赤目の守護者 (ブラブレ8巻難民)
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守護者を目指した少年
第一話:小さな守護者
──今週も月曜日の朝がやってきた。
時間は4時55分。一度も役目を果たしたことのない目覚ましの設定を切り、ベッドを出てストレッチ。
「よし!」
運動着に着替えたら、あらかじめ荷物を纏めておいたランドセルを背負って10区の方向に向かって走る。すると8分ほどで、目的のアパートが見えてくる。
──あっ、ちょうど出てきたところだ。
「蓮太郎さん! おはようございます!」
「おうおはよう
「『守護者』はいつだって、誰よりも元気でないといけませんので!」
「そうか……」
「そうなのです!」
そして笑顔も大事。しっかり歯を見せ、胸を張る。蓮太郎さんが近所のお爺さんみたいな顔になった。解せぬ。更には頭を撫でられた。
「今すぐ止めないと『里見蓮太郎はショタコンだ』と叫びながら走り回ります」
「それだけはやめてくれッ」
全く……こないだは日頃のお礼にクッキーを焼いただけで何か言いたげな目で見られたし……
「次はありません」
「たまに、お前ら本当は俺のこと嫌いなんじゃって思うんだが……」
「『お前ら』の『ら』が誰を指すのかは知りませんが、少なくともオレは蓮太郎さんのこと好きですよ? 嫌いだったら毎週会いに来ませんって」
「……そういう好意を伝えるのに躊躇がないとこも、延珠にそっくりだ」
「オレ、延珠ちゃんに似てますか!? 嬉しいなぁ!」
「俺としては似ないで欲しいんだが……」
「なんでですか!?」
文武両道、明朗快活、容姿端麗。あんな完璧超人に似ていて嬉しくないハズがないのに。
「いや……うん。世の中、知らない方が良いこともある」
「余計気になるんですが」
「よーし今週の朝練始めるぞー!」
「露骨に誤魔化しましたね」
「身体を動かして、忘れろ。これはその方が良い
「……分かりました」
第一、教えてもらう立場だ。あまり文句は言えない。
いつも通り、今までに習った技を一つずつ披露する。
天童式戦闘術──
拳を用いる一の型、脚を用いる二の型、どちらにも属さない三の型が存在し、加えて構えによって攻撃と防御に緩急をつけることができる。
俺が使えるのは攻防一体の基本形、『
「ラストォ!
先週習った一の型八番を見せ、残心。蓮太郎さんの評価を待つ。
「……うん、体幹も柔軟もバッチリ。型の練度も、初段程度はある。精神面も、お前なら大丈夫だろ。後はこのまま鍛錬を欠かさず続けてりゃあ、十五には民警として通用すると思うぜ」
「ホントですか!? お世辞じゃなく!?」
「次からは、頑張って木更さんを引きずり出して来てやんよ」
「ぃよっっし!!」
木更さんと言えば、抜刀術の方ではあるが──同じ天童流の免許皆伝を持つ、妖怪のように強い方だと言う。そんな人に見て貰えるとは……
「『光栄の至りです、ご指導ご
「お前、よくそんなスラスラと敬語が出るよな……本当に小学生か?」
「正真正銘小四ですよ。生徒手帳見ます?」
「まだ児童ですけどね」
「細けえな……てかマジで見せなくていいわ。延珠の同級生なんだから分かるって」
「おっと、これは失礼しました」
「……なあ、本当に民警やんのか? お前なら、もっと他に良いとこ行けるだろ」
確かに民警──『民間警備会社』の社員になりたいと言う人は少ない。
犯罪者崩れの荒くれ者は多いし、ほぼ完全な歩合制だから、よっぽど腕が立たないと、日常生活すらままならない。殉職率もバカ高い。ついでに、仕事を奪われる形となる警察からは嫌われる。
そして何より──嫌でも『呪われた子供たち』と肩を並べることとなる。これにより、民警は誰からも等しく嫌われる。
──でも、
「オレは、民警以外になる気はありません」
「どうしてそこまでこだわる? 『人を守る』ことは、民警でなくともできんだろ」
「それは──秘密です!」
「ヒーローは秘密があってこそってか?」
「その通り!」
あぁ確かに、『人を守る』ことは、他でもできる。
──でもその『人』の中に、『
