家具の宿業 (サカバリ)
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 激突。轟音。破砕。

 

 青銅の刃が内外に生えた騒々しい見た目の大棚は、総鉄仕様で簡潔な作りの重椅子による直上からの打撃に耐えきれず棚板を何枚も砕かれており、果てには脚の一脚を砕かれもはや棚としての直立が不可能となって絶命していた。

 

「これは……私が苦労して手に入れたゴルマデク君の勝ちですな」

「いやはや、私の保有するモナフ社の量産家具の魔改造品、ドロンク程度の男では、れっきとした家具職人の手による一品を相手にするにはとてもとても」

 

 そんな凄絶な家具同士の異種決闘が行われた場所は〈闇の家具会〉が管理する、家具武闘の地下会場が一つ。異端家具審問官からの執拗な追跡を逃れるために無数の隠蔽処理が施されていった結果、光源の確保も最低限に留めている暗い一室だ。

 

 そんなエリダナでも郊外寄りで寂れたドレスコン地区の廃ビル地下に設置された暗室には、大別して二種の暗黒家具愛好家がいた。

 

「――ほら狼の〈振手〉よ。次は椅子対椅子の決闘だ。この会場に私が預けている暗黒家具の中でも最強美麗のモチョラネフを出しなさい」

 

「ですが、エネム・モガモットの真作であるモチョラネフには借金で首の回らなくなったエネム自身の手で暗黒家具へと改造手術を施されてもなお美しい娘です、無骨さが取り柄のゴルマデク程度に二日連続の登板をさせて下手に傷めさせる必要は――」

 

「出せと言っているだろう! 美しさ? 家具武闘に使う暗黒家具に美しさなど所詮は副次的な価値だ! 〈振手〉ごときが私のような最多額出資者に口答えするんじゃない! 〈闇の家具会〉でも下っ端だろうがお前達のような〈振手〉は!」

 

 〈闇の家具会〉に多額の出資をして参加させる自分の暗黒家具をこの会場に持ち寄って来た家具武闘の観戦者と、家具武闘を公平かつ円滑に進めるための〈振手〉である。

 

 なによりも家具の強度と戦闘性能を重視する〈闇の家具会〉が、所有する家具の強力さを見せつけるために闇で執り行う家具武闘には、家具を握る者の体格や筋肉量、技術の差といった椅子以外の要素を不純な物とみなし極力廃していく事を求められる風潮があり、その風潮を実現していくために家具武闘の会場に〈闇の家具会〉から派遣されているのが、今は椅子を握り壊れた棚を握っている、部屋の中心で黒衣を身に纏い家具以上に目立たないように努めて直立不動にしている二人のような〈振手〉だった。

 

 そして仮面を装着して表情を見せない二人の内の片側の〈振手〉、狼面を装着した男が数打ちではない暗黒家具に対し、重篤な損壊が避けられない次の家具武闘に持ち出す事を躊躇いの言葉を吐いたことで、所有者の老人に叱咤を受けていた。

 

「おい狼よ。椅子の所有者に口答えなどせずに、さっさとモチョラネフの娘を出しておけ。会場には出場する暗黒家具の大事に対してはすぐ事に当たれるように、闇家具医者も付けているんだ。家具武闘の結果、多少の怪我があろうとそう心配する必要は無い。それに家具七将軍の一人、〈棚将軍〉ロンズリート様の一人息子であるロ・モポロ殿のように、暗黒家具として他の家具とぶつかり合い壊れ修復される過程の中で磨かれる美しさだってあるさ」

 

「あ、ああ……。そうだな、すまない虎。そしてすいません出資者様」

 

「ふん、解ればよろしい」

 

 虎面を装着したもう一人の〈振手〉が、出資者に無駄な反論をした狼面を装着している方の同僚を諭し、言われた狼面もすぐに受け入れてモチョラネフの所有者に頭を下げる。

 

 狼面と虎面、彼ら二人の〈振手〉は〈闇の家具会〉所属の正統な〈振手〉として認定されるために二人で厳しい〈振手〉育成過程と死者すら珍しくない最終試練ををくぐり抜けて来ている。この会場には最終試練の合格から続いて〈振手〉の技量の統一を望む家具武闘の世界における風潮を反映し二人組で派遣されており、両者の間は親友と言い切れる深い親交があった。

 

「では先手! ゴルマデク! 後手! モチョラネフ!」

 

 出資者と〈振手〉の口論が終わるまで待っていたこの度の家具武闘で司会を務める男が、よく通る声をもって巨体の新人を盛大に殺戮した王者に挑戦する、次なる暗黒家具の名前を堂々紹介。

 

 司会にゴルマデクと呼ばれた総鉄の雄椅子と、モチョラネフと呼ばれた椅子装甲の精緻な花嫁衣装を着込んだ雌椅子が、二人の〈振手〉の手で家具武闘総則で定められた家具武闘場の印が刻まれた開始位置に立たされる。

 

「いざ尋常に――」

 

「――頼もう」

 

 そして次には家具武闘の開始宣言を司会が盛大に行おうとした、まさにその時だった。

 会場の隅に備え付けられていた観戦者が入退室するための今は施錠済みのはずの扉が、一人の男の手によって勢いよく開け放たれていた。

 開いたままにされた扉からは通路の電灯の光が入り込み、会場に意図して演出されていた不気味さがあっさり霧散する。

 

 あまりにも見事な――少し滞っていた家具武闘の進行をまたも阻むという意味において――途中入室だった。

 

「ここが〈闇の家具会〉エリウス郡支部で運営されている家具武闘の会場で間違いはないかな?」

 

 そして割り込みをしかけた当の男は、空気をいたずらに乱した乱入者にぎょろりと目を向けていく会場の家具愛好家たちの中を、特に萎縮するでもなくまっすぐとゆっくりと会場の中心となる家具武闘の台に近寄ろうと歩いていく。

 

 型破りでは済まない家具武闘の進行を今度は明確に邪魔するその蛮行にしかし家具愛好家の誰も阻害ができず、最終的には男は家具武闘の舞台を真後ろにして、司会と実況者の間に割り込むように〈闇の家具会〉の出資者たちに目を向けていた。

 

「うん、一部は戦わせられる家具の勝敗を賭けて金銭すら積み上げている程度の低い観戦者に、見るも無惨な対家具戦闘のためだけの野蛮な改造を施された暗黒家具たち。ここが家具武闘の会場なのは間違いないようだね」

 

 一人で一方的に確認をし、一人で勝手に結論づけ、口から出るのは会場全体に喧嘩を売るような発言。ここまで明確な意思をもって家具武闘の進行を邪魔する青年程度の若さの男を家具愛好家たちがさっさと護衛を動かして殴り倒して物理的に排除しようとしない理由は単純だ。

 

 男が着る礼服の上下と顔と頭髪を万遍なく彩った緋色――血が連想させる蛮行が悍ましすぎたからである。

 

 近年になって更なる過激化が進む暗黒家具武闘において〈振手〉や舞台に近寄りすぎた観戦者が家具同士の激突の流れ弾で負傷や大出血に至るのはそう珍しいことではないが、男の全身を染める新鮮な血の滴り具合は一人の人間から全てを絞りきってもまだ足りなそうな()()()()だった。事前に保管していたものを入室前に振りかけたのではない事を示す細かい肉片も、衣服には少なくない量が貼り付いてしまっている。

 

 男がこの会場に来るまでのそう長くない間隔で、派手な殺人を済ませてこの会場に踏み込んで来ているというのは明白だった。

 

「ええと、そこの真っ赤なお兄さんは遅れて観戦し始めた感じなのかな? 〈闇の家具会〉の支援者登録を新規にしたいなら紹介状を見せに玄関の受付に戻って――ぁ」

 

 家具武闘の実況を担当する男が、乱入者の異常性はただの悪趣味な仮装だと無理矢理に飲み込んで優しく新しい客になる人間に対応しようと、男に近寄って話しかける。だが実況の男は自分もまだ市井の家具愛好家だった昔に受けた家具武闘の観戦のために義務付けられた〈闇の家具会〉への支援者登録手続きの流れを最後まで説明する事ができず、横から胴体を両断されて立ちながらに落下した。

