シャーレの活動記録集 (でぃてくた)
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その1 フェイス先生との物語
#1 ユウカと頼ってもらえず拗ねてる先生の話


■あらすじ
メインストーリーVol.2『時計仕掛けの花のパヴァーヌ』一章18話から二日後。
ユウカはセミナーの仕事で久しぶりにシャーレのオフィスを訪れた。

ゲーム開発部・エンジニア部・ヴェリタスが起こした襲撃事件に関与したシャーレに対しての抗議文を届けるために。

ユウカは先生の煮え切らない態度にだんだんと苛立ちを覚えてゆく……。


 早瀬ユウカ(わたし)は今、久しぶりにシャーレのオフィスへとやって来ていた。

 理由は決して良いものじゃない。

 先日のゲーム開発部をはじめとした複数の部による押収品保管室襲撃事件に関わったシャーレに対して、生徒会(セミナー)が出した抗議文を届けるためだ。

 届ける方法は電子メールでも速達郵便でもよかったのに"シャーレと深く関わってる"私に直接届けさせるあたり、政治的な意図が隠しきれてないと思う。

 

 オフィスビルの玄関まで来ると、そこには少し前までは無かったセキュリティゲートが鎮座していた。

 何を認証するのか、どうすればいいかと迷っていると

 『ユウカ、IC入りかデジタル学生証をタッチすれば入れるよ』

 館内放送で先生の声が流れた。監視カメラからこっちを見てたみたいね。

 「学生証……」

 スマートフォンの画面に学生証を出して機械にかざすと

 

 氏名 早瀬ユウカ

 学校 ミレニアムサイエンススクール

 学年 2年生

 シャーレオフィスへの入館が許可されました

 

 画面にそう標示されてゲートが開いた。

 学生なら誰でもいいのか、それともシャーレの部員として登録されてる必要があるのか。防犯を考えるとたぶん後者だろう。

 誰でも出入りできるのならゲートの意味はないのだし。

 「……はぁ」

 階段を使うのも面倒だし、エレベーターに乗ろう。

 

 

……

 

 

 執務室の中は二か月前、先生が初めてここへ来た時からあまり変わっていない。

 強いて言うなら小物や生活雑貨が増えている。それと

 「……なにこのおもちゃ?」

 机の上に男の子が喜びそうなデザインのロボットの人形が置いてあった。

 人形をまじまじと眺めていると、ドアが開く音と共に部屋の主が姿を現した。

 「おはようユウカ、二日ぶりだね」

 「……おはようございます、先生。その節はどうも」

 自然と言い方がキツくなる。この人はどうしてそんなに余裕の態度なのだろうか。

 

 腰まで伸びる薄茶色のロングヘアを首のあたりで無造作に縛り、顔立ちは中性的でぱっと見では男か女かわからない。

 白いワイシャツに青いクロスタイ、暗い青緑色のベストとスラックス。細い銀縁の伊達メガネ。

 これに黒いロングコートととんがり帽子を併せれば、魔法使いにも見えるだろう。

 名前は『フェイス』。

 偽名であることを隠す気もないけれど、すべての公文書にその名前が使われている。

 

 これが私の知る『シャーレの先生』だ。

 

 先生が椅子に座ったのを確かめると、懐から出した封筒を目の前に叩きつけた。

 「先日あの場でお伝えした通り、ミレニアムからの抗議文をお持ちしました。

 間違っても読まずに捨てたりしないでくださいね!」

 そう言って睨みつけても先生は微笑みを崩さなかった。

 「わかってるよ」

 「ご自分の立場本当に分かってるんですか!? シャーレの活動が軌道に乗ったからって調子づいてるんじゃないの!?」

 ただでさえ大人の介入を嫌う生徒がキヴォトスじゅうにいるのに、どうして敵を増やそうとするのよ!?

 「君が肩身の狭い思いをしているのなら謝るよ。

 あの子達の後ろ盾として責任を取るのが大人()の仕事だ。それに」

 「……なんですか?」

 

 「『アリスの力を見れたから狼藉は見逃す!』なんて全員が納得できるわけないし、他の人には言えないからね」

 「!」

 先生は肩をすくめてそう言った。

 「なら矛先は得体のしれない大人が一人いるだけのシャーレしかない。そうでしょ?」

 

 うそ、まさか?

 この人は最初からこっちの意図に気づいていたの?

 

 「それがセミナーがあの子達を放置した理由だと……お考え、ですか?」

 「素人目に見てもアリスは普通の子じゃないからね。だから戦闘データが手に入ればあれだけの被害を出してもペイできる。

 ……そんな感じだよね?」

 「……黙秘権を行使します」

 「それとあのメイドの子達。正義実現委員会やゲヘナの風紀委員会とは違う……こう、工作員的な感じなんでしょ?

 セミナーで止めなきゃゲーム開発部の部室まで乗りこんでくると思うんだよね」

 あの時の依頼はセミナーの判断で取り下げられたから、C&Cは動く理由を無くして沈黙を貫いている。

 もしそのままなら、きっとネル先輩を含めた全員で部室まで突入していたに違いない。

 

 先生は自己管理ができない代わりに妙なところで感がいい。

 戦闘指揮官としての優れた才能が、こういう場面で頭の回転を早めてるのかもしれない。

 

 「これに絡んで、少し聞いてもらえるかい?」

 先生は封筒を指でつまみながら深くため息をついた。

 「……モモイとミドリは最初『ユズのためにも部活を潰させない』と私を頼った。

 でもアリスが来てからは『自分達皆の力でこの場所を守ろう』という考えに変わっていった」

 そう言って封を破ると、あらん限りの皮肉と間接的な表現で罵詈雑言が書かれた、もう抗議文とは呼べない文章に目を通した。

 これって誰が書いたのかしら。

 「子供は成長が早いというけど、私をもっと頼って欲しかったな。

 私が土下座か会長の足をなめでもすれば向こうも満足でしょ?」

 その目は文章じゃなくてどこか遠くを見てるようで──

 

 ……そんな様子を見てだんだんと腹が立ってきた。

 この人、冷静に物事を見てるフリをして拗ねてるだけだ!

 「先生」

 「はい」

 「馬鹿ですか!? いい年した大人で先生な人が生徒に土下座とか、あ……足を舐めるとか! もう社会的に死ぬ気ですか!?」

 机に拳を叩きつけても先生はほんの少しも動かなかった。

 「いやもう舐めてるし」

 は!?

 「アビドスの件でヒナに助けを求めた時、最初に出てきたイオリが足舐めろって言うからさ。

 いやー新しい扉を開いた気分だったよ」

 ここにきて爆弾発言とかどういうことよ!?

 「せ……先生のスケベ! 変態! というかゲヘナ一マトモじゃなかったの風紀委員! そんな子が幹部やってるの!?」

 ああもう信じられない! 警察的なところの幹部がそんな卑猥な脅しをかけるのも、迷わずそれを実行する先生も!

 

 私が顔を真っ赤にし頭を抱えて悶えてると、先生が我慢できずといった感じで笑い始めた。

 「ふふ……くふふふ」

 「何かおかしいのよ!? 自分の恥でしょ!?」

 「いや、ようやくユウカがいつも通りになったなって」

 「?」

 「顔、この間からずっと険しかったよ」

 先生が笑いながら言う言葉は、まぎれもない事実だった。

 

 何が目的で押収した『鏡』を狙ったのかはわからなかったけど、開発部の存続に不可欠な取り引きをヴェリタスとしたんだろうとは思った。

 でもそれを成し遂げるためにした行動はまぎれもない大問題で、複雑な感情で私の顔は鬼気迫るものになっていたとノアに笑われた。

 ……この人はどんな状況でもちゃんと生徒()を見てくれてるらしい。

 なんか毒気を抜かれた気分だ。

 「……仕方ないじゃないですか。あの子達が本来許されないことをしたのは事実ですし、廃部の件だって規則ですから」

 「そうだね。ユウカに落ち度はないよ。

 落ち度があるとするなら、あの子達との信頼関係をうまく築けなかった私にある。

 言い訳がましいけど、エンジニア部やヴェリタスに協力を取り付け、あの過激な方法を実行に移したのもあの子達自身だ。

 私は蚊帳の外」

 

 またそうやって自分を悪者にする。

 

 「先生がゲーム開発部に来たのは八日前じゃないですか。そんな短期間に今まで三人でやってきた集まりから進退を預けられるような信頼をだなんて」

 そんなの計算するまでもない。無理よ。

 簡単に他人の心を掴むような人がいたら、それはきっと詐欺か人たらしの天才に違いない。

 「そうかな?」

 そう言いながら先生は『百鬼ノ春ノ桜花祭』と書かれた団扇に視線を向けた。

 百鬼夜行で先月開かれたお祭りのものだ。

 

 「人の心は数式で表せれるようなものじゃありません。

 卑下自慢なんかやめてください!」

 先生の手から抗議文書を奪い取ると、そのままシュレッダーに放り込んだ。

 「はいこの話しはもうおしまいです! それよりも」

 「それよりも?」

 「聞かせてください。……ゲーム開発部(あの子達)はこの先大丈夫でしょうか?」

 

 モモイが口走る悪口なんてかわいい方で、セミナーの会計として『金の無駄遣いをする穀潰しを切り捨てる冷酷女』と私を蔑む声だってある。

 でもそれは仕事の話でしかない。

 私自身はあの四人が心配。面倒はかかるけど、かわいい後輩には変わりないもの。

 やり方に問題は多いけど、今モモイとミドリ、ユズはアリスちゃんと居場所を守るために必死になってる。

 対人恐怖症のユズがネル先輩を自分から欺いたと知った時には驚きを隠すのが大変だった。

 

 「世間でクソゲーと罵られてる"あれ"を純粋に楽しんでるアリスの言葉で、みんな目が覚めたみたいだよ。

 ユズも新作の評価が悪くても、部活が本当に無くなっても、もう迷うつもりはないみたい」

 「そう、ですか」

 「ユウカ。先生としても会計としても、今私たちに出来る事はないよ。

 四人が出した結果が良いものだったらちゃんと褒める、駄目だったら慰める。それしかないよ」

 後は祈る事しかできない、か。

 「もしゲーム開発部が廃部になったらアリスは居場所を失ってしまう。

 その時はシャーレで引き取るつもりなんだけど、どうかな?」

 「……一応、あの子はミレニアムの生徒ですから、私ひとりの判断でどうにかできる事ではありません」

 でもエンジニア部が引き取れれば御の字で、もしかしたら誰の目にも届かない場所に連れて行かれるかもしれない。

 そうなったら……。

 「でも私個人としては、アリスちゃんをどうかお願いします」

 「わかった」

 

 ……ようやく作り物じゃない笑い顔が見れた。

 やっぱり先生(あなた)に卑屈は似合わないわ。

 

 

 「ところで先生、このおもちゃですが」

 だいぶ前から置いてあったらしいおもちゃを指差した。

 「うん」

 「いくらしました?」

 私がそう聞くと、先生は顔を青くして汗がダラダラと溢れ出させた。

 「……税込みいちまんごひゃくえん」

 

 

 はぁ。

 暗い話題だったんだから、いい話で終わらせなさいよ先生……。

 

 

 「先生」

 「はい」

 「そこに正座」

 「はい」

 

 


 

 

 『毎日積み立てて昨日ようやく買えたんだからセーフ! セーフ!』

 『計画性を持ったのは進歩ですけど五千円オーバーは変わりませんよ! その努力をもっと別な事に使ってください!』

 

 

 シャーレ執務室でのそういったやり取りを聞く者がいた。

 しかも外から。

 

 オフィスビルからシャーレの敷地と大通りを挟んで約四十メートル、対岸にあるビルの屋上。

 「ユウカはどこでも変わりませんね」

 C&Cのエージェント、室笠アカネと角楯カリンは振動検知型の盗聴装置と双眼鏡を片手にシャーレ内の様子を覗き見していた。

 「アカネ、気づいてるか?」

 「何をです?」

 「先生はこちらの存在に勘付いている」

 「ですね」

 二人が使っている双眼鏡は、反射低減処理のされた特別製のレンズを使っており、更に太陽に背を向けているため簡単には見つけられないはずだった。

 「ユウカと話しながら何度か正確にこっちを見ている」

 「先生につきまとって百メートル先から覗きを繰り返していたレッドウィンターの生徒を見つけ出したという話もありますし、視力と勘がとても優れているのでしょう」

 

 すると遂に先生は単眼鏡を片手に二人の方を見始めた。

 二人はサッと塀の陰に隠れた。

 『どうしたんですか? まだ話は終わってませんよ』

 『いや、さっきから誰か向こうのビルでこっちを見てる。なんか変なものが──』

 集音器にも気づかれている! アカネは素早くコードを引き集音器をたぐり寄せた。

 「潮時ですね。撤収しましょう」

 

 

……

 

 

 二人は路地裏に停めておいたコンパクトSUV(ヤリスクロス)に乗りこみ、素早くその場を離れた。

 アカネはハンドルを握りながら"調査対象"の評価を列ねる。

 「実戦での迅速かつ的確な指揮による戦力の大幅向上、優れた観察眼と人心掌握能力、責任感の強さから来る自己犠牲の精神……。

 経験豊富な大人だから、先生だからでは済ますことはできませんね」

 口に笑みを浮かべるアカネに対して、カリンの顔は仏頂面だった。

 「私としては少し危ういものを感じる。いざとなったら自分の命を平気で捨ててしまうかもしれない」

 「そうですね。アビドスの件でも正面からカイザーコーポレーションを敵に回してましたし、今回の件も含めて手段を選ばない節が見られますね」

 アカネはそう言って目を細めた。

 「ですが、それを生徒(私達)でカバーしてあげれば互いに心強いパートナーとしてやっていけるでしょう」

 

 ミレニアムの諜報部門であるC&Cとしても、失踪した連邦生徒会長がなぜ先生(あの人)を外から呼んだのか最初は不思議でならなかった。

 だが自然災害に付け込んだ大企業に侵食され廃校寸前のアビドス高等学校を、トリニティとゲヘナの二大校を巻きこんで陰謀を砕き救ったのを期に評価を改めざるを得なかった。

 先生はキヴォトスに新しい風を吹かすための原動力であり、大きな困難に立ち向かうための力であると。

 だからこそ強大な権力を持つシャーレを託したのだと。

 

 「先生はミレニアムプライスが終わったらこちらに接触してくるだろうか?」

 「しますよ。そしたら私達のご主人様になっていただきましょう」

 車はミレニアムの自治区へと向けて走っていった。

 

 



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#4 先を生きる者、それを追う者

■あらすじ
 時系列はメインストーリーVol.4第一章の前半終了後、Vol.3完結後。
 先生とアズサは帰りの電車を待つ間、互いに聞きたかった事を話し合う。


 

 『D.U.第☓☓地区行き上り電車、ただいま車両故障のため定刻より二四分遅れで――』

 

 とある自治体から依頼された小さな仕事を終えて、先生とアズサはシャーレへと戻るために地下鉄駅へと入った。

 しかし肝心の電車はトラブルのためまだ来ていない。

 電光掲示板によると到着は二六分後、他の手段で移動するには微妙な時間だった。

 「どうする先生? 路線バスなら今から戻れば間に合うはずだ」

 アズサは先生に指示を乞うが、先生はおもむろに懐中時計を取り出した。

 「……待とうか。

 今は仕事帰りだし、話してたらすぐだよ」

 ミカの査問会後、多忙からトリニティに顔を出す機会が少なく、新生・補習授業部に授業をする機会に恵まれていない。

 アズサと二人で何もない時間を過ごすのは先生にとっては僥倖だった。

 

 

……

 

 

 先生がホームの売店で買ってきたドリンクを飲みながら、二人はベンチに座って他愛もない近況を報告し合う。

 先生はSRT特殊学園の閉鎖に反対する生徒が起こした問題をオブラートに包みつつ話し、アズサには話してなかったロスト・パラダイスリゾートでの騒ぎや、ゲヘナの温泉開発部がレッドウィンター自治区に温泉が掘りあてた話を語った。

 一方のアズサは『マシロと射撃大会に出たが撃つ的が無くなり決着がつかなかった』事や『ヒフミが戦車部から勧誘を受けていた』とか、『コハルが勘違いでハナコでもしないような格好をした』などを話した。

 数週間前のあの苦難と悲しみを乗り越えた先にある平和、アズサはそれをしっかり掴み取っている事に先生は安堵を覚えた。

 彼女はほとんど関われなかったアリウス分校で起きた一連の出来事は、長くなるので後でゆっくりと話すつもりでいた。

 

 

 一通り話し終えると、アズサはジュースは一口飲んで先生へ向き直った。

 「先生、この間から聞きたいことがあったんだけど、いいかな?」

 「なんだい?」

 「先生はなんで『先生』になったの?」

 

 

 先生。

 教師、先駆者、シャーレ及び各校の部活の顧問。

 漢字ふた文字の中に様々な意味があるが、アズサのいう『先生』は教師のことであるとフェイス先生は理解した。

 

 

 「ふむ……」

 先生は愛用する懐中時計の竜頭をいじりながら考えこむと、少ししてから口を開いた。

 「母方の大叔母が先生をしててね、小さい頃によく遊びに行ってたからその背中を見ていた。

 自分の知恵を他の人に教える事、その楽しさは大叔母様から学んだと思ってる」

 「今も元気にしてるの?」

 「だいぶ前にね。病気もなくずっと元気だったよ」

 「……そうか」

 直接的な表現を避けていたが、アズサはその人がもうこの世にいない事を察した。

 人は誰だって死ぬ。それが誰かに殺されたり病気で苦しんで命を落とすのでなく、天寿を全うしたという理由なら喜ばしいに違いない。

 

 「それと君達と同じ年ごろの話かな。

 私のお兄さんは冒険野郎で学校の単位取ったらすぐ旅に出ちゃうし、両親も元気で故郷に友達はいるけど、ちょっと寂しい気持ちがあった」

 この人がキヴォトスに来る前の事を話すことはない。たとえ付き合いが長いユウカやアビドスの面々にも。

 そのような珍しい体験をしている自覚は、残念ながらアズサにはなかった。

 「将来何をするか決まんなくてぼんやりしてた時、あるおとぎ話を見たんだ」

 「おとぎ話?」

 「うん。遠いところから来た先生(おとこ)の話さ」

 

 

 感情がもたらす力の強さと危うさを知り、それが悪用されないように子供達の心を育てようと教壇に立った異邦人の話。

 残念ながら彼は自分にしかできない事に集中するため、短い間で学校を去ることとなった。

 だがこつ然と姿を消した彼の教えを胸に宿し、教え子達は立派な大人になった。

 

 

 「何年、何十年と世代を超えてその教えと心が受け継がれてく。

 そんな『彼』や大叔母様のような人になりたくて教師になるって決めたんだったな」

 どこか昔を懐かしがるような微笑みを浮かべる先生。

 「受け継がれる想い、か」

 「逆に聞くけどアズサ、君は将来トリニティを卒業した後にやりたい事とか、あるかい?」

 「……」

 

 難しい質問だった。

 アリウス分校では悪い大人(ベアトリーチェ)によってまともな情操教育が行われず、ただ『社会に受け入れられない人殺し』としての意識と戦闘術を強制的に刷り込まれていた。

 何度も苛烈な体罰を受け殺されかけようとも、それに反発したアズサは一般常識に疎いながらもまだ『普通の子供』に育つことができた。

 だがそれでも、将来を考えるにはアズサはまだ経験が足りなかった。

 

 

 目を閉じて瞑想するアズサに考える時間を与えるかのように、天井に吊り下げられた時計の針はゆっくりと進む。

 やがて意を決したかのように目を開き、先生の顔を見た。

 「……アリウスでは永い間、人を殺し物を壊す術と、トリニティとゲヘナに対する憎しみを教え続けてた。でもそれは悪意ある者(マダム)の策謀だった。

 アリウスだけじゃない、きっと同じように選択肢を奪われて未来を閉ざされた人たちがまだまだいるはずだ」

 胸元のアリウス分校のバッジが蛍光灯の光を照り返して輝いた。

 数千の有象無象の学園があるキヴォトスのどこで、ゲマトリアに限らず『悪意ある大人』が暗躍しているかは誰にもわからない。

 「それなら先生がそうであるように、私もシャーレの先生になってそういった生徒たちに手を差し伸べる。そんな未来も悪くないと思うんだ」

 「ふむ……」

 先生の手の中にある懐中時計が時をゆっくりと刻む。

 

 

 先生は少し悩むように虚空を見つめると、アズサへ顔を向けた。

 「……アズサが目指す先だと、まず教師にならないとダメだから今よりも勉強を頑張らないといけない」

 「うん」

 「色んな子の考えや悩みと向き合って話し合わないといけないから、もっと友達を増やしたり色んな人と話したりして、経験を積まなきゃならない」

 「努力する」

 「あとシャーレはあちこち飛び回ったり山ほど書類を作らなきゃならないしとても忙しいよ? ……これはアズサなら大丈夫だね」

 「今まで切り抜けてきた事と比べたら、そのぐらいどうってことない」

 先生を見つめる薄紫色の瞳の奥に、確かな決意を感じ取れた。

 「うん。……だから先生、私は」

 

 『四番ホーム、電車が参ります。危険ですので白線の内側までお下がりください』

 

 会話を遮るように、時間切れを告げるアナウンスが流れた。

 それに呼応するかのように、何ごともなかったかのように時計の針は進み始める。

 決意の言葉を遮られてむくれるアズサの頭を、先生はやさしく撫でた。

 「アズサ、将来を決める時間はまだある。今から慌てる必要なんてないよ?」

 「そうかな?」

 「うん」

 

 彼女の『姉』たるサオリは罪の十字架を背負い、悪辣な人間だらけの裏社会でもがき失敗しながら必死に『普通の人間』になるために動いている。

 彼女自身が決めたことを先生はやめろとは言えない。だが表で信頼できる者たちに囲まれたアズサまでそんなに急ぐ必要はどこにもないと思っていた。

 

 「あまり気張りすぎても長続きしない。まずは今できる事からやっていこう」

 先生はゆっくりとベンチから立ち上がると、アズサに手を差し伸べた。

 「道を誤らない限り、煌めく未来は君の中にある。

 私はそれ支え、応援するよ」

 アズサはそんな恥ずかしい言葉に苦笑いしながらその手を取る。

 「……ありがとう、先生」

 二人はそのまま電車に乗りこみ、シャーレへの帰路についた。

 

 

 数年後、天使の翼を持った新任の先生がシャーレに赴任する……かは、まだ誰にもわからない。



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#11 キリフブ百鬼夜行食べ歩記

■あらすじ
 ある日、ヴァルキューレ警察学校・生活安全局に公安局長のカンナから電話がかかってきた。
 『先生が怪しい行動をしている』という連絡を受けたフブキは食べ歩きに行きたいキリノを誑かし、捜査と称したサボりのため百鬼夜行連合学院の自治区へとやってきた。


 

 合歓垣フブキという生徒がいる。

 行政区(D.U.)を始めとした各学園の自治区外の治安維持を担当するヴァルキューレ警察学校に在籍する、いわゆる警察官だ。

 相棒の中務キリノとは異なり、楽な仕事である生活安全局を気に入っており、怠けたりサボったりすることに意欲を燃やす不良警官でもある。

 そんな彼女は常日頃からサボりの口実を目ざとく探している。

 

 ある日の生活安全局。生徒のほとんどは出払っており、だらけてコーヒーを飲んでいるフブキ以外に数名が待機しているのみである。

 愛用のポケットラジオの調子が悪くそろそろ買い替えどきかと考えていると、目の前の内線電話がけたたましい呼び鈴を鳴らした。

 「めんどくさ……」

 電話を取れるのは自分だけと気付き舌打ちすると、仕方なく受話器を手にとった。

 「はい生活安全局」

 『公安局の尾刃カンナだ。フブキか? 都合がいいな』

 「(げっ……)」

 名乗りを聞いた途端、フブキは顔をしかめた。

 電話の主はヴァルキューレの最精鋭にして良心、公安局の責任者だった。

 世界の存亡を賭けた『あの戦い』のあと彼女も連邦捜査部に加わっており、たま当番としてシャーレのオフィスへ顔を出している。

 『お前かキリノに用があったところだ』

 「カンナ局長、私たちまだ何もやってないよ」

 『お前たちではなく、先生に関係した話だ』

 「はぁ? 先生の?」

 

 

 

……

 

 

 

 「ただいまパトロールから戻りました! ……あれ?」

 定期巡回から戻ってきたキリノが見たのは、真面目そうな顔で割り当てられたタブレットPCに向き合うフブキの姿だった。

 「どうしましたかフブキ!? 熱でも出したんですか!?」

 「いくら普段サボってるからってひどくない?」

 呆れ顔のフブキが指し示した画面を覗きこむと、キリノの眉間にシワがよった。

 「先生が怪しい行動をしている姿があちこちで目撃されてる……ですって?」

 

 曰く、キョロキョロと何かを探しては道端の草を見ている。

 曰く、あちこちの河原や堤防で何かを探している。

 曰く、ブラックマーケットに一人で出入りしている姿を見た。

 

 連邦捜査部『シャーレ』の顧問である"先生"の挙動不審は別に今始まったわけではない。

 ブラックマーケットにしても『キヴォトス人の成長記録が見たい』という好奇心から、小学生の頃のイオリの写真が入っている卒業アルバムをマーケットの売人を雇って手に入れた事がある。

 先生は意味のない行動はしないタイプなので、今回も何かしらの理由があってのことだろうとはフブキも考えていた。

 「(いい事思いついた。キリノにも得があるし断らないでしょ)」

 だが同時に『これはサボりの口実に使える』とも考えた。

 特に、やる気が常に空回りしている相棒を誑かせばより確実である。

 

 「今日の先生のスケジュールを見たら、昼の二時ごろに百夜堂の手伝いに行くってあったんだよね。せっかくだから行って本人に直接聞けばいいじゃん」

 「えっ? でも今日はシャーレの仕事の予定は……」

 「カンナ局長が直々に持ちこんだ話だし、向こうとしてもさっさと疑念を晴らしてくれって感じだと思うんだよね」

 

 そもそも対テロ特殊部隊とも言える公安局になぜ先生の奇行の話が持ちこまれているのか?

 というのも、最近ヴァルキューレ公安局主導でシャーレとの合同作戦を実施したばかりで、この二つの組織がコネクションを持っているのが認知されつつある。

 カンナ本人が有名人というのもあり、とりあえずイタズラ半分に電話をするという者がいるというのが真相のようだ。

 

 「……それに」

 フブキはキリノの耳に顔を寄せ囁いた。悪魔の誘いを。

 「今から出発すれば百鬼夜行に着くのは昼ごろ、キリノは前々から行きたい店があるって言ってたじゃん?」

 「……」

 キリノはしばらく固まった後、おもむろに身支度を整え始めた。

 「それじゃみんな、私とキリノはちょっと遠出してくるね」

 それを聞いて近くにいた同僚が驚きの声を上げた

 「ええ!? 君たちがやる書類はどうすんのよ!?」

 「文句はカンナ局長にイタ電する人に言ってよ。おみやげに百夜堂のお菓子買ってくるから後よろしく〜」

 ぐるぐる目のキリノの背を押し、フブキは生活安全局のミニパトが停められている駐車場へと向かった。

 

 

 

……

 

 

 

 百鬼夜行連合学院自治区 某所

 

 「うう……やらなきゃいけない仕事投げ出して来ちゃいました……」

 「行くって決めたのはキリノ自身なんだからいい加減諦めなよ」

 道中ずっと職務放棄に対する後悔をブツブツとつぶやくキリノと誑かしておいてそれに呆れるフブキの二人は、百鬼夜行の飲食店街へとやってきた。

 昼時と相まって通りは一般人も生徒も問わず人が多く、あちこちの食堂に入店待ちの列ができていた。

 

 「で? 行きたいって言ってた店にはいつ着くのさ?」

 「えーっと……あそこの角を右に曲がって……」

 キリノのおぼつかない記憶を頼りに歩みを進めてぐるぐると回った末に、ようやく目的の店の前へと到着した。

 「ここです!」

 「……『そば・丼物屋 三郷』?」

 古い日本家屋風の建物がほとんどな百鬼夜行歓楽街の景観からはやや浮いた、どこにでもありそうな箱型の二階建ての一階。そこに店舗が入っていた。

 「さあさあ行きましょう!」

 「せかさなくてもいいじゃん……」

 

 店内もどこにでもある定食屋といった内装で、良く言えば気取らない、悪く言えば周りに合わせられない空気の読めなさを感じ取ることができた。

 ここまで徹底的だと最早笑いがこみあげてくる。

 テーブル席に座るとアルバイトらしい百鬼夜行の生徒が注文を取りに来た。

 「いらっしゃい。ヴァルキューレの人が来るなんて珍しいね」

 「ゲソ丼二つでお願いします」

 「ゲソ丼ふたつね? しばらくお待ちください」

 キリノの注文をメモに取ると厨房へと入っていった。厨房では茶をすすっていた秋田犬の店主がキビキビと働き出した。

 

 「ゲソ……ってことは、イカの足の天ぷらかから揚げ?」

 メニュー表を眺めていたフブキは、セルフサービスの水をコップ二つに注いで戻ってきたキリノへ疑問をぶつけた。

 「はい。イカの足に片栗粉とかをまぶして揚げたのを丼ものにしてるんです」

 「確かにふつうの天丼よりは安いようだけど……割高感ない?」

 どうも価格帯が他の丼物と大差ないことに不満なようだ。

 

 「お待たせしました。ゲソ丼ふたつになります」

 しばらくして先ほどのアルバイト店員が丼を運んできたが、二人はテーブルに置かれたそれを目を見張った。

 「デ、デカい……!」

 「ゲソ丼はボリュームがあるとは聞いてましたが、まさかここまでなんて……!」

 

 まず丼のサイズが大きい。

 ただ直径が大きいだけでなく深さもしっかりあり、普通の店なら大盛り用として使うものなのは明白。

 それの下半分に白飯が少し密度高めに盛られ、上に三・四本で大きくちぎられたゲソのから揚げが五・六個は載せられている。

 丼の端に添えられた紅しょうががゲソ揚げの海に呑まれて見えない。

 後から入ってきた客が頼んだゲソ丼セットをチラリと見ると、そばは付け合せのミニサイズではなく同じ丼に普通の量が盛られていた。

 「……セットで頼まなくてよかった」

 「あれ食べたら動けなくなりそう……」

 

 とにかくゲソ丼を食す。

 「……揚げたてだからか食感がいい」

 「ゲソがプリプリしてますね」

 片栗粉ではなく市販か自家製のから揚げ粉を使っているようで、ゲソにはほんのりと下味がついていた。

 その代わりに甘ダレの量は控えめだが、ゲソのボリュームを考えると飯が残ってしまうことはないだろう。

 小皿で出されたたくあんも、紅しょうがと併せて口直しにうまく貢献してくれている。

 

 「でもやっぱり量が多いよ」

 「紅しょうががもう少し欲しいですね……」

 暴力的ですらあるボリュームに苦しみながらも、二人はゲソ丼を美味しくいただいた。

 

 

 

……

 

 

 

 『三郷』を出たキリノとフブキはしばらく周りを散策して胃にスペースを空けると、その足で次の店へと向かった。

 「ねえキリノ、私そろそろ食後のドーナッツタイムにしたいんだけど……?」

 「それ普通はコーヒーブレイクって言いますよね?

 ……あーでも次のお店でドーナツを買いますから、ちょうどいいじゃないですか」

 「ふーん」

 フブキは百鬼夜行で売っているドーナツに心当たりがなかった。

 単純に来る機会が少ないのもあるが、和菓子屋中心の百鬼夜行においてザ・洋菓子のドーナツの肩身は狭く、あるのはキヴォトス全土に進出するドーナツチェーン店しかないとまで言われているためだ。

 

 訪れたのはかりんとうなどの揚げ菓子の専門店だった。

 店先には『店で揚げたてあんドーナツ』なる看板が立てられている。

 「……いやいや確かに名前はドーナッツだけどさ、私が食べたいのは穴の開いてる方のドーナッツだよ?」

 「ずっとあればかり食べてるとお腹にお肉がついちゃいますしコーヒーの飲みすぎは不眠症になりますよ? たまにはいいじゃないですか」

 「食べ歩き三昧のキリノには言われたくないなー……」

 

 反論はするが、フブキは正直なところ体重が気になってきていた。

 日頃の食っちゃ寝サボり生活が祟って運動量と大量のドーナツによる摂取カロリーが釣り合っておらず、背や胸が一向に成長しないのもあって栄養がぜい肉に変換されているのだ。

 最近ではドーナツは一日に二個だけと決めているが、この『ドーナツ』を食べれば先ほどの大盛りゲソ丼と相まってもう今日のぶんは食べれないだろう。

 「……」

 フブキはお腹に手をやり、初めて己の不摂生を後悔した。

 「ほら、入りますよ」

 

 

 

……

 

 

 

 店先に用意されたベンチに並んで座り、買ったあんドーナツを食べることにした二人。

 件のあんドーナツはテニスボールよりひと周り小さいぐらいの楕円形をしており、砂糖の類いはまぶされていないので揚げいものようにも見えた。

 市販品のようにビニール袋で包装はされておらず、コンビニのホットスナックのごとくケースにそのまま入れられていたものを紙袋に入れて渡された。

 「いただきます!」

 ドーナツにかぶりつくとサクッという小気味よい音が鳴り、咀嚼すれば硬すぎず軟すぎない生地がシャクシャクと音を立てた。

 「はあぁ……。この食感と甘さ控えめの餡がたまらないですね!」

 「グラニュー糖をまぶしてないから油を吸ってギトギトにならないし甘すぎない、ビニール詰めじゃないからふやけてボソボソにならない。なるほどねぇ」

 「これなら何個でもいけそうです! あ、後で食べるぶん買ってきます!」

 キリノはドーナツを一気に食べ終えると、再び店の中へと入っていった。

 

 「美味い……これは確かに美味いんだけど……」

 あんドーナツの断面をじっと見つめる。生地は少し厚めなのが食感と甘さのバランスの要因であるらしい。

 残りのあんドーナツを口に放りこみよく味わうのとは対照的に、目はうつろで光が消えていた。

 「(心が……心が穴の開いたドーナッツを求めてる……!)」

 「……何悩んでるんですか?」

 紙袋いっぱいのあんドーナツを抱えて出てきたキリノは、口をもごつかせながらこの世に絶望したかのような顔で悩んでいるフブキの姿を見て首をかしげた。

 

 

 

……

 

 

 

 あちこちの店を回っておみやげになりそうなものを物色したのち、二人はようやく本来の目的地である百夜堂へやってきた。

 「午後二時一七分……少し遅れましたね」

 「キリノが色々買うからだよ。おみやげだらけのミニパトが警備局に見つかったら面倒なことになるじゃん」

 「……さあ行きましょう!」

 「誤魔化すのが下手すぎる」

 

 「イラッシャイマセー! おお、キリノさんにフブキさんじゃないデスかー!」

 扉にかかった看板が『準備中』になっていたのもあり、店内には床をモップがけ中のフィーナだけがいた。

 ウミカは休日シフトのようで、先生が手伝いに来たのは人手不足を補うためでもあるらしい。

 「こんにちは。先生は来てますか?」

 「ハイ! 奥で委員長と一緒にお茶を作ってマス」

 「お茶?」

 「あれ? 二人ともどうしてここに?」

 話をすればなんとやら、バックヤードから先生とシズコが姿を現した。

 百夜堂の制服と思わしき和服にエプロン姿の先生の手には、むぎ茶にも見えるこげ茶色の液体が入ったポットを持っている。

 「先生、とても似合っていますよ! ……ああ、実は──」

 

 全員でテーブルを囲み、事情説明と並行して先生が作ったというお茶を試飲することになった。

 「あー……そんな大ごとになってたの?」

 「先生って変なウワサばかり経ってるじゃん。有名人の宿命にしても、ちょっとは周りを見たほうがいいんじゃないの?」

 「うーん……」

 先生は腕を組んでうなるが、今回の件はわりと自業自得であるし、第三者のイタズラで結果的にカンナに迷惑が掛かっているので弁解の言葉が浮かばなかった。

 

 さて、件の液体の正体は『ハーブティー』である。

 キヴォトスの『外』からやってきた先生にとって、この広大な土地まだまだ知らない事ばかりで、ふと住民が何気なく眺めている雑草の中に『薬草(ハーブ)として使えるものはないか』と考えた。

 

 そこからの行動は早かった。

 趣味で雑草を育てており植物に詳しいハルカや特殊な薬の専門家であるサヤに知恵を借りた。

 無数の蔵書があるトリニティの図書室でシミコの案内で本を探し、ウイに頼んで古書館で薬草学に関する古書を読んだことで遂に『薬効が忘れ去られ、今はただの雑草でしかない』ハーブを見つけ出した。

 シャーレの仕事のついでにあちこちを探して周り野草の生息範囲の統計を採り、使えそうな野草を決めると制作に入る。

 

 液体の見た目はむぎ茶、あるいはたんぽぽコーヒーにしか見えないが、曲がりなりにもハーブティーとだけあって良い香りがする。

 「まぁジュリやイズミじゃなくて先生が作ったものだし、大丈夫とは思ってるけどさ……」

 「いただきます!」

 フブキは制作側の三人へ視線を向けると、すでに当たり前のようにカップへ口をつけていた。

 フィーナは味を確かめるように舌で茶を転がしてから飲みこんだが、その一連の仕草すら育ちの良さを感じさせる。

 「フーム……少し苦いデスが飲めないほどじゃないデスね」

 「いやー、香りはいいんですけど味が……」

 「思い立っただけで私は門外漢だからなぁ。昔の教え子にこういうの作るのが好きな子がいたんだけど」

 

 談笑する三人を見て、キリノとフブキも意を決して『それ』を飲んだ。

 「苦っ……お茶というより薬みたいな苦さだこれ」

 あまり好きではない味だと渋い顔をするフブキ。

 「薬用茶ですかね?」

 別に青汁のように飲んだら健康になる訳ではないので、これだけではただ不味いだけの飲み物である。

 

 いざ完成したはいいが問題になったのは『味』だった。

 興味本位で現れた美食研究会からの評価も、香りはともかく味は芳しくなかった。

 アカリの『小さな子供が飲むのを嫌がりそうな味』というのが的確な表現だった。薬のように旨味のない苦さなのだ。

 

 その後四人の機嫌取りのために大量の料理を作らねばならず、食材の買い出しに大人のカードを使わざるを得なかったのはここだけの話である。

 

 

 「だから先生は私に監修を頼んできたってわけです!」

 シズコは自信満々に胸を張り、先生のものとは別のポットを裏から持ってきた。

 「抽出時間を減らして柑橘類の果汁を加えました。香りと効能は薄くなりますけど、だいぶ飲みやすくなったはずですよ?」

 二人は『本当に大丈夫なのか?』と思いつつも、出されたお茶を飲んだ。

 「……あ、レモンティーというかそんな感じの風味ですね」

 「このぐらいなら砂糖入れたらちょうどいいかも」

 さすが百鬼夜行有数の喫茶店・百夜堂のオーナーにして看板娘である。日夜新メニューの開発に余念のない彼女にとって、ハーブティーの味を整えることぐらい朝飯前なのだろう。

 

 「……そういえば、ブラックマーケットに何の用で行ったの?」

 「えっ?」

 「ほら、ブラックマーケットって乱開発されてるから本物の雑草しか生えてないじゃん。ハーブ探しに行く必要あるかなーって」

 フブキの疑問に思い当たる節があるのか、先生は目が泳いだ。

 「……先生?」

 「……ごめんなさい」

 先生は何も言わずとも床に跪き、見本にしていいぐらい見事な土下座を始めた。

 

 話を聞くと、何か月か前に限定品のおもちゃを買おうとしたが転売屋による買い占めで予約を逃してしまい、発売後のいまブラックマーケットに流れていないか探していたらしい。

 「転売被害に遭ったのは同情しますけど……」

 「人によっては犯人をカチコミに行きそうデスネ」

 気に入らない事があればとりあえず銃撃による暴力に訴える。それがキヴォトスの女子高生ではありがちな事だ。

 だが先生は良識を持つ大人なのでそんな手段には打って出ない。

 「で? そのおもちゃは見つかったの?」

 「見つかっておりません。……ハァ、余計な心配させちゃったなぁ」

 

 その後先生は謝罪を兼ねて、二人が百夜堂で買うつもりだった生活安全局へのおみやげ代を支払った。

 「お買い上げありがとうございます、先生♡」

 シズコは満面の笑顔でそう告げた。

 

 

 「これって贈収賄とかになりませんかね?」

 「袖の下……私はどうせならドーナッツ詰め合わせの方がいいかな〜」

 のんきに話しながらミニパトを走らせ、キリノとフブキは警察学校へと帰っていった。

 

 なお、仕事をほっぽって抜け出した事が上司に知られてしまい、言い訳無用と二人仲良く始末書を書く羽目になったという。

 



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#12 先生がアビドスへ行くまでの話


■あらすじ
 先生が学園都市キヴォトスへ赴任してから数日後。
 シャーレの噂は良くも悪くも広まっており、依頼も少しずつ出されつつあった。
 そんな中からアロナは『アビドス高等学校』からの依頼を選び出し、興味をひかれた先生はその依頼を受けることにした。
 そこへユウカがやってきて……

■補足
 ユウカの絆ストーリー1が基になっていますが、時期は作中に出てくる帳簿の記述からシャーレが活動を始めてしばらくした時期(メインストーリーVol.1 〜Vol.2間?)の話である事がわかります。
 本作ではそれに相当する話が先生がアビドスへ出発する直前に起きたということになっています。


 

 『おはようございます、先生!』

 「おはようアロナ」

 不思議なタブレット端末『シッテムの箱』の画面から、これから相棒として働いてくれる女の子が挨拶をしてくれた。

 『ここ数日間、シャーレに関する噂もたくさん広まってるみたいですし、他の生徒達から助けを求める手紙も届いています』

 フェイス(わたし)が学園都市キヴォトスに来てから何日か経ち、言ってしまえばなんでも屋である連邦捜査部『シャーレ』の話は広まりつつあるようだ。

 ……あの場に居合わせた子たち全員が有力校の有名人だから、というのもあるかもしれない。

 

 

 まず『羽川ハスミ』。

 数百年以上の歴史を持つ『トリニティ総合学園』の治安維持組織『正義実現委員会』の副会長、つまりナンバー2だ。

 

 次に『火宮チナツ』。

 自由と混沌……という名の無法を掲げて各地で問題を起こす『ゲヘナ学園』で唯一まともに機能する『風紀委員会』の幹部。

 超法規組織であるシャーレの登場はゲヘナに大きな影響を与えそうだ。

 

 三番目に『早瀬ユウカ』。

 歴史は浅いけど飛び抜けて優れた科学技術で有力校にのし上がった『ミレニアムサイエンススクール』の生徒会(セミナー)会計。

 ……なんで会計担当が苦情出しに来てたんだろう?

 

 最後に『守月スズミ』。

 彼女もトリニティの所属だけど、ボランティア団体である『トリニティ自警団』の一員だ。

 正義実現委員会といい自警団といい、『地球(アース)』でいう近世から近代ヨーロッパの貴族社会の空気が残るトリニティではかなり浮いた存在らしい。

 

 

 この四人を指揮してキヴォトスでも指折りの問題児『狐坂ワカモ』が起こした暴動を鎮圧した件が、連邦生徒会による(いわゆる)政府広報や学校全体でマスメディアを作っている『クロノススクール』による報道で広まったようだ。

 『いい兆候です! 私たちの活躍が始まるということですから!』

 アロナ、どっちかって言うと『ぽっと出の大人が強権を与えられた』っていうマイナスイメージの方が大きいみたいだよ?

 分かってて言わないのだろうから口にしないけどね。

 

 『ですがその中に……ちょっと不穏な、こんな手紙がありまして』

 「ん?」

 『これは一度先生に読んでもらったほうが良いかなと』

 アロナはパソコンのモニターに三ページのPDFを映し出した。

 

 『連邦捜査部の先生へ

 こんにちは。私はアビドス高等学校の奥空アヤネと申します。

 今回どうしても先生にお願いしたいことがありまして、

 こうしてお手紙を書きました。

 単刀直入に言いますと、今、私たちの学校は追い詰められています。

 それも、地域の暴力組織によってです』

 

 暴力組織?

 ハスミが『出どころが分からない兵器が山ほど出回っている』とは話してたけど、そういった違法物を手に入れた集団だろうか?

 

 『こうなってしまった事情は、かなり複雑ですが……。

 どうやら、私たちの学校の校舎が狙われているようです。

 今はどうにか食い止めていますが、

 そろそろ弾薬などの補給が底を突いてしまいます……。

 このままでは、暴力組織に学校を占拠されてしまいそうな状況です』

 

 自治区の治安維持は学校側で行うのが決まりというけど、そんなに切羽詰まってる状態なのか。

 その暴力組織が強大なのか、……それともこの学校の戦力が少なすぎるのか?

 

 『それで、今回先生にお願いできればと思いました。

 先生、どうか私たちの力になっていただけませんか?』

 

 手紙はここで終わっていた。

 『うーん……アビドス高等学校ですか……』

 「アロナ、情報を映せる?」

 返事はなくともアロナはモニターにアビドスの情報を映し出してくれた。

 『昔はとても大きい自治区でしたけど、気候の変化で街が厳しい状況になっていると聞きました』

 情報を目で追いつつアロナの話に耳を傾ける。

 『どれほど大きいかというと、街のど真ん中で道に迷って遭難する人がいるぐらいだそうです!』

 

 ……へ? 街で遭難?

 

 『あはは、まさか、そんなことあるんでしょうか……?

 いくらなんでも街のど真ん中で遭難だなんて……』

 アロナは苦笑い顔で言った。

 『さすがにちょっとした誇張だと思いますが……』

 「まさかね?」

 『それより学校が暴力組織に攻撃されているなんて……ただ事ではなさそうですが……。

 何があったんでしょうか?』

 「……」

 

 

 アビドス高等学校、在校生五名。

 ……たった五人の学校?

 情報を見ると自治区が荒れ始めたのは何十年も前で、元々あった砂漠が広がり続けて街が埋もれ、自治区の人口と所属生徒がどんどん減っていったらしい。

 今となっては土地の広さに反して数千ある有象無象の学校の一つにまで落ちぶれていて、連邦生徒会もまったく目を向けていないようだ。

 

 そんな死に体の学校を存続させるために入学し、そして今も残り続ける子供たち。

 私の心はそんな生徒をひと目見てみたいと強く感じた。

 

 

 「よし、シャーレ最初の仕事はアビドス高等学校の依頼にしようか。

 そうと決まれば準備しないと」

 『すぐに出発ですか!? さすが、大人の行動力!

 かしこまりました! すぐに出発しましょう!』

 喜ぶアロナの目がキラキラ輝いていた。

 「でもその前に朝ごはんを……」

 オフィスビルの隣に入ってる建物の一階にあるコンビニ、『エンジェル24』で買ってきたコッペパンにかじりつく。

 あんこじゃなくてクリームでも良かったかな?

 

 その時、執務室の扉が開いて誰かが……というかユウカが入ってきた。

 そういえば出入り口にセキュリティゲートを設ける予定を入れないとね。私がいない時に部外者が入りこんだらマズイし。

 

 

 ……あの時出くわした仮面の女の子、彼女がワカモだったんだよね。

 行動自体は言い逃れができない犯罪だけど、不思議と邪気は感じなかった。

 あの様子だと何か心のなかに抱えてるのかもしれない。

 

 

 「おはようございます、先生。この間お話しした請求書のひな型を持ってきました。お手すきの時にご確認ください」

 「ありがとう。リンからはマニュアルだけ渡されて、書類の様式がどんなのか教えてもらってなかったからホントに助かるよ」

 連邦生徒会長がいなくなった事とシャーレの件、両方を各学校へ知らせないといけないから忙しいのはわかるよ?

 でも流石に『大人だから放っといても勝手にやってくれるから大丈夫』とか思わないでよ。私はキヴォトスに来たばかりだよ?

 生徒会会計だから色んな書類に詳しいユウカと繋がりが持ててよかった。

 

 「あっ、ちょうどお食事中だったのですね。お邪魔してすみません」

 「ううん、気にしなくて大丈夫」

 「では、私は先生がお食事の間、机を片付けてますね」

 「ありがとう」

 パンを食べ進めてると、なんかユウカから視線を感じた。

 「ところで……先生、もしかして朝ご飯って、そのコッペパンひとつだけなのですか?」

 「え? うん」

 正確にはコッペパンと牛乳。

 ふだん食べる量はそれほど多くないけど、朝これだけってのは珍しいかな?

 「僭越ですが……もう少し栄養のある食べ物を召し上がった方がいいと思いますよ?

 そうやってパンだけですと、体調を崩してしまうかもしれませんし」

 「んー、今持ち合わせがなくてね。食費に割くお金が……」

 コッペパンを口に詰めこんで牛乳で流しこんだ。やっぱり次はクリームにしよう。

 「今どきキャッシュレス決済が基本じゃないですか。なにも大量の現金を持ち歩かなくても……」

 

 キヴォトスの学校で使われてる学生証にはプリペイドカードとしての機能があって、普段使いするぶんにはそっちにチャージしておけば問題なく生活できるとは聞いている。

 この治安だと現金を持ち歩くのは実際リスクが高いしね。

 「クレジットカードが使えないんだよ」

 「えっ……はい? クレジットカード(大人のカード)が使えない?」

 

 

 『大人のカード』と呼ばれるものは二つある。

 ひとつはいま私とユウカが言った、ただのクレジットカード。

 高校生じゃ作れないから大人の象徴ともいえる。

 もう一つは……私がキヴォトスで使うことができる『奥の手』のカード。

 私が持ってる手札の大半が『禁じ手』として使えない以上、これが困難に遭遇した時の最終手段といえる。

 あ、お会計には使えないよ?

 

 

 「うん。前から使ってるカードがキヴォトスに対応してなくてね、新しく作らなきゃならないの。

 ……まず新しい銀行口座作らないと給料を手渡しで貰うことになりそう」

 

 ユウカ、使えるカードと通帳があったらあったで残高がないと

 『シャーレの先生が、そんなに薄給のお仕事なんて知りませんでした……意外です』

 とか言いそうだな……。

 

 とか心のなかでぼやいていると、ユウカは机の端に転がっていたレシートに気づいて拾い上げた。

 「あれ、この領収書は……キヴォトスの中央にある有名なおもちゃ屋さんの?」

 あっヤバい。

 「購入日が昨日、購入したものは……限定版・変身ロボット、十万円?!

 先生っ! この領収書はいったい何ですか!?

 このお金があれば、優に一か月分の食費になるじゃないですか!」

 十万もあったらひと月の食費どころか三か月ぶんにはなるんじゃないかな? 大食いの人じゃあるまいし。

 「おもちゃのために食事を抜くだなんて、言語道断ですよ!」

 そ、それは否定できない……けど!

 「このロボットが買えたんだから、食事ぐらい何てことない!」

 「ダメです! 消費は計画的にしないといけません!」

 

 この後、ユウカは私が持ってるレシートを全部確認して徹底的にムダを指摘したうえ、『五千円を超える買い物をする時は自分に相談する』ように決めつけた。

 ……今どき五千円超えちゃダメなんて買えるものが限られるよ。

 

 

 

……

 

 

 

 「まったく……。先生? 先生は当面の間キヴォトスで暮らすのですから、観光気分で散財するのは絶対にやめてください。

 いいですね?」

 「ハイ……」

 床に正座させられての説教タイムがようやく終わった。

 応接用のソファーに座ろう、足がしびれてつらい。

 そりゃ私が悪いけど、これじゃどっちが先生かわかんないな……。

 

 「もう……。主におもちゃでムダ使いしたお金があれば銃が買えるじゃないですか」

 ユウカはそう言って、執務机に置いていた自分のマシンガンを手に取って見せてきた。

 短縮型のMPXによく似た銃だけど、青のカラーアクセントにミレニアムの校章が入ってて、『外』の人が見ればおもちゃにも見えると思う。

 「確かに私は銃を持ってはいないけど、ほんとに必要なのかな?」

 「ここ何日かでご覧になられたでしょうけど、キヴォトスでは些細なことで銃による撃ち合いが始まります。

 それに今は治安がひどく悪化している状況なので、自分の身は自分で守らなければいけません」

 

 数日間、何もただ遊びほうけてた訳じゃなく行ける範囲であちこちを見て回った。

 ……正直なところ、無法地帯かなと感じた。

 列の横入り、食べ物の好み、小言を言われたとか、ひどい時だと口論になった瞬間に銃が火をふいていた。

 おとといの夜にトリニティのコンビニに寄った時、強盗に出くわして通りかかったスズミに助けられてるし。

 

 「ですから先生、セミナーからシャーレへ銃を無償提供するという話を――」

 「ユウカ、その話は断ったでしょ?」

 「……っ! でも!」

 「シャーレはまだ始まったばかりだ。いきなり大きな力を持つ学校と深く結びついたら、中立性を欠いてると思われかねないよ」

 「……」

 「君個人には早くもお世話になってるけど、学校全体での込み入った話はもっと先にしてほしいんだ」

 私を説得できるだけの言葉が浮かばなかったのか、ユウカは口をつぐんだ。

 

 キヴォトスにおいて銃はスマートフォンと同じ『日用家電』扱いだ。

 親が子供にゲーム機を買い与えるのと同じ感覚で、銃を持っていないように見える私に銃を与えることが『悪い話ではない』とセミナーは考えたのだろう。

 ユウカには悪いけど、私はそれを断ることにした。

 

 「……先生、どうして? 弾が一発でも当たれば簡単に死んでしまうのに、自分を守る手段がないのが怖くないの?」

 「君の立場もあるし、純粋に私を心配してくれてるのはわかる。

 でもこれは譲れないんだ」

 ユウカ、そんな悲しそうな顔しないでよ。

 「……わかりました。この話はなかった事にします」

 「ごめんね。

 何か言われたら『身の程を知らない大人が好意を無下にした』とでも言っといてよ。私は痛くも痒くもないから」

 「……覚えておきます」

 ユウカはそう告げて部屋を出ていった。

 

 

 ユウカがオフィスビルから出ていったのを監視カメラで確認したあと、私はソファーに身を投げだして深く息をついた。

 「……ああ、くそっ。教師やってて(まつりごと)の世界に首つっこむことになるなんて……!」

 キヴォトスが『子供の国』だとは前から知ってたけどさ、実際その『政治』のあれこれに自分が巻きこまれるとなると……。

 

 『お疲れ様です先生。……でもいいんですか?』

 今まで黙って事のあらましを見ていたアロナが疑問を投げかけてきた。

 ちなみにアロナを認識し、声を聞けるのは私だけだ。

 「何がだい?」

 『ミレニアムから銃を提供してもらえるお話、断ってよかったんですか?』

 「いいんだよ。銃は好きだけど実戦で使いたくはないからね」

 執務机に戻ってシッテムの箱の前に『それ』を置いた。

『先生、それはおもちゃの銃ですか? ……ていうかどこから出したんですか!?』

 「企業秘密」

 

 机に置いたのは.ベレッタ92A1……のおもちゃ。

 せっかくだからグリップパネルにシャーレのマークを入れてもらった。この部分だけは本物の部品。

 『でも本当にいいんですか? キヴォトスの生徒さんは普通に銃を撃ってくるんじゃないですか……?』

 「うーん、なんて言えばいいかな。不公平だからだよ」

 『不公平、ですか?』

 

 

 相手を話し合いの席に着かせるためには『対等の存在である』と相手に認めてもらわなきゃならない。

 大人同士ならお互いに武器を持つか持たないかの話になるけど、相手は子供で私は大人。

 でも私は『手札』が使えないから、銃があっても子供である向こうのほうがよっぽど強い。

 そうなると『教師で強権を持つシャーレの顧問』という肩書きで、『生徒』である相手に納得してもらうしかない。

 連邦生徒会直属の組織の責任者として銃器の携帯と使用許可は出ているけど、その立場の私が銃を持っていたら生徒は警戒してしまうし、意地を張ったり拒絶してしまうかもしれない。

 だから私は銃を持たない。少なくとも見える形ではね。

 最初から話し合いの余地がない相手は……その時はその時。

 

 

 「自分のワガママのために子供を悲しませて……。

 ひどい大人だよ、私は」

 椅子に座って銃を手に取った。ガスもBB弾も抜いてあるから何も出ない。撃ったとしても本当に豆鉄砲でしかないけどね。

 『先生……お気持ちは分かりますけど、その甘さが命取りになるかもしれませんよ?』

 「まあそうだね。

 ……でもさ? いくら相手が簡単に死なないからって、大人が子供を銃でバンバン撃って倒すってのは……良くないよ」

 『あー……』

 そこは納得してくれたようで助かるよ、アロナ。

 

 

 


 

 

 

 オフィスビルにはヘリコプターや戦車が仕舞える格納庫があるけど、リン曰く『急いではいるけどすぐには用意できない』との事で中はからっぽだ。

 なので私は鉄道と徒歩でアビドスへと向かった。

 

 

 数日後。

 「……まさか本当に遭難するなんて」

 もはや乾いた笑いすら出ない現状に、私は膝をついてうなだれた。

 

 いま現在のアビドス高等学校の所在地周辺。

 そこはどこまでも続く砂漠から流れてきた砂に浸食され、放棄されたゴーストタウンだった。

 営業しているお店もなければ自動販売機もない、人どころか野犬すらいない。

 おまけにキヴォトス用に新しく買ったスマホの充電を忘れたせいでバッテリーが切れてしまい、紙の地図を頼りに動いたら地図が古くて今の地形状況に合っておらず道に迷ってしまった。

 

 加えて連邦生徒会から『公の場と初訪問時には着るように』と渡された制服代わりのジャケットは体に密着しすぎて動きにくいから、余計に体力を消費する結果に繋がった。

 ……使うなら後で改造しなきゃ。

 更に『ある手段』を用いて運んできたアビドス用の物資に荷物が圧迫され、手持ちに余裕のない食料と水がとうとう尽きてしまった。

 

 「これ他の世界線の先生はどうやって物資運んでるんだろうね……?」

 地面に仰向けに寝そべり、多元的宇宙論を挙げて『よその先生』を心配するなどヤケクソじみた事を口走る。

 いずれにせよ夜が明けた今、このままだと脱水症状が致命的なとこに達してしまう。

 『先生! しっかりしてください!』

 「こ、こうなったら最終手段を……」

 本当は使うべきじゃないけど、ネクタイの結び目につけ直した飾りに手を伸ばそうとした。

 ……けど、おろしたてのジャケットの固さが邪魔をして腕が上がらなかった。

 くそう、服の素材ぐらい実用性を重視してよ!

