スパイと殺し屋の娘は、愛を信じない (ラッキーガール)
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01.婚約者

 アーニャ・フォージャーがイーデン校を去ったのは、2年生に上がる直前だった。

 雷8つで退学。

 ……じゃなくて、両親死亡によりエレガントではないと判断され、退学勧告を受けての自主退学だった。

 

 まあ、俺はアイツが一番最初に退学になると思ってたし。

 初めから散々に笑ってやろうって決めてた。

 

 なのに、俺はあの日……ちっとも笑えやしなかった。

 

「ばいばい、じなん!」

 

 なのにあいつは、ヘラヘラ笑って校門から出ていった。

 

「……泣くか、いつもみたいに変な顔しろよ……」

 

 情けなく泣けばいいのに。

 ムカつく煽り顔をすればいいのに。

 

 なんで、お前は…………困ったように笑うんだよ。

 

 なんで両親がいなければ、学校にはいられないのか。

 いや、当たり前だろ。イーデン校だぞ。この処置は然るべき処置だ。校風を乱すなんてありえない。例外はない。

 

 じゃあ、なんで……

 アーニャじゃなきゃだめだったんだろう。

 

 

 その時俺は、この世界に神なんていないんだと実感した。

 

 

 □□□□

 

 イーデン校高等部、3年。

 

「ダミアン様ー! 期末テストの結果、張り出されてますよー!」

 

 友人のエミールが得意げな顔で教室の中に入ってくる。俺は目も向けずに校庭を眺め続けていた。

 

「ダミアン様ー?」

「うるさい。どうせお前は100番かそこらだろ」

 

 そう言うと、エミールはギクリとした顔で固まった。

 

「あはは……ごもっともです」

 

 期末テストの結果なんて興味が無い。

 どうせ一番だし、どうせ一番をとったところで父が褒めてくれる事は無い。

 いつからだか。この学校に居るということにも執着をしなくなってしまった。

 

 興味が無い、と言った方が正しいか。

 何をしても、何故か心の中にポッカリ穴が空いたような感覚がしてならなかった。

 

「ユーインは?」

「赤点ギリギリで先生から呼び出し食ってます」

「まったくお前ら二人は……」

 

 呆れたため息を吐きながら、俺は椅子から立ち上がる。内心呆れることも多いが、二人は俺が唯一心許している友人だ。

 

 エミールは俺のすぐ後ろを着いてきながら、ペラペラと口を開く。

 

「そうだ、ダミアン様。学内カフェに新しいスイーツが出たそうですよ。もう授業は終わりましたし、一緒に行きません?」

「いや、いい」

「またまたー! すーぐそうやってツンツンするんで……」

 

 エミールの言葉は途中で止まる。

 廊下の窓から見える校門前に、黒塗りの高級車が見えたからだ。

 それがデズモンド家の迎えの車だと、この学校で知らない者はいないだろう。

 廊下で立ち止まる俺たちを、執事が真っ直ぐに地面から見上げてくる。

 

 視線だけで、呼ばれているのがよく分かる。

 

「あー……今日、でしたっけ?」

 

 エミールが少し気まずそうに頬をかいた。

 そして遠慮がちに小さく口を開く。

 

「ダミアン様の、婚約パーティ……」

 

 正しくは、花嫁決め。

 デズモンド家の次男として、俺は歩むべき道が決まっている。

 兄と父は既に社会のトップとして忙しくして、俺も何をしているのか実際はよく知らない。

 

 父から与えられた情報は二つ。

 自分が手がける企業の一部に俺が入ること。

 それと、嫁を見つけてさっさと結婚すること。

 

 父は党の総裁として働く傍ら、ここ数年で多くの事業を手がけてきた。

 いわば、末端企業の元締めを俺がやれという事だ。

 

 今日はそれに相応しいパートナーを見つけることが俺の役目。

 父が選んだ令嬢達が、媚びへつらって待っているのが今からでも分かる。

 

「……行きたくねぇ」

「まあ、ダミアン様……童貞ですしね」

「うるせぇな!!」

 

 エミールのケツを蹴り飛ばす。

 

「俺は、彼女ができないんじゃなくて作らねぇんだよ!!」

「誰もそこまで聞いてませんよ!」

「普通はそこから切り込んでこいよ!!」

 

 ダミアン・デズモンド、18歳。

 彼女歴、無し。

 

 恥ずべき経歴だ! 

 ……だけど、興味がねぇんだ。

 期待に膨らんだ表情で言い寄ってくる女どもが気持ち悪くて仕方がない。

 男として正常では無いのか、と疑ったこともあったがそんなことはない。

 

「ちゃんと女性をエスコート出来るんですか!」

「やれるわ! それくらい!!」

 

 エミールとのしょうもない会話のおかげで、俺の中のイライラが少し分散した。

 深いため息を吐き出して、友人に片手を振る。

 

「じゃあな、行ってくる」

「明日、お話聞かせてくださいよー!」

 

 はいはい、と適当な相槌を交わして執事が待つ校庭へと向かう。

 会話もないままに車に乗りこみ、日が暮れてきた街中を走る。

 街灯で煌めく街をガラス越しに眺めながら、「まあ適当に気立ての良さそうな女でいいか」なんて考えた。

 

 

 □□□□

 

 着替えにヘアセットを済ませた俺は、参加者の名簿を受け取る。

 だが、目を通さないままにベッドに投げ捨てた。

 

「ダミアン様……せめてお名前だけでも」

「父が選んだ令嬢達だろ。誰だっていいよ」

「あ、いえ……」

 

 困り顔をする執事に怪訝な顔を向ければ、その真意が伝えられた。

 

「今回のパーティには、デズモンド社に関わりのある令嬢が参加されております。あの、ですので……」

「……あっそ。別に父が選んだわけじゃねぇのか」

 

 良く考えれば、当たり前か。

 あの父が俺の為に一から花嫁を探すとは思えない。ある程度の線引きだけ用意して、あとは自由参加ってところだろう。

 

 ここまで言われるまで気づかなかった俺も、相変わらず馬鹿だと思う。

 

「なんだっていい。もう会場の準備は終わってんだろ?」

「はい」

「じゃあ、さっさといくぞ」

 

 ダミアン様、と名を呼ばれて振り返れば、執事が俺に何かを差し出してきた。

 

「今宵、気に入る女性がおりましたらコチラをお渡しください」

 

 渡されたのは、どうみても婚約指輪だった。

 ピンクダイアモンドが埋め込まれた指輪は、藍色の箱に申し訳なさげに収まっている。

 

「いきなりかよ」

「相性を見てお決めになりたかったら、奥の部屋にベッドルームもございますので……」

「……気持ちわりぃな。使わねぇよ」

 

 俺は乱暴に箱を受け取ると、胸ポケットに収める。

 苛立ちを必死で隠しながら、そのまま会場へと向かった。

 

 会場内は、予想通り。

 俺が現れるなり、黄色い歓声が上がった。

 次々に自己紹介が入り、歩くスペースもないほど女達でひしめいている。

 

 誰の名前も頭にはいってこなけりゃ、相変わらず興味すらない。

 男の情欲をそそろうと、下品に空いた胸元に吐き気がした。

 

 適当に飲み物を飲みながら、そんな女たちを見渡す。

 

「……同じ気持ち悪い笑みでも、こんなに違うんだな」

「え? 何か言いましたか? ダミアン様?」

 

 ボソッと呟いた言葉に突っ込まれて、俺は慌てて作り笑みを浮かべた。

 

「いえ、なんでも」

 

 そういえば、アイツの親父もいつもこんな作り笑みをしてたような気がするな。

 

 あ? 

