吹き荒ぶ風、奏でる音 (M-SYA)
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序章『孤独な新月』
三人の出会い


初見の方は初めまして。

既にご存知の方はありがとうございます。

M-SYAと申します。

この度、ラブライブ! スーパースター!!にて二次小説を書く事といたしました。

現在も進行している二次小説『虹の袂』と並行での更新となりますが、どうぞゆっくり読んで頂けると幸いです。

それでは本編へどうぞ。


 昔、とある二人の子供がいた。

 

 その二人は幼馴染であることから一緒に居る事が当たり前になっており、いつも二人だけの時間を楽しんでいた。

 

 何の変哲もない日常の中、一人の少女が少年の手を引いて住宅街を走り回っていた。

 

「はーくん! はやくはやく!」

 

「ま、まってよ、かのんちゃん!」

 

 はーくんと呼ばれたその少年は疲れのあまり足が動かない様子だったが、かのんという少女は一切気にする様子を見せず自分のペースで少年を連れまわしていた。

 

 いや、年端も行かない少女は今の自分の状況が楽しく仕方がないために少年の様子を気に掛けるまでに至らなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 少年はやっとのことで少女から解放され、土の上に膝をつけ体全体で息を整えていた。

 

「もうはーくん、男の子なんだからもうすこし体力をつけようよ!」

 

「かのんちゃんが……つきすぎてるんだって……」

 

 少女はまだまだ走り足りないのか少年の様子を味気なさそうに見下ろしていた。全く息を切らしていない様子を見て少年は少女の底知れぬ体力に驚愕していた。

 

「はーくん、ほらっ、あそこの公園で遊ぼ!」

 

 少女は少し離れた先に見えた公園を指差して、少年へと提案する。そして、その返事を待たずにすぐさま駆け出してしまった。

 

「だ、だからかのんちゃん、早いってばー!」

 

 少女が走り出す音が聞こえ、少年は慌てて立ち上がり先に行った少女の元へと走る。

 

 

 

 

「はぁー……はぁー……どうしたの? かのんちゃん」

 

 少年が息を切らして到着した時、少女は公園内の光景を見て固まっていた。普段は見ない少女の真剣な表情を見てそれに倣い少年も公園内へと目を向ける。

 

 そこには複数人の少女達が集まっていた。だが、仲良く遊んでいる様子ではなくむしろ集団で一人に寄ってたかっているようだった。

 

「なんで、あんたがここで遊んでるのさ?」

 

「ここは私たちが遊んでるからあんたはどっかにいきなさいよ!」

 

 詰め寄られている白髪の少女は目に涙を浮かべ、何かを語りかけていた。

 

「あのっ……その……をかえして……」

 

「はぁ? これは没収。あんたがルールを守らないからそのバツね」

 

「そ、そんなぁ……!」

 

「何? 泣けばゆるしてもらえるとでも思うの?」

 

 理不尽極まりない言い分に少女は更に目を潤ませていた。

 

「ひ、ひどい……」

 

 少年はいじめの光景を目の当たりにして何とかしなくては、と考えていた。だが、相手のことを何も知らないので自分が出しゃばって良いものなのか分からず足が動かなかった。そこで自分が出ればこっちに火種が飛んでくるんじゃないかと怖くなり踏み出せずにいた。

 

 だが、弱気になる少年を他所にかのんは集団の中へ飛び込んでいった。

 

「うおぉぉーーーー!!」

 

「か、かのんちゃん!?」

 

 恐れずにただ突っ走る少女を見て、少年はその後を必死に追いかけていく。

 

 追いかけていく最中、既にかのんはいじめられていた少女の前に立ち、守るように両手を広げた。

 

「何やってるのさ! みんなで一人の子をいじめて……ずるいよ!」

 

「誰? あんた、何も知らないんだから突っかかってこなくていいじゃん!」

 

 いきなり現れたかのんに対していじめっ子達は困惑しながらも追い払おうと邪険にあしらう。だが、かのんは臆することなく少女達に立ち向かった。

 

「そんなの関係ないよ! 人の大切なものを取っておいて、自分は悪くないとでも言うつもりなの!?」

 

 かのんは集団の筆頭が持っていた一本の紐に目を向けて返すように訴える。

 

 確かに白髪の少女は髪を右側でお団子に結っていたが左側は何も付けていなかった。しかし、相手が持ってる紐はただの紐ではなく彼女の髪留めに使用しているリボンだった。

 

「はやく、それ返してあげてよ!」

 

「あぁもううるさいなぁ! 別にこんなの要らないからとっとと返すよ! ほらっ!」

 

「ちょっと! 人のものになんてことするのさ!」

 

 リーダー格はかのんの存在を煩わしく感じたのかすぐに話を終わらせようと手に持っていたリボンを返す。しかしただ手渡しで返すのではなく地面に投げ捨てるように返すというあまりにも粗雑な扱いだった。

 

 かのんがリボンを拾い、少女達に憤慨していた時には彼女らは逃げるように公園を去っていた。

 

 かのんは少女達が居なくなって方角を見て、睨みつけるとすぐさま先ほどまで泣きそうにしていた少女へと目を向ける。

 

「だいじょうぶ?」

 

「う、うん……」

 

「かのんちゃん、いきなり行くのは危ないよ!」

 

 少女に対して優しく問いかけるかのんだが、考えなしに行くなと少年に咎められる。しかし、かのんはそんなことはお構い無しのようだ。

 

「でも、この子がいじめられてるのをだまって見てられないよ! はーくんもそうでしょ?」

 

「た、確かにそうだけど……」

 

「あっ、あのっ……!!」

 

 少女を置いて口論していると、割って入るように少女が口を開いた。

 

「た、助けてくれて……ありがとう……」

 

「全然いいよ! それよりもこのリボン、汚れが激しいから近くの水道で洗ってくる!」

 

「あっ、かのんちゃん! ……もう、すぐいつも一人で行っちゃうんだから……」

 

 少女からのお礼に笑顔で返事をすると、投げ捨てられたリボンを拾い汚れを落とそうと蛇口を探しに行ってしまった。いつまでも元気に駆け回るかのんを見て、少年は少々呆れた様子を見せる。

 

 だが、目の前の少女は少年の言葉と表情が一致してないことに疑問を抱く。

 

「……でも、嫌そうじゃないよ……?」

 

「まぁ、あれがかのんちゃんだからね。楽しいことが大好きで、いつもそれに振り回されるんだけど、最後には気づいたら笑ってるんだよね」

 

 不思議に思う少女へ少年はかのんの人間性を口にした。好奇心旺盛な彼女に手を引かれ大変な目に遭うとしてうんざりしてしまうこともあったが、それでも最後はかのんが見せてくれる景色が気持ちよくて災難だと思ってたことも宝物に変わっている。

 

 そんな二人の関係性について話を聞いて少女は興味津々だった。

 

「そうなんだ……なんだかうらやましいなぁ……」

 

 少女から羨望の眼差しを向けられ、嬉しくなり気恥ずかしくなる少年だがそれを掻き消すように話題をすり替えた。

 

「……き、きみ! よく見たら服が凄く汚れてるじゃん! さっきの子たちにやられたの?」

 

「えっ……い、いや……自分で転んじゃって……」

 

 服が全体的に砂で汚れているのを指摘され、少女は必死に言い訳を探していたが、少年の前ではその努力は無に帰した。

 

「でも、汚れ方が転んでできるものじゃないよ!」

 

 少年は汚れを落とそうと優しく少女の服をはたく。しかし、こびり付いた汚れは中々落ちる様子を見せず少年は悪戦苦闘していた。

 

「うーん、中々落ちないなぁ……。あっ! ハンカチ持ってるからこれに水を付けて洗い流そっ!」

 

 少年はポケットにしまっていたハンカチを取り出し、水に濡らそうと蛇口を探しに行こうとする。

 

「あっ、あの……!」

 

 駆け出そうとした少年に少女は声を掛けて足を止めさせる。

 

「どうしたの?」

 

「どうして、こんな私にやさしくしてくれるの? 一人で遊んで、みんなにも嫌われてるこどもなのに……」

 

 少女は服の裾をぎゅっと握り、少年たちが助けを差し伸べてくれる理由を問うた。

 

 少女の疑問に少年は曇りっ気のない笑顔で返事をする。

 

「だって、きみが困ってたんだもん。見過ごすことなんて出来ないよ」

 

「…………っ!」

 

 真っ直ぐに伝えられた気持ちに少女は目を潤ませた。だが、そんな少女を他所に少年は自分の発言を思い出して恥ずかしさのあまり髪をくしゃっと触る。

 

「って、先にかのんちゃんの方が動いてたから僕、人の事言えないけどね……あははっ」

 

 笑顔を見せてその場の空気を和ませようとすると少年は思い出したように自己紹介をする。

 

「あっ、僕、湊月(みつき) 颯翔(はやと)って言うんだ! 君は?」

 

「わ、私は……(あらし) 千砂都(ちさと)……」

 

「ちさとちゃん……いい名前だね! じゃあちさとちゃん、一緒にかのんちゃんの所へ行こ?」

 

「……う、うん……!」

 

 颯翔は一緒に行こうと千砂都へ手を差し伸べ、彼女もその手を握り返す。そして、離さないようにぎゅっと力を入れて二人はかのんが向かったであろう手洗い場へと一緒に走り出した。

 

 

 

 




三人の周りに吹いていたのは暖かく優しい風だった。


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夢うつつ

お待たせしました。

記念すべき第2話です。よろしくおねがいします。

それではどうぞ。


 俺はとある夢を見ていた。幼かった俺が小さい女の子二人と一緒に公園で遊んでる夢だ。

 

 最初に千砂都と出会った時よりも全員の身長が伸びているように見えるので初邂逅から幾ばくか時が過ぎた後だろう。

 

 オレンジの髪の少女と白い髪の少女。二人とは幼馴染だったこともあり子供ながらに幸せな時間を送っていた。

 

「……ちーちゃん、傷に沁みるけどちょっと我慢してね?」

 

「……うっ! い、痛いよっ……」

 

「ちぃちゃん、がんばって!」

 

 三人で一緒に走り回って遊んでた時に千砂都が転んでしまい膝をすりむいてしまったのだ。傷口にばい菌が入らないようにハンカチを水で濡らして、少しずつ傷の周りを拭いていた。

 

 千砂都が涙を浮かべながら両手を握って痛みに耐えている横でかのんもエールを送っている。彼女が痛がってる様子を見て、俺も拭く動作が慎重になってしまうがそうも言っていられない。そんな時、とある名案が浮かんだ。

 

「大丈夫だよ、ちーちゃん! ほら、こうすればそっちに気が紛れて痛みも和らぐよ?」

 

 そう言ってハンカチで拭っている手とは別の手で千砂都の手を握る。人の温もりを感じる事で感覚や意識がそちらに向き痛覚を抑える事が出来るので、千砂都が頑張って耐えられるように俺も出来る事を彼女にしてあげた。

 

「あっ……うん……! ありがと……はやとくん……!」

 

「えー! はーくんばかりずるい! わたしもやる!」

 

 仲睦まじい様子を見せつけられて妬いてしまったのか、かのんも自棄になって千砂都の手を握る。

 

「べ、別に対抗することでもないでしょ!?」

 

「そ、それはそうだけど……とにかくむしゃくしゃするからやだ!」

 

「っつ……! はやとくん……痛い……」

 

「あっ!? ご、ごめんね、ちーちゃん!」

 

 傷口の周囲を拭いていた所にかのんと揉みくちゃになってしまったため優しく触れていた右手に力が入ってしまい千砂都の痛覚を刺激してしまった。

 

 痛がる千砂都を見てかのんは嘲笑うように目を細めてこちらを見てきた。

 

「はーくん、ダメじゃん! 女の子には優しくしてあげないと!」

 

「か、かのんが余計な事するからでしょ!?」

 

「ふ、二人とも……け、けんかしないで……?」

 

 怪我の手当てをそっちのけに口論を始めた俺達に千砂都はただ口をアワアワとさせるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よしっ、これで完了! ちーちゃん、これで大丈夫だよ」

 

 すりむいた膝に絆創膏も貼り終わって、無事に怪我の手当てが終わった。

 

 千砂都はけがをした箇所に刺激を与えないように優しく触る。

 

「……えへへっ、ありがと、はやとくん」

 

「よーし、じゃあこのままもう一度かけっこでも……!」

 

 千砂都が笑顔になったのを見て、かのんは大きく右手を突き上げてもう一度遊ぼうと提案する。だが、先ほどと何も変わらない遊び方を提案しているのですぐに待ったをかける。

 

「ばかのん、なんで怪我をさせてたばかりなのに走らせようとするのさ。ブランコで遊ぶよ」

 

「ば、ばかって言う必要ないじゃん!」

 

「実際、そうでしょ?」

 

「ち、違うから!!」

 

「……ふふっ」

 

 再び口喧嘩を始めた俺達を見て、千砂都は静かに笑っていた。いきなり笑い始めたために俺とかのんは状況が理解できずにいた。

 

「な、なにかおかしかった、ちーちゃん?」

 

「えっ? いや、そういうわけじゃないんだけど、こうして一緒にいられるのがうれしいなって思って……」

 

 千砂都は出会う前の事を思い出して悲しさを帯びつつ笑顔を残す。最初は友達も出来ず一人で遊ぶことが多かったということだし、今の状況が──―これは夢の中ではあるのだが──―俄かには信じられなかったのだろう。

 

「ちぃちゃん!」

 

 かのんはふと千砂都の名前を呼ぶと彼女の右手を握る。

 

「大丈夫! ちぃちゃんはもう私とはーくんの友達だよ! これからもずっと一緒に居るんだから!」

 

「えっ……ほ、本当に? わ、わたしがかのんちゃんとはやとくんと友達になってもいいの?」

 

「当たり前じゃん! ね、はーくん?」

 

 かのんの同意を求める声に合わせるように肯定的な意見を出す。

 

「うん! ちーちゃんと俺達はこれからもずっと一緒! どんなことがあっても!」

 

「……っ! …………うん! わたし、二人のことが大好き!」

 

 友達として認めてくれたことが余程嬉しかったのか、千砂都は俺達の間に飛び込んで二人同時に抱き締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今見ている夢がこのまま続けばよかったのに。そう思っても思い通りにいかないのが自然の摂理というものだ。

 

 幸せな光景で微睡んでいた矢先、突如として脳が覚醒してしまう。

 

「……はっ……。ここは……俺の部屋か……」

 

 目を開けベッドから起き上がった先に映り込んだのはいつもと変わらない机の配置。そして、先ほどまで見ていた夢とは違い、身長が更に伸びている。

 

 これが今を生きている俺の姿だ。数日前まで中坊だった子どもが今では高校生になっている。

 

「時間は……まだ3時じゃねえか……。ったく、なんでこんな時間に目が覚めるのかなぁ~……」

 

 目覚まし用で枕元に置いていたスマホを徐に手に取り、時間を確認する。本来起きる予定だった時間まであと3時間はある。こんな深夜に目が覚めてもやることなぞ微塵もない。否、やる気力も起きない。

 

 だが、そうは言ってもこの目覚めにより脳が完全に覚醒してしまったので、俺は少しでも気を紛らわそうとスマホを立ち上げとある内容を検索する。

 

「結ヶ丘高等学校……」

 

 それはこの春、俺が通うことになる学校。

 

 そこは長年受け継がれてきた歴史ある学校が数年前に廃校となり、それから数年の時を経て残置されていた校舎を利用して立ち上がった新設校だ。

 

 俺はそこで音楽科の生徒として結ヶ丘の門を叩くことになった。

 

 改めて学校理念やカリキュラムについて読んでいるとふとこの学校に来ることにしたきっかけを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 音楽を好きになったのはかのんが影響している。小学校の頃に彼女がギターを弾き始めたことをきっかけに俺と千砂都もそれに合わせて一緒に歌うという事が日常茶飯事だった。

 

 そして、彼女が奏でる音楽に合わせて歌う以外でも何か出来ないかと思い、始めたことがダンスだった。

 

 最初は彼女の為に、と思って始めたダンスだったが次第に楽しさを覚えて、気が付けば夢中になっている自分がいた。

 

 時折、二人にその成果を見せて称賛の声を貰うのが凄く快感で嬉しかった。このまま続けていきたいと、そう思っていた。

 

 そう。思っていたのだ。

 

 今は誰の為でもない、自分のスキルを上げるためにこの学校へやってきた。今ここに居る俺は過去のしがらみを捨ててきた湊月 颯翔だ。

 

 

 

 

 

 

 

 感傷に浸り過ぎたのもあり、俺はスマホを閉じてもう一度枕へと顔を埋める。

 

 スマホを見ていたからかすぐに眠れないものだと思っていたが、思いのほかすんなりと夢の中に落ちることが出来た。

 

 だが、次の夢に出てきたものは最初に見ていたような暖かいものではなく、ひどく冷たいものだった。

 

 

 

 

 

 

 とある日の夕暮れ、目の前には先ほどよりも成長しているかのんと千砂都が立っている。

 

 だが、千砂都は大きな声を上げて泣いており、その横でかのんは蛇をも殺すような目つきでこちらを睨みつけていた。

 

「はーくんなんか……はーくんなんか……大っ嫌いだよ!!!!」

 

 突然そう告げられたことに夢の中の俺は腹いせの一言でも返すかと思いきや、諦めたような表情をして誰にも聞こえない声量でとある呟きをした。

 

「……なんで今ここでもそれを言われなくちゃいけないんだよ……」

 

 これが明晰夢と理解した俺はかのんたちに対して反論をするわけでもなく、ただ一言、思い出したくない記憶を掘り起こしてしまった自分の運の無さを憐れむのみだった。

 

 

 

 

 

 

 自己嫌悪に陥る俺に手を差し伸べるように事前に設定していた目覚まし音が鳴り響く。

 

 お陰で悪夢の続きを見る事は無くなったが、目覚めは気持ちいいものとは言えなかった。

 

 目覚まし音で本来起床する時間だと悟った俺はベッドから抜けだし、窓を開ける。空はまだ薄暗く少しずつ青空が見え始めている状態だった。

 

 目覚めの悪さを打ち消すように大きく深呼吸する。身体の状態は何も変わらないが、それでも少し気分がすっきりしたように感じる。

 

「もう、あいつらと関わることは無いんだ。今更気にしても仕方ねえ」

 

 あかつきの空に吐き捨てるように呟き、俺は窓を閉める。そして、自部屋を抜けてリビングへと向かうのだった。

 

 




心地よい暖風、それはいつしか身体を刺す冷風に変わっていた。


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身支度

お待たせしました。

いつも読んで下さる皆様はありがとうございます。

今回もよろしくお願いいたします。


「おはよう。颯翔、随分と不機嫌な顔してるな?」

 

 悪夢から目覚め、リビングへ向かうと兄の湊月(みつき) (なぎ)が既に朝食を摂っていた。

 

「おはよう。まあ嫌な夢を見たって所だな」

 

「ははっ、今日から高校生デビューなのにスタートダッシュが上手くいかないな」

 

 いつにも増して脱力感に襲われている俺を見て、凪は快活に笑う。そんな兄を尻目に俺は朝食が既に置かれている席へと向かい、静かに腰を下ろす。

 

「……父さんらは?」

 

「もう仕事に行ったよ。弁当と水筒はそこに置いてあるから持って行けって」

 

 父さんらは早い時間から仕事の為に既に外出していたようだ。カウンターの方へ目を向けると確かに俺の分と凪の分と思わしき弁当、水筒が置いてあった。尤も今日は午前中で終わるだろうから弁当はわざわざ用意しなくてよいはずだが。

 

「……了解」

 

「送り出してくれる奴が俺だけで寂しいってか?」

 

「……別にそんなんじゃない」

 

「ふっ。ま、そういうことにしとくさ」

 

 勿論、両親が仕事の関係で朝が早いのは百も承知していた。だが、今日は俺の門出という事もあり少しばかりそういった事を期待してしまう自分もいた。だが、現実は無情にも普段の日常と変わらない様相を見せていた。

 

 こればかりは仕方ないと割り切りつつ、俺は作り置きされていた朝食を食べる。トースターで温められたばかりであろう食パンはサクッと音が立ち、素朴な味が体全体に染み渡り朝の食事には最適なものだった。

 

 食事に舌鼓を打っていると話題は俺の入学に至った経緯の話になった。

 

「にしてもお前が結ヶ丘に行くなんて思わなかったよ」

 

「そうか?」

 

「だってお前、今はダンスをやれる身体じゃないんだぞ?」

 

 そう、俺は過去に負った怪我により腰を悪くしており、昔やっていたダンスを今はできない身体となっているのだ。

 

「そうだけど、でもそれだけでダンスを諦められるわけじゃないし、やっぱり音楽は好きだからな」

 

 身体が悪くなってしまったことによる影響はやはりあるが、それで音楽に対する熱が冷めるかと言われればそうとはならない。

 

 そんなことを考えていると、凪は幼い頃の話を振ってきた。

 

「そうか……昔の事もあったし、それが原動力になってるのかと思ったが、そうでもなさそうか?」

 

 昔の事。それがどういった内容を示しているのか想像するのはそう難くなかった。

 

 凪が言う昔の事、それは幼馴染であった二人との関係であり、音楽についてもその二人が起因で始めたところもあったため、今も俺が続けている要因に二人のことが関係していると踏んでいるのだろう。

 

 だが、既に彼女らとの縁が切れている俺にとってそれは関係のないことだった。

 

「……別にあいつらのことは関係ない。これは俺が好きにやりたいから決めてることだ」

 

「……そうか」

 

 俺の言葉を聞いて、凪は真顔でそう呟きそれ以上の詮索をやめた。食べ終わった食器を片付けようと席を外す凪にとある忠告をする。

 

「あと、あいつらの事を話題に出すのはやめてくれ。もう……あいつらは幼馴染でも何でもない」

 

「……あぁ、分かった。すまねえな、配慮が足りてなくて」

 

 俺の意図を汲んでくれたのか凪は嫌な顔一つせずに了承してくれた。こういう時、いつも何も言わずに俺の意志を尊重してくれるのはさすが兄というべきところか。

 

「別にいいよ。俺もそれに対して何も言ってなかったし」

 

「あっはは、それもそうか。ならお互い様ってことにしとくか」

 

 笑いながら場を和ませると凪はリビングから去っていく。一人になった部屋で俺は黙々と食事を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終え、自部屋に戻ると結ヶ丘指定の制服を手に取り、まじまじとその風貌を眺めた。

 

 結ヶ丘高等学校は普通科と音楽科に分かれており、学科により制服も異なる。普通科は灰色を基調したトップス、紺色のジャケットがセットとなっている。それに対して音楽科は全体的に白を基調した制服となっているため、他人の学科を見分ける事は容易に可能となっている。

 

 俺は音楽科を受かっていた関係から白の制服を用意されている。結ヶ丘高等学校は当初そこで存在していた学校の伝統を受け継ぐ高校としていることから、音楽科への進学を熱望している生徒が多く音楽科の倍率はかなり高いものになっていた。

 

 さらに当初の学校が女子高だった経緯もあり女子生徒からの人気も強い。そんな悪条件の中で音楽科の生徒として合格できたことは言葉にし難い喜びが強かった。

 

 受験当時の振り返りもそれくらいにして、改めて制服に袖を通す。まだまだ育ち盛りであることから制服のサイズもワンランク大きいものにしていたため、やはり服のサイズと身体が見合っておらずダボッとしていた。

 

「……今日から、結ヶ丘の生徒か……」

 

 制服を通した後、全身鏡で自分の姿を確認する。まだ着慣れてない感覚がありイマイチ自分でも実感が湧かず不意にらしくない言葉を吐いてしまう。だが、入学する前からそこまで弱気になっても仕方ないので、一発景気づけに両手で頬を叩く。

 

「……よし、行こうか」

 

 お陰で気持ちがリフレッシュされたようでふと笑顔がやってくる。だが、時間も迫っていたのでさっさと荷物を纏めて玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、その制服、似合ってるじゃねえか」

 

 学校指定のローファーを履いていると、凪が玄関に顔を覗かせてきた。

 

「まだガキっぽさは残るけどな」

 

「それでももう高校生だ。兄弟としては感慨深いもんだぜ?」

 

 確かに子供の成長ほど時の流れを実感することはない。凪としても俺がここまで成長していることに対して感動を覚えているのだろう。

 

「……そんなもんか?」

 

「そういうもんだ。今日は学校は午前中までだろ? 折角こっちに帰ってきたんだし、久々に辺りを見て回ったらどうだ?」

 

 俺の家の家庭事情は世間と比べて忙しい。小学生まではこの場所で生活をしていたが途中で親の都合で転校、その後高校生になってもう一度この場所へと戻ってきたのだ。

 

 この場所を離れてから3年ほどの時が流れているが、どれほど街並みが変わっているのか興味がある。とある場所らに近づくのは抵抗があるがそれ以外の知っている場所近辺については探索してみようか。

 

「そうだな、折角の機会だし色々と回ってみるよ」

 

「おうさ、じゃあ気を付けてな。いってらっしゃい」

 

「おう、いってきます」

 

 凪の見送りに身体を向き直して、そっと手を振る。そして、軽く息を吐いて結ヶ丘へと出発するのだった。

 

 




新しいステージに上がる少年へ吹く春風


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目の当たり

お待たせしました。

いつも読んで頂きありがとうございます。

今回もよろしくお願いいたします。


 凪の見送りを受けて、俺は結ヶ丘高等学校までの道中を歩いていた。そこには昔過ごしていた名残が残っており、歩いている最中に小学生までの記憶が蘇ってきた。

 

 いつもと変わらない舗装された道、当初から残っている家と新しく建築された家が入り混じる住宅街。

 

 学校までの道中にある信号も緑から赤に切り替わる間隔は変わっていない。強いて言えば昔は走らなくちゃ間に合わなかった信号も走ることなく渡り切れるようになっているのは己が成長している証だろう。

 

「前に比べて、随分と賑やかになった印象が強いか」

 

 小学生の頃は各地域毎に子供たちが集合し一緒に通うという登校形態であった為に、同世代の子供しか認識していなかった印象がある。

 

 それと比べて、現在は誰かと一緒に登校するなんて事もなくむしろ社会人らしき人物や自分と同じような学生の姿で溢れかえっているので、ここまで違いが出てくるものなのかと内心驚いている自分がいる。

 

「……なんて今まで意識してなかっただけか」

 

 子どもの頃は同世代の子と遊ぶことに夢中で周囲の環境の変化に対してそこまで興味を持ってなかった。そんな事を考えるよりも目の前で繰り広げられる遊びの方が自分の欲求を満たせると理解しているからだ。

 

 しかし、そういった生き方を続けられるかと言われれば必ずしもイエスとは言えない。人間は好奇心というものに身を任せて、自分が経験しているちっぽけな世界より自分にとって未知の世界に対しても興味が湧いてしまうものだ。

 

 それは年を重ねるごとに顕著に現れるのではないかと思う。現に今こうして小学生の頃から周囲の環境は著しく変化しており、それに対して機微に反応しているのがその証拠だと思う。

 

「……とは言っても、俺を取り巻く環境は変わっちまってるけどな……」

 

 誰に話しかけられてるわけでもなくただひとりでにそう呟く。

 

 当時は携帯電話を有していなかったために小学校の友人は転校をきっかけに関わりが無くなっている。

 

 昔は友人もかなりいたという認識を持っていたが、現在はそうと呼べる人物はゼロに等しいだろう。過去の自分と比べて月とスッポンと表現できてしまうのが非常に切ない。過去の栄光に縋ることほど情けないものは無いが、今回ばかりはそれで虚勢を張りたくなってしまう。

 

 そんな現実逃避な思考に陥っていると周囲に似た制服の学生が散見するようになっていた。とは言っても俺と同じ白基調の制服を着ている人物は少なく、大半が普通科の生徒であることが分かる。

 

「この中には音楽科に落選してその代わりに普通科で合格した人間もいるのか……」

 

 音楽科の進学難易度は高い。通常の学科試験に加えて実技試験も突破しなくてはいけないのだ。その実技も聴音テストや声楽テストと正に音楽家志望に必須となる項目ばかりだ。

 

 確か、声楽テストの時に面接官の重圧やその場の緊張から歌えずに不合格となった生徒もいたなんて噂も小耳に挟んだな。俺やその前後でやっていた人たちは全員平静を装って歌っていたので、やはりそういった本番に苦手な人物もいるらしい。

 

 そういえば、あいつもあがり症で本番になると歌えなくていつもぐずっていたな。緊張している人に対しては『大丈夫!』なんて声を掛けるのに自分の事に関してはてんでだめで、見栄を張っていることがバレバレだった。

 

 まさか、あいつもこの学校に、なんて夢物語は無いだろうな。第一、あいつとの関係は最悪と言っても過言ではないのだから。

 

 転校前に告げられた『大嫌い』。それを思い出すだけであいつの事を思い出すのも苦痛になるし気分も悪くなってくる。

 

 ならばいっその事、あいつも忘れてしまえば気が楽になるというものだ。ここで再会するなんて馬鹿なことが起こるはずがないのだから。

 

 思い出したくもない昔馴染みの事を思い返していると、結ヶ丘高等学校の正門へとたどり着いた。学校内にある桜は新入生らの門出を祝っているように俺達の景色を彩らせていた。

 

 正門には結ヶ丘高等学校と書かれた表札と第一回入学式と書かれた立て看板が置かれており、多くの生徒が正門をくぐっていた。

 

 俺は少しばかり緊張がやってきたからか深呼吸を一度して、気持ちを落ち着かせる。ここで突っ立っていても仕方ないので他の生徒に倣って校舎内へと入っていく。

 

 校舎内に入るとひときわ生徒たちが集まっている場所があった。それは各学科ごとのクラス名簿であり、各々自分がどの教室に行くのかを確認するために名前を探しているようだった。

 

「音楽科……湊月(みつき) 颯翔(はやと)……」

 

 俺の前で名簿と睨めっこしていた生徒が立ち去っているのを見て、今度は自分の番、として名簿を見つめる。

 

 苗字が湊月なので下から探すのが早い。その結果もあり、自分の名前を見つけるのは容易い事だった。

 

「M1-Aか。ここに居座っても仕方ないし、さっさと移動するか」

 

 他にどんな生徒がいるかも気になったが、後ろで生徒が詰まっているようだったのですぐに退散した方が吉だと足早にその場を去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の教室へ入り、自席へと荷物を置いて一息つく。ここに来るまでずっと気が張っていたので、少し肩が凝る感覚があった。

 

 教室へは既に半数以上の生徒が入室しており、入学式が始まるまでの待ち時間を談笑して楽しんでいるようだった。入学初日で早速友達が出来るなんて凄いコミュニケーション能力だ。

 

 自席に座り、窓の外を見つめると、そこには未だ多くの生徒が滞在していた。

 

 友人と思わしき人物と会話している者、新しい制服と学校の記念として写真撮影を行っている者、種々折々だった。

 

「……っ!? ……あいつ……マジかよ……」

 

 そんな中、目を疑う人物の姿を見てしまい、思わず驚愕した。

 

「かのん……何であいつがここに……」

 

 それは幼馴染である澁谷(しぶや) かのんだった。

 

 茶色の長髪と癖のある前髪、幼馴染のそれと特徴が同じであるため間違えるはずがない。強いて言えばヘッドフォンを首に掛けていることくらいか。

 

「……ということは千砂都も……?」

 

 かのんがここに居るという事は同じ幼馴染である千砂都も同じようにこの学校にいる可能性が高い。そう思い、彼女の周囲を見渡すがそれらしき姿は見当たらない。別の学校にいる可能性もあるが、そんなはずがないと虫の知らせが告げている。

 

「かのんは普通科……ってことはあいつも普通科にいるのか……」

 

 俺は絶対に避けたかった事象を避けられそうでひとまず安堵していた。もし音楽科だったとなれば嫌でもその姿を認識し合い生活する羽目になるのだからお互いに居心地の良い学校生活ではなくなる。

 

 少なくともかのんとは関わる機会は少なそうなのでお互いに平和な時間を過ごすことが出来そうだ。

 

「……そうなんだー! 私もダンスやってるからこれから一緒に頑張ろうね?」

 

 校舎の外から視線を外し、教室内に響いてくる女子生徒の声を聞いて廊下の方に目を向ける。

 

 そこには早速仲良くなったであろう女子二人が誰かと話しているようだった。

 

「あっ、私向こうの教室だからあっちに行くね? それじゃあ、うぃっすー!」

 

「じゃあね()()()! うぃっすー!」

 

「……嵐……?」

 

 聞き覚えのある単語を耳にし教室の入り口にいる女子二人を見るが、俺の知ってる千砂都と同じ特徴ではない。

 

 代わりに教室の窓に映る陰で誰かが移動している姿が確認できたので、教室の後ろ側にある扉の窓へ目を向けると、そこには紛れもない幼馴染の姿があった。

 

 白い髪を両サイドでお団子に結わえ赤い瞳。中々聞かない苗字であるところからも推測してあれが嵐 千砂都で間違っていないと思う。だが、俺には彼女が嵐 千砂都だと確信が持てない理由があった。

 

「……あんなに快活な性格だったか……?」

 

 小学生の頃の千砂都はとにかく人見知りで自分から友達を作りに行くことだと到底出来なかった。いつも俺やかのんが一緒にいて彼女と遊んでいたのだ。そんな彼女が、先ほどのように知らない人間とすぐに友達になれる程の明るい性格ではないと分かっているからこそ、俺は彼女を自分が知ってる嵐 千砂都だと言い切れなかったのだ。

 

 

 

 兎にも角にもこの高校生活、そう安心して過ごすことが出来なさそうだと俺の心に暗雲が立ち込めるのだった。

 

 

 




再会した少年少女にやってくる花風


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生徒代表の素顔


お待たせしました。

本編5話です。

よろしくお願いします。


「このような形で結ヶ丘高等学校の第一回生として皆さんをお迎えできたことを心より嬉しく思います。新入生の皆さんには……」

 

 予想だにしない人物達の姿を目撃してしまう珍事に見舞われた登校初日。早速、結ヶ丘高等学校の理事長から祝辞を頂いていた。

 

 本来であれば、学校のお偉いさんから直々に頂ける言葉をその胸に噛み締めるように聞かなければいけないのだが、そんな中も俺は先ほど遭遇した人物の事を考えてしまっていた。

 

(あれは本当に俺の幼馴染の嵐 千砂都だったのか……?)

 

 先ほど廊下を通り過ぎる時に見えた千砂都らしき生徒。身体的特徴は非常に酷似しており、外見だけであればその通りだと言える。しかし、性格が以前の彼女とは全く異なるものだったのが非常に気持ち悪く思えてしまう。

 

(……でも、今ここで考えても仕方ないか)

 

 もう少し先ほどの少女の事について言及したかったが、今はそんな事を考える時間ではない。理事長からの大変ありがたい言葉を肝に銘じる時なのだ。

 

 だが、理事長の言葉に少し違和感を覚える瞬間もある。『この地に根付く音楽の歴史を、特に音楽科の生徒は引き継いで大きく羽ばたいてほしい』なんて音楽科が華であることを強調されたら、普通科の生徒から反感を抱きかねないのではないだろうか。

 

 まあ体育館で用意されている椅子も音楽科生徒用のものが前に並べられているのに対して普通科生徒のものが後ろにされている時点でその優遇されっぷりは嫌というほど伝わってくるが。

 

 そんな悠長な事を考えていたら理事長の祝辞が終わっていて理事長が降壇していた。しまった、話の大半を聞いていなかった気がする。

 

「理事長、ありがとうございました。続きまして生徒代表挨拶。生徒代表、葉月(はづき) (れん)

 

「はい!」

 

 俺の前の方から大きな声で返事をする女子生徒がいた。

 

 葉月さんと呼ばれた生徒は綺麗な黒髪をポニーテールで纏めており堂々としている姿は同級生とは思えない威厳を放っていた。

 

 そんな彼女は登壇後、こちらへ振り向き一礼すると演台のマイクの前へと立つ。

 

「皆さん、初めまして。結ヶ丘高等学校音楽科M1-Aの葉月恋です。この度は(わたくし)が皆さんを代表して入学に当たっての挨拶をさせて頂きたいと思います」

 

 うーん、堅いなぁ。こういった生徒が代表として挨拶をするというのは至極当然のことではあるのだが、言葉が凄く律儀だ。おまけに自分の事を『わたくし』と呼ぶとは、もしかしてお偉いさんの娘という所か。

 

「私はこの学校をこの町で一番の高校にしたいと考えております。その為に私は勉強はもちろんですが、礼儀や行動に関しても他の生徒の模範となれるようにたゆまぬ努力を続けたいと思っております」

 

 この町で一番の高校にしたい。いきなりスケールの大きい目標を公言し周囲ではどよめきが起きていた。そうなるのも無理はないだろう。入学したてでまだ将来の目標なんて雑把にしか考えられていない年頃だろうにこの葉月さんはそれを既に持っているのだ。しかも、人によっては夢物語だとも揶揄しそうな内容を堂々と宣言しているあたり彼女は俺達と生きてる世界が違うのかもしれない。

 

「勿論これは私自身の目標ですので、皆さんに押し付けるようなつもりはありません。ですが、私と同じように何か大きな目標を持って学校生活に臨むことが折角の高校生活を無駄にせずに有意義に過ごすきっかけになるのではと私は思います」

 

 葉月さんの演説に俺はいつの間にか興味を示していた。自分の価値観を押し付けるようなことはせずに自分の目標であることを強調した上で誰かの道標となれるように学校生活を楽しむためのアドバイスを授けてくれる。そんな事を言ってくれる葉月さんは指導者となるに相応しい人物なのではないかと思わざるを得なかった。

 

「無論、今の時点で夢を持てというわけではありません。この学校生活がより充実したものとなるように自分のやりたい事をこれから見つけていきましょう。こうして巡り会えた皆さんです。この出会いが皆さんに大きな一歩を踏み出させてくれるはずです。私も皆さんの夢を応援したいと思っております。最後には『よかった』と言えるような素敵な学校生活にいたしましょう!」

 

 真剣だった面持ちが笑顔となっており、最後の言葉を言い切ると力強く一礼した。他の生徒に自分の考えを強要せず、歩み寄ろうとするその精神に感服し自然と拍手が出ていた。

 

 その音に呼応するように至る所から拍手が起きて葉月さんの演説が素晴らしかったものだと示しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式が終わった後、自教室に戻り各生徒の自己紹介が始まっていた。

 

「初めまして、湊月 颯翔と言います。元々、歌やダンスが好きでそれを上達させたいと思い、ここに入学しました。今は腰を痛めていてダンスはおろかスポーツも満足にやることが出来ないですが、それでも自分にやれる範囲で努力していきたいと考えています。こんな自分ですが、どうぞよろしくお願いします」

 

 俺が自己紹介を済ませると全員からささやかな拍手が送られてきた。クラスには男子が俺しかいない状況だがそれでも臆せずに堂々としている様子を見て目を合わせた人の大半が笑顔だった。

 

 それに先に自分が腰を痛めていることを宣言しておくことで、周囲の人間も俺に対して少しは気を遣ってくれるようになるだろう。さすが、我ながら策士だな。

 

「はい、湊月くんありがとう。それでは次、葉月さん」

 

「はい」

 

 次の自己紹介は先ほど生徒代表で挨拶をした葉月さんだった。彼女は俺の席の隣であり、結わえられたポニーテールをしならせながら立ち上がった。にしても本当に姿勢が良いなこの人は。

 

「皆さん、先ほども壇上で挨拶させていただきましたが葉月 恋と申します。幼い頃よりピアノやフィギュアスケートを嗜んでおりましてこの学校でもそれを活かして皆さんと一緒に日々成長していきたいと思っております。堅物と呼ばれることが多い私ですが、是非仲良くしていただけると嬉しいです」

 

 生徒全員と目を合わせるように身体ごと振り向いて話す葉月さん。落ち着いた雰囲気も合わせて印象が凄く良い。クラスメイトらも同じことを抱いたようで、笑顔で彼女へ拍手を送っていた。

 

 見るからに才色兼備、加えてピアノとフィギュアスケートをやっているということなので、かなりのお嬢様であることが窺える。身体の線が細いから、そういった所作も凄く映えそうだからいつか見てみたい。

 

「はい、葉月さんありがとう。次は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通りクラス全員の自己紹介が終わり、担任からの連絡事項展開があった後にホームルームが終了した。クラスメイトは気になった生徒同士で会話に華を咲かせていた。外でも早速部活勧誘の為に帰宅する生徒へ声を掛けている者もいた。

 

 俺は特に入ろうとする部活もなかったのでそのまま帰路に着こうかと荷物を纏めていたが、ある人物に呼び止められた。

 

「あの……湊月さん、でしたよね?」

 

 帰宅準備に入っていた所で葉月さんが声を掛けてきた。意外な人物に声を掛けられお互いに座ったままの状態で会話を続ける。

 

「そうですよ、葉月さん。式での挨拶やさっきの自己紹介、良かったですよ」

 

「ふふっ、なんだか照れくさいですね。ありがとうございます」

 

 先ほどの挨拶について改めて称賛を送ると葉月さんは照れを隠すように顔を静かに掻く仕草を見せた。挨拶の時といい、自己紹介の時といい、キリッとした姿が凛々しくてかっこよく思えたが今は年相応の反応を見せてきて、この人と一緒に居ることは飽きがこなさそうだ。

 

「……して俺に何かご用でした?」

 

「あっ、特別な用事があったわけではないですが、こうして席も隣でしたので今後もお世話になるかと思って挨拶をさせて頂きたいなと思いまして」

 

 葉月さんは本当に律儀な人だ。普通であれば、喋るきっかけが発生した時に声を掛け合うくらいの筈だろうがまさか自分から積極的にやってくるとは。

 

「あっはは、そんなに堅苦しくしなくてもいいのに。まあでも、わざわざ丁寧にありがとうございます」

 

「いえっ、これが私なりの挨拶ですので。それよりも腰を悪くされていると仰ってましたけど、部活はどうされるのかは決まってるんですか?」

 

「いや、正直何も考えてないですね。走るのもそんなに出来る訳じゃないので文化系でゆったりとしようかな、なんて思ってるくらいですよ」

 

 体育会系の部活に入りたいのが俺も望んでることだが、身体の不調を考えたらどうにもそれは叶えられそうにない。少し走っただけでも背中に電流が走ったような痛みがやってきてすぐに走れなくなるくらいだからな。

 

「そうですか……。日常生活では特に支障はなさそうですか?」

 

「普通に歩くと階段を昇り降りするくらいなら問題ないですね。にしても、どうしてそれを?」

 

 突然俺の身体の事について質問してきたことに疑問を抱いたが、余計に心配をさせているのだろうか。

 

「ふ、不快に思ってしまったのならすみません。私もダンスを嗜んでいたのでどれ程のものかいずれ見てみたかったなと思ってつい……」

 

「あっ、そういうことですか。別に良いですよ、気にしてませんから」

 

 気にしてない、と口にしたことで葉月さんは安心したような表情を見せる。きっとこの人は他人の事をよく気に掛けてしまう性格なんだろう。優しい態度を取ってくれる姿は俺も嫌いじゃないし、むしろもっと仲良くなりたい気まである。

 

「今はもう長いことやってないですけど、いずれは見せられるように俺も頑張るんでその時はまた声を掛けさせて下さい」

 

「……ふふっ、はい、わかりました。その時はよろしくお願いしますね」

 

 建前なのか本音なのか。言葉の真意は分からないが、葉月さんがここまで所望してくれるのだ。

 

 俺ももう少し努力してみよう、と心の中で誓うのだった。

 

 






凛々しき少女に吹く風は穏風だった。


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悪寒


お待たせしました。

本編6話です。

よろしくお願いします。


 隣の席にいた真面目な少女、葉月 恋さんと仲良くなり、すっかり彼女と話し込んでしまっていたがそのお陰で彼女の意外な素性が分かった。

 

「へぇー、葉月さんってこの学校の創立者の娘さんなんだ」

 

 なんとこの人のお母さん、葉月(はづき) (はな)さんが結ヶ丘高等学校の創立者だったのだ。そんな偉い人の娘とお近づきになれたのはなんと奇妙な縁だろうか。

 

「そうなんです。ですので私も母の創ったこの学校をより発展させたいと思って努力していきたいと思っているんです」

 

「なるほどね……。なんだかより葉月さんの事がよく分かった気がするよ」

 

 そう言って、俺は教室に掛けられた時計を確認する。時間はホームルームが終わってから30分ほど経っていた。流石にこれ以上葉月さんの時間を取るのも申し訳ない。

 

「それよりだいぶ話し込んじゃったし、そろそろお暇しましょうか?」

 

「そうですね。私もそろそろ行こうかと思っていたので途中まで行きましょうか」

 

「おっ、ならそうしようか」

 

 どうやら葉月さんも移動するという事だったので、一緒に教室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても初日から時間取っちゃってごめんね?」

 

 校舎外に出るために階段を降りている最中、俺との会話で大きく時間を取ってしまった事を謝罪する。彼女も楽しんでくれているようには思えたが、それでもこの機にやりたい事とかもあったろうにそれが水泡に帰してしまったように思え、いたたまれない気持ちになる。

 

「いえっ、気にしないで下さい。むしろ私から声を掛けたのですから湊月さんが謝る事ではないですよ?」

 

「そうなんだけど、話を広げたのは俺の方だしな……」

 

「私もお話しするのは楽しかったのでそれでよろしいではないですか。そこまでにしましょう?」

 

 葉月さんがそこまで言ってくれるなら俺も過度に謙遜するのはやめよう。流石にこれ以上言うのは相手も鬱陶しく思うだろうしお互いにいい思いをしない。

 

「分かった。葉月さんがそう言うならこの話はこれで終わりにしようか」

 

 俺は話に区切りをつけると廊下に貼付されていたポスターに目が行った。

 

「あっ、あれって部活動勧誘のポスターかな? ちょっと見に行っていい?」

 

「はい、どうぞ」

 

 葉月さんに一言断りを入れるとポスターの元へと寄った。そこにはテニス部やバスケ部、吹奏楽部に演劇部と有名どころの部活が既に勧誘を開始していた。

 

「へぇー、演劇部とか面白そうだね」

 

「でも、湊月さんはお身体が悪いので厳しいのではないですか?」

 

「そうだけど、ナレーションとかガヤで参戦するとか楽しそうじゃない?」

 

 演劇といえば舞台上を駆け回って観客に見せるのがメインとなるがそうじゃない役での出演するというのも非常に楽しそうだ。

 

 ポスターを見て、そんな事を考えていると俺達の姿を見て、声を掛ける人物がいた。

 

「あっ、葉月さんに湊月くん! お疲れさま!」

 

「日向さん、お疲れさま」

 

 赤銅色の長髪を靡かせるその少女はクラスメイトの日向(ひゅうが) 燈香(とうか)さん。習い事でピアノをやっているとの事だったが、演奏できる楽器のレパートリーを増やしたいという事から吹奏楽部に入るらしい。

 

 物腰が柔らかく、葉月さんとはまた違った清楚系女子と呼べる人だと思う。

 

「二人共、どこの部活に入るか決めてたの?」

 

「いや、そういうわけじゃないけど、どんなのがあるのかなって興味があっただけだよ」

 

「そっか、二人はダンスやフィギュアスケートをやってたって言ってたからそれの延長線上で同系統の部活をやるのかなって思ってたよ」

 

 日向さんはそう言うと、クスッと微笑む。ダンスもやりたいところだが、身体の不調もあるからそれも今はやれないんだよな。

 

「……日向さん、その手に持たれているのは何ですか?」

 

 日向さんと話していると横にいた葉月さんは彼女が持っていた用紙に目が留まっていた。

 

「あっ、これ? なんかスクールアイドル部を発足させようと張り切ってる子がいてね。そのチラシを貰ったの」

 

 日向さんはそう言いながら、チラシをこちらに見せてくれた。そこには『Let's スクールアイドル!』『一緒に始めてみませんか♪』と可愛らしく書かれており他の部活動のそれと同等の完成度を誇っていた。

 

「……スクールアイドル…………」

 

 葉月さんはチラシを受け取り、怪訝な表情を浮かべる。

 

 そんな彼女を尻目に俺はスクールアイドルという単語について言及する。

 

「スクールアイドルって、学生がやるアイドル活動の事だよね? テレビとかでもよくフィーチャーされてるのは見るけど」

 

 スクールアイドルという単語については聞いたことがある。学生が行うアマチュアのアイドル活動で、ライブパフォーマンスや施設のイベントへの参加などテレビで見るようなアイドルさながらの活動を行うものだ。

 

「そうそう。一人で看板やチラシを作ったみたいで、メンバー集めを頑張ってやってたよ」

 

「ふ~ん」

 

 葉月さんがチラシに凝視している横で俺もそのチラシを見つめる。音楽に力を入れているこの学校であれば、そういった事を始めようと画策する人がいてもおかしい話ではないだろう。

 

「良ければ、そのチラシあげよっか?」

 

「えっ? よろしいのですか?」

 

「うん、貰ったはいいけど、私は吹奏楽部に入るつもりだからもし葉月さん達が欲しかったらあげるよ。なんだか葉月さん、そのチラシを食い入るように見てたから」

 

 確かにこのチラシを見てから葉月さんの様子が少しおかしいように見える。俺みたいに大して興味を持っていなければチラシを貰った所で家に帰ったらすぐにゴミ箱へ捨ててしまうが、葉月さんは違うのだろうか。

 

 そんなことを考えていると葉月さんはそっと微笑んだ。

 

「……そうですね、どういった事をやろうとしているのか興味があります。ちなみにこれを配っていた人は今どちらにおられるか分かりますか?」

 

「うーん……。その子、自分が勧誘したそうな女の子を見つけたみたいでその子を追いかけて校庭の方へ行くのは見たけど、それ以降は知らないかな……」

 

 葉月さんは勧誘者の情報を聞き出そうとしたが、日向さんは貰ってからの動向については特に把握してない様子だ。まあ、特定の人物を追いかけていってしまったのであれば、日向さん自身もそれを追うなんてことは興味本位でない限りまずしないだろう。

 

「……分かりました。情報をありがとうございます」

 

「いいよ♪ それじゃあ私はこれで帰るね。葉月さん、湊月くん、また明日ね」

 

 チラシ配布をしていた人の居場所を聞いて満足した葉月さんは一礼して礼を述べた。日向さんも力になれて安心したようで笑顔で手を振りながら踵を返して校舎外へと消えていった。

 

 日向さんが見えなくなったところで葉月さんに今後の動向を確認する。

 

「気になるの? スクールアイドル」

 

「別に興味があるわけではありませんが、こういった勧誘は事前に理事長の承認を貰わないといけません。他の部活動は事前に申請を出していますが、この部活に関しては承認されている話を聞いておりませんので一度直接お話しに行くべきかと思いまして」

 

 そう語る葉月さんの目は随分と険しかった。先ほどまでの笑顔は既に無くなっており温和な雰囲気が既に見る影もなかった。

 

「へぇー、そういった承認が必要なんだ。でも、入学初日だし、いきなりそこまで怒る必要もないんじゃないの?」

 

「別に怒るつもりではありません。ですが、その生徒だけを優遇するわけにはいきませんので事情を説明しに行くだけです」

 

 怒るつもりは無い。葉月さんは口ではそう言っているが、語気が強くなっているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「これは私が処理しておきますので、湊月さんは先に帰って構いません。申し訳ありませんが、これで失礼します」

 

「あっ、葉月さん! ……行っちゃった」

 

 俺の返事を待たずに葉月さんは校舎外へと出ていってしまった。

 

 普通であればここで帰るのがお決まりなんだろうが、先ほどの葉月さんの態度が気になる。部活動のチラシを見ているところまでは温厚な姿だったが、スクールアイドルのチラシを見た瞬間に態度が一変した。

 

 その後の俺と会話していた時も、その表情が戻ることは無かったしスクールアイドルに関して何か確執があるように思える。

 

 それに、勧誘を行っていた少女に対して本当にお説教を始めそうな雰囲気もあったので、流石にそれは誰かが付いていかないとまずい気がする。

 

「……はぁっ、嫌な予感がするし一応付いていくか……」

 

 この心配が杞憂に終わることを祈りつつ、先ほど日向さんが言ってた中庭を探して俺は歩き出すのだった。

 

 





嵐の前の静けさ


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再会、そして別離

お待たせしました。

本編7話です。

よろしくお願いします。


「スクールアイドルかぁ……本気で目指そうとしてるって事はやっぱり美人さんなんだよなぁ……?」

 

 スクールアイドルの勧誘をしていた少女とそれを追いかけていった葉月さんを探すために中庭を散策している中で、俺はスクールアイドルを目指している人がどんな人なのかを想像していた。やはり、アイドルという肩書きが付くのもあるから可愛い人なのだろうか。葉月さんも顔が良い部類に入るから、彼女とどれくらいいい勝負をするのか気になる所だ。

 

 まあ、こんな話は当人たちの前で出来た話じゃないから内に隠しておくんだけどな。

 

「……それなら貴女にも言っておきます。この学校にとって音楽はとても大切なものです。生半可な気持ちで勝手に行動する事は慎んでください」

 

 そんな事を考えていると離れた所から葉月さんの凛とした声が聞こえた。

 

 俺の中の嫌な予感が的中。何が『事情を説明するだけ』なのか。ルールを把握し切れていない新入生に対して掛ける言葉ではないだろう。

 

 やはり付いてきて正解だった。すぐに葉月さんへ待ったを掛けよう。

 

 そう思った矢先、校庭にある階段を降りた先に葉月さんのチャームポイントであるポニーテールを見つけたため、すぐに声を掛けようと思ったその瞬間、葉月さんに反論する声が聞こえてきた。

 

「ちょっと待ってよ。生半可な気持ちってさ、そんなの分からないでしょ? この子がどういった想いでスクールアイドルを始めようとしていたのか知らないのに頭ごなしに否定するのは可哀想でしょ?」

 

 その声を聞いて、思わず足を止めてしまった。いや、声だけで全てを判断してはいけないが、それでもこの真っ直ぐな声は聴いた覚えがある声だった。

 

(……まさかな…………)

 

 俺は気のせい、または人違いであることを信じて葉月さんの元へと近づいた。葉月さんと会話している女子生徒は二人いた。

 

 一人はグレージュのボブカットな髪型をしており、髪の一部が薄紫色に染まっている。先ほどチラシで見た内容と同じように『Let's スクールアイドル!』と書かれているプラカードを持っていたので恐らくこの子が勧誘していたという少女だろう。

 

 そして、もう一人は先ほど教室でも見かけた人物。茶髪を首下まで伸ばし、前髪がくるりと跳ねている特徴的な髪型。そして、キリッとしたつり目から覗かせる紫色の瞳。

 

 間違いなく俺の幼馴染である澁谷(しぶや)かのんだった。

 

「…………っ」

 

 まさかの人物の介入に俺は思わず足を動かせられなかった。今ここで葉月さんの元へ行くという事は嫌でも澁谷かのんと邂逅するという事だ。

 

 幼い頃に突き放された記憶が蘇る。彼女から『大嫌い』とはっきり告げられた夕日の差した時間。千砂都の泣き声、かのんの今にも殺しに来そうだった鋭い眼差し。

 

 正直、出来る事ならば葉月さんを置いて逃げ出したい。自分が無理をしてまで彼女を止める義理もないし、逃げた所で誰にも咎められることもない。

 

 心の中で彼女の存在から逃げようかと思った時、彼女たちの論争する声が聞こえてくる。

 

「……相応しくないからです」

 

「相応しくないって何が? スクールアイドルのどこが相応しくないの?」

 

「少なくともこの学校にとって良いものとは言えないです」

 

「どうしてそう言い切れるのさ! まだ何もしてないのに!」

 

 葉月さんとかのんの言い争ってる声を聞いて我に返る。先ほどの予感は的中しており二人の口論が激化する気配がする。その前に止めないと流石にこの先の生活に支障をきたしそうな気がする。

 

「そんな事、やらずとも結果が見えてます」

 

「だから、そう決めつける根拠は……!!」

 

「……葉月さーん!!」

 

 案の定、二人の口論が激しさを増しているのでついに止めに入ってしまった。二人はこちらを見て言い合いをやめるが、声の主が俺と分かった際の反応は全く異なる。

 

 葉月さんは少し口を開けるのみの些細な反応だったが、かのんは違った。

 

 彼女は俺の事を認識すると葉月さん以上にはっと口を開けており、それに加え目も見開いていた。

 

「…………はー……くん……?」

 

 かのんの声は聞こえなかったが、口の動きでそう言っていることが読み取れた。また、その肉声を聞いたであろうグレージュ髪の少女と葉月さんはかのんの方を一瞥していた。

 

 三人にそこまで近づく必要もないだろうと思い、階段までは下りずその場で葉月さんに声を掛ける。

 

「……教室で先生が探してたってさ。行ってあげたら?」

 

 俺は咄嗟に考えた嘘で葉月さんをその場から立ち去らせようとする。かのんがいなければちゃんと指摘するつもりだったが、早く彼女の前から立ち去りたいと思ってつい出まかせが出てしまった。

 

 だが、そんな俺の嘘に葉月さんは疑う様子もなく、小さく頷いてみせた。

 

「……そうですか、分かりました。すぐに向かいます」

 

 その後、葉月さんはかのん達の方へと顔だけを振り向かせ、

 

「とにかく今日はもう帰って下さい」

 

 とだけ言い残し階段を上がり教室がある方向へと足を運んだ。

 

 とりあえず火種を消すことは出来たので、小さく一息つく。ここに居座る理由もないため早々に退散しようと葉月さんが向かった方向へと踵を返そうとする。後で葉月さんからお叱りを受ける前に事情を説明しなくてはいけない。

 

「……待って!!」

 

 この場を後にしようとした時、後ろから階段を駆け上がる音と共に呼び止める声がした。

 

「……君、はーくんだよね? ()() ()()だよね!?」

 

 かのんは俺の特徴を見て、俺が初めてここでかのんを見た時と同じ直感がしたのか幼馴染の湊月 颯翔であることを確認する。

 

 そう確認され、俺も足を止める。

 

「……それがどうした?」

 

 かのんからの問いに肯定も否定もしなかった。いや、そうだと言いたくなかった自分がいた。

 

「やっぱり……はーくんもここに来てたんだね」

 

 否定しない俺を本物だと認識したのか、かのんは少し安心したような声色で話しかけてきた。

 

「……俺は別にお前と会いたくなかったけどな」

 

「……そ、そうだよね……」

 

 かのんの方へ向きながら、過去に彼女から告げられた事を掘り返させるように嫌味を言うとかのんもたじろいだ様子を見せる。まじまじと彼女を正面から見たが、小学校の頃よりもやはり身長も伸びて体つきも女性らしくなっていた。

 

「お前、普通科なんだな」

 

「う、うん」

 

 かのんの制服姿を見て、普通科の物であることを確認する。かのんがそれに対して肯定の意を見せると、俺は嘲笑を浮かべる。

 

「……()()()()()()? ()()()()

 

「…………っ!」

 

 かのんがここに来るとすれば音楽の勉強をする為にここに来たはず。それなのに音楽科の制服ではなく普通科のそれを着ているという事は、つまりそういうことだ。

 

 俺からの賛辞を煽りだと理解したかのんは眉を顰めて力いっぱい歯軋りする。

 

「……なっ……何さ、その言い方!? 自分が音楽科の制服を着てるからって!!」

 

「これは俺が自分の力で掴み取った結果だ。それをお前は掴み取れなかった、ただそれだけだろ?」

 

 俺は嘲笑から冷淡な表情へと変わっていく。これが自然の摂理だ。この世は時の運にも左右されるが最後は努力したものが報われる。かのんは努力が不足しており、その詰めの甘さが露呈した結果、不合格となった。

 

 実際にかのんが音楽科の試験に挑んだかどうかは知らないが、彼女の激昂っぷりを見ればそれが事実だということはすぐに分かる。

 

「そ、そんな言い方……流石に……!」

 

「……流石に……?」

 

 流石に酷い。そう言いかけたのだろうが、俺はかのんが漏らした言葉に有無を言わせずに反応し彼女の方へと身体を振り向かせた。

 

「お前……昔、俺の事を歯に衣着せぬ物言いで突き放しておきながら、今更よくそんな甘ったれたことが言えんな?」

 

「……そ、それは……」

 

 昔かのんが俺にしてきた事を巡り巡って彼女に正論として返す。

 

 かのんも何も言えず苦痛に満ちた表情を浮かべる。

 

「もう、お前の事を幼馴染とも何とも思ってねえよ。俺もお前の事が()()()だからな」

 

「…………っ!」

 

 あの時言われた言葉をそっくりそのままかのんに言い返す。このまま幼馴染という関係を終わらせるようにオブラートに包む事なくはっきりと。

 

「……じゃあな、澁谷」

 

 俺たちの関係性を変化させた事を示すようにかのんの呼び方を変える。かのんは何も言わずにその場で立ち尽くしているのみだった。

 

 そして、葉月さんの元へ向かおうと俺はその場を後にするのだった。

 

 

 

 




再会した二人を引き離す花嵐。


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相棒


お待たせしました。

本編8話です。

よろしくお願いします。


 かのんと仲違いして彼女の視界から消えるために校舎の陰へ隠れた俺は校舎の壁に寄りかかり、深いため息をついていた。

 

「……はぁっ……」

 

 何故にこうなってしまったのか、自分でも分からない。かのんから嫌いと告げられてから彼女のことを心底嫌悪していると自覚していたつもりだった。だが、いざ彼女への想いをぶつけた時、僅かながらに胸の奥が痛む感覚がしたのだ。

 

「本気であいつの事を毛嫌いしていたはずなのにな……」

 

 自分がどうしてここまで感傷的になっているのか分からない。だが、口に出してしまった事による後悔が残っているのは事実だ。

 

 一人で自責の念に駆られていると声を掛けてくる人物がいた。

 

「……彼女と何かあったのですか?」

 

「おわぁ!? なんだ、葉月さんか……」

 

 遠くを眺めながら黄昏ていたら、突然横から葉月さんが呼びかけてきて思わず距離を開けてしまった。無警戒だった俺も悪いけど、流石にこっちへ戻って来てるとは思わなかった。

 

「すみません、彼女が湊月さんの事をはーくんと呼んでいたことが気になってしまって、盗み聞くようなことをしてしまいました」

 

「えっ……。ということはさっきのやり取りも……?」

 

 俺の問いに葉月さんは無言でコクリと頷いてみせる。どうやらかのんとのいざこざについて一部始終を盗聴されていたみたいだ。

 

 でも、聴かれてしまったものをどうすることも出来ないので、俺は髪を掻きながら腹を括る様子を見せる。

 

「まぁ……その……あれだ。葉月さんがスクールアイドルと確執があるのと同じもんだよ」

 

「えっ!? 別に私はそのような事は……!」

 

「あるでしょ? じゃないと、スクールアイドル同好会の発足にあそこまで批判することもないと思うけど」

 

「……それは……」

 

 葉月さんも半ば強引に話を進めていた自覚があるようで、俺の正論にぐうの音も出ないようだ。しかし、俺は彼女の過去について詮索する気は毛頭なかった。

 

「……なぁ、この話はここまでにしようよ? 葉月さんが自分の過去を知られたくないのと同じように俺だって自分の過去を話したくないんだ」

 

「……そうですね。ここは私たちだけの秘密という事で不問にしておきましょう」

 

 俺からの提案に葉月さんも頷いて賛同の意を示す。すると、俺はあることを思いついた。

 

「それと、葉月さん。これからはもう少しフランクに話さない? 図らずともお互いの秘密に触れてしまったけど、逆にそれはお互いの事を知るきっかけにもなったんだし、俺はそうしたいと思うんだけど、どうかな?」

 

 俺は葉月さんの固い口調を崩すように提案する。というのも俺自身彼女の真面目な性格に感化されて口調が固くなってしまうのだ。自分がもう少しラフに話したいという願望もありつい彼女へそんな提言をしてみたが果たしてどうなのだろうか。

 

「そうしたいのは山々なんですが、私もこれが板についてしまっていると言いますか……中々改善するのは難しいと思います。ですが、気の置けない関係に少し近づけたような気がするのは私も感じています」

 

 葉月さんは相変わらず固い口調で話しているが、それでも彼女の雰囲気は少し柔らかくなっているように感じる。

 

「ですので、私もそれなりの誠意を見せる必要があると思いますので、親しみを込めて()()()()と呼ばせてもらいますがよろしいですか?」

 

 湊月さんと呼んでいた彼女が誠意を見せるとして呼び方を少し変えてくれた。そこまで真剣に考えずともいいと思うが、呼び方が他人行儀なそれから進展しているように感じて、俺は少し嬉しくなる。

 

「ふっ、好きに呼んでいいよ。じゃあ、俺も……恋さんって呼んでいいか? いきなり名前で呼ぶのは馴れ馴れしいかもだけど……」

 

 

 葉月さんが湊月くんと呼んでくれたお返しとして、俺も恋さんと呼ぶことに問題が無いか確認する。入学初日でそこまで親密な関係にもなっていないのに名前で呼ぶなんて恐れ多い気がするが、葉月ちゃんや恋ちゃんなんて呼ぶのはそっちの方が図々しい気がするのでこの呼び方が安泰だと感じた。

 

 だが、異性からいきなり下の名前で呼ばれるのも抵抗がある人がいると思うので葉月さんの様子を伺うが、彼女は嫌な顔を見せることなく久々に笑顔を向けてくれた。

 

「ふふっ。はい、私は構いませんよ。これからもどうぞ仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いしますね、湊月くん」

 

 たった一言で恋さんは了承し笑顔で手を差し伸べてくる。呆気なく了承されたことに俺は拍子抜けし、つい失笑してしまう。だが、入学して早々に気の置けない人物が出来たことに俺は安心する。

 

「あっはは、なんだか気を張りすぎてたこっちが情けねえな。こちらこそよろしくな、恋さん」

 

 そう言って、俺は差し出された手を握り返し握手する。

 

 良い雰囲気のまま、今日一日を終えられそうになったが、恋さんはとあることを思い出した。

 

「では、教室の方へ向かいましょうか。先生が私を呼んでいたんですよね?」

 

「えっ」

 

 かのん達から遠ざけるために放った嘘を思い出し、恋さんは手を離して教室へ向かおうとする。だが、実際はそんな事実など一切ないためどう弁解しようか思考を巡らす。

 

「どうしたのですか? 何か不都合でも?」

 

「あぁー……あれは……嘘と言いますか……」

 

「……湊月くん」

 

「は、はい!」

 

 変に話を拗らせる方が面倒になりかねないと思い、素直に嘘だったと自白する。だが、恋さんは笑顔ではなくなっており真顔でこちらの名前を呼ぶ。

 

 唐突に名前を呼ばれ、思わず姿勢を正しながら元気に返事をしてしまう。

 

「……薄々そんな予感はしました」

 

「……へっ?」

 

 恋さん直々のお説教が始まるかと思いきや、意外な発言に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 

「先生から呼ばれたと言っていたのに貴方は全く教室へ連れて行かそうとしないじゃないですか。ですので、そういった事だったのかと……」

 

「……あれっ、俺もしかして……鎌かけられた?」

 

 俺の予想に正解と示すようにコクリと頷いてみせる恋さん。この人、バカ真面目かと思いきやかなりの策士か。

 

「恋さん、流石に酷くね!? だったらそんな事言わなくてもいいじゃねえか!?」

 

「み、湊月くんが余計なお節介を働かせようとするからこうなったんです! まずは自分の事を反省してください!」

 

 俺の必死の反論に自分も同罪だと恋さんは少し声を荒げて反撃してくる。

 

 だが、すぐにお互いの間に沈黙が訪れ、流れるような空気の変わりように思わず二人して笑いが込み上げてしまった。

 

「……ぷっ、あっはは! なんだか馬鹿らしく思えてきた」

 

「……ぷっ、ふっふふ。奇遇ですね、私も同じことを考えてました」

 

 ひとしきり笑ったので軽く息を吐くと気持ちが落ち着いてきたのが分かる。

 

「なんか、恋さんのお陰でここでの生活が楽しくなりそうだわ」

 

「私もそんな予感がしてます」

 

 お嬢様のように手を前で合わせている恋さんもそう同意して微笑んでくる。彼女の純真な笑顔に少し照れが出てきてしまい、思わず目を反らす。

 

「その……改めてこれからもよろしくな?」

 

「こちらこそ改めてよろしくお願いします、湊月くん」

 

 思わずもう一度挨拶を交わしてしまうが、恋さんはバカにする様子もなく頷いて返事をしてくれる。

 

 かのんや千砂都と思しき人物と出会ってしまいこの先どうなってしまうのかと肝を冷やしていたが、恋さんという最初の友人を見つける事が出来て気分が高揚してしまう。

 

 そんな俺達の関係を祝すように桜の花びらも優しく俺達の頬を撫でるのだった。

 

 

 




この地で巡り会った二人の縁、それは縄よりも固し。


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第1章『月の傍で輝く小さな瞬き』
貴方はあの子と


お待たせしました。

新章のスタートです。

よろしくお願いいたします。


 波乱のあった入学初日を終え、学校生活二日目。

 

 この日は特に授業は無く各教科のオリエンテーションのみだった。学校生活が始まってまだ一日しか経っていない、且つ授業の内容も大した内容ではないのに俺は途轍もない疲労感に襲われている感覚がした。

 

 それもそのはず。昨日は隣同士の席である結学の創立者の娘さんである葉月の恋さんと奇妙な縁から仲良くなり、それと同時に幼馴染であるかのんと接触してしまった。早々からイベントが盛り沢山となっていて落ち着かなかったのだ。

 

 おまけに千砂都らしき人物もいるという事で暫くは気が休まることはなさそうだ。

 

「ふぅ……」

 

 帰りのホームルームが終わり各々が帰宅する準備を行う中、俺は椅子に座り直してため息を吐いていた。

 

 すると、日向さんが俺に声を掛けてきた。

 

「お疲れさま、湊月くん」

 

「あぁ、お疲れ。日向さん」

 

「ふふっ、なんだかすごく疲れてるような顔してるね? 昨日何かあったの?」

 

 気を張るような事をしていないのにため息を吐いていた俺を見て日向さんが笑いかけてくる。

 

「まぁ、スクールアイドルの事で恋さんがひと悶着起こしかけただけだよ」

 

「ひ、ひと悶着とは何ですか!? 湊月くんだってその生徒と口論していたじゃありませんか!」

 

 昨日の出来事を冗談交じりに日向さんへ説明すると、横で荷物を片付けてた恋さんが赤面しながら反論してくる。

 

「いやいや、ひと悶着起こしてたのは事実じゃねえか!?」

 

「そ、それは……そうですが……! でも、貴方も大概でしょう!?」

 

「……ふふっ」

 

 周囲をそっちのけで口論をかます俺達を見て日向さんはクスリと笑い声を上げていた。おかしな要素がどこにあったかも分からず俺と恋さんは二人揃って日向さんへ目を向けた。

 

「ひ、日向さん、何かおかしかった?」

 

「なんだか葉月さんと湊月くん、二人の呼び方が変わってるしもうかなり仲良くなったんだなって思って、びっくりしちゃった」

 

「えっ? まぁ……言われてみれば……確かに……」

 

 俺はそんな事ないだろと思いながら振り返ったが日向さんの言っていることが全くその通りでぐうの音も出なかった。

 

 きょとんとしていると日向さんは羨ましがるように脱力しながら自分の机で頬杖をつく。

 

「ふふっ、私も二人と早く仲良くなりたいから頑張らないとね♪」

 

「頑張るって……そんなに気張らなくても良いと思うけど?」

 

「そうですよ。これからも沢山お世話になることもあるでしょうし、初日からこういった状態になる私たちが異常なだけですから」

 

 日向さんの『仲良くなるために頑張る』という発言に二人で補足を入れる。

 

 俺達の関係は図らずにこうなってしまったわけで意図的に発展したものかと言われればそうではない。かのんやスクールアイドルとの関係を偶然知ってしまったからこそ発展してしまったのみなので他意があるわけではないのだ。

 

 恋さんも同じことを思っていたようだったが、それよりも彼女の発言に引っかかるものがあったのでそれを確認したくなった。

 

「異常なのは俺だけって言わないのは優しさと捉えていいのか?」

 

「……好きに捉えて下さい」

 