 

 

 「……あの……」

 頭の上から聴こえてくる透き通った声。私は一瞬幻聴かと思いつつも目を開き視線を向けた。

 「……」

 高そうなロードバイクに跨った少女がこちらを見下ろしていた。

 灰色の髪で覆われた頭からはイヌ科の獣耳が飛び出し、青い目は瞳孔の色が左右非対称の変則的なオッドアイだった。

 「……大丈夫?」

 「た……助けて」

 「強盗に遭ったとか? もしくは事故……?」

 「お、お腹すいた……喉乾いた……」

 「……え? お腹が減って倒れてた? ホームレスじゃないってこと?」

 こんな小綺麗でド派手なカッコしてるホームレスは普通いないよ君……。

 「えっと……」

 

 

 以上が、先生(わたし)がアビドスに向かうと決めてからシロコに出会うまでに起きた一連の出来事である。

 おとなしくどこかで車を借りるか、ユウカに頭下げて頼ればよかったのに私のバカ……。

 



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#13 楽園の代償〜ハッピーエンドの裏側で〜

 『ハッピーエンドの裏側で』のリメイク版となります。
 エデン条約編第三章のネタバレを含みます。
 

■あらすじ
 エデン条約をめぐる騒乱を解決した先生だったが、自身が撃たれた事を伝えないまま姿を消してしまう。
 シャーレオフィスでシロコに問い詰められる先生だったが……



 

 「……先生。君は未だに、楽園を信じているのかい?

 証明すらできないものを、盲目的に信じていると?」

 幻想の部屋の中で、百合園セイアは残酷な現実を理由に、その目を背けようとしていた。

 「『楽園に辿り着きし者の真実を、照明することはできるのか』……

 つまりこれは楽園証明の話ではなく、ただそれを信じられるかという話だとでも……?」

 

 怪我による出血で意識を失った先生は、そんな彼女の話を聴き続けていた。

 「……ごめんね、今は生徒たちを助けにいかなきゃ。また後でね、セイア」

 後ろ向きの言葉を小難しく並べるセイアに、先生は一言詫びを入れた。

 「……待ちたまえ先生。もう一つ、聞いておきたいことがある」

 シャーレの先生の象徴である白いジャケットを飜えし、扉に向かおうとして先生を呼び止めるセイア。

 「私の正体と黙って買ったおもちゃの値段以外なら、なんでも聞いていいよ?」

 「ただ信じたところで、何も変わりはしない。

 信じたところで、そこには何の意味も無いだろう……!?」

 

 その言葉を待っていたとばかりに、先生はニヤリと笑った。

 「水着じゃなくて下着だと思えば、それは下着だから」

 「……は!? ……え、下着!?」

 セイアは顔を赤くしてひどく狼狽えた。

 「い、一体何を……水着、下着……? それはどこの古則の、いやそんなのは聞いたことないが……」

 そりゃそうだろうと先生は内心思ったが、誰が言ったか説明するのは全部終わってからにしようと黙っていることにした。

 今はそれどころではない。多くの生徒が助けを求めている。

 

 

 「それにね」

 「?」

 「未来は変えることができる。良いようにも悪いようにも。

 みんなが頑張ってるうちはまだ未来は確定してないんだよ?」

 「……」

 扉に手を掛けながら、セイアにほほ笑んだ。

 「今から待っている未来が君が『視た』歪み捻れた先にある破滅か、それとも大団円 (ハッピーエンド)か……。

 待っててね、セイア」

 

 

 

 

 「……痛ぁ!」

 「せ、先生!? 目が覚めたんですね……!!」

 セリナは突然起き上がった先生に驚きながらも素早く意識レベルの確認を行う。異常はなさそうだった。

 「ごめん、もう大丈夫だよ」

 まるで夢遊病者のようにベッドから降りると、ふらつき倒れかけた所をハナエに支えられた。

 「まだ動いちゃダメです!」

 体を支える手を優しくどかすと、ラックに掛けられていた血塗れの私服を一瞥し立ち上がった。

 「上着の前を閉めれば血は見えないか。……ああごめん二人とも、ちょっと着替えるから向こうむいてて」

 

 二人が背中を向けたのを確認すると、素肌に着ていた病着を脱ぎ捨てワイシャツに腕を通した。

 腹の箇所が乾いた血で赤黒く染まっているが、暗色のウェストコートとズボン、シャーレ顧問としての白いジャケットで覆われ見えなくなった。

 「ありがとう。それじゃ私は行くよ」

 「ええっ!?」

 珍しく驚くセリナの声を背に、先生は薄茶色の長い髪を取り出したリボンで束ねて結んだ。

 「先生、どこに行くつもりなんですか……!?」

 「どこかで助けを求める生徒がいる。私はシャーレの先生で生徒みんなの味方だからね。そんな子達を放っておくわけにはいかない」

 ハナエの問いにそう答えながら、テーブルに置かれていたシッテムの箱と懐中時計を手にする。

 

 「みんなが諦めない限り、奇跡を起こしてみせるさ」

 扉が開かれ、先生は確かな足取りで病室を出た。

 

 「先生!」

 あ然としていた二人は扉の閉まる音で我に返り、慌てて後を追った。

 「え……先生?」

 通路には誰もいなかった。

 

 

 

……

 

 

 

 ハッピーエンドを望む者と先生(シャーレ)が中心となって宣言されたエデン条約機構(ETO)は暗雲を掃う光となり、アリウス分校とその背後にいたゲマトリアの野望を打ち砕いた。

 トリニティ・ゲヘナ双方が受けた被害は甚大で、おそらく本来のエデン条約は破談になるだろうという結末は誰もが想像した。

 しかし、手を取り合い共に戦った者たちの間にわだかまりは無く、たとえ今は無理でもいつか自分たちの楽園(エデン)にたどり着くことができるかもしれないと僅かな希望を持つことができた。

 それは間違いなく、希望への第一歩と言って良いだろう。

 

 

 

 正午過ぎ、シャーレオフィス。

 

 「……あはは。見てるかいセイア? 一人ひとりは小さい力でも、一つになればどんな困難にだって立ち向かえるってね」

 執務室のソファーに寝そべり、疲れ果てて息も絶え絶えな先生は虚空へ話しかけた。

 

 

 サオリに銃撃された際、ヒナが咄嗟に先生を突き飛ばしながらその身を射線上にさらけ出したことで、放たれた銃弾のほとんどは外れるかヒナが受け止めた。

 

 しかし、ライフルの弾を撃ち尽くした彼女が咄嗟に撃った拳銃の弾が、先生の腹に命中した。

 

 サオリは『脆弱な外の人間なのだから』と死を確信した。

 先生を助けたしたセナは『急所は外れているがこの出血は放っておけない』と判断し、その場で処置を施した。

 

 どちらも正解で、どちらも間違いである。

 現に幸運にも先生は九死に一生を得た。これは後に先生が手を差し伸べる事となるサオリ自身の心の傷を浅くすることにも繋がった。

 逆に、セナが懸念した『大量出血』という事実は彼女の想像をはるかに上回る事態が裏にあった。

 

 大量出血の原因は皮膚に穴が開いたからではなく、音速で飛ぶ銃弾が着弾時に横転現象を起こして臓器を傷つけたからであり、直接的な急所を避けたからといって大丈夫な訳がない。

 彼女はあまりにも脆い『外』の住人の治療経験がない。ゆえに死に至るケガではないと判断してしまったのだ。

 

 先生は薄れる意識の中でそれを何とかした。誰にも言えない自分だけの方法で。

 

 セナから先生を渡された救護騎士団はすぐさま大量輸血を施したが、その頃にはケガはほぼ塞がっており、首脳陣が全滅しトリニティ全体の統率が取れなくなった混乱のさ中では『どうでもいい』事として誰も気にしなくなった。

 

 

 これが、当事者以外の誰もが『先生が撃たれた』事実を知らないからくりだった。

 

 

 

 「……バレたらみんな怒るだろうなぁ。ヒナとホシノ、シロコあたりは特に」

 仮眠室に置いておいた予備の服に着替え、先生は傍からは何事もなかったようにしか見えない。

 傍らに血で赤黒く染まった服や包帯、ガーゼなどがなければだが。

 

 「アロナ……大丈夫かな……?」

 シッテムの箱は相変わらず動かないままで、反応が遅れて何もできなかった先生を障壁(バリア)で建物の崩壊から護った相棒とは未だに連絡がつかない。

 疲れきった身体は休息を求め、先生の意識は再び深い闇の中へ落ちていった。

 

 

 

 『そうしてたどり着いた楽園に、はたして君は存在しているのかい? 先生』

 『……さてね?』

 

 


 

 

 

 ぽたり、ぽたりと顔に何か温かいものが落ちる感触。

 セイアとの対話すらできないほど深い眠りについていた先生は、それが誰かの涙であると気づいて目を開いた。

 

 「……シロコ」

 「先生」

 瞳孔の色が左右で違うオッドアイ、灰色の毛並みに頭頂部のイヌ科の獣耳。

 砂狼シロコが顔を覗きこんでいた。

 「どうしてここに?」

 「どうしてじゃないよ」

 服の袖でガシガシと涙を拭い、シロコは先生を睨みつけた。

 「ホシノ先輩が先生の様子が変だって気づいて、アズサに聞いたら先生が撃たれたって」

 「ああ……もう大丈夫だよ。なんたって私はウルトラマンモス健康体だから」

 「ふざけないで」

 「ホントに大丈夫だって。傷はもう塞がってるし」

 ソファーから身を起こして笑う姿を強がりだと断ずるシロコ。

 「みんな場の雰囲気と先生の元気そうな姿を見て騙されてるだけ。この事を知ったらきっと──」

 「そのまま知らなくていい。それでいいんだよ」

 「っ!? どうして!?」

 

 先生はソファーから立ち上がり、フラフラとした足取りで窓際へ歩く。

 「これから色々大変だけど、みんな今は最大の危機を乗り越えて心から喜んでる。

 そこへ私が『実は無理してました、限界です』なんて正直に話したらどうなると思う?」

 気だるそうに息を吐きながら窓の縁に座りこむ。シロコからは夕焼けの逆光で先生の表情が伺いづらくなった。

 「きっとね、『私を救えなかった結末』を嫌でも意識してしまう」

 先生はリボンを解いて縛っていた髪をほどいた。薄茶色の髪が流れてシルエットを変えた。

 「私を銃弾から庇ったヒナは? 長い付き合いの友人が私を殺そうとした所を見てしまったアズサは? 血を流す私に応急処置をしたセナ達は?

 この二人だけじゃない。みんなの心に一生残る傷ができてずっと苦しめてしまうよ」

 「……」

 シロコはゆっくりと距離を詰めるが、先生は突然深く頭を下げた。

 「でも、君を泣かせてしまった時点で私の失敗だ。本当にごめん」

 「先生……」

 

 近くにあったデスクチェアを引き寄せると、シロコは先生から少し離れた場所でそれに座った。

 いま近づいたら先生はどこかへ消えてしまうのではないか? 不思議とそう感じたからだ。

 

 「先生。どうしてそんなに自分を顧みないの?」

 シロコは初めて出会った日からずっと思っていたことを聞いた。

 じゅうぶんな準備をせずにアビドスへ向かい遭難、ホシノに嵌められて全員分のラーメンを奢らされた際にノノミからのフォローを断る、初日のようにアヤネと共に学校から指揮を行えばいいのにわざわざ最前線まで赴くetc.……。

 シャーレ最初の仕事であるアビドス高等学校(じぶんたち)だけの話でこれだ。

 『先生だから、大人だから』の理屈では説明できない、徹底した善意による自己犠牲。

 見方によってはもはや狂気の域に至っているとも思える。

 

 「シロコ。物事は基本的に等価交換、得たものと同じだけのものを差し出さなきゃならない。

 得るものが大きいのなら、相応の対価が必要なんだよ?」

 「対価?」

 「私は君たちが払った分では少しだけ足りないのを補ってるだけで、大したことはしてない。

 私はバイトだけで月に何百万も稼げないし、パッと難しい計算ができる訳じゃない。持久力はあっても力はないし銃を持って戦う気にもなれない」

 空は夕陽に赤く染め上げられ、淡色である先生の髪も血塗られたかのような色に照らされた。

 「私は君たちが奇跡を起こすために必要な呼び水だ。どんなに苦しくても逃げ出してはいけないんだ」

 その笑顔は、いつもの自然なものではなく、どこか作り物めいて──

 

 ギリリと歯を噛みしめる音がした。

 「そんな生き方で……先生は満足なの?」

 「どうして?」

 「ユウカに黙って高いおもちゃ買ったりとかはしてるけど、それ以外の行動はみんな私たち生徒を前提にしてる。

 先生……フェイスの人生は? シャーレは自己犠牲でしか成り立たないの?」

 「……答えに困るよ、それだけは」

 シロコは思わず詰め寄って先生の襟元を掴み上げた。

 「先生(あなた)は私たちの奴隷なんかじゃない!」

 目じりに涙を湛えながら叫ぶ。そんなの望んでいないと。

 「シロコ……く、苦しい」

 「……あっ」

 本気で苦しがっているのに気付いてハッと我に返り、手を離した。

 尻餅をついた先生はひどく咳き込むと同時に傷が痛みだしたのかうずくまってしまった。

 

 数度深呼吸して気持ちを落ち着かせ、しゃがみ込んで改めて先生に向き合うシロコ。

 「……先せ」

 「シロコちゃん、後は私に任せてよ」

 そっとシロコの肩に載せられた小さな手。それはある意味『先生と同じだった』者の手だ。

 「……わかったよ、ホシノ先輩」

 シロコはいつの間にか後ろに立っていたノノミに肩を引かれ、三歩下がった。

 

 

 「先生? いま先生が抱えてるものと最初に会ったころ私が抱えてたもの、重みはぜんぜん違うかもしれないけどさ」

 ホシノは先生の隣に座り、傷に触れないように手で背中をさする。

 「後輩たちに面倒かけさせたくないって一人で全部抱えこんで、それで黒服に騙されて先生に助けられた時のおじさんと一緒だよ? 今の先生は」

 「……」

 「先生ってさ、本当は誰かに『頼られたい』んじゃなくて『頼りたい』んじゃないのかな?」

 「……そんなこと、ないよ。みんなにはいつも頼ってるじゃないか」

 今まで聞いた事がないか細い声に内心驚くが、ホシノは決して表面に出さなかった。

 

 「先生が言ってるのは『シャーレの先生』としての話。

 『フェイス』先生っていういち個人はさっきシロコちゃんが言ってた通り、全部をなげうってご主人さまに尽くす召使い……ってのは気取った言い方で、奴隷とか社畜と変わらないんだよ?」

 背をさする手を止め、肩に手をかけて先生をゆっくりと横倒しにした。

 ホシノのやや細い膝枕に頭を載せる形となった先生は、頭をホシノの顔へ向けた。

 

 「先生。他の学校の子たちの心までは分からないけど、アビドス(私たち)は先生を大人だから先生だからってこれっぽっちも思ってないよ?

 先生は体の頑丈さが違うだけで、赤い血が流れてる同じ(おんなじ)人間だよ」

 シロコだけではなく、無言で事の成り行きを見守っていたノノミ、セリカ、アヤネもホシノの言葉に頷く。

 

 「悪者をやっつけてどこかへ去ってくヒーローになる必要はないって。みんなで仲良くハッピーエンドを祝おうよ?」

 ホシノは『怪我のことは黙っとくからさ』と付け加えるのも忘れない。

 

 

 やがて、先生は少しの間だけ泣きそうな表情を浮かべると、憑き物が取れたかのようにすっきりとした顔になった。

 「……ありがとうね。それだけで私は満足だよ」

 「もう~。ここにはおじさん達しかいないんだから、今まで溜めてたぶん思いっきり泣いちゃえばよかったのに~」

 優しく髪をなでるホシノの言葉を聞いて、先生はいつものほほ笑みを取り戻した。

 

 

 『はぁ……。大団円を望むのなら、なぜ自分自身をその中へ含めないのか?

 私には理解し難いよ』

 



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#15 酒と美食と炎上騒ぎ

■あらすじ
 先生の配慮により堂々とワイン料理「コッコーヴァン(鶏のワイン煮)」を食べる事になった美食研究会。
 だがSNSでの生放送当日、事件が起きて……


 

 ある日、美食研究会のSNSアカウントにこのような投稿がされた。

 

 『ご縁に恵まれましたので、明後日コッコーヴァンの会食配信を致しますわ』

 

 この発言はまたたく間に拡散され、キヴォトスじゅうの注目を浴びた。

 悪名高いが同時に人気配信者でもある美食研究会だからというのもあるが、もう一つの理由は料理にあった。

 

 『コッコーヴァン』は鶏肉などの具材を赤ワインで煮込んだフランス料理である。

 そう、調理に酒類を使うのだ。学生の身分では正規ルートで酒を手に入れることは出来ない。

 日ごろ様々な食材たりうるものを強奪して回っている美食研といえども、さすがに酒を手に入れるのは至難の業だった。

 ある日遂にブラックマーケットでの購入を目論んだが、これはあと一歩のところで風紀委員会に捕まり失敗している。

 美食研会長である黒舘ハルナは『ブドウジュースにアルコールを混ぜればワインの代用になるはずですわ!』と試した事があったが、アルコールの入れすぎでボヤ騒ぎを起こしてしまった。

 また、こういった料理を扱うのは基本的にかなりの高級レストランである事が多い。

 実家が裕福なハルナはともかく、これでは彼女以外の美食研メンバーが食べることがかなわない。

 

 そんなワインの煮込み料理を『あの』美食研究会が食する。

 注目を浴びない訳がないのだ。

 

 

 


 

 

 

 ゲヘナ学園中央区の正門前、日没後とあってゲヘナ風紀委員が何名か歩哨にあたっていた。

 そこへ一台のバンが近付いてきたので正面に割りこんで停車させた。

 この場の責任者を務める委員は運転席に近付き、窓を開けた運転手へと話しかけた。

 「身分証の提示と積み荷の確認をお願いします」

 「ああ? 俺たちは万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)宛の荷物を運んできたんだ。風紀委員に指図されるいわれはないね」

 イヤらしいにやけ面でそう言い放つ運転手に、風紀委員は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 「……どうぞお通りください」

 「はははは! ざまあないぜ」

 正面にいた風紀委員が避けると、運転手はゲラゲラ笑いながら車を学園の敷地内へと進ませた。

 

 「くそっ! あのアフロ女め!」

 風紀委員たちは口々に生徒会長への恨み節を口にした。

 

 このように防犯上問題がある措置をしなければならないのも、万魔殿議長である羽沼マコトによる風紀委員会へのパワハラの一環だ。

 人一倍自己顕示欲と愚かさが強い彼女は風紀委員長たる空崎ヒナを目の敵にしており、生徒会ぐるみで風紀委員会へと嫌がらせを働いているのだ。

 このような事が平然とまかり通るのも、ひとえに自由と無法を履き違えたゲヘナ学園だからだろうと人は言う。

 

 

 

……

 

 

 

 その頃、とある一室では……。

 「配信をご覧の皆様、ご機嫌いかがですか?

 美食研究会の会長を務めております、黒舘ハルナでございますわ」

 「鰐渕アカリです~☆」

 「獅子堂イズミだよ」

 「赤司ジュンコ……ねえハルナ、わざわざ名乗り入れる必要もうなくない?」

 「どれだけ配信しようと初見の方は必ず居ます。そういった方々の為にも挨拶は欠かせませんわ」

 四人の後ろに映るのはどこかの教室のようで、長机を二つ並べテーブルクロスをかけることで即席の食卓としていた。

 カメラのフレーム右側ギリギリのところに銀色のテールが見切れており、そこには監視役として風紀委員(イオリ)が立っている。

 

 「さて、今回のメニューはコッコーヴァン……鶏肉の赤ワイン煮ですが、私たち学生の身分では酒類を合法的に入手する事はできません」

 「合法的に。……そこを強調すると、なんだか私たちが罪を犯したようにも聞こえますね?」

 「いやいや、お前ら今までどれだけやらかしたと思ってるんだ」

 枠外から思わずイオリがツッコミを入れるが、二人は華麗にスルーした。

 「ここで告知に書いた『ご縁』というのが出てきます」

 「単刀直入に言えば、シャーレの先生がハルナの実験を覚えててワインを買ってくれたのよね」

 ジュンコはそう言いながら空のワインボトルを取り出し、テーブルに置いた。

 「ええ。発端は今から一週間前になります」

 ハルナは順を追って経緯を話し始めた。

 

 

 

……

 

 

 

 一週間前。

 ハルナはその日の当番生徒としてシャーレを訪れた。

 「おはようございます」

 「おはよう。ああ、ちょうどハルナに見てもらいたいものがあるんだけど」

 「何かございましたか?」

 先生はハルナがまっすぐ近づいてくるを確認すると、執務机の陰から大きめの木箱を引っ張り出した。

 「これは?」

 「君が欲してやまない子供の禁制品、かな」

 「……まさか!?」

 木箱の蓋を取り、液体で充たされた色付きガラスの瓶を取り出して見せた。

 「うん。ワインの詰め合わせだよ」

 

 材料がどこの土地で栽培され中身がどこの工場で作られたものなのか、酒の知識に欠けるハルナは判断ができない。

 ただブドウとワイングラスの絵にアルコール度数と思われる数字がラベルには書かれているので、それがブドウ酒である事は理解できた。

 「先生はお酒を飲まれるのですか?」

 「んー、付き合いがある時に軽く飲むぐらいかな。

 ここに来てからはそういった人もいないし、飲む機会はないよ」

 では何故? とハルナは疑問符を浮かべたが、すぐに先生のその行動の理由に気づいた。

 「……もしかして、コッコーヴァンの事を覚えていらっしゃったのでしょうか?」

 「まぁ過ちはあったけど、あれだけ熱意を持って挑んてるのを見るとね」

 ハルナたちが美食を追求するあまり、度々よその学校を襲撃したり珍しい生物を強奪する事件を起こしている以上、購入を禁じられている酒類に手を出そうとするのも時間の問題だと先生は考えていた。

 そこで先手を取り、大人である自分が酒を手に入れるという当たり前の行動に至った。

 「これは前*1にフウカと一緒に頑張った、君たち美食研究会へのお礼の品だよ」

 

 美食研究会は生徒が口にできない酒料理を合法的に食べれる、ヒナたちゲヘナ風紀委員会はこれから美食研が起きかねない問題をひとつは回避できる。Win-Winである。

 

 「では早速他の皆様とフウカさんを集めて料理を……」

 「はいストップ! お酒の入手方法が合法でも生徒が調理に使っていいか私も知らないって!」

 「先生、キヴォトスの外では未成年が料理をするのにお酒を使ってもよい事ぐらいは私も知っておりますわ」

 「キヴォトスじゃもしかしたら犯罪かもしれないって話……」

 問答の末、ハルナは『貴重な機会なのだから、段取りが整うまでじっくり待つのも美食の道』という先生の説得に応じた。

 

 「それと一つ、フウカはみりん風調味料で酔うぐらいアルコールに弱いから今回は無理だよ」

 「え。それほどまでに!?」

 先生はフウカたんの『絡み酒』を思い出しながら、いたずらを思いついた子供のように笑った。

 「……せっかく合法なんだし、ここは大々的にいこうじゃないか?」

 

 

 

 先生はそのあと手早くヒナとイロハにコンタクトを取り、協議のすえ今回の美食研の会食に以下の取り決めを行った。

 

 ●会場はゲヘナ学園敷地内とする

  ただし美食研究会を厨房に立ち入らせないため、食堂以外の場所でなければならない

 ●美食研究会には監視役として最低一名の風紀委員幹部と風紀委員一個分隊をつけること

 ●ワイン料理に使う食材は美食研究会が用意すること

 ●美食研究会を含む生徒は、飲酒防止のため開封後の取り扱いを禁ずる

 ●従って、ワイン料理の準備・調理はシャーレの先生が行うものとする(副菜などはその限りではない)

 ●検食のため、万魔殿、風紀委員会、給食部による試食会を事前に行うものとする

 ●学園側の負担軽減のため、会食の開催は土曜日または日曜日とする

 

 

 

……

 

 

 

 「コッコーヴァンを最初に口にしたのが私たちではないのは業腹ですが、今回ばかりは我慢しましょう」

 「先生のご厚意に免じて、こ・ん・か・い・はですけどね☆」

 「お前らなぁ……」

 苦虫を噛み潰したような顔で呆れるイオリを尻目に、イズミは瓶の口をクンクンと嗅いでいた。

 「ねえねえ、この瓶ぜんぜんニオイがしないよ〜?」

 「取り決めに『お酒を飲ませないし扱わせない』ってあったじゃない。洗ったに決まってるでしょ?」

 「えーもったいない!」

 

 

 「それにしては、先生が料理もできたなんて初耳ですね?」

 「まぁ先生ってインスタント食品とかコンビニ弁当とかのイメージがあるよね」

 寿司を奢ってもらったアカリとインスタントラーメンを食べさせてもらったジュンコ、二人がそう思うのも無理はない。

 事実、先生は忙しい時に自炊をする余裕がなく、シャーレ居住区にあるエンジェル24(コンビニ)の弁当や外食で済ませる事が多い。

 生徒たちはそんな時期に当番についたりシャーレを訪れたりしているので、自然とそのような印象がついてしまったのだ。

 「私も聞いたときには驚きましたが、先生のご趣味は料理だそうです」

 「前に手作りの酢豚食べさせてもらったけど美味しかったよ?」

 酢豚の味を思い出して溢れたよだれをじゅるりとすするイズミ。

 「何さらっと抜け駆けしてるのよ!?」

 「シャーレに行ったらたまたま晩ごはん作るとこだったの。見てたら先生が私のぶんも作ってくれたんだ〜」

 イズミの襟元をつかんでゆさゆさと揺さぶるジュンコ。ハルナはすまし顔でカメラへ視線を戻す。

 「いずれにせよ、フウカさんや難癖つけの方々が試食をした上で企画を通してますので、私たちを残念がらせる結果にはならないでしょう」

 「誰が難癖つけだ誰が」

 この会長、イオリの面白おかしい反応を配信に映すためにわざと煽っている。

 

 

 「では厨房の方にカメラを切り替えましょう。フェイス先生ー?」

 アカリは無線機で先生を呼びながらカメラ映像のチャンネルを切り替えたが、厨房の様子が映るはずの主画面が暗転したままだった。

 「あれ〜? 壊れたのかな?」

 「何言ってんのよ。この間買ったばかりじゃない」

 配信のチャット欄にも動揺が拡がるなか、ハルナはイオリに視線を向けた。

 「……イオリさん。厨房に風紀委員は配置しておられますか?」

 「お前たちじゃあるまいし、食堂を襲う奴なんて──」

 そうは言いつつも風紀委員会本部へと回線を繋ぐと

 『イオリ! 緊急事態です! 第25学生食堂が襲撃されたとの通報が入りました!』

 「……マジで言ってんのアコちゃん?」

 『冗談だと思いたいのはこっちもです……!』

 

 そんなイオリの様子を見てハルナは即断する。

 「皆様、どうやら取り決めがどうとか言っている状況ではないようです。すぐに食堂へ向かいましょう」

 美食研究会は配信を中断して会場を飛び出した。

 「あ! おい!?」

 イオリと風紀委員たちは急いで四人の後を追った。

 

 

 


 

 

 

 第25学生食堂、いまは使われていないそこの厨房で先生はコッコーヴァンを作っていた。

 とは言っても下ごしらえは事前に済ませており、加熱と副菜の調理が中心であった。

 

 その食堂と厨房が、一行が駆けつけた時には爆弾テロが起きたかのように破壊し尽くされていた。

 「私たちが爆破した時よりも酷い状況ですね」

 「それは否定できないな……」

 現場で調理を行っていた先生も、コッコーヴァンを煮ていた鍋も見当たらない。

 鍋はともかく、先生が賊に拉致されたのは明白だった。

 空きっ腹を鳴らしながらジュンコは苛立ちを隠さない。

 ハルナの表情も険しくなり、アカリは無言のまま怒りのオーラを放ち始めた。

 ただ一人、イズミは付け合せとして用意されていたバケットなどを探していたが、火災で炭化するか賊に踏みにじられており、流石に食べれる状態ではない。

 「食べ物を粗末にした上に先生まで攫うなんて……許せない!」

 普通逆だろと言うべきであろうが、イズミはいつでもマイペースだった。

 

 消火活動が一通り済んだ現場を一瞥して、現場検証のためやってきたアコはため息をついた。

 大急ぎで現場を片付け戻ってきたヒナは、彼女へ説明を求めた。

 「アコ、状況の説明を」

 「犯行グループは先生の身柄および美食研究会の会食の品目を目標とし、万魔殿への配達業者を装って学園に侵入。

 ヒナ委員長が現場に出て不在のタイミングを狙い、美食研に注意が向いてて警備が回ってない厨房を襲撃した模様です……」

 会食に一枚噛んでいるため飛んできたイロハは、それを聞いて口をへの字にし面倒臭そうにぼやいた。

 「あー……まずいですね。

 どうせ警備をしていた風紀委員会の失点としてあれこれ追求してきますよ? 元はと言えばマコト先輩が諸悪の根源ですけど」

 「クソかよ」

 マコトは外遊中でいま学園にいないのが唯一の救いか。

 「イロハ」

 「わかってますよヒナ委員長。これのせいで先生が連れ去られたんです。

 マコト先輩がなんと言おうと、こんなバカバカしい決まりは取り下げさせます」

 溺愛するイブキに危害が及んだ時ほどではないが、イロハも内心腹わたが煮えくり返る思いだった。

 

 しばらく沈黙を続けていたアカリだったが、ふとSNSを覗くと顔色が変わった。

 「皆さん、私たちのアカウントに同じURLが複数人からリプされてるのですけど」

 「それがどうしたんだ?」

 「この事件の犯人の配信みたいですね」

 「は!?」

 

 

 

……

 

 

 

 「勝った! 勝った! 夕飯はチキン料理だ!」

 どこかの倉庫と思わしき建物の中で、ヘルメット団に似た格好のスケバンたちはカメラへ向けて喜びの声を上げた。

 「ヒャヒャヒャ! 見たか俺たちのあざやかな手口は?」

 「万魔殿のアホどもも風紀委員会も怖くねえ! アタシたちは無敵だ!」

 

 この集団はゲヘナ学園に最近できた不良グループで、今までは表面化するほどの騒ぎを起こしていなかったため、知名度は底辺を這っていた。

 だが、この手の人間は承認欲求が高くなりがちで、無名の現状を打破しようと様々な手段を考えていた。

 そんな中見つけたのが、ゲヘナでも有数の問題児集団である美食研究会の会食イベントの告知であった。

 シャーレが間を取り持ち、犬猿の仲たる万魔殿と風紀委員会が開催を認める異例のイベント。

 それを台無しにする様を生放送すれば知名度はうなぎのぼりなのは間違いない。

 そしてシャーレの先生を誘拐する事ができれば、もはや自分たちの裏社会での評価は揺るがぬものとなる。

 

 いくら無法者の集まりであるゲヘナ学園生徒といえども、これらをまとめて敵に回すとどうなるかぐらいは理解できるのが普通である。

 だが彼女たちはやってしまった。

 

 「さて、そろそろ襲撃班が戻ってくる頃だな」

 「視聴者ども見てろよ見てろよ〜? あの美食研究会から奪った料理を食い荒らしてやるからな〜?」

 「シャーレの先生が欲しけりゃ一億円で応じてやるぜ!」

 

 

 下品な言い回しで視聴者にアピールしていると、突然カメラから見て左側の壁が爆発した。

 「ワァァ!?」

 「なんだ一体!?」

 

 「半ばヤマ勘でしたが……読みが当たりましたね」

 煙の中から姿を現したのは美食研究会の四人。

 そして煙が晴れると、彼女らの背後にはイロハの重戦車(虎丸)がにらみを利かせていた。

 不良グループは意外にもすばやく混乱から立ち直り、各々の銃を手に戦闘態勢を整えた。

 「てめえら美食研究会!? どうしてここが分かった!?」

 「この地域は私たちも知ってる場所ですからね~」

 「あんたらの配信の後ろに映ってた折れた鉄塔! それでここが前に温泉開発部がふっ飛ばした地区だって分かったのよ!」

 

 確かに不良たちの背後には窓があり、そこから派手にへし折れた送電用の鉄塔が見えていた。

 それはかつてトリニティの桐藤ナギサが補習授業部(身内)を陥れるために流したニセ情報をもとに、温泉開発部が掘削のため地区を爆破した時に倒壊したものだった。

 キヴォトスのあちこちを縦横無尽に駆け回る美食研究会にとって、ゲヘナ自治区は家の庭先のようなものだ。

 『先生を手助けした』あの時の騒ぎと目的地は、現地にたどり着けなかったものの鮮明に覚えていた。

 

 「あー不良の皆さん。襲撃グループは風紀委員会が全員拘束して、先生と料理を無事取り戻したと報告が入りましたよ。

 ……王手ですね」

 虎丸のハッチから現場を見下ろしていたイロハは不敵な笑みを浮かべた。

 

 「あなた達は食事を、料理を……美食を、ただ目立ちたいがために踏みにじりあざ笑いました」

 まるで小さな子供を諭すような声色で、自分たちの怒りを言葉にするハルナ。

 ゆっくりと愛銃(アイディール)を構え、他の三人もそれに続く。

 「食べ物を粗末にする人は許さないんだから!」

 「先生にも危害を加えて……いま少しどころじゃなく怒ってますよ?」

 「こーのーヤロー……!」

 強烈な殺意に不良集団は足がすくんだ。だが逃げるという選択肢はすでに失われていた。

 

 「そんなに炎上したいのであれば、物理的に炎上させてあげましょう!」

 「ぎゃあああ! 撃て撃てぇ!!」

 

 

 

 数百メートル先の道路上。そこでは拘束された襲撃グループたちが風紀委員会によって連行されるところだった。

 不良たちのアジトの方角で爆発音と大きな炎が何度も噴き上がり、それを見た犯人一行は震え上がった。

 「ほら! キリキリ歩け!」

 イオリや一般風紀委員に銃を向けられた犯人たちは、己の幸運さを噛みしめ大人しく護送車へ乗りこんでゆく。

 

 「ハァ……。再開発予定もなく立ち入り禁止になってたとはいえ、壊していい訳ではないでしょうに」

 「今回はイロハが主導権を握ってるし、まぁどうにかするんじゃないかな?」

 大鍋を車に載せながらのんきに答える先生に、ヒナは軽くため息をつきながら袖を掴んだ。

 

 「……先生」

 「なんだい?」

 「今度の当番の時、先生に料理を作って欲しい」

 「いいよ。何が食べたいか決めといてね?」

 

 

 

……

 

 

 

 「皆様、不躾な方々のせいでお時間をいただき、大変失礼いたしました」

 不良グループを徹底的に打ちのめしたあと、美食研究会は学園に戻り配信を再開した。

 幸いなことにメインディッシュのコッコーヴァンは無事であり、付け合わせを欠いてはいるものの会食配信を続ける事にしたのだ。

 「リスナーの皆さんのおかげで犯人も捕まりました。この場を借りてお礼申し上げます☆」

 アカリの言葉に合わせて軽く頭を下げる四人。

 

 皿に盛り付けられたコッコーヴァンがハルナたちの前へ並べられ、全然中身が減っていない大鍋がカートに載せられたまま画面中央に停められた。

 「コッコーヴァンと組み合わせていいかは分からないけど、作り直してる時間がなくてこれしか……」

 先生は皮付きのフライドポテトが載った皿をメインディッシュと同じように食卓へ並べた。

 「ありがとうございます先生、お気持ちだけで十分ですわ」

 「でもビーフシチューとかでもポテト食べたりするし、これはこれでありじゃないの?」

 「ねぇねぇ、それよりもお腹すいたよー。早く食べよう?」

 イズミの腹の虫は先ほどからなりっぱなしで、このままではマイクが音を拾ってしまいそうな状態だった。

 「それでは皆様、今日という日に感謝しながら食べましょう……」

 

 「いただきます!」

 

 

*1
メインストーリー最終編




オマケ 〜謀るフロイライン〜

■試食会当日
 イロハ「という訳で、本当にマコト先輩は行かなくていいんですか?」
 マコト「くどいぞ! 誰が忌々しい風紀委員会などと一緒に食事をせねばならんのだ! 絶対に行かんぞ!」
 イロハ「確認はしましたからね。……イブキ、行きましょう」


 先生「あれ? 結局マコトは来なかったの?」
 イロハ「風紀委員会に難癖つけれそうな所を探してこいとは言ってましたよ」
 イブキ「マコト先輩どうしたんだろうねー? せっかく美味しいものが食べれるのに」
 アコ「まあ、来ないなら気楽でいいじゃないですか」
 チナツ「そうですね。今はシャーレの部員として普段の立場は忘れることにしませんか?」

 ヒナ「(……イロハ、どうやらマコトに一杯食わせたようね)」


■本編後
 マコト「おのれぇぇぇ! 謀ったなイロハぁ!?」
 イロハ「何の話ですか?」
 マコト「この間の試食会の事だ! 出すものがワイン料理だとなぜ言わなかった!?」
 イロハ「ちゃんと書類に『コック・オ・バン』と書いてあったじゃないですか。
 マコト先輩はそれを読んだ上、私が何度も確認を取ったのにも関わらず断られたのですよ?」
 マコト「ギギギ……(白目)」


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#16 ホシノがいっぱい

 #2『ホシノ対元スケバンの決斗』の加筆修正版になります。
 クライマックス以降の展開が大きく異なります。

■あらすじ
 ある日、ホシノと因縁がある犯罪者が挑戦状を叩きつけてきた。
 見え透いた罠にあえて飛びこんだホシノを手助けするべく、先生は奇策に打って出た。



 

 エデン条約を巡る波乱と連邦生徒会・SRT特殊学園を取り巻く陰謀劇、その他様々な出来事を経て、キヴォトスの季節は少しずつ冬に近づいていた。

 

 「くしゅん!」

 「大丈夫?」

 「うへ〜。すっかり寒くなっちゃったな〜」

 かわいいくしゃみを放ったホシノは先生の心配にそう返す。

 連邦捜査部シャーレへの雑多な依頼は途絶えることがなく、顧問である先生は日々キヴォトスを東奔西走している。

 今日の当番であるホシノは先生と二人でそんな仕事を終わらせ、オフィスへの帰路についていた。

 すっかり日が沈み、灯りの少ない路地を歩く。

 

 なんてことのない、いつまでも続いてほしい日常。

 一人の人間が背負うには重すぎるものを背負ってきたホシノ。そんな少女に手を差し伸べ、幸せを願うことの何が悪いというのか。

 先生はそうクサい言葉を心中に留めていると、持ち前の鋭い第六感がビリっと警告を発したように感じた。

 「先生」

 あくびをしていたはずのホシノはわずかな隙もなく愛用の散弾銃(Eye of Horus)を構え、安全装置を外しながら先生に声をかけた。

 「私の後ろに下がってて」

 ホシノと先生の身長差はだいぶあるが、彼女には常に持ち歩いている折畳み式防弾盾(バリスティックシールド)がある。

 周りに隠れる場所はないが、いざ戦闘となったら先生を庇う事は造作もない。

 先生はキヴォトスの住人とは違い一発の被弾が死に直結する。身を持ってそれを知っている先生は彼女の言う事に素直に従った。

 銃口をビルとビルの間の狭い隙間を向ける。

 「出てきなよ」

 

 

 「ククク……随分と腑抜けたようだな小鳥遊ホシノ!」

 

 漆黒の路地裏から姿を現したのは、筋骨隆々の女性。

 一九〇を超える体躯に身に着けた筋肉はボディビルダーのような美しさはなく、無駄が多く威圧感を与えるためだけのように思える。

 角材を切り出したたのようないかつく角張った顔に黒のサングラスは、顔面偏差値が高い傾向のあるキヴォトスにおいて明らかに悪目立ちする。

 右手には才羽姉妹のものと同じ自動小銃(G3ライフル)の銃身を極端に切り詰めドラムマガジンを取り付けたカービン銃(MC51)、腰にはアコが持っているものと同型の自動拳銃(P08)が提げられている。

 「(漫画に出てくる悪役みたいだな)」

 先生は心の中で感想を述べた。

 

 「わぁ、懐かしい顔だね〜。元気だった?」

 「うるせえ! こっちゃそこの先生(モヤシ)がそこらじゅうの生徒を連れ回すせいで商売あがったりなんだよ!」

 「なら強盗とかあくどい事でお金稼ぐのやめなよ。マッチョちゃんぐらいの腕なら引く手数多じゃん」

 女の年齢は分からないが、どうやら後ろめたい事で生計を立てているらしい。

 「ハッ! てめえこそカイザーPMCとやらの誘いを反故にしたというじゃねえか。アビドスなんか捨ててしゅ「そこまで」……なんだよテメエ」

 筋肉女の言葉を先生が遮った。

 「君は表の情勢に疎いようだね。情報はまんべんなく集めないと、後で後悔するよ?」

 先生は無意識にホシノの肩に手を置いていた。安い挑発に乗るなとばかりに。

 ホシノは「大丈夫だよ」といつもの調子でつぶやいた。

 「チッ、面白くねえ」

 筋肉女はそう吐き捨てると、ポケットから板ガムを取り出して二枚口に放りこんだ。

 「明後日の午後三時、あの時の場所だ」

 吐き捨てるようにホシノへ告げて、どこかへ歩き去っていった。

 

 どういう事かわからない先生を背に、ホシノは銃を下げ安全装置をかけた。

 「ホシノ、あの女の人とはどういう関係なの?」

 先生の質問にホシノはいつも通りうへーと笑いながら

 「昔絡んできたスケバンだよ。詳しくはシャーレに戻ってからね〜」

 と告げた。

 

 「くしゅん!」

 「そろそろホシノもコートの入り用かな?」

 先生は笑いながら、女がガムを取り出した時に落とした赤い色の錠剤が入った小袋をハンカチで拾って包んだ。

 

 

 


 

 

 

 翌朝、先生はアビドス高等学校を訪れた。

 昨夜の筋肉女のことは当事者であるホシノだけでなく、対策委員会の全員が共有すべき事柄だと判断したからだ。

 「先生、みんな揃いました」

 アヤネは全員が着席したのを確認して告げた。

 「朝早くにごめんね。アルバイトを邪魔しちゃマズイし、急なことだったから」

 「大丈夫ですよ。ホシノ先輩ともアビドスとも縁深い話と言われたら見過ごせません」

 いつも通りの笑みを浮かべながらノノミは言うが、一方のセリカは少し不機嫌な様子。

 夜遅くまで警備のバイトをしていたため寝不足気味のようだ。

 「それで? そのゴリラみたいな女ってのは何者なのよ?」

 「うん。実のところ、連邦矯正局にもデータがあまり残ってなかったんだよね。……ホシノ、頼める?」

「ほいほい。んーと、私がアビドス(ここ)に入って間もない頃なんだけどね〜」

 

 

 二年前、永い歴史を持つキヴォトスの中でも有数の戦闘力を持つ高校生徒が何人も現れた年となった。

 トリニティ総合学園の剣先ツルギを始めとした複数の生徒、ゲヘナ学園の空崎ヒナ、ミレニアムサイエンススクールの美甘ネル、ヴァルキューレ警察学校の尾刃カンナ。

 そして学校そのものが半ば忘れ去られていたため他校の生徒に隠れてしまった、アビドス高等学校の小鳥遊ホシノ。

 近年のキヴォトスは不良学生が増加傾向にあり、各地で不良生徒(スケバン)や退学となり根無し草となった者が暴れまわっていた。

 そういった者たちは急激に頭角を表した彼女らを倒して名を上げようとし、そして敗れていった。

 

 その中で姿を見せた不良生徒の一人が、万千代(ばんちよ)高等学校の岩尾 マチヨという女だ。

 「あの子は百人切りなんて馬鹿げたこと考えてあっちこっちで暴れた挙げ句、なぜかおじさんを狙ってきたんだよねぇ」

 「勝負を受けたの?」

 「おじさんまだ若かったからねえ〜。いつまでも付きまとってきそうだったから相手しちゃった」

 シロコの質問に答えつつ、ホシノは遠い記憶の中からその日のことを思い出した。

 

 

 『くそっ覚えてろ!』

 『二度とアビドスに来るな!』

 ほうほうの体で逃げる背中に追い打ちをかけるかのように射撃を続けるホシノを、慌てて駆けつけたユメが止めた。

 『ホシノちゃん! 追い払うだけでいいのにあそこまでやったらダメだよ!』

 『ユメ先輩、ああいう手合いは徹底的に痛めつけておかないと懲りずにやってきますよ』

 銃に手を添え首を横に振るユメを見て、ホシノは相手を見逃すことしかできなかった。

 

 

 「その時の先輩の気持ちも今なら分かるけどね〜。あのマチヨって人は本当に懲りずにやってきちゃったのさ」

 

 

 後日、わざわざ使者が学校へ挑戦状を届けに来る事態となり、当時の在学生もホシノを止めることはできなかった。

 完全武装で指定された場所へと向かったホシノだったが、"その時に限って"次から次へとスケバン集団が襲いかかった。

 第三波の中に件の使者が混じっていた事から、これがマチヨの仕掛けた罠だと気づくことになった。

 

 『その見た目で随分と小物めいた真似をするじゃないか……!』

 『ハハッ! 物量作戦で相手を消耗させるのも常道の戦術よ!』

 

 

 「弾も武器も途中でほとんど使っちゃってて、あと一歩のとこでEye of Horus(この子)が音を上げちゃってさ」

 「それで逃げられたんですか?」

 「逃げ足だけは早いんだよね〜。でも逃げた先で捕まったよ」

 愛銃を撫でながら笑うホシノ。先生が話を継いだ。

 「捕まった岩尾マチヨは停学になって連邦矯正局に入れられたんだけど、すぐに解放された」

 「先生、どうして?」

 「元々校風が『喧嘩上等』の荒れがちな学校だったんだけど、岩尾さんが暴れすぎたせいで色んな学校から圧力が掛けられたらしくてね、退学処分になったんだよ」

 「ゲヘナ学園のような巨大校ならともかく、普通の学園がそんなことをしたらそうもなりますね……」

 

 連邦矯正局は『停学になった生徒を収監する』施設であり、退学となり一切の学籍を失った生徒はただの犯罪者として扱われるため、管轄が地元警察へと移るのが理由である。

 「元母校自治区の留置場に護送される途中で脱走して、後は裏社会で後ろめたい仕事専門でやってきたみたい」

 

 皮肉なことに学生という身分・市民権を失って初めて、岩尾マチヨという人間の真価が発揮された。

 退学処分を受けてから今までに犯した罪は手足の指では到底足りず、どれも強盗や悪人にとって邪魔な者の排除などの非合法な仕事である。

 持ち前の逃げ足の速さを活かし、ヴァルキューレ警察学校や各自治体警察の捜査の目をかい潜って今まで活動してきたのだ。

 

 「ホシノ先輩、こんな奴と本当に戦うの?」

 「そこまでおじさんにしつこいかは分からないけどさ~、無視したら絶対『出てこざるを得なくさせる』と思うんだ。

 学校を直接狙うならまだいいけど……普段無防備な先生を人質に取るとかさ」

 「!」

 先生はこれまでの活動の中で数えきれないほど命を狙われているが、五体満足でいられるのは周囲の生徒の活躍や本人の幸運によって事態を潜り抜けているからだ。

 一人の時にあんなゴリラの体格にチンパンジーの脳を持つマチヨに狙われてはひとたまりもないだろう。

 対策委員会の面々が複雑な顔をする中、先生が手を挙げた。

 「それに関してはひとつ。申し訳ないけど昨日のうちにホシノと二人でまとめちゃった事があるんだ」

 「なんですか? 先生」

 全員の視線が自分に向いた事を確認すると、鞄から取り出した書類を配った。

 「岩尾マチヨは今から一週間前、ミレニアムにある警備会社へ納めるはずだった銃器一五〇挺と弾薬を奪った。

 昨日シャーレに戻ったあと、ユウカづてにミレニアム生徒会(セミナー)から連絡が来て、岩尾マチヨの逮捕とミレニアムへの引き渡しをシャーレに依頼してきたんだ」

 「だから私がマッチョちゃんに勝って捕まえて、後は先生がミレニアムに引き渡すって訳さ~」

 書類には岩尾マチヨに対してミレニアム自治区内で有効な逮捕状が出たこと、身柄拘束の手段に関してはシャーレに一任する旨の通知がセミナー会長リオの署名付きで記されていた。

 「先生、ならホシノ先輩がわざわざ決闘に応じる理由はないよね? シャーレで生徒を集めて逃げれないように囲めばいい」

 シロコの意見はいたって正論であったが、先生は困った顔をした。

 「いや、私も最初はそう考えてたんだよ。だけど昨日、ホシノが帰る直前にヒナから連絡がきて……」

 

 

 

……

 

 

 

 昨夜 シャーレオフィス

 「ふぅわぁ……」

 「先生もお疲れだね〜?」

 ユウカとの話が長引いたものあり、時刻は二二時を回っていた。

 「毎日徹夜してた時期に比べたら楽なもんだよ。ホシノはこれからパトロールかい?」

 「さて、なんの事かな〜?」

 

 冗談めかして話し合っていると、先生のスマートフォンの着信音が鳴り響いた。

 「……ヒナからだ」

 「ありゃ、風紀委員長ちゃん?」

 先生はスマホの画面をスワイプして通話を始めた。

 「どうしたのヒナ?」

 『夜遅くにごめんなさい。先生、岩尾マチヨっていう女は知ってる?』

 「あー。ホシノと因縁がある犯罪者で、ミレニアムから指名手配されてるって話だけど」

 そう説明しながら画面を操作し、ハンズフリーにしてホシノにも会話が聴こえるようにした。

 『そこまで知ってるなら話は早いわ。

 不良生徒の間で使われてるSNSで岩尾マチヨが傭兵の募集をしていたわ。目的はアビドス生徒の襲撃……九割九部、小鳥遊ホシノが標的よ』

 物騒な単語に先生とホシノは互いに顔を見合わせた。

 『人数は百名、報酬は十万円とミレニアム製の最新銃器の先渡し。

 この間ミレニアムで起こした事件で奪われたものと見て間違いないわ』

 「逆恨みで一人を襲うのに一千万円も……。ちょっと私には理解できないかな」

 『それだけ岩尾マチヨが小鳥遊ホシノを憎んでいるってことね』

 横目でホシノを見れば、雰囲気がほんの少しだけ鋭く尖っているように感じられた。

 

 『募集に応じた者の中にゲヘナ学園の生徒も何割かいるわ。他所の学校の生徒を襲撃する生徒を野放しにしたという前例を作ったら、今後同じような事が起きた時に歯止めがかからないでしょうね』

 「つまり、ゲヘナ風紀委員会をアビドス自治区で活動できるように取り計らってほしいってこと?」

 『ええ。面倒で厄介な案件だけど、前みたいに万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)につけこまれる隙は作りたくないの』

 

 先生がシャーレに赴任して間もなく、アコがエデン条約締結の邪魔になると考えた先生を拉致するべく、風紀委員をアビドス高等学校自治区へと独断で侵攻させるも様々な状況が重なり失敗に終わった*1

 そして生徒会を無視した『狼藉』を働いた風紀委員会は、ゲヘナ生徒会議長でありヒナを敵視する羽沼マコトにそれをネタに嫌がらせを受けることとなった。

 最終的に調子に乗りすぎたマコトをヒナが万魔殿本部ごとぶちのめして終わったが、何か失点があれば目ざとく見つけてくるマコトへの対策は万全を期すべきだというのが、風紀委員会幹部の一致した意見だった。

