猫とドラゴンを連れ、少年は宇宙へ ~メタバースの向こう、壮大な未来へ~ (月城 友麻)
しおりを挟む

1. 悲劇からの旅立ち

「うひゃー! 大漁! 大漁!」

 台風一過の青空の下、伊豆の磯で小学校四年生の和真(かずま)は潮風を浴びながら網を振り回し、絶好調で魚をすくっていた。

「あっ! パパ! そっちデカいの行った!」

「よし来た! 任せろ!」

 和真のパパもノリノリで思いっきり網を水面に叩きつける。

「ヨシ!」「ヤッター!」

 台風直後は水が(にご)り、酸欠で魚がプカプカ浮いてくる。カラフルな熱帯魚からアジやイワシまで、すくい放題だった。

「ここで、こんなに獲れるなら、突端の向こうまで行ったらもっと大物が獲れるよ!」

 和真はウキウキしながら言う。

「和ちゃん、そりゃ断崖絶壁の向こうじゃないか、落ちたら死んじゃうからダメダメ!」

 パパは渋い顔で首を振る。

「え――――っ! すごく大きいお魚獲ってママをびっくりさせようよ」

「いやいやいや、あんな崖、無理だよ」

「パパなら行けるって! お願い!」

 和真は手を合わせてパパを見る。

 パパは和真の顔をじーっと眺め、ふぅと大きく息をつくと言った。

「じゃあ、行けそうか様子を見るだけ見てみるか」

「やったぁ!」

 和真は両手を振り上げてピョンと飛ぶ。凄い大物が獲れたらどうしようと、わくわくで胸がいっぱいだった。

 パパはじっと断崖絶壁の岩を見つめ、しばらくルートを確認すると、軽くジャンプしてでっぱりに取り付いた。そして、ヒョイヒョイとボルダリングをやるように登っていく。パパの黄色い上着が、まるで断崖絶壁の上を()うクモのように、するすると突端へ向かって動いていった。

「すごい、すごーい! 頑張れー!」

 和真はノリノリで応援する。

 しばらく上って和真の方を振り返ったパパは、

「いや、これ、怖いんだけど……」

 と、渋い顔を見せた。

「大丈夫、大丈夫!」

 適当なことを言う和真にパパは、

「おまえなぁ……」

 と、いいながら足場を確保し、また奥の出っ張りへと腕を伸ばした。

 

 やがて突端にまで到達したパパは向こうの入り江をのぞき込む。

 和真は手に汗を握りながらそんなパパをじっと見守っていた。

 

 その時だった。

 ぐはぁ!

 パパは変な声を上げるとバランスを崩す。

「パパぁ!」

 和真は焦り、叫ぶ。

 果たして、パパはそのまま真っ逆さまに落ち、

 ザバーン!

 と、激しい水音を立てながら岩場の向こうの海へと消えていく。それはまだ幼い少年の和真の心をえぐるには十分すぎる絶望的な悲劇だった。

「パ、パパ――――ッ!」

 和真は急いで崖に飛びついた。パパを助けないと、ただその一心で必死に登っていく。

 しかし、小学生の和真にはどうしても手が届かない段差に阻まれる。

 くぅ……!

 和真は覚悟を決め、全ての力をこめてジャンプする。なんとしてでもパパのところへ行かねばならない。

 しかし、指先は空を切り、願いむなしくそのまま磯へと落ちていく。

 ぐはぁ!

 全身をしたたかに打ち付け、ゴロゴロと転がる和真。

 口中に血の味が広がっていく。

「うわぁぁぁ! パパ――――ッ!」

 磯にはただ、血まみれの和真の悲痛な叫びだけが響いていた。

 

        ◇

 

 ――――それから六年。

 

「パパぁ!」

 和真はガバっと起き上がり、辺りを見回す。そこはいつもの自分の部屋だった。

 ふぅと息をついて布団をパンと叩く。

「またあの夢か……」

 高校生になった和真は、いまだにパパを殺してしまったことにさいなまれていた。

 パパの遺体は原形をとどめていなかったが、その破れた上着の黄色に和真は現実を突き付けられたのだった。

 泣き崩れるママに、和真は自分がパパを煽ったことを言い出せず、それがまた心の重しとなって和真の人生に影を落としていた。

 危険行為上の死亡となって生命保険は下りず、ママはシングルマザーとして朝から晩まで忙しく働くはめとなり、笑い声の消えた家は寂しく、味気のない空間となってしまった。そんな暮らしの中、和真はちょっとしたイジメで心の糸が切れ、不登校になってしまっていた。

 

 ドタドタと足音がする。

 

「おっはよぉ――――!」

 ドアがいきなりバーン! と開き、嬉しそうな顔をして幼馴染の芽依(めい)が突入してきた。

 白いワンピースにダボっとしたグレーのニットを羽織った芽依は、キラキラした笑顔を振りまきながら和真のベッドにダイブする。

「ドーン!」

 可愛い効果音を叫びながら飛び込み、チラッと和真を見上げる。

 寝ぼけ眼の和真は仏頂面で、

「あのなぁ、入るときはノックしろっていつも言ってんだろ!」

 と、芽依をにらんだ。

「だってもう十時よ? いくら日曜だって寝すぎじゃない?」

 ニコニコしながら答える。

「十時でもノックは要るんだけど?」

「……、あら、すごい寝汗。どうしたの?」

 芽依は起き上がって和真の額に手を伸ばすが、和真ははねのけた。

「あー、何でもない!」

 そんな和真をジッとみつめる芽依。そして、背中から優しく和真をハグした。

「またパパさんのこと思い出してたのね……」

 ふんわりと立ち上る甘酸っぱい優しい香りに包まれ、和真はドキッとする。

 そして目をつぶって大きく息をつくと、

「いや、もう、終わった話だから……」

 そう言いながら芽依の手をポンポンと軽く叩いた。

「辛くなったらいつでも芽依に言ってね?」

「……。大丈夫……、ありがとう」

 和真はお転婆ながら自分のことを考えてくれる芽依の優しさに感謝しながら、軽くうなずく。

 そして、ふぅと息をつくと、聞いた。

「で、メタバース教えに来てくれたんだろ?」

「そうそう、仮想現実が今後の社会を変えるからね。和ちゃんも慣れておかなきゃ!」

 芽依はそう言うが、動かない。

「おい、くっついてちゃできないだろ?」

「あら? 君はJKがこんなにサービスしてるのに嬉しくないの?」

 芽依はちょっと不満そうにぎゅっと胸を押し付けてくる。

「サ、サービスって……」

「可愛い幼馴染がいて良かったわねぇ……」

 そう言って和真の耳たぶにふーっと息を吹きかける。

 からかわれてムッとした和真は言い返す。

「サービスって言うのは、もっとバーンとしたふくらみなんじゃないの?」

「フフーン」

 しかし芽依には謎の余裕がある。

「な、なんだよ?」

「君はツルペタの方が好きだって、芽依は知ってるんだなぁ……」

 ギクリとする和真。

「お、お前まさか……」

 和真はつい本棚の方を見てしまい、芽依は嬉しそうに答える。

「まさか何?」

「……。見たな……」

「何を?」

 ニヤニヤする芽依。

 くっ! 和真は思わず顔を両手で覆った。ロリ系の薄い同人誌を本棚に隠しておいたのが見つかったに違いない。しかし、それを口にするわけにもいかない。

 くぅ……。

 いろいろと言い訳を考えてみるが、どんな言い訳も自爆にしかならなかった。

「君は芽依くらいなのが好みなんでしょ?」

「……。ノーコメント!」

 和真は芽依の手を払いのけ、バッとベッドを下りる。そして、真っ赤な顔で芽依を指さして言った。

「ちょっと準備してくるから動くなよ!」

「アイアイサー!」

「人の物を勝手に見るのはプライバシーの侵害だからな!」

「え? 見られちゃ困る物まだあるの?」

「ま、『まだ』ってなんだよ!」

「分かったわよ。もう見ないわ」

 芽依は布団に潜り込み、顔だけ出してうれしそうに笑った。

「全くもう!」

 和真はドタドタと洗面所へと走った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2. 宇宙へ伸びる滝

「はい! これ着けて!」

 着替えて戻ってきた仏頂面(ぶっちょうづら)の和真に、芽依はヘッドマウントディスプレイを渡した。目を覆うごついガジェットで、これを装着すれば仮想現実空間にダイブできるのだ。

「かぶるだけで……いいのか?」

 和真は恐る恐る受け取り、バンドを引っ張って具合を確かめる。そしてそっとディスプレイをのぞき込んだ。

「うわっ! なんだこれ!?」

 視界全面に展開される、宇宙船の内部のような近未来空間の映像に和真は声を上げる。その高精細な映像は首の動きに追随して動くので、まるで自分が宇宙船の中にいるような錯覚に襲われた。

 すると、向こうの方から可愛い女の子のアバターが近づいてきて手を上げる。白を基調としたぴっちりとした服は豊満な胸を強調し、オレンジ色の鮮やかなラインが入ったスニーカーを履いている。

「はぁい!」

 和真が戸惑っていると、

「これが私よ?」

 そう言ってウインクした。

「め、芽依? 随分と……」

「随分と何よ?」

 そう言いながらモデルのように体をくねらせ、胸を強調しながらポーズを決める芽依。

「お、大人だなって」

 つい、その豊かな胸に目が行ってしまう和真。

「ふふっ。大人な私もいいでしょ? 和ちゃんも慣れたら自分のアバターをいじってみるといいわ」

 と、ニヤッと笑った。

 

 和真が操作方法を試行錯誤してると、

「さぁ行くわよ!」

 と、芽依のアバターはすたすたと向こうの方へ行ってしまう。

「あっ! ちょっと、待ってよ!」

 和真も急いでよたよたしながら追いかける。

 

 通路の向こうは広いホールのようになっており、個性的に着飾ったアバターが行きかっている。そして、壁のそばにはきらびやかな映像のパネルが空中に何枚も並んでいて、まるで美術館のようだった。芽依はそのうちの一つの前で止まる。

「最初はここのワールドにしましょ」

 そこには美しい水の街が映し出されており、中央に【Enter】というボタンが浮いている。

「ま、任せるよ」

 そんな気おされ気味の和真を芽依は見てうなずく。そして和真の手を取ると、ボタンを押した。

 ピュン!

 という効果音とともに真っ暗になり、キラキラとした光の筋がゆるやかに流れはじめ、【Immigration(入国審査)】という文字が浮かんで赤く点滅した。

 

「うわぁ……」

 和真はキョロキョロしながら自分の周りを覆うきらびやかな幾何学的な光の筋のアートに見入った。

 

 直後、

 ビュヨン!

 と、いう音が響いて一気に視界が開ける。

 そこは水の街の上空、何と空中だった。

「おわぁ!」

 思わずわたわたと手足を動かしてしまう和真だったが、別に落ちるわけでもなくふわふわと浮かんでいる。

「きゃはは、仮想現実なんだからあわてなくても大丈夫よ」

 芽依は楽しそうに笑い、和真は顔を赤らめて頭をかく。

 

 そこは絶景だった。眼下には湖のほとりに作られた中世ヨーロッパ風の石造りの街が広がっている。街には水路が縦横無尽に通っており、ゴンドラが行きかう。そして圧巻なのが、街の中央の池から上がる水の柱【スカイフォール】。それは下の方が太く、それが徐々に細くなっていきながら、どこまでも澄んだ青空を突き抜けて宇宙にまで達していた。

 

「うはぁ……。あれ、どうなってんの?」

 まるで宇宙エレベーターのように、はるかかなた上空まで続く水の柱は、限りなく透明で清らかな(あお)色を放っている。

「行ってみましょ!」

 芽依はニコッと笑うと、和真の手を握ったままツーっと空中を飛ぶ。

「うわぁ!」

 まだ空中での姿勢の取り方に慣れない和真は、バランスを必死に取りながら、芽依に引っ張られていく。

 

 スカイフォールに近づくと、思ったよりも大きく、そのスケールは圧巻だった。タワマンくらいの太さの清らかな青い水の柱が一直線に宇宙までつながっているのだ。そして、近づいて分かったのだが、水はゆっくりと上空へ向かって流れている。つまり、池から宇宙に向かって水が吸い上げられているのだった。

「うわぁ……」

 和真は圧倒されながらその澄んだ水に手を伸ばす。すると、ビュヨン、と音がして入口がぐわっと開く。

「え!?」

 予想外の展開に驚く和真。

 芽依はニヤッと笑うと、

「さぁ行きましょ!」

 と、和真の手を取って中へと案内した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3. 十万円で売れた落書き

 中は高級ホテルのような上質な木材で作られた廊下が伸びており、そこを進むと突き当りが巨大な丸い吹き抜けだった。

 見上げると、高層ビルのように見渡す限り無数にフロアが構成され、各フロアはそれぞれ個性的なインテリアがのぞいている。多くの人が楽しそうに吹き抜けを行きかい、フロアではにぎやかに活動している。まるで数千階建てのイオンモールといった風情だった。

 そしてあちこちに出ている看板はアニメキャラやレトロなネオンサインなど華やかで、文字も英語や中国語など多彩な言語が並んでいる。

「うはっ、これはすごい!」

 その圧倒的ににぎやかで楽しそうな雰囲気に和真は目を輝かせた。

「このスカイフォールは一つのショッピングモールであり、オフィスビルであり、都市なのよ」

「都市? ここはゲームの世界……だよね?」

「ゲームって言ったって百万人同時接続してるからもう生活基盤だし社会なんだわ。居心地いいからゲーム関係なくここにオフィス構えてる会社もあるし、ゲームの中でお金儲けもできちゃうのよ」

「ゲームで金儲け!?」

 想像もしなかったことに和真は目を丸くする。

「P2E(Play to Earn)と言って、ゲームで得たものが高値で売れちゃったりするのよ。知り合いはそれで億万長者だわ」

「遊んだだけで?」

「遊んだだけよ?」

 芽依は肩をすくめる。

「……、ちょっとそれ、教えてくんない?」

「焦らない、焦らない」

 芽依はニヤッと笑ってそう言うと、和真の手を取って吹き抜けに飛び込み、上空へツーっと飛んだ。

 どこまでも続くフロアはまさに都市そのものだった。百万人の人がこのスカイフォールの中で遊んだり商売したり会議したりしているのだ。物理法則を無視できる仮想現実空間ならではのダイナミックな構造物に和真は圧倒されていた。

 ある階はクラブのようなきらびやかな照明が瞬き、ある階は森林のようだった。そして、楽しそうに活動している人々、それはたかがゲームだと思っていた和真の先入観を根底から破壊した。

 しばらく上ると、芽依は大理石でできたシックなフロアに着地する。

 

「ようこそ私の画廊へ」

 芽依はそう言いながら重厚なドアを開けた。

「『私の』って……何? ここ芽依のなの?」

「そうよ。この部屋は私が買ったんだ。百万円くらいしたけど」

「ひゃ! 百万!? どうしたのそのお金?」

 和真は目を丸くして芽依を見つめた。

「描いた絵をね、NFTというブロックチェーンデータにして売ってるのよ」

 そういって芽依は壁に飾られているアートを紹介した。

 それは点の集合体で作られたピクセルアート、いろいろな表情の犬の絵がずらりと並んでいた。

「え? 何、この落書き。こんなの買う人なんているの?」

 和真は怪訝そうに言う。

「落書きとは何よ! これ、十万円くらいで取引されているのよ?」

「十万!? 買う人バカじゃないの!?」

 和真は額に手を当てて宙を仰ぐ。

「分かってないわねぇ、十万で買った人は二十万で売るのよ」

「へっ!? どういう……こと?」

「NFTアートの市場は今どんどん大きくなってるから持ってると値上がりするのよ」

 芽依は嬉しそうに笑った。

「じゃぁ、買った人は儲けるために買ってるの?」

「そうよ、それに彼ら仮想通貨で億単位で儲けてるからね。十万円くらい小遣い感覚よ」

「はぁ~、何それ……」

 和真はゆっくりと首を振った。

「おかしいとは思うんだけどね。でも、この流れは誰にも止められないわよ」

「いやいや、そんなのただのバブルだって。現実を見なきゃ!」

「もちろんこんな絵が十万で売れるなんてこと、いつまでも続かない。でも、これからもっともっと多くの人がこの世界に入ってくるわ。そして、人口が増え続けている間はバブルは続いちゃうんだな」

「それって……いつまで?」

「三年から五年じゃないかな? それまでに何億円か稼げたら足を洗うわよ」

 芽依はニコッと笑った。

「何億って……、どうやって?」

「例えばこのスニーカー、これ、CriptoEllasseの初期の作品なんだけどこのシリーズは世界で三十足しかないのよ」

 芽依は自分が履いている、オレンジ色に輝くラインの入った先進的なデザインの靴を指さす。

「へ? それで?」

「今だと数千万円で売れると思うわ」

「は? この靴が?」

「そう、これが」

「やっぱおかしいよ……」

 和真は目をつぶって首を振った。

「で、これ、多分来年には億に達すると思うわ」

「この靴で億万長者ってこと? ……。ほんと、バカバカしい!」

「バカバカしいと笑うか、バカバカしいなら儲けるかどっちがいい?」

 芽依はニヤッと笑って挑発的な目で和真を見る。

「……。そりゃぁ……儲けたい……」

「はっはっは! みんなそうなのよ。だからどんどん値段は上がっちゃうの」

 芽依はドヤ顔で笑い、和真は大きく息をついた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4. ハッカー集団の脅威

「じゃあ、芽依画伯の十万円の落書きでも見させてもらうわ」

 そう言うと和真は壁に並んでいる犬のドット絵をつらつらと眺めていった。

 純白の大理石の壁にうやうやしく掲げられたピクセルアート。子供が描いたような落書きがまるで名画のように飾られている様は、何度見ても滑稽だった。しかしこれを十万円で買う人がいるのだ。和真は思わずため息をついた。

 

 その時だった、ギギィと音を立ててドアが開く。お客が来たらしい。

「いらっしゃいませ」

 芽依はすかさず接客に回る。

 客は若い男で、原色のキツいジャケットにチャラチャラとしたアクセサリーを揺らしながら入ってくる。そして、つまらなそうな表情で犬の絵をぐるりと見まわし、

「これはあんたが描いたの?」

 と、ぶっきらぼうに聞いてくる。

「そ、そうです。これでも二次流通は……」

「真似ばっかりでグッとクるものがないのよね」

 虹色の髪の毛をかき上げ、吐き捨てるように言った。

 芽依はふぅと息をつくと、

「ご意見ありがとうございました。お帰りはあちらです」

 と、出口を指さした。

 つまらなそうな男は、芽依の足元を見てハッとする。

「ちょっ、ちょっと待って……、あなた、そのスニーカー百万で売ってよ」

「いやいや、これはリストしてないんです。非売品です」

 芽依は慌てて断る。百万円なんかでは絶対に売れないのだ。

 

「……。あのねぇ、スニーカーは履く人によって値段が決まるのよ? あなたが履いてたんじゃ高値はつかないわ」

「いや、あなたのファッションにこのオレンジラインは合わないと思いますね」

 芽依はムッとして答える。

「何? あんた私のファッションにケチつける気? 私はハッカー集団HackinGreedyの幹部よ? 舐めたら痛い目にあうわよ」

 恐ろしい形相で男は芽依をにらんだ。

「ハッカー集団? ならなおさら売れませんね」

 芽依は毅然と答える。

「何あんた、ハッカーを舐めてんじゃないの? ハッカーこそがこの世界を支配してるのよ?」

「システムに取り付く寄生虫、ダニみたいな連中が『支配』なんですか?」

「ダ、ダニ!?」

 男は怒りのあまりぶるぶると体を震わせる。

 そして、ずいっと芽依に迫ると、男は言った。

「あんた、ここが仮想現実空間だから何言っても平気だと思ってんじゃない?」

「実際平気ですよね、殴られるわけでもないんだし」

「なめやがって……。奥の手使って(なぶ)ってやるしかないわね……」

 男はニヤリといやらしい笑みを浮かべる。

 後ろで見ていた和真は、男の目の奥に揺らめく怪しい光に底知れぬ恐怖を感じ、現実世界で装着していたヘッドマウントディスプレイを投げ捨て、隣で余裕を見せている芽依のヘッドマウントディスプレイを力任せに引きはがした。

「うわっ! 何するのよぉ!」

「いや、あいつヤバイって! 身元がバレたらどうすんだよ? 襲われるぞ!」

「大丈夫だって! あんな奴口先だけなんだから」

 

 と、その時、和真が持っていたヘッドマウントディスプレイからモコモコと煙が上がる。

 うわぁ!

 思わず投げ捨てる和真。

 シュワシュワシュワ、と不気味なお湯が沸くような音が部屋に響き渡る。

「か、和ちゃん、何これ!?」

 芽依は和真の腕にしがみつく。

「わ、分からん……」

 やがて立ち上った煙が集まっていき、何かの形を構成していく。

 それを固唾を飲んで見守る二人。

 直後、激しい閃光が走り、二人とも手で目を覆った。

 

「はっはっは! ハッカーから逃げられると思った?」

 部屋に男の声が響く。

「えっ!? なんで?」

 芽依は驚き、恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは先ほどの男だった。

 メタバース内と全く同じ格好をし、ドヤ顔で和真の部屋に立っている。それはあり得ない事態だった。

 

 ひっ!

 芽依は急いで逃げ出そうとしたが、男は指先から触手のようなものを素早く射出し、あっという間に芽依をぐるぐる巻きに縛り上げてしまう。

 いやぁ――――! と、悲鳴が部屋に響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5. 金髪おかっぱの龍

「何すんだよ!」

 和真はおもちゃのバットをつかむと男に殴りかかったが、男は冷静に指先から何かを放った。すると、パン! という音がして、バットは四角いブロックノイズに包まれ、消えてしまった。

 えっ!?

 あまりのことに混乱していると、男はニヤッと笑い、和真に対しても触手を射出する。

 和真は払いのけようとしたが、触手はつるつると滑り、なすすべなくぐるぐる巻きにされ、床に転がされてしまう。

 ぐはぁ!

「あぁ! 和ちゃん!」

 芽依は悲痛な叫びをあげる。

「さーて、お仕置きタイムよぉ」

 男は嬉しそうにそう言うと触手を操作して芽依を足から持ち上げ、逆さ吊りにする。ワンピースがめくれ、縞柄のショーツが丸見えになってしまう。

 いやぁ!

 芽依は必死に抵抗しようとするが、触手の力は圧倒的で身動きが取れなかった。

 

「ハッカーってすごいでしょ? 生意気な小娘は思う存分(なぶ)ってやらないとね」

 男は嬉しそうに芽依のすらっとした太ももを撫でた。

「何すんのよぉ!」

 くねくねと身をよじらせる芽依。

「止めろ――――! お前それ犯罪だぞ!」

 和真は叫ぶ。

「犯罪? そんなの捕まんなきゃいいだけよ。あんたはこの小娘が凌辱(りょうじょく)されるのをゆっくりと見てなさい。ふふふ」

 そう言うと男は芽依をベッドの上に転がした。

 ひぐぅ!

