TS長尾狐っ娘異世界物語 (きし川)
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草原にて

 ヤーバ大陸のとある草原にて、長尾狐っ娘は目を覚ました。そして、眠たげな眼をこすり、周りを見渡し硬直した。長尾狐っ娘にはなぜ自分がここにいるのか分からなかったからだ。

 

 数秒、時間が流れ長尾狐っ娘はこのまま、固まっていても仕方がないと、思い立ち上がる。すると、どういうことか自分の視点が記憶にあるものよりも低いことに長尾狐っ娘は疑問に思ったが、視線を自分の体に下ろした時にその原因が分かった。

 

 長尾狐っ娘の身体は以前の記憶にあるものよりも遥かに小さくなっていたのだ。これには、冷静な性格を自称している長尾狐っ娘も同様を隠せず、自分の体に触れ確かめた。

 

 頭に触れると頭から何かが生えている。長尾狐っ娘はそれを何度か触れた末にそれが動物の耳のようだという考えに至った。なぜ、そんなものが自分の頭に生えているのか長尾狐っ娘には分からなかったがひとまず置いておくことにした。

 

 次に首から下へと触れていく。以前は程々に筋肉が付いていた体と四肢は子供のように華奢なものになっていた。ここまでは見て分かっていたので長尾狐っ娘は簡単に受け入れた。しかし、股の間に触れた時、長尾狐っ娘は再び固まった。

 

 失くなっているのだ。以前の体にあったものが見る影もなく消失していた。気を取り直し、長尾狐っ娘は着ている汚れた布のワンピースを捲って目で確認した。

 やはり無かった。下着を履いていなかったのではっきりと見て取れた。かつてそこにあったものは失く、あるのは一筋の谷だった。

 長尾狐っ娘は天を仰いだ。空は薄い雲に覆われ、時より太陽の光が見え隠れする。雲が風で流されていくのを暫く眺めると冷たい北風が長尾狐っ娘を撫でた。股が寒く、長尾狐っ娘は体を震わせた。

 

 失くなったものは仕方がない、彼は良き友だった……と、黙祷を捧げ、なくしたものへの未練を断った長尾狐っ娘。視線を地面に戻すと視界の端に金色の長いものが見えた。

 なんだ? と不思議に思い、金色の長いものを辿っていくと自分の後ろに続いている。それは長尾狐っ娘の腰から生えている身長と同じ長さの尻尾であった。

 長尾狐っ娘はすぐにその場から飛び退いた。その金色の長いものが得体のしれない生き物に思え、恐ろしかったのだ。しかし、金色の長いものがなかなか離れず長尾狐っ娘はしばしその場を跳ね回った。それが自分から生えているものと気づいた時、長尾狐っ娘はひどく赤面した。

 

 気を取り直し、座り込んだ長尾狐っ娘は自分の尻尾を手に取り尻尾を確認し始める。

 尻尾に生えた金色の毛はふんわりとしており、手で押さえ、離すとふわりと膨らむ、かつて犬と猫を飼っていた長尾狐っ娘はその感触に思わず顔が緩んだ。

 毛の下にある尻尾の本体は思いの外硬く、頑丈だと長尾狐っ娘は思った。

 

 そのまま尻尾を撫でていると犬の遠吠えが聞こえた。長尾狐っ娘が周りを見渡すと遠くの方に大型な犬が三匹、よだれを垂らしながら長尾狐っ娘を見ていた。

 

 一匹が吠えた。すると、三匹の犬が長尾狐っ娘に向かって草原を駆けた。それを見た長尾狐っ娘は本能的に逃げなければならないと思い、立ち上がって走り出す。しかし、ここは見えるものは草しかない草原。この場において最速であろう犬たちと子供の長尾狐っ娘では追いつかれるのは確実だ。そのことを長尾狐っ娘自身も分かっていたが今は走るしかなかった。

 

 しかし、長尾狐っ娘は運がなかった。突如、なにかに足を捕まれ転んだのだ。痛みに表情を歪ませ、足を見ると草が自分の足首に巻き付いていた。長尾狐っ娘は慌てて巻き付いている草を取り去ろうとしたがまるで意志を持っているかのように草は長尾狐っ娘の足首を締め付け離さない。

 

 足止めをされている間に犬たちが長尾狐っ娘に追いついた。噛みつこうとする犬たちに長尾狐っ娘は咄嗟に尻尾を振るった。たまたま一匹の犬に尻尾が当たり、犬は弾き飛ばされた。しかし、もう二匹が一斉に飛びかかった。

 長尾狐っ娘は頭を両腕で庇い縮こまって、犬の牙に備えた。しかし、犬の牙が長尾狐っ娘の肉に届くことはなかった。

 

 どこからか飛んできた骨ナイフが犬たちの首元に刺さり、一撃で死に至らしめた。突然のことに長尾狐っ娘が動揺していると何かが草を踏みしめ近づいてくる音を大きな耳で聞いた。

 

「悲鳴が聞こえたが、よもや子供とはな……」

 

 長尾狐っ娘に近づいてきたのはボロ布の衣服を纏った子供のような背丈の老ゴブリンだった。

 草を踏みしめ、近づいてくる老ゴブリンに長尾狐っ娘は警戒心を露にした。なぜなら、老ゴブリンの手には先程犬の命を奪ったものと同じ骨ナイフが握られていたからだ。

 いよいよ老ゴブリンとの距離が目と鼻の先となったとき、とうとう長尾狐っ娘は恐怖心に負けて後ろへ下がろうとした。しかし、草で縛られていて動くことができなかった。

 

「お前さん、草縛りに遭っとったのか。待っとれ、切ってやる」

 

 草縛りとは、草原に草に紛れて生えている肉食植物だ。近くを歩く動物の足に絡みつき、接触している部位から栄養を吸収する。

 老ゴブリンは長尾狐っ娘の縛られた足の側にしゃがむとナイフで草縛りの葉を切った。切られた途端、葉は力なくハラリと足から剥がれた。

 長尾狐っ娘はすぐに足を引っ込めて、足首を見た。少し跡がついていたが問題はなさそうだった。

 長尾狐っ娘はありがとうございます。と老ゴブリンに礼を言った。

 

「? お前さん、異国の者か……? 何を言っとるのか、分からんぞ」

 

 老ゴブリンの言葉に長尾狐っ娘は驚いた。長尾狐っ娘には老ゴブリンの言葉を理解できている。しかし、老ゴブリンには長尾狐っ娘の言葉が分からない。これはどういうことだと、長尾狐っ娘は首を傾げた。

 

「……お前さん。儂の言うことがわかるか?」

 

 老ゴブリンの問いに長尾狐っ娘は頷く。すると、老ゴブリンは納得がいったように頷いた。

 

「お前さん。どうやら《迷い人》のようだな。ならば、お前さんの言葉が分からぬのもわかる」

 

 迷い人。

 聞き慣れぬ言葉に長尾狐っ娘は思案した。言葉をそのまま受け取るならば、迷い込んだ者のことを指す言葉だろうか。ならば、自分はどこからここへ迷い込んだのだろう?

