をしたいと主張する者が多く、政策実施の上で、トラブルが頻発していた。

 事態を憂慮した国務尚書ヘルマン・フォン・ハーン伯爵は、帝国政府と領主貴族とが公式に協議する場を設けるべきと、ルドルフに進言。御前会議での検討を経て、帝国暦27年、枢密院が発足した。

 

 発足当時の枢密院は、既に解散した帝国議会を範とし、当時の領主貴族から300名を選抜、皇帝が彼らを枢密院議員に任命した。議員の任期は終身で、その地位は皇帝が罷免もしくは自ら辞任しない限り、保証されるものとした。

 枢密院の長たる議長は、全議員の互選によって選出されて、任期は4年だが、再選は可能だった。帝国政界で枢密院の存在感が高まると、枢密院議長の職は、領主貴族にとって、最も名誉ある地位と見なされるようになった。

 また、死去等の理由により議員に欠員が生じた場合は、領主貴族から候補者を募り、その者が枢密院議員10名以上の推薦を得て、かつ3分の2以上の議員が賛成すれば、皇帝の勅許を経て、新議員に就任できた。なお、領地を所有していても、政府や軍に官職を得ている文官・武官貴族は就任する事が出来なかった。

 

 枢密院の組織は、最高議決機関である「総会」と、政府の各省に対応した「分会」とで構成。議員は必ず1つの分会に所属する事を義務づけられて、国務省第二調整局では結論が出なかった各種問題を審議。必要があれば関係する貴族や、各省尚書ほか政府職員を参考人として招致できた。分会の結論は全議員が出席する総会に上程され、採決の結果、可決された内容が皇帝に上奏される。皇帝は枢密院の結論を最大限尊重し、行政を執行する責務を有するが、同時に拒否権も保有しており、皇帝が拒否権を発動した内容は、枢密院で再審議される。

 また、政府から付託された問題の審議のほか、例えば従臣の不当な解雇や、領民を過度に処罰する等、領主貴族として相応しくない行為を行った者に対し、是正勧告または弾劾する事もあった。

 

 この他、貴族を対象とする上級裁判所と専任の捜査機関を併設。貴族が犯した犯罪等を捜査し、枢密院で立件すべきとの結論が出た場合、同院議長を裁判長、各分会の長を裁判員として、判決を下した。実務職員は司法省と内務省から出向させた。また、枢密院の諸般事務を処理する事務局を置いて、事務総長は議員の中から選任、局次長以下は国務省第二調整局からの出向だった。

 

 このように、官職を持たない領主貴族達の意思を政治に反映させる組織として発足した枢密院は、面子を重んじる貴族達の自尊心を満足させて、かつ問題の審議を通じ、自分達の意思を皇帝に上奏する事で、支配者階級の責務も全うできると、好評を以て受け入れられた。

 議会制度を否定して生まれた貴族制度を円滑に運用するため、当の議会制度に範を求めた枢密院を設ける必要があったというのは、誠に皮肉な事態ではあったが、或いは政体に関わらず、自分の意見を表明したい、自己の意思を実現させたいと願う、社会的動物たる人間の根源的欲求の表れ、なのかもしれない。

 

 仮想的議会たる枢密院は、その悪徳もまた、議会と共通していた。問題解決を名目にして、自家に利益が得られるよう、貴族達が政府要人や他家の当主達と談合、取引する場でもあった。前述の航路問題を例に取れば、新設航路が既存の航路と干渉すると申し立て、政府から1帝国マルクでも多く補償料を得られるように、政府要人と裏交渉するのは当然で、或いは関係する他家の意見を取りまとめる代わりに、政府から裏金を引き出すなど、フィクサー的動きをする議員もいた。

 

 また、領主貴族として相応しくない行為をした者を弾劾できる権限を濫用し、自身の政敵たる貴族が従臣や領民たちを不当に処刑しているなどと言い、相手を貶める者もいた。この他、有力な領主貴族は、一門を形成する貴族家を議員に立候補させ、党首としての立場を利用し、総会や分会の結論が自家に有利になるように、賛否の意思表示を強制した。前述した通り、一門が政党や派閥としての機能を果たすようにもなってきたのだ。

 

 時代が下り、領主貴族の勢力が伸張すると、それに比例して、帝国政界での枢密院の存在感も増してきた。一例を挙げると、帝国暦124年、権臣エックハルトを誅殺したリスナー男爵の背後には、経済的利権を巡りエックハルトと競合関係にあった、当時の枢密院議長カストロプ公クレメンスの存在と、枢密院議員の総意があったと言われている。 

 政府や軍を主導する文官・武官貴族たち、ひいては皇帝にとってさえも、枢密院は無視できない存在だった。旧帝国政界の歴史は、皇帝・文官貴族・武官貴族・枢密院(領主貴族)、彼らの闘争の歴史だったとも言えるのだ。本書でも、新史料等から得られた知見に基づき、その歴史を描き出したいと思っている。

 

 なお余談ながら、旧帝国末期、リップシュタット盟約の盟主となったブラウンシュヴァイク公オットーは枢密院議長、リッテンハイム候ウィルヘルムは同副議長を務めていた。盟約の締結がスムーズに行われたのは、枢密院の活動を通じて、両家が平素より談合や交渉を繰り返し、各貴族家の事情を熟知していたから、でもあった。



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第7節 貴族の義務

 これまでは、主として制度面から見た貴族を解説してきたが、次は貴族が持つ権利と義務から、個人としての貴族は何を望まれていたのか、その点を述べてみたい。まず、貴族の義務について解説する。

 

 1.自家を維持する義務

 後継者を儲けて、子々孫々に至るまで、家を維持する。

 

 2.自身を錬磨する義務

 帝室の藩屏となり、皇帝と帝国を守護できる存在となるため、日々、自己の能力を錬磨し、人格・識見を陶冶して、心身ともに強健となって、臣民の範となる。

 

 3.子弟を教育する義務

 後継者を含む子弟に対し、貴族に相応しい教養と能力を身に付けさせるため、必要な教育を施す。

 

 4.支配者階級たる義務

 人類社会を正当に統治する帝国の支配者階級として、課せられた責務を全うする。政府や軍への出仕、また領地経営など、各人の立場で、平素より帝国の維持・発展に尽力する。

 

 5.従臣らを保護する義務

 従臣や領民など、自身の保護監督下にある者たちの生命と財産を守り、生計が成り立つように配慮する。

 

 以上のように、帝国の支配者階級としての責務を自覚して、常に努力する事が求められている。後世、貴族は平民から搾取して、労働もせず、遊んで暮らしていたというイメージが蔓延しているが、そのような貴族はむしろ例外で、貴族たるの体面を維持するためにも、平民以上の努力を強いられる場合がほとんどだった。

 

 公職にある者なら、課せられた業務を全うする事は当然、業務内容を向上させるための勉学も日々行っていた。また、病休は恥ずべき事だったので、心身ともに健康を維持するため、必要な運動を行い、節度と規律ある生活習慣が求められた。

 

 領主貴族はさらに過酷で、日々の勉学や健康維持に加えて、雇用している従臣や領民の生活にも配慮しなければならなかった。これは貴族女性も例外ではない。男性と異なり、公職に就く事、領地経営に責任を負う事は、自身が貴族家の当主でない限り、まず無かったが、貴族家同士の交際は女性が中心だったので、礼儀作法を始め、貴族に相応しい知識や教養、各種技能は男性以上の水準で習得しなければならなかった。

 

 怠惰に流れる、交際を怠る貴族も存在しない訳ではなかったが、貴族社会から排斥され、居場所を失うのみならず、皇帝もしくは枢密院議長が厳格な性格であれば、最悪、貴族身分の剥奪を宣告されかねなかった。

 

 この厳しさは、後継者を含む子弟への教育にも当然、反映された。特に、爵位持ち貴族は、自邸に家庭教師を招聘して、子弟に教育を施す事が常識だったが、学校現場のように、大勢の子供達と比較されて評価が決まるのではなく、ただ当主の求める水準に達するか否か、それだけが評価基準だった。そのため、非常なスパルタ教育になりがちで、教育内容について行けない者の中には、失踪や精神異常、不幸にも自殺した例さえあった。

 

 換言すれば、これほど苛烈な教育環境で育った者達は、人格はともかく、極めて高い能力の持ち主であって、彼らが集まった政府や軍当局など、公的機関の生産性は非常に高い水準にあった、人口規模と比較して、支配者階級たる貴族家の数が極端に少ないにも関わらず、強権的ではあるが、スムーズな統治が行われていた原因は、中堅の職員・軍人の人材供給源だった家士・従士らの存在に加えて、貴族達の能力の高さも、その要因だった。

 

 そして、高い能力を持つ子弟の中から、後継者に最も相応しい人物を選び、次代の当主とする。そして、その者も同様に、子弟を教育し、自身の後継者を選定する…その繰り返しで、家を子々孫々に至るまで、永遠に維持していく、これが貴族たる者の最大の責務とされた。



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第8節 貴族の権利

 義務に続いて、貴族の権利について述べたい。

 

 1.年金受給権

 爵位に応じて、終身年金が支給される。また、官位や功績によって加算される事もしばしば行われた。家計を維持するための労働から解放し、公的な責務に集中できるようにするため。なお、帝国騎士には、年金の代わりに高利率の債券が支給された。

 

 2.領地経営権

 皇帝から与えられた領地を経営し、利益を上げる事が出来る。ただし、全ての貴族が領地を保有していた訳ではない。また、文官・武官貴族は、恩賞として領地を与えられても、その経営は政府に委託し、税収等だけを受け取る者が大多数だった。また、未開発惑星を開拓すれば、皇帝の勅許を得て、その星を自領とする事も出来た。

 

 3.経済活動権

 企業を設立する、また企業への投資を行うなど、経済活動を行う事が出来る。平民は企業に就職し、労働する事は出来るが、自ら企業を設立する事は出来ない。

 ただし、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の御代、同帝は平民層の育成による国力回復を目指して、経済活動権が一部、平民にも付与された。特定の業種に限り、平民の自営業者も認められるようになったが、その場合でも、特定の貴族家の傘下に入るか、政府が定める同業者組合に所属する必要があった。

 なお、貴族家が経営する企業は、政府が経営する国営企業に対して、公営企業と称された。公営企業は財務省投資局の審査を受けた上で、帝国銀行から融資を受ける事が出来た。

 

 4.免税権

 貴族の所得と資産は非課税とされた。ただし、時代が下り、帝国財政が逼迫するようになると、分家の男爵家や帝国騎士などは、無条件では免税権を認められず、特別の功績を挙げた等の理由で、皇帝から免税の勅書を得る必要があった。

 また、帝国末期に至ると、経済的に成功した帝国騎士らが零落した貴族家と縁組して、その家名を得る事例が見られたが、これは免税権を入手するための「裏技」だった。ゴシップめくが、故ロイエンタール元帥の父親が、零落したマールバッハ伯爵家に近づいたのも、当初は免税特権が目的だったのではないかと見られている。

 

 5.就職・就学の優先権

 公立学校であれば、貴族枠で優先的に入学できた。また、政府機関や軍への就職を望んだ場合、平民よりも優先して採用された。ただし、形式的にでも試験を受ける必要はあった。また、無能や怠惰で成果を挙げられない時は、臣民の手本たるべき貴族にあるまじき奴だと、周囲の貴族達から軽侮されるので、大部分の貴族は勉学と労働に励むのが普通だった。

 

 6.不逮捕権

 内務省管轄の治安警察からは逮捕されない。爵位持ち貴族を逮捕できたのは、枢密院設置の上級裁判所が発行した逮捕状を有した、同裁判所併設の捜査機関職員のみ。なお、軍隊内での事件であれば、憲兵隊にも逮捕権限はあった。ちなみに、貴族の犯罪は、他の貴族からの通報で発覚する事がほとんどだった。

 

 7.従臣の雇用権

 雇用契約による労使関係とは異なり、忠誠誓約によって、子々孫々まで仕える従臣を雇用できる。一度雇用したら、特段の理由が無い限り、原則として解雇は出来ない。不当な解雇は貴族として恥ずべき行為だと見なされ、枢密院の弾劾対象ともなった。

 

 8.懲罰権

 従臣や領民を殺害、傷害しても、法的な罪には問われない。彼らは仕える貴族の支配、監督下にあると見なされたので、懲罰権の正当な行使とされた。ただし、不当または過度に処罰すると、枢密院の弾劾対象にもなった上、不当処罰の結果、従臣や領民の逃亡を招くと、統治能力欠如と見なされ、最悪、領地の削減、没収という事態を惹起する可能性もあった。

 そのため、同盟での定説とは異なり、大部分の貴族は必要以上の暴力を行使しなかった。悪名高いヴェスターラントへの核攻撃は例外中の例外であり、また首謀者のブラウンシュヴァイク公オットーが枢密院議長で、何をしても弾劾される事は無い、という計算もあったと思われる。平民らの離反は、そもそも考慮できていなかった。

 

 9.私兵保有権

 爵位、そして領地の広さによる制限はあったが、私兵を抱える事が出来る。なお、帝国暦438年の「分国令」で、私兵の上限が撤廃された結果、正規軍に匹敵する規模の私兵を抱える貴族も出てきた。

 

 以上が明文化された権利だが、この他にも慣習的に認められていた権利がある。例えば仇討ちや名誉回復のため、相手に決闘(私闘)を申し込むことが出来る「決闘権」もその1つだ。

 

 決闘という前近代的な行為が何故、貴族の間で行われるようになったのかは諸説あるが、有力な説の1つに、建国期、ある武官貴族が戦略的判断として撤退を決断したのに、帝国貴族にあるまじき臆病者よと、周囲の貴族に嘲笑された事に激高し、自身の勇敢さを証明すると宣言。嘲笑した相手と一対一で戦い、重傷を負いながらも、相手を殺害してしまった。その話を聞いたルドルフが「自身の名誉や信念のために命を懸ける、まさに帝国人の精華である」と嘉賞し、決闘を申し込んだ貴族へ恩賞を与えた事に端を発する、というものがある。

 

 現時点では、この逸話が記録された史料は発見されてはいないが、ルドルフの書簡等にも、貴族が決闘を行った事に関する記述は散見されるので、貴族制度の創設時から決闘が始まっていた事は確かなようだ。建国期の荒々しい気風から生まれた風習だったのでは、と思われる。

 

 決闘が貴族同士の慣習として定着した後は、申し込むべき状況にありながらも、敢えて申し込まない貴族は、誇りを失った臆病者だと軽侮の対象になった。しかし、優秀な人材が決闘で失われる事を憂慮した皇帝、止血帝エーリッヒ2世や晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世らは、決闘を忌むべき悪習として禁止する詔書を出している。その影響もあってか、帝国後期に至ると、当事者に代わって決闘代理人を立てる事が通例化した。

 

 さて、列挙した権利について言えば、私兵を保有できる、従臣や領民らに懲罰を与えられるなど、軍事・司法に関する特権を別にすれば、ほぼ経済的特権だけと言って良い。

 同盟では、平民の労働の成果を不当に搾取するものだとして、不公正な特権を無批判に享受する貴族達は、存在自体が害悪だと非難されていた。同様の非難は、旧帝国でも下級貴族や平民、また一部の開明派貴族から出されていたが、新史料を分析した結果、これらの経済的特権は、それ相応の理由があって付与された事が分かってきた。ルドルフが第二代の財務尚書クロプシュトックに与えた書簡に、以下の文言が見られる。

 

「…ところで、貴族に与える年金の予定額についてだが、卿の主張にも一理あると思ってはいる。例えば、伯爵位への年金額は、連邦の水準で言えば、主要な多星系企業社長の平均年収に匹敵する金額を想定している。確かに財務尚書として、帝国財政を預かる立場の卿が懸念するのも理解できるが、この点は余の主張を認めてくれ。

 

 卿は知らぬかもしれぬが、西暦時代、古代シナで興味深い制度があったのだ。余も古代地球史にそれほど造詣が深い訳ではないのだが、ダイチンなる帝国の第5代皇帝が高級官僚の汚職防止のため、基本給の100倍近い額を別途支給する制度を設けたという。その皇帝いわく、俸給が安いから、不足分を補おうと、官僚たちが汚職に走るのだ。ならば、十分過ぎるほどの俸給を与えてやれば、収入の不足は無くなり、汚職をする必要も無くなるはずだと言い、その制度に「廉潔を養うための金」という意味の名を与えた、との事だ。

 

 質の悪い冗談を言っている訳ではない。余自身、莫大な金を与えて、汚職が無くなるとは思わぬし、現に無くなりはしなかった。当の皇帝も思ってはいなかっただろう。想像するに、ダイチンの皇帝は、汚職の構造化と、罪悪感の消失を恐れたのではないか、と思うのだ。

 

 余も実体験から痛感するが、高位高官になるほど、政治活動には金がかかる。人と会って話をするだけでも、場所代や飲食費がかかる。人を雇う、建物を借りるなどすれば、その金額は一気に跳ね上がる。そう言えば、旧連邦時代、財界人の卿には、金の事で色々と無理を言ってしまったな。今さらだが、卿の苦心に謝意を。

 

 収入が少なく、支出が多ければ、その差額を埋め合わる必要が生じる。その手段として、自己の権限を換金する事が汚職と呼ばれる訳だが、それが常態化すれば、不正に金品を収奪しなければ政治が出来なくなり、政治行為の中に汚職が組み込まれ、構造化されてしまう。

 

 すると、汚職は必要悪と化し、当初は罪の意識を感じていた者達も、次第に罪悪感を覚えずに、汚職を繰り返すだろう。余はそれが恐ろしい。法と倫理を犯す事に罪の意識を持たなくなった支配者など、制度化された盗賊と言うべきではないか。余は、卿らに破廉恥漢になって欲しくはないのだ。

 

 貴族たる卿に言うべき事ではないが、主権者たる余にとって、判断材料の1つになると思っている。十分な金を与えているにも関わらず、汚職に走る者がいれば、それはただ私欲を満たすための行為だと断じる事が出来よう。そんな者には、支配者たるの資格無しと、ただ罰を与えれば良いのだ。

 

 また、これは余の政治哲学でもあるのだが、政治を司る者は、生活の資を得るための労働から解放されるべきなのだ。自己保存は人間の根源的欲求の1つであり、現代の如き高度な産業化社会においては、生活の資を得るための日々の労働が即ち、自己保存に繋がっている。公務たる政治を行う者が、同時に日々の労働をも行わねばならないとしたら、同一人物の中で、後者の比重が大きくなる事は避けられない。それは、人間の根源的欲求に基づく衝動だからだ。これは過去の歴史から証明可能な事実でもある。

 

 古代地球、ギリシャという地方は、民主主義発祥の地にして、市民による善政が行われていたと、共和主義者どもが神聖視しているそうだ。余も調べた事があるが、成程ギリシャの民主制は上手く機能していた。しかし、有権者たる市民は奴隷を持ち、日々の労働は奴隷に担わせていた。

 

 一方、ギリシャよりもはるかに進歩していただろう銀河連邦はどうか。余と卿も直接体験したものだが、市民は政治に関心を持たず、政治家に対して、非生産的な不平不満をぶつけるか、個人的な要求を垂れ流すだけだった。ギリシャの市民が有していたであろう、理性ある思索や判断など無かった。それも当然だろう、彼らにとり、連邦社会の将来などよりも、仕事上の難題や職場の揉め事の方が重要で、社会の事を真摯に考える余裕などなかったのだから。

 

 ましてや、人口僅か数千、数万程度のギリシャ国家に比して、銀河連邦の人口は約3000億。比較するのも疎かと言うべき懸隔がある。片手間で政治を行える規模では無かったのに、一般市民というアマチュアに、日々の労働の片手間で政治的判断を求めても、上手く機能するはずがないのだ。政治という公務に専心するためには、経済的基盤は絶対に必要だと確信する根拠がここにある。

 

 また、余は思うのだ、金を使わない政治は、善悪どちらの方向であっても、力を発揮できないと。人類が「金」という概念を発明した直後から、金は単なる価値尺度ではなくなり、人間が持つ欲望の象徴となり、更には主客が転倒し、人間が金を使うのではなく、金に人間が使われる事態にさえ至った。即ち、金には人を動かせる力が備わったという事、そして、政治とは将に人を動かす営為に他ならない。カリスマと言うのか、金に拠らずして人を動かせる力を持つ者は稀にいる。しかし、そんな者は歴史上の奇跡に近い。卿ら貴族は、余が認めた優秀な人材だが、それでも奇跡的存在ではない。数千年に亘る人類史から見れば、余も卿らも区々たる存在に過ぎぬ。ならばこそ、政治を司る者として、人を動かせる確実な力を手に入れるべきなのだ。即ち、金という力を。

 

 だが、本音では、このような事は言いたくない。余は金以上の価値基準があると信じているし、また余自身、金に左右される人間にだけはなりたくないと、青年期から念願してきた。しかし、数十年に及ぶ政治家経験は、現世の人間はほぼ例外なく、金に動かされる存在なのだという現実を教えてくれた。余は責任ある為政者として、現実に則った制度を作るしかない。故に、我が帝国の、ひいては全人類社会の支配者たるべき卿ら貴族には、金という力を身につけ、力ある政治を遂行して欲しいと願う。そして、金という、この忌まわしき怪物を人の力で制御して欲しいのだ。そのために、経済活動を卿ら貴族のみが行える特権にしたいと考えている。この件は国務尚書、学芸尚書、宮内尚書も交えて、近いうちに協議したい。詳細は後日連絡させる」

 

 政治を司る者は、生活の資を得るための労働から解放されるべき、とのルドルフの信念、政治哲学に基づき、貴族に経済的特権が与えられた事が分かる。それは、彼らを公人、支配者として純化するための措置だったとも言えるだろう。後世の歴史を見ると、必ずしもルドルフが望んだ方向には進まなかったが、制度の理念としては、特権階級を作り、彼らに富を貪らせる事が目的では無かったのだ。

 

 また、ルドルフが金を「忌まわしき怪物」と、否定的に捉えているのは興味深い。連邦の政治家時代、主要な企業の国営化を断行した時から、ルドルフは一貫して、過度の利潤追求が人間疎外を齎す事を嫌っていた。帝国建国後も、統制経済を実施していたが、経済活動を貴族達の特権とするのが、ルドルフの経済政策の帰結だったと言える。この点は、約500年に亘る帝国経済体制の根幹に関わる部分なので、次章で詳述したい。

 

 最後に、ルドルフが即位後に任命した初代の各省尚書は全員、爵位持ち貴族に列せられたが、彼らの経歴と活動を題材に、建国期の貴族達の具体的な姿を描いて、本章を終わりたい。



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第9節 初代尚書列伝

 まず、初代の各省尚書を以下に列挙する。括弧内は貴族制施行後に与えられた爵位と、連邦時代の職業と地位。

 

 国務尚書 ヘルマン・ハーン(伯爵。連邦議会下院議員、連邦政府副首相兼国務大臣)

 軍務尚書 エリアス・シュタウフェン(公爵。連邦軍人、連邦軍中央艦隊司令長官)

 財務尚書 ゲオルグ・リヒテンラーデ(子爵。財務官僚、連邦政府財務省次官)

 内務尚書 エルンスト・ファルストロング(伯爵。元連邦軍人、連邦政府警察大臣)

 国土尚書 ギュンター・ゲルラッハ(子爵。元企業経営者、連邦政府国土開発公社総裁)

 司法尚書 ライナー・キールマンゼク(伯爵。検事、連邦政府検察庁検事総長)

 学芸尚書 エドゥアルト・ランケ(子爵。社会学者、国立テオリア大学社会学部長)

 科学尚書 フォルクハルト・ハイゼンベルク(伯爵。科学者、連邦政府科学技術庁長官)

 宮内尚書 マルクス・ノイラート(子爵。政治家、ペデルギウス星系政府首相代行)

 書記官長 アルブレヒト・クロプシュトック(伯爵。連邦議会下院議員、国家革新同盟書記長)

 

 軍務尚書シュタウフェン公爵が武官貴族になった以外は、全員が文官貴族となった。彼らの中で内務尚書ファルストロング伯爵と書記官長クロプシュトック伯爵、そして宮内尚書ノイラート子爵の3名は、ルドルフがペデルギウス政界で活動していた時からの部下で、それ以外は連邦政府で頭角を現した後の部下だった。また、国務尚書ハーン伯爵と内務尚書ファルストロング伯爵、科学尚書ハイゼンベルク子爵の3名が、連邦政府の閣僚から横滑りしている。

 

 彼らは無能と怠惰を嫌悪したルドルフに見込まれただけあって、全員、有能かつ勤勉な人物だったが、同時に癖の強い人物でもあった。時にはルドルフの意向にさえも逆らうなど、後世に想像されたように、単なるイエスマンではなく、新国家を建設する気概に溢れた者達でもあった。彼らの多くは、後の帝国政界で、政治家・官僚の亀鑑とされて、長く顕彰されている。それは先祖を高める事で、その子孫たる自分達の存在価値を高める手段でもあったのだろうが、公開された新史料を読み込んでいくと、彼らがそうされるに相応しい人物であった事も分かってきた。

 

 以下、各尚書ごとに、その業績や為人をまとめてみた。また、読者諸氏の興味を喚起するため、各人の子孫の動向についても、紙幅の許す限り記述している。彼らの中には、旧帝国末期まで先祖の血統を繋ぎ、新帝国に影響を及ぼした人物もいる。現代にまで続く建国期の息吹を感じて頂ければ幸いである。



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9-1:軍務尚書シュタウフェン公爵

 優秀な人物ぞろいの尚書達の中でも、能吏という点では、軍務尚書シュタウフェンと財務尚書リヒテンラーデが双璧と言えるだろう。

 ルドルフの義父でもあるシュタウフェンは、連邦軍人時代から軍官僚として令名を馳せ、ルドルフが国防大臣として初入閣すると、同省次官に抜擢されている。ルドルフが終身執政官に就任すると、帝国の建国を見据えて、連邦軍の中核を掌握するため、軍官僚でありながら、連邦軍中央艦隊司令長官に着任。建国時に大きな混乱が生じなかったのは、大兵力を指揮下に置いていたシュタウフェンの存在が大きかった。

 

 帝国建国後は、連邦軍とルドルフ派の民間軍事会社の寄り合い所帯でしかない帝国軍の再編成という大事業に着手。卓越した行政処理能力を発揮し、僅か数年で辺境域の独立国家群とも互角に戦える軍隊を生み出した。その成果は、帝国暦9年、統帥本部総長リスナー大将が指揮する帝国軍中央艦隊が、当時最強の軍事力を誇っていたカストル・ポルックス攻守連合軍を破ったトラーバッハ星域会戦で表れている。

 

 旧帝国軍の「建軍の父」と言えるシュタウフェンだが、エリート特有の傲岸不遜な為人で、無能者を嫌悪する事にかけては、ルドルフ以上だった。その反面、相手の優れた能力は率直に認めて、評価できる度量を持ってもいた。その好例が初代の統帥本部総長リスナー大将で、軍政経験の無いリスナーに、新組織たる統帥本部の長が務まる訳は無いと就任前は見下していたが、就任後、その知性と能力、職務への精励、自身への礼儀正しさなどから評価を改め、後継者に擬していた孫のヨアヒムをその麾下に預けるほど信頼するようになった。

 

 義理の息子にして、主君たるルドルフには忠誠を誓っていたようだが、同時に皇后エリザベートの父、外戚として、自家の勢力拡大に余念が無い、強かな政治家でもあったシュタウフェンは、自身の部下を貴族に、または従臣に取り立て、軍務省や内務省、また帝国軍の要職に就けて、一大派閥を築いていった。

 

 寵姫マグダレーナの一件で示されたように、彼らシュタウフェン派は、皇孫ジギスムントの擁立を目指して結束。ルドルフ崩御後、帝国の混乱と崩壊を予想していた共和主義者らの予想に反して、強堅帝ジギスムント1世の治世が安定し、共和主義者の叛乱を撃砕できたのは、シュタウフェンの孫にして後継者、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの指導力もさる事ながら、政府や軍を掌握していたシュタウフェン派の存在も大きかった。

 

 シュタウフェン自身も、曾孫ジギスムントの即位を心密かに熱望していたが、帝国暦24年、ジギスムントの立太子式が挙行されると、安堵のため緊張の糸が切れたのか、翌25年、老衰のため死去。その葬儀は、旧帝国史上初となる帝国軍葬の礼を以て執り行われ、かつ帝国軍人初の元帥号を追贈された。

 

 なお、シュタウフェン家は家祖エリアス死後、その孫にて大帝ルドルフの婿、強堅帝ジギスムント1世の父となったヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンが継承。帝国軍を始めとして、軍務省・内務省等を掌握するシュタウフェン派の領袖、帝国最大の権門として権勢を振るったが、その栄耀栄華も長くは続かなかった。

 

 帝国暦100年代、喪心帝オトフリート1世の御代、同帝を傀儡化して、準皇帝陛下と称された権臣エックハルトとの権力闘争に敗れ、領主貴族に転身している。詳しくは喪心帝の巻で述べたいが、当時、帝国の支配が安定して、貴族達が豪奢な生活を希求し始めると、大手企業を経営する文官または領主貴族、彼らと癒着した経済官僚らの発言力が大きくなり、軍や社会秩序維持局などの武力組織を基盤とする、ノイエ・シュタウフェン家の如き武官貴族の影響力は相対的に低下。当時の貴族社会では軍人や警官を「野蛮人」と卑しむ風潮さえあったと云う。

 

 帝都での権力闘争に敗れて、後世、イゼルローン回廊と称される星域に近い、辺境域の領地を与えられた同家だが、この一帯は帝国建国時、最大の武力を誇った攻守連合の故地でもあり、反帝国の気風が強い場所だった。また、当時の領主貴族社会の中では、かつての敵国、経済共同体最後の総裁だったマクシミリアンを家祖とするカストロプ公爵家が盟主的存在で、領主としては後発のノイエ・シュタウフェン家が入り込む余地は乏しかった。 

 

 この後、帝国の公式記録の中に、同家に関する記述はほぼ皆無となる。同家の存在が再び取り上げられたのは滅亡時、健軍帝フリードリヒ1世の御代、ノイエ・シュタウフェン公爵家は、ルドルフ大帝以来の名門貴族にも関わらず、流血帝アウグスト2世の暴虐を看過し、止血帝エーリッヒ2世の革命戦にも参加しなかった、まさに帝室に異心ありとして、大逆罪により爵位没収、族滅とされた。私兵を率いて抵抗した同家だが、フリードリヒ1世が派遣した遠征軍に敗北、まさに炎と血の中に滅んだ。

 

 ただ、大逆罪の容疑はあくまで名目に過ぎず、ノイエ・シュタウフェン家が討伐された本当の理由は、同家がイゼルローン方面に向かって密かに深宇宙探査をしており、周辺星域にある中小の領主貴族、そして攻守連合の残党さえも巻き込み、半独立の一大勢力を築いていたから、との見解がある。

 

 前述の通り、筆者は自由惑星同盟を建国したのは、辺境域の領主貴族らが密かに派遣した、深宇宙探査を目的とする農奴・奴隷達だったのではないか、との見解を有しているが、ノイエ・シュタウフェン家が滅ぼされた真の理由が上述の通りだったならば、筆者の見解を補強する有力な傍証となるだろう。残念ながら同家に関する史料は乏しいのだが、新帝国の開闢に伴い、辺境域の領主貴族が保有していた文書等も公開と研究が進み始めた。帝国側史料から同盟建国時の実情を解明する事は、筆者の主要な研究テーマでもあるので、更なる研究を期したいと思っている。



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9-2:財務尚書リヒテンラーデ子爵

 軍務尚書シュタウフェンが政治的力量にも恵まれた能吏ならば、財務尚書リヒテンラーデは骨の髄まで官僚、ただ能吏だとしか表現できない人物だった。

 

 銀河連邦の首都テオリアで裕福な家庭に生まれたリヒテンラーデは、幼少期から神童の名を恣にした天才だった。国立テオリア大学経済学部を首席で卒業すると、連邦政府財務省に入省。財務官僚としては主に主計畑を歩んで、政府予算案の編成に携わる。

 また、国家経済に関する豊富な知識を見込まれ、経済産業省へも出向した。当時から切れ者、敏腕官僚と評され、周囲からは半ば畏敬、半ば揶揄で「人の皮を被ったコンピュータ」とも綽名された。実際、無言無表情で、膨大な予算書を輪転機並みの速度で読みこなしていく姿は、人間以外の何かを想像させるに足るものだった。

 

 ルドルフの目に留まったのは、連邦下院議会での答弁が契機だった。当時、野党・国家革新同盟の党首として、政府予算案への質疑を行ったルドルフに対し、財務官僚として答弁に立ったリヒテンラーデは、論理的かつ堂々とした答弁でルドルフを圧倒。事前通告が無かった質問にさえも、立板に水を流すが如く、明確に回答した。野党議員としては面子を潰されたが、その能力と見識に感嘆もしたルドルフは、密かにリヒテンラーデに接触、連邦の実権を握りたいという自身の野心を打ち明け、協力を求めた。

 

 リヒテンラーデ自身、連邦の将来に見切りをつけていた事、ルドルフが掲げる統制経済に興味を持った事、そしてルドルフの持つカリスマ性に惹かれた事で、財政・経済分野のブレーンとなる事を承諾した。後年、首相に就任したルドルフが主要企業の国営化、業界ごとに各企業の統合と系列化を断行すると発表した時、財務省・経済産業省内のルドルフ派官僚を糾合し、政策の実務を処理したのは、経済産業省経済局長に出向していたリヒテンラーデだった。

 

 終身執政官に就任して、連邦政府の実権を掌握したルドルフは、リヒテンラーデを財務または経済産業大臣に任命しようとしたが、当人は「大臣になれば、閣議への出席など無駄な事をしなければならなくなります。私は仕事をしたいので、申し訳ないが辞退致します」と、剛腹なルドルフも思わず鼻白む理由で、官僚に留まった。

 

 帝国建国後、初代の財務尚書に就任したリヒテンラーデだったが、その姿勢は変わらず、ルドルフ主催の園遊会やパーティーも仕事を理由に欠席するなど、周囲の者たちから「陛下に対して不敬だ」と批判されたが、当のルドルフは「あの者は仕事という病に憑りつかれておる。病人を責めても仕方あるまい。余も仕事人間だという自覚はあるが、リヒテンラーデには到底及ばん」と、半ば苦笑気味に庇うのが常だった。

 

 旧帝国の官界では、その能力と職務への精励さから、官僚の鑑と称えられたリヒテンラーデだが、同時代人の評価はやや異なる。初代学芸尚書のランケは、当時の政治家や官僚、軍人達の人物評を日記に書き残しているが、リヒテンラーデを「帝国の財政と経済の構築という、巨大なジグソーパズルに興じているだけ」と評している。

 この評価の当否はさておき、人類単一政体における財政制度と経済体制の構築という、未曽有の大事業に取り組んだリヒテンラーデだが、帝国暦10年、心臓発作で急死する。彼の大事業は第2代財務尚書クロプシュトックに受け継がれ、第3代クレーフェの時代に完成を見る事になる。

 

 なお余談ながら、ゲオルグ死去時、未だ貴族制度は創設されていなかったが、帝国暦15年、貴族制度が開始されると、ゲオルグの功績を評価するルドルフの意向で、リヒテンラーデ家には子爵位が与えられた。

 しかし、後継者たる長子マチアスが未だ少年だったため、成人するまでとの条件で、ゲオルグの夫人ロザリンデが一時、爵位を預かり、リヒテンラーデ子爵夫人と称した。これが先例となり、当主死亡時、後継者たる男子が幼い場合は、亡き当主の妻、年長の娘が一時的に爵位を継承する事が出来るようになった。

 

 ちなみに、旧帝国史上、最も女性が活躍した時代と言われる、健軍帝フリードリヒ1世~驕軍帝レオンハルト2世の御代、帝国暦250~300年代に至ると、後継者が成人するまでの代理では無く、当主の娘が正式に後継者となる、または絶家した貴族家を有力貴族の娘や皇帝の寵姫が継ぐなど、終身の当主となる例も出てきた。

 

 ただ、男尊女卑社会である帝国で、公式に娘を後継者指名する事は流石に出来なかったので、他家から適当な男性を婿養子に迎え、然る後に離縁、後継者たる子が不在のために、前当主の娘が爵位を継承する、との手順が取られた。この離縁が前提の婿養子は「一夜夫」と呼ばれ、貴族男性にとって極めて不名誉、後ろ指を指される行為だったが、大抵の場合、元妻から多額の謝礼金が支払われるので、零落した貴族家の男が金目当てで応じる事もあったという。 

 

 閑話休題。成人してリヒテンラーデ子爵家を継承したマチアスは、父譲りの犀利な人物で、財務省に出仕し、財務官僚として各局長を歴任した。

 以降、同家は財務省を基盤とする文官貴族の名家となり、官界における重鎮として帝国末期まで君臨。美麗帝アウグスト1世の御代には、当主ディートハルトの娘エルフリーデが即位前の美麗帝と結婚していたため、同帝が即位すると皇后に立てられた。その結果、同家は侯爵に陞爵している。

 

 なお、エルフリーデは際だった美貌の持ち主では無かったが、美麗帝の母エリザベートと同様、長く美しい髪の持ち主で、聡明で心優しく、芸術や文学、学問にも通暁、楽器の演奏やダンス等はプロ顔負けという才女で、美麗帝は深く寵愛したが、帝国暦180年、急性肺炎のため、美麗帝に先立って死去。同帝は最愛の皇后の死を深く嘆き、晩年、髪の長い女性を集め、異常な行動を繰り返したのは、亡き皇后の面影を求めての事だったとも言われる。

 

 また当時、リヒテンラーデ家には皇后となったエルフリーデ以外に子が産まれず、皇后の実家を絶やしたくない美麗帝の意向で、同帝とエルフリーデとの間に産まれた三男リヒャルトが養子となって、同家を継承している。以降、同家の血筋には帝室の血が混じる事になり、これを誇りとする代々の当主は、帝室の藩屏との意識が強い勤王家となっている。

 

 同家の最後の当主クラウスは周知の如く、亡国帝フリードリヒ4世崩御後、開祖ラインハルト陛下と一時的に結び、ブラウンシュヴァイク公爵・リッテンハイム侯爵を退けて、廃帝エルウィン・ヨーゼフ2世を即位させると、自身は帝国宰相に就任している。

 

 同家が数々の政争や内乱を経ても家門を維持できたのは、財務・経済関係のテクノクラートたる事を家訓とし、時の権力者とは必要以上には近づかず、実務者との姿勢を崩さなかった事による。最後の当主に至り、家訓に背いて、政治的な動きをし過ぎた事が絶家の遠因になったと言えるかもしれないが、建国以来の名家出身で、勤王家でもあるクラウスには、分国令以降の成り上がり者で、高々100年程度の歴史しかない、ブラウンシュヴァイク家やリッテンハイム家などに帝国を私物化させてなるものか!との意識が強すぎたのかもしれない。



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9-3:科学尚書ハイゼンベルク伯爵

 リヒテンラーデほど極端ではないが、同様の人物として、初代科学尚書ハイゼンベルク伯爵がいる。徹底したテクノクラートで、科学技術を社会のために役立てる事を一生の仕事として、自身と自身の部下である科学者・技術者たちを活用してくれるならば、どのような政体だろうが、誰が支配者だろうが、些末な問題だと断言するような人物だった。連邦首相時代のルドルフに、汚職や怠慢とは無縁の性格と、高い能力を買われて、連邦政府科学技術庁長官に抜擢されて以降、連邦最末期から帝国建国期の科学界をリードしていった。

 

 当時の科学省には、尚書たるハイゼンベルク以下、能力と情熱を持つ学者たちが参集して、後世に「科学者の天国」とも称されたほど、良好な研究環境が調えられていた。

 彼らが挙げた業績の中で、特筆すべきはゼッフル粒子発生装置の小型化。連邦時代、応用科学者のカール・ゼッフル博士が発明したゼッフル粒子は、鉱物採掘・土木作業向けに開発されたものではあったが、当時の科学省は発生装置の小型化に成功。これを敵陣に射出し、ビームを撃ち込む事で、防衛線の爆破が容易に行われるようになった。当時の帝国軍が地上戦で勝利を重ねていた背景には、小型化されたゼッフル粒子装置の存在もあった。

 

 科学者として、まず満足できる人生を歩んでいたハイゼンベルクだが、伯爵位を与えられた後、貴族の交際として、パーティーや園遊会に出席する事は、やはり億劫であったようだ。同僚たるリヒテンラーデの如く、仕事を理由に欠席する事は無かったが、パーティー会場でも常に科学の事を考えていたらしく、周囲の人間と会話が成り立たない事もよくあり、周囲からは奇人変人という目で見られる事が多かった。

 

 帝国暦35年、新型核融合炉実験の視察中に発生した事故に巻き込まれて被爆、放射能障害で死去した。学芸尚書ランケは、自身の日記に「科学に殺されたのだから、彼にとっては本望だろう」と書き残している。

 

 なお同家は、家祖フォルクハルトが貴族社会で奇人変人と見られていた事が影響したのか、貴族家としては非主流派、傍流に留まり、権力闘争に関与する事もなく、科学省を支える官僚や科学者、技術者を輩出している。流血帝アウグスト2世の御代、科学技術を濫用して、帝都で化学テロを企図しているとの濡れ衣を着せられて、当主グスタフ以下、一族全員が虐殺され、絶家している。

 

 歴代の同家当主は、家祖を除けば、さして著名な人物もいなかったが、唯一の例外として、文華帝エーリッヒ1世の御代に当主だったブルーノという人物がいる。生前は世間知らずの愚者として、貴族社会で物笑いの種にされたが、現在的視点では後世に非常に大きな影響を与えた人物で、その影響は旧帝国に留まらず、同盟やフェザーン、いや新帝国にさえも、直接間接に伝わったと言えるだろう。

 

 ブルーノは家祖フォルクハルトを尊敬する事著しく、自身も家祖のように、帝国に貢献できる軍事技術を開発したいと念願。幼少時から金に糸目はつけず科学研究に勤しみ、独創的で革新的な軍事技術を模索するあまり、「絶対に陥落しない半永久的に存在可能な軍事基地を作る!」との夢想に取り憑かれ、科学省に研究開発を申請するが、当時はゴールデンバウム朝の黄金期、内乱もほぼ皆無で、皇帝以下、貴族も平民も平和を楽しむという時代だったため、当時の科学尚書は「荒唐無稽に過ぎる上、無意味だ」と一蹴した。

 

 激怒したブルーノは、それなら自分1人でやる!と決意。軍事工学を始めとする、あらゆる分野の科学研究に没頭して、恒星の周囲を公転できる人工天体、あらゆるビーム兵器を無効化する流体金属による防壁、その流体金属を凹面変形させ、複数の砲台から放たれたビームを集約、超巨大ビーム砲とする技術、自律的で相互補完的な迎撃システム、自己完結的なエネルギー循環システムと栽培プラント、全自動化されたミサイル生産ライン等々、既存の常識を打破する独創的な理論を構築すると、大部の論文集として発表した。

 

 しかし、あまりに壮大かつ天文学的な費用と必要とする上、ある軍人が評して曰く「成程、確かにこれだけの要塞を建設する事ができれば、難攻不落の上、半永久的に存在可能だろうが、これは一体どこに建設するのか。

 これほど高い攻撃力を有している要塞を帝国領内に建設しても、宇宙海賊や地方叛乱との戦いを主とする帝国軍にとって、無用の長物以外の何物でも無い。また、仮に将来、恐れ多くも帝国を脅かす敵国が出現したとしよう、この敵国との交戦星域に建設できれば、国土防衛上、確かに有効ではあるが、これは一日や二日で建設できる代物ではあるまい、年単位の建設工事が必要になるが、さて、その間、敵軍がただ指をくわえて見守ってくれるものだろうか?

 この問題を回避するためには、帝国領内で建設し、交戦星域まで曳航するか、またはワープさせるくらいしか、小官には思いつきませんが、はてさて、直径数十キロに達する巨大な金属の塊を光速で航行させる技術、時空震を発生させずにワープさせる技術は開発されておられるのでしょうか?

 いや、そもそも小官が敵軍の司令官なら、こんな剣呑な要塞を攻めるような愚行は犯しませんな。最低限の監視部隊だけ残して、主力部隊は要塞主砲の射程外を通行させますな。それが一番楽で安全でしょうからな」と、最後は明らかに揶揄する口調で指摘されると、ブルーノは顔を紅潮させ、沈黙してしまったので、無駄な努力の総天然色見本だと、貴族社会で嘲笑の的となったという。

 

 ブルーノの論文集は馬鹿な貴族の妄想として、長らく顧みられる事は無かったが、この後の歴史は読者諸氏もご存じだろう、同盟の建国とイゼルローン回廊の発見は、妄想を一気に現実に変えた。帝国暦440年代、節倹帝オトフリート5世が建設したイゼルローン要塞、その機能の多くは、ブルーノが構築した理論を基礎として作られている。

 

 現在的視点からすれば、ブルーノは確かに念願通り、帝国に貢献できる軍事技術を生み出せたと言えるのだろう。同時に、旧帝国軍が「イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍を以て舗装されたり」と豪語した大量の戦死者を生んだ、その淵源になったとも言えるだろうが。



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9-4:内務尚書ファルストロング伯爵

 これまで述べてきた初代尚書達の中で、天寿を全うしたと言えるのは軍務尚書シュタウフェン公爵のみだが、業務に精励し過ぎるあまり、道半ばで落命するのは、或いはルドルフに見出された者達の宿命だったのかもしれない。内務尚書ファルストロング伯爵と、司法尚書キールマンゼク伯爵も、その宿命から逃れられなかった。 

 

 ファルストロングは、ルドルフの父親セバスティアンが連邦軍士官学校の教官を務めていた時に、その教え子だった縁で、ルドルフとは青年時代からの友人同士だった。

 士官学校卒業後、連邦軍少尉に任官し、治安部門に勤務していたが、ルドルフがペデルギウス政界で台頭すると、連邦軍人の職を擲ち、ルドルフの下に馳せ参じた。

 この時の経緯は、ルドルフがファルストロングに助けを求めたとも、ファルストロングがルドルフに自身を売り込んだとも言われているが、若き友人同士は、父親そして恩師を無念の死に追い込んだ連邦体制への怒りを共有していた事は間違いないだろう。ファルストロングはルドルフが連邦政界に進出すると、私的なブレーンとなり、情報戦、治安戦のプロフェッショナルとして、盗聴や尾行、脅迫など、非合法な行為を指揮した。

 

 宇宙暦300年、ルドルフが連邦政府首相に就任すると、ファルストロングは警察大臣に任命される。以降、彼は帝国暦17年に爆弾テロで殺害されるまで、一貫して反帝国勢力の摘発と撲滅に尽力する事になる。

 

 治安維持を終生の責務とした人物らしく、その為人は冷静沈着、およそ焦る、慌てるという姿を人に見せた事が無かった。性格は厳格で堅物、酒は一滴も飲まず、女嫌いを自称。「女などと話すよりも、異星人と話した方がまだ面白いに決まっている」と公言していたが、何故か子沢山で、妻との間に6人もの子供を儲けた。ある日、ルドルフから「卿は女性が嫌いなのではないのか?奥方とは随分と仲が良いようだが」と揶揄われると、真顔で「女は嫌いですが、妻は好きです」と答えたと云う。後日、ルドルフは「あんな露骨な惚気は初めて聞いた」と呆れ顔で評したと伝えられている。

 

 リヒテンラーデやハイゼンベルク同様、趣味らしい趣味がない人物だったが、酒を飲まない代わりに、無類のコーヒー好きで、自分好みの豆を厳選、自ら焙煎して、好みの味を作り出す事を唯一の楽しみとしていた。帝国には今でも、ファルストロング伯爵御用達の品種が存在、最高品質の豆として高く評価されている。

 

 なお余談ながら、爆弾テロで横死した家祖エルンストは、6人いる実子のうち、誰を後継者とするのか、意思表示をしておらず、遺言も無かった。貴族法では「爵位の継承者は当主がこれを定める」としているため、夫人アデーレが当主代行として、最も利発な三男フェリックスを指名したが、それを不服とした長男グスタフ、次男カールは共謀してフェリックスを殺害。だが、その現場を自家のメイドに目撃されてしまった事で犯行が発覚。密かに報告を受けたルドルフの意向で、友人の息子2人が殺人者になってしまった醜聞は隠すべしと、グスタフとカールは自裁、衝撃のあまり精神的に病んでしまったアデーレ夫人は強制入院させて、同じペデルギウス派のクロプシュトックが遺児たちの後見人となり、一時的にファルストロング伯爵家の家名を預かる事になった。

 

 しかし、帝国暦23年、寵姫マグダレーナの一件でクロプシュトックは失脚。遺児も娘しかいなかったため、やはり友人の家を絶やしたくなかったルドルフの意向で、長女アマンダに婿養子を取らせる事になった。その相手として選ばれたのがクライスト子爵家の次男ベネディクト。同家はシュタウフェン公爵家の一門たる武官貴族で、その縁でファルストロング伯爵家もシュタウフェン公爵家の一門にならざるを得なかった。しかし、党首たるシュタウフェン公エリアスからすれば、政敵ペデルギウス派の重鎮だった家を厚く遇する気にはなれず、一門でも末席に止められた。

 

 帝国暦110年代、シュタウフェン家の後継たる、ノイエ・シュタウフェン公爵家が権臣エックハルトとの権力闘争に敗れ、領主貴族に転身した際も同行を許されず、一門関係を解消、ファルストロング伯爵家は帝都に残留する事を余儀なくされた。

 しかし、権臣エックハルトの怒りを買う事を恐れ、同公爵家の一門だった伯爵家に手を差し伸べてくれる貴族家はおらず、政治的には完全に無力、政府から支給される貴族年金だけを頼りに、細々と露命を繋ぐだけの家に成り果てた。

 

 だが、零落した無力な貴族家だったからこそ、エックハルトからも見逃され、痴愚帝ジギスムント2世の収奪からも逃れる事が出来た。そして、同家にとってもう一つ幸運だったのは、当時の当主カール・グスタフが英邁の人物だった事だ。

 

 痴愚帝が無意味な浪費と収奪に狂奔して、ゴールデンバウム家の名誉を汚し続けている現状に深く憤ったカール・グスタフは、同帝の皇太子オトフリートが父帝の行状に批判的と聞くと、夜陰に乗じて密かにオトフリートの下を訪れ、帝国の将来と臣民の生存、安寧のためには、肉親の情よりも大義を優先すべきですと説き、決起を促した。

 

 父帝が最悪の禁治産者に成り果て、退位させるしか解決の手段は無いと考えていたオトフリートにとっても、カール・グスタフの進言は我が意を得たものではあったが、父帝が有する武力を懸念していたオトフリートは、自前の武力が乏しい私が今、決起しても成功の可能性は少ない、これを解決する方法があるかと逆に問いかけた。

 

 そこで、カール・グスタフは家祖同士が知己だった縁を使い、寛仁公の腹心の1人で、痴愚帝によって軍務尚書から解任されたケッテラー伯ゴットフリートを口説き、その軍内への影響力を駆使して、オトフリートに忠誠を誓う軍人たちを集め、決起部隊を密かに組織した。

 

 事ここに至り、覚悟を決めたオトフリートは、万が一失敗した時に備え、自決用の毒薬を体内に埋め込むと、父帝がエメラルドを敷き詰めた巨大なプールに浸かり、独り陶然している時を狙って、カール・グスタフと共に決起部隊を指揮して、新無憂宮に突入。呆然とする父帝を拘束すると同時に、皇帝執務室に保管されていた国璽を奪取すると、今上陛下は退位を決断された、皇太子たる私が即位すると群臣達に宣言、皇帝権の証として国璽を翳して見せた。

 

 勿論、痴愚帝の腹心達は驚倒し、強制された退位など無効だと、軍務尚書ナウガルトは帝都防衛軍に新無憂宮を鎮圧せよと命令したが、既に同軍司令部はケッテラー伯ゴットフリートが率いる部隊に占拠され、司令部員達は優れた武人であるケッテラー伯の威厳に逆らう事など出来ず、全員が新皇帝への忠誠を誓約する有様だった。

 

 本クーデターでの功績を認められたカール・グスタフは、再建帝オトフリート2世の重臣となり、家祖と同様に内務尚書の地位を与えられた。以降、再建帝から文華帝エーリッヒ1世の御代に至るまで、ファルストロング伯爵家は文官貴族の名家として、尚書職を歴任する。

 

 だが、当時の代表的な文官貴族だったため、文華帝の末年に起こった、台頭してきた武官貴族達による文官貴族の虐殺事件、赤薔薇園の虐殺では主要な標的と見なされ、当主以下、一族の主だった人物が殺されてしまい、さらに武官貴族によって擁立された和顔帝リヒャルト2世の御代、大逆罪の名目で族滅、絶家している。



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9-5:司法尚書キールマンゼク伯爵

 この内務尚書ファルストロング伯爵の盟友と言うべき存在が、司法尚書キールマンゼク伯爵だった。

 

 国立テオリア大学法学部を首席卒業、在学中に司法試験にも合格した秀才。少年期、可愛がっていた妹が性犯罪者に誘拐されて、暴行、殺害された事がトラウマとなり、犯罪者撲滅を志し、検事を一生の職に選んだ。

 連邦の法律、特に刑法は全て暗記して「法律大全が服を着て歩いている」と評された。犯罪者に人権は無いと公言して、判例よりも厳刑を求める事で有名だったが、その過激さは、当時の法曹界で受け入れられるものではなく、連邦政府検察庁では非主流派でしかなかった。

 

 一大転機となったのは、連邦政界でのルドルフの台頭。ペデルギウス時代から、犯罪者に厳酷な処罰を科してきたルドルフはキールマンゼクと意気投合。是非、その辣腕を振るって欲しいと、ルドルフが政府首相に就任すると、検察庁検事総長に抜擢された。

 同様に、警察大臣へと抜擢されたファルストロングとは、治安維持、犯罪撲滅への強い信念を有する者同士として、互いに尊敬し合う盟友となった。その縁で、当時は国家革新同盟所属の連邦下院議員だったクロプシュトックとも知り合い、ルドルフが連邦政界で台頭した後の部下でありながら、ペデルギウス派の一員と見なされるようになった。

 

 検事総長に就任したキールマンゼクは、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、一切の容赦なく、どんな微罪でも犯罪者を逮捕、告発していき、同時に政治家や官僚、軍人など公人への弾劾、逮捕も躊躇わなかったので、反対派から「酷吏」と批難された。だが、ルドルフはキールマンゼクの姿勢を擁護、むしろ賞賛さえしたので、その強硬姿勢が改まる事は無かった。

 

 帝国建国後、初代の司法尚書に就任。各種法律、特に刑法の整備に尽力した。公人たる者、臣民の模範になるべきだとの信念から、殺人や誘拐、放火、麻薬取引など、社会に悪影響を与える重犯罪は、社会的地位や身分に関わらず、厳格に裁くべしと主張。内務尚書ファルストロングも賛同し、同省の警察局・公安局職員に対して、重犯罪は社会的地位や身分に関わらず即刻逮捕すべしと訓令した。

 後年、同省警察局の内規に、麻薬取引などの重犯罪の捜査は、身分秩序を顧慮する事莫れと明記されたのは、このファルストロングの訓令に基づく。

 

 盟友ファルストロングが爆弾テロの犠牲になると、その死を激しく悼み、人目を憚らず慟哭した。ルドルフに対しても、社会秩序維持局を司法省の管轄に移して欲しい、それが無理なら、司法尚書の職を退くので、自分を社会秩序維持局長に任命して欲しいと直訴。親友の仇を討つと公言して憚らなかった。

 当時の社会秩序維持局は軍隊的性格の強い組織だったため、軍人経験が無い卿が長を務めるのは無理だと、主君ルドルフに諭されると、自ら対テロ戦争を指揮できない憤りをぶつけるかの如く、社会秩序維持局の職員や、帝国軍の治安部門担当者に僅かでも怠慢、非行が見られたならば、激しく弾劾して、一日も早く反帝国勢力を根絶せよと責め続けた。

 

 帝国暦19年、盟友ファルストロングと同様、自身も共和主義者の爆弾テロで死去しているが、当時、社会秩序維持局や帝国軍に厳しすぎる目を向けるキールマンゼクを疎ましく思ったシュタウフェン公爵の意向で、テロの形に見せかけて謀殺されたのではないかとの噂が流れたが、真相は不明。学芸尚書ランケは「愛憎ともに激烈すぎた。他者を責めるに厳酷すぎた。検事の適性は有ったが、政治家の適性は無かった」と評している。

 

 キールマンゼクは公人としての意識が強すぎる人物であったため、体調不良で仕事を滞らせる事は公人として恥ずべき、健康の維持管理は義務であるが持論。食事・運動・睡眠等の生活習慣を厳格に管理し、健康を害する可能性があるものは、徹底的に遠ざけた。

 

 皮肉屋で、快楽主義的な性格だった学芸尚書ランケから「一体、何が楽しくて生きているのやら」と常日頃から揶揄されていたが、そのたびに顔を紅潮させて真剣に反論していた。ファルストロングから「卿が真剣に反応する程、学芸尚書は却って面白がるだけだぞ」と忠告されていたが、その性格は死去するまで変わらなかった。

 しかし、ファルストロングが淹れてくれたコーヒーだけは、刺激物であると知りつつ、敢えて口にしていた。その事を学芸尚書に指摘されると、顔を赤らめて沈黙してしまったので、流石の皮肉屋も苦笑して、それ以上の追求はしなかったという。

 

 また、性犯罪被害者の育英基金に匿名で定期的に大口寄付していた事が死後、明らかになっており、幼い妹の死という不幸にさえ遭遇しなかったならば、酷吏と恐れられた司法尚書キールマンゼク伯爵は誕生しなかったのかもしれない。

 

 なお余談ながら、家祖ライナー横死後、後継者となった長子エドウィンは、父親ほどの信念もない凡庸な人物だった。父の縁で司法省に出仕するが、当時の最大権力者たるノイエ・シュタウフェン公爵に疎まれていたため、貴族社会でも非主流派にとどまった。

 

 そのため、喪心帝オトフリート1世の御代、権臣エックハルトが台頭すると、当主ヴェンツェルは先祖代々の恨みを晴らす時は今だと、進んでエックハルトの腹心となって、ノイエ・シュタウフェン公爵家の追放に一役買っている。

 その後、エックハルトの推薦で司法尚書の座に就き、その職責を濫用して、エックハルトの政敵を弾劾、処刑するなど、主人への忠勤に励む。だが、寛仁公フランツ・オットー大公の策謀でエックハルトが誅殺されると、その与党と見なされ、当主は処刑、一族も辺境に流刑となり、絶家している。

 

 それ以降、建国期に立家した名家でありながら、帝国末期に至るまで、家名を継ぐ者もおらず、忘れ去られた家だったが、亡国帝フリードリヒ4世の御代に突如として復活している。

 

 同帝は即位当初、円熟した豊麗な女性を好んで寵愛した事はよく知られているが、当時、寵愛第一と言われたアイゼンエルツ伯爵夫人ダニエラ、彼女は辺境域の一領主貴族だったアイゼンエルツ男爵の妻だったが、出世を目論む夫の手によって、亡国帝の後宮に差し出された。そのため、アイゼンエルツは伯爵に陞爵し、宮内尚書の地位を得るが、夫の不甲斐なさに愛想を尽かした夫人は離縁を宣告する。

 

 そして、亡国帝の寵愛が衰えた時を想定し、帝国騎士位しか保有していなかった自家の箔付けと出世のために、寝物語の都度、歴史ある名家の家門を継がせて欲しいと懇願。寵姫に強請られた同帝は、当時、宮内尚書だったリヒテンラーデ侯クラウスに、どこか適当な家門を選ぶようにと指示。その結果、建国期に立家した由緒ある家でありながら、絶家して久しいキールマンゼク伯爵家が選ばれ、寵姫ダニエラの兄グントラムが同家を継承する事になった。

 

 数年後、寵愛を失ったダニエラは新無憂宮を出て実家に戻り、兄グントラムの庇護下で天寿を全うしている。なお、グントラムは妹の縁故で陞爵した人物ではあったが、貴族官僚として相応に有能な人物で、自身が伯爵位を得た際に仲介役となったリヒテンラーデ侯クラウスの部下となり、国務省で各局長を歴任、その後、内閣書記官長に就任している。

 

 亡国帝が崩御し、廃帝エルウィン・ヨーゼフ2世が即位すると、リヒテンラーデ公の部下だったため、リップシュタット盟約に参加する事もなかったが、同公クラウスが開祖ラインハルト陛下への暗殺未遂事件の主犯として逮捕、自裁との形で処刑されると、グントラムは、同じくリヒテンラーデ公の部下だった財務尚書ゲルラッハらと同様に、故オーベルシュタイン元帥の監視下に置かれた。

 

 しかし、監視されている事に気づくと、自ら開祖ラインハルト陛下の下に出頭。私がリヒテンラーデ公爵に仕えたのは、彼が国務尚書、また帝国宰相として、帝国政府の主宰者だったためです。今、ローエングラム公爵閣下が帝国宰相となられ、同様に帝国政府を主宰される以上、私は帝国の臣下として、閣下の御指示に従うのみですと宣言。自身と一族の身柄を全て委ねるとした。

 その潔い態度に感心したラインハルト陛下は、門閥貴族の残党と通謀している事実は無いとのオーベルシュタイン元帥の報告も踏まえ、グントラムを解放すると、開明派貴族で旧帝国の政治改革を委ねていた、現民政尚書カール・ブラッケの下で働くように指示。ローエングラム朝開闢後、ブラッケ尚書の下、民政省次官となるが、病気のため退任。次官のポストは、若手官僚のホープの1人、ユリウス・エルスハイマーが後任となっている。



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9-6:学芸尚書ランケ子爵

 ルドルフに見出された尚書達は、自身の職務に精励し過ぎて、全人生を捧げてしまう人物揃いだったが、中には職務に精励はするが、私生活は別だと、割り切った態度の人物も僅かながらいた。それが学芸尚書ランケと、国土尚書ゲルラッハの2人だ。

 

 学芸尚書ランケは、銀河連邦の著名な社会学者で、コメンテーターや識者として、メディアへの露出も多く、豊富な人脈を活かして、政府の各種審議会でも委員を務めるなど、典型的なタレント学者だった。

 当時のアカデミズムからは研究者の姿勢ではない批判されていたが、当人は「社会に何らの影響も与えない学問など無意味」と公言して憚らず、自身を批判する研究者を「世間知らずの学者馬鹿」「無駄なプライドに凝り固まった無能者」と、逆に嘲笑する有り様だった。

 

 だが、ルドルフに見出されたランケは、決して大衆迎合的なタレント学者というだけの人物ではなく、自身の言動が社会に与える影響を具に観察し、市民からの反応も材料にして、連邦社会の研究を行う、アカデミズムの常識では決して理解されないが、彼なりの信念に基づいた、実践的な学者でもあった。

 

 連邦時代の彼の業績に「首都テオリア及び主要星系における連邦市民の主権者意識と政治行動に対して産業構造と経済格差が与える各種影響に関する一考察」と題した論文がある。

 

 貧富の格差が大きくなればなる程、低所得者層に属する市民の主権者意識が薄れ、政治行動は他罰的な傾向が強くなり、粗雑だが明快な内容を強力に主張する権力者を盲信しがちだと分析。また、貧富の格差が一定の水準を超えると、生活様式だけではなく、一般常識や知能、倫理道徳などでも断絶が生じ、それは人間が社会的動物である以上、不可避的に生じる社会的格差だと主張した。

 

 故に、その社会的格差を踏まえた階層的秩序の構築こそ、アノミー(無規範状態)に陥った連邦社会を救済する手段だと結論付けた。

 

 この論文は、アカデミズムの枠を飛び越え、当時の連邦政界でも注目されて、当時、国家革新同盟党首だったルドルフがランケという人物に注目する契機となった。

 ちなみに、この論文の作者はランケとなっているが、実際の研究分析と執筆は、彼が学部長を務めていたテオリア大学社会学部所属の学者たちが分担していた。当然、アカデミズムからは激烈な批判が上がったが、ランケ本人は悪びれる事なく「私はプロデューサーだ。作業したのは彼らだが、その成果を取捨選択し、1つの作品に仕上げたのは私だ。お前達も論文を書く時に、自分が指導する学生の手を借りているだろうが。それとどこが違うのだ。そもそも、私が研究環境を整えてやらなければ、我が学部の連中に、連邦の大物政治家からも注目されるほど、影響力のある研究が出来たとは到底思えないね」と嘯く始末だった。

 だが、当の学者たちは反論するどころか、充実した研究環境や高い報酬を与えてくれたランケに感謝、心酔さえしており、この一事を見ても、ランケなる学者は政治家的才能にも恵まれた、特異かつ有能な人物だった言えるだろう。

 

 本論文に注目したルドルフは、私的にランケと意見交換するようになった。その過程で、ランケが提唱する階層的秩序の具体案として、貴族制度の着想を得たのではないかと言われている。実際、帝国建国後、貴族制度の原案はランケによって作成されている。

 

 初代学芸尚書に就任したランケは、国内にある大学や学術機関の研究予算を一手に握り、帝国の政治・行政に資するか否か、その一点で研究内容と研究者の選別を始めた。人文系の学問にあまり興味を持たずた社会に直接裨益しない学問は個人の趣味で行うべきだ、とのルドルフの意向もあり、旧帝国の学術研究が実学一辺倒に陥ったのは、実にこの時代に端を発する。

 

 自身も社会学者でありながら、人文・社会学系学問の研究予算を大幅にカットするランケに対し、かつての同僚が学者の風上にも置けない、曲学阿世の徒だと密かに非難。その事を報告した部下から、尚書の尊厳を傷つけるもの、処罰すべきですと進言されたランケは、口元を歪めて「放っておけ。奴らは連邦時代からそうだった。他人の批判も自分一人では出来ずに、徒党を組んで吊し上げる連中だ。徒党を組めなくなったら、陰口を叩くのが精々だろうよ。そもそも、私を学者の風上にも置けないと言うが、私は連中から、学者と見なされた事は一度も無いはずなんだがな。都合良く健忘症にでも罹ったのだろうよ。臆病な病人など相手にするな。時間の無駄だ」と切り捨てたという。

 

 自身の才覚に恃むこと厚いランケは、他の尚書たちの多くがルドルフを絶対視して、人生全てを捧げている姿を冷ややかに見ている一面があった。前述したように、ランケは当時の政治家や官僚、軍人達の人物評を日記に書き残しているが、ルドルフに絶対の忠誠を捧げる周囲の人物を皮肉っぽく眺め、そうできない自分をやや自嘲する視点で貫かれている。

 

 では、ランケはルドルフをどう見ていたのだろうか。主君を直接論評する事は、流石の皮肉屋も憚ったのか、或いは不敬罪の証拠となり得る事を恐れたのか、今となっては不明だが、現存する日記で、ルドルフを論評した箇所は少ない。

 