 

 男は新たな触手を芽依の両足に絡めると、大きく広げる。

「止めてぇ!」

 悲痛な叫びを上げる芽依。

「あら、まだ処女なの? いい声で鳴かせてあげるわ」

 男はそう言うとショーツに手をかけ、むしり取った。

 いや――――っ!

 悲痛な叫びが部屋に響き渡る。

「さぁて、ショータイムよ!」

 男はニヤッと笑った。

 

 その時だった、部屋に閃光が走ると、

「こん、()れもんがぁ!」

 という少女の声が響き渡り、いきなり空中から現れた人影が男を蹴り飛ばした。

 ぐほぉ!

 たまらず床を転がる男。

 おかっぱの金髪に赤い瞳をした女子中学生のような娘が着地し、

「ハッキングは重罪じゃぞ! キャハッ!」

 と、腕を組んで嬉しそうに仁王立ちした。

 男はよろよろと起き上がると、

「お前……、いいところを邪魔しやがって……」

 そう喚くと、少女を睨みつける。そして、セイヤッ! と掛け声をかけ、触手を射出する。

 しかし、少女は瞬間移動のように男の胸元までワープすると、

「ざーんねん!」

 と、叫びながら、中腰になって綺麗なフォームで正拳突きを放った。

 ぐふっ!

 男は吹き飛ばされ本棚に激突し、倒れてきた本棚から降ってくる本たちに埋もれた。

「き、貴様……。管理局(セントラル)の犬だな……」

 男はギロリと少女を睨んで言った。

「犬じゃない、龍じゃ」

 少女は余裕の表情で見下ろす。

「くっ! 死ねぃ!」

 余裕を失った男は指先を光らせるとシュッと横に腕を振り切った。

 ビュヨン!

 不思議な電子音とともに空間が切れ、

「うわぁ!」

 と、少女は慌ててかがんで避ける。

 少女の真紅のヘアクリップが真っ二つに切れてはじけ飛び、美しい金髪がパラパラと散った。

「あっ! お気に入りのヘアクリップが……。何すんじゃ!」

 目を三角にして怒った少女は指先を男に向ける。すると、キン! という音とともに指先を中心に空間が波打ち、同心円状の波紋が部屋に広がっていく。

「やべっ!」

 男は焦って逃げ出そうとしたが、男を中心に球状に切り取られた空間は断絶されて縮み始め、男は逃げ場を失った。

 男は必死に何か術を出して逃げようと画策するが、発動せずに途方に暮れる。

 アパートの床や壁もろとも徐々に縮退していく男は、顔を真っ青にして、

「わ、悪かった。なんでもする! 許してくれ!」

 と、必死に懇願し始めた。

 しかし、少女はドヤ顔で、

「女の敵には天誅(てんちゅう)じゃ」

 と、見守るだけだった。

 

 やがて、バレーボールくらいのサイズに縮められた男は、

「この野郎! ふざけんな、ロリババア!」

 と、甲高い声でわめき散らす。

「誰がロリババアじゃ!」

 少女は一括すると、雷を男に落とした。

 ピシャーン!

 と、部屋の中にスパークが走る。

「ぐはぁ!」

 ミニチュアサイズに縮められた男は断末魔の悲鳴を上げ、ぶすぶすと煙を上げながら倒れた。

 そしてさらに小さくなっていった球は最後には点になってピュン! という音を立てて消えていった。

 和真の部屋には綺麗に球状にえぐられてしまった大穴が残り、隣の家の庭からの風がビュゥと吹き込んでくる。

 少女は、唖然としている和真と芽依の方を見ると、

「災難じゃったな、今助けてやる」

 そう言って触手を消し去った。そして、

「ケガはないか?」

 と、二人の顔を見る。

 二人はお互い顔を見合わせ、

「だ、大丈夫です」「わ、私も……」

 と、答えた。

 仮想現実空間から抜け出して芽依を襲った暴漢に、それを瞬殺した不可思議な自称龍の少女。あまりに現実離れした出来事に二人ともあっけにとられていた。

 

「あー、これ直すの面倒くさいのう……」

 少女は渋い顔をして丸く穴の開いた壁を眺める。

「あのぉ……」

 和真は声をかける。

「ん? なんじゃ?」

 壁の切断面を撫でながら答える少女。

「助けてくれてありがとうございます。管理局(セントラル)の龍……さんというのはどういう……」

「そのまんまじゃ、それに答えたってどうせ忘れちゃうしのう」

 そう言うと、少女は和真の方に手をかざす。

「えっ!?」

 直後、和真は意識を失い、ぱたりと床に倒れてしまった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6. 手掛かりはヘアクリップ

「和ちゃん、ごはんよぉ――――」

 ママの声で目を覚ました和真は、ベッドから身を起こし、寝ぼけ眼で周りを見回す。

「あれ? 俺、寝ちゃってた? え? いつから……?」

 すっかり薄暗くなった部屋はいつも通りだった。

 和真は一生懸命に思い出す。

 芽依にメタバースを案内してもらって、画廊に行って、変な男に絡まれて戻ってきて……。

「あれ? その後どうなったんだ? 芽依は?」

 和真はその後の記憶がすっぽりと抜けていることに気がついた。

 急いでスマホを見ると、LINEの未読がたまっている。読むと芽依もいつの間にか自宅にいて困惑しているらしい。

 いったい何が……?

 しかし、いくら思い出そうとしても何も思い出せない。飲みすぎた人が記憶をなくしてしまうというのはこういうことなんじゃないかと思ったが、さすがに酒など飲むわけがない。

 和真はいぶかしげな顔でバタリとベッドに横たわり、腕を伸ばした。と、その時、何かがチクリと手の甲に当たった。

 ん……?

 手探りで探すと、それは真紅のヘアクリップの破片だった。

「ん? 誰のヘアクリップだ……?」

 和真はジッとヘアクリップを見つめる。こんな物、つける人に心当たりなどない。しかし、この真紅の輝きはどこかで見覚えがある。金髪に着けたら似合いそうだ……。

 その瞬間、ブワッとすべての記憶が戻ってきた。

「あっ! これはあの娘の……、えっ!」

 和真は現実離れした戦闘の一部始終を思い出し、青ざめる。

「あれ? 夢だよな……? しかし、これは……」

 ヘアクリップを見つめ、混乱する和真。

 そして、ベッドから飛び降りると本棚に走った。丸く切り抜かれていたはずの壁はどこにも継ぎ目が見えないくらい完璧に元通りだったし、男と一緒に消えていったはずの本棚は何事もなかったようにそのままだった。

 和真は急いで隠しておいた薄い本を探してみる。

「あれっ!? ない!」

 芽依に見られた恥ずかしい本ではあったが、和真には宝物だった。

「な、ない……」

 和真は思わずひざから崩れ落ちた。

 あの女の子に没収されたに違いない。なんということだ……。

 しばらく茫然自失としていた和真だったが、一体何が起きたのか整理してみようと、ベットに戻り、考え込んだ。

「仮想現実空間の男がここへやってきて不可思議な攻撃をして芽依が犯されかけた……んだよな」

 しかし、この段階で和真は頭を抱えてしまう。これが事実だとすると、仮想現実空間とこの部屋が地続きだというとんでもない話を受け入れざるを得なくなってしまう。リアルな現実がなぜ仮想現実空間と地続きなのか?

 それで、自称『龍』の女の子が出てきて撃破、その際に部屋をぶっ壊して二人の記憶を消して、部屋は元通り。でもヘアクリップは回収し損ねたという経緯だった。

 そして本棚を元に戻すときに薄い本も回収されてしまった……、本当に?

 そもそも消し飛ばしてしまった床や壁、本棚がなぜ復元されているのか?

 これもまた想像を絶する話でどうにも理解不能だった。

 和真はふぅと大きく息をつくと、鋭く切り裂かれたヘアクリップの断面をなで、この奇妙な事件をどう考えたらいいのか途方に暮れた。

 

       ◇

 

 翌日、和真は東京の表参道に来ていた。ネットで調べたところ、ヘアクリップは有名なデザイナーの限定商品らしく、関東では表参道のお店でしか販売されていなかった。

 瀟洒(しょうしゃ)なお店が立ち並ぶ表通りから一本裏路地に入ると、小ぢんまりとしたアパレルやカフェなどがぽつりぽつりと並んでいる。そして、見えてきた一面ガラス張りの店構えにピンクのドア、お目当ての店だった。

 一旦通り過ぎながら中の様子をうかがった和真は、大きく息をつくと振り返り、ピンクのドアを開けた。

 

「いらっしゃいませ」

 くしゃくしゃっとした白いブラウスに、金属がチャラチャラとあしらわれた黒いスカートを履いた店員が和真をちらっと見る。

 明らかに場違いな自分に和真は思わず顔を赤くした。

 そして、意を決すると、ヘアクリップを見せて聞いてみる。

「あのぉ、これなんですけど、こちらの店の商品ですか?」

「あら、壊れちゃったのね。そうよ、うちのだわ」

 店員は淡々と答える。

「金髪でおかっぱの女の子の持ち物なんですが、ご存じないですか?」

「え? その子ならさっき来たわよ。同じの買っていったけど?」

「えっ!? ど、ど、ど、どっち行きました?」

 和真は思いがけない展開に、思わず挙動不審になりながら前のめりに聞いた。

「うーん、原宿駅の方かな? あっちよ」

「あ、ありがとうございます!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7. 宇宙けーび隊

 和真はダッシュした。

 やはり昨日のあの娘は実在していた。それもさっきまでここにいたのだ。これを逃せば一生会うことはできない。和真は自分に訪れた千載一遇のチャンスを逃すまいと必死に駆けた。

 大通りに突き当たって急停止。和真は肩で息をしながら悩む。原宿駅へは右でも左でも行ける、どっちだろうか? 間違えたら一生会えないかもしれない究極の選択である。

「大通りか竹下通りか……どっちだ?」

 女の子だったらどっちに行きたいだろうか?

 うーん、うーん……。

 頭をかきむしる和真。

 すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「キャハッ!」

 ん? キャハ?

 見ると、おしゃれなカフェのガラス越しに金髪頭が見える。

「い、いた!」

 和真の心臓がキュゥっとなった。

 不思議な技で暴漢を退治し、完璧に復元して自分の記憶を消した女の子、それが目の前にいる。

 この不可思議な女の子が自分の人生を大きく変えるに違いない。和真は何の根拠もなかったがそんな確信を持っていた。そして、何度か大きく深呼吸をすると、カフェのドアをゆっくりと押す。

 

 彼女はスマホを耳に当てて楽しそうに話してる。和真は近くに席を取り、電話が終わるのを待ってみた。

 まだ幼さが残るものの、彼女の整った目鼻立ちや印象的な赤い瞳、そして透き通るような白い肌は上質な気品を感じさせる。

 すると、彼女がチラッと和真を見る。

 そして、少し驚いた様子で手早く電話を切った。

「あら、ロリの君じゃない」

 ニヤッと笑う彼女。

「ロ、ロリは止めてください。本も返してください!」

 和真は顔を赤くして答える。

「我に惚れちゃダメじゃぞ。キャハッ!」

 彼女は冗談めかして嬉しそうに笑う。

「ほ、惚れはしないですが、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?」

「ふーん、つまらん奴じゃ。それにしてもよくここが分かったな。その努力に免じて答えてやろう。何が聞きたい?」

「えーと、『龍』っておっしゃってましたが、あなたはどういう方なんですか?」

「いや、だから龍じゃよ、ドラゴン。お主、ドラゴンも知らんのか?」

 と、つまらなそうな顔をしてアイスカフェオレをストローで吸った。

「もちろん、ドラゴンは知ってますが……、でも人間の女の子じゃないですか」

「か――――っ! こんなところでドラゴンの姿でおってみい、カフェにも入れんじゃろうが!」

「あ、では人化してるってこと……ですね?」

「いかにも」

 嬉しそうに笑う。

「で、昨日ハッカーを退治したのはドラゴンのお仕事……なんですか?」

「そうじゃ。最近あの手のハッカーたちがこの星を荒らすんでな、見つけては潰しておるんじゃがイタチごっこじゃ」

 そう言って肩をすくめる。

「ハッカーが荒らす……、彼らはどうやって荒らすんですか?」

「ふふーん、その辺は言えんな。企業秘密じゃ」

 ニヤッと笑いながらカフェオレをズズーっと最後まで吸い切った。

「超能力とか?」

「か――――っ! お主はセンス無いのう。この世界の事象は全て科学で説明できる。そんな超能力とかいう都合のいいもんはないわい!」

「え? では、あんな空間を切り取るようなことも、ドラゴンも科学……なんですか?」

「当たり前じゃい」

 和真は困惑した。きっと秘密の超能力部隊がいるのかと思っていたのに科学だという。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないということだろうが、そんな科学は想像もつかなかった。

「現代の科学では到底無理……だと思うんですが、となると、あなたは宇宙人……ですか?」

「はっはっは! 宇宙人と来たか」

 楽しそうに笑い、そして、ストローで氷をカラカラと回し、

「そもそも宇宙人ってなんじゃ? 宇宙から来たら宇宙人なんか? ん?」

 と、目を細めて和真を見る。

「うーん、そう……ですかね?」

「我は地球生まれだからそういう意味では地球人じゃな。でも、ドラゴンだから地球人というのも変……か」

 ストローをくわえてそれを軽く振り回しながら宙を見る。

 和真はさらに困惑した。地球生まれのドラゴンの超科学、一体どういうことだろうか?

「お話聞いてると、あなたの存在はきっとこの世界の根幹にかかわる話のように思うんですが、そうなんですよね?」

「そりゃ当たり前じゃ。だから言えん」

 そう言うと彼女は手早く荷物を整理してウエストポーチを肩にかけ立ち上がる。

「あっ!? 待ってください。僕にできることないですか? 何でもやります!」

 和真は必死だった。この世界の秘密を前にしてここで終わりにするなんてできないのだ。

 彼女は何かを考えこみ、そして和真をちらっと見ると、ウエストポーチから名刺を一枚出し、

「この世界の秘密が分かったらここに来な。正解だったら仲間にしてやろう」

 そう言って彼女は和真の肩をポンポンと叩くと、颯爽と店を後にした。

「分かったらって……、分かんないから聞いてるのに……」

 風に揺れる金髪を和真は目で追いながらぼやく。

 名刺には

『宇宙けーび隊 副長 レヴィア 東京都港区田町xーxx』

 と、書いてあった。

 まるで冗談みたいな名刺だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8. 龍の創りし世界

 夕方、和真は芽依を部屋に呼んだ。

「はーい! 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」

 相変わらずノックもせず、飛び込んでくる芽依。

 和真はムッとしたが、今はそれどころじゃないのだ。

「来てもらって悪いね。ちょっと聞きたいことがあって」

「何? スリーサイズ? それはノーコメントだな」

 手でバッテンを作る芽依。

「いや、そんなんじゃなくて!」

「ふふーん、じゃ何? 恋の相談?」

 和真は芽依のテンションについて行けず、ふぅと息をついた。

「何なのよ?」

「メタバースのさ、あのアバターのまま、ここに人を出したりできる?」

「は?」

「いやだから、例えば芽依のあの大人なアバターでここに出てこれるかってこと」

「できる訳ないじゃん。あれはコンピューターが合成してる像なんだから、リアルな世界じゃ目に見えないよ」

「いや、それはわかるんだけど、もし、できるとしたらどういうことが考えられるかな?」

「だから、できないって!」

 不機嫌になる芽依。

「じゃあ、こう考えよう。もし、アバターのままの人がここに出てきたら、それはどういう可能性が考えられる?」

「まぁ、寝ぼけてるかドラッグのキメすぎだね」

 肩をすくめる芽依。

「ま、まぁそれもあるかもだけど、他には?」

「うーん、何しろ像を合成する仕組みがなきゃ無理なんだから、プロジェクターかなんかで投影とかじゃないの?」

「でもそれじゃ触れないよね」

「あったり前じゃない!」

「触れるとしたら?」

「え――――っ? 触れる像? それはもうここが仮想現実空間ってことよ」

「へっ!?」

 その投げやりな話に、和真は稲妻のような衝撃を受けた。

 そう、脳の中のもやもやしたものが全て一直線につながったのだ。

「それだ!」

 和真はパン! とローテーブルを叩き、お茶を入れたカップが倒れんばかりにガタガタと揺れる。

「へ? 何が?」

「ここは実は仮想現実空間だったんだよ!」

 興奮する和真をジト目で見ながら、

「何を馬鹿なこと言ってんのよ! ここは現実世界! ほら! 触ればプニプニ感じるでしょ? こんなの仮想現実じゃ無理よ!」

 そう言いながら和真の手を取って揉んだ。

「そりゃ、メタバースじゃ触覚は無理かもだけど、それはコンピューターの性能が低いからで、それこそ超超超スーパーコンピューターなら実現できるよね?」

「んー、今の人類じゃ無理だけど、それこそ宇宙人が作ったような凄いコンピューターがあったら……、まぁ、できなくはない……かな? でも、そんなのやる意味ないよ」

 肩をすくめる芽依。

「いや、龍なら……ドラゴンなら作れるはずだ……」

 目をキラキラ輝かせながら和真は宙を見上げる。

「ドラゴン……? 君、頭大丈夫?」

「いや、大丈夫! 芽依ありがとう!」

 和真はそう言って芽依の手をぎゅっと握りしめ、ブンブンと振った。

「こんなこと他の人に言っちゃダメよ? キチガイだって思われちゃうわよ」

「うんうん、言わない! 人間には言わない!」

 和真はドラゴンの仲間になれる可能性に胸が高鳴った。

 

       ◇

 

 芽依が帰った後、和真はスマホを駆使していろいろなサイトを読み漁った。この世界が仮想現実空間であるという説は実は割とポピュラーで『シミュレーション仮説』と呼ばれていて、テスラやスペースXで有名な実業家イーロン・マスクも信じているらしい。

「よし! いけるぞ!」

 和真はノリノリで調査を進めていくが、ネガティブな意見も次々と出てくる。要はそんな高性能なコンピューターは作れないし、動かすエネルギーもないというのだ。確かに地球を丸っとシミュレーションしようと思ったら地球の一万倍くらい大きなサイズのコンピューターが必要だし、そんなのを動かすエネルギーも用意できない。

「うーん、無理なのかなぁ……」

 頭を抱えていると、ある説が目に入った。『そもそも厳密にシミュレーションする必要はなく、人間が知覚できる範囲、観測機器が観測できる範囲だけシミュレートすれば計算量は劇的に減らせる』

「おぉ! これだこれ!」

 和真はさらに読み込んだ。結論から行くと十五ヨタ・プロップスの計算力、スーパーコンピューターの一兆倍の計算力があればこの地球はシミュレートできるらしい。なんと現実解だったのだ。

 和真はついにこの世界の真実にたどり着いたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9. 神仙界

 その夜、ベットに入った和真は寝つけずにいた。この世界があの金髪の女の子たちによって作られ、運営されている、それをハッカーがインチキして悪用している。それは今まで想像もできなかった世界だった。明日、この正解を彼女に提示して仲間に入れてもらうのだ。

 しかし……。そんな世界の運営側に行って自分は何ができるのだろうか? この世界をメタバースのように縦横無尽に飛び回り、好き放題できる、それは確かに魅力ではあったが、不登校の自分が活躍できるとも思えない。また苦しい思いをして行かなくなってしまう未来しか見えなかった。

「なんかピンとこないなー」

 和真は布団に潜る。

 と、その時、パパのことを思い出した。忘れもしない死ぬ直前、パパは何かを見て固まり、そして転落した。パパは何を見たんだろう? 衛星写真で見てもそこにはただの入り江しかなかった。

「もしかして……、彼女ならそれを調べられる?」

 和真はガバっと起き上がり、その着想に思わず手が震えた。

 この世界がメタバースみたいな構造だったら記録は必ず残しているはず。あの瞬間の入り江の情報だってあるかもしれない。パパが何を見たのか? 知りたくて知りたくて、でもあきらめざるを得なかった本当の理由が分かるかもしれない。

 それは和真にとってコペルニクス的転回だった。メタバースから来た仮想現実空間を追い求めたら過去のトラウマをピンポイントに狙えることになったのだ。

「こ、これだよ……」

 暗闇のベッドの上でギュッとこぶしを握り、あの事件以来止まってしまっていた自分の人生の歯車がギシギシと音を立てながら回りだした音を聞いた。

 

       ◇

 

 翌日、和真は名刺の住所を頼りに三田に来ていた。

 そこは瀟洒(しょうしゃ)な高級マンションで、インターホンを押すと奥の特別エレベーターで最上階へ来るように案内される。

 和真は言われるがままに最上階のボタンを押した。

 すると、ガン! という音がして、とんでもない速度で上へと加速し始める。

 うわぁ!

 思わず奥のガラスの壁に手をつく和真。

 急に開ける視界、目の前には赤い東京タワーがそびえている。

「えっ!? どういうこと?」

 エレベーターはガラスのチューブの中をぐんぐんと加速しながら空へとすっ飛んでいく。まるで宇宙エレベーターである。

 唖然(あぜん)とする和真をしり目にエレベーターはさらに加速しながら空を目指した。

 東京タワーが下に小さくなり、皇居が小さくなっていく。雲を抜けると、関東平野が小さくなって青空が真っ暗になる。宇宙に入ってきたのだ。そして星空が見えてきたころ、シュウゥゥンという音がして加速が止まった。

 するとエレベーター内は無重力となってふわふわと身体が浮かび上がってくる。

 

「あわわわ! 一体何なんだよ!」

 和真は、いうこと効かずにふわふわ浮いてしまう身体を持て余し、悪態をつく。

 やがて上昇速度がどんどん落ちていき、重力が戻ってきた時だった、チン! と音がしてエレベーターが止まる。

 いよいよついたらしい。和真は大きく息をつく。

 

 ドアが開くとそこには霧のたちこめた大きな湖の水面が広がっていた。

「はぁ!?」

 和真は予想外の光景に思わず口をあんぐりと開けてしまう。

 水面からは温泉のように湯気が立ち上り、あちこちに大きな岩が突き出している。まるで中国の山水画のような静かで幻想的な世界であり、仙人が住んでいそうである。

 しかし、この先どうしたらいいのだろうか?

「泳げとでもいうの? なんなの?」

 和真は水をすくってみる。

 予想外に冷たい水はどこまでも澄んでいて清涼だった。

 手前は浅瀬なので立つことはできそうである。

 和真は渋い顔をしながらそろそろと足を下したが、なんと、水面の上に立ててしまった。

 えっ?