 

「ついて来い。迷人には恩がある」

 

 老ゴブリンは立ち上がり、何処かへと歩いていく。長尾狐っ娘は慌てて立ち上がって後を追った。



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老ゴブリンの住処にて

 老ゴブリンに連れられ、長尾狐っ娘は草原から少し離れた小さな洞窟へと辿り着いた。老ゴブリンは洞窟の入口に暖簾のように垂らした獣の皮を手でどかしながら、中に入るよう長尾狐っ娘に促した。

 長尾狐っ娘は恐る恐る中に入った。洞窟の中は入口の狭さに比べると思いの外広かった。

 壁を見ると何かで削ったような跡が見えた。老ゴブリンが自分で拡げたのだろうか。

 

「好きな場所に座りな。儂に分かることをお前さんに教えてやる」

 

 老ゴブリンは地面に敷いた毛皮の上に胡座をかいてそう言った。長尾狐っ娘もその場に胡座をかこうとしたが、下着を履いていないことをも思い出し、羞恥心から近くにあった木箱に座り、見られないよう足閉じてワンピースを手で抑えた。

 

「さて、まずは……そうだな、迷い人について教えようか」

 

 老ゴブリンは語り始めた。迷い人とは何なのかを。

 

 曰く、前触れもなく突然現れる者。

 曰く、知らぬ言語を使う者。

 

 そして、なんならかの目的を持っている。と老ゴブリンは最後に言った。

 

 話を聞き終えた長尾狐っ娘は疑問に思う。迷い人は目的を持っている。しかし、自分に目的はない。何をすればよいのだろうかと思案した。しかし、いくら考えたところで答えを出すことができずにいた。すると、老ゴブリンが口を開いた。

 

「お前さん、路頭に迷っとるのか」

 

 心を読んだのかと思うほど老ゴブリンの言葉は的確であった。長尾狐っ娘は頷いて答える。

 

「参考になるか分からんが……」

 

 老ゴブリンは目を閉じて、昔の記憶を引き出しながら長尾狐っ娘に話し始めた。

 

 老ゴブリンがかつて傭兵だった頃、油断から瀕死の重症を負い森の中で倒れていた。死を待つばかりであった若き日の老ゴブリンはたまたま通りかかった旅人に癒やしの魔術を以って、助けられた。それが恩人である迷い人との出会いであり、老ゴブリンが初めて迷い人と接触した瞬間でもあった。

 若き日の老ゴブリンはその迷い人としばらく行動していたが、どうやら迷い人は魔女に会うために魔女の住まう森に行こうとしていることを迷い人と一緒にいたエルフの娘が教えてくれたのだという。

 この大陸において魔女と呼ばれるのは一人のみである。その人物はあまり良い噂を聞かない者だ。そんな人物になぜ出会うのかと、若き日の老ゴブリンは問うた。

 すると、言葉が通じぬ迷い人の代わりにエルフの娘が答えた。彼の目的を果たすために必要だから。と

 目的とは何だ? と若き日の老ゴブリンは聞き返したがそれ以上のことを迷い人は答えなかった。

 それから迷い人達と別れ、幾ばくか時が流れる間にも老ゴブリンは度々迷い人に出会うようになった。そして、どの迷い人も皆、魔女の元へと行こうとし、その理由を語ることをしない。

 

「もし、お前さんがいいなら、魔女の所に向かってみるといい」

 

 話を終えた老ゴブリンは長尾狐っ娘にそう提案した。長尾狐っ娘はそこへ行けば何か分かるかもしれない。と思い、老ゴブリンの提案に頷いた。

 

「そうか、行くのか。……ところで、お前さん武器は持ってるのか?」

 

 老ゴブリンにそう問われ、長尾狐っ娘は首を横に振った。すると、老ゴブリンは長尾狐っ娘が座っている木箱を指差した。

 

「その中に儂が使っていた武器がある。使いたければ使えばいい」

 

 長尾狐っ娘は木箱から立ち上がり、木箱を開けた。中には短剣、片手鎌、爪付きの籠手など様々な武器が入っていた。その中で長尾狐っ娘の目を引いたのはジャマダハルと呼ばれる武器だった。

 ジャマダハルは通常の短剣と違い、柄の向きが刀身とは垂直に、鍔とは平行になっている短剣である。その特徴的な形状なため、拳を突き出すようにすることで普通の短剣よりも刺突の際に力が入れやすく、鎧などを貫通しやすい。

 長尾狐っ娘はジャマダハルを手に取ると柄を握り、軽く振るった。

 

「ほう……それを選んだか」

 

 長尾狐っ娘がジャマダハルを選んだのを見て、老ゴブリンは表情を緩ませた。なぜ、そんなに嬉しそうなのかと長尾狐っ娘は老ゴブリンを見て首を傾げた。

 

「なんでもない……気にするな。それより、その武器はちとコツがいる。よければ教えるが……どうする?」

 

 それは喜ばしいことだと長尾狐っ娘は思った。かつてただの人間だった頃はこのような武器を持つ機会など全くなかった長尾狐っ娘ではどんな武器であろうと十全に扱えないのは考えるまでもない。ならば、使い方を熟知している老ゴブリンに教えてもらうのが断然良い。

 長尾狐っ娘は頷いて、承諾した。

 

「そうか。……ちと厳し目にいくが、ヘタれるなよ」

 

 そう言って腰を上げた老ゴブリンを見て、長尾狐っ娘は嫌な予感がした。その予感は正しく、長尾狐っ娘は承諾したことを少し後悔することになる。

 

 一週間、老ゴブリンにジャマダハルの使い方を叩き込まれただけでなく、この大陸を生きていくための最低限の知識を与えられたのだ。

 傷だらけで涙目になりながらもなんとか老ゴブリンの教えについていった。

 

「魔女のいる森はここから西にまっすぐ行ったところにある森の奥深くだ。森の中は視界が悪い、毒蛇もおるから慎重に進めよ」

 

 長尾狐っ娘がこの大陸に現れてから八日目の朝、洞窟の穴の前で老ゴブリンが長尾狐っ娘に警告している。長尾狐っ娘はその警告を確りと聞き入れ、頷いた。

 

「装備は大丈夫か? 忘れ物はないか?」

 

 老ゴブリンの問いに長尾狐っ娘は腰のポーチを軽く叩いて、大丈夫だと頷いた。ポーチの中には飲むと傷を癒やす不思議な水と体に入った毒を解毒する不思議な水が入った水筒がそれぞれ一本ずつ入っており、中身は昨晩眠る前と今朝起きた時に確認しているため問題ない。

 両腰のジャマダハルも老ゴブリンと一緒に点検をして、木箱から出した時よりも状態が良いものになっている。

 

「そうか。……達者でな、困ったことがあるならまたここへ来るといい。できる限り力になろう」

 

 見ず知らずの自分にここまで気遣ってくれる老ゴブリンに長尾狐っ娘は深く感謝し、頭を下げた。

 そして、老ゴブリンに背を向けて、羽織った青いケープコートを翻しながら歩み始める。だんだんと遠ざかっていく小さな背中を老ゴブリンは見えなくなるまで見送った。

 

「どうか、あの小さき迷い人に太陽と月の加護があらんことを……」

 

 長尾狐っ娘の無事を願い、そう呟くと老ゴブリンは洞窟へと戻っていった。

 

 

 これが長尾狐っ娘の壮大な旅路の幕開けであった。

 



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魔女の森にて

 地平線の近くにあった太陽が頂上近くにまで昇った頃、長尾狐っ娘の視界にようやく森が見えてきた。あれが老ゴブリンが言っていた魔女のいる森だろうか。

 

 目的の場所が見えたからか長尾狐っ娘の足に力が入る。実のところ、歩き続けても一向に森が見えないことに億劫になっていた。ようやく歩かなくて済むと長尾狐っ娘は安堵するが魔女がいるとされる場所は森の奥深く。まだまだ森の中を歩かなくてはならないことを長尾狐っ娘は失念していた。

 

 森の手前まで来ると、長尾狐っ娘は何者かが使ったであろう焚き火跡を見つけた。いいものを見つけたと長尾狐っ娘は思った。老ゴブリン曰く、大陸の各所にこういった誰が作ったのか分からない焚き火跡が点在していて、不思議な事に雨が降ろうと嵐に晒されようと火が消えないという。

 