 アイツって……誰だっけ。

 

 頭の中にボンヤリと霧かかった記憶がふいに出てきて、俺は首を傾げる。

 

「すみません、すこし御手洗に」

「ええー、直ぐに戻ってきてくださいねぇー」

 

 猫なで声で胸を擦り付けて来る女達を捌きつつ、俺は会場から外に出た。

 そのまま、廊下を少し歩いた先にあるベランダに足を運ぶ。

 

「どいつもこいつも……馬鹿ばっかだな」

 

 夜風に当たりながら、隠していた思いを吐露した。

 俺の横を占領していたあの黒髪の女は嫌だ。傲慢さが滲み出てる。

 俺にひたすら飲み物を持ってきていた青髪の女も、俺には興味無さそうだった。どうせ、デズモンド家に取り入る事しか考えていない。

 

 ああ、ひたすら俺をベッドルームに誘っていた女もいたな。頭が悪けりゃ、股も緩い。

 

「……気持ちわりぃ」

 

 誰だっていいんだ。

 なんだっていいんだ。

 

 なのに、なんでこんなに拒絶が出てくるのだろうか。

 

 ベランダの縁に肘を置き、顔を伏せる。

 

「俺は……こんな大人になんかなりたくなかった……」

 

 じゃあ、どんな大人だったら良かったのか。なんて答えはわからない。

 ここを登れと決められた階段が、苦しくて仕方がない。

 

 ジワっと目に涙が浮かんだ時、コツンと小さなヒールの音がした。

 

「……具合悪いの?」

 

 女の声だ。トイレに行くっつったのに、付いてきたやつがいるのか。

 うぜぇな。しかも、タメ口かよ。

 

 礼儀、バツ。

 

 頭の中で減点をつけつつ、目尻を袖で拭う。そのまま、笑みを張り付けて振り返った。

 

「ああ、少し会場の熱気にやられてしまって。ご心配おかけしてすみま……」

 

 最初に目に入ったのは、真っ白なワンピースだった。

 着飾ったドレスを着てくるものが多い中で、ただの白生地の安っぽいワンピースだ。

 それから、胸元にかかる桃色の髪。

 

 その桃色の髪を見た瞬間に、頭の端に「誰か」の泣き顔が過ぎった。

 マジックで塗りつぶされたみたいに、全ては思い出せない。

 

 頭痛さえ感じながらも、俺は目線を上げていく。

 色白の肌に、桃色の唇。

 そして、零れ落ちそうな程に大きな丸い……緑色の瞳。

 

「……アーニャ?」

 

 ずっと忘れてた。

 思い出すことすら、いつの日にか無くなった。

 

 なのに、俺の口からは直ぐにその名前が出てきた。

 

 昔から小さくて、俺がいつも見下ろしていた。

 今も、こいつは相変わらず小さいチンチクリンだ。

 化粧も薄化粧で、まともに習ってこなかったのかと文句を言いたくなる。

 

 なのに、なのに……

 

 懐かしくて堪らない。

 胸の高鳴りが、煩くて仕方がない。

 

「久しぶり、ダミアン」

 

 そう言って、アーニャは少し困ったような笑顔を浮かべた。

 もう、じなん。なんて呼ばねぇのかよ。

 なんて愚痴は俺の口からは出てこなくて、代わりに出てきたのは震えた情けない声だった。

 

「な、んで……ここに……」

「お父様がデズモンド家と繋がりがあってね。今日は行ってきて欲しいって頼まれたの」

 

 お前、そんなに流暢に喋るヤツだったか? 

 ほんとにお前は、アーニャか? 

 

 いや、そんなことより……

 

「お父様……? は? お前の父親は……」

「うん、死んだよ」

 

 息が詰まった。

 あまりにもアッサリと、表情一つ変えないままアーニャがそういうもんだから。

 逆に俺の方が気まずさを感じて、目をそらす。

 

「あの後ね、有難いことにまた養子として引き取ってもらえて。隣国で暮らしてたんだけど、二年前にこの国に戻ってきたの」

「そんなこと……聞いてねぇっての……」

「忘れてた? 私の事」

「お、ぼえてるなんて……自惚れんなよ……」

 

 俺の口から出て来るのは、悪態ばかりだ。

 嘘だ。

 本当は、どうやって暮らしてきたのか全部聞きたい。本当は、忘れたフリばかりが上手くなって、一度だって忘れたことは無かった。

 

 アーニャの顔を塗りつぶしたのは、他でもなく俺自身だ。

 その罪悪感が、全身にいまさらになって響き渡ってくる。

 

 俺が何も言っていないのに、アーニャはまたクスッと笑った。

 

「結婚、するの?」

「……ああ」

「誰と?」

 

 その答えはなかった。

 黙り込んだ俺をみて、アーニャは踵を返す。

 

「変わっちゃったね、ダミアン」

 

 その言葉が、胸に酷く突き刺さった。

 お前もだろ、お前も変わっただろ。てか、変わらないなんてことあんのかよ。

 俺達、もう18歳だぞ。いつまでも子供のままだと思うなっての。

 

 そんな心の声を置き去りに、アーニャは足を進める。

 

「あ……」

 

 俺は思わず手を伸ばした。

 もう、二度と会えない気がした。ここで何も動かなかったら、もう二度と……アーニャは俺の前には現れない気がした。

 

 こいつが、このまま消えていなくなるんじゃないかって思った。

 

 アーニャの右手を掴む。

 折れてしまうんじゃないかってくらい、細かった。

 

「俺は……」

 

 振り向きざまに合った目に、またドキッと心臓が高なった。

 

「俺は……お前と結婚する」

 

 アーニャは少し目を見開いた。俺だって、今自分の口から出てきたことが信じられない。

 

「これ、やるよ」

 

 胸ポケットから、箱を取り出す。

 中には、ピンクダイアモンドの指輪が入っている。

 それをみて、ああ……こいつの髪色と一緒だ。なんて余計なことを考えた。

 

 アーニャがこのパーティに来たってことは、少なくとも俺を求めてきたんだろ? 

 昔から「俺と仲良くしたい」って言ってたのは、もしかしてこういうことだったのか? 

 

 俺だって別に嫌じゃない。というか、こ、こ、コイツがいいって思ってたし……。いや、俺キモすぎんだろ。

 

 馬鹿だし気品はねぇし、ムカつくけど……コイツがいつか他の男に取られんのはムカつくし……。

 

 あ? 俺、何浮かれてんだ? 

 いや、浮かれてねぇし。

 

 自問自答が繰り返される。アーニャがまたクスッと笑ったことで、意識がハッと戻ってきた。

 

「煩い、ダミアン」

「はあ!? 何も言ってねぇだろ」

 

 アーニャが俺の方に一歩近づく。

 もう抱きしめられるくらいの距離感にまでなって、俺の心臓の音は限界を超え始めた。

 

「受け取っていいの? 受け取って、やっぱりナシ。とか言わない?」

「い、い、いうわけ、ねぇだろ……、お、俺を誰だと思ってんだ……一度決めたことを覆すような、生ぬるい男じゃねぇし……」

「そう、良かった」

 

 アーニャは俺の手にあった指輪を受け取り、自分の右手の薬指につけた。

 あ? そういうのは、普通男がやるもんだろ。と思ったけど、こいつに普通がわかんなくても当然か、なんて諦める。

 

 てか、なんでコイツこんな余裕なわけ? 

 お、俺が慣れてないだけ? いや、コイツが慣れてんのもわけわかんねぇし……。

 

 また混乱が頭の中に湧き上がる。

 そんな間に、アーニャは俺に背伸びして顔を近づけた。

 

 ……え? キス? 嘘だろ、おい!! 

 まてまてまてまて!! 

 お前はいつの間にそんなことを覚えたんだ!! 誰に教わった!! 

 

 そんな文句は口に出ず、情けなく目をギュッと閉じる。

 

 アーニャの唇は、俺に触れることは無かった。

 その代わりに、耳元で囁かれる。

 

 その言葉は、俺の浮かれた思考を全てぶっ壊した。

 

 

 

 

「ずっと、ダミアンに復讐したかったの」

 

 

 

「……は?」

 

 

「私は、貴方を殺すために戻ってきた。ちちとははを殺した……デズモンド家を絶対に許さないから」

 

 

 私は、貴方を殺す為に生きてきた。

 

 

 そう告げて、アーニャはその場を離れていく。

 残された俺は、何一つ考えることが出来なかった。

 

 ただ一つ。

 

 幼い頃の俺が、頭の中でボソッと呟く。

 

 

 

 この世界に、神なんていねぇんだよ。

 

 

 俺が何年も恋焦がれた女は

 俺を心の底から憎んで戻ってきた。

 

「これからよろしくね、婚約者」

 

 アーニャの冷たい声が遠くから聞こえてきたのが、その夜の最後の記憶だ。

 



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02.ピーナッツ好きはそのままだった

 前略、婚約者が復讐者だった。

 

 パーティから数日後、俺は町外れの小さな屋敷を訪れていた。

 俺が婚約者を選んだということを周囲は能天気に騒ぎ立て、祝いばかりが続いていた。

 俺だけが、複雑で憂鬱な気持ちだ。こんなこと、誰に言えるわけもねぇし。

 