 

 なお、当のマコトは腹心のイロハがシャーレに赴く頻度が高すぎて気が気でないらしい。

 なにしろ本当に万魔殿でしか出来ない仕事はイロハを中心に回っているので、彼女がいなければ自分が好き勝手できないからである。

 

 ホシノは先生が持つスマホに近づき、ヒナへと話しかけた。

 「風紀委員長ちゃん」

 『小鳥遊ホシノ……そういえば今日の当番だったわね』

 「あのマッチョちゃんの件、そこまで厄介なことになってるなんて思わなかったなぁ……。

 せっかくだし、露払いお願いできる?」

 『……岩尾マチヨと決闘する気?』

 「マッチョちゃんの事だからほっといても退学にはなってただろうけどね? やっぱり私について回ってるなら私が決着つけないといけないかなーって」

 電話の向こうのヒナの姿が頭に浮かんでいるのか、ホシノは砕けた口調とは対照的に真面目な顔をしていた。

 「それと春先にさ、おじさんのせいで苦労した後輩たちを助けてもらったしね。

 風紀委員長ちゃんとの仲だしそのぐらいはお安い御用さ〜」

 『……ほんとに昔と変わったわね、あなた』

 今テレビ電話に切り替えてにへらと笑うホシノの顔をヒナに見せたい欲求に駆られたが、先生は空気を読んでぐっと我慢した。

 「まあそんな訳だからヒナ、詳しい作戦計画は明日中、できるだけ早く連絡するよ」

 『お願いね先生、小鳥遊ホシノ。……おやすみなさい』

 電話は切れた。

 

 

 

……

 

 

 

 「そういう事でしたか……」

 アヤネは納得した様子で頷いた。

 セリカは読んでいた書類をノノミに回すとホシノに問いかけた。

 「それでホシノ先輩、相手は一対一で戦って勝てる相手なの?」

 「向こうは何でもありでおじさんは歳だからね~。まあ、五分ってところかな。負ける気はないけどさ」

 一瞬ホシノの雰囲気が鋭く尖ったように感じて、セリカはえも言われぬ感情から鳥肌が立った。

 「あら、セリカちゃん。耳の毛がすごく逆立ってますよ?」

 「なんでもないわ!」

 書類を最後に読んだシロコから受け取ると、先生は話をまとめた。

 「シャーレ案件だし、作戦規模も大きくなるから対策はこっちで考えとく。

 この学校が抱える問題でもあるし皆にも動いてもらうから、できる限り明日のスケジュールは開けといてくれるかな?」

 「ん、わかった」

 「面倒だろうけどよろしくね、みんな~」

 いつも通りのだらけた笑い顔でホシノが場を締めた。

 

 

 

……

 

 

 

 先生はシャーレのオフィスに戻ると、連邦生徒会へ提出すべき別件の報告書を作りつつ、岩尾マチヨに関連した情報をかき集めていた。

 

 『先生、どうですか? 何か浮かびましたか?』

 タブレットスタンドに置いたシッテムの箱からアロナが話しかけてくる。

 「うーん……情報はあらかた揃ったとは思うんだけど、何かいいアイデアが浮かばないんだよね……」

 『今回の案件ってだいぶ変わってますからね……』

 

 前述の通り『マチヨの逮捕』という条件を満たすだけなら簡単である。シャーレの関係者の中でも特に腕の立つグループを送りこんで封殺すればいい。

 成り立ちが特殊部隊であるRABBIT小隊あたりなら、先生が作戦を考えなくてもミヤコたちが自分の判断で動いて目標達成ができるだろう。

 しかし今回は『ホシノを無傷で決闘に向かわせる』ために『雇われた傭兵部隊を正当な理由で事前に排除する』必要がある。

 

 戦力はシャーレの他にもゲヘナ風紀委員会の部隊が参加するので、人数は相応に多く単純な戦力差で苦しむことはないであろう。

 しかし、ゲヘナ生徒以外の傭兵は職質したところで『偶然そこにいただけ』としらばっくれる可能性もある。

 盗品の銃を没収したり詳しい背後関係を洗うためにも、傭兵も一人残らず捕まえる必要があるのだ。

 

 「なにかピースがひとつ増えれば、全部いい感じに繋がると思うんだけどなぁ……」

 『うーん……』

 

 

 「おはようございます、先生」

 椅子から立ち上がって背伸びをしていると、執務室のガラス扉を開けてユウカが入ってきた。

 「おはようユウカ。昨日のアレについて何かわかった?」

 『アレ』というのは昨晩、岩尾マチヨが落とした赤い錠剤のことである。

 ユウカが逮捕依頼を持ちこんだ時点でこの事を話し、拾った薬をミレニアムで調査してもらっていたのだ。

 「……すごく危険なシロモノです」

 「えっ」

 「製品名『メトロン678』。

 大昔、とある学校で開発された覚醒剤の一種です」 

 「覚醒剤? それに名前からしてヤバそうなんだけど」

 

 

 『メトロン678』は今から五四年前、テラル・デフォルジュ(TD)学園のとある製薬会社が開発した新型の医薬品の商品名である。

 当時発見された新種の植物を基に精製されたそれは、適量であれば精神安定効果のみならず、集中力などの大幅な向上が見こめる『無敵薬』とされた。

 ごく一部の過激な人間からは『彼の者からの思し召し』とすら呼ばれたメトロン678だが、当然そんなものが人体に無害なわけがなかった。

 効果が弱まれば強烈な離脱症状が発生し、まるで人格が跡形もなく崩れてゆくかのような感覚をはっきりと味わいながら、最終的に理性を失い野獣のように凶暴化する。

 種族柄『死』という感覚が希薄なキヴォトスの住人にとってはまさに純粋な恐怖でしかなく、離脱症状を避けるために薬を服用し続ける依存状態に陥ってしまうのだ。

 

 これを重く見たTD学園の生徒会はすでに製造されたメトロン薬が出回る前に薬を差し押さえ、原料となる植物も根絶やしにされた。

 

 ……はずなのだが、こうして錠剤化されたものの現物が発見された。

 これはまさに異常事態である。

 

 

 「既に実相寺映像学院の北川地区で被害者が出てます。それと岩尾マチヨの目撃情報も」

 「あの岩尾さんは薬の売人ってところか……。それで、そのテラル・デフォルジュ学園ってのは聞いたことないけど?」

 「……TD学園は一九年前に大規模テロで学校が崩壊して、そのまま廃校になってます。

 保存されてた資料も散逸したみたいですし、おそらくメトロン薬の製法も」

 「マジか……」

 植物そのものは広大なキヴォトスのどこかに同じものが生えててもおかしくはない。

 製法が分かれば後は材料と製造機械を用意する事で、また同じ薬が作れてしまう。

 「(誰が何のために? それに薬の開発経緯がずいぶんと胡散臭いし……。

 どっちにせよ、ますます依頼の失敗が許されないな……)」

 先生はそう思いながら壁掛け時計に視線を向ける。

 時刻は正午を回った直後だった。

 

 「お昼かぁ。……でもコンビニ弁当は食べ飽きたんだよなぁ」

 「自炊はしないんですか?」

 「いま食材がなくてね。何か食べたいのがあったら言ってみてよ、今度作るから」

 ソラには悪いが外へ食べに行こうと先生が考えた時、セキュリティゲートを誰かが通ったという通知がサブモニターに表示された。

 「ん? モモイとミドリだ」

 「まさか近くを通りかかったから、先生にお昼をたかりにきたとか言うんじゃ?」

 「……とりあえず上がってくるのを待とうか」

 

 

 

……

 

 

 

 「先生こんにちわ」

 「お昼ご飯おごってー! ってユウカ!? なんでここにいるの!?」

 ドアを勢いよく開けて入ってきた才羽姉妹だが、ユウカがいるとは予想外で面食らっている。

 「あなた達! やっぱり先生にご飯を奢らせようと考えてたのね!?」

 「い、いまお金の持ち合わせがなくて……」

 「部活動の一環でゲームを買うにしても、もっとしっかり計画を立てないからそうなるんでしょ!?」

 

 「(……なるほど)」

 いつも通りの二人の姿に違和感を覚え、先生はすぐに結論を導き出した。

 「二人ともよくできてるね」

 「え? 何が?」

 モモイの口角がわずかに引きつった。

 「先生?」

 「服と銃を取り替えるだけじゃなくてカラコンまで使ってさ」

 「ええーっ!? バレるの早くない!?」

 「え!? ……二人とも入れ替わってるの?」

 ミドリ……もといミドリに変装したモモイが素で叫んだのを見て、ユウカはようやく状況に気づいた。

 即座に馬脚を現した姉に頭を抱えつつ、モモイに扮したミドリはため息をついた。

 「先生ごめんなさい。最初は反対したんですけど、先生が私たちを見分けられるか気になって……」

 「でもユウカは騙せたから別にいっか」

 「あのね……!」

 「あはは……。二人との付き合いも長いからね。

 一見完璧に見えて細かい仕草が……待てよ?」

 言いかけて先生が突然悩み始めた。姉妹とユウカは首をかしげ先生に近づいた。

 

 「どうしたの先生?」

 「モモイ、誰かにその人が見たことがない人を教える時、どういう風に伝える?」

 「えっ? うーん……服とか髪型とか、一目見てわかるところとか?」

 「ミドリ、ドットが荒いゲームでキャラの個性を出す時、どういう風に描く?」

 「低解像度でですか? 最初の頃のスーパーマリンシスターズがそうなんですけど、キャラの外見的な特徴や色を工夫します。

 一作目の操作キャラはグラフィックが同じでしたから、色を変えることで姉と妹を表現してました」

 「ある意味二人と同じだね」

 これまでに得た情報と二人から貰ったヒントを基に頭の中で作戦を組み上げてゆく。

 敵リーダー(マチヨ)の目的、標的であるホシノの外見、組織的な集団ではなく傭兵としてバラバラにかき集められた敵、指定地点への順路――。

 

 「よし、いけそうだ」

 一人何かに納得した様子の先生を見て、三人は頭に疑問符を浮かべる。

 「先生、どうかしましたか?」

 「明日の作戦、二人にも参加してもらうよ」

 「作戦ってなに?」

 「とりあえずご飯食べに行こうか」

 シッテムの箱を持ち姉妹を連れてそそくさと部屋を出ようとする先生は、振り返ってユウカに呼びかけた。

 「ユウカも行こうよ。奢るから」

 「まったく、先生はそうやってすぐ人に奢る……」

 治らない先生の散財癖に呆れながらも、それはそれとして厚意に甘えることにしたユウカだった。

 

 

 


 

 

 

 当日の午後二時、アビドス高等学校正門前。

 

 「ええ。今小鳥遊ホシノは学校を出ました。付き添いの生徒を連れています」

 岩尾マチヨとは唯一在学時代からの付き合いである女は、斥候として物陰に身を潜めて対策委員会側の様子をうかがっていた。

 『人数は?』

 「一人です。奴ら学校を空けたらこっちが襲撃してくる事を警戒してるのでしょうよ」

 『へっ、まあ仕方ねえわな。小鳥遊にはせいぜいきりきり舞いしてもらおうか!』

 「それじゃ逃走経路の準備に向かうんで」

 『ああ、後でな』

 トランシーバーの通話が切れた。

 

 「……なあ、これでいいだろ? うちだけでも逃がしてくれないか?」

 通信機を地面に落として両手を上げる斥候。

 「ダメですよ。ボスへ連絡しないという保証はごさいませんし、何より貴女は武器輸送車襲撃事件の共犯者ですから」

 「……!!」

 押し付けられた銃口がぼすんと鈍い音を立てると、斥候は意識を失い崩れ落ちた。

 「ご主人様、仕込みは完了しました」

 

 

 同刻、アビドス高等学校・会議室。

 

 「お疲れ様アカネ、その人もボディチェックしたら……体育用具庫にでも閉じ込めとこうか」

 『承知しました』

 いまこの部屋には雑多な学校の生徒が詰めかけ、即席のシャーレ指令室と化していた。

 対策委員会が使っている部室では機材も人も収まりきらないという事情もあるが、あの部屋は今は学校の中枢たる生徒会の本拠地でもあるため、先生が配慮した形だった。

 「無線周波数割り出し完了。先生、目標が使っている全てのチャンネルを傍受できました」

 コタマが相手の通信を丸裸にする傍で、アヤネとヒビキが持ちこまれたPCに向かい合っていた。

 「偵察ドローン全機配置完了。

 流石エンジニア部ですね、一度にこれだけのドローンを操作できるようにするなんて……」

 「今回は時間がなかったから既存の機材とプログラムを流用して、あらかじめ指定した目標を追跡できるように簡単なAIを組んだだけ。

 あまりこうは言いたくないけど、時間がもう少しあれば自爆機能もつけれた」

 「いえ、それはご遠慮したいです……」

 

 別の長机ではチナツが連れてきた風紀委員部隊に指示を飛ばしていた。

 本来ならばアコが担当するべき仕事だが、ヒナもこちらに来ているため彼女にはゲヘナ学園に残って本隊の指揮をしてもらわなければならない。

 『α小隊長から司令部(HQ)! 第一から第五分隊、配置完了』

 『β小隊、分隊の配置完了!』

 「司令部了解、以後司令部の指示もしくは付近のシャーレ部員の要請があるまで待機」

 チナツが待機命令を出すと、ヒナがマイクを手に取り現場へ檄を飛ばす。

 「こちら委員長。今回はエデン条約事件(あのとき)同様、シャーレ指揮のもとゲヘナ学園自治区外での活動になる。くれぐれも風紀委員会の名に恥じぬ行動を心掛けること。以上」

 『了解!』

 

 「先生。全要員、配置につきました」

 作戦の要である『露払い』要員の準備完了をユウカが告げる。

 「いやーごめんね皆。おじさんのワガママに付き合ってもらっちゃって」

 本日の主役であるホシノは普段とあまり変わらず、今回のために用意された弾薬ポーチのみを追加した身軽な恰好である。

 今回は一対一なので盾は持たず、徹底的に『攻め』の戦闘スタイルになるかもしれない。

 先生はそんなホシノを笑いながら見つめた。

 「今回はあちこちの都合がうまくハマったからね。

 それに、たぶんホシノじゃないとあの人は出てこないと思うんだ。だから君に任せる」

 「責任重大だねぇ」

 ホシノは口元に自然な笑みを浮かべた。

 

 「それじゃ、いってきます」

 

 

 

……

 

 

 

 砂で埋もれた棄てられた住宅街の一画、その廃屋の一つに岩尾マチヨが雇った傭兵の一グループが潜んでいた。

 双眼鏡で広い通りを監視していると、やがて近づいてくる二つの人影を発見した。

 「こちらブラボー隊、目標を発見」

 『間違いないな?』

 「あの特徴は見間違えようがない、アビドスの小鳥遊ホシノとかいう奴に違いねえ」

 『了解した。もし倒せたならグループ単位で報酬を倍額上乗せするぞ、丸裸にするつもりで徹底的にやれ!』

 「その言葉、忘れるなよ!?」

 

 傭兵集団は報酬の一部である最新の銃器をガチャガチャ言わせながら、大通りへと飛び出た。

 「おい! 小鳥遊ホシノとやら!」

 十名程度の武装集団に進路を塞がれ、シロコら二人は足を止めた。

 「何か用か?」

 ホシノ(?)は乱暴な言葉遣いで不良生徒をにらみつけた。その気迫に一瞬たじろぐも欲が勝り気を持ち直した。

 「おめえに恨みはねえが仕事なんでな。ここでぶちのめしてやる!」

 一斉に突撃銃(MCX)対物ライフル(M82)の銃口を向けた。

 

 「だってさ、先輩?」

 「ハッ! 面白れぇじゃねえか。ちったぁ歯ごたえ見せろよォ!」

 そう叫び、ホシノ(?)は背後から二挺の短機関銃(ツイン・ドラゴン)を取り出した。

 

 

 

……

 

 

 

 「連中の練度からすると、持って二分ってところか」

 元は商店街だったらしいが、砂に潰されて今は見る影もない廃墟地帯。そこに岩尾マチヨは居た。

 マチヨは傭兵達がホシノに勝てるとは最初から思っておらず、エサをぶら下げて限界まで戦わせるつもりでいた。

 だが金に目がくらんだ不良生徒達は誰一人としてそれに気づく様子はなかった。

 粒ガムのボトルを片手に、部隊の配置転換の指示を飛ばそうとする。

 「進路はAルートか。ゴルフ、ホテルへ――」

 『こちらデルタ隊! 目標発見!』

 「なんだと?」

 紙の地図を確認すると、先ほど戦闘が始まったAルートと今報告が挙がったBルートは約五百メートル離れている。

 「クソッ陽動か! そいつが本物だ!すぐに戦闘――」

 『ホテル隊目標を……うわぁ!!』

 今度は遊撃隊最後尾にいた集団がホシノの出現を告げ、そして音信が途絶えた。

 これを皮切りに次々と『ホシノ出現』の報告が飛び込んだ。

 

 「ありえねえ……アビドスには今奴を含めて五人しかいないはずだぞ。たかが決闘騒ぎにシャーレが出てくるわけが……」

 マチヨはガムを噛もうと容器の蓋を開けた、が。

 「うおっ!?」

 ボトルはどこからか飛んできた銃弾によってバラバラとなり、中身が地面にぶち撒けられた。

 「!!」

 

 アウトドア用品をひっくり返して立ち上がりながら弾が飛んできた方を振り向くと、そこには無傷のホシノがたたずんでいた。

 「小鳥遊、貴様!」

 「先生から言われたでしょ? 情報は幅広く集めなってさ」

 

 マチヨの誤算。それはホシノとの決闘の準備に神経を集中するあまり、自身の逮捕依頼がシャーレへ持ちこまれた事を知る事ができなかったことだ。

 C&Cが日夜活動している事からも分かる通り、ミレニアムにも高度な裏社会が築かれており、これは彼女にとっても馴染みのある情報屋を使えば簡単に手に入る程度の情報だった。

 

 双方の無線音声が照らし合わせたかのように交差する。

 『こちらチャー『君たちにプレゼントォ!』ぐえぇ』

 『く〜らえっバーン!『ごふぅ!』あっはははは! 顔に当たってやんの〜!』

 『どこからかミサイルが!』『なんで他の奴に背負われてんだあいつ?』

 『だめだ! 小鳥遊ホシノは強い!』

 

 「くそったれぇぇぇぇっ!」

 「さあマッチョちゃん、始めようか?」

 ホシノの顔から笑みが消えて、散弾銃の銃口をマサコへと向ける。

 「ハハッ! 誰が一対一で戦うと言った!?」

 苦し紛れに叫んで足元の機械をいじると、砂を掻き分けて飛行ドローンや武装オートマタが次々と姿を現した。

 その数、五〇。

 「せいぜい楽しめ! ハハハハハハ!!」

 マチヨは脱兎のごとく逃げ出した。

 

 数十の銃口を向けられてもなお、ホシノは落ち着き払っていた。

 「ホント、ずるがしこく見えて実は単純なとこ、変わってないなぁ……」

 呆れ気味につぶやくと、攻撃態勢に入った飛行ドローンが射程外から次々と撃ち落とされ、オートマタが新たに現れたドローンのミサイルによって破壊されていくのを見つめた。

 飛行ドローンが全滅すると、カモフラージュシートを取り払い後方からミヤコとサキが姿を現した。

 「ここは引き受けます。ホシノさんは目標を追ってください!」

 「SRTが手柄を譲るんだ! しっかりやれよ!?」

 「世話をかけるねぇ」

 『まあ経費はシャーレ持ちだし? 思う存分撃ちまくれるから私はいいけどね』

 

 そう、マチヨが現れる一時間は前からRABBIT小隊が伏兵として待ち構えていたのだ。

 過去の犯罪記録を洗い出したところ、時おり報酬として奪った戦闘ドローンを受け取っていたのが確認されており、彼女の異様な執着心からしてホシノを消耗させるために投入するだろうとは予測されていた。

 ゆえに『決闘の邪魔をしない』という条件付きで先生が彼女たちを待機させていたのだ。

 サキとしてはこの作戦に不満しかないが、彼女たちが主役となるのはこれより後にある『密造工場の制圧と犯罪組織の撃滅』にあると先生に説得され、渋々受け入れた。

 

 ホシノは進路上にいるオートマタを手早く排除し、マチヨの後を追った。

 

 

 

……

 

 

 

 『ねぇねぇ先生ー? 連中が落とした武器はどうするのー?』

 「後で回収するから適当なところに集めといて」

 先生は替え玉組のムツキの質問に答えつつ、プロジェクターで映し出した広範囲地図を見た。

 確認された敵集団は八、十数人程度の集団で統率も取れてるとは言い難いが強力な武器を持っている。

 一騎当千の戦力が揃っているとはいえ油断は禁物、先生は偵察ドローンから送られた映像を見ながら器用に全員への戦闘指揮を行っていた。

 『敵集団全滅! こいつら弱すぎるぞ!』

 「ネル、シロコ組は北西へ移動。ミドリとセリカの援護へ。モモイ、そっちは?」

 『三人逃げたよ! 今追いかけてる!』

 「チナツ!」

 「第七分隊、南東へ前進。シャーレ部員と共同で残党の掃討に当たってください」

 『了解!』

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばす先生を眺めながら、手持ち無沙汰のヒナとユウカは今回の作戦の感想を述べた。

 「面白い発想ね」

 「はい。相手が素人集団だというのを前提として替え玉を何人も用意、一斉投入して各個撃破。その間に本物のホシノさんは廃棄された地下道路を通って最短コースを通過……」

 

 ホシノの外見的特徴は多い。

 『アビドス高等学校の制服をブレザーなし、上半身にハーネス着用』

 『ピンクのロングヘアに飛び出たアホ毛』

 『橙と青のオッドアイ』

 『身長一五〇センチ未満の小柄な体格』

 短期間で集めた即席の部隊にホシノの正確な人相を覚えさせるのは難しいため、これらの特徴で判別するように教えるだろうと先生は考えた。

 なのでホシノに近い背丈の生徒をアカネによるメイクやカラーコンタクト、アビドスで使われないまま保管されている制服を駆使して替え玉へと仕立て上げたのだ。

 付き添いの生徒もシロコ達だけでは足りないため、アビドスの制服を着てもらって学籍を偽装している。

 

 「傭兵は小鳥遊ホシノだけを狙うように指示されてるから他の人は襲わない。こちらから襲撃すれば事件後に『アビドスが通り魔を始めた』という風評を流すぐらいはするわ」

 「ですから『ホシノさん』を襲わせるようにすれば正当防衛が成立し、こちらは捕縛と銃器没収の大義名分を得られる」

 一石二鳥とはこのことである。

 

 『こちらRABBIT1、敵部隊を無力化! これよりホシノさんの後を追います』

 「RABBIT小隊、君達が目標を相手にする状況はホシノが万が一やられた時だからね。それを忘れないように」

 『RABBIT1了解!』

 

 

 

……

 

 

 

 平屋建ての住宅だった壁を無数の銃弾が穴を穿つ。

 ホシノは建物と建物の間を駆け抜けながら攻撃を避け、時おり手足などを狙って応射していた。

 「オラァどうした! どうして攻めてこねえ!?」

 マチヨは撃ち過ぎで撃針が折れたらしいカービン銃を捨てると、腰に下げていた拳銃に持ち替えて銃弾をバラ撒いてゆく。

 ホシノはひたすら『逃げ』に徹する。一対一の決闘であるのを踏まえると彼女らしくない動きだった。

 

 ガソリンスタンド跡の倉庫の陰に入り、ホシノはポーチから実包を取り出す。

 空の弾倉にスラッグ弾を三発、威嚇用のドラゴンブレス弾を一発、そこへバックショット弾を三発装填。

 

 壁の向こうにマチヨの姿を見ると、わずかに顔を覗かせてホシノは大声で話しかけた。

 「ねえマッチョちゃん! 危ないクスリの売人になったっていうじゃん?

  なにもそこまでする必要はなかったんじゃないの?」

 弾倉を替えながらマチヨは叫ぶ。

 「小鳥遊! 借金まみれのアビドスにすがりついてる貴様なら分かるだろうが!」

 目暗滅法だった先程と打って変わり、正確にホシノを捉えた9mm弾がホシノの顔の目前に着弾した。

 「……っ!!」

 顔を引っこめマチヨの話を聞きながら、次の移動経路を計算し始める。

 「金だ! 世の中金さえあればなんでもできる!

 豪華なメシも! 安全な寝床も! 相手によっちゃ罪さえもみ消せる!」

 

 ホシノは散弾を二発お見舞いするが、12ゲージ6粒バックショットを食らってもマチヨは対して痛がる様子を見せない。

 「だから! 楽に大金を稼げる方法を取ったまでよ! 地道にバイトしてるおめえらと違ってな!」

 

 「……ふーん」

 

 アビドスをあざ笑う事で戦意を昂ぶらせるマチヨとは対照的に、ホシノの心は完全に冷めきっていた。

 彼女は裏にある陰謀を暴くためにあえて銀行強盗をした自分たちとも、考える術を奪われ選択することすらできず、悪人に言われるがまま大罪を犯したアリウススクワッドとも違う。

 

 己の自己顕示欲のために、己の私利私欲のために。

 そのために人を傷つけたから全てを失った。

 それを他人のせいにし、また私利私欲のために罪なき人々を陥れ傷つける悪人。

 今の岩尾マチヨの姿は、ホシノが唾棄する『悪い大人』そのものだった。

 

 使う気はないつもりだった未開封のオイル缶をマチヨへ投げつけ、三発目の散弾で中身をぶち撒けた。

 「うわっ!?」

 オイルをモロに浴びて足を滑らせたマチヨはその場で尻もちをついた。

 

 「じゃあね」

 ホシノは無防備な相手にドラゴンブレス弾の火炎を吹きつけた。

 

 火はオイルに引火し、一瞬でマチヨの全身を包みこんだ。

 「ぎゃああああ!!」

 火達磨になりながら転げ回り必死に火を消そうとするマチヨに、すぐさま粉末消火器の消火剤が浴びせられた。

 消火器を使ったのは他ならぬホシノ自身だった。

 

 火が消えたのを確認すると、ホシノは消火器を投げ捨て倒れているマチヨの頭に銃を向けた。

 「く、来るなぁ! 来るな化け物!」

 一発、二発、三発。

 弾倉が空になるまでスラッグ弾を頭に撃ちこんだ。

 

 

 

 マチヨが動かなくなったのを見て、遠くから決闘を見守っていた一行が駆け寄った。

 「ホシノさん」

 「はぁ……やりすぎちゃった~」

 緊張の糸が切れたようにその場に座りこむホシノ。

 倒れているマチヨの手足をミヤコは手早く縛りあげる。どうせこの後ヘリで運ぶのだから歩けなくても問題ない。

 サキは散らばった武器を集め終えると、少し怯えた様子でホシノへ話しかけた。

 「……ホシノ、お前そんな顔してえげつないな」

 「サキちゃんはさ、自分の学校や大事な人をバカにされて、それで我慢できる?」

 「む、無理だ」

 「おじさんも弱くなったなぁ。こんなやすーい挑発に乗っちゃうなんてね」

 「……」

 

 いつも通りの脱力感あふれる態度に戻り、ホシノは深いため息をついた。

 「みんなにはナイショにしてもらえると嬉しいかなー?」

 「……ご安心ください、そんな悪意のあるマネはSRTの名に誓って行いません」

 内心『さすがにそんな勇気はない』と一瞬だけでも思ってしまい、気まずくなるミヤコだった。

 

 

 「先生、終わったよ」

 

 

 岩尾マチヨとその側近はミレニアム自治区へ護送ののち地元警察により逮捕、現在は厳重な警備が敷かれた留置場で拘禁されている。

 これまでに犯した罪の数を考えると、決して軽い罪にはならない。

 だが彼女は自分があざ笑おうとして三度も打ちのめされたホシノの影に一生苦しむ事になるだろう。

 

 傭兵として雇われた不良生徒達はシャーレの権限で一度ゲヘナ風紀委員会が拘束、その後ゲヘナ学園生以外を在籍する各学校の警察組織へと引き渡した。

 回収した銃器は依頼主であるミレニアムで預かり、元の持ち主が分かり次第返却を行うようだ。

 

 

 


 

 

 

 数日後、シャーレ居住区・休憩室。

 ホシノはD.U.での夜間アルバイトを終えてアビドスに戻る前、シャーレに立ち寄って仮眠をとっていた。

 大きなクジラのぬいぐるみを抱きしめながらソファーで寝ていると、物音を聞いて目を覚ました。

 

 「んあ〜。おはよう先生」

 「ごめん、起こしちゃったか」

 そこにはブランケットを手にした先生が立っていた。

 「気にしなくていいよ〜。どうせそろそろ起きるつもりだったしさ」

 

 ドリンクバーで淹れた安いお茶を飲みながら、二人はしばしテレビを見ながらくつろいでいた。

 画面に映るクロノススクールの朝番組では、数日前の大捕物をいい加減な内容で面白おかしく報道していた。

 ブランケットに包まったホシノは、やがて左隣に座る先生へと話しかける。

 「先生、おじさんはまだ寝ぼけてるから適当に聞き流してね〜?」

 「ん?」

 「おじさん達は覆面水着団なんて名乗ってあれこれしたけどさ……私達が間違えて本当の悪人になった未来も、あったのかな?」

 

 

 ある時は悪の企みを突き止めるために、またある時は悪の陰謀を潰すために、そしてある時にはリーダー(ヒフミ)の友達を連れ戻すために。

 シロコの努力の方向音痴とアビドスアイドル化計画を捨てなかったノノミ、そして必要に迫られての銀行強盗とアヤネのノリで爆誕した義賊『覆面水着団』は、真のアウトローとしてキヴォトスでも名の知れた存在になっていた。

 

 しかし最初の出動となった闇銀行への強盗の際、慌てた行員がシロコの突きつけたカバンに一億円を詰めこんでしまい、闇銀行がカイザーローンとの間に交わした集金記録だけが目的にもかかわらず本当に銀行強盗をなしとげてしまった。

 追手をまいてブラックマーケットを抜け、その事実が発覚したときセリカとノノミは『元はと言えば自分たちのお金であり、どうせ犯罪に使われるのだから』と、そのままアビドスの借金返済に充てようと主張した。

 しかし……

 

 『私たちに必要なのは書類だけ。お金じゃない。

 今回のは悪人の犯罪資金だからいいとして、次はどうする?その次は?』

 『……』

 『こんな方法に慣れちゃうと……

 ゆくゆくは、きっと平気で同じことをするようになるよ』

 『……』

 『そしたら、この先またピンチになった時……

 「仕方ないよね」とか言いながら、やっちゃいけないことに手を出すと思う。

 うへ〜、このおじさんとしては、カワイイ後輩がそうなっちゃうのはイヤだなー。

 そうやって学校を守ったって、何の意味があるのさ』

 

 委員長としてのホシノの鶴の一声でお金は捨てることとなり、集金記録だけを持ち帰った。

 (なりゆきで置き去りにした一億円は便利屋68の手に渡ったのはここだけの話である)

 

 

 「もしおじさんがセリカちゃんに賛成してお金を使おうとしても、そこで先生が気づいて止めてくれたと思うよ?

 でもさ〜、あの時の私って先生のこと信用してなかったし、そうなったらきっと学校を追い出してたと思う」

 

 先生の肩に寄りかかり、ホシノは『あり得たかもしれない最悪の未来』を口にする。

 「先生はそれでも私たちを止めようとアビドスに来るでしょ?

 みんなが便利屋の子たちと揉めてるとこへゲヘナの風紀委員会が来て……たぶん、向こうのお望み通り先生を差し出して帰ってもらってるよ?」

 

 たとえその場での拉致は成功しようとも、アコの独断専行と越権行為はすぐにヒナの耳に届いて先生は解放されるであろう。

 しかし当時のアビドスを取り巻いていた状況を踏まえると、そのわずかなタイムロスが命取りになる。

 「先生は対策委員会の顧問じゃなくなってるだろうから、私が黒服に騙されて結んだ契約を覆せるかわかんない。

 あとは私もアビドスも終わってみんなは路頭に迷う……悪い大人のハッピーエンドだね」

 投げやり気味にそう言って頭を先生の太ももへと投げ出し、ひざ枕をしてもらうホシノ。

 「……当時の理事はアビドスを潰して「カイザー職業訓練学校」を立てようとしてた。

 実態はカイザーPMCの隠れ蓑で、ゆくゆくは……第二のアリウス分校になってたかもしれない」

 「うへぇ。そんなおっかない事起きかけてたなんて、ますます申し訳なくなっちゃうな〜」

 先生はおどけるホシノの頭を優しくなで始めた。

 

 「ホシノ、エデン条約のときに私に言ってくれたよね?

 『いまの先生は黒服に騙されたあの時の私と同じ』って」

 「うん」

 「私だって判断を誤ることはあるし、意固地になって人の話を聞かない時だってある……まさにホシノと同じさ」

 「似た者同士ってことかな〜」

 「かもね。

 ……大事なのは『選択を誤らない』だけじゃなくて『責任を持つ』こと。間違ったのなら結果から目を背けずに受け止めなきゃならない」

 撫でる手を止め、ホシノの顔を覗きこむ。

 「君はあの一件をしっかり受け止めて、一人で全部抱えこむのはやめたじゃない?

 それはホシノが失敗を糧にひとつ成長したって証さ」

 「……そうかもね」

 先生の微笑みに釣られるように、ホシノも笑みをこぼした。

 

 

 

……

 

 

 

 ホシノを見送ったあと、先生はオフィスへと上がった。

 まだ始業時間ではないのだが、執務室にはユウカが待ち構えていた。

 「先生、おはようございます」

 「おはようユウカ。ずいぶんと早いね?」

 「急ぎの要件ですので」

 

 先生が椅子に座るのに合わせてユウカは説明を始めた。

 「岩尾マチヨとその側近が司法取引に応じました」

 「岩尾さんがよく応じたものだね?」

 「正直なところ、私も信じられません」

 そう言って書類を差し出すユウカ。この間と同じようにセミナー会長の署名が書かれている。

 「……得られた情報を元にメトロン678を密造している組織のアジトを特定できました。

 セミナーはシャーレに対して、アジトへの強制捜査を依頼します」

 「依頼を承けるよ。

 ミヤコたちとの約束だし、メンバーにはRABBIT小隊を加えることが前提だけど大丈夫?」

 「問題ありません。それから、組織と関わっているらしき企業がD.U.に本社を置いてます。

 先生にはヴァルキューレ公安局に働きかけて、ミレニアムとの円滑な合同捜査を実現して欲しいとの事です」

 「やることいっぱいだな……でも、これ以上被害を増やさない為にもやるしかないね」

 書類に依頼受諾のサインをしながら、先生は部員生徒のスケジュール確保に思考を割き始めた。

 ……が、しかし。

 

 「それともう一つ、私に言わなきゃいけない事がありますよね?」

 「へっ?」

 ユウカへ視線を向けると、青筋立てた彼女の手には先生が不用意にもゴミ箱へと捨てていた領収書が握られていた。

 「あ、それは……」

 「先生、仕事は後回しにしましょうか」

 「……この仕事急ぎじゃなかったっけ?」

 「ほんの一時間の遅れで犯人に逃げられるほど、先生もウサギさんたちも無能じゃないでしょ?」

 「ひいっ」

 

 先生の目には、ユウカの頭に魔王もかくやの立派な一対の角が生えているように見えた。

 「先生! いい歳した大人が何回言えばわかるんですか!?」

 「ごめんなさい!」

 

 

 『あ、あはは……結局こういうオチなんですね』

 正座させられて説教を受けている先生の姿を見ながら、アロナは力なく笑った。

 

*1
アコは『土地の権利が他人に渡っているのでここはアビドスの自治区ではない』と理論武装していたようだが、結果はご覧の通りである。



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#17 早瀬ユウカという生徒さん

 色々あって脳が破壊されてました

■あらすじ
 ユウカの絆ストーリー直後。
 寝坊したユウカを休ませた先生だが、アロナに呼び出されてシッテムの箱の中へと意識を飛ばした。
 アロナはユウカについて前から気になっていた事を聞くことにした。


 

 

 ある日、規則に厳しいユウカが遅刻するという事件が起きた。

 しかもミレニアム生徒会(セミナー)代表としてシャーレと会議を行うという、『政治』に関わる案件でだ。

 原因は彼女の会計としての仕事が多すぎるがための過剰労働で、夜中に力尽きて寝落ちし、起きた時には既に十一時を回っていた。

 

 「お、遅くなりました!」

 「おはよう、ユウカ」

 慌てた様子でシャーレの執務室へ駆け込んだユウカ。一方の先生はいつも通り執務机に向かって連邦生徒会へ提出する報告書を書いていた。

 「す、すみません。昨日遅くまで仕事をしてて、そのまま寝てしまって……」

 会議で扱う書類が入った封筒を置くと、何か思い立ったように先生へ顔を向けた。

 「……えっと、先生。今日は遅刻しませんでしたか?」

 「うん。昨日絶対に遅刻しないでって言われたから」

 今日『は』と言うが、そんな何回も始業時間までにオフィスに上がれなかった記憶は先生にはなかった。

 

 相手の落ち度を探して自己正当化を図ろうなどとは、たとえ無意識でもユウカらしくない。

 不安になった先生は席から立ち、彼女へ近づく。

 「……ごめんなさい!」

 その動きを見てか、己の失言に気づいてか、ユウカは顔を真っ青にして頭を下げた。

 「先生にあれだけ言っておきながら、自分が遅刻するなんて……弁解の余地もありません」

 ガバっと顔を上げるユウカ。その肩は震えていた。

 「こうなった以上、罰は甘んじて受けます。

 さあ、何でも構いません。私に命令してください!」

 「別にいいのに……」

 「いいえ、罰則も規則です! 自分で言っておきながら自分だけは例外なんて、セミナーの会計として面子が立ちません!」

 ユウカは鬼気迫る剣幕で先生に詰め寄った。あまりの迫力に先生は一歩後ずさる。

 「ですので、どうぞ!」

 「じゃあ、居住区で昼寝してきてくれる?」

 「……え? それは、罰ではないのでは……?

 きちんとしたものでないと、罰になりません」

 呆気にとられるユウカだが、先生は飄々とした態度を崩さない。

 「いつも頑張り屋さんのユウカに必要な罰はこれだよ」

 「でも……」

 「どんな命令でもいいんでしょ?」

 自分の言った言葉を返されてしまい、しばらく黙りこむと観念したようにため息をついた。

 「……本当に、先生らしいと言いますか……」

 「ほめ言葉として受け取っとくよ」

 「分かりました。ではご命令通り、少し休んでくることにします。

 真面目な表情になったかと思うと、今度は顔を真っ赤にして大声を上げた。

 「……ですが、「遅刻をしても大丈夫」とは思ってませんから! 今後も先生の遅刻については、私が厳しく見張ります!

 もちろん、私も遅刻しないようにしますから!」

 そう言い切ってユウカは執務室を後にした。

 

 

 「……さて」

 先生はユウカが持ってきた封筒を開くと、中の書類に目を通して机に向かおうとした。

 『先生、ちょっと『来て』いただけませんか?』

 その背中に卓上のタブレット(シッテムの箱)から声がかけられた。

 「え? わかった」

 『ああ、その書類も持ってきてくださいね?』

 「? ……うん」

 

 


 

 

 

 壊れた教室の壁の向こうに、どこまでも続く青空と海。

 アロナ(わたし)はそれを窓から眺めながら『あの人』を待った。

 

 やがて、シッテムの箱(この場所)に人が来たことに気づくと、ガラスの向こうに浮かぶ人影が扉を開くのを待ちました。

 

 「やあ、アロナ」

 「お待ちしてました! 先生!」

 フェイス先生。シッテムの箱を扱えるただ一人の人間で、連邦捜査部『シャーレ』の顧問をしています。

 中性的な見た目なのでときどき性別を間違われてますが、フェイス先生はフェイス先生なのでお兄さんでもお姉さんでも私は構いません。

 

 いまの先生は意識だけをシッテムの箱の中へと飛ばしてる状態です。

 ……体が無防備じゃないかって?

 先生がここにいる間は時間の流れが早くなってて、ここでの一分は現実世界の一秒なので大丈夫です!

 一時間ここにいても外じゃ一分しか経ってませんから、他の人から見たらちょっと寝落ちした感じですね。

 

 「今回はシフォンケーキを持ってきたんだけど、すぐ食べるかい?」

 「食べます!」

 先生はとても不思議な人で、どこからともなく色々なものを取り出します。

 ここにいるのは意識だけなので、現実で作ったものを持ちこめるのはさすがにフェイス先生だけかもしれません。

 思えばシャーレ最初の仕事だったアビドスへの物資提供も、その身ひとつで自治区に向かいましたもんね。

 

 ホイップクリームをたっぷり載せたチョコ生地のシフォンケーキを、いい茶葉で淹れた紅茶(魔法瓶で持ちこんでました)で優雅にいただく……。

 まるでトリニティの生徒さんになったみたいな気分です!

 

 

……

 

 

 切り分けたケーキを二人で食べてるうちに、本題の前にだいぶ前から気になってたことを先生に聞きたくなってきました。

 「先生」

 「なんだい?」

 「ユウカさんってどうして先生にあれこれ口を出ししたがるのでしょうか?」

 「ふむ……あ、ほっぺにクリームついてるよ」

 「あっ」

 これは恥ずかしいです。……話が逸れましたね。

 

 ミレニアムサイエンススクールの早瀬ユウカさんは、先生がおもちゃを買うのを事あるごとに『ムダ遣い』だと咎めます。

 確かに先生はお財布の紐がゆるい……だけでなく、生徒さんにいい様に使われて散財することが多いです。

 でもそっちをあまり咎めずに、先生が趣味で買ったものや買い食いとかの出費の話ばかりします。

 たぶんユウカさん自身、先生にちゃっかり強請る事があるので強くは言えないのでしょうけど。

 

 それに、もはや『管理』と言っていいほど普段の生活態度にも口を出してきます。

 先生はいつも身を粉にして、死にそうになりながら働き続けてるのに、プライベートにまでダメ出しされたらたまったものじゃないですよ。

 

 

 先生は空のお皿にフォークを置いて腕を組んだあと、少し考えるそぶりを見せてから答えました。

 「そうだね……私の主観になるけどいいかい?」

 「はい」

 「まずユウカの心境を無視した客観的な見方だと、同属嫌悪と嫉妬かな」

 同属嫌悪と嫉妬?

 私が頭の上に疑問符を浮かべていると、先生は前にミレニアムで見たユウカさんのことを語り始めました。

 

 

……

 

 

 ある日、先生はマキと共にグラフティー用の道具を買いにショッピングモールに来ていた。

 会計に向かったマキを通路で待っていると、斜め向かいのテナントにユウカの姿を見かけた。

 なにかの商品をジッと見つめながら悩んでいる。 

 「もしこれを購入したら私は13日間、学食の基本メニューだけを食べるしかない……。

 それは辛いけど、買わなきゃ」

 そう呟きながら商品を手に取り、レジへと向かっていった。

 

 「……ねえマキ、ミレニアム学食の基本メニューってどんなの?」

 丸く膨らんだレジ袋を手に戻ってきたマキに、『基本メニュー』なるものがどんな献立なのかを聞く。

 「基本メニュー? ご飯と漬物とおみそ汁だけだよ?

 普通はそれとは別におかずを買うんだけど、一番安いからお金がない人はこれだけ食べてる感じ」

 「栄養バランス悪いし、食べ盛りの年ごろにはツラいだろうなぁ……」

 

 

 別の日、ミレニアム・スタディーエリア。

 先生はスミレのコーチングのあと、シャーレに戻ってからでは面倒なのでミレニアムの学生食堂で昼食を摂ることにした。

 久しぶりの休日ながら午前中からスミレ基準のハードなトレーニングに付き合い、疲れ果てて少々おぼつかない足取りで学食前に行く。

 「(あれ? ユウカだ)」

 券売機の前でうんうん唸っているユウカの姿を見た。

 何を悩んでるのかと見つからないように物陰から眺めていると

 「このままだと破産する……。出費を減らさないと……」

 電卓を握りしめながら肩を落とし、その場を離れようとするユウカ。

 

 「ユウカ」

 「!? せ、先生!?」

 先生はそんな彼女の背中に声をかけた。

 「ユウカもお昼かい?」

 「い、いえ! 今日はなんだか食欲がなくて……」

 しかし体は正直というべきか、腹の虫が大きな声を上げ、ユウカはお腹を押さえ顔を真っ赤にして俯いた。

 「あの、……これはその」

 「……そういえば一昨日の任務で不良グループから押収した兵器類とか、備品リストが今は使われてない単位で書かれてるから換算が面倒なんだよね。

 しかも手書き!」

 腹の音のことは表情には出さず、まくし立てるように言い切ると、先生は懐からリストの写しを取り出した。

 「ユウカ、ご飯奢るからやってもらえない?」

 「はぁ!? そういうことはご自分でしてくださいよ!」

 「デザートもつけるから、お願い!」

 手を合わせて頭を下げる先生の姿を見て、ユウカは少し悩んだのち口を開いた。

 「……今回だけですからね?」

 また腹の虫が鳴いた。

 

 

……

 

 

 「根拠が二言だけだから確証はないけど、ユウカはセミナーの仕事が忙しくてストレスも溜めやすいぶん、プライベートだとその反動で金遣いが荒いのかもしれない」

 なるほど……。ちょうど先生と似た感じなんですね。

 「ただ、資金力という点で私とユウカには大きな差がある。

 『私は色々ガマンしてるのに、先生はいつも好きなもの買ってるのが腹が立つ!』とか思ってるのかもしれない」

 先生はそう言って海に視線を向けました。

 「……シャーレの給料安いから、ああいうの買う時は貯金切り崩してるんだけどなぁ」

 シャーレはブラック企業かなんかですか。

 それはともかく。

 

 「では、ユウカさんご自身はどんな風に思ってるか、先生はどうお考えですか?」

 「ああ、たぶんアレだよ」

 ティーカップを手に取りひとこと言いました。

 「歳の離れた、憧れてるけど同時にだらしない兄か姉を怒る妹」

 ……え? 妹さん?

 先生は一口紅茶を飲むと、目を丸くしてる私を見て笑いました。

 

 「先生になるための学校の同期に、歳の離れた妹がいる人がいてね。

 その妹さんは同期……お兄さんを『目標』にするぐらい大好きだったんだけど、同時に生活態度がだらしないのをよく咎めてたんだよ」

 「先生はどうしてそんな話を知ってるんですか?」

 「彼とはプライベートでもよく話してたから顔を覚えられてて、妹さんから相談を受けたんだ。

 『普段はあんなにかっこいいのになんで家ではだらしないのか』ってね」

 年齢的にあまり昔の話という訳ではないはずですが、先生の態度は遠い昔を懐かしがるかのような雰囲気でした。

 

 「結局『ずっと気を張ってるのは心身に良くないし、そういう情けない姿を見せられるのは家族の前でだけ』と言って納得してもらったよ。

 事実、話を聞くまでその人が『実家ではラフすぎる服で食っちゃ寝してる』とまでは私も知らなかったし」

 ラフすぎるってどんな格好でしょうか? まさか下着姿とか言うんじゃないですよね?

 

 私はお話に夢中でずっと食べないでいた、ケーキの最後の一口を食べました。

 クリームのほどよい甘さと、ビター寄りのチョコ生地がうまく噛みあって、一回でホールひとつ食べてしまえそうなぐらい美味しいです。

 「ごちそうさまでした」

 私から食器を受け取ると、先生はやはりどこかへとお皿をしまいこんでしまいました。

 一体どこに行ったんでしょうね?

 

 「あとは……ヒナと似た理由かな」

 「ヒナさん?」

 「あの子はゲヘナの中でも特に厳しい立場にいて、誰かに甘えたい、褒められたい『子供らしい』心をずっと隠していた。

 ……それこそ、私も本人の心が折れてしまうまで気づけなかったぐらいにね」

 そう言って目を伏せる先生は、その事に対する後悔の念を隠しきれていません。

 「ヒナにせよユウカにせよ任されてる事は『大人の仕事』。その色眼鏡がかかって周りからは同じ『子供』とは見られにくいんだ。

 ユウカがゲーム開発部によく出入りしてるのは、あの四人の前では普通の学生でいられるから。ってのもあると思う」

 

 ……『小言ばかり言ってくる嫌な大人』『自分を貶める嫌いな大人』『憧れ、目標とするべき大人』『自分が従うべき指導者の大人』。

 その役割を子供が背負ってるってことですか。

 

 

 何故かズキリと心が痛みました。

 

 

 「おまけにそういう仕事をしてる子に近づいてくる大人は、下心や悪い考えを持ってる悪い人ばかりで、ひと時も安心できないときた」

 先生と一緒に学園都市のあちこちを見て回ると、思ってた以上に『悪い大人』って多いんだなって感じました。

 アビドスにいる柴関ラーメンの店主さんみたいにいい人も大勢いますから、シャーレの仕事柄そういった悪い人を見やすいのでしょうけど。

 「そこに『信用できるいい大人』、つまり私が現れた。

 ……自分で言うの恥ずかしいね」

 「先生は先生ですよ」

 「うん」

 

 先生は……少しだらしないところもありますが、どんな相手でも真摯に向き合い、力で強引に解決するような真似はまずしません。

 それは生徒さんたちの悩みや問題も同じで、過程はともかく最後はみんなが笑って終われる結末を引っ張ってきてくれます。

 生徒さんたちの態度は千差万別ですけど、みんな先生に気軽に相談をしたり、何かしらの面倒ごとを抱えたときに頼っています。

 

 「ユウカの態度を見てると、似たような境遇にあって『責任ある大人』である私に対して、自覚があるかは別として少なからず敬愛の念を抱いている可能性はある。

 でもユウカは任務中以外の私を見る機会が多いから、必然的に私に抱いた『幻想』を打ち砕かれる」

 「……良く言えば『好きだからこそしっかりしてほしい』という心配、悪く言えば『自分の理想像を押しつけてる』と?」

 「そういうことだね」

 先生は大きなため息をつきました。

 「ユウカも我慢しないで、私に甘えてくれればいいのに。折れてからじゃ遅いんだから……」

 

 生徒さんの自主性を重んじるがために、何か不穏な状況にならない限り、生徒さん自身が助けを求めるまで先生は極力動こうとはしません。

 『他』の先生がもしいたとしたら、フェイス先生のやり方を甘いとか、先生失格だと罵るかもしれません。

 ですが『郷に入っては郷に従え』。

 フェイス先生は『外』の常識をキヴォトスの生徒さんたちに押し付けたりはしないで、自分で解決できることは生徒さん自身で済ませれるように手伝う方法で今までやってきました。

 

 

 私は、先生(あなた)のやり方を誇らしく思ってます。

 愛しい人の顔を見つめて、自然と口元がゆるみました。

 

 

 「そういえば先生、ユウカさんが持ってきた会議の書類は持ってきましたよね?」

 「うん」

 懐から封筒を取り出す先生。さすがにその大きさのものをコートの裏に持ってると言い張るのは無理があるのでは?