 長尾狐っ娘が見つけた焚き火跡も火こそ見えないが、灰の山に手をかざすと暖かさを感じた。長尾狐っ娘は落ちていた木の枝で灰の山を突き、かき混ぜた。すると、灰の中から炎が噴き上がり、木が弾ける音を立てながら、燃え始めた。

 

 事前に聞いていたとおりとはいえ、実際に目の当たりにすると流石に驚いた長尾狐っ娘。しばらく火を眺めた後、焚き火のそばに腰を下ろして、ポーチの中から赤い肉を取り出した。その肉はここまで来る道中、襲ってきた犬から削ぎ落としてきたものだった。長尾狐っ娘はそれを木の枝に刺し、炎の中に突っ込んだ。

 

 炎の中で肉が色を変えていき、肉の焼ける匂いが長尾狐っ娘の食欲を刺激した。炎から取り出し、食べごろだと思った長尾狐っ娘は焼いた肉を口に入れ、咀嚼し、顔をしかめた。

 

 犬の肉は硬く、臭く、不味かった。自然と期待で揺れていた尻尾もこれには力なく地に伏した。だが、仕方がないことだ。この大陸で生きていく以上、味など二の次だ。腹が膨れるだけマシといえよう。

 だが、あれだけたまらぬ匂いでこちらの欲を煽っておきながらこれはないだろう。と、長尾狐っ娘は不貞腐れた。

 

 満足とは呼べない食事を終え、いよいよ長尾狐っ娘は森へと足を踏み入れる。

 森の中は木々が太陽の光を遮って、薄暗く、どこからか鳥や動物の鳴き声が聞こえて少々不気味だ。

 地面には、背の低い草が少々生え、地面の大部分は落ち葉で敷き詰められていた。

 落ち葉を踏みしめながら、森の奥へとまっすぐ歩く。道中の木にナイフで傷をつけるも忘れない。こうすることで帰る時に切り付けた木が道標になるからだ。

 

 ふと、木々の間から白いものが見え、長尾狐っ娘は足を止めた。目を凝らして見てみると、白い四足の獣に見えた。

 音を立てずにゆっくりと近づく、そして木の影からもう一度、確認するとその獣は白く長い体毛を生やし、額に青い結晶のような一角が馬のような獣だった。よくよく見れば、白き一角獣の右後ろ脚に根のようなものが巻き付いている。

 

 そういえば。と、長尾狐っ娘は思い出す。草原にあった草縛りと同じく森の中にも同じような亜種が植生していると老ゴブリンに聞いていた。

 その名も根縛り。木の根に擬態し、動物の足に絡みついて養分を吸う植物。放って置けば、衰弱して死に絶えるだろう。もしくは、肉食の獣に襲われ食われてしまうだろう。

 

 長尾狐っ娘には、白き一角獣があの草原にて草縛りに遭い、命の危機にあった自分と重なって見えた。あの時は、老ゴブリンに助けられた。なら、次は自分が助ける番だと長尾狐っ娘は思い、縛られた獣に近づいた。

 

「ブル……ッ!? ブル、ブルルッ!」

 

 白き一角獣を驚かせないよう長尾狐っ娘はゆっくりと近づいたつもりだったが枝を踏んで折ってしまい、その音で白き一角獣は気づかれた。驚き、暴れる白き一角獣に長尾狐っ娘は両手を上げて何も害することはないと伝えようとしたが、白き一角獣には伝わらなかった。仕方なく、白き一角獣に蹴られないよう注意しながら素早く近づいて、ジャマダハルで根縛りを切った。

 

「ブルル……ッ!」

 

 自由になった白き一角獣は右後ろ脚に根の一部を付けたまま森の奥へと走り去っていった。あれだけ動けるのなら、足は大丈夫そうだと、長尾狐っ娘は安堵した。

 

 奇遇にも白き一角獣が走っていった方向は長尾狐っ娘が向かおうとしている方向と一緒だった。もしかしたら、また会えるかもしれない。と、思いながら長尾狐っ娘は奥へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 森の中を歩き続け、長尾狐っ娘は開けた場所に辿り着いた。そして、そこには古びた家が建っていた。壁は一部が崩れ、蔦が生い茂っており、屋根も崩れていた。あれが、魔女の家だろうか? と、長尾狐っ娘は古びた家に近づいた。

 

 その時、黒い羽のついた矢が長尾狐っ娘の眼の前の地面に突き立った。突然、飛んできた矢から飛び退き、周囲を警戒する長尾狐っ娘。

 

「そこの者、この魔女の家に何用か」

 

 声のした方を見ると、魔女の家の近くにある木の枝の上に頭巾と布で顔を隠した黒装束の女が弓に矢を番え、長尾狐っ娘に鏃を向けていた。

 長尾狐っ娘は魔女に会いに来たと、黒装束の女に言った。

 

「その、異国の言葉……貴様、迷い人か。ならば、ここで死ぬがいい!」

 

 その言葉と同時に黒装束の女は矢を放った。長尾狐っ娘は転がって避け、黒装束の女を睨んだ。

 長尾狐っ娘にはなぜ、黒装束の女が迷い人を殺そうとしているのか分からなかったが敵であるのなら容赦をしてはいけない。老ゴブリンの教えの一つだ。

 

 ジャマダハルを抜き、腰を落として構える。黒装束の女が矢を次々と放つ。長尾狐っ娘は足捌き(ステップ)転がり(ローリング)を駆使して回避し続け、目が慣れてくるとジャマダハルを振るって矢を叩き落とした。 

 

「ちっ……小癪な迷い人め」

 

 このまま埒が明かないと、黒装束の女は枝から飛び降り、腰から曲刀を抜いて、長尾狐っ娘に接近した。それを見た、長尾狐っ娘の口角がわずかに上がる。間合いの外から矢を射られ続けるよりは近づいてくれた方が遥かに良いからだ。

 

 黒装束の女が振るう曲刀を長尾狐っ娘は受けずに避け続ける。まずは相手の手を伺い、動きを知れ。という、老ゴブリンの教えからくる行動だった。

 間合いのギリギリを探り、隙を見つけ、一撃で仕留める。それが力、間合い、重さが劣る獣人の子供である長尾狐っ娘に許された戦術だった。

 

「この、ちょこまかと……ッ!」

 

 苛立ちげな声をあげ、黒装束の女の曲刀を振るう腕に力が入る。しかし、その分攻撃は大振りなものになり、黒装束の女の息が切れ始める。

 

 ここだ。と、長尾狐っ娘は大振りな横薙ぎを下がって避けると飛び込むようにジャマダハルを黒装束の女に突き出した。

 

「ぐ、ふ……っ」

 

 ジャマダハルの笹葉のような刀身が黒装束の女の胸を貫いて、背中から飛び出した。黒装束の女が吐き出した血が口元を覆う布を伝って、ジャマダハルを持つ長尾狐っ娘の手に落ちた。長尾狐っ娘は黒装束の女を足で押してジャマダハルを引き抜いた。

 

 殺してしまった。黒装束の女の死体を見下ろしながら、長尾狐っ娘はそう思った。

 襲われたとはいえ、本当に殺してよかったのだろうか。殺さない道はなかったのか。そんな問答が長尾狐っ娘の中で繰り返された。だが、この先、この大陸を生きていく以上、このような事は多々ある。そのことを老ゴブリンから教えられている。そして、その判断に戸惑い、迷えば、自分が殺されるのだ。

 

「うおぉぉぉぉおおッ!!」

 

 この大陸において、もっとも無駄なことを考えていた長尾狐っ娘を別の黒装束の女が強襲した。反応が遅れた長尾狐っ娘は振り下ろされた曲刀をジャマダハルで受けるという悪手を選択する他なかった。

 

「はッ!」

 

