盗作・魔法少女マジカルかりん (ノッシーゾ)
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第一話 ある読者

 

(初めて死にたいと思ったのは、いつだっけ?)

 

 学校からの帰り。

 夕暮れの通学路を歩いていたとき、ふと彼女は考えた。

 

 小学校に通っていたとき、ではなかった。

 この時代、彼女の目に映るものは全てが輝いていた。

 そのせいか、自分自身すら輝いているように思えて、自分の未来が虹色の光を放っているのを疑ったことすらなかった。

 

 なら、中学に入学したときか?

 いや……と彼女は自分で否定した。

 まだ自分は未来虹色症候群を脱していなかった。

 小学生の気分を引きずり、根拠もなく虹色の未来を信じていた。

 

 では、夢を叶える第一歩として、漫画研究部に入ったときだろうか?

 これも違う。

 部に入ったばかりのときも、まだ未来は光り輝いていた。

 先輩は優しく、同じタイミングで入部した同級生は楽しい友達ばかり。

 彼女には、この中に虹色の未来を奪う要素を、ほんの1ミクロンといえど見つけることはできなかった。

 そればかりか、未来から届く虹色の光はこの時期が一番眩しかった気さえする。

 

 とすると、ここで「才能のある人」に出会ってしまったときか?

 かもしれない、と思った。

 でも違う気もした。

 まだ彼女は才能なんて努力で覆せると思っていた。

 相手が1をやって100の成果を出せるなら、自分は100でも1000でもやればいい。

 そう言って、むしろ燃えていた。

 

 あと思いつくのは、努力して、努力して、努力して、それでも開き続ける実力の差を目の当たりにしたときか?

 いや、このときでもない。

 彼女は現実というものを理解しはじめていたが、彼女の未来虹色症候群は根深かった。

 

『白い妖精と契約して魔法少女になれば、何でも願いを叶えてくれる』

 

 という都市伝説を聞くと、それに飛びついてしまうほど根深かった。

 幼いころに見た虹色の未来は、彼女に言わせると絶対にやって来ないといけなかった。

 そのために奇跡と魔法が必要なら、奇跡だろうが、魔法だろうが、存在していなければいけなかった。

 だから一年間、白い妖精とやらを昼夜を問わず探し続けた。

 死にたいと願う余裕もなく、探し続けた。

 

 そこで思い至る。

 いつから死にたいと思うようになったのか。

 

 それは、白い妖精は見つからない、そんな物は嘘だったんだと理解したときだ。

 この世に奇跡も魔法もないという当たり前の事実を実感したときだ。

 それに気づいたとき、あれだけ眩かった虹色の光は、どれだけ目を凝らそうと見えなくなっていた。

 

 私は漫画家になれない。

 そう思ったときに

 

(あぁ、死にたいなぁ……)

 

 と、そう思ったのだ。

 

(いっそのこと、今これから死んじゃおうか?)

 

 すでに暗くなった足下を見て、彼女は思う。

 ちょうどお誂え向きの高いビルが目の前にある。

 未来が虹色だったときに通っていた本屋も中に入っている高層ビルだ。

 屋上は出入り自由だったはずだし、そこから飛び降りるのは簡単だった。

 

(よし、行こう)

 

 彼女は自分でも意外なほど、あっさりと決意した。

 最後に一冊だけ好きな漫画でも立ち読みしよう。

 そうしたら、あの世に旅立とう。

 

 彼女の足は軽やかに動いた。

「最後の一冊」も簡単に決まった。

 本屋に踏み入れ、この漫画の表紙が視界の端をかすめた瞬間、これを読むべきだ、と思ったのだ。

 

 タイトルは『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 作者の名前は『アリナ・グレイ』

 

 この作者の名前、どこかで聞いたな……。

 なんとなく引っかかりを覚えながら、彼女は最初のページを開いた。

 

 

 

 そして人生が変わった。

 

 



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第二話 編集者

 ハロウィンが終わり、3ヶ月が過ぎようとしていた。

 秋も終わり、クリスマスも終わり、新年を迎え、もう少しで節分という時期だ。

 

 この日も一人の少女が例の本屋にやってきていた。

 彼女はキョロキョロとあたりを見回して、店内で一際目立つポップを見つけた。

 

「若き天才芸術家アリナ・グレイが放つ少女漫画『盗作・魔法少女マジカルかりん』第2巻好評発売中!!!」

「異例! 10月31日発売の「盗作・魔法少女マジカルかりん」年間売り上げ一位を奪取!!」

 

 見つけるなり、彼女は駆け出した。

 山のように並べられた物の中から一冊を手に取ると、また走るようにレジに持っていった。

 死にたいと願っていた、あの少女だった。

 

 

 

 

 

 本屋を出た彼女の足取りは3ヶ月前とは比べものにならないほど早かった。

 ほとんど走っている。

 そのスピードや上気した顔、荒い呼吸は競歩の選手が練習をしているのだと勘違いされそうだ。

 実際、勘違いされたのだろう。

 すれ違った子供が振り返り、彼女の後ろ姿を不思議そうに見送っていた。

 

「ただいまご飯さき食べててお風呂もどうぞあと部屋入ってこないで!」

 

 帰宅すると、出迎えてくれた母親に捲し立てて、まっすぐ自分の部屋に入ってマジかりの封を開ける。

 

 表紙には一人の少女。

 魔法少女というより、魔女っ娘とでも言った方がよさそうな衣装。

 黒いとんがり帽子をかぶり、手には背丈ほどもある大鎌。

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ペロッと舌を出しているのが何とも可愛らしい。

 彼女こそ、この漫画のヒロインかりんちゃんだ。

 

 期待に胸をときめかせてページをめくる。

 実のところ、本編の内容は知っていた。

 ファンの間では

 

「マジカルハロウィンシアター編」

 

 と呼ばれる、かりんちゃんが仲間を集めて劇をやる話だ。

 学校一のマジかりストを自称する彼女は、すでに週刊誌で読んでいた。

 だが、週刊誌で一話ずつ追うのと、単行本で一気に読むのとでは違った楽しみがある。

 なにより今回の単行本には、おまけとして担当編集者へのインタビューが載っているのだ。

 週刊誌の情報によると、アリナ・グレイが『マジかり』を持ち込んで来たときの話や、制作中の秘話が載っているのだという。

 マジかりストとして興味を惹かれるというものだ。

 

 彼女は読了済みの本編はひとまず置いておき、おまけの載っているはずの後半のページを開いた。

 

 

 

 

――――早速ですが、佐藤さんが「マジかり」の担当編集になった経緯を教えていただけますか?

 

 ええ、はい。

 まあ劇的な出会いじゃないので恐縮なんですが、アリナさんが持ち込んでくださったときに、ちょうど私と編集長以外、出払ってたんですよ。

 それから成り行きで担当をやらせていただいてます。

 

――――へえ、持ち込みだったんですか。

 一部では「芸術家アリナ・グレイ」に目を付けていた角海文庫さんから執筆を依頼した、という噂もありましたが?

 

 それは根も葉もないガセです。

 先ほど言ったように、アリナさんが持ち込んで来てくださり、私が読み、これは売れると思って企画会議にかけた、という流れでした。

 何なら、その日の日誌があるので読んでみますか?

 

 

――――いやいや、疑っているわけじゃないので大丈夫です(笑)

 いやぁ、でも持ち込み……。

 あのアリナ・グレイが漫画の持ち込みって、どうも想像が付かなくてですね(笑)

 よければ、そのときの様子を伺ってもいいですか?

 

 もちろんです。

 あっ、詳しく思い出したいので、日誌を見てもいいですか?

 

 

――――何ですか(笑)

 そんなに日誌を見せたいんですか(笑)

 

 

 去年の8月初頭の昼休みでした。

 当時の編集長から、いきなり

 

「佐藤ちゃん、漫画の持ち込みがあったから見てあげてよ」

 

 なんて言われましてね。

 指示された通り、待たせてるっていう会議室に行ったんですよ。

 

 まあ、ご存知の通り綺麗な娘でね。

 西洋人形のような、って形容詞がありますけど、まさにそれです。

 思わず、見惚れそうになりましたよ。

 見惚れませんでしたけど。

 

 というのも、ね。

 態度が恐ろしく悪かった。

 本物の西洋人形だったら、足は机の下で行儀よく揃ってるはずでしょう?

 なのに、あの生きた西洋人形と来たら、足をもう……こうやって机の上に投げ出してるわけですよ。

 もう座ってるっていうか、椅子の上に寝そべってるんです。

 しかも手持ち無沙汰にペン回しなんかしてて。

 

 で、私が会議室に入ると、そういう体勢のまま顔だけ向けて言うわけです。

 

「漫画、読んでほしいんですケド」

 

 

――――それはまたインパクトのある……。

 

 

 マジかよって思いましたよ。

 適当に読んで、適当にあしらって帰ってもらうしかないなって。

 まあでも、マジかよって思うのはまだ早かったわけですが。

 

 原稿の1ページ目を見た瞬間、またマジかよって思いました。

 絵が上手いんですよ。

 それも並の上手さじゃない。

 週刊スキップのベテラン漫画家だって、こんな綺麗な絵は描けないぞっていう。

 もっと言うと、単に上手いだけじゃなく、自分の味がある。

 自分の味っていうのはつまり、一目で「この人の絵だ」ってわからせる力っていうか。

 とにかく、そういう魅力があった。

 

 最悪の第一印象なんて忘れて、2ページ、3ページと読み進めました。

 で、5ページ読み終わる頃には確信したんですけど、話の作り方もめちゃくちゃ上手いんです。

 

 

――――刊行されている本編で5ページと言ったら、あそこですか。

 かりんがベテラン魔法少女の七美やちよからグリーフシードを盗んで、へっぽこ魔法少女の秋乃かえでに渡すまで。

 

 

 そうですそうです。

 読者の方がお読みになった部分が、そっくり私が読んだ部分になります。

 原稿からほとんど修正してないんです。

 

 この時のかりんの行動って、客観的に見たら強盗犯の泥棒なんですけど、ここを本当に魅力的に描くんですよね。

 かりんは少しお馬鹿というか、考えが足りないところがある。

 けど、良いことをしたい、かっこよくありたいっていう憧れをもってる。

 そこが読者から見たら可愛くて堪らない。

 可愛くて堪らなくなるように、計算して描いてる。

 

 

――――話作りの上手さは私も感じましたね。

 このあとの展開もよかった。

 かりんが七美やちよに諭されて、反省する。

 でも自分は弱い。

 一人では魔女に勝てない。

 どうしたらいいか悩んでいると、秋乃かえでが自分のチームに入れてくれる。

 仲間を作ることの良さ、みたいな物を知る。

 ああ、これでいいんだ、と思う。

 で、ここからが素晴らしい!!

 

 

 そうなんですよ!

 普通の漫画なら、仲間ができた素晴らしい!

 で終わる所なんですけど、マジかりは終わらない。

 なぜなら、かりんは孤高の魔法少女で部活の先輩でもある「きりん」に憧れて魔法少女になったからです。

 グループに入ると憧れの「孤高の魔法少女きりん」から遠ざかってしまうんですよね。

 そのことに、かりんは部活で「きりん」と接しているときに気づく。

 

 

――――そう!

 そこからかりんは決断する!

 自分は弱いけど。

 一人で戦うのは危険だけど。

 仲間と戦うのは安心するけど。

 それでも憧れに近づくために孤高の魔法少女でいようと!

 

 

 さらにですよ!

 ここで重要なのは仲間の大切さも否定してないってことなんですよね。

 仲間は大切で、素晴らしい物だ。

 そこはちゃんとわかってる。

 けど、その大切な物よりも、きりんへの憧れはもっと大切なんだっていうのが、ここの決断なんです。

 

 

――――そうそうそうそう!!

 良い!!

 かりんちゃん最高!! 

 

 

(両者とも興奮して話が進まなくなったため、一部割愛)

 

 

――――ええ、すみません。

 話を本題に戻しましょう。

 

 

 そうしましょう。

 

 

――――しかし、もう時間がないですね……。

 ええと、というわけでこうしましょう。

 あと三つ、あと三つだけ質問に答えていただきましょう。

 佐藤さん、よろしいですか?

 

 

 もちろんです。

 いやぁ、本当に変なところで盛り上がってしまって申し訳ない。

 

 

――――いやいや、それは私の方こそ……。

 と、そんなことを言っていると、また時間がなくなるので、質問に移りましょう。

 先ほども話題に出ました、かりんの先輩「きりん」ですが、この「きりん」と、同紙で連載中の「怪盗少女マジカルきりん」の「きりん」

 ネット上では色々な憶測が飛び交っていますが、ズバリ関係はあるんですか?

 キャラクターのデザインも口調も、そっくりそのまま「怪盗少女のきりん」に見えるんですが?

 

 

 ああ、読者の方は気になるところですよね。

 お答えしましょう。

 まず、世界観が一緒とか、そういう関係は一切ございません。

「マジかりの先輩魔法少女きりん」と「マジきりの主人公きりん」は全くの別人と考えていただいて結構です。

 ですが……

 

 

――――ですが?

 

 

「マジかりの先輩魔法少女きりん」は「怪盗少女マジカルきりんのきりん」を登場させたいという、アリナさんの強い希望で出演させています。

 言ってしまえば「きりん」だけは「怪盗少女マジカルきりん」の二次創作キャラクターというわけですね。

 もちろん原作者から許可も取っています。

 

 

――――へえ、アリナ・グレイの希望ですか!

 あまりイメージにはありませんでしたけど、元々漫画好きだったりするんですか?

 

 

 私は基本的にプライベートに踏み込まないようにしてるので、断言は出来ないんですが、嫌いではないようですね。

 マジかりのコマ割りとかを見ても、漫画を読んでない人間に描ける物じゃない。

 そもそも漫画嫌いが漫画を持ち込んだりしないですし。

 

 まあ、いずれにせよ「怪盗少女マジカルきりん」は本当に好きみたいですね。

 打ち合わせのときなんか、よく話題に出ます。

 すこし前まで原作者の体調不良で「怪盗少女マジカルきりん」の連載が止まってたでしょう?

 あの時期なんて打ち合わせの度に

 

「マジきり、まだ再開しないワケ?」

 

 って。

 

 

――――アリナ・グレイ、まさかのマジきらーだった!!

 いや、思いがけず気になるネタが飛び出してきましたが、時間がない。

 深掘りしたいところですが、次の質問に行きましょう。

 アリナ・グレイと言えば気難しい人物として有名ですが、そういった点で佐藤さんが苦労することってありますか?

 

 

 やっぱりアリナさんを知っている人からすると、そういうイメージなんですか。

 でも編集者としては、本当に楽な漫画家なんですよ。

 アリナさんって。

 

 まず締め切りを絶対に落とさない。

 あれだけ書き込むのにですよ。

 本当に今まで一度だって落としたことがない。

 編集者のテクニックに、漫画家には実際の締め切りより早い日程を伝えるっていうのがあるんですが、それも要らないくらいキッチリ時間を守ってくれる。

 

 あと、権利関係の問題も楽ですね。

 著作権やら商標やら出版倫理やらの問題で、その表現はマズいとなったとき、編集者としては「それはダメです」って言わないといけない。

 これが気難しい先生だと「いいや、これを表現しないとダメなんだ」って、ゴネられんですが、それもないんです。

 

「ふぅん、そう」

 

 なんて言うだけで、パパッと描き直してくれる。

 ああ……ただ、出版前にいくつか条件を出されたのが、少しキツかったくらいですか。

 

 

――――条件、というと?

 

 

 三つありました。

 一つ目は10月31日に発売すること。

 二つ目は「きりん」を登場させること。

 三つ目がタイトルを「盗作・魔法少女マジカルかりん」にすること。

 特に「盗作」って言葉には強いこだわりがあったみたいですね。

 

 企画会議で、タイトルに「盗作」はマズいって話になったんですよ。

「怪盗少女マジカルきりん」へのリスペクトを表現したいなら「魔法少女マジカルかりん」ってタイトルでも十分だろうって。

 でもアリナさん

 

「絶対にこのタイトルで行くカラ」

「変えるくらいなら出版の話はなかったことにして欲しいワケ」

 

 とまで言い張りましてね。

 

 

――――盗作、ですか。

 たしかにインパクトの強い言葉ですよね。

 そういえばネットでも話題になってたなぁ。

「きりん」を登場させる、つまり「怪盗少女マジカルきりん」を半分盗作するから「盗作」なんだ、とか。

 かりんの能力である窃盗から採ってるんだとか。

 佐藤さんはここの由来は聞いたりしてるんですか?

 

 

 それが聞いてないんですね。

 教えてくれないんですよ。

 ですが、いま挙げられた2点も理由の一部ではあると思います。

 あとは今後の物語の重要な伏線になってたり……するのかもしれません。

 

 

――――気になるなぁ。

 まあでも、これ以上問い詰めても佐藤さんが困るだけでしょうからね。

 この辺にしておきましょう。

 

 

 ありがとうございます。

 あとは本当に手のかからない漫画家ですよ。

 アリナさんは。

 

 

――――そこ本当に意外なんですよね。

 私は以前から芸術家アリナ・グレイを追っているんですが、私から見たアリナ・グレイは本当に……こう言うと悪いですけど、エゴの塊みたいな印象があって。

 良い作品を作るためなら人を殺せそうというか。

 

 

 そんなに意外ですか(笑)

 いやぁ、そんなことないと思うんですけど。

 でも、たしかに社内でも同じことを言われるんですよね。

 

 

――――ほう、その話も気になりますね。

 詳しく聞かせていただけますか?

 

 

 もちろん大丈夫ですけど、どこから話そうかな……。

 ……ええと、はい。

 まず私、実はマジかり出版の話がかなり進むまで、アリナさんが著名な芸術家だって知らなかったんですよね。

 ペンネームをどうするか聞いたとき、アリナさんはそのまま

 

「じゃあ、アリナ・グレイでいいカラ」

 

 って、しっかり名乗ってくれたんですけど、私はどこかで聞いた名前だなぁと思ったくらいで、芸術家のアリナ・グレイだなんて、思いもしなかった。

 

 

――――知らなかったんですか!

 

 

 知らなかったんです。

 でも芸術家アリナ・グレイを知っている後輩からすると、担当の私なら当然、知ってると思ってたんでしょうね。

 私がアリナさんの打ち合わせに行く度に、戦場に向かう兵士に対するような口調で言ってくるんですよ。

 

「先輩、本当に大丈夫ですか?」

 

なんて。

 

 

――――後輩さんの気持ち、よくわかります。

「著作権の関係で、その内容は使えません、直してください」なんて言ったら殺されそうですから。

 

 

 実際のアリナさんは、そんなことないんですけどね(笑)

 先ほども言った通り、この表現は権利関係でダメですって伝えれば

 

「ふぅん、そう」

 

 で直してくれる。

 まあ、ともかく私はアリナさんが芸術家だと知らなかったんです。

 だから、何でそんなに心配されるのか、意味がわからなくて。

 仕事も忙しい時期だったから調べたりもしなかった。

 

 で、本誌への掲載が、ほぼ決まったって段階で、事件が起こった。

 編集会議のとき、アリナさんの描いた原稿に権利関係でややこしそうな部分が見つかったんです。

 ここを直さないと、出版は難しいぞって感じでした。

 当然、こういうときは作者に直してもらわないといけないし、いつも直してもらってる。

 もちろん、このときも直してもらおうとしました。

 

「ああ、じゃあ直してもらいますよ」

 

 って。

 そしたら会議の参加者が全員ギョッと私を見て、必死に止めるんですよ。

 

「死ぬ気なのか!?」

「出版社内で殺人事件なんか冗談じゃないぞ!?」

「アリナ・グレイに毒されて気が狂ったのか!?」

「原作者に黙って直す気か? それはあとで問題になるぞ……!」

 

 果てには、後輩の、私が教育を担当した女の子なんか

 

「お願いだから行かないでくださいぃ……!!」

 

 って、泣きながら訴えてきた。

 

 

――――本当に戦場に向かう兵士にかける言葉ですね(笑)

 

 

 いまだに釈然としないんですけどね。

 

 ああ、そうだ。

 こんな機会もないんで、逆に教えてもらいたいことがあるんですけど、よろしいですか?

 

 

――――はい、どうぞ?

 

 

 私、芸術には疎くてアリナさんの作品も二つか三つしかしらないんですけど、そんなにヤバいんですか?

 確かに少し不気味な作品はありましたけど、皆さんが言うほど異常かって言われたら、そんなことない気がしてるんですが。

 

 

――――ちなみに見た作品っていうのは?

 

 

 ええと、たしか『絶叫羅漢』っていう絵画と『ひとりの群』ってインスタレーションです。十二才と十三才のときの作品ということで、凄まじい才能だなとは思ったんですけど。

 やっぱり皆さんが言うほどかっていうと、やはり疑問で。

 

 

――――ああ、なるほど……。

 では『サイケデリック青春賛歌』と『アリナの九相図』は見てない?

 

 

 見てないですね。

 その二つの作品が特に有名なのは聞いています。

 ですが、いくら探しても見れないんですよね。

 どの美術館にも展示されていないようですし、それだけ有名ならネットに落ちてそうだとも思ったんですが、まったく落ちてなくて。

 

 

――――ああ、たしかに今は見れないかも知れないですね。

 それだけインパクトがありましたから。

 いや、ありすぎた。

 

 

 インパクトがありすぎた?

 

 

――――あっ、いや、ええと、何というか。

 とにかく、あれは言葉では伝わらないので……。

 どうしても見たいなら、ご本人なら映像も持ってるでしょうから聞いてみては?

 あまりお勧めはしませんが。

 

 

 ふーん?

 そんなこと言われると余計に気になるんですが、わかりました。

 

 

――――では最後の質問に移らせていただきます。

 アリナさんが一番こだわっていた部分はどこですか?

 先ほどの締め切りを守るという話や、修正も簡単にしてくれるって話を聞いていますと、意外とビジネスライクに割り切ってるのかなと推察するんですが。

 

 

 いえ、これが矛盾するようなんですけど、凄くこだわるんですよ。

「一番こだわってた部分」を聞かれると「全部です」って答えるしかないくらい。

 それこそ背景の木の一本一本、葉っぱの一枚一枚までこだわる。

 例えば、前にアリナさんが自主的に修正した箇所があるんですけど

 

「このコマ、直したカラ」

 

 って言われても、どこを直したのかわからなかった。

 それで質問したら背景の街路樹を直したって言うんですよ。

 

 言われて見ると、確かに背景の隅っこにノミみたいな大きさで描かれた木の葉が微妙に違う。

 聞けばイチョウの木から、かえでの木にしたと。

 何でこんな細かい所をって思うでしょう?

 そこがこだわりって奴なんでしょうね。

 

 

――――締め切りを落とさないって話でしたけど、そんなところまで直して間に合うものなんですか?

 

 

 普通は間に合いません。

 けど、アリナさんは間に合わせるんですよ。

 描くのが尋常じゃなく速い上に、平気で二徹も三徹もする。

 

 はじめてですよ。

 締め切りって、そこまでして守るものじゃないんですよ?

 なんて言ったのは。

 

 

――――本来は締め切りを守らせる仕事なのに(笑)

 

 

 でも編集の私がここまで言っても、締め切りは守る。

 本当に絶対に守る。

 こだわりといえば締め切りに間に合わせること自体に、こだわりがあるのかも知れませんね。

 あっ、そうだ。

 間に合わないといえば、特に時間をかけて修正してたコマがありましたね。

 

 

――――どのコマですか?

 

 

 1話冒頭の、かりんが描いた魔法少女たちの似顔絵のコマです。

 あそこだけは本当に時間がかかった。

 持ち込んでくれた段階から「ここは後で直すカラ」と言ってたんですが、結局修正が終わったのが出版間近になりました。

 

 

――――え、冒頭の似顔絵のコマっていうと、あのちょっと絵のうまい小学生が描いたような似顔絵でしたよね?

 あそこも直してるんですか?

 っていうか、あのコマもアリナ・グレイが描いてるんですか?

 

 

 あの似顔絵ですし、あそこも直してます。

 アリナ・グレイ完全直筆です。

 

 いや、凄いですよね。

 本当に絵のうまい小学生が、一生懸命描いたようにしか見えない。

 これは解説が必要だと思うんですが、上手い人が下手な絵を描くのって難しいんですよ。

 崩して描けば雑にはなるんですが、どうしても基本が出来てしまう。

 下手に描こうとしてるのに、構図がカッコよく決まってしまったり、遠近法が上手く使えていてしまったり、デフォルメでちゃんと可愛くなってしまったり。

 

 初稿だとアリナさんも例外じゃなかった。

 下手に描こうとしてるのはわかるし、読者にも

 

「ああ、この絵はかりんちゃんが描いた絵なんだ」

 

 って、意図が通じるくらいには下手に描けてたんですが、やっぱり上手さが隠し切れてなかった。

 

 

――――下手な絵を描くのにこだわってたんですか?

 

 

 ここは本当にこだわっていました。

 何百枚と同じコマを描いて、これは違う、これも違う、と。

 一話はここを除いて全部完成してるのに、このコマだけ延々と直してました。

 頭を抱えて、たまに奇声を発したりしながら。

 見てて、ちょっと面白かったですよ。

 

 突然

 

「ヴァァァァアアアアアアアッ!!」

 

 なんて叫びだしたり、自己暗示みたいに

 

「アリナはフール……アリナはフール……!」

 

 と唱えだしたり、

 

「――――(出版倫理にもとる発言のため削除)――――! ――――(出版倫理にもとる発言のため削除)――――!」

 

 っていうのも面白かった。

 あと、三徹のあと絞り出すように言った

 

「これじゃ、あの娘の絵じゃないんですケド……!!」

 

 っていう言葉は、妙に印象に残ってます。

 

 

――――アリナはフール(笑)

 なんか、もう本当に追い込まれてた感がありますね(笑)

 

 

 本人としたら追い込まれてたんでしょうね(笑)

 私は結構、心理的に余裕があったんですが。

 と言うのも、似顔絵が上手く出来てしまっても出版すれば売れると確信してましたから。

 まあ、そんな紆余曲折を経て、あのどこから見ても小学生が描いたようにしか見えない似顔絵が生まれたわけです。

 この話で驚いた方は、もう一度1巻を見直すことをお勧めします。

 本当に小学生が描いたとしか思えない仕上がりになってる。

 

 

――――ありがとうございました。

 聞けば聞くほど聞きたいことが増えていってしまいますね(笑)

 ですが、時間も予定の時間を過ぎてしまっているので、さすがにインタビューを終わりたいと思います。

 あらためまして、佐藤さん。

 本日はお忙しい時期に付き合っていただき、ありがとうございました。

 

 

 こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

 



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第三話 美術評論家

『おそらく君は見る人が死ぬまで考えてしまうような美しく難解な作品を作ることが出来るだろう』

『しかし外へのテーマを持たない君の作品は、人を狂わせるかもしれない劇薬だ』

『15歳を過ぎて尚自覚がないなら君の輝きはそこで尽きるだろう』

『世界を変える気がなければ作るのをやめろ』

 

 彼はマジかりを読んでいると感じる、妙な引っかかる“何か”について考えていた。

 仕事のためである。

 一斉を風靡するマジかりについて、原作者アリナ・グレイの作品を昔から知っている人物としてエッセイを書いてくれないかと依頼されたのだ。

 

 内容は、マジかりのテーマについて。

 つまりアリナ・グレイがマジかりを通じて何を訴えようとしているのかを書けという依頼だ。

 

 仕事の打診があったとき、彼は二つ返事で了承した。

 まだマジかりは読んでいなかったが、アリナ・グレイが描いた漫画には興味があった。

 彼女のテーマの一貫性から考えても難しい仕事ではないだろう、という打算もあった。

 

 だが、それは甘い見立てだったと、すぐに思い知ることになった。

 マジかりに込められたテーマは、彼が見てきたアリナ・グレイのテーマとは全く違うものに見えたからだ。

 仕事は開始早々、暗礁に乗り上げた。

 机に向かい、無為にマジかりをペラペラめくるだけの日が一週間続いた。

 

 そんなときだ。

 マジかりに目を通す度、自分の中で強くなっていく“何か”に気づいたのは。

 これが足がかりになった。

 この“何か”が解れば、仕事が進むに違いない。

 そんな確信の下、自分の中の“何か”を掘り下げていると、どうやら“何か”は2年ほど前、神浜現代芸術賞を受賞したアリナ・グレイに渡した手紙と深い関係がありそうな気がしてきた。

 だから先ほどから手紙の内容を思い出そうとしている。

 

『おそらく君は見る人が死ぬまで考えてしまうような美しく難解な作品を作ることが出来るだろう』

『しかし外へのテーマを持たない君の作品は、人を狂わせるかもしれない劇薬だ』

『15歳を過ぎて尚自覚がないなら君の輝きはそこで尽きるだろう』

 

「……世界を変える気がなければ作るのをやめろ」

 

 だが、いくら手紙の内容を思い出しても“何か”は思い出せなかった。

 アリナ・グレイの作品を見直しても思い出せなかった。

 マジかりを読んでいると、激しい既視感のような“何か”が強くなっていくのだが“何か”は“何か”以上の物にはなってくれなかった。

 

「……」

 

 それでも“何か”を思い出そうとしていると、賑やかな音楽が聞こえだした。

 テレビからだ。

 

 ああ、そうだ。

 そこで彼は我に返ってテレビに視線を向けた。

 これを見ようと思って、テレビを点けていたのだ。

 “何か”からは一端、離れることになるが、仕事の役に立つはずだった。

 ほどなくして賑やかな音楽が終わり、芸能界で長く活躍しているお笑い芸人の姿が映った。

 

 番組のタイトルは『マンガタリ』

 読んで字のごとく“漫画”を“語る”番組で、今日は『盗作・魔法少女マジカルかりん』が取り上げられる。

 

 

 

 マンガタリの番組構成は単純だ。

 取り上げる漫画に詳しい人物が集められ、それぞれ魅力だと思う点をプレゼンし、他のメンバーと語り合う、というもの。

 

 メンバーは基本的に3人で、今回もそうだった。

 まずは番組唯一のレギュラーで、司会も担当し、大の漫画ファンを公言するお笑い芸人。

 テレビの素人であるゲストを上手く乗せ、フォローも上手いと定評のある人物だ。

 

 次にゲスト参加のマジかり担当編集、佐藤。

 彼はマジかり制作サイドの代表者だ。

 この番組では原作者自ら出演することも珍しくないのだが、編集者が出てくるということはアリナ・グレイが出演を断ったのだろう。

 

 そして最後が、色々な点でマジかりと縁の深い、怪盗少女マジカルきりんの作者。

 漫画のプロとしての視点を期待されている。

 

 なかなか痒いところに手が届く、いいキャスティングだと彼は思った。

 これなら“何か”を思い出す切っ掛けにもなるかもしれない。

 

「それではさっそく司会の私から発表させていただきます!」

「マジかりの魅力は……ここだ!」

 

 番組の口火を切ったのは、いつも通り司会のお笑い芸人だ。

 彼は手にしたボードを勢いよく前に突き出した。

 

「かりんちゃんが可愛いっ!!」

「いや、テレビの前の、まだマジかりを読んでない皆さん!」

「感想浅すぎ! と思ったでしょ?」

「でも皆さん皆さん、騙されたと思って一回読んでみてくださいよ」

「本当に可愛いんです!」

「このアリナさんが描く絵が可愛いっていうのもあるんですけど、何より人間性が可愛い!娘にしたいくらい可愛い!」

 

 司会の熱弁を受けて、先ほどまで読んでいたマジかりに視線を落とす。

 なるほど、たしかに可愛いと思った。

 少し幼げなキャラクターデザインが可愛いし、色々なコマで描かれている一挙手一投足の全てに愛らしさがある。

 司会の言うとおり、人間性も可愛い。

 未熟で愚かしいところが可愛く、成長しようとする健気な姿が可愛い。

 アリナ・グレイが描いていると思うと、違和感を覚えるほど。

 

 こういう前面に押し出された少女的な可愛さはアリナ・グレイの作品にはなかった。

 そもそも彼女が探求する「生と死」というテーマに、こういう可愛さは似つかわしくない。

 本人が一番わかっているはずだ。

 それでも、なお出してきた。

 ならば何らかの意図があるはずだ。

 では、その意図とは何なのか。

 

「……」

 

 いくら考えても答えは出そうになかった。

 少女的な可愛さと、これまでアリナ・グレイが表現してきた物。

 この二つの間に、全く関係を見いだせない。

 今もいくつか頭の中にある推理より、先日脳裏をよぎった荒唐無稽な空想が真実に近そうとすら思える。

 

 つまりアリナ・グレイは死亡していて、今マジかりを描いているのは偽物だ、というような。

 ただ、やはり「かりん」を見ていると“何か”は確実に強くなってくる。

 もう少しヒントがないものか。

 彼はテレビに視線を戻す。

 

「はい、次は私の番ですね」

「担当編集が選ぶ、マジかりの魅力は……ここだ!」

「背景!」

 

 なるほどと、また思う。

 特に、かりんが倒さねばならない敵「魔女」が住む「魔女空間」の描写は圧倒的だ。

 そして、この点こそ偽物説への反証になっている。

 

 魔女空間に漂う不気味さ。

 あれは「死」だ。

 今までアリナ・グレイが探求してきた物であり、アリナ・グレイが数多の鑑賞者を陶酔させ、また嫌悪させてきた物だ。

 

 断言できる。

 あの空間はアリナ・グレイにしか描けない。

 

 そこで、ふと思う。

 これもやはり「生」と「死」の作品なのではないか。

 可愛らしくエネルギーに満ちた「生」のかりんと、恐ろしい「死」の魔女との戦い。

 この両者の戦いを描くことで「生と死」を表現しようとしているのではないか。

 

 だが、この考えでは疑問が残る。

 マジかりにおいて、魔女は別に重要なファクターではなさそうなのだ。

 たしかに設定上、魔法少女であるかりんはグリーフシードを手に入れるために魔女と戦う必要がある。

 のだが、魔女との戦いは、ほとんど描かれないのだ。

 最初の数話で戦いを描いた後、魔女戦は大抵カットされ、結果だけが描写されるようになる。

 明らかにアリナ・グレイは魔女との戦いに重点を置いていない。

 

「魔法少女 対 魔女」=「生 対 死」

 

 こんな単純な話ではなさそうだ。

 

 まだヒントが要る。

 テレビに視線を移すと、ちょうどマジきりの作者の番が来ていた。

 

「怪盗少女マジカルきりんの作者が思う、マジかりの魅力は……これだ!」

「ストーリー展開!」

 

 ほう、と彼は耳を澄ました。

 今まで他者が語るマジかりのストーリー論は聞いたことがなかった。

 

「マジかりのストーリー展開は王道に見えて、すごく特殊なんです」

「ある問題が起きて、主人公のかりんが問題に関わって解決するという流れは王道そのものですよ?」

「でもマジかりの場合、かりんちゃんは彼女の周囲で起きてる最大の問題には気づいてないんです」

「例えば第一部」

「ここを注意深く読み返すと、他の魔法少女たちは本当に凄い問題に巻き込まれてるんですよ」

 

 最大の問題?

 他の魔法少女が巻き込まれている凄い問題?

 言われた通り、注意して読み返す。

 あっ、と思う。

 

「気づきましたか?」

「『魔法少女の救済』に『マギウスの翼』」

「この辺の、第一部のラストになって、ようやくかりんが関わるキーワードが、1巻の段階で他の魔法少女たちの話題に上ってるんです」

「構想の初めから、マギウスっていう存在があった証拠です」

 

 そうだった。

 言われてみれば、確かにおかしい。

 

 物語が最も面白くなるのは、やはり悪と戦う場面だ。

 主人公は悪と戦わなければならないのだ。

 せっかくマギウスという悪の組織まで用意したのなら、なおさら戦うべきだ。

 

 なのに、かりんはマギウスの存在など露知らず、日常生活を送っている。

 美術部で先輩きりんに絵を教わったり、東の魔法少女のリーダーにしてメイドカフェのバイトである泉十七夜にメイド道を指南したりしている。

 

 その間にマギウスと戦っていたのはサブキャラクターでしかない玉木いろはであり、七美やちよなのだ。

 そういう視点では、かりんなどは脇役のポジションと言っても良い。

 第一部のラスト、つまり他の魔法少女たちがマギウスと激闘を繰り広げる段階に至っても、かりんはマギウスのマの字も知らない。

 決戦の終局に至って、巻き込まれる形で戦いに参加するが、彼女がマギウス問題の全容を知るのは戦いが終わってから、玉木いろはに教えられる形で、だ。

 

 物語の主人公には、よほど玉木いろはの方が相応しいと言える。

 そうした方が面白い作品にもなったはずだ。

 そのことにアリナ・グレイが気づかなかったのだろうか。

 

 そんなはずはない。

 アリナ・グレイにとって、かりんが主人公であることは物語を面白くするよりも大切だったのだ。

 漫画にとって面白さよりも大切な物。

 つまりテーマだ。

 

 頭の中で散乱していたピースが嵌まりはじめる。

 この作品のテーマは、かりんというキャラクターその物なのだろう。

 例えるなら肖像画に近い。

 肖像画が描かれるとき、その目的は常に一つ。

 特定個人を表現することだ。

 マジかりの場合、かりんである。

 

 だからこそマギウスとの戦いよりも、かりんの日常を描写する。

 物語を面白くするためには玉木いろはを主人公にするべきでも、かりんを描くことが目的だからかりんを主人公にする。

 

 アリナグレイのこれまでのテーマ「生と死」との関係もそうだ。

 この作品において「生と死」は、かりんを表現するために使われている。

 明るくて可愛い魔法少女かりん=生、他者を呪う不気味な魔女=死。

 この二つの対比という方法で、かりんを魅力的に見せるために。

 

 こうなれば、かりんが可愛いく描かれているのは当たり前だ。

 アリナ・グレイにとって、かりんは可愛いのだろう。

 これまで自分が探求してきた「生と死」というテーマを、彼女の踏み台にしても惜しくないほどに。

可愛いから可愛いく描く。

 それだけのことなのだ。

 

 

 

 彼が気が付くと、マンガタリは終わっていた。

 だけでなく、彼の仕事もあと少しという所まで来ていた。

 

 永遠の時間を費やしても終わらないように見えた仕事が、もう片付こうとしている。

 残りの仕事は、あと原稿用紙一枚分を書き上げるのと、推敲して、仕事を依頼してきた雑誌に送付するだけ。

 手応えからいって、推敲は誤字脱字の訂正くらいだろうから、もう一時間あれば終わる仕事だ。

 

 それを認識すると、気が緩んだ。

 ちょっと一息入れようという気分になって、仕事机を離れ、何か飲もうと冷蔵庫に手をかけた。

 瞬間

 

「ん?」

 

 あのマジかりを読んでいる時と同じ“何か”を強烈に感じた。

 “何か”の元を探すと、妻が買ったらしいイチゴ牛乳が置いてあった。

 それを見た瞬間、いつか見たアリナ・グレイのインタビュー記事が思い出された。

 

『これが何かって?』

『見ての通り、イチゴミルクなんですケド』

『好きなのって?』

『好きじゃ悪いワケ?』

『別にスクールの後輩が飲んでたから、アリナも飲んでみただけだヨネ』

 

 電撃に打たれたような衝撃、とはこういうことを言うのだろう。

 

 そうだ。

 このインタビューに出てきた“後輩”を自分は知っていたはずではないか。

 

 あの手紙。

 神浜現代芸術賞を受賞した、アリナ・グレイに宛てた手紙を預けたのは、その“後輩”だったではないか。

 その後輩の名前は、うろ覚えではあるが、まさしく御園かりんではなかったか。

 だとすれば「盗作・魔法少女マジカルかりん」の主人公と同じ名前ではないか。

 

 たら……と一筋、首筋を冷たい物が伝っていった。

 

 この想像が本当だとすると、どうだ。

「盗作・魔法少女マジカルかりん」は、ここまで書いた自分の考察など、及びもしない大変な作品なのではないか。

 さらには、この仕事を断らなければいけないような問題も出てくる。

 いや、仕事がどうだとか言っている場合ではない。

 一人の人間として向かい合わなければならない問題が出てくる。

 

 彼は以前、連絡先を交換した、栄総合学園漫画研究部の顧問に連絡した。

 

 呼び出し音が8回、繰り返された。

 その後、やっと顧問は出て、何かを警戒するような慎重な口調で言った。

 

「……今日はどういったご用件でしょう?」

 

 彼は単刀直入に聞いた。

 

「漫画研究部に、まだ御園かりんさんは在籍していますか?」

 

 顧問は黙り込んだ。

 たっぷり三呼吸分、何も言わない時間を挟んで、やっと言った。

 

「席だけは、まだありますよ」

 

 すかさず聞く。

 

「席だけ、とは?」

 

 今度の沈黙は、さっきより短かった。

 

「……行方不明になったんです。去年の春」

 

 



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第四話 原作・魔法少女マジカルかりん

 この時期の神浜の魔法少女たちは、たしかに気が緩んでいた。

 

 原因は主に二つ。

プロミストブラッドなど、他の魔法少女グループとの抗争が終わったのが一つ。

 自動浄化システムを世界に広げるという目的こそ達成できなかったが、範囲を広げたり、自由に動かせるようになるなど、一応の成果を得て浮かれていたのが一つ。

 

 いつ終わるとも知れなかった抗争、死の恐怖からの解放。

 魔法少女を魔女化の運命から解放するという、賞賛されてしかるべき、偉大な仕事の達成。

 

 その二つが同時に来た。

 気を緩めるな、という方が無理だったのかも知れない。

 

 だが、この世には「無理だった」では済まされないことが、往々にしてある。

 その最たる事柄が死だ。

 

 今回の例で言うなら、御園かりんの死である。

 

 

 

 その日、御園かりんはいつもと同じように単独でパトロールをしていた。

 自動浄化システムで魔女は著しく減ったとはいえ、使い魔から成長した魔女もいる。

 

 魔法少女として。

 神浜市で生活する者として。

 そういう魔女を野放しにしてはいけないと、パトロールを面倒くさがる先輩に常日頃から言い聞かせていた彼女だ。

 熱心なパトロールの末、魔女の反応を探し当てた。

 

 その瞬間、彼女の脳裏に過ったはずである。

 

(すぐに倒さないと……あっ、でも今日は自動浄化システムが二木市に移動してるはずなの。グリーフシードも少ないし、手伝ってもらった方が)

 

 だが、彼女は一人で戦う決心をした。

 

(ううん、ダメなの。手伝いを頼んでる間に誰かが結界に迷い込んじゃうかもしれないの。逃げられちゃうかも知れないし……やはりここは、この魔法少女マジカルかりんが退治する!)

