魔法科SSシリーズ (魔法科SS)
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魔法科SS(深雪×達也編)
1. いつまでも初恋のときめき


これが初SSです。深雪→達也の恋愛感情についての考察がメイン。

まだ魔法科の二次創作自体が手探りということで、キャラクターの内面を描くだけのショートショートから始めています。原作っぽい解説ができてたらいいな。

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1315410


 裕福な家柄の子女が通う小中で過ごした深雪は、同世代の色恋というものを実際に見る機会がなかった。男女交際に開放的ではない校風に加え、全生徒のスターたる美少女の前で「世俗的な」恋愛を見せたがる学生などいなかったからだ。

 また、ロマンスを扱うコンテンツを見る趣味も薄かった。退屈で「芸術的な」純愛映画を教養として眺めた程度だろうか。

 しかし深雪は、箱入り娘というイメージでもないし、ウブと呼ばれるタイプでもない。むしろ、大人の男女関係に至ることを前提に「恋愛」を捉えているところすらある。

 そんな擦れた感性を持つに至ったのは、愛のない結婚をした両親を見て育ったゆえか。深雪は男女の情というものを幼稚だと思う一方で、いかがわしいもの、はしたないもの──汚らわしいものと認識しているきらいがあった。そして彼女を慕った級友たちも、恋愛の価値を低く見積もる深雪に同調する意見を持っていた(学園のアイドルと接するファンとしては、その方が好都合だったからだが)。

 深雪にとって恋愛とは、その程度のものにすぎない。だからこそ、自らが達也に捧げる愛情は純粋な「愛」なのだという自負と自信がある。

 (こい)という言葉は、「乞う」にも通じる、相手を求める行為のこと。足ることを知らない、欲張りな感情だ。でも、私は何も求めない。だから恋ではなく、お兄様を愛している、お兄様の妹として尽くす、ただそれだけ。言うならば、妹としての義務を果たしているにすぎない──。これは本気でそう思っている部分である。

 しかし、恋愛感情ではないと思っているのは本人の無知と錯誤ゆえで、彼女の内面は完全に「初恋の女の子」そのままだと言えた。それも一時的なものではなく、恒常的な在り方として、そうなのだ(常時のことゆえに、ますます本人の自覚する機会も失せるのだが)。

 たとえば、軽く指が触れ合ったり、肩に手を置かれたりしたときなど。

 まるで「告白のできない少女」が、想い人に向けるような反応が彼女の中で生まれる。

 思わずスキンシップが発生したときには、飛び上がりそうになる体を理性でおさえつけ──達也の前で「はしたない女の子」である姿など決して見せられないからだ──、喉の奥から出る寸前の悲鳴──嬌声と呼ぶべきか──を寸前で飲み込む努力をしてからでないと達也と目を合わせられない。

 そのように、兄との距離が物理的に縮まるにつれ、深雪の体温や心拍数は加速度的に高まってしまう。

 達也は護衛任務という意識も優先して、日常的に彼女の肩を抱き寄せるが、そのあいだ深雪はずっと、片想いしている男子に密着されてしまった少女さながらの「緊急警報」が鳴り、「非常事態」に陥っていると言えるだろう。

 このまま心臓が爆発して死ぬんじゃないか。

 達也への愛をみずから認めるようになれたのが三年前で、その後の深雪は毎日そんな非日常を体験している。それは加速することはあっても醒めることなどはなかった。

 ふたりをまるで熟年カップルのよう、と比喩する友人もいるが、それは強気に平静を保っている深雪の表面を見て評しただけのことだ。

 三年たっても、深雪は「初恋」のまま変わることのない少女だった。

 相思相愛に映るほど仲睦まじいふたりだが、むしろ「初恋」を意識的に処理できない深雪からすれば、いつまでも告白前の、憧れの人をひそかに慕いつづけるような、触れられるだけで身が砕けてしまいそうな、少女らしい初々しさが消えなかった。

 彼のために料理を作るときも、セットのマグカップでコーヒーを飲む瞬間も、マッサージの世話をするときも、自分の名を呼ぶ声が耳朶を打つときだって、深雪の胸は高く高く弾む。

 締め付けられるように、胸が痛い。

 激しすぎる動悸のおかげで、胸が苦しい。

 その心理状態を喩えるとしたら、一番イメージしやすいのは、「片想いを秘めながら好きな人に接近されてしまった女の子のよう」、なのだ。

 目を閉じればいつだって「初めて好きになったときのこと」が曇りなく思い出せるし、思い出すまでもなく想いが薄れたことなどない。

 しかしどんな熱愛カップルであれ、何年も一緒に生活していれば、互いに慣れも生じ、「ときめき」や「憧れ」といった幻想は、現実的な「愛着」「尊敬」へと置き換わっていく。その変化が訪れる期間は、早ければ数ヶ月もかからないし、長くもって三年が限界だという。しだいに「恋人」が「家族」へ、「他人」が「自分の生活の一部」へと上書きされていくということだ。

 ひとつの恋心を新鮮なまま長く保つのは、人間という動物の本能からすれば脳の機能的に困難であるそうだ。

 それゆえに、恋多き人種にとっては浮気が絶えない原因となるし、逆に恋に焦がれない人種にとっては伴侶との良好な関係を築く秘訣にもなる。それが自然な本能なのだとすれば。

 だとすれば、深雪の持つときめきはあきらかに人間の本能を超えている。

 兄と一緒に暮らして、生活をともにするようになっても、達也は想いつづけることに値する男性だった。恋という、花火(スパーク)のように不安定な幻想が、やがて安定期に入るはずの自然法則とは無縁だった三年間。

 これは過負荷に耐えられず、脳細胞が焼き切れていてもおかしくないのではないか……。

 深雪自身がそう内省するきっかけなどは現状において存在しないのだが、もしも自分の心理状態を客観的に観察することになったとしたら、そう懸念を抱くのも当然の状態といえた。

 このような感情のかたちは、奇跡と言えるかもしれない。

 ──常軌を逸したブラコン。多くの友人たちは、その行き過ぎた慕い方を見た上でこう呼ぶが、評価としてはまったくにおいて正しいだろう。

 ただし、肉親への愛情を越えている、という意味での非常軌ではない。「恋心の不変性」という点で、彼女の心は本能のタガから外れている。

 妹として愛し、妹として愛されつづければつづけるほど、処理のできないときめきが彼女の胸の中で高まりつづけ、止むことがない。

 ……ちなみに達也はというと、どうやら血行や新陳代謝がいいようだな、くらいにこの状態を認識しているから始末におけない。

 もちろん、時々テンションが変に上がったり、耳まで真っ赤になるほど紅潮するのは異常かな、とは感じている。妹がさりげなく押し付けてくる胸ごしに伝わる動悸が、不自然に激しいことも知っている。しかし、優等生の妹は「それ以上のボロは出さない」ことに長けすぎているとも言えた。

 ボロを隠すどころか、さまざまな自己暗示の結果だろうか、兄のおかげで高揚しているときこそ、彼女は最大のパフォーマンスを発揮できるように自らの内面を「調整」できていた。

 頭が真っ白になって何も考えられなくなるような恍惚状態から、その胸の高鳴りを、陶然としながらも前に進むエネルギーへと変えるすべをいつのまにか身に付けていた。

 彼女にとり、兄から受け取るものは全てが「恵み」なのだから、糧にならないはずがない。そんな意志と思考に裏付けられたエネルギー回路だった。

 妹への愛だけが「通常」でいられる達也に対して、深雪の場合は、兄への慕情だけが「異常」を通過しているという点で、似つつも非対称的な関係かもしれない。

 そして、つける薬がどこにも見当たらない関係でもあった。

 これは恋だ、という認識をしていない深雪であっても、自分がなにかの病状を患っている気はしている(それはつまり、重症の恋患いなのだが)。

 ……でも今はまだ、この病を癒すときではなく。

 いつまでもこの高鳴りを、あなたのそばで感じていたい。

 いつの日か、お兄様に私の全てを捧げることになってからも、この想いのままでいたい。

 深雪が自分の「病気」に対して願うのは、そのたったひとつだけだった。

 

 

 

 

 

 




第2話「一番大切なひと」へつづく


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2. 一番大切なひと

習作として書いた順番でいえば、これは3作目でした。

でもシリーズの繋がりとしては第2話に位置づけています。原作の世界設定に対する、妄想補完がちょっとありますのでご了承ください。

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1316659


『深雪は、俺と男と女の関係になりたいと思うのか?』

 

 それは幻聴。

 抑圧された深雪の欲求が生む、夢うつつの空想。言われたい言葉。しかし聞きたくない言葉。

 それに対して深雪は、無意識の中で応える。いつもと同じ返事を。

 いいえ、妹がいいのです。深雪は妹でなければ、(いや)なのです。

 だって男と女なんて……、「他人」同士ではないですか。

 ここで深雪が考えている「男と女」とは、自分の両親や、父の愛人関係が身近なサンプルとしてあるのだろう。夫婦も、恋人も、代わりの利く「赤の他人」にすぎないと感じる。でも、血の繋がった兄妹であれば……。

 深雪は兄との繋がりを、血縁によって一番強く感じている。お兄様に続いて生まれた、同じ素材(もの)で作られた妹であること。それが達也を慕うわけとして、最も自分を納得させられる理由だった。

 と同時に、深雪の心は、「自分が達也のものである」と文字通りの意味で認識している。であればこそ、男女の情が達也以外の誰かに向けられたりはしないのだ。なぜならば、私の身体だけでなく、精神(こころ)もまたお兄様のものなのだから、と。

 精神の一部でしかないのが恋愛感情だが、一部にすぎないからとて「私のもの」だとは思えなかった。

 深雪も、兄妹間に恋愛は無関係だと知っている。それは達也に捧げなくてもいい感情のはずだ。だとしても、自らの恋する機能を自由にしていいかは別だった。何もかもが、兄のものでなければならない。

 しかし、いずれ四葉家の責務として誰かと婚姻を結ばなければならない、という予想図が、彼女にとって最もリアルな世界だった。そこには浮いたロマンスすらもなく、恋愛の一般論も通じない。それが切実な境遇なのだ。

 だから深雪は、男女関係について考えないようにしている。

 望まぬ未来を回避したいという気持ちは、達也と「男と女」の関係になりたいという願望と表裏一体になるはずだが、そのどちらも意識をしたくない。

 片方を意識して、もう片方と葛藤してしまうよりは、どちらも意識しないことによって現実から逃れることを、まだ子供である深雪の精神は選択していた。

 なにより、達也への愛の結果として結ばれるのではなく、自分を守ってほしいというわがままで結ばれたい、という動機の不純さは、深雪の自尊心を汚すことでもあったから。

 兄を自分の逃げ場所にしたくはないという気高い心と、兄になら全てを捧げてもいいし奪われてもかまわないという献身の心。

 そのふたつのコンフリクトが、深雪に一線を越えさせないでいた。そう、深雪からでは、越えられない。──では、達也の側からならば。

 お兄様は、私のことが世界で一番大切だと言うだろう。それは数日に一度のペースで、欠かさず告げてもらえる愛の言葉。

 しかしそれは、「私以外が大切ではない」という事実の裏返しでしかない。

 誰にも負けない兄、誰よりも秀でた兄のことを想うと同時に、達也が「戦略級魔法師」という名でも呼ばれていることを深雪は思い出す。

 すべての魔法師の中で、一握りしか存在しない等級(クラス)と認められながら、さらに群を抜いた威力の魔法を手にしたひと。

 そして達也は、その脅威的な魔法を抑止力として役立てるのではなく、戦場において「実用」した兵士としてもイレギュラーな存在となった。

 達也自身は、すでにその異常さを割り切ってしまっている。これは外道の仕業だと、悪魔の所業だと客観的に認識し……、そして人間兵器としての精神的重圧を、耐えきった。

 達也の「情動的欠陥」は、その点で有利に働いたと、彼自身は冷静に理解している。あるラインを超えた感情をシャットダウンしてしまえることは、「質量爆散」(マテリアル・バースト)の遣い手として確かに適当かもしれない。

 戦略級魔法師……その中でも、国際的に公表される「使徒」として扱われるには条件があるという。大規模破壊の術式を、ただ「発動(キャスト)」させる能力だけでは不十分なのだ。本当の戦場において、「命中(ヒット)」させる精神を併せ持つか否かが、あらゆるシミュレーションによって試される。

 その上ではじめて、彼らは公的に管理される「兵器」と等しくなり、個人ではなく国家が「殺戮の責任」を肩代わりしてやることもできるのだ。

 虚弱体質で知られる五輪澪ですら、儚げな容姿とはうらはらな気丈さゆえに「使徒」の座に就いている。魔法科の高校から大学にかけて、澪が残した記録は非肉体系の成績に限定されるものの、「勇壮」「果敢」と呼んで差し支えのないものだと知る者は多い。

 戦略級に限らず、「潜在的な殺傷力が高い魔法師」らが精神恐慌(パニック)を起こさないようにケアすることは、治安や軍事を司る組織にとって最重要事案のひとつとされている。

 戦略級魔法師の心理的ケアという点において、達也の上司である風間は兄をじゅうぶんに人間扱いしてくれており、その心配りに深雪は感謝をしていた。

 殺戮にも耐えられる精神だからこそ、いつか「それ」に対する感覚が麻痺してしまわないか知れたものではないからだ。

 重度の後遺症を残したり、廃人と化すようなことがない代わりに、「静かに狂っていく」可能性が高いかもしれない。

 達也にとって本当に危ぶむべきは、「当たり前の人間の感情」を失うことなのだから。そして達也自身は、もうすでに「そこ」に片足を突っ込んでいる、と考えて(諦めて)しまっている。

 深雪はそんなことはないと思う。達也も、傷付くところでは傷付き、悲しむところでは悲しむ人だと知っているから。兄以上に、私がそのことを知っていると思うから。

 だから深雪にとって、達也がまともに有している「人並みの感情」というものは、残された唯一の激情──深雪(わたし)への愛──と変わりないくらいに、愛おしく思える宝物なのだった。

 だから深雪は、達也の人間らしさから目を離さない。達也の人間らしさを見つけるたびに、いつくしみをこめて触れてあげようとする。達也が忘れてしまわないように。失わないようにと祈りながら、ともに心を感じ、ともに歩こうとする。

 闇の中をさまよう兄の手をとりながら、光の指す方向はあちらなのだと誘導するかのように。それは彼女にしかできない役割だ。

 たびたび達也自身が吐露する「俺は深雪がいることで救われているんだ」という言葉は、うぬぼれるまでもなく信じることができる。

 それは文字通りの事実でしかないから。

 「救いを一種類しか持たない」という、ただの残酷な事実にすぎない。

 お兄様は、私以外を大切に思うことができない。私ひとりが例外だからこそ、私を必要としてくれるのだ。

 ……でもそれは、「私自身」が求められていると言えるのだろうか? この疑問が、いつも深雪の胸をキリキリと締め付ける。ちゃんと「私」を求めてほしい、という感情の波に揺さぶられる。

 私自身を見てほしい一心で、自分を磨こうとする。飾りたて、背すじを伸ばす。

 そして無防備な姿で、その身を兄に委ねる。

 ──私だって、お兄様「だけ」を見ているのは同じ。でもそれは、達也という一人の男性を自分で「選んだ」からだ。このひとの妹として生まれたという運命を、全身で受け入れたからだ。

 実際、深雪にとって兄以外の人間がカボチャやジャガイモに等しいのは確かだが、決して「誰もが平凡に見えてしまうから兄が特別」なのではなくて、「兄が誰よりも特別だから兄以外は平凡に映る」という順序が正しい。

 だが達也はその逆だ。何もかも特別ではないからこそ、妹にこだわるのだ。

 その事実が、深雪にとっては辛い。

 「私」を必要としてほしい。「私」が「深雪」だからという理由で、お兄様に喜んでいただきたいのに。「私」が「深雪」だからという理由で、お兄様の役に立ちたいのに。「私」が「深雪」だから、お兄様を理解できるのだと思いたい。もっと「深雪(わたし)だから」を感じさせてほしい──。

 少しでも安心を得るために、深雪は薄い空気から酸素を求めるような切なさで、達也に必要とされる自分を確認しなければならなかった。

 もっと。もっと。お兄様にとって、掛け替えのない「私」である証明がほしい。

 もし私ではない司波家の子供がいたとして、もしその子にお兄様の愛情が向けられたとしたら、その子が「私の代わり」になっていたのだろうか……なんて考えたくもないのだ。

 しかし深雪の胸に穿たれた「渇望」という名の空洞は、決して埋まるものではなかった。

 もっと、もっと。より深い証明を求めれば求めるほど、その深さは足りなくなる。

 少しずつ、深雪は欲深くなっていく。

 どれだけ達也に捧げても、満たされない。

 どれだけ達也を満足させても、何かが足りない。

 それなのに、達也のそばで役に立とうとしなければ、不安で仕方なくなる。

 ──お兄様は、ずるい。

 深雪が兄に対して恨み言を漏らすことは数少ない。しかしそれでも、この仕打ちはあんまりだと思うのだ。

 こんなにも、私を不安にさせるお兄様。

 一緒でいられる幸せを噛み締めると同時に、一緒にいるだけではと焦る心に襲われる。

 どんどん欲深くなっていく深雪は、心の奥底で、本人の自覚もできない意識の深層で、おそるおそる兄を責め立てる。

 そして、乞いねがう。

 ──私を安心させてください。

 私だからとか、私じゃなかったら、なんて悩まないでいいくらいに、私を独り占めしてくださいませんか……?