 がら空きの長尾狐っ娘の腹に黒装束の女の蹴りが入り、長尾狐っ娘の小さな身体が蹴り飛ばされる。

 蹴り飛ばされ、ジャマダハルを手放し、転がった先で長尾狐っ娘は嘔吐した。そして、腹を押さえて蹲る長尾狐っ娘に黒装束の女が曲刀を手に近づく。

 

「おのれ、迷い人めッ! 殺してやるッ!」

 

 怒りを露わにし、曲刀を振り上げる黒装束の女。対して武器を失い、腹の痛みで禄に動けない長尾狐っ娘に為す術はなかった。

 

「が……ッ!?」

 

 その時、白い突風が黒装束の女を吹き飛ばし、魔女の家に叩きつけた。黒装束の女は首がありえないような角度に曲がり、布が外れ、露わになったその顔は驚いたまま目を見開いて死んでいた。

 

「ブルル……」

 

 黒装束の女を吹き飛ばした白い突風は長尾狐っ娘が助けた白き一角獣だった。白き一角獣は顔を近づけて、長尾狐っ娘を気遣うような仕草をした。

 

 ありがとう。長尾狐っ娘は白き一角獣に感謝しながら顔を撫でた。そして、ポーチから傷が治る不思議な水が入った水筒を取り出して一口飲んだ。すると、腹から感じていた痛みが引いた。

 

 長尾狐っ娘はゆっくり立ち上がり、ワンピースに付いた土を手で払い、ジャマダハルを拾って腰に戻した。そして、もう一度、白き一角獣に礼を言いながら身体を撫で、長尾狐っ娘は魔女の家の戸を開けた。

 



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魔女の隠れ家にて

 長尾狐っ娘が戸を開けると、ひどく損傷、腐敗した家の内装が見て取れた。

 壁も天井も穴が空き、吹き込んだ雨風にさらされ続けた結果の有様だった。とても、人が住んでいるとは思えない。

 

 長尾狐っ娘が一歩、室内に踏み込めば、床が大きく軋み、長尾狐っ娘にこれ以上の侵入を躊躇させようとする。それでも歩みを辞めず、床を踏み抜かないよう注意しながら、長尾狐っ娘は家の中を見渡す。

 

 机や椅子といった一般的な家具類に棚には食器、カップ等が置いてある。まるで突然人だけが居なくなって長く放置されたようだと長尾狐っ娘は思った。

 

 ふと、長尾狐っ娘が机の上を見ると木で作られた円盤状の物が置いてあった。手に取り、裏返すとそれは鏡だった。

 ずっと、裏返しであったためか、鏡面はまるで新品のようであり、長尾狐っ娘の顔を写し出していた。

 肩まで伸びた金髪に金色の眼、狐のような耳を頭から生やした少女。初めて見る今の顔を長尾狐っ娘はまじまじと見ていた。

 

 すると、突然、鏡面が淡く光りだした。慌てて近づけていた顔を遠ざける長尾狐っ娘。しかし、次の瞬間、鏡面から出てきた白い手にケープコートを掴まれ、声を出す間もなく長尾狐っ娘は鏡の中へと引きずり込まれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 長尾狐っ娘が目を覚ますと、見覚えのない部屋のベッドの上で尻尾を抱くように寝ていた。

 キレイに清掃された木の床に汚れのない白い壁。先程まで廃屋同然の魔女の家にいた長尾狐っ娘にはより清潔に感じられた。

 ここはどこだ。と、長尾狐っ娘は疑問に思ったが、寝ているベットはつい昨日まで岩肌の上に獣の皮を敷いただけの場所で寝ていた長尾狐っ娘にとって、とても心地よいものであったため、まぶたを閉じて、もう一度眠ろうとしていた。

 

「……ふふっ」

 

 が、ベッドの脇に立って自分を見下ろして、微笑を浮かべている存在に気づき、すぐに飛び起きた。

 

「おはようございます。可愛らしい寝顔でしたよ?」

 

 ロングスカートのメイド服を着た銀髪の耳の長い女性──メイドエルフに柔らかな笑みを添えてそう言われ、顔が赤くなるのを長尾狐っ娘は感じた。

 一体、自分はこの初めてあった女性にどんな顔を晒したのか。と、気になったが、そのことは頭から放り出し、長尾狐っ娘はメイドエルフにここはどこだ。と、問うた。

 

「え? すみません。今、なんと仰りましたか? 聞いたことがない言葉だったので。……あ、私の言葉は分かりますか?」

 

 やはり、通じないか……と、落胆しながら、言葉が分かることを頷いて答えた。

 

「……こちらの言葉は分かるのに、知らない言葉を使う? あっ! もしや、迷い人ではありませんか!?」

 

 興奮気味に聞いてくるメイドエルフに少々困惑しながら長尾狐っ娘は頷いた。

 

「まぁ! そうなのですね! 私、初めて迷い人様に出会えました! あ、握手していいですか!?」

 

 握手を求められ、手を出そうとすると、その前に素早く自分の手を取ったメイドエルフに長尾狐っ娘は苦笑いを浮かべた。すると、メイドエルフが呟いた。

 

「へへ……ちっちゃいお手々、すべすべで柔らかくて……ふへへ」

 

 握手している長尾狐っ娘の手を指で撫でたり、揉んだりしながら破顔するメイドエルフ。別の方の手で長尾狐っ娘の手の甲を撫で、手首、腕と、順番に触れていく。

 

「わぁ、二の腕、柔らか〜」

 

 握手をしていたはずだったが気づけば、二の腕を触られている。

 

「あー……もう我慢できません!」

 

 次の瞬間、メイドエルフは長尾狐っ娘に抱きつき、ベットに押し倒した。長尾狐っ娘はそのことに驚き、離れるよう言おうとしたがメイドエルフのその豊かな胸に顔を押し付けられ、くぐもった声にしかならなかった。

 

「やっぱり、子供の体はあったかいですね〜。はぁ、この久方ぶりの感触……ねぇ、迷い人様?」

 

 メイドエルフは長尾狐っ娘の耳に顔を近づけた。メイドエルフの温かい吐息が耳に当たり長尾狐っ娘の耳が反射的に動く。そして、メイドエルフは強請るように言った。

 

「私、もうこの身の昂ぶりを抑えられません。抱かせてもらってもいいですか?」

 

 その言葉を聞いた長尾狐っ娘は目を見開いた。この状況で『抱く』という言葉の意味を分からない程、長尾狐っ娘は若くはない。

 このままでは、まずい。と、メイドエルフの下から抜け出そうと藻掻くがメイドエルフは長尾狐っ娘をしっかりと抱きしめ離さない。

 いつの間にか、長尾狐っ娘の足の間にメイドエルフが足を入れ、膝を長尾狐っ娘の股に押し付けている。その感触に長尾狐っ娘は眉をひそめた。

 

「大丈夫ですよ。怖くないですからね」

 

 片腕で長尾狐っ娘を抱きしめながら、股の方へと手が伸びる。すると「コホン、何をやっとるのかえ?」と老婆の声がメイドエルフの後ろから聞こえた。

 

 音もなく開かれたドア。黒いローブを着た老婆──魔女が鋭い目つきでメイドエルフを見ていた。

 魔女の声を聞いたメイドエルフは体を硬直させ、青ざめた顔で魔女の方を振り向いた。

 

「あ……いや、その……これは、同意の上で、すよ?」

「嘘をおっしゃい。貴方がその娘を押し倒したところを私は見ていたよ」

 

 歯切りの悪い言い訳を言ったメイドエルフを魔女は一蹴した。

 今すぐ離れなさい。と、有無を言わせない態度で放たれた言葉にメイドエルフはしぶしぶ長尾狐っ娘から離れ、ベットから降りて壁際に立った。

 メイドエルフから解放された長尾狐っ娘は乱れたワンピースを整え、魔女を見た。

 