 

 魔女との戦いの危険など、わかっていたはずだ。

 どんな弱い魔女であっても、その能力は様々。

 ちょっとした油断が命取りになる。

 そんな事例は気持ち悪くなるほど聞いていたはずだ。

 なのに、このときの彼女は、そんなことを少しも考えなかった。

 この魔女を退治したら今日のパトロールはお終わりにするの、などと考えていた。

 

 気の緩み、というしかない。

 

 かりんはグリーフシードも使わないまま結界に足を踏み入れた。

 

 

 

 魔女化に関して、神浜市は他の街とは明らかに違う点がある。

 ドッペルが発現すること、ではない。

 すでに自動浄化システムの移動によって、ドッペルは神浜の特有現象ではなくなっている。

 

 では、何が違うのか。

 それは神浜の魔法少女たちは、仲間が魔女化したときの姿を知っている、という点だ。

 

 すでにドッペル――謂わば仲間の半魔女化――を見慣れている彼女たちは魔女を見れば、それが誰の成れの果てなのか、理解できてしまうのだ。

 一度チームを組んだ者たちなら、なおさら。

 

 

 

 かりんが結界に足を踏み入れた数時間後、別のチームが魔女の結界を発見した。

 十咎ももこ、水波レナ、秋野かえでの三人組だ。

 彼女たちはレベルが高い神浜の魔法少女たちの中でも、特にコンビネーションに定評がある。

 使い魔たちの妨害も物ともせず、ごく短時間で結界の最深部に到達した。

 

 そこで、見た。

 

「おい、この魔女って……」

「嘘でしょ……」

「…………かりん、ちゃん?」

 

 その後、動揺した三人はリーダーである十咎ももこの判断で撤退を決断。

 結界を脱出した後、かりんと連絡が取れないことも確認。

 さらに翌日には学校にも来ておらず、家にも帰っていないとわかった。

 

 御園かりんの魔女化。

 その情報はマギアユニオンを通して、神浜市に住む全ての魔法少女に通知された。

 

 



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第五話 美術部顧問

「先生!」

 

 世界史の授業が終わった後のことだ。

 美術部兼漫画研究部の顧問である彼は、教室を出たところで呼び止められた。

 

 振り返ると、そこにいたのは先ほどまで授業を受けていた生徒だった。

 真面目な性格で学業優秀な生徒だ。

 そして運悪く、アリナ・グレイと同じクラスになってしまった生徒だった。

 

「どうした?」

 

 実のところ、要件はわかっていた。

 それでも自分から触れる気にはなれず、そう聞き返した。

 

「アリナさんのことです」

「ああ、グレイか……」

 

 言われて気づいた、という口調でとぼける。

 だが、そんな彼の胸中は生徒もわかっているようだった。

 口調を強くして詰問した。

 

「とぼけないでください! アリナさんのことです! 天才芸術家だか漫画家だか知りませんけど、学校は勉強をする場所です! なのに授業中に漫画なんて描いていて良いんですか!? 先生も先生です! どうしてアリナさんのことを注意しないんですか!」

 

 生徒の言う通りだと、彼も思った。

 学校は勉強をする場所だ。

 とくに授業中は勉強をするための時間だ。

 漫画を描いている時間ではない。

 漫画を描きたいなら、休み時間か放課後にでも描くべきだ。

 まったくの正論だ。

 返す言葉がない。

 

 だから彼は適当な理屈を作って、彼女の前に突き出した。

 

「学校は大人になってから生活していくための力を付ける場所だ。その点、グレイは芸術の道でそれだけの力を持ってる。なら、あとは自主性に任せるべき、というのが俺の考えだ」

 

 苦しい理屈だ。

 彼自身、これを立場が上の人間、例えば校長とか、教育委員会で言ってみせるような度胸は持ち合わせていない。

 今のように、たった一人の生徒から批判的な目を向けられただけで怯まなくてはならない暴論だ。

 

「……わかりました」

 

 生徒は明らかに不満そうな顔で教室に戻っていった。

 これは信頼を失ったな、と思った。

 あの生徒が今後、自分に心を開くことはないだろう。

 彼は百パーセントの確信をもって思った。

 

「……」

 

 だが、それでも彼はアリナに

 

「漫画を描くのをやめろ」

 

 と言う気にはなれないのだった。

 彼は教室に入っていく生徒の後ろ姿を見送りつつ、かりんが失踪した日のことを思い出していた。

 

 

 

 

(今日はグレイも来てないのか?)

 

 かりん失踪の翌日のこと。

 漫画研究部の部室に入った彼は、まずそう思った。

 その後、相反する二つの感情が彼の胸中に浮いてきた。

 

 一つは焦燥だ。

 学校内でかりんと最も親しいのはアリナだ。

 美術部兼漫画研究部の顧問として、失踪した生徒と最も親しかったアリナには話を聞かなくてはならない。

 もしかしたら家に泊まるかしていて、滞在先を知っている可能性もある。

 その生徒から話を聞けない焦燥。

 

 もう一つは安堵だ。

 長く教員をやってきた彼の目をもってしても、アリナはわかり難かった。

 唐突に怒りを爆発させたかと思えば、急に虚無僧のような表情になったり、幼い子供のように高い声で笑ったりする。

 アリナ・グレイは何をするかわからない。

 そんな評判に彼は一万回でも頷いて見せるだろう。

 

 だが一点だけ、アリナの感情を読み取れる部分があった。

 かりんを気に入っている、という点だ。

 

 アリナは周りに集中を妨げる存在があるのを好まない。

 集中しているときに携帯が鳴りでもすれば、音が出なくなるまで木っ端みじんに破壊してみせる。

 誰かが話しかけようものなら、命の危険を感じるような眼で睨み付けてくる。

 

 そんなアリナが、かりんには甘いのだ。

 たしかに、かりんに対しても刺々しくはあるが、他の者に向けるほど激しくはない。

 自分が絵を描いていても、かりんが絵を教えてくれと言えば、面倒くさそうな顔をしつつも、ちゃんと教えている。

 これが他の生徒だったら

 

「何でアリナが教えないといけないワケ?」

 

 とでも言って追い払っているだろう。

 要するに、気に入っているのだ。

 そんなお気に入りのかりんが失踪したと伝えたら、あの激情家が何をするか。

 とりあえずその危険が去った、という安堵。

 

 アリナに連絡を取ろうとは思わなかった。

 携帯に電話しても無視されるのは目に見えていたし、何より気が進まない。

 

「ふぅ……」

 

 安堵と焦燥、そして疲れの混じり合ったため息を一つ漏らして、部室の適当な椅子に腰を下ろす。

 

 ここでアリナを待とう。

 用事で遅れているだけかも知れないし、来なかったときは来なかったときだ。

 別段、他に急ぐ用事もない。

 

「さて……」

 

 待っている間、明日の授業の準備でもしていようか。

 そう考えた時だった。

 フッと窓から風が入ってきた。

 

 ん?

 と、彼は思った。

 風が入ってきたとき、視界の隅でエメラルドグリーンの見覚えのある物が動いた気がした。

 

 そちらに視線をやった。

 瞬間、彼の体はビクッと跳ねた。

 視線を向けた先に、彼の探していた人物がいたからだ。

 

 栄総合学園の生徒にして、天才の名を欲しいままにする芸術家。

 奇矯な行動と言動で恐れられる、学校一の問題児。

 そして常に圧倒的な存在感を放つ、学校一の有名人。

 

そんなアリナが、いた。

 いや、彼の実感を言葉にするには、少し言い方を変えなくてはならない。

 そんな“はず”の人物が、教室の隅に腰を下ろしていた。

 

「グレイ、か?」

 

 思わず、そう問いかけた。

 問いかける必要があるほど、アリナの姿が普段と違った。

 この教室では常に作業に没頭していた手は、何も成すことなく垂れ下がっていた。

 固く引き結ばれている口元は、白痴のようにだらしなく開いていた。

 鬼気迫る表情でキャンパスと対峙していた瞳は、無気力に虚空を眺めていた。

 

 死体。

 

 そんな言葉が脳裏を過った。

 それほど、この時のアリナからは命というものを感じ取れなかった。

 

「おい、グレイ!」

 

 さっきより強めに呼びかけた。

 すると、エメラルドグリーンの瞳がゆっくりと動いて、目が合った。

 どうやら生きていたらしい。

 安堵を覚えた彼に、アリナが短く問いを投げた。

 

「何の用なワケ?」

 

 何の抑揚もない声だった。

 美術部員アリナ・グレイの顧問になって数年、彼女が唐突に叫び声を上げるのにも慣れた彼ですら恐ろしくなる、本当に何もない声。

 

 彼は思わずたじろいだ。

 それでも言葉を振り絞った彼の教師としての責任感は称賛に値するだろう。

 

「あ、いや、実は昨日から御園が家に帰っていないらしくてな。何か知らないかと思ったんだが……」

 

 だが、そう聞いても、やはりアリナの表情には何も浮かんでこない。

 相変わらず抑揚のない答えが返ってくるだけだった。

 

「さあ? アリナは知らないカラ」

 

 感情が死んでしまったような声。

 目を離したら窓から飛び降りそうな眼。

 それ以上、食い下がる気にはなれなかった。

 

「用がないなら早くどこか行ってヨネ。アナタなんかと話してるほど、アリナは暇じゃないカラ」

 

 その日から、アリナが作品を作らなくなった。

 ただ部室に来て、椅子に座って虚空を見つめ、下校時間になると帰る。

 そんな日が続いた。

 冬が終わり、春が過ぎても続いた。

 

 

 

 

(あの時期は一体どうなるかと思ったが……)

 

 真面目な生徒を見送ったあと、彼はアリナたちの部室に来ていた。

 部室の整理をするためだ。

 アリナに片付けを任せていると、三日もすれば人前に晒せる状況ではなくなる。

 整理しろと言い聞かせても、教師の言葉に従う性格ではない。

 だから以前は、かりんが率先してやっていたのだが、今はもういない。

 とすると、顧問である自分がやるしかない。

 

 まずは床の掃除だ。

 以前、かりんが先に机の上の整理から始めようとして、床に散乱していた画鋲を踏みつけて悲鳴を上げていた。

 その二の舞を避けるためである。

 

 それが終わると壁の掃除だ。

 アリナは絵の具やらインクやらが飛び散るのを全く気にしない。

 そのため、部活が終わると必ずどこかが汚れている。

 日によっては何をどうしたらそうなるのか、天井にまで付着している。

 一昨日などは漫画家の使うペン、いわゆるGペンが天井に突き刺さっていた。

 

 最後に机の上の整理だ。

 ここが一番気を使う。

 アリナにとって必要な物と、不必要な物を見極める必要があるからだ。

 もし必要な物を捨てでもしたら睨まれるくらいでは済まない。

 かといって、机の上の9割を占める不要な物を放置しておけば、彼が教頭から指導される。

 

 しかし、以前と比べたら楽だった。

 前と比べて必要不必要の判別が簡単だからだ。

 漫画を書く前はありとあらゆる物があり、必要不必要の判断に苦しむ物ばかりだった。

 だが、漫画に集中している現在、必要なのは作画資料と定規とペンくらいだ。

 

(それに作画資料以外は、ペンも定規も御園が使っていた物だしな……)

 

 かりんは物を大切にする方だった。

 使っていた道具も入部時から変わっていない。

 だからアリナがそれを使っているのにも、すぐに気づくことが出来た。

 

(どうしてわざわざかりんの道具を使っているのかは知らないが……まあ、何か意味があるんだろうな)

 

 机の上の整理も終わった。

 そろそろ次の授業の時間になる。

 

 彼は部室を出て、再び鍵をかけようとした。

 そのとき、机の上のマジかりの原稿が目に入った。

 

「……」

 

 マジかりのストーリーは第三部に入っている。

 第一部、かりんの周囲との交流と成長を描く「第一部・かりん編」

 第二部、他の街の魔法少女との抗争を描いた「第二部・成長編」

 これらの後に描かれているのが、成長編の終盤で敵対関係になってしまった先輩  魔法少女きりんとの対決が描かれる「第三部・きりん編」だ。

 

 連載当初に載った、アリナへのインタビュー記事にある

 

「だいたい10巻くらいの作品になるから」

 

 という言葉を信じるなら、この第三部こそ最終章ということになる。

 ファンの間、というより日本全国、この作品がどんな最後を迎えるのかで大いに盛り上がっている。

 売り上げは記録を更新した時よりもさらに伸び、止まるところを知らない。

 

 ただ、彼はアリナの精神状態が、そんな世間の熱狂とは正反対の方向に行っていることに気づいていた。

 

「……」

 

 きりん編に入った頃からアリナの様子が目に見えておかしくなっているのだ。

 以前のような、エキセントリックで激しい、一種の明るさをもった方向にではない。

 ただひたすら暗く、虚無的な方向に。

 

「……御園のためにも、どうにか完結させてくれるといいが」

 

 彼はマジかりの原稿から視線を外すと、今度こそ部室を後にした。

 



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第六話 魔法少女たち

 

 神浜マギアユニオンは魔法少女たちの互助組織だ。

 その活動内容は多岐に渡る。

 

 浄化システムの管理。

 定例会議の開催。

 強力な魔女が現れたときの対応。

 グリーフシードの相互融通の仲介。

 その他、雑多な仕事も含めれば、とても数えられる物ではない。

 

 といっても、その活動理念自体は極めて単純だ。

 つまり

 

「仲間の命を守ること」

 

 これに尽きる。

 

 そんなマギアユニオンの議題を、近ごろ独占している人物がいた。

 アリナ・グレイである。

 

 

 

 アリナが最初に本格的な議題に上ったのは、かりんの魔女化から一週間が経ったころだ。

 栄総合学園に通う恵萌花から

 

「最近、アリナさんの様子がおかしいんです」

 

 と、相談されたときだ。

 当時、かりんのことも落ち着きはじめたと感じていたユニオン首脳部は驚いた。

 アリナのことは、まったくのノーマークだったからだ。

 たしかに、かりんと一番親しかったのはアリナだった。

 普通であれば、かりんが魔女化したときに、真っ先にフォローすべき場所にいる人物ではあった。

 それでも、この情報はユニオンにとって衝撃だった。

 

 まさかアリナが……という空気がユニオン全体にあったからだ。

 あの他人に無関心なアリナが。

 自分の作品以外に興味がないアリナが。

 まさか深刻なダメージは受けないだろう。

 そう考えていたからだ。

 

 ともかく、問題が発生したなら対応が要る。

 ユニオンの存在意義を考えても、かりんに続いてアリナまで魔女化するような事態は許せなかった。

 ユニオンの首脳は、とりあえずの対応として、梓みふゆにアリナとコミュニケーションを取ってもらうことにした。

 みふゆの柔和な性質は、マギウス時代から比較的に相性がよかった。

 問題の解決とは行かずとも、解決の糸口は掴めるだろうとユニオン首脳部も、本人も考えていた。

 

 しかし、結果は違った。

 

「ダメです。何を言っても上の空で……」

 

 打つ手なし。

 それがみふゆからの報告だ。

 ソウルジェムの濁りも早く、一人にしていたら簡単に魔女化してしまうだろうとの情報も追加された。

 

 他の魔法少女が行っても結果は変わらなかった。

 何を言っても反応が薄い。

 体を揺すったりしても、それを振り払いもしない。

 ただ、ソウルジェムの濁りは早くなっていく。

 

 仕方なくユニオンは定期的に誰かをアリナのお見舞いに行かせることにした。

 栄総合学園でもアリナの現状を憂えていたのだろう。

 アリナの友人を名乗る他校の生徒たちを怪しむこともなく、学校への立ち入りを許してくれた。

 それからは二日に一回のペースでユニオンのメンバーが栄総合の門をくぐって、見舞いに行くようになった。

 

 

 

 状況が変わったのは、さらに一ヶ月が経ったころだ。

 この日、アリナの様子を見に行ったのは秋野かえでだった。

 

 彼女は、ある決意をしていた。

 アリナに「立ち直ってください」と面と向かって言う決意だ。

 

 かえではかりんの友人である。

 それもかりんの交友関係の中では上位の親しい友人だった。

 かりんなら、アリナの現状を見たら悲しむだろうと確信していた。

 アリナに対して苦手意識、というより恐怖を感じている彼女だったが、それでも言わなければいけないと決意していた。

 彼女は鼻息も荒く、栄総合学園の門をくぐった。

 

 しかし、彼女の決意は無駄になった。

 アリナの方から話しかけてきたからだ。

 

「アナタ、よくフールガールと話してたヨネ?」

「ふぇっ!? え、えと……!」

「どんな話してたワケ?」

 

 かえでにはアリナの内心にどんな変化があったのかなどわからなかった。

 だが、これはチャンスだと、彼女は直感した。

 記憶の糸を辿りながら、かりんとの思い出を話していった。

 もともと話が上手い方ではない。

 分かり難かったり、重複したりする部分もあった。

 人によれば、途中で飽きてしまうような話でもあった。

 

 そんな話をアリナは静かに聞いていた。

 

「ご、ごめんなさい、話しすぎました……!」

 

 かえでが話を止めたのは、下校のチャイムが鳴ったからだ。

 話を始めてから、まるまる一時間以上が経過していた。

 

 かえでは失敗したと思った。

 アリナが短気なことは、よく聞いていた。

 きっと不快だったろうと思った。

 

 しかし、アリナの反応は思いのほか良好だった。

 

「別にいいカラ。そんなことより、まだ時間はある?」

「え……あ、はい、まだ一時間くらいなら……」

「じゃあ、それまで話の続き、聞かせてくれる?」

 

 それから二人は、かえでとかりんの思い出の場所を回りながら話をした。

 はじめて会い、グリーフシードを押しつけられた場所。

 落ち込んでいたときにチームに誘った場所。

 一緒に戦った魔女の結界があった場所。

 

 家族と暮らしているかえでには門限がある。

 なので思い出を全部回るわけにはいかなかったが、思い出深い場所は一通り回った。

 

 このときも、かえでは上手く話せたか不安だった。

 でもやはりアリナの反応は良好だった。

 

「今日は付き合ってくれてセンキュー」

 

 などという、らしくない言葉さえ飛び出した。

 あまつさえ

 

「アナタ、家はどこ?」

「えっ、し、新西区ですけど……」

「じゃあ、送るから案内してヨネ」

「ふぇ!? だ、大丈夫ですよ! 私も魔法少女ですし、このくらい一人で帰れ……」

「そう言って目を離したら魔女になってたフールガールを一人知ってるんだヨネ。いいから、hurry up」

 

 なんて会話が二人の間で行われたりもした。

 以前のアリナでは考えられない。

 魔女に操られているんじゃないかと、心配になったほどだ。

 帰路で、かえでは何度もアリナの首元など、魔女の口づけをつけられやすい場所を盗み見た。

 もちろん見つからない。

 ならば、かりんのことで、何か心境の変化があったのだろうと、かえでは結論した。

 

「ねえ、アナタ以外にフールガールとよく話してた奴って誰か知ってる?」

 

 秋野家に着くと、アリナはそう言った。

 かえでは少しの間だけ考えた。

 考えて「ああ、かりんちゃんと向き合おうとしてるんだな」と何となく理解した。

 悪くない傾向なのだろう、と思った。

 正直に答えた。

 

「栄の人以外だと十七夜さんかなぁ。あっ、一緒に劇もやったし、色々教わったっていってたから、やちよさんとも話してたのかも。あと……」

 

 話しを聞き終わると、アリナは言った。

 

「ふうん、センキュー」

 

 

 

 その日からアリナは他の魔法少女のもとに現れては、かりんとの思い出を聞いていくようになった。

 はじめ、そうして訪ねられる魔法少女たちは戸惑っていた。

 あまりの変化について行けなかったのだ。

 しかし、そういうときのアリナが以前のようにエキセントリックに振る舞うこともないことから次第に慣れてきた。

 

 アリナ自身の様子も変わってきた。

 顔色はよくなり、以前のように何をしても上の空ということもなくなった。

 グリーフシードの穢れも、普通の魔法少女と同じくらいになっていった。

 それを確認したユニオンも、胸をなで下ろして安堵していた。

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』を描き始めたのは、そんなときだった。

 



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第七話 みかづき荘

 

「最初にアリナが来たのが、去年の春だったわよね」

 

 ところは、みかづき荘。

 七海やちよは人数分のホットココアを入れながら言った。

 

「あのときは雰囲気もよくなってて、もう大丈夫かなって思ったんだけどね……」

 

 続いたのは由比鶴乃。

 手際よくダイニングテーブルを片づけている。

 

「何を話したんでしたっけ? かりんさんのことと、キモチの件や、プロミストブラッドとネオマギウスとの抗争の話も聞かれましたよね?」

 

 やちよを手伝いながら、二葉さなも話に参加する。

 

「あとはユニオン設立の話とか、かな?」

 

 環ういが補足する。

 

「一週間も続けて押しかけてきてな! すっげぇー面倒だった!」

 

 と、深月フェリシア。

 

「……」

 

 環いろはだけは、思い詰めた表情でテーブルの上を凝視していた。

 彼女は今、考え事をしている。

 

 

 

 アリナがマジカルかりんを描き始めたのは、みかづき荘で全員から話を聞き終わった直後らしかった。

 

 はじめは良い傾向だと思っていた。

 

「すごい、かりんちゃんそっくり」

「御園さんよりも、御園さんらしいわね」

 

 などと、みかづき荘のみんなでマジかりを回し読みして、微笑ましい気分にさえなっていたのだ。

 さなだけは

 

「この作品……なんだか怖いです。うまく言えないんですけど、他のアリナの作品よりも」

 

 と言っていたが、いろはには同じ物を読み取ることはできなかった。

 後にして思えば、さなは同じ創作者にしか感じ取れない何かを感じていたのだと言えるが、その時はわからなかった。

 マジかりに関して、いろはが一般の読者とは違うものを感じたとすれば、それは一つ。

 学校で「『マジかり』の玉木いろはに似てる」と言われて困った、というだけだ。

 それもいろはと同じように『七美やちよ』としてマジかりに登場しているやちよに比べたら、マシだった。

 

 やちよは人気モデルだ。

 半分は芸能人のようなものである。

 そんな人物にそっくりなキャラクターが大人気漫画に登場している。

 しかも作者と同じ神浜市に住んでいる。

 これで話題にならないわけがない。

 

 やちよはマスコミに追いかけ回されることになった。

 あまりにしつこい追求に

 

「まあ、それくらいなら……」

 

 と、アリナと面識があることを漏らしてしまった。

 キャラクターのモデルになることを了承したとも言ってしまった。

 そのせいで、一時期は

 

「マジかりのことは七海やちよに聞け」

 

 とばかりに記者やライターからひっきりなしに電話がかかってきていたのだ。

 最終的には『マジかり』の大人気キャラクター『泉十七夜』こと、和泉十七夜が働くメイド喫茶の情報を流して記者の注意を逸らすことに成功した。

 それでも二日に一回は電話がかかってくる。

 

 そんなやちよに比べたら自分への追求は可愛いものだ。

 十七夜は「おかげで時給が上がった」と喜んでいたし、アリナも順調に作品を描けている。

 だから、大丈夫。

 

 いろはは、そう考えていた。

 

 

 

 最初に何かがおかしいと思ったのは、第二部成長編がはじまったころだった。

 学校が休みの日に、偶然アリナと鉢合わせたのだ。

 

「あ、アリナさん!」

「環いろは、何の用?」

「いえ、お顔を見かけたので……」

「ふーん、じゃあ、アリナは用事があるカラ。バイバイ」

 

 そのときは、それだけ言葉を交わして別れた。

 だけど、たしかに思ったのだ。

 

「アリナさん、何だか顔色が悪かったような……」

 

 それからしばらく、いろは自身がアリナと会う機会はなかったが、他の人が「見かけた」という話はよく聞くようになった。

 そのどれもが

 

「何だか様子がおかしかった」

 

と証言していた。

 

「なんだっけ、かりんが好きだった漫画……マジきりだっけ? アレ買って、なんかブツブツ言ってたぞ」

 

 そう言ってきたのはフェリシアだ。

 また様子を見に行った方がいいのかな。

 やっと、いろははそう考えるようになってきた。

 

 とはいえ、考えただけだ。

 アリナの奇行は今に始まったことではない。

 漫画の週刊連載は過酷だし、それで疲れているのかも、というユニオン内の意見もあった。

 おかしい気がするというだけで、決定的な事件があったわけでもなかった。

 いろは個人の感情としても、アリナがマジかりを描くのを邪魔したくなかった。

 対応は先延ばしになっていった。

 

 

 

 しかし、マジかりが第三部に入ると、そうも言っていられなくなってきた。

 再び栄総合学園の生徒が

 

「またアリナさんの様子がおかしい」

 

 と助けを求めてきたのだ。

 今度は恵萌花だけではなかった。

 由良蛍、真井あかりなど、学園に通うユニオンメンバーが全員同じ連絡をしてきた。

 さらにはプロミストブラッドの智珠らんかまでもだ。わざわざリーダーの紅晴結奈に、いろはの携帯番号を聞いてまで電話してきた。

 

「さすがにアレはヤバいんじゃないの?」

 

 いろはは急いで栄総合学園に向かった。

 

「アリナ……さん!?」

 

 そして美術部部室に着いたいろはを出迎えたのは、ゾンビだった。

 顔色は青白く、目元には青黒い隈。

 目は虚ろで焦点があっていない。

 そんなゾンビが、机に向かって漫画を描いていた。

 

「アリナさん!」

 

 思わず、いろはは駆け寄ろうとした。

 だが、その足は部室に足を踏み入れた瞬間、ピタリと止まった。

 

 狂気すら窺える瞳が、いっぱいに見開かれて睨み付けてきたからだ。

 さすがのいろはも何かがゾワっと背筋を走り抜けるのを感じた。

 死というものが、部室中に充満しているような錯覚を覚えた。

 

「……っ」

 

 ゴクッと唾を飲み込んで、アリナのソウルジェムを盗み見た。

 それは思いの他に濁っておらず、むしろグリーフシードを使った後のように輝いていた。

 

 なら、とりあえずは大丈夫そう。

 一瞬、そう考えそうになった。

 しかし、それはすぐに早とちりだとわかった。

 見ているそばからアリナのソウルジェムは黒ずんでいくのだ。

 

 ではどうして、さっきはあんなに綺麗だったのか。

 当然浮かんだ疑問に対する答えも近くにあった。

 ソウルジェムの手前に、かごのようなものが置いてあった。

 その中にグリーフシードが何十個と入っていた。

 ソウルジェムが濁る度、それを使って浄化しているのだと、すぐにわかった。

 

 聞かなければならない。

 いろはは思った。

 その瞬間、アリナが言った。

 

「言っておくけど、別に疚しい方法で手に入れたわけじゃないカラ」

 

 聞きたいことを先に答えられ、少し呆気にとられたいろはが言う。

 

「……じゃあ、どうやってこんなに?」

 

 アリナの顔が煩わしそうにゆがんだ。

 怒鳴られると、いろはは思った。

 けれど、ここで怯むわけにはいかない。

 気を強く持って、アリナを見返した。

 

 アリナはため息をついて言った。

 

「ファンのマジカルガール。『グリーフシードは私たちが集めるから、アリナさんは漫画を描くのに集中してください』って送ってくるんだヨネ。それを使わせてもらってるだけ。understand?」

 

 グリーフシードのかごを見ると、何かメッセージが書かれている。

 目を凝らして読んでみると、こうだ。

 

『アリナさん、アナタの漫画にはいつも勇気をもらっています。お体に気をつけながら執筆頑張ってください』

 

 かごの底にもファンレターと思われる手紙が無造作に敷かれていた。

 嘘ではないようだった。

 

「わかったら、気が散るから早くどこかに……」

 

 その瞬間、下校時間を示すチャイムが鳴った。

 アリナは一瞬だけ考えるようなそぶりを見せた後、道具を自分のスクールバッグに放り込んで、教室を出て行こうとした。

 

 慌てて、いろはは問いかける。

 

「アリナさん! あの、体調とか、大丈夫なんですか?」

 

 アリナの答えは、いつも以上に素っ気なかった。

 

「no problem」

「でも……」

「構うなって言ってるんですケド」

 

 そう言いつつ、足下は覚束ない。

 そんなアリナを支えようとしたが、アリナはそれを睨み付けることで拒否して、背中を見せた。

 

 その後ろ姿はフラフラとして、今にも転びそうだった。

 時折、頭痛に耐えるように頭を抱えたりもした。

 吐き気もあるのか、何度かうずくまって嘔吐いていた。

 

 いろははただ、見送ることしか出来なかった。

 翌日も、その翌日も、いろはは栄総合学園を訪れたが、その様子が変わることはなかった。

 翌月には、アリナは死人を通り越して、地獄の餓鬼や幽鬼、悪魔だとか、そんな雰囲気さえ漂よってきた。

 だというのに、アリナは速筆の評判通り、驚異的なペースでマジかりを描き上げていった。

 2号連続3話掲載などという離れ業さえやってのけた。

 

 

 

 そんなアリナが病院に緊急搬送されたのは、九巻が発売された翌日のことだった。

 

 

 



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第八話 主治医

 

 彼は里見先生と呼ばれている。

 

 彼は医者である。

 それも神浜最大の病院、里見メディカルセンターの院長も務める優秀な医者である。

 

 彼は里美灯花の父親である。

 この天性的な頭脳を持っているが、いくらか性格に難のある娘を、その難も含めて愛している。

 

 彼は娘が魔法少女であることを知っている。

 事前に弟から「魔法少女」なる物の存在を聞いていた彼は、娘が魔法少女になると、すぐそれに気づいた。

 健康に問題はないのかと、ありとあらゆる検査もした。

 ゆえに、魔法少女に対する医療――魔法少女医療――なんてものがあったのなら、その知識・経験において、彼の右に出るものはいないと言えた。

 

 そんな彼は、アリナ・グレイの主治医でもある。

 

 

 

 里見医師がアリナ・グレイを初めて認識したのは、彼女が投身自殺をはかった時だった。

 その蛮行が行われたのが他でもない、里見メディカルセンターだったからだ。

 

 彼は忘れることができない。

 あの、色とりどりの花畑の中に横たわった、赤と緑のグロテスクな半死体のことを。

 

 おそらく一生覚えているだろう。

 その半死体が自分の投身自殺をビデオカメラで撮影し、それを芸術として残そうとしていた事実を。

 

 そういうわけで、里見医師から見たアリナの第一印象は、こうだ。

 

 理解不能の化け物。

 

 自分の患者に向ける感想ではないが、本当にそう思ったのだ。

 彼はアリナを人間だと思うことができなかった。

 それほどまでに、いや、そんな言葉ではまだ表現しきれないほど、彼はアリナを

 

「自分とは違う存在」

 

 と理解した。

 半ば以上、拒絶していた。

 

 

 

 

 アリナの内面を多少なりとも知るのは、娘から

 

「アリナの作品を見に行きたい」

 

 と、ねだられたのが切っ掛けになった。

 

「アリナ、くんの作品か……」

「いいでしょう、お父様? 神浜の美術館で公開されてるっていうし、ねぇ、お父様」

 

 最初、彼は渋った。

 あのモンスターの作品を見せて良いのか。

 娘に悪影響を与えはしないか。

 そんな考えが、彼の優秀な頭の中で渦を巻いた。

 しかし、娘にねだられているうち、自分の中に拒絶以外の感情を発見した。

 

 興味である。

 

 もちろん優秀な医師である彼の胸中の八割は、命を粗末にするアリナへの忌避感と嫌悪感で占められていた。

 だが同時に、作品のために命を捨ててしまえる人物の作品を、その目で見てみたくもあったのである。

 

 そんな感情があったからだろう。

 興味の偏りがちな娘が、新しい分野に興味を示しているのを止めることはないとも考えた。

 結局、彼は押し切られた。

 

「なら、今度の休みに行こうか」

 

 次の日曜日。

 娘と娘の親友を連れて美術館を訪れた。

 

 そしてそこで激しい後悔に襲われた。

 

 繰り返すが、彼は医者である。

 経験豊富な医者である。

 幾多の死を見てきた人間である。

 

 そんな彼にはアリナ・グレイの作品に込められた、生と死というテーマを正確に読み取れてしまった。

 

 当時は娘が魔法少女になる前。

 遠くない未来に訪れる死に、少なからず怯えていた時だ。

 

 彼は思った。

 きっと娘は、この作品を怖いと思っただろう。

 可愛い娘に、こんな物を見せるべきではなかった。

 すぐにこの場を立ち去るべきだ。

 

「灯花、やっぱり帰ろう」

 

 しかし意外だったのは娘の反応である。

 

「待って、お父様!」

 

 娘を気遣った彼に帰ってきたのは、娘からの拒否だったのだ。

 

「……灯花?」

「もうちょっとだけ」

 

 その時の娘の表情を言い表せる言葉を、彼は知らない。

 それでもあえて言葉を探すなら"無表情”というのが一番近いだろう。

 しかし"無表情"も、あくまで一番近いだけであって、とても言い表せてはいない。

 

 口元、目尻。

 人間の顔の中で特に感情の出やすい二カ所は全く動いていない。

 その点は確かに"無表情"なのだ。

 ただ、それでも何か強い感情が生まれているのがわかる、そんな表情だった。

 

 そういう表情でアリナ・グレイの作品をジッと見つめていた。

 仕方なく気が済むのを待っていたら閉館の時間になってしまったほど、娘はアリナの作品をただジッと見つめていた。

 

「灯花、随分と熱心に見ていたけど、そんなに良い作品だったかい?」

 

 帰りの車中、彼は娘に問いかけた。

 頭の良い娘なら、理路整然とした答えを返してくれるだろう。

 そう期待して、その問いを投げた。

 だから彼は驚いてしまった。

 

「……良いっていうか、何というか……うーん…………」

 

 娘は天才である。

 優秀な医者である彼を遙かに凌駕する、理系の天才である。

 小学生の身で、その科学知識・理論の構成力を学会に認められる大天才である。

 そんな娘が答えられないほど、難しい質問だっただろうか。

 

 彼が驚いている間も、大天才であるはずの娘は

 

「うーん……」

 

 と唸り続けていた。

 そしてやっと唸るのをやめたと思ったら、彼女らしくない回答が返ってきた。

 その回答には、いつもの理論的な整合性がなかった。

 話しの前後の繋がりすら覚束なかった。

 けれど、なぜか納得してしまえるような、不思議な回答だった。

 

「……嘘をついてないって思った」

 

 

 

 それからしばらく彼の頭はモヤモヤしていた。

 アリナの作品がずっと頭の中にあった。

 あの不気味な作品たちをどう受け止めればいいのか、いや、自分が何を感じたのかさえわからなかった。

 

 しかし明確なことが一つあった。

 その日から娘がアリナを対等な人間として扱い始めたのだ。

 非常に珍しいことだ。

 

 この性格に難のある天才は自分の能力の高さを自覚していた。

 故に、大抵の人間は見下すという悪い癖があった。

 

 自分より上だと認めているのは未成年者の中では1人しかいない。

 対等だと思っているのも、環ういと柊ねむの2人だけだ。

 日本人の未成年者が概ね2000万人とすると、1999万と9997人は見下しているわけだ。

 そのたった3人の中にアリナが入ってきた。

 

 この変化はアリナの作品を見てから起こった。

 ならアリナの作品を認めたからなのだろうが、一体あの不気味な作品の何が娘の琴線に触れたのか。

 

 まだモヤモヤとしていると、しばらくして一緒に見に行った娘の親友、柊ねむのアリナ・グレイ作品に対する寸評が芸術雑誌に掲載された。

 

 作品一つ一つに対して何と書いていたかは、すでに記憶の彼方だ。

 しかしアリナ・グレイ本人を評した文章は、はっきりと思い出せる。

 

『死を前にすると人は嘘つきになる。ただ一人、アリナ・グレイを除いて』

『アリナ・グレイこそは、最も勇敢で、最も誠実な死の研究者だと言えるだろう』

 

 これを見て、やっと腑に落ちた。

 何に対して「嘘をついてない」のか。

 

 いつ自分が死んでしまうかわからない生活をしていた灯花は知っていたのだ。

 死を直視するのが、どれだけ恐ろしいか。

 それを受け入れて、絵として表現するのがどれだけ難しいか。

 

 だから灯花は色使いとかではなく、嘘をついていないことに言及した。

 そして死を直視して、死をありのまま表現してみせるアリナの勇気のようなものを感じ取り、それをもって自分と対等だと認めたのだ。

 

 それがわかると、もはや彼の中でもアリナは理解不能のモンスターではなくなった。

 あんなに恐ろしい死を書ける人が、死を怖がっていないなどありえるだろうか。

 ありえないだろう。

 

 アリナ・グレイは人並みに死を怖がっている。

 だが、そんな恐怖をねじ伏せられるほど勇気があり、死の恐怖すら言い訳にしないほど作品に誠実なのだ。

 ただ、それだけの、普通の人間の少女なのだ。

 そう思えるようになった。

 

 

 

 そして現在。

 里見医師は懐かしさに似た気分に浸りながら、ベッドの上で眠るアリナを見下ろしていた。

 

 アリナの症状は、極度のストレス反応によるものだ。

 おそらく魔法少女以外には、現れないような症状だろうと、彼は推測している。

 

 魔法少女は桁違いにタフな体を持っている。

 剣で切ろうが、突き刺そうが、拳銃で撃ち抜こうが、ソウルジェムを避ければ命を奪うことは出来ない。

 外傷を負っても魔力さえあれば治せる。

 内科的な治療のいる病気であっても例外ではない。

 

 魔女という感情エネルギーの副産物を処理させたいインキュベーターからすれば、そういう能力を与えるのは非常に合理的だと言えるだろう。

 しかしインキュベーターは体のある部分だけは手を付けなかった。

 

