かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~ (木下望太郎)
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一ノ巻『誘う惑い路、地獄地蔵』第1話  地獄地蔵

 逃げていた、逃げていた。谷﨑(たにさき)かすみは息を切らして。

 駆けていた、駆けていた。制服のブレザーに裂け目を、スカートからのぞくひざにいくつもかき傷を作りながら。

 

 逃げていた、駆けていた――けれど速度は出せなかった、何しろ何も見えなかった。ただでさえ夜、しかも今は霧が、鼻先に覆いかぶさってくるかのように濃く漂っていた。どころか、何も聞こえさえしない。アスファルトに響く自分の靴音と、荒い呼吸音の他は。

 やがて立ち止まる。崩れ落ちるように身を折り曲げ、膝に手をついた。大きく息を吐き出し、深く吸う。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 額の汗を拭い、後ろに目をやる。だいぶ走った、あれはもういないはず。目の錯覚かも知れないが、あれは――

 

 そう思ったとき、音が鳴る。しゃりん、しゃりん、と鈴のような。

 そして、声が聞こえた。岩と岩とがこすれ合うような声が、低く。

 

 ――一つ積んでは父のため……二つ積んでは母のため――

 

「ひ……」

 思わずかすみは声を上げた。身を起こし、走ってきた方に顔を向けた。追ってきた、追ってきたんだ、あの音は。けれどどこに――

 闇の先、霧の先に目をこらすが何も見えない。頭を巡らすが、こちらに向かってくるものがあるかすら分からない。

 けれど、どこかから音はする。しゃりん、しゃりんと(かん)高く。

 そしてまた声が聞こえる。

 

 ――三つ積んではふるさとの……兄弟我が身と回向(えこう)して――

 

 ともかく逃げようと、(きびす)を返したとき。

 気づいた、そこから音は聞こえていた。後ろ――かすみが逃げようとしていた方向――から。

 

 音を立てるのは細い錫杖(しゃくじょう)、その先端についたいくつもの金属輪。

 それを持つのは石の手、その手を包むのは石色の衣、その衣を羽織ったのは石の体。その体に()わった首は。

 僧のように頭を丸めた、あくまで柔和な石の顔。地蔵像の、その顔だった。

 

 それが柔和なそのままに、石造りらしく表情も変えず。地の底から響くような、岩のこすれるような声を上げた。

「――迷うておるな、娘御(むすめご)よ。案ずるなかれ、この地蔵が案内(あない)しようぞ」

 

 錫杖を持つ手を上げると、高い音を立てて地面を突いた。

 地響きのような音と共にアスファルトを押し割り、いくつもいくつも生えてきたのは、針。あるものは芝のように小さく、あるいは草のように細長く。あるものは木のように太く、柱のように長く。辺りを埋め尽くしたそれは、まるで針の山。地獄を描いた図で見るような。

 

 地蔵が再び杖を上げる。針の隙間の地を突いた。

 さらに大きく地響きが起こり、針の間の地が割れた。そこから赤く――炎のような血のような――光が漏れる。

 光の中に見えた、地の底には。時折炎を吹き上げる、黒く焦げてひび割れた大地。ぼこぼこと沸き上がる、血の色をした沼。それらの回りにそびえる針の山。

 そしてそこには幾人(いくにん)もいた。炎に焦がされかけながら、大地の上を逃げ惑う者。血の池に足を取られ、沈みながらもがく者。血を流しながら針山を、鬼に追われて登る者。

 その全てが、かすみと同じ高校の制服を着た男女だった。

 

「ひ……!」

 思わずかすみは声を漏らす。

 地蔵は変わらず柔和な顔で、嘲笑ったように声を上げた。

「――さあ、案内(あない)しようぞ。この地獄の底へのう」

 

 

 

 

 かすみが下校する前。

 その日も学校の様子はものものしいというか。それまでどおりに見えて、だがどこかざわついていた。学校のどこかではいつも誰かが(ささや)いていた、一連の奇妙な出来事について。

 ここ数週間、かすみの通う学校――県立斑野(まだらの)高等学校――では、突如意識不明になる生徒が何人も出ていた。外傷も体の異常もなく、眠りこけたまま目を覚まさず。時折、悪夢にうなされるような声を上げる。

 何らかの病というわけでもなく、噂だけが幾つも立った。いわく、特殊なアレルギーだとか。いわく、思春期特有の精神的な症状であるとか。いわく、呪いであるとか。

 職員会議も何度も開かれ、しかし何か対策が出たわけでもないらしく。学校は普段のとおりで、だから委員の集まりもある。

 

 だから今日、かすみは図書委員会の用事で学校を遅く出て。その後ついでに、古本屋と本屋をはしごして。しかしお目当ての作家の本とは出会えず、収穫は気になっていた漫画を立ち読みできただけ。

 それで夜、深い霧の中を帰っていて。

 それで、思うだろうか――こんなことに出くわすなんて。

 

 

 

 そして今。地蔵は何度も杖を鳴らし、(うた)うように言っていた。

「――等活(とうかつ)地獄に黒縄(こくじょう)地獄、阿鼻(あび)焦熱(しょうねつ)叫喚(きょうかん)地獄。地獄に様々御座れども、いずれも咎人(とがびと)落ちる所。故にそなたも案内(あない)しようぞ」

 石の足が一歩、滑るようにこちらへ踏み出された。地蔵は言葉を継ぐ。

「――さ、どれがよいかの。火に巻かれるか煮られるか、針の山を逃げ惑うか。仏の大慈大悲にて、今なら好みを聞いてやろう」

 

「ひ……」

 かすみは反射的に後ずさるが。そのかかとが何かに当たる。

振り向いてみれば、そこには針の山があった。地蔵の回りと同じように、視界一杯に。霧の中、大小様々の針が草木のように立ち並び、白く煌めいていた。今まで歩いてきたはずの道も、辺りの家々も――田畑と交互に並んでいるような慎ましやかなそれらも――どこにも見えなかった。

 

 地蔵の声は、笑ったように聞こえた。

「――ほうら、迷うた」

 

 膝が、指先が震えるのを感じながら、かすみは考えていた。地蔵が見せた地獄のような光景、そこにいたのは同じ高校の生徒。だとしたら……ここ数週間の、突然目を覚まさなくなった生徒ら、それと関係あるのでは? あるいはここに――地獄? に? 魂? を? ――囚われたということでは? 

 

 しゃりん、と錫杖(しゃくじょう)が鳴る。石の足が踏み出される。謡うように地蔵が語る。

「――迷うた迷うた、案内(あない)が要るぞ。ここはどこの細道じゃ、有為(うい)の奥山もう越えて……死出の山路に入りたる、気づかぬ者こそ哀れなり……」

 

 そして、もしそうなら。かすみもそこに囚われる、ということ? 

 後ずさろうとするも、後ろは隙間なく針に塞がれている。横へ逃げようとするも同じだった。

 顔を前に向ければ地蔵がいる。ずりり、ずりり、とにじり寄る、それは確かに嘲笑っていた。柔和な顔のそのままで。

 

「いや……いやぁ……」

 助けて。誰か助けて、神様、仏様――は、目の前にいるのだが――。

 助けて。本気で祈ったそのとき。

 

 じゃりん、と、音が聞こえた。地蔵の錫杖と同じ、だがもっと重い音。

 じゃりん、じゃりん、と音が近づく。野太い男の声がした。

南無阿弥陀仏(なみあみだんぶ)南無阿弥陀仏(なむあみだんぶ)六根清浄(ろっこんしょうじょう)六根清浄(ろっこんしょうじょう)――」

 

 針の山のその先、おぼろげに姿が見えた。

 僧。半円形の編み笠を深く被り、太い金輪のついた錫杖を突いた僧。がしりと広い肩幅が、窮屈げに墨染めの衣と袈裟(けさ)――ぼろぼろにほつれた袖と裾、それらの寸が足らずに(たくま)しい手足が突き出ている――に収められている。足元は素足に草鞋(わらじ)で、背にはなぜか、体からはみ出るほど大きなリュックを負っていた。

 

 僧は一際高く錫杖を鳴らす。声を張り上げた。

南無阿弥陀仏(なみあみだんぶ)(ひと)目立ち、六根清浄(ろっこんしょうじょう)大目立ち。南無妙法蓮華経(なんみょうほうれん)少し目立ち、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)かなり目立ち!」

 針山の先から僧は歩を進める。奇妙なことに、僧は針の上を歩いていた。いや、上ではない。針などどこにもないかのように、地面の高さを踏み締めて歩いた。傷一つなく。

 

「な……」

 すくんだような地蔵の前で立ち止まり、僧は低く声を上げた。

「地蔵よ。お(んし)、目立っておるな」

「な……あ……?」

「目立っておる、目立っておるわ。……このわしよりものぉ!」

 

 言うなり、振り上げた拳が。地蔵の横面をまともに打った。

「お、ごおおぉぉっ!?」

 石造りの顔を歪ませ、吹っ飛んでいく地蔵。震えながらもどうにか、倒れた身を起こす。

「馬鹿な、何故だ……この地獄道、何故貴様は迷わずにおる!」

 

「はあ?」

 笠を深く被ったまま、僧は小指で耳をほじった。声を上げると、広く張ったあごと太く並んだ歯が見えた。

「どあほう! 何をたわけたこと言うちょる! 迷うも糞も、無い道には迷えんわ!」

 手についた石片を払い、大きな拳を――スチール缶だって折り紙みたいに、畳んだ後で引き裂けそうだ――握り鳴らす。地蔵の方へとゆっくり歩んだ。

「さてと。どういうわけでお(んし)が、こんな悪目立ちしちょるのか。ゆっくり聞かせてもらおうかのう」

 

「ひ……ひいぃぃ!」

 地蔵は叫んでごりごりと、石の尻を地面にこすりつけて後ずさる。不意にその姿が霧にまぎれて薄れた。そのまま霧が厚くなり、辺りを白く塗り潰す。

 気がつけば。辺りに霧などはなかった。それどころか、針山も血の池も炎も。それらに苦しむ生徒の姿も、もう見えなかった。

 あるのはいつもの帰り道、街灯と月明かりが薄暗く照らす道路。それにかすみと、あの僧と。

 

「ふ……また一つ目立ってしもうたのう」

息をついた僧の口元は笑っていた。

 

 かすみはひとしきり辺りを見回す。いつもの道だと再確認した後で小さく口を開いた。伏目がちに僧を見て。

「あ……の……」

 何だったんでしょうか、今のは。あの地獄みたいなのとか、地蔵とか。回りにいた人たちはどこへ、それに――

 聞きたいことは矢継ぎ早に浮かんだが。それよりまず、言わなければいけないことに気づいた。

「あの。よく分かりませんけど、ありが――」

「あっ」

 

 突然、僧が大きく口を開けた。笠の中に手を突っ込み、頭を抱えて天を仰いだ。

「だあああああっ! しもうた! 迷うたあああああっ!」

 かきむしるように笠を取りながらうつむき。僧は大きく吠えていた。

「どこじゃここはあああっ! ようよう町にたどり着いたと思うたのに、いつになったら待ち合わせ場所に行けるんじゃああああ!」

 僧の大きな手が、被さるようにかすみの手を握る。

厚く、熱い手だった。

 

「のう、頼む、助けてくれい! ここはどこじゃ、斑野(まだらの)町で()うとんのかあ!」

「え……あ……」

 

 目の前、鼻の先にある僧の顔は意外に若かった。かすみと同年代、あるいはいくつか上か。僧形に似合わず髪は黒く太く長く、その頭に濃緑の布を頭巾かバンダナのように巻いている。眉も目鼻立ちも、(のみ)(つち)で彫ったように濃く太く深い。

 

「あ……はい」

わずかに目をそらしながらそう答えた。

「そうかあ、助かったわい! それとそうじゃ、斑ヶ丘(まだらがおか)駅っちゅうのはどう行ったらええんじゃい」

「えと、それならここを真っすぐ向こうに行って……信号のある大きな交差点を右に、それで正面に見えます、よ」

「そうかあ!」

 

 僧は白い歯を見せて笑う。

「いやあ助かったわい、地獄に仏とはこのことよ! この恩決して忘れはせん! 何しろ、もう着いとる約束じゃで……早う行かにゃあ、百見(ひゃっけん)の奴にまたどやされるわい」

 笠を抱えてリュックを背負い直し、駅の方へと向き直る。

 

「では、これにて御免じゃい!」

 駆け出す僧に向け、かすみは手を伸ばしていた。

「あの! ……待って、あー、その、連絡先とか、お名前を!」

 さっきのあれは何だったのか。聞く必要があると思ったし、お礼だってしなければならない。

 僧は足を止め、振り向いた。

 

「スシュン。南贍部宗(なんせんぶしゅう)が僧、四天王が一人……崇春(すしゅん)。――御免!」

 

 駆けていった先をかすみはずっと見つめていたが。多分、崇春(すしゅん)は真っすぐ行き過ぎている。もう駅は通り越した。教えようにも、今からでは追いつけそうにもない。



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第2話  崇春と百見

 

 翌日。ホームルーム前の予鈴が鳴る中で、かすみは席についていた。頬杖をつき、ため息をつく。

 何だったのだろうか、昨日のあれは。

 夢だと思えればいいのかも知れないが。地蔵や地獄のそれよりも、むしろ崇春(すしゅん)と名乗った僧の存在感がそれを許してくれそうにない。

 

「……ちゃんと駅行けたのかな」

 再び息をついて教室を見渡す。席についている生徒ばかりでなく、まだ寄り集まって談笑する生徒もいるが。彼らを差し引いても、空いているいくつかの席。

 

 あんなことがあった――意識を失ったまま目覚めない――生徒。そのうち四人は一年A組、このクラスだった。

 その人たちとは特に親しいというわけでもなく――同じ学校、同じクラスになって一ヶ月ほどしか経っていないということもあり――、特に事情を知っているというわけでもない。けれど、特別に体が弱いとか、持病があるとか、そういった話は聞いたことがない。むしろ、至って健康そうな――活発な、クラスでは目立つタイプの――子たちだったと思う。

 あの地蔵が、この病気? というか事態の原因だとして。崇春(すしゅん)が殴ったことで、あの地獄にいた人たち――意識を失っている人たちの、魂? もっとも、クラスの人たちがいたかは霧と遠目だったせいで分からなかったが――も解放されているのだろうか。かすみが助かったように。そうだったらいいのだが。

 

「はあ~……」

 肩にかかる髪をかき上げ、頭を強くかく。まったく、もやもやする。崇春(すしゅん)という人に、あのときちゃんと聞いておけばよかった。せめて連絡先だけでも――いや、今後連絡を取り合いたいとかそういうわけではなくて――

 分厚い手の感触を思い出し、少しだけ顔が熱くなっているのに気づいて。打ち消すようにかぶりを振った。

 

 そうするうちにチャイムが鳴る。いつもならもう、先生の足音が聞こえてくるところだったが。

 聞こえてきたのは、じゃりん、という音。力強い錫杖の音。聞き覚えのある野太い声。

 

南無阿弥陀仏(なみあみだんぶ)南無阿弥陀仏(なむあみだんぶ)六根清浄(ろっこんしょうじょう)六根清浄(ろっこんしょうじょう)――」

「ちょ、君ぃ、ちょっと待て君ぃ!」

 教室の扉の向こうで、慌てたような男の人の声――担任の品ノ川(しなのがわ)先生の声だ――がして。その声と崇春の声と、また別の男の声――こちらは若い、生徒だろうか――が何か言い合って。それからようやく扉が開いた。

 

 起立、の号令を打ち消すように、品ノ川先生を押し退けるように。笠と錫杖を手に入り込んできた崇春(すしゅん)が、胸を張って声を上げた。

 

「頼もおおぉーう!! 御開山拝登(ごかいさんはいとう)並びに免掛塔(めんかた)(よろ)しゅうぅう!!」

 

 その響きに窓ガラスが、びりり、と震え、クラスの誰もが――起立の途中で中途半端に立ったまま――固まって、崇春(すしゅん)を見ていた。

 

 不思議そうにそれを見回し、それから崇春(すしゅん)が歯を見せた。頭に手をやり、照れたように笑う。

「がっはっは、何やら早速目立ってしまったようじゃのう。さて、とはいえもう一度……御開山――」

 再び口を開きかけ、クラス全員が耳を覆ったそのとき。

 

 崇春(すしゅん)の背後からその頭に。断ち割るように、天から落ちたように真っすぐ。分厚いハードカバーの本が――しかも縦に、背表紙の方から――振り落とされた。

 

()ったああああ!」

 乾いた音が小気味良く響き、崇春(すしゅん)が悲鳴を上げた後。背後から姿を見せた男――先生ではない、かすみと同い年ぐらい――が口を開いた。

 

崇春(すしゅん)! 君は馬鹿かっ!」

 見たことのない生徒だった。背丈はそう変わらないが、崇春と違って――並んだせいで余計そう見えるのか――線の細い印象を受けた。真ん中から自然に分けた黒い髪は――まるでトリートメントに細心の注意を払っている女子のそれのように――きめ細かく、白い光沢さえ見えた。他校の制服だろうか、ボタンのないジッパータイプの白い詰襟に包まれた体はしかし、背筋に芯でも入っているような姿勢の良さのせいか、女性的な印象はなかった。

 

 きっちりと長方形を描いた銀縁フレームの眼鏡を押し上げ、男は言葉を継いだ。低くはないが真っすぐ通る声。

「馬鹿か君は! それは禅宗の寺院で修行志願するときの挨拶だろう! 僕らとは宗派が別だ!」

 

 よく分からないけれど。

「……そういうことじゃ、ないんじゃないですかね……」

 

 思わずつぶやいたかすみの声に、崇春が目を見開いた。

「おお、昨日の! お(んし)もこの学校じゃったんかい!」

 笑って続ける。

「いやあ、あんときはおかげで助かったわい! お(んし)がおらなんだら、未だに待ち合わせ場所にたどり着けんかったところじゃ!」

 

「ほう、七十四時間ほど遅刻しておいて言うことはそれかい」

 隣の男は眉根を寄せてつぶやいたが。すぐに、気を取り直したようにかすみの――そしてクラスの生徒たちの――方へ向き直り、大きく一度手を叩いた。

「とにかく! 彼はこのクラスに転校して参りました、丸藤(まるとう)崇春(たかはる)。通称スシュン。お騒がせしましたが、どうぞよろしくお願い致します。それとそう、僕は岸山一見(かずみ)。同じくこのクラスに転校して参りました。彼とは一応の知人です。同じく、よろしくお願い致します」

 そう言って深くお辞儀する。

 

 崇春(すしゅん)が、岸山と名乗った男の肩に腕を乗せた。

「おうよ、百見(ひゃっけん)とわしゃあ生涯の親友(マブダチ)じゃあ!」

 岸山は素早く横へずれ、崇春の腕を外す。

「知人です」

「がっはっは、照れることもなかろう――」

 

 崇春はまだ何か言おうとしたようだったが。彼らの後ろから、何度か咳払いが聞こえた。最初は控え目に、やがて強く。

 担任の品ノ川先生が、眼鏡を片手でかけ直しながら、伏目がちに――ただし、伏せた目で鋭く二人を睨んで、頬を歪めて――そこにいた。

「……君ぃら。何を勝手にやってる、普通はだ。担任たる私の指示があってだな、なぁ? 誰が勝手に自己紹介などしてるんだ、なぁ君ぃ?」

 

 睨みつけて問う先生はしかし、岸山が口を開きかけたところで――タイミングを計ったように素早く――視線をそらす。

教室を見回し――さっきの言葉は誰にともなく言った、そんな風に装い――、ネクタイを調えた。しわの寄ったスーツの襟元を正し、わずかに白髪の混じった――今年三十一歳だそうだが――(ちぢ)れ髪をなでつける。中途半端な長さのその端が、何本か跳ねた。

 

「えー、というわけでぇ。先に自己紹介が済んでしまったが、丸藤(まるとう)くんと岸山くんだ。異例ではあるがぁ、このクラスに二人転校生が入ることとなった。皆仲良く、決して規律を乱すことなくぅ、やっていってくれ」

 先生は規律を、のところで崇春を横目で見ていた。頭の上から爪先まで。

 

わざとらしく大きな咳をしてから言う。

「ところでぇ。丸藤(まるとう)くん、その服装なんだが。一体どういうつもりだね」

「む? わしの僧衣がどうかしたんか」

 目を瞬かせる崇春に、先生はさらに――視線は合わせずに――言う。

「どうしたぁ、じゃないだろぅ。我が校の規律に定められた制服ではない、転校前の制服とも思えない。一体どんな理由があって、規律を破ろうというのかね、えぇ?」

 

 そのとき、崇春の体を岸山が素早く肘でつついた。それが合図だったように、崇春は慌てて合掌する。

 岸山も合掌して言った。

「宗教上の、理由です。憲法において保証されている、信仰の自由に拠るものです」

 

 先生は目を瞬かせ、引きつった口の端を持ち上げて。二人から目をそらした。あからさまに舌打ちをして。

「あー……うん、さてぇ、そうだ机だが……用意できていなかったな。昼休みにでも準備するから、それまで空いてる席に座ってもらおうか」

 

 誰も何も言わなかったが、クラスの空気が変わった。どの生徒も、あるいは一瞬動きを止め、先生の顔を見、あるいは空いている席――意識を失った生徒たちの席――に視線をやった。

 雰囲気に気づいているのかいないのか、変わらない調子で先生は続ける。二人の方を決して見ずに。

 

「とにかくだ。二人ともぉ、くれぐれも規律を守り、面倒ごとは起こさないようになぁ」

 

 ――まったく。面倒なのが増えたな、また――生徒から顔を背けた後、小声でそうつぶやいたのが聞こえた。

 そのつぶやきを打ち消そうとするように、胸を張って教室を見渡し、声を上げた。

「いいかぁ、規律だ。誇るべき我が校の校訓『自立』と『自律』だぞ、なぁ? そもそも、なぜこのような校訓が定められたかと言えばだ、今を去ることかれこれ――」

 

 そのとき、先生の言葉を遮るように、あるいは気にした様子もなく。教室の一番後ろから、低い声が小さく上がった。

「……ウス」

 

 声の主はのっそりと、野球グローブみたいに分厚い掌をした、太い手を上げていた。その腕は並の女子の脚ほども太く、胴はドラム缶のようだった。その大きな体躯を申し訳なさげに縮こめて、それでも真っ直ぐに、手を上げていた。

 

「……何だぁ、斉藤」

 先生は手を上げた生徒、斉藤 逸人(そると)にそう言った。

 

「……ウス」

 斉藤は返事をし、それからしばらく間を置いて、分厚い唇をゆっくりと開いた。視線は誰とも合わせず、机の辺りに落としたまま。

「ウス、先生。席は……空いてない、です。持って、きます、オレ……行きます、倉庫。鍵……職員室、スよね」

 

 言うなり、象のような動きで席を立って、先生の返事を待たず出口へと歩いた。ずしんずしんと音さえしそうな歩みだったが、不思議と足音は全く無かった。

 

 崇春が唇の端を吊り上げる。腕組みをし、嬉しげにうなずいた。

「むう……好漢(こうかん)! 大した奴よ。じゃが申し訳ないわい、わしも行くぞ!」

 ばたばたと足音を立て、後を追って駆け出した。

 

「…………」

 それを無言で見ていた後、先生は咳払いをした。髪をかき上げながらかすみの方へ顔を向ける。

「あー、それと」

 

 思い出したようにそう言い、しかしかすみを見ずに続ける。

「それとぉ、谷﨑ぃ。転校生とは顔見知りのようだな。せっかくだからぁ、彼らの面倒を見てやってくれ。色々案内でもしてあげるといい」

「え」

「――頼むぞ」

 全く顔を見ないまま、先生は重くそう言った。

 



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第3話  怪仏(かいぶつ)

 

 そんなこんなで。昼休み、かすみは崇春(すしゅん)百見(ひゃっけん)――あだ名だろうか、そう呼んでくれていいと言っていた――と、学食のテーブルを囲んでいた。

 辺りは多くの生徒で賑わっている。だが当然というか、崇春たちの周りには人のいない空白地帯が常に存在していた。そのくせ遠巻きに見てくる視線が気になり、かすみは何度も辺りを見回しながらパンをかじった。

 

 百見がジュースを口にした後息をついた。

「転校初日。とりあえずは何事もなくて何よりだ」

「本当に、何事もなかったんですかね……」

 

 授業中に崇春が椅子の上で結跏趺坐(けっかふざ)――座禅の際の正式な座り方らしい、両足をそれぞれ反対側の太ももに載せた姿勢――を組み、そのまま足が外れなくなったとかで大騒ぎして。百見が本で崇春の後頭部を一撃し、その後無理やり足を外していたが。あれは何事でもなかったのだろうか。

 

「ああ、結跏趺坐(けっかふざ)のことなら存外無理のある姿勢だからね。本来は不用意にやるものではない。お釈迦様が悟りを開こうとする不退転の決意を示した姿勢という説もあるほどだ。そもそも体格によっては難しいこともあるので、無理に行なうものではない……やる場合は専用の座布団か、畳んだ座布団の上に腰かけるべきだ」

「がっはっは、ぬかったわい!」

 

 おにぎりを手に笑う崇春の声を聞き流しながら考える。このメンバーで昼食を摂るというのは、別に望んだことではない――もっとも、他に一緒に食べるような友人がいるわけでもない――が、必要なことではある。先生に言われたからと言うのではなく、昨日のことをはっきりと聞くために。しかし百見がいる以上、その話はしない方がいいのだろうか。

 

 視線に気づいたように、百見がかすみの方を見た。サンドイッチを食べていた口元を拭って言う。

「おや、何だい。何か聞きたいことでも」

「あ、いえ――」

「いいんだ、遠慮せずに言ってくれたまえ。そうだな、違っていたらすまないが……君の聞きたいことはおそらく、『仏』のこと――」

 

 かすみは息を飲み、百見の顔を見た。

 百見は笑ってうなずいた。

「そう、仏――つまり、『仏教』に興味がお有りのようだね」

「え」

 

 身を乗り出す百見、その口調が段々と速くなる。

「そう、崇春の座禅を見て少し興味を引かれたのかな? だとすれば彼の行動も無駄ではなかったということか、たまには彼も役に立つものだね。そうまずどこから話したものか仏教の特異な点というのは出発点がまず宗教ではなく哲学、哲学と言う点だねああ哲学と言っても分かりにくかったかなそうつまり神様仏様を崇めようというのではなく気持ちの持ちよう心の置き所そういったこと、仏陀先生の生き方講座といったところかなああ大丈夫怪しいセミナーとかそういうんじゃないから大丈夫怪しくない本当に怪しくないから大丈夫貴方は仏様を信じますか怪しくない大丈夫本当に怪しくないからハァハァ」

「や、ちょっ、怪しいですからーー!」

 のけぞるように身を引きながら、思わず声を上げていた。

 

 百見は驚いたように眉を上げ、それから吹き出すように息をこぼした。

「いい反応だ。さて、冗談はこれくらいにして……崇春から大体のことは聞いているよ。『地蔵』を、見たそうだね」

 

 言われて昨日の光景を思い出し、肩が震えた。

 百見がテーブルの上に手を乗せ、指を組む。

「聞いていると言っても彼からの話だ。君が見たものを、君が見たままに教えてくれないか。力になってあげられるかもしれない……何しろ、僕らは今まで何度か出会った経験がある。あの手のものにはね」

 

 かすみは口を開きかけたが、何も言えず二人の顔を見る。

 崇春は真っすぐにかすみの目を見、大きくうなずいた。

 百見もまた真っすぐに目を見返し、それから微笑む。

「大丈夫。怪しくないよ」

 

 かすみは思わず息をこぼし、それから話し出した。

 この学校で何人も、意識を取り戻さない生徒が出ていること。昨日、霧の中を遅く帰っていると地蔵が現れ、地獄のような場所へ導かれたこと。そこにはこの学校の制服を着た人が何人もいたこと。そして、崇春に助けてもらったこと。

 

 百見は手にしたハードカバーの本――日記帳のような白紙のものらしい――に、万年筆を走らせてメモを取りながら聞いていた。

 

 話し終えてかすみは言う。

「何なんですか、あれは。目を覚まさない人たちは、あそこに連れて行かれてるんですか。どうしてあんな地獄みたいな所に……いったいあの、お地蔵さんは」

「ふむ……」

 

 百見は何か考えるように、ふたをした万年筆をくるくると指で回していたが、やがて口を開いた。

「どこから話したものか……まず、君の見たものはいわゆる仏様じゃあない。少なくとも僕らが拝むようなものではね。と言って、現代の常識で測れるようなものでもない」

 

 崇春が重く口を開く。

「そうよ、ありゃあ仏に(あら)ず。ありゃあ魔のもの、(あやか)しのもの。ただし仏の姿と、それに似た力まで得てしもうた……あれら自身に取っても、あるいは不幸なことにのう」

 

 百見はうなずく。

「そう。僕らはそれを、『怪仏(かいぶつ)』と呼ぶ」

(かい)(ぶつ)……」

かすみがつぶやくいた後を受けるように、百見が言う。

「そう、君たちが出くわしたというそれは、『怪仏(かいぶつ)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)』といったところか。神仏の力を手にした魔のものという、厄介な存在……だが、逆に言えば。それが地蔵菩薩の姿を取っている以上、その力も、あるいは何らかの由来も、地蔵菩薩に通ずるものとなる。そこで、だ――」

 かすみの目を見て続ける。

「この町の地蔵像を一緒に調べてもらえないかな? 僕らは越してきたばかりだ、土地勘は全くないのでね。もちろん、君さえよければだが」

 

 そのとき、なぜか崇春が眉根を寄せた。

「むう? しかし百見、そう言うても――」

 

 百見は手で崇春を制し、言葉を継いだ。

「言いたいことは分かっている、谷﨑さんまで危険なことに巻き込むのではないかというんだろう? もちろん、その可能性はゼロとは言えない。が」

 真剣な――少なくともそのように見える――目で、真っすぐに崇春を見る。

「そのために君がいるんじゃあないか。か弱い女子を命に代えても守る男の中の(おとこ)……これは否が応にも目立ってしまうな」

 

 ぴくり、と崇春の肩が動く。

「む……おうよ、わしに任せんかい! (おとこ)崇春、地蔵が出ようが鬼が出ようが、阿修羅(あしゅら)羅刹(らせつ)に第六天の、天魔王が現れようが……命に代えても護っちゃるわい! 降魔調伏(ごうまちょうぶく)、仏敵退散!」

 懐から出した数珠を左手に握り締め、椅子を引く音も高く立ち上がる。歌舞伎役者が見得(みえ)を切るみたいに手を突き出し、叩きつけるように足を踏み締めた。

 その音に、さすがに周囲が一瞬ざわめく。そしてすぐに静まりかえる。

 

 その長い沈黙――あるいは数秒のことだったのかもしれないが――の重さに耐え切れず、かすみが目をつむろうとしたが。気にした風もなく、百見が微笑みかけてくる。

「どうだろう、お願いできるかな?」

「あ……、はい」

 かすみは、うなずいてしまっていた。

 

 そして崇春もうなずいていた。何かを噛みしめるように目をつむって、深く。

「ふ……また一つ、目立ってしもうたのう」



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第4話  仏像検分

 そうして帰りのホームルームが終わった後。

 かすみは席で小さくため息をついた。が、思い直して目をつむる。軽く両手で頬を二度はたく。

 考えてみれば何人もの子が酷い目に遭わされて、自分だってそうなりかけたのだ。自分たちの手で何かできるなら、何とかしなければ。

 息を吸い、大きく吐いて、また大きく吸い。席を立って二人の所へ向かった。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 崇春が顔をほころばせる。

「おお、谷﨑はすっかりやる気じゃのう。頼もしい限りじゃい」

 百見も笑ってうなずく。

「まったくだ。君が頼りだ、よろしく頼むよ」

 

 地蔵を調べると言っても、かすみにもそうそう心当たりがあるわけではないのだが。子供の頃から斑野(まだらの)町に住んでいる以上、少なくとも道には詳しい。

「はい!」

 

 そうして教室から出ようとしたとき、出口の前で斉藤逸人(そると)と鉢合わせる。立ち止まって道を譲ろうとしたが。斉藤は無言のまま分厚い手で出口を示し、同じく道を譲ってくる。

 

 百見が小さく礼をする。

「すまない。そう言えば今朝も良くしてくれたね、ありがとう。ああ、先にどうぞ」

「……ウス」

 顔をうつむけたままそう言って、鞄と大きなスポーツバッグをかついで斉藤は出ていった。部活に向かうのだろう、確か柔道部だと聞いたことがある。がちゃがちゃと重たげな音がするのはトレーニング用品を入れているのか。

 

 崇春が言う。

「むう、大した(おとこ)よ。見てみい、体にブレが無いわい……あの大荷物をかついでおっても、頭が全く上下せんじゃろう。相当の強者(つわもの)と見た」

 

 確かに、背を向けて去っていく斉藤の頭はその巨体にも関わらず上下せず、空間を滑るように進んでいく。

 

「へえ……」

 かすみはうなずき、その後で首をかしげた。

「でも、それがどう強さに関係あるんです?」

「知らん」

「知らないで言ったんですかーーっ!」

 百見が言う。

「まあ、別に根拠のないことじゃあない。体にブレが無いということは常にバランスが取れている、あらゆる方向に対応できる体勢ということさ。日本武道の達人ともなれば、普通に歩いていても頭が上下することは無いと聞く」

「うむ、そういうことじゃあ!」

 大きくうなずいて笑う崇春に、かすみは苦く笑った。

 

 教室から出てしばらく歩いたところで。待ち受けていたようにそこにいた、品ノ川先生に声をかけられた。

「谷﨑。すっかり転校生と仲良しみたいだな。いいことだ」

「え、ええ、はい」

 

 先生は一瞬だけ崇春と百見を見、すぐに目をそらして言った。

「あー、二人ともぉ。急な転校で大変だと思うが、他の子とも仲良くなぁ。それと我が校の校訓、それに外れることのないように。……遅くなる前に帰れよ。あんなことになってる生徒も出てるしな」

 

 先生はすぐに(きびす)を返す。どうも返事をされる前に立ち去りたかったようだが。

 

押忍(オス)、ごっつぁんじゃあ先生! 南無阿弥陀仏(なむあみだんぶ)南無阿弥陀仏(なむあみだんぶ)!」

 崇春がその背に大声を浴びせ、合掌した。

 

先生はびくり、と肩を震わせ、振り返ることなく足早に去った。

 かすみは思わずため息をつく。大変なのは先生の方だ、そう考え。同時に思った、なぜ一クラスに二人も転校生が来たか――きっと崇春一人よりは、その扱い方を知った百見がいる方がましだ。そう判断されたのだろう。

 

 

 

 三人で町を歩く。空は薄く雲が出て、暑くもなく寒くもない。

 そういえば中学生の頃、街中から転校してきた子が「ここは無駄に空が広い」と言っていた。言われて見れば確かに、この町に三階建て以上の建物は数えるほどしかない。学校と役場の他は会社のビルとマンションがいくつか、という程度。大きなスーパー――ショッピングモール、と言うほどの規模ではない――も二階建てだ。学校の最寄り駅にも駅ビルなんかはなく、そもそも無人駅だ。

 

 広い空に錫杖の音を響かせ、三人で道を行く。辺りには民家と、田植えを終えたばかりの水田が広がる。

 

「すみません、なんか……田舎で」

 かすみがそう言うと、崇春が口を開いた。

「いいや、ええ所じゃないかい。空気が美味い、食いもんも美味い! のう百見」

 百見は呆れたように首を横に振る。

「君は何を食べた上で言っているんだ? この町に着いて、学食の他はカップ麺とコンビニのパンぐらいしか食べていないだろ! まったく、もっと早く着いておけば自炊ぐらいできたろうに……転校前夜に到着する奴があるか」

 

 そういえば、昨日の崇春はずいぶんな大荷物を背負っていた。あれは引越しの荷物というわけか。

 

 かすみは言う。

「でも、自炊って。ご家族はまだ越して来てないんですか?」

「ああ、この町に来たのは僕たちだけだ。今は部屋を借りて住んでいる」

 崇春が歯を見せて笑う。

「おうよ、今流行りのシェアハウスっちゅうやつじゃい!」

 まだ流行っているのかどうかは分からないが、それにしても高校生だけで生活なんて。うらやましくはあるが、何か事情があるのだろう。

 

 百見が息をつく。

「家族世帯用のアパートを二人一緒に借りてるだけだろう……大体、三日前に駅で合流する予定だったろう。何で僕一人で掃除や荷解きをしなければいけなかったんだ」

 むう、と崇春が唸る。

「仕方あるまい。旅の道すがら、見かけた寺社に参りながら来たけえのう。ちいと道に迷うてしもうたが」

「信仰を忘れないのは結構だが、待ち合わせのことも忘れないで欲しかったね」

「あの」

 かすみは思わず口を挟む。

「そもそも……駅で待ち合わせなんですし、電車で来れば良かったんじゃあ……」

 

 崇春がしばし動きを止め、それから口を開く。遠く空を見上げながら。

「ふ……わしゃあ、仏教な男じゃけえ……」

 どうも『不器用な男』と言いたいらしい。

 

 そうこうするうち、地蔵像のある場所についた。

 田んぼ横の道路、信号もない小さな交差点の脇にその地蔵はあった。何の変哲もない石地蔵。古いものではあるようだが、歴史的と言えるほどの古さかは分からない。一応、形としては錫杖と宝珠を手にしており、昨日の地蔵と同じではあった。

 

 崇春は地蔵に正対すると、大きな音を立てて合掌し――神社に参るような拍手(かしわで)を打ったわけではないが――目をつむる。

 百見も静かに合掌する。かすみも小さくそれにならって、その後で言う。

「とりあえず、一番近くのはこれだと思いますけど……普通の、お地蔵さんですよね」

 

 百見がうなずく。

「ああ、頭髪は僧形――僧のように頭を丸めた姿――、持物(じぶつ)錫杖(しゃくじょう)如意宝珠(にょいほうじゅ)。ごく一般的な形の、何の変哲もない地蔵像だね」

「そもそも、何がどうなってたらあの地蔵に関係あるんですか?」

 ふむ、と百見は息をつく。

「それについては、僕もはっきりとしたことは言えないね。とにかく、何か異常があれば手がかりになると考えている。たとえば移動したような形跡や、あるいは大きな破損。そう、昨日は崇春が地蔵の顔を殴ったそうだね。その跡があっても面白い」

「それって、こういうお地蔵さんが歩き出して、昨日みたいなことをしてるってこと……ですか?」

 

 かすみは改めて、目の前の石地蔵をまじまじと見る。やはりただの、ごく普通の地蔵だ。少なくとも、百見の言うような痕跡は見当たらない。

 

 百見は肩をすくめた。

「さて、ね。ただ、崇春が本気で殴ったとすれば、石地蔵だって無傷では済まないさ」

 ふ、と崇春が口の端を上げる。

「そうよ。何せ、わしのパンチは時速……二トン!」

 かすみは何度か目を瞬かせて崇春を見た。その後、同じ表情で百見を見た。

 百見はかぶりを振る。

「気にしないでくれ。彼は馬鹿なんだ」

 でしょうね、と思ったが、口にはしなかった。

 

 再び次の地蔵へと向かった。少し歩いてアーケード街へ入る。と言って、都市部にあるような立派なものとは比べるべくもない、所々に薄錆びの浮いた骨組み、日差しを白く遮るのは半透明のトタン材。

 そもそも商店街と言っていいのか、開いている店が数えるほどしかない――理髪店、お好み焼き屋にうどん屋、学生服の取り扱いだけで採算を取っているのだろう服飾店には、煮しめたような色か派手すぎる柄の婦人服しか並べられていない。同じような営業形態らしい本屋は、店舗の半分が教科書の倉庫みたいな有様だ――。その他道の両側には、埃の積もったシャッターを閉めた元店舗が並んでいる。

 物珍しげに辺りを見回す、百見の視線が気恥ずかしくて。かすみは目的地へ歩みを速めた。

 

 やがて着いたのはアーケード街の片隅。小さな交差点の脇に、先ほどのよりも小柄な地蔵が並んでいた。その数は六体。

 

 先ほどのように三人で合掌した後、かすみは聞く。

「どうですか」

「ふむ……」

 

 一体ずつ地蔵に近づき、裏表を観察しながら百見が口を開く。

「ところで、これも先ほどのものも立像(りゅうぞう)、立った姿の仏像だが。坐像(ざぞう)、座った形の地蔵像を見たことがあるかい」

 

 急に言われると自信はないし、そもそも注意して地蔵を見たことなどないが。

「ない……ですかね。よく覚えてはないですけど」

「だろうね、坐像の作例も無いわけではないが。地蔵菩薩に限っては、圧倒的に立像が多い。その理由は、この地蔵が六体セットになっていることとも関係している」

 

 地蔵を見ながら百見は続ける。

「六体あるのはそれぞれが、六道(りくどう)――人間が生まれ変わっていくと考えられている六つの世界――の、全てにおいて救いをもたらすことを示している。神々の天道、人の人道、争い絶え間なき修羅道。本能に生きる獣の畜生道、飢えに苦しむ餓鬼道、そして厳罰の地獄道。その全てに分け隔てなく、ね。そして立像なのも、六つの世界を休むことなく巡って救いをもたらしている、という意味があるのだね。旅する僧侶のように錫杖を携えているのも同様だ」

 

 崇春がなぜか自慢げに錫杖を鳴らす。

「そうさの、わしとお揃いじゃあ!」

 百見は眼鏡を指で押し上げ、地蔵から身を引いた。

「ま、今のは余談だ。ここも特に変わった点は見当たらないね」

 

 次に向かったのは小さなお堂。細い川沿いの道路脇に建てられたそれは古い木造で、屋根を()く瓦も所々剥げ落ちている。

 

辺りに生い茂る草をかき分け、木の格子で造られた扉を引き開ける。次の瞬間、かすみは声を上げていた。

「あ」

 お堂の奥、床の間のように一段高くなったそこに座している、古い石の仏像には。首が無かった。

 

「これ……これじゃないですかね、これ! 首が無いなんて、崇春さんのパンチで壊れたとか……どうですかね、ね!」

 

 思わず指差す、かすみの声にも構わぬように。百見はあごに手を当て、お堂の外で仏像を見ていた。しばらくの後靴を脱ぎ、お堂の板の間に上がる。顔を近づけ、像を見ながら言った。

「君。まず、この仏像に首があったのを見たことが?」

「え」

 

 言われてみれば。お堂があるのは知っていたが、中に入ったことはない。仏像も特に注意して見たことはなかった。首があったかどうかも、はっきりとは分からない。

 

「首の割れ跡は新しいものではないようだし、埃も積もっている。少なくとも昨日壊れたものではないようだ。極端な話、お堂に安置された時点でこの状態だった可能性もある。そもそもこの像、地蔵菩薩なのかい? 誰かに聞いたことでも?」

 

 仏像――座った形のそれは相当に古く、両手の部分も欠けている――を示して百見は続ける。仏像のそこかしこを観察しながら、若干早口で。

 

「地蔵菩薩として坐像は珍しいし、頭部が欠けている以上僧形かどうかも分からない――頭を丸めている仏像ならまず地蔵菩薩、まあ神仏習合の僧形八幡大菩薩、あるいは仏弟子や弘法大師なんかの羅漢・高僧像もあるわけだが――。それに手が欠けている、これは痛い。頭や体のデザインが似た仏はそれこそ大量にいるから、それぞれの仏を象徴する持物(じぶつ)(いん)――指のポーズ――で判断するのだけれど。古い仏像はそこが欠けて、何の仏か特定できない例が往々にしてある訳だ。首飾りのような装飾品がないことから如来か地蔵菩薩、あるいは高僧像とは思うのだけれど――待てよ、地蔵菩薩には装飾品がある作例も――。あるいは素人が漠然と仏を彫ったか――いや、しっかりとした彫りだからそれはないか、仏師か少なくとも石工によるもの――で、この石仏について何か聞いたことは、聞いたことはないかい?」

 

 かすみはお堂の外でいたが。気づけば、何歩か後ずさっていた。目をそらしながら言う。

「いえ、特に聞いたことは……これがお地蔵さんかどうかも……なんだか、すいませんでした」

 

 そんなやり取りに構うこともなく崇春は草鞋(わらじ)を脱ぎ、板敷きの間に上がった。足音も高く――古びて色あせた床は一歩ごとにたわみ、軋む音を立てた。雨漏りの跡や穴の空いた箇所もある――お堂の中を歩き、辺りを見回しながら言う。

 

「むう……何の仏か分からんのは残念じゃが。しかし、ここならちょうどええわい」

 仏像の前に、どかり、とあぐらをかくと。懐から取り出した大振りな数珠を左手に掛け、両手を合わせた。

佛説摩訶般若(ぶっせつまかはんにゃ)()()()()心経(しんぎょう)! 観自(かんじ)在菩(ざいぼ)(さつ)――」

 

 突然のお経――般若心経というやつか――が、朗々とお堂に響き渡った。誰もいないとはいえ当然周囲にも。大音量で。

 

「ちょ……え?」

 助けを求めるように百見を見ると、なぜか腕組みをしてしきりにうなずいている。

「ふむ……さすが崇春、相変わらずいい読経(どきょう)だ」

 確かにいい声だ。いい声だが、そういう問題ではない。

 

 百見はお堂の中を見回しながら言った。

「周りの草むらを見てもそうだが、やはり全く手入れされていないな……人の管理を離れているとすれば、逆にこうして経を上げに来るにはいいかも知れない」

「え?」

 

 意味が分からずかすみが目を瞬かせていると、百見は眼鏡を指で押し上げながら言った。

「ええい、君は分からんのか! アパートの薄い壁で朝夕の読経などしていたら、ご近所の迷惑になるだろう! 今朝も早速隣の人に怒られたんだぞ!」

「は、はあ……」

 

 程なく読経が終わったのか、崇春の声が止んだ。目を閉じて力強く合掌したまま、満足げに息をつく。

「ふう……少しばかり目立ってしもうたかのう。さて、もう一丁――」

「待て」

 そう言った、百見も内ポケットから数珠を取り出す。

「僕もやろう。ここしばらく、引越しのごたごたでまともに経を上げていなかったしね」

「おう! では共にやるか! 佛説摩訶般若(ぶっせつまかはんにゃ)()()ー……」

 

 熱のこもったお経の上がるお堂から、わずかに距離を取りながら。この二人について来てよかったのかと、かすみは考え始めていた。

 

 



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第5話  帰り道に

 

 その後も思いつく限りの地蔵像を巡ったが、特に収穫はなかった。分かったのはこの町に、意外に多くの像やお堂があるということ。そして、それを歩いて回ろうというのが無謀だったということだけだ。

 

日はもうとっくに暮れている。西の空にわずか、燃え残った炭のような赤味が残るのみで、雲の出始めた空には星さえ輝いていた。

 

「ふむ、もうこんな時間か。今日はこの辺にしておこうか」

「そう、ですね……」

 答えながらかすみは両手を膝についていた。運動部に所属したこともなく、これだけ歩いたことも数えるほどしかない。校内マラソン大会か遠足ぐらいか。軽く膝が震え、ふくらはぎは筋が張って、既に筋肉痛すら起こりかけている気がした。

 

 崇春が言う。

「うむ、谷﨑のお陰でずいぶん助かったわい。さて、家はどっちじゃい」

「え?」

「すっかり遅うなってしもうたけえのう、何かあってもいかん。わしらがきちっと送っちゃるわい」

 

 紳士的な申し出で、なんだか意外にさえ思えた。けれど、そこまでしてもらうほど遅くはないし、この足では二人に余計な時間を取らせてしまうだろう。

 

「いえ、大丈夫ですから」

 膝に手をついて身をかがめた姿勢のままそう答えたが。

 

 崇春はかすみの方に背を向け、かすみ以上に身をかがめながら。手を後ろ――かすみの方――へ広げ、滑り込むように近づいてきた。

 

「へ……ひえっ!?」

 次の瞬間。大地が丸ごと隆起したかのような力で、かすみの体は宙に浮き上がった――崇春の両手で両脚の裏側を抱えられ、その広い背に体を乗せられて――。要はおんぶされていた、軽々と。体ごと跳ね上げられるような勢いで――そのせいでスカートがまくれ上がる、無防備な感覚が一瞬あったが。後ろに誰もいないのが幸いだった――。

 

 思わず膝から離していた手が、反射的に崇春の肩へ伸びる。抱きつくようにぴったりとしがみついていた。

「あ……や、ちょ、な、~~!?」

 声にならない言葉を口の中で叫び、手を離してもがくが。崇春の背は分厚く腰は太く、大木のように揺るぎなかった。

 

 前を向いたまま崇春が言う。

「さ、どっちに行けばええんじゃ。時間取らせてしもうたけえのう、猛ダッシュで送っちゃるわい! さあ遠慮はいらん! さあ、さあ、さあっ!」

「~~や、ちょ、待っ――」

 

 そうしてかすみがもがくうちに。つかつかと歩み寄った百見が、おもむろに本を振りかぶり。乾いた音を立てて崇春を叩いた。

「痛ったああああ! 何すんじゃい百見!」

「何してると言いたいのはこっち……いや、谷﨑さんの方だ! まったく、朝刊の見出しはこれで決まったな。『生臭坊主ついに御用! 女子高生の太ももに伸びるセクハラの魔手!』明らかにこれは訴えられる。そして負ける」

 

 そして叩きつけるような勢いで――眼鏡がちょっと宙に浮いたほどのスピードで――深々と頭を下げる。

「すまなかった谷﨑さん! だが彼も悪気はなかった、そして思慮もなく……何より知能もなかったんだ! 許してやってはくれないか!」

 さらに何度も頭を下げる百見を、かすみはおぶわれたまま見ていた。

 

崇春が声を上げる。

「うおおおお! すまなんだ、すまなんだあ百見! お(んし)に、お(んし)にそこまで謝らせるなんぞ……わしゃあなんちゅう過ちをしたんじゃああああ! 許してくれ、許してくれい谷﨑ぃぃぃ!」

 

 かすみはおぶわれたまま、二人の男が頭を下げては上げてまた下げるのを見ていた。その度に、崇春の上にいるかすみの体もまた上下していた。振り回されるような勢いで。

「~~、あ、あのっ。もっ、もういいで、すからー! 下ろっ、して! 下ろし、て下さいっ!」

 

 かすみがどうにか地面に立ったとき、二人の男は額の汗を拭って息をついた。そこからさらに、崇春は深く頭を下げる。膝に顔がつきそうなほどに。

「すまなんだ、すまなんだ谷﨑ぃぃ! わしが悪かったあああ!」

 その頭を百見がさらに押さえつける。

「ええいぬるい、ぬるいぞ崇春! その程度で谷﨑様が納得するものか、五体投地して拝まんか!」

 

 その言葉はチベットかどこかでのドキュメンタリーで聞いたことがある。その土地の仏教での礼拝だ。確か地面に頭や体をつける、土下座以上みたいな感じの。

 

「や、あの……いいですから! そこまでしなくていいですからーー!」

 投げ捨てるように言って、かすみは背を向けていた。家へ向かい、全力でダッシュする。脚は筋肉痛でろくに動かなかったはずだが、そんなことは全然なかった。間違いなく今なら――体育でしか計ったことはないが――短距離走の自己新記録が出ている。おそらく中距離、長距離でも出せるだろう。

 

「すまなんだ、すまなんだあああああぁぁ!」

 遠吠えのような崇春の声が聞こえる。五体投地しているかどうか、確かめたいとは思わなかった。

 

 

 

 さすがに途中で息が切れ、膝が再び笑い出して。かすみは立ち止まり、古びた木造の電柱に手をついた。そこに取りつけられた街灯の、おぼろげな光の下で息をつく。

二人と分かれるまではわずかに青みを残していた空の色も、今は完全な黒。そこに白く星が散らばり、街灯と同じ色をした月がぼんやりと浮かんでいた。

 

何度か深呼吸して、速まっていた鼓動が収まった後でつぶやく。

「何だったんだろ……」

 

 本当に何だったんだ、昨日今日は。変な事件に巻き込まれ、変な転校生に助けられたり連れ回されたり。それで何の収穫も無かったり。

 

 大きく深く、ため息をついた。

「ほんとにもう……何やってるんだろ」

 

 まだ震える足で腹いせに小石を蹴飛ばす。軽い音を立てて飛んでいったそれをもう一度蹴ろうとして足を踏み出す。しかし、蹴ることはできなかった。どこに行ったか分からなかった。夜の闇のせいと言うより、地面の上に漂う霧のせいで。

 

「え……」

 霧が出ていた。昨日と同じような、目の前も見えないような霧が。有り得なかった、これほど急に濃霧が出るなんて。

見上げれば、そこに灯っていたはずの街灯の明かりも、白い闇に包まれたかのように目に映らず。どころか、いくら手を伸ばしても、そこにあったはずの電柱にすら触れなかった。

 

 幕のように周囲を覆う霧の向こう、音が聞こえた。しゃん、しゃん、しゃりん、と、金属が軽く打ち合うような。聞き覚えのある音、錫杖の音。崇春が送りに来てくれたのかとも一瞬は思ったが、違った。音が違った、崇春のそれよりも軽い錫杖の音。

 それが道の先からこちらに近づいてくる。一歩一歩、歩むように。石を引きずるような足音と共に。

 

 声が聞こえた。地の底から響くような、石と石とがこすれ合うような声。

 

――一つ積んでは父のため……二つ積んでは母のため――

 

 昨日聞いたばかりの、あの地蔵の声。

 

 ――三つ積んではふるさとの……兄弟我が身と回向(えこう)して――

 

 指先が震えるのを感じながら、かすみはゆっくりと、足音を立てないようにゆっくりと(きびす)を返した。もうずいぶん離れてしまったが、二人の所に戻れるだろうか? それとももう帰ってしまって、元いた場所にはいないだろうか? 何にせよ、彼らに頼るしかなかった。あの二人なら――崇春なら――何とかしてくれる、はず。

 

 しかし、足音を忍ばせて踏み出した一歩目は。爪先が霧の向こうの何かに当たり、かち、と小さく音を立てた。何か、金属に触れたような音。

 

 ぬるく風が吹き、霧が流れて薄まったそこには。草木のようにびっしりと、大小さまざまに煌めく針がひしめいていた。

 

 かすみの背後で錫杖が鳴る。

「――ほうら、迷うた」



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第6話  広目天(こうもくてん)

 

 ゆっくり振り向くと目の前、手を伸ばせば触れてしまえそうな所に、地蔵はいた。

「ひ……」

 

 反射的に後ずさった両足と背が、針山の腹にひやり、と触れる。

 

 地蔵の顔は、頭二つほど上から見下ろすその顔はあくまでも柔和に、にたりにたりと笑って見えた。

 

「――娘御よ。哀れ、哀れよ。首尾(しゅび)良く逃げたつもりでも、逃げた先でもまた迷う。六道(りくどう)の世を巡り巡って、それでも迷うが人の(ごう)。さあ、今こそ償え己が罪」

 

「あの……ま、待って」

 かすみは小さく手を突き出し――足は未だに後ずさろうとし、背はきつく針山の腹に押し付けられていた――、声を上げた。それしかできなかったし、そうするしかなかった。

「待って、待って下さい! 何でそんなこと……他の人たちだって、倒れてる人たちだって、何もしてないはずです!」

 

 見下ろす地蔵の柔和な顔は、固く(にら)んでいるように見えた。

「ほう、何もしていない。何もしておらんとな」

 

 かすみは必死に――指先と膝が震え、まともに地蔵の顔も見られないが――声を上げる。

「そうです、何もしてません! 償うとか何も――」

 

 その言葉を断ち切るように錫杖を強く打ち鳴らし、地蔵が声を高く上げた。

「黙りおれ! 何もしておらぬだと? 咎人(とがびと)が何をぬかすか! たとえ貴様が知らずとも、犯した罪は罪よ! 裁きは既に下されておる。それを貴様に課すのが我が使命。さあ、黙して受けよかの裁き、黙して服せよこの刑罰!」

 

 小さく息を漏らし、やや声を低めて続けた。

「ともあれ、知らずに犯した罪なれば、幾許(いくばく)かは斟酌(しんしゃく)もしてやろうぞ。どうした、礼の一つも言うてはどうだ」

 

 かすみは口を開けはしたが、何と言うべきかは分からなかった。

 

 そのとき、聞き覚えのある声が後ろから響く。

「では、僕の方から礼を言っておこうか。ありがとう……思惑通り出てきてくれて、ね」

 

 振り向こうとしたかすみの顔の横を、風を切る音を立てて何かが通り過ぎる。強靭(きょうじん)な背表紙を持つ、ハードカバーの本。それが乾いた音を立てて、地蔵の額にぶち当たった。

 

「が……!」

 地蔵は(うな)り、額を押さえてよろめく。

 

 革靴の音も高く――ごく普通の、アスファルトの上を歩く音だ――、百見はかすみたちの方へと歩いてきた。辺りにはびっしりと、大小様々な針の山が生えているにも関わらず。それらをよけて歩くでもなく、針の上を踏むのでもなく。針など存在しないかのように、本来地面がある場所を踏みしめていた。その光景はちょうど、昨日崇春が針の山を無造作に渡っていたのに似ていた。

 

 違うのは、百見が何やら手を独特の形――両手の甲を向かい合わせにし、人差指のみを絡め合わせている。他の指は自然に開き、親指で中指の爪を押さえる――に組んでいることか。

 

手を崩さずに歩きながら、百見が言う。

「さて、怪仏・地蔵菩薩よ。見つけたからには逃がしはしない。ここで引導を渡してくれる」

 

 地蔵は変わらぬ石の顔のまま、それでもうろたえたように後ずさった。

「な……あの男だけでなく、貴様もか! 何故、我が地獄道に迷わずにおれる!」

 

 手の形を胸の前で保ったまま、百見は口の端を上げる。

「当然さ。お前のような怪仏ではない、全てを見通す我が守護仏のご加護があればね。――寺の子供をなめるなよ」

「おのれ、おのれおのれぇっ! 黙れ()れ者、受けよ我が怪仏罰(ぶつばつ)を!」

 

 地蔵が錫杖を高く掲げ、貫くように地面を突いた。その先からまるで波のように、一直線に生え出る針山が百見へと向かう。

 

「百見さん――!」

 危ない、とかすみが言おうとしたその時には。百見はすでに、その言葉を唱えていた。

 

「オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ。護法善神二十八部衆の一にして(あまね)四方(よも)(つかさど)りし四天王の一、結縁(けちえん)()りて(きた)れ西方の守護者――帰命頂礼(きみょうちょうらい)、『広目天(こうもくてん)』!」

 

 組み合わせた百見の手が辺りに白く光を放つ。その光が収まったとき。百見の前に現れた大きな人影――百見より頭二つは大きい――が、迫り来る針山を受け止めていた。

 がしりと肩幅の広いその人影は、ちょうど仁王像――教科書に載っている、運慶・快慶作のあれ――によく似ていた。だがその体は半裸ではなく、深い赤色をした古代中国風の鎧をまとっている。鎧と同じ色をした髪は頭の真上からやや後ろにまとめられ、丸く結われている。その姿は全体に淡く輝き、時折陽炎(かげろう)のように揺らめいて見えた。

 

 手を組んだまま百見が言う。

「これが僕の守護仏、全てを見通す目を持つ者。四天王の一尊(いっそん)、『広目天(こうもくてん)』。彼の力があれば地獄の幻などに惑わされることはない、が」

 

 広目天が針山を受け止めた手を離す。その掌から破片となった針がこぼれて地面に落ち、金属音を立てた。

「実体の針も生み出すことができるようだね……なるほど、地蔵菩薩の名はサンスクリット語――古代インド言語の一種――でクシティ・ガルバ――『大地の宝蔵』、あるいは『大地の母胎』――に由来する。作物などの恵みと鉱物のような資源を無尽蔵にもたらす大地の力、それを模したか」

 

 地蔵が歯軋りの音を立てる。

「ふん、貴様も妙な力を使うようだが。それがどうした、我が司る大地の力、止められるか! 受けよ、【地獄道大針林(だいしんりん)】!」

 

 地蔵が杖を地面に突くと、先ほどのように――いや、先ほどよりも遥かに多くの――針が地面を貫いて生え、辺り一面ごと飲み込むような波となって百見へと向かった。

 

 かすみは思わず息を飲んだ、が。百見の表情は変わらない。

「へえ。それがどうした」

 

 胸ポケットから万年筆を取り出すと、くるりと指で回し。キャップを開け、ペン先を針山へ向けて振るった。

 

広目天(こうもくてん)、今こそ(ふる)えその持物(じぶつ)。【広目一筆(こうもくいっぴつ)】!」

 

 百見の前に立つ広目天は、いつの間にかその右手に筆、左手に巻物を握っていた。百見の動きに合わせるようにその右手が動き、(したたる)るほどに墨を含んだ筆を空間へと打ちつけるように(ふる)う。

 

 その筆が通り過ぎた空間、正にそこに。書道でいう楷書(かいしょ)――漢字の書体として最も多く目にする、活字のような書体――のように、かっちりとした筆跡(ふであと)が走る。まるで大黒柱のような太さを持って。最初に強く筆を着ける起筆の墨痕(ぼっこん)も黒々と、そこから運ぶ送筆と、強く打ち止める収筆の跡も確かにそこに――空間それ自体に書かれたように――横一文字に、現れていた。

 まるでそれが物理的な壁であるかのように。押し寄せた針山の波はその墨跡(ぼくせき)にぶち当たり、硬い音を立てて砕け散った。

 

 得意げに、百見はくるりと万年筆を回す。

「世の中の、善きも悪しきも何事も、広目天の筆先一つ――。ヴィルーパークシャこと広目天、『異様なる目を持つ者』。その役割は全てを見通す目で人々の善行悪行を視認し、記録して上位の神仏へと報告すること。大事を担う神筆、地獄の針程度で折れやしないさ。さて……行くぞ!」

 

 百見は――広目天は――、横一文字に筆を(ふる)った。辺りに残る針山の上、百見と地蔵とを結ぶ直線上に、橋のように一の字が鮮やかに描かれる。その上に軽く跳び乗り、地蔵へと駆けた。

 

「さあ。添削(てんさく)しよう、お前の存在。受けよ、【広目一筆(こうもくいっぴつ)】!」

 共に駆ける広目天が筆を振り上げた、そのとき。

 

「うおおおおおーーっ! 【スシュンキック】じゃああぁぁーっっ!」

 かすみと百見の向こう、地蔵の背後から。霧の中を走り出た崇春が、突然地蔵の背へ、跳び蹴りを食らわせていた。

 

「な……」

「え……!?」

「があ……っ!?」

 百見とかすみが声を詰まらせ、地蔵が前へと吹っ飛び。広目天の筆が宙を空振る。

 

 地面へ擦れる音を立て、地蔵が倒れた後。崇春は腰に手を当てて高らかに笑う。

「がっはっは! ちぃと道に迷うたがのう、ギリギリセーフじゃ! やい怪仏(かいぶつ)よ、観念せい! このわしこと四天王が一角、南方の守護者。『増長天(ぞうちょうてん)』の崇春が来たからにはのう!」

 

 ぱく、と口を開けた後、何か言いたげに口を動かして。その後思い出したように、百見が声を上げる。

「君は……馬鹿かっ! 後ろから回り込めとは言ったが、何で今来た!」

 

 崇春は困ったように目尻を下げ、眉を寄せる。

「むう? ちゅうても、わしゃあその、ちゃんと後ろから来たし、頑張ってじゃな……」

 

 地面にうつ伏せで倒れていた、地蔵が震えながら身を起こす。

「ふ、ふふふ……。確かにぎりぎりといったところか、我にとってはな。さらばだ!」

 こちらに背を向け、白く煙る霧の中へ。滑るような動きで地蔵は逃げてゆく。

 

「むう!? 卑怯な、待たんか!」

「ちぃ……!」

 百見がペン先でその背を指し、広目天が筆を十文字に揮うが。空間に舞った墨痕も届かなかったか、地蔵の姿はそのまま見えなくなった。

 

 崇春が追って駆け出したそのとき。全てが嘘だったかのように、辺りを覆っていた霧が消えていた。かすみの真横には木の電柱があり、古い蛍光灯が辺りを白々と照らしていた。もちろん、道の先にもどこにも、地蔵の姿などはなかった。

 

「……逃がしたか……」

 つぶやいた、百見の拳は固く握られていた。

 

 崇春は路地を駆け、その先で辺りを見回す。それでもやはり、地蔵の姿はなかったようだ。心なしか顔をうつむけ、ゆっくりとこちらへ振り向く。

「ぬ……むう、しまった……。どうやら、わしのせいじゃ」

「ああそうさ」

 靴音も高く近づき、百見は崇春の胸倉をつかむ。

「もう一息、もう一息だったんだぞ! せっかくエサに食いついて、のこのこ出てきたというのに! それが……何をしてくれている!」

 

 かすみは震える両手を開き、押さえるように百見に向けた。

「あの、すみません、その。そんなには、怒らなくても……」

「君は黙っていてくれ!」

 百見が手を離し、かすみの方を向く。

 

 そのとき、崇春が頭を下げた。真っ直ぐに、腰よりも低く。

「すまん」

 百見が小さく口を開け、そちらを振り向く。

頭を下げたまま崇春は続けた。

「確かに、余計なことをしでかしたようじゃ。全てはわしの(せき)。すまん」

 小さく鼻を鳴らし、百見は言う。

「どうした、いやにしおらしいじゃないか」

「本当にすまなんだ。じゃが――」

 顔を上げて百見の目を見る。

「じゃが、一つ聞かせてくれんか。百見よ、お(んし)はさっきこう言わんかったか。『せっかくエサに食いついたのに』と」

 

 百見がわずかに視線をそらす。

「……確かに、言ったね」

「そりゃあつまり、谷﨑を奴に襲わせるつもりで、(おとり)使(つこ)うたっちゅうことか」

 

 え、と口から出かけたが、かすみは黙ったまま二人の顔を見た。

 崇春は百見の顔を見、百見は視線をそらせたままでいた。

 

「……そのとおりさ。一度狙われた谷﨑さんを同じ状況で一人にしておけば、敵はそれに食いついてくる。どこにいるか分からない人間を探すより、そちらの方が手っ取り早い」

「……そうか」

 崇春はそれだけ言うと、かすみの方へ歩み寄った。

「すまん。百見も、悪気があったわけじゃあないはずじゃ。それよりもわしに責がある……守ると大見得切っておいて、出遅れるようではのう。すまん」

「いえ、別にその……」

 

 百見は黙って顔を背けていたが。横目でじっと崇春と、かすみの方を見ていた。やがて小さくかぶりを振ると、小走りに近づく。同じく頭を下げた。

「……すまなかった。君を危険にさらしてしまった。こうするにしてもせめて事前に、説明をしておくべきだった。崇春ではなく、僕に非がある」

「いやそれは、いいんですけど……それより――」

 押しとどめるように手を向け、二人を交互に見やりながら。かすみは二つのことが気にかかっていた。一つはもちろん、百見が使った不思議な力のこと。そして、もう一つは。

 

「――さっき、『どこにいるか分からない人間を探すより手っ取り早い』って、言いましたよね」

「ああ」

 顔を上げた百見がうなずく。

 

「っていうことは……そもそも、人間、なんですか? さっきの、お地蔵さんって」

 

 百見と顔を見合わせた後、崇春が言う。

「むう? そりゃそうじゃが……言うとらんかったかのう?」

 百見も言った。

「言ってはなかったね」

 

 何度か口を開け閉めした後、かすみは百見を指差した。

「でも、地蔵像に変化した跡がないか、調べるって……崇春さんに殴られた跡がないか、とか」

 百見は眼鏡を指で押し上げる。

「仏教を由来とする言葉にこういうものがある。『嘘も方便(ほうべん)』」

「嘘だったんですかーー!?」

 

 百見は肩をすくめてみせる。

「仕方がないだろう。自然にエサ……いや、囮になってもらうために遅くまで連れ回そうと思ったが。他にいい理由がなくってね」

 

 かすみは顔を引きつらせて百見を見た後、崇春に顔を向けた。

「うむ、わしも何でまた地蔵像を調べるのか、不思議じゃったんじゃがのう。何ぞ考えがあるようじゃったんで、何も言わんかったんじゃが」

 引きつったかすみの頬が――そして筋肉痛の脚が、ひざが――ぴくぴくと震える。

何だったんだ、今日あれだけ歩き回ったのは。そして地蔵なんか、何で一生懸命に見てたんだ。

 

「しかし、今日は多くの地蔵様に参れて興味深かったのう。がっはっはっは!」

 笑う崇春の顔を見る。思わず肩の力が抜けて、へたり込みそうになりながら言った。

「いいですよ、もう……。それよりどうするんですか? その……人を探すのって」

 

 真顔になって崇春が言う。

「むう、そのことなんじゃが。ずいぶん危険な目に遭わせてしもうたからのう、谷﨑はもうかかわらん方がええじゃろう。わしと百見だけで――」

 百見が遮るように手を上げた。

「いや、残念ながらそうもいかなくなった。――谷﨑さん。君を今日囮としたことには、もう一つ理由がある。それは『君が狙われているかどうか確認する』こと。もっと言えば、敵が何らかの理由で君を狙うのか、それとも無差別に狙っただけで、他の誰でもいいのか。それを知る必要があった」

 

 かすみの表情は固まっていた。まるで波が引いていくように、顔から血の気が引いていく感触。

「……それって、つまり……」

「残念ながら前者のようだね。敵の狙いは――少なくとも今は――、君だ」

 

 かすみが何か言うより早く――手が体が、震え出すよりも早く――、崇春が一つ大きく手を叩いた。

「よぅし! そうと分かりゃあ早速、谷﨑を徹底ガードじゃい!」

 百見も強くうなずく。

「ああ、朝から晩まで徹底的にね」

 

「え」

 かすみは口を開けていた。

 

 かすみを気にしたそぶりも見せず、百見は崇春に言う。

「帰り道はこのまま送っていくとして、問題は夜だね」

「うむ、そういうことなら任せんかい! (おとこ)崇春、今夜は野宿パーティーじゃい!」

 

 かすみは同じ表情で、また口を開けていた。

「え」

 

 片手の指をあごに当て、百見は何度かうなずいていた。

「それしかないな。よし、必要な物は僕が用意しよう。君は谷﨑さんを送った後そのまま近くで野宿だ。すぐ助けに行けるよう、できるだけ家の近くで――」

 二人の間に手を入れ、引き離すように押し広げて。かすみはどうにか声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 何がどうなって野宿なんですかー!?」

 

 百見は表情を変えずに言う。

「心配はいらない、君は家で普通に生活してくれればいいんだ。ただ、万が一に寝込みを狙われてもいけないからね。すぐに助けに行けるよう、できるだけ近くでガードにつく必要がある――そういうわけで、君の家の近くで野宿する。崇春が」

「……え」

 

 言葉を失うかすみに、百見は微笑んだ。

「気にする必要はないさ。回峯行(かいほうぎょう)のように、夜に山野を巡る修験道系の修行は仏教にもある。彼なら大丈夫だ」

「うむ、この町に来るまでも野宿続きじゃったしのう」

 

「えーと、あの……」

 そういう心配ではなく。友人とはいえ昨日今日知り合ったばかりの人が、家の近くで野宿するって。気持ちの良いものではない――というか、だいぶ嫌だ。

 

 その気持ちを察したように百見が言う。

「言いたいことは分かる。突然だし、確かに気分のいいものではないだろう。だが、狙われているというのもまた現実だ。確実に守るのに、他に方法はないんじゃないかな」

「うぅ……まあ、それは、そうかも……」

 

 百見が一つ手を叩く。

「よし崇春! 谷﨑さんの許可が下りたぞ! 早速野宿パーティーの準備だ!」

「ちょ、待――」

「ようし! では行くかのう!」

「だから待っ、待って下さいってばーー!」

 崇春に手を引かれ、百見に背を押されて駆け出す。

 

 走りながらふと思う。結局、百見の不思議な力――仏? 四天王? を、呼び出した?――は、何なのか。同じく四天王とか名乗っていた崇春にも、同じ力があるのか。

 が、その疑問はすぐに消えた。と言うより――

「さあ急げ、急がんか谷﨑! さっきの奴が戻ってきたらどうするんじゃ!」

「そうだぞ谷﨑さん、君のためだ! さあ早く!」

「ちょ待、本当、待っ、助け、誰かーー!」

 

 疑問を抱く余裕、ましてや質問する暇も無く。かすみはまたも、中距離走の自己記録を更新することとなった。筋肉痛の脚で。

 

 

 



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第7話  魔王女……?