 なによりも一言、「ばかだな、深雪は」と仰ってください。

 そしてもう一言、「お前は、俺のものだよ」とだけ囁いて、その腕の中に、抱きしめてください。

 深雪は其処(そこ)にすっぽりと収まるために、司波達也の妹として、この世に生まれてきたのだと……。ずっとずっと信じているのですから。

 

 

 

 

 

 




第3話「ある一人の犠牲者について」へつづく


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3. ある一人の犠牲者について

執筆順でいえば、これが5作目でした。

無名の一科生から見た、深雪さんの姿を描いたSSです。このあたりからセリフや状況描写を加えるようになりました。

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1316731


「あなた、最近の成績落ちてるみたいだけど、大丈夫なの?」

 第一高校の一年A組には、ブルームの立場でありながら、授業に全く身の入らない女子生徒が一人いた。

 激しい実力主義で知られる魔法科高校だからこそ、カリキュラムについていけなくなるような事態は、死活問題に関わる。なんといっても、代わりとなる「スペア」には事欠かない学校でもあるのだから。

「うん……」

 彼女は今年の九校戦で、新人戦に抜擢された女子メンバーの一人。付け加えるなら、エイミィとスバルに付き添って、深雪とほのかと雫の三名を温泉施設に誘いにいった二名、のうちの一人だ。

 九校戦の出場選手の一員である以上、こと魔法力に関してはエリートの仲間入りをしていたはずの生徒である。だが、夏休み明けからしばらく経ったこの時期にあって、まずは魔法以外の筆記から成績が落ち始め……、今では魔法理論・魔法実技のどちらも低下しつつある。

 その理由は、エイミィに誘われて入ったあの温泉にある。

 正確に言えば、司波深雪と同じ湯船に浸かったことが原因だ。

 湯で濡れた薄衣を肌に張りつかせた深雪の裸身からは、学校では知ることのできなかった色香が漂い、一瞬で彼女はその虜となった。

 もちろん、深雪に魅了されたのは彼女だけではなかった。……が、一人だけ熱のこもり方が違う目をしていたことを、他の女子たちは気付いていない。

 一触即発の空気で、深雪に襲いかかるも寸前だった彼女たちの煩悩は、ほのかと雫が冷や水を差したことで有耶無耶となったわけだが、実はこの女子生徒が「最も危険な状態」にあったのである。

 エイミィとスバルと、そしてもうひとりいた生徒は、女の子同士で日常的にセクハラな雰囲気を作り出す常習犯だったから、その中にまぎれて目立たなかっただけだ。

 その時のことを思い出していると、ふっと教室内にいる、深雪の姿が目に入った。クラスメイトと会話を交わしながらも、どこか物憂げな面持ちが、いつもながら兵器級に可愛らしい。

 ほぼ自動的に、浴場で目に焼き付けたあられもない姿が、この現実の深雪に重なって見える。

 ああ、もう一度ホンモノで見たい……。

 気がついたら、自由時間が終わっていた。

「おーい! ホントに大丈夫?」

 しつこく何度も名前を呼ばれていたらしく、ガクガクと肩をゆするクラスメイトの声で、ようやく我に返る。

「いや……大丈夫。んじゃない、と思う……」

 

 

 そう、大丈夫じゃない。

 九校戦でトドメを刺されたのが、ピラーズ・ブレイクのときの巫女装束と、フェアリー・ダンスのコスチューム。

 そのふたつの衣装は、会場全体を熱狂の渦に巻き込み、各校の生徒から大量のファンを集めた「晴れ姿」だったわけだが、その下の裸身を見てしまっていた彼女にとっては、発禁レベルに色めいて感じられたのだった。

 ……ようするに、(女子の競技に卑猥な目線を向けていた)一部の男どもと比較しても、よっぽどみだらな意識でしか見ていなかったのがこの女子生徒、ということだ。

 そんな自分のふしだらさを知って愕然としつつも、多大な脚光を浴びる深雪を目の当たりにしたことで、「本来ならばおいそれと親密になれないくらいの相手」だったという現実にも気付かされたのは幸いだったと言えようか。多くの者たちは、彼女の美しさを神聖なものと讃え、不可触(アンタッチャブル)な貴人のごとく扱っているというのに、自分ときたら……と恥ずかしく感じた。

 それ以来、彼女にとっての深雪は「可愛いクラスメイト」というポジションから、「いけない情欲を誘う少女」であると同時に、「手の届かないスーパーアイドル」へと変化していた。

「いや……変化したのは深雪さんではないわね」

 変化したのは私自身。

 あれから私は、自分が女であるということが良くわからなくなっていた。

 深雪さんが浴室に入ってきた瞬間、息を飲んだ周りの子たちが何をどう感じたのか知れないが、私にとっては「風呂場に異性が闖入してきた」も同然の衝撃だった。

 といっても、女風呂に男が入ってきたのとはわけが違って……。どちらかといえば、男風呂にいきなり美少女が入ってきたらあんな感じになるのだろうか? と想像してみる。

 いや、深雪さんの美しさが一般的な男のイメージに結びつかないだけで、とてつもない美男子が女風呂に現れたと喩えた方が近いのか? などと思考を混濁させながら、当時の記憶を引っぱりだす。

 当然、どちらの比喩もしっくりこない。

 でもともかく、深雪さんの性別は間違いなく女性なわけで、でも女同士という気がまるでしなくなって、だとしたら、自分が女ではなくなった、ということになるのかもしれない。

 誰かが深雪さんを評して「性別なんて関係ないって気になる」と漏らしたとき、本当にそうだと思った。気になるというか──みんなは気になるだけだったかもしれないけど──、そんな気になるだけじゃなくて、性別って本質じゃないんだ、と実感させられた。

 劣情を抑えきれなくなった者の前に、その対象がいる。それだけであの危ない空気は作られるのだから。

 彼女は元々、エイミィのように同性とのスキンシップを好むタイプではなかったし、スバルのように中性的なポーズを取るタイプでもなかった。

 なまじ、普段から女子へのセクハラや、カップルごっこを趣味にしているエイミィたちの方が、あの入浴からの立ち直りは早かったかもしれない──あの子たちも多少は引きずっている、ように見えなくもないが──。

 自分がずっと悶々としていることは、友人にも打ち明けられずにいる。しかしそろそろ、自分の挙動不審もエスカレートしてきたらしく、勘付かれても不思議ではない頃合いだ。

 特にプールの授業中などは、よほど気を付けていないと危ない気がする。

 ……と、携帯端末のバックグラウンド画像にしてある、深雪の顔写真をうっとりと見詰めながら彼女は考え込んでいた。

 

 

 学校から帰って、自室に戻ると、そこは壁の三面が司波深雪の巨大ピンナップに埋め尽くされていた。

 九校戦で記念撮影した写真が主だが、ファンクラブに頼み込んでゆずってもらった、会心の一枚が最も大きく引き伸ばされている。

 校舎を背景にした制服姿のそれは、ファンサービスを心得たアイドルがカメラマンに向けた、極上の微笑み。

 気を失いそうになるくらい可愛い。

 意識が戻ると一時間が経過していて、夕食を告げる家族の声が聞こえる。

「……着替えなきゃ」

 制服も脱がず、カバンも手に握ったまま、ずっと棒立ちで深雪さんの写真に心を奪われていた自分に、いっそ感心してしまう。今日も勉強できそうにないな、フフフ。

 ほぼ「ヘヘヘ」の発音に近い、乾いた笑いを漏らしながら、部屋着に着替え、夕食を済ませ、お風呂に入り、あの深雪の裸をついつい妄想し、またうっかり一時間、湯船に浸かりっきりになって湯当たりした。ふらふらになりながらベッドに倒れ、再び深雪の写真を、存分に眺める。

 目の焦点をその笑顔に合わせるだけで、頭の中が麻薬漬けになるような錯覚がする。じゅわり、と物理的に脳が液状化しているのではないか、と疑うほどの幸福感。

 まぶたを閉じてみても、あの美貌がくっきりと浮かびあがるくらい脳裏に焼き付けた自分に満足する。今夜は、照明を点けたまま眠るとしよう。どうせ自動で消灯する設定にしているはずだ。

「今度は、声も聴きながら眠りたいな……。こっそり録音する? あ、生徒会のアーカイブにスピーチのデータが残ってるかも……」

 深雪の、まるで玉の転がるような、小さな鈴の()のように涼やかな、凛と透きとおった声もまた、その魅力を語る上で欠かせざる要素だと感じる。その声域の高い部分は耳の奥をくすぐり、微かに含まれる吐息はきゅっと胸を締め付け、聴衆を腰くだけにしてしまうのだ。

 容姿だけじゃなくて、声まであんなに可愛い女の子なんて今まで出会ったことがなかった。これから会うことも、ないだろう。

 自分は恋を、──片想いをしてるんだと、今更ながらに思う。しかもあまり乙女チックではない、煩悩と下心だらけの恋愛を。

 重度のオタクって、たぶんこんな感じなんだろう。きっとこの学校の男子たちも、ほとんど私みたいな状態になってるんじゃないかな? と勝手なことを思いつつ、男なら一緒のお風呂に入れたり、体育の更衣室が一緒だったりはしないか、と考え直す。

 ならば、自分の方が重症になるのは当然か。まさに「目に毒」だったというわけだ。

 統計学的な割合でいうと、この魔法科高校にも、一学年あたり一人二人の同性愛者がいても不思議ではない計算となる。

 それがたまたま私だったのか……、とは思うものの、基本的にまだ「深雪以外の女子の体」には全く興味が湧かなかったので、それは素直に認められないでいた。

 きっと深雪さんの魅力が、異常なんだわ。

 好きな子への「のろけ」に近い結論を導き出したことで、また布団の中で少し悶える。

 私や、他の女の子たちと比べると、同じ種類の細胞で出来ていることが信じられない。深雪さんの体が大理石だとしたら、私たちは石灰で、深雪さんが高級マシュマロだとしたら、私たちは単なる角砂糖みたいなものじゃないかしら。深雪さんがふわふわのホイップクリームだとしたら、私たちはギトギトのマヨネーズみたいなものだ……。

 この学校の男子の場合は、片想いとは言っても「相手のレベル」の圧倒的な高さに尻込みしている状態だ。そこには学年主席にして生徒会員という抜きん出た肩書きも役立っているし、(一年生にして高い検挙率を誇る)風紀委員の妹、という素性も手の出しにくさに繋がっている。

 もちろん、その恐るべき風紀委員の兄……に対する重度のブラコンであり、他の男子など目に入らないであろう、という専らの評判も徐々に広まりつつあった(禁断の愛ではないか、という類のゴシップは否定されているのだが、異性にまるで関心がなさそうだという意味で、重度のブラコンも近親愛も変わりがない)。

 でも同性の私なら……せめてエイミィとスバルのじゃれあいレベルの接触はチャンスがあるのでは? と下卑たことを考える。

「発想がみっともないな……」

 なんだかんだといって、そのエイミィらですら深雪さんへのスキンシップは成立していないでいるのだ。普通の女子相手なら「冗談」で誤魔化せそうな痴漢行為でも、深雪さんが相手だと「本気」で手を出す目付きになってしまうから、らしい。やはり邪心があっては触れがたいひとなのだ、彼女は。

 逆に、もっとも平然と深雪さんとくっつくことのできる女子は、同じA組の光井ほのかだろう。あの子は私たちとは違って、触りたくて接近しているわけではないから、無邪気の勝利というか……私からすれば、なんとも口惜しい話だ。それがどれだけ羨ましい立場なのか、知りもせずに!

 ほのかはどうやら、深雪さんの兄に想いを寄せているらしい。私も新人戦では司波兄のお世話になった身ではあるが、あの子の「司波達也」に対する心酔ぶりは呆れるものがある。

 入れ込みの激しい性格の子だし、「意中の相手」をキープすることによって、深雪さんの放つ「魅了の魔力(チャーム)」の対象から外れているのかもしれない。あのコも入学したての頃は深雪さんを神聖視していた気がするのだが、夏休み以降、まるで元から友達だったかのような顔をしている。

「……なんかフクザツ」

 深雪に馴れ馴れしいほのかに嫉妬しているのか、深雪の魅力に酔わないほのかに腹を立てているのか、自分でもよくわからなくなってきた。

 司波兄といえば、全校生徒が羨望の眼差しを、あるいは好奇の目を向けている男子でもある。様々な活躍や才能でも知られている彼だが、それよりも「司波深雪を独占できる男」として、ある者は羨ましがり、ある者は奇妙なカップルとして注目している。

 学生離れして優秀であるという点を除けば、似ていない兄妹だ。見た目に関してなら、司波達也は私たちと同じく、「石灰」や「マヨネーズ」側の、標準的な人間だと言えるだろう。

 ひょっとして血の繋がらない兄妹だったりしたら、あの二人、結婚できるんじゃない? といった、大昔のドラマのような想像を、深雪さんに隠れてヒソヒソと噂している女子は多い。

 ほとんど深雪さんのことを諦めている自分は、深雪さんに幸せになってほしいなあと考えるようになっていたし、だとすれば好きな人と添い遂げてほしいと思う。

 あの浴場で、深雪さん本人は「禁断の愛」を動じずに否定して、私たちは「なあんだ」と肩透かしに感じたものだが、それは油断だった。

 九校戦以降、あの兄妹を観察することが多くなった私にとっては、懐疑心が深まるばかりだったから。

 だって、お兄さんのそばにいるときの深雪さんが、一番幸せそうに見えるのだもの。

 お兄さんに向かって、嬉しそうに駆け寄るときの深雪さんの笑顔が、一番輝いて見えるんだもの。

 深雪さんを愛している私から見て、一番してほしい表情がそこにあるのだもの。

 ファンに与えてくれる笑顔ももちろん素敵だが、深雪さんが「女の子」としての可愛さを、あらんかぎりの全力で振りしぼっているのは、お兄さんの前にいるときだけ……というのは、いやでも判る。

 あれはただ、肉親に懐いているとか、親密だとかそういうレベルじゃ決してない。

 なにか誘っている、というか、必死で誘惑しようとしている女の子の雰囲気だ。

 そして、司波達也の方も、そんなアタックに時々たじろぎ、秋波にぐらついている様子が窺える。本人は平然さを保っておきたいようだが、そんなガードは崩れて当然だ。私だったら、興奮して死にそうになる破壊力だろうから。

 素材ももちろん絶品の深雪さんだけど、女の子としての魅力をここまで磨き上げたのは、きっとあのお兄さんのためなんだろう。私としては、CADの調整でも感謝しなければならない司波達也だが、「司波深雪の調整(メンテナンス)」でも感謝しなければならないのではなかろうか。

 そんな深雪さんが輝いている様子を、もっと見ていたい。

 そのためには、生徒会に所属……するのはムリだとしても、A組へのクラス分けは三年間死守しなければ。

 魔法科大学への進学も視野に入れるなら、一科生からのリタイヤはますますありえない。

 深雪さんに見惚れて時間がふっとぶクセ……は多分治らないだろうから、それ以外の時間を削って努力しよう。

 まるで今までの世界が壊れて、世界の中心が深雪さんになってしまったみたいだ。

 いやらしい自分の下心までを美化するつもりはないけれど……こんな学生生活も悪くないかもしれない。少なくとも、後悔はしないし、恨みもしないだろう。深雪さんを中心に世界が回っていれば、それでいいのだから。

 ──私は本当に、どうなってしまったんだろう。

 あの子の破壊的(デモリッショナル)な魅力は、ひょっとしたら本当に魔法なのかもしれないな。

 彼女の体には、とんでもなく強力な魔法がかかっていて……きっと私みたいな犠牲者を、何人も、人数で言うなら二桁も三桁も、生みだしつづけているに違いない。

 

 

 

 

 

 




第4話「無防備な妹」へつづく


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4. 無防備な妹

執筆順では6作目になります。

ここまで女性視点だけ書いてきたのを反省して、初めて達也視点になっています。
ちょうど第1話や第2話と対になる(同じテーマを逆視点で書いている)内容なので、シリーズ的にはこれで一段落しているイメージです。
文庫では削られている、Web版の描写(設定)をちょっとだけ利用して書いた部分もあるのですが、わかる人にはわかるでしょうか。最後まで兄妹萌えしかありませんが、ここまで楽しんでいただけたとしたら感謝です。たまりませんよね、このお二人?

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1317466


 その妹は、無防備すぎた。

 自分の魅力を自覚できているのだろうか、と学年の同じ兄は思う。和光同塵とはいかずとも、もう少し魅力をセーブした方が安全ではないか、と心配するほどに。

 目は口ほどに物を言うという諺もあるが、深雪が「物を言う」のは全身そのものだった。

 その潤んだ瞳に留まる話でなく、かすかな唇の震えや、息づかいで起伏する胸のふくらみ、きめ細やかな姿勢、重心のかけ方、筋肉の緊張のさせ方、あるいは弛緩のさせ方、所在なく動く指先、敏感に白から紅へと色を変える素肌、首を傾げるたびに流れ落ちる髪の毛の一毫一毫でさえも……、たったひとつのことを懸命に訴えてくる。

 

 

 ──私はあなたのものです。

 

 

 まるで心の裡を字幕(テロップ)に変換して、視覚化する技術でも開発されたのだろうか、と疑うほど明白に。

 私はあなたのものですと、あらんかぎりの力をふりしぼって主張するオーラを、全身にみなぎらせている。

 叱られたり、邪険にされたりしないかぎり、何をされても文句は言いません、と意思表示していることが、なぜかしら伝わってくるのだ。動物が急所をさらけ出して寝転ぶ服従のポーズを、さらに何段階も濃縮したような、渾身のメッセージを身に纏っている。

 そして彼女は、自他ともに認める(ここでいう「自他」とは「達也自身」と「その他」の意見という意味)、高嶺の花の美しさを誇る存在だ。

 高嶺の花と喩えるならば、幾人もの貴族から求婚を受けたカグヤ姫もさながらに。あるいは、その花も恥らう傾国の美女か。

 権力者が女を奪い合って戦争を起こす時代でもないが、世が世ならば一国の興亡に関わる史話に記されたとしても不思議ではない、と誰もが想像するほど、群を抜いた容姿をしている。

 そんな、価値を量ることすら愚かしいほどの器量を備えた少女が、もし「自分のもの」だとしたら?

 仮定ではなく、事実、いつでも達也は「それ」を掴んでしまえる立場にいる。

 深雪は自分にできることなら、何から何まで達也に許している。まるで、無条件に支配を受ける義務と、無条件に所有を認める権利を、同時に表明しているような無防備さで。

 もし女が男のそばにいるとき、少しは自分の安全を守ろうと身を固める意識が生まれるはずだ。仮に肉親や恋人であっても、パーソナル・スペースという不可視の境界は本能が生むものだから、そう簡単には消え去らない。

 しかし深雪には、そんな防禦的な気配がまるでなかった。達也が必要に応じて、深雪の体を急に引き寄せたり、不意打ちで強く掴んだりしたときにその無防備さは証明される。彼女はものすごく驚き(恥じらい)はするものの、触れられること自体にはまるで警戒しておらず、反射的な抵抗というものが一切起こらない。

 だから当然、深雪はおでこをつつかれたり、髪を弄ばれたり、耳を引っ張られたりする達也からのイタズラを避けたことが一度もない。自分に近付いてくる兄の手を視界に認めたとき、パーソナル・スペースの壁を強めるのではなく、一気に門を開くのが深雪の身体だった。

 兄に触れられることで、はっと身を引き締めつつも、離れるでもなく、遠慮がちに身体の距離を縮め、物足りなさげに上目遣いで見上げてくる様子が、達也の理性を危うくする。

 それこそが、司波達也に見える司波深雪の姿だった。

 ここ三年間、毎日これを目にしてきたのだ。

 危険だと思う。

 彼女が体で訴えてくる「所有権」と「支配権」を受領してしまったら、自分はその先で何をしでかすかわからない、という心配があった。

 自分は深雪に何をしたいのか? この妹をどうしたいのかを「自由に」考え、実践したら、どんな行動に走るのだろうか?

