『呪詛師殺し』に手を出すな (Midoriさん)
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第壱話

雨の中で拾ったのは、かつての相棒だった。


「ん?」

 

雨がよく降る日だった。

仕事を終えた帰り、ふと何者かの気配を感じて脇の路地を覗きこむ。

そこには人間とおぼしき黒い塊が倒れていた。

 

「何でこんなところで……」

 

何となく気になり近付いていく。

黒い髪に黒いシャツ。ズボンまで黒だ。

体格からするに男。

そこまでなら酔っぱらいが寝ているのかと思ったが、男との距離が縮まるにつれて鉄臭さが鼻をついた。

すっかり嗅ぎ慣れてしまった血の臭い。

しゃがみこんでよく見ればシャツの前面──肩から脇腹にかけてざっくりと鋭い刃物で斬られた傷が見えた。

このあたりの治安は悪くないはずなのだが。

とりあえず救急車と警察でも呼ぶか──そう思い、肩にかけてある鞄から携帯を取り出したところで手が止まった。

その理由は男の顔──正確にはその口元だ。

口の右側に刻まれた一筋の傷。

体の傷とは違う、もっと古い傷。

その傷を持つ人物を私は一人知っている。

 

「え……嘘でしょ」

 

まさかと思い、顔に張り付いた前髪を避けてやる。

そして、その顔が露になった瞬間、驚きと懐かしさで思わず身体が強張った。

そこにあったのはよく知った顔だったから。

 

「甚爾……」

 

忘れかけていた記憶が、ふと頭をよぎる。

彼と最後に会ったのはいつだったか。

久しぶりに一人で朝を迎えたあの日の前夜か。

そこまで思い出して小さくため息が零れた。

今更そんなものを思い出すことになるとは考えもしていなかった。

 

「最悪……」

 

赤の他人なら救急車と警察を呼んでオサラバだったのに。

さて、どうしたものか。

 

──そもそも何でこんなところに……。

 

考えに耽りそうになるのを頭を振って一旦やめる。

雨に流されているが相当出血しているようだ。

長く悩んでいる時間はないらしい。

苛立ち混じりに雨で湿気た髪をガシガシと掻く。

 

「あー……ホントにこの男は」

 

何の因果の巡り合わせだ。

よりにもよって自分の家の近くで倒れているとは。

偶然たどり着いたのか、それともわかっていてここまで逃げてきたのか。

昔からそうだった。

ふらっと現れては、またふらっと消える。

それが彼だ。

色々思うところはあるが仕方ない。

邪魔な傘を閉じて腕に掛け、何とか肩を貸して半ば引きずるようにして家のほうへ歩き出す。

 

「面倒なことになったなぁ……」

 

◆ ◆ ◆

 

ベッドの脇に腰を降ろしてコーヒーの入ったマグカップを傾ける。

後ろに顔を向ければ、さっきよりは幾分落ち着いた顔で眠る男。

止血はしたし、彼の回復力なら大丈夫だろう。

派手に出血はしていたが、内臓まで傷ついていなかったのは幸いだった。

 

「何で戻ってきたんだか……」

 

マグカップを一旦机に置いて、男の顔を覗きこむ。

昔に比べて少し痩せたか。

禪院甚爾──裏での通り名は『術師殺し』。

主に暗殺の報酬や賞金で荒稼ぎしている裏では名の知れた殺し屋だ。

呪力を完全に持たないという天与呪縛──ある種の特異体質により、呪術師に感知されず暗殺を行うことができ、対呪術師としては他の殺し屋より飛び抜けた成果をあげている。

また呪力がないという制限の対価に、人間離れした身体能力や五感を持っている。

バカみたいな脚力で目視できないスピードで縦横無尽に駆け回るし、警察犬顔負けの嗅覚でターゲットを追跡したりする。

いつだったか、目的地までのショートカットと言って水面を走って向こう岸まで渡っていたときはさすがに顔がひきつった。

 

──あのころは色々やってたなぁ。

 

顔を見ているだけで昔の思い出がぽつりぽつりと蘇ってくる。

『術師殺し』と呼ばれる彼と『呪詛師殺し』と呼ばれる私──二人で『最凶』と呼ばれていたころが懐かしい。

大抵は別々だったが、ごく稀に組んで仕事をすることもあった。

 

──『稀に』が『たまに』になって『たまに』が『ときどき』になって。家で作戦会議をするようになって。気付けば入り浸るようになってたな。

 

全く情がなかったわけではないが、少なくとも恋だの愛だのいうようなキレイな関係ではなかった。

彼に仕事を手伝わせることと日々の護衛を条件に、私は食事と寝床を用意してやる──そんな利害の一致で成り立っていたに過ぎない。

 

──それにしても何の前触れもなくいなくなったよねぇ。

 

ある朝起きれば、既に彼の姿も、置いてあった荷物もなくなっていた。

仕事道具からシャツの一枚に至るまで彼の物は全てなくなっていて、一人で過ごしていたときと同じガランとした部屋に戻っていた。

 

──そう言えば別に追いかけたりしなかったっけ。

 

ああ、出ていったんだ──その程度のものだった。

薄々思っていたのだ。

彼に首輪は似合わない。

ちょっと懐いたからと飼い猫になれるような男ではないと。

そう思い、探すことも追うこともなかったのだが。

なぜ今更戻ってきたのか。

こればかりは本人が起きてから尋ねるしかないだろう。

 

「恵……」

 

「ん?」

 

眠ったまま、不意に甚爾が『恵』と口にした。

恵──女の名前か。

それを聞いて、ああ、とまた一つ思い出した。

コイツは根っからのヒモ男だったと。

街をぶらついたり、適当に入った居酒屋だったり、とにかく色々なところで顔の良さと話のうまさで女を引っかけては、その女の家に数日から数ヶ月転がり込む。

そして金なり服なり貢がせるだけ貢がせて、関係が面倒になればまた別の女のところへ。

どうやら今は恵という女のところへ転がり込んでいるらしい。

 

──私とは最初から出会いかたが違ったからなぁ……。

 

ヒモだったことを思い出したついでに、彼と最初に出会ったころのことがふと頭に浮かんだ。

他の女達と同じように、引っかけた引っかけられたくらいの平和な出会いならまだよかったのだが、生憎、私達の場合は──

 

「ん……」

 

「あ、起きた」

 

眠っていた彼が目を覚ましたことで記憶が中断される。

 

「君、相変わらずしぶといね」

 

「あ……? ああ、オマエか……久しぶりだな」

 

「あ、私のこと覚えてたんだ。とっくの昔に有象無象の女達の中に埋もれてたと思ってたよ」

 

「何でオマエが……」

 

「家の近くで倒れてたから拾ったの。止血だけはしておいてあげたよ」

 

「倒れてた……?」

 

まだ自分の状況が理解できていないのか、甚爾はぼんやりした表情のまま。

傷を負って相当朦朧とした状態で何とかあの路地まで逃げてきたのだろう。

少々記憶が飛んでいる部分があるらしい。

 

「多分、仕事でトチったんでしょ。珍しいことに。しばらく裏で噂も聞かなかったし、行方眩ませてから何やってたのか気になるところではあるけどさ」

 

言いながら机の上のマグカップに手を伸ばしかけて、ふと先ほどの言葉を思い出した。

 

「ああ、そうだ。寝てるときに『恵』って言ってたけど。今の彼女?」

 

その途端、甚爾の目が、ハッ、と見開かれた。

傷にも構わず起き上がると、そのままベッドから出てどこかへ行こうとするので、慌てて彼の肩を押さえて止める。

 

「ちょっ……いきなり動いたら傷が開く──」

 

「どれくらい寝てた」

 

「え? えーと……一時間くらいだね」

 

腕時計を見せると安心したように甚爾の身体から力が抜けた。

どういうことだ。

恵という名前を聞いた直後にこの動揺。

そしてなぜか気にしたのが時間。

気になることは多いが、とりあえず甚爾をベッドに座らせる。

超人的な回復力をもつ甚爾と言えど、まだ傷を負ってそれほど時間も経っていない。

下手に動けば傷が開いてしまう。

 

「そんなにその恵さんが心配?」

 

「いや、恵は……──っ!」

 

いきなり動いたことでやはり痛んだのか、甚爾は俯いて黙りこむと、包帯の上から傷に手を当ててしばらくそのまま動かなかった。

痛みもあるのだろうが、甚爾は目を瞑って何か考えている様子だった。

秒針が三周回ったところで、少し落ち着いたのか甚爾は静かに息を吐く。

 

「……女じゃねぇんだよ。俺のガキ」

 

「君、子供なんて作ってたの?」

 

「悪いかよ……色々あったんだよ」

 

俯いたまま甚爾は顔を上げようとしない。

 

「一応聞くけど奥さんは?」

 

「アイツは……」

 

「あー……そういうことね。大体察した。とりあえず今住んでるところの住所教えて。私がその子回収してくるから」

 

言い淀んだ彼の態度で何となくわかってしまった。

長年の付き合いがあるというのはこういうときに便利だ。

住所の書かれたメモを受け取り、ついでに甚爾が連絡用に持っていた携帯の番号を登録しておく。

 

「悪い」

 

「いいよ」

 

乾かしてあったジャケットを手早く羽織り、家を出る。

雨はもう止んでいて、夜の闇が辺りに広がっていた。

 

「日向の側は私達には眩しすぎるんだよね」

 

闇に紛れて動くくらいがちょうどいい。

さっきの甚爾の表情。

あの顔を私はよく知っている。

大切なものをなくした人間の顔だ。

私の元を離れてから彼にどんな心境の変化があったのかは知らないが、どうやら彼は真っ当に生きようとしたらしい。

裏の闇ではなく日向の側で生きようと。

()()()()()()()()()()()

そして私と同じように現実を思い知った。

ああ、自分は裏の世界の人間なのだ、と。

一度裏に浸ってしまえば、それはそう簡単には拭えない。

裏で過ごしていた過去が断ち切れない鎖のように己を縛り、もがいたところで引き戻そうとしてくる。

昔から何かと気が合ったが、そんなところまで似なくてもよかっただろうに。

小さくため息が零れる。

何はともあれ、とりあえずは彼の子供を迎えに行くとしよう。

万が一、何かあれば目覚めが悪い。

メモを見ながら私は闇の中へ歩を進めた。



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第弐話

いい客ってのはオレに迷惑をかけずスマートに仕事を終えてくれる客のことだ。


走り書きされたメモにある住所は随分と年季の入ったアパートの住所だった。

その一階の突き当たりの部屋。

等間隔に並んだドアの前を通りすぎ、目当ての部屋の前で立ち止まる。

ドアの横には『伏黒』とあった。

 

「フシグロね……伏黒甚爾。違和感あるなぁ」

 

初めて会ったときから二人で住んでいた部屋を出ていくまでアイツはずっと禪院甚爾だったのに。

裏で見ないと思ったら、知らないうちに婿入りしているとは。

色々聞きたいことはあるが、目的を果たすのが先だとドアノブに手をかけると、すんなり回転する。

 

「開いてる……」

 

裏の人間が無用心にもほどがあるだろう。

少しの間、日向の側にいただけでそこまで鈍ったのか。

そのままドアを少し開けて中を窺えば玄関には黒い革靴が一足。

甚爾のものではないだろう。

アイツは革靴を日常的に履くタイプの人間ではない。

しかし、こんないい革靴を履くクセに空き巣とは変わったヤツもいたものだ。

 

「──って、ああ、アイツか」

 

そこまで考えて、ふと一人思い当たる人物がいた。

私と甚爾の共通の知り合い。

もう随分付き合いの長い裏の人間。

完全にドアを開けると奥に見覚えのある黒いスーツの後ろ姿が見えた。

 

「孔」

 

「ゲッ……」

 

呼びかけると振り向いたのはやはり見知った口ヒゲの男。

仲介屋──孔時雨。

孔は、こちらを見るなり露骨に顔を歪めてみせた。

客の目の前でその顔はダメだろうに。

まあ、それも当然かもしれない。

彼にとって私は長くつるんでいる客ではあるが、決していい客ではない。

 

「お得意様に向かって出会い頭に「ゲッ」とはご挨拶じゃない」

 

「何でオマエがここに……」

 

「甚爾の子供がいるんだって? とりあえずウチのほうに連れていくから」

 

手早く靴を脱ぎ、奥の部屋に進むと本当に子供がそこにいた。

 

──恵っていうから女の子かと思ってたんだけど、まさか男の子だったとは……。

 

しかも一目で彼の子供だとわかるほどソックリな黒髪の子供。

怯えさせないようにゆっくりと近付いたところで、しゃがみこんで視線を合わせる。

 

「伏黒恵君……だよね?」

 

「…………」

 

子供は私をジッと見つめたまま動かない。

警戒もあるだろうが、どうすればいいのか困惑しているようだった。

まあ、面識はないし当然か。

泣き叫ばれなかっただけよしとしよう。

このままというわけにもいかないので携帯の連絡先からさっき登録した番号を呼び出し、スピーカーをオンにする。

 

「甚爾、恵君いたよ」

 

「恵ィ、今オレ動けねぇから、ソイツの言うこと聞いとけ」

 

必要最低限のことだけ伝えるとブツリと通話は切られてしまった。

もう少し説明がほしいところだったが、甚爾の不器用さは嫌になるほどよく知っている。

言うことを聞くように言ってくれただけで御の字だろう。

 

「と言うわけで、とりあえず私と一緒に来てくれるかな? 君のお父さん今ウチにいるから」

 

「ん……」

 

たった一言とは言え、父親の声を聞けたことで一応の信頼は得られたのか、子供はコクリと頷いてくれた。

そこへ、いつの間にかベランダで呑気にタバコを吸っていたらしい孔が顔を出す。

 

「話はついたか」

 

「ずっと気になってるんだけど君こそ何でこんなところにいるの? 仲介屋からコソドロにでも転職した? 客の家に空き巣なんて報復されても知らないよ」

 

「冗談。禪院……今は伏黒か。ヤツに頼まれてたんだよ。時々でいいからガキの様子見に来てくれって合鍵押し付けられてな。結婚してからキッパリ女との繋がり切っちまって預けられるヤツがいなかったんだと」

 

孔の発言に私は思わず言葉を失ってしまった。

あの甚爾が女との繋がりを切った?

東京のど真ん中に隕石が落ちたと言われたほうが信じられる話だ。

顔の良さと手八丁口八丁でするりと情が深そうな女の懐に入り込んでは世話をしてもらう。

そういう女のところを転々としていたのが私の知る甚爾だ。

 

──本当に奥さん何者……。

 

アイツをここまで変えた人間を私は知らない。

女の側が甚爾に丸めこまれて彼の財布と化していくことはあっても、彼自身が変わることはなかったのに。

よほどの女傑だったのか。

いや、それでも甚爾なら飄々とかわすだろう。

だとすれば──

 

──本気で惚れてたんだねぇ。

 

今までの荒くれぶりを直すほどに。

何人もの女を財布として使い捨てて、けろりとしていた彼が、彼女一人を亡くしただけで自棄になるほどに。

甚爾は彼女のことを想っていた。

あの不器用な男が。

似合わないと笑うにはあまりにも真剣すぎる。

 

──そのまま日向の側(こちら)にいればよかったのに。

 

そんなことを考えていると孔がこちらに目を向けていた。

 

「ところで……オマエとヤツが一緒にいるってことは、オマエらヨリ戻したのか?」

 

「元々ヨリ戻すも何もないよ。帰り道に家の近くで倒れてたから拾っただけ。あのケガじゃしばらく仕事は無理なんじゃないかな」

 

「倒れてたぁ? 道理で依頼完了の連絡寄越さねぇわけだ。久しぶりの仕事でトチったか。鈍ったなアイツも」

 

「ああ、そうそう。甚爾から君に伝言──「刺し違えたがターゲットは殺った。全快したら金取りにいくから用意しておけよ」ってさ」

 

「ケガしてるクセに報酬には抜け目ねぇな、アイツ……」

 

「いきなり出戻りにデカイ仕事紹介するとか仲介屋としてどうなの?」

 

「アイツならブランクあってもいけると踏んだんだよ。他のヤツならともかく『術師殺し』だしな」

 

そう言って孔は軽く肩を竦めてみせた。

呪力のない甚爾は呪具なしでは低級の呪霊すら祓うことはできないが、対人戦となれば話は別だ。

素の力だけで術師の呪力で強化された身体能力を凌駕するのだから。

 

「まあ、それは終わったことだからいいんだけどね。ちょうど会えたことだし何か私向けの仕事あるなら受けるけど?」

 

「つってもなぁ……オマエ、呪詛師専門の殺し屋じゃねぇか。呪詛師の中にもオレの客はいるし、あんまりオマエにその手の仕事まわすと逆に自分のクビ絞めることになるからな」

 

孔はポケットから携帯を取り出すと、依頼のリストを流し見していく。

彼は仲介屋としては優秀だが、稼がせてくれるなら客を選ばないという性格だ。

もし私を確実に消せて、私より稼がせてくれる客がいたなら、平気でそっちと組むだろう。

 

「今は……ねぇな。最近は野良も組織も呪詛師連中は揃ってナリを潜めてるから、居場所特定するのですら一苦労なんだよ」

 

「ん? 好き勝手に殺して稼いでが呪詛師の基本でしょ? 何でそんな消極的なわけ?」

 

「御三家の五条に生まれたガキだよ。六眼と無下限呪術の抱き合わせって規格外。生まれただけで呪術界の均衡をぶち壊すような存在だ。生まれて数年でトータルの賞金が億を超えやがった。かなり前から有名だったぜ?」

 

「億ねぇ……」

 

「クックッ……()()には興味ねぇってか」

 

孔は愉快そうに笑う。

トータルの賞金が億を超える──それは確かに裏でも珍しいが、これまでにもなくはない。

というか、私自身がその経験者だ。

現在、裏で懸けられている賞金総額のトータルトップ──それが私なのだから。

今まで何度も襲撃を受け、そのことごとくを返り討ちにして、そのたびに懸けられる賞金が膨らんでいった。

どの組織も出せる賞金が限度額まで膨れ上がったところで、組織同士で『呪詛師殺しには手を出さない』という共通認識が固定され、ようやく停戦状態に至ったのだ。

 

「稼ぎたいなら狩っちまえよ、五条の坊。賞金は早い者勝ちだ」

 

「その子が呪詛師に堕ちたら考えるよ」

 

孔の言葉を軽く流すと、子供の手を引いてアパートを出る。

 

「情報ありがと。いい仕事があったらまた連絡して」

 

「ああ」

 

孔とアパートの前で別れ、家までの道を歩き出す。

ちらりと子供のほうに視線をやれば手を引かれるまま無言でついてきていた。

 

──さて、どうなるかな。



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第参話

チューブの生姜とハチミツと熱湯──用意するのはたったこれだけ。


「…………」

 

「どうしたの?」

 

ソファに座って適当な小説を読んでいると、隣に座っていた恵が無言のままジッとこちらを見つめていた。

視線の先は私の手。

 

「これが気になる?」

 

持っているマグカップをちょっと持ち上げてみせると、恵はコクリと頷いた。

中に入っているのは生姜湯だ。

チューブの生姜とハチミツを入れたマグカップに熱湯を注いだだけの簡単なもの。

どうやら見慣れないものを飲んでいるのが気になったらしい。

 