 

 次の日。未だ残る――一晩経ってよりひどくなった――筋肉痛の脚を引きずりながら。かすみは通学路を歩いていた。

 

「うう……」

 声が漏れたのは脚の痛みのせいばかりではない。それよりもむしろ、あからさまに怪しい人影がかすみの後方を、一定の距離を保ってついてきていることに対して、うめき声の一つも上げたかった。

 

「…………」

 怪しい人物は無言のまま、電柱の陰に隠れている。いや、隠れているつもりなのだろう。体を横向きにしていても、あからさまに大きな体格が、分厚い胸板が、何より頭の笠――顔を隠しているつもりなのだろう、やけに目深にかぶっている――と、体からはみ出す巨大なリュックが。電柱から完全にはみ出している。

 

「……おはようございます、崇春さん」

 怪しい人影はびくりと身を震わせ、背を向けて一つ向こうの電柱の陰まで走り去った。

 

 かすみは小さく息をつき、そちらまで歩み寄った。

「だから、おはようございます、崇春さん」

 

 怪しい人影は後ろを向いたまま、固い声で言う。

「むう、崇春? 一体誰のことかのう、拙僧(せっそう)はただの修行僧にて、今は托鉢行(たくはつぎょう)の途中……南無阿弥陀仏(なみあみだんぶ)南無阿弥陀仏(なむあみだんぶ)

「いえ、あの。私に正体隠しても意味ないんじゃあ……」

 

 結局、昨日は本当に野宿をしたらしい。かすみは外に出ないよう百見から言われていたので、どこにいたのかは知らないが。

 しかし、昨晩はなかなか寝つけなかった。狙われているということよりも、崇春がその辺で野宿ということで。申し訳ないような、正直やめてほしいような。

 

 そこまで考えて、かすみは小さくかぶりを振った。そうだ、そんな風に思うべきではない。かすみのためにわざわざしてくれたことだ。

 意識して笑顔を向ける。

「崇春さん。ありがとうございました、大丈夫でしたか? 寒かったりとかは」

 

 崇春はまだ後ろを向いている。

「むう、拙僧は崇春などではないが……崇春坊なら、昨日は何もなかったとのことじゃ」

 かすみは小さくため息をついた。

 

 そのとき。どこからか駆け寄った百見が、笠の上から本を振り落とす。

「崇春! 君は馬鹿かっ!」

 かすみは言った。

「百見さん! そこまでしなくても」

「いいや、こういうことはきちんとしておかなくては。いい加減にしろ崇春! 説明しただろう、托鉢免許の無い者の托鉢行為は禁止だ!」

「そういうことじゃありませんからーー! ……そもそも免許制なんですか、それ」

 百見は眼鏡を指で押し上げる。

「法律上のものではないが、各宗派で出されているはずだ。正当な修行だと示すための免許がね」

 

 その話はそこで終わり、学校へ向けて歩きながら話をする。

「昨日は何もなかったようで何よりだ。崇春も役に立ったかな」

 崇春が口元を緩める。

「ふ……どうやら、敵もこのわしに恐れをなしたようだのう」

「だといいが。しかし、ここから先の動きは読みづらいな。襲ってくるなら迎え討つまでだが、僕らが継続的にガードしていると向こうが知ったなら。無理には襲ってこない可能性もある。そうなるとどこから調べるか」

 その口ぶりだと相変わらず、かすみを囮に使う発想は残っているようだ。そう考えたのが表情に出てしまったと、自分でも分かった。

 

だが百見は気づいたのかどうか、変わらない調子で続ける。

「まあ、もちろん手立ては考えているが。しかし逆に、僕らがいると知ってまで襲ってくるなら……相当の理由があって君を狙っているということになる。失礼だが、何か心当たりは? 他人から恨みを買うような」

「いえ、そういうのは思い当たりませんけど」

 人に恨まれる覚えもないし、基本的に人とトラブルになったことはないはずだ。

 

 崇春は深くうなずく。

「じゃろうな。谷﨑に限って人から恨まれることなぞなかろう」

 百見は肩をすくめた。

「どうかな。人は殺されるとき、大抵その理由を知らずに死ぬというしね」

 縁起でもないことを言う。

 

 同じように思ったのかどうか、崇春が考えるように腕組みをする。

「むう……もしそうだったとしても、じゃ。恨みなんぞ捨ててしまった方が楽じゃろうに。誰に取ってものう」

 

 誰に取っても――つまり、恨みを持っている人自身に取っても、ということか。

 かすみはうなずく。

「なるほど……深いですね」

 

 百見は口の端を嬉しげに持ち上げた。

「『(おん)の中に(あっ)(いきどお)らず、極めて楽しく生を過ごさん』――自分を恨む人々の中にあっても恨みを返すことなく、大いに楽しく生きよう――。『法句経(ほっくきょう)』こと原始仏教の経典、『ダンマパダ』の一節か。なかなかよく勉強しているじゃないか」

 

 かすみは口を開けた。

「へえ……そういうのがあるんですか」

 崇春も口を開けた。

「ほう……そういうんがあるんか」

「って、分かってて言ったんじゃないんですかーー!?」

 

 百見はなぜか腕組みして何度もうなずく。

「なるほどね……さすが崇春、僕の見込んだ男だ」

「何でちょっと嬉しそうなんですかーー!?」

 崇春は口の端を持ち上げ、頭の後ろをかく。

「ふ……そう誉められると照れるわい」

「だから何で嬉しそうなんですかーー!?」

 

 そんなやり取りに時間を取られ、結局気になっていたこと――百見の不思議な力のこと――は聞けないまま学校に着き、教室の前まで来た――

 

「――色不異空(しきふいくう)空不異色(くうふいしきー)色即是空(しきそくぜーくう)空即是色(くうそくぜーしき)受想行識(じゅーそうぎょうしき)亦復如是(やくぶーにょーぜー)――」

 ――なぜか崇春が錫杖を鳴らし、お経を唱えながら。崇春いわく、勉強不足だったことへの反省を込めた修行、ということらしいが。

 

 かすみは二人から数歩後をついて歩いていた。正直もっと離れていたかったが、二人の手前そうもいかない。できる限り、他人のような顔はした。

 教室の中からこちらを見るクラスの子たちは、崇春に奇異の視線を送るも、騒いだりはしなかった。昨日のである程度慣れてはいるのか。

 だが、廊下にいた他のクラスの子からはざわめきが上がったし、それに。同じクラスでも、驚いた声を上げた女子がいた。

 

「……な、なん……あ、え……?」

 

 ちょうど廊下の反対側から歩いてきて、二人と出くわす形になったその子は。多分崇春がこの場にいなければ、相当目立っていただろう――実際、崇春が転校してくるまではそうだった――。

 

 一言で言えば間違ったアリスだ、何もかもを間違えた感じの。

 捕まえるのに成功したのか、時計を持ったウサギは彼女の鞄にぶら下がっている。絞首刑のように、粗い縄を首にかけられた状態で。その周りには同じようなマスコット、トランプの兵隊、玉子のハンプティダンプティ、首を刎ねよとのたまう赤の女王、首だけのチェシャ猫が、同じく縛り首になってぶら下がっている。

他にも幾つか、人体骨格模型のようなミニチュアの飾り物も同じ目に遭っていた。それらの頭蓋骨にはどれも、中南米風の極彩色の模様が描かれている。

 

 鞄を――と言うべきか、それらマスコットをと言うべきか――持った、彼女の背丈はかすみより頭半分低い。しかし目線は同じ位置にある――ひどく厚底の、ヒールではなく全体が高いブーツのせいで。

 銀色に染められたものが交じった黒髪はくせ毛なのか波打ちながら、ツインテールに分けられて顔の両側に垂れている。小さめの顔は人形のように整っていたが、それよりは大げさな付けまつ毛と真っ赤な口紅が人目を引いた。

 制服のブレザーをきっちりと身につけてはいたが、その襟元や裾は――手縫いだろう、ちょっと歪んだ――黒地に白のチェック柄の布で縁取(ふちど)られていたし、ボタンは――どこに売っていたのか――黒い頭蓋骨の形をしていた。胸元のリボンの中央にも同じ飾りがついている。

 

 かすみは苦笑いした。そういえば彼女は昨日休んでいたようだし、初めて崇春を見たら誰だって驚くだろう。

 

 かすみは足を速めて崇春の前に出、その女子に軽く頭を下げた。別に親しいわけではないが、説明しておいた方がいいだろう。

「おはようございます、賀来(がらい)さん。こちらは昨日うちのクラスに転校してきた方で――」

「おう、わしが崇春じゃい! お(んし)もこのクラスの(もん)か、よろしゅう頼むわい!」

 かすみの言葉を食い気味に、崇春が声を上げた。

 

 賀来(がらい)は口を開けたまま、かすみと崇春の顔を交互に見ていた。

 かすみは一つ咳払いして口を開く。

「と、とにかく。こちらは転校生の丸藤崇春(まるとうたかはる)さんと、岸山一見(かずみ)さんです。二人ともうちのクラスなんですよ、珍しいですよね? で、こちらが賀来留美子(がらいるみこ)さ――」

 二人に向かって賀来を示したとき。

 

「カラベラ」

 遮るように賀来(がらい)がそう言った。先ほどの驚いた様子とは打って変わった、低く響く声で。

「カラベラ・ドゥ・イルシオン。賀来(がらい)などと、人の子としての名に過ぎぬ……。カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス……『魔王女たるカラベラ』それが我が真の名よ」

 

 かすみは黙って目をそらし、曖昧に微笑んだ。

 こういう子だった、こういう子だった、彼女は。特に友人というわけではないが、未だにどう接していいのか分からない――他の人たちも同じらしく、彼女と親しく話す子は見たことがない――。

まったく、先生が頭を抱えるのも無理はない。昨日だって崇春を見て言っていた、――面倒なのが増えたな、また――と。

 

「カラ……イル……?」

 眉根を寄せ、舌をもつれさせている崇春。

 フ、と――なぜか勝ち誇ったような――息をついて賀来(がらい)が笑う。

 

「カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス。よいわ、奇異の目で見られることには我も慣れておる。言い(がた)ければ、カラベラとだけ覚えおけ」

 ――それより一人称は『我』でいいのか――思いながらかすみは、視線を決して合わせなかった。

 

 賀来(がらい)はなおも優しく微笑む。

「それでも言い難いなら、そうだな。略して『ベラ』と呼ぶことを特別に許そう」

 ――しかも略称を自己申告してくる――かすみの頬が引きつり、変な位置で固まった。吹き出しかけた息をこらえる。

 

 崇春はまだ首をひねっている。

「ベラ……ド……?」

手を一つ叩き、賀来(がらい)はさらに言った。

「そうだ! 『ベラドンナ』そう呼んでくれても構わないぞ」

 ――略称伸びた! ――かすみの頬は引きつったままひどく震えたが、それでも耐えた。

 

 崇春は大きくうなずいた。

「うむ! よろしく頼むぞ、魔王……『魔王たるガーライル』よ!」

「ぜんっぜんっ違いますからーー!!」

 叫んだのは賀来(がらい)ではなくかすみだった。

 

「む、むう?」

 崇春は目を瞬かせたが、かすみはもう止まらなかった。

「いいですか? まず賀来(がらい)留美子という本名があってですね、それをファンタジーな感じに(もじ)って『カラ』ベラ・ドゥ・『イルシオ』ン……で、さらに箔をつける感じで称号というか尊称というかでフォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス、悪魔の王女とかそういう意味ですかね、をつなげるわけで……そうやって違う自分を演出というか、ね? ここではないどこかの私ではない私? とか凡百の徒とは違う私、といった自己表現をですね、……ですよ、ね?」

 身振り手振りを交えながら早口でそう言って、息も整わないまま賀来の方を見る。

 

 賀来は中途半端に口を開け、目を瞬かせていたが。曖昧(あいまい)にうなずいた。

「え、あー……うん。まあ、そう……いや違っ、違うぞ! 何が、何が演出だ、カラベラこそ我が真名――」

「むう……よく分からんが、魔王よ」

 崇春が錫杖を手に賀来へと向き直る。

「第六天の魔王かはたまた、天魔波旬(はじゅん)か知らねども。お(んし)が真に魔王というなら、何ぞ悪さをするのなら。いずれ、この崇春が調伏(ちょうぶく)してくれようわい。……じゃが、今はともかく同じクラスの仲間よ。よろしく頼むわい」

 

 賀来は口を開けていたが、やがて小さく――おそらく、意識して小さく――笑った。

「……ふ、ふん。異教の僧侶か何か知らんが。この魔王女たるカラベラを退(しりぞ)けようと申すか。面白い奴……よかろう、貴様を殺すのは最後にしてやる。最後の最後にじっくりと、なぶり殺してくれるとしよう……楽しみにしておくがいい」

 

 崇春は笑ってうなずく。

「おう、楽しみじゃわい!」

「楽しまないで下さーーい!」

 かすみは思わずそう言ったが、その後で我に返った。とにかく、こうしていても面倒なだけだ、この人たちが集まっていても。

 

そう判断して、さりげなく二人の肩を押す。

「えと、そういうことですから、じゃ――」

 そうやって立ち去ろうとしたのに。百見はかすみの手を離れ、前に出ていた。

 

 賀来の前でなぜか、(うやうや)しく頭を下げる。右手を胸につけ、左足を引いて身をかがめる、西洋貴族風の礼。

「これはこれは、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス嬢、ご丁寧な挨拶痛み入ります。僕は先ほど紹介に預かりました岸山一見。そちらの丸藤崇春同様、今後ともよろしくお願いいたします」

 

 賀来が小さく口を開けたが、すぐに固い表情に戻る。

「ふむ……なかなか殊勝ではないか、こちらこそ――」

「ところで。不躾(ぶしつけ)ながら、魔王女たるカラベラ嬢はどちらのご出身で」

「どちら、とはー―」

 賀来が口を開きかけるのも構わず、百見は続けた。

「スペイン語で『頭蓋骨(ずがいこつ)』『幻想』、カラベラ・ドゥ・イルシオン……それはよろしゅうございますが。間の『ドゥ』、これは浅学非才なるわたくしの知る限り、フランス語の前置詞――英語でいうところの『of(オブ)』では? スペイン語ならば『デ』の方がより近い発音かと」

 

 賀来の表情が固まるのに気づいたかどうか、変わらぬ口調で続ける。

「フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス、こちらはかなり正確なフランス語でございますが。やはりその前置詞である『フォン』、こちらはドイツ語における、やはり『of(オブ)』の意を持つ語では? つまるところ……魔王女たるカラベラ嬢は、いったいどちらのお国のお生まれかと思いまして」

 

 賀来の表情がはっきりとこわばる。

 

 百見は続けた。

「いえ、もちろんどちらのお生まれであっても、それによって貴女の価値が上下するわけではございません。いみじくも釈尊は最古の仏典、『経集(きょうしゅう)』こと『スッタニパータ』においてこうおっしゃいました。『生まれによってバラモン――僧侶階級――となるのではない』『行為によってバラモンとなるのである』と」

 

 賀来の表情が、固まったまま、ぎりり、と引きつる。

 

 それでも構わず百見は言う。

「とはいえ。言語を統一しておいた方が設定としてはスマートなのでは――」

 

 そこまで聞いて――賀来の頬がけいれんしたように震えるのを見ると同時に――、かすみは百見の肩を両手で押していた。

「ちょ、その辺で、その辺でいいですからーー!」

 

 席まで押していった後で、声をひそめて言う。

「何やってるんですか! あれじゃバカにしてるみたいじゃないですか」

「それはもちろん、バカにしたんだが」

「何やってるんですかーー!!」

 

 席についた百見を、教室の反対側の席についた賀来は無言で(にら)み続けていた。それはつまり、崇春とかすみの方も同時に睨まれている格好だった。

 昨日小規模な席替えが行なわれ、転校生二人の席は――品ノ川先生の思いやりなのかそれとも――かすみの左隣とその後ろに決まった。かすみの意見は特に――何か言ったわけではなく、意見を聞かれもしていないが――反映されていない。

 



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第8話  その仏、地獄の王

 そうこうするうちホームルームのチャイムが鳴った。先生が教室に来た後、起立と礼の号令がかかる。

 皆が着席して、先生が口を開こうとしたとき。

 

「先生」

 百見が真っすぐ手を上げていた。

 

 品ノ川先生は口を開けかけたままそちらを見ていたが。やがて言った。

「……何かなぁ、岸山くん」

「はい、転校して早々うっかりしておりました、申し訳ありません。僕と丸藤くんはまだ、転校の挨拶を済ませていませんでした」

 さすがに先生が眉を寄せる。

「何言ってる、昨日のホームルームでしていただろぅ」

「はい、ですが。まだ四名ほどの方たちには、ご挨拶できておりません」

 百見は表情を変えず、空いた四つの席へ順に視線を飛ばす。

 

 言葉が喉につかえたみたいに、先生は口を半端に開けて黙った。

 その間にも百見は淀みなく続ける。

「特殊な事情があるとは僕もうかがっております。ですが、それでもクラスの仲間になったことには変わりありません。できれば今日の放課後にでもご挨拶に行ければと。……そのため、四名の方のご住所か、入院されているのであれば病院を教えていただけませんか」

 もちろん、先方のご家族がよければですが。そう付け加えて百見は言葉を切る。

 

「……」

 先生は口を閉じたまま、眉間にしわを寄せていた。

 さらに百見は言う。

「お願いします。今学校に来られていない方々とも、ごく普通に共に学べる日が来ると、僕は信じています。少なくとも、そう信じたいと思っています。ですので、ぜひ」

 

 崇春も立ち上がり、勢いよく頭を下げた。

「お願いいたす。わしも同じクラスの(もん)、いわば同じ釜の飯を食う仲として、何とぞご挨拶をさせていただきたい」

 百見も畳みかけるように頭を下げた。

「先生。お願いします。彼にはよく言っておきますので、僕と谷﨑さんから」

 

 思わずかすみの肺の底から、ほ、と息が出かけた――私も? 全く何も聞いてないんですけど、私も?――。

 

「実はこのことも、谷﨑さんと話して考えたんです。三人で挨拶に回ろうって。谷﨑さんは僕と丸藤くんが転校してきて、最初の友達ですから」

 

 またしても息が出そうになってこらえた――いや、友達はそうかも知れませんけど、家族から情報を集めようというのは分かるんですけど。相談とかなかったんですけど全く?――。

 

 品ノ川先生はかすみの方を見た後、考えるように視線を泳がせる。

 顔が軽く引きつるのを感じながらも、流れを遮るわけにもいかず。かすみも立って、何も言わず頭を下げた。

 

 何秒か無言の時が流れた後。

 不意に大きく、手を打つ音が聞こえた。乾いた音で、ぱち、ぱち、と、ひどくゆっくりとした拍手のような。

 

 顔を上げてみれば。賀来が、無表情でゆっくりと手を叩いていた。

 なぜ彼女が百見を応援するようなことを。そう疑問に思ったとき、彼女の拍手に重ねるように、強い拍手が一つ続いた。まるでグローブを叩き合わせるような重い拍手。

「……ウス」

 振り向けば、一番後ろの席から斉藤逸人(そると)が手を叩いていた。

 

 やがて拍手は一つまた一つと増え、ついには教室中から上がっていた。

「あー……分かった。お前たちの気持ちはぁ、よぉく分かった」

 なだめるように手を挙げ、それから肩を落として、品ノ川先生はそう言った。

「まぁ、そぅだな。向こうのご家庭の都合もあるがぁ、言ってることはもっともだ」

 

 生徒の視線を避けるみたいに背を向けた。黒板の上、壁にかかっている額縁を見上げるようにして言う。

「『自立と自律』……そうだな、自主的にぃ、かつ、自ら規律に沿って行動する……校訓に(かな)う行ないだ。分かった、ご家族には先生から確認する。許可が出たらぁ、行っていいぞ。ただし」

 崇春を指差して続ける。

「その服ぅ。縁起でもな――いや、ご家族の誤解を招く。着替えて行け。それにぃ、絶対に失礼のないように。それから遅くならないように」

 

 崇春が音を立てて手を合わせる。

押忍(おす)、ごっつぁんです先生!」

 百見はうなずく。

「分かりました先生。――崇春、ジャージは持っていたね。それと放課後は、一言も喋るな」

 

 先生は小さくうなずき、頭をかいた。面倒くせえなぁ、そう小さくつぶやいたとき。

 

 教室の反対側から声が上がる。非難がましい響きを持った高い声が。

「フ。……偽善だな」

 

 教室中の視線が集まるのを待って、おもむろに賀来が立ち上がる。それから、ぱち、ぱち、ぱち、と、再びゆっくり拍手をした。それをやめてから一つ息をつく。

「フ。――偽善だな」

 

 何だこれ。そうかすみは思ったが、とにかく賀来の言葉を待った。

 

 賀来は百見を指差す。

「偽善よ、偽善。貴様、ずいぶんと綺麗ごとを言っているようだが。挨拶などして何になるというのだ、目を覚まさぬ者を相手に。……しょせん、貴様が善人ぶりたいだけであろうが」

 

 ああ、とかすみは思う。発言の内容は置いておいて、なぜ彼女が拍手をしたのか。自分に注目を集めつつ百見をこき下ろす、そういう演出がしたかったのだろう。それが、他の子が百見へ賛同する拍手をしてきたので上手くいかなかった。だから拍手のところからやり直した――なぜそこまでしてそうしたかったのかは分からないが。

 

 百見は穏やかな顔を向ける。

「綺麗ごと、というのはよく分からないね。どうやら誤解があるようだ。僕らは別に、他人のために行くわけじゃあない。休んでいる方たちのために行くんじゃあない。逆に、僕らが挨拶をしたいだけなんだ。つまりただの我がままさ。もちろん、ご家族が気分を害するようなら行くつもりはないよ、魔王女たるカラベラ嬢」

 

 黙った賀来の歪めた頬が、見る間に赤くなる。だがやがて、振り払うような勢いで顔を背けて言った。

「フン……! いいだろう、好きにするがいい。だが覚えておけ、次に地獄の王が標的とするのは貴様かも知れんぞ」

 その言葉を聞いたとき、百見の眉がわずかに動く。

 

 それに気づいたかどうか、賀来は続けて言った。

「大した見世物よ……呪われる者が呪われた者を見舞うとはな。呪われよ。呪われよ呪われよ、愚かなる、傲慢(ごうまん)なる人の子よ! フフフ……クク、アーッハッハッハ!」

 

 (ひと)しきりの高笑いの後、賀来は普通に席に座り。教室中が沈黙した後――かすみたちは未だ立ったままだ――、辺りを見回しながら、ようやく先生が言ってくれた。

 

「あー、そろそろぉ、ホームルームをぉ……してもいいかな。……いいよなぁ?」

 

 クラスのほぼ全員は、感謝するような微笑みを向けてうなずいた。

 

 

 

「彼女、どういう人なんだい」

 休み時間、かすみと崇春を教室から連れ出し、百見は廊下の隅でそう尋ねた。

 

「どうって……ああいう人ですよ」

 そうとしか言いようがない。大体、同じクラスになって一ヶ月ほどだ。親しいわけでもなく、詳しくは分からない。

 

 崇春が笑って百見の肩を叩く。

「なんじゃ、今朝のことを気にしちょるんか? 百見らしゅうもないのう」

 百見はにこりともせずに言う。

「結論から言おう。彼女が怪仏の正体ではないか、そう疑っている」

「え……」

 

 かすみは息をのんだが、さすがに笑った。

「考え過ぎですよ、そりゃ呪うとか言ってましたけど」

「確かに考え過ぎかもしれない……が、無視できない言葉があった。『地獄の王が標的とするのは貴様かもしれんぞ』」

「言ってましたけど……適当に言っただけじゃないんですか」

 悪魔の王女なんて自称するような子だ。何人もの生徒が倒れている件を悪魔だの何だのと結びつけるぐらいは普通にするだろう。

 

「かもしれない。が、一つ聞こう。仏教において『地獄の王』といえば?」

 崇春が答える。

「そりゃあもちろん、閻魔(えんま)様じゃろうのう」

「そう、閻魔(えんま)大王こと閻摩天(えんまてん)、またの名を閻羅(えんら)王。だが……それがある仏と同体である、とする説がある」

 かすみは息をのむ。

「まさか……」

 

 百見はうなずいた。

「そう、地蔵菩薩。経典『地蔵菩薩発心因縁十王経(ほっしんいんねんじゅうおうきょう)』にはそう説かれている。罰する十王――閻羅(えんら)王を含む十人の王――と、救わんとする地蔵菩薩ら、十尊の仏は同体であり、人々を正しく導くためにそうしている、と。そう考えれば、地獄を模した世界を地蔵の姿をした者が操る……このおかしな状況にも違和感はなくなる」

 

「むう……」

 崇春は考えるように腕を組む。

 百見は言う。

「まだ決まったわけじゃあない、が。探りを入れる必要はありそうだ」

 



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第9話  魔王女? と昼食を

 

「カラベラ嬢。よろしければ、昼食などご一緒していただけませんか」

 昼休みの教室で。右手を胸に当ててひざまづき、百見はそう言った。

 

「……」

 席に座ったままの賀来(がらい)は目だけちらりとそちらに向けたが、聞こえていないかのようにそっぽを向いた。

 

 本人と直接話をしながら様子をうかがうという計画だったが。いきなり頓挫(とんざ)しそうな状況だ。

 見かねてかすみも声をかける。

「えと、ベラさん、でいいです? 今朝話したのも何かの縁ですし、よければ私もご一緒したいなーって……だめ、ですかね?」

 

 賀来はこちらを向こうとはしなかった。どころか、より一層顔を背け、決してかすみを見ようとはしなかった。

 

 離れたところから崇春が声を上げた。

「どうしたんじゃい、ガーライルは()んのか? だったら先に食うぞ」

「誰がガーライルだ!」

 椅子の音を立てて賀来が腰を上げた。それから我に返ったように咳を一つして、崇春に――かすみと百見の方は決して見ずに――言った。

「フン……いいだろう、貴様がどうしてもと言うなら、その招待甘んじて受けよう。だがせいぜい後悔せぬことだな……フ、ククククフハハ!」

 無理のある感じで高笑いした後、賀来は鞄から断熱タイプのお弁当袋を取り出した。

 

 その日は皆弁当を用意していたので、机を寄せて教室で食べることになった。崇春と賀来が一緒にいる時点で相当な絵面(えづら)だ――そのせいだろう、どうしても他の子たちの視線を感じる――。

「いただきます」

 かすみは手を合わせてから弁当の包みを開ける。中に入っていたのは母親の用意してくれたサンドイッチだ。

 

 百見が言う。

「谷﨑さんは無難にサンドイッチか。さて、カラベラ嬢のが気になるところだが」

 賀来はリボン柄の描かれた弁当箱のふたを、隠すように小さく開けたが。隠し切れるわけもなく、中身が見えた。炊き込みご飯の小さなおにぎりがいくつかと、じゃがいもとイカの煮物。ポテトサラダと生野菜に、タコの形に切られた焼きウインナー。

「これは……すごく……」

 かすみの後を受けて百見が言う。

「すごく、家庭的というか素朴というか。普通、だな」

 

 噛みつくような顔をして、賀来は弁当箱のふたを閉める。

「う、うるさい! き、貴様ら凡百の徒にはそう見えるだろうがな……これはっ、そう、邪神弁当よ!」

「邪神、弁当」

 謎の単語を思わず繰り返してしまったが。それをさらに賀来は繰り返す。

「そう、邪神弁当。クトゥルフの芋煮と姿焼きの入った……邪神をも喰らう、これぞ魔王女の昼食よ!」

 

「……はあ」

 かすみは首をかしげたが。百見が眼鏡を押し上げて言う。

「クトゥルフ……アメリカの作家、ハワード・フィリップス・ラブクラフトが提唱した一連の現代神話。クトゥルフら邪悪な神々が太古より存在し、人類を翻弄するといった話だが。なぜか、クトゥルフはイカのような姿で描かれる」

「……イカ」

「そう、イカ。欧米人にとっては不気味なのだろうが……海産物の、イカだ」

 

 賀来は箸でつまんだイカを、歯を剥き出して食いちぎり。よく噛んで飲み込んだ後で言う。

「そうよ、その邪神をも捕食する、いわば闇の生態系の頂点……それが我よ」

 百見は再び眼鏡を押し上げる。

「まあ神話といっても、近現代の小説家による創作なわけだが」

 ウインナーを食いちぎりかけたまま、賀来の動きが止まる。そのまま、誰も何も言わなかった。

 

 賀来が静かにウインナーを飲み込んでうつむいた後。崇春が弁当の包みを取り出す。

「よう分からんが、わしもいただくとするか。今日はお手製のポテサラ弁当よ!」

「ポテトサラダですか? すごいですね、自分で作っ――」

 言いかけたかすみの口が開いたままで止まる。何しろ、崇春が取り出していたのは。ソフトボール大の丸いおにぎり。丸のままのキュウリ。四分の一にカットされたキャベツ。そして、泥を落としただけの、明らかに生の――芽さえ出ている――じゃがいもだった。

 

「作っ……え?」

「ポテト……サラ、ダ?」

 かすみも賀来も、言ったきり何度も目を瞬かせていた。

 崇春は音を立てて合掌する。

「押忍! いただきますわい!」

 おにぎりを頬張った後、音を立ててキュウリ、キャベツに食らいつき。じゃがいもを手にし――

 

「ちょっ、待ってー!」

「食べるな、食べるなよ絶対!」

 かすみと賀来が手を伸ばしたが。崇春はすでに、じゃがいもにかぶりついていた。よりによって芽の部分を。

 

「ちょ、わあああっ!」

「吐け、早く吐け!」

 慌てる二人をよそに、崇春はゆっくりと咀嚼(そしゃく)する。

「何じゃい二人とも。落ち着いて食わせんか、この芽の部分に滋養があっての――」

「毒! 毒ですからあるのは!」

「いいから吐け! 早く!」

 それでも咀嚼を続ける崇春。

 

 その後ろに、百見が無言で回り込み、手にした本を大きく振りかぶり。頭へと振り下ろした。

「痛ったあああ!」

 声を上げると同時に口の中のものがこぼれ出る。

 

 百見はポケットティッシュを出すと中身を数枚、軽やかに抜き取り。崇春が吐き出したものの上にかけた。

「やれやれ、目を離すと何をするか分からないな。それはちゃんと片づけておけ」

 かすみは息をつく。本当に、何をするか分からない。

 

 賀来も息をついた。

「まったく。大体、ポテトサラダが何か分かっているのか? ……ほら、これだ」

 自分の弁当箱から生野菜と付け合せのポテトサラダを箸の頭側で取り、崇春のおにぎりに載せる。

 

「むう」

 首をかしげた後、崇春は一口食べる。

「……むう! これは! こいつは、美味いもんじゃのう!」

 言うなり残りにかぶりつき、噛みしめるように食べていた。

 

 賀来はそれを見てはにかんだように頬を緩め。思い出したように視線を逸らし、固い表情で言った。

「フン……まるで家畜のようながっつき方だな。下品極まりない……そんなに美味いか、我が作ったのは」

 かすみは賀来の顔を見た。

「え、すごい。お弁当自分で作ったんですか」

 賀来は目をそらせる。

「いや、まあ。昨日作ったポテトサラダと、炊き込みご飯だけだが」

「炊き込みご飯作れるんですか!」

 賀来はさらに目をそらせる。

「ま、まあな。調味料の分量さえ覚えておけば、具と米と水を炊飯器に入れるだけだ……難しいものではない」

「すごい、教えて下さいよ!」

「う、うむ……」

 

 視線を泳がせる賀来をよそに。不意に百見が口を開いた。教室の空いている席に目を向けながら。

「なるほど、上質な食事とは素晴らしいものだね。残念ながら、それを味わえない人もいるわけだが」

 かすみは百見の顔を見た。倒れた人たちのことについてカマをかけてみるとは聞いていたが、今まで和やかに話していたのに急過ぎないか。

 

 百見は穏やかな表情で続ける。

「僕も転校してきたばかりで、詳しくは知らないが。突然謎の意識不明になる生徒が何人も出たと聞いている。いったい何故だろうね」

 視線をそらせたまま賀来が言う。

「何故と、我に聞かれてもな」

「失礼。君が今朝、僕を呪うようなことを言っていたのでまさかと思ってね。いやしかし、気にすることもなかったかな」

 鼻息をついて続ける。

「呪い? 地獄の王に悪魔の王女? この現代に非科学的極まりない。いや、すまない。気にした僕が悪かったんだ、こんなどうでもいいジョークをね」

 はっきりと賀来の頬が引きつる。

 

 表情を変えず百見は続けた。

「ああ、そうそう。ちゃんと自己紹介していなかったかな、改めて名乗らせていただこうか。僕は岸山一見(かずみ)、こちらは丸藤崇春(たかはる)。だが百見(ひゃっけん)と、崇春(すしゅん)と呼んでくれていい。戒名(かいみょう)で、ね」

 

「……ん? 戒名?」

 かすみが言うと、百見は答えた。

「宗派によっては法名とか法号とも言うが。亡くなった人につける名前、という認識が一般的だろうね。だが正確に言えば、仏門に入った者につける名前のことだ。仏式の葬儀の場合、亡くなった方のことを仏様の弟子になった、と考えて戒名をつける。逆に言えば、仏弟子たる僧侶は生前から戒名を名乗るわけだ。この場合、戸籍上の名前も戒名に変える」

「え、じゃあお二人の本名って」

「いや、正式な得度(とくど)――僧となること、僧籍を登録すること――はまだしていない。だが、その時のために祖父が考えてくれた戒名さ。ちなみに漢字二文字で音読みという規則がある」

「へえ……なるほど、それでスシュン、って読み方になったんですね。普通にあだ名かと思ってました」

「そう、ただのあだ名ではないんだよ。いずれは本名になるわけだしね。どこかの誰かみたいに適当な自称とは違って、ね」

 そこで明らかに、賀来の方を見た。

 

「……何が言いたい」

 真っ直ぐに見返した賀来の視線に。むしろかすみの方が血の気の引く思いがした。

 いったい何を言い出すのだ。その前の呪いがどうこうといった話だって、カマをかけるにしても挑発的過ぎたのに。

 

 百見は笑って首を横に振る。

「いやいや、別に貴女のことを言ったわけじゃあないんだ。たとえ言語設定がろくに考慮されていない自称で――」

「ちょ、百見さん!」

さすがにかすみは口を挟んだ。

本当に何をやっているのだ、これでは単に馬鹿にしているだけだ。情報も何もあったものではない。呪うとか言われたせいで、彼女のことを嫌っているのだろうか? そういう風には見えなかったが。

 

「えー、はい、とにかく! お弁当食べましょう、お弁当! あ、百見さんのお弁当はどんなのですか?」

「ふ……これさ」

 悪びれた様子もなく、取り出した包みをほどく。

 

 出てきたものは。一瞬、スライスした丸太に見えた。それほどの大きさのあるバームクーヘンだった。外側はたっぷりとした溶かし砂糖で白くコーティングされてある。

 

「これ、は……」

 かすみが言葉を詰まらせていると、崇春が言った。

「ほう、今日はバームクーヘン弁当か。なかなか豪勢じゃのう」

「ああ、昨晩いい菓子屋を見つけてね」

 

 崇春が野宿している間に何をやっているんだ。そう言ってやりたかったが、今はやめておいた。

「いや、あの……バームクーヘンは、お弁当にはならないんじゃないですかね」

「心配は無用だ」

 百見はさらに取り出したものを机に並べてみせる。パック入りの青汁と牛乳。

「炭水化物と脂質、糖類に加えてビタミンにたんぱく質……完璧だ」

「カロリーが! カロリーが巨大過ぎますからー!」

「そう言わないでくれ、君にも分けるから。賀来さんも……失礼、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス嬢もいかがかな」

 

 賀来は無言だった。椅子の音を立てて席を立ち、一度強く床を踏み締め。弁当箱のふたを閉めて袋に戻し、そのまま大股で教室の出入口へ向かった。

 

「あ、あの……」

 かすみは賀来と百見を交互に見たが。百見は黙ってバームクーヘンを取り分けていた。

 

 不意に崇春が声を上げる。

「ガーライル!」

賀来は背を向けたまま立ち止まった。

 崇春は音を立てて合掌する。

「ガーライルよ、お(んし)寄進(きしん)してくれたポテトサラダ。美味かったぞ」

 賀来はしばらく立ち止まっていたが、そのまま教室を出ていった。

 

 



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第10話  魔王女? の呪い、謎の言葉

 

「まあなんじゃ、気を取り直して行くか!」

 放課後、席を立った崇春は声を上げた。

 倒れたクラスメイトの家族からはいずれも訪問の許可が得られ、品ノ川先生から住所は聞いている。崇春もすでに僧衣から着替え、体育用のジャージ――サイズが合っていないのかはち切れそうで、ぴちぴちと筋肉が盛り上がって見える――を身につけていた。

 

「そうですね……」

 言ったものの、かすみはどうにも気乗りがしなかった。

 横目で賀来の席を見る。彼女は早退したらしく、午後の授業からは姿が見えなかった。

 大きく息をついた。

「まったく……何だったんですか、お昼ご飯のときの。あんな風に言わなくても」

 

 百見が言う。

「あれではただの嫌がらせだ、って?」

「……そうですよ、こっちからお昼に誘っといてあれじゃ、機嫌も悪くしますよ」

「そう見えるなら上々さ。何にせよ、彼女のことはもう少し調べる必要がありそうだ。その辺も考えてのことだよ」

「そう、ですか」

 もう少し何か言ってやりたかったが、倒れたクラスメイトを訪ねる約束もある。あまりぐずぐずもしていられない。気を取り直し、かすみも自分の荷物を取った。

 

 三人で教室の出入口へ向かったとき。

「……ウス」

 斉藤逸人(そると)が、かすみたちの後ろから低い声をかけてきた。

 

 崇春が言う。

「おう、お(んし)か。今日も部活か、精が出るのう」

 斉藤は目を伏せたまま言う。

「……ウス、オレ、今日はちょっと、故障で……ウス」

 見れば、いつもかついでいる大きなスポーツバッグはなく、鞄だけを提げていた。見たところ包帯などは巻いていないようだが、足腰などの怪我だろうか。

「……それより。行くんス、か。なら、皆、心配してる、と。よろしく……ウス」

 

 それだけ言って大きな背を向け、去って行った。相変わらず、巨体に似合わぬ滑るような足取りだった。

 崇春がその背に声をかける。

「うむ、承知した! 必ず伝えておくわい!」

 かすみと百見に向き直る。

「さて。とにもかくにも、ご挨拶に行くんが人の道っちゅうもんじゃ。行くとするか!」

 

 

 

 結果から言えば、これといった情報はなかった。共通点として『学校から遅く帰って、霧の出ていた夕方から夜、一人で倒れていた』ということだけは分かったが。

 

「手口であって動機ではない……犯人の人間像を探る手がかりにはならない、か」

 夕暮れの帰り道、歩きながら百見はそうつぶやいた。日はすでに沈みかかり、空の色は薄い。薄い空色とも薄い茜色ともつかない、あいまいな色だった。

 

 かすみは歩きながら足元を見ていた。その足にも丸まった背にも、妙な力がこもっていた。

 思い出していた。実際に目にした、目を覚まさないクラスメイトと、その家族の――憔悴した、疲れ切った、それでいて訪問を喜んで、笑顔を向けてくれる――姿を。

 

「……だとしても。見つけないと、必ず」

 唇を噛んだ後そう言った。

 崇春が言う。

「さあてと。どうすんじゃい、百見。考えがあるんなら何でも言うてくれ。覚悟はできちょる」

 百見はうなずく。

「やることは変わらない、エサに食いつかせよう。遅く帰って襲撃される状況を作る、ただし。二手に分かれよう。谷﨑さんと崇春、そして僕一人」

「え?」

 

 目を瞬かせたかすみに百見は言う。

「カラベラ嬢に嫌がらせをした訳、説明してなかったね。つまるところはこのためさ。もしも彼女が正体だったとして、そして仮に、気に入らない者を襲うといった単純な動機だったとしたなら。……次の標的は僕になる」

「……え」

「そして彼女ではなかったとしたなら、あるいは彼女であっても、何か別の動機があるのなら。標的は僕ではなく、谷﨑さんのままだろう」

「でも、それじゃ」

「僕が危険だって? そんなことはないさ、どの道戦力になるのは僕と崇春。むしろ君たちの方が危険なぐらいだ」

 

 確かにかすみは何もできないだろう。そう考えればかすみを守らなければいけない分、襲われたなら崇春の方が危険だ。

それが事実であることは分かっているが。かすみはうつむいて唇を噛んだ。

 

百見は微笑んで言う。

「気にすることはないさ。現状これぐらいしかできないからこうしたんだ。それに何か別の動機があった場合や、よほど警戒した場合は襲ってこない可能性もある。もちろん、別の標的を狙う可能性も。それも含めて、少しでも相手の情報を引き出していきたい。……それと、彼女を疑う理由はもう一点ある。これだ」

 

 スマートフォンを取り出して操作し、こちらに向ける。映っていたのはツイッターの画面。ユーザーの名前は、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス。

 

「これって、賀来さんの?」

 百見が肩をすくめる。

「自称をそのまま使う辺り、セキュリティ意識の低さも気になるところだが。それより気にすべきはこの内容だ」

 

 画面を見れば、そこには奇妙な文が――というより、文章の体をなしていない何かが――書き込まれていた。

 

『おほほよかけさはわのわもすみ』『しむぬすけかあがせよめをばなさがゆ』『よこさけお とのうわてずを』

 

 背筋に毛虫が這いずったような感覚を覚え、かすみは自分の手を握り合わせた。

「これ……は……?」

 

 百見はまた肩をすくめる。

「さてね。確かなのは書き込み時刻の表示から、これが今日の昼休み以降に書かれたということ。そして過去の書き込みを見れば、ほぼ同様の文が書かれていること……どれも、生徒が倒れたのと同じ日に」

「っていうことは……」

「ああ、偶然とは考えにくい。彼女が、そしてこの書き込みが、この件に関係している可能性は非常に高い。まあ、文の内容を検証している時間はないが……その辺は別の知人に頼んである。とにかく、今日囮を出す意義は充分にあるというわけだね」

 

 そこまで言って百見は笑う。

「まあ、気負い過ぎないことさ。僕一人で戦ったとして、決して遅れを取ることはない。昨日も見たとおりにね。それに谷﨑さん、君の方も大丈夫だ。断言してもいい……この地球上で、崇春に勝てる奴などいやしないさ」

 かすみは目を見開いた。百見がそうして崇春を誉めるなど、珍しいことに思えたが。その口調はいたって素直で、皮肉る様子も冗談のような響きもなかった。

 

 崇春が大きな拳で分厚い胸を叩く。

「がっはっはっは! おうよ、そんとおりじゃあ! このわしに万事任さんかい!」

「その意気だ。さて、ここまでで分かれよう。こちらで準備してから崇春の野宿場所に向かう、そこで落ち合うとしよう。ああ、それと」

 眼鏡のフレームに指を当て、視線をうつむけて続けた。

「もし無関係だったなら、だが。……カラベラ嬢にも、悪いとは思ってる。そのときは菓子折でも持って謝るよ。最高のバームクーヘンをね」

 それは向こうがどう思うんだろうか。そう思ったが、かすみはうなずいておいた。

 

 

 



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第11話  夕路にて

 

 日の落ちた後の帰り道。全てのものに影がかかったような、ぼんやりとした薄闇の中。僧衣に着替えてリュックをかついだ崇春と並んで帰る。妙なもので、ぴちぴちのジャージ姿でいられるよりは、こちらの方が横にいてよほど落ち着く。じゃりん、じゃりんと、錫杖の音が低く響く。

 

「ええと……大丈夫ですかね、百見さん」

 それでもよく考えれば、崇春と二人きりというのは初対面のとき以来だ。そう意識すると、妙に緊張してしまう。

 

「大丈夫じゃ。奴に限って、やられることなんぞありゃあせんわい」

 ごく穏やかに崇春は答えたが、それが何だか微笑ましかった。

「信頼してるんですね、二人とも。……お二人はいつ頃からお友達なんですか?」

「うむ、そうさのう。あれはいくつの頃じゃったか……わしが百見ちの寺に押しかけてからじゃけぇ、小学生の頃かのう」

「押しかけ……って?」

 

 錫杖を小脇に抱えて腕を組み、崇春は照れたように笑う。

「いや、大したことじゃないんじゃ。テレビでのう、修験者だったか密教僧だったか。山岳修行のドキュメンタリーっちゅうんか、特集をしとったんじゃが。妙にそれに惹かれての。一番近所にあった、奴んちの寺に押しかけたんじゃ。弟子にしてくれっちゅうての」

「ん? え……じゃ、崇春さんの家は別に、お寺とかじゃないんですか?」

「ん? そうじゃが?」

「じゃあそれで、百見さんのお寺に弟子入りしたんですね」

 

 崇春は頭の後ろをかく。

「いやあ、それがの。和尚さまに諭されての。将来別の道に惹かれることもあるじゃろうし、身の振り方を考えるには早い、っちゅうての。うちの孫にもそういうわけでまだ得度させとらん、っちゅうて、そんときに百見と初めて()ううたんじゃわい」

 

 じゃあなんで、この人は僧衣なんだ――いや、お寺の子だったとしても僧衣で登校する必要はないはずだが――。宗教上の理由だとか百見は言っていたが。これは、ただのコスプレなのでは。

 そう考えると急に怪しく思えて、かすみはわずかに距離を取った。

 

 そうするうち、崇春が野宿しているという場所までやってきた。かすみの家から数軒の家と田畑を隔てた所にある小さなお堂。周囲は草むらと、枝がてんでばらばらに伸びたまま手入れされていない生垣に囲まれている。おかげで人目は気にしないでよさそうだが、敷地の中には何の明かりもない。完全に日の落ちた今、足元を一歩一歩確かめながらでないと歩けそうになかったが。崇春は慣れた様子で歩を進め、お堂に上がる階段に荷物を下ろした。

 

 かすみも後について、階段の前までどうにか来られた。

「ここですか……なんていうか、大丈夫ですか」

「むう? 大丈夫じゃ、わしに任せて安心しておれ」

「そういうことじゃなくて、ちゃんと眠れます? こんな所で。風邪ひいたりとかは」

「がっはっは! 大丈夫じゃ、徹夜で座禅を組んでおるからの。何があってもすぐに――」

「いいから寝て下さい!」

 そのせいだろう、今日の崇春はホームルームと休み時間以外、豪快に寝ていた。仏像のように、座って背筋を伸ばしたままの姿勢で。

 

「むう? しかしそれでは――」

「何かあったら呼びますから、とにかく横になって下さい! ……それはいいですけど、大丈夫ですかね。百見さん」

 そろそろ向こうも帰りついていていい頃だが、携帯を確認しても連絡は入っていない。家に帰ってからこちらに来るのだから時間はかかるだろうが、それにしても連絡ぐらいくれてもいいのに。

 

「奴のことなら心配はいらん。おそらく、飯を調達してくれよるんじゃろう。さて……わしも飯時までお言葉に甘えるとしようかの」

 言うなり、崇春は横になった。草むらの上に。

 

「ちょ、何やってんですか!」

「む? 少し仮眠を思うたが」

「いや、寝袋とか毛布とか――」

「何言うちょんじゃい。(おとこ)崇春、そんな軟弱なもんには頼らんわい!」

 だったら人類の大半は軟弱ということになるが。

「いえ、あの。かえって気になるというか気を使うというか。とにかく、うちから何か持ってきますから」

 

 崇春を残して自宅に向かう。薄闇を切り取るように照らす街灯が、ぽつりぽつりと間を空けて続く道。ふと、ここ二日間のことを思い出す。地蔵に襲われたのはちょうどこんな時、こんな場所ではなかったか。

 

 そんな思いを振り払うようにかぶりを振り、歩を進める。大丈夫だ、すぐそこに崇春がいるし、家までもほんの百メートルかそこら。現に窓の明かりが見えているし、あのときみたいな霧も出ていない。心配なんていらない、それより、どうしたら家族に見とがめられずに毛布を持ち出せるだろうか。遠足で使ったレジャーシートなんかも――

 

 そこまで考えたとき。正面から、ライトを点けた車が高いエンジン音を上げて走ってきていた。決して太い道ではないのに、結構な速度で向かってくる。さすがにぶつかることはなさそうだが、かすみは道の端へ寄った。

 車が横を過ぎた――そのとき初めて気づいたが、パトカーだった。小型車タイプの。ライトに気を取られていたし、屋根の赤色灯も点灯していなかったので気づかなかった――、かと思うと、甲高いブレーキ音を立ててそれは止まった。

 

 勢いよくドアを開け、運転席から警官が降りてくる。かすみの方に、半ば駆け寄るようにして向かってきた。ヘッドライトの光でその顔が見える。三十代半ばほどか、浅黒い肌に不精ひげの目立つ男。

 

「お前。谷﨑かすみだな」

「へ?」

 

 警官は低い声で続けた。

「そうだな、住所もすぐそこだ。話を聞かせてもらう……乗れ」

 後部席のドアが開けられ、押し込めるようにしてパトカーに乗せられた。

「ちょっ、待っ、て下さい、何もしてませんし……それにあの、友達を待たせて――」

「その友達にも話がある。斑野高の、意識不明の生徒の件だ」

 運転席に座るなりそう言うと、エンジン音も甲高く急発進させた。

 

 だが、ほどなく急停止する。警官はドアを跳ね開け、お堂の方へ走った。

 車のガラス越しに声が聞こえる。

「崇春! いるか、すぐ来い」

「むう? ポサラさんか。どうしたんじゃい、血相変えて」

渦生(うずき)さんと呼べっつったろが! いや、んなこたどうでもいい、すぐ来い! 奴が……百見がやられた」

 



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第12話  百見、倒れる

 

 斑野町の駐在所――表の事務室ではない、その奥の相談室という所で。低い椅子に腰かけ、組んだ足をローテーブルにどかりと載せた。渦生(うずき)と名乗った警官は。

 

「してやられたぜ……まさか、百見の奴がやられるとはよ」

 かぶっていた制帽を、音を立てて床に叩きつける。

 

 それでかすみは身をすくませた。ローテーブルを囲む椅子の後ろで立ったまま。

 横にいた崇春が身を乗り出す。

「それより百見は! 百見はどこなんじゃい!」

 

 警官は座ったまま手を伸ばし、背後の引き戸を開ける。明かりも点いていない畳敷きの部屋、敷かれた毛布の上に百見は横たわっていた。分かれて帰る前に見た制服姿、眼鏡をかけたままで。

 

 崇春は草鞋を履いたまま部屋に駆け上がる。百見の体を抱え起こし、揺さ振った。

「百見! 何しとんじゃ、起きんかい百見!」

 その体は力なく揺れるままだった。

 

「崇春さん! 分かります、分かりますけど、安静にしておいて――」

「いつまで寝とんじゃ、目を開けんか!」

 崇春は分厚い平手で頬を叩く。が、眼鏡を吹っ飛ばしたのみで、百見には何の反応もなかった。

 

「その辺にしとけ」

 警官が部屋に上がり、崇春の肩を叩く。

「見てのとおりだ。外傷はねえし、例の怪仏の仕業と見ていいだろう。ただ、いつの間にやられたかは分からねえ。こいつから連絡をもらったのが昼過ぎ、道端でこうなってたのを見つけたのがついさっき。倒れてた横をたまたま通りかかって、だ」

 

 そこまで言うと百見を抱え、再び横たわらせた。その上に、放るようにして毛布をかける。そして言った。

「学校ではどうしてた、最後に見たのはいつだ」

 崇春が答える。

「むう……百見の案で、敵をおびき寄せるために二手に分かれて帰ったんじゃが。分かれてから一時間も経ったかどうかじゃ」

 警官は短く刈り込んだ髪をかきむしる。

「それだけの間にやられたのか……こいつほどの男が」

 

 険しい顔をする二人の男を交互に見た後、相談室に立ったままかすみは言った。

「あの。……ところで崇春さん、そちらの方は」

「おお、谷﨑には言うちょらんかったの。ポサラさんじゃ」

 とたん、警官が顔をしかめた。

「ポサラ言うなっつったろ! ……あー、伝法(でんぽう)渦生(うずき)だ。ここの駐在をやってる」

 崇春が首を傾げた。

「むう? しかし以前は沙羅(さら)さんじゃったはずじゃが。伝法(でんぽう)沙羅(さら)さん」

「いつの話だ、十年ぐらい前だぞそれ!」

 

 かすみの視線に気づいたのか、咳払いをしてから警官が言う。

「あー、いや。実家が寺でな、元々は俺が継ぐ予定だったんだ。沙羅ってのはそのときの、坊主としての名だな。色々あって還俗(げんぞく)して――つまり坊主を辞めて――名前も元に戻した。で、今はこんな仕事をやってる」

 実家が寺ということは、百見とは親戚か何かだろうか。もしくは寺同士、仕事関係でのつき合いがあるのかもしれない。

 

 かすみは頭を下げる。

「申し遅れました、私は――」

「いい、谷﨑かすみだな。百見から聞いてる。……とにかく、座れ」

 相談室の椅子を示し、崇春の肩を押す。その後で自分は部屋の奥へと引っ込んだ。

 

 崇春の横で椅子に腰かけ、かすみは部屋の中を見回した。六畳ほどの広さだが、雑然としているせいで手狭に見える。仕事関係の物が入っているのだろう、タンスほどもあるロッカー。ノートパソコンの置かれた机。壁の帽子かけには仕事用のヘルメットやコートが吊るされ、出入口近くの壁には武器の類だろうか、金属製の大盾や木の棒――崇春の錫杖ほどの長さがある――が物々しくも置かれている。

 

 やがて戻ってきた警官は、片手に持っていた缶コーヒー二本をかすみたちの前に置く。反対の手に持っていた酒――バーボンか何か、洋酒のボトル――と小さなグラスは自分の前に置いた。そして椅子に腰を下ろし、足を組んでテーブルに――一応かすみたちのいない方に――載せた。

「ま、飲めよ」

 言いながら自分のグラスに酒を注ぎ、一口飲んで息をついた。制服姿のままで。

 

「……」

 いいんですかね、あれ。かすみはよほどそう言いたかったが、崇春は気にした様子もなくコーヒーを飲んでいる。

 

 かすみの視線に気づいてか、警官が言う。

「いいんだよ、今日の仕事は終わった。明日も休みだ……そんなことより、だ。百見からの連絡じゃ、状況から見て賀来(がらい)とかいう奴が怪仏の件に関わってる、ありていに言やあ正体。そういうわけでいいんだな」

 射抜くような視線を、崇春とかすみへ交互に向ける。

 

 かすみはおずおずと手を上げた。

「……あの。失礼ですけど、伝法さんは今回のこと、どの程度ご存知なんですか」

「ああ、説明してなかったな。お前らが知ってることは大体知ってる。そもそも、こいつらに手伝いを頼んだのは俺だ」

「え?」

「実家の絡みで、怪仏のことは俺も知ってる。で、たまーに――本当にたまーにしかねぇが――それ関係のことがありゃ、面倒ごとにならんうちに始末してたんだが。ここんとこ、妙にそれが多い……しかも特定の場所で、だ」

「まさか……」

 崇春がうなずく。

「谷﨑の、わしらの学校。斑野高校でじゃ」

 

 警官は酒を口にして続ける。

「当たり前だが、こういう件に関しちゃ警察組織として把握してるわけでも対処してるわけでもねえ。科学で実証できるわけでも法で裁けるわけでもねえしな。俺が個人的に――タダ働きだぜクソが――やってるだけだ。で、俺一個人が学校の中のことを勝手に調べる、ってのも無理がある。だから、親戚のつてでこいつらを呼んだ。俺と同じ力を持ち、しかも学生として中に入り込めるこいつらをな」

 

 同じ力。百見がやったように、仏――ということでいいのか――の力を使うということか。この人と、もちろん崇春も。

 

 空のグラスを握り締め、警官は言った。

「だが……こんなことになっちまうとは」

 室内は静かだった。三人とも動きはなく言葉もない。無論、隣室で横たわる百見にも。

 

 かすみは唾を飲み込んで、口を開いた。

「あの。百見さんが言ってました、今日はわざと賀来さんを挑発したって。それで百見さんが標的になれば、敵の正体は賀来さんだ、って。……これから、どうするんですか」

 崇春は何か考えるように、腕組みをしてうつむいたままだ。

 かすみは警官に視線を向ける。

「伝法さんは、何かお考えが?」

渦生(うずき)でいい、名字は嫌いなんでな。……さっきも言ったように、警察としてどうこうできるわけじゃねえ。今からそいつんちに行って逮捕、とかはできねえわけだ。ことを荒立てねえように――少なくとも荒立ってないと見えるように――、明日の放課後、そいつの帰り道で俺と崇春が当たる。それで百見と、他の奴らを元に戻させる」

 

 とは言っても。戻すのを相手が拒否したら? 仮に力づくでそうさせたとして、その後は? 賀来をどうするのだ? 

 



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第13話  謎の解法と、新たな謎

 

 考えていたとき、崇春が腕組みしたまま口を開いた。

「しかし、じゃ。本当にガーライルの奴が正体なんか?」

「ガーラ……何?」

 眉を寄せた渦生にかすみは言う。

「何ていうか、あだ名です。賀来さんの、崇春さん独自の」

 納得したようにうなずき、渦生は言う。

「それなんだが。連絡を受けて俺も調べてみた。賀来留美子……前歴、非行歴無し――ああ、こりゃ俺の独り言だ。聞いたら忘れろ。個人情報流したとなりゃコレじゃ済まねえ」

 自分の首を掻っ切るようなジェスチャーをしてから続けた。

「家族も同様だな、問題のあるような記録は無し。で、百見から聞いたこれのことだが。お前らも聞いてるか」

 ポケットからスマートフォンを取り出し、操作した後で画面をこちらに向ける。カラベラ名義の、例のツイッター。

 

『おほほよかけさはわのわもすみ』『しむぬすけかあがせよめをばなさがゆ』『よこさけお とのうわてずを』

 

「俺も最初は何かと思ったが。こいつの頭がおかしいってわけじゃないようだな。ある意味こりゃあ、ちゃんとした文章だ」

また酒を注ぎ、一口飲んでから言う。

「これの連絡と一緒に、百見がいくつか解法の例を挙げてくれた。時間がないから俺の方で試してみてくれってな。その一発目でいきなりビンゴだ。シーザー暗号、っつったら分かるか?」

 

 崇春が首をひねる。

「シーザー……サラダ? あのカリカリしたパンと粉のチーズが載った美味い――」

 その先は聞き流したが、かすみには覚えがあった。昔のミステリー小説なんかで聞いたことがある。確か古典的な暗号の作り方で――

「シーザー暗号、だ。ROT13、とかも呼ばれるな。古代ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが考えたといわれる暗号で、アルファベットを何文字か――ROT13では十三文字――後ろにずらして文を作る。で、こいつの場合。かな文字でそれをやってる、十三文字後ろに」

 

 渦生がポケットから出した紙を広げる。そこに書かれたひらがなの列は、ツイッターの内容を十三文字後ろにずらしたものだろう。

 

『よちちのられわすましまにんて』『をとこんれらめがあのなみばくわがね』

 

「……ん?」

 かすみの眉が思わず寄る。ずらしたとしても、全然文章になっていない。

「逆から読んでみろ」

「……『て、んに、ましますわれらのちちよ』『ねがわくばみなのあがめられんことを』」

 また酒を口にしてから渦生が言う。

「『天にまします我らの父よ』『願わくば御名の崇められんことを』新約聖書、マタイ伝の六章九節。……実家の影響じゃねえが、俺も若い頃はオカルト系にハマってな。ツチノコとかネッシーにムー大陸……いや、そりゃいいが。こういうのがあるとか聞いたことがある。特定の人物を呪う呪文として、マタイ伝六章九節以下を逆に唱える。たとえば悪魔の象徴として、十字架を上下逆にした逆十字ってのもあるしな。逆さまに唱えることで神を(おとし)め、悪魔に助力を求めるって儀式なんだろう」

「……」

 かすみが黙っていると、渦生は紙を裏返した。そこには書かれていた、暗号を解いた続きの文が――

 

『よれわろの みずかまやしき』

 ――『呪われよ 岸山一見』。

 

「むう……!」

 崇春が歯を噛み締めた。

 渦生は言う。

「この書き込みが今日の午後。で、それ以前にも同じ内容の書き込みがある……名前のところを別の生徒に置き換えたものが。百見から聞いた、倒れた生徒の名前とも一致する。谷﨑かすみ、お前の名前もある。書き込まれた日付も、それぞれ倒れた日、襲われた日と同じだ」

 かすみはつぶやいた。

「つまり……確定、ってことですか」

 渦生は無言でうなずいた。

「百見さんは……どうするんですか」

「どうせ後一日の話だ、このまま寝かせとく。必要な面倒は俺が見るが、一日ぐらいは食わなくても大丈夫だ。約三週間までは絶食しても人は死なねえ。水分は要るが」

「そう、ですか」

 百見の方に目をやる。表情は普通に眠っているみたいで、何の違和感もない――そう思ったが、何かが違う。

 

 そう考えて気がついたが、眼鏡がない。確かさっき崇春が吹っ飛ばしたままだ。

 靴を脱いで上がり込み、部屋の中を見回す。隅の方に落ちていた眼鏡はすぐに見つかった。そして、その脇に置かれていたものの存在にも気づいた。学生鞄と、タイトルのないハードカバーの本。

「これって」

 渦生が答える。

「ああ、そいつの荷物だ。倒れてた所に落ちてたから拾ってある。他には何もなかったはずだ」

「これ、百見さんがメモみたいに使ってた本です。……何か、書いてませんかね」

 

 かすみは本を拾い上げた。確かに見覚えのある――覚えているのは崇春を叩いているところばかりだが――本だ。百見なら何か書き残してくれているのではないか。敵の正体だとか重要な情報を、倒れる前に。

 そう考えると妙な重みを感じ、手が震える。しかし、勝手に見ていいものだろうか。

 

 渦生が靴を脱ぐのももどかしく部屋に上がる。足早にかすみへ近づいた。

「なるほど、ダイイングメッセージってことか。貸せ」

 引ったくるように本を取り上げ、手早くページを繰る。その手が止まり、視線が本の上を走る。

「……ダメだな、俺らが知ってる情報までだ。倒れる間際に書かれたようなもんはねえな」

 本をこちらに向け、ページの内容を示す。左側のページには賀来の名前と自称――とその外国語の添削――、倒れた生徒の名前や家族から聞いた話のメモ。右側のページにはその続きが半分まで書かれ、残りは白紙となっていた。

 

 本を受け取り、念のために前のページや、続きのページも()ってみる。が、それらしき内容は見当たらない。

 崇春が首をひねる。

「むう……ダイビング……メッセージ?」

 潜ってどうするんだ。そう言いたかったがやめておいた。

 眼鏡を拾い上げる。本の上に載せ、百見の傍らに置いた。

 

 百見は本当に眠っているようだった。適当にかけられた毛布の下で小さく胸が上下し、呼吸しているのが分かる。けがもなく、特に苦しんでいるような様子はない。それでもその精神は今、あの地獄のような場所に囚われているのだろうか。他の生徒たちと同じく。

 そう思い、かすみは小さく唇を噛む。

 

 渦生が言う。

「まあ死んだわけじゃねえし、ダイイングメッセージなんて言うのも、縁起でもねえな。どうせ明日にはケリがつくんだ、二人とももう帰れ」

「うむ……」

 崇春は何か考えるような表情でうなずく。

 かすみもうなずいて、再び百見に目をやる。毛布から肩と肘がはみ出しているのが気になり、毛布を持ち上げてかけ直した。

「ん?」

 そのときに見えた。毛布に隠れていた百見の右手、その甲。そこには黒々と、横一文字に線が引かれていた。ペンなどで書かれたのではない、おそらくは太い筆の跡が。

「何ですかね……これ」

 

 崇春が言った。

「こりゃあ……広目天(こうもくてん)の、筆跡(ふであと)か」

 百見が()び出していた神仏は、確かに筆を操っていた。

 渦生が不精ひげの目立つあごに手をやる。

「だとして……何でこんな所に。何で、自分で書いた」

 これはつまり。百見のダイイングメッセージということだろうか。

 かすみはつぶやく。

「でも、何を伝えようと……そもそも横一文字? 実は縦棒? あるいは記号とか、本来何か続きがあるとか――」

 そこまでで三人とも、うつむいたまま黙った。

 

 崇春がつぶやく。

「むう……こんなとき、百見さえいてくれりゃあのう」

確かに、パッと答えを示してくれそうだが。その本人が残したメッセージで、当人は目の前で寝ている。

 

かすみは小さく息をつき、もう一度百見の手を見た。黒々とした筆跡は手の甲の端から端まで、くっきりと同じ太さで続き、ぴったりと途切れていた。

「むう?」

 崇春が目を瞬かせる。

「どうしたんです?」

「いや、なんちゅうか。広目天の筆跡にしちゃ、なぁんか妙な気がしての」

「何か、って?」

「むう……」

 巻いた布越しにばりばりと頭をかき、崇春はそれきり黙ってしまった。

 渦生が大きく息をつく。

「ま、しょーがねえ。何にしろ正体は分かってるし、明日は二人がかりでやる。問題はねえよ」

 

 



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第14話  決戦前夜

 

 二人とも何も言わず、暗い道を歩いていた。かすみの家の近く、崇春の野宿するお堂への道。渦生は送ってくれると言っていた――酒が入っているので徒歩でだ――が、百見についていてくれるよう頼んでおいた。

 

 足元もはっきりと見えない夜の中を、離れた街灯の明かりを目指して歩く。白く浮かび上がるようなそこもすぐに過ぎ行き、また闇の中を、沈み込むように歩いていく。遠く離れた次の街灯へ向かって。

 辺りを通る車もなく、二人の足音だけが響いていた……というわけでもない。じゃりん、じゃりん、と崇春の立てる、錫杖の音が常に響いていた。

 百見が倒れ、本来ならどうしようもなく心細いはずなのに。その音は妙に威勢がよくて心地よく、かすみは闇の中で苦笑した。――どうもこの人と一緒だと、不安になれない。

 

 息をついて言う。

「……でも、とにかく。明日で全部、解決するんですよね」

 何人もの生徒が倒れたけれど、かすみも狙われ、百見まで倒れてしまったけれど。その犯人は知人だったけれど――でも、明日で解決する。

そう思えばこそ、何というか。こんな暗い夜でも、二回も襲われた道でも歩いていける。

 

「……」

 しかし崇春は何も言わなかった。笠の下で顔をうつむけ、宙をにらむだけだった。

 かすみもうつむく。しまった――そんな風に思った。正直どこか、浮かれていた。正体がはっきりしたせいでか、自分が狙われることもなくなるせいでか。百見のことを忘れていたわけではないにしろ、崇春の気持ちを考えていなかった。

 

「ごめんなさい、何ていうか……心配ですよね、百見さんのこと」

 太い眉を寄せたまま、ぼそりと崇春がつぶやく。

「……本当に、奴なんか」

「え?」

「本当に奴の仕業なんかのう。あの、ガーライルの」

 

 そういわれてかすみは黙る。確かに今朝や昼休みの態度を見るなら、ただの変わった子だが。百見を嫌う理由も、呪うような言動があったのも確かだ。そして何より。

「あの書き込みがある以上、賀来さんとしか……あ、全然別の人があのあだ名で勝手に書き込んでたら?」

 しかし、あの名前――言語的にも間違っている――が偶然かぶることはないだろうし。仮に他人が賀来を装おうとして、あの自称を名乗ったとしても。その他人が百見を呪う理由がないだろう。

 

「あ、でも。聖書の言葉を使った呪いで仏様が出てくるってのも変ですよね」

 崇春は首を横に振る。

「仏様ではない、怪仏よ。ありゃあいわば、仏の形をした人の(ごう)。必ずしも、宗教とか儀式に()るもんでもない……が、呪いを言葉として示したことが引き金となる、っちゅうこともないとは言えん。じゃけえ、その辺は何とものう」

 百見がいてくれりゃあ分かったかも知れんがの――そうつぶやいて、崇春はまたうつむいた。

 

「……やっぱり、賀来さんなんですかね。百見さんが狙われた以上……そういえば、私が狙われたのは何でだろう……他の人も」

 崇春は黙って杖を抱え、腕組みをした。鳴り響いていた錫杖の音が潜まり、静かな足音が響く。

 やがて、目を見開いた。

「それも分からん。が、一つだけ分かることがある。わしが今やるべきこと、それは――」

 

 背中のリュックを下ろし、開いて中身を示す。

「――(おとこ)崇春! 怒濤(どとう)のカップ麺パーティじゃああ!」

 中には大量のカップ麺と、お湯の入った水筒。缶詰にパン、缶コーヒー。渦生が持たせてくれた買い置きの食料だった。

 

 かすみの頬が苦笑いの形で固まる。

「いや、あの。パーティというか……」

 確かに夕食はまだだが、そんなことではしゃいでいる場合なのか。

 

 崇春は何度もうなずく。

「分かっちょる、分かっちょるわい。お(んし)の言いたいことは……これじゃろ?」

 懐から取り出して示した。青汁と牛乳。

「栄養的なことじゃありませんからーー! ……ていうか、それ」

「おう、百見が持たせてくれたもんじゃ……昼飯のとき、じゃがいもを食いそびれたもんでのう。栄養取れっちゅうて、くれたんじゃわい」

 

 かすみは息をついた。なぜか、口元が緩んだ。

「……心配ですよね、百見さん」

崇春は青汁をストローですすっていた。

「いいや?」

「心配して下さいよ! 倒れたままだしあの、地獄みたいなとこに――」

 

 崇春はストローから口を離して笑う。

「まったく、谷﨑はおかしなことばかり言うのう。別に怪我はしとらんかった。大体、奴が地獄に落ちたとて、それが何じゃと言うんじゃい」

「えっ」

「地獄が怖ぁて何の坊主か。奴はただ仕事場におるだけぞ。供養(くよう)もまた、僧の務めの一つなればのう」

 

 青汁を全てすすり上げ、パックを握り潰した。

「今頃は亡者のため、経の一つも上げちょるじゃろう。――心配すべき(もん)は、それよりも他におる」

「え?」

 かすみの目を見る崇春は、笑ってはいなかった。

「飯を食え、谷﨑。ようく寝ろ。明日は、一緒にそこへ来てくれい」

 



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第15話  決戦? 否、説得

 

 ベールのような薄い霧に日が降り注ぎ、白く光る朝の中。じゃりん、じゃりん、と錫杖の音が響く。前を歩く崇春は、今朝会ってから何も言わず歩いていた。それでかすみは、何も聞かずついてきていた。

 歩いているのは、かすみの通学路とほぼ同じだった。時折脇道を行ったり、迷ったのか妙に回り道をしてもいたが。それでも学校の方角へと進み、かと思うと正門を通り過ぎた。

 

 反対側、今の時間帯は完全に日陰になる裏門。そこが見える場所、学校の外で、電信柱の陰に隠れるように、崇春は立った。裏門を見張るように。

 ぱらぱらと生徒が裏門を通り、学校に入っていく。

やがて一人の生徒が裏門に近づいたとき、崇春は走り出した。

 

 フリルのついた黒い日傘の下からのぞく、銀髪交じりのツインテール。その生徒は、やはり賀来だった。

 昨晩渦生との打ち合わせで、賀来の帰り道を特定するため彼女の住所は調べてある。その場所からして、通るのは裏門のはずだった。

 

崇春は腰より深く頭を下げる。

「魔王ガーライルよ。頼む、あのような呪いはやめにせんか」

 

 賀来は崇春の顔を見た。傘の柄をくるくると指で回し、もてあそぶ。

「……何だ、朝から突然。何の話だ」

 かすみも駆け寄り、崇春の後ろから言う。

「見ました、あの書き込み。シーザー暗号と逆さ読みの。……あれ、賀来さんですよね」

 賀来の表情が固まり、日傘が動きを止める。

 

頭を下げたまま崇春は言う。

「ガーライルよ、わしゃあ言うたはずじゃ。何ぞ悪さをすることがあれば、この崇春が調伏(ちょうぶく)すると。じゃがのう」

 顔を上げ、賀来の目を見る。

「お(んし)と争いとうはない。たとえお(んし)が百見や谷﨑、他の生徒らに如何(いか)(うら)みを持とうが……わしゃあ、怨みを返しとうはない」

 言って背を向け、学校へと歩みながら言う。

「皆の呪いを解いてくれ。さもなきゃわしゃあ、腕づくでそうさせにゃならん。そんなことはせんで済むよう頼んだぞ、魔王ガーライルよ。……放課後、ここで待っとる」

 

 かすみは賀来と崇春を見回した後、小走りに崇春の後を追った。

 振り向いてみれば、賀来はじっと崇春の背を見ていた。

 

 校内に入ってからかすみは言う。

「でも、良かったんですかね」

 渦生からは、放課後まで手出しせず普通にしていろと言われていた。逃げられたら困るのだから、それが当然ではあったのだが。それでも、かすみは崇春の判断を信じたかった。

 

 前を見たまま崇春は言う。

「分からん。じゃが、信じたいんじゃ。……それで駄目なら、そのときは遠慮のう調伏(ちょうぶく)してくれるわい」

「……はい」

 唾を飲み込んで、かすみはうなずいた。

 

 その後教室に着き、席に座る。かすみの左後ろ、百見の席は当然空いたままだ。いくつかの他の席も。

 だが、それも今日で終わる。どういった形でかはともかく。

 

 そう考えているうち、賀来が教室に入ってくる。

「……」

 かすみと一瞬だけ視線が合い、お互いに逸らす。

 同じクラスなのだからこうなることは分かっていたが、気まずい。だがそれも仕方のないことだし、こちらから何か言うべきでもないだろう。邪魔せず、放課後までしっかり考えてもらいたい。あとかすみたちにできることは、賀来の良心を信じることだけ――

 

 崇春は席を立って歩き、賀来の机に両手をついた。

「おう、どうじゃ。さっきの話考えてくれたか?」

「え」

 賀来は口を開けていた。

同時にかすみも。

「……え?」

 

 崇春は頭を下げ、机につけた。

「のう、頼む! わしの一生の願いじゃ、聞いてやってくれい!」

 かすみは席を立っていた。

「説得、続いてたんですかーー!?」

 賀来は口を開けたまま、かすみと目を見交わした。

 以心伝心というものか、お互いの気持ちがすぐに分かった。何これ、と。

 

 



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第16話  説得続いてたんですか!?

 

 崇春の説得は続いた。

 

 

 ――あるときは授業中に教師の目を盗み、小さな紙にしたためる。

『賀来殿 今朝の事御返事戴きたく候 放課後例の場所にて待つ 崇春』

それを丸めて賀来の机へ投げる。何回か失敗し、無関係な生徒数名が内容を知るところとなった――。

 

 

 ――あるときは休み時間ごとに賀来の席へ赴き、話しかける。

「うむ、今日もええ天気じゃのう。ところで、今朝の話じゃが……考えてくれたか」

 賀来は歯を剥いて声を上げる。

「またその話か! 放っておいてもらおうか」

 

 崇春の眉が下がる。

「むう? じゃが、お(んし)に取っても大事な話じゃし……」

 

 賀来はそっぽを向いて頬杖をつく。

「知ったことか。我の機嫌を損ねぬうちに失せることだな」

 

 崇春は机に手をつき、頭を下げた。

「わしゃあ真剣なんじゃ、頼む! 今は正直、お(んし)のことで頭が一杯よ……嘘偽りないこの気持ち、真っ直ぐに受け止めてほしいんじゃい!」

 その大声に、教室中の視線が集まる。

 

「な……」

 頬杖をついていた手から賀来の顔が離れた。一瞬だけ、崇春の目を見る。

「何、だそれは! 何の話……いやっ、いいから、いいから消えろ、消え失せろ!」

 両手で何度も机を叩いた賀来の顔は、体を動かしたせいかわすかに赤らんでいた――。

 

 

 ――またあるときは体育の授業中、先生が短距離走のフォームを説明している間。グラウンドに並んで体育座りをしたまま――ぴちぴちとはち切れそうなジャージ姿で――、隣の賀来に声をかける。

「しっかりと考えてほしいんじゃ、決して悪い話ではないはず」

 

 賀来は顔をしかめ、小声で言う。

「今する話か、後にしろ後に! ……考えては、いる」

「そうかあ、有り難い!」

 

 崇春が大声を上げると、さすがに先生がそちらを見た。

「そこ、聞いてるのか! 誰と誰だ、何の話をしてた」

 

 崇春が立ち上がり、賀来の手をつかんだ。

「むう。わしらじゃが、大事な話なんじゃ……わしら二人、これからの話をのう」

 

 生徒から小さくどよめきが上がる。

 先生は言う。

「……そうか。後でゆっくりやれ」

「押忍」

 崇春は頭を下げる。

 

 賀来は小さく肩を震わせてうつむき、片手で顔を隠していた。だが握られた方の手を振りほどきはしなかった、崇春が離すまでは――。

 

 

 ――そしてあるときは昼休み、昼食の包みを持って賀来の机へと向かう。

「どうじゃガーライルよ。今日もまた、一緒に飯を食わんか」

「……」

 賀来は目を伏せたが、何も言わなかった。自分の弁当の包みを取り出して置く。

 

 かすみはといえば、邪魔しない方が逆にいいかと思ったので。遠巻きに傍観することにした。自分の席で弁当の包みを開きながら。

 

 崇春が自分の昼食の包みを解く。中身は渦生からもらっていた菓子パンの類や缶詰、缶コーヒー。

 

 野宿していて用意することもできなかったので仕方はないが、栄養が偏っている。崇春の分も弁当を用意してあげればよかった、とかすみは思ったが――

 

 賀来が自分の包みを開く。

「フン、相変わらず下賤なものを食べておるな。栄養も偏るだろう……我のものを、恵んでやってもよい」

――どうやら、用意しなくて良かったらしい。

 

 賀来の弁当は相変わらず素朴で、しっかりしたものだった。ゆかりご飯のおにぎり。蓮根入りのきんぴらごぼう。かつお節のかかったほうれん草のおひたし。海苔を中に巻き込んだ玉子焼き。

「今日のは、そう、モスケンの大渦巻き弁当だ。……モスケンの大渦巻きの落とし子の玉子焼き、食べるか」

 

 合掌して頭を下げた後、崇春は割り箸を出して玉子焼きを取る。丸ごと頬張り、ゆっくりと噛んだ。

「……旨い! 相変わらずガーライルの弁当は旨いわい、これも自分で作ったんか?」

「ああ、自分で作ったのは今日は玉子焼き……モスケンの大渦巻きの落とし子の玉子焼きと、おにぎりだけだが」

「大したもんじゃわい。他に得意な料理はあるんか」

「そうだな、何だろう…………おでん? かな」

 

 また意外なものが来た。そう思いながら、かすみは自分の弁当から蒸し鶏を口に運んだ。

 

 片手を突き出し、早口になりながら賀来は言う。

「いやっ、待っ、違う、違うのだ、そう……あれだ、世界樹(ユグドラシル)にて首を(くく)りし知恵の神オーデーンの……。いや……何を言ってるんだ私は」

 

 まったくだ。鶏肉を噛みしめながらかすみはうなずいた。

 

 賀来が肩を落とし、息をつく。

「そうだな、おでんだ。出汁(だし)昆布の良いものを使えば、それなりにちゃんとした味わいになる。後は調味して、煮込むのに時間をかけるだけだ……それと具も色々入れるな、タコの足とか串に刺したぎんなんとか。他に得意なものはそうだな、普通にみそ汁とか……これも昆布と煮干の、ちゃんとしたもので出汁(だし)を取る。具はにんじん、大根、玉ねぎ、豆腐、えのき、わかめ、じゃがいも……具だくさんなのが(うち)の流儀だ。雑な味になるという者もいるだろうが、色んな具の旨みが汁に染み出て、私は好き……我としては、好むところだ」

 

 なるほど、今度家でもやってみよう。そう思いながらかすみはご飯を口に含む。

 

 賀来はまた息をつき、おにぎりを一口食べた。

「なるほどのう……それは旨そうじゃ」

 崇春は何度もうなずく。続けて言った。

「ぜひともわしに食わせてくれんか、お(んし)の作ったみそ汁を。毎日――」

 

「……~~ッ!?」

 同時に米を噴き出していた。賀来とかすみは。

 

 かすみが何度も咳き込み、賀来が両手を握り締めて口元を押さえていたとき、崇春は続けた。

「――そう、毎日でも食ってみたいぐらいじゃわい。やはり、白米とみそ汁は毎日でも、食い飽きるということがないけぇのう」

「……!」

 口元に両手を当てていた、賀来の目つきがたちまちきつくなる。音を立てて席を立ち、言い放つ。

「いい加減にしろ」

 顔を背け、弁当を机に残したまま大股で歩く。教室の出入口へと向かって。

 引き戸に手をかけようとしたそのとき。

 

「待てい!」

 崇春がその手をつかんで引き戻す。

 引き戸を背に、向き合う形となった賀来の顔の横に。崇春の(たくま)しい腕が伸び、戸を押さえた。身をかがめ、賀来と目の高さを合わせる。

 

 賀来が顔を背ける。

「な、何だ、やめ……いい加減にしろ! おのれ崇春、私を……我をからかうな!」

「からかってなどおらぬ!」

 崇春が声を上げた。それから、ゆっくりと続ける。互いの息がかかるような距離に――その気になれば口づけられるような距離に――顔を近づけ。目を真っ直ぐに見て。

「わしとて遊びで言うとるわけではない。本気も本気よ。お(んし)も本気の答えを聞かせてくれい……わしの頼み、聞いてもらえるのか。それとも否か」

 賀来は震える顔を――はっきりと赤らんだ顔を――背けたまま、何度も目を瞬かせた。そして小さく、うなずく。

「……あ。うん……はい……。分かっ、た。その、頼み……聞きます」

 

 崇春はうなずき、手を離した。背を向ける。

「あい分かった。では、確かにつき()うてもらうぞ。放課後にの」

 

 凄いことするなあ、と思いながら。かすみは気づけば、両手を胸の前で握り合わせていた。高くなった鼓動がその手に伝わり、頭の中に響く。

 何だこれ、何で私まで――そう思って目をつむり、かぶりを振る。

 

 と、気がつけば。いつそこに来たのか、崇春と賀来の前に斉藤逸人(そると)の巨体があった。

「……ウス」

「むう?」

 

 斉藤は右手を上げ――怪我でもしたのか包帯を巻いている。前にも故障で部活を休むと言っていたが――、軽く手刀を切るように突き出した。

「ウス……そこ、通ります……便所、行くんで……ウス」

「おお、これはすまんかった」

 崇春はすぐに引き戸の前から離れた。

 だが、顔を赤らめたままうつむく賀来は、目をつむっているせいか動かなかった。

 

 斉藤はわずかに――本当にわずかに――身をかがめ、声をかけた。

「……ウス。大丈夫、スか」

 賀来は目を開け、何度か瞬く。口元に手を当ててうなずき、横へ退いた。

「……ウス。本当、に?」

 崇春のあれが無理やりではないかと、心配して来たのだろうか。意外に紳士なんだな、とかすみは思った。

 賀来は小さく微笑んだ。

「すまない……大丈夫だ」

 斉藤は視線を戻し、滑るような足取りで教室を出た。

 

 



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第17話  呪いは解かれた……?

 

「えー、はい、そうなんです、崇春さんが凄いこと……いえ、とにかく上手く説得してくれて……ですから、渦生さんはそちらでいて下さい。百見さんと一緒に」

 

 かすみは自分のスマートフォンで電話をかけていた。放課後、学校の裏門で。賀来との待ち合わせ場所は裏門の外、少し離れた角の所だったが。かすみは身を隠すように学校の敷地内、裏門の陰にいる。

 

「いや、本当にいいんですって。ちょっと前にも連絡したとおりです、多分来ても邪魔者になるだけかも……私もですけど」

 

 門柱から顔だけ出して道の先をうかがう。そこには崇春と、顔をうつむけた賀来がいた。

ここからではよく分からないが二人は何か言葉を交わし、その後で賀来がスマートフォンを取り出す。しばらくそれを操作していた後、崇春に画面を示した。

 崇春は大きくうなずくと、小走りにかすみの方へやってきた。

 

かすみはつないだままの携帯を下ろし、崇春へ声をかけた。

「ちょ、放っておいていいんですか? 賀来さんのこと」

「む? 何の話じゃ?」

 そうだ、別につき合い出したとかそういうわけではないのか――何だか、かすみまでそういうつもりになっていた。そうか、そうだった。

 

 なぜか大きく息をついて。小さく咳払いした後で言う。

「で、上手くいったんですか」

「うむ。呪いを解くよう言うたら、例の書き込みを全て削除してくれたわい。あの呪文が引き金となるっちゅうんなら、これで呪いなど無くなるじゃろう」

 かすみは携帯を持ち上げる。

「あ、もしもし。今終わったみたいです、呪文の書き込みは全部削除してくれたそうで。はい、これでみんな目を覚ますはずです! 百見さんも」

 

 かすみは大きく息をつき、肩を落とした。まさに肩の荷が下りたというやつだ。

 何もかもこれで済んだ、みんな助かった。こんなことをした賀来をどうしたらいいのか、という問題はあるだろうが、それは今後崇春と渦生、それに百見が話し合うだろう。そういえばかすみがなぜ狙われたのかも気にはなるが。それは別に今聞かなくても――

 

『――﨑、谷﨑! 聞いてんのかおい!』

 気づけば電話の向こうから渦生の怒鳴る声が響いていた。

『どうなってる……起きる気配なんかねえぞ!』

「え」

『揺すってもしばいても起きねえ、反応すらねえぞ!』

 それはそれで大丈夫かとも思うが。

「あの……もう少し、様子を見てみては」

 崇春が携帯を奪い取る。

「どうしたんじゃ! 百見、無事か百見!」

『うるせえよ! ……別に変わった様子はない、ただ、本当に何の変化もねえ。他に解き方はねえのか? ……大体、あの呪文が引き金で合ってるのか?』

「むう!?」

 

 かすみは携帯を奪い返す。

「崇春さん、あの人、賀来さん、早く呼んで!」

「むう!」

 崇春は走り、賀来に何事か告げ、手を握って半ば無理やりかすみの所へ引っ張ってきた。

 かすみは言う。なぜかわたわたとした身振り手振りを、携帯を持ったまま加えてしまう。

「賀来さんっ、なんか、あのですねその――」

 そのとき携帯から渦生の――多分怒鳴っているのだろうが電話なので小さく聞こえる――声が聞こえた。

 

全員で話せるよう、電話をスピーカーモードにする。とたん、渦生の声が響いた。

『――聞いてんのか! おい、そこに例の、ガーライルとかはいるのか! 電話代われ!』

 賀来の方を見ながらかすみは答える。

「います! 賀来さん、こちらはえーと、保護者の方です! 百見さん、岸山一見さんを看てもらってます!」

 電話口からの大声に賀来は身をすくませ、崇春の方に身を寄せた――それでかすみの頬は、なぜだかひどく引きつった――が、とにかく返事をした。

「はい、あの、賀来です……すいません」

『すいませんで済むかボケェ! すいませんで済んだら警察要るかボケ死ねバーカ!  ……いや、すまん。取り乱した』

 咳払いの後続ける。

『とにかくだな、呪いを解いてほしい。こっちじゃあ岸山一見が、昨日から倒れたままだ。書き込みは削除されたようだが目を覚ましてねえ。解いてくれ、分かるか』

「あ、はあ……」

 賀来は自分のスマートフォンをしばらく操作し、それから言った。

「これで、解いた……と思う、んだが」

 賀来は崇春に見えるよう、スマホの画面を示す。

 

かすみも横からのぞき込んだ。ツイッターの画面には『天にまします我らの父よ』『願わくば御名の崇められんことを』『懺悔いたします、私は多くの人を呪いました』『私の容姿を、言動を、在り方を否定したことでクラスメイトや他の生徒を』『古本屋で私の推し作家の本、推し漫画家の本を、一瞥(いちべつ)しただけで棚に戻した谷﨑さんを』『我が真名を侮辱した岸山を、呪いました』『悔い改めます、どうか呪いが解けますように』と、新たな書き込みがなされていた。

 

 確かに地蔵に襲われた日、古本屋には寄ったが。そんなことで呪われてたのか、私。目まいに似た感覚を覚えたかすみだったが、それより。

「どうですか、百見さんは!?」

『……起きねえよ』

 

賀来の顔が見る間に歪む。泣き出す直前のように、ぐしゃぐしゃと。

「え? え、あれ? 嘘……嘘?」

 眉根を寄せ、目尻が下がり、頬を歪め、見回す。崇春を、かすみを、かすみの持った電話を、答えを求めるように。

 

もちろん誰も答えられるはずはなく、それで彼女は、ぐるぐると三者を見回し続けた。

「そんな、ちょっと待ってちょっと……もういいから! やめるから、いいから、私が悪かったから……起きて、起きて下さい……」

 祈るみたいに組んだ両手をかき抱くように胸に、口元につける。震えながら、目をつむって。

 それでも、電話口からは何も言ってこない。

「……ごめんなさい」

 震えながら、体を折り曲げるようにうつむき、賀来は言った。

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい……悪かった、私が悪かったんだ……馬鹿にされてムカついて、ちょっと知ってる呪いのやり方をやってみたら……次の日にはそいつが倒れてた。面白かった、ごめんなさい、私の力だと、選ばれし私の力だと思ってた……なのに」

 その目から涙が落ちる。

「何で! 元に、戻せないの!」

 

 やがて崇春を見上げたその顔は涙と、鼻水に濡れていた。

「……どうしよう、どうしたらいい?」

 崇春は賀来の肩に手を置いた。

「落ち着け。ええか、自分でかけた呪いを解いたらええんじゃ。地蔵菩薩の姿を取ってかけた呪いをのう」

 賀来は目を瞬かせる。目の端から涙がこぼれた。

「地、蔵……?」

 崇春は大きく、ゆっくりとうなずく。

「そう。思い出せ、お(んし)は地蔵菩薩の姿に変じ、谷﨑を二度襲うたじゃろう。一度はわしが殴り飛ばし、一度は百見が広目天の筆で退(しりぞ)けた。そうして昨日、再び百見を襲った……その力を思い出して解けば――」

 

 賀来がひどく眉を寄せた。

「何、それ?」

「……むう?」

「地蔵、とか襲うとか、どういうことだ? 私は……あの書き込みをして、次の日には相手が倒れてる、って思ってたんだが。地蔵って、何の話?」

 かすみの頬が引きつる。

「え……?」

 電話口から渦生が言う。

『おい……どういうこった。本当に、こいつなのか』

 

 



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第18話  崇春を信じて

 

 何だこれは。確かに賀来は呪いをかけて、それでも怪仏ではない? だとしたら、怪仏は誰だ? 別に誰かいるとして、なぜ賀来の呪いのとおりに、生徒たちを眠らせた? 

 

 渦生が早口に言う。

『待てよお前ら、いいか、落ち着け、いいか。とにかく俺がそっちに行く、動くなよ落ち着け! ああ百見も連れてくから少しかかるが……とにかく落ち着け、いいな!』

 直後電話は切れ、ツー、ツー、という断電音だけが響き続けた。

 

「……」

 無言のままかすみは思った。渦生さん自身がまず落ち着けていない。

 

 それにしても、これからどうしたらいい? 渦生さんが来るのを待って、いやしかし、来たところでどうなるのか。今日で解決だと思っていたのに、いつまで続くんだこれは、それに次に狙われるのはまたかすみ自身なのでは――携帯を持ったままの手は震え、ぐるぐると思考が回り、そのくせ一向に先へ進まない。

 

 そのとき、崇春は腕を組んでうなずく。

「なるほどのう……さすがは渦生さんじゃ、ええことを言うわい。ともかく、落ち着こうかの」

 どっこらしょ、と近くの庭石に腰を下ろす。そうしてまた腕組みをし、目をつむった。

 

 しばらく後で目を見開く。

「むう? どうしたんじゃ、お(んし)らも落ち着け。ゆっくり座って考えてみんか」

 

 思えば、落ち着けと言われて落ち着いた人を初めて見た気もするが。

「あ……はい」

 かすみも崇春の横に――辺りには他に、腰かけられる場所もなかったので――腰を下ろす。その動きに押し出されたみたいに、胸の奥から長く息をついた。

 

 携帯をポケットにしまう。見れば、手の震えはもう止まっていた。どうやらかすみ自身が二例目らしかった――落ち着けと言われて落ち着いた人の、目撃例の。

 それが少しおかしくて、笑って崇春の方を見たが。庭石の反対側では同様に賀来も、崇春の隣に腰を下ろしていた。それでなぜだか、頬が引きつる。

 

 意識して深呼吸をし――それからさらに数秒待って――、平静な口調で言った。

「で、とりあえず落ち着きましたけど……どうしましょうか」

「むう?」

 崇春は首をひねり、目を瞬かせた。

賀来は崇春とかすみの顔を交互に見ている。

 

 だめだこれは。正直なところそう思い、深く息をつく。そして思った――そうだ、本当にだめだこれでは――。私が、何とかしないと。

 小さく咳払いをし、背筋を伸ばして言ってみる。

「まず、ですね。今回のことは賀来さんの意志じゃない、として。でも賀来さんの書き込みどおりに呪いが――で、いいんですかね――起こってます。で、賀来さん」

 前に身を乗り出し、賀来の顔をのぞき込む。

「この書き込み、他に見てる人は?」

 

 賀来はかすみの目を見た後、視線をうつむける。

「いない、はずだ……フォロワーなんかもいないし、大体私は自慢じゃないが……友だちとか、いない」

 その言葉にのしかかられるような重みを感じ。かすみの視線まで、思わず地面の方を向いた。

 

 賀来は両手を突き出し、慌てたように首を横に振る。

「いやっ、違うんだ、違うその、我が友とするに足るほどの者を、今までは見い出し得なかったというだけで、そう今までは、で――」

 

 賀来はさらに何か喋っていたが、聞き流しながらかすみは考える――どうやらこの方面から追っていくのは無理だ、ならどうするか――。

 

 崇春が腕を組んだまま言う。

「しかし。いったい何故、百見はやられたんじゃ……奴がやられるなぞ、正直考えられん」

 確かにそうだ。以前地蔵と戦ったときでも、むしろ百見が圧倒していた。なのに、なぜ。

 

 とりあえず思いつく可能性を、指折り言ってみる。

「敵が実は、力を隠していた? でも、だったらあの時逃げる必要もないし……それかすごく遠くから、警戒できないほど遠くから、狙撃みたいにして攻撃したとか……だとしても、怪我ができますよね」

 百見の体には見たところ外傷はなかった。

 かすみは唸り、三人共に視線をうつむける。

 

 ふと思いつき、言ってみる。

「ミステリーなら……こういうとき、知人が犯人で。無警戒に招き入れたところを不意打ちされた、とかですよね」

 

 とはいえ。この場合、転校生の百見に知人らしい知人がそもそもいない。かすみと崇春をのぞけば渦生と、()いていえば品ノ川先生か。渦生のことは、崇春は信頼しているようだが。かすみから見ればつき合いが少な過ぎ、何ともいえない。

 もっともそれは品ノ川先生も同じで、担任になってから一ヶ月ほどだ。倒れた子たちに対して割とドライで、怪しいといえば怪しいのかもしれないが。とはいえ、どちらがそうともそうでないともいえない。

 結局何も分からない。そう思って、かすみは大きくため息をついた。

 

 が。崇春は眉間に強くしわを寄せ、何か考える表情をしていた。

「谷﨑。……今、何ちゅうた」

「え? ミステリーなら知人が犯人で、って」

「その後じゃ!」

「え、無警戒に招き入れたところを――」

 崇春は一つ膝を打つ。

「それじゃあ! すると、あの筆跡(ふであと)は……まさか、奴か? しかし何故……何にせよ、奴じゃ」

 つぶやくなり、錫杖を手に駆け出した。

 

「ちょ、崇春さん! どうしたんです」

 走りながら崇春が言う。

「すぐに帰れ……いや、渦生さんを待っとれ! ええか、そこを動くなよ!」

 止めようとしたが、校舎に入った崇春の姿はすぐに見えなくなった。

 

「えーと……」

 崇春の方へ伸ばしかけていた手のまま、賀来の方を見る。

 賀来は崇春の去った方を見ていたが、かすみと目が合って視線をそらせる。

「……」

 

「……」

 一言で言えば、気まずい。

 ため息をつく。見上げれば、空まで灰色に曇っていた。空気は重く湿っている。また、霧が出るかもしれない。

 

 不意に賀来が言った。

「あの……ごめん、なさい」

 そちらに顔を向けると、賀来はうつむいたまま続けた。

「ごめんなさい……呪っちゃって。こんな、何か、どうでもいいことで、呪っちゃって。こんなことに、なって」

 

 まったくだ。そう思って、わずかに頬が引きつりかけたが。

考えてみれば、呪ったのは彼女であっても、襲ったのは彼女でないなら。賀来にどこまで責任があるのか? 