 黒いローブに、つばの広い特徴的な帽子。腰は曲がり、奇妙にねじれた木の杖をついている。

 あなたが、魔女なのか。と、長尾狐っ娘は通じないと分かっていながら言った。すると、魔女は「そうだよ。私が魔女さ」と答えた。

 言葉が通じたことに長尾狐っ娘は驚いた。その様子に魔女は悪戯が成功したときのような笑みを浮かべた。

 

「私はこの大陸で唯一の魔女だ。この程度、朝飯前さね」

 

 そして、一拍おいて今度は魔女が問うた。

 

「それで。お前さんは何者なんだい? あの廃屋に来たということは私に用があったんだろう?」

 

 長尾狐っ娘は頷き、ここに来るまでの経緯を掻い摘んで話した。

 

「なるほど。あのゴブリンにねぇ……」

 

 そう呟いた後、顎をなで魔女は思案し「お前さんが迷い人だというのは、本当なんだろうね?」まっすぐ長尾狐っ娘の顔を見ながら言った。

 それに対し。どうすれば信じてもらえるのかと、長尾狐っ娘は返した。

 

「なら、迷い人の印を見せておくれ。お前さんが迷い人なら、有るはずだ」

 

 迷い人の印……。初めて聞く言葉に長尾狐っ娘は首を僅かに傾げた。

 少し思案した後、長尾狐っ娘はコレのことか? と、ベッドから降り、ワンピースをたくし上げて、腹を見せながら言った。

 

 臍のやや下辺り、長尾狐っ娘の白い下腹部に入れ墨のようなものがあった。

 太陽と三日月、それに挟まれる王冠。

 

「ほう……」

 

 魔女は目を細めてその印を観た。

 幾度か、迷い人の体に刻まれた印を見たことがあった。魔女にはそれが確かに迷い人の印だということがわかった。だが、長尾狐っ娘のそれは初めて目のあたりにするものだった。

 

「まあ!」

 

 一方、メイドエルフは印には目もくれず曝け出された長尾狐っ娘の下半身を舐め回すように見つめ、興奮した。そして、ブツブツとやれ足がキレイだの、お腹撫でたいだの、谷舐めたいだのと欲望を吐き出した結果。魔女が魔法で作った水の玉を顔面にぶつけられ黙らされた。

 

「……もう、良いよ」

 

 魔女がそう言うと長尾狐っ娘はワンピースを下ろした。

 

「疑って悪かったね。お前さんは間違いなく迷い人だよ」

 

 だが、といって魔女は言葉を切り「それは私も見たことのない印だ。お前さんに課せられた目的を知るには、少し調べなくてはならない」と言った。

 

 課せられた目的とは、なんだ。と長尾狐っ娘は問うた。

 

「迷い人とは、神々がこの世にもたらした使徒。迷い人がその身に課せられた目的や使命を成した時、世界が変わると。とある書物には書かれている」

 

 本当かどうかは知らないがね。と魔女は最後に付け足した。

 

 神々。

 課せられた目的。

 

 長尾狐っ娘は頭の中で聞かされた言葉を並べてみるが、分からなかった。

 

「じゃあ、私はお前さんの印について調べるとするよ。時間がかかるだろうからしばらくこの部屋を使うといい。何か入用ならそこのメイドに言えばいいからね」

「はい。何でもお申し付けください」

 

 水を滴らせながら、頭を下げ、微笑んだメイドエルフ。しかし、長尾狐っ娘は出来れば、違う人にしてほしいと魔女に頼んだ。

 

「あいにくとこの子がここに居る唯一のメイドなんだ。なに、お前さんに悪さをしないよう手は打つから、安心するといい」

 

 大丈夫なのか? と長尾狐っ娘は笑みを絶やさないメイドエルフを胡乱(うろん)な目で見た。

 魔女に視線を戻し、長尾狐っ娘はこの人には、言葉が通じないぞ。と言った。

 魔女はニヤリと笑って、魔法である物を手元に呼び出した。

 

「ああ。だから、これをお前さんに渡しておこう」

 

 魔女が長尾狐っ娘に差し出したのは革でできた帯だった。帯の端には留め金具が付いており、帯の裏側には長尾狐っ娘には読めない文字が刻まれていた。

 

「それは私が作った魔道具でね。迷い人の言葉をこちらの言葉に変換できるのさ」

 

 ありがたい。と長尾狐っ娘は思った。会話が出来ないというのは不便で仕方がなかったからだ。

 さっそく付けようとすると、横からメイドエルフに掠め取られた。

 

「私が着けましょう。大丈夫です、こういうの得意ですから」

 

 メイドエルフはそう言うと長尾狐っ娘の後ろに回り込み、魔道具を長尾狐っ娘の首に巻いた。

 キツくなく、緩くもなく。絶妙な具合で巻かれた首輪を長尾狐っ娘は感心したように撫でた。ただ、なぜ巻くのが得意なのか気になったが聞かないようにした。

 

『これで、言葉が通じるのか?』と長尾狐っ娘が呟くとメイドエルフはあっ! と声をあげた。

 

「分かります! 私にも迷い人様の言葉が分かります!」

 

 男の人みたいな喋り方なんですねー! と、嬉しそうに方を掴んで揺らしてくるメイドエルフに長尾狐っ娘は面倒そうな表情を浮かべた。

 その様子に魔女は少し微笑むと踵を返して「それじゃ、ゆっくりしていきな」といって部屋を出た。

 

「さてー、何からしましょうかー? 迷い人様ー?」

 

 期待を込めた笑みを浮かべ、長尾狐っ娘を見るメイドエルフ。

 

『今は用がない。だから、部屋から出てほしい』

 

 淡々と突き放すように長尾狐っ娘は言った。

 

「そんなこと言わずにー。なんでもしますよー!」

 

 メイドエルフは構うことなく指をワキワキと怪しく動かしながら、詰め寄る。だが、長尾狐っ娘は長い金毛尻尾で床を叩いて、メイドエルフを見上げて睨んだ。

 

「は、はーい……失礼します……」

 

 流石にまずいと思い、メイドエルフはおずおずと部屋を出た。長尾狐っ娘はそれを確認したあと、またベッドに横になった。

 

 これで、自分がここに居る理由が分かるといいが……。と長尾狐っ娘は思った。そして、天井を眺めているとだんだんと眠気が差してきて、長尾狐っ娘はいつものように、尻尾を足の間に通して、抱きしめ、尻尾の毛に顔を埋めた。

 長尾狐っ娘がこの大陸で迎えた初めての夜。長尾狐っ娘はなかなか眠ることができなかった。だが、こうして尻尾を抱きしめることで安心できることに気づいて以来、彼女はずっとこのようにして眠っていた。

 やがて、小さな寝息をたてて、長尾狐っ娘は眠りについた。

 

 



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霊峰へ向かう道にて

『世話になった』

 

長尾狐っ娘は魔女に頭を下げた。

 

「なに、大したことはしてないさ」

 

それに、と話を切り、魔女は隣を見た。

 

「むしろこっちは迷惑をかけたねぇ……」

「う、うう……もう許してください〜」

 

魔女の隣には鋭利な凹凸(おうとつ)――肉が切れない程度に先端が丸い――の面を持つ石板の上に正座で拘束され、足の上に石を積まれたメイドエルフの姿があった。

 

「ダメだ。お前は当分そのままでいなさい」

 

魔女の無慈悲な言葉にメイドエルフは泣いた。

しかし、長尾狐っ娘と魔女は無視した。特に長尾狐っ娘はとても冷ややかな目で見ていた。

 

「本当にすまなかったね。まさか、魔法の結界を突破して夜這いを仕掛けるとは……」

『まったくだ……』

 

疲れたような二人のため息が重なる。こうなったのは昨晩の出来事が原因だった。

 

魔女の調査によって課せられた使命の手がかりを掴んだ長尾狐っ娘は翌日――つまりは今日――に出発すると魔女とメイドエルフに伝えていた。

しかし魔女の隠れ家たる鏡の中の空間で幾千年もの時を過ごしたメイドエルフは自身の奥底に押し込めていた少女に対する愛欲を長尾狐っ娘とのを出会いをきっかけに表に噴出させた。

当然、魔女も長尾狐っ娘も警戒と対策を施していた。これによりメイドエルフは欲を爆発させることはなかった。

だが、長尾狐っ娘が隠れ家を去ることが伝えられた時、メイドエルフは思った。

 

これが今生の別れになるのでは?