「ふっ、じゃあ恋さんのお優しい言葉と捉えておきま~す」

 

「……なんだか癪に障るような言い方ですが……まあいいでしょう」

 

 自分も含めて異常だと冗談交じりに言う恋さんに子供っぽくからかいように笑うと恋さんはジト目で睨みつけながら不問とした。

 

 日向さん、恋さんと三人で話しているとクラスメイトが俺に声を掛けてきた。

 

「湊月くん、お客さんが来てるよ?」

 

「えっ、俺に?」

 

 入学早々で呼び出される要素が見当たらず困惑していたが、クラスメイトが見ている教室の扉の方へ顔を向けるとそこには見覚えのある少女の姿があった。

 

 グレージュのボブカットに髪の一部が薄紫色に染まっている特徴的な髪型。そして、垂れ目の中から覗かれる水色の瞳は見ていると吸い寄せられそうになってしまうくらい眩しく輝いている。紛れもない、昨日顔を合わせたスクールアイドルの少女だ。

 

「あの子、なんで俺の所に?」

 

「さぁ……? いきなり湊月 颯翔さんはいますか、って聞いてきたから」

 

「ふーん、分かった。ありがとうね」

 

 わざわざ呼んでくれたクラスメイトに感謝を述べると、椅子から立ちあがり少女の元へと向かった。

 

「やあ、お待たせ。君は昨日澁谷と一緒に居た……」

 

「はい、(たん) 可可(くうくう)と言いマス! ミツキ ハヤトさんデスよね? いきなり呼び出してすみまセン」

 

「唐さんね。別に気にしないで良いですよ。それより名前といい、その喋り方といいもしかして外国の方?」

 

 唐 可可という日本人にしては珍しい名前、それに加えて日本語の喋り方が拙い事もあり日本人ではないことが窺えたのだ。唐さんは俺の問いに真っすぐにうんと頷いた。

 

「ハイ! ククはスクールアイドルになるために上海からやってきマシタ! これでも日本語は勉強してきたのデスが、やはり変でショウカ?」

 

「いや、多少拙いのも唐さんらしくていいと思うけど。それに結構上手だし」

 

「そうデスか? いやぁ、そう言われるとクク照れてしまいマス……!」

 

 包み隠さずに賛辞を述べると唐さんはいやはやと頭を掻いていた。感情が豊かで凄く素直な性格に見て取れる。

 

「それで、俺に用って何かあった?」

 

「はっ、そうデシタ! 実はクク、オリイッテハヤトさんにお願いがあるんデス!」

 

 話を俺を呼び出した事情に戻すと、唐さんも目を一瞬見開いて論点が変わっていることを察知する。そして、同時に俺に相談があったことを打ち明ける。今まで話したこともない唐さんから直接の相談という事もあって俺は薄々どんな相談をされるのか予想が浮かんでいた。

 

「……それってスクールアイドルのこと?」

 

「そ、そうデスが……な、ナゼにそれを!? もしかしてハヤトさんはエスパーなんですか!?」

 

「別にそういうのじゃないよ。昨日、論争してたの聞いたでしょ?」

 

 唐さんもあの場に居合わせていたので多くは語らずとも察してくれるだろうと俺は昨日の出来事を端折りながら説明する。

 

 俺の意図を汲めたのか唐さんも眉を下げながらコクリと頷く。

 

「ハイ、それを聞いた上でククはハヤトさんにお願いしたいんデス! ハヤトさん……。ククと一緒に、スクールアイドルを始めてくれマセンか?」

 

 何が『それを聞いた上で』なのか。それの意味することが俺には全く理解が出来なかった。

 

「いや、ごめん。言ってることが分からない。なんで俺と澁谷が喧嘩していた所を目撃しているのに唐さんは俺を引き込もうとするの?」

 

 スクールアイドル部に入る事など微塵にも考えていないが、仮にその可能性があったとしてどうしてかのんと犬猿の仲である俺を誘おうとするのかどうにも分からずじまいだ。

 

「実は……かのんさんもスクールアイドルに関しては乗り気じゃないのデス。デスが、かのんさんは凄く歌が上手で初めて聞いた時この人は歌が大好きなんだと肌で感じマシタ!」

 

 どうやら唐さんはかのんも既に勧誘しており、それを断られているようだ。かのんが唐さんの誘いを断る理由については大方想像がつく。

 

 過去に参加した音楽会であいつは沢山の人から見られる緊張のせいで歌うことが出来ずに倒れてしまった。それから重度の上がり症になってしまい人前で歌う事が出来なくなってしまったのだ。

 

 昔は俺や千砂都の前でギターを片手に歌を披露していたが、唐さんに歌を聞かれているという事は現在は聴く人がいなければ歌う事は出来るらしい。

 

「かのんさんは他にスクールアイドルをやろうとシテいる人を探してくれてイマスが……それでもククはかのんさんと一緒にやりたいと思ってマス……。デスから……!」

 

 唐さんは初めてかのんの歌を聞いた時から彼女にぞっこんのようだ。確かに憧れの人と一緒に何かをやりたいと思うのは当然の事で唐さんの場合はその人物がかのんであっただけのことだ。

 

 だが、かのんへ掛ける情熱を聞いた所で俺の心が変わることは無い。

 

「……悪いけど、それでも俺は手を貸すつもりは無いよ」

 

「ど、どうしてデスか!?」

 

「唐さんが澁谷をスクールアイドルに引き入れるために色々と画策していることは分かった。それでも、俺があいつに関わる必要は無いし、あいつの為に協力する義理もない」

 

 俺はかのんとの縁を切った。それは相手が俺を突き放したからこそ自分も同じことを相手にしたまでのこと。唐さんがかのんのことで困っていたとしても、俺にとってはもう関係なくどうでもよいことだ。

 

 かのんに対して非情に徹する俺を見て、唐さんは狼狽しつつも負けじと反論してくる。

 

「ハ、ハヤトさんは……かのんさんの幼馴染なのデショウ!?」

 

「……違う!!」

 

「……っ!?」

 

 唐さんが発した幼馴染という単語。唐さんがどうして俺とかのんの関係について知っているのかは分からない。大方かのんから聞いたのだろうが、そんな事はどうでもよかった。

 

「聞いただろ? 俺はあいつを幼馴染だと思ってないと……あいつの事が大嫌いだと」

 

「…………」

 

「そんな奴に手を貸すなんて……真っ平ごめんだ」

 

 昨日かのんに突きつけた言葉をもう一度復唱する。そして、自分にもそう言い聞かせるようにその言葉を反芻させる。

 

「デスが……!」

 

「湊月くん、そこまでです」

 

 まだ物申そうとする唐さんに恋さんが待ったを掛けた。

 

「……恋さん」

 

「多くの生徒がいる中で妙な諍いは起こさないで下さい。貴方が大きな声を出して他の生徒も困惑しています」

 

 恋さんの指摘を受けて周囲を見渡す。不穏な空気を感じてひそひそと話をする生徒や突然の怒声にびっくりして目が点になっている生徒など明らかに動揺が浸透しているようだった。

 

 反射的とはいえ感情的になってしまった己を恥じ、自分の席へ戻ろうと踵を返す。

 

「……ごめん」

 

「あっ……ハヤトさん……!」

 

「……とにかく話は終わりだ。もう……来ないでくれ」

 

 呼び止める唐さんへ背中越しにそう語り、俺は自席へ戻る。俺がもう話を聞かないと判断した唐さんも何か言いたげな表情を残しつつ教室を後にするのだった。

 

 




少年の胸に残った深いしこり


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邂逅、そして約束


お待たせしました。

早いもので本編は10話です。

それではどうぞ。


「おかえり、湊月くん。大変だったね」

 

 唐さんとの話も終わり、席へ戻ると日向さんが労いの言葉を掛けてくれた。

 

「あぁ、ありがと。にしてもダサい所見せちゃったなぁ……」

 

「そんな事ないよ。それよりもあの子はスクールアイドルをやろうとしてる子だよね? どうして湊月くんに?」

 

 日向さんは先ほど唐さんがいた方角を見ながらそう聞いてきた。唐さんの事を知ってるという事は彼女もあの子からチラシを貰ったのだろう。

 

「まぁ、スクールアイドル部への勧誘もあるけど、もっと別の理由があってなぁ……」

 

「そっか……なんだか湊月くんも大変なことに巻き込まれちゃった感じだね」

 

「そうなんだけど、気になったりしないの? 俺の事について」

 

 かのんとの諍いをあまり公言したくないので詳細の内容を伏せて話したのだが、日向さんはそっかと微笑みながら返事をした。他人の人間関係というのは興味本位で首を突っ込みたくなってしまうのが人間の性だと思っていた。言及されたら面倒だな、と密かに危惧していた俺にとって日向さんの反応は拍子抜けだった。

 

「えっ? まあ、気にならないわけじゃないけど湊月くんが話したくなさそうだったしあんまり追究しようとするのも迷惑かなって思って……」

 

 どうやら日向さんは神妙な表情になっている俺を見て気を遣ってくれたようだ。なんだか申し訳ない気持ちになるが、今だけはこうしてそっとしてくれるのは助かる。

 

「日向さん……。ありがとう」

 

「ふふっ、別にお礼を言われることは無いんだけどな~」

 

「全く……湊月くんはもう少し時と場を考えて下さい」

 

 気遣ってくれた日向さんにお礼を伝えていると恋さんがこっちへ戻ってきて早速彼女からありがたいお叱りを授かった。

 

「いやぁ……つい出ちまってさ……。でも、恋さんあそこで話を無理矢理止めてくれて助かったよ」

 

「な、何故お礼を述べているんですか!?」

 

 突然俺から感謝の言葉を向けられて恋さんは状況が分からず赤面する一方だった。

 

「だって、あのまま話を続けてたら平行線のままで終わらなかったし俺の事情も鑑みて助け舟を出してくれたんでしょ?」

 

「わ、私はそんなつもりで出した覚えはありません! 本当に他の生徒の邪魔になってしまうからこそ指摘しただけであって……!」

 

 恋さんは説得力のある便宜を並べて俺の心情など関係ないと説明するが、彼女のリアクションがその説明を破壊しているので糠に釘を打っているも同然なのだ。だが、恋さんが自分の意見を曲げないことは分かっているので自分が折れる事で話に区切りをつける。

 

「はいはい、そうするよ」

 

「湊月くん、どこか行くの?」

 

 突然荷物も持たずに教室を去ろうとする俺を見て日向さんが声を上げる。

 

「ちょっと気持ちを整理したいから、外で風を浴びてくる」

 

 日向さんと恋さんの方へ笑顔を向けながら答えると俺はそのまま教室を去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が向かった先は校舎の屋上だった。

 

 ここは放課後となれば利用する人もいないため、一人で考え事をするには十分ではないかと考えた。そして案の定、この場には誰もおらず俺一人で独占できる状態となっていた。

 

「はぁ……昨日のかのんとの事といい……唐さんとのやり取りといい……面倒事が多すぎねえか……」

 

 フェンス越しに運動場を眺めながら、俺は今自分の胸中に渦巻いている感情を素直に吐露した。かのん達と別れてから、誰かの為ではなく自分の為に自分の好きな音楽を突き詰めていきたいと思い、この学校に入った。だが、神様のいたずらなのかかのん達とのしがらみがここにきて復活しているのだ。

 

 接触を図ってきたかのんの事を突き放したは良かったものの唐さんは意外としぶとく、暫くは彼女からの勧誘が後を絶たないだろう。そうなった時にどうやって切り抜けようかも考えなくてはいけない。

 

 毎度恋さん達に頼っていたら流石に申し訳ないし、自分の力でどうにかしなければいけないがその方法が思いついていないのが現状だ。唐さんがこっちへ来る前に早々と退散するのが吉なのだが、毎度出来る事かと言われればそうとは言い切れない。

 

「どうしたもんかなぁ……。……ん?」

 

 最適解が浮かばず黄昏ていると不意に誰かの視線を感じた。運動場から目を反らし校舎内へ繋がる扉の方へ身体を向けるとそこには見覚えのある少女が立っていた。

 

「あっ……。あっはは……こんにちは……」

 

 不意に身体を動かしたからか少女は隠れようにも反応することが出来ず視線が合ってしまい、苦笑いをしてお茶を濁す。白い髪をお団子に結わえ、赤い瞳がクリっとしているその少女、昨日見た人物や昔会った人物と相違が無いことに確信を持ててしまった。

 

「……千砂都……」

 

「久しぶりだね……颯翔くん」

 

 俺が『千砂都』と呼んだことに否定せず相手も俺の名前を呼んでくる。この会話だけで今まで抱いていた疑問は確信へ変わっていた。

 

「かれこれ3年経ってんだもんな。千砂都がそんなに変わってなくて逆に安心したよ」

 

「え~? 私は颯翔くんを見た時、男らしくなったなぁって思ったのにそれは酷くない?」

 

「……まぁ、多少なり女らしさは出てるか?」

 

「なんでそこで疑問形なのー?」

 

 幼馴染との感動の再会に口元を緩めるが変にしんみりさせたくないので少し冗談を交える。千砂都もそれを感じ取ってくれたらしく困り顔をしながらも笑いながら返事をしてくれる。

 

 初めて千砂都と会った日。かのんが彼女を『ちぃちゃん』と呼ぶからそれに倣う形で『ちーちゃん』と呼んでいた時、あの頃の千砂都はとにかく人見知りで自分から提案したり話しかけたりすることが苦手な少女だった。小学校の頃もその癖はあまり抜ける様子を見せなかったので、現在も同じものだと思っていた。

 

 それが現実はどうだ。相手の冗談も笑顔で受け答えするし恥ずかしそうにする素振りも見せない。昔の彼女の面影が残っていないのだ。知らぬ間に人懐っこい性格へ変わっていることに俺は改めて驚きを隠せなかった。

 

「……随分と性格変わったな」

 

「……うん、色々あったからね」

 

「……お互いにな」

 

 先ほどの和やかな空気から一変し少し真剣な声色で話すと千砂都も察したように声色を変える。千砂都が言う『色々』というのはあの時の事やそれ以後の事を示唆しているのだろうか。

 

「どうして千砂都はここに?」

 

「さっき颯翔くんの教室の方で口論してるのが聞こえてさ。それを覗きに行ってみたら颯翔くんらしき人がいたからもしかしたら、って思って」

 

「はぁっ……やっぱりさっきのやつ聞かれてたか」

 

 千砂都がここに来た理由、それは案の定教室の前で繰り広げた唐さんとの論争だ。隣のクラスにまで俺の怒声が響き渡っていたみたいで彼女も気になって見に来てしまっていたらしい。

 

「あの人、かのんとの関係について知っててさ。何も協力するつもりは無いって言ったんだけど全然退かなかったんだ」

 

「……やっぱりさっきの言葉は……」

 

 唐さんとのやり取りを掻い摘んで話すと千砂都は何かを察したようだった。恐らく唐さんに言い放ったあの言葉を聞いてしまったのだろう。

 

 千砂都の言葉に無言で頷くと顔を俯かせ謝罪を述べる。

 

「……ごめんね。私があの時颯翔くんにあんなことをさせてしまったばかりに……こんなことに……」

 

「……それは違う」

 

 謝罪する千砂都に俺は言葉を被せる。あの時、というのは紛れもないかのんから突き放されたあの頃の事だ。

 

「あれは俺のやり方が間違ってたんだ。その結果、俺も怪我をしちまったし、あいつとの関係もここまで拗らせてしまった。千砂都が謝る事じゃない」

 

「……あの時の怪我は……まだ残ってる……?」

 

「……あぁ」

 

 千砂都が言う怪我、それは今も俺を苦しめている腰の事だ。あの怪我が今も残っておりダンスを辞めざるを得なかった。

 

「……そっか」

 

 俺の答えに千砂都はただ一言、そう返すことしかできなかった。いや、どういった言葉をかけても俺が受けた傷は癒えないし、消える事は無いのでそう呟くことしかできなかったのだろう。

 

「まぁ、千砂都が気にすることじゃないから、そんなに気を落とすなよ。それよりあいつにはお前しか頼れる人間がいないんだ。あいつの事、しっかりと助けてやってな」

 

 俺は段々と居心地が悪くなってしまい、屋上を去りながら千砂都に助言する。かのんとの縁を切った今、彼女が信頼を置く人物は千砂都しかいないのだ。

 

 校舎内へ入り階段を降りようとしたら千砂都に引き留められた。

 

「……颯翔くんは……」

 

「ん?」

 

「……颯翔くんの事は……誰が助けてあげるの……?」

 

 千砂都は泣きそうな表情をしながらそう訊く。今まで千砂都とかのんとの三人で一緒に行動することが多かった。だからこそ俺達三人はそれぞれに深く信頼を置いていた。しかし、千砂都がかのんの側に立ってしまえば俺を支える人間がいなくなってしまう。ここで俺が独りになってしまうのでないか、と千砂都はそれを心配してくれている。

 

 不安そうな千砂都を見て、はぁっとため息を吐き彼女の方へと踵を返す。そして、彼女の右肩へ手を優しく置く。

 

「俺は大丈夫だ。クラスメイトに信頼できる人がいる。その人らに助けてもらうさ」

 

 俺は千砂都に余計な心配をさせないように笑顔になる。今の俺には自分と同じように過去にしがらみを持っている恋さんや近くで支えようとしてくれる日向さんがいる。彼女らがあればひとまず不自由になることはない。

 

「だから、あいつの事は任せたぜ」

 

 千砂都にかのんを託して俺は階段を降りる。二人しかいないこの場で、階段を降りる毎に響くローファーの音だけが二人の耳朶を刺激するのだった。

 






白き少女と交わす小さな約束




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助けてくれる人


お待たせいたしました。

2週間ぶりの更新となってしまいました。

それでは本編をどうぞ。


 

 小学校の幼馴染である千砂都と校舎の屋上で再会した後、俺は彼女に別れを告げ校舎内に戻っていた。

 

 教室に鞄を置いたまま出てしまったため、教室まで戻らないといけない。

 

 ゆっくりと階段を降りている最中、ふと窓の外に目を向けるとそこには夕陽が照らされており校舎内を橙色に染めていた。いや、先ほど千砂都と話していた時から既に染まりつつはあったが、校舎内で改めて意識を向けるとその景色の美しさに言葉を失っていた。

 

「いつか見たあの日も……こんな景色だったな……」

 

 この景色を見て俺が思い出したもの、それは幼い頃の記憶だった。かのんと初めて出会った時の事、千砂都と友達になった時の事、そして、二人と疎遠になるきっかけとなった事。どこからともなく俺の脳内にやってきて感傷に浸らせてくる。

 

 二人と離れ離れになってからここまでノスタルジーになることはなかったのに、何故今になってこんなにも思い出してしまうのだろう。あの二人と再会したからこそ、神が俺に与えた試練ということだろうか。

 

 神様という架空の人物を信じる事は毛頭なかった俺だが、あいつらとこの場所で再会してあまつさえ同じ学校に通うなんて芸当を見せられたらその存在を信じて土産でも用意しなければいけないような気がしてきた。

 

 だが、郷愁にかられるのもそこまでにして無意識のうちに止めていた足を動かしだす。校舎内には人っ子一人も声が聞こえず、俺が履いているローファーの音だけが静かに反響していた。

 

「あっ、湊月くん。やっと戻ってきましたね」

 

「恋さん? まだ残ってたの?」

 

 教室のあるフロアまで戻ると恋さんが扉の前で自分のとは別で鞄を持ちながら立っていた。

 

 既に教室の扉が閉まっており、中に誰もいない様子が分かると恋さんがここで待っていた意味が理解できた。

 

「……もしかして……俺を待ってた?」

 

「……それ以外に何があるというのですか?」

 

「……それは面目ない……」

 

 目を細めながら悪態をつく恋さんに俺は反論の言葉すら見つからず素直に謝罪する。

 

 清々しいほどに真っすぐ頭を下げる俺を見て恋さんは軽くため息を吐くと鞄を差し出してくれた。

 

「はぁっ……。本当に申し訳なく思っているのなら早く戻ってきてください。貴方が帰ってこない限り私も帰れなかったんですから」

 

「それは悪かった。でも、それなら鞄を扉の横とかに置いて先に帰ればよかったのに」

 

「いくら私でも友人の私物に対してそこまで粗雑な扱いは出来ません!」

 

 確かに、人へのお節介を焼くことが好きそうな恋さんなら他人の荷物を置いてどこかへ行くなんて苦手そうだ。ましてやそれが親しい関係になった人物のものとなれば尚更だろう。

 

 恋さんの優しさを肌で感じつつ、嬉しさで笑顔が零れる。

 

「ははっ、ありがと。恋さん」

 

「……大丈夫そうですね」

 

「えっ?」

 

 笑顔を見せた俺にほっとした様子で恋さんがポツリと一言呟く。

 

「先ほどまで深刻な顔をしていたので、また何かあったのかと……」

 

「わざわざそれも心配してくれてたの? それは嬉しいな」

 

「わ、私を揶揄うのはそこまでにしてください!」

 

 恋さんから鞄を受け取りながら、心配してくれたことを弄るとプリっと怒り出す。意外と表情豊かな所が彼女の知られざる魅力の一つかもしれない。

 

「……それよりも湊月くんが大丈夫そうならそれで何よりです」

 

 恋さんから鞄を受け取ると、彼女はまっすぐに姿勢を正したまま校舎外へ出ようとはせずに階段を上ろうとしていた。

 

「あれっ、まだ帰らないの?」

 

「野暮用がありますので少し寄り道してきます。それと……」

 

 階段を1、2段上がったところで恋さんは足を止めてこちらへ振り向く。丁度夕日が彼女の髪に反射して一枚絵のような美しさが彼女の周りには漂っていた。

 

「……私は湊月くんが何か悩んでいるようでしたら、それに協力したいと思っているので何かあった時は遠慮せずに私に相談して下さい」

 

「恋さん……!」

 

 恋さんの言葉を聞いて、俺は先ほど千砂都に言った言葉を思い出す。

 

 

 

『俺は大丈夫だ。クラスメイトに信頼できる人がいる。その人に助けてもらうさ』

 

 

 

 あいつにはそう言ったが正直な所、不安しかなかった。

 

 恋さんとは互いの秘密を握り合っていると言っても過言ではないが、それは信頼の裏付けとは決して言えない。奇しくもお互いのそれを知っただけであって意図して知ったわけではないのだ。

 

 恋さんも俺に知ってもらいたくて言ったわけじゃないから、弱みを握られてると逆に勘ぐってしまっているのかもなんてことも考えた。

 

 だが、彼女はそれを根に持つ様子もなく素直に俺の事を支えると言ってくれたのだ。どこまでもお節介を焼く他人に優しい恋さんには本当に頭が上がりそうになかった。

 

「それ、他の男子が言われてたら惚れるやつだよ?」

 

「なっ……! ですから私はそうつもりでは……!」

 

「あっはは! 冗談だよ!」

 

「み、湊月くん! 茶化すのもいい加減にしてください!」

 

 俺は顔が熱くなるのを感じつつも、それを恋さんに悟られないようにわざと彼女へ恥じらいを与えるように仕向ける。恋さんもすぐにそれに釣られてくれて赤面しながら憤慨する。

 

 だが、俺も流石にからかい過ぎたと実感し、ひとしきり笑い切ったところで恋さんへ謝罪を述べる。

 

「ごめんごめん。俺もちょっとやり過ぎたわ」

 

「全く、ちょっとどころではありませんよ」

 

「でも」

 

 俺の弁解に恋さんは聞く様子を見せずそっぽを向けるが、俺はお構いなしに恋さんに自分の素直な気持ちを伝える。

 

「ありがとう、恋さん。その言葉が凄く嬉しいよ」

 

 俺は嘘偽りのないありのままの想いをぶつける。彼女が伝えてくれた言葉は俺にとってひだまりのように優しい温もりで包み込んでくれたのだ。

 

 俺からのストレートな告白に恋さんははっとしつつもすぐにいつもの温和な笑顔を見せてくれる。

 

「何かあればお互い様ですよ。それでは時間も遅いので湊月くんも先に上がって下さい」

 

「あぁ、じゃあお先に失礼するよ」

 

 恋さんへ断りを入れ俺は先に校舎外へと出ようと出発する。

 

 

 

 

 

 

 校舎を出る手前、何かが俺の足に貼り付いた。

 

「ん? なんだこれ……?」

 

 風で煽られた一枚の紙が脛から離れまいとくっついていた。俺は誤って破ってしまわないように優しく紙を取るとそこには見覚えのあるイラストが描かれていた。

 

「これ、スクールアイドルの……」

 

 それは昨日、日向さんに見せてもらったスクールアイドル部への勧誘のチラシだった。これがここに落ちていたという事は唐さんは一人で健気に勧誘を続けていたという事か。

 

 今も生徒から拒否されながらも勧誘を行う唐さんの姿を思い浮かべながら、俺はただチラシを見つめていた。

 

 やろうと思っているわけではない。今の自分では身体の調子も関係してダンスをやれない。ただでさえ足手まといになるのであれば、いるだけ邪魔になるというものだ。

 

 だが、俺が考えていたことはそんなことではない。誰かが始めようとしていたならば、という事だ。

 

 俺は真っ先に一人の幼馴染の姿が浮かんだ。自分の正義感に従って唐さんの事を守ろうとした彼女の姿が。過去の諍いにより疎遠することになった一人の少女の姿が、俺の脳裏に浮かんでは消える様子を見せなかった。

 

「ったく、俺は何を考えてるんだろうな。もう幼馴染じゃないって言ったのは俺自身なのに……」

 

 あいつの為に協力するつもりはないと突き放しておきながら、自分の心がそれを離しまいと抵抗しているのだ。

 

 かのんとのしがらみにケリを付けられてないことに悪態をついていると、人の声が聞こえてきた。

 

「これは……? 誰かが歌ってる……?」

 

 声の大きさからしてそう遠くではないことが分かり、声の発生元まで向かう。

 

 声が大きくなってくるにつれて、それが誰の声なのかすぐに察しがついてしまった。

 

「この声……もしかして……」

 

 もしかして、そんな言葉を呟いたがすぐに頭の中でそれを否定する。それは可能性ではなく確信に変わっていたからだ。いつも朗らかに力強い声で歌っていたあいつの声を俺が聞き間違えるはずはない。

 

 そんな事を考えていると正門前にその人物は立っていた。

 

 厳密には二人立っていたが俺の予想は覆っていなかった。一人は唐さん、そしてもう一人は澁谷かのんだった。

 

 今までは俺や千砂都の前でしか声をはきはきさせながら歌う事が出来ていなかったかのんが唐さんの前で楽しそうに笑顔で歌っていた。

 

「かのん……!」

 

 大好きな気持ちに嘘はつけない、とはっきり歌うかのんの姿は今までの中で一番輝いていた。歌う事や音楽が好きな彼女が、殻にこもって自分の大好きをひた隠しにしていた彼女が太陽よりも眩しい笑顔で歌い切っていたのだ。

 

 唐さんも歌えているかのんを見て、笑顔が出ていた。唐さんがどんなことを言って彼女を焚きつけたかは分からないが、かのんが新しいステップに進もうとしている姿を見て彼女もしっかりと成長しているということが実感できた。

 

「はぁっ……はぁっ……! 私……歌えた!!」

 

 歌い終わって息を切らすかのんだったが疲れている様子は見せず、むしろ笑顔になっていることは彼女自身もこんな自分をまだ信じられていない証拠だろう。

 

「やりましたネ! かのんサン!!」

 

「うん! 可可ちゃんのお陰で私、歌えるようになった! 本当にありがとう!」

 

 唐さんはもう一度聞くことが出来たかのんの歌声を聞いて感涙していた。

 

 かのんも人前で歌えた喜びから手を胸の前でぐっと握り、嬉しさを実感しているようだった。

 

「いえっ、ククは何もしてまセン! かのんサンが自分の力で、自分の意志で変わったんデス!」

 

「えへへっ……なんだか恥ずかしいな……」

 

 唐さんに褒められてかのんは恥じらいを隠すように顔を指で掻く。

 

 かのんが友人と幸せそうに笑い合う様子を俺は陰で見つめる。しかし、彼女を見ていると劣等感に襲われそうな気がして、その場に居座ることが出来ず立ち去るしか出来なかった。

 

「……あいつも……前に進もうとしてるんだな」

 

 人前で歌えないコンプレックスを払拭できないまま音楽科の試験に挑み失敗したかのんが、それを克服し普通科で新しいことに挑戦しようとしている。

 

 成長した様子を見せるかのんを考え、無意識のうちに口元が綻んでいた。

 

「まぁ、せいぜい頑張れよ」

 

 誰にも聞こえない声でかのん達の武運を祈りながらその場を後にする。

 

 俺はかのんに干渉するつもりは無い。あいつのことは唐さんが何とかしてくれると信じているからだ。

 

 俺は、あいつに後れを取るつもりは無いと密かに心に誓いを立てるのだった。

 

 






月は太陽が在るが故に己の弱さを知り

太陽は月が在るが故に己の強さを知る。






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小さなプレリュード


お待たせしました。

本編12話です。

よろしくお願いします。


 

 かのんが唐さんと一緒に新しい道へ進み始める決意を固めてから次の日、俺は昨日のあいつの姿が脳裏からこびり付いて離れずにいた。

 

 原因は分かっている。ここでかのんと再会してから彼女が笑顔でいる所をまともに見たことがなかったからだ。昨日、『歌えるようになった』と嬉々として唐さんに話していた時、幼い頃の千砂都と三人で遊んでた頃の純で真っ直ぐな彼女に酷似していた。

 

 酷似しているとは言っても、それはどちらも澁谷かのんであるから当然のことなのだが昨日の彼女は見てて思わず目をつぶってしまいそうになるほど笑顔が眩しかったのだ。

 

 あんなに溌剌とした彼女を見ると無性に胸が痛む。それは久しぶりに見たかのんが異性として魅力的に見えたからなのか、彼女に対して今の自分は昔から何も変わっていないと錯覚してしまう程の劣等感を抱いてしまったからかは分からない。

 

 だが、それらについて言及しても仕方のない事だった。異性として魅力的に見えても今の俺達は縁を切っているし、自分に抱いた劣等感はその場限りの感情でしかない。今の俺を形成しているのは彼女らと離れてから誕生した大好きな音楽を追い求める執着心。その結果、俺は今この場に立っているのだ。

 

「お二人とも、わざわざ付き合わせてしまってすみません」

 

「気にしないで葉月さん。一人でここにある楽器の点検をするのは流石に大変だと思うから私たちにもお手伝いさせて?」

 

 そんな事を考えていると葉月さんが俺と日向さんに頭を下げてきた。

 

 今、俺達は音楽室に来ている。もちろん遊ぶために来たわけではなく仕事の為に馳せ参じている。

 

 恋さんは今後実施する音楽の授業や部活動が円滑に行われるように音楽室に置いてある楽器の点検をしてほしいと先生から頼まれていた。先生曰く、楽器数が膨大であるから一人ではなく他の生徒にも声を掛けて一緒に実施するようにと忠告を受けたみたいでそのパートナーとして俺と日向さんを指名してくれたのだ。

 

「にしても歴史ある学校とは言えどここまで楽器が多いとは思わなかったな……」

 

 恋さんが俺達に声を掛けてくれたことを嬉しく思いつつ、目の前に広がる音楽室の光景に声が出なかった。

 

 これは音楽室が汚れや埃まみれになっているからというものでは決してない。音楽室の広さ自体は中学校までのそれより少し広いと思うくらいなのだが、楽器の数が途轍もなく多いのだ。通常の音楽で使うピアノはもちろんの事、吹奏楽部が使うであろう管楽器やこれも授業で使用するのかアコースティックギターなどの弦楽器も1クラス分相当の数が揃っていた。

 

「音楽に力を入れている学校ですからね。ここに置いてある物だけでなく、部活動でなくても生徒が練習したいと要望した際には基本的に拒むことなく受け入れていたそうです」

 

「それでこの数……神宮音楽学校の時から活気に溢れてたんだね……!」

 

「日向さん、やけに楽しそうだな?」

 

 恋さんから音楽室の実情について目をキラキラ輝かせながら聴いている日向さんを見て、普段の彼女らしからぬ様子に見えてついそんな質問をしてしまった。

 

「だって私、沢山の楽器に触れて勉強していきたいなって思ってたんだもん! ここにいる子たち以外にもまだまだ楽器はあるんでしょ? それらを今後触らせてもらえるって考えただけでも今からワクワクしてくるよ!」

 

 日向さんは突然スイッチが入り熱弁になる。いつもより饒舌になる彼女を見て、そういえば『演奏できる楽器のレパートリーを増やしたい』と自己紹介の時に話していたことを思い出し、突然の様変わりにも納得がいった。

 

 だが、当の本人は急に語り始めてしまった自分が恥ずかしくなったのか手をもじもじとさせ声が小さくなっていた。

 

「あっ……ご、ごめんね! 急にこんな事喋り始めちゃって……」

 

「ふっ、別に俺は日向さんの新たな一面を知れてよかったけど? まさか楽器の事を子って呼ぶとは思わなかったけど……」

 

「うぅ~~それは癖みたいなものだから掘り下げないで~……!」

 

 日向さんの反応が面白くてからかう口が止まらない。からかい過ぎた結果、日向さんは顔を覆いながら蹲ってしまった。

 

 そんな事をしていると恋さんがこちらをジトっと睨みながら苦言を呈す。

 

「二人とも、おしゃべりはそこまでにして下さい。時間も惜しいですから点検を始めますよ?」

 

「はいはーい、日向さんも行くよ?」

 

「も、もう……一体誰のせいなんだか……」

 

 恋さんからお咎めを貰ってしまったが俺は過剰に反応する事もなく剽悍に受け流す。そして、当初の目的である楽器の点検を始めようと日向さんに促すが彼女はどの口が言うのか、と言わんばかりに目を潤ませながらブスッと文句を呟いた。

 

「私は管楽器の点検をやっておきますので、お二人で弦楽器やピアノの点検をお願いします」

 

「オッケー」

 

 恋さんからの指示に二つ返事で快諾すると彼女から離れて各々の作業を始める。

 

「じゃあ、とりあえずこの紙に書いてある点検をしていけばいいんだよなぁ……?」

 

 事前に恋さんから日常点検の内容を纏めた紙を貰っているので、それを元に弦楽器のチェック作業に取り掛かる。

 

 アコースティックタイプのギターに手を掛けたところで俺はとある事を思い出した。

 

(あっ……、そういえばあいつが使ってたのも……)

 

 目の前にあるギターは大人が使用するサイズのものではあるが、これの子ども用をかのんは持ち合わせていた。

 

 遊ぶこと以外に歌うことも好きだったあいつは千砂都と三人でいる時もギターを持ち寄っては、自分は弾いて俺たち二人はそれに合わせて歌うという形で遊んだりもしていた。

 

 ここに来ている時点で彼女の中で音楽の熱は変わらず燃え滾っていることは分かっているがギターも続けているのだろうか。

 

 立て掛けてあるギターに触れ、指で弦を撫でる。アコースティックギター特有の優しい音色が俺の耳に静かに伝わってくる。コードと呼ばれる音階の作り方は今でも分からないが、ミスをせずに曲を奏でられるあいつは本当に凄いと心の底から思う。

 

 感傷に浸っていると突然ピアノの演奏が聞こえてきた。ピアノの前には日向さんが腰掛けており弾き始めていたのだ。

 

「日向さん、何してんの?」

 

「ちゃんとピアノの音も問題なく出るかのチェックだよ? 一音ずつ確認するのも大事だし、音の繋がりも違和感がないか聴くのも大事でしょ?」

 

「あぁー……意外とそういうもん……なのか……?」

 

 恋さんから貰った紙にはピアノ内部のハンマーが破損してないか、弦が切れてないか等の項目はあれども音に関する項目は特に書かれてない。調律は素人に出来るものではないのは百も承知なのだが、その点については日向さんは知識を有しているのだろうか。

 

 日向さんの言葉にスッキリしない様子を見せていると日向さんは俺に構わず演奏を始めた。

 

 曲は世間一般で歌われるアイドルソングで、ピアノ経験者である日向さんは特に詰まらせる様子もなく流暢に音楽を奏でていた。柔和な笑みを浮かべながら丁寧に一音一音紡いでいく日向さんの姿はプロのピアニストさながらの所作であり、まさに才色兼備とは彼女に相応しい賞賛の言葉だろう。

 

「ふぅ……とりあえずピアノは問題なさそうだね」

 

 目、耳共に日向さんへ集中していたらいつの間にか演奏は終了していた。俺は言葉が出る前に拍手をしており、それに気づいた日向さんは恥ずかしそうに笑って頬を掻く。

 

「さすが経験者ってところか? つい聴き入ってたよ」

 

「えへへ、そう褒められるとなんだか恥ずかしいな」

 

「でも、実際上手なんだし謙遜する事もないと思うけど?」

 

「これでもブランクはあるし私なんてまだまだ大したことないよ?」

 

「そんなもんなのか?」

 

「うんうん、そういうものだよ」

 

 彼女の技術も中々のものだと思っていたが世間ではこれよりももっと上がいると思うとどんな人物がいるのか逆に興味が湧くかもしれない。それでも彼女の技量や人柄に触れた補正はそうそう負けないと思うが。

 

「ひとまずピアノは大丈夫そうだな。じゃあギターの方を……」

 

「ねえ、折角なら湊月くんの歌も聴いてみたいな?」

 

「はっ?」

 

 ピアノ鑑賞もとい点検も一区切りして別の楽器の点検に入ろうと思ったが、ふと日向さんは俺の歌をリクエストしてきた。突然の振りに俺も思わず素っ気ない返事をしてしまう。

 

「だって湊月くんって今はダンスが出来ないけど、この学校に入れたのってそれ以外の技能が良かったからでしょ? もしかして歌が上手だからなのかなって思って、つい気になっちゃった」

 

「……まあ、歌や聴音テストが良かったのはあるかもしれん」

 

 俺自身、何が良くて受かったのかは聞かされてないため、こんな歯切れの悪い返事しか出来ない。

 

 だが、そんな俺の返事が彼女の提案に抵抗を示してるように聞こえたからか日向さんはすぐにフォローを入れる。

 

「あっ、でも湊月くんが嫌ならいいよ? ただ好奇心が出ちゃっただけだから……!」

 

「んー……」

 

 日向さんの言葉に俺は少し考え込む様子を見せる。

 

 正直なところ、今日は遊びに来たわけではないので彼女の提案に乗る理由はない。しかし、先ほどの彼女のピアノ演奏を聴いておいて──俺が彼女に懇願したわけではないのだが──自分は何もしないというのは些か不公平に思えてしまう。

 

 まあ聞かれて減るものでもないしと思い、彼女の提案に乗ることにする。

 

「しょうがないな。じゃあ一曲だけな?」

 

「えっ! ほ、本当にいいの?」

 

「別に聞かれたくないわけじゃないし、日向さんがピアノを披露してくれたからそのお返しも込めてってところ」

 

「あっ、ありがとう……!」

 

 快く彼女の提案を引き受ける俺に日向さんは嬉しそうに笑ってお礼を述べる。まさか快諾してくれると思わなかったようで少し戸惑いを隠せない様子だった。

 

「でも、恋さんに見つかったらその時は二人仲良くお叱りを貰おうな?」

 

「ふふっ、うん! その時は私も一緒に♪」

 

 見つかったら連帯責任。その条件に日向さんは反対の意を見せる様子もなく笑顔で返事をする。

 

 彼女の合意も取れたことだし他に心配する事もなくなって安堵した俺は、二人だけの小さなゲリラコンサートに身を投じるのだった。





立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花



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笑顔の意味


お待たせいたしました。

本編13話です。

今回もよろしくお願いします。


 

 突然始まった小さな規模のコンサート。日向(ひゅうが)さんの無茶ぶりから始まったそれは始まった当初はあまり乗り気ではなかった。

 

 人前で歌う事に抵抗があるわけではないが、それでも自分の知られざる一面を見せているようで少し萎縮してしまうのだ。

 

 だが、一曲だけと釘を刺して開幕したコンサートだが歌っていて気持ちが良かった。日向さんのピアノで紡がれるのはテレビでよく見る男性アイドルグループが歌うバラードで俺もそれなりに精通していた。

 

 元々ダンスを嗜んでいた俺だが、歌に関してもそれなりに自信はある。独学ではあるものの歌に必要なテクニックは備えているので下手な歌を聞かせるつもりはない。これでもアーティストが動画サイトで上げてる歌のテクニック集などを履修して勉強している。ただ、息継ぎのタイミングがいまいち掴み切れていないなど弱点を隠し切れていないのは俺の技量不足だ。

 

 ……なんて、歌に関して俺が心掛けている事をここで思い返しても仕方のないことだ。ここにいるのは日向さんだけだし、彼女はピアノを弾くのに意識が向いているため細かいところまでは流石に気に留めもしないだろう。

 

 俺がここまで歌う事に力を入れたのも間違いなくあいつらが元凶だ。かのんが歌う事を特に楽しんでいたからそれを俺も共感したくて同じ世界に入ってきた。途中で袂を分かってしまったがそれでも音楽を極めたい欲は治まることなく今も続けられているのは我ながら凄いことだと思う。

 

「ふぅ……どうだった?」

 

 日向さん伴奏のソロコンサートが終了し、俺は一呼吸して日向さんから感想を聞く。一曲しか歌っていないので体力的疲労は大してないはずだが、人前での歌唱に慣れていなかった面もあり精神面での疲労が大きい気がする。

 

「湊月くんって歌が上手だね! こっちも弾いてて凄く楽しくなってたよ!」

 

「……そ、そっか。あ、ありがとう……」

 

「ふふっ、意外と照れ屋さん?」

 

「べ、別にそういうのじゃねえよ」

 

 屈託のない笑顔で称賛を述べる日向さんが眩しくてつい目を反らしながら礼を伝えるが、俺のそんな態度が子供っぽく見えたのかからかい気味に話しかけてくる。反射的に素っ気ない返答をしてしまったが、日向さんはそれを気に留める様子は見せなかった。

 

「それにしても湊月くんって歌うことが大好きなんだね」

 

「えっ?」

 

 いきなりそんな事を言われて俺は聞き返してしまう。歌ってる時はそこまで楽しそうに見せているつもりはなかったと思うので、一体どこでそう感じたのだろうか。

 

「……だって、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……はっ? 俺、そんな状態で歌ってた?」

 

 自分でも信じられず確認の意を含めて問い返すが日向さんはうんと首を縦に振りながら肯定する。

 

「湊月くんとお話しするようになってからあまり笑ってる所を見られてなかった気がするんだけど、今ここで初めて湊月くんが心の底から楽しそうにしているのが伝わってきたよ?」

 

「……そっか……」

 

 日向さんの言葉に俺はそんな薄い返事をすることしかできなかった。自分でも意識していなかったポイントだったからこそ、いざそう指摘されても自分事として受け取ることが出来ないのだ。

 

 他人事に捉えている俺を見て、日向さんは笑顔が無くなり神妙な表情をする。

 

「……やっぱりあの子との関係で何かあったの?」

 

 日向さんが言うあの子。彼女はかのんの存在を知らないため日向さんが認識してて尚且つギクシャクしている関係性となっている人物の『あの子』に該当する人物は一人しかいない。

 

「別に唐さんは関係ない。あるとすればもっと別の問題」

 

「それはすぐに解決できないものなの?」

 

「……そうだな、これは俺とそいつの問題だから日向さんが気にする事じゃない」

 

 俺が悩んでいるであろう事案に自分も手助けできないか探そうとしている日向さんだが、この件に日向さんは関係無いし巻き込むつもりは毛頭無い。余計なお節介を掛けさせたくないという意志が彼女に伝わったのか日向さんは少し悩む素振りを見せつつもすぐに納得した表情を見せた。

 

「そっか。……うん、分かった。今は特に何も話したくないと思うけど何かあればいつでも相談してね? 私も湊月くんの力になりたいから」

 

「日向さん……」

 

 日向さんのお節介だけども暖かい優しさが胸に染み入る。恋さんと同じように手を差し伸べてくれる人物がここにもいたことに嬉しくなって、つい笑顔がこぼれる。

 

「……あぁ、分かった。その時はよろしくな?」

 

「えへへ、うん!」

 

 彼女の提案に快諾の意を示すと日向さんも嬉しくなって笑顔の華が咲いた。日向さんの笑顔は他の女子のそれとは違って元気を貰える気がする。恋さんは百合のように優しく包み込むような雰囲気があるのだが、彼女はひまわりの様に元気で明るい印象がある。最初は恋さんと似たような落ち着いた物腰の人かと思ったが、彼女の人となりに触れてまた違った印象を持つようになった気がする。

 

「……あなた達……」

 

 なんて日向さんの事を考えていたらいつの間にか俺達の傍まで近づいてきた恋さんがいた。声のトーンからしてピアノの前でおしゃべりをしている様子を見て彼女がおかんむりであることは火を見るよりも明らかだった。

 

「あっ、恋さん。点検は順調?」

 

「えぇ。おかげ様で滞りなく進んでます。点検そっちのけで歌っている誰かさんの代わりに進めていましたので」

 

「へぇーそんな人間がいたのか? それはとんでもない男だなぁ……な、日向さん?」

 

「そんな男性、許せないね?」

 

「……あなた達の事です」

 

「「えぇー!?」」

 

 恋さんの毒交じりの成果報告に俺と日向さんは冗談で対抗していったが恋さんに容赦なく切り捨てられる。それよりも無茶ぶりで日向さんにも話題を振ったが、混乱なくノリを理解できる彼女の頭の回転に少し驚いた。

 

「こんな漫才はそこまでにして早く終わらせて下さい! このままでは何のためにあなた達へ声を掛けたのか分からないではありませんか!」

 

「ごめんごめん。ピアノの点検で音のチェックもしておいた方が良いと思ってさ? 日向さんがピアノを弾けるって事だったからやってもらってたんだよ」

 

「……それに乗じて貴方も歌っていたと? しかも随分と楽しそうに?」

 

「……日向さん、点検を続けるぞ」

 

「……うん!!」

 

 恋さんの痛い視線と指摘に反論する言葉が見つからなくなり、残りの点検を再開するように日向さんへ声を掛ける。日向さんもすぐに意図を理解し弦楽器の方へと駆け出していく。

 

「あぁ! ちょっと二人とも!」

 

 恋さんはまだ叱り足りないのか俺達を呼び止めようとするが、その声を気にせずに点検を始めようとする。

 

 日向さんが横でチェックシートを見ながら一個ずつギターの様子を見ている時、俺はふと誰かの視線を感じた。

 

「…………?」

 

 不意に振り返るが恋さんや日向さん以外に誰かがいたような痕跡はない。だが、確かに誰かに見られていた感覚はあったのだ。少し視線を巡らせると音楽室の扉に誰かがいた。

 

「? ……今のは誰だ?」

 

 俺は日向さんを置いて扉の方へと駆け寄る。廊下には人っ子一人おらずもぬけの殻だった。

 

「湊月くん? どうしたの?」

 

「いや、今ここに誰かがいたような気がしたから」

 

「んー……でも誰もいないね?」

 

「気のせいだったか……?」

 

 日向さんも廊下を見渡すが誰もいないことを確認する。

 

 その人物の髪の色等を認識する前にいなくなってしまったので誰かがいたような気がした、と確証を持った発言が出来ないので少し歯痒さを感じる。

 

「うーん。特に誰もいなさそうだし、ひとまず点検に戻ろ? じゃないとまた葉月さんに怒られちゃうよ」

 

「……それもそうだな」

 

 ここで正体不明の人物について言及しても仕方ないと悟った日向さんに促され、俺も点検へと戻る。音楽室内で特にやましいことをしていたわけでもないが、何故だか妙な悪寒がして点検作業が覚束なくなってしまったのはここだけの話。

 

 





少年の心に秘めた音楽の情熱、それは何故に?



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近くなる距離


お待たせしました。

本編14話です。

それではどうぞ。


 

「はぁ、やっと終わったな」

 

 音楽室に滞在してから30分ほどが経過しただろうか。黙々と楽器点検を続けて、ついに最後の点検が終了した。紙と睨めっこしながら細かい箇所まで見続けていたので肩が凝っている感覚が俺を襲っていた。

 

 肩を慣らしている俺の横で日向(ひゅうが)さんも両腕を前に伸ばして固まった筋肉をほぐしていた。

 

「ふぅ~、結構長かったねぇ~。これを一人でやってたら流石に身体が参っちゃうかも……」

 

「一人でやってたらざっと1時間以上はかかってたかもなぁ……」

 

「お二人共、お疲れさまでした。ささやかですがこちらをどうぞ」

 

 日向さんと感想を話していると音楽室から席を外していた恋さんが戻ってきた。その手には差し入れ用のパックジュースが握られている。

 

「おっ、気が利くな? もらっていいの?」

 

「はい、湊月くんと日向さんのお陰で作業が捗りましたし、お二人の貴重な時間を頂いてしまったのでそのお詫びも込めて」

 

 自分の都合で時間を使わせてしまった事を気にして詫びの品として飲み物を差し出してくる。

 

「あっはは、別にお詫びなんていいよ。私たちは好きでやってたんだから」

 

「ふふっ、でしたらこれは()()()()()()()受け取ってください」

 

 詫びという言葉が気に召さなかったことを理解したのか手伝ってくれたお礼としてジュースを渡してくれる。詫びの品よりもお礼の品として貰う方が受け取るこちら側も気分は良い。

 

「じゃあ、そういうことにしておくか」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 日向さんと二人で笑い合いながら、恋さんから飲み物を貰おうとする。日向さんはレモンティー、俺はミルクティーを受け取り、恋さんは残ったイチゴオレを握っていた。

 

「ここの片付けも終わりましたし、私は点検表を提出してから帰りますので、お二人は先に上がってください」

 

「そうか? なら先に帰らせてもらうよ」

 

「葉月さん、お疲れさま!」

 

「はい、お疲れさまでした。また明日」

 

 恋さんは音楽室内に忘れ物が無いことを確認し音楽室の鍵を閉める。そして、俺達が書いたものも含まれている点検表の束を持ちながら俺達へ一礼し、職員室がある方面へ姿を消していった。

 

「じゃあ、俺達も帰ろうか」

 

「そうだね!」

 

 日向さんとそう話すと二人で仲良く校舎の外へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても今日はとても楽しかったな~」

 

 校舎内を降りていく中、日向さんがふと先ほどまでの思い出に浸る。

 

「楽器の点検が、か?」

 

「う~ん、それもあるけど……」

 

 俺からの問いに日向さんは一瞬頭を悩ませた後、はっとした表情を見せながら階段を先に降りる。そして、ニカっと笑顔を見せた。

 

「やっぱり湊月くん達とまた一つ仲良くなれた気がするからそれが一番かな!」

 

 純朴な笑顔を向けながら、異性をドキッとさせる発言をぶつける日向さんに俺もつい笑顔になる。

 

「ふっ、確かに日向さんの新しい一面が見れて俺も楽しかったぜ?」

 

「そ、それって私の事バカにしてない!?」

 

「まさか、そんな日向さんも良いって言ってんだよ」

 

「……なんだか怪しい……」

 

 小馬鹿にされたように感じた日向さんはジトーっと睨みつけてくる。だが、顔が赤くなっている事がバレバレなので怖さは皆無に等しい。

 

「それにしても日向さんって結構快活な性格をしてるんだな。最初に話した時とイメージが違って驚いたよ」

 

「まあ、私もそんなに人懐っこい性格じゃないから初対面の人ってなるとやっぱり緊張しちゃうというか……あはは……」

 

 日向さんは乾いた笑いを浮かべながら初めて話した時の事を振り返る。日向さんは初対面の相手にはどうしても緊張すると自分の体質を話していたが、人間だれしもそうなってしまうものだと思う。

 

 俺もそこまで人に対して過干渉する性格ではないし、いきなりコミュ力全開で話しかけられても困惑するだけだ。またそうして話し掛けてくれた方もこちらがリアクションに困っていれば安易に人のパーソナルスペースに踏み入ってしまったと勘違いして自分の行動を呪うような気がするので、ある程度自制するのは当然のことだと思う。

 

 まあ、俺的にはあの時のような距離感から来てくれた方が少しずつ相手の事が分かるので好きなのだが。

 

「別に、それは日向さんに限った問題でもないだろ? 俺だって初対面の相手にはそう食って掛かれんさ」

 

「そうなの? そういえば、葉月さんとはどうやって仲良くなったの?」

 

「あれは向こうから声を掛けてくれたんだ。本人曰く『席が隣になるしこれから世話になるから』って言っててな」

 

「あははっ、さすが葉月さんだね! なんだかあの人らしくて安心しちゃうね」

 

 葉月さんとの馴れ初めについて話すと日向さんは真面目な彼女らしい考え方に安心したようで笑みがこぼれていた。

 

 改めて考えると葉月さんと何から何まで本当に律儀だと思う。馴れ初めの時もそうだし、今回も手伝ってくれたお礼としてわざわざ飲み物まで奢るなんてよほど親しい仲じゃないとそこまでの待遇はしないような気がする。それだけ彼女も俺達を信頼してくれている証拠なのだろう。

 

 二人で話していると気が付いたら校舎の外まで出てきた。

 

「あっ、私の家向こうだからここでさよならだね」

 

「おっ、そうか。今日はありがとうな」

 

「んーん、こちらこそありがとね。()()()()♪」

 

「お……おう?」

 

 先ほどまで苗字で呼んでいたのに急に名前呼びに変わったので思わず変な声が出てしまった。そんな俺に構わず微笑を浮かべたまま日向さんは続ける。

 

「なんか……ずっと湊月くんって呼ぶのも変かなって思って名前で呼んでみたんだけど……いや、だった?」

 

 上目遣いでそんな事を言われてしまい俺も流石に緊張してきてつい彼女から目を反らす。心なしか少し顔が熱い気がする。

 

「……別に嫌じゃねえけど……」

 

「そっか……ふふっ、ならよかった」

 

 少なくとも『嫌だ』と突っぱねられなかったことに安心した日向さんは姿勢を正してほっと一息つく。

 

 日向さんが友人として慕ってくれているのに対して俺が何もお返しをしないのは流石に男としてどうなのかと疑問符が浮かんだ。そう思ってからの行動は早かった。

 

「……じゃあ、俺もこのままじゃ不公平だよな」

 

「へっ?」

 

 突然何を言い出すのかと頭にハテナを浮かべる日向さんに俺は右手を差し出し、彼女への返事をする。

 

「……これからもよろしく、()()

 

「…………っ!」

 

 俺も自分なりの誠意を見せようと日向さんの事を名前で呼んだ。だが、燈香と呼んだ瞬間にどうしてさん付けではなく呼び捨てにしてしまったのかという自己嫌悪が心の中で叫んでいた。

 

 密かに自虐に陥っている俺を他所に、燈香も同じことを思ったようで目を見開いて口が中途半端に開いていた。

 

「ん? 大丈夫か?」

 

 突然石のように固まってしまった燈香に声を掛けると「はっ」と声を上げながら我に返る。

 

「い、いきなり名前で呼ぶから驚いちゃって……!」

 

「そうは言うけど恋さんも名前で呼んでるし……」

 

「呼び捨てなのは聴いてないよ~……!」

 

 燈香はムスッと頬を膨らませながら反論してくる。

 

「でも……」

 

 だが、不機嫌そうな表情をしたのも一瞬のことですぐに柔和な笑顔に戻る。

 

「えへへっ、こちらこそよろしくね。颯翔くん!」

 

「……ふっ、おうよ」

 

 燈香は差し出した俺の手を握り返しながら返事をしてくれた。握られた彼女の手は俺よりも一回り小さくほんのり温もりが感じられて、この手を離したくない衝動に駆られそうになる。

 

「……ずっとこのままっていうわけにもいかないし、そろそろ帰るか」

 

「そうだね、じゃあ私はこの辺で! また明日ね、颯翔くん!」

 

「あぁ。また明日な、燈香!」

 

 手を振りながら俺とは正反対の方向へ歩き始める燈香。そんな彼女の後姿を正門の前で燈香が見えなくなるまで手を小さく振り続ける。

 

「……恋さんに燈香……。本当にいい人らに巡り会えたなぁ」

 

 燈香を見守りながら俺はふとそんな事を呟いた。自分の事をこんなにも信頼してくれる人物がいてくれることが凄く嬉しいのだ。彼女たちが居てくれれば俺はありのままの自分でいられる気がする。過去のしがらみに囚われた自分とはおさらばできる気がするのだ。

 

「あぁーーー!! み、見つけまシタぁぁ……!!」

 

 嬉しさで気持ちが高まっているとそれに水差すように聞き覚えのある甲高い声が耳朶を刺激した。学校内から聞こえてくる声に顔を向けると疲れた顔をした唐さんが居た。

 

「……またあんたか」

 

「さ、探したんデスよ……い、移動が早いデス……」

 

 唐さんが息を切らしながら文句を垂れていることは分かったが最後の方が上手く聞き取れなかった。

 

「ん? なんか言ったか?」

 

「ハッ! 別になんでもないデス! それよりもハヤトサン!」

 

「なんなんだいきなり……」

 

 膝を笑わせながら喋るのがやっとかと思いきや、急に姿勢を伸ばして話し始める唐さん。全く彼女の調子が掴めなくて四苦八苦する。

 

「少しお話しタイ事がありマス! ククと付き合って下サイ!」

 

「……はっ?」

 

 晴れやかな気持ちで一日を終えられると思った矢先、不意に襲い掛かる悪寒が俺の身体を冷やしていくのだった。

 

 





青天の霹靂、それは少年にとって……




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とある喫茶店にて


お待たせしました。

本編15話です。

よろしくお願いします。


 

「…………あの……唐さん? ここは……」

 

「大丈夫デス! 変なお店に連れていくツモリではないノデ!」

 

 音楽室での点検を終えた後、突如再会した唐さんに声を掛けられて俺はとある場所に連れられていた。見覚えしかないその場所に俺は内心焦りが止まらなかった。

 

「……ここ以外じゃだめか?」

 

「ククはここのメニューが好きなんデス! それに雰囲気も落ち着いててお話をするにはピッタリだと思ったのデス!」

 

「そうだけど、ここは……」

 

 唐さんが連れてきた場所は喫茶店だった。普通の喫茶店であれば俺も気にせずに彼女の話を聞こうと乗り気になるのだが、ここはそうはいかない場所だった。

 

 唐さんに別の場所へ行かないか提案しようとした矢先、喫茶店のドアが開いて中から店員と呼ぶには若すぎる少女が出てきた。

 

「あれっ、可可さん? どうしたんですか?」

 

「あっ、アリアさん!」

 

 アリアと呼ばれた黄土色の髪をショートカットにした眼鏡少女は店の前で(たむろ)している俺達を不審に思って声を掛けてきた。だが、この少女と面識がある唐さんは元気に返事をする。

 

 俺も彼女の事を知らないわけではない。いや、直接会った事もある少女であるから彼女を知らないとこの期に及んで白を切ることは出来ないだろう。

 

「唐さん、今日もここでお茶していきます? それにそちらの方は……って、えっまさか……!?」

 

「……久しぶり、ありあちゃん」

 

 ありあは俺の姿を見て、案の定驚きの声を上げる。やっぱり、3年の時が経ったとはいえ俺の事を覚えているのは当然の事だろう。

 

 俺はなんて呼べばいいか困惑してしまい、つい昔と同じ呼び方でありあの事を呼ぶ。

 

「颯翔さん……ですよね!? お久しぶりです! 3年ぶりでしたかね?」

 

「そうだな、ありあちゃんも随分と大きくなったな。今は中学生だよな?」

 

「そうです! 颯翔さんもより男らしくなりましたね! 凄く見違えましたよ!」

 

 ありあの方も3年の月日が経っていることは分かっていたようで長らく見ぬ間に成長した姿を見てお互いに感嘆の声が漏れていた。

 

 そんな俺達を見て唐さんは素朴な疑問を投げてきた。

 

「ハヤトサン、やっぱりアリアさんとお知り合いなんデスね?」

 

「……まあな、この子はあいつの妹だし知らない方がおかしいだろ」

 

 そう、この子の名前は澁谷ありあ。俺と幼馴染である澁谷かのんの妹である。そして、この店は喫茶店であると同時に澁谷家でもあるのだ。唐さんがありあと顔見知りであることは薄々感じていたが、それでもここに俺を連れてこさせるのはどういった所業なのか。

 

「……アリアさん、かのんサンはいますか?」

 

「おいっ、流石にそれは……!」

 

 唐さんの爆弾発言に俺も思わず声を上げる。犬猿の仲である俺達を無理やりにでも復縁させようとでもいうのか。

 

「お姉ちゃん、まだ帰ってきてないですよ。多分、千砂都さんの所に行ってるんじゃないですか?」

 

 ありあはため息を吐きながらかのんはここにいないことを教えてくれる。少し不機嫌気味に話すという事は喫茶店の手伝いをせずに出かけている彼女に呆れているのだろう。

 

 兎にも角にもかのんが今この場にいないことが分かって俺は密かにほっと胸をなでおろした。

 

「……ならよかった」

 

「うーん、仕方ないデスね。アリアさん、2名でお願いしマス!」

 

「分かりました。では席に案内しますね!」

 

 唐さんに有無を言えぬまま喫茶店内へ連れられ、俺はどうにでもなれと神頼みしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました、ココアと紅茶です」

 

「アリがとうございマス!」

 

「うん、ありがと」

 

 案内された席で各々注文した飲み物が用意された。唐さんはココアを、俺は紅茶を頼んでこの店のドリンクを久々に嗜んでいた。

 

「クゥ~、チョコワタルシミ~……」

 

「それ、染み渡るじゃね?」

 

 ココアを飲んでほっと一息つく唐さんの口から間違った日本語が出ておりついツッコミを入れる。だが、彼女は気にする様子もなくココアを飲み続けていた。

 

「……まっ、いっか。それで、俺に話ってなんだ?」

 

「ホっ! ククとしたことがつい忘れてシマウ所でシタ……」

 

「今、完全に忘れてたよな?」

 

 ココアを飲んでいる最中にカッと目を見開いて飲みかけのカップをテーブルに置く。驚きの声を上げていたのだからこの人絶対に忘れていたはずだ。

 

 唐さんは一つ咳ばらいをすると姿勢を正して俺に一つの質問を投げかける。

 

「ハヤトサン、改めての相談になりマスが、スクールアイドル部に入りませんか?」

 

 唐さんの変わらぬスタンスに俺は思わずため息を吐く。この人は本当に俺達の状況を理解しているのだろうか。

 

「……あんた、随分と物分かりが悪いみたいだな。それで俺がはいと言うと思うか?」

 

「……正直ククは言うとは思ってマセン」

 

「ならどうしてそこまで……」

 

 執着するのか、そう言いかけた時唐さんはまっすぐこちらを見つめながら身体を前のめりにしてきた。

 

「でも、今日のハヤトサンは楽しそうデシタ!」

 

「はっ?」

 

 楽しそう、唐さんの言うそれがどういうことなのか俺には全く理解できなかった。困惑する俺を気に留めず唐さんは続ける。

 

「今日、音楽室で楽しそうに歌ってるハヤトサンを見まシタ! 顔を見えマセンでしたが後ろ姿を見ていて凄くキラキラしてイマシタ!」

 

「……まさか音楽室で視線を感じたのって……」

 

「えへへ、実はククなのデス……」

 

 唐さんはそう言いながら舌をペロッと出す。

 

 音楽室を覗いていた人の正体がまさかの人物で俺は先ほどよりも更に深いため息が出てしまう。正直、唐さんが一番面倒になりそうな相手だったから見つかる事だけは極力避けたかった。

 

 現にこうして捕まっているので今更どう抵抗することも出来ないが。

 

「まあ、素直に自白したことだしそれは許そう。して、それが俺をスクールアイドル部に勧誘するのとどう繋がるんだ? 澁谷の事、あんたも知ってるだろ?」

 

「かのんサンは関係ありません! ククは音楽を純粋に楽しむハヤトサンにお声がけしたいんです!」

 

「音楽を純粋に楽しむ俺に……?」

 

 目をキラキラと輝かせながら唐さんはそう訴える。その瞳がとても眩しくつい目を凝らしてしまいそうになる。

 

「ハイ! かのんサンとの間に起きたコトについて、ククも聞くつもりはありマセン。今日、音楽室で歌ってたハヤトサンを見てると元気が湧いてきまシタ! いつもは素っ気ナイ態度で返されてしまいマスが……歌ってる時のアナタはまさに別人! ニューハヤトサンでした!」

 

「…………」

 

 唐さんの賛辞に俺は特に反応することなくただただ耳を傾けるのみだった。

 

「素敵な歌声を持つハヤトサンだからこそ、ククは一緒にやりたいと思ったのデス! どうデショウか?」

 

 自分の歌に関して久々にここまでの賞賛の言葉をもらえた気がする。普段は独学で勉強していたから誰かに凄いと褒められたことがなかった。いや、この事を他人に話すことが無いのだから褒められることがないのも当然のことだ。

 

 ただ、誰一人として俺のそれを褒めた人物がいなかったかと言われるとそうでもない。二人の少女を頭に思い浮かべながら唐さんからの誘いに返答する。

 

「悪いな、俺はその誘いに乗る気はない」

 

「……それはどうしてデスか……?」

 

 唐さんは俺がそう返答すると半ば分かっていたようで声を荒げる様子を見せず真剣な眼差しでこちらを見据えながら断る理由を探る。

 

「俺がやりたいと思わないから。それだけで十分な理由になるんじゃないか?」

 

 その言葉に唐さんも何も返さず無言になる。

 

 こういった活動は他人からの誘いをきっかけに始めてみようと思い至ることが多いが、それだけで物事を続けられるかと言われたら必ずしもそうとは限らない。

 

 人からの誘いに安易に乗るということは自分の意志がそこには何も込められていない。『この人が勧めてくれたから始めた』と言うと聞こえはいいが、それは逆に『自分はやりたいと思っていなかった』とも考えられるのだ。

 

 何か大きな失敗をして路頭に迷う結果になった時、『あの時あいつが誘わなければ……』、『あいつが自分ももっと導いてくれれば……』なんて無責任なことを考え簡単に責任転嫁してしまうのだ。

 

 思い至ったが吉日、とはよく言ったものだが、その根幹に『自分の意志』が込められてなければその言葉の暗示はいともたやすく水泡に帰すし自分の首を絞める危険性があることを忘れてはいけない。

 

「そうデスね……。いくらククがハヤトサンを説得しようとしてもハヤトサンがやりたいと思わなければ意味は無いデスね……」

 

「理解してくれたようでなによりだ」

 

 唐さんも俺が言わんとしていることを理解してくれたようで先ほど物分かりが悪いと言ってしまった事を詫びなければならない。

 

「……話はそれで終わりか?」

 

「アッ、あと一つだけ相談したいことがありマス!」

 

 唐さんの要件は終わったと思いそろそろお暇しようかと思ったが、唐さんは言い足りないことがあるようだ。

 

「たった一つ、ククに協力していただきたいことがあるのです……!」

 

「……まあ聞くだけならいいぞ」

 

「ありがとうございマス! ククの……ククたちの曲を作ってくれマセンカ!!」

 

「……はっ? どういうこと?」

 

 唐さんからのもう一つの要求は唐さんが歌う予定の楽曲についての事だった。先ほどの勧誘とは全く異なるベクトルの話で俺は暫くまともに頭が働かなかった。

 

 

 





あの時の少年は、とても眩しく輝いていた。



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相談事、隠し事


お待たせしました。

本編16話です。

よろしくお願いします。


 

「あんたの曲を作ってほしいって……どういうことだ?」

 

 澁谷家が経営している喫茶店で唐さんの相談に乗ることになった俺はスクールアイドル部への勧誘とは違うもう一つの誘いに戸惑いを見せていた。

 

 曲を作ってほしいも何も俺は作曲なんぞ微塵もやったことがない。いくら音楽の知識を蓄えてきたとは言っても今の時点でそこまでのレベルに達するなど至難の業だ。歌唱姿が楽しそうに見えたとはいえ、いきなりそんな相談をするとはどういった魂胆なのか。

 

「実は……これを手伝ってほしいんデス!」

 

 唐さんがそう言いながら見せたのは一冊のノートだった。表紙には『ククの秘密のノート!!』と明らかに大事なことが書かれていることを示している題目が書かれていた。

 

「これは……中は見ても?」

 

「大丈夫デス。ハヤトサンにはお願いしている身デスので!」

 

 唐さんは綺麗な姿勢を維持したまま、ノートの中身を見る事について許可してくれた。

 

 唐さんの承諾を得て、一枚めくるとそこには中国語と日本語が一行一行交互に並ぶように連なっていた。日本語の部分を見ると一つの作文のような構成になっていることが分かり、先ほどの相談内容と含めて唐さんの言いたい事がすぐに理解できた。

 

「これは……歌詞か?」

 

「そうです。クク、ここでスクールアイドルとして輝く人たちを見まシタ。自分たちのヤリタイ事をまっすぐに貫いて突き進む人たちを見まシタ。その人たちと同じようにククもやってみたいと思ったのデス!」

 

 唐さんは笑顔でこちらを見据えながら自分の夢を語ってくれる。今まで唐さんのこういった話を聞いたことが無かったから非常に新鮮な気分だ。

 

「そこでククの気持ちや想いを歌にしたいと思って詞を書いてみたのデスが、まだまだ日本語は不勉強なトコロがありマシて……もしよければハヤトサンにククの日本語が間違ってないか見てほしいのデス!」

 

「つまりは詞の校正をしてほしいってことだな?」

 

 唐さんの言わんとしていることが理解でき、内容を確認するように問い返す。彼女もその通りという意志表示として強く頷いてみせた。

 

「もし、ハヤトさんが嫌であればそれでも構いマセン。ですが、もしハヤトサンがよろしければ一緒に音楽を作ってほしいデス。クク、ハヤトサンの歌がだいすきデスので!」

 

「…………っ」

 

 唐さんの大好き、という言葉に一瞬ドキッとしてしまったが、それ以上にここまでストレートに想いを伝えられたことに対して俺は内心恥じらいが生まれていた。

 

 唐さんは俺の事を決してかのんの幼馴染だから、という理由で選んでくれたわけではないのは分かる。この子はそういった嘘をつくのが苦手なように見える。あくまで強制はせずに俺の意志を尊重しながら提案をしてくれるその姿勢に俺は感服した。

 

 唐さんの懇願を聴いて無言のまま返事を考えている俺を彼女は何も言わずに笑顔で見守っている。その表情は俺がどうやって返事をするのかを理解(わか)っているのか、はたまたどんな回答が来ても先ほどの言葉通り受け入れるからこそ覚悟が決まっているのか。そこまで彼女の意志を察することは出来なかった。

 

 だが、先ほどの彼女の想いを聴いて俺も覚悟は決まった。

 

「……分かった。その提案、引き受けるよ」

 

「へっ! ほ、本当デスか!?」

 

 唐さんは承諾してくれると思っていなかったのかつい身体を前のめりにしながら問い返してきた。先ほどの俺の予想はどうやら後者が当たっていたようだ。

 

「唐さんがそこまで俺の事を言ってくれるなら、今回はやってもいいかなって。それに……こんなに俺の事を褒めてくれるの……久しぶりだから、嬉しかった」

 

 俺は顔が熱くなるのを感じつつ唐さんからの称賛の言葉に対しての感想を述べる。彼女から目を反らしながら喋っているが、正直どんな顔をしながら喋っているのか自分でも分からない。顔に変な力が入っていないことから取り繕った笑顔や喋り方がおかしくなっているわけではない。だが、無性に顔が熱い。それは普段はこんなくさい台詞を吐くなんてことを絶対しないからだろう。

 

 現に普段の俺なら言わないであろう台詞を聞いて、唐さんも目を見開いて呆然としている様子だった。

 

「……ハヤトサン、すごくかわいい方デスね……」

 

「はぁ!? ど、どこにそんな要素があるんだよ!」

 

「そういうところデスよ……! でも、それもハヤトサンらしくて良いところだと思いマス!」

 

 呆気に取られていた唐さんはすぐに笑顔に戻ってこんな俺も良いと賛辞を並べてくれる。だが、男である以上可愛いを褒め言葉として受け取りたくないので複雑な心境だった。

 

「……好きにしろ……。だけど、今回の要求を呑むにあたって今後はスクールアイドル部への勧誘をしないこと。それは約束してくれ」

 

「……分かりました。ハヤトサンがククのお願いを聞いてくれるんデス。これ以上の要望はデキません」

 

 唐さんは俺の要求に異を唱えることなく承諾してくれた。その言葉に安堵すると同時に俺はとある事が無性に気になっていた。

 

「……颯翔でいい」

 

「えっ?」

 

「さん付けはしなくていい。もう唐さんはただの他人じゃないし、もっとフランクに話してくれていい」

 

「……っ!!」

 

 唐さんは俺がずっと冷たくあしらっても、それに挫けることなくアタックし続けてきた。それだけで唐さんが俺に対して抱いている期待がどれだけ強いものかを十分に知る事が出来た。

 

 唐さんと約束を交わしたこともあるため、依頼人に素っ気ない態度を取るのは流石に俺も気が引ける。それも込めて友人として関わりたいと進言した。だが、そんな事を考えても恥じらいが勝ってしまい発言が不器用になってしまうのは俺の悪い癖か。

 

 だが、そんな俺の心情については露知らず、唐さんは俺が心を開いてくれたと思い目をカッと開眼させ嬉々として俺の提案に乗ってくれた。

 

「分かりました! ではハヤトと呼ばせてもらいマス! ククのことも好きなように呼んでくだサイ!」

 

 唐さんは俺の事を呼び捨てで呼ぶことにしてくれた。そして、彼女も気を遣わなくていいとして呼び方を楽にするように進言してくれる。

 

「分かった。じゃあ可可で呼ばせてもらうよ」

 

「わかりマシタ! これからもよろしくお願いします、ハヤト!」

 

 喫茶店に入る前、俺は遠く感じていた二人の距離がこの会合を通してより近づいていったことを実感した。

 

「このノート、少しの間借りても良いのか?」

 

「ハイ! 必要な時はまた声をかけるので気にしないで持っていてくだサイ!」

 

「オッケー、俺もそこまで長期間借りるつもりはないから明後日くらいまでには返せるようにする」

 

「りょーかいデス!」

 

 可可がまとめた歌詞の添削を引き受けることにしたため、早速彼女が持参したノートを借りる事にした。まずは俺なりに解釈を纏めてみて、それから可可の意見を聞いていきたい。

 

 文章力については人並みにできるはずだから足を引っ張ることはないと思う。だが、可能な限り彼女が納得のいく内容に仕上げなければ俺も気が済まないのでより一層気合を入れなければいけない。

 

 俺はふと時計を確認すると、入店してから既に1時間は経過しているようだった。

 

「だいぶ話し込んだし、そろそろ終わるか?」

 

「そうデスね。ハヤトが歌詞を読む時間も必要デスので、今日はこれでおわりにしまショウ」

 

 俺の提案に可可も乗っかり、会計へ進むことにした。

 

「あっ、可可。俺が払っておくから、先に店出てていいぞ?」

 

「本当デスか? ではあとでククが飲んだ分を支払うので、また金額を教えてくだサイ!」

 

「オッケー」

 

 俺は伝票を持ちながらレジへと歩き出す。可可は財布を取り出しながらお店の外に向かう。出る直前に大きな声で「ごちそうさまデシター!」と挨拶をするところが見えて、彼女の育ちの良さが伺えた。

 

「ありあちゃん、ごちそうさま」

 

「いえいえ、こちらこそまた颯翔さんの元気な姿が見れて嬉しかったです」

 

 伝票を渡して会計作業をするありあと懐かしさを噛み締めながら話し始めた。三年という月日は人生の中としては短いように思えるが、それでもこうして懐かしさに浸ってしまう所を見ると、やはり長く感じてしまうものだ。

 

「また空き時間見つけてお茶しに来るよ」

 

「あははっ、それは嬉しいです。いつでも待ってますね」

 

 支払った分のお釣りをもらい、財布へしまってから店を後にしようとする。その時、ありあから声を掛けられた。

 

「……颯翔さん」

 

「ん? どうした?」

 

 俺を呼び止めた方角を見るとありあは神妙な表情をしていた。その顔を見た時、俺は彼女が何を言いたいのか奇しくも理解出来てしまった。

 

「お姉ちゃんとは……まだ……?」

 

「……やっぱりありあちゃんは知ってるか……」

 

「それはまぁ……。でも、お姉ちゃんが部屋で泣いているのを聞いただけなので経緯は知らないですけど……」

 

「……そうか」

 

「……一体何があったんですか? 颯翔さんとお姉ちゃんの間に……」

 

 ありあが言おうとしていることは分かっている。かのんと何があったのか、そして二人の仲はいつ戻ってくるのかということだろう。ありあ自身も俺と彼女の間に起きたことを知らないし、かのんが俺の事を話そうとしないからむやみに話を掘り下げることも出来ず、一人で今この時までモヤモヤしていたのだろう。

 

「ごめんな、これはありあちゃんは知らなくていい。こいつは俺とあいつの問題だからな」

 

 だが、ありあの心境を理解しているからといって俺も事の顛末を話すか、と言われればそれはしない。この子に話しても今の状況は変わらないし、第三者である彼女にまで余計な気苦労は負わせたくないのだ。

 

「ですが、折角こうして二人は再会できたじゃないですか? だったら……!」

 

「もう、あいつは俺を見ていない」

 

「えっ……?」

 

 見ていないと語る俺の発言の意図が分からず困惑の表情を浮かべるありあ。

 

「あいつは俺の事を幼馴染として見ていない。それに俺もあいつの事をそうは見ていない」

 

「なんで……どうしてそうなってしまったんですか!? あんなに……いつも仲良く遊んでた二人が……どうして疎遠してしまわなくちゃいけないんですか……!!」

 

 ありあは必死に自分の胸中を吐露する。泣きはせずとも自然と語気が強くなっているところを見るとありあも俺達の唐突な関係性の変化に納得がいってないのだろう。

 

 ありあの悲痛な訴えを聞き、俺は誰にも聞こえないトーンでボソッと呟いた。

 

「……ほんと……どうしてこうなったんだろうな……」

 

「えっ?」

 

 俺が発した言葉を聞き取れなかったありあは聞き返そうとする。だが、もう一度話すように促されても俺は喋るつもりはない。

 

「とにかく、これは俺達二人の問題だ。だからこれは俺達が解決しなくちゃいけないこと。ありあちゃんは関わらなくていい」

 

「あっ、待ってください! 颯翔さん!」

 

 店を出ようと歩き始める俺をありあは引き留めようと声を張る。だが、その声で俺も足を止めるつもりは無い。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 出してくれたドリンクに対してのお礼を述べた後、俺は静かにカフェから立ち去るのだった。

 

 





昔の貴方達は、一体どこに?