十年前、突如として生まれた寄生生物──ガストレア。『呪われた子供たち』は、奴らと同じ力と『赤い目』を持っている。
……ただそれだけで、同じ『人』である筈の彼女らは皆……『ガストレア』の同類として、今この瞬間も迫害され続けている。
オレは、それが耐えられない。
誰が人類の生存域を『守っている』のか、考えればすぐに分かる。人を超えた力を持つガストレアに対抗できるのは、彼女らに他ならないのに。
だからオレは、
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第二話:壊された日常
「──で、遅刻しかけたと。バカじゃないの?」
「辛辣ゥ……」
──昼休み。給食の美味しくないスープを啜りながら、
どんだけ早く起きても、朝練してから家に帰ってシャワーで汗を流して朝食を食べるなんてことをしてたら、遅刻寸前になるのは自明の理だ。しかし……
「お前が汗臭いってうるさく言わなきゃ、もうちょい早く来れるんだけど?」
「朝ごはん、作って置いといてあげたの誰だと思ってるの?」
「貴女様ですごめんなさい」
「分かればよろしい」
ウチは仕事の関係上、両親が家を留守にすることが多い。だから家事は、オレと妹の二人でやりくりしている部分が大きいのだ。
「舞ちゃんは凄いな。妾なんて、台所出禁なのに」
「え、何したんだよ藍原……?」
同じ班の前田が、延珠ちゃんの発言に反応した。
正直オレも気になる。彼女に苦手なことがあったこと自体、凄く意外なのだから。
「前に一度、味噌汁を作ろうとしたのだが……変にしょっぱくなってしまってな?」
「その味噌汁、出汁取った?」
「ダシ? 味噌汁はお味噌を溶けばできるのではないのか?」
「味噌だけの味噌汁は美味しくないよ……」
典型的な失敗例だね。インスタントだと最初から出汁入りのものが多いから、普段料理しない人だと勘違いしてる場合がそこそこあるらしい。
「そうなのか。ならば次は鈴カステラではなくちゃんとダシを──」
「待って待って待って。鈴カステラ入れたの? 味噌汁に??」
「甘くすればしょっぱさがマシになるかと……」
……うん、流石にその失敗例は初めて聞いたかな。舞だけじゃなく、前田も呆れた顔をしている。
「……舞、真守。調理実習はお前らが頼りだ」
「流石にもうやらぬぞ!? 学校でも台所出禁は嫌なのだ!」
「ごめんね延珠ちゃん、調理実習の時は、私と真守の指示に従ってほしいな」
「ぐぬぬ……分かったのだ……」
延珠ちゃんが悔しがってるのも珍しい……てか『ぐぬぬ』なんて本当に言う人初めて見たわ。
……とまぁ、こんな感じでわちゃわちゃしながら給食を終え、昼休みは思いっきり遊び、真面目に授業を受けて、帰宅する。なんてことない日常だけど、充実した毎日。
世界がガストレアの脅威に包まれている以上、この平穏は続かないと分かっている。だからこそ、俺はいつ『日常』が壊れても後悔しないように、生きている。
……だけど。だけどさ……こんなの、あんまりじゃないか。
「──なぁ藍原。明日さ、前にお前が話してた『レンタロー』に会いに行ってもいいか?」
「うむ、構わないぞ! 特に予定は無いと聞いている!」
「じゃあ、お前んとこのアパート裏にある空き地に朝7時!」
「分かったのだ!」
帰宅路の途中で聞いた、前田と延珠ちゃんの何気ない会話。
祝日明けにする話のタネができたなって……そう思ったのに。
いざ登校してみれば──
「……は?」
黒板にデカデカと書かれたチョークの文字に、俺が憧れた少女の日常は壊された。
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第三話:破られた誓い
薄々、察してはいた。蓮太郎さんの
だがオレにとっては『やっぱり』で済むことも、他の皆にとってはそうじゃない。
「──んだよコレ!? 冗談にしちゃタチが悪過ぎて面白くねぇって!!」
大声で注目を集め、
結局のところ、皆が欲しがっているのは『話題』だ。より『面白そう』なことで目を引けば、今ならまだ笑い話にできる。たとえばそう──『誰が誰を好きなのか』
「なんだぁ真守ぅ? そんなに焦ってお前……藍原のこと好きなのかぁ!?」