「ダミアン様、紅茶がお気に召しませんでしたか?」

 

 声をかけられて、ハッと前を見る。

 テーブル越しのソファーに腰掛けているのは、アーニャの義父と義母だ。

 両手を擦り合わせ、いかにも俺の機嫌を伺っている。

 

「いえ、すみません。すこしぼーっとして」

「こ、こんなつまらない家にお越しいただいて……」

「婚約相手のご両親に挨拶を交わすのは当然なので。お気にならさず」

 

 まあ、確かに粗末な家だ。普通から見りゃ、そりゃあ豪邸なんだろうけど……俺にとっちゃな。

 アーニャの両親の肩書きは、至って普通だった。貿易系の中小企業だったものが、デズモンド家に吸収され、大企業へと上り詰めたらしい。

 運良くクビを逃れたこの父親は、取締役の補佐……つまりは、俺の将来の部下だ。

 

 自分で育てた会社は食われたが、当時の倍以上には成長。生涯食うに困ること無し。

 そりゃあ、俺に媚びへつらうのも当たり前か。

 

「ま、ま、まさかダミアン様がうちのアーニャとご学友だったとは……」

「昔、ですけどね」

「ええ、ええ。あやつは何も私達に言わなくて……」

 

 あやつ、か。

 それだけで、関係が良好そうだとは思えなかった。

 アーニャ本人は、席を外すと言って以降戻ってきてない。あのパーティの日以来、なんだかんだと二人で話す機会はなかった。

 

「……アーニャから、俺を恨んでる。なんて話は?」

 

 そう聞くと、両親は慌てて手を振った。

 

「まさか! まさか!! ダミアン様に対してそのような事を言う躾はしておりません!」

 

 躾とか、そういう話はしてないんだが。

 まあいいか、と俺は今日までの日を振り返る。

 

 勿論、俺は召使いに頼んでアーニャの経歴を全て調べた。

 結論、何もわからなかった。

 

 アーニャ・フォージャーという少女の肩書きは、全て白紙に戻されていた。

 まるで、初めからそんな子供は存在しなかったかのように。

 

 この家に引き取られてからの記録しか存在せず、その中身は至って普通。

 結局は、俺の記憶の中にあるだけが全ての情報だった。

 

 義父は、オロオロとしながら俺との会話の切り口を探している。

 そんな様子はもう沢山だと、俺は自分から会話を切り出した。

 

「アーニャを引き取られた経緯をお聞きしたいのですが」

 

 そう聞くと、夫妻は顔を合わせた後、少し気まずそうに口を開く。

 

「まあ、嫁の遠縁に保安局の者がいまして……どうやらそこの部下の親戚? とかなんとかで……」

「その親戚とやらがアーニャを引き取らなかったんですか?」

「仕事柄、子供一人を育てるのは難しいとかなんとか……」

「断ることは考えなかったんですか?」

「ご冗談を、ダミアン様。このご時世、保安局からの願いを断ったなんて知られたら……なんと言いがかりを付けられるか」

 

 曖昧にもほどがある。

 ただ、確信した。この夫妻は、アーニャを引き取りたくて引き取ったわけではないらしい。

 アーニャの元両親は、精神科医と市役所務めだったはずだ。

 

 それも勿論辿った。

 だが、どちらもまともな家系図を持っていなかった。

 

 大人になったからか、俺がそれなりに勉強をしてきたからか。

 何かが、不自然だ。と根拠のない違和感が微妙につきまとう。

 

「おほほ……アーニャったら何をしてるのかしら……呼んできますわね」

 

 空気の悪さを感じ取ったのか、義母は立ち上がって席を外した。

 残された俺と義父の間の空気は、相変わらず堅苦しいままだ。

 

「そう緊張しなくても、俺はアーニャとの婚約を解消する気はありませんよ」

 

 そう告げると、あからさまにホッとした顔をする。

 何か会話の種になるものはないかと部屋中を見渡して、ある事に気がついた。

 

「犬は?」

「は?」

 

 アーニャは犬を飼っていたはずだ。

 名前は……いぬ。

 あ? なんかもうちょっとまともな名前じゃなかったか? 

 だめだ、全然思い出せねぇ。

 

 あいつの顔ばっか覚えていて、どんな会話をしただとか、そういうことはあやふやだ。

 

「アーニャが犬を……」

 

 義父も記憶に遠いのか、首を捻らせた。

 まあ、もう12年も経ってるんだ。犬の寿命からして、死んでてもおかしくは……

 

「ああ、あの小汚い犬ですか。殺処分しましたよ」

 

 俺は、その一言で固まった。

 

「家内も私も犬は嫌いでして。ああ、アーニャは泣き叫んでましたが、豪に入れば郷に従えというもので……ヒッ!!」

 

 ダンっ!! っとテーブルに叩きつけた拳が、マグカップを揺らす。

 俺は苛立ちを隠さないまま立ち上がる。

 

「な、何か気に触る事でも……」

「気に触ることしかねぇよ」

 

 そのまま、俺はアーニャを迎えに行くといって義母が消えた先を追う。

 階段を登れば、長い廊下の先に一つの部屋があるのが見えた。

 

 早足で駆け寄り、扉の前に立つ。

 

「アーニャ、俺が家を用意するから、この家を今すぐ……」

「あんたは!! せっかくダミアン様が来てるのに、少しはまともに出来ないの!!!」

 

 俺の声かけは、母親の怒声によって掻き消された。

 

「少しは役に立ったと思ったら、またそうやって部屋にひきこもって!! 恩返しはこれからなんだよ!! もう少しダミアン様に気に入られるように振舞ったらどうだい!!」

「……ごめんなさい」

「いつまでもこの汚いぬいぐるみなんか持って!! こんなんじゃ、婚約が……」

 

 それ以上の罵声が飛ぶ前に、俺は部屋を開けた。

 あからさまにギクッとした表情の義母の先で、アーニャが体育座りで縮こまっている。

 手には、ツギハギのペンギンのぬいぐるみが握られていた。

 

「俺の婚約者に、随分な物言いですね」

 

 義母はそう言っただけで、泣きそうな表情になっている。

 

 アーニャの表情は、俺もゾッとするくらいの無表情だった。何もかもを失ったような……希望の欠片すら残していない表情だ。

 

 俺は何も言わないまま部屋の中に押し入る。

 

「……ダミアン」

 

 見上げるアーニャの手を掴み、無理やり立ち上がらせた。

 

「痛い……」

「行くぞ、黙ってついてこい」

 

 義両親の制止の声も聞かず、俺はアーニャを外へと連れ出す。

 

 □□□□

 

 

 車を走らせた先でたどり着いたのは、港町が見える小さな高台だった。

 アーニャは車から連れ出しても、遠くの景色を眺めたまま何も言わない。

 

 こういうとき、なんて声かければいいんだ? 

 俺だったらブチギレるが……アーニャは違うのか? 

 まあ、少し気晴らしになるような言葉……なんかねぇかなぁ……。

 

 しばらく迷って、たどたどしく口を開く。

 

「……クソみたいな家だったな」

「そう?」

「あんな言葉ばっか言われてたら……その、つらい、だろ」

 

 アーニャは俺の方をみて首を傾げる。

 

「なんで?」

 

 疑問の意味が分からなかった。

 俺の知るアーニャは、あんな言葉を言われたらすぐ泣くし、傷つく。

 だから、慰めになればと思ったのに……。

 

「あの人達といるのは、苦しくはないよ。思ったことをそのまま言う人たちだから」

「……はあ? 人は言っていいことと悪いことがあるに決まってんだろ」

 

 アーニャは俺の方を見ながら、フッと笑った。

 

「少なくとも、慰めてやろうなんて傲慢さで薄っぺらい言葉を並べられるよりはマシ」

 

 その言葉に、ドキッとした。

 俺の頭の中が全て読み取られてしまっているようだ。

 

 俺が固まっているのを見てか、アーニャは少し嬉しそうに目を細めた。

 

「嘘、ありがとうね」

「……嘘は付くなって学んだだろ」

 

 ていうか、コイツは俺を殺すとか言ってたろ。何普通に会話してんだ。

 

 俺は頭を整理するように小さく振って、アーニャとの本題に入ることにした。

 

「俺を殺したいんだろ」

「うん。なんでパーティの日に殺さなかったのかって気になってる?」

「当たり前だろ」

 

 アーニャは両手に握りしめたペンギンを見つめながら、しばらく黙った。

 そして、小さな声で呟く。

 

「ボンドが教えてくれた」

 

 ボンドって誰? 