 「ここなら時間はたっぷりありますし、ユウカさんが起きる前に全部片付けちゃいましょう!」

 「そう言うとは思ってたよ。でも一応普通にやっておくつもりだったんだけど」

 「その時間でシャーレの仕事をしましょうよ。連邦生徒会への報告書、けっこう溜まってるんじゃないですか?」

 「……そう言われると弱いな」

 私は先生の秘書で相棒(パートナー)ですよ? お仕事のことならちゃんと把握してます。

 「私も手伝いますから! こういう時は先生も素直に甘えてください!」

 「……ありがとう」

 

 その後、ユウカさんが眠っている間に、先生と二人でセミナーの溜まっていた仕事を片付けておきました。

 

 

 

 

 シャーレ業務日報 ■月■日分より抜粋

 ミレニアムサイエンススクール生徒会との定例会議は時間通り開催。

 会議後、ミレニアム代表者の体調が優れないため、シャーレ居住区で休養を取らせた。

 



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#19 メイドとユウカとケモ耳しっぽ

『もふもふ尻尾とメイド』のリメイクとなります。

■あらすじ
 ある日の夜、悪徳企業のスパイを追う途中に窮地に陥ったC&Cをサポートした先生だったが、なぜか狐の耳と尻尾が生えていた。
 翌日事情を聞いたノアはいたずらを思いつく。


 

 

 C&C、正式名称『Cleaning & Clearing』。

 ミレニアムサイエンススクールの部活動のひとつであり、メイド服に身を包み清掃などの奉仕活動を行うことから『メイド部』とも呼ばれている。

 その実態はミレニアムの諜報・内外工作部門であり、ミレニアム生徒会(セミナー)の指令のもと自治区内で暗躍する犯罪者やスパイなどの検挙、場合によってはD.U.(行政区)や他の学園の自治区への潜入や破壊工作などを行う秘密戦闘部隊である。

 

 ……あまりにも暴れすぎて不必要かつ甚大な被害を出すため、主にセミナー会計担当であるユウカのストレスの原因になっている上、C&Cが秘密工作員であるという『ウワサ』が公然と流れてしまっている。

 

 

 そんな彼女達は今夜も夜の街を影から影へと駆け抜ける。

 

 

……

 

 

 「……まいったな」

 コールサイン『02(ゼロツー)』ことカリンは愛用の対戦車ライフル(ホークアイ)の照門から目を離し、数百メートル先のビルを睨む。

 仲間たちがあの『牢獄』に閉じこめられている中、何もできない事を彼女は歯がゆく感じた。

 

 コツコツと、非常階段を上る足音がかすかに聞こえてきた。

 カリンは狙撃位置にある愛銃ではなく、スカートの下に隠している拳銃(P365)を手に取って階段の出入り口へと向けた。

 

 「こんばんわ。やっぱりカリンだったね」

 「先生?」

 階段を上りきって姿を見せたのは、彼女たちもよく知る連邦捜査部(シャーレ)の顧問だった。

 「どうしてここに?」

 「裏路地に君たちが『仕事』でたまに使ってる車が停まってたから」

 C&Cは移動の際、周囲に感づかれないように徒歩か公共交通機関を利用するが、急な任務や追跡の時には改造が施された車両などを使っている。

 今回はセミナー保安部のバックアップのため車両に乗って後方に待機していたが、目標が車で逃げ出したのでそのまま後を追ったのだ。

 

 少し落ち着いて先生の姿を見ると、カリンの頭には疑問符がいくつも浮かんだ。

 「……それと、その耳と尻尾は一体?」

 「あー、うん。昼間に色々あって」

 妙なのは、なぜか狐と思わしき獣耳と尻尾をつけているという事だ。

 先生の困惑を表すかのように耳は伏せられ尻尾は垂れ下がっているので、明らかに作り物ではなく本物が生えている。

 

 それはともかく。

 「先生、あそこにあるビルが見える?」

 カリンが指差した方角に目を向けると、窓すべてにシャッターが下りているビルが確認できた。

 「左隣りに大きい立体駐車場があるビルかい?」

 「ああ。あそこに入っている企業が雇った産業スパイを追ってここまで来たんだけど……」

 

 

 ミレニアムサイエンススクールから機密情報を盗み出した産業スパイを追って、D.U.にある某社のオフィスビルまで追い詰め情報の奪還に成功した。

 しかし、スパイと雇い主である某社の重役を撃退したのはいいが、死なばもろともの考えで重役がビル全体の無人防衛システムを作動させてしまった。

 窓という窓、外へ繋がる階段や連絡通路が特殊合金製のシャッターで封鎖され、突入したネルら三人は建物に閉じ込められてしまった。

 外から狙撃支援を行っていたカリンもこれではまったく手出しができない。

 

 

 「なるほど。ミヤコたちがあの会社の調査を考えてたのはそういう事か」

 SRTの生き残り(RABBIT小隊)が既に動き始めている。どうやらあの会社は手広く派手に不正を働いているようだ。

 過剰極まりないビルの防衛システムも、ヴァルキューレ公安局あたりを仮想敵としているなら納得がいくものだった。

 

 それ以上の事を考える間もなく、これから先の事を考えたカリンはため息をついた。

 「先生、あの企業はかなり評判が悪いPMCの親会社だ。

 騒ぎに気づいて戦力を派遣されたら厄介な事になる」

 もちろんネルたちの強さを考えると、たとえカイザーPMCの大部隊であっても撃破する事は可能だ。

 しかしここはアビドス砂漠のような無人地帯でもブラックマーケットのような違法地帯でもなく、大企業が本社を連ねるD.U.のど真ん中だ。

 このまま放っておくと駆けつけたPMCとの戦闘で周りが火の海になるかもしれないし、それ以前にアカネが脱出口を作ろうと発破を行えばビルが丸ごと崩れるかもしれない。

 そんな事になればC&Cの実態が露呈する恐れがあるだけでなく、ミレニアムに対する多額の賠償や責任追及であまり良い結果にはならないだろう。

 

 「よし、任せて」

 先生はいつものほほ笑みを向けると、まるで近所へ買い物に行くかのような気軽さでそう答えた。

 「カリン、君は今すぐあのビルの前まで車で移動。ネルたちの脱出口はこっちで探してみる」

 「わかった。先生、頼んだ!」

 カリンは『ホークアイ』を軽々と担ぐと、足早に非常階段を駆け下りていった。

 

 足音が聞こえなくなったのを確認すると、先生はシッテムの箱を手に取り相棒(アロナ)へ話しかけた。

 「アロナ、聞いてたね? まず、ハイペリオンビルのネットワークに侵入できる?」

 『任せてください!』

 

 

……

 

 

 通路を埋め尽くす箱、箱、箱。

 通風口から、本来放水ホースがあるはずの消火栓から、その辺のロッカーから。

 キヴォトスではよく見られる小型ロボット『スイーパー』の軽武装モデルが、侵入者を制圧せんと次から次へと押し寄せてくる。

 「だぁーもう!! ゲームじゃあるめぇし無限湧きすんじゃねえ!」

 ネルは両手に持った短機関銃(ツイン・ドラゴン)を連射しながら飛びこみ、目で捉えられない速さで蹴りや銃による殴打を機械の群れにブチ込んだ。

 第三者がその光景を見たのであれば、戦女神が舞っているかのようにも見えなくない。

 目前のスイーパーは穴だらけになるかグチャグチャにひしゃげ、一切の動きを止めた。

 「オラァおめえら進め!」

 弾倉を替えながら先に進むリーダー(ダブルオー)を追いかける、対象的な趣きのメイド服を着た二人のエージェント。

 「楽しいね! でもいい加減弾が無くなりそうなんだけどどうしようかなー!?」

 そう笑いつつ、アスナは愛用のアサルトライフル(サプライズパーティー)に新しい弾倉を叩きこみ、棹桿を引いて初弾を薬室に装填する。

 そして背後に現れた新たな大群に一瞬視線を向け、撃つだけ無駄だと考えてそのまま脇に抱えた。

 

 三人はどうにかエレベーターホールまでたどり着くが、オフィス階のエレベーターの扉にすらシャッターが下りている事にネルは舌打ちする。

 「アカネ(ゼロスリー)! 一階の扉もこんなんだと思うか!?」

 「床を爆破したほうが早そうですね……」

 「よしやれ」

 迷いなくその選択肢を選んだ。

 歯ごたえのない雑魚を延々と相手する、そんなつまらない戦闘にネルのフラストレーションは爆発寸前だった。

 

 『待って待って! そこの床の下にガス管が通ってるから建物が吹っ飛ぶよ!?』

 

 とても聞き慣れた声がインカムから聴こえてきた。それは彼女たちにとってはまさに救世主だった。

 「その声は……先生ですか!?」

 「先生! どうして私たちに気づいたの?」

 至極当然の疑問だ。今回の件をセミナーはシャーレに依頼をしておらず、先生が自分たちの動向を知るはずがない。

 『たまたま近くを歩いてたらカリンを見かけてね。それより今から脱出方法を教える』

 「なら早くしろ先生! こっちはいい加減頭に来てんだ!」

 ネルは残数が心許ない弾倉を銃へと差し込みながら怒鳴った。

 『エレベーターの扉前から見て左に五メートル先の行き止まりのとこ、昔隣に立ってたビルとの連絡通路跡だから壁が薄い。

 そこを破れば隣にある立体駐車場に飛び移れる』

 今は自動販売機やベンチが置いてある休憩スペースのようだ。だが直前の通路からわらわらと追加のスイーパーが押し寄せており道が塞がれていた。

 「おっしゃ行くぞ!」

 『待ってネル。今からフロアのスプリンクラーを誤作動させる。武装型スイーパーのレーザー銃ぐらいなら距離を取れば無力化できるから』

 「なら防衛システムの方を何とかしろよ」

 『外からじゃアクセスできないんだ。ごめん』

 

 ミレニアムの凄腕ハッカー集団『ヴェリタス』やSRTの隊員(風倉モエ)のような技術がないにもかかわらず、当たり前のようにハッキングを行う先生。

 言うまでもなく謎のタブレット端末(シッテムの箱)の中にいる相棒(アロナ)の力だ。

 最高権力者(連邦生徒会長)以外はアクセスできないサンクトゥムタワーの制御権すら短時間で掌握してしまう彼女の前では、並みのセキュリティソフトなどゴミ屑に等しい。

 

 間もなくスプリンクラーが放水を始め、通路全体が雨に降られたかのように水浸しになってゆく。

 武装型スイーパー唯一の武器であるレーザー銃の出力では、よほど近づかれない限りダメージを受ける事はほとんどない。

 『アスナ、バニーの時に持ってた手榴弾ってある?』

 「あるよ? せっかくだから持ってきたの!」

 『それじゃいつでも投げれるようにしといて。アカネ、普通の鉄筋コンクリート壁を破るのに何秒かかる?』

 「一五秒もあれば問題ありません」

 『オーケー、作戦開始! ネル、お願い!』

 「やってやろうじゃねえか!」

 ネルはまるで瞬間移動したかのような速さで通路を駆け抜け、敵群を一瞬で蹴散らした。二人もそれに続いて走り、アカネは壁に駆け寄り爆薬をセットし始める。

 『いま駐車場のほうにカリンが車で向かってるから地上でそれに乗って脱出。そっちの到着は三分後ぐらい!』

 「早くしろアカネ! これ以上は弾が足りねえぞ!?」

 「リーダーでもたまには焦るんだね!」

 「うるせえ!」

 際限なく湧いてくる敵をネルとアスナは正確な照準で撃ち抜いてゆく。

 

 「起爆します。二人とも伏せてください!」

 きっかり一五秒後、爆薬を仕掛け終えたアカネは自動販売機の陰に隠れた。

 間髪入れずに爆炎がフロアを包み、配線が焼き切れてスプリンクラーの一部が止まった。

 『アスナ!』

 「いっくよー!」

 先生に具体的な指示を乞うまでもなく、アスナはスイーパーの群れに手榴弾を投げつけた。

 「よし行け行け!」

 三人は爆発を背に壁の穴へ向かって全速力で走り出す。

 「っておい意外と距離あるな!?」

 壁と駐車場までの距離は約六メートル。ネルは勢いが少し足りず駐車場側の出っ張りにしがみつき、続けて飛び移ったアスナがすぐに引き上げた。

 最後にアカネが華麗に飛び移り、全員がビルから脱出した。

 『カリンの到着まであと一分、急いで!』

 休む間もなく三人は駐車場側の非常階段扉をこじ開け、一気に駆け下りていく。

 地上に着くのとカリンが運転するSUVが駐車場前へ到着するのはほぼ同時だった。

 「早く!」

 三人はカリンの呼びかけに答える余裕もなく後部座席へと飛びこんだ。

 全員が乗りこんだことを確認したカリンはアクセルを踏みこんで急発進、ハンドルを切って旋回しすぐにその場を離れた。

 

 

 「みんな脱出できたみたいだね」

 マップ上に浮かぶ光点がビルから離れていくのを見た先生はホッと息を吐いた。

 後ろからヘリのローター音が近づいてくるのを感じて振り返る。

 

 『こちらRABBIT小隊。シャーレからの『カタロ・インダストリアルへの強制調査』の依頼に基づき出動しました』

 

 今は亡きSRT特殊学園のエンブレムを背負った空色の武装ヘリ(UH-60)が頭上を飛び去った。

 「急な話でごめん。でも今なら『ミレニアムから機密を盗んだ犯人』がビルの中にいるから」

 『了解。情報を確保し次第、再度連絡します』

 『こちらRABBIT3。先生、侵入ルート確保が面倒だからミサイル撃ちこんでいい?』

 「ダメ! フリでもなんでもなくダメ!」

 『冗談だって〜。くひひ』

 

 

……

 

 

 車を飛ばしてミレニアムの自治区に入ると、C&Cエージェントたちはようやく肩の荷が下りた気分となった。

 「今回はちょっと危なかったねー」

 「しばらくスイーパーは見たくねえな……くそったれ」

 ケラケラと笑うアスナに対して、ネルはストレスフルといった様子でシートの背もたれを倒した。

 「カリン、ご主人様の様子はいかがでしたか?」

 アスナとアカネが『ご主人様』と呼ぶシャーレの先生はひどく忙しい身であるため、なかなか会う機会に恵まれない。

 カリンはアカネの質問に少し困ったそぶりを見せると、やがて口を開いた。

 「……もふもふの尻尾が生えてた」

 「……はい?」

 「狐の耳と尻尾が生えてた。とてもさわり心地が良さそうだった」

 「お前頭でもぶつけたか?」

 「本当なんだリーダー、信じてくれ」

 ある意味ネルの反応はごもっともであるが、カリンとしては真実を言っている。

 車内が困惑の雰囲気で満たされるなか、アスナだけは話を信じて頭の中で先生の尻尾を愛で始めていた。

 

 


 

 

 翌朝、シャーレ居住区。

 

 『黒い噂の数はカイザーコーポレーションに劣らないと評判のカタロ・インダストリアル本社に、けさヴァルキューレ捜査局が警備局と共に家宅捜索に入りました!』

 『仕事の遅さと杜撰さで有名なヴァルキューレ警察学校ですが、なにか決定的な証拠でも掴んだのでしょうか!? あるいは癒着隠『ここは立入禁止だ!』これは公権力の乱よ──』

 

 相変わらず報道の自由を振りかざして言いたい放題のクロノス報道部レポーター(風巻マイと川流シノン)だったが、いつもの事ながら勝手に封鎖線内に入りこんでいたようで、撮影スタッフともども警備局の生徒によって現場から強制排除された。

 画面が『しばらくお待ち下さい』の静止画に切り替わったのを見て、先生はテレビを消した。

 

 「これで一段落かな?」

 少し寝ぼけながら温めの紅茶を飲み、ライ麦パンで作ったサンドイッチを頬張る。

 レタスのシャキシャキ感と少し硬めのパン、軽く炙った厚切りベーコンの塩っぱさの組み合わせが脳を刺激し目を覚まさせる。

 伏せていた獣耳がだんだんと起き上がっていき、尻尾がユラユラと振られ始めた。

 『普段イズナさんを見るときは意識してませんでしたけど、こうして見てみると完全にイヌのそれですね……』

 「慣れてくると結構面白いよ?」

 その様子を卓に置かれたシッテムの箱から物珍しそうに見るアロナ。

 

 さて、なぜ種族的には普通の人間であるフェイス先生にケモミミと尻尾が生えたのか?

 それは昨日、先生が山海経高級中学校を訪れた時まで遡る。

 

 

 

 「さあ先生、今回の薬は自信作なのだ!」

 「ごめん用事思い出した!」

 「こら逃げるな! 今回は変な薬じゃないのだ!」

 「『今回は』って言ったね今!?」

 逃げようとした先生を体格差をものともしない力で引き止めるサヤ。

 「ちょっと獣の耳と尻尾が生えるだけなのだ!」

 「……ケモミミと尻尾?」 

 興味をひかれた先生は足を止めた。

 「うむ。キヴォトスには獣耳だけ生えている者、尻尾も持っている者といるけどいずれも少数派なのだ」

 

 シャーレとかかわり合いを持つ生徒にも獣耳持ちはいるし、なんならサヤ自身もネズミの耳を持っている。

 しかし『獣の尻尾』を持っている者は百鬼夜行の生徒に偏りそれでも少ない。

 「まあ、いっぺん自分で尻尾を生やしてみたいっていう物好き向けの試作品なのだ。効果も長くて二日程度でなくなるように調整してあるぞ?」

 「ふーん……」

 調合ミスで妙な事になるかもしれないが、それを聞いて先生はますます好奇心が刺激された。

 

 サヤは琥珀色の液体が入った試験管を手に取ると、封を開けて先生へと手渡した。

 「これ何の動物になるかは決まってるの?」

 「まったく判らないのだ。飲んだ人次第だと思うぞ?」

 しばし熟考したのち、先生は霊薬をひと息に飲み干した。

 「うわっ不味っ!?」

 

 

 

 『ほんとさわり心地良さそうですね……』

 「毛並みは髪質と同じになるみたい」

 朝食と洗顔歯磨きを終えてひと息つく先生。服はパジャマ代わりのスウェット上下のまま、髪は束ねず伊達眼鏡もかけていない。

 自分から生えた尻尾をなでてみると、ふわふわもふもふの中にある本体が微妙にくすぐったいと感じた。

 「まあ、それよりも今日は休みだ! ……何日ぶりだっけ?」

 『聞かないほうがいいですよ?』

 「あっはい」

 地獄の責苦のような書類の山も次から次へと舞いこんでくる依頼もすべて片付き、数十日ぶりの休日がやってきた。

 

 「(どこへ行こうかな? この尻尾に合いそうだから服も久しぶりにあれを着よう。あーあとブンドドもしたいなぁ)」

 フェイス先生はいつも同じ服を着ているが、オシャレに無頓着という訳ではなく、下手に服を替えると先生だと認識されなくなる事を警戒して同じものを何着か着回している。

 ただでさえ普段は『変な大人』扱いで、連邦生徒会の制服を模したジャケットでどうにかシャーレの先生だと認識されてる状況なのだ。

 

 ウキウキしながらクロゼットを開いたその時、テーブルに置いたスマートフォンが着信のベルを鳴らし、先生はゾッと背筋が寒くなった。

 

 「はい、フェイスです」

 『先生、おはようございます。……いつもと違って他人行儀ですけど、どうかされたんですか?』

 電話をかけてきたのは、先生にとってはおそらくこのタイミングで最も相手にしたくないであろう、ミレニアム生徒会の早瀬ユウカだった。

 「いや……なんでもないよ。それでどうしたんだい?」

 『昨晩のC&C(メイド部)の件でセミナーが事情聴取を求めています。申し訳ありませんが、お時間をいただけますか?』

 「うん、わかったよ」

 『ありがとうございます。ではお待ちしています』

 

 ブツッ

 

 「ちくしょおおぉぉぉ!!」

 『……まあ、そうなりますよね』

 居住区に先生の嘆きが響き渡った。

 

 

……

 

 

 ミレニアムサイエンススクール、C&C部室。

 「……以上で聴取を終了します。先生、お疲れさまでした」

 事情聴取は急用で不在のユウカに代わりノアが執り行なった。

 昨夜にネルたちと関わった経緯を聞くだけであり、ミレニアムが関与していない撤収後の話までは問い質す事はなく、聴取は短時間で終わった。

 

 「それにしては……」

 ノアは机を挟んで真正面に座る先生の頭上から背後までに視線を順番に動かした。

 「あははは! ご主人様のもふもふ〜!」

 腰から伸びる狐の尻尾にアスナがずっと抱きついている。

 「アスナ先輩、そろそろ替わってほしい」

 「わかったよー。……ところでリーダーは触らないの?」

 「あたしは別に」

 ぷいっとそっぽを向くネル。

 「リーダーもそう言いつつ、チラチラと横目で見ておられるじゃないですか」

 「うっせえよ」

 ネルを茶化すアカネは先生の長髪を編み込みながら、たまに獣耳をふにふにと触っていた。

 

 先生は完全にメイドたちのおもちゃにされていた。

 「山海経高級中学校の薬子サヤさん……天才児として昔から有名な人でしたね」

 「いつも変な薬を作ってる子だけど、今回のは間違いなく成功だね」

 「獣耳の生徒さんが多い学園への潜入に使えるかもしれませんね? ちょっと問い合わせてみましょうか」

 「そういう事態にならない事を願ってるよ……」

 ケモミミメイドもまた乙なものだが、それをやって彼女らがもたらすと思われるのは破壊と損害賠償とユウカの胃痛である。

 

 ポンッ。とファンシーな音が鳴ったかと思うと、先生の体から獣耳と尻尾はきれいサッパリ消え去った。

 「あ……」

 もふっていた尻尾がなくなってしまい、カリンは残念そうに声を漏らした。

 「一日持たなかったか。まあ最長二日って言ってたし、個人差とか体の具合も影響ありそう」

 三編みの一本おさげを編み終えたアカネも、少し名残惜しそうに先生の頭を撫でた。

 「ご主人様、薬は飲まれたものだけでしょうか?」

 「え? 面白そうだから何本か買い取ったけど、立て続けに飲んでも効果時間が短くなるんじゃない?」

 そう言って懐から小瓶をひとつ取り出した。

 持ってんのかよというネルの呆れ顔を尻目に、アカネは眼鏡を光らせノアはにっこりと笑った。

 

 「皆さん、少しゲームをしませんか?」

 

 


 

 

 

 「もう……! どうしてこういう時に限って!」

 とある工業系の部活が部費の架空請求を行ったため、ユウカはセミナー保安部を引き連れて部室に乗りこむ羽目になった。

 幸い未遂に終わったため、厳重注意と多少のペナルティを課したのみで済んだが、対応のため先生への事情聴取をノアに投げざるを得なかった。

 先生はまだいるだろうか? そう考えつつC&Cの部室の扉を開いた。

 

 「ユウカちゃん、お疲れさまです」

 「おはようユウカ」

 中に入ると、部屋の一角にある席に先生とノアが座っていた。

 C&Cエージェントのうち、その場にいないアカネ以外はバラバラに座っている。

 「おはようございます。聴取の方は……?」

 「終わったよ」

 「そうですか……」

 少し残念そうな顔をするユウカの横に、いつの間にかアカネが盆を持って並んでいた。

 

 「ユウカ、健康ドリンクでもいかがですか?」

 「え? 何これ青汁?」

 盆の上に載るコップにはなんとも言えない色合いの緑の液体が満たされている。

 「似たようなものですね。味の方はあまり保証できませんが……」

 「アカネが作ったんなら害はないんだろうけど」

 ユウカは訝しがりつつもコップを手に取り、少しにおいを嗅いだあと口をつけ一気に飲み始める。

 『味は保証できない』と告げた通り、だんだんと表情が渋いものになってゆく。

 「まっず! もう少しなんとかならなかったの!?」

 「素材の味が少々誤魔化しが利かなくて……味見ができませんでしたから」

 「は?」

 

 直後、ユウカの体が光ったと思えば『ポンッ』という音と共に光が弾けた。

 

 「おお……」

 「ふふふ」

 「わぁ! やっぱりわんこユウカだ!」

 周囲の驚きの声の中でアスナの発言が耳にとまり、ユウカはとっさに頭に手をやった。

 「……ちょっ!? なんなのこれ!?」

 何か毛で覆われた柔らかいものが生えている。

 更に尻の上に異物感を覚え手を当てると、もふっとした何かに触れた。

 「なんだありゃ? キツネか?」

 「コーギーですね。一般的にペットショップに並んでるのは断尾してますから、知らない人が多いんですよ」

 ノアはネルの疑問に笑いながら答えた。彼女が主犯なのは明白である。

 「くくく……ユウカ、なかなか似合ってるよ……」

 先生は笑いを必死にこらえながらユウカに手鏡を差し出した。

 それを半ば奪うように受け取り自身の頭を写すと、ユウカの顔はみるみる青ざめていった。

 

 「何よこれえぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 

……

 

 

 「モモイがセットA、ミドリがセットC、ユズがサンドイッチセット、アリスがジャーマンドッグ。クエスト内容は完璧ですね!」

 アリスはゲーム開発部全員の昼食を買うため、ひとりで学園食堂まで足を運んだ。

 無論パシられている訳ではなく、アリスが『お使い(クエスト)はお任せください!』と自ら志願したのだ。

 彼女がちゃんとお使いができるか心配になり、後ろからモモイがこっそり後をつけている。

 

 食券をカウンターに出して、持ち帰り(テイクアウト)が出来上がるまで座って待とうと空いてる席を探すアリス。

 「先生と、……ユウカ?」

 その中、窓際のテーブルに見慣れた人が何人も固まっているのを見つけたが、何か様子がおかしい。

 ユウカが室内にもかかわらずジャンパーのフードを被っており、不審に思った周囲からの視線を集めていた。

 「ねえ、誰か覗いてみてよ」

 「やだよユウカを怒らせたら後が怖いじゃん」

 そんな話し声が聞こえてきたので、好奇心旺盛な勇者アリスはこっそりと近づいてみる事にした。

 

 「ユウカちゃん機嫌を治してください。ほら、デラックスランチ食べたがってたじゃないですか?」

 「ノーアー……あなたね、やっていい事と悪い事があるでしょ! 先生も! 大人なんだから悪ノリしないで!」

 「いや、ホントごめん」

 二人に怒りながら、慰謝料としてノアに奢らせた一番高い定食をモリモリ食べるユウカ。このあと共犯である先生に奢らせたデザートが控えている。

 

 隣のテーブルではメイド部が『ゲーム』の結果を話し合っていた。

 「タヌキかネコあたりだと思ってたんだがな……」

 「猫はどっちかっていうとリーダーじゃない?」

 「はぁ? アスナ、おめえどうして思ったんだよ」

 「ふふっ、私もアスナ先輩の意見に賛成です」

 ノアのゲーム……もといイタズラの内容は『ユウカが何の動物の耳と尻尾が生えるか』だった。

 結果はネルの一人負けで、全員に飲み物を奢る羽目になった。(先生は辞退した)

 「アスナ先輩はイヌ……たぶんラブラドール・レトリバーとかその辺り」

 「違いねえな」

 

 「(動物を育成するゲームのお話でしょうか?)」

 アリスの脳裏には、最近先生が仕事の合間にちまちまやっている怪獣育成ゲームが浮かんだ。

 そうこうしているうちにユウカの後ろまで忍び寄ったアリスだったが、ここで怪しいものが目の前に現れた。

 「(……尻尾?)」

 ユウカが座る椅子の背もたれと座面の間から、ふわふわもふもふな尻尾のようなものがボロンと垂れ下がった。

 ユラユラ揺れるそれはどうやらユウカの『アクセサリー』らしい。

 ユウカはヒビキのような獣人ではないから、モモイとミドリがつけている猫のメカ尻尾のようなものとアリスは認識したのだ。

 

 そしてさわり心地がよさそうなそれに、アリスはつい手を伸ばしてしまった。

 「ひゃん! いったぁ!?」

 尻尾への突然の刺激に飛び上がったユウカは、テーブルに太ももを強打して更に飛び跳ねるはめになった。

 「いたたた……誰よ一体!? ……え、アリスちゃん?」

 慌てて後ろを向くが、そこには呆然としたアリスがしゃがみこんでいた。

 「ユウカ、魔王に呪いでもかけられたのですか?」

 「えっ。あっ!」

 ユウカは慌てて犬耳を隠すように手で頭を押さえた。飛び跳ねた時にフードが外れてしまったようだ。

 

 頭隠して尻隠さず。尻尾は無防備に周囲の視線に曝されていた。

 「ユ、ユウカに萌え属性が増えたー!?」

 ずっと隠れて様子を見ていたモモイが叫んだ。

 

 

 その後、ユウカは先生を絞め上げて薬の出どころを聞き出すと、サヤに超特急で解毒薬を作らせた。

 むろん代金は先生持ちである。

 獣耳尻尾を生やす霊薬の存在は犬耳ユウカの話とともにミレニアムじゅうに広まる事となり、サヤの懐はかなり温まったという。

 

 「これでは潜入任務で使えませんね……」

 「使わなくていいから!」

 



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#20 『シャーレの先生』という概念

 「#9 ウイと『もしも』を語る話」の加筆修正版になります。全体的な流れは同じですが内容が異なります。

●あらすじ
 ウイに頼まれて『キヴォトスの外』の本を持ってきた先生。
 本を読むうちに気になった事を聞かれた先生は、キヴォトスへ赴任した日に起きた怪奇現象について語り始めた。


 

 学園の成立までに複雑怪奇かつ陰惨な歴史を持ち、それを数百年の歴史と幾多のオブラートで包み隠した巨大校『トリニティ総合学園』。

 先生はかの大英帝国を思わせる建造物が建ち並ぶ商店街を学園に向けて歩いている途中、授業を終えて街に繰り出した生徒の一団とすれ違った。

 

 「ねえ、シャーレの先生って観たことある?」

 「あるようなないような……ロボットだっけ?」

 「違うよゴリラみたいな大男だって!」

 「それも間違いですよ? 何やら得体のしれない化け物って話じゃないですか」

 「それこそ嘘っぱちじゃない!」

 

 本人を目の前にして、誰もその大人が先生だと気付かないまま通り過ぎた。

 「……うーん」

 先生は思わず足を止めて腕を組み、首をかしげる。

 キヴォトスに来てから八か月近く経ち、シャーレは大小数え切れない依頼をこなし、数多くの大事件に関わってきた。

 しかし不思議なことに、顧問である『シャーレの先生』の顔は誰にも知られる事がないと部員たちを悩ませている。

 晄輪大祭において、借り物競争でユウカに観客席から引っ張り出されて以降、ほんの少しだけ改善した気がしないでもない程度だ。

 

 「道の真ん中でなに突っ立ってるの? 先生」

 「えっ?」

 黒い猫耳が目前にあることに気付いて顔を下へ向けると、そこにはこちらを見上げているカズサの姿があった。

 「ああごめん、ちょっと考え事をね。カズサはこれからどこか行くのかい?」

 「現地集合でナツたちと……それと宇沢と一緒に。

 先生は補習授業部の関係?」

 放課後スイーツ部の活動に時々レイサが加わっていることに内心でニッコリしつつ、先生は質問に答えた。

 「いや。今日はセイアに呼ばれてるのと、ウイに用事があってね」

 「あの変人に……」

 シャーレの当番で何度か顔を合わせてはいるが、カズサはどうもあの『古書館の魔術師』には慣れなかった。

 

 

 トリニティ・スクエアの一角に存在する古書館は、その呼び名の通り古い書物を管理・保全する建物である。

 トリニティが今の形になる前からの古書も保存されており、隠されたアリウス分校の自治区へ侵攻する際もここでルート特定に必要な資料を捜索している。

 

 ここの管理を住込みで行っているのは、『古書館の魔術師』の通り名を持つ図書委員長の古関ウイ。

 彼女は人嫌いの偏屈者で知られており、もし協力を取り付けるのであればかなりの苦労か奇策、あるいはトリニティ内部の権力に頼る必要がある。

 そんな彼女が連邦捜査部(シャーレ)へ参加した時には、到底信じられないだの何があっただの、ちょっとした騒ぎになった。

 

 とはいえシャーレの当番でない時のライフスタイルに変化はない。

 授業時間以外、一日の大半を古書館で書物の補修や古文書の解読することに費やしている。

 違いといえば、たまにシャーレの先生が古書館に訪れること。そしてシャーレがらみで作った友人と外出する事がまれにあるということだ。

 

 

……

 

 

 先生はティーパーティーとの会談予定時間より早くトリニティへ到着し、ウイとの約束を果たすために古書館へ立ち寄った。

 

 作業机に向かって座っているウイの視線は、目前に置かれた書籍に釘付けになった。

 「ほう……これが先生がいらっしゃった『外の世界』の本ですか」

 丁寧な装飾がされたハードカバーのぶ厚い本。ウイはそれを手に取り外観をじっくりと観察した。

 「たぶん大丈夫だろうけど、トリニティ(ここ)の禁忌に触れそうなのは避けたつもりだよ」

 「この学園は……こういう『異端』にはかなりうるさいですからね」

 「本一冊のためにミカのようにはなってほしくないよ」

 外患誘致と反乱の罪と比較するのは大げさかもしれないが、トリニティという『土地』にはそれを警戒するだけの土壌が整っていた。

 

 知的好奇心旺盛なウイの趣味は『古書の研究』。

 その守備範囲はきわめて広く深く、先生と初めて会った時に受け持った『シスターフッドの前身に関わる経典』の修復作業にあたり、誰にも気づかれずに自分で読む用の複製品を作ってしまったほどである。

 そんな彼女が先生という異邦人と接するうちに『外の世界』の本に興味を示すのは必然だった。

 先日当番でシャーレに赴いた際、なにか得体のしれない『契約』を交わす覚悟を決めて先生に話を持ちかけたのだが、そんな事もなくあっさりと承諾されて拍子抜けする場面もあった。

 

 パラパラとページをめくって使われている言語を確認する。

 「文字は……英語のように見えますが、変形による違いがだいぶ大きいですね」

 「読み方はアメリカ標準と同じだよ。これ対応表ね」

 サッと差し出された用紙を受け取るウイ。

 「ど、どうも。……いたれりつくせりですね」

 「他の人には『これは外の世界の本です』って教えたらダメだよ? 君のためにもね」

 「わかってますよ。そういう『約束』ですからね」

 二人が交わした約束は極めて単純に『他言無用』のみ。

 先生の保身のためではなく、『知りすぎた』ことによってウイの身に降りかかるであろう危険を避けるためだ。

 

 先生が持ってきた本は、その『世界』の歴史・文化の成り立ちを簡単に紹介した解説本だった。

 もしかしたら小学生向けの図鑑の類いかと考えたが、ウイは最初の数ページを読んだだけでその考えを捨てた。

 前書きが明らかに小さな子供にではなく、その世界の『外』からの来訪者へ向けたものだったからだ。

 「(やはり、先生の故郷は私たちが知る『外』とは違う……)」

 

 

 エデン条約締結式の日に起きたあの混乱の中でも、安全が確保できていれば騒ぎに興味がないと古書館に籠もっていたウイだったが、ヒナタと共にここを訪れた異邦人と知り合い、シャーレに加わってからは驚きの連続だった。

 個性豊かな生徒たちだけではない、先生自身にもだ。

 

 まず、トリニティの中でも俊足で知られるツルギの逃げ足に追いつける瞬発力と持久力。次に驚異的な視力。

 狙撃手を務める生徒の中には人並み外れた目の良さを持つ者もいるが、先生もまた同じだった。

 眼鏡をかけているため視力に劣るかと思えば、レンズに度は入っていなかった。

 

 何よりもおかしいのは『外』のヒトとしてはありえない、ケガの治りの早さだ。

 キヴォトスの住人と比べれば紙きれに等しい防御力に関しては、常に持ち歩いている謎のタブレット(シッテムの箱)が発する障壁(バリア)で補っていると聞いて安心した。

 だがそれもつかの間、ウイはすぐに『先生が撃たれて負傷し、重体の身で動き回った』という事実を知った。

 

 ある日の昼下り、当番としてやって来たウイは執務室に置かれた書置きを読んで、昼寝をしている先生を起こすべく仮眠室へと足を運んだ。

 「あ……」

 「こんにちは、ウイさん」

 中ではゲヘナ学園に籍を置く氷室セナが、仮眠用のベッドで眠っている先生のメディカルチェックを行っていた。

 「こ、こんにちは」

 医者の卵ゆえか、慣れた手付きで先生の服を脱がし診察をテキパキとこなしてゆくセナの姿をしばし眺めるウイだったが、やがてある疑問が浮かんだ。

 「……あれ? 先生は二日前にセリナさんが健康診断を行ったはずでは……?」

 ここ数日間の当番生徒のスケジュール表をあらかじめ確認していたウイは、身内である救護騎士団の生徒が当番になった際、すでに先生の診察をしている事を思い出した。

 

 「はい、存じております。

 ……ですが、銃撃を受けた先生の処置をした身として、どうしても私自身の目でも確認を行いたかったのです」

 セナは眉一つ動かさずそう答えた。

 

 「……は? 撃たれた? 先生が?」

 「先月の前半に。犯人は先生ご自身の要望によりお伝えできませんが……」

 その一言だけで、負傷がエデン条約事件がらみである事は明白だった。

 程よく引き締まった先生の腹の一点を指差し、セナはいつも通りの淡々とした態度でウイへ説明を始めた。

 「.45口径拳銃用、拡張弾頭(ダムダム弾)の直撃。理由は分かりませんが、弾丸の変形が最小限に食い止められていましたので、致命傷はかろうじて避けられたようです」

 「(いやいやいや待って! その認識はおかしいですよ!?)」

 ウイはショックで顔を引きつらせたが、どうにか言葉に出すことは我慢できた。

 指差された箇所は弾痕や縫合痕どころかシミ一つない。

 「先生は受傷から一晩と経たないうちに混乱の沈静化のため動き回られましたが、傷口が開くなどといった事にはならなかったようです。

 ……先生の生命力には驚かされます」

 患部だった箇所を優しく撫でながら、セナは安心したように目を閉じた。

 「(それも色々おかしいですって! なんで誰も止めなかったんですか!?)」

 多種多様な知識を持ち、一連の騒ぎとまったく関わり合いのなかった人間ならではのツッコミだった。

 

 こんな調子では、どこかしらから又聞きした者が『先生はロボットなのでは?』と噂を立てるのも無理はないだろう。

 「(ですが、これがキッカケで好奇心を抑えられなくなったのも事実です……)」

 そして今、ウイは日本とかアメリカなどといった地球(アース)の国名が最初から存在しない世界の本を手に取っている。

 「(先生が何かの理由でご自分から話されない限り、これらは私だけの秘密ですね)」

 

 

 その後、二人は黙々と読書を続けた。

 ウイは読み比べるうちに対応表を暗記したのか、だんだんとページをめくる速度を上げていった。

 読むのに集中するあまり、机の傍らに置いたコーヒーは口をつけないまま冷めてしまっていた。

 一方の先生は魔法瓶に入れて持参したほうじ茶をちびちび飲みながら、ウイから薦められた古書をマイペースに読んでいた。

 キヴォトスという『異世界』の書籍は先生にとっても興味深いもので、普段仕事に追われている分こういう時にこそじっくりと目に入れておきたいものだった。

 

 ふと、ウイのページをめくる手が止まった。

 「……先生」

 「どうしたの?」

 ソファーに座ったままウイにふり向く先生。

 読書用の眼鏡をかけているウイとは逆に、先生は常に身につけている伊達眼鏡を外しており、普段とはだいぶ違う印象を醸し出していた。

 「大人のカードを除いた先生の様々な力の源が、先生ご自身の生まれた世界の理によるものだと言うのは、これを読んでそれとなくわかりました」

 ウイは眼鏡を外して席を立つと、冷めたコーヒーカップを持って先生の対面にあるアームチェアへと座り直した。

 「ですが──」

 「当ててみようか? 『なぜそんな所から私が喚ばれたのか』でしょ?」

 「ええ、まあ」

 先生は返事を聞くと申し訳なさそうな顔でカップを手に取り、ほうじ茶を飲み干した。

 「実を言うと、連邦生徒会長に頼まれたのは間違いないんだけど、キヴォトスに来た時に記憶があいまいになっちゃって……」

 「連邦生徒会長に呼ばれて、ここに来るまでの経緯を覚えていらっしゃらないのですか?」

 「うん」

 場を沈黙が支配し、広い部屋に時計が時を刻む音だけが響き渡った。

 

 「それでね、困った事に……私は『シャーレの先生だと認識されない限り記憶には残らない』んだよ」

 先生がポツリと漏らした突飛すぎる言葉に、ウイはありえないといった感じで面食らった。

 「へ? な、何を言ってるんですか?」

 愛用の腕時計の盤面を撫でながら、先生は小さくため息をついた。

 「……少しだけ、キヴォトス(ここ)へ来た日の話をしようか」

 

 

 


 

 

 

 二月四日、連邦生徒会事務局。

 

 「……い」

 

 「……先生、起きてください」

 

 「フェイス先生!!」

 「うわっ!?」

 間近で切れ味鋭そうな大声で呼ばれ、先生は深い眠りから覚めて飛び起きた。

 「……あれ?」

 眠気が晴れないぼんやりとした意識で周りを見渡すと、ここがどこか立派な建物の一室であること、声の主は目の前で呆れた顔で話す白服の女性であることが認識できた。

 「……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」

 「ごめん、ここに来るまでにだいぶ手間がかかったから……」

 「もう一度、あらためて今の状況をお伝えしますか?」

 「続きからで大丈夫だよ、リン」

 目の前の女性……否、女子高生は七神リン。

 学園都市キヴォトスの中央政府『連邦生徒会』の上級役員、最高指導者たる連邦生徒会長に次ぐ立場にある。

 

 「わかりました。

 あなたは私たちがここに呼び出した、先生……のようなのですが」

 話の続きを語り始めたリンの言葉は、すぐ自信なさげに尻すぼみになっていった。

 「よう、って?」

 「……ああ。推測形でお話ししたのは、私も先生がここに来た経緯を詳しく知らないからです」

 「じょ、冗談でしょ……?」

 「こちら側で『緊急事態』が発生しまして、詳しい説明や書類の提出もないまま先生が来る日を迎えてしまったのです。

 ……先ほど対面した私を除いて、先生のことは連邦生徒会長以外は誰も知らない状態です」

 「ええ……」

 あまりにも想定外の事態に困惑を隠せない先生。リンはその姿を見て一瞬目を伏せるが、すぐ何事もなかったかのように先生を見据えた。

 「今はとりあえず、私についてきてください。

 どうしても、先生にやっていただかなくてはいけない事があります」

 それでもリンは目の前の大人を信じる事にした。それだけ状況は切羽詰まっているということだ。

 「そのために私は呼ばれたんだからね。是非もないよ」

 「そうですか……。学園都市の命運をかけた大事なこと。先生にまずしてもらいたいのは、この状況の解決方法の模索です」

 そう言ってリンは返事を待たずにエレベーターへ向かって歩き始めた。

 「(……連邦生徒会長(あの子)、いったいどうしたんだろう?)」

 先生は迷う事なくリンの後を追った。

 

 

……

 

 

 エレベーターを降りて、リンはレセプションルームに先生を招き入れた。

 「先生、説明の前にひとつ質問があるのですが」

 「なんだい?」

 「先生は銃器取り扱いの心得はありますか?」

 リンはそう言うと、腰のベルトに提げたホルスターに納まる大型拳銃(デザートイーグル)を軽く叩いた。

 「あるけど、銃を持ってはいないよ」

 「キヴォトスでは銃器が携帯端末と同じ感覚で持ち歩かれ、銃弾をものともしない女子生徒たちは些細な事で銃撃戦を始めます」

 この世界の住人は体の作りが『外』とは違う。外傷で死ぬということはまずないだろう。

 「これから先生はとても重要な立場に身を置かれます。ご自分のことはご自分で守れるように、拳銃でもいいので護身用に銃を持つ事をお勧めします」

 「覚えておくよ」

 口ではそう言ったが、先生は銃を持つ気はさらさら無かった。己の信念に反するからだ。

 

 リンがタブレット端末を取り出し説明を始めようとした直後、急に廊下が騒がしくなった。

 『困ります! こういった案件は正式なアポイントを取って──』

 『緊急性が高く、最低でも主席行政官でなければ話になりません。調停室は口を挟まないでください』

 複数人の声はだんだんとこちらへ近づいていき、レセプションルームの扉の前で動きを止めた。

 『リン先ぱ──行政官はいま大事な案件に対応中で……!』

 『この話より重要な案件なんてないでしょ!?』

 

 「ああ……面倒な相手が来ましたね」

 リンは騒ぎの声を聞いて露骨に不快感を露わにした。

 役員らしき人物の制止をまったく聞かないあたり、相手はそうとう我の強い集団であるらしい。

 「リン、向こうの対応を先にした方がいいよ。このままじゃ応対してる子の身が危ない」

 口論はヒートアップする一方で、このままだと向こうは物理的に殴りこんでくるだろう。

 「では、お言葉に甘える事にします。……アユム! 構いません、通しなさい」

 

 リンの一声から数秒もしないうちに勢いよく扉が開け放たれ、青紫色の髪の少女(早瀬ユウカ)が飛びこんできた。

 「ようやく会えた! 代行! 今すぐ連邦生徒会長を呼んできて……あれ?」

 ユウカの目には、リンとその近くにいる先生の姿が写った……はずだった。

 その場で何かの違和感を感じて目を凝らしていると、後続の三人に押し出されてユウカの視界から先生が消えた。

 「主席行政官、緊急の要件があります」

 「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が、今の状況に関して納得のいく回答を要求されています」

 首をかしげるユウカを含め、四人は矢継ぎ早に所属する学園で起きている異常事態を告げ、連邦生徒会の対応と事情説明を要求した。

 理由はともあれ、トップである連邦生徒会長を出せというのは共通している。

 

 リンはそんな面々に作り笑いを浮かべ、言葉遣いに毒を隠さずに応対を続ける。先生はそのやり取りを黙って見守っていた。

 「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの? どうして何週間も姿を見せないの?

 今すぐ会わせて!」

 話が平行線を辿っているのに業を煮やしたユウカは声をより大きく荒げるが、リンはタイミングを見計らっていたかのようにこう告げた。

 

 「連邦生徒会長はいま、席におりません。正直に言いますと、行方不明になりました」

 ただ一人の権限者が居なくなり、キヴォトスの中枢たるサンクトゥムタワーを連邦生徒会がコントロールできなくなった。

 治安の悪化はともかく、少なくとも異常現象やライフラインの停止はそれが原因だった。

 「えっ!?」

 「!」

 「やはりあの噂は……」

 

 「リン、あの子がいなくなったっていうのは本当なのかい?」

 ここに来て先生も口を開いたが、その瞬間リン以外の全員が驚き身構えた。

 「っ!? あなたは一体何ものですか!?」

 「どこから現れましたか? ここには私たちしか入室していないはずです」

 チナツ、ハスミ、スズミは各々の銃を『謎の人影』へ向けた。ただ一人、ユウカだけは先生をぼう然と見つめている。

 「さっきの大人の……人? 幻覚じゃなかったんだ……」

 

 「えっ? 私ずっとリンのそばにいたけど?」

 両手を挙げながらそう答える先生。自分自身がいま何が起きてるのかを理解できていない。

 「銃を下ろしてください。この方は連邦生徒会長が特別に指名してキヴォトスへ赴任してきた『先生』です」

 リンの説明を受けて三人は構えを解いた。だが本人がどう言おうと『突然現れた』ようにしか見えず、疑念を晴らせずにいた。

 

 「連邦生徒会長が特別に指名ですか? この……人? 先生を?」

 スズミの言葉は歯切れが悪く、同時に得体のしれない何かを見るような目を先生へ向けている。

 「なぜそこに疑問符を付けておられるかは存じませんが……。

 『連邦捜査部 シャーレ』、ここに集まられた皆様方なら名前をご存知でしょう?」

 『シャーレ』という言葉にすぐ反応したのはハスミだった。

 「連邦生徒会の下部組織として、すべての学園の生徒を無制限に部員として加入させる事ができ、キヴォトスのあらゆる場所で活動・戦闘行為が可能な超法規的機関……」

 ハスミは風紀委員『正義実現委員会』の副会長として、トリニティ生徒会(ティーパーティー)の指示を受ける立場にある。

 SRT特殊学園という類似の軍事組織をすでに持つ連邦生徒会が、なぜこのような部活を作り出したのかと生徒会(ナギサ)が警戒しているのを知っているのだ。

 「こちらのフェイス先生は、連邦生徒会長がこのシャーレの顧問としてキヴォトスの『外』からお招きした方です」

 「よ、よろしく……ね?」

 

 これから付き合ってゆく事になる生徒たちに露骨な敵意を向けられ、少し遠慮がちに挨拶をした。

 すると……

 

 「……!」

 「姿が……!?」

 ユウカたちは目の前の『変化』を前に一様に驚いた。

 「えっと、先生? これは一体どういうこと……?」

 「どういう事と言われても。……君たち、もしかして私が見えてなかった?」

 先生は真っ先に思い当たる可能性を口にするが、彼女らの証言は驚くべきものだった。

 

 「ここに入った時、代行の隣に何か大人のような黒い人影があって……すぐに見えなくなったんですけど、先生が声を出したらまた同じようなものが見えたんです」

 「私もユウカと同じく声を聞いた時に。ただ、背丈が二メートルはある、岩のような筋肉を持つ大男のように見えましたが。

 ……先生の本当のお姿とは正反対ですね」

 ユウカとハスミの言葉に先生はわずかに目を細めた。

 「私の目には表面に艶のある、白いのっぺらぼうのマネキン人形のように捉えられました」

 スズミの言葉尻に疑問符がついたのはこれが原因だった。

 「中肉中背、黒髪黒目の若い日本人男性のように……ですが、その」

 「君、言ってみて?」

 「ゲヘナ学園風紀委員会の火宮チナツです。

 ……こう言うと先生に失礼だと思いますが、その『男性』は人を虫ケラ程度にしか思っていなさそうな、とても不気味な雰囲気を纏っていました」

 気まずそうに告げたチナツを慰めつつ、先生は腕を組んで考えを巡らせ始めた。

 

 「先生、これはどういった現象なのでしょうか?」

 「リンは私のことはどう見えてた?」

 「私は最初から先生ご自身の姿で視えていました……あっ」

 先生の質問に答えるうちに、リンはある事に思い当たった。

 「……フェイス先生のことは『シャーレの先生』だと、あらかじめ知っていました」

 それを聞いて頷く。先生も同じ結論に達していたようだ。

 「この問題はこっちですぐ対策を立てるよ。

 それより、私はサンクトゥムタワーの問題を解決するのに何をすればいいのかい?」

 「そうでしたね……。シャーレのオフィスはここから30km離れた外郭地域に──」

 

 

 


 

 

 

 「各々どこから突っこんでいいのか分かりませんが……」

 ウイは手に持ったままの冷めたコーヒーをひと息に飲み干し、カップをテーブルへ置いた。

 「……ふぅ。

 フェイス先生、あなたは『シャーレの先生』としての概念を与えられることで、キヴォトスでの存在を確立できている。……そう仰っしゃりたいのですね?」

 「それで合ってるよ」

 先生は外していた伊達眼鏡をかけ直し、ウイに顔を向けた。

 「それが私だけなのか、それとも『キヴォトスの外』から来た者みんなが同じなのかは分からない。

 異形揃いのゲマトリアの面々が元からあの姿なのかを確かめられないし、他の異邦人と出くわすのはまれだからね。

 ほうじ茶飲む?」

 「いただきます」

 

 紙コップに注がれたほうじ茶を受け取り一口。普段飲んでいるコーヒーでは味わえない、素朴な風味がウイの舌を包みこむ。

 「対策というのは?」

 「認識阻害的なアレに対するカウンターだね。自信はあったんだけど、それでも効果があるのは直視限定で、カメラとかを通すと効かないんだ」

 「……なるほど。先生は時々テレビ中継に映ってるのに、正しい姿や風評が広まらないのはそういう事でしたか」

 「結局のところ、シャーレの先生として見てもらわないと『変な大人』だしね。私って。

 ああこれ食べていいよ」

 先生は木の盆を取り出すと、個包装された海苔せんべいをザラザラと中へ入れた。

 「では一枚いただきます」

 テーブルには本を置いてないので、ウイは構わず海苔せんべいを食べ始め、先生もそれに続いた。

 少しの間、ボリボリと煎餅をかみ砕く音が静謐なはずの室内を満たした。

 洋風建築である古書館の奥ゆかしい雰囲気に対して、真っ向からケンカを売るような所業だ。

 

 ほうじ茶で煎餅の味を洗い流すと、ウイは考えるうちに少し気になった事を聞いてみることにした。

 「先生、もしものお話ですがよろしいでしょうか?」

 「うん」

 「先生が『シャーレの先生』という概念を失った時、あなたはまた姿を維持できなくなるんでしょうか?」

 「うーん……」

 考えた事がなかった、といった様子で先生は首をかしげて悩み始めた。

 「……いや、キヴォトスで暮らしてそこそこ経つから、私そのものは大丈夫になったかな?

 でも『シャーレの先生』の行き先によっては、みんなが私の事を忘れる可能性がある」

 「と、いいますと?」

 先生は取り出したメモ用紙に文字を書き始めた。ウイ以外にはすぐ理解できないように、あの本で使われているものと同じ英語似の言語が使われている。

 

 「私の後任か、もしくは単純に先生を増やすだけなら問題ないよ。

 でも私が連邦生徒会長に託された『シャーレの先生』という概念を、第三者が奪いとったとしたら……ね」

 『シャーレの先生』と『自分』を結ぶ線の間に『第三者』の線を伸ばして、自分の側に線が切れた事を表すバツ印を入れた。

 「私が『先生』としてこれまで培ってきた実績・交流・名声とか、『シャーレの先生』の全部が最初からその第三者によるものとして認識が改変される……かもしれない」

 ペン先を滑らせ、『シャーレの先生』と『第三者』を囲むように線を引いて紙から離した。

 「そのような事をする方が本当にいらっしゃるのですか?」

 「世界は広いからね。世の中にはお金を自分で働いて稼ぐのが嫌で、逆にすごい手間をかけて小銭を泥棒する人だっている」

 「そういう言い方ですと、多元宇宙論(マルチバース)規模の話をしているのにスケールが小さく感じられますね……」

 

 

 ここまで聞いて、ウイはその『もしも』を想像してみた。

 ある日シャーレへ行くと、知らない『何もの』かが先生になり変わって我が物顔をしている。

 だが自分たちは、その人物がどれだけ本物の先生とかけ離れていても、それを認識する事ができずに接し続ける。

 やがて本物と偽物の違いからくる記憶のズレは、時間の経過によって都合よく改変されて無くなる。

 そうすれば本物の先生は逆に『偽物』に変わってしまう。

 そんな事ができる『先生』なら、生徒たちに人殺しだって当たり前の事だと思わせて、生徒を必死に正気へ戻そうとする『偽物』を始末できるだろう。

 

 

 「……おぞましいですね」

 ウイは想像してみて身の毛がよだつ感覚を覚え、少しぬるくなったほうじ茶をすすった。

 「あくまでひとつの仮説だよ。……それに、こんな事が本当にできるんだったら、私自身『本当に本物のシャーレの先生なのか?』って話になっちゃうでしょ?」

 先生はそう言いながら、懐中時計の竜頭を押しこんで蓋を開いた。

 針は何事もなかったかのように時を刻み、持ち主にそろそろ会談のために用意された部屋へ向かう時間になったと示している。

 

 「さて、そろそろ行くね。

 ほうじ茶とおせんべいは全部食べていいから。魔法瓶だけ帰りに寄って持ってくよ」

 立ち上がって先ほど読んでいた本を作業机に置くと、扉の前まで歩いてドアノブに手を伸ばした。

 「先生」

 ウイは椅子から立ち上がると、部屋を出ようとする背中に声をかけた。

 「なに?」

 「他の可能性の世界でならともかく、私たちにとっての先生はあなただけですよ? フェイス先生」

 「……ありがとう」

 その言葉を聞いて顔に笑みを浮かべながら、先生は古書館を後にした。

 

 

 「……もう少し読んでから作業に戻りますか」

 今日も古書館の魔術師は貪欲に知識を蓄える。

 己の欲求を満たすため、そしてその知識がどこかで誰かの役に立てれるように。

 




 シャーレの先生は『異邦人』である事を強調するのが本シリーズの執筆方針です


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#21 二人の先生

■あらすじ

 注意:メインストーリーFinal. 『あまねく奇跡の始発点』のネタバレしかありません


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ≪ウトナピシュティムの本船≫の主砲から放たれた光の奔流が≪色彩の嚮導者≫プレナパテスに直撃し、外縁部から中心部へ向けて大穴が開いた≪アトラ・ハシースの箱船≫は崩壊を始めた。

 

 「さて……」

 集結したシャーレの生徒をリオが用意した『脱出シーケンス』で地上へ送り出した先生は、ゆっくりとプレナパテスへ近付いた。

 『先生!?』

 シッテムの箱からアロナの驚きの声が聞こえてくるが、先生は彼女に諭すように告げた。

 「プレナパテスが……伝えたいことがあるみたいだ」

 膝をつき今にも倒れそうな亡者の目前に立ち、先生は目を閉じた。

 「『色彩の嚮導者』になってまでここに来た理由を──」

 

 

 

 プレナパテスは僅かに残った思念で、目の前の『自分』に己の願いを告げた。

 

 "どうか生徒たちを……よろしく、お願いします"

 

 "任せて"

 

 他の誰にもわからない手段で、二人の先生は言葉を交わした。

 

 

 

 『全ての生徒が無事に避難したことを確認しました!