 まるでガラスの上に立ったかのような不思議な感覚だった。

 しかし、一歩踏み出せば水面には波紋が広がっていくのでやはり水であった。しかしそれでも立ててしまうのだ。

 すると、水中に細かな青い光がまるで夜光虫のようにぼうっと灯った。そして、その光はまるで誘導灯のようにずっと湖の奥の方まで続いていた。

 どうやらこの光の方へ歩けということらしい。

 和真は恐る恐る足を出し、霧の濃い湖の奥へと歩き出す。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10. 美しきドラゴン

 湖は異様な静けさに沈んでいる。ただ清らかな水と青い光、そして、霧が続いていた。人は死んだらこういうところへ来るのかもしれない。和真はそんなことをぼーっと考えながら歩いた。

 しばらく進むと急に遠くから重低音の振動が響く。湖面がさざ波立ち、和真も足を取られてバランス取るのに必死になる。すると、霧の奥に巨大な影が動くのが見えてきた。小さなビル位あるような巨大なものがズーン、ズーンと足音を響かせながら湖面をやってくる。

 和真は青ざめ、思わず後ずさった。

 すると、ニュッと巨大な頭部が現れる、それはティラノサウルスのような恐竜に似た生き物だった。しかし、その頭はマイクロバスほどもあり、恐竜の何倍もデカい。

 うわぁ!

 あまりのことに和真は、近くに突き出ていた一軒家くらいのサイズの巨石へと走り、陰に隠れようとした。

 

 ブゥン!

 何かが和真の頭をかすめ、巨石を吹き飛ばす。

 ズーン! ドボドボドボ……。

 岩はまるで豆腐みたいにあっさりと粉々にされその破片を湖面に散らす。

 飛んできたのはいかつい鱗に覆われたシッポだった。

 

 ヒェッ!

 和真はその衝撃にバランスを崩し、しりもちをつき、そのまま水中へと落ちていく。

 慌ててもがく和真。

 冷たい水の中は限りなく透明で、ポコポコと湧き上がる泡の向こうに怪物の影が近づいてきた。

 急いで逃げようとする和真だったが、水中ではどうにもならない。

 

 ザバァ!

 和真はその巨大な翼にすくい上げられる。

 

 巨大な翼に長いシッポ、全身いかつい鱗に覆われ、ぼぅっと金色の光を纏うその巨体に和真は凍り付く。

 とげ状の鱗に覆われた頭部はずいっと和真に近づくと、巨大な真紅の瞳でぎょろりと和真をにらみ、グァァァァ! と重低音で喉を鳴らした。

 圧倒されていた和真だったが、その瞳の赤さを見てそれが誰だかわかってしまった。それはドラゴンの少女、レヴィアの瞳の色だったのだ。そう思えば金色に輝く巨体もどこか気品があり、美しく見えた。

 

「こ、こんにちは、正解を見つけてきました」

 髪の毛からポタポタとしずくを落としながら、和真は引きつった笑顔で挨拶をする。

 ドラゴンはちょっと不愉快そうにグルルとのどを鳴らすと、

「小僧……、間違ってたら……食うぞ!」

 と、腹に響く声で吠えた。

 和真は、一メートルはあろうかという巨大な牙がキラッと光るのに圧倒されつつも、カフェオレを飲むような少女が自分なんかを食べるはずがないと思いなおす。

「だ、大丈夫です。ここに来て確信が持てました。世界は仮想現実空間だったんです」

 冷汗をかきながら答える。

「ふん! お主が足を踏み入れる世界はこういう暴力と理不尽の世界じゃ、それでも来たいか?」

「これが真実であると知った以上、逃げても無意味です」

 和真はしっかりとした目で言った。

 

 すると、ドラゴンはつまらなそうに、

「はぁ~! 脅かしがいのない奴じゃ!」

 そう言うと、和真を解放する。そして、ボン! と爆発を起こすと、中から金髪おかっぱの少女が現れた。

 そして、和真の方へと腕を振り下ろし、和真を光で包むと服も髪も一気に乾かした。

 おぉ……。

 和真が驚いていると、レヴィアはあごでくいっと奥を指し、

「ついてこい」

 と、すたすたと歩き出す。

 

 しばらく行くと見えてきたのは、アテネのパルテノン神殿のような白亜の神殿だった。立ち並ぶ大理石でできた優美な石柱には精緻な幻獣が彫られ、炎の明かりが揺れている。

 

「うわぁ、素敵なところですね」

 階段をのぼりながら和真が話しかけると、

「おだてたってなにも出んぞ」

 ニヤッと笑った。

 

 階段を上って中へと進むと広大な広間があり、さらにその奥の巨大な壁の前まで進むと、レヴィアは何かをつぶやいた。

 

 ビュヨン!

 電子音が響き、岩肌にドアが浮かび上がってくる。

「話はオフィスでな」

 レヴィアはそう言うとドアを開けた。

 ドアの向こうは光があふれ、和真は思わず目をつぶる。

 目が慣れてくると、そこには広いオフィスが広がり、大きな窓の向こうには赤い東京タワーがそびえているのが見えた。

 へっ!?

 和真が驚いていると、

「いいからついてこい!」

 と、一喝して、レヴィアはすたすたと歩いていく。

 そこはメゾネットづくりのマンションの広大なリビングで、ドアは二階の廊下に繋がっていた。一階を見おろすと、高級な調度品に立派な観葉植物、奥の方にはオフィス机が並び、何人かが仕事をしている。まるで外資系コンサルのオフィスのようなたたずまいだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11. 明かされた真実

 階段を降り、立派な革張りソファに案内される。

「まぁ座れ」

 レヴィアはコーヒーをふるまった。

 

「あ、ありがとうございます」

「なぜ分かった?」

 レヴィアは鋭い視線を投げかける。

「メタバースがあれだけ精巧な世界を作っているんです。この世界だってメタバースの進化の先にあってもおかしくないじゃないですか」

「メタバースは金儲けのために作られておる。ではこの世界は何のため?」

 レヴィアは少し意地悪な表情で聞く。

「えっ!? 何のため……?」

 和真は考え込んでしまった。確かにスパコン一兆個分のコンピューターの開発と運用など膨大なコストがかかる。それに見合うだけの物なのだろうか?

「まぁええ、これは宿題にしておこう」

 レヴィアはニヤッと笑い、コーヒーをすすった。

 和真はふぅと息をつき、軽くガッツポーズをする。

 何とか関門は突破した。この世界がコンピューターの作り出したものだというのはいまだにピンとは来ないが、宇宙エレベーターに金色のドラゴン、もはや疑いようもない。

 これをどう捉えたらいいのか、考えるべきことは山積みではあったが、和真にはそれよりももっと大切なことがある。

 いよいよ目的を切り出した。

「これで仲間ですよね? それで……、お願いしたいことが……」

「なんじゃ? 言うてみい」

 レヴィアは真紅の瞳をクリっと動かし、和真に向ける。

「実は……」

 和真は六年前の事故について説明し、その現場を見せてほしいと懇願した。

「それはそれは……、苦労したのう」

 レヴィアは目の前に黒い画面をパカッと浮かべると、ローテーブルの上にバーチャルキーボードを設定してタカタカと何かを打ち込んでいった。

「むむっ……」

 眉をひそめながらそう言うと、しばらく画面を見つめ固まってしまう。

 薬指がタンタンとテーブルを叩く音が響いた。

 そして、ソファーの背もたれにドサッともたれかかり、腕を組んで宙を見つめる。

「デ、データは残ってますか?」

 和真が心配そうに聞くと、レヴィアはおもむろに起き上がりコーヒーをすすって大きく息をついた。

「お主は我々の仕事は何か知っとるか?」

「え? 地球を運営したり悪さするハッカーを叩いたり……ですよね?」

「そうじゃ、特にハッカー対策が……結構大変なんじゃ」

「も、もしかして……」

「まぁ、見てもらった方がいいじゃろう」

 そう言うとレヴィアは立ち上がって和真の手を取り、ワープした。

 

      ◇

 

 いきなり広がる青空、そして向こうには水平線、見下ろせばそこは伊豆の磯だった。

「えっ? ここはもしかして……」

「六年前の事故現場じゃ」

 レヴィアはそう言いながら磯を指さした。

 その先には子供とその父親らしき人の姿が見える。

「えっ!?」

 和真は固まった。その姿は忘れもしない今は亡き父だった。

 和真にせがまれてこんな伊豆の磯にまでやってきた、黄色いジャンパーの三十代の働き盛りのパパ。

 和真はあまりのなつかしさに思わず涙が湧いてくるのを抑えられなかった。涙をポロポロとこぼしながら、ぼやける視界の先で元気に魚を捕る姿を必死に追いかける。

 やがて問題の場面がやってきた。

 小学生の和真にせがまれて崖を登り始めるパパ。

「パパ! ダメ!」

 和真は思わずそれを止めようと近づこうとする。

 しかし、レヴィアはガシッと和真の腕をつかみ、

「これは記録映像じゃ。止められんし止めても歴史は変わらん」

「えっ、そんな……」

 悲しみではち切れそうな胸を押さえ、うつむく和真。

「お主が見たかったのはあれじゃろ?」

 レヴィアはそう言いながら和真を引っ張りながらツーっと空を飛んだ。

 やがて見えてくる入江。

 そして、そこには奇妙な巨大なものの姿があった。

「へっ!?」

 和真は驚いた。伊豆の入り江に紫がかった茶色い巨大な球状の物が動いていたのだ。そして、その上には白衣を着た男の姿も見える。男の大きさから言うと、見えている部分だけで優に十メートルくらいの大きさがありそうである。

 その現実とは思いがたい奇妙な光景に、和真は思わず息をのんだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12. 数学で敵討ち

「な、何ですか? あれは?」

「まぁ、見ててみぃ」

 レヴィアは淡々と返す。

 やがてパパは崖の突端にたどり着き、入り江をのぞき、固まった。

 直後、海中から巨大な触手がニョキっと顔をのぞかせる。なんと、男が乗っていたのは巨大なタコだったのだ。そして触手がピューッと高速で宙を舞ったかと思うと、その先端でパパの胸を突き、真っ逆さまにつき落とした。

 それは一瞬の出来事だった。

 ザバーン!

 海に転落し、波間に消えていくパパ、そして、

「パ、パパ――――ッ!」

 小学生の和真の悲痛な叫びがこだまする。

 

 和真はあまりの出来事に固まり、わなわなと体を震わせた。

 事故ではなく殺人だったのだ。

 今までずっと自分のせいだと後悔ばかりしてきたが、そうではなかった。パパは殺されたのだった。

「コノヤロー!」

 激しい怒りの衝動が和真を貫き、和真は白衣の男に向かって飛びかかろうと一気に降下する。

 しかし、直後体が固まり、動けなくなった。

「じゃから映像だと言うとろうが!」

 レヴィアがムッとしながら降りてくる。

「映像……、くぅっ!」

 和真は悔し涙をポロポロとこぼし、何度も拳をブン! と振った。

「あいつはハッカー集団Ellasseのボス【ゲルツ】じゃ。いまだに捕まっておらん」

「えっ!? ハッカー!?」

「こないだお主らに絡んでおったハッカーの組織と根は同じじゃな」

 やがてボスを乗せたまま巨大タコが沈み始める。

「あっ! 逃げちゃいますよ!」

「そうじゃ、この後、あ奴らは豪華客船を襲って沈め、多くの被害を出すんじゃ」

「え? そんな事件聞いたことないですよ?」

「それは……。我々が復旧して無かったことにしたからじゃ」

「……。パパは?」

 釈然としない思いで和真はレヴィアを見た。

 レヴィアは大きく息をつくと、

「この犯行については認識しとらんかった。申し訳ないことをした」

 そう言って目をつぶり、頭を下げた。

「えっ!? そ、そんな! パパを、僕たちの六年を返してくださいよ!」

 和真はレヴィアにつかみかかった。

「今さら過去は変えられん」

「なんでだよぉ!」

 和真はレヴィアにつかみかかったまま叫び、ポロポロと涙をこぼす。

 レヴィアは渋い顔をしながらそんな和真の背中をさすった。

 

        ◇

 

 和真が落ち着くと二人はオフィスへと戻ってきた。

 泣きはらした(まぶた)で和真はコーヒーをすする。

 日ごろ飲まないコーヒーの苦みに顔を少しゆがめ、大きく息をついた。

「あのハッカーを見つけ出して倒せばいいんですね?」

 赤い目をして和真は聞いた。

「そうじゃ。あいつは巧みに潜伏しておっていまだに所在すらわからんのじゃ」

「必ず見つけ出して仇を討ちます!」

 和真はグッとこぶしを握り締め、レヴィアを見つめた。

「うむ、頼んだぞ」

「で、そのために俺は何したらいいですか?」

「まずは情報理論を学んでもらおう」

 レヴィアはそう言うと指先で空間を切り裂き、その向こうから教科書をどさっとテーブルに積み上げた。

「えっ? これを……、勉強するんですか?」

「情報エントロピーも知らん奴がハッカーに勝てるわけがない。情報の世界では情報の本質を制する者が勝つんじゃ」

 和真は教科書を一冊取り、パラパラとページをめくる。そこには数式が当たり前のように並んでおり、思わず宙を仰いだ。

「パパの仇を取るんじゃろ? そのくらいで音を上げてどうする」

「……。もちろんです!」

 和真は目をギュッとつぶったままそう言った。不登校で数学はすでに分からなくなっていたが、今からでも必死に学べば何とか教科書の数式もわかるはずなのだ。しかし、どのくらいかかるだろうか……。

 思わず宙を仰ぐ和真。

 

「ちょっと準備してくるからお主は教科書を見とけ」

 レヴィアはそう言うと奥の部屋へと入っていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13. にゃんこ先生

 教科書を読みつつ、分からないことはスマホの数学のページを検索しながら何とか理解しようと努めること小一時間。頭がパンクしてきたころ、レヴィアが戻ってきた。

 腕には黒猫を抱いている。

「ほい! 先生を連れてきたぞ」

 レヴィアはそう言って黒猫をテーブルに放った。

 黒猫はぎこちなくピョンと飛ぶと、所在なさげにうろうろとして、教科書の脇に座ると和真をじっと見つめた。

 よく見ると猫はずんぐりとしており、毛並みも毛皮というよりは、もこもことしたぬいぐるみだった。

「へ!? これが……先生? それに……猫じゃない……ぬいぐるみですよね?」

「あー、細かいことは気にするな。この猫はこう見えても優秀でな。情報理論からコーディングまで一通りマスターしておる」

「え? そんなすごい猫ですか? にゃんこ先生ですね」

 和真はそう言いながら両手で猫を捕まえてだき寄せた。

 猫は戸惑った様子を見せながらも静かに和真に抱かれた。

「うわぁ、温かいですね。名前は何て言うの?」

 すると猫はキョトンとしてレヴィアを見つめた。

「え? な、名前……?」

 レヴィアは黒猫と目を合わせ、困ったように首を傾げ、言った。

「ミ、ミィ……、にしよう」

「え? 名前無かったんですか?」

 怪訝(けげん)そうな和真

「いや、無いことも……無いんじゃが……。まぁ、ミィでええじゃろ。ええか?」

 すると、猫は可愛い声で答える。

「名前は何でもいい……にゃ」

 和真はそのぎこちない話しぶりにも違和感を感じたが、行き詰ってる数学を助けてくれる先生は頼もしい味方、仲良くしないと、と思いなおす。

「じゃ、数学、教えてね、ミィ」

「わ、わかった……にゃ」

 和真はさっそく行き詰ってる教科書のページを指さして聞いた。

「ここの数式がわからないんだけど、なんでこうなるの?」

「見せる……にゃ」

 そう言ってミィは和真の腕からピョンと飛びだすが、着地に失敗してゴロゴロと転がった。

 レヴィアはクスクスと笑っている。

 ミィは恥ずかしそうにしながら教科書をのぞき込む。そして、首をかしげると固まった。

「ちょっとスマホ貸して」

 そう言うと、和真のスマホをパシパシと操作して数学の解説ページを出し、しばらく何かを考えると、

「あー、わかった。これはね……」

 そう言いながら脇に置いてあったペンとメモ帳を使ってサラサラと数式を書き始めた。

「この式はこう変形できるだろ?」

「あれ、ミィ、『にゃ』って言わないの?」

 和真はミィの顔を見る。

 ミィは少し固まって、

「わ、忘れてたにゃ。そんなことより数式見るにゃ!」

 と、怒る。

 そんな様子をレヴィアは嬉しそうに見ていた。

 

         ◇

 

「ヨシッ! 焼肉じゃ!」

 夕暮れ時になり、レヴィアは奥から出てくると和真に言った。

 

「え?」

 ポカンとする和真。

「お主らの『けーび隊』加入を祝ってやる」

「あ、ありがとうございます」

「よし、じゃ準備せい、行くぞ!」

 レヴィアは嬉しそうにカーディガンを羽織った。

 

     ◇

 

「恵比寿でええか?」

「いや、どこでも……」

 レヴィアは宙を指先でツ-っとなぞると空間を切り裂く。そして両手でぐわっと空間の裂け目を広げると、

「ほれ、行くぞ!」

 と、切れ目をくぐった。

 慌ててついていく和真とミィ。

 裂け目を抜けると薄暗い神社の境内だった。

「ここなら目立たんからな」

 そう言いながら繁華街の方へと進むレヴィア。

 きらびやかな看板が所狭しと並ぶ通りを抜け、にぎやかな人混みを避けるように一本入ったところのおしゃれな店にやってくる。チョークで書かれたメニューが掲げられ、値段もかなり高く、和真は思わず唾をのんだ。

 大きな木の扉をギギギーっと押し開けたレヴィアは、

「こんばんはー、個室空いてる?」

 と、マスターに陽気に声をかける。

「あら、レヴィちゃん、いらっしゃい。二階の奥にどうぞ……、ん?」

 マスターはそう言いながら和真に抱かれたミィを見つけ、眉間にしわを寄せる。

「あ、ぬいぐるみなのね、よくできてるわねぇ」

 そう言いながらしげしげとミィを見つめ、ミィはバレないように固まっていた。

 

「マスター、いつもの。それから適当に三十人前ね!」

 レヴィアは上機嫌にそう言うと階段を上がっていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14. FIREなチタンカード

 席で待っていると生ビールのピッチャーとお茶が出てきた。

 レヴィアは小皿にビールを少し注ぐとミィに差し出す。

「え? ミィはビールなんか飲まないよな?」

 和真はミィに聞いたが、

「ビールは至高の飲みものにゃ」

 と、嬉しそうに受け取った。

 首をかしげる和真をしり目に、

「それじゃお主らを歓迎してカンパーイ!」

 と、レヴィアはピッチャーを高く掲げた。

「カンパーイ」「乾杯にゃ」

 レヴィアはピッチャーを傾けゴクゴクと景気よく飲んでいく。

「え? まさか?」

 和真が驚いている間にもどんどんとビールは減っていき、あっという間に飲み干してしまった。

「カ――――ッ! 美味い!」

 レヴィアは目をギュッとつぶって幸せそうに叫ぶ。

 この小さな女子中学生のような体のどこに消えていったのか、和真には見当もつかなかったが、本体があの巨大なドラゴンだとしたらピッチャーくらい大したことないのかもしれない。

 

        ◇

 

 レヴィアは山盛りの大皿で出される肉をそのままロースターにぶち込み、ほぼ生のまま次々と貪っていく。

「焼いたのも一口食わせろ」

 そう言うとレヴィアは和真が大切に焼いている肉に手を伸ばす。

「ここの肉はダメです! 私とミィのですからね!」

 和真は箸でロースターの一角を死守する。

「ケチ臭いのう……」

 レヴィアは大きく息を吸うと、紅蓮の炎をいきなり肉の山に吹きかけた。

 ゴォォォォ!

 うわぁ!