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可可の信念


お待たせしました。

本編17話です。

それではどうぞ!


 

 澁谷家のカフェでお茶をした後、すぐに可可と別れ俺は自分の家へと帰宅した。

 

「ただいまー」

 

 靴を脱ぎながら挨拶をすると玄関から凪が顔を覗かせてきた。

 

「おっ、おかえり。随分と遅かったな? 今日はまだそんなに授業をやってないんじゃねえのか?」

 

「別に、クラスメイトから仕事に付き合わされただけだよ。それ以外は大したことはねえっての」

 

 帰りが遅い事に疑問を浮かべる凪に答えながらネクタイを外して首元を解放する。まだネクタイを付けた生活に慣れないのもあって外では若干息苦しさを感じる。

 

「にしても、今日は凪も早いじゃん。なんかあったの?」

 

「まっ、俺もまだ授業は本格的なそれじゃないからな。それに部活もないしそのまま直で帰ってきた」

 

「逆に凪はもっと遊んだほうがいいんじゃねえのか?」

 

「俺は部屋の中で遊んでる方が快適なんだ。外の人間とはある程度の交流さえ持っていればあとはどうでもいいさ」

 

「……まぁ、凪らしいけど……」

 

 凪は元々こういう性格だ。高身長且つ端正な二枚目で学校では絶対にモテるであろう逸材なのに、裏の顔はゲームオタク。

 

 リアルの人間と絡むよりかはネットの友人とゲームで遊んでいる方が素の自分を出せると言ってすっかりそちらの世界へどっぷりと浸かっている。しかし、外の人間ともそれなりに交流を持っているからこそ、オタク気質な所も受け入れられつつ皆から愛される人物になっている。

 

 すると、ふと何かを思い出したかのように凪は俺に問いかけてきた。

 

「あっ、そういえば。颯翔、結ヶ丘ってあの子たちもいるのか?」

 

「あの子らって……あいつらの事か?」

 

 あの子ら、凪が俺に対して誰かの話題を振るとなるとあの二人くらいしかいないだろう。

 

「おう、あんまり話題に出したくはなかったけど、流石にそうも言ってられなくてな」

 

「……なんかあったのか?」

 

 珍しく少し焦った様子でそう語る凪を見て俺はただならぬことが起きたのかと少し勘ぐってしまう。

 

「……今日、うちに千砂都ちゃんが来た」

 

「はっ? なんで千砂都が?」

 

 唐突に千砂都が家を訪ねてきていたことを知らされ自然と声が荒げてしまう。凪は俺がこういった反応をすることが分かっていたようで淡々と話を続ける。

 

「お前の事を探してたぞ。まだ帰ってきてないって言ったらそれで切り上げていったけど」

 

「……なんであいつが……」

 

 千砂都がここに来た理由について考えると同時に俺はもう一つの心配事について確認する。

 

「そういえば、かのんはいたのか!?」

 

「いや、かのんちゃんの姿は見えなかったな。そこにいたのは千砂都ちゃんだけで周囲を軽く見渡したけど、それっぽい女の子は通らなかった」

 

「そうか……」

 

 かのんも一緒でなかったことに対して、何故か安心感が芽生えてしまう。

 

「それにしてもあの子、随分と性格が変わってたな。昔、お前と一緒に遊んでたあの子と大違いだ」

 

「……それは俺も思った。いつも俺達の後ろを付いて回ってた千砂都はどこにも面影がなかった。まるで、今のあいつが本当の千砂都だったかと思わせるくらいだ」

 

 昔の千砂都の姿を懐かしむように呟く凪に俺も同意見だと伝える。誰よりも引っ込み思案で俺達の後ろをずっと付いてくる少女だと思っていたのに、今では快活な彼女が本来の嵐 千砂都と錯覚してしまうくらいに彼女の新たな姿は馴染んでいたのだ。

 

「お前と離れてあの子にも何か心境の変化があったのかもな」

 

 心境の変化、それは友人である俺がいなくなったことによるかのんの心労が関係しているのだろうか。本人の口からそういった話を聞いたことが無いため、事の真意を確かめる事は出来ないが。

 

 だが、千砂都がここに来た時点で懸念される問題が一つ浮上する。

 

「これは近々、かのんちゃんもやってくるかもしれないぞ?」

 

「……その時は、俺はいないってことで帰らせておいてくれ」

 

 凪の警告も自分は対応する気はないとして俺は真に受ける様子を見せずに部屋を後にする。

 

 可可から貰ったノートの中身を熟読しなくてはいけない。かのんの事よりも自分が為さなければいけないことを考えながら、俺は自室へ戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 自室へ戻り、俺は勉強机に向かい椅子へ腰を下ろすと可可から貰った歌詞ノートを開いた。

 

 そこには可可のスクールアイドルをやりたい確固たる意志が忠実に書き込まれていた。

 

「何も見えない夜空の中に、雨のような沢山の流れ星……。あのキラメキが私に勇気をくれた……」

 

 ノートに書かれている言葉を口ずさみながら彼女が書いた日本語がおかしくないか、また彼女の伝えたい事が本質からずれてないかを読み取る。

 

「……これは『真っ暗で何も見えない夜空』っていうことを伝えたいんだな。それと、このキラメキについての言及は『前へ進む勇気』と……」

 

 彼女の文章を添削していく内に分かった事が二つある。

 

 まずは彼女は日本語に関してそこまで拙いものではなく、かなり成熟したものだという事。ある程度の添削を行うといっても俺がこのノートに書き足している内容は正しい言葉遣いへの修正ではなく、伝えたい事への補足事項くらいだ。

 

 そしてもう一つの分かった事、それは彼女がどうしてスクールアイドルに拘るのか、ということ。

 

「あいつ……昔はずっとやりたいことが無かったのか……」

 

 可可が書いた文章を読んでいくと彼女が心の内に秘めている葛藤が垣間見えた。

 

 文章の中にある『もっとも輝かしい自分になれ!』『いつか自分もあんな風になりたい』という文言、これは彼女が日本に来るまでの間はずっとやりたい事がなくて一人モヤモヤしていた期間があったのだろう。

 

 そんな中、とある拍子でスクールアイドルを見て、当時の自分に思う所があったからこそ活動を志すに至った。そして、結ヶ丘に来たことで一緒にスクールアイドルを目指す仲間に出会えた。これほどまでのチャンスにこぎつけることが出来たからこそ彼女もおいそれと不意にしたくはないのだろう。

 

 可可がこのチャンスに縋る想いに触れ、俺は今回の取り組みに対する心構えを見直さなければいけないと自省する。可可が俺を信頼してくれている事ももちろんあるが、彼女がどんな想いを持ってスクールアイドルに臨んでいたのかを知る機会は今までなかった。そのため、この依頼を軽く受け止めていた自省と同時にこの依頼を請け負ってよかったとも思うことができた。

 

「可可もこんな風に考えていたのか……。……ん?」

 

 可可が抱いているであろう胸中について静かに呟くとノートの端に大きく書いてある文を見つけた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 赤字と下線で強調されたこの文章にスクールアイドルを行うにあたっての可可の信念が込められているように見えた。

 

「……可可の夢、絶対叶えてやらないとな……」

 

 口元を緩めながら、ふとそんな事を呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、いつもと同じように登校して教室で一人の時間を過ごしていた。

 

「おはよう、颯翔くん!」

 

 スマホでとある調べ物をしていると燈香が登校してきたようで俺に挨拶をしてくれる。

 

「おはよう、燈香」

 

「颯翔くん、スマホで何してたの?」

 

 燈香は朝から一人で黙々とスマホを触る俺が不思議に思ったようで疑問をぶつけてくる。

 

「ん? あぁ、別に大したことじゃないよ。ちょっとした調べ物をね」

 

「ふ~ん、そっか! そういえば恋ちゃんはまだ来てないんだね?」

 

 燈香は俺の問いに対して追究する様子もなく俺の隣である恋さんの席を一瞥した。彼女はまだ教室内で姿を見ていないが、彼女の事だから早めに登校して野暮用をこなしている可能性がある。

 

「そうだな、鞄も置いてないし……。でも、恋さんの事だから先に来てるんじゃないか?」

 

「ふふっ、確かに恋ちゃんの事だから学校の為に働いてるかもしれないね」

 

「恋さんはもう少し肩の力を抜いてほしいもんだけどな」

 

 恋さんはすこぶる真面目な人物だ。自分の親がこの学校の創立者だからその娘として恥ずかしくない姿を見せようと授業や休憩の合間を縫って学校の為に勤しんでいるのだ。

 

 この前実施した音楽室の清掃の際といい、誰かが彼女の歯止め役として隣に立たなければあの人はずっと独りでこの学校の未来の為に奮闘しようとするだろう。人には頼れと言いながら当の本人は甘える事が苦手そうだしな。

 

「……こそスクール……に自由を……!!」

 

 そんな事を考えていると、外でなにか大声で叫んでいる人がいた。

 

「……なんか騒がしくないか?」

 

「何かあったのかな?」

 

 外の喧騒に二人揃って目を向けるとそこにはまるで国会のお偉いさんが使うような豪勢な台車が通りかかっていた。しかもただ通りかかるだけじゃなくて校内に入ろうとしていたのだ。

 

 その台車には見覚えのあるフレーズが書かれており、それを見て俺と燈香は苦笑いを浮かべながら固まっていた。

 

「……燈香、俺あそこに書いてある文に見覚えしかないんだけど」

 

「……大丈夫だよ颯翔くん。私も同じことを思ってたから……」

 

 そこにはいつかのチラシで見た『Let's スクールアイドル!!』の文字が書かれていた。そして、台車の上に大声を上げながら立っているのは昨日、一緒に澁谷家のカフェでお茶をした可可であり、彼女が立っているその台車を引っ張っている人物は澁谷かのんだった。

 

「あいつら、何をバカなことをしてるんだ……?」

 

 昨日、夢を叶えてやらないとなんて誓ったのがバカらしく思えるほどのあまりにも滑稽な姿にどうして承諾してしまったんだと痛んでくる頭を押さえる。

 

 よく見るとかのんもクラスメイトらしき人物らに何やら紙を見せつけているようだった。

 

「あれってスクールアイドル部設立のための抗議活動か何かか?」

 

「それっぽくは見えるけど……でもそんなことする必要あるのかな? この学校に反対する人っていないと思うけど……」

 

 燈香はかのん達を眺めながらそんな事を呟く。スクールアイドル活動に対して異を唱える人物、それが誰に当てはまるのか俺には容易に想像がつく。だが、燈香はその一面を見ていないので疑問を浮かべるのは無理もない。

 

「そう言えればいいんだけどなぁ……」

 

 そう呟いた刹那、放送のチャイムが鳴り響いた。

 

「普通科1年、澁谷かのんさん、唐可可さん。至急理事長室へ来てください。繰り返します……」

 

 スピーカーからは理事長の淡々とした声が響いていた。今回の騒動に対する怒りの感情は籠ってはいないようだが、それでも穏やかに終わりそうにない予感がした。

 

「はぁ、そんな事だろうと思ったわ……」

 

 周囲の状況を顧みない二人の行動力に密かに感心しつつも呆れを隠すことが出来なかった。

 

「颯翔くん、どこか行くの?」

 

「ちょっと手洗いに行ってくる」

 

 唐突に席を立った俺を見て燈香は尋ねてくるが、一言手洗いに行くとだけ伝えて俺は教室を後にする。

 

 あの二人を理事長が呼んだという事は彼女が関わっているような気がしてならなかったからだ。

 

 





君の熱意、しかと胸に……?


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彼女達の新しい目標


お待たせしました。

本編18話です。

よろしくお願いします。


 

 俺は教室を離れてとある場所に向かっていた。それは先ほど燈香に話した野暮用とは別の件。

 

 可可達が呼ばれた理由に彼女が関係していない筈がないと思い、その確認も含めて目的の場所へと赴いていた。

 

「恋さん、いるかー?」

 

 俺が向かった先は生徒会室。恋さんは学校の運営の手伝いらしいのだが、その活動の拠点をこの生徒会室にしていると前に聞いたことがある。

 

 正直、学校の運営を創立者の娘とはいえ生徒に手伝わせるのも如何なものかと思うが、学校の事情としても是非を言ってられない事態なのかもしれない。

 

 俺は生徒会室の扉をノックして恋さんの返事を待ったが、返ってきたのは静寂だけだった。入っていい合図が返ってくるまで待とうと思ったが時間が惜しかったのでドアノブを握り扉を開ける。

 

「恋さーん? ……やっぱりいないか」

 

 生徒会室内はもぬけの殻となっていた。だが、俺はそうなることを薄々勘付いていたため今更驚くことはない。むしろ、別の場所にいる事がこれでほぼほぼ確定したようななので、これ以上学校内を彷徨う必要が無くなっただけでもありがたいものだ。

 

「はぁっ……やっぱりあいつらの所か……」

 

 俺は幼馴染の顔を思い浮かべつつ鉢合わせにならないことを祈り生徒会室の扉を閉めて、もう一つ目星をつけている場所へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室を後にして、俺は目的の場所がある階層へと階段を降りていた。向かっている最中、また恋さんが彼女らと目も当てられない程の口論を交わしていた場合を想像し、少し頭が痛くなってくる感覚を覚えていた。

 

 あの人がスクールアイドルにどうしてそこまでこだわるのかは知らない。むしろ、そこは彼女にとって非常に繊細な問題だからこそ安易に触れられるものではないのだ。

 

 恋さんの逆鱗がどこにあるのか、それに触れた時に俺達の関係はどうなるのか、それを考えたらマイナスの方向に進む未来しか見えないので到底触る気も起きないのだ。

 

 彼女も俺のそれに関しては察しているだろうから、余計な刺激を与えようとはしてこない。互いの弱みを握り合っているだけの不思議な関係を持っているだけなのだ。

 

 かのん達が呼び出されたことによる悪寒を吹き飛ばすために、そんな関係の無いことをふと考えてしまっていたが、目的の部屋がある廊下へ顔を出すとその部屋に向かって顔を覗かせる少女の姿があった。

 

「……千砂都?」

 

 白髪を二つのお団子に結えているその子はもう一人の幼馴染である千砂都だった。部屋の中の空気に固唾を飲んで見守っていたからかこちらには気付いていない。

 

 昨日、凪が話していた千砂都が家を訪ねた件についてもここで何か言われるかもしれないと思ったが、人の気持ちに機微な彼女がこんな所でわざわざ事を荒立てるようなことはしないと思い千砂都へと近づく。

 

「……? あっ! 颯翔く……!」

 

 俺の足音に気が付いた千砂都をこちらに顔を向けると思わぬ人物が現れたことについ声が荒げてしまうが、すぐに口を押さえて部屋の中にいる人たちに気付かれてないことを確認する。

 

「……あいつらはこの中か?」

 

「うん。葉月さんも一緒にいる」

 

「……そうだよなぁ……」

 

 彼女たちがいるこの部屋、それは理事長室。先ほど放送でかのん達に呼び出しをしていたのは正門前での騒動についての言及が主だろう。そして、そこに生徒代表としての立場から恋さんもいるということだ。

 

 恋さんがここにいるのが偶然なのか理事長直々の呼び出しなのかは分からないが、ひとまずどのような会話が繰り広げられているのか千砂都に訊いてみる。

 

「これってさっきの正門での出来事の件か?」

 

「やっぱり颯翔くんも見てた?」

 

「……あれを見てない方がレアだぞ?」

 

「あはは……それもそっか」

 

 正門での抗議活動について俺が苦言を呈すと千砂都も苦笑を浮かべる。あの騒ぎを見ていない人を探す方が大変だと思う。

 

「なんかね、かのんちゃん達がスクールアイドル活動を始めようとしてるのを葉月さんが頑なに反対してるから、強硬策を考えたんだって」

 

「それでも大したもんにはみえねえけどなぁ……」

 

 千砂都の言う通り、やはりスクールアイドル活動を行う上での最大の障がいは恋さんのようだった。理由はどうであれスクールアイドルを目の敵にしている恋さんを説得するのは至難に見える。

 

「なるほど、事情は分かりました」

 

 理事長室から理知的な声が聞こえてくる。全校集会などの公の場以外で理事長の声を聞くのはなかなかに新鮮だった。

 

「葉月さん」

 

「はい」

 

 理事長が視線を向けながら恋さんを呼ぶと規律の良い返事が聞こえてきた。

 

「理由はどうであれ生徒の活動を阻害することは我が校の校風にも反します。今後の彼女達の活動に妨害を入れることは慎んでください」

 

 なんと、藪から棒に理事長がかのん達の活動へ前向きな意見を出してくれている。かのん達の決死の行動が意外な所で身を結んでくれたようだ。

 

 理事長からの意外な提案に恋さんも動揺を隠せない様子だ。

 

「で、ですが……!? スクールアイドルは母が……!」

 

「母は関係ありません。今ここにいるのは自分の夢を叶えようとしてる生徒たちです。一生徒である貴女にはそれを止める権限はありませんよ」

 

「…………っ」

 

 恋さんは反論しようと試みたが理事長から呆気なく一蹴され唇を噛むことしかできなかった。恋さんがしてやられてる様子を見て可可は気分が良さげだった。

 

「ふん、当然の結果デス!」

 

「しかし、葉月さんも言うようにこの学校は音楽へ特に力を入れています。生半可な想いで始めるのはあまり良いことではないと思います」

 

 恋さんが言い負かされ可可が調子に乗ろうとした矢先、理事長もかのん達に待ったをかける。

 

 確かに結ヶ丘高校は元々この地に根差していた神宮音楽学校の歴史を継いで生まれた学校だ。だからこそ、その伝統を結果としてこの結ヶ丘高校に残していかなければならない。

 

「例えば……近々執り行われるスクールアイドルのライブイベントに出場して優秀な成績を取る……などは如何でしょう?」

 

「近々行われるライブ……何があるのかなぁ……? 可可ちゃん、何か知ってる?」

 

「少しまっててクダサイ!」

 

 理事長が出したスクールアイドルのイベントで成果を上げる。音楽を強みとしているこの学校ならではの提案だと思うが、そんなに都合よくライブイベントが開催されるのだろうか。

 

 かのんに問われ可可が自身のスマホで調べている間、俺もふと気になって自分のスマホでスクールアイドルのライブイベントについて調べてみる。すると、とある催事が近々開かれることが分かった。

 

「代々木スクールアイドルフェス……」

 

 ふとイベントの名前を呟くと千砂都も興味を示すようにスマホの画面を覗いてホームページに書いてあるライブの概要を黙読する。

 

 代々木公園の一角にある野外ステージ、そこで各学校のスクールアイドルが一堂に会しライブを披露する。そして、イベントの最後にはどのスクールアイドルが一番良いパフォーマンスをしたか、それを観客が投票して出場グループの中の1番を決めるというものだ。

 

「この中で一番を取れれば、実績として認められるってことだね」

 

「そういう事だな」

 

 理事長室内からも同様の単語が聞こえてきたので、おそらく同じようなやり取りをしているに違いないだろう。

 

 彼女達の次の目標が分かり、俺はスマホの画面を閉じてこの場を立ち去ろうとする。

 

「颯翔くん、どこに行くの?」

 

「野暮用を思い出したから戻る。このままここにいても特に変わらないしな」

 

 可可から依頼されている歌詞の校正。これは修正した歌詞を含めた楽曲が次のイベントで確実に使われるものになるだろう。その時のために昨日時点で実施した歌詞の修正版を可可の元へ返しておかなければいけない。

 

「あっ、そういえば千砂都」

 

 ノートを取りに帰ろうとしたが俺はふと別件で千砂都に聞くことがあったのを思い出した。

 

「昨日、うちを訪ねた目的はなんだ?」

 

 それは凪が話していた千砂都が訪問してきたというもの。うちに来てまで話すほどの重要な話題でもあったのかを言及する。

 

 不意に昨日の訪問目的を問われ、千砂都は苦笑しながら答えようとする。

 

「あぁ〜……そんな大それた内容じゃないんだけどね? かのんちゃん達がスクールアイドルを始めようとした時に葉月さんが断固として拒否するからせめて何か弱点でも無いかなって話になって」

 

「それで知り合いである俺に恋さんの弱みを聞こうって魂胆か」

 

「う、うん。私も音楽科の子に色々と聞いたんだけど、颯翔くんが葉月さんと一番仲が良いって話を聞いて、それで……」

 

「……やってることが下らないな」

 

 俺を訪ねてきた目的を聞かされ、大きくため息を吐いて正直に思ったことを呟いた。

 

 恋さんに太刀打ちが出来ないからと弱みにつけこんでスクールアイドル活動を認めさせようとするその気概。執念から産み出された発想としては大層なものだが、それは彼女への成す術がないから力で強引に押し切ろうとするのと同義だ。

 

「仮に知っていたとして俺がそれを話すつもりは毛頭ないが、随分と姑息な手を使うようになったな」

 

「姑息って……じゃあ、颯翔くんはどうするのが正解だと思うの?」

 

 千砂都は自分なりに考えた案がバッサリと切り捨てられて思わずムッとしている。そして、彼女なりの意地悪を込めてか同じ状況なら、として俺に質問してきた。

 

「そんなもん、先生に相談するのが手っ取り早いだろ。さっき理事長も言ってたが恋さんは一般の生徒で他の生徒の行動を制限する権限はないんだ。そんな彼女にいくら談判した所で了承を貰えるわけがないと思うが」

 

「……それは……そうだけど……」

 

 恋さんは俺たちと同じこの学校の生徒。特に役職を持っているわけではないため、先生に相談した方が事は進展しやすい。仮に恋さんが役職を持っていたとしても立場としては教師の方が上なのだ。上司からの命令に逆らうなんて事は彼女には出来ない。だからこそ、このやり方が一番早いのだ。

 

 千砂都も俺の意見に納得はしつつも、はっきり論破されて素直に受け入れることが出来ないようだった。そんな彼女の様子を見て、少し言いすぎたと俺は反省する。

 

「……悪い、きつく言い過ぎた。とにかく無事にスクールアイドル活動がやれるようになったんだし、それでいいだろ」

 

「…………」

 

 俺の謝罪に千砂都は何も返事をせずにただ無言で見つめてくる。怒っているとも悲しんでいるとも読み取れるその表情に少し胸が痛くなってくる。

 

「じゃあな、ライブに向けて……がんばれよ」

 

 どちらも言葉を発さないこの空間に居心地が悪くなり、俺はなけなしのエールを投げたのち逃げるように歩き出したのだった。

 

 





彼女達を押すための追い風となる


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意図せぬ接触


お待たせしました。

本編、19話です。

よろしくお願いします。


 

 千砂都と別れ、俺は自教室に戻ってきた。燈香に余計な心配を掛けさせたと思ったのだが、どうやら彼女も席を外していた。

 

「燈香は……手洗いにでも行ったのか?」

 

 教室内を一周見渡したが彼女が他の生徒と話している姿はなかった。だが、燈香がいないと分かっただけでも俺としては都合が良い。もう一度席を外す理由を伝える必要がなくなったからだ。

 

 俺は自席に到着し鞄の中を漁り、とあるノートを取り出す。それは可可から依頼された歌詞ノート。

 

 彼女たちの事だ、あのライブイベントに参加することは間違いないだろう。ならば、早いうちに彼女へ校正したノートを届けてあげて歌の練習にも充てられるようにしなければいけない。

 

 ただ、ノートを渡すにあたって一つだけ心配していることがある。

 

「このノートの名前……どうにか出来ないか……?」

 

 そう、このノートの表紙には『可可の秘密のノート!!』と書かれているので知らない人が見たら絶対に中身が気になってしまうタイトルとなっているのだ。

 

 流石にこれをそのまま渡すのは気が引けるし、何か対策をしておいた方がいいだろう。

 

「あっ、これ使えばいいか」

 

 俺は一枚のクリアファイルを取り出し、その中にノートと一緒に表紙を隠すようにスクールアイドルのチラシを挟み込む。こうすれば、人のプライバシーを覗いてる感覚を覚えてしまいファイルの中身を見ようとする人はいなくなるだろう。

 

「よしっ、じゃあ渡しに行くか」

 

 俺としてはさっさと可可の机に置きに行って戻ってくるであろう彼女らと鉢合わせる前にずらかりたかったので早速普通科の教室へ向かう事にした。

 

 音楽科と普通科の教室はそこまで離れているわけではない。むしろ教室は同じ階層にあるのだが横並びで各教室が続いているため、シンプルに歩く距離が長いのだ。階段を利用しているわけではないのでそこまで距離があるわけではないのだが、ただただ真っすぐの道を歩くのも遠近法で目的地が遠くに見えて余計に歩かされた気分になる。

 

 音楽科の教室が並ぶエリアではその象徴である白いジャケットを羽織る生徒が多かったが、普通科のエリアに入ると一気に紺色のジャケットを羽織る生徒が増えてきた。

 

 普通科の教室群に入ったはいいものの俺は一つ気付いた事がある。それは可可のクラスを知らないという事だ。ただでさえ普通科のクラスは多いのでその中から可可がいる教室を探すのは至難の業だ。

 

「……まぁ、ひとまず聞き込みをするしかないか」

 

 兎にも角にも動かないことには始まらないので、まずは近くにいる人に声を掛けて可可の事を知ってる人がいないか聴いてみる事にする。

 

 そんな事を考えていると早速近くにいた女子生徒に声を掛けてみる事にした。

 

「あっ、あの」

 

「……何かしら?」

 

 素っ気ない返事をする少女は美しい金髪をストレートに靡かせ、頭には赤いカチューシャを付けていた。

 

 鋭い目つきで見てくるので一瞬気後れしてしまったがそうも言ってられないと思い、軽く咳ばらいをして尋ねた目的を伝える。

 

「えっと、唐可可さんのクラスを探してるんですけど知りませんかね?」

 

「唐……あ~、あのやけにスクールなんたらで騒いでる子ね。それなら私と同じクラスよ」

 

 なんという偶然、一番最初に話しかけた少女が見事に可可と同じクラスの生徒だった。

 

「あっ、本当ですか? もしよかったら案内してくれませんか?」

 

「あぁー、ごめんなさい。私は忙しいからそっちにいる子に頼んでくれません?」

 

 少女は俺の頼みに対して考え込む様子もなくバッサリと切り捨てる。この学校には珍しい男だから関わりたくないという事で警戒されているのだろうか。とはいえ、本人も忙しいと言っているから貴重な時間を奪ってまで彼女に付き合わせるつもりは俺には毛頭ない。

 

「そうですか。分かりました、唐さんのクラスに行って聞いてきますよ」

 

「えぇ、よろしく。あの子は1-Bだから、それじゃあ」

 

 俺と話すことが無くなったからか、少女はすぐに去ってしまった。俺に対してだいぶツンケンしてる様子だったので、もしかして男と話すのが苦手なのかもしれない。

 

「……まあ、別にいいか」

 

 いなくなった人の事を考える暇はない。俺は教えられた教室へ向かうために歩を進めた。

 

 

 

 

 

「あの、すみません」

 

 1-Bに着いて、俺は早速扉の前にたむろしている女子生徒三人に声を掛けた。

 

「はい、なんでしょう?」

 

「音楽科の湊月 颯翔と言います。突然ですが、唐可可さんの席はどちらです? 彼女のクラスはここと聞いたんですけど……」

 

「あっ、可可ちゃんね! あの子は今席を外してるけど、このクラスで合ってますよ!」

 

 栗色の髪を三つ編みで纏めた少女が俺の質問に答えてくれる。どうやら先ほどの金髪少女が言った事は間違っていなかったようだ。

 

「ならよかった。彼女のものと思わしきファイルが落ちていたもので届けに来ました」

 

「あ~、そうだったんですね! 可可ちゃんの席はこちらですよ!」

 

 そう言いながら緑がかった黒髪をお団子にした少女が先導して可可の席へ案内してくれる。

 

 クラス内に入ると生徒たちから物珍しい眼差しを向けられる。音楽科の制服を着ている上にここではあまり見ないであろう男なのだから、奇妙な視線を向けてくるのもおかしい事ではないだろう。

 

 そう割り切りつつも気持ちが落ち着かない自分もいる。少しの辛抱だと言い聞かせていると教室の真ん中に位置している席で、案内してくれた少女は立ち止まった。

 

「ここが可可ちゃんの席ですよ」

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いいですよ、これくらい!」

 

 可可の席が分かり、歌詞ノートが入ったファイルを机の上に置いて案内してくれた少女らにお礼を言う。

 

 気にしないで、と三つ編みの少女は言ってくれたが、一緒に居た茶髪をショートにした少女からとあることを聞かれる。

 

「それよりも……湊月くんって葉月さんと一緒に居るって噂の人ですか?」

 

「はっ? 噂?」

 

 いきなり噂の人と声を掛けられ、思わず聞き返してしまう。

 

「葉月さんと仲良くしてていつも一緒にいる男子生徒がいるって噂が流れてたんですけど、この学校って男子が少ないし音楽科ってなると尚更って思ったからつい気になって……」

 

「……そうですか……」

 

 葉月さんと仲良くしている男子生徒と言われると自分しか当てはまる人物が思い浮かばない為、ピンポイントに当てられてしまい思わず失笑が出てしまう。

 

 女子生徒は色恋には敏感と聞くが、流石に機微にもほどがある気がする。というか俺と恋さんはそういう関係性ではないのだが。

 

「まあ、恋さんと仲良くはさせてもらってるけど、それが何かあります?」

 

「えっと……実はこのクラスでスクールアイドルを始めようとしてる子がいるんです。可可ちゃんもその一人なんですけど、葉月さんが頑なに拒否してるみたいでもし湊月くんも何か知ってたらと思ったんですけど……」

 

 内容を聞いて、俺は先ほど千砂都から聞いた話を思い出す。

 

 恋さんがスクールアイドルに対して辛辣な態度を取っているという話はどうやら普通科もといかのん達の周りには知れ渡っているようだ。そこでこの子らも恋さんの事を自分たちなりに調べようとしているのだろう。

 

「いや、俺も詳しくは知らないですね。そういった素振りを見たことはありますけど」

 

「そうですか……ごめんなさい、いきなりこんなことを……!」

 

 ショートカットの少女は困惑させてしまったと思ったようで、頭を下げて謝罪してくる。

 

「いえいえ、こちらこそ有益な情報を持ってなくてすみません。では俺はこの辺で……」

 

 いきなり頭を下げられてしまったので、こちらも力になれないことを詫びる。そして、少し話し込んでしまった関係から時間もそれなりに経っていたので教室から去ろうと踵を返そうとしたが、教室の扉の前にこちらを睨みつける少女がいるのを見つけてしまった。

 

「…………」

 

「……かの……澁谷……」

 

 俺は反射的にかのんの名前を呼び掛けたが、苗字呼びにしていたのを思い出し、少し声を大きくしながら呼び直す。かのんは俺の呼び方について気に留める様子もなく口を開く。

 

「……何しに来たの。嫌味でも言いに来た?」

 

「勘違いすんな。そんな下らんことをする為に来たわけじゃねえよ。澁谷には関係ないことだ」

 

「じゃあ、わざわざななみちゃん達と話をする為にここに来たんだ?」

 

「そんなことをする為にわざわざこんな所まで来ねえよ」

 

 かのんのあまりにもなこじつけに俺も流石に沸点が下がるのを感じる。正直こうなることが目に見えていた為、俺は早く退散したかった。

 

 だが俺が使った表現が悪く、学科間の優劣を(あら)わにしてるようでそれがかのんを刺激してしまった。

 

「こんな所って何さ!? 自分は音楽科にいるからって……!!」

 

「それは単なるお前の実力不足だろ。いちいち難癖を付けてくるな」

 

「それにしても言い方ってものがあるでしょ!?」

 

「ち、ちょっと二人とも……!」

 

 口論が激しくなる俺たちも見て、ななみと呼ばれた三つ編みの少女はあたふたしながらも仲裁しようと俺たちの間に割って入る。他の少女らも困惑しながらも事が大きくならないようにかのんと俺の近くに寄って諫めてくる。

 

「……『こんな所』って言い方は俺も悪かった。俺はお前に用があって来たわけじゃない。それは勘違いするな」

 

「…………」

 

 これ以上長居をするつもりは無いので、俺はかのんに放った失言の謝罪と改めてここに来た要件について補足を入れる。無言を貫きつつも反論してこないということは彼女も彼女なりに事情を理解しているのだと信じたい。

 

「お前に対して干渉するつもりはねえから、これ以上俺に突っかかってくるのはやめろ」

 

 返事をしないかのんに自分から関わるつもりはないと釘を刺し、彼女の横を通り過ぎる。そして、教室の扉の前から教室内の方へ向き直る。

 

「騒がしくして失礼しました」

 

 (はた)から見れば音楽科の生徒が普通科に喧嘩を売りに来たように見えてしまうので、他意がないことを示すために俺は頭を下げて騒々しくしたことを謝った。

 

 謝罪に対して生徒達から声を掛けられることはない。むしろ、そんなことをする物好きな生徒はいないという予感はしていたので俺は頭を上げたのちにかのんを一瞥する。

 

 憂いな表情をしていたようにも見えたが、それも一瞬のことでかのんはすぐに自分の席へ戻る。すぐにこちらから目線を逸らす彼女を見て、これで良いと安心する一方で胸がチクッと痛む感覚を覚えながら、俺は自教室へと踵を返すのだった。

 






二人の溝は深まる一方。



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教室内でのひととき


お待たせしました。

本編20話です。

よろしくお願いします。


 

「あっ、おかえり颯翔くん! ずいぶん遅かったね?」

 

 普通科の教室で可可へ歌詞ノートを返しに行った後、俺は寄り道することなく音楽科の自教室へ戻ってきた。今度は燈香も戻ってきており、帰るのが遅くなった俺を心配してくれた。

 

「あぁ、悪い。手洗いついでに少し学校内を探検してたら迷っちまってな……」

 

 恋さんの様子を見に行ったなんて事も言えないので、俺はそれっぽい嘘をつく。燈香もそれを信じて疑わなかったが羨望の眼差しをこちらへ向けていた。

 

「えー、そんなことしてたの〜? 私も新設校だからちょっと気になってたのに颯翔くんだけずるいよ……」

 

「そ、そうか……。なら授業終わった後、ちょっくら冒険するか?」

 

 突貫で思いついた嘘に燈香が予想以上に食い付いてきたので、驚いた表情をしつつも折角ならということで放課後に学校内を一緒に散策することを提案する。

 

「いいの!? ぜひ一緒に行きたいな!」

 

 俺の提案に燈香もかなり乗り気だったようで二言で了承してくれた。急な誘いになってしまったけど承諾してくれたことに俺も嬉しくなる。

 

「よしっ、なら決まりだな。色々と巡ってみようぜ」

 

「うん! えへへっ、楽しみだね♪」

 

「ふっ、そうだな」

 

 たかが学校内を巡るだけというのに嬉しそうに笑う燈香を見て、つい笑顔が溢れる。先ほどまでかのんの事でどんよりしていたとは思えないほどに、俺は自分の心が晴れ上がっていくのを実感した。

 

 燈香とそんな約束を交わしていると恋さんが入室してきた。燈香はいち早く彼女の存在に気付き、すぐに元気よく挨拶をする。

 

「あっ、恋ちゃんおはよう!」

 

「おっ、恋さんおはよう。随分と遅いじゃん?」

 

「日向さん、湊月くん、おはようございます。学校のお仕事で少し時間がかかってしまいまして」

 

 燈香に遅れる形で挨拶すると恋さんも口元を緩め、柔らかく挨拶を返してくれる。さっきまで他の生徒と口火を切っていたとは思えない変わりように俺は内心驚きを隠せなかった。

 

「いつもいつも学校のお仕事で大変だね。でも、それって恋ちゃんがやっても大丈夫な事なの?」

 

「本来であれば先生方がこなすことですが、人手が足らずあまつさえ要領も分かり切れていない状態ですので私は特別に許可を頂きました」

 

 学校の運営に関わることを生徒が担うのは如何か、と燈香は苦言を呈したが恋さんは自分から進言したとして先生に非はないと説明する。

 

「創設者の娘だからって事で実直にこなすのはいいことだけど、流石に真面目がすぎるんじゃないのか?」

 

「無論、私もずっとやるつもりではございません。いずれは私も一生徒として自分のやりたい事を始めたいと思っていますので」

 

「そっか~。そういえば恋ちゃんのやりたい事ってなんなの?」

 

「それは……」

 

 燈香の質問に答えようとする恋さんだが、途端に口を噤んでしまう。先ほどまで饒舌だったのに、いきなり無言になってしまったので俺は少し戸惑う。

 

「恋さん?」

 

「……そうですね、習い事として嗜んでいたダンスについてもう一度始めようかと思います」

 

「あっ、恋ちゃんもフィギュアスケートをやってたって言ってもんね! 私も以前にやってたから是非恋ちゃんのダンスも見てみたいな!」

 

「あれ、燈香ってピアノしかやってないんじゃなかったっけ?」

 

 燈香も予想外の進言に俺は素朴な疑問をぶつける。以前の自己紹介の時にはピアノを習っていたという話を聞いただけだったのでダンスもやっていた、というのは初耳だった。

 

「えへへ、実はダンスも両親の勧めで習ってたんだ。幼い頃から色々と経験を積んでおくのは大切な事だって教えられたからそれでね」

 

 燈香は恥ずかしそうにしながらも笑顔で教えてくれる。全体的に線が細い燈香だからそういったことは習ってないと思っていたので、ダンスをやっていたというのは藪から棒だった。

 

「ふふっ。では、いずれは日向さんにダンスのお相手をして頂きたいですね」

 

「わ、私で務まるか分からないけど……が、がんばるよ!」

 

 恋さんらとそんな他愛ない会話をしていたら始業のチャイムが鳴り教師も教室へ入ってきたので、俺達はすぐに自分たちの席へ着くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、やっと授業が終わったなぁ。じゃあ、燈香行くか」

 

 その日の授業が終わり、ずっと座っていた為に固まっていた全身の筋肉をストレッチで程よく伸ばすと燈香の方へ振り向き声を掛ける。

 

 燈香の方を見ると既に準備万端だったようで荷物も纏めて移動できる状態だった。

 

「うん! 私は大丈夫だよ!」

 

「二人とも、どこかへお出かけに行かれるのですか?」

 

 俺達の事情を露知らずの恋さんは帰りのホームルームが終わってすぐに帰宅準備をしている俺達を見て素朴な疑問をぶつけてきた。

 

「これから学校内を散策してくるんだよ。まだまだこの学校は知らない事尽くしだしな」

 

「あっ、折角なら恋ちゃんも一緒にどう? 実は恋ちゃんも知らないようなことが見つかったりするかも?」

 

 俺が恋さんの質問へ答えると燈香が横から学校探検に勧誘してきた。確かに恋さんはこの学校の事を他の生徒よりはたくさん知っている事だろう。各教室毎の解説も含めて、もし都合が合えば一緒に回ってほしいものだ。

 

 だが、俺達の期待に反して恋さんから出た言葉は断りのそれだった。

 

「すみません。面白そうではありますが、理事長から呼び出されているので難しいかと……」

 

「そっかぁ……先生からの呼び出しってそんなに長いものなの……?」

 

「そういうわけではないと思いますが……」

 

 誘う度に先生の呼び出しを理由に断られてしまう事もあり、少し燈香もうんざりしている様子だった。恋さんもその空気を感じ取っているが、それでも先生からの頼みごとを断るわけにもいかない。

 

 顎に手を当てながら思考を巡らせた恋さんははっと何かを思いつきとある提案を投げてくれた。

 

「そうですね、用件が終わった後ならばお時間が取れると思いますので、もしよろしければ後ほど合流という形でもいいですか?」

 

「えっ、ほんとう!?」

 

「それは嬉しいけど……無理してないのか?」

 

 承諾を貰えて嬉しそうに燈香は目を輝かせる。その反面、俺は恋さんの身体を心配する。入学して早々から生徒として全うする学問のみならず学校の仕事についてもこなしているのだ。まだ弱冠15歳の少女には到底負担が大きいようにも見えるのだ。

 

「私なら大丈夫です。この程度の事をこなせなければ創設者の娘として後を継ぐことは出来ませんから」

 

「それはそうだけどなぁ……」

 

「もう颯翔くん、恋ちゃんが大丈夫って言ってるからまずはそれを信じてみない? それにここでまた時間取ってると恋ちゃんが遅刻しちゃうし」

 

 恋さんの言葉に苦言を呈していると燈香は頬を膨らませながら待ったを掛ける。燈香からの横やりで俺もこれ以上の論争は無駄と判断する。今ここでこんな話をしても物事が進展するわけでもないし、ただの井戸端会議でしかないのだ。そう考え、先ほどまでの会話を切り上げる。

 

「……それもそうだな。恋さん、長く足止めして悪かった」

 

「いえっ、気にしないで下さい。それよりも私の事を気に掛けて下さり嬉しいです。ありがとうございます」

 

「べ、別にそういうのじゃねえけど……」

 

 いつもの恋さんの事だから軽く小言を言われるかと思ったが、思いのほか気にしてない様子でむしろ気に掛けたことにお礼を述べられる始末。流石にそこまでの跳ね返りを予想はしていなかったので俺も思わず顔が熱くなり、そっぽを向いてしまう。

 

 だが、俺のそんな態度を見て恋さんが幼い子供を見るように穏やかな笑顔を向けてきていた。

 

「ふふっ。今の湊月くん、なんだかかわいらしいですね」

 

「はっ? かわいらしいって、俺はそんなんじゃ……!」

 

「そういう言動が余計にそう感じさせるのです。では、そろそろ私も行かなければいけないので、湊月くん、日向さん、また後ほど」

 

「うん! 終わったらまた教えてね、恋ちゃん!」

 

 恋さんからの揶揄いに反論しようと思ったが、時間が迫ってることを理由に足早に教室から立ち去ってしまった。勝ち逃げされたような気分になり、少し悔しい感情が出てくる。

 

「……なんだ、このしてやられた感」

 

「颯翔くんの新しい一面だね」

 

 やり場のないもどかしさを口から漏らすと、燈香が横に身体を近づけながら笑顔でそう言い放った。昨日、俺が燈香を揶揄った際のやり取りを再現して言ったのだろう。だが、それだけで俺の小腹を立たせるには十分だった。

 

「……うるさい」

 

「いたっ」

 

 近づけてきた頭をめがけて手刀を軽く叩きつけた。燈香も本気で痛がりはしないものの目をぐっと瞑りながら苦悶の表情をする。

 

「颯翔くん、私への扱いがひどくない?」

 

「燈香の言い方が少しムカついただけだ」

 

「……昨日、私に同じことをしたのに?」

 

「……それについてはノーコメントで」

 

「それ、確信犯じゃん……」

 

 先ほどの思考を読まれたような錯覚に陥り、俺はこの話題についての言及をやめる。横で燈香が訝し気にこちらを見ているが何も気にしない。

 

「とにかく、俺達もここで油を売ってる時間は無いし、俺達だけでまずは出発しようぜ」

 

「……なんか丸め込まれた気がするけど、それもそうだよね。よしっ、気を取り直して今からレッツゴー!」

 

 燈香も気分を戻して、右腕を上げながら出発の音頭を取る。

 

 これから巡る学校内の探検に少年心をくすぐられ、俺も内心ワクワクを抑えることが出来なかった。

 

 





未知なる場所への探求心、そこで待ち構えるものとは?



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学校探検


お待たせしました。

本編21話です。

私のTwitter垢で颯翔くんと燈香ちゃんのビジュアルを公開してますので是非覗いてみて下さい!

それでは今回もよろしくお願いします!



 

「教室棟は普段からある程度は回ってるから、最初は別棟に行くか」

 

 俺は燈香と一緒に自教室を出ながら、行き先について提案する。

 

 教室棟は音楽科、普通科の教室がメインで並んでいる。教室は俺達一年生らのものの他に来年度以降の生徒らの分も用意されている。各階層ごとに分けられているため、普段目に掛かることはないが俺達のそれと同じような光景が広がっている気がするので目新しいものはないように感じる。

 

「そうだね~! 特別棟は移動教室でたくさん使うと思うから先に回ってみない?」

 

 燈香はそれなら、と科学室などの移動教室で利用する特別教室が設けられている特別棟を提案する。

 

「確かに、今後の移動教室でも困らなくなるしいいんじゃないか?」

 

「えへへっ、なら決まりだね!」

 

 彼女の提案に賛同の意を示すと燈香も嬉しそうに笑みを浮かべ特別棟へと歩き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここは特別教室の中でも独特の雰囲気が出てるよなぁ……」

 

 そう言いながら立ち寄った教室は科学室。小学校や中学校でも必ずと言っていいほど用意されている教室だが、通常の教室や音楽室棟とは違い、その雰囲気と相まって教室内が仄暗い印象を受ける。そんな中、部屋の隅に鎮座されている人体模型や骸骨が授業中でも後ろから監視されているような感覚に陥る。これだけは小学校の頃からどうにも苦手だ。

 

「どうして科学室って骸骨のサンプルとかあるんだろうね? 授業では殆ど使わないのに」

 

「あぁ~、確かにな? 科学室の雰囲気出し……のため?」

 

「怖さを助長させるだけだからやめてほしいよね……」

 

 顔を引き攣らせながら骸骨の方を見ようとしない燈香を見て、自分と同じにおいを感じる。

 

「もしかしてこういうのは苦手?」

 

「だ、だめ?」

 

「大丈夫、俺も嫌だから」

 

「あっ、颯翔くんも意外と苦手なんだね?」

 

 燈香は物珍しい目で俺を見てくる。俺がこういった生態系に苦手意識を持っているのがそんなに珍しいのだろうか。

 

 しかし、ケースで納められているとはいえガラス越しに中身が見えるように設計しているのは非常に質が悪いと思う。あれを考えた昔の人間はどういう思考をしているのか。

 

「……理科なんて実験くらいしか楽しくない気がするぜ?」

 

「それは多分みんな思ってるね……」

 

 

 

 

 

 

 

「家庭科室はここにあるんだな?」

 

 科学室を出発した俺たちが次にやってきたのは家庭科室だ。音楽科では履修頻度も少ない関係上、ここを利用する回数も少ないがそれでも使うことに変わりはないので顔を出していた。

 

 調理実習で使用するために複数個のテーブルや食器が陳列されており、そこは従来の学校と大差はないように感じる。

 

「そういえば、燈香って料理も出来るの?」

 

「うーん、他の子達に比べたら簡単なお菓子は作れるくらいで料理はそこまでかなー。颯翔くんは?」

 

「俺はまずやった事がないからなぁ……。基本的に両親や兄に任せっきりだったから調理実習になると足手まといになる気しかしない」

 

 燈香の質問に俺は苦笑しながらそう自虐気味に言う。俺がこういった事をやっていないのは身内が代わりにやってくれているお陰であり、その結果俺は勉強や音楽、ダンスに力を注ぐ事ができていた。逆を返せば周りがいるからこそ、今の俺が形成されているのでその点に関しては改めて身内に感謝しなくてはいけない。

 

「なんだか、颯翔くんってなんでもそつなくこなす印象だったから足手まといになっちゃうっていうのも少し意外だね?」

 

「だいぶ過大評価してくれてるけど俺はそんなに出来た人間じゃないぞ?」

 

「えへへ、颯翔くんって凄く頼りになる印象があったからついそのイメージが抜けなくて……」

 

 燈香はそう言いながらくしゃっと笑って答える。言われてみれば、燈香の前ではかのん達とのやり取りを見せたことが無いからそういった印象を持たれているのかもしれない。

 

「でも、流石に包丁を使って食材を切るのは大丈夫じゃないの?」

 

「うーん、猫の手を使って材料を切るっていうのは知ってるけど、それをやったら第二関節の皮を切ったからそれ以来包丁も触らせてもらえてない」

 

「じ、じゃあ、お味噌汁をかき混ぜたりカレーとかをグツグツ煮込んでもらうのとかは?」

 

「強火で一気に煮込むから念入りにかき混ぜろ、って言われたから俺なりの力加減で混ぜてたらコンロ周りが異常に汚れてた」

 

「……お皿洗いとかは……?」

 

「洗ってる最中に手を滑らせて皿を割りかけてからやらせてもらってない」

 

「…………颯翔くんはお箸並べとかの食卓周りの準備をやってもらうことにするよ……」

 

 燈香は苦虫を噛み潰したような表情をしながら、お手上げと言わんばかりに項垂れる。なんだか、この数十秒で彼女が俺に抱いていた幻想を完膚なきまでに砕いてしまった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別棟の散策が終わり、次に部活動の為に用意された部室が多く用意されている部室棟へと向かった。部室棟は3階まであり、1階には体育会系、2階には文化系の部室が設けられる形で区分けされている。

 

 なお、恋さんはこの時点でもまだ連絡が返ってこないので、仕事に手をこまねいているか先生方の頼みごとを断れずに協力しているかの二択だろう。

 

「颯翔くんはどの部活に入るか決めたの?」

 

「そうだなぁ……俺は運動が出来る身体じゃないから体育会系に入っても邪魔になるだけだし、どこに入ろうかは全く考えてない」

 

 俺はとある時期から腰を痛めており、スポーツをやることが出来ない。そんな状態で運動部に入部してもまともに競技を行う事も出来ずにただマネージャーのような雑務をやらされるだけの日々になる。そんな欠伸が止まらなそうな日々が続くと俺もやってられないのでそもそも入る気も起きないのだ。

 

「燈香は吹奏楽部に入るんだよな?」

 

「うん、ピアノ以外にもたくさん楽器を触ってみたいなって思ってね!」

 

「そっか~……。にしてもなんでそんなに演奏できる楽器を増やしたいんだ?」

 

 ピアノが弾けるだけでも他の人間よりは芸に長けているのに更にレパートリーを増やそうとする燈香の好奇心に興味が湧く。

 

「なんだかね、楽器を弾いてると声が聞こえてくるんだ」

 

「声?」

 

「うん! 私の演奏に呼応するように音を出してくれることが、あの子たちが私に応えてくれてるって思えて凄く楽しいんだ~!」

 

「うーん、分かるような……分からないような……?」

 

 いつにも増して饒舌になる燈香。やはり楽器を演奏できる人というのはこういった独特の感性を持っている人が多いのかもしれない。俺には楽器の声なんてものはただの音色としか捉えられることが出来ないので、彼女が伝えたい事が分かるようで分からないのが非常に歯がゆい。

 

「私、前まではあんまり友達もいなくてピアノが友達みたいなところがあったから、それもあるかもね。えへへっ、こんなこと話すの少し恥ずかしいけど……」

 

 燈香は少し郷愁に浸るように廊下の一番遠い端を見つめる。それは友人が居なくてずっと一人で学校生活を楽しんでいた過去の自分を憐れんでいるようにも見える。

 

「……でも、今の燈香はそうじゃないだろ?」

 

「えっ?」

 

 燈香が過去の自分に対して憂慮な感情を抱いているような気がしたので、そんな気持ちを抱かせないように俺は語気を強くして燈香に言い聞かせる。

 

「今の燈香は一人じゃない。俺や恋さんがいるだろ? 少なくとも俺は燈香の事、友達だと思ってるぜ?」

 

「颯翔くん……。ふふっ、ありがと。私も颯翔くんの事、大切な友達だと思ってるよ」

 

「あぁ、ありがとな」

 

 少しキザになってしまったかとも思ってしまったが、燈香は気にする様子を見せずに笑みを溢す。燈香が安堵した様子を見せてくれると俺もつられて笑顔になる。ひとまず暗い雰囲気になるのを避けることが出来たので安心した。

 

 燈香は恋さんと同じように俺の事を慕ってくれてる。だからこそ、俺としても彼女の事を大切にしたいしこれからも信頼してくれるように燈香の事を知りたいのだ。

 

「よし。じゃあ、ここはまずは上階層から回っていくか」

 

「うん!」

 

 先ほどの特別棟は1階から回っていたので今回はその逆からという事で最上階から部室棟を回ることを提案する。燈香もその案には賛同だったようで、意気揚々と二人仲良く部室棟の階段を上っていく。

 

「あれっ、そういえばここって3階には何の部活があるんだ?」

 

 2階に上がった矢先、俺は初めて部室棟のレイアウトを見た時に浮かんだ疑問をぶつける。掲示板等に貼付されていた校舎のレイアウトでは1階には体育会系、2階には文化系の部活が並んでいることが明記されていたが、3階にはどんな部活があるのか何も書かれていなかったのだ。

 

「確かに通行出来ないようにバリケードが設置されてるわけでもないもんね?」

 

「……ちょっと覗いてみるか」

 

 突如として生まれた未開の地に俺は好奇心が抑えられなかった。だが、燈香は見つかった時の事を考えて制止しようと試みる。

 

「えっ……バレたら怒られないかな……?」

 

「大丈夫だろうさ。こういう場所っていうのはほかの生徒だって興味本位で顔を覗かせるだろうし、それにもし怒られたら通れないように柵を用意していない学校側が悪い、ってことで反論すればいいさ」

 

 学生の好奇心というのはおそろしいもので、時には大人が想像もできない程の行動力を見せる時もある。本当に通らせたくなければ貼り紙等で警鐘を鳴らすべきだが、ここではそういった対策が見受けられない。だからこそ、俺達が言い返しても自分たちの落ち度もあるからこそ教師側は文句を言えないはずだ。

 

 正論を言っている事を理解はしつつも横暴に見える俺のやり方に燈香はまだ不安が残っている様子だった。

 

「……少し乱暴な気もするけど大丈夫かなぁ……?」

 

「ははっ、大丈夫さ。もし何かあれば燈香はあくまで俺に付いてきただけってことにしておくからそこは任せろ」

 

「それもそれでどうかと思うけど……颯翔くんがそう言ってくれるならその時は任せるよ?」

 

 自信ありげに語る俺に燈香は任せるよと言うように微笑んでみせる。

 

 燈香の同意も得られたことで俺達は部室棟で唯一何も表記がなかった3階へと足を運ぶ。より探検しているような気分を味わえて、俺は内心ワクワクが抑えきれなかった。

 

 





冒険により近くなる二人のパーソナルディスタンス


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学校アイドル部?


お待たせいたしました。

本編22話です。

今回もよろしくお願いします!

それではどうぞ!


 

 燈香と学校内の散策を行っている中、部室棟で突如見つけた3階にある部室を目指すべく階段を上っていた。

 

「3階に上がってきたけどだいぶ埃が舞ってるなぁ……?」

 

「使われなくなってからだいぶ時間が経ってるのかもね」

 

 階段に使用されている木材特有の茶色が埃によってくすんだ色に変わっていた。また、天井から吊るされている照明も機能しておらず屋上の窓から差し込む陽光のみで3階が照らされていた。

 

「やっと突き当たりだ。あそこに見えるのは……プレートが汚れてて見えねぇ……」

 

 階段を上りきると、目の前には2つの扉が立っていた。一つは屋上へと続くもの。そして、もう一つはとある教室へと続くものだった。教室名はネームプレートが掲げられているのだが、汚れが多く拭き取らなければ正確に読み取れなかった。

 

 ネームプレートをさっと抜き取り、指で擦るように付着した汚れを取るとそこには既視感のある名前が書かれていた。

 

「……学校アイドル部?」

 

「スクールアイドル部とはまた違うのかな……?」

 

 プレートを見つめながら二人で首を傾げる。世間としてはスクールアイドルという名称で通っている文化だがどうして学校アイドルという名前で部室が用意されているのだろうか。

 

「中は入れるのか?」

 

「さすがに鍵が掛かってるんじゃ──」

 

「開いたわ」

 

「まさかの未施錠……」

 

 開きはしないだろうと思いつつもスライドドアを横方向に力を入れると扉は一切の抵抗を見せずに部屋の中を露わにしてくれた。戸締り管理がおざなりになっていて燈香も怪訝な表情をする。

 

「な、なんか出てこない……?」

 

 部屋の中も電気が付いておらずドアを開けたことで外気により地面に溜まっていたであろう埃が宙を舞い始めた。燈香としては部屋が暗い他にこれも恐怖感を煽る演出となって怖くなっているのだろう。

 

 俺の背中に隠れる燈香を一瞥して仕方ないと思いつつ部屋の中を見渡すと照明のスイッチを見つけたので部屋の中を明るくする。

 

「おばけがいるわけじゃないし怖がることもないだろ」

 

「なんで颯翔くんは平気なの? 科学室では同じように怖がってたのに」

 

「あれは人体模型や骸骨とかの無機質な標本があるから。ここにはそんなもんは置いてないだろ?」

 

 俺はただ科学室に置いてある標本系が苦手なだけでおばけはそこまで苦手意識を持っていない。だが、俺の事を同士と思っていた燈香は頬を膨らませながらジトっとこちらを睨みつけていた。

 

「颯翔くんの事を仲間だと思った私がバカだったよ」

 

「さっき俺の陰に隠れて室内の怖い要素を俺に押し付けようとしてたよな?」

 

 散々な言われようだが、もし俺がおばけ系統も苦手だったなら先ほどこの少女は俺の背中に隠れていたので、自分だけ楽になろうとしていたことになる。だが、そうなる気持ちも分かるし俺もそれで彼女に文句を言うようでは男として情けなさすぎるのでとやかく言うつもりはない。

 

「それにしても部室内は埃が舞ってるとはいえ、何も置かれてないな」

 

「もう活動してないからここで使ってたものは片付けられたってことかな?」

 

「そうっぽいな……」

 

 何も置かれていないタンスや部屋の中を見渡し、学校アイドルに関係するものは何ひとつ置いておらず部室内はもぬけの殻となっていた。だが、それ以外の収穫として別の部屋に繋がる扉を見つけた。

 

「ここはなんだ?」

 

「このドアも鍵はかかってないみたいだね」

 

 燈香が部屋のドアノブを握り鍵が掛かってないことを確認すると俺と目を合わせてくる。その仕草に俺は「開けよう」と言うように頷いてみせる。

 

 燈香も返事をするように頷いてみせ、扉を開ける。別室も電気が付いておらず薄暗い空間が広がっていた。

 

「なんだここ……完全に物置になってないか……?」

 

 そこには数えきれないほどの段ボールやバスケットが積まれており、中身が見えないように丁寧にガムテープや風呂敷で梱包されていた。

 

「神宮音楽学校だった時の記録……みたいなものかな?」

 

「そうみたいだな。資料が纏められたファイルや明らかに使い古されている備品が沢山入ってる」

 

 長年使用されていなかった影響からか若干の埃くささを感じながら、部屋の中を物色する。神宮音楽学校という名称が使われているファイルが多く保管されていたり、部活で使用していたであろう器具関係についても色がくすんでおり、補修等もされずに放置されている様子が窺える。

 

「なんで学校アイドル部の部室横がこんな物置にされてるんだ?」

 

「当時はこの部活が何かの理由で迫害されてた……とか?」

 

 俺がふと疑問を口にすると燈香も困り眉を作りながら憶測を答えてくれる。部室棟の中で学校アイドル部のみが3階に、そして部室の横が物置として使用されている事が妙に釈然としない。神宮音楽学校の細かい歴史については勉強できていないが、当時の文化としてはマイナーだったからこそ学校や世間の風当たりが強かったのだろうか。

 

 だが、ここでそんな議論を展開しても返ってくるのは無情にも沈黙のみ。明確な答えがここで出てくるわけではない。

 

「そうなると学校でのアイドル活動自体は昔から続いてる文化になるんだよな~。……ん?」

 

 燈香が話した予想もあながち間違ったものではないと思い肯定の意見を出していると、部屋の隅で妙なものを見つけた。

 

「なんだこれ……。宝箱かなんかか……?」

 

 そこには飾りつけ等が何も施されていない質素な木箱が置いてあった。周囲が段ボール等で重なっている中でこの箱のみが段重ねで上下に物が置かれていないため、その扱いの差から異様な存在感を放っていた。

 

「うーん、こいつは鍵が掛かってて開きそうにないな」

 

 俺はしゃがみ込んで木箱をじっくりと観察する。木箱を開けてみようと試みたが専用で錠が設けられており、施錠されている関係から中身を確認することは出来なかった。

 

「これにはしっかりと鍵が掛かってるんだね、でもなんでこれだけに……?」

 

「誰かが意図的に仕組んでやってることか……?」

 

 燈香が頭の中に浮かんだであろう疑問に乗っかる形で俺も予想を立てる。隣の部室、そしてこの部屋の施錠管理は緩いくせにこの木箱に関しては施錠がしっかりとしている。もしかして誰かが外からこの箱を持ってきたのだろうか。

 

「でもこいつが何のやつか分からないし、経緯が全く分からんな」

 

 箱の中身が分からないためいくら考えても答えは出ない。異彩を放っていることは確かだが、これを開けるための鍵の在りかについては何も情報がないためそこから先の話を進める事はできなかった。

 

 俺はこの木箱についての追究をやめようと立ち上がる。その瞬間、俺が所有しているスマホからバイブレーションがズボン越しに肌へ伝わってきた。

 

「あっ、これは恋さんか……?」

 

 スマホをポケットから取り出し通知元を確認すると案の定恋さんだった。恋さんから電話が来ているので俺はすぐに通話を開始する。

 

「もしもし?」

 

『もしもし、湊月くんですか? ご連絡が遅くなってすみません……!』

 

 電話を取ると恋さんが少し焦った声色で話してくる。おそらくやっと先生から頼まれていた仕事が終わったのだろう。

 

「気にしないでいいさ。もうそっちの用件は終わったのか?」

 

『はい。今からそちらへ向かいたいと思いますが、お二人はどちらへおられますか?』

 

「今、部室棟の方にいる。1階の入り口で集合する形でいいか?」

 

『分かりました。ではすぐに部室棟の入口へ向かいます。またそこで落ち合いましょう』

 

「了解、そんな急がなくていいから気を付けてな。それじゃあ、またあとで」

 

 恋さんの用件が無事に終わったという事で部室棟の入り口にて落ち合う事で合意を取り、通話を終了する。

 

「恋ちゃん、やっと終わったんだね?」

 

「あぁ、これから準備していくらしい。1階で合流しようって話をしたから今から行くぞ」

 

「オッケー!」

 

 燈香も恋さんと一緒に回ることを楽しみにしていたのかすぐに物置部屋から出ようとする。燈香としては彼女とも仲良くしたいと思っているからこそ自然と張り切っているのかもしれない。

 

 燈香に続いて俺も外へ出ようとするが、忘れないように一つだけ燈香にある忠告をする。

 

「燈香、ここの事については外に漏らしたらまずいような気がするから、ここで見たものは俺達の中の秘密にしておこう」

 

「……確かにさっきの木箱やこの学校アイドル部の扱い、意外と繊細な話になりそうだもんね。うん、わかった!」

 

 全く清掃されていない部室、そして物置内にある資料や謎の木箱。これは話を公にすると学校内に余計な混乱を招きそうな気がした。また、恋さんがスクールアイドルを目の敵にしている以上、学校アイドル部のことも何かしら関わっているような予感がしたのであまり公言したくはないのだ。

 

 恋さんの事情は俺しか知らないが、それ以外の懸念について燈香も理解してくれたようで他言無用を約束してくれた。物分かりが早くて俺は安堵の表情を見せる。

 

「よし、じゃあ恋さんと合流するために下まで戻るか」

 

「おぉー♪」

 

 燈香の元気の良い返事を聞きながら俺は物置部屋、そして学校アイドル部部室の扉を鍵のかかっていない元の状態に戻す。

 

 

 

 学校アイドル部が何故こんなところにあるのか、はたまたそれが今のスクールアイドルや葉月恋という少女とどのような因果関係にあるのか。1階へ戻る最中もその疑問だけが俺の頭をさまようのだった。

 

 

 





学校の歴史、現在にまで続く縁、果たして?


