ブライアおばさん (ちゅーに菌)
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おば



暇潰しにでも楽しんで頂ければ幸いです。





 

 

 

 アーニャ・フォージャーは超能力者である。

 

 ごく普通の児童でありながら、かつて後ろ暗い研究施設に居た事などがあり、"他人の心を読める"という超能力を持つ。

 

 その研究施設を脱走してからは、孤児院や里親を転々とし、心が見える事によって施設を2度移され、里親から4度送り返される。そして、5度目に里親に出された現在は、なんと父親はスパイであり、母親は殺し屋という異色の家族の一員となっていた。

 

「ははー?」

 

 そんなアーニャは現在、東国の首都バーリントにある名門イーデン校の入学待ちの気晴らしに母親と公園に来ていた。

 

 彼女はぺんぎんマンという特大のぬいぐるみを抱えており、余り周りがよく見えていない様子である。

 

(ははまいご)

 

 無論、どちらが迷子なのかは語るまでもない。今頃母親は公園の何処かで血相を変えているのは想像に難しくない。

 

 そんな中、キョロキョロと辺りを見回した彼女は自身の母親とよく似た姿をした存在が噴水の回りにあるベンチに座っている事に気付き、そちらに駆け寄った。

 

「は――」

 

 しかし、その直後、アーニャは目の前の女性から心の声を確かに聞く。

 

 

(――和食の再現ねぇ……。この東国(オスタニア)も幾らか豊かになり、多様性と余裕も国民に生まれてきたことだし、そろそろ手を出しても良いかも知れないわね。それなら最初に出すのは、ご飯・味噌汁・焼き魚・お新香のセットはやはり譲れないわ……。納豆と海苔も捨てがたいけれど、後者は兎も角前者の受けが良いとは思えないので、今は保留ね。…………いや、違うわね。単に私が食べたいだけかしら? 2度目の生を受けてこの方27年も故郷の味を口にしていないとなれば、気付かず望郷もしてしまうことでしょう。やっぱり万人受けを考えるなら寿司(スシ)よねぇ……。カリフォルニアロール――はここアメリカじゃないから却下ですが、とりあえずそれっぽい巻物から始めてみようかしら? いや、そもそも寿司は"シャリ炊き3年、合わせ5年、握り一生"と言われるほど奥が深いもの……それをズブの素人の私が思い出と掠れた知識だけでやって果たして良いものかしら……? 前世では寿司パと称して手巻き寿司などをしていたりしたので、それぐらいなら許されるでしょうか? ならまず必要なのはジャポニカ米――は流石に今の時代で直ぐに用意できるか怪しいので、短粒米で代用ね。ミルヒライスなら流通しているから簡単に手に入る筈だし。後は酢と醤油とネタ。酢とネタも現地のモノで代用出来るけれど、醤油は流石に拘るべきね。日本から輸入するしかないわ。うーん……折角輸入するなら他にも無理の無い範囲で和食に必須そうなものをリストアップしておきましょう。料理長に渡せばある程度なら聞いてくれるかも――)

 

 

 人違い――。

 

 心の内容を読む限りはそうであろう。口調も考えている内容もアーニャの知る母親とは似つかない。

 

 更によく見れば、何処かの料理店のウェイトレスのような服装をしており、眼鏡を掛けている上、その奥の表情がいつもアーニャが見ている母親のモノよりもやや冷ややかに思える。

 

 また、母親のそっくりさんは文庫本片手に上の空な様子で、3~4mの距離で真横にいるアーニャにまるで気付いていない様子だ。

 

(は――)

 

 しかし、身の丈よりも大きなペンギンのぬいぐるみを抱えている齢4~5歳に見えるアーニャには、母親と容姿が瓜二つと言うだけで、子供らしい可愛らしさと純真さから母親だと疑う事はなかった。

 

 それよりも何やら難しい事を考えている母親のそっくりさんの心の中を覗いてしまったアーニャは、幾つかの単語を拾い、それらのピースから結果を構築する。

 

 

(ははがりょうりのことかんがえてる!?)

 

 

 そして、アーニャは目を見開きつつ激しく危機感を覚えた。

 

 アーニャの母親の料理はオブラートに包めば、個性的な味。事実だけ述べるとゲロマズ殺人料理である。

 

 手が込む程に切れ味を増す人を殺しかねない味は、アーニャの頭と舌に鮮明に焼き付いており、次にディナーでも味わわされようものならば最後の晩餐になると自覚する程度には危険なものなのだ。

 

(しかし、新メニュー開発ねぇ……うちの組織も腑抜けたものね。まあ、抗争相手が居なくなったと言えば聞こえは良いけれど、悪党としてそれは如何なものだか)

 

(あくとう……?)

 

 それはアーニャが好きな"SPYWARS"というスパイアニメにも主人公のボンドの敵としてよく出て来る組織が比喩される単語である。

 

 しかし、アーニャの母親は殺し屋であっても悪党ではないとも思っている彼女は首を傾げるばかりだった。

 

(しかし、そろそろ時系列的に"姉さん"は結婚したのかしら? 自分から聞くのは可笑しいし、新居の住所も教えて貰っていないから黙っているけれど、まさかユーリには伝えて私には伝えてないなんて事は――いや、あり得るわね……。姉さんの事だし、ユーリに取り繕ってホッとしたからマルっと忘れている可能性も滅茶苦茶あるもの。天然なんてレベルじゃないし……。ああ、私もアホね。そもそもイーデン校の入試日は過ぎたんだから別に――)

 

「ここにいましたかアーニャさんっ! 心配しましたよ!?」

 

「え……はは……?」

 

(――――――――え?)

 

 すると血相を変えた様子のアーニャの母親――ヨル・フォージャーが飛び込むようにアーニャの下へ駆け寄って来ると、かなり優しくアーニャを抱き締める。

 

 その手にはまだハンカチが握られており、お手洗いに行ったタイミングでアーニャがはぐれたのだろう。

 

「ははまいご」

 

「うぅ……ごめんなさいアーニャさん! でも何も言わずに何処かに行っちゃダメですよ?」

 

(あぁ……私が不甲斐ないばっかりに……)

 

 ヨルの持ち前の優しさが滲み出ており、そんなヨルの事をアーニャは母親として大好きなのである。そのため、行動に関して自身が悪いとは欠片も考えていないが、心配させたという罪悪感は多少覚えた。

 

 しかし、この場にいるのは二人だけではない。ヨルとそっくりな女性は、アーニャとヨルを交互に何度か見た後、ばつが悪そうに暫くその場に佇んでいたが、意を決した様子でポツリと呟く。

 

 その間、ヨルはアーニャのことで頭が一杯なのか、一切ヨルとそっくりな女性には気付いていない様子であった。

 

「あの……姉さん……?」

 

「あ――サ、サヨちゃん……」

 

 二人の姿を交互に見て、アーニャの頭の中に浮かんだのはSPYWARSに主人公のボンドの敵として出て来た相手の中で、彼を翻弄したスゴい敵として記憶に新しい者であった。

 

 それと共にヨルならば可能なのではないかという可能性に至り、パァと表情を輝かせる。

 

「ははにんじゃ!?」

 

「にん……なんですか?」

 

「にんじゃは草なんだわ」

 

(分身術かぁ……。姉さんなら頑張ればあるいは……)

 

(やっぱりつかえる!?)

 

 真顔で割りと面白いことを考えているははぶんしん(仮)にアーニャは更に目を輝かせる。

 

 しかし、分身術というもの自体については何かよく分からないが増えるもの程度に認識しているアーニャは、ヨルに声を掛けた。

 

「ははしりあい?」

 

「えっと、そうでした。紹介しますね」

 

 そう言うとヨルはキュッと軽くアーニャを抱き寄せ――。

 

(……姉さん、(ユーリ)のあばらをああやって2本折ったのよね。アーニャちゃんは知ってるかも知れないけれど、こっちとしては見ててハラハラするわ)

 

「あっ――!」

 

「………………」

 

 アーニャは無言で抱き締めるヨルの腕から離れた。彼女の危機管理能力の高さは経験からか、心を見れる能力故か歳を逸脱したレベルである。

 

「えっとですね……。アーニャさん。彼女は私の妹のサヨちゃんです!」

 

「妹のサヨ・ブライアよ」

 

 ヨルとそっくりな女性――サヨ・ブライアはアーニャの目の前まで来るとしゃがんで視線を合わせた。

 

 そして、サヨは眼鏡を直しながら表情のない顔をニッと歪めて見せる。やや不器用ながらそれはアーニャも知るヨルの優しげな笑みと遜色ない。

 

「よろしくね? アーニャちゃん」

 

(マイドオオキニ――。その三角の髪飾りニギニギしたいわ)

 

(へんなやつ)

 

 しかし、思考が筒抜けのアーニャにとっては母親似のおもしれー奴程度の認識である。

 

「それでサヨ……。この子は私の娘のアーニャさんです!」

 

「……………………えぇ」

 

(相手が私だからってせめて隠す努力をしてくれないかしら……? 本当に周りの人間に素性がバレてないのが不思議だわ……)

 

(はは――!?)

 

 ヨルは実妹と義娘に心配されていた。基本的に何も考えていなければ思っていたことをそのまま口に出してしまうのが彼女らしさである。

 

「う、うん……。と言うことはアーニャちゃんにとって私は"おばさん"になるわけね」

 

「おば――?」

 

「――――んんっ……」

 

(これはいい破壊力……! というかリアルアーニャちゃん可愛すぎか? ぷにぷにクリクリしててチャーミング! ああ、そのキョトン顔最高かよ……)

 

(……?)

 

 サヨは"姪っ子が出来たわ"と言いながらアーニャの頭を撫でる。その手つきはアーニャが知る限りヨルとよく似ていた。

 

 撫でつつアーニャの髪飾りを指で少しだけ触れたり摘まんだ後、サヨはまたヨルに向き合う。

 

「それで姉さん? ひとつ聞いても良いかしら?」

 

「なんですか、サヨ? 私、実は最近結婚しまして――」

 

「私、何も聞いていないんだけど?」

 

 その瞬間、ヨルの何処か誇らしげな笑みがそのままビシリと凍りついた。それから数秒無言の間を置いてから視線を色々なところへ向けるばかりである。

 

「え……? あっ――えっと……その……それはっ、ですねっ!」

 

(し、しまったぁ!? まだロイドさんと言い訳を考えている最中でした!? 後、結婚したのは一年前になっているんでした……)

 

(わたわたしてる姉さん可愛い。まあ、私は姉さんが殺し屋な事も含めて既に知ってるけど。姉さんだから仕方ないってぐらいで流しておきましょう。親しき仲にも礼儀あり……はちょっと違うかしらね?)

 

(すごい、おばはなしわかる。なんでもしってる)

 

 話がわかる等という次元の話ではないが、アーニャにはサヨがヨルの秘密を守ってくれるらしいため、アーニャは特に心配していなかった。

 

「オーケーわかったわ姉さん。()()()も……深くは聞かないわよ? それで良いわね? 姉さんはいつの間にか結婚していて、私に可愛い姪っ子が出来た。これで良いかしら?」

 

「………………ごめんなさい、ありがとうございます」

 

 "私は私には不釣り合いなほど良い妹を持ちました……"とヨルは表情をしわしわに歪めつつ胸を撫で下ろす。

 

「ところで姉さんちょっとこの姪っ子ちゃんを借りても良いかしら?」

 

「え? それはどういった意図で……」

 

 サヨはアーニャの肩にそっと手を置きつつ、ここからでは雑木林しか見えない公園の端を指差した。

 

「あっちにアイスクリーム売りの屋台が出てるから一緒に買いに行きたいの。折角の姪っ子だし、ちょっと話したいわ。姉さんはここで待ってて?」

 

「あっ、そうなんですね。承りました。ありがとうございます」

 

「あいす!」

 

「ふふっ、お夕飯を食べられなくならない程度にしてくださいね、アーニャさん?」

 

(今なら三段乗せちゃうわよ?)

 

(さんだん!)

 

 アーニャはとてもアイスに関心を抱いた。丁度広場の時計を見れば3時に差し掛かっているところである。

 

 ひとまず、ヨルに了解を取ったサヨはアーニャの手を優しく取ると、ペンギンマンをヨルに預けてから歩き出す。その際、歩幅をしっかりアーニャのペースに合わせているため、ゆっくり向かった。

 

「味は何がいい?」

 

「ぴーなっつ!」

 

「ぴ、ピーナッツはどうかしら……?」

 

(現代でも千葉県ぐらいでしかたべられないでしょそれ……)

 

(ちば?)

 

(日本って言う国でピーナッツの生産量が全国一位なの。色んなピーナッツのお菓子や料理があるのよね)

 

(ちば……すごい……!)

 

 アーニャの頭の中にはピーナッツで出来た遊園地やマスコットなどの情景が浮かぶ。彼女的には楽園なのかも知れない。ちなみにアーニャはマスコットとしてのピーナッツは別に好きではない。

 

(ねぇ、アーニャちゃん……?)

 

(……?)

 

 数百mほどヨルから離れ、角を曲がって見えなくなったところでサヨは足を止める。

 

 移動を止めた丁度この辺りは、公園の中でも人通りが少なく、木々や小屋に囲まれて視界が余り良くないエリアであった。

 

 そして、再びしゃがんでアーニャに目線を合わせると、今度は三日月のように目尻と口角を細め、暗い光を瞳に宿すとポツリと思い描く(呟く)

 

 

 

(おばさんの心……。どの辺りから読んでいたのかしら……?)

 

 

 

 人生で初めて自身の心を読む能力が見破られるという経験にアーニャの頭は真っ白になる。

 

 何かの間違いやそう思えてしまっただけだという可能性も目の前で、サヨがただ真っ直ぐ向けてくる眼光がそうではないと物語っていた。

 

 サヨはそれ以上追及はせず、アーニャの言葉をただ待った。暫く考えたアーニャは絞り出すように言葉を吐く。

 

「アーニャうらないで……ははとちちともっといたい……」

 

 そんな様子に対し、遂にアーニャは目を白黒させ、ただ呆然と立ち尽くし、最後にはボロボロと泣き出してしまう。

 

 それをじっと眺めたサヨは――。

 

「……………………困ったわね」

 

(くぁwせdrftgyふじこlp――)

 

(……!?)

 

 発言とは裏腹に、頭の中に謎の文字の羅列が並んだアーニャはびくりと震える。

 

「えっ、なんで泣いて……? ち、違うわ! これはそういうのじゃないのよ!? ゴメンね、姉さんと瓜二つのこの顔が怖かったわよね!? もう……ちょっと笑顔止めるとすぐこれなんだから……!」

 

 そして、さっき慌てふためいていた時のヨルと全く同じ表情と行動であたふたしていた。

 

 確かにヨルと血の繋がった姉妹であると言うことをアーニャは感じ、さっきまでとの様子の違いに目をぱちくりと見開く。

 

(私はただ本当に何時からアーニャちゃんが私の心を読んでいたのか聞きたいだけなのよ!?  それまで色々と聞かれたくない事も考えてたし……はわわ……挙げ句に推しのアーニャたゃを泣かせるなんて人間のクズだわ!?――あっ、元々ド底辺のクズだったわ)

 

(……? おばふしぎ)

 

 心は読めるが、難しい訳ではないにも関わらず、何を言っているのかよく分からないというのはアーニャにとって余りない経験である。まるで自分にしかわからない暗号を心の中ですら用いているようにさえ思えた。

 

 それよりアーニャは今のサヨの様子からやはりヨルと同じ優しさを確かに感じ、恐る恐るサヨに問い掛ける。

 

「アーニャうられない……?」

 

「可愛い姪っ子は売らない。むしろ、売られてたら私が買うわ。えーと、そうじゃなくてそ……アイスを買いに行くのよ。三段乗せるって言ってたでしょ?」

 

「うんっ! さんだん……!」

 

 笑みを浮かべて言葉を返したアーニャを見て、サヨは目を細めると何とも言えない不器用な笑みを浮かべた。

 

 そして、最早反射的になのか、サヨはアーニャの頭に手を伸ばすとそっと撫でる。

 

(あー……なんで子供ってこんなに撫で心地良いのかしら……? こんなの犯罪でしょ? 可愛すぎ罪よ。政府は戦争なんて下らない事考えている暇があったらコレを取り締まるべきね。罰金として好きなもの買ってあげ――)

 

「こないだはどうもおかーさん!」

 

 すると明後日の方向から声を掛けられ、サヨが溜め息を吐き、アーニャはそちらを見る。

 

 少し離れた場所から声を掛けて来た者は、如何にも不良と言った風貌の男が嫌みったらしい笑みを浮かべており、その手には鉄パイプが握られている事がわかった。

 

「まえにアーニャゆうかいしようとした……!」

 

 その姿と人相を見て、アーニャは先日イーデン校の制服を着ていた時に誘拐され掛けた四人組のチンピラのひとりであった事に気付く。

 

「ふーん、女児誘拐ねぇ……」

 

(あーあー、無駄にぞろぞろと……。なーんか、ベンチで休んでた時からなんか居るなとは感じてたけれど、てっきりどっかの組の報復とかかと思ってたわ。というか、しっかり見てたなら私お母さんじゃないってわかるわよね? その第一声は可笑しいんじゃないかしら?)

 

 その男の周りに続々と似たような服装の者たちが男女問わず現れ、その数は十数名に上った。更にその者らは個々にナイフやバットなどの武器を所持しており、明らかにこれから仲良くしようという雰囲気ではない。

 

「この前のお礼だよ、お優しいお母さん。あんだけコケにされて引き下がれるかよ!」

 

「はぁ……?」

 

(うーん……本気でヤったら全員まとめても10秒以内ってトコかしら? まあ、大した武器もない時点で一応……堅気だと思うし? 適当にあしらってやるか)

 

(おばすごい。かたぎ……?)

 

 しかし、心の声とは裏腹にサヨは暴力で解決する気は余りないらしく、口をへの字に結び、明らかにめんどくさそうな表情を浮かべる。

 

 そして、羽虫でも追い払うように手を横に何度か払い、あっちに行けという意思をジェスチャーで表す。

 

 アーニャはサヨの心の中で出て来た単語に聞き覚えがあったが、それだけでは何か思い出せなかった。

 

「他人の空似でしょう? 地球には同じ顔をした人間が3人は同時にいるらしいわよ? 今、帰ったなら何もしないわ」

 

「こ、コイツ……! へっ……魔女もガキ守りながらじゃ、戦えねーだろ? さっさと出すもの出してればこんな事にならなかったんだけどなー」

 

「ふーん……この期に及んで()()を盾にとるのねぇ」

 

(それはちょっと……許せないよね)

 

 するとそれまでアーニャの前でしゃがんだままだったサヨが立ち上がり、彼らの方に身体を向ける。

 

 その直後、アーニャはサヨが心の声を発した事に気付く。

 

 

(ゴメンねアーニャちゃん……ちょっとおばさんの()()()でコイツらに灸を据えるわ)

 

 

 するとサヨはアーニャを自身の背後に下がらせ、眼鏡を取ると襟に引っ掛ける。アーニャからは既に伺えないが、今サヨは完全にヨルと瓜二つであろう。

 

 それからサヨはポケットからおもむろに何かを取り出す。それはただのがま口財布であり、パンパンに膨らんでいるという点だけが不思議なところであろう。

 

 そして、がま口財布を開けると、その中から10P(ペント)硬貨を20枚ほど取り出し、それを片方の掌の中で縦に束ねた。

 

 最後に両腕を脱力させてから10P硬貨を入れている方の手を男に向かって真っ直ぐに掲げる。

 

「なんだテメェ何を――」

 

「そんなに金が欲しけりゃくれてやるわよ」

 

 男のその言葉は、サヨが手から親指で10P硬貨を弾き飛ばした事で遮られ、それは一迅の風を孕んだ奇妙な風切り音を響かせた。

 

「え……? ぁ……?」

 

 何が起こったのかわからない様子の男だったが、数秒遅れてズボンが血で滲み始めた事で、状況ではなく結果を理解する。

 

 それは非常に単純なこと――。

 

 サヨから親指のみで放たれた10P硬貨は、常人の目には視認すら出来ない速度で瞬時に飛び出し、弾丸と比べても遜色ない軌道を描きながら男の大腿部へと、一直線にそのまま命中したのであった。

 

 そして、ズボンには小さな穴が空いているばかりで、その表皮などに10P硬貨が突き刺さっている様子はない。

 

「アァアァアアアアァァァァ!?」

 

 つまり放たれた10P硬貨は軽く人体を突き破り、男の体内に直接埋め込まれたのである。これ以上ダイレクトに金を渡す方法は無いであろう。

 

 何よりその痛みは地面に倒れてのたうち回ったところで、到底和らぐようなものではなかった。

 

「コイツやりやがったな!? ぶっ飛ばして――」

 

 更に集団の中で、仲間の怪我に反応して飛び出そうとしたひとりの肩が跳ねる。

 

 見ればその男へと向けてサヨの10P硬貨を持つ手が伸びており、既に親指が振り抜かれていた。

 

「ひ……痛……いたいた……いだいだい!?」

 

「少しはお金の有り難みを考え直すべきではなくて?」

 

 サヨは手に入れている10P硬貨を1枚逆の手に取り出すと、指の間でそれを回すコインロールを始める。

 

 しかし、その男は前の男と同じように地面に踞ると大粒の涙を流しながら悶えており、サヨの言葉を聞くどころではないだろう。無論、持っていた武器も放り出しており、既に戦える状態では明らかにない。

 

「おい待て、数で囲めば大丈夫だって――」

 

「なんだよ今の……話が違う――」

 

「ちょっと大丈夫――!?」

 

 その様子に残る者たちは動揺を隠し切れない様子であり、武器を構えたまま男の回りを右往左往するばかりだ。

 

(ホント……姉さんと()()()()ってイカれてるわねぇ……)

 

 アーニャがそんなサヨの心の声を見ていると、サヨは手遊びをしていた方の10P硬貨を手に挟んで腕を水平に向け、その先にある街路樹の枝の根本へと向けて再び放つ。

 

 すると根元から吹き飛び、そのまま数mの枝の一本が地面へと脱落し、その光景に目の前の者たちは固まるばかりだった。

 

「ところで話は変わるんだけれど、お坊ちゃんとお嬢ちゃんたち。"ロンメルファミリー"って知ってるかしら?」

 

 "まあ、私みたいな儚げな美人とは一切関係ないからね?"と言いつつサヨはカラカラと笑う。

 

 ロンメルファミリー――。

 

 この東国(オスタニア)で、戦後から急激に勢力を伸ばし、国内最大規模の勢力・資金力・権力を持つに至った一大マフィアである。

 

 また、戦後の東国の復興と発展の影で熾烈を極めたマフィア同士の抗争において、単独で千を超える他の構成員を葬ったという圧倒的な武力を持つ正体不明の存在を子飼いにしているという都市伝説を持つ。

 

 まあ、後者は眉唾物であり、恐らくはそれほどまでにロンメルファミリーの他ファミリーに対する攻撃が苛烈だったと言うことを意味する暗喩と言うことが裏社会でも一般的である。

 

「困るのよねぇ……。イーデン校があるこの辺りではみんな大人しくしないといけない決まりなの。互いに良好な関係を続けて行くためにも……ね? わかるかしら?」

 

 サヨはそのまま、溜め息混じりに彼らを眺めつつポツポツと呟く。

 

 ある程度抗争が落ち着いた今となっては、その名前を聞くこともマトモに生活している分にはほとんどないが、単純にロンメルファミリーが東国において多大な影響力と権力を持ち、イーデン校のあるバーリントをも縄張りとしている事は紛れもない事実である。

 

 ロンメルファミリー、ひいてはマフィアにとって今という時代が絶頂期と言えるのかも知れない。

 

 要するにただの街のチンピラでしかない彼らは喧嘩を売る相手を間違えたのだ。

 

 サヨは一応、自身とは関係のない事と念を押してはいたが、既に人数は遥かに多いというにも関わらず、誰ひとりとして凍ったように動けない現状が事実を物語るだろう。

 

 また、サヨの背後にいるアーニャには、今の彼女の表情は伺えないが、対峙する彼らが一様にしている悪魔でも見たように怯えた表情と、心の声ですら絶句している様から想像は難しくない。

 

「殺人、暗殺、密輸、密造、共謀、恐喝、強要、徴収、高利貸し、不動産、周旋、賭博、故物売買、料理店、公園のアイスクリーム屋台――まあ、シノギなら他にも色々しているけれど……麻薬、売春、児童誘拐がロンメルファミリーのシマではご法度なのは知っていて?」

 

(しま……しのぎ……?)

 

 さっきサヨが言っていた堅気という単語を含め、アーニャは彼女が好きなスパイアニメによく出て来る悪の組織がたまに使っていた単語だった事を思い出す。

 

 そして、それと共にサヨに対して覚えていた多少の恐怖は、かつてない期待を帯びた。

 

 アーニャの父親はスパイ、母親が殺し屋、そしておばは――。

 

 

「あんたらの顔……全員覚えたわ。次、会ったときはロンメルファミリー(うちの組)が黙っていないわよ……?」

 

(おば"マフィア"だー!?)

 

 

 ――ゴリゴリのマフィアであった。

 

 しかもゴッドファーザーに出て来るような比較的に紳士的なタイプである。

 

 その言葉の直ぐ後、チンピラたちは倒れた男を引き摺るように抱えつつ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。それを見ながらサヨは小さく鼻を鳴らした。

 

(こんだけ言っとけばアーニャちゃんがまた同じ奴らに襲われるような事はないでしょう。また、あったら……まあ、その時は落とし前をつけるわ)

 

(おとしまえ!)

 

 アーニャはSPYWARSでしか出て来ないような単語の連続に歓喜する。彼女は娯楽に飢えたお年頃であった。

 

「さて、アーニャちゃん。アイスを買いに戻りましょうか?」

 

「あいす!」

 

 "ちょっと動いたら小腹が空いたわね。私もアイス三段にするわ"と言いつつアーニャへと振り返ったサヨは、清々しいほどの笑みを浮かべており、一見すると優しげなお姉さん程度にしか見えない。

 

「さて、アーニャちゃん?」

 

「……?」

 

(私の裏の事は……その……ミンナニハナイショダヨ……?)

 

「うんっ! ないしょ!」

 

「よし、良い子ね」

 

 そう言ってサヨはアーニャの頭を撫でる。その優しげな様子にアーニャはポツリと呟いた。

 

「…………ねえ、おば?」

 

「んー、なに?」

 

「おば、アーニャきもちわるくない……?」

 

 それは秘密を知られたアーニャにとって、血を吐くような思いだった。研究施設では能力しか評価されず、孤児院やこれまでの里親の下では能力故に疎まれ、気味悪がられた。

 

 そんなアーニャだからこそ、知っている上でもこうして普通に接してくれるどころか、能力で会話までしてくれる大人は初めてだったのだ。

 

「…………………………? なんで?」

 

(…………………………? なんで?)

 

 心の声が読めるアーニャには、アーニャの言葉に首を傾げるサヨが本心からそう言っている事が誰よりも理解でき、それはこれまでにない幸福をアーニャに覚えさせる。

 

「あのね……。そんな事を言う奴らは、みーんなソイツらが可笑しいのよ。まだ、二桁の年齢にもなってない小さな女の子の個性ひとつ認められないような大人は、その時点で大人って言わないし、子供相手にしてもそれが知れた程度で壊れてしまうぐらいの弱い関係だったってだけのお話。なにより――」

 

 サヨはにっこりと笑う。どこかヒトを喰ったようで、ヨルが絶対にしないであろうその笑い方は、叔母らしいものなのだろうとアーニャは感じた。

 

「私、子供大好きだもん。アーニャちゃんももう大好きよ?」

 

「うん……」

 

 サヨとアーニャは手を繋いでまた歩き出す。

 

 こうして、アーニャはおばの秘密を知り、おばはアーニャの秘密を守ることになったのであった。

 

 

(いやぁ……良いわねアーニャちゃん……うぇへへ……まったく、小学生は最高だぜ!!)