 

「なっ、なん?」

 

 好意を殺意で返された事に素朴な疑問を浮かべながら、断面から血に臓器を零して程なく実況者は絶命。

 

「僕の名はケンケル。この度〈家具の会〉異端家具審問部のエリウス郡支部から派遣された異端家具審問官だ。この地下会場で何度も執り行われてきた無理矢理に家具同士で戦わせる事を強要する家具武闘、それの運営に関わる〈闇の家具会〉の構成員と多額のイェンを収めてまで自らの愛する家具をそんな場所に送り出す後援者、親の裏切りで無垢な家具たちに施されてしまった残酷な暗黒改造の数々――今回はそれらの呪わしい所業と人と家具、纏めて『家具異端』だとの正式認定が下ることが〈家具の会〉の名において決定したので、上級異端家具審問官であるこの僕が直々に粛清しに来た次第だよ。この狭い部屋で醜く生き足掻いてまだ暗黒改造を施されていないような家具を汚し傷つけるような真似は選ばないで、首を差し出してさっさと死を選んでくれると嬉しいね」

 

 血塗れ装束での入室で死を予感させ、今さっき実際の死を見せつけたケンケルは、切断して床に落とした実況者の上半身を荒く踏んで更に身体を血で汚しながら、この場に居る〈闇の家具会〉と組織に献金を行ってこの場に集った後ろ暗い家具愛好家の全員に淡々と死刑宣告の言葉を飛ばす。

 

 〈闇の家具会〉と長きに渡り対立する〈家具の会〉が保有する、家具犯罪者に対しての組織武力である異端家具審問官。

 

 残酷な家具殺人者や卑劣な家具誘拐犯を捕らえたり、禁じられた家具武闘を取り締まるために世界各地の〈家具の会〉異端審問部から派遣され、抵抗する家具犯罪者当人や彼らが雇った傭兵と苛酷に戦う事を繰り返す、時に失命も珍しくない苛酷な職業にして、〈闇の家具会〉に属していたり後ろ暗い関わりのある家具愛好家にとっての悪夢。

 

 その中でも数多の家具犯罪者を捕らえて高位咒式士に匹敵する戦闘能力を示して認定される高位異端家具審問官が、ケンケルと名乗って証明となる赤椅子に二重円の高位異端家具審問官の紋章を見せた男の職業だった。

 

「異端家具審問官、それも上級だ!」「審問官対策のために警備の咒式士は黒社会の連中から雇い入れて、受付業務を兼ねさせる形で上に待機させていたはずだろう、あいつらはどうした!?」「いや、たとえ逃亡されてもこっちに連絡が入る仕組みを構築していたはずで――」

 

 死刑を下された家具愛好家の内、遅れて厳重な警備を突破された事を理解して激しく動揺した最寄りの三者が、胴から両断された実況者に次ぐ形で首から上をほとんど同時の三連続で消失させられ、まだ生きた心臓で周囲に血を吹き出しながらバランスを失い転倒。

 

「家具を愛さない程度の低い者など家具施設の警備に使っていちゃあダメだね。防音があるから気づいていなかったみたいだけど、彼らは家具に対して真摯じゃないから気の緩みで派手に騒いで、事前に他の家具異端から拷問で割っておいた大体の場所からすぐに特定できたし、二人ぐらい切った所でこれは勝てない相手と判断したのか背中を向けて逃げ始めてたよ。まあ騒ぎが何らかの形でお前ら異端の家具愛好家どもに伝わってると面倒だから、建物の外に出ていく前に全員殺したけど」

 

 語りながら鮮やかに三人の殺害を成した凶器は三人は座れそうな横幅で、肘掛けの獣化途中の人狼を模した精緻な彫刻の造形も気品があふれた見事な椅子――長椅子(ベンチ)だ。長椅子の右後脚を握って縦に構える事で家具愛好家たちに向けられた長椅子の背凭れは、鋭く磨き上げられてもはや肉厚な長刀と同然であり、〈闇の家具会〉支援者三人の首程度の障害を難なく断ち切る事を可能としている。

 

「くそっ、家具使いの狂気の異端家具審問官、ケンケルめっ!」「家具を凶器に人を殺める貴様に何の罪も糾弾される謂れはない!!」「上級異端家具審問官だろうとこの場には俺たち支援者の護衛と、腕が立つ支援者本人で下位と中位の咒式士が合計で二十一人いる! 簡単に勝てるものかよっ」「高位咒式士並みの力量がある上級認定が下った異端家具審問官とはいえど、特級異端家具審問官のような努力と才能を積み上げてなお人が到達できるかどうかの領域ではないんだっ、囲んで圧殺しろっ!」

 

 追加の三人の死で〈闇の家具会〉を支援する家具愛好家達は逃亡は不可能と察し、決死の表情で会場の咒式戦闘能力を有する者たちで長椅子という異常な凶器を構えて瞬く間に四人を殺害したケンケルを包囲しにかかる。

 

 前衛咒式士を前方に、後ろに後衛咒式士を配置する対人においては過剰なまでの基礎的な円形の包囲布陣が、ケンケルが何をするでもなく構えている間の十数秒で完成した。この規模の咒式士の集団としては数法系や重力系の咒式士こそ惜しくも場に居ないが、急場で構築したとしてはまあまあ理想的な布陣と言えるだろう。

 

「あはは。家具を歪めて家具同士で殺し合わせている残虐なお前たちが僕に殺人程度で説教するのか? それに、そのようにこの世に生まれ落ちた家具が機能として人を殺めている事に、僕はなんの痛痒も感じないね。今現在だって七都市同盟の一部の州では電気椅子での処刑が継続されているし、彼ら彼女らの仕事ぶりは今僕が握っているラゲニエ君と同様に美しいよ?」

 

「ごちゃごちゃ言ってる間に殺せぇっ! ――んぎゃっ?」

 力量で場当たり的に指揮官に選ばれたモチョラネフの所有者の護衛が、ケンケルの握る長椅子ラゲニエによる()()で顔面を粉砕された事をなし崩しの合図に、戦闘が開始。室内における護衛や護身用途で持ち込んだ魔杖剣なので構えている種別としては長短の魔杖剣を中心に、魔杖短槍や魔杖槌を構えた前衛咒式士が大将首狙いで露骨な動きをしたケンケルに殺到。生体強化系統の咒式で脚力を強化した剛剣士や〈電加(ゴイル)〉の電磁加速をその身に載せた雷槍士による第一陣がまず着弾し、遅れて〈増錬成(ベベリス)〉の咒式でケンケルの振るう長大な長椅子よりも更に巨大化している重機鎚士(じゅうきついし)の魔杖鎚が、高位咒式士としてケンケルが保有すると予想される奇手ごと何もかも無情に叩き潰しにいく。

 

「ふざけた長椅子使いが、何でこんなに強い!? ――ろぺあっ!」

 だがケンケルはその程度の場当たり的な集団が成した、簡易な連携程度では止まらない。長椅子という異形だがとにかく巨大な獲物は巧みに動いて突進してきた咒式士の軌道上に置かれて、咒式士自身の猛烈な勢いを利用してぶった切っていっては咒式士の左右や上下を後ろに流していくし、いくら長大といえど〈増錬成(ベベリス)〉で巨大化した魔杖鎚には大きさで敗北しているラゲニエが、ケンケル自身の剛力を伝えて巨大魔杖鎚を押し返して弾き飛ばし、質量を増大させた獲物を満足に扱えなかった重機鎚士は無様に床に転倒。間髪をいれず放たれた高速の踏み込みが重機鎚士の胸板を陥没させる。

 

「せめてその長椅子ぐらい手から落と――ごうぇっ」

 次ぐ後衛咒式士のやられ方はもっと単純だ。ケンケルに寄るだけ死が確定している低位の前衛咒式士も混じった彼らは強酸に砲弾や投槍、高圧電流といった咒式をケンケルに一度も当てられないどころか、巧みな誘導で仲間や護衛対象を間抜けにも同士討ちするように仕向けられ、実力の差にすっかり動揺している所にケンケルが満面の笑みでラゲニエの背凭れの刃を構えて突進してきては生き残りの咒式士を横に縦に斜めに機敏に切断。