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恋さんの寂寥


お待たせしました。

他作品との並行執筆で約2ヶ月開けてました。

本編23話です。

それではどうぞ。


 

 恋さんから連絡を貰い部室棟の1階で燈香と雑談をしていると血相を変えた様子の恋さんが息を切らしながら走ってきた。

 

 普段ならば廊下を走る生徒を諫める側であろう恋さんが諫められる側に立つというのはなんとも可笑しなことだが、彼女も真面目故にここまで忙しなくしているのだから口には出さず胸の内に留めておく。

 

「湊月くん、日向さん、お待たせしてしまい申し訳ございません……! まさかここまで時間が延びるとは思わず……!」

 

「別に良いって。それよりもお仕事お疲れさん」

 

「お疲れさま、恋ちゃん! 颯翔くんと早く来ないかなって話してて、すっごく待ちわびてたよ!」

 

「燈香、それは恋さんが余計に気にするから言ってやんなよ?」

 

 燈香は恋さんと一緒に放課後の時間を過ごすのを楽しみにしていたので、それを強調して言おうとしたのだろうが、俺達を待たせたことに引け目を感じている恋さんにそれは逆効果のように感じる。

 

 案の定、恋さんは燈香のその発言を聞いていたたまれない気持ちになり、身を縮こませているようにも見えた。

 

「うぅっ……そうですよね……すみません」

 

「ほら、言わんこっちゃない」

 

「あぁっ恋ちゃん! そういうつもりで言ったわけじゃなくて……ごめんなさい……!」

 

 恋さんが泣きそうになりながら謝罪をすると燈香はそんな意図はなかったと弁解するように両手を前に出してアワアワと振る。なんだか二人のやり取りが見てて凄く微笑ましい所ではあるが、これに時間を使っているわけにもいかないのでここへ集まった目的へと話題を変える。

 

「それよりもこれで三人揃ったんだ。出発しようぜ」

 

「うん、そうだね!」

 

「分かりました。まずは一階からでしょうか?」

 

 俺の進言にすぐさま燈香は気持ちを切り替えるように声色が明るくなる。恋さんも謝罪するのはここまでにして俺たちとの時間を楽しもうと行き先を確認する。

 

「そうだな。まずは一階が運動部の部室が並んでるから、そこから見ていこうぜ」

 

「うん!」

 

「はい!」

 

 二人から同意の返事が聞けて満足した俺は部室棟の中へ入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここはバレエの練習場か何かか?」

 

 部室棟の中を巡り、最初に目に留まったものはダンスや演劇などの練習で目にする場所だ。フローリングの床面に南北の壁には鏡が取り付けられており前からも後ろからも自分の表情や全身姿を確認することができた。

 

「はい、主に演劇部の方々が利用する場として設けられてます。また、一般の生徒も申請を出せばここで好きに練習することができるんですよ」

 

「へぇー、ならダンスの練習とかならばここでやれるわけなんだな」

 

 入り口の横に設けられた靴箱へローファーをしまい、フローリングへと足を踏み入れる。靴下越しに伝わる床の冷たさがほんのり気持ちが良い。

 

「じゃあ、恋さんはこういう所でフィギュアスケートの練習をしてたのか?」

 

「そうですね。家にこれと同じ部屋があるのでスケートリンクが使えない時はそれで練習していました」

 

「えっ、この部屋が丸ごと家にあるの!?」

 

 恋さんの口から出た事実に燈香は声を上げて衝撃を受ける。声には出していないが俺も密かに目を見開いて驚きの表情を見せていた。

 

「そ、そうですが……そんなにおかしな話でしょうか?」

 

「……むしろそれがおかしいと思わないのか?」

 

 恋さんがあたかも俺達の家にも設けられているのでは、と言わんばかりに素朴な疑問をぶつけてきて少しばかり頭が痛くなってくるのを感じる。親が学校の創設者という点もあって箱入り娘で育てられたのだろうか。

 

「まあ別にその話はいいか……。実際、こういった所ではどんな練習をするんだ?」

 

「そうですね、最初は身体を慣らすためにストレッチや柔軟をやります。その後はこうしてバーに足を置きながら……」

 

 恋さんはそう言いながら腰ほどの高さで壁に取り付いているバーに足を掛けながら、それを用いた練習を実演してくれた。

 

 普段では中々見れない光景なのだが、一つだけ問題があった。

 

 彼女は制服であまつさえ腰ほどの高さに足を上げている。つまりスカートの中が見えそうになっているのだ。ポーズを取っている彼女を直視するのは流石にまずいと判断し、反射的に目を反らす。隣にいる燈香も察したようでスカートの中を見ないようにすぐさま両手で顔を隠していたが、彼女の姿が気になるのか指と指の間を開けて恋さんの方を見つめていた。恥ずかしくなっているのか顔が少し紅潮している。

 

「れ、恋ちゃん……!」

 

「……恋さん、あんたってそういう事を見境なくやるのか?」

 

「えっ? …………はっ!?」

 

 俺と燈香の様子を見て、一瞬で全てを理解した恋さんはすぐにバーから足を下ろしスカートを押さえる所作をする。別に彼女の楽園を覗いたわけではないが、何故かものすごい罪悪感に苛まれていた。

 

「これは俺達は何も言ってないからな。恋さんが勝手にやったことだぞ?」

 

「べ、別にそこまで言わないで下さい! 自分でも馬鹿なことをしていたのは分かっています!」

 

「……こ、ここはもう移動した方がよさそうだね……」

 

 この場にいる3人ともがいたたまれない気持ちになってしまい、無言のまま次の場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1階にある体育系の部室を見回った後、俺達は2階へ移動しようと階段を上がっていた。

 

「恋さん、二度と同じヘマはしないようにな」

 

「で、ですから私も好きであんなことをしたわけではありません!」

 

 先ほどの練習場での珍事からか恋さんは先頭を歩こうとはせず俺と燈香の後ろを追う形で付いて来ていた。あのような行為は俺としても再発してほしくないので二度としないように釘を刺すが恋さんはそっぽを向いていた。親切に忠告しているというのに恋さんから反抗的な態度を取られてしまい、思わず怪訝な表情をしてしまう。

 

「あのなぁ……」

 

「そ、それよりも次は2階だよね? そこは主に文化系の部室が並んでるんだよね?」

 

 険悪な空気になりそうな予感を察知した燈香はすぐに話題を切り替えた。燈香の質問に対して恋さんは表情を戻しながら答える。

 

「はい。美術部やパソコン部、茶華道部などがあります」

 

「なら普段だとお目に掛かれないような珍しいもんとか見れそうだな」

 

「ふふっ、そうですね」

 

 恋さんの解説を聞いて、俺は骨董品探しをしているような感覚を覚えワクワクしていた。

 

「…………あっ」

 

 2階へ上がり、早速部室を見て回ろうと思った矢先に恋さんは3階に上がれないようにカラーコーンで張られているバリケードを見て小さく声を上げた。

 

「恋さん、どうかしたか?」

 

「……教室へ忘れ物をしていたのを思い出しました。少しだけ席を外すので先に行っててもらっても良いですか?」

 

 俺の質問に恋さんは笑顔を見せて急用を思い出す。だが、先ほどの視線と発言が一致していないこともあり、俺は何か事情があると察した。

 

「……分かった、なら燈香と先に行っておくからさっさと済ませるんだぞ?」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 恋さんからの返事に満足した俺は踊り場を後にして廊下へと向かう。そして、恋さんから俺達の姿が見えなくなった瞬間に壁の陰へと隠れる。

 

「颯翔くん? どうし──」

 

「……静かに」

 

 突然、物陰に潜み始めた俺を不審に思った燈香は声を掛けてくるが、咄嗟に燈香の口に指を当てて静かにするように促す。燈香も俺の言いたい事が理解できたのかすぐに口を噤む。

 

「……燈香、少し待っててもらってもいいか?」

 

「恋ちゃんのこと?」

 

 俺が声のトーンを抑えると彼女もすぐに察して同じように合わせてくれる。皆まで言わずともすぐに理解してくれるのは本当に助かる。

 

「多分、あの感じだと……」

 

 最後まで言わずに静かにしていると、ローファーが階段を叩く音が辺り一帯に響いていた。一音一音のリズムがよく、それでいて強く聞こえる様子から階段を上っているようだった。

 

「恋さんの様子を見てきてもいいか? 大丈夫、悪い空気にするつもりはない」

 

「……分かった。恋ちゃんの事を調べたいんだよね? 私はここで待ってるから行ってきていいよ」

 

 俺の突然の提案に燈香は胸の前で握り拳を作りながら了承してくれる。余計な詮索をせずに笑顔で送り出してくれて俺も思わず笑みがこぼれる。

 

「ありがとう、燈香。ちょっと行ってくる」

 

 燈香に一言お礼を述べると、俺は恋さんに気付かれないように階段を上がっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を上がり、学校アイドル部の部室が目の前に見えた途端、恋さんが部室の前で静止しているのを見つけて思わず階段の陰に隠れる。

 

「……恋さん」

 

 恋さんは扉の上に掲示されているネームプレートを取り外し、その無機質な表面をただ見つめていた。

 

「……ここに学校アイドル部があったことを失念していました。これだけは外しておかないと……。でなければ澁谷さん達は必ずここを見つけて部室として使わせるように理事長へ直談判するでしょうね」

 

 静かにそう呟く恋さん。確かに彼女の言う通り、いくらバリケードを張っているとはいえ俺みたいに興味本位で足を運ぶ人間も少なくないだろう。気になった事にはぐいぐいと首を突っ込む可可や彼女たちの取り巻きがここの存在をかのんらに伝える可能性もゼロではない。であれば、この部室が学校アイドル部のものであることはひた隠しにする必要がある。

 

「プレートを外しておけば、室内は質素な状態ですからここを学校アイドル部の部室とは想像できないでしょうし、こうしておきましょう」

 

 恋さんはジャケットのポケットから多くの鍵が纏められた鍵束を取り出す。どうやら、学校内の戸締りに関して彼女にも役割を与えられているようだった。そして、部室の錠がガチャっと閉まる音が聞こえると恋さんは取っ手に手を掛け、扉が開かないことを確認する。

 

「これで、この中に眠っている学校アイドルの歴史を探ることは出来なくなる」

 

 恋さんは扉を見据えながらそう言い切る。

 

「……これで……良いんですよね。お母さま……」

 

 そう発言する恋さんの声はどこか寂しそうな声音だった。

 

(お母さま……、なぜ恋さんは母親の事を口に出したんだ……?)

 

 恋さんが口にしたこの学校の創設者、葉月花。突然出てきたその名前に俺は疑問を浮かべる事しかできなかった。だが、これで良いという発言やこれまでのかのん達とのやり取りを見てきて、恋さんとスクールアイドルの関係に葉月花さんがなんらかの形で影響を及ぼしているという事を想像するのはそう難くなかった。

 

(いや、考えていても仕方ない。ここでじっと見ていても何も収穫は得られないし、彼女に見つかったら後々が面倒だ)

 

 陰で恋さんの事情を考えていても、それはただの憶測でしかなく結果が出るわけではない。そう判断し、俺は恋さんに気付かれないように足音を殺しながら階段を降りる。

 

 

 葉月恋とスクールアイドル。そして、スクールアイドルと葉月花。これらの関係性について謎が深まるばかりであり、俺は頭を捻らせながら燈香の元へと戻るのだった。

 

 






これで良い。ただそう思っただけなのに。



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赤の他人から


お待たせしました。

本編24話です。

それではどうぞ。



 

「あっ、颯翔くん、おかえり」

 

 学校アイドル部の部室前で恋さんに悟られないよう俺は一足先に階段を降りてきた。俺の姿を見るや燈香は小さな声ながらも明るい声色で名前を呼んでくれる。

 

「ただいま、燈香」

 

「恋ちゃんのこと、何かわかった?」

 

「うーん、少しは分かったような気がするけど、まだ核心には至ってないかな」

 

 学校アイドル部のネームプレートを見ながら物思いにふける様子だった恋さん。それを見るにスクールアイドルとの確執があることは分かる。そしてその因縁に母親である葉月花の存在が関わっていることも。しかし、分かった内容はその事実のみであり、その原因の追及までには至っていない。

 

 故に不完全燃焼となっていたのだが、まだここで過ごす時間は山ほどにある。そのため、ここで無理に悩んでいても答えは出ないのでひとまずは当初の目的へと気持ちを切り替える。

 

「でも、焦っても仕方ないしな。ちょっとずつあの人のことが分かっていければいいからとりあえずは置いておくことにする」

 

「ふふっ、そうだね。恋ちゃん、なかなか話してくれそうにないけど、そこは地道に、だね」

 

 静かに微笑みながら燈香と笑いあう。時間がかかることに違いないだろうが、それでも恋さんの事を少しずつ知って、同じ学校に通う仲間、友達として仲良く過ごしていきたいと切に願う。

 

 そんなことを考えていると階段を下りてくる音が聞こえ、少しすると恋さんが廊下へ顔をのぞかせてきた。

 

「あっ、お二人とも、わざわざ待っていてくれたのですか?」

 

「まあ、忘れ物くらいだったらちょっと雑談でもしてれば戻ってくるだろうって思ったしな」

 

「それは……わざわざお時間を取らせてすみませんでした」

 

 俺たちに気を遣わせたとして恋さんは憂い帯びた表情を見せながら謝罪を述べてくる。俺たちの事を気にしてくれていることは伝わってくるが、それにしても過剰ではないだろうか。

 

「れ、恋ちゃん! そんな、頭なんて下げなくていいんだよ? 私たちが勝手に決めてたことなんだから気にしないで、ね?」

 

「燈香の言うとおりだ。別に俺たちは恋さんの揚げ足を取ってどうこうするつもりじゃないんだし、そんなに悲観しなくてもいいんじゃないか?」

 

 恋さんの謝罪に対して燈香はアワアワしながらなんとも思ってない様子を見せる。そんな燈香に合わせるように俺からももう少し肩の力を抜くように提案する。だが、これが恋さんの性分故に、そう言われてもなかなか改善に進める事ができないのが悩みの種なんだろう。

 

「そうしたいのは山々なんですが、どうしてもその考えが抜けないのは私の性格なので難しいですね……」

 

 案の定、恋さんも自分の性格上、これを改善するのは困難であると主張し落ち込む様子を見せる。そんな中で燈香がとある提案を口にした。

 

「あっ! ならさ、もし恋ちゃんがそう感じちゃうなら私たちが肯定してあげるよ!」

 

「私を……肯定ですか……?」

 

 燈香は目をキラキラさせながら提案を口にするが恋さんは理解が追いついておらず頭を捻らせる。

 

「つまり、恋さんが俺たちに迷惑をかけてるって思うなら俺たちは気に留めてないってことを何回でも言ってやるってことだろ」

 

 燈香の説明に困惑している恋さんに補足を入れていく。

 

「既に俺たちだって恋さんにたくさん迷惑をかけてるんだ。なのに、恋さんはいつも嫌な顔をせずに受け入れてくれるだろ?」

 

「まあ、迷惑をかけない人間なんて絶対にいないと思いますから、それを怒っても仕方ありません。それにお二人のことは分かっているつもりですし」

 

「それと同じことだ。恋さんだって必ずしも人に迷惑をかけないなんてことは無いとは言い切れないだろ? もし恋さんが困ってる時や悩んでる時は俺たちにたくさん迷惑をかけてほしいってことだ。俺たちだって恋さんのことは理解してるつもりだし友達だと思ってるから尚更な」

 

 そう言って俺は自分の胸に手を当てて恋さんに訴えかける。人によっては友人に迷惑をかけたくないからこそ自分でなんとかしようとする人も少なからずいる。恋さんもその部類だろう。だが、その行為に対して相手から信頼されていないのではないか、と不安視する人間もいる。大して交友関係にない相手ならば気にする必要はないのだが、俺にとっては恋さんや燈香は大切な友人であるため、特別視してしまう節がある。

 

「恋さんがそうして俺たちのことを理解してくれるから恋さんのことを信頼しているし、その結果があるからこそ何かあればすぐに頼る。だから恋さんも俺たちに対しては労力とか時間とか気にしないで気兼ねなく頼ってほしい」

 

 俺の考えに対して恋さんは何も言葉を返すことなく無言で受け止める。変化のないその表情に内心ヤキモキしながら、俺はこの話の切り出し人に考えが食い違っていないか確認すべく顔を向けた。

 

「そういうことだろ、燈香?」

 

「うん! さすが颯翔くん、バッチリだよ!」

 

 燈香は自分の胸の前で両手を合わせ、自分の伝えたかったことと合致していたことに安心して朗らかに笑ってみせる。そして、燈香はそのまま恋さんへ近づいて彼女の手を優しく握る。

 

「私、恋ちゃんが何か困ってたりしてたら力になってあげたいんだ。正直、颯翔くんよりも力不足なところが目立つと思うけど、でもこの学校でできた初めての友達だもん! 少しずつ、恋ちゃんも私たちに甘えてくれたら嬉しいな?」

 

 燈香は優しい笑みを見せながら恋さんに自分の気持ちを伝える。普段の燈香はこうして自分の気持ちを伝えてくる機会は少ないからこそ、より説得力を感じる。

 

 燈香の話を聞いて、恋さんは彼女の顔から握ってくる手へ視線を落とす。

 

「……私としてはお二人の力に甘えすぎるのも自分をダメにしてしまうからいけないと自分をそう律していました。ですが……お二人がそう言って下さるのならば、私も可能な限り湊月くんと日向さんに助けてもらうように頑張ってみます」

 

「……っ!! 恋ちゃん、ありがと! 大好きだよ!」

 

「ちょ、ちょっと日向さん! 急に抱きつくのは恥ずかしいのでやめてください……!」

 

 恋さんが途端に素直になったことで嬉しくなったからか、燈香は我慢できずに恋さんを力一杯抱きしめた。恋さんの方も突然、燈香が大胆になったために咄嗟に反応できず身体を拘束されてしまう。

 

 二人の微笑ましい光景を目にして、俺もついぷっと吹き出してしまう。そして、恋さんの手助けの一環として、ある名案を思いついた。

 

「どうせなら、最初の一歩として俺たちを名前呼びしてみるのもいいんじゃねえか?」

 

「えっ?」

 

 唐突な提案に恋さんは驚きの表情を見せる。だが、それとは反対にナイスアイデアと言わんばかりに燈香は嬉しそうに声を上げる。そして、先ほどまでハグしていた恋さんを解放してあげた。

 

「あっ、それ良いアイデアじゃない!? 名前の呼び方を変えてみるのも良いきっかけになると思うし、私はアリだと思うな♪」

 

「まあ、それも恋さんが良ければの話だけど、どうだろう?」

 

 そう言って俺は恋さんの意思を確認する。未だに呆けているような表情をする恋さん。もし彼女が俺たちに遠慮してしまうのであれば、距離感を近づけるためのきっかけが必要と判断したのだが、それが彼女にとって良いものとなっているのだろうか。彼女の返事を待っていると、恋さんは意を決したような表情で口を開いた。

 

「……今まで、私にはこうして声をかけてくれる方はおりませんでした。両親のこともあって、周りの方々はいつも私のことをどこか遠い存在のように見ていて……それなりに良好な関係は築けていても友人と呼べる方はいませんでした……」

 

 真剣な面持ちでこちらを見つめながら恋さんはこれまでの自分の交友関係を話してくれた。確かに恋さんは図らずともその家庭環境から周囲と違う世界を生きている。その結果もあり、恋さんはこれまで同年代の友人がいなかったようだ。

 

「ですが、こんな私をお二人はいつも気にかけて下さいます。いつしか友人という存在を必要としなくなっていた私ですが、今はお二人の隣に立ちたいと心の底から思っています」

 

 そう言いながら、恋さんは徐に俺たちに向かって右手を差し出す。笑顔になりながら向けられたそれはまるで握手を求めているようだった。

 

「湊月くん……颯翔くんと燈香さんがよろしければこうして呼ばせて下さい。そして、私と友人として歩んで下さいますか?」

 

 突然、名前で呼ばれドキッと心臓が跳ねるような感覚を覚えた。だが、今までと違う恋さんの呼び方に特別感を抱いて嬉しさが込み上げてきた。

 

「〜〜〜〜恋ちゃぁぁん!! 私も恋ちゃんとずっと友達でいたいよ〜〜!」

 

「ちょ、ちょっと燈香さん……! そんなすぐに抱きついてこないで良いですから……!」

 

 恋さんからの頼みに我慢が出来なくなったようで燈香は先ほどと同じように恋さんのことを抱きしめにいく。目の前の幸せな空間に笑みを浮かべながら、俺は傍らから燈香に続いて口を開いた。

 

「恋さんが俺たちのことを友達と思ってくれるなら、一緒に歩くに決まってるさ」

 

 笑みを浮かべながら俺は恋さんが引っ込めてしまった右手に応えるように手を差し出した。

 

「颯翔くん……ありがとうございます」

 

 恋さんは無理やり燈香を引き剥がすわけにもいかなかったので彼女に抱きとめられながら俺と握手を交わしてくれた。俺よりも若干小さく、それでいて美しい細さの指の線を感じながら俺は力まないように優しく握りしめた。

 

「いいってことよ。じゃあ、このままの勢いで残りの部室棟見学もささっと済ましちまおうぜ」

 

「うん! じゃあ恋ちゃん、行こっ?」

 

「……はい!」

 

 三人の友情をより一層深まっていくのを感じながら、俺たちは2階の部室見学を再開していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、色々と面白い発見が沢山あったな」

 

「そうだね〜! 中学校まででは見ないような珍しい部室もあってびっくりしたよ〜」

 

 部室棟内の見学を終えた俺たちは教室棟の横を歩いていた。先ほどまで見ていた文化系の部室ではわざわざ全面に畳が敷かれていた茶道部や、専用のパレットや画材が多数用意されていた美術部など普段は見れない貴重な光景が広がっていて、すごく楽しかった。

 

「はい、部室を見て回るだけじゃなくて颯翔くんたちと色々とお話し出来たこともすごく楽しかったです」

 

「ふふっ、そうだね! 颯翔くんが描く絵もいつか見れることを楽しみにしてるね?」

 

「絶対見せないし描かないからな?」

 

 イタズラっぽくこちらに目線を向ける燈香に俺はムスッとしながら言葉を返す。

 

 美術室を探索中、燈香がお絵描きのレベルについて俺と恋さんに聞いてきたのだ。恋さんは一人の時間も多かったことから人並みの絵は描けるということだったが、そういった娯楽に精通していない俺は絵描きのセンスが微塵もない。燈香は「いつか三人で一緒にお絵描きをしたい」と話していたが、俺としては全く気乗りしなかったので断固として反対の意思を見せていたのだ。

 

 俺と燈香のやり取りを微笑ましく見つめていた恋さんは可笑しかったのかぷっと吹き出していた。

 

「やはり、お二人はとても仲が良いですね。なんだか羨ましいです」

 

「べ、別に颯翔くんとはそういうのじゃないよ……!?」

 

 恋さんが俺たちのことを茶化してくると思わなかったからか燈香は顔を紅潮させながら否定する。言葉には出していないが、俺も少し顔が熱くなる感覚を覚えていた。

 

「それでも、今の会話がお互いの距離感を分かっているからこそのものだというのが、隣で聞いててすごく伝わるので私も負けていられないと思った次第です」

 

「……恋さんともすぐにこんな距離感になれるさ。別に焦ることもないだろ?」

 

 照れが収まっていないことを悟られないように俺は平静を装いながら恋さんに返事をする。すぐに同じようになれる、という言葉が嬉しかったからか恋さんは満面の笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、そうですね」

 

 三人で笑い合っていると教室棟の入り口前に到着した。正門も目の前にあるため、このまま帰路に着こうと歩き始めようとしたが恋さんは歩こうとせずその場で止まっていた。

 

「それでは、私は学校内の施錠確認をしてから帰りますので、お先に上がってください」

 

「わかった。また明日な、恋さん」

 

「恋ちゃん、またね!」

 

「はい、また明日」

 

 その日の最後の務めを果たすべく校内の見回りを行う恋さんに見送られながら、俺たちはその場を後にする。

 

「今日は恋ちゃんとより仲良くなれてよかったね」

 

「そうだな、恋さんはすごく良い人なんだけど環境のせいで孤立する羽目になるなんてとんだ災難だよな」

 

 正門までの一本道を歩きながら恋さんについて振り返っていた。彼女の生い立ちから裕福な家庭で生まれ育ったであろう恋さんの心情に同情することは難しいが、それでも独りでいる辛さは共感できる。友と呼べる人間が近くにいないことはすごく寂しいし他の生徒らの楽しそうな光景を見ると妬けてしまう日も多かったから、彼女のことを遠い人間とは思えなかったのだ。

 

「……でも、そんな恋ちゃんも私たちのことを友達って言ってくれるくらいに信頼してくれるようになったのは、恋ちゃんにとってもすごく良いことだよね」

 

「あぁ、この関係をずっと大切にしていきたいもんだな」

 

 正門をくぐり抜け、空を仰ぎながら俺はそう呟いた。正門の前でふと立ち止まった俺の前に燈香が立ちはだかる。

 

「……私たちもずっと友達でいたいね」

 

「そんなの当たり前だろ? 燈香と離れる未来がそうそう見えねえよ」

 

「……えへへっ、そうだね!」

 

 夕陽に照らされているからか分からないが赤みがかった燈香の表情はいつにも増して喜びに満ち溢れていた。俺のことを理解してくれる彼女の存在はとても大きく、この関係が崩れる未来を想像することが難しかった。

 

「じゃあ、私は向こうだから颯翔くんもまたね」

 

「あぁ、また明日な」

 

 正門を出てからの帰り道は違うので、俺と燈香はその場で別れを告げるのだった。

 

「……さて、俺も帰るとするか……」

 

 軽く呼吸を入れ、燈香と同じように俺も帰宅しようと歩き始めようとする。

 

「……あれ、颯翔くん?」

 

 すると燈香が帰った方向と反対の方向から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ん? って、千砂都?」

 

 そこには体操服とは違う運動着を身に纏った千砂都がいた。

 





散らばっていた光は、やがて大三角形を築く。



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罪と枷


お待たせしました。

本編25話です。

それではどうぞ。



 

 正門前で燈香と別れてから俺の前に姿を現したのは運動着を身に纏った千砂都だった。

 

「……こんな時間に走り込みなんて珍しいな。何かあったのか?」

 

「うん。……とは言っても私が主役じゃないんだけどね」

 

 一瞬頷いてみせた千砂都だったがすぐに苦笑いをしながら否定する。

 

「それは一体どういう……?」

 

「ちぃちゃぁぁぁん……! もう疲れたよぉぉ〜〜……!」

 

 千砂都の発言が分からず聞き返そうとした時、彼女の後ろから聞き覚えのある声が耳に入ってきた。その声の主は助けを求めるように千砂都へ飛び付いた。相手の情けない姿を見て可笑しく思ったのか千砂都は笑って彼女を励ます。

 

「あっはは。お疲れさま、かのんちゃん」

 

「……そういうことか」

 

「えっ? ……うわっ! なんではーく…………どうして颯翔がここにいるの?」

 

 千砂都とは違う学校指定の体操着に着替えているかのんの姿を見て、なぜ彼女がそんな格好でいるのかを想像するのは難しいことではなかった。

 

 一方で、かのんも千砂都に体を預けながら俺の声を聴いたため、飛ぶように驚きの様子を見せた。条件反射で昔の呼び方に戻っていたかのんだったがすぐに意識を戻し呼び捨てで俺を呼ぶ。

 

「俺は野暮用だ。それよりお前がその姿ってことは……」

 

「かのんサ〜ン、ちさとサ〜ン……待って下サ〜イ……!!」

 

 とある人物がいないことに気付いた矢先に、該当の人物が酷く疲れた声で駆け寄ってきた。だが、地面を這いつくばいながら近づくそれは駆け寄るという言葉とは縁遠いものだった。

 

「……パワハラ?」

 

「違うよ!!」

 

 可可の(しご)かれ方を見て俺は真っ先に頭に浮かんだジョークを口にする。だが、瞬時に俺の発言を理解した千砂都は被せるように否定の意を示した。

 

「これはかのんちゃん達の特訓だよ。スクールアイドルのイベントで結果を残すっていう目標が出来たからここ最近はずっとこうして練習に付き合ってあげてるの」

 

「……そうか」

 

 かのん達の目的、それは代々木公園にて行われるスクールアイドルのイベントに参加し最優秀賞を受賞すること。その為に彼女らは筋力トレーニングとして走り込みをしていたのだろう。スクールアイドルに関しては素人の俺だが、アイドルという言葉も冠していることからステージで歌って踊れる存在でなければいけないということは容易に想像できる。

 

 昔のかのんは小学校の頃だと快活に走り回る印象があったが、今ではその影もなく自身の体力の無さに打ちひしがれているようだった。しかし、その隣でうつ伏せになっている可可の様子も見る限りかのんの体力に問題があるわけではなくむしろ千砂都の方が異常なのかもしれない。

 

 肩で息をしている可可の元に近づき声をかける。

 

「よっ、死にかけてんじゃねえか」

 

「うぅっ……。ハッ!! ハヤトデス!!」

 

「人をおばけみたいに言うな」

 

 地面とキスするように這いつくばる可可が気力を振り絞って顔を上げると急速に目を見開いて驚きの声を上げる。

 

「ど、どうシテ、ハヤトがここに……?」

 

「私用で残ってたんだ。お前も澁谷たちとスクールアイドルになるための特訓か?」

 

 俺の前でいつまでもだらしない姿を見せるわけにはいかなかった可可は呼吸を整えながら立ち上がり、笑顔で俺と対峙した。

 

「はいデス! リジチョーと約束しまシタので、ククはくうくうと寝てる場合ではないのデス!!」

 

「おっ? 可可ちゃんやる気十分だね〜。ならもう1セット走り込み行く?」

 

「ヒェッ……そ、それだけはカンベンしてくだサ〜イ!!」

 

「……やっぱパワハラ顧問じゃねえか」

 

 千砂都と可可のやり取りに苦笑を漏らすとかのんが無表情とも不機嫌とも取れる表情のままこちらへ近づいてきた。

 

「……スクールアイドルのライブのこと、誰かから聞いたの?」

 

「いや、風の噂で聞いただけだ。別に知ったからといってお前のことを揶揄するつもりはねえからそこは安心しろ」

 

「……まぁそういうことにしておく」

 

「あっ、かのんちゃんどこ行くの?」

 

 俺の言葉にかのんは大した反応を示すこともなく俺から離れる。その場を移動しようとするかのんに千砂都は声をかけた。

 

「もう一周だけ走ってこようと思って。可可ちゃんは先にストレッチして休んでていいよ、すぐに戻るから」

 

「あっ、かのんサン……!」

 

 可可は静止しようと試みるもかのんは聞く耳を持たずに学校周りを走り始めに行ってしまった。しかし、今の分で終わりの予定だった走り込みを再度行うかのんの姿に感化された可可は両手を強く握り息巻く様子を見せた。

 

「ウゥっ……かのんサンがガンバッテルのにククだけが休んでるわけにはいきマセン! チサトさん、ククももう一周だけ走ってキマス!」

 

「い、いいけど無理だけはしないでね?」

 

「ハイです!」

 

 可可は千砂都の警告に敬礼しながら答える。そして、かのんに続いて走り出そうとした矢先に「あっ」と声を上げてこちらへ振り向いた。

 

「ハヤト、歌詞アリがとうございマシタ。ハヤトのおかげでスバラシイ曲がデキる予感がシマス!」

 

 可可から借りた歌詞ノートを今日の昼間に返したのでそのお礼を述べてきた。彼女の反応から察するに歌詞の校正は上手くいっていたようで楽曲の方も少しずつ形成されているようだった。

 

「お気に召したなら何よりだ。スクールアイドル、頑張れよ」

 

「アリがとうございマス!! クク、ガンバリマス!!」

 

 俺からの励ましに嬉しくなった可可は一段と声が大きくなり、高まった状態のままかのんの元へ走り出して行った。かのんと可可の後ろ姿を見送っていると千砂都が横から声をかける。

 

「やっぱり可可ちゃんのノートに手を加えたの颯翔くんだったんだね?」

 

「やっぱりって、千砂都は気づいてたのか?」

 

「可可ちゃんにノートの中身を見せてもらった時に見覚えのある字だな〜って。可可ちゃんが誰かにスクールアイドルの事でお願いをするなら颯翔くんしかいないかなって思ったから」

 

 千砂都は小学生の頃の筆跡を思い返しつつ俺の字だと勘づいたようだ。3年は経っているとはいえ、それを覚えているのは感心してしまう。

 

「あいつが言っても聞かなかったからな。スクールアイドル部への勧誘も懲りずにしてきたから、それをしないこととの交換条件で承諾した」

 

「あっはは、さすが可可ちゃんだ!」

 

 一度や二度拒否されただけでは諦めない可可の執念に千砂都も思わず笑いが溢れる。俺も今になって可可の行動が思い返されついため息が出てしまう。

 

「……ったく人の心情も考えようとせずによく食い付けるよな……」

 

「でも、やってよかったって思ってるんじゃない?」

 

 可可に対して軽い小言を垂れると千砂都は不意に問いかけてきた。先ほどまでの俺のボヤキからどうしてそう結び付くのか分からず、俺は彼女に聞き返す。

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

「だって今の颯翔くん、すごく嬉しそうなんだもん」

 

「……は?」

 

 唐突にそんなことを言われ、俺は思わず変な声を出してしまった。千砂都はそんな俺を気に留めずに話を続けた。

 

「だって、可可ちゃんと話してるときの颯翔くん、すごく良い顔してたもん。これ以上にないくらい温かくて優しい笑顔って感じで」

 

「……べ、別に俺はそういうつもりじゃあ……」

 

 どうやら可可に頼られて嬉しくなった気持ちがそのまま表情にも出ていたようだ。そうつけ込まれた瞬間、急に恥ずかしさが押し寄せてきて、すぐさま誤魔化そうとするが顔が熱くなってるところを千砂都は見逃さなかった。

 

「あれ? 颯翔くん、顔が赤くなってるよ?」

 

「……これは夕陽に当てられてるだけだ」

 

「あはは、じゃあそういうことにしておく」

 

 千砂都はそう言って追及をやめたがぶっちゃけな所、彼女はまだまだ深掘りしたくて仕方ないだろう。二人だけのこんなやり取りもこの学校に来てからはそうそうしていなかったし、内心俺も楽しいと思ってしまっていた。

 

 彼女の話が終わると今度はこちらの番とある質問をぶつける。

 

「そういえば、一つ気になったことがあるんだがいいか?」

 

「ん? どうしたの?」

 

 千砂都は笑みを残したままこちらの質問に答えようとする意思を見せる。

 

「お前……いつの間にそこまで運動できるようになったんだ?」

 

 俺が気になったこと、それは千砂都が体育会系として申し分ない体力を持っていたことだ。以前の千砂都は一人で遊ぶことが多かったし、運動をあまり得意としていなかった。むしろかのんの方が元気に遊んでいたから昔見ていた光景と現実の違いに俺は理解が追いついていなかった。

 

 俺の疑問に千砂都は言うと思ったと言わんばかりに笑顔を向けていた。

 

「それはね、昔の私を超えるためだよ」

 

「昔の千砂都を……超える?」

 

「うん、颯翔くんも知ってる通り昔の私は人見知りでいつも颯翔くんやかのんちゃんの後ろに隠れてた。でもね、分かったんだ。このままだと私は永遠に二人の後ろを追いかけるだけになるって」

 

 過去の己を思い返しながら、千砂都は俺に背を向けて夕陽を見つめる。

 

「颯翔くんと離れてかのんちゃんと二人きりの学校生活になった時、思ったの。今まで颯翔くんたちから沢山の勇気を貰った。それなのに、私は二人に全く恩返しが出来てないって。だから二人から貰った勇気で今度は私が大切な人を助けてあげたいの」

 

 千砂都はまっすぐに夕陽を見据え自分の想いを語る。夕陽は千砂都の頭で隠れて眩しさが鳴りを潜めていたが、それでも俺は目を凝らしてしまった。自分の信念に従って行動する千砂都の姿が妙に眩しく見えてしまったのだ。

 

「その為に私はひたすら努力を重ねた。かのんちゃんは音楽を世界に響かせたいっていう夢がある。小さい頃から語ってた夢だけど、それを夢物語にはさせたくないの」

 

「……確かに、あいつはいつも『わたしの歌をみんなに届けたい』って言ってたな」

 

 かのんの夢、それは幼い頃から嫌というほど聞かされた。彼女の夢は自分の歌で沢山の人に元気をあげたい。昔から歌うことが好きだったかのんは俺たちに歌を聞かせてくれた。彼女の家で遊ぶ時には両親と練習したというギターも弾いて、一緒に歌ってくれたりもした。昔から音楽に精通していたかのんと一緒にいたこともあり、俺や千砂都も音楽に関心を持ち始め、俺がダンスを始めるきっかけになったのもかのんの影響だ。

 

「かのんちゃんの音楽がきっかけで颯翔くんもダンスを始めた。初めてそれを聞いた時はすごく驚いたよ」

 

「あいつの歌は俺をいつも楽しい気分にさせてくれたからな。だから、俺なりにあいつの夢を支えてやりたいって思った」

 

 俺がダンスを始めたきっかけ、それはかのんの歌に感化されたから。彼女が楽しそうに歌う様子がすごく眩しくて彼女の歌に何か力を貸せないかを考えた時に思いついたことがダンスだった。

 

「でも、最初はダンスなんて呼ぶには早かったよね。颯翔くんも何をすればいいのか分からずにとりあえず自分の思うがままに身体を動かしてたって感じで」

 

「あ、あの頃は子どもだったし踊るなんてやったことなかったから仕方ないだろ」

 

 こちらへ振り向き、懐かしむように俺のダンスと呼べないダンスについて感想を述べる千砂都。俺も当時は行き当たりばったりで思いついたから、なかなかの醜態を晒していたのではと今になって思う。

 

「でもね、私にとってはそうして新しいことに挑戦しようとした颯翔くんもすごくかっこいいなって思ったの。自分の気持ちに正直になることの大切さをその時に教えてもらったんだ」

 

「千砂都……」

 

「こうして私は颯翔くんとかのんちゃんから沢山の勇気をもらった。そして、今はかのんちゃんが新しい夢へ一歩を踏み出そうとしてる」

 

 千砂都は自分の胸の前で握り拳を作り、そのまま言葉を紡ぐ。

 

「だから、今度は私の番。かのんちゃんの後ろを付いていくだけじゃなくてかのんちゃんの横に並びたい。その為に私は変わる決意をしたの」

 

 千砂都はまっすぐ俺の目を見つめる。曇り気のないその眼差しに俺は思わず目を逸らしてしまう。

 

「……すごいな、千砂都は。俺には……到底真似できねぇよ」

 

「そんなことはないよ。颯翔くんがいなかったら今の私はいないから」

 

 苦汁を飲むような苦悶の表情をする俺に千砂都は真剣な面持ちでこちらへ近づき、俺の右手をそっと両手で包み込んだ。

 

「私は、あの時の颯翔くんの想いも背負って、今ここに立ってる」

 

 彼女の言うあの時とはおそらくダンスを辞めるきっかけとなった出来事の時だろう。でなければ彼女から突然笑顔が消えることはない。

 

「颯翔くんがダンスを辞めざるを得なくなったのは私のせい。だからこれは私が負わなくいけない使命、そして私の罪なの」

 

 千砂都の決意に俺は茫然としていた。かのんの横に立って彼女を支えるという千砂都の夢に、乗せる必要のない想いが込もっていたからだ。

 

「……だから、あれはお前が気にする必要はないって何回言えば──」

 

「それじゃあ、私が納得できないの!」

 

「……っ!」

 

 俺の嗜めに千砂都は手を握る力を強めながら言葉を被せてきた。今までの彼女なら絶対にしない行動に思わず言葉が詰まる。

 

「颯翔くんが良くても……私がそれを許せないの。じゃないと……私はまた颯翔くんの優しさに甘えちゃうから」

 

「千砂都……」

 

 千砂都は手を離すと俺に背を向けてゆっくりと歩き始めた。

 

「颯翔くんの成し得なかった夢を私が背負う。だから、颯翔くんはかのんちゃんの夢を見守ってあげて?」

 

 千砂都をチラッとこちらへ振り返り微笑みながらそう告げると先に走り出したかのん達を追うように走りに行った。唐突に訪れる静寂の中、俺は一人佇んでいた。

 

「千砂都……お前も……俺に縛られるのはやめてくれ……」

 

 俺のせいでかのんだけでなく千砂都にも枷を嵌めてしまっていることを知り、俺はただ頭を抱える。彼女らを変えてしまった罪に苛まれながら俺は学校を後にするのだった。

 





輝けなくなったあなたの代わりに私が太陽になる。


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暗闇を照らす光


お待たせしました。

新年明けましておめでとうございます。
本年も『吹き荒ぶ風、奏でる音』をどうぞよろしくお願いします。

それではどうぞ。



 

 練習に励むかのん達と接触してから翌日、俺は廊下で学校内の掲示板を見つめていた。普段は事務連絡や部活動の入部希望のチラシが掲載されているのみで目にも留めていなかったのだが今日ばかりは違った。とある掲示物を眺めていると燈香が声を掛けてきた。

 

「颯翔くん、どうしたの? こんなところでぼーっとして」

 

「おう、燈香か。ちょっとな……」

 

 燈香への返答が曖昧になっていると燈香は俺の目線の先を見て、考え事の起因について言及した。

 

「これってスクールアイドルのイベント?」

 

 俺が見ていたもの、それはスクールアイドルのイベントに関するチラシだ。可可たちが自作したもののようで、代々木公園にて行われるスクールアイドルフェスでの自分たちの応援を促すメッセージが入っていた。

 

「あぁ。前にうちの教室に来てた唐さんって覚えてるか?」

 

「颯翔くんへスクールアイドルを熱烈にアプローチしてた子だよね? すごく表情豊かで可愛いよね♪」

 

 可可のことを説明すると燈香はすぐに顔を思い浮かべたようだった。正門前でのプチ暴動で悪目立ちしていたので彼女への印象は悪いかと思っていたが、意外にも燈香は好印象を持っているようだ。

 

「彼女が部設立のために仲間と一緒にスクールアイドルのイベントへ参加するらしいんだ」

 

「へぇ〜、スクールアイドルとしての初イベントなんだね」

 

 燈香は俺の話を聞きながらチラシの内容に目を通す。しっかりと読み込んでいるあたり興味があるのだろうか。

 

「俺は誘われてるわけじゃないけど……唐さんがスクールアイドル部へ声を掛けてくれたし、せっかくなら見に行こうかと思ってな。気になるなら燈香もどうだ?」

 

「う〜ん、見に行ってみたい気持ちもあるんだけどその日は部活があるから難しいかも……」

 

 ライブ鑑賞に関心を示す燈香だったが、吹奏楽部の練習が早速始まるようで休日は練習が入っているようだった。

 

「そうか……もう部活も始まるなんて流石は吹奏楽部というか……」

 

「まあ、音楽に力を入れてるからね〜。歴史があるからこそ下手な演奏は見せられないから……。ライブの時間は夕方からみたいたからもし練習が早く終われば行けるかもしれないし、その時はまた連絡するね?」

 

「分かった。でも、無理はしなくていいからな?」

 

「えへへ、ありがと♪ なんとか行けるようにがんばるね!」

 

「颯翔くん、燈香さん。こんな所でどうしたのですか?」

 

 燈香と話しながら彼女が無事に来れることを祈っていると恋さんが俺たちを見つけ声を掛けてきた。昨日の出来事もあってか早速名前呼びになっており、つい口が綻ぶ。燈香も嬉しかったようで恋さんの顔を見るや声色が一段と高くなる。

 

「あっ、恋ちゃん!」

 

「よっ、恋さん。今度の土曜日にスクールアイドルのイベントが代々木公園で行われるだろ? それの話をしてたところだ」

 

 そう言いながら俺はチラシの方を見つめる。無論恋さんも既に把握している内容なので特に驚く様子を見せなかった。

 

「確かに澁谷さん達が息巻いていましたね。颯翔くんたちは見に行かれるのですか?」

 

「今のところは俺一人で参加するつもりだ。そういう恋さんは行くのか?」

 

 俺の質問に恋さんは乗り気ではない様子を見せながら答える。

 

「……結果を見届けなくてはいけないので行くつもりです」

 

「部活動の立ち上げに関わるからか?」

 

「……澁谷さん達から聞いたのですか?」

 

「単なる予想だよ、あいつらから特に事情は聞いてねえさ」

 

 俺の憶測に恋さんは刺すように視線をぶつけてくるが、余計なお説教はもらいたくないので恋さんから棘を刺されないようにさらっと受け流す。恋さんが俺に冷ややかな視線を浴びせていることに気づかずに燈香は俺と恋さんがイベントを見に行くと知って羨望の眼差しで見つめていた。

 

「えぇ〜二人とも見に行くなんていいなぁ〜……。私もなんとか行けるようにがんばる……」

 

「部活はサボらんようにな?」

 

「そ、そこまではしないよっ……!?」

 

 俺は苦笑混じりにそう言うと燈香はドキッと跳ねながら否定の意を見せる。彼女は真面目な人物だからサボることは絶対にしないだろうが、それでも彼女の焦る表情が妙にかわいらしくてつい揶揄いたくなってしまう。

 

 そんな話をしていると校内に予鈴が響き渡る。

 

「もう授業が始まる時間ですね。二人も戻りますよ?」

 

「おうさ。ほら、燈香も行くぞ」

 

「は〜い……」

 

 予鈴を聞いて我先にと恋さんは教室へ戻る。彼女の後ろを追いかけながら燈香にも声を掛けるがライブを見に行けない悔しさか、俺に揶揄われた悔しさからか少し気分が落ち込んでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後、学校内を出た俺はまっすぐ家に帰らず、ある場所へ行こうと寄り道をしていた。なんの変哲もない住宅街で俺一人だけの足音を響かせながら歩いていると目的の場所へ辿り着いた。

 

「ここもいつぶりなんだろうな……」

 

 そこは小学生の頃までかのん達と一緒に遊んでいた小さな公園だ。以前からここにも顔を出そうと思っていたのだが、学校での出来事に思考を持っていかれていてここに寄ることを完全に失念してしまっていたのだ。

 

「……こう眺めてみると案外小さいもんだな」

 

 子供向けに設計されている滑り台に上りながらそう呟く。滑り台の最上段で立つのでも無性に圧迫感を覚えてしまうのは幼い頃から身体が成長している証拠だろう。そして、そこから周囲を一望しても妙に虚しく感じてしまう所はこの公園の小ささを自覚してしまったが故であろう。

 

「ここであいつらといつも一緒に遊んでたな……」

 

 幼少期、かのんと千砂都と一緒に滑り台やブランコ、砂遊びなどここでできる遊びはやり尽くしたと思う。それだけ三人でいた時間は俺にとってすごく大切なものであり、かけがえのない宝物だったのだ。しまいにはかのんがギターを持ってきて俺たちの前で演奏してくれたこともあった。そこから俺たちの音楽への関心が芽生え始めたというのは今更語ることではない。

 

 景色を見渡す中、俺はとある一本の木に目が留まった。それまで懐かしい気分に浸っていた俺だったが、その木を見た瞬間に眉を一瞬顰めてしまった。

 

「…………」

 

 滑り台から降りてその木へと近寄る。はたから見れば近くで同じように反り立っている木と全く遜色はない。むしろ何故この木に目が留まってしまうのかと疑問を抱かれるほどだろう。しかし、ここが俺にとっては絶対に忘れることのできない場所なのだ。俺の運命を変えたと言っても過言ではない大切な場所なのだ。

 

 ざっと3メートルほど伸びている幹から生えているとある枝を見つめる。そこには一本の緑葉が残っている。その緑葉を見つめながら昔のことを振り返る。

 

 

 

 ────木の先端に引っかかった風船。それを取りに行こうと木に登る少年。少年の勇姿を泣きそうな表情で見守る少女。風船を掴み取った矢先に折れた枝。遠ざかる樹冠。────

 

 

 

 

「…………っ」

 

 小学生の頃に降りかかった不運に苦渋の表情を浮かべていると、連鎖的に別の記憶も掘り起こされる。しかし、これに関しては自分でも思い出したくないためすぐさま消し去るように頭を左右へ振り払う。そして、別の思い出に縋るように俺はこの公園から逃げるように立ち去る。

 

「千砂都も……かのんも……何も悪くねぇんだ。全部……俺が悪いんだ……」

 

 足元を見つめながら俺は自責の念に駆られていた。そして、今の自分がいる理由も他の誰でもない俺自身にあるのだと改めて自分に言い聞かせる。もうあの頃の三人には戻ることはできないことを噛み締めながら、俺はこの場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が逃げた場所は表参道を超えた先にある代々木公園、そこに併設されているステージだった。先ほどの公園からここまでは歩くとそれなりの時間がかかるのだが、そこまで時間の経過を認識していなかったため代々木公園へ向かう途中までの間、ずっと意識を張り巡らせていたのだということが自分でもよくわかった。

 

 なぜここに来たのか、それはスクールアイドルのイベントがこのステージで開催されるからなのだが、今はタイミングが悪かったかもしれない。いよいよライブが週末に迫っているのだ。その関係でかのんたちがここを視察に来るかもしれない。そう考えるとここに来るのは悪手だっただろう。

 

「……やっと着いたね〜!」

 

 装飾等が何もなされていない殺風景が広がるステージを眺めていると快活な少女の声が聞こえてきた。

 

「ここまで来るのに意外と時間かかったものね。でも、ステージとしては今までの中でも大きい方じゃない?」

 

「うん! 気分がパァッ、と晴れてくるね!」

 

 声の聞こえる方へ振り返ると、そこには二人の少女がこちらに向かって歩いてきていた。両手をハの字にしながら朗らかな笑顔で話している少女は黄色の髪をポニーテールで纏めており見ているだけで励ましてくれるような印象を与えてくれる。そして、もう一人の少女は紫色の髪をストレートに伸ばしており髪の一部にピンクのメッシュを入れている。黄色髪の少女と違い身長が高く物静かな声色で会話している様子からクールで知的な印象を与えていた。

 

 二人を観察していると少女らはこちらの視線に気づいて声を掛けてきた。

 

「あっ、こんにちは!」

 

「どうも、こんにちは」

 

「こんにちは、貴方もイベントの参加者?」

 

 紫髪の少女からの質問に俺は手を振り否定の意を見せる。

 

「いえ、俺は観客として見に来るだけの人物です」

 

「……そうやって返すってことはここで開催されるイベントのことを知ってるみたいですね?」

 

 俺の回答が含みのある言い方に聞こえたようで紫髪の少女は目を細めながら笑みを浮かべる。この場所で参加者という言葉が出てきたのでスクールアイドルのイベントのことを示唆していると思っていたのだが、どうやらその予想は当たっていたらしい。

 

「ここでのイベントに知り合いが出るつもりなので、どんな会場かを見にきただけです」

 

「へぇ〜なら私たちと同じですね! ちなみになんていうグループ名なんですか?」

 

 黄色髪の少女が会話の内容に興味を示してくる。だが、かのん達のグループ名は把握していないのでその質問に答えることはできなかった。

 

「あぁ、すみません。そこまでは分からないですね。今年から立ち上げたばかりなので……」

 

「そうですか〜、分かりました! ありがとうございます!」

 

 質問に答えられなかった俺を咎めることもなく少女は笑顔で返事をしてくれる。太陽のような眩しい笑顔で話してくれるので見ていて気持ちが良い。

 

「それより、お二人もスクールアイドルなんですか?」

 

「そうですよ。昨年から始めて少しずつ力を付けてきたといった所です」

 

 俺の質問に紫髪の少女が答えてくれる。そして、何かを思い出したようにあっ、と声を出した。

 

「すみません。自己紹介が遅れました。私たちはSunny Passion(サニーパッション)。私は(ひいらぎ) 摩央(まお)です」

 

「私は聖澤(ひじりさわ) 悠奈(ゆうな)です! よろしくお願いします! パァッ!」

 

 紫髪の少女は摩央さん、黄色髪の少女は悠奈さん。悠奈さんは自己紹介と同時に先ほどと同じように両手でハの字を作る。

 

「ぱ、パァッ?」

 

「気にしないで下さい。これは私たちの合言葉のようなものですから」

 

 悠奈さんの突然の行動に困惑していると摩央さんが微笑を浮かべながら解説してくれる。摩央さんの解説を聞いた上で悠奈さんのサインを確認すると、顔の右側にハの字を作り、口で『パ』と開けることで手口で『パ』を再現していると分かって拘りの高さが窺えた。

 

「なるほど……。あっ、自分は湊月 颯翔。結ヶ丘高校に通う一年生です」

 

「結ヶ丘って今年設立されたあの新設校だよね?」

 

「へぇ〜、期待の新人さんってことなんだね!」

 

 俺の自己紹介を聞いてサニーパッションの二人は内輪で話し始める。期待の新人、はたから見ればあいつらもそう見えるようになるのかもしれないな。

 

「あの、お二人はどこから……?」

 

「私たちは神津島(こうつしま)というところから来たんです」

 

「神津島……?」

 

 全く聞き慣れない地名を出されどのような反応をすれば良いものか思考が停止してしまう。だが、相手もそれを承知済みのようで摩央さんがすぐにフォローを入れてくれた。

 

「……そういう反応になるのは仕方ないです。東京から南に離れたところにある小さな島のことです」

 

「そ、そうですか。神津島からわざわざここまで足を運んできたんですか?」

 

「そうなんです。私たちも巷ではやっと名前が知れ渡っていて、だけどもっと上を目指さなくちゃってことでここで開催されるイベントに参加するんです」

 

 悠奈さんは先ほどよりも幾分か暗い笑顔を見せながら教えてくれる。サニーパッションという名前は聞いたことがなかったのだが、可可に聞けば案外話が通じるのだろうか。

 

「そういうことですか。すみません、自分はお二人のことを全く知らなくて……」

 

「全然気にしないでください! 少し名前が知れ渡っているからと言って万人が知っているわけではないので!」

 

「それに、同じ高校生である湊月さんが名前すらも知らないということならば、それは私たちの実力不足が故の結果です。気にしなくていいですよ」

 

 二人のメンツを潰してしまったような申し訳なさを感じているとサニーパッションの二人は気にしていない様子を見せる。それどころか自分たちの力不足としてより己を律しようとするその反骨精神に感服してしまう。

 

「すごい心意気ですね。見ていてかっこいいです」

 

「ははっ、ありがとうございます。もし湊月さんが今度のライブに来るなら、是非サニパのライブも見ていってください!」

 

 悠奈さんからの勧めを断る理由は俺にはなかった。彼女達の誠実な姿やスクールアイドルとしての在り方に触れて、そのライブを見に行かないというのは非常に勿体無いことだ。

 

「はい、是非楽しみにしています。頑張ってくださいね」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

 彼女らの誘いを快諾すると摩央さんは嬉しそうに笑ってみせた。クールに微笑むその姿は異性のみならず同性も虜にしてしまうのではないかと錯覚してしまう。

 

「じゃあ、会場の確認も終わったし私たちは他を回りましょうか」

 

「そうだね! じゃあ湊月くん、私たちはこれで! ライブで待ってますね〜!」

 

「はい。それではまた」

 

 手を振りながら別れを告げる悠奈さんに俺も釣られるように手を振り返す。そして、そのままサニーパッションの二人は会場を後にするのだった。

 

 そこはかとなく眩しい笑顔の悠奈さんと知的で冷静沈着な摩央さん。対照的な二人が見せるライブがどういったものになるのか非常に興味が出てきた。

 

「……ライブまでにあの二人のライブを確認しておくか」

 

 こうして俺は代々木公園を後にする。先ほどまで乱れていた俺の心も彼女らの光を浴びて落ち着きを取り戻していたのだった。

 

 





異境の地から貴方にお届け。




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小さな星屑


お待たせしました。

本編27話です。

それではどうぞ。




 

 スクールアイドルフェスが翌日にまで迫った日、いつも通り授業が終わり帰宅準備に入ろうとしていた。

 

「じゃあね、颯翔くん。明日は部活が終わったらまた連絡するね」

 

「あぁ、くれぐれも無理しないようにな」

 

「あははっ、大丈夫だよ。それじゃあね〜!」

 

 ニカっと微笑みながら燈香は手を振って教室を後にする。俺も教室に残ってまでやることは特にないので帰路に着こうとする。荷物を持って教室を出た時、廊下で可可と鉢合わせた。近くにかのんの姿は見えずどうやら彼女1人だけのようだ。

 

「アッ……ハヤト!」

 

「可可、今日も練習か?」

 

「そうデス! 明日はいよいよホンバンなので、ラストスパートというやつデス!」

 

 俺の質問に可可は気合いが入っていることを示すように胸の前でぐっと握り拳を作る。いつも快活な彼女だから、緊張することはあまりないのだろうか。

 

「本番ってたくさんの人の前で歌って踊るんだろ? 意外と緊張しないものなのか?」

 

「ウ〜ン、どうでしょう。今はとくにキンチョウしているわけではないデスガ、ククはまだステージに出たことがないので実感がナイだけかもしれないデス」

 

 可可は顎に手を当てながら今の心境を教えてくれる。スクールアイドルに対しての情熱は相当なものと見受けていたが、意外とライブ自体に参加するのは初めてのようでそこは驚きだ。

 

「そうか、じゃあしっかりと爪痕を残さないといけないな」

 

「えへへっ、そうデスネ。……ちなみにデスガ……ハヤトは明日のライブは見に来てくれマスか?」

 

 可可は少し不安げな様子でそう聞いてくる。だが、可可としては絶対に気になる事項だったろうから俺はなんら不思議に思うことはなかった。

 

「あぁ、そのつもりだ」

 

「エッ……ほ、ほんとうデスか!?」

 

「可可らが本気で取り組んでることは知ってるし、微力ながら手伝いはさせてもらったしな。それに……偶然知り合ったスクールアイドルの人らにも声を掛けられたから」

 

「そうなんデスか?」

 

「あぁ、サニーパッションって言うんだけど……」

 

 先日、代々木公園で知り合った神津島のスクールアイドル、サニーパッションの名前を口に出した瞬間、可可の目がカッと見開かれた。

 

「ハッ!!!! さ、さささ……サニパ様と会ったのデスか!?!?」

 

「うえっ、そ、そうだけど……可可は彼女らのことを知ってるのか?」

 

「し、知ってるもなにもサニパ様は今ナミに乗っているスクールアイドルデスよ! タイヨーのような眩しい輝きを放つ聖澤ユウナさんとツキのような美しい煌めきを魅せる柊マオさん……そのお二方が見せるライブはスバラシイものデス!! スクールアイドルを知ってるヒトならば知っててトウゼンデス!!」

 

「お、おう……」

 

 人が変わったように捲し立ててくる可可に俺は圧倒されていた。だが、可可がここまで熱烈に推すということはサニーパッションの2人がそれだけのパフォーマンスを披露しているということだろう。俺も先日、彼女らと別れてからミュージックビデオなどでパフォーマンスを見たのだが、終始彼女らに見惚れていた。煌びやかな衣装と華やかな演技、そして常に笑顔をカメラは向けてくる為、エールを送られているような感覚を覚え、不思議と力を与えられたように思えたのだ。サニーパッションの二人は自分たちのことをまだまだと言っているが、可可が彼女らの魅力を語りだすくらいにサニーパッションの名はスクールアイドルの界隈には轟いているようだった。

 

「ハァッ……まさか、ハヤトがサニパ様と会っていたナンテ……」

 

「……そんなに悔しいことなのか?」

 

「それはモウ……! サニパ様はククが日本に来ようと思ったキッカケを与えてくれたカタガタなのデスから!」

 

「……サニーパッションの2人が?」

 

 可可が日本に来た理由が意外な存在のおかげと知り、俺は彼女の素性に興味が湧いた。

 

「はいデス。ククは元々上海で暮らしていたのデスが、両親が厳しくて勉強ばかりの日々デシタ」

 

 可可も俺が食いついてくれたからか詳しく説明をしてくれる。

 

「家族はククの為を想って厳しくしていたと思うのデスが、ククの心は全く満たされませんデシタ。いくら勉強を続けてもククがやりたいことはソコには何もなかったからデス」

 

 話を聞く限り、彼女の家は勉学至上主義な習わしがあるようだ。そういった生活は少なからず将来のためにはなれど、今を楽しむことが容易にできない。勉強漬けの日々で友達と満足に遊ぶことも許されず退屈な人生を送っていたのだろうと可可の表情からそう見てとれた。

 

「友達と遊ぶこともデキズ、将来のために勉強スル。このまま楽しくナイ生活を続けるのかと思って気が落ちてイマシタが……そんな時にネットでスクールアイドルを見まシタ」

 

「………………」

 

 普段は聞くことができない可可のプライベートに俺は真剣に耳を傾けていた。

 

「スクールアイドルをやっているヒト達は自分タチのやりたいコトを心の底カラ楽しんでいることが伝わってきて、それを見てククもやりたいと思ったのデス」

 

「……自分のやりたいことを……心の底から……」

 

「その中にサニパ様も入っているのデス。あの人タチのパフォーマンスを見てると、すごく元気と勇気を貰えマシタ! ククもこんなトコロでくぶすっていられないと思って、スクールアイドルをやる為に日本へやってきたのデス!」

 

「くぶすって……? それは燻ってって言いたかったのか?」

 

 聴き慣れない言葉が聞こえてきたが、話の流れからすぐに推察した俺は訂正を入れる。彼女も伝えたい言葉が間違っていたことを認識したようでアワワと焦る様子を見せる。

 

「アッ! それデス! クゥ……日本語は勉強してキマシタがまだまだベンキョー不足デスね……」

 

「それでも難しい日本語を覚えてるんだな。大したもんだよ」

 

 燻るなんて言葉、高校生がそうそう使うものじゃない。それをこの年齢で、あまつさえ外国人の彼女が使いこなしているということは彼女が日本へ来る為に重ねてきた努力の結果なのだろう。

 

「でも、その話を家族はよく許してくれたな?」

 

「……そ、それは……とある条件を付けたからデス……」

 

「条件……か」

 

 家族の話に戻した途端、彼女の気と声が小さくなった。条件付きで許したということはおそらくここでスクールアイドルとしての成果を得られなければ……、ということだろう。勉学に厳しい人間を納得させるにはその方法しか見当たらない。

 

 可可がダンマリになってしまい、話したくなさそうな雰囲気が伝わったので俺は笑顔を作って迫るライブの話題へと戻す。

 

「……なら、尚更こんなところじゃ立ち止まっていられないな?」

 

「……エッ?」

 

「少なくとも可可がこのライブに掛ける想いは伝わってきたし、かの……澁谷も可可のその想いに応えてくれるはずだ」

 

 かのんは誰よりも正義感に熱い少女だ。可可が不安になるようならきっと彼女は可可へと手を差し伸べるだろう。1人じゃ何も出来なかった俺の手を引っ張ってくれた時みたいに。

 

「明日のライブ、絶対に観にいく。だから、可可が持ってるその情熱をステージで俺に全力でぶつけてくれ」

 

「……ッ! は、ハイデス!! 絶対にハヤトをクーカーに夢中にさせてみせマス!」

 

「クーカー?」

 

「フッフッフ、クク達のユニット名デス!」

 

 自信満々に答える可可。ただ可可とかのんの名前を伸ばしただけの安直な名前だが、それでもどこか悪い響きがしなくてつい笑みを浮かべる。

 

「悪くないな。なら楽しみにしてるぜ。練習、がんばれよ」

 

「アリがとうございマス! それデハ!!」

 

 俺からの激励の言葉に嬉しくなった可可はスキップをしながら廊下を後にするのだった。可可の姿が見えなくなり俺も帰ろうと思ったが、可可のある言葉が頭から離れなかった。

 

「自分のやりたいことをやる為にここに来た……か」

 

 彼女がスクールアイドルをやる為に並々ならない努力を重ねてきたこと。その理由が今になってわかった気がする。スクールアイドルへの勧誘、楽曲作りの協力要請、苦手な運動にもなけなしの頑張りで食い付いていったこと、それらは全て彼女がここで実績を出す為だったのだ。だが、彼女もただ実力者を集めるだけではなく、自分と想いを同じくした仲間を求めていた。それは自分の目的を果たすだけでなくそこで出会った仲間と苦楽を共にして結果を出したいということなのだろう。

 

 彼女の行動力の高さに俺は呆気に取られていた。自分の素直な気持ちに従う彼女の純真さ、真っ直ぐさが眩しかったのだ。

 

「……俺もこのままでいいのか……」

 

 好きなことがやれない苦悩を思い出して、彼女との立場の違いを痛感してしまう。明日のライブが楽しみな反面、その場から前に進めないもどかしさと不甲斐なさを感じながら俺は帰路に着くのだった。

 

 






やりたいと思った時から、物語は始まる。



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代々木スクールアイドルフェス


お待たせしました。

本編28話です。

それではどうぞ!




 

 可可と話をしてから翌日、待ちに待った代々木スクールアイドルフェス当日だ。代々木公園の一角にあるステージの周りにはイベントに参加するであろう制服姿の高校生やスクールアイドルのライブを観ようと多くの一般人が集まっており、近くには屋台も設置されていたりと大いに賑わっていた。今はお昼過ぎで空は明るいが20近くのグループが参加するイベントなので、トリに回るまでに空も暗くなることだろう。

 

 俺は会場に1人で来ていたが周りには恋さんや知り合いの姿は見えなかった。どうやらまだ現地には到着していないようだ。

 

「さて……どうやって時間を潰すか……」

 

「アッ! ハヤト〜〜!!」

 

 どうやって時間を潰そうか考えようとしていた時、遠くから可可の甲高い声が聞こえてきた。まだ制服に身を包んでおり、かのんは席を外しているようだった。

 

「よっ、いよいよ本番だな。今日は楽しみにしてるぜ?」

 

「任せてクダサイ! チサトさんの扱きの成果、見せてやるデス!」

 

「その言い方は千砂都に怒られるから絶対やめろよな?」

 

 扱く以外の適切な日本語が見つからなかったのか、それともスパルタ教育への当てつけかは分からないが、それでも千砂都の堪忍袋をぶった斬るには十分すぎる一言だったので彼女がここにいなくて本当によかった。

 

「……それと、澁谷はいないのか?」

 

「アッ、かのんなら……」

 

「……可可ちゃ〜ん! やっと追いついたよ〜……」

 

 可可がかのんを探すように後ろへ振り向くとかのんがゆっくりと走りながら可可の元へやってきていた。今まで熱心に練習に取り組んでいた彼女が膝に手を当てて息を切らしているところを見るとかなりの距離を走ったように見える。

 

「もう、可可ちゃん。あんなに人が多いのに歩道橋で走り出したら危ないってば〜!」

 

「す、すみませんデシタ〜……ハヤトを見つけたからついうれしくなってシマッテ……」

 

「えっ、颯翔?」

 

 かのんは可可が突然俺の名前を出したことで素っ頓狂な声を上げるが、すぐにその言葉の意味を理解した彼女は可可の後ろを覗くようにこちらを見つめてきた。そして、途端に表情が硬くなるのは言わずもがなのことだった。

 

「……来てたんだ」

 

「可可や他にもスクールアイドルを名乗る人らに誘われたからな」

 

「そんなこと言って、本当は私への嫌味でも言いに来たんじゃないの?」

 

「んなガキみたいなことを誰がするか」

 

 相変わらず喧嘩を吹っかけてくるように文句を並べるかのんに眉を顰めながら反論する。そんな犬猿の仲な俺たちの間で可可は不安な表情を浮かべながら双方を見つめる。

 

「別にお前がどんなパフォーマンスをしても勝手だが、俺は誰かを馬鹿にするためにここに来たわけじゃねえ。努力を重ねた人たちの勇姿を見届けるために来てんだ」

 

「…………」

 

「スクールアイドルを続けるために頑張ってる可可の足をせいぜい引っ張らんようにな?」

 

「……私だって歌うことを続けるためにここに来てる。私の夢を応援してくれる可可ちゃんの足を引っ張るつもりなんかさらさらない」

 

 かのんはまっすぐこちらを見据えてそう言い切る。以前のかのんなら『私たちのことを馬鹿にするな』と逆上して突っかかってきそうなものだったが、可可との出会いが、スクールアイドルとの出会いが、彼女が変わるきっかけを与えたのかもしれない。

 

『まもなく開会式が始まります。参加する方々はステージへ集まってください。繰り返します、まもなく……』

 

 彼女との沈黙の睨み合いが続く中で公園内に参加者を呼ぶアナウンスが響き渡る。かのんも音源の方を一瞥するとすぐにこちらへ向き直る。

 

「あんたに見られることは不本意だけど、それでも本気のパフォーマンスをすることに変わりはないから」

 

 かのんはそう俺に告げると硬くした表情を崩し可可へと視線を動かす。

 

「可可ちゃん、時間だから私たちも行こ?」

 

「えっ、あ、はいデス……!」

 

 唐突な切り替わりに可可は呆気に取られていたが、ステージの方へと歩き始めるかのんの後ろを追いかけようとする。だが、その直前に何かを思い出したようにこちらへ振り返った。

 

「ハヤト、今日のクーカーのライブ、楽しみにしていてクダサイ!」

 

「おう、応援してるから全力でやってこいよ」

 

 そう言いながら手を振ると、可可も返事をするように手を振り返す。そして、彼女はかのんについていくように忽然とステージの方へと消えるのだった。

 

「あれっ、君はもしかして……?」

 

 不意に後ろから聞き覚えのある明るい声がして、振り返るとそこにはサニーパッションの2人がいた。

 

「あっ、サニーパッションの柊さんと聖澤さん」

 

「あらっ、湊月くん。覚えてくれていたんですね」

 

「あれからお二人の動画を見させてもらいましたからね」

 

「お〜、そうなんですね〜! これは声を掛けた甲斐がありました、パァッ!」

 

 悠奈さんは嬉しそうに手と口で彼女のアイデンティティである『パ』を表現する。いや、『パ』がアイデンティティとはなんだ。

 

「先ほど、ステージで呼び出しがありましたけど?」

 

「えぇ、これから向かう所だったんです」

 

「その道中で湊月くんに遭遇してパァッと嬉しくなったわけです!」

 

 悠奈さんは『パ』を表現しながら再会した喜びを伝えてくれる。屈託のない笑顔でそんなことを言われれば世の男はすぐに落ちるだろう。そんな些事を考えていたが摩央さんと悠奈さんもステージへ向かう途中だったようで、それならばここであまり悠長に話していても仕方ない。

 

「そうですか、じゃあ時間も近いですから早めに向かった方が良いですよ」

 

「ありがとう。じゃあ、私たちもこれで……」

 

「……の前に!」

 

 摩央さんの言葉に被せるように悠奈さんが口を開いた。

 

「前に湊月くんが言ってたスクールアイドルの子達って『クーカー』って言うんですか?」

 

 悠奈さんは俺と可可達が会話しているところを目撃したようで、可可が大きな声でクーカーと発言したものが聞こえていたようだった。

 

「そうですよ。と言っても俺も昨日初めて知りましたけどね」

 

「あはは、さっき湊月くんが話していた子を見てるとすごく面白そうな子ですよね!」

 

 可可の元気っぷりを悠奈さんも自分に近しい匂いを感じたのか、好印象を抱いてくれているようだ。悠奈さんからのありがたい言葉を直接可可に届けられなかったのが残念だが、後で彼女に伝えておこう。

 

「彼女らも努力は重ねてるんでお二人とどの程度まで競えるのか、楽しみですよ」

 

「ふふっ。そこまで言うなんて、益々彼女達のパフォーマンスを見るのが楽しみね」

 

「そうだね〜! 心がパァッとワクワクしてきたよ!」

 

 どうやら俺の言葉が彼女らのやる気に火をつけてしまったようで、より一層気合に満ちているようだった。

 

「では、時間も近いので私たちはこれで」

 

「湊月くんもライブ、楽しんでいってね!」

 

「はい、お二人も頑張ってください!」

 

 そう言ってサニーパッションの2人と別れを告げる。前評判でも彼女らの人気は高く、今回の優勝は彼女らじゃないかと噂されているが、そのプレッシャーなども特に感じさせない堂々としている姿はとても勇ましく思えた。

 

 クーかーとサニーパッション、二つのアイドルグループが一体どのような輝きを見せるのか、今からとても待ち遠しく思えた。

 

 

 

 

 

 

「恋さん……全然来ないな? 一体どこをほっつき歩いてるんだ?」

 

 開会式が終わり、いよいよ代々木スクールアイドルフェスが開幕した。先ほどの開会式でライブパフォーマンスを行う抽選が行われ、サニーパッションが全参加グループの中盤、クーカーはトリを飾ることになった。

 

 今は名も知らないスクールアイドル達がパフォーマンスを披露しているが、これ見よがしに恋さんの姿を探そうと辺りを一望する。しかし、どこにも恋さんと思わしき人物が見つからず俺は苦言を呈していた。約束をドタキャンするとは思えないが、生徒会の仕事が長引いて中々席を外せないのだろうか? 