 分からない。考えても分からない。もちろんそれは、本当の犯人の意図が分からない以上当然ではあるのだが。

 ただ。全てが明らかになったとして、そのときにどこまで責任があるのか。その『どこまで』の線を彼女に引くのは、最終的には彼女自身だろう。そう考えると、責めたところで今どうなるものでもない。

 そう考えて、息をついた。

 

「いいですよ」

 そう言えた。言った後で笑えてきた。

「私のことなら別に、何ともなってないわけですし。他の人のことはともかくとしても、そっちを私に謝られても。……だから、いいですよ」

 

 無事なのはもちろん崇春と百見のお陰だし、未だ目覚めていない生徒たちと百見のことを思えば、むしろ責めるべき点があるのかも知れないが。

 だが、崇春も百見も言っていた。恨みに恨みを返すべきではないと。大体、賀来がかすみを恨んでいたとしても。それで今困っているのは、かすみよりも賀来の方だ。

 

「ごめんなさい……」

 賀来はいっそう顔をうつむけた。

 かすみは笑いかける。

「いいんですって。大体ほら、崇春さんに何か、考えがあるみたいですし。きっと、何とかしてくれますよ」

 何を考えているのかは分からないが。実際のところ、あの人といると――驚きはしても――、不安にはなれない。

 

 かすみは眉を寄せてみせる。

「ところで。正直、それより気になるんですけど……私、誰の本をスルーしてたんですか?」

 

 賀来が口を開ける。

「え。あー……上枝真州(うええだしんしゅう)先生の漫画と、埋枕伯(うめまくらはく)先生の本と。手にとってパラパラッて見て、すぐに戻してたから……」

「ん? え、二人ともめっちゃ好きですけど私」

 

「え?」

「いや、上枝先生のは新刊かと思ったら持ってるやつだったんで。埋枕先生のは、伝奇ものは好きなんですけど格闘技の話だったんで、置いたんですけど」

「あー……いやいやいや、でも、でもあの、埋枕先生はなんていうか、格闘ものにこそ濃厚な埋枕哲学が漂って……そう、たまらぬ男、なのだよ」

「なるほど、たまらぬ男、なんですよね」

 二人で作家の印象的なフレーズを引用し合って。それで二人で、笑った。

「あ、それと後、萩野真琴(はぎのまこと)先生の漫画もすぐ戻してたから……」

「ん? あー、その人のは覚えてないや……多分普通にスルーしてました」

「いやいやいや、それ絶対もったいない――」

 

 それから二人で話して――知っている作家の良いところを挙げ合い、知らない作家の良い作品を推し合い――そうして、待っていた。崇春を信じて。

 

 



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第19話  正体見たり

 

「うおおおおお! どこじゃあああっ!」

 

 崇春は走っていた。校舎の廊下を、ぺちぺちぺちと裸足の足音も高く。靴箱に行く暇も、上履き――用の別の草鞋(わらじ)――に履き替える暇も惜しかった。小脇に抱えた錫杖が、ぢゃりぢゃりぢゃりと音を刻む。

 

 教室には探している者の姿はなかった。ならばどこだ、帰ったか――帰り道を待ち伏せる気ならそうかもしれない――。

 だが、その者は見てきたはずだ。今日一日、崇春が賀来を説得し続けるのを。ならば放課後も、崇春たちの動向を見ていたはず。だとしたら今、そうすることのできる場所は。

 

 やがて崇春は足を止めた。化学室など特別教室の並んだ、人の気配がない三階の廊下。その窓から下をのぞけば、ちょうど裏門が――今もその横では、谷﨑と賀来が話している――見える位置。

 正にそこに、その者はいた。隠れようとしたのか、窓際の柱の陰から、その巨体をはみ出させて。

 

「おう、こんな所におったんかい! 探したぞ」

「……ウス。何、スか」

 

 同じクラスの巨漢、斉藤逸人(そると)。のっそりと体を向き直らせ、視線をうつむけてそう言った。

 

 崇春は笑って言う。

「いや、何。大したことじゃあないんじゃ。ただ、ちょっと呪いを解いてほしゅうての。お(んし)が地蔵の姿に変じ、皆にかけた呪いをの」

「……」

 斉藤は視線をうつむけたまま何も言わない。

 

 崇春は言う。

「ときにお(んし)、柔道部じゃったか。今日は部活は休みなんかの」

 

 右手に巻いた包帯――手の甲と手首を覆い、袖に隠れた腕の中までおそらく続いている――に、ちらりと目をやり、斉藤は答えた。

「ウス、ちょっと、故障で……昨日、今日も、欠席、ス」

「なるほど……しかし、はて。昨日はそんな物巻いとらんかったの」

 包帯に覆われた手が、ぴくり、と動く。

 

 崇春は続けた。

「故障で休んだ(もん)が、新たな怪我を負うほどの鍛錬をするっちゅうことはなかろう。ましてやお(んし)の動き、一昨日と変わらぬ滑るような足取りをしとった……そもそも大きな怪我を負ったようには見えん」

 

 そこでわずかに、斉藤の方へ、裸足の足をにじり寄らせる。

「いったい何故(なにゆえ)巻いたのか、さてさて妙な包帯よ。見せてはくれんか……その下、いかほど黒いかをのう」

「……!」

 

 表情をこわばらせた斉藤が、滑るような足取りで身を引こうとしたが。一瞬早く突き出していた、崇春の錫杖の先が包帯をさらった。

 

 その下には、太く筆で払ったような跡が二筋ついていた。いや、一筋というべきか。手の甲には黒々と、強く起筆を打った跡。手首の辺りには――ちょうど拳一つ分ほど――跡がなく、その先、前腕の辺りから、急に生えたみたいに跡が続く。急いだように、かするように払った、収筆の跡が。

 その二つの跡の間に、百見の手に残った筆跡を添えたなら。起筆、送筆、収筆を備えた――本来なら収筆で払う字ではないが――、一の字が完成するだろう。

 

「そもそも妙じゃったわい、百見ほどの(おとこ)が何の手もなくやられるものかよ。やられるとしたなら不意打ちじゃが、奴が警戒を怠るとは思えん。それでも不意をつけたとするなら。警戒しとらんものの姿で近づいたんじゃろ……つまり怪仏でなく、人の姿のままでの」

 

 崇春は右腕を胸の前で横たえる。

「お(んし)の腕がこうあるところに。手の左右はともかくとして、百見の手がこう」

 左手で、その手首をつかんでみせる。

「さらに不意打ちと考えるなら、こうではないかの」

 崇春は自分の首に、巻きつけるように右腕を沿わせる。手首をつかんだ左手は、それを引き()がそうとする形。

 

「背後から柔道の締め技をかけられ、それに抵抗する百見の手……そこをまとめて、広目天の筆が走ったか。そのせいで奴の腕には、起筆も収筆もない線のみが残っとった。とっさに()び出せたわずかな力で、目印を残してくれたんじゃろう……法力のこもった神筆の墨、そう簡単に消えはせん」

「……」

 

 斉藤は何も言わず、視線をうつむけたままだったが。墨の跡が残る手を、今は強く握り締めていた。

 

 崇春は続ける。

頚動脈(けいどうみゃく)を締める技なら、完全に決まれば十数秒ほどで失神するというの。お(んし)なら充分にできるじゃろうし、外傷も残るまい。その後で怪仏の力を用い、百見を地獄の幻に引きずり込んだか……と、そう思うんじゃが。どうじゃろうか」

「……」

 

 斉藤は何も言わなかった。ややうつむけたままの視線を動かすこともなく、ただ上着のボタンを外した。その下のワイシャツも。それらをまとめて脱ぎ捨て、アンダーシャツも同じく脱いだ。でっぷりと垂れて見える脂肪の奥に、それ以上の体積と質量を持つ筋肉を備えた、力士かレスラーにも似た体躯(たいく)

 

 斉藤は後ろを向く。広背筋(こうはいきん)を包む脂肪が隆起した、広いその背には。はっきりと×の字に筆跡が走っていた。

 

「なるほど、一昨日百見が(たたこ)うたとき。最後に振るうた筆も当たっとったか……それで昨日も、部活を休んどったんか。道着に着替えるとき、人に見とがめられるのを怖れてのう。……それにしても、まだ分からんこともある。いったいお(んし)が何でまた、ガーライルの呪いを実行しようとしたんか。あの呪いの暗号にしたって、パッと見て分かるもんでもなかろうに。どうしてそれを知れたんか」

 錫杖で軽く自分の肩を叩く。

「じゃが、ま。そんなことはどうでもええ、皆の呪いを解いてくれんか。お(んし)がどういうつもりかはともかく、ガーライル……賀来は、呪いをもう解いた――解こうとしたぞ」

「……!」

 

 ぴくり、と斉藤の筋肉がこわばり、脂肪が震える。そうして背を向けたまま、ズボンの尻ポケット――背中の筆跡のちょうど先――から、スマートフォンをつまみ出した。広目天の墨を浴びたか、画面は真っ黒に汚れていた。

 斉藤はそのボタンを押し、画面を指で操作しようとしたが。画面が明るくなったのが分かるのみで、墨で何も見えなかった。

 

「そう、スか……知らなかった、スね……一昨日から、こんななんで」

 崇春は言う。

「なるほどのう。それではガーライルが呪いの文を消しても、分からんっちゅうことか……ん?」

 崇春は首をかしげた。

「一昨日から分からなんだとしたら。昨日は何で百見を襲うたんじゃ? 呪われよだの何だのと、ガーライルも喋ってはおったが……呪いの文自体は見れとらんはず」

 

 錫杖を床について鳴らし、声を上げる。

「一つ聞く。此度(こたび)のこと、(まこと)にお(んし)の意思か。それにもう一つ――」

 左足を前に踏み出しながら問う。

「――怪仏の力。いったいどこで手に入れた」

 

 背を向けたまま斉藤が言う。

「ウス……それ、は――」

 

 そのとき、その声にかぶさるように。別の声が聞こえた。地の底から響くような、石を擦り合わせたような。

「――それ、は。お前の意思ぞ、斉藤逸人(そると)――」

 

 斉藤の動きが止まっていた。スマートフォンを手にしたまま、まるで石になったように。

 

「――お前の意思ぞ。お前の守りたい者を守る、当然の意思ではないか。この世の誰も、それを否定できはせぬ」

「むう……!」

 崇春は身構える。

 

 さらに声が響く。

「――さあ、遠慮は無用、我が許そう。石の如く堅きその意思を以て、存分に振るえ我が力。唱えるがいい我が真言(しんごん)――」

「ウ……ス」

 斉藤の手が震え、スマートフォンが離れた。それが音を立てて床に落ちる。

 

 ゆっくりと振り向く。その両手が胸の前に上がり、太い指が不器用に組み合わせられる――手を合わせた、いわゆる合掌の形。だがその指のうち、伸ばされているのは親指、中指、薬指のみ。人差指と小指はそれぞれ向かい合わせに内へ曲げられ、爪を合わせるような形――。

 

「……オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ……南無(なむ)・怪仏――閻摩天(えんまてん)

 

 ぴき、と、ひび割れるような音が斉藤の足元から上がった。と思う間に、その音は巨体を駆け上がる。床から靴、脚、腹、腕、組んだ手へと。まるで凍りついてゆくかのように、その全てを石で覆いながら。

さらに肩、首、頭までも石に覆われ尽くした、その姿は大きな地蔵だった。崇春がかすみと出会ったときと、次の夜に戦ったのと同じ。

 だがその姿が完成しても、ひび割れるような音は止まらない。まるで怒り狂うようにその全身を震わせ、柔和な顔にひびが走った。割れ落ちたその顔の下から、盛り上がるように石作りの牙が飛び出し、(とげ)のように鋭く尖った、石の(ひげ)が同じく突き出し。

 

 震えが収まったそこには。体は地蔵のそのままに、古代中国風の冠の下、憤怒に歪んだ顔をした、石の閻摩(えんま)がそこにいた。

 



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第20話  地獄烈闘

 

 閻摩(えんま)の顔の内側から、くぐもったような響きで斉藤の声が聞こえた。

「ウ……ス。守、る、オレ……あの人、を」

 引き継ぐようなタイミングで声が響く。

「――守らねばのう、大事な者を。そのためには裁かねばのう、その者の敵を。さあ、何も遠慮はいらぬ。この閻摩(えんま)と裁こうぞ――」

 

 崇春は言う。

「なるほどのう。怪仏よ、お(んし)が斉藤の意思に干渉しとったっちゅうことか。じゃが、それもここまでよ」

 錫杖を小脇に抱え、合掌する。

「もう解くがええ、皆の呪いを。そうして詫びよ、皆と、お(んし)が利用した斉藤と。それにお(んし)が姿を真似た、地蔵菩薩と閻摩(えんま)天にの」

 

 閻摩(えんま)は石を擦り合わせるような、くぐもった笑い声を上げた。

「――何を思い(ちご)うておる、裁かれるのは貴様の方ぞ。さあて斉藤、奴への罰は如何にすべきか」

「ウス……他の、人と、同じに……」

「――眠らせると申すか。ぬるいわ」

 

 閻摩(えんま)はその手にしたもの――地蔵の錫杖でも絵図の閻魔大王が持つ(しゃく)でもなく、岩から粗く削り出したような石の剣らしきもの――を掲げると、崇春に向けた。

「――判決! 永劫! 地獄行き! 受けよ、【地獄道大針林(だいしんりん)】!」

 

 高々と振り上げた石の剣を逆手に持ち替え、床へと突き立てる。その先から霧が吹き上げ、ほとばしるように次々と突き出た針の山が崇春へと走った。

 

「むう!」

 崇春は横っ跳びに針をかわし、着地したが。気づけば、針山が走った箇所だけではなく、辺り一面にも大小の針が――小指ほどの棘から柱のように巨大な針まで、廊下、柱、壁に天井、窓ガラスにさえ。まるで天地を互いに刺し貫こうとするように――生み出されていた。その間には濃く霧が漂い、廊下の先も窓の外も、白く幕が下りたように見通せない。

 

「――【地獄道大結界】。貴様はすでに、我が地獄の内に囚われておる。逃げ出すことも叶わぬ、貴様の姿も声も外には届かぬ」

 

 とたん、崇春は表情をこわばらせた。

「むう!? 姿も声も届かんっちゅうことは、つまり……目立てんっちゅうことか! おのれ閻摩(えんま)、なんちゅうことを!」

 

 閻摩(えんま)はしばらくそのままの姿勢で黙った後、声を響かせた。

「――……いや、つまり、助けを求めることもできんということよ。さあ、我が裁きに身を委ねよ!」

 石の剣を床へ向ける。そこからまたも針の山が、波のように崇春へと走る。

 

「何の! ……ぐ!?」

 横へ跳んでかわしたが。着地した場所に生えていた針が足の裏を突き刺し、(すね)を傷つける。どうやら、これまで地蔵が見せたような幻ではないようだった。そしてその針は、崇春と閻摩(えんま)との間にも大小びっしりと生えていた。

 

「――ここは我が地獄道、いわば【等活(とうかつ)地獄・刀輪処(とうりんしょ)】。この針の山、決して越えられ……」

 

 嘲笑うように閻摩(えんま)が言う、その間にも。崇春は錫杖を置くとかがみ込み、構えていた。短距離走の、クラウチングスタートのような姿勢で。

「ゆくぞ……【スシュンダッシュ】じゃあああ!」

 駆けた。針山の上に足を踏み出して。飛ぶような勢いで。

 

「――……は、すまい……な!?」

 閻摩(えんま)が声を上げる間にも、崇春はその目の前に迫っていた。

「受けよ、【スシュンパンチ】じゃあああ!」

 走り込んだ勢いのまま、真っ直ぐ突き出した右拳が。閻摩の鼻柱を打ち抜いた。

 

「――が……あああ!?」

 声を上げながら吹き飛んだその巨体が、背後の針山を砕きながら倒れ込む。やがて身を震わせながら起き上がったその顔には、大きくひびが走っていた。

「――ば、かな……いったい、針の上をどうやって……そうか」

 

 石の剣を構え直し、崇春へ向ける。

「――確か貴様も言っていたな、四天王がどうだとか。百見とかいう男と同じにな。その力を用いたか」

「いいや?」

 

 首をかしげて崇春は続ける。

「『増長天(ぞうちょうてん)』の力、ここで使うまでもないわい。今のは単に針のない所を縫い、あるいは針の先を足指でつかみ、針の横腹を蹴って、足場代わりにしただけよ。それで駆け抜けたっちゅうわけじゃい、だいたい無傷での」

 

 胸を張る崇春の足元は。破れた僧衣の裾からのぞく(すね)からも裸足の足からも、だんだらに彩ったように血が流れ落ちていた。

 

「――ん? 無、傷……?」

 つぶやく閻摩(えんま)に構わず崇春は叫ぶ。

「さあもう一本、【スシュンダッシュ】じゃああ!」

「――く、おのれ!」

 崇春が走りこむそこへ、閻摩は石の剣を振るう。

 崇春は両腕を掲げてどうにか防ぐが、自分から剣にぶつかった格好。その衝撃が腕に走り、顔を歪める。

「ぐぬぅ……!」

「――ここまでよ、死ねい!」

 閻摩(えんま)は再び剣を振りかぶり、空を切る音を立てて振り下ろした。

「なんの……【スシュン白刃取り(キャッチ)】じゃああ!」

 崇春は身をかわしはせず、剣から目をそらすこともなく。閻摩の目を見据えたまま、挟み込むように両手を剣の方へと振るった。正にそれは、真剣白刃取りの形。

 

 が。

 ぱん、と間抜けな音を立てて、両手は剣が通り過ぎた後の空間で、ただ打ち合わさっただけだった。同時、石の剣は鈍い音と共に、崇春の額へ叩きつけられていた。

 

「ご……お、おお……ま、まだまだ!」

 血を流し、目を剥いてふらついたが。崇春はそこから剣にしがみつき、閻摩(えんま)の手からもぎ取ろうとする。

 

 が。閻摩(えんま)は抵抗する様子もなく、剣から両手を離した。

 

「――そんなに欲しくばくれてやろう……これと一緒にのう! オン・エンマヤ・ソワカ」

 閻摩(えんま)の両手が、先ほど斉藤が結んだものと同じ(いん)に組み合わされる。

合掌に似たその両手から、湧き上がるように炎が舞い。それをも吹き飛ばすような勢いの風が上がった。

 

「――受けよ、焦熱(しょうねつ)地獄の裁き! 【地獄道闇火風(あんかふう)】!」

 黒煙を上げながら風に舞う炎の群れが、猛風と共に襲いかかる。

 

「ぬおおおぉっ!?」

崇春は全身を炎に巻かれ、風に打ち倒され。辺りの針山を砕きながら吹き飛ばされていった。

 

その姿が霧の向こうに霞み、見えなくなったとき。閻摩(えんま)は肩を震わせて笑った。

「――ふ、ふふふ……ははははは! 何だ、焦らせおって! 我が力にかかればこんなものよ! 判決、下れり!」

「ウ……ス」

 そのとき。閻摩(えんま)の声の下から、その石の顔の奥から。斉藤の声が低く響いた。

 

「ウ、ス……やりすぎ、では」

「――ふん……黙るがいい。奴は我の、我とお主の裁きを邪魔する者ぞ。最大級の罰を与えてしかるべき……」

 

 そのとき、霧の遥か向こうから声がした。急速に閻摩(えんま)へと近づきながら、叫ぶ声が。

 

「ぅぉぉ、ぉおおお! 【スシュンダッシュ】、からの、【スシュンキック】じゃあああっ!」

 炎を身にまとわりつかせたままの、崇春が閻摩(えんま)へと駆けていた。その速度に、腕を振り脚を蹴り出す勢いに、くすぶる音を立てて炎が振り払われる。

 

「――な……!?」

 そして宣言どおりに。目を見開いた閻摩(えんま)の顔面へ、跳び上がりざまに蹴りを繰り出す。両足を揃えた、いわゆるドロップキックの形。

 砕くような音と共にぶち当たったそれは、石の破片と血の飛沫を同時に散らした。前者は閻摩の顔から、後者は崇春の足から。

 

「――がぁっ……!」

「ぐう……!」

 

 同時に呻き声を上げた二人の、閻摩(えんま)は吹き飛び、針山を砕きながら倒れ。

崇春は針山へ倒れ込みそうになったところを、立木のように太い針の横腹にしがみついた。そこから再び駆け出そうと、足を踏み出したが。

 

「ぬ……!」

 

 足、(すね)(もも)と血(まみ)れの脚が力を失い、体がその場に崩れ落ちる。その手も腕も、四方から生える針に傷ついて血を流していた。身につけた衣はちぎれかけ、炎に黒く焦げていた。

 

 それでも。崇春は膝に両手をついた。地面へ押し込むかのように力を込め、体を支え。震えながらも立ち上がった。(すす)にまみれた、口の両端を上げて笑う。

 

「さあて……そろそろ体も温まったわい。ここからがわしの、目立ちの時間よ」

「――な……」

 身を起こした閻摩(えんま)の顔、そこに走ったひびから、小さな破片がこぼれ落ちた。

「――馬鹿な……何故そんな真似ができる、何故立ち上がれる。貴様は痛みを感じないとでもいうのか、恐ろしくはないのか……!」

 震えたのか、その顔はさらにひび割れ、破片同士がずれていた。まるで、苦痛に顔を歪ませるように。

 

「……」

 崇春は答えなかった。口元は笑みをみせていたが、その頬は痛みをこらえてか歪んでいた。焦げ、ちぎれかけた僧衣の下では、傷口から今も血が(したた)っていた。

 

「……今は昔、諸仏(しょぶつ)の間に『菩薩(ぼさつ)』と呼ばれる者たち在り――」

 

 唱えるようにそう言いながら、崇春は背筋を伸ばしていた。手を懐にやり、取り出した数珠を左手にかける。合掌した。

 

菩薩(ぼさつ)らの誓願(せいがん)数あれど、その一つに『我らこそ()の世で最後に救われる者とならん』とする大願あり。(すなわ)ち、自らの悟りや救いは後に回し。此の世の全ての他の命、それらを先に悟りに導き、救わんとする大願なり――」

 

 血に濡れた手で、音を立てて数珠を握り締める。

「つまり、じゃ。『ここは俺に任せて、お前は早く先へ行け!』……そういう一番格好ええところを、持っていける者が菩薩。菩薩に(なら)い、それを実践できる者こそ真の仏法者……そして、真に目立つ者じゃい!」

 

 振り回すように数珠を掲げ、叫ぶ。

「わしこそが真の目立ち者! 目立って目立って、目立ちまくったるんじゃい!」

 

 閻摩(えんま)の口元から破片がこぼれ、口を開けたように見えた。まるで呆れたように。

「――お……お前はいったい何を言っている……目立つも何も、こんな誰もいない所で……?」

 

 ふ、と崇春は笑みをこぼす。

「何を言うちょんじゃ。いちいち場所を選んじょって、真に目立ち者と言えるか。いつでもどこでも、わしゃあ目立ってみせるんじゃい!」

 



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第21話  烈闘決着

 

「――な……んなんだ、お前は……分からん……分からんが、我が邪魔をするなら消し去るまで! 受けよ、黒縄(こくじょう)地獄の罰! オン・エンマヤ・ソワカ!」

 

 真言と共に印を結ぶ。それが合図だったかのように、霧の向こうの四方から、空気を切る音と共に黒い縄が放たれる。

 

「むう……!?」

 鉄線で編まれたかのようなそれはたちまち崇春の四肢に絡みつく。どうにか崇春は踏ん張るが、それでも縄は手を足を、それぞれ四方に引こうとする。

 

「――【地獄道黒縄縛(こくじょうばく)】。そのまま引き裂いてくれてもよいが、貴様にはそれでも足りぬか……更に受けよ、【地獄道大炎縄(だいえんじょう)】!」

 閻摩(えんま)の印が崇春に向けて押し出されたのと同時。油に火が走るように、黒い縄の上を炎が走る。たちまちにそれは崇春を包み込んで燃え上がった。

 

「ぬ……ぐ、おおおおおおっ!?」

 

 閻摩(えんま)の笑い声が響く。

「――ふ……ふはははあ、燃えよ……燃え尽きよ!」

「ぐぅ……おお、おおおおおおっっ!」

 燃え盛る音と崇春の叫びに交じり、ぎりり、と引き絞るような音が上がった。見れば、崇春が足を踏ん張り、両の腕を震わせながら、その手の黒縄を引いていた。自分の方へと引き寄せるように。

 

「――何……!?」

 歯を食いしばり、腕を引き、息を継ぐ合間に崇春がつぶやく。

「救う、救うてみせるぞ、百見も皆も、斉藤も……」

 

 吐き捨てるように閻摩(えんま)が言う。

「――麗しい友情といったところか、だがそんなものが……」

 

 大きく息を吸い、両の手を返して縄をつかんで。はっきりと崇春は言った。

「救うてみせる。怪仏、お(んし)も」

 

 針に貫かれるのも構わず、崇春は足を踏み締めた。震えながらもさらに引いた、両手が胸の前で交差する。

 右手を上に手の甲を合わせ、中指を絡め合わす。薬指のみを軽く立て、残りの指は全て自然に曲げた。全体としてみればその(いん)は、開いた花のようにも見えた。

 

「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ! 帰命頂礼(きみょうちょうらい)、『増長天(ぞうちょうてん)』!」

「――ぬ……!?」

 閻摩(えんま)は両手を身構えた。かつて戦った百見はこうした印と真言の後、力ある存在――まるで怪仏たる閻摩のような――を、()び出していたのを目にしている。それを思えば当然の反応であった、が。

 

 炎に包まれ、震えながら印を組む崇春の前に。百見のときのような、神仏は一向に現れなかった。

 

閻摩(えんま)は吐息を洩らし、やがて肩を揺すって笑った。

「――ふ……はは、ふはははは! 何だそれは、何だそれは! ただのこけおどし……」

 

 しかし、その笑い声はすぐに止まった。肩を揺する動きも。

 

「むううう……」

 崇春が組んでいた印を崩し、拳を握り、顔の前へ交差させて掲げた。その拳も膨れ上がった筋肉も、黒い縄も激しく震えている。そこから上がる炎さえも。

 両の手はそれぞれ逆の手の縄をつかむ。その手は腕は、なおも震えながらゆっくりと――しかし止まることなく――、縄を強く引いていた。

 やがて縄が激しく震え、ぶつり、ぶつり、と音を上げ。その鉄線の一本一本が、弾けるようにちぎれ出した。

 

 剣を振りかぶるように両腕を掲げる。

「……()ぁっっ!」

 振り下ろした、と同時。腕に巻きついた縄の、鉄線の全てがちぎれ飛んだ。

 

「――な……あああ!?」

 声を上げた閻摩(えんま)の顔から、またも破片がこぼれ落ちた。今やその口元は、大きく穴が開いていた。

 

 その間にも崇春は片足の縄をつかみ、歯を食いしばって引き絞る。ぶぢぶぢぶぢ、と音を立て、縄は同じくちぎれ落ちた。反対側の縄をちぎる頃には、縄の上を走る炎も崇春を覆っていた炎も、すでに消えてなくなっていた。まるで閻摩(えんま)が、燃やし続けるのを忘れたように。

 

「――な……な……」

 つぶやく閻摩(えんま)にも構わず。胸の奥から息をついた後、合掌して崇春は言う。

「護法善神二十八部衆の一にして四方(よも)のうち南方を(つかさど)る者、武辺(ぶへん)を以て仏法を守護せし四天王の一。……この身、すでに『増長天(ぞうちょうてん)』なり」

 

 合掌したまま崇春が一歩、前へ踏み出す。

「――ひ……!」

 閻摩(えんま)は一歩後ずさった。

 なおも崇春は前へ出る。

閻摩(えんま)は一歩後ずさった。

 合掌したまま崇春が言う。

閻摩(えんま)よ。お(んし)、迷うておるな」

 

 欠けて穴の開いた口のまま、閻摩(えんま)がつぶやく。

「――……な、に……?」

「迷うておる迷うておる。あわれ、自分で作り出した地獄道にの」

「――何、を……」

畳みかけるように崇春は言う。

「ならば聞くが。斉藤を操り、賀来の呪いに基づいて人を裁き。それでお(んし)に何の得が?」

 

 閻摩(えんま)の動きが止まる。

 

「何ぞお(んし)に基準があって、それに基づいて裁くというならまだ分かるが。お(んし)の場合はその基準すら、賀来からの借り物に過ぎん。……まるで、裁くこと自体が目的のようにの」

「――な……」

「迷うておる。囚われておる、『閻摩(えんま)天』たるそのことに。思い出すがええ、お(んし)は何じゃ。ただの怪仏……ただの、積もった人の業」

「――な、やめろ……」

 

 崇春は貫くように、閻摩(えんま)の目の奥を見た。

「積もり積もった人の(うら)み……じゃが、それが何じゃ。どうして他人の(うら)みなんぞで、お(んし)が人を裁かねばならん? そうしたところで何になるんじゃ? ……離れるがええ、その執着。解きほぐされよ、その想い」

 

 きし、と軋む音を立て。閻摩(えんま)の表情がこわばった――ように見えた。ぴしりぴしりと音を立て、震える全身にひびが走る。その両手は自らを砕くかのように、力を込めて印を結んだ。

 

「――う、うるさいうるさいうるさい! やめよ……やめねば、欠片(かけら)も残さず、焦熱(しょうねつ)地獄の灰にしてくれる! オン・エンマヤ・ソワカ……!」

 崇春へ向けて印を突き出す。

「――受けよ裁き! 蓮華(れんげ)の如き深紅(しんく)焦熱(しょうねつ)! 【地獄道分荼離迦(ふんだりか)】!!」

 

 紅蓮花(ぐれんげ)を意味するその言葉を放つと共に、閻摩(えんま)の全身から炎が上がる。その名のとおり、巨大な蓮の華のように。その炎を翼のように広げ、閻摩(えんま)の巨体が宙を舞った。まるで一つの砲弾のように、崇春へと飛んでゆく。

 

 しかし崇春は一歩も動かず、飛び来る閻摩(えんま)を見据えていた。

「ぉぉ、おおおお……喰らえい! この崇春最大の拳、南贍部宗(なんせんぶしゅう)が奥義――」

 

 その右手は腰元で、体よりも奥へと引かれていた。まるで弓を、その(つる)の限界まで引き絞るかのように。

 

「――うおおおおおぉぉっ! 【真・スシュンパンチ】じゃああああああ!!」

 

 踏み込み、繰り出す拳のその先には。金色(こんじき)に輝く鎧をまとった、鬼神の隆々たる腕が、大鎚の如き巨大な拳が。おぼろげな光となって浮かんでいた。

 

 全てを打ち砕く音を立て。体ごと飛び込んだ崇春の拳は閻摩(えんま)を、その体の石を、辺りを覆う針を、そして霧すら打ち破り。もろともに打ち破っていた。廊下の外の窓ガラスをも。

 

「……む?」

 

 そして、飛び込んだ崇春も吹き飛ばされた閻摩(えんま)も。

 今や、窓の外にいた。三階の。

 



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第22話  勝利 ~しかし、諸行無常に落下中~

 

「だーかーら! 落ち着いて話せよいいかテメエ、崇春はどこ行きやがった!」

 

 全く落ち着いていない渦生(うずき)――今日は仕事の制服ではなくジャージ姿だ――の言葉を、唾が飛んでこないよう距離を置いてかすみは聞いていた。耳を覆いたい衝動に駆られながら。

 

「いや、ですから……崇春さんはここで待つように言って、校内へ走っていって。それっきりです」

「つまり……あいつは何やってんだ、正体の目星がついたってのか!?」

 

 到着してから三度目の同じ質問に、小さく息をついて顔をそらす。校舎の方を見た――それにしても本当に。どうしているんだろう、あの人は――。

 と、そのとき。目を向けた方、裏庭に面した校舎の三階から。激しい音と共に、窓ガラスが外へ向けてぶち破られていた。

 

「え」

 

 すでに傾きかかった日の、黄色味を帯びた光の中。かすみにはスローモーションのように見えた、宙に舞う煌めく雨のようなガラスの小片、回転しながら落ちていく、鏡のように光る大きな破片。それらの中心に人がいた。

 

 拳を振り抜いた姿勢の、僧形の男――崇春。ただ、その体はいたる所から血を流し、衣は擦り切れ、焦げている。そして崇春が拳で打ち抜いた先、そこには大きな人の形をした、石造りの何かがあった。おそらくそれは地蔵なのだろうが、頭の部分は打ち砕かれたのか残っていなかった――だが何か、人の頭らしきものが見えた、まるで着ぐるみみたいに、地蔵の中に入っていたかのように――。

 

「あ」

「ああ?」

 賀来(がらい)渦生(うずき)もかすみと同じ方向へ視線を向け。同じように固まっていた。

 

「……む?」

 崇春自身の視線もまた、固まっていた。下を見て。かすみと目が合って。

 

「む、うううぅぅ――っっ!?」

 スローモーションはそこまでで、拳を突き出した姿勢のまま、全てが自由落下していくそのとき。

 

 かすみの後ろから声が聞こえた。ここ数日聞き慣れた――そして昨晩から聞いていない――真っ直ぐによく通る声。

「崇春! 使え、あの力!」

 

 その声が響くと同時、あるいはそれより早く。崇春の両手は何か、花が開いたような形に組み合わされていた。落下しながら、そのままの姿勢で声を放つ。

「オン・ビロダキシャ・ウン!」

 

 ざわ、と音がした。いや、ざわめく感覚が通り過ぎた――髪の毛から爪先まで、細胞の全てを――。その感覚はほんの一瞬で、気のせいだったようにさえ、かすみには思えたが。

 

 ざわざわざわ、と音がしていた。辺りから、かすみの周囲、足元の地面から、裏庭中から。全ての草が、植え込みが庭木が、震えていた。いや、震えているのではない。動いて――伸びていた。

 草は懸命に背伸びをするかのように葉を茎を伸ばし。木は力を持て余したかのように膨らませた根を、地面を割って盛り上がらせる。そして、ちょうど崇春の下付近――いや、今まさに落下していくその周囲――にある木々は。明らかに不自然に、まるで鞭を振るうような速さで、その枝葉を崇春の方へと伸ばし。その体――と、一緒に落ちてきた石造りの何か――に巻きつける。

 それらの勢いと重さに枝が、木の幹がしなり、音を立てて軋み、葉を散らし。それでも確かに、崇春らを受け止めていた。

 

 口を開けて見ていたかすみの後ろから、足音と共に声が聞こえた。先ほど崇春へ投げかけられたのと同じ声。

「ヴィルーダカこと増長天(ぞうちょうてん)。その名は『恵みを増大させる者』『発芽した穀物』『成長させる者』を意味する。武力にて四方の一、南方を守護すると同時に、成長と恵みを与える者……すなわち強く優しき者。それが彼……の守護仏さ」

 

 かすみは振り向いた。崇春の方は気になるが、それはともかくとしてどうしても、笑顔になる。

「百見さん! 大丈夫ですか」

 

 渦生が裏門のすぐ前に停めていた、車から降りて。百見はこちらへ歩いてきていた。渦生が着せていたのだろう、じじむさい色の半纏(はんてん)を着込んだまま。

 

「ああ、大事ないさ。それよりも向こうだ」

 わずかに笑みを見せてそう言った後、かすみの横を通ってその向こうへ駆けていく。

 

 そちらでは渦生の手を貸り、崇春――と地蔵らしきもの――が枝から地面へと降りていた。

 

 かすみもそちらに駆け寄る。

「崇春さん! 大丈夫ですか、怪我は、それにその――」

 地蔵はいったい誰だったのか、それに今回の原因とはいえ、その人も無事でいるのか。聞きたいことは多く、それが喉で詰まって全ては出てこなかったが。

 

 答えようとする様子もなく、天を仰いで崇春は笑った。

「がっはっは! またしても目立ってしもうたわい、【芽立増長(がりゅうぞうちょう)】の力での。四天王が一、『芽立(めだ)つ者』こと増長天(ぞうちょうてん)の、この崇春がのう!」

 

 大見得を切るようなポーズを取った崇春の、血を流す頭へ――おそらく本を持ってきていないので――百見がチョップを叩き込む。

「崇春! 君は馬鹿かっ! 早くこの場を離れるぞ、もう一つの力を使え。南贍部洲(なんせんぶしゅう)の守護者としての」

 

 言いながら半纏(はんてん)を脱ぎ、地蔵の上にかけた。そのせいで、石の体から突き出た顔はかすみには見えなかった。おそらく、後ろでおたおたと崇春たちを見回している賀来にも。

 

 崇春はうなずくと、再び花が開くような印を結んだ。

「うむ……オン・ビロダキシャ・ウン! 南贍部洲(なんせんぶしゅう)護王(ごおう)たる増長天(ぞうちょうてん)の名において、深く謝すと共に請願(せいがん)致す――還り給え、【還元供養(かんげんくよう)】」

 

 その場に起こった動きはスローモーションではなかった。むしろ早送り、いや早戻し。

 まるで時が巻き戻るように、枝葉を伸ばしていた木々はそれをすぼめ、元へと還り。辺りに散らばっていたガラス片は、宙へ浮き上がるとパズルのように次々とつながりながら、これも落ちていた窓枠へとはまる。傷一つなくなった窓は宙へと舞い、元あった窓へと収まる。錠さえもきちんと締めて。

 

 口を開けて見ていると、横から渦生が言う。

「谷﨑何やってる、持て!」

「え?」

 

 渦生に背をどやされて気づいたが。崇春たちはすでに抱えていた、横たわる大きな地蔵の腕や腰を。

 それでとにかく、かすみも脚を持つ。

 

「ちょ、え、何これ、何?」

 そう言う賀来は何か問いたげに、中途半端に手を上げたまま。崇春たちを見回してはいたが、地蔵を持とうとはしなかった――地蔵の話自体聞いて間もないし、無理はないだろうが――。

 

 渦生が声を上げる。

「よし行くぞ、車に運べ! 早く!」

 

 物音に気づいたのか、残っていた生徒らがぱらぱらと顔を出し、こちらを見る中。引きずるように地蔵を運び、とにもかくにも車――パトカーではない、貨物車風のバン――の後部座席に押し込む。

 

 渦生が言う。

「よし乗れ! あとガーライル、お前は帰れ!」

「えぇ!?」

崇春たちを見回しながら後ろをついてきた、賀来が声を上げたが。誰も取り合わずドアを閉めた。

 

 急発進する中、窓を開けてかすみは叫ぶ。

「とりあえず後で、後で連絡しますからー!」

 呼び止めるように手を向けたまま、遠ざかる賀来はずっとこちらを見ていた。

 

 



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第23話  怪仏、その業

 

 駐在所の奥の部屋。少し前まで百見が横たわっていたそこに、今は斉藤が運び込まれていた。その巨体を覆っていた石の体は、運んでいるうちに――重量的に幸いなことに――ぽろぽろと崩れ落ち、今は制服の上に欠片を残すのみだった。

 

「斉藤さんが、正体だったなんて……」

 崇春から大体の――本当に大体の――説明を聞いた後、斉藤の傍らに立ったまま、かすみはそうつぶやいた。

 

 その横で百見がうなずく。

「僕の方の状況も崇春の推測のとおりさ。驚くべきことにね」

 崇春が頭をかきながら笑う。

「がっはっは、そう驚かれると照れるわい」

 

かすみは苦笑する。

「いや、誉められたわけでは……。それより百見さん、体は大丈夫なんですか? いきなり起きて、まだ横になってた方が」

 かすみは最初に地蔵と出くわしたときのことを思い出していた。地蔵が見せた地獄のような場所では、倒れた生徒らが針山や血の池で責められ、苦しめられていた。百見も倒れた後は同じ目にあっていたのではないか。

 

 なぜだか百見は考え込むように、軽く握った手を口元に当てて眉を寄せていた。

「……そのことだが、全く大丈夫なんだ。これも驚くべきことなんだが、というのも――」

 さえぎるように渦生が口を挟んだ。

「悪いが。大丈夫なら、こっちの話を先に済ませちまおう。……こいつをどうする」

 不精ひげの伸びたあごをしゃくり、横たわる斉藤を示す。

「怪仏の干渉を受けていたとはいえ幾人もの生徒を昏倒させ、百見のときに至っては人の姿のままで襲いかかってる。しかもその理由は、あの女がしょうもねぇ書き込みをしたのに従って、だ。……さて、どうしたもんか」

 

 かすみは渦生の顔を見、それから斉藤を見て、唾を飲み込んだ。渦生の言うことには一理あるが、だとして彼をどうする気なのか。

 そう考えると、知らず知らず体がこわばる。

 

 百見は肩をすくめた。その体にこわばった所はなく、苦笑さえ浮かべていた。

「意地の悪いことを。面白いからって、谷﨑さんを怖がらせないで下さい」

 確かに面白いですけどね――聞き捨てならないことをそうつぶやいた後、百見は両手の指を組み合わせた。以前に見た印――両手の甲を向かい合わせにし、人差指のみを絡め合わせる。他の指は自然に開き、親指で中指の爪を押さえる――の形に。

 

「悩むこともない、いつもと同じにやりますよ。――オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ」

 やがて百見の前で、揺らめく光が像を結ぶ。赤い甲冑を身にまとい、筆と巻物を持った鬼神。四天王・広目天(こうもくてん)

 

 かすみは思わず身を引いていたが、崇春と渦生は何事もないかのように眺めている。

 百見は印を結んだまま目をつむり、何度も真言を繰り返した。

「――オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ。オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ、オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ、オン・ビロバキシャ――」

 その声が唱えられるごとに。なぜか、横たわる斉藤の輪郭が揺らいで見えた。水面に(しずく)が落ちたかのように。

 

「――オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ」

 そう唱えて言葉を止めたそのとき。広目天が右腕を上げ、一息に落とす。まるでその手にした筆を、斉藤の体に突き刺すように。

 

 かすみは息を飲み、反射的に目をつむった。確かに、その筆はまるで刃物のように、斉藤の胸に突き刺さってその肉体の中へ沈んだ――そう見えた。

 

 傍らで崇春が言う。

「谷﨑。大丈夫じゃ」

 その声に、おそるおそる目を開けてみれば。確かに筆は斉藤の胸へ沈み込んでいたが。突き刺さってはいなかった。斉藤の体が水面のように輪郭を揺らがせ、その中に筆が浸かっていた。まるで、(すずり)の中の墨に浸すように。

 果たして、程なく引き上げた筆は、墨をたっぷりと含んで黒く濡れていた。

 

印を結んだまま、百見が声を響かせる。

「我が守護仏たる広目天よ、その全てを見通す目と神筆を以て、描き出し給えその者の(ごう)、描き取り給えその者の縁起(えんぎ)。――【情画顕硯(じょうがけんげん)】」

 

 再び真言を唱える、その声と共に。広目天が腕を上げ、筆を振るった。一面に墨が()かれ、部屋中が――いや、その空間、かすみの視界も含めた空間自体が――、黒一色に染め上げられる。

 だがやがて、そのうちにいくつか、白く墨の落ちたような箇所が見えた。いや、消えたというよりごく薄まり、白、黒、灰の色となっていた。

 そして、それらの色が線となりあるいは面となり、何かを描き出していた。それらはただの絵ではなく、モノクロの映像となって動いていた。ちょうど昔のニュース映像のように、画面に灰を散らしたように乱れた絵で。大小様々に。

 

「これは……」

 かすみがつぶやくと百見が言った。印を結んだまま片目だけを開けて。

「怪仏とは人の業。積もり積もった人の業。広目天の力で描き出したのさ、この怪仏を構成する様々な人の業を」

 

 白黒の映像に目をやれば、それらは一つ一つ、多様な情景を描き出していた。

江戸時代かそれ以前か、土下座する粗末な衣の人々と、その頭を踏みにじる、刀を差した男。あるいは同じ頃の時代か、顔の半分が崩れたように腫れ上がった女――何かの病か――と、その背に石を投げる人々。またあるいは、軍服を着た若者と、それを殴りつける、同じ服を着た年かさの男。またあるいは、腰より深く頭を下げるスーツ姿の男と、その上から罵声を浴びせる男。それらが浮かんではまた消えていく。

いずれにせよ。それらは全て、人が人を責め、苦しめている有様だった。

 

 百見がつぶやく。

閻摩(えんま)天は死後の裁きを司る存在。おそらくは不当に苦しめられた人々の復讐心……恨むべき相手に対する『裁き』と『罰』を求める思いが、この怪仏を形作っている」

 かすみは言った。

「なるほど……でも、これをいったい……」

「斉藤逸人(そると)。彼のそうした思いも、これらの中にあるはずだ。人が何の(ゆかり)もない怪仏の正体――依代(よりしろ)というべきか――となることはない……そら、これか」

 

 広目天の筆先が、小さな映像の一つを指す。それを筆で押さえると、腕を上げて視界の中央へ――まるでパソコン上の画像の位置を、マウスを操作して移すみたいに――動かした。さらに映像の斜め下端に筆を置き、引き下げると、視界一杯に画像が広がる。

 

 そこに映し出されていたのは、ひどく大柄な小学生。ランドセルを背負い、半袖半ズボンの制服からはち切れそうに太い手足が突き出ている。その男子はうなだれ、大きな背をひどく(ちぢ)こめている。まるでその場から消えてしまいたいというように。

 その周りを同じくランドセルを背負った男子が取り囲んでいた。辺りは学校の裏庭かどこか、大きな建物の壁を背にして、土のむき出した地面が広がっていた。

 

 かすみはつぶやく。

「これは……斉藤さん? だいぶ昔みたいですけど……」

 広目天が筆先で画像をつつく。すると、音声が聞こえてきた。

 ――ソルトてめえ、でけえんだよ。目障りなんだよ――

 ――勝手に視界入ってんじゃねえよ、小っちゃくなれよオラ――

 斉藤を囲む男子が口々に言い、その内の一人が斉藤の尻を蹴り上げる。

 それで倒れたという様子ではなかったが、斉藤は身をかがめ、膝を地面につけた。大きな体を折り畳むようにして縮こまる。相手の言葉のとおり、小さくなろうとしているみたいに。

 ――まだでけえんだよ、縮まれやコラ――

 別の一人が斉藤の頭を踏みつけ、地面へ額をつけさせる。まるで土下座のように。

 

「ひどい……」

 かすみはつぶやくが、その声が映像の向こうに届くはずもなく。男子たちは代わるがわるにその頭を踏みにじった。

 ――お前なー、明日までに小っちゃくなっとけよ。オラ、返事は――

 額を地面につけたまま、斉藤が消え入りそうな声を出す。

 ――……ウ、ス……――

 男子の一人が膝を叩いて笑う。

 ――返事しやがったこいつ! じゃーな、ホントに縮まっとけよー!――

 男子らが笑いながら走り去る。その声が聞こえなくなった後も、斉藤は同じ姿勢でいた。

 

 渦生がつぶやく。

「なるほどな。このときの恨み、復讐心がこいつの業ってわけだ……ん?」

 渦生が目を瞬かせる。

 映像はまだ終わってはいなかった。地に頭をつけたままの、斉藤のもとに誰かが歩み寄る。ランドセルを背負った、斉藤や男子らと同学年らしい女子。

 

 ――あー……帰ったよ。あいつら――

 くせ毛なのか強く波打つ黒髪を、ツインテールに分けた女の子。男子らの去った方を見ながら、誰に言うともない調子でそう言った。

 

 ――……――

 斉藤は同じ姿勢でいる。

 

 女子はわずかに顔をしかめ、語気を強める。

 ――帰ったってば、ほら――

 手で斉藤の、頭についた土を払う。

 斉藤はその手に怯えたように、一度身を震わせたが。やがて顔を上げ、大きな体を起こした。立ち上がってもその顔はうつむけられたままだった。

 

 その顔を見上げ、男子らの去った方向を見た後、女子は言った。

 ――えーと……斉藤くんだっけ? 隣のクラスの。……いつも、こんなことされてんの――

 斉藤はうつむいていた。その腕にも脚にも、土がついたままだった。

 ――……ウス――

 ――そう……――

 女子はうなずいた。そして力強く腕組みすると、足を広げて斉藤の前に仁王立ちした。

 重々しい、精一杯低くしたらしい声で言う。

 ――……力が、欲しいか――

 

「……ん?」

 かすみは思わずつぶやき、目を瞬かせた。

 女子は同じ調子で続ける。

 ――(なんじ)よ、力が欲しいか……憎き者どもに復讐する力が! 絶対的な暗黒の力、憎しみのまま、悪しき者どもを滅するための力が! 欲しいかと聞いておる――

 ――……――

 斉藤は黙っていた。

 

「…………」

 かすみも黙っていた。百見も渦生も、誰も。

 画面の向こうとこちらとで長い沈黙が流れる中、ようやくかすみは口を開く。

「……あれ、賀来(がらい)さんです、よね」

 

 映像の中で少女が声を上げる。

 ――どうした、答えよ! せっかく呪いの力を与えようというのだ、この闇薔薇の堕天使、ダークローズ・ルミエル様がな……!――

「うわあ……」

 それだけつぶやいてかすみは確信した。賀来さんだ、これ。

 

 ――……――

 斉藤はまだ黙っていたが、構わず賀来は話を続ける。

 ――フン……貴様がそこまで望むなら、特別に我が力授けよう。いいか、まずこの祈りの言葉を逆に書いて……――

 落ちていた小枝を取り、地面にひらがなで書いていく。新約聖書の一節を逆さまに。

 

 ――で、その後に相手の名前を逆に書く。これで呪いは完成だが、さらに一ひねりだ。シーザー暗号……と言っても分かるまいな、フフフ――

 自慢げにシーザー暗号の解説をした後、賀来はさらに地面に書いた。暗号化した後の呪いの言葉を。

 ――と、呪いの数字たる十三文字、後にずらした字でこの言葉と、相手の名前を書く。これで見られてもバレな……いや、呪いの力が増すのだ。そう、飛躍的に。さあ、帰ったらあいつら全員分、これをノートに書くがいい。そうすれば奴らは呪いで死ぬ――

 ――……――

 斉藤は身動きもせず、黙ったままだった。

 

 賀来は足を上げ、音を立てて地面を踏みつける。

 ――分かったか、なんとか言えよ! それとも怖いか? なら、我に奴らの名前を教えよ。代わりにやっといたげよう――

 掃除当番代わってあげよう、とでも言うような調子でそう言ったが。

 斉藤は首を小さく横に振る。

 ――ウス……いい、ス……――

 賀来は眉を寄せる。

 ――ええ? いいのか? やろう、やろうよ? ……分かった、じゃあいい。知ってる奴の分だけ我がやっとこう。他の奴もやってほしかったら言いに来るがいい。我が名は賀来……いや、それは世を忍ぶ仮の名にして、真なる名は闇薔薇の堕天使、ダークローズ・ルミエル……さらばだ――

 言うとランドセルを背負い直し、足を踏み出して歩き出した。が、思い出したように斉藤の方へ戻る。その腕や膝についたままの土を、何度も叩いて落とした。それから何も言わず、小走りに去っていった。

 

 斉藤はその背をじっと見ていたが。

 ――……ウス。ありがとう、ございました――

 小さく言うと、頭を下げた。深く、深く。賀来の姿が見えなくなっても、そうしていた。

 

 渦生が言う。

「こりゃあ……この映像に残ってるってこたぁ、これもまた怪仏を形造る業ってわけだが。……何だこれ」

 



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第24話  帰命頂礼(きみょうちょうらい)

 百見が口を開く。

「おそらく、大いに関係があるかと。さっきも言おうとしたんですが、見てもらった方が早いでしょうね。僕が地獄の幻に囚われていたときのこと……これか」

 広目天が筆を操り、斉藤の映像を元の大きさに縮めた。そして別の映像を、同じように視界へ広げる。

 

 それは地獄のような光景だった。霧に煙る中、辺り一面に針の山が立ち並び、血の池が泡立つ音が響く。

 そこには石の閻摩天が――崇春が倒したというそれが――、粗く削り出したような石の剣を持ち、憤怒(ふんぬ)の顔を見せていた。

 

 ――さて、地獄に迷うた咎人(とがびと)どもよ。受けるがよいわこの刑罰、焦熱地獄の火刑をのう!――

 閻摩が剣を振るうと、辺りの地面から炎が噴き上がる。

 小さく悲鳴を上げ、周りにいた生徒らが後ずさる。その中には口を引き結び、油断なく閻魔を見据える百見の姿もあった。

 閻摩の笑い声が響く。

――はははは! さあ誰から受ける、勤めるがよいわこの刑罰! ははは、は……は――

 不意にその声が止まる。

 

 そして、しばらく間を空けて。同じ声が、しかし落ち着いた響きで上がる。

 ――だが……今だけ特別、出血御奉仕……(なんじ)らの罰、取り消しにはできぬが。身代わりに受けよう、この我が。この地蔵菩薩がの――

 音を立てて、閻摩の顔にひびが走った。たちまちそれが割れ落ちて、下から現れたのは地蔵の柔和な顔だった。

 地蔵は手にしていた剣を捨てると、合掌して歩んだ。炎の中へ。

 ――一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため――

 巻き上がる炎の中でたたずみながら、地蔵は声を上げた。

 ――悔い、改めよ。さすれば(なんじ)らの罰、我が代わろう……ウス――

 生徒らは遠巻きに、黙ったままそれを見ていた。百見は地蔵を見据え、合掌していた。

 

 こちら側の百見が言う。

「と、まあこんな感じで。囚われていた間のことについては、僕や他の生徒も全然無事だったわけだが」

 かすみが言う。

「でも、本当に大丈夫だったんですか? いつもこうだったわけじゃないんじゃ……」

 かすみが地獄の幻に迷い込んだとき、針山などに苦しめられる生徒の姿が見えた。

 百見が答える。

「確かに少しは責め苦も受けたわけだが」

「やっぱり、苦しかったですよね……」

「ああ、大いに苦しめられたさ。一日五分ぐらい」

「そう五分も…………五分!?」

 

 百見は肩をすくめた。

「少なくとも僕が囚われていたときはそれぐらいだ。後は皆暇そうにしてたな……僕の方は離れて座禅か、経典を暗唱するかしていたが」

 崇春が嬉しげに笑う。

「おう、さすがは百見! 地獄で経を上げるなぞ、坊主の(かがみ)じゃい!」

 

「それはいいんだが。そもそも全員、一日の大半は意識を失うようにして眠っていた。怪仏の依代(よりしろ)である彼の生活もあるから、いつも僕たちに構ってはいられないだろうしね」

 

 崇春が腕を組む。

「むう。ということはじゃ、この(おとこ)……斉藤逸人(そると)

 

 全員が横たわる斉藤を見る。その顔は、石の地蔵のようだった。

「決して悪い(おとこ)ではなかった。むしろ、怪仏から意識に干渉を受けながらも、皆を苦しめまいとした」

 

 百見がうなずく。

「経典『延命地蔵菩薩経』や『地蔵菩薩本願経』には、苦しむ者があれば地蔵菩薩が代わってそれを受けよう、という『代受苦(だいじゅく)』の誓願が語られているが。まさにそのような光景だったよ」

 

 渦生が唸る。

「なるほど……それにその前の光景、こいつはいじめられてたが。怪仏の力を得たとて、そいつらに復讐するわけでもねえ……巻き込まれたのは賀来の書き込みにあった奴だけ、他の学校で被害が出てるって話も聞かねえ。いわば賀来のためにだけ、この力は使われてる」

 

「なるほどのう――」

 崇春が懐から数珠を取り出す。

「ガーライルと話している光景が、何故(なにゆえ)ここに残っていたか分からなんだが。あれもおそらく、怪仏を形造る(ごう)。ただし、閻摩天の『裁き』を求める、『復讐心』ではなく。同体たる地蔵菩薩に通ずる『救い』を与える『慈悲』の心。それが斉藤の……そして怪仏の中にあった」

 

 かすみはつぶやく。

「怪仏の、中に……」

 

 崇春は合掌し、祈るように目を閉じる。

「良かったのう、怪仏よ。汝の中に仏あり。汝、すでに救われたり。帰命頂礼(きみょうちょうらい)――帰依(きえ)し礼拝し(たてまつ)る――地蔵菩薩。帰命頂礼(きみょうちょうらい)閻摩(えんま)天」

 百見も合掌し、渦生も続く。かすみも遅れてそれにならった。

 

 息をついて合掌を解き、百見が言う。

「さて。そろそろ始末をつけようか。いつものとおり、あれでね」

「おう」

「うむ」

 渦生と崇春がうなずく。

 

 かすみは分からずに三人の顔を見回す。

「始末、って」

 

 百見が印を結び、片目だけ開けて笑いかける。

「何、心配は要らない。――オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ」

 広目天が腕を掲げ、空間に何度も筆を振るった。斉藤の内から空間へ広げた墨――怪仏を形造る業であり、その映像――を、拭い去るように何度も。

 やがて、辺りに映し出されていた映像は全て消え去る。そしてその筆には、滴るほどにたっぷりと墨が含まれていた。

 

 愛用の本、白紙のページを広げて百見が言う。

「広目天、【神筆写仏(しゃぶつ)】!」

 

 筆が本の上に、素早く滑らかに走っていく。その先が力強くも繊細な線を描き出し、何かを形造っていく。

程なくして。白紙のページの上には、墨で描かれた絵があった。古代中国風の冠を被った閻摩天。ただ、その顔は地蔵菩薩のように柔和だった。

 

「怪仏・閻摩天。これにて封じた」

 百見がそう言い、音を立てて本を閉じる。

 

 渦生が言う。

「よくやってくれた。百見、それに崇春」

「がっはっは! なあに、わしにかかりゃあざっとこんなもんじゃい!」

 百見が背表紙で軽く崇春を叩く。

「君は馬鹿か。僕らだけじゃあない、他によくやってくれた人がいるだろう」

 かすみの方に向き直り、頭を下げる。

「谷﨑さん。すまなかった、巻き込んでしまった形だが……よく頑張ってくれた」

 崇春も深く頭を下げる。

 かすみはさえぎるように両手を出し、首を横に振る。

「いえ、私は何も……」

 

 そう言ったとき気づいた。かすみなどよりずっと貢献した人のことに。

「それを言うなら、賀来さん。あの人が子供の頃の斉藤さんにかけた言葉、あれがなかったら……」

 おそらく無事では済まなかった。百見も、倒れた生徒らも。

 

 百見は息をつく。

「なるほどね。認めたくはないが、確かにそうか。……後で礼にでも行くとしようか。最高のバームクーヘンを買って、ね」

 

 かすみは苦笑する。

「いや、だからそれは……。ともかく、賀来さんのおかげですよ。優しいんですね、本当は」

 もちろんそのときの呪いが利いたり、いじめられていたのがそれで解決したりはしなかったのだろうが。それでも斉藤には、救いに感じられたのだろう。少なくとも今、復讐をしない程に。

 

 と、そう考えていたとき。百見の傍らに立っていた、広目天の筆から墨が滴る。

 畳の上に落ちたそれは、先ほどと同じように白黒の映像を映し出した。

 

 その光景は、どうやら学校の廊下のようだった。行き交う生徒たちは皆、見覚えのある制服を着ている。かすみたちの通う、斑野(まだらの)高校の制服。

 

「え?」

 かすみがつぶやく間にも、もっと見覚えのある者が映像の廊下を歩いた。くせ毛の波打つ、銀髪交じりのツインテール。鞄には首を括られたウサギや、骸骨デザインのマスコット。

 

 崇春が言う。

「むう? あれはガーライルではないか」

 

 賀来が通り過ぎた後ろから、生徒たちの立ち話しが聞こえた。

 

 ――ていうか、何なの? アレ――

 ――中学の頃は普通だったんだけどねー。高校デビューっていうの?――

 ――デビューったって……アレに? わざわざアレに?――

 笑い声が響く。

 賀来は一度立ち止まり、それから足早に歩いた。角を曲がった後で拳を握りしめ、つぶやく。

 ――おのれ、おのれ奴らめ……! 魔王女たるこの私、いや我、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルスに向かって、なんたる侮辱を……!――

 

 隠れるように柱の陰に入るとスマートフォンを取り出した。歯を噛みしめた憤怒の形相で操作する。

 ――呪われよ、呪われよ呪われよ奴らめ! 死ね、死ね死ね死ね死ねぇぇい!――

 それからふと指を止め、表情も素に戻る。

 ――いや、死ぬのはちょっと……。そうだ、落ちろ! 地獄に! 二ヶ月ぐらい! 二ヶ月ぐらい! ふ……ふはは、はーはっはっは! 呪われよ!――

 その様子を、通りかかった斉藤が足を止めて見ていた。遠巻きに――。

 

「…………」

 かすみも、誰もが黙っていたが。

 

 やがて、渦生が映像を指差した。

「優しいか? こいつ」

 かすみは黙って目をそらせた。

 

 しばらくの後、百見が咳払いする。閻摩天の描かれたページを再び開いた。

「とりあえず。広目天、それも頼む」

 広目天は筆をさばき、拭き取るように映像を消す。(いか)つい鬼神は(いかめ)しい顔のまま、その墨で閻摩天の顔に描き足した。漫画の表現のような、垂れる冷や汗を。

 

「ん……」

 百見は何か考えるように、その筆を――絵ではなく筆を――見ていたが。

 

 崇春が大きく手を叩く。

「さて、これにて一件落着じゃあ! いっちょ、パーティーと行くかい!」

 

「え」

 それより斉藤を起こして話を聞くとか、賀来に連絡して説明するとか、やることがあると思ったが。

 

 渦生が野太い声を上げた。

「うーし、肉パーティーだ! 解決した祝いだ、俺が肉をおごるぞ!」

「よっしゃあああ!」

 崇春が快哉を上げ、百見が肩をすくめる。それで、かすみも流されるようにうなずいた。

 

 渦生が笑顔でうなずいた。

「じゃ、夕飯どきにはここ集合な。準備は俺に任せろ」

 

 かすみは遠慮がちに言う。

「あの、でも。斉藤さんのこととか――」

 

 それには答えず、渦生は笑顔のまま手を突き出す。手の平を上に向けて開いて。

「で、一人千円な」

「えぇ!? ……あの、おごりとか言ったのは」

 

 渦生は眉を寄せる。

「いや、肉は俺のおごりだが。バーベキューだぞ、炭代とか飲み物代とかあんだろうが。心配すんな、買い物とか火(おこ)しとか全部やっといてやるから――」

 畳の上で小さくうなって身じろぎした、斉藤を目で示す。

「他は頼んだぞ。そいつのこととか賀来のこと、全部」

 渦生の大きな手が、重くかすみの肩にのしかかる。

 

 



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第25話  一件落着、肉パーティーだ!

 

 話を聞いた後、賀来は大きく(うめ)いていた。割れんばかりに強く、頭を両手で押さえながら。

「お、ぉぉ……ぉぉああああああああ! 死ね! 呪われろ私! 死ね、死ね死ね死ね死ね私いいぃ!」

 自らの髪をつかみ、頭を何度も畳に打ちつける。

 

「ちょ、落ち着いて下さい!」

 

 目を覚ました斉藤と、連絡を取った賀来。駐在所の部屋でかすみは二人に説明をしていた。百見らの使った力についてはぼかして伝えたつもりだが。

 

 崇春が全部話した。賀来が呪っているところとか、小学生の賀来も同じなこととか。それらを全部見たことを。

 百見はそこへさらに、その情景を再現して見せた。わざわざ広目天の力を使って、閻摩の絵から墨をすくい取って。

 

 賀来は今震えながら、畳の上で死体のように転がっている。耳まで赤くなった顔をうつぶせにして隠して。

 

 斉藤は正座して手をつき、額を畳に押しつけるように頭を下げた。そのままで言う。

「ウス……申し訳、ありませんでした。……ウス」

 

 賀来は転がったまま、耳を塞いでつぶやいていた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 二人とも、放っておけば二年ぐらいその姿勢を維持しそうだった。

 

「ちょ、もう、もういいですからー!」

 かすみは二人の肩に手をかけ、起こそうとする。

 

 百見が言った。

「とにかく、だ。二人とも、今回の原因の一要素ではあるが。決してここまでやろうとした訳ではないだろう。真の原因は怪仏にあるし、その怪仏はすでに封じた。よって、全て解決だ」

 

「……ウス」

 斉藤は顔を上げる。

 

「……すいませんでした……」

 賀来は耳から手を外し、半泣きで転がったままそう言った。

 

 百見が背筋を伸ばし、斉藤に向き直る。

「それより、だ。その原因たる怪仏だが、いったいどうなって君が依代(よりしろ)となった? 分かりにくければこう言おうか、どこでどうなって取り()かれた?」

 

「ウス、それ、が……」

 斉藤の眉がわずかだけ、困ったように下がる。

「分からない、ス……気づいたら取り()かれてた、というか……気づいたら閻摩になって、皆を裁いて……ス」

 

「ふむ……」

 百見が考えるように口元へ指を当てる。

 

 と、賀来が――転がったまま――つぶやいた。

「……すまない。すまない……斉藤逸人」

 

「……」

 斉藤は何も言わず、賀来の方を見た。

 

「すまない。全部私のせいだ……ていうか、小学生の頃そんなことあったよな。今まで忘れてた……」

 賀来は起き上がり、斉藤の方へ向き直る。赤い顔のまま目をつむり、頭を下げた。

「すまない。私を……我を許せ、斉藤くん」

 

 斉藤も頭を下げた。

「ウ……ス。許す……ス。こちらこそ、何か、色々……ス」

 

 頭を下げたまま賀来が言う。

「いや、我の方こそ……」

「いや、オレの方こそ……ス」

 放っておくと二人とも、二年ぐらいそうしていそうだったが。

 

 崇春が大きく手を叩いた。

「よっしゃ、とにかく! 改めて一件落着じゃい! どうじゃ二人とも、解決の印に。今晩は、わしらと一緒にパーティーといかんか!」

 

「え、あ……うん」

「……ウス」

 

 二人がうなずいたのを見ると、崇春は奥の部屋にいた渦生に声をかけた。

「渦生さん! 肉パーティーは二人追加じゃ、よろしく頼むわい!」

 

「何ぃ、分かった!」

 バーベキューコンロを引っ張り出していた渦生は作業を止めると、笑顔で二人の前に手を出した。

「よし、一人千円な!」

 

 

 

 そんなこんなで。駐在所の裏庭、渦生の車が駐車されている横で――結構広いスペースがあるし、桜の木まで植わっている。一ヶ月ほど前なら花見も楽しめただろう――、肉パーティーとなった。

 その前に念のため、品ノ川先生に電話をかけた。倒れていた他の生徒の様子をそれとなく尋ねようとしたのだが。目を覚ましたという連絡が全員の家から入ったので家庭を回るのに忙しい、そう言われてすぐに切られた。

 

 それでまあ、とにかく。かすみも安心して、パーティーの準備をすることができた。

 

 そして今。バーベキューコンロの炭火――先ほどまで渦生と崇春が必死にうちわで扇いで火を(おこ)していた――の上では、金網に載せられた肉が音を立てながら脂を(したた)らせている。時折、炭に落ちた脂が小さく炎を上げる。

 

 缶ビールを手にした渦生が――顔は煤に汚れ、首にタオルをかけている――言う。

「えー、では諸君。ともかく本件、無事決着ということで。大変お疲れ様でした、ありがとう! 乾杯!」

 

 乾杯! とかすみたちも応え、手にしたウーロン茶――百見と賀来は紅茶、崇春は緑茶――を掲げ、全員でコップを打ち合わせた。

 口の端にビールの泡をつけたまま、手を叩いて渦生が言う。

「よーしお前ら! 肉は俺のおごりだ、食え食え!」

 

 バーベキューコンロの傍らには巨大なパックに入った肉――牛だの鶏だの豚だの、カルビだのタレ漬け肉だのホルモンだの――と、乱切りにした野菜類――かすみと賀来が切った――の入ったボウルが並んでいた。一人千円にしては結構な量で、渦生がかなり出してくれたようだ――それにしても、高校生からいきなり金を徴収するのはどうかと思うが――。

 

 炭の香りがする――煤の香りもするがもはや誰も気にしない――肉を、思い思いに箸で取り、口に運ぶ。

 崇春が存分に肉を噛み締め、飲み込んだ後で言う。

「うむ! 美味い、美味いのう!」

 

 誰もが(ひと)しきり肉を食べ、新たに具材を載せた後で。ふと気になってかすみはつぶやく。

「あれ? そういえば……お坊さんって、肉食べていいんでしたっけ?」

 

 崇春と百見、渦生の動きが――箸を構えたまま、あるいは口に肉を運びかけたまま――止まる。

 

 咳払いの後、百見が言う。

「まずそれは宗派によるが……古くは仏陀の時代、殺生を禁ずる観点から当然肉食は禁じられていた。が、当時の僧侶は食事の全てを、在家信者からの寄進に頼る身――言っておくが、財産などを受けて貯め込むことは禁じられていた――。そして肉類であろうと、せっかく寄進してくれた気持ちを無碍(むげ)にしたくはない。よって、寄進してくれた肉類であれば――僧侶のために屠畜(とちく)されたものでなければ――食べてよいとされていた」

 

 渦生が姿勢を正し、合掌の後に礼をする。

「崇春坊、百見坊。ちょっとうちで肉パーティーするんだが、どう考えても余りそうだ。よろしければ、御坊(ごぼう)らに召し上がっていただきたいがいかがかな?」

 

 崇春も合掌し、頭を下げた。

「むう、これはかたじけない。ありがたくいただくとしようかの」

 

 百見も同じく礼をする。その後で言った。

「まあ、現代では厳密に禁じない場合も多い。そもそもこの場に、正式な僧侶は誰もいないわけだしね」

「それはまあ、そうでしたっけ」

 崇春があの格好なのでまぎらわしい。

 

 そうするうち、賀来が大ぶりなタッパーを手に崇春の元に寄る。

「あの、何だ。色々と済まなかったが……ほら、これ、どうぞ。好きだっただろう」

 中にはぎっしりと、ポテトサラダが入っていた。

 崇春が笑顔で合掌する。

「むう! これはありがたいわい、頂戴(ちょうだい)するとしようかの!」

 

 なぜだか頬が引きつるのを感じながら。かすみも崇春の横に来て言う。

「ええ、どうぞどうぞ! 私が、賀来さんと一緒に作ったポテトサラダを!」

 嘘ではない。駐在所の台所でかすみと賀来が一緒にじゃがいもの皮を剥き、レンジで加熱した後潰し、同じく火を通したニンジンの他、きゅうりやハムと一緒にマヨネーズで味つけした――最終的にかすみがコショウをかけて調味した――合作のポテトサラダだった。

 

 口の端を上げて賀来が笑う。

「そうだな。二人で作って、谷﨑さんがコショウを振った後、最終的に私がウスターソースで味を調えた、ポテトサラダだ」

「な……に……?」

 思わずかすみはつぶやいていたが。崇春は構わず、タッパーごとポテトサラダをかき込んでいた。よく噛んだ後、飲み込んでから言う。

「うむ、美味い! 美味いぞおおおお!」

 

 かすみと賀来は声を上げる。

「ちょ、それ! 他の人の分も入ってますからね!?」

「汚いなお前! 皿に取って食え!」

「むう……」

 

 うなだれた崇春の肩に渦生が腕を絡ませる。反対側の腕には斉藤の肩を抱えていた。

「おう、楽しそうだな! よぅしもっと楽しくなれや、飲め飲めぇい!」

 ビールの缶を掲げてみせるが。

 

 百見が横から言う。

「いえ、せっかくですが。我々には例のキープボトルがありますから。それでいいな、崇春」

 崇春が笑ってうなずく。

「おう! 久々にやるとするかい、崇春酒(すしゅんざけ)をの!」

 

 百見は傍らの段ボールを探ると、大きな徳利を取り出した。茶色い、素焼きに近いもの。

 崇春はそれを受け取ると栓を開け、音を立てて自らのコップに注いだ。その液体は白く、重たげに揺れている。濁り酒の類だろうか。

 

 口をつけたそのコップの底を、まるで天に掲げるように。一息に崇春は飲み干した。目をつむり、息をつく。

「くうーっ! やはり効くわい、ストレートはのう! さあ、お主らも一杯どうじゃい! さあ、さあ!」

 かすみと賀来、斉藤にも紙コップを新たに出して渡し、徳利の中身を注いでくる。

 

 百見が言う。

「初心者にストレートはきついだろう。水割りでいかがかな」

 そして手にしたペットボトルから水を注ぎ、マドラーで軽く混ぜていく。

 

「……」

 手にしたコップの中身を見る。思ったほどどろどろした様子でもなく――むしろ透明感すら持って――それはかき混ぜられたままに、くるくると回っていた。鼻を近づけると、嗅ぎ覚えのある匂いがした。甘い、そう優しく甘い、水で割って飲む乳酸菌飲料のような。

「……?」

 果たして、口をつけてみると。それは紛れもなく、幼い頃夏休みに飲んだあの味。ちょっと薄め過ぎたぐらいの、カルピスだった。

 

 百見が口を開く。

「言っておくが、これはカルピスサワーなどではない。純度百パーセントの崇春酒。つまり、アルコールゼロパーセントのカルピスだ」

「それ、お酒じゃありませんからー!」

 かすみが言うと、百見は肩をすくめた。

「確かに一側面から見れば君の言うとおりだろう。だが崇春に関して、これだけは言える。彼は常に、自分に酔っている……アルコールに酔う以上にね。よってアルコールだろうとそうでなかろうと、彼にとっては同じ。つまりこのカルピスは崇春酒である……彼にとっては。そう言って差し(つか)えはないだろう」

「は、はあ……」

 

 かすみが目を向けた先では、崇春が渦生とコップを打ち合わせ、一息にその中身を飲んでいた。

 崇春が斉藤に声をかける。

「おう、お(んし)もどうじゃ、お代わりは!」

 斉藤はうなずき、コップを差し出す。

「ウス……オレも、崇春酒……ロックで」

「おう、(つう)じゃの!」

 傍らのボウルから氷を取り出し、斉藤のコップに入れた後、徳利の中身を注ぐ。

 

 喉を鳴らしてそれを飲み、斉藤は微笑んだ。

「ウス……美味い、ス」

「がっはっは! そうじゃろうそうじゃろう!」

 崇春は斉藤と肩を組み、斉藤もまた崇春の肩に腕を回した。

 

 



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第26話  一件落着、が……?