 もっとも、彼は妹を傷付けるような行為を選択できない。しかたなく、後先のために我慢を強いることや、しぶしぶ納得させることが限界だ。しかも正当な理由があって深雪にストレスを与えた場合であっても、必ず「埋め合わせ」の努力をしなければならないほどの、強い罪悪感に苛まれる。

 だから、「一般的に」妹が嫌がりそうなことは常に避けてきたのだ。

 しかし、してはいけないことなど私には何ひとつないのですよ、と彼女の体は甘く囁きかけてくる。

 だから達也は、妹が喜ぶこと、妹が嬉しがる行為を思わず選択してしまう。この行動パターンは、達也の考える「一般」という概念を、三年かけて狂わせてしまった。……当たり前だが、深雪の喜ぶことが、世間の妹が喜ぶこととイコールなわけはないのだから。

 もはやこの兄妹の身体的接触は、第三者にとって「男女のむつみごと」を想起させるのみで、世間の兄妹とは程遠いそれへと変わり果てている。

 達也は「妹」という存在に対する「一般的な兄」の行動原理を、「自分の妹が嫌がらないこと」と「自分の妹が喜ぶこと」の二点のみを手掛かりに構築していた。そこから「深雪がすこぶる良くできた妹であること」を差し引いて「一般の兄妹」を想定しているわけだが、自分たちの関係をヒナ型に選ぶこと自体が倒錯しているとは気付いていない。

 ……世間の大半は妹思いではない兄と、兄思いではない妹が多数派であることくらいは流石に心得ている。しかし、そうした家庭内の他人行儀さは、「兄妹として自然な結果」というよりも、「不幸な結果」であって、自分たちこそが「自然」な側なのだ、と認識しているわけだ。

 深雪の誘惑が作り出したこの倒錯は、しかし彼女自身が口に出して、ここまでの関係になりたいと求めたものではない。彼女の方から、だらしなくしなだれかかるようなことも(自然さを装った密着行為を除くならば、だが)なかった。

 ただ達也は、妹の身体から無言で放たれるメッセージに反応し、──その誘惑に負けつづけていただけ。彼の理性と欲望が争って、理性が凱歌をあげたことはない。妹に関することに限れば、達也の意志力も、並の人間と変わり映えしないのだ。

 彼の理性は、深雪を「妹のように」愛することを命じているが、深雪の愛らしさは、並の妹のそれをたやすく超えてくる。それゆえに、達也にとっての兄妹愛は、確実に世間一般のそれとはズレていて、かけ離れていた。

 妹として愛することを自分自身に命じ、その結果、異性として可愛いらしいとも思う妹への愛し方を、コントロールできない。

 あらゆる面において、自分にはできすぎた妹だ、とは常々思う。

 「絶世の美女」という、なにやらフィクションじみた美辞麗句を我がものにしていた姉妹から遺伝子を受け継いでいるのだから、並外れて綺麗なのは当然だ。

 むしろ逆に、あの母の息子として自分のデキが劣るだけだとも考えている。現代魔法師にとっては不必要なサイオン量といい、不出来な魔法の才といい、自分は父方の血をより強く引いたイレギュラーなのだろう、と。

 その上で、深雪を構成する遺伝子は、母や叔母たち以上に美しい肌と、均整の取れたプロポーションを与える「突然変異」を起こしている気さえする。

 若かりし頃の四葉姉妹は、確かに深雪に似ていたようだが、映像資料で見比べてみると、なぜか血の繋がりをあまり感じさせない。それは「世代を重ねた進化」が急激に起こることによる差なのかもしれなかった。

 母娘でさえそうなのだから、なおのこと自分の妹だとは確信しきれないのが正直なところだった。では、どんな男ならば深雪の兄らしいと言えるのか? と問われると答えに窮するが、自分の代わりに、深雪と釣り合うような美男子が兄だったかもしれないし、そんな兄なら、もっと妹をぞんざいに扱えていたかもしれない。

 どこか根本的なところで、達也にとっての深雪は「生まれの違う」「異性」として認識されているのだった。

 そして達也は、「妹でなければ襲っていたかもしれないな」という性衝動を、何度となく自覚していた。

 いつもよりも特別なお菓子を取り出したティータイムの、いつもより胸元の開いた洋服を身に付けた深雪が、いつもよりも近い距離でソファの隣に腰掛けている、今のような夜には特に。

 ちょうど深雪に目を見やると、真っ白なうなじや剥き出しの肩だけでなく、斜め上から服の中身までもが垣間見える位置だ。

 いつもの衝動を、意識してしまう。

 

 

「今のお兄様のお気持ちを当ててみましょうか?」

 

 

 唐突な深雪の発言に、慌てて紅茶を胃に流し込んだ。

 危うく、噎せてしまうか、噴き出してしまいそうなタイミングでかけられた言葉だった。しかし……深雪の性格上、この手の「呼吸」を兄から察することはお手のものだと、達也も良く知っている。絶妙なタイミングを計って声をかけたであろうことは、すぐに解った。

 ただ解らないのは、その配慮が善意ゆえなのか、あるいは意地悪心を働かせてなのか、だ。

「ほんとかな。自分の内面なんて、本人にだって説明できるものじゃないからね」

 気を取り直して、ただちに予防線を張る。このくらいは条件反射で出てくるセリフだ。しかし、意識するなと言われるほど意識してしまうジンクス通りに、達也の中でははっきりと感情が言葉になっていたのだが。

「いえ、言葉にするというほどではないのですが……。なんとなく匂いで捉えた、と申しますか」

 ──まさか。そういえば、抽象的な情報を嗅覚のイメージに置き換える「直観」は、系統外魔法師である深雪の特質だった。

「今、お兄様のお気持ちは……」

 どうしたらいい? いや、どうするも何もない。自分はいつも、「妹でなければ」としか考えていないのだから、問題があるものか。いや違う、それが伝わってしまえば問題に決まって──

「わ、私のもっとそばに座りたいのではないですかっ?!」

 ──気が付くと、カップを両手で握りしめながら、顔を真っ赤にして茹で上がっている深雪の姿があった。

 こんなこと初めて言ってしまった、という羞恥心に震えながら、目線がカップの中の水面と、達也の間をチラチラと往復している。

 今日はただでさえ普段より近い距離なのだから、これ以上そばに、ということは、私と触れ合う(抱き合う?)距離に、という意味以外にないだろう。

「何を言っているとお思いでしょうけれど、深雪はその……お兄様がそうしたいと仰るなら、言葉にならないくらい光栄ですから……もしそうなら嬉しくて……いてもたまらなくなったのです」

 あぁ、まただ、と達也は観念した。また深雪の「あれ」なのだ。どんなことでも抵抗しませんから、まるで私を「あなたのもの」のように抱いてもいいのですよという、あの──

「びっくりしたな。正解だよ、深雪」

「本当……? ですか?」

「本当だ。ほんとにそう思ってたよ。ほとんど無意識にだろうけど」

 今度は達也の異能が、深雪の身体状態を精細に読み取っていた。

 すぐにも破裂しそうなほど、心臓の動悸が激しくなっている。達也の前で赤面することの多い彼女だが、今までの記録を更新しそうな心拍数だった。肺が酸素を求めて、過呼吸を誘発しかけているのは、肉眼で見るだけでも明らかだ。

 もし強引に押し倒そうとしたら、気絶させるところまでいくだろうな、これは。

 最上位の原則(ルール)に立ち返ろう。達也は、あらゆる意味で深雪を痛めつけることができない。

 どれだけ無防備に見えようと、深雪に危害を加えることは感情が許さない。興奮させすぎて倒れる姿も、見たくはなかった。

「では、いいのですか……?」

「ああ、いいよ。おいで深雪」

「はい」

 達也から接近するのではなく、相手の意志で距離を詰めるよう(うなが)す。

 深雪に言い当てられてしまったはずの、一方的に襲いかかりたいという衝動は、「おいで」と促した時点で誤魔化しきれたことになる。

「幸せです、お兄様」

 彼の片腕の中へと、潜り込むように身を預けた深雪は、天国にいる気分だった。

 そんな深雪を見詰める達也の表情も、自然とほころんだものになる。

 今、この天使のような少女の美貌を眺めてもいい男は、この世で自分ただ一人だという事実。

 一生の思い出として、数秒間だけ目に焼き付けたていどでも、追加で三回ぶんの人生は悔いなく終えられそうな、極上の微笑み。風邪をひいて熱に浮かされたときのように、トロンとした表情をしている。そんな様子のまま、上目遣いの瞳と視線が絡み合い、触れた体は嘘みたいに柔らかい。それが自分の腕の中にある。

 本当にこの女の子が「自分のもの」だとしたら、分不相応すぎるほどの存在だろう。

「深雪は幸せです……」

「俺もそうだよ。お前という妹がいて」

 これほどの妹がいて。

 それを自分の「恋人」にしようなどと、だいそれたことをどうすれば考えられるのだろうか。

 

 

 

 

 

 




第5話「本当は冗談じゃないと思う」につづく


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5. 本当は冗談じゃないと思う

前話を書いたときから数カ月後、衝動的に書きはじめた新作でした。

「ダブルセブン編」以降のネタバレを含みますのでご了承くださいませ。


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 去年の同じ季節、新入生だった生徒たちは、その一年後である今、(留年しなかったので当然なのだが)二年生としてまた新たな季節を迎えていた。

 学業における、進級という区切りはクラス替えを伴う。実力によるランク分けが公然と行われるこの第一高校にあっては、クラスはランダムの偶然で決まるものではなく、成績を反映した必然で与えられるものだった。

 それはただの学級(クラス)ではなく、階級(クラス)によって生徒たちが別たれることを意味する。

 クラス分けがランダムではなく、避けがたいロジックで決定するということは、クラスメイトの流動性にどう影響するか。

 ふたつの結果があるだろう。ひとつは、成績が並んでいるかぎり、クラスメイトがバラバラになることはないということ。

 しかしもうひとつの結果がありうる。誰かが抜群の成績アップを果たしたり、誰かが一気に落ちこぼれたりすると、別れを避けることができない。

 第一高校の劣等生(ウィード)たち。その中でも昨年、ひときわ異彩を放っていたグループがあった。

 元1年E組、元風紀委員にして現生徒会副会長、司波達也。

 元1年E組、現風紀委員にして「吉田家」の吉田幹比古。

 元1年E組、調整体魔法師の末裔、西城レオンハルト。

 元1年E組、「千葉家」の千葉エリカ。

 元1年E組、「天眼通」の所有者、柴田美月。

 袖すり合う仲だった一年間、彼らはただのクラスメイトというだけでなく、戦友とまで呼べる関係を結んできた。

 それが今や、魔工科、二科、一科の三クラスにメンバーが分散している。それぞれが開花させ、発露させた、個性的な才能の結果として。

 だがクラス分けをもってしても、彼らの培ってきた交友関係が失われることはないようだ。彼らは進級後も、グループを組んでいる意識が強く、他に理由がないかぎり、昼食や下校の時間を共にしていた。

 そもそも、このメンバーは普段、E組生徒だけでなくA組の生徒も混ぜたグループを組むことが多かった。学科をまたいだ交流に元々慣れていたことが、彼らの「縁」を支えていたとも言えよう。

 初年度時、クラスの異なるメンバーの(かすがい)役を担っていたのが、達也の家族である司波深雪だった。彼女は、愛する兄とクラスが別々になることを理不尽のきわみだと言わんばかりに、あらゆる機会を利用して達也と同じ時間を過ごそうとする。

 彼女の級友である光井ほのかは、そんな深雪にくっついていたことから達也に接近することとなり、ほのかの親友である北山雫もまた、達也たちのグループの一員となった。

 そして二年生になってから、深雪とほのかの所属する生徒会に達也も加わった。ちなみに委員活動としては、幹比古と雫が同じ風紀委員という、意外なペアも生んでいる。風紀委員室は達也の古巣であるだけでなく、生徒会室と物理的な距離も近い。

 学級の繋がり、家族の繋がり、そして委員の繋がり、それぞれの関係が再構成され、グループが集うタイミングも新たに調整されるようになった。

 今日はそんなある日、同じ生徒会である深雪、ほのか、達也の三人と、その達也と同じクラスである美月がたまたま一緒になった帰りの出来事だった。

 

 

 残りの四人は、それぞれの理由で下校時間がズレていた。深雪を主とする水波の姿も、今はない。

 考えてみれば、あまりなかった組み合わせだと、司波兄妹は思い当たり、視線を交わしあって互いの記憶を確認する。

 客観的には、生徒会の副会長として知られた二人が、それぞれのクラスメイトを連れているように映るユニットだろう。

 いつもの女性陣が揃ってはいないものの、達也以外の男子が全滅だ。達也にしてみれば「美少女に囲まれる」というシチュエーションのありがたみは今更と言うべきで、特に感慨も湧かないが、男一人という立場はやはり気寂しさを覚える。

 遅れてくる雫を待ちたいほのかに合わせ、四人で喫茶店に入ることになった。入店に至る経緯としては、少しでも達也といる時間を延ばしたい、ほのかの希望が第一にあるだろう。

 そして美月の場合は、幹比古と合流できる機会だから時間潰しの提案に乗ったのだろう、と残りの三名は勝手に推測していた。

 さて、深雪にとっては、積極的に時間を潰す理由がなかった。

 彼女も社交性が欠けているわけではないが、なんとなくの気分でお茶するくらいなら、早く兄と家に帰りたいと思うのも事実。

 かすかな不満があり、わずかな我慢を覚えたことで、彼女の中に無意識の稚気が生まれる。

 深雪は率先して、店内の隅のほう……窓もなく、周囲からの死角が多い客席を選んでいた。

 

 

 高い壁でセパレートされた、半個室状ともいえるその席は、壁が作るスペースに合わせて三角型の机が置かれている。

 それを見たほのかの表情が、わかりやすく明るくなった。ただの四角い机ならば、達也と深雪の対面に押しやられることは予想できていたからだ(かといって、美月を一人だけ不自然に残して、残り三人で対面を陣取るのも罪悪感があった)。

 しかしこれなら、自然に隣の席を得ることができるだろう。

 期待した通り、深雪と達也が確保した場所を挟むように残り二人が座ると、ほのか、達也、深雪、美月という順で並んだ。ほのか、達也、深雪が座ったのはストレートのソファだが、ちょうど美月のところで折れ曲がっている形だ。

 このポジションが決まるまで、ほのかの内心は戦々恐々としていたものだが、他人に比べておっとりしている美月は、落ち着いてからようやく「おや?」と気付き、「……ひょっとして、私が余ってる?」という顔をした。

 

 

 そしてこの席順は、深雪が瞬時に計算して決めたものだった。彼女に芽生えた稚気は、この機会をいかに楽しむかという方向に向いていた。

 ちょっとした悪戯心。言い換えれば、鬱憤ばらしの嗜虐心。

 特に美月は、冗談でからかおうとすると、上質の「観客」になってくれるという認識がある。

 そしてどうせなら、ほのかを出し抜いてしまっていい、と今日の深雪は思っていた。

 この際、ほのかを置いてけぼりにして、差をはっきりさせるのも(やぶさ)かではない……。

 つまり、自分とほのかの、どちらがよりお兄様と密接な仲なのかを、美月の目で見極めてもらおう……いや、ただ存分に見せつけてやろう、と目論んだのだ。

 

 

 最初は、深雪の狙った通りにことが進んでいた。

 まずはさりげなく、自分だけがケーキを注文し、「お兄様もいかがですか?」と勧める。

 ほのかが「あっ」と気付いたのも束の間、達也の口にスプーンを運んだ。

 達也も慣れたもので、少し面食らったのち、黙々と受け入れている。

 それだけで、やや斜めの角度から眺めていた美月は動揺しはじめていた。深雪は少食なのか、注文したメニューを一人で完食することは珍しく、達也におすそ分けを申し入れることが多い。だが「あーん」をするところまで行くのは、美月にとって初めて見る行為だった。早くも顔を赤くして、いまにも湯気を出しそうだ。

 その反応を感じた深雪が、よしよし、と内心でほくそ笑んだかは定かでないが、さらにもう一段階、悪戯がエスカレートする。

「もう一口いかがですか? ええ、どうぞお召し上がりください。……あらお兄様、口元にクリームがついてしまいました」

 そう、言うが早いか、唇ではない微妙な位置についた──もちろん意図的に「つけた」が正しい──クリームを、ついばむように自身の口で取り除き、食べた。

 ちょうど達也の反対側に座ったほのかには見えないようにして。

「わっ、わっ」

 美月が叫びにならない悲鳴をあげる。

 その様子に気付いた深雪はというと──、ほのかには内緒ね、と色っぽすぎる微笑とともにウインクを飛ばす。

 その瞬間、美月の頭の中がはじけた。

 血を炉の炎に変えて、一気に頭蓋内の脳へと熱がまわる。個体と液体の混ざった状態から、その相転移のプロセスも認識しえないスピードで気化が始まり……つまり比喩的な意味で、頭が沸騰した。

 ふだんは黙っているが、美月は美少女にすこぶる弱い。特に恋する美少女に目がなかった。

 前学期にて、かすかな片想いを自覚していたエリカの恋路に強く感情移入していたのも、友人だからという理由だけでなく、エリカを「クラス一の美少女」と位置づけていたことが、実は無関係ではなかった(この事実を当のエリカが知れば、苦虫を噛み潰したような顔をするだろう)。

 では、ここにいる光井ほのかはどうなのかというと……。彼女は恋する少女というより、なんだか「忠犬」の忠誠心のように感じられて、それほど美月の歓心を誘わないのだった。

 ほのかも顔はじゅうぶん魅力的で男好きのするタイプだが、深雪やエリカの美貌に見慣れていると、断然、美月は深雪派であり、エリカ派だった。

 目が肥えすぎている、と呆れられてもおかしくない審美基準なのだが、そこは美月本人のルックスが(自覚を抜きにして)相当に高いレベルにある点を差し引くべきかもしれない。

 ともかくとして、美月は深雪が想定している以上に、並々ならぬ思い入れを彼女に向けている。身内の友人ながら、「熱狂的ファン」と呼んでも差し支えのないほどに。

 美月の思い入れの強さが、周囲の予想を超えてしまうケースならば前例がある。それも、ちょうど一年ほど前の話だ。……深雪と達也の仲を快く思わない一科生らに対し、美月は向こう見ずに喧嘩を売っていた。

 この二人の仲を引き裂くことは許さない、と。

 美月という少女は、自分のこと以上に、自分が眺めていたいものに情熱を燃やすタイプなのである。他人の恋路だろうと見境なくプッシュしてしまうのは、本人が自覚してない悪癖でもあった。

 しかしあの事件以来、深雪が美月の激昂する姿を見ることは、幸いにしてなかった。見た目のイメージ通り、おとなしく素直そうな女の子として、友達付き合いが続いていたつもりだった。

 そんな深雪の予想では、美月はしばらくフリーズしたままだろう、とタカをくくっていた。根にサディストの素質を隠し持つ深雪は、なんでも素直に受け取ってしまう彼女を弄ぶ寸劇をいつも(たの)しんでいたし、今も普段の延長にすぎないと考えていた。

 しかしながら、今回は、いつもフリーズを解く役割(ポジション)であるエリカや幹比古がいないのだ。

 フォロー役の欠席を失念していたのは、このシチュエーションを「楽しみすぎた」ことによる、反省すべき無思慮だったと後になれば言えるだろう。

「み、深雪……っ。だめだよ私しか見てないからって、こんな人前で!」

 だからこのように、真に受けた注意をされてしまう。

「そういうことは、その、ふたりっきりのときにでも……」

「やだ、美月ったら、冗談なのに……。ですよね、お兄様?」

「ん、あぁ、そうだな」

 おどけてはぐらかす妹に、生返事の兄。

 息の合った、問題のそらし方だった。このシスコンの兄とブラコンの妹は、だいたいこの手で周囲からの追及を迎撃してきた。あとは何を言われても相手が自爆するというパターンである。

 ただし、ふたりの平然とした表情はもちろん仮面だ。深雪は内心、兄との大胆な皮膚接触によって興奮醒めやらぬ心境だったし、達也は率直に「妹として、これはやりすぎだろ」という戸惑いを押し殺すのに大変だった。

 お芝居の息は合っているのだが、互いに隠して思っている(想っている)ことは微妙にすれ違うのも、この兄妹ならではだろう。

 そんな複雑な事情を知る由もない美月だが、どこまでも彼女は、素直な少女であり、……天然娘だった。

「私! 深雪のしたこと、本当は冗談じゃないと思う!」

 何より彼女には、「人を見抜く目」があった。この才能は、彼女の霊視能力と関係がない。単に彼女の性格として、人を見る目が優れているのだ。

「えっ……、落ち着いて美月。兄妹でこんなこと、冗談でなきゃするはずがないでしょう?」

「兄妹だからしちゃいけないことなんかないよ!」

 

 

 美月は、問題発言を叫ぶやいなや、ブレザーの内側から汎用型CADを素早く取り出した。そして淡々と、「音波遮断」の起動式を呼び出して、術式を展開しおえる。いくら大声で話しても大丈夫なように、他の客席まで会話が漏れないようにしたのだろう。

 それはふだん、めったに私用で魔法を使うことのない彼女の、驚くべき行動だった。

 冷静さゆえの配慮なのか、もしくは激情のあらわれなのか、計り知れない様子に凄味を感じてしまう。

 魔法力に不足している美月の術式を破ることくらい、ここにいる三人にとっては造作ない行為だ。

 だがしかし、彼女の静かな迫力に押され、ここで逆らうのはとても現実的に思えなかった。ほのかに至っては、母親に叱られる前の子供のように縮みあがっている(事情もよくわからないまま怯えているあたり、本当に「子供」である)。

「実は、ずっと言うのをガマンしていたことだけど、言わせてもらいます」

「え、う、うん」

「あ、あぁ」

 はー、と深呼吸(大きめの溜息かもしれなかった)を一回行ってから、キッと達也と深雪に向かって視線をぶつける。

「私、親が翻訳家をやってますから、日本と海外じゃ文化の違いがあるって知ってます。

 重婚が禁じられてない国だってまだありますし、恋人以外とキスしてもおかしくない国だってあるんです。

 そう……さっきみたいにほっぺたにするキスだけじゃなくて、唇にするキスだって。恋人だけの特権かというと、それは違うんですよ!