 

そう思うとメイドエルフは止まれなかった。

まだ抱きついただけだ。

抱き締めただけだ。

嫌だ。

もっと先のことをしたい。

もっと触れ合いたい。

 

そんなこんなが彼女の背を押して、現在の醜態に至る。

 

別に気が触れたわけではない。

ただ単に欲をためすぎただけだ。

何が悪いと言えば、環境が悪かった。

 

もっとも長尾狐っ娘と魔女としては知っちゃこっちゃないことだが。

 

「ところで、餞別の方はどうだい?寸法はあっていると思うが」

『悪くない』

 

魔女の餞別――ブーツのような靴――を検めながら長尾狐っ娘は頷いた。

 

この靴、素材はわからないが見た目以上に頑丈そうであり、靴底には踏み抜きを防止するために細工が施してあるようだ。そのうえ軽い。

 

「そりゃ良かった。……気を付けてな」

『ああ』

 

長尾狐っ娘は頷いて、魔女に背を向けた。

隠れ家の玄関扉に手をかけ、押し開く。

扉の向こうは霧が立ち込め、先が見えない。

けれど、彼女は臆することなく踏み込んでいった。

 

「お前さんの旅路に太陽と月の加護があらんことを」

 

魔女は少女を見送った。

とても重く、残酷な使命が課せられた少女を。

歩くたびに揺れる尻尾が見えなくなるまで。

そして、扉はひとりでに閉まった。

 

「ああ……行ってしまいました……。せめて最後だけでもハグしてほしかったなぁ……」

「まぁだ懲りてなかったんかいお前は」

 

石の上に涙を落としながら未練がましく言うメイドエルフに呆れる魔女。

これは、重力の魔法でもっと石を重くしてやらねばなるまい。

 

「そういえば、魔女様。迷い人様の課せられた使命とは何だったのですか?」

 

魔女がさらなる制裁を考えていることなど露知らずメイドエルフが首を傾げて尋ねた。

 

「……まだ確定したわけではないが」

 

魔女は言葉を切った。すべて詳細に話すべきか迷ったからだ。

長尾狐っ娘に課せられた使命は3つあり、そのどれかを達成したとしても、彼女本人は……。

 

「とても、とても重大な……世界に関わるような使命だよ」

 

魔女は曖昧に説明した。

少女好きのメイドエルフのことだ。

これを聞けばここを飛び出して止めに行きかねない。

 

「そうなのですね。それは素晴らしいことです!」

 

なぜ暈すのか。

メイドエルフは疑問に思ったが知られてはいけないことなどだと、感じそれ以上は聞かなかった。

 

迷い人様に太陽と月の加護がありますように!

彼女の使命の達成と願わくば再会できるようメイドエルフは心中で願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霧を抜けると長尾狐っ娘は森の廃屋の中に立っていた。

周りを見た限りでは、鏡の中に入る前と変化したところはない。

 

おとぎ話のように帰ってきたら数百年経っていたということなさそうだ。と長尾狐っ娘は少し安堵した。

 

廃屋の扉を潜り、外へと出る。

ひとまず、森から出なければならないが自分はどちらから来ただろうか。

 

腕を組んでここへ来たときのことを思い出そうとする長尾狐っ娘。すると、そんな彼女に歩み寄る存在がいた。

 

『ん?お前か……』

 

――ヒヒンッ!

 

白く長い体毛に覆われた4足の獣。

額から美しい水晶の角を生やした白き一角獣が嘶いた。

 

『待っていたのか?』

 

通じるかはわからなかったが、長尾狐っ娘は話しかけた。

白き一角獣の頭が上下させ、そうだと認めた。

 

『そうか……』

 

長尾狐っ娘はその仕草を確認したあと、また思案に耽った。

しかしなかなか思い出せない。

どうしたものか。

いっそのこと適当なこと方角にまっすぐ進めば出られるだろうか?

だが、もし出られなければ途中で倒れるかもしれない。

 

『ふむ……』

 

ふと、長尾狐っ娘は白き一角獣を見た。

この獣はある程度こちらの言葉を理解しているフシがある。

であれば、聞けば道がわかるかも?

 

『太陽にもっとも近い霊峰……を知っているか?』

 

自分の至った考えに半信半疑になりながら、長尾狐っ娘は白き一角獣に言った。

 

ヒヒンッ!

 

白き一角獣は嘶いて頭を上下に振った。

 

『案内を頼めるか?』

 

長尾狐っ娘がそう頼むと白き一角獣はまた頭を振った。そして、器用に長尾狐っ娘の服を咥えると首の力のみで彼女の体を持ち上げ、上に放り投げるようにして自分の背中に乗せた。

 

突然のことに長尾狐っ娘は少々驚いたがなかなか器用なことをするもんだと感心した。

 

ヒヒンッ!

 

『っ……うっ……!』

 

準備はいいか?

そう問うかのように嘶きを一度あげ、白き一角獣は次の瞬間には一陣の風になった。長尾狐っ娘は白き一角獣にしがみ付くようにして、振り落とされないように一角獣の体毛を掴んだ。

 

速度を維持したまま、白き一角獣は木々の間を駆けていく。前から迫る木が次から次へと後ろへ流れていく光景に長尾狐っ娘はいずれぶつかるのではと思った。しかし、それは杞憂であり、白き一角獣は薄暗い森を走破し、長尾狐っ娘にとっては久方ぶりに感じる草原へ躍り出た。

 

『わぁ……』

 

この時になると長尾狐っ娘は白き一角獣の速度に慣れ、少しばかり余裕が出来ていた。いつもよりも高い視点、突風のような速度、高速で流れる風景。それらの要素が相まってさながら自分が鳥になったかのように彼女は感じ、少し童心に帰っていた。

 

草原を駆け、小川の水面を駆け。草ばかりだった風景に石や岩が散見するようになると長尾狐っ娘と白き一角獣の前に道と思しきものが見えた。

人か獣かあるいはそれ以外の何某かが往来して出来たであろう道を白き一角獣は道なりに進んでいく。

 

『……高いな』

 

長尾狐っ娘の視線の先には天高く聳える霊峰。森から出たときには既に見えていて離れていて巨大に感じていた霊峰はやはり巨大だった。山に興味がなく登山の経験もなかった彼女ですら、この霊峰は地球上のどの山よりも高いと感じさせられた。

 

『?……止まってくれ』

 

視界に気になるものを捉えた長尾狐っ娘は白き一角獣を停止させた。そして、目を凝らして見てみればそれはうずくまった人だった。

 

『近づいてくれないか』

 

白き一角獣にそう願い、うずくまる人に近づく。ある程度、距離が近くなると長尾狐っ娘は一角獣から降りて、ゆっくりと歩み寄った。

 

『どうかしたのか?』

「えっ?」

 

長尾狐っ娘が声をかけるとうずくまっていた人物は顔を上げた。蜂蜜色の美しい髪を生やした美しい女だった。声をかけられた女は驚いたように長尾狐っ娘を見やり、ホッとしたように安堵した。

 

「……何でもございません。ただ、歩き疲れて休んでいただけでございます」

 