 

 そうこうするうち日も落ちて。騒ぎ疲れ、満腹にもなったかすみはその場から離れ、桜の木の根元に腰を下ろした。

「ふう……」

 葉桜の下、長く息をつく。思えばたった四日ほどだが、多くのことがあり過ぎた。怪仏に襲われ、崇春と出会い、百見に出会い。そしてまた怪仏と対峙して、今皆とここにいる。考えてみれば不思議な縁だった。

 

 目をやれば、バーベキューコンロの周りでは今も、渦生や賀来が騒いでいる。崇春を中心に。

 

「ふふ」

 頬をなでる風に、くすぐられたみたいにかすみは笑った。

 

「やあ。隣、いいかな」

 コップを手にした百見が、同じく場を離れてかすみの方へ来ていた。

 

 かすみがうなずくと、百見は一人分間を開け、地面に腰を下ろした。

「改めて礼を言いたい。崇春から聞いたよ、君の意見がなければ怪仏の正体に気づけなかったとね。僕がいない間、本当によく頑張ってくれた。ありがとう」

 言うと、深く頭を下げてくる。

 

「いえっ、そんな。結局気づいたのも、それに賀来さんを説得したのだって崇春さんですし。大体、怪仏と戦うのにも、私じゃ役に立てないでしょうし……」

 

 とはいえ、崇春に置いていかれたのは悔しくもあった。

戦いとなれば、ついて行ったところで邪魔にしかならない。それは自分で言ったとおり分かっている。だがそれとは別のところで、最後まで共に立ち向かいたい、そんな気持ちも確かにあった。ここまで一緒に関わってきたのだから。

 そう思うと、視線がうつむく。

 

 コップの中の崇春酒――と、今はそう呼ぶことにする――を一息にあおり、意識して明るく言った。

「そうだ、そういえば。百見さんとか、崇春さんも……あの不思議な力って、何なんですか」

 

 百見は小さく口を開けた。

「……ああ、今聞くんだねそれ。もっと早い段階で聞かれるものだと、正直思っていたけれど」

「いや、気にはなってましたけど。正直、怪仏のことで手一杯で……私も、お二人も。聞くタイミングが……」

 

 百見は小さく息を吹き出す。眼鏡を抑えてうつむき、肩を振るわせた。

「ふ……ふふ。はは……真面目だな君は。気を使い過ぎだ」

「え、あ、すみません」

 

 百見が笑ったまま顔を上げる。

「いや、いいんだが。そうだな、逆に聞こう。この力、何だと思う?」

「え、そりゃあ……仏様の力、ですよね。守護仏がどうとか」

 百見自身がそう言っていた。

 

 百見は微笑んだまま言う。

「だとしたら。仏道の修行を積めば、誰でもこの力が使えるのかな? 君でも? 印を結んで真言を唱えたら、あるいは悟りを開いたら?」

 かすみの眉が寄る。

「え、いや……どうでしょう。無理な気が」

 

 笑みを消して百見が言う。

「約半分は正解だね。まず、仏道を修行したからといって、この力を使うことは無理。君も僕も、崇春も誰もね。そして、君でもこの力を使える可能性は、ゼロではない。ついでに言えばこの力の場合、印と真言は引き金ではあるが……深い意味は無い」

「……え?」

 

 想像していた答えと、真逆のものが返ってきた。仏道の修行が必要だがかすみは素質がないから無理とか、そういう答えだと思っていた。

 

 楽しげに微笑んで百見は言う。

「まず、ね。仏様の力とやら、僕は見たことがないな……寺の子に生まれて十数年、ね。君は見たことが?」

 かすみの頬が妙に引きつる。

「いや、ていうか……百見さんが使いましたよね? その力」

 

 百見は肩をすくめる。そしてかすみの目を見据えた。

「言っておくが。仏法、あるいはその目指すところである悟りと、超能力とは別に関係ない――伝説上は関係あるように語られることはあるが――。原始仏典を紐解くに、開祖たるお釈迦様だってただの人間だ。食事もすれば排泄もする――最期の時には食あたりで、下痢に苦しんだともいう――。そして、彼が人を()きつけたのは超能力や奇蹟ではない。彼の教えであり、最期の最期まで人を気遣い続けたその生き様だ――何しろ、その食あたりの原因となった、食事を用意した人のことまで気遣っていた。責められること、悔いることのないよう言葉を伝えていた――。……覚えているかな、君にも言ったはずだ。『法句経(ほっくきょう)』こと原始仏典『ダンマパダ』の一節」

 

 それは確か、崇春が言った言葉でもあった。

「恨みに恨みを返さず、楽しく生きよう……でしたっけ」

 

 百見は笑ってうなずく。

「そう。『楽しく生きよう』、つまり『苦しみを離れて安楽に生きよう』というのが仏教――特に初期仏教、原始仏教――の大きなテーマだ。『人生は苦しいけど、こういう生き方なら安楽に生きられますよ』という、誰にでも開かれたガイドラインだ。神仏の加護を(たの)むのではなく、自ら歩むための道案内だ。……で、そこに必要だろうか? 超能力がどうとかって。まああれば楽かもしれないが……人生において、それがないと苦しくてしょうがないものかな?」

 

 かすみもそれは、首を横に振るしかなかった。そんなものがなくても皆普通に生きている――そもそも超能力の類なんて、つい数日前まで見たことはないのだが――。

 

 百見は続ける。

「つまり、仏教とこの力は無関係。その上でぶっちゃけるが。怪仏だよ、これは」

「……へ?」

 怪仏って。今日倒したものと、同じではないか。

 

 表情を変えず百見は言う。

「そう、怪仏。守護仏だのというのは嘘も方便……ただのあの場のハッタリさ。今日の彼と僕との違いは、怪仏に使われていたか、怪仏を使っていたか。ただそれだけでしかない」

 

 口を開けたまま何も言えずにいた、かすみを放っておいたまま、百見は崇春に目をやった。

「崇春の使った植物を操る力、吹き飛んだ窓を直した力もそう。……大乗仏教の世界観では、世界――宇宙といってもいいか――の中心に、須弥山(しゅみせん)という巨大な山があり、その遥か上方に仏の世界があるとされるが。その須弥山(しゅみせん)の四方に四つの大陸があるといわれ、その内の南の大陸、南贍部洲(さんせんぶしゅう)が人類の世界だとされている。そして四方を司る四天王の内、南を守護するのが増長天(ぞうちょうてん)。――つまり、『地球』そのものと『人』とを司り守護する。それが彼の使う力の、(ごう)であり縁起(えんぎ)である……そう言うことができる」

 

 かすみが何も言えずにいると、百見は肩をすくめて続けた。

「と言っても。この宇宙観は現代のそれとは全く異なるし、釈迦自身の提唱した原始仏教にもそうしたものは語られていないようだ。気にする必要はないが……ともかく、彼の力についてはそうした背景があるということさ」

 

 かすみは目を瞬かせていた――正直、理解は追いついていない――が。ふと気になって言ってみた。

「そういえば、『四天王』って。他にもいるんですか、そういう力を持った人が」

 

 百見の表情が消える。

「東方の守護者『持国天(じこくてん)』と、北方の守護者『多聞天(たもんてん)』、またの名を『毘沙門天(びしゃもんてん)』、か。……そうだね、僕らもそれを探しに来た。渦生さんの依頼と並行してね」

 

 そこまで言うと、百見は両手で印を結んだ。

「ところで。それに関係するかは分からないが、君に見てほしいものがある。……オン・ビロバキシャ・ナギャ――」

 真言を唱える百見の前に、今は小さく(ひな)人形ほどの、広目天が現れた。その手にした筆が掲げられ、点を打つように空間を突く。その先から墨が広がり、そして薄まり。両手に収まるような空間に、今日目にしたような白黒の映像が広がった。

 

 そこに映っていたのは斉藤だった。小学生ではなく、高校の制服を着た今の姿。どこか教室らしきところ――それにしては人の気配がない――で、椅子に座り、誰かと話しているようだった。

 斉藤ではない声がした――というか、人間の声ではないようにすら聞こえた。話している相手の声らしかったが、合成音のような、マイクに口を近づけ過ぎたときのような、妙にくぐもって割れた音声だった。

 

 ――なるほど。それは心配だね、その子のこと――

 同じく椅子に腰かけ、机に置いた手を組んで、その人物はうなずいた、らしかった――その頭の辺りだけが、黒く濃いもやのようなものに覆われて見えた。まるで映像のその部分だけ切り取ったかのように――。その体は男子用の制服にきっちりと包まれている。

 

 かすみは思わずつぶやく。

「これは……?」

 百見は口元に人差指を立て、続きを見るよう目で促がす。

 

 映像の中で斉藤がうなずく。

「……ウス」

 それに合わせるように目の前の人物も、何度もうなずく。黒いもやを揺らめかせながら。

 ――話を聞く限りでは、すぐにいじめといったことに結びつくかは何とも言えないけれど。それでも心配だろうね、君としては。どうだい、君の方からは何かしてあげるつもりはないかな、その子のために――

 斉藤が答えずにいると、その人の左手が手品師のそれのように優雅にひらめいた。斉藤を、あるいは天を差すような角度で、真っ直ぐに指を伸ばした。

 

 ――いや、分かるよ。できることであれば、やってあげたい……やってみたい。そうだね?――

「……ウス」

 斉藤が再びうなずくと。

 

 その人は左の人差指を立てたまま、右手を制服の内へ、同じく優雅に差し込んだ。そして、引き出したその手の上には。

 自らの頭と同じ、もやが渦巻いていた。黒いそれが揺らめき、少しずつ形を取り始める。人形のように小さくとも、確かに見覚えのある形。百見の本に描かれたのと同じ――ただしその顔は怒りに歪んでいる――、閻摩天。

 

「な……!」

 かすみは小さく声を上げたが、無論映像の向こうの人物は意に介した様子もない。どころか、本来なら相手の行動に驚くだろう斉藤すら、身じろぎもしなかった。その人物に魅入られたかのように。

 

 ――心配することはない。君ならできるさ。僕が力を貸そう。さあ――

 優しく言って、その人は右手を差し出した。

 引き込まれるように、震えながら斉藤は右手を伸ばす。

 その人は手を取り、握手した。同時、黒い閻摩天はもやとなって舞い上がり、斉藤の体を覆う。そのもやが斉藤の体に染み込むように消えた後、その人は左手を添えて、優しく斉藤の手を握る。

 ――さあ、行くがいい斉藤逸人。僕のことは忘れたまえ。為すべきことを成すがいい。君の力、怪仏・閻摩天と共に――

 斉藤は椅子の音を立てて立ち上がり、巨体をふらつかせながらその場を去った。

 

 そこまでで映像は止まり、全体がにじんだように黒く染まる。

広目天が筆でその跡を拭う。そして広目天の姿はかすむように薄まり、消えた。

 

 しばらく黙っていた後、かすみは言う。心なしか、いや、はっきりと動悸が速まっていた。

「これ、は……」

「斉藤くん、彼が怪仏の力をどのようにして得たのか。覚えていないというのも嘘ではないのかも知れないが……少なくとも、こぼれ落ちた――あの賀来さんの情景と一緒に――怪仏の記憶には、この情景が残っていた」

「さっきの人、いったい……」

 

 百見はかぶりを振る。

「さてね。まあ、実際にあの姿や声で接したとは考えにくいが……あるいは情景を映し取る広目天の力を、拒めるほどの力を持った存在ということか。もちろんそれより重要なのは、あの人物が怪仏を与えていたということ」

 

 そこまで聞いて、かすみは思い出すことがあった。

「渦生さんが言ってました、確か……最近、怪仏に関する事件が増えてるって。それも、斑野(まだらの)高校の中で」

 そして、さっきの人物も斑野(まだらの)高校の制服を着ていた。

 

 百見はうなずく。

「ああ。あるいは、今回の件も……始まりでしかないのかも知れないね」

 

 



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第27話  大暗黒天

 ――同じ頃。

 

 斑野(まだらの)高校の一室――小規模な会議室のような部屋――で、男子生徒が一人、長机の前で椅子に腰かけていた。

 まるでブランデーグラスでも持つような格好に広げた、その手の上の空間には。黒く濃い、もやのようなものが漂っていた。その中には小さく映像が浮かび上がっていた。針の山と霧に囲まれた空間の中、僧形の男と対峙する映像。怪仏の視点からの記録のような。

 やがて僧形の男の拳を受けたところで、その映像は途切れた。

 

 見ていた男は感心したように声を上げる。決して大きな声ではなかったがよく響く、芯の通った声。いわば生まれながらにして、上に立つ者の声だった。

「ほう……。あの逸人(そると)が倒されるとはね。思っていた以上にやるようだ」

 

 席を立ち、窓際に歩く。逸人を倒した者の姿を探すかのように、窓の向こうへと目をやった。

「彼と閻摩(えんま)天なら、相性は悪くなかったはずだが。見込み違いだったかな」

 

 辺りはもう日が落ち、外はわずかにしか見通せない。窓ガラスは室内の明かりを反射し、鏡のように男の姿を映し出した。

 真っ直ぐな背筋と、きっちりと着込まれた制服――何のアレンジもないただの制服だったが、それはまるで体に合わせてあつらえたかのように、一分(いちぶ)の隙もなく彼の体を包んでいる。いや、むしろ彼のためにその制服がデザインされたのではないか。そんな思いすら見る者に抱かせるようであった――。

 長過ぎない程度に整えられた前髪は、まるで定規で引いたように直線的に伸び、斜めに額を覆っている。高く真っ直ぐに通った鼻筋は意思の強さを示すように見えたが、目元や口は決して険しくはなく、むしろ人なつこささえ感じさせた。

 

 男は手の上のもやを掲げる。

「それにしても。せっかくのコレクションがまた一つ減ってしまったな」

 黒いもやの中には幾つもの小さな人影が浮かんでいた。そのどれもが像や絵図に表されるような、仏の姿をしていた。

 

 不意に、部屋のドアがノックされる。

「失礼します。生徒会長、まだ残ってらしたんですか」

 生徒会役員か、男子生徒がそう言って部屋に入ってきた。

 

 窓際にいた男は、すでに黒いもやを握り消していた。生徒に向かって笑いかける。

「ああ、会議の準備を少しね。もう帰るところだよ」

「そうですか。あ、会議の資料まとめましたんで、ここに置いておきますね」

 失礼しました、と言って部屋を出た、生徒の足音が遠ざかった後。

 

 男は再び窓の方を向き、空を見上げる。

「ふん……丸藤崇春(まるとうすしゅん)か。最後の【南贍部洲(なんせんぶしゅう)護王拳】だけはなかなかだったが……しょせん俺の敵ではない」

 

 握り締めた拳から黒くもやが上がる。

「せいぜいあがき回って『毘沙門天(びしゃもんてん)』を探し出してもらうとしよう。だがその力を手に入れるのは、この怪仏・大黒天……『大暗黒天』の東条紫苑(とうじょうしおん)だがな……!」

 勢いを増す黒いもやと共に、紫苑(しおん)の笑い声が空へと立ち昇っていった。

 

 

 



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一ノ巻エピローグ  これからたとえ、どんなことがあったとしても

「ふうむ……なるほどのう」

 腕組みをして崇春はそう言っていた。少し離れた、かすみと百見の後ろから。

 

 百見が声を上げる。

「……見ていたのか」

 

「うむ。なんと、怪仏の力を与えた者がおるとはのう」

「どこから見ていた」

「む? 広目天を()び出したのが見えたんで、そこからじゃが」

「そうか」

 百見は息をついた。心なしか安心したように。

 

 思えばこのことは、まず崇春に話すべきこと――酔っ払っている渦生はともかくとして――だろう。それをかすみにだけ話したのは、何か訳があるのだろうか。

 

 わずかに早口に百見は言う。

「いや、いいんだ。君や渦生さんにも見てもらうつもりだったが、盛り上がっているところを邪魔したくなくてね。今の渦生さんに見せても仕方がないし」

 

 かすみは言う。

「そういえば、渦生さんは?」

 賀来と斉藤の姿も見えない。

 

 崇春が言う。

「酔い潰れちょったんで、斉藤が中に背負っていっての。賀来もついていって、水を飲ませると言うちょった」

 ということは。パーティーの片付けは、渦生以外でやるということか。

「何やってるんですかね、あの人……」

 

 肩を落とすかすみに、崇春が笑ってみせる。

「なあに、いつものことじゃい!」

「いつもそうなんですか……」

 

 百見が咳払いをする。

「それより。今回の件は片付いた、君が標的にされていたことについては心配ないだろう。原因である賀来さんの呪いも、それを実行する閻摩天も無いのだからね。だが」

 目を見据えて続ける。

「見てもらったとおりだ、怪仏の件はまだ終わってはいない。そしてこれは、僕らとしても残念なことだが……もう、かかわらないでくれ」

 

「へ?」

 かすみは口を開けていた。

 

「これ以上僕らにかかわれば、君も危険なことに巻き込んでしまう。だからもう――」

 

 百見がそう言う途中にも。かすみは息をこぼしていた。

「へ……。ふふ。はは、あはははは!」

 一度手を叩いた後、片手で口元を隠し、片手で腹を押さえて笑う。身をよじって。

 

 百見が目を瞬かせた。口元が軽く引きつっている。

「谷﨑、さん……? どうした、酔っているのか?」

「酔ってませんよ!」

「酔っ払いは皆そう言う」

「だから酔ってませんからーー!」

 飲んだのは崇春酒だけだ。

 

 息を整えた後、かすみは言う。

「あのですね。今さらそんなこと言ったって――」

 ――水くさいじゃ、冷たいじゃないですか。

「――遅いですよ。もう十分巻き込まれましたし。それに、何ていうか――」

 ――もう、友達じゃないですか。

「――とにかく! 私も手伝いますよ!」

 

 言い放ったその勢いに押されるように、百見の眉がわずかに下がる。

「いや、しかし……」

 

 崇春が音を立てて百見の背を叩く。

「がっはっは! どうした、何を迷うことがあるんじゃい! 谷﨑がそう言ってくれるんなら心強いし、それに――」

 太い腕が百見と、かすみの肩に回される。

「――わしらぁもう、生涯の親友(マブダチ)じゃけぇのう!」

 その腕は強く、熱かった。

 

 百見は肩を揺すり、息をこぼす。小さく笑った。

「分かったよ。谷﨑さん、これからもよろしくお願いするよ。ただ――」

 崇春の腕をつかみ、肩の上から外す。

「――君とはただの知人だが」

「がっはっは、何を――」

 笑う崇春の、もう片方の腕をかすみも外す。

「そうですね、よろしくです。知人の崇春さん」

「何いいいぃぃっ!?」

 

 目を見開いた崇春から小走りに離れ、かすみは笑いかける。

「嘘です! 冗談ですよ、冗談!」

「な、おま、何じゃそりゃあああ!」

 駆け寄る崇春に背を向けて走りながら、かすみは思った。

 

 これからたとえ、どんなことがあったとしても。

 この人といると、不安になれない。

 

 

(一ノ巻『誘う惑い路、地獄地蔵』  完)

 

 



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二ノ巻『闇に響くは修羅天剣』 序章 修羅  第1話 怪仏の影

 

 闇の中、ばちり、ばちりと音がする。火花の散るような音がする。

 しかしそこに明かりはなかった。(はじ)けるような音だけが、立ち木の間に響いていた。焼けつくような熱を帯びて。

 

 それは叩きつけられていた。立ち木の中の一本の木、人の首ほどの太さの木に。天へ振りかぶられた竹刀(しない)が。斜めへ向けて断ち斬るように。

 ばちり、と音を立て跳ね返ったそれは、また天へと振りかぶられ。反対側の斜め下へ、風を切りながら振り落とされた。

 

 振るうのは、(はかま)()いた道着の男。獣のように荒い息が、しゅう、しゅう、と音を立てる。(きし)るような歯噛(はが)みの音が、時折それに混ざっていた。

 

 そうだ、男は歯噛みしていた。白い歯を()いて、闇の中。その手の竹刀も、折れるかと見えるほどに握り締められ、震えていた。

 

 やがて。男の後ろに影が()き立つ。闇の中でもなお濃く黒く、揺らめいたその影は。六本の腕を備えていた。

 

 竹刀の音がやみ、静寂(しじま)が闇に満ちたとき。六本腕のその影が、ゆらり、と動いて天を差した。男の手もまた、掲げるように竹刀を振りかぶる。

 

その竹刀から音がした。みちり、みちり、と音がした。まるで握り潰すような、弓の(つる)をちぎれんばかりに引き絞るような。

 

 ()ぜ飛ぶような音がした。人を超えた剛力でもって、竹刀を叩きつけたような。

 

 果たして、立ち木はへし折れていた。ゆらめく影の中で振り抜いていた、その手の竹刀ともろともに。

 

 枝葉を鳴らして倒れる木の前、ゆらめく影に()まれたまま。男は白く歯を()いた。ようやく、(わら)うように。

 

 

 ――それを、陰から二人は見ていた。

 谷﨑(たにさき)かすみと賀来(がらい)留美子は――。

 

 

 

 

【二ノ巻『修羅天剣』第1話 怪仏の影】

 

 夜の最中(さなか)鎮守(ちんじゅ)の森の、真っ暗闇の木立(こだち)の中を。かがんだ四人が縦に連なり、息を殺して抜き足差し足。

けれど誰かが小枝を踏み折り、思わず小さく悲鳴を上げた――四人の一人、谷﨑(たにさき)かすみは。

 

 火がつくように、後ろの一人が高い声を上げる――

「ちょおお!? 何っ、やめっ、気づかれるだろ!」

――銀髪の混じるツインテールを震わせた、賀来(がらい)留美子。

 

 二人の前にいた者が小さくため息をついた。賀来を指差し、口の動きだけで言う――『それは君もだ、カラベラ嬢』

 ――銀縁眼鏡を指で押し上げた、百見(ひゃっけん)こと岸山一見(かずみ)。大げさに肩をすくめ、かぶりを振ってみせる。

 

 その動作が気に(さわ)ったか、賀来が大きく歯を()いたが。

 かすみは慌てて人差指を自分の口の前に立て、しーっ、と息を漏らした。

 

 それでどうにか、何も言わずに収まった。

 

 が。その三人の前を行く、大きな背中の男の方から。すうぅ、と息を吸い込む音がした。

 

「頼もおおおおぉぉぉうっっっ!!」

 

 鎮守の森の静寂(しじま)を震わせ、野太い声が辺りに響いた。驚いたのか、何羽かの鳥が木から飛び立ち、枝葉を揺らす。

 その男――はち切れそうな筋肉をぼろぼろの僧衣に押し込めた、崇春(すしゅん)こと丸藤崇春(まるとうたかはる)――は、さらに言葉を続ける。

 

夜分(やぶん)(あい)すまぬことなれど、無礼を承知で申すわい! そこにおるのは怪仏(かいぶつ)――」

 

 かすみが崇春を指差して、ぱくぱくと口を動かし。賀来が口を開けて固まる中。

百見が、手にした本の背表紙で崇春を叩いた。

「君は馬鹿かっ! 何やってる、静かに近寄っていた意味が分かっているのか!」

 

 打たれた後頭部をさすりつつ、崇春は言う。

「何言うちょんじゃ、忍び寄ったところでどうにもならんわい。どうせ、正面から向き合わにゃいかんのじゃ。怪仏とは……人の(ごう)とはの」

 

 崇春がそう言う間にも。茂みの向こう、(やしろ)の前で。地に足を()る音がした。返事はなく、ただわずかに歩を進めた音が。

 

誰かがいる。おそらくかすみと賀来の見た、怪仏(かいぶつ)が。

 

 

 

 

 斑野(まだらの)高校の帰り道。本屋と古本屋、レンタルDVD屋まではしごして――一軒一軒はかなり離れている、無人駅しかない田舎のことだ――かすみと賀来は帰っていた。

 それぞれ戦利品の素晴らしさを()し合いながら、靴を鳴らして夜道を帰る。ぽつりぽつりとしか街灯のない、田んぼの間の一車線の道。

 やがてその道は、背丈ほどに積まれた石垣の横へと差しかかる。その真ん中には道から上がる、同じく石積みの階段。その先には苔生(こけむ)した石の鳥居と、こんもりと膨らむ闇のような、鎮守の森。名も知らぬ小さな神社。

 

 そういえば、この間の怪仏(かいぶつ)騒動。崇春がかすみを守るため、野宿していた場所――神社ではなくお堂だが――は、ちょっと似た感じだったな、と思いつつ、かすみが神社を見上げていると。

 

 その奥から音がした。まるで火花の()ぜるような。

 

 その高く鳴る音に、二人同時に身をすくませ。それから、目を見合わせる。

 何でしょうね、と、かすみが言う前に。賀来は石段を上っていた。

 

「え、ちょ……」

 

 かすみの声と、止めるように思わず出した手を気にした様子もなく。鳥居の向こうを見据えたまま賀来は言う。考えるようにあごに手を当てて。

「神社の森、夜、そして甲高い音……これはおそらく――」

 その手を一つ振ると同時、人差指を立てて言う。

「――あれだ、ワラ人形の、ほら……(うし)(こく)参り? というやつだ! え、凄いな、どんな感じで? 誰がやってんの――」

 振り向き、白い歯を見せた。

「――気になる! いや、そう、魔術的に、魔王女たる我としてはな!」

 

 嬉しげに緩む賀来の頬とは対照的に、かすみの頬は引きつった。

 いや、前の怪仏騒ぎ。遠因のいくらかは、あなたのやった呪い――それ自体に効果はなかったにせよ――ですからね? 

 

 夜闇のせいかどうなのか、かすみの表情に気づいた様子もなく。賀来はいそいそと石段を駆け上がる。帰りを急ぐシンデレラだって、ここまで素早くは階段を駆けられまい。

 

「かすみ、我に続け! 後学(こうがく)のためだ、呪い見学としゃれ込もうぞ!」

「ちょ、待っ、えええ!?」

 

 ともかく必死に、賀来の――その手の鞄で揺れる、蛍光色の骨格模型の――後を追う。

 

 そして二人は見た。竹刀を振るう何者かと、六本の腕を備えた影が、木を一息に断ち斬るのを。

 

 

 

 

 ――そしてその後。二人はすぐにその場を離れ、崇春と百見に連絡を取った。

 伝法渦生(でんぽううずき)にも電話はかけたが――仕事中なのか酔って寝ているのか――つながらなかった。斉藤逸人(そると)にも声をかけようかと思ったが、柔道の猛者(もさ)にせよ怪仏に対する力はない。心苦しかったが、やめておいた。

 

 



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二ノ巻2話(前編)  剣士邂逅(かいこう)

 

 ――そして今。崇春は再び闇の奥、茂みの向こうへ声をかけた。

 

「頼もう。誰ぞおるなら――」

 

 言葉が全て終わる前に。茂みは向こうからかき分けられた、いや――切り開かれた、言葉どおりに切って開かれた。横一文字、何か棒の――あるいは剣の――ような物の、一薙(ひとな)ぎで。

 そしてその剣尖(けんせん)は、そのまま崇春へと向かっていた。

 

「むう!?」

 慌てて身をのけぞらせた、崇春の目の前でそれは止まる。まるでそこだけ時が止まったように、いささかの揺れもなく、ひたり、と。

その後ろでは、切り裂かれた枝葉が宙に舞っていた。

 

 開かれた茂みの先には。男がいた。剣道着か、(はかま)姿の男。

 かすみらと同年代か。枯れ草のように荒く波打つ、肩ほどまでの長髪の男。その男が、横へ振り抜いた木刀を片手にそこにいた。

見れば、左手は左腰で、帯に差した(さや)の端――刀身を納める、いわば口の部分の辺り――を手にしていた。鞘は黒く、プラスチックでできた薄いもののようだ。

 

居合や抜刀術というやつだろうか――と、かすみは考えた――時代小説や漫画では見たこともあるが。それにしても、木刀でできるものなのか。茂みを斬り裂くほどに。

 

男は鋭い目を崇春に向け、低く声を上げた。

「へェ……当てる気はなかったが、それにしても。オレの剣に反応できるとはよ。やるね、アンタ」

 

薄い月明かりの下、木刀を左の額へ掲げる。刀についた血を払うかのように、斜め下へ振った。流れるような動作で腰の鞘へと納める。

男は(つか)から手を離す。構えるでもなく両腕を垂らし、背を伸ばした。

なのに――かすみでも見て解るほどに――構えを取っているかのように、一分(いちぶ)(すき)もその身になかった。もしも今殴りかかれば――あるいは、殴ろうと思った瞬間にさえ――、斬って捨てられるのではないか、そんな気さえした。

 

 崇春が胸を叩いて――一応音を立てないためか、錫杖(しゃくじょう)は置いてきていた――言う。

「おうよ、多少目立つほどにはのう。さて……今一度聞くが、お(んし)ゃあ怪仏か。ここで何をしておった」

 

 男は小さく口を開けた。

「……は? 怪物? 何言ってンだ……オレぁここで、素振りをよ」

 腰の木刀を叩いてみせる。

 

 後ろから百見が声を上げる。男の向こう、斬り倒された木に目を向けながら。

「失礼だが。その木、君が?」

 

 男は後ろを振り向く。横たわる木と、その前に転がる折れた竹刀。それらを見つめる。

「……さあな」

 それだけ言って竹刀を拾い、歩き出す。崇春らの脇をよけて、石段の方へと。

 

「待てい。わしは崇春(すしゅん)斑野(まだらの)高校の丸藤崇春(まるとうすしゅん)。……お(んし)は」

 

 背を向けたまま、男が歩みを止める。

「……平坂、円次(えんじ)。同じ学校だ。……っつか、オマエ」

 かすみの背後へ隠れるように縮こまった、賀来に目を向けて言う。

「隣の部、斉藤逸人(そると)か、あいつのダチだろ。何しに来た」

 

 え、と賀来がつぶやく間に。円次と名乗った男は石段へと去った。

 



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二ノ巻2話(後編)  剣士邂逅(かいこう)

 

 かすみは男の去った方向を指差す。

「えっと……行かせて、良かったんですかね」

 

 百見が肩をすくめる。

「さて、ね。仮に彼が怪仏として、何をしたかと言っても……木を倒しただけ。ここの管理者でもない僕らが(とが)め立てできるかと言えば、微妙なところだ。何も分からないまま追及できるのか、という点も同様だね」

 賀来へ目を向けて続けた。

「それよりも、彼に覚えが? 隣の部とか言っていたが」

 

 目を瞬かせ、賀来がつぶやく。

「柔道部の隣……同じ道場の、剣道部。あんな感じの奴……確か、いた」

 

 校庭の片隅には別棟があり、柔・剣道場として使われている。見た目には平屋造りの日本家屋、いかにも道場といった風情だ。

それにしても剣道部。なるほど、あの格好や木刀からしてそうなのだろう。

 

とはいえ、それより気になるのは。賀来と共に見た、あの怪仏の影。剣を使う、六本腕の怪仏。一撃で木を切り倒すほどの怪力を持った。

 それと戦うことになるのか、崇春や百見は――そして、かすみは何もできない――。

 

 かすみは自分を抱くように腕を組み、うつむいて唇を噛んだ。

 

 崇春が声を上げる。

「むう……そりゃあそれとしてじゃ。せっかくお(やしろ)まで来たけぇのう。仏法者としてここの神にも、一つ挨拶(あいさつ)をしておくかの!」

 

 そのまま茂みをかき分けて大股で歩き、参道の方へと向かう。

 

 かすみはつぶやいた。

「えーと。やってる場合ですかね、っていうか……そもそも神社って、仏教じゃないんじゃ……」

 

 百見が言う。

「神社は日本古来の神々を(まつ)神道(しんとう)、寺院は仏教。そう、半分は正解だね」

 

 かすみは首をかしげる。

「ん? 半分?」

 

「そう、半分。もう半分の答えとしては『神仏混淆(しんぶつこんこう)』……土地古来の神道(しんとう)と大陸伝来の仏教が混ざり合って共存してきた、という事実がある。伝来時のいざこざはあれど、以降は潰し合うこともなくね。世界的に見ても稀有(けう)な宗教形態であり、非常に特異な文化だ。だからそう、仏法者が神道(しんとう)の神に敬意を払うということはあながち間違いでもないんだよ」

 

 眼鏡を押し上げて百見は続ける。だんだんと早口になりながら。

「もっとも神仏混淆(しんぶつこんこう)については明治時代の神仏分離令、いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で薄れてしまったが……ああ勿体(もったい)ない。とはいえそれでも多く残っているんだ、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説というのをご存知かなつまり日本の神々の本体は仏であって、仮の姿として神として現れているという説なんだ、これを逆にした逆本地垂迹(ほんじすいじゃく)説というのもありかつては寺院の敷地に神社が神社の敷地に寺院があることもごく普通だったんだ寺内社(じないしゃ)社内寺(しゃないじ)とそれぞれ言うんだけれど、そうそう神道(しんとう)のルーツたる自然信仰と仏教の中でも特に密教(みっきょう)混淆(こんこう)させた修験道(しゅげんどう)も実に興味深い、その眼目(がんもく)はいわば自然との一体化つまりこれは神道的にも仏教的にも非常に――」

 

 賀来が半歩後ずさり、かすみにだけ聞こえるようにつぶやく。

「ね。何言ってんの、こいつ……」

 

 かすみは力なく笑って首を横に振る。

 そうだ、百見もまた――ある意味崇春と同じく――仏教な男、いや不器用な男。なのだった。

 

 そうする間にも崇春が参拝しているのか、大きな拍手(かしわで)の音が響いた。

 

 かすみは息をついて――とりあえず話を切り上げようと――言う。

「あー、その。百見さん、せっかくですし。私たちもお参りしておきませんか」

 

 いよいよ早口になっていた言葉と早送りのような身振り手振りをぴたりと止め、一呼吸置いてから百見が答える。

「――なるほど、そうだね。実践、それもまた仏教徒としての在り方か」

 そうして参道の方へと歩き出しかけたとき。何かに気づいたように、百見は茂みの奥に目を向けた。そちらへと分け入っていく。

 

「どうしたんですか?」

 言いながら後をついていった、その先には。

 

 木が倒されていた、二本。今日見たものと同じように。何かを叩きつけたかのように、ささくれ立った荒い断面を見せて倒れていた。

 違うのはその太さで、一本は竹刀ほどの太さ、もう一本は手首ほどの太さ。どちらも、今日切り倒されていたものより細かった。

 

 百見はその断面に触れる。

「乾いているな……特にこの、細い方は」

 

 ということは、この二本は今日切り倒されたものではなく。細い方は特に、一番最初に倒されていたということか。

 

「もしこれも、怪仏が倒したのなら……以前から、二回はここに来ていた、ってことですか」

 

「ああ。僕らと出くわしたことで、今後も来るかは分からないが……この場所は、今後確認しておく必要がありそうだ。それに平坂といったか、彼の学校での様子もね」

 

 かすみは唾を飲み込む。

ついて来た賀来は隣で目を瞬かせる。

 

「どうしたんじゃい、皆参らんのかー?」

 崇春の声だけが、場違いに間延びして響いていた。

 



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二ノ巻3話  その男は

 

 翌朝、学校の教室で。

かすみが事情を説明し、昨日誘わなかったことに一同で頭を下げた後。斉藤逸人(そると)に、剣道部のことを聞いた。

 

「平坂、さんスか……いるっスよ。剣道部のエース、っていうんスかね。一つ上の、二年、ス」

 

 表情を変えることもなく――やはり優しい――、そう教えてくれた。

 

 百見が尋ねる。

「昨日見たのは長髪が波打った感じの、荒っぽい口調の男だったが……そんな感じかい」

 

 斉藤は苦笑する。

「そう、スね。話し方はそんな感じ、っス」

(さや)のついた木刀を持っていたが……剣道部ではそんなのを使うのかな。珍しい気もするが」

 

 ああ、とうなずいて斉藤は答える。

(かた)、っていうのがあるんスけど――剣道に限らず、柔道とか日本武道には――、分かる、スかね」

 

 百見はうなずく。

「攻防や反撃の動作を、定められた手順のとおりに反復する……そういう練習でよかったかな」

「そんな感じ、ス。で、剣道の(かた)は木刀でやるんスけど。そのとき……平坂さんだけ、(さや)のある木刀を持ってた、スね」

 

 昨日の男の――木刀で茂みを斬り払った――動きを思い出し、かすみは口を開いた。

「居合……みたいな動きも、練習するんですかね」

 

 斉藤は首を横に振る。

「そういうのは、剣道にはない……みたい、スね。ただ、鞘のあるやつを持ってたのは間違いない、ス」

 

 崇春が腕組みをする。

「むう……やはり、昨日の(もん)はその男のようじゃのう」

 

 百見は言う。

「会ってみない限り、断定まではすべきじゃないが。今のところはそのようだね。ところで」

 不意に、賀来の方を向いて続けた。

「昨日の男、よく君のことまで知っていたものだね。斉藤くんはともかく、君自身は柔道部でもないのに」

 

 な、と言いかけた口の形のまま、賀来の動きが止まる。そっぽを向いた。

「……なん、だ、それは。我が知るわけもないであろう、そんなこと。昨日の奴にでも聞いてみればいいだろう」

 

 百見は小さく――いかにも形だけといった感じで――頭を下げた。

「失礼。けれど……君の受け答えからすると、何か心当たりがあるのでは? いや、もちろんプライバシーというものがある、無理にとは言わないが……何が手がかりになるか分からない。怪仏に関係する人物の情報、少しでも引き出しておきたいところなんだ」

 

 目をそらせてうつむき、長い間黙った後。賀来は言った。

「一回、様子を見に行ったことがある……。柔道部の、斉藤くんの」

 意外に思い、かすみは視線を二人に向ける。

斉藤は何も言わずうつむき、賀来は両手を突き出して、首を横に振り回す。

「いやっ、別に何だ、何でっていうわけじゃなくてその――」

 手を下ろし、うなだれた。

「――その、何だ。斉藤くんも色々あったし……私のせいで。なのに、部活とかして大丈夫なのかって……様子を、見に」

 

 この間の怪仏騒動――賀来が他の生徒へ向けた呪いを遠因として、怪仏に操られた斉藤が起こした事件。

 最終的には百見が怪仏を封じて一件落着したのだが。その直前には崇春が、怪仏と化した斉藤と戦って倒している。

 崇春も斉藤もその後手当てをして、すぐにバーベキューに参加したぐらいだったし大丈夫そうではあったが。

 

 それでも心配したのだろう、賀来は。おそらくは、自分の責任を感じて。

 

「――いやっ結局大丈夫そうというか、私が見てもよく分からなかったがとにかく湿布と飲み物とかを持って――」

 

 身振り手振りをしながら早口に続ける賀来へ。突きつけるように、かすみは指を差した。

「賀来さん!」

「なっ、何」

 

 身をすくませる賀来へ、指を差したまま思い切り微笑む。

「――優しい」

 

 賀来は動きを止め、大きく口を開けていた。

「な……何だそれ! 何だその、評価は!」

 

 何か言ってくる賀来の言葉を聞き流しながら、にやにやとかすみは笑っていた。

 嬉しかった。めちゃくちゃなところはあるけれど、友人が優しい人で。

 

 百見がうなずく。

「なるほど。彼はそのときのことを覚えていたわけか。そういうことなら納得だ、カラベラ嬢は人目を引くしね」

 

 銀髪交じりのツインテールに、長く反り返ったつけまつ毛。制服の襟や裾はチェック柄の布で改造されて、ボタンはどこで買ったのか頭蓋骨(ずがいこつ)型。どうあれ、賀来の(よそお)いは人目を引く。人形のように整ったその顔立ち以上に。

 

 崇春が口を開く。

「むう。ともあれ、平坂円次というたか。その男とはまた会わねばなるまい」

 

 かすみもうなずいて考える。

どこの誰かは判っている、会うだけならすぐにできるだろう。だが――

「――会って、ちゃんと話してくれますかね」

 昨日の様子を見るに、いきなり行って正直に怪仏の話をしてくれるとも思えない。たとえば、本人が怪仏と化しているところをはっきりと目撃でもしない限り。

「だいたい何て聞いたらいいのか……とりあえず、様子を見た方がいいんでしょうか」

 

 考えるようにあごに指を当て、百見がうなずく。

「現時点ではそうなるか。できれば、何をその(ごう)――執着――の対象とするのか、つまり怪仏となった要因は何なのか。そしてその目的や、害を与えようとする対象は何なのか。その辺りを見極めていきたいが……そうだ」

 

 不意にそこで斉藤を見る。

「部活といえば。柔道部、人手が足りない、なんてことはないかな?」

 

 斉藤が目を瞬かせていると、百見は続けた。

「なに、臨時の助っ人はいかがかと思ってね。おそらくは、君に次ぐぐらいの怪力の」

 

 そうして崇春の肩を叩く。ささやいた。

「さあ崇春。目立ちの舞台は整った」

 

 崇春は目を瞬かせていたが。すぐに分厚い胸を張り、分厚い拳でそこを叩いた。

「がっはっは! 任さんかい、この崇春! いつでもどこでも、目立って目立って、目立ちまくったるんじゃい!」



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二ノ巻4話(前編)  この場所は我々が

 だだっ広い畳の上で、崇春が大の字に寝転がっている。

「はーっ、やはり畳は気持ちええのう」

 

「ああ、そればかりは同意見だね」

 言った百見も寝そべっている。眠そうに半目を閉じ、右手で頬づえをついた形で横向きに。東南アジアの写真で見たことのある、寝釈迦(ねしゃか)像のポーズに似ていた。

 

「いや、あの……」

 正座した足をもじもじと動かせ、かすみは辺りを見回す。

 

 四人で肩車したとしても届きそうにない、高い天井。端の板壁から反対側の壁まで走ったなら、息が切れるだろう広い室内。そして、そこに敷き詰められた青畳――真新しいもの、というわけではない。むしろ使い古された、緑のビニール製畳表のついたもの――、柔道競技用の畳。それが正方形に、五十畳ほども敷かれている。斑野(まだらの)高校の柔道場。

 

 畳は試合場からわずかに間を空け、壁際の場外にも敷かれていた。見学者用だろうそこにはしかし座らず、崇春らは試合場の真ん中に寝そべっている。

かすみもその近くに座っているが、広すぎてとても落ち着けなかった。

 

 横で賀来はあぐらをかいて、後ろの畳に手をついた姿勢で――スカートから下着が見えそうでかすみはさらに落ち着けない――言った。

「しかし、だぞ。ここで寝ていてもどうしようもないであろうが、目的は向こうであろう」

 

 視線で指したのは同じ空間の隣のスペース。柔道場と同じ広さのある板敷きの間、剣道場。

 

 剣道部の平坂円次、その様子を探るため、部活中の様子を見に行こうということになったのだが。

 休み時間のうちに何やら、斉藤を通じて百見が交渉したらしく、道場の鍵を柔道部から借りることができたそうだ。それでかすみたちは、部活が始まるより早く道場に入って待機していた。道場の真ん中で寝そべる必要があったかは分からないが。

 

 賀来の問いに、目をつむりかけたままで百見が答える。

「先人いわく、果報は寝て待て、とね。慌てないことさ」

 

 はあ、とかすみはつぶやいて、再び辺りを見回した。

 それにしても妙だった。いくら早く来たと言っても、部員が誰も来ない。剣道部も、斉藤ら柔道部も。

 それに柔道場の片隅、百見が用意してきたらしい、いくつものビニール袋の包みは何だろう。

 

 そう思っているうちに。何やら、窓――道場の板壁ぐるり一面、顔の高さではなく足元の位置には窓が(しつら)えられている。衝突しての怪我を防ぐためだろう、その内側には木の格子が(もう)けられている――の外に。何人かの生徒の姿が見えた。

 生徒らは口々に言う。

「中、誰かいるぞ」

「おーい、入口開けて下さーい!」

「玄関開かないんですけどー!」

 

「え?」

 かすみがつぶやく間にも百見は隅の荷物へと走る。そのうち一つの袋を抱えて戻ると、中身を全員に配っていく。

 

「さ、早く身につけて。後は僕に合わせてくれ」

「え? え?」

 

 思わず賀来の方を見たが、賀来も同じく口を開け、目を瞬かせている。

 

 その間にも百見は手早く身につけていた。頭が入るほどのビニール袋、そこに目鼻が出る穴を開けた、覆面らしきものを。

 覆面の上から眼鏡をかけ直すと、袋からメガホンを取り出す。それを手に声を上げた。窓の外にいる生徒に向けて。

 

「剣道部員諸君に告ぐ! この場所は我々が占拠したああぁぁ!」

 

「は……?」

「え……」

「な……」

 

「な……なんでですかーーーーっっ!!」

 生徒らや賀来のつぶやきをかき消すように。かすみは声を上げていた。

 

 百見が言う。

「ええい、君たちは何をやっている! さっさとコスチュームを身につけんか、我々『剣道場革命団体・マスクド・ブドー』の!」

「『剣道場革命団体・マスクド・ブドー』……って、何なんですかーーっ!?」

 

 百見は何度もうなずく。

「いい質問だ。団員ナンバースリー、マスクド・ミスティ」

「誰ですかそれ」

 

 笑いもせず、百見はメガホンを手に声を上げる。

「我々は! 武道の革命を通じ、政府の方針に断固抗議するものである! 具体的な要求としては――」

 

 言葉を切り、道場の上座、中央の壁を手で示した。そこにあるのは神棚。

「――道場に神棚があるのなら! ついでに仏壇も備えつけてほしい!」

 

「……は?」

 

 思わずつぶやいたかすみをよそに。百見は拳を握り、熱弁を振るう。

「武道の守護神を(まつ)るのなら! 四天王、帝釈天(たいしゃくてん)摩利支天(まりしてん)……武道の守護仏も奉ってほしい! ついででいいから! 小さくでいいから! 時々読経に来るからーー! ――神仏分離令反対! 我々は明治政府の方針に断固抗議するものである!」

 

「いつの政府に抗議してるんですかーーーーっっ!」

 

 叫ぶかすみの横で賀来も――いつの間にか覆面をかぶっている――あきれたようにつぶやく。

「よく分からないが。あれではないか、そういう宗教的なことは言い出すとややこしいんじゃないか」

 

 百見はメガホンを下ろし、唇の端を緩めて笑う。

「ほう、君からそんな常識的な意見が出るとはね。見直したよ団員ナンバーフォー、マスクド・カラベラ」

「だから誰なんですかってば」

 かすみの声には応えず百見は言う。

「心配はいらない、本気でこんなことを言ってるわけじゃないさ。例の人物の様子を見たいが、かといってあまり悠長(ゆうちょう)にしているのもまずい。被害は出したくないからね。というわけで――」

 

 そのとき、崇春が外へ向かって声を上げた。覆面の袋を手に持ったまま。

「そういうことじゃああ! この道場はわしらが占拠しておる! 返してほしくば勝負するがええ、この団員ナンバーワン……マスクド・スシュンとのう!」

 

 かすみはまた声を上げた。

「覆面! 覆面かぶってませんからーーー!! 全然マスクドじゃない! あと名前出てます!」

 

 崇春は、ふ、と息をつく。

「何言うちょんじゃ、そんなもんかぶっちょって目立てるかい! (おとこ)崇春(すしゅん)こと、この丸藤崇春(まるとうたかはる)! どこにも逃げも隠れもせんわ!」

「本名!」

 



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二ノ巻4話(後編)  この場所は我々が

 

 百見はかすみと賀来を見回すと言う。

「というわけで、だ。相手はどうやら『剣』に関わりがある様子……ならばいっそ、直接対決する機会を作れば手がかりが見えてくると思ってね。かといって喧嘩(けんか)を吹っかけるわけにもいかない」

 

 それよりよほど大事(おおごと)になっている気がするが。

「あの……剣道部を訪ねてみるとか、体験入部してみるとかでは……」

 

 百見は首を横に振る。

「それも考えたが、いきなり試合に応じてくれるとは思えない。剣道経験でもあればいいが、未経験者の僕たちではね。故に、交換条件として道場を占拠した……柔道部には交渉して来るのを遅らせてもらった――試合で人数が足りないときは崇春が助っ人に行くという条件で――上で、入口の引き戸に中からつっかい棒をしてね。これが最適解さ」

 

 その肩を賀来が横からつつく。

「最適解はよいのだが……あれはどうする気だ」

 指差した窓の外では、剣道部員たちが集まって話し合っていた。

 

「何なんだろうなこれ……」

「なんかの冗談だろ」

「けど、実際入れないんじゃ……」

「とにかく、先生呼んでこようぜ」

 

 百見は、かくり、と口を開ける。手にしたメガホンを握りしめた。

「な……何いぃ……っ!?」

 

 かすみはまたしても声を上げる。

「いや、そりゃそうなりますからーーっ! どうするんですか、さすがに先生に知られたら……」

 

 百見はなだめるように、両手をこちらへ向けて言った。

「落ち着くんだ。大丈夫、もしものときの手は考えてあるさ。大丈夫、本当に大丈夫だから」

 いつものように眼鏡を押し上げたが。その目はしきりに(またた)き、目線は一定していなかった。

 

 そのとき、崇春が足を踏み鳴らした。外へ向かって声を上げる。

「笑止千万! どうしたんじゃい、武道者が揃いも揃って、敵を前に背を向けようとはの! 相手になるのはわし一人……とっととかかって来んか!」

 力強く立てた親指で自らを指す。

 

 百見は一瞬顔をほころばせたが。すぐに真顔になり、メガホンを手に声を上げた。

「そのとおりだ。我々が望むのは一対一の真剣勝負! そちらも最強の人材を出してはいかがかな……剣道部のエース、平坂円次とやらを」

 

 剣道部員たちは顔を見合わせる。

「む……」

「何か知らんが、そこまで言われたらな……」

「やってやろう……頼むぞ平坂!」

「行け平坂くん!」

「そうだ行け、ってあれ……平坂は?」

「そういや来てないな」

 

 百見の手からメガホンが滑り落ちる。床に落ちたそれが音を立てた。

「何……だと……」

 

「どうするんですかこれーーっ!」

「本当にどうするんだ、これ……」

 かすみと賀来が口々に言う中。

 

 百見は何度もうなずき、なだめるように両手を掲げた。

「大丈夫だ。もしものときの手は考えてあると言ったろう――」

「そうなんですか、じゃあそれを――」

「――ああ。素直に謝ろう」

「――って、無策なんじゃないですかーーっ! それ失敗ってことですよねこの作戦! これだけ大事(おおごと)になりかけて!」

 

「何、心配は無用さ」

 百見は親指で背後――道場の隅に置いたビニール袋の包み――を示す。

「謝罪用の菓子折ならすでに用意してある」

「なんでそんなとこだけ手際いいんですかーーっ!」

 

 百見は目をつむり、あきれたようにかぶりを振る。

「なんでも何も、他の部員にまで迷惑をかけるわけだからね。作戦の成否にかかわらず、その辺りはきちんと謝っておかないといけないだろう」

 

 賀来は片手を腰に当て、体重を片脚にかける。半目を開き、じっとりとした視線を百見に向けた。

「なんていうか……貴様は。常識があるのか? ないのか?」

 

 百見が手を一つ叩く。

「さあ、切り替えていこう。崇春、さっそく謝罪の――」

 

 視線を向けたそこに崇春はいなかった。見れば、窓際に寄って外の部員と話をしていた。

「ほう、お(んし)が相手になるっちゅうんか!」

 

 窓の外で男子部員が声を上げた。

「ええ、円次だけが強いと思われたのでは不甲斐(ふがい)無い……この剣道部二年、黒田達己(たつみ)がお相手します!」

 

 かすみはつぶやく。

「……誰?」

 

 賀来がつぶやく。

「なんか、まとまってしまったぞ……話が」

 

 百見は表情を変えず再び手を叩く。

「よし、切り替えていこう! 頼むぞ崇春!」

 

 崇春は強く胸を叩く。

「おうよ! どーんとわしに任さんかい!」

 

「いいんですかそれで……」

 つぶやき、大きく肩を落とすかすみだった――そして今さら気づいたが、かすみも覆面をかぶっていなかった――。

 

 



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二ノ巻5話(前編)  (不必要な)真剣勝負

 

 道場の真ん中――なぜか剣道場ではなく柔道場の畳の上――で、百見が声を上げた。

「それでは、『剣道場革命団体・マスクド・ブドー』所属、マスクド・スシュン対、斑野高校剣道部所属、黒田達己(たつみ)……両者の試合に先立ちまして、ルールを説明いたします」

 

 畳の上で距離を置いて向かい合うのは、崇春――結局覆面はかぶっていない、というかもう全員覆面は取った――と、紺色の剣道着に着替えた黒田――面などの防具は身につけておらず、耳にかかるぐらいの真ん中で分けた黒髪をさらしている――。

 

 お互いの手には竹刀ではなく、竹刀より短い程度のブラシぼうきが握られている。その持ち手以外の全体には、安全のためか布が分厚く巻きつけられていた。ほうきの先端部分も同様に巻き込まれ、棒状に真っ直ぐになる形で畳まれている。

 

 あれからとりあえず入口を開け、剣道部員らに中へ入ってもらった上で、この勝負が始まったのだった。かすみや他の部員たちは場外の畳の上で座っている。

 

「時間無制限一本勝負。試合場は道場全域、場外は無し。例外として、道場の外へ逃走した場合のみ反則負けとします。武器は今手にしてもらっているそれ。そして――」

 息を吸い込んだ後続けた。

「――本試合については真剣勝負。剣道ルールで指定されている打突(だとつ)箇所に限らず、身体のいずれかに有効打が入った時点で決着とします。ただし安全面を考慮し、眼球及び金的への攻撃は禁止。行なった場合は反則負けとします。質問は」

 

 崇春はほうきを杖のようにつき、声を上げる。

「ないわい。さあ、かかってこんかい!」

 

 黒田はほうきを左手に提げ、崇春を見据えたまま小さく礼をした。その細い目と眉は――地顔なのか――どこか困ったように垂れ下がっていたが。その視線は闘志を感じさせて真っ直ぐだった。

「お願いします!」

 

 百見はうなずき、再び声を上げた。

「真剣勝負につき、礼は省略。……それでは一本勝負、始め!」

 

「やああ!」

 気合いの声を上げる黒田は右足を半歩前に出し、武器を中段に構えていた。いかにも剣道らしい構え。

 

 一方、崇春は両手を広く離して武器を握る。刃物ではなく棍棒(こんぼう)を持つような構え。

 

「面っ!」

 黒田が踏み込み、崇春の頭へ武器を振り下ろす。

 

「なんの!」

 崇春は大きく横へかわす。

 そこへさらに黒田が次々と武器を振るう。面、小手、胴。使い慣れた技で戦うという判断か、いずれも剣道のルールに(のっと)った攻撃。

 

 崇春はあるいは身を引き、あるいは武器を構えて受けていたが。

 不意に、武器を手放した。

 

「なにっ……」

 

 黒田がつぶやく間にも崇春は踏み込む。組みついて相手の腰を両腕で抱え、引っこ抜くように持ち上げた。

「どっせええぇい!」

 そのまま畳の上へ、背中から投げ落とす。

 

「ぶ……!」

 黒田が息を詰まらせ、動きを止めたところで。

崇春はおもむろに武器を拾うと、横たわる黒田の喉元へと突きつけた。

「どうじゃい。勝負、あったの」

 

 百見は崇春の方へ片手を上げる。

「一本! 勝者、マスクド・スシュン!」

 

「よっしゃああ!」

 崇春は拳を握って快哉を上げた。

 

が、同時に剣道部員から声が上がる。

「えええ!?」

「ちょ、有りか今の!」

「いや、でもルール的には……」

 

 百見が彼らの方へ向き直り、口を開きかけたそのとき。

 

「勝負あり。それ以外ねェだろが」

 道場の入口で鋭く声を上げたのは。黒革の細長い袋――竹刀が入っているのか――をかついだ平坂円次だった。着替えてはおらず制服のままだ。

 



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二ノ巻5話(後編)  (不必要な)真剣勝負

 

 部員らがそちらへ向き直り、声を上げる。

「平坂……」

「けど、今のは――」

 

 平坂は言う。

「反則は目玉と金玉。だったろ、何も問題ねェ。だいたい、剣道的にも今のは負けだぜ。ある意味な」

 柔道場へと歩きながら続ける。

「武道の『一本』ってのは『致命的な攻撃、命を取れる技が決まった』ってことだ。……祖父(じい)さまから聞いたことがあるが、戦前の剣道ってのは荒っぽくてな。足払いかけて床に倒したところに一撃とか、投げ倒した後組みついて相手の面をひっぺがすとか――要は『首を取った』ってことだな――、そういうのでも一本になったらしい。公式のルールか慣習的なものかは知らねェが」

 

 ようやく身を起こした、黒田の前で立ち止まる。手を貸すでもなく、見下ろして言う。

「何やってる。そんなもんかよ、テメエはよ」

 

 黒田は何も言わなかった。ただ目を伏せて拳を握った。持ったままの武器が震えるほどに。

 

 やがて小さく咳をした後、百見が口を開く。

「さて、平坂さん、ようこそ。事情を説明しよう、この道場は我々――」

 

 話を聞いた風もなく、平坂はかついでいた袋に手をやる。ふたを留めていたベルトを外すと、中から滑るように竹刀を抜き出す。

 袋を捨て、竹刀を構えた。中段に、崇春へ向けて。

「どういう話かは知らねェが。次はオレだ」

 

 かすみは場外から百見に目をやる。

 百見は小さくうなずいた。

 

 直接試合をすることで相手の反応を探る――何らかの形で『剣』に関わるであろう怪仏、その本体である以上何らかのリアクションがあるのではないか――という、百見の案だったが。紆余曲折あったものの、どうやら本来の形に戻れそうだった。

 

 とはいえ。かすみは昨日の夜を思い出す――六本腕の怪仏の影、それが竹刀で立ち木を斬り倒す。凄まじい力――。

 仮に今、その力を使われたなら。崇春は無事で済むのだろうか。

 気づけばかすみは、痛むほどに両の手を握っていた。

 

 百見がかすみの目を見、ゆっくりと何度もうなずく。その唇が動いた――おそらく、『大丈夫だ』という声の形。

 その両手は密かに甲を合わせる形になっている。百見の守護仏、『広目天(こうもくてん)』を()ぶための(いん)を、即座に結ぶことのできる姿勢。

 

 崇春は大きくうなずいた。

「望むところよ。じゃが、しばし待てい」

 黒田へ手を貸し、抱え起こす。肩を貸して場外へと共に歩いた。

 

他の部員に黒田を預けた後、柔道場へと戻る。転がる武器を拾い上げた。

「待たせたの」

 

 構えたままで平坂は言う。

「そんな武器(えもの)でいいのか。好きなもん取ってこいよ、竹刀でも……木刀でも」

 あごをしゃくり、剣道場の隅――授業で使うものだろう、竹刀や木刀がかごに何本も入っている――を示す。

 

 崇春は首を横に振る。

「無用よ」

 

「そうかい……なら、行くぜ。さっきのルールでいい、部活よりは……楽しめそうだ」

 崇春に目を向けたまま、ゆっくりと構えを変えた。

左脚を半歩前に出し、左肘をやや引いて、竹刀を斜め前に寝かせた形。その切先は自分の頭部を守るようにも、崇春の顔へ向けられているようにも見えた。おそらくは、剣道のルールにない構え。

 

「むう……」

 崇春は武器を構えたまま、じりじりと間合いを詰める。

 

 平坂もまた、にじるような足でわずかに近づく。

 

 やがて二人の動きが止まった――そのとき。

 

「オイそこ! 何やってる!」

 道場の入口から低い声が飛んだ。

 顧問の先生が来たのだろうか、そう思ったが。その声は学校外で聞いた覚えのあるものだった。

 

 剣道着を身につけて竹刀を持った、伝法渦生(でんぽううずき)がそこにいた。

 

渦生(うずき)さん――」

 どうしてここに、とかすみは言いたかったが。

 

「何やってんだオイ!――」

 それより早く渦生は駆けていった、崇春と平坂の方へ。

 

「――てめえこら……崇春!」

 跳び上がり、蹴った。崇春の方を。

 

「むうううーーっっ!?」

 困惑したような声を上げながら崇春は吹っ飛び、床の上を転がっていった。

 

 そこへ渦生が声を浴びせる。

「剣道部員にケンカ吹っかけようとはいい度胸だなてめえ……この俺が指導してると知っての狼藉(ろうぜき)か! あぁ?」

 

 かすみは大きく口を開けていたが。

「いや、違いますからーーーっっ!」

 一呼吸遅れて上げたその声は、何よりも大きく道場に響いた。

 

 

 



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二ノ巻6話  ともかく、合流

 

「何だよそうか、悪かったなオイ! ったく早く言ってくれりゃ、もっとやりようもあったのによぉ」

 

 悪びれもせず笑ってそう言った、道着姿の渦生は、崇春の肩を何度も叩いて。

 

「がっはっは! まったく、ポサラさんも人が悪いわい!」

 気にした様子もなく渦生の肩を叩き返し、柔道着姿の崇春も笑う。道場の隅、予備の畳が積まれた上で。

 

 あれから渦生を引っ張ってきて、かすみが事情を説明した。その間に、百見が手早く菓子と飲み物を剣道部へ差し出し、流れるような五体投地で崇春が謝罪した。賀来はおろおろと辺りを見回しながら、とにかくそこにいた。

 それでまあ、剣道部員には。渦生の知り合いの悪ふざけ――と差し入れ――という風に受け止められたようだった。

 

 今は剣道部も、遅れて来た柔道部も――斉藤が主導して、トレーニングルームでの筋力トレーニングをしていたそうだ――練習を再開している。

 平坂円次も()に落ちない顔をしつつ、共に練習を始めていた。

 

 百見がため息をつく。

「まったく。だいたい渦生さん、昨晩僕から連絡したでしょう。出なかったのでメッセージを残したはずですが」

「え!? ……ああ、そりゃあれだ、多分酔ってて、いや、違うぞホラ、仕事で、仕事の飲み会で、こう……な?」

 ごまかすように笑う渦生は、誰とも目を合わせようとはしなかった。

 

 ため息をつきながら、かすみは言った。

「とにかく……渦生さんが剣道部の顧問? なんですね。だったら確かに、相談できてれば良かったですけど」

「まあ顧問、ってわけでもねえが……教師でも何でもねえしな。外部のボランティア講師、ってとこか――タダ働きだぜクソが――、ときどき教えに来てる」

 

 なるほど、警官である渦生なら仕事柄、剣道の経験もあるのだろう。教えに来るぐらいなのだから、それ以前から経験があるのかもしれない。それにしても、ボランティアというのは意外でもあるが。

 

「で、二年の平坂円次、か……あいつはまあ、部の中じゃ(だん)トツだな。うちで県大会上位狙えるのはあいつだけだ」

 

 聞いて、かすみは剣道部の練習に目を向ける。

 今は皆、基礎練習の素振りをしていたが。言われてみれば他の部員とは違い、平坂の振るう竹刀だけが風を切る音を、素早く低く(うな)らせていた。

 

 かすみは言う。

「じゃあ、部活はまじめにやってる、ってことです? ……まじめだから何、って言うとあれですけど」

 

 渦生は頭をかいて言う。

「ん~、っつうと微妙なとこだが……あいつはまあ、モノが違うな。ぶっちゃけ、剣道じゃ俺より強ぇぐらいだ。顧問は剣道経験ないらしいから、俺がいないときは実質あいつが部員に教えてる」

 

 かすみは小さく首をかしげた。

「じゃあやっぱり、まじめにやってるってことですよね。微妙、っていうと?」

 

 渦生は苦い顔をする。

「いやそれがな……何ていうか、何だろうな。サラブレッドっつうか、本当にモノが違うっつうか……あいつん家はちょっと特別でな。居合術の道場らしい」

 

 居合。昨晩の神社でもそれらしき技を使っていた、鞘つきの木刀で。

 

「剣道と居合道、競技として見りゃ全く違うわけ――片や竹刀で打ち合う試合、片や居合刀で単独の演武――だが。どちらも剣を使う技術ってのは一緒だ。剣道経験がありゃ居合道も上達が早い、逆もしかり、ってのはまあ聞く話だ」

 

 不精ひげの伸びる頬を、音を立ててにじる。

「だからまあ。それこそ物心ついた頃から――歌舞伎役者の息子がそんぐらいから歌舞伎やるみてえに――稽古をやってるあいつからすりゃあ。中学高校で剣道をかじり始めた奴らなんか、ぬるく見えてしょうがねえのかもな」

 

 賀来が不機嫌げに鼻を鳴らす。

「フン……とは言っても『県大会上位』なんだろう、その者は? なら、県にも全国にも『そいつより強い奴がいる』のではないか。そ奴らを倒せもせずにぬるいなどと……とんだ愚か者ではないか」

 

 渦生は肩を揺らし、息をこぼす。

「まあ、そういう言い方もできるが。どうだろうな、あいつからすりゃ剣道自体がぬるい、って感じもあるのかもな……竹刀での『当てっこ剣道』なんて……いや、まあ分からんが」

 

 『当てっこ剣道』。よく分からないが、揶揄(やゆ)するような響きの言葉だった。要するに実戦的ではない、ということだろうか。しかしそれが――

 

 そう考えている間に、渦生は音を立てて膝を打った。。

「さてと、話はいったんここまでだ。このままいてもカッコつかねえ、指導の方に行かせてもらうか。続きは部活終わってからだな」

 

 立ち上がり、準備運動をするように肩を回した。その後で、苦く笑って言う。

「ま、何だ。ちょっとヤな奴なんだよ、あいつは」

 

 教え子にその評価はどうかと思ったが。

 ともかく、渦生は剣道部の方へと向かった。

 

 入れ替わるように、道着姿の斉藤が練習の手を止め、こちらにやってきた。

「ども……っス」

 

 百見は軽く頭を下げる。

「やあ、今回はどうも。上手く遅れてきてくれた、助かったよ」

 

 聞いて、かすみの頬が軽く引きつる。

 結果的には上手くいったわけではないし、そもそも手段がむちゃくちゃだ。

 

「ウス……ところで」

 頭を下げ返した後、斉藤は崇春の方を見た。

「どう、スか……一緒に、練習でも。助っ人に来てくれるんなら、今から基礎を教えとけ、って先輩らが」

 

 見れば、柔道部員らは崇春の方へ、値踏みするような視線を向けていた。

 

 崇春はうなずく

「なるほどの。つまりは新たな目立ちの幕開けっちゅうことか、このマスクド・スシュンののう!」

「それはもういいですからーー!」

 かすみの声が道場に軽く響く中、崇春は斉藤に連れられてその場を離れた。

 

 



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二ノ巻7話(前編)  崇春が道着に着替えたら

 

 やや傾いた日の差し込む柔道場で、二人の男が組み合っていた。

 

「むう……!」

 その片方は白帯の崇春――いつもの僧衣ではなく、借りた柔道着姿。寸が足らず、(たくま)しい手足が(そで)から(すそ)から突き出ている――。

いつも頭に巻いていた布は外し、黒く濃く太い長髪をさらしている。

 

 組んで力を込めた肩が、腕が震えている。しかし、筋肉を備えたその腕も、決して低くはないその上背も。今は小さく、細くさえ見えた。組み合っている相手と比べれば。人の形をした山のような、その男の前では。

 

「っ……ス」

 巨漢。一言で言えばそうだった、黒帯の男、斉藤逸人(そると)は。そして、そのでっぷりと垂れた脂肪の奥、女子の脚ほどもあろうかという太い腕の中には。野の獣のそれを思わせる、(いわお)の如き筋肉が在る。

 

 二人の男はやや腰を引き、互いの(えり)(そで)をつかみ合ったまま動かない。だが、二人の間では常に力がせめぎ合っていた。二つの潮流がぶつかるように、押し、引く力が。相手を崩し、技の体勢に持ち込もうとする力が。

 

 だが、そのうちに一瞬、斉藤の力が緩む。息をついて体を休めようとしたように。

 

 同時、崇春が動いた。

「……! 【スシュン背負い】じゃああ!」

 

 腰を落とし、襟と袖を引き込んで自らの背に相手を()う、双手(もろて)での背負い投げの形。

 

――だが。斉藤はそれを見越していたかのように、腰を落としてこらえていた。

そして、投げを防がれ背を向けたままの、無防備な崇春の体を腰から抱える。

「……っス!」

 

 潮が渦を巻くような、有無を言わせぬ動きで。腰を反らせて抱え上げた崇春を、畳へと叩きつける。

 

 (こころよ)ささえ感じさせる、畳の音が高く響く中。審判を務めていた、別の柔道部員が手を上げる。指を揃え、天井へ向けて。

「一本!」

 

 柔道場の場外、端に敷かれた畳に座った、数名の部員から拍手が上がる。

その横に座った、かすみと賀来もそれにならった。

 

 百見が声を上げる。

「斉藤選手、【(うら)投げ】お見事。崇春はといえば、綺麗にしてやられたな」

 

 斉藤がはにかんだように微笑み、小さく頭を下げた横で。崇春は身を起こし、畳の上にあぐらをかいた。

「がっはっは! 全く、見事な一本よ! わしとしたことが、すっかり目立たれてしもうたわい!」

 

 立ち上がり、掌を――受け身のために畳を叩いて痛むのか――さすった後。合掌し、頭を下げた。

「さすがよ。それにしても、快い技じゃったわい」

 

 斉藤も深く頭を下げる。

「ありがとうございました。……っス」

 袖で汗を拭った後、続ける。

「でも……なんというか、っスけど……さすが、凄いパワーっス。オレも、あそこでわざと隙を作らなかったら……やばかった、っス」

 

 なるほど、とかすみは思った。斉藤が一瞬力を抜いたように見えた、あの隙はいわば罠であり、斉藤の技術だったということか。

 

 崇春は濃緑の布を、バンダナか頭巾のように頭へ巻きつけていたが。その手を止めて目を瞬かせた。

「む? 隙じゃと?」

 がっはっは、と笑って続けた。

「何を言うちょる、お(んし)にそんなもんなかったわい! じゃけぇわしはわしで、全力をぶつけた! それが通じなんだまでよ!」

 

 百見が息をつく。

「やれやれ、技術の差は仕方がないとしても。力はあってもセンスはないということか」

 

 横で賀来が口を開く。

「私……我にはよく分からぬが。やっぱり強いな、斉藤くんは。自然で、綺麗な動きだった……格好良かったぞ」

 

「……ども……っス」

 恥じ入るように斉藤はうつむき、賀来へ深く頭を下げた。

 

 その後で、斉藤は崇春を真っ直ぐに見た。

「でも……本当に。技術さえ覚えれば、強くなると思うっス……オレより、も。どう、スか……うちの部に、入って、は」

 

 意外ではあるが納得だ、そんな風にかすみは感じた。

以前、怪仏(かいぶつ)と化した斉藤を崇春は殴り飛ばしていた。その怪力があれば武道だろうとスポーツだろうと、いくらでも活躍できるだろう。

 それなら目立ちたがりの崇春としても、願ったり叶ったりではないか。

 

 しかし、崇春はうつむき、腕組みをする。

「むう……」

 

 かすみが意外に思ったそのとき。

 道場の隣のスペース、板敷きの剣道場から、気合いを入れるような声が上がった。向こうでも試合形式の練習をしているのか、防具を見につけた部員二人が互いに竹刀を向け合っている。その近くには審判だろう渦生の姿も見えた。

 

 百見がかすみに身を寄せ、小さく言う。

「今試合している二人……こちらに背を向けてる方が、平坂円次だ」

 

 そうだ、思わず崇春たちの試合に見入っていたが。本来の目的はこっちだった。

 

 

「やああ!」

 再び、気合いをかける声が響く。平坂円次ではなく――先ほどと同じく――相手の部員一人だけの声だった。

 その声には聞き覚えがあった。さっき、崇春と戦った人物。()れ――胴の下に下がる、下半身を守る防具――にも、『黒田』と名が入っている。

 

 黒田は前後に細かく動いて間合いを取り、あるいは打ち込むタイミングを計る。時折さらに気合いを上げては、平坂の竹刀を弾いて隙を作ろうとする。

 

 平坂は対照的だった。その場からほとんど動くこともなく、自分から打っていくこともなかった。黒田に竹刀を弾かれても、その力に逆らうことなく受け流しては、すぐに、ぴたり、と竹刀を相手に向ける。自分の腹から相手の(のど)へ、芯でも通っているかのように真っ直ぐに。

 

 それでも、黒田は竹刀をさらに振り上げ、平坂の竹刀へ打ちかかる。

「め――」

 面、と声を上げようとしたのだろう、平坂の竹刀を打ち落として続けざまに面を打とうと。

 が。

 

小手(こて)ッッ!」

黒田がその言葉を言い終えるより早く、平坂がその右手を打っていた――相手の動きを読んでいたかのように、打ち落としてくる竹刀をかわし。宙を空振(からぶ)った竹刀が、体勢を立て直して面を狙ってくるよりも速く。まさに斬り捨てるような鋭さで――。

 

「が……!」

 黒田は竹刀を取り落とし、しゃがみ込んで右手を押さえた。平坂の攻撃は確かに防具の、小手の上からのものだったが。それでも、それほどの威力があったのか。

 あまりに痛そうで、かすみは思わず自分の右手を押さえた。

 

 横で斉藤がつぶやく。

「さすが、圧倒的……スね」

 

 百見もうなずく。

「ああ、そのようだ。とはいえ、剣道家としては十分可能な動きのはず。今のところ不自然な点は――」

 

 そう言う間にも、黒田はどうにか再び竹刀を取り、互いに再び構え直した。どうやら三本勝負で、まだ試合は続くらしい。

 再び気合いの声を上げ、打ちかかる――よりも先に、今度は平坂が動いていた。

 

「面ッッ!」

 防ぐ暇、いや反応する暇もなく。響く音を立て、平坂の竹刀が相手の頭部を打った。

 

 審判、渦生も平坂の方へ手を掲げる。

 が。平坂はまだ止まらなかった。

 

「おぉらァ!」

 ふらついて、どうにか足を踏みとどまる相手に向かい。竹刀を大きく振りかぶりざま、打った――腰を落とし横から竹刀を回し、振り抜く――、明らかに防具のない、脚を。

 

 弾くような音が上がり、黒田が声にならない(うめ)きを上げる。

その間にも平坂の攻撃は続いていた。片脚を引いて半身(はんみ)の姿勢になりながら、居合を思わせる片手での胴打ち。流れるように竹刀を振り上げ、面へ、顔の側面へ、肩へ、連続で斜めに斬り下ろす。さらには肩から体当たりし、相手を突き飛ばした。

 明らかに、どう見ても、剣道のルール――少なくとも現代の――にはない攻撃。

 

 



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二ノ巻7話(中編)  崇春が道着に着替えたら

 

 渦生が頬を引きつらせ、声を上げた。

「オイ……!」

 崇春も目を見開き、賀来が目を瞬かせる。

「むう……!」

「え、何、え?」

 

 渦生が間に入り、平坂を制止する。

 部員もそれにならい、あるいは倒れた黒田を助け起こしていた。

 

 平坂は自分の小手を脱ぎ捨て、後頭部でくくった紐をほどいて面を取り去る。頭に巻いた手拭いも取り、長髪をさらした。

「こンなもんじゃねェ……」

 歯を剥いて頬を歪め、平坂はそうつぶやいた。

 

「こンなもんじゃねェだろてめェ、何やってる! ふざけンなよ、こんなぬるいンじゃ――」

 

 そこまで言って、まるで声が喉に詰まったかのように、言葉にならないことにいら立ったかのように。平坂は顔を歪め、足を上げて。座り込んだままの黒田を蹴り倒した。

 

「テメエ……!」

「おい……」

「何してんだ!」

 渦生も、他の部員らも口々に非難の声を上げるが。

 平坂はとどめを刺そうとするかのように、倒れた相手に向かって。ゆらり、と竹刀を振りかぶった。

 

 竹刀が天井を差して動きを止めた、そのとき。

 

「待てええぇぇい!」

 道場の畳を床板を踏み鳴らし、崇春が駆けた。平坂と倒れた部員の間に割って入る。

 

「待てい! お(んし)の試合、見事じゃった。じゃが、それ以上は試合にあらず」

 一歩踏み出し、続ける。

「それでもやるというんなら。この崇春が相手になろうわい」

 

 平坂は眉根を寄せる。竹刀を構えたまま言った。

「さっきの……。だがよ、オマエも分からねェか? 昨日、あれを見たんなら――」

 

 平坂は頬を吊り上げ、固く笑う。

「普通じゃねェ。普通なんてもんを越えた力――そいつをオレは見てェだけだ」

 

 崇春は左手左脚を前に出し、半身を切った体勢で構える。

「むう……あくまで、お(んし)がやる気ならば……わしも、加減はせん」

 

 かすみは二人と百見を交互に見る。

「ちょ、あれ、大丈夫――」

 

 百見は何も言わず、平坂に目をやっていた。その両手はさりげなく、甲を合わせる形になっていた――(いん)を即座に結べるように――。

 

 かすみの顔が歪む。ああもう、とただそう思った――結局戦ってしまうのか、崇春は大丈夫なのか、自分には何かできないのか――。

 

 崇春と平坂、互いがわずかに身じろぎし、にじるように足を進める。間合いを計り、詰めるように。

 

 そのとき、身を起こした黒田が声を上げる。

「待――」

 

 待て、というその声が合図だったかのように。平坂は床を蹴って跳び出した。

 踏み下ろす足が床板を揺らす、その音と同時に。上段から振り下ろした一刀が、崇春の頭へと振り落とされていた。高く響く竹刀の音。

 

「む……!」

 だが、崇春は×の字に組んだ両腕を掲げ、竹刀を受けていた。反撃に移るべく拳を引き、溜めを作って打とうとする。

 しかし打たれた、その腕を。拳を繰り出すどころか、引こうとするその動きを。

痛む箇所を反射的にか、逆の手が押さえようとして。その腕さえもさらに打たれた。

 

「が……!」

 崇春はさすがに顔をしかめ、大きく跳びすさろうとしたが。

 同じ距離をぴったりと、平坂は跳躍してきていた。面ではなく肩口への、斜めに斬るような打ち――袈裟(けさ)斬りというのか、剣道にはないだろう攻撃――。

 

 しかし。その打撃が当たる前に、崇春が歯を()き、声を上げる。

「なんの……【スシュン白刃取り(キャッチ)】じゃい!」

 

 繰り出される攻撃を受け止めるべく出された両の手は。その攻撃をまともに喰らい、次の打撃――身を引きながらの小手――まで当てられた後、空しく打ち合う音を立てた。

 

「ぐうう……」

 歯を噛み締め、打たれた腕を押さえる崇春。

 

 構えを取りながらも――以前にも見せた、左脚を出して竹刀を斜め前に寝かせた形――平坂が笑う。

「どうした、その程度か。黒田を倒したみたいに決めてみせてくれよ」

 

 その言葉を聞いたとき。何かに気づいたように、崇春が目を見開く。

「おおぉ! 【スシュンタックル】じゃああ!」

 平坂へ向けて駆けると同時。頭をかばうように両手を掲げつつ、指を広げて前へ突き出す。駆け寄って組みつこうとする体勢。黒田との試合で見せた、投げ技に持ち込もうというつもりか。

 

「ふん」

 だが、それを読んでいたかのように、平坂もまた前に出た。踏み抜くように床板を打つ足の音とともに、体重を乗せた突きが、崇春の腹へと打ち込まれる。背中まで貫こうとするかのように、深く。

 

「ぐう……!」

 (うめ)き声を上げながら。崇春はしかし、笑っていた。

「かかったの……【スシュン白刃取り(キャッチ)】じゃああ!」

 腹へめり込んだその竹刀を。引かれるよりも早く、崇春の両()が挟み込む。合掌のような形になったそれは攻撃を止めただけに留まらず。震えながら竹刀を(きし)ませ。やがて、めりり、と音を立てて、竹刀をへし折った。

 

「なっ……!」

 頬を引きつらせた平坂の手には。いまや三分の一ほどを折り取られた――ささくれ立った竹の繊維(せんい)と、鍔元(つばもと)から切先までを結ぶ紐でかろうじてつながってはいる――竹刀があった。

 

 音を立てて手を払い、崇春が歩み寄る。

「さあてと。ここからはわしの番よ、たっぷり目立たせてもらおうかい!」

 

 平坂は舌打ち一つ残して跳びすさり、短くなった竹刀をそれでも構えた。

 崇春はそこへ踏み込み、平坂の道着へ手を伸ばす。

 

 が。そのとき二人の間に、横から竹刀が突き込まれた。

「待て!」

 竹刀を握っていたのは渦生だった。

 

 間に割って入り、動きを止めた二人を押し退けて言う。

「待て。この勝負、俺が預かる。――崇春。お前の気持ちは分かる、だがこいつは剣道部の問題だ。横から手を出す必要はねえ。――平坂」

竹刀を下ろし、平坂へ向き直る。

「お前が強ぇのは知ってる。だがな、だからって他人をなぶっていいワケじゃねぇ……明らかに試合を越えた範囲じゃあな。ソレをやった、今のお前は剣士じゃねぇ。ただのバカだ」

 親指で出入口を示した。

「剣士じゃねぇ(もん)がなんで剣道場にいる。出てけ」

 

 平坂は何も言わず、渦生の目を見据えていたが。

 舌打ちすると黒田に目をやり、それから崇春を見た。外していた防具を抱え、出入口に向かった。その近くに立てかけていた竹刀袋を取る。

 

 その背に渦生が声をかける。

「平坂。……頭冷やして、明日また来い」

 

 平坂は振り向きもせず出ていった。

 



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二ノ巻7話(後編)  崇春が道着に着替えたら

 

 平坂の去った方に目を向けたまま、崇春が言う。

「むう……。良かったんかのう、あれで」

 

 渦生は荒く息をつく。

「なに、あんなもんで傷つくタマじゃねえ。――さ、大丈夫か黒田、ちっと休んでろ。谷﨑、賀来も、悪いが見てやっててくれるか」

 部員らを見回して声を上げた。

「他の奴は練習だ、連続技いくぞ!」

 わずかな間の後、部員らから快い返事が上がる。

 

 かすみは小走りに剣道場へ行き、黒田の方に向かった。

 黒田は身を起こしていたが、未だ座り込んだままだった。呼吸のたびに肩が上下する他、体のどこにも動きはなかった。面をつけているせいで表情はうかがい知れないが、呆然と口を開けているのではないか。そんな風にかすみは感じた。

 

「大丈夫ですか、黒田さん」

 かすみが声をかけたが反応はない。

 

 賀来も遅れてやってきた。重たげに体を揺らしながら、大きな救急箱――剣道部、あるいは柔道部の備品だろう――を両手で抱えている。

「その、大丈夫か。何か使うか」

 中からコールドスプレーや湿布を取り出すが、黒田はそちらを見ていなかった。

 

「大丈夫ですか、どこか痛めたりとか――」

 かすみがさらに声をかけると、ようやく黒田の声が聞こえた。

「――無い」

「ケガはない、ですか? 良かっ――」

不甲斐(ふがい)無い」

「え?」

 

 かすみが目を瞬かせる間にも、黒田の言葉は続いていた。

「不甲斐無い、不甲斐無い不甲斐無い不甲斐無い!」

 言いながら放り捨てるように小手を脱ぎ、むしり取るように面と手拭いを外し。まるで土下座するみたいに、床に頭を叩きつけた。

 

「ちょ、ええ!? 大丈夫ですか、その……」

 声をかけるも、黒田は(うめ)くように同じ言葉を繰り返す。額を床にこすりつけるように、首を何度も横に振りながら。

 

 剣道部員らは練習の手を止めることもなく、横目にそちらを見る。

「またやってるな」

「ああ、黒田の不甲斐無い音頭(おんど)か」

 

 音頭(おんど)ってなんだ。そうかすみは思ったが、黒田は未だに(うめ)き続け、小さく頭を持ち上げては床に打ちつけていた。

 

「だから、やめましょうってば! ええと、もう顔を上げて……」

 かすみは押し留めるように両手を向けたが、黒田はまだ続けている。

 

 崇春が黒田の(そば)に寄り、片ひざをついて声をかけた。

「黒田さん。()(たたこ)うた。()(たたこ)うたではないか、お(んし)もわしも、平坂さんも。……それだけよ」

 

 黒田の動きは一瞬止まったが。それでも顔を上げはしなかった。床についた拳を、震えるほどに握り締める。

「すまない……君とも、不甲斐無い試合しかできなかった……その上円次にも手も足も出ず……我ながら不甲斐無い……っ!」

 今度は崇春に向かい、頭を下げるように額を打ちつけた。

 

 かすみは両手を突き出したまま、それ以上声をかけあぐねた。どうしたらいいかと思い、ふと賀来の方を見ると。

 

 賀来はコールドスプレーの大きな缶を、しゃかしゃかと音を立てて振っていた。そしてふたを開けたかと思うと。

 無言で黒田の頭へ吹きつけた。その頭皮へ直接流し込むような距離で、長々と。

 

不甲斐無(ふがいな)(つめ)っ……()っつぁああああ!?」

 

 頭を両手で押さえ、床へ転がる黒田へ。賀来は見下ろしながら言い放った。

「頭は冷えたようだな」

 

 片手で頭を押さえたまま、黒田は顔を上げた。

「ああ、うん……はい」

 

 賀来は片手を腰に当て、鼻で長く息をついた。

「誰しもそういうときはあるもの――我もまあ、最近やったな――だが。いつまでもやっているものではあるまい。さ、休憩したらどうだ」

 

 黒田は目を瞬かせていたが。やがて息をつくと、立ち上がって頭を下げた。

「すみません、どうも……ご迷惑を。不甲斐無い僕で――」

 

 かすみは慌てて、道場の端を手で示す。

「もういいですから! それよりほら、休憩しましょう、ね?」

 

 黒田はあいまいにうなずき、置いていた竹刀と防具を取る。歩き出して、抱え切れていなかった面と、片方の小手が転がり落ちた。

 

 かすみの方に落ちたそれを拾い――汗で湿っているのが正直気にはなったが――、黒田へと差し出す。

「どうぞ――ん?」

 ふと目についた。面にも小手にもその端に、同じマークが小さく描かれていた。防具の意匠などではなく、マジックで自分で描いたものだろう。

 それは∞――無限大――の記号に似ていたが。二つの輪が重なり合って、真ん中に小さくもう一つの輪が作られていた。それらを全体にやや縦長にした、そんな形。

「これは……?」

 

 かすみがつぶやくと、照れたように黒田が笑った。

「あ……気づかれちゃいましたか、武蔵(むさし)マークはその、御守りっていうか……」

「武蔵マーク?」

 

 黒田があいまいに笑っていると、百見が近くへ来て言う。

「ふむ……宮本武蔵でその形といえば、何だったか……『海鼠(なまこ)()かし(つば)』、で合っていましたか」

 

 黒田が細い目を見開いて笑う。

「そうです、よく知ってますね! 武蔵先生、かの大剣豪宮本武蔵先生が考案されたという(つば)の形で、大胆に肉抜きされた軽量さと太く形作られた堅牢(けんろう)さ、そして曲線的な美……それらを兼ね備えた実戦的かつ――」

 

 そこまで言って言葉を止め、照れたようにまた笑う。

「や、すみません何か急に……とにかく、御守り代わりに自分で描いてるんです。僕の剣道具には全部」

 

 小手と面を受け取ると、黒田は姿勢を正した。機械が蒸気を吐き出すみたいな強い息をついてかすみたちを見、それから頭を下げた。

「すみません、本当に……それに、うちの円次もご迷惑を」

 

「いえいえそんな! 顔を上げて下さい」

 かすみは思わずそう応えた。

 

 百見が口を開く。

「その平坂さんのことですが。どういう人なんです、普段からあんな感じで?」

 

 黒田は肩を小さく震わせたが。わずかな間を置き、苦笑して言った。

「いえ、今日は何か特別怒ってたていうか……たまに荒れたりはありましたけど、あんなむちゃくちゃはしないですよ」

「ふむ……なるほど。何か特別に荒れる理由だとか、心当たりは?」

 

 黒田の視線がうつむく。

「いえ……でも、円次からすれば、怒りたくもなるのかもしれない。うちの部じゃ誰も、あいつのレベルに追いつけない……どんなに努力したって、あいつの視界にすら――」

 防具を抱える手が震えた。

「――不甲斐無い」

 

 そのまま全員が黙っていたが。

 賀来が、視線を他へ向けながら口を開いた。

「あー、その……もう一度、使った方がいいのか? 我が(つかさど)りし氷獄(コキュートス)の吹雪の力を」

 しゃか、と音を立ててコールドスプレーを振る。

 

 黒田が頬を引きつらせる。それから、笑った。

「勘弁してほしいですね。……それより、どうも。もう練習に戻ります」

 一礼し、その場で防具を身につける。また小さく一礼して、他の部員たちの方に駆けていった。

 

「ふむ……」

 腕を組んで百見がつぶやく。何か考えるように片手の指をあごに当てた。

 

「ふぅむ……」

 賀来もまた腕を組んでつぶやいた。スマートフォンを取り出し、何やら操作した後、真剣な顔でかすみを見る。

「【絶望の雪崩(ラヴィーネ・ドゥ・ディスペラツィオーネ)】と【熱き吹雪(カリドゥス・タンペット・ドゥ・ネージュ)】、どちらが良いであろうかな」

 

 かすみは眉を寄せる。

「……何が?」

 賀来は変わらぬ表情で、コールドスプレーの缶をかかげてみせる。

「さっきの、我の氷結魔術の名だが」

「そんなこと悩んでたんですかー!?」

 

 かすみの声と共に。剣道部の振るう竹刀の音が、道場にこだました。

 

 

 



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二ノ巻8話(前編)  居合練剣

 日も落ち、柔道部、剣道部とも部活が終わった後。かすみたちは渦生と再び合流した。

 道場の端、傍らに竹刀を置き、積まれた予備の畳に腰かけて。ジャージに着替え、タオルを首にかけた渦生は言う。

「今日は悪かったな、実際。先に知ってりゃ、いいようにしてやれたのによ」

 

 百見が長く息をつく。

「まったくです。……だいたい、さっきのだって止めるべきじゃなかった」

 

 というと、崇春と平坂との勝負のことか。

 

 眼鏡を押し上げ、百見は続ける。

「『怪仏は執着する』――怪仏とは『(ごう)』、すなわち『執着』そのもの。正体である人間自身がその影響を受けることは往々にしてある。以前斉藤くんが、怪仏・閻摩天(えんまてん)の干渉を受けていたように」

 

「……っス」

 斉藤は身じろぎし、視線をうつむけた。

 賀来も同じく身を震わせた。気づかうような視線を斉藤に向ける。

 

 百見は気にした風もなく言う。

「あの神社で、おそらく竹刀で木を切り倒していたことから見るに。今度の敵は少なからず、剣――あるいはそれに関連する何か――への執着が感じられる……。もう少し続けていれば、何らかのリアクションを引き出せたかもしれない」

 

 考えてみればそもそも、そのために剣道部へやってきたのだった――その方法については、かすみや賀来に一言も相談はなかったが――。

 

「や、だからまあ、悪かったってよ!」

 渦生は苦笑し、ぼりぼりと頭をかいた。汗と、鼻に残るお(こう)のようなにおい――道着や小手に使われる、藍染(あいぞ)めのにおいか――が辺りに散る。

 

 不意にその手を止める。表情を消して百見の目を見た。

「だが、よ。俺たちにも『執着』がある。そいつは分かるな……俺と同じく、守護仏を使うお前なら」

 