 なんて疑問は、今は……

 

「いぬ」

 

 ……こいつ、なんで俺の思考読み取れんだ? 

 まあ、少しは会話の脈絡というものを学んできたのか。

 

「ちちが、伝言をダミアンに預けた」

「はあ!?」

 

 俺は必死に記憶を遡る。

 が、そんな記憶一つも無い。あの父親とは確かに何回か顔を合わせたが、そんな会話はしていないはずだ。

 忘れてるだけ? 

 いや、断じてない。

 

「アーニャの大切なものを、ダミアンに預けたって。死ぬ時にははに言ってた」

「それを犬が教えた? おまえわけわかんねぇよ……」

 

 精神科医の娘は、精神狂ってんのか? 

 

「それをお前から見つけるまで、アーニャはお前を殺さない。でも、デズモンド家はぶっ壊す」

「……仮にも次男の前で言う言葉か? それ」

 

 会話能力が向上してる、なんて数秒前に感心した俺が間違っていたらしい。

 なんだったら、あのパーティの時より語彙力が消えてる気がする。

 

 アーニャが何を言いたいのか、まったくわからない。

 それに、身に覚えもない。何かの濡れ衣なんじゃないかとさえ思う。

 

「一から十まで全部教えろよ」

「……全部言ったら、デズモンド家を苦しめられないだろ? お前、馬鹿か?」

「だ──!!!」

 

 俺は頭をガシガシと掻きむしる。

 そしてアーニャに向かってビシッと指を指した。

 

「陰湿すぎんだよ!!」

 

 俺の大声に、アーニャは目をパチリと丸くする。

 

「殺すだのぶっ壊すだの苦しめるだの! ヤンデレだかメンヘラの極みか、お前は!! 私は不幸です、ってオーラを全面に出しやがって!! こっちの気遣いが限界を超えんだよ!!」

 

 こいつの機嫌を探ろうとしていた俺が間違っていた。

 とにかく、言いたいことは言う。それが、デズモンド家次男、ダミアン様だ! 

 

「父親そっくりの作り笑いばっか上手くなりやがって! そんなんじゃ、おまえの両親も天国で泣いてるぞ!!」

 

 言いたいことは言う。

 ああ、俺は馬鹿だってすぐに後悔した。

 

 あれほど何一つ表情がなかったアーニャの両目に、みるみる間に涙が浮かんだからだ。

 

 まるでガキみたいに涙を堪えてる。

 

「な、な、な、泣くな!!! 悪かった!! 俺が悪かった!!!」

 

 どうしろってんだよ!! 

 殺すとか物騒こいてた女が、急にメソメソしだして!! 

 俺になにしろってんだ!! 

 

 オロオロと手を伸ばせば、アーニャの震えた声が聞こえた。

 

「ちち、はは……天国に、いけたの?」

「し、し、知るか!!!」

「ボンドは?」

「行けた行けた!! みんな天国で幸せハッピーだ!!!」

 

 しくしくと泣き続けるアーニャ。

 俺はコイツの泣き止ませ方なんて知らんぞ!! 

 

 助けろ、コイツのちち!! はは!! 

 

「っ…………な、な、なんだって買ってやるから、泣きやめ!!」

「……ピーナッツ!」

 

 買ってやると言った瞬間、アーニャの目が輝き出した。

 

 俺の今までの労力が全て泡になったような気がして、その場にへたり込む。

 

「なんなんだよぉ……お前は……」

「アーニャ、お前の婚約者。あと、復讐者」

「だったら、もう少しそれっぽくしろよ……」

「うぃ」

 

 ……聞こえてますか、天国の極悪精神科医と馬鹿力おばさん。あと、犬。

 俺、こんなピーナッツ女に殺されたくはないです。

 

 




まあ、頑張れや、ダミアン。
お前がロイド二世だよ。(他人事)


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03.さっそく詰み

 ロイド・フォージャー。死因、爆死。

 十二年前、レストランにて妻と食事中、爆発に巻き込まれる。

 

 ヨル・フォージャー。死因、爆死。

 ロイド・フォージャーと同じく、レストランにて爆死に巻き込まれる。検死結果より、体内から微量の毒物が検出された。しかし、直接的な死因とはならず。

 

「……夫婦で食事中に、ねぇ……」

 

 古い新聞記事を眺めながら、俺はため息をついた。どれだけ調べ続けても、上がってくる情報は同じだ。

 

「……この爆発を引き起こしたのが……デズモンド家?」

 

 仮にそうだとして、なんの為に。被害者はどれもこれも一般人だ。テロ行為だとしても、なんの意味もない。

 

「犯人は未だに手がかりなし……っと」

 

 未解決事件として、今でも時たまニュースになる。

 魚の骨が引っかかったような違和感を感じつつ、次なる資料に目を通す。

 

「当時……アーニャは……」

 

 これは表には出ない警察だけが持つ情報だ。家の情報ルートを使って調べた。

 真っ当な方向性で当時の情報を調べようにも、白紙。ならば、強硬手段しかないだろう。

 

 アーニャは当時、自宅にいた。ベビーシッターがそれを証言しており、一晩にして孤児になった。

 アーニャの経歴が白紙になってしまったからには、これ以上の情報がまるでない。むしろ、よくここまで掘り出してくれたと感謝するくらいだ。

 

 俺は呼び鈴を鳴らして、執事を呼ぶ。

 

「お伺い致します、坊っちゃま」

「なあ。この当時のベビーシッターってのは?」

 

 俺が渡した資料に目を通しながら、執事は難しい顔をした。

 

「はて……名前は確か……」

 

 山積みになった資料を見返しながら、執事はある一点を指さした。

 

「フランキー・フランクリンという、バーリントンでタバコ屋を営んでる男性のようですね」

 

 写真には、赤縁メガネをかけたアフロヘアの男が映っていた。

 

「なんで、ロイドはタバコ屋なんかに縁があったんだ。あいつ、吸わねぇだろ」

「さあ……そこまでは。古い友人なのでは?」

「友人……か」

 

 まあ、娘を任せておけると信頼するくらいには頼りにしていたのだろう。

 

「コイツが今どこにいるか調べてくれ」

「承知しました」

 

 資料がねぇなら、自分で探す。

 あのバカ女の事だ。何かとんでもない勘違いをしている気がするし、殺すと宣言された今、他人事でもなくなった。

 

「それで、アーニャの両親の写真は見つかったか?」

「それが……何故か警察の方にも無くて……」

 

 俺が調べ始めて一番最初にぶつかった難題だった。

 アーニャの両親の顔写真がねぇ。母親の顔が一枚だけ出てきたが、角度も解像度も微妙でまともに認識は出来なかった。

 

 アーニャ自身も、家族写真を一枚も持っていなかった。おおかた、あの義両親に捨てられたのだろう。

 

「……どんな顔か、正直忘れた」

「小学一年の時の記憶ですから。致し方ありませんよ」

 

 見ればなにか思い出すかと思ったけど……ないものはどうしようもないな。

 凝り固まった背筋を伸ばしつつ、部屋を出ようとしていた執事に声をかける。

 

「アーニャは?」

「お部屋でお休み中かと」

 

 挨拶に行った日以降、俺はアーニャを家に住まわせている。

 デズモンド家の敷地は広大だ。両親が住むメインの屋敷。召使い達の宿舎。そして、俺達兄弟に与えられている無駄に広い屋敷。

 

 俺ももちろん、敷地内に住みつつ一人暮らしってわけだ。

 まあ、普段は学校の寮だけどな。

 

 そんな俺の屋敷の一角を、アーニャに渡した。

 婚前の女を連れ込むことに何か言われるかと思ったが、案の定、父は何一つ興味を示さなかった。

 

「明日には学校にお戻りになられるのでしょう。今日はもうお休み下さい」

「……アイツの様子だけ見てから寝る」

 

 せっかく呼んだ夕飯にも顔を出さなかったし、まじで何考えてるのかわかんねぇ。

 警報が鳴ってないから、フラッといなくなってることはないだろうけど……。

 

 とにかく、アイツが今何をしてるのか気になって眠れそうにない。

 

 俺は自室を出て、バカ長い廊下を黙々と歩く。

 やがて辿り着いたアーニャの部屋の前でノックをするが、応答はなし。

 

「おい、アーニャ」

 

 声をかけても、返事はなし。

 俺の事を完全無視だと!? 