 脳だ。

 インキュベーターは感情エネルギーを集めることを目的にしている。

 だが、肝心の感情を理解できない。

 だから感情の発生源である脳を作り替えることもできなかったのだ。

 

 つまり魔法少女の脳は、普通の人間と同じくらい脆弱なのだ。

 いや、魔法少女は命がけの戦いという強いストレスを宿命づけられる。

 それも勘案すれば、普通の人間よりストレスに弱いと言ってもいい。

 

 ここで一つ、エラーが発生している。

 普通、人間は極度のストレス環境に晒されると、鬱病になる。

 鬱病になり、脳が体を動かせなくすることで、結果としてストレスから脳を守ることができる。

 

 しかし魔法少女の場合は無理が利いてしまう。

 どれだけ脳がストレスを受けていようと、魔力さえあれば体を動かせてしまえるからだ。

 なのに、脳だけが普通の人間と変わらない。

 

 結果、どうなるか。

 症例が少なすぎるために断言はできない。

 だが、推測することは出来る。

 ちょうど今のアリナのようになるのではないか、と。

 

 アリナの顔色は酷いものだ。

 彼はアリナの顔立ちを芸術品のような顔と記憶していたのだが、それとは大きく違っている。

 肉は頭蓋骨の形がわかるほど削げ落ち、顔色は血が流れているのか疑わしいほど青白い。

 肌はカサカサに乾燥し、髪の根元を観察すれば何本かは白くなっている。

 眼球だけが「これこそ命の証」とでも言いたげに真っ赤な血を溜めているのが、逆に生命の危機を感じさせた。

 とても美しいなどと言える状態ではない。

 少なくとも、この顔を見て

 

「爪先から思考回路、顔面の造形に至るまで、全てが芸術のために生まれた天才」

 

 などと書き立てるメディアはなかったはずだ。

 下劣な週刊誌なら

 

「作者本人の顔に似た不気味な作品を作る変人」

 

 などと中傷を加えることもあり得る。

 しかし、彼はこんな状態のアリナを見ても、嫌悪感は感じない。

 むしろ彼はアリナを手伝いたいとすら思っている。

 数少ない娘の対等な友人の願いを、叶えてやりたいと思っている。

 

「……ん?」

 

 そのとき、ピクッとアリナの瞼が動いた。

 そろそろ目を覚ますだろう。

 

 彼は立ち上がった。

 アリナが目を覚ましそうなら呼んで欲しいと言われている。

 

 病室を出ると携帯を取り出し、電話をかけた。

 

「そろそろ目を覚ましそうだよ……ああ、そうだね。もちろん君が来るまで勝手に出て行かないように引き留めておくよ。……いや、君は灯花の大恩人だ。このくらいのことは喜んで協力させてもらうさ……そうだね、今度ゆっくり話せたら私も嬉しいよ」

 

 電話が終わると、彼は再び病室に戻る。

 その表情には、少しばかり笑みが浮かんでいた。

 

 彼は仕事柄、いろいろな人間を見てきた。

 特別「強い」人間も何人も見てきた。

 余命を宣告されても、静かにそれを受け入れてしまう人もいた。

 不安に震える子供を、たった一言で笑顔にさせてしまう人もいた。

 

 その中でもアリナ・グレイは、かなり「強い」人間だった。

 何しろ、自分の作品のために、自分を殺してしまえるほど「強い」人間だ。

 普通なら彼女を知った人間は、ほぼ百人中百人が彼女を「最強」だと考えるだろう。

 しかし彼には一人、アリナ・グレイよりも「強い」かもしれない人物に心当たりがあった。

 

 電話口で言っていたところによると、彼女は三十分で着くそうだ。

 口調からして、何かとんでもない覚悟を決めている気配があった。

 覚悟を決めているときの彼女は本当に「強い」。

 自暴自棄になりかけていた娘も、こういう彼女の「強さ」に救われたのだ。

 

「さて、あの娘とアリナくんがどんな話しをするのか……不謹慎ながら楽しみになってしまうね」

 

 彼は独りごち、病室に戻った。

 アリナ・グレイが凄まじい目で睨み付けてきた。

 

 

 




お待ちしてくださった皆様、大変長らくお待たせいたしました。
どうも自分の中で納得がいかず、何度も直してるうちに二か月近く経ってしまいました。
申し訳ありません。

完結までは残り5話くらいかと思います。
これからもお楽しみいただけると幸いです。


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第九話 環いろは(1)

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』には何人かの人気キャラクターがいる。

 

 主人公のかりんは言うに及ばない。

 

 先輩のきりんも大人気だ。

 このキャラクターを語るのに欠かせないのは『怪盗少女マジカルきりん』の主人公をベースにしている点だ。

 その原作再現力は『マジきり』の原作者も唸るほどだ。

 原作と違って、美術部に所属していたり、自分で漫画を描いたりという点も含めて

 

「きりんの魅力を十分に引き出している」

 

 と、第三章で敵になった後でさえ『マジきり』ファンからのものも含めて評価が高い。

 

 

 

 七美やちよも人気キャラクターだ。

 

 第一話で登場したとき、彼女は「怖い先輩」だった。

 端麗な容姿。

 戦闘能力の高さ。

 ベテラン魔法少女としての経験値。

 そういう情報が開示されていたこともあり、グリーフシードを盗んだかりんを厳しく叱責する姿は強く読者の印象に残った。

 

 ところがマジカルハロウィンシアターだ。

 ここを切っ掛けに、読者からの評価は逆転する。

 

 ハロウィンシアターにおいて、その演技下手で醜態を晒し。

 スーパーでタイムセールに群がる主婦に混ざっているのを目撃され。

 訳あって同居している玉木いろはや観月フェリシアに、だだ甘な愛情を注いでいる姿が描写され。

 そうやって凄まじい勢いで化けの皮が剥がれていく様は、読者の心を鷲掴みにした。

 

 今となってはファンからの愛称が「やちよママ」である。

 彼女のモデルとなった七海やちよ共々、タイムセールとポイント10倍デーには必ず現れる女として親しまれている。

 

 

 

 泉十七夜も人気だ。

 何しろキャラが濃い。

 彼女を形作る主な“属性”だけを挙げ連ねて行くと、以下のようになる。

 

 泉十七夜とは。

 ある貧乏一家の長女であり。

 働けない父に代わって一家を支える大黒柱であり。

 魔法少女であり。

 強力なカリスマ性で東をまとめるリーダーであり。

 戦闘能力が高く。

 読心能力があり。

 独特な男口調で話す。

 美人で真面目でカッコいい。

 ちょっと変わった人気メイドである。

 

 積載過多というものだろう。

 さらにに愛称が「なぎたん」で、決め台詞は「なぎたんにお任せ、だぞっ!」というのだから、よく載せ切ったと感心する他ない。

 しかも彼女にも実在するモデルがいて、ほとんどそのままの性格というのだから、これはもう神の所業であろう。

 

 そんな彼女の初登場は第八話「駆け出しメイド十七夜 闊達自在!」だ。

 ここで慣れぬメイド業に苦戦していたところをかりんが手伝ったことで、かりんと良好な関係を築くことになる。

 その後はきりんとは少し違ったポジションの先輩として度々登場し、その度に笑いと感動を読者にもたらした。

 

 ちなみにモデルとなった和泉十七夜が務めるメイドカフェは「リアルなぎたん」に会える店として、連日の大盛況となっている。

 さらにちなみに劇中で言い放った

 

「客に愛情なんてあるわけないだろう」

 

 という台詞は、世の接客業に携わる者の心を打ち、流行語大賞の最終候補にノミネートされた。

 もう一つちなみに、このとき大賞に輝いたのは秋乃かえでの台詞をもじった

 

「○○感ないよね」

 

 である。

 

 

 

 第二部から登場したキャラクター達も人気だ。

 土岐女静香は純朴さと、田舎から出てきたにしても限度があるだろうと言いたくなるレベルの世間知らずぶりを愛された。

 紅葉結奈は愛情の強さゆえに復讐の鬼になるしかなかった悲劇性で読者の涙を誘った。

 藍加ひめなは意外性のある作戦で抗争をひっかき回すトリックスター的な魅力で人気がある。

 

 

 しかし、そんな大人気キャラクターたちも、人気投票では三位止まりになる。

 一位は言うまでもなく御園かりんなのだが、二位のキャラクターも桁違いに人気なのだ。

 人によってはマジかりをこのように評するほどだ。

 

「マジかりの唯一の失敗は、二位のキャラを主人公にしなかったことだ」

 

 そのキャラクターの名前は「玉木いろは」という。

 

 

 

『静香ちゃん、ごめんね、手伝ってもらって……』

『いいのよ、環さんの頼みだもの。まあ、えすえぬえす……? っていうのが何なのか、まだよく分かってないんだけど……そこは、すなおとちゃるが手伝ってくれるし、問題ないわ』

 

『環さん、私たちも問題ないわぁ』

『紅晴さんも、ありがとうございます』

『フフッ……私たちも気遣いはいらないわぁ、マギウスの芸術家に一泡吹かせられるって言ったら、みんな喜んでたものぉ……』

「えっと……できればお手柔らかに」

「えぇ、一応その時はやりすぎないようには注意しておくわねぇ」

 

『いろりーん☆ 私たちもおけまるだよー☆』

「ネオマギウスのみんなも、ありがとうございます」

『いいのいいの☆ マジかりの続きが読めないかもって思うと、ちょっと下がるけど……まっ、誰も死んだりしないなら、それが一番ハッピーっしょ☆』

 

『フォークロアの皆さんも……』

『お礼はいらない。みんなも私も、環さんには本当に感謝してる。これくらいのことは当然』

 

『そうだぞ、環君』

『十七夜さん……』

『みんな君がリーダーということで納得したんだ。今回の件だって、君の判断は正しいと思う。だから胸を張っていい』

『……ありがとうございます』

 

『では、皆さん。行ってきます』

 

 

 

 環いろはは強い。

 この少女を深く知る者は、決まってそう言う。

 

 一見すると、彼女は弱そうに見える。

 争いごとが嫌いで人との衝突は極力避けたがるし、馬鹿にされても困ったような笑みを浮かべるだけで言い返したりはしない。

 後輩とか、妹分に対してさえそうだ。

 だからクラスメイトの大半は彼女を気弱だと思っている。

 環いろは自身、そう思っている。

 

 戦闘能力も高いわけではない。

 七海やちよや和泉十七夜には明らかに劣る。

 二人に一歩届かない深月フェリシアや由比鶴乃より、さらに一段は劣る。

 ボウガンが武器の遠距離戦闘タイプだからという面もあるだろうが、そもそも戦いが向いていないのだろう。

 

 魔力も大きい方ではない。

 普通より小さいわけではないが、平均的である。

 里見灯花・柊ねむなど、生まれながらに天才としての因果を背負った魔法少女とは比べるまでもない。

 

 それでもやはり環いろはは強い。

 他ならぬ、上に挙げた強い魔法少女たちが、そう認めている。

 七海やちよと和泉十七夜、もともと神浜の東西を代表していた二人も、今では神浜全体のリーダーとして、常にいろはを立てている。

 由比鶴乃も先輩として助言することはあっても、いろはが決めたことを否定したりはしない。狂犬呼ばわりされていた深月フェリシアもそうだ。

 里見灯花・柊ねむ、この生意気という言葉が人の形をしているような二人すら、いろはの前では子犬のようになる。

 

 では、なぜそこまで認められているのか。

 それはやはり、彼女たちが実際にいろはの強さを見てきたからだろう。

 

 例えば、だ。

 

 自分以外、誰もが忘れてしまった妹の存在を信じ続け、少ない手がかりから神浜市にたどり着き、厳しい戦いの末に助け出してしまったのは誰か。

 

 環いろはだ。

 

 神浜をエンブリオ・イブとワルプルギスの夜という二体の超巨大魔女が襲ったとき、最後まで諦めず、戦い続けていたのは誰か。

 

 環いろはだ。

 

 キモチの石をめぐった抗争のとき、神浜のリーダーとして矢面に立ち、本気の殺意を向けてくる魔法少女たちと戦っていたのは誰か。

 

 環いろはだ。

 

 上記の抗争で、たった一人「みんなにとって良い結果になるように」と主張し続け、最後には敵対チームの全てと良好な関係を築いてしまったのは誰か。

 

 環いろはだ。

 

 こういう姿を見てきた少女たちにとって、いろはが強いことなど、もはや論じるまでもないことなのである。

 

 そして、今。

 そんな強い少女が覚悟を決めて、里見メディカルセンターに到着した。

 もちろん目的地はアリナ・グレイの病室である。

 

 

 

「こんにちは、里見先生」

「ああ、待ってたよ、いろは君」

 

 病室の前に行くと、里見医師がいた。

 今回のことで彼には色々と迷惑をかけている。

 謝らなければいけないことと、お礼を言わなければならないことが、たくさんある。

 そういう諸々を込めた挨拶。

 

 しかし、里見医師は笑みを浮かべていた

 気にしなくてもいい、という風に手を振った。

 去り際、いろはの肩を叩いて

 

「また何かあったら頼ってくれ」

 

 と言い残していった。

 里見医師を見送ると、いろはは病室に足を踏み入れる。

 

「こんにちは、アリナさん」

「……アリナのソウルジェムは、どこ?」

 

 そんないろはを出迎えたのは、そんな言葉だった。

 鋭い眼がベッドの上からいろはを射貫いた。

 

 いろはは思った。

 前に見たときよりも、ずっと弱っている。

 体を起こしているだけでも辛そうはずだった。

 魔力を使わなければ体を動かすことも出来ないのだろう。

 

 なのに、だ。

 今のアリナは学校で見たときよりも、ずっと恐ろしかった。

 一緒にいるだけで死んでしまうんじゃないかという恐怖が襲ってきて、体が震えそうになった。

 一瞬でも弱気になったら雰囲気に飲まれてしまうだろう。

 

 だから、いろはは努めて平静に言った。

 

「それに答える前に、少しだけ話をさせてもらえませんか?」

 

 アリナから返って来たのは、さっきと同じ言葉だった。

 

「アリナのソウルジェムは、どこ?」

 

 その言葉は明らかに怒気を含んでいた。

 答え次第では殺してやる。

 赤くなった眼と語気が、そう言っていた。

 

 いろはは努めて胸を張り、一歩前に出た。

 

「少しだけでいいんです」

 

 返ってくる言葉は、まだ変わらない。

 

「ソウルジェムは、どこ?」

 

 しかし、いろははまだ食い下がった。

 

「お願いします」

「アリナの、ソウルジェムは、どこ?」

 

 アリナの眼がギラリと鈍い光を放った。

 まるで噴火直前の火山だ。

 次の返答次第では、アリナは目の前の少女を八つ裂きにするだろう。

 並の人間なら、これほどの怒気を受けたら、恐怖のあまり失神するに違いない。

 

「……」

 

 現に、こうして相対している環いろはも恐怖していた。

 心の片隅で、逃げ出したいと確かに思っていた。

 

 しかし、この自分を気弱だと思っている少女は、自分が怖がっているのに気づくと、一回だけ深呼吸をした。

 深く息を吸って、深く息を吐いた。

 そうしてから彼女のクラスメイトの大半が卒倒するようなことをした。

 

 キッとアリナを見返したのだ。

 いや、睨み返した。

 それだけでなくほとんど傲然として、こう言い返した。

 

「病院のどこかです。灯花ちゃんと、ねむちゃんが持っています。二人には、みかづき荘のみんなにも付いてもらっています」

 

 アリナの眼の光が一層鋭くなる。

 

「……なに? つまり言うことを聞かないと返さないってワケ?」

 

 その問いに対する答えも単純明快だった。

 文字にして、たった四文字。

 アリナの眼を真っ直ぐに見返したまま、はっきりと言った。

 

「そうです」

 

 火山が爆発したのは、その瞬間だった。

 

 アリナの体が光った。

 変身したんだ、いろはがそう思う間もなく、緑色のキューブが襲いかかってきた。

 

 いろはの反応は間に合わなかった。

 まず、キューブは右の上腕を直撃し、その骨を真っ二つにへし折った。

 次に、左の膝を打ち抜き、立っていられなくなったいろはが床に倒れた。

 

 最後はソウルジェムだ。

 倒れた衝撃で取り落とした桃色の宝石へ、まっすぐに高速のキューブが飛びかかった。

 ただし、これは直撃する寸前で静止した。

 触れるか触れないかの、すこし魔力を込めれば一瞬のうちにソウルジェムを破壊できる距離で。

 

 アリナが言った。

 

「ねむと灯花が素直に言うことを聞いたら返すから、少し大人しくしててヨネ」

 

 ベッドから抜け出すと、桃色のソウルジェムを拾い上げる。

 いろはの命が、アリナの掌に載せられた。

 

 そうした瞬間、アリナの意識は完全に切り替わった。

 いろはから、ねむと灯花に。

 

 もう環いろはは問題ではなかった。

 ソウルジェムを握られて、逆らう魔法少女がいるわけがない。

 

 あとは、ねむと灯花だ。

 もっとも、こちらも大きな問題ではなかった。

 あの二人には、環いろはのソウルジェムを突きつけて、こう言ってやればいい。

 

「ソウルジェムを返さないと、環いろはのソウルジェムを砕く」

 

 いろはを慕っている二人のことだ。

 そう言われて、逆らってくるわけがない。

 一緒にいるという、みかづき荘の面々も同じだ。

 足を動かすたびに頭が割れそうになるが、まだ体が動かせるのだから、病院のどこかにいる。すぐに見つかるだろう。

 

 ねむと灯花を見つけてソウルジェムを取り返す。

 取り返したら結界を張る。

 結界を通してアトリエに帰る。

 そうすればマジかりの続きが描ける。

 

 アリナの頭は、それでいっぱいになっていた。

 だから後ろから肩を掴まれる可能性など、少しも頭になかった。

 

「待ってください」

 

 アリナは振り返った。

 その先にいたのは、もちろん環いろはだ。

 彼女は先ほどまでと変わらないテコでも動かないと言わんばかりの顔のまま、そこにいた。

 



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第十話 環いろは(2)

 

「自分の立場が分かってないワケ?」

 

 肩を掴むいろはに、アリナは呆れたように言った。

 

「アリナの気分次第で、アナタは次の瞬間に死んでもおかしくないんだケド?」

 

 アリナの手には桃色のソウルジェムが握られている。

 ソウルジェム、文字通りの魔法少女の魂。

 アリナが少し魔力を加えたら、簡単に割れてしまうだろう。

 

 しかし、いろはも考えなしに引き留めたわけではない。

 

「大丈夫です、アリナさんは絶対にそんなことできないので」

 

 アリナの顔がピクッと動いた。

 やっぱりそうだと思いながら、いろはは続けた。

 

「私を殺したら、ねむちゃんも灯花ちゃんも絶対にソウルジェムを返さなくなりますよね?」

 

 たしかにアリナならソウルジェムを砕くのを躊躇しないだろう。

 けれどアリナの目的は、いろはを殺すことではない。

 あくまでもマジかりを描くことだ。

 

 そしてマジかりの続きを描くには、自身のソウルジェムは必須だ。

 持っていなければ、病院を出られないからだ。

 漫画を描く道具を手に入れることが出来ない。

 ねむと灯花と交渉する必要がある。

 

 実力行使という選択肢はない。

 ねむと灯花は魔法少女としても天才だ。

 戦闘経験こそ少ないものの、その魔力は大きい。

 現状の最悪のコンディションのアリナでは一対一でも勝ちはおぼつかない。

 おまけに神浜最強の七海やちよも来ているという。

 勝てる見込みは小さい。

 万に一つは可能性がある、というのは楽観的だろう。

 

 だからソウルジェムを取り返すには、いろはという人質が必要なのだ。

 もし殺してしまえば、どうなるか。

 死人に人質は務まらず、アリナはソウルジェムを取り返せない。

 マジかりの続きも描けない。

 だからアリナは、いろはのソウルジェムを壊せない。

 

「チッ……」

 

 アリナの口から舌打ちの音が漏れる。

 苛ただしげに口元がゆがんでいる。

 けれど、足は止まっている。

 

 いろははもう一度言った。

 

「アリナさん、少しだけでいいので話を……」

 

 しかし、その言葉は中断した。

 

「じゃあ、ねむと灯花をこの場に呼べばいいだけだヨネ?」

 

 再びキューブがいろはを襲う。

 今度こそ動けなくなるように、情け容赦のない速度で右足と左腕を打ち抜いた。

 

 だが今回はいろはの変身も間に合った。

 すぐさま回復魔法を発動。

 少し後ずさっただけで怪我自体はたちまち回復。

 再びアリナと向かい合った。

 

 アリナは怪訝そうな顔をしていた。

 そんなアリナに、いろはは言う。

 

「念話、できないですよね?」

 

 アリナが睨み付けてくる。

 

「これもアナタたちの仕業?」

「ういの回収の能力です。病院内の念話や魔法を使ったときに発生する魔力波は、ういが全て回収しています」

「念話をしても、魔法を使っても、灯花たちは気付かないってワケ?」

「はい」

 

 いろはは事前に決めていたのだ。

 この場は、アリナとの一騎打ちにする、と。

 

 さすがにいきなり攻撃されたのは予想外ではあったが、交渉が失敗して、アリナが実力行使に出るのは十分に予想できた。

 その時に、ねむや灯花や、みかづき荘のメンバーが近くにいたら、必ずいろはを守ろうとするのも予想できた。

 そうなってしまったら、そこからはもう戦闘だ。

 それは避けないといけなかった。

 

 いろはは自分の経験から嫌というほど知っている。

 一度、戦闘をした。

 相手が自分の仲間を傷つけた。

 この事実が、どれだけ根深い敵対意識を植え付けるか。

 

 それを回避する方法については、いろはでは考えつかなかった。

 けれど、彼女には自分でも誇らしく思っている長所がある。

 魔法少女間の人脈の広さと、繋がりの強さだ。

 いろははすぐに荒事に慣れた、頭のいい魔法少女の顔を思い浮かべることができた。

 

 紅晴結奈である。

 電話で相談すると、彼女は即座に妙案を出してくれた。

 

『要するに、現場を見られなければいいのよぉ』

『現場を見られなければ……?』

『その目で仲間を傷つけられるのを見てしまうのと、後から話しだけを聞くのとじゃ印象が全く違うでしょぉ?』

『それは……たしかに』

『加えて、傷つけられた仲間が相手を許していて、大した怪我もないならどうかしらぁ?』

『……そんなに目の敵にはしないかも、です』

『環さんは信頼されてるし、回復魔法で怪我も隠せるから、効果的だと思うわよぁ……』

 

 あとの問題は、どうやって一騎打ちの状態を作るか、だ。

 しかし、そこは妹のういと里見医師が、ねむと灯花・みかづき荘のメンバーにも秘密にするという条件こみで協力してくれた。

 

 ういは誰よりも早く、いろはの考えを察してくれた。

 捨て身とも言える作戦に出ようとする姉を慮りつつも『絶対に死んだりしない』ことを条件に、魔力ジャミングを請け合ってくれた。

 

 けれど、一騎打ちに持ち込むには、それだけでは不十分だった。

 話し声などで異変に気付いてしまうかもしれないからだ。

 

 そこで協力してくれたのが里見医師だ。

 彼はアリナの病室を院内の隅の方に移してくれた。

 灯花たちのいる部屋からソウルジェムの許容範囲内で、病院スタッフも特別な用がない限りは近づかないという絶好の位置に。

 

「アリナさん、話をしていただけませんか?」

 

 もう一度、いろはは問いかけた。

 

 

 

 アリナは考えている。

 どうやってソウルジェムを取り返すか。

 この期に及んでも、彼女の頭には話をするという選択肢は存在しなかった。

 

 ただ、どうやら難しそうだというのは飲み込めてきた。

 

 いろはの言葉に、嘘はないのだろう。

 ねむと灯花がソウルジェムを持っていること。

 二人にみかづき荘のメンバーが付いていること。

 環ういの魔力ジャミングのこと。

 

 ソウルジェムの扱いには注意が要る。

 間違って一般人が持ち出したりしないように、魔法少女に管理を任せるだろう。

 そして、いろはは

 

「灯花とねむが持っている」

 

 と言った。

 いろはの性格から考えて、たとえ嘘をつくにしても妹同然の二人を危険にさらす嘘はつかないはずだ。

 

 そして妹同然の二人に危険があるなら、信頼でき、実力もあるチームを護衛に付けるだろう。

 その点、みかづき荘のメンバーは百点満点だし、頼みやすくもあるはずだ。

 他のチームに頼む理由も見当たらない。

 

 環ういの魔力ジャミングにしてもそうだ。

 そんなことができるとは初耳ではある。

 けれど、彼女の回収の能力は知っている。

 できそうではあった。

 別の魔法少女の能力と考えられなくもないが、ねむと灯花と同じ理由で、ハッタリとは考えにくい。

 おそらく真実だ。

 

 そして、それらが真実である以上、アリナがソウルジェムを取り返すのは難しかった。

 

 もともとの戦闘力から考えて、力ずくでは取り返せない。

 いろはを人質にするのも無理そうだ。

 ねむ・灯花と交渉できるような材料は、他に何も持っていない。

 

 最後の手段として、一般人を人質に取ることも考えた。

 だが、この体調である。

 吐き気はいつも通りとしても、先ほどから頭が割れるほど痛んでいる。

 船の上にでもいるように視界が揺れていて、体に力が入らない。

 これでは目の前にいる平均的魔法少女にすら勝てないだろうし、この平均的魔法少女は一般人に手を出すのを許さないだろう。

 

「……うっ」

 

 吐き気が一層強くなった。

 視界の揺れが大きくなって、気付くと膝を着いていた。

 もう考えがまとまらなくなってきている。

 そんな状態で考えついたのは……。

 

「環、いろは」

 

 床に這いつくばりながら、いろはを睨む。

 

「……なんですか?」

 

 いろはは心配そうにしながらも、さすがに奇襲攻撃を警戒しているらしい。

 少し姿勢を低くした戦闘態勢を崩していない。

 

「アナタのソウルジェム、壊さないまでもヒビくらいは入れてやってもいいケド?」

 

 いろはは即答した。

 

「構いません。ヒビなら治せますから」

「死ぬほど痛いらしいケド?」

 

 これも即答だった。

 

「がんばります」

「ハッ……」

 

 思わず、乾いた笑いが漏れた。

 そうだろう。

 この程度の脅しに屈するなら、もっと早くソウルジェムが返ってきているはずだ。

 

 どうやらソウルジェムは取り返せないらしい。

 

 結論が出ると、ドッと体が重くなった。

 うずくまっている体勢すら辛くなってきて、そのまま床の上に寝転がった。

 ソウルジェムを取り返す気力も体力も、もう残っていなかった。

 

 

 




環いろは編、もう一話続きます。


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第十一話 環いろは(3)

「アリナ、さん?」

 

 床に寝転がってしまったアリナに、いろはは遠慮がちに問いかけた。

 

「アリナさん? 風邪、引いちゃいますよ?」

 

 さっきまで脅されていたとは思えない気遣いを発揮しながら、おそるおそるといった様子で近づいていく。

 

「……」

 

 アリナは答えない。

 いろはが顔を覗き込むと、煩わしそうに顔を顰めて、視線を明後日の方向に逸らした。

 

 決して友好的とは言えない態度。

 けれど、さっきのように攻撃しては来なかった。

 

「……ソウルジェム、返してもらっても良いですか?」

 

 ハァ……。

 ため息の後、桃色のソウルジェムがぽーんと放り投げられた。

 それは綺麗な放物線を描き、いろはの手に返ってきた。

 

 もう敵意はない。

 そう解釈していいのだろうか? 

 いいのだろう。

 

「アリナさん? ベッドまで運びますよ?」

 

 抱え上げても抵抗はなかった。

 そのまま不機嫌そうな顔をベッドまで運ぶ。

 運びながら、いろはが言った。

 

「アリナさん、まずは話をさせてください。納得がいったらソウルジェムもお返しします。だから、お願いします」

 

 ベッドに寝かせると、まっすぐに眼を見つめて言う。

 

 アリナは煩わしかっただろう。

 けれど、たとえ無視しても、いろはは何日でも同じ姿勢でそこに居そうだと考えたのだろう。

 ため息をついて言った。

 

「それって『納得がいかなかったら返さない』って意味だヨネ?」

「それは……まあ、そう、なんですけど……」

 

 ため息をもう一つ。

 

「……じゃあ聞いてるから勝手に話しててヨネ」

 

 いろはの顔がパッと明るくなった。

 

「ありがとうございます!」

「……」

 

 アリナは寝返りを打って、いろはの反対を向いた。

 それが今のアリナに出来る最大の意思表示だった。

 

 いろはの顔に困り笑いを浮かぶ。

 けれど、すぐに表情を引き締めて、言われた通り勝手に話をはじめた。

 

「ずっと考えてたんです。どうしてかりんちゃんを主人公にしたんだろうって」

「はじめは深く考えていませんでした。かりんちゃんを偲ぶためなのかなとは思いましたけど、それで納得してしまいました」

「けど、おかしいな、と思うところもあったんです」

「漫画の中のかりんちゃんが、本当に生きてた頃のかりんちゃんにそっくり過ぎたところです」

 

 生きている人物をモデルにしたキャラクターたちよりも、かりんは明らかにリアルに描かれていた。

 本当に生きているようだった。

 まるで、アリナの頭の中ではかりんがまだ生きていて、その姿を観察した結果を漫画にしているような。

 

「もう一つ、ソウルジェムの濁りが早いのも、よく考えたらおかしいと思いました」

 

 マジかりは漫画作品として、飛び抜けた評価を受けている。

 読者層は世界中老若男女を問わず。

 各界著名人からは激賞。

 売り上げは漫画史上一位を記録。

 最も厳しい評価を下すであろうアリナ自身すら、色々なインタビューでこう答えている。

 

『まあ、結構よく描けてると思うワケ』

 

 可能な限り多くの読者に読まれ、評価され、愛されている。

 自分自身でも納得いく作品が描けている。

 

「これでどうしてソウルジェムが濁っていくんだろうって」

 

 漫画家の激務で疲れるからか。

 そうではないだろう。

 もともと魔法少女は激務だ。

 学校から帰ったら遊んで寝るだけの普通の少女達とは違う。

 魔法少女の本業は家に帰ってから始まり、夜通し続く。

 遊ぶ時間も寝る時間もないのは元からだ。

 それでもソウルジェムは簡単に濁ったりしない。

 しかもアリナはファンから大量にグリーフシードをもらっている。

 それを使って、魔女退治の時間をすべて執筆に当てている。

 普通なら濁らないはずだ。

 

 では、漫画の次の展開に詰まったからだろうか。

 そうなったらストレスが溜まってソウルジェムが濁るかもしれない。

 けれど、これも違う。

 救急搬送される直前、アリナは二週連続で三話掲載なんてことをやっている。

 筆が速いと言われる週刊漫画家の、三倍の速度で描けているのだ。

 展開に詰まっているわけでもないだろう。

 

 こう考えていくと、これらの疑問を解決してくれる、一つの仮説が浮かび上がってくる。

 それはつまり、こうだ。

 

「アリナさんは、かりんちゃんが亡くなったことを、まだ認められてないんじゃないですか?」

 

 そのとき、やっとアリナの表情が動いた。

 その表情は、さっきまでの拒絶の顔ではなかった。

 その心の中で、明らかに何かが動いていた。

 

 けれど、その表情はいろはからは窺えない。

 いろはは変化に気付かないまま言葉を続けた。

 

「そこから目を逸らすために、マジカルかりんを描いてるんじゃないんですか?」

 

 アリナは答えない。

 いろはは続ける。

 

「だから漫画の中で時間が進むごとに、かりんちゃんの死んでしまった日に近づくごとにソウルジェムが濁っていくんじゃないですか?」

「だとしたら、そんな漫画を描くのは間違っています」

「かりんちゃんも喜ばないはずです」

 

 やはりアリナは何も言わなかった。

 相変わらず、いろはの反対の方を向いて横になっている。

 

 それ以上は、いろはも何も言わなかった。

 ただ視線だけを、真っ直ぐにアリナの緑色の髪に向けている。

 

「……」

 

 沈黙が支配してから、たっぷり5分はそうしていた。

 沈黙を破ったのはアリナだ。

 それも、この場に誰がいても予想できなかったであろう形で沈黙を破った。

 

「………………アハッ」

 

 笑ったのである。

 

「アハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 先ほどまでの辛そうな様子が嘘のように。

 まるで幼い少女のように。

 その笑い声は、まるで憑き物が落ちたかのような。

 いや、別の何かに取り憑かれてしまったかのような、大きな笑い声だった。

 

 アリナは一頻り笑うと、勢いよく体を起こして、いろはと向かい合った。

 しばらくぶりに見たアリナの顔は、満面の笑顔だった。

 

「ねぇ、環いろは?」

「……なん、ですか?」

 

 あまりの豹変に体を硬くしながら聞き返す。

 何が起きているのか、把握できなかった。

 ただ、何かがよくない方向に動いているような気がして、アリナの顔色から何か情報を得ようと必死に観察した。

 できれば、考える時間が欲しかった。

 

 けれど、アリナの返答は先ほどとは打って変わって早かった。

 

「ノンノンノン、もうアタックするつもりはないから警戒しないで欲しいワケ。むしろアリナは、いまアナタにとっても感謝してるんだヨネ」

 

 今にも踊り出しそうな様子とは、このことである。

 大げさなほどの身振り手振り。

 弾けるような笑顔。

 ヘンな薬でも打ったのかと疑わしくなるほどだ。

 その表情は健康だったときのアリナと比べても、数百倍は機嫌が良さそうに見えた。

 

 それでも体調が全く戻っていないのは明らかだ。

 紅潮した頬以外、顔色は依然として青白い。

 力が入らないのも変わっていないのだろう。

 起き上がろうとしているのか、しきりにベッドの上で膝を立てたり、手をついたりとしているが、ことごとく失敗している。

 何秒かに一度は嘔吐いてさえいた。

 

 ただし、笑顔である。

 光輝くような笑顔である。

 それがあまりにも不気味だった。

 

「それで環いろは? もしアリナがそれでも描くって言ったら、アナタはどうするつもりなワケ?」

 

 いろはは何かを決定的に間違ってしまったことを感じた。

 何とか軌道を修正しなければならないと思った。

 

 けれど、大丈夫だ。

 いろはは自分に言い聞かせる。

 どう考えてもアリナは自分のソウルジェムを取り返せない。

 だから、これ以上は無理をして漫画を描くこともない。

 それに手札は、まだ残っている。

 

 いろはは再度、深く呼吸をしてから考えてきた予定を語った。

 

「ソウルジェムは返しません。里見先生からは出版社に連絡してもらいます。今のアリナさんの健康状態を知っていて仕事をさせると、それだけでも罪に問える可能性があるそうです。あと、みんなにはSNSでアリナさんの容態が悪いと広めてもらいます」

 

 アリナは笑顔だった。

 実に楽しそうに笑って言った。

 

「アハッ! それ、たしかに佐藤がビビりそうだヨネ。けど、それでも描くって言ったら?」

 

 その問いに対する答えも、いろは用意していた。

 

「フェリシアちゃんの忘却魔法を使います」

「フールガールの記憶を消せば、漫画を描く理由もnothingだろうって? さすがにそこまでされたらアリナも抵抗するケド? 一人か二人くらいは死ぬかもネ?」

「そのときは、みんなでアリナさんを取り抑えます。みかづき荘のみんなと十七夜さん、ひなのさん、プロミストブラッドのメンバーと、見滝原のみんなも手伝ってくれることになっています」

「ってことはマミと、あの黒髪のタイムストップガールもいるんだヨネ?」

「アリナさんを取り押さえるのに、一番有効な能力だと思ったので」

「そこまでやるワケ?」

「このままアリナさんの身に何か起きるより、何倍もいいと思っています」

「薄々思ってたケド、アナタって結構クレイジーだヨネ」

 

 そう言うと、またアリナは笑った。

 実に楽しそうだった。

 

「……」

 

 いろはは焦った。

 さすがにもう手札がなかった。

 

 なのに、アリナは笑っている。

 何かをしようとしている。

 

『うい……? うい、聞こえる?』

 

 最後の手札を切ろうと、最愛の妹に呼びかける。

 

『お姉ちゃん! 大丈夫だった!?』

『うん大丈夫、それよりアリナさんのソウルジェムはどう?』

『さっきまで何だか凄い速さで濁ってたけど、今はすごく安定してるよ? お姉ちゃんの説得が成功したんだよね?』

『それが、そうでもなくて……それで、お願いがあるの』

『お願い?』

『すぐに他のチームのリーダーに連絡を取って欲しいんだ』

『いいけど、なんて言えばいい?』

『開始を三日後から明日からに前倒しできないかって』

『……』

『お願い、嫌な予感がするんだ』

『……わかった』

 

 念話が終わると、アリナに意識を戻す。

 聖母のような笑みがいろはを見ていた。

 

「妹との相談は終わった?」

 

 はい、と頷く。

 

「出版社への連絡と、SNSへの拡散を明日から始めてもらうように言いました」

 

 アリナも頷く。

 

「じゃあ佐藤に連絡して、SNSに拡散して、アリナを……って流れを、それぞれ確認しながらやったら三日後って感じだヨネ」

 

 その三日後に何が起こるか、アリナはちゃんと理解しているはずだ。

 それはアリナにとっても重大なはずだ。

 なのに、アリナは笑顔だった。

 あまつさえ

 

「楽しみにしてるカラ」

 

 と言った。

 

 ここで引いてはいけない。

 戦いの経験が、いろはに警鐘を鳴らす。

 けれど、もう本当に手札がない。

 

「あの、アリナさん」

「なに?」

「まだマジカルかりんは描き続けるつもりですか?」

 

 半ば縋るような問いに、アリナは「ふぅん?」と首をかしげた。

 

「うーん……どうかな。なんか描く理由もなくなった気がするケド、良いものが描ける気もしてきたんだヨネ」

 

 アリナは笑顔だ。

 いろはが病室に入ってきたときとは比べものにならないほど上機嫌だ。

 

 なら、大丈夫なのだろうか。

 いや。

 おそらく、このまま行けばとんでもないことになる。

 そう確信させるだけの何かが、今のアリナの笑顔にはあった。

 

 しかし、いろはも消耗していた。

 

「……とにかく、すぐに描きたいっていうワケじゃないんですよね?」

「まあ、アナタがソウルジェムも返してくれないし、どっちにしろ三日くらいは言う通りに大人しくしてあげようと思うワケ」

 

 ユニオンのリーダーとしての責務を果たし。

 それが終わるや、かりんの魔女化があり。

 その魔女を見つけることができず。

 そうしている間にアリナの問題に頭を悩ませることになり。

 今日の、ほとんど戦いのような会話があり。

 現状、すぐに打てる手が残っていない。

 しかも、どう考えてもアリナに打てる手はないはずなのだ。

 

 ソウルジェムは、ねむと灯花がしっかりと握っている。

 病院から出ることも出来ない。

 里見医師から連絡が行けば、出版社は刊行を躊躇うだろう。

 それでもダメなら魔法少女たちが一斉にSNSへアリナの容態を書き込む。

 全員のフォロワーを合わせれば、現役アイドルの史乃沙優希、モデルのやちよ等を筆頭に、二十万人は越える。

 大きな話題になるだろう。

 そうなれば

 

「こんな状態の人間に描かせていたのか」

 

 と、出版社へ批判が行く。

 さすがにアリナの回復を待ってという判断になるはずだ。

 ならないわけがない。

 

 それでもアリナが出版社を押し切って描けたとしても、だ。

 最後の手段、実力行使が残っている。

 神浜最強のやちよと十七夜。

 みかづき荘のメンバー。

 対人慣れしたプロミストブラッド。

 さらに見滝原から拘束のスペシャリスト巴マミ。

 時間停止能力を持つ暁美ほむら。

 おまけにアリナは、こちらがソウルジェムは握っているから結界魔法を使えない。

 

 だから大丈夫なはずなのだ。

 

 そういう諸々の積み重ねが、元来の気の弱さ、彼女の素を露出させた。

 ほんの少し見えた、大丈夫かも、という楽観に手を伸ばさせた。

 

「わかりました」

 

 いろはは立ち上がった。

 

「けど、さっき言ったことは、早ければ本当に明日から実行します。いいですよね?」

 

 アリナはひらひらと手を振って応える。

 その様子も返答の内容も、事の重大さに反して、あまりにも軽かった。

 

「それより、いまアリナはイチゴミルクの気分だから、帰る前に買ってきてヨネ」

 

 いろはは聞き返す。

 

「イチゴミルク、ですか?」

「そう、ここの自動販売機で売ってるやつ」

「……? わかりました」

 



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第十二話 ファン

 

 いろはとアリナの会話から、二時間ほど経った後のことである。

 

 場所は同じ里見メディカルセンター。

 待合室に一人の少女がいた。

 

 歳は環いろはと同じくらいだろう。

 だが、魔法少女ではない。

 彼女たちが必ず持っている宝石を、この少女は持っていなかった。

 

 しかし普通の少女かと言えば、これは少し疑問が残る。

 とくに、この場の大人たちの目に映る彼女の姿は、明らかに普通ではなかった。

 

 そわそわと辺りを見回したかと思うと、ピンと背筋を伸ばして石のように固まる。

 背負っていたパンパンのスクールバッグを何かから守るように抱え込んだかと思うと、暑くもないだろうにタラタラと汗を流す。

 何かを思い立ったかのように勢いよく立ち上がり、入院病棟の方に歩きだした……かと思うと、十秒もしないうちに戻ってきて、元の位置に座る。

 このときの彼女は、まるでフルマラソンを全力疾走してきたかのように息が上がり、頬が紅潮している。

 

 そしてしばらくすると、また辺りを気にしはじめる。

 急に入院病棟に歩き出し、すぐに心配になるほど息の上がった状態で戻ってくる。

 

 こんな少女を「普通」とは言えないだろう。

 しかも、彼女は一時間ほども同じことを繰り返しているのだ。

 深夜に活動する魔法少女たちと比べても不審だし、心配にもなる。

 十分ほど前には見かねた看護師が声をかけた。

 

「どなたかお見舞いですか?」

 

 そのときなど、彼女は飛び上がった。

 

「ひっ!! あっ、えっ、あっ、いっ、いっ、いえ! おっ! お、お構いなくっ!」

 

 もちろん普段から、これほど挙動不審なワケではない。

 彼女がこんな状態になっているのには理由がある。

 

 話は二時間ほど前。

 いろはとアリナの話が終わった直後に遡る。

 

 

 

 里見メディカルセンターに設置された自動販売機の前。

 後ろからやってきて、自販機を物色しはじめた桃色の髪の少女を見た瞬間、彼女は石のように固まった。

 腰をかがめ、取り出し口に手を突っ込んだまま、電源を抜かれたロボットのように動かなくなった。

 

 彼女は桃色の髪の少女を知っていたからだ。

 盗作・魔法少女マジカルかりんの登場人物『玉木いろは』として。

 

 それも彼女の場合、ただのファンではなかった。

 マジかりのイベントがあれば必ず参加し、二次創作漫画を描くことを生き甲斐とし、生命活動にマジかりの摂取を必要とする、生粋のマジかりストであった。

 その彼女の前に、玉木いろはは現れてしまったのである。

 

 もしかしたら別人なのか、とは思わなかった。

 たしかに漫画の中の玉木いろはとは違った。

 髪型が違ったし、来ている制服も違った。

 顔の輪郭も肖像権への配慮がうかがえる。

 

 しかし一日に二回は通しでマジかりを読む、生粋のマジかりストの目は誤魔化せない。

 立ち居振る舞い。

 全体としての雰囲気。

 何より、気弱そうなのに、どこかに芯の強さを感じさせる眼差し。

 彼女の頭は瞬時に沸騰した。

 

 玉木いろはだ! 