 

「あれっ、颯翔くん?」

 

 周囲をキョロキョロしているとこれまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。そこには千砂都がいたのだった。

 

「千砂都、意外と遅かったな?」

 

「あ〜、たこ焼き屋のバイトが少し長引いちゃってね〜」

 

「たこ焼き屋のバイトしてるのか?」

 

 千砂都がたこ焼き屋のバイトを始めていることに驚いたが、彼女は丸いものが好きな上にたこ焼きも大好物だ。これも自分を変えるためのきっかけとして始めたことなのだろう。俺の反応に千砂都はふふんと鼻を鳴らす。

 

「そうだよ、ちぃちゃん特製のたこ焼きは美味しいって評判だから、今度食べにおいでよ?」

 

「なら、今度時間を見つけて食べに行かせてもらうさ。知り合いなんだし安くしてくれるよな?」

 

「いくら颯翔くんでもそれはバツかな〜」

 

 友人の恩恵を持ってしても千砂都は両手でバツを作る。負けてくれないなら誰が買うか、なんて言いたいところだがたこ焼きは俺も好きなので千砂都が作るたこ焼きが気になってきた。近々、燈香や恋さんを連れて食べに行こうかな。

 

「それよりもかのんちゃん達以外のスクールアイドルはどんな感じなの?」

 

「確かにみんな綺麗だし、一生懸命盛り上がってるけどそれまでだな。いいなって思うだけで心には刺さらない感じだ」

 

 先にサニーパッションのパフォーマンスを動画で見てしまっていたからかは分からないが、他のスクールアイドル達のパフォーマンスも心がワクワクする感覚には陥るがそこまでが限界だ。ノーマークだったからという原因もあるだろうが、それでも惹かれるほどの魅力を感じるかと言われたら首を傾げてしまう。

 

「そっか〜、ちなみに颯翔くん的オススメはいるの? クーカーを除いて」

 

「クーカーを除いて……って言われるとやっぱりサニーパッションかな。あの人たちのパフォーマンスは見てて心が跳ねるんだよ」

 

「ふむっ……ってもう次がサニパさんじゃん!?」

 

 気になるグループについて語っていたら、その本命がステージに上がってきた。サンバのような大きな装飾を施した派手な衣装、そして、黄色と紫という太陽と月を表現しているような配色。悠奈さんは快活な笑顔で観客席に手を振り、摩央さんはクールに一礼を決めるその対照的な姿もまた味があった。

 

「あっ、そうだ! せっかくなら〜……」

 

 ステージ上の彼女らを眺めている横で千砂都は何かを思い出したように鞄を物色する。そして、取り出したものを俺に差し出す。

 

「はい! これ、颯翔くんの分だよ!」

 

 見るとそれは観客がアイドルの応援でよく使用するペンライトだった。

 

「ペンライト?」

 

「うん。だって颯翔くん、手ぶらで来てたしせっかくオススメのグループが来たなら全力で応援しなくちゃじゃない?」

 

 千砂都の言う通り、今日のライブに向けて何を持っていけばいいのか分からず、ひとまず空気感を知ろうと思って何も持ってきていなかったのだ。千砂都も自分用のペンライトを既に一本持っており、なんだか俺の行動が見透かされているようにも思えてしまった。

 

「……あぁ、わかった。ありがとうな」

 

「うん! ライブ、一緒に楽しもうね」

 

 千砂都の弾けるような笑顔を見て、俺はあることに気がついた。そういえば、千砂都と2人だけでこうして何かを体験するのは初めてかもしれない。今まではかのんも含めた3人で一緒に動いていることが多かったから、すごく新鮮な気分だ。

 

「さぁ〜みんな〜! 私たちのライブをパァッ〜っと楽しんでいってね!!」

 

「ここに来てくれた人たちを私たちのパッションで熱くしてあげるわ!」

 

 千砂都の横顔に見惚れている間にステージではサニーパッションの2人が観客に煽りを入れていた。彼女らの掛け声に呼応するように会場の熱気は先ほどよりも一段と増しているのが肌で感じられた。

 

「─────♪」

 

 すると、摩央さんが俺の姿を視認したようで、明らかにこちらへ目を配りながらウィンクを返してくれた。

 

 ステージからでも俺の姿が認識できるほど、よく見えていることがわかり思わずドキッと胸が熱くなった。さすが、今をときめくスクールアイドルはこういったファンサービスもお茶の子さいさいなのだろう。

 

『それでは、ライブスタート!!』

 

 先ほどの余韻に浸るまもなくサニーパッションのライブが幕を開けた。

 

 





熱いパッション、あなたに届け。



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両手に華?


お待たせしました。

本編、29話です。

それではどうぞ!




 

『サニーパッションでした〜! みんな〜、ありがとうね〜!』

 

『引き続き代々木スクールアイドルフェスを楽しんでいってね!』

 

 サニーパッションのライブが終わり、摩央さんらは観客に手を振ってステージから降りる。観客も「ありがとう!」、「サニパ様〜!」と各々が声を上げながらペンライトを左右に振っている。

 

「さっきのサニーパッションさん、すごく楽しかったね!」

 

「あぁ、あのパフォーマンスといい、客の煽り方といいさすがは場数を踏んでるスクールアイドルだったな。他のグループらとレベルが違う」

 

 千砂都とサニーパッションのライブを振り返り、彼女らが他のスクールアイドルとは一線を画していることが明らかに分かった。ただ客と楽しむだけではなく、パフォーマーとしてダンスを魅せる力も備わっており、そのキレは抜群だった。会場のボルテージも未だ冷めない様子を見るに彼女らが今回のイベントで上位に着く可能性は非常に高いだろう。

 

「そういえば、だいぶ周りも暗くなってきたね〜、かのんちゃん達の番まではあと少しかな?」

 

「そうだな、恋さんは未だ連絡付かずだし、一体どこで油を売ってんのか……」

 

 結局、恋さんからは音沙汰がない。一度こちらから連絡をするべきかと思い、スマホを取り出そうとする。その瞬間スマホのバイブレーションが響きわたる。

 

「…………燈香?」

 

 ディスプレイには『日向 燈香』と表示され電話がかかってきていた。チャットアプリもIDを交換しているが何故電話を掛けてきたのだろうか。

 

「……もしもし?」

 

『あっ、颯翔くん!? メッセージを送っても全然返事が来ないから焦ったよ〜!』

 

「えっ、メッセージ?」

 

 燈香の声に焦りが込められており、電話を受けながら通知を確認するとそこにはチャットで燈香から5件ほどのメッセージが送られてきていた。『部活終わったけど、イベントは続いてる?』『颯翔くーん?』など練習終わりに送ってくれていたのだが一向に俺からの返事がなく、焦りを隠せなかったようだ。

 

「あぁ……悪い、ライブに夢中で気付かなかった」

 

『そうだったんだね。ライブはもう終わっちゃった? 部活が終わって今から向かおうと思うんだけど、間に合うかな〜?』

 

 話の感じを察するに燈香はどうやらまだ学校にいるようで、これから会場に来るとなると所要時間は約30分だろうか。

 

「いや、結高のスクールアイドルはまだだから今から来れば間に合うぞ。そっちに迎えに行くか?」

 

『うーん、代々木公園への行き方までなら分かるけどステージの場所が分からないから代々木公園に着いたらまた連絡していいかな?』

 

「分かった。なら原宿駅前の入り口で待ってるから着いたら連絡してくれ」

 

『はーい! せっかく楽しんでる時にごめんね、颯翔くん……!』

 

「気にするな。気を付けて来いよ」

 

 燈香に忠告を入れて通話を切る。そして、俺はこの場を離れようと動き出そうとするが千砂都が声を掛けてきた。

 

「どこか行くの?」

 

「クラスメイトの友達のところ。部活が終わって今からこっちに来るって話だから迎えに行くんだ」

 

「そうなんだ。私も付き添おうか?」

 

「そこまではいらんさ。お前は澁谷たちに声でも掛けにいってやれよ。俺なんかが行くよりかは遥かにやる気が出るだろうさ」

 

 千砂都には俺へのお節介で時間を潰してほしくない。そう思って1人で行くことを伝えるが千砂都は何か物申したげな表情をしていた。

 

「……そっか。わかった、じゃあついでに颯翔くん達が良い席で見れるように陣取っておくね?」

 

「そうしてくれると助かる。じゃあ、行ってくる」

 

 千砂都に断りを入れて、俺は会場を一時的に後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、颯翔く〜ん!!」

 

 代々木公園の原宿駅前の入口で待機していると燈香が人混みを避けながら走ってきた。結構な時間を走っていたのか、彼女の額には汗が滲んでいた。

 

「おう、お疲れ燈香。部活終わりなのに悪いな」

 

「んーん、気にしないで! なんとかこっちに間に合ってよかったよ〜! それで唐さんたちのライブは?」

 

「まだ始まってねえさ。彼女らは大トリを務めるから始まるまでにまだ猶予はある」

 

「お、大トリを務めるんだね……? いきなりプレッシャーが凄そう……」

 

 俺の話を聞いて、燈香は冷や汗を掻きながらクーカーの心痛を察するように声が震えていた。確かに彼女らはスクールアイドルとしてライブを行うのは今日が初めてなのだ。そのライブがそれなりに規模を有しているもので尚且つ大トリだから緊張しないはずがない。

 

「さっ、時間もあまりねえし、さっさと行くか」

 

「うん!」

 

 ライブも後半戦に入っている。悠長にここで話していたらクーカーの勇姿を見逃してしまうので積もる話は歩きながらすることにした。

 

 その道中で、燈香は既に来ているであろう人物について聞いてきた。

 

「そういえば、恋ちゃんはこっちに来てるの?」

 

「それがどこにも姿が見えねえんだよ。学校の仕事がそんなに残ってんのか……?」

 

「う〜ん、でもいつも恋ちゃんが仕事で使ってる生徒会室は鍵が閉まってたよ? 練習終わりに寄り道したからもうこっちにいるものだと……」

 

 なんと、燈香の方も学校内に恋さんがいないか見回ってくれていたようだ。それでもいないということは既に現地入りしてるかこの場を退散をしてるかの二択となる。

 

「恋さんの事だからドタキャンはしないと思うけど……会場に着いたら連絡を取ってみるか……」

 

「………………」

 

 会場に向かいながら俺は小さく呟く。そんな俺を奇異なものを見るように燈香が見つめていた。キョトンとしながら無言でいる燈香の視線に気づくのに、そう時間を要さなかった。

 

「……ん? 燈香、俺の顔に何か付いてるか?」

 

「えっ!? いや……そうじゃないんだけど、颯翔くんがそれを持ってきてる事が珍しいなぁって思って……」

 

「それ……? …………あっ」

 

 燈香が見つめる視線の先にあるのは俺の手首からストラップでぶら下がっているペンライトだった。そういえば、ステージを離れてからずっとこの状態にしていたことを完全に失念していた。燈香との合流が先だと後手に回していたため普段の俺とは相反するイメージを彼女に与えていることだろう。

 

「いや、これは俺が持ってきたわけじゃなくてな……?」

 

「ふふっ、颯翔くんってばそこまで楽しみにしてたんだね。なら私も全力で楽しまないと!」

 

「ち、違うんだこれは……」

 

 千砂都に借りただけ、そう言えば済む話なのに燈香が有無を言わさぬまま1人で合点を得ていた。俺は弁明を試みるも、当の本人はなんだか年下を見るような温かい目をしてるし、これはきっと何を言っても意味がない。ステージが近くなるにつれて大きくなる喧騒の中、俺はただため息をつくことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ〜! 綺麗なステージ〜!」

 

 会場に着くと、ステージは先ほどまでと色合いを変えて可憐だけれども美しい、そんな姿を形成していた。まだ多くの人が残っている様子を見るに、ライブはまだ終わりを迎えていないようだ。

 

 燈香はスクールアイドルのステージを初めて見たのだろうか、眩しい輝きを放つステージにただ見惚れていた。

 

「千砂都は一体どこに……」

 

 千砂都に連絡を取ろうとした矢先、スマホに電話が掛かってきた。相手は今まさに連絡を取ろうとした相手だった。

 

『もしもーし!? 颯翔くん、そろそろかのんちゃん達のライブが始まるよ!』

 

「えっ、マジかよ! 今ステージに着いたけど千砂都はどこにいるんだ?」

 

 血相を変えた様子で話す千砂都。そして、ちょうどライブもラストにまで迫っていたということで流石にやばいと思って電話を掛けてくれたようだ。千砂都の場所を確認しようとすると観客席の前方で手を振ってる女の子の姿が見えた。

 

『今、大きく手を振ってるんだけど見えないかな?』

 

「見えた見えた、今そっちへ向かう。……燈香、行くぞ」

 

「えっ、は、颯翔くん!?」

 

 人混みの中を分けながら進むため燈香と別れないように彼女の手を引きながら最前列を目指す。突然手を握られた燈香は思わず声を上げるが千砂都の姿を目で追うことに必死だった俺は、そんなことなどすぐに頭の中から抜け落ちていた。観客の間を割り込みながら進んでいくと千砂都が2人分の席を空けて待ってくれていた。

 

「悪い、遅くなった」

 

「もう颯翔くんってば全然メッセージに気づいてくれないから焦っちゃったじゃ〜ん!」

 

「えっ……また……?」

 

 開口一番、何故か聞き覚えのある言葉を千砂都にぶつけられる。まさかな、と思いつつスマホの通知を確認すると、そこには千砂都からのメッセージが怒涛の勢いで送られていた。

 

 だが、それを見ると同時に俺はある疑問が浮かんだ。俺は千砂都にチャットアプリのIDを教えたつもりはないが、何故彼女は知ってるのだろうか。

 

「……颯翔くん……また……?」

 

「おいおい、俺のせいなのかよ?」

 

 先ほどは燈香にあらぬ誤解を与えてしまってその罪悪感に苛まれていたのだ。その上でスマホの通知に気づかず、おまけにこのようなデジャヴを起こしていることに一種の奇跡さえ感じてしまう。嫌な方向に空気が持っていかれてる予感がした俺は口を開こうとする。

 

「それより千砂都、お前どうして……」

 

「あっ、その子が颯翔くんのお友達?」

 

「へっ? は、はい。日向 燈香と言います……!」

 

 今度は俺の番と話を切り出そうとしたが千砂都に話の余地すら与えられず俺の後ろにいた燈香に声を掛ける。燈香もいきなり呼ばれたからか返事が上ずっていた。

 

「へぇ〜燈香ちゃんって言うんだね! 私は嵐 千砂都。颯翔くんの昔馴染みなんだ、よろしくね♪」

 

「颯翔くんの昔馴染み……?」

 

 俺の知り合いがこの学校にいると思わなかったのかあっけらかんと話す千砂都に驚きの表情を見せる燈香。確かに彼女にはかのんとの関係も話したことがなかったし、千砂都のことも知らないからこういった反応になるのはおかしなことではないか。

 

「それにしても……2人ともお熱いんだね?」

 

「はっ? お前、何を言っ……て…………」

 

 千砂都の目つきが明らかにおかしくなり突然何を言い出すのかと思ったが、彼女の目線の先を追うと全てを理解した俺は無言で固まってしまった。はぐれまいと繋いでいた燈香の手を未だ握っていたのだ。燈香もいち早く事態を察したようですぐに顔を赤くし手を離した。

 

「ち、違っ……! 私と颯翔くんはそんな関係じゃ……!?」

 

「うわぁ〜すごく顔が真っ赤〜。こんな素敵な子を持っちゃって颯翔くんも隅には置けないね〜?」

 

「お、俺と燈香はそんなんじゃねえから……茶化すのはやめろ」

 

 下手に取り乱したら今の千砂都は余計に揶揄おうとする。なんとか止めようと平静を装うが恥ずかしさが抜け切れず顔面が熱くなるのをただただ感じるしかなかった。気まずい空気になる俺と燈香を見て、千砂都は耐えきれず吹き出してしまう。

 

「ぷっ、あはは! 冗談だよ〜、颯翔くんもそんなに顔を赤くしちゃってかわいいな〜」

 

「お、お前……絶対に許さねぇ……」

 

 こいつは絶対にいつか分からせる。この屈辱は絶対に忘れない。

 

 ステージの横でクーカーは緊張しているだろうに、それとは全く対照的な気の抜けた空気の中で俺は密かにそう心に決めていたのだった。

 

 






君とその子はどんな関係なの?



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二筋の流れ星


お待たせしました。

本編30話です。

それではどうぞ!




 

「はい、燈香ちゃんの分もこれどうぞ!」

 

 千砂都は鞄からペンライトを持ち出し、俺を挟んで燈香へ貸し出す。千砂都は可可からクーカーを全力で応援できるようにと自前のペンライトをもらっていたようだ。千砂都自身もかのん達を応援できるようにと先に2本用意していたのだが、可可から貰った2本と合わせて4本を使い回すこともできないため、俺と燈香に貸し出してくれた。

 

「ありがとう、嵐さん」

 

「気にしないでいいよ! それに私のことは千砂都って呼んでいいから!」

 

「あっ……じゃあ千砂都ちゃん。同じ音楽科同士、仲良くなれたら嬉しいな……!」

 

「えへへっ、うん!」

 

 千砂都が持ち前の明るさを発揮して燈香と早速意気投合していた。俺の知る千砂都とは縁遠いその姿に未だ違和感を拭えていない。自分を変える為にダンスを始めたと言っていたが、その影響でここまで自分に自信を持つようになったのだろうか。

 

「それにしても千砂都、どうして俺の連絡先を知ってたんだ? 俺はお前に教えた記憶が全くないが……」

 

「あぁ〜……は、颯翔くんのクラスメイトさんから聞いたんだよ! スクールアイドルのライブに興味を持ってたんだけど、最後まで見ることが出来ないって言ってて、それならせめてってことで教えてもらったんだ〜!」

 

 なんだか急に千砂都は目を逸らしながら捲し立てようとしている。何かを隠していることはわかるが、別に食ってかかるわけじゃないのに何故本当のことを話さないのだろう。

 

『それでは代々木スクールアイドルフェス、大トリを飾るは〜! 結ヶ丘高等学校スクールアイドル、クーカー!!』

 

 会場のアナウンスがクーカーの名を呼び会場の歓声が大きくなっていた。千砂都を問い詰めようと思ったが周囲の状況がそれを良しとせず、俺はただ空気の流れに従うしかなかった。このライブが終わった時にもう一度聞こう、そう心に決める。

 

「あっ、かのんちゃん達だ!」

 

 千砂都がペンライトで指す方向を見るとステージ衣装を身に纏ったかのんと可可がステージに上がってきていた。白を基調としたワンピース。その他の色としてかのんは青、可可はピンクを衣装に織り込んでいるが、リボンやチョーカーなどの装飾は相手方のベース色を織り込んだもので構成され、正に二人で一つと表現するに相応しいものだった。

 

 緊張の面持ちでステージに上がるかのん、そして反対に可可は笑顔で手を振って観客の歓声に応えていた。

 

『…………っ!』

 

 かのんと可可は観客席の前方で観覧している俺たちを見つけ、驚きを顔には出していないが目が若干見開かれたように見えた。見に行くとは言っていたがまさかここまで近くで陣取っているとは思ってもいなかったのだろう。

 

『は、初めまして!』

 

『ワタシタチは、結ヶ丘高校スクールアイドルのクーカーデス!』

 

『よ、よろしくお願いします!』

 

 かのんは緊張が抜けないようで声がかなり震えているが可可は平然を装いながら自己紹介をする。可可は普段と同じように軽々と頭を下げる中、かのんは力を込めて頭を下げており、その姿はあまりにも対照的だった。

 

「あいつ……あのままで大丈夫か……?」

 

 可可の足を引っ張るわけにはいかないと息巻いていた矢先にこの緊張っぷりなので、少し拍子抜けしてしまう。

 

『今日は私たちの初ライブに来て頂き、ありがとうございます』

 

『このフェスのトリをかざることになりマシタが、ぜひ最後までミナサンと一緒にたのしみたいデス!』

 

 ライブ前の挨拶を終え、2人が背を合わせるように配置につく。可可が作った歌詞とかのんが紡いだであろうメロディ。それがどのような形で産み出されているのか楽しみになっていた。

 

 だが、楽曲が始まるまでの沈黙の間、俺は可可の様子が少しおかしいことに気づく。

 

(……あいつ……手が震えてる……?)

 

 一番前の席を取ることができたから彼女らの細かい仕草までよく見えるのだが、構えを取っている可可の手が震えていたのだ。クーカーにとってみれば、このライブはスタート地点。だが、可可にしてみればこの結果によっては終着点となる。かのんが昔からのあがり症を克服できていないこの状況下、自分だけは失敗してはならないと自身に言い聞かせていたのだろう。周りには元気な姿を見せる反面、彼女は自身に科せられた重荷をひた隠しにしておりそれがこうして震えに出ていたのだ。

 

(…………がんばれ、可可)

 

 彼女が自身のプレッシャーに押しつぶされないように心の中でそう願った瞬間、突然ステージ全体の照明が落ちた。

 

「えっ?」

 

「て、停電……!? なんで!?」

 

 唐突に暗くなった為に千砂都と燈香は声を上げる。それに呼応するように周囲でも騒めきが発生していた。天気が悪いわけではないし、周囲のスタッフの様子を見る感じ、何が原因かが掴めていないようだ。

 

 だが、突然真っ暗になったこの状況でかのん達も驚きのあまり、声を上げずにたじろいでいた。この機材トラブルの中、自分たちの声だけで動揺している観客達を振り向かせることが出来るのか分からず、どうすればよいのか混乱しているようだった。

 

 このまま沈黙の時間が続いてしまうことによる不安要素が脳裏を過ぎる。それは観客達との温度差だ。このトラブルがすぐに復旧すれば気持ちを立て直してライブに臨めるだろうが、この無限に続いてしまうのではと錯覚する程の無の時間が観客達の熱を冷ましてしまう。そうなると、たとえ復旧できたとしても彼女達のライブが正当な状況下で評価されず何も成果を得られないままライブが終わってしまう。そうなれば彼女達のスクールアイドル人生は終わりだ。そんな馬鹿げた理由で終わりになってしまうのは絶対におかしい。

 

 そう頭で理解した時、俺の行動は早かった。

 

「……がんばれぇぇー!!」

 

「……っ!?」

 

「颯翔くん……」

 

 俺は手に持っているペンライトをピンク色に点灯させ、大きく彼女達に声援を送った。突然の大声に隣にいた千砂都と燈香はびっくりしている。ステージにいるかのん達も俺の声を聞き、こちらを見つめながら「颯翔……」と口だけで俺の名前を呼んでいることがわかった。

 

「クーカーーー!!」

 

「だ、大丈夫だよー!!」

 

 俺の横で千砂都はペンライトの色を付けながら大きく彼女達の名前を呼ぶ。燈香も恥じらいを見せながらではあるが、彼女なりに精一杯の声を張って彼女らへ励ましの言葉を飛ばす。

 

「がんばれ〜!」

 

「いけるよー!」

 

「負けるな〜!」

 

 そして、俺たちの声に続くように周囲の人たちもペンライトに色を付けながらかのん達にエールを送り始めた。次第に観客席はペンライトの光の海が作られ、辺りを照らす程の輝きを放っていた。先ほどの冷えた空気から一転して暖かな雰囲気に包まれたこの状況にかのんと可可は肩を寄せながら驚愕している。だが、それも束の間、かのん達は笑顔を取り戻す。かのんと可可がお互いを見合って力強く頷き曲が始まる前の構えに戻る。

 

 そして、歌い始めようとした瞬間に奇跡が起きた。

 

「……ステージが……復活した……!?」

 

 かのんの歌声に反応するようにステージに光が戻ったのだ。そして、スピーカーを通じてかのんと可可の声が会場内に一斉に響き渡った。

 

『〜〜♪』

 

 ステージがかのん達の色に染まり、観客らもペンライトを振りながら各々のスタイルで応援する。燈香もかのん達の歌とパフォーマンスを聴いて彼女達に釘付けになりながらペンライトで応援していた。

 

 俺も燈香に負けないように応援を送ろうと思ったのだが、俺はペンライトを動かすことができず固まっていた。俺の様子を不審に思った千砂都は横で俺を一瞥し声を掛けてくる。

 

「……颯翔くん……?」

 

「…………すげぇ…………」

 

 横で千砂都が心配してくれているがその声は俺の耳を通らなかった。俺はただ彼女達のパフォーマンスに、眩しい姿に見惚れていた。彼女達の歌詞、歌、ダンス、その全てが俺の胸に刺さる感覚があった。この感覚はサニーパッションのパフォーマンスを初めて見た時とは明らかに違う。ペンライトを振ることができず、ただ彼女達の魂の叫びに注力することしかできなかった。

 

(……あんなに緊張してたかのんが……ここまで魅せられるようになってるなんて……)

 

 先ほどの自己紹介もガチガチに固まっていたのにライブが始まった瞬間、人が変わったように笑顔でパフォーマンスを披露している。とてつもないポテンシャルの高さに、彼女のまっすぐな笑顔に、俺は虜になっていた。

 

 そして、かのんに魅入られると同時にある感情がふつふつとわいてきた。

 

(俺は……何をやってるんだろうな…………)

 

 小学生の頃、かのん達と離れてダンスを続けられなくなった俺は特に始めたいことが見つからず平凡な人生を送っていた。しかし、結ヶ丘高校に入って千砂都とかのんと再会し、今の彼女達と俺の立っている場所があまりにも違いすぎることを痛感してしまったのだ。やりたいことが出来なくなったことをいつまでも引きずり、立ち止まっている間に彼女らは先へと進んでいる。何も変わってない自分がただただ不甲斐なく思えてしまった。

 

(…………それでも…………)

 

 これまでの俺なら、その立ち位置の違いにショックを受けてまた彼女から逃げようとしていただろう。だが、かのんと可可のステージが俺のそんな弱い心を打ち消そうとしてくれる。不思議と前に進むための力をくれる。彼女達がこうしてライブを行える一端に俺も関わっている。それがとても嬉しくて、彼女らに負けてられない、俺も立ち上がる時だ、と活力が溢れてくるのだ。

 

(……かのん…………やっぱりお前は…………俺を照らす……)

 

 彼女達の輝かしく眩しい姿に俺は嬉しくなり感極まる。目に溜まる涙が溢れないように少し顔を上げ、笑顔を作って感情のダムが壊れないように押さえつける。だが、彼女達の歌が心のダムを決壊させようとしてくる。

 

『〜〜〜〜♪』

 

 曲のラストフレーズを歌い切り、かのん達がポーズを決める。会場内は大歓声に包まれており、横で燈香も大きく拍手をして彼女達を讃えていた。

 

「すごい〜〜!! クーカーさん、すごく綺麗で可愛かった……!! …………って、颯翔くんどうしたの!?」

 

 かのん達の歌が終わり、目からとめどなく涙を流してる俺を見て燈香は驚きの声をあげた。

 

「…………すまん、なんて言えばいいのか分からねぇ……」

 

 俺自身も語彙力が欠如しており、この感情をなんて伝えればいいのかわからなかった。そして、言葉に迷う俺と同じようにステージを直視したまま動かない人物がいた。

 

「………………」

 

(千砂都も固まるなんて珍しいな……)

 

 いつもならクーカーのパフォーマンスに感動して大声で歓声を上げているだろうが、そんなこともなく何か思い詰めるように表情が硬くなっていた。

 

『皆さん、ありがとうございましたー!』

 

『以上、クーカーデシター!!』

 

 ステージではかのん達が最後の挨拶を終えて、観客に手を振って声援に応える。俺はかのん達に返事をするようにペンライトを左右に振るが、頭の中では応援とはかけ離れたことを考えていた。

 

(俺も……こんなところで立ち止まってちゃいられない……)

 

 ライブの成功を収めたかのん達。このまま彼女や千砂都に負けるわけにはいかない。大歓声に包まれる代々木公園で俺はとある決意を固めようとしていたのだった。

 

 こうして、代々木スクールアイドルフェスは幕を閉じた。

 






何も見えなかった夜空に小星が光る。


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第2章『月は自ら輝けない』
ライブの余韻



お待たせしました。

本編31話です。
今回から第二章の始まりとなります。

一件報告ですが、本小説の表紙を目次にて追加しました。
Twitterでも報告しておりますので是非見ていって下さい。

それでは本編をどうぞ!



 

 代々木スクールアイドルフェスから2日が経った。

 

 今日はいつも通りの月曜日であり、普段と変わらない朝を過ごしていた。だが、その反面、俺の心境はこれまでとは全く異なるものだった。理由は一つ、あのライブの影響だ。

 

 かのん達のライブを見てから俺の中で明らかに何かが変わっている実感がある。かのんや千砂都に対しての劣等感を強く覚えてしまった故に彼女らに遅れをとりたくない、負けたくないと思うようになっていた。そう考えはしても実際に俺は何がやれるのかは分からない。スポーツで実績を残すとしても今の俺は身体が盤石ではない。無理をすればすぐに壊れてしまうほどに軟弱だ。あのライブ以後、挑戦できることを模索していたが大して収穫を得られていない。

 

「…………やと、…………颯翔?」

 

「へっ?」

 

「へっ、じゃねえよ? 昨日からずっと様子がおかしいじゃねえか」

 

 朝から黙々と考え事をしていたからか兄の凪が堪らず声を掛けてきた。凪の声が突然耳に入ってきたために思わず変な声が出てしまい、そんな俺を見て凪は苦笑する。

 

「土曜日、何かあったのか? そういえばスクールアイドルのライブを見に行ってたんだろ?」

 

 凪は俺の様子がおかしくなった要因について言及する。凪にはイベントを見に行くとだけ話しており、かのん達が出ていることは話していない。だが、それでも心境の変化のタイミングとしてはこれが一番合点のいく予想だった。

 

「……そのイベントを見てさ……思ったんだ。俺は……何をやってるんだろうって……」

 

「……ほう?」

 

「そのイベントに出てた人たちは自分のやりたいっていう気持ちを歌やダンスに乗せて披露してた。ただの高校生なはずなのにすごく眩しかったんだ。それを見てたら……ずっと止まったままでいる自分が情けなくてな……」

 

 かのん達のパフォーマンスを見て感じた衝撃。あれは今でも忘れることはない。とてつもなくあがり症だったかのんが人前に立って、笑顔でライブをしていた。あの時の彼女はすごくかっこよくて綺麗だった。

 

 だが、かのんと接触した、なんてことを話すのも抵抗があったので、それとなくスクールアイドルを見た感想として凪に今の心境を吐露する。凪は俺がここまで考え込んでしまうと思わなかったからか、目を見開いて驚きの表情を見せていたが、事情をすぐに理解しあっけらかんといていた。

 

「そうか……。お前もやってみたくなったのか?」

 

「いや、スクールアイドルになる気はさらさらない。もうダンスはできない身体だ。仮にやったとして、歌うだけのアイドルなんて味気ないだろ?」

 

「そうだろうけど、それは本人の気持ち次第だろ?」

 

「その本人の気持ちで言うなら、俺はやろうと思ってない。それで答えは出てるさ」

 

 凪からの勧めも俺はスクールアイドルになる気はないと一蹴する。以前に可可にも伝えたことだが、俺はスクールアイドルをやりたいと思っていない。だからこそスクールアイドル以外のやり方で結果を残したいと思っているのだ。

 

「まぁ、今の俺に何ができるかなんて分からないし、少しずつ探してみるさ」

 

 ふと時間を確認したら、家を出る時間に迫っていたので話を切り上げて学校へ登校する準備を始める。

 

「……じゃあ、行ってくる」

 

「……あぁ、いってらっしゃい」

 

 俺の様子を見て、凪はこれ以上の追及をやめる。そして、静かに俺を見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に到着すると廊下の掲示板に一際目立つチラシが掲載されており、興味本位で中身を確認しに行く。そこには早速土曜日のライブイベントの結果が通知されていた。

 

「クーカー……新人特別賞受賞……」

 

 かのん達は優勝こそ逃したものの新人特別賞受賞という目覚ましい成果を得ていた。こうして早速生徒の目に留まる場所に掲載しているということはあの場に千砂都や燈香の他にも先生たちが来ていたのだろうか。

 

「優勝は逃したけど……この持ち上げられ方なら……」

 

 スクールアイドル部の設立に異は唱えられない、そう仮説を立てた。理事長は生徒の自主性を尊重しており、またかのん達も手ぶらで帰ってきたわけではないためその成績を以って部として正式に認められることだろう。

 

「…………俺にも何か…………」

 

 やれることはないか、そんなことを考えていると俺は掲示板にクーカーの結果報告と一緒に掲示されているとあるチラシを見つけた。

 

「これは……『東京ハイスクールダンス大会』……?」

 

 見るとそれは東京都内の高校生のみが参加できるダンス大会だった。開催の時期を見ると7月下旬と書かれており、まだ4月なのに話が早くないかと疑問を抱いてしまう。ダンス大会のチラシを見ていると燈香が声を掛けてきた。

 

「あっ、颯翔くん! おはよう〜!」

 

「燈香、おはよう」

 

「土曜日のライブ、すごかったね〜! まだあの時の興奮が冷めないよ〜」

 

 燈香はそう言って自分の胸に手を当て興奮が再燃している様子を見せる。燈香もここまでスクールアイドルに熱中することになるとは思わなかったため、まさに青天の霹靂とはこのことだろうか。いや、この表現は少し大袈裟かもしれない。

 

「そうだな、俺ももう一度あんな景色を見たいなって思ったよ」

 

「えへへっ、颯翔くんってば感極まって泣いちゃってたもんね?」

 

「なっ……! そ、それはそうだけど、他の奴には絶対言うなよ?」

 

 唐突に俺の号泣した様を掘り返され思わず恥ずかしくなる。同級生らのライブを見て泣いたなんて他の人らにバレたらなんて弄られるか分からない。厄介ごとを増やしたくないため燈香には絶対に口を塞いでもらいたい。

 

「えぇ〜、って言いたいけど颯翔くんが嫌って言うなら私も内緒にする。2人だけの秘密、だね?」

 

「なんか言葉に語弊がある気もするけどまあそういうことにしておくか」

 

 2人だけの、なんて他の人が聞いたら誤解を受けること待った無しな発言をする燈香に苦笑いを浮かべる。別に彼女とはそういった関係性は一切ないから穏便に済ませたいものだ。

 

 俺の心情を知るわけもない燈香は俺の横に立ち、あるチラシを目にする。

 

「そういえば、これって何?」

 

「東京ハイスクールダンス大会だってさ。調布にあるスポーツプラザで夏に大会があるらしい」

 

「それにしても募集が今からあるっていうのも不思議な話だね?」

 

「その大会はいつもそうみたいですよ」

 

 俺と燈香がダンス大会の事で疑問を浮かべていると恋さんが会話に入って助け舟を出してくれた。

 

「あっ、恋さん。おはよう」

 

「おはようございます、颯翔くん、燈香さん」

 

「おはよう、恋ちゃん! それより、いつもそうっていうのは……?」

 

「このダンス大会はこの辺りでも有名なイベントなんです。ダンス大会と銘打っていますが有志で開かれるダンスイベントも同時開催という事で経験問わず多くの人で賑わいを見せている大会みたいですよ」

 

 どうやらダンスの経験者のみならず初心者でも簡単にダンスを学べる、楽しめるイベントということで人気を博しているようだ。恋さんがこういった娯楽に近いイベントにも精通していることに素直に驚嘆している。

 

「そっか〜、じゃあ、今はダンスイベントへの参加者を募ってるってことなんだね! よく見たらダンス大会の受付は5月中旬からって書いてるし!」

 

「やはりダンス大会の盛り上がりが特に凄いからでしょうね。こういったイベントでもそちらの名前を堂々と出すことで参加率を高めることに繋がっているのかもしれません」

 

「なるほどなぁ〜……」

 

 恋さんの説明を聞いて俺は感嘆の声を漏らす。俺が小学生の頃に取り組んでいたのはここまで大きなスケールのものではなく市民館や公園で開かれる規模の小さなものだ。もし、身体が万全ならば挑戦できたのだろうが今では叶わぬことだ。

 

「それにしても、恋さんずいぶんと詳しいんだな?」

 

「このイベントに参加したいと意欲を出す生徒がいたので取り急ぎ情報を揃えました。昨日、休日にも関わらず学校でいきなり声を掛けられたので驚いてしまいました」

 

「そこまで熱の入った生徒がいるのかよ……」

 

 まだダンス大会の応募は始まってすらいないのに今の内から情報収集を始めるとはその生徒、相当なやる気のようだ。ダンス大会へ参加はせずともどんな奴なのか気になるところではある。

 

「さっ、お二人ともまもなく朝礼が始まります。遅刻しないように行きますよ」

 

「はーい!」

 

 恋さんが腕時計で現時刻を確認するが、廊下でだいぶ話し込んでいたようで予鈴がなるまであと数分に迫っていた。恋さんの後を追うように燈香はせっせと歩いていく。

 

「………………」

 

 しかし、俺は先ほどのダンス大会のことが引っかかってしまう。自分が出るわけではないのになぜ気になってしまうのか、自分でもその理由を理解し得ぬまま、俺は恋さん達の後を追うのだった。

 

 






胸の中に小さな灯りが揺らめく。



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嵐の前の……?


お待たせしました。

本編32話です。

それではどうぞ!




 

 恋さんと燈香の後を追って教室に戻った俺は普段と変わらない授業をいつも通りこなしていた。昼休憩の時間になり、母親に用意してもらった弁当を食べながら俺は恋さんに土曜日のことを問いただす。

 

「そういえば、恋さんは土曜日のライブは見に来たのか? 結局恋さんとは落ち合えずだったし」

 

「生徒会の仕事が終わった後で向かいましたので、澁谷さん達のライブは拝見しました。時間も遅かったので遠目からの鑑賞とはなりましたが……」

 

 どうやら恋さんもフェスには参加していたようで、到着が遅れた関係から合流できなかったようだ。燈香が部活終わりで生徒会室に見に行った時の時系列と照らし合わせると確かに偽りは無さそうだ。

 

「見たのなら良いけど、結局あいつらの処遇はどうするのか決まってんのか?」

 

「……スクールアイドルフェスの優勝を逃しはしていますが新人特別賞を授与したということで活動に対しての努力は認めるべきとして理事長とお話ししました」

 

 恋さんは腑に落ちない表情をしながら、あの後の流れを教えてくれた。彼女としてはスクールアイドル部の設立を反対していたが、学校の総意に異を唱えることはできないようで渋々彼女らの活動を承諾したようだ。

 

「ってことはあいつらの活動は承認するってことになったんだな」

 

「それでも、今後の結果によってはその決定を翻すことも忘れずに、とは理事長とも話をしています」

 

「……さすが、余念がないというか……」

 

 スクールアイドル部の設立が認められたから練習を疎かにして、その結果生半可な成績しか取れないなんて事態になったら学校のメンツが崩れてしまう。恋さんもそんなふしだらな姿は見せたくない為に警告という意も込めて理事長と話し合ったようだ。

 

「……あっ! ねぇねぇ、2人とも! 土曜日のスクールアイドルフェスの模様が動画で上がってるよ!?」

 

 恋さんと部の設立について話していると、横でスマホを見ていた燈香がいきなりはわわっと言いながら俺たちにスマホの画面を見せてきた。そこにはかのんと可可のライブ模様が上がっており、どうやら代々木スクールアイドルフェスの公式運営が各グループ毎の動画をアップしているようだった。

 

「へぇ〜、公式がこうして各グループ毎の動画を掲載してくれるなんてありがたいな?」

 

「うん! これで何回でも唐さん達のライブを観れるんだね……!」

 

 クーカーのライブ風景を燈香が羨望の眼差しで見返す中、彼女に気づかれないように俺も後ろからその動画を見つめていた。画面には絢爛なステージの中で力強くパフォーマンスを繰り出すかのんの姿が映っている。

 

「颯翔くん、どうかしたのですか? 急に固まってしまって……」

 

「えっ? あ、あぁいや……ちょっと考え事をしちまってて」

 

 いつの間にか箸が止まっていた俺を訝しむように恋さんは声を掛けてくる。かのん達の映像を凝視していることがバレてしまったかもしれない。

 

「あっ、もしかしてこの後の授業である抜き打ち学力テストのこと!? 私もそこまで勉強してなかったから点数取れるか不安なんだよね〜……」

 

「……ま、まぁ、同じところだな……」

 

 燈香が間に割って入り、俺が懸念していた心配事とは全く毛色の違う不安を吐露する。今日の朝礼時に、春休みにも勉強をこなしていたかを確認するということで昼休憩後に学力テストを実施することとなったのだ。

 

「全く、何かと思えばそんなことですか……私達は勉強が本分ですから普段から勉強していれば何も困ることはないと思いますが」

 

 結果は違えど話の腰を折ってくれた燈香に感謝しつつ相槌を打つと恋さんも話に乗っかってくれて俺と燈香の反応に息を漏らす。

 

「えっ、春休み中も恋さんって勉強してたのか?」

 

「? 当然ではないですか。少なくとも課題の他にも自習で1時間はあてていました。仮にも私は音楽科の生徒。普通科よりも難しい試験を乗り越えたのですから、より高みを目指せるように努力を積み重ねなければいけません」

 

 恋さんは、何を言っているんだと言わんばかりに首を傾げ学業に励む理由を語り出した。確かに結高は音楽科の敷居が高いので実技だけではなく学科も成績を収めなければ合格するのは至難だった。結高への入学にあたり事前課題としてテキストの履修が必要ではあったが内容量としてはお世辞にも多いとはいえず毎日の課題ごなしプラス1時間も篭らなければいけないレベルではない。恋さんの研鑽っぷりに改めて驚愕するしかなかった。

 

「私もこれまでの復習として毎日30分は勉強に当ててたけど、1時間もこなすなんて恋ちゃんってすごく勉強熱心だね」

 

「燈香もちゃんと勉強してるだけ偉いじゃねえか」

 

「……ということは颯翔くんは春休み中に勉強をしていなかったということですか?」

 

 燈香の真面目さにも感嘆してると恋さんが睨みつけるようにこちらをジトーッと見つめてきた。流石に至近距離で睨まれると少し臆してしまう。

 

「別にサボってたわけじゃねえぞ? 学校から出された課題はちゃんとこなしたし……」

 

「出されたもの以外でも自分から率先して勉強を進めることが大事ですよ? 自分の知見を深める意味でも勉学は怠ってはいけませんし……」

 

「あ〜待て待て。お咎めなら学力テストの結果を見てから決めてくれよ。それで良ければ何も問題ないだろ?」

 

 恋さんから勉強に関するお咎めが始まりそうだったので話を強制的に終了すべくテストに関してとある条件を提示した。こう言ったことは成績が悪ければ文句を言われても仕方ないが、点数が良ければしっかりと自分なりに勉強をしているとして認める判断材料になるだろう。安易な発想ではあるが恋さんは思ったよりもすんなりとその提案を受け入れる。

 

「そうですね、ならば私と勝負といきましょうか。これで私よりも成績が良ければ今回は不問とします」

 

「オッケーだ。別に負けの条件は言わなくても勝手に決めてくれていいぜ」

 

「随分と自信がおありですね?」

 

「まあな」

 

 俺と恋さんの間でバチバチと火花が散っている中、燈香が困惑したまま笑みを浮かべる。

 

「……え〜と……とりあえず2人とも……早くお昼ご飯を食べちゃおう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ、あと少しだったのにな〜」

 

 昼休憩が明けた後、予告にあった抜き打ちテストが行われたのだが、その結果は恋さんの勝ち。俺は94点を取っていたが恋さんはなんと満点。これはどう足掻いても勝ちという選択肢が残っていなかった。しかし、勝負に負けたことは事実なので恋さんから提示される罰を待つ。

 

「ですが、颯翔くんの成績に驚きました。先ほどの話し方からしてあまり良い点数を取れないと思っていましたので」

 

「一応、ここに入れたのも実技試験はさることながら学力でも頭にいる方だったからな」

 

 あまり大きな声では言わないが、中学の定期試験では一桁に入るほどに高い成績を収めているのだ。今回は中学校で習ったことのおさらいだから苦戦するものがそこまでなかった。だが、計算間違いや問題の意図を履き違えたミスは我ながら情けないと思う。

 

「颯翔くんも恋ちゃんも凄いね……! 私も遅れは取らないかなって思ったんだけど……」

 

「それでも90点を取れてるなら上々だろ?」

 

 燈香は俺たちの点数と比較し、一番下だったことに悔しさを滲ませる。彼女も勉強意欲はあるし実力も世間で見れば優秀な部類に入るのだがいかんせん相手が悪すぎた。

 

「そうだけど……。でも、まだ定期試験があるからそこで追いついてみせるよ!」

 

「ならこれからが楽しみだな」

 

 次こそは勝つと闘志を燃やす燈香を見て、つい笑みが溢れる。そこに恋さんが割って入り今回の勝負の本題へ移った。

 

「私が勝ったことによる条件ですが……」

 

「おうよ」

 

「……この後、私に飲み物を買ってもらうことにします」

 

「……えっ? それだけ?」

 

 一体どんな罰が飛んでくるものかと身構えていたがあまりにも些細な罰で思わず拍子抜けしてしまった。恋さんはその内容に偽りはないと首を縦に振る。

 

「颯翔くんを下に見過ぎていた私の無礼も込めてそうさせてもらいます。勝手な過小評価を失礼いたしました」

 

「……別に俺から最初に吹っ掛けた勝負なんだし気にしなくていいっての。でも、恋さんがそう言ってくれるならこの後買ってくるぞ?」

 

「私も付いていきます。颯翔くんを手駒のように扱いたくはないので」

 

「あっ、じゃあ私も付いていく! 私も何か買いたいし!」

 

「オッケー、ならパッと行くか」

 

 さっと飲み物を買いに行ってこようかと思ったが、恋さんと燈香も一緒に行くということで2人を連れて外の自動販売機へ向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「恋さんはいちごミルクティーでいいよな?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 自動販売機へ到着し、俺は流れるように投入口へお金を入れて恋さんの好物であるいちご味のミルクティーを購入する。

 

「いいってもんさ。燈香はどうする?」

 

「えっ、私の分はいいよ!? 自分で買うし……!」

 

「別に気にすんなよ。今日は俺がそんな気分なんだし」

 

 自分も一緒に奢られると思わなかった燈香は両手を振りながら拒否の意思を見せる。別に俺自身も2人に対して見栄を張りたい訳ではない。勝負に付き合わせたからだとも、3人の中で結果が最下位だったからなんてものもない、ただその時の気分で決めているのだ。だが、そんな内事情を考えてはいても当人達は納得しなかった。

 

「ですが、颯翔くんばかりに負担は掛けられませんよ? これまでの労いの意も込めて燈香さんの分は私が出します」

 

「えぇ〜!? そ、それもやだよ〜……!」

 

 まさかの恋さんが奢ると言い出して、燈香は尚も困惑の表情を見せる。燈香は自分に奢らせないようにうーんと唸ったのち、咄嗟に何かをを思いついたようだ。

 

「……あっ! なら私が颯翔くんの分を買う! そうすればみんなおあいこでしょ?」

 

「……って、それじゃあ自分たちで買うのと変わらないな」

 

 3人でそれぞれの好きな飲み物を買うという奇妙な光景に可笑しさが拭えなかった。俺につられて恋さんと燈香もふふっと笑い出す。

 

「ふふっ、確かにね」

 

「可笑しな話です」

 

「まぁ、2人がそう言ってくれるなら俺もご馳走になるかな」

 

「はい、そうして下さい。燈香さんは何にしますか?」

 

 恋さんはお金を投入し、燈香に飲みたいものを要求する。

 

「あっ、私はレモンティーを飲みたいな!」

 

「へぇ〜、レモンティーってあんまり口に合わないから飲まんけど、美味いのか?」

 

 いつもは紅茶を嗜んでるが、初めてレモンティーを飲んだ時、口の中に妙な酸っぱさが残って違和感が拭いきれなかったのが懐かしい。そんな俺を燈香はそっと微笑みながらレモンティーの飲み方を教えてくれる。

 

「美味しいよ〜? 私はスイーツを片手に飲むけど、すごく合うんだよ? あっ、ちなみに颯翔くんはどうする?」

 

「俺は紅茶で頼む」

 

「颯翔くんもずいぶん大人な口だよね?」

 

 紅茶も人によっては渋い味が苦手だから飲まないなんてのもいるが、俺としてはそれが美味しいと思う。

 

「さっきの燈香じゃねえけど、お菓子とセットで食べると美味いぞ? 紅茶だけを飲むなら砂糖を入れれば、そんなに苦手意識は覚えないと思うしな」

 

「そっかぁ〜、私も今度挑戦してみようかな?」

 

「……なんだか私だけが子供っぽく感じて恥ずかしくなってきますね。燈香さん、どうぞ」

 

 紅茶の美味しい飲み方に興味を示す燈香へ自分の好物に幼稚さを感じながら恋さんがレモンティーを差し出した。

 

「ありがと、恋ちゃん。でも、いちごミルクティーも美味しいよね〜! あの甘さは私も好きだからすごく分かるよ!」

 

「それに好きなものに子供っぽさも何もねえんだし気にしなくていいだろ? そんなのにケチをつけるやつの方が余程幼稚だと思うけどな」

 

「そうそう! だから恋ちゃんはそのままでいていいんだよ? はい、颯翔くん!」

 

 紅茶を燈香から貰い「さんきゅー」とお礼を言いながらその場で蓋を開けて飲み始める。

 

「……ふふっ、ありがとうございます。颯翔くんと燈香さんからそう言ってもらえて嬉しいです」

 

「そう言ってもらえるだけ嬉しいってもんだ」

 

 燈香と恋さんも俺が飲み始めたのに続いて各々の飲み物を開けて喉へ流し込んでいく。特に運動した後という訳でもないが、2人と一緒に過ごすこの時間が無性に楽しく思える自分がいる。

 

「さてとっ、そういえばこのあとはどうする? 燈香は部活に行くのか?」

 

「んーん、今日は練習がお休みだからこのまま帰ろうと思ってたよ?」

 

「そうか、恋さんはどうする?」

 

「この後は特に事務作業は無いので早めに帰ろうと思っていました」

 

 やる事がなくなってしまい恋さん達のこの後の予定を聞いたが、意外にも全員の放課後の都合が空いており、みんな揃って暇を持て余していたのだった。

 

「こんな奇跡もあるもんなのか……、なら3人でこのまま外にふらっと遊びに行かねえか?」

 

「えっ、すごく行きたい! 颯翔くんや恋ちゃんと一緒に遊ぶの楽しみだったんだ〜!」

 

「私は構いませんが、どこにいく予定ですか?」

 

「そこは特に考えてないかな。とにかく行き当たりばったりで」

 

「……なんだか随分と適当ですね……」

 

 これまで原宿を闊歩したことが無かったため、何ができるかは分からない。思い付きにも程があるとして恋さんは苦言を呈す顔をしていたが燈香はそれでも面白そうと乗り気な反応だった。

 

「でも、それも楽しそうで良いと思うな!」

 

「よし決まりだな、なら早速──」

 

「あっ、いたいた! おーい葉月さ〜ん!」

 

 出発だ、と言いかけた瞬間、遠くから恋さんを呼ぶ知り合いの声が聞こえた。

 

「千砂都?」

 

「あっ、颯翔くん! それに燈香ちゃんも、うぃっすー!」

 

 千砂都からの陽気な挨拶に燈香が不慣れながらもしっかりと返してあげる。

 

「う、うぃっす〜! 千砂都ちゃん、土曜日はありがとうね」

 

「こちらこそ一緒に見れて楽しかったよ! これからも仲良くしてね!」

 

「それよりも嵐さん、私に何か御用があったのでは?」

 

 恋さんは千砂都に自分のことを呼んだ目的を問いただした。千砂都は特に悩み等を打ち明ける様子もなく快活にお礼を述べるのだった。

 

「いや〜、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から仕事が早いなぁ〜って思ってね。ありがとう葉月さん!」

 

「……昨日……?」

 

 昨日はまだ日曜日であり授業等はない。それに恋さんが学校でいきなり声を掛けられたとも言っていた。それは即ち今日の朝に燈香たちと話していたとある大会のことである気がした。

 

「はい、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということで取り急ぎ情報を集めていたんです」

 

「それって今日の朝に言ってた熱心の人がいるねって話してた人のことだよね? 千砂都ちゃんのことだったんだ〜!」

 

 恋さんの口から真実が語られる。どうやら俺の先ほどの予測はあったようでダンス大会のチラシは千砂都が希望したものらしい。燈香も朝の出来事を思い出して納得がいくように頷いていた。

 

「えっ、もう情報見たんだ? 流石、確認するのが早いね〜!」

 

「おい、千砂都。ダンス大会への参加って一体どういう……?」

 

 彼女の意図が読めず、今回の目的について事情聴取を図るが、千砂都は口を挟み話を遮る。

 

「あっ、この後たこ焼き屋のバイトがあるからこの辺で! それじゃあ、3人ともまたね〜!」

 

「あっ、おい千砂都!」

 

 俺の話を聞かずに一方的に話を中断させられ、千砂都はさっと(ひるがえ)す。その刹那、俺の顔をチラッと見た時に真剣な眼差しで何かを訴えているようにも見えた。しかし、それも瞬間的な出来事であったため彼女はすぐに学校の外へと飛び出していく。そして、辺りは嵐が通り過ぎた後のように静けさが広がっていた。

 

「千砂都……」

 

「なんだか今日は忙しないね、千砂都ちゃん」

 

「あれほど元気があるのが彼女の良さです」

 

 今の千砂都を見て燈香と恋さんはあたかも昔から彼女はそうだったと言わんばかりに笑みを浮かべている。だが、千砂都はそうじゃない。彼女が自分からダンス大会のことを話題に出すことが信じられなかった。それは俺と千砂都にとって、大きな足枷となっているにも関わらずに。

 

「颯翔くん、大丈夫ですか?」

 

「……あぁ、大丈夫だ」

 

 途端に俺の元気が無くなり恋さんは心配そうに声をかける。だが、余計な心配をかけさせたくない俺は平静を装って笑みを作る。

 

「このままここにいても時間の無駄だ。とっとと出発しようぜ」

 

 千砂都の先ほどの目、あれは自分の元に来いと言っているようにも捉えられた。偶然にも原宿方面には行くので、その時に彼女のいる場所へ向かえば問題ないのだ。

 

 

 千砂都の考えに妙な悪寒を感じつつ、俺は恋さんと燈香と原宿の街へと繰り出すのだった。

 

 






彼女の真意は一体。




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3人のお揃い


お待たせしました。

本編33話です。

それではどうぞ!




 

「はむっ。んっ、このいちごクリームクレープ、すごく美味しいですね……!」

 

 学校を出発した俺たち3人は原宿の竹下通りへ遊びに来ていた。無計画で遊びに来たとは言ったものの、ここに一度来てしまえば自然と気になるものが目に留まる。そうなれば無計画で来たとしても相応の時間を過ごすことができるのだ。

 

「恋ちゃんのそれ、美味しそう〜! 私も一口もらってもいい?」

 

「勿論です。それでは……はい、あーん」

 

「あ〜む……。うーん、美味しい〜! このいちごクレープ、凄く美味しいよ! じゃあ私のもあげるね? はい恋ちゃん、あーん!」

 

「そ、それでは……はむっ……。おぉ、このチョコバナナクレープもとても美味しいです……!」

 

 恋さんと燈香は各々が買ったクレープを仲良く食べさせあっている。もちろん俺も買ってはいるがシンプルなカスタードクリームのクレープであり、他の二人と比べて少しインパクトを欠けていた。二人の仲睦まじい光景を見ながらクレープを咀嚼していると燈香が俺の元へやってきて、クレープを差し出そうとしていた。

 

「颯翔くんもこれ食べてみる? チョコバナナの甘さがクレープとすごく合ってて美味しいよ♪」

 

「気になるけど食べてもいいのか? せっかく燈香が買ったのに」

 

「こういうのは友達とシェア出来るから楽しいの! はい、颯翔くんもあーん」

 

 俺の質問を意に介さず自分のも食べてほしいと、燈香は自分のチョコバナナクレープを差し出す。まさか食べさせる構図で来るとは思わず、つい食べるのを躊躇してしまう。

 

「自分で食えるからいいっての……」

 

「まぁまぁ! ほら早くしないとクリームが溶けてきちゃうよ?」

 

「あ〜わかったわかった。あーん……」

 

 燈香の焦らしに限界を迎えた俺は燈香にされるがままにクレープを食べさせてもらう。バナナとチョコの甘さが良いバランスで混ざり合っており、静かに舌鼓を打つ。

 

「……うん、美味い」

 

「恋ちゃん、颯翔くんの反応薄くない?」

 

「それは燈香さんの行動も原因かと思いますが……」

 

 静かに感想を呟いたのが逆効果だったようで、燈香は苦言を呈す。彼女に問われた恋さんは燈香さんの行動にも問題があるのでは、と疑問符を浮かべていた。静かに感想を呟く形になったのはクレープの美味しさゆえもあるが、食べさせてもらうことに恥ずかしさを覚えてしまい味覚が麻痺しているのもある。

 

「じゃあ、食わせてもらったんだから俺のも食えよ。ほら、あーん」

 

「えぇ〜!? わ、私は自分で食べられるからいいよ〜……!」

 

「んなこと言いながら食わせてたのはどこのどいつだ〜?」

 

 次はこちらの番、と俺はカスタードクリームクレープを燈香に食べさせようとクレープを押し付ける。燈香は突然の反撃にたじろぐが俺も先ほどの恥辱に満ちた所業を仕返さなくては気が済まなかった。俺たちの乳繰り合いを見て恋さんは怪訝な表情を浮かべる。

 

「颯翔くん、燈香さん。仲睦まじいのは良いことですがクレープが落ちてしまいます。食べ物は粗末にしないように気をつけてくださいね?」

 

「……それもそうだな」

 

「ごめんなさい……」

 

 幼稚なことをしていたことを自覚し、俺と燈香は仲良くいたたまれない気持ちになる。全く同じ反応を示す俺たちを見て、恋さんは可笑しく感じたのか、ぷっと吹き出した。

 

「ふふっ、お二人とも本当にお似合いですね。息がぴったりです」

 

「れ、恋ちゃん……! 恥ずかしいからやめてよぉ〜……!」

 

「だから俺たちはそんな仲じゃあ…………ん?」

 

 珍しく茶化してくる恋さんに燈香は恥じらいながら抵抗を見せる。俺も同じように苦言を呈そうとしたが、ふと人から見られている感覚を覚えた。

 

「颯翔くん、どうかしたの?」

 

「うーん、誰かに見られてるような感覚がしたんだが……気のせいだったか?」

 

「確かにあちらに結高の制服を着用している生徒はおられますが……」

 

 そう言いながら恋さんが見つめる先には俺たちと同じ制服を身に纏った女子高生がいる。周囲の目を惹くほどの美しい金髪を靡かせながらクレープを頬張っており、すらっとした身体の曲線美と相まって思わず見惚れてしまった。

 

「恋さんや燈香も負けず劣らずだとは思うけど、あの人すごく綺麗な体をしてるよな」

 

「颯翔くん、その言い方はいやらしく聞こえるよ」

 

「えっ。じゃあ……良い肉付き……?」

 

「それはなおのことダメです」

 

「えぇ…………」

 

 線が細いと表現すると、それに比べて燈香たちは細くないと遠回しに言ってるように聞こえるかと思って、しっかりと言葉を選んだのだが取捨したワードがまるで噛み合っていなかった。異性のことを褒める際の言葉の選び方はもう少し勉強しないといけない。

 

「ですが、スタイルが良いというのは事実だと思います。燈香さんもスタイルは良いですが、あの方は背も高いですし、より絵になりますね」

 

「え〜、それなら恋ちゃんの方が絶対絵になると思うなぁ。佇まいといい、言動といいザ・お嬢様って感じがすごく憧れるもん!」

 

「燈香も髪型や普段の仕草は育ちが良さそうで良い女って感じするけどなぁ」

 

「颯翔くん? 颯翔くんが褒めようとするとどんどん卑しい人になるから何も言わない方がいいと思うな」

 

「私も同感です」

 

「俺は人を褒める権利すらも与えられないのかよ」

 

 その後、燈香と恋さんから冷ややかな視線を浴びながらクレープを完食したがまるで味覚を感じられなかったのだった。

 

 

 

 

 

「恋ちゃん、このペンダント可愛いよね!? これ、恋ちゃんにすごく似合いそう〜!」

 

「確かにこちらのハートをあしらったペンダントは王道ではありますがすごくお洒落ですね。燈香さんにも合っていると思いますよ」

 

 クレープを堪能した俺たち一行は近くをウィンドウショッピングしていた時にふと目に留まったアクセサリー屋を覗いていた。

 

 俺はオシャレに深い関心を持っているわけではないのでアクセサリー類も『無いよりはマシ』くらいな考えを持っている。だが、女性陣はさすが可愛く見せるための気遣いには余念がないらしく、二人で想像を描きながらお眼鏡にかなう代物を探していた。

 

「颯翔くんも何か気になるものあった?」

 

「正直こういった装飾品は疎くてな。どれも綺麗で細かい違いがよく分からねぇ」

 

 装飾物は見ていて綺麗、なんて当たり障りのない言葉しか出てこない程に関心が薄い。自分が付ける姿を想像しないため、買おうという気も湧かないのだ。

 

「でしたらせっかくの機会ですし、颯翔くんに似合いそうなアクセサリーを探してみるのはいかがですか?」

 

「あっ、それすごく良いと思う! だったら3人でお揃いのものを付けてみたいな〜!」

 

「面白そうではあるけど、そういうのっていつ付けてくればいいんだ?」

 

 恋さんの提案に目を輝かせる燈香だが、そんな二人を尻目に率直な疑問をぶつける。学校は校則で禁止されているため3人で休日に会う時くらいしか付けられないため少し勿体無い感覚を覚える。

 

「学校は校則もあるので付けられませんが、こうして皆さんで遊びに行く時に付けていけば良いのではないでしょうか?」

 

「うん! それにこういった物はお守りとして付ける人もいるし家で過ごす時とかも良いと思うよ?」

 

「ふ〜ん、お守りねぇ……」

 

 お守りという言葉を聞いて、俺はとある髪飾りのことを思い出した。

 

 それを付けているのは幼馴染の少女であるが、その子が昔から愛用していた髪飾りがダメになり、髪飾りを新調した際にその少女は損傷したリボンを捨てたくないと言っていた。少女曰くそれは俺ともう一人の幼馴染と出会えたきっかけだから、お守りとして大切にして持っておきたいと言っていた。

 

 それと同じように恋さん達との関係を保てるように、という願いも込めてお揃いのものを用意するというのはやぶさかではなかった。

 

「わかった。そういうことなら3人で何か付けるとするか」

 

「やったー! じゃあ、早速探してみようよ!」

 

 3人で揃えるアクセサリーを探すべく店内を物色する俺たち。だが、まずは身に付けるアクセサリーの種類で頭を悩ませていた。

 

「こういうのって何が一番合わせやすいんだろうな?」

 

「シンプルに目に留まりやすいのは腕に付けるタイプでしょうか? ならば指輪やミサンガが合わせやすいですが……」

 

「でも、指輪はなんだか気恥ずかしいなぁ……ミサンガなら切れたら願いが叶うっていうし、切れた後も残せるからいいかもしれんな」

 

「ですが、3人で合わせようと思うと少し特別感に欠けるような気もしますね」

 

 恋さんと様々な装飾品を眺めながら合わせる物についての論争を広げるが、最終的な結論を出せずに低迷していた。こういった代物は気兼ねなく身に付けられる物にしたいが諸々の事情で付けられずじまいになったり、全員の特色を混ぜたものにしたいという少なからずの欲望も出てしまう。

 

「なら、近くに雑貨屋があるからそっちで普段使いできる雑貨でも探してみるか?」

 

「それもありかもしれないですね」

 

 竹下通りならば雑貨屋やショッピングセンターも数多く存在する。ここで決め打ちにするよりも他店舗を見て回って、そこで決めても良さそうだ。俺の提案に恋さんも同意してくれたので次の店舗に行こうかと思い、とあるアクセサリーを注視していた燈香に声を掛ける。

 

「燈香?」

 

「えっ? あっ、颯翔くん、恋ちゃん。どうしたの?」

 

 突然声を掛けられた燈香は驚きの声を上げる。俺たちをそっちのけで思いふけるような表情をしており、彼女にしては珍しい仕草だった。

 

「アクセサリーの他にも雑貨で揃えられるのではないかと颯翔くんと話しておりまして」

 

「別の店も回ろうかって事にしようと思ったんだけど、何かあったのか?」

 

「……実は少し気になるものがあってね……」

 

 燈香はそう言い、先ほど自身が見つめていたであろう装飾品を見つめる。そこには太陽や星など種々折々のデザインが施されたペンダントが並んでいた。

 

「ペンダントか?」

 

「うん、私たちの名前にちなんだ物で揃えられたら良いなって思って……そうしたらこれがあったの」

 

 燈香はそう言って3つのペンダントを品棚から手に取る。詳しく見せてもらうように手のひらを差し向けると燈香は取ったペンダントを優しく乗せてくれた。俺の手の中にあるそれに恋さんも興味津々だった。

 

「これは……太陽と月ですか?」

 

「月だけど、これは満月と三日月か」

 

 燈香が差し出した見せてくれた物。それは先端に太陽、満月、三日月がそれぞれ象られているものだった。これらを選んだ理由については燈香は恥ずかしそうにしながら解説してくれる。

 

「私たちの名前で()向、葉()、湊()だから太陽、満月、三日月で揃えるのも良いなって思ったんだ。同じ月の種類だと被っちゃうからそれなりの棲み分けをふと考えたんだけど……」

 

 燈香は解説することがだんだん恥ずかしくなってきたのかモジモジしだす。傍から見れば安直な発想に思えるかもしれない。だが、それでも彼女なりに考えてくれていることを知り、その心遣いがすごく嬉しくなる。

 

「……や、やっぱり変だよね……! ごめんね、私だけ舞い上がってて! 二人の言う通り、雑貨屋に行ってそっちで──」

 

「いや、すごく良いと思う」

 

「えっ?」

 

 突然聞こえた好評の言葉に燈香は目を点にした。

 

「俺たちのことを上手く表現してるみたいですごくいいじゃねえか。な、恋さん?」

 

「はい、太陽はまさしく燈香さんにぴったりとイメージですし、それに合わせて輝きを放つ月というのは颯翔くんに似合っていると思います」

 

「恋さんだって一人で大きな存在感を放つ存在って捉えると中々合ってるもんだぜ?」

 

 そう言って俺と恋さんでお互いのイメージについて意見を交わし合う。燈香の提案に異論は無く、これを身に付けることに完全に合意していた。あまりにとんとん拍子で話が進む様子に燈香は戸惑いを隠せなかった。

 

「えっ、でも……!」

 

「それにさ、このペンダントをよく見ると太陽の中心は空洞になってるだろ?」

 

 尚も言おうとする燈香に間髪を容れず俺はこのペンダントを見て気付いたことを口にする。燈香が手に取ったこれは太陽の輪郭と陽光を表す部位のみがあり、中心部は何も装飾が施されてなかった。

 

「う、うん」

 

「こういうのって二つを重ねてみるとより綺麗に見えないか? 例えば太陽と満月を重ね合わせれば一つの装飾のようにも見える。満月と三日月の場合は三日月の欠けてる部位に満月を重ねれば一つの満月のように見える」

 

「確かにそう見えるかも……」

 

 アクセサリーを触りながら解説する俺に燈香は理解を示すように言葉を紡ぐ。

 

「こういう小さなことを一つのきっかけにして俺たち3人の縁にするっていうのはアリだと思うな」

 

「たとえこじつけであったとしても、それが私達を繋ぐ架け橋となるのであれば乗っかってみるのも手だと思います」

 

「そうそう。それに燈香がこれにしたいって言ってるんだし、これを3人のお揃いにするっていうのは大賛成だ」

 

「……颯翔くん……恋ちゃん……!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 この学校で一番最初にできた友達。そんな彼女たちとこれからも一緒にいれるようにという願いも込めて選んでくれたこれを買わない理由がなかった。燈香が選んでくれて、恋さんもそれに異を唱えずに肯定してくれる。俺と恋さんの様子を見て、燈香は花が咲いたように笑ってみせた。

 

「ありがとう……! じゃあ、これは私の宝物だよ……!」

 

「おいおい、大袈裟じゃねえか?」

 

「ふふっ。それほどに嬉しいということではないですか?」

 

「……それもそうか」

 

 そう言って、俺は微笑を浮かべる。そして、ふとペンダントの所有者を決めなくちゃいけないことも思い出した。

 

「そうだ、月が俺たちで被るからそれだけ決めないとな。恋さんはどっちがいい?」

 

「どちらもすごく綺麗なので、颯翔くんが先に決めてください。私のことは気にしなくてよろしいので」

 

 俺は自分で持つ分には余った方で良いかと思い、恋さんに決定権を譲ろうと思ったが、まさかの彼女も同じ考えだったようで差し出したはずの決定権が手元に戻っていた。

 

「そうか〜、なら三日月をもらうかな。満月は俺には似合わねぇ感じがするしな」

 

「分かりました。では満月のペンダントは私が使わせてもらいますね」

 

 恋さんは自分が使用するものを確認するとその造形を食い入るように見つめていた。育ちの良いお嬢様な印象だったからこういったアクセサリーは普段から触れているものだと思っていたが、意外とそうではないのだろうか。

 

「颯翔くん! その……ありがとうね」

 

「いや、礼を言うのはこっちの方だ。わざわざ選んでくれてありがとうな、燈香」

 

「えへへっ、うん!」

 

 こうして、俺たち3人のお揃いのペンダントを購入した。オシャレにあまり気を遣わない俺だったが、今回ばかりは大切に使っていきたいなと強く思っていた。

 

 






純朴な輝き、異彩な輝き、魅せる輝き


イラスト制作:ゆーきあ様
Twitter→ https://twitter.com/ukia_0117?s=21&t=lAY4OFiCbnwNLY5m7wt0fw



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光る一番星に


お待たせしました。

本編34話です。

それではどうぞ!