 例えばロシアだと、親しい女同士や男同士でも口づけをするそうですよ? 家族だからってなんなんですか!?」

「いや、待て。それは海外の話だろ……?」

「人間としての話です! 私たちは思い込みだけのルールに縛られる必要はないんだっていう……」

 まさかこのままでは、太古の日本では異母兄妹が結婚することも珍しくなかったとか、兄妹のカップルはむしろ神聖さの象徴だったのだとか、史実や宗教の知識まで披露されるのではないか、と達也は危険を感じた。

 昔の日本でも同腹の子同士が結ばれることはやはり禁忌だったらしいぞ、と野暮なツッコミを返す用意も思い浮かんだが、どう考えてもそんな話題を持ちかけられた時点で何を言ってもヤブヘビになることは間違いない(何より、達也がそんな雑学に「なぜか詳しい」と思われかねない流れを作ること自体が破滅的にリスキーだった)。

 なんとしても話をそらさなければならなかった。その危機感は妹も同じようで、

「だとしたら、なおさら私たちだけの問題ではなくて……?

 ルールで決められるのではないわ」

 と美月の主張の隙を衝こうとする。しかしこの反論にも、相手が付け入る隙を含んでいた。そのミスに気付いた深雪は、自分の意見を反芻しながらも、わずかに声を震わせる。

「……文化とか関係ないわ。私たちにとって自然なら」

「うん、私もそうだと思う。だから……、兄妹でこんなことするわけない、っていうのが言い訳だと思うのは間違ってますか?」

 結局、告発がスタート地点に戻っただけとなった。びくっ、と深雪の体が強張って固まる。

 美月にしてはキツい物言いに感じる「言い訳」という表現だが、そんな美月の言葉だからこそ揺さぶられてしまうようだ。

「知りたいのは、おふたりの素直な気持ちなんです。兄妹の愛情表現に物足りなさを感じているなら、やきもきせずに先へと進むべきだって思うから。そこのところ、深雪はどうなの?」

 そうまくし立てると、自分の眼鏡に手をかけ、ゆっくりと外した。

 彼女は近眼や弱視などではない。むしろ、見えすぎるから常用している眼鏡である。それを外すことで当然、まなざしはぼやけることなく、鋭さを増していく。

 しかし見えすぎるとはいえ、彼女のような「霊視」に思考や感情を読む力はない、と一般には言われている。

 霊子(プシオン)の色彩や輝きから感じ取れるのは「おおまかな雰囲気」としか言い表せないものであって、それを読心(マインド・リーディング)に活かそうとするならば、能力と無関係な「直観」に頼らざるをえない。

 雰囲気や気配から直観で心を読むとしたら、普通の人間が五感だけで挑戦することと大差がない。

 だから霊視能力者が、会話中にオーラ・カット・レンズを外して見詰めるという行為も、別段プライバシーを覗くようなマナー違反にはあたらない、というのが(知識としての)共通理解だった。

 しかし、心を見抜かれるかどうかを抜きにして、裸眼の美月がまっすぐ見詰めてくること自体が初めてで、思わず気圧されるくらいのプレッシャーがあった。

 美月がこうしたのは、相手と本気で(比喩的な意味では「裸で」)向かい合いたいという生真面目さだけが理由にあって、プレッシャーを与えることまでは微塵も計算していなかったのだが。

 

 

 核心を問い詰めてきた美月に、深雪は何も言えなかった。

 まったく予想外の反撃に、顔を青褪めさせてうろたえるだけだ。

 美月は、図星をついている気がする。

 でもその図星を、私だけでなく、お兄様やほのかの居るこの場で衝かれたのは、たまらなく恥ずかしかった。

 次に、謝罪したい気持ちで一杯だった。言い方を変えれば、降参したいと思った。

 兄妹で演じる「冗談」を我慢させつづけていた不明を詫びたかったし、冗談に振り回されているだけの、からかいやすい相手だと見くびっていたことを取り下げたかった。

 御免なさい、あなたをなめてた。

 そんな言葉が思い浮かんだが、パニックのあまり、とても口にできない。

 兄はどんな気持ちなのだろう。

 そう考えると、時間を止めてしまいたくなる。しかし「時間を止める」などという、現代物理学を粉々に砕くような魔法は、まだ誰も実現させたことのないマボロシだった。

 

 ──私はお兄様のもの。

 だから、お兄様のものになりたい。

 

 なりたい、と願うのは、まだ彼のものに「してもらえていない」証拠でもある。

 深雪にとっては疑いようのない「お兄様のもの」という事実を、彼にも受け入れさせるには、何をすればいいのか。

 つまり、これ以上に何を捧げればいいのか?

 妹として捧げられるものは全て捧げてきたつもりだった。

 それ以上は肉親の限界を超えるものだと思っていた。

 なぜなら、深雪はあくまでも「達也の妹でいる」という状態が最上であり、実の妹としての愛を超えた想いなど考えつかないからだ。

 だから恋人しかしないような行為に興味はない、つもりだった(ならばこそ「家族でもできる恋人のようなこと」には多大な関心を示すのだが)。

 しかし、その「肉親の限界」や「恋人しかしないこと」がただの思い込みにすぎないとキツく注意されて、足元の床が崩れ去る気分だった。

 いままで本当の愛情を感じながら表現していたはずが、社会の常識などというものを「周囲に思い込まされ」、縛られていただけだと気付いたのがショックだった。

 掛け値なしの真実の愛なら、常識を破るもののはずなのに。

 めまいのしそうな動揺の中、思考がループする。

 

 私はお兄様を愛する妹で。

 私のすべてはお兄様のもの。

 

 それが深雪の気持ちであり、彼女にとっての事実。

 気持ちは高まる一方で止めることもできず、彼女の世界の「事実」を、現実のものにできるならばと心から願っている。

 しかし、「もう捧げるものが残っていない」という認識が間違っているとしたら?

 妹のやることではない、という過ちをおかすことなく、まだ捧げるものが残っているとしたら?

 悩むまでもない、と彼女の深層心理は決断を下すだろう。

 心は、胸中では悩まない。あとは、頭の中で迷ってしまっているだけだ。

 第一、素朴な乙女心として……「そんなこと、素敵なシチュエーションでも存在しないかぎり、実行に移しようがないじゃない」というジレンマでブレーキがかかってしまう。

 このジレンマまで思考がたどり着くまでに、いったい何秒の時間が費やされただろうか。またたくまのようでもあり、力尽きるまでマラソンを続けていたような疲れも感じた。

 だったら、そう言う美月がなんとかしてくれるの? という腹立たしい感情が少し芽生えたほどだった。……他力本願になってしまうのは、深雪にとって珍しいことだ。

 

「お兄様ぁ……」

 

 美月が困らせるんです……。そんな甘えた声を出して、兄に助けを乞う。

 何もかも捧げてしまいたいと、本音では感じてしまっている。それは秘密の願望にすぎない。

 隠してきた願いだからこそ、何も知らぬはずの兄なら、少しでも冷静な対処をしてくれると深雪は期待していた。

 そんな本人はまったく意図もせず、蠱惑的な猫なで声を出してしまっていた妹の頬を、達也は手のひらで優しく撫でた。

 んっ、と息を漏らす妹を、本当の猫でもなだめているかのように、耳をさすり、髪を梳き、首筋を、そして頭を撫でた。ひとつ撫でるごとに頬が紅潮していく。きっと彼女の、いじらしいサイズの心臓は健気に(あえ)いでいるに違いない。

 勝手に触られることをくすぐったい、などとは少しも感じずに、ただ愛撫されているような反応を返してしまう深雪。

 美月のした問いに対して、これは何よりも雄弁な答えとなる表情だった……が、それ以前に、今日一番の「目に毒」な光景でもあった。

 顔を真っ赤にするのは美月も同じで、彼女にとっては二度目の沸騰。再び理性が乱れ、先ほどまでの思考がふっとびかける。

 ふたりの少女が本格的にフリーズしてくれたところで、遠慮がちに達也は口を開いた。

「もうこの話はやめにしよう、美月」

 それは白旗を振り回すに等しい、強引な敗北宣言だった。

 何も言い返すことはできません。

 「あなたの言う通りです」に限りなく近い、「どう思われようと結構」という返事だった。

「……それで納得してくれないかな?」

 眉を八の字にして、申し訳なさそうな顔まで作って見せる。

 サァー……と、劇的に顔が青褪めるのは、今度は美月の番だった。

 空間のエイドスを改変していた魔法式が術者の制御を離れ、「音の伝搬」が復活したのは、ポトンとCADが美月の手からすり落ちた、ちょうどこのタイミングだった。

 

 

 雫と幹比古が現れるまで、美月は何度も司波兄妹に謝り通すことになった。

 そしてペコペコと頭を下げつづける美月を、なだめすかすことに兄妹は多大な労力を必要とした。

 この謝罪をストップさせて、うつむいてばかりの頭を上げさせることの方が、今回の暴走を止めることよりも難度の高いミッションだったと言えるだろう。

 そして文字通りの「置いてけぼり」を食らっていたのが、光井ほのか、その人だった。

 彼女は少し前に、「深雪が本気になるまでのあいだしか、自分にチャンスはない」と親友に発破をかけられたばかりなのだから。

 ほのかにとって美月のエスカレートは、深雪たちとは違う意味で「やめて! もうやめて」と涙目で遮りたくなるような内容だったのだ。

 親友が目の前にやってきた瞬間、ほのかはその腰あたりの位置にガシッとしがみついた。

 セリフを与えるとしたら「え~ん!」とでもなりそうな抱きつき方だった。

 今夜の相手は長くなりそうなことを早くも察して、とりあえず「よしよし」をする雫。

 また、美月はというと、幹比古に泣きつき……はしなかったが、ようやく平静を取り戻せたようだ。

 不思議と彼女は、隣に幹比古がいると(先ほど見せた気丈さとは別の意味で)気を強くする傾向があったおかげだろうか。

 そして達也と深雪はというと。

 黙って店内を出る支度をはじめ、そそくさと会計を済ませようとしていた。

 幹比古や雫との挨拶も言葉少なに、早々と立ち去ろうとする。怪訝な顔をして、幹比古らがその背中を追った。

 駅に着いて、それぞれのキャビネットに別れるまで、同じような態度を兄妹は続けていた。

 特に、深雪はずっと無言を通していた。

 彼女が黙り込んでいたのは、そのあいだずっと、かぎりなく兄と体を密着させていたからなのだが──。

 

 

 指や、腕を組み合わすだけでは済まないその密着の深さは、自宅に帰り着く最後まで、人目を(はばか)ることなく続いていた。

 友人らの目も、見知らぬ他人の視線もおかまいなく──。




第6話「好きな人の欠点」につづく


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6. 好きな人の欠点

このシリーズでいつも意識しているのは、「原作で気になるけど、よくわかってない心理の部分」を妄想で埋めてみたい、というコンセプトです。

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2813178


 たまに友人たちと訪れる飲食店を変えると、どうしても深雪は目立ってしまう。

 さすがに達也とふたりきりで街へ出掛けるときと違って、腕を組み、恋人の演技をするわけではないが、ぴったりと横に並ぶ兄妹は、周囲からカップルと誤解されることが多い。

 私服で外出していると、達也が大学生で、深雪が女子高生の、年の差カップルだと思われることだろう。血は繋がっていても、容姿に共通点の薄い──しかし鴛鴦(おしどり)夫婦のように呼吸の合った──ふたりは、余計に男女の間柄に見えやすい。

 観衆たちのお決まりの反応は、ヒソヒソ声で「男の顔が釣り合ってない、普通じゃないか」と(そし)ってみせることだ。深雪の完璧な容姿に付け加えられる言葉などは乏しく、自然とその同行者へと批評の的が移っていくのだろう。

 もちろん、深雪の耳に届く声で……というはずもない。その雰囲気を発しはしても、囁きの内容は雑音に掻き消されていくものだ。

 しかしその日だけは違った。同行した友人たちが皆で気付くほど、通りのよいタイミングで聞こえてきたのだ。

 まず、友人たちの肌が粟立った。深雪の耳に兄への侮辱を聞かせることは、タブー中のタブーである。一縷の望みとして、「もう聞き慣れていることかもしれない」とも思う。事実、一高の校内で同じようなことを囁かれ、それでも自制を失わなかった深雪の姿、その不壊の微笑みを何度も見ているからだ。

 しかし、兄妹として見比べられる学校と、カップルとして見比べられた現状では、深雪の機嫌がどう変調するのか予想がつかなかった。

 結果として、身構えていた彼らの戦慄は杞憂で済んだ。

 深雪は、ふう、と溜息をついて、

「お兄様……。男は顔ではない、と言うではありませんか。お兄様のすばらしさは、あまりに大きすぎて一目で伝わらないのです」

 と、からかい気味に冗談を言い放つほどだった。冗談というより、慰めなのだろうか。達也は苦笑いし、深雪の頭の上にポンと掌を乗せる。いたずらを叱られた子どものように可愛い笑みを浮かべて、深雪の中でこの話は終わったかのようだった。

「ん……。深雪は、そこで怒らないんだ?」

 勇気を出して聞いてみたのはエリカだった。

「お兄様のお顔はそんなことありません! ……みたいなさ」

 深雪の口真似までして、こんなことを言う。これはエリカ自身の好みが、(平均的な嗜好に比べると)達也のルックスを結構高めに分類しているせいもあったかもしれない。

 盲目的な美化が出来上がってしまっているほのかは別として、達也に親しい女性陣は「平均よりは上、まぁまぁ程度」となかなかシビアに分類しているのが実情だ(これが達也の自己評価と概ね一致しているのは、彼のプライドにとって幸いと言うべきか微妙なところだが)。

「あら。外見で判断するような人は、それだけしか見ていないということよ。見た目で評価されてたっていいことはないわ」

「……深雪が言うと、説得力ある」

「そうでもないと思う」

 ほのかが素直に感心し、雫が言外に「深雪が言えば嫌味になる」と被せ気味に反対意見を唱えた。

 エリカの感想はというと、雫同様の反対が九割、同意が一割だ。見た目がいい方がトクに決まっているのだが、度を越すと悩みが増えていくことも体験済みだった。明らかに度を越しているどころか、人類のカベまで突き破っていそうな深雪ならば確かに苦労も多かろう。しかし、だからといって一般論にされたくないというのが、九割反対の根拠である。

「……わたしの見た目なら、お兄様に褒めていただければそれだけで充分なのですし」

 エリカに向けていた体を傾けて、隣に座る達也に熱い視線を注ぎながら深雪が言う。

 またこいつらは二人だけの空気を作って……と気力を削がれるエリカだった。テーブルに隠れた部分ではきっと、手と手を重ねるスキンシップくらいしているに違いない。

「いや、俺にとっては、深雪の可愛さを自慢できるのは、充分いいことのひとつだよ」

「そんな……恥ずかしいです……」

 歯の浮きそうな兄バカ台詞まで聞いて、正直疲れてきた。

「ねぇキミ達、話が脱線してるからさ……。深雪はどうなのよ、お兄様超カッコいい! とは思ってないわけ?」

「お兄様は、普通ではないかしら……?」

 平然。予想外な答えが返ってきて、エリカも真顔にならざるをえなかった。

「えっ! そうなの? 深雪のことだから、達也くんのことは凄い美男子だって思ってると思ってたわ」

「客観的には普通、でしょう? もちろん、わたしにとってのお兄様は最高に恰好いい方だけれど」

「……すごいな、そこ、きちんと区別つけてるんだ」

 言い出しっぺのエリカ以上に、居心地の悪そうな表情をしていた幹比古だが、思わず感嘆の声を漏らした。彼が感心したときに口から出ることは、良くも悪くも正直である。聞きようによっては、兄と妹、双方への中傷となりかねない言い草だったが、今日の二人にとっては不埒を咎める流れではなかったらしい。

「おいおい、兄としては落ち込む意見だぞ」

「ふふっ。でも、お兄様はそのくらいが丁度よろしいと深雪は思います」

(ただでさえモテるのに……って付け加えたいのかな?)