 ふざけんな! 

 

 イラッとしつつ、扉を開ける。

 

「おい、このダミアン様を無視するとはいい度胸じゃねぇか。だいたい、飯くら……」

 

 質素もいいところの部屋の中心。

 無駄に広いベッドの上に、アーニャはいた。

 猫みたいに丸まって、小さく寝息を立てている。

 ふと見た時計は、もう日付を超えていた。

 

「……バタバタしてたんだし、疲れるのも当たり前か」

 

 多少移動が重なったくらいで、人の侵入にも気づかないほど寝るなんて……やっぱコイツ、ガキだな。

 

 俺……なんでコイツのこと好きなんだっけ。

 

 好き、と考えて顔が一気に赤くなった。

 

「べ、べ、別に好きじゃねぇし!!」

 

 誰にしているのか分からない言い訳が響いたところで、ため息を吐く。

 ベッドに近寄って顔を覗き込めば、ヨダレを垂らして寝ているアーニャの顔が見えた。

 抱き枕替わりに使っているのは、あの家から唯一持ってきたペンギンのぬいぐるみだ。

 

「……何度見ても、汚ぇペンギンだな」

 

 これ、なんだっけ。最近潰れた水族館のやつだっけ? 

 うわあ、死ぬほど興味無さすぎて全然覚えてねぇ。

 

 ちらりと視線を手に向けると、右手の薬指には俺が送った指輪が付いている。

 初めからコイツのためにありましたってくらい、サイズがぴったりだ。

 

「……全然似合ってねぇし」

 

 豚に真珠もいいところだ。

 しかしまあ……顔は可愛いな。まあちょっとガキくせぇけど、悪くは……。

 

「可愛くねぇし!!!」

 

 俺がまた一人で叫んだせいで、アーニャが眉をひそめて寝返りをうった。

 やばい、起こす。と焦って口を塞ぐ。

 

 起こしたか? 寝たか? てか、女の部屋に入るって……よく考えたら俺、ヤバくね!? 

 

 なんて俺の焦りをよそに、アーニャは寝言を言い出した。

 

「んん……ベッキー……写真かえちて……」

「なんの写真だよ」

「ちち……ははのもの。ベッキーにはあげない……」

「なんの話だよ」

「ちちとははでしゃしんかん、いったの……アーニャのだから……かえちて……」

 

 コイツ……寝てる時の方がまともに会話できるんじゃねぇか!? 

 俺はやっと、失った記憶の一部を思い出した。

 

 ベッキー・ブラックベル。

 当時、アーニャと仲が良かった唯一の女友達だった……はず! 

 

「おい! アーニャ! ベッキーに両親の写真渡したのか!」

 

 俺はアーニャを揺さぶって情報の続きを求めるが、鼻ちょうちんしか返ってこない。

 

「ピーナッツ……よこせ……」

「なんでも買ってやるから!! おい! 起きろ、このピーナッツ女!!」

「……こんやくしゃ……えっち……」

「うるせええええええ!!!!」

 

 俺は諦めてアーニャを投げ飛ばした。

 

 もう知らん!! 

 俺様が自分で調べる!! 

 

 かくして、俺はベッキー・ブラックベルを尋ねることにした。

 

 

 

 □□□□□

 

 イーデン校に戻った日のランチタイム。

 

「ダミアン様あー、なにもわざわざ学食に行かなくてもいいじゃないですかぁー」

「寮でゆっくり食べましょうよー」

 

 人混みに飲まれて情けない声を上げている二人を置き去りに、俺は目的の人物を探し続ける。

 しばらく探していれば、テラス席の方で聞き覚えのある笑い声がした。

 

「でさー、うちのパパが今度舞台に連れていってくれるってー」

「えー! いいなあ! 有名な俳優さんもいるんでしょ!」

「もちろん、舞台裏もバッチリ予約済よ!」

 

 見つけた、ベッキーだ。

 女子同士の会話で花が咲いている現場に割り入る。

 

「おい、ベッキー・ブラックベル」

 

 俺がそう声をかけると、ベッキーはあからさまに嫌そうな顔をした。

 

「あら。これはこれは、かの有名なデズモンド家の次男様じゃないですか」

「お前に聞きたいことがある」

「嫌だわァ、最近婚約されたと耳にしました。早速別の女にお声掛けですか。これだから男ってやーね」

「真面目な話だ!!」

 

 そういうと、ベッキーはつまらなさそうにため息を吐く。

 俺の要件は一つだ。アーニャの家族写真を持ってないか聞くだけ。

 

 ……いきなり変じゃね? 

 

 ここまできて、俺は自分の口から言おうとしていることが変態じみていることに気がついた。

 

 俺、もしかして馬鹿か? 

 

「何よ。さっさと言いなさいよ」

「その……えっと……」

「は?」

「しゃ、写真……」

「あたしと写真撮りたいの!? キモイんだけど!!」

「仮にもデズモンド家の次男に向かってキモイとは何事だ!!」

「キモイやつにキモイって言って何が悪いのよ!!」

「俺は、お前がアーニャの家族写真を持ってないか聞きに来たんだ!!」

 

 勢いで……言ってしまった。

 いや、これでいいんだが……なんだ、この無駄な敗北感は。

 

 俺の放った一言に、ベッキーは固まる。

 

「……アーニャ?」

「……覚えてねぇのかよ」

 

 ベッキーは先程までの不貞腐れた顔が一変し、立ち上がって俺の両腕を掴んだ。

 

「あんた、アーニャと会ったの!?」

「あ、あ……会ったというか……」

「生きてたの! 今どこにいるの! 教えてよ!!」

「居場所は……言えない」

 

 俺の家です、なんて口が裂けても言えるか。

 ベッキーは涙目になりながら、顔を俯けてしまった。

 

 ……俺、この前から女の子泣かせすぎじゃないか? そんなに酷いことしたか? 

 

「アーニャに……会いたい……」

 

 震えたベッキーの声が、ズキっと心臓に刺さった。

 

「そ、それで……写真……」

「アーニャが欲しがってるの?」

「ま、まあ……そんなところだ」

「あるから! うちにあるから! 連れてきて!!」

 

 ある。写真がある! 

 俺はやっと掴んだ手がかりに、心が舞い上がった。

 

「寄越せ!」

「嫌よ! アーニャを連れてきなさいよ!」

 

 それは……い、嫌だ! 

 

「無理だ!」

「なんでよ!」

「お、お、俺は婚約の身だぞ!! ほかの女を連れて歩けるか!!」

「だいたい、婚約したしたって、素性も何も情報がないじゃない! 嘘よ! どうせ!」

「嘘じゃない!」

 

 ベッキーは俺の後ろにいた子分二人をキッと睨みつける。

 

「あんた達は、ダミアンの婚約者を見たの!?」

 

 その一言で、二人は顔を見合わせてたじろぐ。

 

「そ、そういえば……何も聞いてない……」

「ダミアン様……写真一つ見せてくれてないし……」

「……てか、あのダミアン様が一晩のパーティで婚約者を……ちょっと本当かは信じ難い……」

 

 なんということだ。

 唯一信頼していたとも言える友人達にまで、婚約者の存在を疑われだした。

 ベッキーは得意げな顔に戻り、俺を見上げる。

 

「ほら。本当はいないんじゃない」

「いる! 本当だ!! 指輪も渡した!」

 

 ベッキーはまた俺に指をさして、一際大きな声を上げる。

 

「じゃあ、今度のプロムにその婚約者とやらを連れてきなさいよ!! そしたら信じてあげる!」

「し、信じたところで俺になんのメリットがあんだ!」

「あんたに、アーニャの家族写真をあげるわ!!」

 

 

 ……あれ。

 これ、俺……詰みじゃね?