「飲んでみる? 生姜湯だけど」

 

熱いから気をつけて、とマグカップを渡す。

恵はマグカップを受け取るとフーフーと吹いて少し冷まし、恐る恐る口をつけた。

ハチミツが入っているし、それほど生姜の辛味も強くはないはずだがどうだろう。

コクン、と一口飲み下すと、普段あまり感情を表に出さない恵の瞳がパッと輝いた。

 

「気にいった? 全部飲んでもいいよ」

 

「ん」

 

そのまま恵はマグカップを傾けて結局残っていたぶんを全部飲み干した。

基本的に冷めているこの子が何かに夢中になるのは珍しい。

一緒に暮らし始めて数日経つが、恵は子供にしてはかなり大人しく、騒いだり泣いたりは一切ない。

楽である反面、取っ付きにくい感じでどうしたものかと思っていたのだが、好物を知れたことは進展があったと考えていいだろう。

 

「しかし、この歳で生姜好きとはまた渋い……」

 

「眠い……」

 

生姜湯を飲んで温まったのか。

もたれかかってきたかと思うと、間もなく寝息が聞こえてきた。

 

──体温高いなぁ。さすが子供。

 

空になったマグカップを恵の手からソファの前のローテーブルに移し、ついでに手近にあったブランケットをとってかけてやる。

そう言えば昔は、よく床やソファで寝ていた甚爾に同じようにブランケットをかけてやっていた。

顔がソックリなせいで、なおのこと当時の光景とダブってしまう。

 

「親子だねぇ」

 

「んん……」

 

すやすやと眠る恵の頬を人差し指の背で撫でてみると、甘えるようにすり寄ってきた。

その仕草に思わず頬が緩む。

親子とは言えこの子のほうが何倍もかわいげがある。

アイツにこんなことをすれば鬱陶しげに手を払われるだけだ。

そんなことを考えていると玄関から鍵の音が聞こえた。

しばらくして甚爾がリビングに入ってくる。

律儀に手洗いうがいを済ませてきたらしい。

 

「おーおー、随分懐かれたな」

 

「私に奥さんの代わりを期待しないでよ? 子守りなんてやったことないし」

 

「テキトーでいいんだよ。飯さえ食わしておけば死にゃしねぇよ」

 

恵の世話を押し付けておいてこの言いぐさ。

本当になぜ早く逝ってしまったのか。

甚爾を御せる人間は貴重だというのに。

 

──そのまま甚爾の首に鈴つけておいてくれればよかったのに。

 

しかし、死んでしまったなら仕方がない。

どうしたって死人は戻ってこない。

現実と向き合うことにしよう、と甚爾に目を向ける。

とりあえずの問題は甚爾と恵のことだ。

 

「君、しれっと居着いてるけどさ、これからどうするの?」

 

「あー……居心地良すぎて出ていくこと全く考えてなかったな。つーか、どうせオマエ、今付き合ってるヤツもいねぇんだろ? 男のニオイしねぇし。なら、別にいたってよくねぇ?」

 

「君ねぇ──」

 

ヒモ精神とクズっぷりは相変わらずらしい。

本当にコイツは父親の自覚があるのか。

声が大きくなりかけて、恵が寄りかかっていることを思い出して何も言わずに口を閉じる。

 

「ソイツ、お前にやるから家賃代わりに好きにしろよ。今からオマエ好みに育てて──」

 

「手ェ出すわけないでしょ」

 

ニヤニヤと笑う甚爾に思わずため息が溢れた。

コイツは知っているのだ。

私がなんだかんだお人好しであることを。

少なくとも、ただの子供を一人で外に放り出すような真似はしないことを。

昔の腐れ縁がここまで響いてくるとは。

 

「わかってんだろ。呪力も術式もねぇオレが一人で育てるより、オマエみてぇなヤツがちゃんと鍛えてやったほうが恵も幾分マシな人生送れるさ。オレの勘だが恵は()()()()()だ」

 

そして、私だって甚爾のことは知っている。

つっけんどんな言い方をしているが、結局、彼だって恵のことを心配しているのだ。

どうしようもなく不器用なところも変わっていない。

だからといって恵の世話を私に丸投げするのもどうかと思うが。

それに、と甚爾は続けると──

 

「──()()()()()()()()()()

 

「は?」

 

「だから追い出されたら今日から宿無し。恵と一緒に野宿だな」

 

あっけらかんと言い放った甚爾。

その意味を理解した途端、勝手なことをされた怒りよりも呆れが勝って頭を抱えてしまう。

本来、頭を抱えるのは甚爾のほうだろうに。

小さな子供がいる身で家を捨てたなんてありえない。

いや、わかっている。

こうやってわざと退路を断ったのを見せて、こちらの優しさに付け込もうとしているのは。

本当に憎たらしい。

オマエのことなんてお見通しだと言わんばかりの態度が。

 

「君なら適当に女引っかけて転がりこめるでしょ……」

 

「コブ付きで転がりこめるかよ。わざわざ恵つれてきて面倒までみてるオマエが珍しいだけだっての」

 

最後の足掻きで苦し紛れに出した案も一蹴される。

そもそも甚爾の言う通り、私が甚爾と恵の世話をしてやる義理はないのだ。

 

──あんなすきま風の吹く部屋に小さな子供一人置いておくほうが普通はおかしいと思うんだけど。

 

正しいだけでは通じないのが裏の世界。

良心、善意──表では美徳になるそれも荷物になるなら平気で捨てていくし、そもそも裏に浸かっている時点で倫理観なんてものは捨て去っている者が大半である。

甚爾は孔に様子見を頼んでいたぶんマシな部類に入るくらいだ。

 

「まあ、恵をここに置いてオレだけならどうとでもなるか。オマエになら任せられるし」

 

そう言って甚爾は笑ってみせた。

しかし私が返したのは、じとりと湿った視線。

()()()()()()──と。

特別なふうに聞こえるそんな甘い言葉。

裏から離れ、転がりこんでいた女達との繋がりも切ったクセに、人の懐に潜り込む手腕はちっとも衰えていなかったらしい。

 

──けど、そんな言葉に騙されるほど短い付き合いじゃないんだよねぇ。

 

信頼している素振りをみせて、しれっと恵を押し付けようとしているのはお見通しだ。

 

「君が私の何を知ってるっていうのかな」

 

「少なくとも恵を一人放り出さねぇのはわかってるさ。お人好しは相変わらずだろ。でなきゃオレを拾ったりしねぇよ」

 

否定できない自分が憎い。

相手のことをわかりきっているからこそ、甚爾の頼みならいいかと許してしまっている部分さえある。

それも甚爾はわかっているし、更にそれを私はわかっている。

 

──ずっと一緒にいたんだから。

 

私も甚爾も互いのことをわかりすぎている。

嫌になるほど知っている。

このまま押し付け合っても、何となく甚爾にゴリ押しされてしまうのは察しがついた。

何なら明日にでも恵を置いてさっさと出ていくかもしれない。

そうなれば割りを食うのは私と恵だ。

どうしたものかと天井を見上げて少し考える。

 

──私にとってのメリットは?

 

甚爾がいることで私にメリットはあるか。

 

──そしてデメリットは?

 

それを差し引いてもメリットが上回るか。

 

──いや、多分根本的にはメリットとかそういう話じゃないんだ。

 

合理的に考えようとしているだけ。

お人好しと言われた通り、当たり前のように甚爾の手当てをした上、恵を回収しに家まで行った。

その間、損得なんてものは考えていなかった。

ただの良心があっただけだ。

 

──どうにも……もどかしいね。

 

感情に従った割りに後から理屈を求めている。

何がしたいのか自分自身よくわかっていない。

何のために私は動いた?

何を求めていた?

 

──結局……ただの良心でしかないなぁ。

 

こうやって重荷になるというのに、未だに私が捨てきれていないだけ。

 

「……我ながら、お人好しすぎて嫌になる」

 

私の呟きに、お? と甚爾が口の端を上げた。

だが、タダというわけにはいかない。

そんなことを言えば甚爾はどこまでも搾り取りにくる。

 

──せめて恵のことは父親の責任を果たしてもらわないとね。

 

そう心中で呟いて甚爾に視線を戻した。

 

「家賃折半。裏の仕事でもいいから仕事はすること。死なない程度のヤツ。後、恵置いて出ていかないこと。それでどう?」

 

「黙って財布になってりゃいいものを……相変わらずだな、そういうところ。真面目ぶりやがって」

 

「ヒモ飼う趣味なんて私にはないんだよ」

 

べぇ、と舌を出してやっても甚爾はどこ吹く風とばかりに小さく肩を竦めてみせた。

 

「まあ、いいや。またよろしくな」

 

「はいはい」



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第肆話

無意識に出してる力っていうのは意識的に出してる力より遥かに凄まじかったりするんだよね。


虚ろに目を見開いたまま立ち尽くしている初老の男の首をナイフで一閃。

シャワーのように鮮血が噴き出して床を赤く染めていく。

確かこの男は人身売買だとか、組織の金を持ち逃げしただとか、色々と賞金サイトには乗っていたが、そんな事情は私にはどうでもいい。

今回は襲われたから返り討ちにしただけだ。

 

──私だって人殺しは普通に嫌なんだけど。

 

なぜこんなことをやっているんだろうと今でも思う。

最初に殺した呪詛師は正当防衛だったはず。

それが何か大きな呪詛師集団の戦闘員だったとかでその組織から追われるようになって。

必死になって返り討ちにしているうちに噂に尾ひれがついて。

その組織の傘下にあった組織やライバル組織まで出てきたのでそれらからも逃げ回り。

逃げたり、返り討ちにしている中で噂はどんどん膨れ上がっていった。

その噂を聞いて、実力を確かめてやろうと襲ってくるヤツ、討ち取って名をあげようと考えるヤツ、いつの間にかかけられていた賞金が目当てのヤツ──そんなヤツらが、まるで砂糖に群がるアリのように寄ってきて、私の意思とは関係なく私は裏でそこそこの有名人になっていた。

曰く、呪詛師専門の殺し屋だと。

誰が最初に噂を流したのか知らないが迷惑千万だ。

襲ってくるのが呪詛師ばかりなのだから自然とそうなっただけである。

 

──とりあえず賞金かけられてるなら首持っていこう。

 

呪詛師を返り討ちにするのもタダではない。

襲撃に備えてのセーフハウス。

呪具や通常兵器の代金。

情報を集めるのだって金がいる。

この男はかなりの賞金がかけられていたし、しばらくは生活するのにも困らないはずだ。

前のめりに倒れた男の首に、もう一本用意していた鉈のような刀身の厚いナイフを当ててゴリゴリと頭と胴を切り離していく。

 

──慣れてきた自分が嫌だなぁ……。

 

昔は相手から奪った粗末なナイフを必死で振り回していただけだったのに。

今は手に馴染むナイフを厳選するようになったし、四苦八苦して首を落としていたのが嘘のように手際がよくなった。

どこに刃を入れればいいのか。

どう力をこめればいいのか。

まるで魚でも捌くように、手は迷いなく動く。

やがて、ゴトリ、と首が落ちた。

一仕事終えて、ふぅ、と息を吐いた瞬間。

 

「あ? 何でガキがこんなところにいやがる」

 

突然、後ろで呟かれた声にハッと振り向く。

一秒前まで誰もいなかったはずの入口に、いつの間にか一人の男が立っていた。

 

──気配……全く感じられなかった……。

 

作業に集中して警戒が疎かになっていたわけではない。

十分に周りの気配には注意していたのに。

 

「ソイツ……オマエが殺ったのか?」

 

口の右側に傷痕が刻まれたその男は僅かに驚きを含んだ声で言う。

今回殺った呪詛師は四級から特級まで分けられた術師の等級では準一級あたりだろう。

一般的には強者に入る部類だった。

私の相手ではなかったが。

 

「面白ぇな、オマエ」

 

男が獰猛な笑みを浮かべる。

見ただけでわかる──コイツは強い。

さっき私が殺した呪詛師とは比べ物にならないくらいに。

 

「そう睨むなっての。今回は見逃してやっからソイツ置いてさっさと行っちまえ」

 

男は余裕の笑みのまま構えすらとらない。

 

「殺さずに逃がしてやろうって言ってんだ。おとなしく退いとけよ」

 

「やだ」

 

ハイエナに獲物をとられて堪るものか。

べぇっ、と舌を出してやると男の額に青筋が浮かんだ。

しかし、それがどうした。

呪力を練り、術式に流し込む。

 

──まともにやり合うのは分が悪い。

 

倒すという選択肢もあったが、今回は却下。

相手の正体がわからない以上ぶつかり合うのは避けたほうがいい。

 

「あ? どこに行きやがった?」

 

術式は問題なく発動したらしく、男に私の姿は認識できなくなった。

男が辺りを見回している間に切り離した首をズタ袋に放り込み、そそくさと廃ビルを後にする。

 

◆ ◆ ◆

 

妙な男と出会ってから五日後。

とある廃ビルの屋上。

見覚えのある顔がひきつった笑みを浮かべて立っていた。

 

「またテメェかよ」

 

こっちのセリフだ。

二度と会いたくないと思っていた相手にこうも短いスパンで会うことになるとは。

 

「テメェだろ? 賞金首の呪詛師を片っ端から狩ってンのは。テメェが獲物の首を持っていっちまうせいでオレは稼ぎ損ね続けてんだが?」

 

知ったことじゃない。

早い者勝ちだ。

また術式を使って姿を見えなくする。

私の勘が告げているのだ。

この男と戦うのはマズいと。

 

「はいはい。なるほどね」

 

しかし、今回の男は前回とは違った。

ゆるりと周りを見渡すと、見えないはずの私のほうを見て、にやりと笑みを浮かべてみせたのだ。

ゾッと背筋に寒気が走る。

ヤバい──そう思ったときには遅かった。

一瞬で目の前に移動していた男が無造作に前蹴りを放つ。

見えていないはずなのに。

そこにいることを確信している動きで。

 

「がっ……!?」

 

そして男の脚は見事に私の胴を捉え、肋骨が嫌な音をたてて折れたのを感じた。

あまりの速さに腕の防御も呪力の防御も間に合わず、私はボロボロの床をゴロゴロと転がる。

理解が全く追い付かない。

なぜ私の場所がわかったのか。

それに今の速さは何だ。

オマケにロクに力もこめていないような蹴りでこのダメージ。

 

()()()()って知ってるか? どういう基準か知らねぇが、生まれながらに自分の意思とは関係なく課せられた『()()』のことだ」

 

男が近付いてくるが立ち上がれない。

逃げなければいけないのに。

這うことすらできず、蹴られたところを押さえて体を丸めるのが精一杯だ。

 

「オレは持って生まれるはずだった術式と全ての呪力を代償に、身体能力と五感がバカみてぇに強化されてる。本来呪力がねぇと見えねぇ呪霊も視力のよさが一周回って見えるようになってるくらいにな」

 

見上げれば男はどこまでも冷たい目で私を見ていた。

 

「次は足跡や臭いまで消しておくんだな。次があるかは知らねぇが」

 

あばよ、と男は私の身体をサッカーボールのように軽々と蹴り飛ばした。

かわすどころか衝撃を逃がすこともできず、私は宙を舞う。

一瞬の浮遊感。

そして空が遠退いていき、逆に海面が迫ってくる。

 

──マズ……い。

 

数秒後、私は派手な水しぶきを上げながら海に落下した。

 

「が……あ……」

 

海面に叩きつけられた衝撃で全身に激痛が走る。

 

──痛い。

 

ゴボゴボと口から空気が吐き出されていく。

 

──苦しい。

 

全身から力が抜け、もがくこともできないまま海の底に沈んでいく。

 

──死ぬ。

 

冷たい。

寒い。

暗い。

怖い。

 

──死ぬのは……嫌だなぁ。

 

死にたくない。

痛みと苦しさの中でそれだけが頭に浮かんだ。

なら、どうする。

あの男の二度の蹴りと落下の衝撃で身体は既に瀕死の状態。

泳ぐどころか浮くことすらできない。

術式を使えばどうだろう。

この状況を打破し得るだろうか。

無理だ。

私の術式は他者に向けて使うもの。

対象のいない海の中では使い物にならない。

打つ手なし──そう思ったとき。

 

──あった。

 

この状況を全てひっくり返す手段が。

技術として聞いたことがあるだけで試したこともないが。

曰く、呪力は負の感情から生まれたマイナスの力。

マイナスとマイナスをかけあわせることでプラスの力が生まれるのだとか。

それが『()()()()』。

負の力を()()とするなら、正の力は()()──治癒の力。

 

──このボロボロの身体をどうにかするにはそれしかない。

 

そしてもう一つ。

反転術式によって生まれた正の力を術式に流し込むことでその効果を反転。

つまり今まで他者に向けていた力を自分に向けることができる。

 

──理屈では可能。問題はそれを実現できるかだけど。

 

反転術式は高等技術。

負の力をかけあわせるだけと言いつつ、普段の呪力操作とは呪術のレベルが違う。

しかし、迷っている時間はない。

ここまでの思考にかなりの時間を割いてしまった。

意識が保てる限界は刻々と迫ってきている。

練習なしの一発勝負。

頼れるのは己のセンスのみ。

 

──いってみようか。

 

どうせこのままなら死ぬしかない。

消えそうになる意識の中で私はイメージする。

目の前の絶望的な状況を変えられるだけの力。

あの男を超える圧倒的な力を。

 

──術式反転。

 

「アハッ」

 

次の瞬間──私は海の中から飛び出して、再び廃ビルの屋上に立っていた。

反転術式によって傷は癒え、気分は清々しく晴れやかだ。

海水に濡れて張り付く前髪をかき上げて目の前にいる私を蹴り落とした男を見据える。

 

「さっきぶりだね」

 

「……マジか」

 

驚愕に目を見開く男。

それはそうだろう。

ボロボロで海に落とした人間が五分にも満たない間に全快して戻ってきたら誰だってそうなるはずだ。

 

──それにしても……。

 

「へぇ……()()()()()()()()()

 

一人呟く私に男が訝しげに眉を顰める。

何を言っているのかわからない──そんな表情だ。

だが、今はそんなものはどうでもよかった。

脳を駆け巡る万能感。

人の領域を外れたような全能感。

全身の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされ、それでいて夢の中にいるような陶酔感。

思わずだらしない笑みが零れる。

 

「溺れたショックでイカレたか?」

 

「んー……? あー……」

 

ああ、そうだ。

死にかけたとき、私はこの男を超えることをイメージしていたんだった。

そのせいだろうか。

五分前の私なら全快した身体で撤退を選んだはずなのに。

今はこの力を目の前の男にぶつけたくて仕方がない。

衝動のまま、身体を動かした。

理性なんてものは今の私を止めるには脆すぎる。

 

「フフッ」

 

男に向かって走り出す。

周りの景色を置き去りにして。

その急激な加速には男も驚いたらしい。

咄嗟に回避し、私の数メートル後ろに降り立つが、反応が一瞬遅れたせいで僅かに掠った服の脇腹の部分が破けていた。

布一枚掠っただけで身体は全く傷ついていないが。

 

「テメェ……何だそりゃ……」

 

それでも明らかに男の警戒が引き上げられたのを感じる。

もう一回──と思ったところで急に脚から力が抜けて体勢を崩しかけた。

 

「んあ? おー……」

 

下に視線をやれば右足がおかしな角度に曲がっている。

どうやら踏み込んだ威力に足のほうが耐えきれなかったようだ。

即座に反転術式で治癒する。

このあたりは今後加減を調節しなければ。

 

──さて、続きといこう。

 

トントンと軽く右足で跳ねて問題がないことを確認すると、再び男に向けて踏み込んだ。

 

「あっぶねぇなっ!」

 

男も再び人間離れした速度で回避する。

大きく距離をとられたことで、二回目の突進は掠りもしなかった。

 

──あの速さは厄介だねぇ……。

 

こっちが全力で突撃しても回避してくる。

天与呪縛で強化されているとはいえ、ここまでとは。

動きを止める必要があるか──そう考えながら三度目の突進の体勢をとったときだった。

 

「やってられねぇな」

 

言うが早いか、男はバックステップで下がると迷いなく屋上から飛び降りる。

私が下を覗きこんだときには既に男の姿はどこにもなかった。

 

「あーあ……逃げられた」



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第伍話

君が見ている世界は本当に現実の世界だと証明できるのかな?