 先生、急いで避難してください! そこはもう崩れます!』

 ≪本船≫に最後まで残っていたリンが早口でまくし立てた。

 実際、ダメージに耐えられなくなった天井が崩れだしており、構造材やよくわからない機械の部品が次々と降り注いでいた。

 『私も避難します。先生、地上でお会いしましょう!』

 通信が途切れると同時に、シッテムの箱に映し出されたシーケンスの残り回数が『1』となった。リンも無事に脱出できたに違いない。

 

 『先生、このシーケンスを使って早く脱出してください……!!』

 アロナが必死に呼びかける中、目前に浮かぶ『指揮』画面をなぞる指は──

 

 プレナパテスの後ろで跪き涙を流し続けるもう一人のシロコ(シロコ*テラー)に触れた。

 

 『せ……先生!?』

 アロナの悲鳴に近い困惑の声、光に包まれ姿を消す直前に見せたシロコの驚愕の表情。

 

 脱出シーケンス。残り回数、0回。

 

 『自分用の、シーケンスを……シロコさん、に……?』

 「(ごめんよ、リオ。戻ったらいくらでも謝るから)」

 先生は心の中で生徒を悲しませる事を詫びた。

 『……そ、それじゃ先生は……先生の身体では……この高度からは……』

 高度七万五千メートル、エベレスト山8.5個分。成層圏よりも上の、キヴォトスの住人といえども死は免れないであろう高さ。

 

 瓦礫に押し潰されたプレナパテスの亡骸から転がり落ちた小さな折り鶴を、その手に握らせた。

 「慌てる事ないよアロナ。私には……あれ?」

 先生の周りが光ったかと思うと、その光は一瞬ではじけて消えてしまった。

 

 「あ……ヤバ──」

 『先生ーー!?』

 

 

 

 爆発が、≪アトラ・ハシースの箱船≫の中心部を焼き尽くした。

 

 

 

 「だ……ダメ!! ここは先生が生存できる高度じゃありません。

 はやく……はやくなんとかしないと……」

 アロナは外界とは隔絶された時間の中で残された力を振り絞り、爆発に吹き飛ばされた先生を因果律をねじ曲げて破片から守り≪箱船≫の外へと誘導した。

 「先生……」

 

 

 「(しくじった! もう"チカラ"が残ってない)」

 ≪アトラ・ハシースの箱舟≫は膨大な演算能力を持ってして、事象を捻じ曲げあらゆる可能性を引き寄せる。

 その歪みの中で、先生が本来持ち合わせる力の源が吸いだされていた。

 

 最後まで残しておいた"力"を使って光の膜のようなもので自分を包み込んだ。

 ……が、それは落下速度を落とせるような性質を持っていなかった。

 「(なんてこった。任されといてこんな形で終わるなんて……)」

 眼下に広がる蒼い星。

 シッテムの箱を胸に抱いた先生は、酸素不足から朦朧とする意識の中でアロナへ話しかけた。

 

 

 『……もう大丈夫だよ、アロナ』

 闇夜に包まれた教室の中、アロナの耳に先生の弱々しい呼びかけが聞こえてきた。

 『私の代わりに、"あの子"へ手を差し伸べてあげて』

 「せ、先生!? しっかりしてください!

 『マッハ五は無理でも時速一一九キロでなら飛べる』って前に言ってたじゃないですか!?」

 先生が生きるのを諦めてしまった事に気付いたアロナは、何気ない会話で交わしたジョークを口に出して必死に励ますが、先生は曖昧に笑みを浮かべるだけだった。

 

 『短い間だったけど、今までありがとうアロナ。

 ……これでお別れかな』

 自分とは違って、シッテムの箱なら落下の衝撃に耐えられるだろうという確信があった。

 『諦めちゃってごめんよ……。元気でね』

 「ま、待ってください、お別れなんてそんな……!?

 ……せ、先生?」

 『──』

 

 

 「先生ーーっ!!」

 アロナの悲鳴が虚空に響いた。

 

 

 

 『諦めないでください』

 『へっ!?』

 『私の先生はそんな往生際の良い方ではありませんでした』

 

 プレナパテスから託された生徒の一人―黒いA.R.O.N.A―は割りこむように声を発した。

 『あなたが同じ"フェイス先生"なら、『非常用』と称して腕輪なりペンダントなりを持っているはずです』

 

 その言葉を聞いて、霧が晴れるかのように意識が明確になった。

 「ごめん! 忘れてた!」

 アビドスで遭難した時に一度使おうとしたきりの『とっておき』。

 ボロボロになったリボンタイの交叉点に着けていた逆三角形のアクセサリーをむしり取り、掲げるように突き上げた。

 

 「≪翼よ!≫」

 

 

 

 

……

 

 

 

 一方、先に帰還した≪ウトナピシュティムの本船≫のオペレーター達の間にも動揺が広まっていた。

 いつまで経っても先生の所在が判らず連絡もつかないからだ。

 『二三回の脱出シーケンスは正常に動作したわ……』

 セーフハウスから地上へ転送した生徒たちをモニタリングしていたリオは、目の前の画面に記された情報を信じたくはなかった。

 だが伝えなければならない。震える声で残酷な事実を突きつけた。

 『最後の一回は……先生以外の何者かに使われたわ』

 「そんな!?」

 一同に衝撃が走った。が、アヤネはその『何者か』が誰かすぐに理解した。

 「先生、もう一人のシロコ先輩を助けるために……っ!?」

 「先生……あなたって人は」

 

 

 絶望が皆の心を満たしかけたその時、空の一点が眩しく輝いた。

 「……?」

 

 

 その光は蒼白い光と紫色の光を織り交ぜた尾を曳き、流れ星のように落ちてゆく。

 流星にしては異様に遅く、だが彗星が近付いているという情報はない。

 

 ≪虚妄のサンクトゥム≫がまた出現しかけたのを受けて再展開していた攻略部隊や自治区防衛班、散り散りに地上へ転送されたホシノ達、そしてもうひとりのシロコ。

 皆が一様にその流星を見上げていた。

 

 青と紫の流星は昇る朝日に照らされて、やがて尾を失い蒼白く光る球となって落下速度をゆるやかに落としてゆく。

 

 

 草原で呆然と流星を眺めていたリン達は、その光球が自分たちの近くへ降りてくることに気付いた。

 「不思議な光ですね……」

 「こっちに落ちて来ますけど大丈夫なんですか!?」

 「……まぁ」

 アコが若干狼狽えるのを尻目に、車椅子に備わった望遠カメラで光球を観測していたヒマリが驚きの声を漏らした。

 「どうかしましたかヒマリ先輩?」

 「あの光……その中に先生がいらっしゃいます!」

 「ええっ!?」

 ヒマリは目前に浮かんでいたホログラムモニターを反転させユウカたちに向けた。

 そこに映し出された映像には、カメラ性能の限界で像がボンヤリとしているが、薄く透き通った光の中に彼女たちが見慣れた姿があった。

 「行こう!」

 その叫びを否定する者はおらず、全員が降下地点へと駆け出した。

 

 

 光の球はゆっくりと草が生い茂る平原へと降り立ち、やがてタンポポの綿毛のように空へ散っていった。

 中から姿を現した先生は、仄かに輝くシッテムの箱を胸元に抱きしめたまま立ち尽くしていた。

 服は焼け焦げてボロボロになっていたが外傷はなく、リボンを失い解けた亜麻色の髪が風に揺られている。

 

 

 『──んせーい!』

 遠くで誰かが呼ぶ声がする。

 『先生っ!』

 愛する小さな皆が呼ぶ声が聞こえる。

 「フェイス先生!」

 

 

 

 「……ありがとうね、二人とも」

 深い深淵に落ちかけていた先生の意識は、生徒たちの声によって現実へと引き揚げられた。

 ゆっくりと目を開くと、夜明けを迎えて明けの明星が輝く空と、自分の元へ駆け寄ってきたリンたちの姿があった。

 

 「おかえりなさい、先生」

 「……ただいま、みんな」

 朝日を背に、先生は生徒たちへと微笑みかけた。

 

 

 


 

 

 

 しばらく経った頃、シッテムの箱の空間にて。

 

 「それがなんで『野原でストリーキングしてた』なんて話になるの!?」

 「あはは……」

 「なぜそのような噂が出たのでしょうか?」

 感動ぶち壊しのゴシップに先生は頭を抱え、アロナとプラナはその様子に困惑気味だ。

 いやもしかしたら他の世界線の先生は本当に全裸で走り回ったのかもしれないが! という考えもよぎったが、それはそれでどうなのか。

 

 先生はコホンと咳払いすると、机を挟んで座る二人に向き直った。

 「それはとにかく……改めて、二人ともありがとう」

 「先生はいつも言ってるじゃないですか。『諦めない限り奇跡を起こしてみせる』って!」

 「あの時はほんと諦めちゃってごめん……」

 「ふふん。でも大丈夫です! 私とプラナちゃんがいれば二百万パワーですよ!」

 いちごミルクの注がれたカップを片手に、アロナは笑顔でそう宣言した。

 二人のA.R.O.N.Aが一つのシッテムの箱に入っているため過負荷がかかっている事に、先生はまだ気付いていない。

 

 

 「奇跡を起こしてみせる、ですか……」

 プラナはカップを両手で持ちながら、その言葉を反芻するとポツリと呟いた。

 「……先生も常日頃そうおっしゃっていました」

 「!」

 その言葉を聞いた先生は、ティーカップから口を離してソーサーに置き静かに深呼吸をする。

 「プラナ」

 「はい」

 「……君がいま話せる範囲でいい。プレナパテス、……君が共に歩んできた"フェイス先生"の事を聞かせてもらえないかな?」

 「……」

 

 真剣な眼差しを向けられたプラナはカップを置くと、目を閉じてしばし思案に耽る。

 「プラナちゃん?」

 隣に座るアロナが心配そうに顔を覗きこんでいると、やがておもむろに外套の内ポケットに手を入れた。

 「私が向こうのシッテムの箱から持ち出す事ができた、生前の先生を写した画像データです」

 机の上にそっと数枚の写真が置かれた。

 先生とアロナは写真を一枚ずつ手に取り、じっくりと眺め……アロナが首をかしげた。

 

 「こっちの先生と比べてしっかりメイクしてますね?」

 「なんかガタイがいいというか……目つき悪くない?」

 「……否定はしません」

 

 華奢で中性的なコーディネートの先生と比べて、"彼女"はまず性別を間違えないであろう女性的な服装とメイクをしていた。

 並んで写っている生徒との対比から、こちらの先生との身長差はない事がうかがえる。

 身なりは同じ……のように見えるが、クロスタイではなく普通のネクタイをゆるく締めている。

 

 「あの人はどこか風変わりというか、どちらかと言えば変人に分類される方でした」

 

 

 曰く「ユズと一緒にロッカーに入ろうとした」

 曰く「ヒナの他、複数の生徒の匂いを嗅ごうとした」

 曰く「メイド喫茶でバイト中のカリンに踏んでくれるように懇願」

 曰く「落とし穴に落ちたイオリの写真を撮ったり、海で日光浴中に寝たイオリの下半身をセメントで固めて人魚にした」

 曰く「成り行きでカップルを装ったが、そのままチナツと何度も混浴した」

 曰く……曰く……曰く……

 

 「待って待って! 情報量が多いよ!」

 「どんな変態さんだったんですかプラナちゃんの先生!?」

 あまりにもあんまりなエピソードの数々に先生とアロナは悲鳴をあげた。

 大きく異なる歴史を歩んだ並行同位体とはいえ、教育者以前に大人として問題だらけの『自分』に頭痛を覚えてしまう。

 「日々多量のお酒をお召し上がりになり、デスクワークは真面目に行わずリンさんやユウカさんを困らせる……だらしない方ではありました」

 プラナはかすかに苦笑いながら目を伏せる。

 

 

 「ですが」

 彼女の白い頬を一筋の涙が伝った。

 「ですが、立派な先生でした」

 「……うん、間違いないよ」

 

 

 プラナのもとに遺された、先生と生徒たちが写った四枚の写真。

 アビドス廃校対策委員会の五人。

 ゲーム開発部とユウカ、トキを除いたC&Cの九人。

 補習授業部とティーパーティーの七人。

 RABBIT小隊の四人。

 いずれも生徒たちはほほ笑み、幸せそうな顔を浮かべていた。

 

 

 志半ばで何者かの凶弾に倒れ、色彩に侵されたシロコを救うためにすべてを背負いキヴォトスを滅ぼしたプレナパテス。

 『色彩』の力で手をかけた者には、自分が導いた生徒たちも大勢含まれていたであろう。

 それでも運命を乗り越えた並行世界の自分と生徒が色彩の嚮導者(自分)を討ち果たし、ただ二人残されたシロコとプラナを受け入れてくれると信じたその意志の強さ。

 

 彼女は間違いなく『シャーレの先生』だった。

 

 

 「プラナちゃん……」

 「……大丈夫です、アロナ先輩」

 アロナにハンカチで涙を拭いてもらいながら、プラナは気を落ち着かせるようにカップに口をつけた。

 「ただひとつ、先生を本気で困らせていた事柄があります」

 「ふむ」

 まさかムダ遣いによる金欠じゃないだろうな? と先生は自分自身にも心当たりのある件を頭に浮かべた。

 

 「先生は『"シャーレの"フェイス先生』として覚えない限り、正しい姿を認識して頂けないという原因不明の現象*1に悩まされておりました」

 「へ?」

 「……マジか」

 「そのため、見る者によって姿を変わってしまう。まったくの別人が『シャーレの先生』であるかのように捉えられていた模様です」

 まったく心当たりのない事案に、先生の表情が険しいものになった。

 先生がキヴォトスへ赴任した当初、認知度の問題から様々な『シャーレの先生』像が流布していた事はある。

 しかしまさか、並行世界では概念(テクスト)そのものに影響を及ぼすような事態に見舞われているというのは予想外だった。

 

 その後も何点か"彼女"の情報をプラナに訪ねた先生だったが、他に語られたのはいずれも自分自身と共通するものであった。

 

 

 

……

 

 

 

 先生は現実世界に戻りシャーレの仕事を終わらせてから、これまでに入手できた情報から"彼女"の故郷の捜索を始めた。

 "彼女"の死を遺族に伝える事ができるのは自分しかいないからだ。

 しかし無数の分枝が存在する可能性の世界(マルチバース)の中からいち個人のやってきた世界を捜し出すには情報が足りず、調査はすぐ暗礁に乗り上げた。

 「困ったな……」

 目前に浮かぶホログラム画面を脇に追いやり、先生はソファーに寝転がった。

 

 とある物語では、ある事情から主人公を含めて二二名*2の並行同位体が一堂に会する……という場面がある。

 些細な分岐ならやがて元の世界に合流するが、あそこまで性格が異なると同じように『大きく運命が変わった』世界線を探さなければならない。

 だがいくつあるか分からないソレらを、しらみ潰しに探すには人手が足りない。

 

 「(いっそ一旦帰って仕切り直すのもアリかな。移動する時に時差調整すれば、シャーレの仕事に穴を開けなくて済むし)」

 寝返りをうってテーブル上のスタンドに置いたシッテムの箱と、"彼女"の遺品であるプレナパテスの大人のカードに視線を向けた。

 

 

 自身が持つ"切り札"の大人のカードとは全く異なる、謎のクレジットカードにして神秘の存在。

 

 『時間と命を代償にする』

 『無意味でくだらない、日々の生活の支払いに使うべき』

 『乱用すると自分たちと同じ結末を迎えることになる』

 

 一連の黒服の言葉がこれまで理解できなかったが、そもそも違うアイテムの話をしていたのだから噛み合う訳がない。

 「私のほうがおかしいのかな……?」

 ため息をついて懐から懐中時計を取り出し、蓋を開いて盤面を指で撫でた。

 

 

 『先生、その時計はなんでしょうか?』

 「えっ?」

 画面内からプラナが話しかけてきた。視線は手中の懐中時計に向いているようだ。

 「これかい? 私の先生から贈られた記念品でね。とてもすごくて特別なものなんだ」

 蓋を閉じ、表面に刻まれている光を図案化したような模様をシッテムの箱へ向けた。

 

 『……あの方はその時計を持っていません』

 「なんだって!?」

 先生はソファーから飛び起きてテーブルに飛びついた。プラナはその剣幕に驚くことなく話を続ける。

 『先生は時間を確認する際、必ず左腕に着けたアナログ式の腕時計を使っていました。そのような物はおそらく所持していなかったのだと思います』

 「……」

 

 先生は無言のまま浮かんだままのホログラムを引き寄せ、しばしタブレット端末を操作するかのように指を忙しなく動かした。

 後ろで居眠りをしていたアロナも起きてきて、二人でその様子を見守っていた。

 

 

 「……見つけた!」

 『見つかったんですか!? プレナパテスの生まれ故郷が?』

 「うん。この条件を満たす世界線はひとつしかない」

 おもむろに立ち上がると身支度を整え、"シャーレの先生"としての白いジャケットではなく私物の紺色コートの袖に手を通した。

 そして乱暴に扱えば砕けてしまいそうなプレナパテスの大人のカードを手に取り、胸ポケットへ丁寧に仕舞い込んだ。

 

 「行ってくるよ。明日の朝までには帰るから」

 『ちょっと!? ちょっと待ってください先生!』

 玄関扉のドアノブに手をかけようとした時、呆気にとられていたアロナが我に返り呼び止めた。

 『私たちも一緒に行きます!』

 先生はテーブルの所まで戻ると、しゃがみこんで画面上の二人に視線の高さを合わせた。

 「二人とも、これから行くのはキヴォトスの外の更に外だよ? それでもついて来るのかい?」

 『アロナ(わたし)は先生の秘書でパートナーですよ? どこへだって行きます』

 『私は元々違う世界線から来ましたので、今更です』

 

 しばらく悩んだのち、先生は顔に笑みを浮かべた。

 「……わかったよ。一緒に行こう」

 シッテムの箱を手に取り懐に収めると、先生は今度こそ扉を開けて『外』へと向かった。

 

 

 

 ここから先の出来事は、この物語(ブルーアーカイブ)の中で語るものではないだろう。

 

*1
#20「『シャーレの先生』という概念」参照

*2
六つ子が含まれるため正確には27名




 せっかくですし、フェイス先生のプロフィールを置いておきます。
 詳細に関してはだいぶ変化していますが、基本的な部分は当初から変わっていません。



■フェイス先生(本名不明)
 性別:女 (原作での表現に併せ、作中では基本的に性別不明)
 所属:連邦捜査部 シャーレ
 年齢:不明(外見は20代前半)
 誕生日:不明
 身長:170cm以上
 趣味:おもちゃ収集、料理
 イメージCV:悠木碧

 「シャーレの活動記録集」本編におけるシャーレの先生。
 中性的な風貌で、腰まで届く亜麻色の髪とパステルパープルの瞳を持つ。
 銀縁の伊達眼鏡、髪を束ねる青いリボンとクロスタイ、青緑色のウェストコートとズボンがトレードマーク。
 仕事中は連邦生徒会の制服を模した白いジャケットを着用している。
 人々の自由と平和を願い、『自分の手が届くかぎり、子供たちが幸せを掴み取るのを手伝うのが大人として先生として私の役割であり使命』と言い切る善意の大人。
 相手に言うことを聞かせるためだけの武力行使には否定的で、また『生徒とは対等の力関係で対話したい』という考えを持つ。
 そのため仮に武器を持っていても『護る』『助ける』ためにしか使おうとしないと思われる。

 私生活は質素で少食寄り、基本的に酒も飲まない。
 ただし高いおもちゃを衝動買いする癖だけはどうしても治らず、たびたびユウカの怒りを買っている。
 コーヒーより紅茶派。

 家族構成は両親と兄。親戚に教師をしていた母方の大叔母(故人)。

■所持品
●シッテムの箱
 連邦生徒会長が残した謎のタブレット端末。
 秘書であり相棒であるアロナ(後にプラナが加わる)の住処であり、先生はこれを常に持ち歩いている。

●大人のカード
 ゲマトリアが着目する『使用者の生と時間を対価に奇跡を起こす』謎のアイテム……と同一視される代物。
 純粋なクレジットカードとしての大人のカードは別に存在し、黒服の発言に反して金銭の支払いには使えない。
 プレナパテスとなった先生が持つカード(原作の大人のカード)とは有り様そのものが異なる。

●懐中時計
 光を図案化したような彫刻が施された蓋が特徴的な、ハンターケースタイプの銀時計。
 時間を確認する際には基本的にこちらを使っているほか、手持ち無沙汰になるとこれをいじるクセがある。
 本人いわく『先生になった時の記念品』。
 プレナパテスとなった先生は進路の違いから所持していない。

●スマートフォン
 D.U.にあるスマホショップで購入したなんの変哲もないスマホ。
 悪人にたびたび破壊されるため、もう何代目かわからなくなっている。
 最終的にエンジニア部とヴェリタスによる魔改造が施されたスーパースマホになっており、ただ頑丈なだけではなくコユキでもなければ解けないほど強固なプロテクトがかけられている。


 文中で表現していますが、プレナパテスは原作ゲームの先生として扱っています。
 これは最終編で書かれた公式の諸設定との違いが決定的になった事を受け、準備段階で考えていた『小説の先生は負傷or死亡したゲーム版の先生の代理として赴任した』という案を再利用したためです。
 本作の先生は代理ではなくれっきとした本人なので、あくまで「原作版の先生とは別人」という程度ですが。


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その1.5 エピソード初稿
#2 ホシノ対元スケバンの決斗


 メインストーリーVol.4終了後。
 ホシノはかつて勝負を仕掛けてきた元スケバンから挑戦状を叩きつけられる。
 相手が罠を仕掛けている事が明白な中、先生はホシノを万全な状態で送り込むべく奇抜な作戦を実行に移す。


 

 エデン条約を巡る波乱の夏、連邦生徒会・SRT特殊学園とヴァルキューレ警察学校が関わる陰謀の秋が過ぎ、季節は冬に移り変わろうとしていた。

 

 「くしゅん!」

 「大丈夫?」

 「うへー。すっかり寒くなっちゃったな〜」

 かわいいくしゃみを放ったホシノは先生の心配にそう返す。

 シャーレへの雑多な依頼はいつでも存在する。

 今日の当番であるホシノは先生と二人でそんな仕事を終わらせ、オフィスへの帰路についていた。

 すっかり日が沈み、灯りの少ない路地を歩く。

 

 なんてことのない、いつまでも続いてほしい日常。

 一人の人間が背負うには重すぎるものを背負ってきたホシノ。そんな少女に手を差し伸べ、幸せを願うことの何が悪いというのか。

 先生はそう心の中で思っていると、第六感(なにか)がビリっと警告を発したように感じた。

 「先生」

 あくびをしていたはずのホシノはわずかな隙もなく愛用の散弾銃(Eye of Horus)を構え、安全装置を外しながら先生に声をかけた。

 「私の後ろに下がって」

 ホシノと先生の身長差は二〇センチあり体格にもだいぶ差があるが、彼女には常に持ち歩いている折畳み式防弾盾(バリスティックシールド)がある。

 周りに隠れる場所はないが、いざ戦闘となったら先生を庇う事は造作もない。

 先生はキヴォトスの住人とは違い一発の被弾が死に直結する。身を持ってそれを知っている先生は彼女の言う事に素直に従った。

 銃口をビルとビルの間の狭い隙間を向ける。

 「出てきなよ」

 

 

 「ククク……随分と腑抜けたようだな小鳥遊ホシノ!」

 

 漆黒の路地裏から姿を現したのは、筋骨隆々の女性。

 一九〇を超える体躯に身に着けた筋肉はボディビルダーのような美しさはなく、無駄が多く威圧感を与えるためだけのように思える。

 角材を切り出したたのようないかつく角張った顔に黒のサングラスは、顔面偏差値が高い傾向のあるキヴォトスにおいて明らかに悪目立ちする。

 右手には才羽姉妹と同じ自動小銃(G3ライフル)の銃身を極端に切り詰めドラムマガジンを取り付けた銃、腰にはシスターフッドの拳銃(デザートイーグル)と同型の大型拳銃が二挺提げられている。

 「(漫画に出てくる悪役みたいだな)」

 先生は心の中で感想を述べた。

 

 「わぁ、懐かしい顔だね〜。元気だった?」

 「うるせえ! こっちゃそこの先生(もやし)がそこらじゅうの生徒を連れ回すせいで商売あがったりなんだよ!」

 「なら強盗とかあくどい事でお金稼ぐのやめなよ。マッチョちゃんぐらいの腕なら引く手数多じゃん」

 「ハッ! てめえこそカイザーPMCとやらの誘いを反故にしたじゃねえか。アビドスなんか捨ててしゅ「そこまで」……なんだよもやし」

 筋肉女の言葉を先生が遮った。

 「君は表の情勢に疎いようだね。情報はまんべんなく集めないと、後で後悔するよ?」

 先生は無意識にホシノの肩に手を置いていた。安い挑発に乗るなとばかりに。

 ホシノは「大丈夫だよ」といつもの調子でつぶやいた。

 「ふん、面白くねえ」

 筋肉女はそう吐き捨てると

 「明後日の午後三時、あの時の場所だ」

 とだけ言い残して歩き去っていった。

 

 どういう事かわからない先生を背に、ホシノは銃を下げ安全装置をかけた。

 「ホシノ、あの女の人とはどういう関係なの?」

 先生の質問にホシノはいつも通りうへーと笑いながら

 「昔絡んできたスケバンだよ。詳しくはシャーレに戻ってからね〜」

 と告げた。

 

 「くしゅん!」

 「そろそろホシノもコートの入り用かな?」

 

 


 

 

 翌朝、先生はアビドス高等学校を訪れた。

 昨夜の筋肉女のことは当事者であるホシノだけでなく、対策委員会の全員が共有すべき事柄だと判断したからだ。

 「先生、皆揃いました」

 アヤネは全員が着席したのを確認して告げた。

 「朝早くにごめんね。アルバイトを邪魔しちゃマズイし、急なことだったから」

 「大丈夫ですよ。ホシノ先輩ともアビドスとも縁深い話と言われたら見過ごせません」

 いつも通りの笑みを浮かべながらノノミは言うが、一方のセリカは少し不機嫌な様子。

 夜遅くまで警備のバイトをしていたため寝不足気味のようだ。

 「それで? そのゴリラみたいな女ってのは何者なのよ?」

 「うん。実のところ、連邦矯正局にもデータがあまり残ってなかったんだよね。……ホシノ、頼める?」

「ほいほい。んーと、私がアビドス(ここ)に入って間もない頃なんだけどね〜」

 

 

 二年前、永い歴史を持つキヴォトスの中でも有数の戦闘力を持つ高校生徒が何人も現れた年となった。

 トリニティ総合学園の剣先ツルギ、ゲヘナ学園の空崎ヒナ、ミレニアムサイエンススクールの美甘ネル、ヴァルキューレ警察学校の尾刃カンナ。

 そして学校そのものが半ば忘れ去られていたため他校の生徒に隠れてしまった、アビドス高等学校の小鳥遊ホシノ。

 その年度のキヴォトスは不良学生がかなり増加傾向にあり、各地で不良生徒や退学となり根無し草となった者が暴れまわっていた。

 そういった者たちは急激に頭角を表した彼女らを倒して名を上げようとし、そして敗れていった。

 

 その中で姿を見せた不良生徒が、万千代(ばんちよ)大学付属高校の岩尾 マサコという女だ。

 「あの子は百人切りなんて馬鹿げたことしてあっちこっちで暴れた挙げ句、百人目でなーぜかおじさんを狙ってきたんだよねぇ」

 「勝負を受けたの?」

 「その時のおじさん若かったからねえ〜。いつまでも付きまとってきそうだったから相手しちゃった」

 シロコの質問に答えつつ、ホシノは遠い記憶の中からその日のことを思い出した。

 

 

 『覚えてろ!』

 『二度とアビドスに来るな!』

 逃げる背中に追い打ちをかけるかのように威嚇射撃を続けるホシノを、慌てて駆けつけたユメが止めた。

 『ホシノちゃん! 追い払うだけでいいのにあそこまでやったらダメだよ!』

 『ユメ先輩、ああいう手合いは徹底的に痛めつけておかないと懲りずにやってきますよ』

 銃に手を添え首を横に振るユメを見て、ホシノは相手を見逃すことしかできなかった。

 

 

 「その時の先輩の気持ちも今なら分かるけどね〜。あのマサコって人は本当に懲りずにやってきちゃったのさ」

 

 

 後日、わざわざ使者が学校へ挑戦状を届けに来る事態となり、ユメや当時の在学生もホシノを止めることはできなかった。

 完全武装で指定された場所へと向かったホシノだったが、"その時に限って"次から次へとスケバン集団が襲いかかった。

 第三波の中に件の使者が混じっていた事から、これがマサコの仕掛けた罠だと気づくことになった。

 

 『その見た目で随分と小物めいた真似をするじゃないか……!』

 『ハハッ! 物量作戦で相手を消耗させるのも常道の戦術よ!』

 

 

 「弾も武器も途中でほとんど使っちゃってて、あと一歩のとこでEye of Horus(この子)が音を上げちゃってさ」

 「それで逃げられたんですか?」

 「逃げ足だけは早いんだよね〜。でも逃げた先で捕まったよ」

 愛銃を撫でながら笑うホシノ。先生が話を継いだ。

 「捕まった岩尾マサコは停学中だったから連邦矯正局に入れられたんだけど、すぐに解放された」

 「先生、どうして?」

 「暴れすぎたせいで色んな学校から圧力が掛けられたらしくてね、退学処分になったんだよ」

 連邦矯正局は『停学になった生徒を収監する』施設であり、退学となり一切の学籍を失った生徒はただの犯罪者として扱われるため、管轄が地元警察へと変わるのが理由である。

 「元母校自地区の留置場に護送される途中で脱走して、後は裏社会で後ろめたい仕事専門でやってきたらしい」

 

 皮肉なことに学生という身分・市民権を失って初めて、岩尾マサコという人間の真価が発揮された。

 退学後に犯した罪は百犯、どれも強盗や悪人にとって邪魔な者の排除などの非合法な仕事である。

 外傷にめっぽう強いキヴォトスの住人でなければ殺人事件となった件数は半数に及ぶ。

 

 「ホシノ先輩、こんな奴と本当に戦うの?」

 「そこまでおじさんにしつこいかは分からないけどさ~、無視したら絶対『出てこざるを得なくさせる』と思うんだ。

 学校を直接狙うならまだいいけど……普段無防備な先生を人質に取るとかさ」

 「!」

 先生はそもそも非戦闘員であるが、その非常に狙われやすい立場に対して護身用の拳銃すら持たない。

 これまでの活動の中で数えきれないほど命を狙われているが、五体満足でいられるのは周囲の生徒の活躍や本人の幸運によって事態を潜り抜けているからだ。

 あんなゴリラの体格にチンパンジーの脳を持つマサコに狙われてはひとたまりもないだろう。

 対策委員会の面々が複雑な顔をする中、先生が手を挙げた。

 「それに関してはひとつ。申し訳ないけど昨日のうちにホシノと二人でまとめちゃった事がある」

 「なんですか? 先生」

 全員の視線が自分に向いた事を確認すると、鞄から取り出した書類を配った。

 「岩尾マサコは百犯目の仕事として、ミレニアムにある警備会社へ納めるはずだった銃器一五〇挺と弾薬を奪った。

 あの後ミレニアム生徒会(ユウカ)から連絡が来て、マサコの逮捕とミレニアムへの引き渡しをシャーレに依頼してきたんだ」

 「だから私がマッチョちゃんに勝って捕まえて、後は先生がミレニアムに引き渡すって訳さ~」

 書類には岩尾マサコに対してミレニアム自地区内で有効な逮捕状が出たこと、身柄拘束の手段に関してはシャーレに一任する旨の通知がセミナー会長の署名付きで記されていた。

 「相手はプライド抜きだろうから、前みたいに軍団をけしかけて、戦う前にホシノを消耗させる可能性は高い。

 そういう状況になった時、シャーレはホシノが万全な状態で戦えるように露払いをする」

 セリカは書類をノノミに回すとホシノ当人に問いかけた。

 「それでホシノ先輩、相手は一対一で戦って勝てる相手なの?」

 「向こうは何でもありでおじさんは歳だからね~。まあ、五分ってところかな。負ける気はないけどさ」

 一瞬ホシノの雰囲気が鋭く尖ったように感じて、セリカはえも言われぬ感情から鳥肌が立った。

 「あら、セリカちゃん。耳の毛がすごく逆立ってますよ?」

 「なんでもないわ!」

 書類を最後に読んだシロコから受け取ると、先生は話をまとめた。

 「対策はこっちで考えとく。この学校が抱える問題でもあるし皆にも動いてもらうから、できる限り明日のスケジュールは開けといてくれるかな?」

 「ん、わかった」

 「面倒だろうけどよろしくね、皆~」

 いつも通りのだらけた笑い顔でホシノが場を締めた。

 

 

……

 

 

 先生はシャーレのオフィスに戻ると、連邦生徒会へ提出すべき別件の報告書を作りつつ、岩尾マサコに関連した情報をかき集めた。

 最も新しく有力な情報はヒナからもたらされた。

 『不良生徒の間で使われてるSNSで岩尾マサコが傭兵の募集をしていたわ。人数は百名、報酬は十万円とミレニアム製の最新銃器の先渡し。

 この間ミレニアムで起こした事件で奪われたものと見て間違いないわ』

 テレビ電話の画面の向こうで、ヒナはアコから渡された資料に目を通しながら告げた。

 「逆恨みで一人襲うのに一千万円も……。ちょっと私には理解できないかな」

 『それだけ岩尾マサコが小鳥遊ホシノを憎んでいるってことね。

 募集に応じた者の中にゲヘナ学園の生徒も何割かいるわ。他所の学校の生徒を襲撃する生徒を野放しにしたという前例を作ったら、今後同じような事が起きた時に歯止めがかからないでしょうね』

 「風紀委員会も参加する?」

 『ええ。面倒で厄介な案件だけど、半年前みたいに万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)につけこまれる隙は作りたくないの』

 

 先生がシャーレに赴任して間もなく、アコが便利屋68の討伐を建前に風紀委員をアビドス高等学校自地区へと独断で侵攻させ失敗し、その件をゲヘナ生徒会議長である羽沼マコトになじられ続けた事がある。

 最終的に調子に乗りすぎたマコトをヒナが万魔殿本部ごとぶちのめして終わったが、何か失点があれば目ざとく見つけてくるマコトへの対策は万全を期すべきだというのが風紀委員幹部の一致した意見だった。

 

 なお、当のマコトは幹部の棗イロハがシャーレに赴く頻度が高すぎて気が気でないらしい。

 

 「それじゃ詳しい作戦プランが決まったらすぐ伝えるよ」

 『お願いね』

 通話が終わり、デスクトップPCの画面に映ったウインドウが暗転した。

 

 ふと壁掛け時計に目を移すと、時刻は正午を回った直後だった。

 「お昼にするかな。……この辺出前やってる店ないんだよなー」

 時間に余裕はあるが自炊するには材料がない、エンジェル24(コンビニ)の弁当はいい加減食べ飽きた。

 ソラには悪いが外へ食べに行こうと先生が考えた時、セキュリティゲートを誰かが通ったという通知がサブモニターに表示された。

 「ん? モモイとミドリか」

 さては近くを通りかかったから昼飯をたかりに来たな~? と冗談半分で思いながら、先生は二人が執務室まで上がってくるのを待つことにした。

 

 

……

 

 

 「先生こんにちわ」

 「お昼ご飯おごってー!」

 ドアを勢いよく開けて入ってきた才羽姉妹。

 「(……なるほど)」

 いつも通りの二人の姿に違和感を覚え、先生はすぐに結論を導き出した。

 「二人ともよくできてるね」

 「え? 何が?」

 モモイの口角がわずかに引きつった。

 「服と銃を換えるだけじゃなくてカラコンまで使ってさ」

 「ええーっ!? バレるの早くない!?」

 ミドリ……もといミドリに変装したモモイが素で叫んだ。

 即座に馬脚を現した姉に頭を抱えつつ、モモイに扮したミドリはため息をついた。

 「先生ごめんなさい。最初は反対したんですけど、先生が私達を見分けられるか気になって……」

 「二人との付き合いも長いからね。一見完璧に見えて細かい仕草が……待てよ?」

 言いかけて先生が突然悩み始めた。姉妹は首をかしげ先生に近づいた。

 

 「どうしたの先生?」

 「モモイ、誰かにその人が見たことがない人を教える時、どういう風に伝える?」

 「えっ? うーん……服とか髪型とか、一目見てわかるところとか?」

 「ミドリ、ドットが荒いゲームでキャラの個性を出す時、どういう風に描く?」

 「低解像度でですか? 最初の頃のスーパーマリンシスターズがそうなんですけど、キャラの外見的な特徴や色を工夫します。

 一作目の操作キャラはグラフィックが同じでしたから、色を変えることで姉と妹を表現してました」

 「ある意味二人と同じだね」

 これまでに得た情報と二人から貰ったヒントを基に頭の中で作戦を組み上げてゆく。

 リーダー(マサコ)の目的、標的であるホシノの外見、組織的な集団ではなく傭兵としてバラバラにかき集められた敵、指定地点への順路――。

 

 「よし、いけそうだ」

 一人何かに納得した様子の先生を見上げて、二人は頭に疑問符を浮かべる。

 「先生、どうかしましたか?」

 「明日の作戦、二人にも参加してもらうよ」

 「作戦ってなに?」

 「とりあえずご飯食べに行こうか」

 

 


 

 

 当日の午後二時、アビドス高等学校正門前。

 

 「ええ。今小鳥遊ホシノは学校を出ました。付き添いの生徒を連れています」

 岩尾マサコとは唯一在学時代からの付き合いである女は、斥候として物陰に身を潜めて対策委員会側の様子をうかがっていた。

 『人数は?』

 「一人です。奴ら学校を空けたらこっちが襲撃してくる事を警戒してるのでしょうよ」

 『へっ、まあ仕方ねえわな。小鳥遊にはせいぜいきりきり舞いしてもらおうか!』

 「それじゃ逃走経路の準備に向かうんで」

 『ああ、後でな』

 トランシーバーの通話が切れた。

 

 「……なあ、これでいいだろ? うちだけでも逃がしてくれないか?」

 通信機を地面に落として両手を上げる斥候。

 「ダメですよ。ボスへ連絡しないという保証はごさいませんし、何より貴女は武器輸送車襲撃事件の共犯者ですから」

 「……!!」

 押し付けられた銃口がぼすんと鈍い音を立てると、斥候は意識を失い崩れ落ちた。

 「ご主人様、仕込みは完了しました」

 

 

 同刻、アビドス高等学校・会議室。

 

 「お疲れ様アカネ、その人も縛って……体育用具庫にでも閉じ込めとこうか」

 『承知しました』

 いまこの部屋には雑多な学校の生徒が詰めかけ、即席のシャーレ指令室と化していた。

 対策委員会が使っている部室では機材も人も収まりきらないという事情もあるが、あの部屋は今は学校の中枢たる生徒会の本拠地でもあるため、先生が配慮した形だった。

 「無線周波数割り出し完了。先生、目標が使っている全てのチャンネルを傍受できました」

 コタマが相手の通信を丸裸にする傍で、アヤネとハレが持ちこまれたPCに向かい合っていた。

 「偵察ドローン配置完了。流石ミレニアムの誇るエンジニア部、一度にこれだけの数を操作できるなんて……」

 「あらかじめ指定した目標を追跡できるように簡単なAIを組んだからね。既存の機材とプログラムを流用して短時間で仕上げたから、今はこのぐらいが限界」

 

 別の長机ではヒナとチナツが連れてきた一般風紀委員部隊に指示を飛ばしていた。

 『第一小隊長から司令部(HQ)! 第一から第五分隊、配置完了』

 『第二小隊、分隊の配置完了!』

 「司令部了解、以後司令部の指示もしくは付近のシャーレ部員の要請があるまで待機」

 チナツが待機命令を出すと、ヒナがマイクを手に取り現場へ檄を飛ばす。

 「こちら委員長。今回はエデン条約事件(あのとき)同様、シャーレ指揮のもとゲヘナ学園自治区外での活動になる。くれぐれも風紀委員会の名に恥じぬ行動を心掛けること。以上」

 『了解!』

 

 「先生。全要員、配置につきました」

 作戦の要である『露払い』要員の準備完了をユウカが告げる。

 「いやーごめんね皆。おじさんのワガママに付き合ってもらっちゃって」

 本日の主役であるホシノは普段とあまり変わらず、弾薬ポーチとサイドアームの拳銃を提げただけの身軽な恰好をしていた。

 今回はかつてのように防弾盾は持っていない。

 先生はそんなホシノを笑いながら見つめた。

 「今回はあちこちの利害が一致したからね。

 それにさ、いつももどかしい結果で終わってるんだから、たまにはキッチリ決着をつけれた方がいい」

 「……それもそうだね」

 ホシノは口元に自然な笑みを浮かべた。

 

 「それじゃ、いってきます」

 

 

……

 

 

 砂で埋もれた棄てられた住宅街の一画、その廃屋の一つに岩尾マサコが雇った傭兵の一グループが潜んでいた。

 双眼鏡で広い通りを監視していると、やがて近づいてくる二つの人影を発見した。

 「こちらブラボー隊、目標を発見」

 『間違いないな?』

 「あの特徴は見間違えようがない、アビドスの小鳥遊ホシノとかいう奴に違いねえ」

 『了解した。もし倒せたならグループ単位で報酬を倍額上乗せするぞ、丸裸にするつもりで徹底的にやれ!』

 「その言葉、忘れるなよ!?」

 

 傭兵集団は報酬の一部である最新の銃器をガチャガチャ言わせながら、大通りへと飛び出た。

 「おい! 小鳥遊ホシノとやら!」

 十名程度の武装集団に進路を塞がれ、シロコら二人は足を止めた。

 「何か用かよ?」

 ホシノ(?)は乱暴な言葉遣いで不良生徒をにらみつけた。その気迫に一瞬たじろぐも欲が勝り気を持ち直した。

 「おめえに恨みはねえが仕事なんでな。ここでぶちのめしてやる!」

 一斉に突撃銃(MCX)対物ライフル(M107A1)の銃口を向けた。

 

 「だってさ、先輩?」

 「ハッ! 面白れぇじゃねえか。ちったぁ歯ごたえ見せろよォ!」

 そう叫び、ホシノ(?)は背後から二挺の短機関銃(ツイン・ドラゴン)を取り出した。

 

 

……

 

 

 「連中の練度からすると、持って二分ってところか」

 元は商店街だったらしいが、砂に潰されて今は見る影もない廃墟地帯。そこに岩尾マサコは居た。

 マサコは傭兵達がホシノに勝てるとは最初から思っておらず、エサをぶら下げて限界まで戦わせるつもりでいた。

 だが金に目がくらんだ不良生徒達は誰一人としてそれに気づく様子はなかった。

 アイリッシュコーヒーを口に運び、部隊の配置転換の指示を飛ばそうとする。

 「進路はAルートか。ゴルフ、ホテルへ――」

 『こちらデルタ隊! 目標発見!』

 「なんだと?」

 紙の地図を確認すると、先ほど戦闘が始まったAルートと今報告が挙がったBルートは約五百メートル離れている。

 「クソッ陽動か! そいつが本物だ!すぐに戦闘――」

 『ホテル隊目標を……うわぁ!!』

 今度は遊撃隊最後尾にいた集団がホシノの出現を告げ、そして音信が途絶えた。

 これを皮切りに次々と『ホシノ出現』の報告が飛び込んだ。

 

 「ありえねえ……アビドスには今奴を含めて五人しかいないはずだぞ。ロクなコネも金もねえ奴らが人海戦術など」

 「それができちゃうんだよねぇ」

 「!!」

 

 アウトドア用品をひっくり返して立ち上がりながら振り向くと、そこには無傷のホシノがたたずんでいた。

 「小鳥遊、貴様!」

 「先生から言われたでしょ? 表の情報に疎いってさ」

 

 マサコに欠けていた情報、それは

 『シャーレ部員の繋がりは権力による強制ではなく、学校の垣根を超えた生徒間の繋がりでもある』

 ということ。

 学校単位で動く時は損得勘定がある程度絡むが、部員の間には壁というものは存在しない。

 シャーレという枠組みの中では表での対立は脇に置いた交友関係が築かれ、あるいは先生が間を取り持てば生徒達は納得して動いてくれる。

 今回はどちらかと言えば後者だが、皆が『ホシノに手を貸す』という認識を持っていた。

 彼女は『たかがアビドスでの決闘騒ぎにシャーレや他校が手を貸すはずがない』と思いこんでいたのだ。

 

 「あんのもやしぃぃぃぃっ!」

 「さあマッチョちゃん、始めようか?」

 安全装置を外し、銃口をマサコへと向ける。

 「ハハッ! 誰が一対一で戦うと言った!?」

 苦し紛れに叫んで足元の機械をいじると、砂を掻き分けて飛行ドローンや武装オートマタが次々と姿を現した。

 その数、五〇。

 「せいぜい楽しめ! ハハハハハハ!!」

 マサコは脱兎のごとく逃げ出した。

 

 数十の銃口を向けられてもなお、ホシノは落ち着き払っていた。

 「ホント、ずるがしこく見えて実は単純なとこ、変わってないなぁ……」

 呆れ気味につぶやくと、攻撃態勢に入った飛行ドローンが射程外から次々と撃ち落とされていくのを眺めた。

 飛行ドローンが全滅すると、カモフラージュシートを取り払い後方からミヤコとサキが姿を現した。

 「ここは引き受けます。ホシノさんは目標を追ってください!」

 「世話をかけるねぇ」

 そう、マサコが現れる一時間は前からRABBIT小隊とカリンで編成される伏兵が待ち構えていたのだ。

 過去の犯罪記録を洗い出したところ、時おり報酬として奪った戦闘機械を受け取っていたのが確認されており、彼女の異様な執着心からしてホシノを消耗させるために投入するだろうとは予測されていた。

 ゆえに『決闘の邪魔をしない』という条件付きで先生が彼女達を待機させていたのだ。

 

 ホシノは進路上にいるオートマタを手早く排除し、マサコの後を追った。

 

 


 

 

 『ねぇねぇ先生ー? 連中が落とした武器はどうするのー?』

 「後で回収するから適当なところに集めといて」

 先生は替え玉組のムツキの質問に答えつつ、プロジェクターで映し出した広範囲地図を見た。

 確認された敵集団は八、十数人程度の集団で統率も取れてるとは言い難いが強力な武器を持っている。

 一騎当千の戦力が揃っているとはいえ油断は禁物、先生はドローンから送られた映像を見ながら器用に全員への戦闘指揮を行っていた。

 『敵集団全滅! こいつら弱すぎるぞ!』

 「ネル、シロコ組は北西へ移動。ミドリとセリカの援護へ。モモイ、そっちは?」

 『三人逃げたよ! 今追いかけてる!』

 「チナツ!」

 「第七分隊、南東へ前進。シャーレ部員と共同で残党の掃討に当たってください」

 『了解!』

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばす先生を眺めながら、手持ち無沙汰のヒナとユウカは今回の作戦の感想を述べた。

 「面白い発想ね」

 「はい。相手が素人集団だというのを前提として替え玉を何人も用意、一斉投入して各個撃破。その間に本物のホシノさんは廃棄された地下道路を通って最短コースを通過……」

 

 ホシノの外見的特徴は多い。

 『アビドス高等学校の制服をブレザーなし、上半身にホルスター固定用のバンド着用』

 『ピンクのロングヘアに飛び出たアホ毛』

 『橙と青のオッドアイ』

 『身長一五〇センチ未満の小柄な体格』

 短期間で集めた即席の部隊にホシノの正確な人相を覚えさせるのは難しいため、これらの特徴で判別するように教えるだろうと先生は考えた。

 なのでホシノに近い背丈の生徒をアカネによるメイクやカラーコンタクト、アビドスで使われないまま保管されている制服を駆使して替え玉へと仕立て上げたのだ。

 なお、背丈が近いものの角や羽を持つため変装できず、不参加となった生徒が何人かいる。

 

 「傭兵は小鳥遊ホシノだけを狙うように指示されてるから他の人は襲わない。こちらから襲撃すれば『アビドスが通り魔を始めた』という風評を流せる」

 「ですから『ホシノさん』を襲わせるようにすれば正当防衛が成立し、こちらは捕縛と銃器没収の大義名分を得られる」

 一石二鳥とはこのことである。

 

 『こちらRABBIT1、敵部隊を無力化! これよりホシノさんの後を追います』

 「RABBIT小隊、君達が目標を相手にする状況はホシノが万が一やられた時だからね。それを忘れないように」

 『RABBIT1了解!』

 

 

……

 

 

 平屋建ての住宅だった壁を無数の銃弾が穴を穿つ。

 ホシノは建物と建物の間を駆け抜けながら銃に装弾(シェル)を込めてゆく。

 「ねえマッチョちゃん! どうしてこんなにお金ばら撒いてまでおじさんなんかに拘るのさ!? 裏に生きてても普通にやってればシャーレ(うちら)が出る事もなかったのに!」

 撃ちすぎで故障した自動小銃(MC51)を投げ捨て、左腰の拳銃を抜いたマサコは叫ぶ。

 「知れたこと! 最初に敗れた時の貴様の姿が脳裏に焼き付いて離れねえ!」

 目暗滅法だった先程と打って変わり、正確にホシノを捉えた50口径の銃弾が弾薬ポーチに直撃し、中の散弾が何発か炸裂した。

 「……っ!!」

 咄嗟にポーチをバンドから引きちぎって捨てるも、いくつもの散弾が脇腹の皮膚を抉り血が滴り落ちる。

 外の世界の人間なら臓器がメチャクチャになっているであろうが、肌で銃弾を防ぐキヴォトスの住人だからこそ『これで済んだ』と言える。

 「いくら薬を使おうが鉄火場に出ればいつお前が現れるかとビビっちまう!」

 物陰に隠れ何発かお見舞いするが、12ゲージ6粒バックショットを食らってもマサコは一切痛がる様子を見せない。

 「だから! 貴様を徹底的にいたぶって! 貴様が死んだも同然になるまで! やらなきゃ俺は安心して眠れやしねえんだ!!」

 

 「……チッ」

 眠れないのはこっちも同じだと昔のように毒を吐きたくなるが、ホシノをぐっと我慢した。

 「(アルコールだけじゃない、違法薬物(ドラッグ)もキメてるのか)」

 退学時点で留年により十九、今は成人しているため酒は合法かもしれない。だが薬物乱用は完全に法を犯している。

 「(そもそもお酒は裏でしか手に入んないんだったね。……さて、胴体に撃ってもだめなら)」

 頭部への直撃(ヘッドショット)により、脳を直接揺さぶってやればいい。

 相手の隙を作る方法を考えると、愛銃にスラッグ弾を装填しホルスターから自動拳銃(P229)を抜いた。

 物陰から物陰に移りながら拳銃を撃つ。

 マサコは9mm弾を受けてようやく痛がるそぶりを見せたが、それまでだった。

 「ははははは! 貴様もガンが壊れたか!」

 「頭が壊れた人に言われたくないね!」

 ホシノは歩を進めるマサコの足元が先ほど捨てた弾薬ポーチの隣へと達したのを確認すると、さっきとは逆に自分でポーチを狙い撃った。

 「うわっ!?」

 残りの装弾が誘爆し、四方八方へと散弾をばら撒いた。

 足元の『花火』にひるみ、マサコの意識はホシノから逸れた。

 

 「あ、クソ。どこ行きやがった!?」

 視線を戻すと、ホシノの姿は消えていた。

 だんだんとホシノに対する恐怖心を打ち消すための薬の高揚感が抜け始め、マサコは露骨に焦り始めた。

 足を止め首を左右に振り必死に姿を探す。

 

 そんな背中を四メートルも離れていない瓦礫の上から眺めるホシノ。

 「……かわいそうに」

 破壊工作のプロ、凄腕の裏稼業人という評も見かけた女の実態が、心の弱さを隠すため薬に頼っていたと知られたら、もう裏社会での評判も地に堕ちるだろう。

 「(それの原因が私なら、幕引きも私にしかできない)」

 ゆっくり慎重に狙いを定め、愛銃の引き金を引いた。

 

 「ごあっ!?」

 後頭部に鋭い衝撃を受けてマサコは倒れ伏した。

 ホシノは素早く駆け寄り、銃口を再度頭に向けた。

 「たか、なしぃ!」

 「じゃあね。堀の中で頭冷やしなよ」

 二発、三発、四発。

 弾倉が空になるまでスラッグ弾を頭に撃ちこんだ。

 

 

 マサコが動かなくなったのを見て、遠くから決闘を見守っていた一行が駆け寄った。

 「ホシノさん」

 「……うへー、終わった終わった」

 脱力しその場に座りこむホシノ。

 倒れているマサコの手足をミヤコとサキは手早く縛りあげる。どうせこの後ヘリで運ぶのだから歩けなくても問題ない。

 「ホシノ、お前そんな顔してえげつないな……」

 「サキちゃんも覚悟しといた方がいいよ? これから先、クスリやってる悪い人と戦うかもしれないしね」

 「あ、ああ」

 顔面をボコボコに腫らして白目を剥いたマサコの姿を見て、サキはホシノがただ者ではないと改めて感じるのだった。

 

 「先生、勝ったよ」

 

 


 

 

 数日後、シャーレオフィス。

 

 先生は山積みとなった書類の山と格闘していた。

 今回は作戦規模がかなり大きかったため、連邦生徒会や関係各所へ提出する報告書などを沢山書かなければならなかったのだ。

 特に連邦生徒会へ出す書類は全てアナログな紙媒体なので、このような有様となった。

 

 岩尾マサコとその側近はミレニアム自治区へ護送ののち地元警察により逮捕、現在は厳重な警備が敷かれた留置場で拘束中。

 これまでに犯した罪の数を考えると、十年単位の懲役刑か終身刑は確実。

 だが彼女は乱用し続けた違法薬物の依存症、そしてそれに紐づけられてしまったホシノの影に一生苦しむ事になるだろう。

 傭兵として雇われた不良生徒達はシャーレの権限で一度ゲヘナ風紀委員会が拘束、その後ゲヘナ学園生以外を在籍する各学校の警察組織へと引き渡した。

 回収された銃器は依頼主であるミレニアムで預かり、元の持ち主が分かり次第返却を行うようだ。

 

 「ユウカー、疲れたよぉ」

 「この位の量ならいつもこなしてるじゃないですか。泣き言を言わないでください」

 当番のユウカはユウカで、セミナー会計としての仕事と電子ファイルで済むシャーレの書類を並行して作っていた。

 二人して疲れが顔に色濃く出ていた。

 

 やがて扉が開き、ホシノが執務室へと入ってきた。

 「やっほーお二人さん」

 「あら。こんにちわ、ホシノさん」

 「おはようホシノ。どうかした?」

 「これから警備のバイトだけど通り道だったからね。ちょっと見に来たの」

 書類の山を見てうへぇとつぶやきながら、先生の元へ近寄る。

 「先生、この間はありがとね」

 「どういたしまして。少しは気が晴れたかい?」

 先生の質問を聞くと、ホシノはわざとらしく肩を落とした。

 「結局しこりが残った感じかなー。マッチョちゃんがヤク中になったの、考え方次第ではおじさんのせいだしね」

 目を細めて力なく笑うホシノ。

 「ホシノ……」

 

 

 今は亡きアビドス最後の生徒会長、ユメ。

 ホシノが先輩と呼ぶ彼女の制止を聞かなかった事が結果的に一人の人間の人生を狂わせた。

 もし彼女の言いつけを守っていればこうはならなかったのではないか?