 

 

 アーニャは流れてきた心の声により、無言でそっとサヨと繋いでいた手を放した。また、食玩を開けたら一番いらないキャラクターが出た時のような目をサヨへ向ける。

 

「………………」

 

「いや、待ってアーニャちゃん。これ違うのよ? ただの発作みたいなもので、思うだけで行動には移してないでしょ? 条件反射的に思っちゃうだけなら罪じゃないじゃない? というか、それで捕まってたら私なんてとっくに犯罪者……いや、既に極悪犯罪者なんですけどマフィア(それ)児ポ(これ)とは話が全然――」

 

(おばゆかい)

 

 

 

 これは超能力者アーニャ・フォージャーの叔母であり、裏ではマフィアをしており、心の中はやかましい子供好き。

 

 ――そんな"サヨ・ブライア"の物語である。

 

 

 

 

 

 







~登場人物説明~

サヨ・ブライア
こうげきりょく:9700
 ヨル・フォージャーの双子の実妹であり、アーニャの叔母に当たる。また、ヨルと瓜二つの容姿と身体能力を持ち、ロリコンマフィアという救えない属性持ちの女。
 ヨルとほぼ同時期にロンメルファミリーに入り、銃器中心の殺しの技能を習得しているが、銃器を持っていない時の方が強い。戦闘力はヨルより若干低く、その値を各種他のパラメーターに割り振っている。そのため、ただのターミネーターである。
 元々はSPY×FAMILYを読み込んでいたオタク寄りの日本女性であり、何の因果がヨルの妹に転生していた。そのためにフォージャー家の秘密などを全て知識として知っている。アーニャを愛でるのが趣味だが、ロリコンなのは元から。


アーニャ・フォージャー
かわいさ:100まん
このしょうせつのひろいん。ぷりてぃーで、おばをほんろうするましょうのおんな。


ヨル・フォージャー
こうげきりょく:一まん
 サヨ・ブライアの双子の実姉であり、現在偽装結婚生活を送っている。表向きには公務員事務、裏向きにはいばら姫というコードネームの殺し屋をしている。賢さと生活力に難があるが、その分お片付けは得意。
 サヨと身体能力は同じだが、ヨルの方が戦闘力が高い最大の理由はあらゆる攻撃及び行動に一切の躊躇がないため。



~読まなくて良いところ~

 いやー、SPY×FAMILYのアニメもやってるし、無茶苦茶面白いなぁ。きっとハーメルンにも二次創作があるんだろうなぁ、読も。

SPY×FAMILY 小説検索→3件

キェェェェェ!(発狂)

 はい、いつもの読みたいものがないなら読み専の私が書くしかないじゃない(矛盾)という発作が来ました。

 評価・感想・お気に入りなどされると歓喜して、次話を投稿する活力になりますので、また楽しんで頂ければ幸いです。




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まふぃあ

怒濤の感想・評価・お気に入り・日ラン2位ウレシイ…ウレシイ…(現金なヤツ)







 

 

 

 

 

 ロイド・フォージャー――改めコードネーム黄昏(たそがれ)はスパイである。

 

 彼はこの東国(オスタニア)で日夜諜報を行っており、東西平和のために東国を見張る西国の諜報機関WISE(ワイズ)が誇る伝説のスパイであった。

 

 現在、"オペレーション〈梟〉(ストリクス)"という作戦が行われており、東西平和を脅かす東国の強硬派の国家統一党総裁ドノバン・デズモンドに接触するため、偽装家族を作って彼の次男ダミアンが通うイーデン校に養子を通わせる任務を遂行している。

 

 そのために孤児院からアーニャを娘として引き取り、同じく仕事の為に相手が必要だったヨル・ブライアと偽装結婚し、父・母・娘の疑似家族のフォージャー家が生まれ、ひとつ屋根の下で暮らしていた。

 

 そんなフォージャー家は現在、娘のアーニャの補欠合格者としての合格した後の入学までの虚無期間であり、珍しくやることの無い時期であった。尤も通うためにアーニャに勉学を予習させてはいるが、それはそれであろう。

 

「ふぅ……」

 

 そんな黄昏は現在、自宅のリビングのソファーに座り、たっぷりとミルクを入れたコーヒーを飲んでいた。本来はブラック派な彼らしからぬ様子だ。

 

(胃が痛い……なんだこの無駄な不安と緊張感は……)

 

 そして、下手に地味に長いイーデン校入学までの期間があるせいで、アーニャが入学してからしたりさせてはいけなかったりさせたりしなければならないことを次々と考えてしまい、黄昏は胃から込み上げるものをひしひしと感じている。

 

 それを紛らわすように黄昏は、オペレーション〈梟〉と同時に行っている長期任務――オペレーション〈玉藻〉(タマモ)について思案し始めた。

 

(相手はロンメルファミリーか……)

 

 ロンメルファミリーと言えば、この東国で最大のマフィアであり、それと同時にスタンスとしては穏健派に分類される特異なマフィアである。

 

 東国でのマフィアについては、その成り立ちから遡る必要があるだろう。

 

 そもそもマフィアとは単に一定の地域を起源とする組織犯罪集団を指すが、この東国(オスタニア)においてのマフィアとは、成り立ちから他国のそれとは一線を画する。

 

 まず、戦前に他国から入って来たマフィアらは、戦争の時代に国外へ逃亡したり、兵士として戦った事で一旦そのほとんどが潰えた。

 

 そして、戦後の黎明期には国としての機能が全く無い無法地帯と化した事で、幾つもの国民の小集団が生きるための自警団を作り、それらの中の過激派がそのまま組織犯罪集団へとなるか、群れるゴロツキなどが犯罪集団として、他でもない国民からマフィアと呼ばれたのだ。

 

 つまり、東国のマフィアのほとんどは長くとも二十年程度で非常に真新しく、組織犯罪集団の代名詞としてのマフィアでしかない。

 

 それに引き換えロンメルファミリーは、戦時中にも国内に留まり、戦争で戦った数少ない純粋なマフィアの生き残りであるため、そう言った意味でも他のマフィアとは毛色が違う。

 

 それ故に麻薬や売春の一切を禁じている最大の理由は純粋な東国への愛国心からであろう。戦後の抗争の大部分もそうした礼儀知らずや、恥知らずな愛国心の無い組織犯罪集団に向けられていた。

 

 実際、現在のロンメルファミリーのトップであるギュンター・ロンメルは、戦争によって自身の妻と息子夫婦、更には当時の構成員の85%以上をも失っている。そのため、血筋としてのロンメルはギュンター本人と息子夫婦の遺児たったひとりのみである。

 

 そのせいか、ロンメルファミリーは東国政府の強硬的に近いスタンスから表立って発信することはないにしろ、戦争には消極的な姿勢を示しており、密輸・密造に関しても酒が主流で、武器などを国内向けに流通させてはいない。

 

 故に和平に舵を取っている西国及びその諜報機関(WISE)としては、ロンメルファミリーの幹部と接触し、その動向を探りたい。また、あわよくば和平のための協力関係を結ぶ事や、WISEの活動をし易くするような関係性を築く事も視野に入れていた。

 

(こっちの方が受験よりよほど気楽そうだ……)

 

 冗談ではなく、黄昏はかなり本気でそう思っていた。あわや核戦争の1秒前で停止ボタンを押した時より、他人に結果を委ねる方が緊張すると考えている男は伊達ではない。

 

(とりあえず、当面の目標は"ロンメルの狐"の情報を掴むことか……)

 

 そこでオペレーション〈玉藻〉の最大の障害として立ち塞がるのがロンメルの狐という存在である。

 

 ロンメルの狐――。

 

 東国の裏社会では基本的に眉唾物の伝説やロンメルファミリーの全盛期の過激さそのものの暗喩として知れ渡っているが、WISEはそれが記録に則り実在することを既に掴んでいる。

 

 それは戦後の東国の復興と発展の影で熾烈を極めたマフィア同士の抗争において、ロンメルファミリーが投入した凡そ人間だと思われる個人の事だ。

 

 抗争時代の僅か十数年程の間で、数多のマフィアやアングラ組織を壊滅させ、その過程で数千を超える構成員をほぼ皆殺しにしたという真性の怪物である。言うまでもなく、戦争で構成員の大部分を失ったロンメルファミリーを今の地位まで破竹の勢いで押し上げた立役者でもある。

 

 しかし、ロンメルの狐は意図的に正体を隠している事や、対峙した生存者が余りにも少ないため、その正体は女性であるという点と、ロンメルファミリーにおいてNo.3の地位であるという事しか判明していない。

 

 にも関わらず、ロンメルファミリーの力の象徴として紛れもなく東国では、それが居るためだけに一目を置かれている節はあるため、仮にWISE(ワイズ)にそれを向けられでもしたら幾つもの作戦に多大な支障をきたす可能性すらある極めてハイリスク・ハイリターンな作戦だ。

 

 ちなみにオペレーション〈玉藻〉(タマモ)と名付けたのは、WISEで黄昏の上司に当たる管理官であり、東洋の怪物からその名を取ったらしい。そのため、管理官が黄昏に最大で求めている事がわかるであろう。まさに怪物の力を借りようとするには打ってつけの名と言える。

 

「いまかえった」

 

「ただいま戻りました」

 

 すると玄関扉が開く音と共に公園へ遊びに行っていたヨルとアーニャが戻って来た事で、記憶の整理を止めた黄昏はそちらに顔を向け――。

 

「ああ、お帰り――」

 

「ここが姉さんのハウスね」

 

 玄関の前に立っているヨルと瓜二つの姿の女を目にし、途中で黄昏の思考が止まる。

 

 彼女が着ている服は、ロンメルファミリーが経営している料理店ヴュスタ・ガーデンの制服で、場所はバーリント北区呉服町通り92。仕事はヴュスタ・ガーデン副料理長。掛けている眼鏡は度が入っていないお洒落用。趣味は読書と孤児院通い。

 

 多少の驚きにより、黄昏の中の彼女についてのWISEが知りうる個人情報が溢れ出したが、直ぐにそれらも念頭に置いて思案する。

 

(サヨ・ブライア……! まずいぞ……。いまの時点でロンメルファミリーとの接触は時期尚早だ)

 

 それはヨル・フォージャーの実妹のサヨ・ブライアであった。そして、サヨはロンメルファミリーの構成員として名を連ねており、オペレーション〈玉藻〉の取り掛かりとしては申し分ない相手であった。

 

 尤もロンメルファミリー側もそれなりに秘匿をしているため、WISEでもサヨがどの程度の地位にいるのかまではわかっていない。しかし、ヴュスタ・ガーデンはロンメルファミリーの直営店のためそこで副料理長を勤めているマフィアとなれば、末端構成員という事は無いであろう。

 

 ちなみに黄昏がヨルを妻にした理由は完全に偶々であり、ヨルがサヨの姉であったと言うことを知ったのは、偽装結婚してからで巡り合わせとはあるものだと彼はひしひしと感じる。

 

 そのため、ある意味棚から牡丹餅であったが、流石にオペレーション〈梟〉と同時進行するには些かカロリー過多のため、極力後に回しつつ、偽装結婚を送り続けるためにサヨへどのような対策を講じるかをヨルと打合せしつつ決めている最中だったのだ。

 

「はい、姉さんこれ。生菓子だから早めに食べてね?」

 

「あっ、ご丁寧にどうも。その為だけにわざわざ途中でお菓子をお買いにならなくてもよかったですのに……」

 

「ダメダメ、こう言うところはキッチリしないと。お邪魔しまーす」

 

 手土産をヨルに渡したサヨはフォージャー家の敷居を跨ぐ。その足取りは軽やかで、ヨルと雑談しつつ廊下を歩いて来る。

 

 寝耳に水、藪からスネーク、スパイ歩けば課題に当たる――黄昏の中で東洋の諺のようなそうでもないような言葉が駆け巡り、ひとまず彼はこの場を乗り切るために全力を注ぐ。

 

「ちち、ただいま」

 

「ああ、お帰り」

 

 それを知るよしもないアーニャは帰ったらまず黄昏に挨拶をする。

 

 それからアーニャはリビングの中心に立ち、サヨに向けて両手を掲げて広げると、花が咲くような笑みを浮かべた。

 

「おば、アーニャんちへいらしゃいませっ!」

 

「うっ……」

 

(かっ、かわっ、かわわギャァーーっ! ぎゃんかわ! 可愛すぎかぁーーっ!?)

 

 それを見たサヨは、何故か自身の胸を押さえながら歯を食い縛って破顔する。女性がしてはいけない一歩手前程度の顔をしており、何も知らない人間が見れば心臓発作にでも襲われたかのように見えるだろう。

 

「ええと……大丈夫ですか?」

 

「えへへ、サヨちゃんは本当に小さな子供さんが大好きなんです。たまに感極まっちゃうんですって」

 

(子供好き……? これが……?)

 

 "私もアーニャさんが可愛らしいのはわかります"とヨルは続けるが、目の前の存在は可愛らしい等の次元よりかなりアウトに黄昏は感じた。

 

 色々と考えていた黄昏も流石に心配になり声を掛けたが、どうやらこれがサヨ・ブライアという人間の平常運転らしい。実の姉が言うので恐らく間違いはないであろう。

 

「――んんっ……! ヒッ、フヒッ! イケないわアーニャたゃ……なんて可愛いの……!」

 

「おばもれてる」

 

「サヨちゃんスッゴく子供の面倒見がいいんですよ。小さい頃から教会の炊き出しに参加したりしてました」

 

「大好き……? ははは、そうみたいですね」

 

(……………………小児性愛者……?)

 

 ちなみに現在、黄昏は精神科医ロイド・フォージャーとして働いたりもする。病院が来た。

 

(どうしようどうしたらいいの。落ち着くのよ私。ああ、今の挨拶思い出すだけで可愛くて死ぬ、死んじゃう。謝って!)

 

「おばきもい」

 

「うっ――」

 

 サヨは一言だけ発すると、そのまま床に叩きつけられるように倒れた。

 

 リビングのフローリングに倒れ込み、ピクピクと僅かに蠢くばかりで完全にノックアウトされているサヨは、正直関わりたくない人種である。

 

「サヨちゃんどうしましたか!? ロイドさん、サヨちゃんが倒れちゃいました!?」

 

「ははは……」

 

(これは……(ヨルさん)とは違う方面に突き抜けているな……)

 

(可愛さ密室殺人事件よ……)

 

 外出先などで少し常人と変わっているヨルの様子も思い出しつつ、ブライア家は色々な意味で大丈夫なのかと黄昏は思い始めつつも彼は次の事を考える。

 

(まず、情報収集だ。いったいどうしてこんな事になっている……? ヨルさんは何をどこまで話した? ここにまで来た理由は?)

 

「うぃ、おばとあいすかった。さんだんおいしかった。はは? おばのことはなす?」

 

「あっ、そうでしたっ! 本当に勝手なのですが、サヨには本当の事を話しておいた方が良いと思いまして……」

 

「なるほど……」

 

 どうやらサヨ・ブライアという人間は、ヨルにとってそれだけ信用の置ける存在らしい。今の様子からは想像も出来そうにない点が大問題である。

 

「この昼行灯姉貴様が、私にお口を滑らせ掛けてございましてよ?」

 

 すると何事もなかったかのように床から立ち上がったサヨは、ヨルの背後に回るとその口を左右から指で引っ張って見せた。

 

はよ(サヨ)ひっぱらにゃいれくらはい(引っ張らないで下さい)

 

 それからサヨは二人と公園で会ってから今までの経緯を簡潔に話す。

 

 まとめるとヨルがサヨに結婚したことを普通に話してしまい、サヨはそれをその場で問い質さず黙殺しようとしたが、ヨルが彼女へはキチンと話しておいた方がいいと連れて来たらしい。

 

「まあ、そんなわけでふたりの関係についてまだ聞いてないんだけど、姉さんの方から私には話したいって言ってきたから今日来た訳ね」

 

(ヨルさん……)

 

 "全くもう……昔から嘘が下手なんだから"と言いつつサヨは口から手を離す。

 

 黄昏は改めて素人の他人の価値判断に任せることの難しさを噛み締める。他者を使うことはすれど、頼ることはして来なかった彼にとっては尚のこと難解なのであろう。

 

「もちろん、家長のあなたがダメだって言うのなら私は何も聞かなかった事にして帰るわ。親しき仲にも礼儀あり。誰にだって触れられたくない秘密のひとつやふたつあるものでしょう?」

 

「なるほど、そうでしたか」

 

(これは多少やりにくい相手だな……)

 

 黄昏の経験上、嘘が通じないタイプ、もしくは嘘が知れた時に何を仕出かすかわからないタイプである。総じて腹を割って話す等の行為を好み、後々の事を考えなければならない相手だ。

 

 そして、初対面の印象はアレであるが、このサヨ・ブライアという人間の義理堅さをヨルが評価しているということは理解した。元々、古いマフィアは人情や義理を重んじる傾向があるため、彼女もそれに近いらしい。

 

(黄昏と、いばら姫となんて名前だけでキラッキラね。今にいつか黒歴史になるわ)

 

(おばもこーどねーむある?)

 

「安心して、ハードディスクのデータは墓場まで持って行ったわ」

 

「ははは、それはよいですね」

 

 ハードディスクなるものはまだこの世に存在しないため、その言葉の真意は理解できない黄昏だが、自信ありげなサムズアップしているサヨにそれとなく話を合わせておいた。

 

(仕方ない……)

 

 本当はフォージャー家が偽装家族だという事について話す相手は最小限に留めて置きたいところだが、こうなっては話さない方が不徳である。また、ヨルとの仲の良さからも今後深い関係になる事が予想されるため、関係性を悪くするわけにはいかないであろう。

 

 そのため、黄昏は自ら口を開き、イーデン校の面接官に伝えたようなやや脚色した内容でヨルと取り決めた結婚について話した。

 

「――ふーん、まあそうよね。月に2~3度は会っていたのに、突然1年前に結婚してたは流石にちょっと無茶苦茶よねぇ……」

 

(というか、弟がいるのに一年前を結婚日にしちゃう時点でめっちゃ危ないわよね。普通の人だったらどうやって言いくるめるつもりだったのかしら?)

 

 そして、それを静かに聞き終えたサヨは第一声でそう言う。

 

 サヨにとてつもない正論を吐かれるのは残念だが当然だと思う黄昏。パーティーでああ言ってしまった手前からの設定であるが、早まってしまったと言わざるをえない。

 

 とは言え、そもそも黄昏の失言から始まった事のため、弁明するわけにもいかないだろう。

 

「おば、ぷりんうまい」

 

「お口に合った?」

 

「うむ、ほめてつかわす」

 

「ははー……!」

 

 ちなみに話すために互いにソファーに座っており、サヨの膝の上にはちょこんと我が物顔で腰掛け、その場で手土産のカスタードプリンを食べていた。

 

 明らかにサヨは少々常人から逸脱した性格をしているにも関わらず、アーニャのフォージャー家最速のなつきっぷりに黄昏は益々子供の事が分からなくなる。

 

 少なくともサヨの子供の扱い方の上手さは、黄昏より遥か上であるが、不思議と全く羨望も感心も抱けない黄昏であった。

 

「姉さん、そんなのユーリしか信じないわよ?」

 

「わよ?」

 

「ふぇぇ、すいません……」

 

 どうやらサヨ曰く彼女らの弟であるユーリ・ブライアは信じるらしい。流石にその言葉を黄昏は何かの冗談だと捉えた。

 

「まあ、どうあれ姉さんが家庭をもつ気になって私は安心したわ。ユーリに言い訳するときには私も口添えしとくわね?」

 

「くちぞえ」

 

 そう言うとサヨは膝の上のアーニャの頭を軽くポンポンと触れてからゆっくりと撫で、アーニャは猫のように目を細めて気持ち良さげな様子である。

 

「ねぇ、アーニャちゃん。この家族は好き?」

 

「うんっ! ちちははだいすき!」

 

「それならイイわねぇ……」

 

(あふぅぅ♡ んがわぃぃ♡ しゅきいいいいっ♡)

 

(はーといっぱい)

 

 サヨはそれ以上の追及はせず、膝にいるアーニャにヨルと似た優しげな表情を送るばかりだ。

 

 余りにも何も求めず、受け止めるばかりの姿勢に黄昏はサヨの腹の底を見兼ねていた。

 

「何も言わないんですね」

 

「子供が幸せな家族なら何だっていいわよ。それ以外に何もいらないわ」

 

 その言葉に黄昏は少し目を見開く。

 

 "子どもが泣かない世界"を作るという余りに漠然とした目的でスパイになった彼と、サヨの姿勢は何処か似通っているのかもしれない。

 

「それに家族(ファミリー)に本物も偽物も無いわ。家族だって思えば誰だって家族。血ではなくて絆で繋がっているのよ」

 

 "そもそも結婚だって他人と他人が(くな)ぐものだしね"とサヨは続ける。それはマフィアとしての言葉か、人間としての言葉かなのかを推し量るにはまだ判断材料が足りない。

 

「何はともあれ結婚おめでとう、姉さん」

 

「あっ、ああ……ありがとうございます……サヨちゃん……」

 

 明らかに純粋に姉を祝福しているサヨ。そんな彼女を眺め、黄昏は自身がスパイであることを棚上げしてマフィアという先入観で見過ぎていたのではないかと思い直す。

 

 "誰かのために過酷な仕事に耐え続ける事は普通の覚悟では務まらない"それをヨルに対して言ったのは、他ならぬ黄昏であり、彼の本心でもある。ヨルと同じくサヨもまた自身の信じるモノのためにマフィアとなったならば、それは尋常ではない覚悟だったのだろう。それこそ常識は持ち合わせているサヨならば、スパイよりも余ほどに。

 

 二人を眺めて深慮しつつ黄昏はおもむろにコーヒーに口を付け――。

 

 

 

「そんでよろしくぅ! ロイド義兄(おにー)ちゃん♡」

 

 

 

 派手にコーヒーを吹いた。

 

 黄昏もといロイド・フォージャーは、ヨルと結婚しているため、自動的にそうなるのは確かに自然の摂理である。

 

 しかし、双子にしても似過ぎており、どちらかと言えば落ち着いて奥ゆかしいと認識しているヨルであるが、その顔から想像できない猫なで声でそんな単語が自身へ向けて放たれるのは堪えられなかった。

 

「がほっ、ごほっ、ふぐぅ……」

 

「ロイドさん大丈夫ですか!?」

 

「ちちおにぃ! おにぃ!」

 

「おにぃ! おにぃ! ロイドおにーちゃ~ん♡」

 

「止めろお前ら」

 

 黄昏は素になった(マジレスした)

 

 そして、暫くサヨと接し、観察した結果最終的にひとつの結論が出る。

 

(いかん俺……コイツ苦手かも知れん)

 

 西国伝説のスパイであり、人間関係は無敵と自負していた黄昏であったが、どうやら苦手な人間の一人や二人ぐらいはいるらしい。いや、今増えた。

 

「ちちがんば」

 

「何がだよ?」

 

 何より今後、暫くは家族としても任務としてもコレ(サヨ)に付き合い続けなければならないと言うことを思い、胃から何か込み上げるものを感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 








子供の愛のために戦う女(事実のみ抜粋)





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おべんきょう



感想・評価・お気に入りありがとうございます。そろそろ原作に少しずつ入りたいですね。一旦、これから感想を全て返信するので少々お待ち下さい。






 

 

 

 

 

 アーニャがイーデン校に入学してから数日経った明くる日。

 

「ぷしゅー……」

 

 授業についていくためのロイドとヨルから勉強を受けていたアーニャは頭から煙を上げており、それを困り顔のような何とも言えない表情でサヨが眺めていた。

 

 オペレーション〈梟〉で国家統一党総裁のドノバン・デズモンドと接触するには、その息子が通うイーデン校の懇親会に出席する必要がある。

 

 その懇親会は、皇帝の学徒(インペリアル・スカラー)と呼ばれる特待生とならなければ出席できない。そのためには学業・スポーツで優秀な成績を収めたり、社会奉仕活動で表彰されたりするなどで(ステラ)と呼ばれる褒賞を貰える星を8つ獲得し、特待生になる必要があるのだ。

 

 そのため、黄昏としてはプランAとして星を8つ獲得するために成績を少しでも上げたいという思惑がある。

 

 とは言え、アーニャの現在の成績はお世辞にも高いとは言い難いため、黄昏は同時にドノバン・デズモンドの次男のダミアン・デズモンドとアーニャを仲良くさせてデズモンド家に接触するプランBを計画していた。

 

 ちなみに星とは逆に定期考査で赤点を取ったり、暴力行為などの不品行をしたりすることで(トニト)と呼ばれる罰点を受け、雷が8つ溜まると即時退学となるのだ。

 

 そして、アーニャは入学の初日にダミアン・デズモンドを殴り飛ばして雷をひとつ貰うという中々にハードでロックな事になっていた。黄昏の胃も順調に荒んでいる。

 

「…………おいでアーニャちゃん。あの二人じゃ勉強にならないねぇ」

 

「――――!」

 

「おい……!」

 

「アーニャさん!?」

 

 すると一目散にアーニャはしゃがんで両手を広げたサヨの懐へ飛び付いた。

 

「おばぁ……っ!」

 

「よしよし、アーニャちゃん」

 

(アーニャたゃ!? ふひぃ、やばぁ……これだけ至近距離で抱き着いてくるとかもう結婚かよ。情緒やられるわ……耐えなさい私!)

 

 サヨの中身(心情)も大概地獄であるが、アーニャにとって言動は以外とまともで、比較的分別と倫理観があり、子供の扱いに長けた彼女は割りと拠り所であった。また、思っているだけで実害も特にはない。

 

 ちなみにサヨは週4~5でフォージャー家に入り浸っており、平日・休日問わずアーニャがいる時間に湧く。仕事はどうしたと言いたくなるが、副料理長かつロンメルファミリーの直営店のため強引にどうにかしているのだろう。

 

 アーニャを目にも止まらぬ速さと、恐るべき力加減でよしよししながらサヨは重い腰を上げるように口を開く。

 

「あのねぇ……黙って見てたけれど、あなたたち子供にモノを教えるセンスがないわ」

 

「なに……?」

 

「がーん……!?」

 

 ちなみに2~3日で黄昏はサヨに敬語を使うのを止めた。

 

 情報屋であり、黄昏の友人とも言えるフランキー・フランクリンと同じく、サヨは敬意を払っても払わなくても大差無く、自覚して悪戯を行い、褒めると何処までも付け上がるというデカいクソガキだからであろう。

 

「というか、姉さんは兎も角、ロイド兄さんまで分数の計算も教えられてないの?」

 

「いや、そんな事はない筈だが……確りと教えていただろう?」

 

 それを聞いたサヨは大きく溜め息を吐き、目頭を押さえながら天を仰ぐ。全身で表現された煽りに黄昏は内心で青筋を浮かべるが、彼女の育児含む生活力はヨルと同じ顔と思えないほど高いためそのまま話を聞く。

 

「あれ? どうして私は省かれているんでしょうか?」

 

「大方、ロイド兄さんは"なんでコイツがこの程度の問題がわからないのかわからない"とか考えながら教えてるんでしょ? 教える側がわからないのに教えられるわけないじゃない?」

 

「ぐ……」

 

 紛れもない図星であった。基本的に全て自身のみで解決するという思考の黄昏にとって、思考の次元が何段階か低い子供にモノを教えるのは決して得意ではない。

 

「そうは言ってもヨルさん共々手を尽くしてだな……」

 

 とは言え、黄昏も無論努力も勉強もしていた。子供の扱い方の本を読み漁り、文献やエッセイにも手を出し、勉強方法も超一流のモノを参考にしている。紛れもなく彼にとって"全力"であった。

 

 それよりも"ヨルさん"という単語を聞いたサヨは苦虫を噛み潰したような絶妙な表情を浮かべる。

 

「姉さんなんて"分母が5だから1の5等分ってことで、えっと……わかりやすくすると四肢と胴体をバラバラにして……あっ、でもそれだと頭が邪魔になるから……あれ……? えっと……5……5……? 5と(エス)って似てますよね"とか大方思ってんだろうから教えられるわけないでしょうが? 舐めてんの!?」

 

「ちょわーすッ!?」

 

「お前、実の姉のことをなんだと思ってんだ?」

 

(な、なんでバレて……うう、計算は苦手です……。みんなゼロにしちゃえばいいじゃないですか……)

 

(すごい、おばせいかい)

 

 アーニャからするとサヨもエスパー能力を持っているのかと錯覚するレベルで、相手の心情を理解している事があるのがわかり、時々白黒絵の未来視のような情景が浮かんでいる事もある。

 

 しかし、サヨと他の皆には内緒だと約束しているため、アーニャはそれに一切触れる事はないのであった。

 

「失敬な……姉さんが余りあるわり算までしか計算が出来ないことぐらい知ってるわよ」

 

「サヨちゃん……そろそろ私がお姉ちゃんだってことを少しだけでも思い出してくれませんか……?」

 

 全身をプルプルと震わせつつ、目の端に少し涙を浮かべながら不満げに頬を膨らませるヨル。

 

 しかし、今はアーニャの方が大事なためか、サヨは目配せしつつ一言"言い過ぎたわ"と謝るのみで、またアーニャの教育に話を戻す。

 

「自分が解ってても教える相手が理解できなきゃ教えたって言わないのよ。それは教えたつもりになっているだけ。互いに時間の無駄ね。子供が覚えられないのは子供の飲み込みの悪さのせいじゃなくて大人の教え方が悪いの。何より教える時に相手のことをあなた自身が本当に考えていて?」

 

「………………」

 

 任務のためにアーニャを全力で利用し、勉強を教える時ですら任務で頭がいっぱいの黄昏からするとぐぅの音も出ない正論であった。

 

(確かにその通りだ……。俺はアーニャ自身の事は何も考えてなかったかも知れん)

 

 本当にこの女、子供が絡むと変態的になりつつも真面目で、真摯な常識人である。その上、結果が伴っており、単純にどれほど多くの子供たちと直に接して来たのかがわかるであろう。

 

「――! でもアーニャべんきょーふとくい。アーニャわるい。ちちよくやってる」

 

「そうねお父さんが頑張ってるのはわかるわ。けれど大丈夫よアーニャちゃん。人間(つまず)くのは何も恥ずかしい事じゃないわ。立ち上がらない事が恥ずかしいのよ」

 