「…………」

 

「…………」

 

二度あることは三度ある──とは誰が言ったのだろう。

反転術式に目覚めて一週間後の夜。

以前とは別の廃ビルで男と私は三度目の邂逅を果たしていた。

男は無表情で立っているが、私も同じ顔をしているに違いない。

全くもって笑えないこの状況。

この遭遇率は何の因果だ。

無言のまま両袖に仕込んであったナイフを腕を一振りして取り出すとそのまま握って構える。

足元に転がっている狩ったばかりの呪詛師の死体は邪魔なので、とりあえず部屋の隅に蹴り飛ばしておいた。

男のほうは「げぇっ」と口の中から何か球体になったものを吐き出した。

手のひらに落ちたそれは見る間にムクムクと大きくなって男の胴体に巻き付く。

毒々しい紫色をしたイモムシのような呪霊。

その口から男は赤い三節棍を引っ張り出した。

どうやら口の中が異空間になっているタイプの呪霊らしい。

 

──それにしても……呪霊を飲み込むとか頭オカシイんじゃないの?

 

どんなゲテモノ食いでも呪霊を飲み込んで腹に飼うようなヤツはいないはずだ。

そもそも呪霊や呪物自体猛毒に等しいはずなのに。

 

──ああ、天与呪縛だっけ。内臓まで強化されてるのか。

 

どうすれば彼のようなぶっ飛んだ代物ができあがるのだ。

力も敏捷性も人間離れしている上に、呪力がないせいで気配も察知しにくい。

加えて武器庫として使っているあの呪霊。

あの中にはまだまだ武器や呪具が眠っているとみるべきだ。

警戒に警戒を重ねてもまだ足りない。

受け損なえば一撃で死ぬ。

警戒と観察を続けているうちに先に動いたのは男のほうだった。

 

「っ!」

 

私と男の間でナイフと三節棍がぶつかり合う音が連続で響く。

 

「ぐぅっ……」

 

激しい攻撃に口から思わず呻き声が洩れた。

相変わらず凄まじいスピードとパワーだ。

そもそも三節棍による変則的な攻撃に慣れていないし、いくら受け流すように捌いても、男のバカげた力に手首とナイフが耐えられない。

 

「お?」

 

術式を発動。

彼の前で術式を使うのはこれで三度目だ。

姿を消す──それに加えて今回は自分の残す痕跡も対象にする。

 

「へぇ……オマエ、やっぱ面白ェな。前は痕跡が残ってたのに今回は読めなくなってる」

 

私の動きを見て男は三節棍を呪霊の中へ引っ込めた。

そして、すぐに別の呪具を引っ張り出す。

三節棍に代わって出てきたのは長い鎖と十手のような形の短刀。

 

──ただの鎖と短刀なわけがない。まず間違いなく呪具だよね。

 

男は短刀の柄頭に鎖を取り付けると、グルグルと回し始める。

呪霊の口から伸びた鎖はまるで盾のように男の周りに張り巡らされた。

これでは攻撃できない。

男の背後に出入口があるため脇を抜けて逃げるのも無理だ。

 

──近くの窓から逃げたいけど鎖の動きが読めないからなぁ……。

 

「これでかき消せねぇか……まあ、いい。瞬間移動できる術式じゃねぇらしいからな。いるにはいるんだろ」

 

私が思考を巡らせている間にも、男は男で色々と考えているらしい。

ブツブツと何か呟いていた。

 

「反転術式はあくまで治癒……あんなバカげた肉体強化はできねぇ。術式を反転させてあの加速ができるってことは……」

 

ニィ、と男の口がつり上がる。

 

「オマエのソレ……てっきり透明化の術式かと思ってたが、実際は()()()()()()()()()()()()()()だろ」

 

「────!」

 

「それを術式反転で自己暗示に切り替えた。それで人間が無意識に行ってるリミッターを一時的にぶっ壊したと考えれば、あの動きにも納得がいく」

 

驚いた。

てっきり力のゴリ押しだけかと思いきや、この男は存外頭がいいらしい。

男に最初に見せたのは透明化──ではない。

目は確かに私を捉えていた。

しかし、それを処理するのは脳だ。

いくら感覚が正常でも脳が『見えていない』と誤認すれば、それは見えていないことになる。

 

「よくわかったね」

 

聴覚の認識だけ聞こえるように戻してやる。

場所がバレないように聞こえ方の認識を調整して。

 

「催眠、洗脳、暗示、その他精神に関わる諸々の操作。そして、この術式は五感を通じて脳に内側から干渉する。私を認識した時点で相手は術中に嵌まることになるんだよ」

 

もっとも、今以上に細かい操作をするには、それなりに時間をかけて私に向けられる意識の深度を深くしなければならないのだが。

 

「クックッ……術式の開示か。ここからは本気とでもいうつもりか?」

 

男は余裕の表情で呪霊の口から更に鎖を伸ばしていく。

 

「認識できなかろうが、いるのがわかってるなら──」

 

ジャラリと鎖の勢いが加速したかと思うと、フロアにある柱に次々と鎖が巻き付いていく。

網のように鎖が張り巡らされているが、これで捕まえようなどとは思っていないはずだ。

それならリーチを生かして不規則に振り回していたほうがいい。

 

──わざわざ鎖の動きを止めて柱に巻き付けて何を……?

 

まさかこの男。

ぞわり、と嫌な予感が頭をよぎる。

男への攻撃は放棄し、すぐに術式を反転。

暗示によって無理矢理に身体能力を跳ね上げると鎖を避けながら全力で窓へと走った。

 

「全部ぶっ壊しちまえばいいだけの話だよな」

 

言うが早いか、男は張り巡らされた鎖を一気に引く。

次の瞬間、引かれた鎖によってフロアにある全ての柱が轟音とともにへし折れた。

ただでさえ老朽化していたところにこれだ。

瞬く間に壁にひび割れが走っていく。

数瞬後、窓へ走る私めがけて天井が降ってきた。

 

◆ ◆ ◆

 

「やられた……」

 

結果としては私はギリギリのところで窓から飛び出して何とか事なきを得た。

飛び出した勢いのまま、その場を離脱する。

どうせ男は無事だろう。

あの男のスピードなら天井が落ちる途中で十分回避できたはずだ。

ならば、またあの鎖を振り回される前に逃げたほうがいい。

 

「あ、首持ってくるの忘れた」

 

◆ ◆ ◆

 

あの時期の裏は他に類を見ないほど荒れていた──と外野は口を揃えて言っていたらしい。

たった二人に、個人も組織も問わずあらゆる勢力が少なからず被害を受けていたと。

消えた組織も一つや二つどころではなかったとか。

そう言われても呪詛師を追う先々で出会ってしまうのだからどうしようもなかったのだ。

あれからあの男とは何度もぶつかり合った。

互いに賞金のかけられた呪詛師を獲物にしているからだろう。

向こうは呪詛師に限らず、正規の呪術師や一般人もターゲットにしているらしいが。

ぶつかり合うことが増えていくうちに彼に関する情報も入ってくるようになった。

本名は禪院甚爾。

あの呪術界御三家の一つ、禪院家の人間でありながら、その特異体質のせいで術式至上主義の禪院家ではロクな扱いをされていなかったのだとか。

そして、それに耐えきれなくなったのか突然禪院家をほとんど壊滅させると、それに合わせて出奔。

どこの組織にも所属していないフリーの殺し屋として活動し、ついた呼び名が『術師殺し』。

確かに彼の天与呪縛なら対人戦──特に術師相手には無類の強さを誇るだろう。

そこまで考えたところで、私の正面に立っていた呪詛師の後ろにある窓が派手に砕け散った。

 

「よお」

 

「やあ」

 

窓があった場所に立っていたのは当然ながらよく知った顔。

 

「先にとったヤツが勝ち。文句はねぇな?」

 

「いいよ」

 

「『呪詛師殺し』に『術師殺し』だと!? クソッ! 冗談じゃ──」

 

私達に挟まれた呪詛師が何事か喚くが知ったことじゃない。

私のナイフと甚爾の刀が同時に一閃され、呪詛師の首を飛ばす。

そして、次の瞬間には私達は呪詛師には目もくれず互いに向かって二撃目を放っていた。

 

「相変わらずの速さだね」

 

「ついてこれるテメェも相当だがな。反転はすっかりモノにしましたってか?」

 

「おかげさまで」

 

彼のような化物とやり合っていれば自然とスキルは上達していく。

というか上達しなければ死んでいる。

有象無象の呪詛師を狩るのが本来の目的のはずなのに、最近は彼との殺し合いがメインになっている気がしているのは気のせいではないだろう。

 

「はぁ……」

 

不本意だ。

そもそも私は殺し合いを楽しむようなイカレ具合は持ち合わせていないはずなのに。

逃げてしまえばいいものを、わざわざ律儀に刃を交えている。

一銭にもならないのに。

 

──こんなことでしか人とのつながりを感じられない人間にはなりたくなかったなぁ。

 

そう思いつつ、今日も私は彼と切り結ぶ。

 

◆ ◆ ◆

 

瓦礫の山となった廃ビルを一人の男が憂鬱な表情で眺めていた。

そこは以前に『呪詛師殺し』と『術師殺し』がぶつかり合った場所。

 

「ただの喧嘩で廃ビルを木っ端微塵にぶっ壊すかねぇ……?」

 

黒いスーツを着て口ヒゲを生やしたその若い男は頬に冷や汗が流れるのを感じていた。

バカげている。

男も裏に身をおいている以上、現場に出向かずともそれなりに危ない状況になったこともあるし、表にいたときも修羅場に出くわしたことは何度もある。

だが、これはそんなものとはスケールが違う。

まるで戦争。

一対一でありながら軍隊同士がぶつかり合っているのかと思うほど苛烈だった。

話を聞いた裏の人間は口を揃えて言っていた。

『呪詛師殺し』と『術師殺し』──彼らは『最強』ならぬ『最凶』だと。

 

「放っておくわけにもいかねぇが……こんな惨状を作り出す化物どもと正面から交渉するしかねぇのかよ」

 

男はポケットからタバコを取り出し一服する。

しかし、ニコチンが入ったところで一向に男の気分は落ち着かなかった。

これから彼が交渉を持ちかけようとしているのは裏でも特級のアウトロー達なのだ。

落ち着けというのも無理がある。

行きたくねぇ、という男の呟きは吐き出された紫煙とともに空に消えていった。



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第陸話

手を出さないほうが一番損害が少ない──そのことに気付くまでにどれほどの組織と金が犠牲になったことか。


「『呪詛師殺し』だな」

 

いつも通り呪詛師を狩り、その首を賞金提示者のところへ持っていった帰り。

私を待ち伏せるように暗闇の中に立っていたのはスーツを着た口ヒゲの男。

記憶している手配書の一覧と照らし合わせるが一致する人物はなし。

 

──手配書に載ってない呪詛師? それともこれから呪詛師になるって感じ? そうでないならどこかの組織の使いっぱしりとか?

 

黒のスーツに黒の革靴、黒のネクタイ。

所属先がわかるような特徴はない。

一応、男が何者であっても対処できるように袖口のナイフはいつでも取り出せる状態だ。

 

「待った待った。オレは呪詛師じゃねぇ。ただの裏仕事の仲介屋だよ。オマエにとってもメリットのある話を持ってきたんだ。少しの時間でいいから聞いてくれねぇか?」

 

仲介屋だというその男は敵意はないというように両手を挙げてみせる。

 

「頼む。危害を加えねぇ『縛り』を結んでもいい」

 

男の顔には明らかな緊張が見えた。

『縛り』の提案。

呪術において他者との『縛り』──誓約は基本的にリスクが高い。

反故にした場合の代償が『縛り』を結んだ本人達でさえわからないからだ。

 

──それに、もし、この男が単なる誘導役だった場合。

 

『縛り』で危害は加えられないと警戒を解いたところで、別の襲撃役が攻撃してくる可能性はある。

 

──他にありえるとすれば……例えば私を一撃で殺してしまえば、その後、罰としてこの男が死んでも、裏にとってのメリットのほうが大きいよね。

 

捨て駒の可能性だって十分ある。

男一人の命で呪詛師への脅威が一つ潰せるのなら安すぎる。

しかし──

 

──何か企んでるなら……逆にこっちから潰すってのもアリだよね。

 

この程度の罠はこれまでに何度もあった。

それに徒党を組んで何かやろうとしているなら、その主導者を潰してしまったほうが早い。

尾を引くのも面倒だ。

 

「話……聞こうか。でも『縛り』はいらない。危害を加えなくても不審な動きをした時点で私も動くから」

 

「わかった。ついてきてくれ」

 

男は、ゆっくりと両手を下ろして背中を向ける。

呪力が練られる気配はない。

動きにも怪しいところはない。

男についていきながら辺りの警戒もしておく。

しばらく歩くと街灯の下に一人佇んでいる人影が見えた。

一瞬だけ警戒を強めるも、振り向いたのはよく知った顔だった。

 

「甚爾」

 

「おう。テメェも呼び出されたのかよ。毎回毎回よく会うな」

 

「嫌になるほどね」

 

「お互い様だろ」

 

呼び出されたのは私一人ではなかったらしい。

周りをサッと見渡してみるも敵影はなし。

この暗さに紛れて襲撃は十分ありえた。

今ここで襲ってこないならば、とりあえず話をしたいのは本当だと考えていいだろう。

 

──それに甚爾までいるし。

 

彼がいるということは、もし敵がいたとしても近接が得意な手合いはいないということだ。

彼相手に近接で挑もうなど自殺行為に等しい。

私だって何とか捌いて逃げ延びているに過ぎないのだから。

 

──後は狙撃と遠隔の術式に警戒だね。

 

変わり種で地面の中から攻撃というのもありえなくはないが。

だが、それには甚爾が一瞬で動ける範囲全てを網羅する罠が必要だ。

地面に何か埋めた痕跡はないし、その可能性は低いだろう。

軽く確認が済んだところで男のほうに目を向ける。

 

「揃ったところでさっそくだが話を始めてもいいか?」

 

「くだらねぇ話だったらどうなるかわかってるよな」

 

「凄むなっての……単刀直入にいうとオマエら二人のせいで裏が荒れに荒れてる。だから、協定を結んでほしいって話だ」

 

「知ったこっちゃねぇな」

 

「…………」

 

にべもなく断る甚爾に無言の私。

当然、肯定の沈黙ではない。

それは想定内だったのか、男は一つ息を吐くと話を続ける。

 

「オマエら二人、最近、呪詛師から襲撃されること多いだろ? オマエらなら容易く迎撃できるとは言え、いい加減鬱陶しくねぇか?」

 

「その協定を結べば襲撃されねぇっつーのか」

 

「完全にはなくならねぇ。呪詛師ってのは個人でやってるヤツも多いしな。だが、オレのところにも何件も回ってきてんだよ。オマエらを消したいって依頼が。オマエらがこっちの条件を飲んでくれるなら、オレの手の届く範囲でそういう依頼を出させないようにできる」

 

条件──先ほど言っていた協定に関するものだろう。

要するに私達に首輪を付けたいのか。

だが、冗談じゃない。

『縛り』もそうだが下手に協定や契約をむすんでしまえば予期しないところで命取りになる。

いいように使うだけ使われて用済みになれば処分される──なんてことは裏ではよくある話だ。

それは甚爾も同じだったようで、話にならないと言わんばかりに視線で──殺るか? と問いかけてきた。

その視線を男は敏感に察したようで、慌てて手を振って否定する。

 

「別にオマエらを飼い殺しにしたいわけじゃねぇ。今後依頼を受けるときはオレ達みたいな仲介屋を通してくれりゃいいってだけの話だ。オレ達仲介屋が一番困るのは依頼がバッティングして報酬で揉めたり、客同士で殺し合いになったりすることだからな。そういうのを避けるためにだ」

 

呪詛師を襲撃したとき、ターゲットにない呪詛師がその場にいたことが時々あったことを思い出した。

それが依頼を受けた呪詛師だったのだろう。

男からすれば仕事を紹介した客を次々と潰されていたわけだ。

だからリスクを承知で私達を集めたのだろう。

話し合いは本当だったし、襲撃の心配も杞憂だったらしい。

 

「それに誰だってオマエらみたいな化物と衝突したくねぇんだよ」

 

仲介屋を通さない野良の殺し屋もいるにはいる。

大した影響がないのであれば普通はどの組織も放っておくのだが、二人は暴れすぎた上に強すぎた。

粛清のために向けられた殺し屋達はことごとく返り討ち。

そのまま組織の本部に襲撃をかけて壊滅させることすらあった。

今や『術師殺し』と『呪詛師殺し』は裏の人間にとって一番敬遠したい存在になっている。

 

「襲撃を減らすだけじゃねぇ。依頼、情報、道具──色々と融通も利かせる。要はビジネスパートナーとしてお互いうまくやっていこうぜってことだ。どうだ? 受けてくれねぇか」

 

「確認してもいい?」

 

「何だ?」

 

「そこの彼は金が目当てだけど、私が欲しいのは『安全』なんだよ。もし、君や客の呪詛師が私を出し抜いて何かしようっていうなら、協定なんて無視して噛みつくよ。それでもいい?」

 

『呪詛師殺し』は有名になりすぎた。

安全や平穏を求めれば求めるほど、それとは対極に危険が私に降りかかる。

だから正直なところ、襲撃が減るなら私としてはありがたい。

だが、『最凶』と呼ばれるようになって手を出してくる組織は減ったものの、自分なら何とかできるはずだという諦めの悪い連中はいるものだ。

 

──あくまでも利害で一致しているだけの不安定な休戦協定。破ろうと思えば破れる。

 

しかし、破ったその瞬間が最期だ。

そこは重々承知しておいてもらわなければならない。

私の言葉に男は静かに頷いた。

 

「オーケー。オレだって命は大事だ。よろしく頼むぜ。お二人さん」

 