 今のホシノの心の中には、そんな思いが渦巻いていた。

 

 

 先生はそんな彼女の内心を察してか、スッと両手を伸ばして頬を揉みしだいた。

 「うわわわわ先生!?」

 仰天するホシノだが、先生の表情はいたって真面目だった。

 「ホシノ、抱えこみすぎは良くないよ。

 あの人は本来アビドスとは全く無関係だったんだ。そんな人の生き方まで自分のせいだと思い続けたら、遠くない日にパンクしちゃう」

 伊達メガネを外した先生の青みがかった灰色の瞳に、びろんと頬を伸ばされたホシノの顔が映った。

 ホシノはそんな自分の滑稽な顔を見て、張り詰めていた糸がゆるむ感覚を得た。

 「誰だって人には言えない事がある。でも言える事だったら遠慮なく相談してほしいな?」

 「……うん」

 

 この人には勝てないな。そう心の中でつぶやいた。

 

 

 

 

 元気を取り戻したホシノが退室して数分後。

 二人のやり取りを黙って見ていたユウカが口を開いた。

 「先生、ところで私に言わなきゃいけない事がありますよね?」

 「え゛」

 青筋立てたユウカの手には、先生が不用意にもゴミ箱へと捨てていた領収書が握られていた。

 「先生、仕事はいったん休憩しましょう」

 「……普通に休むという選択肢は?」

 「ありません」

 

 

 先生の目には、ユウカの頭に魔王もかくやの立派な一対の角が生えているように見えた。

 「先生! いい歳した大人が何度言えばわかるんですか!?」

 「またこのオチかぁぁぁぁ!」

 

 



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#5 ハッピーエンドの裏側で

■注意
 勢いで書いた回なので次回「先生が初めて倒れた日」と共に原作とは矛盾点が多いです。

■あらすじ
 時系列はメインストーリーVol.3 第三章24話の直後。
 切り札である大人のカードを使いゲマトリアを退けた先生だったが、長く苦しい戦いが終わったと喜ぶ生徒たちの前からひっそりと姿を消してしまう。
 力尽きて倒れていた先生を助け出したシロコは、なぜ怪我の事を隠していたのかと問い詰めるが……


 

 

 

 

 日は沈み、暗闇が支配する夜。

 昼間の騒ぎが嘘のように静まれかえった中、あちこちで追い詰められ助けを求める心の声が響く。

 

 「……!」

 先生は幻想の中でセイアとの対話を終えると、体の痛みに耐えながら体を起こした。

 「せ、先生!? 目が覚めたんですね……!!」

 セリナは突然の覚醒に驚きながらも素早く意識レベルの確認を行う。異常はなさそうだった。

 「心配、かけたね……」

 まるで夢遊病者のようにベッドから降りると、ふらつき倒れかけた所をハナエに支えられた。

 「まだ動いちゃダメです!」

 体を支える手を優しくどかすと、ラックに掛けられていた血塗れのビジネススーツを一瞥し立ち上がった。

 「ちょっと離れてて」

 

 二人が距離を取ったのを確認すると、素肌に着ていた病着をつかみ勢いよく脱ぎ捨てた。

 視界が病着にさえぎられた一瞬の間に、先生はシャーレ部員には見慣れているいつもの服装に身を包んでいた。

 「どんな手品ですか!?」

 珍しく驚くセリナの声を背に、先生は薄茶色の長い髪を取り出したリボンで束ねて結んだ。

 「先生、どこに行くつもりなんですか……!?」

 「どこかで泣いてる子がいる、助けを求める生徒がいる」

 ハナエの問いに要領を得ない言葉を紡ぎながらドアノブへ手をかける。

 

 「私はシャーレの先生で生徒みんなの味方だからね。そんな子達を放っておくわけにはいかない」

 扉が開かれ、確かな足取りで歩きだした。

 

 

……

 

 

 数時間後。

 

 「……心から感謝しよう、先生」

 双頭の怪人(マエストロ)は先生が見せた『力の片鱗』に驚きと感動を覚え、感謝を述べた。

 「不完全な姿でお見せしてしまったことは汗顔の至りだが、すぐに完成させてみせる」

 アズサは銃口を向けるが、先生は手でそれを制した。

 「黒服の言う通りだったな……普段はあまり共感できないものの、この件については感謝せざるを得まい。

 ……ではフェイス先生。そなたにまた会える時を、心待ちにしている」

 マエストロはシャーレに背を向け歩き出す。

 「また、夢の中で」

 その不気味な姿が掻き消え、洞窟の中に再び静寂が帰ってきた。

 

 その後、集まったシャーレ部員総出でアリウススクワッドを捜索したものの、彼女達の足取りをつかむ事はできなかった。

 

 犠牲者こそ出なかったものの、甚大な被害と様々な軋轢を噴出させたエデン条約はこのまま破談となるだろう。

 それでもヒフミの宣言に倣うように、彼女達は自分達で選び創り上げてゆく物語を続けてゆく。

 ハッピーエンドを目指して……。

 

 


 

 

 

 集められたシャーレ部隊は後始末を後続の正義実現委員会とゲヘナ風紀委員会に任せて解散となった。

 一行の顔にはやり遂げたという達成感と、これからまた大変だという神妙な面持ちが混ざり合った複雑な感情が浮かんでいた。

 それでも不屈の意志で自分達を支えてくれる先生のもと、これからも頑張っていくという決意を新たにした。

 

 だが、肝心の先生がどこへ行ったかまで気が回っていなかった。

 

 

 「……はぁ、ハァ…ぐぅ」

 無人のシャーレオフィスへと入ってゆく一人の影。

 息は荒く、顔色もひどく悪い。そして足を伝いわずかに滴り落ちる鮮血が点々と床に模様を描いてゆく。

 「もうこれ、大人のカードの負荷とか関係ない……」

 サオリに撃たれた傷から少しずつ漏れ出た血と腹を抉るような痛みは、少しずつ先生の命を削っていた。

 

 先生を守ることができなかったと塞ぎこんでいたヒナを、どんなに辛く虚しくとも立ち上がったヒフミ達を、駆け付けたアビドス対策委員会ほかのシャーレ部員を心配させないために。

 限界を超えて動いている事をひた隠しにし、もう何でもないように振る舞っていた。

 だが全てが終わったいま、帳尻合わせが一度に訪れた。

 

 「あっ」

 足がもつれて床に倒れこむ。伊達メガネが落ちて遠くへと転がってゆく。

 「死ぬもんか……絶対に」

 床に這いつくばったまま、タブレットケースに入れたシッテムの箱に触れる。

 「アロナ……無事でいて」

 音信が途絶えたままの相棒の身を案じながら、先生は意識を手放した。

 

 

 5.56mm小銃弾一発による腹部の貫通射創、およびそれによる臓器損傷と大量出血。

 それがエデン条約締結式襲撃犯に撃たれたことにより、『シャーレの先生』が受けた外傷。

 ヒナが身を挺して庇い、セナ達救急医学部が救い上げた先生が負った傷。

 とてもじゃないが、動いていい容態ではない。

 

 

……

 

 

 最初に視界に入ったのは真っ白な天井と点いていない蛍光灯。

 次に感じたのは鼻につく消毒薬のにおい。

 そして全身の気だるさと感覚の鈍さ。

 「……オフィスの救護室か。よかった」

 救護騎士団本部に連れ戻されていたら皆にこの事を知られてしまう。先生はぼんやりとした意識でそうはなっていない事に安堵した。

 

 「いいわけないよね、先生?」

 「え」

 体がうまく動かせないともがいていると、声の主が顔を覗きこんできた。

 「シロコ」

 「ん……ホシノ先輩達も来てるよ」

 瞳孔の色が左右で違う青い変則オッドアイ、灰色の髪にイヌ科の獣耳。

 砂狼シロコの憮然とした顔がそこにあった。

 

 

 部隊の解散後、アビドス対策委員会はこのまま自治区へ戻ろうかと話していた。

 その時ホシノがふと思っていた事を口にした。

 「ねえ皆? 先生ってさ、どこか怪我してるんじゃないかな?」

 「まさか?」

 セリカの困惑によそに、ホシノは言葉を続ける。

 「先生の服って色が暗いし夜明け前から動いてたから分かりにくかったけど、なんか黒いシミみたいなのがベストやズボンにできてたんだよね」

 「そう言われてみると、どこかお腹を庇ってるというか、動きがぎこちなかったというか……」

 そう述べたノノミからシロコへと不安が波及し、やがてアヤネが慌てふためいた様子で走ってきた。

 

 「はあっ……はぁ……。

 ハスミさんに聞いたんですけど、先生は襲撃犯にお腹を撃たれてるって……!」

 「ええっ!?」

 元気に動き回る先生の姿を前に、先生の負傷を知る者――それこそ治療を行ったセナを含めて――全員が「大丈夫だ」と思いこんでいた。

 

 「ヤバいじゃない! それじゃ先せ」

  叫びかけたセリカの口をシロコが手で塞いだ。

 「セリカ、声が大きい。他の人に聞かれたらまずい」

 「だね。たぶん先生はこれを知られたくないから黙ってたんだろうし」

 ホシノはどこか突き刺すような鋭い雰囲気を漂わせながら、先生の足取りについて思考を巡らせた。

 「電話かモモトークで呼び出してみるのはどうでしょう?」

 「おそらく出ないと思います。先生が怪我の事を知られたくないならきっと……」

 そもそも今応対できるかという問題もある。

 

 短い議論が何度も交わされるなか、シロコは思いついたようにつぶやく。

 「シャーレのオフィス」

 「シロコちゃん、たぶん正解だよ」

 全員がシロコの方を振り向いた。

 「どこの学校にも行かないとなると、先生の帰る場所はあそこしかない」

 

 五人はまだ現場に残っていた他のシャーレ部員に悟られることなくその場を抜け出し、雨雲号(ヘリ)でオフィスへと飛んだ。

 そしてビルの入り口付近で倒れている先生を見つけて救護室へと運びこんだのだった。

 

 

……

 

 

 「先生、どうして黙っていたの?」

 シロコの淡々とした物言いの中に、彼女の怒りがこもっていた。

 それとは裏腹に、目は今にも涙を流しそうな悲しみを浮かべている。

 「言わなきゃダメかい?」

 「ダメ」

 言葉を濁す事をはっきりと否定され、先生は観念したようにため息をついた。

 

 「……ハッピーエンドの邪魔をしたくなかったんだ」

 「邪魔?」

 不思議な答えに首をかしげるシロコ。

 

 「住む世界が違うと飛び出したアズサをヒフミと君達が連れ戻した。

 一度は心が折れたヒナが立ち直って、シャーレの権限も使ったとはいえトリニティとゲヘナが共に戦って、大きな困難を乗り越えた。

 ゲマトリアを退け、アリウススクワッドとの和解の道も私には見えた」

 先生は言葉を区切り、何か飲み物がないかと視線を動かす。

 「ん……無理はしないで」

 何をしたいか気づいたシロコは棚から水差しを取り出し、移したミネラルウォーターを先生に飲ませた。

 「ありがとう。

 ……ミカの罪やマコトの暴走のけじめもあるし、正式なエデン条約はこのまま流れるだろうけど、エデン条約機構(ETO)は君達という形で残った。

 今回の共闘が、ほんの少しずつだけど二つの学校のわだかまりを解いてくと私は思ってる」

 長い目で見れば絶対にハッピーエンドになるよ、と言ってしばらく黙りこむ。

 

 「……ははっ」

 すると先生は突然やけくそじみた自嘲の笑みを浮かべた。

 「先生?」

 「難しい言葉を並べたけど、結局はいい感じにひと段落ついたのを、私のせいで台無しにしたくなかったんだよ」

 目尻に溜まった涙が重力にひかれて顔を伝う。

 「それで結局はバレて心配かけてるんだから、ズルくてしょうもなくて、救いようがない大人だよ私は……」

 ヒナがそうであったように、先生は今までずっと隠し続けていた感情を抑えるのが苦しくなり、歯を食いしばって必死に泣くのを堪える。

 

 「……先生」

 しばらくその様子を見ていたシロコだったが、やがて意を決したかのように先生の右手を掴んだ。

 「……シロコ?」

 その手を自分の心臓の上へと押しあてた。先生の手に彼女の鼓動がかすかに伝わってくる。

 「先生、初めて会った日のことを覚えてる?」

 「うん」

 

 アロナが選び出した対策委員会からの救援要請。

 先生はそれに応じて物資を持って出発するも遭難し、偶然出会ったシロコにおぶってもらいながら学校を訪れた。

 カイザーの息がかかったカタカタヘルメット団を対策委員会を指揮して撃退し、先生を内心信用していなかったホシノ以外から純粋な称賛を受けたあの時。

 

 「私はあの時『大人ってすごい』と思った。悪い大人(ゲマトリア)に騙されたホシノ先輩を助け出して、その後も色んな所で先生は奇跡を起こし続けた。

 そのせいか、先生はどこか私達とは違う生き物じゃないかって思うことがあった」

 手を通じて伝わってくる心臓の鼓動が早くなる。

 「でも安心した。体の丈夫さは違っても先生は私達と同じ。

 見栄っ張りでわがままで、理不尽な事に怒ったり悔しくて泣いたりする。

 同じ赤い血が流れてる……少し先を生きてるだけの人間」

 

 シロコは手を先生の背中に回し、そのまま優しく抱きしめた。

 「シロコ……」

 「困ったことがあったら、辛い事があったら頼ってって先生はいつも言ってた。

 だから、先生がどうしてもつらい時は私達に頼って」

 彼女のその言葉は、堪え続けていた感情を爆発させるのには十分なものだった。

 「……うあぁぁ……っ!」

 先生はしばしの間、自分の立場を忘れてシロコの腕の中で泣き続けた。

 

 


 

 

 「いやー珍しいもの見ちゃったねぇ」

 あの後、廊下の血痕の掃除やら医薬品の補充やらで居なかった他の対策委員会の面々が戻ってきてしまい、先生はシロコに抱きしめられたまま泣いてる姿を見られてしまった。

 「今まで考えたことなかったけど、大人って結構キツい立場ね……」

 「寄りかかって甘えたり、ちゃんと叱ってくれる人が基本的にいませんからね。特にキヴォトスでの先生のご立場だと……」

 

 強大な権限を持つシャーレの責任者として、『先を生きる者』として間違う事を許されず、子供達を常に支え続けていかなければならない。

 あちこちで出会う大人達も、シャーレの先生というフィルターを通した関係か、あるいはゲマトリアや犯罪者たちのような敵しかいない。

 

 「ユウカにしょっちゅう怒られてるのも、わざとやってるの?」

 「……ノーコメントで」

 「甘えたいならいつでもどうぞ〜☆」

 「恥ずかしいからしばらくいいよ……」

 両手を広げて待ち構えるノノミの誘いを断る先生。その顔は羞恥の感情で真っ赤に染まっていた。

 

 「落ち着いたところで先生、これからどうするの?」

 ホシノはいつもの眠たそうな目つきとは裏腹に、真面目な眼差しを向けながら聞いた。

 「やっぱり皆には秘密にしておくよ。でも『もしも』があるから、口が硬いセリナにはちゃんと話し「お呼びですか?」――うわ来た!?」

 全員が声のした方を向くと、そこには扉のドアノブを握ったまま肩で息をするセリナの姿があった。

 「もう……いつまで経っても病院に戻られないので探しましたよ」

 「ホントにごめん。でも心配させたくないから皆には」

 「申し訳ありません。手遅れかと思います……」

 セリナは眉をハの字にして即答した。

 「えっ」

 

 「皆さん! 携帯の電源を入れてください!」

 アヤネの叫びを受けて手持ちのスマートフォンの電源を入れると、大量の着信履歴が大名行列のごとく連なっていた。

 「ちょっと!? なによこれ!?」

 「……私達が先生の居所を知ってるとバレてるみたいだね」

 慌ててモモトークを開いたアヤネはひどく困った表情で愛用のタブレット端末の画面を向けた。

 「モモトークのシャーレグループチャットですが……皆さんに漏れてます」

 

 

 セナ:先生の居場所を知っている方は大至急お伝えください

 ヒナ:先生の?

 ユウカ:何かあったんですか?

 セナ:場の雰囲気と先生の振る舞いに飲まれていましたが、先生は本来動ける状態ではありません。

 このまま放っておけば本当に死体になります

 ヒナ:!?

 ツルギ:なん……だと!?

 イオリ:流石にそれはまずい!

 ハスミ:そういえば、先程アヤネから先生の様子がおかしくないかと聞かれました

 負傷していると答えましたら血相を変えて走っていきました

 マシロ:それです!

 ヒフミ:きっとアビドスの皆さんが居場所を知ってるはずです!すぐに連絡しないと!

 

 

 時刻はアビドス一行がその場を去った六分後。今から一時間以上前のログだった。

 「今の皆さんは作戦中に使う無線でやり取りしてます」

 「ええ……?」

 セリカはセリナからそう聞いて、人耳にはめたままのインカムのスイッチに触れた。

 

 『いました!! 救護室にアビドスの人全員とセリナさんと一緒にいます!!』

 「ぐぇっ」

 

 ノドカの声が爆音となって鳴り響き、セリカは汚い悲鳴を上げひっくり返った。

 それと前後して何かのエンジン音が遠くから近づいてきた。執務室と同じ高層階にある救護室からでも聞こえてくるような轟音だ。

 シロコとノノミは眼下の道路を、アヤネは空の彼方に何かを見つけてそちらを見た。

 「……あれ、ヒフミのクルセイダーだ」

 「チェリノちゃんの戦車にセナさんの救急車……えーっと、アル社長達の軽トラやヴァルキューレのパトカーもいますね~」

 「あそこで飛んでるヘリ、もしかしてミレニアムのヘリじゃ……」

 シャーレオフィス前の道路や駐車場は二両の戦車を含めた雑多な車でひしめき合い、液晶掲示板にはヘリポートにミレニアムサイエンススクール所属のヘリが着陸したという説明が映し出されていた。

 

 「心配させないってつもりだったのにさー、逆に大ごとになっちゃったねぇ先生?」

 「素直に病院に戻ればよかった……」

 

 

 上と下の階両方から地鳴りのように轟く足音の数々が、いつもの日常が戻ってきたことを告げていた。

 



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#6 先生が初めて倒れた日

 時系列はメインストーリーVol.3 第三章3話後。
 トリニティでの騒動の後始末が済んだ先生はシャーレの活動再開の告知を出す。
 ユウカはセミナーの指示で真っ先にオフィスへ駆けつけるが、そこでは先生が過労で倒れており……

 今回は前話「ハッピーエンドの裏側で」のサブエピソードとなっておりますので、そちらを先にお読みください。


 

 

 トリニティ総合学園で起きた一連の『事件』から数日後……。

 

 「先生! 一か月もトリニティにかかりきりとか何があったんですか!?」

 

 ミレニアムサイエンススクールの生徒会会計、早瀬ユウカは朝早くからシャーレのオフィスへと足を運んだ。

 シャーレが『トリニティ総合学園での依頼処理のため、当面の間依頼に対応できません』という告知を取り下げたため、依頼完遂か依頼者によるキャンセルがあったと判断し、セミナーは連邦捜査部の部員でもある彼女を確認のため送り出したのだ。

 

 「あれ、先生……?」

 ところが執務室に先生の姿はなく、しばらく使っていなかったため備品などに薄く埃が積もっていた。

 先生用のデスクトップPCを立ち上げ来館履歴を確認すると、先生がオフィスへ入った履歴は二一日前――ホームページに告知が掲示された日――以来残されていなかった。

 「まだ居住区にいるのかしら……?」

 

 シャーレオフィスビルの一角は居住区になっており、先生はそこの一室に住んでいる。

 赴任当初の先生はどこかにアパートを借りようとも考えてはいたが、セキュリティの問題と通勤中の安全が確保できないとユウカに止められ、そのままオフィス内の居住区に住んでいるのだ。

 

 扉の前で呼び鈴を鳴らすが反応がない。何度か繰り返したが同じだった。

 「先生? フェイス先生? いらっしゃいますか?」

 扉を叩くも結果は同じ。

 入口付近に出店しているコンビニ(エンジェル24)がちょうどシフト交代のタイミングだったため夜勤の店員に話を聞いたが、夜遅くに帰ってきたきり居住区からは出ていないらしい。

 「(まだ始業時間でないとはいえ、普通なら起きてオフィスにいる時間だわ)」

 ドアノブを握りゆっくり回すと、鍵のかかっていない扉はあっさりと開いた。

 「(……まさか!?)」

 

 弾き飛ぶように部屋の中へ駆けこむと、リビングの床に何か大きなものが転がっているのが見えた。

 「先生!」

 ユウカはうつ伏せに倒れていた先生に駆け寄り、抱き起こして額に触れた。

 「すごい熱……それになんでこんなに傷あとが」

 先生は前線で指揮を取る立場ゆえに生傷は絶えないが、治りきっていない傷が顔だけでもあちこちに確認できた。

 帰ってきてすぐに倒れたのか、床には買い物袋からこぼれたレトルト食品やパンの袋が転がっている。

 「とにかくすぐに手当てを……」

 ユウカはしばらく救急箱を探して部屋を漁るも、それがない事に気づいて先生を肩に担ぎながらオフィスにある救護室へと急いだ。

 

 

……

 

 

 「……あれ? なんで私救護室にいるの?」

 時計の針が数週した頃、先生は意識を取り戻した。

 「先生! よかった……」

 「ユウカ?」

 隣で椅子に座っていたユウカに顔を向ける先生。額と倒れた時にぶつけた左頬には冷却ジェルシートが貼られている。

 「ねえユウカ、一体どうなってるの?」

 「それはこっちの台詞よ! トリニティの生徒会に何かがあったとまでは掴んでるけど、先生がこんなになってるなんて……!」

 先生は今の自分の格好が部員生徒にも貸し出しているスウェットを着て、身体のあちこちに絆創膏や湿布が貼られている事に気づいた。

 気を失っている間にユウカに傷だらけの体を見られたらしい。

 「(アズサの事を考えると、近いうちに説明する必要があるか)」

 先生は体を起こしてユウカに目線の高さを合わせた。

 「先生?」

 「トリニティの公式発表があるまで誰にも言わないって約束できる?」

 「……はい」

 ユウカの承諾を得ると、先生はここ一か月の話を最初から話し始めた。

 

 

 トリニティ生徒会(ティーパーティー)の内紛と疑心暗鬼の果てに生まれた補習授業部のこと。

 シャーレの権限を悪用したナギサの暴走の数々、訳ありの『裏切者』ミカと背後にいたアリウス分校の襲撃。

 そしてアズサとハナコ、ヒフミとコハル、シスターフッドやたまたま騒動に関わったヒナや美食研究会とフウカ。

 

 それらの話しはよその学校から見れば複雑怪奇で、締結式の日まであまり時間が残っていないエデン条約が必ずしも安定をもたらすとは限らないと訴えるかのような、あまりにも混沌とした一か月の記憶だった。

 

 

 すべてを聞き終えたユウカは眉間を抑えて唸った。

 「……これはトリニティとゲヘナの問題なので、ミレニアムからは何も言えませんが……こんな調子で本当に大丈夫なのかしら?」

 「今は楽園を信じてとにかく前に進むしかない、そういう事だと思うよ」

 先生はそう言ってため息をついた。

 「楽園、ですか」

 「私個人としては、諦めないで夢を追いかけ続ければ時間がかかっても叶うと思ってる。

 アズサが何度も言った通り、どんなに虚しくても抵抗するのをやめたらそこまでなんだ」

 ベッドに背を預けてまたため息をひとつ。

 

 「(『彼女』にもそれを分かってもらいたいけど、あそこまで捻くれちゃってると時間がかかりそうだ)」

 先生の目はどこか遠い場所を見ていたが、ユウカはその先を伺い知ることができなかった。

 

 

……

 

 

 過労による熱が下がったから大丈夫だとユウカを説得した先生は、執務室の掃除と並行してシャーレの活動再開準備を始めた。

 「エデン条約締結式に出る、ですか?」

 「うん。あそこまで深いところまで関わっちゃった以上、シャーレとしても避けては通れないだろうし」

 先生は立ち上げたPCに情報を打ちこんでゆく。連邦生徒会への活動報告書ではなく、新入部員の登録報告書だった。

 「さっき言ってた補習授業部の子達ですか?」

 「うん。みんなの承諾は貰ってるし、特にアズサとハナコは色々な厄介ごとがあるからシャーレで抱えこんでおきたい」

 「……また変な人に利用されないでくださいよ?」

 

 ユウカの釘刺しに、先生は何も答えなかった。

 「(先生、嘘でもそこは否定してよ)」

 

 ユウカには、先生がこれまで彼女に見せてきた飄々さを失った、どこか神経が張り詰めてて余裕がない様子が感じ取れた。

 ホシノを救うためにカイザーPMCを敵に回した時も、ゲーム開発部の後ろ盾になった時も、C&Cやエンジニア部などに協力するようになった時も。

 先生はいつも掴みどころがなく、周りを適度にからかいユウカに怒られたりしつつ、まるで陽の光のように生徒達の心を温めてきた。

 しかし今の先生はどこか精彩さに欠けて、壁とまではいかなくともどこか周りとの隔たりを感じさせた。

 まるで何かに追われて疲れ果てているかのように。

 

 「(また卑屈になってるのかしら? ……少しは言ってくれてもいいじゃないの)」

 そんな様子にユウカは少しの寂しさを覚えた。

 

 

 そして時は流れてエデン条約の締結式翌日、彼女の懸念は知らないところで的中することになる。

 

 

 


 

 

 

 「ちょっとユウカ! 重いって! ホントに100キロあるんじゃないの!?」

 ユウカやヴェリタスのメンバーに押しつぶされたミドリが悲鳴を上げた。

 

 ミレニアム組は屋上からヘリで乗り付けたためいち早く救護室へと到着した。

 だがすぐに地上から走ってきた組が追い付き押し出され、将棋倒しの形になったのだ。

 「カムラッド!」「先生!」「あるじ殿ご無事ですか!?」

 部屋の中がわいわいと大騒ぎになる中、アビドス対策委員会や巻き添えを免れたC&Cが倒れた生徒を助け出してゆく。

 「先生……!」「早く降りて! ミドリとユズが死んじゃう!」

 自分の下にいるミドリと気絶したユズごと体を強引に引きずり抜け出させると、先生のベッドに駆け寄った。

 「大丈夫ユウカ?」

 「ご自分の体とユズ達の方を心配してください……!」

 寝たまま首だけを向けた先生の顔色はひどく青ざめていて、ユウカが今まで見てきた中で一番『死』を感じさせる状態だった。

 服の下にある傷は前に介抱した時とは比較にならない。なにしろ銃で撃たれたのだから。

 

 それでも、泣きはらした目には悩みを吹っ切れた事を示す強い意志が宿っていた。

 アリスを助け出すシロコのワイシャツに何かで濡れた跡を見つけ、その役割が自分でなかった事を少し残念に思いながらも、年の離れた姉妹のような人がようやく元気になった事を心から喜んだ。

 

 「(おかえりなさい、私の大好きな先生)」

 



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#8 もふもふ尻尾とメイド

■あらすじ
 作戦中に窮地に陥ったC&Cを指揮して救い上げた先生だったが、なぜかカリン以外の前には姿を現さなかった。
 翌日、カリンは当番とテスト勉強のためシャーレのオフィスへ赴くが……


 

 C&C、正式名称『Cleaning & Clearing』。

 ミレニアムサイエンススクールの部活動のひとつであり、メイド服に身を包み清掃などの奉仕活動を行うことから『メイド部』とも呼ばれている。

 その実態はミレニアムの諜報・内外工作部門であり、ミレニアム生徒会の指令のもと自治区内で暗躍する犯罪者やスパイなどの検挙、場合によっては他の学校の自治区への潜入や破壊工作などを行う秘密戦闘部隊である。

 

 ……あまりにも暴れすぎて不必要かつ甚大な被害を出すため、主にセミナー会計担当であるユウカのストレスの原因になっている上、C&Cが秘密工作員であるという『ウワサ』が公然と流れてしまっている。

 加えて独断で動く事もあり、部長のネルがアリスに興味を持ったためにゲーム開発部を襲撃したこともある。

 

 そんな彼女達は今夜もミレニアムの街を影から影へと駆け抜ける。

 

 

……

 

 

 通路を埋め尽くす箱、箱、箱。

 通風口から、本来放水ホースがあるはずの消火栓から、その辺のロッカーから。

 キヴォトスではよく見られる小型ロボット『スイーパー』の軽武装モデルが、侵入者を制圧せんと次から次へと押し寄せてくる。

 「だぁーもう!! ゲームじゃあるめぇし無限湧きすんじゃねえ!」

 ネルは両手に持った短機関銃(ツイン・ドラゴン)を交互に連射して火線を切らさないようにしていた。

 普段なら二挺同時に撃って圧倒的な瞬間火力で敵を『掃除』するのだが、それをやってはリロードが追い付かないのが現状だった。

 「楽しいね! でもいい加減弾が無くなりそうなんだけどどうしようかなー!?」

 そう笑いつつ物陰に隠れながら、アスナは愛用のアサルトライフル(サプライズパーティー)に新しい弾倉を叩きこみ、棹桿を引いて初弾を薬室に装填する。

 そして振り向きざまに背後から湧きつつあった別の大群を撃ち始める。

 もう一人、アカネは埒が明かないと床を爆破して脱出するための準備を始めていた。

 

 なぜこのような状況になっているのか?

 ミレニアムサイエンススクールから機密情報を盗み出した産業スパイを追って、某社のオフィスビルまで追い詰め無事情報の奪還に成功した。

 ところがその直前、スパイが高そうな調度品を盗もうとしてレーザーセンサーに触れてしまい、ビル全体の無人警備システムが作動してしまったのだ。

 窓という窓、外へ繋がる階段や連絡通路が特殊合金製のシャッターで封鎖され、三人はフロア内に閉じ込められてしまった。

 外から狙撃支援を行っていたカリンも、これではまったく手出しができない。

 

 「二人共、今から床を――」

 『待ってアカネ、床のパネルが防弾プレートになってるから爆弾の効果が薄い』

 「その声は……ご主人様ですか!?」

 アカネの言葉を遮るように割りこむ通信。続けて本部の部員から連絡が届いた。

 『HQより各エージェントへ。これよりシャーレのフェイス先生が指揮に入ります、そちらの指示に従ってください』

 彼女達とは縁の深い連邦捜査部『シャーレ』の責任者『先生』が駆けつけてくれたらしい。

 「ご主人様! 一体どうやって気づいたの?」

 『たまたま近くを歩いてたらカリンを見かけてね。それより今から脱出方法を教える』

 「早くしろよ先生!」

 ネルは最後の弾倉を銃へと差し込みながら叫んだ。

 『今君達がいる地点から左に五メートル先の行き止まりのとこ、昔隣に立ってたビルとの連絡通路跡だから壁が薄い。

 そこを破ればいま隣にある別の会社が管理してる立体駐車場に飛び移れる』

 「よしアカネ行け! 援護する!」

 『待ってネル。今からフロアのスプリンクラーを誤作動させる。警備型スイーパーのレーザー銃ぐらいなら距離を取れば無力化できるから』

 

 ミレニアムが抱える凄腕ハッカー軍団『ヴェリタス』でもないのに当たり前のようにハッキングを行う先生だが、それは個人の技能ではなく持っている謎のタブレット端末(シッテムの箱)の中にいる相棒(アロナ)の力だった。

 アロナの存在を生徒達は知ることかできないが、先生にしか扱えないそれに秘密があるのはミレニアム所属の部員生徒には常識となっている。

 

 間もなくスプリンクラーが放水を始め、通路全体が雨に降られたかのように水浸しになってゆく。

 警備型スイーパー唯一の武器であるレーザー銃の出力では、よほど近づかれない限りダメージを受ける事はほとんどない。

 アスナが温存していたライフルグレネードを進路上の敵群へ撃ちこみ一掃すると、アカネはすばやく壁に駆け寄って爆薬をセットしてゆく。

 『民間軍事会社(セキュリティ)の予想到着時間あと五分。いま駐車場のほうにカリンが車で向かってるから地上でそれに乗って脱出。そっちの到着は三分後ぐらい!』

 「早くしろアカネ! もう弾がねえ!」

 愛銃を腰にぶら下げ、普段はまず使わないバックアップの自動拳銃(P365)を抜くネル。アスナもいよいよ切羽詰まってきたらしく、顔から笑みが消えてバースト射撃から単射による精密射撃で敵を撃ちぬいていた。

 

 「起爆します。二人とも伏せてください!」

 間髪入れずに爆炎がフロアを包み、配線が焼き切れてスプリンクラーの一部が止まった。

 「よし行け行け!」

 アカネが愛用の消音拳銃(サイレントソリュージョン)で援護射撃を行う中、ネルとアスナは壁の穴へ向かって全速力で走り出す。

 「っておい意外と距離あるな!?」

 壁と駐車場までの距離は約三メートル。ネルは少し跳躍力が足りず駐車場側の出っ張りにしがみつき、普通に飛び移れたアスナがすぐに引き上げた。

 最後にアカネが華麗に飛び移り、全員がビルから脱出した。

 『カリンの到着まであと一分、急いで!』

 休む間もなく三人は駐車場側の非常階段扉をこじ開け、一気に駆け下りていく。

 地上に着くのとカリンが運転するSUV(RAV4)が駐車場前へ到着するのは同時だった。

 「早く!」

 三人はカリンの呼びかけに答える余裕もなく後部座席へと飛びこんだ。

 全員が乗りこんだことを確認したカリンはアクセルを踏みこんで急発進、ハンドルを切って旋回しすぐにその場を離れた。

 

 

……

 

 

 ビルの管理会社と契約したPMCの車列とすれ違うのを見て、C&Cエージェント達はようやく肩の荷が下りた気分となった。

 「今回は危なかったねー」

 「しばらくスイーパーは見たくねえな……」

 いつも通りの笑顔が戻ってきたアスナに対して、ネルは疲労困憊といった様子でシートの背もたれを倒した。

 「……あら? カリン、ご主人様は一緒じゃないんですか?」

 煤まみれになっているアカネは、助手席に座っていると思っていた人物がいない事に気づいた。

 「先生とは狙撃地点で別れてる。他に……用事があるらしいから」

 歯切れが悪い返答が気になるが、先生はいつも何かしらの厄介ごとを抱えてるので『そういうこと』なのだろうとアカネはひとまず納得した。

 

 『お疲れ様みんな。それじゃまた今度ね』

 

 

……

 

 

 翌日の朝、シャーレオフィス。

 今日は休校日であるため、用事やアルバイトがない生徒は自由に時間を使える日でもある。

 カリンは当番生徒としてここを訪れたが、シャーレも緊急性の高い依頼は入っておらず、今は溜め込んだ書類もないためほとんどが自由時間のようなものである。

 実質的にまた先生から勉強を教えてもらうために来たようなものだった。

 

 「おはよう先せ……ん?」

 執務室の扉を開けると、いつもなら机に向かっているであろう姿が見えない。

 耳を澄ませると小さく規則的な呼吸音がソファーの方から聞こえてくる。

 「寝ているのか」

 対戦車ライフル(ホークアイ)をガンラックに立て掛けるとソファーに近づき、ブランケットを体に掛けて眠る先生の姿を見た。

 

 カリンは先生の頭頂部と、毛布の下からはみ出た『何か』を見て顔を赤らめる。

 「(もふもふ……)」

 眠っている間に触ってしまおうかと葛藤していると、もぞもぞと体を揺らして先生が目を覚ました。

 「あー……おはようカリン」

 「お、おはよう先生。今日は勉強の方を……よろしく」

 彼女が挙動不審なのを見て自分の頭に触れる先生だが、手に感じた感触に顔をしかめた。

 「やっぱり戻ってない……」

 しゅんと気落ちしたのに合わせて頭に生えた狐耳がぺたんと倒れ、さわり心地がよさそうな大きな尻尾がソファーに転がった。

 

 先生にキツネの耳と尻尾が生えていた。

 

 

 


 

 

 

 昨日の夕方近く、山海経高級中学校・某研究室にて。

 「さあ先生、今回は自信作だし動物実験も済ませてあるのだ!」

 「……不老不死の霊薬、だよね?」

 「今回は違うぞ?」

 山海経の天才児にしてマッドサイエンティスト、薬子サヤは今日もシャーレの先生を新薬の実験台にしようとしていた。

 もはや恒例行事だが、サヤにはわりと深刻なやらかしの前科がある。

 「シュンの事があるんだから、後遺症が残る可能性が高いってのはさすがに遠慮したいんだけど」

 「大丈夫! 少なくとも人体に直接被害は及ばないはずだから」

 「はずって何!?」

 

 サヤが作った『若返りの秘薬』なるものを飲んだシュンが一時的な幼児化を起こした事があるのだが、彼女はその後も突発的に幼女化してしまうという後遺症を抱えてしまった。

 本人はこれはこれで楽しんでいるものの、常識的に考えて大問題なのは言うまでもない。

 

 「という訳で、ぼく様特製・育毛の秘薬なのだ」

 「毛生え薬?」

 「毛が生えるのではなくあくまで育毛剤。

 男女を問わず毛が細くて薄毛に悩まされてる人は多いし、即効性があるから髪をすぐに伸ばしたい人にも需要があるのだ」

 「な、なるほど?」

 不老不死の霊薬と比べればかなり現実的な効能ではある。が、これを飲んだら全身毛ダルマになっては困る。

 これも材料を間違えた結果の前科がある。

 「心配しなくても伸びるのは頭髪だけなのだ。ネズ助の頭もこの通り!」

 そう言って手のひらに載せたネズ助を見せる。頭のところだけサラサラロングヘアになっており、いつも以上に困惑している様子だった。

 「ネズ助……君の献身は無駄にしないよ」

 「それどういう意味だ先生」

 大事な友達のネズ助を実験台にしたということは、サヤには『この薬には害がない』という絶対の自信があるということである。

 サヤは二〇〇ミリリットルサイズのグラスを取り出し、フラスコから琥珀色の液体を注ぎ込んだ。

 「そうだな……この分量なら先生の髪がアリスぐらいまで伸びるはず」

 先生の髪は先端が腰にかかる程度の長さであるため、単純計算で瞬時に一メートル以上伸びる事になる。

 「で、味は?」

 「先生が味見役なのだ」

 「知ってた……」

 丸椅子に座り、諦めて琥珀色というよりはきつね色の液体を飲み干す先生。

 味が良くないらしく眉間に深いシワがよっている。

 「まずっ……色に反して飲みやすくしてない青汁みたいな味がする!」

 「うーん、成功したら要改良だな」

 フラッシュのように一瞬、まばゆい光が先生を包みこんだ。

 

 「……あれ? 何も起きてない」

 先生は自分の前髪をいじるが一センチでも伸びた様子はなかった。

 かと言って関係ないところに毛が生えた気配もない。

 「……先生」

 キョロキョロしていると気まずそうな顔のサヤが鏡を持って話しかけてきた。

 「この結果はさすがのぼく様でも想定外なのだ」

 「えっ」

 サヤは先生の顔に向けて鏡面を見せた。先生はそれに写る自分の姿を見てみるみると顔を青ざめさせた。

 

 「なんか属性増えてるーーっ!?」

 どこかで聞いたような叫びが建物じゅうに響き渡った。

 

 その後、何人かの生徒を口車に乗せて薬を試してもらったが、いずれも想定された通り『髪が急激に伸びて髪質も改善する』結果となり、サヤはこう結論付けた。

 

 「先生は外の世界からやってきた人だから、もしかしたら秘薬に含まれる何らかの成分が予想とは違う働きをしたのかもしれないな。

 つまるところ現状はぼく様もお手上げなのだ……」

 まさかの降参である。

 先生を除き人体実験……もとい臨床試験そのものは成功しているため、後日味を改善したうえで商品化されたという。

 

 

……

 

 

 昨日の夜、先生がカリン以外の前に姿を表さなかったのはこういう事だった。

 あまり知り合いに広まると騒ぎになるのが目に見えており、状況的にどうしても接触する必要があったカリンに口止めを頼んだのだ。

 「そもそも先生が怪しい薬を簡単に飲むからでは?」

 「返す言葉もございません……」

 元々髪を伸ばすためのものとあって効果の持続時間がわからず、やむなく自分で解決法を探していたらしい。

 テーブルにはカリンには読めない文字で書かれた本が何冊も置かれていた。

 「まぁ肌が金ピカになったりネズミの毛が生えたりよりはマシだよね」

 「先生、サヤの実験に付き合うのはやめようか」

 

 二人は気を取り直し、今日のスケジュールを確認した。

 まずは午前いっぱいで各種書類の作成を終わらせ、午後から余裕を持ってカリンのテスト勉強を行う。実に単純明快な予定だった。

 そのまま何事もなく時間と仕事は進み、時計が正午を回ろうかというタイミングで本日のデスクワークは終了した。

 「よし、それじゃお昼食べにいこうか」

 先生は席を立って大きく背伸びをした。リラックスしてるのか尻尾がゆっくりと左右に振られていた。

 「(さわり心地良さそう)」

 そのもふもふを目で追うカリン。

 「ん? どうかしたのカリン」

 「……なんでもない。それより先生、あまり目立ちたくないのなら外に出るのは良くないんじゃ」

 昨日の狼狽えぶりからすれば妥当な意見だったが、先生は顎に指を当てて考えこんだ。

 「確か今の時間にこの辺りにいるのはせいぜいキリノかフブキぐらいだから、たぶん大丈夫かな?」

 先生は緊急時の部員生徒招集のため、部員のスケジュールはある程度把握している。

 それを踏まえるとこの時間帯、シャーレオフィス周辺にいる者はいないはずだった。

 

 そう、『はず』だった。

 

 

……

 

 

 キツネの耳と尻尾が生えたからって油揚げやいなり寿司が無性に食べたくなる訳ではなく、来たのはごく普通のファミリーレストランだった。

 日替わりランチを食べ終わり、食後のティータイムと洒落込む先生とカリン。

 

 そんな二人を仕切りとテーブル席を数個挟んだ場所から見つめる者が三人。

 「なるほど……面白い事になってますね」

 メガネのレンズに光がギラリと反射し、不気味な笑みを浮かべているように見えるアカネ。

 ネルは仕切り板のすき間から様子をうかがっている。

 「昨日姿を見せなかったのはそういうことか。どうせサヤの奴の仕業だろうが」

 シャーレの作戦においてシュンが登用される機会は多い。それゆえに幼女化癖とその原因も部員達の間ではわりと知られている。

 「ご主人様の髪と同じで毛並みが良さそうですね。……ふふ、あんな服やこんな服との組み合わせも悪くないですね」

 「言っとくが今日は様子見だぞ? やりたきゃ明日にしとけ」

 ジュースを飲みながら釘を刺すネルだが、一方無言となっていたアスナは遮蔽物ごしにわずかに見える耳と尻尾に視線が釘付けになっていた。

 

 「課題範囲はここまでで、何か急な依頼がなければ四時半に模試をするよ。……カリン?」

 オフィスに戻ってからの勉強の打ち合わせをしていた先生だったが、当のカリンがどこかうわの空だと気づいた。

 「……もしかして尻尾触りたい?」

 「あ、いや!?」

 そうは言いつつ視線はゆらゆら動く尻尾に誘われていた。

 「それはその……尻尾持ちはミレニアムでは珍しいし、一度ヒビキに頼んだことがあるけど断られて……」

 顔を赤らめて両手の人差し指を合わせるカリン。

 獣人型の生徒はミレニアムに限らず百鬼夜行を除く多くの学校で少数派なので、まず触れれる機会がめったにない。

 シャーレに所属する事で必然的に他校の生徒との積極的交流が生まれているが、イズナ達には正直頼みづらいということらしい。

 先生はそれを聞いて表情を日頃のアルカイックスマイルから笑顔へと変えた。

 「それじゃ、模試の点数を七〇点以上取れたら触らせてあげる」

 「……! いいのか先生?」

 「ミレニアムの成績水準はよそと比べて高いし、それがカリンのやる気に繋がるなら、ね?」

 実際のところC&Cエージェントは任務が忙しいのもあり、成績は不安定になりやすい。

 強運が味方についているアスナと全方面に隙を見せることがないアカネはともかく、カリンと遅刻の常習犯であるネルはあまり教員側からの覚えが良くない。

 獣耳も尻尾も敏感な部位なのは突然生えたものでも変わりなく、できるなら触らせたくないが生徒のためなら……ということらしい。

 

 「カリンだけずるい! ご主人様! 私も模試を受けたい!」

 

 突然テーブルの陰から現れる形となったアスナの登場に、先生は口にした紅茶を噴き出した。

 「アスナ先輩!?」

 「ゲホッアスナどうしてここに!?」

 カリンは立ち上がって周りの席を見渡すが、数個先の席に眉間を押さえるネルと開き直って手を振るアカネの姿を見つけた。

 「尾行されてたか……」

 尻尾に気が向いてて気づけなかった事に頭を抱えた。

 

 

 結局、なりゆきで全員が模試を受けることとなり、先生は四人に延々と尻尾をモフられ続ける羽目になった。

 次の日には獣耳と尾は消えており、話を聞きつけたユウカやゲーム開発部を残念がらせた。

 

 


 

 ■オマケ

 「ということがあってね」

 ある日、ワカモの尻尾を見た先生はふと思い出した出来事を話した。

 「それはとても残念ですね。あなた様のキツネ姿を見る事ができなくて……」

 「あはは……」

 ワカモはお茶を湯のみへ注ぎ、デスクに向かう先生へと運んだ。

 「ありがとう」

 「先日雑誌に載っていた体に優しいブレンド茶です」

 「効果は具体的に何があるの?」

 飲みやすくひと肌程度に冷ましてあるお茶をひと息に飲む先生。それを見てからワカモは口を開いた。

 「なんでも、髪質が瞬時に改善されるという秘薬が「!?」あら」

 

 先生が口に含んだ茶を噴き出すより前に体が輝き、また狐耳と尻尾が生えた。

 

 「……ワカモ?」

 「申し訳ありません、まさかまだ効果があるとは存じておらず……。

 でもこれでお揃いですね? 先生♡」

 謝りつつ満面の笑顔を浮かべるワカモを見て、先生は大きなため息をついた。

 「……薬を飲む事自体は別にいいんだけど、一言断ってからにしようね?」

 「はい♡」

 



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#9 ウイと『もしも』を語る話

■あらすじ
 先生が持ち込んだ『外の世界の本』に興味を示したウイはある約束を交わして本を貸してもらう。
 一方で先生にはある悩みがあって……?


 

 トリニティ総合学園の一角に存在する古書館は、その呼び名の通り古い書物を管理・保全する建物である。

 そこの主である図書委員長の古関ウイは人嫌いの偏屈者で知られており、そんな彼女が連邦捜査部へ参加した時には大きな騒ぎになった。

 とはいえシャーレの仕事がない時のライフスタイルに変化はない。

 授業がない限り古書館へ引きこもり、書物の補修や古文書の解読作業に明け暮れている。

 

 違いといえば、たまにシャーレの先生が古書館に訪れること。そして捜査部の仕事でできた友人と外出する事がまれにあるということだ。

 

 

……

 

 

 先生の鞄から取り出されたハードカバーの古めかしい本、ウイの視線は作業机に置かれたそれに釘付けになった。

 「ほう……これが『外』の古書ですか」

 「キヴォトス(ここ)の禁忌に触れそうなのは良くないから、ほんとに簡単な内容だけどね」

 

 知的好奇心旺盛なウイの趣味は『古書の研究』。

 その守備範囲はきわめて広く深く、シスターフッドに関わる経典の修復を行った際に、こっそり自分用の複製品を作ってしまうほどである。

 そんな彼女が『外の世界』の本に興味を示さないわけがなく、ふとしたきっかけで『先生が得体のしれない本をシャーレに持ちこんでいた』と知った時の剣幕はすごいものであったという。

 

 パラパラとページをめくって使われている言語を確認する。

 「文字は……英語に似てますが、変形による差異がだいぶ大きいですね」

 「これ対応表ね」

 サッと差し出された用紙を受け取るウイ。

 「ど、どうも。……いたれりつくせりですね」

 「君なら大丈夫だろうけど、他の人には『これは外の世界の本です』って教えたらダメだよ?」

 「わ、わかってますよ」

 

 その後、二人は黙々と読書を続けた。

 ウイは読み比べるうちに対応表を暗記したのか、ページをめくる速度が上がっている。傍らに置かれたコーヒーは口をつけないまま冷めてしまっていた。

 一方の先生は薄めに淹れた紅茶をちびちび飲みながら、ウイから薦められた古書をマイペースに読んでいた。

 

 ふと、ウイのページをめくる手が止まった。

 「……先生」

 「何かな?」

 首をウイに向ける先生。

 読書用の眼鏡を掛けてるウイとは逆に伊達眼鏡を外しており、普段とは違う印象を感じられた。

 「先生の力の源って、なんでしょうか?」

 「チカラ?」

 「は、はい。チカラです」

 

 ウイは本を閉じて席を立ち、先生の隣へと座った。

 「例の『大人のカード』もそうですけど、先生の身体能力は私達が知識で知っている『外』の人とはだいぶ違うようです」

 「そうかな?」

 「ふ、普通の人は全力で逃げるツルギさんの足に追いつけませんよ」

 「あー……」

 先生はツルギがある理由で自分から逃げ回った挙げ句、電車に撥ねられた時の事を思い出した。

 「エデン条約の時に負ったという怪我の治りも、これまでに残されてる外の人の記録と比べて異常に早いですし、痕跡も残っていませんでした」

 「……そこに気づいちゃうか」

 ウイは以前、シャーレオフィスの仮眠室で服をはだけさせながら眠りこけている先生の姿を見た事があった。

 しかしその腹にも背にも、サオリに撃たれた時の傷もそれをふさいだ手術の跡も何ひとつ残っていなかった。

 まるで最初からそんな事はなかったかのように。

 

 「先生、あの本の内容といいあなたはもしかして……」

 「ウイ、それも他の人には言わないでね」

 「……すみません。深入りしすぎました」

 先生はいつもと変わらない表情のように見えて、その目はどこか悲しそうな感情を浮かべているようだとウイは感じた。

 「(そんなに嫌なのなら最初から断る選択肢もあったのに……)」

 

 

 『先生の秘密を知っても誰にも教えない』、それがウイが本を見せてもらうために先生と交わした約束だった。

 決して『契約』で縛るのではなく、あくまで本人の意思と自主性に任せるというのが先生らしい。

 

 『私が本当は何者かなんて知られたら、たぶん私はキヴォトスから出ていかなきゃならなくなる』

 

 他の学校の生徒よりも距離が近いアビドス対策委員会とですら、素性が知られれば今の関係が終わってしまうのではないかと考えるほどに、先生はそれを恐れていた。

 「(……先生は私を信じてくれている。それなら私もそれに応えなければなりませんね)」

 

 

 少し気まずい雰囲気が漂うが、そんなウイの内心を察して先生は口を開いた。

 「君の言いたいことは分かるよ。なぜこの人なのか? ってね」

 「い、いえ。そこまでは思ってません」

 「……ごめん」

 察したようで実は読み違えており、先生は申し訳なさそうな顔でカップを手に取り紅茶を飲み干した。

 再び沈黙が支配し、広い部屋に時計が時を刻む音だけが響き渡った。

 

 「……実を言うとね、少しだけだけど今でも『本当に私がシャーレの先生で合ってたのか?』って思う事があるんだ」

 先生がポツリと漏らした意外すぎる言葉に、ウイはありえないといった感じで面食らった。

 「へ? じょ、冗談ですよね?」

 「冗談なら良かったんだけど……」

 愛用の懐中時計を指でなでながら、先生は小さくため息をついた。

 

 

 


 

 

 

 半年前。

 

 「……い」

 

 「……先生、起きてください」

 

 「フェイス先生!!」

 「うわっ!?」

 間近で切れ味鋭そうな大声で呼ばれ、先生は深い眠りから覚めて飛び起きた。

 「……あれ?」

 太腿に載せた帽子を握りながらぼんやり周りを見渡すと、ここがどこか立派な建物の一室であること、声の主は目の前で呆れた顔で話す白服の女性であることが認識できた。

 「……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」

 「う、うん」

 「もう一度、あらためて今の状況をお伝えします」

 目の前の女性……否、女子高生は『七神リン』と名乗り、連邦生徒会なる組織の幹部であると自己紹介した。

 「そしてあなたはおそらく、私たちがここに呼び出した先生……のようですが」

 リンの言葉が自信なさげに尻すぼみになっていく。

 「よう、って?」

 「……ああ。推測形でお話ししたのは、私も先生がここに来た経緯を詳しく知らないからです」

 「(じょ、冗談でしょ……?)」

 先生は彼女の発言に狼狽えたが、どうにか表情に出さないで済んだ。

 「……混乱されてますよね。分かります。

 こんな状況になってしまったこと、遺憾に思います」

 言葉では同情しているように思えるが、実際の態度からはあまりそう感じられなかった。

 「でも今はとりあえず、私についてきてください。

 どうしても、先生にやっていただかなくてはいけない事があります」

 どうやらリンは先生の意見は聞かないつもりらしい。

 「……。

 学園都市の命運をかけた大事なこと……ということにしておきましょう」

 そう言ってリンは返事を待たずにエレベーターへ向かって歩き始めた。

 「(……切羽詰まってるみたいだね)」

 先生は迷う事なくリンの後を追った。

 

 

……

 

 

 エレベーターを降りると、リンは自身のオフィス(統括室)に待ち構えていた生徒達に詰め寄られ、そこで『連邦生徒会長が失踪した』という事実を告げた。

 そして部外者の存在に気づいた彼女達に『この人は先生であり、この事態を打開するフィクサーになってくれる』と話し、こう告げた。

 

 「こちらのフェイス先生は、これからキヴォトスの先生として働く方であり、連邦生徒会長が特別に指名した人物です」

 それを聞いて口数が多い青髪の少女(早瀬ユウカ)は頭を抱えた。

 「行方不明になった連邦生徒会長が指名……? ますますこんがらがってきたじゃないの……」

 四人の視線が先生に集まる。

 「(……腹をくくるしかないか)」

 手にしたままの帽子を背に隠し丸めて縮め、どこかへとしまい込んだ。

 

 「……私はフェイス。本当の名前は明かせないけど、私でよければ力になるよ」

 

 

 


 

 

 

 「『あの連邦生徒会長が、お選びになった方ですからね』。

 ……こうして呼ばれた私自身が言うのもなんだけど、リンは半信半疑といった感じだったね」

 先生はあの時リンが言った言葉を反芻する。

 一方、赴任初日の暴露を聞かされたウイは思わず立ち上がって叫びだした。

 「というか、先生がここに来た経緯を首席行政官が知らないってどういう事ですか!? 連邦生徒会のナンバー2じゃないんですか!?」

 「ウイ、落ち着いて。君が騒いじゃ他の人に注意できないよ」

 「……」

 ウイは一旦作業机に戻って、放置したままの冷めたコーヒーをひと息に飲んだ。

 「……ふぅ」

 

 気持ちを落ち着かせると掛けたままの眼鏡を外し、ソファーへ移動して再び先生の隣に座った。

 「つ、つまり先生のおっしゃりたい事はこうですね?