 

「はい全滅。失禁してるそこの笑える人とかも死んでねー」

 あっさりと中低位の攻性咒式士二十一人を全滅させたケンケルは、続いて護衛を失って戦う力もない無力な家具愛好家を無慈悲に掃討していく。攻性咒式士との圧倒的な実力差は丁寧に嬲るような残虐さすら浮かばず、後衛咒式士が放った咒式の余波に巻き込まれて数を減らしていた事もあって、〈闇の家具会〉の支援者とその護衛は数分であっさりと全滅した。

 

「おいケンケルとやら!」

 

 〈闇の家具会〉の構成員――あくまで戦わずに逃げ去ろうと足掻く司会や闇家具医者を追い殺していたケンケルの背中に、〈闇の家具会〉の構成員でも逃げずに棒立ちでいたために殺害を後回しにされていた虎面が声をかけた。

 

「異端家具審問官の権限で我らを処刑するのはまだいい。〈闇の家具会〉がしてきた悪行の報いとして受け入れよう。だがこれら暗黒家具をどうする!」

 

 虎面が指し示すのは、次なる挑戦者として控え室から先に出されている、刃が爪が牙が、装甲に射撃や噴射の機構が取り付けられた椅子に棚に机。家具武闘で相手を破壊して勝つために増設していった器官による破壊性能が、もはや座り収納し上に物を置く家具本来の機能よりも主体となった異形の改造が施された家具たちだ。

 

「無論全てを処刑するけど? 家具同士の闘争に最適化され、同族殺しの罪を孕んだ暗黒家具に未来はない。殺し灰や鉄に還してあげる事こそ慈悲だ」

 

「――そうか。ならばお前の処刑を認める事はできんな。いくぞゴルマデクっ!」

 

 家具武闘のいわば犠牲者である家具に対しての処分が処刑であるのは認められないと義憤を示し、純粋家具振手として体内内臓の魔杖剣で〈鋼剛鬼力膂法(バー・エルク)〉を発動する虎面。当然ケンケルはラゲニエを振るって今になっての抵抗を始めた虎面を両断しにかかるが、咒式で筋力を跳ね上げ肉体を膨れ上がらせた虎面はケンケルと身体能力で並び、握るゴルマデクを上手にラゲニエの座席部分と噛み合わせる事で、背凭れの刃が顔面へ到達するのを阻んだ。

 

「家具殺人者がっ! 家具対家具戦闘において〈振手〉に勝てると思うなよっ!」

「家具武闘の〈振手〉? そんなもの、定まった型に合せて家具を振るだけの、機械化可能な児戯だろうに、何を誇る所がある! 事故で出場する家具が意図せず怪我や死亡した時の責任者でしか無い愚図が、何を得意げに!」

 

 ケンケルは他の椅子を巧妙に噛み合わされたラゲニエを外してもう一度斬りかかろうとするが、虎面の巧みな椅子さばきで長椅子の力の方向を上手にずらされ、一向に噛み合わせられたゴルマデクを取り外せないでいた。時には小椅子対長机のような異形の対戦札が組まれる事も珍しくない家具武闘の世界に携わる職業人である〈振手〉として、虎面の家具対家具戦闘の技巧は相当に熟達しているのだ。特に構造としてはごく素直な四脚の長椅子程度、一度振るった経験のある椅子を自分の手に握れている状況ならば、このように簡単に動きを止められる。

 

「その〈振手〉に、どうやら拮抗させられてるようだが?」

「大道芸止まりでお前も俺を一向に攻められていないだろうが! 試合ではない戦いに時間切れはないし、こういう状況でトドメの咒式を飛ばせるお前のお仲間も、さっき僕が全滅させ終わってる! 僕を愚弄するのも大概にしろ!」

 

 虎面の挑発に、簡単に激高するケンケル。感情の昂りと合わさるように咒弾の薬莢が床に跳ねる音と、咒印組成式の光。現在行われている身体強化咒式や咒力をのせての身体強化があった上での椅子と椅子の振手の技量のぶつけ合いに唐突に持ち出された咒式に虎面が驚愕すると、ケンケルが紡ぎ終えたのは化学鋼製系第三階位、〈電氣座葬(エージ・ソ)〉の咒式。

 

「なっ」

 

 拘束電気処刑用の椅子を生成する家具咒式が虎面の足元から飛び出すように発動し、咒式による筋力強化で膨れ上がった四肢を鉄環で無理矢理に拘束。すぐさま鉄環から流れていく電流はあくまで鋼製系咒式の副次的な効果として流れるものなので電磁雷撃系第二階位の〈雷霆鞭(フユル・フー)〉も電圧は下がって数万ボルトル程度ではあるが、拘束の後に流される回避困難な電流なので、人体の回路を焼き失命に至らせるには十二分な電圧である。

 

 騙し討ちのように拘束と電撃を綺麗に食らってしまった虎面は、しかしそれでも自分が成すべき事を見失わなかった。

 

「くそっ、があああああああっ!」

 

 自分に死を悟った虎面は、感電で筋力を強張らせながらもゴルマデクをこれからの行いに巻き込まないために後ろに放り投げ、咒式生成された電気椅子の鉄輪拘束を引き千切って気力の直立。

 

 ケンケルは向かってくる虎面を阻むため、椅子への拘束が成立した時点で拘束から逃れていたラゲニエの背凭れの刃を向けて虎面に冷めた目で向けるが、虎面はそんな視線に構わずに背凭れの刃を自分という肉の塊に埋め込むように決死の突進。

 

 心臓を椅子で刺し貫かれながらも束縛に動こうとし、ケンケルに太い指がかかろうとする所まで足を進めた所で、足の動きが一気に鈍って次の瞬間には盛大に吐血して絶命する。

 

「ふんっ、僕が〈振手〉ごときに咒式を使わせられるとは……」

 

 相手の死を確認したケンケルは、電流が流れた直後に組み付いて来たので虎面の身体が固まって抜きにくくなったラゲニエを、強く振り回して固まった虎面自体を両断して束縛から開放する。電流で灼かれて盛大に蒸気が立ち昇る内臓を床にぶちまけさせ、武器が開放されたケンケルは首を振って残りの生存者を探す。一人として動く者は居ない。

 

「これにて今日の仕事は完了――じゃないぞ糞っ!」

 

 ケンケルは入室時に記憶していた〈闇の家具会〉構成員と支援者たちの総数と、今自分が大量生産した死体の数を照らし合わせていく中で、ズレが生じている事で自分の見落としに気がついて悪態をついた。

 入室時よりも一人分死体の数が足りないが、虎面には組を成していたもう一人の〈振手〉が居たはずだ。

 

「虎の方に挑発されて狼の方を逃がしたか……。ああ! しかも暗黒家具のモチョラネフを抱えられたままだ!」

 

 ケンケルはきっちり施錠された控え室の扉の隣を強く睨む。そこにはこの会場に家具を搬入するために使われる、侵入時に使った正規の扉よりも大きいが存在感としては密やかな裏口が、小さくではあるが確かに開いていた。通常の後援者は知らない主催者側の人間のみが知っている通路を使って、虎面が戦っている内に狼面はケンケルが構築した処刑場から抜け出したのだ。

 

「まあ仕方がない。また時間はかかるけど情報を集めて逃げた家具異端を追いかけるか……、と。その前にこの暗黒家具への異端審問だな」

 