 本物だ! 

 やばい、生きて動いてる! 

 モデルがいるって噂は本当だったんだ! 

 サインお願いしていいかな!? 

 いや、迷惑かな!? 

 でも、お話ししたい! 

 コスプレして欲しい! 

 写真撮らせて欲しい! 

 ストラーダ・フトゥーロって言って欲しい! 

 できれば録音したい! 

 っていうか、何でここにいるんだろう? 

 まさかマジかりの設定通り、妹が入院してるとか!? 

 気になる! 

 けど、そんなこと聞くわけに行かないし……。

 けど、気になる! 

 後をつけちゃう? 

 それはさすがに……。

 でも……。

 あああああああああああああああああああああああああああああっ!!! 

 

『玉木いろは』に会えた感動が、溢れ出した欲望が、その頭をショートさせた。

 しばらく彼女は固まっていた。

 ハッと正気に戻ったとき、玉木いろはは何かを買い終えて、行ってしまうところだった。

 

 彼女は一瞬だけ躊躇した。

 初対面、というか向こうが認識しているかどうかさえ覚束ない。

 そんな相手の後をつけるなんて非常識だろう。

 警察を呼ばれてもおかしくない。

 追いかけたところで、自分が何をするつもりなのかさえ明確ではない。

 

 しかし、このままではリアル玉木いろはと一生のお別れをすることになる。

 彼女にとって、マジかりは命の恩人ならぬ恩作である。

 その登場人物とすれ違った。

 ならば、彼女は何かをしないといけなかった。

 何かしないのは罪だと思った。

 ここでの「何か」とは、つまりストーキング以外の何でもなく、それこそ社会的には罪なのだが、彼女の魂は逆の判決を下した。

 

 そしてストーキングした先で、彼女は臨死体験をすることになった。

 その先に作者アリナ・グレイがいたからである。

 

「アリナさん、これでいいんですか?」

「そう、それ。センキュー」

 

 今度は欲望が溢れる暇もなかった。

『玉木いろは』が『アリナ・グレイ』に『イチゴミルク』を手渡した瞬間、彼女という存在は吹き飛んだ。

 

 これは大事件である。

 マジかりの誕生とビッグバンに次ぐ、宇宙史上第三位の奇跡である。

 目の前で『イチゴミルク』を『アリナ・グレイ』が『玉木いろは』から受け取ったのである。

 

『アリナ・グレイ』は言うまでもなく、神だ。

 これは絶対普遍の真実である。

 

『玉木いろは』は大好きなキャラクターだ。

 マジかりで何番目に好きかと聞かれたら、かりんに次いで二位ということになってしまうが、それでも愛している。

 自作の二次創作漫画で、自分をモデルにしたキャラクターと結婚させるくらい愛している。

 それが原因で漫画研究部を追放されそうになったが、それでも後悔していないくらい愛している。

 

 そして『イチゴミルク』

 これはかりんが度々口にする、彼女の好物だ。

 そのとろけるような甘味と、ほんのりとした酸味。

 そのピンクに色づいた乳白色の色合い。

 まさしく御園かりんのイメージ通りではないか。

 そう、イチゴミルクとは『御園かりん』なのである。

 

 つまり、彼女の眼前に広がった光景は、天上におわす偉大なる創造主と、彼女が作った二人の天使との神聖なる交合に他ならない。

 その光景が放つ光は太陽光に数倍し、そのエネルギーは使い方次第では全人類に永遠の幸福を約束する。

 

 もちろん、それを盗み見るような不届き者は眼を焼かれ、表皮を焼かれ、内臓を焼かれ、跡には何も残らない。

 ゆえに彼女は死んだ。

 当然の帰結である。

 

「じゃあ、アリナさん。もう行きますね」

 

 しばらく後、玉木いろはがそう言って立ちあがったとき、やっと彼女は蘇生した。

 なぜ自分が生きているのか疑問だったが、すぐに神の慈悲によって蘇生を許されたのだと思い至る。

 

 そこからの行動は機敏だった。

 いろはが数歩も動かないうちに、彼女はサッと曲がり角に身を隠した。

 神聖な場面を覗き見たうえに天使の謁見を賜ろうなどという不敬を、彼女は自分に許さなかった。

 

 よくやった。

 よく暴走しなかった。

 よく玉木いろはに話しかけるのを我慢した。

 彼女は自分の理性を褒めた。

 

 もしもこのとき、アリナが何も言わずにいろはを見送っていたら、子羊は粛々と家に帰っていたことだろう。

 この日に見た奇跡を繰り返し反芻しながら過ごす、一般的と言える幸福を享受することが出来ただろう。

 

 しかし、そうはならなかった。

 創造主が知恵の果実よりも甘美な言葉で子羊を誘惑したのである。

 

「じゃあ、ねむと灯花にもよろしく伝えておいてヨネ」

 

 彼女の体が、ぴくっと跳ねる。

 

 ねむと灯花と仰いましたか!? 

 それは柊木ねむと里美灯花のことなのですか!? 

 これから玉木いろはがマギウスの二人と話すというのですか!? 

 

 柊木ねむ。

 里美灯花。

 第一部の裏ボス、マギウスの二人。

 マジかりストの間では『おガキ様』の愛称で親しまれる、玉木いろはの妹分。

 

 神よ! 

 その二人が! 

 これから! 

 玉木いろはと! 

 話をすると! 

 そう仰るのですか!? 

 

 見たい。

 何としても見たい。

 せめて話している声だけでも聞きたい。

 

 欲望が再びふつふつと湧き上がる。

 気付くと、彼女の体はストーキングを再開していた。

 後をつけて、廊下を歩き、階段を上り、玉木いろはが一つの病室の前で足を止めたので、それに倣った。

 

 彼女は疑問に思った。

 その病室だけ、他の病室とは明らかに違うところがあった。

 他の病室は入室している人の名前が表示されているのに、この病室には何の表示もされていないのだ。

 

 間違えたのだろうか。

 すこし心配になっていると、玉木いろはは病室に入っていった。

 どういうことだろうと思いつつ、後を追って中を覗いた。

 

 そして召された。

 病室の中には、次元の壁に分かたれているはずの極楽浄土が広がっていた。

 

 七美やちよがいた。

 由井鶴乃がいた。

 観月フェリシアがいた。

 双葉さながいた。

 里美灯花がいた。

 柊木ねむがいた。

 玉木ういがいた。

 

 目の前の光景以外の全てがどうでもよくなった。

 ストーキングは犯罪であるとか。

 病室に名前の表示がないとか。

 今の自分の気持ち悪さであるとか。

 どうでもよくなってしまった。

 

 彼女はスライド式の扉の隙間にへばりつき、血走った眼球から中の光景を摂取した。

 しかも途切れ途切れにではあるが、話し声も聞こえてきた。

 

「ねむちゃん、……さんは何をすると思う?」

「さすがに、そこまでは…………ない。いや、アリナの場合は本人すら…………も有り得る」

「……じゃあ、何も起きないんじゃねぇの? どうせ…………はここにあんだろ?」

「それは甘いよ、……さん。一度蓄えられたエネルギーは…………絶対に……で使われるんだよ」

「じゃあ、何を……でしょうか?」

「それは私も……けどにゃー。……けど、アリナは何かをするよ、絶対に」

「困ったわね……何かをする……じゃ、対策も……」

 

 少女には話の意味は分からなかった。

 だがマジかりのキャラクター達が目の前で話をしている。

 その宇宙史上第四位の奇跡を前に、打ち震えるしかなかった。

 

 それから一時間ほど後に玉木いろは達が話を終えるまで、彼女の魂は極楽浄土をさまよった。

 

 

 

 話を今に戻そう。

 なぜ彼女は、待合室で奇行を繰り返しているのか。

 

 一言で言えば、葛藤しているのである。

 もう少し詳しく言うと、彼女は思ってしまったのだ。

 ここまで奇跡が続いたのだから、もう一回、奇跡があってもいいんじゃないか、と。

 アリナ・グレイと話ができるんじゃないか、と。

 

 事実、できるのだ。

 アリナ・グレイは間違いなく、あの病室にいる。

 距離にして百メートルもない。

 時間にして三分もかからない。

 障害らしい障害も見当たらない。

 ただ病室まで歩いて行き、そこで入り口のドアを開けさえすれば、アリナ・グレイと話ができる。

 できてしまう。

 

 もう一度、彼女は立ちあがった。

 その足は吸い込まれるように、アリナのいた病室の方に動いた。

 

 しかし三十秒もすると様子がおかしくなる。

 よく見ると、手足が震えている。

 息が上がり、まるで何かによって後ろに引っ張られているように、足取りが重くなる。

 見開かれた眼は麻薬中毒者のそれに近い。

 

 それでも彼女は足を前に動かす。

 一歩、二歩、三歩と。

 

 彼女には、どうしても伝えたいことがあるのだ。

 アリナ・グレイに。

 できれば、対面した状態で。

 自分の口から。

 

 だから彼女は、また一歩足を踏み出した。

 続いて、もう一歩と踏み出そうとするが、そこから先は動かない。

 

 そこから一歩を踏み出す勇気が、どうしても出なかった。

 何と言っても、彼女にとってアリナ・グレイは神なのである。

 そんな人にアポも取らずに会おうとしている。

 あまつさえ、アリナ・グレイはまったく興味もないであろう、自分の感謝の気持ちを伝えるという、あまりにも畏れ多い目的のために。

 

 もし、快く話を聞いてくれたら。

 そう考えると、汗が滝のように吹き出してくる。

 肌をなでる空気が炎のように熱く感じる。

 

 もし、迷惑だと言われたら。

 そう考えると、ギュッと引き絞られるように腹が痛む。

 体の臓器という臓器が氷のように冷たくなる。

 

 いや、そんなことよりも、何よりも。

 いま私はアリナ・グレイに物理的に近づいていっている。

 そう思っただけで目眩がしてくる。

 どっちが空で、どっちが地面かも曖昧になってくる。

 

 また一歩踏み出す。

 

 心臓がバクバクと脈打つ。

 頭脳は情報と感情の濁流でパニックだ。

 手足の振動が激しすぎて、立っているのが難しくなってきた。

 

 そんなとき、背後から声がした。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

 この声を聞き間違えるわけがない。

 つい一時間くらい前まで、全神経を集中させて聞き惚れていた声だ。

 性能の低いロボットのような動作で、後ろを振り返る。

 

「あ、やっぱりそうだ。二時間くらい前にも自動販売機の前でお会いしましたよね?」

 

 玉木いろはだった。

 かの大天使が、マジかりそのままの優しい笑みを浮かべて立っていた。

 その眼が自分に向けられていた。

 

 すでに半死半生だった彼女だ。

 もう天に召される他なかった。

 

「えっ!? あっ、だ、大丈夫ですかっ!? だっ、誰か! 誰か来てください!」

 

 

 



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第十三話 七海やちよ

 

 深夜の午前二時。

 七海やちよは静かにベッドから抜け出した。

 

 神経を研ぎ澄まして、暗闇の周囲を窺う。

 

 小学生組の三人はぐっすりだ。

 フェリシアもうるさいくらいのいびきを響かせている。

 さなは寝息も控えめなので判断し難いが、よく見ると布団が規則的に上下している。

 最近は不眠症気味だったいろはも、さすがに今日は起きる気配がない。

 では最後の鶴乃は……と視線を向けたところで、目が合った。

 目をこすりながら上半身を起こして、やちよを見ていた。

 

「……やちよぉ? トィレぇ?」

 

 いかにも眠そうな声。

 よかった、と胸をなで下ろす。

 経験上、これなら起きたときには忘れている。

 いや、後ろめたいことはないのだが、ともかく少し安心した。

 

「……ええ、そうよ。鶴乃も?」

「うぅん~……わたしはいいやぁ……」

「そう、じゃあおやすみ」

「おやすみなさぁい……」

 

 今度こそ、鶴乃も寝たようだった。

 それを確認すると、やちよは音を立てないように病室をあとにする。

 

 そうしてやちよが向かったのは、もちろんトイレではなかった。

 アリナの病室だ。

 

 

 

「……なにかしら?」

 

 アリナの病室の前の廊下まで来たやちよは、ふと足を止めた。

 病室の灯りが点いていた。

 とっくに消灯時間を過ぎているというのに。

 

 しかし、これだけならアリナが勝手に夜更かしをしていて、勝手に灯りをつけているだけと考えられる。

 それくらいはアリナならやるだろうし、話に来た方としては願ったり叶ったりの状況だ。

 

 けれど、話し声がするのだ。

 明らかにアリナの声ではない、何やら興奮している様子の少女の声が。

 

「……と、当然です!! マジかりの…………なら、何だってしますっ!!」

 

 一瞬、病室を間違えたかと思った。

 けれど、どう考え直してみても、そこはアリナの病室に違いなかった。

 

 戸惑い、立ち止まっていると、念話が届いた。

 アリナからだ。

 

『この魔力反応、七海やちよだヨネ? 先客がいるから少しウェイトしてもらっていいワケ?』

『構わないけど、先客? こんな時間に?』

『このノイジーガールにも似たようなこと言ったケド、こんな時間に押しかけてくるアナタが言えることじゃないヨネ?』

 

 たしかにそうだと苦笑いする。

 とはいえ、やちよも計算がないわけではなかった。

 アリナは昼過ぎまで寝ていたのだから、まだ眠っていないだろう。

 場合によっては、いろは達に聞かせたくない方向に話が転がる可能性もあった。

 だからこの時間を選んだのだが、たしかに非常識だ。

 

『その通りね。謝るわ』

『別にどうせ眠れないからいいんですケド。それより、ちょっと隠れててヨネ』

『隠れる? どうして?』

『このノイジーガール、たぶんアナタの顔を見たら面倒くさいことになるカラ』

『? まあ、わかったわ』

 

 言われた通り、少し離れたところに身を隠して十分ほど待った。

 病室の中から一際大きな声がした。

 

「ほ、本当ですかっ!? いいんですか!?」

 

 アリナの声は聞こえない。

 が、声の主にとって嬉しい返答をしたらしかった。

 

「ありがとうございます!! 帰ったら神棚に祀りますっ!!」

 

 タタッと軽快な足音がして、病室から少女が出てきた。

 いろはと同級生くらい。

 魔力反応でも分かったが、魔法少女ではない。

 

「アリナ先生! 今日はこんな時間に押しかけたにも関わらず、暖かい対応をしてくださり、本当にありがとうございましたっ!!」

 

 直角に礼をして、くるりと向き直る。

 そして文字通り踊りながら去って行く。

 

 元気な娘だったわね……。

 少女が見えなくなったのを確認して、病室に入った。

 

 

 

「アリナ、久しぶりね」

「そうだっけ? なんかそんな感じしないんですケド」

「アナタに覚えがあるのは、マジカルかりんの『七美やちよ』でしょう? 話をしたのは連載を始める前で、それっきりよ」

「Ah、言われてみれば」

 

 アリナはそう言うと、ケタケタと笑った。

 

「……」

 

 やちよはアリナを観察しながら思う。

 

 なるほど、いろはから聞いていた通り、機嫌がいい。

 この時間に押しかけられて怒るどころか、こうして笑っている。

 さっき入れ違った少女の様子を見ても、ノイジーガールなどと呼びつつも機嫌よく対応したのだろう。

 

 顔色もよくなっていた。

 里見医師の話では病院食もペロリとたいらげたそうだ。

 あとは体力さえ戻れば完全復活に見える。

 

 しかし「アリナの場合、それが逆に不穏」だという、いろはの意見も頷かないわけにはいかなかった。

 

「ねえ、アリナ」

「なに?」

 

 一瞬、迷った。

 アリナの今の考えを単刀直入に聞いてしまおうか。

 けれど、思い直した。

 ねむの話を思い出したのだ。

 

『アリナの場合は本人すら言語化できない芸術作品を作ろうとしていることも有る得る』

 

 芸術作品?

 もしそれを作ろうとしてるとして、それってどうしても言葉にできないものなの? 

 やちよの問いに、ねむはこう答えた。

 

『言葉にできないからアリナは絵を描くんだよ』

 

 そういうアリナに単刀直入に聞いても仕方がないだろう。

 少なくとも、やちよが理解できる答えは望めない。

 なので、少し遠回りをすることにした。

 

「さっきの娘は誰なの? 魔法少女ではなかったみたいだけど」

 

 雑談をして、そこから手がかりを探す。

 純粋に、さっきの娘が気になっていたところでもある。

 今のアリナの機嫌なら話を拒まないだろうし、それがいいだろう。

 

 やちよの考えた通り、アリナは話に乗ってきた。

 

「マジかりのファンなんだって。『さっき目を覚ましたらSNSでマジかりが打ち切りになるかもって話になってたので、思わず押しかけてしまいました』とか何とか言ってたケド」

 

 それは心当たりがあった。

 午前0時、SNSでアリナが体調不良で入院したという話を拡散したのだ。

 

 入院直前の写真を載せた投稿は、すぐに一般人にも拡散された。

 それが高じて「マジかり打ち切りか?」というネットニュースにもなったのだ。

 ユニオンの目論見通りだったと言える。

 

 とはいえ、やちよがアリナの病室に来た目的とは関係がない。

 話を進めるため、続きを促した。

 

「何の話をしたの?」

「アリナからは何も。ただ単に、あのノイジーガールが言いたいことをベラベラ捲し立てて行っただけ」

「でも打ち切りと聞いたら、こんな時間でも来てしまうほどのファンなんでしょう? それって、あなたは嬉しかったりはしないの?」

「こんな時間に押しかけられて嬉しいも何もないヨネ。けど、まあ聞けて良かったって話は一つだけあったカナ」

 

 やちよは見逃さなかった。

 アリナの顔色に、微かな変化があった。

 その色は懐かしさのような、悲しさのような、微妙な色。

 しかし、どこか強い共感を覚える色だった。

 

「聞けて良かった話?」

「別に大した話じゃないケド。……ノイジーガール、自殺しようとしてたんだって。漫画家になりたいけど、その才能がないからって。けど、偶然そのときマジかりを読んで、自殺しなかったんだって」

 

 その話は誰かを連想させた。

 特に「漫画家になりたい」という部分。

 

 やちよは確信した。

 やはり、まだかりんには何かをしてあげられる。

 

「……」

 

 やちよは迷っていた。

 そもそもかりんの魔女化以来、やちよは最もアリナに協力的な魔法少女だったと言っていい。

 例えばマジかりの執筆に入る前、アリナは他の魔法少女に取材をした。

 その際、アリナを嫌がる仲間たちに

 

「せめて話くらいは聞かせてあげて」

 

 と、熱心に説得して回ったのは何を隠そう、やちよだった。

 フェリシアのときなど、高級焼き肉という切り札を使ってまで話をさせた。

 アリナが魔法少女の容姿をそのまま使いたいと言えば、他の魔法少女が嫌がる中で、やちよは許可した。

 他の魔法少女に

 

「キャラクターのモデルだって分からない程度なら……」

 

 と、納得させたのも、やちよだ。

 自身がモデルだとバレて、本業のモデルが一時休業状態になったときも文句らしい文句は言わなかった。

 

 連載が始まってからも陰ながら協力していた。

 モデル活動の傍らで宣伝もしていたし、ファンのフリをしてグリーフシードを送りつけたことさえある。

 

 アリナの様子がおかしくなってきても、その背中を押す立場だった。

 いろはが動くのが遅れたのも、一つには自分が「ギリギリまでは様子を見るべき」と言っていたせいだと、やちよは思っている。

 さすがにアリナの様子を聞いてからは考えを変えたが、そこまでは協力的だったのは間違いない。

 

 では、どうして友達でも何でもなく、好きか嫌いかでいえば嫌いですらあったアリナにこれほど入れ込んだのか。

 その理由は一つ。

 御園かりんになら、まだ何かをしてあげられると思ったからだ。

 

 雪野かなえ。

 安名メル。

 

 この二人には、もう何もしてあげられない。

 しかし御園かりんには、まだ“何か”をしてあげられる。

 そしてアリナは明らかに“何か”をやろうとしていた。

 その姿勢に強く共感した。

 だから可能な限り、アリナを助けようとした。

 

 そして、その想いは今も変わらなかった。

 手伝えるなら、こっちからお願いして手伝わせて欲しいくらいだった。

 だからこうして話に来た。

 

「……アリナ」

「なに?」

「……えっと」

 

 しかし迷わざるを得ない。

 何しろ、アリナなのだ。

 

 これが漫画を描いているだけならよかった。

 やちよも積極的に協力する気になれた。

 かりんを主人公にした心情を思うと、どんなことでも手伝ってあげたくなってしまうのだ。

 

 漫画が好きだったかりんのために、かりんを主人公にした漫画を描く。

 しかも、かりんの傍らに、かりんが大好きだった『怪盗少女マジカルきりん』まで配する。

 こんなに素晴らしい送り出し方があるだろうか。

 マジかりを読む度に、このあまりにも行き届いた心遣いに泣きそうになる。

 実際に泣いたのも一度や二度ではない。

 

 けれど、執筆に命をかけてしまうとなると、止めざるを得ない。

 かりんなら望まないからだ。

 

 それに今の状況もマズい。

 

『それは甘いよ、傭兵さん。一度蓄えられたエネルギーは絶対に何らかの形で使われるんだよ』

 

 昨日の灯花の言葉だが、もっともだと思う。

 アリナの表情は入院直後の半死人の顔ではなくなっている。

 全快とはいかなくとも血色も戻っている。

 いろはすら「正直、怖いです」と漏らした狂気は消え、穏やかさすら感じる。

 

 これはつまり、エネルギーが余っているということだ。

 しかもアリナは「三日くらいは大人しくしてようと思っ」ているらしい。

 この三日という時間はエネルギーを蓄える時間になりはしないか。

 

 何より、やちよにはわかってしまうのだ。

 その目が一心に、かりんを見つめているのが。

 このエネルギーをかりんに向けたとき、一体なにが起きる? 

 

 アリナのことだ。

 やちよもないとは思っているし、極端すぎる例ではあるが

 

『地球上の全生命をかりんの墓前に手向ける』

 

 などと言い始めても、決して意外ではないのだ。

 もう少し現実的な線では

 

『誰かにキュウベぇを引き合わせ、かりんの生き返りを願わせる』

 

 これもありえる。

 決してあってはならないが、可能性は高い。

 魔法少女が大切な存在を失ったとき、誰もが一度は考えてしまうものだからだ。

 やちよ自身、そんな考えは一度も浮かんだことがないと言えば嘘になる。

 

 さらに、だ。

 仮にアリナの真意が、かりんを生き返らせることにあるとする。

 もし、それを隠したアリナから

 

『御園かりんのためだから手伝って欲しい』

 

 などと言われたら、たぶん自分は手伝ってしまうのだ。

 さすがに質問くらいはするだろう。

 何の目的で、何をすればいいのか。

 誰かを傷つけることになりはしないか。

 けれど、その答えがどれだけ適当だったとしても、はっきりとアリナの真意がわからない限りは、たぶん手伝ってしまう。

 

 そういう自覚が、やちよにはある。

 それくらい今は中立性を欠いている。

 だから、これ以上の踏み込んだ話をするのは怖かった。

 

「……」

 

 とはいえ、これ以上、適当な話をするのも間が持たない。

 

 やちよはアリナの顔を観察した。

 やはり顔色はいい。

 機嫌も良さそうだ。

 こちらが何か言うたびに表情が動き、笑みを浮かべるのも珍しくない。

 

 しかし、わからない。

 アリナのことは、本当によくわからない。

 

 機嫌がいい。

 これは間違いないのだろう。

 でなければ、こんなに笑みを浮かべたりしない。

 そこまではわかる。

 

 けれど、どうして機嫌がいいのか。

 

 変なことを仕出かす気がなくなったからか。

 そう見えなくもない。

 何かが吹っ切れて、かりんが嫌がりそうなことはしないと決めたから、こうも笑っていられるのだろう、と。

 

 逆に、変なことを仕出かす決意が決まったから、というのも考えられる。

 いつだったか見た白黒写真に写った、戦場に向かう兵士の笑みが、こんな感じだった気もする。

 

 わからない。

 また悩んでしまう。

 

 こんなに悩むくらいなら、触らぬ神に祟りなしで、そのままにしておけばいい気もする。

 けれど厄介なことに、そんな気も起きない。

 なにしろ本音は手伝いたくて仕方がないのだ。

 どちらに転ぶにせよ、どちらかに転べなければ、ここから動けそうにない。

 

「……ふぅ」

 

 やちよは決意した。

 

「アリナ」

 

 と呼びかけた。

 

「だからなに?」

 

 さすがに少し面倒くさそうに聞き返してきた。

 

 

「結局、あなたは何をするつもりなの?」

 

 



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第十四話 和泉十七夜

 

 和泉十七夜の携帯が鳴ったのは、深夜というにも遅すぎる明け方の午前4時だった。

 

「……ん?」

 

 魔女退治に勤しんでいた途中のことである。

 もちろん起きていたが、こんな時間に携帯が鳴るのは珍しい。

 いそいそと携帯を確認すると「七海やちよ」とある。

 

 時が時だ。

 すぐにアリナのことだと直感した。

 逃げ出したのか、暴れ出したのか、はたまたソウルジェムを奪い返されたのか。

 急いで電話に出た。

 

「どうした、七海?」

 

 しかし電話をしてきた方は、それほど急いでいないようだった。

 それどころか、まどろっこしさすら感じるほど歯切れが悪かった。

 

『ごめんなさいね、こんな時間に……』

 

 から始まり

 

『べつに今からって話じゃないというか、放課後でも構わないのだけど……』

 

 と前置きして

 

『実は……』

 

 と言ったきり、言い淀む。

 東西抗争でバチバチに争った時の、武闘派の顔を知っている身としては笑いたくなってしまうくらいの歯切れの悪さだ。

 

「実は、何だ?」

 

 そう先を促してやって、やっと話が進んだ。

 といっても、まだ結論は聞こえてこなかったが。

 

『実は今日、病院に来て欲しいの』

 

 また先を促してやらないといけないようだった。

 

「自分が行くのは決行当日の予定だったはずだが? 何かあったのか?」

 

 電話の向こうで『ぅん~……』と唸っている声がする。

 言おうか言うまいか、迷っている様子だった。

 

「無理に教えろとは言わないぞ?」

『いえ、言うわ。どちらにせよ説明しなきゃいけないしね』

 

 一呼吸分、間があった。

 

『さっき、アリナと話したのよ』

「何と言っていたんだ?」

 

 また間があった。

 

『……御園さんのおばあちゃんに会いたいそうなの』

 

 

 

「……それで本当に祖母君に会いたいだけなのか、心を読んで確かめて欲しいが、自分がアリナと話したのは知られたくないから呼ばれたのは黙っていてくれ、か」

 

 言われた通り、放課後に里見メディカルセンターを訪れた十七夜は、外で一人、自分を待っていたらしい七海やちよに言った。

 

「小狡くなったな、七海」

「うるさい」

 

 やちよは、ふぅーっと深く息を吐いた。

 

「あなたも分かるでしょう? いろはは頑張ってるわ。本当に頑張ってる。なのに私が裏切るようなことをしてるなんて知られたくないのよ。それに……」

「アリナの気持ちも分かる、か。……これが裏切りにあたるかは別として、たしかに気持ちは分かる」

 

 ふむ、とアゴに手を当てる。

 

「アリナに話は通っているのか?」

「ええ、あなたを呼ぶことも伝えてあるわ。もちろん心を読むことも」

「環君たちには、なんと?」

「『十七夜から、軽い体調不良で病院に来るって連絡があった。せっかくだからアリナのことも話しておきたいし、外まで迎えに行ってくる』……って感じね」

「では、口裏合わせはこんな感じになるか?」

 

 迎えに来た流れで、先にアリナと会うことになった。

 そこで読心の能力を使って、アリナの内心を調べた。

 

「その後は結果次第で……」

 

 本当に祖母君と会いたがっているだけなら、アリナが外出できるように環君たちと交渉する。

 アリナに何らかの害意がある場合は、そのまま何もしないか、アリナの本心を環君たちに共有して対策を考える。

 

「話が早くて助かるわ。付け加えると、現状でアリナがどうするつもりなのかも調べてくれると嬉しいわ」

「……なるほどな」

 

 十七夜は、もう一度頭の中を整理してみた。

 

 協力するのは、やぶさかではない。

 もともと協力を惜しまない気でいたし、やちよの気持ちもわかる。

 裏切るようなことをしてるというのは少し大げさだが、チームみかづき荘の保護者としては、わざわざ爆弾を掘り起こすような自分の行動が、そう映るのだろう。

 本当にかりんの祖母に会いたいのなら、会わせてあげたいというのも共感できる。

 アリナの心は読みにくいが、時間がかかるわけではない。

 

 気になるのは嘘をつく必要があるという点だ。

 しかし、これも飲み込めない程の問題ではない。

 

「わかった。引き受けよう」

 

 十七夜が首を縦に振ると、やちよはホッと息を吐き出した。

 

「ありがとう。恩に着るわ」

 

 そんなやちよの顔を、十七夜は何か言いたそうに見つめている。

 

「なによ」

「いや、なんだ」

 

 十七夜は言った。

 

「やはり小狡くなったな」

「しつこい!」

 

 二人は早速、アリナの病室に向かった。

 

 

 

 当たり前と言えば当たり前だが、アリナも一人だった。

 一人でベッドに寝転がり、天上を見上げていた。

 

「アリナ、入るわよ」

「邪魔をするぞ」

 

 二人が病室に入ると、その姿勢のままアリナは言った。

 

「ちょっと遅いと思うんですケド」

 

 十七夜が答える。

 

「それは悪かったな。何しろ、自分は七海たちと違って、集団食中毒で入院しているわけではないのでな。学校に行っていた」

 

 アリナが怪訝そうな顔で身を起こす。

 その視線が十七夜を捉え、すぐに興味がなくなったように元の姿勢に戻る。

 

「まっ、どうでもいいケド。それより心を読むんだヨネ? やるなら早くして欲しいワケ」

 

 アリナは完全に力を抜いている。

 抵抗するそぶりもない。

 まさに、まな板の上の鯉といった体勢になった。

 

 やちよと十七夜は互いに見合わせ、頷き合う。

 十七夜がベッドまで近づいて、変身した。

 

「では、そうさせてもらうぞ」

 

 手を伸ばし、アリナの頭に手を当てて、目をつぶる。

 アリナの心が十七夜に流れ込む。

 

 

 

 そこは夜だった。

 暗い、月明かりもない夜だった。

 この世界には何も存在しないかのように、ほとんど黒一色の世界だった。

 

 ただし、少しばかりの灯りはあった。

 蝋燭でもなく、電灯でもなく、おそらくは物体ですらないが、とにかく何かが光っている。

 それが一つの方向に、ずっと続いている。

 

(すこし変わったな?)