 その一節に「雄材大略と評すべき御方。一国を建国した人物が常人であろうはずもない。また、強かで老練な人格と、少年めいた純粋な人格が共存できている希有な人物。強権的な人物と見られているが、実際はバランス感覚に優れた御方だ。あらゆる臣下に対して公平かつ公正、価値中立的に接する事が求められる専制君主の適性が非常に高い。あの御方が連邦を崩壊させ、帝国を建国した動機は私も詳らかにしないが、こと才能と適性から見れば、それは必然だったのかもしれない」とある。

 

 ルドルフと同時代に生きたランケの評は、神君または暴君とのステレオタイプな見方を自明とする我々現代人にとり、極めて新鮮に感じられる。彼の評価の妥当性は、他の史料から検証されるべきだが、当代一流の頭脳でもあったランケの評は、筆者個人としては、ルドルフの実像に迫る上で、非常に重要な視点を提供してくれていると感じている。

 

 主君ルドルフに倣うように、禁欲的な人物が多かった尚書達の中で、ランケは快楽主義的な性格を隠そうともせず、多芸多才で多趣味、多くの女性達と浮名を流した。現存する映像史料によると、かなりの美男子で、女性から言い寄られる事も多かったと想像される。

 若い時から独身主義者で、特定のパートナーは作らなかったが、貴族制創設後、自身も子爵位を与えられると、貴族の義務として、結婚して後継者を儲けるようルドルフに命令され、密かに「貴族制度など作らなければ良かった」と愚痴をこぼしたとも伝えられる。しかし、ひとたび貴族になると、洗練かつ豪奢な生活を営んで、その姿は後世想像される帝国貴族そのものだった。

 

 また、個人主義的人物であったが、決して無情だった訳ではなく、口喧嘩相手だった司法尚書キールマンゼク伯爵が爆弾テロに倒れると、葬儀の場で自筆の弔辞を朗読、その内容は列席者の涙を誘う真情に溢れていたと伝えられる。

 

 節制や禁欲などという言葉は、自身の辞書に載っていなかっただろうランケだが、初代尚書の中では長寿を保ち、唯一、強堅帝ジギスムント1世の御代まで生き残っている。

 現役引退後は、自邸に引きこもり、連邦社会と帝国社会の比較論や、同僚だった尚書達の人物伝等を執筆していたという。その姿は、彼が無用と切り捨てた、社会に何の影響も与えない学問に従事するアカデミズムの研究者そのものだった。或いは、かつての自分が否定した、自らの興味関心のまま研究に没頭する学者に誰より憧れていたのは、ランケ本人だったのかもしれない。

 

 なお、家祖エドゥアルト死去時、長子ローレンツは宇宙船の事故で既に死亡しており、爵位は孫ルードヴィヒが継承したが、産まれた時から豪奢な生活に慣れきっており、過度の浪費癖がある人物だったため、忽ち家産を蕩尽、借金の返済に追われた挙げ句、祖父の縁で出仕していた学芸省で公金横領事件を起こしてしまう。

 

 貴族の非行を嫌う強堅帝ジギスムント1世の逆鱗に触れ、爵位と貴族身分の剥奪を宣告されたが、同帝の父で帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公が取り成し、祖父の功績を鑑みて、爵位は男爵位に降格、当人は公職追放の上、終身の蟄居となった。これは、家祖エドゥアルトが個人主義者で、家系の継承には興味が無く、子や孫の躾や教育に注力しなかったからだと指摘されている。

 

 蟄居を命じられたルードヴィヒは、死ぬまで不自由な状態でいる事に耐えられない、例え家を潰しても自由の身の上になりたいと考え、誰か有力な貴族家に家督と爵位を譲り、その後ろ盾を得て帝国政府と交渉し、自身の蟄居を解除してもらう、との策を立てた。

 

 当時、皇帝と政府を動かせる権門と言えば、皇帝の父で帝国宰相たるノイエ・シュタウフェン公爵しかおらず、ルードヴィヒは密かに同公へ使者を送ると、貴家の縁者に家督と爵位を譲渡する、自身も隠居するので、蟄居だけは解除して頂きたいと懇願。同公も初代の学芸尚書を輩出した文官貴族の名家が手に入るならば、安い買い物だと考えたのだろう、程なくしてルードヴィヒの隠居と蟄居の解除が決定。ランケ男爵家は、ノイエ・シュタウフェン公爵が側室に産ませた男子、カスパーが養子となり継承した。

 

 この結果、同男爵家は家祖エドゥアルトの血筋が絶えて、ノイエ・シュタウフェン公爵家の従家となり、武官貴族へと転身した。その後、同公爵家が権臣エックハルトとの権力闘争に敗れ、領主貴族に転身すると、ランケ家も随行、同様に領主貴族になったと思われるが、その後の消息は不明。

 

 ちなみに、家祖エドゥアルトが晩年に執筆した作品等は、その遺言で門外不出となっていたが、ノイエ・シュタウフェン公爵家の従家になった際、血筋が変わったランケ男爵家には不要と見なされたのか、全て宮内省典礼職に寄贈されている。その後、何らかの事情で散逸したらしく、原本は既に失われている。

 ただ、帝国暦190年代、当時の貴族歴史家・フィッシャー子爵が自著「銀河帝国の成立」の参考文献で、エドゥアルトの作品群を挙げており、本文中にも引用されている。現在、一部の歴史学者の間で、ランケの他の著作と照合する事で、これら晩年に執筆された作品群を復元しようとする試みが進められている。



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9-7:国土尚書ゲルラッハ子爵

 学芸尚書ランケと並んで、貴族らしい豪奢な生活を営んでいたのが国土尚書ゲルラッハ。政治家や官僚、軍人出身者が多い初代尚書の中では珍しく、民間企業の経営者出身だった。

 

 もともと、ペデルギウス星系で星間輸送を請け負う企業の経営者だったが、経営者仲間のクロプシュトックが若きルドルフのスポンサー、支持者になった事が縁で、自身もルドルフのスポンサーになっている。ルドルフの唱える政治改革には興味が薄かったが、地方財界の企業家の常として、中央の多星系企業の横暴には強く憤っており、中央財界の機嫌を伺わず、地元企業を優遇する政策を行うルドルフの姿勢は高く評価。またクロプシュトックと同様、次第にルドルフのカリスマ性に惹かれて、感情面でもルドルフを支持するようになった。

 

 ただ、どちらかと言えば理想主義的だったクロプシュトックとは異なり、生粋の企業家、経済人のゲルラッハは、連邦政界で台頭し、政治改革を断行するルドルフに対して、些か距離を置いていた。それは経済人の習性としてのリスクヘッジでもあっただろうが、刹那主義的、ペシミスティックな性格だったゲルラッハは、ルドルフと側近らの熱気に対し、違和感を禁じ得なかったのだろうと想像される。

 

 このため、ペデルギウス星系出身者でありながら、ファルストロングやクロプシュトックたちペデルギウス派に加わる事もなく、尚書就任後も、比較的近い性格の持ち主だった学芸尚書ランケと、若干の交際関係を持つだけだった。

 

 しかし、それでもルドルフの側近グループに留まり続けたのは、利益の最大化を優先する経済人の本能だったと言えるだろう。連邦首相に就任したルドルフが主要企業の国営化と、業界ごとに各企業の統合と系列化を断行すると発表した時、ゲルラッハは率先して自社を政府に譲渡、国営企業の第一号としたが、自身は同企業の最高支配人に任命され、実質的にはその地位を保った。

 

 これはルドルフとゲルラッハの間に、事前の密約があったと見る方が自然だが、多くの経営者が自由経済を尊重して、大なり小なりルドルフの国営化政策には異議を唱えた事とは対照的だった。ゲルラッハ自身、自由経済を守ろうとして新国家建設に走った汎オリオン腕経済共同体の企業家たちを「人類社会の秩序形成に逆らう愚か者」と評しており、その本質は、政治権力を利用して利益を上げる政商のそれだったと言えるだろう。

 

 遙か後世、フェザーン自治領の独立商人達は、民間で利益を上げる腕が無い無能者が政府職員になるのだと嘯いていたが、もしゲルラッハがフェザーン商人を目の当たりにしたなら、政府職員になって官界で利益を上げる才覚の無い、一匹狼気取りの負け犬の遠吠え、と冷笑するかもしれない。

 

 ただ、ゲルラッハが凡百の政商と異なるのは、政治権力と癒着して汚職や裏取引に走るのではなく、政治権力を利用してビジネスを生み出し、微々たる裏金などではない、天文学的な額を稼ごうとした点だろう。

 ルドルフが連邦末期に開始した統制経済は次章以降で詳述するが、西暦時代の地球で何度が行われた統制経済と同様、政府が生産・物流計画を策定し、各国営企業に実行させるという骨格は同じだった。ゲルラッハは、星間輸送会社を経営していた経験を口実に、自らが最高支配人を務める国営企業で、当時の連邦支配領域内の星間輸送を独占。また、各星系政府が分担して管理していた星系間輸送路は、統制経済である以上、政府が一元的に管理すべきだと主張。そのための組織として、経済産業省内に星間運輸庁の設置をルドルフに進言。運輸庁が新設されると、自ら初代長官に就任している。

 

 これ以降、ゲルラッハは国営企業の最高支配人と政府高官を交互に歴任、官界と財界に跨がる活動を続けた。統制経済体制を完成させたいルドルフにとって、官界・財界双方の実情を熟知し、実務にも精通しているゲルラッハの存在は貴重だった。そのため、ルドルフは当初、ゲルラッハを初代財務尚書に任命しようとしていたが、それに異を唱えたのが、以前の仲間だったクロプシュトック。ルドルフに心酔し、絶対の忠誠を誓っていた彼の目から見れば、帝国よりも自身の利益を重んじるゲルラッハは、もはや信頼に足る人物ではなくなっていた。それでも、ゲルラッハの才覚と人脈を重視するルドルフの意向で、当時就任していた連邦政府国土開発公社総裁から昇格する形で、初代の国土尚書に任命された。

 

 尚書時代のゲルラッハは、それほど特筆する業績を上げた訳では無かったが、評価の厳しいルドルフから叱責される事も無く、帝国領内の各種インフラ整備と維持管理を着実に実行していった。

 

 また、貴族制が始まると、各星系の公共インフラの維持管理は、現地の領主貴族の責務とされたが、ゲルラッハは国務省と協働して、国土省の官僚や技術者を各地に派遣、各種技術や管理面のノウハウを伝授させた。

 この結果、中央の技術やノウハウが地方に移転され、期せずして、国土の均衡ある発展と維持に貢献する事となった。地味だが、尚書時代のゲルラッハ最大の功績と評価されている。

 なお、この時に派遣された官僚や技術者達は、そのまま現地の領主貴族に仕え、従臣になる者達が多かった。彼らの中には、主家から取り立てられて、数世代後には爵位持ち貴族や帝国騎士に封ぜられる者もいた。

 

 しかし、自身を経済人と見なしていたゲルラッハにとって、ただ能吏、有能な行政官であり続ける事は、苦痛でしかなかったようだ。経済活動に参加できない、いやルドルフの表現を借りるならば、金という「忌まわしき怪物」と切り結び、屈服させるスリルを味わえない事は、想像以上のストレスを心身にもたらした。

 

 ゲルラッハはルドルフや他の尚書達と異なり、書簡や日記等を一切残していないため、当時の心中は想像するしかないが、帝国経済を一手に担う財務尚書の地位に就けなかった事への鬱屈があったと思われる。そのため、初代財務尚書リヒテンラーデが急死した際、心中密かに期するものがあったと思われるが、後継が内閣書記官長クロプシュトックに決定された事も、ゲルラッハには衝撃だった。

 

 かつての仲間クロプシュトックが財務尚書として活躍する姿を見せられながら、さしたる興味も無く、情熱も持てない国土尚書の職責を務める事は、ゲルラッハには精神的な拷問に近かったのだろう。国務尚書ハーン伯爵は、当時の日記に「ここ最近、貴族領への技術移転や人員派遣の件で、国土尚書殿と協議する事が増えてきた。陛下が特に任命するだけあって、確かに有能極まりない人物だとは思うが、時折、心ここにあらずと、上の空になる事がある。心因性の病気ではないのだろうか」と記している。

 

 日々の鬱屈を晴らすかのように、「金は生きている間しか使えない」と嘯いて、あり余る資産を蕩尽し、豪邸を建て、愛人を囲い、美酒美食を恣にした。それは後世、平民や下級貴族から口を極めて批判された、腐敗堕落した門閥貴族の姿そのものだった。無意味な浪費に走るゲルラッハの姿は、質実剛健を尊ぶルドルフの怒りに触れる事も多くなり、しばしば衆人環視の場で叱責されている。

 

 帝国暦17年、内務尚書ファルストロングが爆弾テロで死去。財務尚書クロプシュトックが後任の内務尚書に任命されて、財務尚書の後任は同省次官のクレーフェに決まると、ゲルラッハは中央政界における自身の将来に絶望したのだろう。病身を理由に、尚書職を辞し、自領として与えられた星系に移住、領主貴族に転身する事となる。

 領主としてのゲルラッハは、今まで培った経営手腕を活かして、自領の開発を大々的に進めた。その手腕は未だ衰えておらず、当時の貴族領の中では最も住みよい土地として、領民希望者が引きも切らない程の成功を収めた。

 

 だが、ゲルラッハの有能さは、統制経済を推し進める帝国政府が求める有能さでは無かった。当時、辺境域の独立勢力らの活動も未だ活発で、ゲルラッハの成功は、自由経済を掲げる彼らとの交易によるものではないか、との噂が帝国政界で流れるようになった。その真偽は不明だが、以前からゲルラッハの姿勢に疑いの目を向けていた内務尚書クロプシュトックにとっては、真相に意味など無かったのだろう、反帝国勢力と通謀の疑いあり、劣悪遺伝子排除法に違反していると、帝都オーディンへの出頭を求めた。

 

 家臣達から汎オリオン腕経済共同体への亡命を進められたゲルラッハは、帝国の尚書まで務めた者が罪人同様に逃亡する事など許されないと、死を覚悟してオーディンへ出発した。

 ルドルフの御前で、内務尚書クロプシュトックから弾劾されたゲルラッハは、自分は陛下に異心を抱いた事はない。しかし、敵国に通じて私益を図ったと疑われたのは我が身の不徳。この上は、ただ陛下の裁決を待つのみと言い放った。それは、ゲルラッハが最後に示した帝国貴族の矜持だった。

 

 クロプシュトックは自裁を命じるべきだと主張したが、通謀した明確な証拠がないとして、ルドルフの判断で罪一等を減じ、領地は没収、本人が隠居する事を条件に、家門だけは維持する事を許された。

 オーディンに移住したゲルラッハは、死去するまで、自邸から一歩も出なかったという。ランケは「機を見るに敏な男だったが、自分を見る目だけは無かった。仕事に趣味と美学を持ちこむ男が、十年一日の如き行政事務に耐えられようはずもない」と評している。

 

 なお、家祖ギュンターの死後、ゲルラッハ子爵家は、財務省に地盤を有するリヒテンラーデ子爵家(のち侯爵家)の一門となり、その庇護の下、帝国末期まで命脈を保つ。その代わり、全てにおいて主家の意向に従わざるを得ない、政治的には無力な家でしかなく、旧帝国末期まで、特筆すべき人物も輩出する事も無かった。

 

 亡国帝フリードリヒ4世の御代、同家最後の当主クルトがリヒテンラーデ侯爵クラウスの腹心となり、財務尚書の地位に就くが、家祖ギュンターが就任を熱望していた建国期のそれとは全く異なり、経済の実権はフェザーン自治領に握られて、ただ平民や下級貴族達から、重税を搾り取るだけの徴税機関の長に堕してしまっていた。

 筆者はヴァルハラの実在を信じる者ではないが、念願の尚書になれたと有頂天になる子孫の姿に、ヴァルハラの住人となっている家祖ギュンターは、生前とは別の絶望を感じたのではないだろうか。

 

 ちなみに、最後の当主クルトは、リヒテンラーデ公クラウスが開祖ラインハルト陛下への暗殺未遂事件の主犯だとして逮捕、自裁との形で処刑されると、自主的にその地位を返上、謹慎して恭順の意を示すが、レムシャイド伯ヨッフェンら門閥貴族の残党によって、廃帝エルウィン・ヨーゼフ2世の誘拐事件が発生すると、帝国本土での協力者の疑いありとして、故オーベルシュタイン元帥の手によって逮捕されている。

 その後、同帝が同盟に亡命した事が明らかとなって、レムシャイド伯らが銀河帝国正統政府の設立を宣言すると、クルトは同帝誘拐事件の共犯者として発表され、処刑されている。

 

 一説には冤罪だったと云う。当時、正統政府の設立により、帝国内で開祖ラインハルト陛下に従っていた貴族の間に動揺が走り、有形無形の形で正統政府に呼応しようとの動きさえあった。すでに同盟領侵攻作戦「神々の黄昏(ラグナロック)」発動を予定していたラインハルト陛下とオーベルシュタイン元帥は、動揺する貴族たちへの見せしめとして、敢えて無実のクルトを処刑したとの見解もあるが、真相は不明である。



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9-8:国務尚書ハーン伯爵

 これまで述べてきた尚書達は例外なく有能な人物ではあるが、各分野のスペシャリストをただ集めても、集団としての統一行動が取れず、却って機能不全を起こしてしまう事は、人事管理上の常識である。無論、彼らはルドルフの絶対的な支配下にあったが、尚書同士で討議し、決定しなければならない案件は膨大にあり、その度に、主君の臨席を仰ぐという訳にもいかなかった。

 よって、彼ら尚書達の意見を取りまとめて、調整を図れる人物が絶対的に必要だった。老練な政治家ルドルフがその必要性に気付かない訳はなく、国務尚書ハーン伯爵と、宮内尚書ノイラート子爵、この両名が調整役として登用されていた。

 

 初代の国務尚書に就任したハーンは、ルドルフが立ち上げた新党「国家革新同盟」設立発起人の1人だった。それ以降、ルドルフの側近政治家の1人として、主に党務畑を歩み、野党対策などを担当した。ルドルフの終身執政官時代は、副首相兼国務大臣を務めた。

 

 エリート揃いの初代尚書達の中では、異色と言える経歴の持ち主。連邦首都テオリアの下町に生まれた彼は、零細企業社員の父親と、老人施設で介護職員を務める母親を持ち、下流に近い中流家庭に育った。日々の糊口を凌ぐのが精一杯という家計状態で、大学はおろか高等学校に進学できる見込みも無かったが、12歳の時、転機が訪れる。

 

 小さい頃から、常に笑顔を絶やさず、人の話をしっかり聞く性格だった彼は、自然と人望を集め、地元の子供達から頼られる存在になっていたが、それに目を付けたのが地元自治体で議員を務めていたイヴァンカ・フリードマンなる女性。同性愛者のため、自ら出産する事は諦めていたが、自身の後継者となれる子供を欲していた彼女は、人望があり、頭も良いハーンを養子に迎える決心をする。ハーンの両親も、このまま自分達の下で過ごすよりも、上流家庭で育った方が我が子のためになるだろうと同意した。

 後年、ハーンは当時の心境を振り返り「両親と別れる寂しさは確かにあったが、それ以上に、今まで諦めていた世界への扉が開いた事に、興奮を禁じ得なかった」と語っている。

 

 かくして、フリードマン家に迎えられたハーンは養母の期待に応えるため、猛烈な勉学を開始する。同時に、養母の政治活動にもボランティアとして参加。持ち前の人当たりの良さと気配りの巧みさで、忽ち養母の後援者たちの好意も獲得した。この時に培った対人経験が後年、ハーンを調整型の政治家として大成させる事になる。

 

 必死の勉強の結果、国立テオリア大学法学部に合格。在学中の成績は中の上、または中の中という程度だったが、連邦の現代政治を学ぶサークルを主宰して、下院議員の事務所でボランティアスタッフを務めるなど、学生時代から、生々しい政治の現場を体験していった。

 

 卒業後は養母の政策秘書を務める傍ら、政治家への道を模索する。当時、養母のイヴァンカは、地元自治体の議会で連続5期を務め、議長経験もあるベテラン議員だったが、持病の慢性腸炎が悪化、引退も取り沙汰されていた。このままでは次の選挙は戦えないのではと危ぶんだ後援会の意向もあり、次回の議員選挙には養子のハーンを擁立する事に決定した。

 

 後援会は、国立テオリア大学卒の学歴と若さを全面に出して、フリードマン議員の後継者として選挙戦を戦うべきとの戦略だったが、ハーン本人は、ただ養母の後継者で、後援会の傀儡に甘んじるような政治家になる気は無かった。

 後援会の戦略自体は受け入れたが、自らの意見を通すためにも、自前の政治基盤が必要だと考えて、大学時代に主宰したサークル仲間や同級生に声をかけ、また政治ボランティアで培った人脈を通じて人を集め、自分個人の後援会を設立。さらに、街頭演説や政治講演会を連日のように実施した。有力者に担がれた神輿の上にただ座っているだけの政治家ではなく、自らの足で立てる政治家になる事を目指した。

 

 当初は、自分達の意向に逆らうのかと、養母イヴァンカの後援会はハーンの個人活動に難色を示したが、もともとハーン個人への遺恨は無く、むしろ好意を抱く者が大部分であった事、若者らしい、そのひたむきさに好感を持つ者が多かった事、そして、ハーンを我が子同然に愛していた養母の意向もあり、最終的には養母の後援会もハーンの個人後援会に合流、ともに選挙戦を戦った。その結果、過去最高となる得票数でトップ当選、引退した養母に代わり、自治体議会の議員として、その政治家人生をスタートさせた。

 

 とは言え、一自治体の議員程度に大きな政治的影響力がある訳もなく、例えば連邦時代の中期あたりであれば、ハーンは平凡な地方議会議員として、歴史に名を残す事も無かっただろうが、当時は連邦最末期、後の銀河帝国皇帝ルドルフの台頭前夜だった。

 ルドルフがペデルギウス星系政府首相として連邦政界に登場すると、その強権的な政治手法に多くの政治家達が眉をひそめる中、若きハーンはルドルフこそ市民を守れる真の政治家ではないかと、単身テオリアからペデルギウスを訪れ、一面識も無かったルドルフに直接面会を申し入れる。

 

 もともと、実の両親が過労死寸前の重労働を余儀なくされているにも関わらず、家計は楽になるどころか、年々苦しくなっていく現実に対し、幼心に疑問を抱いていたハーンは、養母イヴァンカが行政や大企業の怠慢と横暴を批判、低所得者層への支援を訴える政治家であった事にも影響され、市民の生活を守り、向上させる事が政治家の責務と考えるようになっていた。

 彼の政治思想と合致するルドルフの政治は、念願の政治家にはなれたものの、鈍重で先例重視、大企業の顔色を窺うだけの役所に対して、怒りと無力感に苛まれていたハーンには、まさに闇夜を貫く流星の如き輝きを放っていたのだろう。

 

 ハーンとルドルフは全くの初対面ではあったが、連邦の現状を深く憂い、改革の必要性を痛感する若き政治家同士、すぐさま意気投合した。この時、両者の間でどのような話が交わされたのか、2人とも明確に書き残してはいないため、具体的には不明だが、後年書かれたルドルフの書簡等によると、利権まみれの既存政党には期待できない、清新で活力ある新党が必要との点で、意見の一致を見たようだ。

 宇宙暦296年、ルドルフが地域政党「国家革新同盟」を立ち上げた契機は、或いはこの時の会談だったかもしれない。前述した通り、国家革新同盟の結党時、地方議員だったハーンも設立発起人の1人に名を連ねている。

 

 この後、ハーンの政治家人生は、ルドルフの政治家人生と、その軌跡をほぼ等しくする。連邦政界にルドルフ旋風が吹き荒れると、ハーンもその風に乗って躍進。宇宙暦300年、ルドルフは銀河連邦史上最年少の政府首相に就任。若き英雄の誕生に市民は熱狂し、翌301年に実施された下院議員選挙はルドルフ一色、国家革新同盟は大躍進、上下院あわせて400議席を超え、上下院で単独過半数を達成したが、この時の選挙でハーンも下院議員に初当選している。

 

 設立発起人の1人だったハーンは、一年生議員ながらも同党幹部となり、議会対策委員長に就任。このポストは、いわゆる野党対策を主に担当していた。党内には上下院で単独過半数を占めた以上、野党対策など必要ないとの強硬論もあったが、党首ルドルフの考えはむしろ逆だった。

 

 この時点で、中央政界におけるルドルフの政治的基盤は十分に確立されたとは言い難く、有権者の人気頼みという面は否定できなかった。故に、野党から無用の攻撃をされ、世論の評価を落とす危険性は極力避けるべきと、数の力で押し通す必要がある局面以外は、逆に野党の意見を取り入れても良い、相手の面子を立てて、円滑な議会運営を行うべしと指示した。

 

 ハーンは、その責任者に就任した訳だが、学生時代から中央政界で地道に活動、人脈を広げていた彼にとっては、まさに適役というべきで、生来の人当たりの良さ、気配り上手も手伝い、野党議員の人気と信頼を得て、スムーズな議会運営を実現した。

 その結果、ルドルフの政権は議会対策に時間と労力を割く必要が無くなり、行政課題に集中できた。ルドルフが短期間で政府首相と国家元首を兼任、終身執政官を就任し、さらには帝国皇帝に即位できた事の理由の一端は、議会と党内をまとめ、波風を立てさせなかったハーンの力量もあったのだ。

 

 当時のハーンの渾名は「政界一の聞き上手」「笑顔の魔術師」。相手がどれほど激高していようとも、ハーンと話せば、最後は笑顔になって握手を求めてくる、とも言われた。ルドルフが相手を圧倒して支配するカリスマの持ち主なら、ハーンは相手を包容して信頼させるオーラの持ち主だったのだろう。そのオーラの影響力は政界にとどまらず、官界・財界にも波及。主要な多星系企業や政府内の官僚グループ、連邦軍内の諸派閥、または労働組合などの各種団体と、政治的、経済的なパワーを持つ組織・団体との交渉を地道に行い、ルドルフのシンパを増やしていった。

 

 この下準備があった事で、ルドルフが終身執政官、そして帝国皇帝と、非民主的権力者の座を求めた時、多くの個人、団体が賛意を示し、就任への異論、反論が大きな世論の高まりにならなかったのだ。

 

 ちなみに、本書ではこれまでハーンとの呼称を用いているが、正確には、下院議員当選まで、ハーンの正式な姓名は「ヘルマン・フリードマン」。下院議員当選後、程なくして養母イヴァンカが死去。その後、フリードマンの籍を離れ、元の姓ハーンに戻している。だが、自分を世に出してくれた養母への感謝の念は終生持ち続けた。ハーンは伯爵位を与えられた後、養母の血縁の者を探し出し、自らが推薦人となり、その者に男爵位を与えて、フリードマン家を再興させている。

 

 帝国建国後、初代の国務尚書に就任したハーンは、他の尚書たちとは異なり、特筆すべき業績を上げた訳ではない。唯一、後世にも影響を及ぼした業績としては、領主貴族らと帝国政府が公式に協議する場として、枢密院の設置を進言した事が挙げられるが、それ以外に、彼が主体となった政治行為は見当たらない。だが、それこそが国務尚書ハーンの真骨頂だったと言えるのだ。

 

 いみじくも、ルドルフがその点を明確に語っている。その言葉を借りるなら「毎朝、ハーンが参内すると、余は尋ねる。何か問題は起こったかと。すると、ハーンは答える。いえ、陛下、何も問題は起こっておりませんと。そのやり取りで、余はそれから、安心して重要な政策課題に取り組める。もしも、余が対応しなければならない重大な問題が生じたら、あの者は例え真夜中であろうが、余の寝室に突入してくるだろうから」。

 

 ハーン自身は、「私の責務は、誕生したばかりの銀河帝国という繊弱な赤子が心身共に健やかに育つよう、陛下の御力をその点に集中して頂く事だ。それに、私以外の尚書は皆、人傑ぞろいだ。彼らの能力が陛下と帝国のために活かされるようにすればよい。浅学非才で、人の話を聞くしか能の無い私が出る必要など無いのだ」と自らを語っている。

 ルドルフと尚書達が職務に専念できるよう、何も起こらない事、何も起こさない事、それこそ国務尚書ハーンが自らに課した唯一にして最大の責務だったと言えよう。それは連邦時代、ルドルフと閣僚達が政務に邁進できるよう、議会と党内を取りまとめ、波風を立てさせなかった政治家ハーンの姿そのものだった。そして、この才能の持ち主を国務尚書に任命し、筆頭尚書として厚く遇したルドルフもまた、人を見る目があったと言える。

 

 性格は温和な人格者、風采は「田舎の学校の校長先生」(学芸尚書ランケ評)だったハーンは、おおよそ人前で怒った事がないと言われていたが、尚書在任中、たった一度だけ激怒した事があるという。

 

 ある日、尚書会議後の雑談で、学芸尚書ランケが最近、愛人から猫を貰って飼い始めたという話を始め、猫という奴は好い女に似ている、あのツンと澄ました態度が一転、甘えてくる様が実に良いなど、いささか下世話な感想を述べると、国土尚書ゲルラッハが同調。そのまま2人で盛り上がり、話の勢いで「犬は猫に比べると鈍くさくて、面白くない」と発言した瞬間、それまで笑顔で話を聞いていたハーンの態度が一変、「卿らが猫を愛好するのは良い。だが、犬を侮辱する事は許さん!」と激怒。ルドルフ以下、全員が唖然とする前で、靴音高く退室したという。

 

 後刻、皇帝への礼を失した事を謝罪に訪れたハーンに対し、ルドルフが事情を尋ねると、実は少年時代、家が貧しく、玩具なども買って貰えなかったハーンにとり、地域に住み着いていた犬たちが良い遊び相手だった事、それ以来、大の愛犬家になり、飼い主がいない犬がいると、矢も楯もたまらず引き取ってしまうため、妻から苦情を言われる事、犬を馬鹿にされると、友人を馬鹿にされたような気分になり、怒りを抑えられなくなる事など、微苦笑するしかない話を聞かされたルドルフは、後日、尚書達に向かい「今後、尚書会議において、犬に対する誹謗中傷は禁止とする」と、やや苦笑しながら宣言したと云う。

 

 帝国暦38年、ルドルフに先立つこと4年、ハーンは老衰によって死去。既に現役は引退しており、帝室顧問官の肩書で、晩年のルドルフの話し相手を務めていた。

 当時、老人性鬱の兆候を示し、人と会う事を避けていたルドルフだったが、唯一、ハーンとだけは喜んで会っていた。それだけに、ハーンの死はルドルフの心身に大きな衝撃を与えた。ハーンの死を聞かされたルドルフは「これでもう、余は愚痴を零す事もできなくなったな…」と呟いたと、当時の侍従の一人が書き残している。これ以降、ルドルフは崩御するまでの約4年間、玉座と病床を往復するような生活を送る事になる。

 

 なお、ハーンは自らの死を悟ると、現役引退後に書いた日記を全て、自分の目の前で焼却させている。家族に理由を問われると、一言「陛下の御心に臣下が踏み込むなど、不敬の極みだからだ」と答えたという。ルドルフに無私の忠誠を捧げたハーンらしい行為であったが、一歴史学徒としては、最晩年のルドルフの心境を解明する上で、第一級とも言える史料の喪失だけに、何とも無念の思いを禁じ得ない。

 

 家祖ヘルマン死後、同伯爵家は国務官僚や直轄領総督を輩出する文官貴族の名家となる。喪心帝オトフリート1世の御代、権臣エックハルトが専横の限りを尽くすようになると、当主ホルストは当時、国務省第二調整局長の地位にあったが、エックハルトと彼に与する貴族達の横暴で、領主貴族の中には不平不満が高まっている事を察知。このままでは帝国全土を巻き込んだ内乱発生もあり得ると危機感を募らせ、同帝の甥で英邁の評判高い、後の寛仁公フランツ・オットーがエックハルトの専横を苦々しく思っている事を知ると、自ら同公の下へ訪れ、領主貴族達の現状を報告、彼らを味方とすれば、エックハルトとその与党を排除する事が出来ますと言上した。

 

 ノイエ・シュタウフェン公爵家との権力闘争に勝ち、帝国軍を掌握するエックハルトに対し、自身と父親(後の老廃帝ユリウス1世)が保有する私兵しか信頼できる武力を持たない同公にとり、宇宙海賊や反帝国組織との戦闘で鍛えられた、辺境域の領主貴族達が持つ私兵部隊は極めて魅力的だった。

 

 同公の意を受けたホルストは、その職責を活かし、まずエックハルトの汚職や不正行為で、経済上の被害を被っている領主貴族らを選んだ。そして、帝国政府とその領主との間で調整すべき事項があると言い立て、職務遂行を隠れ蓑に、自らその領地まで赴き、寛仁公に味方して、奸臣エックハルトを誅殺する事に助力して欲しいと口説いて回った。

 

 多くの領主達がエックハルトらの横暴に苦慮していた事、そしてホルストが家祖ヘルマンを彷彿とさせる交渉力の持ち主だった事もあり、領主貴族の大部分は反エックハルトで一本化。当時、領主貴族の盟主的存在だった大諸侯、カストロプ公クレメンスも賛同し、枢密院議長でもあった彼の尽力によって、枢密院も反エックハルトで統一された。

 

 旧帝国の公式記録では、耽美帝カスパーの寵童フロリアンを殺害するために、兵を引きつれて新無憂宮に参内したエックハルトをリスナー男爵率いる一隊が射殺した、となっているが、このリスナー男爵が率いた部隊は、カストロプ公を始め、各地の領主貴族達が密かに、少人数ずつ帝都に呼び寄せた精鋭の私兵達だった。

 

 エックハルト誅殺の功績で、寛仁公はホルストを国務尚書に任命、帝国政府との関係が悪化した領主貴族らとの関係修復に当たらせた。家祖と同様、安定した人格と交渉力で領主らの信頼を勝ち取り、一時は内乱寸前まで悪化していた国内の情勢を落ち着かせると、政府や軍への出仕を望む領主貴族の子弟や家士達を募って、適当なポストを斡旋していった。

 

 これは、一族の就職先に悩んでいた領主貴族達の希望を叶えてやる事での懐柔策、というだけではなく、エックハルトの専横で混乱してしまった中央の政府や軍に優れた人材を集めるための策でもあった。事実、彼らの中には主家の籍を離れ、独立した文官・武官貴族に転身する者も多かった。

 

 寛仁公の腹心にして、歴代の国務尚書の中でも五指に入る名政治家として、後世に令名を残すホルストだが、その最期は決して幸福では無かった。

 

 寛仁公の死後、皇太曾孫カールが老廃帝ユリウス1世を暗殺、旧帝国史上初の皇帝弑逆事件を起こした事は良く知られているが、この事実を以てカールを脅迫し、帝位継承権を譲らせたブローネ侯爵、後の痴愚帝ジギスムント2世も、決して群臣に望まれて帝位についた訳ではなかった。

 即位前から、金銭に異常に執着する性格である事はよく知られており、自領の平民に極端な重税を課したのみならず、皇族の立場を利用して、家士や従士など貴族身分のみの保有者や富裕平民に男爵位や帝国騎士位を斡旋、その見返りに莫大な謝礼金を要求するなど、守銭奴じみた行為は皇族や貴族の眉を顰めさせるのに十分で、枢密院からも是正勧告が出されていた。

 

 しかし、カールが大罪人となった以上、それに次ぐ帝位継承権を持つ男性皇族はジギスムントしかおらず、群臣は胸中に大きな不安を感じつつも、その即位を受け入れるしか無かった。

 その後の結果は読者諸氏もご存じの通りだが、富の餓鬼道に堕ちた痴愚帝を厳しく諫め、祖父たる寛仁公殿下に倣い、臣民の生存と安寧を第一とする政治を行うよう、何度となく諫言したのが国務尚書たるホルストだった。

 

 だが、痴愚帝に諫言を受け入れる度量などあるはずもなく、却ってホルストを憎悪、無用の言葉で皇帝の尊厳と品位を貶めたとして、爵位と財産の没収を宣告、当人には毒物による自裁を強制し、一族は悉く辺境域に流刑。以降、ハーン伯爵家は決して再興してはならぬと付け加える有様だった。

 

 痴愚帝を強制退位させた再建帝オトフリート2世が即位すると、ホルストは名誉回復がなされ、ハーン伯爵家も辺境域で生き残っていた一族の男性に継承させているが、この人物はそれまでの過酷な生活で精神のバランスを崩していたのか、弔慰金として再建帝から下賜された金銭を浪費し、無意味な散財を繰り返し、酒色に溺れ、果ては非合法な合成麻薬にまで手を出して、在位わずか6年の再建帝に先立って死去。後継者不在のため、絶家しているが、世人は「痴愚帝の呪いで再び絶家したのではないか」と噂したという。



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9-9:宮内尚書ノイラート子爵

 国務尚書ハーンが表面の調整役を務めたとするなら、宮内尚書ノイラートは裏面の調整役を務めた人物だった。ノイラート家は連邦屈指の名門政治家の家系で、連邦原加盟国の1つ、ペデルギウス共和国の政府首相を先祖に持つ。以来、ペデルギウス政界の重鎮として、政治家・官僚を多数輩出する。

 

 また、交通の要衝だった同星系の立地を活かし、家業として星間運輸業を営んでいた。そのため、後の宮内尚書ノイラート子爵マルクスは、同業者のクロプシュトックやゲルラッハとは商売上の交際があり、この縁が後年、ノイラートをルドルフに仕えさせる事になる。

 

 ルドルフがペデルギウス星系に赴任する前、マルクスの父クラウスは、ルドルフを同星系に招聘したイブン・エル・サイドと政府首相の地位を争っているが、エル・サイド陣営が仕掛けた世襲批判に晒されて、首相の椅子を逃したばかりか、政界引退に追い込まれている。

 当時、マルクスは引退した父に代って、星系議会議員の地位にあったが、時流に乗っただけの成り上がり者と軽蔑していたエル・サイドが首相になっただけでも業腹なのに、同首相が中央財界の多星系企業に媚を売って、地場企業を蔑ろにする事にも、地元財界人として深く憤っていた。

 

 折しも、宇宙海賊(実際は海賊を装った大企業傘下の軍事会社社員)の処置を巡り、ルドルフとエル・サイド首相が対立し、ルドルフ擁護の世論の高まりがエル・サイド首相へのリコール運動に発展した。ルドルフの首相就任を図る旧知のクロプシュトックから支援を要請されたノイラートは、政敵のエル・サイド首相に一矢報いる好機だと、自身の人脈をフル活用、議会内の多数派工作を担当し、ルドルフの首相就任を実現させる。

 

 その実、ノイラート自身も首相の椅子に色気を持っていただけに、心中複雑なものがあったと想像されるが、ルドルフと実際に会い、そのカリスマ性に触れると、これは到底敵う相手ではないと思い知ったのか、以降、ルドルフの後援者、ひいては臣下に徹する事になる。エル・サイド首相がルドルフを自身の膝下に置こうとしたのとは対照的で、政治家一族の血の成せる業なのか、その人物鑑定眼は確かだったと言えよう。

 

 宇宙暦297年、ルドルフはペデルギウス星系政府首相のまま、連邦議会下院議員に当選、活動の場を中央政界に移すと、ノイラートはルドルフから同星系政府首相代行に任命される。

 

 ルドルフの政治的基盤たるペデルギウス星系を預かる、番頭役としての就任だったが、ノイラートは不平不満を漏らす事無く、首相たるルドルフの政策を変更する事も無く、黙々と実務を処理し続けた。

 また、ルドルフが中央政界で頭角を現すにつれて、反ルドルフ派の活動も激化、ペデルギウス星系も宇宙海賊や海賊に偽装した民間軍事会社、また軍閥化した連邦軍などの攻撃に晒されるようになったが、ノイラートは「防衛戦は治安維持部隊のリスナー司令官に任せている」として、一切、口を出さなかった。

 ペデルギウス本星にも戦禍が及びそうになると、住民は避難させたが、自らは「首相が戻られるまで、ここを守るのが私の責務だ」と言い、政府庁舎の執務室から動こうとしなかった。ルドルフへの忠勤を示すポーズだったのかもしれないが、戦乱期の政治家に相応しい胆力はあったと言えよう。

 

 容姿は名門の御曹司らしく、端正な紳士だった。学芸尚書ランケと並んで、初代尚書中では一二を争う美男子だったが、ランケが男性的な容貌だったのに対し、ノイラートは中性的な容貌で「隠花植物の美」とも評された。ある時、ランケが「若い時の卿を女装させてみたかったな。さぞ臈長けた美女になった事だろう」と揶揄ったら、微笑を浮かべて「ああ、よく言われたな」と平然たるものだった、という。

 その美貌は子孫にも受け継がれて、強堅帝ジギスムント1世の皇后になった孫娘アデルハイドは、歴代皇后の中でも群を抜いた美しさで有名。絶世という表現が決して過言ではない、艶麗たる美女だった。

 

 尚書就任後は、連邦政界に張り巡らされた血縁、閨閥を駆使、各星系の首相(総督)や有力議員に働きかけ、半独立傾向にある星系が帝国に帰順するよう、説得工作を担当した。

 

 国務尚書ハーンが公式な協議、交渉を主導した事とは対照的に、表沙汰にはしにくい裏工作や密やかな調略を得意としていた。その職務の性質上、明らかになっていない面も多いが、帝国暦3年、銀河帝国皇帝ルドルフと、汎オリオン腕経済共同体総裁ディートリヒとの秘密会談が実現できるように、水面下で交渉、調整したのはノイラートだったと言われている。一説には、シリウスや攻守連合などの敵国にも密使として訪れ、休戦や経済交流に関する交渉事を行ったとも云う。

 

 秘密主義的な為人から、同僚の尚書達から必ずしも好かれていた訳では無かったが、機密情報を日常的に取り扱いながら、情報漏洩を一切させなかった手腕は評価されており、尚書同士が水面下で行った交渉では調整役を務める事が多かった。この面でも、国務尚書ハーンが表の調整役なら、宮内尚書ノイラートは裏の調整役を務めていたと言えよう。

 

 なお、宮内尚書が皇帝の意を受けて、水面下で秘密交渉を行う事は、その時の尚書の力量にも左右されるのだが、初代尚書ノイラート以降、帝国政界の伝統ともなっている。その結果、皇帝とのパイプを独占した宮内尚書が権力を専断し、国務尚書に代って、事実上の筆頭尚書になった例もある。

 

 宮内尚書としては、帝室・後宮の制度設計を主導し、貴族制度の創設についても、国務尚書・学芸尚書と共に参画している。

 他の尚書達は、自ら実務もこなすタイプが多かったが、ノイラートは部下達に仕事をさせ、自身は監督役に徹するタイプだった。しかし、ペデルギウス星系政府の首相代行を務めていた時は、自ら実務も処理していたので、能力的に出来なかった訳ではなく、貴族制度の創設を見据え、自家の一門たり得る人材の発掘、育成に努めていたと思われる。事実、侍従長カルテナー子爵、典礼職長ノイケルン男爵ら、当時の宮内省で要職にあった貴族達は、ノイラート子爵家の一門を形成しており、それは後年、宮内省を権力基盤とする、同子爵家を頂点とした一大派閥に成長していく。

 

 表面的には、軍務尚書シュタウフェン公爵が自身の部下達を貴族や従臣に取り立て、軍務省と内務省、帝国軍内に派閥を形成した事と相似だが、シュタウフェン派が帝国政府と軍当局の権力独占を目指していた事とは異なり、彼らノイラート派は、当主たる子爵家の方針で、自家の保全を第一義としていた。

 

 そのため、可能な限り皇帝の陰に隠れ、「皇帝陛下の御意向」を大義名分として、政治の表舞台に立つ事を極力避け、宮内省(後年は典礼省も含む)内部の勢力を維持し、かつ一門内で結婚や養子縁組を繰り返し、血の継承に努めた。それは、連邦時代から続く名家が本能的に持っていた自己保存欲求の表れだったのかもしれない。

 

 なお、フェザーン自治領の国是と言われる言葉「侮りを受けるほど弱からず、恐怖されるほど強からず」は、一説には、初代宮内尚書ノイラートが死に臨んで、子孫に与えた訓戒だったとも云う。この言葉自体は、旧帝国の貴族社会で、ある種の処世術を示す格言として広く膾炙していたので、或いは初代自治領主レオポルト・ラープが旧帝国貴族から聞き知り、自国の国是としたのかもしれない。

 

 しかし、ただ保身だけでは逆に滅亡の門を開いてしまう事もある、時には乾坤一擲の勝負を挑む事も必要、ノイラートは戦乱期を生きた政治家として、この事をよく知ってもいた。

 

 前述した通り、寵姫マグダレーナの死を巡る一連の動きで、ノイラートは難産のため母子ともに死去した、という宮内省付医師の主張は事実だと証言しているが、皇后エリザベートの意を受け、母子殺害の企てを計画した主犯は、或いはノイラートだったのでは、という噂は当時から宮廷内外に流れていた。

 

 非嫡出子とは言え、皇帝の御子の殺害に関与した事が証明されれば、我が身はおろか家門全員も処刑は免れ得ない。しかし、ここで傍観者になってしまえば、確実に皇后エリザベート、そして皇女カタリナらの敵となってしまう。宮中と宮内省を自家の権力基盤と考えているノイラートにとって、選べる選択肢では無かった。危険な賭に勝ったノイラートは、前述の通り、孫娘アデルハイドを皇太孫妃に内定させ、強堅帝ジギスムント1世の義理の祖父、外戚となり、爵位も侯爵となった。

 

 ただ、ジギスムント1世即位後、アデルハイドの父親で、マルクスの嫡男たるハインリッヒは、決して政治に関わろうとはせず、万事、皇帝の父たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムに譲ったが、それは、既に故人となっていたマルクスの遺言の故だったとも言われている。

 

 マルクス本人は帝国暦34年、心疾患で死去しているが、ノイラート侯爵家はその後も宮廷官僚の領袖として権勢を極め、皇后を輩出する事2回、宮内尚書・典礼尚書を務めた人物は数知れず、という権門だったが、帝国末期、リップシュタット盟約に参加したため、絶家している。だが、自己保存の本能は依然として健在だった。 

 

 亡国帝フリードリヒ4世の御代、侯爵家最後の当主グスタフは、グリューネワルト大公妃殿下が同帝の寵愛深く、開祖ラインハルト陛下が急激に台頭した事に注目、或いは帝国の権門になる可能性も絶無ではないと、何らかの対策を講じる必要性を感じた。

 折良く、一門のベルンハイム男爵家の当主が死去した事に利用、自身の弟ヘルムートを末期養子に送り込む。そして、同じく一門のノイケルン宮内尚書を動かし、ヘルムートを同省後宮職長に就任させると、フリードリヒ4世の内命を盾に、妃殿下が宮中で不当に遇される事が無いよう、陰に陽に保護した。

 

 亡国帝の寵愛を奪われたとして、妃殿下を憎悪していたベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナが同じ宮中内にいた妃殿下に害を加える事が出来ず、専ら戦地にいるラインハルト陛下の御命を狙ったのは、ベルンハイム男爵ヘルムートが後宮職長の職権を用い、妃殿下の傍に信頼できる人物以外が近づかないよう、後宮内の人事を差配したからでもあった。

 

 また、一門のシャフハウゼン子爵家を動かして、妃殿下に子爵夫人を近づけさせ、友人関係を結ばせた。御本人同士の間には確かに友情があったが、シャフハウゼン子爵家やベルンハイム男爵家を通じて、妃殿下、またラインハルト陛下の動静がノイラート侯爵家に伝わっていたのも事実だった。

 

 廃帝エルウィン・ヨーゼフ2世が即位、ブラウンシュヴァイク公が主導するリップシュタット盟約が成立すると、ノイラート侯グスタフは、一門に属する貴族家の多くが盟約に参加したため、自家が参加しなければ、内戦後に発言権を失う事になりかねないと、盟約への参加を決めた。

 

 しかし、弟たるベルンハイム男爵ヘルムートには、万が一のための保険として、ローエングラム・リヒテンラーデ枢軸に参加せよと密かに指示。妃殿下の信を得ていたヘルムートは、その口添えを得て、当時ローエングラム侯爵だったラインハルト陛下に帰順。新帝国開闢後は、妃殿下の推薦を受けて、宮内尚書に就任している。血を絶やしたくない、という家祖マルクスの執念は、新旧両帝国を越えて受け継がれたと言えるだろう。



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9-10:内閣書記官長クロプシュトック伯爵

 初代尚書10名のうち、9名まで紹介してきたが、最後の1人は、今までもしばしば言及してきた、内閣書記官長クロプシュトック伯爵(後世、皇后を輩出したことで侯爵に陞爵)。ルドルフがペデルギウス政界に登場した時からの支援者で腹心の部下、建国の功臣中の功臣と言える存在なのだが、他の尚書達と比較すると、突出した才能がある訳でもなく、卓越した業績を残した訳でもない、後世の歴史家の中には「ただルドルフ大帝への忠誠心厚いだけの凡人」と酷評する向きもある。

 

 だが、無能を嫌悪したルドルフが能力の無い凡人に尚書の地位を与えるだろうか。更に、クロプシュトックは書記官長を皮切りに、財務尚書、内務尚書と歴任している。同一人物が3つ以上尚書職を歴任した例は少なく、著名な例では、帝国末期、リヒテンラーデ侯クラウスが内務・財務・宮内・国務を歴任してはいるが、当時の帝国政界は、先例重視で凝り固まっており、あらゆる事が初めてだった建国期とは、ただ業務量だけ見ても雲泥の差があった。この時期に、尚書職を歴任できたという一事から見ても、クロプシュトックの卓越した有能さを証明するものだとは言えないだろうか。

 

 クロプシュトックの有能さは、他の尚書達のように、実務能力や人格で表現されるものではなく、敢えて表現するなら「人間力」とでも言うべきものだった。

 

 もともとは星間輸送会社を経営していた企業家で、ルドルフに従い、連邦議会下院議員選挙に出馬、政治家に転身後は政務畑と党務畑を交互に歩み、国務政務次官や党書記長等を歴任。帝国建国後は前述の通り尚書を歴任し、行政家としても活躍した。財界・政界・官界と、全く畑違いの世界を歩んだが、そのどこででも大過なく職責を果たしている。

 また、部下達からの評判も良く、話の分かる上司と言われる事が多かった。学芸尚書ランケの評を借りるなら「偉大なる常識人。相手の話をよく聞く、相手の意見を理解する、自分の意見を明確に言う、相手と自分の意見の一致点と相違点を理解し、それを相手に説明できる、この他にもあるだろうが、要するに子供の頃、誰もが躾けられたであろう事を完璧に実行できる人物」だった。

 

 今は失われた武術の奥義を示す「礎を打つこと千遍。その技、神に入る」(=基礎を完璧に習得すれば、その技量は神がかった水準に到達する。即ち、基礎を疎かにしてはならないという戒めでもある)という言葉があるが、クロプシュトックは、この言葉を体現する人物だったのかもしれない。

 

 平易な言い方をするならば、人格・識見・能力・経験のバランスが極めて良かった人物、とも評せるだろう。或いは、ルドルフも青年期からの支援者、腹心になってくれたクロプシュトックを誰よりも信頼していたようだ。

 ルドルフが皇后エリザベートに宛てた書簡の一節に、国務尚書ハーンが病気がちとかで、引退の意向を示している、余は留任しているのだが、どうしても辞任せざる得ない時は、クロプシュトックを後任に据え、筆頭尚書にしても良い旨の記述がある。ルドルフからすれば、単なる着想だったのかもしれないが、皇后エリザベート、いやその父親、シュタウフェン公爵からすれば、聞き流せる情報では無かった。

 

 国務尚書ハーンと並び、人格円満にして、ルドルフの信も厚く、官僚達の人望も集めるクロプシュトックだったが、唯一の欠点と言えるのがルドルフと帝国への思い入れの深さだった。寵姫マグダレーナの項で述べた通り、ペデルギウス星系時代からルドルフの部下だった自分たちこそ譜代の臣、ルドルフと自分たちが作り上げた銀河帝国を変質させる事なく、未来永劫に亘って継承させる、それこそ自分たち譜代の臣の責務と信じ込んでいた。

 

 しかし、シュタウフェン公爵を始め、ルドルフが中央政界で台頭した後に部下になった者たちからすれば、それはペデルギウス出身者で皇帝と帝国を独占しようとする行為に他ならなかった。結局、クロプシュトックの国務尚書就任はシュタウフェン公爵の反対で実現せず、共和主義者のテロで死亡したファルストロングの後任として内務尚書に就任。これ以降、クロプシュトックをリーダーとするペデルギウス派と、シュタウフェン公爵を筆頭とするシュタウフェン派は対立を深め、それが皇孫ジギスムントの誕生から寵姫マグダレーナの死去、ひいてはクロプシュトックの失脚へと至る、一連の流れを形成した原因になったと言えるだろう。

 

 尚書職を辞した後、クロプシュトックは伯爵位を後継者に譲って、自領にて事実上の謹慎生活に入った。内務尚書時代、敵国と通謀の疑いありとして弾劾した元国土尚書ゲルラッハと同様、政争に敗れて、領主貴族に転身するしかなかった我が身を顧みた時、心中思う事はあっただろうが、クロプシュトックは死去するまで、内心の思いを表す事なく、帝国政府の意向に逆らう事なく、ルドルフに変わらぬ忠誠を捧げ続けた。クロプシュトックにとり、皇帝ルドルフと銀河帝国は一生を捧げた「作品」であり、それに逆らう事は、自らの人生を自分自身が否定する事に他ならない、そう思っていたのかもしれない。

 

 帝国暦40年、老衰のため死去。遺言は「クロプシュトック家の当主は、何が起ころうと、決して帝室と帝国に弓を引いてはならぬ」だった。その言葉通り、内乱や政変が発生しても、常に皇帝の側に立ち、帝国末期まで名門貴族たる地位は保ったが、最後の当主ウィルヘルムに至って、その遺言は破られた。

 

 なお、家祖アルブレヒトの死後、クロプシュトック家は約100年に亘って、シュタウフェン派が独占する帝国政府や軍当局に出仕する事は叶わず、名門の領主貴族として地方に留まるしかなかったが、史上最悪の禁治産者と呼ばれた痴愚帝ジギスムント2世から帝位を奪った再建帝オトフリート2世の御代、その経営手腕を見込まれ、財務官僚として登用された事を契機として中央政界に復帰した。

 それ以降、文官貴族の名家として、各省尚書を輩出する権門に返り咲いた。さらに、文華帝エーリッヒ1世、止血帝エーリッヒ2世、節倹帝オトフリート5世の皇后を生み出し、爵位も侯爵に陞爵しているが、同一の貴族家が3人の皇后を生んだのは、旧帝国史上、クロプシュトック侯爵家だけである。

 

 さて、皇帝ルドルフの「内閣」を構成した各省尚書達の姿だが、実務者と調整役が巧みに配置された、極めてバランスの取れた陣容だった言える。

 

 彼らの多くは、帝国貴族の名門、権門となっているが、帝国末期まで存続したのは、リヒテンラーデ侯爵家・ゲルラッハ子爵家・ヘルムート侯爵家、そしてクロプシュトック侯爵家のみで、残りは約500年に及ぶ旧帝国史の中で絶家している。新帝国開闢後、旧帝国の典礼省が所蔵していた諸家譜(貴族家の名簿)を統計分析した結果、貴族制創設時からリップシュタット戦役時まで、家祖からの血統が辛うじて繋がっていた貴族家は、戦役時の全貴族家のうち、2割に満たない数だったという。

 

 同盟の歴史学界などでは、帝国貴族は建国時より、平民の労働の成果を搾取し、栄耀栄華を誇っていた等の言説が堂々と語られていたが、この数字を見ただけでも、貴族が決して安閑と過ごせる地位では無かった事と、その権力闘争の苛烈さを窺う事が出来る。前述した事の繰り返しになるが、権力闘争という形で各貴族家が切磋琢磨したため、貴族身分の人材が錬磨され、かつ政治権力者の新陳代謝も図られた結果、民主国家で云うところの政権交代や革命が擬似的に発生した。逆説的だが、だからこそ、旧帝国は約500年もの間、身分制社会を維持できたとも言えるのだ。

 

 そして、その先鞭をつけたのは、有能かつ特異な性格の持ち主で、皇帝ルドルフに忠誠を尽くし、職責を全うするために人生全てを捧げ、自らの信じる理想実現のために、派閥を形成し、政争を繰り広げた、彼ら初代尚書達だったかもしれない。



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第5章 帝国の経済体制Ⅰ~統制経済の系譜
第1節 宇宙経済史概説①~地球統一政府の成立からシリウス戦役まで


 旧帝国の経済体制が所謂「統制経済」だった事は周知の事実だが、連邦時代の自由経済体制を改変して、統制経済の導入に踏み切った理由は何か、同盟では、皇帝以下の特権階級が社会の富を搾取、占有するためだった、全ての事象を支配せずにはいられなかったルドルフの飽くなき権力欲の故など、皇族・貴族ら支配者階級の貪欲さに答えを求めているが、建国期の史料を分析すると、これほど単純な理由ではない事が明らかになってきた。

 

 第1節~第3節では、旧帝国が統制経済を採用した事の前提となる、13日戦争以降の経済体制の推移と、連邦末期に生まれた経済思想「人間主義経済」について述べたい。

 

 そもそも、自由経済と比べると、統制経済は国家主義的で非効率、人民に負担ばかりを強いる体制だと見られがちだが、それは人類が滅亡の危機に晒された13日戦争までの常識でしかない。全面核戦争によって、地球上の生産設備はほぼ壊滅、流通網は破壊されて、人口は激減。放射能汚染も酷く、汚染されていない土地や資源は極めて少なかった。

 この惨状に拍車をかけたのが、当時の二大強国、北方連合国家(NC)と三大陸合州国(USE)の滅亡後、地球上に生き残った小国家の対立抗争。限られた土地と資源を巡り、略奪暴行は日常茶飯事となり、国家もそれを規制するどころか、自国の生き残りだけを考えて、将来展望の無い自滅的な抗争を続けた。当時の人類社会は、過去数千年に亘って養ってきた知性と理性を忘却しきった、悪夢の世界だったと言えるだろう。

 

 世界人口が10億人前後まで減少し、武器の生産も出来ず、戦死者の数を餓死者が上回るようになると、人類はようやく話し合いという手段を思い出したかのように、自分たちの滅亡回避だけを目的に結束する事が出来た。もっとも、武器を手にして他者を殺害してでも、自己の生存空間を守ろうとするエネルギーの持ち主、いわゆる過激派・武闘派と言うべき存在が死に絶えたから、という皮肉な見方もあるが。

 

 西暦2129年に成立した地球統一政府(GG)は、人類の種としての生存を最優先課題として、限られた資源を食料生産能力の回復に集中投資するしかなかった。それは、戦災などで国土に甚大な被害を受けた国家が国力回復のため、限られた資源を重工業等に集中投資する傾斜生産方式、開発独裁などと呼ばれた手法だった。このような経済政策は、核戦争以前もしばしば採用されたが、それが全人類規模で行われた事は史上初であり、これ以降、人類が生存の危機に瀕した時は、国家が主体となり経済を統制する事は当然だ、との思想が生まれた。この地球統一政府の経済政策に端を発する思想が、旧帝国の統制経済の起源だったと思われる。

 

 地球統一政府の経済政策は、建国初期においては確かに効果的だった。少ない耕作可能地を効率的に使用するため、米・小麦・トウモロコシなどの三大作物を始め、基礎的な農水産物と畜産品を集中的に栽培。土地の不足を補うための栽培プラントも次々と建設されて、食料自給率は短期間で100%を達成できた。この基盤が後の宇宙開発の成功につながっていった。

 

 だが、地球統一政府の失敗は、統制経済を自国の権力維持と経済的繁栄の手段にしてしまった事だろう。西暦2360年、超光速航行が実現すると、人類の生存圏は一気に拡大し、銀河系内に多数の植民星を産み出した。地球統一政府は宇宙軍の武力と数の論理を背景に、食料自給率の維持を名目にして、植民星にモノカルチャー(単一栽培)を強制。また、地球政府が出資した事実上の国営企業が植民星の各種産業を支配、植民星住民の労働の成果を搾取し続けた。

 

 その結果、植民星の憎悪と離反を招き、最終的にはシリウス政府、所謂ラグラン・グループの蜂起による地球政府の滅亡へと至る訳だが、この地球政府が実施した統制経済への反発から、各植民星の政府内部より、統制経済を悪とし、自由経済を至上とする思想が生まれた。ラグラン・グループの崩壊は、地球の経済力を支えた巨大国営企業群、ビッグ・シスターズの処遇を巡るタウンゼント首相とフランクール国防相の対立抗争が原因だった事は周知の事実だが、フランクールの私的ブレーンの中に、この自由経済至上主義者たちがいた。両者の対立は、経済体制を巡る思想の対立だったとも言えるのだ。統制経済と自由経済を巡るこの思想的対立は、今後も人類社会に長く影響を及ぼす事になる。



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第2節 宇宙経済史概説②~シリウス崩壊から銀河連邦の成立まで

 ラグラン・グループ崩壊後、人類社会は多数の国家が対立と抗争を繰り返す戦乱の時代へと突入したが、13日戦争後と決定的に異なるのは、人類が宇宙を生存圏とした結果、居住空間と資源が事実上、無限に存在した事だ。

 人類が地球上でしか生存できなかった時、土地と資源は有限であって、また生産活動に伴って生じる環境汚染も生存を脅かす深刻な問題だったが、宇宙時代の到来後、惑星開発や資源採掘にかかるコストを度外視するなら、それらの問題は完全に解決された。

 

 先ほど戦乱の時代と述べたが、見方を変えるならば、それは自由競争の時代でもあった。地球という軛から解き放たれた各植民星は、雪崩を打って完全独立を宣言。無尽蔵の資源を使い、右肩上がりの経済発展を実現させただけではなく、相互の経済交流を進め、その富をさらに増大させていった。一切の制限がない自由経済こそが至上で、統制経済など時代遅れの遺物に過ぎないと見なされた。

 その過程で、惑星の占有権や資源の採掘権を巡る紛争も発生はしたが、13日戦争への反省から、既に核兵器の使用はタブーとなっており、人類が滅亡しかねない絶滅戦争に至る事は無かった。それは西暦1900年代、地球上に複数の国家が並立し、互いに抗争しながらも、経済発展を共通の価値観として、一定の秩序を保った時代とよく似ていた。

 

 当時の人類社会が国家間の紛争解決の手段として、汎地球的な国家連合を設けたように、西暦2700年代の人類社会もまた、同様の結論に達しようとしていた。経済交流の促進と紛争の調停を目的として、一部の星系国家が汎銀河経済共同体を設立。発足当時は加盟国も少なく、先進国による会員制高級クラブなどとも揶揄されたが、その有効性が明らかになると、世論の突き上げを受けた諸国は次々と加盟を申請するに至る。

 そして、かつて地球軍の手で徹底的に破壊、略奪されたラグラン市の最後の市長だったジョセフ・マサーリックの子孫で、シリウス民主共和国首相を務めた政治家、ヤロスラフ・マサーリックが共同体総裁に就任すると「脱地球的な宇宙秩序」の構築を提唱、新時代に相応しい新国家の必要性を訴えた。

 

 当時、種全体のバイオリズムが昂揚期を迎えつつあった人類にとり、その訴えはこの上なく魅力的に感じられたのだろう。西暦2801年、西暦を廃止して宇宙暦を制定。宇宙暦元年にアルデバラン星系第二惑星テオリアを首都として、銀河連邦(USG)の成立が宣言されるまで、マサーリックの提案から数えて、僅か10年だった。

 

 連邦成立後、自由主義は国是となり、自由経済は永遠の繁栄を約束してくれると見なされた。だが、後世から見ると、それは人類社会の紐帯が経済発展にしか無い事の裏返しでもあったのだが、当時、その危険性に警鐘を鳴らす者はいなかった。無尽蔵の資源と、無限の居住可能惑星は、永遠の経済成長を保障すると思われていた。当時の人類は、あるいは救いがたい楽天主義者の集団であったのかもしれない。

 

 この銀河連邦の独裁者となり、最終的には銀河帝国皇帝に即位したのがルドルフなのだが、その台頭の前提となった、連邦社会の停滞と崩壊をもたらした要因は何だったのか、現在に至るも定説は無いが、行き過ぎた自由経済が齎した弊害を主な要因に挙げる学者は多い。

 

 無尽蔵の資源と無限の居住可能惑星は、経済発展の十分条件と見なされていたが、そこに錯誤があった。無尽蔵の資源があれば、理論上、生産活動も無限に実行できるが、自由経済では価格は市場での需給関係によって決定されるため、生産量が増える程、価格は下落せざるを得ない。経済活動は奉仕行為ではない以上、利益が見込める価格で販売できる見込みも無しに、各企業が生産活動を行うはずもなく、それに伴い、資源の採掘活動は中断、縮小され、辺境星域の開発計画も事半ばにして放棄された。

 

 それでも、供給に比例して需要が僅かずつでも増えるならば、持続的な経済成長が見込めたかもしれないが、連邦の人口は3000億人から増えず、宇宙暦200年代以降、減少傾向に転じた。人口減の理由も一様ではないが、巨大企業が市民の購買欲を喚起するために、物質的充足を至上とする価値観を鼓吹した結果、出産・育児を物質生活のデメリットとする風潮が蔓延した、また生活水準の底上げにより、中流以下の世帯には子育てが経済的なリスクと化した等が指摘されている。

 

 人口減は必然的に市場の縮小を齎した。巨大企業や既得権益層は将来不安に怯え、資産防衛に走り、社会奉仕や慈善活動は後を絶った。中流層も下流への転落に恐怖し、資産を増やすため、賭博的な投資や脱法ビジネスに手を出した。連邦社会はカネという単一の価値観に塗り潰され、自己の財産を守るためなら、他者を犠牲にしても構わない、他者を犠牲にして、自己の財産を守れるなら、そうする事が正しいと、半ば公然と語られるようになった。経済的成功者こそが英雄であり、自分を犠牲にして他者を助ける者は嘲笑された。経済発展が消滅した時、人類の紐帯もまた消滅したのだ。

 

 本来ならば、事態が深刻化する前に、連邦政府が適切な経済政策や人口政策を実施すべきだったろう。だが、自由主義という国是は、既に「呪い」と化していた。

 

 もともと、自由競争に勝利した国家の集合体という側面が強い銀河連邦は、政府は教育や福祉、治安維持など経済原理に馴染み難い分野にだけ関与して、市場への介入は原則として行うべきではない、という思想が支配的だった。市場への介入は社会主義、いや共産主義だと、政財界の強い反発を招き、多くの有権者もまた、それを是とした。当時の連邦社会で主流だった思想は、個人の自由を最大限に尊重するリバタニアニズムであり、国家の恩情的な介入を是認するパターナリズムは忌避された。

 

 なお余談ながら、この問題は連邦の後継者を自任した同盟にも受け継がれた。同盟社会でもリバタニアニズムが思想界の主流だったが、同盟末期、自己責任を強制され、公的なサービスからも排除された低所得者層を救済して、健全な中間層に復帰させ、人的資源の回復を図り、対帝国戦争に勝利すべき、との主張が憂国騎士団などの右翼団体から出された。