――『ぶっちゃけるが。怪仏だよ、これは』――そんな風に言っていた、百見は自らの守護仏について。『彼――斉藤――と僕との違いは、怪仏に使われていたか、怪仏を使っていたか。ただそれだけでしかない』

 

「……」

 百見は口を引き結び、視線をそらした。

 

 渦生が大きく息をつく。居並ぶかすみたちの目を順に見据えた。

「今回の件だが。奴が、平坂が正体ってんなら。一つ、俺に任せてくれ……お前らは手出しすんな」

 

 百見が口を開く。

「いえ、ですが。そもそも確実に――」

 

 さえぎるように渦生は言う。

「なあ、さっき止めたこともだが。怪仏を何とかする、そのために調べる、それはもちろん大事だ。だがな、俺は一応指導者なんだよ……剣道部の。あいつのことも含めて、な」

 傍らの竹刀を取ると、音を立てて杖のようについた。そこに両手を載せる。

「あいつが正体だってんなら。俺がなんとかする。仏法者としてじゃなく、武道家の端くれとしてな」

 そこでまた頭をかき、苦笑する。

「要は、部の指導者として俺にもちったぁ責任が――嫌な言葉だぜクソが――あるかもな、ってこった。だから、ま。俺に任せろ」

 

 崇春が言う。

「むう! 渦生さんがそこまで言うなら、任せるんが(おとこ)の道っちゅうもんじゃの」

 深く頭を下げる。

「よろしくお()も申しますわい」

 

 百見は何か考えるように曲げた指をあごに当て、黙っていたが。小さく息をつくと言った。

「言いたいことは分かりました。……よろしく、頼みました」

 

 渦生は二人を順に見、深くうなずいた。

「おう。くれぐれも、お前らは手を出すなよ」

 

 

 

 

 東の空はすでに黒みを帯び、学校の中庭に灯る街灯は、ぼやけたような光を漂わせている。そんな中をかすみは、崇春と百見と共に帰っていた――賀来と斉藤は帰る方向が別だった――。

 錫杖を手に、崇春が大きく伸びをする。

「いやぁしかし、今日はええ運動になったわい! こりゃあ晩飯が美味そうじゃの、のう百見!」

 

 百見は眉を寄せる。

「と言っても君ね。食事を用意してくれてる家族がいるわけでもない、帰ってから作り始めるんだが……主に僕が」

 

 かすみは言う。

「百見さんがご飯作ってるんですか? 料理とかできるんですね」

 

 確か、二人は都合で――この斑野(まだらの)町、いや斑野高校で。奇妙にも頻発(ひんぱつ)している怪仏事件、その解決を渦生から頼まれて。家族から離れ、アパートを二人で借りて暮らしているのだった。

 そういえば崇春は以前、ポテトサラダだとか言って生のじゃがいもを――よりによって芽の部分を――かじろうとしていた。それを思えば、料理はとても無理そうだ。

 

 百見は目頭を押さえる。

「いや、できるというほどでは……ごく簡単なものを作るだけだ、作り方の表記どおりにね。カレーとかシチューだとか、鍋の素を使って鍋料理とか」

 

「へえ……じゃあ今度、ご飯作りに行きましょうか?」

 ――賀来さんより先に――そう思って、かすみは内心で小さく笑う。

 

 崇春は屈託(くったく)なく笑った。

「おう、本当か! そりゃありがたいわい!」

 

 百見が言う。

「いいのかい、本当にありがたいね……ときに、得意料理などは?」

 

 言われて言葉に詰まり、少し考えて言う。

「野菜……炒め? や、肉野菜、肉野菜炒めです! あとチャーハンと、カレー!」

「そうか、意外と近いね……レベル」

 

 百見にそう言われ、慌ててつけ足す。

「それにその、パスタというか……ナポリタンとか! それと……みそ汁! みそ汁はちゃんと、出汁(だし)取って作れますから!」

 賀来のやり方を聞いて何度か作ってみたし、家族にも好評だった。

「他にはほら、豚汁――それはほぼみそ汁か――、しっぽくうどんと、お好み焼きと……ハンバーグ! オムライス! この前作ったポテトサラダ! あとほら、鍋の素なくても作れますから、すき焼きとか! 鶏むね肉だと安くていいですし――」

 

 百見が大きくうなずく。

「なるほど、それはいいね。経済的なメニュー、自炊暮らしにはありがたい」

 

 かすみは胸を叩いてみせる。

「ええ、どーんと任せて下さい! 庶民的なメニューなら!」

 大きくうなずきながら思った。帰ったら、安上がりな料理をお母さんに聞いてみよう。あとネットで調べよう。

 

 そうこうしつつ歩くうち。中庭で、妙な音が聞こえるのに気づいた。

しゅらり、しゅらり、と何かが(こす)れるような。その合間に時折、ぱん、と、小さく()ぜるような――まるでそう、かすみと賀来が怪仏の影を見たときの音。それを小さくしたような――。

 

 そのことを二人に告げて。木々に隠れた中庭の向こうへ、そろりそろりと三人で近づく。まるで昨晩と同じように。

 

 立ち木の間から透かし見たその先。薄く植わった芝の上、一際大きな木の下に、道着の平坂円次がいた。足元はスニーカーを履いている。

 袴の帯には鞘に納めた木刀を差していた。そのまま何をするともなく、両手を垂らして立っている。何を見るともない目を宙に向け、ただそこにいる。

 

 何してるんでしょうね、かすみが小声でそう言いかけたとき。

 



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二ノ巻8話(後編)  居合練剣

 風が吹いた。枝葉が鳴った。平坂の頭上、木の枝が揺れ、幾枚かの葉が舞い落ちる。

 

 平坂は、目を見開きはしなかった。ただ木刀を鞘から抜いた――いや、逆だ。かすみの目にはまるで、木刀が空間に固定されて。半歩下がりざま、大きく腰を引いた平坂が。いわば、鞘を木刀から抜いた、ように見えた――。

 

 そう認識した瞬間には。すでに、平坂の右腕は振り抜かれていた。わずかに手首をひねり、横一文字に。その切先が宙に舞う葉を(とら)え、裂いていた。

 あるいはその光景に気を取られていたせいか。かすみは、遅れて音を聞いた気さえした。しゅらり、ぱん、と。木刀を抜いて葉を打った音を、切り裂いた光景より遅れて。

 

 平坂は鞘から手を離し、木刀を両手で握って振り上げる。さらに落ち来る別の葉へ向け、()(こう)から打ち下ろす。

 その後片手で木刀を、左の額の辺りへ掲げ。血を払うように振った後、(みね)を鞘の口へつけた。そのまま刀身を滑らせ、切先が鞘の口へ入った後。抜いたときと同じように、鞘の方を刀身へ納めるかのように。腰を入れた体全体の動きで、滑るように納刀(のうとう)した。

 

 かすみの隣で崇春が、ほう、と(うな)る。

 

 それからも平坂は剣を振るった。同じように刀を納め、手を垂らした状態から。

 あるいは舞う木の葉へ抜き打ち、返す刀でさらに裂き。

 あるいは何もない空間へ、半歩踏み出し抜刀せずに、鞘に込めたままの柄で突き打ち。そのまま半歩下がりざま、まだ抜刀せずに鞘で――おそらく背後に想定した敵へ――突き打ち。流れるように刀身を抜き、前の敵へと斬りつける。

 あるいは大きく右脚を引いて、仮想の攻撃をかわしたときには。すでに鞘から刀身を抜き、右腰へ引いて()めを作った体勢。そのまま相手へ突きを返す。

 あるいは半歩踏み出しながら、斜め上へと抜刀し。左手を添えつつ手を返し、斜め下へと斬り落とす。風を切る音を上げながら。

 

 そのどれもが舞うような、沢から水が流れ落ちるような、淀みのない動きだった。捉えどころがないと同時に、地から足腰を伝って繰り出す、確かな力を感じさせる動きだった。あるいは古典芸能の舞台を見れば、これに近いものを感じるだろうか。

 

「……きれい……」

 

 かすみは思わずつぶやいて、それで平坂の動きが止まった。納刀し、柄に手をやった姿勢のままで。

 

 そのまま平坂はきびすを返し、かすみたちの方を見た。いつでも木刀を抜ける体勢で。

「……何だ、てめェら」

 

 かすみは顔を引きつらせ、何か言おうと口を開いたが。

 

 崇春が、錫杖と手を拍手のように打ち鳴らした。

「見事! 見事なもんじゃ、その剣技! やはりお(んし)、相当の強者(つわもの)じゃの!」

 

 姿勢を変えず平坂が言う。

「だったらどうしたってンだ。たとえば……さっきの続きを、やり合おうとでも」

 

 崇春が拍手をやめ、音を立てて錫杖を地に突く。

「ほう……それは面白そうじゃの。じゃが、残念ながら結果は見えちょるわ――」

 

 平坂の視線は変わらなかった。ただ、柄にやった手の指が、わずかに握りを強めた。

 

 崇春は声を上げた。親指を立て、自らを指して。

「――どう考えても。斬られるのはこのわしじゃあああ!」

 

 平坂の口が、かくり、と開く。

「……あ?」

 

 崇春は拳で胸板を叩く。

「じゃがのう、ただで斬られはせんぞ! この崇春、一世一代の斬られざま見せちゃる! たとえ勝負に負けたとて、目立ち()つのはこのわしじゃあああ! お(んし)がどれほど(うらや)んだとて、目立ちだけは譲ってやらぬわ!」

 

 かすみは思わず口を開いた。

「何言ってるか分かりませんからーーーっっ! せめて、試合に負けて勝負に勝つとか、そういうこと言って下さいよ!」

 

 がっはっは、と崇春はほがらかに笑う。

「何言うちょんじゃ、奴の技前を見ちょろうが。どう考えても斬られるわい」

 

 かすみは肩を落とす。

「いいんですかそれで……」

 

 百見が言う。

「いや、崇春の言うことにも一理はある。何せ、僕らの目的では別にない。強さを競うことも戦うことも、ね」

 

 言われてみれば、それはそうか。崇春たちの目的は怪仏事件を収めること。戦うことや強く在ることは、手段であって目的ではない――あるいは、戦わずに解決できるならそれに越したことはないのか――。

 そう考えて、かすみは何度かうなずいた。そうだ、戦わないで済むならそっちの方がいい。

 

 平坂は何度も目を瞬かせていたが、やがて大きく息をこぼした。笑うように。

「……ッたく。何なンだよ、てめェは」

 崇春へ向き直って続けた。すでに手は柄から離している。

「本当に何なンだ? 昨日からうろうろと……オレに何の用があるってンだ」

 

 崇春は言う。

「なあに、大した用じゃないんじゃ。お(んし)がもしも、怪仏の力――人の(ごう)が積もり積もった、人智を越えた歪んだ力。それを持っておるんなら。捨ててくれんか」

 

 平坂がわずかに眉を寄せる。

「人智を越えた、力……」

 

 崇春がうなずく。

「そうよ、仏の姿形(すがたかたち)を取った、業の(かたまり)。それは力を与えるが、人の心を振り回し、業のままに操る……そんなものじゃ。わしらはそれを、封じて回っておる」

 

 また真正面から言ってしまった。

 いいのかと思い、かすみは百見の顔を見るが。

百見は腕を組んだまま、平坂に目を向けていた。その動向を観察するように。

 

 平坂は真っ直ぐに、崇春に目を向けていた。

「信用しろッてのか、そんなもんがあると。オマエらがそれをどうにかできると」

 崇春は大きくうなずく。

「そのとおりよ」

「ふン……」

 平坂は目をそらせた。そして崇春に背を向け、歩き出す。

 

「待てい!」

 

 崇春の声に振り向きはせず、平坂は言う。

「分かった。明日持ってきてやる、その力――ただし」

 歩きながら続ける。

「今日一晩。昨日オマエらと会った神社、あそこには近づくな」

 

 崇春が眉をひそめる。

「むう? そりゃあどういう――」

 

 さえぎるように平坂が言う。

「約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる」

 

 かすみは呼び止める声を上げた。

「ちょっと、あの――」

 怪仏の力を持つであろう人間、それが目の前にいるのに。いくらなんでも話がはっきりしなさすぎる。

 

 しかし、崇春はかすみを手で制した。

「平坂よ。まこと、それを誓えるか」

 

 平坂は振り向き、崇春の目を見た。腰の木刀に手をかける。

「ああ。誓うさ、刀の柄に()けて」

 

 そうして、傾いた日の下を歩み去った。

 

 

 



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二ノ巻9話  暗黒天の呼び声

 

 ――その少し後。

 斑野高校の三階、校庭に面した校舎の中央。そこにある、小規模な会議室といった部屋――生徒会室。

 

 そこに彼はいた、生徒会長、東条(とうじょう)紫苑(しおん)は。大きな窓から見える、校庭の方を向いて。だがその視線は校庭ではなく、遠く山並みの上、遥か空へ、見るともなく注がれていた。

 腰の後ろで組んだ手、その開いた片手の上には、炎のような黒いもやが漂っていた。その中には小さく、黒い輪郭で描かれた怪仏の姿が、浮かんでは消えていく。

 

 視線はそのままに、よく通る声を響かせる。

「どうやら動き出したかな……彼らは」

 

 その後ろ、陰になった辺りでは。男子生徒が椅子に腰掛けていた――ひどくうつむき、両肘を机に乗せて組んだ手を額に当てているせいで、その顔は見えない――。

 

 男子は低く声を()らした。

「あいつは……今日こそ、あいつと……」

 

 そこで小さく、歯噛みの音を立てた。悩むように小さく、かぶりを振る。

「でも、本当に……いいんでしょうか」

 

 こつ、こつ、と靴音を響かせ――不思議とその音すらも、彼の声と同様よく通った――、紫苑は男子へ歩み寄る。その背に手を置いた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶさ、それでいい。不安になるのは当然のこと、そして……君がそうするのも当然のこと。君はそれだけもう悩んだ。だから行動に移す、怪仏の力を借りて――それでいい」

 

 そこで不意に、紫苑は視線を後ろへ向けた。

「『弁才天』。君からも、何か言ってあげてくれたまえ」

 

 部屋の隅、手を後ろに組み、長い脚を交差させて、壁に背を預けていた女性。その人が歩み寄る。かつ、かつ、と靴音高く。

 

 彼女は何も言わなかった。ただ傍らで、じっ、と男子を見つめ。それから、そっ、と手を置いた。男子の頭に。

 まるで壊すのを恐れるように、何よりも貴重な宝に触れるように、しかし決して手を離そうとせず。その白い手は、ゆっくりと彼の頭を()でた。肉食獣の母親が我が子の体を()めるように。何度も、何度も。

 

 さやさやと流れるような声が――絹のような感触さえ持って――、彼の耳に流れ込む。

「いいの。いいのよ、いいの、それでいい。思うままにしていいの。……ほら、どうしたの? 我慢(がまん)なんて」

 

 そこで頭から手を離し。代わりに、ひたり、と頬に当てる。何の力も入れず、しかし決して離さず――まるで、掌で口づけるように――。

 

我慢(がまん)なんてしなくていい。思うままにしたらいい、だってあなたはそうしたかった。我慢(がまん)だったらもうしてきた、たくさんたくさん頑張った、これ以上はもうたくさん。だから、ね」

 

 長い髪を揺らし、彼の耳元に唇を寄せた。

「許しなさいな。あなた自身を、その業を」

 

 その反対側に紫苑が立つ。『弁才天』の声の終わり際、滑り込ませるように言葉をかける。

「けして許すな、その敵を。彼のことを、その業を」

 

 立ち代わるように『弁才天』の声。

「もういいでしょう、我慢なんて」

 被さるように紫苑の声。

「もういいだろう、彼のことは」

 

「欲しいのでしょう、その力。人智を越えた怪仏の」

 

「欲しいのだろう、彼の命。怒りのままに踏みにじって」

 

「手に取りなさい、あなたの剣。いつも振るったその剣に、人智を越えたこの力を」

「手を取るがいい、六本の。それは君の合わせ鏡、君の業が造った形」

「変わればいいの、怖がらないで。古いあなたを捨ててしまって」

「変わるがいいさ、止まらないで。彼の全てを斬り捨てて」

 

 二人の声がとろけるように入り混じる、流れ込む、染み込むように耳から、その先まで止まらず、鼓膜を越えて脳の隙間を満たすように、脳髄すらも染め上げるように。

 

「ぁあ……あああ!」

 

 彼は叫び、椅子を倒し、立ち上がる。

 

 その床の上で揺れる影は、六本の腕を備えていた。

 

 



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二ノ巻10話(前編)  夜と炎と

 

 闇から明かり、明かりから闇。ぽつりぽつりと離れて街灯が点在する夜の道を。平坂円次は歩いていた。

 あれからさらに場所を移して剣を振るい続けた、そのときと同じ道着姿のままで。足元は使い古したスニーカーと、その内側は愛用の――足袋(たび)のように親指だけが分かれた――靴下。

 

 道着は汗に濡れ、そよぐ夜風に冷えかけているが。身の内は熱かった。灰の中で(おこ)る炭火のように。

 首を鳴らし肩を回し、袋――背負い紐のついた、黒い合革製の竹刀袋――に入れた、木刀を担ぎ直す。

 

 今夜、オレはこれを振るう。存分に。全力で。(つちか)った技の全てでもって。それが全て、それで十分。

 

 胸の奥から息を吐いた。それは決してため息ではなく。胸の内の火炎のような。

 

 やがて着いた、昨日崇春とやらが来た、町外れの神社。円次のいつもの練習場所。その石段の前まで。

 この上、鎮守の森の中。きっとアイツからの置き手紙のような――

 

 そこまで考え、かぶりを振った。音を立てて、自らの頬を両手で叩く――熱すぎる、もっと冷えろ。刀のように――。

 

 真っ直ぐに石段を上り、参道から外れ、茂みの奥へと分け入った。(やしろ)から離れた裏手、木の倒れたそこでは。椅子ほどの高さの岩の上に、見慣れた姿が腰かけていた。

 

「よう。熱心だな、こんな時間まで自主練たぁ……オレの指導じゃ足りなかったか」

 

 伝法渦生。部の指導をしているその人が、ジャージ姿でそこにいた。

 

「……何で、アンタが」

 言いながらも円次は竹刀袋を下ろし、ふたを留めるベルトを外す。

 

 渦生は傍らに置いた小さな缶のふたを開け――竹刀も木刀も、武器らしき物は見当たらない――、中から煙草をつまみ出した。口の端にくわえ、百円ライターで火をつける。

 口の中で煙をくゆらせ、ぷかり、と白く吐いて続ける。

「さてと。ウダウダやんのも面倒くせぇ、単刀直入に言わせてもらうか。平坂よぉ、お前が怪仏の力を得ちまったんだとして、だ。何がお前をそうさせた。何がお前の目的だ」

 

 円次は表情を変えずに言う。

「……何の話だよ」

 

「聞いたままだよ。何、オレでも何とかできることなら。戦う必要もねえと思ってな」

 

 円次の唇が、頬が固く吊り上がる。笑いの形に。

「へェ……つまりは、戦う気で来たってワケか。このオレと」

 

 煙草を口から離し、また煙を吐いた後。唇についた煙草葉を指先でつまみ取りながら――フィルターのない両切り煙草というやつか――、渦生は言った。

「ああ。だがま、やめとけよ。無茶が過ぎるぜ」

 

 円次は鼻から息を吹いた――そのときにはもう、木刀を袋から抜き出し。鞘を帯に差していた――。

「笑わせる……アンタがオレに勝てるって? 大体、武器(えもの)はどうした。何でも好きなもん――」

 

 その言葉が終わる前に。渦生が煙草を手から落とした。それが地面に落ちる前に突如、音を立てて燃え上がり、火の粉を散らして崩れ落ちる。

 

 見れば渦生は、妙な形に手を組んでいた――両手の指を甲の外ではなく、掌の内へと差し込んで組む。そこから人差指、中指を広げ、中指同士の頭をつける――。そして唱えていた、呪文のような聞き慣れない言葉を。

 

「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリシュシュリ・ソワカ! 業火(ごうか)(あるじ)にして明呪(みょうしゅ)の王よ、火生三昧(かしょうざんまい)より来たりて不浄一切を焼き清めろ! 不浄金剛・除穢(じょえ)金剛……帰命頂礼(きみょうちょうらい)烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)!」

 

 渦生の前で炎が()ぜた、渦を巻いた。その背丈を大きく越えて。

 

「……ッ!?」

 円次は思わず後ずさり、わずかに目をつむった。

 

 その間に渦は小さく収まり、かき消えるかに見えたが、渦の中心、その中に人影が見えた。まるで炎が()り固まったかのような、赤い肌の。

 赤い髪はまさに燃えるように逆立ち――炎髪(えんぱつ)とでも言うべきか――、薄い衣を一枚まとっただけの肌は、内に火を宿すかのように赤く熱を帯びていた。

 

 片手に持った(ほこ)を地に突いて寄りかかり、片方の足は今にも歩を踏み出しそうに、しなやかに空中へ上げている。地に着いた方の足はリズムを取るように、あるいはゆらめく炎のように、小さく曲げては伸ばされて、体全体を揺らせていた。その動きのたびに、赤い髪から身から、赤熱する矛から、火の粉が散ってはゆっくりと宙へ舞い上がる。

 

 右手を柄にかけながらも、円次は口を開けていた。

「なッ……こりゃあ……?」

 

 手を奇妙な形に組んだままで渦生が言う。

「『烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)』。仏法に外れた者すら力づくで救うとされる『明王』の一尊(いっそん)。その業火で全ての(けが)れを焼き尽くす、火神にして便所の守り神……そう言うと、なんともカッコがつかねぇがよ」

 続けて言った。

「要は! どんなクソ野郎でも焼き尽くす、俺の守護仏……怪仏ってことよ。さぁ……お前も見せてみろ、その業、怪仏を」

 

「……ふ」

 気づけば、円次は息を吹き出していた。笑うように。肩が揺れ、遅れて顔が笑みを形作る。

「ふッ、はは、ははは……! そうか、これが……『人智を越えた力』! それを使えるッてのか、アンタが! ……アンタも」

 

歯を()き出して笑い、その歯の間から強く息を吹き出す。

「戦いてェ……戦わせろよ。アンタと、ソイツと!」

 

 熱くなり過ぎだ、分かっている。だが――止められない。震える、手の指が。スニーカーの中、靴下に包まれた足の指も。膝が、腕が、肩が、背筋が。震える。

 恐怖では無論なく。それは肉体と精神の反応。頭で考えたわけでなく勝手に起こる、戦闘への準備運動――武者震い。

 

 渦生が言う。

「その『戦闘』への執着、それがお前の『業』か。ならばその業、俺の炎が――」

 

 その言葉が終わるのを、円次は到底待ち切れなかった。頬が笑みに震えるままに、足を踏み出す。

 

「しゃあっ!」

 

 踏み出した右足が地につくと同時、流れるように腰を右へと振り切る。右手は下から柄を取り、腰の動きに沿うように腕を繰り出す。

 剣閃は横一文字、それよりわずかに切先を下げる。狙うは相手――怪仏――の右肘。伝にあるとおり、抜き打つ相手の腕を斬り落とすかのように。

 

 果たして、当たった。木刀を通して手に返る、肉を打つ感触。それを実感する暇もなく、右手を返して頭上へ振りかぶる。左手を添え、面の形で打ち下ろした。硬い音が高く響く。

 抜き打ちからの正面への斬撃。比良坂(ひらさか)心到(しんとう)流初伝、【直刃(すぐは)】。ただしわずかに崩れた、腰を振り出し過ぎたし頭上への振りかぶりが大き過ぎた、二撃目がはっきりと遅れた。

 

 それでも。掌に手首に、腕に返る感覚が――実際の衝撃として、大きなものではないにせよ――円次の神経を駆け巡った。

 ――打った! 当たった、実戦で、形稽古(かたげいこ)なんかじゃない実戦で!――

 

 さらに打ち込むべきだったが、木刀を振り上げるより早く、渦生と怪仏は跳びすさった。

 

 渦生が顔をしかめる。

「ぐ……! やってくれるなオイ……。だがどうした、剣なんてよ。お前も見せろ、怪仏の力を! こんな風によ――」

 組んだ指を前に突き出し、唱える。

「オン・クロダナウ・ウン・ジャク! 撃ち抜け! 燃やせ、清めてやれ!――【火弾金剛砕】!」

 

 上げていた足を音も高く踏み下ろし、烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)は矛を突き出す。その切先から吹き上がる炎は丸く(かたまり)となり、火の粉を撒き散らしながら、円次へ向かって飛び出した。

 

「な……!」

 

 反射的な動きだった、半身を切って直撃をかわしつつ、両手で持った刀身を後ろへと斜めに傾け。炎の塊にその横腹を滑らせ、受け流した。

 目標を外れた炎弾は、円次の後ろで花火のように、いくつもの火花となって散る。

 

 今さら高く速く鳴り出した鼓動を感じながら、円次は木刀を構え直す――が。

無かった、その木刀が。柄は確かに握っているが、その先が。刀身の中ほどが黒く炭と化し、そこから先は燃え落ちていた。

 

「げ……」

 円次の頬がたまらず引きつる。目で代わりの武器(えもの)を探す――竹刀袋にも代えはない、折れた竹刀は二本入っているがどうにもならない、辺りの地面に使えそうな枝を探すが見当たらない――。

 

 無いのか、無いのか、オレの武器は――思う間にも渦生は再び、呪文のような言葉を唱えている――。

 

 そのとき。頭の内に聞こえた、言葉が――いつ、誰から聞いたのだったか――。

――『許されていい、その業は』――。

 

 頭の中に(とどろ)いた、雷鳴のような音が。両の手に走った、稲妻のような(しび)れが。

「な……!?」

 

 鼓動が打つたび痛みが響き、頭はうつむいていた。左手は痺れに、びくりびくり、と震えるままに。ある形を取っていた――親指、人差指、中指を伸ばした後、人差指を軽く曲げて中指の背に添わせた形――。

 誰かの声が頭の内に聞こえ、その言葉をなぞって唇が動いた。何のことかも分からぬままに。

 

「ナウマク……サマンダボダナン、インダラヤ・ソワ、カ……」

 

 稲光が(ひらめ)いた。目の前に、どこから落ちたかも分からない稲妻が。

 白に近い電撃の光、それが消えたときには。

 

 見も知らぬ偉丈夫(いじょうぶ)がいた。高く結い上げた髪、肩幅の広い体には中国風の鎧を着込み、その上から衣を羽織っている。片手には両刃の短剣。全てを貫き(とお)せそうなほど太く力強いそれは、柄の両端に刀身のついた双剣。その両の刃が、時折ばちばちと音を上げ、白く稲光を散らしていた。

 

 偉丈夫が低く声を上げる。

「――我は業、積もり積もりし人の業にて、武勇を求める(なんじ)が業。さあ、汝に与えよう、武神たる我の(たけ)き力。手を取るがよい、力を求める者よ。我が独鈷(どっこ)(いかずち)を使え。この『怪仏・帝釈天(たいしゃくてん)』に帰依(きえ)するのだ」

 



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二ノ巻10話(中編)  夜と炎と

 

 渦生がつぶやく。

「『帝釈天(たいしゃくてん)』。インド神話に語られる雷神にして武神、インドラか……お前らしい怪仏かもな。だが、その力使うなら容赦はしねえ」

 

 印を結んだ手を突き出し、叫ぶ。

「オン・クロダナウ・ウン・ジャク! (はな)って、潰して、焼き尽くせ! 【炎波・豪乱瀑(えんぱごうらんばく)】!」

 

 片脚立ちの烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)が、大きく首を巡らせた。その動きを、びたり、と止めると同時、開いた片手を指先まで、張り詰めたように伸ばしてポーズを取る。ちょうど、歌舞伎役者が見得(みえ)を切るような動き。

 反対の手は赤熱した槍を振りかぶり、火の粉を散らすそれを大きく横に振るった。その刃から湧き上がる炎が背丈を越える波となって、円次へ向けて殺到する。

 

 円次は痺れ、震える手で、短くなった木刀を構え直したが。

 目の前に、帝釈天(たいしゃくてん)が足を踏み出す。炎の波に向かい、立ちはだかるように。

 

 (いか)めしい顔を歪めて帝釈天(たいしゃくてん)が笑う。

「――ふん。この程度の炎、バター(ギイ)を溶かす役にしか立たぬわ。受けよ、【閃雷の金剛杵(ヴァジュラ)】!」

 

 手にした短双剣が白く輝き、ばちばちと爆ぜるような音を上げた。そこから(ほとばし)る雷電光が炎の波へと向かって飛ぶ。いや、その手前の地面へと。

 炸裂した(いかずち)は爆音を上げ、地面を吹き飛ばした。その上を走る炎ごと。

 

「何……!」

 弾け飛ぶ火の粉と土に、渦生は手を顔の前にかざしながら目をつむる。

 

 そこへ、帝釈天(たいしゃくてん)はなおも力を振るう。

 短双剣を左手に持ち替えると、その両端から稲妻が細く、孤を描いて伸びる。全体として見れば三日月のように。そして、開いた右手をその間、三日月の端と端との中間へと添えると。

走った、細い稲妻が。三日月の端と端とを結ぶように。まるで、弓の(つる)のように。

 右手がその(つる)をつかみ、後ろへ大きく引き絞る。ぎりぎりと音さえ立てそうに震えてたわむその弓には、今や幾本もの稲妻が横に――つがえられた複数の矢のように――走っていた。

 

「受けよ、【瞬雷の強弓(シャクラダヌス)】!」

 右手を離す、それと同時に。つがえられた稲妻は、(くびき)を解かれたように(ほとばし)った。

 

 幾筋もの細い稲妻が、、夕立のように。未だ漂う土煙の向こう、渦生と明王へと降り注ぐ。

「が……あああっ!?」

 

 渦生の叫びを気にした風もなく、帝釈天(たいしゃくてん)は円次へと振り向く。

「――如何(いかが)か、『神々の帝(シャクロー・デーヴァナム)』たる我が力は。さあ――」

 

 稲妻の小さく走る、その手の短双剣を円次へと差し出す。

「――力を望む者よ、我が金剛杵(ヴァジュラ)を取るがよい。さすればこの力、お前のものぞ」

 

 ()かれるように、痺れたように、円次の手が震える。

「この力、が……」

 

 にたり、と笑って帝釈天(たいしゃくてん)はうなずく。

「――ああ、全てはお前のもの。存分に振るうがよい、この(いかずち)

「へえ……嬉しいね」

 

 円次はその金剛杵(ヴァジュラ)の方へ、ゆらりと手を突き出した。焼け落ちた木刀を未だ握ったままの手を。

金剛杵(ヴァジュラ)の位置を越えて――帝釈天(たいしゃくてん)の、その腹へと。勢いをつけて。

体重を乗せた、突き(とお)すような一撃をくれた。

 

「――な!?」

 息を詰まらせた帝釈天が身を折り曲げる、その顔へ横殴りにもう一撃。

 素早く跳びすさり、目星をつけておいたいい感じの枝――長さがあってある程度は振るえそうだ――を拾う。

 

 細かな枝葉を折り取りながら言った。

「嬉しいぜ。『人智を越えた力』『怪仏』……テメェみてェなのと戦えるとはよ!」

 口の端が吊り上がり、手が震える――武者震い。

 

 左足を前に出し、枝を左斜め上に寝かせた構えを取る。

「当てっこ剣道に相手のない演武……ぬるいンだよ、そんなんじゃ。鍛え鍛えた技と力、振るう場所なんてなかったがよ。テメエみてェなのが相手なら、いくらでもぶちかませるってもんよ! ――おおおおおおっっ!!」

 

 腹から上がる声のままに、駆け出し、枝を振り上げる。打ち下ろすそれが帝釈天(たいしゃくてん)の脳天を打ち、さらに振り上げ打つそれが、こめかみ、首、肩、胴を打つ。

 

 打たれるままによろめいた、帝釈天(たいしゃくてん)は、目をつむったまま幾度も短双剣を振るう。苦しまぎれのようなそれはしかし、未だ稲妻を帯びていた。

 円次の構えた枝が、軽々と四つに焼き切られる。

 

「げ……」

 つぶやきつつも、円次は笑った。無理な動きで、帝釈天(たいしゃくてん)はよろめいていた。そして円次の手にした枝は、もはや武器と呼べる長さではなかったが。

 手挟(たばさ)んでおいた。半分に燃え落ちた木刀を、右腰の帯へ。

 

 ――居合抜きは通常、左腰に帯びた刀を右手で抜刀する。そこから、武士の礼法として『座った際、即座に抜刀できないよう右側に刀を置き、敵意のないことを示す』というものがある。

 そこからまた逆に。『鞘を右手で取り左手で抜刀する』という、不意をつくかのような技を備えた居合流派が存在する。そして円次の流派にも、同様の技があった――。

 

 右手に残った枝を、相手の顔面へと放る。

わずかに反応し、帝釈天(たいしゃくてん)が顔をそらせた、そこへ。視界の外れへと潜むように、身を低めながら。円次の左手は木刀を抜き放つ。相手の足を刈るように。

 

「ぬ……!?」

 

 相手が大きくよろめいたそこへさらに踏み込み、突きを入れようとして。

 しかし、帝釈天(たいしゃくてん)の手にした短双剣が稲妻を閃かせた。

 

「があっ!」

肌の上を走った焼けつくような電撃に、思わず呻いた円次だったが。

さらに呻きたいことに、帝釈天(たいしゃくてん)は倒れもしていなかった。立像のように堂々と立ちはだかっていた。

 

「――大した剣閃よ。我がもしも人間なら、確実に倒れていた――あるいは命すらも(おびや)かされていた――ろうが。我は怪仏……怪仏の力に()らぬ打撃など、わずかにしか通りはせぬ」

 



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二ノ巻10話(後編)  夜と炎と

 

 帝釈天(たいしゃくてん)は短双剣を突き出す。

「――今一度問おう、我が金剛杵(ヴァジュラ)を取らぬか。さすればよし、さもなくば――」

 握り締める手が震え、刀身から上がる電光が耳障りな音を立てる。

「――神々の帝(シャクロー・デーヴァナム)たる我ばかりか……我が業を貴様に与えしあの御方に楯突(たてつ)くということ……! 左様な所業、決して許せるものでは――」

 

 その言葉の途中に。帝釈天(たいしゃくてん)の肩に、ぽん、と手が載せられる。

「よお」

 

 土にまみれ、いくつも穴の開いたジャージは焦げ。額から血を流した渦生が背後にいた。

「喋ってるとこ悪ぃんだけどよ。――燃え尽きろや。オン・クロダナウ・ウン・ジャク。燃えろ、燃えろ……燃えろ! 【炎浄・爆焔破】!」

 

 烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)の赤い手が、炎を宿して帝釈天(たいしゃくてん)の肩をつかむ。その手がさらに炎を上げたかと思うと、爆ぜ飛ぶように炎が噴き上がる。二体の怪物をもろともに飲み込む、赤黒い爆焔が。

 

 明王に体をつかまれたまま、炎の中で帝釈天(たいしゃくてん)がもがく。

「――が……があああっ!」

 

 煤にまみれた渦生がつぶやく。

「悪いな、逃がす気はねえよ。このまま焼き尽くして――」

 

 言う間に、帝釈天(たいしゃくてん)は何かを放った。渦生へではなく、頭上へ。その手にしていたものを。

 

 回転しながら飛んだ短双剣――金剛杵(ヴァジュラ)――は、見る間にその回転を早め。やがて空気を、大気をかき混ぜ、その場一面に厚い雲を生んだ。時折走る稲光と、その内に支え切れずぽつぽつとこぼれ落ちる、雨を(たた)えた黒雲を。

 

「――脅雨(おどしあめ)旱魃龍殺し(ヴリトラ・ハン)……」

 (したた)る雨足はたちまち強まり、つぶやく帝釈天(たいしゃくてん)の声をかき消す。桶を返したような水が、今や辺り一面に浴びせかけられていた。

 その雨勢の中に、燃え上がっていた炎はぶずぶずと音を立て、白い煙を上げてくすぶり消え始める。さらには、熱を帯びたような明王の赤い肌も、雨粒を受けるたびに湯気を上げて黒くくすぶり出し。苦しげに顔を歪めて、地に片膝をついた。地に突いた矛を杖に、その身をどうにか支える。

 

 にこりともせず帝釈天(たいしゃくてん)が言う。

「――雷神(すなわ)ち雨神。我を相手に炎で挑もうなどと、バター(ギイ)が火に挑もうとするが如き愚行」

 

 にこりともせず――明王と同じく、表情を歪めながらも――渦生がつぶやく。

「燃えろ」

 

 変わらず降りつける雨の中、その一言に再び炎が躍る。

「燃えろ。燃えろ。燃えろ燃えろ……燃えろ! 【炎浄・爆焔破】」

 

 くすぶる音を立てながら、滝のような雨に押されて揺らぎながら。それでも炎が勢いを増し、明王の肌が赤く熱を放ち。揺らめく火炎が再び帝釈天(たいしゃくてん)の体を飲み込む。

 

「――な……!? お、おのれ!」

 帝釈天(たいしゃくてん)が手をかざすと、金剛杵(ヴァジュラ)はその回転を速めた。雨足は音を上げて強まり、さらには黒雲から弾けた稲妻が、細く幾本か地に落ち。地面に溜まる水の上を青く走ったそれが、くるぶしまで水に埋まった渦生の脚を駆け上がる。さらに幾筋かの電光が閃き、渦生の体を直接打った。

 

「ぎ……!」

 

 電撃に身を震わせた渦生は体勢を崩す。炎は低い音を立ててくすぶり、赤い明王の姿も火勢と共にかき消えた。

 大きくよろめく渦生はそばにあったものにかろうじて抱きつき、足を踏みとどまらせた。そばに立つ、帝釈天(たいしゃくてん)の体にもたれかかって。

 

 帝釈天(たいしゃくてん)が唇を歪めて笑う。

「――ふん。窮鳥(きゅうちょう)懐に入らば猟師もこれを殺さず、とは言うが。戦神(いくさがみ)たる我に左様な慈悲を期待するならば……愚か!」

 

 その太い両腕で渦生の体を抱え、折り取るように力を込めた。

 

 が。渦生もまた、帝釈天(たいしゃくてん)の体を抱いていた。抱き締めるように、両手を相手の腰に回して。

 その背の向こうで組み合わせた指が、烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)の印を結ぶ。

「オン・クロダナウ・ウン・ジャク……燃えろ。燃えろ。燃えろ……【炎浄・爆焔破】!」

 

 渦生の手の上に重なるように、再び現れた明王(みょうおう)のヴィジョン。そこから轟音と共に焔が上がる。渦生と帝釈天(たいしゃくてん)とをもろともに覆って、赤く、黒く、燃え上がる。

 

「が……ああああああ!?」

 帝釈天(たいしゃくてん)は声を上げ、それでも渦生を抱える腕に力を込め。金剛杵(ヴァジュラ)の巻き起こす脅雨(おどしあめ)は強まり。

 

 それでも、渦生は声を上げた。そのたびごとに炎が強まる。

「【炎浄・爆焔破】、【炎浄・爆焔破】、【炎浄・爆焔破】! 燃えちまえ……【大・轟・炎・浄、爆焔覇】!」

 

 鼓膜も地も、降りしきる雨をも震わす爆音を上げて。帝釈天(たいしゃくてん)も渦生も明王も、白く爆焔に飲み込まれた。

 

「――な……あああがあああぁっっ!?」

 帝釈天(たいしゃくてん)の体を焔が覆い、黒く焦がし。やがてその身にひびが走る。そこから白く焔が吹き出し、噴き上げ。

 

 そして、ぴたりと雨はやんだ。

辺りに溜まる、小池のような水の中に。飛沫(しぶき)を上げて、帝釈天(たいしゃくてん)の体が倒れ伏す。そばに、金剛杵(ヴァジュラ)も音を立てて落ちた。

 

 水の溜まる辺りから身を引き、立っていた円次は言葉が出ず。目を瞬かせて渦生の方を見た。

 

 もう炎は散っていた。明王の姿も消えていた。血と(すす)にまみれた、渦生だけがそこにいた。

 

 渦生は口の端だけ上げて笑う。

「無事か」

 

 何も考えられず、円次はただうなずいた。

 

 渦生もただうなずいた。

「なら……いい」

そうして水の中へ、膝から崩れ落ちた。

 

「ちょ、おい!」

 駆け寄る円次がその体を抱え、肩を貸す形で水の外へ引きずる。地面の上に渦生を横たわらせた。

 

 そうしていた二人の背後に。

 影が揺らめいた。六本の腕を持った影が。

 

 



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二ノ巻11話  その少し前

 

 ――その少し前。

『すぐに来てほしい』

 そんな電話を受けたのだ、かすみは百見から。

『大事な用だ、必ず来てほしい。もちろん崇春もいる、用件はその場で話す、僕たち三人でやろうじゃないか。場所は――』

 

 だからやってきた、とうに日の沈んだ町の中を、息せき切って走って。

 そんなかすみの目の前に、その現実は突きつけられた。

 

「おう、来たか谷﨑! すぐに手伝ってくれい!」

 家族世帯用の古いアパート、その玄関を開けてすぐの台所で。電子レンジが唸りを上げ、ガスコンロの上では二つの鍋が絶えず湯気を吹き出し続けている。

 熱気と湯気に包まれた中、その床の上では。エプロンを着た崇春――体にサイズが合っておらずはきちれそうだ――と、かっぽう着を着た百見が座り込み。床を埋め尽くすボウルと鍋、皿や茶碗の中身を、必死の形相(ぎょうそう)で押し潰し続けていた。薄黄色を帯びた、ほくほくとゆで上げられたジャガイモを。

 

「な……。ん? ……え?」

 玄関を閉めるのも忘れて、かすみは立ち尽くしていた。

 

 湯気に眼鏡を曇らせた百見が声を上げる。

「ええい、君は何をしている! 大事な用だと言っただろう! 早く上がって、手を洗って! 手伝ってくれ!」

 

 とにかくドアを閉め、手を洗う。とにかくまだ潰されていないジャガイモを、近くにあったフライ返しで――もっと使いやすいものはないのか――、潰しながら言う。

「で。……大事な用って」

 作業の手を止めずに百見が答える。

「見て分かるだろう、これだよこれ! 崇春が業務用の店で買い込んできたんだ――」

 背後のドアを片手で開け、中の部屋を示す。そこには段ボール箱に一杯の、ジャガイモがあった。十箱近く。

「――勝手に! ジャガイモ! 六十キロを!」

 

 その光景と数字に軽く目まいを覚える。何で買ったんだ、人間一人分の重さほども。

 

 ゆで上がったジャガイモの皮を剥きながら崇春が言う。

「ふ……何言うちょんじゃ、知らんのか? イモ類は保存が利くんじゃ」

「限度がありますからー!!」

 

 潰したジャガイモの上にマヨネーズを長々と絞り出しつつ、百見が長く息をついた。

「安く買えたとは言うが……まったく、限度がある。当分主食はジャガイモだな。……というわけで、谷﨑さんには調理を手伝って欲しい。というか、調理法も色々教えて欲しい」

 

 崇春がジャガイモを押し潰しながら強くうなずき、頭を下げる。

「是非とも頼むわい! 出来上がったら、今日は三人でポテサラパーティーじゃあ!」

 

「パーティーはいいんですけど……」

 手伝うのはいい。調理法もおいおい考える、それはいい。けれど、そんなことよりそもそも――

 

 調理の手を止めて言った。

「――これって。怪仏を、平坂さんをどうにかするために呼ばれたんじゃないんですか?」

 

 崇春と百見は何度か瞬きし、互いに目を見合わせた。

「むう? そんなこと言うたんか?」

「言ってはいないね」

 

 崇春はかすみの方を向く。

「だいたいほれ、約束しちょるじゃろ。今回のことは渦生さんに任せると」

 百見もうなずく。

「加えて言えば、平坂さんとも約束はしている。今夜一晩、あの神社には近づかない、とね」

 

「それはそうですけど……大丈夫なんですか、それで」

平坂の言葉からすれば、あの神社で今夜何かが起こる――怪仏に関わること、その口ぶりから逆に考えて、人死にの出る可能性すらある何かが――。

 言ってしまえば身もふたもないが。本当に、約束なんか守っている場合なのか。

 

 崇春は表情を変えずうなずいた。潰したジャガイモを粗く混ぜながら。

「なに、渦生さんほどの(おとこ)なら心配はいらん」

 崇春のボウルにマヨネーズを絞り出しながら百見も言う。

「僕らと違って、渦生さん自身は平坂さんと約束したわけではないしね。怪仏が何度か来たあの神社で、一晩張り込んでおく予定だと聞いている……場所的にも合っている」

 

 確かに、渦生一人でどうにかできるならそれでいいのかもしれない。けれど――

 

 考える間に百見が言う。

「谷﨑さん自身がどうであるかは問わないが。少なくとも、僕と崇春は仏教徒だ。それなりに熱心な、ね。仏教における戒律『十善戒(じゅうぜんかい)』には『不妄語(ふもうご)』――嘘をついてはならない――というものがあってね。だから――」

 

 その言葉をさえぎるように、音を立てて。手にしていたボウルとフライ返しを、かすみはその場に置いた。

「あの」

 床の上で正座して、姿勢を正し。深く頭を下げた。

「すみません。けど、お願いです。今日だけ、破ってくれませんか……その戒律」

 

 崇春はボウルを抱えたまま手を止め、何度も目を瞬かせた。

「むう……? じゃが、その。渦生さんとも平坂さんとも、(おとこ)(おとこ)の約束をじゃな……」

 

 言いたいことは分かる。けれど、それでもしも渦生がやられたら。そうでなかったとしても、大きな怪我でもあったら。

 それに、崇春たちの目的は『怪仏事件を収めること』――強さを競うことではなく、それと同様。約束や戒律を守ることではないはずだ。

 

 そう考えたが、言葉に出してしまっていいのか分からず。

かすみはとにかく、立ち上がった。

「無理なら……行きます、私だけでも」

 一人で行ってどうなるものでもない、それは分かっている。けれどどうにか、手当てだとか――

 

 思う間に、百見が突如声を上げた。棒読みのような間延びした声を。

「おおっと! あーいけない、これはいけないなー!」

 見れば。ジャガイモの上に絞り出していたマヨネーズが、すっかり空になっていた。

 ぺちん、と自分の額を叩き、わざとらしい口調のまま続ける。

「これは参ったなー、ポテトサラダに最も重要な調味料であるマヨネーズ、それが空になったのではねー。このままではポテサラパーティーなどとても無理だなー」

 

 立ち上がり、かっぽう着を脱ぎ捨てた。それをきちんと畳んで言う。

「何をやってる崇春、早く支度をしないか! マヨネーズを買いに行くぞ!」

 

 床に座ったまま、崇春は目を瞬かせる。

「む、むう? 分かったわい、では近くのスーパーに――」

「ええい、君は馬鹿かっ! 僕のマヨはいつもカロリーハーフ! しかもこだわりの銘柄があると言っているだろう!」

 

 崇春はさらに目を瞬かせた。

「む、そ、そうじゃったかのう……?」

 腕を組んで百見が言う。

「ああそうさ。そして近くの店には置いていない……少し離れたコンビニに買いに行くぞ! 例の神社に近いコンビニに! まったくの偶然だが!」

「む? それは――」

 

 さえぎるようにかすみは言った。

「そうですね、そこにしかないならしょうがないですよね! それとも――」

 崇春の目をのぞきこんで首をかしげる。

「――誰かと約束しましたっけ。マヨネーズを買いに行かない、なんて?」

 

 崇春はぎこちなく目をそらす。

「それは……してはおらんが」

 

 百見が一つ手を叩く。

「よし、決まった! ひとまず片づけて、すぐに行こう! 買い物に!」

 

 言われてのそのそと立ち上がり、エプロンを脱ぐ崇春。

 

 それを見ながらかすみは息をついた。

 まったく、百見が調子を合わせてくれて良かった。けれど、どういうつもりだろう。急に気が変わったというわけでもないだろうし――

 

 思っていると、百見が傍らに立ち。食器を片付けながらつぶやいた。

「君なら、そう言ってくれると思っていたよ」

「え?」

「嘘をつかせたくないんだ――彼には」

 そう言ってラップを手に取り、調理途中のボウルに被せた。

 

 



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二ノ巻12話  噓も方便

 

 例の神社――の近くのコンビニ――への道を、急ぎ足に三人で行く。

 錫杖を手に前を行く崇春の背を見ながら、かすみは百見と並んで歩いていた。

「あの。聞いてもいいです? さっきの――」

 崇春には嘘をつかせたくない――その言葉が妙に引っかかった。

 

 前を向いたまま百見が言う。

「ダメだね」

「ダメ、って」

 

 百見は目だけをこちらへ向けた。

「君にだって聞かれたくないことぐらいあるだろう、僕の場合はこれがそうさ。……とはいえ」

 顔をこちらへ向けて続ける。

 

「ただの言葉のとおりさ。彼には嘘をついて欲しくない、少なくとも彼の意思に反してはね。もちろん、全ての戒律を全ての局面で守れるかといえば難しいところだが……それでも、彼には、なんと言うか。自由に戒律を守って欲しいんだ」

 

 自由に、戒律を。それは何だか矛盾した言葉に思えて。だが同時に、崇春の在り方そのものに近いようにも思えた。

 

「彼が自由に戒律を守ってくれるからこそ、僕は自由に戒律を破れる……彼の分までね」

「いや、そういうシステムじゃないですよね? 戒律って」

 

 分かっているさ、とでも言いたげにうなずき、百見が微笑む。

「ともかく。崇春には嘘をつかせたくない。もし嘘が必要なら、彼の分まで僕がつくさ」

 

 はっきり言って都合のいい話だ、そうは思った。けれどそれが、彼ら自身の自然な在り方にも思える。

 とにかく。百見は本当に、崇春には在るがままに在ってほしいのだろう。その在るがままが、あるいはたまたま、崇春に取っては仏法者であることなのだろう。

 

 かすみは息をつく。それから人差指を立て、百見の顔へと突きつける。

「百見さん!」

 

 思い切り、笑ってみせた。

「――崇春さんのこと、好き過ぎ」

 

 百見は目を瞬かせ、それから息をつく。かすみを見返して笑った。

「ああ。君もそうだろ」

 

「な……っ」

 

 息を詰まらせたかすみが、口をぱくぱくと開け閉めしているうちに。

 百見は話題を変えた。

「まあ、とにかく――渦生さんが何とかしてくれていれば理想的だが――、結果としては崇春に、例の約束を破らせてしまうかもしれない。だがまあ、それはそれで問題ない。仏教を由来とする――」

 

「仏教を由来とする言葉。『嘘も方便(ほうべん)』……でしたっけ」

 

 百見は嬉しげに笑う。

「おっと、どうやら君にも仏教精神が根づいてきたようだね」

 

 かすみは小さくため息をつく。

「それはどうか知りませんけど。そもそも矛盾してません、これ。嘘をつくな、って戒律があるのに、嘘も方便って。『嘘をつくと閻魔(えんま)様に舌を抜かれる』なんて話もありますけど」

 

 百見は表情を変えずに言う。

「なに、僕の舌なら二枚ある。一枚ぐらい問題ないさ」

「自分で言わないで下さい!」

 

 百見は微笑んでかすみを見ていたが、不意に表情を消す。

「とはいえ。君の言うこともっとも。確かに矛盾しているんだ。だがそれでいい、矛盾していいんだよ、仏教は。そう、こういうたとえ話もある――」

 

 小さく咳をして続ける。

「――ある男が帰ると、家が火事になっていた。そして中では、幼い子供たちが火事に気づかぬまま遊んでいた」

「大変じゃないですか!」

「そう、大変だ。そしてさらに厄介なことに、子供たちは幼く、火が恐ろしいものだということも分かっていない。もちろん目の前まで火が迫れば分かるだろうが……そうなってからではもはや、逃げることもかなわないだろうね」

「とにかく助けないと……」

「そのとおり。だが、外に出ろと言っても、子供たちは遊びに夢中で聞きもしない。火の恐ろしさを今さら説明している暇もない。子供たちは何人もいて、男が中に行っても全員をいっぺんには助けられない」

「じゃあどうしたら……とにかく、何とかしないと」

 

 百見はうなずき、声を高めて続けた。

「そこで男はこう言ったんだ――『外におもちゃがあるよ!』と」

「え? ああ、なるほど」

「『みんなの欲しがっていた車のおもちゃだ、三つもある! 一緒に外で遊ぼう!』と、ね。それを聞いた子供たちは皆外へ出て、危ういところで火事の難を逃れた――。さて、このたとえ話をした後で、お釈迦様は弟子にこう問うた。『この男は嘘つきだろうか』と。弟子は答えた、『いいえ、この嘘は方便(ほうべん)――目的を達成するための手段――でございます』と」

 

 かすみは言う。

「それが『嘘も方便』、と」

 百見は微笑む。

「お後がよろしいようで……と、言うようなものでもないか。これは『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』のうち、第三章に当たる『譬喩品(ひゆほん)』。その中の『三車火宅(さんしゃかたく)(たと)え』と呼ばれる説話だ。そして――」

 

 そこで百見は眼鏡を押し上げ、かすみの目を見る。

「何が言いたいかといえば。つまり、そういうことなんだ」

 

 結局のところ。目的は戒律を守ることではなく、救うこと、ということか。

救うためなら、矛盾があってもどうということはないと。救うための手段としてなら、戒律も嘘も同様に使う、と。

 それはちょうど――仏教の意味するところでの『救い』というのは何なのか、それは知らないが――、今のかすみたちの状況に近いとも言えた。

 

 かすみは小さく息をついた。

「まあ、何となく分かりましたけど……」

とはいえ。それにしても、言い訳が長い。

 

 気にした風もなく百見は続ける。

「無論、その辺の解釈は様々だ……論理として矛盾すべきではないだとか、厳格に戒律を守るべきだという考え方も、解釈として有って(しか)るべきとも言えるね。他に、一応つけ加えておくと『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』、通称『法華経(ほけきょう)』は釈迦の死後五百年後ほどの成立と見られている、大乗仏教の経典だ。原始仏典にこの説話はなく、歴史上の釈迦自身がこの教えを説いたとは考えにくいが……まあ、仏教精神でもって語られていることは間違いない。それこそ『嘘も方便』といったところかな」

「方便が! 方便が多すぎますからーー!!」

 

 かすみが思わず声を上げた、それを合図にしたかのように。

 遠く行く手、神社の方角から、(だいだい)色の光が見えた、炎のような。そして音が聞こえた。遠く轟くような音、何かが爆発したかのような。

 

「あれは……」

 かすみがつぶやき、百見が口を開きかけたところで。

 

 前を行く崇春が振り向き、声を上げた。

「いかん! ありゃあ渦生さんの……急ぐぞ!」

 言うなり、返事も待たずに走り出す。

 

「あのっ、いいんですか、約束とか」

 後について走り出しながら、思わずかすみはそう尋ねた。

 

 振り返りもせずに返事が来る。

「何言うちょんじゃ、ケガ人を見捨てる約束なんぞした覚えはないわい! 渦生さんのあれを喰ろうて、無事でおれる(もん)なぞおらん!」

 

 かすみの隣を駆けながら百見が言う。

「ね。あれでいいんだ、彼は」

 

 かすみは駆けながら――百見のまねをして――肩をすくめてみせる。

 

 百見はつぶやいた。

「しかし。あれほどの技を出したとなると、よほどの敵……渦生さんも無傷では済んでいないだろうね」

 

 崇春はさらに速度を上げ、かすみらもどうにかついていこうとするが、だんだんと距離が開く。

 例の神社までは、まだ遠い。

 

 

 



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二ノ巻13話  真の敵は

 

 崇春が神社へ着いたとき――百見やかすみとは大分距離が開き、まだ来ていない――、境内への石段、その上に。

 階段へ片腕を投げ出して突っ伏した、渦生の姿があった。

 

「ポサラさん! 大丈夫か、しっかりせいポサラさん!」

 駆け上がり、肩を抱えて揺さぶる。そのせいで渦生の頭が石段の角にぶつかった、何度も。

 

 うつ伏せのまま渦生がつぶやく。

「……痛ぇ」

「何じゃとおおおお! 大丈夫かポサラさああああん!」

 崇春はさらに激しく揺さぶり、渦生の頭が音を立てて石段にぶつかる。

「痛ぇっつってんだろが!」

 渦生は上体を起こして手を振り払い、横へあお向けに転がった。

 どうにか身を起こす。身につけたジャージは泥にまみれ、焦げ跡がついていた。いくつも口を開けた、切り裂かれた跡からは血がにじんでいた。

 

 崇春は歯を噛み締めた。

「むう……ポサラさんほどの(おとこ)をそこまで痛めつけるとは。いったいどんな相手だったんじゃ」

 渦生は思い切り顔をしかめた。

「お前だよ今トドメを刺しかけたのはな! っ()う……」

 その表情がさらに歪んだ。身を折り曲げ、傷口を押さえる。

 

「むう、大丈夫か!」

 崇春は再び渦生を抱えようとしたが。

 渦生は靴底を押しつけて制し、口を開く。

「それより、そんなことより、だ。気をつけろ、敵はまだ――」

 

 言葉の途中で崇春は立ち上がる。

「むう! そうじゃい、平坂さんは……!」

 渦生を残して駆け出した。錫杖を鳴らして石畳の道を走り、石造りの鳥居をくぐろうとしたところで。

 見えた、その先。(やしろ)(のき)に吊るされた裸電球、そのおぼろげな光を背に。ゆらりと動く、六本腕の大きな影が。

 

 背後から渦生の声が飛ぶ。

「気をつけろ! 平坂じゃねぇ、六本腕の怪仏は……別にいた!」

 

 鳥居の向こう、光を背にした影となって。六本腕の影の(かたわ)ら、一人の男の姿があった。

「平坂、だと……?」

 つぶやいたその声は若い男。平坂円次ではなく、しかし聞き覚えのある声。

 

 男は鼻で息を噴き出し、笑った――()かれた白い歯の列だけが、影の中に浮かんで見えた。

「そいつは……これのことか!」

 男が言うと同時。六本腕の影が身をかがめ、地面から何かをつかみ上げた、かと思うと。

 片側三本の腕を振りかぶり、それを崇春へ投げつけた。黒い塊にしか見えなかったそれが月明かりに照らされ、姿を(あら)わにする。

 それは。道着姿の平坂円次、ぐったりと力を失い目を閉じた、その人だった。

 

「むううっ!?」

 崇春は錫杖を放り捨て、両手を広げて。体ごと、どうにか平坂を受け止めた――もしもかわしていたなら、平坂はそのまま石段の下まで投げ出されていただろう――。

 

 そこへ。

「さあ……ゆけぃ!」

 男の声に応えるように影が跳んだ、崇春に向かって。闇の奥から六本腕の。

 

「――チャハハハーっ! ()ねィ!」

 甲高い声を上げて跳び来る怪仏。その姿が薄闇の中、おぼろげに見えた。

 崇春の一.五倍ほどの体躯(たいく)は、意外にも痩せぎすで。しかしその腕にはどれも、確かな力を宿し。そして武器を――長い爪を備えていた。猛獣のそれのような、いや。研ぎ澄まされた刀のような。

 

 怪仏は鳥居に頭を――顔の左右に一つずつ、別の顔を備えた頭を――ぶつけたが、勢いを削がれた様子もなく。ぐらり、と石鳥居を揺るがし、押し倒し。

 

 殺到した。平坂を抱えた崇春へ向けて、倒れる鳥居と六組の刀爪(とうそう)が。

 

「む……ううううーーっっ!!?」

 

「崇春―――っっ!!」

 石鳥居が地に倒れ、砂(ぼこり)を巻き上げる中。渦生の声が境内に響いた。

 

 埃が緩く風に散る中、ゆっくりと身を起こす六本腕の怪仏。

 月明かりと石段下の街灯に照らされた、その肌は薄紅色。腰から下のゆったりとした下衣と、左肩からたすきのように斜めがけにした布のみを身につけた半裸形。

 

 渦生はつぶやく。

「こいつは……阿修羅(あしゅら)、か」

 

 阿修羅――帝釈天と敵対する悪神にして、後に八部衆と呼ばれる護法神となった神仏。六道(りくどう)世界のうち、争い絶え間なき修羅道の主。その容姿は三面六臂(さんめんろっぴ)――三つの顔に六本の腕――。

 

 その怪仏の姿形は、名高い宝物たる阿修羅像のそれによく似ていたが。その面差(おもざ)しだけは憂いを帯びた形ではなく。怒りに打ち震えるように眉を寄せ、飛び出るように目を()いて。頬を歪め、長い牙を()き出しにしていた。

 

「――チィ……」

 阿修羅は一つ舌打ちし、何かを探すように三対の目を巡らせていたが。

 

 社の前から男の――阿修羅と共にいた者の――怒声が飛ぶ。

「何をしている、後ろだ!」

 

 三つの顔の、どの正面にも位置しない背後。そこに崇春は立っていた。平坂を抱えたまま。

 

 ――阿修羅が迫り、鳥居が崩れ落ちていたあのとき。大きく退けば鳥居に潰され、小さく退けば刀の餌食(えじき)。かといって、平坂を抱えたままでは攻撃もできない。

 故に。崇春は自ら飛び込んでいた、敵の(ふところ)に。攻撃も崩れる鳥居も届かない場所、相手の股ぐら。砂埃の中、そこをくぐって背後へ――。

 

 指を折り曲げた、阿修羅の刀爪が震えて擦れ、金属にも似た音を立てた。

「――チィイ……! ()様ァ、そんな所に!」

 右側三組の腕を大きく振り上げる。風を切り、力任せに振り抜く三つの手刀。

 

 崇春は小さく跳び退いてかわし。

 何も言わず背を向けた。阿修羅からも、社の前の男からも。

 

 阿修羅が小さく口を開けた。三つの口を。

「――な……」

「――何をしている()様……」

「――このオレをなめてんのか……!」

 

 口々に騒ぐ三つの顔には取り合わず。崇春は石畳を下り、木立の方へと歩いた。いくらか分け入った辺りで、大木の根の上に平坂の身を横たえる。

 

 そうして石畳の上、阿修羅の前へと戻る。

 顔をうつむけ、つぶやいた。

「嘆かわしいわい」

 

 社の前で男と阿修羅がつぶやく。

「何……?」

「――なんだとォ……」

 

 崇春は首を横に振り、言葉を続ける。

「情けない、まったく情けないわ! このわしとしたことが……三つも顔のある(もん)にさえ、見つからんほど目立っちょらんとは!」

 

「な……に……?」

「――はァ……?」

 薄明かりにも見えるほど、かくり、と口を開ける男と阿修羅。

 

 崇春は押し止めるような手を阿修羅に向けた。

「あいや、別にお(んし)らを(とが)めるつもりはないんじゃ、わしの目立ちが足らなんだまでよ。ほとほと情けないわ……いや」

 

 阿修羅に背を向け、社の方へと歩む。

 足を止め、男を見据えた。

「お(んし)なら。こう言うんかのう、『不甲斐無い』と。のう、黒田さん」

 

 社の前、裸電球の薄明かりに照らされたのは。剣道着姿の男。平坂円次と同じ部の、黒田達己(たつみ)だった。

 

 

 



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二ノ巻14話(前編)  修羅闘争

 

 竹刀を手にした黒田達己(たつみ)は、吐き捨てるように息をつく。

「ふん……『不甲斐無い』だと?」

 細い目を、困ったように下がる眉を、(あざけ)るようにひくひくと動かして笑う。平坂の横たわる木立の方をあごで示した。

「不甲斐無いのはそいつだろうが……僕の力の前に、手も足も出なかった平坂円次。それにぃ……」

 

 竹刀の先で崇春を指す。歯を剥き、顔を歪めながら。

「わざわざ出てきて邪魔立てをする……崇春だったか? お前だ、これ以上出しゃばるのなら! 僕の力の前に――」

 

「確かに、不甲斐無かったわい。ただのわしらの早とちり……平坂さんはどうやら、嘘などついちょらんかった」

 黒田の言葉に取り合わず。崇春は石畳の上、辺りに転がる物を拾い上げた。

 それは平坂と名の書かれた、黒革の竹刀袋。開いた口から、二振りの折れた竹刀、その(つか)が飛び出ていた。

 

 一振りを引っ張り出す。社の明かりに照らされたそれは、使い込まれた握り跡の残る他、何の変哲もないものだった。

「これはおそらく今日わしが、平坂さんとの試合で折ったもんか。じゃが、もう一本は――」

 

 引き出したもう一振り、その(つか)鍔元(つばもと)には。見覚えのある印が描かれていた。竹刀の意匠などではなく、持ち主がマジックで描いたであろうマークが。

 それは∞――無限大――の記号に似ていたが。二つの輪が重なり合って、真ん中に小さくもう一つの輪が作られていた。それらを全体にやや縦長にした、そんな形のマークが。

「武蔵マーク……そう言うとったの。のう、黒田さん」

 黒田は竹刀を降ろし、頬を震わせながら崇春をにらむ。

 

「谷﨑らが怪仏を見たっちゅうんで、わしらは昨日この神社に来た。その時見たのは折れた竹刀、倒れた木、その前におった平坂さん。そして平坂さんは、折れた竹刀を拾って去った。つまり、この竹刀をの」

 竹刀と袋を地面に下ろし、崇春は続けた。

「谷﨑らの見た六本腕の怪仏の正体、竹刀を折りつつ木を斬り倒した人影は。平坂さんではなく、お(んし)じゃったんじゃな。お(んし)が去り、その後平坂さんが竹刀と倒された木を見つけ。そこへわしらが後から来て、怪仏が平坂さんじゃと、思い込んでしもうた……そう考えれば合点(がてん)がいくわい」

 

 黒田は鼻から長く息を吐き出す。

「ああ……そうらしいな、勝手にお前らが騒いでいたんだ。僕はただ、メッセージを残しただけだ。円次の奴がよく素振りに来ているここへ、奴より先に三度来て。三度目の昨日に竹刀を残した――」

 

 確かに、倒れた木は三本あった。一本は昨日、他はそれ以前に倒されたらしきものが。

 

 かついだ竹刀が鳴るほど、黒田は柄を持つ手を握り締めた。片方の手もまた、空間に爪を立てるような形で震えていた。

「――これほどの力を持つ者がいるんだ、と! 人智を越えた力を持つ者が、お前の近くにと! そしてそれは、この僕だと! お前などより、遥かに強くなったこの僕だと! ……言ってやりたかったんだ!」

 

 崇春はうなずく。

「なるほど、それでわざわざ竹刀を残したんか……平坂さんもおそらくその意図に気づき、お(んし)に会いに今日ここへ来た。わしらが近づかんよう約束させて、か」

 長く息をつき、続けた。

「なら。もう話は済んだんじゃな」

 

 黒田が眉をひそめる。

「何……?」

 

「何も糞もないわ、お(んし)はどうやら、平坂さんを倒したかった……それがお(んし)の執着、お(んし)(ごう)とするのなら。もう、それは済んだんじゃな。だとすれば――」

 懐から出した数珠を左手にかけ、合掌する。

「もう離れるがええ、その業から、怪仏から。お(んし)が傷つけた、平坂さんと渦生さんに詫びよ。わしも一緒に頭下げちゃる。許されるかは知らんがのう」

 

「……」

 黒田の唇が小さく開く。そのまま何か考えるように、黙っていたが。

 

「――チィィイ……! 騙されるな、達己(たつみ)ィィ!」

 崇春の後ろで阿修羅――の正面の顔――が高く声を上げた。

 刀爪を握り(きし)らせて、横の二面も口々に騒ぐ。

「――まだまだまだまだ終わりじゃねェェ!」

「――そう言ってるそいつは何だ、考えてもみろ……お前を倒した奴だろうが、今日の試合でよォォ!」

 

 黒田の握る竹刀が再び音を立てた。

「そうだ……真の力を、人前だからと使わなかったとはいえ……不甲斐無い」

 

 阿修羅の顔が一斉に、口の端を歪めて笑う。

「――そうだ、達己ィィ……不甲斐無ェェぜこのままじゃよォォ」

「――そうだ、そいつもブッッ倒しちまおうぜェェ」

「――真の力を、お前の業たるオレの力を使えばよォォ、誰もお前に勝てやしねえェェ!」

 

「ああ……。ああぁぁあああ!」

 空気を震わすような声を上げ、黒田が両手で竹刀を握った。崇春へ向けて中段に構える。頬を引きつらせて叫ぶ。 

「不甲斐無い、不甲斐無い不甲斐無い不甲斐無い! お前なんかに負けたなどと……いや、いや負けじゃない、真の力、この力を使っていないのだから――」

 

 竹刀を額に押しつけ、目をつむりながら真言を叫ぶ。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン! 力を示せ、僕の想い、僕の業よ……修羅道の主、争いの(おさ)にして正しさの王! 僕の力、僕の剣よ! 僕と共にあれ……南無(なむ)・怪仏『阿修羅王』!」

 

「――応よォォ!」

 崇春の背後から阿修羅の姿がかき消え、かと思えば黒田の傍らに現れる。

 大樹の枝葉のように広げた六本の腕、天へと向けたその刀爪から。闇をほのかに照らす(だいだい)色の光が昇る。

 それは光量を増し、炎のように強く噴き上がり。近くの景色を陽炎(かげろう)に揺らして、焦熱(しょうねつ)の塊となった。刀爪の長さを越え、小太刀ほどの刀身を持った、光の剣。

「――【修羅遍焦剣(しゅらへんじょうけん)】! ()様なんぞ……()り裂き、焦がして! 消し炭にしてやらァァ!」

 

 黒田が竹刀を振るう、それを合図に。阿修羅は崇春へと跳んだ。

「――ヂャアアッ!」

翼のように広げた六本の腕が、包み込もうとするように崇春へと伸ばされる。

 

「く……」

 崇春は石畳の上を跳び退く。目の前を閃光の軌跡が走り、前髪がいがらっぽいにおいを残して焦がされる。

 

 阿修羅の三面はそれぞれに、歯を剥き、舌なめずりして(わら)う。

「――そらそらどうしたァァ、逃げろ逃げろォォ! さもなきゃヤキトリみてぇに串刺しだぞォォ! 【修羅千条剣(しゅらせんじょうけん)】!」

 六本の腕が槍のように、次々に突き出される。熱を帯びた光が流星のように尾を引いて、辺りを照らした。

 

「ぬ……!」

 何撃かは腕でいなしたが、とても全てはさばき切れず。それ以上の数が腕を肩を体をかすめ、わずかに白く煙を上げて。崇春の頬がさすがに引きつる。

 

 距離を取ろうと大きく跳びすさるが、阿修羅もまた跳んでいた。

「─―逃がすかァァ!」

 

 さらに次々と繰り出される突きを、崇春は後ずさって鼻先でかわす。

いや、かわせているというよりは、単に相手が遊んでいるだけか。阿修羅の三面にはどれも、(あざけ)るような笑みが浮かんでいた。

 

「ぬ、ならば……!」

 崇春は大きく一歩下がり、腰を落として身をかがめた。まるで頭を下げるように、石畳に広げた手をついて。

 

「――今さら命乞いかァァ? むだ……だあァァ!?」

 言いながら阿修羅の体が後ろへ傾く、大きく傾く、倒れんばかりに。崇春に持ち上げられて――その足下の、分厚い石畳ごと。

 

「どうじゃ、スシュン流【石畳(たたみ)返し】!」

 

 阿修羅は倒れかけるが、石畳から後ろへ飛び下りる。

 崇春はそこへ。土のこぼれる石畳を盾のように構え、突進した。

「どっせえええぇぇ!」

 

 



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二ノ巻14話(後編)

 

「――チイィィ!」

 阿修羅の三面は一斉に舌打ちをすると、さらなる連続突きを放った。

 機関銃の弾丸が当たるような音を立て、押し出す石畳に熱剣が打ち当たる。破片を散らし端を削り、穴を開け。

 分厚かった石畳が、阿修羅の体に打ちつけられたときには。せいぜいクラッカーほどの厚さになっていた。当然それは大した威力を発揮せず、さっくりと割れ落ちた。

 

「なんと……!」

 

 崇春が口を開ける間にも、阿修羅は牙を剥いて笑い。そして、片翼を広げたように大きく振りかぶる。崇春から見て右の三本腕を、焦熱を一際輝かせて。

 

「――ヂャアッ、【修羅惨条閃(しゅらさんじょうせん)】!」

 

 火の粉のような粒子を散らし、輝く軌跡を残して。どうにか身を引いた崇春の目前を、三本の熱剣が過ぎる。

 だが。

 

「――()ったァァ!」

 かわした、まさにその場所へ。上からなだれ落ちるように、向かって左の三本腕が振るわれる。左下から生えた腕は最も早く、崇春の右を塞ぐように。左中の腕はやや遅れ、崇春の正面へ。左上の腕はさらに遅れて、左の逃げ道を塞ぐ形。

 

南無三(なむさん)!」

 崇春はかわしはしなかった。最も早く殺到した、左下の腕を防いだ――

 

 ――いや。防ぐに留まらなかった。腕を振るい、迫り来る腕を――焦熱を上げる手首より先ではなく、腕を――横へといなした。もう二本の腕が迫り来る方向へ。

 

「――ぎ……ィィうああァァ!?」

 悲鳴を上げたのは阿修羅だった。左下の腕は横へといなされ、もう二本の腕から崇春をかばう形となった。二本の熱剣を、その腕で受けて。

 切断こそされていないものの、肉の半ばまでを断たれたその腕は。焦げつく音を立てて、脂の焼けるようなにおいを辺りに漂わせた。

 

 三面のいずれもが頬を震わせ、牙を(きし)らせる。

「――うぎィィイ! てんめえェェ……よくもオレの腕をォォ……!」

 

 崇春は首をかしげる。

「その腕を切ったのはお(んし)自身じゃが……。まあ、何じゃ。今までの動きで、お(んし)のことも大体見えてきたわい」

 

 阿修羅の目が、射抜くように崇春へと向けられる。

「――んだとォォ! うるせェェ……食らえ、食らえ()()ね! 【修羅千条剣(しゅらせんじょうけん)】!」

 連続で突き出される六本――いや、今は五本――の熱剣。防ぎきれなかったその何撃かが、崇春の肉を浅く裂き、黒く焦がす。

 

 腕を繰り出し防御しながらも、崇春の表情は変わらない。

「お(んし)の強みは何と言うても、その手の多さ。そして――」

 足を外へ踏み出し、体の位置を入れ替えながら。崇春は狙い澄ました一打を放つ。攻撃ではなく、防御の一打を。

 

 右上段から繰り出される阿修羅の腕、それを斜め下へと打ち払う。勢いを殺さずにいなされたその腕は、真正面へと突っ込んだ。阿修羅自身が繰り出す、他の腕による突きの。

「が……ああ~ァァっっ!?」

 

 裂かれ、煙を上げる腕を、残った腕で押さえる阿修羅へ。崇春は言葉を続けた。

「――お(んし)の弱みも、その手の多さよ。どうしようとその手の数、自在に振るうには邪魔じゃろう……互いの手が。強烈な熱を宿しちょるなら(なお)のことよ。手数の多さを活かして連続で振るおうにも、さっきの突きのような小さな動きにしかならん。それぞれの手の持ち場を離れられず、ほとんど正面しか突けず。しかも腰の入った強烈な一撃も放てぬ、武術でいう『手打ち』にしかならん。(ゆえ)に……見切ることも難しゅうはない」

 

 息をついて言葉を続ける。

「逆に、腰を入れた一撃も放ってはおったが。これも恐れるには(あたい)せぬ。腕が何本あろうと、足は二つに身は一つ……人間と同じよ。故に、足腰の力を利かせた攻撃を放つなら。左側の腕をまとめて振るい、次には右側をまとめて振るう……そういう動きになる。それさえ分かれば、防げぬものでもない」

 

 阿修羅の薄紅色の顔が、震えてさらに赤くなる。

「――んだとォォオオ! オレを()めてんじゃねェェぜコラァァ!」

 残る腕を大振りに繰り出そうとした、そのときには。

 

 すでに崇春は身をかがめていた。阿修羅の乗る、足下の石畳に手をかけて。

「スシュン流……【石畳(たたみ)返し】!」

 

「――ぶ……!」

 足下をひっくり返され、倒れる阿修羅。そこへ。

 

「からの――【石畳(たたみ)落とし】!」

 頭上に掲げた石畳を。そのまま叩きつけた、阿修羅へ。

 石畳は堅い音と共に粉々に砕け。しかし阿修羅はかぶりを振り、すぐに目を見開く――怪仏に()らない攻撃は、怪仏に対して大きな効果を示さない――が。

 

「受けよ……【スシュンパンチ】じゃあああ!」

 充分だった、三面の視界を塞ぐその一瞬で。崇春が間合いを詰めるには。

 繰り出す拳が三面の、正面を真正面からとらえる。

 

「――ぶぐゥゥ……!」

 叫びが上がるその内にも、さらなる拳が繰り出される。

「【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】!」

「――おぎっ!」

「――ぐぼォォ!」

 二面がそれぞれ横から打たれ、頬を歪ませる。

 

 崇春の動きは止まらなかった。

「【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】そして……これがとどめの! 【スシュンパンチ】じゃああああぁ!」

「――ごえええェェっっ!!?」

 (うめ)き声を上げながら。弾け飛ぶような勢いで、阿修羅は石畳の上を吹き飛ばされ。黒田の足下に倒れた。

 

 黒田は構えていた竹刀の、その先を今は地面に着け。口を開けてつぶやいた。

「ば……かな、僕の力を……阿修羅を。しかもなぜだ……なぜ、怪仏を殴り倒せる! 円次の、木刀だって、阿修羅には……」

 

 崇春は合掌する。それから右手を上に手の甲を合わせ、中指を絡め合わす。薬指のみを軽く立て、残りの指は全て自然に曲げる印を結んだ。

「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ……この身、すでに『増長天(ぞうちょうてん)』なり」

 

 黒田はそのまま口を開けていたが。

 やがてその口を閉ざす、奥歯を噛み締める音を立てて。その唇の端から赤く――いや、闇の中に黒く――血が流れる。手にした竹刀が震え、音を立てる。

「許さない……許さないぞ崇春、円次と同じに……! 僕を倒した者、円次と互角に戦った者、阿修羅を倒した者ぉぉ……!」

 

 竹刀を構える。血を吹き出しながら言葉を放つ。

「許さないぞ……っ! 来い、阿修羅ぁぁ!」

 

 倒れ伏した阿修羅が、(だいだい)色の光を放つ。その体が同じ光の粒子となり、流されるように消えた――そして。

 流れるその光は、黒田の上に渦を巻いて。吸い込まれた、黒田の体と手にした竹刀に。

 その身からは湧き出るように溢れた、同じ輝きの粒子が。竹刀からも同じ粒子が、燃えるように立ち昇る。

その背後、光の隙間を縫うように地に落ちた影は。昇る光源に合わせて揺らめき、形を変えた。まるで、いくつもの腕を持つかのように。

 

 握り締める竹刀が震えて鳴る中、黒田は一息に吐き出した。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン!! 我が身、すでに『阿修羅王』なり……! 受けよ……阿修羅の(ちから)ァァ!」

 

 竹刀を上段に掲げる、その一瞬。黒田の背後で、ゆらり、と影が動く。まるで阿修羅がその腕を、全て上段へ掲げたように。

 

 一息に振り下ろす、その竹刀からは。(ほとばし)った、(だいだい)色の光の粒子が。刃物にも似た密度を持って。振り下ろしたその先へ、直線的に。

 

「ぬう!」

 崇春がどうにか身をかわした、その剣閃は。石畳を音を立てて割り、土煙を上げて地面を走り。その先の、石灯籠(どうろう)を裂いて倒した。

 

 灯籠《とうろう》の落ちる音が重く響いた後、黒田が竹刀を構え直す。

「【修羅剣閃(しゅらけんせん)】……これが僕の力、僕の(つるぎ)! 斬り伏せてやる、どんな物でも、どんな敵でも……! どうだ、これなら、貴様といえど――」

 

 その言葉には取り合わず。崇春は黒田に背を向けた。そのまま境内の入口、石段の方へと歩く。

 

 黒田が口を開ける。

「な……何だ、逃げるというのか! そんなことは――」

 

 歩きながら崇春は言う。

「そんなことはせん。ただ、お(んし)がその剣を使うんなら。わしも、武器(えもの)を使わせてもらおうと思うての。ちょうどええのがこの辺に――おお、これじゃ」

 

 石段の手前でしゃがみ込んだ。阿修羅が倒して地面に転がる、石鳥居の前で。

 鳥居に向け一礼し、合掌の後。先ほどと同じ印を結び、真言を唱えた。

「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ、オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ。オン・ビロダキャ・ヤキシャ――」

 

 唱えながら。石造りの、柱の下の方に両手をかけた。太い指が震え、腕の筋肉が盛り上がり、血管の筋が浮かぶ。

「――ジハタエイ・ソワカ、オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ、オン・ビロダキャ――」

 根を張るように大きく開いた、崇春の脚が震える。震えながら、曲がっていたそれがゆっくりと、伸ばされる。

 

 黒田は口を開けていた。

「……な……」

 

 柱の下部はすでに地面から持ち上がっていた。ついていた砂がぱらぱらと音を立て、地面に落ちる。

 崇春は手をさらに下へ回し、柱を体全体で抱え込んだ。脚が、腕が、頬が震える。大きく剥いた白い歯が、噛み合って音を立てる。

「ふんぐぐぐむうううぅぅう……どおおおおりゃあああ!」

 (ぬき)笠木(かさぎ)と呼ばれる、鳥居上部を横に走る部分、それは鳥居が倒れたとき、すでに外れていた。

それらがついていた柱の上部が、地面を離れて浮き上がる。

 

 今、崇春は。地から柱を抱え上げ。天へと、それを掲げていた。

 

 そして。抱くように持っていた両腕の間を広げ、抱え方を変えた、いや。構えた。右手を上、左手を下に、切先を天に向けた姿勢。野球の打者の姿にも似た、剣術でいう八双(はっそう)の構え。

 

 その場で一度振るう、素振りのように。(くう)を裂く音を重く立てて。

 柱の先端は頭上の枝葉をかき分け、音を立てて破壊し。地に激突して重く、地響きを立てる。

それだけで、近くにあった石灯籠(どうろう)が、積み木のように崩れ落ちた。

 

 そしてまた、天へと柱を振り上げる。そしてまた、別の方へ向け振り下ろす。そしてまた振り上げて、素振りを何度か繰り返す。

「でぁぁあああ! いりゃあああああ!」

 

 そして。振り回した柱に落とされた枝が地に積もり、木の葉が宙を舞う中。切り開かれて広くなった夜空の下、崇春は構えを取り直す。

「待たせたの……肩慣らしは済んだわい。さて、わしの(つるぎ)とお(んし)(つるぎ)。どっちが強いか比べようかい」

 

 心なしか弱まった、輝く粒子をまとったまま。黒田は口を開けていた。その口が、さらに広がる。

「……えっ……?」

 

 崇春は柱を振り上げた。

「ゆくぞぉぉぉおおお! 必殺、【爆裂スシュン斬り】じゃああああい!」

 

 天へと向けた柱を、抱えたまま駆けた。一足ごとに地を震わせて。

 柱が、その勢いのままに振り下ろされる。

 

「な……ああああぁあぁぁあ!?」

 どうにか竹刀を振り上げる、黒田は目をつむっていた。

 

 



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二ノ巻15話  遅れた到着

 

 その少し後。

 かすみは息を切らし、膝に手をついて立ち止まっていた。例の神社への石段、それがすぐ先に見える場所で。

 そばには、身をかがめてこそいなかったが、同じように呼吸を整える百見がいる。

 

 神社へと駆けていく崇春は速すぎた、たちまち背中が見えなくなり、とても追いつけはしなかった。それでも、懸命に走ってきた。渦生が、それに平坂も無事でいて欲しいと願って。