ナイスだ前田、お前ならノってくれると信じてたぜ。
「バッ、違ぇよ!」
「じゃあそんなに慌てなくっていいだろぉ? あんなん、誰も信じるワケねぇんだから!」
前田の言葉に、皆が『そうだよねぇ』と同意する。
……意外に皆、冷静だ。これなら態々身体を張らなくてもよかったかもしれない。恥ずかしい。
「──おはようなのだ! 何やら騒がしいが、皆どうしたのだ?」
そして間を置かず、延珠ちゃんが入室してきた。これで後は、延珠ちゃん本人が疑惑を否定してくれれば終了だ。
「いやー、いいタイミングで来たな。今ちょうどお前の話をしてたんだよ」
「ほう、妾の話か!」
「なんでか知らないけど、お前が
「「────」」
延珠ちゃんの動きがピシリと固まり、口元が少し引き攣った。オレの方も似たような状態だろう。
だって──
「……前田。ガストレアじゃなくて、『呪われた子供』だろ?」
「細けえなぁ。
……、…………。
思考が、停止している。
理解できない。したくない。
自然体で彼女達を『ガストレア』と同列に扱うその思考が、分からない。それを誰も咎めないクラスそのものが、キモチワルイ。
「……妾は、人間だ」
「知ってるよ。見りゃ分かる」
「ハハ……そうだな……」
乾いた笑みで生返事をする延珠ちゃんを見て流石におかしいと思ったのか、前田も少し神妙な顔になる。
「……おい、藍原。お前は、
「何がだ……?」
「とぼけるなよ。『お前は呪われた子供なんかじゃねぇよな?』って聞いてんだ」
「……妾は人間だ」
──嘘だろ? 何故否定しないんだ。
「オイ、そういう思わせぶりなこと言うのやめろよ。コレは、『はい』か『いいえ』の二択。そして、ただ一言お前が『違う』と言えば済む話。それを変に引き伸ばすな。無駄に大事になる」
「…………」
延珠ちゃんは
「……おい、これ以上はシャレになんねぇぞ」
延珠ちゃんは、何も言わない。教室内がざわつき始める。
痺れを切らした前田が、最悪の行動に出る。
「もういい、自分で確かめる」
「おい前田、何を……?」
前田は足早に席へ戻ると──
「お前、それは流石に……!」
「うるせぇ! 今ここでハッキリさせねぇと、
……あぁ、そうだよ前田。お前は良い奴だ。だからこそ、延珠ちゃんも嘘を吐きたくないのだろう。
「藍原、手ぇ出せ」
「……い、嫌だ」
「いいから手を出せって!! 指先をちょっと切るだけだから! それでお前の傷が治らなければ──」
「嫌だッ!」
「おい、藍原!!」
延珠ちゃんは顔を真っ青にして、走り去った。
「うそ……」
「ねぇ、これってつまり……」
「マジかよ……」
……ダメだ。もう、おしまいだ。どうしようもない。
「……クソが」
「あぁ、本当にクソだよアイツ……! 今まで俺らのこと騙してやがった……!」
違うんだ前田。クソはオレなんだよ。
どうして、もっと上手く立ち回れなかったのか。
「……そんなに握ったら、手ぇ痛めるぞ。お前が俺よりショックを受けてるのは、分かるけどさ」
「……おう」
なぁ、お前はどうしてそんなに優しいのに……呪われた子供たちには冷たくするんだ?
「たぶんしばらく、お前と舞はアレと仲が良かったから嫌がらせとかされると思うけど……大丈夫だからな。俺はずっとお前の味方で居てやる」
「……
あぁ、クソだ。吐き気がするほど性根が腐り切っている。
呪われた子供たちを守ると誓ったくせに。いざとなったら何もしないどころか、目の前の一人を相手に啖呵を切ることすらできない臆病者。
──結局、オレの誓いはその程度だったのだ。
「……ちくしょう」
この日の授業は、何も頭に入らなかった。
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第四話:分岐する未来
『おかけになった電話は、現在使われていないか──』
「クソッ」
放課後になった瞬間全速力で帰宅し、携帯で延珠ちゃんに連絡してみるも……繋がらない。
「……ダメ元で、一応かけてみるか?」
あまり期待せずに、登録された連絡先に電話をしてみるが……やはり繋がらない。そして見切りをつけ、電話を切ろうとした直前。
『……何の用だ』
「──蓮太郎さんっ」
繋がった。繋がった……!