そして、視線を地面に落として力なくそういった。その様子になにか隠していると感じた長尾狐っ娘は女が足を気にしているのに気づいた。

 

『足を痛めたのか?』

「……はい、そうでございます」

 

服の裾を捲り女は足首を晒した。その足首はひどく腫れていて、青黒くなっていた。

 

『……ひどい捻挫だ。家は近いのか?良ければ送るが』

「……大丈夫です。直に治りますから」

 

女はそう言ったが長尾狐っ娘はそうは思わなかった。早く治療しなければ、治ったあとも障害が残るかもしれないからだ。

 

『これを飲め』

「これは……?」

 

思案した後、長尾狐っ娘はポーチから傷を癒やす水の入った水筒を女に渡した。彼女がどういうものか女に説明すると女は半信半疑でそれを口にした。

 

「っ……これは」 

 

たちまち足首から感じていた痛みが引いていき、腫れもなくなって足が元通りになった。そのことに女が驚いていると『それは傷を癒やす不思議な水だ』と長尾狐っ娘は説明した。

 

「……そのようなものがあるのですね」

 

女は水筒をしばらく眺めたあと、長尾狐っ娘に返した。そして、立ち上がり彼女に頭を下げた。

 

「ありがとうございました。これでなんとか歩くことができます」

『良ければ送っていくが?』

 

長尾狐っ娘がそう言うと女は首を振った。

 

「いえ、大丈夫です」

 

女はそう言うと霊峰とは逆方向に歩いていった。長尾狐っ娘は女の背を眺めた後、一角獣に乗って霊峰に向かっていった。

 

 

 



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霊峰道中から太陽教神殿にて

 白き一角獣に乗って、霊峰の山道を登る長尾狐っ娘。標高が高くなるにつれ気温が上がっていく中、額の汗の玉を手の甲で拭う。

 

 普通の山ならば、標高が高くなるごとに気温は下がるものだが、この霊峰の場合は逆に上がっていく。なぜならば、ここは太陽にもっとも近い霊峰。別名『太陽の寝所』なのだから。

 

 この世界の太陽は生き物なのだと、長尾狐っ娘は魔女に教えられていた。太陽は決まった時間に起きると霊峰の頂上から光と熱を放ちながら浮き上がるのだ。そして、高くまで上った太陽は今度はゆっくり下りていき、霊峰の頂上で眠るという。

 

 そんな太陽を大地に恵みを 与えてくれる聖獣として奉る団体がいる。その名も太陽教。信仰者たちが太陽が安心して生きていけるように活動をしている団体。

 

 彼らとの接触が今の長尾狐っ娘の目的だった。というのも、長尾狐っ娘の下腹部にある印の一つである太陽のマークが太陽教に関することを指しているのでないかと魔女の調べで分かったからだ。

 

 いったい自分はこの世界で何をするべきなのか長尾狐っ娘はようやく知れると思い、白き一角獣を急かした。

 

 

 

 霊峰の中腹辺りに来た頃、目の前の道の先に光が見えた。日中だというのにそれは太陽と同じほどに輝いて見え、長尾狐っ娘は目を細めた。

 

「なんだこれは」

 

 長尾狐っ娘は驚愕した。

 

 山道の幅の広くなっている場所でグレートヘルムを被った全裸の男が大の字になって寝ていたのだ。そして、何故か男の股間は太陽のように光を放っていた。

 

『……行こう』

 

 ブルブルブルブルッ!

 

 関わらないほうがいい。そう直感し、静かに素通りしようと思ったが白き一角獣はこれ以上男に近づきたくなく首を振って拒否した。

 山頂への道のりはまだ長い。ここから白き一角獣の背を借りずに歩いていくのは骨が折れることだろう。

 

『はぁ……』

 

 長尾狐っ娘はため息を吐いて、白き一角獣の背から降りた。

 いつでも腰のジャマダハルを抜けるようにしながら近づく。音を殺して、ゆっくりとだ。

 

「グウオォォ……グウオォォ……」

 

 近づくにつれ男のグレートヘルムの中から、いびきが聞こえてくる。完全に熟睡しているようだった。長尾狐っ娘はそんな男の様子に良くこんな所で寝ていられるものだと、少しだけ感心した。

 

『おい』

「グウオォォ……グウオォォ……」

『……おい』

「グウオォォ……グウオォォ……」

 

 長尾狐っ娘の呼びかけに男は起きる気配はない。仕方なく、長尾狐っ娘は男の体を揺すって起こそうと手を伸ばした。

 次の瞬間、長尾狐っ娘の細い腕を男の大きな手が掴み、抵抗させる暇も与えず抱き寄せ、その日焼けした逞しい胸板に長尾狐っ娘を押し付けた。

 

『っ! うっ!』

 

 男の身体は驚くほど熱かった。熱した鉄板に触れたようである。だが、不思議なことに火傷にはならず痛みはない。

 

「ああ……我が導きの太陽精よ……グウオォォ……私のような者に添い寝していただけるとは……グウオォォ……」

『離せ……!』

 

 寝言をほざく男の腕の中で長尾狐っ娘は暴れた。しかし、男の膂力の前には無力であり、腰のジャマダハルも両腕を巻き込むように抱かれたせいで抜けずにいた。

 

 ブルルッ

 

 長尾狐っ娘の様子に見るに見かねたのか、白き一角獣が男へ近づき、前足を引っ掻くようにふり男のグレートヘルムを叩いた。

 

「むっ!? 何事だ!? ……お、ぉぉおおっ!?」

 

 爆睡中だった男も流石にこの一撃で目が覚めた。そして、自分の腕に抱かれながら藻掻く獣人の少女を見て、驚きの声を上げる。 

 

『さっさと離せ……!』

「す、すまん!」

 

 男の拘束から解放された長尾狐っ娘は、飛び退いて距離を取り、ジャマダハルを引き抜いた。

 

「まっ、待て! わざとではないんだ!」

『……とりあえず服を着ろ』

 

 正座をして、命ごいをする男を睨みながら長尾狐っ娘は言った。先程から謎の原理で光る股間が眩しくて敵わないならだ。

 

「承知した。少し待ってくれ」

 

 そう言って男は立ち上がり、長尾狐っ娘に背を向けた。今更だが、少女の前で出すべきものではないものを見せてはならないという男の気遣いだった。もっとも、今度は鍛え上げられた臀部を長尾狐っ娘に見せつける形になったので、その配慮はほぼ無意味になっている。

 男は直ぐ側に置いていたトランクスに似た下着を履き、長尾狐っ娘に向き直って、その場に座った。

 

「改めて、先程はすまなかった。寝ぼけていたとはいえ、そなたのような年頃の娘を抱きしめるという不躾な行い――許されるものではない。何なりと処断されよ」

 

 男は頭を下げ、そう言った。誠心誠意の謝罪である。しかし、長尾狐っ娘はそれどころではなかった。

 

『……おい、服はどうした?』

「ん? 服なら、今しがた着たが?」

『いや、それは下着だろう』

 

 長尾狐っ娘の言葉に男は首を傾げる。

 

「異なことを仰る。服といえばこれだろう」

 

 長尾狐っ娘は困惑した。言葉が通じるのに会話ができないことに。

 まさか、この首輪がちゃんと機能しなくなったのでは、と訝しんでいると、

 

「ん、そうか、わかったぞ!」

 

 バチンッと木の幹のように太い大腿部を平手で叩いて、合点がいったという素振りを見せた。

 

「そなた、異国の者だな?」

『……そうだ』

 

 男の問いに長尾狐っ娘は素直に答える。その方が、話を円滑に進められると判断したからだ。

 

「やはりか! ならば、この食い違いも納得できるというもの。ハッハッハッ、いや、ここへ異国の者が来るのは何年ぶりことだろうか!」

 

 男は嬉しそうに笑う。

 