 同盟末期、腐敗堕落した同盟政府へのクーデターを敢行した救国軍事会議も、その施政方針に、統制経済を実施し、社会に活力を取り戻して、対帝国戦争を完遂する事を掲げており、政治思想上から見れば、リバタニアニズムに対するパターナリズムの反撃だった、と指摘する研究者も存在する。

 

 かくして、連邦社会は自由を尊重するという美名の下、貧富の格差が極大化、自己の財産に固執する既得権益層に絶望した中・低所得者層は、硬直化しきった社会格差を破壊してくれる存在を求めた。ここに、ルドルフ・ゴールデンバウムが台頭する素地が生まれたと言えるだろう。そして、ルドルフ台頭の思想的背景として、連邦末期に提唱された、新しい経済思想の存在を指摘しておきたい。



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第3節 宇宙経済史概説③~「人間主義経済」思想の誕生

 前述した通り、連邦社会で主流だった思想はリバタニアニズムだったが、宇宙暦250年頃から、一部の経済学者らは、自由の過度な尊重が弱肉強食の過酷な社会を生み出した、経済主体がモラルを捨て去り、略奪的な営利行為を続けた結果、市民生活が破壊され、人間存在は毀損されていると主張。市場万能の立場を取る自由経済を批判して、政治的主体たる市民、その集合たる国家が市場の暴走を制御できる統制経済が望ましいのだ、という経済思想を提唱した。

 

 彼らは市民派学者を称し、富の独占を図る大企業と、それに追従する連邦政府を激しく批判。市民派の代表的存在だった経済学者ダニー・イノウエは、13日戦争後の地球統一政府が採用した統制経済を例に挙げ、「現在の連邦社会は、物資こそ豊富にあるが、貧富の格差が極大化し、低所得者層は生命維持に必要な基礎的食品さえ購入できない状態に陥っている。彼らにとり、生存に必要な物資を入手できないという一点において、この社会は核戦争後の焦土に等しい。我々の先人達は、地球統一政府を設立して、人類の種としての存続という目的のために、限られた資源を食料生産能力の回復に集中投資した。その結果、人類社会は力強く復活を遂げ、今日の宇宙時代の基礎を築く事が出来た。人類が生存の危機に瀕した時は、国家が主体となり、経済を統制する事は当然の措置だ。今、連邦社会に求められているのは、まさにこの統制経済なのだ」と声高に主張した。

 

 彼ら市民派は、自らの思想を「人間主義経済」または「倫理経済」と称し、自由経済至上主義を「略奪経済」「投機的(カジノ)経済」と批判した。

 一方、自由経済を擁護する主流の経済学者らは、市民派の学説を「地球時代の遺物」「度外れた時代錯誤」「国家主義経済」と嘲笑。「経済活動に対し、国家が不当に介入すれば、健全な市場の成長が阻害される」と、教科書通りの批判を浴びせかけ、一顧だにしなかった。

 

 しかし、経済的苦境で生命の危機に晒されている低所得者を守るべきという政治家、国家の統制を外れ、国家内国家と化しつつあった大企業の振る舞いを苦々しく思っていた経済官僚、彼らの中には、この思想を好意的に受け止める者達もいた。

 

 旧帝国の初代尚書中で言えば、国務尚書ハーンや、財務尚書リヒテンラーデは人間主義経済の思想を肯定しており、学芸尚書ランケは自著の序文で、自身の学説に影響を与えた事を認めている。

 

 若きルドルフがこの思想の影響を受けた事を証明する史料は、現時点では発見されていないが、父セバスティアンが自殺した原因となった、若手の連邦軍人らが企図したクーデター未遂事件の裁判記録に、当時のルドルフがこの思想に触れていた可能性を示唆するものがある。

 

 前述の通り、ルドルフは銀河連邦の実権を握った後、父の無実を証明するために、本事件の裁判をやり直させたが、その時の裁判記録によると、クーデターを企てた若手将校の中に「政府打倒後は、自由経済を撤廃し、人間主義経済を導入する予定だった」と証言した者がいる。

 その将校は父セバスティアンが士官学校教官時の教え子だった事が判明しており、仮にこの学説を若手将校らに紹介したのがセバスティアンだったとするなら、少年時代のルドルフが父から教えられていても不思議ではない。ルドルフが娘達に送った書簡、また晩年に執筆した自叙伝等にも、自身の少年時代、父親から勉強を教えられていたとの記述があり、その時、この経済思想を伝えられた可能性は十分にあるだろう。

 

 ともあれ、ルドルフ以下、帝国建国の功臣達の中には、この人間主義経済を肯定する者が存在していた。彼らが主導する以上、帝国の経済体制が統制経済としてデザインされるのは当然の帰結だっただろう。それは、同盟で語られていたように、富の独占を企図したものではなかった。仮に、ルドルフらが富の独占だけを目的としていたならば、連邦の自由経済を否定する必要など無かった。連邦社会の富を独占していた既得権益層を処刑し、自分達がその地位に就けばよいだけだったのだから。逆に、富の独占を嫌い、貧富の格差が極大化した連邦末期の社会を否定するからこそ、人間主義経済という統制経済を採用したと見るべきだろう。

 しかし、一言で現せば「統制経済」という括りになるが、新史料を子細に分析していくと、彼らの中にも、経済に対する視点の違い、力点の違いが見えてくる。以下、それぞれの立場を簡単に整理してみた。

 

 1.国家派

 国家主導派とも言う。皇帝ルドルフほか、初代尚書では、軍務尚書シュタウフェンと内務尚書ファルストロングが属する。帝国軍や軍務省、内務省に信奉者が多い。軍人特有の潔癖さとプライドの高さから、金銭に関わる事を卑しみ、経済活動自体を価値の低いものと見なす。

 連邦末期の社会を実際に見た経験から、金銭(資本)とは、規制せず放置しておけば、自己増殖を始め、社会機構を席巻し、最終的には人間を頤使し、破滅へ導く存在と考えていた。そのため、国家が資本の活動を統制できる事が望ましい経済体制の前提であり、経済活動の主たる目的は利益追求ではなく、国家の政策や臣民の生活に必要な物資等を円滑に生産、流通させる事とした。

 よって、物資の生産は市場の要請に従うのではなく、国家と臣民の必要性に基づき、その優先順位と生産量を定めるべきであるとした。利益を上げる事は、生産体制の拡大再生産を可能にするため、という観点でのみ是認したので、経済発展のために、生産力と購買力を向上させるという事には否定的だった。

 

 2.臣民派

 再配分派とも言う。初代尚書では、国務尚書ハーンや学芸尚書ランケ、書記官長クロプシュトックが属する。国務省と各総督府に信奉者が多い。経済活動で利益を上げる事は否定しないが、利益だけを追求すると、貧富の格差が拡大し、社会の分断が進むと考える。政治の力で経済が暴走しないように制御すべきとした。

 国家派が国家に力点を置いていたのに対して、臣民派は臣民の生活を守るため、富の再配分を進めて、平等な社会を実現させる事を重んじていた。そのため、国営企業による失業者の救済(雇用確保)や最低所得保障制度、第一次産業の従事者や中小・零細企業を対象とする低利子融資制度、高額所得者への課税強化等を提唱した。

 

 3.統制派

 経済否定派とも言う。初代尚書では、財務尚書リヒテンラーデや司法尚書キールマンゼク、科学尚書ハイゼンベルクが属する。財務省や司法省、科学省に信奉者が多い。経済観や経済政策は、国家派とほぼ同じだが、思想的にはさらに急進的で、経済活動それ自体は無価値と断じる。経済活動は国家の施策と臣民生活に寄与する事のみが目的で、利益追求は不要だとした。

 この思想は、連邦末期、軍事会社という武力を手に入れた多星系企業が国家の統制下を離れて、違法な経済活動を公然と行う事に憤った経済官僚らの主張に端を発すると言う。彼らは私企業の存在を悪と捉えて、私経済を否定するようになり、市民派経済学者とは別に、統制経済の必要性を鼓吹した。

 

 彼ら3派の経済思想を比べると、国家が経済活動を統制すべき、経済活動の目的は国家の施策と臣民の生活に寄与する事との点では一致しつつ、その力点が微妙に異なっていた。

 

 国家派と統制派は臣民よりも国家に力点を置き、逆に臣民派は臣民生活を重視していた。ただ、当時の帝国は皇帝ルドルフの絶対的な支配下にあり、彼が信奉した国家派、そして初代尚書リヒテンラーデが信奉した統制派、この両派が経済官庁を兼ねた財務省で主流派を占めたために、臣民派の主張は非主流派に留まらざるを得なかった。国家派・統制派が経済政策を主導した結果、利益追求を目指さない、人類史上でも特異と言える「発展を求めない」経済体制が構築されていった。

 

 なお余談ながら、建国期に生まれた臣民派の主張が現ローエングラム王朝の経済政策に影響を与えている事は、意外と知られていない。

 後世、旧帝国史上屈指の名君と評された晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世は、同盟という公敵の出現、またダゴン星域会戦での大敗という現実を踏まえ、国力の回復を目指して、平民層の育成を図るため、彼ら臣民派の主張に基づいた経済政策を実施。国力回復への道筋をつける事に成功した。

 当時、自家の利益を最優先する貴族の姿勢を批判し、貴族は帝国全体の公益増進を考えるべきだと主張する、いわゆる開明派貴族が現れたが、彼らは晴眼帝を理想の皇帝と見なしたので、臣民派の経済政策を是とするようになった。即ち、開明派を登用した現ローエングラム王朝の経済政策は、遠く臣民派の主張が起源になっていると言えるのだ。

 

 次節以降で、旧帝国が目指した統制経済の目的と理念について解説したい。



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第4節 統制経済の実現可能性~地球統一政府の事例から

 旧帝国では、連邦末期の格差社会への反省、皇帝ルドルフの意向もあり、統制経済の導入が既定路線となっていた。それは国家が生産・流通計画を策定、国営企業等で計画的に製品を作り、国家の定める価格で販売する。国民は国家の指示の下、定められた職場で労働に従事して、そこで得た報酬で購入した、あるいは国家から配給された食糧等の生活必需品で生計を立てた。極めて概略的に述べれば、これが一般的な統制経済のイメージだと言えるだろう。

 

 西暦時代、社会主義、または共産主義を掲げる国家で、このような統制経済が実施された事はあったが、例外なく破綻している。その理由は様々だが、最大の要因は自由経済体制を取る諸外国の影響(当該国家からすれば悪影響)だと言える。

 

 連邦末期の社会状況が示すように、貧富の格差が拡大しやすい、というデメリットはあれども、生活水準の向上という一点に限るならば、自由経済体制は極めて効率のよいシステムだった。欲望を刺激された人民の前では、経済的な平等、生存が保障される社会体制など、色褪せた偶像に過ぎなかった。確かに、当該国家の為政者が腐敗し、平等という理念を忘れ、自身の欲望充足のため、経済システムを濫用、人民を酷使して、その富を収奪し、彼らの信を失った事もまた、統制経済が破綻した事の大きな要因ではあったが。

 

 ただ、この事は逆説的に、他国からの影響が無ければ、統制経済体制を維持できる可能性を示唆してもいる。旧帝国以前で、その実例と言えるのが地球統一政府のそれである。

 

 既述の通り、13日戦争で地球上の生産体制はほぼ崩壊し、主要な市場も消失した。地球政府は人類の種としての存続を図るため、限られた資源を食料生産能力の回復に集中投資したが、それは国家が生産・流通計画を策定し、企業らに製造させる統制経済にならざる得なかった。

 2000年代までの常識ならば、それはあくまで過渡期的措置であって、早晩、自由経済に移行するはずだったが、2129年の地球統一政府設立から2704年の滅亡まで約600年近く、地球政府は人類社会を支配する唯一の超大国として、統制経済を続けている。

 

 この事実は、経済的に競合する他国が存在せず、自国内だけで経済を循環させる体制が構築できれば、統制経済を永続化できる事の証左になるとは言えないだろうか。

 

 しかし、この見解に史料上の根拠が乏しいのも事実だ。地球・シリウス戦役で、地球は黒旗軍の無差別攻撃の対象となり、地球政府の公文書はその大部分が消滅、そのため同政府の実態は解明されていない点が多い。それは経済体制も例外では無く、地球政府が統制経済を継続できた理由に定説はない。

 しかし、地球政府を滅ぼしたシリウス政府経由で伝来した史料の中に、2200年代の地球政府と企業は、利益追求よりも、その事業が宇宙開発に資するかどうか、その点を重視する傾向にあった、との記録が残っている。

 

 当時の人類は、食料自給率100%を達成し、宇宙開発で資源・居住空間を潤沢に有して、核融合炉の実用化でエネルギー問題も解決、人類が地球だけを生存圏としていた事で発生した環境問題も消滅と、まさに地球時代、戦争の原因となった諸問題から解放され、宇宙開発にだけ集中できていたのは事実だ。

 

 敢えて推測すれば、遙か古代から人類の憧れとロマンの対象だった大宇宙は、人類史上最大のフロンティアであり、星々の海に出航できるようになった事は、全人類規模のロマンチシズムを充足させ、その満足度は金銭による物質的充足を上回ったのではないだろうか。

 その時、国家が統制経済を実施して、市民の経済的自由が制限されても、生存に必要な物資を国家が用意してくれるなら、当時の大多数の人々にとって、生存競争から解放されて、創造性を遺憾なく発揮できるとの一点にて、統制経済は合理的な体制と見なされたのではないか。

 

 もちろん、これを証明する史料など存在しないが、超光速航行(ワープ)技術を筆頭にして、宇宙開発の必須技術は2100~2300年代に、ほぼ全て生み出されている。

 その一方、当時の平均的な生活水準は西暦1800年代の先進諸国を彷彿とさせる、との記録もあり、或いは、この時の人類社会は「清貧」との言葉を期せずして実施していた、高潔な理想主義者たちの集団だったのかもしれない。

 

 しかし、これはあくまで推測であり、地球政府が統制経済を継続した、また継続できた理由は、前述の通り、定説と言えるものは無い。

 上述の見解以外では、①長期間に亘り、左派政党が政権与党の地位にあった、②政府の規制が厳しく健全な市場が育たなかった、③名目上は統制経済だが、巨大な地下経済が存在しており、実質的には自由経済だった、④豊富な食料と資源のために、当時の福祉制度は高福祉・低負担の傾向が強く、労働から逃避して、公的給付に依存する有権者が多かった。公的給付の廃止、削減を恐れる彼らが、統制経済を堅持する政府与党を支持し続けた、などがあるが、一次史料が乏しいために、どの説も決定的な根拠に欠けている。

 

 だが、確かな事もある。西暦2360年、超光速航行技術が開発され、本格的な宇宙時代を迎えると、地球政府の統制経済は、次第に植民星を経済的に支配するための手段と化した。その背景には、各植民星の独立を恐れる政府与党の思惑があったと指摘されている。

 

 人類社会が単一国家に統治されるようになって約200年、地球上に複数の国家が併存していた時代の記憶は、既に失われつつあった。植民星の独立という現実に直面した地球政府の首脳陣にとり、それは人類社会の発展の象徴ではなく、将来の混乱と戦争の遠因としか思えなかった。当初、航路の治安維持を目的としていた宇宙警備隊が宇宙軍に拡充されたのも、植民星の独立を牽制するための抑止力たる事を期待されてだった。そして、植民星の「糧道」を断つための手段として、統制経済が用いられたとの見解が定説となっている。ただし、この見解は地球政府を滅ぼしたシリウス政府の公式見解なので、敗戦国を不当に貶める戦勝国の自己弁護が混入していないとは断言できない。

 

 ともあれ、地球政府は、その強大な軍事力を背景に、食料自給率の維持を名分とし、植民星にモノカルチャーを強制。自ら策定した生産計画に基づき、地球が必要とする第一次・第二次産品を植民星に製造させると、政府資本の国営企業が不当に安い公定価格で一括購入した。

 逆に、植民星が必要とする食料や物資等は、地球政府が指定する企業から植民星政府に高額で購入させるなど、統制経済を口実として、事実上の搾取を行うようになっていった。この経済的支配の桎梏が植民星の離反を招き、最終的にはシリウスの台頭、地球政府の滅亡へと繋がっていく。

 

 以上のように、他国が存在しない単一国家であれば、統制経済を永続化させる事は可能と思われる。その理由は詳らかにしないが、政府が強力な統制力を有する事、経済的価値以外の価値観を重んじる気風が存在する事、人民の生存が保障され、ある程度の生活水準が維持できる事、これらの要素が鍵になると思われる。また、他国が存在しても、圧倒的な国力差があれば統制経済を強制する事は可能だが、それが一方的な富の収奪になると、他国の離反を招き、国家間秩序の崩壊、ひいては自国の滅亡に繋がる可能性がある事を指摘できる。

 

 さて、地球政府の経済体制に関する上記の概説だが、実は、旧帝国の初代財務尚書リヒテンラーデ以下、帝国の財務官僚たちが作成した報告書の抄訳である。

 

 彼らは建国以前より、統制経済の手本として、地球統一政府の経済体制と経済政策を詳細に研究、分析していた。上記はその成果の一部だが、地球統一政府が約600年近く、統制経済を実施できていた事実は、ルドルフやリヒテンラーデほか、当時の財務官僚達の意を強くしたであろう事は想像に難くない。

 

 建国当時の帝国は内外に敵が存在し、地球政府のように単一国家とは到底、言えない状態ではあったが、裏を返せば、彼ら敵対勢力を打倒できれば、統制経済を永続化する事は不可能ではない、という事だからだ。事実、帝国暦9年以降、平定戦役の進展と共に、帝国の統制経済体制は確立されていく。

 

 それは、経済活動を貴族の特権とする事で、金銭(資本)の暴走を支配者層が規制する体制であり、利益追求では無く、あくまで国家の要請と臣民の必要性に応じた物資等の調達を目的とした、自由経済では考えられない、「発展を求めない」経済体制だった。

 

 そして、地球政府が統制経済を搾取の手段とした事が植民星の離反を招き、最終的に滅亡を招来した事実は、帝国政府と領主貴族、そして皇帝直轄領の総督との関係について、多大な示唆を与えた。

 

 地球政府が数百光年先の植民星の独立を恐れたように、帝国政府もまた、数百光年はおろか、数千光年先の貴族領や皇帝直轄領を如何に統制するか、同様の悩みを抱えていたからだ。地球政府は軍事力と経済力による強権的支配を行い、失敗している。

 帝国政府はこの事実を教訓として、強権的支配ではなく、統制経済の枠組みを用いた相補的関係の構築を目指した。それと同時に、経済的価値とは異なる価値観、具体的には爵位や家格を用いて、領主貴族や直轄領の総督を序列化した。領主は勿論の事、勅任官たる総督も爵位持ち貴族でなければ就任できなかったので、皇族との通婚や、皇帝の寵姫の下賜など、伝統的な婚姻政策をも使い、彼らを統御していった。



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第5節 統制経済の理念~ルドルフが目指した理想

 既述の通り、旧帝国の統制経済は「発展を求めない」体制だった。人類史上、結果的に見て、経済発展に失敗した国家は数多あれども、建国当初から敢えて経済発展を求めない事を掲げた国家は、管見の限りで、ゴールデンバウム朝銀河帝国が初めてだと思われる。ルドルフ以下、帝国首脳陣は如何なる哲学を以て、この常識外れとも言える経済体制を目指したのか、まずルドルフの言葉から、その意図を明らかにしたい。

 

 帝国暦10年、初代財務尚書リヒテンラーデの急死に伴い、書記官長クロプシュトックが後任となったが、新尚書クロプシュトック以下、財務省幹部に対して、ルドルフが行った訓示に、その経済観が端的に示されているので、当該部分を引用したい。

 

「…人類の統治者たる余が熱望するのは、人類の永遠の繁栄である。しかし、人類の繁栄は、決して経済の発展を意味するものではない。銀河連邦、いやそれ以前でも多くの国家は、人間が物質的に充足する事が繁栄の証左だとの謬見に囚われ、人民がその欲望を無制限かつ無軌道に解放する事を是としてきた。

 その結果、人間は欲望と快楽の虜となり、本来ならば製品の価値尺度にしか過ぎぬ貨幣を絶対視し、知的生命体の根拠たる理性を放擲して、金銭の奴隷と成り果てた。これが連邦末期の惨状をもたらした根本原因である。

 我々は連邦の愚行を繰り返してはならぬ。経済の発展は人類の繁栄ではない、それはむしろ、理性ある人間を堕落させる地獄を招来する事に他ならぬのだ。

 故に、人類の統治者たる余は再び宣言する。人間の理性を以て、経済という地獄の門を永遠に封鎖すると。経済活動の目的とは金銭を生み出す事ではない、国家と臣民が必要とする物資等を調達する事と銘記せよ。

 我々支配者の責務とは、臣民が生存に必要とする物資等を与えて、各々の能力と才覚に応じた生業に従事せしめ、秩序ある社会を形成させる事だ。そして、その安定した社会環境の中で、臣民は人類の質的向上に資する思想や技術を生み出すべく、営々と思索を重ねていくだろう。思索する能力に欠ける者は、能力ある者を支えていくだろう。それこそが人類の繁栄への道なのだ」

 

 経済観というより、経済自体を否定する思想というべきだが、前述の人間主義経済に代表されるように、連邦末期~帝国建国期においては、一定以上の支持を集めた思想だった。側聞する所では、同盟末期の貧富の格差も相当な激しさだったというが、ルドルフ台頭以前の連邦末期はその比ではなかった。

 

 同盟末期は対帝国戦争との外的要因があったため、軍事予算は比較的潤沢で、軍隊が最貧困層の受け皿になっていたが、連邦末期は紛争や犯罪こそあれ、対外戦争と呼べるものは無く、軍事予算も削減傾向だった。故に、最貧困層は文字通り「棄民」されて、戸籍上の親族が存在する、前科があるなど、様々な理由をつけられて、公的な支援制度からさえも排除された。首都テオリアであっても、中心街を一歩でも離れれば、そこは無法地帯そのもの、僅か一食の糧を得るために、平然と人命を奪える者達が徘徊していた。

 

「善政の基本は人民を飢えさせない事だ」との指摘は、帝国・同盟両国における数少ない共通認識だったが、自由経済を撤廃し、統制経済を導入する事で、とにかく全人民に食料を供給しようとしたルドルフの経済政策は、その意味においては「善政」だったと言えるだろう。

 

 経済の発展は理性ある人間を腐敗堕落させる要因だとの主張を掲げ、経済活動を国家の専権事項とし、国家と臣民が必要とする物資等の調達を第一義とする統制経済。まずは物資等の生産機構について、次章で解説したい。



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第6章 帝国の経済体制 Ⅱ~生存を保障する機構
第1節 配給制度①~需要側の体制


 旧帝国の経済システムにおいて、その出発点となるのは、政府が立案する各種物資の生産・流通計画である。西暦時代より、社会主義または共産主義を国是とした国家が最も苦慮した事が、この生産計画の立案であった。統治下にある人民を養うに足る食品等の品目と数量を算出する事は、膨大な計算を必要とする上に、対象となる人口を正確に把握する事も、その数に基づいた基準を設ける事も困難であった。よって、ある品目は必要以上に供給されるが、別の品目は全く供給されないなどの不均衡が日常茶飯事だったと云う。

 

 旧帝国の経済官僚達は、如何なる手段を用いて、この難問を処理したのか。ルドルフが支配者の責務とした「臣民が生存に必要とする物資等を与え」る配給制度の実態を明らかにする事で、その答えとしたい。

 

 まず、需要側の体制から述べよう。毎月15日頃、各世帯のコンピュータ端末(官給品)に「食料品等の支給に関する基礎調査票」が送信される。そこには、小麦粉・牛肉・ジャガイモ等を始め、標準的な食品と、衣類等の生活必需品について、送信先の世帯に必要な量が記載されている。

 

 その世帯に属する家族数と世代設定に変更が無ければ、世帯主が承認して返送。家族数等に変更があれば、変更の発生日時と事由、変更後の世帯数と世代設定を申告する。その内容に基づき、次月の配給量が決定される。未提出はどんな理由でも、次月の配給は無しとなる。

 なお、虚偽記載は犯罪であり、発覚すれば世帯全員が農奴に転落、不正取得した数量に相当する金額を得るまで、労働刑に処される。

 

 調査票に記載された品目と数量の決定方法は、以下の通り。まず、各世代が生命維持に必要な平均カロリー量と必須栄養素に基づき、国務省医療局が世代ごとに「帝国臣民の標準的食生活」モデルを設定。それを用いて、各世帯が必要とする品目と数量を算定する。衣類等の生活必需品は、同じく財務省配給局が定める「帝国臣民の標準的生活」モデルを用いて、品目と数量が算定された。なお、生鮮食品などの日持ちしない品目は、冷凍状態で支給するか、配給券を渡して、必要とする都度、町指定の配給所で受け取るなど、各地の直轄領や貴族領で、若干の違いがあった。

 

 ただ、配給品だけで生活の全てを賄う必要は必ずしも無く、何らかの事情で足りない場合、国営企業等が運営する商店や量販店で追加購入できた。配給対象品は公定価格が設定されていたので、常に低廉な価格で買えた。

 しかし、高価な食材や衣類などは、生存には不要な奢侈品として配給の対象外だったので、購入する事は出来たが、付加価値税が付与されるため、平均的な所得の平民層からすれば、比較的高価だった。

 なお、家電製品や自家用車などの耐久消費材、通信機器やコンピュータ端末、装身具等は、付加価値税に加えて、物品税も付与されるため、極めて高価。平均的所得の平民層では購入困難で、基本的には富裕平民か貴族身分保持者が購買層だった。

 

 配給の対象となるのは、貴族身分以外の全臣民(農奴・奴隷は除く)。ただ、皇帝直轄領に住む国民は、上記の通り、国務省と財務省が定める標準モデルを用いて、配給品目と数量が決定されたが、貴族領に住む領民はこの限りでは無かった。

 直轄領の水準を下回る事は法的に認められなかったが、それ以上の支給は、各領主の裁量権の範囲とされたので、民生重視の統治を行う領主や、自領開発のために良質な労働力を必要とする領主は、直轄領よりも手厚い配給を行う事が多かった。結果、直轄領から貴族領への転出を望む国民も多く、直轄領の人口減と税収減を懸念した為政者、例えば寛仁公フランツ・オットー大公や晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世などは、直轄領での配給量引き上げと品目増を実施している。

 

 配給される食料は、主にカロリーベースで計算されるため、数量は十分以上だったが、品目は少なくなる傾向にあった。そのため、帝国臣民の食生活は、小麦粉や鶏卵、牛乳に砂糖など、高カロリーで様々な料理に使える食材を主とする料理がメインとなり、結果、フリカッセのような煮込み料理や、シュトレンなどの菓子が食卓に上るようになった。帝国では成人男性でも甘党が多いのは、配給制度の影響と見られる。

 

 この配給制度は、制度史的に見れば、人民の生存権の保障として、西暦年代から諸国家で採用されてきた生活保護や基礎的所得保障の一変種ではあるが、平民よりも手厚い経済的支援を受けられた貴族身分の者は対象外となっていた事から、形を変えた福祉制度とも見なせる。

 尤も、時代が下るに従い、貴族身分の者でも平民か、それ以下の生活を余儀なくされる者も現れて、貴族身分であっても特に申告すれば、配給対象となるよう、制度改正がしばしば行われている。

 

 制度開始直後は、やはり各世帯の把握が上手くいかず、実態と配給数量のズレが目立ったが、コンピュータ網の整備が進むと、世帯の現状と変更がリアルタイムで把握できるようになり、スムーズな配給が実施できるようになってきた。現金支給ではないため、生存に不要な奢侈品や嗜好品などに浪費されないと、特に家計を預かる主婦層から好評だったと云う。

 

 ただ、官給品のコンピュータ端末を備え付けられる世帯単位の支給が基本だったため、住居を持たない住所不定者は把握できないという欠陥はあったが、惑星政庁が設置する簡易宿泊施設や、皇族や貴族等が私費で運営する救貧院に申し出れば、その場を一時的な住居と見なし、基礎調査票の提出を代行してもらえた。

 

 なお余談ながら、旧帝国の住宅事情について一言したい。全宇宙は銀河帝国の支配下にあるとの建前から、直轄領は全て国有地、貴族領は皇帝が領主貴族に下賜したとの体で、領主の経営権は認められたが、最終的な所有権は帝国皇帝が保持。そして、貴族身分ではない者が土地を所有する事は認められなかった。

 そのため、平民層は政府または領主が建てた賃貸住宅を借りるのが一般的だった。だが、家計に余裕がある富裕平民は、政府や領主から土地を借りて、持ち家を建てる者もいたが、居住権などは認められず、土地の所有者の意向で即時の立ち退きを迫られる事もあったので、特定の貴族家に仕える従臣か、専属として雇用されている専門家や職人などに限られた。

 また、賃貸住宅の家賃は等しく安価だった反面、住居の管理と維持は居住者の責任とされたので、家屋の修理や補修、改築は所有者に申告の上、住人が自費で行った。しかし、災害や戦災等の特殊事情がある場合は、税金の滞納や犯罪歴等が無い順良な臣民に限り、一定の補助制度が受けられた。

 

 配給制度は、ルドルフが志向した「国家と臣民が必要とする物資等を調達する」経済活動の具現化であり、基礎でもあった。生存に必要な最低限の食料等を配給する代わりに、臣民の多様性を否定、生活様式を国家が定めるものに画一化し、生存競争から解放された事で生じた余裕を勉学や子弟の教育、身体鍛錬など、望ましい臣民となるための営為に用いるべしとした。

 

 とは言え、怠惰を嫌ったルドルフらしく、配給品だけで生活して労働を拒否する事は許されなかった。生存に必要な物資を与えられた臣民は「各々の能力と才覚に応じた生業」に励まねばならなかった。それは、失業を劣悪遺伝子排除法に違反、臣民の義務履行を怠った罪とした事と軌を一にする。そして、労働の報酬として得た金銭で、自身の生活水準を向上させる奢侈品等を購入する事は、身分制秩序を乱さない範囲ならば認めるとした。この点を認めたのは、国家派のルドルフや、統制派の初代財務尚書リヒテンラーデではなくて、臣民派の主張を是とした第2代尚書クロプシュトックの意向だったのではないか、との指摘がある。



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第2節 配給制度②~供給側の体制

 配給品を生産・流通させる供給側の体制について、その前提となる旧帝国の地方行政制度の説明を交えつつ、以下に解説したい。

 

 まず、旧帝国の地方行政制度について概説する。配給品の供給体制は、地方行政制度と密接に関係、いや配給制度を前提にして、地方行政組織が構築されている面さえあるので、その点から始めたいと思う。

 

 旧帝国の地方行政制度は、星系を最大単位として、星系―惑星等―惑星等上の都市、この階層を基本に構成されている。以下、標準的な皇帝直轄領を題材として、その概要をまとめる。

 

 1.州(ラント)

 臣民が居住する星系(恒星系)ごとに置かれる。統治責任者は皇帝が任命する総督。連邦時代の各星系政府を起源とする場合が多い。

 主星に州都(ラントシュタット)を置き、州都に総督府が置かれる。総督府は星系内の行政・経済・軍事を主管し、各省の出先機関も設けられた。

 主な業務は、反帝国勢力の捜索と追討、星系内航路の維持管理、また詳しくは後述するが、州内で必要とする公共財等の数量を集計し、生産・流通計画を策定。星系内の国営企業等に指示して、その後の生産状況を管理する事など。

 州都で生活するのは、総督府を始め各行政機関で働く官僚や国営企業の幹部社員とその家族、地方艦隊・地方部隊所属の帝国軍人など、貴族身分の者か、比較的富裕な平民が多い。

 

 2.郡(ラントクライス)

 臣民が居住する惑星もしくは人工天体ごとに置かれる。統治責任者は国務尚書が推薦し、総督が任命する知事(国務官僚)。

 惑星上に郡都(クライスシュタット)を置き、郡都に郡政庁が置かれる。郡政庁は総督府の監督下で、当該惑星の行政・経済を司る(軍事は、総督府と各軍管区の帝国軍司令部が所管する)。郡内の都市は基本的に郡都のみ。当該星系の主星に限り、同一都市が州都と郡都を兼ねる(総督府と郡政庁は、それぞれ設置される)。

 主な業務は、広域犯罪の捜査や大規模災害への復旧、公共交通機関など公的インフラの維持管理、そして、惑星内の臣民を対象とする配給品の生産計画の立案と在庫管理など。郡は、惑星内の食糧自給率と軽工業品(日用品)の充足率をそれぞれ100%に維持する事が義務づけられていた。

 郡都で生活するのは、郡政庁の役人とその家族ら、平民層が多い。

 

 3.町(シュタット)

 臣民が居住する惑星もしくは人工天体上に置かれる行政体で、地方行政の最小単位。人口1万人程度を基準とする。

 郡都内を人口ごとに区切って設置される町と、惑星等の上にある生産施設ごとに設置される町がある。統治責任者は知事が任命する町長(郡政庁の役人)。町には郡政庁の支所(通称:町役場)が置かれる。

 主な業務は、町内臣民への配給に関する事務処理。町役場には、内務省警察局と事故処理局の出先機関が置かれて、警察署や消防署的な役割も果たすほか、集会場や図書館、体育施設等を併設、臣民にとり一番身近な行政機関でもある。

 郡都内に設定された町の住民は上記の通りだが、生産施設に設定された町には、同施設を運営する国営企業の一般社員とその家族、また施設で労働する農奴や奴隷が生活していた。

 なお、農奴と奴隷は臣民の権利を一時停止、または剥奪されているので、世帯ごとに独立して生活する事は許されず、郡政庁が設置した集団宿泊施設で寝泊まりしていた。

 

 配給制度の流れに則して見ると、上記の州―郡―町の関係性は以下の通り。

 

 まず、町役場が配給の基礎調査票を各世帯に送信。返信された調査票は町役場で集計、配給品目と各数量が前月のそれと大きく異なるなどの異常が無いかをチェックし、各世帯から申告された変更点を配給データに反映させた後、当月に必要とする配給品目と各数量を郡政庁に報告する。

 

 郡政庁の担当部署は、各町からの報告に基づき、備蓄倉庫から必要な品目と数量を出庫、国営の流通業者に委託して、各町指定の配給所に配達させる。この時、備蓄倉庫の在庫数量が基準在庫数を下回ったら、惑星上の各生産施設を運営する国営企業に対して、必要とする品目と数量を発注。受注した国営企業は、製品を納期までに指定の備蓄倉庫へ納品する。

 

 仮に、配給に必要な品目と数量が足りず、郡政庁の備蓄倉庫にも、惑星上の生産施設にも在庫がない、即ち欠品した場合は、当該惑星の知事は速やかに総督府へ報告、報告を受けた総督は、星系内の惑星または人工天体から、余剰在庫を緊急出庫させる。

 なお、配給品の欠品は、重大な職務怠慢だったので、この事態を招いた知事は良くて免職、悪ければ司法省の弾劾を受け、刑法上の罪に問われる場合もあった。このように、配給品の生産と在庫管理は知事の責任だったので、前年までの配給実績に基づき、品目ごとの年間生産計画を立案し、生産の進捗状況を随時確認する事は、郡政庁の重要な業務だった。

 

 注目すべきは、欠品した場合を除き、配給制度が惑星単位で完結している事。これは連邦社会の分業体制への反省があったと思われる。

 自由経済の要請に基づき、銀河連邦の食品製造会社らはコストカットと作業効率化を至上命題としていた。その結果、生産設備の集約化、大規模化が生じ、特定の惑星等でのみ、特定の品目が生産されて、連邦内に張り巡らされた物流網により、首都テオリアを始め、各消費地に出荷されていた。

 そのため、連邦体制が弛緩し、宇宙海賊等が跋扈するようになると、特に遠隔地への物流コストは警備費用が上乗せされて、生活必需品の価格は高騰の一途を辿った。

 

 ルドルフはペデルギウス星系時代の経験から、この事を深く認識しており、生活必需品の価格を低く抑え、全人民に行き渡らせるためには、生産地と消費地を一体化させる事が必要だと、終身執政官時代から、いわゆる「地産地消」体制の構築を主要政策に掲げていた。帝国建国後、その政策が配給制度との形で具体化したというのが定説となっている。

 

 また、西暦時代より、統制経済を掲げる諸国家が直面した難問、人民の需要に応じた生産計画の立案を行うに当たって、配給対象の臣民自身に品目と数量を確認、修正させる手法は、能吏の誉れ高い初代財務尚書リヒテンラーデの発案と伝えられる。この方法は帝国末期まで、配給制度の基礎として受け継がれただけではなく、全ての貴族領でも採用されている。専制国家である旧帝国で、民主的とも言える手法が採用されている事は、ルドルフを始め、建国期の帝国首脳陣の思想的柔軟性を窺わせるに足ると言えるだろう。

 

 なお、帝国軍の駐屯地や資源採掘場など、特定の目的でのみ平民が居住する惑星等は、上記の地方行政制度の対象外として、各施設を所管する省が管理、運営するものとされた。

 上記の例で言えば、帝国軍駐屯地は軍務省、資源採掘場は科学省の所管であり、配給制度も所管する省が代行するものとされたが、実際、駐屯地で生活する平民は例外なく兵士または軍属で、資源採掘場は生活環境が厳しい場所が多く、農奴もしくは奴隷が大部分、管理する国営企業社員も単身赴任する事がほとんどだったため、配給品は彼らが寝泊まりする施設で提供される食事、官給品の衣料や日用品という形に代っていた。

 

 以上が皇帝直轄領で行われていた配給制度の概要だが、最後に貴族領・自治領で行われていた同制度との異同をまとめて、本節を終了したい。

 

 ただ結論から述べると、配給制度に限って言えば、直轄領と貴族領に大きな差異は見られない。少なくとも、従臣や領民を飢えさせず、最低限の衣食住を保障する事を考える領主貴族にとり、直轄領の配給制度と別の方式を構築するメリットは無かった。また帝国政府も、臣民が生存に必要とする物資等を与える事が支配者の責務としたルドルフの意向もあり、領主貴族が直轄領と同じ配給制度を導入する事を推奨した。

 そのため、配給制度の実務に長けた郡政庁の官僚を積極的に貴族領に派遣、また逆に、領主貴族に仕える家士や従臣らを郡政庁で受け入れ、実務研修を施した。この人事交流の結果、多くの貴族領で直轄領と同様の配給制度が根付く事になった。 

 

 なお、貴族領の統治には、皇帝への反逆など、反帝国活動を行っている明確な証拠が無い限り、皇帝と雖も直接介入は出来なかったので、直轄領とは異なり、惑星レベルでの配給品自給率を100%にする事は、必ずしも義務では無かった。直轄領や他の貴族領から輸入する事は、双方が合意さえすれば可能だったが、大部分の貴族は直轄領と同様、惑星ごとに自給率100%をする事に拘った。

 これは、食料等の生活必需品を帝国または他家に依存してしまうと、自家の生殺与奪の権を握られかねないとの判断からだった。ただ、貴族家同士が主家―従家関係を結び、一門を形成するようになると、従家を統制する必要性から、敢えて主家が従家への食料等の供給を強制する事も生じてきた。

 

 また前述の通り、民政に熱心な領主、領地開発のために良質な労働力を必要とする領主達が、直轄領以上の配給を実施する例も少なくなかった。品目と数量の単純増に留まらず、平民層が所持する事は難しい耐久消費財や、「生存に必要」との名目で、直轄領では廃止された医療・福祉サービスを提供する領主さえも存在したという。

 

 また逆に、資源等に恵まれた領地を与えられた貴族は、領地開発をせずとも十分な利益を上げられたため、民政を顧みず、配給制度も等閑に付して、領民たちが飢餓状態に陥った貴族領も少数ながらあった。枢密院の記録によると、美麗帝アウグスト1世の御代、領主貴族だったゾンネベルク子爵アレクシスは、豊富な鉱物資源の利益に溺れ、民政を放置し、領民への配給を誠実に実施しなかった事が美麗帝の逆鱗に触れて、皇祖ルドルフ大帝陛下の御遺志に悖ると枢密院に裁判を請求。枢密院議員の総意で、領地を没収、当人は自裁を命じられている。

 

 次に自治領についてだが、実態は不明と言わざるを得ない。既述の通り、旧帝国では辺境に取り残された惑星や人工天体など、人間は居住しているが、帝国の支配下に置いてもメリットが乏しい難治の場所を名目上、自治領としただけであるため、反帝国活動を企図するなどの動きが無ければ、事実上の放置状態にあった。

 よって、国務省への提出が義務付けられていた定例報告書では、例外なく、帝国と同様の統制経済と配給制度を実施していたと書かれていたが、それが実態を反映しているか、史料上の根拠は皆無と言ってよい。ただ、帝国の経済圏からも切り離されていたため、大部分の自治領は経済的に恵まれていなかった。乏しい資源を有効活用するために、初期の地球統一政府の如き傾斜生産方式を採用していた可能性はある。

 

 なお、唯一の例外として、経済的に繁栄の極みにあったフェザーン自治領は自由経済体制を導入して、配給制度も採用していなかった。何故、フェザーンがルドルフ大帝の祖法たる配給制度を採用しないという選択が出来たのか、詳細はフェザーンの建国を認めた皇帝、狂信帝マンフレート1世の巻で述べたい。



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第3節 帝国の企業①~国営企業を中心に

 前節までは配給制度の概要について述べたが、配給品を含む旧帝国の製品は誰がどのように生産していたのか、本節ではそこに焦点を当てたい。

 

 まず、旧帝国で生産活動の主体だった企業は、国家が経営する「国営企業」と、貴族家が経営する「公営企業」、この2つが存在した。

 

 国営企業は、ルドルフが連邦首相時代、国営化した主要企業を起源とする。首都テオリアに本社を持ち、食料等の生活必需品、また工業用資材や生産機械、そして兵器などを生産していた大企業が多く、帝国建国後、企業経営者(国営化後は支配人)は、文官貴族または領主貴族に封じられて、引き続き経営する例が大部分だった。

 

 一方、公営企業は国営化されなかった大企業、または首都以外に本社を持っていた企業を起源として、貴族制成立後、その企業経営者自身が領主貴族に封じられた、または本社が立地する星系を領地とする領主貴族の傘下に入った例が多い。

 なお、これは国営企業にも言えるが、時代が下るに従い、企業の統廃合が進んで、また新規設立も無数にあり、旧帝国滅亡時、建国期から存続する企業は、伝統的な技術や製法を保持する一部の老舗企業を除いて、ほぼ皆無だった。

 

 国営企業は政府の監督下で、財務省等が策定した生産計画に基づき、配給対象品を始めとして、国家が必要とする製品の生産を行った。

 また、恒星間航行能力を有する宇宙船と戦闘用艦艇、そして兵器は、国営企業でのみ製造が許可された。仮に公営企業が製造した場合は、如何なる理由があっても、皇帝への叛意を示すものだと、爵位持ち貴族でも大逆罪が適用された。

 ただし、帝国暦438年、権謀帝オットー・ハインツ2世が領主貴族の独立性を大幅に認める詔書、俗に云う「分国令」を発すると、この規制は事実上、消滅している。旧帝国末期、開祖ラインハルト陛下に抗したリップシュタット盟約軍が万単位の戦闘用艦艇を要していたのは、この分国令の影響と見られている。

 

 対して、公営企業は、経営する貴族家が自領で必要とする配給品や工業製品等を生産する会社と、国営企業が生産しない分野の製品に特化した会社、この2種類に分かれた。詳しくは旧帝国製品の分類を解説する際に述べるが、皇族や貴族御用達の高品質な農林水産品、精緻な家具や宝飾品・手工芸品、高級な酒や煙草等の嗜好品、書籍や文具等の文化的製品など、臣民の生存や帝国社会の維持には必ずしも必要としないが、生活の質の向上や文化の発展に寄与する製品は、僅かな例外を除いて、後者の公営企業でのみ生産された。

 

 これらの製品は皇族や爵位持ち貴族が主な顧客で、基本的には受注生産されていた。この公営企業の存在から、旧帝国の経済体制は必ずしも統制経済で貫徹されていた訳ではなく、自由経済とのハイブリッド型だったと主張する研究者も存在する。

 

 ただ、少なくとも建国期においては、公営企業の活動は低調であり、その生産量も経営している領主貴族が自領で必要とする配給品や工業製品等を賄う程度で、財務省の発注を請け負い、帝国が必要とする製品まで生産できる、また奢侈品等を製造できる余力がある企業は少なかった。

 これは、シリウスや攻守連合、そして経済共同体など、軍事力と経済力に優れた外敵が存在しており、領地を与えられた貴族達は、企業経営よりも自領の防衛に注力せざる得なかったとの事情もあるが、生存に寄与せず、国家も必要としない物を生産する事に、ルドルフが不快感を表明したため、皇帝の意向を貴族達が憚ったとの面も強い。公営企業の活動が活発になってきたのは、帝国の支配体制が確立して、皇帝以下、皇族や貴族達が物質生活を楽しむ気風が生まれた、ルドルフの曾孫・享楽帝リヒャルト1世の御代からだった。

 

 それ以前、ルドルフ大帝から強堅帝ジギスムント1世まで、時代区分でいうなら建国期から拡大期まで、旧帝国の経済活動は、その大部分が国営企業によって担われていた。連邦時代から存続する企業の経営者は、前述した通り、文官または領主貴族に封じられ、幹部社員を従臣にする例が多かった。一般社員は連邦時代と同様、入社試験に合格した国民を採用、単純労働力として農奴及び奴隷が使われた。

 

 統括機能を持つ本社は帝都に置き、生産施設は各地の直轄領にある惑星もしくは人工天体に設けられたが、連邦時代の施設をそのまま使用する例も多かった。

 生産施設には、管理担当の社員や技術者らが常駐。彼らは企業が建設した社宅に家族と共に住み、人口規模によっては、施設が町に指定される事もあった。その場合、施設の管理責任者(工場長や施設長と呼ばれた)が郡政庁の委託を受けて、町長を兼任する場合も多かった。

 施設内には福利厚生の一環として、病院等が設置されており、企業の社員と家族は低価格で受診できた。旧帝国は医療・福祉制度を廃止、縮小したため、医療サービスを求めて、国営企業での就労を望む国民は多かった。ただ、社員の待遇は配給制度の存在が前提となっているので、連邦時代の同規模の企業と比較すれば、給与水準は絶対的に低かったと言わざるを得ない。それでも、国営企業は原則、終身雇用だったので、勤続年数を重ねれば、平民層には高嶺の花だった、自家用車や家電製品等の耐久消費財を購入できる程度の給与は得られた。

 

 国営企業の活動は、財務省や総督府等が策定する生産計画に基づいて行われるため、経営者(支配人)の裁量の余地は乏しく、帝国銀行からの融資という形で、同省から与えられる予算を使い切り、計画通りの生産量を達成できる人物が名経営者と評価された。その意味では、予算消化に汲々とする役所と何ら変わりは無かった。生産に必要な原材料等も、基本的には財務省が支給(=材料生産を行う国営企業が発掘・製錬した原材料を同省が指定する場所へ星系間輸送を請け負う国営企業が運搬)して、製品は同省が定める公定価格で一括購入された。購入された製品は、必要とする部署または場所へと支給された。

 

 この国営企業の在り方は、まさにルドルフが求めた「発展を求めない」経済を象徴する存在だったが、経済、いや金という「忌まわしき怪物」の力は、ルドルフの想像以上だったのかもしれない。

 

 時代が下ると、各国営企業で生産能力の格差が発生し、公定価格と製品原価の乖離が生じてきた。また前述の通り、旧帝国の支配体制が確立すると、貴族家が経営する公営企業の活動が活発になって、国営企業と競合する事が増えてきた。そこに、財政支出を抑えるため、可能な限り安く製品を購入したい財務省の意向が絡み、自社製品を売り込むため、企業間の価格競争、また贈収賄等の汚職事件も生まれた。それは、ルドルフが嫌悪した自由経済の「負の側面」に他ならなかった。

 

 この経済発展という時代の変化を利用し、私腹を肥やした人物こそ、喪心帝オトフリート1世を傀儡として、果ては耽美帝カスパーの義父となり、帝国を壟断せんとの野心を逞しくした、権臣エックハルトに他ならない。彼の経済政策については、喪心帝の巻で詳述したい。



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第4節 帝国の企業②~公営企業を中心に

 建国期から拡大期にかけて、貴族家が経営する公営企業の活動は、前述の通り、配給品を始め、自家消費分を生産する程度だった。

 

 中小の領主貴族の場合は、当主自らが支配人を務めたが、複数の星系を領有する大諸侯は、家士や従臣を支配人に任命する事が多かった。資本金は貴族家が直接負担する場合もあったが、財務省投資局の審査を経て、帝国銀行(ライヒスバンク)の預貯金から融資を受ける事も可能だった。自家の家士や従臣を幹部社員に、領民を一般社員とし、単純労働力に農奴と奴隷を用いる事は、国営企業と同様だったが、農奴と奴隷の割当は国営企業が優先されたので、必要量を確保できない事も生じた。領主貴族が皇帝直轄領より手厚い配給制度を導入する事で、直轄領の国民を招こうとした背景には、この農奴と奴隷の割当不足という事情もあったと推測されている。

 

 公営企業の特徴として、国営企業が財務省の定める生産計画に従う必要があったのに対し、経営する貴族家の裁量で、自由に生産活動が行えた事が指摘できる。ただし、それも完全に自由だった訳ではなく、前述した禁制品―恒星間航行用宇宙船・戦闘用艦艇・兵器―を生産する事は許されておらず、生存に不要な奢侈品等は、原則として、皇族と貴族の需要を満たす範囲でのみ認められていた。

 

 しかし、時代が下り、皇族や貴族が物質生活を楽しむ風潮が生じて、経済力を有する富裕平民が誕生してくると、奢侈品等の市場が生まれて、この原則は無視されるようになってきた。それでも、枢密院の記録によると、高価な奢侈品を大々的に生産して、臣民の欲望を過度に刺激した、賭博等に用いる遊具を製造して、社会の風紀を乱した、これらの事由で廃業を命じられた公営企業も多々あった。貴族間の権力闘争の結果という事情もあると推測されるが、倫理や道徳の観点が経済活動を規制する根拠になっている事は、ルドルフが希求した「政治の力で経済を規制する」事の一側面だと言えるかもしれない。

 

 だが、これら奢侈品を生産した公営企業の存在は、旧帝国の文化史上、大きな役割を果たしてもいる。自然と人力のみで生産した最高品質の農林水産物、腕利きの職人が長期間かけて作った精緻な宝飾品や手工芸品など、自由経済体制では高コスト過ぎ、商品にはなり難かった製品も、旧帝国では、帝室や諸侯の御用達品として、採算度外視で生産されていた。

 

 文化や芸術の保護・育成を図った美麗帝アウグスト1世の御代に顕著だが、最高品質の製品を生み出す技術を有する公営企業の経営者の中には、帝国文化の発展に寄与したとして、陞爵された人物もいる。そのため、政治的に無力な中小の領主貴族は、自家の生存戦略として、帝室や大諸侯に愛顧される製品を生み出し、その技術を門外不出とする事で、家門を維持しようとする者もいた。

 その結果、大量生産・大量消費を旨とする自由経済体制では、雇用機会を得にくい伝統的技術の継承者たちの雇用が生まれて、彼らが領主貴族家の従臣になる事で、長くその技術が受け継がれていった。同盟では「頽廃文化」「人民の血と汗の上に築かれた虚飾の象徴」などと批判される事も多い貴族文化だが、西暦時代から連綿と続く、人類の遺産たる文化や芸術、技術の継承という役割を果たした事実は否定できないのではないだろうか。

 

 これら伝統的な技術や製法を受け継ぐ老舗の公営企業に勤務する社員は特に顕著なのだが、旧帝国の労働観は、生活の糧を得るため、というよりも、先祖代々の家業を継承するため、との側面が強かった。

 これは国営企業も同様で、退職者を補充する際は、本人の子弟を優先採用するよう、法律で義務化されていた。貴族制の実施と相俟って、あらゆる業種での家業化の進行は、旧帝国の身分制秩序を強化する方向に作用したが、失業という自由経済体制を取る国家が例外なく直面する難題への解決方法でもあり、勤労者の労働意欲を維持する事にも繋がった。

 

 確かに、旧帝国の平均的労働者は、上意下達に馴れきった指示待ち人間であり、創造性や自主性とは無縁な者が大多数だったが、その反面、仕事に真剣に取り組み、報酬の多寡よりも皇帝や貴族への貢献度を重視して、倦まず弛まず、粘り強く労働する姿勢が強く見受けられた。それを「奴隷根性の現れ」と嘲笑するのは簡単だが、労働を嫌い、一攫千金を狙って要領よく立ち回る者たちと比較した時、この世界と人生に対して、どちらがより真摯に向かい合っているか、これは私見だが、一度、沈思黙考する事は無意味では無いと考える。

 

 なお余談ながら、新帝国開闢後の事だが、これら最高品質の製品を生み出していた公営企業の従業員と家族が同盟軍の元士官らを名誉毀損で訴えるという事件が起こった。やや長くなるので、別途コラムとして記述した。老舗の公営企業社員の価値観と気風を良く現しているエピソードなので、以下に紹介したい。



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【コラム】アムリッツアの爪痕~クラインゲルト子爵領と同盟軍第7艦隊

 同盟軍の元士官らを告訴したのは、イゼルローン回廊の帝国側出口に位置するクラインゲルト子爵家の公営企業「ヒストリッシェ・ゲミューゼ」の社員たちだった。

 

 彼らの申立によると、旧帝国末期、同回廊から帝国領内に侵攻した同盟軍の一部士官は、我々が勤務する公営企業の農場に対して、無用な用水路整備や土壌改良を実施。当農場の自然農法を妨害したのみならず、後日出版した手記の中で、我々が劣った農法しか知らない、無知で憐れむべき存在だった、との表現を用いて、名誉を毀損した、と云う。

 

 同子爵家は憲兵総監ケスラー元帥が保証人になっていたため、憲兵隊から要請を受けた軍務省・司法省も無視はできず、関係者への事情調査が行われた結果、当時の事情は以下の通りだったという。

 

 旧帝国末期、イゼルローン回廊の帝国側出口周辺の星域は、皇帝直轄領と帝国軍駐屯地が大部分だった。以前は貴族領も数多く存在したが、対同盟戦争が始まると、同盟軍の侵攻を受ける事も多くなり、戦火を嫌った領主貴族達は、次々と時の皇帝に申請、帝国中央部か、同盟と反対側の星系へ領地替えを行った。イゼルローン要塞建設後は、同盟軍の侵攻がこの星域に及ぶことは無くなったが、その時点で既に1世紀近い時間が経過していたため、旧来の領地に戻ろうとする領主は皆無だった。

 

 そんな中、戦火が及ぶ事を承知の上で、回廊出口周辺の星系に留まり続けた領主貴族も僅かながら存在した。彼らは、その土地特有の風土を活かした農林水産業など、独特の事業を先祖代々続けており、その産物を帝室や大諸侯に供給する事で、自家を維持してきた者達だった。

 

 今回訴訟を起こしたヒストリッシェ・ゲミューゼも科学技術を敢えて導入せず、自然由来の肥料のみを用い、人力だけで生産する中世さながらの自然農法を実践する農業法人だった。あくまで同社にのみ伝わる伝承だが、建国期、彼らが作った農作物は皇祖ルドルフ大帝陛下の食卓に上ったという。大帝陛下はその味わいの深さ、栄養価の高さを嘉賞し、「機械を使わず、人間が丹精込めて栽培しているからこその出来栄えだろう。子々孫々に至るまで、この農法を受け継ぐように」と、同社の代表者に親しく御言葉を賜ったという。

 

 それ以来、同社を経営する貴族家は幾度か交代したが、ダゴン星域会戦後、回廊出口周辺の直轄領と貴族領の再編成を断行した晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の御代、建国期から続く名門、クラインゲルト子爵家の傘下に入り、帝国末期まで存在している。

 

 同子爵家は、家祖マルティンが社会秩序維持局長、内務尚書を務めた武官貴族だったが、流血帝アウグスト2世の大虐殺を避け、自領に逃亡。それ以降は辺境域の領主貴族となったが、民生を重んじる当主が続き、公営企業の育成にも力を入れていた。大帝ゆかりの同社を経営していた貴族家が「暗赤色の六年間」の混乱期に絶家した事を受け、特に晴眼帝に申し出て、自家の傘下に迎えている。

 

 そして、帝国歴487年、同盟軍はイゼルローン回廊から帝国領に侵攻。後世、アムリッツァ星域会戦と呼ばれる一連の戦役が勃発すると、迎撃の任に就いた開祖ラインハルト陛下は、当時の参謀長オーベルシュタイン元帥の進言を入れ、回廊出口周辺の星系から食料等を徴発する焦土作戦を実施。配給品の備蓄一切を持ち去り、生産施設も一部を破壊、国営企業の技術者も内地に避難させ、同盟軍がすぐには使用できないようにした。

 

 この時、貴族領にも退避勧告は出されたが、クラインゲルト子爵を始め、領地と領民に愛着が強くて、かつ同社のように、その土地を離れては存在できなくなる者達を抱える領主貴族は勧告を拒否。敢えて同盟軍に降伏し、その場で生活を続ける事を選択した。第三者的視点では、同盟に降伏してしまえば、帝室のために産物を作る意味は無いのだが、同社社員にとり、大帝陛下の御言葉を遵守する事は、もはや自己のアイデンティティと化していたのだろう。

 

 さらに、同社が存在する惑星を占領したのが、同盟軍第7艦隊だった事が問題を大きくした。同艦隊司令官のカレル・ホーウッド中将は、決して無能者ではなかったが、対帝国強硬派の代弁者となる事で、同盟軍内の地位を維持してきた人物だった。特に、愛国心に燃えて、旧帝国を悪逆な専制国家として憎悪している若手士官らは、ホーウッドを自分達の代表者と見なして、進んで第7艦隊司令部へ籍を移した。

 

 彼ら若手士官に共通する悪癖として、客観的な事実よりも、自分たちが信じたい真実の方を優先した事が挙げられる。彼らは、自然農法を実践している同社の農場を見て、これは無辜の人民を奴隷化し、非効率的な農法を強制している専制帝国の悪政に他ならないと憤激。我々同盟軍は解放軍、護民軍である以上、彼ら人民を恒久的に飢餓状態から解放するために、同盟の進んだ農業技術を供与すべきと、司令官ホーウッド中将に上申。実は、同盟軍総司令部は事前の情報収集で、回廊出口周辺の惑星には、敢えて科学技術を用いない農業を実践している農場が各地にある事を認識しており、指揮下の各艦隊司令部に情報提供していた。そのため、他の艦隊司令部は、ヒストリッシェ・ゲミューゼと同様の農場を接収しても、食料だけ供与し、農地改良などには敢えて着手しなかったのだが、独りホーウッドのみ、若手士官の要求に抵抗できなかった。

 

 彼は士官らの要請を無意味と知りつつ、彼らを説得する事で反感を買い、司令部内に不協和音が生じる事を恐れた。それは強硬派の代弁者たる自身の地位を危うくする行為でもあった。彼は自己の保身のため、植物学や土木学の知識を有する技術将校、フランツ・ヴァーリモント少尉に命じ、用水路の建設や土壌改良に着手させた。

 

 このヴァーリモント少尉が旧帝国を悪逆な専制国家と信じ、帝国人民を解放する情熱に燃える、無私の人物だった事が問題に拍車をかけた。もし彼が自己の出世や栄達を重んじ、上官の顔色を窺う様な軍人だったならば、司令官ホーウッドが決してこの事業に乗り気ではない事を看取できたかもしれない。

 しかし彼は、真に帝国人民の事を思いやり、農業技術の提供が彼ら人民の生活向上につながるのだと、心の底から信じていた。後日、食料の略奪を始めた第7艦隊の兵士たちと、同社社員が衝突した時、体を張ってでも止めようとしたのは、彼が真に人民の事を想っていた事の証左だろう。

 

 だが、現実は皮肉に過ぎた。ヴァーリモントが提供したコンピュータ制御の給水施設や化学肥料が散布された土壌は、同社の社員から見れば、大帝陛下が嘉賞してくださった、先祖伝来の栄誉ある自然農場を汚す行為に他ならなかった。まして、その事を喜ぶ演技を強制されていたのだから。

 

 この訴訟事件が起きた時、当時の司令官ホーウッドは存命しており、軍務省職員の事情聴取に答えて、同社の現地責任者だったワグナーなる人物を密かに呼び出し、ヴァーリモントの存在を告げ、彼の行為に感謝の念を示すよう、社員と家族に因果を含めて欲しいと依頼した。これも占領政策の一環であると告げ、もし命令に従わない場合は、占領軍司令官の権限で、お前と家族たちを逮捕、拘禁する事も出来ると恫喝した、と証言している。

 なお、ワグナー氏は、第7艦隊兵士と同社社員らとの武力衝突の際に死亡しているが、生き残った社員とその家族達に当時の事を聞き取り調査すると、口を揃えて「腸が煮えくり返る思いだった」と述べている。その後、アムリッツァ星域会戦は、開祖ラインハルト陛下の焦土作戦が成功。補給能力が限界に達した同盟軍は略奪を始めて、現地の人民との武力衝突を引き起こすが、その最初の烽火が第7艦隊の占領地で上がった事は決して偶然ではない。

 

 会戦時、第7艦隊は故キルヒアイス元帥の艦隊から猛攻を受け、その過半を消失。司令官ホーウッド中将も重傷を負い、首都ハイネセンに帰還後、退役を余儀なくされ、同艦隊は解体。司令部に所属していた若手士官らは他の艦隊に異動していったが、司令官同様、戦傷を受け障害者となり、退役せざるを得なかった者達もいた。

 

 彼らは、帝国領への侵攻作戦を世紀の愚行と罵倒する同盟世論に納得できず、あの戦いは確かに敗戦だったが、我々は悪逆な専制帝国を打倒して、その悪政に苦しむ無辜の人民を解放しようとの大義に燃えた解放軍だった、その思いだけは否定できない、いや否定させないと、過激な国家主義団体・憂国騎士団に入隊、同団の広報部から、旧第7艦隊所属の士官や兵士たちの証言を集めた「アムリッツァの真実」なる手記を発行した。

 少部数の冊子であったため、大した評判にもならなかったが、新帝国開闢後、憂国騎士団はハイネセンポリスを襲った大火災の放火犯に指定され、憲兵隊との激しい銃撃戦の結果、2万人弱の容疑者が検挙された。この時、同団本部から押収された物品の中に、かの手記があった事、そして、その手記がケスラー憲兵総監の縁故で採用された、クラインゲルト子爵家ゆかりの憲兵の目に触れた事、この事が今回の訴訟事件の直接原因となった。

 

 手記の中で、自分の故郷の者達が無知で哀れな存在として、彼らを雇用していたクラインゲルト子爵家が悪逆な専制帝国の手先で、人民を虐げる暴君として描かれている事に激怒したこの憲兵は、主家たる子爵家に連絡。子爵家の名誉を汚すものである、皇帝陛下に訴えて、この手記の作者を罰してもらうべきと主張した。この時、子爵家を差配していたのは前当主の娘で、現当主の母たるフィーア夫人。同夫人は事を荒立てる事を望まなかったが、事情を知った同社社員らは当時の屈辱を思い出して憤激、そのような文書が残っている事は許せないと、帝国政府に直訴してしまった。

 

 フィーア夫人の相談を受けた憲兵総監ケスラー元帥は、事が公になってしまった以上、とにかく事実関係だけは明確にすべきだ、そうでないと遺恨が消えないと助言。自らの縁者が関係者であるため、憲兵隊を動かす事は出来ないが、軍務省、司法省に働きかけると約束し、その言葉通り、両省に調査依頼を出している。

 

 その結果が上記の内容なのだが、調査過程で、この手記の作者と思われる同盟軍の元士官らは、先の銃撃戦で死亡している事が判明。かのヴァーリモント少尉は第7艦隊と同社社員の武力衝突時、同盟軍を脱走、行方不明となっており、同艦隊に所属していた士官らも、その多くは第一次ランテマリオ星域会戦、またマル・アデッタ星域会戦に従軍、戦死していた。同艦隊司令官のホーウッドは、故郷の惑星で存命だったが、既に軍籍を離れて久しく、事情を聞かされた後、自らの行いを悔い、軍務省職員を通じて謝罪の意を表明。もしこの身を罰する事で、私が屈辱を与えてしまった人々が納得するなら、喜んで司直の手に身柄を委ねたい、との意思を示した。

 

 司法尚書ブルックドルフ博士から、本件は法律が裁く問題ではない、関係者の多くも鬼籍に入っている以上、政治的判断で決着すべきだと助言されたケスラー元帥は、当時は皇帝首席秘書官だった皇太后ヒルデガルド陛下に相談。皇太后陛下の裁断によって、開祖ラインハルト陛下の私信との形で、同社社員が示した帝室への忠誠をまず嘉し、彼らが先祖伝来の伝統を重んじる良民である事、主家たるクラインゲルト子爵家は領民を愛する良き領主である事を認め、今後も生業に励むべしと激励した。同時に、宮内尚書ベルンハイム男爵に依頼し、同社の製品を皇宮の食材として優先的に購入して欲しい旨、配慮を求めた。

 

 なお、開祖ラインハルト陛下は、ルドルフの言葉を遵守する者達を慰撫するために、自身の名前を使う事に難色を示したが、皇太后陛下より、彼らは自らの仕事に誇りを持つ良民である事、彼らの存在を認めてやれば、今なお旧帝国を懐かしむ者たちに対しても、新帝国は粗略には扱わないという姿勢を示せる事、正式の勅書を発した訳ではなく、あくまで私信で褒めただけであるため、公式記録に残す必要がない事、これらの事情を説明されて、許可したという。

 

 フィーア夫人を通じて、ラインハルト陛下の私信を示された事、またホーウッド元中将からも自筆の謝罪文が届いた事で、告訴人たちも我々の思いを分かってくれたと納得。フィーア夫人の勧めもあり、和解する事を承諾している。

 

 なお後日談なのだが、ホーウッド元中将は、自らの保身のために傷つけてしまった人達に直接謝罪したいと、フィーア夫人に子爵領への訪問を懇請。当時の恨みを忘れていない同社社員の一部は難色を示したが、フィーア夫人は「この謝罪文を読んでも、ホーウッドという方がご自身の罪と真摯に向かい合おうとしている事が分かります。あの戦争で確かに我々は傷つきましたが、同盟の人々もこうして苦しんでいるのです。私は、夫を奪った戦争が嫌いです。だからこそ、戦争で受けた傷に苦しむ人を助けたいと思います。せめて、お話だけでも聞いて差し上げるべきではないでしょうか」と説得。優しい人柄の夫人は、もともと領民から慕われていた事もあり、ホーウッド元中将の訪問は受け入れられた。