 

「おー、だいじょぶかお前ら。何か飲むか」

 今。助けるために急いできたその人、渦生は。道端の自販機に小銭を入れている。ボロボロのジャージ姿で、煙草をくわえて。

 

「…………」

 そのままの姿勢でかすみは黙る。

 百見も同様だったが、呼吸を整えた後で口を開いた。

「……お元気そうで、何よりでしたよ」

 

「なんかトゲを感じるなオイ……まあいい、ほれ」

 スポーツドリンクを二本買い、差し出してくる。

 

 受け取るより先にかすみは言った。

「それより! 崇春さんは、それに平坂さんも」

 

 自販機の横にしゃがみ込み、地面に置いていた別のスポーツドリンクに口をつけた後、渦生は言った。

「あーそれな、説明し出すとややこしいんだが……まず、平坂は今度の怪仏の正体じゃなかった」

「え!?」

「だが、別の怪仏を()び出してはいた」

「ええ!?」

「で、今度の怪仏――お前が見た六本腕の怪仏――、阿修羅とその正体と、崇春が上で戦ってる」

「そうなん、ですか……ん?」

 かすみは眉を寄せる。

「で。渦生さんは、何をしてるんですか?」

 

 渦生は目を瞬かせ、それから顔を背けた後。煙草を口にし、煙を吐いた。

「……何って、ほれ。助けを、待ってたんだよ」

 かすみの頬がわずかに固くなる。

「いや、結構元気ですよね今」

 

 渦生はかすみへと向き直り、音を立てて地面を踏む。

「うっせえ、やばかったんだよさっきまで! ついさっきまで! 大体、平坂が喚《よ》んだ方の怪仏倒したのは俺だぞ! んでボロボロになって、そこを黒田の喚《よ》んだ阿修羅に襲われて。その後に崇春が来た」

 

 百見が口を開く。

「黒田……剣道部の、今日会った黒田さんですか?」

 

 渦生は額に手を当て、大きく息をつく。

「ああそうだ、結局俺の教え子だ……参るぜ」

「なるほど、同じ部活同士、平坂さんとは因縁もあり得るか……で、その二人、それに崇春は」

 

 渦生は神社の方、石段の上へ視線をやった。百見とかすみも、同じ方へと視線を向ける。

 神社は静かだった。石段の下に灯る街灯の明かりでは、境内の様子まで見通せないが。話し声さえも聞こえてはこなかった。

 

 かすみは口を開く。

「……で、崇春さんたちは」

「…………さあ」

 視線をそらせた渦生の正面へと回り込み、かすみは言う。

「いや、さあじゃありませんよね!? だいぶ静かですけど今、逆にどうなって――」

 

 そのとき、ふと目に映った。石段の上、本来なら道路から目につく辺りに――そこが神社だとすぐ分かる位置に――あったはずの石鳥居。それがない。いや、それらしきものが今は、砕けて境内に転がっている。

 かすみの背筋に、冷たく震えが走る。 

 

 半ば反射的に駆け出した、そのとき。

かすみの肩を、渦生の手が後ろからつかむ。

「待て!」

 

 振りほどこうとするが、渦生の手にこもる力は強く、できなかった。

「離して下さい、早く――」

 渦生が強く声を上げた。

「だから待て! お前が行ってどうなる、崇春の仕事を増やす気か!」

 

 かすみは動きを止めて、渦生の顔を見た。

 渦生は煙草を捨て、靴でにじり消しながら言う。

「物音はしてた、物音はしてたんだちょっと前まで、怪仏同士で()り合う音がな。勢い余って石鳥居をブッ倒すような戦いのよ。そんなとこへ首を突っ込んでどうなる……お前や、力を使い果たした俺が」

 顔を歪め、消した煙草をにらむように視線を落とす。

「どうにもならねえよ。巻き込まれる的が増えるだけだ、崇春の有利には働かねえ」

 

 かすみは視線をそらせ、唇を噛んだ。

 確かに、確かにそうだ。けれど、それでも――

 

 百見が小さく咳をする。

「とはいえ静か過ぎる、もう戦闘が終わっている可能性もあるでしょう。それで下りてこないのなら、かなり負傷していることも考えられる」

 

 印を結び、小さく真言を唱える。百見のかたわらに、筆を手にした広目天(こうもくてん)の姿が浮かび上がった。

「僕が先に行きます、二人は後を」

 

 おぼろに光をまとう広目天(こうもくてん)を先に立たせ、百見は石段へと向かう。決して走りはせず、周囲をうかがいながら。

 かすみも後に続く。渦生はその横を歩いていたが、血のにじむ脚を引きずるせいか、次第に歩みが遅れた。

 

 石段を上がりながらかすみは目を瞬かせ、境内の奥へ視線を向けるが。やはり暗すぎ、見通せない。辺りには今も、何の物音も聞こえない。虫の声、風の音すら。

 

 石段を上り切る。その先には鳥居が崩れ落ちていた。電柱ほども太さのある石の柱は長く、とても人の力で倒せるようには見えなかった。やはり怪仏が倒したのだろう、おそらくは崇春との戦闘の中で。

 そう考えて、また背筋が震える。

 

 百見に先導され、境内を奥へと進む。それにつれて見えてきた、戦いの爪跡が。

 石灯籠は崩れ落ち、あるいは切断されたかのように二つに分かたれ。石畳には裂かれたような亀裂が走り、あるいは()がれた箇所もあった。

 その先では、頭上を覆っていたであろう木々の枝葉がへし折られ、積もるほどに辺りに散っていた。

 そして。鎮守の森に口を開けた夜空の、月明かりの下。社の近くにその姿は見えた。

 

 崇春。地面の上、大の字に横たわり、身じろぎすらしない崇春。その額から流れ落ち、顔を染めるものは血だろうか。

「崇春、さん……! 大丈夫で――」

 

 駆け寄ろうとしたかすみを、渦生と百見が前後から引き留める。

 その理由は、かすみにもすぐ分かった。

 

 倒れた崇春のそばに、人影が見えた。

 手にした竹刀の先を地につけて、口を開けて立ち尽くす黒田。

 そして。見開かれたその視線の先――崇春の向こう――。

 

 立ち上がる平坂の顔は、月明かりから隠れて。黒い影のように見えた。

 

 



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二ノ巻16話  修羅と仏と

 

 ――かすみたちが到着する、少し前。

 

 地を揺らし木々を揺らし、(やしろ)の柱さえ軋ませて。崇春の剣――石鳥居の柱――は、境内へと打ち下ろされた。

 柱の先が地にめり込んだ、その前には。

 

「あ……ああぁああ、あ……」

 両足を広げ、腰を地につけて震える黒田の姿があった。逃げようとするように体は後ろへ倒され、両手は地面について体を支えていた。取り落とした竹刀は境内の地面に転がっていた。

 

 ――黒田はその竹刀を、柱と打ち合わせることはなかった。

 竹刀にしがみつくようにして目をつむった黒田をかわして、崇春はその目前の(くう)を切り、地を打ったのだった――。

 

 抱えていた柱の下部を、地響きを立てて放り出し。崇春は口を開いた。

「勝負、あったの」

 

 黒田はただ震えていた。その体から光の粒子はすでにかき消えている。

「こんな……こんな、馬鹿、な……」

 唾を飲み込み、続けた。視線をふらふらとさ迷わせながら。

 

 崇春は首をゆっくりと横に振る。

「馬鹿なも糞もないわ。お(んし)と怪仏の力、わしと守護仏の力が対峙し、そして勝負があった。それだけよ」

 

 黒田は何度も目を瞬かせ、つぶやく。

「そんな……そんな、僕の力が、阿修羅が、そんな……」

 

 崇春はまた、首を横に振る。

「お(んし)の力ではない、怪仏の力よ。そもそもそれは――」

 

 そのとき、黒田の背後に影が揺らぐ。影はやがて、六本腕の怪仏の形を取る。しかしその腕の二本は傷つき、残る四本も痩せて見え。どころかその体も細まり。

 小さかった、その阿修羅は。崇春を見下ろすほどだった体躯(たいく)は、今や腰を下ろした黒田と同じぐらいに縮んでいた。

 

 阿修羅は高く声を上げる。泣き出しそうに目の端を下げた、正面の顔は。

「――待てよ、待てよ達己(たつみ)ィィ……」

 左の面も同じ顔で言う。

「――そうだ待てよ、まだ終わっちゃいねぇってェェ、オレとお前の戦いはよォォ……」

 

 黒田は何も言わなかった。座り込んだまま二つの面を見て。それから、目をそらした。

 

 右の面は頬を歪め、牙を剥く。

「――待てよ! 何も終わっちゃいねェェ。確かに奴は強ぇ、けどそれがどうした。敵が強ぇからって終わりにすんのか、何にもしねぇで終わるのか? それでいいのか、だったらよォォ――」

 

 左の面は泣いた。右の面はさらに顔を歪めた。正面は嘲笑(あざわら)って。

 三面は同じ言葉を吐いた。

「――最初から。()ェェ円次のこたぁ、黙って見てりゃあ良かったよなァァ?」

 

 黒田の座る地面の上で、小さく音がした。

 竹刀を放り出していた黒田の手が、土をつかんでいた。地面に深く、爪を立てた跡を残して。その手は今も震え、さらに深く強く、土をかいていた。

 

 震えていた、二つに分けた黒田の髪が。唇を噛みしめ、赤らんだ顔と相まって、どこか獅子舞の動きにも似ていた。

「……!」

 黒田は何も言わなかった、ただ目を見開いて、震えながら。

 両手を地面から離した、土に汚れたままの手で竹刀をつかんだ、それを思い切り振るった――剣道の技術とは程遠い、力任せの動きで――。

 阿修羅へと。

 

「――ぶぐゥゥウ!!?」

 阿修羅の左面から涙の滴が飛び。続いて逆から打たれた、右の面が打撃に歪む。最後に上から打ち落とされた、正面はもう笑ってはいられなかった。

 

「――な……なんっ……」

 それぞれに瞬きを繰り返す三面に黒田は言った。震えに声を(かす)らせながら。

「うっるせぇぇ……! うるせぇ、うるっせぇぇ……!」

 

 唾を吐き飛ばしながら言葉を継ぐ。

「分かってる、分かってんだよンなことはぁぁ! 円次が強くて! どんなに練習しても勝てなくて! でも勝ちたくて! でも勝ちたくて勝てなくてけど勝ちたくて勝てなくてなのに勝ちたくて! 勝てなくて――」

 

 赤らんだ顔の上を流れる涙を、払い飛ばすように頭を振るう。言葉ごと叩きつけようとするかのように。

「――それでも! 黙って見てるなんて、できなかった……だから、お前の力を借りた! それで円次を倒して、けれど……何も、変わりはしなかった」

 

 片手は竹刀を握り、反対側の手で顔を覆った。自分の頭を握り潰そうとするかのように、その手が震える。

 手を放し、泥に汚れたままの顔で言う。

「円次に……勝ちたいままだ。何だよこれ……何なんだよ! ……教えてくれよ」

 

 崇春に向き直る。

「……教えてくれ。たとえば。僕を倒したお前を、円次と互角に戦ったお前を……倒せば、消えるのか……この気持ちは」

 

 崇春は、うなずきはしなかった。首を横に振りもしなかった。

 前へ出た。

「試すがええ」

 黒田の顔を正面から見据え、合掌する。

「試すがええ、避けはせん。わしが倒れるまで、打つがええ」

 

 小さな阿修羅の、左右の面が目を見開く。

「――何ィィ!?」

「――バカな……」

 正面は笑う。

「――いいんだなオイィィ! バカめ、今のうちにやっちまおうぜェェ達己、このバカを――ぶがっ!?」

 その言葉はさえぎられた、黒田が正面へ振るった竹刀の打撃で。

 

「お前は手を出すな。口もだ、阿修羅。――崇春、くん」

 黒田は崇春に向き直る。中段に構え、崇春の目を見る。その視線は構えと同様、貫くように真っ直ぐだった。

「いいんだな」

 

 崇春は強くうなずく。

「おうよ。これも仏法者の菩薩(ぼさつ)道にして、わしの目立ち道……二言はないわい」

 

 黒田もまた、うなずく。

「分かった。……行くぞおおぉぉ!」

 

 打った。面打ち、剣道の正確なフォームでの面打ち。さらに打つ、面を、面、面面面面面。そこから左右の斜めに切り落とす面――剣道の練習で行なわれる【切り返し】の動き――。

 

「いやぁあああああぁああ!」

 そこからさらに面。体当たり気味に突き飛ばし、引きながらの小手、再び向かいながらの面。駆けながら胴を抜き打ち、振り返っては逆の胴を打つ。

 打った、面を、打った、小手を。胴を叩いて突きをくれた。

 

 崇春はかわしもしなかった。ただ合掌し、黒田を見据えた。打撃に裂けた頭から血を流して。体当たりの際顔面同士がぶつかり、吹いた鼻血を垂らして。見据えていた。

 

 どれほど経ったか。打ちに打ち続け、叩きつけて、叩きつけて。

「あぁあ……あぁーーーーっっ!!」

 叫んでの一打を放った後、黒田は力なく。抱きつくように、崇春に寄りかかった。

 

 



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二ノ巻17話  二人の怪仏

 

 寄りかかられ、崇春はその場に膝から崩れ落ちた。ただ、両の掌だけはぴたりと合わせたままだった。

 

 言葉はなかった。そのままの体勢で二人はいた。荒い息と、喉のかすれる音だけが聞こえていた。

 

「なんだよ……これ」

 絞り出すように言ったのは黒田だった。

「なんで、だ、これだけ打って、あれだけ、打ってそれでも……何も、変わりやしない……勝ちたいって想いだけがこびりついて、いや、もやもやと、つかみどころもなく胸に! 頭に! 漂って消えない……なん、なん、だよ」

 

 頭から流れる血が崇春の髪を濡らし、鼻筋の横を流れ落ちる。

「むう……それは――」

 崇春はそう言って、血と汗の染みた目を強くつむる。

「――すまぬ、分からん」

 

「……そう、か」

 黒田が身を起こし、地面の上を後ずさる。竹刀をかたわらに置き、崇春へと深く、頭を下げた。

「そうだな、すまない……こちらこそ、何というか、本当にすまない。君にここまで――」

 

「む? 分からんと言えば、じゃ」

 ふと何か気づいたように、崇春が目を瞬かせ、眉を寄せる。

合掌を解き、目元の血を拭ってから続けた。

「渦生さんをあれほど追い込んだのは、お(んし)一人ではあるまい……渦生さんと戦うて無傷でおれるはずもないからのう」

 神社に向かう途中、炎が輝き爆音が聞こえた。あれほどの大技を使ったのなら、相手が無事で済むわけはない。

 だが、出会ったときの黒田も阿修羅も、攻撃を受けた様子はなかった。それなら渦生は誰と戦ったのか。

 

「それ、は……」

 なぜか焦点の合わない、遠い目をして。黒田は視線を上に向け、何度も目を瞬かせた。まるで、遠い記憶を思い出そうとするかのように。

「それ、は。円次だ、円次の()んだ怪仏……帝釈天(たいしゃくてん)

 

 崇春はさらに眉を寄せる。

「むう? しかし、今回の怪仏騒ぎ、正体はお(んし)なんじゃろう? 何故平坂さんが怪仏を()べる?」

 

 黒田もまた眉根を寄せた。それから何度か目を瞬かせ、思い出したようにつぶやく。

「そう、だ……この力を、もらった時……頼んだ、僕は、円次にも、同じ力をと……あの人に……」

 

「むうっ?」

 崇春は、ずい、と黒田へ顔を寄せる。

「もろうたじゃと? 怪仏の力を。そりゃあ誰にじゃ、いったい誰にもろうたんじゃ!」

 

 黒田は手を片目に当てる。もう片方の目は何度も瞬かせる、口を半ば開けたまま。何かを思い出そうとするように。

「それ……は……」

 

 そのとき。声が降った。

「――バカが」

 二人の上から声が降った、聞き覚えのある声が。阿修羅の声。ただしそれは太く鎮守の森に響いた。黒田に叩きのめされた、小さな阿修羅の声ではなかった。

 崇春が顔を上げた、そのときには。頭上から、巨大な足が踏み下ろされた。まな板ほども面積のある、薄紅色の足が。

 

「むうっ!?」

 踏みつけられ、地面に(はりつけ)にされた格好で崇春は見た。自身の倍ほどもある、巨大な阿修羅を。

 そしてそれが、六本の腕で。踏みつけられた崇春へ、掌打を叩きつけてくるのを。

 

「――チャハハハーっ! ()ねっ、【修羅俎上撃(しゅらそじょうげき)】ィィ!」

 土砂降りのように繰り出される巨大な掌打を――自らの足に当たらぬようにか、爪での刺突でこそなかったが――、幾度も食らう。避けようもなく踏み止められ、衝撃の逃げ場のない、地面を背にした状態で。打ちつける(てのひら)と、打ちつけられる背後の地面――二重の衝撃。それはいわば、掌打による爆撃。

 

「ご……お、あ、あ……」

 打撃の雨が()んだとき。崇春は踏みつけられたまま、(うめ)き声を上げていた。わずかに震え、もはや焦点の合わない目を、空へ向けたまま。

 

 どうにか身を引いていた、黒田が口を開く。

「な……阿修、羅、何を……」

竹刀を杖に立ち上がり、続ける。

「何をやってる、やめろ! もういい、もういいんだ! そんなことをしても――」

 

阿修羅が振り向き、正面の顔を黒田に向ける。

「――もういい、だァァ?」

 右の面が言葉を継ぐ。

「――何がだ! 続けようぜ、いたぶり尽くせよ憎いこいつを! お前はどうだか知らねえが……(たぎ)ってきたぜオレの(ごう)はァァ!」

 左の面が言葉を吐く。

「――それによう、達己(たつみ)ィィ……あのお方のことはナイショだ、そうだろう? そんなことも忘れたてめぇにゃあ……お()置きが必要だなァァ!」

 阿修羅は崇春から足を離し、黒田へと腕を伸ばす。

 

「くっ……!?」

 黒田は竹刀を構え、その腕を振り払おうとするが。振るった竹刀は、阿修羅の腕を通り抜けた。(だいだい)色に薄く光る、粒子と化した阿修羅の体を。

 

 阿修羅の声が聞こえた。

「――オレは業、お前の業、そして積もった人の業! 特定の者への『敵愾心(てきがいしん)』、それがオレとお前の業! オマエはすでに『阿修羅王』なりィィ!」

 粒子の群れは渦を巻き、竹刀を、腕を駆け上り。たちまち黒田の体を取り巻き。その身の内へと()み込むように、消えた。

 

「……」

 竹刀の先を地に下ろし、黒田は宙を見つめていたが。ひと瞬きした後のその目は、(だいだい)色の光を宿していた。

「僕は……僕、は……」

 阿修羅の声が続けて響く。

「――お前は阿修羅王……お前は、オレだ」

 その身からは(だいだい)色の粒子が立ち昇り。震える唇は二種類の声を(つむ)ぐ。

「僕は……お前……」

「――そうだァァ、お前は阿修羅王。争いの(おさ)にして『敵愾心(てきがいしん)』の怪仏。だったらどうする、誰に向ける。煮え(たぎ)るその業をォォ!」

 

 瞬く黒田の瞳が、倒れたままの――さすがに打撃に耐えかねたか、今や、ぴくりとも動かず。そのまぶたは閉じられていた――崇春を映す。

 

 切先を地につけたままの竹刀を、握り直そうとしたそのとき。

 

「みっともねェ」

 つぶやく声が聞こえた。平坂円次の。

 円次は立っていた。顔をうつむけ、月明かりから隠れ、影のように。

 

 



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二ノ巻18話  欲するものは

 

「な……に……」

 つぶやく黒田――あるいは阿修羅――に、平坂円次は続けて言った。

「みっともねェ。そう言ったンだ、黒田」

 

 黒田はそのまま、口を開けて円次を見ていたが。すぐに表情を歪める。阿修羅の声で答えた。

「――フン、倒れた奴に攻撃するのが卑怯だってかァァ? そんなもん――」

 

 円次は表情を変えずに言う。

「ンなもん、いくらでもやりゃあいい。倒れる奴が悪ィんだよ……オレが言ってンのはそんなことじゃねェ」

 黒田の、いや阿修羅の、(だいだい)色に光る目を見据えた。

「そんなワケ分かンねェもんくっつけてよ。何を強くなった気になってンだ」

 

 黒田は目を瞬かせていたが。すぐに笑った、甲高い阿修羅の声で。

「――チャハハハハっ! 何を、何を言ってやがる! オレに、このオレにブッ倒された奴がっ! 面白ェェぜ、なァァにを偉そうに!」

 

 円次の鋭い目が、ぴくりと動いた。舌打ちをし、それから再び口を開く。

「ああ、確かに――」

 

 そのとき。

「――待てい!」

円次の言葉をさえぎるように、低く重い声が響いた。木立の陰から。

「――ええい、待てい! 勝負は未だついておらぬはず、阿修羅よ……この怪仏・帝釈天(たいしゃくてん)とのな!」

 木陰からのっそりと現れたのは、古代中国風の鎧をまとった偉丈夫。ただしその全身は、先ほど戦った渦生の炎に黒く焦がされたままだった。高く結い上げた髪すら、ちりちりと焦げ(ちぢ)れている。

 

 黒田は、阿修羅は何も言わず、口だけ開けてそちらを見た後。

 鼻息を盛大に吹き出し、身を折り曲げて笑った。

「――ブハ、チャーッハハハハハッ! 誰かと、誰かと思えばてめぇかよォォ! オレが出てきたときにゃあもうブッ倒されてた、真っ黒お焦げの固まりさんじゃあないっスかァァ!」

 

 黒く焦げた(ひげ)を震わせ、帝釈天(たいしゃくてん)(うな)る。

「――ぐぬぬぬぬ……ええい、言わせておけば! 我とて、我とてあの明王と戦った直後でなければ! いや、連戦にせよ、あの明王に不覚さえ取っておらねば……!」

 

 阿修羅は耳に片手を当てて、帝釈天へ向けてみせる。

「――はァァ? お前が強けりゃ連戦でも勝ててたってかァァ? ほんじゃあ結局、お前が悪いんじゃないんですかねェェ? ですよね(いくさ)の神様、『戦い』の怪仏さんよォォ?」

 

 帝釈天は全身をわななかせ、そのせいで(すす)が辺りに舞った。

「――ぐぬ、ごののののののの……! 言わせておけばぁ……! だいたい、だいたいじゃなあ! 貴様が――」

 そこで円次へ向き直り、指を差してにらむ。

「――貴様が我が力、受け入れてさえおれば! あの明王にもこ奴にも、不覚を取ることなぞなかったのだ! 聞いておるのか、平坂円次よ! 今からでも遅くはない、我が力受け取れい!」

 片手の短双剣がわずかに電光を放ち、その表面の焦げを弾き落とす。

「――さあ、この独鈷(ヴァジュラ)を取るがよい、さすれば我が(いかずち)と武力、ことごとく貴様のものぞ! そうして共に倒そうではないか、あの面憎(つらにく)き阿修羅をな!」

 

 円次は答える。黒田に目を据えたまま。

「てめェこそ話聞いてンのか。いらねェっつってンだろ、ンなみっともねェもんよ」

 

「――な……!?」

 帝釈天の顔がこわばり、頬から焦げが小さく剥げ落ちる。

 

 視線をぶらすことなく円次は言う。

「てめェはオレじゃねェ。てめェの力はオレの力じゃねェ。当たり前のこったろうが。それが分かってねェから、あんなみっともねェことになる……犬のエサみてェに投げ与えられた力ではしゃいだり、好きなだけ打てとか言われて打ってみたりよ」

 うつむいて、つぶやくように続けた。

「まあ、さすがにあいつも分かってはきたか」

 

 円次の視線の先に回りこむように、帝釈天が身を乗り出してきた。

「――いや待て、待て待て待て! 考えても、考えてもみよ! 今や、あ奴は怪仏! 

怪仏を倒すには怪仏の力が要るのだぞ! だから、な? 我のだな、力をだなぁ……」

 

 円次は細い眉を寄せ、いら立たしげに帝釈天をにらむ。

「いらねっつってンだろ。くれるっつうンならほれ、刀だけよこせや」

「――え? あ、じゃあ……はい。我の『力』を……」

 おずおずと短双剣を差し出す帝釈天。

 間髪入れず、円次の手がそれをはたき落とす。頬を引きつらせて叫んだ。

「いらねェっつってンだろ脳ミソねェのかてめェは! 頭空っぽの方が夢詰め込めるタイプかてめェは! いいか、聞けや」

 

 帝釈天の結った髪をつかみ、鼻と鼻とがぶつかりそうな距離まで顔を寄せて。歯を剥いて、一語一語を噛み砕くように言った。

「オレが欲しいのは、よ。『力』じゃねェ、ンなもん自前のがあンだよ。鍛えたオレの力と技が。オレが欲しいのは『刀』だ、怪仏に通じる刀。それだけだ」

 

 そのままの体勢で、帝釈天は口を開け閉めする。空気の足りない金魚のように。

「――な……え、や……、でも、我としては……その」

「あ?」

 円次が頬を引きつらせる。

「――あ! いやっ、はい! すんません、した……」

 帝釈天は慌てたように視線をそらせ、消え入りそうな声でそう言った。

 

 



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二ノ巻19話(前編)  刀の柄に

 

 目の前で繰り広げられる光景に、かすみは目を瞬かせていた。

「えー、と……」

 何か分からないが、凄んでいる、生身の人間が怪仏に。凄まれている、怪仏の方が。そちらを指差しながら百見の方を見る。

「何なんですかね、あれ……、って」

 

 百見は。合掌していた、その光景を前に。

「『業』、すなわち『煩悩(ぼんのう)』そのものたる怪仏を、人間が(ぎょ)している……なんと仏教的な光景だ……!」

 渦生も同じく合掌していた。

「ああ……スゲェな、あいつ……」

 

「……って、やってる場合ですかーーーっ!」

 どうすべきかは分からない。分からないが、拝んでいる場合でないことだけはよく分かった。

 というか。はたから見れば、すがりつく仏様をむげに扱う高校生という、わけの分からない図なのだが。

 百見と渦生を交互に見ながら言う。

「とにかく、とにかく崇春さんをですね、安全な場所に――」

 

 かすみの言葉が終わるより早く、黒田――阿修羅――は動いていた。

「――ふん、何だか()らねぇが。怪仏の力、使わねぇなら好都合よォォ! ()ねやァァ!」

 振りかざす竹刀の周囲から、(だいだい)色の熱波が吹き上がる。

 振り下ろされたその先からほとばしる熱気を、円次は横に跳んで――帝釈天もどうにか、反対側に跳んで――かわした。

 しかし、阿修羅はさらに竹刀を振るう。

 

「ちっ」

 円次はなおも足を継ぎ、跳んで身をかわすが。

 かわした先、着地点へ向けて振るわれていた。さらなる一撃、輝く粒子の刃が。

「ぐうっ……!」

 円次が腕を掲げ、どうにか防御しようとしたそのとき。

 

「【広目一筆(こうもくいっぴつ)】!」

 その前の空間に、打ち立てるように力強く、墨の跡が――巨大な筆を振るったような跡が――現れる。見る間にそれは横へ払われ、押し込むように止めた跡をつけた。

 空間に書かれた一の字に、粒子の刃がぶち当たり。互いが黒い、あるいは(だいだい)色の飛沫(しぶき)を残してかき消えた。

 

 百見が、手にした万年筆をくるり、と回す。そのかたわらには筆と巻物を手にした四天王、『広目天(こうもくてん)』の姿があった。

「さて。そこまでだ怪仏・阿修羅よ。大人しく彼の体を明け渡すがいい、さもなくば僕が封じてくれる」

 唇の端にわずかに笑みを浮かべ、続ける。

「とはいえ、だ。明け渡さなかったとしても封じるわけだが。選ぶといい、大人しく封じられるか。痛い目を見てから――」

 

「おい」

 さえぎるように円次が言った、百見に向かって。ただし、目は阿修羅を見据えたまま。

「待てよ……助けられといてすまねェが。約束と、違うンじゃねェか」

 

「……」

百見は何も言わず、眼鏡を押し上げて円次を見返す。

 

 かすみはひそかに唾を飲み込む。

 確かに、約束はした。今日一晩、この神社には近づかないと。

 だが、それを承知でかすみたちは来たのだ。たとえ約束を破ってでも、怪仏事件を解決しようと。怪仏の正体――平坂がそうだと思い込んでいたが――自身さえ、無事のまま終わらせようと。

 それをどうにか説明しようと、かすみが口を開きかけたとき。

 

「谷﨑さん」

 眼鏡に指を当てたまま、百見がそう言った。

「は、はい」

「そういえば説明していなかったね、君を呼んだ理由を……君にしか頼めないことだ」

 

 かすみは目を瞬かせる。

 理由も何も、最初はジャガイモの調理に呼ばれたはずだ。いや、それは建前で、結局は崇春を――平坂との約束を破って――動かすために呼ばれたのだったか。だが、それ以外にも理由があるのか? 

 疑問には思いつつも。妙な話、胸に熱いものが来る。

――こんな私、戦う力のない私でも、頼りにしてくれていたんだ。私にしかできないことなんて、何なのかは分からないけれど――。

 

 百見は円次を指差しつつ、阿修羅の方へと向き直る。

「僕が戦う、その間に! 平坂さんに謝っておいてくれ!」

「……へ?」

 百見は印を結び、広目天が筆を構える。そうしながらも続けて言う。

「ええい、君は分からんのか! 約束を破ったのは事実だし、謝る必要はある。そして――この現代に差別的との(そし)りを受けるかも知れないが、現実問題として――、女の子に謝られた方が、向こうだって責めにくいはず!」

「……は?」

 

 口を開けたかすみに構わず、眼鏡を押し上げて百見は続ける。

「往々にしてそういうものさ、思春期の男子とはね。君にしか頼めない……賀来さんの語彙力(ごいりょく)では上手く謝れないか、余計なことを言ってややこしくなるはず……いや、そもそも謝ってくれるかが怪しい」

 

 なるほど、だから呼ばなかったのか。調理の手が要るときに、料理が得意な賀来を。理屈としては一応納得できる。それに、平坂に謝る必要がある、それも分かる。誰がやるかとなると、戦えないかすみしかいない、それもそうだ。まあ、そのとおりだ。

が。

 

 円次を指差し、百見を見ながら。かすみは言った。

「本人の前で言わないで下さーーーい!! 今から謝る相手の前で! めっちゃめちゃ失礼じゃないですか、絶対怒られますよこれ! あとひどい、賀来さんにも!」

 

 円次は口を開けたまま、目を瞬かせていたが。

 やがて息をこぼし、肩を揺らせた。

「ふ、はは……何だそれ、何なんだてめェら……なめてンのか」

 そう言いながらも鼻から息をこぼし、笑っていた。

 

「あ……その」

 とにかく。かすみは深く、ひざより下に頭を下げて、礼をした。

「本当に、その。すみませんでした。ただ、本当に必要だと思ったから、私たちは――」

 

「……いや、もういい。頭上げてくれ」

 苦笑いしてそう言った後。平坂が不意に表情を消す。

「ああ、別にいいさ。お前らはそれでいい、けどよ。……オレもしたはずだ、約束なら。――てめェらが約束を破るのはいい、けど。オレは嘘はつかねェ主義だ、勝手に嘘つきにしねェでくれるか」

 

 確かに円次は言っていた、怪仏の力――黒田の怪仏を指していたのか――は、明日崇春らに差し出すと。

――『約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる』――

 かすみは口を開く。

「けど、それは――」

 



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二ノ巻19話(後編)

 

 そのとき。かたわらの地面で、土を擦るような音がした。

「なるほど、のう……確かに言うとった。(おとこ)(おとこ)の約束……」

 崇春。渦生に手を借り、苦しげに顔を歪めながら、どうにか身を起こしていた。そして、かたわらの地面に落ちていたものを拾い上げる。

 それは木刀。円次のものだろうそれは、渦生と戦ったときにそうなったか、半分ほどから先は焼け落ちていた。

 

 震える手でそれを差し出す。円次へ、柄の方を向けて。

「そう、『刀の柄に()けて』……じゃったかのう」

 円次はうなずき、柄を握る。

「ああ、刀の柄に()けて。……約束、守らせてくれねェか」

 崇春は円次の視線を、受け止めるように見返す。

 うなずき、そして目を閉じた。同時、力が抜けたように倒れかけ、渦生が慌てて支える。

 

 阿修羅が地を踏み、高い声を上げた。

「――ええい、何をゴチャゴチャと! オレを無視してんじゃねェェぞてめえらァァ!」

 

 聞いて。吹き出す様に息をつき、円次は笑った。

 

 阿修羅が顔を歪める。

「――な! 何がおかしいんだてめェェ!」

 

 円次はなおも、笑顔で言った。

「いや? 嬉しかったンだ」

 不意に真顔になり、続ける。

「嬉しいンだよ、お前がそんなで。正々堂々ッつーの? わざわざ、待っててくれたンだよな……話が終わるまで。さっきもそうだった、渦生さんとそこの怪仏が戦った後も。不意討ちなんかはしなかった、名乗りを上げてから向かってきた。だよなあ――黒田」

 

 阿修羅の――黒田の――表情が固まる。

「――な……」

 

 その目を見据えて円次は言う。決してにらむのではなく、黒田の目の奥へと、視線を投げかけるような目をして。

「なあ、お前はずっとそうだよな。曲がったとこなんか全然ねェ……剣だってそりゃ、小せェ頃から無理やりやらされてるオレのが(つえ)ェ、それが当たり前なのに。お前は『不甲斐無い、不甲斐無い』ってよ……自分ばかり、真っ直ぐ責める」

 

 どこか寂しげに眉を寄せ、視線を落として続ける。

「昔から……お前はそうだった、急に剣道始めるって、友達だからって、ンでオレより強くなりたいって、オレも引くほど練習してよ……」

 そこで再び、黒田の目を見た。唇の端を吊り上げ、笑う。

「だからよ。てめェにゃ負けたくねェンだ。いや――勝ちたい、お前に」

 

「――な……あ……」

 力ない手、中途半端に開かれた手で円次を指差し。黒田は――阿修羅は――目を瞬かせていた。

「――そんな、そんなはずがねえだろがァァ! 勝ちたいのはこいつだ、てめえになんぞ見向きもされてねぇこいつだァァ!」

 開いた手を無理やり握り締め、胸を叩く。

「――それがこいつの業、オレの業! てめえを焼き尽くす執念の炎だァァァ!」

 

 表情を消して円次は言う。

「黙れ。オレが黒田と話してンだろうが……間に入ってくっちゃべってンじゃねェ」

 木刀を構え、阿修羅へと真っ直ぐに向ける。剣道の、中段の構え。

「まあ、これ以上御託(ごたく)はいらねェか。……行くぜ」

 言ったその時には。円次はすでに足を踏み出していた――左足が音を立てて地を蹴り、的に向かう矢の速度で、木刀が真っ直ぐに突き出される。黒田の喉へと。

 

 生身の人間が食らえば危険極まりない急所、そこへまともにぶち当たったにも関わらず。黒田は――阿修羅は――(うめ)いたのみで、すぐに体勢を立て直した。

「――があ……っ!」

 顔を歪めながらも振るう竹刀の、先から灼熱の粒子が飛ぶ。

 

「ちッ……!」

 その場を跳び退いた円次の眼前に、しかし粒子の刃が追いつく。それは円次の顔面を、容赦なく切り裂くかと思えたが。

 射程の外だったか――あるいは体勢の崩れたまま、とっさに繰り出したせいだったか――、円次の髪を揺らしたのみで、霧のように消えていった。

 

 百見が声を上げる。

「無茶だ……分かるでしょう、平坂さん。怪仏に()る攻撃以外は、怪仏にはほとんど通らない。怪仏に取り込まれた、今の黒田さんも同様だ。気持ちは理解できますが――」

 

 黒田に視線を据えたままで円次は言う。

「分かった、つまり。わずかには通じるってンだろ」

 構えを変える。左手左足を前に出しつつ木刀を斜めに寝かせた、剣道にはない構え。

「一本取れりゃいいンだ、たったそれだけ……一本ってのは致命打、命を(おびや)かすほどの一撃。そして剣の使い手に取っちゃ、木刀は真剣と同じく凶器」

 

 足をにじり寄せ、間合いを詰めつつ言う。

「わずかでも通じるンなら、十本。あるいは二十本。むしろ好都合だ、本来の『一本』――命を奪える攻撃――の手前まで。食らわせればいいだけだ……一本も受けずによ」

 

 言う間にも動いた、竹刀の間合いに入った。反応した阿修羅が竹刀を振り上げ、打ち下ろす。

円次はそれをかわしざま、空いた胴を()ぎつつ駆け抜けた。つぶやく。

「今ので――二つ目」

 

「――ぐ……」

 呻く阿修羅が振り向くより早く、その背後で構え直し。さらに打つ、面を、一撃、二撃。

「三つ。四つ」

 

 しかしそれも、阿修羅にとっての致命打とはならず。

「――ちィィ! しつけェェ!」

 阿修羅は縦横(じゅうおう)に竹刀を振るった。その先から(ほとばし)る熱閃が、何の抵抗もなく木刀を切り裂く――ついでに、その先にいた帝釈天の尻を焦がし、悲鳴を上げさせた――。

 

 円次は表情も変えず身を転がし、大木の陰に隠れる。

 

 阿修羅は唇の両端を吊り上げ、笑う。

「――上手く隠れたつもりかァァ? そんなところでよォォ」

 竹刀を上段に掲げた、そのとき。その背後にゆらりと、熱気を帯びた粒子が立ち昇る。それは束ねられるかのように幾本かの帯状に固まり、さらに密度を増し。形作った、四本の腕を。

 その腕が――黒田のものと合わせて六本の腕が――、竹刀を握り締める。

「――かァァァァ! 【修羅烈剣閃(しゅられっけんせん)】!!」

 放たれた(だいだい)色の粒子は波を――いや、もはや一つの刃を形成していた。向かっていく大木の幹、その半分ほども身幅(みはば)のある巨大な刀、波打つ刃紋すら備えた刀の。

 (だいだい)の大剣は堅く切り裂く音を立て、枝葉を揺らし。大木を縦に、根元近くまで両断する。

 

 その脇から円次は飛び出す。金属の触れ合う音を、重く響かせる武器を手に。

「悪ィな、借りるぜ」

 錫杖。崇春が落としていたそれを手に、阿修羅へと駆ける。

 

 阿修羅は両腕を振り下ろしたままだった、竹刀を引き上げるには遅かった。

 じゃりん、と金輪を鳴らしながら、金銅色の錫杖の先が、阿修羅の喉へと突き込まれる。

「五つ――」

 円次はさらに錫杖を振り上げ、追撃を繰り出そうとしたが。

 

「――ちィィ……調子こいてんじゃねェェ!」

 阿修羅の腕――黒田の腕ではない、その肩から伸びた、粒子に形作られた四本の腕――、その二本が錫杖を押さえ、もう二本が円次の腕をつかみ。黒田の腕が振り上げる竹刀が、円次の体を打った。

 

「がッ……!」

 円次は顔を歪めたが、その体に傷はなかった。

 阿修羅が言う。

「――ふん、悪運の強ぇ奴め……大技の後だ、力を込められてなかったか。だがなァァ……」

 竹刀から再び(だいだい)色の粒子が昇る。四本の腕は今も、円次の武器と腕を捕らえている。

 阿修羅は、竹刀を上段へと構えた。

「――さあ、今度こそ。()ねェェェェッ!」

 

 



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二ノ巻20話  刀

 

 輝く粒子の立ち昇る竹刀が、天を差して動きを止める。今にもそれが振り下ろされようというそのとき。

 

「平坂さん!」

 ――かすみは叫んでいた。

 ――渦生は二人の方へ駆け出していたが、間に合いそうにもない。

 ――百見の操る広目天が筆を(ふる)い、波のように墨が阿修羅へと向かったが。これも、間に合うかは分からない。

「ぐ……」

 ――倒れていた崇春が(うめ)いて目を開ける。()ってでも向かおうとするかのように、手を伸ばし地面をかいたが。到底(とうてい)間に合うわけはない。

 

 阿修羅の両手に力がこもる。

「――【修羅縛剣閃(しゅらばくけんせん)】……んんん?」

 つぶやいた阿修羅の動きが止まる。

 

 背後から組みついていた、振り上げた阿修羅の両腕に。髪も(ひげ)も、先ほど尻も、焦がされた帝釈天が。

「――おのれ阿修羅め、これ以上は我の面目が立たぬわ。好きにはさせぬぞ……!」

 

 阿修羅の顔が歪む。

「――ふん、死に(ぞこ)ないが余計なことをォォ。伝承上なら帝釈天(てめえ)阿修羅(オレ)に勝つんだろうがなァァ、怪仏は神でも仏でもねェェ。ただの積もった人の業……業の(ふけ)ぇ方が勝つんだよォォ!」

 阿修羅の――輝く粒子が形作った――腕が、つかんでいた円次の両腕を離す。そして、二本の腕を後ろに振るい、何度も帝釈天へひじ打ちを入れる。

 

 帝釈天の顔が歪む。さらには間の悪いことに、百見の放った墨の波まで、その背に打ち当たった――あるいは、気づいた阿修羅が帝釈天を盾に使った――。

「――がぁっ……」

 (うめ)いた帝釈天の手から、短双剣――独鈷杵(どっこしょ)――が落ちる。

 歯を食いしばりながら声を上げる。

「――平坂、円次よ……頼む、取れ、我が力、を……」

 その声がかすれ、消えていくと同時。帝釈天も独鈷杵(どっこしょ)も、その輪郭を揺らがせ。小さく火花を上げる、わずかな電光となって消えていった。

 

 阿修羅が声を上げる。

「――チャハハハハァァ、いいザマだァァ! 何が伝承だ、そんなもんひっくり返してやったぜェェ! この調子で――」

 阿修羅は両の拳を――黒田の拳を――握り、歯を剥いて笑う。その身から燃えるように、(だいだい)色の粒子が立ち昇る。

「――どいつも! こいつも! 群がる敵をブッ倒して! オレの最強を証明してやらァァ! まずはてめえ、そしてそいつら――」

 目を血走らせて崇春たちをにらむ。口の端からだらだらと、(よだれ)をこぼしながら続けた。

「――そんで、そんで次の敵だァァ! どいつもこいつもオレの敵だァァ! 男も女も、向かってくる奴も逃げる奴も! ヘソの尾も切れてねぇ赤子も、臨終間際の年寄も! 一人一人ブッ殺して! オレが最強と思い知らせてやらァァッハァァ――が、ぶふゥゥ!?」

 

 高く上げたその言葉の端は。物理的にさえぎられた。阿修羅の手に離され、自ら尺杖を手放し。自由となった、円次の拳で。

「――な……」

 

「あ?」

 つぶやいた円次の目は、もはや何をも映していなかった。針のようにすぼまるその瞳孔が、突き刺すように黒田へ――阿修羅へ――向けられていた。

 頬が引きつり、引き裂けそうに震えながら引きつり。叩きつけるような、押さえ切れぬような言葉を放つ。

「あ? あぁ? あぁぁもっかい言ってみろやてめェその口で!」

 再び、殴る。さらに殴る。怪仏相手にほとんど利きはしないはず、しかし殴る。

「もう一回、もう一回でも言ってみろや黒田(そいつ)の口でよ! 言わせやしねェ、そんなことはさせねェ、黒田(そいつ)はオレが――」

 

 円次の口がさらに何か言おうとしたとき。阿修羅が六本の腕で、再び竹刀を構えたそのとき。渦生が駆け、百見が次の墨を放とうとするが、間に合わないであろうそのとき――

 

 吹きつけるように霧が立った。独鈷杵(どっこしょ)の消えたその辺りから。

揺らぐそれはしかし、切りつけるように鋭く波を打って、握り締めた円次の手へと(つど)っていく。いや、拳ではなくその先、親指の側から上へ。腕一本ほどの長さに。差し込んでいた月明かりを、斬るように鋭く反射しながら。

 

 今や、それは円次の手にあった。

 円次の手は流れるようにそれを操り――その動きが体にしみついているかのように、千回、万回と幾度となく繰り返した動きであるかのように――、振り下ろされる阿修羅の竹刀を受け流す。

 金属の震える響きを辺りに残しながら、円次は跳び退き間合いを取る。月明かりに、両の手で持ったそれをかざした。

 

 凍るような色の刃鉄(はがね)に、薄靄(うすもや)にも似た(にえ)――細かな粒子――が躍る。それが集って刀身の上、騒ぐ波のような、いや、爪を立てて裂いたような、(はげ)しい刃紋を描き出す。

 刀。月の光の下に曲線を描き、夜を裂くかのような刀が円次の手にあった。見る者にすら鉄の重みを想像させる、存在感を持って。

 楕円(だえん)に近い形の(つば)は黒く、握りの邪魔にならない小振りなもの。柄には黒く毛羽立った、革の柄巻(つかまき)が巻かれている。

 

「こいつは――」

 つぶやく円次の真後ろから、低い声が上がった。

「――()れは貴様の望むもの。()れば(おれ)は何もすまい」

 その怪仏はそこにいた。

 頭は大振りな――古代中国風の――(かぶと)に隠れ、顔もまたその目庇(まびさし)――額の上部に、日除けのように突き出した部分――の陰で見えない。体は広目天と同じく、やはり中国風の鎧――青く彩色されたもの――に包まれていた。

 ただ、その背丈は寸分(たが)わず円次と同じで。体格もまた、円次が甲冑(かっちゅう)を身につければそれぐらいだっただろう。

 

 百見が眼鏡をかけ直しながら身を乗り出す。

「あれは、まさか――」

 

 怪仏は低い声を――円次が声を低めたような、そんな声を――上げた。

「――(おれ)持国天(じこくてん)(あまね)四方(よも)(つかさど)りし四天王が一、東方の守護者。……然様(さよう)なことはどうでも()い」

 

 腰に差していた黒い(さや)――鞘のみだ、中身はない――を抜き取り、円次へと(ほう)った。

 円次がそれをつかむのを見て、持国天(じこくてん)は続ける。

「――(おれ)は貴様の業、人の積もった業などでなく、貴様一人の弱き業。故に何の力も無い、人智を越えた力など、何も。貴様と同じく」

 言って、背を向け、歩み出す。誰もいない方へ、去るように。

「――しかし、貴様の望むものは分かる。我が【持国天剣(じこくてんけん)】、何の力もない真剣。礼は不要、好きに使え」

 

 



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二ノ巻21話  比良坂心到流(ひらさかしんとうりゅう)

 

 円次は値踏みをするように、刀と持国天の背を見る。

「……言わねェんだな。『帰依(きえ)しろ』だのよ」

 歩みを止めず持国天が答える。

「――(おれ)は貴様。貴様が貴様に帰依(きえ)しよ、とでも?」

 

 円次は手にした武器の刀身を眺め、打ち返し眺め、具合を確かめるように軽く振って。切先を鞘の口につけると、流れるような動作で音もなく納刀(のうとう)した。

 その鞘を道着の帯へと差し込む。(つば)が体の真ん中に来るほどに、刀全体が前へ突き出した位置。

 唇の端を吊り上げ、笑った。

「ありがたいね、仏のくせに日本刀とは。折れず曲がらずよく斬れる。最高じゃねェか」

 持国天は離れた所で立ち止まり、振り向く。腕組みをして近くの木にもたれた。

「――鋼としては折れにくく、鉄としては曲がりにくく。刃物としては()く斬れる。それだけぞ」

 円次はなおも唇を吊り上げる。

「最高だ」

 

 阿修羅が声を上げた。

「――チィィ、何をゴチャゴチャと! 何だか知らんが、手出ししねえんなら好都合よ! まずは平坂、てめえを――」

 六本の腕が頭上に掲げられ、竹刀を上段に構える――

――ことは、できなかった。

 

 踏み込んだ、円次の刃がもうそこにあった。抜き放たれつつ逆袈裟(ぎゃくげさ)に――向かって左下から斜め上に――、斬り上げた刀が。輝く粒子の阿修羅の腕、向かって左下のそれを、根元から斬り裂いて。

 表情もなく円次がつぶやく。

「六つ」

 

「――……え?」

 言われてようやく、阿修羅の目がそちらを向く。裂かれた腕がこぼれる火の粉のようにかき消え、そこに刀があることを初めて認識したように目が見開かれる。

「――なっ、てめェェ!」

 残る手が竹刀を握り、振り下ろす――その動作より先に、円次は身を(ひるがえ)していた。

 

 右斜め前へと踏み込み。今まで自分がいた場所に、竹刀が振り下ろされるのを横目に。自らの振り下ろす袈裟斬(けさぎ)りは、相手の腕を上から(とら)え。向かって右上のそれを斬り飛ばす。その腕もまたかき消えた。

「七つ――八つ」

 言う間にも手を返し、刃を阿修羅の腕の下、腹へ、ひたり、とつける。かき斬るようにそのまま、相手の向こうへと駆けた――手を緩めて刃を離したはずだ、そうでなければ内臓(はらわた)がこぼれ落ちている――。ただ、胴の辺りから立ち昇っていた粒子だけが、斬り払われて舞っていた。まるで、吹き出る血のように。

 

 円次は駆けた先で間合いを取り、向き直る。刀を額の上に掲げた。血を払うように剣を振るい、切先を鞘の口に沿わせて。刀を横に倒し、流れるように納刀する。

 口の端を吊り上げてつぶやく。

「悪くねェ」

 右手を柄、左手を鞘に添えたままわずかに姿勢を低める。おそらくは全身のバネを利かせて、いつでも斬りかかれる体勢。

 表情を消し、阿修羅の目を見据える。

「さて。やってみろよ、さっき言ったことをよ。無理だって教えてやるからよ」

 

「――な、ァ、ァ……」

 阿修羅は口を開けたまま、その場で身じろぎもしなかったが。

 不意に何かに気づいたように、目を瞬かせる。歯を剥くと、(あざけ)るように、にたり、と笑った。

「――なるほどなァァ。居合とやら、確かに速ェェ。だが、こいつはどうだ!」

 肩口から粒子が吹き上がり、再び腕を形成する。六本の腕が竹刀を握り、上段から振り下ろす。竹刀が粒子に輝く他は、何の変哲もない面打ち。

 

 円次は表情も変えず刀を抜き、しかし打ちはしなかった。

 (たい)をかわして半身になりつつ、額の上へと刀を掲げる。受け止めるために構えるのではなく、抜いたままの形で。すなわち相手の斬撃を、斜め下へと受け流す形。

 刀身に震えだけを残し、的を外された竹刀が外へと滑る。その隙に円次は両手で柄を握り、手を返して阿修羅へ振るう。その肩口、輝く粒子でできた腕の根へと。

 

 が。阿修羅もまた動いていた。竹刀をいなされて体勢は崩れ、反撃は不可能のはずだった。事実、その動きは反撃ではなかった。

突き出していた、首を。円次の斬撃の先へ。

 

「ぐッ!?」

 びくり、と震えて円次の手が止まる。刃が阿修羅の――黒田の――首へと当たる、その寸前で。

 

 阿修羅は目尻を緩ませ、あごを上げ。刃の下で、むしろ見下ろすように笑ってみせた。

「――オイオイどうした、ご自慢の居合は。勝負を決める大チャンスだったじゃねえかよォォ」

 ぐい、とさらに首を突き出し、動きを止めた刃に自ら押しつける。

「――どうしたよ、斬ってみせろよ、この首をよォォ。イヤだキャー、ヤメてェェ! 

ボクの首を斬らないで円次ィィ!」

 歯茎(はぐき)まで見せつけて笑い、甲高い裏声を上げてみせた。

 

 見ていたかすみの頬が引きつる。

「な……!」

 なんてことを言い出すのか、どこまで卑怯なのか。そう思い、知らず拳を握り締める。

 

 が。

 円次の表情は変わらなかった。いや、表情は消えていた。小波(さざなみ)一つない湖面のように。何の変化もない能面のように。ただじっと月を映す、刀身のように。

 無言のまま手をひるがえし、刀を黒田の首から離す。音も立てずに刀を寝かせ、納刀した。

 溜めを作っていたひざを、わずかに丸めていた背を伸ばした。決して姿勢を正したのでなく、ただ自然に伸ばした。手を柄から、鞘から離して垂らした。わずかにうつむけた顔が月明かりから隠れる。

 全身にバネを利かせ、力をみなぎらせていた先ほどとはまるで違って。全てを放り出してしまったかのような、何の力もない姿だった。

 

 阿修羅がのどを鳴らして笑う。体から吹き上がる粒子がそれにつれて揺らいだ。

「――ククク、チャハハハ! お利口だなオイ、あきらめやがったか! なァァにが居合だ、なァァにが刀だ! そんなもんでオレと立ち合おうなんざ――」

 

 円次が斬撃を繰り出す、それはかすみにも見えた。

 見えなかったのは。円次がいつ柄を、鞘を握ったのか。いつ刀を抜いたのか。

 気がつけば幻のように、白く光る陽炎(かげろう)のように、刀がそこへ抜き打たれていた。阿修羅の脇腹へ、横一文字に。

 

 それは黒田の身につけた道着に吸いつけられたかのように。ひたり、と当たるかどうかの位置で止まり。

 かと思う間に振りかぶられた、円次の頭上、額の上に拳を寄せる格好で。

 振り下ろされるそれは、阿修羅の頭上、黒田の髪に触れた位置で。やはり吸いつけられたように止まる。その勢いに黒田の髪が、押し退けられるようになびき。立ち昇る粒子は、斬り分けられたかのように左右へ吹き飛ぶ。

 

 つぶやく円次の声が聞こえた。

「さっきが九つ、(とう)と十一。【直刃(すぐは)】」

 

「――あ……?」

 阿修羅がつぶやく間、しかし身動きもできない間に。円次は再び刀を振り上げ、斜めに(たい)をかわしつつ振り下ろす。刀は阿修羅の肩口の寸前で止められていた。その刃に、またも輝く粒子が散る。

「十二、【(かすみ)打ち】」

 

「――なあっ……!」

 ようやく阿修羅が表情を変え、身を引きつつ竹刀を体の前に構えるが。

 それにぴたり、とついていくように円次もまた身を寄せる。剣先は竹刀をかわし、みぞおちへと突きつける。

水月(すいげつ)空いたり……十三」

 

「――ぐ……おォォっ!」

 顔を歪ませた阿修羅が、六本の腕で竹刀を握る。円次へ真っ向から振り下ろした。

 円次は左手を柄から放し、刀身の真ん中より先、刀の峰に添えた。阿修羅の斬撃を両手で受け止めつつ、(たい)を斜め前に移して衝撃を受け流す。

 同時。刀身を支える左手を押し込み、切先を相手の首筋――その刃の内に頚動脈(けいどうみゃく)(とら)える位置――に押し当てる。そこまでで動きを止めた。

「十四、【地蔵困(じぞうこま)り】」

 

「――ぬ……!」

 阿修羅が竹刀を払い、刀を押し退けようとする、その動きを読んでいたかのように。

 円次は身を沈ませ、刀身をひるがえしつつ。阿修羅の空いた脇の下をくぐる。かついだ刃を、その脇へと押し当てながら。

「十五、【脇(ぬぐ)い】」

 そのまま駆け抜け、間合いを取って向き直る。納刀した。

 

「――な……あ……?」

 小さく震えていた阿修羅は、思い出したように歯を噛み締める。

「――何をしてやがる、いや、なんで何もしねェェ……そうか」

 阿修羅は笑うが。その頬は震え、引きつっていた。

「――何にもできねぇんだな、大事なお友達を斬れねぇもんなァァ……そうか、そうだな、チャハ、ハ……」

 笑い声は乾き、震える奥歯の鳴る音さえ聞こえた。

 

「そうだ」

 変わらぬ表情、力の無い姿勢のまま円次はつぶやく。

「そうだよ、斬れねェよ、友達だからよ。そンで――」

 

 駆け出す、それは横で見ているかすみにも見えた。左下から斜めに斬り上げる斬撃が、阿修羅の胴の寸前で止められた、それも見えた。いつ柄を握りいつ抜いたのか、それが見えなかった――おそらくは、斬りつけられる阿修羅にも。

「十六――」

 

 手を返し、振り上げる刀が月明かりを反射して(きら)めく。その刃は流れるように、やや右斜めから打ち込む面打ちの形で振るわれ。阿修羅の頭上で止まった。その剣勢に、立ち昇っていた粒子が吹き飛ばされる。

 と見る間に刀は振り上げられ、今度は左斜めからの袈裟斬(けさぎ)りに、肩口へと打ち込まれて止まり。

「十七、十八――」

 さらに振るう刀は右斜めから胴を裂く、その寸前で引き止められて。左真横へひるがえり、横一文字に腹をかっさばく、その寸前でやはりぴたりと止まる。

 

「――あ、あ……」

 阿修羅が身動きもできぬうち、唇だけを震わすうち。

 

 円次は両手で柄を握り、大上段に刀を振りかぶる。

「かあああぁッ!!」

 体重の全てを乗せ、叩き斬る一撃が。黒田の頭を断ち割るまさに寸前で、止められていた。

 しかしその剣勢だけが、阿修羅を二つに裂いたかのように。黒田の体から上がる粒子の群れが、左右に斬り分けられて。火の粉のように散って消えた。

 

 刃を向けたそのままの姿勢で、円次は震えながら息を吐く。長く。

「……今ので、二十一……比良坂心到流(ひらさかしんとうりゅう)居合兵道(いあいへいどう)奥伝(おうでん)、【捲来(まく)り】」

 

 阿修羅は動かなかった。震えさえしなかった。目を見開いて瞬きもせず、立像(りゅうぞう)のように固まっていた。

もはやその体は輝く粒子もまとってはおらず、その粒子が形作っていた腕も消えていた。ただその目だけがわずかに、(だいだい)色の光をたたえていた。くすぶり消えかけた火のように。

「――……あ……ぉ……ぁ……」

 

 円次は刀を引き、ゆっくりと納刀する。

「二十一本。確かに取った……二十一回、てめェは死んだ。言っといてやる――」

 再び柄に手をかけながら、ささやく。

「黒田の奴だってなァ、オレが十本取る間に一本は取り返すンだよ。だがよ、てめェは……オレに一本しか取ってねェ。二十一本取られといてよ」

 

 ずい、と顔を寄せ、黒田の目の奥、阿修羅をにらむ。

「黒田はなァ。てめェよりかずっっと強ェんだよ! クソ弱ェ雑魚がいつまでも取り憑いてンじゃねェ、黒田の邪魔してンじゃねェ! 出てけッ!」

 

 その語気に押し出されたかのように。

「――ひ……ィィいいっ!?」

 黒田の瞳から(だいだい)色の輝きが消える。同時、その体から、同じ輝きを持った粒子の一群(ひとむ)れが宙へ漏れ出る。

 

 (つど)って阿修羅の三面を形作りかけたそれを。

 無言で抜き放つ、円次の刀が斬り裂いた。

 

 



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二ノ巻22話  三人目の四天王

 二つに裂かれた粒子の群れが形を崩し、闇に消え去ろうとしたそのとき。何かがそれを、まとめてさらった。

 

「【神筆写仏(しんぴつしゃぶつ)】!」

 広目天(こうもくてん)。百見の操る守護仏の筆が、橙色の粒子を拭うように捕らえ、筆に滴る墨の中に納めた。

 さらにはそれを縦横(じゅうおう)に振るい、描きつける――側にあった木、黒田が斬り倒した、首ほどもある太さの木の幹に。二組の手を広げ、一組の手で合掌した阿修羅の姿を。

 

 抜き身の刀を手にしたままの円次が――おそらく何事か分からぬまま――、眉根を寄せて百見に目を向ける。

 

 顔だけ向けて視線は合わさず、百見は言った。

「怪仏・阿修羅、これにて封じた。……僕らは戦闘者ではない、ましてや復讐者でも。あくまでも仏法者だ……与えるのは死ではなく、救いであるべき。故に封じた」

 

 かすみはつぶやく。

「でも……いいんですか」

 百見はゆっくりとかぶりを振る。

「誰が指図(さしず)できるのかな、『卵を呑むのをやめろ』と蛇に。誰が言えるんだい、『鹿や兎を狩るな』と獅子に? 怪仏は積もった人の業、絡み絡まる因果(いんが)(かたまり)。『歪むべく存在してしまった、それ故に歪んだ』それだけの存在。……害悪ではあれど、その責を彼ら自身に問うことが正しいとは思えない」

 息をついて続ける。

「まあ、具体的に何を以て救いとすべきか、現段階では分からない。とにかく今は封じておく、そういうことさ」

 

 円次がつぶやく。

「よくは、分からねェが。黒田はもう無事、それで、いいンだな」

 百見はうなずく。

「ええ、もちろん」

「そう、か……」

 言うなり、円次の手から刀が落ちた。金属音が地面の上で小さく響く中、円次は崩れるようにひざをつき、前へ倒れた。

 

「平坂さん!」

 かすみは駆け寄る。

 円次は震え続けていた。特に、刀を握っていたその手は、決して何も持てそうにないほど激しく。

「だ、大丈夫ですか!」

 かすみがしゃがみ込んで身を寄せると。

 地に額をつけ、きつくつむった目の端から涙がこぼれるのが見えた。

「大丈夫……ですか?」

 遠慮がちにかすみは声をかけたが。

 

「大丈夫なワケあるかボケッ!」

 倒れたままそちらに顔を向け、円次が唾を飛ばしながら叫んだ。

 再びつむった目の端から涙が流れ落ちる。

「あああ大丈夫じゃねェ、大丈夫じゃねェよ当たり前だ、黒田を斬るとこだったンだぞ一歩間違えりゃ! あいつをこの手でよ、二十一回も! 殺しちまうとこだったンだぞバカ!」

 額を地につけ、未だおこりのように震える両手で頭を抱える。

「ああああもうヤだ、もうヤだぞオレは何が刀だバカ、もうヤだ、もーーーヤだぞ、一生刀なんか握らねェからなバカ! バーカバーカやってられっかもう!」

 ばたばたと、泳ぐように円次の足が地面を叩く。

 

 それを見て。

「……ふ……っ」

 かすみの肺から、息が漏れた。

「……ふ、くふ……っ」

 止めようとは思う、思うが肩は震え、しびれるように胸も震え。

「ははっ……あははははは!」

 手を一つ叩き、背を丸め。笑っていた。

 

「……あ?」

 眉根を寄せて――額を土に、顔を涙と鼻水に汚したまま――円次が顔を向ける。

 かすみは自分の目から涙を拭い、円次の目を見る。

 真顔になり、突きつけるように円次を指差す。

「平坂さん!」

「……な、何だよ」

 真顔のままかすみは続ける。

「今の平坂さんが。……今日一番、カッコいいです」

 

 円次は何も言わなかった。口を開けたまま、顔も拭わず瞬きしていた。

やがてつぶやく。

「…………バカにされてんのか、オレは」

 かすみは首を横へ何度も振る。

「違いますよ、ホントに素敵ですって!」

 

 なんだか、嬉しかった。嬉しかったのだ、かすみは。

 友を斬らなかったことに安堵する平坂の姿が。全てを投げ出すほど脱力したその姿が。

 終わって全てを投げ出す必要があるほど、全ての力を使って。全ての神経を集中させて。それほど、友を想って闘ったのだ――敵への怒りではなく。もし怒りが勝っているなら、百見が封じたことにも納得はしなかっただろう。

 

 あれほどの闘いを、敵を斬るためではなく。友を守るためにやり遂げたのだ、この人は。

 

 かすみは微笑んだ。

「最高です、先輩は」

 

「……やっぱり、バカにしてんだろ……」

 顔をしかめながら身を起こす円次。

そこへ歩み寄ってきたのは、青い鎧をまとった者。四天王・持国天(じこくてん)と名乗る怪仏。

「――見事だった」

 円次はわずかに笑い、視線をそらし。刀を拾うと道着の裾で刀身を拭い、鞘に納めた。

「……助かった。返せばいいのか、その、手入れもできてねェが」

 刀を受け取ると、口の端で笑い。持国天はもう一度言った。

「――見事」

 

「――うむ、まったく見事よ」

 太い声がその隣で応じる。

 見れば。黒焦げのままの怪仏――帝釈天(たいしゃくてん)――が、腕組みをしてしきりにうなずいていた。

「――ふ……さすがはこの我が見込んだ男。天晴(あっぱ)れな(いくさ)ぶりよなあ」

 あごに伸びる(ひげ)を――ちりちりと焦げたままのそれを――、なでながら続ける。

「――まあ、これほどの男を見込める我もさすがと言うべきよな! くっはっははは!」

 

「……えー、と……」

 かすみは目を瞬かせ、無意識に帝釈天を指差していた。

 なんだか、よくは知らないが。確か百見の攻撃を受けて倒されていなかったか、この怪仏は。

 

 視線に気づいたのか、帝釈天が真顔で答える。

「――何やら、我がおることが不可思議な様子だが。確かにあの攻撃は受けた、されど何もおかしくはないわ。言葉を残しながら、ちょっと光って消えてみただけぞ」

「ちょっと光って消えてみたって何ですかーーーーーっっ!!」

 思わず腹から声を上げたかすみだったが。

 

 百見が声をかけてくる。

「谷﨑さん。ご歓談中のところすまないが、黒田さんの方を見てやってくれないか」

 見れば、黒田は倒れていたが。震えながらも、自力で身を起こしているところだった。

 かすみが立ち上がり、そちらへ駆け出した次の瞬間。

 

 百見が万年筆を突き出し、広目天が筆を(ふる)う。

 荒波と化した墨は持国天へと殺到し、しかしすんでのところで身をかわされる。

 代わりに、その横にいた帝釈天が波に呑まれた。

「――ぎゃああああああ!?」

 断末魔を残し、帝釈天は墨の中に光って消えた。

 

 百見は舌打ちし、わずかに眉を寄せていた。

「外したか」

 再び万年筆を掲げ、持国天へと突き出す。広目天の筆先も同じ方向を指していた。

 

「探したよ、持国天。東方の守護者にして僕や崇春の守護仏と同じ、四天王の一尊。急で申し訳ないが――、その存在、ここで封じる」

 眼鏡を押し上げる、その手の向こうの顔は。いささかの笑みもなく、何の感情も見て取れなかった。

 

 



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二ノ巻23話  三天、相討つ

 

「え……?」

 かすみは目を瞬かせ、百見が印を結ぶのを見ていた。

 なぜかその光景はゆっくりとした動きに見えた、水の中であるかのように、あるいは処理落ちした映像のように。脳がその光景を、映すのを拒んでいるかのように。

 それでも時は進み、その光景は動きを止めない。

 

「オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ。龍蛇(ナーガ)の首領にして水神たる広目天(こうもくてん)よ、今こそ示せその力。駆けよ……【墨龍撃屠(ぼくりゅうげきと)】!」

 

 広目天は筆を大胆に(ふる)い、あるいは細やかに走らせ、空間に黒く描いた。蛇のように長い体をくねらせ、牙を剥いた龍の()を。

 描き上げたそれが、むくり、と、雲が起こるように立体となって身をよじらせる。

 実体となった墨の龍は瞬き一つ、長い舌で口を湿すと、百見の指す方へ飛び出した。持国天へ向かって、牙の並ぶ口を大きく開けて。

 

「――!」

 持国天は身をかわした。が、龍は大きく身をくねらせ、再びその身へと向かう。

「――くっ……!」

 腰に差した刀をとっさに抜く。噛み締める牙と刃がぶつかり、甲高い音と火花を上げた。

 

 倒れたままの円次が瞬きする。

「おい……なんだよこりゃ……」

 

 かすみは百見へと声を上げた。

「ちょ、何……何やってるんですか!!」

 おかしかった、全てはもう終わったはずだ。なのになぜ攻撃なんて、しかも味方してくれた方に。

 

 だいたいそうだ、四天王というなら仲間ではないのか? 前にも言っていたはずだ、怪仏事件の解決と並行して探しに来たと。四天王の残り二尊、東方の守護者『持国天(じこくてん)』と、北方の守護者『多聞天(たもんてん)』、またの名を『毘沙門天(びしゃもんてん)』。

 それが見つかったのに、なぜ? 

 

「まさか……」

 ふと思いついて、かすみの顔から体温が引く。

 探していたというのは、仲間にするためではなく。

 倒すために、探していた? 

 

 思う間にも広目天は筆を揮い、新たな龍を空間に描く。その龍が大きく口を開けた。「受けよ、【墨龍瀑吐(ぼくりゅうばくと)】!」

 龍の口から炎のように、黒く墨が吐き出される。それはうねる波となって、持国天へと向かっていった。

 

「待って……待って下さい!」

 かすみの叫びも届かないかのように、百見の表情は変わらない。

 黒い波は飛沫(しぶき)を上げて、龍ともつれ合う持国天の背へと向かっていく。

 かすみが目をつむりかけた、瞬間。

 

「ぐ……オン・ビロダキシャ・ウン!」

 絞り出すような声と共に、地面に低く響く音がした。

 見れば。崇春が伏したまま、花の開くような印を結び。それを地面に叩きつけていた。

「【芽立(がりゅう)……増長《ぞうちょう》】!」

 その震動が地を伝って、地面を隆起させたかのように。黒い波が向かう先、持国天のいる手前の地面で。まばらに生えていた草が、ざわり、と音を立て、見る間に茎を伸ばし葉を広げる。一塊の茂みとなったそれが、壁のように立ちはだかる。さらには辺りの木々も枝葉を伸ばし、横から上からその壁を支える。ぼこり、と地を割る音を立て、太い根もその身を曲げて盾となった。

 打ち辺り砕ける水音を立て、枝葉を散らし。黒い水流もまた、飛沫となって散った。

 

「な……崇春! 君は何をやってるんだ!」

 顔を歪めて百見が言った。

 崇春は地面に手をつき、震えながら身を起こす。

「何も、糞もあるかい……争う必要などないはずじゃ」

「そうじゃない!」

 叫ぶと崇春の方に駆け、その前にしゃがみ込む。真っ直ぐ目を見て言った。

「なぜ使った、その力!」

 

 ――え? 

 かすみは目を瞬かせた。

 何かおかしい、というか、明らかに論点が違う。

 崇春は――かすみも――百見が持国天を攻撃したことを批難した。なのに百見は、崇春が力を使ったこと自体を批難した。攻撃を妨害してきたことではなく。

 

 どういうことか考える間もなく、百見が崇春の胸ぐらをつかむ。

「以前使ったときは仕方なかった、三階から叩きつけられるよりましだった! だが今回は――」

 

 崇春は百見の手をつかむ。引きはがそうとするのではなく、ただ、そえるように。

「今回も大したことじゃ。友が、友を倒そうとしておる。それを止める、こんな大事なことがあるかい。つまりはのう……」

 百見の手を取ったまま、震えながらひざに手をつき、立ち上がる。

 

 大きく息を吸い込み、胸を張り、境内に声を響かせた。

「わしらぁもう皆、親友(マブダチ)じゃと! そういうことじゃい! ……それに見い、平坂さんとて友と戦いながら、友を傷つけることはなかった。結局わしらの助けもなく、の。それを、わしらが傷つけてどうするんじゃい」

 

 ――つまり、どういうことなのだ。

 救いを、あるいは説明を求めるように、かすみは渦生の方を見たが。

 渦生は腕を組み、何か考えるような顔をしたまま、顔をそむけた。

 

 崇春と共に立ち上がっていた百見は目をつむった。肩を落とし、長く長く息をついた。

 持国天に未だ絡みつく、墨の龍の姿がかき消えた。広目天と、もう一体の龍も同様だった。

「……分かった」

 目をつむったまま、平坂へ頭を下げる。

「……平坂さん、突然申し訳なかった。今回の件については後日改めて謝罪し、説明させていただきたい。今はそれより……互いの親友の、手当てが必要なようだ」

 

「――……」

 持国天は何も言わず、手にした刀と共にかき消えた。

 円次もまた何も言わず、眉根を寄せて百見を見ていたが。立ち上がると黒田のそばへ行き、揺り起こす。

 黒田は指を震わせ、すぐに目を開けた。

 

 崇春が一つ手を叩く。

「おぅし! 今度もこれで、一件落着じゃあ! がっはっはっはっは!」

 腰に手を当て、背をそらせ、天へと笑い声を響かせた。

 

 かすみは何も言わず、目を瞬かせて。辺りの光景を、ぼうっと見ていた。

 折れた枝葉、斬り倒された木。崩れた鳥居と石灯篭。砕けた石畳。ようやく立ち上がろうとしている黒田と平坂、眼鏡に手を当て、うつむいた百見。顔をそむけたままの渦生。決して全てを照らしはしない、(やしろ)の薄明かり。一人、朗らかに笑う崇春。

 

 思わず、小さく握った手を胸に当てる。胸騒ぎがした。本当にこれは、解決だろうか。あるいは、新たな事件の――

 

 そう思っているかすみの肩に、誰かが、ぽん、と手を載せる。大きな手。

 その人物は太く声を上げた。黒く焦げた(ひげ)を揺らして。

「――何、案ずるでない娘御(むすめご)よ。お前たちが力を合わせれば、必ずや何事も乗り越えられようぞ。此度(こたび)の試練のようにな」

「……いや、誰なんですか!?」

 

 帝釈天。先ほど広目天の攻撃を受け、ちょっと光って消えた怪仏が再びそこにいた。

 髭をなでながら満足げに笑う。

「――ふむ、それにしても頼もしき仲間たちよな、四天王とは。伝承上は帝釈天(この我)の配下なだけあることよ」

 

 たちまち渦生が声を上げる。

「てめえまだいやがったか! 百見、こいつも封じとけ!」

 百見も顔を上げ、うなずく。

「確かに、こっちの方が先決ですね――」

「――え、えぇ!? ちょ、待っ、我は何も――」

 百見が印を結び、真言(しんごん)を唱えかけたとき。

 

 遠く、サイレンの音が聞こえた。警察か消防か――あるいは、この場所での騒ぎが通報されたのだろうか。

 

 渦生が大きく舌打ちする。

「クソが、撤収するぞ全員! 見つかると面倒だ、忘れ物はすんなよ!」

 言いながら自ら率先し、猛烈な速さで駆け出した――確か、脚を怪我していたはずだったが――。

 

 平坂が黒田に肩を貸しつつ、竹刀袋や木刀の類を拾い、石段の方へ急ぐ。百見が錫杖を拾い、帝釈天がちょっと光って姿を消す中。

 

 崇春が再び印を結び、地面にそれを叩きつける。

「オン・ビロダキシャ・ウン……! 南贍部洲(なんせんぶしゅう)護王(ごおう)たる増長天(ぞうちょうてん)の名において深く謝す……還り給え、【還元供養(かんげんくよう)】」

 

 それは以前も見た光景、怪仏・閻摩天(えんまてん)を倒した後に。

 今回もそれと同じく、まるで時が戻るように。割れた石畳は引かれ合うようにくっついてそのひび跡さえ残さず、倒れた鳥居や灯篭は浮かびか上がって組み合わさり、本来あった位置に還る。

 だが、戻らないものもあった。打ち落とされた枝葉、黒田に斬られていた木。

 

 崇春は印を結ぶ手を再び掲げ――百見が止めようとしてか手を伸ばすが、届きはしない――、地面を叩く。

「還らぬものはせめて、新たな芽吹きを……【芽立増長(がりゅうぞうちょう)】!」

 それはわずかな変化だった、何も起こらないかにすら思えた。ただ、目をこらせば。

 折れ、斬られた枝や幹から。小さく新たな芽が、頭をもたげていた。

そして、先ほど不自然に伸びた枝葉は、役目を終えたように枯れ落ち。元あった程度の大きさ、長さに――余分な分が枯れ落ちただけだ、完全に同じ形ではないが――なっていた。

 

 百見が強く顔をしかめる。

「君はまた……!」

 崇春は取り合わずに走り、百見とかすみの背を叩く。

「これで一件落着じゃあ、走らんかい!」

 

 駆けつけた人たちが何の異常もない境内を――枝葉が散乱してはいるが――見て何と思うだろうか、それは分からないが。

 とにかくかすみたちは駆け。その夜はそれで(しま)いとなった。



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二ノ巻24話  賀来留美子はいろいろ言いたい

 

 翌日、教室で。

 賀来(がらい)留美子は机に片手でほおづえを突き、思いっきり頬を膨らませていた。かすみたちからそっぽを向いて。

「ほーーん、で? そーんな面白いことがあったのに、この我は仲間外れかーぁ。ふーーーん、へーーぇ」

 

 かすみは苦く笑って言った。崇春や百見が何か言って、ややこしくなる前に。

「いや、面白いとかじゃないですからね? 石灯篭真っ二つにして石畳とか叩き割るような戦いですよ、めちゃくちゃ危険――」

 銀髪混じりのツインテールを震わせ、食らいつくように賀来が顔を向ける。

「何それ超見たい! 超絶見たいではないか、くぅぅ……人智を越えた魔力と召喚術飛び交う戦いかぁ、はぁぁ~いい、いいなぁ何とも空想的かつ麗しい光景であったろうなぁ……」

 うっとりと視線を宙に向けつつ両手でほおづえを突き、机の下でばたばたと足を動かす賀来には悪いが。実際はよく分からない怪仏――帝釈天――が尻を焦がされたり、結局平坂が剣術で打ち勝ったりしたのだった。

 

 気を使ってか、珍しく斉藤逸人(そると)が口を開く。

「ウス……まあ、仕方ない、と思うス……そんな戦いじゃ、何の力もないオレたちが、いても……迷惑になる、ス」

 

 賀来は意外そうに目を見開いたが。すぐに、浴びせかけるように笑ってみせる。

「そんなことを言うものではない。斉藤くんがいれば、どんな戦いだって大丈夫であろう。な?」

「ウ、ス……」

 目をそらした斉藤に向け、さらに畳みかける。身につけたコロンの香りが届くくらいに体を寄せて。

「だから、だな? 次にそうしたことがあれば、我らも絶対呼んでもらおうではないか! な、そうしよ、それがいい! ほらどうだ、斉藤くんもそう言っているのだぞ、な?」

 勝手に斉藤の同意を得たことにして、崇春の方を見て言った。

 

 腕を組んだ崇春は苦い顔をしていた。昨日は血を流すほどの怪我をして倒れていたはずだが、今はそのような跡もなく、絆創膏(ばんそうこう)の一つも貼ってはいない。

「むう……しかしじゃ、今回の戦いも危ういところじゃった……平坂さんの力がなければどうなったことか。もしも二人が来ちょったとして、守り切れたかどうか――」

 

 賀来はそこで笑ってみせる。

「何を言っておる、貴様と斉藤くんがおるのだぞ? どんな敵からでも守ってくれるに決まっておろうが。それこそ、貴様の言うところの『目立つ』というものではないか」

 

 崇春は強く拳を握り、足音を立てて床を踏む。

「おうよ! まったくそのとおりじゃい、どんな時でも誰が相手でも、目立って目立って目立ちまくったるんじゃい!」

 

 かすみは密かに息をついた。

 どうやら、いつもの雰囲気に戻ってきた。本当はそれでも、多くの疑問が残っているが――

 

 そう思う間に賀来が言う。

「そうだ! それでも心配だというのなら……我らも守護仏? とやらを得ればよいのではないか!」

 かすみの、斉藤の、崇春の顔をくるくるとのぞき込みながら賀来は続ける。

「な、そうであろう、よくは知らぬがきっと格好よい――」

 

 だん、と重い音を立てて机が叩かれた。無言の百見の手によって。

 賀来は動きを止め、それからかすみたちに目をやり、ちらりと百見の表情をうかがって。決まり悪げに、姿勢を正した。

 

 しばらく誰も何も言わなかったが。やがて百見が口を開く。

「……あまり軽々しく言わないでほしい。斉藤くんの例を近くで見ただろう……怪仏は業を持つ者の望みを叶えるように見えて、その者を取り込んでしまう。あるいはその者の心すら、望みすら歪ませて。――話してはいなかったが、僕らの使う守護仏も本質的には怪仏と同じ。例外的に制御することができているだけだ」

 

 上目遣いに賀来が言う。

「ではだな、その例外というのにだな――」

 努めて無表情に――表情を消そうとしていると分かる程度には、感情をあらわに――、百見は賀来をにらむ。

「例外は例外、どうにもできるものじゃあない。……この話はここまでだ」

 

 しばらく誰もが黙っていた後、崇春がなだめるように言う。

「ガーライルよ、そうは言うがの。怪仏とはすなわち(ごう)。業とは執着であり煩悩(ぼんのう)……多くの人のそうしたもんが積もり積もって、形と力を持ってしもうたのがすなわち怪仏。そのようなもん、持たぬ方がよほど上等よ」

 

 なぜだろう。その言葉を向けられたわけでもない百見が、不意に崇春から顔を背けた。見ていられないとでもいった風に。眉の端を下げ、わずかに唇を噛んで。

 

 賀来はそれでも、不満げに口をすぼめる。

「んー……そうは言ってもだな、やっぱりあった方が格好よいではないか。な、かすみもそう思うであろう?」

「え」

 

 急に話を振られて答えに詰まる。

 考えたことはなかったが、言われてみればどうだろう。

 確かに、その力があった方が。悔しい思いはしなくて済むのではないか。崇春たちだけを危険な目に遭わせることも。守られるばかりで、何もできないなんてこともなくて済むのではないか。だったら――

 

 賀来が言葉を継いで、そちらに注意が向いたことで。かすみの思考は中断された。

「それにだな、平坂だって、何? 四天王とやらを使ったのだろう、それなら――」

 

 そうだ、それこそ問題だ。

 なぜ平坂の持国天を封じようとしたのか? それに崇春はともかく、渦生は何も言わなかった。つまり渦生も容認するだけの理由が? 

 

 その思考はまたも中断された。百見が不機嫌げに、机を指で叩く音で。

 かぶりを振って息をついて、それからしばらく――感情を整えようとするみたいに――間を空けて。百見はやっと口を開く。いつもと変わらぬ表情で。

「まったく……しょうがない人だね、カラベラ嬢。その話は終わりだと言ったはずだが。……とにかく、平坂さんの方だって。いつまでも怪仏を持っていてもらうつもりはないさ、いつ取り込まれないとも限らない。説明して封じさせてもらうつもりだよ」

 

 嘘だ。

 いや、今は言葉どおりのつもりでいるのかも知れないが。昨日は奇襲をかけてまで封じようとしていた。有無を言わさずに。

 それほどまでして封じなければいけない理由でもあるのか、持国天を? 何の力もない、と持国天自身は言っていたが。

 いや、あるいは。探しているといったのは『四天王の残り二尊』――なら。もう一尊、『毘沙門天』も封じるということか? なぜ? 