 今度は口に出さず、幹比古は反射的な感想を飲み込んだ。

 結局のところ、異性にモテるかどうかは人脈に拠るところが大きい。とりあえず幹比古のいる環境は棚に置くとして、九校戦で女子選手陣から幅広い信頼を勝ち得た達也と、社交的ながら案外と人脈を広げようとしないレオを頭の中で比べると、人生の縮図を知ったような気分になる。その差はバレンタインデーのチョコの数に現れていた。

 豊かな人脈というのは、性格によるものか、能力によるものか……。達也の場合、後者の要素がより多くを占めているのは間違いないだろう。彼が築き上げたものには、全て中身がある。性格で優遇されて手に入れたものなど、何ひとつない、と思うことができる。

 もっとも、実力で手に入れたはずの立場を、つまらない気質の問題で手放してしまう者だって多いわけだが……。その点で達也の性格は、少々危なっかしいようにも幹比古には思えた。生き馬の目を抜くように処世に長けて見えて、その実、現実の立場に何も執着していないように思えることがある。もちろん、感情に任せて自滅するような大失態は起こさない。しかし、どこかギリギリの綱渡りで交友関係を保っているように感じることがある。

 そういえば達也の「性格」について、彼の妹が褒めたところをあまり見たことがない。

 達也は人が良いとか、世話好きだというほどでもないので、ギブアンドテイクで仕方なく、というていで人の頼みごとを受けるのだが、その際に「お兄様は慈悲深い」などと筋違いのホメ方をしたことなら記憶しているものの。

 性格に関してなら、どちらかというと、深雪が「お説教」をしているように見えることの方が多かった。

 本人は、愛ゆえの想いを伝えているだけだと反論しそうではあるが。

 

 

 深雪は兄の性格について、自分にだけ優しくしてくれることを除くなら、他の大部分を不満に感じている。

 物足りない、とも言えるし、もったいない、とも言える。

 達也はあらゆる人間のなかでもっとも優れた存在であり、誰よりも愛しい存在だが、完成された男性とも言い難い、ということだ。

 エリカに言ったように、「いい男」だと思っているわけではない。

 元から、顔がいいと感じてはいなかった。好み、という言葉を使えばいいのだろうか。気になる存在、なぜか目を離せない存在ではあったが、それは顔の好みとは違うんじゃないか、と思う。

 深雪の見立てでは、達也は他人の美醜にこだわらない人だ。兄は、もっと深いところで人を「見る」。

 武術の達人が相手の構えのスキを見抜くように、人間の存在を支えている根幹を見透かし、判断する。

 だから深雪は達也の前で、気を抜くことができない。外見だけでなく、気配や振る舞いもすべて、達也が気に入るような女の子でなければ、可愛いと思ってもらえないかもしれない……と思って。

 逆に深雪から達也に求めるものは、自分よりも力の優れた兄であること。それだけだった。兄として敬愛し、その妹として誇りに思うにはそれで充分だった。そもそも、奇跡のような魔法を振るう人の妹なのだと、そう自覚して受け入れたときが、今の彼女の始まりなのだから。

 性格もいいところばかりだとは思わない。むしろ注意が必要ですらあると思う。

 欠点があるのは人間らしい証拠だ。

 深雪は達也の欠点さえも愛おしかった。いつも「お兄様に間違いなどありません」と言い続けている深雪だが、もし兄が本当に完全無欠であるならば、世話をするわたしの立つ瀬がない、と内心では考えている。

 尊敬と軽視は本質が同じだ、という言い回しもある。

 誰かを理想化することは、相手の「変化」や「成長」を望まないことと同じ。実は相手のことなどどうでもいい、自分の望むままであるべきだという、その人格を蔑ろにする態度なのだと。

 「深雪さんの理想の男性って、やっぱりお兄さんみたいな人?」と問われて、深雪が呆れてしまうのはそのためだ。

 それではまるで、お兄様を「理想(イデア)」に押し込めて、お兄様以外の男に成長を望んでいるようではないか。

 わたしが変化してほしいのは、果てしなく上昇しつづけてほしいと願うのは、お兄様以外にはありえないのに。

 深雪は達也を誰よりも尊敬している。しかし、けしてキズのない……完璧な存在でもなかった。

 むしろ欠点や短所の多い人だと思っている。

 短所のひとつには、兄は他人の激情を理解することができない。

 人間の感情というものを経験で知ってはいるし、「何もかもお見通し」のように思考を読むことだってできる。

 でもそれは……わたしたちの魔法の理論に喩えるなら、魔法を発動させる手順を知っているだけで、魔法が発動する源を知らないのと同じ。

 お兄様は、感情を読むことはできても、なぜそれが激情へと変わるのか、を実感することができない。

 この差は決定的だ。わたしたち魔法師も、ブラックボックスである魔法の能力を「確信する」ところから技術の修得がはじまる。

 魔法の原理を知らないわたしたちは、直観でその確信を掴むしかない。と同時に、その直観が薄れた時点で、儚く消えてしまうほど掴みどころのない感覚でもある。

 お兄様にとっての激情は、そんなものに近いんだと思う。お兄様がそれを知る手掛かりは、幼少の頃の思い出だけ。

 その経験ですら、大人になって身に付ける強い感情──例えば恋心とか──は想像で補わなければならない。

 ときどきあの人が子どもっぽくて可愛らしいと感じてしまうのは、自分で体験したことのある「強い感情」が幼少期のものに限られているからかもしれない。

 兄は「目的」と「意志」が非常にはっきりとしている人だ。小さな感情は脇に追いやられ、理性によって物事を遂行する。しかし理性がいつも「合理的に働く」とは限らない。臆病さや憐情によるためらいがないからこそ、達也の行動はいつも苛烈にすぎ、理想形へのこだわりが薄いからこそ、拙速にすぎることがある。人は強い感情に従った方が、合理的なこともあるのだ。でなければ、人類の感情はここまで進化することもなかっただろう。

 周囲の人はそんなお兄様の気質を理解できないし、また、お兄様も周囲を理解できない。

 他人と交渉しようとするとき、相手を追い詰めてしまうクセもそうだ。合理的な逃げ道さえあれば、そこに逃げ込んでも恥ではない、と達也は考えるからだが、普通の人間はそう簡単に進む向きを変えたりはしない。畢竟、追い詰めて追い詰めて、逃げ場がなくなったときに予め用意していたかのような選択肢を差し出して選ばせる……という悪魔の取引のような交渉になってしまう。

 人から好意を向けられるときもそうだ。お兄様が知っているのは、幼少の頃の感情だけで──しかも、わたしを含めて誰かと親しくしていた記憶はなかったように思う──、思春期から芽生えてくる親愛や恋愛の機微は、ギャップが大きすぎて気付きにくいようなのだ。

 こうした欠点を支えるために自分がいると信じているし、兄が今よりももっと満たされた人間になるとしたら、それこそが深雪の幸福となるだろう。

 欠点のない人間などいないのだから、きっとわたしの役割が失われることもないはずだ……というのは、チョッとした彼女の甘い願望。

 たとえもし、達也が完全無欠の存在になったとしても(深雪はそれがありうると考えている)、そのときは、自分が兄に並ぶことのできる完璧な女性になればいいだけだ、という覚悟だって済んでいるのだから。お兄様の実の妹であるわたしには、そんな人になる資格もきっとあるはずだ。

 今は支える必要の多いお兄様だけど。

 いつかはふたりで一緒に飛び立ちたい。

 支え合うのではなく、力を合わせる兄妹になりたい。

 それが深雪が夢見る未来だった。

 遠い幻のようで、手の届く身近な現実のようにも感じる。

 少しでも早く、そうなりたかった。お兄様も同じ未来を想ってくれるだろうか? とさらに夢を深くする。

 ひとつ確かなのは、そんな夢を見させてくれる兄を、深雪は深く愛しているということ。




このシリーズの他に、次からは番外編のシリーズが始まります。
番外編の方は、オリジナル要素(妄想)が入っていたり原作の設定を意図的にいじったりと、萌えの赴くまま書いたものをまとめています。


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魔法科SS(番外編)
「私もブラザー・コンプレックスなんです」「え……?」


習作としては、これが二作目でした。
オリキャラ(※名前無し)が出てくる上に、「追憶編」が前提、性的表現(やや)アリという理由で、以前投稿したシリーズとは別の、独立した番外編という扱いにしています。


※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1391159


 中学時代の深雪は、生徒たちから絶大な人気を誇るアイドルだった。そのぶん、特定の友人というのは存在せず、どの生徒とも均等な距離を保つことを余儀なくされていた。

 上流階級の子息が集い、女子生徒の礼儀作法を特に徹底している名門校を選んだのは、深雪の母の教育方針による。

 そこは非魔法師の家庭の学生が多くを占め、魔法師の卵となるような者は少ない。元々、他校を受験するケース自体が珍しく、ほぼ全生徒がエスカレーター式に同じ学園の高校に進学するのだ。

 これは四葉家の意向にもかなう環境であり、魔法科の学校へ進んだ際に、過去の同窓生から素姓を探られにくいという利点も見越している。

 深雪にも、四葉の後継者候補としての自覚は若くして備わっていたから、「(一般人の)特別な友人」を作ろうとはしてこなかったし、そして意識するまでもなく、学友たちは自ら望んでそのような環境を深雪に提供してきた。

 習い事を理由に部活動もせず、委員会活動も辞退することで、学友と共にすごす時間がかぎられる生活。

 数少ない自由時間はクラスメイトたちがガッチリ深雪を独占するのだが、深雪と会話する権利は平等に分け与えられるよう、生徒間で自主的に調整されていた。

 ホームパーティのような形で学友を司波家に招くイベントが催されたこともあるが、それですら「特別」とは言いがたい、均等な関係の集まりでしかなかった。

 いつのまにか男女ともに「抜け駆け厳禁」の協定が作られ、「深雪さま親衛隊」とでも呼ぶべきファンクラブが自然に出来上がっていく。

 余談だが、上級生の女子や名家のお嬢様を「さま」付けで呼ぶのはこの中学において珍しくなかった。しかし家柄を誇るでもないサラリーマン家庭(と、いうことになっている)の娘が、同級生からも「深雪さま」と呼ばれるのはレアケースだったと言えるだろう。

 加えて言えば、第一高校において、表向きの司波家が名家ですらなく、ましてや四葉家当主の姪だと明かしてもいない深雪が、「お兄様」という尊称を日常的に用いることに他の生徒たちがツッコミを入れないのは、彼女の出身校の校風──女子の言葉遣いが慇懃なことで有名な──をそれとなく察してのことである。

 閑話休題。

 初年度の夏休みが空けてからの深雪が、兄である達也にぞっこんの少女へと変貌したことは、ファンクラブにとってまさに青天の霹靂だった。

 深雪の兄、達也はどう見ても「優等生だが怖い男の子」というイメージであり、ほとんどの学生から避けられていたのだから。

 深雪の信奉者たちからすれば、深窓の姫君がいつのまにか魔王の妃に嫁がされてしまったような衝撃に近しかった。旧時代的な喩えを用いれば、「学園のアイドルが夏休み中に暴走族のリーダーの彼女にされてしまった」くらいの激変だったと言えようか。

 ただし達也は学園でも指折りの優等生であり、「奪われた」という感覚はあっても、「汚された」という感覚まではない。

 そもそも、大人びた佇まいや、文武両道の成績において達也にかなう男子は一人もいなかったのだから、盾突きようがないのも事実。

 そう割り切ってしまうと、「我らが」深雪さまが、近寄りがたい秀才である達也に一途な奉仕を尽くそうとする「いたいけ」な姿は、かげながら応援せざるをえないほど心を打つのだった。

 それに中学生の達也も、当時からいきなり、現在のごとき「亭主(兄)関白」な立場に順応したわけではない。

 最初のうちは深雪に対する堅い反応も隠しきれず、彼女の激しいアタックにたじろぎ、ぺったりと付き添われることに動揺するさまも珍しくはなかった。

 こわもてのエリートが可憐な美少女によって徐々にほだされていくようすはロマンティックですらある。二人の姿をあたかも「冷めきった魔王の心を、無垢な愛によって開こうとするお姫様」の関係性になぞらえ、勝手に感動の涙を流す生徒すらいた。

 そして、とうとう達也の側から「折れて」、妹による奉仕を全面的に許可すると認めた日に至っては、幸せいっぱいな満面の笑顔を一日中、惜しみなくふり撒きつづけてくれた一人の少女の幸せを願う「おめでとう会」が密かに催されたという。

 休み時間に達也が深雪の勉強を見てあげることが日常化したのは、親衛隊にとって確かに落胆すべき変化だった。しかし成績トップの生徒が面倒を見る以上、深雪の成績も目に見えて上昇しないはずがなく、またそれゆえに、かつての取り巻きたちに文句を言う筋合いは無かった。

 司波兄妹が成績表のトップを独占する姿に、暖かく拍手を贈るしかなかったのだ。

 そのような、孤立しながらも祝福された(?)中学生活を送った深雪にとって、一人だけ強い関わりを結んだ女子生徒が存在した。

 知り合った切っ掛けはよく覚えていない。その彼女は成績もよく、深雪の学力に並ぶ数少ないクラスメイトだったから、学業の相談や図書館での話相手は自然とその子を選ぶことになったのだろう。

 そしてなにより、「深雪の取り巻きに参加しない生徒」として、むしろ安心して声をかけられた部分が大きかった。

 彼女も同じ学校の教育を受けている以上、必要な礼儀作法は心得ているものの、コミュニケーションは得意でないらしく、一人でいることの多い女子だった。深雪が光の当たる場所の「孤高」だとしたら、彼女はその影に隠れた孤高(ソリタリー)だったと言えるだろう。

 濡羽色の黒髪が凛とした印象を与え、中学生にしては大人っぽく見える少女だった。

 発育が早いのだろう。どの女子よりも母性的な曲線が制服の上からでも目立っていた。

 高校生並のボディラインを想定していないデザインの服では、持て余す肉体。

 物静かで冷たい表情が、中学生らしからぬギャップを際立たせていた。同学年の男子では手を出しにくい外見だが、大人の男性を魅了するタイプだと言える。

 この娘は、深雪にとって単なる勉強仲間でしかないはずだった。

 たまたま二人きりの時間ができたある日、唐突に向こうから話しかけられるまでは、事務的な会話しかしない仲で終わるはずだった。

 それは深雪が毎日、人目も(はばか)らぬ奉仕を「お兄様」本人に認めてもらうための努力にいそしみ始めた時期のこと。取り巻きの生徒たちが、めいめい愕然とするなり、新たな嗜好に目覚めてしまうなり、血色を変えて真意を問い詰めるなり、深雪への対応を変えていた中、この無口な少女だけは以前と変わりなく接してくれている、と感謝していたさなかだった。

「深雪さんって、ブラザー・コンプレックスだったのね」

「あら? 意外ね……あなたもそんな言い方するなんて」

 そうよ、と肯定するでもなく、そんなことないわと否定するまでもなく、とりあえず答えをはぐらかしておく。

 自分で理解してはいても、人には言われたくはない程度に、この頃の深雪はコドモだったのだろう。

「私もブラザー・コンプレックスなんです」

「……え?」

「兄のことを愛してるんです。……こんなことを人に言うの、深雪さんが初めてですけど。内緒にしていただけますか?」

 それを言った後から頼む!? と面くらいつつも、秘密の話なのね、わかったわ、と安請け合いをしておく。

 それにしても、聞き捨てならない言葉が彼女の口から発せられたことによって、深雪の頭は素早い反応ができなくなっていた。

 愛している……? 好きや大好きではなくて? 兄って、兄弟の兄? だからブラザー・コンプレックスって……。

「私の兄さんは大学生なのですが、今は一人で部屋を借りて住んでいまして」

 しまった、どうもこの子は「内緒の話」の続きを始めるつもりらしい。他人の家庭の事情なんて、どこまで知っていいものか、見当もつかないのに。

「私はこの中学に入って、兄さんの部屋からここに通うことになりました。……その方が学校に近いですし。二人なら寂しくないだろうと、両親も賛成してくれて。休日だけは実家で食事をする決まりになってますけど」

 兄と二人暮らしとだけ聞いて、素直に「うらやましい」と深雪が思ったことは言うまでもない。まだ中学一年生の達也と深雪は、両親の管理下にある境遇だったから。

 しかしそれから続く話は、深雪の「うらやましい」を超えていた。

「兄さんの一人暮らしは高校からでしたから、たっぷり五年くらい、離れて暮らしていて……。私が小学生の頃は、たまにしか会えませんでしたし、また一緒に住めて嬉しかったです」

 小学生時代に兄と過ごせる時間が少なかったというところに、深雪は親近感を覚えた。しかし相手の口ぶりからすると、「たまに会えたとき」の兄妹仲が親密だったさまも連想させて、きり、と胸が少し痛む。

「深雪さんのオニイサマも、妹思いな方だったんですね。はじめはそんな風に見えなかったけど、シスコンって言うのかしら? 深雪さんのブラコンぶりにも驚きましたけど、達也さんもあなたのことが大事で仕方ないみたいですね。まるで花に触れるくらい慎重に扱ってて」

「そ、そうかしら……?」

 深雪をブラコン扱いしていたと思いきや、急に達也のシスコンぶりを見抜かれて、深雪は照れ照れと恥じらった。この頃の達也は愛情表現がまだ控え目で、深雪としてはじれったさを感じていたところだったのだ。

「私の兄さんもシスコンだって良く言われてました。そして、私も可愛がってもらえるのが嫌じゃなかった。一緒に住むことに喜んだのも、可愛がってくれたぶん、家事や料理でお返しできると思ったからですし」

 司波兄妹についての話から、自分の兄妹関係の話へと戻ったようだ。深雪は「兄を愛している」という、彼女の問題発言を思い出し、うんうんと強く頷きながら耳を傾ける。

 深雪はもうすでに、得難い「仲間」と出会ったような気がして心が弾んでいた。深雪だって女の子だ。同性とおしゃべりするのは好きだし、それが「自分の愛するもの」の話題ならばなおさら発散したいと思う。彼女の話が一段落したら、思い切りお兄様の話を(一般人に伝えられるギリギリの範囲で)語ってしまいたい──。そのくらいにはテンションが上がっていた。

 深雪はこの時点で、最後まで聞いたらまずい内容かもしれない、という可能性は失念していたし、当の相手も「内緒にしてほしい」という約束を意識して喋っているのか怪しくなっていた。誰にも打ち明けたことのない話をする興奮で、言葉が止まらない状態になっている。

「それで、この夏休みは兄の部屋と実家を行ったり来たりしていました。そんなある日、夏休みの宿題を兄さんの部屋で見てもらっていたときに、思い詰めた顔の兄さんに抱き締められて、もう我慢できない、って告白されたんです」

[newpage]

「……告白っ?」

「告白の意味は……わかりますよね? ごめんなさい。深雪さんしか相談できる相手が思い浮かばなくて。どうしたら良かったのか……。私、兄さんの望むことなら受け入れてあげたい。でも、……突然のことでわけがわからなくなって」

「そっ、そうね。だってまだ中学生だものね……」

 だったら同じ中学生は相談相手として不適格なのでは? と思ったものの、「深雪しかいない」と名指しされてしまった以上、その言葉は飲み込むほかなかった。

 そしてまだ、深雪には「告白」の内容がピンと来ていなかったのだ。だって私はまだ中学生なんだから! と心で責め返さずにはいられない。

「えっと……確認だけど、あなたのお兄様はなにが我慢できないと仰ったのかしら……?」

「第一に、お前のことは妹として大事だし、愛してる、と。唐突なことだから一瞬驚いたけど、私も兄さんを愛してるわって、すぐに返事しました。でも」

「……でも?」

「実際は、ものすごく遠まわしな言葉だったから、簡潔にまとめますが……。ようするに、薄着姿のお前とずっと一緒にいたら性欲を抑えきれる自信がない、と」

 思った以上にストレートな言葉にまとめられて、深雪は絶句する。だめだ、やっぱりこれは、聞いてはいけない類の話だったんだと警鐘が頭の中で鳴り響く。

「兄さんはこの夏の間、ずっと言い出せなかったみたいで。私は我慢させてごめんなさい、って謝ったのですが、どうすればいいのか戸惑うばかりで……。すると兄も、頭を下げて私に頼み込んできました」

「……な、何を?」

「性欲解消を」

「ううっ」

 ギアがかかりすぎていて、話のスピードについていけない。そもそも性欲の解消法なんて、ひとつしか──実際はいくらでも方法はあるだろうが、この時点の深雪の想像力においては、一種類の方法しか──思い付かない。具体的なイメージが浮かびそうになる脳内に、なんとか意志の力でブレーキをかける。この話相手の大人っぽい顔や、中学生ばなれした体を直視することもできなくなってきた。

 話の続きをうながすのは怖かったが、もはや後戻りもできず、おそるおそる、わずかな抵抗を示すしかなかった。

「そんなの、兄妹でおかしいとは仰らなかったの……?」

「兄が言うには、結婚前の男子の性欲を解消するのは、古来から妹の役目なんだと。でも私、そんな話は聞いたこともないので」

 深雪も聞いたことはない。

 しかし「そんな話があったらいいのに」と一瞬考えてしまった頭を、ぷるぷると小さく振った。

「深雪さんなら、どう思われますか? あんなにお兄さんを慕ってる人、今まで見たことがなかった。私は明るい性格でもないし、素直になれないところがあるから、うらやましいくらい。意見を聞かせてほしいの」