 ケンケルはそう憂いてから、人間の次に処刑する暗黒家具の山に対して微笑しながら目を向けた。



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「家具に性欲を覚える自称収集家の準〈長命竜(アルター)〉、毛繕いしレブゲノルによる求愛という名の家具強姦殺人がカロンル市で行われた件だが――」「異端家具審問部で目をつけていたエリダナの暗黒家具武闘の会場で〈闇の家具会〉の支援者が持ち寄った暗黒家具ごと殺戮される凄惨な事件が発生したが。これは椅子改造咒式の使い手であり臀部を司るザッハドの使徒〈墓座りメルグクス〉の犯行と疑われ――」「昨年度に昇格した異端家具審問官の経歴について――」「ゴーゼス経済特別区の内部に存在が疑われている闇の椅子臓器移植市場についての報告を読みましたけど――」「〈炎の家具〉ならいくつか抱えている実行部隊の内の二つを殲滅されて半活動休止状態に陥っていると聞いたが――」

 

 エリダナ南部コヘート区トリントビルの、〈家具の会〉の手で三層ほどまとめて借り上げられている内の中階。

 階で言うと二十四階ほどの高さに位置するその会議室では、〈家具の会〉の毎週の定例会から派生した隔月の特別会議として、エリウス郡における家具愛好家の中でも同時に高位咒式士としての資格を有しているという自己申告があった者たちによる家具に咒式の暴力が絡んだ事例についての情報交換が行われていた。

 

 異端家具審問官のように集めた情報を持って直接取り締まりや討伐に向かおうとする集まりでこそないが、高位咒式士として耳元に流入してきやすい家具と咒式が絡んだ事件にまつわる情報を共有し、家具に関連した凶悪犯罪や〈異貌のものども〉の襲来に備えようという会合である。

 まとまった情報は後で〈家具の会〉の上層部に伝えられて有効活用される手はずになっていた。

 

 目的はあくまで報告なので毎回特定の議題が登る定例会のように、話題が加熱しての誰かが憤激するような事もなく会議は順調に進行していき、開会から一時間ほど経ってそろそろ終わりを迎えようとしていた。

 

「――では〈家具真教〉と彼らから更に分派した邪教徒共の黒社会との繋がりについての疑惑に対する私の報告をもって、これにて会議終了とさせていただきます」

 

 覆面の進行役の締めの言葉を持って、覆面の参加者たちが一礼。会議の最中に座っていた娘や息子を抱えていく参加者が居る中で、屠竜刀を背負っているのが目立つ、椅子に座らずに一時間もの間直立し会議に参加し続けていた竜の覆面の参加者――ギギナは会議の進行役をしていた狒々の覆面に話しかけられていた。

 

「あの、ギギナさん」

 

「モーラスか。どうした?」

 

 高位咒式士の集まりなので覆面を被っていても正体は獲物でだいたい知れ渡っているとはいえど、さっきまで覆面で会議をしていた参加者に対し堂々と本名で話しかけた覆面の名前はモーラス。

 

 主にエリダナ地下迷宮を潜っている妙齢の女樹斧士で、主要な収集対象としている家具は〈異貌のものども〉が作成した原始家具。椅子を触媒に禍つ式を呼び出して四次元世界の椅子について聞き出そうと、ある高名な数法系咒式士に熱烈に押し掛けて、召喚の過程で椅子を犠牲にしてしまう事を諭されて結局は諦めた事すらある家具愛好家の中の変人である。

 

 元ベロニアス商会の研究者で、研究資金の流用で家具研究をしていたことから失職。そこから並み以上の咒力がある上に女性としてはかなり恵まれていた体格もあったので攻性咒式士に転向したというそこそこ異色の経歴の持ち主だ。

 

 保有している家具で最も高名なのは〈古き巨人(エルノム)〉の遺跡で見つけた巨大な椅子。エリダナ地下迷宮の奥深くで発見されたその椅子は造形のシンプルさに反し、たとえ建築をいくつも行なっていても呪力の高さから一般的な様式の家具を必要としないとされていた咒式椅子文化分類学の定説を跳ね返す、高い文化的価値を有してもいる。

 

「今回出された情報なんですが、私が円滑な進行のために事前に聞き取りしておいた物は予め洗ってみた所、やっぱり大半の情報の源泉は怪しく、家具愛好家ではない人間が爆笑ネタとして流してきたような虚飾混じり――ですが今回その中に珍しくその中に有力っぽい物がありました。元警察士の覆面が流していたドスレコン地区に設けられていた家具武闘の会場での虐殺は怪しいと睨んでいます。なので強者を求めるギギナさんには参考にしてもらったほうが良いかな、と」

 

「そうか。参考にしておこう」

 

 モーラスが進行役の権限で入手していた情報に、ギギナは把握の意を示す。これは、〈家具の会〉から実質的に個人依頼を引き受けたという事だ。職業である異端家具審問官のように明確な形の報酬は支払われず、会員同士の家具購入が拮抗した時に発生する暗の優先権などの曖昧な形をとるが、重度の家具愛好家であるギギナや高位咒式士にはそんな曖昧な権利でも欲しい物であったし、何よりも家具の敵と強者を兼ねている獲物は望む所であるからだ。

 

   ★

 

 屠竜刀が青蛇人の後頭部から下にかけて精緻に入刀。着込んだ鎧ごとざっくり胸板まで左右に割かれて、絶命した青蛇人は内部に収まっていた血と臓物を前方に零す。

 毒牙の噛みつきを必死に回避しつつ、ヨルガで迫る青蛇人の魔杖山刀を抑えて熱烈に鍔迫り合っていた俺は、ギギナのそんな一撃で俺たちが対処にあたっていた〈異貌のものども〉の群れの中では最後となる青蛇人の中でも精鋭であろう剣士が発揮する剛力から開放されると共に、赤いそれらを盛大に上半身に浴びるはめになっていた。

 

「ぬおっ、おま、ギギナ!」

 

 来ていた白い胴衣(ジャケット)が血のせいで下の襯衣(シャツ)を含めて緋色に染まる。髪も知覚眼鏡(クルークブリレ)も血で真っ赤になっていた。悪寒を感じこれは流石に振り落としたが、屠竜刀に半分切り離された青蛇人の心臓が綺麗に頭頂に乗るまでしていた。

 

「遅い。あの青蛇人が地上まで誘導して開放した大尖亀の対処に私はあたっていたが、死闘を経て大尖亀を討伐してなお軟弱ガユスがまだ敵を残していたので手伝ってやっただけだ。文句も何も無いだろう。それとも、衣服の汚れなどで若手咒式士のような惰弱な文句を吐く気かガユス?」

 

「いや、別に。蛇毒の心配とかも毒腺が主で血液ではほぼ無問題なのは知識で把握しているよ。ただ午後には先週からの浮気調査の続きで、人混みに紛れられそうな格好をしておく必要があったんだよ!」

 

 浮気調査で高級住宅街に紛れ込む用に、それなりに値の張る服に着替えたままで、道中で発生しているからと市から朝一番で飛んできた地下迷宮産の〈異貌のものども〉に対処する救援依頼に飛びつかなければよかった。

 事務所に戻って他の服に着替えてまた調査に向かえる距離ではないので、習得している洗浄咒式で荒っぽく洗うしかないが、地下迷宮で匂いで〈異貌のものども〉たちに追跡されるのを紡ぐために開発されたような荒っぽい咒式なので、衣服にはそれなりの負荷が残ってしまうだろう。

 

「そうか、それでは午後からは家具用の木材市を見に行く予定があるので私は抜ける」

 

 流石に血で視界を潰したままでは不都合なので知覚眼鏡を手持ちの綺麗な布で拭っていると、俺がついた悪態を軽く流すどころか屠竜刀を背に戻して去ろうとするギギナ。

 

「あっ、ギギナ! お前、性分的に浮気調査に付き合わないまでもこの後で役所に提出する報告の書類ぐらい――」

 

「敵は私が処理しておいたのだから書類は貴様が処理しろ。浮気調査とはいえ市への書類提出に時間の余裕はあるのだろう?」

 

「くっ……!」

 

 青蛇人の統率者を俺が引き受けて、他の青蛇人兵卒と使役する大尖亀との戦いはギギナを任せる形にしていたが、青蛇人に距離を詰められてから剣技の戦いに移行されてから攻防でかなり時間を費やされていた。さっくり処理して援護の咒式を放ちに向かうどころか、先に敵を全滅させたギギナに援護されてしまう始末だ。