 

「それじゃあ、時間もだいぶ経ってるし今日はこの辺で終わりにするか」

 

 3人でお揃いのペンダントを買った後、竹下通り一帯を満喫していたので時間が相応に経過していることに気が付かなかった。

 

「ほんとだね! このまま遅くなっちゃうといけないし、そろそろ切り上げよっか?」

 

「はい、何もかもが楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいましたね」

 

 満足気な燈香と恋。その懐には先ほどのゲームセンターで獲得したぬいぐるみがあった。ゲームセンターにてクレーンゲームのプライズ商品を眺めていた時に恋さんが物欲しそうにいちごのぬいぐるみを眺めていたので、やってみようと挑戦してみたところ千円で獲得できたのだ。

 

 燈香の方は携帯型育成ゲームに出てくるクマのモンスターのぬいぐるみをゲットしようと奮闘しており攻めあぐねていた所にアドバイスをしたら、すぐにコツを掴んで無事にお迎えしていた。

 

「颯翔くん、取り方を教えてくれてありがとう〜! このクマさん、すごく可愛いから欲しかったんだ〜!」

 

「俺は大して手を貸してないけど、そう言ってもらえるならよかった」

 

「私もわざわざ取っていただきありがとうございました。本来なら自分で取るべきでしょうに……」

 

 燈香はぬいぐるみをお迎えできた嬉しさに浸っている反面、恋さんは俺にお金を使わせてしまったことに謝罪を述べる。

 

「別に、俺がやってみたくてやったことなんだし、そんなの気にしなくていいっての」

 

「はい、大切に扱わせていただきます」

 

 恋さんの謝罪に気に留めていない様子で返事をすると、恋さんも安心したように笑顔を見せる。そして、これ以上長居するわけにもいかないと恋さんと燈香は帰る素振りを見せる。

 

「では、私たちはこれで」

 

「颯翔くん、ばいばーい! また明日ね~!」

 

「おう、二人も気をつけてな」

 

 俺は手を振って、燈香たちの帰路を見送る。二人でぬいぐるみを抱えながら談笑している姿を見ると、彼女らに良いことをしてあげられたなと自分のことを褒めてしまいたくなる。

 

「さて、俺も帰るか」

 

 そう言って俺は原宿駅から表参道方向へ下る坂道をゆっくり歩き始める。

 

「………………」

 

 帰宅中、俺は首にかけているペンダントを正面に構えながら装飾として付いている三日月を見つめ、あることを考えていた。燈香たちとのお出かけは楽しいもので、今の俺の心を埋めるのも彼女らとの思い出が本来だ。だが、一概にそうならずに無言で考え事をしてしまっているのは、俺にとってそれだけの出来事と遭遇してしまった故なのだ。

 

「……三日月か。我ながら上手く表現できてるよな。中途半端にしか輝けてねぇ所とか」

 

 三日月を眺めながら、俺はふとそんな自虐を溢す。三日月はそのフォルムを美しさから写真に収めたり、アクセサリーを買ったりする人が多い。だが、満月のように全面を見せつけるような事もなくひとひらの光しか浴びることでしか見せないその姿は、自分の信念もなくただ周りにいい顔をしてるだけのつまらない人間である俺と何故か重なってしまった。

 

 今の俺は誰かを照らせるほどの輝きを持っていない。かのんたちと離れたことで俺は自分があまりにもちっぽけな人間に成り下がってしまったことを自覚せざるを得なかった。

 

「はぁっ……なんだか自分のことが──」

 

 情けない、そう言おうとした矢先に自分のことを呼ぶ少女の声が聞こえてきた。

 

「アッ! ハヤトーー!!」

 

「あん?」

 

 声の聞こえる方向を一瞥すると、そこには制服姿の可可の姿があった。

 

「可可……なんでこんな所にいるんだ?」

 

「そういうハヤトもどうしてココにいるんデスか?」

 

「俺は友達と竹下通りで遊んでたからその帰り。お前は、今日は練習ないのか?」

 

「はいデス! 先日スクールアイドルフェスを終えたばかりナノデ、今日はオヤスミということになってマス! ククも抑えていた食欲がガマンできなかったのデス……!」

 

「確かにライブ後だし、そういう日があってもいいのか」

 

 ライブ前に食べすぎて衣装が入らなくなったという人もそうそうはいないと思うが、念には念をということで可可も食には気をつけていたようだ。ライブが終わった今、彼女もこのあたりで自分へのご褒美としてご飯を堪能してきたのだろう。

 

 彼女がこのあたりにいることを予想しつつも、俺は可可とライブ後の初顔合わせでもあったので改めてライブを終えた労いの言葉をかける。

 

「それと……改めて、代々木スクールアイドルフェス、お疲れさん。結成してから日が浅いとはいえ、新人特別賞を受賞したなんてすごいじゃねぇか」

 

「アリがとうございマス。デスガ、ククたちがあの結果を取れたのはハヤトのおかげでもあるのデス」

 

「俺の?」

 

 可可が口にしたクーカーの成績は俺のおかげ。その真意が分からず可可に問いかける。

 

「……あの停電の時、正直ククたちはダメだと思ってしまいマシタ。あの時点で、お客サンたちの目はククたちに向いていない、ミナサンを振り向かせるチカラがククたちにはない、だからコソ心の中ではもうダメだと思ってイマシタ」

 

「………………」

 

「ですが、ハヤトが応援してくれたオカゲで思い出しマシタ。まだ諦めちゃいけナイと!」

 

「あれは……反射的に出ちまったというか」

 

 可可達のライブが始まる前に発生した電気トラブル。あの出来事は案の定可可達の心にも少なからずダメージを与えていたようだ。あの理不尽で可可達のパフォーマンスが正当に評価されないのは絶対許したくなかった。結果的に条件反射で動いたが、それが功を奏したようだ。

 

「それでもデス。ハヤトがあそこで声をかけてくれたカラ、会場の空気が変わりマシタ。アレがなければククたちは特別賞を受賞していまセン」

 

 可可はこれまでに見たことがないほどの真剣な表情でこちらを見つめてくる。そして、深く頭を下げた。

 

「ククたちの夢を……応援してくれてアリがとうございマシタ……!」

 

 彼女が、可可が何故ここまで頭を下げなくちゃいけないのか最初は全く分からなかった。正直に言って、あの時のことは軽く感謝されるくらいにしか思っていなかったのだ。それが俺自身の抱いた感想だったから。

 

 しかし、可可は違う。このイベントの良し悪しで今後の自分の運命は変わっていた。下手をすれば、あの出来事が災いして母国へ帰国しているかもしれなかったのだ。それ故に可可が抱く感謝の念は俺の想像以上に大きいものだった。

 

「ここまで言われることはないと思ってたけど……俺なんかの応援で救われたのならよかったよ」

 

「オレなんか……、じゃアリマセン! ハヤトはククたちのことを静かに見守ってくれてイマス! あの、おつきさまミタイに!」

 

 可可がそう言いながら指差した先、それは淀みなく広がる黒い空で唯一の輝きを見せる満月だった。

 

「ククたちはまだまだちいさな星デス。ですが、今よりもっとチカラをつけて……ハヤトをびっくりさせるくらいの()()()()()()()になってみせマス!」

 

 可可の目は真剣そのものであった。今回のイベントで己の力不足を実感し、その悔いを忘れないためにここで宣誓したのだろう。

 

「スーパースター……。まだなれるかどうかもわからんのに面白いことを言うな」

 

「なれるかどうかじゃないデス! なるのデス!」

 

 俺の冗談めいた物言いにも可可は臆することはなかった。それどころか更なる熱意で押し負かそうとしていた。

 

「ははっ、ならこれからのクーカーには目が離せないな。楽しみにしてるよ」

 

「まかせてクダサイ! やってやるのデス!」

 

 期待してる、と励ましの言葉を送ると、可可は両手をグッと胸の前に持ってきてガッツポーズを構える。だが、可可はすぐさま何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。

 

「そういえば、ハヤトはこの先にあるタコヤキ屋さんに行ったことはありマスか?」

 

「たこ焼き? いや、そもそもあることすら知らなかったな」

 

 転校前はかのん達とこの辺りでよく遊んでいたが、転校で一時的に離れてしまったのもあって、地理に関してあまり覚えていない。可可の言うたこ焼き屋が記憶の中を掘り起こしても全く呼び起こされないということはそれほど関心を持っていなかったということだ。俺の反応に可可は嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「デシタラ、ぜひ一度行ってみてクダサイ! これから二人でお茶をするときにモットモ適していると言えマス!」

 

「あん? それはどういう──」

 

「それは行ってみてのおたのしみデス! それデハ、ククはここら辺でおさらばデス! では!」

 

「ちょっ、おい可可!?」

 

 彼女の言うお茶をするに最も適している、の意味が分からないまま可可は走って立ち去ってしまった。最初から最後まで翻弄されっぱなしでまさに嵐のように過ぎ去るという表現が似合うだろう。

 

「……店の雰囲気だけでも見に行くか……」

 

 せっかく可可が紹介してくれた場所だ。今度、そこで待ち合わせをするとなった際に言い訳が効かなくなることを恐れ、仕方なく彼女の言っていたたこ焼き屋がある道へと入ることにした。

 

 可可と別れてから、俺は先ほど彼女に言われた言葉を反芻していた。彼女は俺のことを「静かに見守る満月のよう」と評価していた。自分ではそこまで出来た人間ではないと思っていたのだが、意外と周りから見たら違うのかもしれない。

 

 やりたいことを貫くことができず、ただ漫然と人生を全うするだけのつまらない男が、気が付いたら他人の背中を押す存在になっていた。まさに青天の霹靂とでも呼ぶべきだろう。結高に入ったおかげで自分のことがまたひとつ理解できたかもしれない。

 

「本当に、可可がいなかったらこんな出会いすらなかったのかもしれないな」

 

 彼女と出会わなければ、スクールアイドルに心を動かされることもなかったし誰かを応援したいなんて想いも湧いてこなかっただろう。改めて可可と巡り合わさったことに心の中で感謝を抱いた。

 

 そんなことをしていると可可が話していたたこ焼き屋らしき店が見えてきた。車通りの多い道から外れて歩いていたが、目的のそこまで着くにはそう時間は掛からなかった。

 

「ふ〜ん、ふふ〜ん♪」

 

 街灯が照らす道のりで唯一照明が点灯していたお店はたこ焼きのマークが付いており、そのカウンターに構えている少女は鼻歌交じりでたこ焼きを作っていた。お客さんがいないの良いことに自由をやっているようだ。たこ焼き、というフレーズを聞いてまさかとは思ったが案の定、そのスタッフは千砂都だった。

 

「よっ、千砂都」

 

「ん? ……えっ!? 颯翔くん!?」

 

 まさかの人物がお店を訪ねてきたことに千砂都はたこ焼きを作る手を止めてしまった。

 

「……たこ焼き焦げるぞ?」

 

「はっ! ち、ちょっと待ってて、すぐに作業終わらせるから!」

 

 千砂都は一瞬たじろいだがすぐに店員の顔になりたこ焼きを颯爽と調理し始める。生地を固める姿やパッケージングする様子を見るにかなり手慣れている感じだった。

 

「ふぅ〜、まさかいきなり来るとは思わなかったから驚いちゃったよ〜。はい、食べる?」

 

「金は取るんだろ?」

 

「そうだけど、今日は特別価格で負けてあげるよ」

 

「バイトの身なのにやりたい放題だな」

 

「それだけ信頼が厚いってことだよ」

 

「物は言いようだな」

 

 俺は千砂都の口車に乗っかり彼女が提示した金額分だけ支払い、千砂都お手製のたこ焼きを受け取る。そして、早速もらったたこ焼きを食べようと近くに用意されていたテーブルに腰掛けた。

 

「お待たせ。これでゆっくり話せるね」

 

 狐色に焼けた丸い粉物を食べる準備をしていたらエプロンを外して千砂都が俺のテーブルに相席してきた。制服を身に纏っている今の彼女はただの女子高生だ。

 

「店番はもういいのか?」

 

「営業時間もギリギリだし、これくらいの時間帯は人が来ないから少し早めに閉めても問題ないよ」

 

「ほんと自由だな……」

 

 自由人すぎる千砂都の行動に呆れながらも、彼女が用意してくれたたこ焼きを頬張る。職人技で作り込まれたたこ焼きは口に入れた瞬間トロッとした生地が口の中を弄り絶品を誇っていた。

 

「……美味い……」

 

「でしょ〜? ちぃちゃんお手製のたこ焼きだからね!」

 

「自分で言うな。でも、味が良いのは認めるけど……」

 

 千砂都のたこ焼きに舌鼓を打っていたが、千砂都はすぐさま俺がここを訪ねた理由について話題を切り替える。

 

「そういえば、颯翔くんはどうしてここに?」

 

「さっき、大通りで可可と鉢合わせてな。良いたこ焼き屋があるからって紹介してもらったんだ」

 

「ふむ〜、これは可可ちゃんに何かしら差し入れを送らないといけないね……」

 

 千砂都は新しい客を連れてきてくれた可可にお礼の品を送らなければいけないと考え込むような素振りを見せる。だが、その時間を与える前に俺は千砂都に聞こうと思っていたことを思い出した。

 

「千砂都。あの時言ってたこと、あれはどういうことだ?」

 

「……やっぱり気になるよね」

 

 話を振られた千砂都はいずれそう言われることを予感していたように苦笑を浮かべながらため息をついた。

 

「あれは私のけじめだよ」

 

「けじめ?」

 

「うん。これが……私が颯翔くんにできる唯一の罪滅ぼしだよ」

 

 千砂都は両手を握りながら俺を見据える。その目は今までの千砂都から見たことがない信念に満ちた目だった。

 






小星星から第一星に。



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二人の想いは


お待たせしました。

本編35話です。

それではどうぞ!




 

「……けじめってどういうことだよ」

 

 たこ焼き屋で店員として働いていた千砂都と会い、俺は彼女がダンス大会に出る意図を問うていた。

 

「前にも話したけど、颯翔くんはかのんちゃんの隣でダンスを極めるっていう夢を持ってた。そして、その実力は同世代の中でも指折りを誇っていた。それは私にとってすごく自慢できることだった」

 

 千砂都は用意していたコーラを手に持ちながらしみじみと話し始める。彼女が言っている通り、昔の俺はかのんが音楽をやる隣でダンスを極めるという夢を持っていた。そして、その夢を抱えたまま経験を積み、いつしか同世代の中では負け知らずとして有名だった。

 

「でも、私はそんな順風満帆だった颯翔くんの夢を壊した。颯翔くんを二度とダンスができない身体にしてしまった」

 

 千砂都が語るのは俺がダンスをやめる原因となった事故。今でも忘れられないあの時の痛み。そして、医師から告げられた運動やダンスも自粛せよ、という無慈悲な言葉。

 

「だから、それはお前のせいじゃないっていつも──」

 

「それで私が納得すると思う!?」

 

 あの事故は俺が無茶をしたから起きたこと。そう千砂都に訴えようとしたが千砂都は眉間に皺を寄せながら俺の言葉を否定する。ここまでの剣幕で俺を一蹴するのは見たことがない。

 

 だが、いきなり大きな声をあげて驚かせてしまったことを千砂都はすぐに詫びる。

 

「……ごめん。でも、颯翔くんがそう思っていたとしても私は納得しない。だって颯翔くんがそこで無茶をする原因を作ったのが私だから」

 

 千砂都がそう話す中、俺の記憶を駆け巡るのは大怪我を引き起こすことになった要因。

 

 

 

 ────千砂都と二人で遊んでいた公園。その手には各々の顔をなぞらえた風船があり、和気藹々と会話に花を咲かす二人。そして、遠くに見えた風船。────

 

 

 

「……それは……」

 

 千砂都の言葉に俺は何も言い返せなかった。絶対に違うと言い切れないのは心のどこかで彼女が言っていることも真実だと認めているからだ。

 

「颯翔くんは優しいよ。いつまでも泣いてた私に、ちーちゃんが謝ることはない、って声をかけて励ましてくれて……。私はいつも颯翔くんの言葉に助けられてた。でも、それで颯翔くんの夢を潰した代償は払えるの?」

 

「…………」

 

「私は絶対に出来ない。かのんちゃんを支えるって決めてた颯翔くんを私が殺してしまった。だから、その責任として私がかのんちゃんを隣で支えるの。()()()()()()()()()

 

 千砂都はコップを持つ力が強くなり、彼女の手に握られていた紙コップは少しずつその力に圧され変形させていた。

 

「颯翔くんが叶えられなくなった夢を私が背負う。颯翔くんの想いも背負って、ダンスでかのんちゃんを支える。だから、その力試しとしてダンス大会に出るの」

 

 千砂都はそう語りながら空に浮かぶ満月を見つめる。幼い頃に潰えた俺の夢を継ぐという彼女の目には満月を照らす光が幾分か集光し、覚悟の想いともとれる眩しい輝きを放っていた。

 

「私、今までこういった大会に出たことがなかったから、今こそそれを試す時だって思ったの。そこで功績を掴み取れてこそ、かのんちゃんの隣で……颯翔くんの想いを背負って立つことができるから」

 

「千砂都……」

 

「だから今度のダンス大会、応援してほしいな。と言ってもまだ3ヶ月後の話だけど……でも、颯翔くんが成し得なかった夢を私が叶えてみせるから」

 

 千砂都は温かい笑顔で俺にそう訴えかける。夢を追えなくなってしまった俺の意志を継いで、かのんの隣に立ってくれるというのだ。

 

 傍から見ればすごく聞こえは良い。夢に向かって走れなくなった友人のために自分がバトンを握るなんて、テレビ番組でもよく放送される感動ものだ。この状況に全くの無縁な第三者はなんて感動する話だ、と思わず涙してしまうだろう。

 

 

 

 だが、その張本人である俺はその傲慢な考えに苛立ちを隠せなかった。

 

 

 

 

「……ふざけるなよ」

 

「えっ……?」

 

 突然の怒りに千砂都は驚きを隠せない。大方、俺の代わりにかのんを頼む、とでも言ってくれると思っていたのだろう。だが、そんなお涙頂戴なセリフが俺の心から出てくることは決してなかった。

 

「俺の意志を継ぐだと? 勝手に俺の夢を潰すんじゃねえ。俺は完全に夢へ走る道を断たれたわけじゃねえぞ。現にこうして身体を動かすことはできる。まだ完全に俺の人生が終わったわけじゃねえんだ」

 

「……颯翔くん、でも……!」

 

「それをお前は自分の好きに解釈して、俺を二度と夢の負えない可哀想な人間に仕立て上げた……。誰がいつ二度とダンスができないなんて言った? まだ俺は戻るつもりでいる。その為に少しずつ身体の調子を直していこうとしてんだ」

 

 千砂都は彼女のなりの優しさで俺の想いも一緒に連れていくと言ってくれていることはわかる。ダンスは自粛しろと宣告されて、絶望に打ちひしがれていた俺を励ますためにそう言ってくれていたのだろう。

 

 だが、そんな彼女の正義感に満ちた優しさが今は腹立たしかった。そんな怒りを露わにするようにイスを強く引いて音を発しながらその場で立ち上がる。

 

「何も頼んでないのに、俺の意志を勝手に背負うとするんじゃねえ!!」

 

「……颯翔……くん……」

 

 とてつもない剣幕で捲し立てられ千砂都は声を失う。いつも横で笑ってくれていた少年が鋭い目つきで自分のことを睨んでいる状況があまりに予想だにしない出来事で何と言えばいいのかわからなくなってしまったのだ。

 

 だが、これが俺の本心だ。自分の中では完全にダンスの道が潰えたわけではない。もう一度ステージに立てる機会はあると信じているのだ。結高に入るまで漫然と過ごしてた俺がもう一度頑張ろうと思えたのもかのんと可可のステージで力をもらったからだ。今までの情けない自分から変わりたいと密かに思っている自分がいたのだ。

 

 それにも関わらず、俺の心も知らぬままひとり決意を固めている千砂都を俺は許せなかった。

 

 しかし、一概に千砂都の決意を否定するわけにもいかないと思い、彼女の意志を汲んでやろうと俺はあることを思いつく。

 

「……それなら、一つ条件を出してやる」

 

「条件……?」

 

「そのダンス大会……()()()()

 

「えっ……!?」

 

 あまりに突拍子もないことを告げられ、千砂都は目を見開く。そんな彼女に言葉を挟む余地を与えずに俺は言葉を続ける。

 

「その大会に出て、俺と勝負だ。そこで俺に勝ってみせろ」

 

「だけど颯翔くん、身体は……?」

 

 千砂都は至極当たり前の質問を飛ばす。本人がやると言っても身体がついてこないが実情だろう。

 

「そんなの動けるようにするに決まってるだろ。大会までは3ヶ月ある。それまでにダンスは仕上げてやるさ」

 

「でも……」

 

 なおも口を挟もうとする千砂都。そのどこまでも俺を気遣う姿勢が今は煩わしかった。

 

「お前はいつまで俺の心配をしてるつもりだ。人の心配をする暇があるなら自分の心配をしろ」

 

 煮え切らない千砂都に俺は先ほど提示した勝負の条件を伝える。

 

「この大会でお前が勝ったら、その時はお前に意志を継がせられるとして俺は負けを素直に認める。だが、もし俺が勝ったらお前は二度とダンスをやるな」

 

「…………っ」

 

 ダンスをやめろ、そう告げられた千砂都は唇を強く噛む。こんな悲しいことを言われてしまうことになったこの状況を悔やんでいるのだろうが、そんなことはお構いなしに俺は話を続ける。

 

「なんだ? 俺の意志を継ぐ、なんて大口を叩くなら俺に勝つことくらい通過点に過ぎないだろ? ……本気でやろうとしてるならそれくらいやってみせろ。お前の考えが正しいというのなら俺に勝ってみせろ!」

 

 俺は自分の胸に拳を当てながら千砂都に言い放つ。俺のことを蔑ろにしたことも今回の勝負を決定づけるものではあったが、一番は彼女がどれだけの実力を有しているかだった。彼女の覚悟がどれほどのレベルなのかがわからないからこそ、この大会でその技量を語ってほしかったのだ。音楽に関して高いポテンシャルを秘めているかのんの隣に立つということも、ダンスの実力は抜きん出ていた俺の想いを背負うということも、それだけ重いことなのだ。

 

「……わかった」

 

 千砂都はしばし考え込む素振りを見せたが、自分の中で決心がついたのか厳格な表情に変わる。そして、俺と同じようにその場で立ち上がり正面から俺を見据えた。

 

「その勝負、乗るよ。私は絶対に颯翔くんに勝つ。そして、颯翔くんに認めさせてみせる」

 

「決まりだな。急に気持ちが変わって逃げるなんて言うなよ?」

 

「それは颯翔くんも同じだよ? 私にここまで発破をかけておいて、後からやめます、なんて言ったら許さないから」

 

「当然だ。男に二言はねえ」

 

 千砂都の煽りにも取れる発言に俺は一笑を交える。そして、逃げないことを明言し、その約束とも言うように俺は拳を彼女に突き出す。千砂都もその気持ちを理解したように自分の拳を突き合わせる。

 

「お互い、いい勝負になることを楽しみにしてる。それじゃあごちそうさま」

 

「……颯翔くん!!」

 

 時間をだいぶ経過していたこともあり、俺は食事を出してくれたお礼を告げてその場を後にしようとする。その時、背中から千砂都の声が響き渡る。

 

「私の想い、絶対に! 見届けてよねー!!」

 

 彼女の言葉を背に受けながら、返事をするように右手を挙げた。

 

 

 

 たこ焼き屋と彼女の姿が見えなくなったことを確認し俺は街角の建物に身を預ける。

 

「はぁっ……。言っちまったなぁ……」

 

 建物に背を預けながら俺は空を仰ぐ。先ほどまで高潔に輝いていた月もいつの間にか発生していた雲によって幾分か霞んでいるように見える。まるで先ほどまで固まっていた俺の意思が、緊張の糸が切れて思わずブレてしまいそうになっていることを予見しているように。

 

「千砂都は、そこまで俺のことを……」

 

 千砂都にとって俺とかのんは特別な存在だろう。独りだった自分を救ってくれた友人、そして弱かった自分を変えてくれた恩人としてその恩義を深く感じているのだろう。その確固たる意志がどこまで頑丈なのかがわからないが、少なくとも最後の彼女の返事からは、簡単には壊れない鋼の意志を感じた。故に俺はあいつとの勝負に少し畏怖していた。

 

「……これからどうやって身体を作っていこう……」

 

 千砂都に啖呵を切ったはいいものの、次のステップへの進み方がわからなく俺は暫くその場を動くことができなかった。

 

 






湧き上がる熱意、意図せぬ失意。




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はじめの一歩


お待たせしました。

本編36話です。

それではどうぞ!




 

 千砂都と別れてから、周囲の喧騒に耳を傾けることなく家へまっすぐに帰っていた。その最中に頭の中をよぎったのは千砂都が言ったこと。

 

『颯翔くんが叶えられなくなった夢を私が背負う。颯翔くんの想いも背負って、ダンスでかのんちゃんを支える』

 

 曇りひとつない笑顔で言い放ったそれは俺にとって暖かいようであまりに冷たい言葉だった。

 

「……簡単に夢を背負うなんて言うなよ。俺はお前に預けられるほど弱くないし、お前も俺を背負えるほど強くないだろ」

 

 ひとり、周りに目もくれずそそくさと帰る俺はボソッと呟く。俺のボヤキはすれ違う人々の耳に留まらず都会の騒めきの中に隠れていった。

 

 しかし、彼女に対して苦言を呈すばかりでは仕方がない。今は彼女と約束した勝負のために自分にできることを始めなければいけないのだ。もう一度ダンスをやれる身体にするために何ができるのか、それを探さなくてはいけない。

 

「……無理に負担をかけて、本当に二度と運動ができない身体になったらどうするか……」

 

 中学でここを離れて以来、かかりつけの先生の元で診てもらっていないため、リハビリを積もうにも当てがまるでない。スポーツジムで身体を鍛えても身体に負荷をかけるのみで、どの程度まで耐えられるのかが自分でもわからない。新しく始めようと言ったはいいもののどこから手を付ければいいのか、まさに路頭に迷っている状態だ。

 

 どのようにして、大会に向けて身体を作ろうか考えていたら、気がついたら家に到着していた。考え事をしていると本当に時間の経過が早く思えてしまう。気分が暗くなっている今、先行きの見えないことでどんなに不安を抱いていても仕方ない。

 

「ただいま」

 

 普段と変わらない挨拶で家のドアを開ける。そして、荷物を置きに自部屋へ入っていく。鞄を机に置き、ネクタイの紐を緩めていると俺の部屋をノックする音が聞こえてきた。

 

「颯翔、おかえり。随分と遅かったけど、一体どこをほっつき歩いてたんだ?」

 

「ただいま。まぁ、色々とあったんだよ」

 

 事ある毎に帰る時間が遅くなる俺に凪は心配気味に苦笑を漏らすが俺は気に留めない。凪も軽くため息をつくと「そうか」と言って部屋を出ようとする。だが、そんな凪を俺は思わず引き止める。

 

「……なあ、凪」

 

「ん? どうした?」

 

「俺、もう一度ダンスをやれる身体になれるのかな」

 

「本当にどうしたんだ、藪から棒に」

 

 唐突にダンスのことを口にする俺に凪は驚きの声をあげる。凪は俺を思ってダンスのことを触れないようにしていたのに、俺から話を切り出したもんだから変なものでも食ったのかと心配しているのだろう。

 

「今日、千砂都と会ってさ。あいつ、ダンス大会に出るって言ってたんだ。……俺の意志を背負うため、なんて口八丁なことを言ってさ」

 

「千砂都ちゃんが……」

 

 凪は静かに呟き、俺の言葉を噛み締める。千砂都がそこまで俺のことを本気で考えていると思っていなかったのだろう。

 

「俺のことをわかってるかのように言ったあいつに腹が立っちまって、俺もそのダンス大会に出るって言ったんだ」

 

「ほう……? お前がダンス大会に出るって……?」

 

 凪は怪訝な表情を浮かべながら俺の発言を確認する。自身としても、当時は条件反射に物を言ってしまったなと、今になって猛省しているが口に出した以上は後には引けない。

 

「あぁ、ダンス大会は7月でまだ3ヶ月ある。それまでにもう一度ダンスをやれるようにしたいなと思って」

 

「お前、自分で相当バカなことを言ってることはわかってんのか?」

 

「今となってはアホだなって我ながら思うよ。でも、その言葉に嘘はないんだ。千砂都が本当に俺の意志を背負うに値するのか、あいつの本気がどれだけなのか、誰よりも近くで見たかった」

 

 凪に毒を吐かれるも俺は気にせずに本心を吐露する。俺が見たかったもの、それは千砂都の覚悟とダンス技量。俺やかのんの後ろをついてくるだけだったかよわい少女がどれほどに成長しているのか誰よりも近いところで見届けたいのだ。

 

「あいつの本気に、真剣に向き合うために俺も本気で挑みたい。だからそのためにもう一度ダンスをやれるようにしたいんだ」

 

「颯翔……」

 

 身体の融通が利かない今の俺が、昔のように全力でダンスをやれる身体になるまで相当な時間が必要だ。身体を慣らすためのリハビリ期間、衰えた体力・筋力を戻す時間、ダンステクニックをこなすための時間。最低限の必要事項としてもこれらが上げられるが、これらを3ヶ月の間で仕上げるというのはかなり至難の業だと思う。現時点でスタート地点にすら立ててない俺がダンス大会に出られるまでに回復するかどうかもわからないのだ。

 

「お前の気持ちは分かった。だが、お前が本気であの子とぶつかるのは相当な努力が必要だぞ? それに努力だけじゃない、運動に伴う身体の本気の悲鳴とも正面から向き合わなくちゃいけない。その覚悟が……お前にあるのか?」

 

 凪の警告は尤もな内容だった。これまでは身体に痛みが出てきたと思ったらすぐに痛みを抑えるように負荷を和らげていた。だが、大好きだったダンスをもう一度やれるようにするとなると、その痛みから逃げることは許されない。これまでの甘やかしは通用しなくなる。

 

「……あぁ」

 

 凪の問いに俺は覚悟を決めた返事をする。いや、既に決めていたと言ってもいい。

 

「俺は……俺の本気で千砂都に答える。だから、逃げるつもりはねぇ」

 

 躊躇を挟まずに続けた言葉に嘘はないと信じたのか凪は軽く頷いてみせた。

 

「分かった。それなら俺も真剣にお前の望みに付き合ってやる。俺の部屋に来い」

 

「ん? あぁ……」

 

 凪に言われるままに後ろをついていく。そして、凪の部屋に入るとパソコンが起動したままで、ゲームをしていた途中なのかヘッドホンが無造作にキーボードの上に置かれていた。

 

「……あいつは返事あるかな〜?」

 

 凪はボソッとそう独り言を呟きながらチャットツールを開いてメッセージを打ち込む。タイピングの音が速く、傍から聞いてて気持ちが良いものだ。

 

「あいつって……知り合いに医者でもいるのか?」

 

「そいつ本人がってわけじゃねえけど、親が医者をやってるって話を聞いたことがあるんだ。だからそれを聞いてみる」

 

「……それってネットで知り合ったのか?」

 

「おうよ、それに本人とは直接エンカウントもしてる。同じ都内に住んでるぜ?」

 

「マジかよ……世間って意外と狭いもんだな……」

 

 医者の子供と知り合いであることをさも当然のように語る凪に俺は驚嘆するしかなかった。凪が人と打ち解けやすいのは昔からの事だが、どのような縁でその人と繋がったのだろうか。そして、実際に顔も合わせたこともあるというし、今ではネットで知り合った人と直接会うというのはハードルが低いのだろうか。

 

「ネットの人と話して怖くなかったのか? それに直接会うなんて……」

 

「直接会うっていうのも、それは最近のことだ。俺だっておいそれと顔も知らん人間と会おうとするつもりはねぇ。俺たちはざっと3年ほど前からつるんでてな、それでお互いに大丈夫だろうという合意の元で会ってる」

 

 俺の不安げな様子に凪は笑って答える。やはりインターネットに精通しているからこそ、ネットリテラシーにも人一倍理解が強いようだ。そして、それほどの年月を経てから会ったということは、その人は凪から相当な信頼を得ているように見てとれた。

 

「おっ、返事がきた。それに通話もできそうだな……」

 

 チャットツール上で通話を行うやり取りが進んでおり、凪はヘッドホンを耳に当てて画面上の電話マークをクリックした。

 

「ちょっと静かにしててな……」

 

 凪は口に人差し指を当てながら小声で俺にそう言い聞かせる。声が入ってはいけないと俺も無言でうなずき、肯定の意を示す。

 

「よう()()、お疲れ〜。急にメッセを送って悪かったな」

 

 チャット画面には『コア』というハンドルネーム、そして眼鏡と聴診器が描かれたアイコンが表示されていた。そして、凪は普段と変わらないトーンでコアと呼ばれた人と話し始める。

 

「一個、相談があるんだが……。お前の家って外科の先生だったよな? そうそう、実は前にも話した…………」

 

 凪がコアさんと話している間、俺はパソコンの画面に目がいっていた。

 

 凪はハンドルネーム『ナギ』としてインターネットを使用しているようだった。そして、アイコンはゲームに出てくるであろう女の子のイラストを使用していた。ピンクの長髪をロールアップにしたつり目気味な女の子だが、凪はこういった子が好みなのだろうか。

 

「……颯翔、明日の夕方は空いてるか?」

 

 チャット画面を観察していると凪が突如振り向き、小声で俺に明日の都合を確認してきた。凪がこちらに顔を向けた瞬間にこちらも目を合わせたため、俺の視線は気づかれたかもしれない。あたかも何も見てない風を装いながら小声で返事をする。

 

「明日の夕方は大丈夫だ。何もない」

 

「オッケー、サンキュ」

 

 俺の返事に満足した様子の凪はすぐに画面に向き直り、会話を続けた。この感じをみるに、外科医である親とコンタクトを取ってくれたということだろうか。俺の知らぬ間にとんとん拍子で話が進んでいるようで理解が追いついていなかった。

 

「……了解だ。急にありがとうな。じゃあ、また明日連絡を取り合おうぜ。それじゃあお疲れ〜」

 

 気がつけば締めの挨拶が行われており、『通話終了』のボタンをクリックした瞬間に凪はヘッドホンを外して大きく息をついた。

 

「ふう〜、意外とどうにかなるもんだなぁ〜」

 

「明日、会うことになったのか?」

 

「おう。友達が親に掛け合ってくれたようで話を聞いてくれることになった」

 

 椅子に大きくもたれながら凪は先ほどのやり取りをかいつまんで説明してくれた。凪は俺の身体のことについて既にコアさんに話していたようで相手もすぐに理解してくれたそうだった。

 

「すぐに治せるようになるかはわからんが、まずは話を聞いてもらってそこから次の動き方を決めていこうぜ」

 

「……あぁ。急な相談だったのにありがとう……」

 

「そんなもん気にすんな。一度は夢を諦めた颯翔が、もう一度夢に向かって走りたいって言い出したんだ。それに協力しない奴なんかいないさ。その代わり……あとはお前の気持ち次第だ、そのところはしっかり理解しておけよ?」

 

 凪の言葉に俺はより気持ちを引き締める。もう後戻りはできない、中途半端にやるな、という警告だろう。だが、俺の本音にここまで真剣に付き合ってくれた兄の好意に泥を塗るつもりなど更々ない。むしろ、その好意に応えたい気持ちでいっぱいだった。

 

「あぁ、俺がやらなくちゃいけねえことはなんでもやってやる。このチャンス、そう易々と手放すつもりはない」

 

「よしっ、その意気だ。俺は応援してるぜ」

 

 凪は笑顔を向けながら激励の言葉を飛ばし、拳を差し出した。その返事として俺も笑顔で拳を突き返す。

 

 突拍子もなく始まった俺の我儘にここまでお膳立てを整えてくれた凪には本当に頭が上がらない。俺に出来ないことを平然とやってのける凪をときにずるいと思いつつ、それでも自慢の兄だと豪語できる。そんな兄のメンツのためにも、俺の覚悟をまずは先生にぶつける所からだ。

 

「……ところでさ、このアイコンの子、中々に可愛いと思わねえか? この子の顔といいクーデレな所といい俺の(へき)に刺さってさぁ〜……!」

 

「は、はぁ……」

 

 突然始まる凪の性癖暴露に俺は顔をしかめながら苦言を呈す。

 

 自慢の兄という称号はやはり撤回した方がよかったかもしれない。

 

 






お前が本気だから俺も真剣に応える。




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指し示された道


お待たせしました。

本編37話です。

それではどうぞ。



 

 凪が俺の身体を診てもらう外科医と取り計らってくれた翌日。凪と事前に約束した通り、彼と放課後に合流し今はその息子である友人との待ち合わせ場所に向かっていた。

 

「緊張してるか?」

 

「……まぁ、してないと言えば嘘になる」

 

 元々治らないと思っていた傷だ。簡単に治せますと言えるものではないとわかってはいるが、もし手を付けられないと言われたらという少しばかりの恐怖も俺の中にはあった。

 

「ははっ、そんな心配しなくても大丈夫さ。最終的にはなるようにならん。上手くいくかいかないかなんて今考えても仕方ねえよ」

 

「……それもそうか」

 

 あっけらかんと言う凪を見て、俺も妙に不安がっていた自分がバカらしく思えてしまう。『人生は気の向くままに』という精神で過ごしてる凪だからこそ、こういう時にかけるべき言葉を瞬時に理解してくれる。その言葉を聞くと、不思議と俺もいい意味で力が抜けてくる。

 

「それにしても俺が一番心配しているのはお前よりもあいつなんだよなぁ……」

 

「あいつって、コアさんか?」

 

「そっ、別に素行が悪いって言ってるわけじゃねぇんだ。むしろ態度は人並みに良い。だけどな……」

 

 不良少年をやっていたわけではなく、医者の卵という点も相まって優等生の印象を抱いていたがそういうわけではないのだろうか。尚のこと、コアさんがどのような人物なのかが気になってきた。

 

「……おっ」

 

 ふと凪は正面を見据えて声を上げた。凪の声につられて顔を向けるとそこには高身長の青年が腕を組みながら建物の壁にもたれていた。ビリジアンなミディアムヘアーで端正な顔立ちをしており、これほどにイケメンという言葉が似合う男性はそうそういないだろう。

 

 青年も俺たちの足音に気付いたのかこちらへ振り向き、徐にこちらへ歩き出してきた。

 

「よっ、(よう)。今日はわざわざありがとうな」

 

「……気にするな。お前の……頼み事だ……」

 

 男性的な低音ボイスで凪に返事をする要と呼ばれた青年。友人の凪とあっても表情が堅いのはなにか機嫌を損ねることがあったからなのだろうか。

 

「凪、この人がコアと呼んでる……?」

 

「あぁ、紹介するぜ。こいつは未守(みかみ) (よう)。これから行く外科医の息子だ」

 

「……よろしく……お願いする……」

 

「は、はいっ。こちらこそよろしくお願いします」

 

 ゆっくり淡々と言葉を紡ぐ要さんに俺は空気がピリッとしている感覚を味わいながら挨拶を交わす。仏頂面な要さんと堅苦しくなる俺を見て凪は一笑する。

 

「おいおい、要。だから初対面の人間に愛想のねえ挨拶するなっての」

 

「愛想も何も……これが俺の性分だ……」

 

「……そりゃそうなんだけどよ……。颯翔、要は朴念仁に見えるが根は優しいからな? 無愛想にされてるからって気にしなくていいからな」

 

「お、おう……」

 

 凪がここまで言うということは、要さんは感情を出すのが苦手などの類ではなくこういう性格の人間なのだろう。そう考えると妙に力んでいた自分も少し気が楽になる。

 

「君のことは……凪から聞いている……。もう一度……夢に向かうために……歩き始めたと……」

 

 内心ほっとしていると要さんは無表情で話しかけてくる。凪は昨日の通話の時に『前に話した』と言っており、すでに俺のことを要さんに話している様子だった。

 

「は、はい」

 

「その心意気を買って……俺も……出来る限りは……サポートをする。これからも……よろしく頼む……」

 

 そう言って要さんは握手のために手を差し出す。仏頂面ではあるものの言葉の節々や雰囲気からはどこか暖かさを感じる。

 

「ありがとうございます。改めて、こちらこそよろしくお願いします」

 

 要さんの言葉を噛み締めながら俺は握手を交わす。俺と同じくらいに大きい手だがしなやかで細い指はほんのり温もりを感じる。俺の言葉に要さんも頷いて同意を示す。

 

「さっ、ここでたむろしていても仕方ねえ。早く出発するぞ」

 

「あぁ……」

 

 会ってから時間が経過していたこともあり、凪は出発するように声を掛けてくる。要さんも同じように思っていたのか、返事と同時に病院がある方向へ歩き始めた。せっせと前を歩いていく凪と要さんを追いかけるように俺もついていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いたぜ。ここがミカミ診療所だ」

 

「ここが……」

 

 歩きはじめておよそ20分。目的の病院が目の前に見えてきた。その名の通り病院の規模としては大きくなくこじんまりとしている。

 

「規模は小さいが……相応の設備を……有している」

 

「……そうなんですね」

 

「俺は……裏から回る……。二人は……受付を済ませてくれ」

 

「おうさ」

 

 凪の返事に納得した様子の要さんはそそくさと関係者のみが入れる裏口に回っていった。要さんを見送ったのちに凪も俺を一瞥し中へ入るように促す。

 

「俺たちも行くぞ」

 

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 受付で名前を伝えるとすぐに話が進み、診察室の前へと案内される。待合室には診察待ちの人がそこそこに居たのだが、それを掻い潜って真っ先にやってもらえるとは思わず、若干の罪悪感すら覚える。

 

「先生にはお前の口で言うんだぞ? ここからはお前の気持ち次第だからな」

 

「分かってるさ。俺はこんなところでへばるつもりは無いんだ。あいつらに……負けてないと証明するために……」

 

「颯翔……」

 

 診察室から呼ばれるまでの間、凪から今一度忠告を受ける。俺自身もそれは理解しており自分の意思を嘘偽りなく伝えるつもりだ。かのんや千砂都が俺を置いて高みへ昇ろうとしている様を、指を咥えて見ているつもりはさらさらないのだ。

 

『湊月 颯翔さん〜?』

 

「呼ばれたな、行くか」

 

 診察室内から名前を呼ばれ、俺は立ち上がり部屋の中へと入っていく。

 

 中には深緑の髪を有したメガネを掛ける男性が座っており、この人が要さんのお父さんだろう。顔の作りや雰囲気はとても似ている。

 

「初めまして。私は未守(みかみ) (がく)。息子の要から君の話は聞いているよ」

 

「はじめまして、湊月 颯翔です。今回はよろしくお願いします」

 

「ふふっ、そんなに畏まらなくてもいいよ。もう少しリラックスしてくれればいい」

 

 初めての会合ということもあり、思わず肩に力が入ってしまっていたのだが萼さんはそれを瞬時に見抜いた。さすが、医者ということもあり観察眼は人一倍に長けているようだった。

 

「さて、早速だが君のことについていくつか聞かせてくれるかな?」

 

「は、はい」

 

 こうして萼先生による問診が始まり、俺は今回の経緯を話しはじめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほどね。事情は分かったよ」

 

「俺はとある人と本気で勝負するためにこの身体を治したいです。正直、昔からどこまで自分の身体に変化が起きてるのかまるで分かっていない状態ですが……先生の力をお貸しいただけないでしょうか?」

 

 千砂都との真剣勝負、それに向けてのスタート地点。そこに立てずに終わるのはどうしても避けたい。自分の気持ちに嘘偽りがないことを説明、俺は先生に懇願する。俺の様子を見て萼先生は微笑みを浮かべる。

 

「顔を上げてくれたまえ。君の怪我……そして、ずっと治らずにいた原因はすぐに解決するよ」

 

「……本当ですか!?」

 

 すぐに解決すると聞き、俺は前のめりになりながら先生に問いかける。だが、先生はそれを静止するとともにとある忠告を促す。

 

「あぁ。それと一つだけ覚えておいてほしいことだが、私はあくまで君が動けるようになるための補助をするだけに過ぎない。私たち医者は魔法使いじゃないからね。あくまでも最終的には君自身の手で怪我を治すんだ」

 

 医者として怪我や病気を治すための糸口は見つける。しかし、その後の薬を飲んだり適度な運動をしたり、という日常管理は己が自身で行わなければいけない。力を貸してくれという言葉から先生は俺が勘違いを起こしていると思い、そう注意を知らせてくれた。

 

「あっ、すみません。でも、解決策があるのならば、それに従うのみです」

 

「ふっ、良い心持ちだ。さて、君の身体について一つ確認したい。君が怪我を負った時はレントゲンを撮ったのみなのかな?」

 

「はい。腰を強打したので骨に異常があると踏んでレントゲンを撮ったのですが、何も異常がなくて……」

 

 怪我をした当時、すぐに病院へ搬送されたが骨に異常はなし。しかし身体を満足に動かすことができないとして安静にせよと通告を受けた。それからは大して治療という治療は受けずにここまで野放しにしてきた。

 

「それではMRIは使ってないのかな?」

 

「そうですね。あまり大きな病院ではなかったり当時は無理をしないように、とだけ通告を受けただけで他の手段については全く考えがなかったですね」

 

「……なるほど、原因はそこにあるな」

 

「えっ?」

 

 全てのピースがハマったと言わんばかりに先生は頷きながらそう呟く。どういう意味なのか困惑している俺に先生は説明を続けた。

 

「レントゲンでは骨の状態を見るのみであって神経の損傷までは見れない。もし骨に異常が見られなければMRIを用いて神経を見なければいけないのだが、当時の医者もそこまで考えが至らなかったのか……。それとも子どもの回復力を信じたのか……」

 

 当時の医者の不手際に萼先生は頭痛を抑えるように頭を抱える。確かにこうして萼先生の話を聞くと腰痛の悩みは骨が起因か神経が起因かで対応が分かれる。どちらか一方のみの診断を行えば自ずと原因は掴めるのだが、医者としての技量は三流だったようだ。

 

「だが、下手に運動を促そうとしなかっただけまだ二流と言えるかな」

 

「えっ?」

 

「こういった状況の中で原因を掴めぬまま安静にすれば治るからと言って運動を始めていたら間違いなく悪化していただろう。それこそ本当に一生運動ができない身体になっていたかもしれない」

 

 当時は運動は止めろと言われたために授業の体育や学校行事も体育祭を不参加だったりとひたすら安静にしていた。自分でももし悪化したら目も当てられないと考えていたが、そのやり方は間違っていないようだ。

 

「ただし、ずっと休めばいいというものでもない。適度に身体を動かさなければ神経は凝り固まりずっと治らないままになる。今の君はその状態ということだ」

 

「なるほど……。ダンスがやれなくなったから、そのショックで何も手がつかなかったのですが、それも逆効果ということですね」

 

「うむっ、とにかくまずはMRIを撮って様子を見よう」

 

 

 

 

 

 

 こうして取得したMRIは萼先生の言う通りだった。神経が圧迫された状態で固まっており、運動などで神経を動かさなかったから圧迫された状態のままずっと生活をしていたのだ。

 

 あまりにも呆気ない原因に俺は失笑するしかなかった。

 

「なんというか……あまりにも拍子抜けたというか……」

 

「そうなるのも無理はないね。だが、君の望みを叶えられそうで安心だよ」

 

 想定外の展開だったが、先生は気の持ちようだと気分を入れ替えさせてくれる。確かに過去のことを悔やんでいても仕方ない。今は治る見込みが見つかっただけでも良しと思うべきなのだ。

 

「これからは君に痛み止めの薬を処方しておく。適度な運動を行っている時に身体に痛みが生じるようなら、それを飲むんだ。それと暫くは君の身体のリハビリも必要になる」

 

 先生はそう言い切ると関係者用の入り口に向いてある人物の名を呼んだ。

 

「要、来なさい」

 

 萼先生の呼び出しに要さんは数秒の間を以って、姿を表す。病院のスタッフとして白衣を身に纏ったその姿は医者と言われても遜色がない似合いようだった。

 

「はい」

 

「これから湊月君の怪我が完治するまで、お前が彼のサポートをするんだ。医者として患者の状態をしっかりと観察することも大切な役目だ」

 

「わかった」

 

 先生からそう指示をされた要さんは表情を変えずに肯定の意を示しながら返事をする。

 

「要さんが俺に付いてくれるんですか?」

 

「あぁ、この子もいずれ医者として世に出る。未来の医者としてこれから訪ねてくるであろう我々を必要としている人たちの為に今は研鑽を積むべきだ」

 

 萼先生は医者の端くれである要さんの経験のために俺の専属医師として付き添わせるようだ。要さんは初顔合わせの時に力を貸すと言ってくれていたが、それがこの事だろうか。

 

「無論、彼も勉強は真面目にこなしているから知識は相応のものだ。きっと君の相談にも役立つよ」

 

「わかりました。萼先生、何から何までありがとうございます」

 

「気にしないでくれ。先ほども言ったが、我々は君たちの復帰の一助をするだけに過ぎない。ここからは君次第だ。わかるね?」

 

 萼先生の言葉に俺も兜の緒を締める。そう、ここまでのお膳立てを整えてもらったのだ。あとは俺の心次第で物語は動く。もちろん逃げるつもりなどさらさらない。

 

「はい」

 

「うん、いい返事だ。これからは要としっかりと計画を立てていくことだ。それではこれで君の診察を終わるよ」

 

「はい、本当にありがとうございました」

 

 萼先生にそう告げられ、俺は頭を深々と下げる。後ろでは俺に続く形で凪も頭を下げている。

 

「あぁ、お大事にね」

 

 こうして萼先生との初診察は終了した。

 

 そして、ダンス大会に向けてのリハビリ生活が幕を開けるのだった。

 

 






未来を守る人たち、それは大輪を咲かせる花のがくとなる。




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秘めたる思い


お待たせしました。

本編38話です。

それではどうぞ。




 

「恋さん、ちょっといいか?」

 

 初めての通院を終えた次の日、俺は学校で恋さんにあることを相談しようと登校後、すぐに声を掛けた。

 

「はい、どうかしましたか?」

 

「今度の夏にあるダンス大会、俺も申し込みをしたい」

 

「えっ……颯翔くんがダンス大会に出場するのですか……?」

 

 恋さんは冗談でも言われてるかのように困惑する表情を見せる。今まで運動ができない身体だと聞かされていたのに突然このようなことを言い出すのだから困惑するのも無理はない。

 

「あぁ。これは嘘じゃない。知り合いの医者に診てもらって夏までに身体を治せる見込みが出てきたんだ。その第一ステップとして東京ハイスクールダンス大会に参加する」

 

「ですが……」

 

 俺の説明を聞いても恋さんは納得する様子を見せない。大会まで3ヶ月の猶予はあれど、巷でレベルが高いと称されている大会に身体の事情で動けなかった俺が出場するというのだから信じて送り出すことができないようだ。

 

 恋さんがそう簡単に承諾するとは思ってはいなかったが、やはり一筋縄ではいかなそうだ。

 

「……恋さんの言わんとしてることも分かる。身体を治してすぐにやれることじゃないってことも、ハイレベルな大会に出場するってことも」

 

 俺はそう言いながら目を反らす。だが、すぐに据わった眼差しを恋さんへ向ける。

 

「だけどな、もう一度夢に手を伸ばせるチャンスが出てきたんだ。身体の不調を原因に伸ばせなかった俺のやりたい事が、掴めるかもしれないんだ。それを不意にしたくねぇ」

 

 俺は胸の前で握り拳を作りながら、恋さんに胸中を明かす。突然の怪我により忽然と消えてしまった夢への道。それが突然目の前で形成されようとしているのだ。その一歩を踏むタイミングを見誤りたくない。

 

「大丈夫、どうしてもきつそうであれば降りるつもりだ。そこは無理強いするつもりはない」

 

「…………」

 

「恋さん、頼むよ」

 

 そう言って俺は恋さんに頭を下げる。この大会に懸ける俺の想いはひとしきり話した。あとは恋さんがどのように感じ取ってくれたかを待つのみだ。

 

「……分かりました。それでは放課後に手続きを進めるので一緒に来てくださいね?」

 

 俺の懇願に恋さんは数刻も待たない内に返事を出してくれる。渋々承諾してくれたと思い、少し不安な感情が芽生える。

 

「恋さん……! いいのか?」

 

「いいもなにもそれが颯翔くんのやりたいことなのでしょう? ならば止める理由はありませんし、友人としてそれを応援するのみです」

 

 恋さんはそう言って笑顔を見せる。『友人』として語ってくれた言葉が凄く温かく、少しでも不安を抱いてしまった俺が馬鹿らしく思えてしまう。

 

 恋さんは、当人の想いを蔑ろにする行為は絶対にしない。むしろ少しでも高みへ登れるように手を差し伸べてくれるはずだ。友人として信頼していたはずの恋さんを少しでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。

 

「……ありがとう。恋さん」

 

「ただし、生半可な結果は出さないでくださいね? 颯翔くんの意志は尊重しますが、学校の尊厳もありますしやれるだけのことはやってください」

 

 恋さんはそう言って少しばかりの圧を掛けてくる。だが、本気で言ってる雰囲気は感じられないので彼女なりの冗談を言っているのだとすぐに理解する。

 

「わかってるさ。やるからには半端なもんは見せるつもりはねえよ」

 

「なら、楽しみにしてますね」

 

 冗談だと理解した俺は笑って答える。恋さんも自分の意図が伝わったようで笑顔を絶やさなかった。二人の時間を過ごしていると登校してきた燈香が教室へ入ってきた。

 

「颯翔くん、恋ちゃん、おはよう~!」

 

「おっ、燈香、おはよう。……恋さん、また放課後によろしくな」

 

「はい、わかりました」

 

 挨拶をしてくる燈香に返事をしつつ、彼女に聞こえない声量で恋さんへ声を掛ける。恋さんもすぐに内容を理解し二つ返事で了承してくれた。

 

「ん? 二人とも何かあったの?」

 

「いや、別に何もねえよ。それよりいつにも増して元気がいいけど何かあったのか?」

 

 あまり詮索されたくもないので、突拍子もなく話題をすり替える。燈香の持ち味でもある元気さについて話の重きを置いたら燈香も自分の話になったためかすぐに意識をそちらへ反らしてくれた。

 

「そんな大層なことじゃないけど、あの時二人と一緒に買ったペンダントを考えたらすごく嬉しくなっちゃって……」

 

「なんだかんだずっとその話をしてるよな」

 

 照れるような笑みを浮かべる燈香を見て、俺と恋さんも微笑みを見せる。この話は今日に限ったことではなく、ペンダントを買った翌日から二日連続でこの話を朝からしているのだ。

 

「だって私にとっては誰かとお揃いをできたことが初めてだったからうれしいんだもん」

 

「そうなのですか? 燈香さんは人当たりが良いですから友好関係は広いかと思っていましたが……」

 

 燈香の意外な事情を知り恋さんは驚きの様子を見せる。俺も声に出してはいなかったが彼女の交友関係には少し興味があった。

 

「私……そんなに友達は多くないよ? むしろいなかったと言った方が……」

 

「えっ?」

 

 いなかったと過去の自分を憐れむように話す燈香に俺と恋さんは訝しむ。燈香ほど一緒にいて元気をもらえる人物はそうそういない。むしろ、こんな善人を放る当時の同級生らが異常としか思えない。

 

 一瞬で空気が冷たくなるのを察知した燈香はすぐに笑顔を作って話題を変えようとする。

 

「って、私の事はいいよ! それより二人とも今日って一緒に帰れないかな? 部活がお休みだからせっかくだし一緒にお出かけしたいなって思って……!」

 

「あぁ~……悪い、放課後は野暮用があるんだ」

 

「私もやることがあるので一緒に帰れないです……。すみません……」

 

 燈香の誘いに応えてあげたい気持ちでいっぱいなのだが、先ほど恋さんと用事を作ってしまった手前なので断りを入れることしかできない。

 

「そっか……、でも用事があるのはしょうがないよね! 大丈夫、また次で一緒に帰ろ?」

 

「あぁ、その時はまた声を掛けるさ」

 

 俺たちの都合が悪いことを残念がる燈香だが、引きずっていても仕方ないとすぐに気持ちを切り替える。今日は恋さんとの約束、それと要さんとのリハビリ生活が始まるからこれから先で時間を作ってあげる機会が減ってしまう。それでも、それ以外で燈香とも一緒にいれる時間を作らなければ、と密かに心に決めた俺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは礼。ありがとうございました』

 

 その日の授業が終わり、担任の号令で教室内にいた生徒が各々自由行動に移る。

 

「じゃあ颯翔くん、恋ちゃん。また明日ね!」

 

「おう、お疲れ~」

 

「お疲れ様でした、燈香さん」

 

 身支度を済ませ教室を後にしようとする燈香へ手を振って見送る俺と恋さん。彼女の姿が見えなくなると俺も立ち上がり教室を後にする素振りを見せる。

 

「じゃあ恋さん、俺たちも行くか」

 

「はい、それでは行きましょう」

 

 恋さんも俺と同じタイミングで立ち上がっていたようで顔を合わせると自分も行けると合図を見せ、二人で教室から移動するのだった。

 

 俺たちが移動した先は生徒会室。この学校ではまだ生徒会が発足しているわけではないが神宮音楽学校の時の名残として生徒会室と銘打った教室はそのまま残っているのだ。そして、恋さんはそこを仕事の活動拠点としている。

 

「わざわざ時間を取らせて悪いな、恋さん」

 

「気にしないでください。嵐さんの申請の時にも協力していますし、二人で進めた方が早いと思ったので大丈夫です」

 

 恋さんがこの後学校の仕事をやるのか、家に帰ってまったりとするのかは知らないがそれでも俺のために時間を取らせたことに詫びに言葉を入れる。恋さんは首を横に振って気にしていない様子を見せ、千砂都の時の経験もあると頼もしい発言を残してくれた。

 

「こちらが申請の用紙となります。氏名や学校名、その他必要事項について書いてください」

 

「おう、わかった」

 

 恋さんが用意してくれた申請書を確認し、持参していたボールペンを持って内容を埋めていく。二人だけの生徒会室、俺のペンの音だけが響く中、恋さんは言葉を発さずに生徒会室に陳列していたファイルを持参する。自分だけが手持無沙汰になってしまうことが気になってしまうのか少しでも気がまぎれるようにしているのだろうか。

 

「……颯翔くん」

 

 そんなことを考えていると恋さんが突然口を開いて俺に質問してきた。彼女の呼びかけに筆を進めながら返事をする。

 

「んー?」

 

「……颯翔くんがダンス大会に出場しようとするのは嵐さんや澁谷さんが関係しているのですか?」

 

 恋さんの口から千砂都とかのんの名前で出てきて俺は思わずペンを止める。しかし、彼女の顔を見ることができず用紙を凝視したまま固まっていた。

 

「……どうしてそう思う?」

 

「以前の颯翔くんならば、自分の好きなダンスであっても自分の身体面を優先して出場することを断っていたはずです。それが嵐さんの参加が分かってから、すぐに状況が一変した。あの人が颯翔くんに何らかの影響を及ぼしていることはわかります」

 

 自分に目が向かないことを察した恋さんは気にすることなく、そう考えるに至った要因を話し始める。確かに恋さんからしてみれば、俺が今回のような強行手段を取ることが未だに不思議で、まだ違和感を拭えていないだろう。普段は理知的に行動していた───と自分で考えている───俺が突然利己的になってしまったのだ。先ほどは了承をしたとは言え、やはり明確に理由を知りたい様子だ。

 

「それに、この前スクールアイドルとして立っていた澁谷さんも貴方達のお知り合いなのでしょう? それにも()てられて今に至っているのではないかと……」

 

 入学初日のかのんとのやり取り、千砂都との関係性、それらを鑑みて恋さんは自分の中で憶測を立てて俺に話してくれる。正直、ここまで当てられるとは思わず俺もつい息がこぼれる。

 

「ほんと……恋さんって人の事をよく見てるよな」

 

「少なくとも今の颯翔くんのことはほかの誰よりも見ている自信はありますよ?」

 

「それ、男が聞いたら惚れるやつだぞ?」

 

「颯翔くんにしか話していませんので問題ございません」

 

「俺が惚れるっていう選択肢は?」

 

「それこそないですね」

 

「はっ、即答かよ」

 

 突然の告白に照れ隠しの意も込めていつもの茶々入れを試みたが恋さんも俺の相手に慣れてきたからか同じように冗談を交えて返す。堅物だと思っていた恋さんがここまで適応していることに内心驚く。

 

「実際、その通りだよ。俺はあいつらに感化されてこの大会に参加を決めた。あいつらに……負けたくないってな」

 

「どうしてそのように思うのですか?」

 

 恋さんの質問に、俺はペンを机に置いて身体を伸ばしながら説明を入れる。

 

「……あいつらが、俺の知らない間に遠くまで行ってるように思えて自分が不甲斐なく見えたんだ」

 

「…………」

 

「俺はあいつらと幼馴染で、小さいころはいつも一緒だった。俺の前をかのんが走り、千砂都は俺とかのんの後ろをついてくる、そんな関係性だった」

 

 淡々とかのんたちとの関係について恋さんに話し始める。思えば他人にこうして過去の事を話すのは初めてかもしれない。

 

「かのんは子供のころの出来事が原因で未だに治っていないあがり症。そして、千砂都は人見知りでいつも俺たちの陰に隠れてた。あいつらの今を見ると到底この話が嘘に思えるだろ?」

 

「確かに、今の澁谷さんや嵐さんからは想像がつきませんね」

 

 俺の話を聞いて、恋さんはその通りと相槌を打つ。

 

「そのギャップが俺にとって大きなショックだったんだ」

 

「ショック……?」

 

「俺はあいつらと一緒に遊んでた時にある事故で怪我を負って、今も悩まされてる腰痛を抱えることになった。幼いころからダンスが好きだった俺はそれができなくなって途方に暮れていたんだ。これから先、何を目標に頑張っていけばいいんだろってな……」

 

 俺はそう言って天井を仰ぐ。千砂都と一緒にいるときに負った怪我や叩きつけられたような痛みが今になっても思い出される。

 

「自分の将来を憂いながらこの学校に来て、あいつらの変わった姿を見たときにびっくりした。かのんたちとは中学の頃は転校で離ればなれになっていたんだが、小学生の時に見てきたあいつらとはまるで違った」

 

 今でもあいつらとこの学校で初めて会った時の衝撃を覚えている。他者を想うかのんの正義感は相変わらずだが、それに加えて千砂都が明るい性格になっていることも未だに慣れない自分がいる。

 

「その時に思ったんだ。あいつらは時の流れとともに心身共に大きく成長している。それに比べて俺は、あの時から何一つ変わっていなかったって……」

 

「…………」

 

「知らぬ間に自分と違う土俵に立っていることが俺にとって何よりショックで、何も変わっていない自分に途轍もなく腹が立ったんだ」

 

 怪我を負って自由に行動できなくなった俺に「何も変わっていないなんてことはない」と言って励ます人間は少なくないだろう。それこそ今は俺の話を真剣に聞いている恋さんやこの場にいない燈香はそう言って同情してくれると思う。だが、隣の芝生が青く見えることと同じように大きな変化を見せているあいつらの姿がとても眩しく、とても直視することができなかった。

 

「でも、そんな昔の俺とおさらばしたい。いつまでも自分の不幸を憐れんでいては本当の幸せは訪れない。この悔しい気持ちをバネにして挑戦していきたいんだ」

 

 俺は机の上で両手を握り、恋さんをまっすぐに見つめながら胸中を語る。恋さんは笑顔も悲しい表情も見せずただ無言でこちらを見返していた。

 

「……長く話して悪かった。とにかく、俺は動かずにいる俺のままでいたくない。俺なりにやれることを見つけていきたい、その一心でこの大会に参加を決めたんだ」

 

 こうして長い自分語りは終わった。

 

 俺が話している最中、一切の言葉を発さなかった恋さん。それは俺の話を真剣に聞いているからか、聞くことに飽きて他所事を考えていたからなのかはわからない。だが、学校の仕事を挟みながら聞いている様子はなかったので前者だったと予想する。

 

 彼女の反応を待っていると徐に恋さんは口を開いた。

 

「颯翔くんの想いはわかりました。この大会に懸ける想いも澁谷さん達との関係性についても」

 

「恋さん……」

 

「これを聞いた上で私は凄く安心しました」

 

「はっ?」

 

 安心するという、先ほどの話と毛色の違う感想をぶつけられ思わず変な声が出てしまう。だが、同じようにそれを恋さんも自覚しているようですぐに補足を入れてくれる。

 

「颯翔くんのことをけなしているわけではありません。颯翔くんの口からそのような弱音が聞けたことで、貴方の事をより深く知ることができました」

 

「……確かにこうして昔のことを話したことはなかったもんな」

 

 これまでもお互いの過去について詮索しようとしなかった。相手の逆鱗に触れる恐れがあったし、この居心地の良さを壊したくなかったからだ。

 

「はい。それにこうして貴方の想いを知り、私は友人として私にできる精一杯の応援を貴方へかけてあげたい気持ちでいっぱいです」

 

「恋さん……」

 

「自分の信念に、忠実に生きる。今の颯翔くんはすごくかっこいいです」

 

 すごくかっこいい。唐突にそう褒められ俺は少しばかり顔が熱くなるのを感じる。恋さんがそのようにストレートに自分の想いを告白することは今までなかったのに、突然の言動にドキドキが止まらない。

 

「……なんか、すっげえ恥ずかしいけど……あ、ありがとう」

 

「ふふっ、久しぶりに颯翔くんが照れる姿を見られて嬉しいです」

 

「あ、あんたなぁ~!?」

 

 すぐにおちょくる様子を見せ、声を上げて恋さんへ必死にかみつく。だが、まったく気に留めない恋さんの様子に末恐ろしさを覚えてしまう。

 

「それはさておいても、私にできることがあれば遠慮なく言ってください。力になれるならばなんでもいたします」

 

「……あぁ。その時は頼りにさせてもらうよ」

 

 そう言って俺は笑みをこぼす。恋さんも先ほどまでの真剣な面持ちが嘘のように砕けた笑いを見せてくれる。

 

「さっ、長話をしてしまいました。早く申請書を書き進めていきましょう」

 

「おうよ、早速リハビリに遅れるなんてことしたくねえからな」

 

 恋さんに促され俺は止まっていた用紙への記入を進める。

 

 彼女に話してよかった。そう思いながら俺は嬉々としてペンを走らせるのだった。

 

 






周囲の変化、それは自分の変化のトリガー




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夢を見ることは


お待たせしました。

本編39話です。

それではどうぞ!




 

 

「恋さん、待たせて悪い。書き終えたから確認してくれ」

 

 俺の過去について粛々と語りながらもなんとか東京ハイスクールダンス大会の申請書を書き終え、恋さんに書類を引き渡す。

 

 恋さんも書類の中身に一通り目を通し、記載漏れや誤記がないかを確認する。

 

「……はい、問題ございません。こちらは私の方で大会運営へ届けておきますから、先に帰って頂いてかまいませんよ」

 

「いいのか? 俺の事情なのに……」

 

「言ったでしょう? 私にできることはなんでも力を貸すと。その代わりにしっかりと身体の快復に努めてくださいね?」

 

 俺が出場すると志願したことなのに恋さん頼りにしてしまうことに引け目を感じていると恋さんは笑顔で気に留めない様子を見せる。その上で身体の安静をするように釘を刺されてしまっては何も言い返せない。

 

「あぁ、これから先生の所へ行ってくるから着実に調子を取り戻していくさ。じゃあ、お先にな」

 

「はい、お疲れ様でした。また明日」

 

 恋さんに別れの挨拶をして、彼女もまた手を振って俺の姿を見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結高を出て数十分、俺は要さんとの待ち合わせ場所として指定された代々木公園の一角に来ていた。軽装で来るようにと連絡をもらっていたので制服の下にダンス練習などで使える運動着を着用しているが、何をやるのかは本人からは何も聞かされていない。

 

 代々木公園に来て要さんを探しているとすぐにそれに近しい人の姿が見つかった。春真っ只中ということもあり、水色のTシャツに運動用の短パンと傍から見ればスポーツマンと言われても遜色ない姿で立っていた。

 

「要さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」

 

「あぁ。これから……よろしく頼む」

 

 要さんに一礼すると彼も軽い会釈で返してくれる。早速リハビリを始めるわけなのだが、どうしてこの場所に練習着で来ることにしたのか真意がわからず、まずはそちらの確認から行うことにした。

 

「要さん、最初に聞きたいんですが……どうして練習着で? リハビリは病院でやるものではないんですか?」

 

「うちの病院は……そこまで大きくない。スペースも限られているから……おいそれと使用は……できない。それに君は……病院の施設を……利用する必要はない」

 

「利用する必要がない……?」

 

「君の治療は……病院でやる必要性が……ない。身体をしっかりと……動かすことが……君には最適だ……」

 

 淡々とした口調で要さんは説明を入れてくれる。病院の施設は骨折をした人など看護師らの協力が必要な上で治療を行う人に向けて用意をしているようで、俺のような自分で快復に努めることができる人物は病院にかかりつけになる必要はないとのことだ。

 

「なるほど……。では、ここでやるのも柔軟やストレッチを主としている、ということでいいんですか?」

 

「そういう……ことだ」

 

 要さんの説明に俺も納得がいく。これから病院にかかりきりになると思っていたので、少しばかり堅苦しい生活が続くと身構えていた。その必要もないことを知り俺は内心安堵する。

 

「では……早速始めていこう……」

 

 こうして、俺と要さんによる二人三脚のトレーニングが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストレッチをやるというのは普通の高校生らからすれば造作もないこと。むしろ身体への刺激が足りず物足りなささえ覚えるだろう。運動を始める前の準備としてやっておいて損はないことだが、それでも、もっと面白いことをしたい、早く運動をしたいと無意識のうちに願ってしまうものだ。

 

 しかし、今の俺にはこの準備運動でさえもしんどく感じる。身体を動かした際に腰のあたりから発生する神経痛。当然、今まではこの傷を放置していたも同然だから痛みに意識が行ってしまい、集中できなくなるのも無理はない。だが、痛みと戦いながら身体を慣らすということが予想よりもしんどいという事実に愕然としており俺はこれからの練習に一抹の不安を覚えていた。これでダンスをやらなければいけないのか、この状態で千砂都と戦わなければいけないのかと。

 

「はぁ……」

 

 柔軟の最中、俺はベンチに腰を下ろしてはらしくないため息をついていた。自分でやると決めた以上、半端な姿を見せるつもりはないと腹を括っていた。しかし、今の自分の立ち位置があまりにも低いことを自覚してしまい、軽く眩暈を起こしてしまうほどだった。

 

「……大丈夫か」

 

 ベンチで項垂れる俺に要さんは自動販売機で買った水を差し出してくれる。要さんからの好意を受け取ると彼もまた自分が飲むためのペットボトルの蓋を開けて、口の中を潤し始めた。

 

「正直、想像していたよりもしんどいなって思って。今までサボっていたツケが回ってきたから、いつしかここまで軟弱になってしまった自分が情けなく感じまして……」

 

「……今まで、身体を労わることを……優先してたんだ。最初は……こうなるのも……無理はない」

 

「それは……そうなんですが……」

 

 要さんはまだ始めたてだから、として気にすることはないと励ましてくれる。要さんなりの優しい言葉に頭が上がらないが、それでもすんなりその言葉を受け取れない自分もいる。

 

 彼は教育等の中でも様々な人を見てきたから、こういった言葉をかけてくれるのだろうが俺としては初の出来事だ。地道に付き合わなければいけないのも分かるが、この痛みに耐えながらダンスを覚え、ハイレベルな大会に出場するというのは至難の業だ。自分の考えの甘さが出てしまったと後悔さえ覚えてしまう。

 

「あれ? 颯翔くん?」

 

 要さんとの間で暫し沈黙が続いていると、俺を見つけ声を掛ける人物が現れた。それは用事があるとして放課後の誘いを断ってしまった少女。

 

「燈香? こんな所でどうしたんだ?」

 

「あれから一人で原宿の街に繰り出してたんだ。でも、やっぱりどこか寂しくなっちゃって……少し気分転換をしようと思ってこの公園に来たの」

 

 放課後の部活が休みということでせっかくのオフを俺や恋さんと楽しみたかった燈香。誘いを断られたもののそのまま一人でお出かけに明け暮れていたようだ。

 

「颯翔くんはどうしてここに? それにお隣の方は……?」

 

 燈香は俺の質問に答えると次は自分の番、とここにいる理由について問いかけてきた。

 

「あぁ、この人は未守 要さん。専属で見てくれることになった……謂わば未来のお医者様ってところだ」

 

「未来の……お医者様……?」

 

 専属で見る医者ということで、状況が理解できていない燈香。そんな彼女を横目に要さんは彼女の紹介を俺に促す。

 

「颯翔くん……。彼女は?」

 

「紹介します。この子は日向 燈香。同じ学校のクラスメイトで、俺の数少ない友人です」

 

「ひ、日向 燈香です! よろしくお願いします!」

 

「……未守 要だ。……よろしく」

 

 俺からの紹介を受け、燈香は端的に自己紹介を済ませる。要さんも彼女の一礼に合わせて言葉少なに返事をする。

 

「颯翔くん、未来のお医者さんってどういうこと? それに……専属って……」

 

「まぁ、そこから説明が必要だよな……」

 

 致し方なしと思い、俺は要さんと練習することになった背景を燈香は説明する。

 

 

 

 

 

 

 

「……そっか。そういうことだったんだね」

 

 俺は燈香に今回の経緯を話した。事の発端となった俺の怪我のこと、そして今夏にあるダンス大会に出場すること、その為に要さんと二人三脚のリハビリを行うこと。

 

 俺が話している中、燈香はうんうんと頷くのみで言葉を挟むことはなかった。元々、身体が悪いことは把握してくれているが、大会のことについては燈香自身も思うところがあったのかただ聴いててくれた。

 

「……俺は自分の夢にもう一度手を伸ばすチャンスを見つけられた。もう夢を見るだけで終わりたくないんだ。夢は……掴み取る為に見るものだから」

 

「颯翔くん……」

 

 手に力を込めながら語る俺に燈香はどこか寂しげな表情で見つめてくる。だが、そんな燈香を置いて、俺はふと手の力を抜く。

 

「……なんてキザなことを言ってるけど、さっきまで落ち込んでたんだ。身体の中を刺す痛みに耐えながら快復に努めて……あまつさえ本番までにダンスを仕上げなくちゃいけない。それがこの3ヶ月でやり切れるのかを改めて考えて足が動かなくなっちまってたんだ」

 

 俺はそう言って自虐的に笑みをこぼす。凪や要さん、恋さんに熱意を見せたはいいものの、予想以上の過酷さが待ち受けていることにショックを受け、あまりにも先を見据えられていない自分の不甲斐なさが情けなく思えたのだ。

 

「……それでも、夢に向かって歩こうと決めた颯翔くんはかっこいいと思うな」

 

「燈香?」

 

 励ましの言葉を送ってくれる燈香の顔は慈愛の目をしていた。

 

「だって、せっかく追いかけてた夢を断念しなくちゃいけなくなるなんて、私じゃ立ち直ることはできないよ。これから起こるであろう不安なことを先に考えちゃって足が竦んじゃうと思うから……」

 

「…………」

 

「でも、颯翔くんはそんな不安を抱く前に自分のやりたいって気持ちを信じたんだもん。それって未来を掴む為に一番大事なことだと思うんだ。とにもかくにも、まずは()()()()()()()()()だって」

 

「不安を抱く前に……まずは一歩を……」

 

 燈香の言葉を自分の胸に落とし込む。新しいことを始める上で高低差に関わらず壁が立ちはだかるのは必然だ。先にそびえ立つ障害に畏怖し何らかの対策を講じるか、そもそもその道を歩くことをやめようとする人もいるだろう。

 

 しかし、そんな中で自分の信念を貫いて行動している俺の姿を燈香は純粋に尊重してくれたのだ。それは向こう見ずで行動していた自分を励ますのに十分すぎる言葉だった。

 

「もちろん、颯翔くんはこれから先もいろんな辛いことや心が折れそうなことに見舞われると思う。そんな時は私も力になるから! ん-ん、私だけじゃない。恋ちゃんも颯翔くんが少しでも颯翔くんの理想とする道へ歩くために協力するから、その時は私たちにも頼ってほしいな」

 

「燈香……」

 

「だって……私たち、友達なんだもん」

 

 燈香は祈るように手を合わせながら俺に語りかける。夢を追いかけることを一人で背負うことはない。困った時は友達である自分たちも頼ればいい。彼女の言葉は重りとなっていた心の枷を容易に外してくれた。瞳孔を強めに開いて彼女を凝視していたが、それも笑顔を見せると同時に力が抜けていった。

 

「そうだな……。俺は独りで挑むわけじゃねえ。要さんや恋さん、それに燈香もいてくれてるんだもんな。みんながいてくれれば何も怖いことはねぇ」

 

 そう言って俺は不意にベンチから立ち上がる。そして、燈香へ感謝の想いを伝える。

 

「ありがとう、燈香。俺、もっと頑張る。それで必ず大会で結果を残してやる」

 

「……! うん! 応援してるよ、颯翔くん!」

 

 迷いが吹っ切れた様子の俺を見て、燈香も笑顔が出てくる。二人で笑い合っている中、要さんは無言で俺たちを見つめるのみだった。

 

「……大丈夫そうだな。次は……ジョギングだ。急ぐことはない。颯翔くんのペースで……走ればいい」

 

「わかりました。俺はもう大丈夫です」

 

 次の練習メニューに有無を言わずに了承すると要さんもコクリと頷く。そして、飲み終わった自分のと一緒に俺のペットボトルも持ってくれた。

 

「俺は……ペットボトルを処分してから……合流する。先に……走っててくれ」

 

「はい、ではお先に行ってます」

 

 要さんの気遣いに感謝し、俺は早速走り始めようと公園内へ駆けようとした。

 

「颯翔くん! 練習、頑張ってね~!」

 

「……あぁ!」

 

 燈香も激励の言葉を受け、俺は手を上げて彼女に返事をする。

 

 気持ちの不安定さから幸先の悪いスタートを切ってしまったが、燈香のお陰でこの後に臨んだジョギングは最高に気持ち良く、走っている中で感じる風は俺の心に清々しさを宿してくれるのだった。

 

 







貴方が夢を追うなら、私はそれを見守る。





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凪と要


お待たせしました。

本編40話です。

それではどうぞ!