 和真は驚いて飛びのいた。

 まるで火炎放射器を浴びたように一斉に肉の油がバチバチとはじける。

 

「ほれ、焼けたぞ。もってけ!」

 レヴィアはさも当たり前かのように肉を取って和真とミィの皿に盛るが、二人は渋い表情で顔を見合わせる。

 

          ◇

 

「お、そうだ、忘れとった。ほれ、お主のじゃ!」

 ピッチャーも五杯目となり、調子が上がってきたレヴィアは懐から黒いカードを出すと和真に渡した。

 それは精緻な模様の彫られたチタン製のクレジットカードだった。表面には和真の名前が浮彫されている。

「え? なんですかこれ?」

「うちの社員証兼、利用限度額なしのチタンカードじゃ。好きなもの何でも買っていいぞ」

 そう言ってレヴィアは美味そうにピッチャーを傾ける。

「え? 何買ってもいいんですか?」

「フェラーリでもクルーザーでもフランクミューラーでも好きなもの買え」

「え? や、やったぁ!」

 一瞬にして和真は億万長者になってしまった。シングルマザーで苦労かけてきたママにも楽になってもらえる。和真はいきなりやってきたFIREな人生に何度もガッツポーズを繰り返した。

「ただ、明細は我がチェックするからな。おネェちゃんの店とか通ったらバレるぞ!」

 くぎを刺すレヴィア。

「い、行きませんよ! そんなところ!」

 ムッとして答える和真。

「おネェちゃんと飲みたくなったら我を呼ぶんじゃぞ。奴らよりキレイじゃからな」

 レヴィアは腕を頭の後ろに回し、ポーズを決めた。

 しかし、美少女ではあるものの色気はない。

「レヴィアさんはちょっと若すぎですよ」

「おや? お主の愛読書に出てきてたのはもっと幼かったようじゃが……」

 意地悪な笑みを浮かべる。

「そ、そうだ! 本を返してくださいよ!」

 真剣になって叫ぶ和真。

 するとミィが、

「何の本かにゃ?」

 と、不思議そうな顔で和真を見上げる。

「何の本かにゃ?」

 レヴィアは真似をする。

 和真は真っ赤になってうつむいて言った。

「なんでも……、ないです……」

 

       ◇

 

 特上カルビをしこたま食べて、満腹になったお腹をさすりながら和真は聞いた。

「それで、テロリストはどうやって探したらいいですか?」

 焼くのが面倒くさくなったレヴィアは、生肉をつまみながら答える。

「ん? 奴らは今、拠点をメタバースに移しとるからな、メタバース内でおとり捜査じゃな」

「おとり捜査?」

「奴らにも活動資金が必要じゃ。じゃが、リアルマネーは我々がキッチリ監視しとるからこの世界ではなかなか稼げんのじゃ」

「それで、メタバース内で稼いでいるんですか?」

「そうじゃ、詐欺で仮想通貨を盗んだり、やりたい放題やっとる」

「詐欺……ですか……」

「奴らも盗んだ仮想通貨はさすがに使えん。マネーロンダリングが要るんじゃ」

「マネーロンダリング……?」

「要は正当な売買行為を通して善意の第三者を装うんじゃな」

「なるほど! その売買行為を見つけ出して捕まえるってことですか?」

「そうじゃ、隙を見せて怪しい取引を持ち掛けて来る奴を誘うんじゃ」

「ふむ……。しかしどうやって……?」

「それを考えることもお主らの仕事じゃ」

 レヴィアは丸投げしてピッチャーをぐっと傾けた。

「……。だとしたら協力者呼んでいいですか?」

「あの……、娘か?」

 ニヤッと笑うレヴィア。

「そ、そうですけど……」

 和真は顔を赤くしながら答えた。

「あの娘、可愛いからのう……」

「可愛さは関係ありません! 彼女はメタバースですでに画廊も持ってるんです」

「うーん、わかった。仲良くやんなさい。その代わり絶対捕まえるんじゃぞ!」

 レヴィアは真紅の瞳をギョロリと光らせた。

「もちろん、パパの仇! 絶対取ります!」

 和真は負けずに決意のこもった目でレヴィアを見返した。

 

       ◇

 

 その晩、和真はベッドの中で、何度も突き落とされていったパパの姿を思い返していた。絶叫しながら真っ逆さまに荒波の中へと消えていったパパ。それは和真の心臓をキュゥっと締め付ける。

 世界を混乱に陥れるにっくきテロリスト、ゲルツ。白衣を着たあの男だけは絶対に許さない。この手で必ず仇を取ってやる。

 和真は布団の中でギュッとこぶしを握った。

 

「パパ……」

 やがて薄れていく意識の中でつぶやき、涙がツーっと枕にしみていく。

 ミィは静かに目を開けると、毛布をそっと整え、和真の隣に潜り込む。

 月明かりがモスグリーンのカーテンをほんのりと照らしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15. 5ミリオンダラー

 翌日の夕方、勉強机で和真とミィが情報理論の教科書相手に格闘していると、バーン! とドアが開いた。

 

「なになに? 呼んだ?」

 上機嫌に叫ぶ芽依。

 

「あ、いらっしゃ……」

「キャ――――! ネコ! ネコじゃないのよぉ!」

 芽依はダッシュしてミィを抱き上げ、

「あれ……、ぬいぐるみ……なの?」

 と首をかしげた。

「今はぬいぐるみにゃ」

 ミィはそう言うとピョンと飛び跳ねて逃げた。

「ど、どういう……ことなの?」

 唖然とする芽依に和真は言った。

「ミィはね、ぬいぐるみだけど、俺の先生なんだ」

「はぁ?」

 怪訝そうな顔をする芽依。

「でね、頼みたいことがあるんだ。お金ならいくらでも払うから協力してくれない?」

 そう言って和真は、昨日の出来事を丁寧に説明した。

 

 芽依は信じられないという表情ではあったが、目の前でぬいぐるみが生き生きと動いている以上、納得せざるを得なかった。

「で、何? マネーロンダリングを持ち掛けてくるハッカーを(あぶ)り出せってこと?」

「そ、そうなんだよ。頼むよ。パパの仇、取らないと俺は次に進めない……」

 和真は深々と頭を下げ、返事を待った。

 芽依はいぶかしげにミィを見つめる。

「僕からも頼むにゃ」

 ミィは小首をかしげ、おねだりする。

 芽依はミィを抱きかかえると、

「もぅ、しょうがないわねぇ……。可愛いは正義だわ」

 と頬ずりをした。

 

       ◇

 

「要は派手に隙のある盛り上がりを見せればいいのよね?」

「よくわからないけど、ハッカーたちに注目されないと意味がないからね」

「軍資金としてまずは……、一億円ね」

 そう言って芽依は手を差し出した。

「い、一億!?」

「何言ってんの! 地球を守るんでしょ? 一億でガタガタ言わないの!」

「ま、まぁそうだけど……。何に使うの?」

 おずおずとチタンカードを差し出す和真。

「仮想通貨買って、協力者たちにバラまくのよ」

 芽依はカードをひったくると、ベッドに飛び乗り、スマホでカードを撮影して購入ボタンをタップした。

「あれ……? 5ミリオンダラーだって……、いくら?」

 和真の方を振り向く芽依。

「六億円……」

 和真は額に手を当てて思わず宙を仰ぐ。

「ま、まぁ、地球を救うんだから安いもんよ、はははは……」

 和真は芽依からカードをひったくると、

「これから決済は僕がやる! いいね?」

 と、芽依をにらんだ。

「わ、分かったわよ……」

 芽依は口をとがらせる。

 そして、電子財布(ウォレット)の残高を表示させ、

「うひゃぁ、こんな桁数見たことない!」

 と、うっとりとその高額な表示に見入った。

「頼むからちゃんとやってよ」

 渋い顔で芽依を見る和真。

 すると、ミィがピョンとベッドに飛び乗り、クリっとした目で聞く。

「で、どういう作戦かにゃ?」

 芽依はミィを抱きかかえると、

「私のコレクションを大々的に宣伝してみんなに爆買いしてもらうのよ」

「え? あの落書きを?」

「落書きとは失礼ね! 和ちゃんにはアートというものが分からないのね」

 するとミィは和真を見て説明する。

「買う人は絵がいいから買ってるわけじゃないにゃ。将来値上がりしそうなら先を争って買うんだにゃ。絵はお(さつ)の模様みたいなものにゃ」

「うーん、みんなに爆買いさせると他の人もつられて買っちゃうって言うこと?」

「にゃんこ先生、さすがだわ! でも、私の絵はいい物よ?」

 芽依はジト目でミィを見て、ギュッと抱きかかえると、思い切りぶんぶんと頬ずりしてモフモフを満喫する。

「うひゃ! くすぐったいにゃ! きゃはぁ!」

 ミィの笑い声が響いた。

 

        ◇

 

 それから一か月、和真とミィは三田のオフィスに毎日通って勉強を続けていた。

 簡単なコードを書いては実験をし、ペットボトルの水を純金にすることくらいまではできるようになっていた。

「ミィ、だいぶ上達したと思わない?」

 和真は重くなった純金のペットボトルを手に取って、悦に入る。

「単にAPI叩いただけで上達とは言わないにゃ。ふぁ~ぁ」

 ミィは伸びをしながらあくびをする。

「なんだよ~、ほめて伸ばしてよ」

 和真は口をとがらせた。

 その時だった、東京タワーの方で何かがはじけ、激しい閃光がオフィスを覆い、何も見えなくなった。

「うわぁぁぁ!」

 和真は思わず床に倒れ込んだ。

 街路樹は一瞬にして燃え上がり、道を歩く人は血液が沸騰して次々と爆発していく。

 直後、激しい衝撃がマンションを襲う。見ると周りのビルは粉々に砕け、激しい衝撃波に吹き飛んでいく。

 もう駄目だと和真が覚悟を決めた時、激しく揺れ動いていたマンションがピタッと止まり、轟音が鳴りやみ、静寂がオフィスを包んだ。

「え……?」

 タンタンタンと階段を下りてくる足音の方を恐る恐る見上げると、レヴィアが渋い顔をしながらやってくる。

「レヴィア様……。こ、これは?」

「テロリストの核攻撃じゃ。奴らはこうやって示威行為をやってくるんじゃ」

「も、元に戻せるんですよね?」

 和真は真っ青になって聞く。数百万人規模で死者が出ているはずである。戻せなかったら大変なことだ。

「たいていは直せるが……、奴らもバカじゃない。アカシックレコードの破壊までやられていたら完全には難しいんじゃ」

 そう言いながらレヴィアはテーブルに座って画面を開き、被害状況を確認していった。

「なんで奴らはこんなことを?」

「ワシらの管理が気に食わんのじゃ。自分たちの世界を持ちたいってことじゃな。そんなの認めたら大変なことになる」

 レヴィアは肩をすくめた。

 和真は改めて今の地球が危機的状況にあることを思い知らされ、心臓がキュッとなった。

 幸い東京は無事復元されたが、いつまでも復元できる保証などない。テロリストの捕縛はまさに急務だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16. 高騰する落書き

 それから数か月、芽依は協力者と罠の準備、和真たちはレヴィアのところで研修に精を出し、ついに出撃の日を迎えた。

 本当はもう少し準備を詰めたかったが、ここのところテロリストたちによるハッキングが激しくなり、近々また大きな攻撃が予想されている。一刻も早いテロリストの発見のため、見切り発車的に出撃となったのだ。

 

「はーい! 行くわよ!」

 芽依の掛け声で一行はメタバースへとダイブしていく。

 見えてきたのは一面火の世界だった。

「うわぁ! 何これ?」

 驚く和真に芽依は嬉しそうに説明する。

「ここはメタバース最大のワールド、『フレイム』よ。今一番勢いがあるんだから」

 目の前に立ち上っているのは真紅に光り輝く巨大なキノコ雲。熱気で揺らぐ陽炎(かげろう)の向こうに揺らめくモコモコとした灼熱の造形に、和真は先日の核攻撃を思い出し、思わずブルっと体が震えた。

 

「はい! ボーっとしてないで行くわよ」

 芽依はそう言うとミィを抱きかかえ、ツーっとキノコ雲へと飛んでいった。

「あぁ、待ってよぉ!」

 

      ◇

 

 キノコ雲に触ると入口が開き、通路を行くと中は超巨大スタジアムのようになっていた。

 

「うわぁ、広いなぁ……」

 フロアにはフリーマーケットのように多くの人が多彩なデジタルアイテムを出品し、大勢の人でごった返していた。奥のステージではライブが行われており、派手なパフォーマンスが披露され、それを何万人もの人が一緒に踊りながら楽しんでいる。

 また、ショッピングモールの吹き抜けのように、周囲にはショップが所狭しと並んだフロアが囲んでおり、ずっと上の方まで連なっていた。

 よく見ると、中央に出ている企業ブースみたいなところに巨大な芽依の犬の絵が回っている。

「え? あれ、芽依の落書きだ!」

「落書きじゃないって言ってるでしょ!」

 芽依は頬を膨らませて和真をにらむ。

「ご、ごめん、あそこ借りたの?」

「そうよ? 三千万円もしたんだから」

 そう言いながら芽依はツーっとブースへ向かって飛んでいく。

「さ、三千万円……」

 和真はミィを見つめる。

「大丈夫、元は取れるにゃ」

 ミィも気軽にそう言うと芽依を追いかけた。

「いやぁ……、何なんだこの世界は!?」

 和真は髪をくしゃくしゃっと搔きむしると、二人の後を追った。

 

       ◇

 

 ブースには犬の絵が陳列され、色とりどりの格好をしたアバターたちが所狭しと絵を眺め、好き勝手に値踏みをしていた。

 また、売上が上がるたびに花火がポンポンと上がり、歓声が続く。まさに熱狂のるつぼだった。

 芽依がやってくると、見つけたファンがどっと芽依を取り囲む。

「僕、三枚も買っちゃいましたよ!」「私なんて五枚だわ!」

「新作はいつになりますか?」

 芽依はもみくちゃにされながら、

「これからステージで発表するから待っててね」

 そう言って、何とか逃げ出してくる。

 

「あれは……仲間のサクラ?」

 怪訝そうな顔で和真が聞くと、

「ただのファンよ。大人気なの分かる?」

 と、芽依はドヤ顔で答えた。

「ふはぁ、おみそれしました」

「じゃ、ステージ行ってくるから」

 芽依はそう言い残してステージの裏手へと飛んでいった。

 

       ◇

 

「レディース! エンド、ジェントルメン! これより新製品発表会を行います。トップバッターはピクセルアートの新星『May』!」

 司会者に案内されて芽依がステージに現れる。

「はーい! 皆さん! うちの可愛い犬ちゃん、楽しんでくれてるかな?」

 と、会場に向かって手を振ると、うぉぉぉぉ! と、地響きのような歓声が巻き起こった。

「え? これ、どういうこと?」

 和真はミィに聞く。

「一枚四万円で一万枚を売りに出して、すでに完売してるにゃ」

「は!? なんで?」

「仲間たちが八千枚買ったんだけど、二千枚は一般人にゃ」

「……。それ、マズくないの?」

「どこもやってることにゃ」

 ミィは肩をすくめる。

「じゃ、盛り上がってる人たちはその一般人ってこと?」

「そうにゃ。絵はすでに二十万円でやり取りされているので、買った人はすでに大儲けにゃ」

「え……」

 和真は耳を疑った。犬の落書きが四万円で売られているというのもクレイジーだと思っていたのに、そんなのを二千人も買って、なおかつ高騰してるという。

「これがNFTの世界にゃ」

 ミィはあきれたように首を振った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17. 十桁の残高

 ステージが終わり、控室に集合した一行。

「なんだかうまくいってるみたいじゃない?」

 場違いな雰囲気にキョロキョロしながら和真は芽依に言った。

「5ミリオンダラーぶっこんだからね」

 芽依はチューっとストローでジュースを飲みつつ、流れてくるメッセージを斜め読みしながら答える。

「ハッカー、来るかなぁ?」

「さてね? 魚釣りみたいなもんでしょ? 気長に待ち……」

 と、その時、芽依の眉がぴくっと動いた。

「どした?」

「ミィ、ちょっとこれ調べて」

 芽依はメッセージの一つをミィへと転送した。

「どれどれにゃ」

 ミィは目をつぶり、ターミナルを脳裏に開くとメッセージの出所をハックしていく。

「うちのプロジェクトを十億円で買いたいって」

 芽依はニヤッとしながら和真に近づくと、耳元でささやいた。

「え? それって……」

「超怪しいでしょ?」

 芽依は嬉しそうに笑った。

 

     ◇

 

 一行がメッセージに指定されたところで待っていると、ひょっとこのお面をかぶった長身の男が現れ、

「初めまして、『May』様」

 と、うやうやしく胸に手を当てて頭を下げた。

「初めまして。で、うちを買いたいって言うのはあなた?」

 芽依はにこやかに返す。

 すると男は口に人差し指を立て、

「そのお話はこちらで……」

 そう言いながら近くの壁の中にすっと入っていった。

「えっ!? 壁が……」

 和真は驚いたが、芽依とミィは静かに男の後を追って壁の中へと消えていった。

「もぅ、なんなんだよ……」

 和真は眉をひそめながら二人を追った。

 

     ◇

 

 中は豪奢なインテリアの応接室になっており、一行はテーブルの席に着いた。

 男はニヤッと笑うと言った。

「壁に耳あり、障子に目あり……、大切な話はこちらでやりましょう」

「十億って本当ですか?」

 芽依は単刀直入に切り出す。

「そう、我々は手ごろなプロジェクトを探しているんです。いかがですか?」

「うちは1万枚を完売したんですよ? 十億は安くないですか?」

 芽依はドヤ顔で吹っ掛ける。

「ふふふ、大半はお仲間が買ってますよね? そのくらいはリサーチ済みです」

 男は嬉しそうに言う。

 和真とミィをチラッと見た芽依は、ふぅっと大きく息をつき、

「いいでしょう。プロジェクトの電子財布(ウォレット)はこちら。十億を転送してくれたらすぐに渡しますよ」

 と、空中に財布のイメージをクルクルと回した。

Done(ダン)!」

 男はそう言うと右手を差し出し、芽依は握手をした。

 

     ◇

 

 和真の部屋に戻ってきた一行。

 和真は恐る恐る芽依に聞いた。

「犬の絵のプロジェクト……、そんなにあっさり売っちゃってよかったの?」

「あぁ、あんな落書きどうでもいいのよ」

 芽依はそう言って電子財布(ウォレット)に残高を表示させる。

「ら、落書きって……」

 和真は渋い顔をする。

「うっひょー、十桁! 和ちゃん十桁の残高なんて見たことある!?」

「あっ! それ、全部芽依のじゃないからな!」

 和真はくぎを刺す。

「分かってるって。でも、差額の四億はもらってもいいでしょ?」

 ウッキウキの芽依は瞳をキラキラと輝かせる。

「えっ!? そ、それは……」

 思わずミィを見る和真。

「テロリスト退治が全部終わったらいいんじゃないかにゃ」

 ミィは淡々と芽依に言う。

「は――――い……。早く片付けてね!」

 芽依は渋い顔をした。

 

     ◇

 

 和真とミィは黒い画面をパコパコと空中に開き、さっそくひょっとこ男の追跡に入る。

 テロリストたちがこのプロジェクトを使ってマネーロンダリングをするなら、不審な金の出入りがあるはずで、その行く先をたどっていけばどこかで現金に換金される。その瞬間を狙えばテロリストを捕まえられるのだ。

 

 二人は淡々とツールを動かして仮想通貨の流れを追い続ける。仮想通貨はやり取りが全てブロックチェーン上に公開されている。つまり、どの財布からどの財布にいくら仮想通貨が渡ったかが全て丸見えなのだ。しかし、だからこそマネーロンダリングは巧妙化している。

 和真は資金が仮想通貨取引所に入り、かなり激しくトレードされているのを見つけた。

「ねぇ、ミィ。これ、怪しくない?」

「どれ、見せるにゃ」

 ミィはその取引が行われた前後の取引内容を全部ダウンロードして相関を取ってみる。すると、怪しいアカウントが浮かび上がってくる。テロリストが買う直前に必ず買い、売る前に必ず売るアカウントがあったのだ。

 つまり、間接的に利益を供与している、まさにロンダリングだった。

「ヨシッ! いけるぞ!」

「見つけたにゃ!」

 和真はミィとハイタッチをして盛り上がる。

 このアカウントを追えばボスにたどり着けるかもしれない。和真はパパの仇に一歩近づいた興奮で全身の毛穴がブワッと広がるのを感じていた。

 芽依はベッドの上でポテチをかじりながら、そんな二人をジト目でながめ、

「四億円まだぁ?」

 と、つまらなそうに声を上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18. カジノinシンガポール

「デカしたぞ! お主ら!」

 レヴィアはログを眺めながら興奮気味に言った。

 そして、アカウントの持ち主を手早く探し出す。

 画面に浮かび上がったのは、豪華なルーレット台。そしてジャケットを着こんだ痩せた男がチップを張っている。これがどうやらテロリストの幹部、多分ボスのゲルツらしかった。

「え? ここは……?」

 和真が目を細めながら画面をのぞき込む。

「シンガポールのカジノじゃ。マリーナベイサンズじゃな」

 そう言いながらレヴィアは、屋上がプールになった巨大なビルを映し出した。

「あー、これカジノなんですか?」

「お主行ったことないのか? 片付いたら遊んだらええ。ヨシ、乗り込むぞ」

 そう言いながらレヴィアは空中にいくつも虹色に輝く不思議な魔方陣を浮かべた。

「乗り込むって、今ですか!?」

 焦る和真をあきれたように眺めながら、

「仇を討つんじゃなかったんか? 幸運の女神には前髪しかない。チャンス活かすなら今じゃ!」

 と怒る。

「わ、分かりました。僕らは何したらいいですか?」

「何もせんでええ。怪しい技を使うふりだけしてろ」

「ふ、ふりだけですか?」

「三人で乗り込めば、あ奴も気軽には動けんじゃろ」

 レヴィアはニヤッと笑うと手を振り上げ、和真は意識を失った。

 

         ◇

 

 気が付くと、和真は赤じゅうたんの上に立っていた。見上げると巨大な吹き抜けが広がり、上層階もすべてカジノだった。

「うわぁ……」

 見渡す限り並ぶカジノのテーブル。ディーラーがカードを配り、観光客のプレイヤーと勝負をしている。

「何しとる! 行くぞ!」

 レヴィアは耳元で一喝すると、魔方陣を引き連れながらすたすたと奥へと歩いて行った。

 和真はミィを抱いて急いで追いかける。

 

 ルーレット台までやってくると、ジャケットの男がルーレットの球の行方をじっと眺めている。

 レヴィアは不敵に笑うと、魔方陣をパンと叩いた。キラキラと光の微粒子を放ちながら崩壊していく魔方陣。

 直後、にぎやかだったフロアは音を失い、ディーラーも観光客もすべて消え去った。

 驚いた男は周りを見回し、レヴィアを見つけると、ピクッと眉を動かした。

「随分好き放題やってくれたのう、ゲルツ」

 レヴィアは楽しそうに切り出した。

「これはこれはドラゴンじゃないか……。好き放題? この世界を生きる者としての当然の権利では?」

 ゲルツは肩をすくめ、悪びれずに言う。

「東京を核兵器で吹き飛ばす権利など誰にもないだろうが!」

「あんたらが人類の生殺与奪の権利を独占的に保持する権利もないぞ?」

 ゲルツは不敵に笑った。

「まぁ、話は牢屋で聞こう」

 レヴィアは紫色に光る鎖を空中にふわっと浮かべるとゲルツに投げ、ぐるぐる巻きに縛り上げる。

 しかし、ゲルツは表情を少しも変えずに言った。

「私の自由な行動が制限されると自動的に某所が爆破される。一番クリティカルなところがね」

「そんなのは後でじっくりと解析して解除すればいいだけじゃ!」

「コード『AXGF332』」

 ゲルツはそう言うと勝ち誇ったかのようにニヤッと笑った。

 真っ青になり凍り付くレヴィア。

「な、なぜそれを……」

「私も元管理者、蛇の道は……蛇、早く解放した方がいいぞ」

 レヴィアはギュッと目をつぶると動かなくなった。

「お、お前、六年前巨大タコに乗ってた奴か?」

 横から和真が叫んだ。

「タコ? あぁ、あれは自信作だよ」

「伊豆の入り江で人を突き落としただろ!」

「ん――――? よく覚えてないが……、そういうこともあった……かな?」

「コノヤロー!」

 和真は心の奥底から爆発的なエネルギーがほとばしり、頭の中が真っ白になった。そして、後先考えることなく男に殴りかかる。

 こぶしを握り締め、渾身の一撃を男の顔面に放つ。

 ガン!

 まるで銅像を殴ったかのように、こぶしは跳ね返される。

 ぐわぁぁぁ!

 こぶしに走る激痛に思わず転げまわる和真。

「何だこの小僧は? 物理攻撃無効も知らんのか」

 あざけるゲルツにレヴィアは言った。

「もういい、行け!」

「あなたもうちに来ればいい。いい待遇用意するよ?」

 ゲルツはニヤッと笑い、レヴィアを見つめる。

「テロリストに与するほど落ちぶれとらんわい」

 レヴィアはそう言いながら床でうめいている和真のこぶしに手のひらをかざし、不思議な緑の蛍光を当てた。

 はっはっはっ!