そうして喜び勇んで用件を言おうとした、その時。気付いてしまった。
──オレは、何を言えばいいんだ?
オレが彼女にしてあげられることなんて、何一つ無いのに。
互いに無言の時間が過ぎていき、見かねた蓮太郎さんが会話を切り出してくれた。
『……延珠と話がしたいんだろ?』
「あ、はい。そう、なんですけど……」
『諦めろ。家には帰って来てねぇ』
「……え?」
信じられなかった。あれだけ蓮太郎さんに、好意を寄せていたのに……
でも、今までになく重いその声は……嘘じゃあないんだと、確信させられる。
「じゃあ、蓮太郎さんも……延珠ちゃんが今どこに居るのか、分からないんですか?」
『……あぁ』
「延珠ちゃんが行きそうな場所に、心当たりは……?」
『……あるにはあるが』
「じゃあ、探しに行かないとッ」
『──あぁ、そうだよな。行動しねぇと』
「場所どこですか!? オレも一緒に探します!」
『気持ちだけ受け取っとくよ。行くだけで金も時間もかかる場所だからな』
「……そう、ですか」
やっぱり、オレにできることなんて……
『そんなに落ち込むなって。これでも、お前には感謝してるんだ』
「……お世辞なんて、いりませんよ」
『世辞じゃねぇ。お前が延珠のクラスメイトで、本当に良かった』
「でもオレっ、あの子に何も……! 何もしてあげられなかったんです!」
『そう思うんなら今度さ、一緒に遊んでやってくれ。そうすれば、延珠もきっと元気になる』
「……そんなことで、いいんですか?」
『
「……因果関係が、分かりません」
『分かんなくていい。お前は、そのままでいてくれ』
「むぅ……分かりませんが、蓮太郎さんがそれでいいと言うのなら……」
それから蓮太郎さんは、『延珠を見つけたら連絡する』と言って電話を切った。
*
「……ありがとな、真守」
お世辞だろうとアイツは言ったが……本当に、何度感謝してもしきれない。
真守が電話をくれなかったら、俺はきっと……今も家の中で、何もできずにいた。
携帯に延珠の写真があることを確かめ、制服のまま外に出る。ふと財布の中にいくら残っていたかと思い、所持金を確かめて──
「ハハッ、帰りは徒歩だなこりゃ」
下手をすると小四の真守より貧弱かもしれない少なさに、我が事ながらつい笑ってしまう。これならついて来てもらった方が良かったかもしれない──なんて、脳内で冗談が言える程度の余裕は出てきた。
39区手前まで行く電車に乗り、終点で降りる。後はモノリスを目印に歩くだけだ。
進むにつれて
更に進めば、増えるのは『ただの廃墟』から『壊れた廃墟』に変わっていき──原子力発電所へと変わる。
「……チッ」
周囲の建物がボロボロであるにも関わらず、あからさまに新設されたそれらから読み取れるのは──中央在住の上級国民サマから溢れ出る欲望。現地住民への配慮が欠片も無い、身勝手な心の具現。
気分が悪くなるそれらを極力視界に入れないようにしつつ、最奥部手前まで歩いた。
記憶を頼りにとあるマンホールを探し、目的の物を見つけて蓋を叩く。暫く待つと蓋が持ち上がり、7歳ほどの少女が顔を覗かせた。
「なにー?」
「夜遅くにすまねぇ。人を探しててな……この子に見覚え、あるか?」
「……
──舌足らずな最初の声に反し、やけにハッキリとした口調の否定。まるで誰かに『こう言え』と指示された内容を、そのまま音にしているかのような声。
「一応他の人にも聞いてみたいんだが……大人の人、誰かいねぇか?」
「じゃあ長老になりますので、呼んできますので、中でお待ちくださいですので」
「あぁ」
独特なこの口調が、彼女の素なのだろう。先の疑惑が、より強まった。
言われた通り中に入って待つと……杖の反響音。
現れたのは、初老の男性。個人的には、長老と呼ぶにはまだまだ早いと思った。
「こんばんは。ここで子供たちの面倒を見ている、松崎といいます」
「民警の、里見蓮太郎だ」
名乗られたので、名刺と共に挨拶を返す。