(アーニャ!アーニャ!アーニャ!アーニャぁぁうううわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!アーニャアーニャアーニャぅううぁわぁああああ!!! あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん んはぁっ!アーニャ・フォージャーたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!! 間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!! ちちを庇うアーニャたんかわいかったよぅ!!あぁぁ…ああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!! 素敵な家族ができて良かったねルイズたん!かわいい!あっ間違えたアーニャたん!かわいい!あっああぁああ! 毎日フォージャー家に入り浸れて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃあああああああああああああああ!!!こんな幸せ現実じゃない!!!!あ…漫画もアニメもよく考えたら… ア ー ニ ャ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ――現実だったわ)

 

「おば、やかましい」

 

「はい」

 

 何故か突然サヨがアーニャに怒られ、スッと姿勢を正した事に黄昏は首を傾げるが、それ以上の事は特に無い。

 

 時折、二人は謎のやり取りが発生するのだが、それは黄昏にとって子供とマフィアの複雑怪奇さを強調させる材料にしかなり得なかった。

 

「私はアーニャさんの事をいっぱい考えていますよっ!」

 

「ロイド兄さんが合理的なのは結構だけれど、そこからもう2~3歩踏み込まなきゃ小さい子に勉強なんて教えられないわよ? もっと自分が単純かつアホにならなきゃ」

 

「アホ……?」

 

「時計もまだ読むことが難しい子供に勉強を教えるには、何がわからないのかわからないって事は前提条件。その何がわからないかわからない事を教えてあげなきゃいけないわね」

 

「そんな無茶苦茶な……」

 

 ひとつの問題に対し、何がわからないという事がわからない事を理解し、何がわからないでいるのかを考え、それをこちら側で見つけて教えなければならない。

 

 言ってて意味がわからない事であるが、それをしろとの事である。スパイ活動の方が答えが明確なため、よほど簡単ではないかと考え始める黄昏であった。

 

「じゃあ、試しにひとつロイド兄さんに問題を答えて貰いましょう」

 

 そう言うとサヨはキッチンへと向かい、寸胴のグラスを手に取り、それに縁近くまで水を注いでから戻って来る。

 

「これはコップと水ね。んぐ……」

 

 それから水の入ったグラスを一度掲げてから中身をサヨ自身で飲む。

 

 そして、ちょうど元々水が入っていた5分の1に差し掛かったところで飲むのを止め、随分体積を減らした水が入ったグラスを机に置いた。

 

「はい、ロイド兄さん。これは何かしら?」

 

「なるほど……5分の1だな」

 

(つまり、目で見てわかるようにすれば分かりやすいと……いや、それぐらいなら俺だってやって――)

 

「ぶっぶー、正解は水の入ったグラスでした」

 

「は……?」

 

 突然、ただの嫌らしいなぞなぞのようなことを言い始めたサヨに黄昏は呆けた声を上げる。

 

 そんな彼をニマニマと悪戯っぽい猫のように眺めるサヨは更に口を開いた。

 

「ロイドおにーちゃん、相手が時計もまだ読めない子供だってわかってないでしょ? アーニャちゃん、今何が5分の1になったのかわかる?」

 

「――――ッ!?」

 

「えっ……?」

 

 アーニャは目と口を見開いて驚き、目を白黒とさせ、暫くグラスとサヨで視線を行ったり来たりさせていた。尚、何故かヨルも小さく声を上げていた。

 

 それからアーニャは暫く考え込む動作をした後、サヨの方を見詰めると、とても真面目な顔で呟く。

 

「わからん……」

 

「でしょうね」

 

「なぜだ……?」

 

「これは5分の1じゃなくて1個のグラスと1杯の水だからよ」

 

「は……?」

 

 サヨはグラスを持ち上げ、底をくるくると回すように動かしながら更に続ける。

 

「水が上下しようが水は水だし、コップはコップ。そもそも水が5分の1だけ残ったと言うことは、5分の4だけ水が減った事を理解してなきゃならない。だからこれは例にならないの」

 

「むぅ……」

 

 正解を導くならば得意中の得意の黄昏であるが、他者と間違い、失敗、理解できない事そのものを理解するのは全く別の分野であるという事だろう。

 

 そして、 サヨという女はそれをよくわかっていた。

 

「さて……じゃあ、そろそろ姉さんに頑張って貰いましょうか」

 

「――ッ! わかりましたっ! 何でも言ってください!」

 

 サヨは"ここに簡単な例を紹介しましょう"と述べる。そして、アーニャを両脇に手を入れて抱えて見やすい位置に座らせつつ、ようやく頼られて気合い十分なヨルを少し離れた位置に立つように誘導した。

 

「じゃあ、まずはここにリンゴが2つあります」

 

 更にサヨは持参していた買い物袋からリンゴを2つと共に、懐から反りの強い刃渡り30cmを超える程のかなり大型のナイフを取り出し、その鞘を抜き放つ。

 

(あれはロンメルファミリー構成員の全員に支給される短剣じゃないか……)

 

 ロンメルの小剣――。

 

 誰が呼んだか、いつからかそのように呼ばれるようになった短剣である。

 

 黒い鞘と柄をしており、反りの強い片刃の大型ナイフであり、ロンメルファミリーとなった構成員に認識証代わりに与えられるもので、東洋の技術を輸入し、ロンメルファミリー内で製造されているらしい。

 

「そ、それは……?」

 

「……………………果物ナイフ……?」

 

 顔をややひきつらせた黄昏の問いに、何故かサヨは疑問符を浮かべつつそう答えた。

 

「腐ったミカンとか……捌くわ」

 

(どう言うことだよ……? いや、わかるが……そうじゃないだろう!?)

 

 ちなみに東洋の国ではナイフではなく、小脇差・小刀などと呼ばれる刀剣の類いであり、ロンメルファミリーの間では誰が広めたのか"ドス"などと呼ばれていたりする。

 

「じゃあ、虫除けかしら……? まあ、なんでもいいわね」

 

 東国では、よくロンメルファミリーが壊滅させたアングラ組織のリーダー格の死体の喉・心臓・頭頂部などに突き立てられたままあえて放置されているため、持ってチラつかせるだけで悪い虫を寄せ付けない効果があるらしい。一家に一本欲しい優れものである。

 

(隠す気は……無いんだろうなぁ……。元々、マフィアはこちら(スパイ)とは違って、裏社会の人間に自分達を誇示する事で縄張りを守る存在だ。かと言って向こうから見れば堅気で通っているこちらからマフィアかどうか確認するのは間違っているからなぁ……)

 

(おば、ないふかっこいい!)

 

 ロンメルファミリーとしてのサヨへの対応に頭を悩ませる黄昏とは対照的に、アーニャは久々にちょっとマフィアっぽいサヨにとても関心を抱いた。

 

 そして、そんなサヨはそのナイフを構えると、ヨルへ向かって黄昏が明確な殺意を感じるレベルの軌道と速度で投擲し、それに遅れてリンゴを1つ放り投げる。

 

「なっ……」

 

「姉さん、それ五等分して」

 

「えっ? はい、承りました」

 

 異様な行動に驚く黄昏を余所に、さも当然のようにヨルは、ほぼ垂直に投擲されたナイフが自身に刺さる直前でその柄を超反応で掴み取る。そして、その後に飛んで来たリンゴを一閃する。

 

 少なくとも黄昏には一度ナイフを振るったようにしか見えなかった。

 

「こんな感じですか?」

 

「ははすごい!」

 

 しかし、リンゴは綺麗に5等分され、リンゴの落下地点に添えられたヨルの掌に並ぶ。

 

 最早、絶技や魔技の領域である。世が世なら魔女裁判にでも掛けられていただろう。まあ、ヨルは現代の魔女裁判に掛けられそうだったため、結婚したわけだが。

 

「ありがとう、じゃあそれをこっちのお皿に盛って……っと」

 

「りんご!」

 

「はい、あーん」

 

「あーん!」

 

 ヨルから切ったリンゴを受け取ったサヨは、アーニャにリンゴの欠片のひとつを手渡しで口に入れ、直ぐにしゃくしゃくと咀嚼音が響き、頬を緩めたアーニャの口が上下する。

 

 そんなアーニャの目の前にサヨは皿に残る4つ欠片のリンゴを見せた。

 

「さて問題です。アーニャちゃんは、今リンゴを幾つ食べたでしょうか?」

 

「んー……?」

 

 リンゴを食べつつ問いを考えているアーニャがまた首を傾げている最中、サヨは残っていた1玉のリンゴをふりふりと強調して見せる。

 

(ええと……あれ(リンゴ1つ)が、ははにバラバラにされて(5つになって)アーニャがひとつたべたから(おいしかった)のこってるのは4つ(もともと5つあった)――あっ!)

 

「ごぶんのいちっ!」

 

 その答えを聞いたサヨは感極まったアーニャの両脇を抱え、その場で讃えるようにぐるぐると回り出す。

 

「無理無理無理もうしんど過ぎでやばたん……。アーニャたゃ天才か? 天才だったわ」

 

(正解よ! 良くできたね?)

 

「おばすごい!」

 

「当たり前よ? 遊びでロリコンやってないわ!」

 

「ろりこん!」

 

「変な言葉は教えるな」

 

(あー、アーニャたゃに罵倒されながら褒められてるぅぅ! こんなん供給過多、安定剤超えて最早毒ッ! 5日は何も食わずに生きれるわぁ……)

 

「おば、めしくえ」

 

「うん」

 

 アーニャはサヨに残ったリンゴを渡し、サヨは真顔でそれを頬張った。

 

(こんなに簡単に教えてしまうのか……。育児はどうにもままならないものだな……)

 

 黄昏は育児や教育のスキルも実践的なものを磨かなければならないと考える。とは言え、彼は父親になったばかりでまだ1ヶ月も経ってはいない、これからアーニャの為に動くというのならば、自然とそれらしくもなることだろう。

 

(そう言えばヨルさんは――)

 

 ふと、リンゴを切ってから一言も発さず、まだナイフを振るった位置で佇んでいるヨルを不思議に思い、彼女の方に意識を向け――。

 

 

「はぁぁ……ぁぁ……」

 

 

 さっき渡されたナイフの見事な刃文と滑らかな曲線を見詰めてうっとりしていたヨルが目に入る。

 

 どうやらずっと眺めていたため、大人しくなっていたらしい。殺人鬼でももう少し分別を弁えているものであろう。

 

 見ればヨルが見ているナイフの刃文は、やや不揃いではあるが、ゆったりとした波が寄せるように見え、山と山の間隔が大きな湾れ刃をしており、確かに綺麗ではあった。

 

 しかし、リンゴを斬った場所で佇んだまま動かず、恍惚とした表情を浮かべながら指で切っ先や刀身なぞる姿は、これから通行人でも試し斬りしそうな勢いである。

 

「サヨちゃん、サヨちゃん」

 

「なに姉さん?」

 

 するとヨルはナイフから顔だけ上げて、サヨの方を見詰める。その目は暗い光を帯びていたが、口元は変わらず笑みを浮かべていることが酷く印象的だった。

 

「アーニャさんはとっても頑張りになられたと思います。けれど私もたくさん頑張ったと思うんですよ?」

 

「つまり……?」

 

 その直後、ヨルは目を疑うほどの速度と音のない動作でサヨに詰め寄ると、目を薄く見開き、息を荒げながらサヨの首に沿うようにナイフの刀身を向けつつ更に言葉を吐く。

 

「はぁ……はぁ……サヨ……このナイフ欲しいです……!」

 

「姉さん自分が人妻であることを思い出して」

 

(………………。ヨルさんは料理にでも使うんだろう。果物ナイフか……そうだな。そうに違いない)

 

(アーニャんちのかぞくみんなゆかい)

 

 黄昏は別方面ながら余りにもロックな方向に突き付けたこの姉妹に頭を悩ませ、最終的に考えるのを止めたのであった。

 

 

 

 

 

 ちなみにその後、何故かナイフは3本渡されたが、キッチンには1本しか置かれていない。

 

 

 

 

 

 

 

 







~その日の夕食時~


(あっ、これスッゴいサクサク剥ける)

 尚、ピーラーナイフとしては、フォージャー家の料理担当の黄昏にとても好評だったらしい。







~ フォージャー家+α 色々ランキング ~

・アレ度
1位:サヨ・ブライア
 よく内心限界に達するが、たまに外に漏れる。ロリコン。基本的にまず自身がマフィアであることを軸に生きているため、接すると暗に堅気ではないことがわかる。

2位:ヨル・フォージャー
 こわすことしかできないかなしきもんすたー。ボンド(犬)とどちらが賢いかは、畏れ多くてとても申し上げられない。 

3位:アーニャ・フォージャー
 子供特有の無邪気さ・残酷さ・思いきりのよさを差し引いても割りと振り切れている。かなりの強心臓の持ち主。

4位:ロイド・フォージャー
 色恋に走らないジェームズ・ボンドぐらいにはマトモな人。
 

・常識度
1位:サヨ・ブライア
 堅気には手を出さない分別はあり、常識を理解しつつそれを足蹴にして行動しているだけである。そのため、根底には教養と、彼女なりの正義感と、確かな誠実さが伺える。同じ世界を生きる敵は躊躇なく殺し、恩義には必ず報いる古いマフィア。

2位:アーニャ・フォージャー
 まだ、小さいので常識を知らないだけで誠実かつ正義感のあるイイ子。

3位:ロイド・フォージャー
 生活が波乱万丈過ぎるためか、常人ではあるが常識人ではない。ヨルの一部の行動を身体能力が高い程度に考え、あまり疑問に思わなかったりもする。

4位:ヨル・フォージャー
 先手必勝・必見必殺・まず殺す事から考える。HUNTER×HUNTERどころかバイオレンスジャックに居ても特に違和感がない魔獣。




~スパイアイテム紹介(スパイとは言っていない)~

ロンメルの小剣
 ロンメルの狐が主導になり、製造しているロンメルファミリーの認識票兼護身武器。トレードマークとして威嚇や見せしめにも用いられる。刃渡り30cmを超え、日本刀の刀身と西洋の柄をしたドスであり、東洋から職人を技術ごとぶっこ抜いて来た。そのため、ロンメルファミリーの構成員は、与えられた剣に恥じぬように男女問わず、最低限剣術と体術を修得している。
 尚、ここ最近、《いばら姫》がロンメルファミリーの仕事を受けているとはもっぱらの噂。




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きつね


アニメのスパイファミリーが楽しみで毎週つらい。





 

 

 

 

 ロンメルの狐――。

 

 それは闇に生きる殺しのスペシャリスト達にとって、半ば伝説的な存在であった。

 

 それは情勢が安定せず、アンダーグラウンドの温床と化していた戦後復興の黎明期から東人民共和国(オスタニア)という国で、烈火の如く殺し尽くした殺戮者である。

 

 そして、当然ながらロンメルファミリーに敵対的だった数多のマフィアなどの組織は手に負えない彼女に対し、世界各国の名のある殺し屋を差し向けた。それにも関わらず、その一切を喰らい尽くしたため、彼女は誰にも殺せぬ修羅として伝説となった。

 

 そのため、興味本位、自身の実力を示す、名を上げる等の様々な思惑を抱き、ロンメルの狐に挑む殺し屋達は後を断たない。

 

 それは"刀"という珍しい刀剣を殺しの道具としているとある殺し屋の男も同様だった。

 

 

 

「あら……? 珍しい刺客ね」

 

 

 

 そして、そのタイミングは完璧だった筈だ。

 

 単身で他のマフィアの密造所を殲滅していた彼女を死角から強襲し、その背に刃を与え――気づけば彼女の得物と刃を交えていた。

 

 それを可能としたのは、ただの人間では有り得ない程の気配察知能力と反応速度であり、それは人間と言うよりも獣、それどころか魔獣と呼んでしまえるほど異次元の領域である。

 

 だが、男とて並みの殺し屋ではない。己が生涯を掛けた剣術にて、確かにロンメルの狐と幾度となく得物を交える事を可能としていた。

 

 これが名のある殺し屋程度ならば、彼女の異常な筋力で振られるそれを受け流せずに受け止めてしまい、その時点で得物は砕け散っている。それだけで彼が暗に世界最高の殺し屋の1人であることを証明していた。

 

「"刀"……良いわよね。ロンメルファミリー()でも日本から職人を招いて製造し始めたんだけど、如何せん剣術指南役が居なくて困っていてね……」

 

 "盲点だったわ"と呟きつつ、尚も男と得物を交え続けるロンメルの狐。その表情には笑みと値踏みする余裕が浮かんでおり、彼女の得物を受け流し、反撃する事に全力を注ぎ、脂汗を浮かべている男とは対照的だろう。

 

 ある瞬間にロンメルの狐の得物をやや弾き、彼女から距離を取った男は上段に刀を構え、上がった息を整えながら彼女を注視する。

 

「休憩? いいわ……少し待ってあげる」

 

 まず、一切の隙がない。更にほんの少しでも目を離せば存在を認識出来なくなるのではないかと錯覚するほど、人間らしい気配そのものがない。そして、極めつけに静かに佇んでこちらを見詰めるばかりにも関わらず、底冷えするような死を覚える気迫だけがあった。

 

 さながら彼の故郷にある羅刹像に生命が吹き込まれ、本物の羅刹女として動き出したような有り様はそれだけで畏怖の念すら抱くほどである。

 

 黒い殺戮者。殺人の権化。人命を奪うことだけを生き甲斐とする抹殺者。人間という種を殺すためだけに生まれ落ちた怪物。

 

 男の目の前にいるそれはただそれだけの存在であった。

 

「その代わり――試すわ」

 

 そう言うとロンメルの狐は背負っていた布の掛かった彼女自身の身長より長い筒を取り、中から男にとって馴染み深い"刀"を取り出して見せる。

 

 鞘を放り捨てるように抜き放たれたそれは、一目で名工の作であると男がわかるものであり、同時に刀の刀身と西洋剣の柄を持つ見たことのない武器でもあった。

 

 そして、何よりその刀は男のそれよりも大型であり、刀身が三尺を超える大太刀や野太刀と呼ばれるものであることも理解する。

 

 剣豪でも持て余すようなそれを、彼女の本来の得物とは逆の手に持つと、まるで子供が枝で遊ぶように片手で軽々と振って手応えを確認していた。

 

「ちょっと見た目より軽過ぎるんじゃないかしらこれ……?」

 

 "へし折れないでしょうね?"と少し不安げに眉を潜めるロンメルの狐。彼女の怪力を身を以て知る男はその言葉が少し可笑しく思い、小さく声を漏らす。

 

 それを見て男はまだ余裕があると感じたのか、単純に笑われた事に反応したのかは謎だが、彼女は大太刀を男へと向けた。

 

「行くわよ?」

 

 今度先に動いたのはロンメルの狐であり、彼女は踏み込むと、文字通り跳ぶ。

 

 男との間にあった十数mの距離は、たった一歩の踏み込みで消し飛び、そのまま彼女は大太刀を水平に薙ぐ。

 

 体勢を低く落とす事で初撃を避けた男だが、即座に反撃をする隙もなく返しの刃が振るわれ、それを受け流した事で打ち合いが始まった。

 

「うーん……逸らしたり、峰で受けたり……結構難しいわね」

 

 そんな事を言いつつ、ロンメルの狐は男の反撃を大太刀で逸らすか峰側で受ける事で対応しており、かなり剣術に対して知識と技術がある事が伺える。

 

 だが、それ以上に男を驚かせたのは、その剣術が荒削りながら男が修得しているそれと全く同じものだった事だ。

 

 同じ剣術を学んだという事ではないだろう。ならばその答えは、男が振るっていた剣術を殺し合っているこの場で覚え、それを行使しているという事に他ならない。

 

 怪力だけではなく、兼ね備えた異次元の技量とバトルセンスがそれを可能としており、人間の頂点の更に上に位置する何かだという事が男には痛いほど理解できる。

 

 しかし、男はそれでも彼女に喰らい付く。それは最早、殺し屋ではなくただの剣豪としての意地であり、あるいは彼女が戦いの中で完成させた己の剣術というものを見てみたいという純粋な興味であった。

 

「あら……?」

 

 打ち合いを始めてから時間にして2~3分ほど。男にとっては永遠に続くように錯覚していた時間は突如として終わりを告げる。

 

 他の敵対組織員の掃討が終わり、2人の周りを銃やドスを構えた数多のロンメルファミリーの構成員達が取り囲んだのだ。

 

 その時、男はロンメルの狐を殺すためにここに来ていた事をいつの間にか忘れ、ただ剣客という挑戦者として立っていた事を思い出し、自身の死期を悟る。

 

 単純に男は自身でも気付かないほど、ロンメルの狐との立ち合いにのめり込み、時間を掛け過ぎた結果がこれだ。

 

 血も涙も誇りもない殺し屋として修羅と呼ばれた自身の最期が殺しではなく、今更になって剣に殉じた事で幕を閉じるとは、あまりの皮肉に男は自身を嗤う。

 

 しかし、一切後悔はしておらず、ならば生涯最高の幕引きにしようと刀を鞘へ納刀し、踏み込みの予備動作に入る。

 

 "せめて一撃だけ、見舞おう――"

 

 男は例え、次の瞬間に銃弾の豪雨を受けて死のうと、己にとって生涯最大にして最高の相手に最後の突撃を敢行しようと――。

 

 

「お前ら、絶対に手を出すんじゃないわよ……?」

 

 

 しかし、その決意は他ならぬロンメルの狐が構成員たちを制した事で停止する。

 

「私が殺し屋を差し向けられる分は、別にどうでもいいのよ。それだけの事をして来たし。けれど、それに巻き込まれてあんたらがひとりでも死んだらそれこそ寝覚めが悪いわ。何より――これは私に売られた喧嘩よ?」

 

 "私に卑怯者のレッテルを貼るつもり?"と更にロンメルの狐は続け、そこまで言われてしまえば返す言葉もないと、構成員たちは銃とドスを仕舞った。

 

「ああ、私が殺されたら彼に彼が受けた暗殺依頼の報酬の倍包んで渡してやりなさい。無論、彼が帰る際に誰も手を出すんじゃないわ」

 

 そして、ロンメルの狐はそう言うと、仕切り直しと言わんばかりに恭しく一礼し、大太刀を彼がしていたように上段に構えた。

 

 極道――。

 

 彼が生まれた国では、マフィアとほぼ同じ意味の言葉に当たり、本来は仏教用語で仏法の道を極めた者という意味で、高僧に対し極道者と呼ぶ。

 

 その時、男にとって目の前の者は、怪物ではなく紛れもない極道者であり、何かに魅入られるとはこのような事を言うのであろう。

 

「さあ……続きをやりましょうか?」

 

 そんな彼女とまだ立ち合え、自身の剣術がどこまで通じるのか証明出来る事から思わず会心の笑みを漏らす。

 

 

 

 そして、どちらがと言うこともなく互いに踏み込み、交錯した刀が火花を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻薬カルテル――。

 

 それは広義では麻薬の製造・売買に関する活動を行う組織であり、大多数の国では、麻薬の所持・売買・使用等を制限あるいは禁止されており、非合法な存在である。

 

 この東国であってもそれは同様であり、現在このミュンク地方にある空港跡地の格納庫にて、そんな麻薬カルテルと呼ばれる組織犯罪集団のひとつがいる。

 

 この地方には政府の支配が及んでいない一帯があり、この空港跡地もかつて戦争で激戦区となり、復興が及ばずに放棄された場所であった。

 

 空港跡地にポツンと佇む格納庫はほぼ原型を残しており、それ故に犯罪組織の根城としては申し分なく、現在200~300名規模の構成員がここにおり、運び込まれた密輸品の仕分けをしている最中である。

 

 彼らは東国内の犯罪組織の手引きで他国から勢力拡大のために流入した者達であり、その国では大規模な組織であった。

 

 東国はロンメルファミリーが縄張りにしており、そちらでは麻薬や売春を禁忌としているため、明確な敵対行為であるが、他国にまで勢力を伸ばそうとする彼らに最早歯止めは効かず、力のままに広がるばかりだ。

 

 

 

「女……?」

 

 するとそんな彼らの見張りの1人が奇妙な影を見付ける。

 

 それは露出度の高い黒いドレスを纏った黒髪の女であったのだが、顔に極東の黒い狐面を付けており、更に巨大な対戦車ライフルのフォアエンドを肩に乗せ軽々と片手で担いでいるという余りにも奇妙な人物であった。

 

 その銃はかつて、西国と東国との戦争より以前に開発された世界初の対戦車ライフルであり、開発した国で元々採用されていた主力小銃の単純な基本構造自体は殆ど変えず、一回り以上サイズアップさせて13mmと言う大口径に対応させ、13mm徹甲弾を放つというとてもシンプルな代物である。

 

 しかし、その全長は2m近く重量も15kgを超える上、マズルブレーキやソフトバットプレートといった反動軽減機能は付いておらず、強烈な反動によって、バイポッドで固定して狙撃しようとも射手の眩暈・頭痛や肩関節脱臼や鎖骨骨折まで引き起こす事もあったという。

 

 だと言うのに彼女が持つそれはバイポッドすらそもそも付いておらず、本来は木製のフォアエンド、グリップ、床尾に至るまで全てが金属で出来ており、本来の倍以上の重量があることが伺える。

 

 更にその尖端には50cm程の刃渡りを持つ銃剣が付いており、最早銃自体が薙刀のようにさえ思えた。

 

 そんな女が余りにも堂々とした足取りで真っ直ぐ向かって来ていたのである。

 

「なんだありゃ――」

 

 その言葉は見張りの男の首が飛来した鎌のような何かにパックリと裂かれた事で最後まで続かず、暫く悶絶した末に地面に倒れ伏して事切れる。

 

 すると見張りの男に向かって伸びていた鎖とその先に繋がる鎌は回収され、いつの間にか狐面の女の隣にいる髭を蓄えたアラブ系の大男の手元まで戻った。

 

「すまんボス。呆れるほど隙だらけでな。つい手が滑った」

 

「いいわ、好きにしなさいバーナビー。無礼な輩にルールもマナーも必要無いわ……元から皆殺しよ?」

 

 鎖鎌を使う大男――バーナビーはその言葉を聞いて気を良くしたのかくつくつと笑う。

 

「な……テメェら!?」

 

 そんな様子を他の見張りが目撃し、狐面の女目掛けて小銃を構え、それより早くバーナビーは鎖鎌を構えていたが、何かに気付いたようでその構えを解く。

 

「俺たちを誰だと思って――」

 

 その直後、小銃を構えていた見張りの首が飛ぶ。

 

 見れば、いつの間にか見張りの背後に髪を後ろで纏めた灰髪の男が立っており、音もなく振り抜いた"刀"によって彼が行ったのだとわかるであろう。

 

「少なくともお前らよりもうちのボスの方がよっぽど怖いな」

 

「ちょっと隊長……それどういう意味よ?」

 

 死んだことにも気付いていない表情で落ちた見張りの首に"刀使いの男"がそう語り掛け、それに狐面の女――"ロンメルの狐"は口を尖らせる。

 

 彼女はドレス姿であるが、他の男達はスーツ姿であることが印象的であった。

 

「さて、"猟兵"は配置に着いたわね」

 

 猟兵――。

 

 ロンメルファミリーのNo.3 ロンメルの狐が設立した直属の特殊部隊であり、部隊としての名は烏喙(うかい)猟兵隊という。

 

 トップは無論ロンメルの狐であり、殺しに才能のあるロンメルファミリーの志願者を除き、それ以外の全ての構成員は、かつてロンメルの狐を殺しに来た殺し屋であり、心をへし折られる・絆された・陶酔する・好きに殺せる為に下った等の理由でロンメルの狐の配下となった者達であった。

 

 つまりにロンメルの狐とロンメルファミリーの殺し屋及び名のある元殺し屋のみで構成された殲滅部隊という誰も相手にしたがらない存在であると同時に、歯の浮くような眉唾物の話故に暫く活動していないと形骸化したお伽噺の怪物程度の扱いにされてしまう存在である。

 

 しかし、ロンメルの狐を含めた彼らは確かにこうして存在し、何処かから東国に来た良くない虫を掃除する役割を誰に頼まれた訳でもなくしているのであった。

 

「では始めましょうか」

 

 ロンメルの狐は対戦車ライフルの銃口を天へと掲げ、その直後に引かれた引き金と共に耳を(つんざ)くような爆音と、マズルフラッシュの閃光が一瞬だけ灯る。

 

 それを合図に空港跡地の格納庫の様々な場所から銃声や悲鳴が上がり、麻薬カルテルの構成員達が大混乱に陥っている事が直ぐに耳で感じられるだろう。

 

「さあ……ロンメルファミリーの流儀を教えてあげるわ」

 

 それだけ呟いたロンメルの狐は2人を引き連れつつ、そのまま格納庫の中に入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アーニャたゃ~」

 

 いつもより気持ち遅めの時間にフォージャー家に来たサヨ・ブライアの第一声がそれであった。

 

「おば、いらしゃいませっ!」

 

(はー……可愛いかよ? 目がきゅるんきゅるんして、口開いてて、なんだこの可愛らしさ次元が違うやっばっ……!! 可愛すぎて最近仕事が捗って――)

 

「――ヴォエッ!?」

 

「おば!?」

 

 サヨは駆け寄ってフォージャー家の玄関を潜ろうとしたが、背中に背負っている巨大な筒がドア枠に当たり、急ブレーキが掛かった時に助手席に乗っていた人のようになる。

 

 直ぐにサヨは背負っている筒を縦にしてフォージャー家に入り直すと、途中でアーニャを抱き上げてからリビングに入った。

 

「サヨちゃん何ですかそれ?」

 

「こんばんはサヨ」

 

「これ? 大したものじゃないわよ。仕事でちょっとした接待があってね。その道具よ」

 

 そんな事を言いつつアーニャを下ろしてからリビングのソファーで休んでいたヨルと黄昏の前に背負っている筒を下ろす。

 

 すると中から2m近い巨大な銃と鞘に収まった銃剣が現れ、アーニャと黄昏が驚いた表情を浮かべる。

 

「私のラブリーちゃんよ♡」

 

(前大戦の対戦車ライフルだと……!?)