 ゲルツは嬉しそうに笑うとすうっと消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19. 地球滅亡のお知らせ

「くぅ……」

 和真はポタポタと涙をこぼす。ようやく捕まえたパパの仇をみすみす逃がしてしまったのだ。これでまた振り出しである。

 ミィは心配そうにそっと和真の背中をなでた。

「このくらいで泣くな!」

 レヴィアは空中に黒い画面を開き、流れるデータを見つめながら発破をかける。

「だって……。あのコードは何なんですか?」

「あれは対テロリスト用極秘プロジェクトの秘密コードじゃ。あれを知っとるということはアカシックレコードに工作されている可能性が高い。つまり、直せない核攻撃を撃たれるってことじゃ」

「えっ!?」

 和真は真っ青になった。

 数百万人の命をゲルツに握られてしまっているということなのだ。

「ど、どうすれば……」

「情けない顔すんな! おっ……、しめしめ」

 レヴィアは画面を見ながらニヤッと笑った。

 ミィはピョンとレヴィアの肩に乗り、画面をのぞき込む。そして、目を丸くして言った。

「こ、これは……、もしかして」

「そう、ゲルツのアジトをついに発見したぞい」

「えっ? ど、どうやって?」

 和真は飛び上がって画面をのぞき込む。

「お主がへなちょこパンチを撃った時な、一瞬ヤツの注意がそれたんじゃ。その瞬間にアンカーを打っておいたんじゃ。まぁ、お主のお手柄じゃな」

「や、やったぁ!」

 和真は思わずこぶしを握ってガッツポーズをする。

 と、その時だった。

 

 ズン!

 激しい衝撃音がして激しい地震のような揺れが襲った。

「うわぁぁぁ! じ、地震!?」

 慌てる和真にミィが言った。

「シンガポールに地震なんてないにゃ!」

 すると、メリメリッ! バキバキッ! と、解体工事現場のような轟音を上げながら何か巨大なものが迫ってくるのが見えた。

「うわっ! なんか来ますよ!」

 和真は思わずレヴィアの腕に抱き着いた。

 見ると、レヴィアは額に手を当ててうなだれている。心当たりがあるらしい。

「えっ!? 何ですかあれ?」

 四フロアをぶち抜きながら土ぼこりを巻き上げて迫るそれの姿が、徐々に見えてきた。

 なんだか白い巨大な顔のようなものが見える。

「マーライオンじゃよ」

 レヴィアはため息交じりに言った。

「へ? マーライオン?」

 土埃の中から現れたのは顔がライオン、体が魚の巨大な像、マーライオンだった。

 高さ八メートルを超えるマーライオンは、カジノのテーブルを弾き飛ばしながら迫ってきたが、急にピタッと止まる。

 そして和真たちの方を向くと、口から威勢よく水を吐き出した。

 ザッパーン!

 滝のように放たれた水はカジノのテーブルを吹き飛ばしながら和真たちに迫り、レヴィアは渋い顔をしながらシールドを張ってそれを防いだ。

 

「きゃははは!」

 若い女の笑い声が響き、青い髪の少女がまるでウォータースライダーのように水に乗って威勢よく降りてくる。

「あの人は?」

 和真が聞くと、レヴィアは、

「我の上司じゃ」

 と、苦虫をかみつぶしたような顔で答えた。

 やがて少女はレヴィアのシールドのところまで来ると、

「ドーン!」

 と、言いながらシールドを粉々に砕き、大量の水と共に和真たちを押し流した。

「うわぁぁぁ!」「ひぃ!」「ちょっともう!」

 口々にわめきながら流されていく一行。

 和真は必死に何かに捕まろうともがいたが、急に体が浮き上がり、気が付くと二階の床に飛ばされてしりもちをついた。

「あー、楽しかった!」

 少女は美しい青い髪からしずくをポタポタと滴らせながら屈託のない笑顔で笑った。

 これがドラゴンの上司。和真はとてもそうは見えない可愛く無邪気な笑顔に戸惑いを覚える。

「シアン様! 普通に登場されてくださいよ!」

 プリプリと怒るレヴィア。

「いやー、やっぱりシンガポール来たらさ、シーライオンじゃん?」

 シアンと呼ばれた少女は全く悪びれることなく答える。

「この壊れたビル、どうするんですか?」

「こんなのすぐ直せるでしょ? よろしく!」

 ムッとした表情で言葉をなくすレヴィア。

「でね、評議会からの通達! この地球は廃棄だって。猶予は三日!」

 いきなり嬉しそうに地球滅亡を予告するシアン。

「へっ! マジで……?」

 レヴィアは顔面蒼白となって固まる。

「極秘プロジェクト漏れちゃってるの、みんなカンカンなんだよねぇ」

 口をとがらせて小首をかしげるシアン。

「いや、それは何とかしますって!」

「三日で何とかすればセーフ!」

 ニコッと笑うシアン。

「み、三日って……」

「おっといけない! パパが呼んでる! それじゃ、チャオ!」

 シアンはそう言うと、全身を青白く光らせ、ふわりと浮かび上がると、

 ドン!

 と、衝撃波を発しながら天井めがけてとんでもない速度ですっ飛んだ。

 建物には大穴が空き、瓦礫がばらばらと降ってくる。

「もー! ちょっと! 何でこんなことするんじゃあ!」

 レヴィアは頭を抱えながら叫ぶ。

 和真はミィと見つめあい、想像を絶する事態の進行に戸惑い、渋い顔で首をかしげた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20. 漆黒のアカシックレコード

 翌日、和真とミィがゲルツのデータを分析していると、パリパリっと音がして空中に空間の切れ目が浮かび上がり、レヴィアがやってきた。

「お主ら……、何か成果はあるか?」

 目の下にクマを作ってげっそりとしながらベッドに座るレヴィア。

「拠点へのアクセス方法は確保しましたが……それ以外は……」

 和真は恐る恐る答える。

「アカシックレコードへのルートは見つからんか?」

「巧妙に隠してあるみたいにゃ」

 ミィもちょっと疲れ気味で首を振った。

「カ――――ッ! あと二日しかない!」

 頭を抱えるレヴィア。

 

 と、その時、ドタドタドタっと足音が響き、バーン! とドアが開いた。

「四億円まだ――――!?」

 上機嫌に叫んだ芽依だったが、レヴィアと目が合い凍り付く。

 レヴィアはふぅと大きく息をついてバタリとベッドに倒れ込んだ。

 芽依は和真にそっと近づいて、

「彼女……誰?」

 と、耳元で聞いた。

「あれ? 覚えてないんだっけ? 僕らの上司だよ。ドラゴンのレヴィア様」

「ドラゴン……?」

 芽依は怪訝そうな顔でレヴィアを見つめる。

「本当だったらドラゴンになって脅かしてやるんじゃが、世界滅亡まであと二日、そんな元気ないわい」

 そう言ってレヴィアは毛布にくるまった。

「滅亡って……、どういうこと?」

 和真は昨日の出来事を説明する。

「要するにテロリストがアカシックレコードという、世界を丸っと記憶するところに侵入してて、それを見つけないと地球滅亡……って事?」

「その通りじゃ! 奴らは巧妙に痕跡を隠しておって見つからんのじゃ……」

「見つからないんだったら……、丸っとサーバーぶっ壊しちゃえばいいんじゃない?」

「何言ってるんだよ、そんなことやったらヤバいって」

 和真は渋い顔をしたが、レヴィアは固まっている。

「壊す……」

「サーバーの構成によるにゃ。管理部分だけ別のハードなら切り離して再インストールすれば確かにクリーンにはなるにゃ」

「それじゃ!!」

 レヴィアは飛び起き、芽依の手を取り、

「お主、なかなか冴えとるのう!」

 と、手をぶんぶんと振った。

「ふふん、それほどでもぉ……。で、サーバーってどこにあるんですか?」

「金星じゃ、金星の衛星軌道上を回っておる」

「き、金星!? それって二日で行けるところなんですか!?」

「この世界は情報の世界、距離なんて関係ない。じゃが……再インストールとなると、一万個の地球全部に影響が出る……。どう許可を取るか……」

「え? 一万個?」

 和真は初めて聞くとんでもない数字に眉をひそめる。

「そうじゃ、地球型の星は全部で一万個。神様たちが気軽に『地球を廃棄』とか言ってるのは他にたくさんあるからなんじゃ」

「ほへ――――」

 和真は絶句した。

 この地球がコンピューター上にあるというのは理解していたが、似たような星が一万個もあったとは想定外だったのだ。

「こんなことしちゃいられん! 今すぐ申請に行かねば!」

 レヴィアはそう叫ぶと指先で空間をパリパリと切り裂き、その中へ飛び込んでいった。

 

      ◇

 

 結局許可が下りたのは地球廃棄処理の三時間前だった。

「ギリギリセーフじゃ! 行くぞ!」

 レヴィアは真紅の瞳をキラリと光らせて空間の裂け目に和真とミィを放り込んだ。

 うわぁぁぁ!

 和真が目を開けると、満点の星々が広がっていた。そして、それを覆うかのような巨大な構造物がゆっくりと視界に入ってくる。それは関東平野位のサイズがある漆黒の構造物で、まるで夜景のようにあちこちでチラチラと光が瞬いている。

 そして、振り向くと金色に輝く惑星が浮かんでいた。

「え? あれは……」

 と、言いかけて、声が出ていないことに気が付く。

 そう、ここは宇宙空間。空気がないのだ。

 ワタワタとしていると、脳内に言葉が飛んでくる。

『テレパシーを使え』

 見るとレヴィアが金髪をふわふわと広げながら、逆さまに浮かんでサムアップしている。

『こ、こうですか?』

 和真は研修で習った時のように言葉を飛ばした。

『さて、行くぞ! 時間がない』

 レヴィアはツーっと構造物の方へと飛んでいく。

『あー! 待ってください!』

 和真は急いで追いかける。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21. 涙目のスポーツブラ

 徐々に近づいていくと、構造物の巨大さに圧倒される。日陰に設定された漆黒な構造は、金星からの黄金の照り返しにわずかにその姿を浮かび上がらせる。詳細まではわからないが、長さ数キロほどありそうな、鳥の羽のようなパネルが無数に生えているのが確認できる。

 やがて徐々に暑くなってきた。

『暑く……ないですか?』

『暑いに決まっとろうが! あれは全部放熱パネルじゃ』

『放熱!?』

『太陽の周りの巨大太陽光パネルで発電したものを全部計算に使っとるからのう。出る熱は莫大じゃ』

 そう言うとレヴィアは大きな銀色の傘を広げ、

『お前らこれに隠れろ』

 と、声をかける。

『なるほど、これで涼しくなりますね』

 そう言った時だった、まぶしい閃光が傘を襲った。

『うわぁぁぁ!』

『来なすったぞ! 衝撃に備えろ!』

『な、何ですか? これ?』

『防衛隊のレーザー砲じゃ』

 レヴィアは冷汗を流しながらニヤッと笑った。

『は? 許可取ったんじゃないんですか?』

『許可は取ったが、特別扱いはしないと言われとる』

『へ? なんで?』

『特別扱いの兆候を悟られるとゲルツに逃げられるからじゃ』

『くわぁ……』

 頭を抱える和真。

 すると、バシバシバシ! とレーザー砲が次々と傘をヒットして、傘が揺れ、振動が走る。

 ヒットするたびにパリパリと銀色の表面が蒸発して焦げ、そう長く持たないことを予感させた。

『マズいのう、思ったより強力じゃった』

『空間を飛べばいいじゃないですか』

『何言っとる、ここは金星。そんなスキルの権限などないわい』

 そう言ってる間にもレーザー攻撃が降り注ぎ、傘は激しく閃光に揺れた。

 たまらずレヴィアはジグザグに飛びながら何とか避けようとするが、レーザー砲は正確に追尾してくる。

『アカン! 高性能すぎじゃ!』

 するとミィが和真の肩を叩いた。

『服を脱いで投げるにゃ』

『へ? 服?』

『いいから早くするにゃ!』

 和真は言われるがままにカーディガンを脱いで横に投げた。

 くるくると回りながら無重力の宇宙を飛んでいくカーディガン。

 直後、レーザー砲の乱射にあい、激しい閃光を放ちながら爆発していく。

 パリパリ!

 衝撃波が和真たちに届いた。

 和真はその恐るべき破壊力に唖然とする。

『おぉ、その手があったか! よし、お主、どんどん脱げ!』

『ちょっと待ってくださいよぉ! 裸にするつもりですか?』

 と、言ってる間にもまた傘が激しく閃光に揺れだした。レーザー砲の攻撃が戻ってきたのだ。

『何言っとる! 今は全人類八十億人の命がかかっとるんじゃ! 服ぐらいなんじゃ!』

『わ、わかりましたよぉ……』

 和真は渋々スニーカーを脱いで放った。

 あっという間にレーザーに焼き尽くされ爆発していくスニーカー。

『ほれ、早く!』

 次はシャツ、ズボン、そして、下着、ついに和真はパンツ一丁になってしまった。

『次じゃ!』

『えー! ちょっと待ってください。次はレヴィア様ですよ!』

『なんじゃと! レディーの服を脱がすというか! 小僧!』

『全人類八十億人の命がかかってるんですよ!』

 和真はレヴィアのジャケットに手をかける。

『くぅ……、こんな小僧に貞操を……』

『バカなこと言ってないで早く!』

 また傘が激しく閃光に揺れだす。中には傘を突き抜けてくるものも出始めて、和真の髪の毛をかすめ、ジュッと衝撃音を立てた。

『うわぁ!』

 和真はレヴィアの葡萄茶(えびちゃ)色のジャケットをはぎとって投げる。

 くるくると満天の星を背景に宇宙空間を舞うジャケット。直後、集中砲火を受け、激しい閃光を放ちながら爆発していった。

『あぁ、お気に入りだったのに……』

 しょげるレヴィア。

 

 時間稼ぎのおかげで一行は巨大な放熱パネルのエリアにまでたどり着いていた。

『あともう少しです、次々脱いで!』

『うぅ、エッチ!』

 レヴィアは涙目で和真を非難する。

 しかし、戻ってきた攻撃は突き抜けるものも多くなり、一刻の猶予もなかった。

『ヤバいヤバい、早く!』

 レヴィアは渋々靴を投げ、靴下を投げ、

『お主、見るなよ!』

 そう言ってブラウスを投げた。

『見られてどうこう言う身体じゃないでしょう!』

『レディーに向かって何言うか! この、バカたれ!』

 真っ赤になって和真をポカポカ叩く。

『痛い、痛い! ちょっと、レーザー当たっちゃいますって!』

 傘からはみ出しそうになりながら和真が叫んだ。

 直後、攻撃がやむ。攻撃不可能なエリアにまでたどり着いたらしい。

『あれ? や、やりましたよ! レヴィア様!』

 和真はレヴィアを見ると、レヴィアはスポーツブラを両手で隠して涙目でにらみ、

『こっち見んな!』

 と、言ってパシッと叩いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22. 煌めくアカシックレコード

 見回すと一帯はまるで化学プラントのように、巨大な黒い構造物から無数のパイプが整然と放熱パネルの方へと配されている。

 構造物の継ぎ目からは鋭い青い光が漏れ、それが見渡す限り一面に見受けられる。金星の黄金の輝きと、その青のハーモニーは音のない世界で幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 レヴィアは構造物同士をつなぎとめているジョイント部に取り付くと、小さなマンホールのようなハッチに手をかけた。

『多分、ここじゃろう』

 そう言いながらガチッと少し持ち上げ、中のロックを外すとそのまま引き上げた。

 ブシュー! っと威勢よく空気が漏れ出してくる。

 やがて勢いが落ちてくると、

『ヨシ!』

 と、レヴィアはハッチの中へと入っていった。

 

     ◇

 

 まるで換気ダクトのような狭い通路をしばらく行く。元々人が入ることを考慮されていない設計のようだ。管理は機械が自動でやっているということかもしれない。

 レヴィアは突き当りのハッチを力いっぱい開けると、

「ヨッシャー!」

 と、興奮しながら中へと進んでいった。

 

 中をのぞいて和真は驚いた。そこには二メートルくらいのクリスタルの立方体が無数に整列され、まるで巨大倉庫のようになっていたのだ。クリスタルの中にはキラキラと微細な光の流れが縦横無尽に行きかい、まるで上質な宝石を思い起こさせる。

「これがアカシックレコード。一つに地球上の出来事一か月分が入っておる」

 ドヤ顔で説明するレヴィア。

「す、すごい!」

 人類の歴史、地球の歴史がこんな宝石の中に丁寧に格納されているとは想像もしなかった。この中には織田信長、始皇帝、クレオパトラなど過去の偉人全員の言動が全て残っているということだ。それはとんでもない事ではないだろうか?

 和真はしばらく無数のクリスタルのきらめきを呆然と見つめていた。

 

「ヨシ! Fの23532を探せ!」

 と、言って、レヴィアはツーっとクリスタルへと飛んだ。

「え? どういう順に並んでいるんですか?」

「我に聞くな! 考えろ、もう残り時間わずかじゃ」

 そう言いながら表面を観察するレヴィア。

 和真とミィもクリスタルをじっくりと見るが、番号も何も書いてない。

「レヴィア様! 番号どこですか?」

「うーん、分からん! なんじゃこりゃ! あと十分しかないのに!」

 レヴィアもお手上げだった。

 

「管理機構は一般のモジュールとは違わないかにゃ?」

 ミィがレヴィアを見上げる。

「む、それはそうじゃな……。しかし、特別なモジュールとはどんなもんじゃろう……」

 レヴィアはそう言いながらツーっと飛んでモジュールを観察していく。

「色が違うとかつなぎ方が違うとかですかねぇ?」

 和真も別のところを飛んでいく。

 すると、明らかに光り方が違うモジュールが一つ、奥の方に煌めいている。

「あ……」

 人類を救うカギを見つけた和真は、ふと、今、八十億人の生殺与奪の権利を握った事に気が付いた。そう、世界を滅ぼす権利を今和真は手中にしたのだ。あのモジュールを隠し通すだけで世界は滅ぶ。

 和真は背筋にゾクッと今まで感じたことのない甘美な波動を覚えた。

 パパを殺してしまったと感じてしまってから六年、人生の歯車はすっかり社会から切り離され、置いてきぼりに放置されていた和真。劣等感にさいなまれ、出口の見えない苦しみの中で何度社会を恨んだだろう。もちろん単なる逆恨みなのだが、心は理屈では動かない。どす黒い感情を持て余し、日々ベッドで心の刃を研いでいた。

 今、すっぱりと世界もろとも楽になってしまっていいんじゃないか? そんな甘美な思いが脳裏をこだまする。

 和真はジッと黄金色に輝くクリスタルを見つめた。ドクドクと上がる心拍数。額には冷汗が浮かび上がる。

『和ちゃん!』

 その時、ふと、芽依の声が聞こえたような気がした。

「えっ!?」

 和真は急いで辺りを見回すが、芽依がいる訳がない。そして和真は正気を取り戻す。そう、楽になりたいとか言うのはただの自分勝手だ。世界は守るものだ。芽依のため、ママのため、そして未来の自分のため……。

 和真は大きく息を吸うと叫んだ。

「レヴィア様! 変なのがある!」

「む? どれどれ?」

 レヴィアはすっ飛んできて和真の指さす先を見る。

 

「これ、ですかね?」

「むぅ……、怪しいが……どうやって確かめたらいいか……」

「アクセスしてみたらどうかにゃ?」

 ミィは不思議そうにクリスタルをなでながら言った。

「おぉ! そうじゃな!」

 レヴィアはポケットからスマホを取り出すと、パシパシと叩いた。

 すると、スマホタップに連動して青い光がパシパシと応答する。

「おぉ! これじゃ、これじゃ! ヨシ! 引き抜け!」

「引き抜くって……どうやって?」

「知らん! あと一分しかないんじゃ、力任せに引っ張れ!」

「もう一分!?」 

 和真は驚き、急いでクリスタルに手をかける。自分が余計なことを考えたせいで事態を深刻に悪化させてしまった。和真は罪滅ぼしの意味を込めて全力でクリスタルを引っ張る。

「ヨシッ! せーのっ!」「せーの!」

 しかし、ビクともしない。とても引き抜けるとは思えなかった。

「ダメですよぉ!」

「泣き言なんて聞きたくないね! 全力出しな! そーれっ!」

 レヴィアも真っ赤になって凄い形相で引っ張っている。

 地球廃棄処分まで残り数十秒、絶望が和真の脳裏をよぎる。思い上がっていたさっきの自分を殴りたい気分で思わず涙が湧いてくる。

 

 すると、ミィが隣のクリスタルとの隙間にするすると入っていく。

「ミィも手伝ってよぉ!」

 和真が叫ぶと、

「これじゃないかにゃ?」

 そう言って、奥の接続部のレバーを押した。

 バシュン!

 軽快な音を放ってクリスタルは浮き上がり、激しく煌めいていた光がふっと消える。

「おぉ! でかした!」

 レヴィアは思わずガッツポーズ。そして、急いでスマホで連絡を取る。

「予定通り、作業完了です! ついては廃棄処分の撤回を……。はい……、はい……」

 

 和真はミィを抱き上げて思いっきり頬ずりをした。

「ミィ! ありがとう!」

「きゃはぁ! くすぐったいにゃ!」

 和真はポロリと涙をこぼした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23. パラレルワールドの幼女

「ヨーシ! しばらくメンテだからどっか別の星に行って美味いもんでも食うぞ!」

 レヴィアは上機嫌に和真の背中をバンバンと叩いた。

「べ、別の星? ゲルツは?」

「メンテに入った地球では何もできんよ。決戦はメンテ後じゃ。メンテしてない星に視察がてら乗り込むぞ」

「は、はぁ……」

 別の星というのは言わばパラレルワールドなのだろう。一体どんなところなのだろうか?

 和真は期待と不安でミィをギュッと抱きしめた。

 

         ◇

 

 気が付くと和真は澄み通った青空に浮かんでいた。

 目の前にはドーンと冠雪した富士山があり、足元には湖が広がっている。芦ノ湖……だろうか?