 家族と共に子爵領を訪れたホーウッドは、フィーア夫人や現当主のカール、またヒストリッシェ・ゲミューゼの社員らと面談。占領当時の事を深く謝罪する姿に、夫人ほか領民達も好感を覚え、和解するに至った。

 

 これが縁となり、戦傷による障害に苦しんでいたホーウッドは、夫人たちの勧めもあって、温暖な気候のクラインゲルト子爵領へ家族と共に移住。同盟軍人時代の知識と経験を活かして、領地を宇宙海賊や犯罪者集団から守る子爵家の警備部隊に勤務、顧問的な役割を果たす。

 

 その後、現当主カールと、ホーウッドの孫娘マリアが結婚。立会人を務めたケスラー元帥からその事を聞いた皇太后ヒルデガルト陛下が、帝国と同盟の宥和の象徴だと、子爵夫妻を祝福したい意向を示されたので、連絡を受けた子爵夫妻は新帝都フェザーンに参内。同行したホーウッドも、皇帝アレクサンデル陛下、ヒルデガルト陛下に拝謁しており、公式に新帝都を訪れた同盟軍の元将官としては、かのダスティ・アッテンボロー元中将に続く2人目となった。

 

 また、ヒルデガルド陛下との面談中、ホーウッド元中将は、同盟軍人時代、反帝国の急先鋒だった自身に言及して「かつて私は、帝国を悪逆な国家と罵り、皇帝陛下を筆頭に、帝国貴族は邪悪の権化と罵倒していました。しかし、老残の我が身に手を差し伸べてくれたのは、帝国の人々でした。そればかりではなく、子爵家に家族としても迎えて頂きました。憎しみは何も生まないと申しますが、この年になって初めて、その言葉の意味が理解できたようです」と語ったという。

 

 なお、本書の執筆時点(新帝国暦6年)で、ホーウッド元中将には、旧同盟軍末期の状況を良く知る元将官として、軍務省・学芸省が合同で設けた旧軍戦史編纂所の非常勤顧問として協力して頂いている。



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第7章 帝国の経済体制 Ⅲ~欲望を充足する機構
第1節 帝国の「財(製品)」と生産体制


 


 これまで、臣民の生存を保障するための配給制度と、配給品を生産する国営企業・公営企業のあり方について主に述べてきた。それは、ルドルフが目指した「臣民の生存を保障する」機構としての経済体制だ。

 しかし、これは旧帝国の経済体制の基礎ではあるが、一部分でしかない。貴族や平民の欲望を満たせる、配給品ではない製品は、どのように計画生産されていたのか、そして、医療などのサービス業は、誰がどのように営んでいたのか、本章では、配給対象ではない製品及びサービスの生産・提供体制について概説したい。

 

 まず、企業活動で生産される製品は、帝国財務省の分類によると、次のように区分されている。各分類の説明と生産体制は以下の通り。

 

 1.基礎財

 配給品に相当。食品や衣類など臣民の生存に必要不可欠とされる品目。ただし、配給品以上の品質を持つ物は奢侈品と見なされる。前述の通り、郡単位で必要数量を集計、計画生産されている。

 

 

 2.公共財

 主に、公共インフラを整備するために必要な原材料・資材・各種の産業機械など。重化学工業製品が多い。

 

 州単位で計画生産される事が原則。総督府で州内の需要を取りまとめて、必要量を計算して、州内の国営企業に発注する。

 なお、公共財も基礎財と同様、郡単位で自給率100%とする事が望ましいとされたが、基礎財ほどは厳しく定められておらず、州内の各郡同士で融通する、または他州から運搬する事も許可された。仮に欠品しても、すぐに臣民の生存が脅かされる可能性は低いから、との理由による。

 

 また、エネルギー供給の根幹システムたる核融合炉は、財務省指定の国営企業か、同省が定める基準を満たす公営企業でのみ生産が許可された。

 

 この他、前述の禁制品―恒星間航行用宇宙船・戦闘用艦艇・兵器―も、公共財と見なされたが、総督府での発注は許可されていなかった。これらの製品は、帝国政府が数量を一元管理するため、財務省が各省、各州の需要を取りまとめ、同省指定の国営企業でのみ生産させた。製造後は、財務省が一括購入して、各省と各州に必要数量を支給した。修理やメンテナンス等も、指定企業の技術者しか行えないとしたので、多くの貴族領には、指定企業の支社や営業所が設けられた。

 

 3.民需財

 必ずしも生存に必要とはしないが、生活水準の向上に資する製品。家電製品や地上車などの耐久消費材が代表例。また、酒や煙草等の嗜好品、書籍や文具等の文化製品、遊具等の娯楽製品、高価な家具や宝飾品等の奢侈品も含まれる。

 

 公共施設で使用される耐久消費財は一部、国営企業でも生産されているが、シェアは圧倒的に公営企業の方が大きい。また、嗜好品・文化製品・娯楽製品・奢侈品は、全て公営企業で生産されている。帝室や政府の需要が生じた場合は、皇族が経営する公営企業などで委託生産される。

 原則として受注生産なので、公共施設で使用される物は、総督府で必要数量を集計され、財務省が指定する公営企業に一括発注される。平民が購入を希望する場合は、町役場を通じて購入依頼書を提出する必要があるが、公共の需要が優先なので、納期が年単位になる事もあった。

 

 基礎財(配給品)の必要数量と品目が郡単位で集計されているのと同様、公共財も各州で数量と品目を集計、州内の需要は、前述の禁制品や特定の希少金属などを除き、同州内で生産する体制が取られていた。

 ここから、旧帝国の経済体制は極めて分権的だと言える。これは貴族領も同様で、製品の「地産地消」に拘泥したルドルフの意向と見られているが、同時に領主貴族の独立性を養う結果ともなり、ひいては、自由惑星同盟が建国される遠因となった、との仮説もある。この点は再建帝オトフリート2世の巻で詳述したい。

 

 一方、基礎財と公共財との最大の相違点は、前者は欠品発生を法律上の罪とも見なし、消費されずに廃棄処分となる製品が生じても構わない、常に潤沢な在庫を持つ事が推奨されたが、後者は原則として計画策定後に生産開始、金属鉱石などの原材料を除けば、基本的に在庫を持たないようになっていた。この事もまた、臣民の生存を経済活動の第一義と見なしたルドルフ以下の国家派、また統制派の思想の現れ、と思われる。



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第2節 帝国人の物質生活①~耐久消費材等について

 基礎財以外の製品が基本的に受注生産されるようになった結果、連邦時代では1ヶ月程度で竣工できていた建物が半年、一年以上かかる事が常態化、納期は年単位が普通となり、メンテナンスの周期も長期化して、旧帝国の公共インフラは全体的に老朽化していった。

 

 また、家電製品や地上車などの耐久消費財を始め、配給対象ではない生活用品は公共の需要が優先されたため、平民の購入は困難となった。平民が買う事自体は禁止されていなかったが、一部の嗜好品を除いて、小売店での販売が無くなったため、購入希望の場合は、居住する町の役場に購入依頼書を提出する必要があった。大消費地である帝都オーディンを主星とするヴァルハラ星系など、生産活動が盛んな場所であれば、比較的短時間で入手できたが、配給品の生産を主に行っている星系であれば、年単位で待つ事は普通だった。

 

 そのため、平民の間では、払い下げられた官給品などを購入、使用する事が一般的となり、中古品市場が発達した。また、国民、領民などの一般的平民は、国営または公営企業に技術社員として勤務する者が多く、故障した家電製品を自分で修理できる技能を持つ者も少なくなかった。

 その結果、買い換えるよりも修理する事が当然との風潮が生まれ、次第に、平民男性は機械修理や木工の技能を持つ事が常識となっていった。

 

 工業製品をいつでも安価に購入できた同盟やフェザーン社会に馴れた者からすると、家電製品1つ手に入れるのに、平民は年単位で待たねばならない旧帝国社会のあり方は、そもそも日常生活を営む事が困難なのでは、との疑念を抱く向きも多いだろうが、実際はそうでもなかった。

 

 勿論、その社会体制に適応していったとの側面は確かにあるが、従臣・国民・領民など、私有財産権を有する平民達も、主家や職場が建設した社宅、もしくは郡政庁が整備した公営住宅に住む者が大部分で、これらの住居には、あらかじめ最低限の家電製品や家具が備え付けられていた。

 

 そして、住居と職場が隣接しているか、職場の敷地内に住居がある場合がほとんどだったため、通勤に地上車等を使う必要はなく、徒歩や自転車で十分だった。また、基礎的自治体たる町は、臣民の徒歩圏内に、生活に必要な施設等を集中させる事が法的に義務付けられており、バスや電車等の公共交通機関も整備されていたので、移動手段を持たない交通弱者でも、日常生活に支障を来す事はなかった。

 よって、平民達が地上車を必要とする場合は殆ど無く、緊急時は町役場に連絡すれば、運転手付きの地上車を賃貸する事も出来た。

 

 同盟やフェザーンの社会と比較するなら、旧帝国臣民の生活は単調で、物質面の充足度は低いと言わざるを得ないが、その反面、国家の定める生活様式に従うなら、最低限の衣食住は保障されており、父親と同じ職業に就く事を受け入れれば、生まれてから死ぬまで、同一の町に住み続ける事も可能だった。そして、それもまたルドルフが目指した社会の一側面であった。



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第3節 帝国人の物質生活②~嗜好品・奢侈品について

 旧帝国経済の特徴の1つとして、あらゆる面で、民間の需要よりも、公共の需要が優先された事が指摘できる。それは統制経済が一般的に有する特徴ではあったが、旧帝国は経済活動を支配者層、即ち貴族の特権と定めて、平民層を経済主体とはせず、ただ一方的な受益者とした事で、民間の需要を軽視するというより、封殺してしまった観がある。

 

 平民層は政府や主家から与えられた配給品と、連邦時代の水準と比較すれば、絶対的に低い給与でのみ生活する事を余儀なくされて、それ以外の収入を得る手段は事実上、断たれていた。また、平民が奢侈品等を購入する事は、決して禁止されてはいなかったが、付加価値税や物品税が加算されて、平均的所得の者には、まず手が出せない「高嶺の花」だった。

 

 「経済の発展は人類の繁栄ではない、それはむしろ、理性ある人間を堕落させる地獄を招来する事に他ならぬのだ」と断じて、「発展しない」経済を理想としたルドルフにとって、臣民の圧倒的多数を占める平民達の所得を低く抑えて、生活水準を向上させる可能性を無くす事は、当然の帰結だったと言えよう。 

 

 しかし、現実的な政治家としてのルドルフは、それが欲望を持つ人間にとり、不自然な状態である事も理解できていた。物質的に豊かな生活を望み、旧帝国の経済体制に不平不満を漏らす者達も当然存在したが、ルドルフは社会秩序維持局に指示、劣悪遺伝子排除法に抵触する、臣民の義務違反として厳しく取り締まらせる一方、ムチに対するアメとして、平民のガス抜きを図る施策も実施していた。その1つが酒・煙草等の廉価販売である。

 

 平民が民需財を買う時は、原則として購入依頼書を町役場に提出しなければならなかったが、酒と煙草だけは、各町に最低1店舗は設けられた国営の量販店で、ごく安価に購入できた。また、酒や煙草を嗜まない女性向けに、菓子や花卉等の嗜好品を扱う小売店もあった。

 

 そして、風紀を乱す可能性があるとの理由で、出店場所は限定されたが、酒場や飲食店、賭博場、風俗街などの娯楽施設も、人口規模に応じて、適宜設けられた。これらの店舗は、財務省に委託された国営企業が運営しており、外見上は個人商店と見まがう店舗もあったが、それは町の景観に合わせた装飾に過ぎず、都市開発が不十分な辺境域の直轄領などでは、外見よりも内実が大切とばかりに、無味乾燥なコンテナやプレハブ工法の店舗が建ち並んでいたという。

 

 だが、時代が下り、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の御代では、国力回復のため、平民層の育成に務めた同帝の方針により、一部の業種に限っての事だが、政府が定める同業者組合に加盟する事を条件として、平民が事業主体となる事が認められた。

 その結果、帝都オーディンを始め、直轄領の州都には平民が経営する各種商店や酒場、賭博場や風俗店等が開店していった。とりわけ、旧帝都オーディンの下町界隈は、平民事業者の諸店舗や屋台が林立して、各店が工夫を凝らした看板や装飾が美観を競い合い、今なお観光地としても有名だが、彼ら平民事業者の台頭で、国営企業の娯楽施設は次第に姿を消していった。



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第4節 帝国の「サービス」①~公共的サービスを中心に

 旧帝国の生産体制は公共の需要が優先され、民間の需要は二の次とされたが、それは医療等のサービスも同様だった。

 

 医療を例に取ると、医師を志望する者は、医師免許の取得と同時に、国務省医療局の医官に採用される。その後、同局の指示で、帝都ほか直轄領内の国営病院か、または貴族が経営する公営病院へと赴任するのが一般的なコースで、連邦時代のように、個人の開業は認められていなかった。この点は、医師や弁護士など、国家資格が必要な職業に共通しており、資格取得者は、同資格を所管する省に採用され、官吏として各省が運営する施設等に勤務した。

 

 これは、社会に有益な高い技能と知識を有する者は、私益を図るよりも、公共の立場から国家に貢献すべし、との思想の表れであり、貴族身分の者が就く事が望ましいとされた。そのため、各貴族家の家士や従士達が主に志望する職となり、爵位持ち貴族の従臣などを除けば、平民が専門職に就く事は難しかった。

 

 特に領主貴族は、領地経営の必要性から、優秀な家士や従士の子弟に学資を援助、大学進学と専門職への就職を後押しした。彼らは資格取得後、主家が経営する病院等の施設に派遣され、貴族領内の社会サービス提供者となった。彼らの存在は、中央省庁で発見、開発された知識や技術を地方へと伝播する役割を期せずして果たし、国土省から各貴族領に派遣された技術者らと並んで、帝国領内の均等な開発に寄与している。

 

 彼ら専門職は基本的に官吏でもあったため、政府が重要と見なす施設へ優先的に派遣された。そのため、帝都オーディンや主要星系の州都にある大病院、禁制品を製造する国営企業の付属病院等には、医師や看護師が潤沢に存在したが、辺境域の直轄領など重要度が低い場所は、法的に定められた最低限の人数しかいない事も珍しくなかった。

 

 その反面、連邦時代のように、効率と利潤を追求する民間事業者がサービス提供者ではなくなったので、人口が少なく、採算が取れないとの理由により、医師が全く存在しない場所は無くなった。いわゆる「無医地区」問題は、逆に解消したと言える。

 また、前述の通り、旧帝国では公的な医療保険制度は廃止されたため、平均的所得しかない平民層は、医療費の負担に苦しむ例が少なくなかったが、生産性低下を防止する観点から、ありふれた疾病や怪我ならば、連邦時代の水準よりも、遙かに低価格で治療を受けられた。

 

 では、公的な資格を必要としないサービス、例えば保険や金融、物流、娯楽等のサービスは、どのように供給されていたのか。結論から述べると、物流など公的性格が強いサービスは、主に政府や貴族の需要を満たすため、国営または公営企業によって供給されていたが、保険や金融はビジネスとしてはほぼ消滅。娯楽など私的生活に関わるサービスは、少なくとも平民層に対しては、やはり大部分が消滅した。

 

 例えば、星系間の物流を取り扱う国営企業では、財務省が輸送指示した貨物が最優先、次いで各省や貴族らの貨物が優先され、平民の貨物は輸送力に余裕があれば積む程度で、やはり公的な需要が優先されている。尤も、経済圏が郡または州でほぼ完結しているので、平民が星系間輸送を必要とする事は極めて少なく、大貴族は専用の輸送船を所有する場合がほとんどで、中小の貴族は他家の経営する公営企業に輸送委託する例が多かった。

 

 対して、保険や金融は、ビジネスとしては成立しなくなった。その原因は、ルドルフが貸金業について「物の価値尺度でしかない貨幣を商品化し、不当な利益を貪ろうとする悪行そのもの。労働の価値を貶める悪徳だ」と断じ、預貯金に対し利子をつける、貸付金に対し利息を取る、この2つを法的に禁止した事にある。

 この結果、保険業は掛け金を集めて分配する事しか出来ず、利益を上げる事が不可能となり、連邦時代から続いていた保険会社は廃業するしかなかった。そして、利子・利息の概念が消滅したために、旧帝国では金融という概念自体が次第に消えていった。

 

 これもまた、ルドルフが理想とした「発展しない」経済を実現するための一方途だったが、流石に過激過ぎたのだろう、帝国の支配体制が安定して、皇族や貴族が物質的に豊かな生活を追求するようになった、ルドルフの曽孫にあたる享楽帝リヒャルト1世の御代に至ると、金自体が価値を生み出す「利子・利息」との概念は、様々な名目で復活している。

 例えば、政府や貴族が公営企業に出資した際は、出資額に応じた配当を受けられるようになったが、それは投資に対する謝礼金、との名目だった。帝国暦130年代、寛仁公フランツ・オットー大公が創設した帝国騎士は、貴族年金の代わりに高利率の債券が受け取れたが、それは財務省投資局が公営企業に出資して、その額に対する配当金が原資となっている。

 

 しかし、痴愚帝や権謀帝、残暴帝など、ルドルフを理想として、建国期への復古を掲げた皇帝が即位すると、利子・利息の廃止は「大帝の御遺志」だと再び実施されており、利子・利息を巡る問題は、旧帝国の滅亡に至るまで、その経済体制に大きな影を落とす事になる。

 

 なお、ビジネスとしての保険業は消滅したが、予期せぬ被害に備えるための相互扶助制度は生き残った。貴族層では、一門の主家が従家から一定の掛金を預かり、災害や戦災で領地に大きな損害が出た時などは、復興支援金の名目で、主家から払い戻しを受けられる制度が生まれた。

 平民層もそれに倣って、地縁や血縁、または職域で会員を募って相互扶助団体を結成。会員からの掛金を貯蓄しておき、会員やその家族に死亡や病気、怪我などの不幸が生じた時は、見舞金を受け取れるようにするなど、各地で独自性のある制度、風習が生まれている。



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第5節 帝国の「サービス」②~娯楽的サービスを中心に

 

 最後に、娯楽に関するサービスだが、質実剛健を旨とするルドルフの意向で、国営企業が運営する娯楽施設等を除けば、平民層向けのサービスはほぼ消滅した。

 

 臣民に相応しい健全な娯楽として、学問と読書、スポーツが推奨され、町役場には図書館と学習室、体育施設が併設された。ゴールデンバウム朝の正統性に疑問を抱いたり、皇帝専制の政治に異議を唱えたりする事がないよう、自由主義や民主主義を肯定する書籍等は発禁とされたが、思想性が乏しい自然科学や工学等に関する書籍は潤沢にあり、西暦年代に出版された古典的作品も豊富にあった。

 

 これは映像作品も同様で、思想性の強い作品は上映されず、過去の古典的名作か、映画好きの貴族が映像関係の公営企業に製作させた作品が町役場併設の集会場で上映された。

 なお、旧帝国のメディアは、内務省所管の国営通信社一社のみしか存在せず、新聞や雑誌も同社が出版するするものしかなかった。 

 

 彼ら平民層にとって、娯楽の王者はスポーツだった。スポーツとはあくまで娯楽と身体の鍛錬である、というルドルフの意向で、連邦時代の如きプロ選手は認められなかったが、アマチュアのリーグ戦は盛んに行われた。

 

 特に人気を集めたのがフライングボール。職場や町、さらには郡単位でもチームが結成されたほか、フライングボール愛好者の貴族が自家の家士や従士、従臣らを選手にしたチームを編成、リーグ戦に参戦する事もあった。強豪チームには熱狂的ファンも存在して、ファン同士の応援合戦も試合を盛り上げた。

 また、リーグ戦の勝敗を当てる賭博も非公式に行われていたが、賭金を巡っての殺人や暴行、恐喝等の犯罪が起こらない限り、社会秩序維持局も目溢しするのが通例だった。これは、フライングボールの熱烈な愛好者は貴族層にも数多く、お忍びで体育施設を訪れて、平民に混じって応援、賭博に参加する皇族や諸侯さえいたからだと云う。

 

 なお、平民のチームが貴族家お抱えのチームに勝利すると、負けた貴族は相手チームの健闘を讃えて、祝儀をはずむ事がその襟度を示すものとされて、次第に慣習化していった。

 

 この慣習で伝説となっているのが、健軍帝フリードリヒ1世の皇弟ハインリヒ、後の強軍帝フリードリヒ2世で、熱狂的なフライングボール愛好者だった同帝は、自家の家士や従士達に猛特訓を施してチームを編成、自らも選手として出場し、常勝無敗を誇っていたが、ある時、格下と侮っていた平民チームとの試合で、終始有利に試合を進めながらも、最終局面で自身の僅かなミスにつけ込まれ、逆転敗北を喫した。

 優秀な軍人でもあった同帝は「自信と過信は違う。驕り高ぶりは敗北の原因になる。改めて良い勉強をさせて貰ったぞ」と、相手チーム全員の健闘を讃えて、祝儀として自らの領地に建設した専用スタジアムを贈ったという。なお、同帝の名を冠したこのスタジアムは現存し、身分を問わず、誰でも使用できる専用施設として、今なおフライングボール愛好者の聖地となっている。

 

 彼ら平民と同様、貴族層への娯楽サービスも名目上は存在しなかったが、その特権を使い、平民が購入できない製品やサービスを享受する事が出来た。とは言え、個人レベルの要望であれば、自家の従臣たちに命令して解決できたので、企業に依頼してでも享受したいサービスは、出版や芸能など、ある種の公共性を持つものが大部分だった。

 

 貴族の中には、職業にはしないが、趣味や教養の範囲で創作や研究活動を行う者も多く、それらの作品は貴族のサロンで発表される事が常だった。その際、貴族の格式に相応しい装丁でなければ不調法と見なされたので、専門の印刷業者を抱える貴族家には、他家からも注文が相次いだ。

 

 また、その中で文学的、学問的価値が高いと認められた作品は、皇帝や諸侯の推薦を受け、正式に出版される事も珍しくなかった。それらの作品は、臣民を啓発し、支配者たる貴族の優秀性を知らしめるためとの理由で、印刷事業を行う公営企業に発注し、平民でも購入できる廉価版を出版、町役場に併設された図書館にも所蔵されて、広く人口に膾炙した名作も多い。

 

 一例を挙げると、文華帝エーリッヒ1世の御代に活躍した貴族歴史家、フィッシャー子爵著の「銀河帝国の成立」や、ブルックナー子爵著の「銀河帝国前史」などがある。なお、皇族や諸侯の男子が密かに要望して、帝国社会では非合法だったポルノグラフィティなどが製作された例もあったという。

 

 また、映画や演劇、音楽や芸能など、専門性を有する人材が多数必要となる文化事業は、国家の支援が完全に無くなり、愛好する貴族達が個人的な趣味で行うものとされた。

 

 豊富な財力を持つ皇族や諸侯は、自家で劇団や楽団を抱えたほか、自家が経営する公営企業に文化事業部を設立、才能ある役者や芸人を自社の専属としたり、家士や従士、従臣から才能ある人材を募ったりするなどして、映画の製作と上映、演劇やオペラ、バレエなどの興行を行った。

 だが、これは営利目的では無く、あくまで大貴族との体面を保つための営為であり、自家や一門で楽しむほか、皇族や他家の貴族を招いての園遊会や舞踏会で披露される余興でしかなかった。

 

 その一方、純粋に芸術や芸能を愛好する貴族もおり、彼らは自ら出資、または同好の士と共同出資して、映画製作や演劇等の興行を専門に行う公営企業を設立。芸術作品たる映画を製作、上映したほか、高い芸術性を持つ演劇や舞踏を主催した。

 そして、広く臣民に帝国文化の粋を普及啓発するとの名目で、貴族のみならず、平民も対象に興行を行った。平民如きに芸術や文化が理解できるものかと、彼らの活動を蔑視する貴族も多かったが、その興行に触発され、芸術家や音楽家、役者などを志望する平民たちが芸能部門を持つ公営企業に集まり、身分制秩序を超えた芸術・文化のサークルが生まれた。

 

 旧帝国史上で、最も芸術文化の保護、育成に尽力した美麗帝アウグスト1世、文華帝エーリッヒ1世の御代に至ると、彼らサークルの活動を核として、歴史に残る著名な芸術家や俳優、舞踏家に映画監督らが誕生。両帝の名を冠した芸術コンクールや映画祭、各種の賞なども設けられて、現在にまで伝わる貴族文化が大輪の花を咲かせる事になる。

 

 しかし、旧帝国社会が武断的方向に傾くと、映画や芸能を業務とする公営企業は「帝国貴族にあるまじき柔弱さの現れ」「質実剛健を重んじた大帝陛下の御遺志に悖る」とされ、廃業を命じられる事も多かった。

 

 だが、帝国末期に至るまで、これらの企業は芸術や文化活動を志望する平民の「登竜門」的役割を果たし、企業に採用後、業務として芸術活動に従事。名声を得て独り立ちするか、皇族や諸侯に才能を認められ、専属として雇用されるか、その2つが芸術活動で立身を望む者の一般的なコースだった。

 

 とは言え、その門は相当に狭く、志望者数に対して、採用者数は極めて少なかった。芸術や文化に理解ある貴族と縁があり、パトロンを見付ける事が出来た者はむしろ幸運で、大部分が夢破れ、失業状態を避けるために、政府が指定する職場で働く者がほとんどだった。

 

 また、男性が芸術や芸能を職とする事は、旧帝国の価値観では決して賞賛される事ではなかったので、十分な才能を持ち、名声を得ても、官吏や軍人など社会的地位の高い職業に就いて、敢えてアマチュアとして活動する人物もいた。七元帥の1人、エルネスト・メックリンガー元帥も、そのような人生行路を歩んだ御方と言える。



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第8章 帝国の経済体制 Ⅳ~通貨・税制・財政
第1節 帝国の通貨制度


 帝国の通貨である帝国マルクの発行を所管していたのは財務省造幣局。同局は、同省物価局が調査、分析した各星系(貴族領含む)の生産・消費動向を踏まえ、通貨の発行量を決定、市中に流通する通貨量をコントロールしていた。

 

 通貨の年間発行量は、同局の作成した原案を踏まえて、財務尚書及び各局長による合同会議で検討。決定した同省案は尚書会議に提出され、同会議で承認後、帝国皇帝の裁可を得て、正式に決定される。

 その後、造幣局で発行された帝国マルクは、国営銀行たる帝国銀行(ライヒスバンク)に預金され、同行から国営および公営企業へと融資されて、市中に流通している。

 

 旧帝国も銀河連邦と同様、政府が通貨発行量を定める管理通貨制度を採用しており、時の皇帝、権力者の意向により、発行量は若干の変動はあったものの、原則として市中の需要より通貨の流通量が常に少なくなるよう、発行量は低く抑えられていた事が分かっている。

 

 この結果、旧帝国の景気は常時デフレ傾向にあり、通貨の価値が高い反面、物価は安い状態が続いていたが、それもまた「発展しない」経済を実現するための方途だった。

 自由経済体制におけるデフレは、消費が低迷し、企業の業績も悪化する不況と捉えられていたが、統制経済を実施して、経済の目的は利益追求ではなく、国家と臣民が必要とする物資等を調達する事だと断じるルドルフにとり、物価安を招来するデフレはむしろ理想的な状態だった。いや、この事に気が付いたが故に、デフレ状態を維持するため、通貨発行量を低く抑え続けたというのが真相だろう。

 事実、権臣エックハルトなど、経済発展による利益追求を容認する人物が帝国の実権を握ると、通貨発行量は増加傾向に示している。

 

 また、通貨の価値が高い事は、旧帝国の経済主体たる貴族たちの経済力を強化するとの副産物をもたらした。前述の通り、平民が現金収入を得る手段は、低い水準に抑えられた給与所得しかなかったのに対して、爵位持ち貴族は政府から与えられる巨額の年金と俸給で恒常的な現金収入があり、また公営企業を経営する貴族は、帝国銀行からの融資という形ででも、巨額の現金を手に入れる手段があった。

 

 彼ら貴族たちは、豊富な資金を背景に、優秀な人材を従臣として採用、良質な労働力を領民に招いて、身分のみならず、労使関係によっても平民を支配する事が出来た。ただし、前述した通り、従臣や領民を不当に遇して、反抗や逃亡を招くと、支配能力なしと見なされ、枢密院の弾劾対象ともなったので、彼らの待遇は連邦時代の貧困層と比較すれば、押しなべて良好な水準にあった。



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第2節 税制と貴族資産

 旧帝国では、ルドルフの意向で、貴族の所得と資産は非課税とされていた事は周知の事実だが、全ての貴族資産を非課税とすると、領地を持ち、公営企業を経営する領主貴族の経済力が強くなりすぎ、かつ貴族領に通貨が蓄積する一方となり、財政窮乏の原因になるのでは、との指摘が第二代財務尚書クロプシュトックから出されている。

 現在残る書簡等によると、ルドルフはそれに答えて「卿ら貴族は、帝国皇帝たる余が認めた正当なる宇宙の支配者である。卿らの財は、帝国の維持と発展のために正しく使用されると確信している。即ち、公金との性格を有する以上、それに課税する事は社会秩序維持の観点から、容認されるべきではない」として、クロプシュトックの指摘を退けている。

 

 しかし、クロプシュトックの指摘自体は、ルドルフもその重要性を理解していたと思われる節がある。貴族制成立後、ルドルフは貴族達に対して「支配者たる体面を保つため、威厳と格式ある生活を旨とすべし」と、家屋や衣装などは、その爵位と地位に応じて、相応に豪奢かつ華麗なものを用いるようにと、しばしば詔書を発している。ルドルフ自身は、皇后エリザベートや娘達に宛てた私信等を見る限りで、それほど物質的に豪奢な生活を好んでいたとは思われないので、これは貴族達に大規模な消費を促すための方策だったのではないか、との見方がある。

 

 また関連して、ルドルフの浪費と虚飾の象徴として断罪される新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)だが、ルドルフが想定していた皇宮の規模は、現存する新無憂宮よりも遥かに小規模で、同宮の構想案を示された時は「過大である」と一旦は拒否したが、クロプシュトックから建設工事に伴う経済効果を説明され、止む無く許可したとの説がある。

 

 この説を証明する史料は現時点では発見されていないが、新無憂宮の建設工事は、ルドルフ没後、中断と再開を繰り返し、現存する形に完成したのは帝国暦170年代、美麗帝アウグスト1世の御代だった。寛仁公フランツ・オットー大公などは、エックハルトらが横領した公金を没収すると、それを財源として、新無憂宮の建設を再開。その際、エックハルト時代に広がった貧富の格差を解消するため、低所得の国民を労働者として優先的に採用している。ここから、新無憂宮が持つ公共事業的要素は、現在想定されるよりも大きかったのではと思われる。

 

 また、財務省指定の国営企業でのみ生産が許可されていた禁制品―恒星間航行用宇宙船・戦闘用艦艇・兵器―も、貴族領から中央政府へと通貨を還流させる役割を果たした。当初は、皇帝が座す帝都オーディンの安全保障の観点から、貴族領に過度の武力、特に星間戦争を可能にする軍事力を持たせないための措置として、初代軍務尚書シュタウフェン上級大将が禁制品の制度を発案したというが、それを経済政策に組み込む事を主張したのは、初代財務尚書リヒテンラーデだった。

 

 貴族家、特に領主貴族は領地支配のため、これらの禁制品を絶対的に必要とした。自領の治安維持のために、ある程度の私兵を抱えなければならず、さらに複数の星系を領地とする領主であれば、恒星間航行能力を持つ宇宙船が必須だった。また、帝都で生活する文官・武官貴族も、恒星間航行能力を持つ専用船を抱える事が常識とされ、政府が運営する公共路線を使用する事は恥ずべき事とされた。

 

 よって、必要とする数量の違いはあれども、貴族達は禁制品を購入せざるを得ず、毎年度ごとに財務省に必要とする品目と数量を申告、同省の審査を経て、同省が策定する禁制品の生産計画に計上された。生産後は、同省が定める公定価格で、発注した貴族家に売却される。この結果、貴族領から中央政府へと通貨が還流、それは他国を持たない旧帝国において、疑似的な貿易となった。

 

 このように、政府から各貴族へ年金や投資の形で通貨を支出して、禁制品の購入という形で消費させる事は、中央と地方に相補的な関係を齎した。貨幣価値が高いデフレ状態の中で、常に莫大な現金収入を得られるというメリットは、各領主を帝国の支配体制内に留まらせる動因となった。

 

 その反面、禁制品購入に関する許認可権を財務省が持つ事で、中央政府は領主貴族に過度な軍事力を与える事を防ぎ、かつ禁制品の私的な生産は大逆罪と見なされたので、その統治には皇帝でも原則介入できなかった貴族領に対し、禁制品生産に関する査察を名目に介入する口実が作れた。

 

 これは地球統一政府が各植民星に対して、一方的に搾取し続けた結果、植民星が反乱を起こして、地球政府の滅亡を招いた事への反省から生まれた体制だった。

 

 だが、この宇宙に万能の政策が存在しないように、旧帝国の統治体制も完璧ではなかった。領主貴族に豊富な財力を与え、生産手段たる公営企業の経営を許した事で、禁制品を除けば、各領主はその領地内で完結する経済圏を構築する事が可能だった。ルドルフが直轄領のみならず、貴族領でも食料等の「地産地消」を推奨した事がそれに拍車をかけた。

 その結果、領主貴族達の半独立傾向を齎し、中央政府は領主らの反乱を警戒して、各軍管区に膨大な治安維持部隊を常駐させる必要が生じた。財務省は今後、軍事費の莫大な支出に苦慮する事になる。その意味では、元々の主旨とは若干異なるが、クロプシュトックの懸念は現実のものになったと言えるだろう。

 

 さらに、政府の目が届きにくい辺境域の領主貴族達は、汎オリオン腕経済共同体総裁から転身したカストロプ公爵家を筆頭に、シリウスや攻守連合、経済共同体の有力者から旧帝国に帰順した者達も少なくなかった。

 彼らは自家の安全保障のために、その経済力を使って、帝国政府から攻撃された時の逃亡先を確保すべく、帝国領域外へ深宇宙探査を行っていた。彼らの活動状況は、外聞を憚る隠密行動であったために、その詳細は依然として不明な点が多いのだが、筆者は、彼ら領主たちが深宇宙探査のために派遣した農奴や奴隷が自由惑星同盟建国の母体になったのでは、との見解を有している。公開された各貴族家伝来の史料、また同盟由来の史料を用いて、さらなる研究の深化を期したい。



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第3節 税制と平民資産

 市中の需要よりも低く抑えられていた通貨発行量は、年金や投資との形で現金収入を得られた貴族層の経済力を強化する方向に働いたが、平民層に対しては、如何なる作用を齎したのだろうか。結論から述べれば、前述の通り、連邦時代の水準よりも、絶対的に低い給与収入しか現金を得る手段が無かった平民層は、乏しい購買力しか持てず、政府が行う配給制度に、生計の大部分を依存せざるを得なかった。

 

 また、平民層には、帝国領内での生存を保障するための経費として「安全保障税」が課せられたほか、生存に必要ではない奢侈品や贅沢品を平民が購入する場合は、その種類に応じて「付加価値税」や「物品税」を負担する必要があった。これらの税制度によって、平民層の保有する通貨は政府へ徴収されて、その経済力は極めて低い水準に止められた。

 

 さらに、皇帝直轄領に暮らす国民は、帝国銀行(ライヒスバンク)に口座を開設する事が義務付けられて、給与は全て口座振込されたため、その収入額は常に政府が把握していた。この口座は身分証明書の機能も果たし、警察局や社会秩序維持局の職務質問に対して、口座カードを提示できない国民は、不審人物として拘束対象にもなった。

 これは貴族領でもほぼ同様で、領主貴族は例外なく、帝国銀行または自家が経営する銀行(公営企業)での口座開設を領民に義務付け、政府と同様の手法で、領民の管理を行っていた。

 

 しかし、時代が下ると、貴族の従臣となって、その経済活動を代行、実質的には自ら事業家となるような平民も誕生した。さらに、国力回復のため、平民層の育成を図った晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の治世以降、いわゆる「富裕平民」と称される者達が旧帝国社会の中で一定の存在感を発揮するようになった。

 

 彼らは自らの財力を用いて、子弟に高等教育を受けさせた。その目的は、自らの事業を継承できる人材に育成する事、または身分制社会の中での地位向上を目論み、政府官僚や軍士官に就職させる事など、各人の事情に応じて様々だったが、特に帝国軍においては、「軍務省にとって涙すべき40分間」と称された第二次ティアマト会戦で、貴族将官が大量戦死したため、帝国騎士などの下級貴族と並んで、彼ら富裕平民の子弟が佐官、将官へと昇進する事例が増えてきた。既に指摘されている事だが、彼ら富裕平民出身の軍士官が台頭していなければ、開祖ラインハルト陛下の急激な勃興は不可能だっただろうと言われている。



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第4節 帝国の財政制度

 最後に、旧帝国の財政制度について一言しておきたい。一般的に、税と財政は国家の根幹を成すものだが、旧帝国において、その比重は必ずしも大きくなかった。

 

 その要因として、貴族領は基本的に独立採算制だったので、連邦と比較すると、中央政府の予算規模が半分程度になった事、政府の収入は、禁制品など国営企業で生産した製品の売却益と、全平民から徴収する安全保障税が大半を占め、貴族資産は非課税だったため、複雑で多様な税制度が必要なくなり、税務行政が簡素化された事、利子・利息が法的に禁止されたので、複雑な金融商品が消失し、政府会計が現金主義に移行した事、これらの点が指摘できる。

 

 さらに、安全保障税は全平民一律の基礎課税分と、所得に応じて加算される累進課税分の二階建てだったが、この基礎課税分が課税額の70~80%程度を占め、各年度で税収に大きな変動が生じなかった事も、予算編成作業の簡便さを齎した。この状況は事実上の外国たるフェザーン自治領が誕生し、財務省が国債発行という資金の調達方法に手を染めるまで、基本的には変化していない。

 

 ちなみに、帝国政府の予算編成作業は、各省から提出された概算要求を踏まえ、財務省理財局が前年度の予算執行状況を加味した上で、予算編成方針と予算原案を策定。それを受けて、同省主計局は、各省担当官との復活折衝等を経て、政府予算案を策定、同省の局長会議で検討、承認された後、皇帝臨席の尚書会議(御前会議)に提案される。同会議で議決された後、皇帝の裁可を得て、正式に政府予算として確定される、との流れだった。

 

 予算編成の流れは、最終決定を行うのが皇帝か、議会かとの差はあれども、連邦政府のそれと大きな違いは無かった。しかし、予算内容、特に歳出には大きな変化が見られる。連邦時代、歳出の大半を占めていた人件費・扶助費(福祉費)・公債費、いわゆる義務的経費が大きく減額された反面、軍事費、そして治安維持関連の支出が莫大となり、次いで貴族関連の支出(貴族年金等)が多額を占めている。

 

 義務的経費の減額は、政府や軍で現業職を務める者が公務員ではなくなり、農奴や奴隷に代替された事、公的な医療・福祉制度が縮小、廃止された事、そして利子・利息が法的に禁止された事により、国債の発行が出来なくなった事による。

 軍事費の増加は、前述した通り、帝国政府にとって、ある意味では仮想敵とも言える領主貴族に備える必要があった事が原因であり、貴族関連の支出は、帝国の支配者層として、人工的に作られた貴族制度を維持するために、莫大な経費が必要となっていた事が窺える。

 

 以上が旧帝国財政の概要だが、連邦や同盟のそれと比較すれば、その内容は簡単明瞭に過ぎると言っても過言ではない。しかし、それもまた、敢えて予算の項目を大きく(粗く)する事で、各部局、ひいては各担当者の裁量権を大きくし、連邦末期の如き硬直化した縦割り行政を打破して、より能動的な「人治」を目指す、ルドルフの姿勢の表れだと言えるだろう。

 

 さて、旧帝国の経済体制、特に建国期のそれについて概説してきたが、その通奏低音となっているのは、再々述べてきたように、ルドルフが理想とした「発展しない」経済だった。

 しかし、自由経済体制であれば常識以前の課題である経済発展を求めないその姿勢は、自由主義と民主主義を国是として、帝国の支配を肯んじない独立勢力、シリウス・攻守連合・経済共同体らが容認できるものではなく、帝国政府もまた、自身の国是を貫徹するために、彼らの存在を放置する事は許されなかった。さらには、帝国領内にさえも、自由経済を是として、連邦時代を懐かしむ共和主義勢力が跳梁跋扈し、水面下では彼らに同調する総督や知事も存在した。

 

 彼ら反帝国勢力、及び領内の共和主義勢力を討滅するための手段であり、決意表明でもあったのが劣悪遺伝子排除法だった、とするのが筆者の見解だが、次章では、これまで述べてきた行政・軍事・経済の各制度、そして旧帝国特有の身分制度を用いて、銀河帝国は反帝国勢力や共和主義勢力を如何にその支配体制へ組み込んでいったのか、ルドルフの治世後期、帝国暦9年から始まる、筆者が名付けた「平定戦役」について解説したい。



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第9章 「平定戦役」の開始
第1節 平定戦役の実態①~総督府等が帝国支持の場合


 帝国軍中央艦隊が攻守連合軍に勝利したトラーバッハ星域会戦に端を発する平定戦役では、対同盟戦争で常態化していた、華々しい艦隊決戦など数えるほどしか行われなかった。その実態は、シリウスや攻守連合の支援を受けた武装勢力やテロ組織と、社会秩序維持局の治安維持部隊との間で、小規模な戦闘が延々と繰り返されて、散発的に、シリウスや攻守連合の正規部隊と帝国軍との間に大規模戦闘が発生する、というものだった。

 

 そのため、一連の戦闘行為は、ほぼマニュアル化されていた。社会秩序維持局に残る当時の業務手順書などを参考に、平定戦役の実態を描いていこうと思う。なお、以下の記述は皇帝直轄領での事例である。

 

 内乱鎮圧、治安回復を本質とする平定戦役の遂行では、現地の行政機関(総督府または郡政庁)が帝国を支持しているかどうか、それが焦点だった。総督府等が帝国皇帝に忠誠を誓っていれば、これは領内の治安回復活動と見なされたが、逆に皇帝へ叛旗を翻して、シリウスや攻守連合等の敵国の支配下にある、または星系内の共和主義勢力と結び、自ら独立勢力たらんとしている場合は、敵性勢力への武力行使活動と見なされた。

 

 社会秩序維持局の治安維持部隊を主力とし、現地総督府の警備部隊、内務省警察局の治安警察と協働して、共和主義を掲げるテロ集団など、帝国に敵対する組織・勢力の逮捕、掃討を行った。

 敵対組織等が保有する武力が強大で、社会秩序維持局や総督府では対応不可と判断された場合は、総督から国務尚書に報告、帝国地上軍の派兵を要請した。国務省・内務省・軍務省で協議し、派兵が必要だと判断されれば、連名で皇帝に上奏、皇帝の裁可を経て、地上軍の派兵が行われた。

 

 また平行して、敵対組織の摘発のため、劣悪遺伝子排除法違反の疑いがある個人、団体がいれば、すぐに総督府へ通報するよう、臣民からの積極的な情報提供を促した。その情報が仮に間違っていたとしても、情報提供者は罪に問わないとし、その情報が敵対組織の摘発に繋がった時は、忠良なる臣民だと報奨金が与えられたほか、本人が希望すれば、現地総督府の下級職員や帝国軍兵士に優先採用された。

 ちなみに、総督府の職員を希望した場合は、総督府内に置かれた社会秩序維持局の分室に配属される事が多かった。

 

 敵対組織等の構成員は、抵抗した場合は即時処刑、抵抗後の降伏は原則として認められなかった。抵抗せずに逮捕された場合は、武装解除の上、その家族も含めて、奴隷階級に落とされた。ただ、自らが所属していた組織を裏切り、帝国の治安回復に協力した構成員は、迷妄から覚めて正道に立ち返った者と認められて、一定期間、家族とともに農奴階級に落とされた後、帝国臣民(国民)としての地位を与えられた。

 

 敵対勢力等が壊滅し、当該星系の治安が回復されたと、社会秩序維持局と現地総督府が判断した時点で、戦闘終結を宣言。その後、社会秩序維持局の治安維持部隊が一定期間、当該星系に駐屯して、治安の悪化が生じないか確認した。平行して、治安回復の過程で損傷した公共インフラ等の復旧など後処理を現地総督府が実施した。



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第2節 平定戦役の実態②~総督府等が帝国不支持の場合

 対して、現地の総督府が敵国の支配下にある、総督府が敵国の後援を受けて独立を志向している、帝国政府が派遣した総督らが敵対勢力に囚われ、捕虜となっているなど、総督府が帝国政府の統制を離れている場合は、まず総督府の攻略が戦略目標とされたために、社会秩序維持局ではなく、帝国軍が主体となった。

 

 この場合、当該星系を所管する軍管区の地方艦隊を出動させて、星系内の航路を封鎖し、かつ州都が置かれた惑星の衛星軌道上に艦隊を展開、降伏勧告を行った。

 この時、軍務省・統帥本部が策定した防衛戦略に則り、星系内に防衛線を構築。敵国または敵対組織の航宙戦力(艦隊)が来襲した場合は、敵戦力の漸減を図り、かつ撃滅を目指す、とされた。

 

 敵対する総督府との交渉は、派遣された帝国軍の司令官が行ったが、条件闘争を行う必要はない、住民の安否など顧慮する必要も無い、とのルドルフの意向で、無条件降伏に対し、イエスかノーの二択を迫るだけだった。無条件降伏を受け入れた場合でも、抵抗せずに降伏したのか、抵抗の末に降伏したのか、この差は大きかった。

 

 前者であれば、総督以下、総督府の職員とその家族の生命と財産は、原則として保障された。また、総督が連邦の星系政府首相から横滑りしたなど、現地の有力者である場合は、帝国皇帝への忠誠を改めて誓約させ、貴族の身分を与えて、総督の地位も安堵した。これは、現地勢力を敵国へ追いやる事を防ぎ、平定戦役を円滑に進める事が狙いだったと言われる。

 ただし、統治能力が欠如していると判断された場合は、家族ともども帝都へ連行、一代限りの子爵または男爵位を与え、生命だけは全うさせた。なお、本人や子弟が希望すれば、政府官僚や帝国軍人として優先採用した。

 

 また、総督が政府派遣の貴族官僚だった場合は、皇帝の信任に背いた無能者として免職、家族ともども貴族の身分を剥奪された上、刑事罰の対象になる事もあった。ただし、総督府内で敵対組織の切り崩しや情報収集等を行い、帝国軍が攻略作戦を遂行する上で、一定の功績があったと認められた場合は、罪一等を減じて、貴族身分の保持を許された。

 

 対して、後者の場合、抵抗した上での降伏であれば、その運命は凄惨なものとなった。総督本人と家族、親類縁者に至るまで死刑、族滅とされた。総督が現地有力者出身であれば、その勢力を壊滅させるために、総督府の上級・中級職員も死刑または流刑。政府派遣の貴族官僚であれば、総督府職員のほか、家士や従臣も処刑対象となり、その家は絶家された。

 

 上記のように、総督府自体が敵対勢力だった場合は、攻略後の統治組織自体が存在しないため、帝国軍による軍政が一時的に行われた。基本的には遠征軍司令官が統治責任者となって、各省から派遣された官僚達を組織、治安回復と公共インフラの復旧などを行ったが、当該星系が敵国との最前線に位置するなどの事情で、司令官が戦争指揮に専念しなければならない場合は、軍務省から派遣された軍政家がその任に当たった。このため、当時の前線部隊には、一定数の軍官僚が同行する事が多かった。そして、治安が回復したと判断されたならば、新設の総督府に統治を移管、治安維持は社会秩序維持局が担当し、帝国軍は帝都または軍管区司令部に帰還した。



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第3節 人民(捕虜)の処遇

 当該星系内の敵対勢力を壊滅させ、治安を回復したら、同星系を皇帝直轄領として確立、もしくは編入していく事になる訳だが、敵対勢力の支配下にあった人民とその家族らはどう処遇をするか、これが大きな問題だった。

 

 社会秩序維持局や帝国軍の一部には、皇恩を理解しない不逞の輩など、全て極刑とすべきだとの強硬論もあったが、個別事情も考慮せず、一律に処刑では不公平感が生じ、却って治安悪化の要因になる、との意見が司法省や内務省警察局を中心に多く、また統制経済の根幹の1つ、配給制度を維持するため、基礎財(配給品)の生産には大量の労働力が必要だとして、財務省は労働力確保の観点から、一律処刑に反対の論陣を張った。

 

 ルドルフ自身は、治安回復を最優先するとの姿勢は崩していなかったが、司法省や財務省の主張にも配慮し、彼ら降伏した人民と家族は、帝国皇帝に敬意を払い、その支配を受け入れる限りで、助命される事に決まった。

 

 とは言え、即時に帝国臣民としての身分を与えられた訳ではない。帝国皇帝に逆らう不逞の輩に与した罪は罪だと、原則3年間を目途に、全員、農奴階級に落とされた。尤も、降伏時の事情-例えば、抗戦を命じられたが、それに逆らい、積極的に降伏したなど-を考慮され、直接、国民になれた者もいた。

 また、農奴として積極的に労働に取り組み、帝国に従順である者は、忠良な臣民の素質ありとして、農奴の期間を短縮される例もあった。

 

 逆に、一度助命されながらも、敵国や共和主義勢力と通謀、反帝国活動に関わった者は、劣悪遺伝子排除法違反であり、皇恩に逆らう罪人だと、奴隷階級に落とされて、過酷な労働を死ぬまで強制された。

 

 このように、同じ降伏者でも、その待遇に差を設けたのは、西暦年代の植民地経営で用いられた原則「分断して統治せよ」の実践で、これを提唱したのは、初代内務尚書ファルストロングだったと伝えられている。

 

 彼ら農奴の就労場所は帝国政府が指定したが、特殊な技能の所有者など、国家にとって特に有用と認められた者は、それまでと同じ職場に勤務する者もいた。これは、医師や工業関係の技師などに多く認められたが、人材の有効活用との観点だけではなくて、彼ら社会的地位の高い職業に就く者は、知的水準が高く、自由主義や民主主義を信奉する者が比較的多いので、敢えて彼らを生かしておく事で、共和主義勢力との繋がりを炙り出そうとする社会秩序維持局の意図もあったと言われている。よって、彼らは就業後も同局の監視下に置かれていた。

 

 上記のように、特殊な技能を持つ者が働いていた場所、即ち敵対勢力の支配下にあった企業などは、同じ業種の国営企業に統合、または編入されるのが常だった。その経営者は帝国に従順であれば、現地支配人として、そのまま登用される事もあったが、帝国に従わない場合は追放、帝国に従順な社員が据えられた。生産施設などはそのまま接収されたが、規格が違いすぎる場合は、全て廃却された。

 

 これは公共インフラも同様で、都市さえもその例に倣った。旧帝国は「一惑星一都市」を原則としており、州都(もしくは郡都)に選ばれた都市以外の都市施設は、全住民を強制移住させた後、放置されて廃墟と化すか、国営企業の生産施設か軍事施設などに転用された。



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第4節 貴族領での平定戦役

 最後に、これまで述べてきた皇帝直轄領と対比させる形で、平定戦役における貴族領のあり方を概説したい。ただ、結論から述べると、平定戦役で貴族領が果たした役割は、ほぼ皆無だった。

 

 そもそも貴族領とは、功績を挙げた貴族へ与えられた恩賞、または帝国に従順な現地勢力を円滑に支配体制へと組み込むための手段であり、帝国の支配を受け入れない星系を貴族領とする事自体がまず不可能だった。新規に帝国領となった星系は、まず皇帝直轄領に編入され、総督府を設立。その後、治安が回復したら、必要に応じて貴族に下賜、貴族領へと転化していった。

 

 これは、直轄領―貴族領の原則であり、例えば後世、叛乱を起こした領主貴族が帝国政府に討伐された後、その領地は没収されて、一度、皇帝直轄領となり、政府の責任において、領内の治安回復が図られた。その上で、他の貴族に下賜されて貴族領となるか、直轄領のまま留め置かれるか、当時の政治状況によって判断された。

 

 ただ、平定戦役時、そして強堅帝ジギスムント1世が遂行した拡大戦役時のみの例外として、敵国との最前線に位置し、激戦が繰り返された星系では、治安回復の前に、次の戦いが起こる事がしばしばあり、帝国軍による軍政が常態化する場合があった。

 

 その結果、平時の統治機関たる総督府の設立が出来ず、軍政の責任者を務めた軍人に対し、既成事実の追認、そして恩賞として、当該星系を領地として下賜する例があった。これを活用して自家及び一門の勢力を拡大したのが強堅帝の父親たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムだったが、これによる利点と弊害については、強堅帝ジギスムント1世の巻にて述べたい。

 

 以上のように、開祖ラインハルト陛下、そして獅子の泉の七元帥に代表される、新帝国軍の名将達が遂行したリップシュタット戦役や同盟征服戦争に比べると、ルドルフが行った平定戦役は極めて地味、日常業務の延長といった風情で、華々しい英雄譚など数えるほどしか無かった。

 

 これは、新帝国軍の敵手が貴族連合軍や同盟軍など、同等の戦力を有した強敵だった事に比べて、旧帝国軍の敵手は、シリウスや攻守連合など敵対国の支援を受けていたとは言え、格下の武装勢力やテロ集団だったという理由もあるが、皇帝ルドルフの軍事思想にも起因してもいる。次節以降では、ルドルフの戦争観、軍事思想を概説すると共に、平定戦役で活躍した将帥達、ルドルフの宿将とも言える軍人達を描写してみたい。



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第5節 ルドルフの軍事思想①~その内容

 ルドルフは連邦軍人として社会に登場、28歳で軍籍を退くまで、政治家との兼務ではあれども、軍人を職業としていた。連邦軍人だった父親を尊敬していた事もあり、軍人は栄誉ある仕事と考えていたようだが、任官当時の青年期を除いて、ルドルフにとり、軍務の遂行は義務でしかなく、戦闘行為に充実感や高揚感を覚える為人ではなかった、それどころか、戦闘に充実感や高揚感を覚える職業軍人を嫌悪さえしていた節がある。

 

 即位後のエピソードだが、軍務に精励する若手士官らを慰労、激励したいと、ルドルフが皇宮で祝宴を企画。自らも家族と共に出席して、士官らと親しく言葉を交わしていたが、ある士官が酔いの高揚も手伝ってか「陛下の御為に、精強なる帝国軍を率いて、逆賊どもを討伐する事こそ、我々帝国軍人の本懐であります。敵軍が強大であればあるほど、それを撃破する我が軍は、陛下の御稜威と帝国の威光を輝かせる事ができましょう。是非、敵国にも精強さを求めたいものです。簡単に降伏などされては興醒めと言えましょう」などと発言。

 

 一方、ルドルフは不機嫌そのものの口調で「そうか、余は強大な敵軍などとは出来る限り戦いたくないがな。強敵と戦うより、弱敵と戦う方が損害は少なくなる。子供でも分かる道理だ。卿らの責務は、我が軍を強大ならしめる事と共に、敵軍を弱体化させる方策を講じる事のはずだ。責務を放擲して、無用の損害を誇る愚者など帝国軍には不要だ!下がれ!」と一喝。

 

 翌朝、軍務尚書シュタウフェン上級大将と、統帥本部総長リスナー大将両名を召喚すると、昨夜の事を説明した上で「敵軍を恐れぬ意気は認める。だが、敵を侮り、無用の損害を誇るが如き驕兵を育てよと命じた覚えはない!遊戯や運動競技ならば、強敵と戦い、全力を出し切ったと充実感に浸るのも良いだろう。だが、国家の大事たる戦争を遊戯や運動と同一視するが如き愚者は救いようがない!驕兵と愚者は、悉く我が軍から放逐せよ!これは勅命である!卿ら両名は余の重臣であり、帝国の宿将であるが、この勅命に背くならば、相応の責任を問う故、覚悟せよ!」と、語気鋭く命じたと云う。

 

 本エピソードから、強敵と戦う事を本懐、名誉とする軍人特有のロマンチシズムをルドルフが嫌悪しており、そのような軍人は「驕兵」「愚者」だと断じ、帝国軍人として不適格だと考えていた事が分かる。

 

 また、帝国軍人の責務として「敵軍を弱体化させる方途を講じる事」を挙げているのは興味深い。即ち、ルドルフが求める軍人とは、戦場で敵軍と戦闘行為に入る前に、帝国軍の勝利を確定できる能力の持ち主、即ち、戦略や政略に長けた人物だったのではないかと想定される。

 事実、初代軍務尚書に任命したシュタウフェン上級大将は、軍官僚として抜群の才能の持主であると同時に、優れた政治家でもあった。統帥本部総長リスナー大将も、攻守連合のスー総統が一目置くほどの戦術指揮能力の持主だったが、その本質は戦略家で、また寄り合い所帯の帝国軍を精兵に鍛え上げ、優れた前線指揮官を何人も育成するなど、教育者としての能力も高かった。

 

 ルドルフの御前会議での発言や、家族や重臣らに宛てた書簡等の中には、その軍事思想を覗わせる文言が散見される。以下、順不同に書き出してみた。

 

「俗に、浪費家は戦争を好み、吝嗇家は平和を好むというが、その論法を以てするなら、余は吝嗇家だろうな。支配に必要な軍事力を惜しむ気は無いが、出来うる限り少なくしたいのが本音だ。何しろ軍隊とは金喰い虫だ。武人の矜持だの、軍人の本懐などと、訳の分からぬものの為に浪費されては堪らぬ」

 

「古代地球の軍事思想家が「百戦して百勝するよりも、戦わずして相手を屈服させる方が良い」と言ったらしいが、正に至言である。この人物が今、生きていたら、我が帝国軍に軍事顧問として迎えたいものだ」

 

「連邦軍人だった余の父は「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」との言葉を好んでいたが、余も全く同感だ。政治で処理できなくなったからこそ、戦争という手段に訴えるのであり、戦争を始めた政治権力者は、自身の政治的手腕の乏しさを恥じるべきなのだ」

 

「ポーカーというカードゲームがあるだろう。相手よりも強い役を揃えるのが基本だが、自分の役が弱くても、賭け金を吊り上げ、自分が強い役を完成させたかのように見せかけて、相手の動揺を誘い、勝負を降りるように仕向ける事も出来る。実際の軍事では無理だが、余が考える最上の戦略とはこれなのだ」

 

「統帥本部の若手参謀が作成した、シリウスや攻守連合、共同体を攻略するための戦略案だが、余の見解を追記したので、卿(統帥本部総長リスナー大将を指す)の都合で構わぬ故、執務室まで取りに来るように。悪くない内容だが、卿と直接、意見交換したい。しかし、我が軍の次代を担う若手士官らに、戦略的、政略的思考が定着している事、嬉しく思う。戦略の基本は、敵国以上の兵力を揃え、適切な訓練を施し、補給と装備を調え、情報を収集し、優れた司令官を配する事だが、理想は敵国が彼我の戦力差に絶望し、戦わずして降伏してくれる事だ。無論、我が帝国軍が張り子の虎では困るが、強大な軍事力を抱える理由は、畢竟、外交交渉を自国有利に進め、政治工作や謀略の成功確率を上げる事に尽きるのだ」

 

 上記の発言等からして、ルドルフの軍事思想、理想とする戦略とは、以下の3点に集約できるのではないかと考えられる。

 

 ① 軍事よりも政治を上位とする。政治で処理できない時のみ、軍事を用いる。

 ② 強大な軍事力を調える事は必須だが、戦わずして敵国を降伏させる事が望ましい。

 ③ 自軍の損害は出来る限り少なくする。



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第6節 ルドルフの軍事思想②~その影響

 筆者は、ルドルフが上記の軍事思想を有していたため、平定戦役がルドルフの代では終わらず、次代の強堅帝ジギスムント1世の即位直後、共和主義勢力による叛乱が勃発した要因の1つになったのではないか、と考えている。

 

 ルドルフが人類社会を軍事的に完全支配しなかった(出来なかった)理由について、旧帝国では不逞の輩が迷妄から覚め、正道に立ち返る機会を与えていた大帝陛下の慈悲に、同盟では当時の共和主義者たちの決死の抵抗にその原因を求めているが、前者は史料上の根拠が皆無、後者は帝国暦9年の劣悪遺伝子排除法の施行後、社会秩序維持局による共和主義者の逮捕件数が右肩上がりで増加、共和主義勢力が実効支配していた星系が次々と皇帝直轄領に編入されている事から考えて、やはりルドルフ=絶対悪とする同盟のイデオロギーに基づく見解だと断ぜざるを得ない。

 

 事実、公開された新史料等を調査しても、ルドルフがその在位中、敵対国家を軍事的に打倒できていない事に対して、軍高官を叱責、督促したとの事実は見いだせない。むしろ逆に、出兵を求める軍部に対し、時期尚早であるとして出兵案を拒否する事例は散見される。

 

 やはり、ルドルフは軍人として立身はしたが、その本質は政治家だったと言えるだろう。彼にとって、軍事的な勝利は決して至高の価値を有しなかった。銀河帝国が人類社会を正当に統治する唯一の政体だとの国是を掲げる以上、シリウスや攻守連合、経済共同体ら敵国との共存の道はあり得ず、いずれ帝国の支配下に置かざるを得ない事はルドルフも認識していたが、それは短兵急に軍事的征服を求める事を決して意味しなかったと思われる。

 

 政治家ルドルフは、帝国の行政・経済体制を整備して国力を充実、敵国以上の軍事力を調え、厳酷な手法で治安維持に努め、敵国・敵勢力が帝国の支配体制に干渉する隙を無くしていった。

 

 この結果、治世のある時点で、帝国と敵国との国力差が開く一方である事を確信できたのではないだろうか?であれば、両者の格差が極大化した時点で、政治交渉により降伏させれば良い、仮に戦端を開かざるを得ないとしても、そこまで待てば、自軍の損害は無視できるほど軽微で済む、と考えるだろう事は想像に難くない。

 事実、強堅帝ジギスムント1世の御代、後見人である帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが主導した共和主義勢力による叛乱の鎮圧と、シリウスらの敵国を滅亡させた拡大戦役は、詳しくは強堅帝の巻で述べたいが、まさに鎧袖一触そのものだった。

 

 しかし、平定戦役がルドルフの御代で終了しなかった事について、筆者のようにルドルフの軍事思想に答えを求めるのではなく、ルドルフ崩御を見据えた陰謀だったとの仮説がある。

 

 帝国暦38年頃から、平定戦役は停滞、帝国軍の出兵は無くなり、社会秩序維持局による逮捕者数も減少傾向にあった。軍や同局に残された当時の内部資料によると、皇帝陛下不予につき、宸襟を悩ます事勿れとの理由で、出兵や治安回復活動の中止または延期がしばしば命じられている。命令書には皇帝代理として皇太孫ジギスムントが署名、その父親にして後見人たる、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム(当時は軍務尚書。帝国宰相への就任が内定)が副署しており、彼らの意思による命令だった事は明らかだ。

 

 当時、ルドルフは老人性鬱の兆候を示し、玉座と病床を往復するような生活をしており、余命幾許も無い事は誰の目にも明らかだった。そのため、次期皇帝たる皇太孫ジギスムントと、後見人たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが、次第に政治の実権を握るのは自然な流れだっただろう。陰謀論じみた想像を逞しくすれば、弱体化した敵国や共和主義勢力は、ルドルフ崩御後、即位したジギスムント1世が討伐するための対象として、敢えて生かされていた、との仮説が成り立つ。

 

 遙か古代より、建国者の後を継いだ2代目が必ず直面する難問がある。それは、絶対的な権威を持つ先代に抗して、自己の権威を如何に確立するか、先代恩顧の臣下の忠誠をどうやって獲得するか、という事だ。

 

 ジギスムント1世とノイエ・シュタウフェン公が選んだ解決方法は、建国者ルドルフが討滅できなかった敵国や共和主義勢力を新帝ジギスムント1世が征伐する事で、全人類社会を武力で統一した史上初の皇帝となり、先帝に匹敵する権威を得る、だったのではないか?