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04.正妻

「と、いうわけで! 一時休戦だ!」

 

 しばらく寮でゆっくり過ごそうと思っていた俺は、結局家にトンボ帰りとなった。

 大広間に呼び出したアーニャは、ポカンとマヌケ顔をしている。

 

 というか、この大広間に連れてくるまでが大変だった。「今日は新月だから、どこにも行かない!!」と柱に齧り付いている所を、首根っこ掴んで引きずってきたわけだ。

 

「休戦?」

「お前の復讐者ごっこをだ」

「ごっこじゃない!」

「じゃなくても、どっちにしても!」

「……仕方がないから要件を飲んでやる」

「仕方がないってなんだよ」

「アーニャも新月は動きたくない」

「そうかよ」

「うぃ」

 

 低気圧の時に死にかける奴らと同じみたいなもんか? まあいいか。

 

 俺はアーニャに近づき、上から下まで何度も見る。そして両手を数回叩き合わせた。

 すると、奥に控えていた複数名のメイド達がアーニャを取り囲む。

 

「なに!」

「採寸だ」

 

 操り人形のように両手を真横に広げられると、そのまま巻尺が次々に体に巻きついていく。

 

「身長、145cmですわ」

「……チビめ」

「ウエストサイズ、54cmですわ」

「……おう」

「ヒップサイズ、77cm」

「お前……飯は食ってんのか……」

「足のサイズ、22.5cm」

「ガキかよぉ……」

「バストサイズ……」

「もう口に出さなくていい!!」

 

 俺は少し離れた椅子へと座り、採寸が終わるのを待つ。

 まあこれで、まともな衣装を用意出来るはずだ。問題は……アーニャだとバレずにどう乗り切るか。

 そして、コイツは……踊れるのか? 

 

 優等生だけが参加する夜会のプロムまで、残りあと二週間。本来俺は参加する気なんてなかったわけだが……ベッキーに嵌められた。

 

 だが、乗り越えなければ家族写真が手に入らない。

 

 されるがままに採寸を受けるアーニャの横顔をじっと眺める。

 

「写真……なくてもお前は覚えてんだろうな」

 

 俺が一通り情報収集に使った後は……アーニャに渡すか。

 喜ぶ……か? 泣くか? いや、泣くくらいなら渡さない方が……。

 

 俺が考え込んでいると、アーニャと目が合う。

 

「なんだよ……その顔は」

 

 不満を全面にぶつけて来るかと思ったが、アーニャの顔は久しぶりに見る腹立つ笑顔だった。

 白々しく目を細めた、愛教ひとつない表情だ。

 

「婚約者、変態」

「なっ……!! そういう意味で見てたんじゃねぇよ!!」

「あー、アーニャこんな怖い人が旦那だなんて、こわあーい」

「真面目に採寸を受けろ!!」

 

 クネクネとしだしたアーニャは、もう既に飽きてきてるのかもしれん。

 だけど……機嫌はそこまで悪そうじゃない? まあ、ご機嫌ならそれに超したことはないか。

 

 ……いや! 俺はデズモンド家次男、ダミアン様だぞ!! 女の機嫌ひとつに振り回されてたまるか!! 

 どんと構えて、俺の言うことを聞け!! くらいの気迫が必要だ!! 

 

「アーニャ、まだ婚約者からピーナッツ貰ってない。泣いちゃう」

「……すぐに買ってくる」

 

 よし。これが終わったら、街に走ろう。

 

 ベッキーの時に引き続き、謎の敗北感を感じていれば、ようやく採寸が終わったようだ。

 

「二週間で間に合わせてくれよ」

「もちろんでございます」

 

 次に俺が指を鳴らせば、大広間中に壮大なクラシック音楽が流れ始めた。

 うるさ過ぎたのか、アーニャは耳を塞いでしまう。構わずに近付き、手を差し出す。

 だがアーニャは首を傾げたままだ。

 

「……?」

「手」

「手?」

「踊るんだよ!! 手を出せよ、手を!! 今日はやたら鈍いな! お前!」

 

 不服そうな顔のまま差し出されたアーニャの右手を取る。

 うわあ……小さっ……これ、どれくらいの強さで握るんだ? 

 あんまり強く握ったら、折れるんじゃねぇか? 

 

 ……てか、俺今……アーニャと手を!! 

 

 ……余計なことを考えるな、俺!! とにかく、踊ればいいんだ!! 

 

 邪念が湧き上がって仕方がない頭をブンブンと振り回し、俺は気合いを整える。

 そして、音楽に合わせて一歩を……

 

「痛い!」

 

 踏み出そうとした途端に、アーニャがコケた。

 こ、こ、腰を支えていなかった俺も悪い。俺も悪いが!! 

 

「下手くそか!!」

「アーニャが踊れるわけがないだろ。馬鹿か、お前」

「ある程度は予想してたよ! ここまで酷いと普通は思わんだろ!」

 

 やめだ、やめ。

 俺はため息を吐いてアーニャから離れる。

 これは、一から教育係をつけてからだな。

 

 椅子に座り込んで頭を抱える俺の元に、アーニャが近づいてきた。

 

「なんだよ……」

「踊りは、婚約者にとって必要なことか?」

「当たり前だろ。イーデン校でプロムがあるんだから」

「イーデン校……」

 

 ボソッとアーニャが学校の名前を復唱したことで、ハッと気がつく。

 俺は……なんの配慮もなかったな。元々退学になった学校なんか行きたいと思うわけが無い。

 当時の同級生に会って、過去が重なって……素直に嬉しいなんて思える歳でもないだろ。

 

「……悪かった。忘れろ」

 

 家の召使いの中から、適当に人を選んだ方が誰も傷つかずに済む。

 あくまで目的は写真なんだから。

 

 一から計画を練り直そうと、俺は自室に戻ることにした。

 大広間から出る直前、服の裾が掴まれる。振り返れば、アーニャがマヌケ顔で俺を見上げていた。

 

「なんだよ」

「……学校、行く」

「はあ? 別に来なくていい。踊れないし、危なっかしいし……お前も良い気持ちはしねぇだろ」

「アーニャ、踊り覚える」

「そういう問題じゃ……」

「アーニャ、学校行きたい」

 

 そう言われて、俺は何も言い返せなかった。

 何もかもを奪われたアーニャが、唯一自分のルーツと言える場所がイーデン校だ。

 コイツがいま、どんな気持ちでいるかなんて分からない。

 

 だけど、俺は……駄目だとはどうしても言えなかった。

 

「……わかったから。二週間で覚えろよ」

 

 アーニャの頭にポンっと軽く手を乗せて、俺は改めてその場を去った。

 

 

 □□□□

 

 大広間から自室へと戻る途中、俺は足を止める。目の前には、何人もの護衛を引き連れた父が立っていた。

 

「父上……」

「最近は良く家に戻っているみたいだな」

「……ご、ご連絡致しました通り、婚約者が……」

「女にうつつを抜かして、成績が下がるようなことがなければいいのだが」

「そんなことは、決してありません」

 

 俺の屋敷に顔を出すなんて、もう何年ぶりだ? 

 なんで今? なんの用事で? 

 冷徹な瞳に見つめられ、思わず目をそらす。

 

「きょ、今日はなんの御用で……」

「二週間後、パーティを用意した。行ってこい」

 

 そう言われて、紙を渡された。

 中身を読みながら、俺は目を見開く。

 

「婚約者決め……?」

 

 その内容は、つい先日行ったパーティとほとんど同じ内容だった。違いがあるとすれば、前回より明らかに格式の高い令嬢達が揃っている。

 しかも、二週間って……プロムの日と被ってる。

 何故こんなものを渡されたのか理解出来ず、父の顔を見上げる。

 

「父上……これは……」

「見ての通りだ。気に入った女を選んでこい」

「えっと……俺は先日……」

「ああ。聞いている。妾を選べたようで何より。お前もやれば出来るじゃないか。まあ、妾は何人いても構わんが、正妻はキチンと選ばんとな」

 

 妾……? 