 しかし、湖畔には何の建物もなく、ただ、森が広がっているだけだった。なるほど、パラレルワールドの箱根にはまだ人の手が入っていないらしい。

 振り返ると伊豆半島、そして相模湾がゆったりと弓なりに湘南の方へと砂浜をつなぎ、遠くには江の島が見える。

 

「えーっと、あの辺りじゃったかな?」

 レヴィアは和真の手を引いてツーっと稜線へと降りていく。

「どこ行くんですか?」

「部下の家じゃ」

「え? いきなり行っていいんですか?」

「抜き打ちの視察じゃ。ちゃんとやってるかどうかたまには見てやらんと」

 和真はパワハラっぽいレヴィアの行動に不安を感じた。

 

       ◇

 

 稜線近くの見晴らしのきく森の中にポツンとモダンな家が見えてきた。ガラスと木材で作られた立方体の建物には道路もなく、ただ静かに富士山と芦ノ湖を見渡せる位置にたたずんでいた。

 レヴィアは庭にシュタッと着地すると、玄関の呼び鈴を押した。

 トタトタトタと足音が聞こえ、ガチャリ、とドアが開く。そして、ひょこっと可愛い幼女が顔を見せた。

「おや、タニアちゃん、お姉さんのこと覚えとるか?」

 レヴィアはしゃがんでニコッと笑いかける。

 タニアは眉にしわを寄せると、そのままドアをガチャっと閉じた。

「……」

 無表情になるレヴィア。気まずい時間が流れる。

 

「あー! レヴィア様! いらっしゃるなら一言おっしゃって下されば!」

 そう言いながら二階のベランダからアラサーの男性が飛び降りてくる。彼がレヴィアの部下のユータだった。

 

「タニアは何? 我のこと嫌いなの?」

 渋い顔をしてジト目でユータを見るレヴィア。

「い、いや、そんなことないですよ。あの子は人見知りが激しくって」

 冷や汗を流すユータ。

「ふーん、で、どうなの最近?」

「立ち話もなんですので、お茶でも入れます。どうぞどうぞ」

 ユータはそう言って一行を応接間に招いた。

 

       ◇

 

「えーと、こちらがこの星の人口の推移で、これが文化指数です」

 ユータは空中にグラフを表示させながら活動報告をする。

「なんじゃ、全然伸びとらんじゃないか!」

 レヴィアは不満をぶつける。タニアに嫌われたのがよほどショックだったらしい。

「い、いや、去年流行り病がありましてですね……」

 いやな静けさが流れた。

 レヴィアはしばらく腕を組んで考え、

「あー、あれだ。魔物と魔法そろそろ止めてみんか?」

 そう言うと、レヴィアはコーヒーを一口すすった。

「えっ!? 止めちゃう……んですか? 魔法なくしたら相当混乱しますよ?」

「魔法は便利すぎて文明が発達しないって論文が出とるぞ。後で送っとく」

「は、はぁ……」

 ユータは暗い顔でうつむいた。

 

 ガチャリ。ドアが開いてユータの奥さんが焼いたばかりのクッキーを持ってやってくる。

「お口に合うかわかりませんが……」

「おぉ、ドロシー。いきなり来て悪いな。クッキーもええんじゃが、エールはないか?」

 いきなり酒を要求するレヴィア。

「え? エール……ですか?」

 ドロシーは戸惑い、ユータを見る。

 ユータはニヤッと笑い、うなずくと、

「持ってきます!」

 と、急いで部屋を出ていった。

「あ! にゃんこ!」

 ドアの向こうで様子をうかがっていたタニアがミィに駆け寄る。

「へ!?」

 和真の膝の上で丸くなっていたミィは、いきなりの幼女の接近に対応が遅れ、そのままタニアに捕まってしまう。

「にゃんこ! にゃんこ!」

 タニアはミィを引きずり下ろすと抱きかかえ、興奮しながらぶんぶんと振り回す。

「ちょ、ちょっと待つにゃ! うわぁぁぁ!」

 ミィはタニアにもみくちゃにされ、目をぐるぐる回し、タニアは嬉しくて『きゃはぁ!』と歓声を上げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24. 偉くて強い

 そのまま酒盛りに突入した一行は、昔話に花が咲いた。

 ユータは東京出身で、異世界転生後レヴィアと一緒にテロリストと死闘を繰り広げたらしく、とんでもないエピソードが次々と披露された。

「全長二百五十キロメートルの蜘蛛(くも)には驚かされましたね」

「脚の太さだけでも数キロあるしな。それが宇宙まで一直線にそびえとるんじゃ! お主ら、そんなの見たことあるか?」

「い、いや……」

 和真もミィも圧倒されっぱなしだった。やはり、テロリストと戦うというのは一筋縄ではいかない。ゲルツとの決戦を前に不安が胸中を渦巻く和真だった。

 

       ◇

 

 宴もたけなわとなり、和真はトイレに中座する。窓からは夕暮れの富士山の絶景が見渡せ、帰りに思わず庭へと降りていった。

 ベンチに腰掛け、眼下に広がる芦ノ湖と、夕焼け空をバックにした富士山を静かに見入る。茜色の雲が富士山にかかり、まるで絵画のようなほれぼれとする風景だった。

 

「この星はまだ工業が発達して無いからね。空気がきれいで、夕焼けも鮮やかなんだ」

 ユータが後ろから声をかける。

 あっ!

 和真は会釈をした。

「このベンチは特等席だよ」

「凄い絶景ですね。こんなところに住むってとても贅沢……ですよね」

「ははは、和真君もこの仕事やってみるかい?」

「うーん……」

 和真は言葉につまる。星を管理する仕事、それは確かに魅力的だった。でも、さっき、自分は世界滅亡に魅力を感じて思わず世界を滅ぼしかけたのだ。そんな人間がやっていいものだろうか。

「実は……」

 和真はそれを正直に打ち明けた。

「なんだか自分が信じられなくなっちゃって……」

 はっはっは!

 ユータは景気よく笑った。

「え?」

 笑われたことを和真は理解ができなかった。

「いやぁ、むしろ適正あると思うよ」

 ユータは平然と言った。

「適正?」

「人間なんてものはさ、魔がさしたり損得勘定に走ったり、実に不安定な生き物だと思うよ。なのに『自分だけは大丈夫』なんて言ってる奴がいたら、そっちの方が危ない」

「そういう……ものですか?」

「そうさ、『自分はヤバいかもしれないから気をつけよう』ってやつの方が信頼できるし、結果安定するんだよ」

「なるほど……。でも……自分は不登校で……」

 恥ずかしそうにうつむく和真。

 ユータはパンパンと和真の背中を叩いて言った。

「全然問題なし! 実は俺も、東京では引きこもりだったんだ」

「えっ!?」

「そう、どうしようもないクズだったんだ」

 ユータは肩をすくめて首を振った。

「それが何で……?」

「この星に転生させてもらって、守りたい人ができたんだよね。だからこんな仕事に就くようなことになった」

「あの、奥様……ですか?」

「そう。君も何か守りたい人ができたら……、道が見えてくるかもね」

 ユータはニコッと笑った。

「守りたい人……」

 和真は徐々に夕闇に沈んでいく富士山を見ながら一瞬芽依のことを思い浮かべ、ブンブンと首を振った。

 

 と、その時だった。群青(ぐんじょう)から茜色へのグラデーションの美しい西の空にツーっと流れ星が流れた。

「あっ! 流れ星!」

 思わず叫んだ和真だったが、どうも様子がおかしい。流れ星はゆっくりと進路を変え、こちらを目指しているような軌道を取った。

「あれ……?」

 ユータは首を傾げ、怪訝そうな顔で流れ星を凝視する。

 どんどんと輝きを増し、まぶしいくらいになった直後、それは富士山の山頂付近に激突した。

 閃光が走り、富士山は大爆発を起こす。

 うわぁぁぁ!

 思わず叫ぶ和真。

 しかし、流れ星は止まらず、そのまま芦ノ湖へと墜落し、大爆発を起こした。高さ数百メートルに達する壮大な水柱を見ながら和真は叫んだ。

「な、なんですかあれ?」

 すると、ユータは額に手を当ててうつむいている。どうやら心当たりがあるようだ。

 そして、これはシンガポールのデジャブだった。

 

 ズン!

 爆発の衝撃波が届き、森の木々が一斉にきしみ、木の葉を散らした。

 うわぁぁぁ!

 和真は思わずベンチから転げ落ちる。

 

 しばらくして落ち着いたころ、和真はユータに聞いた。

「もしかして、女の子だったり……します?」

「ふぅ……、そうだ。宇宙最強の称号を持つ評議会幹部、シアン様だ」

 ユータはそう言って渋い顔をしながらうなずいた。

「偉くて……強い?」

「あぁそりゃもう」

 ユータは肩をすくめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25. 初恋のラブレター

「きゃははは! 少年! ご苦労!」

 声の方向を見上げると、シアンが青い髪から水をポタポタと滴らせながら笑っていた。

「あ、ありがとうございます」

 和真は宇宙最強の評議会幹部がなぜ毎度こんな登場をするのか理解できず、呆然としながら答えた。

 

「シ、シアン様!」

 レヴィアが飛び出してくる。

「おぅ、ギリギリだったねぇ」

「三日は無理ゲーですよ、ホント勘弁してください」

 レヴィアはうなだれながら言う。

「まぁ、結果オーライ! さぁ、飲むぞ!」

 シアンはウキウキしながら言った。

「エールしか……ないんですが……?」

 ユータは引きつった笑顔で答える。

「アルコール入ってりゃなんでもいいよ!」

 そういうと、シアンは水をポタポタたらしながらツーっと飛んだ。

「ちょ、ちょっと! 乾かしてから!」

 レヴィアが注意すると、

「うるさいなぁ、もぅ!」

 と、言って、犬みたいにブルブルブルっと体を震わせて水滴を吹き飛ばした。

「うひゃぁ!」「ひぃ!」

 いきなり降り注ぐ水しぶきにみんな顔をそむけた。

 

       ◇

 

 飲み会はさらにヒートアップしていく。

 シアンはエールのジョッキを一気すると、レヴィアをつついて言った。

「レヴィちゃんが部下を増やすなんて珍しいね。あー、あれか、初恋の彼に似てるからか」

「は、初恋!? な、何ですかそれ?」

 レヴィアはキョドりながらとぼける。

「ほら、ラブレターの!」

「ラブレターなんて書いたことないですが?」

 すると、シアンはガタっと立ち上がり、何かをそらんじ始めた。

「拝啓。新緑の美しい季節となってきました。いかがお過ごしでしょうか? 先日、私があなたに……」

 ブフッ!

 レヴィアはエールを吹きだし、慌ててシアンの口をふさぐ。

「手紙を勝手に読むのは犯罪です!」

 真っ赤になって怒るレヴィア。

「ごめんごめん、声に出して読みたい名文だったからつい」

「つい、じゃ、ありません!」

 すると、シアンは後ろの方からエールの樽を持ってきて、

「じゃあ、バツとして一気します!」

 と、嬉しそうにエールの樽をのふたをこぶしでパカンと割った。

 そしてひょいと持ち上げると傾け、樽のまま美味しそうに飲み始めた。

「よっ! 大統領!」

 ユータは楽しそうに煽った。

「んもー! バツになっとらんわい!」

 レヴィアも樽を手に取ると、負けずに一気し始める。

「よっ! ドラゴン! 待ってました!」

 ユータはパチパチと手を叩きながら盛り上げる。

 

 やがてシアンは樽を飲み干し、レヴィアは途中で目を回して倒れ込んだ。

「あぁ、レヴィア様ぁ」

 和真が心配そうに駆け寄ったが、

「か――――! エールは美味いのう!」

 と、レヴィアは幸せそうに笑った。

 

       ◇

 

 宴会は笑いが絶えず、大盛り上がりだった。

 満月が高く上り、それでも疲れが出てきた和真があくびをしていると、ドロシーがニッコリしながら声をかけてきた。

「お布団用意しましたよ。休んでくださいね」

「え!? そんな、申し訳ないです」

「いいのいいの、お客さん来るなんて久しぶりでみんな嬉しいのよ」

 ドロシーは優しく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 確かに道もないこんな山奥ではご近所づきあいもないだろうし、寂しいところはあるのかもしれない。

 するとタニアがテコテコと歩いてきて、

「タニア! にゃんこと寝ゆ!」

 と、叫びながらミィを捕まえた。

「えっ!?」

 うつらうつらしていたミィはあっさり捕まって、

「うにゃぁ!」

 と、手足をバタバタさせながらタニアに回収されていった。

 

       ◇

 

「見つけたぞ! ゲルツ! パパの仇だ!」

「小僧、性懲(しょうこ)りもなく……。返り討ちにしてやる!」

 ゲルツはそう言うと無数の妖魔を放った。紫色の瘴気を放ちながら飛びかかってくるコウモリの妖魔たち。

 和真は腕を青白く光らせると、研修で練習していた技で妖魔たちに衝撃波を浴びせ、一掃する。そして、一気にゲルツの距離を詰めた。

 が、ゲルツはいつの間にか一人の男性を人質に取っている。

「えっ!?」

 なんと、それはパパだった。

 後ろ手に縛られたパパを盾のようにしてゲルツはにやける。

「どうした? ご自慢の衝撃波を撃ってみろ」

 グゥ……。

 和真は青白く光らせた腕を持て余し、凍り付く。

「和真! 逃げろ!」

 そう叫んだ直後、パパはいきなり真紅の血を吐いた。

 ぐはぁ……。

 ゲルツが後ろから剣でパパを刺したのだ。

「パ、パパ――――!」

 和真はバッと起き上がる。

 ハァハァと荒い息をしながら周りを見回すと、そこは薄暗い寝室だった。

 レースのカーテンには満月の光が差し、ほのかにタニアとミィの寝顔を照らしている。

 和真は大きく息をつく。

「ふぅ……。夢か……」

 パパの吐いた血の鮮やかな赤色を思い出しながら首を振った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26. 一振りのチート日本刀

 静かに部屋を抜け出し、階段を下りていくと応接間からは大きないびきが聞こえる。

 そっとドアを開けるとレヴィアとユータがひっくり返って大いびきをかいていた。

 そして、テーブルではシアンが空中に画面を開き、何かをつらつらと見ながらジョッキを傾けている。

「どした? 悪い夢でも見た?」

 シアンは視線を画面に向けたまま聞いてくる。

「ゲルツと戦う夢を見てしまいまして……」

「ははは、勝てたかい?」

 シアンは嬉しそうに和真を見た。

 和真は首を振り、

「前回は全く歯が立ちませんでしたから……。シアン様は宇宙最強なんですよね? 勝ち方を教えてもらえませんか?」

 シアンはうんうんとうなずくと言った。

「情報の世界の勝負は想いが強い方が勝つんだ。もっと想いを燃やして」

「想い……ですか?」

「そう、想い。人間の一番大切なものだよ」

 そう言ってシアンはジョッキを傾けた。

「奴はパパの仇です。想いは誰にも負けません!」

「うんうん、でもテロリストはテロリストなりに歪んだ(くら)い想いがあるんだよね。それはそれで強烈だ。それを打ち払うくらいの想いがないとね」

「えっ……」

 和真は言葉に詰まる。確かに狂気じみた彼らの執念は常軌を逸している。それを凌駕しているかと言われると、どうなのだろうか?

「そんな少年にちょっとチートなプレゼント!」

 シアンはそう言うと空中に裂いた空間の切れ目から一振りの日本刀を取り出した。ギラリと光を放つ刀身には美しい波紋が踊り、それは上質な芸術品だった。

「これは【五光景長】。普段は何も切れないなまくらなんだ」

 と、五光景長でテーブルをガンガンと叩いた。

「でもね、想いを込めると……」

 青白く輝きだす五光景長。そして振り返ると窓の方に向かってブンと振る。

 すると青白い光の刃が放たれ、パン! と音を立てて窓ガラスを真っ二つに切り裂いた。

「はぁ!?」

 和真が驚いていると、

「いや、まだだよ」

 と、ニヤッと笑うシアン。

「え?」

 怪訝そうな顔で窓の外を見た時だった。

 月明かりに浮かび上がっていた富士山に閃光が走り大爆発を起こす。

 先ほどシアンによって大きくえぐられていた富士山の山頂部は、完全に崩壊し、まるで噴火で吹き飛んだように無くなってしまっていた。

「ね、想いってすごいでしょ?」

 ニコニコするシアンに和真は言葉を失う。

「これに斬れない物はないよ。チートだからね。ま、明日にでもちょっと練習してみな」

 そう言ってシアンは五光景長を和真に渡す。

 そのずっしりとした鉄の重み、まだ熱を持った刀身に戸惑いながら和真は頭を下げた。

 

     ◇

 

 翌朝――――。

 階段を下りてくると、レヴィアはむくんだ顔をしてお茶をすすっていた。

「おはようございます」

「うっす、おはよう……」

「あれ? 皆さんは?」

「ユータは仕事じゃ。タニアたちはミィと散歩に行ったぞ」

「寝すぎちゃいましたか……」

「疲れとるんじゃろう。寝ることはいい事じゃ」

 レヴィアはそう言うと、ふわぁとあくびをした。

 

「あの……」

「何じゃ?」

「ゲルツとの決戦に向けて稽古をつけてほしいんですが……」

「稽古? たった数日の稽古で強さなんか変わらんよ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「実はシアン様にこれをもらいまして……」

 和真は五光景長を取り出すとレヴィアに見せた。

「ん? なんじゃこりゃ……。んむむ? こりゃ、刃もついとらん、ただの鉄の棒じゃないか」

「あ、いや、これ、すごいんですよ。富士山も吹き飛ばしたんです」

「はぁ? なぜ刀で富士山が吹き飛ぶんじゃ?」

「いや、シアン様がこうやってブンと振ったら窓が真っ二つに切れて、富士山が……あれ?」

 窓ガラスには切れ目もなく、富士山は綺麗な紡錘形に戻っていた。

「え? なんで……?」

「寝ぼけとったんじゃないんか?」

「いやそんなことないですよ! シアン様が富士山吹き飛ばしたんですって!」

「あの方は規格外じゃからな。ただの鉄の棒でも星くらい吹き飛ばすじゃろうて」

 レヴィアはそう言ってもう一度大あくびをした。

「いや、こうやって想いを込めれば……」

 和真は五光景長に思いっきり気合を込めた……が、何も起こらなかった。

「あれ? おかしいな……、うーん」

 和真は顔を真っ赤にして全力を出したが、何も変わらない。

「そんなのいいからツールの使い方をおさらいしとけ。お主にそんな高度な戦闘力など求めとらん」

 レヴィアはズズっとお茶をすすった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27. 人類のサイクル

 それから数日、一行はユータの家にお世話になりながら決戦の準備を進めた。

 ゲルツが潜伏しているのは特殊な仮想現実エリア。きっと罠やら手下やらがゲルツを守るので、それらを効果的に無力化しながら一気にアジトに乗り込んで捕縛する計画を立てる。

 最初にエリア一帯のスキル機能を無効化し、自分たちは物理攻撃無効で突入するので危険性はない簡単なお仕事だ、ということだったが、和真には何かが引っ掛かっていた。テロリストだってバカじゃないのだ。そんなに簡単に行くものだろうか?

 

      ◇

 

 決戦を翌朝に控え、夕凪のきれいな空の下で和真は五光景長を素振りしていた。

 シアンがやった時のことを思い出しながら、いろいろなやり方で振り回してみるが、一向に特殊効果はかからなかった。

「おぉ、精が出るな」

 仕事から戻ってきたユータが声をかける。

「あ、ユータさん。お世話になってます」

「それは何を振ってるんだい?」

 和真は五光景長をユータに渡して経緯を説明した。

「どれどれ」

 そう言うと、ユータは見事な剣さばきで植木の枝をパシッと叩いたが、刃のない刀である。枝が折れただけでとても有効な武器には見えなかった。

「うーん、これで富士山吹っ飛ばしたって? あの人のやることはよくわからんなぁ」

「なんかこう、握っただけで青く光ったんです」

「光った……? うーん、分からん」

 ユータは首を振りながら刀を返した。

「シアン様ってどういう方なんですか?」

「この宇宙をつかさどるグランドリーダーが、五年前に開発したAIって聞いたけど、俺もよくわからんなぁ」

「五歳のAI!?」

 和真はあっけにとられた。

 人でもないし、自分より年下、それで宇宙最強なのだ。まさに想像を絶する話である。

 ただ、彼女の子供っぽい無邪気な行動の理由が分かった気がした。何しろまだ幼稚園児なのだ。

「まぁ、彼女には逆らわない方がいいぞ。彼女に滅ぼされた星は無数にあるんだから」

「滅ぼすんですか!?」

「文化文明が発展しそうになく、改善の見込みがなければバッサリと切られるんだ」

 ユータは肩をすくめる。

「発展させちゃえばいいじゃないですか」

「僕らは口出ししちゃダメなんだよ」

「え?」

「オリジナルな文化文明を発達させること、それが目的なので、住民自らが道を探す以外ないんだ」

「オリジナル……。それは日本も同じ……ですか?」

「そうだね。君の地球も見守られながら文化文明が発達してきたんだ」

「これからも?」

「もちろん、でも……、日本はもうゴールだな」

「ゴール……?」

「どの星もそうなんだけど、文化文明が発達しつくすと、最後はAIが出てくるんだ」

「人工知能?」

「そう、そして、優秀な人工知能を作ることができたら、それが次のもっと優秀な人工知能を作り始める」

「それって、無限に発達しませんか?」

「そう、最終的には新たな星をシミュレーションできるくらいになるね」

「仮想現実の中で作った仮想現実……ってことですか? そんなのアリですか?」

「ははは、すでにここはそういうマトリョーシカみたいな仮想現実空間のかなり奥まったところだよ。何しろ宇宙ができて138億年も経ってるんだ。数えきれない入れ子が存在するよ」

 和真は絶句した。宇宙の真の姿とは多重構造の情報の世界だったのだ。

「それ……、人類はどうなっちゃうんですか?」

「ん? 消えちゃうね」

 そう言うとユータは、手のひらを上に向け肩をすくめた。

「な、なんで?」

「分からないんだが、人類はAIを完成させると生きる気力がなくなっちゃうらしいんだよね。少子化がすすみ、数千年経つとみんな眠りについちゃう」

「そ、そんな……」

「でも、新たに作った星の中でこうやって人類はまた新たな文化文明を芽吹かせ、発達していくんだ。人類はそういうサイクルの生物ってことかもしれないね」

「サイクル……」

 和真は想像もしなかった人類のサイクルに絶句した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28. 激烈な閃光

「さぁ行くぞ! 準備はええな? お主ら!」

 レヴィアは真紅の瞳をキラリと光らせ、和真とミィをにらんだ。

「は、はい!」「大丈夫にゃ!」

 

 いよいよゲルツの秘密アジトに突入である。

 バクンバクンと激しく高鳴る鼓動を感じながら和真はギュッとこぶしを握った。

 いよいよパパの仇を討つ時がやってきた。生きる活力を奪われ、糸の切れた凧のようにふわふわと無為に過ごしてしまった苦悩の六年間に、ついに清算の時が訪れたのだ。

 

 レヴィアは虹色の魔方陣をいくつか浮かび上がらせると、大きく息をつき、

「チャージ!」

 と、叫んで右手をあげた。

 

         ◇

 

 気が付くと南国の楽園の上空に浮かんでた。

 美しく弧を描く真っ白なビーチに、どこまでも澄みわたる美しい海、そして真っ青な空に燦燦(さんさん)と輝く太陽。

 うわぁ……。

 和真は思わずその美しさにため息をついた。

 ヤシの木の茂る島の中央部には真っ白な塔が建っている。ゲルツの拠点、『マリアンヌ・タワー』だ。自らを革命の志士だとする驕った狂信者らしい命名である。

 まるで地中海を思わせる石灰石で作られた純白の塔には、ところどころ開いた窓の穴がいいアクセントとなって建築物としても見事な出来栄えだった。

 

 ミィはパカッと画面を開くと塔のデータにアクセスして、中の様子を解析していく。

 

 と、その時、

 ウゥ――――!