 シリウスや攻守連合らの敵国や、ルドルフ崩御後の叛乱を目論む共和主義勢力は、冷徹な政治家だったノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの目から見れば、殺されるためだけに生かされている、哀れな「犠牲の羊」に過ぎなかったのかもしれない。

 

 この仮説は、ジギスムント即位後、シリウスや攻守連合等の支援を受けた共和主義勢力の叛乱が勃発するも、即座に鎮定されている史実を踏まえると、確かに相応の説得力は有するが、史料上の根拠が乏しいため、全面的に肯定する事は出来ない。敵国への出兵等を中止させた命令は、皇太孫ジギスムントとノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの意思である事は明らかだとしても、それがルドルフの意に反したものだったのか、史料上では確認できないからだ。

 

 筆者は、本来ならは討伐できる敵国や共和主義勢力が新帝ジギスムントの「箔付け」のために、敢えて見逃されていたとしても、それはルドルフの意思に基づくものだったのではないか、との見解を有する。

 これも史料的な裏付けはないが、ルドルフの軍事思想、そしてルドルフが最晩年、後継者たるジギスムントの治世が安定するよう、様々な手を打っていた事から考えて、ジギスムントやノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの陰謀とするよりも、妥当性を有するのではないかと考えている。

 

 なお余談ながら、ルドルフがこのような軍事思想を抱いた契機は、連邦軍人時代、ペデルギウス星系での宇宙海賊との激戦で、何度となく戦死しかけた事がトラウマになったから、と主張する者もいるが、当時のルドルフは、その高いカリスマ性と命を惜しまない敢闘精神のため、部下たちが挙って勇戦したと伝えられているので、やはり生来の資質と、連邦政界での長い政治家経験の故なのではないだろうか。



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第7節 帝国軍将帥列伝

 戦って勝利する事よりも、戦わずして勝利する事を重んじるルドルフの軍事思想を反映して、建国期に活躍、ルドルフに重用された軍人たちは、前線指揮官としての適性が高い戦術家より、戦略・政略に長けた参謀、軍政家たちが多い。

 

 しかし、帝国が敵国と交戦状態にある以上、優れた司令官も一定数は必要だった。だからこそ、ルドルフは、優れた戦術家で、かつ戦略的識見も有し、教育者としての資質もあるリスナー大将を統帥本部総長に抜擢したとも言える。本節では、内乱鎮圧・治安維持との性格が強い平定戦役中でも、しばしば勃発した対外戦争の推移を踏まえ、平定戦役で活躍した軍人たち、帝国建国の宿将とも言える将帥達の人物像を描きたい。

 

 まず、ルドルフ治世で起こった対外戦争の推移を分かりやすくするため、関連事項を抽出した年表を以下に掲げる(暦年は全て帝国暦)。

 

 9年 

 帝国宇宙軍、トラーバッハ星域会戦で攻守連合軍に勝利。統帥本部総長リスナー大将が上級大将に昇進、「双頭鷲武勲章」と「ゴールデンバウムの盾」との異名を賜る。

 劣悪遺伝子排除法を制定し、内務省公安局を社会秩序維持局に改組。

 

 14年 

 内務尚書ファルストロング指揮の社会秩序維持局・治安維持部隊と、地上軍総監ケッテラー大将麾下の帝国地上軍、統帥本部総長リスナー上級大将麾下の帝国軍中央艦隊が合同作戦を実施する。ヴァナヘイム軍管区の共和主義勢力を壊滅させ、シリウスと攻守連合の連絡線を遮断する。

 

 17年 

 皇孫ジギスムント誕生。

 内務尚書ファルストロングが共和主義組織・自由戦士旅団の爆弾テロで死去。帝国地上軍、アルフヘイム星系に進軍。共和主義組織・自由戦士旅団を壊滅させる。帝国宇宙軍、援軍としてアルフヘイム星系に来襲したシリウス軍に勝利。この戦いで、リスナー上級大将麾下の若手提督が活躍。

 

 19年 

 帝国宇宙軍・地上軍が合同作戦。レーシング星系を制圧し、攻守連合軍を退ける。

 

 24年 

 皇孫ジギスムント、立太子式を挙行。立太子に伴う恩赦として、シリウス・攻守連合の元市民(農奴)の解放年限を短縮。

 

 31年 

 帝国軍中央艦隊副司令官・リヒテンシュタイン大将率いる帝国遠征軍が攻守連合に大勝。ポルックス人民共和国のロブコフ主席が戦死。

 

 32年 

 汎オリオン腕経済共同体との協約を破棄、帝国領内での経済活動を禁止する。共同体軍のエリオット中将が降伏、子爵位を与えられる。エリオット中将の先導で、ノイエ・シュタウフェン大将率いる帝国遠征軍がシリウス・共同体の連合軍に勝利。

 

 34年 

 カストル軍政府のスー総統が病死。長男ディビットが後継者として擁立される。スー総統の三男スー・ウェイ・ダオが長男ディビットとの後継者争いに敗れて降伏。ノイマンに改姓させて、侯爵位を与えられる。

 

 38年 

 この頃、平定戦役が停滞。皇太孫ジギスムントへの帝位継承準備に入った事が原因と言われる。

 

 42年 

 ルドルフ崩御。

 皇太孫ジギスムントが強堅帝ジギスムント1世として即位。

 

 上記の年表から、帝国軍と敵国正規軍との大規模戦闘は、ルドルフが崩御した帝国暦42年まで、数える程しか発生していない事が分かる。

 また、当時の帝国軍は宇宙軍と地上軍がほぼ同格で、内乱鎮圧との性格が強かった平定戦役では、宇宙艦隊=帝国軍が常識になっていた旧帝国末期からすると信じがたい事に、戦闘の内容によっては、帝国地上軍、あるいは社会秩序維持局の治安維持部隊が主戦力で、宇宙軍は支援に留まる例も多かった。

 

 さらに、敵国の軍人が降伏してきた場合、爵位を与え、帝国の支配体制に組み込む事も行われたが、降伏した者全員が対象になったのではなく、敵国の支配者またはその縁者で、優遇する事が政治宣伝の意味を持つ場合か、敵国の重要拠点に関する機密情報を提供したなど、帝国に明確な利益をもたらした場合に限られた。能力や人格を認められて優遇、という事は皆無だった。これも「敵ながら感嘆に値する」的な軍事的ロマンチシズムとは、ルドルフが完全に無縁であった事の一証左かもしれない。

 

 彼ら敵国正規軍との戦闘で前線指揮を担ったのは、統帥本部総長リスナー上級大将が育成した宇宙軍の諸提督、地上軍総監ケッテラー大将が統率する地上軍の各司令官、そして、彼らの戦闘活動を支えたのが、軍務尚書シュタウフェン上級大将が統括する参謀と軍政家達だった。以下、各軍の代表的な人物について概説したい。



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7-1:ヴァルター・フォン・リヒテンシュタイン

 まず宇宙軍だが、人格・識見・能力共に高い統帥本部総長リスナー上級大将が揺るぎない頂点に位置し、他の提督達はその部下であり、弟子でもあった。その中で傑出した存在が、ヴァルター・フォン・リヒテンシュタインと、ヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンの両名だった。

 

 ともに当時の帝国宇宙軍を代表する名将だったが、その生い立ちは正反対だった。ノイエ・シュタウフェンが初代軍務尚書シュタウフェン上級大将の孫にして後継者、名家の御曹司だったのに対し、リヒテンシュタインは幼くして両親と死別。天涯孤独で、孤児同然の身の上だった。

 

 リヒテンシュタインはペデルギウス星系生まれ。当時の姓はウッド。宇宙海賊の討伐で名を馳せた銀河連邦軍の名将として名高いクリストファー・ウッド提督と同姓である事、また父親がペデルギウス星系警備艦隊所属の軍人だった事から、幼少期より宇宙軍の軍人に憧れていたと云う。後年、攻守連合軍に大勝した功績で子爵位を与えられた際、ルドルフよりリヒテンシュタインの姓を賜った。

 

 母親は出産時に死亡。10歳の時、父親がカストル軍との戦いで戦死しており、父子家庭で身寄りも無く、本来なら養護施設行きだったが、父親の仇を討ちたいと決意、当時は同艦隊司令官だったリスナーに直訴。一兵卒で構わないから、戦場に連れて行って欲しいと訴えた。

 

 リスナーは、子供を戦場に出す事など出来ない、もし本当に父上の仇を討ちたいなら、自分を粗末に扱ってはならないと諭し、軍司令官の権限で、軍の息がかかった中等学校に編入させると、将来、警備艦隊で軍務に就くという条件で、最低限の生活費と学費が奨学金として支給されるよう、取りはからった。

 リスナー本人は後年、成人したリヒテンシュタインと再会するまで忘れていたが、当人は深く恩義に感じ、将来必ず、この人の下で軍人になると誓いを立てたという。

 

 中等学校を卒業後、一日も早く軍人になりたいと、警備軍の下士官を養成する専科学校に進学。優秀な成績を納めて、警備艦隊所属の伍長に任官した。程なくして銀河帝国が成立、ペデルギウスが首都星オーディンに改称されると、同警備艦隊も帝国宇宙軍中央艦隊に組み込まれた。

 

 勇敢かつ俊敏な性格だったリヒテンシュタインにとって、軍人は天職だったのだろう。伍長の立場では、大きな武勲を挙げる機会などなかったが、危険な任務も率先して従事するその姿勢を評価され、上官の推挙を得て、設立まもない帝国軍士官学校に推薦入学している。

 なお後年、リヒテンシュタインと並び称されたノイエ・シュタウフェン(当時はシュタウフェン姓を名乗っていた)も在学していたが、学生時代はお互い知り合う機会は無かった。

 

 士官学校卒業後、志願して攻守連合との交戦星域に赴任。命を惜しまない、勇猛果敢な戦いで知られるようになるが、他者との連携が出来ず、しばしば孤軍で敵陣に突出するなど、周囲からは「狂犬」と渾名された。当時の帝国軍は、敵国に対しては防衛主体の戦略を堅持していたので、父親の仇を討つ事しか考えていないリヒテンシュタインにとって、それもまた不満だった。

 

 ある日、前線視察に訪れたリスナー大将に対して、自らの素性を明かし、何故、我が軍は敵国に対し大攻勢に出ないのですか!と激語するが、リスナーは「お前は何も成長していない。一人で戦いが出来ると思っているのか。狂犬と馬鹿にされ、父上の敵も討てず、無駄死にするのが精々だろう。お前など救うのではなかった」と、温厚なリスナー大将には珍しく、侮蔑と嫌悪を込めて吐き捨てた。

 

 尊敬する恩人に軽蔑された事は、強気なリヒテンシュタインにも流石に堪えたようで、後日、容儀を調えて、改めて大将と面会、今までの行為を反省します、どうか自分を一から鍛え直して下さい、と懇願。リスナーも、思ったよりも素直な性格だ、これなら成長の余地はあると、その考えを改め、中央艦隊所属の士官に異動させると、自分が主導する演習に参加させた。

 

 同大将の演習は、数百人単位で死者が出る程の苛烈さで有名だったが、リヒテンシュタインは決して弱音を吐かず、大将が要求する水準に到達するのだと、粉骨砕身、軍務に精励した。

 また、戦闘に参加すると、これまでのように独断専行はせず、大将の命令を遵守して、その手足となって戦うようになった。軍人として天与の才に恵まれていた事もあり、大小の戦闘で武勲を挙げて、リスナー大将麾下の若手士官として、次第に頭角を現すようになった。

 

 帝国暦9年のトラーバッハ星域会戦には、戦艦の艦長として参加。果敢かつ巧みな操艦で、攻守連合軍の戦艦3隻を撃沈、5隻を中大破するという、常識外れの武勲を上げて、准将に昇進。これ以降、帝国軍中央艦隊に所属する艦隊司令官としての道を歩む。

 

 後に、建国期の宇宙軍を代表する将帥として並び称される、ノイエ・シュタウフェンと友誼を結んだのはこの頃だと言われる。もともと、リスナー大将麾下の同僚士官として、その存在は知ってはいたが、名家の御曹司、エリート中のエリートとして、貧家出身の自分とは住む世界が違うと敬遠していた。ただ、どれほど苛烈な演習でも平然とこなし、最前線の戦闘にも臆する事の無い姿勢は、手本たるべき軍人だと、素直に賞賛はしていた。

 

 帝国暦11年、ノイエ・シュタウフェンが皇女カタリナと婚約。リヒテンシュタインは、あの男ならば皇帝の息子も務まるだろうなと、一人密かに頷いたが、周囲の軍人達の中には、ノイエ・シュタウフェンの出世に嫉妬して、どうやって皇女殿下を籠絡したのやら、美男子とは本当に得だな、などと揶揄する者も多く、そんな陰口を耳にしたリヒテンシュタインは激怒。あの男はそんな下劣な人間では無い!と、士官用の酒場で殴り合いの大喧嘩を演じ、営倉入りの処分を受けてしまう。

 

 処分解除後、ノイエ・シュタウフェンがリヒテンシュタインの元を訪れて謝罪しようとすると、その言葉を遮って、何故、卿は怒らないのか、不当な侮辱を甘受する事が帝国軍人のあるべき姿とは思わないと、逆に詰問。ノイエ・シュタウフェンは「自分も不快に思わない訳ではない。だが、私は皇帝の義理の息子になった。軽々しく感情を露わにしては、自制心の無い安っぽい男だと、逆に見下される。そんな男を婿として認めた陛下には、人を見る目が無い、という事になるだろう。陛下の名誉をお守りするためにも、私が激発する事は出来ないのだ」と、優等生的な発言の後、不意に「それはそれとして、まさか卿が私のために怒ってくれるとは思わなかった。それが一番嬉しい」と、はにかむような笑顔を見せたという。

 

 後日、リヒテンシュタインは「あの笑顔は反則だ。あんなに無邪気な顔で笑われたら、もう怒れないだろう」とぼやいた。その後、この2人は無二と言える親友同士になる。

 

 このエピソードが示すように、直情径行な性格で、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、率直に話す裏表が無い人物だった。また、自分に直接関係が無い事でも、間違っている、理屈が通らないと断じたら、損を承知で抗議、抵抗する正義感の強い人柄。そのため、部下や同僚からは頼りがいがあると信頼されたが、反面、腹芸や根回しなど、政治的な能力は皆無、派閥抗争にも興味を示さなかった。

 その事が、上官にして師匠でもあったリスナー上級大将が死去した後、帝国軍内に居場所を失った遠因だったと言えよう。

 

 しかし、戦場での強さは無類で、艦隊司令官に就任後、リスナー上級大将が実践した新しいドクトリン・艦隊運用を習得し、シリウスや攻守連合の艦隊をしばしば撃滅した。特に、機動力に優れた軽騎兵または弓騎兵艦隊を用いて、敵陣を攪乱、その隙に主力の槍騎兵または重騎兵艦隊を突撃させる、二段構えの戦術はリスナー上級大将の発案とされるが、リヒテンシュタインは、この戦術をリスナーよりも巧みに使い熟す提督と評された。

 

 戦術家として、少数で多数を撃滅する事を快としていたが、師匠たるリスナー上級大将は、愛弟子たるリヒテンシュタインに単なる戦場巧者で終わって欲しくないと考えていたようだ。ある時、「卿の才能は認める。しかし、少数で多数を討つのは用兵の邪道だ。いつまで狂犬でいるつもりだ。お前は群狼の長になれる器量の持ち主だ。それを自覚せよ」と諭して、後方から広く戦局全体を見渡す、戦略家としての能力を磨かせた。

 帝国暦31年、リヒテンシュタイン率いる帝国遠征軍が攻守連合軍に大勝したのは、一瞬の戦機を巧みに捉えた戦術眼もさる事ながら、麾下の諸提督を連動させて、敵軍を分断、各個撃破した、その戦略的能力の故だと言われている。

 

 なお、この時の訓戒から、リヒテンシュタインは狼を自身のシンボルとするようになり、子爵位を与えられると、図案化した狼を家紋とした。後世、縦横帝オットー・ハインツ一世の腹心、リヒテンシュタイン子爵テオドールが「狼の口(ヴォルフスムント)」という狩猟場を設けたのは、家祖ヴァルターが定めた家紋に由来する。

 

 戦場での勇名とは裏腹に、私生活は質素で、将官に出世しても単身者用の官舎で暮らし、女性関係もほぼ皆無だった。親友のノイエ・シュタウフェンからは再々、結婚を勧められるが、軍務に精励したいとの理由で断っている。

 

 しかし、子爵位を与えられると、貴族の責務として、親友が勧める貴族身分の女性と見合い結婚、子供も息子と娘、1人ずつ儲けている。早くに両親を亡くしたためか、家庭生活には馴染めなかったようだが、子供達には人並み以上の愛情を注いだ。

 晩年、自領で隠遁生活に入ったリヒテンシュタインは、私費で孤児院を建設、自ら孤児達に勉強や格闘術を教えたりしていた。或いは、孤児同然の境遇だった自身を省みての事かもしれない。

 

 帝国軍にとって、最大の敵手たる攻守連合軍に大勝した事で、帝国宇宙軍随一の勇将としての声価を確立するが、官職は中央艦隊副司令長官兼第一分艦隊司令官に留まり、統帥本部総長への就任は叶わなかった。

 

 これは、帝国の軍事力が敵国を上回った以上、戦場でしか役に立たない前線司令官を重用する気はないルドルフの意向と、軍人として自身を上回る声望を有して、実戦指揮官の支持を一身に集めるリヒテンシュタインの存在を警戒、帝国軍を軍令・軍政両面で完全に支配したいノイエ・シュタウフェンの策謀の故と言われる。この頃から、親友同士の間には隙間風が吹くようになった。

 

 帝国暦35年、これまでの軍功が評価されて、上級大将への昇進を果たすが、直後、予備役に編入。中央艦隊副司令長官の職も辞して、下賜された自領に移住、領主貴族へ転身した。この後、故リスナー上級大将の薫陶を受け、平定戦役で武勲を挙げた諸提督、アルトマン・ドレヴェンツ・リーフェンシュタール・シュテルンボルン・ザイベルト達もまた、その多くが軍中央を去った。

 

 これは、自派で帝国軍の要職を独占し、自身は軍務尚書となったノイエ・シュタウフェンの政治工作の結果だったが、帝国軍を事実上、追放された諸提督がこぞって反シュタウフェン派となり、自家の子弟や家士、従臣らを使い、軍内の非主流派となったのに対して、独りリヒテンシュタインのみ、彼ら諸提督の懇請にも関わらず、死去するまで、帝国軍の派閥抗争には一切参加しなかった。当時の武官貴族の日記によると、予備役に編入されたリヒテンシュタインが帝都オーディンを出立する前夜、ノイエ・シュタウフェンが単身、その屋敷を訪れて、朝まで酒を酌み交わした、との噂が帝国軍内に流れたが、真偽の程は不明、としている。

 

 自領に移住したリヒテンシュタインは、領地経営は後継者たる息子と信頼できる従臣らに委ね、前述の通り、孤児達に勉強や格闘術を教えるという晩年を過ごした。帝国暦53年、心疾患のため死去。自領で執り行われた葬儀には、ローダンセのドライフラワーを使ったリースが1つ、匿名で送られてきたという。

 

 ある日、息子が自派で帝国軍を掌握するため、父親を軍から事実上追放したノイエ・シュタウフェン公を「帝国軍人の風上にも置けない冷血漢です」と批判すると、リヒテンシュタインは、ただ一言「あいつはいい男だよ」とだけ答えたという。本エピソードから、予備役に編入されて、領主貴族に転身したのは、親友と争いたくなかったリヒテンシュタイン本人の希望だった、との見解もある。

 

 なお余談ながら、リヒテンシュタイン家は領主貴族でありながら、武門の名族としての声望も保持し、軍中央でシュタウフェン派の勢力が衰微すると、武官貴族に転身する分家もあった。

 

 縦横帝オットー・ハインツ1世の御代、子孫の1人テオドールはその腹心となり、同帝による事実上の帝位簒奪と帝国の諸改革に尽力している。また、テオドールの妹は縦横帝の皇后となり、その長子フリードリヒと、次子ハインリヒは、権力闘争の結果、幼少期をリヒテンシュタイン子爵領で過ごして、同地で軍人経験を積んでいる。

 

 この2人は、止血帝エーリッヒ2世の革命戦に参加、その戦いで武勲を挙げた。その功績を認められて、長子フリードリヒは止血帝の後継者として即位。ゴールデンバウムの平和(パクス・ゴールデンバウムナ)を実現した中興の英主・健軍帝フリードリヒ1世となり、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世と並ぶ、旧帝国史上、屈指の名君と謳われた。

 

 この結果、リヒテンシュタイン家は爵位も侯爵に上がり、武官貴族の名家中の名家となったが、敗軍帝フリードリヒ3世の御代、同帝が即位前に仕掛けた権力闘争に敗れて衰微。征軍帝コルネリアス1世の大親征で、当時の当主と一族の主立った者達が戦死した事で後継者不在となり、程なくして絶家している。



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7-2:ヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェン

 建国期の帝国宇宙軍に所属した将帥で、リヒテンシュタインと並び称されたのがノイエ・シュタウフェン。旧帝国史上、大帝ルドルフの長女カタリナの婿、強堅帝ジギスムント1世の父親、史上初の帝国宰相たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムとして知られる事が多いが、祖父たる初代軍務尚書シュタウフェン上級大将の薫陶を受け、帝国軍人として世に出ている。本項では、ルドルフ治世下での帝国軍人としての活動を中心に述べたい。

 

 連邦首都テオリア出身。シュタウフェン上級大将の息子で、ルドルフの皇后エリザベートの兄たるマルクスの長男として生を受ける。父マルクスは祖父エリアスの影響で連邦軍人となったが、マルクスは軍官僚として栄達する父親に反発。軍人たる者、市民の生命と財産を守るために戦う事が本分だと、宇宙海賊のメインストリートとも称されたペデルギウス方面に志願して赴任、海賊との戦闘で戦死している。

 

 当時、ヨアヒムは12歳。それ以降、祖父エリアスが父親代わりとなって養育している。幼少期から、万事にそつが無く、学業・スポーツ共に優秀。加えて、性格は温和で真面目、かと言って面白みの無い人物では無く、ユーモアを解し、若者らしい情熱もあった。誰に対しても礼儀正しく接するが、自己主張は無礼にならない範囲で明確に行い、必要があれば腕力を行使する事も辞さない勇気もあった。また、繊細で清潔感ある美貌の持ち主でもあり、芸能プロダクションや俳優養成所等から、スカウトの絶え間が無かったという。

 

 叔母エリザベートは「頭脳の明晰さは父さん譲り、身体能力と勇気は兄さん譲りね。この子は将来、どんな仕事をしても、必ず大成するでしょう」と言ったが、祖父エリアスは「あいつは天性の演技者だ。自分自身を騙せるほどの」と評したと云う。

 ヨアヒム自身も後年、酒の勢いで、親友リヒテンシュタインに対し「子供の頃から、何かを発言したり、行動したりする自分自身を背後から冷ややかに見ている自分自身がいるんだ」と告白しており、ヨアヒムという人物は、自己を含めたあらゆる物事を客観視して、その時点で最適の言動を無意識に実行できる、そんな才能の持ち主だったのかもしれない。その意味で、祖父の評価は正鵠を射ていたと言える。また、この能力がヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンを冷静沈着で、有能無比な政治家に大成させたのだろう。その意味では、叔母の評価もまた正鵠を射ていた。

 

 少年期から青年期にかけて、祖父の庇護の下、勉学に励み、成績は常に首席を維持。帝国が建国されて、祖父が初代の軍務尚書に就任すると、後継者として期待されるようになる。そのため、開校したばかりの帝国軍士官学校に第一期生として入学、帝国軍人の道を歩み出す。余談ながら、入学試験の成績・在学中の成績・卒業試験の成績、その全てで首席を達成。この記録は旧帝国滅亡まで破られる事が無かった。

 

 なお、ノイエ・シュタウフェンの母親マリアは、我が子の士官学校入学と前後して死去している。そのため、ルドルフに嫁ぎ、初代皇后となった叔母エリザベートは、元々可愛がっていた甥の母親代わりになろうと決意。夫ルドルフに話し、士官学校の長期休暇などの際は、皇宮に呼び寄せ、家族同然の扱いをした。ルドルフは義理の甥たるノイエ・シュタウフェンの聡明さと勇気を知って、高く評価するようになり、ルドルフとエリザベートの娘カタリナ達も実の兄同然に慕った。この事が将来、ノイエ・シュタウフェンが皇女カタリナの婿に選ばれる遠因になっている。

 

 余談ながら、ノイエ・シュタウフェンとカタリナは、後継者たる男子に恵まれなかったルドルフが自身の死後を見据え、帝国の支配体制を盤石ならしめるための政略結婚ではあったが、2人の間には確かな愛情があったようだ。カタリナの書簡等を見ると、彼女の初恋相手はノイエ・シュタウフェンで、思春期になって恋心を自覚している。また、ノイエ・シュタウフェンも、親友リヒテンシュタインに対し、カタリナが可愛くて仕方ないんだ、自分は一人っ子だから、妹が出来たみたいで嬉しい、と語っており、この2人は兄妹愛または家族愛の自然な延長で、夫婦愛を育んだのではないかと思われる。

 同盟では、旧帝国の皇族達は皆、権力亡者で、人としての愛情など無い冷血漢揃い、などと評されていたが、それがあまりにも偏った見方である事は、彼ら2人の事例から理解できるのではないだろうか。

 

 士官学校を首席卒業すると、祖父エリアスの意向で、統帥本部総長リスナー大将麾下の作戦参謀となる。当初、エリアスは孫ヨアヒムを自身の後継者として、自ら育てようとしたが、リスナー大将の人格と識見が優れている事を知り、敢えて孫を預ける決心をしている。

 これは、リスナー大将への信頼の現れであると同時に、ヨアヒムを軍政のみならず、軍令にも長けた軍人に育て、次代の帝国軍をシュタウフェン家で支配するための布石だった、とも言われる。また、ヨアヒム自身が父譲りの情熱の持ち主で、敢えて前線勤務を望んだ、との見解もあるが、祖父と孫の意向が期せずして一致した、というのが最も真相に近いと思われる。

 

 持ち前の明晰さと身体能力の高さで、参謀としても、軍官僚としても、さらに前線指揮官としても、水準以上の力量を示した。大多数の者は「万能の天才」と称賛したが、その力量や功績を妬む者は「器用貧乏」と嘲った。

 しかし、後者の評価も完全な誹謗中傷とは言い難い。ヨアヒム自身もそれを自覚していたようで、親友のリヒテンシュタインに対し「人は僕を天才と褒めるけど、そんな事は思っていないよ。例えば、軍官僚としては祖父殿に及ばないし、戦略家としてはリスナー総長に負けるし、戦術家としては卿に敵わない。でも、それで良いと思っている。僕は特定分野のスペシャリストになるより、帝国軍全体、いいや帝国全てを見渡せるゼネラリストを目指すよ。大言壮語が過ぎると思うかもしれないが、次代の帝国を担う者の一人として、そうする事が陛下の御心に叶うと信じている」と語っている。

 

 この発言は、リヒテンシュタインの日記に記されていたが、その日付は皇女カタリナとの結婚直前。この事から、ノイエ・シュタウフェンは皇女との結婚を前にして、ルドルフ没後、自身が帝国の最高権力者になる事をある程度、予測していたのかもしれない、もしくは義父になるルドルフから何らかの示唆を与えられたのかもしれないが、詳細は不明。確かな事は、ノイエ・シュタウフェンは、この言葉通り、軍務のみならず、政務にも熟達した軍人兼政治家となった事実だけだ。

 

 政治家ノイエ・シュタウフェンの業績については、強堅帝ジギスムント1世の巻で詳述するので、ここでは軍人ノイエ・シュタウフェンの活動を述べたい。リスナー総長が直卒する帝国宇宙軍中央艦隊司令部の作戦参謀を皮切りに、統帥本部や軍務省にも勤務。帝国暦9年のトラ―バッハ星域会戦には、遠征軍総司令部の作戦主任参謀として参加、攻守連合軍の攪乱を目的とした軽騎兵艦隊の運用案を立案、実施して、帝国軍の勝利に貢献。その功績を認められ、准将に昇進している。

 

 帝国暦16年、皇女カタリナと結婚。その後は軍務省や統帥本部の要職を歴任。前線に出る回数は減ったが、その力量を期待されて、主にシリウスや経済共同体との戦闘では、しばしば遠征軍司令官を務めた。

 

 用兵家としてのノイエ・シュタウフェンは、親友リヒテンシュタインとは対照的に、敵軍より質量共に優れた艦隊を調え、奇策を用いず、正攻法に徹し、数の力で押し切る戦い方を得手とした。

 

 2人の上官だったリスナー上級大将は、彼らを「強敵を打ち破れるのがリヒテンシュタイン、弱敵に必ず勝つのがノイエ・シュタウフェン。前者は戦機を捉える事に巧みで、後者は戦理を読む事に長ける、とも言える。俗な言い方をするなら、勇将と知将、という事だ」と評している。

 このため、リヒテンシュタインは、当時、最強の軍事力を誇っていた攻守連合軍との戦線を担い、ノイエ・シュタウフェンは、攻守連合よりも軍事的に劣るシリウス・経済共同体軍との戦闘を担当する事が多かった。

 

 なお、ノイエ・シュタウフェンの戦術は、ルドルフの軍事思想―敵軍を大兵力で圧倒する事を理想とする―に合致している。或いは、青年期からルドルフと接する機会が多かった事で、その影響を受けたのかもしれない。

 

 軍人ノイエ・シュタウフェン最大の武勲とされるのが、帝国暦32年、シリウス・経済共同体の連合軍を撃破したヴェガ星域会戦。前年に、リヒテンシュタイン大将率いる遠征軍が攻守連合軍に大勝した事で意を強くしたルドルフは、経済共同体と結んでいた協約を破棄、それまで許可していた帝国領内での経済活動を禁止すると、共同体に通告した。

 

 危機感を覚えた共同体首脳部は、協約破棄の撤回を求めて、帝国領内への侵攻を決定。同盟関係にあったシリウスにも派兵を要請した。シリウスは、帝国領から奪った星系は自領とする事を条件に出兵を承諾。両軍あわせて約3万隻近い大艦隊が帝国領アルフヘイム軍管区に侵攻してきた。

 

 前年の遠征の結果、帝国中央艦隊の損耗が大きく、迎撃軍は敵連合軍と比較して7割程度の兵力しかなかったが、迎撃軍総司令官に起用されたノイエ・シュタウフェンは全軍を率いて敵軍を攻撃、数で劣る帝国軍が劣勢に陥ると、急速後退して、強固な防衛線が構築されているアルフヘイム軍管区の司令部に撤退。その後、敵軍から挑発されても、一切出撃しようとしなかった。

 

 帝国軍与し易しと判断したシリウス軍は、占領した星系を自領に組み込むため、遠征軍を分散させて各拠点の防衛と治安維持に当たらせた。協約破棄の撤回を求める共同体軍は、星系の占領には固執せず、制圧した一星系に駐屯、迎撃軍司令部との外交交渉に入った。

 なお余談ながら、他国の存在を認めない帝国は、外交と担当する部署を有しないので、外交問題が発生した場合は、当該問題を所管する省が国内問題という体裁で処理した。しかし、本件のように軍事活動の結果で生じた外交問題は、帝国軍と叛乱軍(実質的には敵国軍)との交渉という体裁を取ったので、軍司令官が外交官的役割を果たす事が多かった。共同体軍が迎撃軍司令部に交渉団を送ったのも、これまでの交渉で帝国のやり方を熟知していたからだった。

 

 ノイエ・シュタウフェンは共同体軍の交渉団を迎えると、帝国の主敵たるシリウスや攻守連合を打倒するためにも、貴国との協約は必要と、私個人は判断しているが、昨年、我が軍が攻守連合に大勝した事で、陛下に協約破棄を上奏した臣下が多く、陛下自身もそれに惑わされてしまっている。今、貴国の力をこうして目の当たりにした以上、やはり協約の継続は必要だと確信した。私は皇帝の義理の息子だ。私自ら帝都オーディンに帰還し、必ず陛下を説得してみせましょう、と宣言。交渉団を一旦帰還させると、後事は副司令官のヴィンクラー中将に委ね、本当に帝都へ帰還してしまった。

 

 事態が急変したのは、ノイエ・シュタウフェンがアルフヘイム軍管区を離れて約半月後、共同体の領域内で、航路の要衝たるヴェガ星域の守備艦隊司令官エリオット中将が突如、帝国への降伏を宣言した。同日、ノイエ・シュタウフェン率いる帝国軍が同星域に駐屯、ヴェガ星域が帝国領であると宣言した。

 

 事態に驚倒した共同体軍は、自軍の退路を遮断される事に恐怖し、全軍約1万5千隻の艦隊を率いてヴェガ星域に進軍、星域奪還を目指したが、ノイエ・シュタウフェンが指揮する約2万隻の帝国軍から側面攻撃を受け、その過半を失い、残存兵力も自国に退却せざるを得なかった。

 

 この間、シリウス軍も手を拱いていた訳ではない、共同体軍が敗北すれば、次は自軍が帝国軍の猛攻に晒される事は自明の理だったため、軍を結集させ、援軍に向かおうとしていたが、軍を分散させていた事が仇となり、軍の結集の前に、ノイエ・シュタウフェン率いる帝国軍がシリウス軍司令部を急襲、司令部機能を完全破壊した。その後、分断され、孤軍と化したシリウス軍は、数に勝る帝国軍の手で順次、撃破されるか、その前に降伏していった。

 

 劣勢の軍しか与えられなかったにも関わらず、自軍に大きな損害を出す事なく、僅か2ヶ月程度で敵軍を撃退してしまったその手腕は尋常ではなく、この一戦でノイエ・シュタウフェンは帝国宇宙軍最高の知将、との声価を得るに至る。なお、一連の戦闘の背景は、当時の戦闘報告書や後世の軍事学者の分析によると、以下の通り。

 

 本会戦の分岐点が、共同体軍のヴェガ星域守備艦隊司令官、エリオット中将が帝国に降伏した事であるのは、衆目の一致する所である。だが、これは決して偶然ではない。

 

 もともと、同中将は利に聡い為人で、共同体軍に属したのも、自身が経営する民間軍事会社が共同体所属の多星系企業に買収され、その傘下に加えられたためであり、共同体への忠誠心は薄く、共同体が奉じる自由主義経済にも興味は無かった。そのため、軍務省調査局や統帥本部情報局からは、調略の成功確率が高い人物だと評価されていた。

 

 ノイエ・シュタウフェンはこの事実に注目。迎撃軍の編成を進める傍ら、調査局の工作員を使い、エリオット中将に接触。攻守連合が帝国に大敗し、往年の軍事力は既に失われた事、共同体が同盟を結ぶシリウスは、軍事的には攻守連合に及ばず、当然、帝国軍に勝てるはずもない事、同中将が属する共同体軍は治安維持や航路警備を専門とする軍隊で、敵軍の撃滅を主任務とする帝国軍と戦うのは、卵を以て石に投ずるに等しい事を述べて、今のままでは破滅しかないと恫喝。

 一方、私が指示した時に、ヴェガ星域を挙げて帝国に降伏すれば、貴方と家族の生命と財産を保障するのみならず、子爵位と領地を与えようと約束。自身の未来を不安視していた同中将は、この誘いに乗ると決意、指示された時に、共同体への叛旗を翻すと誓約した。

 

 同中将を調略したノイエ・シュタウフェンは、敵連合軍を分断するための布石として、数で劣る迎撃軍全てを率い、敵軍と一戦交えて、敢えて敗北、退却してみせた。

 

 これは、シリウスが帝国領の征服と占領を戦略目的にしていた事に対し、共同体は協約破棄の撤回を帝国に承諾させる事が目的で、帝国領の占領には固執していなかった事を利用した策だった。

 帝国軍が弱い、出撃してこないと確信すれば、シリウスは当初の戦略通り、帝国領の征服を始めるだろう、その結果、広大な占領地の防衛と治安維持のため、遠征軍は必然的に分散せざるを得ない。即ち、兵力分散の愚を犯す事になる。

 一方、共同体軍は、自軍の損耗を避ける意味でも、初戦の勝利を交渉材料として、外交交渉を仕掛けてくる事は容易に想像がつくから、敵の交渉に乗るふりをして、時間稼ぎが出来る。その結果、シリウス・共同体両軍ともに、帝国軍に対して受け身の姿勢を取らせる事が出来る。

 

 これがノイエ・シュタウフェンの描いた構図で、現実もほぼこの通りに推移していく。

 

 共同体との外交交渉を行う一方で、ノイエ・シュタウフェンは、密かに迎撃軍の大半をアルフヘイム軍管区に隣接するスヴァルトアルフヘイム軍管区に移動。両軍管区所属の地方艦隊と合流させ、一時的に2万隻に達する艦隊を編成すると、皇帝ルドルフに協約破棄の撤回を直談判するとの名目で、帝都オーディンに帰還すると見せかけ、実際はスヴァルトアルフヘイム軍管区に集結した艦隊に合流。事前に、エリオット中将から入手していた共同体領域内の航路図を用いて、隠密裏にヴェガ星域に侵攻、そのタイミングでエリオット中将に帝国への降伏を宣言させ、間髪入れず、同星系を占領した。

 

 後は、退路を断たれるとの恐怖に駆られた共同体軍が星域奪還に動く事は容易に想像できるため、その航路にあわせて艦隊を展開、まず共同体軍を壊滅させる。その間、シリウス軍が軍の結集を完了させ、援軍として参戦する可能性は低いと見込んではいたが、ノイエ・シュタウフェンは、シリウス軍の参戦を確実に防止するため、同軍の占領下にある星系で、工作員による破壊活動等を実施させていた事が軍の内部資料で明らかになっている。

 

 本会戦の戦略構想は、前述したルドルフの軍事思想に合致する点が多々あり、後世の軍事学者は、ノイエ・シュタウフェンこそ、ルドルフの軍事思想を最も深く理解した軍人、それを実戦に応用した将帥と評している。

 

 前線指揮官としても充実した力量を有していたノイエ・シュタウフェンではあるが、祖父たる初代軍務尚書シュタウフェン上級大将没後は、祖父が帝国軍・軍務省・内務省内に形成したシュタウフェン派を受け継ぎ、その領袖にならざるを得なかった。それは、ノイエ・シュタウフェンと長女カタリナとの間に生まれた皇孫ジギスムントを自身の後継者、次代皇帝に定めたルドルフの望みでもあった。

 

 ヴェガ星域会戦の指揮を最後に、ルドルフ在位中、ノイエ・シュタウフェンが前線に出る事は無かった。本会戦に勝利した武勲により、帝国暦33年、ノイエ・シュタウフェンは軍務尚書に就任し、統帥本部総長を兼任、帝国軍の筆頭武官となる。

 その後、帝国軍と軍務省の要職を自派で独占するため、政府・軍・宮廷・枢密院に跨る政治工作を行い、その過程で、故リスナー上級大将恩顧の前線指揮官、いわゆる実戦派軍人の多くが軍中央から追放された事は前述の通り。それは親友リヒテンシュタインとても例外ではなかった。

 

 後世、ノイエ・シュタウフェンは自身が軍を支配するため、僚友はおろか親友さえも追放した冷血漢、と批判される事もあるが、旧帝国の権力闘争では、敗北者は自裁、族滅が当然だったのに対して、ノイエ・シュタウフェンは僚友達から官職を剥奪し、権力こそ奪いはしたものの、その生命を奪うような事はせず、むしろ領主貴族として安楽な生活が送れるよう、比較的豊かな星系が領地として下賜されるように裁量している。

 

 もともと、青年期のノイエ・シュタウフェンは、友人の数は少なかったが、一度友誼を結ぶと、その友情を大切にする人物だった。親友リヒテンシュタインがその武勲を妬まれて、ある貴族軍人から「戦利品を私している」と誣告された時も、自ら志願して弁護人を務め、完璧な証拠固めと隙の無い弁論で無罪を証明したのみならず、友を不当に侮辱したとして、私人の立場で決闘を申し込み、誣告者に重傷を負わせている。

 

 主君ルドルフや祖父エリアスと比較すれば、政治権力者としてのノイエ・シュタウフェンは、明らかに政敵への甘さが見られる。しかし、それが友情や温情の表れなのか、敢えて無力化した政敵を残す事で、自派閥の仮想敵とし、自派の団結を図るための深謀遠慮だったのか、もはや詳らかにはしないが、私見では、自身の甘ささえも、己の政略に組み込める自己客観視の賜物だったのではないか、と解釈している。



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7-3:【補記】アルベルト・フォン・リスナー

 建国期の帝国宇宙軍には、彼ら両名を筆頭に、戦術指揮能力に優れた提督達が参集していた。彼らを育成したのが、これまで繰り返し言及してきたように、ルドルフが抜擢した初代統帥本部総長リスナー上級大将である。前線指揮官をあまり重用しなかったルドルフだが、リスナーだけは例外で、彼が軍務に精励するあまり、病床に伏した際は、その私邸まで行幸し、親しく言葉をかけて、懇切丁寧に見舞っている。

 

 帝国暦17年、内務尚書ファルストロングがテロ組織・自由戦士旅団が仕掛けた爆弾テロにより死去すると、ルドルフの勅命で、帝国地上軍は同旅団を壊滅させるため、アルフヘイム星系に進撃。旅団への援軍として来襲したシリウス軍を迎撃するため、リスナー上級大将が率いる帝国中央艦隊も出撃。シリウス軍を撃退する武勲を挙げるが、この戦い以降、リスナーは病床に伏す事が多くなり、以後、死去するまで、自ら艦隊指揮を取る事は無かった。

 

 同26年、前年に逝去した軍務尚書シュタウフェン上級大将の後を追うように、リスナーも死去。直接の死因はインフルエンザ感染による急性肺炎だったが、長年の軍務による疲労の蓄積が遠因になっている事は間違いないだろう。ルドルフは帝国の宿将の死を悼み、シュタウフェン上級大将と同様、帝国軍葬の礼にて葬儀を執り行い、元帥号の追贈、さらに伯爵位への陞爵を以て報いた。

 

 臣下として望み得る最大限の礼遇を得たリスナーだったが、その死後、リスナー家はある事件を契機に没落してしまう。

 

 ペデルギウス時代から、リスナーは軍務に精励し過ぎるあまり、家庭を顧みる事が少ない人物だった。それでも、軍務に理解ある妻エミーリアが存命中は、滅多に帰宅もしない夫と子供達の間を取り持っていたが、エミーリアは帝国の建国と前後して死去。長子フーゴは、母親が早死にしたのは父親が家庭を顧みず、母に苦労ばかりさせていたからだと、父親を嫌悪するようになった。ただ、リスナーが残した手記には、妻子への愛情が綴られており、態度で示せない無骨な為人が息子に誤解された、というのが真相のようだ。

 

 父親の意向で、軍人となったフーゴだったが、父が艦隊指揮官として名声を高める程、その業績を否定したい一心で、軍官僚、軍政家を志望した。

 前線指揮官など無能で構わない、軍隊組織さえ強力に構築できれば、敵軍に勝利する事が出来るのだと、頑なに主張し続けた。それはルドルフの軍事思想の一部を奇形的に抽出したものではあったが、あまりにも極論に過ぎ、軍内で賛同を得る事は無かった。そして、フーゴにとっての不幸は、直属の上司となった人物が統帥本部総長リスナー上級大将の下で、事務担当次長を務めたローエングラム大将だった事だ。

 

 ローエングラムは強堅帝ジギスムント1世即位後、第4代の統帥本部総長に就任。帝国宰相ノイエ・シュタウフェンの信頼厚い練達の軍官僚だったが、故リスナー上級大将に心酔しており、フーゴを直属の部下としたのも、その遺児を厚く遇したいという好意の表れだった。

 しかし、父親を嫌悪、否定するフーゴは、父親を称揚してやまないローエングラムも嫌悪。ローエングラムもまた、尊敬するリスナーを悪し様に罵るフーゴの態度に我慢ならず、再々叱責している。もともと、軍内で孤立していたフーゴは居場所を無くし、極度のストレスのため、精神のバランスをも欠くようになり、帝国暦44年、統帥本部内で発作的にローエングラムを射殺してしまう。旧帝国軍史上、軍高官が被害者となった最初の殺人事件と言われている。

 

 フーゴは殺人罪で死刑。被害者のローエングラムも伯爵だった事から、リスナー伯爵家は絶家に相当とされたが、帝国宰相ノイエ・シュタウフェンは父親の巨大な功績を鑑みて、罪一等を減じ、リスナー家は爵位を二階級下げて男爵家とするが、フーゴの弟による家督継承は認めるとした。

 

 これ以降、リスナー家は犯罪者の家系と蔑まれ、本来ならば武官貴族の名門中の名門になれるはずだったが、帝国軍内にも居場所を無くし、当主でさえも内務省や総督府で中堅の官僚になるのが精々といった有様だった。

 

 転機となったのは耽美帝カスパーの末年、家祖アルベルトの玄孫ブルーノが権臣エックハルトを射殺した事。当時、ブルーノは内務省警察局から皇宮警察に派遣されていた警察官僚で、それまで政治的な動きなど一切していなかった彼がエックハルト誅殺という大事を起こしたのは、公式には、エックハルトが皇帝陛下を蔑ろにし、帝国を私物化している事に義憤を感じたから、となっているが、その実、家名に染み付いた犯罪者の汚名を返上して、武官貴族の名族たる栄誉を取り戻したかったから、というのが本当の動機と言われている。

 

 なお、その背後にはブルーノの劣等感を巧みに操り、エックハルト誅殺の実行犯に仕立て上げた、寛仁公フランツ・オットー大公の策謀と、経済的利権を巡りエックハルトと競合関係にあった、当時の枢密院議長カストロプ公クレメンスの存在、さらに枢密院議員の総意があった、というのが定説となっている。

 

 エックハルト誅殺の功で、リスナー家は子爵位を賜り、当主ブルーノも帝国軍人として立身したいとの志望を容れられ、帝国軍准将の階級と、軍務省政治局で課長級のポストが与えられた。

 

 しかし、軍人経験が無い上に、ブルーノは家祖の名声を鼻にかけるだけの無能者であった事から、軍務省内で孤立。本人も自身の無能を棚に上げて、自分の才能は軍政ではなく軍令にこそある、大公殿下も存外、人を見る目がない、などと誹謗中傷を繰り返し、挙げ句の果てには軍務省内で傷害事件を起こしてしまった。

 

 結果、当人は終身の蟄居、爵位は再び男爵に戻された。その後、リスナー男爵家は、痴愚帝ジギスムント2世の御代、最後の当主アロイスが軍務尚書ナウガルト子爵に取り入って、共に私腹を肥やしたが、再建帝オトフリート2世が父帝を軟禁して即位すると、奸臣の一味としてナウガルトらと共に処刑され、リスナー家は後継者不在のために絶家している。



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【解説】宇宙時代の地上戦

 宇宙軍に続いて、地上軍で活躍した将帥について述べたい。しかし、宇宙軍と比較すると、地上軍には高い戦術指揮能力を持ち、華々しい武勲を挙げた将帥はほぼ皆無だと言って良い。これは、地上軍の将帥が無能だったからではなく、当時の地上軍が有していた構造に起因する。

 

 そもそも、人類が宇宙空間を戦場とするようになってから、宇宙軍に比して、地上軍の存在価値は、相対的に低下していった。

 

 衛星軌道上からの精密爆撃が可能になると、宇宙空間に到達する巨大ミサイル群など、例外的な対宙戦力を有していない限り、地上から宇宙への反撃はおよそ不可能となった結果、宇宙軍の圧倒的な優位が確立された。

 

 無論、制宙権を掌握した後、惑星表面の敵基地などを制圧するため、地上部隊の降下は必要だったが、大気圏外からの強力な支援火力が存在する以上、鈍重な大部隊よりも、機動力の高い小集団群の方が費用対効果の面でも望ましかった。よって、万単位の軍団が大規模に展開して、地上または海上で覇を争う、西暦時代の如き地上戦はその姿を消すに至った。

 

 また、人間が地球のみで生活していた時代と異なり、複数の惑星に住む事が出来るようになった結果、各惑星内の人口密度は総体的に低下。行政また経済効率の観点から、一惑星上に都市が数ヶ所、または帝国のように一惑星一都市という形が常態化した。

 これは同時に、戦略目標の減少と孤立を意味しており、制宙権掌握後の都市制圧戦は、当該都市の周囲に、防衛部隊以上の戦力を降下させ、全方向からの同時攻撃がセオリーとなった。さらに、遠隔操作できる装甲車輌や自走砲、無人戦闘機の著しい発達は、地形や天候、そして士気といった、地上戦の用兵術では重要だったファクターの価値を低下させた。

 

 上記の傾向は、銀河連邦成立後、さらに加速した。人類社会が単一政体で統治されるようになった結果、国家間の大規模戦争は後を絶ち、連邦軍の主敵は宇宙海賊となった。地上軍による制圧作戦を必要とする大規模海賊など、連邦の長い歴史の中でも数えるほどしか存在せず、地上軍は戦闘行為よりも、治安維持や災害復旧などを主たる任務とする様になった。

 

 代わって、敵の戦闘艦や基地に侵入して制圧する、宇宙軍所属の特殊部隊が脚光を浴びるようになり、彼らが帝国の装甲擲弾兵部隊、同盟では薔薇の騎士連隊に代表される白兵戦部隊の源流となっている。この後、連邦政府の財政状況が悪化するにつれて、地上軍は部隊の統廃合が進められ、人員削減の対象ともなり、宇宙軍所属の特殊部隊や白兵戦要員が地上軍の役割を代替するようになってきた。

 

 連邦末期に至り、連邦政府の統制を離れた各星系政府や軍閥化した地方部隊、また民間軍事会社との形で武力を手に入れた他星系企業などが対立、抗争を開始すると、敵勢力の完全制圧のため、地上軍が必要とされるようになったが、すでに弱体化した地上軍を復活させるのは容易ではなく、前述の特殊部隊を中核に、遠隔操作式の各種兵器を帯同させた疑似地上軍を編成する事が主流となった。シリウスや攻守連合、経済共同体などの諸国も、その国力の乏しさから、中長期的な地上軍再建に取り組む余裕は少なく、やはり特殊部隊による疑似地上軍を用いざるを得なかった。

 

 対して、建国時の旧帝国は、敵対勢力と比して、質量共に充実した地上軍を保有していた。その理由は、連邦首相時代のルドルフが推進した諸政策にある。当時、治安回復と雇用確保を政策の二本柱に据えたルドルフは、軍隊と警察関係の予算を大幅に増額。軍需産業から各種兵器を大量に購入し、軍隊の装備を拡充、警察にも軍隊並みの装備を持たせた。

 そして、雇用確保策として、連邦軍兵士や警察官を大量に採用。さらに、ルドルフ派の民間軍事会社(傭兵集団)に働きかけて、新規雇用を半ば強制した。この時に採用された兵士達は、学歴が低く、特殊な技能も持たない低所得者層が大部分で、知識や技能をそれほど必要としない地上軍が主たる配属先だった。この結果、最末期の連邦地上軍は連邦史上最大の兵員と装備を有する事となり、それがほぼ全て、帝国地上軍に移行している。

 さらに、建国後の事ではあるが、ハイゼンベルク尚書率いる科学省技術陣は、ゼッフル粒子発生装置の小型化に成功。装置自体を敵陣や敵部隊に向かって射出、敵軍がビーム兵器を使用すると、広範囲に爆発が発生、防衛設備や兵力に大打撃を与える事が出来た。また、敵軍が粒子発生装置を打ち込まれた事を察知し、ビーム兵器の使用を控えたとしても、こちらからビームを撃ち込めば、容易く同様の結果が得られた。

 

 以上のように、彼我の兵力と装備に大きな格差があったため、こと地上戦においては、指揮官個人の指揮能力はあまり重要視されなかった。一定水準の軍事的知識と指揮官経験があれば、占領後の統治を考えて、軍政家や参謀、軍官僚が地上軍指揮官を務める事も多く、生粋の地上軍指揮官、所謂「将軍」という存在は少なかった。

 

 よって、高位の地上軍指揮官に求められた資質は、広く戦局全体を見渡し、重要な戦線に必要な部隊を送り込み、補給路を維持し、軍全体の戦闘力を維持できる能力、そして、敵勢力撃滅後、治安回復を見据えて、治安戦や対テロ戦に理解があり、社会秩序維持局や警察局など、治安維持を所管する他部署と折衝して、適切な役割分担が出来る能力だった。端的に言えば、政治的手腕を持つ戦略家、もしくは戦略的見識を持つ政治家が求められた。初代の地上軍総監に就任したハンス・ゲオルグ・フォン・ケッテラー大将は、まさにこの通りの人物だった。



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7-4:ハンス・ゲオルグ・フォン・ケッテラー

 連邦首都テオリア出身。父親は星間交易に携わる貿易会社の経営者だったが、競合する大手貿易会社から商売上の妨害を受け、業績が悪化。ケッテラーは家計を助けるため、志望していた経済大学への進学を諦め、連邦軍士官学校へ進学した。

 なお、ケッテラーの父親は、大手貿易会社の行為は商法違反だと、連邦裁判所に提訴したが、その会社は連邦政府高官と癒着しており、父親の訴えは証拠不十分として却下されたのみならず、名誉毀損で逆提訴される有様だった。

 

 このため、ケッテラーは大企業の横暴と政府の腐敗を強く憎むようになり、大企業に厳しい施策を断行して、政府の腐敗を弾劾して止まないルドルフが連邦政界で台頭すると、熱烈に支持するようになり、ルドルフが党首を務める国家革新同盟に進んで入党している。

 

 連邦軍人となったケッテラーだが、軍上層部に批判的だった事から、軍内の非主流派にならざるを得ず、左遷同様の形で、地上軍勤務を余儀なくされた。

 

 しかし、連邦軍の現状には批判的でも、生来、生真面目な性格だったため、軍務には精励。治安維持や災害復旧といった、エリート街道を歩む軍人からは軽視される任務も着実にこなした。

 また、商人だった父親の血なのか、人当たりの良い社交的な為人で、自ら「特技は誰とでも友人になれる事だ」と称するほど、円滑な人間関係を維持する事に長けていた。ルドルフ台頭後、ケッテラーが連邦地上軍の要職を就くと、この時に知り合った士官や下士官たちがその麾下に参集。連邦首相ルドルフが断行した治安回復戦、そして帝国建国後に開始された平定戦役で、彼らは実戦部隊の指揮官として活躍している。

 

 連邦地上軍の一士官だったケッテラーだが、その働きに目をとめた上官の推薦を受け、軍大学への入学が叶う。卒業後、国防省に官僚として赴任すると、折良くと言うべきなのか、グリマルディ内閣に初入閣したルドルフが国防大臣に就任、初代軍務尚書となるシュタウフェンが同省次官に抜擢される。この時、ケッテラーは既に国家革新同盟に入党しており、その縁でルドルフとシュタウフェンの目に止まった。

 

 国防省内にシンパを増やしたいルドルフの意向で、シュタウフェン次官の直属になったケッテラーは、連邦政府と連邦軍を改革してくれると信じているルドルフのために尽力できる事に感激、今まで以上に軍務に精励するようになった。

 軍官僚としての力量も十分あったが、国防大臣から連邦首相に就任したルドルフが治安回復と雇用確保のために、連邦地上軍の兵士を大幅増員すると、地上軍の再編と拡充を実行する責任者として、地上軍勤務が長いケッテラーを抜擢、地上軍担当の統合作戦本部副本部長に就任した。

 

 兵数こそ増えたものの、新兵ばかりの地上軍に対し、適切な訓練を施し、十分な装備を調えて、わずか数年で地上軍を戦闘集団に鍛え上げた手腕は尋常ではなく、その軍政家としての能力は、上官たるシュタウフェンにも匹敵すると評された。仮にシュタウフェンが存在していなければ、初代軍務尚書はケッテラーが就任していただろうとは、後世の軍事学者の共通見解となっている。

 

 初代内務尚書にして、当時はルドルフ政権で警察大臣を務めていたファルストロングの知遇を得たのも、この頃だったと言われている。連邦最末期、ルドルフが断行した治安回復戦では、ファルストロングが管轄する治安警察と、ケッテラー指揮下の連邦地上軍とは、共同作戦を展開する事も多く、この時の経験が帝国暦9年以降の平定戦役にて、社会秩序維持局の治安維持部隊と帝国地上軍が共同歩調を取る上で、貴重な経験となっている。

 

 なお、ケッテラーは、ファルストロングの冷静沈着さと指揮の的確さに感嘆。「内務尚書殿は、政治家にしておくには惜し過ぎる軍才の持ち主だ」と評した事は既述の通りだが、ケッテラー自身もファルストロングから「地上軍総監殿の指揮は、まさにチェスの名人、名手の如きだ。広く戦局全体を見渡し、常に最善手を打ち続け、かつ何らかの原因で、最善手が悪手に変じた際の後処理は、余人の追随を許さない。私は無神論者ではあるが、彼と敵対せずに済んだ事は、大神オーディンに感謝したい」と絶賛されている。

 

 互いにその能力を認め、尊敬しあっていた両者だが、ケッテラーは、ファルストロングと職務以上の付き合いをしようとはしなかった。それは、ファルストロングやクロプシュトックが有力メンバーであるペデルギウス派と距離を置く事でもあり、自身はあくまでも帝国軍人として、シュタウフェン上級大将の部下である、との姿勢を崩さなかった。

 

 寵姫マグダレーナの件で示されたペデルギウス派とシュタウフェン派の権力闘争は、未だ表面化はしていなかったが、リスナー大将が統帥本部総長に抜擢された際のシュタウフェン上級大将の言動などから、ケッテラーは近い将来の闘争を予測していたのかもしれない。その政治的嗅覚が帝国軍内でケッテラーが生き残れた理由でもあった。

 

 実際、シュタウフェン派の有力メンバーとして振る舞いつつも、貴族制成立後は、地上軍の優秀な士官を自家の従臣として、爵位を与えられた部下は一門に迎え入れるなど、自派の形成にも余念がなかった。ただ、シュタウフェン家、後のノイエ・シュタウフェン家が帝室と密着して、政治的権力をも志向したのに対して、ケッテラー家はあくまで軍人との姿勢を崩さず、一時期の例外を除いて、宮廷や政府とは距離を取り続けた。それは、財政・経済のテクノクラートとの姿勢を崩さなかったリヒテンラーデ家と同様の処世術であり、結果としてケッテラー家は、旧帝国滅亡後も家門を維持している。

 

 地上軍総監として、平定戦役における地上戦の総指揮を執り続けたケッテラー大将だが、統帥本部総長リスナー上級大将とは異なり、自ら前線に赴く事は少なく、例えば帝国暦14年、ファルストロング指揮の社会秩序維持局・治安維持部隊と、地上軍総監ケッテラー大将麾下の帝国地上軍、統帥本部総長リスナー大将が直卒する帝国宇宙軍中央艦隊がヴァナヘイム軍管区の共和主義勢力を壊滅させて、シリウスと攻守連合の連絡線を遮断した合同作戦でも、独りケッテラーのみ、軍管区司令部に留まって、後方から地上軍の各部隊を指揮している。

 

 この事から後世、ケッテラーはリスナーと比較して、軍人として劣っているなどと評される事もあるが、それは偏った見方と言うべきだろう。前述の通り、当時の帝国地上軍は、敵対勢力より質量ともに優勢で、小型ゼッフル粒子発生装置という兵装のアドバンテージもあった。

 

 一方、シリウスや攻守連合に匹敵する戦力を有するようになったとは言え、圧倒するまでは到達していない帝国宇宙軍は、リスナー上級大将を始めとする優秀な指揮官の統率が必要だったが、敵勢力を圧倒できる帝国地上軍に必要だったのは、戦力の適切な配置と補給線の維持、それだけだったと言っても過言ではない。ケッテラーはその事をよく理解していたと言うべきだろう。むしろ、最高司令官が前線に出る事によって、テロや暗殺の対象になる事を避けたというのが定説となっている。実際、帝国暦17年、内務尚書ファルストロングが共和主義勢力のテロに倒れている事を鑑みれば、ケッテラーの先見の明を賞賛すべきかもしれない。

 

 軍人としてのケッテラーは、宇宙軍のノイエ・シュタウフェンと同様、勝ち易きに勝つ、弱敵に必ず勝つ、という人物だったが、私人としても同様だった。

 

 ある時、人生訓を問われて、ただ一言「堅実」とだけ答えた事は有名だが、青年期から酒やギャンブル、また女遊びと、若く血気盛んな軍人が陥りがちな道楽には一切、興味を示さず、官舎と職場を黙々と往復するような生活を続けた。趣味は勉学と読書と肉体トレーニング。結婚の約束をしていない女性との交際は不実であると言い、事実、結婚するまで性交渉はおろか女性との交際経験もゼロという人物だった。

 しかし、女性に興味が無い訳ではなかったらしく、上官が勧める見合には進んで応じ、最終的には、自身を軍大学に推薦してくれた上官の娘と結婚している。なお、その上官は退役間近で、軍内の有力派閥に連なる人物でもない事から、決して出世のために結婚した訳ではなかった。

 

 家庭人としてのケッテラーは、妻に優しく、子供には愛情を以て接する、理想的な夫であり父親と評された。妻との結婚記念日、子供たちの誕生日には、どんなに忙しくても必ず帰宅し、手ずから贈り物を渡す事を楽しみとした。

 同僚や部下達が家庭の愚痴を零すのを耳にすると、「それは卿の心掛けの問題だ。妻と共に家庭を営み、子供たちを育てるのは、夫であり父親である自分の義務ではなく権利なのだ。義務だと思うから心が伴わない、心が伴わなければ、妻子は決して喜びはしない。権利だと思えば、心を込めて妻子に接するだろう。そうすれば妻子と心を通わせる事が出来る。心の通い合った家庭に何の不平不満が生じようか」と、真顔で諭したという。この話を聞いた学芸尚書ランケは、自身の日記で「軍人を辞めても、セラピストで食える御仁」と評している。

 なお、長子イザーク、次子フェルディナンドは、父親の後を継いで帝国軍人となり、強堅帝ジギスムント1世の御代、拡大戦役では地上軍の指揮官として活躍した。

 

 ケッテラーの誠実さは家族のみならず、部下や同僚にも等しく発揮された。戦傷で退役を余儀なくされた者がいれば、腕の良い医者がいる病院を紹介して、再就職の斡旋もした。人間関係のトラブルで悩む者がいたなら、進んで話を聞き、金銭問題で苦しむ者がいれば、ある時払いの催促なしで、金を融通してやった。軍高官がする事ではないと忠告する者も少なくなかったが、ケッテラーは「恩義とは、人に施せば、いつか自分に返ってくるものだ。それは身分や地位に関係ない。自分に返らなくとも、子や孫たちに返ってくれば、それで良いのだ」と答えたという。円満な家庭を築き、部下や同僚からの信望も厚いケッテラーは、帝国人男性の亀鑑だと、ルドルフからも賞賛されている。

 

 しかし、ケッテラーの誠実さ、優しさは、あくまで彼が「同胞」と認めた者に対してだけ、だった。平定戦役では、共和主義勢力と認定したならば、女子供ごと鏖殺する事を躊躇わなかった上、敵対勢力の支配下にあった人民とその家族らも、皇恩を理解しない不逞の輩、全て極刑とすべきだとの強硬論を主張した。

 

 ケッテラーは旧帝国軍史上、劣悪遺伝子排除法を最も厳格に適用した将帥とも言われており、同盟では、初代社会秩序維持局長ファルストロングや、共和主義者の大虐殺「血のローラー」を実施したクロプシュトック、帝国宰相として共和主義勢力の叛乱(同盟では革命運動)を鎮圧したノイエ・シュタウフェンらと並ぶ民衆弾圧者の1人として、唾棄、憎悪されていた。

 

 一説には、父親の事業を妨害した大企業と癒着、不当に擁護した連邦政府への憎しみから、連邦を懐かしみ、その復活を目論む共和主義者らは父親の敵も同然と、激しく弾圧した、とも言われる。私怨から無辜の人々を虐殺したと断じる事は容易だが、ケッテラーにとって、無辜の父親を苦しめた連邦政府の復活の芽を摘む事は、数千億に及ぶ無辜の帝国人が将来、不当に苦しめられないようにする、正義の行為だったのだろう。例えそれが主観的な正義だったとしても、一体、正義とは主観以外に存在するのだろうか?