しかし、身なりや体格を見るに……自発的に呪われた子供の世話をしているのか。頭が下がる。
「マリアから聞きました。人を探している、と」
「あぁ。この写真の子を見なかったか? 名前は延珠。藍原延珠」
松崎さんは少し考えた後、首を横に振った。
「残念ですが、知りませんな」
「本当に?」
「えぇ」
「嘘じゃなく?」
「随分と疑われているご様子ですが……知らないものは
「──その発音、マリアって子と全く同じだ」
「それはそうですよ。先程申し上げました通り、ここの子たちは私が面倒を見ています。自然と口調も似るというものです」
……これは手強い。
だが幸い、松崎さんは人格者と見た。彼が保護している間は、延珠も大丈夫だろう。後は何日でも通って、誠意を見せれば引き渡してくれる筈だ。
「そうか、失礼だった。悪い」
「いえいえ、お気になさらず」
「失礼ついでに頼みがあるんだが……」
「なんでしょう?」
「侵食抑制剤3本。コレをアンタに預けておく。延珠を見つけたら渡しておいて欲しい」
「……分かりました」
「あともう一つ。『真守もお前を心配してる』と、伝言を──」
「──本当か?」
「……延珠」
背後からの声に、振り返る。
あぁ、良かった。やっぱりここに居た。幻聴じゃなかった。
「真守も妾を心配しているというのは……本当なのか、蓮太郎……?」
「嘘じゃねぇよ」
「……本当の、ほんとうに? 真守は妾を……ガストレアだと、言ってはおらぬのだな?」
「あぁ。アイツが『遊び相手=ガストレア』と認識してる気狂いじゃなければな」
「じゃあ、妾はまた……真守と遊んでいいのだな?」
「あぁ」
それを聞いた延珠は、真っ赤な目をグシグシと拭いて──笑った。
「世話になったな長老! 妾はもう大丈夫だ!」
「……あぁ、それは良かった」
「松崎さん、何か困ったことがあったら名刺の連絡先に一報くれよな。力になるぜ」
「ふふ、ありがとうございます」
そうして俺達は、笑い合って別れを告げた。
マンホールから出て、約束通り真守に連絡をしよう──と思い立ったところで、今が深夜だったことに気付く。
「……メールでいいか?」
「いや、妾が明日直接電話する!」
「そうか。その方が良いよな」
──この時の選択を、俺は一生後悔することになる。
──里見蓮太郎により√N:『兎の安楽死』が棄却されました。√Hに分岐します。
現在√Hを進行中──世界線識別名称『■■■■■■』は現在表示不能──
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第五話:『同じ』という呪い
「むにゃ……ふふ……れんたろー……」
「……よく寝てるな」
優等生の延珠にしては珍しく、学校へ行く時間になっても目覚める気配がない。昨日……というか今日は深夜まで起きていたのだから、無理もない話だが。
「……俺も、今日は久しぶりにサボるか」
最近は真面目に学校へ通っていたのだが、延珠が目覚めた時に俺が居ないのでは悲しいだろう。そう思い、朝食の追加メニューを作りながら延珠の起床を待っていると……
「──なっ、もうこんな時間か!? 何故起こしてくれなかったのだ蓮太郎! というかお主も授業はいいのか!?」
「おはよう延珠。朝メシできてるぞー」
「おぉ、今日は随分と豪勢な──って違う! 何を堂々とサボっているのだお主は!?」
「俺だけ学校に行くのも悪いと思ってな」
「……いや、妾も登校するぞ」
ギョッとして、延珠の目を見る。
……本気だ。延珠は本当に、自分が呪われた子供であると知れたクラスに戻る気でいる。
「大丈夫、なのか?」
「……みんな、悪い奴ではないのだ。話せばきっと、分かり合える」
俺はそれを『楽観』だと、『皆が皆、真守のようにはいかない』と、そう言って止めるべきなのだろう。
だが、それでいいのか? この腐った世界で生き続ける限り、この問題からは逃れられない。その問題に自分から立ち向かおうとする彼女を、本当に止めるべきなのか?