 

(おばのじゅう!? たいせんしゃ……? でっかいかっこいい!)

 

 黄昏はサヨが隠す気が無いどころか逆にマフィアでは御目に掛かれないモノを持ち込んで来た事に驚愕し、アーニャはそれを持つサヨを想像して興奮を覚えた。

 

「サヨちゃんは射的のスポーツをしているんですものね?」

 

「うふふ、射撃よ姉さん。私、クレー射撃を嗜んでいるのよ。ちょっと特殊な奴だけどね」

 

(対物ライフルと徹甲弾でやるクレー射撃なんてあって堪るか……)

 

 クレー射撃は散弾銃で素焼きの平皿の的を撃つスポーツであるため、サヨの言っている事はとんでもない出鱈目である。

 

(しまったこの家には……銃について知る人間が黄昏()しか居ない……!)

 

 しかし、精神科医ロイド・フォージャーである黄昏は、その設定ではクレー射撃についてとやかく言える立場ではないため、ツッコミを入れられる者が誰ひとりとして存在しなかったのであった。

 

(待て……対戦車ライフルを使うロンメルファミリーのマフィア……? えっ――? いやいやいやいや、そんな偶然があって堪るか……)

 

 黄昏は頭の中にあったロンメルの狐が用いている武器のひとつの情報を参照し、それを頭から否定する。

 

 流石の黄昏と言えども東国の伝説の存在であるロンメルの狐がこんなところに居るわけがなく、何より日頃からアーニャを溺愛し、言動が大変アレなおもしれー女がそれであるとは思えなかったのであろう。

 

「おば、さわっていい?」

 

「良いわよ」

 

「おい、危ないだろ。何を触らせて――」

 

「大丈夫よ。装填数1発だから弾が出ることはな――」

 

 黄昏と言葉を交えつつサヨはボルトアクションをスライドさせて見せ――その薬室に巨大な銃弾が装填されているのを見付けた。

 

「………………」

 

「………………」

 

 サヨと黄昏は固まり、互いに薬室の銃弾を見詰める。それはその銃で用いられる13mm 徹甲弾であり、そのまま無言で彼女は銃弾を薬室から取り除く。

 

 そして、銃でお尻を撃たれて痛いときのヨルのような表情をしつつ黄昏と目線を合わせずにポツリと呟いた。

 

「………………もう無いわ」

 

(あったじゃねぇか!?)

 

 この女、何処か抜けているところは紛れもなくヨルと姉妹であろう。

 

 

 

 

 

 

 







~ 用語解説 ~

烏喙(うかい)猟兵隊
 ロンメルファミリー内での通称は猟兵。他の組織からは主にロンメルの猟兵等と呼ばれているロンメルの狐直属の特殊部隊であり、ロンメルファミリー最高戦力でもある。
 ロンメルの狐やロンメルファミリーの幹部を暗殺しに来た名のある殺し屋を、ロンメルの狐が完膚無きまで叩きのめした上で五体満足で捕獲し、ロンメルファミリーにした者がここに配属される。他にもロンメルファミリーの腕利きの殺し屋(ヒットマン)の志願者が配属される。
 主に国内で発生したロンメルファミリーの信念に反する組織犯罪集団や、戦争に荷担する過激派組織の拠点に出向き、ロンメルの狐と共に殲滅する他、本拠地が国外の場合そこに乗り込む事もある。

《構成員+α》

ロンメルの狐
 烏喙猟兵隊の元締め。黒いドレスを着て黒狐面を被った女であり、ロンメルファミリーで最もマフィアらしいマフィアにして、伝説級の殺し屋(ヒットマン)でもある。得物は銃剣付きの対戦車ライフル・重機関銃・ミニガン・拳銃・大太刀・薙刀・鉤爪・鎖鎌・ドス等様々なモノを用い、何も躊躇なく人間に対して放って来る。
 総じて対峙して生き残った者全てが、到底人間どころか生き物とは思えない眉唾物の話を語るため、いつしか人々の伝説として語られるようになった。
 ちなみに対戦車ライフルのモデルはマウザー M1918。

エンヤ
 ロンメルファミリーの剣術指南役であり、幹部のひとり。ロンメルの狐は烏喙猟兵隊の設立者であり、隊員ではないため彼が隊長を務める。かつてロンメルの狐の暗殺依頼を受け、彼女を襲撃したが刀同士で拮抗した戦いの末に敗北。彼女の心意気と仁義に惚れ、ロンメルファミリーに降った経歴を持つ。
 現在の名前はロンメルファミリーとしての名であり、過去の名前はロンメルの狐の配下になった時に捨てた。

 豪華客船編の殺し屋のひとり。刀使いの男。万全ではないとは言え、作中で唯一、ヨルと渡り合い1ラウンド征した超人。死が怖いならという理由で、ヨルに手を引くように促したりなど割りと倫理的。

バーナビー
 ロンメルファミリー幹部を殺害する依頼を受けたが、ロンメルの狐と遭遇。交戦したが、殺意を露にした彼女に素手でボコボコにされた上、自慢の鎖鎌を奪われて敗北。彼女への恐怖心からロンメルファミリーに降る。

 豪華客船編の殺し屋のひとり。鎖鎌使いのバーナビー。アーニャが学校で思わず有名人の名前に挙げちゃった人。



~ フォージャー家+α 戦う時の特徴 ~

ロイド・フォージャー
 状況に応じあらゆる手を使い、戦闘能力も人類トップクラスに高いという主人公タイプ。

サヨ・ブライア
 徐々にギアを上げていき、第三形態ぐらいまで武器と戦闘スタイルが変化する。主人公を含めて何人もの仲間が死力を尽くしてようやく削り切るタイプのラスボス。キングブラットレイ。

ヨル・フォージャー
 先手必勝。最初から全力で殺しに来る。宝箱開けたらしんりゅうと戦わされて、初手タイダルウェイブしてくるようなもの。

アーニャ・フォージャー
 ははとおばをよぶ。





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おじ



アーニャゴウカク……アーニャゴウカク……(洗脳)

5話のアニオリ最高かよ……原作だと城のところ5ページですよ?







 

 

 

 

 

『"姉貴"! "姉さん"が結婚してたんだって!?』

 

 ある日の晩。自宅で寛いでいたサヨが、鳴った受話器を取った先の第一声がそれであった。

 

「あー……」

 

(遂に来たわね……)

 

 電話の相手はユーリ・ブライア。ヨル・フォージャーとサヨ・ブライアを溺愛している実弟である。

 

「誰から聞いたの?」

 

『ドミニクさんだよ』

 

「あー、姉さんの職場の同僚の彼氏ね。そう言えばこの前、パーティーがあったそうで――」

 

 他愛もない事を聞きつつ、サヨはユーリに"ヨルが1年も前から既に結婚していた理由"をどう言い訳をするのかを考え、思考を巡らせる。

 

 既に幾つか理由は考えてあるが、そのうちどれがユーリにとって都合がいいのか値踏みしているのだ。

 

『ああ、それでね姉貴――違う! 姉さんが結婚してた事だよ!?』

 

 ちなみにユーリは、ヨル・フォージャーの事は姉さん。サヨ・ブライアの事は姉貴と呼んでいる。雰囲気の違いによるものらしい。

 

 流石に誤魔化せる気がしなかったため、サヨは重い口を開くような間を置いてから語り掛ける。

 

「言う時期を考えてたのよ。姉さんと2人で」

 

『時期を……?』

 

「だってユーリったら仕事を始めてそんなに経ってないじゃない? しかも初めての職場から

1年で異動したばっかりだったでしょ?」

 

『…………そうだね』

 

「それなのに1年前に姉さんが結婚した――だなんて聞かされたらあなたきっと仕事どころじゃなかったと思ってね。姉さんたちずっと心配だったの」

 

 嘘である。この女、つい2~3分ほど前まで次にフォージャー家に行ったらアーニャ・フォージャーをどう可愛がるかしか考えていなかった。

 

 ユーリについては雑草よりしぶといのであまり手を掛けなくても逞しく育つ、いや育った等と考えている。

 

 昔ならサヨがユーリに対して過保護な時期もあったが、今となっては姉離れ――などと告げれば彼は即座に廃人になり兼ねないので、そこそこの距離感を保っているのだ。

 

「まあ、相手がバツイチ子持ちだったから言い難かった……こともちょっぴりあるかも知れないけれど、言うタイミングは姉さんに任せてたから、あの子ひょっとしたら忘れてたかも知れないわね」

 

『姉貴……姉さん……ボクのためにそんなに……!』

 

 仮定に仮定を重ねる。ノストラダムスの大予言やらUMAやらで沸いていた時代によく使われた手法であろう。

 

 極秘の機密情報やら未知のビッグフット等という言葉レベルに胡散臭い話であるが、それを嘘に一部本当の事を交える・声の抑揚・本音を語る雰囲気・姉という立場などで全力で補強していた。

 

 ようはこの女、生まれつきとてもよく慣れたウソつきなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とまあ、そんな感じにそれとなく誤魔化しておいたわ。ロイド兄さんも話を合わせておいてくれるかしら?」

 

 明くる日。

 

 サヨは夕方にフォージャー家におり、ソファーに座って膝にアーニャを乗せながら黄昏に昨日のユーリからの電話について話していた。

 

「おばうそつき?」

 

「んー……? 成長すると皆嘘つきになるのよ? 大人になるっていうのはそういうコト」

 

「なるほど……」

 

 サヨは"だからアーニャちゃんは優しい嘘つきになりなさいな?"と言いつつアーニャを撫でる。

 

 アーニャは自身の周りの大人が全員秘密を隠しながら生きている事を思い返し、真剣な表情でとても納得した。

 

(誰だコイツ……)

 

 そんなサヨを黄昏は内心訝しげに眺める。

 

 つい昨日、フォージャー家と公園に行き、アーニャのおやつのピーナッツを鼻で200m以上飛ばす大記録を打ち立て、その後、アーニャに"たべものであそぶな"と正座させられていた奴と同じ人間とは到底思えないであろう。

 

 日頃から馬鹿を演じているならば、まだ救いはあるが、基本的に子供染みた悪戯や、無意味にふざけている姿ばかり晒しているため、黄昏としてもコレが何かを演じている様子はないと言い切れるレベルであった。

 

「本人に聞いた訳じゃないけれど。たぶん、うちの弟は近いうちにお宅訪問に来るわよ」

 

「そうか、いや君が言うならそうなんだろうな」

 

「ええ、ブライア家の人間は行動力がスゴいの。まあ、一応釘は刺しておいたけれど無駄でしょうねぇ」

 

 そんな話を黄昏とサヨがしていると、フォージャー家の外階段をバタバタと駆け上がり、扉の鍵を慌てて開ける音が響く。

 

「たたた、大変ですロイドさん! あっ、サヨちゃんも!」

 

「おかえりヨルさん。遅かったですね」

 

「おかえり姉さん……とりあえず、止めてよね。ああやって急いで家のドアノブを捻り切ったの、一度や二度じゃないでしょ?」

 

「ふえっ!? うぅ……善処します……」

 

「えっ、ドアノブ……?」

 

(ははばかぢから)

 

 どうやらヨルの反応を見るに事実らしい。

 

 捻り切られたドアノブをどうにか修理している今より若いサヨの姿が、ヨルの心の中に浮かんでいる様をアーニャは目にした。

 

「あっ、じゃないですっ! ユーリがっ……弟がウチへ来るそうです! 今日っ!」

 

「今日!?」

 

 サヨの言ったことが当たったと共に、フォージャー家の緊急事態の発生である。

 

「私、結婚のことまだ伝えてなくて……"お祝いに行きたい"って。じゃあ、後日にって言ったんですが、どうしてもって……」

 

「お(のろ)いの間違いでしょ?」

 

 サヨの呟きは今は一旦置いておき、焦る様子のヨルは更に続ける。

 

「どうしましょう。偽装だとバレないでしょうか……?」

 

「大丈夫です。こんな時のために"仲睦まじい夫婦セット"を用意してあるので!」

 

 等という事を黄昏が言ったため、フォージャー家の一室の模様替えが行われ、その間、アーニャはサヨに肩車されつつ忙しない様を眺めていた。

 

「………………」

 

「………………」

 

 その結果、ハートマークの掛け布団にYES/NO枕が2つ置かれたダブルベッドが中心に置かれ、"LOVE"とロゴのあるマグカップに2色の歯ブラシ、抱き着いたり顔を合わせたりしている見事な合成写真等も飾られ、夫婦の寝室として遜色ないであろう。

 

 それ故にソレらしい部屋という事で、なんとなく意識した黄昏とヨルは何とも言えない表情を浮かべている。

 

 それを眺めたサヨとアーニャは互いに言葉を交わすことなく目で合図だけすると、アーニャを肩車から下ろして2人の隣に立たせた。

 

「……ちちとははイチャイチャ?」

 

「してない!」

 

「してません!」

 

(ンハァー……このふたりの関係ホントしんどい……。捗るわぁ……。もう、結婚しろよコイツら)

 

 アーニャの呟きに対する夫婦返しに、ロリコンではあるが、無論シチュエーションでもイケるサヨは内心そんな事を考える。

 

 それを聞いたアーニャはやはりこれはイチャイチャしているという結論に落ち着いた。

 

「でもこれじゃダメね」

 

「なに……?」

 

「これが付き合って2ヶ月ぐらいで籍を入れた新婚ホヤホヤのカップルなら模範解答でしょう。けれどあなた達、設定では結婚したの1年前でしょ? って事は1年以上前から付き合っていた事になるでしょう? 最近まで別居してたにしても普通なら付き合ってた頃からそういう事は済ましていたり、若しくは片方がバツイチ子持ちだからこそある程度落ち着いたビジョンが見えているものじゃない? いえ、むしろそういう関係だからこそ燃え上がったり育まれたりしているのすごいどこまでいくのそうあるべきねそうに違いないわ」

 

「お、おう……」

 

 とても早口かつ強い剣幕で黄昏に迫るサヨ。その様には珍しく有無を言わせぬ迫力と、本気で言っているとしか思えない目力がある。

 

 サヨは設定に対して、とても厄介な(オタク)であった。

 

「つまり何が言いたいんだ?」

 

「生々しさが足りない」

 

 そう言うとサヨは持参していたバッグからYES/NO枕へ目掛けてドサドサと中身を落とす。

 

「はい、ピンク色の避妊具。箱ごと置いてあるのがポイントね。後、茶色い瓶入りの興奮剤とご立派な模型なんかも――」

 

「やめろ」

 

「ちちみえない」

 

「見なくていい」

 

 黄昏はアーニャにサヨが出す物品が見えないように手で目隠しをした。

 

 一見するとどんな用途なのかわからないモノしかないが、それとこれとは話が別である。

 

「しまえ」

 

「ええ……確実な偽装を考えるならこっちの方がもっとそれっぽ――」

 

「しまえ……! アーニャの教育に悪いだろうが……!」

 

 ほぼ無意識にそう発言していた黄昏が語調を強めると、サヨはいそいそとバッグから取り出したものを仕舞う。

 

(うふふ、いいお父さんねぇ……)

 

 その時、何故かサヨの表情がニヤケていた事が気になったが、思いの外素直に引き下がったため、黄昏は拍子抜けな気分になった。

 

(妹って言うのはこんなに面倒なのか……?)

 

 それと同時に本当に妹がいればこのような感じに手間が掛かるのかと、黄昏は少しだけ眉を潜める。

 

(……? おば、ちちのいもうと)

 

 しかし、心を読めるアーニャは黄昏とサヨは既に兄と妹という関係になっている事が当然だと考えているため、小さく小首を傾げた。

 

 そんな中サヨは寝室を見渡し、"LOVE"とロゴのあるマグカップに刺さっている2色の歯ブラシに目を向けた。

 

「これは単純な経験則だけれど、マグカップも2つの方がいいわね」

 

「なぜ?」

 

「これ、最初は盛り上がってやろうと思うんだけど、いざ使ってみるとコップ1個ってクッソ不便なのよ。朝の歯磨きで渋滞になるし、寝室に置いてあるんじゃたまに口を濯ぎたくなる事もあるじゃない? 同居してたならまず1~2ヶ月持たず2個になるわ」

 

「………………」

 

 渇いた笑い声と共にサヨの口から吐かれたその発言が一番生々しいと思う黄昏であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んにゃ……むぅ……」

 

(――――――――)

 

 時刻は進み夜の9時を過ぎた頃。

 

 未だユーリは来ておらず、ソファーに座るサヨの膝を枕にして眠るアーニャの姿があった。

 

 アーニャにはブランケットが掛かっており、膝枕をしているサヨは眼鏡の奥にある瞳から光を完全に消したまま、石像のように微動だにしていない。

 

「サヨちゃんもユーリに会うのは久し振りです…………サヨちゃん?」

 

(――――――――)

 

 仕事が長引いているらしく、未だフォージャー家に到着していないユーリについてヨルが話を振ったが、サヨは凡そ生物らしい雰囲気を一ミリも放っておらず、同じ部屋にいる黄昏ですら目を離すと存在をアーニャから辿らなければ認識出来なくなるレベルである。

 

 そのため、黄昏はとんでもない隠密スキルに感心しつつ東洋の座禅的な精神修行染みた何かなのだと勝手に解釈していた。

 

(――――呼吸、たのしい)

 

 無我の境地、明鏡止水、中道、梵我一如。実際、サヨは全ての雑念を振り払い、思考の一切を取り払った無に達している。

 

 要するにただ極限まで何も考えないことに徹しており、いつの間にか瞬きの回数すら生物として最小限になり、最早動かない虫と同レベルになっているのである。

 

(――――空気、おいしい)

 

「いや、なんだかさっきから声を掛けてもまるで反応がないんですよ。目を開けたまま寝てるのかも知れないですね……」

 

(なんなんだろうコイツ……)

 

 黄昏が理解できないのも無理はない。

 

「ん……にゃ……」

 

(――――――――)

 

 一切意識を介さず反射的にサヨは軽く出血するほど拳を握り締めた。

 

 何せサヨがこんなことをしている理由は、サヨの膝で安心しきった表情で、片目が薄目を開けたまま眠っているアーニャの為に他ならないからである。

 

 約3時間前、サヨはユーリの仕事は遅れる事が多いとの事でアーニャがおじ(ユーリ)のお出迎えをしたければ来るまで少し寝ていた方がいいと持ち掛けた。

 

 その結果、アーニャはこうして言い出したサヨの膝ですやすや眠るに至る。

 

 しかし、そうなるとサヨが自覚している最大の問題が、彼女自身の思考が些か煩過ぎる事であり、それを全力で対処しているため、彼女は本気も本気の大真面目であり、その恵まれ過ぎた全身全霊を何も考えないことだけに当てていた。

 

 要するにコイツ、寝ている姪を起こさない為だけに半ば悟り出しているのである。

 

(――――そら、きれい)

 

「アーニャさんもたくさん寝てますね」

 

「――アーニャちゃん!? はっ――!?」

 

 しかし、その均衡はヨルが呟いたたったの一言で崩れ、同時に膝から伝わる余りにもいとおしい感覚に無意識どころは脊髄反射レベルで意識を向け、自身の膝で眠りに落ちている小さな天使の姿を幻視した。

 

 

 

(かわぇぇえぇぇぇええぇぇぇぇぇ!!!?)

 

「――!? ほげ――?」

 

 

 

 尚、アーニャが目を覚ますのとユーリが到着するのはほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、初めまして! 弟のユーリです!」

 

 ユーリ・ブライアはヨル・フォージャーとサヨ・ブライアの弟である。それと秘密警察である。

 

 秘密警察とはSTATE SECURITY SERVICE(国家保安局)縮めてSSSと呼ばれる東国の国内防諜機関のことだ。

 

 国内の治安維持を担い、スパイ狩りや市民の監視を任務とする組織であった。彼はたった二人の肉親であるヨルとサヨの援助でエリートコースを進み、外務省に就職したが、1年ほど前に国家保安局へ異動して現在に至る。

 

「おじ、アーニャんちへいらしゃいませっ!」

 

「こっ、こんばんは……」

 

(こどっ、姉さんと……いや、夫の方の連れ子だ。落ち着けユーリ・ブライア……!)

 

 彼は普段は真面目な好青年なのだが、少々身内に対して偏執的(シスコン)なところがあり、姉たちのことになると理性を失ったりするのだ。

 

 そんな姉の片割れ(ヨル)が知らぬ間に結婚したことになっていたため、その夫のロイド・フォージャーを警戒するのは当たり前と言えるだろう。

 

 姉をたぶらかすような奴はそもそも悪だが、仮にロイドがヨルにふさわしくないと感じた場合、秘密警察の権力を用いて適当な罪で処刑する事も辞さない覚悟であった。

 

「あ、コートとお荷物預かりますよ」

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 ユーリはロイドの気遣いを躱し、フォージャー家の中へと入り――直後にそれまで一切の気配を消して潜んでいたサヨ・ブライアが現れ、ユーリから花と荷物を引ったくった。

 

 そして、ニコニコと張り付けたような笑みを浮かべたサヨを見たユーリの表情からサッと血の気が引く様子がそこにいる全員に理解できただろう。

 

「え゛……あ、姉貴……?」

 

「うふふ……あらあらまあまあ? 私がいるのが不思議な顔ね? あなたの行動ぐらいお見通しなのよ」

 

 そう言うとサヨは花束をヨルへ、荷物をロイドへ、そして自身が掛けている伊達眼鏡をアーニャへと渡した。

 

 そして、ユーリの前に立ったサヨは、おもむろに彼の襟元と肘の周辺を掴む。

 

「ねえユーリ? 昨日私、電話で話したわよね? 翌日に行ったら迷惑になるし、相手の旦那さんの事情も考えろって……?」

 

「あっ、いや……姉貴……。でもそれは姉さんが心配でどうしても――」

 

「ちょ――」

 

 ロイドが声を掛けようとした時、既にサヨは行動していた。

 

「うるせぇ! 良い子は真似しちゃダメよ!?」

 

「ウワァー!?」

 

(投げたー!?)

 

(おばー!?)

 

 巴投げ――。

 

 流れるように体勢を下げながらサヨの脚力で体幹を弾き飛ばすように放たれたそれは、極東でよく周知されている武術であり、ロイドでも感心するほど美しく力強いそれは、体格の近いユーリなど容易に虹の如く綺麗な弧を描くようにリビングへと飛ばす。

 

 ちなみにその際、無駄に洗練された無駄の無い無駄な技術により、サヨはユーリからコートを剥ぎ取っていた。

 

「がはっ……!?」

 

 そして、本来ならリビングの中央にあったテーブルが前もってサヨにより隅へと片付けられていたため、ユーリは一切受け身を取らずに背中から板の間へ叩き付けられ、肺の空気を全て吐き出す。

 

(アーニャたゃが出迎えているのにその淡泊な態度とひきつった反応はなんだお前……! 天使には天使の扱い方ってもんがあるでしょうが!? しかもアーニャちゃんはまさしくフォージャー家の子は(かすがい) を体現したキューピッドでもあり、聖書と北欧神話の欲張りセットなのよ!? 無敵かよ! 無敵だったわ! 夏には薄い本がいっぱい出るわ! だからお前も物理的にエンジェル&キューピッドにしてやろうかっ! 今だってさっきからアーニャたゃの背中に小さな羽が見えて――)

 

(久々の姉貴の愛の鞭だァァー!? ああ、ボクが礼節を欠いていたばっかりに心を鬼にして叱ってくれる姉貴……! 本当にごめんよ、でも最高に素敵だ……! 姉貴は姉さんとはまた違った芯の通った女性で、姉さんと違ってお尻の右上前腸骨棘あたりに黒子があって、虫が苦手な姉さんと違って虫は得意だけどネズミは苦手な姉貴! 今日の姉貴はこの前に会った姉貴よりも美人になってるし、たまに眼鏡を取った姉貴も素敵で――)

 

「………………げぷっ」

 

 巴投げの悪い例として、余りにも綺麗に決まったそれと共にアーニャはふたりの中身を見てしまい思わず、胸焼けや胃もたれに似た感覚と共にゲップをする。

 

 そして、サヨ・ブライアとユーリ・ブライアは紛れもなく姉弟であることを思い知らされ、アーニャは渋い顔になった。

 

「……だっ、大丈夫ですか!?」

 

「今、余韻に浸っているところだ……邪魔を――」

 

「ユーリ? いつまでも寝てないで机を戻すの手伝いなさ――」

 

「――わかったよ姉貴!」

 

「えぇぇ……」

 

「うふふ、サヨちゃんとユーリはとっても仲良しなんですよ」

 

 瞬時に跳ね起きて、端に寄せてあったテーブルをリビングの中央にサヨと2人で笑顔を浮かべながら戻し始めたユーリにロイド――黄昏としても困惑する。

 

 ブライア家は血筋レベルで少々変わっているらしいという事を半ば黄昏は確信し、この場を乗り切る以上にこれからの付き合いというものに不安を覚えるのであった。

 

 

 

 








サヨ(どうして私が居たのに原作と同じ感じにユーリは育っちゃったのかしら……? 不思議だわ……)


~ ブライア家 超簡易説明 ~

・姉さん
 アホの子(殺し屋)

・姉貴
 ロリコン(マフィア)

・ユーリ
 シスコン(秘密警察)





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ぶらいあ



 ここでユーリくんを帰してもよかったのですが、へぺけれヨルさんのところも必要だと思ったので、前後編の前編になります。





 

 

 

 

「ユーリ、あーん」

 

「姉貴、あーん」

 

 キッチンで料理を作っている黄昏は、つい5分前に巴投げした方(サヨ・ブライア)された方(ユーリ・ブライア)の姉弟が、仲睦まじい様子でお菓子を口に入れている光景に脳がバグりそうになっていた。

 

(なぜ血の繋がった姉弟であんなに親しげなんだ……? いや、そもそもつい5分前に板の間に叩き付けておいて、互いの異様な切り替えの早さはなんなんだ……? ブライア家とは……家族とは……いったい……?)

 

「アーニャちゃん、あーん」

 

「あーん!」

 

(……ケッ)

 

 ちなみにお菓子はサヨが持ち込んで来た市販のものであるため、犠牲者が発生するような事もないので、アーニャも安心して食べられる。

 

 口に入れる瞬間にギリギリ許容出来ないゴミを見るような目で、アーニャをユーリが見つめていたが、サヨからは見えない位置であり、誰にも気付かれる事はなかった。

 

「姉さん、あーん」

 

「えっ、私もですか?」

 

「あーん」

 

「あっ、あーん……」

 

(……ああ、違うなこれ。サヨ(あいつ)の性格か)

 

(ああ……ああ……! 姉さんと姉貴が絡んでいる……。なんて、なんてなんてなんて尊い光景なんだ……! これは文化財、国宝、世界遺産……? いや、そんなものでは括れない……ボクの貧相なボキャブラリーでは到底言い表せない天上の何かなんだ……!)

 

 リビングでお菓子を食べさせて回るサヨ。面倒見がいいとかお節介焼きなどではなく、ただ急にしたくなったからしているであろうことを黄昏は理解しており、何とも言えない視線を送る。

 

「ん……?」

 

 するとそんな黄昏とサヨの目が合い――直後にサヨがニンマリと人を喰ったような笑みを浮かべた事で黄昏はとてつもなく嫌な予感を覚える。

 

「おにぃちゃん、あーん♪」

 

 しかし、サヨの口から吐かれた内容は、初日にこそ驚いた猫撫で声のお兄ちゃん呼びであった。

 

 今でも時々呼んで来るため、最早驚きはなく、黄昏は勘が外れたと思いつつ実弟の前でもあるため、笑みを浮かべたままやんわりとお菓子を持つサヨの手を押し戻す。

 

「サヨさん、悪戯は止めてくださ――」

 

「お、おお……おおお、お義兄ちゃん!?」

 

 しかし、驚愕と共に射殺さんばかりに黄昏を見つめるユーリがそこにあった。どうやらサヨは地雷を踏み抜いていく気らしい。

 

 ちなみに一応、黄昏はサヨに対してユーリの前では敬語を使っていたが、彼の反応を見て、それが正しかった事を悟る。

 

(どうやら……サヨが児童に愛を向けるように、弟は姉に偏執を向けているらしいな。なんなんだブライア家は……)

 

(ちちせいかい)

 

「料理運ぶわね」

 

「あっ、はい……」

 

 アーニャが内心でやり取りに目を輝かせていると、サヨは黄昏が作っている出来上がった料理のひとつを持ちつつリビングへ戻って来る。

 

「そりゃあ、私よりロイド兄さんは歳上だもん、お兄ちゃんでしょ? ユーリのお兄ちゃんでもあるのよ?」

 

「姉さん……! さっきも言ったけれどボクはそもそも結婚を認めて――」

 

「はい、あーん」

 

「モガッ……」

 

 ヒートアップし始めたユーリに、サヨが黄昏の料理をフォークに刺してやや強引に口に詰める。

 

 言葉を物理的に利けなくされたため、ユーリは仕方なくそれを咀嚼し、食べているうちに荒んでいた感情が落ち着いて行く。

 

「………………」

 

「フフフ。ロイドさんの料理、美味しいでしょう?」

 

「ええ、姉さん。ロイド兄さんの料理、美味しいものね。フォージャー家ではだいたい彼が料理をしているのだわ」

 

「おばもする、びみ」

 

(生きててよかったって思うわけ……!)