 いや、俺は確かに正式な婚約者として選んだと伝えたはずで……。

 

「リストに目を通したが、あの程度の身分の女達だと、妾に丁度いいだろう。子供は何人いても構わん」

「ちょ、ちょっと待ってください!! 俺は……!!」

「フゥゥ──……」

 

 浅く吐かれた溜息に、ビクリと肩をふるわせる。

 

「名も無き中小企業上がりの田舎娘。しかも、養子をデズモンド家の正妻とは。お前はそんなに品位が欠けた男ではなかろう?」

 

 父はニコッと作り笑いを浮かべた直後、また冷徹な表情へと戻る。

 

「まともな女を選び直してこい」

 

 腹の底にまで叩きつけられる、恐怖。

 逆らえない。

 父には……逆らえない。

 

 この人が指し示す階段が……俺の全てだ。

 

 アーニャとは婚約解消。解消したあとは、俺の手元に置くなり戻すなり……好きにしろってか。

 

 いやまあ、元々あいつは俺が好きで婚約を受けた訳では無いし……。なんだったら、そばに置けば置くほど俺の命の危険が高まるわけで。

 

 俺が絶対守り抜くべきデズモンド家にとっても、やがて危険になることもある。

 

 まともに考えれば、これが正解だろ……。

 父はなにも間違っちゃいない。

 

「わ、わかり……」

 

 承知を返そうとした時、俺の頭の中に思い出が流れ込んでくる。

 

『アーニャ、ほんとはおまえとなかよくしたいです……!』

 

 ピーナッツばっか食いたがるし、バカだし、アホだし、泣き虫だし、ガキくせぇし、庶民じみてるし、何一つ取り柄はねぇし、なんの役にも立たねぇ……けど、時々凄い。あと、ちょっとだけ可愛い。

 

『ばいばい、じなん!』

 

 あの日ぽっかり空いた胸の穴の原因は、今更になってやっと分かった。

 俺は……俺は、アーニャを守れなかった。

 仕方がないんだと諦めるしか手段を持たなかった、無力な子供だった。

 

『アーニャ、学校行きたい』

 

 両手を握りしめ、精一杯の大声で叫ぶ。

 

「俺は、パーティには行きません!!」

「……何?」

 

 ジロリと睨みつけてくる顔が、恐ろしくてたまらない。

 震えんな、俺。怖くねぇ!! 

 俺は……俺は、アーニャの婚約者だろ!! 

 

「俺の正妻は、アーニャです! アーニャしかいらない! 父上がなんと言おうと、ダミアン・デズモンドの妻はアーニャです!! 一度心に決めて選んだ女を、俺は絶対手放しません! 絶対俺が守り抜く!!」

 

 一息で言い切ったせいで、呼吸が荒くなる。

 やばい……言ってしまった。父に逆らってしまった。

 

 数拍の間が空いて……深いため息が返ってきた。

 

「失望したよ、ダミアン」

 

 胸を抉り取られる一声だった。

 ただでさえ、俺に興味すら持たれてないのに、さらに失ってしまった。

 

 父の足音が離れていく中で、俺は呆然と立ち尽くす。

 

「……なにやってんだ、俺は……」

 

 18年間、必死に繋ぎ止めようと生きてきた綱を、自分自身で断ち切ってしまった。

 父に逆らって……デズモンド家に復讐すると宣言している女を庇って……。

 

 ほんと、俺は馬鹿だ。

 

 でも……父に初めて逆らったことは、俺の胸の中の重りをほんの少しだけ軽くしてくれた気がした。

 

 

 

 ──プロムまで残り二週間。買い忘れ、ピーナッツ



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05.情報屋

 坊っちゃん。お探しの人物が見つかりましたよ。

 

 学校と家を毎日往復し、ダンスレッスンと学業をこなす日々が続いていた頃、フランキー・フランクリンが見つかったとの情報が入ってきた。

 

「……ここか」

 

 場所はスラム街の奥地。そこで相変わらずタバコ屋を営んでいた。

 

「坊ちゃん。わたくしめが先に安全確認を」

「いや、いい。外で待ってろ」

 

 お世辞にもガラが良いとは言えない浮浪者が彷徨く路地裏は、俺たちの方が浮いている。

 シャッターが降ろされた廃墟ビルの間に、地下へと続く細長い階段がある。その先に、フランキー・フランクリンがいるとのことだ。

 

「護身用の銃をお持ちください」

「……おう」

 

 手に渡された黒光りの銃を腰に隠し、妙な緊張感を拭おうと一度深呼吸をする。

 そうして、俺はカビ臭い階段を降りる。

 

 ネズミが自由に走り回り、壁際に寝転がっている人間達は生きているのか死んでいるのかも分からない。外からの音が何一つ聞こえなくなった薄暗い地下には、俺の足音だけが響き渡っていた。

 

 階段をおり、通路を歩く。そうしばらくしないうちに、一つの扉を見つけた。

 木で出来た壊れかけの扉には、「タバコ屋」の文字がある。

 

「……行くか」

 

 ノック。

 返事はなかった。

 

 返事のない部屋に入る礼儀……とは考えたが、こんなスラム街で礼儀もくそもねぇかと、俺は意を決して扉を開いた。

 

 入った先の部屋は、いくつかのロウソクが立つバーのような内装だった。カウンター側には酒の代わりに大量のタバコ類が並んでいる。

 本来テーブルと椅子が置かれているはずの場所には、山積みの新聞紙にダンボール。それに、保存食と思われる缶類が適当に散らばっていた。

 

 人の気配はなく、慣れないタバコの匂いに顔をしかめる。

 

 誰もいないのか……? やっぱり出かけているのか? 

 

 ここで待つべきか、日を改めるべきか。

 悩んでいると、ふと真横から声が聞こえてきた。

 

「スラム街じゃ、返事のない店に入るのはお得意様かバカのどっちかだぜ?」

「うわっ!!」

 

 死角になっていて気づかなかった。部屋の角側に置いてあるソファーベッドの上に、一人の男がいた。

 新聞を顔に乗せて寝そべっている。

 

「フランキー・フランクリンか?」

「おいおい。自己紹介もなしかよ。ダミアン・デズモンド様」

 

 俺の方を見てもないのに名前を当てられ、目を見開く。すると男は、小さく鼻で笑った。

 

「スラム街の情報はぜーんぶ俺の元に集まってくるもんでね。お前らが踏み込んできたって、とっくの前からこっちには伝わってくるってわけよ」

「……金ならいくらでも払う。お前からいくつか情報を聞きたい」

 

 やはりこの男がフランキー・フランクリンで間違いがないようだ。

 事前の調べで、情報屋の一面も持つとあった。それに金に目がない、とも。城一つ買える値段を要求されたところで、こちらとしてはなんの問題もない。

 

 だが、男からは思ったような返事はかえってこなかった。

 

「やだね」

 

 そう言って、男が新聞を取り、体を起こした。

 ようやく互いの目が合う。

 宣材写真で見た時と同じようなパーマ頭に、壊れかけのメガネ。ボサボサに伸びた髭が汚らしいとは思うが、十数年前とあまり人相が変わっているようには見えない。

 

「あいにくうちは、貴族に売るような情報はひとつもないぜ」

「アーニャという女を知っているだろう。十一年前、フォージャー家の夫妻、ロイド・フォージャーとヨル・フォージャーが亡くなった。その二人の一人娘だ」

「知らねぇなー」

「とぼけるな。こっちは警察から得た情報がある。お前が当時のベビーシッターで間違いが無いはずだ」

 

 男は数拍間を開けて、今度はクスクスと笑いだした。

 

「へぇ。デズモンド家は、警察が表に出していなかった情報も容易く手に入れられる手段があると。いい情報をタダでありがとさん」

「なっ……!!」

「怒んなよ。馬鹿でも知ってる情報なんて、今更いらねぇ」

「俺をからかっているのか!」

「そうだよ。見知らぬ土地に来て、名前しか知らないような男にペラペラと情報を得た経緯を話す世間知らずさが面白くてな」

 

 男は立ち上がり、カウンターの方へと移動する。そしておもむろにタバコを手に取ると、慣れた動作で火をつけた。

 途端に充満する煙に、思わず咳き込む。

 

「お坊ちゃまはタバコは苦手か?」

「どうみても健康被害しかねぇだろ……」

「そりゃそうだ。一本あたり、3秒の寿命が削られてるとかなんとかって有名な話だよな」

「……いい情報をタダでありがとな」

 

 先程言われた嫌味を、そのまま返す。

 するとフランキーは、何度か瞬きして、ニヤッと笑った。

 

「吸収力抜群。流石、イーデン校の特待生、インペリアル・スカラー様だ」

 

 だめだ。話が進まない。

 なにをしても、のらりくらりとかわされている感覚だ。

 

「ほら、おかえりは真後ろだ。ここに来たかったら、死ぬほうがマシなくらい落ちぶれてからまた来な。まあ、その頃には俺はここにはいねぇけど」

 

 顎で帰宅を促される。

 このまま何も分からないまま帰るなんて、そんな選択肢はない。

 

 俺は意を決して足を前に進め、カウンターに両手をついた。

 

「アーニャはいま、俺と一緒にいる!」

 