それが、これから長い付き合いになる裏の仲介屋──孔との出会いだった。



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第漆話

警告──盤星教から依頼が出ている星漿体暗殺の案件には『呪詛師殺し』が関わるとの情報あり。


夏を間近に控えたある日のこと。

恵と一緒にジンジャーエールを飲んで「恵はホントに生姜が好きだねぇ」なんて呑気に言っていたときだった。

机の上に置いていた携帯に着信。

画面に表示されたのは見慣れた仲介屋の名前。

 

「何?」

 

「仕事の話だ。禪院もそこにいるんだろ。二人合わせての仕事なんだが、今からオマエの家行っていいか?」

 

「二人合わせてってことは……大きい仕事?」

 

「とびきりのな」

 

「了解。恵、お客さん来るから少しだけ奥の部屋行っててくれる?」

 

「うん」

 

数分後、やって来た孔はさっそくリビングの机に数枚の写真と書類を広げて話し始めた。

孔から紹介された今回の仕事とは──

 

「──星漿体の暗殺?」

 

「正確には星漿体暗殺にくる呪詛師の暗殺な」

 

「星漿体ってのは確か……呪術界の元締め──天元の身体の候補だったか」

 

「天元は不死であっても不老ではないからな。五百年ごとに身体をリセットしなけりゃ自我が消失して別次元の存在になっちまうらしい」

 

「何だそりゃ……神サマにでもなるってのか」

 

「元から神サマみてぇな扱いはされてるよ。何せ星漿体暗殺を呪詛師に依頼してンのは、盤星教『時の器の会』──天元を信仰崇拝する宗教団体だ」

 

そういう孔に私と甚爾の疑問の視線が向けられる。

信仰対象が暴走すれば困るのは盤星教のほうではないのか。

なぜ崇めている天元の邪魔をするのかわけがわからない。

 

「それはオレも思ったから聞いたんだがな。何つーか……オレは別に神サマとやらを信じてるタチじゃねぇから宗教の考え方なんてのはまるで理解できねぇが──」

 

曰く、盤星教が信仰崇拝しているのは純粋な天元であり、それと同化する星漿体は穢れと見なしているらしい。

孔の問いにも、共に滅びるのならいい、と盤星教の代表役員の男は言い切ったと。

 

「見事にイカレてるね」

 

「そうでなきゃあんな団体引っ張れるかよ」

 

教徒の手前、せめて同化を阻止しようと抗った姿勢は見せなければいけない。

とは言え、自分達が派手に動けば術師に潰される。

だから呪詛師に依頼してことを成そうとしているのだ。

相手が五条悟と呪詛師殺しであるにも関わらず。

 

「オマエらも気付いてるだろうが、最初はオレのほうにも星漿体暗殺の依頼の仲介をしてくれって話がきてたんだ。半ばヤケクソなんだろうが、それでも相手がオマエらだって時点で神サマには見放されてる。どう足掻いたところで結局潰される組織の依頼の仲介なんてオレはゴメンだね」

 

孔は今回はこっちにつくことに決めたらしい。

それで逆に盤星教を狩る仕事を持ってきたというわけだ。

 

「もちろん星漿体を殺れば盤星教が提示した賞金の三千万が転がり込むが、オマエの流儀じゃねぇだろ」

 

「根回しは? 現場に出てきた呪詛師は全員狩るつもりだけど」

 

「オレの客の呪詛師達には『呪詛師殺しが絡んでくる』とは伝えてある。だから襲ってくるのはオレの警告を無視したバカか、オレが義理を通す必要のない野良の呪詛師だ。思う存分殺っちまっていい」

 

受けるだろ? という孔に私達は即座に頷いた。

 

◆ ◆ ◆

 

仕事中は星漿体とその護衛に張り付きっぱなしになるため、孔に恵を預けておく。

その後、私と甚爾は二人で仕事の動きを確認していた。

 

「さて、受けたはいいけど……」

 

ホワイトボードに貼られた写真の一枚をコツコツとノックする。

写っているのは白髪にサングラスが特徴の長身の人物──五条悟。

無下限呪術と六眼の抱き合わせ。

呪術界の均衡を破壊する存在。

紛うことなき規格外。

 

「六眼は聞いたことあるよ。五条家に伝わる特異体質だったっけ。確か呪力の流れがメチャクチャ詳細に見れるんだったよね。結果的に呪力のロスが限りなく零になるとか」

 

「後、術式の詳細も看破できるらしい。どういうふうに見えてンのか知らねぇが、少なくとも視界に入るのはリスクがでけぇ」

 

「いや……逆にソレ利用できるかもよ? よく見えるってことは、それだけ私を認識するんだし」

 

術式の発動条件──私を認識すること、という制限はかなりユルい。

五感に加えて呪力の感知もその対象。

それらを認識する時間が長ければ長いほど催眠は深くかかる。

今回は六眼の精度を逆に利用して催眠を深くかけることも可能かもしれない。

だが、やはり一番警戒すべきは五条家相伝の無下限呪術だろう。

 

「術式の情報は?」

 

「無下限呪術ってのはいわゆるゼノンのパラドックス──究極的には『無限回の作業は有限時間内に完結しない』って現象を起こす術式だ。屁理屈もいいところだが、要するに攻撃は全部ヤツの直前で止まって届かないってことだな」

 

物理攻撃は元より、呪力や呪力で具現化させた物体もその対象。

絶対防御のバリアが常に張られているという認識で間違いないらしい。

それだけでも厄介だが、その防御はあくまでもニュートラルな状態の無下限呪術。

術式を呪力で強化すればまた別の現象を起こすことができる。

 

「収束の『蒼』と発散の『赫』。あー……簡単に言えば引き寄せる力と弾き飛ばす力だ。実家の文献に載ってたのはそのくらいだな」

 

「相手をガラ透けにする目に無限のバリア、引力と斥力の範囲攻撃……盛りすぎじゃない?」

 

「確かにな。何だってあんなぶっ壊れた存在が世に出てきたんだか」

 

甚爾の言葉を聞きながら、私はどこか違和感を感じていた。

並の攻撃は一切届かず、『蒼』も『赫』も五条を中心に全方位を抉りとったり吹き飛ばしたりできる範囲攻撃。

確かに強力。

だが、チグハグなのだ。

この術式は指向性を持たせたとしても出力を上げるほど周りを巻き込むことになる。

常に近くにいる必要がある護衛任務に合っているとは思えない。

死守しなければいけないからこそ、とりあえず最高戦力をもってきたとも考えられるが、戦闘の余波で護衛対象が死んでしまっては本末転倒だろうに。

 

「むしろ護衛任務に向いてるのはこっちの彼だと思うんだけど」

 

五条の隣に貼ってある写真に目を向ける。

呪霊操術──夏油傑。

呪霊を祓うための術師が呪霊を使役するという何とも皮肉な術式。

しかし、こちらも強力なのは間違いない。

呪霊を取り込めば取り込むほど手数は多くなるし、戦闘にも索敵にも使えるという変幻自在の万能性。

 

「破壊力と絶対防御の無下限呪術に手数の呪霊操術か」

 

「知ってるか? その二人、揃って『()()』って名乗ってるらしい」

 

それはそれは。

さすが五条のお坊ちゃんと言うべきか。

 

「襲ってきた呪詛師を狩る以上、どうしたって星漿体と護衛二人の周りに張り付くことになるわけだけど、できれば顔は合わせたくないかな」

 

「同感。五条の坊に喧嘩を売ったところで一文にもなりゃしねぇ」

 

「それじゃいつも通りに。呪詛師は見つけ次第狩る方向で」

 

「おう」

 

そこで今回の作戦会議はお開きとなった。

 

「君と組むの久しぶりだね。足引っ張らないでよ?」

 

「ハッ、オマエこそ」

 

数年ぶりの『()()』の再結成。

盤星教の依頼に乗ってしまった呪詛師どもには運がなかったのだ。

 

「でもさぁ……久しぶりの依頼でトチってケガして私に拾ってもらったのはどこのどなたでしたっけ?」

 

その言葉に甚爾は苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、毛布を被ってふて寝してしまった。

 

「かーわいいー」

 

「うるせぇ!」



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第捌話

表に行こうと必死で足掻くオマエがオレには眩し過ぎたのさ。


「オマエ、何で裏に戻ってきた?」

 

「ん? あー……それね。やっぱり気になる?」

 

仕事の前夜。

明日から使う呪具の用意をしていたとき、甚爾が不意に呟くように聞いてきた。

 

「戻ってきたというか……戻るしかなかったっていうのが正しいかな。君は私が呪詛師殺しやってた理由知ってるよね?」

 

「狙われるからだろ。通り魔殺人繰り返してた呪詛師に偶然狙われたのが最初だったか。次にソイツが所属してた組織の追手を返り討ちにして。その噂に尾ひれがついて有名になって、それでまた追われて──って話じゃなかったか」

 

「そう。『呪詛師殺し』として有名になって、どの組織も『呪詛師殺しに手を出すな』って暗黙の了解が結ばれたタイミングで、私は裏から足を洗って表に出たんだよ。狙われないなら裏になんていたくないし。それに、ちょうどそこで君も出ていったしね。あ、そうだ。あれってもしかして私に気を遣ったの?」

 

「忘れちまったよ。ンな昔のことなんざ。一緒にいるのに飽きたんじゃねぇの」

 

ぞんざいに私の言葉をはぐらかして、甚爾は話の続きを促してくる。

 

「裏から出て、表の適当な会社入って、しばらくは真面目に会社員やってたんだよ」

 

◆ ◆ ◆

 

会社に入り、仕事にもなれたそんなころ。

ざわり、と。

会社のビルに入った途端、よく知った感覚が背に走った。

 

──ここ、普通の会社のはずなんだけど。

 

裏とつながりがないどころか、多少霊感が強い程度の人間はいても、ほとんどは呪いすら知らない非術師達が集まる普通の会社。

 

──呪いの気配っていうより……厄介事の気配なんだよね。

 

異様に静かな廊下。

左右を見渡しても誰もいない。

 

──上か。

 

階段を登って気配の方向へ向かっていくと、足を進めるたびに血の臭いが濃くなっていく。

 

──隠す気もないみたいだし、おおよそ見当はつくけどさ。

 

たどり着いたのは私が普段仕事をしている部屋。

 

──さて……。

 

ゆっくりと扉を開けるとそこは──血の海だった。

床、壁、天井、机、資料棚──至るところに血が飛び散って部屋を赤く染めている。

視線を落とせば足元には同僚の死体が。

顔、腕、肩、胸、腹、脚──ここまでする必要があるのかと思うほど、刃物による切り傷と刺し傷によって全身くまなくズタズタにされていた。

致命傷になったのは頸動脈への一撃か。

首に一際深い傷が見てとれた。

視線を上げて、右、左と見回す。

上司が、先輩が、会社の人間が、一人残らず同様にズタズタになって転がっていた。

 

「やあ、遅かったね」

 

そして、正面。

部屋の奥──上司だった人の机に腰かける一人の男。

顔の下半分を黒い布で覆い、何本ものナイフを弄ぶその男に覚えはない。

男は、こちらを見ると、ようやく目当てのものを見つけたとばかりに小さく笑った。

 

「君──『呪詛師殺し』だろ。呪詛師専門の殺し屋。あの『術師殺し』と合わせて『最凶』なんて呼ばれてる」

 

男の言葉を聞き流しながら考える。

さて、どうしたものか。

間違いなく裏絡み。

そして、男の口ぶりからするに本命のターゲットは私。

 

「ああ、君の疑問には答えておこうか。どうしてこんなことをしたのか──と思っているだろう? 邪魔だったからだよ。あの呪詛師殺しが外野に騒がれて全力を出せませんでした、なんてつまらないじゃないか」

 

男が語る間に分析を進めていく。

相当自分に自信を持っているタイプ。

術式は何かナイフに関する術式。

着ている制服に覚えはないが何らかの組織に属している。

しかし、裏では当然のように知れ渡っている『呪詛師殺しに手を出すな』という暗黙の了解を無視して動くくらいだ。

裏に堕ちて日が浅いか自信ゆえの暴走だろう。

 

「なぜ君を狙うのかという疑問があるなら、それは君自身がよくわかっているだろう? あの呪詛師殺しを倒せたとなれば組織の格も一気に上がる。要するに箔付けさ」

 

「……だろうね」

 

「他の組織はビビって手を出せずにいたようだが我々『Q』は違う。君の死をもって裏の世界に我々の力を広め──」

 

『Q』──それが男の所属する組織らしい。

どこの組織かわからず困っていたのだ。

被っている帽子に『Q』とあるのは気付いていたが、そのままだったとは。

この男は勝手に勘違いして色々と喋っていたが『どうして?』も『なぜ?』も、男が語る野望も、私にはどうでもよかった。

組織の名前さえ聞けたならもう用はない。

饒舌に話していた男の言葉が途切れる。

 

「がっ……!? ああっ……!?」

 

男は苦悶の表情を浮かべながら座っていた机から転がり落ちた。

下調べもせずに私に挑もうとしていたのか。

自分が既に私の術中にいることもわからなかったとは。

男はしばらく白目を剥いて痙攣していたが、やがて動かなくなった。

 

「あーあー……」

 

会社の人間を皆殺しにするなんてことをしてくれた割りに弱すぎる。

ここまで派手にやったのだ。

私ではもみ消せないし、直に高専の呪術師が出てくるだろう。

そして犯人の呪詛師の死亡で一応の幕引き──そんなところか。

この程度のヤツに私の会社員生活は呆気なく終わらされたのだと思うと深いため息が零れた。

携帯を取り出し、かけ慣れた番号を押す。

朝っぱらだというのに、かけた相手はすぐに出た。

 

「よう、朝からどうした? こっちから出て真面目に会社員やってるんじゃねぇのかよ」

 

「孔。『Q』って組織の情報ある?」

 

「『Q』? ああ、新興の呪詛師集団だろ。オレの客じゃねぇからそこまで詳しいことは知らねぇ。聞いた話じゃ呪術界の転覆云々唱えてるらしいが……おい、まさか──」

 

私の無言の肯定に孔は状況を察したらしい。

すぐに『Q』の本部の座標が送られてくる。

こういう仕事の早さは彼の数少ない美点だ。

 

「短い会社勤めだったなぁ」

 

そう呟いて私はオフィスの入口から一歩も前に進むことなく回れ右する。

その数十分後、『Q』の本部が完全に壊滅。

新興呪詛師集団『Q』は、とある会社の社員達を皆殺しにした以外、特に何の成果もあげることなく短い歴史に幕を降ろした。

 

◆ ◆ ◆

 

「それで裏に戻ってきたってわけ。表の人間巻き込み続けるのも、それで高専に目をつけられるのも嫌だったからね」

 

「なるほどな」

 

「表にいたのは束の間だったけど悪くなかった。普通っぽくてさ。仕事して、ランチ行って、残業終わりにちょっと一杯とか」

 

「普通……か」

 

甚爾はその言葉を呟いて小さく鼻で笑った。

それこそ私達には一番縁遠いものだろう。

手に入れようとして私達が失ったもの。

どれだけ焦がれても手に入らないもの。

 

「君だって()()を知ってる側でしょ」

 

呪具を磨いていた甚爾の手が止まる。

ケガをした甚爾を拾ったあの日、彼は真っ先に息子を心配した。

自分も他人もどうでもいい。

ギャンブルに酔っていなければやりきれない。

そんな荒れていた彼が、まるで普通の父親のように子供の心配をしていた。

 

「アイツ……死ぬ間際に言ったんだよ。『恵をお願いね』ってな。その言葉がいつまでたっても忘れられねぇんだよ」

 

「そんな大事な恵の世話を私に投げるとか、いずれあの世で奥さんにぶん殴られたらいいと思う」

 

「ハッ……そりゃ無理だ。オレが行くのは地獄に決まってんだろ。二度と会えねぇよ」

 

自嘲気味に笑って甚爾は手入れの済んだ呪具を武器庫呪霊の中に放り込んでいく。

そして最後に武器庫呪霊を小さくして自分で飲み込んだ。

 

「喋りすぎたな。先に寝る」

 

「うん。おやすみ」



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第玖話

今回の目標──最低獲得賞金総額三千万以上。


星漿体──天内理子。

廉直女学院中等部二年。

両親は彼女が幼いころに事故で他界。

その後は世話役の黒井美里と一緒に過ごす。

事前に渡された星漿体についての情報を再度頭の中で確認しつつ、私と甚爾は現在、星漿体の通うミッションスクールを敷地の外から眺めていた。

 

「五条の坊達と合流していきなり飛び出していったと思えば学校で呑気にお勉強かよ」

 

「同化すれば彼女の意識はなくなるからね。最後だからこそいつも通りに過ごしたいってことでしょ」

 

星漿体などと大層な呼び名をしているが、要するに人身御供のようなものだ。

天内理子が天内理子でいられるのは、もう僅かな時間しか残されていない。

家族や友達と勉強したり食事をしたりする機会も二度とない。

 

「おい、見ろよ。コレ」

 

「何?」

 

すると、甚爾が何かを見つけたらしく携帯の画面を見せてくる。

開かれていたのは呪詛師御用達の闇サイト。

星漿体の画像の横には残り時間と賞金三千万の表示が。

 

「盤星教の連中だな」

 

「仲介屋じゃ埒が明かないから、野良でも何でも集められるだけ集めようって感じだね」

 

なりふり構わずといったふうだ。

どうせ同化の日まで逃げられてしまえば全てが無駄。

だからこそ時間制限をつけることで呪詛師が集まりやすくしている。

 

「まあ、私達にとってはある意味最高の環境ができあがったわけだけど」

 

サイトには廉直女学院の住所もあった。

これで呪詛師達は一斉にここを目指してやってくる。

しかし、周りに私達が待っている上に、肝心の星漿体には護衛がついている。

そう易々と出し抜かれることはないだろう。

餌はしっかりガードされている。

私達は寄ってくるネズミどもを狩るだけ。

 

「よっ……と」

 

言っているうちに甚爾がその人間離れした身体能力で隠れていた何人かの呪詛師の首を次々と切り飛ばしていた。

私は持っていたズタ袋の口を広げて、飛んできた呪詛師の首を受け取っていく。

しばらくして追加で何個かの首を両手にぶら下げて甚爾が戻ってきた。

だが、甚爾の顔は渋い。

 

「悪ィ。一人逃げた。式神か分身系の術式で紙袋被ったヤツだ」

 

「えぇー……君、やっぱりちょっと鈍ったんじゃない?」

 

「うるせぇ」

 

逃がしたところで、どうせ護衛が動くだろう。

むしろ多少は襲撃がないと不自然だ。

そう考えていたとき、屋根の上に五条と星漿体が見えた。

高速で去っていく二人の背中は、みるみるうちに小さくなっていく。

 

「ヤツらも闇サイトに載ったことに気付いたな」

 

「予定を早めて高専に行くつもりかな」

 

「だろうな……お?」

 

「あれは……お付きのメイドさんだね」

 

視線の先には星漿体に付いていたメイドが一人で走っていた。

呪霊操術の彼は先に相方と星漿体を追ったらしい。

 

「チッ……素人が」

 

しかし、その判断に甚爾は舌打ちを洩らした。

星漿体に五条が付いていても万が一がある。

だからこそ先に行ったのだろうが、メイドを一人にしたのは悪手だ。

今回の任務は護衛対象から目を離さなければいい──そういうわけではない。

呪詛師達は高専に指名手配されながらも単独で逃げ延びてきた者も多い。

高専から逃げられるだけの戦闘力を備えた強者達。

その狡猾さをなめてはいけない。

護衛がついていることは呪詛師達も把握している。

正面きって星漿体を殺れないなら、今度は十中八九搦め手でくるだろう。

 