 この戦果の偏りに俺が反論ができないでいると、ギギナは本当に抜け出しやがった。諦めるか迷っていると路地を横切ろうとする人影。激突。

 

「む」

 

 ギギナに向かって男が激突したが、鍛え上げられて柱のようになった体幹のギギナは微動だにしない。怪我の程度を一応確認した後でギギナはそのまま目的地の木材市だかに向かおうとするが、ぶつかった男がギギナに声をかけて呼び止める。

 

「そこの攻性咒式士さん! どうか助けてくれ! 俺はドスレコンの地下で〈振手〉をやっていたポーネゥなんだが、暗黒家具を産む家具武闘の興行に関わっているので家具異端だと一方的に認定されて、ひどく過激な異端家具審問官の男に追われて殺されそうなんだ!」

 

 男が口から出しているのは電網上で何かを受信したような全く理解不能な未知の単語の数々――ではない。意味こそ理解しがたいが、ギギナの口から一つの文字列として何度か耳にした覚えがある。ギギナの顔自体は知らないようだが、これは偶然に家具絡みの同類と遭遇した形か。

 

「〈振手〉――〈闇の家具会〉でも家具武闘に携わる下級構成員がそういう名前で呼ばれていたな。市井の家具愛好家として、家具武闘に携わるような輩は殺すべし」

「待てギギナ! お前らが精神病を発症しているのは勝手だが町中で無抵抗の状態の人間を堂々と殺すな! 通報されるし逮捕される!」

「ひぃぃっ!」

 

 俺は背から再度ネレトーを抜くギギナの前に、ヨルガを駆け寄って出して眼の前で殺人事件を発生させようとするのを制止。屠竜刀と魔杖剣の拮抗が俺が大幅に不利ながらも始まるが、何かに気がついたギギナが誅殺を邪魔する俺を切ろうとネレトーにかけていた力を緩めて背中に戻す。

 

 何に気がついたのか振り向いて視線の先を確認すると、そこには男が抱えている、ゴツゴツとした装甲板が何らかの意図を持って貼り付けられた、椅子と思わしき背凭が付いた四脚の台。恐らくだが、この椅子が無ければポーネゥと名乗った男はそのまま押し切って両断されていただろう。

 

「続けろ、男」

 

「俺だけならまだ諦められるが、ケンケルと名乗る異端家具審問官はこの美しいモチョラネフまで処刑すると言っているんだ! 市には既に通報をしたんだが、警察士だけであいつの凶行を止められるかどうか! 手元に払える金こそ無いが、協力してくれるなら金は後でどうにかして掻き集めて証文付きの返済計画を――」

 

「ふむ……」

 

 木材市に向けていた足先を戻し、なにやら興味を持ったギギナによる静かな催促で吐き出されるポーネゥの喚きに、俺は半信半疑で賞金首情報を携帯咒信機で検索。

 土地勘の薄さから先に他の賞金稼ぎに狩られてしまう可能性が大きいので旨味が少なく、余程の額の賞金が懸けられていないと通知からは除外するよう設定していたエリダナ市内でも郊外寄りの地区で行われた事件で認定された賞金首に、丁度それらしい日時と規模の事件を起こしているとの情報があった。

 それも、通知の線引設定額をギリギリで下回って見逃す所だった大物の。

 

「ドスレコン地区のビル地下で三十八名もの大虐殺――ギギナと同じような手合同士の無害な小競り合いとばかりと思っていたが、件の犯罪者は実際に昨晩大殺戮をやらかしていて、立派に賞金首の認定が降りているんだな。よし、ポーネゥ氏。俺たちがそいつの逮捕に協力してあげようじゃないか」

 

 午後から行う予定の浮気調査をどう短縮して誤魔化すかの算段を心中で付けながら、俺は大物の賞金首に対する情報を山盛りにして、こっちに間接的に大金を渡しに来ているポーネゥに微笑みかけた。

 

 ……甘い言葉を他人に吐くにしては降り注いだ青蛇人の血を眼鏡以外は一切拭っておらず非常に物騒な見た目になっているが、まあ大の男が相手だし細かい所は良いだろう。



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 午後のトラト通り。そこの治安悪化の主要因となっている、修繕費の問題で老朽化の末に廃棄された大規模集合住宅の中庭には、天頂の吹き抜けから注がれる陽光を一身に浴びた賞金首のケンケルが、長椅子に座って悠然と待ち構えている。

 

 ケンケルはふと顔を上げて、発見率を上げるために俺が頼んで狼面を改めて装着してもらって遭遇時に携帯していた椅子も抱えさせたポーネゥを発見すると、長椅子(ベンチ)から立ち上がって喜びの表情。俺が青蛇人の血で駄目になった服を着替えの余裕ができたので結局洗濯に出したのに対し、ケンケルは賞金首認定が降りる要因となった事件で血染めになった服を洗浄咒式で荒っぽく洗ったのか、礼服には赤い染みが幾つも残留している。

 

 何分ケンケルが取り逃しただかで殺害対象としている男をそのまま手元に抱えているので、ポーネゥの目撃情報をそれとなく電網上に上げるなどして、ケンケルをこの人気が少ない廃集合住宅に呼び寄せる事は実に簡単だった。

 

「ああ居た、狼の〈振手〉っ! 逃げたから仕事を終えた後に一度拠点に戻って休んでから探していたんだよ家具異端くん。――ん、そこの左右の攻性咒式士は人でも雇ったのかな?」

 

 背後にいる俺達を見て、どこにそんな財力があったのかと不思議そうに首を傾げる賞金首。どうやら自分の凄惨な行いで市警から殺害許可付きの賞金が懸かっていると欠片にも思っていないようだ。

 

「そ、そうだ! 狂った異端家具審問官のお前を止めるためにガユスさんとギギナさんに協力してもらったんだケンケル!」

 

「狂っている? 家具達を暗黒改造して殺し合わせていたお前達が、ではなくて? あと二人とも、雇われ咒式士の常として了解してるだろうけど、狼面の殺害を阻むなら殺させてもらうよ」

 

「ギギナのお仲間たちの集団精神病、の範囲を軽く突き抜けた異常者だな。三十八人も殺しておいて何を言う」

 

 俺はここまでの手配額に達した賞金首にありがちなケンケルの異常性にうんざりしてぼやく。ケンケルの発言の裏には、大量殺人を含めた自分の行いを正当化する熱量の狂信が秘められていた。

 

「矜持を大事にするというあの猟奇殺人者にしては骨肉椅子の一つも現場に残さなかった事で薄々予想していたが、やはりメルグクスではないのだな。その服装は異端家具審問官だと見るが、なぜあそこまで無意味で破滅的な虐殺を行った。異端家具審問官といえど、無抵抗な者も混じったあの数の家具異端を私刑に処すのは明らかに与えられた審問権の適用範囲外だろう」

 

 ギギナが出したのは、家具愛好家にして人体家具を愛好する事で悪名高いザッハドの使徒の名前だ。〈闇の家具会〉からもとっくに追放されて、今目の前にいるケンケルと同じく家具愛好家の世界以外からも追手がかかっているような殺人者だと、いつもギギナが繰り出す家具話の合間で聞いた覚えがある。

 

「メルグクス、だと? この僕、ケンケル・メロべヌスをあんな殺人者と一瞬でも混同するな! 指先が模倣で起こした所業だけでもああも悍ましかったというのに……!」

 

 ギギナが投げかけた疑問を拾ったケンケルは、含まれている単語を聞くと途端に激高して、どこからか巨大な獲物を構えた。あまりの大きさにドラッケン族でもないのに屠竜刀の使い手かと最初に思ったが、ケンケルと名乗った賞金首の手にある武器は更に巨大で、なおかつ立体的な造形をしている。驚くべきことにそれはさっきまでケンケルが腰掛けていた家具――長椅子だった。

 

「――はぁ?」

 

「魔杖長椅子〈連座するラゲニエ〉、遠目で見て真逆と思っていたが、現にそうやって構えたという事はイェム・アダーの孫弟子であるソパンが作成した魔杖家具群の一つだな? 魔杖家具は家具史において拭いがたい汚名を残した〈家具裁判〉のネルザノンに様式単位で焼き殺された家具たちの一つだと文献で知っていたが、まさか異端家具審問官の手に現存していたとは」