「……あなたは、お兄様のことを尊敬しているのよね」

「尊敬……? そうね。尊敬ならしていると思う。コドモっぽくて可愛らしいところもあるけど、私を守ってくれる立派な兄だと」

「そ、尊敬できるお兄様なら、求めには応じるべきだと思うわ……!」

 相手の手をぐっと握りしめ、まっすぐ瞳を見詰めながらそう告げた。同い歳の少女に対して、ここまで感情的になったことなんか初めてだと思えるくらいの声色で。

「お、お兄様が望まれることなら……な、なんでも……できるはずだわ。だって、それが妹の義務なんだもの」

「妹の義務、だから……」

 そこまで言い聞かせて、深雪の心はにわかに満たされた。私は間違ったことは言っていないはずだと、柔らかく笑みを浮かべる。

 その極上の微笑みにあてられてか、今まで表情を変えなかった彼女も、ふわ、と初めての笑みを返してくれた。あぁ、こんな顔もできるのねと深雪が感心したのも束の間、

「じゃあ、兄さんの望んだ通りにしたことは正しかったんですね」

「……ふえっ?」

 さらりと返された言葉は、過去形だった。深雪は思わず、間の抜けた復唱を返す。

「望み通りに、したって……?」

「悩んでいたのは、その関係を続けてよかったのかどうかです。今では、毎日兄さんの求めるままにしていますから」

 セックスを、とまで耳にして、さすがの深雪も顔が真っ赤に染まるだけでなく、口を半開きにしたまま閉じることができなかった。

 歳の離れた兄を持ったこの妹は、深雪のたおやかな指に握りしめられた両手を少しもじもじさせながら、うつむき加減に語りつづけた。

「使うことの多い場所は、シャワールームでしょうか。部屋の汚れも気にしなくていいので……。それに兄さんは水着を着せた私とするのが好きなようです。石鹸の泡だらけのままが興奮するそうで。変態っぽいけど、まぁ許します。でも家事中や、玄関でも構わず襲ってくるのは困りますから、それはおあずけしますね。体操服とか目隠しとか、好きな格好になってからしてあげると言えば納得してくれます。現金ですよね。逆に朝起きてすぐのは、いつも断り切れません。休日はデートもしてくれます。外で恋人たちに混じってキスもしてくるんですよ。でも最近の兄さん、もう彼女なんて作らない、結婚もしないなんて言うようになって、それはどうかと……。深雪さん? 深雪さん? 聞いてますか?」

 あまりものショックに卒倒した深雪は、この少女との会話をあまり覚えていない。その後、同じ話を続けたこともない。

 この話が、血の繋がった肉親との関係だったのかも、確認していない。

 しかしこの「妹」は、卒業式でさようならを告げる日までずっと、穏やかで幸せそうな顔をしていたことがしっかりと目に焼き付いている。

 そして、深雪が達也との二人暮らしを始めるようになったとき、彼女から聞いていた兄妹生活をなんとなく思い出したものだ。

 お兄様を喜ばせたい一心で普段の身嗜みを決める深雪だが、達也も一人の男であることを、「妹である自分が斟酌しなければならない」という気持ちが、どこからとなく湧いてくるのだった。

「妹の義務、妹の義務……」

 そう呟きながら、カタログで取り寄せる洋服を選んだり、クローゼットの中から今日のコーディネートを思案したりする。

 それは無意識に、大きく肌を露出させた衣服──他人に肌を見せることを避ける現代のファッション事情では、「彼氏と二人きりのシチュエーション専用の勝負服」という役割のみが認知されているコーディネート──へと指が伸びていくのだった。



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私への嫉妬【真夜×深夜】

司波兄妹以外のお話になります。

妄想ばっかりな、学生時代の(そもそも高校や大学に通ってたのかどうか……?)双子百合です。同性愛描写が苦手な方はご遠慮ください。

※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2029009


「……真夜」

「姉さん」

 目を開けてから、初めて見た少女の顔は、とても綺麗だった。

 歳は中学生になるくらい。「清楚さ」と「儚さ」が具現化したかのように、幼い可憐さのなかに年齢を越えた幻想の美を兼ね備えている。

 辛そうな、今にも泣き出しそうな顔。その辛さを悟られないよう、表情を抑えているつもりだろう。しかし赤く腫れ上がった目元がその努力を裏切っていた。

 悲しみを抑えきれないのは当然だろう。彼女の愛する妹に、何があったかを想像すれば……。

 だがその「妹」のことを、なぜか他人のように感じる自分がいた。その「妹」とは、間違いなく「私」のはずなのに。

 目の前にいる少女のことも、まるで初対面のように感じる。この綺麗な女の子は、「私」にとって双子の姉であるはずだ。

 本当なら、ずっとそばで眺めてきた顔だった。顔立ちや声が記憶のデータベースと一致し、迷うまもなく名前を導き出せる。彼女は四葉深夜。私(四葉真夜)の、姉さん。

 後で知ったことだが(深夜に聞いたのではなく、独学だ)、人間の記憶には「実感としての記憶」と「知識としての記憶」とは別に、「手続き記憶」と呼ばれるものがあるらしい。

 ナイフとフォークの使い方や、服を着る順番、ひもの結び方や、体を洗う際のクセを忘れたりしないように。

 意識上の知識や実体験とは異なる、無意識にしみ込んだ記憶。それは深夜の精神構造干渉魔法で改変されることなく、原型を留めていた(でなければ、流暢に言葉を発することにすらリハビリを要しただろう)。

 真夜の口から「姉さん」という呼び名がすっと出てきたのも、日頃のクセが呼び起こされた結果だった。それは反射神経のようなものであって、実際に「姉」と意識して呼んだわけではない。

 だが「目覚めたばかりの真夜」にとって、この平凡な呼称は、重大な意味をもって受け止められていた。

 ……姉さん。

 そこには、紛れもなく親密な、安心しきった響きを感じる。

「姉さん」

 この響きが、自分の口から自然に紡がれることが、生まれ変わったばかりの身には嬉しかった。

 「かつての真夜」は消滅したかもしれない。それでも「今の真夜」が確実に「生きている」ことの拠り所のように思えた。

 真夜がそう感じた瞬間、深夜はかけがえのない存在となった。

 卵から孵化して、初めて見たものにインプリンティングされる雛鳥のように。真夜が目覚めたときに初めて「実感」できたのは、悲しみをたたえた深夜の可憐さであり、自分の喉を震わせた「姉さん」という言葉だった。

 「個人としての経験」を何ひとつ持たずに生まれ変わったとしたら、私とは一体誰なのか? という苦悩に陥っていたことだろう。だが、私には「姉さん」と呼べる人がいる。

 まるで早送りの映画を観るかのような、味気のない記憶しか真夜には残されていない。そんな過去には、面白みもなければ思い入れもなかった。何を基準に生きてきたのか、まったく理解できなかった。

 しかし、深夜という少女を特別扱いした「姉さん」という呼び方だけは、自分の大切な記憶(メモリー)として刻印すべきだと感じたのだ。

 

 

 この人はきっと、私にとって「軸」になる存在かもしれない。

 

 

 生まれたばかりの無垢な自我の中で、真夜は確かに、そう直感したのだ。

 頭のなかの「記録」を眺めれば、「私」がこの少女を愛していたことが解る。ただし、そのときの感情は一切蘇らなかった。

 今の彼女にわかるのは、思わず「姉さん」と呼んだクセのなかに、確かな愛情の響きが込められていることくらいだった。

 そして何よりも実感できることが、ひとつ生まれた。

 悲哀に満ちていた姉の表情を見詰めているうちに、たまらないくらいに可愛い……、と胸をときめかせていた事実だ。

 

 

 そもそも、実の姉妹である深夜の顔は、二重の意味で「見慣れた顔」だったはずだ。

 血縁者の顔に愛着を感じることはあっても、綺麗、とまで思うのはナルシズムのようかもしれない。

 しかし実感を失ったということは、今まで眺めてきた深夜の顔も、せいぜい「テレビで見たことがある」程度のボンヤリした印象へと低下するということだ。

 生まれ変わった真夜にとって、あらゆる光景は「知ると見るとは大違い」と感じるもので、ホンモノとの接触はなにもかもが刺激的なのだ。

 それは己の顔であっても変わらない。「生まれて初めて自分を鏡で見る」のが12歳になってようやく、という人間と同じだ。この経験によって真夜は、以前よりもはっきりと自分の美貌を自覚できるようになった。

 驚くほど綺麗だねと褒められることと、自分を見て綺麗さに驚くことでは認識のレベルが違う。

 このくらい迫力のあるものを武器にしない手はないし、磨かないのは損だと素直に思ったくらいだ。

 その意味では、真夜はナルシストの性癖を獲得した、と評せなくもない。水面に映る己を見詰めたナルキッソスと同じく、自分自身を「私の体のはずなのに他人の体のようだ」と感じているのだから。

 だから姉の可憐さにときめいたのも、記憶のなかの愛着とはまるで関係なく、本能的に美しさを感じる造形だったから……に他ならなかった。

 「見慣れる」という防護壁さえなければ、誰であってもこの双子の美貌には心を奪われるに違いない。

 その上で、真夜は姉と自分の顔を「好み」で区別していた。表情が違うのだ。

 どちらかというと真夜の表情は勝ち気そうで派手な印象があり、深夜は物静かで内気な印象があった。

 たまらなく可愛い、と感じた第一印象のイメージを裏切らない、アンニュイな表情を良く見せる深夜が好きだった。

 彼女たちの美しさは天賦のものだったが、どんな生き方をするかによって、プリズムのように輝き方を変えるのだと真夜は学んだ。

 素材としては抜群なのだと充分に自覚したことによって、美容に積極的な生活を自分に課そうと決めた。

 そう心掛けた上で、あの事件後にまず懸念したのは女性ホルモンの適切な分泌だった。

 しかしこの心配は杞憂となる。

 正常な女性の機能を取り戻そうとした治療は成果を見せずに終わったものの、それは生殖能力の回復が不可能だったというだけで、体内から女性の器官を喪失したわけではない。

 むしろ一族は回復の望みを懸けて、彼女の生殖器を完全に再生しようとしていたのだから。

 結果、肉体が第二次性徴を遂げようとするあいだ、再生医療の副作用なのかどうか、彼女の卵巣はより多くの女性ホルモンを全身に巡らし、女性らしい丸みを帯びたシルエットを作り上げることに大きく貢献した。

 その皮肉な作用は、双子の姉妹である深夜と比べてみれば歴然とする。

 高校に入った頃には、すでに真夜の身体は日本人離れしたグラマラスさを備えていたが、深夜は対照的に、日本人女性らしく着物姿などが似つかわしいスタイルに成長して見えた。

 真夜付きの使用人は、彼女に合う洋服や制服を調達するのに苦労し、若くしてオーダーメイドが当たり前にもなっていた。

 言うまでもないことだが、着るものを選んだのは、肥満スタイルだったから、ではない。人並み外れて均整の取れすぎたスタイルだったからだ。

 多くの既製服(レディメイド)は、彼女に着られることを前提に作られておらず、服の方が彼女のプロポーションを持て余した。

 日本人離れしたと言っても、コーカソイドと同じ体格というわけでもない。いずれの人種を基準にしても理想的な調和が実現しており、それは既存のボディバランスからの大幅な逸脱も意味していた。

 ボディラインのわかる格好で人前に出ることは「物騒」だと見なされたほど、悩ましくも非常識な肉体だった。

 シックな和装などを華美に着こなす姉に対して、妹はコルセットドレスなどで豪奢に身を飾ると、どんなパーティであれ同席者らを圧倒し、我を忘れさせ、放心めいた溜め息の渦に感染させた。

 彼女のプロポーションは、あらゆる女性のなかで最も理想(イデア)の姿に近い、と現代魔法学からすれば不適切な賞賛を浴びせた者までいた。

 優れた魔法師のプロポーションや手相・顔相は、理想的な黄金比の美に近付く、という古い考え方がある。

 科学と魔法が融合した今世紀において、それは神秘主義(オカルト)の領域にある見識だ。とはいえ、もとより魔法陣や呪印などの幾何学文様からあやかしの力を導き出すのが魔法の原理・原則である。

 そんな力を用いる世界からすれば、あたかも魔法陣のごとき姿形(デザイン)を授かった者であるほど「魔」の深奥に近付けるのかもしれない……。そうした考えが出てくることは至極自然であり、なんら奇妙でもなかったのだが。

 魔術を意味する「グラム」と、魅惑的な容姿を意味する「グラマー」が語源を同じくするというのも、あながち無意味な一致ではないかもしれない。

 ただ、人為的にデザインしうる「正解」が見出されていない以上、神による造形に任せざるをえないというだけだ。

 遺伝子操作でプロポーションに手を加える技術はほぼ完成しているが、調整体魔法師に期待通りの魔法力を発揮させた実例もなければ、理論化もなされていない。

 正解もなければ、理論的な証明も不可能だという点で、芸術の奇跡に通じるという意見もある。

 ともかく、高校生の真夜が授かった容貌と肢体は、まさに芸術品と呼ばれるに相応しいものだった。

 「まるでギリシャ彫刻の傑作のよう、いや彫刻の天才をしても表現しえなかった理想そのものだ」という賛美は、学生の頃から擦り切れるほど捧げられた。

 それはただ完璧であるだけでなく、聖と俗が真夜の身体には同居していたことを意味する。

 あやしい蠱惑の色香も、天使のようなあどけなさも、小悪魔的な人懐っこい魅力も、畏縮してしまうほどの高貴さに反して劣情を誘ってやまない妖艶さも内包した「矛盾の調和」こそが、芸術家には到達しえぬ領域なのだった。

 同じく一族の当主候補として育成された深夜と真夜の姉妹だが、果たしてこのプロポーションの差が実力を隔てる一線となったのか、は知りようもない。

 深夜は魔法力よりも精神の安定性に問題があり、それが魔法の才を損なってもいたのだから。

 その上、不安定さを埋めようとするあまり自身に鞭する気性が重なっていた。真夜に負けまいと限界を越えようとするたびに魔法師としての寿命を縮めていた。

 真夜は、そんな姉の必死さをずっとそばで眺めていた。

 能力や人間性で劣るかもしれない、というコンプレックス。淑女としては完璧な作法を身に付けていた深夜だが、世渡りや、人を惹きつけることに関しては真夜の方が巧みだった。

 深夜はその異能の性質ゆえに他人を恐れるところがあり、幼いころから妹の明るさに頼っていたきらいがあった。だが今、その「妹」はいない。

 深夜は深い喪失感に浸かった思春期を送っていた。そして、その喪失の直接原因である自分を憎悪し、罪悪感に縛られていた。

 

 真夜は、こんな姉が可愛くて仕方がなかった。

 その可愛らしい顔が悲哀に(かげ)るようすを目にするたび、もっとめちゃくちゃにしたい気持ちに支配され、喉がカラカラに渇いた。

 

 

 記憶のなかの姉妹は、人知れず愛し合う関係だった。

 とはいえティーンエイジにも至らぬ少女たちのすることだ。言ってみれば、幼い戯れだったかもしれない。

 それでも「姉妹愛を超えた」感情で繋がっていたのは確かだった。

 特に真夜は、先天的とも解釈できる同性愛感情を伴っていて、異性には食指が動かないと薄々自認していたほどだ。

 深夜はそんな真夜に振り回されつつも、互いの愛情を確かめ合うことを拒まなかった。むしろ、系統外と呼ばれる未知の力を抱えた彼女は心に闇を抱えやすく、姉妹愛に深く依存していたのは真夜ではなく深夜の側だったろう。

 

 ……今の真夜が客観的に洞察すれば、かつての姉妹は恋人のような仲だったと解る。

 そして真夜のリセットされた自我は、(記憶や経験とは無関係に)改めて実の姉に情愛を抱いた。

 あの日以来、深夜だけが性的な想いを寄せる対象となっていた。

 おそらく自分は、生涯独身を貫く立場の人間だろう。女として、誰かの妻となり誰かの母となる人生とは無縁に過ごして死ぬのだろう。

 育ちに育った肢体も使いどころはなく、潔癖を通すことだろう。

 だがそれは悲劇ではなく、むしろ望ましいくらいに感じている。

 かといって、真夜は男性が嫌いなのではないし、怖いわけでもない。

 知識として思い出せる、かつての自分が惨たらしく残酷な体験に晒されたのは確かで、それは仮に「他人の記録のように思える」としても、女性の身ならば知りたくもない出来事であったのは間違いない。しかしその上で、自分が事故によって歪められた人生を送っているのではなく、納得のいく生き方を選べているように感じていた。

 男性や、婚姻などと関わらずに生きられる今の自分を、真夜は満足して受け入れている。

 真夜は、深夜の「魔法」のことも本当に感謝しているのだ。

 姉の精神構造干渉魔法によって、自由な自分に生まれ変われたことを。

 残念なのは、そのありがとうという気持ちを正直に伝えられないことだ。

 深夜は「かつての私」が好きなのであって、「新しい私」が好きなわけじゃない。

 彼女が取り戻したいのは「かつての私」からの愛情であって、「今の私」からの愛情じゃない。

 元々の姉さんは、孤独を避けたがるタイプだった。いつも私から離れようとせず、七草の御曹司との婚約が決まったときも、ずっとふてくされていたものだ。

「これでもう、姉さんは私を独り占めできなくなるのね。でも、いつかはそうなるものよ」

 そう事実を告げて、互いに姉妹離れをする決心をした。私たちは、精神的な繋がりさえあれば充分だと信頼しあって。

 そこにあの事件が起きた。

 自立しかけていた姉さんの心はまた脆くなり、再び支えを必要とした。

 一方で私は、人格をリセットしたと同時に、かつてと異なる愛を姉さんへ向けるようになった。

 新しい私には、選択肢がふたつあった。

 

 

 ひとつは、姉さんへの想いを秘めて、わずかでも過去の関係が取り戻せるように、支えつづけること。

 もうひとつは、「姉さんがもっと悲しむ顔を見てみたい」という自分の欲求に蓋をせず、強引にでも関係を結ぶこと。

 

 

 自分を傷付け、私のために辛い思いをしている姉さんが、とても愛おしい。抱きしめたくなるほどに。

 激しさを増す愛おしさに負けて、選んだのは後者の選択だった。

 そう決断してからというもの、実の姉に対する真夜の愛は、獰猛な欲望のかたちへと変わった。

 

 

「今度こそ可愛い妹を独り占めにできるのに」

 いつものように制服の裾のなかへ指をすべり込ませながら、長椅子の背もたれまでズッ……と追い詰める。

「私はもう姉さんから離れたりしないのに……。喜んでくれてもいいでしょう?」

 姉さんはいやいやをするように、目に涙をためながら首を振る。

 それが可愛くて、また唇を奪う。

 姉さんはいつでも拒絶はしない。泣きじゃくりながらキスを受け入れてくれるが、心は閉じきっていることがわかる。

 その固い扉をこじ開けたくて、私は姉さんを陵辱するような気持ちで、さらに深く口腔のなかを犯した。

 息を忘れるほどの丹念なキスを済ませると、無抵抗になった姉さんは、声を殺して泣いていた。かまわず、腰砕けになって力が抜けている体を襲って、全身を愛撫していく。

 こんな行為を続けても、今の私を愛してはくれないと知りながら。

 姉さんのなかから、かつての私を消すことはできないと知りながら。

 私は、私に嫉妬を焼いていた。

 今の私を姉さんが拒絶しないのも、私のなかにかつての私を感じるから、というだけなのだろう。

 それ自体はかまわない。この身体が姉との絆ならば、誘惑の材料に使うだけだ。

 

「昔の私とは、こんなことしなかったわよね?」

 

 すっかり大人の身体になっていた私は、姉さんから様々な(思い付くかぎりの)「初めて」を奪った。二人きりになれるときなら、状況も場所も選ばず「思い出」になるようなことを要求し、容赦なく犯した。

 きっとこれは自分への罰だと思っているのだろう。姉さんが内罰的に自分を責めているのなら、私はそれも利用して束縛するだけだった。

 それに姉さんは、潜在的に私との関係を必要としているようにも思えた。

 今のこんな私でも、求められればすがりつきたいほど、心が危ういのかもしれない。それはどうにか救ってあげたかった。私は姉さんの可哀想な姿をいくら愛していても、心を壊したいとまでは思ってないのだし……自分で言っても説得力がないけれど、私はサディストではないのだから。