「ほら、来たぜ」

 

メイドめがけて顔を覆面で覆った男達が物陰から飛び出してきた。

多少の戦闘技術はあるのだろうが、複数人の上に不意討ち。

それに今は星漿体を追うことに意識がいっている。

まさか自分が襲われるとは思っていない。

あっさりとメイドは男の一人に気絶させられてしまった。

 

「正攻法でダメなら人質交換……だよな」

 

「甚爾」

 

「おう」

 

車にメイドを押し込んで逃げようとした一味を甚爾がすかさず狩る。

覆面を剥げば、事前に資料にあった顔だった。

 

「あれ? この人達、盤星教の信者だよ。非術師まで駆り出してるとは、いよいよなりふり構わずやってるね」

 

「金にならねぇモン切っちまったな。まあ、周りにまだ何人か隠れてる気配はあるし、オレはソイツら狩ってるから、コイツは頼んだ」

 

「はいはい」

 

無造作に投げてよこされたメイドをなるべく優しく受け止める。

気絶させられただけで後は特に異常はない。

 

──なるべく坊っちゃんの前には出たくなかったんだけど。このまま放置しておいて拐われるのも危ないしね。

 

わざと放置したメイドを餌に呪詛師を釣るのもアリと言えばアリだ。

しかし、真っ先に護衛が取り返しにくるだろうし、襲ってくる呪詛師のほとんどは直接星漿体を狙うだろう。

それでは効率が悪すぎる。

 

──でも、このまま高専に入られたら呪詛師は手を出せないから、そこで私達の稼ぎも終わりになるんだよね。

 

そこまで金に執着していない私はいいが、甚爾は別だ。

最悪の場合、高専に乗り込んで星漿体の首を手土産に盤星教の三千万を取る──なんてことをしかねない。

 

──そうさせないためにも、もう少し稼いでおきたいんだけど……。

 

そう考えている間に先行していた三人に追い付いた。

紙袋を被った呪詛師はやられたらしく、五条の足下で気絶していたので、メイドを届けた手間賃に後でいただいておこう。

 

「お届けものですよっと」

 

「黒井!」

 

「真正面からじゃ勝てねぇから人質作戦ってわけ? ガキ一人殺すのに随分必死じゃん」

 

「すまない、悟。黒井さんを置いてきた私のミスだ」

 

──ありゃ? 何か勘違いされてるらしいね。

 

ちゃんと、お届けものだと言ったのに。

喧嘩っ早くて嫌になる。

力を誇示したい年頃なのだろうか。

 

「ミスってほどのミスでもねーだろ。取り返せばいいだけの話だし」

 

こちらが何か言う前に五条は呪力を練り始めてしまったし、夏油も呪霊を空間から取り出していた。

できるだけ戦闘は避けたかったのだが。

このまま逃がしてもらえるはずもない。

 

「つーか……オマエ、何? そのキッショい呪力の流れ。偽装とかそういう術式?」

 

「さてね? どうでしょう」

 

五条の疑問をさらりとはぐらかし、私は内心で安堵した。

術式を看破されないために私を認識した瞬間に呪力の認識を軽く操っておいたのだが、ちゃんと六眼相手にも術式の効果はあるらしい。

術式なしで相手をするのは少々面倒だと心配していたのは杞憂だった。

 

「ま、いいや」

 

五条が掌印を結ぶ。

その途端、まるで何かに吸い込まれるように前方へ体が浮いた。

 

──ふーん……これが無下限呪術の『蒼』か。

 

甚爾の脚力なら抜け出すこともできるかもしれないが、私では一瞬だけ持ちこたえるのが精一杯だ。

引き寄せられた先には拳を構える五条。

 

──人一人抱えて戦うのはちょっと厳しいね。

 

どうせ返す予定だ。

盾に使えるかもしれないが、機動力がガタ落ちするくらいならさっさと手放したほうがいい。

 

「よっ……と」

 

私を狙っていた呪霊めがけて抱えていたメイドを放り投げた。

夏油が回収に向かったのを横目で確認しつつ、目の前に迫る拳を弾く。

 

「お? 人質解放すれば見逃してもらえるとでも思ってんの?」

 

「まさか。ここで見逃してくれるほど優しくないでしょ」

 

視覚(見た)聴覚(聞いた)触覚(触れた)──術式は発動した。

後は深度だ。

五条の意識はまだ健在。

暗示が効果を発揮するには、もう少し時間がかかる。

考えている間にも、その無駄に長い手足で繰り出される殴打と蹴りを次々捌いていく。

 

「ねぇ、ご自慢の術式はもう使わないの?」

 

「うるせぇ」

 

「ああ、もしかして自分の周りに強い現象を起こせないのかな。自分も引っ張られるから」

 

「チッ……」

 

「図星みたいだね。でも、指向性を持たないわけじゃないだろうから……面倒だからサボってるだけ? 並の相手ならそれで十分通用するだろうし。でも、その程度で『最強』とはねぇ……?」

 

()()()()? ンなことは勝ってから言えよ」

 

「勝ったら言ってもいいのかな?」

 

「ハッ……寝言は寝て言えって……ん……!?」

 

がくり、と五条の体勢が崩れる。

どうやら狙いの深度まで達したらしい。

今、五条は立っているのもままならないほどの眠気に襲われていることだろう。

 

「ぐ……何だこれ……」

 

「なら言わせてもらうけど。君達さぁ──」

 

集中が切れ、『無限』が解ける。

は? と五条の口から呆けたような声が聞こえたが、もう遅い。

襟を掴んで足を払う。

 

「『最強』名乗るにはまだ早いよ」

 

「がはっ……!?」

 

「なっ……悟!」

 

相棒が叩きつけられた音を聞いて夏油が戻ってくる。

まさか五条がやられるなど考えていなかったのだろう。

顔には焦りが見える。

 

「はいはい。騒がないの」

 

「っ……!?」

 

夏油が走ってきた勢いのまま前のめりに倒れ込んだ。

彼にも少しの間眠っていてもらう。

呪霊操術は手数があるため、囲まれるのはゴメンだ。

しかし、即興で組み立てた術式。

長くはもたない。

さっさと用を済ませてしまおう。

 

「君達にはまだ任務があるからね。これくらいで勘弁してあげる」

 

「テメェ……! 何しやがった……!」

 

足下の五条が喚くが放っておく。

今は別にやることがあるのだ。

辺りを見れば少し離れたところに星漿体が立っていた。

逃げなかったのか、と一瞬考えて、こちらにメイドがいたことを思い出す。

 

──彼女を置いて逃げ出せなかったわけね。

 

そちらは夏油が呪霊に回収させていたので問題はないだろう。

 

「あー……そこの星漿体の子」

 

「ひっ……! く、来るな!」

 

「別に殺さないから安心しなよ」

 

別に何もしていないし、何かするつもりもないのに、ここまで怯えられるとは。

しかし、それも仕方ないのだろう。

星漿体という肩書きを外せば普通の中学生でしかないのだから。

大した効果があるとは思えないが、何も持っていないことを示すために両手を広げてみせる。

そのままゆっくりと彼女に向かって近付いていく。

足が竦んで動けないらしいが、何であれ今は逃げないでいてくれるほうがいい。

ここには彼女と話しにきたのだ。

 

「あのメイドさん、気絶させられただけだから少しすれば目を覚ますよ。ああ、私が危害を加えたわけじゃないから、そこは勘違いしないでね」

 

「本当か……?」

 

そう言うと星漿体は明らかに安心した表情に変わる。

 

「届け物だってちゃんと言ってたでしょ。それなのに、坊っちゃん達が血気盛んに突っかかってくるからさぁ。私は何もしてないのに」

 

そのせいで余計な時間を食ってしまった。

ここにきた目的はもう一つあるのだ。

ポケットから事前に用意しておいたチケットを取り出して押し付けるように彼女に渡す。

 

「コレ、あげる。最後の思い出に旅行でもしてきなさい」

 

「り、旅行……?」

 

「高専でただ同化まで待つよりいいでしょ。おっと、そろそろかな」

 

視界の端で倒れていた二人が、ふらふらと起き上がりかけているのが見えた。

用件は済んだ。

さっさとおさらばさせてもらおう。

 

「じゃあね」

 

「逃がすわけねぇだろ!」

 

バックステップで飛び退いた直後、さっきまで立っていたところが『蒼』によって粉砕される。

 

──追加で軽めに呪力探知と視覚の認識弄っておくか。

 

これで逃げる時間くらいは稼げる。

倒れていた紙袋を被った呪詛師をついでに拾いながら、私は甚爾との合流地点まで急いだ。

 

「どこだ!?」

 

「クソ! 呪力が追えねぇ! どうなってやがる!」

 

ちらりと後ろを振り返れば、二人が悔しそうな顔をしながら辺りを見回している。

『最強』と豪語しておいてこの様だ。

二対一にも関わらず、紛れもない完敗。

初見の相手だったから──なんてことは言い訳にはならない。

もしも私が悪意のある人間だったら、星漿体は間違いなく死んでいた。

それは二人もよくわかっているのだろう。

今回はたまたま運良く見逃されただけだと。

 

「何かまた追われる理由を増やしたような気がするんだけど……」

 

一応、非術師を手にかけていないのと情報不足のため、高専での『呪詛師殺し』の扱いはグレーゾーンなのだと孔から聞いたことがある。

今回のことで敵対したと認定されなければいいのだが。

 

──敵対はしなくてもマークがキツくなりそうで嫌だなぁ……。

 

金につられて余計なリスクを背負ってしまったかもしれない。

しかし、やってしまったものは仕方がないと気持ちを切り替える。

裏にいる以上、どう足掻いたところでロクな死に方はしないのだ。

 

「あ、いた」

 

前方に甚爾を発見する。

こちらのことは全く心配していないようで、木の枝に腰掛けて携帯を弄りながら悠々と待っていた。

 

「甚爾」

 

「おう。済んだか」

 

「闇サイトに星漿体が空港に向かったって情報流しておいて」

 

「了解」

 

星漿体に渡したのは沖縄行きのチケット。

学院がダメなら今度は空港に集まってくる呪詛師を狩ろうという算段だ。

それにしてもなぜ沖縄なのか。

簡単なことだ。

沖縄のほうが呪詛師は少ない。

護衛二人とメイドでどうとでも対処できる。

 

「で、どうだった? 『最強』とやり合った感触は」

 

すると、甚爾がニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。

私がここにいる時点でわかっているだろうに。

わざわざ聞きたがるあたり意地が悪い。

 

「んー……いずれ『最強』になるかもしれないけど、今はまだまだだね。反転術式も使ってなかったし。もしかしたら、まだ使えないのかもしれない。それに、()()使えば攻略はできるでしょ」

 

()()ってのは……天逆鉾のことか?」

 

「そう。術式である以上『無限』の防御も天逆鉾の解除の対象だからね。それに彼は防御の大半をそれに頼ってる。甚爾のスピードと天逆鉾で頭か心臓潰せば勝てるよ」

 

今は武器庫呪霊の中に入れられている十手のような形をした短刀。

特級呪具の一つ、天逆鉾──その効果は()()()()()()()

あれにかかれば無限のバリアや『蒼』や『赫』も解除できる。

そうなってしまえば五条は生身でやり合うしかなくなるが、甚爾相手にそれは無茶だ。

近接戦闘ならまず間違いなく甚爾が圧勝する。

 

「昔のオレならやったかもな」

 

「今は違うの?」

 

「半端者の『最強』とやったところで何も満たされねぇよ。オマエとやってたときのほうがまだいい」

 

「昔みたいに殺し合いしろって? 絶対ヤダ」

 

私は別に殺し合いが好きなわけじゃない。

むしろやりたくない。

昔のことも行く先々で獲物の取り合いになったから仕方なくやっていただけだ。

 

「くだらないこと言ってないで空港行くよ」

 

「はいはい」



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第拾話

死体ってのは薬にも毒にも呪具にも詛戸にも何にでも使える。中には何に使うのか、術師の死体ばかり買っていくようなヤツもいるんだ。


空港──

 

「お? 応援呼んだのかな?」

 

「沖縄側の空港の監視だろ。占拠される可能性を考えてか。ようやく頭が回るようになってきたらしいな」

 

空港に現れたのは高専の制服を着た金髪の生真面目そうな少年と、黒髪の優しげな少年。

二人は辺りを見回しながら進んでいく。

 

「警戒してるねー」

 

捕まる気は更々ないので隠れて二人が通りすぎるのを待つ。

こういうときは術師に感知されない甚爾が羨ましい。

二人はそのままゲートを通り抜け、沖縄行きの飛行機に乗って飛び立っていった。

 

「さて、狩りますか」

 

既に一般人に紛れて手配書で見た顔がちらほらと。

やはり野良の呪詛師ばかりだ。

組織で行動している者達は『呪詛師殺し』の名を聞いて手を引いたらしい。

組織ごと来てくれれば一気に狩れたのだが。

 

──まあ、私に手を出さない組織には、こっちからも手を出さないって決まりだしね。

 

『縛り』ではなく口約束に過ぎないが、それが守られている間──私が安全な間は無闇矢鱈に暴れる必要もない。

 

「気絶させて外で始末──それでいいか?」

 

「うん。空港を血の海にするのはマズいから」

 

甚爾と別れて、それぞれで呪詛師を探す。

 

「沖縄……楽しんでくれてるならいいんだけど」

 

◆ ◆ ◆

 

同化当日の夕方。

星漿体とメイド、そして護衛の二人は沖縄から無事に帰ってきた。

どうやら沖縄では何事もなく過ごせたらしい。

 

「沖縄で殺れなかったなら最後は高専の周りに集まるよな」

 

学院でもダメ。移動中もダメ。沖縄でもダメ。

ならばラストチャンスは高専にたどり着くまでのここしかない。

待ち構えていれば次から次に呪詛師がやってくる。

数分後、私達の周りには、これでもかというほど呪詛師の死体が転がっていた。

 

「辺りにいた呪詛師はこれで全員かな」

 

「後始末の連絡は済んだ。すぐ掃除屋がくるってよ。撤収しようぜ」

 

高専の周囲で暴れたのだ。

直に騒ぎを聞き付けた術師が様子見にきてもおかしくない。

さっさと撤収するに限る。

 

「ちょっと待って。一応、高専に入ったところを確認してから……ん?」

 

三人が結界を抜け、高専に入ったところで私はふと気になるものを見つけた。

もしかしたら気のせいかもしれないし、無用な心配かもしれないが。

 

「おい?」

 

「ん……何でもない。行こうか」

 

◆ ◆ ◆

 

星漿体の件から数日経った昼間。

孔がアタッシュケースを片手に訪ねてきた。

 

「オマエらさぁ……思う存分殺っちまっていいとは言ったが、あそこまで派手にやるかね。掃除屋の連中が泣きながら西へ東へ駆けずり回ってたぜ?」

 

「どうせその死体売って稼ぐんだから楽に仕入れができてよかったじゃない。何に使うのかなんて聞きたくないけどさ」

 

「御託はいいからとりあえず出すもの出せよ」

 

「ほらよ。オレの取り分は抜いてあるから、後は二人で分けろ」

 

孔がアタッシュケースを甚爾に渡す。

それを開けると中には札束がぎっしりと詰められていた。

盤星教が提示していた三千万は遥かに超えているだろう。

それを見て甚爾がニヤリと笑みを浮かべる。

 

「こっちの依頼で正解だったな」

 

そう言って甚爾はアタッシュケースの中からキッチリ半分取ると、無造作に紙袋に放り込んで意気揚々と出ていった。

今日は馬か船か。

それとも競輪かパチンコか。

いずれにせよ最終的にあの大金は全て溶かして帰ってくるに違いない。

甚爾にギャンブルの才がないことなど百も承知だ。

 

「相変わらずだな、アイツも」

 

「孔。わかってることだけでいいんだけど、星漿体の件、あれからどうなったかわかる?」

 

「ん? ああ、星漿体が高専に入ったのはこっちでも確認してるんだがな。その後、同化はなしになったらしい」

 

「へぇ?」

 

「高専内部のことはあんまり漏れてこねぇから詳しいことは知らねぇが、星漿体が同化を拒んで、五条の坊がそれを押し通したらしいぜ。すんなり認められたあたり、事前に用意したスペアでもいたんじゃないかって話だ」

 

「なるほどね」

 

「五条の坊は高専上層部と犬猿の仲らしいからな。今回の件で坊がしくじれば「ざまあみろ」って感じだったんだろ」

 

それなら五条を護衛任務に指名したことにも納得がいく。

情報収集の時点でわかっていたことだが、五条は単独で動いたほうが強いタイプだ。

仲間と一緒に動く、あるいは誰かを守るとなると能力を発揮しきれない。

わざと失敗を期待しての人選だったというわけだ。

 

「ついでに、オマエと五条の坊が潰し合ってくれりゃなおよしだったんじゃねぇか? 裏の人間が高専に殴り込むわけにもいかねぇから自分達は安全なところから高みの見物ってわけだ」

 

「まあ、それはいいんだよ。あんな老害達いつでも殺れるから。意味がないし、面倒だしね」

 

私がそう言った途端、孔が頬をひきつらせた。

何を今更驚いているのか。

その気になれば私や甚爾は高専を相手取ることも不可能ではない。

高専の結界は『守る』というより『隠す』に特化したもの。

場所がわかれば襲撃はできる。

それに結界の管理者である天元は結界の効果で高専の地下最深部──『薨星宮』の本殿にいながら日本国内の事象を把握していると聞いた。

つまり、ここにいる私のことも知っている。

それは私を認識している──私の術式の発動条件を満たしているということだ。

 

「天元の術式の感覚狂わせて結界を解かせれば別に襲撃自体は難しくないよ。甚爾はそもそも結界素通りできるし。術師が出てきても視覚の感覚弄れば同士討ちさせて自滅させられるしね」

 

「オマエらってさ……強いというよりヤバいって感じだよな」

 

「だからこそ『最凶(手を出すな)』って言われてるんでしょ」

 

「頼むから呪術界そのものを崩壊させるようなことはやめてくれよ? 稼げなくなっちまう」

 

高専(あっち)や他の組織の出方次第かな。敵対しないなら、こっちも手を出すつもりはないし。君も裏切るならタイミングは考えなよ?」

 

「オマエが言うと洒落にならねぇからな……肝に銘じておくよ」

 

冷や汗を滲ませつつ孔は帰っていった。

 

──さて、これで星漿体の件は一段落……なんだけど。

 

一人残されたリビングで私はアタッシュケースに残された札束を横目に思案する。

思い出すのは星漿体が高専に入っていくのを見届けたあの時。

私は一つ気にかかることがあった。

 

夏油(あの子)大丈夫かな……」

 

あの時見た夏油の目だ。

様々なドス黒い感情が煮詰められたようなあの目。

あの目を私はよく知っている。

裏の人間の目だ。

それでも呪詛師(こちら)ではなく呪術師(あちら)でいられるのは本人の性格ゆえか。

 

「情報収集の段階でかなり真面目なタイプなのはわかってたけど。ああいうタイプこそ溜め込んで一気に爆発するから怖いんだよ」

 

真面目ゆえに良くも悪くも自分の思想に一途。

一度堕ちてしまえばどこまでも堕ちていくタイプだ。

 

「金にはならないけど……将来のリスクを回避するためには仕方ないね。少々お節介を焼かせてもらおうかな」



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第拾壱話

君はどんな生姜焼きが好み(タイプ)なのかな?