 

 なぜ咒式戦闘の初手に椅子を持ち出すのかと俺が戸惑いの声を漏らしていると、ギギナの感心した語りで判明したのはラゲニエという銘と魔杖長椅子という、当然今までに聞いたことがないケンケルの獲物の種別。

 目にして耳にした俺自身の正気を疑ってが明かされたラゲニエの造形をよく観察すると、長椅子としての精緻な装飾の中に演算宝珠や機関部、弾倉までもがちゃんと配置されて、本当に長椅子に魔杖剣として咒式発動を補助するための構成要素がキッチリ完備されていやがった。

 

 そして知覚眼鏡で計測してみた所によると長椅子であるラゲニエの全長は二〇八四ミリメルトルで、なんらかの咒合金であるらしい背凭れの刃はそこから肘置きの幅の分減じて一九七九ミリメルトル。当然だが柄と分割する作りで司法を誤魔化している全長が一八四一ミリメルトルで刀身が一〇七一ミリメルトルのネレトーなど目ではないぐらいの、魔杖剣としては完全に違法な規格だろう。取り調べた警察も武器ではなく魔杖剣刀身の密輸ではないかと困惑するだろうが。

 

「失礼で雑な認定でただの雇われかと思ってたけど、右に立っている咒式剣士はラゲニエの価値が理解できる家具愛好家みたいだね?――こいつが僕の手に渡ったのは少々経緯があって、僕の父はネルザノンの割と大事にされていた配下で、その信頼を利用して家具裁判行きになるはずだった異端家具を何個も信頼できる家具収集家に横流しが出来ていたんだ。自分のお眼鏡に叶わない椅子は容赦なく焼いていたし、信頼されすぎて最後には当時の異端家具審問官筆頭だったロロディの猛攻に追い詰められたネルザノンの自決まで無理やり付き合わされて死んだけど」

 

 ラゲニエは父が手元に抱えていた唯一の椅子なんだ、とケンケルは自慢気に語る。

 

「まあそれはいいとして。とっととその〈振手〉の身柄と最後の暗黒家具のモチョラネフを僕に渡してくれないかな。一旦は逃げられたのに予想よりも随分早く見つかって気分がいいから、今なら家具異端に騙された身として左右とも見逃してあげるよ?」

 

「異端家具審問官について調べておいたんだが、要するに業界の自治団体で国から認められた正式な警察権など欠片も無いだろうが、賞金首。一夜で三十八人殺しを繰り広げた今のお前の首に何万イェンの賞金が懸けられていると思っている。手元に相応の札も抱えてない、ただ異常なだけの異常者の交渉など知るかよ」

 

 続く傲慢な発言に付き合いきれなくなり、俺はケンケルに真っ向からとなる否定の言葉を叩きつける。

 

「はっ、後悔するなよ眼鏡っ!」

 

 高圧的な交渉が早期に破綻した事でさっそくポーネゥを抱えた椅子ごと殺そうと長椅子の凶器を振りかぶるケンケルに、俺は異常性から薄々察して語りながら紡いでいた〈爆炸吼(アイニ)〉をヨルガから放つが、ケンケルは切っ先の動きを予測して横に飛んで威力の大半をあっさりと回避。

 頭のおかしさとは別として、やはり目の前の異端家具審問官には大半が咒式士の四十人弱の集団を虐殺に至らしめられる確かな力量がありそうだ。

 

「ぐらああああっ」

 

 一応咒式士とは言え虚弱なポーネゥに阻むように立ち塞がったギギナが、右から吠声と共に襲来する背凭刃を屈んで回避。蹴りでケンケルの足を砕こうとするが、ケンケルが手先で長椅子を回転させて直下に振り下ろしてきたので迫る背凭刃から地を蹴って離脱。立ち上がって拳打を叩き込もうとしたその瞬間、ギギナはなぜか停止し、敵の目の前で棒立ちになる。

 

「おいギギナ! ちゃんと屠竜刀を出して戦えっ!」

 

 俺はなぜか勝手に窮地に陥ってるギギナの先に慌てて割り込む。ギギナは回避ばかりで屠竜刀を抜いてすら居なかった。

 

「魔杖家具といえど立派に家具。眼鏡置きが仕組んだ悪辣な誘導の結果でもなく私の意思で家具を故意に殺害し、はたしてこの後に私は平気な顔でヒルルカに座れるのか……?」

「殺されては物理的に座れないだろうが剣振り機っ!」

 

 苦悩しているギギナを尻目に、向かってくるケンケルにまず〈矛槍射(ベリン)〉を飛ばす。だが長椅子の座面と背凭の多大な表面積で防がれ、鋼鉄程度では咒合金の板に突き立つ事もなく弾かれる。見た目はふざけているが、やはり立派に魔杖剣として咒式無効果能力を有していた。ついでに家具でもあるラゲニエを攻撃したことでギギナも一瞬凄い表情でこちらに振り向いたが知るか。

 

「とりあえずそれ以上賞金首が振ってるあのゲテモノの椅子に罪を重ねさせないとか適当な理由付けて倒して、後で好きなように理由づけしてろ!」

「そうだな……ぬうっ!」

 

 俺の雑な説得の末にようやく屠竜刀を抜いたギギナと交代し、なんとか咒式士の獲物として超絶な重量のラゲニエが俺に叩きつけられる前にネレトーに防がせる。

 

 やはり屠竜刀の刃は椅子に立てられないのか腹で防御する形になっているが、ギギナの筋力量ならばあれ程の重量の獲物を運用する高位の咒式士とはいえど、押し返されてしまうような状況は考えられないので一先ず安心だろう。

 

 そして前衛と後衛を相手にする状況は、前後で前衛が挟撃してくるよりもずっと覆すのが難しい。

 

「終わりだっ! プラズマで蒸発しろ!」

 

 ギギナとケンケルが長椅子と屠竜刀で拮抗している隙を狙って、俺は決定打になりうる電磁雷撃系第五階位〈電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)〉のプラズマの雷球を叩き込む。

 

 連携が染み付いたギギナは屠竜刀を巧みに動かしてラゲニエを握るケンケルの平衡を崩してから退避、まで綺麗に達成した所で俺は、自分の足元で床から迫り出すように椅子が出現しようとしているのに気がつく。

 

 そして背凭は完全に出現し、座面が今生成されようとしている玉座の如き造形の椅子が一緒に身に纏うのは呪印組成式の光。

 

「ははっ、来たなっ、死ねっ!」

 俺が放つ咒式からの退避でギギナから自由になった事で、余裕ができたケンケルに必殺咒式の発動を許していた!

 

「避けてろ間抜け眼鏡!」

「ぐおっ!」

 

 俺の全身を拘束するための鉄鎖が構築されていく最中、ケンケルの狙いに気づいたギギナによる迅速で強烈な蹴りでこちらの肋骨を折られながら、効果の詳細は不明だがとにかく決まれば次の動きで死ぬのが確定している玉座への厳重拘束からの緊急回避が辛うじて成功。

 

 誰も玉座上に収めないままケンケルの謎の咒式は次の段階に移行し、空の玉座が火炎を吹き散らしながら上空に猛烈な勢いで上昇。狭い中庭の吹き抜け、天頂までの経路を精緻に疾走していく。ついでに蹴りの急制動で俺の制御を外れた〈電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)〉の雷球が斜め上方に飛んでいき、集合住宅の壁面を蒸発させて採光窓が意図せず増設。

 

「化学錬成系第六階位、〈北皇槍星葬神座(フリズ・スー・ギヤ)〉の咒式、だと!」

 

 咒式剣士の骨を折る強烈な蹴りで無様に転がりながらも、俺はその大空へ向けて飛翔する椅子を構築するという特異な咒式効果を観察していて見覚えがあった。

 ヘロデルと学生時代に禁忌咒式を再現しようと奔走したときに出てきた選択肢の一つにあったが、禁忌指定の理由がかなり特殊だったので、再現しても俺たちの実力は示せないと活動の序盤で除外した攻性咒式。