 

(フン……料理如きで簡単に認めると思うなよこの外道が)

 

 アーニャの言葉に感極まったサヨは拳を高く突き上げながらぷるぷると震え、ユーリは内心毒吐くも食べる行為が止まっていない事が全てを表しているだろう。

 

「というか、ユーリったらどうせ仕事が終わったらご飯も食べないでここに来たんでしょ? 今、家で作って来たシチューをロイド兄さんに温め直して貰ってるから待ってなさいね」

 

「ありがとう姉貴……!」

 

(姉貴の天使のような気遣いは天井知らずなのにどうして温め直してるのはアイツなんだ……!?)

 

 ちなみにサヨは黄昏が仕事の昼頃にフォージャー家にいる場合に料理をしており、お菓子類を作る事もある。飲食店の副料理長は伊達ではないのだ。

 

 尤も最初に作ると言い出した時は、ヨルと全く同じ容姿をしている兼ね合いで、黄昏もアーニャも戦々恐々としていたのだが、それはまた別のお話である。

 

「姉貴からはある程度聞いたけれど……どうして姉さんは弟のボクに1年も結婚を黙っていたの?」

 

(来たな……。当然の疑問だ)

 

 食事の話になると、全面的に黄昏が出て来るため、ユーリは話題を真面目なモノに変え、それを聞いた黄昏は少し目を細める。

 

 それについて黄昏は幾つも言い訳を用意しており、事前にサヨもフォローしていたが、ヨルが"とっておきの秘策があります!"と豪語していたため、一任していたのであった。

 

(頼んだぞヨルさん……!)

 

 その際にサヨは全てを悟ったかのようなとても優しい目をしていた事を思い出し、一抹どころではない不安を覚える黄昏であったが、それでもヨルを信じ――。

 

 

 

「わ……忘れてたからです!」

 

 

 

 持っていた皿を落として割った。

 

 子供であってももう少しマシな言い訳を思い付く事であろう。

 

「ごめんなさいロイド兄さん……。うちの姉はかしこさの種族値が2しかないから……」

 

「あはは……」

 

 いつの間にか音もなく隣に立っていたサヨが小声で呟いた言葉の意味はわからないが、とりあえず死ぬほど遠回しにヨルを罵倒しているであろう事は伝わって来た。

 

「…………っ!」

 

 口をへの字にして自信ありげな表情を浮かべているヨルが印象的であろう。

 

「え……えと……うん」

 

「忘れてたんです!」

 

 更に畳み掛けており、一ミリも自身の発言に疑問は持っていないようである。

 

「ていうかこの前の電話の時にパートナーいるって……。なんであの時……どういうこと?」

 

「あっ……あれは……」

 

 ヨルは少し考えた末、さっきと同じ表情ではあるが、やや頬に冷や汗を浮かべながら答えを出す。

 

「結婚のこと伝え忘れてたのを忘れてたからです!」

 

(ははー……!?)

 

(違うだろぉー!? このアネー!)

 

(あねー!)

 

 散々、フォローしたにも関わらず、言い訳もクソもない事をいい出したヨルに流石のサヨも軽く内心でキレる。

 

 それと共に落とした皿を片付けていた黄昏は、割れた皿をもう一度シンクに落として割った。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「…………」

 

 

 そして、ヤバい空気になった。

 

 お通夜のような面持ちの黄昏とアーニャ、それにブライア家の血筋のものたちが三者三様の表情をしながら押し黙る間が余りにも辛い。

 

 そんな空気で最初に口を開いたのは他でもないユーリ・ブライアであった。

 

「姉さんがそう言うならそうなんだね! ごめんよ」

 

(信じた……!?)

 

「ユーリは姉に対する理性を持っていないのよ」

 

(どういうことだよ……!?)

 

「もー、姉さんはおっちょこちょいだなぁ」

 

「うふふ、ごめんなさい」

 

 そのまま、何事もなかったように話が流れたため、サヨの呟いた事は事実なのであろう。黄昏の中でまたブライア家の不可思議度が上昇した。

 

「……まあ、そんなことよりユーリ、手土産のひとつでも持って来たんでしょうね?」

 

 キッチンから再びリビングへと向かったサヨは"花束はノーカンよ"と言いつつ、ユーリの荷物を漁る。

 

 このふてぶてしさと強引さは姉の特権であり、弟はそれに似たんだなと思う黄昏であった。

 

「おーさーけー!」

 

 そして、サヨは入っていたワインボトルを掲げ、嬉しそうにしている。ヨルも笑みを溢しており、どうやらこの姉妹はお酒好きらしい。

 

 しかし、サヨとヨルには予め今日は酒を口にしないように告げているため、流石に飲むことはないであろう。サヨは不明だが、ヨルはとてつもなく酒に弱いためである。

 

「そうだ姉貴ありがとう。ワイン持って来たんですよ。よかったらどうぞ!」

 

「これはご丁寧に」

 

(姉貴に便乗して、アルコールを入れて口を軽くさせ、貴様の薄汚い本性を暴いてやるぞ!)

 

(おば、よりきたない)

 

 それから暫く黄昏を交え、ユーリと黄昏だけがワインを飲みつつ話が進む。

 

「はい、アーニャちゃんブドウジュース。ミニグラスに注いじゃうわよー」

 

「おば、きがきく」

 

 黄昏とヨルの関係を根掘り葉掘りユーリが聞く様子が暫く続き、それには全く興味がないサヨは、アーニャにお酌していた。

 

「よきかなぁ……」

 

「どこで覚えたのその言葉?」

 

「アニメ、かわのかみさま」

 

「ああ……」

 

 ちなみにサヨがアーニャの為に持って来た葡萄ジュースは、最高級のワイン農園が半ば趣味で少量生産している葡萄ジュースという中々にロックなものであり、ユーリが持って来たモノよりも遥かに高かったりするが、それを思考にすらサヨは出してはいない。

 

「うおぉおお! ロッティ!! チクショォオォ!!!」

 

 サヨの膝の上に移動したアーニャと二人で暫く話したり撫でたりしていると、突然ユーリが酒を(あお)る。

 

 どうやら飲まなければやってられない事態になったらしい。二人の関係を聞き過ぎて、リアルな恋人描写が浮き彫りになった辺りでユーリの脳が破壊されたのだとサヨは考えた。

 

「のうが……はかい……?」

 

「大丈夫よ……。好きな人を取られたり、害されたと思って興奮してるだけだから。すぐに直るわ」

 

「おばもこわれてる」

 

「うん、知ってる」

 

 そんな会話の後、サヨは膝にいるアーニャを撫でつつ、酒が急に入り、元々あまり飲めるタイプでもないため、明らかに酒が回って来た様子のユーリへ優しげな表情で口を開く。

 

(くそう……姉さんはこんな奴のどこを好きになっ――)

 

「そうよユーリ。ロイド兄さんは、料理が出来て、家事万能で、顔が良くて背が高くて、家庭的で気遣いが出来るだけの医者よ。アーニャちゃん()をイーデン校に通わせてもいるわ」

 

「………………」

 

 味方の背を戦車砲で撃つレベルのただの追い討ちであった。

 

 そんなスーパーダーリンがこの世に存在して堪るかレベルの話であるが、実際に目の前に居るという事実にユーリは直面する。

 

「チ……チクショォオオォォォォ!?」

 

(ブライア家は酒癖が悪いのか……?)

 

 そして、ユーリは再び酒を呷った。どうやら現実を受け入れきれず、また脳が破壊されたらしい。

 

 ちなみにヨルは酔うと、かなり普通に酔っぱらいになる上に飲んだ後の記憶が消えるタイプ。サヨはフォージャー家で酒を飲んだ事がないために不明であるが、弟もこの有り様のため大方の予想が付く黄昏であった。

 

「そう言えばユーリくんは外交官なんですよね? 立派なご職業で。ヨルさんもサヨさんも鼻高に自慢していますよ?」

 

「むっ……」

 

(ロイド兄さんには言ったことないわね。まあ、別に良いけど。大変な仕事ねぇ)

 

(ちち、うそつき)

 

「ドミニクさんに聞いたけど、こないだはフーガリアまで行ったんですって? うらやましい!」

 

「え、ああ……まあ、ただの仕事だよ」

 

 それとなく黄昏は話を逸らし、ヨルもそれに乗った事で、自然と話はユーリの出張先の事になった。

 

「でもそうだね。美しい街だった。姉さんにも見せたかったよ。カフェも沢山あってね。時の皇后も通ったという老舗店では――」

 

(――――!)

 

 しかし、すぐに黄昏はその内容の違和感に気付く。

 

「首都オブダですか? 大使館周りには美味しいレストランも多いですよね。僕も昔、医学研修で行った事があります」

 

「カルパディアにはよく行きましたよ。店主のじいさんが作るシチューが絶品で」

 

「僕もそれ食べました! ……ああ、このワインもフーガリア産の奴でしたか。いい品だ」

 

「ああ、それは――」

 

(これは……ヘジャー通りの店で買ったもの)

 

「ヘジャー通りの店で偶々見つけて……」

 

「お高かったでしょう?」

 

(200ダルクだろ)

 

「いえ、200ダルクほどですよ」

 

「いえ、充分高価ですよ。ありがとうございます」

 

(やはりな……この問答、聞き覚えがある。これは――)

 

 それは黄昏の知識において、それは東国の情報機関が使っている作り話のマニュアルのひとつであった。

 

 そもそも黄昏は外務省勤務という時点で警戒はしていた。外交官という存在はスパイの入り口でもあるためである。

 

(実際、過去に訪れた事があったとしてもカルパディアの店主は4ヶ月前に腰を痛めて今は息子に任せている。このワインも折からの不作で300ダルクに値上がりした)

 

 他国へ渡航したと偽装するための定型文(テンプレート)であり、ユーリが仕事でフーガリアを訪れたというのは真っ赤な嘘だと言うことを黄昏は見抜く。

 

(情報が浅いな。ベテランなら応用を効かせて喋れただろうが、その程度では素人は誤魔化せてもこの俺には通じんぞユーリ・ブライア!)

 

 更に事前の情報では、ユーリが実際に外務省職員として勤めていた形跡が見られるのは1年ほど前までであり、それ以降はダミーの記録に置き換わっているため、その前後に情報機関から引き抜きがあったのだろう。

 

 そして、断片的な情報から黄昏は、ユーリを国家保安局(ひみつけいさつ)に所属していると半ば断定したのである。

 

(ちちすごいスパイっぽい! おじ、ひみつけいさつ! わくわく!)

 

 アーニャは今日イチでワクワクしていた。

 

 父親はスパイ、母親は殺し屋、叔母はマフィア、叔父は秘密警察。アーニャの家系図は混沌を極め、最早お伽噺の域であろう。

 

(危険は伴うが、黄昏(オレ)の正体を怪しまれぬ限り、このまま親交を続けるのも悪くない。上手く出し抜けば敵方を探る強力な情報源にもなりうる。それに加えて、どうやらヨルさんにも正体を隠している様子だ。案外、手綱を握りやすいかも知れん。となるとやはり最大の障壁は――)

 

「ユーリ? このワインもう少し高かったでしょ? 今、普通に買ったら3()0()0()ダルクはするもの」

 

「えっ……?」

 

(やはりサヨ・ブライア(コイツ)か……)

 

 黄昏は内心で苦虫を噛み潰したような感覚を覚えながらワインボトルを少し掲げて見せるサヨを注視した。

 

「雨が多くて寒いし、曇りばっかりで日照も少なめだったから不作でねぇ。大分、勉強して貰ってるヴェスタ・ガーデン(うちの店)の仕入値も幾らか上がるぐらいだったもの。もう、そんなところで気を使わなくてもいいのに」

 

「…………そうだね。ははは、悪かったよ」

 

(辻褄は合っているな……)

 

 ロンメルファミリー直営店ヴェスタ・ガーデンには、実際にこのワインが卸されているため、副料理長であるサヨが言ったとしても何も間違ってはいない。

 

 しかし、前提としてサヨは少なくとも末端ではないマフィアであり、言動や行動以上に聡明で腹の底を見せない女である。そのため、各組織の定型文(テンプレート)ぐらい知っていても何も可笑しくはないと黄昏は考えていた。

 

 そして、今の訂正は紛れもなく黄昏で言うところの"ベテラン"の対応である。

 

「これぐらい温め直せばいいでしょう」

 

 すると時折トロ火に掛けた鍋の様子を見にキッチンに来ていたサヨは、火を止めて鍋を持って来た。

 

「ほーら、話に出ていたカルパディアのシチューよ」

 

(――――――)

 

 "再現した奴だけどね"と言いつつ、鍋と一緒に持って来た皿によそうサヨを見ながら黄昏は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。さながらマジシャンの種がわからない客のような感覚であろう。

 

「カルパディア……? えっ、姉貴本当に……?」

 

「まさか話に出るとは思わなくてびっくりしちゃったわ。偶然ってあるのね」

 

(そんな偶然があって堪るか……!)

 

 黄昏は血を吐くように内心で叫ぶ。

 

 偶然は幾つも重なれば必然である。ここまで状況証拠まみれだと最早故意でやっているとしか思えないのであった。

 

(まさか、全てこれを見越して? 事前にユーリがヨルさんに伝えていた情報から彼がどのような定型文(テンプレート)を使うかは凡そ推察はある程度出来る。だからと言ってそのためにシチューまでもを仕込むのか? なんのために? そんなことをするメリットはなんだ……? くそっ……どこまでが虚偽でどこが真実だ……? この女狐め……)

 

(黄昏おにーちゃんを四苦八苦させるのすごくたのしい。おにーちゃんに悪戯しないと取れない栄養素が確かにあるのだわ)

 

(おば、あくじょ)

 

 尤も黄昏が、サヨはただ彼にちょっかいを掛けて構って欲しいだけなどという死ぬほどどうでもよく、愉快犯レベルの動機に気付くことはほぼないであろう。

 

 あろうことかこの女、お茶目な妹なのは素であり、ずっと兄が欲しかったと密かに思っていたため、黄昏といるとテンションがやや高かったりする。

 

「そりゃあ、半年経たないぐらい前に店主のお爺さんが腰を痛めて息子と変わったからね。ちょっと頼み込んで作り方を教えて貰ったのだわ」

 

「えっ、そうなんだ……」

 

「食の追求って名目で経費を使い倒――料理をお勉強する旅行をよくしているからね。まあ、別にユーリはカルパディアにはよく行っただけで今回行った訳じゃないんでしょ?」

 

「そうだね、あはは」

 

「おいしい!」

 

(これが本当の小並感)

 

「うふふ、よかったですねアーニャさん」

 

(コイツ、ロンメルファミリー内でも同じテンションなのか……? 味は……ほぼ完全にカルパディアの前店主のものだ……)

 

 隠す気がない傍若無人っぷりはロンメルファミリー内でも健在のようであり、シチューの味からその素行の悪さを高過ぎる能力で黙らせている光景を黄昏は幻視した。

 

 暫くシチューを交えつつ他愛もない雑談に花が咲く中、ふと思い出したようにヨルが呟く。

 

「いい義兄さんが出来てよかったですねユーリ」

 

「………………ッ!」

 

「ぴっ――」

 

 その言葉はユーリの鎮火し掛けた思いを再燃させ、机を激しく叩かせ、それに驚いたアーニャが飛び上がる。

 

(いっかい)

 

 それを見たサヨの視線の温度が目に見えて下がったが、酒が入ったユーリはそれに気付かず、立ち上がるとヨルと黄昏を睨む。

 

「ボクは認めないぞ姉さん。誰がそんな奴義兄(あに)だなんて呼ぶものか」

 

(にかい)

 

「失礼ですよユーリ」

 

「アンタの言う通りさロイド・フォージャー。ボクは社会に出て立派になり高い酒も買えるようになった。姉さんたちのお陰なんだ……。姉さんたちがボクをここまで育ててくれた」

 

 ユーリがかつてのブライア家の情景を思い浮かべ、思い出の中の小さなユーリと共にそれをアーニャは目にする。

 

「ウチは両親が居なく貧しかったから勉強道具もまともに揃えられなかった。だけど……いつもそうだった……姉さんはボクのためだけにボロボロになるまで働いて……。姉貴はボクを養いながら小さな子供を1人でも多くマトモな生活が出来るように身を粉にして……」

 

(まあ、姉さんも私も十代半ばには既に数えるのも忘れたぐらい人殺してたからね。姉さんが返り血浴びたまま家に帰ってくるのは流石にどうかと思ったけど……)

 

(こわ……!?)

 

 アーニャはユーリの脳裏に浮かぶまだ子供っぽいヨルが返り血まみれで笑みを浮かべる姿と、修道(シスター)服を着つつやたら長刃で鋭利な刃物の手入れをしながら近所の子供たちに囲まれて満面の笑みで遊んでいるサヨの光景を見た。

 

 どちらも何かが致命的に間違っている点がとてもポイントが高い。

 

「ボクは決めたんだ。早く立派になって姉さんたちを守れる男になるんだって……2人だけの肉親をボクがずっと守って行くんだって……」

 

 拳を強く握り締めたユーリは恨めしげに黄昏を睨む。

 

「わかりますか? そんな世界で1番大切な家族をどこぞの馬の骨に奪い去られてしまったボクの気持ちを……!!」

 

(セクレタリアトとか、ディープインパクト辺りの馬の骨かしら?)

 

(うま……? ごーるどしっぷ……?)

 

 サヨの心を読んだアーニャは、淡い紫陽花のような髪色をしたウマ耳の生えた女性にドロップキックされる情景を読み取り、意味がわからず首を傾げた。

 

「そりゃいつかは結婚して幸せになって欲しいと思っていた。だけどその相手はボク以上に姉さんを守れる相手じゃなきゃダメなんだ! アンタにその役が務まるのかロッティ!」

 

 ユーリは黄昏に指を突き付けながらそう宣言する。

 

 それに対して、黄昏はロッティという名称を疑問に思う様子をしつつも真っ直ぐにユーリを見据えた。

 

「僕は……あなたに負けないぐらいヨルさんを愛しています」

 

「――――!!」

 

「うちの娘もヨルさんをとても好いている」

 

「アーニャ、ははできてうれしー」

 

(いやいやこれは弟を誤魔化すための演技ですから……でもびっくりしました……!)

 

(というかそもそも……あなたたち見合い結婚みたいなものよね)

 

 ヨルは突然の宣言に顔を赤くして驚いている様子であり、それを眺めるサヨはニマニマと人を喰ったような笑みを浮かべる。

 

「彼女は僕にとってももう家族です。例え、槍が降ろうと核爆弾が降ろうと僕は生涯を掛けて彼女を守り抜きます」

 

(ちち、かっこいい)

 

(うふふ……嘘だとわかっているし、まあたぶん嘘にはならないと思うけれど……。反故にしたらどうしてやろうかしら……?)

 

 黄昏の堂々とした嘘を聞いたサヨは、満面の笑みを浮かべながら音が出るほど手を鳴らすという二律背反をして見せる。

 

 それから自身の膝に乗っているアーニャをかなり惜しそうな様子でそっと隣に移動させた。

 

「…………槍……か、核……」

 

(核爆弾だと……!? 槍ならボクも防いでやれる自信はあるが……核爆弾!? 実はコイツスゴい奴なのか……!? どうやって……)

 

(というか槍の雨程度で姉さんが殺せるわけないでしょうが)

 

(おじアホ。ははつよい)

 

 ちなみにユーリは酔いが回っているせいで思考回路が纏まらなくなって来ており、普段かつ姉が絡まなければもう少しマトモであろう。

 

「く……口では何とでも言えるさ嘘つきめ! そうさ、アンタは嘘つきの顔――」

 

「さんかい」

 

(えっ……? はや……)

 

 その直後、黄昏の目にも止まらぬ速度でユーリの側面に回り込んだサヨは、さながら幽鬼のようにゆらりと揺れながら体勢を正し、目に煌々とした暗い光を宿す。

 

 その人間離れした様子に黄昏は素で恐れ、顔を若干青くする。

 

「さっきから思ってたけれど……」

 

「ごぶぉッ!?」

 

 そのままサヨはユーリの横腹を躊躇なく蹴り飛ばし、リビングの壁に叩き付けた。

 

「初対面の人様の家でなんだその態度は?」

 

 サヨは所謂、ヤクザキックを振り抜いたままの姿勢で壁掛け写真のように張り付いたユーリを眺め、殺し屋のような視線を彼に向ける。

 

 その気迫を前に黄昏とアーニャは声を失ったように驚くばかりだ。

 

「サヨちゃんやり過ぎですよ?」

 

「今、やらないでいつやるのよ姉さん。私たち絡みでユーリが話にならない事は承知でしょう?」

 

 "その上、勝手に酔ってるならもう気遣いなんて無用よ"と続け、サヨは身体を起こしたユーリと対峙する。

 

「ぼ、ボクは姉さんの事を思って――」

 

「愛着と執着は全く別の感情よ。自身が思い込む余り見境が無くなってるんでなくて?」

 

「それは……」

 

「少なくとも姉さんも私もアンタにそんな事言われるために育てた訳じゃないわよ。なんで守りたいとか言いながら傷付けるような事しか言わないのかしら?」

 

「う……」

 

 それは紛れもなくユーリの姉だから言え、それだけの重みのある言葉であった。

 

「彼は紛れもなく()()()よ。姉さんの夫としても、アーニャちゃんの父としても、何より人間としても……少なくとも私はそう認めているわ」

 

 そして、サヨはユーリの顔に自身の顔を触れる程の距離まで近付けると、薄笑いを浮かべた。

 

「………………」

 

「………………」

 

 暫く無言でサヨとユーリは顔を合わせ、ユーリの方が先にばつが悪そうに顔を背ける。

 

「ごめんよ姉貴……姉さん……」

 

「よし……謝れるなら上等ね。じゃあ、とりあえず、ソファーに戻って飲み直しましょうか?」

 

 そう言ってユーリを立たせて背中を押したサヨは、彼が元居たソファーにまで誘導した。

 

(姉がいたらあんな感じなのか……)

 

 頭ごなしに罵倒するのではなく、ユーリを想って叱るサヨに黄昏はひとつの家族の形を目にし、その在り方を1人の人間として考える。

 

 そして、サヨの人間性とフォージャー家に対して有利に動いてくれている事に、言葉には出さないが感謝をし――。

 

「ちょっと待ってね。なるべく怪我しないように軽く蹴ったけど軟膏と絆創膏ぐらい――あ」

 

 ――彼女がユーリのケアに自身のバッグをまさぐった直後、夫婦部屋に置こうとした"避妊具の箱"が溢れ落ちたのを目にし、黄昏は真顔になった。

 

 無論、黄昏だけでなくユーリも感情を失ったような顔で、確かな存在感を放ちながら静かに床に落ちている無駄に毒々しいピンク色をしたそれを眺める。

 

「どうして今そんなものが姉貴のバッグから……。――!? まさか、ロイド・フォージャー貴様ァ!?」

 

「ち、違いますよ! それはサヨさんが冗談で持って来た小道具で――」

 

「違うのユーリ! これは……遊び……ただの遊びだからっ!?」

 

「お前、言い方考えろよ!?」

 

「あ、遊び……姉さんだけに飽き足らず、姉貴までもを(もてあそ)んで……! うぉぉおぉぉぉ!!!?」

 

 ユーリは近くの壁に向かうと唐突に頭を打ち付け始め、他の大人の3人はそれをどうにか止めに掛かる。

 

(はは、おば、おじ、みんなゆかい)

 

 そんな光景を眺めるアーニャは、ひとりソファーで足をぷらぷらさせながらミニグラスに入った葡萄ジュースを飲み干すのであった。

 

 

 

 

 

 







~ その後 ~


「ユーリこれはね……水風船の代わりよ。ほらアーニャちゃん」

「すごいふくらむ!」

「なんだ水風船か……」

 この後、滅茶苦茶誤魔化せた。





~ 読まなくていいところ ~

建前:
ヤバい、リアルが忙しいのはいつもの事として、ユーリが来る話の原作滅茶苦茶文字数多い上に長いし、何よりスパイファミリーをここまでハーメルンで書いている奴が作者しかいないので、会話文のコピペも出来ないせいで時間掛かる……(驚きのクソ作者)

本音:
信じて送り出した作者が今更ヒロアカとその二次創作漁りにハマりました。なんだあれ異形萌えの宝箱じゃねーか、生まれつきの異形(作者基準)娘主人公で書きてぇ!(作者の屑) 何より超絶カァイイ葉隠changのインビジブルおっぱ――(人間の屑)
※ちなみに作者の異形娘の守備範囲は、インセクト女王(クイーン)(遊戯王)で全然大丈夫なぐらいです(雌クリーチャー)




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きす



先に9割ぐらい書いてたんですが、よく考えたら、アーニャちゃんいるのにキス展開は不味いだろ――と黄昏パパ的に思ったので一度話を全消しして書き直しましていて遅れました申し訳ありません。


 

 

 

 

「……ぅん………………すぅ…………」

 

(うふふ、良く寝てるわねぇ……)

 

 サヨ・ブライアは自身の腿をつねりつつ、アーニャ・フォージャーが彼女自身のベッドで寝息を立てている様子を朗らかな面持ちで眺めた。

 

 と言うのも今までユーリ・ブライアを歓迎していたアーニャであるが、先に仮眠していたとは言え、流石に小さな身体に長い夜更かしには耐えられず、座りながらうつらうつらと寝ているか起きているのかわからない状態になったため、こうして寝かし付けに来たのである。

 

(ア゛ッ――漏れる)

 

 そして、自身の腿をつねりながらアーニャの屈託のない純粋な寝顔を眺めていたサヨであったが、色々な意味で限界が来そうだったため、瞬時に一切の無音かつ衝撃を殺しながら自身の頭部を殴り付けた。

 

 その痛みにより己の思考を正気に戻すと、踵を返してアーニャの部屋から出て行き、小さく溜め息を吐く。

 

(さて……これで後は――酔っぱらい達(ヨルとユーリ)をどうするかだけねぇ……)

 

 子供に見せられない展開が続いているため、先にアーニャの方がダウンしたのは幸運であったとサヨは染々と考えつつ、アーニャの部屋を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつものようにするだけさ、ヨル。さあ――」

 

(えっ? そりゃ、偽装のためには……でも……え?)

 

 ヨル・フォージャーは割りと絶体絶命であった。

 

 結婚して同棲から一年が経過しているというヨルとロイド・フォージャーもとい黄昏の設定にも関わらず、些細な様子から初々しい恋人のような反応を見せてしまった事がそもそもの始まりだ。

 

(キ、キス……!? キッス!? それって、えっと……。はっ、そうだ! 初めてのキスはレモン味だと何かで読んだことがあります! このマリネととても合いそうです!)

 

 それを不審に思ったユーリが、夫婦だという証拠を見せて貰うため、この場で二人のキスを求め、それが出来なければ役所に婚姻の撤回を訴える等と言い出した結果、先に覚悟を決めたロイドに迫られているのであった。

 

(はっ……落ち着くのですヨル! 気をしっかり持つのです! こう言うときはサヨちゃんが何か手助けを――)

 

「フッ……」

 

 ふと、ほぼ無意識にヨルが頼れる妹のサヨの方に視線を向けると、そこには半眼にニヒルな笑みを浮かべつつさっきまでアーニャが居た場所に腰掛け、ミニグラスに入ったブドウジュースを口に傾けているサヨの姿があった。

 

(サ、サヨちゃん!? なんですかその生暖かい顔は!? というか、それアーニャさんのコップでは!?)

 

 どうやら今回に限って、サヨは一ミリもヨルを助ける気はないらしい。むしろ、いいぞもっとやれ等と言わんばかりの態度である。

 

(そりゃ経験があると思われるサヨちゃんに比べたら私なんてその……。最後にしたのなんて、ホロ酔いでサヨちゃんに抱き着いたときに首とか顔とか唇とかにたくさんキスしたぐらいで……。た、たしかにキッスぐらい経験がないのは幾らなんでもおかしいと申しますか、私だって表面上はやっと落ち着いた訳ですし、むしろ当たり前にしている方が遥かに自然――)

 

「では……」

 

「ちょ……ちょっ、ちょっと待ってください!!」

 

 顔を寄せて迫るロイドから一旦離れたヨルは、ユーリの土産のワインを掴むと、その中身を一気に呷った。

 

(たしかに姉としていつもいつもサヨちゃんに頼るのはよくはありませんでした…………けれど、とてもシラフではできません!)