「君が『呪詛師殺し』?」

 

「そうだけど」

 

「あれ? あっさり認めるんだ」

 

「何の確証もなくその名前出すヤツがいるわけないでしょ」

 

一仕事終えて家に向かっていたときだ。

人気がなくなったのを見計らったようにライダースジャケットをきた女が正面から近付いてきた。

金髪のロングヘア。

女にしては高い身長。

直接面識はなかったが呪術界で彼女を知らない者もいないだろう。

 

()()()()──九十九由基さん。手短に用件だけ聞こうか」

 

日本に三人しかいない特級術師。

最近特級に上がったと聞く五条と夏油、そして彼女。

一億二千万分の三──それをたった一ヶ月でコンプリートとはどんな遭遇率だ。

 

「話が早いね。いや何、いくつか聞きたいことがあるだけだよ。立ったまま話すのもアレだし適当に座ろうか」

 

そう言って九十九は近くのベンチに座り、私も隣に腰を降ろす。

 

「さて、まず一つ聞きたいんだけど──」

 

優雅に足を組んで九十九は話を切り出した。

 

「どんな女が好み(タイプ)かな?」

 

「……はい?」

 

耳がおかしくなったのか。

今、彼女は何と言った。

どんな女がタイプかな──と聞こえたような気がするが。

これはどういうことだろう。

彼女の術式にでも関係しているのだろうか。

 

「ああ、君は女だし男のほうがいいか。どんな男がタイプか教えてくれないかな?」

 

「……どういう意図があってそんな質問を?」

 

「何、ただの品定めだよ。性癖には人柄が出るからね」

 

ペースを乱すとか主導権を握るとかそういう意図があったわけでもないらしい。

呪力が練られていないことから術式にも全く関係ないようだ。

ふむ、と少々思案する。

何せ生まれてこの方、男や女という前に、そもそもロクデナシしか周りにいなかったのだ。

どんなタイプが好みかと言われても合致する人間がいない。

 

──嫌いなタイプなら腐るほどいたから、その逆を言えばいいのかな?

 

「強いて言うなら……高身長で筋肉はついてるほうが好き……かな? 性格は……まあ、かなり酷いのが近くにいるから、暴力と相当の特殊性癖がないなら大体許せると思うよ」

 

「思ったより無難だな」

 

「理想になるような男のサンプルがなくてね」

 

何せ右を見ても左を見てもクズばかりだ。

 

「苦労するタイプだな。よくお人好しって言われないかい?」

 

「まあ……それなりに」

 

「そもそも裏稼業でやっていくタイプじゃないだろう。君ほどの実力があるなら裏で腐るより私に雇われないか?」

 

「お断りだよ。飼われるのは趣味じゃない」

 

いいように使われて捨てられるのがオチだろう──と考えてしまうのは裏が長いからなのか。

例え九十九がどんな善良な人間であろうが私は既に他人を信じられるような感性はなくしてしまっている。

 

「即答か……結構本気だったんだけどな」

 

まあ、いいさ──と九十九はあっさり退いて本題を切り出した。

 

「私はやりたいことがあってね。術師の多くが行っている呪霊の祓除ではなく、そもそも呪霊を発生させない世界を作りたいんだよ」

 

「世界を作る……ねぇ?」

 

いきなり話の規模が大きくなりすぎではないだろうか。

『呪い』というものは遥か昔から存在している。

それこそ人類が生まれてからずっと。

術師、非術師、呪霊──様々な形で呪いはそこにあった。

それを変革しようとするなんて並大抵のことではない。

 

「私の考えているプランは二つ。一つは全人類から呪力をなくすことで呪霊を発生させないプラン。もう一つは全人類に呪力のコントロールを可能にさせて呪力の漏れ出しをなくして呪霊を発生させないプラン」

 

「ふーん……」

 

「全然興味ないって顔だね。これでも真剣に話してるんだけど」

 

「生憎呪霊は私の領分じゃなくてね。私の相手はいつだって人間なんだよ」

 

最初に私を襲ってきたのも呪詛師だったし、私の同僚や上司を皆殺しにしたのも呪詛師だった。

呪霊が生まれなくなったところで私の生き方は変わらないだろう。

 

「それに呪力をなくせば非術師と同じように通常兵器での戦争になるだけ。術師だけの世界にすれば呪い合戦になるだけ。どちらにしても大差ないよ」

 

「手厳しいね……」

 

「考慮してなかったわけじゃないでしょ。それでもそのプランを実行しようとしてるのは、人間同士の戦争より呪霊がいなくなることのほうがメリットが大きいと考えてるってことだよね」

 

リスクも計算せずに夢物語だけ語るタイプではないはずだ。

わざわざ『呪詛師殺し』に接触して妄想を語るなんて酔狂がいたら見て見たいものだが。

 

「それに君が言ったプランを聞いて大体察したよ。何で私を待ち伏せてたのか。どうせ甚爾へ繋いでほしいってのが本命じゃない?」

 

そう言うと九十九は図星とばかりに苦笑いを浮かべてみせた。

 

「彼は貴重なケースだ。世界中探しても呪力が完全に零なのは彼しかいなかった。是非研究させてほしくてね」

 

「百パーセント「面倒だ」で断られると思うけど」

 

「タダとは言わないよ。それに見合った謝礼はしよう」

 

「確かにアイツは目先の利益に釣られるタイプだけど、今回は首を縦に振ることはないよ。仮に協力したとして、世界を変革するのに一体何年かかるのかな。十年? 百年? それとも千年? そんな先のことは知ったことじゃないって言われておしまいだよ」

 

「ホントに手厳しいね……」

 

ただでさえ自分のメリットにならない仕事は受けない甚爾が手を貸すとはとても思えない。

九十九もこれ以上は無駄だと察したらしい。

ため息を吐いて立ち上がると近くに停めてあったバイクに跨がった。

 

「今日のところは退散するよ。気が変わったら適当に連絡してほしい」

 

「はいはい。甚爾が協力するなんて言い出す可能性なんてないと思うけどね」

 

「まさかここまで手酷くフラれるとは思ってなかったな。今日は本当は新しい特級術師二人に挨拶しに行きたかったんだけど」

 

「そっちのほうが有意義だったね」

 

それじゃあまた、と言って去っていった彼女だが、また会う機会など早々ないだろう。

去り際に渡された連絡先のメモをポケットに入れ、家に向かって歩き出す。

 

──帰って晩ごはん作らないとね。

 

そろそろ恵も帰ってくる頃だ。

冷蔵庫には何があったか──そんなことを考えていると、ポケットに入れてあった携帯から着信音が響いた。

取り出して画面を見れば甚爾からだ。

 

「もしもし、どうしたの?」

 

「恵が晩ごはんに生姜焼き食いてぇらしい。肉も生姜も切れてるから帰りに買ってきてくれ」

 

「了解。あ、そうだ。甚爾に一つ聞きたいんだけど」

 

「何だよ?」

 

「君はどんな女が好み(タイプ)なのかな?」

 

「……は? オマエ、暑さで頭やられたのか?」

 

「いや、さっき聞かれたから試しにね。品定めらしいよ。性癖には人柄が出るんだって」

 

「あー……そうだな。オレを養ってくれる女。金くれる女。ギャンブルしてても文句言わねぇ女。それから──」

 

「清々しくクズな答えをありがとう。肉と生姜買って帰るね」

 

最後まで聞かずに電話を切る。

ふざけていると思った問いは中々正確らしい。

甚爾(ヤツ)は性癖も含めて誰が何と言おうとクズであることは間違いない。

好みのタイプにはその人物の全てが反映される──覚えておこう。



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第拾弐話

続いて■■県■■市で起きた倒壊事故。近年関東を中心にビルの倒壊事故が頻発しており──


「あー……暑い」

 

うざったくなるほどの炎天下。

さっきまでビルだった瓦礫の山を背に歩き出す。

東京で活動していた呪詛師集団の本部が、まさかこんな遠方にあったとは。

道理で見つかりにくいはずだ。

 

「次の電車何時だっけ……ん?」

 

時刻表を検索しようと携帯を取り出したときだった。

不意に感じる纏わりつくような重く濃い呪力の気配。

それもかなり近い。

 

「嫌な予感がするけど……」

 

わざわざ様子など見に行かず、このまま帰ってしまえばいいものを。

わからないままにしておきたくない。

慎重ゆえに不確定要素を放って置けない裏の人間の悪いクセ。

呪力で脚力を強化して一足飛びに気配のする場所に向かう。

 

「あそこかな?」

 

呪力の源は寂れた神社らしい。

 

──聖域のはずの神社から呪いの気配がするなんて絶対ロクなことじゃないでしょ。

 

その予感の通り、神社に近付くにつれて呪霊の姿が見えてきた。

人間の背丈を優に超える巨体。

意味を持たない奇声をあげつつ境内で暴れ回っている。

その手前には人影。

 

「あれって……」

 

高専の制服をきた金髪と黒髪の二人組。

星漿体の件で空港に現れた二人だ。

ここへ来たのも任務だろう。

だが、明らかに劣勢。

呪力で強化しながら術式も使っているのだろうが、全く相手には通じていない。

観察しているうちに黒髪の少年が吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。

すかさず呪霊はトドメとばかりに大きな口を開け少年を飲み込もうとしていた。

 

「あー、もう!」

 

甚爾なら「タダ働きなんてゴメンだね」と平気で見捨てただろう。

だが、ここでも良心が私を逃がしてくれない。

ダン、と思い切り跳躍し、黒髪の少年の背後に着地する。

 

「はい、ちょっと下がっててね」

 

「うわっ!?」

 

黒髪の少年の襟を掴んで後ろに下がる。

次の瞬間、バクリと呪霊の口が閉じられた。

後少し遅れていれば彼の下半身は丸ごと食いちぎられていただろう。

 

──ギリギリセーフ。

 

「アナタは……!?」

 

「あー……通りすがりのこっち側の人間だよ。それより早く逃げて。土地の境まで行けば多分大丈夫だから」

 

金髪の少年の問いをさらりと誤魔化して黒髪の少年を押し付ける。

産土神信仰──状況から察するに土地神が堕ちたらしい。

ならば、この土地から出ればとりあえずは問題ないだろう。

 

「しかし……」

 

「大丈夫。行って」

 

恐らく一級呪霊だが問題ない。

普段、特級呪霊を一方的に倒せるレベルの化物を相手にしているのだ。

この程度の呪霊なんて相手にならない。

二人が走り出すのを見送って、私は呪霊に向かって駆け出した。

 

「さて……サービス残業といきますか」

 

◆ ◆ ◆

 

高専──

 

「謎の術師に助けられた?」

 

「高専の術師ではなかったようですが……」

 

こんな感じでした、と金髪の少年──七海は記憶を元に描いた似顔絵を机の上に置く。

なにぶん一瞬のことだったので、と七海は言うが、その声は既に五条の耳には入っていなかった。

 

「傑」

 

「ああ、間違いない。『呪詛師殺し』だ」

 

五条も夏油も食い入るように似顔絵を見つめる。

忘れるはずもない顔。

『最強』である二人を難なく捌いてみせたあの『呪詛師殺し』。

二人が自分達の任務の最中に乱入してきた人物が『呪詛師殺し』であるとわかったのは、星漿体の護衛が終わり、担任である夜蛾に報告していたときだ。

 

◆ ◆ ◆

 

「──恐らくそれは『呪詛師殺し』だ」

 

「あの……ですか……!?」

 

「誰それ? 有名人?」

 

首を傾げる五条に夏油と夜蛾の呆れ混じりの視線が突き刺さる。

 

「呪詛師専門の殺し屋だ。懸けられている賞金総額は悟を超えている」

 

「マジ?」

 

「『呪詛師殺しに手を出すな』──裏では暗黙の了解だ。実際、手を出した呪詛師は組織ごと壊滅させられている。それに、オマエ達相手に無傷なくらいだ。実力は本物だろう」

 

「確かに手も足も出ませんでした。余裕で遊ばれたと言ってもいいくらいに」

 

「悟。傑。言っておくが、今度『呪詛師殺し』と会うことがあっても戦うな」

 

「あん? やられっぱなしでいろって? そりゃないんじゃねぇのセンセー」

 

『最強』二人の初めての完敗。

当然、二人とも次は負けないと意気込んでいたのに、まさか戦うなと言われるとは思っていなかった。

それでは黒星を挽回できるチャンスは二度とない。

そんなことを素直に受け入れられるほど五条と夏油は大人ではなかった。

 

「手を出さなければ被害は最小限で済む。裏ではヤツが動く際には『呪詛師殺しが絡んでくる』と警告が出されるという噂まである。裏ですらその扱いだ。オマエ達との敵対をきっかけに高専が潰される可能性すらある」

 

しかし、続く夜蛾の言葉に夏油は言葉を失い、五条も目を見開いていた。

高専を潰すなど正気の沙汰ではない。

それは呪術界の崩壊と言っても過言ではないのだ。

 

「マジで言ってんの?」

 

「今回、星漿体の暗殺に関わってきたのは盤星教の他は単独で活動している呪詛師だけだ。他の組織は『呪詛師殺し』が絡んでいると聞いて軒並み手を引いたらしい。わかるか? 敵対するなら、それが組織であってもヤツには関係ないんだ」

 

相手が例え高専でも。

最後に夜蛾はもう一度「『呪詛師殺し』には手を出すな」と告げて二人を職員室から追い出した。

まだ言いたいことはあったが、夜蛾に噛みついたところでどうにかなるものではない。

夏油に促され、五条も職員室を後にする。

 

「俺達が生き残れたのは『運がよかった』だけだっただと……? その気になりゃいつでも殺せたってか?」

 

「だろうね。体術も相当できたし、状況判断も早かった。私の呪霊も軽くあしらわれたし、何より悟の六眼と無下限呪術を攻略したんだ。彼女に殺意があれば、あの場で理子ちゃんと黒井さん共々殺されてた」

 

ギリッ、と五条の歯噛みの音が夏油の耳に届いた。

 

「手を出すな──つったってこのままでいくかよ」

 

「しかし、どうやって見つける? 私達が得ている情報はほとんどない。精々が顔と背格好くらいだ」

 

「いざとなりゃ家の力で何とかするさ」

 

◆ ◆ ◆

 

「──なーんて言ってたのに、あっさり見つかるとはな」

 

五条が口の端を吊り上げる。

ギラギラと目を光らせるその様は獲物を見つけた獣のようだ。

しかし、呪力を迸らせる五条に待ったをかけた人物がいた。

七海だ。

 

「五条さん。私達は彼女に助けられました。敵対するのは早計なのでは?」

 

「確かに……それに黒井さんの件もある」

 

夏油も先の出来事を思い出す。

黒井を置いていった自分のミスを結果的とはいえカバーしてくれたのは他でもない『呪詛師殺し』だ。

それに自分達を殺さなかったこと。

天内に沖縄行きのチケットを渡し、呪詛師との遭遇率を下げてくれたこと。

そもそも護衛中にほとんど呪詛師からの襲撃がなかったこと。

彼女の意図を知ることはできないが、まるで自分達を助けるような行動をとっていることが気にかかる。

夏油の聞いた噂では『呪詛師殺し』は戯れでビルを倒壊させたりするほどの危険人物という話だったのに。

 

「そこは……あー……()()ってことでヨロシク」

 

「クックッ。()()ね」

 

例え手助けしてくれたのだとしても、それはそれ。

何がなんでも五条は敗北の借りを返したいらしい。

 

「負け犬に甘んじるならそれでもいいぜ? ()()『最強』だし」

 

()()が『最強』だろ。もっともあそこまで負けておいて言えたことじゃないけど」

 

「今度勝てばチャラだろ」

 

「勝てば、ね」

 

しかし、二人が急行したにも関わらず、七海達がいた神社には既に『呪詛師殺し』の姿はなく、祓われたとみられる呪霊の残穢が僅かに残っているだけだった。

それ以降、再び『呪詛師殺し』の手がかりは途切れ、いつまでも黒星を返上できない苛立ちが募る日々。

更に追い討ちをかけるように二人は任務に忙殺されることになった。

 

◆ ◆ ◆

 

九月──某所。

その日、夏油が訪れたのはとある村落。

村人の神隠し、変死が続出したため、原因の呪霊の祓除を行うためだった。

呪霊は問題なく祓われ、そこで話が済めばよかったのだが、その後に村人は夏油を村外れの建物へ案内した。

曰く、事件の原因がここにいる、と。

 

「これは何ですか?」

 

そこにいたのは牢屋に入れられた二人の少女。

体のそこかしこにアザ。鼻血の痕。殴られたときに口の中を切ったのか唇の端から血が垂れている。

 

「■■■■■? ■■■■■!」

 

「■■■■■! ■■■!」

 

これは何だ──と説明を求めた夏油だが、何か喚き立てる村人の言葉は理解できない耳障りな音としか感じられなかった。

 

──私達は『最強』だと思っていた。

 

攻防兼ね備えた五条の無下限呪術に、夏油の手数と変幻自在の呪霊操術。

単独でも並の術師など相手にならない二人が揃えば、それは『最強』と言っても過言ではないと。

しかし、実際はどうだ。

 

──『最強』を名乗っておきながらこんな子供すら救えない。

 

自分達は所詮、井の中の蛙に過ぎなかった。

それを自覚したとき夏油の何かが壊れた。

 

「皆さん、ちょっと外に出ましょうか」

 

何が『最強』だ。

結局のところ自分は何も見えていなかったのだ。

二人は『最強』──それを疑ったことなどなかったのに。

たった一度の敗北で、それが容易く揺らいでしまっていた。

何もかもどうでもよくなるほどに。

 

──もう……疲れた。

 

いつもの冷静な夏油なら違った対処をしただろう。

しかし、今の夏油は普通というには程遠い精神状態だった。

建物の外へ出て呪霊を展開する。

目の前には何事か喚き立てている村人達がいる。

その声が夏油の苛立ちを更に募らせていく。

 

──猿が……。

 

呪霊に攻撃を命令しようとした──その瞬間だった。

村人達が残らずバタバタと倒れたのは。

 

「なっ……!?」

 

まだ呪霊は何もしていない。

何が起こったのか。

確認のために村人に近付こうとしたとき、するりと夏油の横を抜けて誰かが正面に回り込んできた。

 

「はい。ちょっと待った」

 

忘れるはずもない人物がそこにいた。



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第拾参話

呪霊の味? 食えるものも食えねぇものも手当たり次第全部混ぜて煮込めば、それらしい味になるんじゃねぇの。


「はい。ちょっと待った」

 

村人達が術式の効果で残らず倒れたのを確認すると、するりと後ろから近付き、夏油の前に出る。

別に術式で気配を偽装していたわけでもないのにこの至近距離まで気付かれないとは。

 

「君が今やるべきことはそれじゃないでしょ」

 

「何でここに……」

 