 

 リハビリ生活を始めて1週間。最初は不穏な空気が漂った中でのスタートだったが、公園内で偶然鉢合わせた燈香のおかげで多少のしんどさが出てきても不屈の心を持って練習に臨むことができた。

 

「身体の調子は……どうだ?」

 

「特に異常ないですよ。非常に良好に動けてるので、これくらいなら問題ないです」

 

 ジョギング前のストレッチをしながら要さんは俺の体調を尋ねる。多少痛みは生じれども運動に支障をきたすほどのものではないため軽めのジャンプをして万全である様子を見せる。

 

「そうか……。なら、よかった」

 

 軽快に動く俺を見て要さんはそう呟く。いつものようにぶっきらぼうだけれどもどこか安心しているような雰囲気を感じる。

 

「ここまで動けているのは……颯翔が努力している証拠だ。この調子で……続けていこう」

 

「……は、はい!」

 

 要さんにしては珍しく口数が多いので一瞬驚いてしまったが、すぐに切り替えて大きく返事をする。俺の返事に満足した要さんはそのままジョギングの準備に入る。

 

「では、このまま公園内を30分走る。君のペースで……自由に走って構わない」

 

「はい、わかりました」

 

 要さんの助言に胸が撫でおろされる感覚を覚えつつ、彼の背中を追いかけるように俺も走り出す。

 

(こんなに気にかけてくれるなんて珍しいけど……気のせいかな……?)

 

 普段はその朴念仁な性格から多くは語ろうとしないことを理解していたし、練習メニューと一言声を掛けてくれる程度の会話だったのだが、今日は妙に俺の様子を窺っている。萼先生が要さんに何か言ったのだろうか? 

 

 そんなことを頭の片隅で考えながらジョギングを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ジョギング中も要さんの様子はどこかおかしかった。

 

 おかしいと言ってもどこか怪我をしていたり体調が悪そうな素振りをしているわけではない。ただ、妙に俺の事を気にかけているように感じる。普段ならジョギングの距離感も3歩先ほどを常にキープして走っている要さんだが、今日の練習は明らかに違った。

 

 俺のペースが遅ければ分かりやすく速度を緩めて俺との距離を縮めようとしたり、ジョギング中は声を掛けることなどそうそうなかったのだが、今日はやけに話しかけてくる頻度が高い。

 

 ぶっきらぼうな要さんからは想像がつかないほどに過保護になっているようなイメージがある。気にかけてくれることは嬉しいが、そこまでこちらへ詰め寄られると俺も戸惑う上に、走りに集中できなくなってしまう。

 

 走りが終わった後も俺はベンチで腰を下ろすのだが、始めたての頃と同じように飲み物を奢ってくれるなど俺に対しての扱い方が変化しているのだ。ここまで扱い方に違いがあると俺の練習の仕方に問題があるのではないかと勘繰ってしまう。

 

「要さん、どうしたんですか?」

 

「ん? ……なんのことだ」

 

 さすがに俺もこのままされるがままの状態になるのは非常に居心地が悪いので、思い切って聞いてみることにした。

 

「今日の要さん、どこか変ですよ。やけに俺の事を過保護にしてるというか……いつもの要さんらしくないです。何かあったんですか?」

 

 俺の問いかけに要さんは少しはっとしたような表情を見せる。本人としても意識していたところはあったのだろう。

 

「……やはり、おかしいか」

 

「気にかけてくれるのはありがたいですけど、いつもと違いすぎて逆に集中できなくなっちゃうというか……」

 

 俺は世話をしてもらっている身。専属サポーターである要さんにわがままを押し付けるつもりは毛頭ない。だが、こんな要さんは違和感しか覚えない。普段とはかけ離れている現状に不安さえ感じてしまう。

 

「そうか……」

 

「せっかくですし、話してみてもいいんじゃないですか? 俺でよければ聞きますし」

 

「……あまり格好が良いものではないが……」

 

「別にいいですよ。むしろ話してもらった方が俺もスッキリしますし」

 

 要さんは俺の横に座って、自分用にと買っていたペットボトルを口に付ける。ひとしきり飲んだ後、要さんは意を決したように口を開いた。

 

「君の……友人についてだ」

 

「友人……燈香のことですか?」

 

 俺の問いに要さんは首を縦に振る。要さんが俺の友人として話題に出すとなると直接顔を合わせている彼女しかいない。

 

「颯翔が……初めての練習を行った時、自分の中にある……不安な感情を……吐露してくれた……。颯翔の相談相手として……さっそく力になれるかもしれないと……思った」

 

 要さんが話している内容、それは最初の練習で俺がこれから先の未来に不安を抱いていた時のことだ。自分の中の理想と現実がかみ合っていないことにショックを受けたため今でも鮮明に覚えている。

 

「だが、俺の言葉で……颯翔の気持ちが変わることはなかった。むしろ、不安な気持ちを助長させてしまっていたように思える……」

 

「それは……」

 

 俺は要さんの自責にフォローの言葉を返すことができなかった。彼の言う通り、当時の俺は自分の立ち位置を分析する力もなかったし先行きが見えないことを危惧していた。

 

「でも、彼女が来て……君は大きく表情を変えた……。落胆している君の眼が……一気に輝きを取り戻した」

 

「………………」

 

「俺ができなかったことを……彼女は簡単にやってのけた。まだ……己の力不足を否めないと……痛感したんだ」

 

 確かに燈香のエールを貰って、もう一度やってみようと思えるようになった。彼女は友人として俺がどんな思いで今までを生き、これからを生きようとしているのか理解している。だからこそ、燈香の言葉はより深く心に刺さり頑張ろうと思えたのだろう。

 

「一人の患者も……救えないようなら……医者としては……半人前だからな……」

 

「それで妙に気にかけてくれるようになったんですね」

 

 俺が納得した様子を見せると要さんも静かに頷く。要さんもこうして専属で患者を見ることは初めてのようで彼自身も上手く付き合うために試行錯誤していたようだ。

 

「無理はしなくていいんですよ」

 

「…………」

 

「要さんは隣で寄り添ってくれるというよりは前に立って引っ張ってくれるような安心感があるんです。だから、心配してくれるのは嬉しいですが今までと同じように応援してもらえると俺も勇気を貰えます」

 

「前に……立って……」

 

 要さんは無愛想に見えるけれども、一瞬だけ見せる優しい言葉や仕草によって活力を与えてくれる存在だと思う。要さんの性格上、これ以外では彼の適性に合わずせっかく人の為として行動しても水泡に帰してしまうだろう。

 

 要さんの返事を待っていると、ゆっくりと口を開いた。

 

「……分かった。颯翔がそう言ってくれるなら……もう少し、俺なりにやってみようと思う」

 

「はい、要さんならきっと大丈夫です」

 

 要さんが吹っ切れたようでほっと一息つく。それと同時にあることにも疑問を浮かべた。

 

「そういえば、要さんって凪とどうやって知り合ったんですか?」

 

「……俺と凪の……?」

 

 そう言って要さんは疑問符を浮かべる。

 

「はい、凪の人となりが良いことは知ってますけど、珍しい組み合わせだなって思って……」

 

「そうだな……。せっかくだ、話すとしよう」

 

 俺の疑問に要さんはすぐに納得した様子を見せ、凪との出会いについて話してくれることになった。

 

「あいつと初めて知り合ったのは……4年前のことだ」

 

 4年前というと俺は小学6年生、凪が中学2年生の時だ。当時から凪はネットの世界にハマっており、PCゲームや動画サイトをよく漁っていた気がする。

 

「中学の頃から……俺は医師を志して……勉強していた。困っている人の……支えとなる父の姿は……とても眩しくて、俺の憧れだった」

 

「要さんは凪と同い年でしたよね? だから要さんも……」

 

 俺の確認に要さんは頷いて肯定の意を示す。

 

「だが、勉強に明け暮れる毎日の中で……ふと、クラスメイト達の姿が……気になってしまった。俺が勉強している間に……彼らは……どんなことをしているのだろうと」

 

「塾に通ったりはしていなかったんですか?」

 

「あぁ。父の教えもあって……必要な教材は自分で用意していた。だから、学校が終われば……すぐに帰宅していた」

 

 要さんの話を聞くに彼の家は自分の意思で行動することを重んじる家系のようだ。医師として豊富な知識を得るための勉強も萼先生に教わるなどして勉学に励んでいたようだ。

 

「でも、周囲の人間が言う……遊びに行く……それがどういうものなのか知らなかった。少しばかりの興味も抱いたが……この性格だ。友人と呼べる人物はいなかった」

 

 確かに要さんは無愛想に接するというのもあって初めてで親睦を深めようと画策する人は少ないだろう。ましてやクラスメイトなど顔は知ってるけど喋ったことがない顔見知りと呼ばれる人物ならなおさら興味を抱こうとしないと思う。

 

「受験までの辛抱でも……一時的に勉強への疲れを感じてしまった時……俺は何をすればいいのかわからなかった。ずっと一人でいたからな」

 

「要さん……」

 

「ふとスマートフォンでSNSを使っていた時……凪と思わしきアカウントを見つけた。その時、あいつは配信用アプリで……雑談をしていたんだ」

 

 凪は当時からネットに精通していたこともあり、配信活動もこじんまりとやっていた。あいつの行動力の高さには頭も上がらない。

 

「その雑談では……凪は話し相手を募集していたから……俺は突如として……凪の雑談に上がってしまった」

 

「えっ、初見の人といきなり喋ったんですか!?」

 

 あまりにも道場破りな行動に驚きを隠せない。要さんもそれを自覚しているのか少し恥ずかしそうに目を逸らす。

 

「あの時は……精神的にも気が当てられていたと思う。おまけに、この話し方だ……。聞いていた人も困惑していただろう」

 

「そう……ですよね……」

 

「だが、凪は俺を追い返そうとしなかった。それどころか……俺のことを知ろうと……たくさん質問してくれた……」

 

 そう言って要さんは居心地の良さそうに声色が変わる。

 

 要さんも言っている通り凪はこういう性格だ。元々が人懐っこい性格であるしその時にできた縁を何よりも大事にする節がある。

 

「あの時、俺は初めて……人から興味を抱かれた。そして俺自身も……仲良くなりたいと……真に思える人物に出会えた」

 

「凪は……話すことが好きですからね」

 

「あぁ。それからは個別で通話アプリのアカウントを交換して……俺が抱えてる悩みについても……吐露するにまで至った」

 

 要さんが告白した悩み、凪がそれに対して何と返したのか想像するのは難くない。

 

「あいつは……勉強がしんどいなら腹を括って離れればいい。そして、俺が遊び方を教えてやると……言ってくれた」

 

「やっぱり……」

 

「このような悩みは……同情されるのが関の山だと思っていた。だが凪は……俺の手を引っ張って……新しい世界へ連れて行ってくれた」

 

 凪の人当たりの良い性格は本当に羨ましい。凪のあの性格のおかげで俺も救われたし、こうして同じように救われている人間もいる。あいつがいなかった時が今となっては考えられない。

 

「だが、今になってわかる。凪は正義感だけで……俺に手を差し伸べたわけではなく……君がいたから……助けてくれたのだと思う」

 

「俺がいたから……?」

 

「道半ばで……夢を諦めざるを得なくなった……颯翔のような存在を……二度と見たくないから……手を出してくれたのだろう」

 

 要さんの説明に納得がいくように数回頷く。当時の要さんも一歩間違えれば医者への道が閉ざされて、路頭を迷うことになっていたかもしれない。

 

「確かに……言われてみるとそうかもしれないですね」

 

「真相は……本人にしか……わからない。だが、俺は凪から受けた恩を……全力を持って君に返す。もう一度……夢を追いかけられるように」

 

 要さんはこちらを見つめてそう語りかける。はっきりとした物言いで語る彼の目は芯の強さが窺えた。

 

「要さん……ありがとうございます。俺もやれるだけのことをやってみます」

 

 要さんの発言に頼もしさを覚え、改めて大船に乗ったつもりで彼についていこうと決意する。

 

「……話しすぎたな。そろそろ……続きを始めよう」

 

「はい!」

 

 ベンチから立ち上がる要さんに続いて俺も練習再開の意を示す。

 

 要さんと凪、二人の関係性を改めて再認識でき、凪の人当たりの良さと要さんの信念の強さがより身に染みるのだった。

 

 






受けた恩は返す。友人の弟ならば、なおのこと。




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次のステップ


お待たせしました。

本編41話です。

それではどうぞ!




 

 

 要さんとのリハビリ生活を始めて、かれこれ1ヶ月が経った。

 

 俺は身体を動かすたびに上がる悲鳴に耐えながら、身体づくりに勤しんでいた。内側を刺す痛みに負けじと練習を続けているおかげで体力が付いていく実感は出てきていた。日頃のジョギングでもペースが上がっていたり、知らぬ間に長い距離を走れるようになっていたりと始めたての頃よりも成果が容易に出ていた。

 

 こうして自分の体力に自信が戻りつつある中で、俺は学校内のある場所に来ていた。

 

「ここ、一度使ってみたかったんだよな~」

 

 そう言って、俺は教室の入り口で靴を脱いで室内で用意されている下駄箱へ収納する。俺がいる場所は部室棟の一階に設けられているダンススタジオ。以前に燈香と恋と学校探検をしたときに入った場所だ。床一帯がフローリングで壁全体には全身鏡が設置されており、ダンスの練習をするにはおあつらえ向きの場所なのだ。

 

「先生に使用許可は貰ったし、早速準備といきますか……」

 

 そう言って、俺は制服を脱ぎ運動着姿になる。体力が戻りつつある今、次にやるべきはダンスをこなすための柔軟性の強化、そしてダンスを最後までやり切るための持久力。サボっていたことで鈍った身体を戻した次は筋肉周りをつけることだ。

 

「こういう場で練習するの、なんだか久しぶりだなぁ」

 

 小学生のころ、ダンスを現役で練習していた際もこういったスタジオでコーチの指導を受けてダンスの技術を磨いていた。あの頃はコーチが伝えんとしていることも感覚ですぐに理解し、成果が如実に出てくることが分かりすごく楽しかった記憶がある。

 

「あの頃より体格は大きくなってるけど技術はまるで落ちてんだろうな」

 

 そんな憧憬に浸りながら柔軟体操を行う。いきなりダンスで身体を動かすのは、体内が温まっていないこともあり非常に危険で怪我にもつながる恐れがある。もう二度と同じような光景を見ないためにも事前の準備を怠ることは絶対にしない。

 

 柔軟を行う中で、俺は要さんに言われたことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

『この1ヶ月で……君は十分に身体を動かせるようになった。もう……俺とのリハビリも……必要ない』

 

 

 

『明日から……ダンスの練習を始めても構わない。父も……了承済みだ』

 

 

 

『しかし……その中で忘れてはいけないことがある。それは……生じる痛みを……恐れないことだ』

 

 

 

『少しでも身体に……痛みを感じたら……君はすぐ身体を……労わろうとするだろう』

 

 

 

『その必要はない。君の症状は……筋肉や骨にあらず。過度な負荷を掛けなければ……痛みが伴ったとしても……大事には至らない』

 

 

 

『身体の痛みと……向き合うんだ。そして……己の身体の現状を……理解しろ』

 

 

 

『そうすれば……君はさらに上を目指せる。君の目指す理想へ……手を……伸ばすことができる』

 

 

 

『悲鳴に……負けるな。今の君なら……それが……できる』

 

 

 

 

 

 

「もう……身体を動かしても問題はない。ここからが……本番だな」

 

 両手で頬を一発、パチンと叩く。相応の強さで叩いたこともあり、両頬が少し熱を帯びる。だが、これくらいの火照りが俺の気持ちを奮い立たせるには十分だった。

 

 まずは簡単な足のステップ。足を左右を1ステップずつ動かしたり、その場でボックスを描くように歩くなど初歩的なところから始める。ここら辺は身体への負担もないため、容易にクリアできる。次に足の動きに加え手の動作も交える。左右反対の手足を背中側でタッチする練習や足と手を独立させて動かす練習もやってみる。

 

「……やっぱりブランクが大きいと上手く動けないもんだな」

 

 その他にも過去に教えられた練習方法を実践するが、納得のいく動きがあまりできていない。3年という長い月日を経た影響で俺はダンスの感覚というものを完全に忘れているようだった。

 

「ひとまずは体幹とか基礎を固めていかないとなぁ……ん?」

 

 改めて自分の手を付けるべき場所を見つめ直し、もう一度とりかかろうとした時、教室の入り口から視線を感じた。

 

「そこに誰かいるのか?」

 

 俺の問いかけに返事が戻ってくることはない。だが、踵を返そうとする足音も聞こえないことから立ち去っていないということはわかる。無言の時間が続き埒が明かないと思った瞬間、扉付近で隠れていた人物が姿を現した。

 

「……こんにちは、颯翔くん」

 

 それは先日、面と向かってダンス大会での宣戦を布告した幼馴染の千砂都だった。

 

「千砂都か、何か用か?」

 

「ここを利用しようと思ったんだけど先約があるって聞いてね。誰だろう〜って思って気になっちゃったの」

 

 千砂都はあっけらかんとして俺の質問に答える。ここの使用許可を貰おうとしていたということで、その目的について憶測を立てるのは難いことではない。

 

「ダンス大会の練習か?」

 

「そっ。颯翔くんなら何も言わなくてもわかるよね」

 

「そりゃあな」

 

 ダンス大会まで2ヶ月にまで迫っている。普段からダンスを練習してる彼女がわざわざこのスタジオを利用しようとするのは相応の理由があるからと、すぐに察しはつく。

 

「……颯翔くんもダンスがやれるまでに回復したんだね」

 

「専属医師の熱いサポートもあってな」

 

 千砂都も俺がここまで回復していると思っていなかったようで驚いた様子を見せる。俺は自慢げな表情で語るが、内心自分でも信じられない気持ちだった。

 

「言っただろ、お前と本気で勝負するんだって。その為なら俺はなんだってやってやるつもりだ」

 

「……私もウカウカしてられないな」

 

 千砂都は笑みを浮かべながらそう呟く。不敵な笑みで語る彼女に何故か違和感を覚えていた。

 

「お前も使うなら代わるか? 俺は相応に使わせてもらったし」

 

「んーん、私はいいよ。今日は別のところで練習してくるから」

 

 俺の提案に千砂都は断りの返事を出す。それと同時に千砂都は俺を不思議そうに見つめてきた。

 

「……颯翔くん、その首に掛けてるのって何?」

 

 千砂都が見つめていたもの、それは首からぶら下げている三日月のペンダントだった。

 

「これか? クラスメイトの友達とお揃いで買ったんだ。仲良くなった三人でこれからも一緒にいれるようにってな」

 

「……そっか」

 

 指二本で紐を持って三日月をまじまじと見つめながら語る俺に千砂都は明らかに元気がない返事をする。普段と全く異なる彼女の返事を訝しみ、彼女の顔を見つめるがそこには笑顔が残っていなかった。

 

「千砂都? どうかしたの──」

 

「颯翔くん」

 

 途端に表情が変わった千砂都が心配になり声を掛けたが、すぐに言葉を被せられた。

 

「……今度の大会、私も颯翔くんの本気に応える」

 

「……!」

 

「だから、絶対にこっちまで上がってきてよね。私、待ってるから」

 

 唐突に千砂都から宣戦布告され俺は目を見開く。普段の彼女からは想像できない言動に困惑したが、すぐに気を戻して千砂都の誘いに乗る。

 

「当然だ。お前との本気の勝負、自分から投げるつもりなんざさらさらねえよ」

 

「……そうだよね。颯翔くんはそうでなくちゃ」

 

 勝気な表情で語る俺に千砂都も口元を緩める。そして、練習場を後にしようと踵を返した。

 

「じゃあ、私はこれで。……練習がんばってね」

 

 彼女は微笑みながらそう言い残し、俺に手を振ってその場を後にした。

 

「あいつも相応の覚悟で来るなら……もっと練習しないとな」

 

 千砂都が言う本気とは俺が想像とはかけ離れたものに思える。昔の彼女とは訳が違うのだ。思考が大きく変わってる彼女だからこそより考え方も一新されているだろう。

 

 今の練習では彼女に勝つことは間違いない。何か新しい施策を考えなければいけない。

 

 そんなことを考えていると、廊下を歩くローファーの音が辺りに反響していた。

 

「おや? 颯翔くん?」

 

「恋さん? どうしたんだ? こんなところに来るなんて珍しいじゃねえか」

 

 練習場を訪ねてきたのは恋さんだった。まっすぐにこの教室へ入ってきた様子を見るに、見回りでここに来たわけではなさそうだ。

 

「ここのところ、ずっと学校の仕事をこなしておりましたので少し身体を動かしたくなりまして。颯翔くんはここで練習していたのですか?」

 

「あぁ、もうダンス練習を始めてもいいと医師(せんせい)から許可が出たんだ」

 

「そうですか……。大会に出場することを決意してから1ヶ月ですが、無事にここまで回復してよかったですね。安心しました」

 

 俺の近況報告に恋さんも安心したように口元を緩める。ダンス大会に出て結果を残すと豪語した直後は恋さんも不安な様子を露わにしていたが、その言葉が現実味を帯びてきていることを感じているようだ。

 

「別に、これは俺一人の力じゃねえ。医師(せんせい)や兄、そして、燈香が応援してくれたから今の俺がいるんだ」

 

「そういえば、燈香さんから話は伺いました。夢に向かって辛い道でも走ろうとする颯翔くんのことがとても素敵だとあの人はいつも口にしていましたから」

 

「燈香がそんなことを……」

 

 俺のいないところで彼女がそんなことを口にしているとは思わず、少し恥ずかしくなる。俺は千砂都やかのんに追いつきたいがためにこの道を選んだだけなのだが、第三者の視点になれば話は別のようだ。

 

「でも、燈香さんの言う通りだと思います。颯翔くんの怪我はすぐに治るものではないと当時は皆さんが諦めていたことです。ですが、颯翔くんはそれで諦めるつもりもなく自分の価値を見出す方法を模索していました。その結果が今につながっていると考えると颯翔くんの行動は並大抵の覚悟ではできないと思います」

 

 恋さんの言わんとしていることはわかる。身体を満足に動かせないと絶望していた中で見えた一縷の望み。それを掴み取るということは、これから先でこの道を選んだことを後悔してしまうほどの茨の道が待っているということだ。燈香や恋さんも言っているが、それは興味本位や中途半端な気持ちでやれることではない。この道を歩いた先が本当に明るいものかどうかまで見通すことはできない。先の見えない不安定な道を歩くよりかは足元がしっかりと確認できる安定した道を歩くことを人間は誰しもが望むだろう。

 

「……俺はそれだけ負けたくないってことだよ」

 

「わかっています。澁谷さん達がどんどんたくましくなっていることは私も感じています。私は……あまり良くは思っていませんが、幼馴染である颯翔くんとしては逸る気持ちが抑えきれないでしょう」

 

 恋さんの言葉に俺は無言を貫く。彼女の言っていることは正しい。正しいからこそ無言で肯定を示したのだ。

 

「ですから、必要なことがあれば私にも言ってください。簡単な悩みでも打ち明けて下されば、そこから新たな道が拓けるはずです」

 

「恋さん……」

 

 恋さんは自分の胸に手を当てて、もっと自分を頼ってほしいとそう懇願した。これまで燈香や要さん、萼先生に頼ってばかりで恋さんには何も相談できずにいた。いや、燈香の時もそうだったが、俺が自分から相談しようとしなかったのだ。友人として心配し、友人として応援してくれる彼女らにこれ以上弱いところを見せたくないと思う自分がいたのだ。恋さんもそれを薄々感じており、燈香だけが頼られていた話を聞いて、恋さんも悔しさを滲ませていたのだろう。

 

「そうだな、恋さんも力になるって言ってくれてるんだ。恋さんにも頼らねえといつか拗ねちまうもんな」

 

「す、拗ねるだなんて、私はそこまで子どもじゃありません!」

 

「そこで張り合おうとするところが余計に子どもっぽく見えるけどな」

 

「あ、貴方という人は……! 人が心配しているというのに……!!」

 

「……そうだよな」

 

「……えっ?」

 

 自分の事をからかい始めたと思った途端、急に辛気臭くなる俺を見て、恋さんは感情の急激な変化に理解が追いついていなかった。

 

「恋さんも心配してくれてるのに、その気遣いを無かったことにしようとして……。これじゃあ、あの時と同じだな……」

 

「颯翔くん?」

 

 突然郷愁に浸る俺を恋さんに心配そうに見つめる。俺は昔あった出来事を性懲りもなくもう一度やろうとしていたところだったのだ。同じ過ちを踏まないために、自分を律さなければいけない。

 

「いや、なんでもねぇ。それより、恋さんも協力してくれるっていうんなら一つ相談があるんだ」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 やっと自分も力になれると恋さんは少し嬉しさを滲ませながら俺が打ち明けるのを待つ。早速頼られると思ったのか、彼女の後ろでしっぽがぶんぶん振られているような感覚を覚える。

 

「俺とダンスの基礎練習に付き合ってくれないか?」

 

「ダンスの練習……ですか?」

 

 疑問を浮かべる恋さんに俺は続けざまに詳細を説明する。

 

「さっきまで、今までに習ったダンスや振り付けの基礎を練習してたんだけど、どうにも上手くいかなくてな。もしかしたら体幹が弱いんじゃねえかなって思ってるんだ」

 

 先ほどの一人練習の際に感じた上手く踊れない感覚。ダンス時のバランス感覚が衰えていた実感があったことから体幹が当時に比べ弱くなっているのだと考えた。

 

「そこで、もし恋さんさえよければ練習に付き合ってほしい。恋さんはフィギュアスケートを習っていたし、そこら辺は俺よりも精通してるだろうから」

 

 以前に学校探検を燈香と3人でやった時、燈香と彼女はフィギュアスケートやバレエを習っていたと話していた。体幹の必要性は段違いだろうし、ブランクが大きい俺にとっては彼女らから教えを乞うのが一番手っ取り早くて価値のあるものになると踏んだのだ。

 

「そういうことですか。でしたら私にできることを精一杯努めさせていただきます」

 

 事情を理解した恋さんはすぐに了承の返事をしてくれた。俺一人では心もとないと思っていたので恋さんが手を貸してくれれば百人力だ。

 

「では、今日から始めますか?」

 

「おう。恋さんの力、早速頼りにさせてくれ」

 

「はい、わかりました。それでは着替えてきますので少しお待ちください」

 

 恋さんはそう言い残し、練習着に着替えようと練習場を去っていった。

 

 彼女との初めての共同練習。俺は期待に胸を膨らませながら彼女が到着するのを待つのだった。

 

 






貴方は独りじゃない。





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予期せぬ問題


お待たせしました。

本編42話です。

それではどうぞ!




 

 

 恋さんとの練習を始めて、一週間が経過した。彼女の指導のお陰で今までブランクのあった基礎について現役時代のものへ着実に戻りつつあった。

 

 彼女の指導は、最初は俺の身体の調子を窺いながらのものだったが、すぐに俺が動けると認識すると練習メニューは一気に変貌した。序盤にアイソレーションで身体の部位毎に細かく動かす練習でダンスの基礎を確認していたが、それなりにダンスを踊れると理解したら、次には体力や筋力の強化として筋力トレーニングに移っていた。体幹を鍛えるための練習も片足立ちポーズをほぼ休憩なしで30分行うなど、ハードなものに変わっていった。

 

 だが、厳しくあたってくる恋さんに対して俺は不快感を露わにすることはなかった。むしろ、彼女も本気で俺の練習に付き合ってくれていることがわかり、闘志は燃え上がる一方だったのだ。

 

 

 そして、それと同時に学校の環境も変化が訪れる。日中の気温が高まっている状況の中、学校では衣替えが始まっていたのだ。俺も暑くなってきたこの環境に適応する為に夏服へと替えてきた。音楽科の白を基調とした制服はその色彩も相まって夏でも涼しさを感じられて普通科の制服よりかは気持ち的にも幾分か暑さが和らぐ気がする。

 

「颯翔くん、今日もスタジオで練習しますか?」

 

 授業が終わった後、恋さんは真っ先にこちらへ顔を向け放課後の予定を確認してくる。

 

「あぁ、そのつもりだ。今日も付き合ってくれるのか?」

 

「はい、今日は仕事が無いので普段より長く練習にお付き合いできると思います」

 

 俺の問いに恋さんは笑顔で答える。いつもは学校の仕事をこなしてから練習についてくれたので、今日はいつもより濃い練習ができるとわかり、心を躍らせる。そんな中、俺たちの会話に燈香が興味を示す。

 

「颯翔くん、恋ちゃん、二人で何か練習してるの?」

 

「夏にある大会に向けて、恋さんが練習に付き合ってくれてるんだ。恋さんはフィギュアスケートの経験があるしダンスの基礎はそっちと通ずるものはあるだろうから少し前に声を掛けたんだ」

 

「確かに、恋ちゃんもフィギュアスケートを習ってたんだもんね。なら力になること間違い無しだね」

 

 そう言って羨望のような眼差しを恋さんへ向ける燈香。彼女の話を聞いた時、俺はあることを思いついた。

 

「そうだ、時間が合えば燈香も付き合ってくれないか?」

 

「えっ、私も?」

 

 突然、練習への参加を勧められて困惑する燈香。無論、俺の好みだけで彼女を付き合わせるわけではない。

 

「燈香もダンスを習ってたって言ってただろ? 経験のある人は何人いても良いだろうし、燈香も力になってくれるなら凄く頼もしいなって思ってな」

 

 燈香は以前に習い事としてダンスも嗜んでいたと話していた。ダンスを習っていたといっても恋さんや俺とどの程度毛色が異なるものかは分からない。それでもダンスの本筋については同じ道を歩いているはずだ。彼女の力も俺の手助けになることは間違いないと思う。

 

 しかし、彼女には彼女の都合もある。吹奏楽部の練習もあるから、もし参加するにしても毎日は出来ないだろう。そこまでの無理強いはしたくないので、燈香がなんと言うかで次の動きを決めようと思う。

 

「そうだね……部活もあるから参加する時間とかも厳しいと思うな……」

 

「……そりゃそうだよな」

 

 バツの悪そうな表情をする燈香を見て、俺は苦い表情をする。予想できていたこととは言え、断られるのは少し寂しい気持ちを覚える。

 

 だが、そんな中で燈香は表情はころっと切り替わった。

 

「でも、参加が遅れてもいいんだったら私も一緒にやりたいかな!」

 

「えっ?」

 

 勧誘が完全に失敗したものだと思い、練習の事へ思考を切り替えようとした矢先に燈香が参加の意欲を見せてきたので、思わず上ずった声が出てしまった。

 

「だ、大丈夫なのか? 吹奏楽もこれから忙しくなってくるだろ?」

 

「うん、正直に言って毎日の参加は無理だと思うけど、それでも私にできることだったら喜んで力を貸してあげたいな」

 

「何もそこまでしなくても……」

 

「私は、颯翔くんが本気でダンス大会に臨もうとしていることを知ってる。颯翔くんが勝っても負けても『やってよかった』って思えるように……後悔してほしくないから」

 

 ただでさえ忙しくなるであろう燈香に無理はさせたくない思いから、警鐘の意も込めて声を掛けるが燈香は有無を言わさずに自分の想いを吐露する。普段は穏やかに微笑んでいる燈香がいつにもなく真剣な表情だった。

 

「燈香……」

 

「もちろん、私も無理をするつもりはないよ。私のできる範囲で颯翔くんの力になってあげたいから」

 

「あぁ、あくまでも自分のことを優先で動いてくれていいから。来れそうな時は連絡してもらってもいいか?」

 

「うん、わかった! それじゃあ、時間もきてるし私は部活に行くね。二人とも頑張ってね!」

 

「あぁ、ありがとうな燈香。そっちも練習、頑張れよ」

 

 燈香は手を振りながら俺たちに別れを告げる。応援してくれる彼女のためにも、自分にできることを精一杯努めなければ、そう心で強く思うのだった。

 

「颯翔くん、私たちも行きましょう。他の方々が先に押さえてしまうかもしれませんので」

 

「そうだな」

 

 先日の千砂都みたいに練習場の争奪戦に負けてしまう可能性も無きにしも非ずなので、善は急げと俺は恋さんとさっさと教室を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、部室棟のダンススタジオの使用許可申請書です。確認をお願いします」

 

 職員室で練習場の使用許可を貰おうと必要事項を記載した書類を教師へ提出しようとしていた。

 

 しかし、いつもは喜んで受け取ってくれる先生が今日は気まずそうな表情を浮かべていた。

 

「うーん、受理したいのは山々だけどダメだねぇ……」

 

「えっ……どうしてですか?」

 

「湊月くん達の前に既に利用申請を出した子がいるから……」

 

 先生は受け取れない理由について教えてくれる。先に申請を出した子、それが誰のことなのか想像するのは容易だった。恋さんもすぐに理解したようで確認するように俺に耳打ちしてくる。

 

「……もしかして嵐さんのことでしょうか……?」

 

「……おそらくそうだろうな」

 

 俺たちがこそこそ話をしてる中、先生は俺たちに構わず話を続けた。

 

「もし湊月くん達が良いなら、先に申請を出した子に申し入れをして使わせてもらう手もあるよ。それならもう一度ここに来る必要もないし」

 

 早速、恋さんが懸念していた事態に遭遇してしまった。千砂都が以前に練習場を利用しようとした時には俺が先約だったからよかったものの、今日は教室で少し長く喋ってしまっていた。それが災いし申請書を出すのが遅れ、彼女に先手を打たれてしまった。

 

 この事態で誰の責任かなどを追及するつもりは毛頭ない。兎にも角にも別の手段を考えなければいけないのだが、俺はそちらに頭を悩ませる。俺はその他の練習場所を知ってるわけでもない。おまけに利用するにしても使用料がかかるのだ。今後も同じような場面に直面した時に毎度お金をかけてスタジオを借りるのも有効的な手段ではないため気休めにしかならない。

 

 公園でやろうにもあまり大きな音量で音を流すこともできないし、自分のフォームを確認しながら練習ができない。ビデオ録画を用いた確認はできるが、それも時間がかかってしまう。可能な限り練習に時間を割きたいのだ。

 

 宣戦布告した相手と同じ場で練習するのもおかしな話だが背に腹は変えられない以上、先生の案を呑もうかと思った時、恋さんが口を開いた。

 

「……わかりました。では今回は取り下げさせて頂きます」

 

「れ、恋さん?」

 

 恋さんが俺への相談もなしに申請を撤回する発言をし、俺は困惑の声を漏らす。先生は俺の様子を一瞥しながらも恋さんへ視線を戻し、再度撤回の旨を確認する。

 

「本当に良いのか?」

 

「はい。他の練習場所についても当てがありますので、そちらへ行ってまいります」

 

 自分の発言に二言は無いと恋さんは言い切ってみせる。

 

「颯翔くんも、それで良いですか?」

 

「えっ? あ、あぁ……」

 

 恋さんの当てがどこにあるのかは分からないが、俺には別案が浮かんでない以上、今は彼女の考えに縋るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「颯翔くん、突然あのようなことを言ってしまいすみませんでした」

 

 職員室から退室し、俺たちは学校の外を歩いていた。

 

「いや、俺も案が出てこなかったから大丈夫さ。でも、当てがあるって……一体どこにあるんだ?」

 

 恋さんをフォローしつつ、俺は彼女の言葉の真意を確認する。当てがあると言っても今後も継続的に利用できるかなど不安な要素も少なからずある。

 

「ここから少し歩いた先にありますが、特に心配する必要はございません。そこから予定がバッティングすることもないですし、練習時間を十二分に設けることができます」

 

「それって恋さんのツテか? ありがたいけど使わせてもらうなら費用とか考えなくちゃいけないんじゃないのか?」

 

「そちらも問題ございません。金銭面で特に気にする必要もないですから。詳しいことはそちらで説明します」

 

 俺の心配を恋さんは一蹴する。そこまではっきりと言い切るのも逆に裏があるように感じるが、詳しい話は後々聞かせてもらえるということなので今はただ付いていくことにした。

 

 恋さんと二人で歩いていると横に豪邸が見えてきた。あまり人の家をまじまじと見つめたことはないが、こういった大豪邸を持っている人間はどのような家系なのか気になってしまう時がある。テレビでは医者の子どもだとか経営者の子息だからとして大豪邸で裕福に暮らす模様が映されるが、こんな大きなところで住んでいても周囲の目が気になってしまうものではないのか。いや、逆にそれほどの財力を有していること暗に周囲へ主張しているのかもしれない。

 

 豪邸を見ながら、そんな下らないことを考えていると恋さんは突然その家の門扉前で立ち止まった。そして、無言で豪邸を見据えていた。

 

「恋さん? なんでこんなところで立ち止まって……」

 

「颯翔くん、到着しました」

 

「……はっ?」

 

 唐突に目的地に着いたことを報告する恋さんに素っ頓狂な声が出てしまう俺。着いたといっても目の前にあるのは明らかに周囲の家とスケールが違う大豪邸のみ。だが、その豪邸を無言で見つめる恋さんを見て、俺はとある仮説が浮かび上がってしまった。そして、その答えを確認しようとした瞬間、恋さんは俺の方へ振り向いた。

 

「ここが……私の……葉月家の家であり……今後の練習場所です」

 

「……えぇぇぇぇーーーーー!?」

 

 はっきりと言い切った恋さんに俺は衝撃のあまり、大きな声を辺り一帯に響かせることしかできなかった。

 

 






誰の邪魔も入らない場所へ、貴方をご招待。




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葉月家の実態


お待たせしました。

本編43話です。


本編に入る前に、33話「3人のお揃い」にて挿絵を追加しております。
颯翔くん、燈香ちゃんのアクセサリー屋での一幕を描いておりますので、是非読んでみて下さい。


それでは本編をどうぞ!




 

 

「颯翔くん、どうぞお入りください」

 

「あ、あぁ……」

 

外を歩いていた際に眺めていた大豪邸が恋さんの家だった事実を受け入れられないまま、俺は恋さんに言われるがまま家の中へと案内される。

 

「おかえりなさいませ、恋お嬢様」

 

「ただいま戻りました、サヤさん」

 

エントランスへ入ると、数秒も経たない内に廊下から一人の女性が姿を見せた。その言動と服装から彼女と恋さんの関係性が瞬時に理解できた。

 

「メイド……!?」

 

「紹介します、颯翔くん。この方はサヤさんと言って、この家で私のお世話をしていただいております」

 

「初めまして、サヤと申します。いつもお嬢様がお世話になっております」

 

紹介を受けたサヤさんは自分のメイド服の裾を上げる。テレビで見たことのある主人と使用人という主従関係を間近で見られるとは思わなかったので、非常に新鮮な気分だった。

 

「はじめまして、湊月 颯翔と言います。こちらもいつも恋さんにはお世話になってます」

 

「存じ上げております。貴方様のお話はお嬢様から伺っております、颯翔様」

 

恋さんのみならず俺までも様付けされており非常にこそばゆい感覚だった。

 

「……あの、様付けは恥ずかしいのでやめてもらえないですか……?」

 

「恋様の大切なご友人です。私なりの誠意で呼ばせて頂きたいと思ったのですが、お気に召さなかったでしょうか?」

 

気恥ずかしさに苛まれながら俺はサヤさんに控えてもらうように懇願してみるが、彼女も彼女で恋さんの友人としてぞんざいな対応をしてはならないと心に決めているからか、首を縦に振らなかった。

 

「別に俺は丁重に扱われる人物じゃないので、普通に呼んでもらっていいですよ」

 

「左様でございますか……。申し訳ございませんが、この話し方が私の本分ゆえ、お許しいただけると幸いでございます」

 

「颯翔くん、サヤさんはこういった方なので、あまり気にしないでください」

 

「……まぁ、どうこう言っても仕方ねえか」

 

サヤさんと恋さんから諭され、ここまで言われてしまってはいくら抵抗しても水掛け論にしかならないため、俺が素直に折れることにする。俺が納得する様子を見て恋さんも少し安堵の様子が見えた。

 

「ありがとうございます、颯翔くん。サヤさん、先日お話しした通り、颯翔くんが有意義に練習ができるようにあの場所を使いたいと思います」

 

「承知しております。既に部屋の清掃は済ませ、必要な環境はご用意しております」

 

「流石はサヤさんですね」

 

笑顔で自分の仕事が完遂している旨を報告するサヤさん。彼女の用意周到ぶりに満足した恋さんはすぐにこちらへ振り向いた。

 

「では颯翔くん。目的の場所へご案内いたします」

 

「おう、よろしく頼む」

 

俺の返事に頷き、恋さんはエントランスから目的の場所へ抜けるために廊下へ入っていった。俺も彼女の後をついていくが、サヤさんは会釈をして俺たち二人を見送ってくれるのだった。

 

家の中は豪邸と呼ぶに相応しい装飾や造りをしていた。廊下は絨毯が一面に広がっており、絨毯を踏んだ時の柔らかい音が聞いてて気持ちが良い。また照明も廊下はシーリングライトが備わっており廊下全体がより広々と演出されている。先ほどのエントランスではシャンデリアが設置されていたので、各部屋や廊下の設計にもかなりの工数を割いてるように見えた。

 

壁には偉人の写真やどこかの有名な画家が描いたのか風景画も飾られており、まさに豪華絢爛という言葉が相応しい。だが、あまりに豪華な造りなので逆にどこか落ち着かない感覚もある。

 

「恋さんの家って結構裕福なところなんだな」

 

「昔はそうだったかと思いますが、今はそんなことはありません。この家の姿だけが残ってしまっているだけで、中身はからっきしです」

 

この家に恋さんの家族の他に使用人がサヤさんしかいないとなると、現状がどれだけ廃れているのかを想像するのはそう難いことではない。無論、繁栄していた時期の様子を知る由もないため想像の域は超えない。それでもこの静寂があまりにも虚しく、このまま永遠に続いてしまうのではないかと錯覚してしまいそうになる。

 

「そういえば、ここには恋さんとサヤさんだけなのか? 家族は……?」

 

「……今は、両親2人とも遠いところにいます。ですので、この家にいるのは私とサヤさんの2人だけです」

 

2人とも遠いところにいる。それがどのような意味を持っているのか明確に答えを見つけたわけではないが、彼女の沈んだ声のトーンを聞くにあまり聞いてて心地が良いものではないことが分かる。

 

「……そうか。遠くで……頑張ってるんだな」

 

彼女に余計な気を遣わせまいと言葉を選んだが、少し無理があったかもしれない。

 

「……はい。私も負けていられません」

 

恋さんは俺の配慮を汲み取ったからか分からないが笑顔をこちらへ向け、自身の決意を口にした。人のために力を注いだ親のように自分も責務を全うしなければと改めて自分を律しているようだった。

 

恋さんと話していると目的の場所は辿り着いた。

 

「どうぞ、お入りください」

 

恋さんに案内されるがまま部屋の中は入ると、そこには結高の練習スタジオと似たような光景が広がっていた。全面フローリングの床に、壁に埋め込まれた補助バー。広さは結高のものと変わらないが、鏡が壁前面に取り付いているため360度どこからでも自分の振りを確認できるようになっている。また、部屋全体に音を響かせるためのスピーカーやピアノも用意してあることから音響に関しては結高のものより優れている点と言えるだろう。

 

豪勢な用意に俺は感嘆の声を漏らす。

 

「これはまた随分と盛大に準備してくれたんだな」

 

「現状では宝の持ち腐れとなっておりましたから、是非この場所をお使い下さい。颯翔くんの時間の許す限りここで練習に充てて頂いて構いません」

 

「それだと、毎度ここに邪魔しに来ることになるけど必ず恋さんに声をかけた方がいいよな?」

 

「私がいればそれで良いですが、もし声を掛けられなかったら直接ここへ訪ねて頂ければサヤさんが対応しますので問題ございません。練習中に何かあればサヤさんに申し付けていただければよろしいので」

 

練習環境の提供だけでなく、困りごとについても協力してくれるということで至れり尽くせりな待遇に些か申し訳ない気持ちが出てきた。

 

「ほんと、何から何まで助けてくれてありがとうな。ここまでしてもらったけど、俺はどうやって返していけば……」

 

「気になさる必要はございません。颯翔くんに使わせることが今は最上だと判断したまでです」

 

「そうは言うけどもなぁ……」

 

こういった恩恵は受けるだけではなくしっかりと相応の返還もしないと相手に対して無礼だ。だが、恋さんへ返せることが特に見つからず、俺は顔を歪ませる。貸しを作ったままにしておくのは俺のプライドが許さない。親しき仲にも礼儀あり。お互いに悔いを残さないようにしなければ。

 

「颯翔くんがそこまで言うのでしたら、一つだけ望みをお話しします」

 

「お、おう」

 

そう語る恋さんに俺は少しばかり委縮してしまう。恋さんのことだからそこまでスケールの大きな条件を提示するとは思わないが、改まって言うものだから冷や汗をかきそうだった。

 

「……次の大会、必ず優勝を掴み取ってください。颯翔くんが満足するパフォーマンスを絶対に完成させてください」

 

「次の大会で、優勝……」

 

「私が願っていること、それは颯翔くんに悔いが残らないようにすることです。貴方自身が『やってよかった』と思えるように成果を見せて下さい。貴方の真っ直ぐな笑顔が見られれば、私にとってはそれが最上の喜びです」

 

恋さんがここまで協力的に動いてくれた理由、それは俺が身を削る思いで練習に励む理由を知っているから。かのんや千砂都に置いてかれたままでいたくないという俺の野心を理解しているからだ。だからこそ俺が納得する練習ができるように恋さんも手を貸してくれた。

 

見返りは求めず、ただ俺が笑ってくれればいい。人の想いを大切にする恋さんらしい考え方だった。

 

「わかった。恋さんがここまで手を貸してくれたんだ。絶対にあいつに勝って、大会で優勝してみせる!」

 

「はい、その意気です。それでは私も着替えてきますので、颯翔くんも準備をしておいて下さい」

 

恋さんはそう告げて、練習場から去っていった。彼女が来た時にはすぐに練習を始められるように俺も支度も進めるのだった。

 

 

 

 

 

「はい、ラストはそこでターン!」

 

手拍子と共に飛ばされる恋さんの凛とした声に呼応するように俺はダンスで決めポーズをとる。

 

一通りのダンスを踊り終え、俺は熱くなる身体を冷ますように服で体を仰ぐ。相応のペースで踊っていたため、汗で服が体に張り付いていた。汗が身体を滴りながら俺は地面に座り込んで水を体内に流し込む。

 

「ふぅ……足がいてぇなぁ……」

 

先ほど踊った曲は大会で使うものではない。大会用の課題曲については別途アナウンスをされるので、今日はダンス初心者の練習用で必ず使われる定番曲を用いて、通しでダンスを踊り切れるか確認することにしたのだ。

 

体力は普段からやってるランニングや筋トレのお陰で現役の頃に戻りつつあったので、あとはダンスの精度上げることに重きを置くことにしている。恋さんも初めての通しだからということで甘やかすつもりもなく、少しでもキレが悪い箇所が出てくればすぐに檄が飛んでくる。少しの油断も許さない恋さんのストイックな姿勢が凄く頼もしく、ダンスにもより集中することができた。

 

今はその反動が来て、足が棒になってしまっている状態だった。

 

「お疲れ様でした。初めての通しにしては上々だったと思いますよ」

 

「本当か? まだまだ足りてねぇところもたくさんあるかと思ったけど……」

 

「そこは否定できません。ですが、ひとまずは踊り切ることができたんです。身体づくりを始めていたころから比較しても1ヶ月でここまで力が付いていることもすごいことですよ」

 

初めての通し練習にて、持久力と集中力が長続きしない、疲労でキレが落ちていったなどブランクを感じさせる欠点がいくつも見つかった。だが、恋さんはその事実を受け止めつつも、ダンス大会出場を志した当時と比較して、その成長ぶりを褒めてくれた。

 

「確かにあの頃と比べて、明らかにこれまでの自分と違うことが分かる。それに通しでやって欠点も見つかったしな」

 

「はい、それも少しずつ詰めていきましょう。時間はまだまだありますから」

 

次の練習内容の方向性が決まったところで、練習場の扉が開く音がした。そこにはサヤさんがお盆を持って立っていた。

 

「失礼いたします。差し入れをご用意いたしましたので、お二人でお召し上がりください」

 

「まあ、ありがとうございます、サヤさん。颯翔くん、時間もキリが良いので一度休憩を挟みましょう」

 

恋さんの指示に俺は頷いて返事をする。そして、サヤさんが用意してくれたお茶菓子を頂くために一時休息へと入るのだった。

 

「ダンスレッスンで身体も火照っているかと思います。食べやすいようにゼリーをご用意いたしました。颯翔様のお口に合えばよろしいのですが……」

 

「そんな、作って頂けるだけで嬉しいです。いただきます」

 

ゼリーはその性質上、水分が大半を占めている。ダンスで体内の水分が汗となって外へと出ていった今、ゼリーを食べられるというのは小腹を満たすという点でも、水分補給という点でも非常に効果的なのだ。

 

サヤさんが用意したお盆から半透明のカップを受け取り、スプーンでカップ内に収められているゼリーを掬う。少し振動を与えただけでもぷるんとしたゼリーの軟らかさが目に見えて非常に食欲をそそる。

 

目の前のゼリーに齧り付きたい衝動が抑えられず、俺は勢いそのままにゼリーを頬張る。口の中でフルーツの酸味とゼリーの優しい口当たりも合わさって文句の付けどころのない美味しさだった。

 

「う、うまい……!」

 

「サヤさん、このゼリーとても美味しいです!」

 

「お二人にそう言って頂けて嬉しい限りです」

 

恋さんも舌鼓を打ち、俺たちの満足した様子を見てサヤさんは安心したように微笑を浮かべる。

 

「そういえば、サヤさんはここで世話人になってからどれくらい経ってるんです?」

 

「そうですね……恋様が産まれた頃よりここにおりますのでかれこれ15年はおりますね」

 

「結構長い間、ここで働いてるんですね……?」

 

恋さんとの距離感やその落ち着いた雰囲気を見れば、ここにいる期間はそう短いものではないと想像がつく。だが、恋さんが産まれた頃から仕えているというのは驚きだ。

 

「両親が忙しくて私が家で一人だった時もサヤさんが一緒にいて下さいましたから寂しさもなくなっておりましたからね。それこそ、サヤさんといないと落ち着かなくなってしまうほどに当たり前となっていましたから」

 

「……じゃあ、恋さんがお転婆だった頃とか恥ずかしい話とかも全部知ってるってことか」

 

「貴方は何を期待しているのですか?」

 

幼少時代の恋さんの垢抜けた話を聞けるかと思って、そんな事を口にしたが恋さんは何を言ってるのか分からないと言わんばかりにジト目でこちらを睨みつけてくる。

 

「ふっ、そうですね。昔のお嬢様のあんな姿やこんな姿をたくさん知ってますよ?」

 

「サヤさんも口車に乗せられて余計なことを言わないでください!」

 

俺たちのやり取りを見てサヤさんは小さく吹き出し、こちらのノリに合わせてくれた。サヤさんが乗っかるとは思わず、恋さんも珍しく慌てふためく様子を露わにする。

 

「……今は寂しくなってしまいましたが、それでも葉月家の発展やお嬢様の成長を間近で見守ることができて私はこの上ない喜びを感じています」

 

「サヤさん……」

 

サヤさんの表情、それは昔はよかったなどと言って現状の生活に不服を感じているといったものではない。時が進むにつれて変化していくものこそあれど、その紆余曲折がサヤさんにとっては大切な思い出となっているのだろう。

 

「……と昔話に花を咲かせている場合ではございませんね。今は颯翔様の大事な練習のお時間、私も精一杯お手伝いはさせて頂きますので、これからも何卒よろしくお願いします」

 

「こちらこそ、改めてよろしくお願いします。サヤさん」

 

今は暫しの休憩時間。練習のためにここに来たことを再認識し、サヤさんは時間を取らせてしまったことを詫びつつ、これからの援助も辞さないことを教えてくれた。また一人、近くで支えてくれる存在を知ることができて、俺は練習に対しての熱意がより高まりつつあった。

 

「それでは練習を再開しましょう。先ほどのように頭から踊っていただきますので気を緩めずに頑張りましょう」

 

「あぁ、やってやるさ!」

 

恋さんの鼓舞に合わせて、胸の前で握り拳を作る。

 

新たな環境での練習ともあって抱いていた一抹の不安も、気がつけば胸の中からすっと消えているのだった。

 

 






人の想い、時は経てども腐ることなし





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この胸の蟠りは


お待たせしました。

本編44話です。

それではどうぞ!




 

 

 葉月家での練習を終えたその日の夜。

 

 三時間ほどぶっ通しで練習したのもあって今日はご飯とお風呂を済ませたらさっさと寝てしまいたい気分だった。

 

「おっ、おかえり颯翔。今日は遅かったな?」

 

 家に帰ると凪がリビングでくつろいでいた。両親はまだ仕事で帰ってきておらず凪一人しかいなかった。

 

「ただいま。前に話してた友達の家で練習してたんだ」

 

「葉月恋ちゃん、だっけ? こんな時間に帰ってくるってことは相当良い練習になったみたいだな。飯はこれから作ってやるからちょっと待ってろ」

 

「あぁ」

 

 凪はそう言って立ち上がり、キッチンへと歩き出す。

 

 両親が仕事で家に帰ってくる時間が遅い都合上、普段は凪がご飯を作ってくれる。凪は俺が帰ってきたのを確認してから作るつもりだったようで、これから料理に手を付けるようだった。

 

 俺も早くリビングでゆったりしようとさっさと荷物を自室へと置きに行く。

 

「そういえば、恋ちゃん家の練習はどうだった? やっぱり学校のそれとは違うのか?」

 

 凪は夕飯を作りながら葉月家での練習について疑問をぶつけてくる。

 

「そうだな、周囲の目とかも気にならんし練習にすごく集中できる。それに、恋さんや家の人も手伝ってくれるっていうのもあって本当に至れり尽くせりってやつだ」

 

 俺は恋さんの家で練習をさせてもらった時に抱いた率直な感想を話す。

 

「そうか。練習に熱中するのはいいけどあまり迷惑はかけないようにな?」

 

「分かってる。俺のわがままでやらせてもらってるんだ。自分でやれることをやるつもりだ。それはあの人らにも話してる」

 

「分かってるならいいさ」

 

 練習場所を提供してくれたのは恋さんだが、練習にも毎度付き合わせてしまうのは俺も申し訳なさが芽生える。彼女らは気にしないとは思うが、俺自身が気にしてしまうので凪の言う通り己の練習で賄えるところは己の手で解決していきたい。

 

 俺の言葉に凪も納得しているようで笑顔を見せながら料理を作る。そんな折、テーブルの上に置いてあった凪のスマホから音楽が聞こえてきた。

 

「ん? なにか聞こえる……けど……」

 

 その音楽に妙な聞き覚えがあり、画面の方を見るとそこにはかのんと可可が映っていた。

 

「あぁ、かのんちゃん達がスクールアイドルをやってるって言ってただろ? この前の代々木フェスの模様が動画に上がってたから見てたんだ」

 

 凪が見ていた動画、それは先日代々木スクールアイドルフェスの公式アカウントが投稿したものだった。凪はクーカーのパフォーマンスに興味が湧き動画を見ているようだ。

 

「改めて見るとかのんちゃんだいぶ成長してるな~。昔のあどけなさもなくなってよりきれいになったな」

 

「……まあそうだな」

 

 かのんのことを懐かしく思う凪を見て、俺はいたたまれない気持ちになる。彼が願っていた俺たちの関係性はここまで様変わりしてしまったのだ。もう昔のようには戻れない。

 

 その後悔が残っているはずなのにかのんのことを口にする姿を見て、それと同時に表現しがたい腹立たしさも芽生えていた。そんな俺の様子に気づかずに凪は言葉を続ける。

 

「かのんちゃんもそうだけど、千砂都ちゃんもすごいよな~。颯翔と同じようにダンスを練習してるって話だし、あの子らがいつの間にかそこまで逞しくなってて驚きだよ、本当に」

 

「……そうだな」

 

 かのんのみならず千砂都のことも褒める姿に俺は顔をゆがませる。実際、彼女らは昔とは大きく違う。それを凪は素直につぶやいてるだけなのにどうしてこんなにもむしゃくしゃしてしまうのだろうか。

 

「いずれはお前と一緒にダンスを……」

 

「……もうやめろ!!」

 

 これ以上、あいつらが褒められるところを聞きたくない。その一心で俺は思わず叫びをあげてしまう。

 

「颯翔?」

 

「……あいつらのことを話題に出すのはやめろ。無性に……腹が立っちまう」

 

 成長している人間のことを良く言うことはなんらおかしいことではない。むしろ出来なかったことが出来るようになったのだから褒め称えて当然のことだ。だが、そんな当たり前のことでさえも、その相手があの二人と考えると俺は彼女らに対しての妬みを隠せなくなる。

 

 凪は何もおかしなことは言っていない。むしろおかしなことをしているのは俺のほうだ。人の努力を素直に認められない天邪鬼。頭では理解しても身体が拒否反応を起こす。どうしてこんなことになっているのか自分でもわからない。

 

 俺の様子を察した凪は笑顔を控え、真面目な顔で詫びを入れてきた。

 

「そうだな。悪い、お前の気持ちを考えられてなかった」

 

「いや……俺も突然怒鳴って悪かった」

 

 詫びを入れてくれた凪に対して俺も気まずさから目を逸らしてしまう。その後、凪はかのんたちから話題を切り替え、普段の学校生活や世間話に明け暮れながら二人分の食事を用意してくれたのだった。

 

 食事中も彼女らに抱いているこの苦しさがなんなのか考えたが一向に答えは出なかった。それどころか胸苦しさを覚え、考えることすらもしんどくなっていた。今の彼女らと俺の立場は雲泥の差であることはわかっていることだが、それを素直に認められず虚しさだけが心の中を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、少々寝付けは悪かったもののいつも通りの時間に起床し、学校へ登校できた。

 

「おはよう~」

 

 教室で談話している生徒らへ挨拶をすると、それに合わせてクラスメイトらも返事をしてくれる。

 

「おはよう〜湊月くん」

 

「何か見てるのか?」

 

 クラスメイトのスマホで動画が流れているようだったので、どんなものを見ているのか聞こうとしたが、その動画や音声に聞き覚えしかなかった。

 

 昨日の凪の件といい、どうしてここまで連鎖的に俺を翻弄しようとするのか理解に苦しむ。

 

「スクールアイドルの映像だよ! 一ヶ月前?に普通科の子がスクールアイドルの大会に出場したって話を聞いてその動画を見てたんだ~!」

 

「このクーカーって二人組、すごくかわいいんだよ! ダンスも歌も上手くて思わず何回も見ちゃうんだ~!」

 

「そ、そうか……」

 

 昨日、まったく同じやり取りを繰り広げたからか返事がおざなりになってしまう。だが、彼女らは気に留める様子もなくそこに映ってない別の人物の話題も口にする。

 

「そういえば、この子たちって音楽科の嵐さんに練習を教わってたよね? あの子と仲良いのかな?」

 

「幼馴染だって確か友達が言ってたよ? ()()()()()ダンスに関して力を入れてるなんてすごいよね〜!」

 

 二人揃って。この子らはあいつらが幼馴染ということを知ってるだけだ。俺もあいつらと同じ関係であることは知らない。それをわかっているのに彼女らの言葉にとてつもない疎外感を受けてしまったのは何故だろう。

 

 クラスメイトらは素直に感銘を受けた結果、このような発言をしているため彼女らに非はないのだ。そうであるのに昨日と同じように俺の心には黒い靄がかかり荒む予兆を見せていた。

 

「……なんであいつらだけ……」

 

「ん? 湊月くん、どうかしたの?」

 

 腕を震わせながら小声で呟いたが、彼女らの耳には届いておらず俺の様子に違和感を覚える様子を見せる。

 

「お二人とも、動画を視聴するのは構いませんが音量調整だけは気をつけて下さいね? 他の皆さんのご迷惑とならないように」

 

 突然、入室してきた恋さんがクラスメイトらにスマホの使い方について注意喚起を行う。その声に俺も我に返り平静を取り戻す。

 

「あっ、忠告してくれてありがと、葉月さん! 大丈夫、ちゃんと周りには気をつけるから!」

 

「はい、それならばよろしいです」

 

 忠告をすんなり受け入れてくれる少女らに恋さんは笑顔を見せる。指導する際にも相手に不快感を与えないように飴と鞭を上手に使い分けてるところを見ると、先生からも信頼が厚い理由がよく分かる。

 

「颯翔くん、他の生徒の通行に支障が出ますから行きますよ?」

 

「……あぁ」

 

 恋さんに言われるがまま自分の席へ移動する。まさか昨日から今日にかけて連続でかのん達の話題が出ると思わず、酷い取り乱し方をしてしまった。恋さんはそんな俺の様子を見て声を掛けたのだろうか。

 

 つい恋さんの事を見つめていると俺の視線に気づいた恋さんは訝し気にこちらを見つめ返す。

 

「どうかしたのですか?」

 

「いや、余計な気を遣わせちゃったなって思って」

 

「勘違いしないで下さい。これから登校してくる生徒がたくさん入室してくるのです。扉の前で屯されてしまっては邪魔になってしまいますから退いていただく必要があったまでです」

 

 恋さんは強い口調で語るが表情は厳格なそれではない。恋さんが述べた内容も彼女らに声を掛けた理由の一つだろう。だが、それだけのために彼女たちへ声を掛けるのだろうか。生徒らの事をよく見ている恋さんだが、迷惑を被るほどの音量ではなかったため普通ならば目を瞑るはずだ。

 

「まあ、貴方が貸しだと思うのであれば、そのように捉えて頂いて構いません。いずれ飲み物でも買っていただければ良しとします」

 

「いや、あんたはそんなことを要求するほど狡い人間でもないだろう……」

 

 余計にはぐらかされてしまい、これ以上追求しようにも恋さんは簡単には答えようとしないだろう。どうにか手を打てないものかと考えたが、その思考を邪魔するように燈香の声が響いた。

 

「おはよう、颯翔くん、恋ちゃん!」

 

「おはようございます、燈香さん」

 

「二人して椅子に座らずにどうしたの? 何かお話でもしてたの?」

 

「いえ、そういうわけではございません。ただ今日も練習を頑張りましょうと話していただけですので」

 

「恋さん、それは……」

 

 それは違うと言おうとしたが、俺の言葉を遮断するように朝会の予鈴が鳴り始めた。

 

「さあ、チャイムも鳴りましたし席に戻りますよ?」

 

「お、おい恋さん!」

 

 恋さんは一言言い残すと俺の発言を待たずに自席へ着く。普段の彼女に似つかわしくない強引さに思わずため息が出てしまう。

 

「はぁっ……一体何がしたいんだか……」

 

「颯翔くん大丈夫? 恋ちゃんと何かあったの?」

 

 今までに見ないやり取りをする俺たちを見て、燈香は不思議そうにこちらを見つめる。彼女にまで余計な心配は掛けさせたくないため、笑顔を作ってなんともない様子を見せる。

 

「いや、なんでもないさ。ここ最近ずっと練習に付き合ってもらってるから恋さんも疲れてるのかもしれんな」

 

「そっか、恋ちゃんもあれからずっと付き合ってるんだね! 颯翔くんも調子は大丈夫そう?」

 

「あぁ。恋さんのおかげで大会に向けて良い練習ができてるよ」

 

「ふふっ、それならよかった~!」

 

 恋さんとの練習が上手くいってることを知り、燈香は安心するように微笑む。そして、何かを思い出したかのように燈香は言葉を続ける。

 

「あっ、そういえば今日も練習ってする? 私、今日は部活がお休みだから練習に参加したいなって思って!」

 

「本当か! 今日も練習をやる予定だったからぜひ来てくれ」

 

 ダンスの経験がある燈香がついにこちらの練習に参加してくれる。基礎体力が備わっており、いよいよダンス練習に注力しようとしていた矢先だからタイミングとしても非常に申し分なかった。

 

「うん! 楽しみにしてるね♪」

 

「あぁ。それと恋さんにも声を掛けないとな。今はあの人の家で練習させてもらってるから、燈香も一緒に参加することを話しておかないと」

 

 恋さんの家を訪問する人物が増えるため、彼女へ話を先に通しておけばサヤさんが戸惑うこともないだろう。

 

 だが、練習場が学校ではないことに燈香は疑問を浮かべる。

 

「えっ? 今って恋ちゃんの家で練習してるの?」

 

「あぁ。あいつの家でダンスの練習ができるって前に話をしてただろ? だから、恋さんに頼んで練習場として使わせてもらえるようにしたんだ」

 

「あっ、確かにそう言ってたね! 恋ちゃんの家がどんな所なのか楽しみだな〜!」

 

「期待してろよ。目の前に出たら腰を抜かすから」

 

「流石にそこまではいかないんじゃない?」

 

 俺の忠告を燈香は冗談として受け取る。だが、彼女も恋さんの家事情を知らないからあっけらかんとしてられるのだ。この後の燈香の反応を楽しみにするとしよう。

 

「まあ、あとのお楽しみだ。じゃあ、早速恋さんのところに行くか」

 

「うん! あっ、恋ちゃ〜ん!」

 

 俺の提案に納得した燈香は我先にと恋さんの元へ駆けだしていく。放課後の練習が賑やかになることを楽しみにしながら、俺は二人の元へ歩いていくのだった。

 

 





遠く離れる3人、近く寄り添う3人




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あんたがいなければ


お待たせしました。

本編45話です。

それではどうぞ!