 

 閑話休題。公人、また私人としても、充実した人生を送ったと思われるケッテラーは、帝国暦34年、老衰のために死去。愛する子や孫たちに囲まれ、眠るが如き大往生だったと伝えられる。ルドルフは、地上軍の父とも言えるケッテラーに対し、上級大将の地位と、伯爵位を以て報いた。

 

 この後、ケッテラー家は武官貴族の名門として隆盛、老廃帝ユリウス1世の御代、家祖ハンス・ゲオルグの曾孫ゴットフリートは、同帝の摂政皇太子たる寛仁公フランツ・オットー大公の腹心となり、軍務尚書に就任、同家初の元帥号を授与されている。

 

 しかし、ダゴン星域会戦後、帝国軍の主流が宇宙軍に移行すると、地上軍を基盤とするケッテラー家は非主流派とならざるを得ず、次第に衰微。地上軍自体も装甲擲弾兵部隊にその立場を奪われて、かつては宇宙軍所属の一部隊に過ぎなかった同部隊の長が総監を称するようになり、地上軍総監は名誉職同然の閑職と化した。

 

 だが、禍福はあざなえる縄の如しとの言葉通り、衰微した非主流派だったために、征軍帝コルネリアス1世の大親征、第二次ティアマト会戦の大敗北、どちらにも従軍せずに済み、一門に人的損害はなかった。

 

 また、軍内に影響力が無かったために、リップシュタット盟約に勧誘される事もなく、同戦役後、開祖ラインハルト陛下への敵意無しとして、当主ヘルマンの処刑や追放、財産没収もなく、家門の存続を認められている。この寛大な処置が下されたのは、帝国の双璧たるロイエンタール・ミッターマイヤー両元帥の口添えがあったからだという。

 

 両元帥が士官学校の学生だった時、ヘルマンは白兵戦技の教官を務めており、類い希な才能を有する両元帥には特に目をかけて、手ずから白兵戦技を教授していた。両元帥も、軍上層部や大貴族の顔色ばかり伺う教官連の中で、独りヘルマンのみ、生徒の事を考えて、親身になってくれた事、才気は無いが、誠実で公正、軍人としても尊敬できる為人に好感を覚えていた事、これが口添えの理由だった。

 

 特にミッターマイヤー元帥は、ケッテラー伯爵は確かに門閥貴族の一員ではありますが、その為人は信頼に値します、オフレッサーが賊軍に参加した事で壊滅した装甲擲弾兵部隊の再建を委ねるに足る人材だと愚考する次第ですと、ラインハルト陛下に進言している。その進言のためか、ケッテラー伯ヘルマンは、帝国軍三長官を兼務し、帝国宰相に就任したラインハルト陛下に登用され、装甲擲弾兵総監に就任。ローエングラム朝開闢後も、その地位を保っている。図らずも家祖ハンス・ゲオルグの言葉「恩義とは、人に施せば、いつか自分に返ってくるものだ」を証明したと言えるかもしれない。



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7-5:ロベルト・フォン・カイザーリング

 さて、敵対勢力に比して、質量ともに圧倒的な帝国地上軍は、抵抗らしい抵抗もなく、平定戦役を勝ち進んでいったが、重要な生産施設や希少金属の採掘場に隣接しているなどの理由で、軌道爆撃やゼッフル粒子による大規模破壊が出来ない戦略拠点も稀に存在した。

 その場合、敵拠点の破壊よりも制圧を目的とした地上戦を展開する必要が生じ、西暦時代から培われた用兵術が有効になる事もあった。帝国地上軍の中には、用兵の妙を競う舞台として、敢えて難戦の戦場を好む将帥もわずかに存在した。彼らの中でも、特にその勇名を轟かせたのが、ロベルト・フォン・カイザーリングだった。

 

 連邦軍人出身の人物が多い帝国軍人の中で、カイザーリングは、その生い立ちからして異色だった。元々の姓はフョードロフ。父親ヴィクトルは、攻守連合の盟主国・ポルックス人民共和国と契約する民間軍事会社(傭兵集団)の社長兼司令官。地上戦のプロとして勇名を馳せ、帝国地上軍とも度々交戦、幼いロベルトも父に従い、各地を転戦していたという。

 

 後年、ロベルトは己の幼少期を評して「産着は迷彩服、離乳食はレーション(戦闘糧食)、揺籠は装甲車、そして玩具はブラスター」と吹聴していたが、後述の通り、帝国に降伏後、弟テオドールと共に帝国軍士官学校に入学しているので、一定以上の学力を身につけられる環境にいた事は確かなようだ。

 

 帝国暦14年、帝国軍の攻勢により、ヴァナヘイム軍管区の共和主義勢力が壊滅、シリウスと攻守連合の連絡線が遮断される事態が発生。ポルックス人民共和国のロブコフ主席は、敗戦の責任を取らせる者が必要と考え、ヴィクトルが帝国に内通したとの濡れ衣を着せ、処刑する事で国内の動揺を抑えようとした。

 だが、冷徹な性格のロブコフを信用していなかったヴィクトルは、政府や軍上層部に潜ませていた内通者からその情報を得ると、本当に帝国軍に内通、同国の重要軍事拠点を内部から制圧し、それを手土産に帝国地上軍に降伏した。

 

 ヴィクトルはその功績を認められ、帝国軍大佐の地位を与えられた上、自身の傭兵集団は、地上軍所属の独立連隊となった。しかし、連邦軍人出身者が多数を占める帝国軍内で、自分のように腕一本でのし上がった傭兵は異端者でしかない空気を察知。強力な敵国がいる間はともかく、敵がいなくなれば、自分の如き存在は無用だとして追放されると考えたヴィクトルは、息子2人を正式に帝国軍人として出世させれば、逆に自分の地位も安泰になると考え、長子ローベルト(後に改名してロベルト)と次子ヒョードル(同じく改名してテオドール)を士官学校に入学させる。

 

 父親の粗暴さを嫌っていたテオドールは、軍官僚を志望して、卒業後は軍務省に入省。後に軍務尚書ノイエ・シュタウフェンに見出され、その腹心となり、強堅帝ジギスムント1世の御代、軍務省で各局長を歴任する。

 

 対して、ロベルトは父親以上に粗暴な性格で、在学中から問題行動が多く、卒業後は厄介払い同然に、父親の部隊に配属された。しかし、当人はむしろ望むところだったようで、前述した難戦の戦場を志願し、勇猛というより凶猛、戦闘狂とも言える戦いぶりで知られるようになる。

 

 しかし、決して愚昧ではなく、こと戦闘においては、敵軍の意表を突く戦術を独創して、連戦連勝、常勝不敗を誇った。少数で多数を破る事に美学を見出し、正統的な用兵家とは見なされなかったが、その果断速攻の用兵と剛性の破壊力から、「雷光」との異名を得る。なお、点を攻略して、線につなげ、面的制圧に至る戦術は、彼の発案と伝えられており、この戦術は、帝国・同盟共に、地上戦の標準的な戦術として長らく採用されている。

 

 だが、多数を以て少数を制圧する事を理想とするルドルフの軍事思想に合致しないだけではなく、その粗暴で傲岸不遜な為人を地上軍総監ケッテラー大将に嫌われ、数多くの武勲を挙げながらも、軍中央に栄転する事は無く、一前線司令官として、各地の最前線を転戦させられた。

 

 とは言え、当人はむしろ、堅苦しい軍中央など敬遠していたようで、前線司令官たる事に満足していた。武勲により、男爵位とカイザーリングの姓を授けられた時も、貴族としての責務を果たす気などなく、受爵の翌日に隠居を申し出て、弟テオドールに爵位を譲り、再び前線に戻っている。

 

 地上軍の指揮官として高い能力を有するだけではなく、白兵戦技や射撃の手腕も超一流で、特に白兵戦技は旧帝国軍史上、五指に入る腕前だったと言われる。体格は細身ながらも、鎧と見まがうほどの筋肉で覆われ、一欠片の贅肉もなく、映画俳優を思わせる男性的な美貌の持ち主でもあった。そのため、女性人気は凄まじく、数多くの女性と浮名を流した。ロベルト自身も非常な好色漢で、戦場ごとに女を変えると言われたプレイボーイでもあった。

 

 士官学校卒業後、最前線を往来する事、三十有余年の間、一切の戦傷を負わなかった事が自慢で、当人は「俺があまりに良い男なものだから、誰が俺を迎えに行くか、ヴァルキューレたちが喧嘩しているんだろう。だから、最前線に出ても戦死するどころか、怪我さえ出来ない有様だ」と嘯いていた。

 

 その実、いつの日か戦場で死ぬ事を本懐としていたようで、ルドルフ崩御後も現役に留まり、強堅帝ジギスムント1世の御代、ノイエ・シュタウフェン公爵が総司令官となったシリウス遠征にも従軍、同国首都ロンドリーナに突入、制圧するという武勲を上げる。その功績によって少将に昇進するが、地上軍の前線司令官が武勲のみで将官になったのは極めて異例。戦後、ほどなくして病没している。戦場での勇名を謳われた猛将の死とは思えぬほど、静かな最期だったという。

 

 生涯、正式に妻を持つ事は無かったが、その死を看取ったアントーニア・フォン・バーゼルなる女性が事実上の妻だったと言われている。なお、ロベルトとアントーニアとの間に生まれた男子はバーゼル家を継ぎ、カイザーリング男爵家の一門となり、後世、帝国騎士位を与えられている。このため、バーゼル家は血筋を考えると、家祖ロベルトの正嫡であるとして、しばしばカイザーリング家の御家騒動の原因となっている。



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7-6: クリストフ・フォン・ベーネミュンデ

 これまで宇宙軍・地上軍で前線指揮官を務めた軍人達を主に描いてきたが、指揮官の活動を支えた参謀・軍政家・軍官僚らも数多存在する。むしろ、戦わずして勝つ事を至上としたルドルフにとり、本当に重用したいのは彼らだった。

 ここからは、参謀や軍政家として名声を得た軍人達を描いていきたい。なお、この分野で著名な軍人は極めて多いため、読者諸氏の興味を喚起するため、武勲や地位のみならず、その個人的なエピソードでも有名な人物を敢えて取り上げている。

 

 平定戦役で活躍した参謀の中では、宇宙軍中央艦隊参謀長を長く務め、同艦隊司令官リスナー上級大将の女房役と言われたクリストフ・フォン・ベーネミュンデを取り上げたい。

 

 連邦首都テオリア生まれだが、若い時は冒険心溢れる性格で、高等学校卒業後、民間軍事会社に就職、宇宙海賊のメインストリートと称されたペデルギウス方面で、民間船の護衛任務に就く。奇襲が常套手段だった海賊に対抗するため、索敵や諜報を主に担当、その分野で経験を重ねる。

 

 ペデルギウス星系の防衛艦隊司令官だったリスナーとは、この時代に知遇を得ている。帝国建国後、リスナーが統帥本部総長に抜擢されると、その力量を評価していたリスナーから特に招聘され、帝国軍人に転身、中央艦隊の情報主任参謀に着任している。

 

 民間軍事会社時代の経験を活かし、敵対勢力の情報収集を主任務とし、進撃路の予測や戦力の的確な分析は、余人の追随を許さなかった。敵国に対して、相対的に劣弱だった帝国宇宙軍が致命的な敗北を喫する事無く、帝国領の防衛を全うできたのは、古代地球の軍事思想家が唱えた「彼を知り己を知れば百戦殆からず」との言葉通り、敵情を詳細に分析できたベーネミュンデの功績でもあった。

 

 帝国暦9年のトラーバッハ星域会戦では、攻守連合軍の進路をいち早く特定して、リスナー大将による迎撃戦を勝利に導く要因を作った。

 この功績で、少将に昇進の上、中央艦隊参謀長に就任。また、年を重ねると、若い時の客気が影を潜め、人格円満な為人に変じてきた。これは、リヒテンシュタインを始めとする、癖が強く、個性的な人物が多かった中央艦隊司令部をまとめるため、後天的に培われた性格とも言われる。ただ、後述するように、芸術文化を愛好する人物でもあったので、或いはこの方が生来の為人だったのかもしれない。

 

 軍務の傍ら、絵を描く事が趣味で、同僚や部下達の肖像画や、星雲や星団をモチーフにした抽象画、あるいは船内を画題とした風景画と、着想の赴くままに描いていったが、その出来栄えはお世辞にも上手いとは言えず、同僚達に自作の絵画を披露しては、満面の笑顔で感想を求めたが、全員、言葉に詰まったという。

 

 唯一の例外がリヒテンシュタインで、歯に衣着せず酷評したが、ベーネミュンデは激高する事も無く、笑顔のまま頷いていたので、周囲の者がその理由を尋ねると、「真の芸術とは凡人には理解されないものだ」と真顔で言いきり、相手を絶句させたという。なお、その事を人づてに聞いたリヒテンシュタインは「それならば初めから感想など聞かねば良いだろうに」と、呆れて親友のノイエ・シュタウフェンに愚痴を零した、という。

 

 ただ、他者の優れた芸術を評価できる鑑識眼の持ち主でもあったので、敵国が保有する文化財や美術品が戦火で消失しないよう、地上軍総監ケッテラー大将に申し入れを行い、帝国地上軍が敵国の主要都市を制圧する際、現地の美術館や博物館の所蔵品は、全て帝室財産であると宣言、略奪防止のため封印を施す事を地上軍の軍規として定めた。

 

 この結果、地球時代に作られた美術品等が後世にも伝わり、それらの多くは現在、新無憂宮の一部を改装した国立美術館で鑑賞する事が出来る。その意味では、広く人類の文化・芸術史に影響を与えた人物だと言えるかもしれない。

 

 帝国暦26年、統帥本部総長リスナー上級大将が死去すると、その後任となる。前線司令官としては前任者に遠く及ばなかったが、戦略家としては前任者同様の力量を発揮、中央艦隊所属の諸提督を統御して、シリウスや攻守連合の艦隊を次々と撃破した。

 

 帝国暦31年、リヒテンシュタイン大将が攻守連合軍に大勝。同32年、ノイエ・シュタウフェン大将がシリウス・共同体の連合軍を撃破と、平定戦役の帰趨を帝国勝利に決定づける2つの勝利は、ベーネミュンデ総長の在任中に生じている事から、建国期の帝国宇宙軍の軍人で、最大の武勲を挙げたのはリスナーではなく、ベーネミュンデであると主張する軍事学者も存在する。

 

 帝国暦33年、軍務尚書に就任したノイエ・シュタウフェンは、軍政・軍令を一手に握るため、統帥本部総長を兼任。それに伴い、ベーネミュンデは上級大将に昇進の上、予備役に編入される。また、今までの軍功を評価されて、伯爵に封じられている。以降、死去するまで表舞台に立つ事はなく、晩年は好きな絵を描いて過ごしたという。

 

 これ以降、ベーネミュンデ伯爵家は武官貴族の名家として、優れた帝国軍人を多数輩出する。しかし、流血帝アウグスト2世が即位すると、当主テオドールの娘ヨゼフィーネが同帝に見初められ、半ば強制的に皇后に据えられた。そのため、爵位は侯爵に上ったが、直後、同帝は「外戚の災いを除く」という名目で、当主以下の一族全員を皇后ヨゼフィーネの眼前で飢えた有角犬の檻に投げ入れ、悉く虐殺している。その衝撃でヨゼフィーネは発狂、異常性癖の持ち主だった同帝は、発狂した皇后をその場で強姦し、妊娠させたと伝えられる。

 

 その時、軍務のために偶然、首都星オーディンを離れていた分家の当主エドガーのみが難を逃れ、一族の復仇のために、ベーネミュンデ家の私兵を糾合し、止血帝エーリッヒ2世の革命戦に参加。流血帝の艦隊を撃破したトラーバッハ星域会戦を勝利に導いた三提督の1人になっている。

 

 止血帝即位後、エドガーはベーネミュンデ侯爵家の新当主となり、家祖クリストフと同様に、統帥本部総長に就任している。この功績で、同家は帝国を暴君の魔手から救った忠良の貴族と認定され、武官貴族の中でも五指に入る名家となる。しかし、第二次ティアマト会戦の大敗北で、当主以下、一族の主立った人物が死亡、後継者不在のため絶家している。

 

 なお、旧帝国末期、亡国帝フリードリヒ4世が寵姫シュザンナにベーネミュンデ侯爵位を与えた事は有名だが、当時の宮廷内では、かつて皇后を輩出した名家の名跡を継承させる事で、事実上の皇后であると密かに宣言したのだ、それが陛下のお考えだとの噂が広がり、その噂を信じたブラウンシュヴァイク公オットーが嬰児殺しを決断した、というのが現在の定説になっている。

 

 余談ながら、ベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナが開祖ラインハルト陛下及びグリューネワルト大公妃殿下の御命を奪うため、執拗に暗殺者を送り込んでいた事がラインハルト陛下の証言によって明らかとなっているが、それは亡国帝の寵愛を大公妃殿下に奪われた事への嫉妬だけではなく、ベーネミュンデ侯爵家・ローエングラム伯爵家・グリューネワルト伯爵家、この3家は全て建国期に立家した武官貴族の名家で、シュザンナが卑しいと軽蔑していた陛下と殿下が、家格の上で自身と同列に並んだ事への苛立ちと憎悪もあったと言われている。



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7-7: ヘルムート・フォン・ローエングラム

 このベーネミュンデと友人同士、統帥本部総長リスナー上級大将の下で、長く事務担当次長を務めて、同じくリスナーの女房役と言われたのがヘルムート・フォン・ローエングラムである。

 

 連邦首都テオリア生まれ。平凡な中流家庭に生まれた彼は、生涯食うに困らないからとの動機で公務員を志望。唯一、国防省の採用試験にのみ合格したという理由で、軍官僚への道を歩み出す。

 

 任官後、国防省次官に抜擢されたシュタウフェンの副官に任命されたのが縁で、上官から組織科学を徹底的に教授される。気位の高いシュタウフェンが新任士官を自ら指導するなど前代未聞で、周囲の者達を驚かせたが、当人は「まあ、気紛れという奴だ」としか語らなかった。

 真相は不明だが、後年、長女エリザベートは「あの時は、兄マルクスが戦死したばかりで、もしかしたら父はローエングラム伯爵に兄の面影を見たのかもしれません」と語っている。

 

 しかし、ローエングラムには適性があったのか、上官も驚く程のスピードで組織科学を修得。後年、シュタウフェンが執筆し、高く評価された組織科学論文には、共著者としてローエングラムの名も記載されている。

 

 この後、国防省や統合作戦本部で総務関係のポストを歴任、帝国建国時には、同本部総務部長の地位にあった。そして前述の通り、帝国軍に統帥本部が新設されると、軍務尚書シュタウフェン上級大将の推薦を受けて、事務担当の同本部次長に就任。以降、リスナー総長を補佐して、統帥本部の組織構築に尽力する。

 

 童顔のためか、軍服を着ていても軍人らしく見えないと言われ、軍官僚としての能力は高かったが、白兵戦技や射撃は素人同然、武勲を誇る前線指揮官からは、帝国軍人にあるまじき惰弱者と、軽侮される事も多かった。

 

 そのため、当人も前線指揮官には隔意があったが、武勲赫々たる名将ながらも、常に礼儀正しく、労いの言葉と共に接してくれるリスナー上級大将だけは純粋に敬愛していた。また、共にリスナーの補佐役との縁で、宇宙軍中央艦隊参謀長のベーネミュンデとも親しくなり、後年、ベーネミュンデがリスナーの後任として、統帥本部総長に就任した時も、友人の昇進を素直に喜び、次長として変わらずに仕えた。

 

 性格は良く言えば温和、悪く言えば特筆すべき点のない平々凡々たる人物で、人物像を窺わせるに足る挿話も無く、学芸尚書ランケは「蒸留水の如き人物」と評している。確かに、時流と巡り合わせによって出世した人物ではあるが、決して無能者ではなく、時流にただ流されるのではなくて、泳ぎ抜くだけの力量は有していた。

 

 優れた他者に仕え、その下で自己の能力を発揮する事に充足感を覚える為人で、自らを評して「トップに立つ器量など無いよ」と言っていた。それは、最初の上官たるシュタウフェン上級大将の能力と権威に圧倒されたが故の精神的な自己防衛だったのかもしれないが、常に一歩下がって、上位者が見えない部分を把握して、的確にフォローできる人物は、組織運営上、貴重な才能と言うべきで、旧帝国軍史上、ローエングラムは「最良の副官」とも評されている。

 

 シュタウフェン上級大将の孫にして後継者、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが帝国軍の筆頭武官、祖父が築いたシュタウフェン派の領袖になると、ローエングラムも同派の大幹部にならざるを得ず、ノイエ・シュタウフェンの腹心的存在となっていく。

 

 帝国暦42年、ルドルフが崩御、皇太孫ジギスムントが即位して、ノイエ・シュタウフェンが帝国宰相に就任すると、ローエングラムは第4代の統帥本部総長に就任。生粋の軍官僚に総長が務まるのかと、実戦派の軍人からは危ぶむ声もあったが、すでに帝国の軍事力は敵国や共和主義勢力を大きく上回っており、ローエングラムには敵国討伐後、帝国軍を外征ではなく、治安維持を主たる任務とする組織に改編する事が求められていた。

 

 しかし前述の通り、同44年、ローエングラムは故リスナー上級大将の遺児・フーゴによって射殺される。後世の軍事学者の中には、仮にローエングラムが健在だったならば、拡大戦役終了後、帝国軍の平時体制への移行は、より円滑に行われただろうと指摘する者も多い。

 

 以降、ローエングラム家は武官貴族の中でも、優秀な軍官僚を輩出する名家として知られていたが、流血帝アウグスト2世の御代、当主コンラート・ハインツは止血帝エーリッヒ2世の革命戦に参加。トラーバッハ星域会戦を勝利に導いた三提督の1人となり、戦後、止血帝の筆頭重臣として、軍務・内務・国務尚書を歴任。地位は元帥、爵位も侯爵となり、武官貴族の名家中の名家となったが、次子フィリップが止血帝の皇女マグダレーナともに、孺子帝レオンハルト1世を弑逆、帝位簒奪未遂事件「皇女の乱」を引き起こした事から、コンラート・ハインツは責任を取るため、自ら官職と爵位を返上、一族を挙げて謹慎し、皇帝陛下の裁きを待つとした。

 

 孺子帝に代わって即位した強軍帝フリードリヒ2世は、皇帝弑逆の罪により、本来ならば族滅に相当するが、革命戦の功績を鑑みて、生命と家財は保障する、爵位は一階級下げて伯爵とし、一族全員を公職から永久追放する、との裁きを下した。

 

 以降、ローエングラム家は帝国軍内に居場所を無くし、一族を挙げて自領に移住、領主貴族に転身する。帝国暦359年、征軍帝コルネリアス1世が大親征の軍を起こすと、当主ゲアハルトは武門の名族たる栄誉を取り戻す好機だと、公職追放の身ではありますが、どうか私兵を率いて従軍する事をお許し頂きたいと願い出た。

 自身の襟度を示したい征軍帝はこれを許可、だが、大親征は宮廷クーデターの発生で、道半ばにして撤退を開始。同盟軍艦隊の追撃戦により、帝国軍艦隊は大きな損害を受け、ローエングラム家の私設艦隊もその巻き添えとなって全滅する。当主ゲアハルト以下、一族の主立った人物も戦死したため、同家は後継者不在によって絶家している。

 

 亡国帝フリードリヒ4世の御代、開祖ラインハルト陛下に下賜された家名である事はあまりにも有名だ。



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7-8:リヒャルト・フォン・グリューネワルト

 開祖ラインハルト陛下と同様、大公妃殿下が亡国帝から下賜された家名として有名なグリューネワルト伯爵家だが、ベーネミュンデ家の家祖クリストフ、ローエングラム家の家祖ヘルムートが当時の帝国軍で主流派だった事と対照的に、グリューネワルト伯爵家の家祖リヒャルトは一貫して非主流派、いや脚光の当たる任務に就く事も無かった。それは、グリューネワルトが前線指揮官でも、参謀でも、軍官僚でもなく、謀略と諜報を主任務とするスパイだったからに他ならない。

 

 その職責上、個人情報は明らかになっていない部分が多々あるが、連邦首都テオリア生まれ、長じて連邦軍人となり、帝国建国後は帝国軍人に移籍しているが、連邦時代から諜報員として活動していたと思われる。初代の軍務尚書シュタウフェン上級大将の下、軍務省調査局長を長く務め、彼が敵国に構築したと言われる一大諜報網は、いまだ解明されていない部分が多く、機密保持の完璧さを窺わせる。

 

 敵対勢力を切り崩すため、有力者の暗殺を始めとする各種テロリズムを実行、被害者の政敵にその容疑を被せて、敵国内の団結を分断する手法を得手とした。その仮借無さは、かのラグラン・グループで謀略を担当した、チャオ・ユイルンの再来とも称された。敵国との秘密交渉を担当した宮内尚書ノイラートと並び、平定戦役の裏面で活躍した人物と言えるだろう。上官たるシュタウフェン上級大将は「グリューネワルトは名演奏家だ。彼の奏でる音楽は「不協和音」と言うのだがな」と評したと伝えられる。

 

 私生活は謎に包まれており、家族の存在さえも疑われている。容姿や性格を窺わせるに足るエピソードなども皆無で、唯一、当人の言葉として「謀略も極めれば芸術たりえる」との発言が残されている。想像するに、仕事に美学と生きがいを持ち込む、職人肌の人物だったのだろう。

 

 或いは、ルドルフの軍事思想、戦わずして勝つをこれほど体現した人物はいなかったとも言えるが、職務の性格上、功績が表立って評価される事も無かった。

 

 軍務省に残された人事異動の記録を見る限りでは、帝国暦33年、ノイエ・シュタウフェンが軍務尚書に就任すると、調査局長を退任しているようだ。また、典礼省所蔵の諸家譜によると、帝国暦35年、功績によって、グリューネワルト家に伯爵位を賜う。同37年、当主リヒャルト死去により、長子アドルフが爵位継承を申請、大帝ルドルフ1世陛下、これを裁可する、とある。これ以外で、同伯爵家の立家に関する一次史料は現時点では発見されていない。

 

 当時の武官貴族の日記や手記に、グリューネワルトに関する記載が僅かに見られる。あくまでも軍内に流れた噂として、グリューネワルトはシュタウフェン上級大将の腹心で、ルドルフの子を孕んだ寵姫マグダレーナを排除するため、同上級大将の元部下だった社会秩序維持局長、後に内務尚書となったクラインゲルト退役少将と共に暗躍した、また、ノイエ・シュタウフェンがヴェガ星域会戦でシリウス・共同体の連合軍を撃破する決定打ともなった、共同体軍のエリオット中将の裏切りは、グリューネワルトによる調略の結果である、と言われたらしいが、史料上の根拠は現時点では存在しない。

 

 あくまで私見ではあるが、旧帝国の受爵基準によると、伯爵位は帝室と血縁関係が無い臣下が到達できる最高位であり、尚書や帝国軍三長官クラスの官職に就いた者が与えられている。軍務省の一局長だったリヒャルトに伯爵位が与えられているのは、シュタウフェン家、ひいてはノイエ・シュタウフェン家が帝国軍を事実上、支配する権門となるために、表沙汰に出来ない裏の任務を遂行した事への密やかな報酬なのかもしれない。

 

 これ以降、グリューネワルト伯爵家は、軍務省調査局や統帥本部情報局を基盤とする武官貴族となるが、その職務上、具体的な活動は明らかになっていない部分が多い。

 

 強堅帝ジギスムント1世の御代、敵国が全て滅亡、共和主義勢力も壊滅すると、同家の諜報能力は帝国への叛意、異心を抱いていると見られる領主貴族らの内偵に使用されるようになった。このため、貴族社会の中でも敬遠されがちで、当主の配偶者も分家の女性から迎える事が多く、近親婚に近い関係を重ねた結果、表だって語られてはいないが、障害者や奇形児の発生確率が他家よりも遙かに高かったと言われる。

 

 流血帝アウグスト2世が即位すると、その存在自体を疎まれて、最後の当主ジークフリート以下、族滅の憂き目にあっており、流血帝を打倒して即位した止血帝エーリッヒ2世も同家の存在は好ましく思わなかったのか、再興される事は無く、そのまま絶家している。

 

 亡国帝が大公妃殿下に、この不吉とも言える家名を与えたのは、爵位こそ高いが貴族社会では忌避される家であるため、周囲の貴族達からの妃殿下への敵意が少しでも和らぐと考えた、或いは、障害者や奇形児が生まれる家である事は貴族社会ではよく知られた事実だったので、妃殿下との間に子を為す事はしない、という意思表示だった等の見解が出されているが、真相は不明である。



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7-9:ロタール・フォン・ファーレンハイト

 彼らベーネミュンデやローエングラム、グリューネワルト達のように、参謀や軍官僚、諜報員として活動する軍人達も多かったが、平定戦役で存在感を示したのは、占領地の治安を回復し、帝国領に組み込む事を主任務とした軍政家達だった。

 

 彼らは軍人ではあったが、行政官、ひいては政治家としての力量も求められた。彼らの中で、大物軍政家として特に著名なロタール・フォン・ファーレンハイトを取り上げたい。

 

 連邦首都テオリア出身。士官学校を優秀な成績で卒業すると、国防省に入省。軍官僚としてキャリアを積み、上官の推薦を得て、軍大学に入校、治安戦や占領地行政を専攻する。

 

 当時、連邦体制が弛緩して、辺境星域では半独立化した星系政府や軍閥化した連邦軍、大企業と契約する軍事会社(傭兵集団)や武装化したマフィアなどが対立抗争しており、ファーレンハイトは各星系の実情を分析、現実に即した占領政策案を作成し、それを卒業研究として発表したところ、軍大学生が1人で作ったとは思えない完成度が評判となり、当時、国防大臣だったルドルフ、同省次官シュタウフェンの目に止まるきっかけとなった。以降、ファーレンハイトはシュタウフェンの腹心、懐刀として、国防省及び統合作戦本部で要職を歴任していく。

 

 帝国建国後、軍務尚書シュタウフェン上級大将の下、同省人事局長に就任。シュタウフェン尚書を補佐して、帝国軍の再編事業を遂行していく。その過程で、統帥本部の事務担当次長ローエングラムとも協働する事が多くなり、統帥本部の組織構築にも関わるようになった結果、一時的に統帥本部編制局長も兼務している。

 

 帝国暦9年、トラーバッハ星域会戦で帝国軍が攻守連合軍を破ると、平定戦役が本格化。各星系で帝国地上軍と社会秩序維持局の治安維持部隊が敵対国家の支援を受けた共和主義勢力を駆逐、次々と皇帝直轄領に編入していった。占領地行政に精通するファーレンハイトは、総督府自体が敵対勢力だった最激戦地に乗り込み、総督代行として、治安回復と占領政策の陣頭指揮を執った。

 

 帝国軍により制圧されたとは言え、人民に擬態するゲリラやテロリストが無数に存在する星系での陣頭指揮は、ただテロの対象になりに行くようなもの、残敵掃討が終わるまで、より安全な軍管区司令部で指揮するべきですと、部下達は盛んに進言したが、ファーレンハイトは「たかだか私1人を殺して、我が帝国の優位が覆ると思っている愚者どもに付き合う暇など無い」と言い捨て、陣頭指揮を執り続けた。

 

 それは剛胆さの表れでもあっただろうが、たとえ高級軍人でも、臣下1人が死んだ程度で、主君ルドルフが共和主義勢力の鎮圧に手心を加えるような人物では無い事を知悉していたからでもあった。その意味で、ファーレンハイトは徹底した合理主義者であり、その為人は、攻守連合の盟主国・ポルックス人民共和国のロブコフ主席に相通ずるものがあった。

 

 帝国暦18年、軍務尚書シュタウフェン上級大将が引退すると、その後任となり、第2代の軍務尚書に就任。階級も大将に昇進している。前任者には及ばないが、十分に優秀な軍政家、軍官僚として、前任者の路線を受け継ぎ、誕生間もない帝国軍組織の拡充に尽力する。

 

 また、ノイエ・シュタウフェンを同省次官兼人事局長に据え、近い将来の尚書たるべき事を印象づけた。それは前任者の意思でもあったが、ファーレンハイト自身、シュタウフェン派の幹部として、ノイエ・シュタウフェンの大成を望んでもいた。当時の帝国軍では、ファーレンハイトを「尚書代行」「シュタウフェン家の執事」と揶揄する者もあったが、ある意味では正鵠を射ていたとも言える。事実、尚書職に就いた事で、伯爵位を下賜されたファーレンハイト家は、ノイエ・シュタウフェン公爵家の筆頭従家となっている。

 

 性格は厳格かつ謹厳実直そのもの。常に姿勢正しく、容儀には人一倍うるさく、発声は荘重なるバスと、軍人以外の職業が想像できないと評された。およそ人前で笑顔を見せるという事が無く、学芸尚書ランケは「化石化した表情筋の持ち主」と日記に記している。職務上、協力する事が多かった統帥本部の事務担当次長・ローエングラムとは同世代だったが、190㎝に届こうかという長身で厳めしい顔つきのファーレンハイトと、精々170㎝程度の身長と童顔の持ち主たるローエングラムが並ぶと、階級上は同格にも関わらず、どれほど贔屓目に見ても上官と部下、ともすれば親子にも見えたという。

 

 極めて規則正しい生活をしており、例えば登庁時刻は毎朝7時を厳守。軍務省の各部署はファーレンハイトの行動を見て、時間を察していたという。ある日、副官の手違いで迎えの車が遅れ、登庁時刻が10分ほど遅くなった事があったが、どの部署も時計の故障をまず疑ったと伝えられる。

 

 公人としては自他ともに厳しい為人だったが、私人としては地上軍総監ケッテラーに並ぶ愛妻家として有名。ファーレンハイトの夫人シャルロッテは夫よりも20歳以上年下、明朗快活にして可憐な美女、かつ見合い結婚ではないという事で、ファーレンハイトがどうやって夫人と知り合い、しかも求婚できたのか、口さがない者は帝国軍最大の謎だ、などと囃していたが、長子ユルゲンの証言によると、生家が隣同士で、シャルロッテの父親も連邦軍から帝国軍に移籍した軍人であり、シャルロッテが子供の頃から家族ぐるみの付き合いをしていた、シャルロッテの父親は攻守連合軍との戦闘で戦死したが、その遺言に、もし娘が望むなら、ファーレンハイトに嫁ぐように、あれほど信頼できる男性はいないから、と書かれていた、ファーレンハイトは、シャルロッテの事は嫌いではありませんが、年齢が離れすぎていますからと謝絶したが、ファーレンハイトが初恋の人だったシャルロッテは、むしろ好機とばかりに、遺言を盾に取って、結婚に漕ぎ着けたのだという。

 

 半ば強制的に結婚する事になったファーレンハイトだが、夫婦仲は円満で、息子2人と娘1人に恵まれた。長子ユルゲンは父の後を継いで帝国軍人となったが、軍官僚ではなく前線指揮官を志望。強堅帝ジギスムント1世の御代、拡大戦役には若手提督の1人として参加している。

 

 帝国暦42年、ファーレンハイトはルドルフ崩御に前後して死去。折しもノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが新皇帝の父にして帝国宰相に就任し、帝国の最大権力者になった陰で、ひっそりと世を去った事から、軍務省勤務のある武官貴族は「ファーレンハイトは、その人生の終焉まで、シュタウフェン家の影に徹した」と書き残している。

 

 これ以降、ファーレンハイト伯爵家は武官貴族の名家となり、優れた帝国軍人を輩出。また、帝国最大の権門、ノイエ・シュタウフェン公爵家の筆頭従家として、貴族社会でも重んじられた。

 

 喪心帝オトフリート1世の御代、権臣エックハルトとの権力闘争に敗れた同公爵家が領主貴族に転身すると、ファーレンハイト家も主家に従って、オーディンを去る決意をするが、当主ミヒャエルの弟マクシミリアンは、我が家は武官貴族の名家だ、ノイエ・シュタウフェン家の執事などではないと、単身オーディンに残留。エックハルトの専横を苦々しく見ていた、後の寛仁公フランツ・オットー大公に接近し、その腹心となる。

 

 同大公の策謀で、リスナー男爵がエックハルトを誅殺した際、マクシミリアンも同行。共にエックハルトを射殺しているが、その真の任務は、リスナーが土壇場で怖じ気づく、または裏切る事がないよう、監視する事だったとも言われている。

 

 この功績で、マクシミリアンは男爵位を与えられ、独自にファーレンハイト男爵家を立家する。後世、健軍帝フリードリヒ1世の御代、ノイエ・シュタウフェン公爵家が大逆罪との名目で廃絶されると、執事的存在だったファーレンハイト家もその運命を共にする。以降、マクシミリアンを家祖とする男爵家がファーレンハイト家の本家となる。

 

 同男爵家は中流の武官貴族として、帝国軍に奉職した。征軍帝コルネリアス1世の御代、当主マチアスは即位前からコルネリアスに仕える侍従武官だった縁で、同帝の大親征に参加。分艦隊司令官の1人として殿軍を務め、同盟軍の攻勢から帝国軍本体を守るという武勲を挙げる。この功績でマチアスは中将に昇進、爵位も子爵に上り、一個艦隊を指揮する提督となる。建国期を除けば、この時がファーレンハイト家の絶頂期だったのかもしれない。

 

 征軍帝に深く忠誠を誓うマチアスは、帝国暦372年、同帝が長子マンフレートによって軟禁され、帝位を簒奪された事を憎み、同帝の弟ゲオルグが起こしたクーデターに参加。ゲオルグはマンフレートを帝位簒奪者として弾劾、征軍帝の弟たる自分こそ正当な帝位継承者であると宣言し、帝国軍を動かしてオーディンを占領すると、新帝ゲオルグ1世として即位した。

 

 しかし、地球教に入信して、後世、狂信帝とも言われたマンフレート1世は地球教の縁を通じて、自身が設立を裁可したフェザーン自治領、ひいては同盟の力を借り、フェザーン警備艦隊の名目で同盟軍を帝国領に導き入れると、その力を以てオーディンを奪還する事に成功する。これが銀河帝国にとって忌むべき歴史とも言われた、シャンダルーア星域会戦である。

 

 この時、マチアスはゲオルグ派の帝国軍を率いて同盟軍と戦うが、麾下の艦隊が次々とマンフレート派に投降してしまい、衆寡敵せず、一族の主立った者と共に戦死する。会戦後、オーディンに帰還したマンフレート1世は、自身に逆らったファーレンハイト家を許さず、爵位は没収、戦死を免れた男子と女子供は、貴族身分の保持は許したが、悉く辺境域に流刑となった。貴族身分の保持を許したのも、決して温情からではなく、流刑地では数を恃んだ平民が貴族身分の者に暴行を加える事がよくあったので、それを期待しての事だったと言われる。

 

 この時、流刑地でファーレンハイト家の者達を保護したのが、共にゲオルグ帝に仕えたランズベルグ伯爵。ゲオルグ1世は即位後、酒色に溺れる暗君に堕したため、危機感を覚えた同伯爵アルフレッドは同帝を暗殺、その長子をゲオルグ2世として擁立、クーデター派の全権を掌握した。

 

 だが、ゲオルグ2世は父帝よりも理性的な人物で、マンフレート1世が同盟軍を援軍として招来した事を聞くと、本クーデターは失敗に終わると見切りをつけ、権臣ランズベルグ伯爵を密かに呼び、新無憂宮からの地下脱出路を建設せよ、余がその通路を通って脱出したら、卿の領地で死ぬまで匿って欲しい、その代わり、余の双子の弟を差し出す故、卿は弟を殺し、その遺体を余の死体に見せかけ、脱出路の存在を手土産として降伏せよ、余の死体と新無憂宮を労せずして手に入れれば、マンフレートも卿を粗略には扱うまいと勧誘。同帝と同じく、本クーデターの先行きを見限っていたランズベルグ伯もこの提案に乗った。結果的には全て、同帝の筋書き通りに運んでいる。

 

 マンフレート1世がオーディンに帰還すると、ランズベルグ伯は大逆罪と内応の功績を相殺され、一族の生命と財産は保障された。ランズベルグは、自己保全のためなら裏切りをも辞さない人物ではあったが、その罪悪感から僅かでも逃れたかったのか、共にゲオルグ帝に仕えて、今は没落した貴族達を密かに支援。流刑に処されたファーレンハイト家の人々もまた、ランズベルグ伯爵の手で、辛うじて露命を繋ぐ事が出来ている。

 

 これが縁で、ファーレンハイト家はランズベルグ伯爵家の従家となり、同伯爵家に仕える軍人となる。だが、帝国末期、放蕩者が数代続いた結果、伯爵家は没落。新たに台頭したブラウンシュヴァイク公爵家の一門となる事で、辛うじて家門を維持できる状態になってしまい、主家の援助を受けられなくなったファーレンハイト家は、自活の道を模索せざるを得なかった。

 

 最後の当主アーダルベルトは、ローエングラム朝4人目の元帥に叙された事で有名だが、同元帥が「食うために軍人になった」と公言していた事は、以上の背景があったという。そして、リップシュタット盟約軍に参加したのも、主家たるランズベルグ伯爵家からの招請を断る事が出来なかったためだった。本項は、故ファーレンハイト元帥の縁者からの聞き取り調査と、及びランズベルグ伯爵家伝来の史料に基づく事を明記しておく。

 

 なお、ゲオルグ1世・同2世は、正統な皇帝ではなく、偽帝だと断じられて、皇統譜には記載されていない。ランズベルグ伯が建設した地下脱出路は、帝国末期、開祖ラインハルト陛下が旧帝国の実権を掌握した後、廃帝エルヴィン・ヨーゼフ2世誘拐時に使用された事で、その存在が明らかになっている。

 推測だが、ゲオルグ帝の存在を抹消したいマンフレート1世の意向で、同帝に関する史料はほぼ廃棄されている。よって、脱出路の存在に関する情報も、ただランズベルグ伯爵家にのみ伝来し、公式記録からは失われたのではないかと思われる。



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7-10:ユルゲン・オファー・フォン・ブレンターノ

 最後に、帝国軍の思想統制で活躍した軍人を2名、紹介したい。前述の通り、発足時の帝国軍は、移籍した連邦軍と、ルドルフ派の民間軍事会社(傭兵集団)の寄り合い所帯だった。それを組織として確立したのが初代軍務尚書シュタウフェン上級大将、彼の腹心だったファーレンハイト大将らである。

 

 しかし、組織の形は出来ても、属する軍人や兵士達の心性まで、直ちに変える事は流石の能吏達でも不可能だった。軍隊を帝国の屋台骨の1つとし、手厚い待遇を与えていたルドルフは、多くの軍人達から支持され、また相応の忠誠も得ていたが、民主主義・共和主義を懐かしみ、密かに連邦時代への回帰を期待する者達は一定数、存在した。また、シリウスの支援を受けた共和主義勢力が浸透し、密かに思想戦を行っており、その影響も無視できなかった。

 

 ルドルフ、そしてシュタウフェン上級大将も、この現状を鑑み、帝国軍内の思想統制を図る事の重要性は強く認識していた。正規の軍人教育を受けた者には不得手な、この種の任務を遂行させるために、彼らが抜擢したのが、ユルゲン・オファー・フォン・ブレンターノ、アルフレッド・フォン・エッシェンバッハの両名である。

 

 ブレンターノは帝国軍の初代憲兵総監、憲兵隊の父と言える人物だ。連邦首都テオリアの中流家庭に生まれた彼は、弁護士だった父フランクの影響で、自身も法律関係の職業を志望。司法試験にも合格し、司法修習生として、弁護士への第一歩を踏み出していた。しかし、父フランクが、継続的なパワーハラスメントを受け、精神疾患を患った上に、それを理由に不当解雇されたと、勤務先の大手企業を訴えた某女性の弁護人を引き受けた事で、ブレンターノを取り巻く状況は一変した。

 

 当時、政府と癒着した大手企業は、法律を無視した富の収奪に狂奔しており、立場の弱い労働者は使い捨てにされるのが当たり前だった。正義感の強いフランクは、司法の場で事実を明らかにし、せめて世論を喚起しようと考えたのだが、腐敗は司法の場も例外ではなかった。

 

 被告側企業から贈賄された裁判官は、本件は証拠不十分として訴えを却下。原告側は被告の名誉を毀損したとして、逆に提訴される有様だった。これだけなら連邦末期の腐敗した司法の一風景だったが、被告側企業の経営陣はさらに非道だった事がブレンターノ家の不運だった。

 

 彼らはこれを見せしめとして、社員を統制する材料にしようと目論み、本件の内容をイエロージャーナリズムや、自社が広告出稿しているマスコミにリーク。それも、原告の女性が名誉毀損で逆提訴された事を針小棒大に取り上げて、裁判をネタに勤務先の企業を強請り、和解金の名目で金を巻き上げようとした犯罪者との濡れ衣を着せて、さらにはフランクも、犯罪者の片棒を担ぐ悪徳弁護士に仕立て上げた。

 

 リークされたメディアが企業側の言い分を鵜呑みにせず、裏付を取るための取材活動をしていたならば、彼らの主張が事実無根である事が判明しただろうが、腐敗はジャーナリズムにも当然及んでいた。

 

 事実などよりも、発行部数と視聴率、即ち売上高にしか興味がないイエロージャーナリズムは、広告費の名目で企業から示された金にも目が眩み、原告女性や弁護人たるフランクがさも卑劣な犯罪者であるかのように書き立てた。これは大手マスコミも同様で、広告出稿という糧道を抑えられた彼らは、進んで大企業の手先となって、事実無根の報道を垂れ流した。

 

 市民もまた、冤罪であるとの訴えに耳を貸す事はせず、日々の不平不満のはけ口として、この事を玩弄した。大手マスコミが報道したから、ただそれだけを免罪符に、コンピューターネットワーク上の言論空間で、原告女性やフランクの「非道」を口汚く罵った。

 

 世論のバッシングに耐えきれなくなった原告女性は自殺。それもまた、証拠隠滅のためにフランクが殺したのではないかと、全くの虚偽報道が流された。精神的に限界まで追い詰められたフランクは、ある日、取材という名目、実際は弾劾するために訪れた某ジャーナリストを発作的に殺害してしまう。殺人犯となったフランクは、市民から非難の集中砲火を浴び、世論を気にする連邦政府は司法に介入、死刑判決を下させると、異例の早さで執行してしまった。

 

 残されたブレンターノと母親は殺人犯の家族とのレッテルを貼られ、生計を営むための職も、住む家さえも奪われ、マフィアの斡旋する違法な職業に就くか、自ら犯罪に手を染めるか、或いは死を選ぶか、そこまで追い詰められたが、救い難い事に、彼ら母子の不幸はまだ終わらなかった。

 

 当時、富裕層を中心に、美容や身体能力の強化等を目的に、胎児の遺伝子操作をする例が横行。また甚だしきは、妊婦を人身売買または拉致して、その胎児に遺伝子操作を施す、さらには金銭や暴力等で支配した女性に、遺伝子操作した受精卵を着床させるなどの方法で、人為的な奇形児を作り出して、生きた性具として玩弄する例さえあった事は前述したが、被告側企業の経営者は、自身の異常性欲を満たすために、生きた性具たる奇形児を作らせ、毎夜弄んでいるとの噂がある、極めて悪名高い人物だった。

 

 ブレンターノの母の美貌に目を付けたこの人物は、母子に衣食住の保障を与える代わりに、母親から採取した卵子に精子を受精させ、その受精卵に遺伝子操作を施して母体に戻し、奇形児を産む代理母になる事を強要したという。

 

 宇宙暦304年、連邦首相ルドルフが遺伝病の治療以外の目的で、人間の遺伝子操作を禁じる法律を制定すると、この人物は同法違反で逮捕されて、家宅捜索の結果、ブレンターノの母親以外にも、同様の目にあっていた女性が多数発見されている。この時、ブレンターノの母は過度の妊娠出産で既に廃人と化しており、程なく死亡している。

 余談ながら、この人物が経営していた企業は、前年にルドルフが打ち出した主要企業の国営化に反対していたが、この醜聞が明らかになると、世論の激烈な非難に晒された。保釈された経営者とその家族らは過激な国家主義団体の手で虐殺され、その一部始終がコンピューターネットワーク上で公開されている。

 

 以上の内容は、当時の報道と政府発表、また警察省や法務省に残されていた資料に基づく。ブレンターノ自身は、父親の死以降、どこでどう暮らしていたのか、死去するまで一言も語る事は無かった。彼が世に出るのは、宇宙暦309年頃、ルドルフが終身執政官に就任した後、連邦軍所属の憲兵大尉としてだった。

 

 当時、民意に縛られない、非民主的権力者への道を模索していたルドルフは、自身に批判的、また距離がある政治家たちを失脚させるべく、与党内部の粛清活動を実施。彼らの弱みを握り、政界引退に追い込む、あるいは事故死、突然死に見せかけての殺害まで行っていたと見られるが、その実行部隊の一員として、ブレンターノの名が出てくる。

 なお、当時の彼の名はアルフォンソ・ガルシア。帝国建国後、子爵位とブレンターノの姓を下賜された際、ユルゲン・オファーと改名しているが、本書ではブレンターノで統一する。

 

 ブレンターノが連邦軍の憲兵になった経緯は不明だが、敢えて推測するならば、当時の連邦政府には、世論のバッシングを受ける犯罪者家族の戸籍を変更し、就職先を斡旋する救済制度があった。その就職先として連邦軍が、それも正規のルートで任官した連邦軍人が忌避する憲兵隊が指定されていたという。ブレンターノは本制度の適用を受けて、連邦軍の憲兵になったのではないかと思われる。

 

 確かな事実は、憲兵としてのブレンターノが極めて有能だった事だ。弁護士だった父の血が為せる業なのか、軍規と判例を悉く諳んじ、一切の遠慮なく、軍隊内の非行を取り締まった。また前述の通り、治安維持の名目でルドルフの政敵を失脚させ、或いは暗殺するなど、ルドルフの「私兵」としても活動した。

 

 連邦政府と大企業により、父を殺され、母を犯され、自身も地獄同然の苦しみを味わったブレンターノには、自らを地獄から救い上げてくれただけではなく、父母の仇とも言うべき連邦政府の悪徳を一掃して、大企業を弾圧するルドルフは、正義を執行する大神オーディンの化身と見えたのだろう。ブレンターノは生涯、ルドルフに絶対の忠誠を捧げたが、それは宗教の教祖を盲信する信者の如き有様だったと言われている。

 

 帝国が建国されると、それまでの功績を評価され、帝国軍の初代憲兵総監に抜擢される。当時、ブレンターノは未だ30歳代で、あまりに若すぎると軍内部から異論が上がったが、初代軍務尚書シュタウフェン上級大将は「この任務に必要なのは経験ではない。陛下に絶対の忠誠を捧げているか、かつ皇帝専制という政体を絶対の正義と心底から信じているかだ。この2点において、ブレンターノ以上の適役はいない」と断言。結果として、その言葉は正しかった。帝国軍内の思想統制を徹底するという一点において。

 

 総監就任後、自身と同じく連邦軍憲兵隊から移籍した者の中でも、特に信任する者達を選抜して、総監直属のチームを編成すると、まず憲兵隊内の綱紀粛正に着手した。連邦末期、積極的にルドルフを支持しなかった、他の政府高官と交流があった憲兵の身辺捜査を実施、少しでも疑わしい点があれば、陛下に異心を持つ不逞の輩として、追放または処刑した。

 

 こうして憲兵隊の「消毒」を済ませると、軍内部の捜査に乗り出した。民主主義や共和主義を密かに信奉して、皇帝専制に批判的な人物、またルドルフを独裁者として嫌悪する人物と断定された者への尋問は凄まじく、かつて地球上を席巻した大宗教・キリスト教の負の側面、異端審問を髣髴とさせたという。

 

 さらに、平定戦役が開始されると、ブレンターノは憲兵隊を占領地に派遣し、治安回復の名目で共和主義者の弾圧、逮捕に狂奔した。そのため、現場レベルでは、社会秩序維持局の治安維持部隊や治安警察と衝突する事が多く、内務尚書ファルストロングは再々、軍務尚書シュタウフェン上級大将に抗議している。旧帝国史上、憲兵隊と、内務省管轄下の社会秩序維持局と治安警察が対立関係にあった事は周知の事実だが、その淵源は平定戦役における主導権争いに端を発している。

 

 私人としてのエピソードは皆無で、功績によって子爵位が下賜された後、貴族の責務として、結婚して後継者を儲けるようにと言われた際も、主君ルドルフに対し「陛下がお決め下さった女と結婚致します」と答え、ただ義務感のみで妻を迎え、男子を儲けている。ことさら妻子を虐待する事は無かったが、全く興味が持てなかったのだろう、後継者となった長子オイゲンは「父が死去するまで、親子らしい会話をした事はない」と証言している。

 

 人間の悪意と無責任により、地獄の苦しみを味わったブレンターノは、人間全てを憎悪していた、少なくとも愛する事はもう出来なかったのだろう。唯一の例外がルドルフだった。彼にとってルドルフは人間以上の存在、まさしく現人神だった。

 

 後述するエッシェンバッハもそうだが、帝国の建国に参画した者達の中には、権勢欲や使命感ではなく、連邦末期の衆愚政治と貧富の格差に苦しめられ、その生存を脅かされ、人間としての尊厳さえも奪われた事への怒りを動機として、連邦体制への復讐、自身の尊厳回復のために、熱烈にルドルフを賛美して、皇帝専制を支持した者達が少なくない。

 彼らの思いを単なる私怨と否定する事は簡単だが、皇帝専制と貴族制度によって苦しめられ、自身の尊厳を奪われたと感じた者達がそれを取り戻すために戦う事は、人民の正当な抵抗権だと是認されるのならば、民主主義と自由経済によって苦しめられて、自身の尊厳を奪われたと感じた者達が民意と自由を否定する独裁者を支持し、その人物のために戦う事は、ただ否定されるだけなのだろうか?

 

 閑話休題。ルドルフの御代、一貫して憲兵総監の地位にあったブレンターノは、憲兵隊の組織を確立しただけではなく、長年の憲兵経験を踏まえて、治安維持や防諜、対テロ戦に関するマニュアルを作成。極めて完成度が高い同マニュアルは、帝国末期まで、憲兵隊の新人研修用テキストや業務手順書として活用されている。

 

 その反面、ルドルフを現人神、正に神君として絶対視したブレンターノの姿勢は、憲兵隊のDNAとして受け継がれたのか、帝国末期に至るまで、憲兵隊は帝国軍内において、ともすれば時の皇帝よりもルドルフを優先、その業績や発言を基に、密かな皇帝批判も辞さない組織だった。

 これは、内務省管轄下の社会秩序維持局が時の皇帝の意向を汲み、皇帝直属の秘密警察的な役割も果たすようになった事とは対照的で、この事もまた、憲兵隊と社会秩序維持局との対立に拍車をかけた。

 尤も、時代が下って、憲兵隊の中にも腐敗と汚職の影が忍び寄ってくると、ルドルフへの崇敬を名目に、大帝陛下の像に敬礼しなかった、各家庭に必ず1枚は保管されている大帝陛下の肖像画を汚した、などの難癖をつけ、臣民から金品を強請るなど、泉下のブレンターノが知れば極刑に処したであろう不心得者も多数あらわれたが。

 

 帝国暦42年、ルドルフが崩御すると、その後を追う様にブレンターノも死去。公式記録には病死とあるが、一説には覚悟の殉死とも言われている。

 

 以降、ブレンターノ家は憲兵隊を基盤とする武官貴族となったが、時の政権とは積極的に関わりを持とうとせず、社会秩序維持局を重用する皇帝に対しては、半ば公然と批判する事もあったので、同局を用いて富裕な貴族を逮捕、財産没収に狂奔した痴愚帝ジギスムント2世の御代、不敬罪との名目で爵位と財産を没収、族滅されている。その後、憲兵隊で出世した帝国軍人に対して、恩賞として与えられる家名となり、建国期に立家した歴史ある貴族家にも関わらず、貴族社会の中では、決して重んじられる家名では無かった。  

 

 なお余談ながら、旧帝国の憲兵隊の気風を良く示す人物として、残暴帝ウィルヘルム1世の御代、憲兵総監を務めたバルトルト・フォン・ハーゼを紹介したい。

 

 同帝は、ルドルフ原理主義を鼓吹した暴君として有名だが、ハーゼは「叛徒ども(同盟)は鏖殺すべし。恐れ多くも大帝陛下は、共和主義者どもを誅殺あそばし、帝国の基を固められたのだ。その輝かしき先例に倣うべし」という同帝の方針に深く賛同。自ら憲兵隊を率いて、遠征軍に参加、占領地で治安回復の名の下に、同盟人を逮捕、虐殺している。憲兵総監の職責を大きく逸脱している事に、軍内では強い批判が上がったが、同帝はむしろ嘉賞し、ブレンターノ家を継承させ、爵位も子爵から伯爵に陞爵させている。

 だが、帝国暦410年、同帝の弟の子が寧辺帝コルネリアス2世として即位すると、同盟領への侵攻を中止し、防衛戦を主とする寧辺帝の方針に失望して、半ば公然と皇帝批判を繰り返した結果、現役の高級軍人でありながら、同帝の意を受けた社会秩序維持局の手で秘密裏に逮捕、処刑されたと伝えられる。



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7-11:アルフレッド・フォン・エッシェンバッハ

 最後に、ブレンターノと同様、ルドルフを現人神、神君と崇め、皇帝専制のイデオローグでもあった、アルフレッド・フォン・エッシェンバッハを取り上げたい。

 

 彼は軍務省政治局で初代局長を長く務め、軍内外で民主主義、自由主義が如何に誤った思想であるか、皇帝専制がどれほど正しく、効率的かつ透明性の高い政体であるかを宣布すると共に、軍内部の思想犯罪の摘発と思想統制に当たった。彼が帝国軍人として異色なのは、連邦時代は軍とは全く関わりがなく、国立テオリア大学法学部に籍を置く、少壮の政治学者だった事だ。

 

 連邦首都テオリア生まれ。父親は小さな建設会社に勤務する技術者だったが、エッシェンバッハが少年の頃、現場で起こった足場の崩落事故に巻き込まれて、重度の障害者となってしまう。

 警察の現場検証の結果、本事故は、会社側が安全基準を満たしていない粗悪な建材を使った事による人災と結論づけられ、会社経営者に対し、事故被害者への賠償金支払い命令が裁判所より出されているが、事故の影響で業績が悪化し、資金繰りに窮した経営者は失踪。結局、エッシェンバッハの父親には、労災補償として僅かな金が支払われただけだった。

 

 収入が途絶えて、日々の食費にさえ事欠くようになったため、父親は自治体に生活保護を申請。しかし当時、財政難のために福祉支出を圧縮したい連邦福祉保健省から、各自治体に対して、特段の理由が無い限り、新規の生活保護受給は認めてはならない旨、通達されていた。

 申請を受けた自治体の担当者も、家計が同一な成人女性(母親)が存在するので認められないと却下。父親は妻は病弱で長時間労働の職業に就く事が困難なのです、このままでは家族全員、餓死してしまうと懇願したが、担当者は「これは選挙で選ばれた政治家が正当な手続きに則って決定した事なのです。即ち、貴方がた市民が決めた事、民意により決まった事です。それを受け入れるのが市民の責務です。つまりね、貴方がたが生きていけないというなら、死ねというのが民意なんですよ」と、劣等者を見る目で吐き捨てた、と云う。

 

 公的福祉からも排除された一家は、マフィアが斡旋する違法な職業に就くしかなかった。母親は売春婦に身を堕とし、屈辱感と羞恥心を紛らわせるため、マフィアから勧められるままに、合成麻薬に手を出した。父親は妻を売るしかなかった自身を蔑み、無力感と劣等感を誤魔化すため、アルコール依存症に陥った。崩壊した家庭の中で、幼いエッシェンバッハは独り、自分達を侮蔑し、ただ死ねと宣告した民意という存在への憎悪を滾らせていった、と云う。

 

 幸い、エッシェンバッハが通学していた初等学校の担任教師が親切な性格だった事、その教師の父親が自治体議会で議員を務めていた事で、両親は依存症患者専用の病院へ、本人は養護施設へと入る事が出来た。しかし、心身ともにボロボロだった両親は相次いで死亡。養護施設も財政難の影響で、日々の衣食住にも事欠き、僅かな食物を奪い合って、子供同士の喧嘩や虐めは日常茶飯事、栄養失調で衰弱死する子供も少なくなかった。

 

 空腹で倒れそうになる身体を必死に支え、エッシェンバッハはただ憎悪だけを糧に猛勉強した。いつか必ず、この生き地獄から抜け出すと、そして、自分や父母に死ねと言った民意を足蹴に出来るくらい偉くなるのだと、ただそれだけを考えていた、と云う。

 

 猛勉強の成果と天性の才能の故か、エッシェンバッハは13~15歳の時、首都テオリアにある中等学校共通の学力審査テストで、3年連続、首位を達成。養護施設を管掌する福祉保健省は、同省の福祉制度により、孤児も十分な教育を受けている事を世論にアピールすれば、予算確保の良い材料になると、大々的にマスコミを集め、同省大臣が直々に表彰。さらには、エッシェンバッハを特別奨学生として、大学卒業までの学費と生活費を支給すると発表した。

 同省は生活保護制度を管掌する役所でもあり、父母に生活保護を与えず、死に追いやったのと同じ連中が、今は自分を褒め称えて、恩着せがましく金をやると云う。エッシェンバッハは「今までの人生で、あれほど反吐が出る思いをした事はなかった」と云う。

 

 上記の内容は、エッシェンバッハが後年著した半生記の記述に基づく。当人の感情は兎も角、彼が貧困家庭に生まれ、幼くして父母と死別し、孤児として育った事、高い学力を認められ、福祉保健省の特別奨学生に選ばれて、大学進学を果たした事は事実のようだ。

 

 ここからは彼の半生記ではなく、公的な記録、または当時の報道等により、その活動を描いていきたい。18歳になったエッシェンバッハは、後見人を務めた福祉保健省職員の勧めで、連邦首都テオリアにある国立自治大学の法学部に入学。同校は卒業後、政府または自治体の職員、公立学校の教員になれば、学費を返還されるという公務員養成学校で、支給した奨学金を一部でも回収しようとする同省の意図が透けて見えるが、早く独立したいエッシェンバッハにとり、大した問題ではなかった。

 

 在学中は、連邦の国是たる民主主義と自由主義を否定するため、古今の哲学書・思想書を読破。その過程で、市民派を称する一部の経済学者が提唱した「人間主義経済」に出会う。人間主義経済に関しては既述しているが、本節の理解を助けるため、以下に再掲する。

 

「…連邦で主流だった思想はリバタニアニズムだったが、…一部の経済学者らは、過度な自由の尊重が弱肉強食の過酷な社会を生み出した、経済主体がモラルを捨て去り、略奪的な営利行為を続けた結果、市民生活が破壊され、人間存在は毀損されていると主張。市場万能の立場を取る自由経済を批判して、政治的主体たる市民、その集合たる国家が市場の暴走を制御できる統制経済が望ましいのだ、という経済思想を提唱した。…彼ら市民派は、自らの思想を「人間主義経済」または「倫理経済」と称し(た)」

 

 エッシェンバッハが独創的だったのは、この経済思想を政治思想に転化した点にある。以下、やや長いが、彼の著作から引用したい。

 

「…経済にとっての市場は、政治にとっては社会だ。その中で、各経済(政治)主体の利害得失が衝突し、その過程で、一定の秩序が生まれる事が期待されている。

 

 だが、こと経済に関して言えば、自由主義の美名の下、各経済主体が自由放任されると、各人は自己の欲望に従い、秩序なき富の収奪に狂奔する。これは、銀河連邦の惨状から証明可能な事実である。過度な自由の尊重は弱肉強食の過酷な世界を生み出すと断じざるを得ない。その原因は、自由を与えられた人間の行動原理は理性では無く、欲望だという事実、そして、各経済主体が持つ経済的力量の非対称性にある。

 

 各経済主体が欲望を行動原理とするならば、彼らが市場で秩序を遵守するのは、自己の欲望充足に資する場合に限られる。換言すれば、秩序の存在が欲望充足を阻害するならば、彼らが秩序を遵守する積極的な理由は存在しない。さらに、自己が有する経済的力量が他者を優越するならば、欲望の充足を行動原理とする以上、自己より劣位にある他者を尊重する合理的な理由は存在しない。

 

 この点を踏まえて、市民派経済学者は、政治的主体たる市民、その集合たる国家が市場を統御できる統制経済の正当性を主張し、それを人間主義経済と称している。筆者も彼らの主張を是とするが、それと同時に、彼らが看過している事実を指摘せざるを得ない。それは、政治的主体として措定されている市民とは、同時に経済主体でもあるという現実、さらに、政治的主体たる市民が理性的存在だというあり得ざる仮想、率直に言えば謬見を無自覚的に前提としている事だ。

 

 人権思想、主権在民、個と多様性の尊重、これらは地球時代に生まれた近代民主主義の基調となる思想だが、これらの思想もまた、人間は理性的存在だという謬見を前提としている。

 

 既に指摘している通り、人間は理性では無く、欲望を行動原理とする存在だ。繰り返すが、それは、銀河連邦の惨状から証明可能なのである。よって、政治的主体を市民とし、その集合たる国家を市場統制の主体と措定する事は、畢竟、欲望を行動原理とする経済主体の手に市場を委ねている現状と、何ら変わりは無いのである。

 

 そして、これは市場のみならず、社会的秩序の形成においても妥当性を有する。銀河連邦の政治・社会状況を見よ。民主政治は衆愚政治へと堕し、民意はただ我欲の充足を訴えるだけの叫喚と化し、強者のみが正当化され、弱者は存在自体が悪と見なされ、社会から秩序と倫理は消失した。

 

 筆者は、市場を統制し、自由を抑制する事を求める人間主義経済の理念は肯定するが、その統制の主体として市民、その集合たる国家を無批判に措定する事を否定する。

 

 統治行為の本質が、人が人を支配するという現象にある以上、政治主体は人間とせざるを得ない事は認める。だが、その人間とは、決してあらゆる人間ではない。彼は欲望を超克して、倫理を行動原理とできる、克己心と理性の所有者でなければならない。彼は自己の内なる理性と倫理に従って行動できる、勇気の持ち主でなければならない。彼は民意によって選ばれても、民意に隷属してはならない。彼はその輝かしい精神性と卓越した力量により、万民から讃仰される存在でなければならない。彼は、万民の第一人者、即ち「プリンケプス」と呼ばれるだろう」

 

 エッシェンバッハの著作は、当時のアカデミズムでは「学術書の体裁を取った宗教書」と酷評されたが、神秘主義が横行し、英雄待望論が高まりつつあった連邦末期の社会では、むしろ好意的に受け止められた。

 

 大学卒業後、テオリアのある公立学校に勤務する教師となった彼は、教鞭を取る傍ら、連邦社会の現状を批判する論考を発表し続けた。

 

 転機となったのは、彼の論考が連邦首相ルドルフの私的ブレーンの1人で、後に初代学芸尚書となった、当時は国立テオリア大学社会学部長を務めていたランケの目に留まった事。自身の学説と相通じる内容であり、民主主義と自由主義への強烈な批判を繰り返すエッシェンバッハに興味を持ったランケは、彼を大学に招待し、直接面談している。

 その席上、彼の知性の鋭さと民意への憎悪、市民が自ら統治する民主主義よりも、優れた人物が衆愚を統治する専制主義を是とする思考を見て取ったランケは、これはルドルフのブレーンになるべき人材だと感じたのだろう、彼を首相官邸に伴い、ルドルフに面会させている。

 

 もともと、エッシェンバッハ自身も、強いリーダーシップを発揮して、連邦社会の腐敗と悪徳を一掃、強権的な政治を断行する首相ルドルフは、自らが求める「プリンケプス」ではないだろうかと考えていたようだ。

 面会後、ルドルフのカリスマ性の虜となったエッシェンバッハは、ルドルフこそ崩壊しつつある人類社会の救世主、奇跡の存在だと確信。その後、ランケの招きに応じて、テオリア大学法学部に籍を置く政治学者となったエッシェンバッハは、ルドルフが終身執政官、帝国皇帝を志向する過程で、それを正当化する論考を多数、執筆したほか、各種メディアにも露出、その熱狂的な語り口で、ルドルフの権力掌握こそが人類社会再生のため、絶対に必要だとの主張を繰り返した。

 彼には扇動家としての才能もあったのだろう、演説と映像、音楽をも駆使した彼の講演会は、地球時代に現れた独裁者の演説や宗教者の法話を彷彿とさせるとして、知識人には批判されたが、その狂熱と一体感は、閉塞した社会状況に倦厭しきっていた一般大衆を興奮させた。

 

 宇宙歴310年、終身執政官ルドルフを帝国皇帝へと移行させる法案「政治状況の永続的安定を実現するための制度改正案」の是非を問う国民投票で、賛成派のイデオローグとして、反対派を論駁する論文を執筆。この内容を宣布するべく、銀河連邦全土を講演して回った。後世、彼の論文と講演活動が同案を賛成多数に導いた原動力の1つになったと評価されている。

 

 帝国建国後、当時は寄り合い所帯に過ぎなかった帝国軍の思想統制を図るため、民主主義や自由主義に対し、皇帝専制の思想的優位性を説き、特に兵士への思想教育を遂行できる人材を求めた軍務尚書シュタウフェン上級大将は、建国前から皇帝専制のイデオローグだったエッシェンバッハを招聘、同省に政治局を設けて、その初代局長たる事を希望した。軍人経験が無いエッシェンバッハだったが、主君ルドルフ、恩人たるランケからも求められた事で、帝国軍人への転身を決意した。

 

 政治局は、軍内部で民主主義や共和主義を鼓吹、宣布する思想犯罪の摘発と軍内の思想統制を担当する部署だったが、その職務は憲兵隊と重複する面が多く、初代局長たるエッシェンバッハに軍人経験が無く、軍内に人脈も持たなかった事で、次第に実務権限は憲兵総監ブレンターノが掌握するようになった。

 帝国の支配が安定すると、政治局が貴族子弟の経歴に箔付けするための閑職と化し、憲兵隊が思想統制の実務を担うようになったのは、実にこの時代に端を発する。

 

 エッシェンバッハ自身は、軍人としての出世や権力闘争に興味は無かったようだ。両親を死に追いやり、自身を苦しめた民意を重んじる民主主義、この誤った思想を帝国軍内から、ひいては帝国内から根絶する事が自らの責務と考えていた。

 

 民主主義の非効率性と衆愚政治へと堕してしまう危険性を訴え、人格識見ともに優れた人物が主権者となって統治する皇帝専制の効率性と透明性を鼓吹する小冊子を作成して、軍の各部隊に配布。兵士を対象とする思想教育の教材を調え、また思想教育の教官が務まるように政治局員を自ら教育、各部隊に派遣し、定期的に教材の内容を講義させた。この他、憲兵隊や社会秩序維持局からの依頼に応じて、逮捕された民主主義者への思想矯正も行った。

 当時、エッシェンバッハが作成した小冊子等は、その簡明さと内容の充実度から、帝国軍のみならず、社会秩序維持局や内務省風紀局など、思想犯罪や思想宣布を担当する部署で、職員教育用の教本として長らく使用されているほか、各地の町役場に併設された図書館には所蔵が義務付けられていた。

 

 また、民主主義や自由主義を徹底的に論駁し、存在自体を否定するためには、この思想について、より多くの知識と情報が必要だとの考えから、民主主義を奉じる敵対勢力の支配地を帝国軍が制圧すると、社会秩序維持局の治安維持部隊や憲兵隊に政治局員を同行させて、現地に残る思想書等を収集し、研究材料として持ち帰らせている。

 これらの書物は政治局で研究、分析されて、皇帝専制の思想的優位性を立証するための資料の作成に活用されたが、その後も廃棄されずに、誤った思想の見本、後世への反面教師として残された結果、旧帝国の滅亡時まで、民主主義に関する思想書が帝国内に残ったのは、真に皮肉だと言わざるを得ない。

 

 エッシェンバッハの業績は、その性質上、効果が目に見えるものではなかったが、政治制度としては地球時代に消滅した皇帝専制という制度に再度、思想的バックボーンを与え、皇帝という存在の正当性を鼓吹した事は、現在的視点からすると、後世に少なからぬ影響を与えている。

 

 その一例が、旧帝国史上、暴君・暗君と評される皇帝にも、身命を賭して忠誠を捧げた臣下が一定数、存在した事だろう。個人の魅力やカリスマ性を超えて、皇帝という存在それ自体に、自己の生命に匹敵する価値を見出す人物が生まれている事は、明らかに思想教育の賜物であり、それはまさに、エッシェンバッハが建国前から蒔いていた種が芽吹き、花開いた事に他ならない。それを教育というか、洗脳というかは、各人が有する価値観に左右されるだろうが。