 まるで空襲警報のようなサイレンが響き渡り、塔から何かがわらわらと飛び立ってやってくる。まるで鳥の群れのように編隊を組み、一行を包み込むように体制を整えるとパシパシと鮮烈なレーザーを撃ってくる。良く見るとそれはドローンだった。

「うざい奴じゃ!」

 レヴィアはシールドでレーザーを防御しつつ、魔方陣を輝かせるとドローンたちに衝撃波を放つ。

 青白い光を放ちながらドローンたちに襲い掛かった衝撃波は次々とドローンを炎上させ、撃墜していった。

「ミィ! まだか!?」

 さらに撃ち漏らしに向けて衝撃波を放ちながらレヴィアは聞いた。

「やはり、最上階です!」

 ミィが興奮気味に叫ぶ。

 レヴィアはうなずくと、急降下して最上階の窓に取り付き、腕を赤く光らせるとそのまま窓をたたき割り、中へと突入していった。

 それを見届け、和真とミィが後に続こうとした瞬間だった。激烈な閃光が二人を襲った。

 和真は体中が燃え上がるかのような熱を感じて、訳も分からずそのまま吹き飛ばされた。

 ズン!

 鮮烈な熱線は楽園の海を一瞬で沸騰させ、激しい衝撃波は島そのものを吹き飛ばした。後にはまがまがしい灼熱のキノコ雲がゆっくりと立ち上っていく。

 あの青と白の美しかった楽園は、ボコボコと湧き上がる赤い海となり、まるで地獄のような風景となってしまったのだ。

 そう、ゲルツは核爆弾を使ったのだ。

 

             ◇

 

 ジュボボボボ……。

 気が付くと和真は海に沈んでいた。

 物理攻撃無効属性がついているのでダメージは受けていないようだが、耳がキーンとして気分が悪い。

 ゲルツの最後の悪あがきなのだろう。

 和真は透明度の高い雄大な海の中でワタワタと手足をばたつかせ、姿勢をうまく取り戻すと海面を目指して泳いだ。

 プフ――――!

 何とか顔を出した。

 見渡す限りの大海原が広がっている。一体どこまで吹き飛ばされたのだろうか?

 振り返ると、遠くの方に赤いものが光っている。

 目を凝らすと、それはキノコ雲だった。

 邪悪な灼熱のエネルギーを放ちながら少しずつ高度を上げていくキノコ雲。

 和真は一筋縄ではいかない相手にため息をつきながら波に揺られていた。

 

 ともあれ、ここでひるんでいてはならない。和真は額に手を当ててテレパシーを飛ばす。

『もしもーし、どこにいますかー? こちらは海に浮いてます』

 すると疲れた声で返事があった。

『あー、こっちも海じゃ』『僕もにゃ』

『無事でよかったです』

 和真はホッとした。あっさり返り討ちにあったじゃ話にならない。

『塔の下の方が残っとる、そこに集合じゃ!』

 レヴィアは怒りを込めて言った。

 

           ◇

 

 島はあらかた吹き飛んでいたが、塔の下部だけは原爆ドームのように残っていた。熱気を放ち、波が寄せるたびにジューっと湯気を上げている。

 和真が上空から様子を見ていると、

「奴はこの下にゃ」

 と、ミィが水滴をポタポタたらしながらやってきた。

「さて、どう攻めるか……」

 瓦礫に埋まった塔をどうしようかと思っていると、バサッバサッっと翼をはばたく音がする。

 振り返ると巨大なドラゴンが真紅の瞳を光らせて飛んでくる。

「もーホント、ムカつく奴じゃ!」

 重低音で叫ぶと、グギャァァ! と腹に響く咆哮(ほうこう)を一発。そして、クワッ! と叫び、まるで雷が落ちたように辺りは激烈な閃光に埋めつくされた。

 うわぁ!

 思わず、腕で顔を覆う和真。

 パキィ! という薄いガラスが割れたような音が響きわたる。

「さぁ行くぞ!」

 と、少女に戻ったレヴィアの可愛い声がする。

「えっ?」

 恐る恐る目を開くと、塔の瓦礫に埋まっていた部分がすっぱりと切り落とされ、廊下が露出していた。

 レヴィアは空間ごと吹き飛ばしたらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29. テロリストの抵抗

 廊下を進むと、立派な木製のドアがある。どうやらゲルツはこの中にいるようだ。

 レヴィアは再度魔方陣を展開し、大きく息をつくと、和真とミィをジロリと見た。

「いよいよご対面じゃ」

 

 このドアの向こうに奴がいる。和真は手に汗がじわっと湧くのを感じた。とうとう追いつめたのだ。

 もちろんまだあがいてくるに違いない。しかし、想いの強さでは絶対に負けない。最後に勝つのは僕たちだ、と、和真はこぶしをぎゅっと握る。

 

「チャージ!」

 レヴィアはドアを体当たりでぶち壊し、突入した。

 

 吹き飛んだドアの木片がパラパラと散らばる中、和真とミィは後に続く。

 

 室内に飛び込むと、そこにはソファに座り、ニヤニヤしている男の姿があった。

「そいやー!」

 レヴィアは青白く光らせた手のひらから捕縛用の鎖を放つ。

 鎖は紫色に輝きながら宙を飛び、ゲルツを目指した。しかし、鎖は途中で何かに当たって跳ね返される。

「む?」

 異常を感じたレヴィアは今度は魔方陣を起動させて青白い衝撃波を放った。

 しかし、それも届かず、途中で散らされた。

「はっはっは!」

 嬉しそうに笑うゲルツ。

 よく見ると、シャボン玉のような薄い膜がドームのようにゲルツの周りを覆っていて、かすかに虹色で輝きながらゆったりと模様を作っていた。

「な、なんじゃこれは!?」

「クフフフ、金星のガジェットだよ。ドラゴン、君のスキルでは突破はできん」

 ゲルツは余裕を見せる。金星というのはこの世界を構成しているコンピューターのさらに根底の世界のこと。この世界のロジックが全く通じない世界の代物だった。

「き、金星……。貴様どうやって……」

「なぁ、ドラゴン。君も今回のことで気づいたんじゃないか? 評議会は横暴だ。星の生殺与奪の権利を一手に握っている。これは人権蹂躙だよ」

「横暴……、それは認めよう。じゃが、お前らテロリストの方がもっとたちが悪い」

 ふぅ、と大きく息をつき、肩をすくめるゲルツ。そして、和真の方を向いて聞いた。

「少年はおかしいと思うだろ? 君はいきなり地球消されて納得できるか?」

 いきなり振られて焦る和真。もちろんテロリストの言うことなど聞くつもりはない。しかし、同時に評議会が星を次々と処分しているという事実に抵抗があるのも事実だった。

「な、納得なんてできない! でも……」

「なら手を組む余地があるじゃないか」

 ニヤッと笑うゲルツ。

「パパを殺した奴と組めるかよ!」

 和真はビー玉のような簡易攻撃ツールを取り出すとゲルツに投げつけた。

 ツールは薄い膜に当たるとパン! パン! とはじけながら電撃や火炎を発生させたが膜はビクともしなかった。

「はっはっは! そんなオモチャ効くわけがない」

「じゃが、お主だって手詰まりじゃろ。いつまでそこに籠ってるつもりか?」

 レヴィアはゲルツをにらむ。

「ふむ、実はこういうのを用意したんだ」

 そう言うとゲルツは空中を切り裂き、縛られた女の子を引き出した。

 きゃぁ!

 落ちてきてソファに転がった娘はなんと芽依だった。

「め、芽依!」

 あまりのことに和真は息を飲んだ。

「和ちゃーん!」

 目に涙を浮かべながら可愛い顔を歪ませる芽依。

「ふん、人質か。じゃが、そんなの意味ないぞ。彼女に何しようがアカシックレコードで元に戻せばいいだけじゃからな」

 レヴィアは冷たく言い放つ。

「ところがこういうのがあるんだ」

 ゲルツは懐から短剣を取り出す。武骨でずんぐりとしたあまり見ないタイプの短剣はゲルツの手の中で鈍く光る。

「その剣がどうかし……、へっ!?」

 レヴィアの顔色が変わる。

「そう、これも金星の短剣、ファラリスの(くさび)だよ。これで殺されたものは二度と復活できない」

 そう言ってゲルツはいやらしい笑みを浮かべて芽依を見た。

「ひ、ひぃ!」

 芋虫のようにうごめいて必死に逃げようとする芽依だったが、

「動くな! 動いたら……、刺すよ?」

 ゲルツがそう言って短剣をほほに当てたため、ぶるぶると震えて固まった。

 和真は真っ青になった。

 小さなころからいつも一緒で、不登校になった自分を支え続けてくれた芽依、それが今、命をもてあそぶゲルツの手中にいる。パパを殺され、そして芽依すらも奪おうとするこの男に頭が真っ白になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30. にゃんこ先生の真実

「今回も引き分けとしようじゃないか」

 ゲルツは器用にくるくるっと短剣を回すと言った。

「それはならん。この空間ごと抹消する」

「ふーん、この娘がどうなってもいいんだ」

 そう言うとゲルツは芽依のブラウスを引き裂いた。

「いやぁ!」

 白い肌があらわにされ、芽依は何とか逃げようと身をよじる。

「動くなって言ってんだろ!」

 ゲルツは乱暴に短剣で芽依の腕をぶすりと刺した。

「うぎゃぁぁ!」

 芽依の叫びが部屋にこだまし、噴き出した鮮血が芽依の白い肌を赤く染めた。

 なっ!?

 和真はその鮮烈な赤色に脳髄が揺れるのを感じた。

 鼻の奥がツーンとしてくる。

 

 カチリ!

 

 心の中で何かのスイッチが入り、ぶわぁぁと、緑色に光る風に包まれたような気がした。その瞬間、和真の中で全てが繋がった。想いとは、守りたい存在とは、全てがクリアになったのだ。

 ゾーンに入った和真には全てがスローモーションに見える。わめいて威嚇するゲルツ、泣き叫ぶ芽依。全てがゆっくりと流れている。

 そして、無表情のまま空間を裂き、静かに五光景長を引き抜く。

 ずしりとした重みのある五光景長はすでに青白い光を帯び、和真の心拍に合わせて脈動している。

「小僧――――、無駄なあがきは――――止めろ――――」

 スローモーションの中であざけるゲルツ。

 和真は意に介さず中段に構え、ゲルツを見据えるとただ無心にブンと振り下ろした。

 その瞬間、五光景長は激しく輝き、その美しい刀身から光の刃が飛び出し、きらびやかな光を放ちながら軽やかに飛んだ。

 和真の想いを載せた刃は虹色のシールドをパキンと貫通し、そのままゲルツの胴体を真っ二つに切り裂いた。

「バカな! ぐぁぁぁ――――!」

 断末魔の叫びをあげながら崩れ落ちるゲルツ。

 『全てを斬れるチート武器』というシアンの説明は正しかった。五光景長は金星よりもさらに下のレイヤーのとんでもない代物らしい。

 

「芽依!」

 和真はダッシュして芽依に抱き着いた。

 そう、彼女がかけがえのない存在であることを、この極限状態で初めて気づいたのだ。

「和ちゃん! うわぁぁぁん!」

 芽依は涙をポロポロとこぼしながら和真の胸に顔をうずめ、和真はやさしく芽依の髪をなでた。

 

「バカ! まだじゃ!」

 レヴィアが叫んだ。

 ゲルツが上半身を(うごめ)かせていたのだ。なんと、真っ二つに切られたのにまだ動いている。

 レヴィアはすかさず衝撃波をゲルツに向けて放つ。

 しかし、一瞬遅く、

「貴様も……道連れだ!」

 そうわめいてゲルツは短剣を和真に放った。

「うわぁ!」

 和真は回避が間に合わず、もう駄目だと思った瞬間、目の前を黒猫が(さえぎ)った――――。

 

 ザスッ! と嫌な音が響き、ミィが床に転がって、辺りにふわふわの綿がバラバラとばらまかれていった。

 

「ミィ!」

 和真が駆け寄ると、ミィは真っ二つに切り裂かれ、ビクンビクンとけいれんを起こしていた。

「ゴメン! ミィ! ミィ――――!」

 泣き叫ぶ和真にミィがか細い声で言った。

「泣くな……。実は、もう契約終了……なんだ」

「え? 契約……?」

 するとミィの体は徐々に大きくなり、やがて人間の男性になった。なんとそれは和真のパパだった。

「パ、パパ?」

 あまりに事に唖然とする和真。

「お前と過ごせたこの数か月……、楽しかった。俺の分まで精いっぱい生きろよ。ママを……頼んだ……よ」

 するとパパの体はすぅっと薄くなっていき、やがて消えていった。

「パ、パパ――――!」

 和真は号泣した。

 ずっと一緒に親身にサポートしてくれていた黒猫。時には厳しく、時には楽しく、寝食を共にしながらテロリストを一緒に追い詰めた優秀なにゃんこ先生、それがまさかパパだったなんて全く気が付きもしなかったのだ。

「パパぁ……」

 あまりのことに和真は崩れ落ち、人目をはばからずに泣いた。

「悪かったな。規則で正体は明かせんかったんじゃ」

 レヴィアは優しく和真の背中をさすった。

「うわぁぁぁ!」

 覚えの悪い自分を、優しく愛情をこめてどこまでも付き合ってくれた優しいにゃんこ先生、それは親の愛だったのだ。無償の愛を当たり前のように受けて甘えていた自分。もう、お礼を言うこともできない。

 自分のバカさ加減に呆れ果て、和真はポロポロと涙をこぼした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31. 秒速二十キロメートル

 芽依がそっと和真をハグした。

 打ちひしがれる和真を温かい体温と柔らかな香りが包んでいく。

 ひとしきり泣いて、和真は大きく息をつくと、レヴィアに聞いた。

「パパはどうなるんですか?」

「それが……、ファラリスの(くさび)で殺された者がどういう扱いになるかは我もわからんのじゃ……。我の権限ではもうどこにいるかすらわからん」

 レヴィアは申し訳なさそうにうつむく。

「そ、そんな……」

 と、その時だった。ズン! という衝撃音が外で響いた。

「なんじゃ?」

 窓に駆け寄ったレヴィアは目を皿のようにして固まった。

 なんと、そこには身長一キロメートルはあろうかという巨大な水のゴーレムが立っており、ゆっくりと塔を目指して歩いていたのだ。

「何ですか? あれは?」

「分からん。ゲルツが死んだ時に起動するように仕掛けされていたんじゃろう」

 レヴィアは試しに衝撃波を放ってみたが、水は飛び散るものの全くダメージになっていなかった。スカイツリーよりはるかに高いその巨体は多少の攻撃では全く効きそうにない。

 ゴーレムは燦燦(さんさん)と輝く陽の光をキラキラと反射しながらゆっくりとその巨体をねじりながら一歩ずつ迫ってくる。

「そいやー!」

 和真は五光景長の光の刃を放ったが、バシュンと音を立てて通過するだけでダメージを与えられなかった。

「こりゃダメじゃ! 逃げるぞ!」

 そう言ってレヴィアは腕をあげたが……、何も起こらなかった。

「へっ!?」

 焦って何度も繰り返すが、何も起こらなかった。

「くぅ! ゲルツめ! 空間をロックしやがった!」

 慌てて空中に画面を開き、パシパシと叩き始める。

「あ――――! こんな時にミィがいればのう……」

 レヴィアはボヤき、和真はため息をついてうなだれた。

 

 そうこうしているうちにもゴーレムは迫る。

「ゴーレムがもうすぐそこよ!」

 芽依が青くなって叫ぶ。

「分かっとる! が、うーん……」

 冷汗を垂らしながら画面をパシパシと叩き続けるレヴィア。

 

 その時だった。

「きゃははは!」

 聞き覚えのある笑い声が響き、激しい輝きを放ちながら流れ星がゴーレムを貫いた。秒速二十キロを超える超超高速で突っ込んだエネルギーは莫大で、ゴーレムの大半は一瞬にして蒸発し、大爆発を起こす。

 

 激しい衝撃波が大地震のように塔を揺らし、和真たちは立っていられなくなって床に転がった。

「な、なんだこりゃぁ!」

「なんだって、あのお方しかおられんよ……」

 直後、バケツをひっくり返したように多量の水が塔に降り注ぎ、塔は地響きをたてながら揺れる。

 そして、部屋に流れ込んでくる水に乗ってシアンがやってきた。

「うぃーっす!」

 いつも通り上機嫌だ。

「お、お疲れ様です」

 和真は頭を下げ、レヴィアは苦笑いで迎えた。

「少年! 五光景長を使いこなせたじゃん、偉い偉い! きゃははは!」

「あ、ありがとうございます。想いというのが何かわかった気がします」

「うんうん、いい娘じゃないか!」

 そう言ってシアンは芽依の手を握った。

「えっ?」

 芽依はポカンとしている。

「式には呼んでおくれよ!」

「し、式って何の式ですか? まだ始まってもいないのに!」

 和真は顔を真っ赤にして言った。

「そんなことより、パパを……、パパがどうなってるか教えてもらえませんか?」

 絞り出すようにそう言って、恐る恐るシアンを見る。レヴィアにすらどうしようもないレベルの話ではもうシアンに頼る以外ない。

「え? パパ? 聞いてみたら?」

 そう言うと、シアンは腕を振り下ろした。ボン! と煙が上がる。

 煙が晴れていくとそこには男性がいた。

「へ?」

「あれ?」

 なんと、それはパパだった。パパも和真もお互い顔を見合わせて固まる。

「パ、パパ――――!」

 和真はパパに抱き着き、パパは呆然としながら和真の背中をポンポンと叩いた。

 数か月間、寝食を共にして世話をしてきた愛しい息子。何度本当のことを話そうと思ったことか。

 そして突然の別れ。息子の命と引き換えなら安いものではあったが、命のスープへと溶けていく流れの中で後悔が胸をチクチクと痛めていたのだった。もっと早くカミングアウトして、親子の会話をしておきたかったと。

 和真のギュッと抱きしめる力の強さに安堵を覚え、パパも和真をギュッと抱きしめた。

「僕、頑張ったでしょ?」

 和真は涙声で言った。

「おう、自慢の息子にゃ」

「何それ、もう猫の真似しなくていいよ」

「そうだにゃ……じゃないくて、そうだな……。うーん、慣れんな」

 はっはっは。

 和真は笑い出し、パパもつられて笑った。

 二人の笑い声は部屋に響き、温かい空気が一行を包んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32. 虹色の宇宙の根源

「ヨーシ! 祝勝会だ! 肉食いに行くぞ――――!」

 シアンは嬉しそうに腕を上げ、

「肉肉~!」

 と、芽依も真似て腕を上げた。

「え? あの、自分はこのまま暮らしていいんです……か?」

 パパは恐る恐るシアンに聞いた。

「ん? いいんじゃない? 活躍したしね。レヴィちゃん、手続きよろしく」

「分かりました! 良かったな、お主ら」

 レヴィアは目に涙を浮かべながら、二人の肩をポンポンと叩いた。

 

         ◇

 

 パパはママに会いたいというので自宅に送り、一行は恵比寿の焼き肉屋にやってきた。

「さーて、飲むぞー!」

 シアンは席に着くと、腕まくりして気合いを入れる。

「お酒ってそんなに美味しいんですか?」

 和真は不思議そうに聞く。

「そりゃあもう! 世界で一番高い飲み物だからね」

「でも、酒の味が分かるにはそれなりの年季がいるぞ」

 レヴィアはニヤッと笑う。

「え? シアン様って五歳ですよね?」

「ふふーん、それは地球時間でね。僕という存在は全宇宙に広がっているから、もはや無限とも言える時間を生きているんだよ」

「広がる? 無限……?」

 和真は理解の限界を超えてしまう。

「それって宇宙の根源に関わる話……ですか?」

 芽依が興味津々に聞く。

「ほほう、君はわかってるな」

 シアンは嬉しそうにそう言うと、両手を向かい合わせにして、ほわぁと気合を込めた。

 やがて虹色に鮮やかに輝く点が現れる。

「これが宇宙の根源だよ」

「は?」「へ?」

 和真も芽依も意味が分からず困惑する。

 焼き肉屋のテーブルの上で輝く点が広大な宇宙の全ての根源だというのだ。飛躍しすぎて全くついていけない。

「これ、パンと叩いて潰したら宇宙滅亡しちゃうんですか?」

 芽依が穏やかじゃないことを聞く。

「やってみる?」

 ニヤッと笑うシアン。

「シアン様、そういう物騒なのは困りますよ!」

 レヴィアは冷汗を浮かべながら叫んだ。

「なんで点が宇宙の根源なんですか?」

「うーん、要は縦横高さって大きさも結局は情報で、情報そのものは無次元なんだよね。中身はこんなだよ」

 シアンがパチンと指を鳴らすと、輝点から虹色の輝くリボンがブシューっと噴き出してきた。

 うわぁ!