「……あぁ、そうだな。頑張れよ、延珠」
「うむ!」
結局俺は、延珠を送り出した。
不安と心配で胸が一杯だったが、真守がいるなら最悪の事態だけは避けられるだろうと──そう思って、送り出した。
その結果……
*
「みんな、おはようなのだ!!」
『…………』
昼休みの時間。『いつも』のように、4年3組の扉を開けて挨拶をする。だけどクラスの反応は、当然ながら『普段通り』とはいかない。
地獄のような静寂と、冷たい目。解っていた拒絶であっても、やはり辛い。
──だけど大丈夫。そんな中にあっても、己の味方となってくれる者が居る。それを知っているから、耐えられる。
「……お前、よくここに顔を出せたな」
「皆ともう一度、友達になりたくてだな──っ」
前田はズンズンとこちらに迫って来て、思いっ切り妾の頬を殴った。
骨を折り、肉を抉るガストレアの攻撃に比べればなんてことはないが……肉体よりも、心が痛い。親指を握り込んで殴っていたから、きっと前田は今ので、指の骨が折れている。
「……保険室に、行った方がいい」
「余計なお世話だクソ野郎……! 今すぐ出ていけッ、真守と舞が戻ってくる前に……!」
「二人に何かあったのか!?」
「しらばっくれやがって……!」
慌ててクラス内を見渡すが、確かに二人の姿がない。
──猛烈に、嫌な予感がする。『ここに居てはいけない』と、本能が今更ながらに警鐘を鳴らしている。
「アイツらの両親が……! 昨日仕事中に、
「……ぇ」
殺された? 真守の家族が、自分と同じイニシエーターに?
『呪われた子供がやったんだ』
『お前達がやったんだ』
『だから、お前が殺した』
「ちっ、違う。妾じゃない」
でも、真守はそう納得してくれるのか?
これを機に、このクラスメイト達と同じになるのではないか?
『何も違わない』
『お前も、他の呪われた子供も』
『真守も舞も、俺達も』
『同じだ』
────逃げた。
赤い目を晒すことも厭わず、全力でアパートまで逃げ帰った。
「うっ、クッ……! ぅああぁあ……!!」
帰って、布団を被って、思いっきり泣いた。声を殺すためというよりも、何も視界に入れないために。
──でないと、何もかも壊してしまいそうだったから。
「──延珠、大丈夫かっ延珠!!」
「れんたろぉぉぉ」
担任から連絡が行ったのだろう。蓮太郎もすぐに帰ってきた。
抱きつくと、優しく背中をさすってくれる。
「どうした、何があった?」
「まもるのっ、舞ちゃんの、両親が……!」
学校で聞いたことを話すと、蓮太郎も顔を歪めた。
「そんな……どうしてそんなことが起こるんだよ……! チクショウ……ッ!」
そうして二人で泣いて、泣いて──蓮太郎はハッとした顔で、携帯を取り出した。
『里見くん、どうしたの? ケースの件?』
「いや、直接関係のある話じゃないんだけどよ……社長には、今回の作戦に参加してる民警の名簿が渡されてる筈だ。その中に、
『ちょっと待ってね、今確認するから──うん、
「その二人の名前って、もしかして……」
真守はよく、家族の話をしていた。名前も何度か聞いたことがある。特に彼と同じ『守護』の文字が含まれている、父のことは。
『……そうよ。知り合い?』
「……知り合いの、両親だ」
『……そう』
電話を切った蓮太郎は目を閉じて、深呼吸を数回した後──ドス黒い目で妾を見て、言った。
「アイツの両親を殺したのは、蛭子小比奈だ」
「そうか。あやつか」
──きっと妾も、同じ目をしている。
「次に会うのが、たのしみだ」
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第六話:兄妹喧嘩
「……おい、舞。昨日から何も食ってねえだろ? 扉の前にお
相変わらず、返事はない。たまに物音が聞こえるし、玄関に靴もあるから、気付かない内に外へ出ていたということはない筈なのだが。
「……はぁ」
二日前に親友が失踪して、その翌日に両親の
俺達は近い内に、
「……民警には、なれねぇなぁ」
叔父は、前田と同じタイプだ。良い人だけど、差別主義者。父さんが民警をやること自体は否定しなかったけど、会う度に『イニシエーターが妙な動きをしたら、ちゃんと迷わず撃つんだぞ』と言っていたことを覚えている。
実際父がイニシエーターに殺された以上……忘れ形見であるオレを、意地でも民警にはしない。そういう人だ。
「……着信なし。メールもなし」
あれから、蓮太郎さんからの連絡は無い。延珠ちゃんは、まだ見つからないのだ。
「嫌なことばっかりだよ……クソッたれ」
もう何もしたくない。眠りに落ちて、幸せだった頃の夢を見ていたい。
だけど、今オレが全てを放棄したら舞まで死ぬ。冗談抜きで、自殺しかねない。だって、オレも包丁握って数分呆けてたから。暫く包丁を使った料理は封印だ。
……思考が逸れているぞ。やるべきことを考えるんだ、神崎真守。
「学校は……」