 

 ちなみに所謂イッキ飲みをしたが、ヨルが酔うまでのキャパシティは、精々400~500ml程度なので、とても酒に弱く実にコスパのいい女である。

 

「ひっく……お待たせしました……」

 

「え……はい」

 

 酒を飲まないように念押ししていたにも関わらず、それを忘れてかそれでもか、酒をかっ食らった様子にロイドは面食らい、ヨルの酒の弱さと酔い方を粗方知っているためか、彼女に耳打ちする。

 

『あの……イヤでしたら無理はしなくても……何か別の手を』

 

『いえこれは私のためでもあるのでがんばります。たまにはサヨちゃんにいいところを見せるのです』

 

「何をゴニョゴニョやっているんだ!?」

 

「いいぞ、もっとやれ。ひゅーひゅー」

 

(む――口笛吹けてない姉貴は可愛いなぁ……)

 

 ちなみにブドウジュースしか飲んでいない今日のサヨは無論、シラフであり、それどころかこれまでも少なくともフォージャー家にいる間は一度もアルコールを摂取していない。

 

「出来るか出来ないのか!? 本物の夫婦だと証明してみせ――」

 

 その言葉の途中で、ユーリの頬をフォークが掠め、それが彼の背後の壁に突き立ち、遅れて彼の頬が切れて細く血が流れる。

 

「お……あ……?」

 

「黙ってなさいユーリ。今からわらしたちのラブラブをみせつけてやるのれす」

 

「壁に穴空けてんじゃないわよ」

 

 至極真っ当な事を言うサヨであるが、既に言動と行動に酔いが回っているヨルにそれが届くことは無かった。

 

(それにしてもどうしてユーリはいつも自分から傷付きに行くのかしら……?)

 

 こうなるとどうにもならない事を知っているサヨは小さく肩を竦めると、まだ残っているロイドが作ったマリネの皿を持ち、キッチンへと避難する。

 

「いきますわよダーリン。ほら目を閉じなさい」

 

「ヨ、ヨル……さん……?」

 

「ね……姉さん……!!」

 

(マリネおいしい)

 

 ヨルからロイドにもたれ掛かり、髪を掻き上げて顔を赤くしながら彼の顔へと徐々に迫る様子を横目にサヨはマリネに舌鼓を打つ。

 

(見た目もさることながら味も良いわねぇ。ちゃんと手が込んでいる事がマリネ液から伝わるわ。最低限レモン汁と塩胡椒ぐらいでも一般的な家庭のスモークサーモンのマリネとは言えるけれど、このマリネ液はオリーブオイル・白ワインビネガー・砂糖・塩・黒胡椒に風味付けはバジルだけかしら? 後で聞いてみま――)

 

 

「ダメだ姉さんんんん!! やっぱりボクの目の前で他の男とキスなんて断じて許――」

 

(あああ、やっぱり恥ずかしくて――)

 

「ダメぇ――――――――!」

 

 

 スモークサーモンのマリネの方にサヨが意識を向けていると、凡そ人体から出たとは思えないような異音がリビングから響き、そちらに目を向けた。

 

 そこでは、結局キスは出来なかったヨルが照れ隠しでビンタを放ち、それが止めようとしたユーリに命中していたのである。

 

(姉さんったらこれまでよく日常生活で、堅気の人間を殺さないで生きて来れたモノよね)

 

 大の大人であるユーリが、ダメージが3桁超えた辺りで場外に吹き飛ばされたスマブラのキャラクターのように、空中を錐揉み回転して反対側の壁へ頭から衝突する様を眺め、サヨはそんな事を考えていた。

 

 ヨルとサヨの姉妹とひとつ屋根の下で暮らすという特殊な訓練を受けたユーリだから何とかなっているだけで、当たり前だが、常人に今のビンタが放たれれば胴体から首だけ千切れ飛ぶレベルの威力なのは想像に難しくないだろう。

 

「わかったよ姉さん……二人のキスを止めようとしたボクをここまで拒絶するなんて、よっぽどソイツとイチャイチャしたかったんだね……!」

 

 仮にヨルかサヨが放った全力の一撃でも、一度ぐらいならばクリーンヒットしても生きているであろうユーリは、直ぐに立ち上がると涙ながらにそんな事を言った。

 

「試そうとしたボクが愚かだったよ……。寧ろ試されていたのはボクの気持ちの方だったようだ……!」

 

「……? ……?」

 

「あの……それより流血が……」

 

「姉でもつけとけば治るわよ」

 

(コイツは何を言っているんだ……)

 

 よく分からない事を言いつつ、キッチンに避難していたサヨは、ユーリの横に戻り彼の頭をペットでも可愛がるように何度も軽く撫でる。

 

 そんなわけはないと考え、救急箱を取りに行こうとしたロイドは他ならぬユーリに呼び止められた。

 

「ロイド・フォージャー! ひとまず姉さんの唇は貴様に預ける」

 

「ちょ……!? もうっ、何を言っているんですか!!」

 

 その発言に顔を赤くしたヨルは、片手で赤らんだ頬に触れながらもう片方の腕を振りかぶり、照れ隠しの一撃が放たれ――。

 

 

「ダメよ、姉さん」

 

 

 同じくユーリを庇うように振るわれたサヨの片腕と衝突し、明らかに人体から出ている音ではない轟音とロイドが細かな大気の震えを感じる程の凄まじい衝撃と僅かな風が生まれ、互いの一撃が相殺された。

 

(………………なんだ今の……?)

 

 人間に対する物理法則(漫画ジャンル)が違うとしか思えない光景にロイドは唖然とし、それを引き起こした姉妹は互いに表情ひとつ変わっていないため、彼女らにとっては日常的なものだという事実を脳が理解するのを拒否する。

 

「既に私の弱攻撃二回受けてるから、姉さんの強攻撃二回なんて受けたら最悪死ぬわ」

 

(ブライア家ではこれが普通なのか……?)

 

 ロイドは自身がとんでもない家系に手を出してしまったのではないかと考えるが、それはあまりにも遅くまた後の祭りであろう。

 

「今日のところはカンベンしてやる。だが、しかし……次こそ姉さんをたぶらかしてるという証拠を見つけてやるか――うぉ……」

 

「大丈夫ですか、ユーリっ! あわっ……」

 

 ロイドへの言葉の途中でダメージが蓄積し過ぎたユーリはフラフラとふらついており、それを支えようと駆け寄ったヨルは酒が回っているせいで、ユラユラと足元が覚束無い様子である。

 

 しかし、姉弟が確かに偽りでない家族としてそこにあり、

 

 

 ユーリとヨルの二人はそのまま崩れ落ちそうになり、それを見兼ねたロイドとサヨがそれぞれの両サイドを押さえて支えて見せた。

 

「ふふっ……」

 

 その時、ふとロイドの目に入ったサヨの表情が優しげで見守るような笑みを浮かべており、自身もいつの間にか似たような表情をしている事に気付かされる。

 

「くっ、何をニヤケている!? そんなにボクの醜態が面白いか!?」

 

「ああ、いや……素敵な姉弟(きょうだい)だなと思って。ずっと三人で支え合ってきたんですね」

 

 そう言うとロイドは朗らかな様子で更に言葉を続けた。

 

「ユーリくん今までヨルさんを守ってくれてありがとう。色々と大変なこともあったでしょう。これからはボクも精一杯彼女を支えるので、皆で一緒にヨルさんを幸せにしましょう!」

 

「――――――」

 

(パーフェクトコミュニケーションよねぇ。実際、ユーリ的にもロイドお兄ちゃん以上の姉さんのお相手はこの世にほぼ居ないでしょう)

 

 サヨは目を細めつつ、ワシワシとユーリの頭を撫でる。

 

 サヨの行動に照れたのか、ロイドの言葉に彼なりの折り合いを付けたのか、ユーリはその場から飛び退くように離れた。

 

「だっ、誰が貴様の手など借りるか! もういい帰る!」

 

「また、いつでも遊びに来て下さい」

 

「い……言われなくてもまた来るさ! 次こそは貴様が姉さんをたぶらかしているという証拠を見付けてやるからな!」

 

「たっ……たぶらかされてませんっ!」

 

「いいか、ロイド・フォージャー!」

 

 荷物をまとめて玄関へ繋がる廊下の中腹に立ったユーリは、振り返ってロイドを恨みがましく見つめる。

 

 その時、何故かユーリと同じく荷物を既にまとめているサヨは、ユーリに悟られること無く気配を消しながら彼の真横へと移動していた。

 

「少しでも姉さんを泣かすような真似をしたらこのボクが貴様を処……えっと、あれだ……なんだ……兎に角、覚えて――」

 

「怪我人が走るな」

 

「――ふごぉ!?」

 

 ユーリが悪役の捨て台詞のような言葉を言い放ち、フォージャー家を去ろうと走り出した瞬間に、その首根っこを掴んで無理矢理停止させる。

 

 そして、軽々とユーリを片方の肩に担いだサヨは、ロイドに向き合う。

 

「ロイド兄さん。食器洗いとか任せて悪いけれど、そろそろ私も帰るわね。この愚弟は序でに私の車(サヨカー)で送っておくわ。道端で行き倒れられても困るし」

 

「ええ、いつでもどうぞ」

 

「チャオー」

 

「姉貴離し――」

 

 それだけ言い残し、サヨとユーリはフォージャー家から去っていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……」

 

 サヨが所有する銀のスポーツカーの助手席に乗せられているユーリは、道路の凸凹を踏んで少し車体が揺れた拍子に声を上げた。

 

 その光景を横目に眺めながら車を走らせているサヨは小さく溜め息を吐く。

 

「言わんこっちゃないわねぇ……。酔ってる姉さんは力加減を知らないし、普段も加減出来てるか微妙なのに煽っちゃダメでしょう?」

 

「はは……。そう言う姉貴も昔はスゴかったじゃないか。木を蹴って揺らして木の実を落とそうとして木をへし折ったり、背中を流そうとしてボクの背中を真っ赤にしたりさ」

 

「………………若気の至りよ」

 

 ブライア姉妹の怪力エピソードを若気の至りと言ってしまう事は、何か間違っていると思われるが、既に思い出のひとつになっている二人にとっては関係の無い事だった。

 

「私は怪物みたいなもの。ギリギリ社会では暮らせない化け物が、どうにか人間のフリをしているに過ぎないのよ」

 

「そんなことない。姉貴たちはいつだってボクのヒーローで天使だよ」

 

「調子の良いこと言っちゃって……。そういう余裕な態度をロイド兄さんにも見せるべきではなくて?」

 

「嫌だよあんな奴……」

 

「口ではそんな事を言っているけど、彼以上の存在を求めるのは酷だって事は、ユーリもわかっているのでしょう?」

 

「………………」

 

 その言葉にユーリは何も答えず、ばつが悪そうに窓の外を眺めるばかりだったが、その沈黙こそが答えであろう。

 

 それから暫く無言の間が続いたが、何か思い詰めたような様子でユーリの方からポツリと口を開いた。

 

「ひとまずは姉さんは幸せになった……とする……。けれど姉貴はどうなの?」

 

「…………十分幸せよ、私は。ユーリは独り立ちしたし、姉さんはやっと幸せになれる場所を見付けた。それ以上の幸福を求めるなんて欲張りよ」

 

「姉貴はいつもそうだ……。ボクとか、姉さんとか……沢山の子供とか、いつも誰かのためにしか生きてない」

 

 そう言うとユーリは寂しげで何かを恨むような表情でサヨを見つめ、絞り出すように言葉を吐く。

 

「もっとボクに力があったなら姉貴が()フィ()――」

 

「ユーリ、言っちゃダメ」

 

 彼のその思いは、サヨの言葉と唇へ伸ばされた人差し指によって遮られる。

 

 ユーリ・ブライアの裏の職業は秘密警察。それならば何処まで知っているのかは兎も角、サヨ・ブライアの仕事と立場を知らないわけがないだろう。彼女の仕事は後ろ暗く潰しの効かない仕事だ。

 

「……一体、何の事かわからないけれど、私はなるべくして今の場所に居るのよ。他でもない私の意思で勝手にね。だからいつか法の下に裁かれるのなら、何も知らない立派な家族の手柄になりたいわ」

 

「――――っ!」

 

 サヨの意思を聞いたユーリは目を見開き唇を強く噛み締める。そして、また絞り出すように言葉を吐く。

 

「そんなこと……ボクが出来るわけないだろ……! 姉貴は……人が悪い」

 

「うん、知ってる」

 

 そんなユーリを見たサヨはカラカラと笑う。それはまるで悪戯に成功した子供のように屈託の無い笑みだった。

 

「大体、力なんてあっても倫理観と理性のタガが外れるだけよ。法治国家の下に私刑なんて絶対にやっちゃいけないわ。例え何も……誰も助けてくれなくてもね。ヒーローは子供の中にしか居ないのよ」

 

 そんな様子のサヨを目の当たりにしたユーリは会話を止めると、ここではない何処か遠くを見つめるように窓から見える街並みを眺め、夜間にも関わらず家族連れが少なくない様子を目する。

 

 そして、ふとフォージャー家に居た頭にリボンを付けたピンクブロンドの髪色をした少女を思い出し、それに釣られるように口を開く。

 

「ちょうど、あのアーニャって子と同じぐらいだよね……」

 

「………………」

 

 その呟きにサヨは笑みを崩して押し黙る。そして、彼女にしては珍しく動揺したように視線をさ迷わせた。

 

「せめてあの()には会ってやったらいいんじゃないか……?」

 

 それを聞いたサヨは暫く何も言わず、何度も躊躇するように唇を震わせる。

 

 そして、ほんの少しだけ目線を下げ、漏らすように小さく溜め息を吐き、何かを嗤うように薄く笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

 

「私なんかに……()()の資格はないわ」

 

 

 

 ふと、フロントガラス越しにサヨが眺めた夜空はしっとりと暗く、街中の人工の光に照らされ、星の無いそれはまだ夜明けにはほど遠く思えた。

 

 

 

 

 






※あらかじめ言っておきますが、この作品は基本的にはハートフルストーリーかつギャグ路線でパッピーエンドな予定です。


~ QAコーナー ~

Q:ブライアおばさんの話だからアーニャちゃんの学校での様子はやらないの?

A:サヨちゃん(27歳)由来のオリキャラを1名加えて学校の様子はやります。


Q:サヨちゃんの過去編やるとしたら滅茶苦茶ヤバそうなんだけど……?

A:原作再現



~スパイアイテム紹介(スパイとは言っていない)~

サヨカー
 アストンマーティン・DB5っぽい銀のスポーツカー。お金の使い途があまり無いサヨが、最新の戦車が買えるような金額を投じて特注したハイパー改造車。
 機関銃・可変ナンバープレート・スピンナー・せり出し式防弾装甲・煙幕・インジェクトシート・無線電話・武器格納庫・エアコン・4ドア・自爆装置などの各種装備がみっちり積まれている。
 このサヨカーのダッシュボードの収納には子供用のお菓子が常にストックされており、孤児院の裏手や人気の無い通学路でたまに見掛ける。車両自体が特にスパイ目的で使用された事はない。




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てんちょー




モンハンたのしい(いつも感想や評価ありがとうございます。これからも投稿を頑張って行来ます。滅茶苦茶貯まっていて申し訳ありませんが、感想も準じ全て返していきます。これからもよろしくお願いいたします)






 

 

 

 

 

 東国の首都バーリントの郊外に佇む打ち捨てられた簡素な廃工場。

 

 風化と蔦にまみれた倉庫のようなこの場所は、周囲を木々で囲まれ、既に人の出入りが無くなって数年経過しており、コンクリートで舗装されていた地面は逞しい自然の力によって浸食され、ひび割れて所々に雑草が生い茂っている。

 

 内部では放置された丸太や角材が、やや傾き掛けた陽射しに照らされ、錆びた作業台や加工機材が並び、恐らく木材の加工を担っていた事がわかるであろう。

 

 そして、そんな場所で開け放たれた入り口で佇む男――ロイド・フォージャーあるいはエージェント黄昏は、工場内部から発生する大気を伝う衝撃と、工場自体の揺れを時折感じながら何も出来ずに佇むばかりだった。

 

 また、彼の視線の先には、ふたつの黒い影が幾度と無く交錯し、ぶつかり、削り合い、その余波や結果として周囲の木材が木屑に、錆びた作業台や加工機材が鉄屑に様変わりする光景が繰り返され、稼働していた頃でさえここまでの賑わいは無かったであろう。

 

「――――――っ!」

 

 そして、彼の隣で余所行きの格好に身を包む娘――アーニャ・フォージャーは、お気に入りのアニメの戦闘シーンでも見つめるように目を輝かせ、その光景を眺めている。

 

「………………!」

 

 また、アーニャの隣には"黄昏がよく知る姉妹の幼少期をそのまま切り取ったような少女"がおり、彼女は食い入るようにその光景を静観し、時折息を飲む様子が見られた。

 

(アニメだろこれ……)

 

 そんなアーニャたちを少し眺めてから黄昏はそう思うと、胃から込み上げる何か熱いものを感じつつ目の前の光景に目を向ける。

 

 

 

「シィイィィ……!」

 

「ねえェェさァあァァぁン……!!」

 

 

 

 そこでは身内の死神()悪魔(義妹)が殺し合いをしていた。

 

 一応、殺し合いではないらしいが、殺し屋や殺人鬼も漏らしながら裸足で逃げ出しそうな表情と気迫をしている様を見ていると、殺し合いとしか思えないであろう。

 

「…………ァアッ!」

 

 怒りなどによって既に若干ヒトの言葉を失っている(サヨ)は、足元の数百kgはあると思われる丸太の端を爪先で踏むことで、空中に回転させながら打ち上げ、大回転する丸太が水平になった瞬間に放たれた掌底打ちにより、巨大な一本の大槍と化した丸太が砲弾のように飛ぶ。

 

「……ふん゛ッ!」

 

 殺到するそれに対して、(ヨル)は水平以上に振り抜かれたハイキックで丸太の先端を打ち払うと、丸太は全体が木っ端微塵に爆散する。

 

 そして、ヨルは勢いをそのままに手を支点に独楽のように身体を回転させ、二度目のハイキックを放ち――それは丸太とほぼ同時に殺到し、全身を回転させていたサヨの飛び回し蹴りと衝突し、人体から出るとは到底思えない音と僅かに感じるほどの大気の震えを生み出す。

 

 

「ネェエェぇさァあぁァアン!!」

 

 

 しかし、それらは二人にとって小技の一部であり、そんな光景が小手先の技のように応酬が繰り返され、時に周囲のものを巻き込み、時に視界で手足が霞むほどの乱打を交え、踏ん張った足だけでコンクリートがひび割れるような攻防が始まってから十分ほど行われていた。

 

 入学式で牛を素手で昏倒させたり、城を借りた時に酔った勢いで交戦したりした事で、ヨルの常人離れした力を知る黄昏ではあったが、それが全力で対峙するとこのようなことになる事は想定外であろう。

 

 人類というものの定義に疑問を覚えるレベルのブライア家の姉妹喧嘩が勃発する中、黄昏は目頭を押さえながら頭を抱える。

 

 

(いったい…………どうしてこんなことになってしまったんだ……!?)

 

(たいへんなことになった……わくわく!)

 

 

 黄昏とアーニャは、ほぼ同時に事の発端である二日前の記憶を(さかのぼ)らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーニャ・フォージャーが在籍しているイーデン校では、現在"体育"の合同授業が行われ、彼女が所属するクラスと別のクラスによるクラス対抗戦のドッジボールが実施されていた。

 

 アーニャのクラスメイトであるベッキー・ブラックベルが、このクラス対抗戦では勝った方のクラスのMVPには、"皇帝の学徒(インペリアルスカラー)"になるための星がひとつ授与されるという眉唾物の噂を仕入れ、それを鵜呑みにしたアーニャは、父の任務を手伝うためにも全力で取り組んでいたのである。

 

 とは言っても既に展開は佳境どころかゲームセット目前であり、アーニャのクラスでコートに残るのは既に彼女だけに思え、対する相手の方は、特に体格のいい人民軍陸軍少佐の息子のビル・ワトキンスを始めとしてほぼ減っていない。

 アーニャは相手の心が読めるため、あらゆる投球を避けられるが、足を挫いてしまったため、既にそれも叶わないだろう。

 

(ははのおしえやくにたたない)

 

 その上、ヨル・フォージャー仕込みの肝心の投球も明後日の方向へ飛んで行った。

 

 目の前ではビルがボールを振りかぶっており、次の瞬間に投げつけられるであろう光景が目に浮かび、思わずアーニャは目を瞑る。

 

(………………?)

 

 しかし、いつまで経ってもボールは来ず、また近くで何かを強く受け止めるような音が聞こえたため、アーニャは瞼を開く。

 

 

「大丈夫ですか、アーニャさん……?」

 

 

 そこにはアーニャの前に立ち、片手で軽々とボールを受け止めた少女の姿があった。

 

 そんな様子のクラスメイトの少女を見たアーニャはポツリと彼女の名を呼ぶ――。

 

「"ヒル"」

 

 少女の名はヒル・ヴィットマン。

 

 長めの黒髪に赤い瞳をし、アーニャがよく知る母と伯母にとてもよく似た顔をしており、やや暗く不満げな顔をした少女であった。

 

 彼女はどうやらずっとコート内に居たにも関わらず、あまりにも気配が無かったためか、どういうわけか誰にも気付かれずに居たらしい。そして、アーニャにボールが当てられる瞬間に動いたのである。

 

 と言うよりも最早、ヒル・ヴィットマンという少女の姿は、小さなヨル・フォージャーか、サヨ・ブライアそのものであった。

 

 入学式の日は欠席していたため、その翌日に見てから驚いたアーニャであり、他人の空似だと思い込もうともしていたが、本人的には軽く握られていると思われるボールは手の形に歪められ、ミチミチと静かな音を立てている。

 

 齢6歳とは到底思えないほど、とんでもない力が加わっている事がわかり、どうあってもよく知る姉妹と関係がないとは言い切れない事をアーニャはひしひしと感じていた。

 

「何が女子には加減するですか……? 幾度となくアーニャさんに不遜極まりない投球をしたアナタにはガッカリですね」

 

「うっ……」

 

 自身が最初に言っていた事を出されたビルは、痛いところを突かれたと言葉を詰まらせる。

 

「アーニャさんが投げるときのフォームはとても良かったと思います」

 

「お、おう……」

 

 しかし、ヒルは彼の反応を求めては居ない様子で直ぐにアーニャへと向き合うと、そんな評価を淡々と始めた。

 

「ですが、投げる瞬間に下を向いてしまえば、ボールをぶち当てるお相手に投げる事が出来なくなってしまいますよ?」

 

「ぶちあてる……?」

 

 物静かで丁寧な口調ではあるが、割りと口汚い言葉を使いつつ、ヒルは片手を鉤爪のように構えて強張らせる事で、ポキポキと指全体を鳴らす。

 

(はは……?)

 

 面接試験の時や戦う前などにヨルがしていた事を思い出し、更にやや冷徹に見える様子が重なり、その様子にアーニャは首を傾げる。

 

「なので、お手本をしますね?」

 

 そう言ったヒルは両手でボールを胸の前に抱えると、捻りを加えた身体の運びから足の移動をゆっくりと行う。

 

「まず、体重移動が大切ですね……。それから踏み込みと全身の捻りを手の一点に伝えます」

 

 そして、これまでウォーミングアップのように指を鳴らしていた方の手にボールを移し、その直後に腕とボールが視界でブレた。

 

「最後に手は――」

 

 その瞬間、ヒルの腕から何かが爆発するような異音と共に一迅の風が巻き起こり、長い細いシルエットになったボールらしきものが弾き飛び、それを常人が視認する間もなくビル・ワトキンスの顔面と首の間に突き刺さった。

 

「――――!?」

 

 命中してからの衝撃で上半身が吹き飛ぶように地面に叩き付けられ、激しく後方に転倒させられながら背中を強打した事による一時的な呼吸困難が起きた事でようやく当てられたと言うことを理解するビル。

 

 遅れて顔面と首に走る激痛に気付き、着弾と同時にひしゃげて弾けとんでいた眼鏡と、裂けた穴が開いて割れた風船のようになったボールだったものが彼の近くの地面に静かに落ちる。

 

 その場にいた学生も教員のヘンリー・ヘンダーソンも絶句しており、痛みに脇目もくれず泣きわめくビルの声だけが酷く空虚に響いていた。

 

「刈り取るように振り下ろし、相手を必ず殺すという強い殺意が籠れば完璧です……」

 

 そして、その現象を引き起こした元凶は、自身がしたことにも結果にもまるで関心がなく、投げる前と同様の様子でアーニャに投球という名の何かをレクチャーしていた。

 

「はは……?」

 

「お、お母さん!? 私が……!? あわわ……」

 

 ふと、思ったことを思わず口に出してしまったアーニャであったが、突如としてコロコロと表情を変えた挙げ句に茹で蛸のように真っ赤になり、両手を頬に当ててブンブンと首を振り始めた事で、再び何か猛烈な既視感を覚える。

 

 ちなみにこの時点で相手のクラスメイトと、教員のヘンリーがビルを助け起こしており、到底ドッジボールどころではない。

 

「わわっ、私がアーニャさんを産むのは……か、解釈違いです! 私はアーニャ……さんのお姉さん! そう、お姉ちゃんになりたいんです!」

 

「きつい」

 

 思わず、サヨ・ブライアこと叔母にするような発言が漏れるアーニャ。6歳とは思えないほど理性的だが、その理性の方向性がとんでもない方向に振り切れている様は、とある血筋を想起させるにはあまりにも事足りた。

 

(ヒヒヒッ……! きっと、アーニャたゃと私は魂で繋がった姉妹なんです。初めて見たときから運命を感じていました……ラブリー天使なアーニャさんは――)

 

(おじ……?)

 

 そして、発言より更に複雑怪奇で地獄な内心を読んだアーニャは、一度しか会っては居ないが、胃がもたれ掛けた相手を幻視する。

 

 少し考え込むが答えは出ず、アーニャは首を傾げるばかりであった。

 

(えへへへ……! 傾いてるアーニャたゃかわいい! 流石は私の未来のお嫁さんです! んがわぃぃぃ! しゅきぃぃ!)

 

(おば……?)

 

 ヒル・ヴィットマン――。

 

 アーニャ・フォージャーの学友にして、既視感の塊であり、アーニャが日頃から頭を悩ませる相手であった。

 

 

 

 

 

(チッ……頭の硬いおジジイさんですね……。私のアーニャたゃ……もとい私のアーニャさんの可愛さを評価したら星100万兆個でもぜんぜん足りませんよ)

 

(おばぁ……)

 

 ちなみにMVPに星が貰えるというモノは、無論ただの噂であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに? クラスメイトが似ている? 誰に?」

 

 カモフラージュの精神科医の仕事から戻った黄昏は、学校を終えて留守番をしていたアーニャが真っ先に話して来た話題に逆に聞き返していた。

 

 それに対してアーニャは、とても真剣な様子の半眼をしつつ更に説明を続ける。

 

「おば、はは、おじ。おばつよめ。ははっぽい」

 

「うん……?」

 

 全く要領を得ないが、とりあえずクラスメイトにブライア家に似た人間がいると言うことは察する事は出来た。

 

 そのため、黄昏は資料として保管してある(覚えている)記憶の中から生徒の情報を浚う。

 

 情報を浚いつつも、入学式の時に見掛けていれば、自身もヨルも気付いていたであろうため、アーニャの訴えは半信半疑であった。

 

(――――!? ヒル・ヴィットマン……? コイツか、確かにヨルさんともサヨともよく似ている)

 

(ちち、すごい)

 

 さながら図書館から資料を抜き出すように記憶を掘り起こしている黄昏に、アーニャは凄腕のスパイらしさを覚えていると、彼は目を通している女子生徒の資料の違和感に気付く。

 

(待て、この経歴は……ロンメルファミリーの偽造文書のパターンだな)

 

 そして、直ぐに黄昏は家族構成を含む少女の全ての経歴が、東国最大のマフィアであるロンメルファミリーがでっち上げた真っ赤な嘘であることに気付く。

 

 しかし、それだけならば大した問題ではない。何せ現在のロンメルファミリーは子供の育成に力を注いでおり、能力のある孤児に対してこうして身元引き受け人となり、無理と無茶を権利と金で誤魔化しつつ、イーデン校とすら蜜月な関係を保っているのである。

 

 イーデン校は親の七光りが容易く罷り通る程度の環境であることは、黄昏もいつぞやの面接で理解しており、そうした一部の裏口に等しい事が平然と行われ、ロンメルチルドレンとも言うべき子供たちがイーデン校に何人もいる事は当然と言えるだろう。

 

(…………子供がいるとしたら何故、アイツがフォージャー家(こちら)にこれまで一言も言わないんだ?)