 

「なんだその咒式は」

 

 威力を抑えられいて、なお蹴り折られた肋骨を胚胎律動癒(モラツクス)の咒式で修復されながら、俺はギギナが効果の全容を把握していない非常に奇抜な咒式を解説していく。

 

「対象を椅子に拘束して固形燃料の噴射で一気に直上――対流圏まで飛ばす、同系統の第三階位の〈翔噴突行(ビユー)〉の強化版というか〈古き巨人(エルノム)〉が超々高空までの飛翔に使う〈天頂宙到阳鳥船(ヒウペリ・オーン)〉を対人用に規模を大幅に下げたものというべき派生咒式で、決まった相手は補助具も無しにロクに天頂に運ばれる勢いに耐えられず死ぬか失神し、最終的には最高点で咒式が停止してロクに受け身も取れず墜死する愉快な咒式だよ」

 

「大掛かりだが随分と遠回しな咒式だな。拘束にあたって椅子という形式を採用しているのは褒めても良い咒式構築だが」

 

 手短に話した概要に理解示しつつ、予想通りギギナは家具成分にきっちり反応してくる。

 

「単に上昇時の投影面積を着席姿勢を強いることで減らして安定化を図っているのが理由だがな。そしてこの咒式の問題点は、昇天した時に対象が丈夫な咒式士で意識が明瞭な状態で生存していても、対流圏に無防備に侵入した事で領空を侵されたと判断して怒り狂った飛竜どもに椅子に拘束した対象を嬲り殺させる事が可能なこと」

 

「一つの咒式士が抱えている一発芸としては社会的に強力にすぎるな」

 

「ああ。なんで無駄に竜族を刺激する危険性から起こす事象の単純さに反して特別条項で禁忌術式に認定されたはずだが、ケンケルは椅子要素に惹かれたのか知らんが習得していやがる」

 

 長椅子という独特な獲物での攻防に、必殺の昇天咒式。数十人規模の虐殺という大惨事を引き起こしていた事から薄々理解していたが、ケンケルは見た目で芸人だと侮っていては確実に足元を掬われる高位咒式士だ。

 

「だが無数にある咒式の中ではそこまで特殊でもない。行くぞガユス」

 

 咒弾を交換し終えたケンケルに放った〈雷霆鞭(フユル・フー)〉がラゲニエを盾にしての防御で簡単に無効化。獲物の巨大さが原因の、取り回しの悪さからくる隙を狙って追撃の咒式を仕掛けようとするが、〈斥盾(ジルド)〉の鋼鉄の壁が立ちはだかり、毒ガス系咒式を紡いでいた俺は中断を余儀なくされる、とみせかけて破壊しても良い家具以外の障害を用意されたギギナが嬉々としてそれなりに厚く展開されていた鉄壁をネレトーの刃で両断。

 

「咒式で椅子を構築して心理的な盾にする卑劣さを持たなかった事だけ感心しておこう」

 

 覗いた鉄壁の裏に姿が見えていたのか右の壁がギギナの本気の蹴りで飛ばされ、ケンケルは突破された防御咒式を停止させる間もなく慌ててラゲニエにより迎撃。

 

「ぐあっ。だが――」

 

 ケンケルは重量物の迎撃で姿勢を崩しそうになるも、瞬間的に紡いだ事で大幅減の威力となった〈曝轟蹂躪舞(アミ・イー)〉のトリメチレントリニトロアミン爆薬の炸裂で、殺されないまでも随分と距離を取ることを俺たちは余儀なくされる。

 

「ふ、僕から無防備に逃げたな。昇天しろ――くっ!」

 

 ケンケルは続いて負傷した俺たちに必殺となる咒式を放とうとして、爆炎が晴れた先で一気に苦い顔をした。

 

 俺とギギナは〈曝轟蹂躪舞(アミ・イー)〉が炸裂し終わった場所にすぐさま戻ることで、立っている足場を劣悪にし〈北皇槍星葬神座(フリズ・スー・ギヤ)〉の発動に必要な土台の平坦さを失わせていたのだ。

 古き巨人のような超巨大存在ならこの程度の咒式で引き起こした地面の崩れは無視できるだろうし、あくまで移動用途の〈翔噴突行(ビユー)〉なら支障は無いが、対人でここまで足場を崩しては満足に天頂に打ち上げるのは無理だろう。

 

「があっ!」

 

 動揺している間に俺が紡いで放った内の一本が着弾した〈矛槍射(ベリン)〉の槍が、ケンケルの左足を靴ごとぶち抜く。太い鉄槍に縫い留められたの足先をケンケルはなんと気合で引きちぎり拘束から脱出。

 

「負けるかよっ」

 

 とうとう明確な欠損を追わせられたケンケルは、ラゲニエの右脚をしっかりと握り込み、ギギナを背凭れの大刃で叩き切ろうと平衡を多大に欠きながらも疾走。

 

「るおあああぁっ、らああああああああっ」

 

 だがギギナに対してそういったまぐれ狙いの特攻は、哀れなほどに判断を間違っていた。

 

「甘い。独自性のある獲物を使いながら、その獲物での攻防をお前は余りに知らなすぎる」

 

 ギギナを断たんと豪速で振り下ろされようとするラゲニエが、横から背凭れと座部の間にネレトーの刃を的確に差し込まれてあっけなく停止。そこからギギナが力を込めてのネレトーの回転と連動してラゲニエも動いていき、尖端での荒ぶりに持ち手とした外周部に立つケンケルでは対応できず、左足断面からの流血もあって手指を外して綺麗にすっ転ぶ。

 

 そして巨大なそのままラゲニエは地面に押し立てられ、背凭刃が軌道上にあったケンケル自身の右足を膝下から見事に切断。

 

「おそらく構えからしてラゲニエの前に使っていたのは魔杖大剣。それをなまじ並み以上に扱えていたため、別種の獲物に変えても動きを類似武器の情報を漁るなどして最適化できなかった結果、こうやって自滅させられている」

 

「ぐぅうう……」

 

 両の足を破壊されて、ケンケルは立つことも満足にできなくなっていた。そして精神的にもギギナがした指摘に答えられず、ただ唸るしかできなくなっている。

 

「観念しろ、賞金首ケンケル。地下家具武闘場の殺戮で、大量にあるだろう余罪を抜きにしても一級謀殺で死刑が確定だが、仮にも異端家具審問官とかいう秩序の組織に居た人間だろう。罪を償ってくれ」

 

「家具異端を粛清した事が罪など認め、ない!」

 

 俺の投降の催促で、だがケンケルが浮かべたのは決死の表情だった。俺はケンケルが暴れるのを想定して決着用にマグナスで紡いでいた咒式を放とうとし、しかしケンケルが地面に足先を投げ出すように座っている構えから相手が実行しようとしている未来に気づいて咒式を停止させる。

 

「〈北皇槍星葬神座(フリズ・スー・ギヤ)〉の咒式を俺に対して発動し緊急脱出用として使えば、この程度の窮地など簡単に脱せられる!」

 

 次の瞬間、ケンケルはギギナが挟み込んでいたネレトーを抜いたばかりのラゲニエの脚部を素早く握り、引き金を引いて発動した〈北皇槍星葬神座(フリズ・スー・ギヤ)〉で生成した玉座に自ら座りこんでいた。玉座上で握り直したラゲニエを振り上げて勝ち誇る声と共に固形燃料に着火し、俺たちを燃料の燃焼による爆炎で追い払う。

 

「くっ、ここで逃げるかっ!」

 

 紡いでいた決めの大技は、しかし直上に猛烈に上昇してしまった標的に当てられる物ではない。今薬室に投入されている咒弾に対して随分と低位階になってしまうが〈矛槍射(ベリン)〉を神速で紡いで仕留めれれる事に賭けるか、少し遅れるが真下から〈鍛澱鎗弾槍(ウアープ)〉の戦車砲弾で直上に向けて狙撃するか。

 

「はははっ、覚えていろ――」

 