 

 閑話休題。少なくとも主君ルドルフは、エッシェンバッハの業績を高く評価していた。帝国暦42年、ルドルフは崩御の際、後継者ジギスムントにいくつかの遺言を残しているが、その中で「政治局長エッシェンバッハは帝国の良臣である。彼が公職を退く時は、これまでの働きを嘉し、厚く遇するように」と、わざわざ言及している。尚書でもない一臣下に対して、皇帝が遺言中で触れるのは極めて異例で、即位後のジギスムントから、この事を聞かされたエッシェンバッハは感激のあまり、皇帝の御前にも関わらず、人目を憚らず号泣したという。なお、この遺言に基づき、エッシェンバッハは政治局長を退任した際、特に伯爵位が下賜されている。

 

 帝国暦52年、主君ルドルフに遅れる事10年、老衰のため死去。扇動者、思想宣布者として、敢えて熱狂的な態度を見せる事もあったが、私人としては静謐を好み、公職引退後は、帝都オーディンの一角に下賜された保養地に隠棲、孤児達を集めて勉強を教える事を楽しみとしていた。

 

 余談ながら、エッシェンバッハ家は後世、公的な福祉制度が廃止された旧帝国の中で、孤児院や無償で学べる初等学校の設立、運営など、児童福祉に尽力する貴族家として有名になるが、それは、家祖アルフレッドが残した遺言「子は国の宝だ。我が家が存続する限り、特に孤児の保護と育成に意を用いるべし」に基づくという。

 

 彼自身が幼くして父母と死別して、誰よりも孤児の辛さと寂しさを理解していたからこその遺言だったのだろう。後世、皇帝専制を正当化した思想家として、同盟では民主主義の敵として唾棄、罵倒されるが、彼の優しい為人に思いを馳せると、筆者個人としては、民主主義の負の側面ともいうべき、数の暴力の犠牲者だったのではないか、との思いを禁じ得ない。

 

 以降、エッシェンバッハ家は帝国軍人を家祖に持つ貴族家でありながら、軍内に基盤を持てず、政治局も憲兵隊に実務権限を奪われてしまった結果、帝国の統治が安定した享楽帝リヒャルト1世の御代、文官貴族に転身。内務省の社会秩序維持局や風紀局に勤める官僚を輩出する家となる。

 なお、同家の転身に伴って、民主主義等に関する思想書が多数、政治局から社会秩序維持局に移管されたと見られるが、現時点では詳細は不明。

 

 文官貴族に転身後、同家は政治的には無力に近かったが、前述の通り、児童福祉に注力する貴族として、貴族社会の中では有名だった。民政に意を用いる皇帝や皇后が在位している時は、その姿勢を嘉賞され、幾度か恩賞に預かっている。

 

 しかし、同盟との戦争が激化するにつれ、帝国内には軍国主義的な風潮が高まり、むき出しの暴力や武力が横行するようになった。帝国暦399年、暴君として名高い残暴帝ウィルヘルム1世が即位すると、生きる力が無い者は滅びるべし、皇帝と帝国の役に立たない者を生かしておく必要も無い、それこそが大帝陛下の御遺志である、と宣言。エッシェンバッハ家は他の貴族への見せしめのため、皇帝の意に叛く不忠の臣だと、爵位と財産は没収、当主エドヴァルド以下、一族全員が処刑されている。

 皇帝ルドルフの正当性を鼓吹した同家が、同じルドルフの遺志を名目に族滅された事は、まさに歴史の皮肉というしかない。



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第10章 ルドルフ神格化の意味~自己神格化の「真相」
第1節 宇宙時代の社会精神史概説①~13日戦争から地球統一政府まで


 ルドルフの治世末期、帝国暦30年代に入ると、彼ら帝国軍人の活躍で、シリウス・攻守連合・経済共同体らの敵対勢力は弱体化し、銀河帝国が人類社会を統治する唯一の超大国になる事は、ほぼ確定した。

 また、多くの臣民は政治的権利を失い、経済的な自由も抑制されたが、その反面、行政・経済体制の整備が進み、配給制度の施行、安価な公営住宅の整備、そして職業の家業化による雇用確保と、最低限の衣食住は確保されてきた。このため、連邦末期に貧富の格差に苦しめられた低所得者層は、その多くが帝国の支配を受け入れていった。

 

 彼ら臣民の中には、帝国の統治を消極的に受容するのではなく、積極的に受け入れた者達も少なくなかった。彼らは、初代憲兵総監ブレンターノや同政治局長エッシェンバッハの様に、連邦の衆愚政治と経済格差により、家族を失い、尊厳を傷つけられ、自身の生存さえも脅かされた経験の持ち主だった。彼らにとり、自分達を生き地獄さながらの苦境から救ってくれたルドルフは、まさに救世主だった。彼らの中から、皇帝ルドルフを現人神、神君と崇め、信仰の対象とする者達が現れたのは、連邦末期から続く神秘思想の横行、また英雄待望論の高まりからして、ある意味では当然だっただろう。

 

 後世、暴君ルドルフのメルクマールともいわれる自己神格化だが、新史料を研究、分析していくと、通説とは異なり、ルドルフ自身が積極的に自己神格化を希求したのではなく、彼ら「ルドルフ信者」の要請に応えざるを得なかった面があった事が分かってきた。本章ではルドルフ神格化の意味、その前提たる13日戦争以降の宗教観について、概説していきたい。

 

 13日戦争以前の西暦時代、宗教が政治や社会に与える影響は非常に大きいものがあったが、戦後、その状況は一変する。

 

 同戦争はまさに、既存の大宗教が語る最終戦争(ハルマゲドン)そのものだったが、神の降臨も救済も起こる事はなく、核戦争を生き残った人々は、神への期待を失い、自らの手で人類を救うしか無かった。

 

 一部の教団は、あの13日戦争を生き残る事が出来たのは、我々が信仰する神の御力によるものだとして、教団への帰依を求め、我々の神を信仰しない者は邪悪なる異教徒だと、聖戦という名の虐殺と侵略を開始したが、それは放射能汚染を免れた、限られた土地と資源を奪取するための口実に過ぎなかった。

 これらの教団は、宗教組織の体裁を借りた事実上の小国家で、北米大陸を中心に教団国家群を建設したが、13日戦争後の戦乱が収束し、地球統一政府が成立するまでの約90年、聖戦という名の仮借なき対立抗争を繰り返して、地球人口が約10億人まで激減した大きな要因となった。

 

 この結果、人類は既存宗教への信頼感を完全に喪失、宗教とは人類を破滅に追いやる狂気だと見なされ、地球統一政府を設立したのは、宗教に対して否定的な左派政党が中心だった。

 また、統一政府統治下の人類社会が力強く復活を遂げ、本格的な宇宙時代を迎えた事も、人間固有の理性と知性への信頼感を醸成する事につながった。数少ない当時の記録によると、宗教家とは詐欺師の別名、信仰心とは心の病、と見なす風潮さえあったと云う。

 

 しかし、人間が暗闇に本能的な恐怖を感じるように、生物としての人間が本能的に持つ、超自然的なものへの畏怖、畏敬の念が消える事は無かった。遙か古代より、人類は大地や海洋、大空といった地球の姿、また太陽、月などの天体に対し、神性や霊性を感じる自然崇拝的感覚を有していたが、宇宙時代を迎えると、大宇宙がその対象となっていった。それは人類史上最大の自然崇拝だっただろう。

 

 西暦2300年代頃から、死体を宇宙空間に射出する「宇宙葬」が一般的になっている。それ以前からも、宇宙船内で死亡した人間を冷凍カプセルに入れ、宇宙空間に流す事はあったが、それはあくまで衛生上の観点から行われた緊急的措置に過ぎなかった。

 対して、この時代に一般化された宇宙葬では、例え惑星上で死亡した場合でも、死体を簡易ロケットに乗せ、大気圏外に射出する形が取られている。

 

 また、この頃に発行された書籍等を見ると、超自然的な世界、人間が産まれ還っていく場所を表す際に、宇宙を示す言葉「ユニバース」や「コスモス」が使われるようになっている。現在の語感では、ヴァルハラが最も近いだろう。葬祭儀礼でも、主宰者(聖職者ではない。故人の近親者や親しい友人等が務める葬儀の進行役)が「○○(故人)の御霊よ、ユニバースの御手に還れ」などと呼びかける例が見られる。

 ただし、ユニバースやコスモスを信仰の対象とする宗教や教団の存在は確認されておらず、生活上の宗教的儀礼の範囲を出ていなかったと推測される。



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第2節 宇宙時代の社会精神史概説②~地球と各植民星の対立からシリウス戦役まで

 西暦2700年代に入ると、地球統一政府は宇宙軍の武力と数の論理を背景に、各植民星を経済的に支配、植民星住民の労働の成果を搾取するようになった。地球の横暴に反発する植民星住民は、我々宇宙生まれの民と地球人との間に格差などない、人類は全てユニバースから産まれた存在なのだと主張。自分達が求める地球と植民星の平等と公平を肯定する思想として、ユニバースやコスモスの概念を使用するようになった。

 

 この頃、植民星の中には、生活苦に悩む住民同士が連帯する相互扶助組織が生まれているが、それらの大多数がユニバースやコスモスの名を冠しており、その組織の一部はユニバースを信仰の対象とする教団へと変化している。ここに、大宇宙は人類の素朴な自然崇拝の対象から、明確に宗教的概念へと変化したと言えるだろう。

 

 この植民星の動きに対して、地球統一政府は対抗措置を取る。地球人の中にもユニバースへの畏敬の念を持つ者は多く、彼らがユニバース思想を紐帯として、植民星住民と連帯する可能性を恐れた政府当局者は、思想的にユニバースに対抗、凌駕できる概念を求めた。それが地球という惑星そのものだった。

 

 彼らは既知宇宙の中で唯一、人類という知的生命体を産み出した地球こそ、大宇宙における奇跡、唯一無比の存在、人類の母なる存在として崇めるガイア思想を鼓吹した。

 

 地球は過去・現在・未来に亘って、全人類を産み育てた母そのものであり、子らが母に敬意と愛情を抱き、供物を捧げる事を当然とした。言うまでもなく、それは地球政府が植民星を支配し、労働の成果を搾取している事を正当化する論理として生み出されたものだったが。

 

 政治的権力と豊富な財力を有する地球政府は、このガイア思想を宣布するため、御用学者や文化人達を動員、地球回帰を提唱する宗教法人を結成させると、地球各地及び各植民星に支部組織を設置。法人職員がガイア思想を宣布すると同時に、植民星の民意をガイア思想に染めるため、低所得者層への食糧配布や宿泊所提供、無料の医療行為などを行った。それは人類が宇宙時代を迎えて以降、初の官製宗教だったと言えるだろう。

 

 植民星の知識人層は、ガイア思想を「地球政府の横暴を正当化するためだけに作られた欺瞞」として嫌悪したが、公益法人に生活苦を救われた低所得者層の中には、ガイア思想に親近感を持つ者も増えてきた。

 

 また、宗教法人の職員は政府公務員だったが、植民星の悲惨な現状を目の当たりにし、本気で植民星社会の改善に尽くそうとする情熱を抱く者も少なからずおり、ガイア思想は植民星社会にも一定の存在感を示すようになった。この事は、地球政府滅亡後の人類社会にも、ガイア思想が影響を与える端緒となった。

 

 一例を挙げると、宇宙葬の衰退がそれだ。ガイア思想では、人間は死後、母なる地球の大地に還り、新しい生命を育む種子になるのだと言い、遺体を宇宙空間に流す宇宙葬は、母なる地球の意思に背く行為とされた。地球政府も、宇宙葬は思想的に正しくないだけではなく、徒にスペースデブリを増やし、宇宙航路の安全を脅かす危険性があるとして、宇宙葬を禁止する法律を制定しているほどだ。

 

 地球・シリウス戦役後、シリウス政府は同法を撤廃、それは銀河連邦にも受け継がれたが、連邦時代に入ると、惑星上で死亡した人間を宇宙空間に射出する形式の宇宙葬は、ほぼ行われなくなった。それは、居住可能惑星が爆発的に増え、埋葬地に苦慮する必要が無くなった事、宇宙航路が過密化し、スペースデブリの危険性がそれまで以上に高まった事などの散文的な理由もあるが、人間は死ぬと土に還る、というガイア思想の一部が再び、人類社会の常識になったからでもある。

 

 上記のように、地球・シリウス戦役は、ガイア思想とユニバース思想の対立、ある種の宗教戦争という側面もあったと言えるだろう。シリウス政府が勝利した結果、少なくとも公式にはガイア思想は否定され、ユニバース思想が再び、人類共通の思想になった。人類は皆、宇宙から産まれて宇宙へと還っていく、と唱える同思想は、全人類の平等性と普遍性を認める考えへと転化し、これが「脱地球的な宇宙秩序」を求めた銀河連邦成立の思想的バックボーンともなり、人類の母なる地球という考え方は時代遅れのノスタルジーに過ぎないと見なされた。

 連邦時代、歴史の授業で地球の存在を習った学生の間では「老いぼれた母親なんぞ見たくもないな」と、嘲笑する者が多かったという。

 

 だが、大部分の人類から見捨てられたガイア思想が、今上帝アレクサンデル陛下と皇太后ヒルデガルド陛下、グリューネワルト大公妃殿下の暗殺未遂を始めとして、各種のテロ行為を主導した地球教の思想的淵源になった事は現在、ほぼ定説となっている。比喩的に言うならば、子から見捨てられた母は、復讐心に猛り狂う女怪に変じたという事なのかもしれない。



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第3節 宇宙時代の社会精神史概説③~銀河連邦成立から崩壊まで

 人類の平等と普遍性を鼓吹するユニバース思想は、個人の自由を最大限に尊重する銀河連邦とは相性が良かったが、連邦末期に至り、経済発展が停滞、貧富の格差が拡大、固定化していくと、低所得者層を中心に、現実世界の不条理さ、理不尽さからの精神的防衛として、神秘思想に耽る者が現れてきた。

 

 死後の世界の実在が主張され、前世が実しやかに語られ、因果応報的な輪廻転生譚が好まれた。地球時代に生まれた神や悪魔、精霊の名が新しい超越的存在として信仰の対象になり、果ては過去の偉人や英雄もその列に加わった。

 それは、現実社会で差別されている者達が、死後という証明不可能な時点での救済を求める渇望であり、自己のアイデンティティの回復として、自分達が特別な人間である、または特別な存在に庇護される人間だという事を希求する衝動でもあった。

 

 知識人層は幼稚な謬見、単なる迷妄だと切り捨てたが、社会に絶望した者達は、神秘思想に最後の救いを求めるしかなく、それは超越的存在による社会の変革を希求する英雄待望論へと容易に転化した。

 

 一例を挙げると、連邦末期、宇宙海賊の跳梁跋扈に苦しめられた連邦辺境の市民の中には、宇宙海賊の掃討で活躍した連邦軍の名将、クリストファー・ウッド提督を神格化し、同提督の写真や絵を護符として宇宙船に掲げる者達が数多く見られた。

 彼らの中には、ウッド提督と同様に、軍人時代のルドルフが宇宙海賊掃討で活躍すると「連邦社会の惨状に激怒したウッド提督がルドルフの姿を取り、再びこの宇宙に戻ってきた。ルドルフこそウッド提督の再来だ」などと主張する者も存在した。このように神秘主義と混じり合った英雄待望論が、ルドルフの急速な台頭を可能にした一因だと主張する政治学者もいる。

 

 公開された新史料、特に連邦首相から帝国皇帝に即位するまでに書かれたルドルフの書簡によると、この連邦市民の思想傾向について、ルドルフはかなり自覚的だったと思われる。終身執政官時代のルドルフが腹心クロプシュトックに宛てた書簡の一節を引用したい。

 

「…私も元軍人であり、宇宙海賊との戦闘に生命を賭けた者であるから、ウッド提督の武勲には、素直に敬意を払うものである。だが、私がウッド提督の生まれ変わりなどと一部で言われているのは、端的に言って迷惑だ。私は私自身の能力と器量、有能な部下達の働きで、今日の地位を築いたと自負している。そこに過去の亡霊などが介在する余地など微塵も無い。全く大衆とは度し難いと言わざるを得ないな。

 

 しかし、貴下の進言通り、私が新しい地位に就く上で、これが歓迎すべき状況でもある事は理解している。私個人に神性を認める者達は、民意や常識よりも私の言葉を尊重するだろうし、我々が目指す新しい国にも賛意を示してくれるだろうから。

 

 だが私は、我が国を祭政一致の神政国家にするつもりはない。過去の歴史を見るに、宗教には正統・異端の神学的論争が必ず起こっている。国家の運営上、この種の神学的論争など、時間と労力の無駄、国家分裂の危険性を高めるものでしかない。私は、連邦社会の無秩序を解消する上で、宗教という新しい無秩序の要因を持ち込む事はしたくないのだ。だからこそ、我らが新しい国には、主権者たる私とは別に、宗教色が寡少で、かつ大衆の心的欲求を満たせる存在が必要ではないかと考える。ユニバース思想の如き自然崇拝的な純粋概念ならば、主権者たる私の権威を脅かす事もないのだが、今の大衆が求めるものは、より個別具体的な存在である事は確かなのだ。この点について、貴下を含めた数人と再び話し合いたい。日程等はまた連絡する」

 

 ルドルフが自身に神性を求める大衆に対して、感情面では不快に感じつつも、帝国建国を見据えた時、それは歓迎すべき事態だと認識していた事が分かる。だが同時に、帝国の主権者たる自分が神となってしまえば、銀河帝国が祭政一致の神政国家に成りかねない事を憂慮もしていた。即位前のルドルフは、過度の神格化は理性的に運営すべき国家に、神学的論争などという無用の混乱と対立を招来する可能性に懸念を抱いていたが、治世末期、この問題は再度、ルドルフの前に立ちはだかる事になる。詳しくは後述するが、即位前のルドルフが自己神格化をある程度、歓迎しつつも、同時に懸念と憂慮を抱いていた事は注目に値する。

 

 ルドルフは過度の神格化を防ぐための処方箋として、宗教色が少なく、かつ大衆の心的欲求を満たせるだけの超越的存在を探していた。結果として、ルドルフが見出した存在、それが「大神オーディン」である。



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第4節 「大神オーディン」という存在

 帝国人には馴染み深い大神オーディンは、歴史的な由来を紐解けば、ルドルフの人種的ルーツであるゲルマン民族の神話に登場する最高神だが、13日戦争後、その存在は忘れられて久しかった。

 

 再度、人類社会に登場したのは連邦末期、神秘主義が横行し始めた際に、ペデルギウス星系でオーディンほかゲルマン神話の神々を崇める教団が確認されている。何故、ペデルギウス星系でオーディンが崇拝されるようになったのか、現時点では不明だが、同教団で崇拝されたオーディンは、罪無き者を迫害し、生命と財産を脅かす邪悪な存在を誅する正義の神であり、オーディンを信じ、罪無き者の為に戦い、その果てに生命を落とした者は、オーディンの娘たるヴァルキューレの手で、永遠の安息の地ヴァルハラへと迎えられる、と言われていた。

 

 当時、連邦各地で、勧善懲悪を求め、死後の安息を説く思想や信仰は多数確認されるので、このオーディン信仰もそれらの1つに過ぎなかったのだろうが、宇宙海賊のメインストリートとも称された同星系では、戦死の危険が高い軍隊を中心に、広く市民の間でも受け入れられていたようだ。

 

 ルドルフ自身がオーディンを信仰していた形跡は現時点では発見されていないが、知識人層に属するルドルフにとり、その教義自体は噴飯物としても、自身の地盤たるペデルギウス星系、更には帝都オーディンとなる星系で、広く受容されている思想という事実は非常に重要だった。

 また、オーディンは死後の安息を保障する人格神であり、多様な解釈が可能となる難解な教義も持たず、ただ勧善懲悪だけを求める簡明さは「宗教色が少なく、かつ大衆の心的欲求を満たせるだけの超越的存在」という条件をほぼ完全に満たしていたと言える。

 

 帝国暦元年、銀河帝国皇帝に即位したルドルフは連邦首都テオリアから惑星ペデルギウスに遷都、首都星オーディンと改称すると同時に、大神オーディンへの信仰を宣言、オーディンをゴールデンバウム家及び銀河帝国の守護神とした。

 そして、オーディンを祀る儀礼を司る事が出来るのは、全人類の代表者であり、人類社会の正当な統治者たる帝国皇帝だけとし、臣民が独自にオーディンを祀る事は不敬罪に相当するとした。これ以降、全ての国家儀礼は大神オーディンの名の下に帝国皇帝が主宰する事となり、公式の場でオーディン及び帝国皇帝への敬意を表す事は、臣民の義務とされた。

 

 この措置に関するルドルフの意図は明らかだろう。大衆の心的欲求を満たせる人格神、オーディンへの信仰を自ら表明し、銀河帝国の守護神と定める事で、自分自身が臣民から超越的存在と見なされる事を防げる。かつ、オーディンの祭祀を帝国皇帝が独占する事で、皇帝がオーディンに次ぐ神聖な存在となり、オーディンの権威を借りて、皇帝の権威を脅かす存在、即ち神の名の下に帝政の打倒を試みる者の出現を抑制する事にもなるのだ。

 

 しかし、平定戦役が順調に進むと、ルドルフは思想や信仰の力を借りずとも、帝国の統治体制を確立できるという自信を深めたのか、オーディンへの祭祀は規模を縮小、廃止された儀礼もある。

 

 この結果、時代が下ると、オーディンへの敬意は形式的となり、結婚や葬儀など、生活上の宗教的儀礼を司る存在となった以外は、誓約の常套句「大神オーディンに誓って~」や、乾杯の発声「大神オーディンに乾杯!」程度になった。結果として、オーディンは人格神たる個性を喪失し、地球時代のユニバース思想に近い概念になったと言えるだろう。



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第5節 「ルドルフ信者」の出現

 だが、ルドルフの在世中に限って言えば、必ずしも意図した通りに進まなかった。帝国暦30年代に入り、帝国がシリウスや攻守連合に対し、決定的な勝利を収め、人類社会を統治する唯一の超大国になる事がほぼ確定すると、特に軍隊の中で、ルドルフを大神オーディンの化身、現人神と見なす者達が現れてきた。

 

 その始まりは明確ではないが、憲兵隊を中心にして、ルドルフを信仰の対象とする結社的組織が生まれていたようだ。推測するに、ルドルフを神君、現人神を見なしていた初代憲兵総監ブレンターノの影響が強いと考えられる。彼らはまさに「ルドルフ信者」と言うべき存在だった。

 

 彼らはオーディンが現世に顕現した姿こそルドルフだとし、ルドルフが統治する帝国を神の国として、帝国の支配に逆らう者、異を唱える者、疑問を抱く者は、須らく神意に叛く邪悪な存在としていた。彼らの矛先が帝国内外の共和主義勢力にのみ向けられていれば良かったが、彼らの視線は軍隊や政府、そして臣民にも向けられ、彼らの基準で「邪悪」とされた存在を迫害、逮捕、ひいては殺害する事例も起こった。それは、強敵を喪失した軍隊が自らの力、暴力の捌け口を求める衝動でもあったのだろう。

 

 対して、ルドルフへの敬意は当然だが、オーディンと同一視する事は陛下の御意思に逆らうとして、ルドルフを現人神とする集団を批判、帝国皇帝は大神オーディンの庇護の下、人類社会を統治するのだと主張する者達も現れた。実際は、彼らこそがルドルフの意図を正しく認識していたのだが、ルドルフを現人神と考える集団にとり、彼らもまた「邪悪」だった。

 

 ここに、ルドルフは神なのかどうか、オーディンはルドルフと同一視されるべきなのか、という議論が巻き起こった。それは、即位前のルドルフが時間と労力の無駄、国家分裂の危険性を高めるものでしかないと否定していた神学的論争そのものだった。

 

 当時、既に齢70歳を超え、自身の死後を考えねばならなくなっていたルドルフにとり、この事態は馬鹿馬鹿しくも深刻を極めた。自分が生きている間はまだ良い、だが彼らルドルフ信者を放置しておけば、自身の死後、新皇帝が彼らの意に沿わない言動を取った場合、必ず「神君ルドルフの御遺志」を大義名分として、皇帝批判に走る事は容易に想像できるからだ。それは帝国の支配体制に罅を入れる、鏨の一撃となる恐れもあった。

 

 先に、残暴帝ウィルヘルム1世の御代、憲兵総監を務めたバルトルト・フォン・ハーゼを紹介したが、ルドルフ大帝の遺志を掲げて、現皇帝(寧辺帝コルネリアス2世)への批判を繰り返した、彼のような人物が生まれた事を考えると、ルドルフの懸念は決して杞憂ではなかった。



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第6節 自己神格化の「真相」~財務尚書クレーフェが果たした役割

 既に、即位以前からの腹心も、その多くが鬼籍に入るか、現役を退いている今、ルドルフがこの微妙な問題を相談できる相手は限られていた。ルドルフ信者は、決して帝国と皇帝に忠誠を尽くしていない訳ではなく、その忠誠が理性の範囲に留まらず、信仰の域に達している事が問題なのだ。忠誠を捧げられている立場の皇帝が彼らをただ否定すれば、他の大多数の臣下に対して「皇帝陛下は我らの忠誠を迷惑に思っておられるのか」と、無用の動揺を与えかねないからだ。

 

 問題の本質を理解するだけの知性があって、かつ感情に囚われる事なく、完全に理性のみで問題を処理できる人物が求められた。そして、ルドルフが白羽の矢を立てた人物が第3代財務尚書のユーリッヒ・フォン・クレーフェだった。

 

 クレーフェは連邦財務省の官僚出身で、初代財務尚書リヒテンラーデの愛弟子的存在だった。彼も師と同様、徹底した仕事人間で、感情に囚われる事は理性ある人間として恥ずべき事と信じる、合理主義の権化の如き人物であった。

 そのため、同僚や部下から相応の敬意を払われてはいたが、決して好かれてはおらず、縁故と情実が横行する貴族社会の中では異端児、偏屈者と見られていた。それもまた、外聞を憚るこの問題を処理する上で、ルドルフから適役と見なされた要因の一つだっただろう。

 

 ルドルフとクレーフェとの往復書簡によると、ルドルフの密かな下問を受けたクレーフェは、神格化それ自体は否定せずに、彼らルドルフ信者の求めにただ応じれば、社会に悪影響があり過ぎる、との現実を見せつける事で、過度の神格化要求に歯止めをかけられると愚考致します、と回答したようだ。この方針は採用されて、帝国暦35年、多くの臣下が見ている中、ルドルフとクレーフェの間で、以下の事が起こっている。

 

 新無憂宮に参内した廷臣達に対し、ルドルフは「近年、卿らの間で、余をして大神オーディンの顕現、現人神と見なす者達がおると聞く。先日の事だが、その者達の代表と称する軍人が1人、余に上奏文を奉呈し、神たる余の存在を人類社会に永遠に記憶させるため、度量衡の単位を改め、長さの基準は余の身長に、重さの基準は余の体重にすべきだと訴えて参った。本件について、卿らの意見を聞きたい」と発言。

 実施した際の影響の巨大さを考え、多くの廷臣が明確に意思表示できない中で、独り財務尚書クレーフェのみ積極的に賛意を表明すると、実施した場合の経費を試算させて頂きますと言上。ルドルフもそれを許可した。

 

 後日、廷臣達の前で、試算結果をクレーフェが提出、その内容を一瞥したルドルフは「金額がちと莫大に過ぎるな。余を崇敬してくれる卿らの忠誠は嬉しく思う。だが、我が帝国は開闢して30年ほどしか経過せず、余の支配を肯んじない共和主義勢力も未だ根絶されてはおらぬ。人類社会の正当な統治者たる余の念願する所は、偏に臣民の生存と安寧である。今、斯くも莫大な金を使い、臣民の生活に過度の負担を強いる事は、余の念願する所にあらず。財務尚書クレーフェには特に申し渡すが、卿の責務は帝国の財政と経済の管理である。これほどの経費を必要とする事業に軽々しく賛意を示すなど論外である。今一度、卿の職責について深く思いを致せ!また、皆にも改めて申しておくが、余への忠誠と敬意は、卿らは常に念願しているであろう。忠誠心とは胸中の宝玉に等しい。金銭や暴力で衒らかすなど、宝玉の輝きを曇らせる行為と知れ。余はそのような事、望んではおらぬ」と宣言し、すぐ退出している。

 

 言うまでもなく、この一連のやり取り、全てルドルフとクレーフェによる自作自演である。両者の往復書簡によると、上奏文を提出したという軍人も存在せず、試算結果も随所で水増しして、過大な金額を算出していた。

 

 その意図は、ルドルフ信者の忠誠心(信仰心)それ自体を否定するのでは無く、彼らの要求は社会に過度の負担をかける事になりかねない事実を明らかにし、責任ある統治者たるルドルフはやむなく彼らの要求を退けた、との体裁を取り、ルドルフとルドルフ信者、双方の面子を立てる事、同時に、クレーフェのみを悪者にして、衆人環視の中で彼を叱責する事で、過度の神格化を求める事は皇帝の不興を買うと周知する事だった。

 

 ルドルフらの「芝居」は、一定の成果を収めたと言えるだろう。これ以降、ルドルフ崩御に至るまで、ルドルフ信者によるリンチや殺人などは、その数を大きく減らしている。また、ルドルフを信仰の対象とする結社の主要メンバーの多くが不審死、或いは行方不明になっているが、一説によると、ルドルフの意を受けた憲兵総監ブレンターノによって、秘密裏に処刑されたとも言われる。ルドルフ信者の代表格と見なされていたブレンターノだが、だからこそルドルフ直々の命令には逆らえなかった、という事なのかもしれない。

 

 以上のように、自身の死後を意識し始めたルドルフにとって、皇太孫ジギスムントへの権力委譲を阻害する、そして帝国の支配体制を崩壊させかねない要因の排除は、己の生命がある間に遂行しなければならない、最後の仕事だった。次章では、大帝ルドルフ崩御に関する定説を紹介した上で、新史料から見えてきたルドルフの遺言内容と、死に臨んでの真意を概説したい。



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【コラム】「暴君ルドルフに抵抗した温和なクレーフェ」説は何故、生まれた?

 本エピソードは後世、自己神格化を求める暴君ルドルフが自身の身長・体重を基準として、度量衡の単位を改変しようとした暴挙に対し、温和なだけが取り柄と見なされていたクレーフェが過大な金額を提示する事で、無言の抵抗をしたのだと、同盟などでは語られていた。事実と正反対の内容に変化したのは何故か、現時点では詳らかにしないが、クレーフェ家の歴史を辿ると、そこにヒントがあるようだ。

 

 同家は、家祖ユーリッヒが伯爵位を下賜された後、財務省を基盤とする文官貴族となる。リヒテンラーデ家と並ぶ名家として、優秀な財務官僚を輩出。宮廷とは過度に関わらず、テクノクラートたる事に徹した結果、族滅や爵位剥奪の憂き目を見ること無く、長く家門を維持できていた。

 

 それが一変したのは、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世の御代。同盟という公敵の出現に対し、平民層の育成による国力回復を目指して、貴族の特権たる経済活動権を一部、平民にも付与する同帝の方針に、当主エーリクは反対を表明。一部とは言え、卑しい平民に貴族特権を与えるなど、ルドルフ大帝陛下の御遺志に悖るものと主張した。とは言え、財務尚書だったエーリクにとり、平民層の経済活動への進出は、自家の権益に関わる事なので、むしろ利権の確保が本音だったと思われる。

 

 しかし、同帝の改革への意思は強固で、エーリクに対して反論。即ち「大帝陛下は、臣民の生存と安寧を常に念願しておられた。今、叛徒らが辺境域に盤踞し、過日のダゴン星域会戦では、我が帝国の忠良なる臣民たちの多くが、勇戦虚しく散華するに至った事は卿も存じておろう。叛徒たちの勢力は決して侮れぬ。大帝陛下が念願した臣民の生存と安寧が脅かされている今、貴族と平民は、その持てる力量を尽くし、各々の責務を果たすべき時である。

 

 かつて、ユリウス1世陛下は「忠良なる帝国臣民にとって、自らの知と力と財を尽くし、人類社会を正当に統治する唯一の政体たる銀河帝国の繁栄に尽力する事は、臣民の神聖なる義務である」と宣言なされた。また「知ある者は知を、力ある者は力を、そして財ある者は財を用いて、皆等しく帝国の繁栄に努めよ。持てる物が乏しき臣民は、その持てる物を増やすよう努めよ」と、高らかに命じられたではないか。

 

 叛徒を帰服させるためには、銀河帝国が嘗ての繁栄と精強さを取り戻す必要がある。そのためには、軍や政府、企業で実務を担当している平民らには、より一層の精励を求めねばならぬ。経済活動権を一部、付与する事は、持たざる平民にも持てる物を増やす術を与え、その活力と向上心を喚起する方途である。

 

 さらに、余は平民に経済活動を全面的に認めるなどと申してはおらぬ。あくまで一部の業種に限り、独立採算を認めると言っているだけだ。経済の主体は依然として卿ら貴族である。平民が欲望に溺れ、与えられた権利を濫用したならば、支配者層たる卿ら貴族が規制、懲罰すれば良いだけではないか。

 

 卿は財務尚書の重責にありながら、国力回復の具体的な方策も示さず、恐れ多くも大帝陛下の御遺志を騙り、徒に皇帝たる余の方針に異を唱えるなど、不敬の極みである!」と叱責した。

 

 さらに、エーリクが一部の貴族から賄賂を受け取って、当該貴族から発注された禁制品―恒星間航行用宇宙船・戦闘用艦艇・兵器―を不当に安い価格で売却するよう、財務官僚に指示したとして、同帝は尚書職の解任と爵位剥奪を決定した。

 

 この汚職自体は事実だったようだが、同帝の真意は、改革を断行する上で、財務省に強固な基盤を有し、改革への抵抗勢力となっていたクレーフェ伯爵家の勢力を奪う事だった。同時に、エーリクが晴眼帝の意向に逆らったのは、同帝の改革を頓挫させ、その権威を貶めるためだ。最終的には、同帝を暗殺し、幽閉中のヘルベルト大公の復権を目論んでいるからだ、との風聞が宮廷内外に流れたが、これもまたクレーフェ家の断絶を狙う晴眼帝の策謀だった可能性がある。

 

 族滅の危機に晒されたエーリクは、進退窮まり、一族を連れて同盟への亡命を敢行している。これ以降、帝国の公的史料には、同家に関する記述は無くなる。一方、同盟側史料によると、帝国暦340年頃の亡命貴族としてクレーフェ伯爵の名が残っている。

 

 晴眼帝の御代、同盟社会の量的拡大をもたらしたと言われる、旧帝国からの流入人口の中には、クレーフェ伯エーリクと同様、ヘルベルト派、または同派との疑いをかけられた貴族たちも少なからず混じっていた。彼らの中には、同盟社会での居場所を確保するため、また自分達を亡命に追い込んだ晴眼帝に復讐するため、激烈な反帝国主義者となり、ゴールデンバウム家の皇帝を攻撃し続けた者もいた。

 

 彼らは「我が家にのみ伝わる秘事である」と称して、マスコミ等を通じ、歴史的には事実無根な誹謗中傷を同盟社会に流布していた。クレーフェ伯エーリクがそのような人物だったという史料上の証拠は無いが、ルドルフ神格化に関する事情が同盟に誤って伝わったのは、エーリクまたはクレーフェ家の誰かが家祖の事績を曲解して流布した事が原因になっているのかもしれない。



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第11章 ルドルフ大帝の死
第1節 ルドルフ大帝回想録(自叙伝)の成立


 帝国暦42年2月16日10時23分、ゴールデンバウム朝銀河帝国の建国者、大帝ルドルフ1世は崩御した。旧帝国末期に生きた者には馴染み深いが、大帝崩御の日は全臣民が喪に服すべき神聖な日とされて、皇帝以下、皇族や帝都在住の貴族らは、新無憂宮で執り行われる葬礼への出席が義務付けられ、平民も半旗を掲げて弔意を示すべしとされた。

 また、公的機関は閉鎖、生活必需品を商う国営量販店など一部の例外を除けば、企業も休業する事が当然と見なされた。さらに、各世帯に最低1冊は所蔵を義務付けられていた、大帝陛下の回想録(自叙伝)を読み、その偉業に再び感謝と尊敬の念を捧げるのが、身分を問わず、あるべき臣民の姿とされた。

 

 なお余談ながら、帝国人なら必ず一度は目を通した事がある、ルドルフ大帝の自叙伝について述べたい。帝国暦34年、帝国がシリウス・攻守連合・経済共同体などの敵国に大勝した事を受けて、所謂ルドルフ信者が皇帝陛下の自叙伝を作成し、遍く臣民に陛下の偉業と恩寵を知らしめるべきですと言上。

 当時、ルドルフは75歳、自身の死を意識するようになっていた事で、自らの人生を振り返る良い機会だと考えたのか、ルドルフはこれを許可。ただし、自身で執筆する余裕は無いとして、学芸省に原文の作成を命じると、添削のみ行っている。完成した自叙伝は、貴族及び公職にある者全員に配布されたほか、町役場併設の図書館にも所蔵が義務付けられた。

 

 ただ、旧帝国史学会での密かな共通見解として、現存する自叙伝は幾度となく改訂された結果、初版の内容はほとんど留めていないとされていた。これは、例えば痴愚帝ジギスムント2世など、ルドルフの「遺志」を自身の施策の根拠とせざるを得ない皇帝が即位すると、自身の権威を高めるためにも、ルドルフの偉大性と超人性を称揚する事が必要となるので、時代を経るごとに、ルドルフを過度に神格化する方向に変わっていったから、と言われている。

 

 しかし幸いな事に、公開された新史料の中に、初版と明記された自叙伝が発見されている。現行の内容と比較すると、我々史学者の推測通り、相当の異同がある事が分かった。

 

 一例を挙げると、ルドルフ即位に関する事情がそれだ。現行の自叙伝では、ルドルフの超人性と絶対的なカリスマが強調され、その力量と為人に平伏した人民の推戴によって即位した、などと書かれているが、初版では、連邦末期の混乱と腐敗について、より紙幅が割かれ、ルドルフは軍人、そして政治家として、連邦社会の実情を深く知るにつれ、民主主義による自浄作用はもう期待できない、今を生きる人民の生存と生活を守るためには、絶対的な権力者になるしかないと決断、その卓越した力量によって、銀河帝国皇帝になった、との論旨が展開されている。

 即ち、皇帝になったのは超人的な存在だったからではなくて、当時の連邦社会を抜本的に改革するために必要だったから、としている。

 

 無論、初版の記述がルドルフ即位の真実かどうかは、史料批判を経た上でなければ決定できないが、筆者個人の見解では、かなり真実に近いのではないかと考えている。

 

 まず、初版本における連邦社会の記述は、同盟由来の史料、当時の公文書や政府刊行物、書籍や報道記録などと一致する内容が多く、その記述の正確性を窺わせる事、また帝国暦34年という発行年を考えると、当時はまだ連邦末期の混乱を記憶する臣民も多かったと推測され、ただルドルフの超人性とカリスマ性を強調するよりも、連邦社会を改革したいと念願し、帝国建国との形で実現させた偉人ルドルフの軌跡を称揚する方が、臣民へのプロパガンダとしても、より具体的で有効だと思われる事、これらの理由から、筆者は初版本を連邦最末期から帝国建国期の政治・社会状況を研究する上での第一級史料だと提唱したい。

 

 なお同盟では、ルドルフは青年期、いや幼少期からすでに、独裁者になって人民を支配する事を望んでいた、などの主張もなされていたが、初版本はそれへの有力な反証になると考えている。

 

 最後に、自叙伝の内容が時の皇帝の意向で改訂されている事は、公然の秘密ではあったが、それを公の場で口にする、もしくは研究対象にする事は、不敬罪の名の下に、一切禁止されていた。

 しかし、初版から現行の版まで、その内容の変遷を分析する事は、旧帝国の政治史研究に、新たな知見を生み出す可能性を秘めている。これから歴史学を志す若者には、是非、挑戦して頂きたいと思っている。



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第2節 ルドルフ最晩年の政治・社会状況

 本節では、ルドルフの治世最末期、崩御直前の政治・社会状況を概説したい。ルドルフの死因は、公式記録では心臓発作とされるが、帝国暦38年頃より、ルドルフは慢性心不全を患い、酒豪だった影響で、痛風の症状も出ていた。最晩年の数年間は、玉座と病床を往復するに等しい生活を余儀なくされ、さらに老人性鬱の傾向もあり、崩御は時間の問題と見られていた。

 

 同盟では、寵姫マグダレーナが白痴を出産した事に衝撃を受けて、心臓に過度の負担がかかった、それが死因との説が語られていたが、この件は後世の偽作である可能性が極めて高い。

 むしろ、帝国暦37年に皇后エリザベートが崩御。同38年には、青年期からの同志で、信頼する臣下でもあった元国務尚書ハーン伯爵が逝去と、ルドルフがその心を許せる存在が次々と失われており、その衝撃と寂寥感が弱った心臓へ過度な負担となったのかもしれない。

 

 絶対的権力者ルドルフと雖も、病床に伏して、政務に支障をきたした以上、政治上の実権が後継者たる皇太孫ジギスムント、その父親にして後見人たるノイエ・シュタウフェン公爵に移行する事は避けられなかったろう。帝国暦39年、朝儀中に昏倒したルドルフは一時、人事不省に陥り、長期間の療養生活を余儀なくされた。

 

 満足に政務を遂行できなくなった事を自覚したルドルフは、皇太孫ジギスムントを摂政に任命、事実上の皇帝代行とした。後見人たるノイエ・シュタウフェン公爵も軍務尚書と統帥本部総長を兼任のまま、国務尚書に就任、筆頭閣僚として、事実上の帝国宰相となった。以降、同42年のルドルフ崩御に至るまで、帝国の政治は、この2人によって担われている。

 

 銀河連邦を崩壊させ、全人類を事実上支配する皇帝専制国家を作り上げた、鋼鉄の巨人ルドルフが死に瀕しているとの情報は、辺境域で余喘を保つ敵対勢力や帝国領内の共和主義勢力を奮起させたが、それ以上のものでは決してなかった。

 

 銀河帝国の統治が始まって40年近くが経過、臣民の大多数は帝国の支配を受け入れていた。生まれた時には既に帝国が成立しており、連邦の存在は知識でしか知らない世代が30~40歳になって、社会の中堅層を構成するようになると、連邦を懐かしむ声は急速に薄れていった。

 

 貴族身分に生まれない限り、平民は政治的権利を一切認められず、劣悪遺伝子排除法に基づく相互監視や密告の奨励、また社会秩序維持局による予防拘禁など、強固な監視社会ではあったが、その反面、配給制度の施行や職業の家業化で、最低限の衣食住を与えてくれる帝国の支配は、自己責任の名の下、過度の競争を余儀なくされて、就業に失敗すれば、人としての生存さえ脅かされた連邦の政治と比較すれば、上昇志向を持たず、日々の平穏を無批判に受け入れる者、または学問や読書、スポーツなどの非生産的な行為を愛好し、没頭したい者には、むしろ歓迎された面さえある。

 

 また、同盟では激しく非難されていた社会秩序維持局の活動も、その主な対象が敵国への通謀者や共和主義者である事が周知されると、自己防衛または報償目当ての密告者が急増、進んで同局の治安維持に協力する平民も多かった。

 そして、帝国の法を遵守し、禁止されている思想活動や経済活動に手を染める事無く、あるべき臣民としての生活さえ守っていれば、社会秩序維持局や治安警察は、臣民の強力な守護者であり、また帝国の定める基準でとの前提条件はあれども、正義の執行者でもあった。

 さらに、特に高齢者層からは、連邦末期の警察機関のように、規則や前例を口実に、日常生活上のトラブルや小さな不正行為を見逃し、むしろ面倒事を持ちこんできたとばかりに、通報した者が厄介者扱いされる事も無くなった、社会秩序維持局はどんな些細な話でも聞いてくれるし、すぐ対応してくれるから嬉しいとの意見が多かった、という記録も残っている。

 それは、同局の内規によれば、些細な申立を口実にして、臣民のプライバシーに干渉、強権的に捜査を進めるための手法だったのだが、社会の中に居場所を見出しにくいが、自尊心は高い高齢者にとっては、自らのプライドを満たし、かつ社会正義の執行者だとの「名誉」も与えてくれる社会秩序維持局は、ある意味、理想的な治安維持機関だったのかもしれない。

 

 こうして、ルドルフ崩御間近の帝国暦40年前後は、連邦時代の如き自由は無くなったが、それを当然とする風潮が帝国領内に生まれ、自由が無い事に苦痛を感じる平民は年々、その数を減らしていった。勿論、共和主義や自由主義をイデオロギーとして奉じる者達は、どの世代にも一定数、存在したが、決して社会の主流ではなく、むしろ「危険思想にかぶれた世間知らず」と見なされた。

 地球時代、共産主義が地球上を思想的、また政治的にも席巻した際、共産主義革命を理想に掲げて、過激な武力闘争に邁進した若者集団がいたというが、当時の共和主義者らは、多くの臣民の目からは、そのような存在として見られていたのだろう。

 

 さらに、シリウスや攻守連合などの敵国も、前述の通り、帝国暦30年代に帝国軍に大敗、昔日の勢力は既に失われ、辺境域で辛うじて余喘を保つのみだった。同年代後半から、皇帝陛下不予につき、との理由で、敵国への出兵案が却下されている事から、ルドルフ崩御を見越し、新皇帝ジギスムントが即位後、討伐するための対象として、これら弱体化した敵国を敢えて残していた、それは「人類社会を武力統一した史上初の皇帝」となり、建国者ルドルフに匹敵する権威を得るためだった、という説がある事は紹介したが、この説の是非はさておき、当時の帝国と敵国との間には、帝国が敢えて攻撃しないという選択肢を取れるほど、圧倒的な力の差があったという事だ。

 

 以上のように、帝国内外には新皇帝ジギスムントへの権力委譲、そして、その治世を危うくする要因は極めて少なかった。晩年のルドルフは、過度の自己神格化を抑制するために、臣下の前で自作自演するなど、ジギスムントの治世を脅かしかねない要素を1つずつ処理していったが、それは見事に結実したと言えるだろう。

 

 ただ、ゴールデンバウム朝銀河帝国皇帝ルドルフとの立場を考えると、帝国の支配を揺るがしかねない、いや帝国の存続にも関わる、最大の危険要素が残っている事に気付く。それは新皇帝ジギスムントの父にして、筆頭重臣であり、かつ帝国最大の権門ともなった、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム、という存在である。事実、後世の歴史家の中には、ジギスムント一世の御代を評して「ゴールデンバウム=ノイエ・シュタウフェン朝」と言う者さえいる。ルドルフが自身の血統と遺伝子を絶対視し、ゴールデンバウム家の権力独占に固執していたという「定説」からすれば、簒奪さえ可能な権力者を掣肘するどころか、自ら進んで高位を与え続けたルドルフの姿勢は、旧帝国・同盟ともに、歴史家の頭痛の種であり続けた。

 

 これまでの見解を総覧すると、旧帝国では、①ルドルフとノイエ・シュタウフェン公の間には麗しい信頼関係が醸成されており、簒奪などあり得なかった、②ノイエ・シュタウフェン公爵家は亡き皇后エリザベートの実家で、ルドルフは同族と見なしていた、③ジギスムントは英邁な人物だ、例えノイエ・シュタウフェン公が異心を抱いても、すぐに誅殺されると、ルドルフは安心していた、などの見方が示されていた。

 

 一方、同盟では、①簒奪の危険性を感じていたが、ノイエ・シュタウフェン公は厳然たる帝国の№2になっており、衰えたルドルフでは排除できなかった。②共和主義勢力が未だに強固で、優れた軍人政治家ノイエ・シュタウフェン公の力量を必要としていた、などの説が提唱されていた。

 

 筆者の見解はいずれでもない、後述する新史料中で、将に「ルドルフの真意」が語られていた。詳しくは、第5節「私人ルドルフの「真情」」を参照の事。



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第3節 大帝遺訓(大帝十五箇条)の成立

 ここからは、帝国人には広く膾炙した「大帝遺訓」、別名「大帝十五箇条」を取り上げたい。既にご存じの読者諸氏も多いと思われるが、行論の都合上、全文を掲載させて頂きたい。

 

 大帝遺訓は全15ヵ条から成り、別名「大帝十五箇条」とも呼ばれる。後継者たる新皇帝に与えた内容、群臣(貴族)に与えた内容、臣民一般に与えた内容で、各5ヵ条に分かれている。ただ、ルドルフの遺言は大帝遺訓のみではなく、前述した政治局長エッシェンバッハへの恩賞等、当時の政治状況に即した内容や、個人的な事柄などもあったが、それは後継者ジギスムントや家族たちとの会話の中で言及されたもので、大帝遺訓はそれとは異なる。

 

 帝国統治の指針であり、そして、あるべき皇帝・貴族・臣民の姿を示すもので、極めて普遍性が高い。ルドルフ自身、広く子孫と臣民への訓戒として作成したと思われる。その意味では、人類社会を支配した史上初の専制君主、大帝ルドルフが有する政治哲学の根本を成すものと言えよう。

 

 大帝遺訓の全文は以下の通り。

 

 1.新皇帝に与えた内容

① 常に臣民の生存と安寧を念願し、統治者としての責任を果たせ。

② 帝国と臣民を脅かす逆賊は断固として之を排除せよ。

③ 政治を行う際は、広く臣下の意見を求めよ。ただし、決定は己独りの責任にて行え。

④ 欲望と快楽に溺れる事無く、不断に切磋琢磨し、臣民の手本たり得る人物となれ。

⑤ 臣民に対する際は、恩威並びに行い、清濁併せ呑む度量を持て。

 

 2.群臣に与えた内容

⑥ 皇帝に忠誠を誓い、帝国の安寧のために尽力せよ。

⑦ 人類社会を統治する支配者階級である事を常に自覚し、支配者に相応しい言動を取れ。

⑧ 私益よりも公益を重んじよ。また、利得よりも名誉と道理を尊べ。

⑨ ゴールデンバウム家の統治に異を唱える逆賊は、皇帝の勅命を得て、支配者階級たる貴族が必ず討滅せよ。

⑩ もし仮に、皇帝と帝国に異心を抱く貴族が現れたならば、皇帝の勅命を得て、他の者が必ず之を誅せよ。

 

 3.臣民一般に与えた内容

⑪ 皇帝に敬意を払い、帝国の支配を受け入れよ。然らば帝国は汝らの存在を保障するだろう。

⑫ 皇帝の命を実行し、帝国の法を遵守せよ。然らば帝国は汝らの生存を保障するだろう。

⑬ 皇帝と帝国を脅かす逆賊は、之を報告せよ。然らば帝国は汝らの安寧を保障するだろう。

⑭ 皇帝と帝国が定める生業に励めよ。然らば帝国は汝らの生計を保障するだろう。

⑮ 皇帝と帝国が認める知識のみ学び、身体を鍛錬し、心身ともに健全な良民たれ。然らば帝国は汝らの人生を保障するだろう。

 

 この大帝遺訓は、旧帝国滅亡まで、皇帝、貴族、そして臣民が拳拳服膺せねばならない神聖なる教えで、かつ帝国統治の大方針であり続けた。以下、遺訓の対象ごとに内容を概説したい。

 

 まず、新皇帝への遺訓。ルドルフは、統治者の責任として、臣民の生存と安寧を第一に考えていた事、次いで帝国の統治を脅かす「逆賊」の討伐、つまり治安維持を重視していた事が分かる。連邦首相時代に行った演説でも、政治の目的は「市民の安寧と幸福…具体的に言うならば、治安維持と雇用確保」だとしているので、統治者ルドルフが考える政治の役割を示すものだろう。

 

 そして、政治を行う上で、臣下たち、即ち支配者階級たる貴族たちの声を聞く事が必要だが、同時に、決断は独り皇帝の責任において行え、としている。帝国統治の上で、貴族らの協力は必須だが、最終責任者にして最高権力者は皇帝である事を示して、かつ、皇帝が皇帝である為には、最終決定権は余人に渡してはならない、との教えでもあろう。

 皇帝とは、家族や親しい者は持てるが、本質的に孤独で、全ての決定を己独りで行い、全責任を負わねばならない、その姿を示す言葉だとも言える。新帝国で初代軍務尚書を務めた、故オーベルシュタイン元帥が、№2不要論を主張していた事はよく知られているが、ルドルフもまた、それに近い信条を抱いていたと思われる。

 

 さらに、皇帝たる者、自らを厳しく律し、臣民の手本にならねばならない、それと同時に、臣民は多種多様であるから、彼らを受け入れる度量を持たねばならない、としている。

 

 この大帝遺訓を知った同盟人は例外なく、自身と帝国への反対者を容赦なく逮捕、殺害してきたルドルフが言える言葉ではないと罵倒、嘲笑しているが、それはルドルフの真意を誤解していると言わざるを得ない。

 

 前述したケッテラー大将が心優しき、良き家庭人であったと同時に、劣悪遺伝子排除法を最も厳格に適用、共和主義勢力と認定すれば、女子供も鏖殺した将帥だったように、ルドルフが言う「臣民」とは、あくまで帝国の支配を受け入れ、皇帝を敬い、その定める法を順守する存在の事を指している。

 

 つまり、帝国の支配に異を唱える共和主義者らは、そもそも臣民では無いのだから、秩序を乱す不穏分子として取り締まるのは当然、という事になる。それを人権侵害と批判する事は無意味である。ルドルフは人権を否定した結果、臣民という存在を生み出したのだから。これは帝国の国体に関わる重要な問題なので、臣民一般に与えた大帝遺訓の解説時に、再度取り上げたい。

 

 続いて、群臣への遺訓。群臣、これは貴族とほぼイコールの関係にあるが、ルドルフが彼ら貴族たちに求めていたのは、皇帝への忠誠、即ち帝室の藩屏たる事、支配者として相応しい言動を取る事、さらに、帝国と帝室を脅かす存在が現れた場合は、必ず討伐すべしと、帝国の体制維持を求めている事、これらだった事が分かる。

 

 そして、第8条「私益よりも公益を重んじよ。また、利得よりも名誉と道理を尊べ」とは、前条に云う「支配者に相応しい言動」に対応していると考えられるが、後世、大帝遺訓の中で最も解釈が分かれた条文でもある。

 

 端的に言えば、「利得」の指す内容によって、条文全体の解釈が変わってくるのだ。

 仮に、利得=私益ならば、公益と名誉・道理は、共に尊び、重んじなければならない。逆に、私益よりも公益を重んじるが、そのどちらもが利得ならば、公益に反する事でも、名誉と道理に適っていれば行え、という意味になる。

 

 前者の解釈は、公益を重んじる事は、同時に貴族の名誉でもあり、道理に叶う行為でもあるとし、公共の利益を重んじる開明派貴族の思想的根拠となった。この解釈を鼓吹したのが晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世である。

 逆に後者は、私益だけではなく、公益よりも貴族の名誉と道理を重んじられるとし、旧帝国史上、叛乱やクーデターを試みた貴族の多くが、この解釈を大義名分としている。また、貴族社会で決闘の伝統が長らく受け継がれたのも、この解釈が存在したからだとの指摘がある。

 

 一般的には、ルドルフは金を「忌まわしき怪物」と表現し、過度の利潤追求が人間疎外を齎す事を嫌っていた事から、第4条「欲望と快楽に溺れる事無く…」と同様、私欲を恣にする事を戒めているという解釈が主流だ。

 

 最後に、臣民一般への遺訓。既に指摘されている事だが、これらの条文は、帝国と臣民との一種の「契約」と言える。勿論、臣民が主体的に契約した訳でもなく、ルドルフが定める価値観に従う事を一方的に要求されて、拒否する事は認められていないのだから、一般的な契約の名には到底値しないが、それでも「帝国には平民などいない。貴族と奴隷がいるだけだ」などと主張する同盟社会の「常識」とは異なり、帝国の平民(従臣・国民・領民)には、ルドルフの定める価値観に従う限りにおいて、一定の権利が認められていたと言える。

 

 そして、それは平民にのみ留まる事ではなかった。銀河帝国という国家は、建国者ルドルフが定めた価値観、即ち大帝遺訓に従い、皇帝(最高権力者)-貴族(統治者階級)-平民(被治者階級)全て、その身分に応じた責務を果たす事によってのみ、その存在が許される政治的、社会的空間だった。敢えて言うなら、それが帝国の「国体」だと定義できる。

 それは、臣民一般に生存等を保障する主体が皇帝ではなく、帝国となっている事からも看取できる。ルドルフの脳裡では、最高権力者たる皇帝の上位概念として帝国が存在し、自身が定める帝国の価値観(大帝遺訓)に従う義務があるという一点において、身分の尊卑はあれども、皇帝・貴族・平民は同一視される存在だった、と言えよう。

 

 人権思想を常識とする同盟人などには、異様な考えと受け止められるかもしれないが、連邦社会での実体験から、ルドルフは人権思想に疑義を抱き、それに代わる思想として、国家が定める価値観に従う限りにおいて、動物たるヒトは、社会的存在たる人間となり、その存在と権利を認められる、故に、その価値観に従わない存在は人間ではない、規範も秩序も理解しない動物でしかなく、存在と権利を保障する事は出来ない、との考えを有するに至ったのだろう。

 

 この思想を否定する事は簡単だ。国家の定める価値観というが、それは畢竟、その時点の最高権力者、即ちルドルフの価値観に過ぎず、それが妥当性を有するという思想的根拠は無く、ただの独裁者の独善に過ぎない、と言えば良い。しかし、ルドルフはこの指摘に対して、ある種の「諦念」を以て、大帝遺訓を定めたと思われる。第5節を参照して頂きたい。

 

 なお余談ながら、ダゴン星域会戦以降、同盟と本格的に接触した旧帝国では、共和主義思想が密かな広がりを見せ、帝国末期では、政府当局者が平民間に革命的気分が醸成されている事に危惧の念を抱く程だったが、社会秩序維持局が押収した、彼ら共和主義者らの宣伝文書やパンフレットには、帝国政府への抵抗運動を正当化するために、平民一般への大帝遺訓が用いられている事例が極めて多い。

 

 また、リップシュタット戦役の終盤、領主貴族に反抗、決起した平民たちのスローガンとして「皇帝陛下に逆らい、大帝遺訓を守らない貴族どもに従う必要など無い!」が広く使われている。ルドルフ的価値観を否定し、ローエングラム朝を建国された開祖ラインハルト陛下におかれては、極めて不本意であろうが、かのリップシュタット戦役が速やかに終結した理由の1つは、大帝遺訓が領主への反抗を正当化する思想的根拠となり、その決起を促した、という要因は無視できない。権力者批判の根拠になったとの一点において、大帝遺訓はある意味、疑似的な憲法だったとも言えるだろう。



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第4節 ルドルフが目指した「銀河帝国」の姿

 【はじめに】で「ルドルフという権力者は、銀河帝国を如何なる国家としてデザインしたのか」との問題提起を行ったが、ここまでの記述で、ある程度はその問いに答えられたのではと考える。

 

 大帝遺訓に象徴されるルドルフ的価値観の下、皇帝以下の全臣民が身分に応じた責務を果たす事で、その存在を認められる反面、帝国の支配を肯んじない、即ちルドルフ的価値観を否定する者達は、帝国の安寧を乱す「逆賊」であり、その権利と生存を保障する事は出来ない。よって、臣民の生存と安寧を守護する責務を負う皇帝の名の下に、厳酷な処罰も是認されるとした。劣悪遺伝子排除法と社会秩序維持局は、その象徴的存在でもあった。

 

 さらに、連邦末期の経済的格差と絶対的貧困への反省から、自由よりも平等を志向、経済発展よりも生命維持を第一義として、自由経済を否定、衣食住の確保を目的とする統制経済に移行した。

 また、金を「忌まわしき怪物」と評し、過度の利潤追求が人間疎外を齎す事を嫌ったルドルフは、経済活動を自身が優れた存在だと認定した貴族だけに許された特権として、彼らの道徳性、倫理性によって、連邦末期の如き資本の暴走を抑制する事を目指した。その結果、帝国経済は発展を希求しない、デフレ状態を理想とする静態的状況を呈するに至った。

 

 そして、人間の能力と性向には、遺伝子による格差が生じるほか、社会的状況による格差も不可避的に生じるとの人間観に基づき、格差を前提とした社会的秩序の構築こそが、安定的かつ永続的な秩序維持を可能にするとして、貴族制度を創設、貴族身分の導入による身分制秩序の創造に踏み切った。

 

 本巻にて縷々述べてきた内容を概括するならば、上記のような内容になるだろうか。後世、激しく批判、否定された暴君ルドルフ像と乖離し過ぎていると思われる向きもあるだろうが、現在語られている暴君像は、帝国暦400年代、ルドルフ原理主義を鼓吹した残暴帝ウィルヘルム1世らの影響で、軍国主義化した帝国社会の中で、それに反発する共和主義者達が自らの抵抗活動を正当化、鼓舞するため、ある意味では捏造した「ルドルフ像」だったのではないかと思われる。

 それが日々の生活に苦しむ平民や下級貴族、公益増進を貴族の責務とする開明派貴族、さらには同盟社会にまで伝播した結果、現在語られているような、過度の権力亡者で、自己神格化さえ辞さない暗君、恐怖政治を強行して、人民を虐殺した暴君、これらのイメージが常識化していったのではないかと推測しているが、史料上の根拠に乏しいので、さらなる研究の深化を期したい。

 

 新史料から見えてきたルドルフ像は、独断的ではあるが、連邦社会への批判を通じて、明確な政治哲学と統治方針を持ち、それを具体化できる能力と、自己を支えてくれる有為な人材を統率できるカリスマ性を持つ、極めて有能な統治者だった。私的な感想ではあるが、初代学芸尚書ランケが評したように、500年近くも続いた国家を作り上げた人物が常人であるはずはない、と思うのだ。

 

 さて、ルドルフが目指し、実現させた銀河帝国という存在は、建国当初から現在に至るまで、数限りない毀誉褒貶に晒されてきた。では、建国者たるルドルフ自身は、銀河帝国を如何に評価していたのだろうか。常識的に考えれば、全肯定以外にあり得ないだろう、またそうでなければ、国家建設などという大事業を完遂できるはずもないのだが、事実は小説よりも奇なりと言うべきか、必ずしもそうではなかった事が、実に意外な事情で判明したのだ。次節では、その事情を紹介した上で、これまで誰一人として想像する事さえなかった、私人ルドルフの真情を紹介したい。



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第5節 私人ルドルフの「真情」

 新帝国暦元年、ルドルフ真筆の書簡が数通、見つかった。それも誰宛てでもない、敢えて言うならば、神の前で信徒が行う告解の如く、ただ自己の真情を吐露し続ける内容だった。そんな書簡がどこにあったのか、約500年もの間、何故発見されなかったのか、発見時の事情は以下の通り。

 

 発見場所は新無憂宮の一角、ルドルフが崩御した寝室だったと伝えられる部屋。ルドルフは死に臨んで、後継者ジギスムントを始め、家族らにこう言い残している。「余は死後も、銀河帝国の行く末を見守りたい。非科学的な願いだという事は理解しているが、敢えて命じる。余が死ねば、この寝室を余の霊廟として永遠に封印せよ。この寝台を始め、あらゆる調度も動かしてはならぬ。余の静謐を妨げる事の無いよう、何人たりとも立ち入ってはならぬ。虫や微生物さえも入らぬよう厳重に封印し、常に空調設備を稼働させ、気温・湿度を一定に保て。子々孫々に至るまで遵守させよ」と。即位したジギスムントは、その遺命通りに処置、入口部分は強化ガラスで封鎖して、24時間体制で歩哨に警備させた。

 

 以降、旧帝国滅亡まで、この霊廟の封印が解かれたとの公式記録は存在しない。無論、記録が存在しない事が封印解除されなった事の絶対的な証明にはならないが、強化ガラスを通して見える霊廟の中には寝台しかなく、財宝等の存在を窺わせる物も皆無。痴愚帝ジギスムント2世や流血帝アウグスト2世といった暴君らも、封印を解く事で、臣下から白眼視される事を考えれば、敢えて立ち入る必要を認めないだろうと思われる。

 

 そして、開祖ラインハルト陛下が旧帝国の実権を握ると、新無憂宮はその大半が閉鎖された事は良く知られているが、この霊廟もその中に入っていた。新帝国開闢後、新無憂宮の本格的な開放と学術調査が進められる事になり、500年前の建築様式が保存されている、この霊廟も歴史的価値が高いとして、宮内省立会の下、学芸省による調査が開始された。

 

 強化ガラスによる封印を解き、ルドルフ崩御の場所と伝えられる寝台の解体作業に着手すると、寝台の中から木製の手文庫が発見されて、その中には何通かの手紙が残っていた。中性紙は400年近く保存できる事は有名だが、温度と湿度が一定に管理され、虫や微生物の発生が抑制されていた事も良かったのだろう、一部は破損していたが、大部分は判読可能で、宮内省や各貴族家に伝来した、ルドルフ真筆の書簡と比較、筆跡鑑定した結果、間違いなくルドルフの直筆だと証明された。

 

 その内容は、今までの暴君ルドルフ像とは大きく異なり、死に臨んだ者が自らの人生を虚しいものと感じて、敢えて名付けるなら「挫折した理想」という名の病根に苦しめられ、人間存在への無限の嫌悪と絶望感の果て、人類種の安楽死さえ夢想するようになった、孤独な一老人の姿だった。

 

 以下、発見されたルドルフ真筆の書簡を公開したいが、紙の破損のため、文字が一部、欠落している文章は、前後の文脈から推定し、適宜補った。また、読者諸氏の理解の一助とするため、各書簡はその内容を勘案して、ルドルフの人生行路に沿って並べ替えた。なお、括弧内の日付は、書簡中に記載された作成年月日である。

 

 これら書簡について、筆者の見解は敢えて記していない。ルドルフの「肉声」を如何に捉えるか、それは読者諸氏の御判断に委ねたいと思う。



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5-1:【帝国暦42年1月17日】

「余には日記を付ける習慣は無かったが、80年に亘る人生において、手紙だけは相当数書いてきた。もともと、電子的な書面は複製と拡散が容易だからとの理由で、機密保持のために始めた事だか、余の性にあっていたのか、そのうち、手紙を描く事自体が面白くなってきた。クロプシュトックやファルストロングら臣下達のみならず、妻のエリザベートや愛娘カタリナ達、家族にも送るようになった。余から自筆で長文の手紙を送られると、皆、馴れない手書きに四苦八苦して、返事を書いてくれたものだ。今だから言うが、彼らのその様が見たくて、故意に長々と書いたのだが。

 