 『あの場にいて自分が『キヴォトスの外から来た先生だ』と名乗れば、誰でも良かったのではないか?』と」

 しばらく無言を貫いた先生だったが、やがて口を開いた。

 「……リンは私が名乗るまで『先生』の名前すら知らなかった。

 確認はしてないけど、連邦生徒会長は正式な書面で話を通してなかったんじゃないかな?」

 「そんな無茶苦茶な……」

 「無茶をするのはキヴォトスの日常でしょ?」

 先生は持ちこんだ魔法瓶からほうじ茶をカップに注ぎ入れ、ウイに手渡した。

 「ど、どうも」

 一口飲むと、日頃飲んでいる濃いコーヒーでは感じられないさっぱりとした苦さに頬を緩めた。

 

 「だからね、今でも時々考える事があるんだよ。

 あの場に私がいたのは間違いで、本当はもう少し後に違う先生がやってくる筈だったんじゃないかって」

 背もたれに体を預け、天を仰ぐ。

 「その人はもっと優秀で、どんな問題でもすぐ解決策を見つけ出して、生徒から手放しで褒められる立派な男……かもね」

 ため息をひとつ。

 

 ウイはそんな先生の姿を見つめながら語りかけた。

 「……『もしも』の話を語られても、私達の先生はあなたしかいないんですよ。フェイス先生」

 さっきとは逆にウイが空のカップにお茶を注ぎ、先生に手渡した。

 「ありがとう」

 「だ、第一、そんな曖昧な理由でシャーレの先生が選ばれたのなら、どんな極悪人だって口先ひとつで先生になってしまうではないですか」

 

 

 例えば、邪魔な人間は殺すのが当然だと思っている、頭がおかしいキリングマシーン。

 例えば、女は好き勝手犯していいと思いこんでいる、根っからの性犯罪者。

 例えば、キヴォトスの住人を非人道的な実験の贄にしようとする、ゲマトリアの同類。

 

 

 「……多元的宇宙論の話をするのであれば、私達はフェイス先生という『当たり』を引いた世界を生きているんですよ」

 ウイはお茶を飲んでひと呼吸置き、話を続ける。

 「で、ですから自分より優れた先生がいたかもとか、そういうのはナンセンスな話なんです。

 ……もっと自分に自信を持ってください」

 先生の顔を見ながら、少し照れくさそうに告げる。

 「……ありがとね。こんなこと考えるのはやめにするよ」

 顔に笑みを浮かべながら先生は懐中時計へと目を落とし、その表情がこわばった。

 

 「あーーっ!?」

 「ひえっ!?」

 「もうこんな時間!? サクラコとの約束の時間まで五分もない!」

 先生はバッと飛び跳ねるように立ち上がり、扉へと駆け寄った。

 「本は読み終わったら教えて! ポットのお茶全部飲んでいいから! あと片付けれなくてごめん!」

 言い残すだけ言い残したら扉が閉まり、古書館は再び静寂に包まれた。

 

 「……やれやれ」

 ウイはため息をつきながらお茶を口に含んだ。

 今日も平和である。

 



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その2 銃を持つ先生
#3 銃を持つ先生、持たない先生


 ブルアカの主人公である『シャーレの先生』が武器を持っている描写はありませんが、本サイトやpixiv等ではイラスト・小説ともに「戦う先生」という概念がございます。
 本作は『私の先生はこういう考えだよ』というのを表したものとなります。

 前半は銃の専門家の先生で、後半は普通の先生です。


 

銃を持つ先生

 

 

 月曜日の早朝、空井サキは当番であるかに関係なくシャーレへと足を運ぶ。

 所属先であるSRT特殊学園亡なき今、自転車操業の便利屋68よりも悪いと言わざるを得ない経済状況と、中止された再開発計画による立ち退きで周囲の住民は少ないものの、民間人が普通に出入り可能な子ウサギ公園にあるRABBIT小隊のベースキャンプでは射撃訓練に制限がかかる。

 そこで先生の厚意に大人しく預かって、シャーレ内にある射撃場を利用することで練度を維持しつつ、弾薬や銃器の整備にかかる費用を浮かしている。

 

 「(今日も時間きっかりか。いいじゃないか)」

 先客がいる事を射撃音で知ったサキは、自身が持つ≪RABBIT-26式機関銃≫と小隊の制式拳銃(RABBIT-224式拳銃)用の弾薬を持ってレーンへ続く扉に手をかけた。

 

 先客は突撃銃(M4A1)を構え、三〇メートル先に立ち上がった人型のターゲットを単射で撃ちぬいてゆく。

 備え付けの双眼鏡で的を覗くと、弾のほとんどは頭か胸を正確に撃ち抜いていた。

 「(……カービンでよくやるな)」

 サキが関心していると、彼女に気づいたのかあるいは弾切れか銃声が止んだ。

 射手の方を向くと、銃を台に置きイヤープロテクターを外すところだった。

 「おはようサキ」

 「おはよう。……いつも思うんだが、先生になる前なにか銃を扱う仕事でもしてたのか?」

 「さてね」

 

 身長一八〇の長身、着痩せして一見華奢に見えるが触るとゴツゴツした無駄のない筋肉を持ち、赴任してしばらくはサボっていたが最近はスミレやシロコに影響されて二日に一回はウェイトトレーニングを欠かさないらしい。

 サキは一度シャワー室でパンツ一丁の先生を見た事があったが、体力がないというのはキヴォトスの住人基準だと認識を改めざるを得なかった。

 彼女はいつの間にか彼を『シャーレの先生』という信頼できる大人であると共に、魅力的な異性として少なからず意識するようになっていた。

 ……臭いフェチだったり少々変態じみた所がたまに傷だが。

 

 「隣のレーン使うぞ」

 「いいよ」

 二脚を開いて機関銃を台に載せて構え、射撃場の最大距離である五〇メートル位置に立ち上がった的を狙い撃つ。

 構造が複雑で重く気分屋の銃だが、サキの手で入念に整備されたそれは優れた性能をいかんなく発揮し、単射・バースト射撃ともに弾丸は吸い込まれるように狙った箇所に穴を開ける。

 一方の先生も、銃をアサルトカービンからテーブルに置いてあった拳銃(USP)に持ち替え、新たな的を撃ち始めた。

 言葉はなく、しばらくの間規則的な銃声が室内を支配する。

 

 シャーレの仕事に追われる先生が射撃訓練を行うのは週に最低一回、月曜日の午前五時に起きて四〇分の体力トレーニングののち、汗を拭いて午前六時から七時まで射撃訓練と使用した銃のメンテナンスを行う。

 後はシャワーで汗と汚れを落として朝食を取り、出勤時間までゆっくりしたあと通常業務に入る。

 まるでSRTの生徒(自分たち)のようにガチガチに教練を受けた人間のようだとサキは感じた。

 「(先生が昔何をしてたのか、気にならない訳じゃないが……)」

 彼のこの行動パターンを知っているのは今のところ自分(サキ)だけ。

 先生との距離が露骨に近いミヤコや他の生徒ですら知らない、自分だけの秘密だった。

 

 

 

……

 

 

 

 銃の分解清掃を終える頃には、時計の針は午前七時を指していた。

 時間通りである。

 サキはシャワー室の前で彼を待ち構え、出てきたところを捕まえた。

 「先生、少し気になった事があるんだが」

 「なんだい?」

 サキは彼から匂うシャンプーの香りに少しドキリとさせられた。

 自分だってここを使う時には使ってるじゃないかと変な気持ちを抑えつつ、質問をぶつけた。

 「先生はさ、……自分で銃を持って戦う、とか考えた事はあるのか?」

 質問を聞いた先生は心底驚いたように目を見開いた。

 「サキ。逆に聞くけど、SRTの教範には『司令官が積極的に最前線に出て戦う』という教えがあるのかい?」

 「そんなものある訳ないだろ。もしそうなら初めから作戦が破綻してるか末期戦の状況だ」

 

 指揮官先頭という言葉があるが、それは指導者の絶対的なカリスマや畏怖によって組織が成り立っており、そうしなければ部下がついてこない場合に適用される事が多い。

 最前線で暴れるツルギとやや下がった位置でハスミが部隊の指揮を執る正義実現委員会、内外ともにヒナの存在で支えられているゲヘナの風紀委員会が代表例だ。

 現場で直接指揮を執るのは分隊長や小隊長といった下級指揮官の役割であり、中隊長以上は安全が確保された後方で全体の指揮に集中させるのがセオリーである。

 もっとも、銃弾程度ではびくともしないキヴォトスの住人に当てはまるかと言われると疑問が残るが。

 

 「私が前に出ないのはそういう事だよ。基本に沿って自分のポジションを守ってる訳だ」

 「まあそうだな。お前は私たちと違って脆いからな」

 サキは視線を先生の左脇腹近くへと移した。前に裸を見た時に、そこに不自然な縫合の痕が残っているのを見つけていたからだ。

 「じゃあどうしてサキはそんな事を聞いたの?」

 「……お前の性格なら、何かあれば自分から首を突っ込んでいくと思ったんだ」

 先生は『生徒みんなの味方』を公言すると同時に、まっとうな理由で困っている人を見過ごせないお人よしでもある。

 シャーレの部員生徒がその場にいない時でも何かがあれば駆けつけ、そしてトラブルに巻きこまれるのは様式美と言ってもいい。

 「武器はシャーレに取り入りたいあちこちの学園が出してくれてるし、あれだけの腕があるなら一人や二人ぐらい私たちがいなくとも対処できるだろ?」

 先ほど先生が撃っていたカービンは彼と縁が深いミレニアムが提供したもので、同じように使っていた自動拳銃も主にゲヘナで広く普及しているタイプである。

 シャーレの銃器保管庫の中には他にも様々な学校から寄贈された銃が保管されており、どれにも『私が提供しました!』と主張するように校章が目立つ位置に刻まれている。

 「立ち話もなんだし、場所を移そうか」

 

 

 

……

 

 

 

 二人は居住区の休憩室に移動すると、椅子に座り先生がエンジェル24(コンビニ)で買ったミックスジュースを片手に会話を始める。

 「どうして私が自分で銃を撃って解決しないのかだっけ?」

 「ああ」

 揃ってジュースを一口飲む。

 「まず一つ。子供の『もめごと』にいきなり大人が暴力を持ってして割りこんだら、私は本格的に嫌われるだろうというのがあるね。

 みっともないし、頭ごなしに押さえつけられても納得できる事じゃない。だから話し合いで解決できるならそれに越した事はない」

 「それはそうだが、話し合いで解決できなかった時に先生が銃を使わない理由にはならないだろ?」

 些細なことでもすぐ銃弾や爆弾による応酬が始まるキヴォトスにおいては、『銃を持っているのに撃たない』という選択肢はない。

 

 「……」

 その言葉にしばらく押し黙ると、先生は意を決したかのように口を開いた。

 「怖いんだよ」

 「……へ?」

 サキは彼の言った言葉を理解できなかった。困ってる人のためならどんな鉄火場にも迷いなく飛びこむ先生が『怖い』とはなんなのか?

 「私の故郷……キヴォトスの外では、人に対して銃を使うことは相手の命を奪う覚悟が必要なんだ。

 君たちが簡単に死ぬ事はないと頭では分かっていても、人にむかって引き金を引く事に躊躇いがある」

 「お前、自分が本当に殺されそうな時に抵抗する気がないとか言わないよな?」

 「もちろん万策尽きた時には迷いなく撃つよ。君たちが都合よく助けに来てくれるとは限らないからね」

 先生はぐいっと一気にジュースを飲み干すと、どこか遠くを見ているような目で窓の外を見た。

 「ただね、当たり前のように人を撃つようになったら、それが癖になっていつか過ちを犯すと思うんだよね。

 私が一生をキヴォトスで過ごす保障はどこにもない、むしろ全てが終わったらお払い箱になる可能性だって十分にある」

 彼のありふれた茶色の瞳は虚空を映していた。

 「だから相手の強弱は関係ない、私は人を撃つのが怖い。

 正当な理由も権限もなく人を撃つ、そういう人は殺人鬼と呼ばれるんだ」

 「……」

 

 もしかすると彼は先生になる前に銃を撃つ仕事をしていて、そこで人を殺めた事があるのかもしれない。

 温厚な普段の彼からは考えられない心の闇の深さと、『先生が将来的にキヴォトスを去る』可能性を意識させられる形となったサキは背筋が凍るような感覚を覚えた。

 初対面の時こそ状況が最悪だったのもあり『地獄に落ちろ』とまで言い放ったが、今となっては彼がいないキヴォトスでの生活など考えられないからだ。

 

 「……先生、あのさ」

 「ふふ。怖がらせてごめんね」

 困惑が顔に出ているサキに先生は笑いかけた。

 「自分からキヴォトス(この地)を去るつもりはないし、皆を悲しませるような事はしない。

 私は連邦生徒会長に頼まれただけじゃなくて、好きでここに来たんだからね」

 先生はそう言って立ち上がり、何本か多く買っておいたジュースが入った袋をサキに手渡した。

 「あまり遅くなるとミヤコたちが心配するよ? 私も朝食がまだだしね」

 「あ、ああ」

 

 二人は居住区を出てシャーレの正門前まで歩を進めた。

 「なあ先生」

 「なんだい?」

 「先生には私たちがついてる。それを忘れるなよ」

 「うん、ありがとう」

 サキはニヤリと口元を笑わせ、ベースキャンプへと戻っていった。

 先生はその背中が見えなくなるまで見送った。

 

 

 このあとジュースを持って帰ったせいでミヤコ達から詮索され、秘密にしていた先生の射撃訓練の話がバレることになるとは、色々な感情で頭がいっぱいだったサキは思ってもいなかった。

 

 

 


 

 

銃を持たない先生

 

 

 「本官が活躍するにはどうしたらいいでしょう?」

 当番のキリノは依頼先での小休憩中に、普段から抱えている悩みを改めて先生に話した。

 「やっぱり射撃の実力をなんとか改善するしかないと思うのですが」

 「あー……。うーん」

 「そこで言い淀まないでください!」

 先生は解答に困った様子で首を傾げた。

 「キリノの銃の才能は……料理に生命(いのち)を与えちゃうジュリと同じでとても凄いと思うよ?」

 「いやいやいや! それ全然誉めてませんから! このままじゃ警備局への転向どころか、シャーレで足を引っ張っちゃうじゃないですか!」

 オーバーアクション気味にペットボトルを振り回すが、先生は首をかしげたままだった。

 

 キリノの志望先とは異なる生活安全局への配属。

 その原因となった彼女の射撃の実力は、もはや天災的とも言える。

 狙った対象に当たらないだけならともかく、近くに無関係な人間がいたり相手が人質を取っていると弾道がねじ曲がって確実に誤射をしてしまう。

 先生の思いつきで訓練中に検証した結果、最初から人質を狙って撃てば犯人に全弾命中するという結果が出たほどだ。

 ミヤコとの交戦経験から『銃口の動きから射線を予測して正確な回避をを行う』相手には逆に弾が当たると判り、シャーレの仕事で戦う事がある戦闘ドローンやオートマタ相手には優位に立てるようになったが、相手が回避行動を取らないといつも通りである。

 

 「むー……努力が実らないのは正直つらいです。皆さん素晴らしい実力ですし、それに比べたら……」

 目尻に涙を浮かべるキリノ。普段底抜けのポジティブ思考の彼女でも、やはりつらいものはつらいようだ。

 「うーん。

 じゃあさキリノ、私が銃を持って戦えばいいんじゃないかな?」

 「えっ?」

 キリノは予想外すぎる言葉に呆気にとられ、涙がすぐに引っこんだ。

 「だってさ、皆と比較してキリノが一番下だって言うなら、更に下がいればいい。

 それなら私が前に出て戦えば解決するじゃない?」

 

 先生が銃を使うどころか、持っている姿を誰も見たことがない。

 キヴォトスの住人と外の世界からやってきた先生との間には、防御力回復力などの身体的格差だけでなく『引金の軽さ』も根本的な違いがある。

 本人が武力行使に慎重な面もあるが、銃を持っていれば相手が『いつもの調子で』反射的に撃ってしまう可能性がある。

 それを避けるために周りから『護身用に銃を持て』と言われても決して銃を持とうとしない。キリノは以前そう聞いていた。

 

 「そんなのダメですよ!」

 「どうして?」

 「先生の身に何かあったら、取り返しがつかなくなります。

 変に噂が流れてるせいで不良ぐらいなら向こうから逃げてくれる事もありますけど、犯罪者は司令塔である先生を積極的に狙ってくるじゃないですか」

 空の左手を、先生がかつてサオリに撃たれた箇所に添える。

 「先生の役割は武器を持って戦う事ではなく、私たちを導くことじゃないですか」

 「……ふふっ」

 「?」

 先生が突然笑い出したを見て目を見開く。

 「キリノ、君はちゃんと答えを見つけてるじゃないか」

 「え?」

 「シャーレは戦うだけが仕事じゃない。

 どんな些細な事でも困ってる人がいたら手助けに行ったり、学園同士とか人同士とかの厄介ごとには知恵と勇気を集めて立ち向かう。

 キリノ、君が普段ヴァルキューレの仕事でやってる事や、今やってる依頼と同じだよ?」

 母校で普段やってる事と言われても、今のキリノにはいまいちピンと来なかった。

 「豚汁の話だけどさ」

 「へ!? どういう、ことでしょうか?」

 だがいきなり料理の話に飛んだ事に驚きを隠せない。

 「豚肉、にんじん、ゴボウこんにゃくネギ豆腐とか、自己主張が激しい材料を味噌とかで煮込むじゃない?

 でも完成品はどれも自分の持ち味が効いててどれか一色の味じゃない」

 先生が昔見た喩えではけんちん汁だったが、シャーレにおいてはこちらの方が適切だろうという考えがあった。

 「味噌が私で、具はキリノたちかな。

 肉がこんにゃくの代わりを務められないのと同じで、色んな子たちがそれぞれの個性を活かし、私がそれをまとめ上げて一丸となる。

 それがシャーレという『料理』だよ」

 

 そう聞いてキリノの脳もようやく言葉の意味を理解した。

 「自分には自分の役割がある?」

 「うん。たまに空回りする事もあるけど、キリノは困ってる人の話をちゃんと聞いて物を捜したりお世話をするのが得意じゃない?

 それに銃撃戦に市民が巻きこまれた時も、安全なところまで素早く誘導したりするのはハスミやイオリには出来ない。

 彼女たちなら『できるだけ早く脅威を退ける』事が周りの安全に繋がると考えるだろうしね」

 

 世の中には"適材適所"という言葉がある。

 ガサツで短気なネルに興奮した犯人との言葉による交渉をさせる、後方支援に特化したアコやヒマリを最前線に出させるとか、人見知りで古書館に引きこもりがちなウイにアイドルの真似事をさせるなど、不得意な分野を訳もなく無理やりやらせても本人の能力を活かせないまま失敗するのは確実である。

 なんでも一人にやらせるのではなく、必要な能力を持った人同士が足りないものを補い合えばいい。

 先生が言う事はそういうことだった。

 

 「母校での出世はともかく、シャーレでは自分が一番じゃなきゃダメなんだ! とか考えなくていいんだよ?

 誰もが一番で誰もがビリでもあるんだから」

 そう言って先生はキリノの頭を撫でた。

 「……射撃の腕の話なのに役割の話にするとか、それは論点のすり替えですよ」

 「そうかな? 元はといえばキリノが『自分はシャーレで一番下なんだ』って言い出したからだと思うけど」

 頭をなで続けながら、先生は左手に巻いた腕時計に目をやった。

 「さて、休憩は終わりだ。行こうキリノ」

 パッと頭から手を放し立ち上がる。キリノは少し名残惜しそうな表情を浮かべた。

 「もう……」

 歩いてゆく先生の背中をムスっとした顔で追いかけるキリノだった。

 

 

 「ところで、先生の射撃の腕前って本当のところはどうなんですか?」

 「……アーケードゲームをやったぐらいかな」

 「素人さんじゃないですか!」

 

 



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#7 名前で呼ばせてください!


■あらすじ
 #3『銃を持つ先生、持たない先生』の、銃を持つ先生のお話。
 キリノはモテモテすぎる先生との関係を進めるために決意を固め、当番の仕事に赴く……。


 

 

 中務キリノという生徒がいる。

 行政区(D.U.)など各学園の自治区外の治安維持を担当するヴァルキューレ警察学校に在籍する、いわゆる警察官だ。

 犯罪対応部署である警備局に憧れて入学したのに、人質に百発百中の致命的な射撃の腕が原因で『能無し』『非戦闘員』呼ばわりの生活安全局に回された、少し残念な子である。

 そんな事はどうでもいい、彼女は生活安全局での日頃の勤務と連邦捜査部『シャーレ』で確かな実績を残しているからだ。

 

 さて、彼女はある名言(迷言?)を持っている。

 

 「先生と生徒が恋愛をするというのは、キヴォトスでは犯罪じゃありません」

 

 部署が違うとはいえ司法捜査官が、しかも彼女は暴走しがちだが誠実な人物で、嘘をつくような子ではない。

 つまり法律上は高校に在学中の一八歳未満の学生が、大人であり多くの世界線では男性である『シャーレの先生』と結婚を前提に交際してもいいという事である。

 

 これは由々しき事態といえる。

 先生はどんなに後ろめたい経歴を持っていようと性格に難があろうと、生徒達に真摯に向き合って交流しその心をつかむ教師の鑑である。変態だけど。

 そんな彼にLikeではなくLoveな感情を抱くシャーレ部員生徒は意外と多いのだ。

 もちろん初恋を諦めたりそもそもその想いを自覚できない子もいる。

 だが恋愛感情を自覚した多くの生徒は『先生とゴールインするのは私だ!』と、ライバルの邪魔はせずに各々の方法で先生にアプローチをかけている。チナツはやりすぎなので自重してほしい。

 

 キリノ当人はというと例の言葉と共に『言いたいことはそれだけです』とヘタれて、そこからアプローチが止まってしまっている。

 それでいいのか中務キリノ!

 今回はそんな彼女のお話しである。

 

 

 


 

 

 

 「キリノってさ? 本当に先生と結婚したいの?」

 「ブッ!」

 キリノは学生寮の食堂で夕食を取っていると、相棒の合歓垣フブキからとんでもない事を聞かれてみそ汁を噴き出した。

 この食堂では生徒を税金で食わせてるので、どうしても質より量を取り味は中の下に振れることもある。

 美味しいもの食いたきゃ自腹を切れ、ということである。グルメなキリノがパトロールにかこつけて食道楽する一因かもしれない。

 「ゲホッいきなりゲホっ何聞いてるんですか!?」

 「汚いなぁ……。

 だってさ、キリノはあんな爆弾投げて先生争奪戦起こしておきながら、自分はなんにもアピールしてないじゃん?」

 もう一度言うが、キリノは『言いたいことはそれだけ』と言っただけである。つまり察してくれと逃げ腰になっているのだ。

 「あの人なら恋人の生徒とイチャイチャしながら他の子のケアもしっかりやれると思うよ?

 でもさ、だからと言って『先生が生徒に手を出す』のはダメって『外』の大人の感覚があるじゃん」

 

 キヴォトスでは合法でも先生がやってきた世界では違法、犯罪者となるのは年齢で避けれても社会的に死ぬ。

 そんなところで生まれ育ってきた先生にはそれがガッチリ頭に叩き込まれてるし、もしなんの躊躇もなく生徒に手を出す下半身直結脳だったらキヴォトスへ来る前に堀の中行きである。

 さいわい彼はキヴォトスに永住するつもりなのでこの辺はクリアできそうだった。

 

 「だから『私の気持ちを察してください』なんてずっと受け身だったら、あっという間に他の子が先生とくっついちゃうよ?

 ほら、チナツが先生と混浴したって話でみんな荒れまくったじゃん」

 フブキはハッキリと言わないと決心がつかないであろう相棒を心配し、事実をビシバシ突きつけた。

 彼女自身はLike勢で、彼の事は強く信頼しているがあの熾烈な争奪戦に加わる気はないそうな。

 「うう~……」

 歯を食いしばってぷるぷる震えるキリノ。ヘタレな自分が悔しいのかチナツに限らず積極的に詰めてくるライバルが強すぎて怖気づいてるのか。

 フブキは冷めた目でたくあん漬けをポリポリ食べながらも、そんな同期に助け舟を出すことを決めた。

 「……実はさ、先生を名前で呼んでる子っていないんだよね」

 「え?」

 「ほら、ご主人様とか(あるじ)殿とかカムラッドとか違う呼び方の子はいるけど、基本的にみんな単に『先生』って呼んでるじゃん?

 つまりアピールはするけど『先生と生徒』の関係から進むのをちょっとためらってるんじゃないかな?」

 

 そうなのだ。初対面の人に『シャーレの○○先生』と紹介することはあっても、普段は『先生』なのだ。

 キヴォトスの学校はBDによる通信教育めいた方法で学習を行っているため、『教員』はいても『教師』という存在自体が非常に珍しくなっている。

 なので『先生』というと、遠いとこからやってきた先を生きる者(Sensei)である『シャーレの先生』を指しており、生徒達がわざわざ○○先生と名前をつけて呼ぶ事はないのである。

 

 「そんなとこへキリノが先生を親しそうに名前で呼べば、ライバル相手にすごい強烈な一撃になると思うね。

 まあ、そこから先はキリノ自身の努力次第だけど?」

 当然、そんな事態になればライバル達も名前を呼ぶようになるだろう。中には焦って関係を推し進めようとする生徒もいるだろう。

 だがジーッとしててもドーにもならないのが世の摂理、キリノはまず舞台へ上がるために第一歩を踏み出さねばならないのだ。

 「……わかりました。当たって砕けます!」

 「その意気~。んじゃ情報料はマスドの詰め合わせセットでよろしく」

 「見返り取るんですか!?」

 「真面目に私しか知らない情報だしぃ?」

 食事が終わったフブキはヘラヘラ笑いながら席を立ち、あとにはポカンとしたキリノだけが残された。

 「その意欲を仕事に使ってくださいよ……」

 

 

……

 

 

 キリノが勝負を挑む。その機会は数日後に巡ってきた。

 今日はシャーレの当番生徒としてオフィスへ行き、一日中先生の仕事をサポートするのがキリノの仕事である。

 「(先生の名前先生の名前……でもどんなタイミングで言えばいいんだろう?)」

 

 シャーレの先生、本名は公表されているが伏す。

 身長一八〇センチ以上の長身と、ガチムチボディを質素なビジネススーツとシャーレの制服でもある白いジャケットで包んだ着痩せするタイプの男である。

 メタな話になるが、本シリーズ本編のフェイス先生が一般的な先生像から外れた性別不詳の風貌なら、彼は典型的な先生像に近いといえるだろう。

 銃器の取り扱いに人一倍長けるが、たとえ銃を所持していても生徒はもとより人にも向けようとしない。

 実にシャーレの先生らしい平和主義精神の持ち主だ。変態だけど。

 

 この間ふとしたキッカケでサキ以外は知らなかった朝の射撃訓練が生徒達に知られたが、そもそも月曜日の朝早くにシャーレに来てたら学校に遅刻するので、当日の当番以外はRABBIT小隊しか来ないらしい。

 

 そんな月曜の朝早くにキリノは来てしまった。時間的に先生はシャワータイムだろう。

 実際、オフィスにあるシャワールームは使用中である。

 「先生のヌード……」

 

 そもそも先生の肉体美を見た人間はそうそういないだろう。

 ヒフアズツルギマシロとゲヘナ風紀委員会と美食研究会アビドス百鬼夜行……訂正、海水浴がらみで大勢いる。

 「ハッ!? 私はなんてこと考えてるんですか!」

 真面目な者ほどむっつりというのはよくある話だが、キリノも例にもれない様子。

 年ごろの子供が異性として恋愛対象として意識している相手のムフフな姿を妄想するなというのは、おそらくコハルでなくても酷だろう。

 

 扉の前で自己嫌悪感に苛まれていると、中から何かが倒れるような大きな音が聞こえてきた。

 「先生!?」

 キリノの警察官として訓練された体は異変にすばやく反応し、扉を開けて部屋の中へと突入した。

 

 「あ」

 

 更衣室で先生が尻もちをついていた。

 腰かけた椅子の脚が折れて倒れ、とっさに傍らにあったメタルラックに手をかけた事でひっくり返してしまい、あのような派手な音が響いたらしい。

 「……キリノ?」

 問題は先生の格好だ。

 腰に巻いていたタオルが尻もちをついてM字開脚した時に外れてしまっている。

 つまりフルチンである。

 

 「……ぶはっ」

 「キリノ!?」

 先生が股間の象撃ち銃を手で隠すより前に、キリノは鼻血を噴いて卒倒した。

 

 

 

……

 

 

 

 数十分後。

 「キリノ、大丈夫かい?」

 「……ごめんなさい、色々な意味で。すべて本官の過失なので訴えたりしましぇん……」

 一応、明確な意思を伝えておかなければややこしい事になるのは明白なので逆に謝るキリノ。

 もしかしたら気絶してる先生を看病したりしているセリナとチナツあたりはこっそり見ているかもしれないが。

 

 あの大きいのが私に入るのかとエ駄死な思考を脇に追いやり、本日のスケジュールをタブレットで確認する。

 「本日の予定は……あれ?」

 「どうしたの?」

 先生は朝食のチキンサンドをかじりながらキリノに話しかけた。

 「今日行く予定だった山海経高級中学校の依頼ですが……キャンセルになりました。昨日の夜に現場をゲヘナ学園の温泉開発部が爆破したせいで全部吹き飛んだって」

 「あー……カスミたち何してんの」

 サンドイッチをくわえたまま頭を抱える先生。まる一日使うため前々から細かく調整していた予定がパーである。

 「どうしましょう? 他の依頼にかかりますか?」

 「ちょっと待って……えーと」

 愛用のタブレット(シッテムの箱)の画面を叩いて情報を整理してゆく先生。中では先生の秘書(アロナ)がせわしなく働いているのだが、キリノからはアロナを認識できない。

 

 「……それじゃ、緊急の依頼があるまでは待機。

 パトロールがてら行きたいところがあるんだけど、いいかな?」

 「パトロールは本官も望むところですが、どこへ行かれるのですか?」

 キリノの頭は完全に仕事モードに入っており、他の生徒を出し抜いて先生と親密になろうという考えを忘れ去っていた。真面目人間であるキリノらしいと言えばらしい。

 「夢のマイホーム……とまではいかなくとも、どこかにアパートを借りようと思ってね?」

 「(シャーレの居住区から出て自立した一人暮らし!?)」

 

 

 


 

 

 

 まず、シャーレの先生がどこに住んでいるのかと言われると、シャーレのどこかにある居住区である。

 とにかく部屋が余っているし光熱費も経費で落ちるのでここに住まない理由はないのだ。

 ならホームレスしてる部員生徒を住ませろよというのはありがちなツッコミだが、先生は極力生徒の意思を尊重するので首を横に振られればそれで終わりである。

 なのでRABBIT小隊は引き続き公園で野宿しているし、指名手配され色んなとこから命を狙われているアリウススクワッドは放浪生活を続けているのだ。

 

 オフィスがある行政区(D.U.)を離れて閑静な住宅街へと足を運ぶ先生とキリノ。

 トリニティ総合学園の自治区との境界線近くにあるため、先生が来た世界でいうヨーロッパ風の建物が多く異国感が強く感じられた。

 「それにしては、どうして急に家を借りようと考えたのですか?」

 「ほら、できる限りシャーレの仕事は続けるつもりだけどいつかは引退する日が来るだろう?

 だからその時慌てて探すよりは今から住んで慣れてかないと」

 

 話の発端は数か月前、ミレニアム生徒会(セミナー)が先生に恩を売りつつ関係を深めようと、C&Cのセーフハウスとして確保している一室を彼に提供したことだった。

 しかし入居一日目、アスナが遊びに来たタイミングでセーフハウスの存在を突き止めていたテログループの襲撃を受けてアパートは全焼してしまった。

 超ラッキーガールのアスナが一緒にいたので先生は無傷だったが、ミレニアムはアパートと先生を含めた住民の私財を弁償をする羽目になった。

 一説には、この提案をしたあるセミナーの幹部が『あちらにとっても悪い話ではないと思いますが?』とユウカに言ったのがフラグだったではないかと囁かれている。

 なおその某幹部はノアによってこわーい尋問を受けたとか。

 

 「(思えばあれでおもちゃやらコレクションが全部無くなったのが踏ん切りの付けどころだったな)」

 あの事件で先生が『外』から持ちこんだ私物は、大事な大事な大人のカード以外失ってしまった。

 対価はお金という形で戻ってきたが、物に対する思い入れと心に少しばかり残っていた望郷の念は返ってくることはなかった。

 これが趣味への浪費をやめ、キヴォトス永住のための準備を進めるきっかけとなったのだ。変態気味なのは治らないが。

 

 そんな回想を頭の中に流しつつ、先生はポツリとつぶやいた。

 「……私だって結婚願望はあるし自分の子供が欲しい」

 「(ファッ!?)」

 呟きを聞いてしまいオロオロしだすキリノ。先生はそれを見てあっと己のミスに気づいた。

 「ごめん聞こえてた? 今のは他の人にはあまり言わないでほしいな?」

 人差し指を立てて「言わないで」とジェスチャーをする先生。一方キリノは今日の自分の目標を嫌でも思い出す事となった。

 「(そうでした……今日は先生との関係を一歩進めるため覚悟を決めたんでしたね)」

 決意を新たに、まずは名前呼びから。

 

 「あ……あの、先生!」

 「ん? どうしたの?」

 「えっと、もし宜しければ――」

 

 「強盗だー! そいつを捕まえてくれ!」

 近くで誰かの悲鳴が聞こえた。声のした方を向くとヘルメット団に似た格好の女生徒がショルダーバッグを背負って走ってくるのが見えた。

 「キリノ、足元へ投げて!」

 「わかりました!」

 迷うことなく腰に下げたスモークグレネードを『安全ピンを抜かずに』投げつけるキリノ。

 「うわっ!」

 足にグレネードがぶつかり転ぶスケバン。キリノはすぐさま駆け寄ると制式拳銃を抜いて銃口を向けた。

 「動かないでください! そのままおとなしくお縄につきなさい!」

 落とした機関拳銃(ベレッタ93R)を先生が蹴飛ばし遠ざけたのを見ると、スケバンは観念して両手を上げた。

 

 

 

……

 

 

 

 強盗犯を駆けつけたヴァルキューレ一般生徒に引き渡したあと、先生とキリノはそのまま不動産屋へ行きアパートを探して回った。

 しかし結局いいと思った物件は見つからなかった。

 「家賃が高いからといって良いお家って訳ではないんですね」

 「結構ピンキリだったね……土地代が高いんだろうな」

 先生は当面一人暮らしなので多くは望まず1LDKを探したが、そういった部屋は単身者の需要が高いので予算に見合ったものが見つからなかったのだ。

 「次は2LDKも探してみてはいかがでしょうか? 意外と掘り出し物があるかもしれませんよ?」

 「そうだね……次の不動産屋ではそっちも見てみるよ」

 時間はあり余ってるのでまだ探すつもりらしい。いつも仕事に追われてるとはいえ、先生は少し急ぎ過ぎである。

 「それでは早速次の不動産屋さんに行きましょう!」

 

 先生の手を引くキリノだったが、ここである事に気づいた。

 「(あれ? これって実質デートなのでは? しかも考え方によっては同棲先を探してる感じに?)」

 中務キリノ、今日は乙女回路全開である。 

 

 そんなこんなでパトロール兼家探しはその後も続き、シャーレへの緊急依頼もなく二人は困っている人に出くわしては手助けしていった。

 そしてついに物件を見つけた時には日が沈み、秋の夜空に星が瞬き始めていた。

 「いいところが見つかって良かったですね!」 

 「だね。……それにしては今日は平和な日だったね」

 強盗一件、銃を用いた喧嘩三件、ひったくり一件のどこが平和だというのか? 先生もすっかりキヴォトスに染まっているようだ。

 それはともかく、二人は人気のない路地をシャーレへ戻るため歩いていた。

 

 

 「そういえばキリノ、強盗を捕まえる直前になにか言いかけてたけど……?」

 「あっ」

 またしても本来の目的を忘れてしまっていたようだ。

 「(覚悟決めたんでしょ中務キリノ!)」

 心の中で自分を何度も鼓舞し、ついに行動に移す。

 先生に向き直り、視線を彼の顔に合わせる。

 

 深呼吸を二度。

 「ハッキリと言います。

 先生、私は……あなたと結婚したいぐらい好きです」

 「おや……!」

 まず名前で呼んでいいですかと聞くんじゃなかったのかキリノ?

 「もちろん先生が将来結婚する相手は私ではないかもしれません。でも私はこのまま先生に察してもらおうなんて甘い考えをやめる事にしました!」

 少し狼狽える先生の手を取り、強く握りしめた。

 

 

 「まず最初に……勤務時間外だけで構いませんから、あなたを名前で呼ばせてください!」

 

 

 


 

 

 

 「あらあら♡」

 本当にただの偶然、キリノの告白シーンを通りがかりのハナコが目撃していた。

 たまたま進行方向が一緒だったため、モモフレンズのコラボグッズを買いに来たヒフミとアズサについてきた結果、こんな間の悪い場面に遭遇したらしい。

 「ハナコちゃん、なにか面白いものでも見たんですか?」

 「そうですね。とってもやる気が出るものを♡」

 首をかしげるヒフミに対して、ハナコはいつも通りの態度ではぐらかして内容を教えはしなかった。

 

 「(ずっと後ろ向きだったキリノちゃんが勇気を出したんですもの。私も負けていられませんね……)」

 

 

 どうも、先生争奪戦はますます激しさを増す様子である。

 がんばれ中務キリノ。相手はメインヒロインのシロコをはじめとして強敵しかいない!

 



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#10 先生が銃を取った日

 『先生が銃を取った日』の加筆修正版になります。
 終盤の展開が全く異なりますが、人を撃てない先生が銃を貰って喜ぶのはやっぱ変だなと考えた結果、全面的に変えることにしました。

■あらすじ
 シャーレの先生はホシノを助けたあの日、『再び』銃を手に戦った。
 だがシロコ達に劣らぬ戦闘力を持っていた彼には、どうしても出来ないことがあった。
 半年後、朝起きると家に上がりこんでいたシロコと休日を過ごす先生だったが……?


 

 二月一八日。

 

 アビドス廃校対策委員会が作り上げた縁を先生が繋げて回り、『ゲマトリア』に拉致されたホシノを助けるために強大なカイザーPMCに立ち向かったあの日。

 ヒフミがトリニティ生徒会(ティーパーティー)から引き出した榴弾砲が、ヒナ達ゲヘナ風紀委員会が、まさに最高のタイミングで駆けつけて足止めを引き受けた便利屋68が傭兵部隊を蹴散らしてゆく中、シロコ達アビドスの三人とシャーレの先生は『黒服』から聞き出したホシノの監禁場所のバンカーを目指して戦場を突っ切っていた。

 目前に現れた無人戦車を撃破し前進すると、支援ドローンで空中から周囲を警戒していたアヤネから緊急通信が入った。

 

 『皆さん! 『ゴリアテ』が来ま……伏せて!』

 「! 伏せるな全員散れ!」

 ドローンから送られた映像をタブレット(シッテムの箱)で確認した先生は先行する三人へ散開を指示し、近くにあった建物の陰に飛びこんだ。

 

 閃光と共に光の濁流が押し寄せ、直前まで三人がいた場所で炸裂し大爆発を起こした。

 先生が隠れた建物も衝撃波で屋根が吹き飛んだが、壁はかろうじて崩れなかった。

 「みんな大丈夫!?」

 もうもうと立ちこめる爆煙の中に呼びかけるも、返事が帰ってこない。

 先生はハンカチで口と鼻を覆い、迷うことなく煙の中へと入った。

 

 「セリカ!」

 しばらく周りを探すと、巻き上げられた土に半ば埋もれる形でセリカが倒れていた。

 目立った外傷はないようだが意識はなく、普段は頭の上に浮かぶヘイローが消えていた。

 「アヤネ! さっきの攻撃ヘリのところに物資投下! 一旦そこまで後退する!」

 アヤネに指示を出すとセリカを肩に担ぎ、彼女の突撃銃(シンシアリティ)を手に取って煙の中から出た。

 「ご無事でしたか!」「……セリカ!?」

 「敵ヘリのとこまで後退! 駆け足!」

 ほうほうの体で現れたシロコとノノミを伴い、先生達は全力でその場から逃げ出した。

 

 

 

……

 

 

 

 「なんなのよ全く……! なんでたった三人相手にゴリアテまで持ち出してるのよ!」

 意識を取り戻したセリカはやり場のない怒りを叫んだ。

 「よっぽどホシノ先輩を手放したくないようですね……」

 ノノミはそんなセリカを手当てしながら横目で先生を見る。

 彼はPMC兵が捨てていった銃や弾薬を拾い集めたあと、ヘリの残骸を調べていた。

 

 人型歩行砲台『ゴリアテ』、全高約一二メートル。

 腕部に対人用ガトリングガン、対装甲用チェーンガンおよび40mm自動擲弾銃をそれぞれ砲身型ガンポッドで左右に一門ずつ、計六門二基セット備える。

 これだけでもかなりのものだが、主砲として頭部に荷電粒子砲を備え、その戦力は一機で歩兵大隊に匹敵する。

 重装備の代償として装甲は薄く動きも鈍重なため、腕のいい生徒が徒党を組めばジャイアントキリングも容易である。

 

 問題は、いまのアビドスにはその戦力がないということだ。

 壁役(タンク)のホシノを欠き、シロコのミサイルドローンは弾切れで攻防の両方がない。

 協力者たちとは距離が開きすぎて孤立無援、シャーレも活動を始めたばかりで部員生徒はまだ一人もいない。

 

 『詰み』という言葉が一行の脳裏をよぎった。

 

 「ふざけんじゃないわよ……! あいつを倒せばホシノ先輩のとこまでたどり着けるのに諦めろっていうの!?」

 悔しさのあまり、セリカの口からギリリと歯を噛みしめる音がした。

 

 「諦めるのは早いよ。策はあるから」

 それを真っ向から否定する先生の言葉に、警戒を続けるシロコ以外の視線が向けられた。

 「いま確認したけどヘリの火器管制装置(FCS)対戦車ミサイル(ATM)は生きてるし予備電源も無事。

 これを使えば動きが鈍くてミサイル迎撃システムのないゴリアテを倒せる」

 「でもどうやって操作する気ですか? コクピットは潰れちゃってますよ?」

 「大丈夫」

 先生は二人にシッテムの箱を見せた。

 「これでコンピュータをハックできた。

 照準はシロコのミサイルドローンのFCSで行ってアヤネの支援ドローンでリレー、そして情報を受け取った『これ』でATMを撃つ」

 「そのタブレットすごいですね……」

 「ノノミのゴールドカードと同じぐらいね」

 

 おどけた返事を返したが、問題はいくつかあった。

 「先生、ドローンは私から一〇メートル以内でしか飛ばせない。

 レーダーの射程を考えると最低でもゴリアテから二〇メートルの所まで近づく必要がある」

 銃弾が飛び交う戦場では目と鼻の先である。

 「腕の砲台でやられちゃうわよ」

 手当てが終わり、銃が壊れてないか確認を始めたセリカがそう言った。

 「セリカ、逃げ出した時にはもう相手の射程圏内だったんだ。なら普通は背を向けて逃げる私達に弾幕を浴びせてくる」

 「……弾を積んでない?」

 「たぶんね。カイザー側としてもたぶん慌てて予備機を出してきたんだろう」

 おそらくトリニティ部隊や風紀委員会に対してもゴリアテを回しているはずである。

 ゴリアテは攻撃ヘリや戦車と比べて大変高い兵器なので、カイザーPMCといえども数を揃えられないのだ。

 

 「先生、もうひとついいですか?」

 今度はノノミから質問が飛んだ。

 「何?」

 「ヘリがやられては元も子もないですから護衛が必要ですけど、ゴリアテの周りには武装オートマタがいっぱいいます。

 それぞれシロコちゃんとセリカちゃんが行くとして、一番火力がある私はどっちに付けばいいでしょう?」

 「君とセリカはヘリの護衛、シロコと私がゴリアテに近づく」

 アヤネを含めた全員が己の耳を疑った。

 

 「……へっ?」

 『あの……先生?』

 「データさえ入ればシッテムの箱(これ)が全部やってくれる。私は手持ち無沙汰だからシロコをフォローをする」

 PMC兵が残した自動小銃(AR-15カービン)の棹桿を引き、弾倉から新しい弾を装填する。

 「ほ……本気で言ってるの先生!? 銃撃ったことあるの!?」

 「……言いたくなかったんだけど、先生になる前は銃を使う仕事をしててね。慣れっこなんだ」

 背広のポケットに予備の弾倉を詰めれるだけ詰めてゆく。

 「二度と銃を使わないつもりだったけど、背に腹は代えられない。君達のためだからね」

 セリカもノノミも信じられないといった顔だった。

 「先生……」

 「……みんな、オートマタが動き始めた。距離を詰めてくる」

 話を遮ったシロコの報告は全員に緊迫感を持たせるに十分だった。

 このままではまずい。

 「文句はホシノを助けた後でいくらでも聞くよ。今はヘリとタブレットを死守して。

 ……シロコ、行こう」

 返事を待たずに走り出す先生と、その背をすぐに追うシロコ。

 

 「ああもう! 先生も絶対に生きて戻ってきてよ!?」

 「先生が死んだらなんにもならないんですからねー!?」

 

 

 

……

 

 

 

 オートマタ部隊までの距離、二〇。ゴリアテまでの距離、六〇。

 先生は事前に確認した地形情報をもとに、シロコが少しでも安全にゴリアテへ近づくためのルートを頭の中でシミュレートし、彼女へ伝える。

 

 「……先生」

 「なに?」

 砂の上に描いた地図で進行ルートを覚えるさなか、シロコは気になった事を聞くことにした。

 「先生は教師になる前、何をしてたの?」

 その質問に対して、先生はいつもとはまた違った真面目な顔で答えた。

 「……軍隊で隊長をしてたよ。

 君達と同じぐらいの歳には士官学校に入ってて、卒業したらすぐに戦争が起きて、今まで見たことがない化け物と戦ってた」

 シロコはずっと前に読んだ『キヴォトスの外』の話をまとめた本を思い出したが、先生の来た国はそれに書かれていたものとはだいぶ違うようだった。

 「味方も家族も友達も大勢死んで、やっと戦争が終わった時にはひとりぼっちさ。

 ……とても虚しくなった」

 先生はそう言いながら敵兵が落としたのを拾った拳銃(92A3)の遊底を引き、薬室に弾を装填するとベルトとズボンの間に差し直した。

 「だから銃を持つのが嫌になって、今度は戦場じゃなくて教壇で戦うことにしたんだ。親のいない子供たちが大勢いるし、先生もいっぱい死んじゃってたからね」

 「……」

 オートマタ部隊までの距離、一〇メートル。

 「休憩は終わりだ。シロコ、頼んだよ」

 「ん……先生もね」

 シロコは最後の手榴弾を先生に託し、瓦礫の陰から陰へと密かに走り始める。

 「全員準備はいいか? ショータイムだ!」

 『やってやろうじゃないの!』

 無線からセリカの威勢のいい叫びが聴こえた。

 それと同時に安全ピンを抜き、オートマタへ手榴弾を投げつけた。

 

 爆発と共にオートマタが二体吹き飛んだ。他の個体は一斉に警戒モードに入り、手榴弾を投げつけてきた方向へ銃口を向けた。

 「こっちだブリキ野郎!」

 そこから離れた岩陰から罵声と銃弾が浴びせられ、頭部を撃ち抜かれた個体が全機能を停止する。

 

 敵はヒトガタ一体、アサルトライフルとハンドグレネードで武装。

 

 オートマタは三機ずつの組に分かれ、三方向から岩を取り囲むように動いた。

 「(固まって動けばいいものを)」

 左翼から詰めてくる組の頭に照準眼鏡(スコープ)のドットを合わせ、指切りでバースト射撃を行う。

 残り八、七、六。

 空いた方向から飛び出し、フルオートで弾幕を張りながら建物の残骸の陰に入った。

 

 空弾倉を落とし、新たな弾倉を挿し込んでボルトリリースレバーを押し後退位置にあったボルトを前進させる。

 「(オートマタのARは7.62mmNATO弾と同規格のJHP……そういえばミレニアムでは違法になるとか言ってたな)」

 キヴォトスの住人はヘイローを持つ女子生徒のみならず、すべての人間がきわめて頑丈な肉体を持ち、皮膚は弾丸の貫通を許さない。

 貫通しないのであればフルメタルジャケット弾よりも、意図的な変形で運動エネルギーを衝撃に変換できるホローポイント弾の方が効率的にダメージを与えられる。

 ユウカが『痕が残る』とまで言っていたのだから相当なものだろう。

 「(そんな代物を連中は民間人に撃ってたのか)」

 ホシノが騙され拐われた初日、カイザーPMCがアビドス高等学校を攻め落とすために市街地で無差別攻撃を行ったことが脳裏に蘇る。

 「……今はそれを考えてる暇はないな」

 さらに後方から増援のオートマタが現れた事に舌打ちし、先生は次の一手を考える。

 

 

 

……

 

 

 

 ヘリの残骸目掛けて殺到する戦闘機械の大群。

 セリカはオートマタ兵の持つRPGの弾頭を狙い撃って爆発させ、複数体をまとめて吹き飛ばし、ノノミは抱えたガトリング銃(リトルマシンガンⅤ)の弾幕で空から迫る飛行ドローンもろとも薙ぎ払ってゆく。

 「そろそろオーバーヒートしそうですね……!」

 「あーもうシロコ先輩早くして!」

 悲鳴に近い叫びをあげながらもセリカの手は冷静に動き、撃発不良(ミスファイア)を起こした弾を棹桿を引いて捨て次の弾を送りこむ。

 

 シッテムの箱の中ではアロナが情報はまだかと待ち構えていたが、それを知るのは先生のみだった。

 

 「……!」

 ゴリアテの進路を迂回し回り込もうとしているシロコは、荷電粒子砲の危害範囲外から警戒していたPMC兵の小隊と遭遇した。

 「HQ! ゴリアテ4から見――」

 「言わせない」

 「があっ!?」

 

 隊長の頭にすばやく弾を叩き込み口を封じ、銃床で殴りかかってきた兵士を避けつつ回し蹴りを浴びせて銃撃でとどめを差す。

 その兵士から手榴弾を奪い、遮蔽物の陰にいた兵の集団へ投げつけまとめて撃破。

 更に奪ったミニガンを掃射して電柱を倒し、数名を下敷きにして倒す。

 一対二五、数の差は実力を持って埋められていた。

 

 「なんて奴だ! 素人がたった一人で完全武装の小隊を圧倒するなど!」

 「数で押せ! 弾が当たればこっちのペースに持ちこめる!」

 一斉に弾幕を浴びせかけるが、射線を読み銃弾を正確に躱すシロコの心は驚くほど落ち着いていた。

 「(ユニット起動)」

 ゴリアテまで二〇メートル圏内に入ったのを知り、捨てられたバスの陰に入った一瞬でミサイルドローンを飛ばし、ゴリアテへと向かわせた。

 錆びついたバスのボディに次々と穴が開いていくが、シロコは銃をリロードしつつ既に先生と合流する算段を考えていた。

 

 『ドローンからの情報送信を確認、先生のタブレットへリレーします!』

 アヤネからの通信から数秒後、ノノミとセリカがいる地点から三発の対戦車ミサイルが飛び出した。

 腕のランチャーに弾がないゴリアテはなすすべもないまま頭部と胴体にミサイルを食らい、大爆発を起こしてバラバラに崩れ落ちた。

 

 「ゴリアテがやられた!?」

 「駄目だ……こんな奴らに勝てっこない!」

 「撤退だ! 撤退しろ!」

 装備が充実したPMCの兵士ではあるが、所詮は退学させられた不良生徒や犯罪者の集まりである連中は戦意を失い、一目散に逃げ去っていった。

 「……先生、すぐ戻るよ!」

 

 

 

……

 

 

 

 「……先生?」

 シロコやゴリアテ撃破を確認し駆けつけた二人は目の前の光景を疑った。

 「作戦成功だね」

 大量のオートマタの残骸が地面を埋め尽くすなか、先生は肩で息をしながらもほぼ無傷で立っていた。

 「先生の戦闘力も無茶苦茶ですね……」

 「なんで今まで戦わなかったのよ?」

 もっともなセリカの疑問に、先生は小銃をその場に捨てながら笑って答えた。

 「私は君達の顧問だよ? いざって時これぐらいできなきゃ足手まといだよ」

 「答えになってないわよ!」

 「話は後にして! 今はホシノを助け出すのが先だから」

 話を強引に打ち切った先生は本来の目的を告げ、先を急がせた。

 

 

 


 

 

 

 半年後……。

 

 シャーレオフィスより十数キロメートル離れた場所にある住宅街、そこに『シャーレの先生』が住む借家がある。

 元々はアパートを借りるつもりだったのだが、キリノを伴っての粘り強い探索の結果、訳あり物件として安く貸し出されていた家を見つけたのだ。

 

 訳ありの理由は『ある凶悪な犯罪組織の首領が入居していた』というものだったが、銃犯罪が頻繁するうえにそういった反社会的勢力がブラックマーケットとして都市を築くキヴォトスで気にする事か? というのが先生の感想であった。

 神経質そうな猫族の大家は『あの』シャーレの先生が家を見てみたいと仲介業者から聞いた時、飛び跳ねて喜んでいたという。

 

 それはそれとして、明日は日曜日。緊急依頼がなければシャーレも休みである。

 先生は山積みの仕事で疲れた体を引きずり、危うく電車を乗り過ごしかけながら家に帰ってそのまま眠りについた。

 そんなに疲れてるなら居住区で休んでからにしろよと言いたいところだが、自宅へ帰る判断を体に覚えさせるためにもこれは譲れないらしい。

 

 

 

……

 

 

 

 『学園都市キヴォトスね……ってこれ完全に違う世界じゃねえかよ!』

 どこかの静かな酒場で、『先生』の隣に座る顔面偏差値がやたら高い男は叫んだ。

 『おいおい本気で承けたのかよ? 向こうへ渡ったら当分の間帰ってこれねえぞ?』

 『この世に未練はないし、私を求めてくれる人がいるならいいかなって』

 『世が世なら子供の夢物語かキ●●イの妄言だぞ……?』

 呆れながらウイスキーの水割を口に流しこみ、『先生』の顔を見て笑う。

 『まあこんなご時世だ、予備役が一人消えたところで誰も気にしねえよ。お上はお前の事なんざもう気にも留めてねえ』

 『あはは……お前にはいつも世話をかけるな』

 『気にすんな。

 ……頑張れよ。俺も『あいつら』も応援してるからな』

 『ありがとうな、相棒』

 『んじゃ、英雄の新たな門出に乾杯だ』

 男は空のグラスに新しく水割を作ると、『先生』が手に持ったグラスに軽くぶつけた。

 

 

 

 泥のように深く眠っていた先生は、何やら物音が聞こえてきた事で目を覚ました。

 時計を見ると時刻は八時を回っていた。

 「……布団に入ったっけ?」

 ベッドに転がったところまでは覚えているが、背広を脱いだ記憶も布団に潜り込んだ記憶もない。

 首元のボタン二つとネクタイが外されており、寝ぼけてやったのでなければ誰かがやったのは確実だ。

 「誰かいるな……」

 挙げるとするならアカネかワカモだが、それ以外に普通に泥棒が入りこんでいる可能性もある。

 用心のため特殊警棒を手に取り部屋を出た。

 

 物音がするリビングを覗きこむと、そこには見慣れた女子生徒の姿があった。

 「シロコ!」

 「ん……おはよう、先生。シャワーと工具借りたよ」

 ブレザーとマフラーを脱いだシロコは、テーブルの上でバラした愛銃『WHITE FANG 465』を組み立てている途中だった。

 「どうしてここに?」

 「昨日は夜遅くまでアルバイトしてたけど、アビドスまで帰るのには遅い時間だったし、先生の家に上がらせてもらった」

 どうやら寝ている間に上がりこんでリビングか空き部屋に泊まっていったらしい。

 だがそこで疑問が頭に浮かんだ。

 「……鍵は?」

 「開いてたよ?」

 「疑ってごめん」

 母校や仲間のためなら大真面目に誘拐や強盗計画を立てるのがシロコだが、さすがに空き巣まがいの事はしないようだと安堵する先生。

 「朝ごはんまだだよね? 今作るよ」

 「ありがと」

 警棒をベルトの後ろ側に差し込み、先生はキッチンに向かった。

 

 

 シロコと朝食を取ったあと、シャワーを浴びて身支度を整えた先生は再びリビングへ入った。

 「……そういえば先生」

 シロコはサイドアームの拳銃の組み立てを終え、同じソファーに一人ぶん離して座った先生へ話しかけた。

 「どうしたの?」

 「先生ってシャーレの仕事以外じゃ銃を持ってないんだよね? どうして?」

 

 彼が普段持ち歩いている自動拳銃は連邦捜査部が保有する『備品』であるため、勤務時間が終われば武器庫へ収める決まりとなっている。

 ゆえに通勤中やオフの先生は丸腰であり、帰り道にスケバンなどに襲われるとなすすべがない。

 そのため、『シャーレの先生』の評判は良いのに実物を見て幻滅する生徒は少なくない。

 

 「シロコ、私はシャーレの仕事の外じゃただの教師だよ。銃を持たないのは当たり前」

 「む……仕事の時はあんなに頼もしいのに」

 先生のその返しに少し不満らしく、顔がムスッとした表情になった。

 「具体的に誰とは言わないけど、ずっと肩に力を入れてると気疲れしちゃうし、何かのきっかけでその緊張が解けた時に反動でひどく滅入っちゃったりするんだよ?