 

「はぁっ……、ったく先生も人使いが荒いもんだなぁ……」

 

 燈香が練習に参加すると決まった日の放課後。俺は職員室から退室し野暮用を押し付けてきた先生に苦言を呈していた。

 

 あの後、恋さんに燈香も練習に参加することに歓喜し、放課後の練習を容易に進められるように早速サヤさんへ連絡してくれたのだ。初の3人での活動となるので口を揃えて楽しみだと話していたのだが、授業後に突然力仕事を手伝ってほしいと言うことで俺に白羽の矢が立ったのだ。

 

「まあ、とにもかくにもこれで用事は済んだし──」

 

 あとは恋さんの家に向かうのみ。そう呟こうとした時、階段から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

「……ねぇ」

 

 そこには壁にもたれながら佇むかのんがいた。何故かご立腹な様子だったが俺は構わず用件を聞く。

 

「……お前か。何か用か?」

 

「……最近ちぃちゃんの様子がおかしいんだけど、ちぃちゃんに何か言った?」

 

 千砂都の様子がおかしい。特段彼女を傷つける発言はしていないと思っているがどこがおかしくなっているのだろうか。

 

「別に何も言ってねえけど、そんなに変なのかよ?」

 

「明確に悩みを明かすとかじゃないけど、何か思い詰めてる様な感じがする」

 

「それで俺が真っ先に疑われるのも癪に障る話だな」

 

「ちぃちゃんと一番仲が良かったのは颯翔でしょ?」

 

「お前も同じかそれ以上だけどな」

 

 千砂都に異常がある原因はお前だ。そう言わんばかりに冷たく言い放つかのんに同じように皮肉を言い返す。彼女の顔を一瞥すると一瞬だけ眉をしかめる様子を見せていた。

 

「……まぁいいさ。俺に当てがないことには変わりないからな」

 

「……本当に?」

 

「こんなことに嘘ついてどうすんだよ。いい加減しつこいぞ?」

 

 目を細めながら問い質す空気をまといながら話すかのんに俺はため息をついてうんざりする様子を見せる。

 

 だが、かのんがここまで千砂都のことを心配しているということはそれだけ今の彼女がいつもとは違っていることを表しているのだろう。それならば、俺の中に彼女が変わってしまった要因が無いか今一度考えてみる。

 

「……もし心当たりがあるとするならば……あいつに、俺の夢を背負うなと突き放したこと、ぐらいか」

 

「えっ?」

 

 もし千砂都の中で変化があるとすれば、たこ焼き屋であいつと二人で話した時だろう。ダンスをやれなくなったと絶望していた俺の意志を継ぐとして、ダンスを学び始めたと語った千砂都。その時に俺は彼女に対して憤りを隠さず、かなりの剣幕でぶつかった。あの時の千砂都の表情は今でも明確に覚えている。

 

 当然、この話をかのんは知っているはずがない。千砂都が話していれば把握しているだろうが、千砂都の性格上、俺とかのんが犬猿の仲であることを知っているので無闇に打ち明けたりはしないはずだ。

 

 それにこの話はかのんにだけはしてはいけない。そこには俺と千砂都しか知らないとある秘密があった。

 

「なんでもねえよ。あいつも未練たらしく俺に構ってるからな。お前の隣からいなくなった俺の意志を継ぐ、なんて一丁前なことを言ってダンス大会に出るつもりなんだよ」

 

 俺はかのんに余計な詮索をされないように敢えて千砂都を小馬鹿にするような口調で嘘を織り交ぜつつ、彼女の状況を伝える。かのんは千砂都のことについては何も知らなかったようで俺から聴いたことを繰り返すのみだった。

 

「ちぃちゃん、ダンス大会に出るんだ……」

 

「あいつ、お前にそんなことも伝えてないのかよ。大事な親友だってのに、まったく信用されてないな?」

 

「はぁ!? あんたこそ()()()()()()()()()()()()()()()じゃん!!」

 

 友人としての信頼がまるでないと毒吐かれたかのんは怒りの感情を露わにしたまま俺に牙をむく。かのんの言葉に俺は一瞬表情が硬くなってしまう。

 

「…………」

 

「忘れたとは言わせないよ? 小学生の頃に私が家の手伝いで遊びに行くのが遅れた時に……!」

 

「……忘れるわけがねぇだろ?」

 

 当時を思い出させようとするかのんに俺は口を挟むように声を大きくして被せる。忘れたくても忘れられるわけがない。これは順風満帆だと思われていた俺たち三人の関係性が大きく壊れた日だから。

 

「俺が……千砂都に手を出して……それをお前は目撃した。初めてお前からゴミを見るような目で見られたんだ。忘れろって言う方が無理だ」

 

 そう言って俺は当時の記憶が走馬灯のように蘇ってくる。

 

 小学生の頃、千砂都と二人で遊んでいた時とある事情から口論に発展し、俺は彼女に反射的に手を出してしまった。その一部始終をかのんに目撃されて、かのんは千砂都を庇いながら俺にあの言葉を突きつけられたのだ。

 

『……はーくんなんか……大っ嫌い!!』

 

 当時の俺にとってはなんでそんな事を言われたのか意味がわからなかった。いや、今でも納得しているわけではない。何も知らないかのんが自分の正義感で千砂都の味方をしたことがどうしても許せなかった。

 

「大嫌いと突き放した人間とこうして同じ学校でもう一度過ごしてるなんてすごい偶然で……なんて皮肉なんだろうな」

 

「…………」

 

「別に俺はお前らと仲直りしてもらおうなんて思っちゃいねえ。むしろ、あいつは俺に手を出されたのに変わらず俺と仲良くしようとしてるのが馬鹿らしいってもんだ。お前も……あいつも……俺の気を何も知らないで……」

 

「……颯翔?」

 

 俺が独り籠った生活をしてる中で自分の好きな事、頑張れる事を見つけた彼女らを見るのが無性に腹立たしい。昨日の凪とのやり取りや今日の朝のクラスメイトらとの雑談で感じた『嫉妬』という人間としての感情を一番に実感できてしまった瞬間。

 

「もういいさ。とにかく俺があいつに言ったことはそう大したことじゃねえってことだ」

 

「……待って!」

 

 じゃあなと言って帰ろうとした矢先、かのんはまだ話がある様子で俺を引き留める。

 

「なんだよ、俺は何も言うことはねえぞ?」

 

「わかってる。でも、一言だけ言っておきたいことがあって」

 

 早く恋さん達の所は向かいたいのだが、かのんがどうしてもと言うのでその場を後にしようとする足を止めて彼女の話を聞こうとする。

 

 俺が止まってくれたことに安心したかのんは目線を逸らしながら言葉を紡ぐ。

 

「代々木スクールアイドルフェスの時、可可ちゃんが隣にいてくれたけど、どうにも緊張が拭えなくて……それに加えて歌おうとして照明が落ちた瞬間……あの時は視界的にも精神的にも目の前が真っ暗になった」

 

 かのんが語るのは先日の代々木スクールアイドルフェスの出来事。あの時はあがり症であるかのんはさることながら可可も家庭の事情でスクールアイドル活動そのものの存続がかかっていたライブということもあって手足が震えていたのを鮮明に覚えている。

 

「だけど、あの暗い状況の中であんたが……颯翔が声を掛けてくれたおかげで会場の空気も変わったし、何より私たちも勇気をもらえた」

 

「あれは……条件反射というか……」

 

 暗闇の中で叫んだあの時、俺はかのん達の夢がこんなトラブルに見舞われただけで終わってほしくなかった。だからこそのエールとして考えるよりも先に身体の方が本能的に動いていたのだ。

 

「それならそれでもいい。どんな結果にしろ、颯翔のおかげで私たちはライブを成功させることができた」

 

「かのん……」

 

「ありがとう。颯翔がいなかったらこうしてスクールアイドルは続けられてなかった」

 

 かのんは真剣な表情のまま、頭を下げて感謝の言葉を伝える。まさか本人からそのように言われると思わず、困惑してしまった。だが、彼女は律儀な人間だ。人にしてもらったことはどんな小さなことでも必ずお礼を返す。それが自分の正義感に従った人助けに対するお返しだとしても、決して感謝の心は忘れない。それが仲違いしている相手であっても。

 

「お前からそんな事を言われるなんて思わなかったけど……力になれたのなら、何よりだ」

 

 突然の賛辞に俺もなんて返せばいいか分からず、少しカッコつけた言い方をしてしまう。

 

「……俺は元々可可の応援を目的に来るつもりだった。あいつがあのライブを成功させるために俺にも協力を仰いだことがあったからな」

 

「可可ちゃんが……?」

 

 可可が作詞の件で俺に頼ってきたことはかのんは知らない様子だ。きっと可可が俺とかのんの関係性を知ってるから彼女なりの配慮として自分の手で考えたと言ってくれていたのだろう。

 

「詳しくはあいつに聞くんだな。あのライブがちゃんと成果が実ったものかを確認したくて見に来てたがあんなトラブルを理不尽に巻き込まれたんじゃ、流石に黙っていられなかった」

 

「颯翔……」

 

「でも、ああして声を掛けて俺は良かったと思ってる。クーカーのライブが成功したこともそうだけど、お前らのライブを見て……俺も勇気がもらえた」

 

「颯翔も……勇気を……?」

 

 どうして自分たちから、とでも言いたげにかのんは俺の発言に疑問を浮かべる。

 

「あの大会で優勝したサニーパッション、彼女らは可可の言う通りすごく良いライブを見せてくれてた。見てるこっちも楽しくなる気分になった」

 

 サニーパッションのライブ、それはその場にいる人たちを全力で楽しませてあげたいという彼女達の想いが籠っていた。彼女達の努力もあって観客側もその想いは伝わり一体感のあるライブを作り出していた。

 

「だが、お前らは違った。クーカーのライブは見てる者を感動させる力があった。サニーパッションが()()()()()()()()()()()()()ってコンセプトとするならクーカーのライブは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだなと勝手に理解してる」

 

「お客さんを楽しませる……ライブ……」

 

 かのんは自分たちがそこまでの力量を持っていないと思っていたからか俺の考察に対してもあまり納得し切れていないようだった。だが、自分たちのポテンシャルに気付いていない一面があるからこそ、あのようなライブを自然と披露できるということだろう。

 

「この学校に来て、久しぶりにお前と千砂都を見て、お前らとの格の違いを感じて、俺はとことん地に堕ちたなと絶望してた。でも、クーカーのライブはそんな心にも寄り添ってくれる優しさがあった。立ち上がる勇気をくれたんだ」

 

「颯翔……」

 

「だからこそ、俺はこんな所では終われない。俺は俺のやれることでお前らを超える。そして、俺の存在意義を証明する」

 

 そう言ってかのんに啖呵を切る。とはいえ勝負をするのは彼女ではなく千砂都の方だ。かのんにも改めて宣言しておかなければ俺の気が済まないと感じたのだ。

 

「……存在意義?」

 

 だが、かのんは俺の言葉を聞いて眉間に軽く皺が寄っていた。何か違和感を覚えているようだったが、そこまで時間を割いていられないと俺は階段を降りようとする。

 

「……話が長くなったな。じゃあな、せいぜいスクールアイドル活動がんばれよ」

 

「あっ、ちょっと颯翔!?」

 

 そろそろ出発しなければ恋さん達にどやされる。千砂都との対決のために燈香の力も借りて本格的な練習に入るのだ。踊り場で突っ立ったままのかのんに手を振る。

 

(俺はもう一度……俺が成し遂げたかったことを成すために……)

 

 上階からかのんが俺を呼び止めようとする声が聞こえるが、聞く耳持たずに校舎外へ出る。クーカーのライブを見て、願うようになった夢を叶えるために。

 

 





あなたがいなければ、わたしは変われなかった。




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千砂都の違和感


大変長らくお待たせしました。

本編46話です。

それではどうぞ!




 

「悪い二人とも、遅くなった」

 

 かのんとの突発密会を終えた俺は学校を後にして恋さんの家へと向かった。サヤさんに家の中へ入れてもらい、練習部屋に到着すると既に練習着へ着替え終えていた恋さんと燈香がストレッチをしながら待っていた。

 

「あっ……颯翔くん、お疲れ様です」

 

 俺が部屋に入ると恋さんは考え事をする素振りを見せていたが、すぐになんでもない様子を見せる。一方、燈香はむすっとしながらこちらへ返事をしてくれる。

 

「もう〜遅いよ颯翔くん〜! 準備は出来てるから早く始めようよ〜!」

 

 恋さんの声に元気がない事を感じ取るが彼女に声を掛ける隙も与えないように燈香が矢継ぎ早に言葉を被せてくる。燈香としても、折角こうして一緒に練習できる日が作れたのに当の本人が遅れてしまうのは文句の一つや二つ出てきてもおかしくない。

 

「分かってるよ。すぐに準備してくるから待ってろ」

 

 恋さんの様子も気になるが、今は準備を済ませることが第一のため、俺はひとまず練習着に着替えるべく部屋を一時的に離れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習着に着替え終えた俺は、早速恋さん達と合流した。そして、今の俺の練習状況を説明して、現在はダンスをやる前の準備体操並びに体力トレーニングをやってるところだ。

 

「颯翔くん、手先が落ちてますよ! 最後まで気を緩めずに!」

 

「お、おう!」

 

 平衡感覚の底上げとして実施している片足立ち。足一本で身体を支えなければいけない都合上、どうしても足に集中力がいってしまいその他の部位の姿勢が甘くなってしまう。

 

 そういった甘さを恋さんは遠慮なく指摘してくれる。一人で練習してるとどうしても自分に甘くなる節が出てきてしまうため、恋さんが見てくれることは本当に助かっている。

 

「颯翔くん、がんばって!」

 

 恋さんの檄が飛ぶ中、俺と同じようにトレーニングに参加している燈香がエールを飛ばしてくれる。

 

 燈香はダンスを嗜んでいたこともあり、体幹の良さが姿勢に顕著に表れていた。片足立ちを俺よりも長く続けているが芯がぶれることがない。それどころかこちらを見て笑顔を向けて話ができるほどに余裕を持っている。体力や筋力に関しては負けることはないと思っているが、バランスの良さは彼女に負けてしまうだろう。

 

「……燈香に負けてると思うと悔しくなってくるな……」

 

「えっ!? それって私、馬鹿にされてる!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「颯翔くん、今のステップは遅れてましたよ!」

 

「……マジかよ」

 

 体力トレーニングを終えた俺はダンス練習に入り、手拍子でタイミングを取る恋さんから先ほどと同じように叱責を受けていた。自分では上手く踊れていると思っていても恋さんの目には綺麗のそれには見えないようだ。ひとまずやれるところまでと思い、ダンスを続けていると燈香が待ったを入れてきた。

 

「二人とも、ストップ! ……颯翔くん、疲れてきてない?」

 

「えっ? 疲れなんて……」

 

 ない、と言い切りたかったが俺の身体は正直なようで既に息が上がっていた。練習を始めて30分ほどなのに肩で息をするにはあまりにも時間が早すぎる。

 

「……これまでの練習の疲労が溜まってるのか……?」

 

「過度な負担を与えているつもりはなかったのですが……」

 

 恋さんもこれまでの練習メニューを振り返って修正しなければいけないかと頭を悩ませる仕草を見せるが、燈香はそれは違うと頭を横に振る。

 

「颯翔くん、前屈を一回やってみて?」

 

「お、おう……?」

 

 突然、燈香から前屈をやるよう促され、俺はその場で座り込み前屈の姿勢に入る。そして、前屈を始めた瞬間、恋さんは燈香が言わんとしていた事を理解したようだった。

 

「これは……颯翔くんは身体が硬いのですね?」

 

「うん、さっきのダンスの動きに違和感があったんだ。動きは良いんだけど安定性に欠けるというか……一つ一つの動作に身体全部が持っていかれてるというか……」

 

「もしかして柔軟性の事か?」

 

 俺の姿を見て、恋さんと燈香が何を言わんとしているのかが理解できた気がする。前屈を行った姿を見ると、俺は足のつま先に指が辛うじて届いている程度でありダンスが日課だった昔と比べて柔軟性が格段に落ちている。

 

「うん、ダンスに限った話じゃないけど、スポーツをやる上で身体の柔軟性を上げるのはすごく大事なんだよ。無駄な筋肉を使う必要がなくなるから疲れにくくなるんだ~」

 

 燈香は実際に自分の柔軟性を見せながら解説してくれる。今までは体力が落ちていることを問題視しており体力の増強に重点を置いて練習を行っていた。そのため、柔軟の大切さが頭から抜けていたのだ。ダンススクールに通っていた時に柔軟も大事な要素だとコーチから教えられていたのにそれを忘れてしまっているとはなんとも情けない。

 

「颯翔くんなら柔軟に関しては問題ないかと思って、私も確認を怠っておりました。燈香さん、ご指摘ありがとうございます」

 

「恋ちゃんは気にしなくていいよ~! だって颯翔くんがこうしてダンス練習を再開するって決めてから考えることも多かったでしょ? 最初の内から課題が全部浮き彫りになるなんて難しいことだと思うから、そこは私も頑張ってカバーするよ♪」

 

 燈香の言う通り、俺がダンス復帰を決意してからというもの、大会への参加に向けて課題を整理してきた。その中でも大きく頭を悩ませていたものが俺の身体的事情だった。ダンス自体を再開できるかが問題視されていたこともあり、リソースがそちらに割かれていたのだ。

 

 だが、逆に言えばこのタイミングでやっとダンスのクオリティを上げることに注力することが出来るようになったとも言える。自身の課題である身体面の改善と練習場所の確保が完了したことにより大会に向けた本格的な練習をスタートさせることが出来るようになったのだ。

 

「悪いな燈香。やっぱり燈香が参加してくれてよかったよ。恋さんとじゃあ気づけなかったこともあるから、指摘してもらえると本当に助かる」

 

「えへへっ、私も颯翔くんには全力で頑張ってもらいたいもん。そのためだったら出来ることはなんでもするよ!」

 

 三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、燈香も交えることでこれからやらなければならない課題について容易に洗い出すことが可能になった。この二人といればどんなことで成し遂げられそうな安心感が俺の中に芽生えていた。

 

「そろそろ練習を始めて時間も経ちます。一旦、休憩を入れましょうか」

 

「は~い!」

 

 葉月家を訪ねてから既に2時間は経過している。体幹トレーニングやダンス練習で疲労は蓄積しているため、この後の練習に備えて休憩を挟むことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燈香が手洗いに行っている間、俺は持参したスポーツドリンクを飲んで休息を取っていた。休みながら考えていたこと、それは凪やクラスメイト達が話していたかのんと千砂都について。

 

 昔、俺はかのんと一緒に音楽とダンスを極めようと意気込んで練習していた。そして、千砂都はそれを横で応援するという構図ができていた。しかし、とある事件をきっかけにその構図は大きく原形を崩していった。気づけば、かのんの横にはダンスを練習していた千砂都が立っており、俺は蚊帳の外に追いやられていたのだ。その結果、俺という一人の人間が世界から突っぱねられたような孤独感を味わうことになった。

 

 その結果、凪に冷たく当たってしまったり、クラスメイトらの会話に不快感を覚えてしまうなど、相手を不愉快にしてしまうような状況を作ってしまっていた。同じ轍を踏まないためにこの大会で結果を出す必要がある。いや、出さなければいけないのだ。俺がまだ腐った人間ではないことを証明するために。

 

「……颯翔くん」

 

 部屋の一点をぼーっと見つめながら考えていると、恋さんが声を掛けてきた。何か考え事をしていたのかどこか声が不安気だった。

 

「どうしたんだ?」

 

「一つ、お聞きしたいことがあるのですが……」

 

 恋さんはそう言って、どこかバツが悪い顔をする。俺は状況が分からずただ彼女の言葉を待っているが、恋さんはすぐに一呼吸おいて続きを話す。

 

「嵐さんと……何かありましたか?」

 

 恋さんが聞いてきたこと、それは千砂都についてだった。まさか、かのんと同じ質問をされるとは思わず、運命の悪戯か、と俺らしからぬことを考えてしまった。

 

「恋さんまで……そんなにあいつの様子がおかしいのか?」

 

「私まで……というと他にも同じようなことを? もしかして……」

 

「あぁ、澁谷が同じことを俺に聞いていた。見るからに不機嫌そうな表情をしてな」

 

 今日、ここへ来る前にあった出来事。あいつも千砂都が何か抱え込んでる様子が見られるということから俺に問い詰めてきたのだ。

 

「そうですか……」

 

 ため息を吐きながらそうぼやく俺を見て、恋さんは目線を落としながら呟く。

 

「……それって恋さんも気にするほどなのか?」

 

「えっ?」

 

「確かに恋さんは周りの人間のことをよく見てるし、気に掛けてくれてる。だけど、そんな恋さんまで考え込んじまう内容なんてかなり面倒な事だと思うが?」

 

 恋さんは他人に優しい。自分のことを律している姿勢は言わずもがなだが、それを他人に強要せずその人の良さをしっかりと尊重して手を差し伸べてくれる。悩みでさえも恋さんに話してしまえば解決の糸口に繋がる手掛かりを見つけてくれると思えるのだ。だが、そんな恋さんの心につけ込んで悪巧みを考える人間も少なからずいるはず。千砂都はそんなタイプではないと思うが、世の中には人の善意を自分勝手な欲望に利用する鼻持ちならない人間もいるのだ。

 

 そんな不穏なことを考えていると恋さんは軽く吹き出すように笑顔をこぼす。

 

「安心して下さい。私は別に嵐さんからやましい頼まれごとをされたわけではございません。ただ……少し前に見たあの人に……どうしても納得できないことがありまして……」

 

「……なんだそれは」

 

 口を噤む恋さんに続きを話すように促す。恋さんは軽く息を吐いて本題を話し始める。

 

「……嵐さんが退()()()を所有していたんです」

 

「……はっ?」

 

 恋さんの言っていることが理解できず、顔を顰めながら問い返してしまう。だが、恋さんは俺の反応を予想していたのか神妙な表情を変えずに話を続ける。

 

「先日、私も颯翔くんとの練習に備えるためにダンス場を借りようとしていたのですが、練習場には嵐さんが先に入っていたのです」

 

「……あいつも大会に向けて、だな?」

 

「はい。嵐さんは先生にも教えを乞うて、大会に向けて準備をしているようでした」

 

 どうやら千砂都は千砂都で大会に備え、学校の先生に力を借りているようだ。実際、結高の音楽科の教師は音楽学校を通った人が多く、歌に楽器、ダンスに演劇と幅広いジャンルの音楽に力を注ぐことができる。俺は元々がダンスをするための基礎が出来上がっておらず、こうした練習を始められるまでに時間をどの程度要すのか見積れなかった。そのタイミングで恋さんから葉月家での練習を提案してもらったために今の状況となっている。

 

 千砂都は俺よりも一歩のみならず二歩、三歩、いや、もっと先を歩いているはず。ダンス経験者だった俺にあそこまでの啖呵を切れるということは彼女の実力は相当なものに仕上がっているはず。それであれば経験豊富で数多の大会に出て場数を踏んでいるであろう教師に教えを乞うことは千砂都にとっては一番の近道だ。

 

「私は先生が練習場を後にした姿を拝見してから室内に入ったので、そこには嵐さんしかいませんでした。颯翔くんとの勝負に全力を注ぐために、と彼女も気合が入っているようでした」

 

「…………」

 

「練習場に入って、嵐さんが休憩中なこともあって、少しの時間だけ談笑をしていたのですが、彼女が鞄から新しいタオルを出そうとした時に鞄を落としてしまって……その時に見てしまったのです。『退学届』と書かれた用紙を……」

 

「……そうか」

 

「見たのも一瞬のことでしたので、すぐに嵐さんは用紙をしまってしまいました。私もその場では見ていないなんてはぐらかしてしまったので、そこで話は終了してしまったのですが……」

 

 怪訝な表情を浮かべながら語る恋さん。これでこの話が全部作り話でしたなんて言われたら、今すぐにでも彼女は女優を目指すべきだ。だが、恋さんが頭を悩ませる様子を見るにこの話は真実と見える。彼女は他人の評価を下げるような発言や噂は流さないだろう。

 

 だが、それでも一つ不可解なことがある。以前に千砂都は俺の意志を継いでかのんの横に立つと意気込んでいた。だが、俺に負けたと仮定して、その悔しさや屈辱のみで退学にまで思考が及んでしまうのだろうか。千砂都にとって、かのんは初めてできた友達であり、大切な幼馴染だ。そんなかのんを置いてこの学校を離れるなんてことがあいつに出来るのだろうか。

 

(俺に負けた場合を考えて……かのんの事を……捨てるというのか……?)

 

 こんなことを考えてしまう俺自身も自分が馬鹿なことを言ってる自覚はある。あいつは俺やかのんと出会って自分の居場所を見つけられた。だからこそ、そんな居場所を易々と捨て去ることなんてできないはずだ。考えたくはないが、俺の知らない間に千砂都は友人も呆気なく切り捨てられる薄情な人間に成り代わっていたのだろうか。

 

「……ごめんなさい。今の颯翔くんにこんな話をしてはいけないことはわかっています。ですが、あまりにも唐突な出来事で……この学校で一生懸命頑張っておられたあの人があんな物を持っていることは只事じゃないと思いましたので……」

 

 恋さんはバツが悪い顔をして頭を下げる。彼女が謝ってしまう気持ちも分かる。今の俺と千砂都は頂点を争う敵同士。だが、恋さんからすれば俺たちは敵同士である前に幼馴染なのだ。敵同士と考えていても、幼馴染の異常な姿を聞いてしまえば練習に支障をきたしてしまうだろう。

 

「別に気にすんな。恋さんは優しいからな。あいつの様子を見て、居ても立っても居られなくなったんだろ?」

 

「……そうですが、それを颯翔くんに話すのは……!」

 

「安心しろ。俺が千砂都の事情を知ったからと言って、練習を疎かにするつもりはないさ」

 

「えっ……?」

 

「千砂都がどういった経緯でその結論に至ったのかは知る由もねぇ。だが、それはあいつ自身が自分に課した試練のようなものだろ? あいつが自分で決めたことに俺が口を挟む気はないし、そんな余地もない」

 

「確かにそうですが──」

 

「それに」

 

 尚も反論しようとする恋さんに俺は先ほどよりも声を大きくして彼女の言葉に被せる。

 

「言っただろ。俺はあいつと本気の勝負をすると。もし俺があいつの事情を知って練習をサボった、なんて知ったらどうする? あいつは、自分と真剣勝負をすると語った俺を裏切り者として軽蔑するだろうさ」

 

「…………っ」

 

「それと同時に俺が千砂都の心境に同情してわざと手を抜いたんじゃないか、なんて考えたりもするかもしれん。そんな八百長にも近い形で掴み取った勝利を……あいつは素直に喜ぶと思うか?」

 

「それは……」

 

 俺の言い分に恋さんは言い返すことが出来ずに言葉を失う。俺と千砂都は雌雄を決するべく今回の大会に向けて力をつけてきた。俺たちの事情を理解している恋さんが、図らずとも八百長試合に加担していたとなれば、恋さんはきっと二人の大事な勝負に水を差してしまったとして、ずっと後悔してしまうだろう。

 

「心配してくれてありがとうな、恋さん。だけど、俺はこの勝負であいつと真剣に向き合うつもりだ。そして、それはあいつも同じこと。本気でぶつかる相手にはこっちも相応の覚悟でいかないと、それは本気の相手に対する無礼だ」

 

 優勝という栄光を掴みたい人間ならば、対戦相手が勝手に弱くなってくれれば苦しい戦いをしなくて済むから有難いと思うだろう。しかし、俺たちは違う。自分の全てをぶつけて、自分の力を相手に証明したいのだ。俺たちの戦いの中にダンス大会というイベントがあるだけの話だ。千砂都と本気でぶつかれれば大会の決勝であろうが、初戦であろうが俺達には関係ない。

 

「分かりました。私も無礼を申し上げてすみませんでした。颯翔くんを少しでも不安にさせてしまったことを反省するために、私もより一層練習へ向き合いたいと思います」

 

「それはありがたいけど、穏便に頼むな……?」

 

 恋さんのスパルタが今よりも加速すると俺の身体がどうなってしまうのか考えたくなくなってしまうが、彼女が迷いながら練習に付き合うよりかは遥かにマシだ。

 

「お待たせ~! うん? 二人ともどうかしたの?」

 

 お手洗いを済ませた燈香はいつもの朗らかな笑顔で練習場に入ってくるが、俺たちの様子がどこか違うように感じたのか疑問を浮かべる。

 

「いや、なんでもねえよ。さぁ、練習を続けるぞ!」

 

「……はい!」

 

 燈香が帰ってきて幾分か空気が明るくなったのを感じた俺は気持ちを切り替えようと手を叩いて再開の合図を出す。

 

 千砂都が何故退学届を持参していたのか。そして、その真意は何なのか。千砂都に対して浮かんだ訝しさは片付いたわけではないが、練習の障害とならないように俺はそんな疑問を頭の片隅に追いやることにした。

 

 






こちらも本気にならなければ、無作法というもの。





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どうして貴方は?



お待たせしました。
本編47話です。

時間が空いてしまいましたが、それではどうぞ!




 

 燈香を交えた練習を始めてから数日後。

 

 学校で練習を重ねる千砂都に負けじと明くる日も明くる日も葉月家へお邪魔して、ダンスの精度を磨いていた。

 

 燈香との初練習で柔軟性に難があると指摘を受けてからというもの、家に帰った際に柔軟体操を織り込んでストレッチを行うようにした結果、筋肉の使い方が調整しやすくなり、以前に比べて格段に疲れにくくなった。やはり独学で闇雲に練習するだけでなく知見のある人間に教えを乞うことも重要だと再認識した瞬間だった。

 

 そんな中で恋さんの手拍子に合わせたダンス練習が今日も行われていた。

 

「……はぁっ……はぁっ……」

 

「はい、お疲れ様です。一旦休憩にしましょう」

 

 曲の最後をポーズで締めたタイミングで恋さんから休憩を促される。暫しの休憩となったが、俺は足がパンパンに張っており、休憩に入った途端に地を這うように倒れこんでしまった。ここまで2時間ほどぶっ通しで練習に費やしていたこともあって疲労が尋常ではなかった。

 

「颯翔くん、お疲れさま! だいぶしんどそうだけどお水いる?」

 

「サンキュー燈香……。だけど悪い、今は呼吸を整えさせてくれ……」

 

 燈香が横から水の入ったペットボトルを差し出してくれるが、それを受け取らずに俺は仰向けに寝転がり深呼吸をする。流石にこれまでで一番ハードな練習だったこともあり、練習終わりにすぐ水分を補給できるほどの余裕を持ち合わせていなかった。

 

「昨日よりも踊れるようにはなっておりますが、それでもまだ完璧には程遠いです。今のままでは嵐さんには勝てないでしょう」

 

「…………」

 

 呼吸を整えながら恋さんの厳しい発言を受け止める。この程度で息を切らして倒れこんでいるようでは本番の緊張に耐えられずにスタミナ切れを起こすだろう。それでは千砂都に勝つどころか他の出場者にも負けてしまう。

 

「でも、柔軟をやってるおかげで二時間踊り続けることができるようになってるのはすごいことだよね?」

 

「はい、それは事実です。燈香さんが練習に参画して下さったお陰でスタミナ面については申し分ないレベルに上がっていると思います。ですのでこれからが次のステップですよ」

 

「あぁ。次はダンスの精度を上げる所に重きを置かないといけないんだもんな」

 

 俺は身体を起き上がらせながら二人の会話に入り込む。大会に臨むための課題はクリアできつつある。残りはダンスのレベルに関してだが、ここからが本番と言っても過言ではない。

 

 ダンスの精度を上げると言っても、それは一日二日でどうにかなる問題ではない。本番までに基本の振り付けをマスターすれば良いだけの問題ではなく、指先にまで行かせる意識を無意識に行えるようにしなければいけないのだ。

 

「本番までまだ時間はあるんだもん。3人で頑張れば絶対なんとかなるよ!」

 

「燈香さんの言う通りです。やると決めたからには私達も全力で支援いたしますから、力を合わせて頑張りましょう」

 

 燈香のフォローに同意するように恋さんも笑みを浮かべる。そんな二人を見て、俺も益々のやる気に満ち溢れてくる感覚があった。

 

「そうだな、今更どうこう言っても仕方ねえ。やると決めたからには最後まで貫くのみだ」

 

「うん!」

 

 俺がやる気を取り戻した様子を見て、恋さんは立ち上がり手を叩く。

 

「それでは休憩も終わりにします。これから続きをやっていきますよ!」

 

「あぁ!」

 

 こうして、この日も恋さんの熱い指導の下で俺はダンス練習を繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

「流石に今日はハードだったなぁ〜……」

 

 その日の夜、練習を終えて燈香を駅まで送ることにした俺は明かりが少ない夜道を燈香と一緒に歩いていた。

 

 筋肉を酷使した反動からか腕を思いっきり伸ばすと程よい気持ち良さが感じられると同時に筋肉痛特有の痛みが押し寄せてきた。

 

「でも、颯翔くんってば気が付いたらどんどん上手くなってるから横で見てて凄く楽しいよ?」

 

「そうか? 自分では中々分からねえけど、燈香が言うならそうなんだろうな」

 

 練習を終えてからも笑顔が途絶えることがない燈香。そんな彼女から賞賛の言葉を貰えると疲れ切った身体も少しは元気を取り戻せるというものだ。

 

「だけど、これじゃあまだ足りない。これだとまだ……千砂都には敵わない……」

 

 燈香に励まされて嬉しさがこみ上げる一方で、ライバルである千砂都との立ち位置が変わっていないであろう事実に頭を悩ませる。彼女とのスタートラインの違いはあまりに大きいのだ。

 

「……ねぇ、颯翔くんはどうして千砂都ちゃんとの勝負にこだわるの?」

 

「え?」

 

 燈香は笑顔ながらも困り眉を作って質問をしてくる。彼女の様子を見るに今の問いが聞いてもいい内容なのか、内心迷っていたのかもしれない。

 

「颯翔くんが自分の夢を叶えるためにダンス大会に出場するのは分かってる。だけど、颯翔くんが千砂都ちゃんにどうしてそこまでこだわるのかが分からないんだ」

 

「あ~……それもそうだなぁ……」

 

 燈香は、俺と千砂都が幼馴染であることは知っているが俺たち二人がこの勝負に掛けてる想いは知らない。いや、知ったところで何も変わらないと思って話していなかった。これは俺たちのエゴのぶつかり合いなのだ。

 

「……子供の喧嘩だよ……」

 

「えっ? それってどういうこと?」

 

「これは俺たちが意地を張ってるだけなんだ。お互いに譲れないものがあるから……守りたいプライドがあるから……二人してヤケになってるんだ」

 

 俺は自虐気味に語りながら、燈香へ苦笑を向ける。高校生にもなって意固地になってる様は、側から見ても冷静になった自分が見ても、とても子供っぽく見える。

 

「どうして……? 二人は幼馴染で……この前ライブを見に行った時も凄く仲が良さそうにしてたのに……」

 

「……それもあの時の怪我が原因なんだよな」

 

「颯翔くん……?」

 

 一人でぶつくさ呟きながら歩みを止める俺に燈香は首を傾げる。

 

「俺とあいつがムキになってるのは、俺が元々負ってた怪我が発端なんだ」

 

「それって、颯翔くんの足の……」

 

 燈香はそう言って、俺と出会った頃から異状を知らせていた箇所である足を凝視する。

 

 だが、ここから先の話はただの自分語りになるし時間も遅い。これ以上燈香を遅くまで付き合わせるのは申し訳が立たない。そう思って俺は唐突に話を切り上げようとする。

 

「でも、こんな話を聞いても燈香には何も得は無いし、やっぱり聞かなかったことで──」

 

「聴かせて? 颯翔くん」

 

 燈香は両手で俺の右手を握り、俺の話を遮った。突然の彼女の行動に驚きはしたものの、俺はなおその提案を拒もうとする。

 

「燈香? でも……」

 

「……私は颯翔くんの想いを知らない。颯翔くんがどんな覚悟で大会に出ようとしているのかを知らない。ただ自分がこれまで出来なかったことに挑戦しようとしているだけだと思ってた」

 

 燈香は自分に言い聞かせるような口調で語り始める。そして、彼女の小さくそれでいて細くしなやかな手が握る力を強める。

 

「でも、今の話を聞く感じだとそうじゃない。このままだと、私は間違った認識のまま颯翔くんの練習に付き合うことになると思う」

 

「それは……」

 

「そんなの……いやだ……。今の私にとって、大切な友達である颯翔くんの夢が私の夢の一端でもあるの。だから、颯翔くんが嫌じゃなければ聴かせてほしいな」

 

「燈香……」

 

 彼女がここまで我を通そうとするのは初めてだ。今までは俺のことを第一に考えて、自分を抑えているような素振りがあった。

 

 いや、これも俺のことを考えての行動だろう。燈香自身が認識している覚悟の差はいずれ練習の熱量にも響いてくる。それこそ先ほどの「これでは千砂都に勝てない」と言った時みたいに何が俺を突き動かしているのかを知らないから困惑してしまうだろう。

 

 燈香は燈香なりに自分がやれることを探しているのだ。その一つに俺のルーツを探るというのことも入っているのだろう。せっかく燈香がこうして俺のことを気にかけてくれているのだ。その想いを無碍にすることは出来ない。

 

「……は、颯翔くん……?」

 

 そう答えを出すと俺はそっと彼女の手を握り返す。突然の握り返しに燈香は少し紅潮する。

 

「……分かった。燈香がそこまで言うなら、教えてやるよ。あんまり面白い話じゃないけどな」

 

「んーん、全然大丈夫! それならどこかへ移動する?」

 

「あ〜そうだな。立ち話もなんだし、近くのベンチに行くか」

 

 駅に向かう途中に公園があるので、そこへ向かうことで燈香と合意し、街灯と月明かりで照らされている道を二人で歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほらよ、いつものレモンで良いよな?」

 

「うん、ありがとう。ごめんね、わざわざお金を出してもらっちゃって……」

 

 ベンチに腰掛けている燈香に近くの自販機で買った飲み物を渡す。彼女には俺の事で多くの時間を使ってもらっている。これくらいの奢りでは足りないくらいだろう。

 

「気にしなくていいさ。燈香には世話になってるからな。これくらいしか出来ないけど、少しは礼をさせてくれ」

 

「ふふっ、じゃあ頂くね?」

 

 俺に断りを入れると燈香はペットボトルの蓋を開けて口の中にドリンクを流し込む。彼女に続くように俺も自分用に買った水を飲んでいく。練習してから時間はだいぶ経っているが、それでも熱帯夜になりつつあるこの時期ではただの水でさえもより美味しく感じる。

 

「……それで俺とあいつについてだけど……どこから話すかな……」

 

 燈香が知りたいのは俺が怪我を負った真相。そして、千砂都といがみ合うことになった理由。その為には少し前から話を展開する必要があった。

 

「俺があいつと知り合ったのは小学校の頃、昔の千砂都は今じゃ考えられないくらいに引っ込み思案だったんだ」

 

「あ、あんなに明るい子が引っ込み思案だったの……!?」

 

 俺の話に燈香は予想通りの反応をする。あれだけ元気ですぐに友達を作れる人物が昔は気弱な女の子だったなんて到底信じることができないだろう。

 

「あぁ。俺がもう一人の幼馴染と遊んでた時もあいつは一人で公園で遊んでたからな。それから千砂都と出会ったんだ」

 

 昔話をしながら、俺も当時の記憶を掘り起こす。あの時はとても充実した時間だったからいくらでも思い出を振り返ることができる。

 

「三人で公園で遊ぶようになって仲を深めていった時、俺と幼馴染はその当時からダンスや音楽に興味を持ってた」

 

「えっ、颯翔くんって小学生の頃からダンスを嗜んでたの!?」

 

「まぁ、そういう反応するよな。これでも習い事としてダンスを学んでたから地元ではちゃんと成績を収めてたんだぜ?」

 

 燈香の反応が面白く、つい一笑を挟む。かのんの音楽を誰よりも近くで支えると決めて勉強したダンスはちゃんと実を結んで今にまでつながっている。子供のお遊びで終わらずに現在まで続いている様が改めて不思議な縁だと思う。

 

「そっか……さすが颯翔くんだね。その頃からちゃんとやりたいことが決まってたんだ」

 

「その時の俺は、幼馴染を近くで支えたいって思ってたんだ。そいつはギターを趣味で弾いてた。昔はそいつが曲を奏でて、俺と千砂都が歌うなんて事を……よくやってた」

 

「……凄く楽しそうだね……」

 

 子供と言えども当時の青春を謳歌していた俺たちの話を聞いて燈香は羨ましそうにぽつりと呟いた。

 

「あぁ。その時は楽しかった。あの日が来るまではな……」

 

「あっ…………」

 

 俺のトーンが暗くなるのを察して燈香はいよいよ本題が来ると思って不安げな表情を浮かべる。燈香にとっては聞いてて楽しくない、俺にとっては話しても気持ちが和らぐことがない、お互いに心が痛くなる地獄のような時間が訪れようとしていた。

 

「それは、俺と千砂都が二人だけで遊んでた時に起きた出来事だ」

 






過去を振り返っても、返ってくるのは虚しさだけ。




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幼子の記憶


お待たせしました。
本編48話です。

今年一年も多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。
これからもご愛読のほど、お願いいたします。

それではどうぞ!




 

 燈香へ話すことにした出来事、それは千砂都と初めて出会ってから2年ほどが経過した時のことだ。

 

 千砂都は俺たちとの時間を長く過ごしたおかげもあってか出会った頃の内気な性格は少し鳴りを潜めており、かのんの明るさに影響されて快活な様子が窺えるようになった。

 

 

 

「あ〜あ、今日はかのんちゃんがいないの寂しいね……」

 

「店番をしなくちゃいけないって言ってたし、家のことは仕方ないよ」

 

 とある日、今日も学校終わりで荷物を片付けてから三人で遊ぶ約束をしていたのだが、かのんは家の事情により来れなくなった。澁谷家はこの頃から喫茶店を営んでおり、家の手伝いもするようにと親から言いつけられたのだ。家を訪ねた俺たちに事情を話す母親の後ろで、かのんがむすっと頬を膨らませて拗ねていたのは今でもよく覚えている。

 

 そんなわけで今日は二人で遊ぶことにしようと公園へ向かっている最中だった。

 

「でも、はやとくんとこうして二人で遊ぶのは意外と初めて?」

 

「あー……言われてみれば確かにそうだな?」

 

 千砂都に言われて、これまでの記憶を掘り返すが俺たちの横にはいつもかのんがいた。だから二人だけで遊ぶことは基本なかったのだ。そう思うと、この時間はとても貴重と言える。

 

「今日はうるさいのがいないからゆっくり遊べそうだな!」

 

「かのんちゃんのことをそう言っちゃだめだよ〜」

 

 普段はかのんが先陣を切って遊ぶ内容を提案してきた。だが、それはどれも走り回って遊ぶものが多く、活発で元気っ子なかのんにはお似合いだが、あまり運動が得意ではなかった千砂都にとっては少しきつい所もあった。

 

「それにしてもちーちゃん、ずいぶんと変わったよね」

 

「え?」

 

「初めて会った時は凄くおとなしかったのに、今では自分から率先して動くようにもなってるじゃん? なんか……すごいなって思って」

 

 かのんや俺の後ろをただ付いてきていた少女が今では休みの時間でもクラスメイトと頑張って打ち解けようとしている姿を見たことがある。引っ込み思案だった千砂都では考えられない行動を見れることが多くなって、つい親心を抱くようにしみじみと感じていたのだ。

 

「えへへ。でも、こんなわたしを生意気に思う子もいるけどね……」

 

 少し自虐気味になる千砂都。彼女の言う通り今の千砂都を快く思わない人間もいる。それこそ昔の彼女を除け者にしていた女子は、日の目を浴びない根暗な少女がクラス内でも人気の高いかのんとつるむようになり調子に乗っていると思っている。俺やかのんがいるため、千砂都に陰口を叩くことはないが、それでも俺やかのんに聞こえるようにそんな発言をしている姿もあった。

 

 それは直接耳にせずとも千砂都の目にも留まっている。彼女は元々いじめられっ子だった事もあり周囲の目に敏感だ。誰の目が自分に向いているのかすぐに判別できるようで、そういった侮蔑の目もすぐに感じ取れるのだ。

 

「そんなもんは言わせとけばいいんだよ。もしあいつらが何かしようとしてるなら俺が守ってやる! かのんに比べれば……頼りないだろうけど、でもちーちゃんをバカにするやつはぜったい許さねえ!」

 

 最初に千砂都と出会った時も、いじめられていた彼女を真っ先に助けたのはかのんだ。俺はいじめを救ったことによる報復が怖いタイプであり、自分から誰かを助けようとすることができなかった。だからこそ、自分の正義感に従って行動するかのんは女子ながらにかっこよく思えて、俺の憧れでもあった。

 

「んーん! わたしにとっては、はやとくんもかのんちゃんと同じくらいすごく頼りになるもん! だから、そう言ってくれて本当にうれしい……!」

 

 俺の情けない発言も千砂都にとっては些事だ。千砂都から見れば、先頭に立ってくれるかのんも横で支えてくれる俺も等しくかっこよく映っていたのだろう。

 

 正面から屈託のない笑顔を向けられ、心臓が跳ね上がるような感覚を覚える。

 

「な……あ、当たり前だ! 俺とちーちゃんは友達なんだからな! 友達のことは何があっても助けるもんだろ!」

 

「あっはは! うん、これからも頼りにしてるね?」

 

「お、おうよ! ほら、さっさと行こうぜ!」

 

 頼りにされる、という世の男子が一度は言われたい言葉を貰い、いつにも増して威勢が良くなる俺はこの場に立ってることに恥ずかしさを覚え、公園への歩行を早める。そんな俺の後ろを千砂都はにっこり笑って付いてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、公園に着いたし何で遊ぶ?」

 

 先ほどのやり取りから数分経過した後に、いつも遊んでる公園へ到着した。ここに到着したら、まずはかのんが開口一番に鬼ごっこを始めようと言い始めるのだが、今日は当人が不在。千砂都に何で遊びたいか聞き出そうとすると、彼女は突然ポケットの中を探り始めた。

 

「ちーちゃん?」

 

「えっとね……今日は……これで遊びたい……!」

 

「これは……風船?」

 

 千砂都がポケットから取り出したのは赤とピンクの風船だった。封から取り出したばかりなのかサイズがかなり小さく、折れ目などもついていない新品だった。

 

「かのんちゃんもいればよかったんだけど、せっかくだからはやとくんと一緒に風船で遊びたい……! だめ……かな……?」

 

 風船で遊んだのは幼稚園の時以来だ。小学生に上がって風船遊びをすることが子供っぽくて恥ずかしさを覚えてしまっていたからだ。でも、千砂都が提案してくれた遊びに対して断る理由が見つからなかった。

 

「へへっ、ちーちゃんが提案してくれたんだ。反対するわけねえじゃんか」

 

「……!! ありがとう、はやとくん!」

 

 俺の返事に華が咲いたような笑顔を見せる千砂都。早速、二人で風船を遊ぶための準備に入るのだった。

 

 

 

 

 

 

「ふっーーー! ふっーーー!」

 

「ふ、ふっ〜〜〜……! ふっ〜〜〜……!」

 

 二人で風船を膨らませる作業に入り、俺は順調に風船のサイズを大きくすることに成功する。しかし、千砂都の方はあまり大きくならずに風船は小さいまま呼吸で踊っているのみだった。

 

「ちーちゃん、むずかしい?」

 

「うん、がんばってるんだけど……。ふ、ふっ〜〜〜……!」

 

 顔一個分くらいの大きさに出来上がった俺の風船は、せっかく注入した空気が漏れないようにしっかりと口を結んで栓をする。手際良くやる俺の横で千砂都が苦戦しており、先ほどから状況が進展していない。

 

「まあ、これもコツがいるからなぁ〜……。ちーちゃんこれ持ってて? それ、ちょっと貸してよ」

 

「あっ、はやとくん……」

 

 俺は自分が作った風船を千砂都へ預け、彼女から風船を譲り受けると、風船が膨らみやすくなるように口の部分を引っ張り風船を伸縮させる。そして、先ほどまで千砂都が付けていた注入口に口を加えて思いっきり息を注入する。

 

「わぁっ……! すごい!」

 

 みるみる大きくなる風船に千砂都はぱぁっと表情を明るくさせる。千砂都の笑顔を見て、少し顔が赤くなる感覚を覚えたがその隙がとんだミスを引き起こす。

 

「……あっ!! やばっ!!」

 

 風船から意識が逸れてしまった為に風船が手からすっぽ抜けてしまい、せっかく注入した労力も虚しく風船が情けない音を上げながら宙を舞ってしまう。

 

「あー、風船が!」

 

 二人で上空に飛ぶ風船をただ眺めることしかできず、風船が中に入った空気を出し切ると、風に煽られながら静かに砂上へと落ちていった。ぱたっと静かな音を立てながら地に着いた風船を見て、情けなさと同時におかしさが込み上げてきた。

 

「……ぷっ」

 

「……ぷははは!!」

 

 しょげた女の子に良いところを見せようとした男の子が情けない姿を見せたからか、空気が抜けていく風船の(こえ)があまりに気の抜けるものだったからかはわからない。だが、二人して何故か笑いが込み上げてきたのだ。

 

「なんかおかしくて笑えてきたな」

 

「うん、どうしてだろうね……!」

 

「風船も砂で汚れちゃったし、ちょっと洗ってくるよ。ちーちゃんはそれ持ってて!」

 

 小さく萎んだ風船をそのままにしておくわけにはいかない。俺は自分で大きくした風船を千砂都に預け、近くの水道まで汚れた風船を洗いにいった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅー! ふーっ! …………よし、これでいいだろ!」

 

 綺麗に洗った風船をもう一度膨らませ、今度は離したりしないように注入口をしっかりと塞いで口を結ぶ。最初に作ったものと同じようにまん丸な風船が出来上がった。

 

「わぁっ……!! ありがとうはやとくん!」

 

「へへっ、別にこんなの軽いもんだよ」

 

「……さっき飛ばしちゃったけどね?」

 

「な、あれは俺が悪いわけじゃねえし! 風船が俺の手から滑ったんだよ!」

 

「ふふっ、そういうことにしておくね?」

 

「そ、そんな目で見んなよ〜!」

 

 千砂都から軽口を叩かれると思わず、ついトンデモ理論で言い返してしまったが千砂都は暖かい目を向けながらこちらを見てくるため、ムキになってる自分が情けなく見えてしまう。

 

「あっ! ねえはやとくん、その風船も貸して?」

 

「えっ? お、おう」

 

 千砂都から脈絡もなく風船を要求され、その意図を理解し得ぬまま風船を明け渡す。彼女は俺から受け取ると風船に向かってキュッキュッと何かを書き出した。

 

「?? 何を書いてんだ? ちーちゃん」

 

「……よしっ。はい、これ!」

 

 千砂都が見せてきたもの、それは風船に書かれた俺らしき少年の似顔絵だった。

 

「これ……もしかして、俺?」

 

「うん! もう片方には私の顔を描いてみたんだ! これで二人でお揃いにできるなって思って」

 

 赤い風船には俺の似顔絵、ピンクの風船には千砂都の似顔絵が描かれており、とても仲睦まじそうに笑い合っていた。

 

「べ、別に俺なんかにあげなくてもかのんにすればいいだろ?」

 

「もちろんかのんちゃんにもちゃんと作ってあげるよ? でも、まずははやとくんに!」

 

「な、なんでだよ……?」

 

 改まってプレゼントを貰えることが恥ずかしくなり、途端に天邪鬼が働いてしまい中々受け取らない俺に千砂都はめげる様子を全く見せない。それどころかむしろ微笑んでいた。

 

「だって私のことをいつも助けてくれるはやとくんが……すごくかっこよくて大好きだから!」

 

 かっこよくて大好き。それが友達としての意味合いなのか異性としてのそれかは分からない。だが、俺の心臓の鼓動を早めるには十分すぎる言葉だった。

 

「……おう、そっか……」

 

「だから、これからもわたしとずっと仲良くしてくれるとうれしい……!」

 

 空返事になる俺を他所に笑顔でそう語る千砂都。この際、彼女が笑顔になるなら俺が恥をかいてもいいかと思い始めた。

 

「へっ、当たり前だろ。俺たちはこれからもずっと一緒だ! ……俺だってちーちゃんのことが……」

 

『うぇぇ〜〜ん!!』

 

 千砂都にばかり言わせてしまうのも癪だからお返しの言葉を送ろうとした矢先、突如公園内に泣き声が響いた。自分たちの世界に浸っているわけにもいかず、すぐに周囲へ目を光らせる。

 

「なんだ!?」

 

「こどもが泣いてるのかな……?」

 

「……あっ! あの子……」

 

 千砂都が困惑してる中で、俺は泣き声の正体を見つける。公園の入り口付近で俺たちよりも小さな年端もいかない少年が立ってわんわんと泣いていた。放っておくわけにもいかないので、俺と千砂都は少年に近づいて泣いてる原因を聞き出す。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

「ひぐっ……風船が……飛んでいっちゃって……」

 

「風船? ……あっ、あそこにあるやつか……」

 

 少年が無くしたと嘆いてる風船、それは近くにそびえ立つ木の枝に引っかかっていた。その木は2メートルを超える高さであり、このような子供が取りに行くのはあまりにも危険だ。

 

「この高さ……取りに行ったとして、もし落ちたら大怪我を負っちまう。いったん父さんか母さんに呼んでもらった方がいいんじゃないか?」

 

「でも、もし風が吹いて風船が動いちゃったらあの風船が割れちゃうのも遅くないんじゃ……?」

 

「えっ……そ、そんなのやだぁ……! あれはあの子からもらった大切な形見なんだもん……!!」

 

 引っかかってる風船が自然現象に誘発されて割れてしまうのも時間の問題と千砂都は危惧したが、悪い予感を察知した少年はそんな光景は見たくないと反発してくる。

 

「形見?」

 

「……少し前に仲良くしてた子が転校しちゃったんだ……。その時に二人で作った風船を交換しあったの……。僕たちが仲良くなれたのもそれがあったから……」

 

 どうやら、この少年は友達が家庭の事情でここを離れることになってしまったために、二人をつなぐきっかけとなった風船を友好の証として作ったようだ。だからこそ、あの風船はただのおもちゃではなくこの子にとっては何物にも代えがたい絆の証なのだ。

 

 この少年の事情を聴いて、俺は内心迷っていた。

 

「………………」

 

「はやとくん? ……もしかして……!?」

 

 俺の様子がおかしいことをいち早く察した千砂都。

 

「……あれはこの子にとってとても大切なもの。それが失くなるかもしれないのに目の前で見てるだけなんて、俺にはできないや」

 

「でも、この高さは危ないよ! はやとくんが怪我しちゃうよ!」

 

「危ないのはわかってる! でも、この状況だったらかのんだって同じことを言うはずだよ。目の前で困ってる人がいるのに見過ごすなんてこと……あいつにはできないだろ?」

 

「それは……」

 

 もしかのんがその場面に出くわしたら彼女がどんな行動を起こすのか。想像するのは難くなく千砂都もすぐに理解して口を噤む。だが、尚も言おうとする千砂都に俺は彼女の手を握りながら自分の風船を預ける。

 

「俺は大丈夫。もし危なければすぐに戻ってくるよ。ただ、やれるところまでは挑戦させてよ?」

 

「はやとくん……」

 

「俺だってかのんの背中を見てきた。あいつの勇気を見てきたんだ。俺にだって……やれるはずなんだ」

 

 千砂都を諭している最中、一瞬だけ手が震える感覚を覚えたが千砂都を不安にさせまいと手に力を込めて自分の中にある恐怖をごまかす。

 

 千砂都からの返事を待たずに俺は風船が掛かっている木を凝視する。普段見てる分にはその高さを意識していなかったものの改めて注目すると思わず息を呑んでしまう。だが、この恐怖心に呑まれているわけにもいかず、俺は勇気を振り絞って登り始める。

 

(落ち着け……焦ることはないんだ……。一歩ずつ……)

 

 緊張に苛まれながらも逃げてはいけないと勇気を振り絞る。つま先だけでも足を乗せられるスペースを見つけながら少しずつ登っていき、いともたやすく枝分かれが激しいポイントにまでたどり着く。

 

 一度下を見てしまうと、血の気が引いてしまう感覚が出てしまうので決して下は見ない。千砂都の心配そうに見つめる表情へ大したことはないと言わんばかりに表情で返事をしたいが、今それをやろうとすると引きつった顔を見せてしまうのがオチだ。

 

「よしっ……あとはあの枝先へ向かうだけだ……」

 

 樹幹へたどり着き、一息つく。残りは風船が引っかかっている枝部へ向かうのみ。存外苦戦することが無かったため、俺の心にも少し余裕が出てくる。これであの先端で留まっている風船を確保できればミッションは成功。千砂都にもまた一つ頼れる姿を見せられると思うとさらに力が湧いてくる。

 

 呼吸を整えて挑戦を開始する。一歩進めるごとに枝の振動を直に感じ、一瞬歩行を躊躇してしまうが枝の主幹が折れる予兆はないため、構わずに歩みを再開する。

 

 先端へ進むごとに振動と同時に幹が音を立てているのが分かり、危険度が上がっていることがよく伝わってくる。でも、大きな衝撃を与えているわけではないため、未だ枝が折れる様子は見えない。

 

「あともう少しだ……!!」

 

 風船が目と鼻の先まで近づいており、これ以上は先端へ近づくのは危険と判断し、風船の先につながっている紐を指で捉えるように試みる。だが、微妙に距離が足りず指1本分届かない。

 

「くそっ……、もうちょいだってのに……!」

 

 近くに分かれている枝にも手を置いて、さらに手を伸ばそうと挑む。逸る気持ちともどかしさに襲われながらも少しずつ風船に近づいていく指。

 

 一瞬だけ力を入れて身体を前のめりに突き出し、ついに紐へ指が引っかかる。

 

「よしっ!! これでいけ────」

 

 これでいけた。そう確信した瞬間、俺は木に乗っている感覚がなくなった。

 

(……えっ?)

 

 風船を捉えた瞬間に俺は空中に浮いており、ただただ重力に従って地面へ落下しているのだった。

 

「はやとくん!!!!」

 

 自分が落ちていることを自覚したのも時すでに遅し。どこかに捕まることも出来ず、落下へ身を任せることしかできなかった。

 

 そして、何にも抗えないまま、俺は無情に地面へ身体を打ち付けたのだった。

 

「はやとくん……!? はやとくん!! はやとくーーん!!!!」

 

「ぁ……ぁっ……」

 

 身体全体に押し寄せる痛み。心配する千砂都に返事をしたいが、言葉が思うように出てこない。身体も動かそうと試みるが痛みのあまり、充電が切れたロボットみたいに横たわることしかできない。

 

 千砂都の悲痛な叫び声が響く中、途轍もない激痛に襲われてながら俺は意識を失うのだった。

 

 






俺はただ、胸を張れる男でありたかった。




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挑戦する意味



お待たせしました。
本編49話です。

それではどうぞ!




 

「そっか……、それで颯翔くんは……」

 

 俺が足を怪我する原因となった出来事を話し終え、俺と燈香はベンチに座ったまま黄昏ていた。

 

「あぁ。泣いてる子どもを助けようと粋がって……無理をした結果、大怪我を負う羽目になった馬鹿な男だ」

 

「それでも、颯翔くんはその男の子を見捨てておけなかったんでしょ?」

 

「……だからと言って、それで助けに行った人物が怪我をしたら元も子もない。俺は、その少年だけじゃなく一緒にいた千砂都も泣かせる羽目になった」

 

 燈香がフォローしてくれるも、それは全く意を持たない。

 

 無理を背負うことは決して悪いことではない。自分の将来のために夜更かししてでも勉強をする、近づいてくる大会に向けて練習時間を増やす。それは少なからず自分の身体へ負荷が掛かるがそれ以上の対価が還元されるのだ。

 

 だが、今回はリスクに対する対価があまりに少ない。子どもの形見を守ることと自分の命、どちらを大切にするべきか天秤に掛ければすぐに理解できるのだ。俺はそれらに加えて少年や千砂都に良い所を見せたいという欲求を満たしたいが為にリスクを背負ったのだ。

 

「素直に千砂都の忠告を聞けば、こんな苦しい思いをしなくてよかったんだ。千砂都はその件もあって、俺の意志を継ぐなんて言ってる。あいつが俺のために……自分を犠牲にするなんてこと……させたくない」

 

 千砂都がこうなってしまった原因は俺にあることは間違いない。かのんの隣で俺の代わりに支えると言っているのも、俺がダンスを出来なくなったからなのだ。俺が自分の我儘を貫いたが為に千砂都は責任を感じて、このようなことを言っているのだ。

 

「……颯翔くんも千砂都ちゃんも……優しいね」

 

「……一体、どこを見てそんなことが言えるんだ」

 

 燈香が優しい声で慰めてくれるが、彼女の真意が分からず俺は握り拳を強くして、燈香の言葉に異を唱えようとする。俺の怒気がこもった声に臆さず燈香はこちらを見つめて言葉を続ける。

 

「だって、今の二人は当時のお互いを想って、大会で結果を示そうとしてるんでしょ? 千砂都ちゃんは颯翔くんがダンスを始めようとした想いを守ろうと、颯翔くんは諦めざるを得なかった夢を背負おうとする千砂都ちゃんを守ろうとしてる。それってお互いのことを真に想ってないと出来ないことだよ」

 

「……別に俺は……そんなこと……」

 

 燈香からの返答は正論だと思う。俺が本気で千砂都の事を考えていなければ、彼女がやろうとしていることに付け入ろうとせずに放任していればよかったのだ。千砂都がやろうとしていることは単なる彼女の我儘であり、俺が干渉する必要はまるでないのだ。

 

「現に颯翔くんは千砂都ちゃんには自分の夢を追いかけてほしいと思ってるんでしょ? 颯翔くんに縛られない、千砂都ちゃんが真に望む夢を」

 

「………………」

 

「本当に、千砂都ちゃんが羨ましいよ。ここまで自分のことを考えてくれる人なんてそうそういないんだから」

 

 燈香はそう言ってベンチの背もたれに身を預けて真っ暗な空を眺める。

 

「当時の颯翔くんの行動は、結果だけ見れば正しくなかったのかもしれない。でも、颯翔くん自身の心に従った行動ならばそれは少なくとも間違ったものではないと私は思うな」

 

「燈香……」

 

「自分が下した決断を反省することは凄く大切。だけど、その時の自分を否定することは、当時の自分の想いを殺すことになるからやっちゃいけないと思うんだ」

 

 俺の握り拳に手を乗せて、燈香は暖かい言葉を送ってくれる。彼女の手の温もりにより、強く握っていた拳も少し綻びを見せた。

 

「話してくれてありがとね。おかげで私も颯翔くんが大会に掛ける想いを知ることができて、より力が入りそうだよ」

 

「……俺こそ、こんな喧嘩話を聞かせてごめんな。それと……当時の俺のことを庇ってくれてありがとう」

 

「別に私は庇うつもりなんてないよ? 危険なことをしたって事実は変わりないから、それはしっかり反省してもらわないといけないことだから」

 

「……ははっ、これは手厳しいな」

 

 燈香の優しい叱責に口元が緩む。彼女がここまで俺に対して遠慮なく物申すことは初めてであり、俺にとっては凄く新鮮なことだった。

 

「でも、確かに燈香の言う通りだ。あれは俺が犯した罪であり、これからも背負わないといけないこと。だからこそ、その贖罪として千砂都を俺から解放しないといけないんだ」

 

 俺は燈香の手をそっと振り解いてベンチから立ち上がる。立ち上がった先に見上げた空では漆黒の中で燦々と輝きを放つ満月が浮かんでいた。

 

 美しく照らされている月を数刻見つめた後に、燈香へと振り返り手を差し出す。

 

「俺の我儘を叶えるために、これからも付き合ってくれるか……?」

 

「もちろん! 私だって颯翔くんの友達だもん!」

 

 俺の問いに二つ返事で賛同してくれる燈香。俺の手を握り返すと同時に立ち上がり横に並び立ってくれる。

 

「千砂都ちゃんと仲直りして、もう一人の子も含めてまた3人で笑い合えるようになれるといいね」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 俺と千砂都が仲直りできた先を想像する燈香の横で、俺は目を細めながら頷く。

 

 彼女に話していない部分で仲違いしていることを隠しながら。

 

(それが叶うことは……絶対にないだろうがな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燈香に昔話をしてから翌日、今日も変わらず葉月家で練習を続けていた。

 

「お疲れ様です。今から休憩にしますね」

 

「……おう、分かった」

 

 昨日と変わらない厳しい練習ではあったが、心持ちが変わったからか疲労の度合いが明らかに違う。息は上がっているがそれでもまだやれる気概が残っている。すぐにでも練習を再開して至らなかったポイントの改善に動きたかった。

 

 俺の変化は恋さんにも分かるようで、昨日と様子が違う事をすぐに感づいていた。

 

「颯翔くん、今日はすごく調子が良さそうですね。何か良いことでもありましたか?」

 

「まあな、大会に向けてより本気になれるきっかけが出来たってところだ」

 

「颯翔くん、お疲れさま! さっきの練習で気になるところがあったんだけど……」

 

 恋さんに事の顛末を話そうとした矢先、燈香がこちらへ駆け寄って、通し練習で見つけたミスを指摘しに来る。燈香も昨日の件もあってか積極性が増してるように感じる。

 

「燈香さん、これから休憩に入ります。改善点は後ほどでも……」

 

「いや、話だけでも聞かせてくれ。練習を続けるわけじゃないんだ、これくらいはいいだろ?」

 

「……分かりました。では私も聞かせて下さい。この後の練習に活かしたいと思いますから」

 

「分かった! さっきのところでね……」

 

 そうして燈香から幾つか気になる点を指摘してもらう。話を聞きながら恋さんも相槌を打っており自分の中で考えていた構想と合致するところがあった様子だった。

 

「確かに、燈香さんが仰ることは私も感じておりました。次の練習ではそこを意識してやってみましょう」

 

「分かった。俺も気を付けるよ」

 

 話が終わり、各自用意していたペットボトルで水分を補給する。その最中でも恋さんは先ほどの燈香について言及する。

 

「そういえば、燈香さんも颯翔くんへしっかりと指摘するようになりましたね。普段はフォローに回ることが多かったと思いますが、なにかあったのですか?」

 

「実は颯翔くんの昔話を聴かせてもらってね、それで私も私に出来ることをしっかりやろうって思ったんだ」

 

 燈香は昨日の練習後にした話を恋さんへ伝える。大会に出る目的については恋さんも知っているため、特に驚きを見せる様子はなかった。

 

「燈香さんも聞いたのですね」

 

「私も……ってことは恋ちゃんも既に聞いてたの?」

 

「はい。と言っても大会に出る目的までしか私は聞いておりませんが」

 

 燈香から問い返された恋さんは間髪をいれずに答える。だが、自分が知ってる情報が燈香よりも少ないことを察したのかこちらへ意地悪な笑みを浮かべながらそう呟く。

 

「あ~、確かに恋さんにはそこまで話してなかったもんな」

 

「ふふっ、それはまた別のタイミングで聞かせていただくことにします」

 

「なんか含みのある言い方だけど……でも、ちゃんと大会までには話すさ」

 

「はい、お待ちしていますね?」

 

 恋さんにはいつも助けられている。彼女も元々の燈香と同じように俺がここまで本気に理由を正確には知らないのだ。こうして力を貸してくれる恋さんにも事情は話しておかないといつか疎外感を与えてしまうかもしれない。手を差し伸べてくれるからこそ俺も節度を持って相手をしなければいけないと改めて肝に銘じる。

 

「そういえば、大会で使用する楽曲はもう決めてるの?」

 

「いや、まだ決めてない。というよりもまだ決められない、の方が正しいか」

 

「どういうこと?」

 

 俺の言葉の真意を問うように燈香は素朴な疑問をぶつける。

 

「近い内に運営から大会で使用する楽曲のテーマが与えられるんだ。そのテーマに合うように俺たちの手で自分らしさを表現できる楽曲を探して大会で披露するんだ」

 

 このダンス大会へ出場するにあたって俺は事前に過去の大会模様を調べていた。どのような傾向があるのか、そこから推定される翌年のテーマは何かなど少しでも有利に戦えるように下調べをしていたのだ。

 

「過去にはBPM200以上、とかアイドルグループの楽曲を一人で、とか色々とあったみたいなんだ」

 

「へぇ〜、じゃあせっかく十八番とか用意してもそれがテーマにあってなかったらダメなんだね……」

 

「何をやるかわからない以上、今はダンスの基礎力をあげることが最善の選択、ということですね?」

 

「そういうことだ。でも、大会ごとにテーマが180度変わることもあるからどんなテーマが突きつけられるのか、少し怖いんだよな」

 

 前年にはレトロソングというテーマで来ても、翌年には過去5年までのアニメソングといったように真逆のテーマを出されることもしばしばあるようで、そのテーマに沿えるレベルで披露できるかという運要素も秘めているのだ。

 

「ですが、今はただ待つしかありません。私たちは私たちがやれることを精一杯やるのみです」

 

「そうだね! 大会に出るためにまずは根本からレベルを上げていかないとだもんね!」

 

 少し臆する様子を見せた俺に恋さんは檄を飛ばす。その言葉に追随するように燈香も一層の気合いを見せる。二人の熱意を見て、俺もウカウカしていられないと気持ちを引き締める。

 

「だな。よし、練習再開だ! もう一度頭から頼むぜ!」

 

 俺の掛け声に力強く頷いてみせる二人。こうしてこの日も、日が暮れるまで練習は続き葉月家は喧騒が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、学校で午前中の授業を終え昼休憩を迎えようとしていた。

 

「颯翔くん、一緒にお昼食べよ!」

 

「おう、いいぜ。恋さんも食べるよな?」

 

「はい、ご一緒させていただきます」

 

 燈香と恋さんは俺の提案に同意すると机の上に出していた教科書を鞄へとしまい、事前に用意しているお弁当を取り出す。俺の弁当は親が仕事へ行く前に作ってくれるのだが二人は自作しているのだろうか。

 

「わぁ〜颯翔くんのお弁当のハンバーグ、美味しそう〜! すごく形が綺麗でなんだか羨ましいな〜」

 

「そんなこと言うけど、燈香の卵焼きとか旨そうじゃんか」

 

 羨ましそうにこちらの弁当を見つめる燈香に対抗して俺も彼女の弁当を眺める。唐揚げや野菜など栄養のバランスを考えたメニューで並んでおり、思わず唾を飲み込んでしまう。その中でも卵焼きは海苔を挟んだ綺麗に渦巻きを象っており、特に食欲をそそっていた。

 

「お二人のお弁当、今日も変わらず美味しそうですね。自分で作っているのですか?」

 

「俺は親が作ってくれてる。前にも話したけど料理はてんでダメだからな〜」

 

 二人には以前に聞かせたが、俺は包丁を握らせれば指を切りそうになり、混ぜ物を担当すればシンクが汚れ、洗い物を任せれば皿を割りかける始末だ。そんな子供に親は料理の手伝いをさせようとはあまり思わないだろう。それもあって、俺自身も料理に苦手意識を持っているから、改善しようという気にならないのだ。

 

「私は自分で作ってるよ〜。お母さんに教えてもらって最近はちょっとずつ自分で作ってるんだ〜!」

 

「えっ、これ全部を自分で作ってるのか!?」

 

 過去に聞いた話だとお菓子を作れるくらいと話していたが、自分で弁当を作るくらいにまで料理を練習していたのだろうか。

 

「全部は流石にまだだよ〜。この中だと卵焼きは自作にして、それ以外は冷凍食品を使ってるんだ〜。盛り付けも自分なりに考えてやってるんだけどなかなか難しいんだよね」

 

「確かに、今は冷凍食品も充実してるらしいし時短も兼ねて活用できるものは活用するのが良いんじゃね?」

 

 母親の買い物に付き添った時に聞いたことだが、今や冷凍食品も進化を遂げている。電子レンジで温めるだけで飲食店で食べられる料理ほどにクオリティが上がっているらしい。俺の弁当にも少なからず冷凍食品は含まれているが、冷凍食品のそれとは思えないほどに味が良く母親が作ったものと勘違いしてしまうこともしばしばだ。

 

「恋さんのところってどうなんだ?」

 

「私はサヤさんに作っていただいていました。私が勉学に励めるように、と炊事に関してはお任せしていたので私も料理はあまり……」

 

「確かにサヤさんが専属で担当してくれるって考えるとついつい甘えちゃうよね……!」

 

 恋さんにも同じような質問を投げると少々気まずい表情を浮かべながら恋さんは返事をする。燈香が自炊している中でサヤさんに頼りっきりにしている自分が少しいたたまれない気持ちになっているのだろう。

 

「俺だってできないからそこまで気にする必要はないと思うが、そんなにか?」

 

「颯翔くんは男の子だからいいけど、女の子は料理ができるかどうかも今後のポイントになってくるの! ……だからと言ってモテるためにやってるかと言われたらそうじゃないけど……」

 

「他の皆さんも雑談で料理の事をお話ししていることもありますし、そういった関心が私には無かったので少々レベルの差を感じています……」

 

 燈香や恋さんの言う通り、女子であれば料理ができるイメージがある。男子は料理をやるイメージが付かないため、今後のステータスとしては必要に思えないように感じていた。そもそも俺は才能が無いため料理には手を付けていないが、それでも将来的には必須になることは間違いないだろう。

 

「こういうのってやれるタイミングで練習してみるしかないよな~。俺も才能が無いからで手を付けないっていうのも問題だろうし……」

 

「あっ! それなら今度私と一緒に作ってみる?」

 

「燈香さんと?」

 

「そう! 料理って一人でやろうとすると何から手を付ければいいか分からないし、その行程の意味を理解できないとなかなか身に付かないと思うの。だから私が横で教えながら料理をやればちょっとずつ楽しさが分かってくるようになると思うんだ!」

 

 燈香の言うことは一理ある。俺も何か作ろうと思ったとして、何から始めればいいのかが分からなくなる。食材の手を付ける順番も不安になるため、その行動に自信が持てなくなるのだ。そういった不明点を燈香に教えてもらいながらやれば成長の一端になるかもしれない。

 

「確かに燈香に付いてもらえば作法も少しはマシになるか……」

 

「私としてもそれは願ってもないことですが……」

 

「うん、ならまた時間を作ってそういった場を用意してみようよ! それこそ恋ちゃんのお家なら料理のエキスパートとしてサヤさんもいるから講師を頼めるだろうし、サヤさんがいてくれたらすごく心強いよ!」

 

「そうですね、サヤさんにもそういった場を準備頂けるか帰宅したら相談してみますね」

 

 恋さんの返答に笑顔を向ける燈香。これはダンス練習とは関係ないことだが、ダンスに根を詰めすぎてもパフォーマンスに悪影響を与えるだけだ。それならば一つの息抜きとして考えればこれもまた一興というものだろう。

 

 そんなことを考えていると恋さんのスマホが何かの着信音を発した。

 

「……何でしょうか? 少し失礼しますね」

 

 俺たちに一言断りを入れて、恋さんはスマホに届いたメールを確認する。恋さんが集中している間、燈香と話でもしていようかと思った矢先に恋さんが少し声を荒げた。

 

「えっ……!」

 

「恋さんどうした?」

 

「実は……ダンス大会での楽曲テーマが発表されたのですが……」

 

「おっ、ついに!? 一体どんなテーマなの?」

 

 燈香と俺は前のめり気味に恋さんへ近づくが彼女の表情が浮かないものなのが気になる。

 

「それが……”1年以内に発表されたアイドルソング”というものです」

 

「1年以内に発表された……アイドルソング……?」

 

 あまり触れたことのないジャンルに挑戦しなければいけない予感を覚え、俺は一抹の不安を感じるのだった。

 

 






俺にも、あの子にもある。

心に秘めた負けられない想いが。



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