 

 そうなると疑問の焦点はそこである。

 

 サヨにアーニャ程度の娘がいる事は年齢的にも別段珍しくもなく、黄昏が知る彼女の性格上、その事を一言も語らない事は奇妙以外の何物でもないであろう。

 

(離婚した? 配偶者との死別? ロンメルファミリー内部で何か? いや、アイツに結婚歴の確実な部分には何もない上、それでも子を手放すようには思えない。いっそ、サヨに聞いて――)

 

 そこまで考えたところで、黄昏は自身の思考を止めて目頭を押さえた。

 

(いやいや……本人に直接聞いてどうする)

 

 自身がスパイにも関わらず、真っ先に出た選択がそれだった事に黄昏は少なからず、サヨという女性に気を許し過ぎている事を悟る。

 

 そもそもこの件は、完全にスパイ活動とは関係のないサヨの家庭事情であり、黄昏のオペレーション梟とも玉藻とも関係がほぼなく、彼が首を突っ込む理由は何処にもなかった。

 

(日頃からあれだけアーニャの教育や、俺の教育方針に口出ししているのに、育児放棄をしているのならそれはそれでムカつくぞ……)

 

 しかし、それはそれこれはこれである。

 

 立派かどうかは本人も思っていないが、少なくとも一応は父親である黄昏としては、面白くないと言うよりも裏切られたような気分になる事は致し方ないであろう。

 

 自身がスパイであることを棚に上げる形にはなるが、それでも自身でも驚くほど、サヨにそちらの方面で信用を置いていた事は間違いない。

 

「~♪」

 

(そうだ。とりあえず、ヨルさんに聞けばいいじゃないか)

 

 部屋の掃除を鼻歌混じりにしているヨルを見つめ、そんな事を黄昏は考え、彼の視線に彼女はいち早く気付く。

 

「……? どうかしましたかロイドさん?」

 

「ええ、実はアーニャが学校で――」

 

 若干の私情を挟んでいるためか、黄昏は不確定要素に頼るという彼らしくない事をしてしまう。

 

 何だかんだで、彼の中で姉妹の無意識な信頼性が非常に高い証とも言えるだろう。

 

 

「え…………はわ……? はえ……? 子供……? サヨちゃんに……子供……?」

 

(あっ――)

 

 

 ヨルと結婚してからブライア家や姉妹関係で気づいた事のうち、最たる事のひとつは、割りとヨルは蚊帳の外にされている事があるという事である。

 

 そして、今回もそれだったらしく、超抜級の地雷を黄昏が踏み抜いてしまった事に彼は冷や汗を流した。

 

「あはは、いやヨルさん他人の空似という事の方が――」

 

「そうです……思えば時々……ありましたし……アルバムにも見覚えのない写真が……あれは……あれも……そう思うと……」

 

 どうにか取り繕おうとするが、既にヨルには黄昏の話が聞こえていないらしく、目のハイライトを消しながらぶつぶつと譫言のように呟くばかりである。

 

 そして、しばらくそうしていたヨルは、きゅっと口の端を引き締め、気合いを入れるためか胸の前で拳を作る。

 

「聞いてみましょう! お姉ちゃんにそんな大事な隠し事は許せません!」

 

 ヨルは自身の事を全力で棚にぶん投げた。神棚の更に上にでも乗っていそうな有り様である。

 

「……流石に直接聞いてもダメじゃないですか?」

 

「いえ、サヨちゃんじゃないです! サヨちゃんの"店長"さんですっ!」

 

「サヨの店長ですか……?」

 

 それを聞いた黄昏はサヨが少なくとも表向きには働いているヴュスタ・ガーデンにおり、店長と呼ばれるような役職にあるロンメルファミリーの構成員を記憶から洗い出し――ただ一人とんでもないビッグネームが該当する事に愕然とする。

 

(――――!? は――? いや、それってまさか!?)

 

 それは不味いと止めようとする黄昏であったが、既に黒電話の前におり、ダイヤルを回し終えているヨルを止めるには至らなかった。

 

「あっ、夜分すみません。そちらでお世話になっているサヨの姉のヨル・ブラ……フォージャーですっ。店長さんに代わっていただけませんか? 出来ればサヨちゃんには内密にお願いします」

 

 無情にも既に電話は繋がり、直ぐに電話先の相手はヨルの言うところの店長になる。

 

「こんばんは、店長さん。実はかくかくしかじかでして――」

 

(胃が……ッ!)

 

 店長に事情を説明しているヨルの隣で、黄昏は胃の入り口がきゅっと締め付けられるような感覚を覚え、常備している水無しで飲めると評判の胃薬を喉に流し込む。

 

 そうしているうちに受話器から顔を離したヨルは、したり顔で黄昏の方を向いた。

 

「ロイドさんに代わって欲しいそうです。サヨちゃんの店長さんはちょっと個性的ですが、とてもいい人ですよ」

 

「………………わかりました」

 

 コンマ数秒の葛藤の後、覚悟を決めた黄昏は両手で受話器を握るヨルからそれを受け取る。

 

 そして、丁寧に挨拶をすると、受話器から妙に軽い口調で元々低めの声を高く寄せているような声色の"男性"の声が響いて来た。

 

 その声から歳は恐らく黄昏と近いか、少し上程度の年齢であろう。

 

『ハーイ、ハロハロー、アナタがロイドちゃんね。お噂は姉妹(ふたり)からかねがね聞いているわ』

 

「ええと……不躾なことを聞きますが、どなたでしょうか?」

 

 あまりにも独特過ぎており、ちょっと個性的の範疇に収まらなそうな相手の事を黄昏は既に半ば確信しているが、初対面のためそう返す。

 

『あら、アナタには必要かしら? 欲しがりさんねぇ』

 

 直ぐに電話の相手は嬉しげな声色で自己紹介を返す。

 

 

 

『アタシはヴュスタ・ガーデン店長のフランク・"ロンメル"よん。ヨロシクねー』

 

 

 

 それはギュンター・ロンメルの男孫であり、ロンメルファミリーのNo.2にして、マフィアを始めとした東国組織犯罪集団の事実上の顔役。

 

 東国の怪物――"フランク・ロンメル"本人であった。

 

『それでロイドちゃん、これヨルちゃんにはオフレコなお話よ? サヨちゃんの子のお話ね』

 

 オペレーション〈梟〉(ストリクス)が、東西平和を脅かす危険人物であるドノバン・デズモンドとの接触が任務ならば、オペレーション〈玉藻〉(タマモ)は東国秩序の番兵たる暴力装置のお眼鏡に叶う事が任務――。

 

 

『アナタ()()……東国で条約違反の兵器、人為的な超能力者、IQの高い動物、クローン技術、他にも色々なグレーで眉唾な事をしてた元国家主導の研究機関があった事はどこまで知っているかしら?』

 

 

 すなわち、ギュンター・ロンメルが半ば隠居しているため、ファミリーの経営を担う事実上のロンメルファミリートップであるフランク・ロンメルとの接触が最終目標である。

 

 

 

 

 

 

 

 






↓このへんにわくわくアーニャ(電話中)








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おばさん



2期直前にこっそり更新すればきっとバレない筈ですね……(震え声)

キービジュアルにいるだけで面白いとばりさんは反則だと思うの。





 

 

 

 

 ヴュスタ・ガーデン――。

 

 

 バーリント北区呉服町通り92の表通りに建つ中規模の料理店(レストラン)である。

 

 他のレストランと比べてもかなり小綺麗だが、ドレスコードなども要らずに誰でも入り易い雰囲気と接客が行き届き、驚くほどリーズナブルで、量や好き嫌いなど個々である程度対応もしてくれるため、地元民から観光客まで幅広く愛される名店と言えるだろう。

 

 恋人たちから老夫婦、子供連れの家族まで誰でも安心して食事を楽しめる憩いの場であり、まさにフォージャー家のような家庭の為のような場所なのだ。

 

 

(それだけだったらどんなに良かっただろうな……!)

 

 

 しかし、それは全て堅気の人間ならという注意書きが頭に付くお話――。

 

 少しでも裏の世界に精通し、後ろ暗い所を持つ人間ならば、是が非でも絶対に近付かない東国有数の危険地帯である。と言うよりも国の機関という枕詞を除けば、このヴュスタ・ガーデンが東国の地獄なのだ。

 

 そもそもヴュスタ・ガーデンの店主の名義は隠す気すらなく、フランク・ロンメルであり、シェフ兼店長として実際に勤務している。

 

 実権を持つロンメルファミリーNo.2が、明らかに趣味で経営している店舗であり、それはすなわち、ロンメルファミリーの本拠地と言えてしまうのだ。

 

 そんな事を昼下がりの件の店内で染々と黄昏は考えていた。

 

(店員一人一人の動作にあまりに無駄がない……気配なぞ見ていても見失うレベルだぞ……! それにどいつもこいつもロンメルファミリーに降った名のある殺し屋じゃないか……!)

 

 ヴュスタ・ガーデンの店員は、受付で笑顔を浮かべる活発そうな年若い者、ウェイターの老年の者、ショーをしている見慣れない人種の中年の者、幾らか見える厨房で大きな出刃包丁を肉塊に向ける者など様々な人間が居るが、黄昏が見ればWISE(ワイズ)が把握している世界各国の一流の殺し屋であることは明白である。

 

 黄昏はお伽噺に片足を突っ込んだ東国の死神であるロンメルの私兵の烏喙猟兵隊の信憑性を半ば確信した。何せ、ここにいるひとりひとりが黄昏でもサシで殺り合えば五分五分と言ったような連中しかいないのだ。

 

(と言うことはロンメルの狐もここに……?)

 

(うふふ、みなさん相変わらずお強いです)

 

 ちなみに面識の有無に関わらず、一目で黄昏と共に来店したヨルを副料理長(サヨ)クラスだと判断したヴュスタ・ガーデンの店員らは多少引いた様子である。

 

 蛇足であるが、ヴュスタ・ガーデンの値段設定がリーズナブルな最大の理由は、フランク・ロンメルを含めてヴュスタ・ガーデンの従業員に一切人件費が発生していないためだ。

 

 と言うのもまず、フランク・ロンメルは東国と西国の組織において10本の指に入るほどなため、完全に趣味以上の目的でヴュスタ・ガーデンを経営してはいない。

 

 そして、それに連なる烏喙猟兵隊は、ロンメルファミリーに忠誠を誓うヒットマンか、元一流の殺し屋のため、金など元より腐るほどあり、故に信念や快楽のために殺しを続けて来た連中だ。要するにただの組への奉仕活動である。

 

「お待ちしておりました」

 

 人間味がないほど体幹のブレと歩行の足音も気配もない店員に声を掛けられ、黄昏とヨルは店の奥にある個室に通された。

 

 そして、明らかにただの料理店に似つかわしくない鉄扉を眺める。シックな色をしたそれは中の者を閉じ込めるために設計されたであろう事は明白である。

 

 それを見た黄昏は僅かに顔をしかめ、それと同時に最悪の場合、巻き込んでしまった隣にいるヨルだけでもどうやって逃がすべきか思案していた。

 

「フランクさーん!」

 

「待ってヨルさ――」

 

 すると勢いよく鉄扉を開いたヨルを止めようとした黄昏は、途中で言葉を止めて無意識に扉の中を見る。

 

 

「あらあらまあまあ、いらっしゃーい、ヨルちゃん。それと……ロイドちゃんね?」

 

 

 そして、広々とした個室の中央に置かれた10人は座れるであろう円卓にひとりで座る人間の姿を目にする。

 

 それは元々背の高い黄昏よりも更に一回り背が高く、西洋絵画の神話の英雄のように全身に一切の無駄がない筋肉の付き方をした男であり、黄昏よりも少しだけ歳上に見える美丈夫であった。

 

(冗談だろ……)

 

(相変わらず、お店で一番お強いです)

 

 その男を見た黄昏は、単純に悪党の親玉としてしか記録上には無かったWISE(ワイズ)のデータベースの間違いを呪う。

 

 彼こそが、ロンメルファミリーの事実上のトップであるフランク・ロンメルその人であり、何よりも彼から漂う奇妙な気安さと、店員とほぼ()()()()()静かな威圧感に黄昏は更に警戒を強める。

 

 フランクは自身の乾きかけの血のようなストロベリーブロンドの長髪を掻き上げてから口元に手を当てて小さく笑う。

 

「呆れるほど時間ぴったりね。もー、休日なんだからもっと羽を伸ばすぐらいでいいのよ?」

 

「いえいえ、今日はサヨちゃんのためですからッ!」

 

 ヨルと親しげに話す目の前の男は、明らかにここに来るまでに見た殺し屋とほぼ同じような存在に黄昏が感じ取った事が何よりも異質であろう。

 

(ロンメルファミリーのトップにも関わらず殺し屋(ヒットマン)なのか……?)

 

 一流の殺し屋は顔が知れている。しかし、伝説級の殺し屋はそれを伝える者さえ皆殺しにしているため、誰にも周知されていないという事をロンメルの狐という前例から考え、警戒心を最大まで引き上げた。

 

(というか、やはりここにいるのか? ロンメルの狐も。あるいは彼……いや、彼女か? それがそう呼ばれているのでは……)

 

「あー、そーそー。ヨルちゃんちょっとお耳を拝借」

 

「なんでしょうか?」

 

 純粋な興味として疑問を抱いた黄昏を他所にフランクはヨルに耳打ちをする。

 

 それを聞いた瞬間、ヨルの顔色がガラリと変わり、彼女は一目散に部屋を後にした。

 

「――――! 急用が出来たので、少々失礼します! ロイドさん!」

 

「ちょ……ヨルさんまっ――」

 

 しかし、黄昏の言葉は虚しく空に響き、ダッシュで去って行ったヨルが残した一迅の風と出入り口の鉄扉を勢い良く閉める音だけが大きく響いたのだった。

 

「さてと……」

 

 トントンと指で机を叩く音が響き、黄昏がそちらを眺めると、既に席へと着いたフランクが笑みを浮かべながら自身の隣の席を指で示している。

 

 

「二人っきりになっちゃったわねぇ……ロイドちゃん。おいでなさいな。そんなに怖がってないでアタシとお喋りしましょ? 大丈夫、ロンメルファミリー(うち)は基本的には優しいからねぇ……」

 

 

 黄昏がスパイとしてこれほど絶望的な不安と妙な恐怖を覚える人間は初めてであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「おば、あっち行く」

 

「はぁーい♡」

 

 アーニャは休日の叔母のサヨ・ブライアを連れ出すという黄昏から与えられたミッションを遂行していた。

 

 手を繋いだままアーニャがサヨを先導して遊園地を巡っており、さながら手綱付きケルベロスのような無敵の構成である。

 

(しかし、突然ロイドとヨル(二人)とも私にアーニャたゃを預けるなんてどういう風の吹き回しかしら? あまりにも唐突だったけど、水入らずでデート? うーん、それもあるかもしれないですけれど……どちらかと言えば私を遠ざけているような――)

 

「――!? おばっ!」

 

「ん?」

 

「かたぐるま!」

 

 その言葉を呟いた瞬間、アーニャは風を切る感覚と共に気付けばサヨの後頭部におり、最早装備されたような扱いとフィット感であった。

 

(ああ……頭の両サイドがアーニャたゃのおみ足ともも肉に挟まれて、後頭部頭にはお腹とお股が……!! こんなんここが私の約束の地じゃんもうここに住むからリユニオンしたいライフストリームキメなきゃ……)

 

 相変わらず、地獄のような中身のサヨであるが、既に割と慣れているアーニャは極力サヨを引き離し、めいっぱい楽しんで来るというミッションを遂行する。

 

「ごー!」

 

「仰せのままにぃー♡」

 

(フヒヒッ……たーのしー!)

 

 叔母はアーニャ(おさなご)に対する頭を持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、何から聞きたいかしら?」

 

(なんなんだこの状況は……?)

 

 やたら距離を詰めて隣に座るフランク・ロンメルという東国の怪物に百戦錬磨の流石の黄昏と言えど戦々恐々としていた。

 

 さり気なく逆の肩に触れている手付きが壊れ物に触れるように余りにも優しく、それが返って得体の知れなさを増長させているのもあるだろう。

 

(どこまで知っているんだこの怪物は……。それを見極めるにしても現状ではこちらに情報が無さ過ぎ――)

 

「まあ、とりあえずは私から少し話しましょうか」

 

 すると黄昏に疑問符を投げ掛けていたフランクの方から口を開く。黄昏は渡りに船とそれに対して特に異論を唱えず、黙って話を聞く事にした。

 

WISE(アナタたち)がこの東国で何をしているのかは大方知っているわ。ロンメルファミリー(アタシたち)が一流の元殺し屋を何人抱えているのかという話だし、情報収集能力の高さはちょっとしたものなのよ」

 

(どんなマフィアだよ……)

 

 "うちに烏喙猟兵隊が実在することは知っているでしょう?"と言いつつ、フランクはカラカラと笑う。

 

「それでアナタたちに対するアタシたちの見解だけれど……基本的には不干渉を貫くわ。害さない代わりに協力もしない。もちろん、そっちが善人である限りはだけどね」

 

(……信じるのならノルマとしては申し分ないか。だが、まだ確証も何もない。WISEを一網打尽にする計画として誘い込んでいる線の方が現状濃厚な以上は細心の注意を払う必要があるだろう)

 

 オペレーション〈玉藻〉の着地点としては文句の付けようのない言葉を他ならぬフランク・ロンメル本人から引き出したが、それを無闇に信じられるほど黄昏は人間が出来てはいない。

 

 現状でそれ以上を引き出すのは高望みだが、せめて何らかの物理的な確証を取り付ける程度はしなければならないであろう。

 

「そうねぇ……。じゃあ、折角だから証として――」

 

 フランクは懐からロンメルの短剣を取り出し、その鞘を半分ほどだけ抜くと黄昏の目の前に置き、"認識票代わりよ"と言葉を付け足す。

 

 その動作に黄昏が目を丸くしていると、フランクはその白刃の刀身を指でなぞり、満面の笑みを浮かべる。

 

「アナタ、今日からロンメルファミリーの幹部にするからヨロシクね。今決めたわ。もちろん、うちにめいっぱいスパイ活動していいわよ?」

 

「は……?」

 

 黄昏の脳は言葉を理解する事を拒否した。

 

()がひとつ増えた程度、アナタには大差ない事でしょう? 再就職先がひとつ増えて良かったわね」

 

 "まあ、うちは潰しが効かないから最終手段にしなさいよー?"と、フランクは冗談めかして笑うが、相手がスパイだとわかった上で、それを己に取り込む豪胆さは、呆れを通り越して最早感心を覚えるレベルであろう。

 

「あら? 麻薬カルテルとか、マフィアへの潜入経験は無かったかしら? 意外とウブなのー?」

 

「い、いや……そう言うわけでは……」

 

(コイツ、さっき不干渉がどうだとか言っていたよな!?)

 

「女心と秋の空。気が変わったわ。それに基本的と銘打ったしね――周りにイケメン侍らせてもいいじゃない別に」

 

(おい)

 

 極東の諺を言いつつ、脳天気で飄々とした態度を崩さないフランクに黄昏は内心でツッコミを入れる。

 

「アタシ、自慢じゃないけど人を見る目はあるつもりよ。ロイドちゃんはその点全然合格ね。それに男の人ってちょっとミステリアスで秘密があった方が素敵じゃない?」

 

(いかんこの人……()()と同じ人種だ……!)

 

 黄昏の脳裏には、目線が黒い取り消し線で隠され、舌を出した悪戯っぽい笑みでダブルピースしつつ、彼を義兄と慕う義妹(アレ)の姿が浮かぶ。

 

 つまりは数少ない黄昏が苦手とする相手である。嫌いや好きではなく苦手だというところが肝心であろう。

 

 それはそれとして、黄昏はオペレーション〈玉藻〉について考える。現状でも関係を持てた時点で十分過ぎる成果だが、目の前の掴みどころのない裏社会の巨人にイニチアシブを取られるどころか飲み込まれ掛けている事は余りにもリスクがあると考えた。

 

(仮に信じるとしよう。だが、そこまでするならWISE(こちら)と直接接点を持った方がよりやりようがあるだろう。何が真の目的だ? せめてそれを一端でも把握しなければならんな。あるいは向こうに対してこちらが利になる事を示さなければ――)

 

「信じてない様子ねぇ。まあ、そっちの方が無理か。アタシ、アナタたちの認識だと化け物みたいだし――」

 

 するとフランクは少し考え込むように唇に人差し指を当て、何か思い付いたのか、エメラルドの瞳を鈍く輝かせる。

 

「しーちゃんは元気?」

 

「しーちゃんですか……?」

 

「シルヴィア・シャーウッド」

 

「――――」

 

 “鋼鉄の淑女(フルメタル・レディ)” シルヴィア・シャーウッド。WISEの女性管理官(ハンドラー)であり、表向きの身分は在東西国大使館の外交官の黄昏直属の上司に当たる人物だ。

 

 その名が、東国で最も恐れるべき人間のひとりの口から出た事は流石の黄昏でも多少の驚きを顕にする。

 

「別に知り合いって程親しい間柄じゃないわよ? むしろサイアク。戦時中は互いに殺し合う程度の仲だったしね。ただ、これだけは伝えてくださいな」

 

 そして、フランクは笑みを浮かべた表情のまま、口の端を三日月のように釣り上げて微笑む。

 

「"お子さんは元気?"ってね。それでまあ何のことかは伝わると思うわ」

 

「……わかりました。お伝え致します」

 

(よし、この件はハンドラーに丸投げしよう)

 

 珍しく仕事でキャパオーバーをしかけている黄昏は、渡りに船とばかりに全て上司にぶん投げる事を決めた。そちらの方が胃にも優しいであろう。

 

「ところで、ロイドちゃんはサヨちゃんとは仲が良いの?」

 

 するとそんな事をフランクから投げ掛けられ、そもそもはサヨについて聞くために黄昏はここに来た事を思い出す。

 

「ええ、まあ、彼女がこちらをどう思っているのかはわかりかねますが、それなりには――」

 

(当たり障りのない話……と言いたいところだが、仲がいいのは事実だろう)

 

 黄昏はフォージャー家に週4は確実に入り浸っているサヨについてその様子を交えつつ話した。ヨルが独身だった頃は、月に2〜3日会う程度だったらしいため、目当ては兎も角として親しくなっているのは間違いないであろう。

 

「ロイドおにぃちゃーん」

 

「ははは」

 

(なるほど……コイツ、サヨから家の話を聞いているな?)

 

 話を聞き終えたフランクが、とても覚えのある茶化し方をして来た事に内心で青筋を立てる黄昏であったが、それを一切顔には出さない。

 

 相変わらず、人を食ったような笑みを絶やさないフランクは"さて"と言葉を区切ってから口を開いた。

 

「それで本題ね。まず、言っておくけれどヒルちゃんはサヨちゃんが産んだわけじゃないわ。彼女を生み出したのは東国の闇よ」

 

「東国に存在した元国家主導の研究機関ですね」

 

「そう、戦時中はまあ……うん、ぎりぎりマトモな研究をしていたけれど、戦争が終わってからは見る影もない。国が首も手も回らなくなったからこれ幸いにと暴走したのでしょうね。加えて国の方には虚偽の報告をしていたせいで、発覚まで大分時間が掛かったのよ。まあ、でも……」

 

 フランクは言葉を区切り、溜め息を吐く。

 

「復興の黎明期なら兎も角、国が機能してからもずっと同じペースで人間を補給していたら流石に足が付くでしょ? それも子供ばかりを中心にね。それで流石に国も何かが可笑しいって気付いて、調べたら異様な薬剤や化学兵器の原料の搬入記録が出るわ出るわよ」

 

「それは、あまりにも……」

 

 黄昏がテーブルの下で握り拳を作り、強く握り込む。元より彼はそのようなものが許せる性分では無かった。

 

「国としても明らかな汚点を解決したかったけれど、していた研究が研究だけに研究者を逃したくない。でも向こうも発覚は折り込み済みだったらしく、傭兵崩れの警備兵で一個中隊規模の備えをしていた。だったら出番になるのは……少しばかり戦術に明るくて最悪使い潰せて愛国心のある殺し屋集団でしょう?」

 

「……国の依頼ですか」

 

 そもそもロンメルファミリーはマフィアでありながら祖父のギュンター・ロンメルもフランクも元陸軍将校であり、私財と構成員を擲ちながら西国と最も壮烈に戦った軍人のひとりである。

 

 故に戦争孤児である黄昏が余り良い印象を抱いていないという事が無いとは言い切れないが、少なくともそれを顔に出すほど愚かではなかった。

 

「そうね。アタシたちがその研究施設を襲撃して、研究者たちと警備兵を皆殺しにしたわ。それで、研究成果の回収や保護をしたらビックリよ」

 

 フランクはやや大袈裟に両手を広げ、天を仰いで見せる。

 

「うちの構成員の幹部格の顔をした子供がチラホラ出てきたんだもの。まだ、国家主導だった何年か前に"復興の一助になるから"とか言って、色々と優秀な人材の血液とか体組織を集めてた時にしてやられたわ。そうして造られた人造の人間のひとりがヒルちゃんよ」

 

「クローン人間ということですか……?」

 

 クローンといえば、黄昏の知る限りでは最近になってカエルのクローンの生成に成功したと話題になっている分野だ。

 

 そのうち人間を生み出せるのではないかと議論にもなっているが、少なくとも現在の技術で作り出せるようなものでは到底ないであろう。

 

「さあね。本当にクローンなのか、遺伝子を元に別の何かを継ぎ足して生まれたソックリさんなのか。私もその分野は門外漢だからわからないけれど、少なくとも技術だけは確かだったんでしょう。超能力者を生み出す研究とかもしていたみたいだし」

 

 "そっちの成功体とやらは襲撃前に脱走していたみたいで保護出来なかったけど"とフランクは付け足し、目を伏せると小さく溜め息を吐いた。

 

「……技術の方はどうしたんですか?」

 

「国に過ぎた玩具を引き渡す事を愛国者たる我々が許すと思う? アタシたちが見付けたモノは、当たり障りのないモノに幾らか色付けたモノ以外は全て燃やし尽くしたわ」

 

「そうですか」

 

(そうか……。いや、きっと俺でもそうしていただろうな。なるほど……ロンメルファミリーの妙なスタンスはトップがその思考だからか)

 

 当たり前だと言わんばかりにクツクツと笑うフランクを眺めつつ、黄昏は合点がいったと内心で考える。

 

 どうやらこのフランク・ロンメルという怪物は、闇に生きる護国の徒ではあるが、愛国心はあれど東国自体は全くと言っていいほど信用していないらしい。

 

 テロリストすら顔を青くするほど過激的でありながらスタンスとしては穏健派という二律背反はこうして成り立っているのであろう。

 

 一切手段を選ばない東国のWISEのような存在と言えるのかも知れない。

 

「で、ヒルちゃんを知ったサヨちゃんねー。"私が居なければこの子は生まれなかった"って言って酷く落ち込んじゃってね。自分みたいにならないようにって一切関わらないようになったの」

 

「それで……」

 

 サヨがヒルの事をロイド・フォージャーにも実の姉にも一言も告げなかった事に合点がいった。だが、それを聞いて尚、黄昏の中には釈然としない感情が募る。

 

「サヨは極東では"小さい夜"って意味らしいわ。だから小夜(サヨ)。それとは絶対に相容れないように(ヒル)って名前を付けてね」

 

(アイツ……!)