 

 以前にも十七夜はアリナの心を覗いたことがある。

 入院するより前で、アリナが体調を崩しはじめた後のことだ。

 

 そのときもアリナの世界は暗かった。

 そして同じような、何の灯りなのか分からない灯りがあった。

 しかし、そのときの灯りの配置は雑然としていて、こんな風に規則的ではなかった。

 

(といっても、足下は相変わらずゴチャゴチャしているが……)

 

 絵やら、白紙のキャンパスやら、筆やら、ハサミやら、絵の具やら、何かの破片やら。

 ありとあらゆる物が落ちていて、それらが足を動かす度に当たる。

 場合によっては、刺さる。

 よくこんな世界に住めたものだ、と痛みに顔を歪める前に感心してしまうほど、この世界は散らかっている。

 

(ともかく、あちらだな)

 

 十七夜の経験上、短期間で変化があったものは大きな意味を持っていることが多い。

 この場合は灯りの配置だ。

 足下の物を退けながら、最も手近にあった灯りに触ってみた。

 

 スッと十七夜の心に流れ込んで来るものがあった。

 それは記憶の映像。

 いつもアリナの視界の隅に映っていた少女に関する記憶。

 

『ご、ごめんくださいなの……』

『あなたがアリナ先輩なの? わたし、御園かりんっていうの。よろしくお願いしますなの』

 

 暖かい記憶だった。

 触れていると、何だか落ち着いた。

 別の灯りに触れても同じだった。

 

『あっ! いちご牛乳飲んじゃダメなの!』

『今日はマジきりの発売日だから早く帰るの!』

 

 一つ、また一つと手に取りながら、灯りが並ぶ向かう方向に進んでいく。

 

「むっ……」

 

 残りの灯りもあと僅かとなった頃。

 灯りに触れたあと、ふと周囲に意識を向けた時だった。

 

 血が地面に巻き散っているのに気付いた。

 ほんの数分前に誰かの体から吹き出たものと思われる、赤々とした血だった。

 

 微かな灯りを頼りに近くの様子を探るが、流血元らしき何者かは見つからない。

 仕方なく、また灯りの方に進む。

 残りの数えるほどだった灯りにも触り、最後の灯りも今までとほぼ同じ物だと確認すると、進行方向の奥、灯りも尽きた闇の方に人影を見つけた。

 人影は迷いのない足取りで、暗い闇の方に歩いて行く。

 

 十七夜は人影を追った。

 何度か地面に落ちているものに足を取られながらも追いついて、肩を掴んだ。

 人影が振り返り、緑の瞳が暗闇の中に浮かび上がった。

 瞳の主は十七夜の姿を認めると、軽い調子で言った。

 

「ああ、来たワケ?」

 

 アリナだった。

 いつもの、こっちを見ているようで、見ていないような。

 何か別の世界を見ているような、ただこちらに興味がないだけのような。

 そんな表情で十七夜を見ていた。

 

「……っ」

 

 その十七夜は目を見開いて、絶句している。

 まさに凍り付いたような表情で、アリナの胸の辺りを凝視している。

 

 無理もないだろう。

 なぜならアリナの胸に穴が開いていたからだ。

 

 文字通りの穴だ。

 乳房と乳房の間に風穴が空いている。

 その穴の向こうの闇が、はっきりと見える。

 そこからドクドクと血が溢れ出ている。

 ここが現実世界で、アリナが魔法少女でなければ死は免れないであろう大きな穴だ。

 

「……痛く、ないのか?」

 

 やっと絞り出した十七夜の問い。

 それでやっと気付いたという様子で、アリナが胸を指す。

 

「ん? ああ、これ? 痛いと言えば痛いけど、まあ慣れだヨネ」

 

 その口調は胸に穴が開いているとは思えないほど平然としていて、飄々とした印象さえ受けた。

 

 心象世界だから痛みがない、というわけではない。

 事実、足下のガラクタに傷つけられた十七夜の足は現実と変わらない痛みを感じている。

 なによりアリナの胸から流れる大量の赤が、雄弁に痛みを叫んでいる。

 痛くないわけがないのだ。

 

 なのに、続けてアリナの口から発された声は、やはり平静だった。

 

「それより耳を澄ませてみてヨネ」

「耳を?」

「hurry up」

 

 言われた通り、耳を澄ます。

 すると、微かに誰かが泣いているような声が聞こえてきた。

 

 女性の声だ。

 それも、おそらくは老婆の声。

 アリナが進もうとしていた方向から聞こえた。

 

「……これは?」

「フールガールのグランマの声」

 

 十七夜はアリナに視線を戻す。

 

「これが祖母君に会いたいと言い出した理由か?」

「まあ、そういうことだヨネ」

「会って何をするんだ?」

「さあ? ただ、とりあえず話したいだけ」

 

 十七夜は再び視線を移す。

 アリナが進もうとしている方向に。

 

 なるほど、暗い。

 何も見えない。

 先に何があるかなど、わかりそうもない。

 

「……」

 

 十七夜は考え込んでしまった。

 アリナの心を読みにくいのは分かっていたことだ。

 普通なら、読心の能力を使うと、文字通り“本の文字を読む”ように相手の心情が理解できる。

 しかし、アリナの場合は全てが抽象化されていて、それだけでも分かりにくい。

 その上に、アリナは自分がどこにいくのかの予想すら立てていないのだ。

 分かるはずがない。

 

「アリナ、いくつか聞く」

「オーケー、どうぞ?」

「祖母君と会ったあとは、どうする気だ?」

「さあ? このままマジかりを描くのか、別のことをするのか、大人しく記憶を消されるのか。 全然決まってないケド?」

「大人しく記憶を消される気があるのか?」

「消されるべきだって思えば、まあ、消させてあげてもいいのかもネ」

 

 アリナの進む先は、まだ闇の彼方にある。

 つまりは、わからない。

 

「では、祖母君に何か害を加える気があるか?」

「んー、今のところは気分じゃないワケ」

 

 ふわっと闇が薄れた。

 闇の奥に、一瞬だけ談笑するアリナと老婆の姿が浮かび上がった。

 

「……わかった」

 

 十七夜は頷いた。

 

「祖母君と会えるように、環くんたちにも言ってみよう」

 

 十七夜の姿が薄れはじめる。

 能力を解除し、心象の世界から去りはじめたからだ。

 

「センキュー」

 

 アリナの軽い調子の礼が耳に届いた。

 届くなり、アリナは闇に向かって、かりんの思い出が指し示した方へ歩き出した。

 歩く度に胸から吹き出す血が、アリナの足跡を赤く装飾していった。

 

 

 

「どうだった?」

 

 現実世界に戻ってきた十七夜を出迎えたのは、やちよのそんな問いだった。

 十七夜は答えた。

 

「問題あるまい。会わせてみよう」

 

 



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第十五話 祖母

 

 フッと消えた。

 ある日、突然、何の脈絡もなく、煙のように消えてしまった。

 それが孫娘が行方不明になったと聞かされたときの、彼女の心境だった。

 

「おばあちゃん!」

 

 日課にしている散歩の途中。

 不意に聞こえた声に、彼女はハッと顔を上げた。

 

「おばあちゃん! 早くして!」

 

 見知らぬ子供が、自分の祖母を急かしている場面が目に映った。

 

「……はぁ」

 

 ため息をついて、近くのベンチに腰を下ろす。

 

「……はぁ」

 

 ため息を、もう一つ。

 最近は何をしていても、すぐに疲れてしまう。

 

「もうお迎えも近いのかねぇ……」

 

 もしそうなったら孫娘に会えるのだろうか。

 だとしたら悪くないかもしれない。

 そんなことを考えていたら、すぐ横で声がした。

 

「いきなり辛気くさいんですケド」

 

 視線を向けると、見知った少女がいた。

 前に会ったときは、それこそ死相が出ていた顔色が今日はだいぶよくなっている。

 

「ああ、アリナちゃんかい、久しぶりだねぇ」

 

 笑いかけても笑みは返ってこない。

 いつも通りの無愛想で

 

「……んっ」

 

 と、一冊の漫画を押しつけてくる。

 

「そういえばマジきりの発売日だったかい」

 

 受け取ると、少女もベンチに腰を下ろす。

 足を組んで、背もたれにもたれかかる。

 

「お行儀が悪いわよ?」

 

 一応の注意をすると、少女は一時、姿勢を正す。

 しかし三十秒もすると、もとの姿勢になる。

 

 その予想通りの流れに孫を見るときのように微笑んで、少女が買ってきてくれた漫画に目を落とした。

 

 

 

 はじめてアリナと会ったのは、かりんが失踪してから半年ほど過ぎたころだった。

 ある日の夕方、インターホンが鳴った。

 それで出てみたらアリナが立っていたのだ。

 

「アナタがフールガールのグランマ?」

 

 "アリナ先輩”だと、すぐにわかった。

 顔を見たのは初めてでも、話は何度も孫から聞かされていた。

 

 気難しいこと。

 綺麗な顔をしていること。

 すぐ怒ること。

 マジきりが好きなこと。

 片付けを孫娘に押しつけること。

 孫娘をフールガールと呼んでいること。

 孫娘のイチゴミルクを勝手に飲んでしまうこと。

 そして作品に対して、誰よりも真摯に向き合っていること。

 

 何より、孫娘がとても尊敬していたこと。

 

 しかし、この傍若無人と聞いていた少女は、聞いていた話とは違った様子を見せた。

 ひどく丁寧な口調で、かりんの部屋を見せて欲しい、という意味のことを言った。

 

 一瞬だけ抵抗があった。

 かりんの部屋は失踪当日から、ずっとそのままにしてある。

 かりんが帰ってきたときのためだ。

 その場所を荒らされたくない。

 

 けれど、結局は思い直した。

 あまり意固地に当時のままにしているのも、逆にかりんが死んでしまったことを認めているように思えたからだ。

 

「……わかったわ。上がってちょうだい」

 

 アリナは言った。

 

「ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げていたのが、印象に残っている。

 

 

 

 その日のアリナは、とくに何かをしたわけではなかった。

 机に置いてあった描きかけの漫画を手に取ったくらいで、あとは部屋を見回してぼーっとしていた。

 自然の流れで、部屋に通した方が口を動かすことになった。

 

「あの子は昔から漫画が好きでねぇ……」

 

 そんな話からはじまって、かりんの思い出話を色々とした。

 その中に、怪盗少女マジカルきりんの話も含まれていた。

 アリナが口を開いたのは、マジきりの話が一区切りついたときだ。

 

「そういえば、アナタもマジきり好きなんだっけ?」

 

 ええ、と頷いた。

 

「あの子が熱心に話してくれるものだから、わたしもいつの間にかハマっちゃって」

 

 アリナは机の近くに置かれた本棚から、一冊の漫画を手に取った。

 マジカルきりんの第1巻だ。

 

「アリナも好き。1巻の締めなんて特別ハートフルだヨネ」

 

 その話は自分も好きだった。

 

「ええ、わたしも好きねぇ。きりんちゃんの友達も、喧嘩した子も、みんな笑ってて『ああ、よかった』って思っちゃうのよねぇ……」

「yes. 最後のページで、きりんだけ『なんでみんな喜んでるんだろう?』みたいな顔してるのもグッド」

「そうそう! そのコマのきりんちゃんが、とっても可愛くてねぇ」

 

 読み終わったのか、アリナが1巻を本棚に戻す。

 そしてまた別の本を探すように空中で手を彷徨わせて、あるところで止まった。

 

「どうしたんだい?」

 

 問いに対する答えとして、問いが返ってきた。

 

「マジきりの最新刊ってある?」

 

 ハッとさせられる質問だった。

 かりんの失踪以来、努めて思い出さないようにしていたからだろう。

 最新刊が出ているかどうかすら気にしてこなかった。

 

 そして気付いてしまうと、考えずにはいられなかった。

 家にあるマジきりは、かりんが買ってきた物が一番新しい。

 それが発売されたのは秋だった。

 今は春になろうとしている。

 つまり、かりんは半年も行方不明のままなのだ。

 

 死んでいる。

 

 誰もがそう考えるほど長い時間だ。

 

「……」

 

 言葉に詰まった。

 喉の奥が熱くなってきた。

 しばらくすると、頬が濡れてきた。

 

 アリナがハッとした表情をしていたが、それに気付いても目から流れるものは止まってくれなかった。

 

「ご、ごめんなさいねっ……、急に、あの子のこと、思い出しちゃって……」

 

 かなり長い間、そうしていたように思う。

 いつの間にか、外が暗くなっていた。

 一時間とは言わなくても、三十分くらいは泣いていたのかも知れない。

 

 その間、アリナはずっと泣き止むのを待っていたようだった。

 喉の痛みが引いてきたタイミングで、こう言ってきた。

 

「今のアナタをフールガールが見たら、たぶんsadな気分になるヨネ」

 

 英語に疎いため、最後の意味が分からなくて首を傾げていると、アリナは言った。

 

「……また来るカラ」

 

 宣言した通り、アリナは何日かごとに家にやってくるようになった。

 

 大抵は放課後に。

 たまに休日に。

 稀には学校を抜け出して。

 

 やはり、何をするわけでもない。

 他愛もない話を一時間ほどすると帰っていく。

 ただ、マジきりが発売された日には必ず来て、お互いに感想を言い合う。

 それだけ。

 

 けれど、それだけの時間がいつしか待ち遠しくなっていた。

 相変わらず、ふとした瞬間にかりんを思い出して気分が沈み込んでしまうが、生きる希望もないという状態にはならなくなっていた。

 

 そんなある日、いつものようにアリナがやってきた。

 しかし、その時はいつもと違い、何かを決意したような雰囲気があった。

 

「どうかしたのかい?」

 

 聞くと、アリナは一瞬だけ驚いたような顔をして、それから何かに納得したように頷くと、五十枚くらいの紙の束を差し出してきた。

 

 今度は自分が驚く番だった。

 その紙の中に、かりんがいた。

 間違えようのない最愛の孫娘が、ちゃんと生きていて、あの歳に比べていくらか子供っぽい顔で笑っていた。

 

 

 

 マジきりを読み終えて顔を上げる。

 時間を確認すると、一時間が過ぎていた。

 

 ずいぶんと待たせてしまった。

 

 そう思ってアリナに視線を向けると、彼女は手持ち無沙汰に頬杖をついて、公園で遊ぶ家族を眺めているところだった。

 小学校の低学年くらいの女の子が、自分の祖母の手を引っぱっている。

 それで思わず、言ってしまった。

 

「もうかりんは帰ってこないのかねぇ……」

 

 アリナの視線が戻ってくる。

 その表情は、呆れているわけでも、詰問しているわけでもなく、ただ純粋な"確認”といった表情だった。

 

「アナタは帰ってくると思ってるワケ?」

 

 その問いには微笑みで返す。

 もちろん頭ではわかっているつもりだった。

 

 かりんが失踪してから、あまりにも時間が経ち過ぎている。

 失踪以来、どういう目撃情報もない。

 世界的な人気漫画、『盗作・魔法少女マジカルかりん』の主人公と、同姓同名で顔も見ればわかるほどそっくりだというのにだ。

 これで帰ってくる可能性は、限りなく無いに等しい。

 わかってはいた。

 

 しかし、けれど……と考えてしまうのだ。

 なにしろ、死んでいるという証拠も何一つ見つかっていないのだ。

 

 もしかしたら、ある日、ひょっこりと帰ってくるんじゃないか。

 もしかしたら、今日、散歩から帰ったら

 

『あっ、おばあちゃん! お帰りなさいなの!』

 

 そんな声が出迎えてくれるんじゃないか。

 そういう期待を捨てられずにいるのは確かだった。

 

「……」

「……」

 

 どちらも話をしなくなって数分。

 アリナがスッと立ちあがった。

 

「もう行っちゃうのかい?」

「何となくわかったし、ノイジーな奴らを待たせてるカラ」

 

 アリナが視線をやった方向を見てみると、二十歳くらいの二人組の姿が見えた。

 目が合うと、礼儀正しくペコリと頭を下げてくる。

 

 一人はモデルのようなスラリとした子。

 もう一人は刑事ドラマの婦警さんかと思うほどキリッとした雰囲気の子。

 二人とも初対面だが、見覚えがあった。

 

「"やちよさん"と"なぎたん"だねぇ」

 

 盗作・魔法少女マジカルかりんの登場人物だ。

 その二人にはモデルがいて、共にかりんの友達だったことはアリナから聞いていた。

 

 そこでふと思い出した。

 昨日、娘から聞いた話だ。

 

「ねえ、アリナちゃん」

「なに?」

「かりんの漫画は、まだ描いてくれるんだよねぇ……?」

 

 アリナの体調不良で、打ち切りになるかもしれない、という話だ。

 いまは体調が良さそうだが、前に会ったときは漫画を描いている場合じゃないと思ったものだ。

 大人として、止めた方がよかったのだろう。

 

 しかし、あのときも描くのをやめた方がいいとは言えなかった。

 やめられてしまったら、かりんと会う方法がなくなってしまう。

 止めたほうがいいと思いつつ、結局は何も言わなかった。

 

 いまもそうだ。

 アリナには続きを描いて欲しい。

 

「……」

 

 アリナは言った。

 

「まあ、もう少し考えてみるカラ」

 

 



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第十六話 アリナ・グレイ(1)

 

「いまッ! 私はッ! 宇宙の中心にいるッ!!!」

 

 神浜市内の大通り。

 そこで唐突に叫んだ少女に、道行く人のギョッとした目が集中した。

 

 視線を向けられた少女は、どこ吹く風といった様子。

 その視線すら心地よいと言わんばかりに笑みを浮かべている。

 

「フフフフ、フンっ♪ フフフンっ♪ フフフン、フンフン♪ フン♪ フフフン♪ フフフフフン♪ フフフフン♪ フフフン、フフフーフっフ♪ すーすむよー♪」

 

 それも無理からぬことなのかもしれない。

 何しろ、いま彼女の身には奇跡が起きている。

 その奇跡とは、一度の邂逅によってもたらされた、四つの連続した事象から成る。

 

 一つ、『盗作・魔法少女マジカルかりん』の偉大なる作者アリナ・グレイと話せたこと。

 二つ、そのアリナから目の前で書き下ろしたイラストをもらったこと。

 三つ、アリナから「アナタの漫画、読ませてヨネ」と言われたこと。

 四つ、アリナから「漫画の描き方ならアリナが教えてあげる」と言われたこと。

 

 もはや、ただの奇跡ではない。

 宇宙史上第二位の奇跡である。

 この奇跡と比べたら、ビッグバンなどスズメの屁と大差ない。

 

 そして今は、アリナとの約束を果たしにメディカルセンターに向かう道中。

 つまり、アリナ・グレイに自分の漫画を読んでもらい、ご指導をいただくための道中である。

 

「フ──ハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 高笑いが里見メディカルセンターに響いた。

 

「……」

 

 鋭い視線も何のその。

 飛ぶようにアリナの病室に向かう。

 

 と、病室のドアに手をかけた所で急ブレーキ。

 中から声がした。

 

「……どう?」

 

 聞き覚えがある。

 七美やちよの声だ。

 彼女はドアに耳を当てた。

 

「ダメだな。わからん」

 

 もう一人の声。

 この声も聞き覚えがあった。

 いや、聞き慣れていたと言っていい。

 生粋のマジかりストである彼女は、当然ながら"リアルなぎたん”のメイド喫茶の常連客でもある。

 

「アリナ、わかってると思うけど……」

「あー、ハイハイ、わかってるカラ。まだ明日も決めてなかったら……って言うんだヨネ?」

「ええ、そうよ。決行は明日。変更はないわ」

 

「……」

 

 どうやら取り込み中のようだ。

 彼女は自作の漫画を抱えて、そそくさと退散した。

 敬虔なる信徒は神に迷惑をかけないものである。

 

 

 

 

 

 出ない。

 電話に、出ない。

 

 マジかり担当編集、佐藤は携帯電話を放り投げ、天を仰いだ。

 

 事の発端──発端の、さらに発端はもっと前からあった気がするが──は、二日前。

 佐藤の務める出版社にかかってきた、里見メディカルセンターの院長からの電話だった。

 こんな内容だ。

 

 あなたの出版社で漫画を描いている、アリナ・グレイさんが私の病院に運ばれてきた。

 その原因は明らかに長時間の労務と、過重なストレスによる。

 私は医者として、このような状態の人物に、なお異様な量の仕事を強制していた貴社の態度を許すことが出来ない。

 これ以上のことは患者から直接の話を聞いてからにしたいが、ともかくもこちらから連絡をするまで貴社からアリナさんへの接触は厳に謹んでもらいたい。

 

 背筋が凍った。

 語気から察するに、メディカルセンターは明らかに訴訟か、告発を考えている。

 裁判の結果がどうであれ、裁判になること自体が大問題だ。

 何しろ、今やマジかりは世界的な大人気漫画になっている。

 その作者を入院まで追い込んだという話が広がれば、その悪名は海を越え、世界に広がることになる。

 担当である佐藤のクビなど、簡単に宙を舞うことにもなるだろう。

 

 次に浮かんできた感情は、怒りだった。

 すこし考えてみれば、こんなに理不尽な話もない。

 

 佐藤はアリナの健康状態にも、ちゃんと気を配っていたのだ。

 半年くらい前には、内容がどうのとか、締め切りがどうのとか、そんなことは一切言わなくなっていた。

 ただひたすら

 

「お願いだから休んでください」

 

 と繰り返す機械と化していた。

 人生で初の土下座までした。

 

 今年の六月には、こんなこともあった。

 

 アリナが血を吐いたのだ。

 その体のどこに入っていたのだと不思議になるくらいの量の血だった。

 吐いた後は、夏日だというのに顔を真っ青にしてガクガクと震えだした。

 

 いくら何でもこれはヤバいと思った。

 なりふり構わず、全力でアリナを休ませようと決意した。

 

 もう全力でだ。

 金も、物も、権力も、人脈も、人情も、用意できる物は全て用意した。

 

「アリナさん、どうかお願いだから休んでください」

 

 と、したくもない土下座をするために、まず社長を説得した。

 次に雑誌に広告を載せている関連企業の社長たちを説得した。

 アリナにも影響力がありそうな、名だたる創作家たちも説得した。

 

 そうやって集めた、富も名誉も実力もある、そうそうたる五十人。

 その全員でアリナのアトリエに出向き、土下座をした。

 もはや会社の全てどころか、会社がかき集められる物は全てを賭けた、正真正銘の全力の土下座をした。

 

 お願いだから休んでください。

 休んでくださったら、お金でも、物でも、人でも、時間でも、我々が用意できるものは差し上げます。

 もし他にご要望があるなら仰ってください。

 我々は全力でそれを叶えます。

 なので、お願いだから休んでください。

 

 創作家たちも口々に説得した。

 アリナさん、あなたの作品は素晴らしい。

 けれど、死んでは元も子もない。

 もっと創作をするためにも、いま貴女は休むべきだ。

 

 アリナは血走った目で、一人一人の顔を睨み付けて言った。

 

「殺す」

 

 どうしても休載しろと言うなら殺す。

 刑務所に容れられても殺す。

 何年かかってでも殺す。

 たとえ死んでも殺す。

 この場の全員、皆殺しにする。

 

 人にはオーラという物がある。

 雰囲気とも言う。

 なんとも説明できないが、その人を見ると何となく感じ取れる、人となりのことだ。

 

 それが言っていた。

 アリナ・グレイは、やる。

 躊躇さえしない。

 

 しかもアリナには実績があった。

 芸術のために自殺した『アリナの九相図』

 文字通り血を吐きながら描いている『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 これらに比べたら赤の他人を五十人殺すことなど、どう考えても遙かに容易ではないか。

 

「アナタたちの顔、覚えたカラ」

 

 為す術なく引き下がる五十人の背に、アリナが言った。

 

 後日、アリナから出版社宛に、あの場にいた五十人の肖像画が送られてきた。

 連載の片手間に描いたからか、簡素なものだ。

 しかし顔の特徴をよく捉えた、それはもう素晴らしい肖像画だった。

 

 

 

 そうだ。

 佐藤は止めたのだ。

 何の言い訳もいらないくらい、全力で止めたのだ。

 

 それでもアリナは描いた。

 アリナが勝手に描いた。

 

 なのに、どうしてこうなっている。

 SNS上でアリナ入院が発覚して以来、もう世論は出版社を悪者と決めつけている。

 抗議の電話が鳴り止まず、会社ビル前には「ブラック出版社」と大書された横断幕が掲げられている。

 

 ことの経緯を説明しようにも、証拠がない。

 証拠もなく説明したところで、アリナ・グレイという狂人と接したことのない大衆には嘘にしか聞こえないだろう。

 唯一の望みはアリナの口から説明してくれることだが、電話に出ない。

 

 このままでは会社が潰れてしまう。

 自分は路頭に迷う。

 

 作者の体調管理もできない無能。

 高校生の少女が死にそうになるまで漫画を描かせる鬼畜。

 そういう入れ墨付きだ。

 

「ふへっ……!」

 

 唐突に佐藤の顔に笑みが浮かんだ。

 

「アヒャひゃひゃひゃひゃひゃヒャヒャひゃひゃッ!」

「あ、さ、佐藤……さん?」

「アヒャひゃひゃひゃひゃひゃヒャヒャひゃひゃッ!」

「え、え、あ、えっと……」

「アヒャひゃひゃひゃひゃひゃヒャヒャひゃひゃッ!」

「……」

「アヒャひゃひゃひゃひゃひゃヒャヒャひゃひゃッ!」

「……」

「アヒャひゃひゃひゃひゃひゃヒャヒャひゃひゃッ!」

 

 同僚たちの視線が集まっても、佐藤は笑い続けた。

 いつまでも、いつまでも、オフィスに佐藤の笑い声が空しく響いた。

 

 

 

 

 

「アリナ・グレイ入院」

 

 そのニュースは美術評論家の彼にとって、決して意外ではなかった。

 ついにか、と思っただけだ。

 

 マジかりの記事を書いて以来、彼はさらに考察を深めていた。

 その中で、また一つの仮説が浮かび上がっていた。

 アリナ・グレイは“完璧な漫画家”になろうとしているのではないか、というものだ。

 

 どうしてそう思ったのか、と聞かれても困ってしまうが、あらゆる状況証拠がそう言っていた。

 

 例えばファンの間では「アリナ先生は締め切りを守る」という話は有名だ。

 こんなことは以前の芸術家アリナ・グレイであれば、ありえなかった。

 クオリティのためなら、締め切りなど何年遅らせても気にしないのがアリナ・グレイだ。

 なのに、連載開始から今まで締め切りを落としていない。

 一週間に一話は必ず掲載している。

 この一事でも何かしらの意図があると読み解ける。

 

 積極的にメディアに出ることなど、天変地異の類いだ。

 連載初期こそ、担当編集の佐藤氏が代わることが多かった。

 しかし、三巻が発売されたころには自分がメディアに出てくるようになった。

 雑誌のインタビューであったり、ラジオであったり、ネット動画であったり。

 TVのバラエティ番組に出演していたときは目を疑った。

 しかも、そのときの言動があまりにも“まともな漫画家”だったせいで、偽物説が囁かれたくらいだ。

 これはつまり“完璧な漫画家”として、漫画家の義務である、漫画の宣伝をしているということではないだろうか。

 

 マジかりの作画にも“完璧な漫画家”を目指しているような気配がある。

 そもそも芸術の絵と漫画の絵は違う。

 前者は一枚の絵に全てを込める。

 それに対し、漫画は一巻あたり約1000コマの細かい絵の連なりから成る。

 一枚の完成度ではなく、数が必要なのだ。

 自然、一コマごとの絵は簡素にせざるを得ない。

 そして手塚治虫以来、漫画家は簡素でも絵として成立する絵を研究してきた。

 悪く言えば、手を抜く技術を磨いてきた。

 芸術の絵とは相反するとも言える。

 

 そしてアリナ・グレイは漫画の絵が上手い。

 いや、どんどん上手くなっている。

 一巻の時点でも上手かったが、まだ芸術家が抜けていなかった。

 しかし時が経つとともに漫画の絵になっている。

 今では『世界で一番売れている漫画家』の名に恥じぬ、完璧な漫画の絵だ。

 

 このように“完璧な漫画家”になろうとしていると考えれば、あらゆることが説明できる。

 編集者の意見を素直に取り入れるというのもそうだ。

 読者からの要望があればファンサービス的な話を描くというのもそうだろう。

 作中のかりんの台詞からも、そういう“完璧な漫画家”像がうかがえる。

 

 問題は、向いていないという点だ。

 

 締め切りを守ることにせよ。

 メディア上の露出にせよ。

 漫画的な作画にせよ。

 どう考えてもアリナ・グレイにできることではない。

 

 いや、実際にできているのだから、できないと断言するのは明らかに間違っているが、それにしても向いていない。

 できているということは、よほどの苦しみが伴っているはずだ。

 

「ともあれ……」

 

 彼は独り言ちながら、テレビに視線をやった。

 ニュース番組がアリナ・グレイの入院を取り上げていた。

 

「SNS上にアップされた、件のアリナさんの写真を見ると、こんな状態になるまで漫画を描かせた出版社の責任を問わずにはいられません」

「詳しい容態はわかりかねますが、命以上に価値のあるものなどありませんからね。長期の休載……悪くすると打ち切りも覚悟しておくべきでしょうね」

 

 さあ、どうだろう、と彼は思う。

 果たして出版社に責任があるのかどうか。

 命以上に価値があるものがないと、アリナ・グレイが考えているかどうか。

 あの天才が休載や打ち切りを飲むかどうか。

 

 少なくとも一つ、言えることがある。

 アリナ・グレイは途中で作品の方向性を変えたことはある。

 しかし、途中で放り出したことは一度もない。

 

 

 

 

 

 アリナ・グレイ入院の報せは、もちろん栄総合学園にも衝撃を与えた。

 学校の上層部や教育委員会などは、ほとんど狼狽した。

 アリナに近い教員は全員、調査会という名の針のむしろに集められた。

 

 その中に美術部顧問である彼もいた。

 しかし彼の心は、狼狽する上の人間たちとは対照的に凪いでいた。

 

「せ、先生は、落ち着いてますね……」

 

 調査会から呼び出しを食らった直後。

 一緒に呼び出されたアリナのクラス担任が言った。

 

 彼女は今年からアリナを受け持っている。

 アリナ・グレイ歴半年の、謂わば新人だ。

 しかも、今となっては不運なことに、彼女が受け持ってからのアリナは大人しかった。

 せいぜいが教師の話を聞かず、授業中に漫画を描き、美術以外のテストでは平気で赤点を取り、不意に学校から消えるくらいだ。

 圧倒的にアリナ・グレイ経験が不足していた。

 

 可哀想に。

 美術部顧問は優しい笑みで答えた。

 

「まあ、なるようになりますよ」

 

 しかし、クラス担任はまだ不安なようだった。

 青ざめた顔で、こう続けた。

 

「で、でも、私、教員を続けられなくなるかも……」

 

 美術部顧問は、あくまでも優しい笑み。

 

「そのときは『私の教え子、アリナ・グレイ』とか、そんなタイトルの本でも書きましょう。今なら一財産築けますよ」

 

 美術部顧問の菩薩のような笑みと、担任の化け物を見るような目が交差する。

 そこへ、声をかけられた。

 

「先生方、早く来てください」

 

 美術部顧問がスッと立ちあがる。

 そのまま颯爽と針のむしろが敷かれた教室に入っていった。

 

 

 

 美術部顧問の彼は同情していた。

 これから責任を追及してくるであろう、教育委員会や学校上層部の面々に、心の底から同情していた。

 

 彼はしみじみと昔を思い出す。

 思えば、自分もそうだった。

 アリナを何とかコントロールしようと、色々と手を尽くした。

 そして、それらは全て失敗に終わった。

 

 アリナが投身自殺をはかったときなどは、顔面蒼白になったものだ。

 今となっては「その程度のことで」と反省しているが、当時は大事だった。

 

 教員を続けられないかもしれない。

 クラス担任の漏らした不安を、このときは彼も感じていた。

 

 一方で、肩の荷が下りた気もしていた。

 さすがにこんな事件を起こしたのなら、最低でも顧問は外されるだろう。

 そうなればアリナと関わらなくて済む。

 

 しかし、現実は厳しい。

 巻き起こる擁護論。

 教育委員会に「彼以外にいない」と訴える同僚たち。

 アリナと関わりたくない一心でかけられる、仲間たちからの心温まる激励の言葉。

 ついには減給処分のみで留任が決定してしまった。

 

 あのとき悟ったものだ。

 もうアリナ・グレイからは逃れられないのだ、と。

 

 考えてみれば当然の話だ。

 学校上層部からすれば、アリナほど学校の宣伝になる生徒もいない。

 事実、アリナが在籍しているからという理由で、入学を希望する子供は多い。

 逆に退学でもさせようものなら、最近ますます宗教じみてきたアリナのファンたちに何をされるかわかったものではない。

 

 大多数の教員にとっても、それほど困る話ではない。

 アリナには特別扱いを許す雰囲気がある。

 教師であれ、他の生徒たちであれ、大抵の者はアリナが何をやっていようと

 

「アリナなら仕方ない」

 

 で済ませてしまう。

 それで済ませていれば、アリナが積極的に人と関わることはないから、問題が拡大することもない。

 仕方ないで済む立場であれば、それほど手のかかる生徒ではないとも言える。

 

 そういう視点で見ると、最良の選択は現状維持ということになる。

 生け贄は少ない方がいいものだ。

 

 

 

 彼は自分を半円状に囲むように座っている、教育委員会の面々に視線を向けた。

 

 彼らは一様に憤っていた。

 このままアリナの問題が大きくなれば、責任を追及されるかも知れない。

 そうなれば自分たちはどうなる。

 教育委員会に名を連ねるまでに積み上げてきた名声が、一気に崩れ去るのではないか。

 そんな不安の裏返しとして、憤っていた。

 

 ああ、哀れだ。

 

 美術部顧問の頬に、一筋の涙が伝った。

 彼らはこの期に及んでも、まだ自分たちの力でどうにかできると思っているのだ。

 だから憤っているのだ。

 

 いや、それも仕方ないのかもしれない。

 彼は涙を拭い、思い直す。

 教育委員会の構成員は法律で

 

「教育、学術及び文化に関し識見を有するもの」

 

 と定められている。

 例外はあるとはいえ、基本的には条件を満たす者の中から、とくに優れていると評価された者が教育委員会に選ばれる。

 謂わば、教育のプロの中のプロなわけだ。

 

 しかし、悲しいかな。

 彼らは教育のプロであっても、アリナ・グレイ歴は0日のド素人にすぎない。

 

 ああ、哀れだ。

 

 そんな彼らにはわからないのだ。

 もはや我々にできることは、覚悟を決めることだけだという真実が。

 

 拭ったはずの涙が、また流れてきた。

 かつて己が歩んだ苦難の道。

 そこに今まさに踏み込もうとしている者への憐憫の情が止めどなく溢れてくる。

 

 それが彼に口を開かせた。

 おそらくは伝わらない。

 けれど、もしかしたら彼らの苦しみを少しでも和らげられるかもしれない。

 努めて明るく言った。

 

「上手くいけば、我々はアリナ・グレイをよく支えた善き教師。下手をしたら生徒の健康管理すらできない失格教師。それでいいじゃないですか」

 

 全方向から罵声が飛んできた。

 

「それではよくないんだよっ!」

「それとも君、君が責任を取ってくれるのかね?」

「どうして、そんなに平然としていられるのだね、君は!」

「なんて無責任な発言だ!」

「教師としての自覚はないのかねっ!」

 

 やはり、伝わらなかったか……。

 まあ、仕方がないのだろう。

 

 覚悟を決めるしかないときは覚悟を決めるしかない。

 覚悟を決めた後のことは、アリナのみぞ知る。

 この理を体得するには、それなりのアリナ・グレイ経験が必要だ。

 

「もう一度言いますが、覚悟を決めてください」

 

 なお罵声を叫ぶ教育委員会の面々に、彼は

 

「では、仕事がありますので」

 

 と、一礼しながら、泣いた。

 

 彼らは優秀だ。

 真面目に職務に取り組んできた。

 そうして教育委員会に選ばれるだけの名声も積み上げてきた。

 何十年もだ。

 

 だというのに、それらが吹き飛ばされようとしている。

 もとを正せば高校生に過ぎない、一人のアリナ・グレイによって。

 なんて可哀想な人たちなのだろう。

 

 しかし、まあ。

 どうしようもない。

 




ここからしばらくアリナ・グレイ編です。
前半はアリナに振り回される周囲の様子を描き、後半はアリナ自身の心の動きを描いていけたらと考えています。


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第十七話 アリナ・グレイ(2)

 

 神浜市水名区。

 竜真館道場。

 

 そこは普段からマギアユニオンの集会場になることが多い。

 今日もそうだった。

 ただ今回は、少しだけ様子がちがう。

 

「それじゃ、今回の議題は終わりだけど、質問がある人はいる?」

 

 まず、集会を仕切っているのが、十咎ももこだった。

 いろは、やちよ、十七夜など、ユニオンの主要メンバーが病院に行っているためだ。

 

 もう一つちがっているのは、他の街の魔法少女も参加している点だ。

 

「一つ、いいでしょうか?」

 

 手を挙げたのは、巴マミ。

 見滝原チームの代表として参加している魔法少女だ。

 今回の対アリナの作戦では、拘束魔法のスペシャリストとして、特に重要な存在でもある。

 

「なに、マミちゃん?」

 

 ももこが促すと、マミは一瞬だけためらってから言った。

 

「あの、話を蒸し返すようで申し訳ないんですけど……本当にアリナさんの記憶を消してしまうんでしょうか?」

 

 その言葉は、はからずも他の魔法少女たちの気持ちも代弁していた。

 そういう少女たちの視線が、一斉にももこに注がれた。

 

(うっ……)

 

 内心、ももこはたじろいだ。

 

『本当にやるのか?』

『やる必要があるのか』

 

 ももこにも疑問がないではなかった。

 だから言葉に詰まった。

 チラッと頼れるはずの仲間に視線を向ける。

 

 まず水波レナと目が合った。

 瞬時に逸らされた。

 

 つぎに秋野かえでと目が合った。

 口パクで『頑張って』と伝えてきた。

 

 最後に梓みふゆを見た。

 何かを考え込んでいて、ももこの視線に気付かなかった。

 

(……仕方ない)

 

 覚悟を決めて答えようとしたとき、別の声が上がった。

 

「ちょっといい?」

 

 プロミストブラッドの智珠らんかだ。

 

「あたしはマギウスの芸術家がどうなろうが知ったこっちゃないんだけどさ。アイツ、このまま行ったら本当に死ぬよ?」

 

 続いて、いくつか連続して声が上がった。

 

「あ、あの! 私もそう思います!」

「これ以上やったら本当に……」

「わたしも、ちょっと見てられなかった」

 

 みんな栄総合学園の生徒だ。

 つまりはアリナが日に日に病的になっていく姿を、間近で見ていた魔法少女たちだった。

 

 思わぬ援軍に、ほっと息をつく。

 ももこはそれらの声を引き取って、もう一度マミに向き合った。

 

「私も最近のアリナは知らないんだけどさ。こうして実際に見てたみんながこう言ってるし、やちよさんと、いろはちゃんも実際に会って同じことを言ってる。だから私は信じてもいいと思うんだ」

 

 まだマミは踏ん切りがついていない様子だ。

 けれど、一応は納得したようだった。

 

「……そうですよね。いえ、すみません、時間を取らせてしまって」

「大丈夫だよ、こっちこそごめんね。また神浜の問題に巻き込んじゃってさ」

「い、いえ! マギウス問題の責任は私にもあります。これくらいのお手伝いは……イタっ!」

 

 もうマミちゃんはそれ引っ張りすぎだって。

 それに今回はアリナが勝手にやってるんだから、全然マミちゃんとは関係ないよ。

 

 綾野梨花と木崎衣美里だ。

 二人に突っ込まれてマミは困ったような笑みを浮かべていた。

 

「じゃあ、改めて今日の集会は終了です。皆さん、ありがとうございました」

 

 

 

 

「ほんっとアイツ、なに考えてんのかしら!」

 

 里見メディカルセンターの病室の一つ。

 ここ数日で『新みかづき荘』の観もでてきた部屋に戻ってくるなり、七海やちよは吐き捨てた。

 

「おお……、荒れてるねぇ……」

 

 すこし身を引きながら由比鶴乃が反応する。

 それがよくなかった。

 

「そりゃ、荒れるわよ! こっちが心配してあげてるのに『はいはい、わかったカラ』って、ほんっと……ほんっとムカつく!」

 

 言い終わるや、勢いよくベッドに倒れ込む。

 そのモデルらしからぬ振る舞いに、ベッドがギギッと悲鳴をあげた。

 

「やちよ! ギョーザがわりーぞ!」

「……行儀かな?」

「それなっ!」

「……くっ」

 

 悔しげに顔を歪めながらベッドから降りる。

 足の部分などが壊れていないか確認する。

 

 大丈夫、どこも壊れていない。

 

 ふーっ、と一息。

 もし本当に壊れていたら、里見院長に何と言っていいかわからない。

 

「いろはと小学生組は?」

 

 落ち着きを取り戻したやちよの問いに、二葉さなが答える。

 

「いろはさんは明日の確認で、紅晴さんと連絡を取るって言ってました。ういちゃんたちは里見先生に呼ばれて、となりの病室で話をしているみたいです」

「里見先生が? なにか言ってた?」

「明日のことについて、聞きたいことがあるって言っていました」

 

 明日のこと、というのはアリナの記憶を消す件だろう。

 もちろん記憶を消したら、またメディカルセンターにいてもらうことになる。

 万が一、脳に障害でも残ったときも、やはりメディカルセンターの世話になる。

 その辺りで、確認したいことがあるのだろう。

 

「……わかったわ。とにかく、いろはが忙しいなら、ももこに任せた会議の様子は私たちから聞いておきましょうか」

 

 言いつつ、携帯を取り出す。

 ももこは『会議が終わったらメッセージ送るよ』と言っていたのだが、まだ届いていないようだった。

 

「長引いてるのかしら?」

 

 だとしたら、こちらから連絡しては迷惑だろう。

 待つしかないようだ。

 とすると、他にやれることは……

 

 と、仲間に意見を聞こうとして、鶴乃が自分を見ているのに気付いた。

 いつになく、迷いの見える目。

 なにが言いたいのか、それでわかった。

 他の二人にも視線をやると、同じような目で自分を見ていた。

 

「ねえ、やちよ……」

 

 鶴乃が口を開こうとした。

 それを遮るように、やちよは言った。

 

「命より大切なものはないわ。そうでしょ?」

 

 鶴乃は口をつぐんだ。

 さなとフェリシアも顔を俯けた。

 

 

 

「……で、これらの事象から深月フェリシアの魔法は記憶を消去するというより、記憶にロックをかける魔法だと言えるんだよ!」

「なるほど、ロックをかけるなら、心因性の記憶喪失の症状に近いね。忘却させるというより、意図的に記憶喪失を引き起こす魔法といった方がいいね」

 

 里見医師は娘の言葉に頷きながら、しみじみと思った。

 やはり娘は天才だ。

 

 だって、そうだろう。

 自分は弟から魔法なるものの存在を示唆されたとき、まったく相手にしなかった。

 そんなものは存在しない、と初めから決めてかかっていた。

 

 対して、娘はどうだ。

 たしかに自分が魔法を使えるというアドヴァンテージは大きいだろう。

 しかし、それを抜きにしても、父親が理解しようとすらしなかったものを理解し、素人にもわかるように説明できる。

 

 天才も天才。

 1000年に一人の大天才だろう。

 

「ありがとう、灯花。それなら健康に悪影響を及ぼす確率は、ほとんどないと言えるだろうね」

 

 そう言いながら、ぐっと伸びをする。

 医者という仕事柄、一応自分では学力は悪くないはずと思っている彼だが、専門外の話を理解するのは疲れる。

 

 聞きたいことは、大体聞けたところでもあった。

 彼は話を変えることにした。

 話のタネは、ここ最近、彼女たちの間で話題の人物だ。

 

「君たちからみて、いまのアリナ君はどうだい?」

 

 それに答えたのは、環ういだった。

 

「……かなり、危ない気がします」

「どうしてそう思うんだい?」

「なんだか、病気が治る前の私たちに似てる気がするから……」

 

 なるほどと、うなずく。

 たしかに、あの静けさは死を覚悟した人間のものに近い。

 

 里見医師は改めて三人を見回した。

 

 見れば見るほど面白い三人組だ。

 理系の天才と文系の天才。

 その間に何の特徴もなさそうな少女が挟まっている。

 しかし、その少女が肩身の狭い思いをしているのかといえば、そうでもなく、むしろ彼女こそが三人の中心だというのだから面白い。

 

 例えばだ。

 滅多にないことだが、彼女が何かをしたいと言い出せば、他の二人は自分の意見を引っ込めてでも希望に沿おうとする。

 大の大人たちでさえ手を焼く二人が、だ。

 

 何かの拍子に彼女の機嫌を損ねたときなど、見ていて哀れになるほど、二人揃ってオロオロしはじめる。

 その言葉で、各界の著名人さえ動かせる二人が、だ。

 

 どうしてこんな関係になるのだろうと、不思議に思って観察していたことがある。

 それでわかったのだが、彼女は“人間ができている”のだ。

 

 彼女は優しかった。

 我が儘三昧の我が娘と、笑顔を絶やさずに話ができるほど優しかった。

 

 そして彼女は強かった。

 自分の命が長くないと知りつつ、それを静かに受け入れてしまえるほど強かった。

 

 おそらく賢くもあった。

 他の二人とはちがった種類の賢さだ。

 人の目を見るだけで考えを察することができる、といったような、そういう種類の賢さを彼女はもっていた。

 

 そういう娘の言葉だ。

 一考に値する。

 

「ねむちゃんは、いまのアリナ君をどう思う?」

 

 里見医師は、これまで黙っていた最後の一人に声をかけた。

 

 柊ねむ。

 理系の灯花に対する、文系の天才。

 小説家を一種の芸術家とするなら、アリナ・グレイの同業者ともいえる少女。

 

 彼女は窓の外に向いていた視線を里見医師に戻すと、一呼吸おいてから言った。

 

「たぶんアリナは死んでいるつもりなんじゃないかな」

 

 その言葉は、すこし突飛に聞こえた。

 

「どういうことだい?」

「『盗作』なんて言葉を自作につけるのは、創作家として自殺に等しいということさ」

 

 その言葉でも、まだよくわからない。

 

「『盗作・魔法少女マジカルかりん』のことかな? あのタイトルをつけた時点で、アリナ君は死んだつもりだったと?」

「少なくとも芸術家としてはね」

「でも、アリナ君は現に生きているよ」

「芸術家としての死と、肉体の死は同義ではないよ。ただ、芸術家として死んだ自分の残り滓に、アリナが価値を見いだしているかは、はなはだ疑問だけどね」

「……」

「そう考えていくと、いまアリナが大人しいのは、みんなが言うように不自然ではなく、むしろ自然だよ。なにしろ、ほとんど死んでいるんだから」

 

 たしかに、そうであれば腑に落ちることがたくさんある。

 しかし、そうだとすると、今度は新しい疑問が生まれてしまう。

 

「だとすると、アリナ君の記憶を消す必要もないんじゃないかな? 君の見立てによると、芸術家のアリナ君は死んでいる。なら新しい作品を作ることない。今回のように、死ぬ直前まで自分を追い詰めてしまうこともない……という気がするのだけどね?」

 

 ねむは首を横に振った。

 

「それはアリナを理解していない意見だよ。アリナが芸術家としての命を使ってでも何かを描く決意をした。ならアリナは描くよ。これは絶対だ」

 



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第十八話 アリナ・グレイ(3)

 

『迷ってるみたいねぇ……』

 

 環いろはがそう言われたのは、電話で紅晴結奈と明日の打ち合わせをしている途中。

 話が今のアリナの状態におよんだ直後のことだった。

 

 いろはは一瞬、言葉を詰まらせた。

 話の内容をメモしていた手も止まり、体が硬直した。

 

 その気配を察してなのか、結奈は続けた。

 

「命を危険にさらすくらいなら、記憶を消してしまった方がいい……環さんの判断は間違ってないと思うわよぉ?」

 

 その言葉に、いろはは優しさと気遣いを感じた。

 紅晴さんになら、と思った。

 

 さらに少しの間、沈黙を続けたあと、いろはは言った。

 

「……今さらこんなこと言っちゃいけないって、理解はしてるつもりなんですけど……」

 

 そこで、また言葉に詰まる。

 自分が何を言いたいのか、整理する時間が必要だった。

 

 その間、結奈は黙って待っている。

 

「……私、そう、私わからないんです。アリナさんのことが」

「わからない?」

「はい、マジカルかりんを描いてたのだって、私はかりんちゃんのためだと思ってたんですけど、もしかしたら違うのかなって……」

「なるほどねぇ……」

 

 そう言ったあとに続けたのは、なんの関係もない話に聞こえた。

 

「うちには“竜ケ崎の竜”と言われた子がいてねぇ……」

「えっと……?」

「もう長い付き合いになるのだけど、あの子のこと、未だによくわからないのよねぇ……」

「……」

「喧嘩っ早い激情家なのかと思えば、意外に俯瞰で物事を見てたりするし。かと思ったらゲームに負けたくらいで暴れ出すし。なのに人望があったり……まぁ、結局のところ、わからないのよぉ」

 

 端々から棘が感じられる言葉だった。

 けれど、どこかに親しみと信頼がにじんでいた。

 

「……なら、どうして紅晴さんは大庭さんを信頼してるんですか?」

 

 紅晴結奈と大庭樹里。

 二人の性格は正反対と言っていい。

 しかも、わからないらしい。

 これで信頼関係を結べていることが、今のいろはには不思議だった。

 

 結奈は答える。

 

「まぁ、いろいろ理由はあるんでしょうけど、一番はぶつかったからでしょうねぇ……」

「何度も何度も、それこそ死力を尽くしてねぇ……」

「そうすると不思議と、こういうときに相手がどう出るかとか、何となくわかってくるものなのよぉ」

 

「……ぶつかる、ですか」

「私は環さんを信頼してるわよぉ? たぶん環さんも私を信頼してくれてるわよねぇ?」

 

 そうでなければ、こんな話はしていなかった。

 

「それも何度もぶつかったからだと思うのよぉ」

 

 そうなのだろうか。

 いや、そうなのだろう。

 たしかに、そうだった。

 でも、アリナと自分の間でも、同じように信頼関係を築けるのか? 