 ただ、誰にも出せない手紙もよく書いた。心の中で荒れ狂う感情を何とか静めたくて、深夜、一人で無我夢中に書き綴った事もある。とは言え、翌朝に読み返すと赤面するしかない文章で、すぐに焼却したが、ごく稀に、自分でも驚くほど、その時の真情を極めて的確に表現できている事があった。そういう手紙は、どうしても処分できなかった。統治者としては、自分の本音を書面で残しておくなど、危険極まりない行為だと、理性では理解出来ているのだが、表現者(烏滸がましい自称だ)としては、己の会心の作品を捨てる事が出来なかった。

 

 いつからだろうか、誰にも見せないから良いだろうと自己弁護するようになったのは。余は密かに、小さな手文庫を作らせた。残したいと思った手紙はその中に入れて、執務室の隠し金庫に保管する事にした。この事は妻や娘にさえ言わなかった。子供じみた感覚だが、誰も知らない、自分だけの秘密を持つ事は、余に奇妙な高揚感をもたらした。そう、例えるなら、もう記憶も曖昧なのだが、幼い頃、密かに憧れた年上の女性に感じた恋情のように。自他共に認める仕事人間で、趣味らしい趣味も持たずに、飲酒と美食以外の道楽はしなかった余だが、今こうして思い返すと、この「誰にも出さない手紙を書いて、人知れず保管しておく」という一人遊びは、余の人生において、最大の娯楽だったようにも感じるのだ。

 

 現時刻は深夜1時過ぎ。家族も臣下も、余は既に就寝していると思っている。寝台脇の小さな電灯を点けて、オーバーテーブルというのか、寝台の上に渡した机に被さるようにして、今もまた、誰にも見せられない、この手紙を綴っている。統治者としての余は、今すぐ止めよ、今まで書いてきた手紙も全て破棄せよと命じてくる。

 

 だが、私人としての余は、手紙を書く手を止めようとしない。余の信頼する同志だった元国務尚書ハーンは、自らの死を悟ると、現役引退後に書き綴った日記は、全て焼却させたと聞く。余はハーンの決断力が羨ましい。本来なら余もそうすべきなのだが、感情が納得しない。もうすぐ余は死ぬ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムというこの人間は消えて無くなる。余は恐らく、全人類社会を専制的に統治した非民主的権力者、ゴールデンバウム朝銀河帝国の初代皇帝として歴史に名を残すだろう。令名か悪名かは知らぬがな。だが今は、そんな虚名より、理想を抱き、理想に疲れ、ただ無為に死んだルドルフという名の老人がいた事を誰かに知って欲しいのだ。

 

 だから、これは余自身への言い訳、口実でしかないが、運命の御手に委ねる事にした。余は賭け事の類は嫌いなのだが、これから生涯初のギャンブルを行おうと思う。近い将来、余はこの寝台で死ぬ。寝台の中に、余が残したい手紙を入れた手文庫を隠しておく。そして、余はこう遺言する。この寝室を余の霊廟として、永遠に封印せよと。勿論、手文庫の事は誰にも伝えない。この手文庫が将来、誰かによって発見されるかどうか、余は見つかる方に賭けてみたいのだ。

 

 嗚呼、長い間逡巡したが、こうして心を定めると、気分が晴れるものだな。さて、この手紙も隠す予定だが、もし発見されるとしたら、どのような状況だろうか?最後の楽しみとして、それを想像してみるとするか。

 

 余の遺言が無視されて、手紙が発見される状況は3つ考えられる。1つは、余の子孫たる皇帝、あるいは皇帝を傀儡とした権臣が勅命を盾に封印を解き、寝台を解体して発見する。もう1つは敵対勢力が新無憂宮を占拠し、略奪の際に発見する。最後は、ゴールデンバウム家を打倒した新勢力が余の権威を認めずに、何らかの理由で封印を解いて発見する。このくらいだろう。

 

 1番目は物理的には可能だが、ゴールデンバウム家の権威、即ち余を淵源とする権威に基づいて、臣民を支配する人物が、敢えてそれをする動機は何だろうか。例えば、有りもしない財宝目当て、との理由は考え得るが、金銭に執着するが如き人物なら、恐らく人望にも乏しいだろう。だとすれば、自己の権威を補強するため、建国者たる余の権威を持ち出す可能性が高い。

 では、霊廟を開ける事はリスクが高すぎる。余の権威を認めぬなら、それは即、その愚か者にも跳ね返ってくるだろうから。さらには、そんな人物ならば、万が一発見しても、余の真情が書かれた手紙など見て見ぬふりをして、密かに処分させるだろう。誠に馬鹿馬鹿しいが、そんな奴らは、余を神秘的存在のままにしておきたいだろうしな。

 後は、ただ権力を振り回して遊ぶ暗君、暴君が現れたなら、リスクなど考えず、ただ闇雲に封印を解いてしまう可能性はあるが、それはもう余の関知する所ではない。

 

 では2番目はどうか?よく考えてみれば、これはまず無い。我が帝国軍も散々行ったが、惑星を攻略するためには、衛星軌道上からの精密爆撃が最も効率的だ。将来、帝国を征服したいと念願して、帝都を攻撃できる軍事力を持つ敵対勢力が現れたならば、間違いなく同じ事をするだろう。皇宮たる新無憂宮など、真っ先に攻撃対象に選ばれるだろうし、その過程でこの霊廟も壊滅、余の手紙ごと灰燼に帰すだろう。

 さらには、銀河帝国を征服したいと考える勢力ならば、帝国が否定した民主主義、共和主義を国是としている可能性が高い。思想的な対立が原因の戦争は、容易に妥協点が見つからず、より凄惨になる恐れがある。かつてラグラン・グループの黒旗軍が地球に無差別爆撃を敢行したが、同じ事がこの帝都オーディンで起こらない保証は無い。だとすれば、余の手紙などチリ一つ残さず消え去ってしまうだろうな。

 

 それでは3番目だが、これが最も可能性が高い。外敵に攻められる事が無くても、帝国はいずれ滅びる。腐敗堕落した帝室を清新で活力に溢れた政治勢力が打倒するだろう。それは有力な大貴族かもしれぬし、軍閥化した帝国軍かもしれぬ。台頭した平民の集団との可能性もあろう。

 しかし、どの属性の集団であれ、共通して言える事は、破壊の後に再生を図る必要と責任がある、という事実だ。それを踏まえると、前代の権力者、即ちゴールデンバウム家の財産は出来る限り無傷で接収したいだろうし、無用の破壊は人心の荒廃と治安の悪化をもたらしかねない。新政権の指導者が賢明ならば、余の霊廟を含む新無憂宮を無意味に破壊する事はないだろう。自らの宮殿として使用するか、別の用途に転用するかは分からぬがな。

 

 新政権の長にとって、前代の権力者の始祖たる余の権威など認める必要は無いだろうし、また認めるべきではない。必ずや封印を解除するだろう。その動機は財産の没収か、単なる興味本位か、純然たる学術調査か、もしくは余の想像が及ばぬ何か、それは分からぬが、余が見える事叶わぬその者は、もし余の手紙を発見すれば、少なくとも公開する事を躊躇いはしないだろう。

 

 余がこのギャンブルに勝つためには、ゴールデンバウム家を打倒できる新勢力が帝国内部から台頭してもらわねばならぬようだな。その結果を余が知る事は決して無いのだが、いつか誰かが、余の密やかな隠し事を知るかもしれぬと想像すると、奇妙な胸の高鳴りを感じる。遠い昔、初めて書いた恋文の内容を誰かに知られるのではないかと思った時のような、甘やかでかつ気恥ずかしい。ふむ、齢80歳を超えた瀕死の老人が思春期の如き感情の高ぶりを覚える事もあるのだな。

 

 もう、目が霞む、指にも力が入らなくなってきた。この駄文も終わりにせざるを得ない。この体力では、家族や臣下に隠れて、深夜に独り手紙を綴れるのも、今回が恐らく最後だろう。まだまだ書き足りないが、何事にも終わりはやってくる。もう筆を擱こう。そして、人生も終わりとしよう。空しさのみ覚えた余の人生だったが、たった1つだけ、幸福の範疇に属すと思えるのは、あまり執着を覚えずに、己の人生を手放せそうな事だ。人生など、例えるならこの便箋と同じだ。自分にとっては大切な事が書かれているが、他人にはただの独り善がり、下らぬ妄言が縷々書かれているだけに過ぎぬ。全人類がそう考えてくれれば、余がわざわざ帝国など作らずとも良かった、人の世からも無用な争いが少なくなってくれたかもしれぬな…」



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5-2:【宇宙歴300年10月3日】

「到頭ここまで来た。私は明日、連邦政府首相に就任する。父が自殺したあの日から、もう10年も経つのだ。子供の頃、私は父のような立派な軍人になりたかったのだ。政治家、権力者になろうなどと思った事は無いのだが、人生とは本当に分からない。だが、あの父の自殺、そしてその遠因となった母の不慮の死が、私の人生行路を決定づけたのだ。

 

 今でも忘れられない、いや生涯忘れる事は無いだろう。あの鮮血に染まった母の顔は。私が5歳の時だった。あの日、私は母と一緒に買い物に出かけたのだ。何の変哲も無い、ごく普通の良く晴れた日だった。目的の店に入った瞬間、人々の絶叫が響き渡った。その時は何も分からなかった。ただ、しっかり握っていた母の手が酷く冷たくなった事、その冷たさに驚いて母の顔を見上げたら、そこには目も鼻も口もなかった、ただ赤くてグチャグチャしたものしか無かった、それだけを鮮明に覚えている。

 

 後で父から事情を聞かされた。尤も、その内容を私が理解できたのは、ずっと後の事ではあったが。私と母が訪れた店で、精神異常者が銃の乱射事件を起こしたのだと。母はその犠牲になったのだと。母のお腹の中には、私の弟か妹になるはずの胎児がいたのだと。父は泣いていた。人前で涙など見せた事の無い、この世で一番強くて立派だと思っていた父が、ただただ泣いていた。

 

 それから私は、父の手で育てられた。その事に不満を抱いた事は無い。いや、幼すぎて現実感が持てなかったのだろう。母ともう二度と会えないという事を理解したのは、初等学校に上がってからだったと思う。

 父は私を軍人にしたがり、私もそれに異存は無かった。父のようになりたいというのは、小さい時からの私の夢だったから。しかし、父の死後に判明した事だが、父はある目的を叶えるための手段として、私に軍人教育を施したようだが。

 

 父は、自身の教え子たる若手の連邦軍人達が企図したクーデターに関与した容疑で、不名誉除隊処分となり、その屈辱に耐えられず、自ら死を選んだ事になっている。私自身、周囲の者にはそう説明しているし、これからも同じ事を繰り返すだろう。だが、真相は違う。父が私宛に残した遺書には、全く違う事が書かれていた。

 

 父は冤罪ではなかった。実際にクーデターに参画していた。いや、首謀者の一人だった。教え子達を扇動し、武力蜂起を画策していた。実刑判決を受けなかったのは、教え子たる実行犯達が黙秘を続けた結果に過ぎない。

 

 社会秩序を重んじる理性的な人物だった父が何故、クーデターなどという非理性的な行動に走ったのか。それは、母の死が遠因となっている。母を射殺した犯人は現行犯逮捕されたが、精神鑑定の結果、犯行時は心神耗弱状態にあり、責任能力に欠けるとして、無罪判決が出ている。

 

 だが、父の調査によると、この人物は犯行前から傷害事件の常習犯だった。特に女性や子供など、敢えて弱者を選んで、嗜虐的に責め苛む暴力事件を繰り返していた。犯行時、若い女性や幼い子供の手足を狙って撃ち、その苦痛に歪む表情を陶酔的に眺めていたと、目撃者の証言がある事、また、入手が簡単な単発式のブラスターではなく、殺傷能力が高く、連邦地上軍でも正式採用されているアサルトライフルを使用している事、これらの状況証拠から、これは計画的な犯行であり、心神耗弱による責任能力なしは妥当ではないと、父は上級裁判所に控訴したのだが、証拠不十分のため却下され、判決は確定してしまった。

 

 これが正当な裁判の結果ならば、父もまだ納得したかもしれない。だが、連邦の腐敗は司法にも及んでいた。犯人が無罪放免された本当の理由は、こいつが連邦軍高官の子弟だったから、に過ぎない。息子の暴力的な性格に手を焼きつつも、この高官は我が子が死刑となる事に耐えられなかったのだろう、裁判所に手を回して、精神鑑定に持ち込み、無罪を勝ち取っている。

 

 父はこの事にも気がついていた。司法が当てにならないのなら、世論に訴えようと、各種メディアにこの醜聞を密かに持ちこんだが、権力者や富裕層でもない、軍上層部からも忌避されている非主流派の一軍人の訴えなど、政府や軍に睨まれ、自身に火の粉が降りかかる事を恐れたマスコミが取り上げるはずもなく、あっさりと門前払いされている。

 

 父は絶望したのだろう。最愛の妻を亡くし、罪を犯した者は罰を受ける事も無く、自由な生を謳歌している。正義を守るべき司法機関は権力者の走狗と化し、その事を恥じもせぬ。権力者は我が子を偏愛して、他人の子を傷つける。そして、何よりも許せないのは、それを悪と認識しつつ、何を成す事も出来ぬ私自身だ!と。

 

 …父は悲しい程に真面目な人だった。世の中などこんなものだと割り切って、冷笑的な態度をとる事も、酒色に耽り、世の理不尽を忘れる事も、どちらも出来なかった。悪を悪と知りつつ、何もしない事もまた悪なのだ、との考えに囚われた父は、破滅を予見しつつも、ほんの僅かな可能性に縋り、絶望的なクーデターを企図せざるを得なかった。私は息子として、父の姿に限りない尊敬を捧げると共に、遣る瀬の無い悲哀を覚えている。

 

 父は自殺直前、新任の法務将校として、リゲル航路警備部隊に赴任していた私に、一通の手紙をくれた。それは遺書だった。そこには、母の死とその真相、そして死を決意した父の真情が縷々語られていた。もう何度読み返したか分からない。今では一言一句たりとも間違わず、正確に暗唱できるほどになった。

 

 

 我が息子ルドルフよ。父は死を決意した。もはやこの世に何の興味も無い。いや、腐敗の極み、悪徳の都市と堕した連邦首都テオリアに、これ以上留まる事は耐えられない。亡き妻の元に行く事だけが私の望みなのだ。

 

 …お前の母の死の真相はこの通りだ。私がやった事は、連邦軍人としては許されない事なのだと思う。だが、今や銀河連邦は、人として許されざる事を容易に行える輩が横行する場所と化した。無辜の人間が理不尽に殺害されて、罪を犯した者が裁きを受けない、そんな国は間違っている。いや、それは国などではない。ただヒトという獣が徘徊する暗黒の地獄と言うべきだ。

 

 私はこの国を壊したかった。この悪徳に満ちた国を崩壊させ、秩序と倫理ある清新な国家を創造したかった。いや私が作れなくても良いのだ、大志ある者が理想的な新国家を創造する、その礎となれれば本望だった。だが、結果はお前も知る通りだ。私の試みは無残に失敗した。どれほど高邁な理想を掲げようと、無力なる者に出来る事など何も無い。その現実を突きつけられた。私が処刑されなかったのは、教え子達が庇ってくれたからに過ぎない。若者を犠牲にして老人が生き延びてしまった。この一事だけで、私が死ぬべき理由としては十分だ。

 

 これから私がお前に言う事は、人の親として言ってはならない事だろう。だから、お前が幸福に、平穏に生きたいと願うならば、この手紙はもう焼き捨てろ。そして、父や母の事など忘れてくれ。クーデターの支援者から集めた資金の残りが金庫に入っている。これを持って、連邦軍人を辞めて、どこか辺境域の惑星に行け。そこで何か商売でも始めるか、地元の企業にでも勤めて、好ましい女性と結婚し、慎ましく一生を過ごせ。もう連邦軍には関わるな。私がクーデターの首謀者の一人である事は、軍の高官連中も薄々気付いているはずだ。お前が軍に留まれば、連中は意趣返しにお前を最前線送りにするだろう。だから、その前に軍から逃げ出せ。私の愚行でお前を危険に晒してしまった事、心の底からすまないと思っている。しかし、それでもお前が私の言葉を聞くと決心してくれたならば、矛盾するようだが、これほど嬉しい事はない。決心がついたならば、次の便箋を開け。

 

 この便箋を読んでいるという事は、私の言葉を聞く決心をしてくれたのだな。これから私がお前に語る言葉は呪いそのものだ。耐えられないと思ったら、その時点で止めてしまえ。

 

 どうか復讐してくれ。この国を徹底的に破壊してくれ。自身の悪徳を恥とも思わぬ卑劣漢共を鏖殺してくれ。父と母、そして生まれてくる事が出来なかった子供の仇を討ってくれ。このままでは死んでも死にきれない。悪が栄え、善が滅びる社会など絶対に間違っている。お前を軍人にしたのもそのためだ。これからは乱世だ。連邦の統治体制は事実上、崩壊している。宇宙海賊や武装したマフィアが跳梁跋扈し、辺境に駐屯する連邦軍は軍閥化を進め、連邦政府の統制を離れた星系政府は独立を企図して、互いに離合集散を繰り返している。この状況を抜本的に打開するためには、圧倒的な軍事力が必要だ。私はクーデターとの手法で中央軍を制圧し、それを手に入れようとしたが失敗した。お前は私の轍を踏むな。中央軍は腐敗した高官連中の影響力が強すぎる。地方星系へ行け。連邦政府と軍の横暴に憤っている地方勢力は陸続と出現している。彼らを味方につけろ。お前には人を惹きつけるカリスマ性がある。有為な人材を集めろ。有力者を味方につけて、お前個人に忠誠を誓う武力集団を作れ。そして、地方星系にお前の王国を築くのだ。民意など顧慮するな。ただ悪を罰し、そして善を行え。お前が正しいと思う道を歩め。お前が成功すれば、民意はお前を是とし、称賛するだろう。所詮、民意などその程度のものなのだから。そして、いつの日か、この悪徳の都テオリアを征伐してくれ。それだけが私の望みだ…

 

 

 正直に言えば、それほど意外ではなかった。父が強い鬱屈を抱えている事は、ずっと前から気が付いていた。母の死にしても、士官学校に入ってから、自分なりに調べてみた。精神鑑定の結果が疑わしい事、犯人が連邦軍高官の子弟だった事も、僅かながら報道されていた。尤も、影響力皆無のミニコミ紙しか書いていなかったが。

 

 それでも、父の言葉が当時の私を発奮させたのも事実だった。父の勧めに従って、軍を辞めて辺境域に行こうとは皆目思わなかった。私は自分の力量に自信があったし、王国云々は兎も角、軍人として武勲を挙げ、社会的に影響力のある人物になれば、父や母、産まれる事が出来なかった兄弟の如き不幸を少しでも減らす事が出来るのではないかと、今にして思うと汗顔赤面の至りだが、若さ故の驕りというか、当時は素直にそう思っていた。

 

 それが如何に甘い見通しだったのかと痛感させられたのは、そう宇宙暦293年だった、謂れの無い罪で憲兵隊に逮捕され、軍法会議への出頭を命じられたのだ。

 

 当時、宇宙海賊の討伐に尽力していた私は、奴らの背後には政府や軍と癒着した多星系企業が存在する事に気が付いた。海賊どもは、これら企業が違法なダーティビジネスを行う際の先兵、私兵だった。私は企業への警告として、海賊どもの艦船を拿捕せず、敢えて即時の撃沈も断行した。中央の大手企業の横暴に苦しめられていた地元住民は拍手喝采して、私の正義を認めてくれた。

 しかし、貪欲な財界人どもには、私は邪魔者以外の何物でもなかったのだろう。階級剥奪と軍刑務所への収監が決まった時は、流石に目の前が真っ暗になった。私の人生もここで終わりかと。命こそ永らえても、社会的には死んだに等しい。父の願いにも応えられず、何を為す事も無く終わるのかと思うと、父同様、自ら命を絶つ事さえ本気で考えた。

 

 だが、私は十三階段を上りはしなかった。いや、私はその時、栄光へと続く階段の一段目に立っていたのだ。

 

 ペデルギウス星系住民の世論を喚起し、抗議デモを主導したクロプシュトックとは旧知の仲ではあったが、彼がこれほど真剣に動いてくれるとは、全くの予想外だった。

 釈放後、彼にその理由を聞いてみたが、貴方はこんな所で終わるべき人ではないと繰り返すばかり、ただ彼の目が何かに憑かれたように、熱狂的な色を浮かべていたのが印象的だった。私は父の言葉を想起せざるを得なかった。私には人を惹きつけるカリスマ性があると。己の天運を信じ始めたのはあの時からだったかもしれない。

 

 それからも順風満帆だった訳ではない。だが、今にして思うと、私の人生はある意味、父の言葉通りに進んできた。ファルストロングやハーンなど有為な人材を集めて、彼らと結成した政党「国家革新同盟」は連邦議会で存在感を示すに至った。次の選挙では確実に単独過半数を確保できるだろう。クロプシュトックやノイラートらペデルギウス星系の有力者を味方につけて、同星系の治安維持部隊司令官たるリスナーは私個人に忠誠を誓い、ペデルギウスは今や私の王国にも等しい。

 

 だが、もはや父の言葉に従う事は出来ない。私は明日、連邦政府首相に就任する。父は首都テオリアを悪徳の都と罵倒し、いつの日か、私がテオリアを征伐する事を夢見て逝った。しかし、明日から私は、連邦市民3000億人の生存と安寧に責任を持たねばならない。テオリアが悪徳に満ちた都市である事に異論はない。だが、征伐は出来ない。私はテオリアの悪徳を浄化するため、最高権力者になるのだから」



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5-3:【宇宙歴307年6月2日】

「全く野党の馬鹿者共には腹が立つばかりだ。私の真意を理解しようともせず、僅かな言葉尻を論い、さも自分達が正義の側であるかの如くに振る舞う。連中は、終身執政官なる地位は民意を無視するもの、独裁者そのものだと主張する。だが、私は逆に問いたい。一体、民意とは何なのかと。

 

 連邦政界での経験は、私に民意の存在意義を疑わせるに十分だった。ペデルギウス時代、私はまだ民意というものを信じていたのだ。民衆は私の主張と行動を正しいと判断したが故に、私を支持し、投票してくれているのだと。

 だが、そうではなかった。民衆は正しいから支持しているのではない、いや、そういう者も存在しない訳ではないが、大多数は自分に利益があるから支持しているに過ぎない。それが証拠に、私の政策が自分の利益にならなくなった者は、途端に私を激烈に批判、非難し始めた。

 失業を罪として、失業者には政府が指定する職場での労働を義務化した時が良い例だ。失業保険を打ち切られて、労働を命じられた者達の中には、それまで私を支持していた者達も多いのに、彼らは弱者虐めだと、一転して私を非難し始めた。失業保険とは税金だ。税金を当てにして怠惰に生活するのと、額に汗して労働して得た賃金で生活するのとでは、どちらが人間として正しいあり方か、子供でも分かる道理だ。

 

 私は、人間の行動原理とは欲望、自分が得をしたい、或いは自分以外の誰かが得をする事が許せない、畢竟、それだけでしかないのだと悟らざるを得なかった。私の腹心たる政治学者エッシェンバッハが喝破した如く「民意とは、ただ我欲の充足を訴えるだけの叫喚」でしかないのだ。

 

 だが、民主主義国家では、その民意によって統治者の地位が左右される。誰が自分の欲望を最大限に充足してくれるだろうか、基本的に判断基準はそれだけしかなく、個々の利害得失を超えた、社会全体の公益を顧みる者などいない。仮にいたとしても、それは公益を装った私益を追求しているに過ぎない。

 

 この結果、統治者たる責務を自覚して、真摯に公益を希求する権力者は、選挙という名の儀式で、容易にその地位から逐われる。そして、責任感もなく、ただ民意に迎合するだけの者が権力者の座に就く事となる。

 また救い難い事に、民意に迎合しなければ権力を得られないだけではなく、権力を手に入れた後も、次の選挙という儀式を考えるなら、ひたすら民意に迎合し続けなければならないのだ。

 

 先日も、連邦体制からの分離独立を企図した星系政府を討伐し、没収した資産を一時金との形で民衆に分配したが、これが統治者として恥ずべき事である事は、良識派などという連中に言われずとも、私が一番自覚している。民衆に対し、私の政策の正しさではなく、私の政策が彼らの直接的利益になる事を露骨に示さなければ、有権者という別名を持つ民衆は、そのうち私に飽き、ただ権力者の地位にいるという事だけに嫌悪感と不平不満を抱いて、遊び飽きて古ぼけた人形の如くに顧みなくなり、もっと新しくて美しい人形を求めるようになるだろう。 

 

 だからこそ、公益に適い、論理的に正しい施策を継続的に実施するためには、民意に拠らずして立てる地位が必要なのだ。

 

 恐らく野党連中は言うだろう。それは独裁者の論理だと。民意による承認を受けずして、その地位の正当性を如何に担保するのかと。だが、民意とは畢竟、我欲充足を求める叫喚に過ぎない。民意の承認とは、我欲が充足された事への満足を示すものでしかなく、それで示される正当性とは一体、如何なるものか。

 

 例えて言うなら、耐えがたい空腹を抱えている者が食べ物を貰えれば、与えてくれた者が仮に犯罪者であっても、その者の意志に逆らう事は難しいだろう、さらに、今後も食べ物が貰えると分かれば、犯罪者に味方して、その存在を肯定さえしかねない。まして、その者が餓死しかけている子供を抱えた親だと仮定したならば、その親は食べ物を与えてくれる犯罪者の存在を倫理的に否定できるだろうか。

 

 言うまでも無く、空腹に苦しむ者は有権者たる民衆、食物を与える犯罪者は権力者の比喩だ。これは極論だが、有権者の承認を得たからといって、それが権力者の倫理性、正当性を必ずしも担保するものではない、と言えるのではないだろうか。

 私は、権力者の正当性を担保するものとは、民意だろうが、神意だろうが、また天命だろうが、形式的には何でも良いと思っている。権力者の正当性とは、その者が為した政治的業績の有効性、具体的には救い得た人命の数、また平穏に天寿を全うさせた人間の数で判断されるべきなのだ。

 

 さらに私は、民衆が理性的かつ論理的な判断能力を有するとは、どうしても思えないのだ。その時の雰囲気や一時的な感情に流され、民意尊重の美名の下、多数が少数を不当に迫害し、甚だしきは死に追いやっても、民衆はその事に責任を感じるどころか、全くの無自覚でさえある。

 地球時代、人種や民族問題に起因する紛争や差別、情報インフラの整備がもたらした極端な民意の高まりと、それに迎合した権力者らによる「民意に基づく」犯罪的行為は、枚挙に暇が無く発生しているが、それは現在の連邦でも変わっていない。前述のエッシェンバッハ、また私の部下たる憲兵ガルシア(後の帝国軍憲兵総監ブレンターノ)の事例は、民衆が持つ、ある種の愚劣さと残酷さを痛感させるに十分な内容だった。

 

 さらに、これほど高度に多様化かつ複雑化した連邦社会の実情を客観的に分析し、個々の政策課題について、論理的な判断を下せる者が一体何人いるのだろうか。少なくとも、大多数の連邦市民が、その条件に当てはまらない事は自明だろう。それは衆愚政治と堕した連邦政界の現状が証明している。

 尤も、これは民衆の責任というよりも、欲望の解放、社会の発展を是とする高度資本主義がもたらした弊害であろう。しかし、成長した赤子が再び揺籠に戻る事は物理的に不可能なように、構築された社会構造を再度、中世または近代の水準にまで、即座に逆行させる事もまた不可能だ。

 

 現実を現実として認識できず、適切な対応策が選べない者は愚者の名に値するが、私は愚者たるの汚名を甘受する気は無い。よって、連邦社会の実情を客観的に分析して、必要な政策を立案できる能力を持つ者達を集め、政府や軍の高官とする。私は、民意によって左右されない地位に就き、最高責任者として彼らを統括、私と彼らとの合議により、最適な政策を協議する。そして、私が責任者として最終決定を下す。これが最も効率的かつ実効性ある統治体制だと考えている。そのための終身執政官なのだ。

 

 ああ、野党への反論のつもりで書き始めたら、つい筆が走ってしまった。まあ、公の場で発表する時は、言葉遣いを大きく修正しておく必要があるだろうが。さて、誰に見せる文章でもないから、この際だ、本音も書いてしまおう。私は民衆が嫌いなのだ。

 

 私の政策に対して、論理的に根拠を挙げて反論してくるのならば、私は聞く耳を持つつもりだ。だが、大多数の民衆は、ただ自分達の不平不満の捌け口として、権力者を誹謗中傷しているだけに過ぎない。そこに理性など皆無だ。

 日々の生活に追われて、政治や行政を始め、社会問題をじっくり考える余裕が無い事は分かる。だが、多様で複雑な問題が存在している事が理解出来ず、理解するための学習もせず、他者の意見を聞く耳も持たず、ただ自分が理解出来る事だけで諸問題を速断し、偏頗な意見を得々と主張する。そんな連中に何を語りかければ良いというのだ。意識しているのかどうかは知らぬが、対話を拒否しているのは、お前達民衆の方だと言いたい。

 

 さらに腹立たしいのが、事あるごとに人権を振りかざし、自分は国家によって規制されない権利を持つ自由な市民だと主張する癖に、都合が悪くなったら、自分は国民だ、国家は国民を守る責任があると言い立てる。いい加減にしろ!と言いたい。

 

 連邦市民の多くは政府の干渉を嫌い、人権を主張して、自己責任論を好む。だが一旦、貧富の格差や治安の悪化、災害や疫病の発生など、個人の力では対処できない事が押し寄せると、国家は国民を守る義務があると言い、自分達が不利益を被らない為の対処を要求して、自己の要求が叶えられないと見るや、当局者は無能だと非難の大合唱を浴びせてくる。自己責任と言うならば、自分の力が及ばない事態でも、自分が可能な範囲で対処し、それによって生じた不利益や不都合は甘受すべきなのではないか。これは悪しき二重基準ではないのか。

 

 国家は無謬でも全知全能でもない。自分が権力者になってよく分かった。最高権力者と雖も、法や先例に縛られ、支援者や有力者の意向に忖度し、部下達の感情にも配慮して、あらゆる事に制限される。

 にも関わらず、民衆は国家に無限の富と英知を求め、それが得られない事に怒り、権力者の非を鳴らす。これだけ個々人の価値観や生活様式が多様化した今、彼ら全員の要求を本当に満たそうとするなら、人民1人当たりに国家が1つ必要になるのでは、と皮肉交じりに言いたくなる気分だ。

 個人の権利を守るために全力を挙げるのが国家の存在意義だなどと言う輩がいるが、私には彼らの純粋さ、いや脳天気さがむしろ羨ましい。皮肉抜きで、そうできれば本当に良いだろうと思う。

 

 権利を主張するならば、義務を果たさねばならない、という事は考えないのか。人間は1人で生きている訳ではない、また1人で生きる事もできない。心情的な意味ではなく、分業化された社会では、1人で自己保存に必要な物資とエネルギーを賄う事が不可能だとの意味で。

 人間が社会的存在として生きる事を選び、その中で相応の権利を主張するのなら、社会を維持するため、権利に相当する義務を果たすべきなのだ。それは、社会を構成する一員としての自覚と、最低限のルール遵守、そして社会に過度の負担を掛けない分相応の生活態度、ではないかと思う。

 

 少なくとも私は、法と倫理を犯さず、多くを望まず、他者を犯さず、生業に励み、正しい知識を学び、心身ともに健全で、ただ平穏に生きる事に満足する、そういう人間にこそ権利を主張する資格があると考える。

 逆に、自由や人権を大義名分とし、欲望を無制限に解放する事を当然とし、理不尽かつ無責任に他者を犯し傷つけても罰を受けず、責任も取らず、自覚すらもしない。そういう人間に権利を主張する資格は無い、連中は秩序ある社会を乱すだけの有害な存在だ。

 

 故に、人権の名の下に、自由主義と民主主義を国是として、有害な存在を容認する連邦という国家は間違っている。よって、自由主義と民主主義にも懐疑の目が向けられるべきなのだ。私は、自由主義と民主主義は、政治思想としては認めるが、それを統治技術とする事は誤りだと考える。

 これらの思想は、圧制者への反抗及び闘争を正当化するための思想的背景となったが、恐らく思想上の意義しか有していないのだ。それを現実政治に適用した事が誤りだったのだ。統治とは、少数による多数の支配が本質である以上、多数が多数を統治する事を前提とする民主政治は、そもそも論理的に破綻していたのだ。

 

 真に偉大な統治者は、民衆に愛される事は無い。彼らは、統治者の偉大さが理解できる力量を持たないから。

 そして、人間は理解出来ない者を愛する事は無い。ただ闇雲に畏怖するか、理も非も無く否定するか、どちらかでしかない。一個人としては愛されたいと思う。だが、統治者としては否定されるべきだと思っている」



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5-4:【帝国暦元年12月17日】

「皇帝即位に伴う過密日程がやっと一段落した。就寝までの一時、久しぶりに筆を取ってみた。皇帝など大時代的な称号だと、自分でも気恥ずかしい思いを禁じ得ないのだが、まあ、そのうち馴れてくるだろう。民意に左右されず、永続的で安定的な権力委譲を可能にする装置として、主権者の地位と責務を「家業」と表現した事は、我ながら出色の着想だと自負しているが、それに相応しい称号として皇帝とは。

 

 地球時代に滅びて久しい称号と認識していたが、これを持ち出してきたクロプシュトックは、一体どこから考えついたものやら。確かに、世襲を表現する上で適切な称号だとは思う。また、辺境域の敵対勢力の中には、王や公などの中世的な称号を好んで用いる、夜郎自大な弱小勢力がいると聞く。クロプシュトックは、それへの対抗策も兼ねております、と申していたが、我が国が小勢力に張り合い、皇帝や帝国などと名乗る方が、却って鼎の軽重を問われそうな気もするのだが。とは言え、もう決まった事だ。今さらとやかく言う事も無い。バロック的美意識は私、いや余も嫌いではないしな。

 

 さて、連邦時代の終身執政官を超越して、絶対に近い権力者になる事ができた。余の理想を理解して、忠誠を誓ってくれた有為なる臣下達も多数集った。とは言え、連邦を懐かしみ、自由主義と民主主義を奉じる敵対勢力は侮れない強敵だ。領内には帝国の支配に疑問を抱く勢力が未だに多く、連中への配慮から、連邦議会を帝国議会として残さざるを得なかった。

 しかし、奴らを倒せば、全人類社会を理想的な状態に近づけられる、帝国の支配を受け入れる臣民の生存と安寧が保証され、平穏に人生を全うできる社会を作り出す事が出来るのだ。 

 

 無論、理想の実現までには、まだまだ長い年月がかかろう。或いは、余の代では終わらないかもしれぬ。その事を考えるならば、優れた後継者の存在は必須だ。余には娘はいるが、残念ながら息子はいない。建国間もない帝国の主権者が女帝、という訳にもいくまい。エリザベートが男子を産んでくれれば一番良いのだが、年齢的な問題もある。高齢出産では母体に負担がかかるし、障害児が発生する確率も高くなると聞く。気は進まぬが側室を迎えるか、或いはカタリナに婿を取らせるか、まあ、余自身がまだ数十年に亘って政務を担当できる以上、今すぐ決める事でもあるまい、家族や臣下とも相談せねばならぬし。

 

 それに、後継者問題は帝室だけの事ではない。統治は皇帝1人で出来るものではない。今は優秀な臣下がいてくれるが、彼らもいずれ死ぬ。彼らに後継者育成の義務を負わせて、皇帝と同様、その地位と職責は家業として世襲させる事を考えている。

 

 彼らを支配者層とし、政治・行政・軍事・経済などの担い手とする。名称はそうだな、余が皇帝である以上、やはり「貴族」が妥当だろう。ただ、世襲と雖も、貴族身分内での競争、切磋琢磨は当然、必要となる。子が親と同じ職業に就くとしても、親が長年かけて到達した地位に、何らの実績も経験も無い子をすぐに就ける事は出来ない。組織が機能不全を起こす事は自明だからだ。人材の新陳代謝を図るため、例えば親が出仕していた役所に優先的に採用はされるが、任官後は同期の者達と出世競争をさせるとか、制度の詳細は今後、検討していかねばならないだろう。

 

 それと、今思いついたが、この貴族制度、議会を切り崩すのに使えるかもしれんな。議会議員の多くは、各星系の有力者達だ。彼らに貴族の身分を与えて、地盤とする星系を領地として下賜する、これを餌に議員を籠絡すれば、労せずして議会解散に持ち込めるかもしれん。制度設計と並行して、ハーンやランケ、ノイラートらと協議する価値はあるな。

 

 そう言えば、皇帝即位後、議会で所信表明演説を行ったが、野党議員の一部から批判の声が上がったと聞く。余は連邦首相時代より、福祉よりも就労を掲げ、各種の福祉給付を削減、廃止して、その分の財源を公共事業や民間企業への支援金に充てた。失業者が雇用される場を作り出して、失業は罪と定め、政府が指定する職場での労働を義務化した。帝国でもその方針は変わらないと述べただけなのだが、その一節に「地球時代、ある思想家は「天は自ら助くる者を助く」と述べた。余はこの主張を是としたい。自己保存のために尽力する事は、ヒトの本能であって、人間の義務でもある。生き残る力を持てない者、持つ意志が無い者が滅亡する事は、適者生存の法則による自然の摂理なのだ。余は責任ある為政者として、自然の摂理に逆らい、社会に無用の負担を負わせる者を容認する意思は無い。彼らは滅びるべきであり、静かなる滅亡こそが彼らの進むべき道なのだ」とあったのが、連中の癇に障ったようだ。

 

 一部の野党議員は「生き残る力が無い者は滅びてしまえ、それが皇帝の本音か」と言っているそうだが、確かに字面だけで判断すれば、そういう解釈もできるか。余の真意は選択と集中、だったのだが。

 

 生き残る力が無い者は自然の摂理によって滅亡へと至る、故に、臣民に生き残る力を与える事、それが政治の役割だと考えている。これは連邦時代から一貫して変わる事の無い、余の政治哲学の1つだ。

 

 高度に分業化された現代社会では、生き残る力とは生計を維持できる能力に他ならない。余は連邦首相時代、雇用確保のため、主要企業の国営化、業界ごとに各企業の統合と系列化を進め、経済活動を政府の管理下に置くとした。同時に、職業の世襲化を称揚、企業経営者らに対して、退職した社員を補充するため、新規採用を計画した時は、退職者の子弟を優先的に採用するように、と申し入れをしている。教育も、実学や技術取得を中心に行い、手に職を付ける事を推奨した。

 

 また、これは計画中だが、各種の福祉制度を廃止する代わりに、最低限の衣食住を支給する配給制度の創設を予定している。さらに、臣民らが理不尽な暴力で命を落とす、身体に重篤な怪我を負う事がないよう、厳酷な手法を用い、テロ行為も辞さない反帝国組織を始め、宇宙海賊やマフィア等の犯罪者集団を逮捕または排除する事で、帝国領内の治安維持を断行していく心算だ。

 

 これらの政策を継続的に実施するには、とにかく金が必要だ。残念ながら、我が帝国の予算は決して潤沢とは言えない。帝国は銀河連邦の後継国家である以上、連邦政府の資産と共に、負債も引き継がざるを得なかった。そうでなければ、財界人を味方に付ける事は出来なかっただろう。いくら帝国政府が通貨発行権を有していると言っても、その発行量は慎重に決定されねばならない。経済活動に応じた発行量でなければ、帝国マルクの額面ではなく、早晩、札束の重量で支払をする事になるだろう。いやいや、そんな通貨政策を許可したら、「人の皮を被ったコンピュータ」こと、財務尚書リヒテンラーデに縊り殺されかねんな、余は。

 

 つまりだ、福祉を削減する事は、福祉よりも就労を掲げる余の政治方針もあるが、福祉財源を他の施策に転用するため、との理由も大きいのだ。削減対象として福祉予算を選んだのは、単純に額が大きいから、という理由もあるが、その大半が老人福祉に支出されるからでもある。

 既に生産年齢を過ぎた高齢者への福祉・医療費は、連邦政府の総予算の中で、毎年度、相当の割合を占めていた。社会の再生産に寄与しない高齢者に多額の税金が投入されたのは、年齢を重ねた彼らは基本的に保守的で、与党支持者が殆どだったから、との理由に過ぎない。

 

 私は連邦首相時代から、生産年齢を過ぎた高齢者への福祉は削減し、その財源を雇用対策や貧困対策に使うべきと主張してきた。対して、野党及び与党の一部からは、弱者切り捨てだと批判の声が上がった。

 

 しかし、これは逆差別ではないのか。例えば、1人の寝たきり老人に死ぬまで安楽な生活をさせるための予算で、幼子を抱える母子家庭が生活不安を払拭できるとしたら、どちらがより社会正義に適うだろうか。近い将来、確実に失われる生命を無為に延長する代わりに、労働との形で長く社会に貢献できて、子供を産み育てる青壮年層が充実した生活を送れるようにする事、どちらがより社会の発展に寄与するだろうか。余は後者だと考える。

 

 老人を敬い、孝養を尽くす事は美徳だ。だが、それは個人の美徳であり、公人の美徳ではない。公共、公益を考えねばならない統治者は、個々人の幸福を超えて、社会全体の幸福量を最大化する事を考えるべきだと思う。

 

 余に言わせるならば、自由主義の美名の下、過酷な生存競争を強い、貧富の格差が極大化しても、自己責任論で切り捨ててきた連邦政府の政治家や官僚、財界人ども、連中は声にこそ出さなかったが、紛れもなく「生き残る力が無い者は滅びてしまえ」と、失業者や貧乏人に宣告していたと思うがな」



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5-5:【帝国暦23年10月3日】

「マグダレーナと赤子には可哀想な事をした。エリザベートやカタリナがあれほど憎悪するとは思わなかった。ジギスムントを後継者にする事は構わないのだが、万が一に備えて、帝位継承権を持つ者が複数いても良い、と思ったが故に子を作ったのだ。

 

 そして、あれ達には話せないが、シュタウフェン家の者達に権力を与え過ぎる事も、他の臣下達の手前、あまり好ましくはなかったのだ。マグダレーナの背後に、クロプシュトックがいた事も知っていた。クロプシュトックは、余がペデルギウスで不当に逮捕された時、私財を投じて釈放運動を展開してくれた時からの腹心、同志と言って良い。だから、マグダレーナに子を作らせた面もある。彼奴の思いを無碍にするのは、流石に出来なかったのだ。それに、臣下間の勢力均衡という意味でも、クロプシュトックとシュタウフェンが対立的関係にある事は、皇帝の立場としては、ある程度は歓迎すべき事態でもあったから。

 

 しかし、妻や娘達にとって、クロプシュトックやマグダレーナは、帝位を狙う盗人でしかなかったのだろう。全く女とは度し難い、とは言いたくない。私は妻や娘達を愛している。初孫のジギスムントも可愛くてならぬ。

 

 私は家族達を失いたくない、家族からの愛が憎悪に変わる事に耐えられない。だから、私はマグダレーナと赤子を見殺しにした。同志、いや友情さえ感じていたクロプシュトックが失脚して、帝都から事実上の追放となっても、それを制止しなかった。 

 

 何かを得る、守るためには、何かを犠牲にしなければならない。そんな事は既に分かっていたはずだ。政治の場では、常にそうせざるを得なかった。今もそうだ、余は余の理想を達成するため、それを阻害する自由主義と民主主義を根絶しようと、それを奉じる者達を殺している。別に心が痛む訳ではない。理想実現のために必要な犠牲だと割り切っているからだ。余に異論があるならば、力を蓄え、銀河帝国を打倒すれば良い。銀河連邦に対して、余がそうしたように。

 

 だが、これは統治者として、理性的かつ論理的に判断し、必要と信じて決断した事だ。マグダレーナの件は、それとは違う。理性的に判断した訳でも、理想達成のために必要と信じたからでもない。余の愛情、いや執着という名の欲望に起因する事だ。

 

 分かっているのだ。いや、分かっていて目を背けてきた事だ。私もまた、欲望を行動原理とする人間に過ぎないのだと。その事を痛感させられた。また同様の事を起こすのか、そう考えると、玉座に座っていられない気分になる。余は統治者として失格だ。だが、治世の責任を放擲する訳にはいかない。もう側室に子を産ませる事は二度とせぬ。そして、ジギスムントを後継者に定めよう。皇太孫として立てれば、妻や娘も満足するだろう。余に出来る事はこの程度だ。もう眠りたいが、今夜はアルコールの力を借りねば、寝つく事は出来なさそうだ…」



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5-6:【帝国暦27年12月1日】

「皇帝など少しも偉くないのだ。即位当時の余は熱病に冒されていたのだ。何が「神聖にして不可侵たる」だ、どこが「全宇宙の支配者、全人類の統治者」なのだ!

 

 貴族たちが増長してきた事は感じていた。政府や軍に出仕する文官や武官は余の目を意識する故、そこまで酷くはないが、領地を下賜した領主どもは、皇帝か国王にでもなったつもりなのか!

 

 領地は領主に譲渡したのではない、あくまで帝国の領土であり、功績によって、各領主に恩賞として下賜したに過ぎない。最終的な所有権は帝国皇帝に帰属する事、貴族法にも明記している。だと言うのに、まるで先祖伝来の土地でもあるかの如く扱っておる。帝国政府が貴族領を通る新規航路の開設を計画すると、例え政府や軍の依頼でも、我が領土を勝手に横断するなど、我が家の体面に関わる一大事である、是非にと言われるのならば、皇帝陛下か尚書閣下と直接お話しさせて頂きたい、だと!何様のつもりか!

 

 本心を言えば、増長した貴族など爵位も領地も剥奪してやりたい。だが、貴族制度は始まったばかり。制度を創設した余が恣に領地の没収など繰り返せば、制度の根幹が揺らぐ。帝国のため、真摯に仕えている貴族たちも動揺するだろう。

 

 だから、領主貴族で構成される「枢密院」という組織を設けるべきですとのハーンの提言を受け入れたのだ。個別案件ごとに余が対応するのは非効率すぎる上、課題の優先度に応じて、対応の順番を決定しても、後回しにされた領主は恐らく、我が家の体面云々を言い出すだろう。それなら、貴族同士で協議させて結論を出させるべき、という主張は理解できる。

 

 だが、ハーンらは気づいているか。これは余らが否定した議会制度そのものだという事を。連邦末期の議員達は、建前上、有権者たる市民に選挙で選ばれた民意の代表者となっていたが、その実、単なる人気投票の結果か、低い投票率で相対的に強力だった組織票の力か、或いは事実上の世襲で選ばれただけの存在に過ぎなかった。

 奴らは選良と称しつつ、面子と欲望だけで動く下らぬ連中だった。有権者も自分達の欲望を満たしてさえくれれば、議員が悪徳に耽ろうが、むしろ「剛腕」などと正当化し、共に悪徳に塗れた。正義と公益を主張する議員どもも、ただそういう言説を好む、良識派とかいう有権者に媚びていたに過ぎない。実際、連中が政治力学の結果、一時的に政権を奪取しても、無能ぶりを曝け出しただけに終わったではないか。

 

 余は予言する。枢密院はその機能のみならず、悪徳と腐敗も連邦議会と同様だろう。議会議員を篭絡するために貴族制度を利用した事が仇となったか。だが、あの時点では、それが最適解だと判断したのだ。

 

 無論、全ての貴族が余の期待する通り、支配者に相応しい能力と人格の持ち主だと思っていた訳ではない。人間にそんな期待をする程、余は傲慢でも無知でもないつもりだ。しかし、領主どもの増上慢は余の予想を超えた。理性よりも面子や意地に囚われ、自分達の我欲や不満を「貴族の権利」との大義名分で言い立て、それを与えてくれと、国家に要求してきた。

 市民の権利を主張し、我欲の充足を声高に訴えた連邦市民と全く同じだ。人間など、その力量に多少の違いはあれども、本質的には皆同じという事なのだろう。余自身が、欲望を行動原理とする人間である以上、貴族達もまた同様なのだ。分かっていた事なのだ。分かっていながら、目を背けていた事だ。

 

 だが、一縷の望みを抱いてもいた。余が期待する通りの存在がいるのではないかと。だが、結局無駄だった。余が理想とする存在に、余は死ぬまで巡り合う事は無いのだろう。来世だとか、輪廻転生だとか、そういう戯言は信じていないが、もし来世とやらがあるならば、そういう存在、余が讃嘆してやまない者に会いたいものだ…

 

 嗚呼、酒が飲みたい。最近、どれ程の美酒、銘酒を飲んでも、美味いと感じる時が本当に少なくなった。理由は分かっている。余が真に心を許せて、共に酒を酌み交わしたい相手がいなくなったからだ。皇后のエリザベートはマグダレーナの一件以来、余に猜疑の目を向けるようになった。もう側室に子を産ませる事はせぬと誓い、孫のジギスムントを正式に後継者、皇太孫に定めても、余が同じ事を繰り返すのではないかと疑っているのだろう。寝室どころか、余の私室に来る事さえ稀になった。ノイエ・シュタウフェンと結婚したカタリナの邸宅に足繁く通い、政府や軍の実権をシュタウフェン家で独占する事を企図しているようだ。30年近く連れ添ったというのに、余はそれ程に信用ならんのか。余はあれを粗略に扱った覚えなどないのに。夫婦の愛情など、子への執着や権力欲の前では、陽光の前の氷と同じなのか。

 

 青年期からの同志、盟友と言える存在も本当にいなくなった。クロプシュトックがここにいてくれれば、酒の相手をさせるのだが。だが、あの者は余の愚かさから帝都を追放され、もう今生では会う事さえ叶うまい。ハーンは残っているが、彼奴は酷い下戸で、体質的に酒精を一切受け付けないのだ。余が求めれば無理にでも飲むだろうが、あれ程有能な男を急性アルコール中毒で失わせるなど、ルドルフとは何と愚かな主君かと、後世の物笑いの種になるだろう。しかし、こういう夜は痛切に思う。彼奴が余と同程度に飲める男であればなあと…

 

 絶望は死に至る病と言ったのは、地球時代のある哲学者だったか、それに倣って言えば、孤独は死を求める病なのかもしれない」



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5-7:【帝国暦38年12月30日】

「人間の欲望、要求とは果てが無いのか。今度は余に神になれと言ってきた。人が神になれるわけがなかろう。神になれるという奴は、例外なく狂人かペテン師だ。歴史を少しでも学べばすぐに分かるだろうに。

 救い難い事に、余が認めた貴族の中にさえも、大真面目に余が神だという者がおる。お前達の頭に詰まっているのは何か、大脳などではあるまい、精々ごてごてしたケーキに使う甘ったるいクリームの類だろう。貴族どもの馬鹿さ加減には本当にうんざりする。

 だが、民衆も似たり寄ったりだ。余が大神オーディンの顕現か否かなど、心の底から馬鹿馬鹿しいと思う話題を真剣に論じて、余が神ではないと主張する者を皇帝への敬意が足りない不忠者だと弾劾し、果ては社会秩序維持局に密告して、逮捕を求めるなど、もはや狂気の沙汰としか言えぬ。

 

 結局、連邦体制を破壊し、民主主義を否定し、皇帝専制と貴族制度に基づく銀河帝国を建国した余の仕事は、連邦社会の愚劣さを再生産したとの一点において、何の意味も無かったのだろう。連邦は市民の愚かしさにより滅びた。帝国もまた、臣民の愚かしさによって滅びるのだろう。

 

 最近、よく見る夢がある。余が黒真珠の間に入る。居並ぶ廷臣達に向かって宣言する。余は退位する、皇帝制度と貴族身分も廃止する、銀河帝国は統治をやめる、今この瞬間から、お前ら全員、好きなように生きて死ね!と。夢の中でだが、その時の余は、例えようの無い程の解放感に浸っている。そして、目覚めた後、現実との落差に常に愕然としている。

 

 分かっているのだ。例えこの身が引き裂かれようと、そんな事は口に出来ないと。青年期から抱いていた余の理想を余自身が否定する事になるからだ。

 

 罪無き者が理不尽に生命を奪われずに生きていける社会、それが余の理想だ。既に帝国の統治は安定化しつつある。帝国が統治の責任を放棄すれば、帝国の支配を受け入れた罪無き者達が理不尽な死を強制されるだろう。国家が崩壊する時は、常に大きな混乱が起こる。その犠牲になるのは、常に無辜の人民だ。

 

 余は連邦を帝国に変えた時、その点を強く留意していた。だから、義父たるシュタウフェンを軍官僚にも関わらず、連邦軍中央艦隊司令官に任命し、中央軍を掌握させた。司法尚書キールマンゼクに指示して、帝国建国に異を唱える可能性がある者は、微罪を以て逮捕させ、社会から隔離した。表立って排除はできない人物は、憲兵総監ブレンターノ、当時はガルシアと言ったが、彼奴に命じて暗殺さえした。国家崩壊に伴う混乱を最小限に抑えるためには、非合法な手段さえも使うしかなかったのだ。

 

 今、余が自身の心の弱さに負け、統治者の責任を放擲すれば、人類社会は再び混乱の坩堝と化す。それだけは出来ない。余が自身の理想追及のため、多くの人命を殺害した事が罪なら、この虚無感と孤独は罰なのだろう。だが、それで良い。罪には必ず罰がなければならない。余の母を理不尽に殺した者が罰を受けなかった連邦社会は絶対に間違っている。それが余の原点なのだから。

 

 余の生命はもはや尽きる。帝国の建国者たる余の死は、帝国のみならず、人類社会にも影響を及ぼすだろう。後継者たるジギスムントへの権力移譲を円滑に行い、政権交代に伴う混乱を最小限にとどめる事。それが余の最後の仕事だ。余でなければ出来ない事は、後の皇帝批判につながりかねない、余の神格化を求める臣民の風潮を沈静化する事だろう。青年期からの腹心もいなくなった今、相談できる相手は限られている。冷静無比の誉れ高い財務尚書クレーフェあたりが適任かと思う。もう少し考えてみよう。

 

 そして、余の考えを後世へと明確に伝えるため、皇帝、貴族、そして臣民一般への訓戒という形で、遺言を作成しようと思う。余を神格化したがる連中が再び現れても、余の考えはこうであると、その時の皇帝が反論できる材料にはなるだろう。

 尤も、言葉の解釈などどうとでもなる、解釈する者が特定の意図を持っていれば、余の意図とは全く逆の解釈さえしてみせるだろう。だから、やらないよりはやった方がまし、その程度のものでしかないだろうが。

 

 余がどれほど後世の者に対して配慮したとしても、余を否定する者は、ただの権力者の独善、人民が承認していない以上、その遺言を遵守する義務など無い、などと主張するだろう。別に自らの正当性云々に固執する気は無いが、余は連邦末期、国民投票の結果、正式に帝国皇帝の地位に就いたのだが。結局、人民が承認しても、その結論が自分の意に沿わないから、何かと理由を付けて否定したいだけではないのか。

 

 この神格化云々さえ処理できれば、後事はそれほど憂慮してはいない。いや憂慮せずに済むよう、カタリナの婿、ジギスムントの父たるノイエ・シュタウフェンに、過度の権力を与えたのだ。あれは有能な男だ。敵対勢力は辛うじて余喘を保つに過ぎない。シリウスと結んだ帝国領内の共和主義勢力が一斉蜂起するという情報もあるが、帝国軍と軍務省、社会秩序維持局を掌握するノイエ・シュタウフェンなら、問題なく鎮圧するだろう。祖父の欲目かも知れぬが、ジギスムントも責任感ある立派な若者に成長してくれた。あの2人なら、余の死後に生じるだろう混乱と紛争も的確に処理できるはずだ。

 

 その過程で、ノイエ・シュタウフェンが野心を逞しくして、帝位を望むならば、別にそれでも良いのだ。彼奴が帝位に就いても、孫ジギスムントは自身の息子、娘カタリナは自身の妻、他の娘達もノイエ・シュタウフェン公爵家の男性か、同家と縁戚関係にある有力貴族家に嫁がせたから身内となっている。あれの性格からして、仮に帝位を簒奪しても、自身の子や妻、身内の女を殺す事は無いだろう。

 

 とは言え、権力闘争とは常に非情なものだ。親子兄弟、夫婦と家族間で対立し、殺しあう事が当たり前。ノイエ・シュタウフェンがゴールデンバウム家の血を忌み、その根絶を図ろうとしたならば、もうその時は、皇帝の家に産まれた事を恨んでくれ、余を憎んでくれと言うしかないが。別に、帝位など誰が就いても、それほど変わりはないのだがな。少なくとも、この銀河帝国では」



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5-8:【帝国暦41年11月7日】

「どうでも良いが、余は後世の人間から、どのように評されるのだろう。余の理想を自らの理想とする者、余の政策が自身の利益になる者―例えば貴族達―は余を名君と称賛するだろう。逆に、余の理想を悪政と断じる者、余の政策が自身の不利益になる者―例えば共和主義者達―は余を暴君と憎悪するだろう。後世の評価など畢竟、その程度に過ぎんのだ。

 

 ただ逆に、余の仕事が後世に与えるだろう影響は考えてみたい。後悔している訳ではない。ただ、病床の徒然なるままに、思考の遊戯をしているだけだ。新無憂宮の主は、もう既にジギスムントとノイエ・シュタウフェンになっており、義務感以外で余の病床を訪れる者はほぼおらぬ。稀に曽孫のリヒャルトが遊びに来るが、子供の勢いに付き合うのは酷く疲れるのでな。勢い、一日の大部分は独りで過ごしている。これもまた罰なのだろう。

 

 さて、銀河帝国を形成する主要な要素、まず皇帝専制という政体、貴族制度と身分制秩序、世襲による支配者階級の維持、貴族・軍隊・官僚による統治機構、発展を求めぬ統制経済、人権の制限による「臣民」化、これらが指摘できるか。

 

 この中で、最も影響が乏しいのは皇帝専制だろう。統治の本質が少数による多数の支配である以上、一人乃至複数人が権力者になるという構図は、如何なる政体であれ共通すると考えている。民主国家が独裁者を生む土壌になる事実は、この事を証明しているだろう。皇帝との称号も、世襲による権力委譲を表現する上で適切な称号だったから、貴族という称号との均衡を図る上でも都合が良かったからに過ぎない。別に国王でも、総統でも、大統領でも、その本質は変わらない。

 

 では、皇帝制度と関連が深い貴族制度と身分制秩序、また世襲による支配者階級の維持はどうか。私見では、皇帝よりも貴族の方が、後世に与える影響は大きいと思っている。

 世襲によって支配者階級を構成する貴族層は、制度的にも政治権力や武力、経済力を保有できる存在であるから、将来、ゴールデンバウム家が腐敗堕落した時、それに取って代われる存在が出現するとしたら、貴族層からである可能性が高い。支配される事に馴れた臣民には、皇帝の姓がゴールデンバウムであるかどうかなど、大した問題ではないだろうから。いや、民主国家でも同じだったか、誰が支配者かなど、支配、搾取される側にとっては、どうでもよい事だろう。

 

 貴族・軍隊・官僚による統治機構はどうか。貴族を除けば、軍隊と官僚とは、如何なる国家にも必要不可欠な支配装置、普遍的な存在と言うべきだ。故に、特筆すべきものではない。民主国家ならば、その支配装置を統御するために民意を用いるが、民意を信じられない余は、その代替として、支配者層に相応しい人材を選び、貴族階級を作ったのだ。全くの妄想に過ぎなかったがな。

 

 最後に、発展を求めぬ統制経済、人権の制限による「臣民」化。案外、この2つが帝国の支配を長期化させる要因になるのではないかと、今では思っている。

 

 統制経済は、連邦末期に貧富の格差が極大化した事を踏まえて、地球統一政府の先例を参考に、人民の生命維持を最大の目的として導入した経済体制だが、採算度外視の生産を優先した結果、物価が下がり、通貨価値が上がってきた。

 その結果、帝国政府から様々な形で現金を得られる貴族層の経済力が向上して、相対的に平民層の力を低減させる事になった。遠い将来は分からぬが、この傾向が続けば、平民層が帝国や貴族に反抗する事は物理的に不可能となろう。だが、それで良いのだ。無駄な抵抗や叛乱など考えず、平民達には人生を全うする事を考えて欲しい。配給制度もそのために作ったのだから。

 

 そして、人権の制限。帝国の支配を受け入れる者にだけ生存を許すという考え方。民主主義者には傲慢極まりない許されざる思想だろうが、例え人権が保障されていても、いや人権を振りかざして、各人が己の欲望充足を当然の権利と見なすようになれば、社会から倫理と規範が失われる。その結果、弱肉強食の世界となる。それは連邦末期の社会そのものだった。

 

 余はその社会を否定したが故、人権を制限する代わりに、平等に生命が保障される社会を志向したのだ。自由と人権を至高とする者には到底受け入れられないだろうが、余は思う、人間とはそれほど強い存在ではないと。

 

 誰もが自己責任を貫徹できる訳ではない。例え自業自得でも、自らの不幸や不遇の原因を他者に求めて、相手の責任を問う事、思考の他罰的傾向とは、人類普遍の衝動ではないかと疑いたくなる程だ。また、自身と愛する者達の生命を守るためなら、強者に屈して、迎合、いや阿諛追従してでも生きようとする者が大多数だ。自主・自由・自律を掲げた銀河連邦でも、ほぼ全ての市民はそうやって露命を繋いでいた。

 

 人民から権利を奪う事は、裏を返せば責任を免除する事に他ならない。意図した訳ではないが、平民が自らの不幸や不遇、また社会特有の理不尽さなどの責任を問える相手として、帝国には政治的、経済的権利を独占する貴族という存在がいる。平民の立場からすれば、貴族は不平不満をぶつけられる相手というだけではなく、忠誠誓約を交わせば、制度的に自身と家族達を永続的に庇護してくれる強者でもある。あくまでも結果論だが、人間の弱さに寄り添った「臣民」化は、有効かつ永続的な統治体制に繋がるだろう。

 

 自己責任論を掲げて、自由と人権を至高とする者達は、強者に責任を押しつけながら、強者に媚び諂って生きようとする者達を否定するのか。余が独善的である事は自覚している。だが、自由と人権の名の下、弱き者達の生命が理不尽に奪われている現実に憤りを感じたからこそ、余は民主主義を否定して、人民を臣民とし、帝国の庇護下に置こうとしたのだ。尤も、それもまた無意味な事ではあったが。

 

 結果的に、余が後世に残せたものは、ゴールデンバウム家を打倒できる可能性を持つ貴族層、発展を求めない経済体制と人権の制限による永続的な統治体制、この2つに尽きるのだろう。

 

 いや、もう1つあった。これは予期せぬ事だったのだが、国務省が作成した人口動態によると、帝国建国後、人口が減少傾向にあるという。理由は幾つか考えられる。帝国内外の共和主義者の討伐によって失われた人命が多い事、公的福祉の削減、廃止によって、臣民が家計を圧迫する出産・育児を放棄する傾向にある事、農奴・奴隷階級の創設により、過酷な労働で生命を落とす者が常に一定数存在する事、これらの要因が指摘できる。

 

 是非、この傾向が続いて欲しいと切に願う。人類などという種は、早晩滅びるべきなのだ。こんな愚劣な存在は宇宙の汚点でしかない。政策的に見ても、人口が減れば、経済も縮小して、社会が養える人数は減っていく。そうすれば人口減少のサイクルが加速する。無限の経済成長など所詮無理なのだ、だが、縮小を齎す政策ならば可能だろう。その過程で人命を少しずつ減らしていけば良い。狂人の思想だと嫌悪されるかもしれぬが、最終的に余が理想とするのは、人類という種の安楽死なのだ。

 

 だが、これもまた、余の希望的観測でしか無い。未来など誰にも分からぬ。余は千里眼の持ち主でも、何らかの超常的能力の保有者でも無い。だが、未だに余を神と見なす連中は、余が超常的能力を持っていると言うのだろうし、余が持っていない事が分かれば、何故持っていないのかと理不尽な非難を余に浴びせるだろう。神などではない、もう、疲れた…」



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第1巻「建国期~ルドルフ大帝」【おわりに】
【おわりに】


 ゴールデンバウム朝銀河帝国の建国者、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、その業績と為人への評価は別として、後世に極めて大きな影響を与えた人物であり、その存在の巨大さは人類史上でも稀な存在だと言えるが、同時に、その存在の巨大さに比して、実像の解明がほぼ為されていないとの点でも、人類史上、稀な人物と言わざるを得ない。序文にて、監修者ゼーフェルト博士が指摘されたように、旧帝国では神聖不可侵の名の下、実証的研究は完全にタブー、同盟でもルドルフ=絶対悪とするイデオロギー史学が中心だったため、実証研究は歴史学界の非主流派にとどまり、見るべき業績は上げられていない。

 

 本書では、上記の研究状況を打破して、新時代に相応しい、イデオロギー先行ではない実証的な歴史研究の嚆矢たらんと、いわゆる「神君ルドルフ」ではなく、「暴君ルドルフ」でもない、「統治者ルドルフ」の実像を描き出す事を目指した。筆者の試みがどの程度まで奏功したかは、読者諸氏のご指摘とご叱正を待ちたいが、公開された新史料が語るルドルフ像は、強権的、独断的ではあれども、明確な政治哲学と統治方針を持った、極めて有能な統治者だった。

 

 今まで旧帝国、及び同盟で鼓吹されてきた神君または暴君像に馴れた者からすれば、受け入れがたい姿かもしれない。しかし、旧帝国末期から新帝国初頭を生きる我々は、歴史をイデオロギーでのみ解釈し、それを絶対視するする事の愚かしさをよく知っているはずではないだろうか。

 

 約150年もの長きに亘った、旧帝国と同盟が繰り返した泥沼の戦争、ルドルフを絶対善として崇め、批判はおろか研究さえも許さなかった旧帝国。逆にルドルフを絶対悪として憎悪し、全否定の対象としかしなかった同盟。両国はイデオロギー的対立関係に陥り、あり得たかもしれない妥協点を失って、長期化した戦争の惨禍は両国の社会に大きな爪痕を残した。その淵源は、ルドルフという歴史的存在を直視する事なく、ただ自国の国是を正当化するための材料としてきた事にあるのではないだろうか。

 

 イデオロギーの虚飾を取り去ったルドルフの実像を追求する事は、今なお残る帝国・同盟のイデオロギー対立を解消するための第一歩になり得ると信じている。現在、ともにローエングラム朝の統治下に置かれた帝国人と同盟人との融和は、新帝国にとって喫緊の課題の1つだが、本書が両国融和の一助になれれば、帝国臣民として、これに勝る喜びはない。

 

 さらに、数奇な運命で発見されたルドルフの「肉声」は、統治者ではない、私人ルドルフの真情に迫る歴史的発見と言えるだろう。この快挙に立ち会えた事は、歴史学徒として望外の喜びであった。公開された新史料は、まだまだ未整理のものが膨大に存在する。そこから、本書で提示したものとは異なる、新しいルドルフ像、また旧帝国の姿が見えてくる可能性は十分にある。筆者もさらなる研究の進展を期しつつ、擱筆する事としたい。



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