『なぜ、そんなに嬉しそうなんだ?』

「ここは太陽教の聖地である。そのため、太陽教の信者はよく参拝に訪れるのだが……悲しいことに国外には太陽教の信者は少ない。わずかにいる信者達も遠すぎて辿り着けないと聞く。だからか、この霊峰を登る異国の者は滅多にいないのだ――だが、私は外の国について話を聞くのが好きでな、異国の者が来るのを楽しみにしているのだ」

『そうか……だが、あいにくとこちらは訳ありだ。話せることはない』

「む? 訳ありとな? ……そうか、ならば仕方がない。此度は諦めるとしよう」

 

 少ししょぼくれたように男の声が若干沈んだ。

 

「して、私への処断はどうするのだ?」

『別になにもしなくていい。避けられなかったこっちも悪い』

「……そなたの寛大な処置に感謝する」

 

 男はグレートヘルムを地面に擦り付けるように頭を下げた。

 

「そういえば、自己紹介がまだであった。私はこの霊峰にある神殿を守る太陽騎士の騎士長を務めているものだ」

『神殿の……騎士』

 

 神殿。

 それは、長尾狐っ娘が目指していた場所だ。長尾狐っ娘はこれは好機だと思った。太陽教について、魔女からは太陽を信仰する宗教という事以外知らされていない。魔女自身が太陽教の信者ではなく、偶像崇拝が好みではなかったためだ。

 

『その神殿に用がある』

「ん? そなた、神殿に行きたいのか。まぁ、この霊峰を登って来たのなら、当然か……しかし、訳ありのそなたが神殿にか――なかなか入り組んだ話だな」

 

 長尾狐っ娘は、グレートヘルム越しに騎士長の懐疑的な視線を感じた。痛くもない腹を探られたくなかった長尾狐っ娘は、用件を包み隠さず話した。

 

『知りたいことがある』

「知りたいこと? ……ふむ、何を知りたがっているのかは分からないが、神殿に行けば、そなたの答えがあるのだな?」

『そうだ』

 

 長尾狐っ娘は頷く。

 

「そうか。ならば案内しよう。今は太陽教にとって重要な時期でな、神殿への信者以外の出入りは禁止されているのだ」

『入れないのか……』

「普通ならばな。だが、此度の失礼の詫びとして、特別に私が許可しよう。見たところ、そなたは我々の()ではないようだからな」

『……敵とはなんだ?』

「近頃、神殿の近くで無惨に殺された動物の死体が何者かに置かれるようになった。死体には羊皮紙が括り付けられていてな、脅迫文が書かれていたのだ。――次の太陽を生み出すべからず、生み出そうすれば、神殿の者に命はない。とな……まったくどこの不埒な輩は分からないが、どこで知ったのか……」

 

 騎士長はため息をつく。だいぶ件の脅迫状に気を揉んでいる様子である。一方、長尾狐っ娘は脅迫状の一部に引っかかりを覚えた。

 

『次の太陽とは、どういうことだ?』

「……すまないがそれについては教えられない。我々の内では、もっとも秘匿すべきことなのだ」

『……』

 

 それ以上の言及を長尾狐っ娘はしなかった。語りたくないのであれば、無理強いすることはない。下手を打てば、目的である印の意味を知ることが出来なくなってしまう可能性があるのだ。

 

「さぁ、では参ろう。そこの見事な一角獣も連れて行くと良い。神殿には馬小屋があるのでな、神殿の中へ入れる」

 

 騎士長は側に置いていた鞘に入ったツヴァイヘンダーを肩に担ぎ、立ち上がった。

 

『わかった』

 

 長尾狐っ娘は短く応える。白き一角獣の背に跨り、騎士長の後に続いた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 お互い、無言のまま山道を登っていく。神殿のある地点に近づいてきた頃、道の先から喧騒の音が聞こえてきた。

 

「何事だ?」 

 

 騎士長は歩く速度を早め、音の方へ向かう。長尾狐っ娘と白き一角獣も後を追った。

 

「む!? あれは!」

 

 坂を登りきると開けた場所があった。そこには白磁色の石で作られたパルテノン神殿に似た建造物が建っている。その建物の正面で、神殿の騎士達と黒ずくめの集団が互いの武器を振るっていた。

 明らかに襲撃を受けている。そう認識すると同時に、騎士長は走り出した。

 

「何者だ、貴様ら! ここが太陽教の総本山と知っての狼藉か!」

 

 鞘を投げ捨てるようにツヴァイヘンダーを引き抜き、猛然と襲撃者に剣を振り下ろした。襲撃者は後ろに飛び退き、剣を躱すが、さらに踏み込んで放たれた横薙ぎの二撃目によって胴体を両断された。

 

「よくも同胞を……死ねぃ!」

「むっ!」

 

 襲撃者の一人を倒した騎士長を背後から襲撃者の仲間が襲い掛かる。

 迎え撃とうと構える騎士長。しかし、襲撃者の曲刀が騎士長へ振るわれるより先に小さな影が襲撃者にぶつかった。

 

「! ……そなた!」

『助太刀する』

「かたじけない!」

 

 影の正体は、長尾狐っ娘だった。

 長尾狐っ娘は襲撃者達の姿を見た時、魔女の家に赴いた時に襲ってきた黒装束の女と同じだと気づいた。以前、長尾狐っ娘が迷い人だと判明した瞬間に襲いかかってきたことを省みて、今回は先手を打つことを長尾狐っ娘は決定したのだ。

 襲撃者の左脇に突き刺したジャマダハルを引き抜き、血を振り払って、構える。

 

「例の迷い人だ!」

「魔女の家を調べていた同胞を殺したヤツか! ヤツも必ず殺せ!」

 

 長尾狐っ娘の姿を見た襲撃者達はより殺気立った。気づけば、他の騎士達へよりも、長尾狐っ娘と騎士長へ刃を向けている者の方が多くなっていた。

 

「そなた、迷い人であったのか!? ……なるほど、ではそなたが予言の……」

『予言……?』

 

 騎士長の言葉に長尾狐っ娘は眉をひそめた。

 予言。

 そのことについて問おうとしたが、それより先に襲撃者達が動いた。

 複数の襲撃者が二人に迫る。

 騎士長は、ツヴァイヘンダーを豪快に振るい、襲撃者を武器ごと真っ二つにしていく。

 長尾狐っ娘は、攻撃を避けながら隙をついてジャマダハルの刺突を放つ。ジャマダハルは突き刺した後に切り裂くことが可能な武器だ。たとえ急所でなくとも、多量の出血を免れない。

 

「チッ……強い」

「……退くぞ!」

 

 二人の実力に不利に感じたのか、襲撃者達は撤退していった。追いかけようとする騎士達を騎士長は制止させ、けが人の手当を命じた。

 

「ふぅ……いやはや、お見事。その小さな体でよくやったものだ」

『いや、まだまだ、だ……』

 

 血を振い落したツヴァイヘンダーを鞘に戻し、ドカッとその場に座り込む騎士長。長尾狐っ娘はジャマダハルに付いた血を返り血で汚れたワンピースのスカートで拭い、腰に戻した。

 

「彼奴ら、いったい何者なのだ?」

『分からない。こちらも意味もわからず襲われている』

「そうか。……うーん、わからん事ばかり起こるなぁ……」

 

 腕を組んで唸る騎士長。

 長尾狐っ娘は、聞きそびれていたことを聞くことにした。

 

『予言とは、どういうことだ?』

「そのことについては、神殿内で話すことにしよう。それに、そなたを神殿長に会わせなければならないからな――だが、それよりも身を清めよう。血に汚れた格好では神殿に入れぬのでな」

『わかった』

 

 長尾狐っ娘は二つ返事で了承した。返り血まみれの体に不快感があったのは間違いないからだ。

 

 



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