 たまたま泣いている姉さんが好きなだけで、姉さんは私が抱くとすぐに泣くだけで、単純に「泣かせたい」のとは、ちょっと違うと思う。

 自己弁護はともかく、姉さんは私と体を重ねることで感情の泥を吐き出し、精神の安定をかろうじて保っていたようだった。もちろんメンタルだけでなく、肉体的な悦びを与えることに関しても、「私」には自信があったが。

 激しく辱めることより、姉さんを悦ばせる行為に集中して優しく抱いてあげた方が、より悲しみの表情が浮かぶことを私は見抜いていた。

 私の身体で感じたり、開発を受け入れたりすること自体が、姉さんにとって切ないことなのだろう。

 だから、姉さんが目を赤く腫らして泣いているときが、一番満足しているときだとわかる。羞恥に耐えながら私をにらんでくるのは、高まる快感に震えているサインだ。

 それがとても可愛くて、姉さんの前なら私は、いくらでも優しい言葉を囁くことができた。

 姉さん。愛してるわ。気持ちいい? と尋ねたら、泣きながら頷いて、

 大好きなの。愛してる。姉さんは? と尋ねたら、泣きながら首を横に振った。

「……そんな顔をするから」

 姉さんのことを、もっと好きになってしまうのだけど。

 その冷たい涙を舐めとるような愛し方が、私の姉さんへの愛となった。

 愛し返されたい、とは少しも思わなかった。

 今は姉さんに触れられるだけでよかった。たまに自分が、姉を守る保護者であるような錯覚をしてしまうが、あくまで耽溺しているのは私の方だ。

 人前で手を繋いだりしてそばを離れないときも、姉さんに避けられたらそれでお終い。甘えているのは私であって、単に触れることを「許されている」だけだ。

 その証拠に、私が強引に襲った直後の姉さんは、本当に冷ややかな目で私を見下すのだ。「妹」の身を汚す、いやらしい女だとでも姉さんに思われているのだろう。

 そういえば、同性の反応をもっと経験しておくために学校の女子生徒を囲ったとき、姉さんから酷く軽蔑されたものだった。それは私に妬いてくれたのではなく、単にこの身体で淫蕩に耽ることが腹立たしかっただけかもしれない。

 逆に姉さんは、私から逃れるために女を作ることがあった。……奪い取るのは簡単だったが。

 今は私だけの姉さんだけど、私がいないならいないで、ガーディアンの娘でも誰でも代わりは勤まるだろう。

 学校を卒業して、実質的に私が一族の当主となる頃には、そのくらい距離をとってもいいだろう。

 ただし、私が姉さんに甘えたい日は、四葉当主の権限を使ってでもそばにいさせるつもりだ。本当の姉妹のように仲良くしてみせよう。そのとき、成人した姉さんが男と結婚していようと逆らわせる気はない。

 死ぬときも、姉さんと二人きりがいい。

 若くして衰弱の見える姉さんは、長生きしないかもしれない。しかしベッドの上で看取るにせよ、戦場で共に果てるにせよ、最期の瞬間は「私の一番そばで死なせたい」というのが夢だった。

 これは「私」への当て付けになっているのだろうか、と真夜は想像する。

 この人はもう、あなたのものではないし、あなたには支えてあげることも、支配することもできないでしょう?

 口惜しい? それとも羨ましいかしら?

 その答えは、「私」ではない真夜にはまったく想像できない。実感の湧かない「記録」でしかない過去のイメージは、年々あいまいにしか思い出せなくもなっていた。

 恋敵として、これほど手応えのない相手もいないだろう。虚しい。だから真夜は、まるで女の子のような憎まれ口を漏らすしかなかった。

 

「あなたには渡してあげない。

 絶対に、私の方がずっと……何倍も何十倍も、姉さんのことが大好きなんだから」




 このSSのあと、真夜×深夜の漫画をSBSさんが描いておられました。とても萌えるので、そちらも合わせて見ていただきたいです。→http://twitpic.com/dfz9kq


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深雪「リーナ! 夜のお勤めでは、ちゃんとお兄様を満足させているのでしょうね?」リーナ「……」

劇中の数年後……という設定で。深雪×リーナの百合です。というかブラコン百合。
セックスに関係する会話が多いので、苦手な方はご注意を。

これは第2話と第3話のあいだに、会話の練習のためにVIP形式で書いてみたSSでした。
日付を確認してみたら2012年の2月(!)に書いたものでした。当時は文庫版でリーナが未登場でしたので、「来訪者編」が刊行されるまではお蔵入りにしてたんですね。


※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2122591


 

深雪「どうなの?」

リーナ「満足させてるわ」いらっ

深雪「本当かしら? ……まったく、お兄様と(しとね)を共にする者として、見た目だけが取り柄なことをわかってほしいところだわ」

リーナ「見た目だけ……」

深雪「だからあなたには……」くどくど

リーナ「反論しちゃ負けだわ、リーナ。ステイトじゃ絶世の美少女と鳴らした私を掴まえてよく言うわね!……とでも言い返したいところだけど、自分から可愛さをアピールするわけにはいかないし」

深雪「なにか言ったかしら」

リーナ「いいえ!」

深雪「とにかく、お兄様を喜ばせる努力は怠らないように。いいわね」

リーナ「そのことについてひとつ言いたいことがあるのだけど」

深雪「あら、なにかしら」

リーナ「どうして私が、いつもあなたの後じゃなきゃいけないの? どう見てもみっちり愛し合った後の相手じゃ、努力のしようもないわ! それに、眠りにつく前にベッドを追い出されるのもおかしいわ。タツヤの妻は私で、ミユキは妹じゃない!」

深雪「まだそんなこと言ってるの……。いい? お兄様がいちばん愛してる女性は誰?」

リーナ「……ミユキ」

深雪「初体験の相手は?」

リーナ「ミユキ」

深雪「お兄様にとっていちばん性的に興奮できる女性といえば誰かしら」

リーナ「ミユキ」

深雪「お兄様が目を覚ましたとき、最初に顔を見ておきたい人は?」

リーナ「ミユキでしょうね」

深雪「わかってるじゃない」

リーナ「でも! 法的には私が妻なのよ!? 義妹に寝室の優先権があるのはおかしいと言ってるの!」

深雪「あら、そんな理由で、多忙なお兄様の快適な睡眠時間を損なわせたいと言うのかしら」

リーナ「私と眠るのって、そんなにひどいの!?」ぐすっ

深雪「やだ、涙ぐまないでよ……。あくまで私と比較しての話なんだから。私は、お兄様に最高の一晩を過ごしてほしいだけなの。妻だと言うなら理解してほしいわ。ね、お義姉様?」

リーナ「う……可愛くお願いしてもムダなんだから。深雪にとっての優先順位はそうでしょうけど、亭主カンパクの時代はもう終わったのよ。妻として、私の立場ってものを主張させていただくわ」

深雪「ハァ、そこまで言われたら仕方ないわね。平和な家庭のためには妥協もしなければならないでしょう」

リーナ「やった! 屈辱の日々もさらばね」

深雪「朝まで私たちの横で眠ることを許してあげます」

リーナ「そういう方向じゃない!」

深雪「リーナにとっては大躍進じゃないかと思うのだけど……」

リーナ「そうだけど! なんというか、追い出されるよりもみじめな気分になる予想しか浮かばないわ」

深雪「リーナももうちょっと、お兄様と一緒に暮らせる喜びだけでも満足するべきよ」

リーナ「そんなことに幸福感を覚えるのはミユキだけだから! まぁ……でも実際、感謝すべき待遇であることは認めざるをえないわね。この結婚によって、あんなに複雑だったしがらみが全部解決するなんて思いもよらなかったから。今の私はとても自由。タツヤがいいパートナーなのも事実だし、満足していないと言えばウソになるわね」

深雪「リーナがお兄様に、それだけ恩を感じてくれていたら私も嬉しいわ」にっこり

リーナ「恩を、って強調されると早く忘れてしまいたい……」

深雪「でも正直に言うとね、私もリーナに子供が生まれるのは楽しみなの」

リーナ「そう、なの……? 初耳ね」

深雪「私だって、心の整理に時間かかったのよ。私もいつかお兄様の子供がほしい、と思ったことがあったわ。でもそれは自分がしなくてもいいことだと思えるようになったの。リーナ、私が認めたあなただからそう考えられたのよ」

リーナ「ミユキ……」じいん

深雪「おかげで、自分の気持ちにもはっきり気付くことができたわ。私が愛する人は、生涯でお兄様ただひとり。迷うことなく私の全てを捧げると」

リーナ「え? そうなら……」

深雪「だから、もし私が母親になったら……って考えちゃうとね。お兄様に向けるべき愛情を、子供にわり割かなきゃいけないのが不本意で不本意で」

リーナ「うぇ」

深雪「……もちろん、お兄様の血を引く子供なら、私にとっても宝だわ。でも自分が産むとなると、お兄様だけを愛していたい気持ちに抵抗があるのよね……」

リーナ「あーもうあーもう」

深雪「だからリーナとの間の子供なら、ちょうどいい距離感かなって。私、大事にしてあげられるわよ? ……なによ、デザートをお腹の限界まで詰め込んだみたいな顔して」

リーナ「おかしい! いや元々からおかしいんだけど! おかしい兄妹なのは私もワカってたツモリだったけど、あーもう!」

深雪「今日は変なリーナなのね」

リーナ「私は変じゃない!」

深雪「そう? 話は戻るけど、リーナに子供ができたら、私が産ませたんじゃないか……って気もちょっとするわね、ふふ」

リーナ「……え?」ぞくっ

深雪「私ともしてるんだから……ねぇ? 生物学的にはありえないけど、そんな気分も味わえるかもね」

リーナ「やだっ。ミユキっ! あなたそんな目で私を見てたワケ……!?」

深雪「リーナは征服欲をかきたてるタイプなのよ」

リーナ「確かに私がされる方だったけどっ! そんなこと考えないでよ! 生まれる子供とミユキは関係ないでしょう!」

深雪「気分だけでもいいじゃない。だって、お兄様と“血”は同じなのだし」

リーナ「この子の発想が気持ち悪い……。これさえ無ければ……なのに」

深雪「またなにか言った?」ぎゅう

リーナ「なにも言ってないです。あと前振りなしに抱きつかないでください」

深雪「だけどリーナって、お兄様よりも私の方が好きみたい……じゃない?」

リーナ「それ……自分で言う?」じと

深雪「否定はしないじゃない」

リーナ「うう。言葉にするとちょっと恥ずかしいけど、私にとって二人とも同じくらい好きだってことよ。どっちが上か……は本当に恥ずかしいから言わないけど。でもご覧の通り、私はタツヤに感謝や尊敬を感じていても、ミユキみたいにゾッコンってわけじゃないし。旦那さまが一番、ってタイプじゃないからミユキも側に置いてくれてるんだってワカってるし」

深雪「ふふ。そういうリーナだから、私も大好きよ。お兄様とは比べものにならないけど」

リーナ「いつも一言余計だと思う……」

深雪「あ、そろそろお兄様がお帰りになる時間だわ。じゃあ今日もわかってるわね? 二人でこの服に着替えて、玄関でお出迎えを……」

リーナ「えっ。またアレをやるの?! しかも、わざわざ新しいコスチュームまで用意して……! 日本の伝統文化か何か知らないけど、恥ずかしいやり取りは二人だけでしてくれないかしら」

深雪「もう、リーナ!」きっ

リーナ「な、何よ……」

深雪「妻なら妻らしくすること。私が妹らしくしているようによ。いい?」

リーナ「だからそれがおかしいの! 異常なの! ちょっと私の話も聞いて! あーダメダメ、わかった、わかったから! 着替えるから勝手に脱がさないでって! それにしてもミユキ、こんな格好になってホントに恥ずかしくないの……?」

深雪「いいのよ、リーナが可愛ければ」



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押しの強い妹【深雪×達也】

魔法科を読み始めた最初の頃は、兄妹が高校進学する前にはこんな関係をとっくに済ませてたのかな、と思わされていたものでした。だってイチャイチャしすぎですから。

高校生の深雪さんも自分に素直になってがんばってほしい。


※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2912471


「お兄様」

「なんだい、深雪。というか……まだ慣れないな、その呼ばれ方」

「早く慣れてください。深雪にとって、お兄様はそうとしかお呼びしようのない方なのですから」

「善処しよう。で、どうしたんだ?」

「少し確認させていただきたいことが。学校での交友関係を拝見するかぎり、お兄様は恋人がおられないようにお見受けします」

「……恋人? そうだね、今はガーディアンの任務もあるし、俺たちの家庭を知られるわけにはいかないし、そんな仲の人間を作る気はないな」

「でしたら、例えばお兄様が所属なされるという部隊の女性ならば……ということはありませんか?」

「おいおい、それは相手といくつ離れていると思ってるんだ……。仮に同世代の同僚がいたとしても、俺の心は他人を愛するようには出来ていない。それは言っただろう?」

「では今後も、恋人をお作りすることはないということですか?」

「たぶんそうなるんじゃないかな」

「その……。いわば愛がないような、遊びの恋愛もされないと?」

「……。そういう火遊びもリスク面からしないと思うよ。と、いうか深雪も──俺もなんだが──まだ中学生だろう。こういう生々しい話をするのは相応しくないと思うんだけど……」

「申し訳ありません。どうしても確認しておきたかったので」

「それで深雪は、兄貴がモテない男だと確かめて、どうする気だったのかな」

「お兄様がモテないなどと滅相もない……! いえ、失礼なことをお聞きしたことはお詫びいたします。その、お詫びと言ってはなんですが……。お作りになる予定が一切ないのでしたら、わたしを恋人にしていただくのはどうでしょう」

「────えっ?」

「ガーディアンであることが恋人作りの妨げになるのでしたら、わたしと付き合えば何のデメリットもございません。名案でしょう?」

「ちょっと待て。そんな風に両手を広げられてもだな……」

「深雪は、深雪に与えられるものならば、なんでもお兄様に与えて……いえ捧げたいのです。もちろん、お兄様を束縛するつもりはございません。ただ、お兄様は恋人にしかできないようなことを深雪で済ませていただきたいのです」

「いや、そうじゃなくてだな」

「お兄様にはその権利があります。お兄様のような素晴らしい方が、恋人のひとつもできないというのは道理に合いません。ですから、わたしがなります」

 

 

 

「それとも、深雪では恋人としてご不満でしょうか……? ご迷惑ですか……?」

「いや、お前を恋人にできるのは嬉しい」

「まことですか! では……」

「あ、いや、今のは口が滑った。少し落ち着いてください深雪様。あのな、俺たちは兄妹なんだぞ?」

「? 妹であることと恋人は両立すると思うのですが?」

「しないと思うが」

「結婚を前提にしなければいいのです。まったく問題ありません」

「深雪はおかしいと感じないのか……?」

「はぁ……。でしたら妹のままで構いません」

「ほっ」

「恋人の代わりにしていただければ」

「なぜそうなる」

「わがままは申しません。わたしは何もお兄様から求めるつもりはないのですから。ただ、深雪から全てを受け取って……いえ、それも差し出がましいですね。そう、ただ奪い取っていただければいいのです」

「う、奪……って具体的に何をだよっ」

「それはもう、全部です」

「全部って」

「恋人でなかろうと、深雪は全部お兄様のものです。なんでも差し上げられますし、なんでも捧げられます。それが妹というものです」

「妹ってそういうものだったのか!?」

「お兄様のっ! 他にもないお兄様の妹ならばそうなのです! 司波深雪として、これは絶対に変わることのないことです」

「うう……………」

「どうか、お認めいただけないでしょうか……?」

「ああっ、わかった、わかった。泣くな。泣かないでくれ深雪。お前の涙を見るのが俺には一番辛いことなんだから」

「あっ、そんなつもりでは……。でも、それではわたしを恋人になさるということですか……?」

「それにしても深雪は可愛いな」

「えっ」

「あ、イヤ、泣いたと思ったら一気に笑顔になるものだから、あまりにも可愛くて、思わず」

「そんな、もう、お兄様ったら…………嬉しい、ですけど…………。はっきりお答えください……」

「仕方ないから、深雪の好きにしてくれればいいよ」

「あ……………………っ」

「ど、どうしたんだ、大丈夫か?」

「いえ──嬉しいのです。今日というこの日を記念日にしたいくらいです。とても晴れ晴れとした気持ちです。深雪のからだは今、身に余る光栄と、お兄様の妹として生まれた幸福に満ち溢れています!」

「大袈裟だな……。いや、そもそも俺はすごく大きな間違いを犯しているような気も……なんだか、うまく頭が回らなくなってきたが」

「それでは、お兄様の妹兼恋人として相応しいよう、これから一層の努力をすることをここに誓います」

「あ、ええと、その、なんだ」

「それではお時間をお取りしました。そろそろ失礼いたします」

「あ、ああ、おやすみ深雪」

「おやすみなさい、お兄様。明日<あす>からは、お好きなときに、恋人の役目をお申し付けください。なんであろうとお応えしますので」

 

 

「今の言い方は、俺の方から求めさえしなければ何もないって意味なんだよな……? じゃあ明日になっても別に意識しなくて良し、と判断していい、のか? ダメだな、深雪のこととなるといつもの思考が全く働かん……」

「お兄様」

「うわっ!」

「まぁ、お考えごとの邪魔を……。わたしときたら、とんだ粗相をいたしました」

「あー、ボンヤリしてただけなんだ。何も考えてなかったよ。いや本当に。もう寝たと思ってたけど、どうした?」

「その、寝ようとしながら考えていたのですが」

「うん」

「恋人の行いは明日と言わず、今晩からでもいいのですが、ご入用ではありませんか?」

「──うっく、ぐ」

「お兄様……。今のお声、すごく何かを我慢されているような呻き方でしたが。何を耐えておられるのですか?」

「なんでもない、なんでもないから、もうお休み」

「まことですね? 隠し事でしたら、深雪は妹として悲しいです」

「もし何かあったとしても、言えるようになったら必ず話すよ」

「お兄様はいつもそうです……。でもいいでしょう、今晩は誤魔化されてあげますから。真相はきっとこうです。わたしから全てを奪うことが可能となったお兄様は、わたしを傷付けたくないという強い感情で恋人作りの欲望を抑えつけておられるのです」

──そりゃ逆だ。どっちかというと深雪への欲望の方が強くて、なんとか抑えつけてるのが理性の方なんだけど──

「今後は、そのような心遣いは無用だという事実も了解していただくことを目標としましょう。そうですね、少なくとも中学にいる内には。……それではおやすみなさい、お兄様。深雪の覚悟はゆらぎませんので、お申し付けはご遠慮なさらず。絶対ですよ」



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好かれると可愛い【深雪×リーナ】

前々回の深雪×リーナSSとは異なる設定(ちょっと未来の話なのは一緒ですが)の百合妄想です。深雪×リーナなのかリーナ×深雪なのか……。


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Scarlet Can Whiten

 

 

 

「リーナって私のこと相当好きよね」

「はあああ?」

 リーナは即座に「何言ってんのこの子」という顔をした。

 もっとも、リーナが「何言ってんだコイツ」というリアクションを取るのはいつものことではあるので、彼女の呆れ方度合いが正確に深雪に伝わったかは心許ない。

「相当というより、かなり好きなんじゃないかしら」

「ソートーとカナリの違いがわかりづらいんだけど」

 アメリカ育ちのリーナは純粋にニュアンスの違いに疎かっただけだが、これはもっともな疑問であって、「相当」にせよ「かなり(可ナリ)」にせよ、「充分な量に達している」という意味で「甚だしい」を表す由来は同じだ。