 

 かすみが考え込んでいたとき、不意に斉藤が口を開く。

「ウス……自分なんかが、言うことでもない、スけど……危険ス、からね……怪仏(あれ)は」

 賀来は横目で斉藤を見、視線をうつむける。さすがに黙った。

 同じようにうつむき、斉藤は言った。

「それに……大丈夫、スかね……平坂さんたち」

 

 思考をいったん脇に置いてかすみは言う。

「まあ、大きな怪我はないみたいでしたけど。でも平坂さんは一度、倒れるぐらい攻撃されたんでしたっけ……」

 直接見てはいないが、渦生の説明によればそうだ。渦生と帝釈天との戦いの後、現れた黒田――阿修羅――に、渦生も平坂も襲われた。

 

 顔をうつむけて斉藤は言う。

「それも、スけど……なんて言うか、自分たちのときは、どうにか……だったスけど……」

 

 斉藤はそれきり黙ってしまったが。言いたいことは分かった。

 斉藤と賀来のときは、ちゃんと和解することができた。二人の間でも、かすみたちとも。

 それができるのだろうか、平坂と黒田の間で。一度は倒されてしまうほどに、その力を向けられた相手と。

 

 百見は小さくうなずく。

「確かに、それは懸念(けねん)される問題だね。だが、それもまず当人たちの――」

 

 その声の合間に。廊下から、聞き覚えのある声が聞こえた。

「ヤだ! ぜってーヤだからなオレはマジで!」

「えー、行くって言ったじゃん円次!」

 平坂と、黒田の声だった。

 

 やがて廊下を歩いてくる二人が見えた。かすみたちには気づいていないのか、互いを見ながら言う。

「ヤだって、やっぱヤだからもうぜってー行かねェからオレ! ヤだ、ヤだヤだヤだヤだ!」

 反対側へ歩き去ろうとする平坂の腕を黒田がつかむ。足を踏ん張って引っ張った。

「待ってよ、行くって言ったじゃないかあの子たちのとこ! 一緒に来てくれる、って言っただろ! ……じゃいいよ、僕一人で謝ってくるよ。けど――」

 不意に真顔になり、低い声を作って続ける。

「『オレは嘘はつかねェ主義だ』――だっけ」

 円次が鼻の奥で息を詰まらせ、豚の鳴き声みたいな音が上がった。

「ンなっ……」

 

 黒田は真顔のままで言う。

「嘘は言わないんだろ、だったら言ったとおりついて来てよ。なにせ『オレァ嘘ァつかねェ主義だ』だろ?」

 

「な、お前、あんとき聞いて――あ」

 食いかかるように黒田に顔を寄せていた平坂だったが。初めてこちらに気づいたように、かすみと目が合った。

 

「…………」

「…………」

 互いに無言の時間が過ぎた後で。

「……ンだよ、何か文句でも――」

 平坂が眉根を寄せ、かすみたちを見回しながらにらんでくる中。

「本当にすみませんでした!!」

 黒田は腰より低く頭を下げ、謝っていた。

 

 平坂が声を上げる。

「今言うなよ! アホみてェじゃねェかオレが!」

 黒田は頭を上げずなおも声を張る。

「本当に、本当にすみませんでした!!」

「聞けよ!」

「申し訳ないです、お詫びのしようも――」

「だから聞けェ!」

 

 悲鳴のような平坂の声が響いた後。

 どうにか、かすみは口を開いた。

「えー……と……。とにかく、謝罪にいらした、ということでいいです?」

 何か言いかけた平坂を手で制し、黒田が再び頭を下げる。

「ええ、なんと言うか……本当に、我ながら不甲斐無い……申し訳ありませんでした。特に崇春くんには、何とお詫びしていいか……」

 

 崇春は歯を見せて笑う。

「なあに、気にせんこっちゃ! わしなら大丈夫じゃし、他に被害が出たわけでもないけぇのう!」

 渦生は怪我をしていたようだが。それを差し引けば、壊れた物も崇春の力で直ったわけだし、被害はないと考えてもいいのかもしれなかった。

 

 気がすすまないながら、かすみは口を開く。

「その、それはいいとしても……あの、お二人の間での……」

 周りに被害はないと考えてもいい、ただし。

渦生の他に、平坂自身が怪我をさせられていたはずだ。そのことも含めてどう決着をつけるべきなのか。それは先ほど、かすみたちが懸念していたことでもあった。

 

 平坂が言う。

「あーそれな。その話なら終わった終わった。なんもねェよ」

「……え?」

 

 円次は肩をすくめてみせる。

「別に、こいつはオレを殺しかけたのかもしれねェが……オレだって何度も殺しそうになったし。つーか、オレがもしもこいつだったら。多分同じことやってた」

「え……」

 

 平坂は緩く息をつき、笑う。粗く波打つ髪をもみしだくようにかいて、照れたように。

「なんかよ、嬉しいンだ。そンぐらいこいつが、剣のこと大事に、想っててくれたってよ」

 

「そうなん……ですか」

 分からない。正直全然分からない、が。

 きっとそれは、百見が言ったように。当人たちの問題なのだろう。そして当人たちが問題ないのなら。きっと、それでいいのだろう。

 

 かすみの口から緩く息が漏れる。肩から同じく力が抜けた。

 それならまあ、とりあえずは――

 

「一件落着とは、まだいかんの」

 言ったのは腕組みをした崇春だった。

「昨日はともかくあれでよかったわけじゃが。やはり、どうしても気になるわい――」

 黒田に向き直り、言葉を継ぐ。

「昨日も聞いたが。怪仏の力、どこで手に入れたんじゃ。お(んし)は言うたはず、怪仏の力は人からもろうたと。そしてその者に頼んだ、平坂さんにも同じ力を……と」

 

 黒田の目を、そして平坂の目を見、続けた。

「お(んし)らに怪仏を授けたという者……いったい、何者なんじゃ」

 



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二ノ巻エピローグ  大暗黒天は活動する

 

 東条紫苑(とうじょうしおん)の手の上で、揺らいでは消える数々の怪仏の姿は。昼下がりの日差しの中にあって、なおいっそう黒かった。

 彼はそこにいた、身を隠すほどに丈の高い、草むらの中に一人立って。

 白い手袋に覆われた、その手の上では。黒いもやの中、昨日の情景が映し出されていた。怪仏・阿修羅からの視点の、境内での戦いが。

 

「ふうん……黒田達己(たつみ)。妙な望みを持つとは思っていたが――」

 まったく、妙な望みだった。平坂円次に勝ちたい、そのための力が欲しい、それは分かるが。

 卑怯となることがないよう、平坂にも同じ力――怪仏の力――を与えて欲しい、などと。

 

 喉を鳴らして紫苑(しおん)は笑う。

「いや、相性は良かったのかも知れないな……『正義を(つかさど)る神仏』とも語られる、阿修羅王とは」

 現に、伝承上は敗北しているはずの帝釈天には――先の明王との戦いで消耗している上、平坂がその力を求めなかったため、真の力を発揮していないとはいえ――、勝利している。

 

 怪仏は神でも仏でもない――そもそも神や仏など、存在したことがあるのか? 東条紫苑(とうじょうしおん)なら、否と答える――、とはいえ。

 怪仏は伝承に影響される。多少の差はあれど、確実に。業と因果の塊たる怪仏の、それは避けえぬ業だった。

 

 それを越えて勝利した、阿修羅は帝釈天に。

 いや――それ自体はどうでもいい。黒田が望みを叶えようと、敗北しようとどうでも。紫苑が怪仏の力を与えたという記憶すら、彼らには残らぬようにしてある――与えた力が失われたときには――。

 

 紫苑は身を折り曲げた――その体は制服ではなく、上下同色の衣服に包まれている。どんな身体操作にも適しているであろう簡素なもの、しかしそれは、彼のためにあつらえられたかのように自然に体を覆っている――。

 肩が揺れる、喉の奥から声が漏れる。押さえ切れない笑い声が。

 

「くくく……ははは! よくやった、よくやったぞ黒田達己……いや、平坂円次!」

 

 そうだ、因果に引かれてか、あるいはそれを越えてか。

 帝釈天を拒んだ平坂の前には現れた。帝釈天からこぼれ落ちた、平坂自身の業を素として。

 伝承上、帝釈天直属の部下たる四天王。その一尊たる持国天が。

 

「ふふ、ははは……!」

 聞きとがめられぬよう、手袋をした手で口を押さえる。片手は傍らに置いた帽子――その全てを自然の素材で編み上げられた、奇妙に(ひさし)の長いもの――をつかみ、目深(まぶか)にかぶる。誰かに見とがめられないように。

 

 持国天が現れたことで。四天王のうち、三尊が揃った。

 怪仏は伝承に引っ張られる、他の怪仏の影響を受ける。伝承上に関わりのある怪仏の。

 

 故に、間もなく現れるはず。三尊に引かれて、四天王最後の神仏。『多聞天(たもんてん)』、またの名を『毘沙門天(びしゃもんてん)』。

四天王において最強、否、天部(てんぶ)――仏法を守護する悠久の神々――において最強とも語られる神仏。その怪仏が。

 それを手にした、そのときこそ。大きく近づく、紫苑の望みに。

 

「うくく……はは、ははは!」

 折り曲げていた身をそらせ、空へと声を響かす。

 

 その背後から。

「何笑ってんですー、会長―?」

 草をかき分けて姿を見せた、紫苑と同じ衣服――学校指定のジャージ――を身につけた生徒。紫苑が所属する、斑野(まだらの)高校生徒会の役員が。

 

「え、あ、ああ……」

 紫苑が言葉を濁すうちにも、草をかき分けて役員らが集ってくる。手に手にスコップや鎌、抜いた草を持ったまま。

「何なに?」

「まーた生徒会長のご乱心ですか……」

「ていうか、ボランティア活動はいいですけど。昼休みにしなくてもいいんじゃないですか、草むしり」

 

 紫苑は軍手をしたままの手で、麦わら帽子を深く引き下げた。皆の視線から隠れるように。

「あー、うん。なんというかその、さっきのは――」

 足下に置いていた、抜いた草を持ち上げる。

微笑んだ。

「――嬉しくて、さ。……でっかい根っこ。抜けて」

 

 全員が紫苑の手にした草を見つめ。

一呼吸置いて、どっ、と笑った。

「大きくない! 別に大きくないですよそれ!」

「ていうか、そんな嬉しいんですかでっかい草抜けたら!」

「まーた会長のご乱心だぁ……」

 

 ひとしきり、皆と一緒に笑った後。

 東条紫苑は手にした草を握り締める。

 

 ――おのれ……笑っていられるのも今のうちだ、丸藤崇春……! 毘沙門天(びしゃもんてん)の力はこの俺がいただく……この怪仏・大黒天、大暗黒天の東条紫苑がな……! ――

 

 よく晴れた空を見上げる、紫苑の顔は。軍手で一度覆ったせいで、ひどく土に汚れていた。

 

 



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二ノ巻エピローグ2  手がかりを握るのは

 

 平坂と黒田から話を聞いた後。

 崇春は腕を組んで息をついた。

「むう……つまり、何者から怪仏の力を得たんか、まったく分からんっちゅうわけか」

 

 うなだれたまま黒田が言う。

「ああ、誰かから渡された、それは間違いないんだが……誰なのか、どうしてそうなったのか……」

 

 平坂も首を横に振る。

「オレもだ、さっぱり分からねェ。記憶がそこだけ抜け落ちたみてェによ……気持ち悪ィ」

 

 斉藤まで同じようにうなだれる。その大きな背を、(ちぢ)込ませるように。

「ウス……オレのときも、同じ……ス」

 

 賀来が気づかわしげにのぞき込む。

「あー、その、斉藤くんまで気にせずともよいと思うぞ……そこで悩む必要は――」

 

 ふと、反応するように斉藤の眉が動く。

「悩、む……そう、ス……。悩んで、誰かに、それを――」

 

 黒田が顔を上げる。

「そうだ、誰かにそれを、相談した……のか? でも誰に、なぜ……」

 平坂が言う。

「相談てお前、そんなよく知ってる奴か? だいたい、斉藤も同じようなことあったってンならよ。どっちとも仲いい奴とか、相談するような共通の相手なんているのか?」

 黒田と斉藤は同時に首を横に振る。

 

 百見が小さく息をつく。

「まあ、そうだろうね。実は今朝、封じた阿修羅の記憶も――広目天の力で――映し出してみたが。それらしき記憶は抜け落ちているようだった。やはり、その人物の力で記憶が消されている……そう見るべきか」

 

 崇春が首をかしげる。

「むう? しかし妙じゃのう、昨日の阿修羅は、あのお方じゃの内緒じゃのと、その者を知っておるような口ぶりじゃったが」

 

 百見は鼻で息をつく。

「おそらく倒されるなどしたところで、記憶が消されるようになっているんだろう。まったく用心深いというか、厄介なことだよ」

 

 かすみは腕を組み、思わずうなる。

 まったく厄介で、歯がゆかった。誰かが、誰かが一連の怪仏事件に関わっている、それは間違いないのに。その黒幕があと一歩で分からない。

 逆に、分かる方法があるとすれば。怪仏か、それに取り込まれた人から聞き出すということか。その者を倒す前に、つまり怪仏の影響下にある状態の人物から。

 そう考えてため息が出た。

「無理ですよね、操られてる人から聞き出すなんて……怪仏から聞き出すなんてもっと無理ですし。倒してもない怪仏なんて、話してくれるわけ……ん?」

 

 自分で言って何かが引っかかる。どこに引っかかったのかは分からないが。

 どこにもおかしなことなどないはずだ、操られている人から聞きだすのは無理、怪仏からも当然無理。だいたい倒されていない怪仏なんて――

 

「あ」

 

 いた。

 何度も倒されたはずが、ちょっと光って消えてみただけだという、おかしな怪仏が。

 

 

(二ノ巻『闇に響くは修羅天剣』完――三ノ巻へ続く)




 ということで二ノ巻、これにて完結です! 
 しばらくは過去作を載せつつ、三ノ巻のプロットを練っていきます! 

 ……帝釈天がああいうポジションになるとは思ってませんでした……すぐ退場するはずだったのに、なんか勢いで。
 でもいい感じに次につながりそう(希望的観測)なのでよし! ……帝釈天の資料も探さないと……。

 余談ですが、イケメンと評判の東寺の帝釈天像は松平健似の渋メンなのである。正直、若き日のマツケン氏(『暴れん坊将軍』)こそ世界一のイケメンと信じている私としては……この話の帝釈天をこんな感じにして少し後悔。

 そんな感じで次もやっていきます! まーた図書館をめぐって資料を探しては、ファミレスで延々とプロットについて悩む日々が始まってしまうのか……。
 あとお寺参りも行きたいですね。四天王像があるとこ。「ネタにしてすいませんでした!」という意味を込めて……。



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三ノ巻『たどる双路の怪仏探し』 1話  探し求むは帝釈天

 

 ついに尻尾(しっぽ)をつかんだ――そのはずだ。

 斑野(まだらの)高校に頻発(ひんぱつ)する怪仏(かいぶつ)事件、その黒幕たる人物。そいつの尻尾を。

 

 正確には。黒幕が何者なのかを知る人物が――いや、知る存在が――判明したのだ。

 当の黒幕が配下とした怪仏・帝釈天(たいしゃくてん)

本来ならばその本体となるはずだった――そして怪仏の意のままに操られるはずだった――平坂円次に拒まれて、いわば野良(のら)――と言っていいのか――となった怪仏。

 

 どこにいるのか、どうやって情報を引き出すべきなのか――協力を取りつけるのか、それとも力ずくにでも――は、まだ分からないが。ともかく、黒幕まで後一歩。それで、それで全てが解決する。

 

 なのに。

 

 百見(ひゃっけん)が真顔のまま、片手を口に沿えて声を上げた――こんな元気な百見の声は聞いたことがない――。

渦生(うずき)さんのー! ハイ! ちょっと・いーとこ・見てみったい! ハイ!」

 

 それ、一気! 一気! のコールと手拍子が辺りから上がり。渦生は手にした瓶ビールの底を、月の薄く光る空に向け――もう片方の手は腰に当てて――、ぐぐい、と喉の奥へ流し込む。

 

「くっはああ! しゃあおらぁぁ!」

 (こころよ)さげに目をつむる渦生は身を震わせて雄叫(おたけ)びを上げ、空になった瓶の口を地に向けてみせた。

 

 地面に敷いたレジャーシートにあぐらをかく崇春(すしゅん)は、コップ――アルコールではない、入っているのはお茶だ――を持った手を片手で叩き、拍手を送る。

「おおう、さすが渦生さんよ! 大した男前じゃわい!」

 

 少し離れたところでは大柄な斉藤逸人(そると)が、バーベキューコンロの上で脂の(したた)る音を立てる、肉を次々と取っては大皿によそっていた。

「ウス……こっち、焼けた……ス!」

 

「な――」

 渦生の住む駐在所の裏庭、脂を受けた炭火が月も霞むほどに白く煙を上げる中。

かくり、と、かすみは口を開けていた。

「――な、なんでですかーーーーーっっ!! 何やってんですかこれ、みんなちょっと――」

 

 斉藤が、びくり、と身を震わせ、他の全員――崇春、百見、渦生、それに賀来(がらい)と平坂――が、目だけを向けてかすみを見た後。

 

 百見が左手を持ち上げ、腕時計のボタンを押す。

「四十一分二十七秒四六」

「な……何がですか」

「肉パーティの準備を始めてから、今のリアクションが来るまでの時間だが――」

 鼻から長く息をつき、百見はかぶりを振る。

「――遅い。君の腕も落ちたものだね」

「何の話ですかーーーっ!?」

 

 持っていたお茶のコップを近くのテーブルに置き――つい流れで手にしてしまっていた――、かすみはなおも声を上げる。

「いいですか? 黒幕の正体がもうちょっとで分かるんですよ? その大事なときにですね、何をのんきに――」

 

 膝を叩いて崇春が立ち上がる。

「うむっ! さすが谷﨑(たにさき)よ、ええことを言うわい」

 

 かすみは思わず息をつく。さすが崇春、何だかんだといってもちゃんと考えて――

 

悠長(ゆうちょう)にやっちょったら盛り上がるもんも盛り上がらんというわけじゃな! よぅし、次に一気呑みで目立つんはわしじゃい!」

「違いますからーーーーっっ!!」

 

 大体一気呑みは危険だし、それ以前に未成年の飲酒はだめだ――いや、言いたいのはそういうことでもないのだが――。

 一応その辺りを考えてはいるのか、崇春の手にしたボトルは酒類ではなかった。スシュン(ざけ)――と本人が称している、カルピス――のボトルだった。本来は薄めて飲む、原液の。

 

「それはそれで大丈夫なんですかーー!? カロリーとか!」

 

 崇春は口の両端を上げて笑い、ラベルを指差す。

『カロリー十五パーセントオフ』

 

「それでもたいがいですからーーー! って……」

 バーベキューの煙にむせ、何度か咳をする。荒くなっていた呼吸を意識して緩め、上下していた肩の動きが収まったころ。再び口を開いた。

 

「だから、ですね。肉とか焼いてる場合じゃ――」

 

「オレも同感だな」

 そう言ったのは平坂円次。離れた辺りで折り畳み椅子に腰かけ、大盛りに肉の載った皿をうんざりしたように横目で見ていた。

 

 かすみの鼓動が若干落ち着く。つい先日――というか昨日――守護仏の力を得たばかりだというのに。しっかり考えてくれて――

 

 パック入りの塩辛をつまみながら平坂は言う。

「悪ィけど、オレぁ肉そんなになー。魚介類のが好みなンだが」

 渦生が自分の額をはたく。

「マジか! スマンな、今度やるとき買うわ、エビとか貝とか」

「それもいいがよ、(あゆ)焼こうぜ鮎。あとイカ」

 

 かすみの首から力が抜け、肩が思い切り下がる。地にぶち当たりそうな勢いで。

気づけば自然、眉根が力なく寄り、目尻が緩む。口元が不恰好に持ち上がった。喉の奥から小さく(うめ)きが漏れる。

 

 芯の抜けた足腰を支えようとするように、よろめきながらすがりついた。椅子に座ってテーブルに頬杖をついていた、賀来(がらい)へと。

「賀来さん、賀来さーん! ヒドいです、ヒドいんですよみんなもう!」

 

 賀来は特に表情もなく、かすみの頭をぽんぽんとはたく。

「よしよし。そうかそうか、大変であったな」

 

 かすみは小さく息をついた。とりあえず身をかがめ、賀来の手に身を任せる。

「ええもう、みんな全然真面目に考えてくれないんですよ、まるで他人事みたいに……」

 

 何度もうなずきながら、賀来は頭をなでてくる。

「うむうむそうかご苦労であった、このカラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス……『魔王女たるカラベラ』が自らねぎらおうぞ。我が使い魔たるかすみ……」

 そこで目を見開き、一つ手を叩く。

「いや、そうか! 我が使い魔『呪われたる霞(カースド・ミスティ)』、『呪われたる霞(カースド・ミスティ)』よ!」

 

 誰が使い魔だ、とか、名前の縁起が悪すぎるとか。言いたいことは色々あったが、その気力もなく。かすみはただ身をかがめ、賀来の膝に両手と頭を載せた。

 それでもとにかく、なでてくる手はなめらかだった。また息をつき、目を浅く閉じる。

 

 本当にみんな何をやっているのだ。今日の昼間、帝釈天が情報を握っていることに気づけたというのに。当の帝釈天を探しもせず――そもそも怪仏が、姿をかき消した後どうしているのかは想像もつかないが――、百見たちが守護仏を()ぶような、真言(しんごん)を唱えてみたりすらしていない。

 

 かすみは強く歯噛みをする。

 もう少し、もう少しなのだ。黒幕さえなんとかできれば、怪仏事件なんて起こらない。そうしたら、やっと――

 

「あっ……」

 不意に賀来が喉の奥で声を上げた。なでていた手が止まる。

 

 どうしたんです――そう聞くより早く、賀来の手が再び動き出す。かすみの髪の上、頭の上を執拗(しつよう)に往復する。絨毯(じゅうたん)の質感を確かめて値踏みするかのように。

 

 目を見開いて賀来は言う。

「お前……お前の髪、超なで心地いいな……なんか、『まふっ』てする……指吸い込まれそう、それでいて最後の最後、絶妙に押し返してきて……ぁ……これ、ぃあっ……手放せない……っ」

 

 賀来の両手が、かすみの頭を――髪の生え際から上を――両側からつかむ。

 かすみの目を真っ直ぐ見て、それから照れたようにそっぽを向いて、言ってきた。

「……その、かすみさえよければ、だが……生涯、飼育してもいい?」

「未知の恐怖!」

 

 かすみは身を(ひるがえ)し、最後の一人――炭火でひたすら肉を焼く斉藤――の元へ走る。

「斉藤さん、斉藤さん! ちょ、何とかして下さいよあの子!」

 

「……っス」

 斉藤はそれだけつぶやいて差し出した。大盛りの焼いた肉を。紙皿に割り箸を添えて。

「え」

 さらにそこへ、山盛りに野菜を載せる。

「ウス……バランス、っス……栄養、摂るといい、ス」

「ど、どうも」

 

 何度目か分からないため息をついて、とりあえず野菜を口に運ぶ。

 よく噛みながら考えた。まったく、これからのことを考えるも何も、もうメンバー自体がめちゃくちゃだ。普通なのは斉藤ぐらい――

 そこまで思ったところで頭に視線を感じ、ふとその方向に目をやる。

 

 斉藤が、じっ、とかすみの頭を見ていた。

 

 斉藤はすぐに前を向き、また肉を焼き始めたが。視線だけはかすみの頭へ、じっ、と向けられていた。

 

 そちらへかすみが目を向けると、斉藤の目は焼き網の上へと向いたが。またかすみが目をそらすと、その動きに引っ張られるかのように、斉藤の目がこちらを向く。

 

 箸を持つかすみの体が固まる。

 もしかしてだが。嫉妬されている、賀来のことで。

 

 ――駄目だ。このメンバー、駄目だ――。

 

 思ったかすみの腹の奥が、それから肩が揺れる。もはや逆に笑いが出てくる。

 目の端に涙がにじむのを感じながら、箸で、わさり、と肉や野菜をつかんだ。大きく開けた口にそのまま突っ込む。もぎり、もぎりと噛みしめた。

 もうヤケクソで、栄養を摂るしかなかった。

 

 賀来がかすみを指差して笑った。

「なんだそれは、欲張りすぎであろう! リスみたいになっておるぞ」

 

 頬袋に木の実を詰め込むリス。その姿をイメージしつつ、口の中のものを噛むしかないかすみ。

 

 賀来は首をかしげ――銀髪交じりのツインテールが柔らかく揺れた――、ほほえむ。

「まったく。可愛らしいな、かすみは」

 

 崇春が腕を組み、力強くうなずく。

「うむっ! なんちゅうてもリスは可愛いけぇのう! 実に可愛らしいわい!」

 

 他の男性陣もまばらにうなずく。

「まあ、ものの見方は人それぞれだからね」

「おーかわいいかわいい、写真撮っといてやろうか?」

「ぜってェ後で怒られンだろそれ」

「……っス」

 

「………………」

 かすみはそのまま天を仰いだ。

 薄青く暗い空の中、月だけが優しく光っていた。

 眺めながら、もぎもぎ、と、口の中のものを噛み続けるしかできなかった。

 

 

 



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三ノ巻2話  二人除いて宴もたけなわ(前編)

 

 とにかく口の中のものを――皿に山盛りになっていた分も――食べ終えた後。

 かすみはいったん考えるのをやめ――正気でいるのが(つら)すぎる――、普通にパーティに参加していた。

 ジュースを飲み、テーブルの上のポテトサラダを――崇春が異常に買い込んだジャガイモを、かすみや百見と調理したものだ――、義務感から口にする。

 他にもいくつかテーブルには料理が並んでいたが。一つだけ妙なものがあった。

 

 食べ物ではなかった、飲み物でも。なぜか場違いに、花があった。

テーブルを飾るにしてはそっけなく、百均で買ったような質素な花瓶に、一種類だけの花が。仏様を描いた画で見るような、(はす)の花が何本か活けられていた。

 仏法者である崇春や百見が、仏花というか供え物として用意したのだろうか。それにしては供える対象――仏像なり仏画なり――が見当たらないが。

 

 思っていると、横から袋が差し出された。コンビニの小さなビニール袋。鮮やかな色のマカロンが入っているのが見えた。

 

「食べるか?」

 言ってきたのは賀来だった。彼女が差し入れに買ってきたのだろう。

 

 かすみは首を横に振る。無理に肉と野菜を詰め込んだせいで、もうお腹一杯だった。

 

「そうか、我はいただくぞ」

 賀来は中から一つを取って、袋はテーブルに置いた。

 

 賀来は両手でマカロンをつまみ、小さな唇へと運ぶ。開かれた口、そこからのぞく並びの良い歯が、マカロンを小さくかじる。これもまたリスを思わせる動作ではあったが。どうも、かすみのそれとは違うようだ。

 もくもく、と口を動かすうち。その目が、とろけるように細められた。

 

 かすみはなんだかため息をついた。もう何度目かは分からないが。

 それでも賀来を眺めながら、顔は妙に緩む。

「ほんと可愛いですね、賀来さんは」

「え?」

 瞬きする賀来から目をそらし、続けて言った。

「や、その。……可愛いです、マカロン食べてるとき」

 

 苦しまぎれに――あるいはほんのわずかな、悔しさをまぎらわせるために――、そう言った。

 実際、賀来の造作は本当に良かった。人形のよう、という言葉がぴったりだった。彼女独自のファッション――ゴシックロリータとゴシックパンク、足して二で割ったそれらに手作り感と、家庭科の授業で作ってみました感をかけ算したもの――が、だいぶ印象を差し引いてはいるが。

 

 賀来が鼻から息をこぼし、マカロンを持ったまま身を折り曲げる。その背中が小刻みに震えた。

「そこだけぇ!? 嬉しくないなそれ……ほめられてるのに嬉しくないぞ! 何だこれ!」

 

 やがて顔を上げ、目の端を拭って言う。

「そうだな……だったら私、我は。マカロン食べながら告白することにしようぞ。――こうか?」

 

 マカロンの端を小さくかじり、わずかに首をかしげてみせる。上目づかいにかすみの顔をのぞき込んだ。そのまま、こちらの目の奥まで見通すような眼差しでささやいた。

「ね。なってよ、私の……私だけの、恋人に」

 

 かすみは小さく息を呑む。(つば)も、少し。

 ――これはもう、ちょっと。小憎(こにく)らしいぐらい可愛かった。

 

 自分の頬がとろけかけるのを感じて、同時。そのままの形で、顔全体がひどく引きつる。

 

 賀来は大きく歯を見せて笑った。

「なんてな、なーんてな! さすがは我が魅了(チャーム)の魔力よ、同性まで愛の虜囚(りょしゅう)にしてしまうところであったな! 我がことながら怖ろしい力よ」

 ばしばしとかすみをはたいた後、大きく口を開けてマカロンの残りを一口に食べる。

 

 もしゃもしゃと噛んで飲み込んだ後、賀来は顔を伏せて言う。

「でもなー、そうだなーそもそも我には関係のないことだったかなー? 告白なんて、な」

 

 手で片方の頬を覆い、そちら向きに首をかしげて。照れたように、目をつむって続けた。上半身を左右にくるくると、振り回すように動かしながら。

「何せ我は……その、ほら、告白とか、するんじゃなくてー、される? された? 方だし? つい先日」

 

「え……?」

 かすみは目を瞬かせたが。

「あ」

 すぐに思い当たった。

 

 つい先日の怪仏事件――かすみが崇春と出会ったときの、地蔵の姿をした怪仏――のことだ。怪仏の正体と目された賀来に、事件を止めるよう説得したとき。なんだか崇春が口説き落としているかのような流れになり、賀来はその流れのままに――ちょろいことに――止めることを承諾したのだった。

 付き()うてもらうぞ――交際ではなく、放課後に同行してもらうという意味だったが――、などといった言葉も崇春から出ていたが。

 

 その後あれは、どういう扱いになったのだろう? 

 

 

 



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三ノ巻2話(後編)

 

 なおも素早く上半身を振り回しつつ、賀来は声を上げた。うつむいたまま、崇春の方に。

「なあ、あのときは……その、嬉しかったぞ。我が……伴侶(はんりょ)よ?」

 

 かすみは(おそ)る恐る崇春に目を――今絶対に斉藤の方は見たくない――、向ける。

 

 そのときちょうど。百見が、真顔のまま声を上げていた。

「崇春のー! ハイ! ちょっと・いーとこ・見てみったい! ハイ!」

 

 崇春がジョッキにスシュン酒――カルピス原液――と強炭酸水を勢いよく注ぎ入れる。

押忍(おす)! (おとこ)崇春、一気にいただきますわい!」

 渦生や平坂が手拍子する中、ジョッキを天に掲げるように、一息に飲み干す。

 空になったジョッキを、音を立ててテーブルに置いた。同時、盛大なげっぷを漏らす。

「げっふうぅぅ! うむ、実に美味かったわ! がっはっはっは!」

 

 賀来の上半身の運動は止まり。照れたような笑顔はそのままの形で固まる。目だけがしきりに瞬きをしていた。

 油の切れた機械のような動きで口を開く。

「え……~~っと……。その、だな、崇春? 我の、勘違いでなければよいのだが……我らはその、付き……合って? いるのだよ、な?」

 

「む?」

 崇春は目を瞬かせる。

「何の話かよう分からんが……いや、実際何の話をしておるんじゃ?」

 

 何かをつかもうとするように突き出した賀来の手が小刻みに震え出すのを見て。とっさにかすみは説明し出した、付き合う云々(うんぬん)の言動があったことについて。

 

 音を立て、大きな拳を分厚い掌に打ち下ろし。崇春は言った。

「おう、あったのうそんなことが! すっかり忘れとったわい!」

 

 がっはっは、と笑う崇春を見て、さすがに賀来の――なぜかかすみも――、表情が固まる。

 

 そのままの表情で賀来がつぶやく。

「忘……れた……?」

 

「あの時は怪仏を止めるため必死での。何と言うたかよく覚えとらんが……誤解を招く物言いがあったなら、すまなんだ」

 そう言い、崇春は小さく頭を下げたが。

 

 賀来の目はそれを映してはいなかっただろう。しきりに瞬くその目は、どこにも焦点を合わせていなかった。

 

 崇春はたくましい腕を組み、太い眉をきりりと寄せて続けた。

「そもそもじゃ。わしとて仏法者の端くれ……仏道の戒律を守る者よ。不淫戒を守る以上、伴侶(はんりょ)などとは思いもよらぬこと」

 

「え……」

 つぶやく賀来の声は細かった。消え入りそうに、冬風に飲み込まれた虫の声のように。

 

 崇春は気にした風もなく続ける。

「まあ、なんじゃ! 結果的には思いの他、妙な具合に目立ってしまったということじゃのう!」

 

 固まっていた賀来の顔が、はっきりと引きつる――ひびの入る音さえ聞こえた気がした――。

「目立つ……だと……」

 震えていた、膝の上の両手が。握り締めていた、制服のスカートをぐじゃぐじゃと乱して。

 足音も高く立ち上がる。その両手は、細い肩は今も、いっそう震えていた。

「目立つ……? 何がだ……それはお前の話だろう。だったらお前、お前は! 私のことなど、何も考えていないんだな!」

 

「な……」

 崇春が大きな口を開くが、言葉はそこで止まったままだ。

 

 賀来はなおも言う。両の拳を握りしめながら。

「おのれ崇春! 嘘だったのかあれは……私の作ったみそ汁を毎日食べたいと、求婚までしたのは嘘だったのか!!」

 

 崇春が大きな目を剥く。

「むうう!? そ、そりゃなんちゅうか、さすがに誤解が――」

 

「黙れ!」

 賀来はテーブル上のビニール袋、マカロンの入ったそれをひったくるように取る。

 そのまま、流れるような動きで。噛みしめた歯を剥き出しにしながら。投げつけた、崇春の顔面へ。

 

「むぶっ!?」

 崇春は顔の前に手を掲げたが。袋から溢れた色とりどりの散弾が、手の間を抜けて顔面を打った。

 

 投げた姿勢のまま、賀来は大きく肩を上下させていた。

「おのれ……おのれ崇春! 我を、私の心を(もてあそ)びおって! ――バカっ! バーーーーーーッカ!!」

 叩きつけるようにそう言って、賀来はきびすを返した。そのまま全速力で駆け、裏口を抜けて敷地の外へ走り去る。

 

 すぐにかすみは立ち上がり、後を追ったが。

 裏口の手前で急ブレーキをかけ、体を反転させざま崇春を指差す。

「崇春さん!」

 

 走り出しかけていた崇春が、身を震わせて止まる。

 

 かすみは指を指したまま、言ってやった。頬に力を込め口を広げ、腹の底から思い切り。

「ばーーーーーーっか!!」

 

「む……うう!?」

 目を瞬かせるばかりの崇春と、同じく固まった男性陣を目の端で見て。

 また身を(ひるがえ)し、賀来を追う。

 

 



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三ノ巻3話  隣り合って女子二人

 

 息を切らしてかすみは駆けた。街灯もまばらな夜の道路を、革靴の音を立てて。もがくように手を足を動かし、破裂しそうな肺を心臓を叱咤して。

 同じく息を切らして駆ける賀来、その背中を追って。

 

 どれほど走ったか、ようやく賀来との距離が縮まり――あの厚底の靴だ、走りにくかったに違いない――、かすみはその肩に手をかける。

「賀来……賀来さん!」

 

 賀来の足がもつれ、その場に立ち止まり。それにぶち当たってかすみも足を止めた。二人してその場にへたり込む。

 しばらくは言葉もなく――そんな余裕もなく――互いにもたれかかるような姿勢のまま、ただ息をする。破れそうな胸で、早い呼吸を。

 

 ようやくそれが収まってから。かすみは賀来に正面から向き合い、再び口を開いた――目の端で元来た方を見たが、誰も追いかけてはきていない――。

「賀来さん――」

 大丈夫ですか、そう言おうとしてやめた。

「――つらかった、ですね」

 

 賀来はただうつむいていた。

 

 つらかった、そうだった――思えば。

 かすみも同じような顔をしていた。賀来が崇春の言葉に衝撃を受けていたとき。

そう、『伴侶などは思いもよらぬ』と――いや、色々気が早いというか話が大きすぎるとは思うが――。

 

 表情もなく、賀来はただ黙っていた。

 

 何と声をかければいいか分からず、かすみも黙っていた。

 せめて肩を叩こうと思い、手を伸ばしかけて。

 やめて、背を曲げ身をかがめた。自分の頭を指す。

「良かったら。なでますか、頭」

 

 賀来は目を瞬かせたが、言われるままに手を伸ばした。おずおずと、ゆっくりと、かすみをなでる。

 

 やがて、その目の端が、しわり、と緩む。

「……なんか、しっとりしてる……『めふっ』ってなる」

 

 かすみは、う、と息を詰まらせる。

「すいません、なんか……汗かいて」

 

 賀来はそれでもかすみをなでた。無言で何度も、何度も何度も。変わらず表情はなかったが、けれどもやがて、呼吸は穏やかになっていった。

 

 ふすぅぅ、と長く息を――風船がしぼむように――つき、肩を落として。賀来は口を開く。

「いいな、かすみは」

 遠くを見るような目で、それでもようやく――力なく――ほほえんで。続けた。

「ね。本当に私の使い魔になってよ。一生」

 

 かすみの顔が――意識してどうにかほほえみ返したが――固まる。

「や、あの。飼育とかはだめですからね?」

 

 だだをこねるように賀来の眉が寄る。

「えー? じゃーあ、私を……我を使い魔にせぬか?」

 

 苦笑してかすみは返す。

「それはそれで(おそ)れ多いというか……魔王女? を使い魔とか」

 

 眉の端を泣きそうな形に下げ、賀来が強くすがりつく。

「じゃあ、じゃあ! そういうのいいから、魔王位とか魔王領とかあげるから! 恋人になってよ、我の!」

 

「それ要求レベル下がったんです!? 上がってないです!?」

 反射的に口に出した後。かすみは息をこぼした、笑うように。

 

 想像上の魔王女の架空の魔王位、空想上の魔王領。それでもきっと、彼女にはそれなりに大切で。

 その大切なものを投げ出しても、誰かにそばにいてほしいんだ。使い魔だろうが、恋人だろうが――それほどには彼女は傷ついて。そうなるほどには大切に思っていたわけだ、崇春を。

 

 そこまで考えてふと気づく。

 ――ああ、そうか。同じか、私も。彼女ほど深くではないかもしれないけれど、同じことで傷ついた。そして、傷ついたということは。私もきっと。あの人のことを――

 

 そう考えると、笑みがこぼれて。ため息がそれを追う。

 

 ――同じだ、私と。私自身と、この子は一緒だ。

 

「いいですよ。なります、恋人」

「ええぇ!? いいのぉ!?」

 

 薄く()んでかすみは言ったのに、賀来の顔に浮かんだのは驚きだった。

 そのことに苦笑して、かすみは言う。

「いいですよ、別に。一生とかはだめですけど……ちょっとぐらい。たとえばそう、今日帰るまでだとか」

 

「そ、そうか……びっくりしたけど……」

 賀来は視線をうつむける。そして、続きを言った。

「――ありが、とう。……ちょっと、嬉しい」

 

 かすみがうなずき、賀来の頭をなでようとした――手が自然にそう動いた――とき。

 

 どこからか、近くから。()ぜるような音がした。

 

 顔をめぐらし、音のした方を探すうち。かすみの目は一点で止まった。

 今いる道の奥、さらに行った辺り。道の端、苔むした古い石段。こんもりとした森へと上がるそれの上には、同じく古びた石の鳥居。

つい昨日、崇春らと怪仏が戦った神社。

 

 そこからまた、音が聞こえた。ちょうどこの二人が聞いた、怪仏が立てていたのと同じ音が。

 

 



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三ノ巻4話  たけなわだった宴の後

 

 ――一方、その頃。

 

 ゴムのように固い、冷めた肉を噛みしめながら。円次は言った。

「なんつーか、崇春よォ。豪気なもんだな、女フッといて平気の平左(へいざ)とはよ」

 

「いやそもそも、振るも振らぬも誤解じゃと言うちょろうに……」

 崇春の太い眉の端が、困り切ったように下がる。

 

 結局あれから誰も――かすみの剣幕に押されて――二人を追いはしなかった。

 月の下、バーベキューの煙はとうに途絶え、風だけが涼しい。

 

 テーブルの皿を片づけながら百見が言う。

「だったとしても、だね。謝っておくのが甲斐性(かいしょう)というものじゃあないかな」

 

 残った焼肉や食材をタッパーにまとめていた、斉藤がうつむいてつぶやく。

「ウス……オレ、何も言えない……ス」

 

 勝手口前のコンクリートの段に腰かけて、渦生は両切りの煙草を吹かした。

「百見の言うとおりだ。適当に謝っときゃ良かったんだよ……っつかお前ら、何で誰も追っかけねぇんだ」

 

 百見が口ごもる。

「それは……まあ」

 円次は視線をそらす。

「触らぬ神に(たた)りなし、ッつうしよ」

 斉藤はうつむいたままだ。

「ウ……ス」

 そして崇春は腕を組み、唇をただ引き結んでいた。

 

 煙草を口の端にくわえたまま、渦生は頬を緩めてみせる。

「ガキどもは分かってねぇなオイ……ああいう弱ったとこをだな? 親身になぐさめてやってだな、後はちょいと押せば……対象外の男にでも、コロッといっちゃうわけよ。あー惜しかったなーお前ら! 大チャンスだったのになー、あーあ!」

 

 斉藤が動きを止める。

 渦生はいっそう笑いながら、コンクリートに寝転がった。

 

 その渦生に、百見が声をかける。

「なるほど、興味深いお話ですが。渦生さん自身は実践したことがお有りで? その理論を」

 

「え」

 口の端から煙草がこぼれ落ちる。視線をさ迷わせながら言った。

「そ、そりゃもうお前、俺だって若いときは、だな? そうやってハクいスケをヒイヒイ言わせたもんで、こう……その」

 おもむろに起き上がり、正座する。頭を下げた。

「……すいませんでした」

 

 まだ噛んでいた、肉を飲み込んで円次が言う。かッ、と、嘲笑(あざわら)うように喉を鳴らして。

「ま。ここにいる奴ァ全員モテねェってこったな。女フッて平気な顔の、クソ野郎を筆頭によォ」

 

 崇春が目を剥く。

「むうぅ!? じゃ、じゃからその、平気でもなければそもそも――」

 

 耳を貸さずに円次は言う。

「ま。ヤケだ、ヤケクソだ、呑もうぜ。日本酒はねェのか日本酒は」

 

 渦生が頬を引きつらせる。

「ねぇよ、つうか。俺の仕事が何か分かって言ってんだろうな、あぁ?」

 

 円次は鼻で息をつく。

「そりゃいいがよ。御神酒(おみき)上がらぬ神はなし、ッてことわざにも言うワケだが。……そういうのはなくていいのか、アレを()ぶのに」

 

 百見が眼鏡を押し上げる。

「神々の飲料たるソーマ酒を特に好む、そうした記述も古代インド神話にはありますが。形としては仏法の守護神です、飲酒を禁じる仏法のね。とりあえずはなくていいでしょう。――さてと。大変華のない集まりになってしまったところで」

 

 その場の全員を見回す。

「全員には説明できていなかったけれど。始めよう、かの者を――『怪仏・帝釈天』を()ぶ儀式を」

 

 そうして。テーブルの花瓶に活けられた、蓮の花に向き直る。

 

 



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三ノ巻5話  昨日の死闘のその場所で

 

 ――一方、その少し後。

 

 薄暗い裸電球の、(だいだい)色の明かりの下で。

 沈痛な面持ちで、賀来は缶入りのカフェオレをすすっていた。

「――と、いうわけなのだ……我としたことが、情けないことにな」

 腕を震わせ、ぐ、と手を握るが、スチール缶はびくともしない。

 

 隣で男の声が――どこか高く――応えた。

「いいえ! 情けなくなんてない、悪くありませんよ賀来さんは! 不甲斐(ふがい)ないことなんて何もない!」

 その男、ジャージ姿の黒田達己(たつみ)は、拳を握りしめ、黒髪を振り乱すようにしてそう言った。昨日彼が――、怪仏・阿修羅をその身に宿して――闘った神社、その社の階段に腰かけて。

 

 何これ、と思いつつ。かすみは賀来の隣、黒田と反対側に腰かけて、手にした缶の紅茶を飲んだ。

 

 

 

 

 あれから賀来と二人、神社の様子を見に来たのだ。昨晩怪仏が現れ、崇春らと戦った神社、そこで昨晩と同じ、弾けるような音がしたから。

 おそるおそる――体ごとかすみの腕にすがりつく賀来を微妙に押しやりながら――、石段を上がり、石鳥居の陰から境内をうかがうと。

 

 社の前に据えつけられた、裸電球の明かりの中。立ち木に向かい、竹刀を振るう人影が見えた。

 その人影、ジャージの男は振るう、振るう、竹刀を何度も。火花が散るかと思うほど激しく、立ち木を竹刀で斬ろうとでもするかのように。それはまるで、昨日の再現。六本腕の怪仏を見たときの。

 

 そして、電球の明かりにその男の顔が見えた。黒田。昨日まさにここで、怪仏・阿修羅に乗っ取られ、平坂と闘った黒田だった。

 

 やがて黒田は、ぴたり、と動きを止める。立ち木に向かい、上段に竹刀を構えた姿で。

 音を立てて長く息を吸い、同じ長さで息を吐き。何度かそれを繰り返した後、つぶやく。

「ゆくぞ……僕の最大奥義。斬り裂け――」

 

 空気を裂くような声を絞り出した。

「かあああああっ! 【修羅烈剣閃(しゅられっけんせん)】!」

 

 それは、昨日阿修羅が繰り出したという技の名。かすみがそう認識するより早く黒田は踏み込み、技を繰り出した――ごく普通の面打ちを。

 超常の力をまとうでもないそれは、ぺちん、と音を立てて真正面から幹に弾かれ。跳ね返ってぶち当たった。踏み込んでいた、黒田の顔面に。

 

「痛っっ……たああぁあ!」

 竹刀を持ったまま、顔を押さえてのた打ち回る。

 

「ちょ、何やってんで……いや、大丈夫ですか!?」

 思わずかすみが身を乗り出すのと。

 

「んぁ~~痛ったぁ、テンション下がるわ~……あ」

 片手で顔を押さえる黒田の視線が交わるのが、同時だった。

 

 

 

 

 ――そうして今。なぜだか三人並んで話しているのだった。下の道路にある自販機で飲み物を買ってきて。

 

 唇を噛みしめた後に黒田が言う。

「しかし、崇春くん……彼には返し切れないほどの恩がありますが……それとこれとは別、乙女の気持ちをそのように無下(むげ)に扱うとは! なんと不甲斐無いことだ……!」

 手にしたコーヒーのスチール缶が、音を立ててへこんでいく。

 

 かすみは口を開く。

「それはそうと……黒田さん、どうしてこんな所で? その、練習をしていたのは分かるんですが」

 ここはつい昨日闘った場所だ、怪仏に操られたとはいえ、黒田自身が。一歩間違えば命に関わる闘いを繰り広げたのだ、友である平坂と。

 そう考えれば、決して近づきたい場所ではないはずだった。

 

「あ~~、その……」

 指先で頬をかき、視線をそらせて。考えるように黙った後、黒田は再び口を開いた。

「想い出の場所、だからですかね。もちろん悪い想い出なんだけど……()い想い出でもあるっていうか」

 

 頭をかいて続けた。

「なんていうか、そもそも。怪仏って――一度乗っ取られた後だからこそ思うんだろうけど――一部、僕自身なんです。決して全部じゃないけど、確かに」

 うつむき、小さく息をつく。

「頑張っても頑張っても越えられないで、円次を憎む気持ち……それも含めて、円次を叩きのめしたいって気持ち。あれは……確かに僕のものだ」

 

 顔を上げ、弁解するように両手を出して振る。

「いや、殺そうとか他の人にまでとか、そんなのはないですよ? あれは僕の想いじゃない、阿修羅が持ってきたものです」

 

 確か百見が言っていた、『怪仏は人の業が積もり積もったもの』『その怪仏に関する業を持たない者が、怪仏の本体となることはない』と。

 つまり、阿修羅を構成していた業の一部は黒田のもので。それ以外は、これまでに積もり積もった様々な人間の業、ということか。

 

「……崇春くんや渦生さん、円次には、申し訳なく思っています……僕のせいで、怪我をさせてしまって。救ってくれて感謝もしています。けれどそれとは別に、いや、同じに? ――」

 黒田は立ち上がり、竹刀を提げる。境内を歩き、両断された木の前に立つ。

 それはかつて黒田が、阿修羅の力で両断したもの。今はその幹から、崇春の力で新たな枝葉が若く伸び。斬られた断面には、百見が封じた阿修羅――広目天の力で絵にした――が描かれている。

 

 その前で姿勢を正して立つ。木へ向かい、真っ直ぐに礼をした。

 顔を上げ、阿修羅の絵を見据えたまま言う。

「――感謝しています、阿修羅にも。……正直諦めてた、円次に勝つなんて。でも阿修羅は見せてくれた、僕が円次に勝つところを……あんな歪んだ力だけど」

 胸の前で握った拳に黒田は目を落とした。

「僕が円次に勝てるんだって、教えてくれた。今度は僕がやる、あんな力なしで……円次に勝つ。……だから、なんていうか」

 

 肩から力を抜いて、かすみの方へ振り返る。

「だから、さっきの質問ですけど。師匠に見ていてほしかったから、ですかね。僕自身であり友であり、敵でもある……阿修羅師匠に」

 

 かすみは言った。

「そう、ですか」

 もう少し反省して欲しい気持ちもあるが――いや、百見が言っていた、『怪仏は本体の望みや意識に干渉する』と。黒田がやったことも、ほとんどは怪仏が操ってのことなのだろう――。

 とにかく。かすみはうなずいてみせた。

「いいと、思います」

 

 横で賀来が何度かうなずく。

「なるほどな……前向きで良いと、我も思うぞ」

 

 その隣で低い声が応じる。

「――うむ……立派、実に立派ぞ!」

帝釈天が太い腕を組み、何度も深くうなずいていた。

 つむった目の端を拭ってから続ける。

「――くっ……辛い思いすら自らの成長につなげるその姿勢、(まこと)天晴(あっぱ)れ! 平坂円次にも見習わせたいものよ!」

 

「え」

 かすみの口が、かくり、と開く。

 

「ん? ……ん!?」

 賀来が隣を見て固まる。

 

 なおもうなずき、帝釈天は太い声を上げる。

「――それにしても。そうも阿修羅に感謝されておると、我も怪仏として鼻が高いわ!  我が強敵(とも)阿修羅にも聞かせたいものよ! くっはははは!」

 

 かすみの手が震えながらそちらを指差す。

「何でこんなとこに……いや、とにかく……いたあああああっ!」

 かすみの声に、帝釈天は身を震わせ。焦げたままの髪と(ひげ)が、びくり、と揺れた。

 

 



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三ノ巻6話  花も実もない

 

 ――一方、その少し後。

 

 

 線香が焚きしめられた中、テーブルの蓮の花を前に円次は真言を唱えていた。顔をしかめ、吐き捨てるように早口に。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ! ()勇名(ゆうめい)(いかずち)の如く轟き、その雄姿稲妻(いなづま)の如く赫々(かくかく)たり! 毒竜の討ち手にして慈雨の運び手、敵城の破壊者にして神々の帝! 我が前に来たれ、護法善神……帝釈天(たいしゃくてん)!!」

 

 左手の(いん)――薬指と小指を曲げ、他の指は伸ばす。ただし人差指のみをわずかに折り曲げ、中指の背に沿わせた形――を、叩きつけるように蓮の前へ突き出した。

 

 全員の視線が蓮に注がれ。円次はその姿勢を維持し。

 そして、何も起こらなかった。

 

 印を崩した手でテーブルを叩き、円次が声を上げる。

「だあああっ! 何回やらせンだよオイ、全ッ然来ねェじゃねェかあのクソは! 大体お前、合ってンだろうなこのやり方で!」

 

 百見は眉根を寄せ、考えるようにあごに手を当てる。

「ええ、これで間違ってはいないはず……元々帝釈天の本体となるはずだった、平坂さんが印と真言で()ぶ。さらにはその前段階として、あれを用意していました」

 テーブルの上の蓮を示す。

「仏教ではなくヒンドゥー教、またその源流たるバラモン教の神話ですが。古典『マハーバーラタ』には書かれている、主神であった帝釈天ことインドラが蓮の茎の中に引きこもったことがあると」

「何でそんなとこに……」

 

 円次のつぶやきにうなずき、百見は続けた。

「宿敵ヴリトラ――旱魃(かんばつ)を引き起こす、強大な阿修羅(アスラ)の一柱――を、和平を結んでおきながらだまし討ちで殺したことを恥じて失踪。さらには自分がいなくなった後に王者となった者を恐れて、隠れていたとか」

「普通にダメだなオイ……」

 

神道(しんとう)における天照大御神(あまてらすおおみかみ)の、天の岩戸隠れ(しか)り。ギリシャ神話におけるゼウスが台風の怪物、テュポーンから逃げ隠れた説話(しか)り。主神が隠れてしまう説話は意外にあるもの。責任も何もかも放り出して引きこもってしまいたいという、人生の悲哀を感じさせますね……」

 

 崇春が腕組みをして言う。

「むう……それで、隠れておる帝釈天を、蓮を媒介に()び出すっちゅう算段じゃったが。上手くいかんもんじゃのう」

 

 百見はうなずく。

「さらに前段階として、肉パーティを(もよお)して向こうの気を引くよう騒いでみたのだが……それこそ天の岩戸神話のようにね」

 

 斉藤が口を開く。

「ウス……そういう、意味があったんスね……この集まり」

 円次がつぶやく。

「いや、絶対意味ねェだろこれ……」

 百見は肩をすくめた。

「一助にはなるかと思いましたが。知っていては固くなる人もいると思って、全員には言ってませんでしたけどね。それにしても、岩戸作戦失敗となると――」

 

 テーブルから下ろして辺りに積まれた、片付け途中の食器や食材。辺りに残る紙皿や紙コップ。水をかけた炭の、(すす)臭いにおい。

 

「――どうしたものかな、これから」

 空を見上げた百見のつぶやきは、寝転がった渦生のいびきにかき消された。

 

 



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三ノ巻7話  神々の帝を名乗る者

 

 ――一方、その少し後。

 

「……というわけなのだぞ、(ひど)いとは思わぬか?」

 

 口を尖らす賀来の言葉に、(まげ)のように高く結った髪――ちりちりと焦げてしまっているが――を揺らして。帝釈天はその隣で何度もうなずく。

「――ぐぬぬ、如何(いか)に怪仏退治のためといえど、乙女の心を利用しようとは不届き千万! あの崇春めがそのような()れ者であったとは……!」

 (いか)めしくも整った顔を歪め、そう言って歯ぎしりした。

 

 反対側の隣で黒田が何度もうなずく。

「そうです、そうなんですよ! まあ僕は崇春くんのことはよく知りませんが……円次もねーそういうとこあるんですよー、人の気持ちを考えないっていうか」

 

 帝釈天はさらに眉根にしわを寄せつつ、大きな口を活き活きと開く。

「――何と! いやしかし分かる、我にも分かるぞ、確かにあ奴はそういう奴ぞ。いやー分かる、分かるわー」

 

 四人――三人と一体――で、並んで社の階段に座り。追加で買ってきたジュースで口を湿しながら、かすみは今日何度目か分からないがこう思った。

 何これ、と。

 

 コーラを勢いよく飲んでちょっとむせた後、帝釈天は喋る。

「――そう、あ奴もなーこの我が、この我がぞ? どういう気持ちで以て秘蔵の武器たる金剛杵(ヴァジュラ)を渡そうとしたのか……その辺りを汲みとるというかだな――」

「いや、あれ取ってたらまずかったんじゃ……」

 かすみは思わずそうつぶやいたが。

 

 とたん、三人――二人と怪仏一体――の目がじろり、と向けられる。

 帝釈天が言う。

「――ま、そう、そうではあるのだが! もっとこう、断り方というものがあるであろうが?」

 賀来が呆れたように言う。

「話の腰を折る奴だなお前は……」

 黒田も何度もうなずいた。

「まったく……僕、帝釈天さんの気持ち分かりますよ」

 

 かすみは思い切り口を開けた。

 ――私が悪いんですかこれ? というか、賀来さんもたいがいですけど黒田さん。あなた、思いっ切りその時の当事者ですからね? ――

 そう言ってやりたかったが、何も言葉は出てこなかった。

 

 代わりに一つ咳をして、それから言う。

「えーと、ですね。そもそも帝釈天さん……なんでここに?」

 

 ふ、と一つ息をつき、帝釈天は得意げに笑う。

「――分からぬか。よいか、ちょっと光って消えてみることのできる怪仏なら。ちょっと光らずに現れることもできるということぞ」

「全く分かりませんが……」

「――まあ、(なんじ)らとの戦いの後で姿を隠しておったのだが……その者、黒田の稽古(けいこ)ぶりに心()かれてな。姿を現したという次第ぞ」

 焦げて縮れた、長いあご(ひげ)をしごきながらそう言った。

 

「え……」

 かすみの表情がこわばる。

 帝釈天は『戦い』の怪仏、確かそう言われていた。それが、黒田に惹かれたということは。平坂にそうしようとしたように、黒田に取り憑こうとしているのではないか? 

 

 帝釈天は頬を緩める。

「――ふ。どうやら、我が黒田を操ろうとしているのではないかと、案じている様子よな。(さと)いことよ」

 

 かすみは階段から腰を浮かし――何の抵抗ができるかはともかく――身構えた。

 賀来は口を開け、かすみと帝釈天の顔を見回している。

 黒田は表情を変えず、穏やかに帝釈天を見ていた。

 

 帝釈天は表情を変えないままかぶりを振った。

「――無念ながらそれはできぬ。怪仏は誰にでも()けるわけではない。怪仏を構成する業――執着や欲望――と同じ業、それを強く持った者でなければならぬ。それがあるからこそ、我らと人とは一体となるのだ」

 

 黒田に目をやって続ける。

「――この者も業は持っておるが、その執着は『戦い』に向けられてはおらぬ。それはもはや、阿修羅と同じ『敵愾心(てきがいしん)』でもあるまい。友たる平坂を越えようとする想い、そのための『克己心(こっきしん)』……そうしたものか」

 

 帝釈天は顔を上げ、どこか遠くに目をやった。あご(ひげ)をなでながら言う。

「――平坂円次も、『戦い』への強い業を持っておった……我にすら戦いを挑むほどのな。それは今も失われたわけではあるまいが。より強い業が、それに取って代わっておる……故にその業から、あ奴が現れた。四天王『持国天(じこくてん)』がな」

 

 その業とは何なのか聞いてみたかったが。

 それより先に、帝釈天はかすみの目をのぞき込む。

「――それよりも。どうじゃ、汝こそ我が業を受け入れてみる気はないか?」

 

「え?」

 かすみが目を瞬かせるうちに、帝釈天は肩を揺すって笑った。

「――冗談よ。その細腕に我が独鈷(ヴァジュラ)は重かろう。くっははは!」

 

 その冗談は特に面白くもなく、愛想笑いだけしておいたが。

「あの。……ていうか、こんなこと聞くのも変ですけど。今でも、誰かに憑こうとはしているんですか」

 

 帝釈天は表情を消す。

「――さて。それこそ誰ぞ、強い業を持つ者がおればそうしたいところよ。本地(ほんじ)――本体、依代(よりしろ)となる人間――を得た怪仏は強くなる……本地からの業を得て強まり、本地の意思を操って本地自身の業を強め、その業からさらに力を得る……本地を得た怪仏の力は、もはや別物といってよかろう」

 

「それは……何のために?」

 

 ぴくり、と帝釈天の(ひげ)が震える。

 

 応えのない帝釈天に向かい、畳みかけるように続ける。

「一連の怪仏事件、斑野(まだらの)高校でだけ起こってます……このところ、立て続けに。誰か、黒幕がいるはずです。その黒幕のために、力を得ようとしているんですか? それとも何か、別の目的が」

 

 賀来が横で何か言いたげに口を開けたが、それには構わず。かすみは帝釈天が座っている正面に回り、姿勢を正す。深く礼をした。

 

 頭を下げたまま言った。一語一語をはっきり口に出したつもりだが、どうしてもだんだん早口になる。

「教えてくれませんか。……あなたや阿修羅を、平坂さんや黒田さんに取り()かせようとした人物。いったい誰なんですか、何でそんなことを」

 

「――娘御よ。(おもて)を上げるがよい。……しかしやはり、それを聞くか」

 かすみが顔を上げると。帝釈天は目を閉じ、腕を組んでいた。

 

 やがて目を開け、かすみの目を見据える。射抜くように。

「――その問いに対する答えは常に一つよ。……言うことはできぬ。あの御方を裏切るなどとは思いもよらぬこと。……なれど、これだけは言おう」

 

 かすみと賀来、黒田の目を見回して言う。

「――あの御方は決して私欲ではなく、(なんじ)ら人間のために事を起こしておられる……此度(こたび)のことはその為の小事(しょうじ)に過ぎぬ」

 

 かすみは目を瞬かせる。人間のために? 事を起こしている? 予想していない言葉ではあった。

 

 それでも、かすみは表情を引き締めた。

 これだけは分かる。あんなことを、人を操って友達と闘うよう仕向けるようなことを、小事に過ぎないというのなら。

黒幕がやろうとしていることは、間違いなくろくでもない。たとえどう言い(つくろ)っても。

 

 帝釈天は目をつむってかぶりを振る。

「――我としては、(なんじ)らと戦いたいわけではない……平坂だけでなく、汝らも気持ちの良い者ばかりよ。故、今宵(こよい)のことは見逃そう……汝らに手は出さぬ――そもそも我自身、怪仏と戦う力のない者に手出しする気はないわ――、あの御方に報告もすまい」

 

 そのとき。かすみは思わず目を見開く――そうだ、それが。その手がある――。

 

 意識して表情を固くし、帝釈天の目を見据える。

「いいえ。敵対するとなれば手加減は無用です。こちらも、次に会ったときにはこのようにはしないでしょう……お互い、全力を尽くしましょう」

 そこでほほ笑んで続ける。

「ただ。黒田さんや賀来さんに惹かれて出てこられたのはそちらですし。報告するのはともかくとして、この場だけはお互い穏便(おんびん)に引く……それでどうでしょう」

 

 帝釈天は歯を見せてうなずく。

「――うむ……このような供物(くもつ)を受けてもおるしの」

 コーラのボトルを指で振ってみせた後。表情を消して続けた。

「――しかし、ほとほと無念よ……汝らのような者らと、事を構えねばならぬとはのう。次に顔を合わせたときは敵同士……か」

 

 帝釈天は立ち上がり、ゆっくりとかぶりを振る。コーラを飲み干すと、歩きながらちょっと光って、その姿をかき消した。

 その手から落ちた、コーラのボトルが音を立てて転がる。

 

 かすみは帝釈天の消えた空間を見据えながら、唾を飲み込む。

 ――鍵を握る帝釈天と接触する、それはできたが。情報を引き出せたとはいい難い。

 ただ。種をまくことはできたはず。黒幕につながる種を――。

 

 拳を握り、うなずく。

 ――うまくいけば、だが。近いうちに何らかの接触があるはず。それを見逃さなければ、一連の怪仏事件は解決出来るはず。そうしたら――。

 

「かすみ……?」

 何か言いたげに賀来が立ち上がり、かすみの方に寄ってくる。黒田も同じく歩み寄った。

 

 その間に割り込んで。帝釈天が片手で拝むように、手刀を小さく突き出しながら歩いてきた。ちょっと光って。

「――あっ、すまぬすまぬ!」

 手早く空きボトルを拾い、かすみに手渡してくる。

「――忘れておった、これだけ! これだけ捨てといてくれぬか、うむ。ちゃんと分別してな、缶と」

 

 賀来がつぶやく。

「……また、顔を合わせてしまったわけだが。敵同士……なのか?」

 

 手刀を切ったまま帝釈天の動きが止まる。その視線は辺りをさ迷っていた。

「――え、それは……あ~、その……」

 

 黒田が言う。

「いや、まあ……いいんじゃないですか、今日のところは」

 

 帝釈天の表情が、ぱ、と緩む。

「――そっ、そう、そうよなー! やっぱそうよな、我もそう言おうと思っていたところぞ! さすが黒ちゃん、我が見込んだ男よ」

 

 かすみが何か言おうとする前に、帝釈天は再び手刀を切り、社の階段を上る。

「――じゃ、そういうことで。お休みー」

 社の戸を開けて中に入ると、音を立てて閉めた。

 

「……いや、そこで寝てるんですか!?」

 かすみは思わずそう言ったが。社の中から、特に応えが返ってくることはなかった。

 

 



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三ノ巻8話  もつれる女子の帰り道

 

 神社からの帰り道、厚底の靴音を立てながら賀来は言った。

「しかし、だぞ。帝釈天とやらと会えたは良いが、これといった情報は聞き出せずじまいだったではないか」

 腰に手を当て、不満げに息をつく。

「大体だな、あのオッサンが怪仏というやつなのか? 百見が召喚したような、魔法みたいな力を使う?」

 

 そういえば、賀来自身が怪仏をまともに見たのは二度目か――一度目は地蔵事件が解決した後、百見が広目天の力で賀来と斉藤の過去を見せたのだった――。

 

「ただのオッサンではないか。それはまあ、ちょっと光って消えたりはしたが……光って消えるだけのオッサンではないか」

 

 それはどうでもいい――特に異論もない――が。

 そんなことより、だ。

「賀来さん!」

 かすみは足を止め、賀来に向き直る。その両手を取り、耳元に口を寄せた。

 

 大事な話がある、周りに人の気配はないが――黒幕も怪仏の力を持つとしたら、どんな力を持っているか分からない。何らかの形でこちらの様子を見るような力があるかも知れない――念のため小声で言いたい。

 

 賀来は身を震わせる。

「ひぁっ!? な、何っ、急に――そうか」

 唾を飲み込み、斜め下へ視線をそらし。両手を小さく握って自分の体に寄せた。

 

「その……そそそ、そうか、ちゅーを、しようというのか……そうかっそうだな、つき合ってるんだもんな私、たち」

「違いますからーーっ!!」

 

 賀来が生暖かく手を握り返す。

「そうだな、分かった……かすみにならっ、我の初めてを捧げてもそそそそんなに悔いはないっていうか――」

 震えながら目をつむり、唇を向けてくる。

 

「いや、聞いて下さーーいっ!!」

 しがみついてくる賀来を引き離しながら――どうにか顔を寄せて――小声で喋った。

「いいですか、賀来さん。思い出して下さい、斉藤くんと黒田さんが言ってたこと……『悩んで、誰かに相談した』って」

 

 目を瞬かせる賀来。

 

 かすみは続けて言った。

「怪仏の素となる業、その業に関連した悩みを、誰かに相談して。それが誰なのかという記憶が抜け落ちている。それに、私は見せてもらったんです、百見さんに。斉藤さんがその誰かに相談している記憶を」

 

 地蔵事件を解決した後の、肉パーティの合間に。広目天の力は斉藤の記憶を描き出した。

 それは斉藤が何者かに――どうやら賀来の人間関係を心配して――相談している場面。そしてその人物は、怪仏の力を斉藤に与えていた。

 

「その人の顔は消されて、声も合成音声みたいになってました――百見さんによれば、広目天の力を拒めるほどの力を持った存在、だそうです――けど。一つだけはっきりしてることがあります」

 

 小さく口を開けた、賀来の顔を真っ直ぐ見る。

「その人物は『斑野(まだらの)高校の、男子の制服を着ていた』。そして『悩みを持った人の相談に乗り、その悩み――いわば業――に合った怪仏を与えている』」

 

 賀来がつぶやく。

「つまり……絞れた、ということか? 黒幕は『悩みを持った人間の相談に乗る、うちの学校の男子』」

 その後で顔をしかめた。

「だが、だからどうしたというのだ? 相談ごとを聞くこと自体、そう珍しいものでもないだろう。どう探せというのだ」

 

 かすみは小さくうなずく。

「ええ、けれど。斉藤くんと黒田さんの例を見るに、接点のない人から相談を受けているようです……おそらく黒幕は『悩みを持った、怪仏に適した業を持った人』を『探している』んでしょうね。――で」

 

 さらに身を乗り出し、賀来の目をのぞき込む。ほほ笑んだ。

「つい今しがた、悩みを打ち明けた人がいましたよね。敵方の怪仏に」

 賀来は目を口を、円く開く。

「え。……えええええっ!? 私ぃぃ!?」

 

 顔を引き締めてかすみは言う。

「帝釈天からその情報を受け取ったなら、黒幕から近づいてくるはずです。賀来さんの悩みについて、何らかの形で相談に乗り……怪仏を取り憑かせるために」

 

 賀来は震える手で、かすみの両手を握り締めた。

「ちょ、ちょちょちょちょっと待て、私、私を犠牲にしようというのかそれは!?」

 

 かすみはその手を握り返す。

「もし賀来さんがいなくなっても。あなたのこと、絶対忘れませんから……」

「えええええっ!?」

 

 かすみは歯を見せて笑った。

「冗談です。向こうだってそんなにすぐ怪仏を憑けるとかはないでしょうし……おそらく何度かは、話をする機会を経てからじゃないですかね。そうやって近づいてくる男子生徒がいたら、崇春さんたちに伝えましょう」

 

 手を握ったまま賀来は言う。

「そ、そうか……けど、そんなに上手くいくものなのか?」

「可能性は高いと思います」

 

 確実に黒幕が来るかは分からないが。帝釈天から情報が伝えられるとして、少なくとも『賀来に恋愛の悩みがある』ことと、『崇春たちは敵で、守護仏の力を使う者もいる』ことは、黒幕が把握するはずだった。

 敵方――崇春たち――の関係者で、怪仏を憑かせられる人間がいるとすれば。黒幕からすれば絶好の機会といえるだろう。敵方を内側から壊滅させる手段となり得るのだから。

 

「いや、逆に。罠だって、バレたりしないか?」

 

 賀来に言われ、かすみは小さく口を開ける。

 

 それは、確かに。

 黒幕について、黒田らははっきりした記憶を失っていたが。それでも『誰かに相談に乗ってもらい、その人物から怪仏の力を与えられた』ことは覚えていた。

 その程度の記憶が残ることを、黒幕が把握していたなら。悩みを聞こうとする者に対してこちらが的を絞っていることも、予想されているのではないか。

 

「……その場合はそれで、いいと思います。罠とバレているなら、そもそも何もしてこないでしょうし。もし悩みを聞こうとする男子がいたら対応する、それでいきましょう」

 

 考えてみればそもそも、『崇春たちが敵だと相手に伝わっている』ことの方が問題だが。阿修羅との戦いからすでに丸一日経っている、帝釈天が黒幕に情報を伝える時間はいくらでもあったはずだ。なので、今さらどうにかできる問題ではなかった。

 

 かすみは大きくため息をつく。

 それにしたって。黒幕はいったい、何をしようとしているのか? 

 人に怪仏を憑け、事件を起こして。それで黒幕に何の得が? 

 帝釈天の話では『私欲ではなく、人間のため』『そのための小事として怪仏事件を起こしている』ということだったが。それを言葉どおりに受け取ることはもちろんできない。

 とりあえず愉快犯ではなく、何らかの目的のために動いている。それだけは確かなようだ。

 

 賀来はうなずいたが、その視線は落ち着きがない。

「それは、分かったが……本当に、大丈夫、かな」

 

 かすみは賀来の両肩に手を置く。

「大丈夫ですよ。そうだ、それに。学校にいる間は、私が一緒についてます。迷惑でなければ」

 

 本来なら、崇春たちについていてもらう方が安心だが。この場合相手に警戒されてはいけない、守護仏を使える者がそばにいるべきではない。

 もちろん、かすみに戦うような力はないが。何かあったとき二人いれば、どちらかが崇春らに連絡することぐらいはできるだろう。

 

 賀来は目を瞬かせる。

「それは……ずっと一緒に、ってこと?」

 かすみは大きくうなずいた。

「ええ」

 

 賀来はかすみの目を見る。

「健やかなるときも病めるときも、一緒に?」

 結婚式みたいなもの言いだな。そう思って苦笑しながら応えた。

「病気なら学校来ないでしょうけど……お見舞いなら、まあ行きますよ」

 

 賀来は目を伏せ、静かに言った。

「つまり……死が二人を分かつまで? 一緒に」

 

 ちょっと待て。

 そう言いたかったが、それより先に賀来が続ける。かすみから視線をそらせ、両手の指を組んでは握り、離してはまた組んでを繰り返しながら。

「そのっ、我としては別にっ、そこまでのつもりで言ったわけではなく半ば冗談というか恋人といっても、けどでもっ、かすみがそこまで想いを寄せてくれるというのなら私っ、我としても応えてやらんでもないっていうかやぶさかでもないというかつまりそのふつつかな私ですが――」

 

「待って、ちょっと待って!」

「そうだなちょっと待とう、いったん落ち着こう――」

 

 それから二人で大きく息を吸って吐き、もう一度吸って吐き。

荒い呼吸が収まった頃、賀来が言った。

「ところで式はやはり洋風がいいと思うんだ、ウエディングドレスは黒で――」

「落ち着いてない!」

 

 真っ黒な気分でそう叫びながら。

 崇春のことはいいのかと、よっぽど言ってやりたかったが。さすがにかわいそうなのでやめておいた。

 

 肩を落としてため息をつき――本当に今日何度目か分からない――、思う。

 賀来がこんなことを言い出したのは。崇春のことでショックを受けているからだ、たぶん。誰かにすがりつきたいだけなんだ、たぶん。明日になれば忘れているはずだ……たぶん。

 

 



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三ノ巻9話  仲間

 

 不安で眠れない――いろんな意味で――夜が明け。

 登校中の道でかすみは意外な二人に会った。

 ジャージ姿で竹刀袋を背負った黒田と、日傘を差した賀来が道端で話していた。

 

 やがて黒田がこちらに気づき、会釈する。

 かすみも近づいて礼を返す。

 あいさつもせず賀来が言った。

「ちょうど良いところに。昨日の話のことだが――」

 

 かすみの肩が飛び跳ねるみたいに震えた、それに気づいたかどうか。賀来はそのまま話を進める。

「黒ちゃんから聞かせてもらったのだが。あのオッサンは、やはり昨日の場所に滞在している様子だ」

 

 黒田がうなずく。

「今朝もあの神社で素振りしてから来たんですが。社から普通に出てきてましたよ」

 

 はた目には完全に不審者だ、帝釈天。そう思いながらかすみは聞いた。

「それで、何かしてましたか」

「手水場で顔を洗って、僕の練習を見て……それからなんか、電話かけに行ってましたね」

「電話?」

「下の道にある公衆電話で。テレホンカード持ってるみたいでした」

 

 今どきテレホンカード。かすみも知識としては知っているが、自分で使ったことはない。考えてみれば手に取ったこともなかった。

 

 賀来が言う。

「あの者が連絡を取るような相手といえば、一人しかおるまい」

 

 そう、黒幕。テレホンカードも連絡用に持たされているのかも知れなかった。そう思い、つぶやく。

「ていうか、電話なんですね……連絡」

 

 黒田が顔を突き出す。

「で、ですね。僕は何を手伝えば?」

 

「え……」

 かすみが目を瞬かせると、黒田は言った。

「円次はあのとおりですからね、どうせ怪仏相手に実戦がしたい、なんて言ってるんでしょう。なら僕も、できることはやりますよ。円次の手助けになるなら」

 

 頬を指でかき、視線を外して続けた。

「僕だって、自分のやったことに責任ありますしね……本音じゃ、円次がそっちにかまけて部に出てこないうちに練習して、差を縮めたいですけどね」

 

 かすみは笑って頭を下げた。

「ありがとうございます。そうですね、とりあえずは帝釈天の様子に注意して、できればそれとなく話しかけて相手の内情を、できる範囲で探ったりとか」

 黒田に怪仏と戦う力がない以上、思いつくのはそれぐらいだ。後は百見に相談して、方針を決めていこう。

 

 そう考える間に賀来が喋っていた。

「黒ちゃん、感謝を。このカラベラ・ドゥ・イルシオン、そなたからの友情と恩義、生涯忘れはせぬ。……で、頼みがあるのだが。この件――我らが帝釈天と接触していることやその居場所――、内密にしておいてはくれぬか? 崇春らや平坂にも」

 

 え、とかすみは小さくつぶやく。

 なぜそんなことを。何か考えがあるのだろうが、かすみからすればデメリットしか思いつかない。

 

 それでも黒田は大きくうなずく。

「ええ、絶対に。ベラちゃんの頼みとあらば」

 

 かすみは思わず声を上げる。

「ベラちゃん!?」

 確か前に言ってはいた、賀来の呼び名として――自己申告で――ベラドンナとかベラとか。それを今さら言い出すか――というか、そんなに仲いいのかこの二人――。

 

 気にした様子もなく賀来は言う。

「うむ、頼むぞ黒ちゃん! そなたの前途に、幸運を」

「ええ、お互いに」

 賀来はスカートの裾を軽く持ち上げ、左足を引きつつ頭を下げ、黒田は右手を胸に当て、左足を引いて身をかがめる。

 貴族的な礼を交わした後、黒田は去っていった。

 

 何だこれ、とは言いたかったが。それより。

「賀来さん、今の……どういうことです」

 

「すまない」

 賀来は真っ直ぐ、頭を下げてきた。

 顔を上げて言う。

「すまないが……かすみ、今度のことは。我らだけの秘密で、我らだけでやらないか。いや……やらせてくれ」

 

「え……」

 賀来はかすみの手を取る。

「だって、だってそうだろう。我らに戦う力はない……知識だって。だが、だが軽んじられてよいものか! 我らとて、崇春らの仲間ではないか!」

 

 手を握る力が強まる。

「そうだ、軽んじられてよいものではない……怪仏探しに利用するだけ利用して、後は遊びだったとばかりに捨てるなどと! なあ、だから。見せてやろうではないか、我らとて役に立つのだと! 紛れもない仲間なのだと!」

 

 後半は賀来の主観が大きかったが。

 それでも前半を聞いたとき、かすみの胸が痛いほどに鳴った。そうだ、確かに――戦う力がなくたって、仲間なんだ。

 

 考えて――考えて考えて、やがて思考を放棄した後――言う。

「賀来さん」

 目を見返すことはできず、それでも言う。

「……分かりました。とりあえずは、それでいきましょう」

 

 そう言ってしまっていた。何のメリットもないと知っていながら。

 それでも。それでも――かすみの内にも、それに共鳴する部分が、確かにあった。

 

 賀来は長く息をつく。こわばったその肩から力が抜けていくのが見てとれた。

「そうか……ありがとう」

 その後の笑顔は本当に、とろけるように可愛らしかったが。

 

 果たしてこれから。どこまで上手くやれるだろう、この二人で。黒幕を相手に。

そう思うと、かすみの顔はこわばりを隠せない。

 

 



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三ノ巻10話  敵か味方か

 

 そうして足早に歩き、校門の手前までやってきたとき。登校する生徒らの中に崇春と百見、斉藤と平坂の背を見つけた。

 とりあえず――帝釈天と会ったことは言わないとして――声をかける。

「おはようございます」

 

「うむ! よい朝じゃのう!」

「おはよう……ス」

「おゥ、はよーす」

 立ち止まった崇春らから声が返る中、百見だけが無言だった。そのまま歩きながら、手にした本を――インド神話だのバラモン教だの、といったタイトルがかいま見えた――にらむように、視線で貫こうとするように読んでいた。

 

 かすみがもう二回ほどあいさつして、それでようやく百見の歩みが止まる。疲れたような顔を上げ、言ってきた。

「やあ……どうも。ああ……そうだ」

 どこか焦点を失った目を瞬かせ、大きく欠伸をする。それからようやく続けた。

「昨日はどうも……大変だったね。あれから大丈夫だったかい? 彼女のこと」

 

 賀来がかすみの隣に来て答える。明らかに取ってつけたような笑顔で。

「ご機嫌よう。大変だったその彼女だが……おかげ様で、どうも」

 

 百見は気に留めた様子もなく、小さく頭を下げる。

「どうも。大丈夫だったならいいが……こっちは色々大変さ」

 ため息をついて、再び本に目を落とす。

「帝釈天を()ぶ作戦は失敗……ああすまない、ちょっと全員には言えていなかったけれど、昨日のパーティはその一環だったんだ……で、次善の案を模索しているところだよ」

 

 そうだったんですか? と、驚きを含んだ声でかすみは返事をしておく。

 

 百見は再びため息をついた。

「といって、これという策はまだない……とりあえずは放課後、昨日の神社に行ってみようとは思うが。別にあの場所に(ゆかり)があるわけでもないだろう、望みは薄いけれどね」

 

 賀来の頬が、ひくり、と動く。笑いをこらえるように。

 そして、かすみの頬も、同じ動きをしていた。

――いる、その(ゆかり)のない場所に。とっくの昔、かすみたちは帝釈天と接触している――。

 

 顔を正面に向けたまま。かすみと賀来は、共犯者の笑みを視線で交わす。

 

 百見がまたため息をつき、本のページをめくる。頬を歪めて言った。

「ほとほと嫌気が差すね、自分の無能さに。必殺の一策に全力を注ぐのは子供のやり方、失敗を考慮して次善の策を用意しておくのが大人のやり方……そんな言葉があった、隆 慶一郎先生の名著『影武者徳川家康』だったかな、それはいいが……とにかく」

 

 本から目を離さずに続ける。

「次の手は考える、黒幕の尻尾をつかむ一手を……心配は、しないでくれ」

 

 小さく、かすみの口が開く。

 軽い気持ち、小さな意趣返しのつもりで賀来の案に賛同してしまったが。それで良かったのだろうか。

 それは百見の努力を、そして崇瞬たちを裏切ることではないのだろうか。それに、あるいはかすみ自身の意思すらも。

 ――黒幕さえどうにかすれば、怪仏事件はもう起こらない。少なくとも、斑野高校で頻発することはない。だから黒幕を止めたい、そうすればやっとかすみは――。

 

 そこまで考えたとき、突如として高らかに。

「――ブヒィィヒッヒッヒィン!」

 奇妙な笑い声が辺りに響いた。

 

 声の方を見れば。コンクリート製の校門の柱、その上に立っている者がいた。

 顔を天に向け、馬のように甲高(かんだか)くいななくそれは、まさに馬だった。少なくとも頭だけは。

 

 光沢ある白い毛に、頭から背にかけて走る逆立つたてがみ。筋肉の塊のような太い首は、そのままたくましい体へとつながっている。片方の肩を剥き出しにして布の衣をまとうその体は真っ赤だった。ちょうど地獄を描いた図に出る、赤鬼のように。

 

 それは手にした長柄の斧を振り上げ、さらに声を上げた。

「――ブヒヒッヒィン! 馬耳東風(ばじとうふう)でございまぁす!」

 

 かすみがその言葉の意味を考える間に、馬男は首をめぐらし、大きな目玉を剥いて――白目が大きく、どこを見ているのか分からないような印象を受ける――辺りの生徒らを見回した。

 ぶるる、と馬のような鼻息を響かせ、頭を震わせた後に言う。

「――んあ~貴様ら方ぁ! 朝っぱらから遅刻もせず登校なぞしてございますかこらぁっ!」

 声に合わせて斧の柄を、足元の柱に打ちつける。当たった箇所がその衝撃に砕け、稲妻のようにひびが走った。

 

 生徒らは皆足を止め、口を開けて見ていた。悲鳴はなく、馬男の声の他はわずかなざわめきと、それの近くにいた生徒が後ずさる足音だけが聞こえていた。

 

 馬男は斧の先を生徒らに向け、再び辺りを見渡す。

「――マジかマジか、マジメかマジメか貴様ら方ぁ! ルールどおりにレールの上を行く、そんな貴様ら方の人生が……ステキな人生が……立派ぁ! あぁぁ人生万事塞翁(さいおう)が馬ぁ!!」

 

 脈絡のないことわざを叫びながら。斧を両手で頭上へ持ち上げ、重く風を切る音を立てて振り回す。

 

 ようやく生徒らから悲鳴が上がる中――皆馬男から走って距離を取る、動画でも撮ろうとしてかスマートフォンを取り出す者もいた――、崇春が拳を握り締める。

「むうう……あ奴め、何者か知らんが。よくも朝っぱらから目立ちおって!」

 

「そういう問題じゃありませんからーー!」

 かすみは思わずそう叫び、すがるように百見を見る。

 

 百見は手にした本を閉じ、眼鏡を押し上げた。

「怪仏……か? しかしこんな、衆人環視の場に出るなんて……!」

 

 百見が言葉を継ぐより先に、平坂が口の端を吊り上げる。

「どうでもいい、とにかく敵なンだろ? オレがやって――」

 

 百見が押し留めるように手を向ける。

「いや、【持国天剣(じこくてんけん)】……日本刀を振るう気ですか、この衆目の中で。――崇春」

 

 崇春が大きな拳を、分厚い掌に打ちつける。

「応よ! ここは一丁、わしが奴以上に目立つところを――」

 

「――待ていっっ!」

 高々とその声は響き渡った。崇春の声もかき消して、辺り一面に朗々と。その男の力強い声は。

「――平和に登校する生徒らを(おびや)かすとは言語道断! ……影あるところに光あり、悪あるところに私あり! 悪の者よ、この私が来たからには好きにはさせん!」

 声の主は屋上にいた。落下防止の手すりも越えた屋上の端に。人差指で馬男を指し、もう片方の手は腰の辺りで力強く拳を握る。

 その体はぴっちりと肌に張りつくような金色の衣服――いや、スーツというべきか。無論ネクタイを締めるそれではなく、テレビの中で悪の改造人間を薙ぎ倒すヒーロー、その衣装を思わせるもの――をまとっている。

 そしてその男の顔もまた、金色の仮面――頭部も覆うヘルメットのようなもの、目の部分だけが黒いゴーグルになっている――に隠されている。その仮面の額の部分には、蓮のつぼみのようなシンボルが浮き彫りにされていた。

 

「な……なんじゃあ!?」

 目を見開いた崇春が声を上げ、同時に馬男もいなないた。

「――ヒヒィン! 出、出たな貴様ぁ!」

 

 金色の男は、ぴしり、と音がしそうな動作で、真っ直ぐに空を指差す。

「――天に輝く日の光より、まばゆき光ここにあり! 『極聖烈光(きょくせいれっこう) ライトカノン』、見参!!」

 指差していた手を開き、まるで太陽をつかむかのように握り締めた。その腕を胸の前に横たえ、もう片方の手も拳を構える。片脚を前に出した形で踏ん張り、ぴたり、とポーズを決めた。

 

「……何だあれ」

 賀来のつぶやきをよそに、馬男は鼻息も荒く斧の柄を握り締める。

「――ヒヒィン! 極聖烈光ライトカノン……ここで会ったが百年目! 今こそ決着をつけてくれますぅ!」

 

 ライトカノンと名乗った男は声を上げる。

「――それはこちらのセリフだ! ゆくぞ、【カノンキィック】!」

 ライトカノンは跳んだ、屋上の端から助走もなしに。自由落下するだけと思われた彼はしかし、校門の方へと一直線に――物理的には不自然な動きで、まるでワイヤーで吊られてでもいるかのように――飛んだ。

 しかしその軌道はわずかに()れて。そのまま行けば馬男ではなく、かすみたちの方へと向かってくる動きだった。

 かすみや崇春らが身構えようとした、そのとき。

 

「――ヒヒィン! こちらも行きますぅ、【()ックスパワー(ざん)】!」

 馬男が斧を振り上げ、ライトカノン目がけて跳びかかる。

 

 しかしその斧は、身をかわすかのように空中で軌道をずらした、ライトカノンに当たることなく空を切る。

 一方【カノンキック】は。体勢を崩した馬男の顔に、真っすぐにぶち当たった。

 

「――ぶヒヒィン!」

 馬男は悲鳴を上げて吹っ飛ぶ――やはりワイヤーにでも吊られているかのように、不自然に体を浮かせて遠くへ――。そして、土煙を上げて地面に倒れた。

 やがて斧を杖代わりに、震えながら立ち上がる。その姿はまるで電波の悪い映像のように、輪郭(りんかく)を不安定に揺らめかせていた。今にも消えてしまいそうに。

 

「――お、おのれライトカノン! 今回はこの辺で勘弁して差し上げますぅ、その点ご承知おき下さいぃ!」

 背を向け、一目散に――重く足音を立て、馬のような速さで――逃げ出した。

 

「――正義は勝つ……これがカノン(りき)だ」

 蹴りを放った体勢のままでいたライトカノンはようやく立ち上がり、うなずいた。

 生徒たちの方を向き、敬礼のように額の前で人差指と中指を立ててみせる。

「――早くも大人気! 『極聖烈光(きょくせいれっこう) ライトカノン』、応援よろしく!」

 

 馬男の後へ、追うように駆けていった後。辺りの生徒から、思い出したようにどよめきが上がっていた。スマートフォンをライトカノンの背に向ける者も、拍手する者さえいた。

 

「いや、誰なんですかあれ……って」

 かすみがふと目をやると。崇春が地面にうずくまり、両の拳を震わせていた。

 

「どうしたんです、大丈夫で――」

「目立たれたあ……っっ!! わしより、先に!」

 崇春はきつく目をつむり、地につけた拳を震わせていた。歯ぎしりの音を鳴らして。

 

「えーと……はい。そんなことだと思ってましたよ……」

 つぶやくかすみをよそに、ライトカノンらの去った方を見つめる百見の表情は、いよいよ険しく。

 

「わしとしたことが、この絶好の目立ちチャンスに……っ!! くそう、くそう……!」

 崇春が額を地面に叩きつけ続ける音も、ますます大きくなる。

 

 



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三ノ巻11話  謎のヒーロー、謎の敵

 

 二年の教室に行く平坂と離れた後。

「怪仏だよ、あれは。……まず、おそらく」

椅子に座り込んで両手の指を組み、百見はそう言った。教室で、朝のホームルーム前に。考え込むような顔をしたまま。

 

 賀来が首をかしげる。

「それは……どちらがだ?」

 

 うんざりしたように眉根を寄せ、百見が応える。

「どちらもだよ。馬男とヒーロー風……あの柱を砕く力に屋上から跳んでくる脚力、あるいは物理的には妙な動きだから怪仏としての力か……どちらも、普通の人間ではあり得ない。さらに言えば人目につく中で堂々と出現するなどと、今までの怪仏にはなかった動きだ。だが――」

 

 怪仏――らしき二人――が現れた辺りは百見が可能な限り調べている。ワイヤーやピアノ線で体を吊り下げるといった仕掛けは発見できなかった。

 

「ぐぐぐぐうう、情け無い、情け無いわいぃ……! わしとしたことが、あんな目立ちチャンスを逃すなどと……」

 体ごと机に突っ伏したまま崇春が(うめ)く。両の手は机の端を震えるほどに握り締めていた。

 顔を上げ、机を両拳で叩く。

「ええい! いったいわしは、何のために転校してきたんじゃあ!」

 

「いや、怪仏事件を解決するためですよね」

「? …………、あっ」

 真顔で目を瞬かせていた崇春は。十数秒後にようやく、気づいたように目を見開く。

 

「忘れないで下さーーい! 見失いすぎです、目的も自分も!」

 言って、自分の胸に小さく痛く鼓動が響く。

 目的を見失っているのはかすみ自身の方ではないか? 意趣返しのために、重要な情報を伏せておくなんて。

 ただ、それでも。賀来を裏切り、傷つけるようなことはしたくない――後でやっぱり説得しよう、この子を――。

 

 斉藤が低く声を上げる。

「ウス、だけど……両方怪仏として、ス。何であの二人、戦ってたんスかね」

 

 確かにそうだ。突然の出現、いかにもな悪役といかにもなヒーロー、そういう要素に気を取られていたが。

 二体とも怪仏――黒幕が何らかの意図で人に取り憑かせた存在、崇春たちの敵――として。なぜそれが、互いに争っているのだ? いわばそれは、仲間割れではないか。

 

 百見が小さくかぶりを振る。

「さて。仲間内でいがみ合う理由でもあるのか、あるいは争っているフリ――まさにヒーローショーのような――か。なぜそんなことをするのかはともかく……」

 

 崇春がまた机を叩く。

「決まっておろう、そうやって目立つためよ! おのれ奴らめ、二人がかりとは卑怯千万……!」

 

 ふと思いつき。かすみは思わず手を叩いた。

「そうか、もしかして! 仲間、なんじゃないですか」

 

 百見がいぶかしげに眉を寄せる。

「だからそう言っているだろう、奴らは仲間なのになぜ――」

「そうじゃなくて。私たちの、仲間なんじゃないですか? 敵の敵、だから味方っていう」

 

 何者なのかは分からないが、つまり。最初に暴れていた馬男、あれを倒そうとしたヒーロー風は。崇春たちとはまったく別に、怪仏を退治する者なのではないか? 