夏油は驚いた顔でこちらを見つめている。

前に見たときより少し痩せたか。

顔色も悪い。

目の下にはクマが。

何よりドロリと黒く濁ったようなその目は私がずっと見てきたものだ。

 

──後一歩で()()()()だったかな。

 

「後で説明するよ。今は子供を助けるのが先」

 

建物の中に戻ると二人の子供は変わらず互いを抱きしめ合うようにしてそこにいた。

チラリと夏油に視線をやる。

 

「……少し後ろに離れてくれるかい?」

 

二人が離れたのを確認すると夏油が出した呪霊が牢の格子を食いちぎった。

 

「おいで」

 

「「でも……」」

 

「君達以外は気を失ってるから大丈夫。でも長く悩んでる時間はないよ」

 

深い催眠をかける時間はなかったため、直に村人達も目を覚ますだろう。

囲まれたところで倒せばいい話だが、子供達をこれ以上怯えさせるのはよろしくない。

二人は一瞬顔を見合わせるも、同時に頷いて牢から出てきた。

 

「行くよ」

 

四人で鳥の呪霊の背に乗って村を出る。

こんなところに長居は無用だ。

しばらく飛んで山をいくつか越えたところで先に口を開いたのは夏油だった。

 

「ここなら逃げ場はない。色々と聞かせてもらおうか」

 

「そう怖い顔しないでよ。ここでやり合っても得なことなんてないんだから」

 

睨んでくる夏油に敵意はないというように両手を挙げて、ひらひらと振ってみせる。

しかしまあ、夏油が警戒するのも仕方ないことだろう。

私は彼らの『最強』の誇りに土をつけたのだから。

万が一、呪霊の上で再戦なんてことになると面倒なので素直に事情を説明する。

 

「私の目的はあの村にいた呪霊でも、そこの二人でもない。君なんだよ。私はここ一ヶ月ずっと君を監視してた」

 

「監視?」

 

「星漿体の件から薄々感じてたけど、君、精神的に相当やられてたみたいだったからさ。遠からず呪詛師に堕ちるヤツの目だったし」

 

私が止めなければ夏油は村人達を殺していただろう。

呪術規定に違反しようと構わずに。

 

「『弱者生存』──それが私の信念だ。信念だった」

 

そして夏油は語った。

弱者ゆえの尊さ。

弱者ゆえの醜さ。

それを許容できなくなっていると。

守るべきものだと思っていたのに。

そんな彼らを殺してしまっても構わないと考えた。

 

「数が少ないというだけで強者が弱者に埋もれ虐げられる──それが私は我慢ならなかった」

 

本当に非術師(彼ら)はこの世界に必要なのか。

術師(私達)だけで十分なのではないか。

そう考えた末の行動があれだった。

 

「彼らは呪霊も見えず呪術も知らない。守られていることすら気付いていない。そんなヤツらのために術師が身を呈し……傷付いて……屍の山になっている。私達は、そんなことのために存在しているわけじゃない」

 

術師は常に死と隣り合わせ。

つい数時間前まで話していた友人が死体になって帰ってくるなんてこともある。

そうまでして呪霊を祓っても非術師は何も知らない。

呪術規定の中に一般人に呪いのことを公表しないことも含まれているからだ。

公表してしまえば間違いなく日本はパニックになる。

ゆえに仕方のないことだと言ってしまえばそれまでだし、その扱いを受け入れた上でなければ術師としてはやっていけない。

夏油は元来真面目な性格なのだろう。

術師としてある程度イカレていても、頭のどこかでそれを否定していたはずだ。

その自己矛盾に苦しんでいた。

 

──なら、術師なんてやめてしまえばよかったのに。いや、『術師をやめる』ということを考えられる環境でもなかったのか。

 

呪霊を祓い、取り込む。

それの繰り返し。

夏油の実力なら並の呪霊など一瞬で祓える。

ロクに寝てもいない思考が鈍った状態で、ひたすら単純作業の繰り返しをしていれば更に思考は鈍っていく。

逃げるなんてことを考えもしなくなる。

 

「夏油君さぁ……マインドコントロールって聞いたことある?」

 

『最強』というプライド。

『弱者生存』という信念。

『術師』としての正義感。

夏油は()()()()()()()──ということに良くも悪くも執着しやすい。

一度悪い方向に傾倒してしまえば自分から破滅へ一直線というわけだ。

 

「ここ最近の君の任務。どれもかなり精神的にキツいものばかりだね」

 

肩にかけていた鞄から書類の束を取り出して夏油に渡す。

情報屋に調べてもらった夏油が受けた任務だ。

特級になってから任務の数は激増している。

それも中々に残酷な内容の任務ばかり。

壊れるのは時間の問題だった。

 

「精神的に弱っている。『最強』という絶対的な自信。高専という限られたコミュニティ。疲労と睡眠不足による判断力の低下。条件はこれ以上ないほどに揃ってる」

 

「それで私が非術師()を殺すように仕向けられたと? いや、違う。殺すと決めたのは私だ。私の選択だ」

 

「確かに選んだのは君だよ。でも君は少しばかり殺すか殺さないかに拘りすぎだ。もしかしてそこに意味を見出だそうとなんてしてないだろうね?」

 

ぎょっ、と夏油が目を見開いた。

図星か。

さっきから世界云々語っているが、それは話の規模を大きくして個人を薄めるためだ。

夏油という個人で見れば大虐殺の犯罪者でも、徒党を組んで揃って世界の変革を謳えば正当性があるように見えてしまう。

 

──まさか一人で世界を変えようとは思っていないだろうしね。

 

『最強』を名乗るだけあって夏油には確かな実力がある。

彼が先導するなら乗りたがるヤツは多いだろう。

特に裏の連中は。

そうなれば調子に乗ったバカどもがそれに乗じて色々と面倒を起こすに決まっている。

夏油を監視しておいたのは正解だった。

 

「『最強』って肩書きに酔いすぎ。今の自分がどういう状態か全然見えてないでしょ」

 

どれだけ意味や意義を語っても今の夏油は正常には程遠い。

術師か非術師か。

今の夏油にはそれしか見えていない。

下手をすれば非術師だからと親も殺しかねないだろう。

 

「異常に気付けないって厄介だよね。壊れてる自覚がないから暗示を解くのも面倒だし」

 

「仮に……私がマインドコントロールされていたとしてそれに何の意味が──」

 

「はぁ……そんな簡単なことまでわからなくなってるとはね。

坊っちゃんへの()()()()。本丸がダメなら外堀からってことでしょ」

 

それには一番近くにいる夏油がちょうどよかった。

 

「まずは星漿体の情報漏洩。最高機密であるはずの星漿体の情報があっさり漏洩するなんて管理が杜撰にも程がある。意図的に上層部が情報を流したんだろうね。そして、わざと呪詛師に襲わせて君達がしくじるのを期待した。

あの後輩君二人が明らかに手に余る任務受けてたのもそうかな。あれは偶然あそこにいただけなんだけど」

 

術師は数が少ない。

手に余る任務を負うことも多々ある。

そう言われていれば誰もその不自然さを疑わない。

疑われたところで補助監督の伝達ミスか、到着までに変態した可能性があると言って押し通してしまえばいい。

高専上層部(アレ)はそれくらいのことは平気でやる。

()()()()()()()()()()()()()

もし星漿体が死んでいたら?

もし後輩達が死んでいたら?

もし夏油(親友)が離反したら?

五条はそれでも平然としていられるだろうか。

何でもいいのだ。

五条が苦しむことになるのなら。

術師が何人死のうが、いくらでも代わりはいるのだから。

 

「特級である君が離反すれば処刑には同じく特級の坊っちゃんが駆り出される。君を殺すことをためらって坊っちゃんが返り討ちで死ぬならそれでよし。命令通り君を処刑しても多分彼はずっと苦しむだろうからそれでもよしってことでしょ」

 

「そんな……バカな……」

 

「君はさっき『弱者ゆえの尊さ。弱者ゆえの醜さ。それを許容できなくなっている』って言ってたけどね。強者だって尊さと醜さを持ってるよ。むしろ力があるだけに強者(術師)のほうが色々と汚いことやってるしね。今の君がまさにそれでしょ。所属してた組織に壊された挙げ句にもっともらしい大義掲げての大虐殺──三文小説くらいにはなるんじゃない?」

 

「うっ……」

 

夏油が口を押さえて呪霊から身を乗り出した。

 

「自覚したせいで溜め込んでた諸々が爆発したかな。君は身体も精神もボロボロだよ。ご飯もちゃんと食べてない、寝てない、それなのに任務にはひっきりなしに駆り出される。それで平然と過ごせるほうがおかしいんだよ」

 

ここ数日、ほとんど何も食べていなかったのだろう。

胃液ばかり吐き出す夏油の背を擦ってやる。

高専の体制は正直なところ、そこらのブラック企業よりも劣悪だ。

しかし、自分が『見える側』だという特別感。

周りが自分と同類であるという安心感。

そして山奥に隔離されていることで、他と比べて『おかしい』という感覚は失われていく。

それが術師というものだと思い込んでしまう。

抜け出しにくい環境が出来上がってしまっているのだ。

 

「それに術式の代償もあるかもね」

 

「代償……?」

 

「んー……()()()()()()()()()()

 

「何で……それを……」

 

夏油は驚きを露にするが何てことはない。

いつだったか武器庫呪霊を飲み込んだ甚爾がポツリと洩らしたことがあっただけだ。

そうでなければ私も呪霊の味なんて気にしたこともなかった。

呪霊操術は取り込むために一度呪霊を飲み込まなければならない。

何百か何千か。

取り込んだ数だけ夏油はその苦痛を味わってきた。

 

「呪霊を体内で飼ってるのが知り合いにいるんだよ。本人は慣れだって言ってたけど、かなりマズいらしいじゃない。呪霊や呪物なんて基本的に人間には猛毒だし。実際のところどんな感じなの?」

 

「吐瀉物を処理した雑巾のような味……とでも言えばいいのか」

 

「うっげ……」

 

思わず顔を顰めてしまう。

よく今まで耐えられたものだ。

 

「坊っちゃんに相談とかしなかったの?」

 

「呪霊の味なんて誰も知らない。そもそも最近の悟はアナタとの再戦に躍起になって二人で話すことさえほとんどなかった」

 

「嘘でしょ……」

 

何をやっているのだあの坊っちゃんは。

私との再戦なんて二の次──いや、忘れてくれていいのに。

一度負けた相手を探している間に友人が大虐殺を起こした呪詛師になって離反しました、なんて笑い話にもならない。

 

「はぁ……まあ、君達のプライドをズタズタにしたのは私だし、お詫びも含めてそのあたりはどうにかしてあげよう」

 

「どうにかって……」

 

「君にはまだ家族も仲間もいる。こっち側には来ちゃダメだよ。何より私の仕事を増やさないでほしい」

 

いや、彼が呪詛師に堕ちれば面倒だ──なんて言ってはいるが、私は結局のところ彼を放っておけなかっただけだ。

これで何度目か知らないが、いつも通りのお節介。

かつての私のように誰にも手を差し伸べてもらえず彼が裏に沈んでいくのを見たくなかった。

 

「とりあえず手始めに人間関係の修復から始めようかな。君はまず周りの人間を頼ることを覚えたほうがいい」

 

──携帯貸して? と私は夏油に手を差し出した。



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第拾肆話

地獄(この世)から地獄(あの世)への道中は精々みんなで賑やかにいこうじゃないか。


「やっほー。久しぶりだね。坊っちゃん」

 

「は……?」

 

ひらひらと手を振る私を見て五条は固まっていた。

星漿体の件からそんなに時間は経っていないというのに、まさかとは思うが忘れられてしまったのだろうか。

 

「あれ? 会ったの覚えてるよね?」

 

「だから「は?」つったんだ。おい、傑。どういうことだ、説明しろ。オレと硝子はオマエに呼ばれてここに来たんだけど?」

 

「任務先で色々あってね。悟を呼んでくれって言われたんだよ。硝子はさっきの子ども達の治療に呼んだんだ」

 

時刻はちょうど零時。

私達は高専から離れた森の中にいた。

高専を話し合いの場にしてもよかったが、万が一、五条が暴れだす可能性を考えてのことだ。

だから五条にはこうして出向いてもらったわけなのだが、どうにも本人は相当機嫌が悪いらしい。

 

──相当探し回ってたらしいからねぇ……。

 

『最強』を自称しておいて、あそこまで一方的にやられたのだ。

五条のプライドはズタボロだろう。

 

「悪いけど再戦は受け付けてないよ。少し話をしにきただけだし」

 

「……何企んでんの?」

 

「んー? ちょっとしたリスクヘッジかな。君達みたいな特級が呪詛師になられると面倒だから」

 

「はあ? 誰が呪詛師になるって? 意味わかんねーよ」

 

やはり気付いていなかったか。

本来は身近にいる五条が気付くべきだったのだが。

 

「そういうだろうと思ったからさ、それを教えてあげるために来たんだよ。そうだね……まずは私の話から始めようか」

 

座りなよ、と言って私も近くの岩に腰を下ろす。

五条は警戒しているのか、すぐには座ろうとしなかったが夏油が座ったのを見て渋々といった様子で適当な岩に腰を下ろした。

 

「私が呪詛師を狩ってるのは別に金が目当てじゃないんだよ。わかりやすく言えば安全のため。自分を狙ってくる勢力を潰したいから」

 

「高専も含めてか?」

 

「敵対するならね。裏の人間はほとんど金とか利権目当てでしか動かないから私みたいなのは珍しいんだけど。

とりあえずそこを知ってもらった上で、さっきのリスクヘッジの話をしようか。

坊っちゃんさ、隣の彼を見て何か気付くことはないかな」

 

「気付くこと? あー……ちょっと痩せた気がするけど」

 

「この子、任務先の非術師達を殺しかけたんだよ。持ってる側の子供達を虐待してたのにキレてね」

 

ハッと五条の表情が明らかに変わる。

呪術規定違反──それも特級術師が。

術師なら当然その重みはわかっているだろう。

村人が呪術的な儀式などを行っていた場合でもなければ間違いなく処分の対象だ。

確認するように五条は夏油のほうに顔を向けた。

嘘だろ──そんな五条の淡い期待を「事実だ」と夏油の一言が粉砕する。

 

「色々積もり積もったものが爆発してね。あんな猿どものために私達は身を粉にして呪霊を祓っているのかと思うとバカらしくなった」

 

「────っ!」

 

五条が夏油に掴みかかる。

 

「なぁ、悟。本当に彼らはこの世界に必要だと思うかい? 呪術を知らず、守られていることも知らず、それどころか術師を迫害するような連中を生かしておく価値があると思うかい?」

 

「だから殺すってか!? そんなことして何の意味があるってんだよ!」

 

「少なくとも、あの子供達のような被害者はなくせるさ。見ただろ、二人の虐待された痕」

 

「っ……! それでもオマエが呪詛師になっていい理由には──」

 

「落ち着きなよ、坊っちゃん。殺し()()()って言ったでしょ。未遂だよ。私が止めたからね」

 

「未遂……? それじゃまだコイツは……」

 

「呪詛師にはなってないよ」

 

後一歩のところだったが。

それに安心したのか、五条は一旦夏油から手を離した。

 

「彼みたいなタイプが呪詛師になって派手に動くと、それに乗じてロクでもないことしようとするバカが絶対に現れる。そんな面倒は避けたいから、こうして世話を焼かせてもらったわけ。ちなみにこうなった経緯なんだけど──」

 

私は夏油がここまで壊れることになった原因を全て話した。

星漿体の件。

上層部の企み。

そして、村での出来事も。

それを黙って聞いていた五条だが、話が終わった途端に全身から荒れ狂うように呪力が溢れ出した。

その余波で地面に大きくひび割れが走る。

 

「あのクソジジイども……」

 

「私が猿どもを殺そうとしたのは事実だよ。でも冷静になって考えてみれば、あの子供達を助けるなら村から高専に連れてくるだけでよかったんだ。なぜ私があんな猿どもや上の老害達のために手を汚さなければならないんだ」

 

「それに気付ける程度には落ち着いたみたいだね」

 

術師と非術師ということに彼はこだわり過ぎていた。

傍から見れば明らかに異常なほどに。

マインドコントロールは自分では解きにくい。

だから外部の人間が違和感に気付かせなければならないのだが。

 

「私なんかに構ってないで友達は大事にしなよ、坊っちゃん。この界隈で対等の友人なんて貴重なんだから」

 

腰かけていた岩から立ち上がる。

もう夏油は大丈夫だろう。

私の役割は済んだ。

しかし、去ろうとした私の前に五条が立ち塞がる。

 

「待てよ。このまま逃がすと思ってんのか?」

 

「せっかく若人の青春を邪魔しないように静かに去ろうとしてるのに……」

 

「テメェには色々と聞きたいことがあるんだよ。オレの術式を破ったカラクリとかな」

 

「もう私の用は済んだからね。これ以上のサービスはできないかな。「お願いします」って頭下げるなら教えてあげないこともないよ」

 

「ハッ……ボコって吐かせてもいいんだぜ?」

 

「短気だねぇ」

 

五条がギラギラとした笑みを浮かべ拳を握る。

だが、ここに来てどれほど時間が経ったと思っているのか。

既に術式の発動条件は満たされている。

 

「ぐっ……!?」

 

「重っ……!?」

 

私が術式を使うと同時に、ガクン、と二人が揃って膝を着く。

まるで上から何かに押さえつけられているように。

五条は咄嗟に術式を使い、夏油も呪力で脚力を強化したようだが関係ない。

二人が感じている重さは脳が錯覚した架空の重さなのだから。

やがて二人は地面に両手を着き頭を垂れた。

いわゆる土下座の姿勢である。

 

「結局頭を下げることになったわけだけど「お願いします」が聞こえないなー」

 

「テメェ……!」

 

しゃがみこんで五条の頭をツンツンと小突いてやる。

御三家という立場で、しかも『最強』を名乗るほどの五条にとって他人に頭を下げるなんてことは、これまでの人生でまずなかったことだろう。

五条の傲慢さは御三家の人間としては必要なものだ。

そうでなければ禪院家や加茂家の曲者達と渡り合えない。

だが、今回は別だ。

驕りが過ぎた。

私なんかにかまけていたせいで夏油の異変に気付かなかった。

この醜態はその罰だと思ってもらおう。

 

「坊っちゃんが動けないから好き勝手言わせてもらうけどさ。今回はたまたま運がよかったに過ぎないよ。紙一重の差で彼はこっちに堕ちてた。ご自慢の目はどうしたのかな。彼もそうだけど、君も何も見えてなかった。さっきあんなふうに激昂するくらい彼のことを思っていたなら、普段からちゃんと見ていれば彼の異変には気付けたんじゃないのかな」

 

「ぐっ……」

 

「目に映る人を全員助けろとは言わないよ。そんなことは誰にもできないから。でもさ、間近にいる友人の一人くらいはちゃんと見てあげなよ。ただでさえ君みたいな規格外は他人との価値観の相違で孤立する。死ぬときは独りだとしても、せめてその道中くらいは大勢のほうがいいでしょ」

 

術師は常に死と隣り合わせの仕事。

しかし、夏油も言っていたように、守っている非術師達は何も知らない。

知られることなく呪霊を祓い、知られることなく死んでいく。

なら、せめて自分のことを覚えていてくれるような友人の一人でもいなければやってられないだろう。

 

()()()『最強』なんじゃないの?」

 

「……ああ、そうだ。()()()()『最強』だ」

 

「悟……」

 

「──夏油ー、さっきの子供達だけど……何これ?」

 

そこで不意に夏油が呼んだもう一人が顔を出した。

硝子──と呼ばれていたような気がする。

茶髪のショートカットに右目の下には泣きぼくろ。

体格や動きからして戦闘向きではない。

治療に呼んだと言っていたから反転術式か回復系の術式でも持っているのだろう。

素早く少女を観察しながら、私はふと気になったことがあった。

 

──消毒液と……煙草の臭い?