 一応現代語としては、「かなり」の方が幾分強いニュアンスを持つだろうか。

 深雪もそのつもりで口にしたのだが……「好きになるには充分なほど好きなんじゃないかしら」という言い重ねの強調になる点では、やはり変わらない。

「だっていつも、じろじろわたしを見てるじゃない」

「じろじろなんて見てないわ」

「体を触ったら、みょうに狼狽えるでしょう」

「うろたえてるわけじゃなくて、その……ミユキがべたべた触りすぎなのよ」

「じゃあ二度と触らないことにするわ」

「えっ───」

「嘘。安心しなさい」

「…………………」

「今、ものすごい表情の変わり方してたわよね」

「んな、何が言いたいのよ」

「ふふ……面白い」

 

 他者からの好意を素直に受け入れられないのは兄の欠点のひとつだ、と常々感じている深雪だが、なかなかどうして、深雪自身も人のことは言えず「他者からの好意」が苦手な少女だった。

 達也とは反対に、強すぎる慕情に慣れすぎているので、よく言っても無頓着、悪く言えば冷淡になりがちである。

 もちろん、相手に冷淡さを悟らせない対応ができる点では、無神経でもなく無愛想でもない。しかし、その身に向けられる好意の大半は、心に届く以前に突っぱねてしまうことが、深雪にとっては自然体にもなっている。

 どれだけ強い想いを向けられようが、「敵意を感じない、いい人」で留まり、その他大勢と公平に扱ってしまう。それどころか、警戒に繋がることも少なくない。

 深雪の方から信頼し、心を許せるような相手と認識しないかぎり、簡単には好意に応えようとはしない(表面的にしか応えようとしない、が正しいか)。

 彼女の愛情というものは大部分が実兄(実母の生前は母も含まれていたが)のために費やされるので、それ以外には最低限の好意しか分け与える気にならない、という理由もあるだろう。

 とは言っても、身内と認めないかぎり心を開こうとしないのは、そもそも十師族の魔法師共通のメンタリティではあるし、四葉の一族はとりわけその傾向が強い。

 その上、令嬢として器量を磨き上げられた彼女にとって「最低限の好意」は俗人以上の余裕があった。人の上に立つ者としての余裕ゆえに、社交的で心優しいお嬢様という風情を深雪はまとうことができている。

 柔和とも冷酷とも呼べる、貴人らしい性質だった。

 そんな深雪にとって、リーナは唯一、その好意を重荷に感じない相手だった。そして、興味の尽きない存在だった。

 一言で言えば、リーナからの感情には「憧れ」というものがないからだ。

 ときおりコンプレックスのような感情をにじませることはある。だが、深雪に対して嫉妬と対抗心を維持できる者自体が稀だ。一人挙げるとしたら、一学年下の再従妹、亜夜子くらいだろうか。

 しかし亜夜子の対抗意識は、深雪にとってまだ可愛いと思えるもの。亜夜子にすれば、その「余裕」は「油断」にすぎないものだと思わせたいところだろうが……。身内の亜夜子よりもいまや付き合いの深くなったリーナなら、互いの武器を良く知る仲だけに油断を覚える余地もない。

 唯一のライバル。かつてそう心に誓った以上、深雪にはリーナ以外の「ライバル」はどこにも存在しない、とも言える。

 深雪が決めた「唯一」の人、という意味で、リーナはあの兄にも準じる存在だった。それは、リーナ本人が知る由もない想いだったが。

 そして対等と認めた相手から、崇められるでもなく、飾りもの扱いされるでもなく、どうやら好かれているらしい、ということが新鮮で嬉しかった。

 2096年の早春以来、しばらく離れていた二人だったが、こうして一緒にいられるようになってから、深雪はリーナを一方的に独占しようとしていた。

 ひとつには、あまり達也とリーナが意識しあうようにしたくないから、という兄中心の事情によるもの。もうひとつには。

「第一、なんでいつもワタシにつきっきりなの? プライベートってものがあるでしょう」「そうね。あなたに悪い虫がつかないように、独り占め……が理由かしら」

 口元に指を乗せて、真面目に考え込むフリで目を伏せ、答える。みょうに色っぽい──と、見る者に思わせるに充分な仕草だった。

「ナニよ、それ……っ!」

 

 彼女の隣に座っていたリーナの腰も、思わず浮くというものだ。

 だってまるで、さっきから見抜かれていたリーナの気持ちよりも、むしろ深雪の方が。

「ま、まるでそれって……。わ──ワタシのこと」

 口淀んでしまって、言葉の先が出てこない。

 言葉に出してしまうと、自分の中の常識が崩れてしまいそうな気がする。でも、そう(﹅﹅

)だとしたら? まさかこのコが? 自分のことを……

「リーナ? 今スッゴク嬉しそうな顔してるわよ」

「は?!」

「口の端がニヤニヤしてたわ」

「べ、べっつに」

 しかし、顔が熱い。単に恥ずかしいとか、照れているのでもない。つい先程「深雪が自分に気があるのかも」と想像しただけで、ありえないほど浮かれた気分になっていた。彼女が根っからの日本人だったなら「いやったあ」や「よっしゃあ」くらいは心で発していたかもしれない、という程度には。

「前から疑ってたのだけど……リーナって女の子が好きな人だったりはしない?」

「な」

 なんてこと言うのよ、とリーナは慌てたが、深雪はどういう意味での「好き」なのかはまだ明言していなかった。

 深雪の周囲には、自然と少女趣味の同性が大量に集まってくる(「目覚める」とも言う)ので、珍しくない話をしているとも言える。

「きっとそうだわ。どう? わたしの隣にいてドキドキしないかしら。ねぇ……もっと近くに寄ってもいい?」

 ──男たらしか! リーナは思わず声に出して叫びそうになった。危ない。どう振舞おうとしても、表情のゆるみが隠せなかった。胸がドクドク鳴って、前後の向きすらあやふやに感じる。

 当然というか、こんな時に思い出したのは彼女の兄のことだった。このブラコン妹が、兄以外にこんな媚びた表情を見せるはずがない。つまり自分は、あの男だけが(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)知っているこのコの顔を見ていることになる。

 これでいつも平然としている達也の正気を疑う──彼本人に言わせれば平然でもないにしろ──と同時に、「自分だけにこの顔を見せている」という特別感に酔い痴れそうになる。

 どうせ「達也の次に」でしかない立場の屈辱感は、胸の中の灼熱でかき消された。そんな都合のいい心の動き自体が、屈辱的と言えそうなものだが。

 にくったらしいけど、全力で抱きしめてやろうか、という衝動とリーナは懸命に戦っていた。

 深雪が性別を超えた美しさを誇ることは、留学生時分によく思い知らされていたことだ。彼女と同窓の女の子たちは、他の女子と同じように深雪を見ることができない。体育の授業で、鼻血をこぼしそうになっていた(実際に流していたかもしれない)女子も知っている。

 でも同時に、深雪は「美しすぎて気後れする」という扱われ方をするタイプでもあった。目を奪われるのだが、まぶしすぎて直視できないといった類のだ。何かの間違いでもなければ、飛びかかろうとも考えられない。

 その点で、今のこの状況は明らかに「間違いがある」に含まれると思われた。普通なら迫ることも叶わない対象が、向こうから迫ってきているのだから、誰でも理性を失いかねない。

 そう、誰でも。ここに及んでもなお、リーナは脳裏から「恋愛感情」を排除しようと努力していたのだ。男だって、好きでもない異性に鼻の下を伸ばす生き物だろう。深雪の魅力が性別を問わないとすれば、女同士でも同じ言い訳が成り立つはず──、ようは不可抗力で興奮しているだけなのだ。

 でも、本当にそうだろうか。この感情を不可抗力で片付けるのは、何か大事なものを汚しているような気もした。

 防戦一方なのがくやしい。自分自身はなんとも思われていないのだろうか。自惚れるわけではないが、同性にモテた経験がリーナになかったわけではない。軍で活動する前の少女時代は、アイドル並にモテまくっていたとさえ言える。

 リーナの葛藤をよそにして、深雪はじっと目を合わせようとさらに近寄った。思わず顔を背けようとするが、視界の端に映る面差しから意識を外すことまではできない。視線を感じるたびに、心拍数が上昇することを否応なく自覚する。

 やっぱり押し倒してやろうか、と思うと同時に、ひょっとしてこのまま抱きついてこないかしら……と淡い期待をしてしまう。そんな期待をする自分が一番、恥ずかしい。

 前にも後ろにも動けないでいると、次第に深雪からの視線が、単に目を合わせようとしているのではなく、「観察」の色を帯びはじめていることに気付いた。

「ねえリーナ」

 そっと、カーペットの上で遊ばせていた手に指を重ねられた。その指は細く、おそろしく柔らかいが、込められた力は強い。ごくっと喉の音が鳴ってしまう。

 おもむろに真剣な表情で、冷ややかな美貌が放つ全開のプレッシャーを込めながら、深雪はこう切り出した。まさしく、研ぎ澄まされた刃物で突くように。

「あなた、わたしの恋人になりなさい」

「ッ……!? い、イヤよ。お断りだわ」

 少し噛んだけど、リーナは即答ではっきりと断った、はずだったが。

「ふうん………………?」

 表情の奥を見透かすように、囁き声でも届く距離まで顔を近付け、上目遣いに覗き込んでくる。

「嫌、……ね。普通なら『何それ?』とか全力でツッコんでくるところじゃない? 何言い出すのかわけわかんない! って。それがいきなりお断りの返事ってことは──リーナ、あなた選択肢としてアリだと思ってるんじゃない」

「はああっ?」

 今度は全力のツッコミだった。しかしこれは、流れ的に「図星」と言っているような反応だと自分で気付き、危機感に戸惑う。まずい。何より、さっきから顔の温度が熱すぎる。耳も。つまり外から見れば、白人種特有のピンクがかった白い肌が、首から上だけ真っ赤に染まり上がっていた。

「ミユキ……それ本気なの?」

「絶対、他の誰にも渡す気がないという意味では本気よ」

 くやしいことに、胸を鷲掴みされてしまうようなセリフが返ってきた。冷静に聞けば、何やらはぐらかしを含んだ言葉なのだが。

 事実、「本気で好きなのか」という答えがうまく誤魔化されている。達也に対して特別に「本気」を捧げている深雪は、一番ではなく二番目にリーナを位置付けざるをえない。

「本気であなたを口説くつもりで言ってるわよ? ──絶対、にね」

 だが、必ず落としてみせるという意志がある点では、堂々と言い切れるわけだ。

「ご、強引すぎよ!」

「強引なのは嫌? じゃあ……優しくしてほしい?」

 体をもたれかけさせてきた。これはこれで強引という気がするが、拒絶をしないリーナには効き目があったようだ。

 ここで好きになっちゃダメ、とリーナは頭の中で警鐘を鳴らす。ああ……ここで抱き返すとかもダメ。ダメだから。たぶん、引き返せなくなるから。

「どうせなら結婚しましょうか」

「結婚」

「わたしとあなたで」

「冗談」

「だから本気よ。……まぁ、結婚を前提にお付き合いしましょう、に訂正してもいいのだけど」

 彼女が兄妹で行っている近親相愛に比べるなら、いや、比べるまでもないほど常識的な提案をされていることは理解できる。ハードルの高さはあるが、いま不可能なことではないのだから。

 不道徳があるとすれば、いわゆる「浮気」に該当するのではないかとリーナは思ったが。

 

 それに将来のある魔法師の女性としても、思い切りがよすぎる告白じゃないか。まだ、からかわれている気がしてならない。

「ミユキはワタシと……その、そういうコトもしたいって思うの」

「うーん……。リーナがしたいなら、してあげるわ」

 これだけ誘惑しておいて、「してあげる」はないだろう。やはりこの娘は、人の気持ちを弄んで楽しんでいるだけじゃなかろうか──。

「でも、今チョッとやってみたいって思ってるかな。……リーナって、無防備よね」

「えっ」

「どう? わたしに襲われたい? それとも襲いたいかしら」

 今のリーナにしてみれば、恐ろしいまでの二択を迫ってくる。ぞくっと、背筋を冷たいものが走った。瞬間、その背中からの刺激が体の奥の方に響いたあと、予想しがたい官能感へ変化したことに自分で驚く。

「黙ってると、襲うからね」

「だ、ダメ、待って」

「ダメって言われた方が襲い甲斐があるってことはわかる? 襲う、ってことは抵抗されることもセットなんだから」

「今は待って」

「今すぐじゃなきゃOKって言ってるの?」

「とにかく今はまずいの」

「ふうん……。でも女同士っていいものね。なぜあなたが慌ててるのか、自分のことのようにわかる気がするから」

「えっ」

 深雪はリーナの上体に体を添わせながら、共感の働きを自覚していた。火照った体が汗ばみ、体内の一点を意識しながら我慢に震える姿が、自分の「あのとき」を思い出させる。リーナの感覚を五感でトレースすることで、それは容易に想像ができた。異性である兄相手では、いくら「想って」も共振できない類のものだ。

 少しずつ、リーナの目が動揺で染まっていく。確信。

 深雪の動きは速かった。元々近い距離だった顔と顔を、上半身の反動だけで隙間を埋める。虚を衝かれたリーナは口づけを避けられなかった。続いて、握っていた片手はそのままに、残った腕が背中をかき抱く。

 浮き上げた腰を戻す勢いで、深雪はリーナを巻き添えにして背後に倒れた。一瞬の接触を惜しむように、唇同士が離れる。

 自分から襲うと宣言しておきながら、その結果は「押し倒した」のではなくて、「押し倒された」格好。

 部屋の照明で影を作りながら、リーナは上気した顔で微笑する深雪を見下ろし、深雪は涙目で唇を噛んでいるリーナを見上げていた。

「──あなたさっき、いやらしい気分になってたんでしょう」

「う……」

「やっぱり面白い」

「面白いって何よ。こんな時に。他の言い方があるでしょ」

「ええと、──リーナのエッチ、……とか?」

「ちがっ……だから…………その。いきなりするなんて。──『好き』とか『可愛い』とか、言わないの?」

「ふっ、あはは、うん。そうねえ」

「こっちの、一方的なのなんてイヤですからね」

 あなたはそこで白状するのか、と深雪は思ったが、これはあと一押しかなと解釈する。確かに、熱烈なプロポーズをしているようで、好きだとも可愛いとも伝えていない。普段から「すごく可愛いわ」「とても綺麗ね」とは言っているのだが、今言うのとは意味が違うのだろう。

「そうよ、リーナが可愛いから襲っちゃった」

 本音を言えば、単にリーナを束縛したかったからだ。相手の好意を利用する、という酷い方法で。その手管にはサディスティックな悦びを感じつつも、自分がリーナに「惚れている」かというと、深雪には少し微妙だった。

 そんなのどうでもいいんじゃないか、という気もするが。リーナも勢いに流されて、続きをしてくれたらラクなのに。

「ホントに…………?」

「じゃあ、このまま、わたしの体を自由に触っても大丈夫って言ったら信じる? そんなの好きな人とじゃないと、誰にも許さないわ」

 ダメ押しとばかりに、殺し文句を使ってみる。影の中でも分かるほど赤く染まる美貌を見るに、効果は覿面だったろう。それでも、リーナは返答に詰まって硬直したまま動く様子がない。──もしかして、この娘はいわゆる「ヘタレ」と呼ばれるやつなのだろうか。じれったすぎる。キスだってもう済ましているというのに。

 リーナは、もう一度してみたいとは思わないのだろうか。わたしと。

 

「ミ、……か……して」

「え?」

「み、ミユキから、して──ミユキからしてよ。それならいい。もう、ホント……ワタシから言わせないで」

 

「──可愛い」

 

 直前の「可愛い」とは逆の、本音から出る言葉だった。深雪は真上にあるリーナの頭を引きずり落ろし……その発声機能の自由を奪った。艶めいた吐息の音だけが漏れる。

 再び明かりの下に照らし出されたリーナの素顔は紅潮したままで、恥じらい、続きを期待していることがよく理解できるのが、不思議な感覚を誘う。わたしも兄としているときは、こうなのだろうか。

「……なんだか変な感じがするのね。やっぱり女同士だから、自分で自分にキスしてるような気分になるのかな。鏡に触ってるみたいに。体のつくりだって、変わらないのだし」

 対するリーナの感想は、深雪の正反対だった。触れた感触が柔らかすぎる、と頭がさっきからびっくりしている。

「でもその違和感が……慣れると気持ちいいかな。なんだかいけない感じがして」

 生憎リーナには、深雪の言う「いけない感じ」が全然分からなかった。ぎゅっとしたら柔らかいし、いい匂いがして、深雪の体の心地よさにのめりこんでいたから。

 深雪に比べてリーナの体が硬い、ということは当然ない。深雪よりも体を鍛えているのは確かだが、「体のつくりがさして変わらない」のは深雪の言う通りで、初めて味わう柔らかさは、「あの」深雪を抱いているという驚きの強さで作り出される感触だった。

「改めてプロポーズするけど、リーナ、大好きよ。わたしのこと好きなら、ずっとこういうことしましょう」

「う、うん」

「わたしはまだリーナの言葉を聞いてないんだけど?」

「す、好き。……ミユキのことが」

「フフっ、嬉しい──。じゃあ、今日はこのくらいにしておきましょうか」

「?……どうして」

「焦らしたいから」

「それ、ヒドくない」

「焦らした方が、次がなきゃって気になるでしょ。今日だけで終わらせたくない。時間をかけないとやり方もワカんないし。その時はもっとリーナの可愛いところを見てあげるから、覚悟するといいわよ」

 既成事実も作ったし。わたしこそ、コッチのことに興味が湧いてきたし。と、深雪は今回の成果に満足していた。しかしリーナは急速に頭が冴えてきたようで、目をしばたかかせていた。

「ありえない」

「何が?」

「今したこと、全部よ!」

 後悔か自己嫌悪なのか、どんどん青ざめていくリーナの顔が、元の白い肌へと戻っていく。

 深雪に服を脱がされていた──、わけではないが、はだけかけていた部分を押さえつけ、居住まいを正そうとする。

「もう二度としない、こんなこと。ミユキもワタシも、今日はおかしかったわ! こんなの、こんなの……っ」

 ふるふると震えて丸くなるリーナを眺めた深雪は、口元に笑みが漏れてしまうのを我慢できなかった。

「ふううん、そう。リーナは、とっても手強い人なのね。フフ」

 「てごわい」に妙なアクセントを乗せて強調し、鼻先で笑う。

 カッとなったリーナは、何かを言い返そうとした。──が。両腕で自身を抱き締めながら、涙目でにらみ返すだけで、何も言えなかった。

 その可愛らしい反応でもう、また次の逢瀬は決まったようなものだ。と深雪は思う。

「今度続きをする時は、何回でも『可愛い』って言うわね。──リーナの好きなだけ」

「……んっ」

 最後に記念のキスをしようとすると、やはりリーナは避けたりしなかった。

 

 女の子に好かれることが、こんなに心を満たすことだと、深雪は知らなかった。

 もっとリーナから愛されたいと、深くて長い口づけを交わしているあいだ、何度も繰り返し願っていた。

 

 

 

-Scarlet Can Whiten-

End.




 pixivではSBSさんにトビラ絵を提供していただいてました。ご本人による、トビラ絵と深雪×リーナまんがはこちらからご覧になれます。→http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=40833725

 英題にした「Scarlet Can Whiten(スカーレットカンワイトゥン)」は、タイトルの響きにかけた言葉を探しているうちにこうなりました。
 直訳すると「深紅は白に染められる」「紅は白くなる場合がある」で、深紅→アンジー・シリウス→リーナが深雪さんに染まる、それと肌が赤くなったり白くなったりする……的な言葉遊びを考えたりも。


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