 

 百見は肩をすくめる。

「さて。何ともいえないが……期待はできないね。僕ら以外に怪仏と戦っている者がいるなんて――少なくともこの町では――聞いたことがない。それに、分からないことはそれだけじゃない」

 頭をかきむしって続けた。

「そもそも何の怪仏なんだ、あの二体は。ああつまり、何の仏を模した存在なのか、ということだね」

 

 賀来は言う。

「確かにどちらも、仏という格好ではなかったが……それが何なのだ」

 百見は小さく息をつく。

「怪仏は仏ではない、だが『仏を模した存在』ではある。そして因果の塊である怪仏は『仏としての伝承の影響を受ける』……何者であるかが分かれば対策の立てようもあるのさ、けど――」

 つかむように頭に手をやる。

「――何なんだあいつら」

 

 腕を組んでうなった後、かすみは思いついて言った。

「確か……馬頭(ばとう)……馬頭観音(ばとうかんのん)! そういうのいませんでしたっけ、馬の方はそれじゃないですか?」

 

 百見はかぶりを振る。

「なかなかの博識、と言いたいところだけれど。馬頭観音は別に、馬の顔をしているわけじゃあない。慈悲慈愛の仏たる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、それが六観音とも三十三観音ともいわれる、様々な姿を取るバリエーションの一つ……それが馬頭観音」

 

 続けて言う。

「その姿は三面八臂(さんめんはっぴ)――三つの顔に八本の腕――、そして頭上に小さく馬頭(ばとう)――そのままの意味だ、馬の頭――を(いただ)く。これが冠のようなものか肉体の一部かは分からないが……ともかく、馬の顔をしているわけじゃないんだ」

 

 素早く手振りを交え、早口になりながらさらに続ける。

「ただこの馬頭観音非常に興味深い仏であってね菩薩(ぼさつ)部、慈悲の仏たる菩薩の中にあってこの仏だけが憤怒相(ふんぬそう)――激しい怒りの表情――で表現される故に菩薩ではなく、仏法に外れた者を怒りを以て力づくで救う『明王(みょうおう)』部の一尊『馬頭明王』とされることもあるんだそもそもなぜ馬なのかという話だがこれはまさに馬のように――」

 

 かすみは百見の前に手を突き出す。

「あの。すみません、その辺で……というか、私の方もすみません、的外れなことを……」

 

 百見はぴたりと動きを止め、それから気がついたように苦笑した。

「いや、こちらこそすまない。それに君の意見、決して悪くなかった。そういう気づいたことがあればどんどん言ってほしい。……さて、あの馬男だが。単純に考えれば獄卒――地獄の鬼――の一種、『馬頭鬼(めずき)』か。待てよ、確か……増長天の眷族(けんぞく)である鬼神の一種『鳩槃荼(くばんだ)』あるいは音楽の精霊『緊那羅(きんなら)』も馬の頭を――」

 

 さらに百見の言葉が加速し始めたとき。ありがたいことにチャイムが鳴り、とりあえず皆席についた。

 

 ほどなく担任の品ノ川先生が来て、ホームルームとなる。

 白髪の混じる縮れ髪をかき上げて、教壇で先生は口を開いた。

「えー、さてぇ。今朝のことだがどうも、不審者が正門のところに出たそうだ。何というか……何? 馬の覆面を被った奴と? 特撮のヒーロー? みたいな格好をした者らしいが……見た人はいるか?」

 

 生徒らがまばらに手を上げる。かすみも一応手を上げた。

 分厚いフレームの眼鏡をかけ直し、先生は生徒らを見回す。

「なるほど……けがはなかったな? 何かされた者とかは?」

 

 誰も手を上げないのを確認し、先生はうなずく。

「先生も後で現場を見たが、特に壊された物とかはないようだ。被害がないから良かったようなものだがぁ――」

 

 ひびの入った門柱には、あの後ブルーシートを――斉藤が倉庫から引っ張り出してきてくれた――かけておいた。そのシートの下で崇春が守護仏の力を使い、破壊されたところを元どおりに修復した――崇春は何度もシートを外して目立とうとしていたが。その度に百見にたしなめられて、というか手にした本で一撃されていた――。

 

 先生の話は続いている。

「――だからといって、それで良し、とはできないなぁ。どうも話を聞く限り、誰かがふざけてやったという感じだが……我が校の誇りある校訓『自立と自律』、つまり規律がだなぁ、侵害されている! えー、君たち、君たちの中に――いないと信じているが――、今朝の騒ぎに関係した者! もしくは知り合いに、それをやった馬鹿ちんがいるという者! いないだろうなぁ? 巻き込まれた、けがをした者もいないな? いないなぁ?」

 

 なめ回すように生徒らを見た後、言い捨てる。

「もしいるなら後で名乗り出るように! もしくは、誰か知っている者が関係しているなら、それも言うように! そして、不審者を見かけても絶対に近づかないように!  以上!」

 そうして先生は教壇を離れ、ホームルームは終わった。

 

 



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三ノ巻12話  つなぐ二人とショータイム

 

 そうして、とにかく。百見の提案で、休み時間に手分けして校内を警戒することとなった。

 

 次の休み時間。かすみは一階を担当し、校内を歩き回っていた。賀来と一緒に。

緑の多い中庭に面した渡り廊下を歩きながら、賀来が言う。

「それにしても、まったく。今度の怪仏というやつはわけが分からないな」

 今までの怪仏とは一線を(かく)する、と百見は言っていたが。確かにそのとおりで、人目のある場所で――多くの人を巻き込むおそれのある学校で――出現している。さらにいえば、敵か味方かはともかく二体現れ、どちらもその正体――本地である人間ばかりでなく、何の仏を模しているのかさえ――分からない。

 確かにわけが分からない、のだが。

 

「まあ何だ、案外。それより先に黒幕が分かって全て解決、なんてことがあるかも知れぬな。例の罠が上手くいけば……我と、そなたの罠がな」

 もっとわけが分からないのは。今、当然のように手を握ってくる賀来だった。

 

 顔がこわばるのを感じながら――手を離したりはせず――かすみは言う。

「えーと……ですね。一つ確認しておきたいんですが。昨日言った――」

「ああ、つき合うとかそういったことか」

 

 かすみは素早く何度もうなずきながら、言うべき言葉を考える――あれは賀来さんをなぐさめるための、半ば冗談のようなものでしたし。そもそも言ったように、昨日、家に帰るまで、という話だったはずです――。

 

 前を向いて視線をそらしながら賀来が言う。

「あれはそう、あんなことがあってヤケクソで言った、半ば冗談のようなものだったのだが――」

「……ん?」

 わずかに強く、手を握って賀来は言う。

「そなたは。言ってくれた、我を守ると。ずっと一緒にいると。健やかなるときも病めるときも、死が二人を分かつまで。だから――」

 賀来はもう片方の手を額に当て、歯を見せて笑う。決して視線を合わせず、わずかに赤らんだ顔を振り回しながら。

「だから、だからなー! そこまで熱烈に我を求められるとなー! 仕方ないかなー、って! ああ、我が魅了(チャーム)の魔力が憎い……これがもてる魔王女のつらさよ」

 そう言って歩きながら、握った手をぶんぶんと振り回す。スキップする子供のように。

 

 かすみの笑顔はさらにこわばる。――なんか、私が告白したみたいな扱いになってるこれ――。

「あの、だからそれは――」

 そう言いかけたとき。

 

 賀来は不意に立ち止まり、振り回す手を止めた。握っていた指を離す。

「言ってくれたんだ、そなたは。そこにいてくれた……そなただけが、そばに。私と同じ所に、立っていてくれた」

 同じく立ち止まったかすみを置いて、歩き出しながら言う。視線をうつむけて。

「それにさ、つらいだろ? 私が冗談で言ったことだとしても、せっかくいいと言ってくれたのに。それが断わられたら、あんまりかすみが――」

 

 やがて立ち止まり、かすみの方を振り向いた。大きな目を瞬かせる。

「そうだ。……つらかったのか? かすみも、あのとき」

 

 聞いて、立ち尽くしていたかすみは目を見開いた。それから。目元が、口が。しわり、と歪む。

 その後でようやく、振り払うように笑った。足音を立てて駆け出して。素早く賀来の手を取った。

 手を引き、歩き出しながら言う。

「さあ? それより、ですね。――ずっと一緒にいますよ、健やかなるときも病めるときも。死が二人を分かつまで。……今日、学校から帰るまでは」

「え?」

 

 賀来の顔を見ず、歩きながら言った。

「恋人でいましょう」

 それはきっと、お互いに冗談なのだろうけど。それでも。

「とりあえず、今日の間だけ」

 

 賀来は何も言わず、うつむいて。ただ、つないだ手を振り回した。子供みたいに。

 やがて顔を上げ。かすみを見、何か言いたげに口を開いた。

 

 そのとき、馬男は現れた。

「――ブヒヒィン! 生き馬の目を抜くぅ! また出おったかライトカノン!」

 中庭に置かれた岩に立ち――どこから出てきたのかは分からない、気がついたらそこにいた――、長柄斧を頭上で振り回した後大見得を切る。

「――再び(わたくし)、大・参・上! さあ、今度こそ貴様をあの世に送って差し上げましょうぅ!」

 

 対するライトカノンは中庭の隅、小さな物置の上に立ち、拳を振り上げつつ馬男を見下ろす。

「――ほざくな悪の者よ! またしても学校を混乱に陥れようとは()りぬ奴め! 『極聖烈光(きょくせいれっこう) ライトカノン』、必ず貴様を止めてみせる!」

 

 周辺の生徒ら――中庭には誰もいなかったが、中庭に面した廊下にいた者ら――からざわめきが起こる。

 

「こいっつ……空気読まないなこの者らは!」

 顔を引きつらせた賀来の手を引き、馬男たちから距離を取りつつ。かすみは崇春らに連絡すべく、スマートフォンを探ったが。

 

 それより早く、聞き覚えのある声がした。

「待てぇいっっ!!」

 見れば。二階のベランダから身を乗り出し、手すりの上によじ登って。崇春が二体の怪仏を見下ろしていた。

 手すりの上に立ち、怪仏らに数珠を握った拳を突き出す。

南無阿弥陀仏(なみあみだんぶ)(ひと)目立ち、六根清浄(ろっこんしょうじょう)大目立ち! 金色(きん)に輝く毘盧遮那(びるしゃな)仏より、さらに目立った大坊主! 南贍部宗(なんせんぶしゅう)が僧、四天王が一人。このわしこそが――」

 おそらく名乗ろうとしたその瞬間。踏ん張った足下で、草鞋(わらじ)が手すりの上を滑った。

 

 同じ声を上げた、下で見ていたかすみも賀来も。横倒しになって落ちていく崇春も。

「あっ」

 

 落下しながら、さらに崇春は声を上げる。

「む……ううううううぅぅぅーーっ!?」

 運よく、落ちていく先には背の高い庭木があり。その枝葉を折り散らし――落下の衝撃を弱め――ながら、崇春は中庭の、芝生の上に下り立った。どうにか体勢を立て直し、両手両足を地について。

 手足が痺れたのか、しばらくそのままの体勢でいて。やがて遠吠えするような姿勢で吠えた。

「……増長天(ぞうちょうてん)の崇春! 怪仏退治にただ今推参じゃい!」

 

 辺りの生徒からどよめきが上がる中。怪仏らは何も言わず崇春を見ていた。

 

 崇春は立ち上がり、拳を構える。

「さあ怪仏ども、このわしが来たからには好きにはさせん! 学校の平和を守るのは、そして何より……目立つのは、このわしじゃああああ!」

 二体のうち近くにいる、馬男へと駆けて拳を繰り出す。

 

 馬男は大きく下がって拳をかわし、体の前に斧を構えた。

「――ブヒヒぃっ! 何ですか貴方はぁ! わたくしの邪魔をされる気でございますかぁっ!」

 

 崇春は数珠を手に合掌する。

「何の魂胆(こんたん)があるかは知らねども、世を乱す怪仏よ。お(んし)らが衆目の中、学校なぞに現れるならば。無関係な生徒らも巻き込まれかねん」

 合掌を解き、左手に数珠を巻きつけ。再び身構える。

(ゆえ)、その前にお(んし)らを止める! 人を傷つけ、取り返しのつかぬ事が起きる前にの……お(んし)らに取っても」

 

 馬男は太い首を振り回し、たてがみを震わせる。

「――ヒヒィン! わたくしとライトカノンの戦いを邪魔立てしようというのですかぁ、余計なことを! 貴方なぞに何が分かる、とっととすっこみおき下さぁい!」

 

 崇春はゆっくりと首を横に振る。

「そうはいかん。わしは守る、皆を。わしは救う、お(んし)らも。そしてわしは……目立つ! 誰よりものう!」

 言葉と共に駆け、連続で繰り出す。数珠を巻いた手での掌底、拝むような手刀、岩のように堅く握られた拳。

 

 斧を横倒しに構え、馬男は攻撃を防ごうとするが。その間をすり抜けた拳が手が、その腹を胸を、長い顔を打つ。

「――ブ……ヒ、ヒぃっ……!?」

悲鳴のような声を上げながら顔を背け、馬男はよろめいた。

 

(かぁ)っ!」

 そこへ崇春は踏み込んだ。腰を落とし、体重を込めた肘打ちを腹へと打ち込む。

「――ぐうっ!?」

突き刺すような打撃を受けて、馬男の顔にしわが寄り、歯が剥き出される。

 

「もろうた! 受けよ、【スシュン投げ】――」

 その隙に崇春は馬男の腕を取り、一本背負いに投げようとしたが。

「――なん、のおおぉっ! 【()ッスルパワー全開】!」

 馬男は逆に崇春の体を抱きかかえて止め、その胴をぎりぎりと締め上げる。

 

「ぐぐ……!」

 崇春の顔が歪む。

馬男はそれにも構わず力を込め、さらには腰を落とし、崇春を体ごと抱え上げた。一息に、自らの頭上へと。

「――ブヒヒ、ウマーッハッハッハ! 邪魔でございます、どこかへ引っ込んでいて下さいぃ!」

 投げ飛ばそうとしてか、再び腰を落とし力を込める、その瞬間。

 

「――受けよ正義の光弾! 我が必殺の【聖光砲(ライトカノン)】!」

 勇ましい声と同時に光の弾が飛び、馬男を打った。

「――ブヒヒぃ!?」

 破裂音と共に白く火花を散らし、馬男は吹っ飛んだ。離された崇春は芝生の上に落ちる。

 

「――間に合ったようだな。けがはないか少年!」

 目を瞬かせる崇春に声をかけたライトカノン。その右手は、いつの間にか形を変えていた。白く滑らかな光沢を持った、細長い筒のような形。その先はくびれてさらに細く伸び、先端には黒く穴が開いていた、ちょうど銃口のような。

 その姿は前腕を丸ごと、砲身にしたような形だった。

 

 崇春は芝生を体にまとわりつかせたまま立ち上がる。

「むう……よく分からんが、助けられたようじゃのう」

 

「――ああ、だがここは危険だ、下がっていたまえ!」

 ライトカノンは大きくうなずき、駆け寄った――かと思うと。

 さらに身を寄せて言った。仮面に覆われた口元に手を添え、小声で。

「――ちょっとちょっとー、困るんだよねーお客さん。ショーの最中に乱入とかされると」

「……む? ショー? じゃと?」

 

 ライトカノンはなおも小声で言う。崇春と自分を交互に指差して。

「――あなたお客さん、私たちヒーローと悪役。全然別、ね? 困るんだよねーその辺のルール守ってもらわないと」

 呆れたようにかぶりを振り、腰に手を当てて続けた。

「――観客参加型イベントのときはいいけどねー、悪役にさらわれる役とか」

 崇春の眉が困ったように下がる。

「むう、なんちゅうか……いったい何の話じゃ。いや、お(んし)らはいったい何者――」

 

 人目から隠すように身を寄せて。ライトカノンが小さくつぶやく。

「――ルールを守れない奴はなあ。死ね」

 その右手は、先端の砲口は。崇春の腹に、ぴたりとつけられていた。そこからわずかに光が漏れ、小さく火花が散り。ねずみ花火ほどの破裂音がして。

 崇春は、その場にくずれ落ちた。

「お……ごぉ、ぁ……」

 

「崇春さん!」

「崇春!」

 案じるかすみと賀来の声はしかし、ライトカノンの大声にかき消された。

「――どうした、大丈夫か少年!」

 身を起こしていた馬男へと向き直り、顔の横に握り締めた拳を震わせる。

「――おのれ悪の者め! 組みついた一瞬にこれほどのダメージを与えていたとは!  無関係な生徒を傷つけるとは卑劣な奴、許さん……!」

 

 左手で右手を支え、砲を構えた。

「――再び受けよ正義の光弾! 【聖光砲(ライトカノン)連射弾】!」

 うなるような音を立て、真っ白な光が弾丸となって降り注ぐ。乱射されたようなそれらの軌道は馬男から逸れ、渡り廊下へ飛び込むかとも思えたが。

 

「――ブヒヒぃっ!」

 馬男はそこへ跳んだ。

 自らの周囲で――馬男自身には当たっていない、中庭の地面や庭石に当たって――白く火花が散り、破裂音がいくつも上がる中で。まるで自ら攻撃を受けに行くように、そういう役を演ずるように。自らから狙いの逸れた光弾へと、自ら跳び込んだ。

「――ヒヒぃっ、バわああああっ!」

 火花を散らして盛大に吹っ飛び、倒れる。地面の上で震えるその姿は――今朝もそうなっていたように――輪郭を揺らし、今にも消えそうに霞んで見えた。

 

 倒れたまま口を震わせて叫ぶ。

「――おのれ、やってくれたなライトカノン! 次に会ったときが貴方の命日ですぅ、ご記憶に留めおき下さぁいっ!」

 辺りの生徒からどよめきが起こる中起き上がると馬男は中庭を駆け、校舎の陰へと姿を消した。ライトカノンもそれを追う。

 

 崇春は歯を食いしばり、頬を歪めながらも身を起こす。

「ぐ……ま、待てい……!」

 腹を片手で押さえながら怪仏の後を追おうとするも、その足はよろめいていた。

 

「崇春さん! 無茶です!」

 かすみと賀来は上履きのまま中庭に下り、崇春の元に走った。

 怪仏が走り去った方に目を向けたまま崇春が言う。

「ええい、わしのことは構わん! それよりも奴らを……」

 

 かすみはうなずき、百見らに連絡するためスマートフォンを探る。

 賀来は崇春に寄り添い、心配げにその顔をのぞき込んだ。

 かすみは小さく唇を噛み――歯で唇をつまむように、ほんの小さく――、それからかぶりを振って、スマートフォンを操作した。

 

 



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三ノ巻13話  双路をたどる帰り道

 

 結局、その休み時間に怪仏は見つからなかったが。

 それからも、怪仏らは何度も現れた。律儀なことに休み時間ごとに。決して授業時間にかぶることなく、数分ずつ。現在、放課後まで。

 

 靴音――いや、さくさくと軽い草鞋(わらじ)の音――を鳴らし、崇春は廊下を駆けていた。

「うおおおおおお! おのれ、待たんかああああああぁ!」

 

 ずっと先でライトカノンが声を上げる。

「――さらばだ諸君! 応援よろしく!」

 

 金色の背中はすでに遠く、廊下の先を曲がって見えなくなった。そのライトカノンが追っていた、馬男の姿はとっくの昔に見失っている。

 

 息を切らしながらかすみと百見――賀来はだいぶ後ろにいて、斉藤がついている――が、廊下の角までたどり着いたとき。その先で崇春は立ち尽くしていた。

「おのれ……また逃げられたわ……!」

 その手は固く拳に握られていた。震えるほどに。

 

 二体の行動は常に今朝と同じだった。馬男が突然現れ、名乗りを上げるライトカノンに戦いを挑む。アクロバティックな格闘戦の後、吹っ飛ばされた馬男が捨てゼリフを吐いて逃げ、ライトカノンが決めゼリフを言って追う――その後二体がどこまで行ったのか、追う度に振り切られて分からない――。

 

 一応生徒に被害はなく、学校側も一部の生徒による悪ふざけや、動画撮影などのパフォーマンスととらえているらしかった。教師らも、彼らが現れたと聞けば探しには来るものの――破壊された校門も崇春が直している以上、被害というほどのものが出ていないからか――、通報などはしていないようだ。

 生徒たちは生徒たちで、同じくパフォーマンスと見ているようだ。眉をひそめる者はいてもわざわざ教師に報告する者は少数で、むしろスマートフォンを向けたり、崇春のように彼らの後を追いかける者もいた。

 

 やがて、廊下の向こうから足音も高く、平坂が駆けてきた。

「こっちに出たって聞いたが、見たか?」

 

 崇春が大きくかぶりを振る。

「追うてはきたが……不覚、見失ったわい」

 

 片手の指をあごに当て、その手の肘をもう片方の手で支えた姿勢で。考え込むように視線を落とし、百見が言った。

「この怪仏の動き、今までのそれとは明らかに違う……、何らかの意図が感じられる」

 

 かすみたちを見回して続けた。

「整理しよう。まずライトカノンとやらが僕らの味方であるという可能性、これは無い。それは崇春を攻撃したことからも明らかだが――」

 

「当たり前だ!」

 今追いついてきた賀来が、息を切らしながら声を上げた。

 

 うなずきながら百見は続ける。

「――さらに言えば。馬男が現れたところに毎度タイミングよく現れ、なのに結果としては倒していない。だいたい、本当に倒したいならいちいち名乗らず、攻撃したら済む話だ。明らかにマッチポンプと見ていいだろう」

 

 崇春が首をひねる。

「むう? タッチ……ランプ?」

 その発言には触れず平坂が言う。

「なるほどな。筋書きのあるプロレスっつうか、まさにヒーローショーみたいなお芝居ってことか」

 

 百見はうなずき、息をつく。

「問題は。なぜそんなことをする必要があるのかということ。そして今までの怪仏とは一線を(かく)する行動に出ている……衆人環視の中で怪仏として現れ、その力の一端さえ見せた、ということ」

 

 確かに斉藤のときにせよ、黒田のときにせよ。人目につく場所で怪仏が現れることはなかった。

 

 かすみは言う。

「なりふり構わなくなった……ってことですかね、今までの怪仏が崇春さんたちに倒されてるから」

 賀来が眉を寄せる。

「いやしかし……なりふり構わなくなったとして、やることがそのお芝居? なのか?」

 

 確かにそうだ。矛盾している、わざわざ人目について、二体で争ってみせて。こちらに攻撃してくるでもなく、他の生徒を傷つけるでもない――今のところは――。

 いったい、何が目的なのだ? 

 

 百見が言う。

「考えられる理由としては。まず一つ、『それ自体が怪仏としての業』だという可能性。……つまりそういうパフォーマンスをすること、あるいは注目を浴びること。それがその怪仏の持つ欲望である可能性。まるで崇春のようにね」

 

 腕組みした崇春が重々しくうなずく。

「うむ……その意味でも、あ奴らはわしの宿敵! 負けるわけにはいかんのじゃあ……!」

 

 特にコメントはせず百見は続ける。

「もう一つは。『僕たちに対する陽動』……つまりこちらの動きをコントロールするため、わざとやっている可能性」

 

「どういうことです?」

 かすみが尋ねると百見は答えた。

「この怪仏の行動を黒幕がコントロールしていると仮定して、だが。ある種のメッセージ性を感じないかい? つまり……『やろうと思えばいつでもやれるぞ』と。『人目につこうがこちらは構わず怪仏を出す』『今は生徒に危害を加えてはいないが、その気になればいつでもできる、お前たちが間に合わないうちに』」

 

 頭をかきむしって続ける。

「実際、明らかな失態だった……結果として、帝釈天を逃がしてしまったのはね。一昨日のうちにも奴から黒幕に報告されたはずだ、僕たちが敵だと。対策を打たれていても当然だよ」

 

 聞いて、かすみの心臓が嫌な感じに跳ねる。今度の怪仏事件、そのすべてがかすみの責任のように思えて。

 もちろん実際はかすみのせいではない、賀来のせいでも。帝釈天が黒幕に報告する時間は、昨晩かすみたちと話す前にもあったのだから。

 

 それでも。帝釈天と接触したことやその居場所――いつまでもあの神社にいるかは分からないが――、黒幕をおびき出す作戦。それらについて黙っていることは、誰の得にもならない――いや、黒幕の得になる――こと。それはつまり、崇春たちに対する裏切りなのではないか? 

 

 今すぐ賀来に言おう。やっぱりあのことを話そう、と――そう思って口を開きかけたとき。

 

 口早に百見が言う。わずかな時間をも惜しむように。

「とにかく! 今後の作戦だが最優先は当然、人的被害を防ぐこと、そのためには腹立たしいが敵の策にまんまと乗せられる、そういう形になる」

 

 円次が顔をしかめる。

「あァ? なンだそりゃ」

 

「さっきも言ったように、相手はこちらにアピールしています……『お前たちが間に合わないうちに、その気になればいつでも人に危害を加えられる』と。その危害を防ぐには……こちらの戦力を分散させて、校内のできるだけ広い区域をカバーする。それしかない、だが――」

 眼鏡を押し上げて続ける。

「当然黒幕もそれは読んでいる。というより、そう仕向けるため怪仏にこんな行動を取らせている、そう考えた方がいい」

 

 円次がうなずく。

「なるほど。オレらをバラけさせて、一人ずつブッ倒そうッてか。向こうは二体いるわけだしな」

 

「もちろんそれもあります。しかし、最終的な狙いは――」

 百見は眼鏡に手をやったまま、かすみの方を見た。

 その目があまりに鋭く、まるで秘密までも見透かされているようで。かすみはわずかに後ずさった。

 

 百見は真っすぐ指差した。

「――おそらく君だ、谷﨑さん」

 

「え……」

 かすみが目を瞬かせていると百見は言った。

「帝釈天が一昨日のことを黒幕に伝えているとして、あの場にいた者が敵だとは報告されているだろう。個人個人をどこまで把握しているかは何ともいえないが……たとえば崇春は目立つしね、そこから同じクラスで関係のある者となれば、昨日今日で探ることも不可能ではないだろう。つまり」

 

 かすみの目を見て言う。

「あの場にいなかったカラベラ嬢や斉藤くんはともかくとして――もっとも今行動を共にしている以上、狙われる可能性はあるが――、谷﨑さんは把握されていると考えた方がいい。『あの場にいた関係者で唯一、怪仏の力を持たない無力な者』としてね。そして黒幕としては。僕らの戦力を分散させた後に、守る者のいなくなった谷﨑さんを狙う。人質にするかどう出るかはともかく……少なくとも、僕ならそうする」

 

 かすみはわずかに口を開いたが、何も言うことはできなかった。それより肩に重いものが、押さえつけられるようにのしかかる。

 自分が狙われている、その恐怖や衝撃も多少はあるが。

 そんなことより。自分が弱点になってしまっている、崇春たちの。足手まといになっている。

 

「……ごめんなさい」

 かすみは深く頭を下げた。重い感覚に押されるまま、深く。

「ごめんなさい、私のせいで……私が――」

 私が皆の邪魔をしている。私が皆の足を引っ張っている、帝釈天のことを秘密にしているばかりでなく。

 ――私が無力なせいで、怪仏の力を持たないせいで。皆の穴になってしまっている。

 

 そのとき。下げたままの重い肩に、さらなる質量が載せられた。厚く、熱い手。

「谷﨑。大丈夫じゃ」

 

 崇春。その大きな手は、かすみの肩をつかむでもなく引き上げるでもなく、ただ載っていた。

その重みを感じているはずなのに。なぜだかわずか、肩が軽い。

 

「大丈夫じゃ。お(んし)は守る、他の生徒も守る。怪仏は倒す、そして救う。やることなんぞそれだけじゃ、何も変わりはせん」

 

 かすみが顔を上げると。崇春は笑いもせず、ただじっとかすみの目を見た。

「だいたいそうじゃ、もしかして。怪仏の力を持っとらんことを気にしとるんなら、じゃが。とんだお(かど)違いよ……前も言うたが、怪仏なんぞ持たん方がよっぽど上等よ」

 

 小さく――しかし長く――息をついた後、百見が言う。

「何度も言ったことだが。怪仏とはすなわち『(ごう)』、人の『執着』が意思と力を持ったもの。そして仏教とは――特にその根本たる原始仏教とは――、一言で言えば。その真逆――『執着を捨てよ』という教え」

 

 かすみが瞬きしていると、百見は続けた。半目を閉じた穏やかな顔で。

「得ようとして得られず、離れたくないものともいつしか離れ、出くわしたくないものと出会ってしまい、自らの心すら思うようにならない……それらの苦しみは誰にでもあるものだが。仏教ではそれらを、『執着』ゆえに起こる苦しみ……そう(とら)えている」

 

 百見はさらに続ける。

「究極的には『生を喜ばず、死を怖れず』といった境地を理想とする……そういう見方もあるのだけれど。要は『執着や欲望の支配から離れ』『あるものを、あるがままに見る』――それが仏法の教えであり、一つの『悟り』であるのかもしれないね。ま、何が言いたいかというと――」

 

 肩をすくめて言う。

「僕も崇春も、君を責めることに執着なんかしていないし。怪仏の力も、持ってほしいとは思っていない。そういうことさ」

 崇春も大きくうなずく。

 

 その言葉の全てが分かったわけではないが。かすみがとにかく、うなずこうとしたそのとき。

 

「――ウマーッハッハッハ! 馬の耳に念仏ぅ! (わたくし)参上でございまぁす!」

「――おのれ、出たな悪の者よ! この『極聖烈光(きょくせいれっこう) ライトカノン』が容赦せん!」

 (あざけ)るような馬男の声が、高らかなライトカノンの声が。離れた場所から聞こえてきた。

 

 崇春が歯を剥く。

「おのれ、出おったか! 待てい、目立ち勝つのはこのわしじゃあああああぁ!」

 そのまま、足音も高く駆け出した。

 

 同じく走ろうとした平坂を手で制し、百見は斉藤の方を向く。

「すまない、頼みがある! その二人――」

 かすみと賀来を目で示して続ける。

「――渦生さんの駐在所まで送ってくれないか、さっき連絡したが手の離せない仕事があるそうだ、それに迎えを頼むにしろパトカーじゃ学校側が騒ぐ、それはそれで不味(まず)い」

 顔を歪め、視線を落として続きを言った。

「正直。頼みづらい、君の命を()す仕事に――」

 

 斉藤はうなずいた。

「ウス……早く、追って」

 

 百見は強くうなずく。

「尊敬する。そうだこれ――」

 斉藤に放った、それは小さな御守り袋。

「――(うち)の御守り、何の利益(りやく)もないだろうが気休めだ……頼むよ」

 それだけ言って後も見ず、平坂と共に駆け出した。

 

 



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三ノ巻14話  秘めたる疑惑

 

 百見と共に駆けながら、平坂円次は口を開いた。

「てめェ百見よォ、ずいぶんカッコいいこと言ってくれたが。オレにも何か、言うことがあンだろが」

 

 目だけを向けて百見が言う。

「ええ、確かに。ですが後に――」

 

 円次は正面から指を指す。

「昨日は渦生さんの顔を立てて、聞かないでおいたがよ。……一昨日持国天に攻撃したな、封じるだのなんだの言って。……ありゃあ何だ」

 

 指差されたまま駆けながら、百見は目をそらす。

「ですから、後に――」

「待てッ!」

 

 腕を取り、無理やり百見の足を止めた後で。手が届かない程度に間合いを取って向き合い、円次は言った。両足を自然に開き、力を抜いて手を垂らして。昨日刀を振るったときと、同じ姿勢で。

「寝首をかきたきゃやりゃあいい、オレが逆に叩き潰してやる。だがよ、理由ぐらいは先に言え。気持ち悪ィ……つうか」

 

 息をついて続けた。

「妙だ。怪仏退治に熱心なのはお前と谷﨑――つうか、渦生さんと崇春がアレすぎる――だが。そのお前がオレを攻撃して、しかも渦生さんも何も言わねェ。……あの人も、怪仏についてお前ら同様知ってるみてェなのによ。……教えてくれ。てめェはオレの敵なのか? 味方なのか?」

 

 眼鏡を押し上げて百見は言う。

「それを言って、果たして信用して――」

 

 さえぎるように円次は言う。変わらぬ表情と姿勢で――ただし下げた両手は、甲を合わせた形にしてある。百見から昨日教わった、持国天を()ぶための印。それを即座に結べる体勢。それはちょうど、剣を下段に構えた姿にも似ていた――。

「敵なら斬る。味方なら守る。どっちにしろオレは怪仏と戦う。それだけだ」

 

 百見の、眼鏡にやった指が震えた。その手をゆっくりと――空気を揺らすことさえ怖れるようにゆっくりと――下ろした。

 身じろぎもせず――視線は揺れたが、円次の顔を見たまま――言った。

「……あなたの口から、はっきりとは聞いていませんでしたが。味方なら、僕らと共に戦ってくれる、と?」

「オレは頭が悪ぃンだ。結論から喋れよ」

 

 そのままの姿勢で、ゆっくりと息を吸って吐いた後。百見は答えた。

「味方です。断言します、あなたが共に戦うというのなら。……正直、僕としては戦ってほしくはありませんが。これ以上人を巻き込みたくはない、敵としても味方としても」

 

 円次の表情は変わらない。

「だったらなンで攻撃した。そんなにいちゃマズいのか、持国天(あれ)が」

 

「いえ。逆に怒るかもしれませんが……持国天は別にどうでもいい。問題はその後に来るものです――それより、走りましょう」

 

 (うなが)されて、怪仏の声がしていた方へ再び走る。崇春の姿はとっくに見えなくなっていたが、走りながら叫ぶ声が遠くで聞こえた。

 

 百見は前を見たまま続けた。

「攻撃したのは。あなたが承知するとは思えなかったからです、持国天を封じることを。消耗しているうちに、一刻も早く封じておきたかった」

 

 前を向いたまま、目だけを百見に向けて円次は言う。

「どういうことだ」

 

「怪仏は伝承に引っ張られる、そして他の怪仏の影響を受ける。つまり、四天王のうち三尊が現れれば。残り一尊もほどなく出現する。『多聞天(たもんてん)』こと『毘沙門天(びしゃもんてん)』……四天王で最強の神仏が」

 

 走りながら平坂は眉を寄せる。

「……で?」

 

 表情を変えず百見は続ける。

「多聞天は四天王において唯一、単独で本尊として奉られる存在――その際の名が毘沙門天――。他の三尊とは完全に別格と考えていいでしょう。また、経典において他の四天王はそれぞれ一城を支配するところ、毘沙門天は三城を支配すると語られる。さらにはあらゆる災厄の流れ込む場所とされる鬼門を封じるのも――」

 

「そうじゃねェ!」

 円次は声を荒げ、それから咳払いをして言った。

「……ンな豆知識はどうでもいい。四天王最強、それも分かった。オレが聞きてェのは。仮にそいつが敵だったとして、オレとお前、崇春と渦生さん。そんだけいりゃ勝てるだろ、四天王三人と明王? がいりゃあよ。……なンでてめェは、そいつを恐れてる」

 

 目線を落として黙った後、百見は言う。

「……毘沙門天に限ったことではありませんが。怪仏の力には、まだ先がある」

「……あ?」

 

 視線を合わさず百見は言う。

「下手をすれば世界を――少なくともその一部を――変え得るほどの力が。そしていくつかのそれの、鍵となり得る存在です……毘沙門天は」

「……どういうことだ」

 

 やはり視線を合わせず百見は言う。

「長くなります、話は後に。……それより崇春はまだしも、あなたも僕も。人前で力を見せるべきではありませんが。逆に言えば証拠も何も残らない力です、映像記録さえ残らなければ。広目天は『記録する神仏(かみ)』、そうした記録にも干渉する力があります――映像を塗り潰すぐらいです、音声には気をつけて下さい――、できるだけ、僕の近くにいて下さい」

 

 円次は百見の目を見る。

「ああ。信じる」

 

 百見は前を向き、ちらりと円次の目を見る。すぐに視線を伏せた。

「すみません、でした。……色々、急に」

 

 前を向いて応える。

「気にすンなよ。ただし、オレも気にしねェ。怪仏と戦うなんて面白ェこと、どう考えても見逃す手はねェ。持国天の刀、好きに使わせてもらう」

 

「……賛同したくはありませんが。今はとにかく、人手が必要。頼みます」

 

 そのまま二人、前を向いて走る。

 

 



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三ノ巻15話  斑野高校生徒会

 

 ――一方、その頃。

 斉藤の巨体に先導され、かすみと賀来は靴箱へと向かっていた。

 

 斉藤は辺りを重々しく見回しながら、一歩一歩歩いていた。ぎしぎしと音がしそうな動きで、同じ側の手足を同時に出して。

 

 賀来が言う。

「斉藤くん、固くなりすぎだぞ。歩き方忘れておる、歩き方!」

 

 言われて斉藤が立ち止まる。本当に歩き方を忘れてしまったかのように。

 

 賀来はほほ笑む。

「斉藤くん、大丈夫だ。そなたは強い、我はそれをよく知っておる。故、何も心配はしておらぬ。だから」

 その広い背を、ぽん、と叩く。

「そなたも、我のことは心配するな」

 

 斉藤は前を向いたまま小さくうなずく。

「……ウ、ス。感謝、ス」

 

 そこから普通に――ただし何度も周りを見ながら――歩き出し。やがて靴箱に着いた。

 外履きの靴に履き替え、校舎を出たところで。その男に声をかけられた。

 

「こんにちは。三人で帰るのかな」

 まず目についたのは、男が持った黄色い旗だった。小学生の登校時に、横断歩道で交通誘導するボランティアが持つような。『みぎみて、ひだりみて』と書かれたビニール製の小さな旗。

 制服を着たその男は続けて言う。人なつこそうな笑みをたたえたまま、さわやかな声で。

「いやあ、ごめん急に。聞いてないかな、校内に不審者が出たって話」

 

 かすみは答える。

「まあ、聞いたことは」

 

 男は――かすみたちより上の学年だろうか。活動的な印象を受ける、ほどよく引き締まった体。ブレザーはその体をぴったりと覆っている、まるで男に合わせてあつらえたかのように。あるいは、彼のためにその制服がデザインされたかのように――腕に通した、生徒会と書かれた腕章を示す。

「それで僕たちが――生徒会がね――ボランティアでね。こうして下校を見守ったり、集団下校を(うなが)してるわけなんだ。ああごめん、歩きながら喋ろうか……君たちはその不審者、見てないかな?」

 

 先導するように歩く男の後をついて。校門へと向かう、両脇に植え込みの続く道を歩きながら、かすみは首を横に振った。

「いえ、見てません」

 特に嘘をつく必要もなかったが、色々聞かれても面倒だ。それに今は、早く渦生の所へ行くべきだった。

 

 前を歩きながら男はうなずく。耳や襟にかからない長さで整えられた髪はつややかというより、黒絹のような粘りを感じさせる黒だった。

「それは何より。もし見かけても、動画撮ろうとかしないですぐ逃げてね。それから先生か、僕たちに言ってくれ。ところでもう一つ教えてくれないかな――」

 

 男の笑みがそこで消えた。涼やかな目は真っ直ぐに、かすみを見ていた。その目の奥まで見透かそうとするかのように。

「――何か、悩みはないかい?」

 

 かすみの足が止まる。続けて賀来も。

 斉藤は何歩か歩いたところで不審げに振り返る。

 男の足は、かすみと同じタイミングで止まっていた。

 

 胸に手を当てて男は言う。

「力になってあげられるかもしれない、何かあれば遠慮なく言って欲しい。この斑野(まだらの)高校生徒会長……東条紫苑(しおん)にね」

 

 かすみは唾を飲み込んだ。その音が大きく鼓膜に響いた。

 来た。かすみたちの張った罠に、飛び込んできた。おそらくは黒幕が。

 それにしても生徒会長――言われてみれば学校行事で見覚えがある――。だが、確かにその立場なら。面識のない生徒からも相談ごとを聞き易いのではないか。そう考えれば、やはり。

 黒幕は、この人。

 

 指先に震えを感じて。それが酷くなる前にかすみは動いた。とにかく体を動かした。

 賀来の襟首をつかんで引き寄せ、片手で――突っ張るほどに力のこもった人差指で――指差す。

「あります、悩みあります、この子! 恋愛でっ、そう好きな人とうまくいかなくて、悩んでます! すごく!」

 

 賀来が顔を引きつらせてかすみを見るが――たぶん演技力に文句を言いたいのだろうが、こっちはそれどころではない――、かすみは手を離さなかった。そのままの姿勢でとにかくいた。

 

 黒幕は、生徒会長東条紫苑は。小さく口を開けていた。やがてその肩が震え、ぶご、と鼻の奥が鳴る。そのまま息を吹き出し、肩を大きく揺らして。笑っていた。

「ちがっ……ごめん、そうじゃない、そうじゃないんだよ! いや悪かっ……ふふ、あははは!」

 

身を折り曲げ、手を一つ叩く。大きく息をついてから言った。

「あー面白かった……いや、ごめん笑って。違うんだ、聞き方が悪かった。何かこう、学校の設備への不満とか、行事への意見とか。いじめみたいな問題とか。そういうのあったら聞きたいな、って。いや生徒会長に恋愛相談されても……ふふ」

 

 また思い出したように小さく笑う。定規で引いたように整えられた、斜めに伸びた前髪を気取った仕草でなでつけた。

「いやしかし、僕もそれだけ恋愛経験豊富なモテ男に見られた、ってことかな? この希代の激イケ生徒会長、東条紫苑がね……! ふふ……ははは、あーっはっはっは!」

 

 背を反らせて高らかに笑う生徒会長を見ながら。指差していたかすみの手は、いつの間にか下がっていた。

 

 未だかすみの手に首根っこをつかまれたまま、賀来が言う。

「こいつ……かなあ?」

 かすみは首をかしげる。

「いや……さあ……」

 その後で思い出して、賀来から手を離した。

 

 そのとき。低い、女の声が聞こえた。

「まーた会長のご乱心だぁ……」

 かすみたちの後ろから歩いてきたのは。生徒会の腕章をつけた女子だった。

 光沢のない黒い髪はその一本一本が、まるで草むらのように思い思いの方向へ曲線を描いている。それらは襟にかからない位置でばっさりと切られていた。よほど使い古したのか、くすんだ色になったスカートは、すねの中ほどまでを隠すほど長い。

 

 女子は分厚い黒のフレームをつまんで持ち上げ、眼鏡の向こうからやぶにらみの視線を会長へよこした。

「ていうか。何やってんですか、見守り活動の途中でしょうが。何をバカ笑いしてんですかバカなんですか」

 そして、かすみたちへ深々と頭を下げる。

「すみません、うちの会長。見てのとおりの有様なんです」

 

会長は気取った仕草であごに手を当てる。

「そう……見てのとおりの伊達(だて)男。抱かれたい生徒会長ナンバーワン……東条紫苑です」

 

 かすみたちの方を見たまま女子が言う。会長を指差して。

「本当にすみません、バカなんですこいつ」

 会長は笑みを崩さない。

「ふ。鈴下(すずした)さん、君のそういうところ……会長、結構好きです」

 

 鈴下と呼ばれた女子は何度か手を叩く。

「はい皆さん帰りましょうねー、あとキモかったらキモいって言っていいですよー」

 

 かすみは賀来と目を見交わす。

 黒幕は『悩みを持った人間の相談に乗る、斑野高校の男子』。その意味では先ほどの言動から、生徒会長は完全に当てはまる。当てはまるのだが。

 

 賀来の眉が悩ましげに歪み、かすみも同じ表情になる。

 どうする? もう少し様子を見た方がいいのか? 

 

 思っている間に、会長が鋭い声を上げた。

「しっ! 静かに」

 立てた人差指を口元に当てた、会長の視線の先を追うと。校門までの道に沿って続く植え込み、その一角が。がさ、がさ、と小さく揺れていた。

 

 かすみたちの動きを手で制し、会長は植え込みを見守る。

やがてそこから顔をのぞかせたのは。くすんだ色をしたネズミだった。ネズミはすぐに顔を引っ込め、それきり音はしなくなった。

 

 ほ、と会長が息をつく。

「良かった……不審者でも潜んでいたらと思うと、焦ったよ」

 表情を変えずに鈴下が言う。

「はいはい。そのときはこの生徒会長が、命に代えても守ってくれますからねー皆さん」

 

 会長は何か考えるように腕組みをする。

「うん、それはそうなんだが。一つ気になることがあってね。……なぜネズミがいたと思う?」

 

「なぜ、って……」

 つぶやいた後でかすみは思う。この町は田舎だ、学校の最寄り駅でさえ無人駅なぐらい。そもそも通っている私鉄に、有人駅が終点ぐらいしかない。山も田畑も多い以上、野ネズミぐらいは出るだろう。

 

 斉藤が口を開く。

「エサがある、から……スか」

 

 会長は何度もうなずく。

「それはそのとおりだね。人がいて食事をする以上、エサとなるものは出る。残飯の類の他にもネズミなら草木の種なども食べるわけだし。だが……それらを無くすことは不可能だ」

 

 かすみは目を瞬かせる。

 何の話をしようとしているのだ、この人は。

 

 会長は植え込みを指差す。力を込めた指で。

「問題はあれ! 隠れ場が――身を隠せる茂みなどが――あることなんだ」

 かすみたちを見回して続ける。

「野生動物は皆臆病だ、可能な限り身を隠して行動しようとする。特にエサ場まで隠れ場となる草木の茂みが続いていることが彼らにとって理想。そうした場所を彼らは縄張りとして、度々姿を現すこととなる、つまり! あの状況を放置すれば、野生動物との接触による生徒の事故が懸念される……イノシシとか!」

 

「イノシシ……」

 確かにこの町でも、山に近い土地では何度も出ていると聞いたことがある。田畑を荒らされる害が出ているとも。しかし、学校にまで現れるものだろうか。

 

 拳を握って会長は言う。

「すなわち! この気配りのできる生徒会長、東条紫苑の出番というわけだよ! ちょっとあれ刈ってくる」

 

 かすみは思わず言った。

「え、それ、勝手にやっていいんですか」

 

 走り出しかけたところで足を止め、会長はかすみの方を向く。

「刈るといっても接地面辺りの枝葉を落とすだけさ、それで足元が見えるから隠れ場としての機能はなくなる。それに、うちの生徒会にはボランティア活動の伝統があってね。その実績のおかげで、敷地内の草木は自由に手入れしていいと先生方からお墨付きをいただいている」

 見下ろすようにかすみに目をやり、あごに手を当てて言う。

「これが一般生徒と、斑野高校生徒会の差。これが……権力だ」

「は、はあ……」

 ひとかけらもうらやましくはないが。

 

 思いついたように、かすみたちを見回しながら身を乗り出す。

「あ、そうそう! 良かったら君たちもどうだい、生徒会やってみない? だいぶいいらしいよー、内申点」

「いえ、私たちは別に――」

 

 聞いていないかのように。会長は笑顔を鈴下に向け、手を一つ叩くと早口に言う。

「よーしかわいい後輩候補だ、丁重におもてなししてくれたまえ! ああそうそう、生徒会では恋愛相談は受けつけてないけれど。特に、鈴下さんには言わない方がいいよー」

「いや、だから別に――」

 かすみの言葉も聞かずに会長は言う。自らの胸を親指で指して、低い声で。

「後輩ども、早く昇ってこい……この俺の、生徒会長の権力の座までな。……くくく、ははははは!」

 

 かすみたちは口を開けたまま、会長が走り去った方を見ていたが。

 やがて賀来がぽつりと言う。

「あれは……絶対違うな」

 同じ表情でかすみも言う。

「ええ……はい」

 

 そのとき。二人の間にのっそりと、鈴下が体を割り込ませた。

「じゃ、これ」

 かすみに、自分が持っていた旗を押しつけてくる。

「え?」

 

 鈴下は眼鏡をつまんで持ち上げ、やぶにらみの目をしばたかせる。

「え、じゃありませんよ。会長にあなたたちのこと頼まれましたからね。……あの人がほっぽり出したここの仕事、手伝ってもらいますね」

「え」

 

 眼鏡を持ち上げたまま、鈴下は、ずい、と顔を寄せる。

「それに。恋愛の話とやら、このわたしが聞いて差し上げましょう」

「え?」

 

 鈴下はメモ帳とペンを取り出す。

「斑野高校文芸部員、生徒会書記兼任。鈴下(すずした) (つむぎ)……取材させていただきます」

 構えるようにメモとペンと持ち、再び、ずい、と身を寄せる。

 

 



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三ノ巻16話  夕日の下で

 結局そのまま鈴下と一緒に、見守り活動を手伝うことになった。

 校門の方では会長が、ジャージ姿で植木バサミを手に植え込みと格闘している。意外に慣れた手つきで、作業のかたわらには道行く生徒らに気をつけて帰るよう声をかけたりもしている。

 

 見守り活動の合間に、鈴下は執拗に賀来に話しかけ、恋愛について聞いてきた。

 その話題を適当に流していた賀来だったが、いつの間にかぽつぽつと、かいつまんで話し出した。

 

 鈴下の有無を言わさぬ聞き方に、話してしまうのも分かるが。お願いだから、少し離れたところにいる斉藤――ずっと無言、無表情でいる、ある意味いつものとおりではあるが――の気持ちも考えてあげてほしい。

 そして、斉藤の横にいるかすみの気持ちも。本当に。

 

「うう~ん、なるほど……」

 大まかなところを聞き終えた鈴下はペンを走らせる手を止め、何度かうなずいた。

 

 視線を泳がせながら賀来は言う。

「あ~~、と、まあそんな感じなのだが……先輩は、何かアドバイスとか。せっかくだし」

 

「え? ああ――」

 鈴下は目を瞬かせた後、ぽん、と賀来の肩を叩く。

「――がんばれよ」

「一言!?」

 賀来が声を上げると、鈴下は眉をひそめた。

「いや、別に。話を聞くとは言いましたが、生徒会として恋愛相談まで受けるわけでは」

 

 だったら何で聞いたんだ。かすみは横でそう思った。取材だの何だのとは、そういえば言っていたが。

 そこまで考えて、ふと思いつく。男子という黒幕の条件からは外れるが。鈴下も他人の悩みを聞いている――本当に聞いているだけだが――。

 あるいは、黒幕ではないにせよ。その協力者、という可能性はないか? 悩みを持つ人間を探し、黒幕に報告するといったような。だとしたら今後も何度か接触してくるはず、そして最終的には黒幕を連れてくる。

 

 かすみは二人の方に行き、口を挟んだ。

「そうだ、先輩。これからも何度か、相談に乗っていただいても――」

 

 メモを繰りながら鈴下は言う。

「いえ。そんなに面白いネタでもなかったんで、結構です」

 

「結構、って……」

「面白……」

 かすみと賀来がそれぞれに絶句していたとき。

 

「ウス」

 斉藤が鈴下と、二人の間に巨体を割り込ませる。かばうように。

「先輩……オレら、手伝ったんで。そろそろ、帰ります……ウス」

 かすみからは大きな背が見えるばかりで、表情はうかがい知れない。

 

 鈴下が口を開け、目を瞬かせる。慌てたようにメモとペンをしまい、頭を下げた。

「あ~、申し訳ない。すいませんほんと、デリカシーがなくて。取材となるといっつもこうで」

 髪のもつれる頭をわしゃわしゃとかく。

 

 そのとき。

「いやー、やったよ皆! 会長頑張ったよほんと!」

 赤く染まった空の下。植木バサミを片手に、髪やジャージに葉っぱをまとわりつかせた会長が、手を振りながら走ってくる。

 袖で汗を拭ってから言った。

「ほら、見てくれこの成果!」

 校門へと続く道沿いに植わっていた背の低い植え込みはそれぞれ、接地面付近を刈り込まれていた。全体としては丸い形に整えられており、植え込みとして不自然な形ではない。

 

 かすみは言う。

「すごい……よくこんなにできましたね、この短時間に」

 

 会長は拳を握って言う。

「ああ、これが俺の力……いや、斑野高校生徒会長の力だ……! さて」

 手を一つ叩く。

「後は、皆で掃除するだけだ!」

 

 よく見れば。刈った後の枝葉は、辺りの道に散らばったままだった。

 

 鈴下が息をつく。

「会長……片づけ終わるまでがボランティア活動、いつもそう言ってましたよね」

 ごまかすように会長は笑う。

「ま、まあそうだけど! 皆でやろうよ、そうだジュース、ジュース買ってくるから!」

 

 会長が走り去るのを見た後で、斉藤がかすみたちの方を振り向く。

「ウス……どうする、スか」

「まあ、ここで帰るのもちょっと……手伝いましょうか」

 

 

 

 

 掃除自体は手早く終わり、会長がジュースの缶を辺りに――靴箱前のコンクリートの地面に――並べる。

 その横に座り込み、全員に紙コップを渡して会長は言う。

「さあ、どうぞ好きなものを。お礼の気持ちだ、会長自らお(しゃく)させてくれたまえ」

 

 並んだ缶――粒入りオレンジ、ナタデココとぶどうの粒入り、アロエとぶどうの粒入り、ナタデココ入り乳酸菌飲料――を眺めて鈴下はため息をついた。

「自分一人の好みを押しつけるのはやめて下さい。会長は粒入りジュースが大好きでも、粒入りジュースは会長のことを忌み嫌っているんですよ」

「論点すり替わってない!? 君につぶつぶジュースの何が分かるんだ……まあとにかく、皆遠慮しないで」

 

 それぞれが選んだジュースを、会長が紙コップに注いでいく。会長自身は慎重にナタデココとぶどう、粒入りオレンジを七対三の割合で注ぎ、わざわざ持ってきていたスプーンでかき混ぜた。

 鈴下は息をつく。

「『シオンカクテル』……いつものやつですね」

「ああ。君はこれだったね、いつもの」

 粒入りのおしるこ缶を手渡す。

「ええ。これの冷た~いのが美味しいんですよ」

 鈴下は普通に口をつけ、何口か飲んで満足げにうなずいた。

 

 かすみたちもそれぞれジュースを口にする。

そしてふと、かすみは思った。

 こちらに全く収穫はなかったけれど。崇春たちはどうしているのだろう。

 



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三ノ巻17話  再び、追う

 

 ――一方、そのかなり前。

 

「おのれええぇ! 待て、待たんかああああぁぁ!」

 叩きつけるような足音を三階の廊下に響かせ、崇春は怪仏を追っていた。

 

「はっはっは! さらばだ諸君、また会おう! 次回の私に()うご期待! 極聖烈光(きょくせいれっこう)ライトカノン、応援よろしくうううぅ!」

 その遥か前をライトカノンが、声を響かせながら廊下の角を曲がる。

 

 崇春は角の手前で足を止め、ブレーキをかけつつ――草鞋(わらじ)なのでどうしても滑る――滑走。その数瞬に大きく息を吐いて吸い、呼吸を整える。

 そこから方向転換し、再び足を動かそうとしたそのとき。

 

「どこだ、こっちかおらァ! ……って、だああッ!?」

 反対側から駆けてきた円次と正面からぶつかり、お互いが倒れる。

 

 円次が顔をしかめて立ち上がる。

「畜生……またかよオイ!」

 

 この放課後に、怪仏らは何度も現れた。崇春らは当然それを追いかけたが、いずれも見失っている。

 それは今回のように二方向から追った――偶然そうなった場合も、連絡を取り合って追い詰めようとした場合もあるが――状況でもそうだった。

 

 円次は舌打ち一つ、腹いせのように横の教室の引き戸を蹴る。それは大きな音を立てたが、室内に反応する者は誰もいなかった。放課後だから、というだけではなく。普段から使用されていない空き教室だった。

 

 しばらくして、息を切らして百見が駆けつける。

 立ち尽くす円次と廊下に腰を下ろしたままの崇春を見て、何も言わず息を整える。

 

 崇春は床を叩いた。

「おのれ……なぜじゃ! なんであとわずかのところで、いつもいつも逃げられるんじゃい!」

 円次も口元を歪める。

「ああ、まさに神出鬼没ッつーかよ……」

 

 百見の眉が不意に、ぴくりと動く。

「神出鬼没……、なぜ、か……。そうだ、それがおかしい……整理しよう」

 あごに指を当て、その手の肘を反対の手で支えながら言う。

「まず、僕たちが奴らを追いかけてきて。どうやって逃げられてきた?」

 

 崇春が言う。

「そりゃあ、ものすごい速さで振り切られたりじゃが――」

「それがまずおかしい。僕や谷﨑さんならともかく、崇春の足をそんな簡単に振り切れるのか? 仮に振り切れたとして、あの目立つ格好でどこまで走るんだ? 行く先々でもっと騒ぎが起こるはず。そうすれば僕らも、それを聞きつけてさらに追跡できただろう」

 

 円次が眉根を寄せる。

「つまり……どっかで消える、ッてことか? 瞬間移動的な?」

 百見は小さく首をひねる。

「もちろん、あの怪仏がそうした能力を持っている可能性もありますが。僕らはその瞬間を見たわけではない。あの目立ちたがり屋の怪仏なら、これ見よがしに目の前で使ってもおかしくないのに」

 目立ちたがり屋、と聞いたところで、崇春が強く拳を握る。

 

 それには取り合わず、百見は続けた。

「怪仏ならおそらく、本地(ほんじ)――本体たる人間――がいるはず。もちろん先日の帝釈天のような、本地を持たない状態の怪仏も存在はしますが。業を得て真の力を発揮するには、本地の存在が不可欠」

 

 円次がさらに顔をしかめる。

「じゃあ何か、その人間が消えたりしたっての……ン? あれ、違うか……そうか、人間に戻りさえすりゃ、その辺にまぎれ込めるッてことか」

 

「ええ。ただし『人目につかない所で怪仏の姿を解く』ことが必要ですが」

 円次はまたも頬を歪める。

「人目につかないッてどこだよ、学校でよ。だいたいそれでも変だろ、さっきもだけどよ。二方向から追ってきてどこにもいないッて何だよ」

 

 百見は肩をすくめてみせた。

「さあ。どこかに隠れているんじゃないですか? 人目につかない所に」

 円次は荒く波打った髪をかきむしる。

「さあじゃねェよ、どこだよ隠れるッて! こことかだって鍵が――」

 言いながら引っ張ってみた空き教室の引き戸は、確かに鍵がかかっていて。音を立てるばかりで開かなかったが。

 円次はその手を不意に止めた。

「――かかって、って。……鍵?」

 

 百見はうなずく。

「単純な話。空き教室、専門教科の教室、倉庫や準備室……それらのマスターキーを、仮にそいつらが持っていたなら。ずいぶん増えるでしょうね、人目につかない場所、隠れる場所の選択肢が。――崇春!」

 

「応よ!」

 立ち上がる崇春は、大きな拳を分厚い手で、固い音を立てて握り鳴らす。

 

 百見は高らかに声を上げる。

「さあ()け崇春、この扉を叩き壊せ! できるだけ静かに! そして後で直すとき、最小限の能力で済むように! あと破片とかこっちに飛び散らないように、できればほこりも立てないように気をつけて――」

「注文多いなオイ……」

 円次のつぶやきも、百見の注文も聞いていたかどうか。

「どっせえええぇい!!」

 崇春は肩から突進し、両開きの引き戸を二枚同時にぶっ飛ばした。盛大な破壊音と共に。

 

「君は馬鹿かっ! 静かにやれと――」

 百見の声が響く中。空き教室の後ろ、備えつけの掃除用具入れが。破壊音に驚くように、がたり、と震えた。

 

 



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三ノ巻18話  窮馬、仏を嚙むか

 

 崇春は唇を湿し、再び拳を握り鳴らす。

「さあて……どうやら追い詰めたようじゃの。さすがのお(んし)もこれでいよいよ、目立ち年貢(ねんぐ)の納め時じゃあ!」

 そして拳を構え、掃除用具入れへと駆けた。

 

「――ブヒヒィッ!? 千軍万馬ぁ!」

 崇春が拳をその戸へと叩きこむ前に。中から馬男が飛び出し、床に転がって身をかわした。

 

 崇春はそちらへ向き直り、構え直す。

「む……? お(んし)か、もう一方の(もん)かと思うたが。奴は、ライトカノンとやらはどこじゃあ! まとめて相手をしてくれようわい!」

 

 立ち上がった馬男は長柄の斧を床に突き、胸をそびやかした。

「――ほう、奴と戦いたいと……よろしいでしょうぅ! ならばわたくしも奴と戦います、あ奴こそは不倶戴天(ふぐたいてん)の敵! すぐに連れてきて下さいぃ! さあ! さあぁ!」

 斧を構え、素早く辺りを見回す。

 

「いや、とんち小僧みてェなこと言ってンじゃねェよ」

 円次が――教室を入ったところですでに印を結び真言を唱え、持国天から刀を受け取っている――そうつぶやいた。

 

 百見が――その傍らには、同じく広目天がすでにいた――万年筆で馬男を指す。

「心配はないさ、お前を封じた後に奴もそうする。大体、何が不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だ。お前たちの争いがマッチポンプであることはもう分かっている」

 

「――マッチ……ポンプ?」

 馬男は目を瞬かせる。白目が大きく、顔の横についているせいで、どこを見ているのか分からない目を。

 そして身を折り曲げ、腹を抱えて笑い出した。

「――ヒヒヒぃンっヒっヒ! ブヒヒヒヒン! マッチポンプ、マッチポンプですと言うに事欠いて! いったい何を、今まで何を見てきたんでしょうかなぁわたくしたちの死闘の!」

 

 百見の眉がひくり、と動く。

「死闘だって? あれのどこがそうだというんだ。わざわざお前から攻撃に当たりに行くような、ただのお芝居を」

 校門に現れたときのキックもそうだが、その後で怪仏を追ううちに百見も何度か、馬男が自ら【聖光砲(ライトカノン)】を食らうのを見ていた。

 

 ぶふー、と長く鼻息をつき、馬男はゆっくりとかぶりを振った。大きな鼻の穴をひくつかせながら言う。

「――お話になりませんねぇ。貴方様方とこうしていても時間の無駄骨、馬の骨ですぅ……失敬させていただきます! バあああぁっ!」

 声と共に、斧を横殴りに床へと叩きつける。表面のリノリウムごとえぐられた、コンクリートの破片がつぶてとなって三人を襲う。

 

「ぐ……!」

「しまっ……」

 

 円次や百見が顔をかばい目をつむる、その隙に馬男は駆け出していた。踏み潰したような足跡を床に残し、並んだ机を椅子を跳ね飛ばしながら廊下へ。

 

「――ウマーッハッハ! どうです、わたくしの【()ッハダッシュ】についてこれる者なぞ――」

「……ジハタエイ・ソワカ、オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ。オン・ビロダキャ――」

 崇春はそこにいた。半目を閉じて一心に真言を唱え、両手は馬男の衣を背中からつかんで。草鞋が焦げ臭く煙を上げながらも、ジェットスキーのように引っ張られ、床の上を滑って。馬男に、ただ一人ついてきていた。

 

「――な、離せ、お離しなさいぃ!」

「そうはいかぬ! そうりゃああ!」

 背後を振り向いたまま走り続ける、馬男の衣を手綱(たづな)のように引き。その進路を無理やり変える。

 

 本来の進路を直進すれば、二人とも壁に激突するところだ――が、無理に進路を変えた今も。このスピードで、到底曲がり切れるものではなかった。

 

「――ブヒぃっ!?」

 前に視線を戻した馬男は驚いたようにいななき。背後から引かれて、横に進路を変えながらも足を止め、ブレーキをかけようとしたが。

もはや足は床の上を滑るばかりで、何の歯止めにもならない。

 

 背後から引かれて斜めに滑走する馬男の――背後に引かれて共に疾走する崇春の――目の前に壁が迫る。

 

「どっせえええぇいっっ!」

 両足を強く踏み切り、砲撃のような音すら立てて。崇春は跳んだ。

「――ヒヒいっ!?」

 無理やり引っ張られて馬男も跳ぶ――目の前の壁へ。そして背後から崇春に押され、体勢を変えられ。

 

 激突した、壁に、斜めに。ただし足から、二人とも。そして二人とも、疾走の勢いをそこで殺すことはできず。

 結果、そのまま走っていた。二人とも壁の上を、床と並行に。

 

「――ヒヒヒヒぃぃぃっっ!?」

 そのまま廊下の壁を駆け、窓ガラスに足を突っ込みかけて。危うく跳んで窓枠に着地、それでも勢いは殺せず高速で足を継ぐ。次から次へと窓枠を狙って。

 

 やがて窓の地帯を通り過ぎるも、今度は階段で足場が――壁が――途切れる。

「なんのおおおぉっ!」

 崇春が馬男を引っ張って跳び、階段の真ん中――上り階段と下り階段の間、その手すり――に足をかけ。また跳ぶ。

 

 今度は廊下の、教室側の壁に着地。なおも勢いは衰えず――今度は進路を調整し、窓ガラスはよけられた――、教室の窓枠を揺らしながら走る。

 

 いつの間にか馬男の横で、共に走りながら崇春は言う。

「さあてと。これなら邪魔は入るまい、一丁一対一(サシ)でやろうかい!」

「――……へ?」

 口を開ける馬男に、崇春は拳を掲げてみせる。

「どちらかの、脚が止まるか手が止まるか。それまで一つ(おとこ)勝負、どつき比べといこうかい!」

「――え、ちょっ、待――」

「わしからゆくぞ、【スシュンパンチ】じゃああ!」

 戸惑う馬男の横面に、走りながらの拳がめり込む。

「――ブヒぁぁぁあ!?」

 

 悲鳴を上げる馬男――それでも脚は止まらない――を引っ張り上げ、崇春はまたも跳んだ。階段を越えた先、直角にそびえ立つ次の壁へと跳び上がり、体勢を入れ替えて脚から着地。その勢いのままさらに走る。

 

「さあ、次はお(んし)の番じゃい! このわしの(つら)、ガツンと殴って目立ったらんかい!」

「――いや、だからっ、待――」

「ええい、遠慮は無用じゃい! どうしても遠慮するっちゅうなら……わしの顔の方からゆくぞ! どっしゃあああ!」

 そうして、振りかぶるように頭を後ろへ引き。顔面から――頭突きというよりまさに顔面から――、馬男の顔へと叩きつける。

「――がっ、なあああぁ!?」

 鼻血を吹いてのけ反る馬男に、自分の胸を叩いてみせ。なおも崇春は呼びかける。

「さあさあさあさあ、どんと来んかい! どうしても来んというんなら――こちらからゆくぞ」

「――ひ、ひぃぃ!!?」

 

 悲鳴に構わず、崇春は再び頭を振りかぶる。

「おおおおっ! 【スシュン(ガン)】! 【スシュン(ガン)】! 【スシュン(ガン)】【スシュン(ガン)】【スシュンパンチ】! 【スシュン(ガン)】【スシュン(ガン)】【スシュンパンチ】【スシュン肘】! 【スシュン肩】【スシュン腰】【スシュン顎】――」

 

 拳の跡がへこみ、あるいは腫れて。口から泡を散らし、変形した顔で馬男は叫ぶ。

「――ブルルル……ヒヒィン! もう、もう許しませんん! 貴方には愛の(むち)が必要なようですねぇぇ!」

 両手で斧を構え、刃を振るうのではなく、そのままに柄を突き出す。それは崇春の打撃を阻みつつ、胴体へ横一文字の打撃となった。

 

「む……!」

 崇春が(うな)る間にも次の打撃が跳ぶ。その次も、その次も。

「――ウマあああぁっ! 【()ッスルパンチ】! 【()ッスルパンチ】! 【()ッチョ首】【()ッハ(ヘッド)】【()ニッシュチョップ】【()イ・ベスト張り手】! さらに【()ッスルパンチ】! 【()ックスタックル】!」

 

「むぐう!」

 肩からの突進に跳ね飛ばされ、崇春は距離を取ったところで――未だ壁を駆けながら――踏みとどまり、さらに駆ける。

 だが。そこで、双方の間合いが変わっていた。今までのようなほぼ密着ではなく、数歩の距離――崇春なら助走をつけた打撃を放てる、馬男ならその武器を振るえる。両者に取って必殺の間合い――。

 

 崇春が叫び、馬男が()える。

()あああぁぁっ!」

「――ブヒヒイイィィンっ!」

 

「【真・スシュンパンチ】!!」

「【()(こう)両断撃】!」

 輝く甲冑(かっちゅう)を身に着けた鬼神の大拳(たいけん)、そのヴィジョンをまとった崇春の拳。

 両手で柄を握り締め、横殴りに振るう馬男の斧。

 それらが今、交錯する。

 

 ――が。

「――ヒヒィ、ン……はっ!?」

 突如、馬男の手が緩む。斧は速度をたちまちに失い、崇春に到達する手前で動きを止めた。

「むう……!?」

 それに気づいた一瞬、崇春もまた拳を緩めた。鬼神の大拳はたちまちに輪郭を失い、崇春の拳もまた、馬男の寸前で止まった。

 

 同時、二人の脚も緩まっていた。教室の壁を斜めに、落ちるようにして慣性で走りながら。廊下へと、二人まとめて横様(よこざま)に倒れた。そのまま、もつれるように廊下を転がる。

 やがてどちらもあお向けに倒れる。大の字になった二人の、荒い息が廊下に響く。

 

 そのまま呼吸を整えながら崇春が天井を眺めるうち、二人分の足跡が遠くから響いてくるのが聞こえた。百見と円次が追ってきたのだろう。

 

「ぐ、むう……」

 額に手を当て、かぶりを振りながら崇春が身を起こす。倒れたままの馬男に問うた。

「なぜじゃ。なぜ、手を止めた」

 

 震えながら身を起こした、馬男が口を開く。

「――ふん。馬鹿ちんが……たとえ怪仏となったにせよ、正当防衛でもなくば。生徒に手を上げることなど――」

 

 そのとき。

「――悪よ滅びよ! 【ハイパー・聖光砲(ライトカノン)】!!」

 いつの間に現れたのか。ライトカノンが右手の砲身に、(たぎ)るような烈光を(たた)え。それを、一抱えもある弾丸として放つ。馬男の背へ。

 

「――バ……があああ、ああ、ぁ……」

 目を口を見開き、倒れ伏す馬男。その体は輪郭を揺らめかせ、光の(ちり)となって消え。

 後に残されたのは。横たわる、眼鏡をかけたスーツ姿の男、白髪混じりの縮れ毛の。

 

 崇春らの担任、品ノ川先生がそこにいた。

 

 



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三ノ巻19話  敵と味方とその正体

 

「何じゃと……先生、無事か先生!」

 崇春がその体を揺さぶると、先生はつむったままの目元をしかめてうめき声を上げた。息は問題なくあるようだった。

 

 立ち上がり、ライトカノンを崇春は見据える。

「まさか先生が、馬男の正体とは思わなんだが……なぜじゃ。お(んし)らが争うちょったのはタッチランプ……いやマッチポンプのはず。なぜ自ら手を下したんじゃ」

 拳を構えながら言う。

「お(んし)……いったい何(もん)じゃ」

 

両手を腰に当て、胸を反らせてライトカノンは笑う。

「――はーっはっはっは! 何者? 何者だと? これはこれは笑える問いだな……答えは目の前に転がっているだろうに!」

 倒れたままの先生を大きな動作で指差す。

「――私の正体は、それだ」

 

「何……?」

 崇春は眉を寄せる。

 

 そのうちに追いついた、百見と円次が姿を見せた。

 百見は息を整えつつ、ライトカノンに厳しい視線を向ける。

「話は聞かせてもらったが。不自然だ、一人の人間が本地となり得る怪仏は一体のみ。そして仮に、お前の話が正しいとしてもだ。同じ人間の怪仏同士、争う必要などないはず」

 眼鏡を押し上げて続ける。

「今までのようなパフォーマンスなら、そういう業として納得もできるが。だったら逆に、本当に攻撃する必要などない。どういうことだ」

 

 ライトカノンは大きな動作で指を振り、何度か舌打ちをしてみせる。

「――分かっていないな少年。確かに、ヒーローショーのような言動に縛られるのは我々の業だが。だからといって、あれは別に、パフォーマンスというわけではない」

 

「何……?」

 百見が目を瞬かせる横で、崇春が口を開いた。

「待てい……確かに。確かにそうかもしれん」

 倒れている先生を見やって続ける。

「さっきのもそうじゃが。馬男は自らを守る反撃の他、誰かを攻撃してはおらん……校門で最初に現れたときもそう、ライトカノンと争うただけで、生徒には何もしておらん。次に現れた中庭では、反撃にわしをぶん投げようとはしちょったが。逆にあれは、怪仏同士の戦いからわしを遠ざけようとしちょったんではないか? 言うちょったはずじゃ……邪魔をするな、どこかにすっこんでいろ、と」

 

 円次が口を開く。

「その後もまあそうか、二体が戦って馬男が逃げて、だ。他の奴が巻き込まれたりはしてねェはずだな」

 

 大きくうなずき、崇春は言う。

「そればかりか、今にして思えばじゃが。むしろ馬男はわしらを、生徒を守っておったのではないか? 初めて現れたときのライトカノンの蹴り、中庭での光弾の乱射。的外れなそれをまともに食らってみせる、というパフォーマンスではなく……」

 

 口を小さく開けていた、百見がつぶやく。

「……身を(てい)してかばった、か。故意か狙いを外してかはともかく、ライトカノンが生徒を巻き込もうとしたのを。つまり――」

 ライトカノンを見据えて続ける。

「敵か味方か、という問いの答えは。ライトカノンは明確に敵、馬男はむしろ味方……少なくとも敵ではない、か」

 

 ライトカノンは腰に手を当て、背をのけ反らせて笑う。

「――はーっはっはっは! 今頃気づいたか少年たち、察しが悪くて驚いたぞ! この早くも話題沸騰、皆のヒーロー・極聖烈光ライトカノンは君たちの敵! だ!」

 親指で力強く自らを指し、腰を落とし片脚を伸ばしてポーズを取る。

「――そして、心から礼を言おう。その男、倒そうにも逃げ足が速くてな! 君たちの助けがなくば、到底追いつけなかっただろう!」

 

 倒れた先生を指差してそう言い、またのけ反って笑った。

「――はっはっは! まあ、その男も私を倒そうとはしていたようだがな! だが無駄だ、ヒーローは常に勝つ! 勝つのがヒーロー勝つのが正義! 同体の怪仏とはいえ、負けるものか!」

 

 百見の眉が動く。

「同体……つまり本来は一体の怪仏、それで正体が一人、か。しかしなぜ争って、だいたい何の怪仏、馬男とヒーロー、ライトカノン、ライト・カノン……」

 つぶやいていた百見が急に目を見開く。

「……! そうか、結局それか……答えは出ていた、正しかったんだ、彼女は」

 

 ライトカノンが――砲口を備えていた右手はいつの間にか元に戻っている――両手の指を組んで印を結び――両手の指を組む、互いの掌へ押し込む形で。ただし右の親指だけを外へ出して伸ばす――、真言を唱える。

「――念彼観音力(ねんぴかんのんりき)! 我を想い、我へ願い、我を称えよ! 皆が憧れ救いを求める、偉大なる偶像こそが我! 我は怪仏・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。六観音が一尊にして正調、正しき怪仏こそが我! オン・アロリキヤ・ソワカ……我こそ怪仏『正観音(しょうかんのん)菩薩』! そして――業を得て、封印の消えた今こそ。解き放たれよ、頼もしき仲間たちよ!」

 

 真言を唱えた、ライトカノンの体から光が放たれる。それは倒れ伏した、先生の体からも。

 つながったその光の中から。人影が見えた、四体の。いずれもラ