 

 黄昏は内心で声を荒げ、強く握り込んだ握り拳を自身の膝へと静かに打ち下ろす。

 

 事情は理解したが、だからと言って納得出来るものでもそのままにしておくことが最善とも思えない。何より、あれだけ子供好きの馬鹿が、人知れず誰よりも苦しんでいるという事実に憤慨する。

 

 自己犠牲と言えば聞こえは良いが、結局のところ独りよがりな自己満足であり、蚊帳の外の当事者の事は何も考えてはいないであろう。それは逃避と何が違うのかと彼は思う。

 

 何よりサヨよりも母親に向いている人間などそうは居ないのだからと黄昏は思うのだ。

 

「自分の手が汚れている事に気づいたって奴よね。まあ、アタシとしてはどーでもいいと思うんだけどねぇ。そんなこと」

 

 フランクは椅子を船漕ぎし、天井を見つめつつまた口を開く。

 

「よく、人殺しが幸せになるのは可笑しいとか言う奴いるじゃない? じゃあ、戦争に行った人間はみんな幸せになるなって話かっての。殺しも戦争も、悪意も正義も、何も変わらないわ」

 

 船漕ぎを止めて机に頬杖をついたフランクは、笑みを絶やさずにそのままじっと黄昏の瞳を眺める。

 

「ぜーんぶ、何かを守りたいが為にしたってだけですもの。守るために殺して何が悪いのかしら? 手段に拘るだなんて戯言を吐けるのは命を賭して何かを守った事すらない口だけ達者な卑怯者だけね」

 

(……なるほど、コイツが憎んでいるのは――)

 

「そもそも刑罰には人殺しをするな、なんて一言も書いてないわ。したらどうなるか書いてあるだけよ。けれど戦争ではそれさえも機能しなくなる癖に、法治が機能した瞬間に罪となる。人間ってホント素敵ねぇ……」

 

(――人と国か)

 

 戦争には本来ならば勝者がある。しかし、東国と西国のそれは結局勝者を生まず、その代わり誰も敗者にはならなかったが、それは誰もが目を背けているだけで、本質的には全てが敗者となったのである。

 

 そして、その有り様が歪んだ統治者である今のロンメルファミリーの形を生んだのだろう。

 

 しかし、思想よりも黄昏にはただひとつだけ気に食わない事があった。

 

「まあ、つまりサヨちゃんはちょっと頑張り過ぎたからそろそろ肩の力を抜いていいと思うのよね。ちょうどいい機会だし」

 

「…………使うだけ使って身勝手だな」

 

 "大層な御託"等と毒突かなかっただけ黄昏は抑えていた方であろう。

 

 スパイ黄昏ならばロンメルファミリーの喉元でそのような発言をすることは絶対に無かったが、仮初ではあるが家族を持ち、妻の妹であり自身の義妹として振る舞う彼女もまた紛れもない家族であった。

 

 そして、サヨ・ブライアという女は、ロンメルファミリーあるいは目の前の独善的な悪党と出会わなければこうはなっていなかっただろうと確信する程に彼女の歪な優しさと善性を知っていた事が、"義兄"として何より彼を焚き付けたのである。

 

「ウフフ……良い顔ねぇ……。そっちの方がずっと男前で私好みよ? おとーさん」

 

「うっ……軽はずみな発言をしてしまい申し訳ありません」

 

「あら? いいのいいの。アナタの怒りは尤もだもの。というかぁ……ロイドちゃんったら行儀が良過ぎるぐらいだわ。アタシたちが表面上の礼儀やマナーなんて気にする質だと思う? むしろ――」

 

 フランクは机にある抜身のロンメルの小剣を指で弾き、黄昏の手元に届けると、笑みを止めて何処か影のある真剣な表情で口を開く。

 

「東国の怪物を殺す絶好の機会よ? アナタの()()()の仇かも知れない元東国将校でもあるわ。英雄になりたくはない?」

 

「――――――」

 

 自身の過去まで知られているとも思え、単純に偶々そのように聞こえるだけかも知れないその言葉に黄昏は絶句する。

 

 しかし、どちらにせよ彼の答えは決まっており、深く溜め息を吐いてからポツリと呟いた。

 

「ご冗談を……。仮に仇だったとして、殺したところで今更誰も報われません。俺は二度と戦争を起こさせない為に働いていますし……英雄になりたいと考えた事も、自分が英雄だと思った事も一度もありませんよ」

 

「………………ンハー。ホントにイイ男ねぇ。まあ、そうでなければ私のサヨちゃんを託した甲斐がないわ」

 

 するとフランクは何か気づいたようで"ん?"と細く声を上げてから更に言葉を続ける。

 

「まあ、サヨちゃんの昔のお話はまた今度に致しましょう……。それよりほら――奥方のお帰りよ」

 

 その言葉の次の瞬間、この部屋唯一の出入り口である鉄扉が勢い良く開け放たれ、そのあまりもの衝撃に蝶番が軽く壊れて鉄扉が傾く。

 

 その上、鉄扉より頑丈そうに見える無骨なドアノブが無惨にも捻り切られており、通常有り得ない角度のまま辛うじて付いているだけの有様になっている。

 

 

「ロイドさん!」

 

 

 そして、それらを引き起こした主――ロイド・フォージャーの妻であるヨル・フォージャーは、フリスビーを取って来た犬並みに嬉々とした様子であり、心なしか目と周囲にキラキラとしたエフェクトすら見えるように思える。

 

 

「ヒルちゃんを見つけましたよっ!」

 

「はわ……あわわ……」

 

 

 そして、その腕にはヨルの子供時代を切り取ったような少女――ヒル・ヴィットマンの姿があり、明らかに焦燥し切った様子で目を白黒させていた。

 

「フランクさんの言った通りの場所に居ました! スゴいです!」

 

「ぶいぶい」

 

「えぇ……」

 

(最初の耳打ちはこれか……)

 

 誇らしげなヨルと半眼を浮かべた笑みでブイサインを作るフランクを啞然とした様子で、口を軽く開けたまま黄昏は眺める。

 

 そもそもロンメルファミリーあるいはフランクが直々にヒルに関わっている事は間違いないため、マッチポンプどころか収穫レベルの自演であるが、やはりヨルがそれに意識を向けている様子は無い。

 

 日頃からヨルの奇行やナチュラルに殺意高めな発言に対し、本能レベルで見て見ないようにしている節がある黄昏も流石にどうかと考えたが、嬉しそうなヨルを見ていると何だかどうでもいいような気がしてくる黄昏であった。

 

「えっと……ヨルさん。その、ヒルちゃんをどうしてここに……?」

 

「北の孤児院に居たので、抱っこしてきました!」

 

 手段ではなく理由を説明して欲しかった黄昏であるが、"それは拉致というのではないか"と考え、そう言えば何だかんだサヨは小児誘拐だけは恐らくしていないと思われる事を思い出す。

 

 そうしているうちにヨルは抱いているヒルを床に下ろしてからしゃがみ込むと彼女に目線を合わせる。

 

「えへへ、こんにちはヒルさん」

 

「あの……あなたが私のお母さんですか……?」

 

「いえ、私は……ええと……ヒルさんの……あっ!」

 

 状況は飲み込めていない様子だが、おずおずとヨルを眺めるヒルから吐かれた疑問符に対し、ヨルは少し考え込んだ後、確信した表情をして口を開いた。

 

 

 

「ブ……フォージャーおばさんですっ!」

 

 

 

 そんなこんなで最早、場は収拾不能な状況になっており、ヨルの声だけが酷く高らかに響く。

 

(もうどうにでもなれ……)

 

 そして、黄昏は二人とそんな二人を眺めて微笑ましげに笑っているフランクを他所に思考を放棄するのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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ちいさいよる



感想や評価ありがとうございます。

サヨ編(その1)は自分で書き始めた癖に難産で滅茶苦茶時間が掛かってしまいましたが、これにて終わりです。次回からは原作沿いに戻るので更新頻度が上がると思われますので、良ければ今後もよろしくお願い致します。





 

 

 

 

 

 ヨル・フォージャーは殺し屋である。

 

 

 しかし、それ以前に弟のユーリ・ブライア、妹のサヨ・ブライア、義娘のアーニャ・フォージャーを愛し、夫のロイド・フォージャーを信頼する妻であった。

 

 そんな彼女は、東国の売国クソ野郎共を時折片付ける傍らで、実妹のサヨが他人に言えない仕事をしている事を何となく知っていたのである。

 

 

(サヨ()人に言いにくいお仕事をしているんですねっ!)

 

 

 ヨルはサヨがヨルの仕事を詮索しないでくれている事をとても感謝しており、ヨルも彼女の仕事は極力詮索しないようにしていた。

 

 とは言え、それもサヨが、ヨルの上司である店長曰く"よい人たち"の元で仕事をしている故。仮に"わるい人たち"であった場合、仕事先を皆殺しにしてでも連れ戻す所存である。

 

 

『ね……姉さん……き、ききっ……気をつけてね……? フヒヒっ……』

 

 

 昔のサヨは今とはまるで性格が違った。

 

 相変わらず伊達眼鏡は掛けていたが、ヨルよりも髪は長く伸ばされ、片目は前髪で隠れており、若干猫背気味で、引っ込み思案で愛想笑いばかりしているが笑みが下手で、小さな子供と家族想いの少女であったのだ。

 

 そんな幼き日のサヨが、教会の炊き出しのボランティアからいつもより早く帰って来たかと思えば、玄関先でシスター服に付いていた十字架を引き千切り、その金属の十字架を刺し損ねた画鋲のようにへし曲げて投げ捨ててた日の事をヨルは忘れない。

 

 理由は全くわからないが、そんな塞ぎ込むサヨにすかさずヨルは姉らしく激励した。サヨが再び立ち直ってくれるように誠心誠意全力で応援したのだ。

 

 そして、それを受けて光のない瞳で空笑をしつつ、再び出掛けてから家に帰って来たサヨは今のような明るい性格に変わっており、髪型もヨルの真似をするようになった。背中を押した彼女が立ち直った事はヨルの小さな誇りである。

 

 尤も、それと共に家から大型のパイプレンチが一本消えていた事にヨルが気づく事は無かったが。

 

 

(お姉ちゃんはまたサヨの背中を押してあげます……!)

 

 

 ヨルの中では昔のサヨも今のサヨも変わらない。

 

 故に気弱で後一歩が踏み出せない性格の妹の背中を押してあげる事が、姉として出来る最善の事だとヨルは思ってはばからないのだ。

 

 

 

 

 

「サヨちゃん――!」

 

「ネェェェエェぇさァああぁァアァァン!!!!」

 

 

 

 

 

 そして、このようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やーん、大迫力ねー」

 

 黄昏はこれまで自身の後ろに隠れるように立ち、カラカラと笑う男――フランク・ロンメルを半眼で見つめ、何とも言えない表情になった。

 

 そもそもこの郊外の廃工場で壮絶な姉妹喧嘩が行われている理由の八割はフランクのせいである。

 

 というのもこの場所でサヨとアーニャと黄昏らが合流し、彼女にヒルを引き合わせたのだが、その結果、動揺しつつも即座に黒幕がフランクであると当たりをつけたサヨが、殺意しかない表情と気迫で彼に飛び掛かり、それを守ったヨルが交戦して今に至るのだ。

 

「いや、部下に殺されかけてますけど……」

 

ロンメルファミリー(うち)じゃこんなの日常茶飯事よ」

 

 そんな事を言っている彼らの数m隣りを数百kgはあろうかという赤茶けた重機が宙を舞い、壁に当たって崩壊する。かと思えば二人の拳や蹴りが交錯した衝撃で、近くの電灯や窓ガラスが弾ける。

 

 時折、軽く原木やコンクリートを破砕する一撃が互いにヒットしているが、それを全く意に介さず未だに廃工場の壁や天井の鉄骨までも駆け回りながら戦闘が繰り広げられていた。

 

「………………あの二人も東国の実験で生まれた人間兵器とかなんですか……?」

 

「いや、普通に出生記録あるし、天然モノよ……たぶん。あんまり深く調べていないけれど」

 

 今まで飄々とした態度で存在感に溢れていたフランクが、多少小首を傾げ、指で頬を掻きながらそんな事を呟いている。

 

 それはそれでどうなんだと思う黄昏であったが、戦闘能力がほぼ完全に拮抗し、互いの肉体が頑強過ぎるため、いつまでコレが続くのかという事に意識が向く。

 

 するとそれを察したのか、フランクが姉妹を眺めつつニンマリと笑みを強めた。

 

「じゃあ、ロイドちゃん。ちょっと動かないでね?」

 

「は――?」

 

 何が"じゃあ"なのかと考えるが、そう言われたのでやや身を強張らせた――直後、黄昏は視界の急速な切り替わりと浮遊感を覚え、コンマ数秒遅れて自身がフランクに投げ飛ばされたという事に気づく。

 

「ちち――!?」

 

義父(おとう)さま――!?」

 

(背後に居たとは言え、俺が投げられるまで気づかないレベルとは恐ろしく動作に無駄と躊躇がないな……。しかも確実に手慣れてやがる。やはり戦闘に関しては一流以上の殺し屋か。……ん? いや、ヒル・ビットマン、俺は君の父親ではないのだが?)

 

 黄昏はとても見覚えのある驚き顔で叫ぶヒルの言葉に首を傾げつつ、とりあえず受け身を取ろうと空中で身を翻そうと行動する。

 

「みぎっ!」

 

「左ですッ!」

 

(左右――?)

 

 その最中に黄昏はアーニャとヒルの言葉で左右に意識を向け――。

 

 

 

 

 

「シャァアァアァァァ――!!」

 

 ――彼の右からヨルが迫り、更に左からサヨが迫り、両者とも魔王が裸足で逃げ出すような形相で、引絞った大弓のように肢体を振りかぶっていた。

 

「シィイィィィ――!!」

 

 

 

 

 

 黄昏は酷く高速化した現実味のない時間感覚の中でふと思う。

 

(これ、ヤバいのでは……?)

 

 自身がボンドマンで出て来たようなつり天井で侵入者を押し潰す仕掛けに潰される光景、あるいは40tトラック同士が正面衝突する間に挟まれる幻視、はたまた青い龍と白い虎に左右から噛み殺される景色が浮かぶ。

 

 既に二人の衝突に丁度差し込まれるように投げ飛ばされ、宙を舞っている黄昏に出来るのは、上手く受け身を取るぐらいである。

 

 アーニャの入学式の時に酔った勢いでヨルティミシア(うろ覚え)と化したヨルとの数秒の攻防ですら死の危険を感じた黄昏であるが、現在はそれを遥かに超える事態であろう。

 

 咄嗟に手足を固め、身体をやや丸めて防御姿勢を取るが、爆弾でも投げ込まれたかのような廃工場内の惨事を見るとそれはあまりにも心許ないと言える。

 

 そして、その次の瞬間に姉妹は黄昏の両脇に接近し、それぞれが撓る肢体を放つ穿つ――。

 

 

 ヨルとサヨは双子の姉妹だとしてもあまりにも異様なほどにその身体が似通っている。それ故に身体能力は完全に同じであり、習った殺しの技術こそ違えどもその戦闘技量もまた拮抗していた。

 

 ただし、二人には決定的に異なる本質の違いがあり、それは大切な時に、姉は形振り構わず一歩踏み込め、妹は臆して一歩身を引く。ただ、それだけの違いであった。

 

 しかし、その差は余りにも致命的であろう。

 

 故にサヨは――絶対にヨルには勝てない。

 

 

「兄さ――」

 

 

 サヨが黄昏を呼ぶか細い声と共に彼の腕が引かれ、勢い良く他方に引っ張られ、体ごと投げられると共にその場から視界が急速に遠のく。

 

 この土壇場で、即座に彼女は勝負を捨て、兄を助けることを選んだのだ。

 

「――――!」

 

「――ぎっ!?」

 

 そして、それと同時に全く躊躇なくヨルから貫手が穿たれ、距離を取り始めた黄昏の腕を掠め、彼の薄皮を裂き多少の出血を伴い、更にその先にあったサヨの喉笛に突き刺さった。

 

 更にサヨが大きく怯んだ事で、ヨルは貫手による豪雨のようなラッシュを放ち、サヨの全身を余すことなく突き穿ち、身体を上方へと浮き上がらせる。

 

 そして、その場で全身を縦に大きく回転させ、遠心力を付けた脚でもってさながらギロチンのようなムーンサルトキックがサヨの首に直撃した。

 

「サヨ……!?」

 

 トドメの一撃により、サヨの身体はさながらストライクの時に弾け飛ぶボーリングのピンのように地面を何度もバウンドし――その途中で身体を捻りながら両足と片手で獣のように地面を踏み締め、更にそこから数m後方に後退する事で勢いを殺し切る。

   

(えぇ……)

 

 あまりにも化け物染みているサヨの機動性と耐久に困惑する黄昏。

 

「――あぇ? ロイドさん!? 楔は打ちましたが、一応、まだ私達の近くにいたら危ないですよ!」

 

「あっ、はい」

 

 しかし、どれだけ考えても彼の頭が状況を飲み込む事を拒否していたが、何故かヨルに窘められたため、疑問を放棄することにした。

 

 とはいえ、流石のサヨも大ダメージぐらいにはなったらしく、彼女の額から細く血を流しながら肩で荒く息をしており、さながら手負いの肉食獣のような様子ではあろう。

 

「姉さ……ん……ッ!」

 

 しかし、それでも未だサヨは動き、片腕を振りかぶりながら全身をバネにしてヨルへと跳躍する。

 

 構えた姿勢のままそれを静観するヨルは、サヨが眼前に迫った刹那、腰を落としながら瞬間移動と見紛う程の踏み込みで彼女の懐に潜り込むと、渾身のボディブローを叩き込む。

 

「――――!?」

 

 それがトドメになった。

 

 四肢を投げ出し、ゆっくりと崩れ落ちるサヨをヨルは肩で受け止め、姉に抱えられて徐々に目蓋を閉じるサヨは薄っすらと笑みを浮かべるとポツリと呟く。

 

「姉さん……。さっきのは……あなたが旦那さんを庇うところじゃ……ないの……?」

 

「はへ……? はっ――! そうだったかも知れません!? はわわ……申し訳ありませんロイドさん⁉」

 

 まるで"その発想はありませんでした!"と言わんばかりに純粋に驚いている様子のヨル。

 

 何ならば黄昏がサヨに救出されてなければ、ヨルは彼ごと行っていたのではないかと一瞬考えた黄昏であったが、流石にそこまでの事はしないだろうと考えるのを止めた。

 

「は、はは……」

 

 ちなみに何故かアーニャがヨルを見る目がやや冷たげで引き攣った表情をしているように見えるが、特に関係はないことのため意識を姉妹に戻す。

 

 さっきの言葉だけ言い残してサヨは項垂れるように気絶していた。それを見届けたヨルは黄昏の方へと振り向くと嬉々とした表情を浮かべ、握り拳を作る。

 

 

「えっと……勝ちましたよロイドさんっ!」 

 

 

(そういう話だったっけか……)

 

 黄昏の疑問は錆色の天井へと溶け、勝鬨を上げるヨルをなんとも言えない表情で眺めるばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(首いてぇ……)

 

 サヨ・ブライアは主に首筋を中心とした激しい痛みと全身の筋肉痛のような症状で目を覚ました。

 

 最悪な目覚めに顔を顰めて窓から注ぐ朝日を眺めつつベッドから身体を起こし、寝惚けた感覚によって身体を起こしたまま暫く放心する。

 

 何気なく眺めればこの一室は紛れもなく自宅であることも理解出来、窓から差し込む明るい月明かりからまだ夜だということがわかるだろう。

 

 簡素なパイプベッドと無機質なカーテン、床に物ひとつ置かれておらず傷もない新居のようなフローリング、備え付けのクローゼット、申し訳程度にあるベッド脇の床頭台には伊達眼鏡と望遠カメラとポケットに入るサイズの小型カメラが置かれ、僅かに開いている引き出しにはアルバムが詰まっている。他にめぼしい物と言えば、オルガンやギター等の楽器が隅に置かれている程度のものか。

 

 そして、何よりもそれ以外のモノが一切ない事が何より目を引き、壁紙すら貼られていないコンクリート壁が物語るであろう。一人暮らしとは言え、女性の寝室としては余りにも無機質であり、まるで独房のようにさえ思えるかも知れない。

 

 ここは独り身のサヨが寝に帰るだけの家と化しており、玄関からすぐにキッチンがあり、三点式ユニットバスとこの一室だけがある1Kの古いアパートは、彼女の普段の性格からは考えられないほど殺風景であり、酷く乖離して思える事だろう。

 

 更に起きて部屋にいるサヨの表情はフォージャー家にいる時とは別人のように表情がなく、真顔でつまらなそうにも思え、氷を思わせる印象すら抱く。

 

(………………夢?)

 

 姉と本気で戦ったという余りにも現実味のない微かな記憶が頭を過るが、それは夢だったのだろうと考え、首の痛みは寝違えで筋肉痛は日頃の疲れであると結論付ける。

 

 そして、何気なく今まで自身を包んでいた白いブランケットをひっくり返し――。

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 

 寝息を立てて眠る小さな頃の自身と瓜二つの少女の姿に目を奪われた。

 

「あっ……」

 

 それによって夢だと考えていたやり取りは全て事実であった事を悟る。

 

 アーニャと遊園地に行っている内に、サヨにとっての店長であるフランク・ロンメルが中心にけし掛け、理由はどうあれそれに姉と義兄が乗っかったのであろう。

 

 つまりフランクが悪い。だからサヨは廃工場で躊躇なく彼に襲い掛かったのである。結果は姉に打ちのめされた訳だが。

 

(授業参観とかまでは姉さんなら気付かないだろうし、兄さんもスパイ的には表立って触れてこないと思っていたのだけれどなぁ……)

 

 幾らヨルが普段からのほほんとしているとは言えど、流石にアーニャと同じクラスにいる自分と同じ顔をした少女がいれば怪しむであろう。

 

 なのでそれまでにお誂え向きな言い訳を作っておこうとしていたのだが、余りにも気づかれるのも行動も早過ぎたため、このようになってしまったのだ。

 

 ちなみにヒルがアーニャと同じクラスになったのは完全な偶然であり、イーデン校に入れたのはせめて教育は最高峰の機会だけでも与えたいと言うただの親心であった。

 

(この娘は私が居なければ決して生まれなかった……)

 

 だから自身の子。それがサヨがヒルに執着すると同時に突き放しているひとつの要因である。

 

 

「…………姉さん」

 

「はい」

 

 

 するとサヨは虚空にポツリと呟き、それに答えると共に何処からともなく姉のヨル・フォージャーが闇から出でるように姿を現す。

 

 いったい、この殺風景な部屋の何処に大の大人一人が潜んで居たのか疑問であるが、少なくともサヨは起きて眠気を振り払った段階でその存在に気付いたらしい。

 

「私は悪人よ」

 

「いいえ、サヨちゃんは良い子です」

 

「私は人に言えないようなことを沢山してきたわ」

 

「それは私もきっと同じです」

 

 サヨとヨルは互いに互いがしていることを知らず、知ろうとすることもなく、にも関わらず信頼から肯定している。

 

「この子には……私と同じようになって欲しくはないわ」

 

「私もアーニャさんにはちゃんと生きて欲しいです」

 

 子供に自分のような人生を歩んで欲しくはない。そのためには何よりも自身が彼女に最大限関わらない。実親は居ないが、良い環境に生まれ、戦争の爪痕も知らずに平凡に育ち、それなりに納得できる家庭を持ち、良ければ老衰で死ぬ。

 

 そんな何てことない一生を何より親として望み、そのためには最も必要のないモノを切り捨てる。それがサヨの母親として出した答えである。そして、それは家庭を持つヨルもまた変わらなかった。

 

「私は……母親にはなれないわ」

 

「それなら私もなれていません。けれど私はアーニャさんの母親です」

 

「…………私は」

 

 詰るところサヨは、ヒルを他でもない自分自身が真っ当に育てられる自信がなく、そのようにしか愛を示せない不器用で奥手で頑固な女であった――ということを他でもないヨルが証明するのだ。

 

「私は……姉さんにはなれないわ」

 

 姉のように生まれついて心が強くはない。

 

 自分自身が矮小な存在なのを誰より理解しており、だからこそ強くなろうと志した。

 

 いっそ、姉になりたいと願った――だが、結局姉のようにはなれず、自身と瓜二つで存在する筈の無かったヒルを見た時に後悔したのだ。

 

「…………子供は必ず親の身勝手でしか生まれては来ないわ。欲、野望、愛、征服感、一時の感情に身を任せた親の自分勝手で授かるの。子供は……生まれながらに勝手と理不尽を背負わされるものよ……」

 

 何よりこのような者が実の娘の親となるという事に、他ならぬサヨ・ブライア自身が耐えられない。彼女は嘘つきの悪人でも自分に嘘は吐けなかった。

 

「だから私が出来たのは自分勝手を少しでもマシに出来る後始末だけ……。だから……だから……あのままでよかったのに――」

 

「じゃあ、背負っていきましょう。ふたりで。お姉ちゃんがサヨちゃんをお守りします」

 

 するとヨルはサヨを背中からそっと抱き締め、それにビクリとサヨの肩が跳ねるが、俯いた表情で動かずにじっとしている。

 

「もちろん、ロイドさんもアーニャさんもヒルさんもみんなお守りします。私はお姉ちゃんなんですからっ!」

 

「…………姉さんには勝てないなぁ……」

 

「んぅ……みゅ……?」

 

「――――!?」

 

 姉妹でのやり取りの最中、ヒルが目を覚まし、それに反応したサヨが飛び退かんばかりに身を強張らせるが、背後から抱き締めているヨルがガッチリと押さえていた。

 

 その間にヒルは目を擦って辺りを眺めると、サヨとヨルの方に視線が向き、表情を明るくさせる。

 

「ヒルさんこっちにおいでください」

 

「うん……!」

 

「あっ……」

 

 するとサヨの身体をぽんぽんと叩くヨルに促されるまま、ヒルはサヨに抱き着く。これでサヨは前後から姉と娘にサンドされる事になった。

 

「お母さん――!」

 

「ンん゛――」

 

 ヒルに抱き着かれたサヨはぷるりと震えたが、直ぐにヒルの屈託のない笑みを眺めて申し訳無さげに視線を下げる。

 

「ずっと遠ざけてきたのに……あなたは私をお母さんと呼んでくれるの……?」

 

「はいっ! ずっとずっと……夢見ていましたから、そしたら私のお母さんは――」

 

 心の底からの安心した様子で、花が咲くような笑顔を浮かべたヒルは、強くサヨに抱き着くと彼女の顔を見上げながら口を開く。

 

「優しくて強くてカッコいい! 素敵なお母さんでした!」

 

「ああ……あぁ……!」

 

 その言葉を皮切りにサヨの両目から止めどなく涙が溢れ、ぎゅっとヒルを抱き締め返す。そして、震えながら強く抱き寄せつつ言葉を紡いだ。

 

「自己紹介から始めましょうか……。私はサヨ・ブライア。こっちは私の姉で……あなたのおばさんのヨル・フォージャーよ。その……あなたのお名前は――?」

 

 飾り気のない窓から降り注ぐ木漏れ日のような月明かりに照らされ、家族の夜は更けていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サヨがヨルによってノックアウトされてから数分後まで時は遡る。

 

 そこには廃工場の外で、サヨの改造車と黄昏が用意していた車が並んでおり、サヨの車の後部座席には気絶したサヨが寝かされ、助手席にはヨルが座り、その膝の上にヒルが座っていた。

 

「じゃあ、ロイドちゃんとアーニャちゃんはここまでね。ヨルちゃんは免許持ってないし、サヨちゃんは気絶してるからアタシがサヨカーでサヨちゃんちにヨルとヒル(ふたり)を送るわ。そうすれば後はヨルちゃんが丸く収めてくれるわよ」

 

「がっ、頑張りますっ……!」

 

「あの……本当に大丈夫なのでしょうか?」

 

「んー? サヨちゃんなら家までは起きないと思うわよ? ねー、ヨルちゃん」

 

「あっ、はい。大丈夫ですロイドさん! サヨちゃんは3時間ほど起きないように叩きましたので!」

 

「……そうですか」

 

(いや、そうじゃないんだが……)

 

 起きた瞬間に再び争いにならないのか、あんな終わり方でサヨが納得するのか、そもそも殴り合う必要はあったのか等など様々な疑問や不安感に押し潰されそうであるが、件のヨルはとてもやる気に溢れているので何も言えなくなる黄昏であった。

 

「まあ、大丈夫よ。こういうのは家族に言われるのが一番堪えるからねぇ。…………実際、アタシがどんなに言ってもダメだったし」

 

 どこか遠くを眺めつつポツリと小さく呟かれたフランクのその言葉には妙な人間味があり、人を憂うような姿がマフィアのボスなどではなくひとりの人間に見え、黄昏は目を丸くする。

 

 そうしているうちにフランクは何故か、黄昏の隣にいるアーニャのところまで来ると、相変わらずな笑みを浮かべながらしゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「君がアーニャちゃんね?」

 

「お、おう……?」

 

 黄昏のズボンを掴みつつやや引いた様子のアーニャは、何故か目を細めながらフランクを見ようとしているように見えた。それは見辛い物を見ようとするような動作に見え、黄昏は首を傾げる。

 

「ウフフ、可愛い子ね。それより……今の家族は好き?」

 

「……? アーニャ、ちち、はは、だいすきっ!」

 

「そっか、そっか……それなら良かった。パパとママを大切にね?」

 

「あたぼうよ」

 

 アーニャの返事に何処で覚えた言葉だと内心ツッコミつつ、そんななんて事のない子供への社交辞令のやり取りを眺める黄昏。

 

 その間、ふとアーニャのストロベリーブロンドの髪とエメラルドのような瞳が、フランクの乾きかけの血のような髪と透き通った翡翠色の瞳とどこか重なって見え、妙な一致に肩を竦めた。

 

 やがて黄昏の方に首を向けたフランクは少し考える素振りをし、それから何か思い付いたのか、ニンマリと猫のような笑みを浮かべる。

 

「そー、そー、折角だから今回の報酬として――」

 

 フランクからの報酬というありがた迷惑な言葉に黄昏は内心で身構え、彼が片手をサヨの車の後部座席に向ける動作の一部始終を眺めた。

 

 そこには当然、気絶しているサヨしか居ないため、黄昏は首を傾げる。

 

「サヨちゃんをロイドちゃんの部下としてならWISE(そっち)で好きに使える権利をあげるわ」

 

「えぇ……」

 

(普通にいらない……)

 

 日頃のサヨのデカい悪ガキのような言動や行動を思い出し、疫病神を押し付けられた気分の黄昏であった。

 

 

 

 

 

「ちち、おめでと。めでたい」

 

「なにがだよ?」

 

 尚、黄昏がオペレーション〈玉藻〉を考え得る限り最高最善の形で完遂していた事に気が付くのは、まだまだ先のお話である。

 

 

 

 

 

 

 








勝った! オペレーション〈玉藻〉完!

褒美としてサヨを使う権利をやろう(VPの裏ダンジョン加入NPC並みのぶち壊れユニット)




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