 

 話の最後に、結奈は言った。

 

「少なくとも、あと一回は機会があるんでしょう? じゃあ、後のことはぶつかってみて、それでダメなら予定通りでいいんじゃないかしらぁ?」

 

 

 

『迷ってるのね』

 

 時女静香から言われたのは、結奈との話が終わってすぐ静香からかかってきた

 

『ごめん、環さん……えすえぬえすの、メッセージの消し方を教えて欲しいの……』

 

 という話の途中だった。

 

 直前にもあった流れだ。

 今度はそれほど躊躇うことなく、話に入ることができた。

 

「えっと、うん……」

「アリナさんのこと、よね?」

「うん……」

「さっき紅晴さんと少し話したって言ってたわよね? 彼女とは何か話したの?」

「紅晴さんは『ぶつかってみること』って……」

「ああ、なるほど……彼女なら言いそうね。じゃあ、私から何か言うとすれば……」

 

 静香は、そこで言葉を止めた。

 それから、よほど真剣に考えたのだろう。

 

「ええと……」

 

 とか

 

「うーんと……」

 

 とか

 

「ああっと……」

 

 とか。

 意味のない言葉だけが十分ほど続いた。

 そして、いろはも可笑しくなりはじめたあたりで、申し訳なさそうに言った。

 

「……ごめんなさい。私はアリナさんのことも知らないし、なにも助言できそうにないわ……」

 

 悩んでいた本人のいろは以上に、どんよりした声。

 それが可笑しくて、ついに声を立てて笑ってしまった。

 

「フフっ……あっ、ご、ごめんっ! せっかく相談に乗ってくれたのにっ……!」

 

 慌てて謝る。

 真剣に相談に乗ってくれた相手に失礼だ。

 しかし、いろはの予想に反して、ホッとしたような声が返ってきた。

 

「いえ、いいのよ。むしろよかったわ、久しぶりに環さんの笑い声が聞けて。ずっと思い詰めた様子だったから」

 

 そうだっただろうか、と自問した。

 すぐにそうだったと答えが返ってきた。

 

 思い返せば、最近はこの問題ばかり考えていた。

 みかづき荘の仲間とさえ、あまり話をしていない。

 こんな大切なことに気付かせてくれた静香には、やはり感謝しなければならない。

 

「静香ちゃん、ありがとね」

 

 答える静香の声は、やはり優しかった。

 

「いいのよ。こっちこそ、あまり力になれなくて、ごめんなさい……でも、私は迷ってもいいと思うのよね」

 

 最後の呟くような言葉に、いろはは反応した。

 

「迷ってもいい?」

 

 ええ、という肯定の返事が返ってくる。

 

「でも、がんばって迷うことね。がんばって迷えば、正しいかはともかく納得できる道は見つけられるはずよ」

 

 

 

『いろりん、迷ってる?』

「私って、そんなにわかりやすいですか?」

 

 藍家ひめなとの間で、そんな会話が交わされたのも、静香との話の直後だ。

 

『やっほー☆ いろりん元気ー☆?』

 

 という言葉ではじまった世間話から、この話になった。

 

「えっ、そんなことないと思うけど、なんで?」

 

 もっともな問いに、いろはは答える。

 

「いえ、さっきから立て続けに紅晴さんと、静香ちゃんにも同じことを言われたので……」

 

 ああね、と、ひめなは言った。

 

「あの二人も色々あったみたいだからねー。そういうところ鋭いよね……で、どう? あの二人のことだから、なんかアドバイスくれたんだよね?」

 

 はい、と二人のアドバイスを伝えると、ひめなは

 

「おお、さすが☆ 二人ともいいこと言うねー☆」

 

 と、いつもの明るい調子で言った。

 人によると軽薄とも取れる調子。

 それが急に真剣な調子に変わる。

 

「でも、納得できない?」

 

 その言葉は鋭利でさえあった。

 いろはの感情を、かなり正確に切り取っていた。

 

「……はい、二人の意見はその通りだなって思うんです……けど、なんだか……」

 

 納得できない。

 

「うーん、そっかぁ……」

 

 ひめなの「んーっ……」という何かを考えている様子の声が聞こえた。

 それが終わると、ひめなは言った。

 

「じゃあ、話は変わるんだけどさ、これからどうする予定なんだっけ?」

 

 その話は、すでにひめなにも説明してある。

 だからこの質問は、本当に予定がわからなかったからではないだろう。

 

 質問することで、考えを整理させてくれようと言うのだろう。

 その気遣いが嬉しかった。

 

「明日、十七夜さんに心を読んでもらって、アリナさんがまだ漫画を描き続けるつもりなら、かりんちゃんの記憶を消します。やめるつもりなら何もしません」

「記憶を消すのって、そもそも何でなんだっけ?」

「このまま描いていたら、本当にアリナさんまで死んでしまうからです」

 

 かりんの記憶さえ消せば、漫画を描く理由も、ソウルジェムが濁る理由もなくなる、というのもあった。

 

 たとえマジかりの続きを描いたとしても、かりんが帰ってくるわけではない。

 死者のために、まだ生きているアリナが苦しまなければならない理由もないはずだ。

 だから、この考えは正しいはずだ。

 

 質問に答えながら、そう考えた。

 しかし、ひめなはちがう意見があるようだった。

 

「あーっ、そう! そこ!」

 

 という声が、いろはの考えを止めた。

 

「えっ?」

 

 という声が自然と出た。

 

「それ聞いたとき、いろりんらしくないなーって思ったんだよね」

 

 という言葉が追い打ちをかけてくる。

 

「そう、でしょうか?」

 

 聞かずにはいられなかった。

 さっきの「らしくない」という言葉には、言葉通りの意味の他に、批判的な意味も含まれている気がしたから。

 

「いや、正解だとは思うよ? けど、いろりんってキモチのことで色々あったときは『危険? うるせぇっ、みんな幸せにするんじゃぁっ!』って感じだったじゃん?」

 

 そんなことは言っていない。

 いないが、自分の身が危険になるとしても、みんなが幸せになれる道を探そうとは思っていた。

 

「でも今回は、そうなるかもーってだけで先回りして、記憶まで消しちゃうわけじゃん? なんか心境の変化でもあったのかなーって」

 

 どうだろうか。

 いろはは今日だけで何回目かわからない自問をした。

 

 言われてみれば、すこし保守的になっていた気もする。

 

 浄化システムによって、すこしとはいえ魔法少女に優しい世界になった。

 だから今まで以上に命は大切だ。

 そういう気持ちは大いにあった。

 

 けれど、以前ならべつの方法をとったかと言われると、それもちがう気がした。

 もっと前にアリナが同じ状況になっていても、やはり同じことを考えて、同じことをやろうとしただろう。

 

 そこまで考えて、いろはの思考は『けれど』と一時停止した。

 

 けれど、例えば。

 さなの大切な人が死んでしまったとして。

 その人のために絵本を描くと言い出したとして。

 思い詰めすぎて、アリナと同じ状況になったとしたら。

 

 どうだろう。

 同じように記憶を消すだろうか。

 そう考えると、それもまたちがう気がする。

 

「あっ」

「おっ、いろいん、どしたー?」

「そっか、やっぱり、わからないからなんだ……」

 

 最後のつぶやきが聞こえていたかはわからない。

 電話の向こうから、ふふっという笑い声のようなものが聞こえた。

 

「なんか、わかった?」

「はい。正しいかはわからないですけど、たぶん」

「そっか、じゃあよかった☆」

 

 んじゃねー☆

 と言って、電話が切れた。

 



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第十九話 アリナ・グレイ(4)

 

 秋の日はつるべ落とし、という言葉がある。

 秋の日没は井戸に釣瓶を落とすように早く感じる、という意味の言葉だ。

 

 時刻は、そこにさしかかろうとしていた。

 

「……」

 

 だというのに、昼間にあれだけ意気揚々と病院に乗り込んだ少女は、まだアリナと会っていなかった。

 

「のおおおぉぉおぉぉぉぉ……」

 

 彼女は悶えていた。

 七美やちよたちの用が済むまでの待ち時間。

 クールダウンする時間をもってしまったことで、自分を客観視する余裕が生まれてしまったからだ。

 

「のぉおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 鼻歌。

 踊り。

 高笑い。

 アレを公衆に見られた。

 翌日にはSNSで晒し挙げられてもおかしくない。

 久しぶりにビルから身を投げたくなった。

 

 そういう気分になってくると、漫画を見せるのも気まずくなってくる。

 

 そもそもだ。

 アリナ先生のような多忙な方に自分の漫画を見てもらう。

 そんなこと、あまりにもおこがましいじゃないか。

 

 たしかに「見たい」と言われた。

「この日に来て」とも言われた。

 しかし、どう考えても立場を弁えて断るべきだった。

 

「のおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおっ!!!」

 

 そんな少女を見つめる影が一つ。

 

「ノイジーガール……来ないと思ったら、そんなところで何してるワケ?」

「ひ、ひひゃいッ!!」

 

 アリナ・グレイだ。

 

「早く来てヨネ」

 

 そう言うと、アリナは背中を見せた。

 ノイジーガールは覚悟を決めて後ろについていく。

 

「ほら、早く見せて」

 

 アリナの病室につくなり、そう言われた。

 少女が慌ててバッグから漫画を渡すと、ベッドに腰掛けてそれを開く。

 

 真剣な表情だ。

 きっと一騎打ちをする中世のサムライは、こんな顔をしていただろう。

 

「……」

 

 ペラ、ペラ、ペラ、とページをめくる音だけが部屋に響く。

 

 一方で、少女は死にかけていた。

 

 神様のような人が目の前にいる。

 それだけで脳内麻薬の過剰分泌で死にそうになる彼女だ。

 その人が目の前にいるだけでなく、自分の作品を読んでくれている。

 真剣に作品と向き合ってくれている。

 まだ死んでいないのが不思議なほど幸せだった。

 

 逆に不安でもあった。

 アリナの表情は、さっきから少しも動かない。

 つまらないと思っているのか。

 すこしくらいは面白いと思ってくれているのか。

 

 つまらなかったなら腹を切るくらいは覚悟している。

 腹を切った後、私は幸せだったさえ断言できるだろう。

 だから、つまらないと思われること自体が怖いわけではない。

 しかし神の時間を無駄にさせたという罪は残る。

 それが怖かった。

 

「……」

 

 二十分ほどで、アリナは漫画を閉じた。

 五十ページほどの漫画だ。

 全部を読んだにしても、すこし長いくらいの時間だ。

 それだけでもしっかりと読み込んでくれたのがわかる。

 

「……ん」

 

 漫画を突き出されて、それを受け取る。

 もとの鞄にしまって、再びアリナと向き合う。

 アリナの手は、まだ何かを催促するように差し出されている。

 

「え、えっと……?」

「えっとじゃないんですケド。そのバッグ、まだ入ってるんだヨネ?」

「で、でも、さっきのが一番の自信作っていうか、ほ、他の作品はあんまり面白くないっていうか……」

「なに? アナタは読む価値がないものを描いてたワケ?」

 

 そう言われてしまえば少女も創作者の端くれだ。

 見せないわけにはいかない。

 

 鞄からもう一冊取り出して手渡した。

 アリナは再び読書の姿勢になる。

 

「ち、ちなみにあと何冊くらい……」

 

 読むんですか? 

 心臓をバクバクさせながら少女は聞いた。

 

 あわよくば読んでもらえないかなぁ……。

 そう期待して、描いた物は全部もってきたのは事実だ。

 

 ただ舞い上がっていたせいだろう。

 持ってきてはいけない物も持ってきてしまっている。

 オリジナルも、二次創作も。

 

 そう、二次創作。

 マジかりの二次創作も。

 

 持ってきた漫画は11冊。

 そのうち、オリジナルは5冊。

 さっき読んでもらったものを抜くと4冊。

 何としても、あと4冊で満足してもらわなければならない。

 

 いや、どんなに悪くとも9冊だ。

 絶対にアリナに読まれてはいけない物を1冊もってきてしまっている。

 去年のクリスマスに描かれた、マジかりの特別エピソードである

 

『死神少女クリスマス・デス・カリブー』

 

 を読み、

 

『あれ? なんかイケるんじゃね?』

 

 というだけの理由で、デス・カリブーをアリナ本人に置き換えてみた作品

 

『私訳・死神少女クリスマス・デス・カリブー』

 

 アレだけは守らなければ。

 しかし、アリナの答えは絶望的なものだった。

 

「全部」

「えっ」

「だから、全部」

 

 思わず、かばうように鞄を抱えてしまった。

 それをアリナに見咎められた。

 

「please」

「え、で、でも……」

「よこせ」

「はい」

 

 漫画の入った鞄を手渡すと、アリナは膝の上で抱え込んで、机のようにして使い出した。

 もう取り返す術はない。

 

 天国から一転、地獄がはじまった。

 

 なんとか奇跡が起きて、アレに気付かないでいてくれないものか。

 祈るべき神は目の前にいるが、口に出すわけにもいかない。

 

 いつアレを手にしてしまうのか。

 気が気ではなかった。

 耳の奥で、自分の脈動がハッキリと聞こえる。

 ペラ……ペラ……ペラ……。

 時間の過ぎる音が部屋に響く。

 

 アリナは相変わらず、表情を変えない。

 マジかり二次創作──比較的に大丈夫なヤツとはいえ──を手に取ったのが見えたが、それでも眉一つ動かさない。

 

 もしかして、大丈夫なのですか? 

 アリナ先生は二次創作をされても大丈夫な神であらせられるのですか? 

 

 一瞬、希望を持ちかけたが、すぐに打ち消す。

 さすがに無理だ。

 どこぞの馬の骨に自分をキャラクターとして使われた。

 それに嫌悪感を抱かない人間が、この世のどこにいるのか? 

 しかも決めポーズをとらせた。

 決めゼリフも言わせた。

 

『メリークリスマス・オブ・デス!』

 

 万死に値する。

 

 お願いだから気付かないでください。

 敬虔なる祈りの視線も空しく、神は最後の最後でソレを引き当てた。

 

 微動だにしなかった表情が動いた。

 顔をしかめ、自らの信徒を見た。

 そして、言った。

 

「ノイジーガール、手を見せて」

 

 えっ。

 予想外の言葉に戸惑いつつ、言われた通り手を見せる。

 表と裏、なにも隠してないと証明するため、くるりくるりと回して見せた。

 

「……」

 

 アリナはその様子を凝視している。

 何かを探しているようだった。

 視線を追ってみると、指の付け根あたりを見ているようだ。

 

 なんだろう。

 指輪か何かを探しているのだろうか。

 そんなオシャレアイテムは付けたこともないのだが。

 

「……もういいカラ、下ろして」

 

 しばらく手を見たあと、アリナは言った。

 何だったんだろうと思いつつ、再びアリナを見る。

 もうすでにアリナは漫画に視線を落としている。

 

 変わらない、真剣そのものの表情だ。

 そこに自分が描かれていることに対する嫌悪感は窺えない。

 また、……ペラ……ペラ……とページを捲りだし、それが三十回ほど繰り返されたあと、顔を上げた。

 

「アナタ、やっぱり少しだけフールガールに似てるヨネ」

「ふ、フールガール……?」

「妙に鋭いところといい、好きな漫画をパクりまくるところといい……」

「はうッ」

 

 鋭いかはわからないが、好きな漫画をパクりまくるのは、たしかに自覚があった。

 やはり、それでは漫画家にはなれないのだろうか。

 

 少女の気分は沈みかけた。

 しかしアリナの次の一言が、見事に救い上げた。

 

「まぁでも、悪くはないワケ」

「えっ……」

「お話の勘どころはわかってるみたいだし、ユーモアも意外と面白かった。……まあ、絵はクソだったケド」

「グハッ!」

 

 上げられて、落とされる。

 これは結構“効く”。

 

 しかし、それでも少女にとってはプラスだ。

 曲がりなりにも褒めれた。

 アリナ・グレイに。

『盗作・魔法少女マジカルかりん』の作者に。

 その事実があれば一生幸福に生きていける。

 

 いや、漫画を読んでもらっただけでも過分だ。

 その上で褒められた。

 お礼を……! 

 

「あ、ありが……ッ」

「シャラップ!」

「っ……」

 

 突然、遮られて口をつぐむ。

 今度は何だと思っていると、アリナはボソボソと言った。

 

「この……七海やちよと和泉十七夜……みふゆもいるワケ……?」

 

 なんだなんだと混乱している内にアリナはさらに言った。

 

「ノイジーガール、少し隠れてて」

「か、隠れる?」

 

 隠れると言っても、急に隠れ場所は見つからない。

 第一、どうして隠れなければいけないのか。

 

「ベッドの下でもどこでも良いカラ! 急げ!」

「あっ、はい!」

 

 言われた通り、ベッドの下に潜り込む。

 アリナが漫画の入った鞄を落としてきたので、それも受け取った。

 

 一体、なんなのか。

 七美やちよ。

 泉十七夜。

 みふゆ。

 その三人の名前が聞こえたが、急に何だというのか。

 

 まさかアリナ先生は千里眼の持ち主だとでもいうのか。

 だから、これから来るのがわかったとでもいうのか。

 いや、そんな馬鹿な。

 

 しかし、しばらくすると、本当に来た。

 ベッドの下からなので足しか見えないが、たしかに七美やちよと泉十七夜の足だ。

 もう一組の、二人に負けず劣らず綺麗な足が、たぶん“みふゆ”なのだろう。

 

「ほら」

 

 七美やちよの声だ。

 急かすような、責めるような。

 七美やちよの足の前にあった、暫定“みふゆ”の足がよろめいて、前に出た。

 どうやら背中を押されたらしい。

 

 なんだなんだ、何なんだ。

 何がはじまるんだ。

 “みふゆ”と言えば、マジかりの梓紗みふゆが思い浮かぶ。

 まさか彼女もモデルになった人物なのだろうか。

 

「あの、アリナ。言おうか迷っていたんですけど、やっぱり今日は言わないとダメだと思って……」

 

 初めて聞く声だ。

 でも、わかった。

 やはり彼女は梓紗みふゆだ。

 原作と同じ声だ。

 

「なに?」

 

 これはアリナの声。

 それに応えて、もう一度、梓紗みふゆの声。

 

「かりんさんの魔女の居場所についてです」

 

 ベッドの上の人が、ガタッと動いたのがわかった。

 

 



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第二十話 アリナ・グレイ(5)

 

 七海やちよは焦っていた。

 もちろん、アリナのことだ。

 

 何かやるだろうと思っていた。

 妥協するのか。

 いろはを説得するのか。

 何らかの強硬手段に出るのか。

 とにかく何らかの行動を起こすものだと思っていた。

 

 なのに、アリナは三日間、何もしなかった。

 落ち着き払っていた。

 朝起きると朝食を食べ。

 すこし院内を散歩して。

 正午になると昼食を食べ。

 昼寝をしたあと散歩して。

 夕食を摂って湯につけたタオルで体を拭いて。

 日付が変わる前に寝る。

 という規則正しい生活に終始していた。

 

 健康的で、実に結構だ。

 こちらは二つの意見の間で苦労しているというのに。

 

「ほんっとにアリナは……って、何かしら……?」

 

 携帯が鳴っていた。

 みふゆと表示されている。

 出てみると、挨拶もなく、勢い込んだ声が聞こえてきた。

 

「あの! わたし実は黙ってたことがあるんです!」

 

 

 

 いつぞやの東西抗争の最終局面。

 あの争いを収めるための会談が行われたファミリーレストラン。

 そこに、あのときと同じ三人がいた。

 

「なぜ黙っていた!」

 

 あのとき以上の剣幕で声を荒げるのは、和泉十七夜。

 それに同調するような険しい顔を残りの一人に向けるのは、七海やちよ。

 

「……御園さんの魔女の行方をアリナは知っている……しかも貴方がそれを思い出せないように暗示をかけた……本当にどうして黙ってたのよ」

 

 二人に詰め寄られ、縮こまっているのは、梓みふゆ。

 彼女はおずおずと言った。

 

「あの……言い訳になりますけど、本当はすぐに言おうと思っていたんです……」

 

 そうして語り出した内容は、以下のようなものだった。

 

 

 

 御園かりんが魔女になった、あの日の、かりんが魔女になった後。

 そして、かりんが魔女になったという情報が広がる前。

 

 偶然だった。

 みふゆは家に帰る途中、突然、覚えのある魔力を感じた。

 

(……この反応は、アリナでしょうか?)

 

 別に珍しいことではない。

 魔女の結界から戻ってきたとき、魔力反応は決まってこのように“突然”現れる。

 

 とくにアリナの場合は多かった。

 彼女自身が結界を張ったり、解除したりできるからだ。

 普段なら次の瞬間には忘れるような、日常的な反応に過ぎない。

 

 しかし、虫の報せというやつなのか。

 妙に気になった。

 それでアリナの魔力反応の方に近づいていった。

 

「ア、アリナ!?」

 

 その結果、見つけたのが放心状態のアリナだった。

 路地裏で、制服が汚れるのも構わず地べたに座り込み、ぼーっと魂が抜けたしまったような顔で虚空を見つめていた。

 そしてソウルジェムが凄まじい勢いで濁っていた。

 

「アリナ!? アリナ、何があったんですかっ!?」

 

 もし、この場に誰も来なかったら。

 または梓みふゆ以外の誰かであったなら。

 ここでアリナは魔女になっていたかもしれない。

 しかし、みふゆはこういう事態の経験も多く積んでいた。

 

 マギウスの翼にいたころ。

 精神的にも未熟な黒羽根たちは、ふとした瞬間に不安定になる。

 ドッペルを出せば一般人にも被害がおよぶ状況でも、ソウルジェムが濁り切ってしまいそうになることがあった。

 

 こういうとき、最も効果的な対処は、みふゆの能力である『暗示』を使うことだ。

『暗示』によって、直近の記憶を思い出せないようにする。

 ソウルジェムが濁る原因となった記憶を封じることで、一時的にでもソウルジェムの穢れを防ぐ。

 記憶を戻すのは安全な状況を整えてからでいい。

 

 この時もそうした。

 能力を使い、直近一時間ほどの記憶を思い出せなくして、眠らせた。

 思った通りにソウルジェムの穢れは止まってくれた。

 

(でも、アリナがこんな状態になるなんて、いったい何が……)

 

 嫌な予感を感じつつも、みふゆはとりあえず、アリナを自宅に運ぶことにした。

 

 みふゆの携帯に

 

「御園かりんが魔女になった」

 

 その情報が入ってきたのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

「……」

「……」

 

 話が一区切りつくと、みふゆ顔を上げた。

 彼女の前にあったのは、さっきまでの険しい二人の顔ではなかった。

 

 全面的にわかった、とは言わないまでも

 

『気持ちはわかる』

 

 といった、すこし同情を含んだ顔に変わっていた。

 しかし、まだ怒りが残ってはいたようだ。

 すこしトーンダウンした詰問口調で十七夜が言った。

 

「……どうしてその後、アリナの記憶を戻さなかったんだ?」

 

 みふゆは答える。

 

「その後もアリナが不安定だったからです。目を覚ましてから、かりんさんのことを伝えたんですけど、もうその後から大変で……」

 

 今度はやちよが言った。

 

「その後も言わなかったのは?」

「マジカルかりんを書く前までは、それを伝えたら今度こそ魔女になってしまうと思ったからです。やっちゃんも知ってますよね? あのときのアリナの様子」

 

 その危惧は、やちよも理解できた。

 たしかに、あのときのアリナを下手に刺激しようとは思わなかっただろう。

 そして、マジかりを描いた後のことについては……

 

「わたしがマジカルかりんを読んだ後は、やっぱりかりんさんのことはアリナが決着を付けた方がいいと思ってしまって……」

 

 そうでしょうね、とやちよは頷いた。

 あの作品を読めば、誰だってそう思ってしまう。

 

「ユニオンに報告しなかったのは?」

「これも同じです。ユニオンに報告すれば、かりんさんの魔女を倒すことになったかもしれないでしょう? それよりはやっぱりアリナに任せた方がいいと思って、それに……」

 

 そう言って、みふゆは十七夜を見る。

 記憶を戻してしまえば、十七夜が記憶を読める。

 読めば、やはり十七夜はユニオンに報告しただろう。

 

 その視線を受けた十七夜は、もう怒りを収めたようだ。

 口調から荒さが取れていた。

 

「画伯の魔女の居場所をアリナが知っていると言っていたな? なぜそう思う? さっきの話では断言できる根拠はなかったように思うが?」

 

 それに少し安心したのか、みふゆの答えも落ち着きを取り戻している。

 すこし長い回答だったが答えには淀みがなかった。

 

「アリナがあんな状態になるのは、かりんさんの魔女を見たからだと思うんです」

「私が見つけたとき、アリナのソウルジェムは十分も放置したら、魔女化してしまうようなペースで穢れていました」

「だから私がアリナを見つける十分前には、かりんさんの魔女を見ているはずなんです」

「なのに、近くに魔女の気配はありませんでした。もし逃がしていたら魔女の魔力反応があるはずですよね?」

 

 十七夜も納得したのだろう。

 うなずいた。

 

「だから魔女はアリナが倒したか、アリナが自分の結界に閉じ込めて持っているか以外に考えられない、か」

 

 まあ、その通りだろう。

 100%ではなくとも99%くらいの確率で、みふゆの言った通り、アリナはかりんの魔女を見たのだろう。

 そして倒したのか、捕らえたのかはわからないが、どちらかをした。

 

「……はぁーっ」

 

 やちよは一つため息を吐いた。

 ここまでわかれば、みふゆが今になってようやく行動を起こした理由も、何となくわかってくる。

 

 つまりは自分と同じだったのだろう。

 

 アリナは何かをする。

 かりんの記憶を大人しく消されるわけがない。

 そう期待していたのだ。

 

 だから、わざわざソウルジェムを濁らせるような記憶を戻す必要もない。

 アリナが魔女になってしまうかもしれない。

 けれど、もう明日にはかりんの記憶を消してしまうとなれば、黙っていられなかった。

 

 やはり、かりんの記憶を全て消してしまうのは、可哀想だ。

 アリナにとっても。

 かりんにとっても。

 

 これはたぶん、仲間との別れを多く経験してきたベテランほど強い感情だ。

 この点、おそらくは、いろはも心の底から納得できる話ではない。

 

 いや、いろはは優しい。

 もういない死者の心情とか。

 残された者の、死者を弔いたいという想いとか。

 そういう不合理な感情に対して、人の百倍は共感できる子だ。

 

 けれど

 

『当人や周りを危険にさらしてでも想いを遂げさせてあげたい』

 

 というような、言っている側すら「自分は馬鹿だ」と思うような感情論に傾いてしまうほどの経験値は、まだない。

 

 きっと、いろはは反対する。

 いま考えていることを実行するのは、裏切りだ。

 悩みに悩んで今の結論を出したいろはに対する明確な裏切りだ。

 けれど、でも、やっぱり……

 

「十七夜」

 

 やちよの声に十七夜は反応する。

 

「なんだ?」

「このことを今のアリナに伝えたら、どうなると思う?」

 

 十七夜も同じことを考えていたのだろう。

 返答は早かった。

 

「アリナの心理状態は不可解なほど安定している。グリーフシードさえ用意していれば、最悪の事態にはならないだろう」

 

 やちよは次にみふゆを呼んだ。

 

「もし急激にソウルジェムが濁るようなことがあったら、そのときは同じ暗示をかけることはできる?」

 

 これに対する返答も早かった。

 

「はい。暗示は一度かかると、二度目以降はかかりやすくなりますから。間違っても最悪の事態にはならないかと」

 

 それから少し間を開けて、やちよは言った。

 

「……わかったわ。アリナに話してみましょう。あとのことは、もうアリナと成り行きに任せる」

 



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第二十一話 アリナ・グレイ(6)

 

「あとのことは貴女に任せるわ。ただし、何もなければ貴女から御園さんの記憶を消す……じゃあね」

 

 そう言い残して、七海やちよが出て行った後、病室は物音一つしなくなった。

 息を潜めて隠れていろと言われた少女も。

 そう命じたアリナも。

 一切、音を立てなくなった。

 

「……」

 

 少女は混乱していた。

 三人とアリナの会話は、彼女にとってあまりにも非現実的だった。

 それなのに真に迫ってもいた。

 どう解釈していいか、さっぱりわからなかった。

 

 話によると、三人もアリナも、マジかりの設定通りの魔法少女らしい。

 ソウルジェムももっている。

 日夜、命をかけて魔女と戦ってもいるらしい。

 ソウルジェムに穢れが溜まると魔女になってしまうのも、マジかりの設定通りだ。

 そしてマジかりの主人公、御園かりんにもモデルがいて、その少女はアリナの学校の後輩で、すでに魔女になってしまっているらしい。

 

 そんな、バカな。

 

 そう思うが、さっきの話の口調はどうだ。

 空想や妄想を語っているとは思えない、真剣味のあるものだった。

 

「……」

 

 聞いてみよう。

 かなり長い時間のあと、少女は決意した。

 ベッドの下から抜け出して聞いてみた。

 

「あの、アリナ先生……さっきの話は……」

「うるさい」

「はい、ごめんなさい……」

 

 再び沈黙が満ちる。

 

 窓の外は完全に暗くなっていた。

 面会時間も、とっくの昔に終わっていた。

 

 

 

 

「人の気持ちなんて、考えても仕方ないと思うワケ。どうせ正解なんてわからないカラ」

 

 アリナがそう言ったのは消灯時間すら過ぎたころだ。

 まだ少女もいた。

 

 さすがに帰らなければマズいと帰ろうとしたら

 

「待て」

 

 と言われて以降、直立不動で待っていた。

 そんな彼女の頭の中は疑問でいっぱいだ。

 

 いまのアリナの言葉に、なんて答えたらいいのか。

 魔法少女云々について質問して怒られたばかりだ。

 下手に口を開いて怒られたくない。

 

 そうして彼女が選んだのは沈黙だった。

 そして、どうやら正解だったらしい。

 アリナは沈黙を不快に思う様子もなく、言葉を続けた。

 

「だからタイムリミットギリギリまでシエスタして、頭がクリアになってからどうするか考えようと思ってたんだヨネ」

 

 環いろはの言う通り、まともに考えられるコンディションじゃなかったし。

 

 少女にとって、謎でしかない言葉の羅列が続く。

 

「でもアリナは思うワケ。考える気になったら、そのときが考える時なんだって」

 

 そこだけはわかる気がした。

 とくに漫画を描くときはそうだ。

 思いついたネタは思いついた時に描かないと、忘れたり、下らない物に思えてきたりする。

 

「つまりは今だヨネ」

 

 そうなんですか。

 またしばらくの沈黙を挟んで、アリナが言った。

 

「ノイジーガール」

「はい、ノイジーガールです」

「さっきも言ったけど、アナタは少しだけフールガールに似てるワケ。だからアナタに選ばせてあげる」

 

 それまでアリナはベッドの上に寝転がり、天上を見上げていた。

 そのアリナが体を起こし、真っ直ぐに少女を見据える。

 

「良い作品を作るためならどんな物でも犠牲にする漫画家と、ルールとか道徳とかを大切にする漫画家なら、どっちが良い漫画家だと思う?」

 

 翡翠色の、それ自体芸術的な美しさの瞳が少女を捕らえている。

 生半可な答えではいけないと少女は思った。

 

 考える。

 どちらが良い漫画家なのか。

 

 “良い”のは後者に決まっている。

 正しいことを描き、正しいことをする漫画家。

 間違いなく“良い”漫画家だろう。

 

 けれど、それが“良い漫画家”なのか? 