義務教育なので、授業は受けねばならない。一度行かなくなると、戻るキッカケが失われて二度と行けなくなるだろうと考えると……今日も一応、行った方が良い。
……行った方が良い、が。
「行かなくていいわな……」
こちとら民警の座学免除試験対策完備済みじゃい! 国語と英語と理科と社会は小学校の問題どころか中学校の問題まで解けるわヴァカめ!! 算数? 知らんな……
まぁそういう訳で、勉強なら大体オレでも舞に教えられる。そこは大丈夫だ。
「じゃあ、オレは何やればいいんだ……?」
…………そうだ、延珠ちゃんを探そう。
そうして重い足を引き摺って、玄関まで歩く。
……どうしてこんなに、足が重いんだ?
「……あぁ、舞をひとりに……しちゃダメだもんな……」
妹の居る二階に戻って、声をかけてから行こう。
いつもよりやたら高く感じる段差を乗り越え、ノックを三回。
「舞──」
『うるさい! 一人にしてよ!!』
…………返事が返ってきただけ、良しとしよう。
「……おう。ちょうど、家出るとこだったんだ……延珠ちゃんを、探しに行ってくる」
『──ッ、こんな時でも
「……ぁ゛?」
悲しくないワケがない。辛くて苦しくて、今にも倒れそうだってのに。
それでも、お前には元気を出して欲しくて。あの子が見つかれば、喜んでくれると思って、
そんな心は一切口から出ないのに、咄嗟に出るのは自分でも驚くほどの、負の感情に満ちた声。
『だってそうでしょ!? 他人に構ってる余裕があるんだから!!』
「……じゃあなんだ、オレもお前みたいに引き籠もれば満足か?」
あぁ、止めろ。解ってるだろう。舞だって、喧嘩がしたいワケじゃない。苦しいんだ。
『何その言い方! 私だって好きでこうしてるワケじゃないのに!』
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。オレだって、本当はテメェのメシなんて作ってやる余裕ねえのに」
『別に頼んでないでしょ恩着せがましい!!』
止めろ。止めろ……!
早く謝るんだ。兄として、引き返せなくなる前に……!
「あぁそうかよ! もうお前なんか知らねぇっ、そこで勝手に飢えて死んどけクソが!!」
『──っっっ、二度と帰って来んな薄情者!!!』
熱に浮かされるまま、玄関に置いていた鞄を持って家出する。
ほんの少しだけ残っていた、役立たずの冷静な部分が──妹の泣く声を捉えていた。
『ごめんっ、行かないで! 私が悪かったから!! ひとりにしないで! ねぇっ、ヤダ!! 帰って来てよお兄ちゃ──』
謝ることもできないクソガキのオレは、それを無視して走った。声が聞こえなくなるまで走った。
「〜〜っ、うあぁあ゛あ゛あ゛……!」
走り疲れて、泣いて、呼吸ができない中……自分の爪で全身を掻き切っていく。
「バッカ野郎……! このゴミクソッ! 死んどきゃいいのは
言葉を発するのも苦しい。いろんなとこが痛い。でもそれ以上に、自己嫌悪で潰れそうで。回らない頭が、自分を傷付けないとやってられないと叫んでいて。
「──ェホッ、ゲホッ」
胃が痙攣して、フラフラしながら倒れて、吐き戻した。
黄色い液体と、血の混じった唾しかなかった。胃酸で喉も焼かれて痛い。そういえばオレも食ってないんだった。
「……ぁあ、ヤベ……死ぬかも……」
それでいいのかもしれない。こんなオレには似合いの末路──
「ところがどっこいそうは問屋が卸さないってね。
──まぁボク、問屋じゃなくて『情報屋』なんだけどさ」
薄れ行く意識の中で、知っている声が聞こえた気がした。
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間話:You can (not) evolution
「──倒したぞ蓮太郎! 妾たちが一番乗りだ」
「無茶しやがって……でも、よくやったな」
「うむ!」
これは、真守が倒れた日のこと。
彼がそんな状態になっているとは
ケースを取り込んだ
その後遅れて蓮太郎も地上に急行。突風で危うく転落死するところであったが、なんとか着地を成功させて延珠と合流し、今に至る。
「いたた……」
「大丈夫か?」
「左足を少し捻ったみたいだ。一時間もすれば治ると思うが……」
「……今蛭子親子に遭遇したらマズいな。さっさとケースを回収して撤退しよう」
「うむ」
そして蓮太郎は、ガストレアの体に癒着したケースを引き抜いて──
「ヒヒ、ご苦労だったね里見くん」
「なっ」
振り向きざまに拳銃を抜くが、影胤の方が早かった。
蓮太郎は顔面を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。拳銃の照準を合わせようとするも、すぐさま投げられ木の幹に衝突。ダメージで視界が暗転し、意識が飛びかける。
(樹海で視界が悪いとは言え、こんな近くに居て気付かねぇなんて……!)