 混合燃料で飛び立つ轟音が、上昇軌道の外周となる集合住宅の全部屋にくまなく響き渡る。〈矛槍射(ベリン)〉を放っている暇が無くなったので天頂へ向かおうとするラゲニエを狙撃しようとし――諦めた。

 わざわざ咒弾を消費して殺す意味が見当たらなくなったからだ。

 

「ごひゅ」

 

 はたしてそんな断末魔は幻聴か、吹き抜けからケンケルを収めた玉座が脱しようとしてした所で不意に激突。鈍い音が鳴った後、人間一人分の質量とはいえ、対流圏まで上昇させるに足る大燃料が密所で一気に炸裂。

 

 集合住宅の上階を消し飛ばして全部屋の窓の生き残りが悉く粉砕され下方に降り注ぎ、恐らく初手で首を折られたケンケルは燃料爆発で遺体が四散し賞金の請求に必要な亡骸の所在が不安になる有様。最後には咒式無効果能力の作用か、煤に塗れて部品も幾つか欠損しているものの奇跡的に大まかには無事な長椅子が落下。

 

「……なんで爆死したんだケンケルは?」

 

 唐突な相手の自滅に俺は疑問を吐く。上昇軌道の計算を失敗して雑な角度で上昇した結果、間抜けにも壁面に追突したにしては俺が観察した上昇への道筋は完璧な物だった。激突したように見えて燃料の制御に失敗したという可能性も、集合住宅から脱出する直前に炸裂するという都合の良さから考えにくい。

 何がどうして天頂へ昇っていくはずのケンケルを阻んで爆死させたのか謎だった。

 

「ポーネゥのお陰、であろう」

 

 落下してきたラゲニエを受け止めながらギギナが指摘する。ついでに椅子の脚には死ぬまで握っていたのかケンケルのものらしき右掌が残っていた。とりあえず賞金請求には問題なさそうだ。

 

「お、おれっ。とりあえず逃げられないようにしようと思って! 殺すつもりはなくて! 虎面の相棒のロメテオの仇なんか別に取るつもり無かったのに!」

 

 集合住宅の中階の一室から不意に出てきて、中庭にいる俺たちに向かって身を乗り上げたポーネゥが、魔杖叉を握りながら自分の功績では無い旨を必死に主張する。魔杖叉を握っていない方の手が緩んで、咒弾の薬莢が足元に転がった。

 

「あー」

 

 そんな哀れなまでに焦燥しているポーネゥの姿で俺はようやく気づいた。これはポーネゥの仕事だ。

 自分を高速移動させている相手の軌道に重なるように〈斥盾(ジルド)〉などの防壁咒式を展開して追突させる、高速化が著しい咒式戦闘では逆に通用する、非常に原始的な罠とも言えない妨害。

 

 普通は初動を阻まれて止まった相手に容赦なく追撃の咒式が叩き込まれる形になるのだが、大量の固形燃料で天頂へと登ろうとしているケンケルに対してこの形の罠を張った今回は、そんな咒式を紡ぐまでもなく、ここまで凄惨な結果が生じていて、ポーネゥ自身も気が動転しているのだ。

 

 とりあえず戦闘が始まったら巻き添えを喰らわないように、この廃集合住宅の適当な部屋に逃げておくようポーネゥには事前に伝えておいたが、ここまで的確な支援を挟んでくれるとは、実に望外の補助となった。

 

「ポーネゥ氏! とりあえず法的には気にしなくていい! ケンケルは立派な殺害許可まで降りた賞金首だし、一応だが禁忌咒式の使い手だ! あの爆死も、万が一取り沙汰されてもケンケル側事前の確認ミスの方に責任がいく筈!」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

 おれは混乱しているポーネゥを諌めにかかる。

 

 並べた言葉の中で唯一の通り道を防がれれば光量の変化でケンケルも上空の異常に気がつくはずと思ったが、俺がケンケルに対しては外した〈電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)〉で集合住宅に作られた大穴で光源が増設されていた事で真相に気がつく。

 俺たちと咒式戦闘を繰り広げて他にも派手な咒式が飛び交っていたせいもあってケンケルは死の瞬間まで気が付かなかったが、増えた光源で天井を塞がれた事をすっかり失念したまま〈北皇槍星葬神座(フリズ・スー・ギヤ)〉を発動してしまったのだ

 

「これで今日二件目の仕事も終わりだ……」

 

 中階の玄関前でへたり込むポーネゥと、ラゲニエの破損状況を執拗に確認しているギギナを順に見ながら、俺は二度の固形燃料の飛翔と数回の爆裂で荒れに荒れた中庭で一息をついた。

 

   ★

 

 侵攻してきた青蛇人の討伐にまつわる役所への報告も、一旦寝かせていた浮気調査の依頼も証拠を揃えて依頼者の希望である離婚に十分足る程度に集めて送付しての一週間後、アシュレイ・ブフ&ソレル咒式士事務所の二階。

 

 倉庫兼ギギナの家具部屋となっているこの階で、ヒルルカと並び合うように新たな椅子が一つ配置されていた。

 

「ギギナ、この椅子は?」

 

 俺は緊張した表情で二人の間に立ち、二つの椅子のこれから永遠に生じない動きを今か今かと固く見守っているギギナに問うた。家具収集趣味は勝手だが、また事務所に増やされていくのは困る。

 

「ケンケルの暴虐と相方の死、その他手を汚した衝撃などで〈闇の家具会〉からの脱会と〈振手〉の引退を決めたポーネゥは故郷に戻って実家の椅子職人を継ぐらしいので、一人前になるまでの約束で娘のモチョラネフを預からせてもらった。折を見て自宅に持ち帰る。今はヒルルカの良き同性の友人となれるだろうと二人を会わせている所だ」

 

「そうか……。あの魔杖長椅子の方は? 破壊を気にしていたが」

 とりあえず事務所の椅子の増殖は一時的なそうなので流す。家具絡みの事情は詳しくないが、賞金首情報を引っ提げて俺たちの目の前に出てきてくれたポーネゥの方も、立派に家業を継いで社会から逸脱せずにやっていけそうで喜ばしい。

 

「ラゲニエは分かる範囲で爆発で欠落した部品を掻き集めて〈家具の会〉に渡しておいた。本部の家具修復士の手でいずれ完璧に修復されるだろう。もっとも、収蔵品として飼い殺されるのがあの家具にとって良き未来かは解らぬがな」

 

 ギギナは遠方を眼差して憂い顔。家具相手だが、何か思うことがるのだろう。

 

「おいギギナ。ケンケルを殺して支払われた報酬金が今朝に振り込まれたが、咒弾代を天引きするいつもの計算方法でいいよな?」

 

「ああそれかガユス――」

 

「待て、口から言う前に俺に自分で確認させろ! 衝撃は分散させたい!」

 

 ギギナの声色に悪寒がし、素早く咒信機で口座を見ると今朝に満額が振り込まれていたはずのケンケル殺害賞金が一桁、いや二桁ほど明確に減っていた。そしてまだ咒弾の代金を引いていないのでこれからもっと悲惨になる。

 

「あのケンケルが家具武闘の会場で殺した家具の葬儀代と彼らの慰霊碑の建設費、それと暗黒家具への改造手術を受けさせられていたモチョラネフの家具整形の手術代に使ったが?」

 

「ギギナお前ーっ!」

 

 金銭的衝撃は分散してくれなかった。涼しい顔で家具に使ったと宣言するギギナに俺は激怒する。しかも内容を鑑みるに、咒式具を無駄に買われた時のように現物が残る形ではないから、返還規則が効きすらしない!

 

「家具の葬儀代ってどういう事だよ。というか慰霊碑って正気か? 建設がまだならどうにかキャンセルで……ああもう建ってるんだなクソ、咒式時代の建築速度め!」

 

 ギギナ暗殺計画の一九九號である「返し付き猛毒家具に座らせて苦悩の中毒死」の週内の実行を決意しながら、俺はなんとか咒式士の半日仕事として正当な額の利益を引きずり出そうと、浪費家のギギナへ詰め寄っていった。



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