 オン・オフはしっかりしないと」

 「先生はいいの? 何も知らない人達からバカにされて」

 その言葉にややムキになって反論するシロコ。仲間達をあざ笑われた時と同じ反応だった。

 

 「私はキヴォトスいち脆い人間だ。よほどの事がなければ君達のように積極的に戦うべきじゃない。

 言葉で説得できたならそれに越したことはないし……男なのに大人なのに情けないとか、そういう感情なんかとっくに捨ててるよ」

 自嘲するように告げ、マグカップに淹れたアイスココアに口をつける。

 生徒ではなく自分自身の事であるが故に、彼の反応は冷淡そのものだった。

 シロコは表情が抜け落ちたような先生の顔を見て、動く事を決めた。

 

 「えっ」

 体を横に倒し、先生をひざ枕にして顔を覗いた。

 「なら先生、ホシノ先輩を助けた日のあれは? 先生は自分で自分のルールを破ったよね?」

 「……」

 「私も、ノノミもセリカもアヤネも、あの日の先生の判断と行動を間違いだなんて思ってない。もちろんホシノ先輩も」

 その言葉を聞いて、先生は呻くように言葉を返した。

 「……あの時、私は『人』を撃っていない」

 「うん。あの時話してくれた事、ちゃんと覚えてるよ?

 先生が戦いたくない理由は……故郷でいっぱい人が死んだのを見たから、だね?」

 「……そうだね」

 自分のひざ枕に載ったシロコの頭を撫でながら、先生は話を続けた。

 

 「私は『人』を撃つことができない」

 「ん……」

 「君達が簡単に死なないことぐらい今までの活動で見てきて分かってるけど、だからと言って引き金を簡単に引いてしまっては『人としての道を踏み外してしまう』気がするんだ」

 先生の手から伝わる感触に目を細めながら、彼の次の言葉を待つ。

 「あの日銃を手に戦った時から、また私は戦わなきゃならないから、いざという時は人を撃つ必要もあるって覚悟は決めた。

 ……決めたはずだったんだけど」

 彼はシロコの頭を撫でる手を止め、腕を組んで目を閉じた。

 彼が言葉に困った時の癖、だとシロコは知っていた。

 

 

 アリウス分校によるエデン条約締結式襲撃事件。

 あの混乱のさなか、無限に現れるユスティナ聖徒の複製(ミメシス)から逃れるためツルギ達が敵の足止めをする間に、先生はヒナに連れられて必死に走った。

 

 会場警備をしていた誰かが落とした銃のコッキングハンドルを引く先生の姿を見て、既に満身創痍のヒナは驚きの声を上げた。

 『先生、……本当にあれと戦えれるの?』

 ヒナは彼と付き合ううちに先生が『人を撃てない』事に気づいていた。

 『撃たれたら光の塵になって消える相手が人間だと思う? 実弾が効く幽霊なんて怖くないよ』

 そんな彼女の不安を取り払うかのように、先生はいつも通り笑ってみせた。

 

 だが、自身を殺すべく銃口を向けたサオリに対しては、銃は向けたがどうしても引金を引くことが出来なかった。

 一秒にも満たない葛藤が事態を悪い方向へ動かし、倒れていたヒナは先生を突き飛ばして自らを射線上に飛びこませた。

 運悪く当たった銃弾は偶然にも、背広のポケットに入れていたメモ帳とスマートフォンに当たって減速し、致命傷を免れることができた。

 しかし駆けつけたセナの救急車に引っ張り込まれる先生についた『自分のものではない』血を見て、ついにヒナの心は折れてしまった。

 

 

 「ヒナを傷つけてしまった反面、あの時サオリを撃たなかった事に安心してしまう自分がいる。

 ……ひどい大人だよ、私は」

 右手で目を覆い深いため息をついた。

 シロコは体を起こして距離を詰めると、そのまま彼の体に寄りかかった。

 「シロコ」

 「ねえ先生……先生はキヴォトスにずっと住むんだよね?」

 「うん」

 「なら、先生は先生のままで変わればいい。

 生徒じゃ戦えない相手に先生は戦う、先生が戦えない相手には私たちが戦う。

 いつも通りでいいから、ゆっくりと心の整理をつければいい」

「……そうだね」

 

 先生はしばらく何も言わずに寄りかかるシロコの体の軽さを感じる。

 いつも暴走や良くない趣味を先生として咎める側であったが、今回ばかりはシロコに教えられる形となった。

 一方のシロコも先生の肩に頭を預け、彼が今キヴォトス(ここ)に生きている感触を味わった。

 

 「(ねえ先生、私はもっとあなたを知りたい。もっと身近にいたい)」

 ソファーに投げ出された先生の左手に自分の右手を重ねる。

 「(できるなら、ずっと一緒に……)」

 「……シロコ?」

 「先生、……ユヅキは――」

 

 ピンポーンと、呼び鈴の電子音がリビングに鳴り響いた。

 「ごめん、出ないと」

 先生は立ち上がると壁に際にあるインターホンへと向かった。

 「……むぅ」

 

 『先生に告白しようとすると何かしらの邪魔が入る』ジンクスは彼に思いを寄せる生徒の中ではよく知られていた。

 キリノという例外がいるが、彼女は結果的にハナコという魔神を呼び覚ましてしまったのでプラマイゼロである。

 

 

 

……

 

 

 

 先生が着払いで受け取った荷物、それの伝票には外の世界の送り先住所と氏名が書かれていた。

 「あいつ……!」

 「誰?」

 「私の親友だよ。

 くそっ、あの野郎バカ高い着払いしやがって! ユウカに怒られるじゃないか!」

 「……」

 思わず言葉づかいが乱れる先生、その人前では決して見せることのない姿にシロコは驚きを隠せない。

 

 段ボール箱を開き梱包材をどかすと、中から一通の手紙と古びたヘルメットなどプロテクターなど装備一式、明らかに民間用ではない服が数着現れた。

 「先生、先生の故郷じゃこういうのは犯罪じゃないの?」

 「正規ルートでお古を放出するようにはなってたけど、戦争のせいで横流しされやすくなってるんだ……なになに」

 

 

 『久しぶり。キヴォトスでの生活には慣れたか?

 なんかこの間装備品の横流しをしていたバカを逮捕した時に、流されそうになってた装備の中にお前が使ってたのがあったから買い取っておいたぞ。

 お前へのツケを払う代わりに贈るが、ツケだけじゃ代金が足りなかったから送料はお前持ちにしとくぜ!

 それじゃ、機会があったら会おうぜ』

 

 

 「あいつ……」

 「これ、先生が兵隊してた頃に使ってたやつ?」

 ヘルメットを裏返してスンスンと鼻を鳴らすシロコ。

 「待ってお願いだから嗅がないで謝るから」

 「ん……」

 メットにせよプロテクターにせよかなりの擦り傷があり、相当使いこまれていた事を示していた。

 「背広を着るよりは安全だろうけど、どうするかな? ……あ、いい事思いついた」

 「先生?」

 

 


 

 

 シャーレオフィス、格納庫。

 任務時に使う汎用ヘリ(UH−1)や生徒が持ちこむ戦車などのビークルを収容したり整備したりする部屋の片隅に、やや古い見た目の側車付きオートバイが鎮座している。

 先生は親友から贈られた懐かしい服と装備を身に着けると、オートバイを見ていたシロコの前に姿を現した。

 「これ、確かゲヘナで拾ってきたって奴だよね?」

 「拾ってきたんじゃなくてスクラップとして譲ってもらったんだよ。さすがに勝手に持ってきたらダメだって」

 

 

 ふた月ほど前、風紀委員会への用事でゲヘナ学園を訪れた先生だったが、ついでにイロハを訪ねた際に格納庫の片隅で埃を被っていたこれを見つけた。

 『これ使ってないのかい?』

 『前はそこそこ走ってたんですけどね、マコト先輩の無駄遣いの帳尻合わせで万魔殿の備品整理をした時に廃棄になりまして。

 もう登録抹消してますし、そのうち標的にしようと放置してたんですよね』

 『ふむ……。これっていくらなら売ってくれる?』

 

 イロハとあれこれ交渉した結果、破格の値段で譲ってもらい、シャーレの格納庫で仕事の合間を縫ってコツコツとレストアを続けていた。

 そのうちエンジニア部が目をつけて、自由に改造を施したのちミレニアムで車検を取り、公道を走れるようになった。

 その際、居合わせた一同で誰が先生と最初に乗るかで揉めたのはここだけの話。

 

 

 「私の知ってるBMW・R75ってトライクと同じ型なんだよね。すごい古い車種だから博物館入りしてるような車なんだけど」

 「ふーん……」

 シロコは視線を先生の足元から頭の先まで舐め回すように動かした。

 黒い半長靴とコバルトブルーにライトグレーのストライプが入ったフライトスーツ風のつなぎ、同色のジェット型ヘルメットに黒のプロテクターとミリタリーベスト。

 色合いもあって軍人というよりは特撮ヒーロー番組に出てくる特捜チームの隊員のようだった。

 「(カイテンジャーが見たら反応しそう)」

 「どうかしたかい?」

 「いや、何も」

 

 先生がバイクに跨がると、シロコは側車ではなく先生の後ろに座り、腰に手を回した。

 「シロコ?」

 「ん……今回はここがいい」

 「……まあいいか。それじゃしっかり掴まっててね」

 リモコン操作で開かれたシャッターが上がりきったのを確認しエンジンスタート。

 ヒビキの魔改造で外観を変えずに排気量を800cc以上まで上げられたエンジンが唸るように振動するが、排気音は驚くほど小さい。

 シロコがゴーグルをかけてガッチリと抱きついたのを確認すると、ギアを一速に入れてスロットルレバーをゆっくりと回した。

 400kgの重厚な車体は徐々に加速しやがて格納庫を出る。先生は密かにシッテムの箱(アロナ)に頼んでシャッターを閉めてもらうと、進路を公道へと向けた。

 

 

 オートバイはハイウェイを通って行政区(D.U.)を抜け、トリニティの街へ出た。

 ドイツ第三帝国で使われたものそっくりのオートバイが大英帝国調の街並みの中を走るのは滑稽かもしれないが、ここは学園都市キヴォトスである。

 「どこに向かってるの?」

 「うーん、適当に飛ばしただけだからなぁ。

 ……もうお昼だし、前にヒフミ達と行ったカフェで何か食べようか」

 「ヒフミ達と? いつ?」

 「補習授業部のあれこれの時さ。

 夜中だったんだけどちょっとした理由でハスミがいたし、美食研究会が近くで暴れたりとか色々あったよ」

 左の方向指示器(ウインカー)を点滅させながらスロットルを緩め、交差点をきれいな曲線を描いて左折した。

 

 

 カフェで軽食を食べ、食後のティータイムに更ける二人。

 シロコは無糖のレモンティーに対して、先生はガムシロップや砂糖を入れないアイスカフェラテを飲んでいる。

 「どうだいツーリングは? ライディングとはまた違った感じでしょ?」

 「ん。……スピードは自転車とは段違いだし、自動車の合間を縫って走るのも面白かった。

 でも自分の足で力を制御できないってのは少し怖いかも」

 「あーなんか分かる。慣れないうちはどうしてもね」

 自動二輪車はスロットルレバーを回す事でエンジンの回転数を上げるようになっているため、手動にせよ自動にせよ変速機の操作をわずかでも誤れば、たちまち前輪が浮き上がりウィリー状態になってしまう。

 それ故に原付バイクすら怖くて乗れないという人はたまにいる。

 

 「だから、乗るなら先生の後ろに座るのがいい」

 「……生徒の気持ちを黙殺してる私が言うのもなんだけど、どうやらシートの後ろも競争力高いみたい……あ」

 「……」

 シロコから氷点下のような冷たい視線を浴びせられて、先生は自分が余計なことまで言ったことに気づいた。

 「ふうん。

 みんなが先生を『そういう』意味で好きだってこと、無視してる自覚あったんだね?」

 「ま、あね……。ワカモやチナツだけじゃなくキリノからああまで言われたら、どんな鈍感でも流石に……」

 気まずくなった先生はシロコから目をそらした。

 「……ふふっ」

 

 

 「ねえ先生」

 「なんだい?」

 「先生の子供の頃の夢はなに?」

 「うーん……。人の役に立てる仕事をする、かな」

 「……昔も今も、ユヅキは色んな人を幸せにしてるよ。

 だって、私たちがそうだもの」

 



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#14 銃を持ってください先生


 本エピソード中に登場する銃器関係の名称については、便宜的に『我々の世界(現実)』での製品名を使用しております。

■あらすじ
 これまで丸腰で悪人に襲われ続けた先生は遂に連邦生徒会から「銃を携帯しろ」と命令された。
 生徒達におすすめを聞いていくがどうもいいものが見つからず……


 

 

 

 SRT特殊学園生徒による連邦生徒会襲撃事件を発端とした一連の陰謀劇が終わりを告げ、キヴォトスの混乱が落ち着いた頃……。

 

 ある日、先生はリンに呼ばれて彼女のオフィス(統括室)へと足を運び、そこで一枚の命令書を渡された。

 「ねぇリン、これはどういうことだい?」

 「どういう事も何も、書いてある通りのことですよ」

 素で首をかしげる先生を見て、リンは不機嫌そうに目を細めた。

 

 文章を要約すると『護身用に常に銃器を持ち歩け』である。単純明快極まりない内容だ。

 「『生徒と対等の力関係で接したい』という先生の理念は理解できますが、その結果として一般の犯罪者から身を守るための術も放棄しているのは、我々連邦生徒会としても看過できる時期を過ぎています」

 「……」

 思い当たる節が山ほどあるのか、先生はぐうの音も出ない様子で口をつぐんだ。

 リンはそんな先生の様子を見てため息をつき、一枚の用紙を手に取った。

 「先生がキヴォトスへ赴任してから今に至るまでの半年間、特筆性のある事例をいくつか挙げましょうか」

 

 

 

■事例一 ■月■日

 百鬼夜行連合学院・お祭り運営委員会の依頼で、百夜ノ春ノ桜花祭に対する妨害行為の調査を行っている途中、妨害の首謀者一味により誘拐され殺害されかける。

 一味に騙されて協力していた生徒が寝返ったこと、先生が誘拐を見越して連絡していたお祭り運営委員会、および修行部が到着した事で形勢が逆転。騒動の鎮圧に成功する。

 

■事例二 ■月■日

 ロスト・パラダイス・リゾートの所有権を巡る大規模詐欺事件に対処中、戦闘の混乱に乗じて首謀者に人質として誘拐される。

 しかし先生が事前に応援要請をしていた狐坂ワカモが到着し、首謀者が撃退された事で難を逃れる。

 

■事例三 ■月■日

 D.U.第■地区を巡回中、非合法の武装勢力により麻酔ガスを浴びせられ昏倒、そのまま誘拐される。

 武装勢力の目的が『RABBIT小隊へ引き渡していたコンビニの廃棄弁当』だったため、幸いなことにそれ以上の危害は加えられず、武装勢力も先生の機転で駆けつけたRABBIT小隊によって撃退される。

 

 

 「……先生。特筆すべきこの三例だけでも相当ですが、似たような事例は両手の指だけでは数え切れないほど存在します」

 「……ごめん」

 リンの威圧に身を縮こませた先生はすっかり気落ちしていた。もし獣耳と尻尾があったらダランと垂れているだろう。

 「先生、厄介事を一通りシャーレへ押し付けている私が言う資格があるかは分かりませんが……。

 あなたはご自分の身をもう少し顧みてください。先生はもうキヴォトスに無くてはならない存在なのですよ」

 この間の事件を経てリンも思うところはあったらしく、これまでと比べれば私見を挟んだ会話を交わすようにはなった。

 彼女は彼女なりに心配をしてくれている。が、それゆえに却って重圧として先生にのしかかってきた。

 

 リンはホルスターへ入れて腰に下げている大型拳銃(デザートイーグル)を軽く叩いて注目を促した。

 「何も生徒()たちのようにむき出しのまま持ち歩けとは言っていません。

 銃を持っている事を知られたくないのであれば、服の下に隠し持つなり、一見して銃が入ってるようには見えない入れ物を使えばいいんです」

 「まあ理屈はそうだね」

 「とにかく、これは連邦生徒会からの正式な命令です。

 部員と相談するなどしてご自身に合った銃を選んでください」

 気乗りしない様子の先生にリンはまくし立てるようにそう告げ、その場は解散となった。

 

 

 


 

 

 

 『あはは……。先生も年貢の納め時ですね』

 「そんな大げさな言い方しないでよ」

 シャーレに戻った先生はひとまずアロナへと事の経緯を話した。

 相棒であるアロナからしても、いつも丸腰で自分の身を危険に曝している先生には不安しかなく、今回の生徒会からの命令には肯定的だった。

 『それで先生、制式拳銃(ベレッタ92)は使いにくいんでしたっけ?』

 「デカいし重いしグリップが太くて握りが甘くなるんだよね。最悪撃った途端に手からすっぽ抜けちゃうよ」

 

 多くの場合、弾を撃った際の反動を使って動作する自動式(オートマチック)拳銃は握りが甘ければ作動不良を起こす可能性がある。

 なので安全のためにも、使用者の手の大きさに合ったグリップを持つ銃を選ばなければならない。

 なお、小柄なサヤも同型の拳銃を使っているが、注射器として使えるほど徹底的に改造しているため問題化していない。

 制式拳銃はシャーレの備品であるため、銃そのものに手を加えるような改造は禁じられている。

 

 

 アロナとああでもないこうでもないとわちゃわちゃ話していると、先生のスマートフォンが着信のベル音を鳴り響かせた。

 発信者は──

 「ユウカ、ミレニアムはいま一限目じゃないのかい?」

 『それはそうなんですけど、セミナーから早急に先生に連絡を取れと言われまして……』

 相変わらずの貧乏くじを引かされたユウカだった。

 『先生、お昼にちょっとお時間いただけますか?』

 「今日の依頼は放課後からのだし、それで構わないよ」

 『ありがとうございます。では後ほど』

 

 通話が切れてから、先生は背筋が寒くなる感覚を覚えた。

 「(まさかセミナーが盗聴器を仕掛けてる?)」

 『(あり得ますね……シャーレは色んな情報が集まる場所ですから)』

 RABBIT小隊にシャーレ住み込みを拒否された理由である『盗聴器が大量に仕掛けられている』という噂の発端は、先生のストーカーであるコタマが原因なのは間違いない。

 しかし今回の風変わりな命令が外部に知られるのは時間の問題だったとはいえ、いくらなんでも知られるのが早すぎる。

 「ハァ……。チヒロに頼んでチェックしてもらおう」

 

 

 

……

 

 

 

 数時間後、ミレニアムサイエンススクール。

 先生は待ち構えていたユウカに、どんな銃が欲しいのかの意見を洗いざらい話すようにねだられた。

 意見を羅列したメモ帳にペン先をトンと置き、ユウカは口を開いた。

 「先生のご要望と身体能力を考慮した結果、今回の拳銃に求められる性能は以下の通りですね」

 

 

 ●威力と反動の兼ね合いから口径は9mm程度

 ●隠匿性を重視し銃のサイズは小さい方が良い

 ●重量削減のため、ポリマーフレームが好ましい

 ●使用者の手が少し小さいため、できる限りグリップは細身のものかストラップ交換式であること

 ●できるならマニュアルセーフティ装備など、安全性は高い方が良い

 

 

 「参考程度に聞きますけど、強装弾やマグナム弾が使える銃はお望みですか?」

 「使えない訳じゃないけどそこまでは要らないかな。私が銃を抜く時点で状況は最悪だろうし、それだったら軽くするか弾を増やしたほうがいいよ」

 「わかりました」

 サラサラとメモに一言記述を増やすと、ユウカはふと思い立ったように先生の顔を見た。

 「……それにしては意外ですね。銃を持ちたがらない先生の事だから、適当に見繕ってくれとか言うかと思ってました」

 「さすがに命を預けるっていう道具に妥協はしないよ。代わりに趣味性は求めるけどさ」

 肘をテーブルに載せ両手に顎を置いていた先生は、少し不機嫌そうな声で答えた。

 いつも笑ってるか慌ててる様子しか見てないユウカにとって、先生のそんな姿は新鮮に思えた。

 

 ユウカはタブレット端末の画面に指を走らせ、銃器カタログを開いた。

 「先ほどの条件をすべて満たした上で、ミレニアムからのオススメはこちらになります」

 先生へ示した画面には、無骨な形の自動拳銃が映し出されていた。

 引き金周りの部品を中枢としたモジュール構造であるのを示す分解図も併せてある。

 「SIGサワーのP365ってのと同じやつだね」

 「外のメーカーは分かりませんが、小さい・薄い・サムセイフティ搭載可能で弾数は9mmパラベラム弾が一〇発以上。

 モジュール構造なのでパーツを替えたければ自由なカスタマイズも可能です」

 見た目は実用本位で味気ないかもしれないが、発展性という点では何よりも優れている。

 

 「どうされます先生? 他にも選択肢はありますが、ミレニアムでご購入されますか?」

 「ふーむ……」

 セミナーの動きが異様に早かったのは、おそらく先生にミレニアム製の銃器を買わせる事で箔をつけるためであろう。

 今のシャーレの知名度を考えれば、中立的観点から学校政治への興味を持たないようにしている先生でもそのぐらいは答えに行き着く。

 「すごく急いでる訳じゃないし、そろそろシャーレにかかわってる他の学校にも情報が入ってると思うんだよね。

 機械に関してはミレニアムが強いのは分かってるけど、もう少し見て回るよ」

 選択肢としては安牌であるがゆえに、先生はじっくりと選ぶことにした。

 

 

 

……

 

 

 

 ■補習授業部の場合

 

 先生は補習授業部の部活動のあと、戦闘のプロであるアズサに話を聞いてみた。

 しかし話の主題は銃の種類ではなく『どう持ち歩くのか』へと移った。

 

 「隠す事に特化するならショルダーホルスター一択だ。先生は体の線が細いから、上着を着てしまえば銃が浮き出しにくい」

 先生は季節に関係なくジャケットを着ている事が多いため、私服警官のように上着に銃を隠す事は難しくない。

 「でもアズサちゃん、先生は部屋の中だと上着を脱ぎますから銃が丸見えになっちゃいますよ?」

 「丸見え!? ……いやいや落ち着いて私」

 コハルが例によって『丸見え』という単語に卑猥さを感じてしまうが、今回は寸前で思い直した。

 そんな姿を見てハナコには子の成長を見守る親のような感情が芽生えた。

 

 「そうだったな。……ならミサキを思い出して欲しい。ミサキは左足の内側に自衛用の拳銃を付けているだろう?

 あれを先生がやるならズボンの裾で銃を隠せる」

 アズサのアリウスでの仲間であるミサキは大柄なロケットランチャー(セイントプレデター)を武器にしており、その補助として小型リボルバー(ルガーLCR)を身に付けている。

 「塵芥のことを考慮すると銃は必然的にリボルバーになるし、いざという時は取り出しにくくはなるけど、『隠す』という点ではショルダーホルスターに負けていない」

 アズサは他にも腰に下げる形式でも隠しやすいやり方がある事を説明していった。

 

 「それと先生、これは女子(私たち)にしか使えないものですが……」

 ハナコはそう言うと豊満な胸を覆っているセーラー服を捲くりあげた。

 「ちょっと! なにやってんのよハナコ!」

 「落ち着いてくださいコハルちゃん! ハナコちゃんの胸のところよく見てください」

 コハルは顔を真っ赤にしながらハナコに視線を合わせた。

 ハナコの下着か水着かわからないブラの中央に、銃を収めたホルスターがぶら下がっていた。

 「ブラホルスターというものです。お胸の大きさは必要ですし、暴発させた時のリスクはありますが、こういう隠し方もあるというのは覚えておいてください」

 解説に関心するアズサの横で、コハルは自分の胸に手を当てた。

 「銃を抜く時もこのように引っ張るだけで──」

 ハナコはホルスターに収めた小型自動拳銃(グロック26)のグリップを握り、勢いよく引き抜こうとした。

 

 

 ブチッ

 

 

 「あら?」

 銃はホルスターから抜けないまま、肩紐がないブラジャーが丸ごと抜け落ちた。

 「アウトーーー!!!」

 「こ、コハルちゃん!? 今のは本当に不可抗力でして……!」

 「いつもわざとやってるって事じゃない! エッチなのはダメ! 死刑!」

 

 「……なるほど、こういう事故もあるのか」

 「あ、あはは……」

 結局、どんな銃を買うかの本題には触れる事はなかった。

 

 

 

 ■イロハの場合

 

 そのあと先生はゲヘナ学園へ赴き、風紀委員会による不良集団の大規模掃討作戦の指揮補佐を担当した。

 

 「先生、少しよろしいでしょうか?」

 依頼が完了しシャーレへ帰ろうとしたところ、風紀委員会本部を出てすぐにイロハに呼び止められた。

 「どうしたの?」

 「いえ。マコト先輩が『シャーレの先生が銃を探しているそうだな? ここで万魔殿が推薦する銃を買わせる事で風紀委員会に圧をかけてやるのだイロハ!』とか丸投げしてきましてね」

 「……ブレないなぁあの子は」

 全くもっていつものマコトである。

 

 あの場にいると風紀委員会幹部の誰かが飛んできそうだったため、二人は学生広場まで移動しベンチに腰掛けた。

 「そんな訳でマコト先輩の推薦はこれですね」

 イロハはそう言って肩に掛けていた鞄から大型拳銃(MARK 23)を取り出して見せてきた。

 「あの、イロハ?」

 「わかってますよ。マコト先輩が趣旨を理解していないだけです」

 銃を使わない立場の者が常に持ち歩く護身用を欲しているのに、特殊部隊用に作られた特殊すぎる銃を選ぶのはあまりにもナンセンスである。

 

 「私が真面目におすすめするのはこちらですね」

 上着のポケットに無造作に挿しこんであった拳銃を取り出す。

 「先生にはワルサーP99と言えば通じますかね? 万魔殿の制式拳銃(ワルサーP38K )と同じメーカーが出してる銃です」

 銃をひと目見た途端、先生の口角がわずかに上がった。

 「……そうだね」

 「先生が外から持ちこんだ映画の主人公(007)が一時期使ってましたね。

 パーツを替えればグリップの太さを調整できますし、もっと使いやすい後継モデルは出てますけど、選択肢としては悪くないと思いますよ?」

 

 ワルサーP99は趣味と実用性を兼ね備えた銃である事には間違いない。

 ところが先生は

 「ごめん、無理」

 と断った。

 

 「えっ? それはまたどうしてでしょうか?」

 まさかの返答を受け頭に疑問符を山ほど浮かべるイロハだったが、先生はさっきとは打って変わって苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 「私としてもP99は好きなんだけど、どうも個人的に苦手な人が使ってるのを見たせいで、ちょっと今受けつけないんだ」

 「……マジで意味がわかりませんね」

 「ほんとね……」

 先生は頭を抱えて項垂れた。

 

 イロハは先生をなだめた後、セナを呼び出して救急車でシャーレまで送らせた。

 

 「(ハスミさんがゲヘナ産の品物すら拒む程のゲヘナ嫌いなように、先生もその好きじゃない人を思い浮かべるように刷り込まれてしまったようですね。

 ……これは厄介な話ですね)」

 次に先生が学園に来たとき、または自分がシャーレに行った時は先生を思う存分サボらせようと心に決めたイロハだった。

 

 その後も色々な生徒に聞いてまわったが、先生はこれといった銃を見つけることができなかった。

 『隠して持ち歩きやすい』という条件で、心の琴線に触れるような銃がなかなか現れないのだ。

 

 

 

 ■シロコとサオリの場合

 

 休日のシャーレ居住区。

 シロコは大量の雑誌を手に、先生が待つ休憩室へと姿を現した。

 「ん……おはよう先生、ユウカから話は聞いたよ」

 「うん、シロコなら話に乗ってくると思ってた」

 「いまのアビドスは銃の売り買いで便宜は図れないけど、選ぶのは任せて」

 「気をつかってくれるだけで私は嬉しいよ」

 複数の銃器からドローンまで使いこなすシロコなら多角的視点から意外と悪くないチョイスをしてくれるのではないか? 先生はそう思って期待に胸を膨らませた。

 

 

 

……

 

 

 

 「……なんだこれは?」

 「やあサオリ、奢るからお昼一緒にどうだい?」

 サオリは安全な場所での休息とスマートフォンの充電のためシャーレを訪れた。

 いざ休憩室へ来ると、そこには雑談用のテーブルに大量のガンカタログを広げた先生とシロコの姿があった。

 「ん。先生に合う銃を探してる」

 それを聞いてサオリは首をかしげた。

 「支給された銃では駄目なのか?」

 「うーん。あれは使いづらいし、プライベートでは持ち歩けないんだよ」

 「そうか」

 他愛もないが話であるが割りこまれたような感覚を覚えたシロコは、口をわずかにへの字にして先生にカタログを突きつけた。

 「これはどう? 弾数も威力もある」

 「シロコ、私の手じゃこれをちゃんと握れないよ?」

 「あ……そうか」

 シロコが見せたページには特殊弾を使う拳銃(ファイブセブン)の最新型が載っていた。

 弾が前後にかなり長いためグリップが握りにくく、先生の手には余るシロモノだった。

 どうもシロコの熱意が空回りするあまり、本来求めているものから外れたものを勧め続けているらしい。

 

 「……先生。前に先生へあんな事をした私が意見する資格があるかはわからないが、参考程度に聞いてほしい」

 「過ぎたことを気にしないで。言ってみて?」

 「先生を襲うような相手に対して自衛するなら、ギリギリまで威力を引き上げて.357マグナム弾クラスの弾を使うのも考えるべきだ」

 サオリはテーブルに散乱していたカタログの一つを拾い上げ、ペラペラと頁をめくって目的の記事を探す。

 「これだ」

 「ああ、.357SIG弾ね」

 誌面には薬莢が途中でくびれた形(ボトルネック)になっている弾の写真が載っていた。

 「全長は9mm弾と比べて誤差の範囲だから、グリップが前後に長くて握りにくくなるという事はないだろう。後は銃次第だ」

 「なるほど」

 「先生が銃を使いたがらないのは理解している。だがいざ使う時のためにも一定以上の威力を確保しておく事に越したことはない。

 無論、それを使いこなすための訓練も」

 「そうだね」

 

 

 休憩室奥の仮眠スペースからサオリの寝息が聞こえてきたのを確認したあと、シロコは再びカタログを開いた。

 「例え話になるけど、サオリが言った.357弾を使うとして、無難なとこだとグロック32か33あたりになるかな。

 でも私は別の銃をオススメする」

 先生に示したページには、アヤネの持つ『コモンセンス』に似た拳銃(P239)の写真が載っていた。

 「アヤネの銃の小型版。弾は少なくなるけどグリップは最初から細い。

 ただ、軽い銃だから強力な弾を使うと反動は強いかも」

 「選択肢としてはアリだね。……既製品でいいのが見つかんないのなら、いっそのこと君たちみたいにカスタムガンにするかな?」

 

 結局、公の場で堂々と銃を携帯するのであれば制式拳銃を持つことになるだろう。

 ならば大半の生徒同様、スマホ感覚で着飾り『自分だけの銃』にするのも悪くないと先生は考え始めた。

 「ん。ならユウカが挙げたやつの系列が一番安上がりに組めると思う。元々強装弾に対応してるし、サードパーティ製のパーツで見た目もだいぶ変えられる」

 シロコはモモトークから先生へウェブカタログのURLを送り、開くように促した。

 「……カヨコとかヒナタとかだいぶ見た目を替えてる子はいるなと思ってはいたけど、カスタムパーツってこんなにあるんだ」

 改めて超がつくほどの銃社会であるキヴォトスを思い知った先生だった。

 

 

 


 

 

 

 数日後。

 先生は注文した銃を受け取るためにミレニアムを訪れていた。

 『結局ユウカさんが最初に選んだ銃にしたんですか?』

 「あの子は私がこういう選択をするのを見越してたんだろうね」

 『世話焼きな妹さん的な?』

 「さてね」

 シッテムの箱をケースにしまい、スタディーエリアから少し離れた場所にある射撃練習場へと足を踏み入れた。

 時間が早いのもあり、場内にはユウカが一人で待ち構えていた。

 

 

 「こちらが完成したものになります」

 ユウカは作業台に質素なガンケースを載せると、ロックを外して中身を先生へ向けて蓋を開いた。

 「ほほう」

 中にはオーダー通りに組み立てられた『ただ一つの銃』が収められている。

 

 黒い樹脂で作られたフレームに銀地に青いラインが入ったスライドが装着されており、銃のサイズに対してやや大きいアイアンサイトが取り付けられていた。

 パッと見では子供むけ作品に出てくる光線銃のオモチャのようにも見えるが、これは実弾を撃つれっきとした本物である。

 「P365XLを基にマニュアルセーフティを装備、弾は9mmパラベラム弾のFMJが一二発、スライドは蔵王社製のカスタム品。すべて注文通りです」

 「さすがユウカ。完璧な仕事だね」

 先生は銃を手に取りしばらく眺めたのち、装填済みの弾倉を挿しスライドを引いた。

 「グリップモジュールも強化モデルなので、銃身(バレル)とマガジンを交換すれば.357SIGや.40SW弾に対応できます」

 「でもそれなりに値が張ったね。……怒らないのかい?」

 「はぁ……。あらかじめ相談してますし、これはいちおう職務上必要な支出ですから」

 

 少し離れたところに人型の的が立ち上がった。ヴァルキューレ警察学校で使われている『人質に拳銃を向けている犯人』を象ったものだ。

 「ターゲットは一〇メートル先です。……先生が銃を撃つところ、初めて見ますね」

 「まあ、射撃訓練場は使ってるよ? キヴォトスに来るまで本物の銃は撃ったことなかったし」

 両手でしっかりと銃を保持し、安全装置を解除して引き金を引いた。

 

 パン、と軽い破裂音が練習場に響いた。

 犯人の右腕をかすめたのを見て、わずかに銃口をずらすと立て続けに残りの弾を撃ちこんでゆく。

 

 「……先生は昔特殊部隊にいたとかそんな経歴をお持ちですか?」

 「ユウカ。そんな大それた過去はないよ」

 回収された的に開いた弾痕はバラけているもののすべて犯人に命中しており、人質には掠りすらしていない。

 「君たちが見ていないところで練習してるだけで、私自身は別に特別な訳じゃない。それにいくら練習したところで『使わない』のなら意味はないよ。

 キリノと射撃の腕を交換したいぐらいだ」

 弾倉を換え安全装置をかけると、あらかじめ身に付けていたショルダーホルスターへと収めてストラップを留めた。

 

 

 「先生」

 「武器でも権力でも、子供でも大人でも、力づくで相手に言うことを聞かせるのならゲマトリアやこれまでの悪人連中と変わらないよ」

 先生は上着を着てホルスターを覆った。これで外見からでは銃を持っているとは判らなくなった。

 「だからね、『反則には反則』しなきゃならない時じゃないと私は銃を使う気はないよ。君たちを助ける時以外はこれからもね」

 

 その笑みはどこか寂しそうな印象がある。ユウカはそう感じた。

 「先生……お気持ちは分かりますが、その甘さが命取りになるかもしれませんよ?」

 「あはは……どっかで聞いたような台詞だね」

 「こっちは本気で心配してるんですよ?」

 「わかってるよユウカ。でも未来は計算できるものじゃない、結局なるようにしかならないのさ」

 そう笑って先生は外へ繋がる扉へ向かった。

 「もう……!」

 

 

 その後、また無駄遣いがバレた先生をユウカが追いかけ回しているという目撃情報が複数のミレニアム生徒の口から語られた。

 

 



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#18 『大人』の戦い方

 pixivで一定の人気があり、最近は本サイトでも増えつつある『戦う先生』概念ですが、原作の内容を踏まえるとやっぱり私には受け容れれそうにないです。

■あらすじ
 ある日の早朝、先生はアリウス自治区におけるゴルコンダとの遭遇を夢で見て目が覚めた。
 心のモヤモヤをどうすればいいのか考えた末、ヒマリに話をすることに決めた。


 

 

 「く、ぐぅっ……」

 花を模した異形の怪物と化したベアトリーチェはサオリら『自分が騙し支配していた』子供たちによって敗れた。

 『儀式』のために磔にされたアツコを助け出す事だけに意識が向き、誰も倒れ伏す憎き『マダム』など気に留めていない。

 

 先生(わたし)はそんな哀れな怪物にゆっくりと近づいた。

 「終わりだよ、ベアトリーチェ」

 「よくも……わ、私はまだ……まだ!

 たかだか儀式を妨害した程度で図に乗らないでください!」

 彼女は歯を食いしばり、こちらを射殺さんと殺意をこめた視線を向けて、まるで負け惜しみのような叫びをあげた。

 「まだ私にはバルバラもアリウスの兵力も無傷で残っている!

 複製(ミメシス)能力だって保持しているのです!」

 そうだ。あのガスマスク軍団を足止めしているミカを早く助けないといけない。

 私は意を決して、絶対に使うまいと決めていた護身用の拳銃(ブルドッグ)を取り出そうと懐に手を入れる。

 「一度の勝利ごときで、終わりになど──」

 「いいえ、このお話はこれで終わりです」

 「……!!」

 

 声のした方へ振り向くと、あの『黒服』よりも人間性を欠いた姿の男がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 杖をついたコート姿の大男。

 その首から上はなく、左手で山高帽子をかぶった男の後頭部を写した写真の入った額を抱えている。

 さながらデュラハンだ。

 「ゴルコンダ……!!」

 ベアトリーチェは心底憎いといった様子で男の名前を呼んだ。

 「ああ、落ち着いてください。驚かせたのなら申し訳ありません。

 私は『ゲマトリア』のゴルコンダ……」

 懐に手を入れたままの私を見て(?)、ゴルコンダはこちらへ警戒を解くように促した。

 「──挨拶は省略するとしましょう。

 もしかしたらわたしたは、以前お会いしたかもしれませんから」

 どうも額の中の男がゴルコンダであるみたいだ。声は首なし大男じゃなくて額の方から聞こえてくる。

 

 懐から手を抜いて武器を持ってないのを見せると、ゴルコンダは納得したように話しを始めた。

 「私は戦いに来たのではありません。

 マダムを連れ戻しに来たのです」

 「私を……!?」

 「それに、戦闘で勝てる自信もありません。

 『ゲマトリア』が皆マダムのように怪物に変われるわけではないですからね」

 

 さらっとベアトリーチェが自信満々に誇ってた能力を貶してるのはともかく、その言葉には重要な情報が含まれていた。

 拉致されたホシノの居場所を聞き出すために黒服の『契約』を覆したあの日、大人のカードをちらつかせた私に対して黒服はやや慌てた様子で『そんな価値があるのか?』といったニュアンスの言葉を並べて譲歩した。

 あれは監禁場所を守っているカイザーPMCの軍勢を切り抜けられるどうかは別問題というのがあったのだろうけど、黒服本人に戦う力がないから、あそこで私が『力』を使うのは何としても避けたかったんだろう。

 

 「ええ、マダム。これで明らかになりました。

 ──先生はあなたの敵対者ではありません。これはあなたの物語ではないのです」

 「……!!」

 「あなたが起こした事件、葛藤、過程の数々……。

 それらは『知らずともいいもの』に格下げされました」

 ベアトリーチェが十年の歳月をかけて、アリウス分校とその生徒たちを歪めていった事実を、こいつは『どうでもいい』ものになったと断じた。

 「あなたは主人公どころか……先生の敵対者でもなく、

 ただの『舞台装置(マクガフィン)』だったのです」

 「……く……ぐぅっ……!!」

 

 舞台装置(ベアトリーチェ)の断罪を終えると、ゴルコンダはこっちへ振り向いて言葉を続けた。

 「先生……あなたが介入してしまうと、すべての概念が変わってしまいます。

 元々この物語の結末はこうではなかったはずなのです」

 「なんだって?」

 ただ悪辣な悪人が勝利して世界を滅ぼすことが最良の結末(トゥルーエンド)だったとでも言いたいの?

 「友情で苦難を乗り越え、努力で打ち勝つ物語……?

 私が望んでいたテクストはもっと文学的なものだったはずなのですが……」

 淡々とした話し方だけど、その内容には この青春の物語(ブルーアーカイブ)を見下し揶揄する感情を隠していない。

 「……自分の好みに合わない話を幼稚だ低俗だとあざ笑うのは、大人のやる事じゃない」

 「ふむ……申し訳ありません。ご気分を害してしまったようですね。

 それでは、私はマダムを連れて帰ります。

 マダム、起きてください」

 謝る意思がまるで感じられない口だけの謝罪を述べると、杖を持っていた右手で雑にベアトリーチェを掴んで無理やり立ち上がらせようとした。

 「ゲホッ……お前は……」

 「待て!」

 仮にも仲間をゴミでも拾うかのように扱ったゴルコンダに声をあげると、彼は動きを止めて額を向けた。

 

 「もしかして私の邪魔をするつもりでしょうか?

 どうかそのような決断はなさらないでください、先生」

 文字で表すだけならこっちを宥めてるように思えるけど、実際は慇懃無礼といった態度だ。

 「たとえば……私は様々な道具を生産できます。

 あなたが持っているその『ヘイローを破壊する爆弾』も私の作品ですので」

 「……!!」

 「ああ……もちろん、それをここで爆発させたりするつもりはありません。

 あなたには効果もない上に、その実験は結局失敗だったようですから」

 セイアの暗殺に使われかけ、覚悟を決めたアズサがサオリを殺すために使い、そして私が没収してなければミカに使われてた可能性がある『これ』を作ったのが、こいつだというのか。

 「その爆弾が実際にヘイローを破壊できるかどうかを一度も確認できませんでした。私の計画は断じてそうではなかったのですが……。

 まあ、ですから、それは廃棄する予定です」

 

 これは脅しだ。

 爆弾が正常に作動すれば爆弾を持ってる私は爆発で死ぬし、効果範囲内にいれば無防備なサオリたちの命も失われる。

 起爆装置は完全に壊して捨てたけど、作った当人が別の起爆装置を持っててもおかしくない。

 

 「マダム、今回の実験は失敗です。

 帰りましょう」

 「ゴルコンダ……!」

 「失礼しました、先生。

 それでは、また」

 ベアトリーチェに肩を貸したゴルコンダは、光り差さない漆黒の通路へと歩いていって、そしてかき消えるように姿を消した。

 

 

……

 

 

 ……朝早くから嫌な夢を見た。

 

 エデン条約事件後の療養期間と、ふらふらの状態で書いたせいで雑になった書類の連邦生徒会からの訂正要求。

 その矢先に起きたRABBIT小隊の武装蜂起、ミカの査問会とカイザー系列会社とヴァルキューレ公安局の癒着騒ぎ。

 加えて何日か前にはシスターフッドの権威失墜を狙うトリニティ生徒会(ティーパーティー )の影がちらつく、遺跡で発掘された経典の発表会に絡んだトラブルも起きていた。

 夏も終わりが見えてきたこの時期、私は万全とは言えないコンディションで馬車馬のように働き続けて、ようやく休暇を取ることができた。

 久しぶりにぐっすりと眠ってたのだけど、現実はどうしても私に嫌がらせをしたいらしい。

 「……くそっ」

 

 アリウス分校はベアトリーチェを失い、またミカを助け出すために武力介入したトリニティによって支配から解放された。

 でも何百年にわたる孤立と内戦による荒廃、『マダム』と彼女に媚を売って甘い汁を吸っていた者たちによる長年の洗脳教育は一朝一夕で解決するものではなく、継続的な復興支援と生徒たちの『社会復帰支援』が必要な状況だ。

 祖先の行いのツケを、ナギサたちやこれからのトリニティ生が支払っていくことになる。

 

 それとアリウススクワッドはベアトリーチェによって学籍を抹消されていて、エデン条約締結式襲撃の実行犯として指名手配されているのもあって、私は露頭に迷う彼女たちをシャーレとして表立って支援することもできない。

 

 勝負に勝って試合に負けた。

 結局、あの件において私は『サオリたちとミカの心の救済』という局所的勝利をおさめたに過ぎないんだ。

 

 すっかり目が冴えてしまったから、ベッドを降りて寝汗でびっしょりと濡れたパジャマを脱ぎ捨てた。

 そしてシャワーで汗を流そうとバスタオルを取り出したところでふと思いついて、スマートフォンを手に取りモモトークを開いた。

 

 


 

 

 午前七時過ぎ、ミレニアム・スタディーエリア。

 早くから登校する生徒たちの間をすり抜けて、私は待ち合わせ場所へと足を運んだ。

 あるモノレール駅の近くにある広場の一角、そこには曲線が多用された優雅な形の電動車いすに座った、色白の少女が待っていた。

 少女はこっちに気付いて小さく手を振っている。

 「先生、お久しぶりです」

 「ごめんヒマリ、こんな朝早くに呼び出しちゃって」

 少女──ヒマリは私の全身を舐め回すように見て、少し驚いたような曖昧な笑みを浮かべた。

 「……すぐ近くに来るまで気配が感じられませんでしたね?」

 「まあ、他の人に気づかれたくなかったし」

 私はミレニアムへの出入りが多いから、話した事のない生徒からもそれなりに顔を覚えられてる。

 だからちょっと『ズル』をして気づかれないようにここまで来た。

 ユウカとすれ違ったのに向こうは見向きもしなかったと言えば、どれだけ難しい事をしたか分かってくれると思う。

 

 あえて言うなら……段ボールは全てを解決する。

 

 「特異現象調査部の部室で落ち合えればよかったんだけど、私はまだ道を覚えてないから」

 「今日はエイミがお休みですからね。ではいつもの『隠れ家』に移動しましょうか」

 「……時々思うんだけど、ありもしない部活の部費ってどうなってるの?」

 「セミナーへ請求しないければバレはしませんよ。『存在しない』のですから」

 

 これから話す事は他人に聞かれていいものじゃない。

 ヒマリに案内されるがまま、ミレニアムタワーの中にある彼女が部活をでっちあげて確保した本来使われてない一室へと場所を移した。

 建物の窓の外にはミレニアム自治区らしい摩天楼が立ち並ぶ姿が見えて、夜になればとてもいい眺めになるんだろうなと感じられた。

 

 「……なるほど」

 私はアリウス分校でのゲマトリアとの接触の事を話して、ヒマリに相談を持ちかけた。

 「ですが先生、その答えはご自身で既に導き出しておられるのではないでしょうか?」

 「確かにそうなんだけど、一人だけで考えた事じゃそれが正解である確率は下がる。だからゲマトリアに関して予備知識のある君に相談したんだ」

 

 ヒマリは自身が立ち上げた『ヴェリタス』を離れ、今はデカグラマトンの正体追求を任とする『特異現象調査部』の部長だ。

 私が書いたレポートと説明で『ゲマトリア』の存在を把握しているから、今回相談相手になってもらった。

 

 「ふふ……。この超天才清楚系病弱美少女ハッカーたる私に頼るというのは最善の判断です。

 何しろゲマトリアは私ですら知識としてしか知らず、大半の方々はそのような者たちがいるとは知らないのですから」

 いつもの自画自賛が混じっているけど、ヒマリの表情はいたって真面目だ。

 「まず、ベアトリーチェという方の陥った状況について」

 

 ヒマリは普段は薄くしか開いてないまぶたを上げて、透き通った色の瞳を私に曝した。

 「これはいうなれば『ゲームプレイヤーという立場を捨てた』。

 つまり先生という『プレイヤー』との対戦を放棄して、『ゲーム内の操作キャラクター』であるアリウススクワッドに倒されるべき『ボスキャラクター』になったのが失敗の原因です」

 

 ゴルコンダが彼女を『舞台装置』と言ったのはそういう事だろう。

 感情の赴くままに行動したせいで、最終的に『自分自身が戦う』という選択肢を選んでしまった。

 その結果として、『アリウス分校をテロ組織へと作り変えるよう人を動かしていた超越者(プレイヤー)』から『アリウス分校を牛耳る悪の支配者というゲームの駒(ユニット)』に概念が替わった。

 だからサオリたちと同じステージに立って、そして『ストーリーの進行上、倒されるべき敵』として敗れたんだ。

 

 「『外部とは隔絶された場所にある』特殊性を逆手に取り、構成員が学園を堂々と乗っ取ったアリウス分校の件はおそらくイレギュラーでしょう」

 その言葉には『同じ手口で来る事はないから油断するな』って警告が含まれているんだろう。

 「先生が最初に対処されたアビドスの件のように、現地の人間を影から操り自分の手は決して汚さず、己の存在を露呈させない。

 ……それがゲマトリア本来の手口だと考えられます」

 「私もそう思う。黒服にしたって、当時のカイザー理事がアビドスを潰して立ち上げようとした学園を隠れ蓑にして、裏で好き放題するつもりだったんだろうし」

 

 アリウスでのベアトリーチェの一連の行いは、皮肉な事に重要な情報を数多くもたらした。

 彼女が嘯いた『真の敵』の存在もそうだけど、黒服がカイザーPMC理事と手を組んでホシノの身柄だけではなくアビドス高等学校の土地を狙った件についても、砂漠に住まうデカグラマトン『ビナー』とはまた違う理由で『キヴォトスの土地』を欲していたと説明づけられるようになったからだ。

 

 「次に、ゴルコンダが主張した『先生が物語を書き換えた』というしょうもない難癖について」

 あ、やっぱりヒマリも奴に関してはあまりいい印象じゃないみたいだ。

 「……その前に、先生はテーブルトークRPGをご存知ですか?」

 「うん。学生時代に友達とよく遊んでたよ」

 

 基本はゲームマスターが定めたシナリオに沿って進めてくけど、参加者の行動やサイコロとかの出目で内容はどんどん変わってゆく。

 つまりシナリオは骨組みであって、ゲームマスターと参加者がそれを基に自分たちだけの物語を作り上げてゆくのがTRPGの魅力なんだ。

 どこかの小説で『賽子の出目は神ですら分からない』と言ってたのを思い出す。

 

 「現実もTRPGと同じで、絶対と決められたストーリーはありません。

 ですがゴルコンダの主張は『絶対不変のシナリオを第三者がまったく異なるものに変えてしまった』という、現実的とは言えないものです」

 そうなると、答えは自然と導き出される。

 「……奴は物語上の乱数がありえない、コンピュータゲームのつもりでこの世界(キヴォトス)を見ている?」

 「ええ。それも先生が『ストーリーを反則行為(チート)で破壊した』などと糾弾するあたり、自分に酔ってシナリオライターを気取っているのでしょう」

 

 選択肢や分岐こそ存在しても、物語はあらかじめ用意されたぶんしか存在しない『絶対』的な存在なのがコンピュータゲームというものだ。

 奴が『本来は文学的』だと言い張ってたあたり、ゲームですらなく小説として考えてた可能性が高いか。

 

 「先生や他のゲマトリアは自分なりの考えで物語を動かすTRPGのプレイヤー。

 対してゴルコンダは自分の思い描くストーリーに絶対の自信を持つ、ゲームマスターを気取る迷惑なプレイヤー。

 キヴォトスが本当にTRPGの盤面なら、とっくにセッションから追い出されているところですね」

 残念だけど、それを成すべきゲームマスターはいない。

 「水と油だ……黒服やベアトリーチェ以上に分かり合えそうにないよ」

 わかってはいたけど、この事実を改めて確認して頭を抱えたくなる。

 

 ゴルコンダは『このキヴォトスでどんな計画を進めているのか』まだわかってない。

 全てを疑っていては昔のナギサみたいに何も信じられなくなってしまうから、気にしすぎない程度に用心するしかないのが実情だ。

 

 

……

 

 

 ひと通り話し終えた私とヒマリはタワーの外へ出て、モノレール駅の改札口まで来た。

 今日は彼女も授業を受けるようだから、これ以上私の都合に付き合わせる訳にはいかない。

 「ありがとう。おかげで気持ちの整理ができたよ」

 「いえいえ。『彼ら』は私たちが追っている案件と関わり合いのあるものですから、これも情報収集の一環ですよ」

 時刻は八時を回ろうとしてて、この辺はそろそろ登校する生徒であふれかえる。

 

 「先生、ひとつ忠告を」

 ヒマリは挨拶を交わしてホームへ上がろうとした私の背中を呼び止めた。

 「なんだい?」

 「これもご理解しておられるでしょうけど、どれだけ心境的に辛くとも『先生ご自身が武力を振るって戦う』事は絶対に避けてください。

 先生が切れる手札は私たち生徒と『大人のカード』だけです」

 「うん。わかってるよ」

 彼女に手を振ってホームへ行き、ちょうど入ってきた電車に乗ってスタディーエリアを後にした。

 

 

 ゴルコンダが言うところの『舞台装置』に堕ちる可能性があるのは、何もベアトリーチェだけでなく黒服たちや私も同じだ。

 武器、異能、兵器。

 それらを使って自分で戦ってしまえば、登場人物を導いて物語を描く『プレイヤー』ではなく、シナリオに基づいて動く『ゲームキャラ』になってしまう。

 もし先生(わたし)がそうなったら、その瞬間にゲマトリアの勝利が決まるだろう。

 

 

 ……■■■■■■(あの子)はそんなの望んでない。

 

 

 「(このあと何しようか……)」

 休みの日に何をするのかさっぱり浮かばず、すっかりワーカホリックになってしまった自分に呆れながら、一旦シャーレへと戻った。

 外に家でも借りれば意識が少し変わるかもしれないけど、却って寝に帰るだけの社畜生活になりそうだなぁ……。

 



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