 そうなってくると話は違う気がする。

 

 いくら正しかろうと、それでつまらない漫画を描いていたら

 

『“良い”漫画家』

 

 であっても

 

『“良い漫画家”』

 

 ではないはずだ。

 そのためならどんな物でも犠牲にするという点は、人間としては大問題だろうが“良い漫画家”はどちらかというなら関係ないだろう。

 そういう“良い漫画家”は、少女の憧れるところでもある。

 少女が崇拝して止まない、目の前の緑色など、その最たる例だろう。

 

「……」

「……」

 

 決まった。

 少女は口を開いた。

 

「私は"良い作品を作るためならどんな物でも犠牲にする漫画家”の方が良い漫画家だと思います」

 

 それを聞くと、アリナは頷いて、その美しい瞳を瞼の奥に隠した。

 

「わかった。じゃあ……」

 

 しかし、

 

「けど!」

 

 という言葉が、再び翡翠の瞳を開かせた。

 

「けど……なに?」

 

 煩わしそうな目だ。

 これを聞いたのだから、お前はもう用済みだと言わんばかりだ。

 

 けど、これだけは言わなければならない。

 少女はアリナを見返して言った。

 

 けど、かりんちゃんなら。

 

「かりんちゃんなら、自分の全てを漫画に捧げつつ、人の道は踏み外さない……そんな漫画家を最高の漫画家だと思うんじゃないでしょうか?」

 

 アリナの瞳が、いっぱいに見開かれる。

 

 怒られる、と少女は思った。

 アリナ先生は御園かりんの生みの親だ。

 いや、死んでしまった後輩の子がモデルだという話だったか。

 しかし、そうだとしても自分なんぞより百倍も千倍も御園かりんをよく知っている。

 

 そんな人に対して、偉そうに御園かりんを語った。

 怒られて当然だ。

 目をつぶり、アリナの怒声に備えた。

 

「……」

「…………」

「………………………………」

 

 けれど、いくら待っても怒声は聞こえない。

 

「……」

「…………」

「………………………………」

 

 もう一度、同じくらい待ってみても、やはり聞こえてこない。

 生意気だと言って、掴みかかってくる気配もない。

 

「……」

 

 おそるおそる目を開ける。

 すると、数分前と同じような、手枕をしてベッドに寝転がり、天井を見上げている憧れの漫画家が目に映った。

 

「え、えっと……?」

 

 少女の不安げな声も聞こえないようだ。

 アリナはじっと天井を見上げている。

 また少女は沈黙を強いられた。

 

 時間は過ぎていく。

 アリナがやっと体を起こしたとき、ついに日付が変わった。

 

 

 

 

「ノイジーガール、いくつか頼まれて」

 

 それが新しい日付での最初の言葉になった。

 その言葉には少女が予測したような怒りは少しも感じられなかった。

 

「あっ、はい、なんでしょうっ?」

 

 少女の固い返事。

 アリナは意に介する様子もない。

 病室に置かれたカレンダーの今月分を破ると、その裏に何やら文字を書き出した。

 そして、それが終わると

 

「ん」

 

 と少女に突き出す。

 見ると、何やら個人情報らしきものがたくさん並んでいる。

 

 ぱっと見た限りだと、こうだ。

 

 一番上に、住所。

 その下に、玄関を入って右の~机の中の~、そうでなかったら~と、宝探しゲームのヒントのような文章が書いてある。

 さらにその下に、女の子と思わしき名前と電話番号が十と何件か。

 またその下に、佐藤某というマジかりストにとってお馴染みの名前と、電話番号が。

 一番下には

 

『こう伝えて → 明日の正午、ここで記者会見をする』

 

 との文字。

 

「あの、これは……?」

 

 少女の問いに、アリナはテキパキと答えた。

 

「上はアリナの携帯の場所。今から取りに行って」

「真ん中はファンのマジカルガールの電話番号。携帯が見つかったら、それで電話して『明日の午前十時前には里見メディカルセンターに来い』って伝えて」

「で、下は佐藤の番号。一番下に書いてあるように伝えて。佐藤なら、それでわかるカラ」

 

 急なことに頭のついていかない少女に、アリナは最後の追撃をした。

 

「それと、ノイジーガール」

「は、はいっ!」

 

「アリナのアシスタントになって」

 



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第二十二話 アリナ・グレイ(7)

 その日、環いろはが最初に

 

(何かがおかしい)

 

 と感じたのは午前10時のことだった。

 

 

 

 それまでは普段通りだった。

 違いと言えば、いろは自身がいつもより早く目を覚ましてしまったくらいだ。

 アリナは完全にいつも通りに見えた。

 

 目を覚ましたいろはが、いつも通りアリナの様子を見に行ったときも、アリナはいつも通りにまだ眠っていた。

 

 その後、いつも起きるくらいの時間に行ってみた。

 やはりアリナはいつも通りの時間に目を覚ましたようで、ベッドから起きて、体をグッと伸ばしているところだった。

 

「おはようございます、アリナさん」

「グッモーニン、環いろは」

「アリナさん、今日の正午に……」

「わかってるカラ。心を読んで、アリナの記憶を消すかどうか決めるんだヨネ?」

「はい」

「そう。じゃあアリナはこれからシンキングするカラ、早く出てってよね」

 

 口調からも、とくに変わった様子は感じられなかった。

 これからどうするか考えるというなら、邪魔をする理由もなかった。

 

「では、また正午に」

 

 それからは少し忙しくなった。

 協力してくれる予定のプロミストブラッド、見滝原チーム、ひなのと十七夜に連絡し、最終打ち合わせをしなければならなかった。

 チームみかづき荘のメンバーとも、もう一回話す必要があった。

 場合によっては、さらに世話になる、里見院長にも挨拶しなければならない。

 それらも終わって、一息ついていたのが午前10時だ。

 

 その頃にやってきた十咎ももこが

 

「何か手伝えることないかと思ってさ」

 

 そう言ったあと、こう続けたのだ。

 

「ちょっと気になったんだけど、他の街の魔法少女が集まってきてない?」

 

 来る途中、何度か覚えのない反応を感じたのだという。

 

 

 

 次に異変を感じたのは、巴マミからの連絡だ。

 

「ごめんなさい、電車が止まってしまってるみたいで……」

 

 神浜・見滝原間は結構な距離がある。

 魔法少女の身体能力なら走って来れないこともないが、白昼青天の下を自動車のような速度で走る女子中学生を目撃されるわけにもいかない。

 それで電車移動になるのだが、止まってしまった。

 正午には間に合うが、それもギリギリになるとのことだった。

 

 これを聞いたとき

 

(アリナさんの仕業なんじゃ……)

 

 という可能性に思い至った。

 しかし、すぐに打ち消した。

 アリナは外部と連絡が取れないはずなのだ。

 

 携帯電話も家に置いたままのはずだし、ういの能力で念話も使えない。

 もちろんソウルジェムは院内にあるから外にも出られない。

 病院のスタッフには、アリナの病室に近づかないように里見院長が徹底してくれている。

 みかづき荘メンバーが不定期に、何度もアリナの様子を見に行っているが、誰かと話している様子もない。

 

 どこかの魔法少女に電車を止めさせるなど、できないはずだ。

 

「わかりました……気をつけてくださいね」

「ええ、環さんも」

 

 その電話のすぐ後で、やちよが言った。

 

「……すこしアリナの様子を見てくるわ」

 

 きっと自分が考えたような可能性を、やちよも考えたのだろう。

 そう思って、いろはは見送った。

 

 

 

 次の異変もすぐにやってきた。

 

「……?」

 

 急に病院全体が騒がしくなりはじめたのだ。

 通りかかった看護師に話を聞くと、テレビ局やら雑誌の記者やらが押しかけてきたらしい。

 

「わたし、ちょっと見てくるよ!」

 

 そう言って病室を出て行った鶴乃は、すぐに帰ってきて言った。

 

「みんな『アリナ・グレイを出せ』って言ってる。数も100人とか200人じゃない……ちょっとまずいかも」

 

 いろはは考え込んだ。

 もうどこかから情報が漏れたのは間違いなかった。

 問題は、この後どうするかだが、予定のメンバーは集まっていない。

 いるのは、ねむと灯花、偶然来てくれていた十咎ももこ、みかづき荘のメンバー。

 

 一応、戦闘になっても九対一という状況ではある。

 ただ勝てばいいのなら間違いなく勝てるだろう。

 しかし誰も傷つけないとなると、なお微妙だ。

 そういう視点では見滝原チームを待ちたい。

 

 別の視点で言えば、十七夜も待ちたい。

 彼女が来なければアリナの確かな内心はわからないからだ。

 何の確証もないのに記憶を消すのは、あまりに酷だ。

 

 といって、待っていたら押しかけてきた人たちが院内に入ってくるかもしれない。

 そうなったら記憶を消すのは延期にするしかない。

 人前で魔法を使ったり、魔法少女の存在を広く知らしめるような行為は“宇宙の意思”の反発を招く。

 その恐ろしさは骨身に沁みていた。

 

 しかし、今日じゃなければいいのかといえば、そういうわけでもない。

 現時点でも、里見院長だとか、マジかりの出版社だとか、大人の社会に並大抵でない迷惑をかけている。

 これ以上、迷惑をかけるわけにもいかない。

 

 いろはたち自身の事情もあった。

 集団食中毒で入院中という体にしているとはいえ、あまり長い間、使える言い訳ではない。

 今日、集まってくれるメンバーも学校をサボって来てくれるのだ。

 人の命がかかっているとはいえ、何度も何度も集まってくれといえるものでもない。

 

(やっぱり、やるなら今日……)

 

 そう決意したとき、昨日の会話が思い出された。

 

『ぶつかってみることねぇ……』

 

 そうだ。

 十七夜の能力がなくても。

 たとえ不完全であるにしても。

 人の内心を知る方法はある。

 

 まだ漫画を書くつもりなら、そのときは……

 そう思っていたが、それが少し早くなるだけのことだ。

 その間に、予定のメンバーも揃うかも知れない。

 

 よし。

 

 いろはが意を決し、顔を上げた、まさにその時だった。

 

「いろはっ! マズいわ……!」

 

 やちよが顔色を変えて病室に飛び込んできたのだ。

 

 いろはは口を開き損ねた。

 頭の中が嫌な予感で溢れて、口を動かすところまで頭が回らなかったのだ。

 

 そんないろはに代わって、鶴乃が問いかけた。

 

「な、何があったの?」

 

 やちよは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

 

「アリナの病室に魔法少女が集まってる……たぶん十人以上いるわ」

 



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第二十三話 アリナ・グレイ(8)

 

 マジかりが出版されてから、最初の反響は魔法少女からのものだった。

 アリナの知り合いではない。

 マギウスの翼の関係者でもなかった。

 まったく無関係の魔法少女だった。

 

 最初が魔法少女なのも当然の話だ。

 マジかりを読めば、誰だって自分たちが題材なのだと気付く。

 気付けば興味を引かれるだろうし、調べればアリナの写真はすぐに出てくる。

 隠してもいないから、写真には結構な確率でソウルジェムが映り込んでいる。

 アリナも魔法少女だと気付くのも時間の問題だ。

 

 そして魔法少女は、報われない。

 大衆の命を守っているのに感謝されることもない。

 遊ぶ時間もなくなるし、命がけだ。

 心も体も不調をきたしやすい。

 

 そんな魔法少女たちの前に差し出されたのが、マジかりだ。

 

 そこには彼女たちの現実と、理想があった。

 カッコよくて、かわいい魔法少女たちが、自分たちがいた。

 

 なら、当然の話だ。

 その琴線に触れるのも。

 信者と化してグリーフシードを貢ぐようになるのも。

 一声かけられれば集まってくるようになるのも。

 みな当然のことだった。

 

「アリナ先生、玉木いろはが会いたいと言ってますが……」

 

 アリナの病室に集まった、魔法少女の一人が言った。

 

 やっと来たか、とアリナは思った。

 そのために情報を流し、電車を止めさせ、魔法少女を集めたのだ。

 

「呼んで」

 

 言ってやると、少女が病室の外に消える。

 

 マジかりの続きを描くと言えば、あのしつこい魔法少女は有言を実行しようとするだろう。

 たとえ今日は止めたとしても、いつか別の日にはやる。

 ならば、どうしても環いろはを納得させなければならない。

 

 ガラガラッ、と音がした。

 少女が一人、入ってくる。

 桃色の髪。

 強い意志を感じさせる瞳。

 

 その瞳に向かって、アリナはいきなり問いを投げつけた。

 

「ねえ、環いろは。フールガールは生きてると思う? それとも死んでると思う?」

 

 

 

 

 御園かりんは生きているのか、死んでいるのか。

 

 そう問われて、いろはは一瞬、面食らった。

 彼女は、逆にアリナを問い詰めるくらいの気で来たのだ。

 

 情報を流したのは。

 電車を止めたのは。

 魔法少女を集めたのは。

 アリナの仕業なのか。

 マジカルかりんの続きを描くつもりなのか。

 

 それなのに逆に問われた。

 それも、あまりにも予想外すぎる問い。

 狼狽えた様子を見せないだけでも上出来と言える。

 

 けれど、彼女は環いろはだ。

 すぐに気を取り直して、逆に質問した。

 

「……なんで、そんな質問を?」

 

 身構えたいろはに対して、アリナの返答はいくらか軽い調子だった。

 

「三日前に聞いてきたヨネ? なんで描いているのかって。だから答えてあげようと思って」

 

 なるほど。

 いろはは頷いた。

 

 その問いがどうして答えになるのかはわからない。

 けれど、この場で三日前という言葉を出した。

 なら、それは逃げも隠れもしない、という意思表示と取っていい。

 それは理解できたし、それが理解できれば、答える理由としては十分だ。

 

 いろはは言った。

 

「かりんちゃんは、死んでます。かりんちゃんの魔女が生きているのかはわかりませんが、間違いなく、御園かりんちゃんは死んでいます」

 

 はっきり、逃げることなく。

 そう言い切った。

 

 アリナはその答えに満足そうに頷いた。

 

「まあ、そうだヨネ。その存在の意識とか心みたいなものが消えることが死だとしたら、フールガールは死んでるって言えるヨネ」

 

 いろはも頷く。

 だからこれ以上、アリナさんが苦しまなくてもいいんです。

 別れに耐えられないほど大切に思っていたかりんちゃんの死と、これ以上、向き合う必要なんて、どこにもないんです。

 

 なのに、アリナは次の言葉を「けど」と逆接でつないだ。

 

「けど、その存在が何もしなくなることを死っていうなら、フールガールはまだ生きてるとも言えるヨネ」

 

 すぐには反論できなかった。

 いろはの脳裏に、秋野かえでの姿が浮かんでいた。

 かりん魔女化の直後から、彼女はずっとかりんの魔女を探している。

 早くかりんを楽にさせてあげるために。

 

 これはたしかに、かりんがそうさせている、と言えなくもない。

 

 他の例であれば、やちよもそうだろう。

 やちよは隣で見ていて、不可解なほどマジかりの応援に熱心だった。

 いつか聞いてみたところによると、理由は

 

『御園さんにしてあげられるのは、もうこれくらいしかないもの』

 

 これだって、かりんがそうさせている、と言える。

 そういう理屈なら、たしかに生きていると言えなくもない。

 

 でも。

 

「そんなの言葉遊びじゃないですか」

「それを言うなら、かりんちゃんはアリナさんが苦しむのを望んでると思うんですか?」

「生きていたら、絶対にそんなこと嫌だと言うはずです」

「かりんちゃんが生きてるって言うなら、なおさら続きを描くのはやめるべきです」

 

 アリナはため息をついた。

 

「勘違いしないで欲しいんだケド、これは生きてたらって仮定の話じゃないし、生きてて欲しい訳でもないんだヨネ。むしろ生きてることが問題だって言いたいワケ」

「生きてることが問題……?」

 

 生きているなら、それは素晴らしい。

 死んでしまったのなら、それは悲しい。

 それから先は考えたこともない。

 

 だから、いろはは沈黙することで先を促した。

 

「ときに環いろは、あなたは親しい人間が死んだことがある?」

 

 少し考えてみたが、ないように思えた。

 たしかに魔法少女の死は見た。

 

 観鳥令。

 牧野郁美。

 そして今回のかりん。

 

 この中で一番親しかったのは、かりんだ。

 そして今の話は、まさにかりんの死を扱っている。

 それなのにわざわざ聞いてきているのだから、アリナはもっと親しい人のことを言っているのだろう。

 例えば、みかづき荘の仲間、とか。

 

 たしかに、そういう仲間を失った経験はない。

 ないが

 

「ないですけど、想像はできます」

 

 ほんの数年前まで難病を抱えていた妹たち。

 魔法少女になる前は、彼女たちを失う未来を想像して震えていたものだ。

 

「じゃあ、わかるヨネ? 死っていうのは、死ぬ当人より、残される周りの方に大きな意味があるワケ」

 

 それもわかる気がした。

 妹たちも自分の死に対しては、あっさりと覚悟を決めていた印象がある。

 いつも狼狽えていたのは、残される自分の方だった。

 

「想像してみて。もしシスターたちが本当に死んでたら、アナタはどうなった?」

 

 そんなことは考えたくもなかった。

 いまも話をしているだけなのに寒気がしている。

 妹たちの部屋に戻って、安否を確かめたい衝動が湧いてくるのは抑えようもなかった。

 

 いや生きているのだから、そんなことは意味もない。

 それはわかっているが、いつもこうだ。

 もしもの未来を考えてしまったときは、とにかく妹の元気な顔が見たくなる。

 元気な顔を見て、安心したくなる。

 

 今でさえこうなのだから、もしもの未来ではどうなったか。

 

「……自殺でもしていたかもしれません」

 

 アリナはうなずく。

 

「でも、それはまだ最悪ってわけじゃないんだヨネ。死は救いでもあるカラ」

 

 すかさずいろはは否定した。

 

「そんなわけっ……!」

 

 その言葉を受け入れるわけにはいかなかった。

 死が救いなら、他の命を落とした魔法少女たちも救われていたのか。

 そんなわけはない。

 

 アリナはすぐに言葉をかぶせてくる。

 

「救いだヨネ。少なくとも、救いになる面がある。そうじゃなかったら、どうしてアナタは自殺してたかもなんて言ったワケ?」

「それは……」

「たぶん、アナタはシスターたちが死んだ世界で生きていくより、そのまま死んだ方がいいと思ったから、そう答えたんだヨネ?」

 

 反論できない。

 たしかにそう思って、そう言った。

 

「実際、死ねば何も感じなくなるワケ。これってシスターの死んだ世界で生きていく苦痛から救われたってことだヨネ?」

 

 その言葉にも反論できなかった。

 本当に妹たちが死んでしまっていたら自分はどうしていたか。

 

 自殺していたかはわからない。

 けれど、自殺したくなったのは間違いない。

 そして、そのときの自分にとって、やはり死は救いに見えただろう。

 アリナの言う通り、死は実際に苦しみから救ってくれただろう。

 

「話を戻すけど、死ねるなら最悪ってわけじゃないワケ。最悪なのは、下手に希望を捨てられないときなんだヨネ」

「じゃあ、どういうときに希望を捨てられないかって、あなたにとったら妹が生きてるのか死んでるのかわからない状況になったときだヨネ?」

「たとえば、急に消えちゃった、とか」

 

 そのときの気持ちは、すぐに思い浮かべることができた。

 実際に経験済みだからだ。

 

 突然、消えてしまった妹。

 しかも周囲の誰もが妹のことを忘れてしまっていた。

 死んでしまったのか、まだ生きているのか、どちらの手がかりもなかった。

 

 あのときは幸いなことに、すぐ協力してくれる仲間ができた。

 調べていくうちに妹の手がかりも見つかってきた。

 だから何とか耐えられた。

 

 けれど、あのとき。

 頼れる仲間ができなかったら? 

 本当に何の手がかりも見つからなかったら? 

 

 ……その先は考えたくもない。

 

 いろはは自覚していた。

 周囲が自分を指して言う

 

『いろはは強い』

 

 という言葉の根拠が、半分以上、いろは自身の

 

『大切なものを失うことに耐えられない』

 

 という弱さと、それを極度に恐れる臆病さに根ざしていることを。

 

「……」

 

 もうここまでくれば、アリナの言いたいことはわかってきた。

 

 かりんは死ねていないのだ。

 死んでいるのに、死ねていない。

 本人にとってではなく、かりんの周囲の人間にとって、死ねていない。

 死ねていないことで、周囲を苦しめてしまっている。

 

 かえで、やちよ、十七夜、他の友達。

 おそらく数日前に会いに行ったという、かりんの祖母も。

 

 そしてそんなことを、かりんが望むはずがない。

 

 だから。

 

「だからアリナが、もう一度殺してあげないといけないワケ」

 

 かりんの大好きだった、漫画という媒体で。

 かりんを主人公にして、かりんの人生をなぞって。

 それを完結させるという方法で。

 

 

 

 

「ふぅ──っ……」

 

 いろはは深く息を吐いて、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。

 

 止められない。

 これはたぶん、止めていいものでもない。

 

 アリナは苦しむのだろう。

 だって、マジかりの中で、かりんはあんなに可愛く描かれている。

 もし可愛いと思っていなければ、あんなに可愛くはならないだろう。

 

 その可愛くて、可愛くて仕方がないかりんを殺すのだ。

 自分なら妹たちを殺すようなものだ。

 地獄の苦しみだろう。

 普通なら魔女になる。

 きっと記憶を消してあげた方が、苦しみは減るのだろう。

 

 それでも、これは止めてはいけなかった。

 

「……」

 

 でも、けれど、とも思う。

 いろはは顔を上げて、もう一度アリナを視線を合わせた。

 せめて、少しだけでも苦しみや危険を減らす方法はあるはずだ。

 

「……今までのようなペースじゃなく、休み休み描くっていうのはどうですか?」

 

 そうすればソウルジェムの濁りは遅くなるはずだ。

 魔女になる危険も減らせる。

 

 アリナの答えは、ノ-。

 

「どうしてですか?」

「この作品は10月31日に終わらせないといけないカラ」

 

 10月31日。

 かりんが大好きだった、ハロウィンの日。

 二度目の命日として、おそらくこれ以上の日はない。

 

 そして今は9月も中旬。

 あと一ヶ月と少し。

 完結まで残り一巻分としても、すでに普通の漫画家ならタイムアップという日程だ。

 

 休み休みでは間に合わない。

 

「ふぅ──っ……」

 

 もう一度深く息を吐き出して、いろはは言った。

 わかりました。

 

「もう記憶を消すなんて言いません。全部中止だって、みんなにも伝えておきます」

 

 そうと決まれば、いろいろと連絡しなければならない。

 いろはは席を立とうとした。

 

「ウェイト」

 

 その背をアリナが呼び止める。

 

「なんですか?」

「アリナはアナタに感謝してるワケ。だから、安心材料をあげる」

 

 いろはは首を傾げた。

 安心材料になるものなど、思いつかない。

 

「アトリエの作品庫の奥に、フールガールの魔女を閉じ込めた結界があるワケ」

 

 いろはの目が見開かれる。

 ずっと探していたかりんの魔女が、そんな場所に。

 

「それをアナタに預けるカラ」

 

 預ける。

 その言葉の意味を反芻する。

 

 どういう経緯で持っているのか聞こうとは思わなかった。

 どうして持っているのかは明白だったから。

 

 自分の手で終わらせてあげるためだ。

 

 それを自分に預けるという。

 安心材料として。

 つまり

 

『自分がちゃんとこの魔女を殺すから、心配はするな』

 

 ということだろう。

 しかし、魔女を預かるなんていうのは初めてだ。

 確認しなければならないことがある。

 

「暴れ出したりは、しないんですか?」

「魔女って、餌をやらないと冬眠みたいな状態になるんだヨネ。この魔女も同じ。結界に容れておけば問題ないワケ」

 

 思い出すのはホテルフェントホープに行ったときだ。

 あのときも、それらしい状態の魔女を見た。

 あの魔女たちに危険は感じなかったし、魔女たちが苦しんでいる風にも見えなかった。

 冬眠という言葉には、そういう意味も含まれているのだろう。

 

 なら、断る理由はない。

 

「わかりました。預かっておきます」

 



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第二十四話 御園かりん

 

 それから数日後のことだ。

 

『アリナ先輩!』

 

 アリナ・グレイは自分を呼ぶ声を聞いた。

 幾度となく聞いた、懐かしい声だ。

 けれど、決して聞こえるはずのない声だった。

 

 声の方を見た。

 死人がニコニコ笑いながらアリナを覗き込んでいた。

 

 またか。

 最近は起きているのに夢を見る。

 

『アリナ先輩! 無視するなんてヒドいの!』

 

 こういうときはグリーフシードだ。

 ソウルジェムに穢れが溜まっているから、こんな幻覚を見る。

 アリナは机の上のグリーフシード置き場に手を伸ばし、ソウルジェムを浄化する。

 

「……あの、アリナ先生」

 

 声の方を見た。

 アシスタントが心配そうにアリナを覗き込んでいた。

 

 またか、と再び思った。

 この新しいアシスタントには魔法少女のことも教えてある。

 泊まり込みで働いているから実物を見せる機会もあった。

 たかだか二徹くらいは問題ないのは知っているはずだが。

 

「そろそろ休んだ方が……目の隈も凄いですし、顔色も……」

 

 アリナはペンを置いた。

 そして改めて自分が「ノイジーガール」と呼んでいるアシスタントに向き直った。

 

「人の心配より、アナタは自分の漫画を心配した方がいいヨネ。アナタの漫画はキャラクターデザインがワンパターン過ぎ。設定に沿った統一感を出したいのはわかるケド、あれだと読む方はキャラの見分けがつかないワケ」

「あっ、えと……はい」

「キャラはシルエットだけでも見分けられるようにしろってよく言われるけど、そこを意識して描き直してみてヨネ」

「……はい」

 

 アシスタントの少女は沈んだ様子を見せた。

 それを見たからなのか、アリナは言葉を付け加えた。

 

「『わたしの手を離れた後はみんなのもの』」

「あっ、それって、かりんちゃんの……」

「アリナも同じ意見なワケ。良いものを作っても伝わらないなら、単なるひとりよがりだヨネ」

「はいっ……!」

「わかったら、アナタはもう寝ていいワケ。アリナも少しだけ描いたら休むカラ」

「わかりました……あっ、お夜食だけお持ちしますねっ」

 

 そう言って、少女は部屋を出て行った。

 軽い足取りだった。

 チラッと見えた横顔には笑みさえ浮かんでいた。

 

 アリナは溜め息をついて、机に向き直る。

 ほんの少し口の端を緩めながら。

 

 1ページ分、原稿が完成した。

 

 

 

 

 それから、また数日後のこと。

 

 ああ、これは夢だ。

 アリナは自分の脳髄が再生する映像を、そう断定した。

 根拠はいくらでもあった。

 

『ああっ! アリナ先輩! いちご牛乳勝手に飲んじゃダメなの!!』

 

 第一に、死人が生きて動いている。

 御園かりんは死んでいるのだ。

 死人が動かないのは、現実世界では絶対のルールだ。

 

「教えてあげてるんだカラ、これくらいの対価は当然だヨネ?」

 

 第二に、鏡に映っているわけでもないのに自分の姿が見える。

 頭のてっぺんから、つま先まで見える。

 ここにいるアリナが動かしているわけでもないのに、目の前のアリナは手足を、口を、自由に動かしている。

 

『むぅ……きりんちゃんなら、もっと優しく丁寧に教えてくれるの!』

 

 第三に、マジかりと現実が混同されている。

 きりんが絵を教えるのはマジかりの設定であって、現実ではない。

 さらに教室のあちこちで、現実の光景と、マジかり執筆にあたって背景に書き込んだ品々が混在していた。

 

「ハァ……じゃあ、ちょっとペン貸してヨネ。手本を見せてあげるカラ」

 

 第四に、現実のアリナは、かりんに指導したことはない。

 現実は悪いと思った部分を悪いと言い、良いと思った部分を良いと言うだけだった。

 つまり作品を見て、感じたことを言っていただけだ。

 言うなれば、単なる反応であって、決して指導ではなかった。

 なのに、目の前のアリナは文字通り、手取り足取り指導している。

 時折、二人の間で軽口も交わされていた。

 夢でしかありえない。

 

 そう、夢だ。

 こんなものを見ていても、原稿が進むわけではない。

 時間の無駄だ。

 だから早く目覚めるべきだった。

 

 感覚でわかる。

 目覚めるのは簡単だ。

 ただ強く目覚めようとすればいい。

 

 なのに、アリナは目を覚まそうとしなかった。

 

 夢が続く。

 

「漫画の絵は線を減らしてシンプルに描けるように進化してきたんだヨネ。そうすると情報量は減るけど分かり易いし、何よりたくさん描けるワケ。速さが求められる週刊漫画は、このポイントが大事なんだヨネ」

『言われてみたらそうなの。アリナ先輩の絵に比べたら、マジきりの絵はすごく単純なの』

「なのに、アナタの絵は線が多すぎ。月刊連載なら絵画的なタッチで魅せるのもアリだと思うケド、アナタはマジきりと同じ週刊を目指してるんだヨネ? 第一、アナタの線は大半が無駄。これで絵画的なタッチを目指したって言われても、笑われるだけだヨネ」

『うう……耳が痛いの』

 

 目の前の二人は、実に理想的な先輩後輩に見えた。

 先輩が教え、後輩は学ぶ。

 後輩には学びたいという熱意があり、その熱意に先輩は十分に応えている。

 

『アリナ先輩! 描けたの! 見て欲しいの!』

「ハイハイ……」

 

 しばらく後、アリナ・グレイの目の前で、アリナ・グレイが原稿を受け取った。

 チラリと原稿が見えた。

 

 下手な絵だ。

 漫画的だとか、絵画的だとか、そういう次元ではない。

 シンプルに下手だった。

 その上、さっきの「線を少なく」というアドバイスを気にしすぎたのか、今度は線が足りない。

 総合的に評価すればアドバイスされる前の方がまともだった。

 絵としてはゴミだ。

 

 しかし受け取ったアリナは一瞬、小さく顔を顰めた後、何やら言葉を探している様子になった。

 そして、こう言った。

 

「……まぁ、さっきよりはマシ」

 

 嘘だ。

 自分自身のことだから確信が持てた。

 このアリナも、決してこの絵が「さっきよりはマシ」になったとは思っていない。

 では、なんで嘘をつくのか。

 

『本当なの!?』

「but……今度はシンプルにしすぎ。例えばここ……たぶん、ステッキだと思うケド、何なのかわからなくなってるヨネ? シンプルにするのは大事だけど、あくまでも読者がわかる範囲で。アンダスタン?」

『……はいなの』

「まっ、線をシンプルにってポイントは抑えられてたし、フールガールにしては早い飲み込みだったと思うワケ」

『えへへ、褒められたの』

 

 しばらく時間が経った。

 教室に差し込む日の光が少しずつ赤みを帯びてきた。

 そんなとき、かりんが声を上げた。

 

『あっ! もうこんな時間なの!』

 

 つられて二人のアリナが時計を確認する。

 午後5時30分。

 まだ下校時間にはなっていなかった。

 

 じゃあ、なんでいきなり素っ頓狂な声を上げたのか。

 疑問に思っていると、もう一人のアリナが言った。

 

「そういえばマジきりの再放送がどうのって言ってたっけ?」

 

 それにかりんが反応する。

 

『そうなの! 今日は第42話『マジカルきりんと吸血鬼』の放送日なの! マジきりの中でも五本の指に入る感動回を見逃すわけにはいかないの!』

「ふーん、じゃあ先に帰ってヨネ。アリナはもう少し描いていくから……」

『ダメなの! この話は生きとし生けるものは全員見る義務があるの! まして私の先輩が見ないなんて許されないの!』

「ちょっと意味がわからないんですケド?」

『いいから今日は帰るの! 明日には感想も聞かせてもらうの!』

「shit……」

 

 あれよあれよという間に、もう一人のアリナは教室の外に引っ張られていった。

 その表情には台風が過ぎるのを待つ人間のような諦観と、どこかまんざらでもなさそうな色が浮かんでいた。

 

 

 

 目を覚ます。

 真っ先にアシスタントの少女の顔が目に飛び込んできた。

 

「あ、起きましたか、アリナ先生」

 

 机に突っ伏していた体を起こして、時計を確認する。

 指していたのは、10時。

 しかし、さて、午後の方なのか、午前の方なのか。

 

 午前なら少しまずい。

 すでに学校がはじまっている時間だからだ。

 別に遅刻するくらいは今さらだし、真面目に授業を受ける気もない。

 しかし“良い漫画家”として一応、登校だけはするようにしているのだ。

 

 いつも時間通り学校に通っているアシスタントがいるのだから午後な気はする。

 けれど、何かの事情で彼女が学校を休んだだけということもありえる。

 

「午後の方です、アリナ先生」

 

 言葉が漏れていたのか、アシスタントが答えた。

 

「……どのくらい寝てたワケ?」

 

 その言葉にも、すぐに答えが返ってくる。

 

「1時間くらいでしょうか」

 

 1時間。

 決して短い時間ではない。

 ペンを取ろうとした。

 

 しかし、いつもペンが置いてある場所に、それがない。

 別の場所を探してみても、ない。

 寝ている間に落としたのかと床を探してみても、やはりない。

 

「……?」

 

 どこだ。

 さらに探していると、後ろから声。

 

「アリナ先生、あの、そこに」

 

 アシスタントの指さす方向。

 つまり最初に目をやった、いつもの場所を見る。

 いつもとは数センチ違う場所にペンが転がっている。

 

 かりんが使っていた、普通のペン。

 マジかりは、これ一本で描こうと決めているペン。

 

「サンクス」

 

 ペンを持って、原稿に向かう。

 すると、また後ろから声。

 

「アリナ先生、もう少しやすん……あ、いえ、ちょっと甘い物でも用意してきます」

 

 それを見送って、原稿にペンを当てる。

 インクが紙の上に線を刻み、キャラクターに命を吹き込んでいく。

 

 描いているのは、きりんだ。

 御園かりんが崇拝していた、怪盗少女マジカルきりんの主人公。

 盗作・魔法少女マジカルかりんの物語では、第三章でかりんと道を違えて、敵になっている少女。

 

 いま、かりんは憧れと戦っている。

 憧れを越えようとしている。

 

「……うっ」

 

 眠い。

 頭が痛む。

 吐き気がしてきた。

 

「あっ、アリナ先生、いちごミルクでよかったですか?」

 

 アシスタントが持ってきたそれを引ったくる。

 体を襲う不快感を、それごと「チューズゾゾゾ……」と胃に流し込む。

 

「……」

 

 アシスタントは何か言いたげな目で、その様子を見ている。

 また1ページ、原稿が完成した。

 

 

 

 

 それから、さらに数日後。

 

「あの、アリナ先生……アリナ先生?」

 

 作画が一区切りついて、体を伸ばしていたとき、後ろから声をかけられた。

 アリナは振り返る。

 

「フールガール……?」

 

 呼びかけられた少女は、それを否定した。

 

「ノイジーの方です、アリナ先生」

 

 言われて、アリナは怪訝そうに瞬きした。

 

 ああ、たしかにそうだ。

 よく見ると、髪色も、髪型も、背丈も、顔立ちも、まったく違う。

 

「で、なに?」

 

 アリナが聞くと、少女は机の上の端の方を指さした。

 そこにはいつの間にか、サンドイッチとイチゴミルクが置かれている。

 

「朝食です」

 

 言われて時計を見る。

 なるほど、7時を指している。

 朝食の時間だ。

 

 アリナはイチゴミルクに手を伸ばして、それを一気に飲み干した。

 

「アリナ先生、もしかして徹夜してたんですか?」

 

 そうだっただろうか、とアリナは考えた。

 どうも記憶が定かではない。

 

 しかし描き上げた原稿が、結構な数になっていた。

 どうやら、そうらしい。

 

「アリナ先生、あまり徹夜は……」

「それより、アナタは学校だヨネ? 行かなくていいワケ?」

「いえ、行きますけど……アリナ先生は学校、行かないんですか?」

「別にアリナは遅刻とかどうでもいいカラ。もう少しだけ描いてから行くワケ」

 

 少女は視線を泳がせる。

 それから何かを決心したように「よし」と呟いて言った。

 

「あの、今日は休んだらどうですか?」

「休む?」

「ですから、学校。というか、原稿も」

 

 アリナの目がスッと鋭さを増す。

 

「あっ、いえ……でも、アリナ先生、いま本当にすごい顔してますよ? 魔力? っていうのでも限界があるんですよね? 完結の目処も立ったことですし、今日くらいはお休みになられたらいかがかなぁ、と……」

 

 すこしの沈黙を挟んで、アリナは手を動かした。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 少女が悲鳴に似た謝罪を叫ぶ。

 アリナの手は机の上のサンドイッチを掴み、それを口に入れた。

 

「あ、あれ?」

 

 困惑している少女に、アリナは言った。

 

「フールガールなら、完結間際は夢中になって描いてると思うんだヨネ」

「……?」

「早く描けたら、残った時間は推敲に使ってるだろうし、本来なら推敲に終わりなんてないワケ」

「……はい」

「クオリティを上げるチャンスがあるのに、休んでそれを不意にするなんて、良い漫画家とは言えないヨネ?」

「……まあ、はい」

「分かれば良いカラ……ほら、アナタの学校って宝崎だったヨネ? 早く行かないと遅刻するんじゃない?」

 

 時計を見る。

 7時15分。

 すでに走って行かないと間に合わない時間だ。

 

「そ、それでは放課後!」

「ハイハイ」

 

 背中を見送ると、アリナは机に向き直る。

 ほどなくして、声が聞こえてきた。

 

 

 

『アリナ先輩!』

 

 声の方を見る。

 今度は間違いなかった。

 

 髪色も、髪型も、背丈も、顔立ちも。

 すべてあの時の姿で、御園かりんが立っていた。

 

「フールガール……」

 

 いつの間にか、場所が変わっている。

 慣れ親しんだ栄総合学園の美術室にいた。

 窓から差し込む陽光が、教室をオレンジ色に染め上げていた。

 

『アリナ先輩! 漫画読んで欲しいの!』

 

 差し出された漫画を受け取り、開いてみる。

 厚さからして30ページほど。

 

「……」

 

 ページをめくる音だけが美術室に響く。

 アリナは漫画を読み、かりんはその様子を固唾を呑んで見守っている。

 

「……」

 

 ページをめくる度、教室のオレンジ色が濃くなっていく。

 下校時間が近づいてくる。

 

「……」

 

 相変わらず下手な絵の、相変わらずマジきりのパクりが目立つ漫画だった。

 読んでいて、懐かしい気分になれた。

 

『か、感想を聞かせて欲しいの……!』

 

 読み終えて、閉じたタイミングで、かりんが言った。

 期待と不安の混在した、相変わらずの表情。

 いつも通りなら、アリナはこの顔に正直な感想をぶつける。

 

 しかし、今回は違った。

 

「フールガール……アナタ、なんで死んだワケ?」

 

 今回、アリナがぶつけたのは、そんな言葉だった。

 

「……」

 

 かりんの表情が消える。

 似合わない、能面のような表情がアリナを見返した。

 

 その能面に、さらに言った。

 

「まだまだだケド、昔に比べたら絵も上手くなってきた」

「マジきりのパクりは相変わらず多いけど、オリジナリティも出てきた」

「話の作り方だって、どんどん上手くなってた」

「アナタなら、いつか『マジきり』より面白い漫画だって描けた」

 

 日が暮れていた。

 外は真っ暗で、美術室の青白い電灯が二人を照らしていた。

 

「なのに、なんで死んでるワケ?」

 

 かりんは何も答えない。

 能面のような表情も変わらない。

 

 当然だ。

 死人は答えない。

 表情を変えるわけもない。

 

「……はぁ」

 

 溜息を一つ。

 アリナは椅子から立ちあがった。

 そして自立している死体を、お姫様でも扱うような丁重さで抱き上げた。

 美術室の椅子を並べて、簡易の寝台を作り、その上に寝かせてやった。

 

 終わると、アリナは元の椅子に座り直す。

 彼女には描かなければいけない作品がある。

 

 

 

 ハッと気付いたとき、時計は12を指していた。

 外に出て見ると、まだ明るい。

 正午の12時だ。

 

 これからまた描き始めたら、学校が終わってしまいそうだ。

 かりんと通っていた学校が。

 

 アリナは雑にスクールバックを掴むと自宅を出た。

 また1ページ、原稿が描き上がっている。

 

 



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第二十五話 盗作・魔法少女マジカルかりん(上)

 10月31日。

 

 

 

 マジかり担当編集、佐藤は幸福だった。

 少なくとも当人は

 

「いま世界で一番幸せな人間は誰か」

 

 と問われれば

 

「自分だ」

 

 と即答できるほどに幸せだった。

 なぜなら……

 

「マジかりが終わったーーーーーっ!!!」

 

 これでアリナ・グレイとの関係も終わる。

 解雇の恐怖とも、死の恐怖ともサヨナラだ。

 

「おはよう! いい朝だね!」

「えっ……あっ、はい、そうですね……」

 

 挨拶しただけで、後輩が足早に去って行くのも気にならない。

 そんなことはハロウィンを上書きして生まれた新たなる祝日

 

『Last Alina Gray Day』

 

 のめでたさと比べたら、大した問題ではない。

 

「ああ、世界は美しい……っ!!」

 

 空の青さも。

 雲の白さも。

 都会のビル群も。

 机の上のコーヒーの染みも。

 喫煙所に落ちているタバコの吸い殻にさえ趣がある。

 

 そして何より。

 

 佐藤は自分のデスクに置かれた漫画を手に取った。

 

「……」

 

 自分が担当し、今日完結を迎えた作品。

 恐怖に震えながらも自分が携わってきた作品。

 会社中から『佐藤さん発狂説』を唱えられながらも作り上げてきた作品。

 作者の意向である10月31日に合わせるためだけに、弊社史上で初めて誌の発売日をズラした作品。

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 

 作者の人格はともかくとして。

 この作品は、たしかに美しい。

 

 

 

 マジかりは手に入らない。

 出版前から囁かれていた噂を、美術評論家の彼は舐めていた。

 

 なにしろ、出版社も十分に対策を立てているように見えたからだ。

 

 まず部数を大量に増刷していた。

 聞くところによると、普段の5倍も。

 あるテレビ番組では、当日の書店にはこのくらいの在庫を置きます、という形の映像が放映された。

 それはもう頼もしいばかりの『マジかりタワー』が建造されていた。

 

 発売が平日というのもあった。

 彼の仕事は自由が利く。

 普通の社会人が仕事をしている時間に買いに行くのも簡単だ。

 マジかりのために10月31日を休業日にする会社が続出しているという不穏なニュースも耳にしていたが、大した問題はないだろう。

 

 しかも週刊誌と単行本が同時発売される。

 週刊誌を買った人は単行本を買えず、単行本を買った人は週刊誌を買えないようにする、という発表もあった。

 

 これだけやっているのだから、まあ手に入るだろう。

 手に入らなければ、最悪の場合は電子書籍でもいい。

 

 そう考えていた彼が家を出たのは10時30分。

 自宅から歩いて5分の距離にある、大型書店に足を運ぼうとした。

 甘かった。

 

 家の前に行列が出来ていたから嫌な予感はしていたのだ。

 しかし、さすがにそんなわけはなかろうと書店まで足を運んでみると、行列は書店の中に入っている。

 

 絶望的な気分になりつつ、並んでいた婦人に話を聞いてみた。

 驚いたことに、彼女は深夜から並んでいるのだという。

 彼女の話では、先頭の客などは昨日の閉店直後から並んでいたそうだ。

 

 一応、他の書店も見て回った。

 どこも似たようなものだった。

 人口の少ない町ならどうだと足を伸ばしてみても変わらない。

 この国は大丈夫なのかと心配になるほど、どこもかしこも行列だ。

 行列がないのは、マジかりが売り切れた店だけだった。

 

 仕方がない。

 本当は紙の方がいいのだが、それは後にしておこう。

 今日のところは電子書籍で読もう。

 そう思い直して、電子書籍のアプリを起動した。

 

 しかし、それでもダメだったのだ。

 繋がらなかった。

 何回も試しても繋がらなかった。

 SNSで調べてみたところ、深夜0時からずっとサーバーが落ちたままなのだという。

 

「……」

 

 前代未聞、空前絶後であろう。

 アリナ・グレイが世界一の漫画家になった証として、これ以上はない。

 