 

消毒液の匂いはまだわかる。

しかし、まだ未成年だろうに煙草の臭いがするあたり彼女も中々にクセのある人物らしい。

 

「二人のクラスメイトの子かな?」

 

「誰?」

 

「『呪詛師殺し』ってわかるかな?」

 

「聞いたことはあるね」

 

「ちょっとお話ししてたら坊っちゃんが突っかかってきてさ。夏油君のほうは止めてくれなかったからついでに」

 

「へぇー、それでこうなってると。ウケるね」

 

「撮ってんじゃねぇ……!」

 

思ったより遥かに図太い精神の持ち主だった。

一瞬見せた警戒はどこへいったのか。

携帯のカメラでパシャパシャと友人の土下座姿を撮り始めた。

 

「で、コレってどういう仕組みなんです? 術式ですよね?」

 

「簡単に言えば、超強力な催眠術だよ。頭が重さを感じてると錯覚してるの。脳が()()だと認識すれば体にも作用するんだよ」

 

「あっさりバラしやがった……」

 

「私達がこうなってる意味って……」

 

「でも、そこまで万能でもないんだよね。高度な催眠をかけようとすれば、それだけ時間をかけなきゃいけない上に、相手に認識されなきゃ使えないって条件付きだし。だから不意討ちには向いてないの」

 

それに加えて地雷などの無人兵器には効果がない。

強力なのは間違いないが、その分色々と制限があるのだ。

 

「あ、さっき言ってた坊っちゃんの術式破ったカラクリは、単純に眠気誘って集中乱しただけだよ。私が破ったというより坊っちゃんが術式を維持できなくなったっていうのが正しいね」

 

知りたかったことはわかっただろうか。

できればこれでもう私に執着するのはやめてほしいのだが。

化物とは昔から散々やり合っている。

ここにきてもう一人──いや、二人の化物の相手をしろなど冗談ではない。

夏油も落ち着いたようだし、さっさと去るとしよう。

 

「一応言っておくけど、上層部の老害達を潰しても代わりのクズがその椅子に座るだけだろうからやめておいたほうがいいよ」

 

「待て……」

 

土下座の姿勢のまま五条が声をあげた。

友人の世話も焼いたし、術式の開示もした。

まだ何か用があるのか。

面倒だと思いつつも向けかけた背を一度戻す。

 

「心配しなくても暗示は直に解けるよ。それともまだ何か聞きたいことでもあるのかな?」

 

「オマエ……高専に来ないか? オマエなら頭の回転も早いし知識量も十分過ぎる。実力も……オレが保証する。術師としてやっていくなら待遇は保証するぜ?」

 

「飼い犬になるのはゴメンだよ。安全は安全でも檻の中での安全は窮屈過ぎるからね」

 

彼もいつかの九十九と同じことを言うのか。

実力を買ってくれるのは光栄だが、私は首輪を付けられる趣味はない。

仮に五条がこの腐った呪術界に変革を起こすとしても、それまでボケた老害どもに飼われることを我慢できるほど私は気が長くないのだ。

だが、そこでふと気付いた。

 

──いや……坊っちゃんが欲しがってるのは別に私じゃないのか。必要なのは共に変革を起こす強い仲間だ。

 

『最強』とは言え、結局は二人。

いくら強くても手が回らない部分がある。

だから共に動いてくれる仲間がいる。

それも二人に並ぶ術師が。

 

──正直あの子をあんな呪術界の魔窟に放りこみたくはないんだけど、このままだと私達を追って裏に来る可能性もあるんだよねぇ。

 

チラリと脳裏を過ったのは相棒にそっくりな子供の顔。

仮にも禪院家の血筋。

何も知らずに暮らすのには無理があるだろう。

 

──高専(魔窟)か。それとも()か。

 

残酷な二択だ。

もしくは禪院家(クズの掃き溜め)という選択肢もなくはないが。

 

──どれも地獄に変わりはないんだよね。

 

その中でもマシな地獄を選ぶとすれば──

 

「後十数年すれば私が面倒みてる子供が高専へ入学できる歳になる。多分、血筋的にこっち側だろうから、その子を鍛えてくれるなら好きに使えばいいんじゃない?」

 

最後にそう言って私は森を後にする。

恵もいずれはこちら側に関わることになるのだろうが、勝手に決めてしまったのは少々まずかっただろうか。

 

「でも、裏で殺しに明け暮れるとかはしてほしくないからなぁ……帰ったら甚爾と恵に説明しないとね」



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第拾伍話

平等に人を助けるなんてそもそも無理なんだから、助けたいと思った人を助けるくらいでいいんだよ。全部救おうとしても零れ落ちるだけだしね。


「──五条先生。呼び出したクセに寝てないでくださいよ」

 

「んー……ああ、恵」

 

椅子で寝ていた五条が目を覚ます。

 

「久しぶりに懐かしい夢見たんだー。僕と傑が初めて『呪詛師殺し』にフルボッコにされたときの夢」

 

「ああ、星漿体の護衛のときでしたっけ」

 

「そう。まさに完敗。手も足も出なかった」

 

若かったなぁ、と五条は懐かしむように窓の外に目をやった。

『最強』二人揃っての完敗。

今でも忘れていない。

 

「その後しばらくして再会してさ。高専に誘ったんだけど振られたんだ。このGLG(グッドルッキングガイ)五条悟の誘いを断るなんて普通ありえないよねー」

 

「そのとき、あの人に夏油先生とそろって土下座させられたって聞きましたけど」

 

恵がそう言った瞬間、大仰な身振り手振りを交えて話していた五条の動きがピタリと止まる。

そして油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで振り返った。

その顔に先ほどまでの笑みはない。

 

「…………。恵、それ誰から聞いた?」

 

「家入さんから。ついでに写真も見せてもらいました」

 

グシャリと五条の手にあった書類が握り潰される。

五条にとって最大級の黒歴史。

最も忘れたい記憶。

おぼろげだが家入が楽しそうに写真を撮っていた覚えはある。

しかし、それを十年以上経った今も持っていたというのか。

無駄に綺麗な能面のような顔で固まっていた五条だが、しばらくして現実に戻ってきたらしい。

 

「あー……で、何だっけ。ああ、そうそう。そのときにさ、恵を高専に入れるって話を出してきたんだよ。表向きは僕達に鍛えてほしいからなんて話だったけど、ぶっちゃけ恵が高専に入れられた理由は──抑止力だね」

 

「抑止力?」

 

「裏に名を轟かせる『最凶』二人の関係者って時点で、上の老人達は戦々恐々だろう。何せあの二人には容赦ってものが欠片もない。その気になれば二人だけで呪術界を相手にできる」

 

過大評価でも何でもなく。

事実としてだ。

現代最強術師と謳われる五条の目から見ても、あの二人は化物と言っていい。

『術師殺し』の異名通り、呪力がないため術師では感知不能。

五条の六眼で追えないほどの高速移動。

近接戦を挑めば、その人間離れしたスピードとパワー、そして様々な呪具を変幻自在に使いこなすスキルによってまず間違いなく負ける。

片や『呪詛師殺し』は認識されなければならないという弱点はあるが、無人兵器でも持ってこなければ人間相手では相性は最悪だ。

その姿を見た時点で、その声を聞いた時点で、触れられた時点で、そして何より彼女の呪力を感知した時点で術中に嵌まってしまう。

そうなればもう何が正しいのかわからない。

見るもの、聞くもの、触れるもの、感じるもの全てが信じられなくなる。

脳の認識を弄られるとはそれほどに恐ろしいのだ。

その上、術式反転の自己暗示で『術師殺し』に次ぐほどの化物染みた身体能力を発揮してみせるときた。

 

──まあ、僕達も負けるつもりはないし、本人が言ってた通り弱点はあるんだけどさ。

 

認識する前なら彼女はただの人間だ。

ならば彼女を認識せずに攻撃すればいい。

例えば森の中に呼び出して、とりあえず彼女がいるであろう一帯を遠くから丸ごと吹き飛ばしてしまえば倒すことは可能である。

 

──ンなことしたら間違いなく恵がキレて()()()出してくるだろうからやらないけど。

 

「君がいるせいで上は悪巧みがしにくくなってる。君を消してしまいたいところだけど、それは『最凶』を敵に回すことと同義だ。なら、多少扱いにくくても生徒として手元に置いておくほうがいい──上の判断はそんな感じ」

 

最悪、人質に使えるとでも思っているのだろうが、それは愚策だ。

恵自身あの二人に鍛えられただけあって十分に強者の部類。

禪院家相伝の十種影法術。

甚爾に鍛えられた体術と武器術。

『呪詛師殺し』から学んだ人心掌握と常識。

今や五条と夏油に次ぐ実力者だ。

そう易々と捕縛できるわけもないし、それに手間取っている間に二人が到着して殲滅戦になるだろう。

 

「それに上がそうやって頭を押さえ付けられてるから僕も割りと自由に動けるし。僕と彼女ぶつけて潰そうとしたり、傑を呪詛師にしようと企んでたことが高くついたね。彼女、面倒事大嫌いだからさ。相当お怒りだったみたいだし」

 

「そんな話いつの間に……」

 

「昔、色々話し合いに時々恵の家に行ってたでしょ。あのときにね。今思い出しても、あの頃の恵は子供とは思えない性格してたよねー。僕のことバリバリ警戒してたし」

 

「白髪の怪しい男が家に来たら普通警戒するでしょ。しかも、最初は会うなり親父に突っかかっていくほど尖ってたのに、教職就くなり、ちゃらんぽらんなキャラになってましたし」

 

「恵って基本的に僕に辛辣だよね。まったく親の顔が見てみた……くないね、うん。『術師殺し(アイツ)』の顔は見てるだけで殴りたくなる」

 

「五条先生も夏油先生も親父と仲悪いですよね」

 

「だってアイツさぁ……六眼で追えないくらいの人間とは思えない動きするわ、手合わせだってのに加減なしに殺しにくるわで、何よりあの性格がムカつくよね。僕達のことを高専の()とか言ってきてさ。こっちが犬なら、あっちは猿だっての」

 

犬猿の仲。

あるいは同族嫌悪か。

どっちもクズであることに変わりはないだろうに。

 

「まあ、中でも一番ムカつくのは、そのクズが結果的に僕達を『最強』へと押し上げてくれたってこと。僕が反転術式や術式の自動化、領域展開できるようになったのもアイツと手合わせしてた中でのことだったしね。喉ブッ裂かれて、全身滅多刺しにされて、トドメにタコ殴りにされて、それでようやく『最強』になれたんだ。いやー、ブチギレて覚醒なんてマジであるんだね。漫画の中だけだと思ってたよ」

 

「その手合わせのときって夏油先生は……」

 

「傑も相当やられてたよ。手持ちの呪霊をことごとく斬られて補充も追い付かなくなったせいで、近接戦挑むしかなくなってさ。憐れなくらいボコられてた。毎日毎日全身打撲と骨折の無限ループ。おかげでえげつないくらいに鍛え上げられて、今じゃ僕もマジにならないと傑に体術と武器術のスキル追い付けなくなってるからね。式神使いは術師本人を狙え、なんて言うけど、むしろ傑は近接挑んだほうが死ぬよ。油断すれば呪霊も飛んでくるし」

 

そんな経緯を得て今二人は真に『最強』となった。

 

「アイツがいなかったら未だに僕達は『最強』になれてなかった」

 

きっと今でも半端者の『最強』だっただろう。

性格は二人とも相変わらずのクズであるが。

 

「それに彼女にも大きな借りがある。あの人がいなかったら傑は精神的に壊れてたからね」

 

「壊れてた……?」

 

「呪霊操術は呪霊を取り込めば取り込むほど強くなれる。で、取り込むのに祓った呪霊を玉にして飲み込むんだけど……その呪霊がね、超マズいらしいの。傑曰く、ゲロ雑巾の味だって。それをあの人の術式で特定の味だけ感じられないようにしてもらったんだよ。脳に作用するってのはマジで便利だよね」

 

もしも、自分が強くなるためにゲロ雑巾の味がする物体を何千と飲み込まなければならないとしたら──その光景を想像して恵の顔から血の気が引いた。

 

「あ、そうだ。昔話に夢中になって用件忘れてた」

 

「忘れないでください」

 

「ゴメンゴメン。実は恵に極秘任務を一つ頼もうと思ってさ」

 

「何です?」

 

「特級呪物──()()宿()()()()の回収」

 

「は? 両面宿儺の指って……特級の中でも格が違う呪物じゃないですか。ガセじゃないんですか?」

 

「それがマジらしいんだよねー。場所は仙台」

 

両面宿儺の指──千年以上前に存在したとある呪詛師の指の屍蝋。

生前は当時の呪術師が総力をあげて挑んだにも関わらず全滅。

呪物に成った今も封印をかけなければ呪霊を呼び寄せる厄介極まりない代物だ。

 

「俺でいいんですか?」

 

「大丈夫でしょ。一応、封印されてるらしいし。それに君は、あの術師殺しと呪詛師殺しの子どもなんだからさ」

 

「親父はともかく、あの人は親じゃないですよ。つーか、面倒だから俺に投げたんでしょ」

 

「えー? 何ていうんだっけこういうの。かわいい子には旅をさせよ? それとも獅子は子を谷から突き落とすってヤツ?」

 

「はぁ……わかりましたよ」

 

「詳しい情報はコレに書いてあるから読んでおいてねー。僕はちょっと硝子のところに行ってくるから」

 

言うが早いか五条は持っていた書類を恵に押し付けると職員室を飛び出していく。

黒歴史を消し去るために。

 

──家入さんならバックアップ取ってそうだけどな。

 

あの『最強』二人を一生イジれるネタをそう簡単に手放すとは思えない。

家入も家入で中々に意地の悪い性格をしているのだ。

恵は、ため息を一つ吐いてクシャクシャになった書類を丁寧に伸ばすと目を通していく。

 

「仙台……か」

 

「恵」

 

新幹線の時間を確認しようとスマホを取り出したとき、後ろから声がかけられた。

振り返ればそこには件の人物が。

高専所属でもないクセに結界を抜けていることは今更驚くには値しない。

周りの職員が誰一人驚きの声を洩らさないことにも。

どうせいつも通り認識を操っているのだろう。

 

「これから任務?」

 

「はい。仙台まで」

 

「そう。気をつけてね。ところで坊っちゃんがどこにいるか知らない? こないだ高専に引き渡した呪詛師の賞金受け取りにきたんだけど」

 

「五条先生なら今出ていきましたよ。家入さんのところです」

 

「ありゃ……入れ違いになったか。ありがと。行ってみるよ」

 

「あの……一つ聞いてもいいですか」

 

「ん?」

 

職員室を出ていこうとする彼女に恵は思わず声をかけた。

さっきあんな昔話を聞いたせいだろうか。

ふと気になったことがあったのだ。

 

「アンタ……何であのクソ親父拾ったんです? それにオレの面倒まで見て。メリットなんてなかったでしょ」

 

「あー……恵。もしかして何か負い目でも感じてる? 十年以上居候してたし」

 

「ずっと親父が迷惑かけ続けて……オレのこともあったから放り出せなくて……そんなことがアンタの時間をほとんど奪って……それがなかったら、アンタもちゃんと自分の人生があったんじゃないですか」

 

「それがなかったら……か。タラレバの話は基本的に禁句なんだけどね。術師に悔いのない死はないってのは有名だし、裏では尚更ロクな死に方しないし」

 

彼女は苦笑いを浮かべてそう言った。

仮定の話に意味はない。

ああしていれば、こうしていれば──それを言ったところで死ぬときは死ぬのだ。

判断を誤った場合もあれば、どうしたって救いがない場合もある。

だからこそ──

 

「──今あることが全てだよ。他の未来もあったかもしれない──それでも私は甚爾と恵を受け入れた。それだけのこと。私が選んで私が決めたこと。私自身の意志だから。君が負い目を感じることはないよ」

 

「お人好しすぎるでしょ」

 

「あはは……ホントにそうだよね。でも、私は自分の良心に従って助けただけだから。損得なんて考えてなかったし」

 

「良心……」

 

「呪詛師とはいえ、散々人を殺しておいて何言ってるんだと思うかもしれないけどね」

 

手を伸ばしてしまった。

損得も理屈もなく、ただの良心で。

 

「もう私には自分自身くらいしか信じられるものがないからさ」

 

そう言って一歩近付いた彼女は、トン、と恵の胸を指で軽く突いた。

 

「迷ったときは自分自身に従ってみなさい。他人なんて信用ならない業界だしね」

 

「……はい」

 

よろしい、と言って今度こそ『呪詛師殺し』は職員室から出ていった。

その後ろ姿を見ながら恵は思う。

彼女こそ真っ当に幸せになるべき人だったのではないか。

本当に運が悪かったとしか言い様がない。

たまたま通り魔のような呪詛師を返り討ちにして、そこから様々な組織に狙われるようになった。

想像を絶する地獄だっただろう。

誰にも助けを求められず、呪詛師を殺して得た金だけが命綱だった。

真っ当に生きようとしても結局バカな連中のせいで逃がしてはもらえない。

そうして彼女は裏で生きることを余儀なくされた。

 

──善人が幸せを享受できるのが正しいとしても、全自動でそうなってくれるように世界はできてない。

 

世界は残酷だ。

自分を助けてくれた恩人が真っ当に生きることを諦めなければならない。

優しく頭を撫でてくれた手を血で汚して生きていかなければならない。

彼女の優しさを感じるたびに思うのだ。

他に道はなかったのか。

もっと別の選択肢があったのではないか。

そして、いつも結論は『どうしようもなかった』の一言だけ。

 

──全くもって反吐が出る。

 

そもそも彼女が一番苦しんでいるときに恵は生まれていなかったし、さっき言っていたようにタラレバの話に意味はないのはわかっている。

過去はどうしたって変わらない。

 

──なら、せめてアンタがこれからの未来を少しでもマシに生きられるように。受けた恩を返せるように。

 

自分が呪術師になることでそれが叶うのならそうしようと。

だから彼女から高専のことを提案されたときに恵は二つ返事で了承した。

 

──あの人の言う良心とは違うんだろうが……あの人に恩返しができるならオレはそれでよかったんだ。

 

彼女に一番恩を返すべき甚爾(クソ親父)は今も昔もあの体たらく。

なら自分だけでも。

そこで恵は思考を打ち切った。

とりあえず今は目の前の任務を片付けなければ。

気付けば随分長く立ち尽くしてしまっていたらしい。

昼休憩のチャイムが鳴っていた。

 

「──行くか」



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