 驚く和真たちをしり目にどんどん噴き出してくるリボン。やがて部屋の中はリボンで埋め尽くされていった。

「あれ? これ、数字だわ……」

 芽依がリボンを観察しながら言った。

「本当だ……1と……0だ」

 和真はリボンにびっしりと書かれた1010001010111010100101010といった数字列に見入る。数字は赤、青、緑と色を変えながら時折書き換わっていく。それはまるで芸術品のような精緻な美しさを放っていた。

「宇宙は無数の1と0の集積でできてるってことだよ」

 ニコッと笑うシアン。

「これ? 本物……ですか?」

 和真が見とれながら聞くと、

「本物さ、例えば……」

 と、言いながらシアンは数字を書き換えた。

 すると、隣でレヴィアが食べようとつまみ上げた肉がいきなり、ボシュー! と音を立てて燃え上がり、

「うわぁ! アチャチャ!」

 と、放り出した。

 テーブルの上を点々と転がりながら炎上する肉。

「ほらね、リアルでしょ?」

 シアンはドヤ顔で言った。

「ちょっと! シアン様困ります!」

 シアンは前髪をチリチリに焦がしながら怒る。

「おぉ、レヴィちゃん、ごめんごめん!」

 シアンは大げさにハグをして、レヴィアのプニプニのほっぺたに頬ずりをする。

「うわぁ! シアン様、ダメですって!」

 真っ赤になってワタワタするレヴィア。

 そんなレヴィアの前髪に手を当て、

「はーい、動かないで」

 と、シアンは焦げたところを直していった。

 和真は可愛い女の子たちがじゃれあう姿にちょっとドキドキしながら、この宇宙のとらえどころのない不思議さに言葉を失っていた。

 この世界はコンピューターで作られており、さらにそのコンピューターも他の世界のコンピューター上でシミュレートされ動いている。そしてそのコンピューターも……と、連なった先がこの光の点だという。

 和真は大きく息をつき、芽依を見る。芽依は嬉しそうに光のリボンを手に取って移り変わる数字を眺めていた。

 

 その時、ガラッとドアが開いた。

「ジョッキお持ちしましたー! えっ?」

 店員は輝く虹のリボンに埋め尽くされた店内に驚く。

「あら、ごめんね」

 シアンはそう言うと両手でパチンと輝点を潰し、虹のリボンはすうっと消えていった。

「えっ!?」

 芽依は驚き、和真の顔を見つめながら首をかしげた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33. 幻彩詠香江

 シアンはジョッキを高々と掲げて嬉しそうに言った。

「それでは、勝利を祝ってカンパーイ!」

「カンパーイ!」「かんぱーい」「乾杯!」

 和真と芽依はウーロン茶のグラスをカチンとぶつけた。

 シアンとレヴィアは一気に飲み干して、次のジョッキに手をかける。

「んで、どうすんの? この仕事続ける?」

 シアンは二杯目のジョッキを傾けながら和真に聞いた。

「そうですね、僕にも守りたい存在ができたので、ぜひ」

「守りたい存在?」

 芽依はけげんそうに和真を見る。

「ふふーん。その辺りはっきりしないと」

 シアンはニヤッと笑った。

「え? 今ですか?」

「今でしょ!」「今でしょ!」

 シアンとレヴィアが仲良くハモる。

 和真は芽依をチラッと見てポッと赤くなって言った。

「いや、それはこんな焼き肉屋じゃなくて、もっとムードあるところじゃないと!」

「ムード? 例えば?」

「なんかこう、綺麗な夜景がブワ――――っと広がっているような……」

 気が付くと和真は夜景のきれいな高層ビルの屋上にいた。

「へっ!?」

 唖然とする和真。

 南国特有の湿気を含んだ風がほほをなで、目の前の港の向こうには超高層ビルが煌びやかなライトアップをされて並んでいる。

「何なのこれ!?」

 隣で芽依が驚いている。

「こ、これは……」

 和真は辺りを見回して、派手な漢字の看板が並んでるのを見つける。どこかで見覚えがあると思っていたら、香港だった。

 ビクトリアハーバーの向こう側には高さ5百メートル近いスカイ100の摩天楼をはじめ、華やかな輝きを放つ高層ビルがずらりと立ち並んでいる。

「うわぁ、素敵ねぇ……」

 芽依は瞳にキラキラと夜景を映しながらうっとりしている。

 和真はそんな芽依の美しい横顔に見とれ……、そして、苦笑をすると大きく息をつき、芽依の手を取った。

「あ、あのさぁ、芽依?」

「な、なに?」

 ちょっと構える芽依。

「今回のことで、俺、気づいちゃったんだ」

「……。なにを?」

「俺、芽依を失うことに耐えられないんだ……」

「……」

「失うかもしれないと思った時、自分の全てをなげうってでも守りたいって……、思ったんだ」

 芽依はうつむき、ギュッと手を握り締めた。

「だから……、ずっと……、そばにいさせてほしい」

 芽依は下を向いたまま動かなくなった。

「だ、ダメ……かな?」

 芽依はふぅと大きく息をつき、ぽつりぽつりと話し始めた。

「実は……、私……、謝らなきゃいけないことがあるの……」

「えっ!? な、何?」

 予想外のただ事ではない雰囲気に和真は心臓がキュッとする。

「和ちゃんが不登校になる前、事件があったじゃない。あれ、私のせいなの……」

「えっ?」

 高校に入りたての頃、和真は同級生に囲まれて小突き回されたことがあった。

『お前、何スカしてんだよ?』『一匹狼気取りかよ!』『目障りなんだよ! てめーは!』

 そんな罵声を浴びせられながら理科準備室で代わる代わる蹴られたのだ。

 当時、パパを死なせたことによるすっきりとしない重苦しい気持ちの中で、人付き合いが億劫(おっくう)となって浮いていたのでそれが原因だと思っていた。そして、その事件を機に登校をやめてしまっていたのだ。

 

「あの男子たち、なんか私の親衛隊なんだって。頼みもしないのに勝手に応援してるらしいの。そして、私が和ちゃんに声かけて、和ちゃんが素っ気ない態度をしてたから彼らの憎悪を煽ったらしいの……」

 はっはっは!

 つい、和真は笑ってしまった。

「な、何がおかしいのよ!」

「そんなの芽依のせいじゃないじゃないか」

「いや、でも……」

「俺が上手く人付き合いしてたらそんなのうまくかわせてたはずなんだよ。結局は生き方が定まってない自分のせいさ」

「和ちゃん……」

 芽依はギュッと和真の手を握った。

「そんなの気に病むなよ。俺がこうやって苦難を乗り越え、生きる道を見出せたのはすべて芽依のおかげさ。そして、その道をぜひ一緒に歩いてほしいんだ」

 和真は真剣な目で芽依の顔をのぞき込む。

「いつの間に……」

「えっ?」

「いつの間にそんなに大人になっちゃったのよ」

 芽依はちょっと膨れる。

「ダメかな?」

 芽依はしばらく目を閉じて考える。

「メタバースを始めたのも、NFTを売り始めたのも……」

「え?」

「みんな和ちゃんのことを考えてのことだったのよ」

「そ、それは……」

「引きこもりでも自立できるじゃない」

「え? それじゃ、俺のために頑張ってたの?」

「そうよ、だって……、責任感じてたんだから……」

 芽依はそう言ってうつむく。

 和真はそっと芽依のほほを撫で、顔を上げさせると、

「ありがとう……」

 と、言って芽依の目をじっと見つめた。

 すると、芽依は急にチュッと和真の唇を奪った。

「えっ?」

 いきなりのことに驚き、固まる和真。

「新しい道見つけたんでしょ? 私も連れてってよ、その世界に」

 キラキラとした笑顔を見せる芽依。

 和真はそっと自分の唇をなで、目を白黒させていたが、ふぅと大きく息をついてニコッと笑うと言った。

「ちょっと、危ない世界だけど……いい?」

「守ってくれるんでしょ?」

「もちろん、命がけで……」

 そう言うと和真は芽依を抱き寄せた。

 香港のゴージャスな夜景を背景に二人は見つめ合う。

 丁度その時、午後八時から始まる「シンフォニー・オブ・ライツ(幻彩詠香江)」がスタートし、高層ビルから鮮烈なレーザーライトの群れが夜空に放たれた。

 そして、にぎやかな、楽しい音楽が鳴り響き二人を包む。

 

 目をつぶる芽依。

 和真は大きく息をつき、そして、そっと唇を重ねた。

 ずっと見守ってくれていた大切な幼馴染。二人の想いは今一つに重なったのだった。

 

 派手な演出が続くビクトリアハーバー。それはまるで二人のために催されているかのように、二人の門出を彩った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34. 新たなる神話の始まり

 焼き肉屋に戻ってくると、パパとママが合流していた。

「おう、和真! おめでとう!」

 パパが手のひらを向けてくるので、和真はほほを赤くしながらパチンとハイタッチをした。

「芽依ちゃん、大切にしろよ!」

「もちろん!」

 和真はしっかりとした目で答える。

 そんな二人をママは幸せそうに眺めていた。

 

「じゃあ、二人の門出を祝ってカンパーイ!」

 シアンは上機嫌にジョッキを掲げ、

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 みんな楽しそうにグラスを合わせた。

 

「で、うちの仕事続けんの?」

 シアンは口の周りに泡をつけたまま和真に聞いた。

「はい! お願いします!」

 うんうんとうなずいたシアンは、

「じゃあ配属は#3271、EverLand、レヴィア、任せたよ!」

 ブフッと噴き出すレヴィア。

「え? EverLand!? それってゲルツが担当してた廃棄予定の星じゃないですか!」

「ゲルツができなかったことを実現する、燃えるよね?」

 シアンは皿の肉を一気にロースターにぶち込みながら和真に聞いた。

「まぁ、そうですが……。ユータさんみたいに星を運営して文化文明を発展させればいいんですよね?」

 レヴィアは画面をビヨンと大きく広げるとEverLandの情報をバッと表示した。人口や文化指数の推移などが出ている。しかし、グラフは精彩を欠くものだった。

「うーむ、典型的なダメグラフですな……」

 レヴィアは腕を組んでうなった。

「これを日本みたいに発展させればいいんですか?」

「そうじゃ。じゃが、日本のコピー作っても認められんぞ。オリジナリティないものはアウトじゃ」

「うーん、そこが難しいですよね。オリジナリティなんてどうやって伸ばしたらいいのか……」

「そこが腕の見せ所。ヒントは若者と新陳代謝さ」

 シアンは焼肉をほおばりながら言った。

 するとパパが身を乗り出して聞いた。

「何やってもいいんですよね?」

「そうだよ? 彼らにとって君たちは神様。天罰も天啓も奇跡も起こし放題」

 シアンは箸を高々と掲げ、宗教画の女神きどりで虹色に光らせる。

「神様!? ……、そうか!」

 和真は目をきらっと輝かせ、芽依に向かって言った。

「芽依! 新たなメタバースを作るイメージでいいんだよ!」

「メ、メタバース? リアルな星に新たなエコシステムを作るってこと?」

「そう! 落書きが高値で奪い合われるようなエコシステムだよ」

「いやいや、ブームなんてものはもって一年よ?」

「でも、そこで集まったヒトモノカネはまた別のムーブメントに繋がるよね」

「うーん、そうね。集まったお金はまた別の挑戦に投資されるわね」

「それ! そのエコシステムを裏から支援し続ける事、それが僕たちの仕事なんじゃないかな?」

「でも、コンピューターのない世界でそんなこと言ってもねぇ……」

「魔法さ」

 和真はニヤッと笑った。

「魔法!?」

「魔法を世界に組み込むのはアリですよね?」

「あぁ、前例もあるしな」

 レヴィアはジョッキを傾けながら答える。

「ヨシッ!」

 和真はグッとこぶしを握った。

「ちょっと待って! 魔法を使ってコンピューターの代わりにしてメタバースを実現するってこと?」

 芽依は困惑した表情で聞く。

「できるよね?」

 和真はパパに振る。

「魔法の仕様によるけど、魔法って何でもアリだから構築できないことも……ないかにゃ?」

 ネコ言葉に思わずママが噴き出す。

「あ、いや、これは……。ネコ暮らしが長かったんだよ……」

 パパはジョッキをぐっとあおる。

「……。ヨシッ! 魔法の塔を建てる! 天を貫く魔法の塔。そこでは誰もが平等で情報やコンテンツを魔法で売買できるんだ。大学であり、市場であり、NFTだ!」

 すると、シアンが立ち上がり、楽しそうに、

「ヨシッ! やってみて!」

 と、言ってパチンと指を鳴らした。

 気がつくと一行は見渡す限りの草原に立っていた。少し先に川が流れその向こうには富士山がそびえている。

「え? ここは……?」

 和真が困惑していると、

「どんな塔を建てるの?」

 シアンが嬉しそうに聞いてくる。

「どんなって……。水とか火は見たことあるから……木?」

 和真は芽依に聞いた。

「木? 世界樹みたいな木のこと言ってる?」

「うん、ここに壮大な巨木が生えてたらそれは素敵だと思うんだよね」

「ヨーシ! それ、行ってみよう!」

 シアンはそう言うとバッと両手を空に広げた。

 すると、上空に現れる巨大な輝く円。それは雲よりはるか高く上空に、直径十キロはあろうかという巨大なサイズで緑色に輝いていた。

 何だろうと見ていると、そこにルーン文字が書き込まれていく。それはやがて巨大な魔方陣となったのだ。

「えっ!? まさか……」

 和真が冷や汗を流した直後、魔方陣がカッと激しい閃光を放ち、

 ズン! と、激しい衝撃音とともに、地震のように地面が踊った。

 辺り一帯はもうもうと土埃が巻き上がる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35. 誓いのチュー!

 うわぁぁぁ! ひぃ!

 悲鳴が上がり、うずくまる一行だったが、やがて土埃が晴れてくると、徐々にその荘厳な姿が浮かび上がってくる。

 見上げるとどこまでも、宇宙までも続いているかと思われる巨木。雲の上から張り出した枝は大空を覆い、まるで巨大な島が浮いているかのようであった。

 高さ数十キロ、富士山の十倍にもなろうという巨大な樹木は、伝説にうたわれた、天を支えるという世界樹そのものだった。

 

「うはぁ……」

 和真はその威容を見上げ、絶句する。

 上の方はかすんで見えないスケールであり、登っていったら大気圏は超えてしまいそうである。

「どう? 気に入った?」

 シアンはニコニコしながら言う。

「あっ……はい……」

「この中に魔法の世界を作ればいいね」

「……。頑張ります」

 和真は思い付きで招いた事態に圧倒されていたが、神様の仕事というのはこういうことなのかもしれない。

「パパ! 芽依! 手伝ってくれる?」

 和真は振り返って聞いた。

「そりゃぁもちろん」「任せて!」

「あら、ママだって手伝うわよ? 応援専門だけど!」

 ママは嬉しそうに笑った。

 和真はちょっと照れながら、

「ありがとう、みんな」

 と頭を下げた。

 

        ◇

 

 それから三年が経った――――。

 

「和ちゃん、どう?」

 純白のウェディングドレスに身を包んだ芽依は、はにかみながら聞いた。

「うわぁ……」

 思わず見とれてしまう和真。

「ふふーん。惚れ直した?」

「最高だよ……」

 和真はそっと芽依を抱き寄せる。

「あー、ダメじゃ! ダメじゃ! お化粧が崩れる!」

 紅いドレスに身を包んだ金髪おかっぱのレヴィアが制止する。

 

 ここはEverLandの森の中に特別に建てられたチャペルの控室。今日は二人の結婚式なのだ。

 

          ◇

 

 和真はチャペルの壇上に呼ばれ、スタンバイさせられる。牧師役としてシアンがクリーム色の法衣を纏い、ニコニコしながら会場を見ている。

 まだ八歳のシアンにやらせるのは不安があったが、『やる!』と言うシアンを止められる人はいなかった。

 

 チャペル内には両家の親族が呼ばれているが、まだ彼らはここがどこだかわかっていない。彼らの世間話が静かなチャペル内に響き、和真はそれを穏やかな顔で眺めていた。

 

 ブォ――――!

 オルガンの和音の重低音がチャペルに響き渡り、いよいよ式が始まった。

 結婚行進曲が厳かに演奏され、正面のドアがギギギーっと開いていく。

 まず、タニアがバスケットいっぱいの花びらをばらまきながら入場してくる。

 続いて芽依と、芽依の父親が赤じゅうたんの上を歩きながら入ってきた。

 

 ゆっくりと歩きながら、親族の祝福を受けながら、芽依は幸せいっぱいの笑顔を振りまいている。

 そして、壇上に上がってくる芽依。

 

「今日はおめでとう!」

 シアンは元気いっぱいに嬉しそうに言った。

「和真君! 芽依ちゃんを一生大切にするかい?」

 そのフランクな口ぶりにちょっと不安を感じながら、和真は、

「もちろんです!」

 と、胸を張った。

「浮気はダメだぞ?」

 鋭い視線でにらむシアン。

「そ、そんなことしません!」

「絶対?」

「絶対!」

「よろしい!」

 シアンは満足そうに笑い。会場にはクスクスと笑いが上がる。

「芽依ちゃん! 和真君でよかった?」

「えっ!?」

「他にもいい人、いっぱいいるんじゃ?」

「いい人は和ちゃんしかいません!」

 芽依は憤慨しながら言った。

 シアンは嬉しそうにうんうんとうなずいた。

 

 二人は指輪交換をする。表参道に行って二人で選んだお揃いの金のリングだ。

 

「それでは誓いのチュー!」

 と、言いながらシアンは腕を高々と掲げた。

 和真も芽依も苦笑して、見つめあう。

 ベールをゆっくりと持ち上げる和真。

 目をつぶり、上を向く芽依。

 そして、二人は熱いキスを披露した。

 幼いころからずっと一緒で、けんかもいっぱいした二人。でも、今、怒涛のような日々を超え、ついに夫婦となったのだ。

 

 うわ――――! わ――――!

 歓声の後、パチパチパチパチと拍手がチャペルに響いた。

 

「これで、二人は夫婦として認められました! おめでとう!」

 シアンはそう言って二人の背中をパンパンと叩いた。

 

 ブォ――――! っとひときわ力強く結婚行進曲がチャペルに響き渡る。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36. 限りなくにぎやかな未来

「では、ここで、和真君たちの職場見学をしてみましょう!」

 シアンはいきなり段取りに無いことを言い出し、嬉しそうに高々と右腕をあげた。

「へっ!?」「はぁ?」

 

 シアンがパチンと指を鳴らすと、チャペルの白い壁がいきなりガラスのように透明になる。そしてゆっくりと浮かび上がるチャペル。

「えっ!?」「ひぃ!」

 事情を聞かされていない親族たちは思いっきり焦る。空飛ぶチャペルなんて聞いたこともないのだ。

 やがてチャペルは森の木々の上に出る。そして、見えてくる巨大な世界樹。澄み切った綺麗な青空、真っ白な雲のはるか上空にかすみながら広がる広大な枝ぶりに親族は驚き、言葉をなくす。

「あれが世界樹、二人の職場デース! ちなみに僕が植えました」

 まるでバスガイドみたいにノリノリのシアン。

 

 チャペルは高度を上げながらどんどん加速し、世界樹へと突っ込んでいく。

 ぐんぐんと近づいてくる世界樹に親族たちはざわめき始める。

 やがて雲を突き抜け、チャペルは世界樹へと突っ込んだ。

「うわぁ!」「キャ――――!」

 悲鳴が上がったが、チャペルには何の衝撃もなく世界樹の中の魔法の世界へと入っていく。

 そこは巨大なマーケットだった。

 中心部は吹き抜けとなっており、周りにはフロアがずらりと並び、メタバースそのものだった。

 あちこちに配された魔法のランプがゆらゆらと炎を揺らし、温かい空間を演出している。行きかう人たちは民族衣装だったり、ファンタジーのコスプレをしてるかのような日本ではあまり見ない格好をしている。

 彼らはここで情報やコンテンツを売買し、勉強をし、ディスカッションをしているのだ。それは、閉塞的で文化の発展のなかったこの星には考えられない事態だった。

 

 ポカンとしながらその様子を眺めている親族たちに和真は言った。

「国や利権構造が関与できない自由なマーケットを作り、運営しているんです」

「こ、ここはどこなのかね?」

 芽依の父親が聞いてくる。

「ここはEverland。僕と芽依の星です」

「ほ、星ぃ?」

 目を丸くする父親。

「そう、僕たちは神様なんです」

 和真はニコッと笑って芽依を引き寄せた。

「か、神様……?」

 ITの仕事をしていると聞かされていたのに、実態は神様だという。一体神様とは何なのか? 父親は言葉を失った。

「芽依ちゃん、今度ゆっくり教えてね」

 芽依の母親はそう言うと茫然自失としている父親を椅子に座らせた。

 

 と、その時だった。

 

 ヴィ――――ン! ヴィ――――ン! 

 けたたましいサイレンがチャペル内に鳴り響き、赤いランプがあちこちで明滅した。

 

「テロリストだわ!」

 芽依が青い顔で叫び、空中に画面を広げ、ウェディングドレス姿でパシパシと画面を叩いた。

「テロリスト三名、南極上空から侵入! こっちに来るわ! 到達まであと四十五分!」

「ほいきた! 任せとけ!」

 和真は空間の裂け目から『五光景長』をスラリと引き抜くと、大きく息をつき、ブゥンと青白く光らせた。

「こちらが夫婦初めての共同作業になりまーす!」

 シアンはおどけてそう言うと、チャペルを操って、世界樹から外に出る。

 

「じゃあ、ちょっと行ってくるよ!」

 和真はそう言って、芽依の手を取る。

「気を付けて……ね」

 心配そうに眼に涙を浮かべる芽依。

「大丈夫、待ってて!」

 和真はそう言って軽く口づけをした。

 

 するとバサッバサッという音が響き、金色の巨大な生き物がチャペルのすぐそばに現れる。

 まるで恐竜のようないかつい鱗に覆われたその生物は広い翼をはばたかせながらぎょろりと真紅の瞳でチャペルの中をのぞいた。

 うひゃぁ! ひぃ!

 その恐ろしい姿は親族たちの恐怖を呼ぶ。

 

「皆様すみません、緊急事態なので行ってきます!」

 和真はそう言うと、窓からピョンと飛びおり、ドラゴンの頭の後ろに乗った。

 親族たちはいったい何が起こったのか皆目見当がつかず、呆然としている。

 

「マッハ十で行くぞ!」

 ドラゴンは重低音の声を響かせる。

「了解!」

 直後、ドン! という衝撃音を残し、ドラゴンはかっ飛んでいった。

 見る見るうちに小さくなるドラゴンを見つめながら、芽依は両手を組んで祈る。

 

 どんどん小さくなるチャペルを振り返りながら、和真はこの数奇な運命を感慨深く思っていた。

 もし、あの時、ヘアクリップが落ちてなかったら、原宿でレヴィアを見つけてなかったら、今でもあの閉め切った暗い部屋で引きこもっていただろう。よどんだ空気に押しつぶされ、出口のない迷路をさまよい続けていたに違いない。

「レヴィア様、ありがとう」

 和真はドラゴンの鱗にほほ寄せて言った。

「なんじゃ、いきなり。浮気はいかんぞ?」

「結婚式の日に何言うんですか! 純粋に感謝してるんです!」

「そうか、そうか、お主もようやく我の偉大さに気づいたか!」

「いや、本当に感謝しています」

 和真は目をつぶり、湖で初めてドラゴンを見て逃げた時のこと、レヴィアがミィを連れてきた時のことを思い出す。そして、金星で服を脱がし、脱がされたことも思い出し、くすりと笑った。

「なんじゃ?」

「そう言えば、初恋の方ってどんな方なんですか?」

「な、何を言い出すんじゃ! 落とすぞ!」

 レヴィアは動揺し、声が裏返る。

「僕に似てるんでしょ?」

「なっ! 全然! ぜーんぜん、似とらんわ!」

「本当に?」

「あ――――うるさい! ほれ! 敵襲十時の方向! 早く撃て!」

 和真はクスリと笑うと敵の情報を集め、

「うーん……、射程距離まで後十秒!」

 と言うと、大きく息をつき、五光景長に光を纏わせた。

 直後、敵が発砲し、オレンジの鋭い光が走った。レヴィアはひらりと巧みにその光跡をギリギリでかわす。

「一閃!」

 和真は鋭く刀を振り、光の刃は青白い光を放ちながら軽やかに宙を舞った――――。

 

 その後、EverLandは驚異的な発展を遂げ、世界樹による世界構築の試みは宇宙の歴史に深く刻まれることになる。

 そのお話はまた別の機会に……。

 

 了



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。