 この日の彼は結局、マジかりを読むことができなかった。

 

 

 

 美術部顧問の彼がマジかり最終話を読んだのは、世間より一週間ほど早かった。

 

 その日、放課後に部室である美術室に行ってみると、アリナがいた。

 珍しく原稿を書かずに、頬杖をついて、ぼーっとしていた。

 

「グレイ、原稿はいいのか?」

 

 そう聞いた彼に向き直って、アリナは紙の束を突き出してきた。

 一番上の紙に

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん最終話原稿』

 

 と書かれている。

 

「……終わったのか?」

 

 アリナは淡々と答える。

 

「終わった」

 

 それは彼にとってもなかなか感慨深い言葉だ。

 なにしろ一年以上、マジかりには振り回されてきたのだ。

 それが終わった。

 

 いくらアリナに慣れている彼といえど、無感動ではいられなかった。

 

「読んでいいのか?」

 

 すこし勢い込んで聞いた彼に、やはりアリナは淡々と答える。

 

「コピーだから。あげる」

 

 妙に元気がないな。

 まあ、創作は完成したときには虚しくなるらしい。

 そのせいかと思いながら読み始めた。

 

 やはり面白い。

 相変わらず、御園かりんが生きているように動いている。

 きりんに勝ったあと、あの幼い口調でお説教をはじめるところなど、声が聞こえるようだった。

 

『もう! アリナ先輩! ちゃんとお掃除しなきゃダメなの!』

 

 いつだったか言っていた台詞と、この幼い正論を並べたてる説教のシーンは綺麗に重なるように見えた。

 

「……御園だな」

 

 ふと声が漏れる。

 その声に、珍しくアリナが反応した。

 

「そう?」

 

 珍しいというより、はじめてだったかもしれない。

 この「そう?」は明らかに、反応を求めていた。

 すこし狼狽えてから、彼は言葉を絞り出す。

 

「あ、ああ。まさしく御園だよ。あいつも大概、世間離れしてるところがあったが、案外本当に魔法少女だったのかもな、なんて思うくらいな。あと最後のページの……、なんと言うか、寂寥感みたいなのもよかったぞ」

 

 アリナが答える。

 

「……そう」

 

 この「そう」は、いつもの「そう」だ。

 とりあえず話は聞いてやったが、こちらから何か言ってやるつもりはない、という意味の「そう」。

 

 しかし、いつもの意味の「そう」のはずなのに、何かが違うような気がした。

 何というか、何かが足りない。

 

 あえて言うなら、覇気だろうか。

 いや、覇気で言えばマジかり執筆前の腑抜けぶりは酷かった。

 あのとき以上ということはない。

 

 ないはずなのに、何かがあの時以上に足りない。

 気付くと、聞いていた。

 

「グレイ、お前は大丈夫なのか?」

 

 何を指して聞いているのか、聞いた本人もよくわかっていなかった。

 案の定、アリナにも伝わらなかったようで

 

「大丈夫って、なにが」

 

 と聞き返してきた。

 また狼狽えなければならなかった。

 

「ああ……いや、体調とか、な」

「ノープログレム」

 

 そこでチャイムが鳴った。

 下校時間のチャイムだ。

 アリナはスクールバックを掴むと立ちあがって言った。

 

「バイバイ」

 

 その言葉は『盗作・魔法少女マジカルかりん』の最後のページ。

 最後のかりんと同じ台詞。

 

 もう二度と会えない。

 そんな予感をさせる言葉。

 

 それから一週間。

 アリナは学校に来ていない。

 



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第二十六話 盗作・魔法少女マジカルかりん(中)

 みかづき荘には現在、三人の少女がいる。

 

 由比鶴乃。

 二葉さな。

 深月フェリシア。

 

 この三人だ。

 他の住人は、つい先ほどアリナの家に出発してしまった。

 

「それにしたって、やちよは許せねぇよな!」

 

 憤慨しているのはフェリシアだ。

 ふんす、ふんす、と鼻息を荒くしながら、そのやちよが大量に買ってきたデカゴンボールチョコを貪り食っている。

 

「そうですよ! 私たちに何も言わないで!」

 

 こちらも珍しく憤慨している二葉さな。

 彼女もデカゴンボールチョコを次々と口に放り込んでいた。

 

「あははっ……」

 

 それを苦笑いしながら眺めているのが鶴乃だ。

 数日前の様子を思い出しながら、彼女もデカゴンボールチョコを手に取った。

 

 

 

『そういえば十七夜さんは記憶を読んでいたんですよね? そのときに魔女をアリナさんが持ってるって気付かなかったんですか?』

 

 今回の打ち合わせのため、みかづき荘に集まったときだ。

 

 話が一区切りついたところで、いろはが言った。

 たしかに考えてみたらおかしな話だ。

 心を読んでいた十七夜が、それを知らないはずがない。

 もしかして知っていて黙っていたんじゃないか。

 

 とはいえ、一応は過ぎた問題ではある。

 いろはとしても詰問するような意図はなかっただろう。

 けれど、気になる問題ではあった。

 

 十七夜は悪びれる様子もなく言った。

 

「梓だ。奴が暗示の能力を使って、アリナの記憶を封じていた」

「……っ!」

 

 ……そのとき、やちよの肩がピクッと跳ねたので、嫌な予感はあった。

 

 いろはが重ねて問う。

 問う前にやちよの方をチラッと見たのに、鶴乃は気付いた。

 

「……なんでそんなことを?」

 

 それから十七夜の事情聴取は粛々と進んだ。

 いろはが質問し、十七夜は淀みなく答え、やちよの顔色が悪くなっていく。

 

 十七夜への事情聴取の最後は、こんな会話だった。

 

「……みふゆさんとアリナさんの他に、それを知っている人はいますか?」

「いる。だが、答えることはできん。口止めされているからな」

 

 その場の全ての魔法少女の視線が、七海やちよに注がれた。

 

 

 

 その結果の一つが、机の上にあるデカゴンボールチョコの山だ。

 山の上には

 

『反省しています。皆様に相談もせず、独断で行動したことをお許しください』

 

 と書かれた紙が乗せてある。

 

 ちなみに『結果の一つ』というのは他にもあるからだ。

 他の結果には

 

『限定版、子猫のごろごろブックカバー』

『万々歳フルコース』

『みかづき荘、湯の国市旅行ツアー』

『七海やちよが家事を代わってくれるチケット一週間分 ×5』

 

 などがある。

 

「ほんとよぉ! オレたちには『みんなの方針に従え』とか偉そうに言ってたくせによぉー!」

「まったくですよ! わたしたちのこと、やちよさんは信頼してないんですかねっ」

 

 しかし、そんなやちよの反省も、まだ届くには時間かがかかるらしい。

 二人はパクパクパクパクとデカゴンボールチョコを平らげていく。

 

「……」

 

 鶴乃は『ごめんなさい……』と、縮こまりながら繰り返していた、みかづき荘の家主に想いを馳せる。

 

 鶴乃も気持ちはわかるのだ。

 たとえ仲間に黙ってでも、アリナに協力したやちよの気持ちが。

 当然、相談して欲しかったという想いはある。

 けれど、それでも二人やいろはと比べたら鶴乃はやちよ側だった。

 

「フェリシア、さな」

 

 鶴乃の呼びかけに二人が反応する。

 

「なんだよ」

「なんですか」

 

 鶴乃は言った。

 

「二人とも死んじゃったりしたらダメだからね?」

 

 少し間を置いて、

 

「当たり前だろ!」

「ええ、大丈夫です」

 

 という答えが返ってきた。

 

 

 

「離して、ねむ!」

「だめだ、今回ばかりは譲れない」

「もう、二人ともやめてよ!」

 

 昼ごろ、ちょっとした用で自宅に帰ってきた里見医師を出迎えたのは、そんな甲高いやりとりだった。

 

 子供部屋に行ってみると、案の定、見慣れた光景が広がっていた。

 愛娘と、その親友が激しく言い争っていて、その二人をもう一人の親友が窘めている。

 

「ねむもわかるでしょ! アリナはこれが終わったら死んじゃう気なんだよ!?」

「そうだとしても、これはアリナの作品だ。作品を壊していいのは、芸術家だけだ」

「なにそれ! 意味分かんない! じゃあ、ねむはアリナが死んじゃってもいいの!?」

「結果としてそうなるなら、それも仕方がない」

 

 里見医師は、こういうときに最も頼りになる少女に声をかける。

 

「今度は何があったんだい?」

 

 少女は答える。

 

「マジカルかりんを読んでから灯花ちゃんが『アリナは死ぬつもりだから止めなきゃ』って……ねむちゃんは『作品を作る邪魔をしちゃいけない』って……」

 

 ああ、なるほど。

 里見医師はうなずく。

 ねむは友人の行動の美しさを優先しようとし、灯花は合理的に友人がこの世から失われるのを防ごうとする。

 つまりは見慣れた喧嘩だ。

 

 しかし、そういう問題だとすると、一つだけ見慣れない点があった。

 

「うい君は行かなくてもいいのかい?」

 

 人命がかかっているとき、真っ先に飛んで行きそうなのは愛娘ではなく、この少女だ。

 ただ仲裁に徹しているのは違和感がある。

 

「大丈夫です。お姉ちゃんが付いてるので」

 

 里見医師は、もう一度うなずいた。

 

 そうだろう。

 あの娘がついてるのだから、心配はいらない。

 

 里見医師は愛娘が友人のために、ここまで必死になっていることに感動を覚えながら、二人の仲裁に参加することにした。

 

 

 

 

『それで今日、神浜の魔法少女たちはどうするつもりなのかしらぁ?』

 

 智珠らんかは電話から聞こえてきた声に、ため息をついた。

 

 マギアユニオンとプロミストブラッドの連絡役になってから、かなりの時間が経った。

 自分のおかげとは思わないが、次第に両グループの関係も軟化して、交流も増えた。

 

 それは構わない。

 むしろ喜ばしいと思っている。

 けれど、仕事以外の頼まれごとが増えたのは、何とかして欲しかった。

 

「それ、ちゃんと樹里に報告したんだけど?」

『そうなのぉ……? 樹里からは『ハロウィンの日に魔女をぶっ飛ばすんだってよ』としか聞いてないのだけどぉ……』

 

 もう一度、ため息をつく。

 仕事が増えた原因はプロミストブラッドの副リーダーとも言うべき存在にもある。

 

「……いい? 三回目はないからね?」

 

 そう前置きして、らんかは説明をはじめた。

 

「魔女を倒しに行くのは5人。アリナ・グレイ、環いろは、七海やちよ、和泉十七夜、あとレナのグループの秋野かえで」

 

 この5人と御園かりんとの関係性は、概ねマジかりに書いてあった。

 マジかりはプロミストブラッドのメンバーも、ほぼ全員読んでいる。

 なぜこの5人なのかとか、詳しい説明はいらないだろう。

 

『……記憶を消すときより、人数を絞るのねぇ』

「そこはアリナ・グレイの希望なんだって」

『アリナ・グレイの?』

「そう。アイツがなに考えてんのかなんて知らないけど……まあ、いいんじゃない? 御園かりんだって魔女になった姿を大人数に見られたくないでしょ」

『……そうねぇ』

「で、他の魔法少女は栄総合の奴らも含めて静観。環いろはを信じて、あとで顛末だけ聞かせてもらうことになってる」

 

 部外者の結奈からしたら、同じ栄総合の生徒が一人も今回のメンバ──―いわば介錯係──になっていないのは違和感があったかもしれない。

 しかし、それはアリナが同校で避けられていることと、アリナと一緒にいることが多かった御園かりんも必然的に周囲との交流が薄くなっていたのが理由らしいが……。

 そこまでは報告しなくてもいいだろう。

 

『他に問題はなさそうかしらぁ?』

「ないない。強いて挙げるなら、マジかり読んで、ユニオンの話を聞きたいっていう他の街の魔法少女が増えてて、対応が忙しそうな感じ……って、もしかして、これも聞いてない?」

『聞いてないわねぇ……』

「平和になってからホント役に立たねぇな、竜ケ崎の竜」

 

 電話から『フフッ……困ったものねぇ』と、孫のやんちゃを見守るおばあちゃんのような声が聞こえてくる。

 お前が甘やかすせいだぞ、と声を大にして言ってやりたかった。

 しかし、この外面はしっかりしている長女が、身内に対してはダダ甘なのは知りすぎるほど知っている。

 言っても仕方がない。

 らんかは話を進めることにした。

 

「とりあえず神浜の魔法少女の動きっていうと、こんな感じだけど、他に聞きたいことある?」

 

 携帯から「んー、そうねぇ……」という声。

 それと一緒にペラ、と何かをめくるような音が聞こえてきた。

 漫画だろうか。

 

『こんな漫画を描いてて、アリナ・グレイは大丈夫なのかしらぁ……』

 

 意外な言葉、というほどではない。

 マジかりはプロミストブラッドでも大人気だ。

 

『作者のアリナ・グレイはマギウスだから嫌いだ』

『けど、マジかりは面白いし、マジかりに罪はない』

 

 これはプロミストブラッドの総意と言ってもいい。

 

 だから結奈が読んでいても意外ではない。

 最近の神浜との関係や、もともとの性格から考えても、アリナ・グレイを慮るようなことを言うのも、おかしくはない。

 

 ただ、すこし突飛さはあった。

 

「……まぁ、死にそうな顔してるし、たまに幻覚も見えてるっぽいけど、前ほどじゃないし、大丈夫っしょ」

 

 らんかの言葉に、結奈はすぐに反応した。

 

「自殺なんてことはしないかしらぁ……?」

 

 自殺。

 かつて、生き残るために仲間たちと殺し合いまでした彼女にとっては、縁遠い言葉だった。

 けれど、アリナ・グレイにとってはどうか。

 

 聞くところによれば、以前、本当にしようとしたことがあるらしい。

 そのアリナにとってみたら、決してありえない選択肢ではないんじゃないか。

 

 しかし、そうだとしても……

 

「……そのときは、そのときでしょ。どうなったとしても、部外者のあたしらが口出すことじゃないよ」

 

 この問題について、プロミストブラッドは部外者に過ぎない。

 マジかりを単純に面白い漫画として読めているのが何よりの証拠だ。

 

 あとのことは環いろはたちが何とかするだろう。

 記憶消去のときのように「手伝ってくれ」と言われたならともかく、下手に手を出しても問題をこじらせるだけだ。

 

『……』

 

 結奈がしばらく無言になる。

 しかし、やがて

 

『……そうねぇ』

 

 という言葉と一緒に、パタンと漫画を閉じる音がした。

 

 そうだ。

 あとのことは、もう当事者たちの問題なのだ。

 以前の自分たちも、神浜の魔法少女たちになんと言われようと、それを受け入れることができなかった。

 

 らんかは頭を切り替えて、言った。

 

「ねえ、結奈」

『なにかしらぁ?』

「いま読んでたのって、最終巻?」

『ええ、そうよぉ? 父の友人が出版社の社長と知り合いらしくてねぇ。譲ってくれたのよぉ』

 

 らんかは言った。

 

「わかった。じゃあ今日、結奈の家に行くから」

 



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第二十七話 盗作・魔法少女マジカルかりん(下)

 

 環いろはとアリナ・グレイのやりとりは淡々としていた。

 少なくとも、そう見えた。

 

「アリナさん、これ……」

「ん……センキュー」

「どこか移動するんですか?」

「スクールの屋上」

「わかりました」

 

 アリナの家の玄関先で交わした会話も、それだけだ。

 会話のあと、栄総合学園の屋上に移動したあとも淡々としていた。

 

 もっとも情緒的だったのは、道中。

 やちよが口火を切った、この会話だっただろう。

 

「アリナ、質問していいかしら?」

「なに?」

「どうして学校の屋上なの? マジカルきりんのゆかりの場所とかの方が……」

「フールガールならマジきりを血で汚そうなんて思わないカラ」

 

 アリナはさらに続けた。

 

「他の場所も考えたけど、あんまりファミリーと離れるのも嫌だろうし、静かすぎるより、賑やかな方がいいだろうし。あと、意外と見晴らしも悪くないんだヨネ、あそこ」

「……そう、ね」

 

 なお顔の晴れないやちよに、いろはが声をかける。

 

「やちよさん、大丈夫ですよ」

「いろは……」

「ここはアリナさんに任せましょう。それより私はやちよさんの方が心配です。まだ何か隠してたりしないですよね? してたら、今度こそ許しませんからね?」

「この期に及んで隠し事か? 見苦しいぞ、七海」

「あなたはどうして安全圏にいるの? いま私、それが一番納得できてないのよ」

 

 しかし、その情緒も和気藹々としたものだ。

 仲間を殺しに行く悲壮感など、どこにも感じられない。

 

 なぜ、そうなのか。

 この場の全員が理解していた。

 彼女たちの頭の中には、一作の漫画作品がある。

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 

 あの作品を読んで、すでに御園かりんとの別れは済んでいた。

 だから、これから起きることは、ただの儀式に過ぎない。

 

「じゃ、準備はいい?」

 

 屋上に着くと、アリナは言った。

 

「はい」

「ええ」

「うむ」

「だ、大丈夫ですっ!」

 

 アリナは自身の能力で作った結界を解放する。

 すぐに内部から、魔女の結界が現れて、5人を取り込んだ。

 

「一応、変身だけはしておきましょう」

 

 そう言った、いろはの声はやはり淡々としていた。

 

 

 

 七海やちよは思った。

 

(……これが御園さんの魔女なのね)

 

 いつか見た、かりんのドッペルによく似た姿。

 不気味な、自分もいつかこうなる可能性があるとは、できれば信じたくない姿。

 

 ただ、それを前にしても不思議と冷静だった。

 

「アリナ、あなたに任せるけど、危なくなったら私も出るから」

「ハイハイ」

 

 面倒くさそうに返事をしながら、アリナが前に出る。

 そして、おもむろに持っていたバッグから

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 

 を取り出して、それを魔女に差し出して見せたときも、割合に平静だった。

 

「ア、アリナさん!」

 

 かえでのように飛び出して

 

「大丈夫だカラ」

 

 と止められることもなかった。

 

「魔女って、生きている間に好きだった物に執着することがあるワケ。フールガールの場合は漫画だヨネ」

 

 その言葉の正しさを証明するかのようだった。

 魔女は目の前の魔法少女たちに構うことなく、アリナが差し出す漫画に腕を伸ばして、それを奪い取っていく。

 漫画を顔と思われる部分の前で、ペラペラと捲ってみせる。

 それはまるで……

 

「まさか、読んでいるの?」

 

 しかし、やちよの口から漏れた言葉を、アリナは否定した。

 

「No. 読んでるように見えるだけ。魔女の考えは人間とはもう別物なんだヨネ。文字も、絵も理解できない。ただ本能で、生きてたころの真似をしてるだけ」

 

 では、そんなことをしても意味がないではないか。

 その疑問を、今度は十七夜が口にした。

 アリナは淡々と答える。

 

「この作品はフールガールの人生を、フールガールの道具を使って、フールガールの絵柄で描いた、フールガールの作品なワケ」

 

 魔女がマジかりの最終巻を奪い、それをまた顔の前で捲りだした。

 

「ならフールガールだった魔女にも、それを読む権利くらいはあるヨネ?」

 

 魔女が漫画を捲り終える。

 そこでやっと目の前の魔法少女たちに気付いたように、意味を成さない、異音の羅列を叫びはじめる。

 

「────ッ! ────ッ!」

 

 もう御園かりんは死んだのだと、突きつけてくるような人外の言葉。

 

 その魔女を緑の光が照らした。

 キューブが放つ、魔力を伴う美しい光。

 

「本当はマジきりも読ませてあげたかったケド……」

 

 キューブが分裂していく。

 立方体は縦横で3等分にされ、27個のキューブに変わる。

 

「まあ、それはヘブンの楽しみに取っておいてヨネ」

 

 アリナがキューブを放った。

 それが放つ緑光が魔女を取り囲む。

 

 四方八方。

 上下左右。

 

 逃げ場もないように。

 処刑執行人のように容赦なく。

 

「────ッ! ────ッ!」

 

 魔女は狼狽えているようだった。

 しかし、どうすることもできない。

 

「……ッ」

 

 アリナが合図をするように手を動かす。

 27個のキューブが一斉に魔女に迫る。

 そして。

 

「……バイバイ」

 

 花火のように美しく。

 ギロチンのように慈悲深く。

 一瞬で魔女の命を刈り取った。

 

 

 

 しかし、まだ終わりではない。

 

 魔女が霧散していく。

 その真ん中の辺りに、落ちてきた物がある。

 

 魔女の卵。

 グリーフシードだ。

 

 そこにアリナは歩いてく。

 それを拾い上げる。

 

 銀の装飾のされた、黒い宝石のような絶望の種。

 その一種の美しさのある物体を、アリナは右の掌に乗せて、愛おしそうにひと撫でして。

 

 強く握り潰した。

 

 

 

 

 終わった。

 結界から栄総合学園の屋上に戻ってきた和泉十七夜を、そんな感慨が襲った。

 

 終わった。

 御園かりんも。

 その魔女も。

 盗作・魔法少女マジカルかりんも。

 これで終わった。

 

「……ふぅ」

 

 十七夜は深く息を吐いた後、一緒に来た4人の顔を見回した。

 

 4人のうち、3人はどこか晴れやかな表情をしていた。

 やちよも、いろはも、かえでも、表情の済みに哀愁を感じさせつつも、やはり笑顔を浮かべている。

 

 しかし、最後に目に映った、アリナは違った。

 

「……」

 

 一言で表すなら、虚無だ。

 以前、アリナの心象世界で見た、アリナの胸に開いた穴よりも、さらに空虚な顔で空を見上げていた。

 

 十七夜は気を入れ直した。

 

 そうだ、まだ終わっていない。

 自分がこの場に来た理由は、御園かりんを終わらせてやるためだけではない。

 まだ終わってはならないものを、終わらせないためでもある。

 

 そっとアリナに近づくと、その肩に触れる。

 能力を発動した。

 

 その瞬間だった。

 

 十七夜は咄嗟に能力を止めた。

 止めざるを得なかった。

 いま、このたった一瞬で流れてきた感情は……。

 

 止めなければならない。

 十七夜は再び変身しようとして、ぽん、と肩を叩かれ、中断した。

 振り返ると、いろはだ。

 

 そうだった。

 この少女には、今しがた流れ込んできた、アリナの感情を伝えなければならないだろう。

 

「環君、アリナは……!」

 

 しかし、いろはは十七夜を遮って、言った。

 

「大丈夫です」

 

 強い確信のある目だった。

 十七夜は言葉も止めざるを得なかった。

 

 いろはは繰り返す。

 

「大丈夫です。かりんちゃんが悲しむことを、アリナさんがするはずありません」

 

 

 

 

 その老婆のところに、アリナがやってきたのは夕方のことだった。

 

 いつも老婆とアリナが会う公園。

 打ち合わせをしている訳でもないのに、そこに集まり、話をする。

 アリナが持ってきた漫画を老婆が読む。

 二人にとっては、もう見慣れた光景だ。

 

「ん」

 

 老婆──御園かりんの祖母──は、アリナが差し出してくる漫画を手に取る。

 それを開く。

 

 

 

 最終話は前話に続く、きりん先輩との戦いから始まった。

 第二部で滅びの魔女に魅入られてしまった、きりんを助けるための最終決戦。

 

「人は滅びを求めている。だから滅ぼそう」

 

 そう主張するきりんに対して

 

「そうかもしれないけど希望も求めてるの。先輩の漫画だって、いつも希望で終わるの。これは希望を求めてるからなの!」

 

 かりんはそう言い返す。

 

「ハッキリしない」

 

 そう言われれば、こう言い返す。

 

「ハッキリしないものなの! ハッキリしないのが人間なの! 白黒じゃなくてグレーが人間なの!」

 

 そしてついに、かりんは勝つ。

 きりんを倒し、彼女から滅びの魔女の呪いを取り去ってみせる。

 

「これから『きりん先輩改心計画』に付き合ってもらうの!」

 

 そんなことを言いながら、きりんを仲間たちの方に引きずっていく。

 そちらには、別の場所で滅びの魔女と戦っていた、仲間たちの姿。

 みんな笑って勝利を噛み締めている。

 大団円だ。

 

 そのあと数ページに渡って、仲間たちのその後の姿が描かれる。

 

 きりん先輩は、正義の怪盗マジカルきりんとして世界を飛び回り。

 玉木いろははマギアユニオンのリーダーとして忙しい日々。

 七美やちよは年長者としてそんな玉木いろはを支え。

 泉十七夜はメイド道に邁進し、街の名物刑事になる。

 秋乃かえでは仲間たちと仲良く学生生活を満喫し、幸せな人生を送る。

 土岐女静香も、紅葉結奈も、藍加ひめなも、日室ラビも、みんなそれぞれの道を行く。

 

 そして最後。

 ここで主人公、御園かりんが描かれる。

 夜空の下にポツンといる、かりんだけが描かれる。

 

 まずは、遠くの方にいるかりんの小さな背中のコマ。

 次は、かりんが手前の誰かに気付いて振り向くコマ。

 ニコニコ笑いながら、こちらに手を振るコマ。

 不意に表情を消し、向こうに向き直るコマ。

 彼女の武器の大鎌に跨がるコマ。

 かりんが飛び立つコマ。

 背中が小さくなっていくコマ。

 さらに小さくなっていくコマ。

 遠くへ、遠くへ、空の星のように小さくなっていくコマ。

 

 最後のページ。

 このページには、いっぱいに夜空が描かれている。

 もうかりんの姿はどこにもない。

 

 ただ一つ。

 夜空の星の中に

 

「バイバイ」

 

 という吹き出しだけが浮かんでいる。

 

 

 

 これで『盗作・魔法少女マジカルかりん』は、お終いだった。

 

 

 

「もう、会えないのねぇ……」

 

 読み終わり、顔を上げた彼女は震えた声で言った。

 そんな彼女に、アリナは「ん」と何かを突き出す。

 

 銀色の、ひしゃげた装飾品のような物。

 それはマジかりでも度々登場していた物に似ていた。

 アリナはそれを「遺骨」と言った。

 

「アナタが持ってた方がいいワケ」

 

 とも。

 

「本当に、ありがとうね……っ」

 

 彼女の言葉にアリナは頷いた。

 立ちあがって、行ってしまおうとした。

 

「まってっ!」

 

 老婆はそれを引き留める。

 

「アリナちゃん……死んじゃったり、しないわよねっ?」

 

 アリナは振り返る。

 

「アリナのことより、アナタのことだヨネ」

「フールガールは『マジきり』の続きを楽しみにしてるワケ。アレを最後まで読み切って、ヘブンでフールガールに読み聞かせるのは、アナタの役目だカラ」

「まあ、まだまだ続くらしいから、せいぜい長生きしてヨネ」

 

 そう一方的に捲し立てて、今度こそ歩き出してしまった。

 老婆は立ちあがろうとしたが、歳が歳だ。

 早くは歩けない。

 

「まって、アリナちゃん!」

 

 今度は振り返らなかった。

 返事もせず、そのまま歩き去ってしまった。

 

 

 

 その後、すぐのことだ。

 自宅に帰ったアリナは、作業机につくと自分のソウルジェムを取り出した。

 マジかりを描いていた作業机の上、左手で緑色の宝石をもてあそぶ。

 

「……」

 

 右手にはペンが握られている。

 マジかりを描くのに使った、かつてはかりんが使っていたペン。

 それはおそらく、脆く出来ているソウルジェムよりは遙かに硬度の高い物だ。

 

 コロッとソウルジェムを転がした。

 魂の宝石は、人体の構造上、何かを叩きつけるなら最も力を入れやすそうな場所でピタッと止まった。

 

 ペンを握った右手を頭上に振りかざした。

 その右手を、さらに上から包み込むように左手でも握り込む。

 そして……。

 

 



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第二十八話 ある漫画家

 これにて完結です。
 当初の予定より、だいぶ長くなってしまいました。
 にも関わらず、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


 

 カルーア・ノイジ

 話題の女子高生漫画家。

 半年前に世界を席巻した名作『盗作・魔法少女マジカルかりん』の作者アリナ・グレイに才能を見出され、同作に唯一のアシスタントとして参加。

 同作完結後に連載を開始した『芸術の魔女』は『盗作』に続く、業界を牽引する作品として期待されている。

 

 今回は名作『マジかり』完結から半年を記念して、同作の魅力を味わい直すために、消息を絶った作者に代わり、お忙しい中わざわざ時間を作っていただいた。

 

 

 

 ────こんにちは、カルーア・ノイジ先生。ええと、いきなりですが、何と呼べばよろしいですか? 

 

 

 こんにちは、よろしくお願いします。

 ええと……呼び方、ですか? 

 とくに拘りはないですけど、そうですね。

 じゃあ「ノイジ」とかでお願いします。

 このペンネーム、気に入ってるので。

 

 

 ────わかりました。では、ノイジ先生と呼ばせていただきます。ちなみに、このペンネームって何か由来があったり? 

 

 

 ああ、はい。

 もちろんありますよ。

 実は、アリナ先生が私の名付け親なんです。

 

 

 ────へえ、あのアリナ・グレイが。ノイジ先生とアリナ・グレイの師弟関係は有名ですが、『漫画家とアシスタント』という以外にも、何か交流があったりするんですか? 

 

 

 いえ、アリナ先生と私との関係は、もう完全に『漫画家とアシスタント』です。

 年が近いからって、どこかに遊びに行くとか、そういうのは全くないです。

 私がアリナ先生をどう思ってるのかって言われると

 

「この世界の最高神」

 

 なんですけど。

 関係性って言われると……。

 アリナ先生は、あんまり私のこと気にしてないんじゃないかな(笑)

 

 

 ────「最高神」ですか(笑)それだけ漫画家として尊敬なさっている、と。

 

 

 はい、それはもちろん。

 あと、ちょっと聞いていただきたいんですけど、わたし一時期自殺しようとしてた時期があるんです。

 漫画家になる才能がないから、生きてる意味ないって。

 それで、ビルから飛び降りよう。

 でも漫画が好きだから、最後に一冊だけ漫画を読もうって。

 まさにその時に手に取ったのが『盗作・魔法少女マジカルかりん』なんですよ。

 

 

 ────それは運命的ですね! 

 

 

 そうなんですよ! 

 最期にしようと思ってた一冊が、こんなに素晴らしい作品だった。

 しかも、まだ1巻でした。

 巻末に「2巻に続く」っていう煽り文も書いてありました。

 これは「読み終わるまでは生きろ」っていう神様のお告げに違いないって(笑)

 じゃあ、そのお告げをくださった神様は誰かって言ったら、もう疑いようもなくアリナ先生じゃないですか(笑)

 

 

 ────たしかに(笑)

 

 

 それからは、もう典型的な「マジかりスト※」生活です。

 もう毎週末、神浜に通い詰めて。

 ありとあらゆるグッズを集めて。

 自分でも作って。

 同人誌も書いたり。

 つい先日まで自殺しようとしてたのが、何かの勘違いだったんじゃないかってくらい幸せでしたね。

 

※マジかりスト

『盗作・魔法少女マジカルかりん』の熱烈なファンのこと。

 彼ら彼女らが世界中から聖地『神浜市』に集うことによって

「休日は神浜の人口が10%増える」

 という名言が生まれた。

 ちなみに神浜市の調査によると正確な数字ではなく、実際は20%増える。

 

 

 ────じゃあ、そのマジかりスト活動で、アリナ・グレイの目に留まったんですか? 

 

 

 あっ、いえ。

 そんなことはないです。

 

 私とアリナ先生が会ったのは、本当に偶然で。

 ああ……と、あの……そう。

『マジかり』の9巻が発売された直後に、アリナ先生が倒れたってニュースになってたじゃないですか。

 

 

 ────なってましたね。同日の内閣総理大臣辞職より、世界的にはよっぽど大きいニュースになってましたからね。

 

 

 ああ、ありましたね。

 ネットニュースでも

 

「アリナ・グレイ、内閣総理大臣に勝利」

 

 とか、書かれてたり(笑)

 

 

 ────ありました、ありました(笑)あ、それでノイジ先生、そのときがどうしたんですか? 

 

 

 あっ、すみません。

 えっと、実は私もちょうど、その日に風邪を引いてて。

 それで病院に行かないとって、なったんですけど。

 せっかく病院に行くなら『マジかり』に何度も出てくる里見メディカルセンターがいいなって。

 

 

 ────さすがマジかりスト。病身を押して(笑)

 

 

 えへへ(笑)

 それで、あの……詳細は伏せますけど。

 マジかりって何人か実在の人物をモデルにしたキャラクターが登場するじゃないですか。

 

 

 ────はいはい、モデルの七海やちよとか。あと劇中の「里美灯火」は宇宙物理学の天才児「里見灯花」がモデルらしいですね。

 

 

 はい、そうらしいです。

 それで、病院に行ったとき、わたし会ってしまったんですよ。

 あの、あくまで詳細は伏せますけど、そういうモデルになってる人に。

 

 

 ────伏せるんですね(笑)

 

 

 伏せます(笑)

 それで、わたし興奮しすぎてしまって(笑)

 風邪とかまったく関係なく、それで気絶してしまったんですよね(笑)

 

 

 ────アッハッハッハッハッハっ!! 

 

 

 そのときは『モデルになってる人』に助けてもらって事なきを得たんですが、入院することになって。

 入院すると、アリナ先生も入院してるって情報を小耳に挟んでしまって。

 もういても立ってもいられなくて、病室に突撃して(笑)

 

 

 ────ノイジ先生、意外にアグレッシブですね(笑)

 

 

 普段はそんなことないんですけど。

 マジかりのことになると、ちょっと歯止めがですね……(笑)

 

 まあ、それはよくて。

 そのあと、色々あってアリナ先生がこう言ってくださったんですよ。

 一言一句忘れもしません。

 

「アナタの漫画、読ませてヨネ」

「漫画の書き方ならアリナが教えてあげる」

 

 って。

 

 

 ────へーっ!! それは凄い!! それで読んでもらって、才能があるって話になってっていう感じですか? 

 

 

 えーと……。

 どうなんでしょう。

 

 っていうか、どこまで言っていいのかな……。

 

 

 ────まずいことなら編集のときに削除するんで、結構踏み込んだことを言ってもらっても大丈夫ですよ? 

 

 

 そうですか? 

 じゃあ……。

 

 マジかりの『御園かりんちゃん』って、行方不明になってしまった、アリナ先生の部活の後輩で名前も同じ『御園かりんさん』がモデルなんですよ。

 

 

 ────そうなんですかっ!? 

 

 

 ええ、そうらしいです。

 アリナ先生が直接そう話してたこともあるので、間違いないと思います。

 それにアリナ先生が通っていた栄総合学園なんかだと、有名な話らしいですよ。

 

 

 ────それは、知らなかったなぁ……

 

 

 行方不明って重くて、外に話したくなる話でもないですからね。

 ほとんどの外部の人は知らないんじゃないかと思います。

 

 それでマジかりの話になるんですけど。

 マジかりって、全部

 

「『御園かりんさん』を漫画家にするため」

 

 に描かれてるんですよ。

 たぶん大衆に受けるように描いてあるのも。

 ファンサービスが多めなのも。

 ファンとか大衆のためじゃなくて、究極的には

 

「『御園かりんさん』を漫画家にしてあげるため」

 

 なんです。

 

 

 ────ほう? 

 

 

 アリナ先生が言ってたとかじゃなく、私がアリナ先生を見て感じたってだけの話なんですけど。

 でも、たぶんそうなんだと思います。

 

 たとえば第一話の冒頭の、かりんちゃんの描いた似顔絵があるじゃないですか。

 

 

 ────ああ、アリナ・グレイの直筆だという、あれ。

 

 

 あっ、ご存じでしたか。

 でも、アレって『原作』が存在するんです。

 

 

 ────原作? 

 

 はい、漫画家志望だった『御園かりんさん』が自室の壁に貼っていた絵なんですけど。

 マジかり一話冒頭の絵は『原作』を完コピして描いた絵なんです。

 というか『かりんちゃん』が描いたっていう体の劇中作は、全部そうです。

 

 

 ────え、でも『かりんちゃん』の絵って、ちょっとずつ上手くなってくじゃないですか。それはどうなってるんですか? 

 

 

『御園かりんさん』がちょっとずつ上手くなってるからです。

 冒頭では、ちょっと絵の上手い小学生だった。

 あれは『御園かりんさん』の実際に描いた絵がそうだったからです。

 最後には結構上手い高校生になってるのも『御園かりんさん』が上手くなってたからです。

 その過程を、全部アリナ先生が完コピしてるんです。

 上達してる点も、してない点も含めて。

 

 

 ────ははぁ……それは…………

 

 

 すごい執念ですよね。

 でもこれって、ファンとか大衆には関係ないじゃないですか。

 じゃあ、何であんなことしてたのかって言ったら、そんなの『御園かりんさん』の漫画を世に出すため、っていう以外に考えられないっていうか。

 

 

 ──── ……

 

 

 たぶんアリナ先生が私に教えてくださったのも、その一環で。

 私の才能を見出したからじゃないんです。

 漫画家志望の私がなんとなく『御園かりんさん』に似ていたから『御園かりんさん』を漫画家にするために私に教えてくれたんだと思います。

 

 もっと言うと……これは変な話ですけど。

 

 アリナ先生が教えた私が漫画家になれた。

 なら、アリナ先生が教えた『御園かりんさん』も漫画家になれるはずじゃないですか? 

 

 

 ────すごい“重い”ですね、アリナ・グレイ。

 

 

 あははっ。

 そうなんです。

 アリナ先生は、すごく“重い”人なんですよ(笑)

 

 でも、そこがまたカッコいいんですよね。

 

 あと、タイトルに『盗作』って言葉がついてるじゃないですか。

 これも私が思うに『御園かりんさん』を漫画家にするためにつけたんだと思うんですよね。

 

 

 ────というと? 

 

 

 まず『盗作』って創作家からすると、敗北宣言みたいなものなんです。

 

「私はあなたに勝てないから盗むしかありませんでしたー」

 

 っていう。

 頭を垂れて、ひれ伏すみたいな。

 

 加えて、『盗作・魔法少女マジカルかりん』が世界一の漫画ってことは、もう誰も否定できないじゃないですか。

 その世界一のはずの漫画が、敗北宣言をしてる。

 誰にっていうと『盗作・魔法少女マジカルかりん』が散々『盗作』してきた『御園かりんさん』に対してです。

 

 こういう場合、世界一の漫画家は誰なのか。

 

 御園かりんさんなんですよ。

 

 これは『盗作・魔法少女マジカルかりん』に勝つまで、誰も否定できない。

 

 

 ──── ……なるほど。

 

 

 つまるところは、もう死んでしまっている『御園かりんさん』を、誰にも文句の言えない漫画家にする、っていうのが

 

『盗作・魔法少女マジカルかりん』

 

 っていう作品だったんじゃないかなぁ。

 

 

 ──── ノイジ先生、今日はありがとうございました。最後に一つだけ聞かせていただいていいですか? 

 

 

 はい、なんでしょうか? 

 

 

 ────いま現在、消息不明になっているアリナ・グレイさんですが、何か情報お持ちでしょうか。

 

 

 近況は、本当に何もわからないですね……。

『マジかり』の連載が終わってからは一度もお会いしてもいないので。

 

 

 ――――連絡も取っていない?

 

 

 取ってないですね。

 もともと連絡取れないっていうことで有名らしいですけどね。

 正直に言って、アリナ先生がどこにいるのか、何をしてるのかも全然わからないです。

 

 

 ――――うーん、じゃあ新作とかも期待できないんでしょうか?

 

 

 それは大丈夫ですよ。

 描きますよ。

 アリナ先生は。

 

 描かないと逆に死んじゃう人なので。

 まあ、漫画なのかは分かりませんけどね。

 

 

 ────そうですか、次作がありそうですか! はい、では是非とも、次の作品に期待したいところですね。ノイジ先生、今回はありがとうございました!

 

 

 ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一月後のことだ。

 ある漫画家が、新作を発表する。

 タイトルは『全人類魔法少女化計画』

 

 その作品は、作者の前作のようなハートフル路線を期待していた読者達を、1人の例外もなく阿鼻叫喚の地獄に叩き落とした。

 

 

 

 

 

 

 



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