 そう言うと、男がほんの僅かに息を止めた気がした。気がしただけで、表情はさっきと同じ気だるげなままだ。

 

「それで?」

「アーニャは俺に会うなりなんなり、デズモンド家に復讐するだの言ってる! あの事件が原因だ! ロイドについて知っていることを教えろ!」

「お前さん、その娘が好きなのか?」

「今はそんなこと関係ないだろう!」

「好きなら、好きな子が必死にお前に伝えた情報をこんな浮浪者にペラペラ話すなよ。馬鹿だなぁ。俺がそれを悪用して、その子を苦しめてやろうって考えてたらどうする?」

「関係ない! 俺が守ればいい話だ!」

 

 フランキーはしばらく黙り込む。

 まだ半分も吸い終わってないタバコを灰皿に押し付けると、俺に背を向けた。

 

「アーニャ? ロイド? 知らねぇな。お前に渡す情報は一つもない」

「っ……」

「帰りな」

「俺はっ……!」

「それともなんだ? その腰に付けてる使ったことも無い銃で俺を脅すか? そっちの方がよっぽど効率がいいと思うぜ?」

 

 マントで見えていないと思っていた銃の保持を言い当てられた。

 こっちの情報ばかりが抜き取られていく。

 冴えない男だと思い込んでいたが、実際はどうだ。俺より何枚も上手じゃないか。

 

 俺には、この男から何かを引き出せるほどの交渉術がない。

 悔しくも、嫌という程実感させられた。

 

 この男がフォージャー家のことを知っていることは確実なんだ。

 どうすればいい。

 

 頭の中で必死に考えても、良策は浮かんでこなかった。

 

「……何を対価にすればいい」

「デズモンド家の企業秘密を全部持ってくるなら、なにか思い出せるかもな」

「それ、は……」

「期待してねぇよ。お前の父親と兄貴がお前になんの企業情報も渡してないことは既に知ってる。ガワだけデズモンド家の、足でまといって話はスラム街じゃなくても割と有名な話だぜ?」

 

 俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 家のことを知らないのは事実だ。

 

「……また日を改めて来る」

 

 この男とは、まずは信頼関係からだ。もう、そうするしかない。

 俺はカウンターを離れ、身を翻す。

 

 自分の無力さを痛感しながら一歩を踏み出した時、フランキーがボソリと呟いた。

 

「……親友がいなくなるってのは……痛てぇな。戦場の銃で肩を抜かれた時より痛てぇ」

 

 振り返る。フランキーは俺に背を向けたまま、いつの間にか二本目のタバコに火をつけていた。

 

「疲れた顔して帰ってくるもんだと思ってたら、眠って帰ってくんだ。おい、冗談と演技はもういいぜ。って言ったところで起きやしない」

「……お前」

「二人の声が聞こえないって、ビービー泣き叫ぶガキは重てぇし。関わりたくもない警察に揉みくちゃにされるし。ほんと、誰のせいでこうなっちまったんだ。ってな」

「ロイドの話か!?」

「そんなこと誰も言っちゃいねぇ。ただ、心底バカなお坊ちゃまに俺の独り言くらい聞かれても、痛くも痒くもねぇってわけだ」

 

 俺が再び近寄ろうとすると、片手を上げて制された。

 

「来んな来んな。もうガキの相手はゴメンだ」

 

 猫を追い払うみたいに手を振られる。話を聞けたのは確かだが、この男の言う通りただの独り言で、何一つ情報にはなっていない。

 

 妙な距離感の間で、フランキーはため息とともに俺に声をかける。

 

「……ああ。お前に求める情報対価が見つかった」

「なんだ! 俺に出来ることなら何でも!」

「あの子。笑ってるか?」

 

 あ、っと俺は息を詰まらせる。

 即答しようと口を開けたが、声が喉から出てこない。魚のように何度か開け閉めしたのち、結局俺は顔を伏せてしまった。

 

「……俺が1回泣かせた」

 

 思えば、アイツと再開して見た笑顔は、パーティでの一回だけだ。しかも、困ったように笑っていた。あれを笑顔とは呼べない。

 無表情というわけではないが、どこか淡々としている。そんな印象しかない。

 

 フランキーはフッと鼻で笑い、立ち上がって部屋の奥へと歩き出す。

 

「俺はお前が求めてる対価を何も持ってねぇな……」

「だな。もしお前がスパイだったら失格だ」

「そんな裏側の世界で生きるような生き方してきてねぇよ」

「俺のところに来るってことは、そっちで生きるくらいの覚悟を持ってこいよ。って話だよ」

 

 ……裏側世界、か。俺には関係の無いことだ。

 止めていた歩みを再開する。

 作戦を練り直そう。

 扉に手をかけて半分開いた時、最後にフランキーがこう言った。

 

「……お前の愚直さに同情して一個だけ情報をやるよ。…………ナンバー07ってのがあるなら、ナンバー01から06まであるとは思わないか?」

「……? 普通そうだろ」

「そういうこった。じゃあな、坊ちゃん。見つかったからには次きた時は俺はここにはいない。ヤベぇヤツらの巣窟になってるだろうから、間違っても入るんじゃねぇぞ」

 

 ナンバー01から06? 

 ナンバー07? 

 何の話だ。

 

「あ。それと、その扉周りにあるピーナッツ。持って帰っていいぞ。安心しな、毒はないし、賞味期限も切れてない」

 

 そう言い残してフランキーは店の奥へと姿を消した。恐らく、俺がどれだけ待っていても戻ることは無いだろう。

 

 結局、フランキー・フランクリンから得た情報はこれだけだった。

 

 

 

 ■

 

 後日。イーデン校。

 

「ダミアン様ー」

「ずーっと上の空でどうしたんですかー」

 

 エミールとユーインが俺の机周りで騒ぐ中、俺は快晴の空を見上げ続ける。

 

「……なあ。ナンバー07があるならナンバー01から06まであると思うか?」

 

 俺がそう聞くと、二人は目を見合わせて首を傾げる。

 

「当たり前じゃないですか?」

「哲学でも始めたんですか?」

「……いや、なんでもない」

 

 まあ、そうだよな。誰に聞いてもそう答えるよな。

 俺が再び黙り込むと、エミールがポンっと手を叩いた。

 

「そんな訳分からないこと考えているから、ボーッとするんですよ! 面白い話をしますね!」

「お前の面白いに期待したことは一度もないが?」

「まあまあ、そういわず。知ってます? 最近話題の超能力娘の話!」

「……はあ?」

 

 俺が二人の方に視線を戻せば、エミールはワクワクとした表情で俺の机に新聞紙を広げた。

 

 そこには、デカデカと『突如現れた超能力者! 神の子か!? 悪魔の子か!? 東国一有名なサーカスも赤っ恥!?』

 と見出しがふられていた。

 

「……超能力?」

「はい! なんでも、物を自在に浮かせるんですって!」

「はあ? マジックの類だろ」

「違うらしいんです! いま巷で大人気の子ですよ! 毎週土曜日の夜に、港町の方でステージをやってるんですって!」

 

 記事に目を通す。

 要するに、種も仕掛けもなく浮遊術を使うとのこと。

 観客は喜んで金を投げ、大盛況……ってわけだ。

 

「見に行きましょ!」

「はあー!? 俺はそんなに暇じゃねぇ!」

「女が出来た途端俺たちと遊ぶのやめるんですか! そんな殺生な!!」

「違う! こんな子供だまし、興味がねぇっていってんだ!!」

「め──っちゃ、可愛いらしいです。えっと……名前はなんだったっけな……ああ、これですこれ」

 

 エミールが指さした先を見る。

 そこには、「ファイブライン」と書かれていた。

 

「ファイブラインちゃん!」

「ファイブ……」

 

 考えすぎか。

 

「ねぇ、行きましょ! 行きましょ!!」

「エミールが行きたいなら、俺も行きたいです」

「そうだよな、ユーイン!」

 

 ギャーギャーと騒がれ、ついに俺は頭の血管が切れた。

 

「分かった!! うるせぇな!! 行くよ! それでいいんだろ!!」

「やったああああ!!」

 

 大きなため息をついて新聞を閉じる。

 まったく。コイツらはいつになったら大人になるんだ。

 

 新聞を閉じれば、表紙の日付が目に入った。

 

「……あ」

 

 

 ──プロムまであと一日。

 ──ピーナッツ、渡し忘れ。



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