雨の音で気配が読み難かったこともあるが、それ以上に影胤の潜伏技能が高過ぎた。
「蓮太郎ッ!」
「──ミツケタッ」
延珠は蓮太郎の援護に回ろうとするが、小比奈の参戦により断念。彼女の討伐に専念することにした。
「小ぉ比奈ぁぁぁ!!!」
「イイね、斬り合お!!」
二人が激突し、生木が轟音を立てて倒壊する。近接特化のトップイニシエーターが繰り広げる戦闘の余波に、周囲が耐えられていない。
「……おや。今日は随分と、そちらも乗り気みたいだね」
「事情があってな……こうなったら相棒がとことん
「──ほう? あの時本気じゃなかったのはお互い様だったワケだ」
「そういうことだ──行くぜ」
蓮太郎はジェラルミンケースを放り投げ、影胤に肉薄。地を踏みしめ丹田に力を込める。
天童式戦闘術一の型八番
「
「イマジナリー・ギミックッ!」
渾身のストレートが
「
「なっ!?」
蓮太郎の腕に亀裂が走り、人工皮膚が
文字通りの爆速で進む拳はバリアを貫通し、影胤の顔面へ突き刺さった。
「ゴブふっ、フヒヒ! バラニウムの義腕……まさか本当に同類だったとはっ!」
「改めて名乗るぜ、影胤。元陸上自衛隊東部方面第七八七機械化特殊部隊 『新人類創造計画』 里見蓮太郎だ」
名乗りと共に百載無窮の構えを取り、義眼も解放。木更すら一度しか見たことがない、蓮太郎の本気。
それを見て、延珠はポツリと呟く。
「……すまぬな蓮太郎。個人兵装はもう二度と使わないって、言ってたのに……」
「私の前で余所見ッ!?」
小比奈は容赦なく、ガラ空きの首筋へ双剣を振るい──空振り。彼女の視界から延珠が消える。
「え?」
「こっちだノロマ」
超速で小比奈の背後に回っていた延珠は、驚いた顔で振り向いた彼女の顔面を蹴り飛ばした。
(……首の回転で、威力を殺されたな)
(今の、何? いくらなんでも速すぎる……!)
その後も小比奈の双剣は擦りもせず、延珠の蹴りは命中し続けた。
「ナニソレナニソレ! 凄いや延珠ッ! ソレどうやってるの!?」
「……さて、な。妾にも分からぬ」
不思議な万能感が、延珠を包んでいた。対峙する小比奈は、その覇気から
本来拮抗した実力を持つ二人の戦いは、不可解なことに一方的だった。それも、元から負傷していた延珠の勝勢という形で。
ボロボロになりながら壮絶に笑う小比奈を、延珠は冷たい目で蹴り続け──遂に、小比奈は膝を突いた。
「あれ? 足、動かないや……」
「……最後に聞かせろ、小比奈」
真っ赤な眼を紅蓮に燃やし、彼女は問う。
「神崎大護、神崎
「潰したアリのことなんて一々覚えてないけど……『カンザキさん』って呼ばれてた女に、『ダイゴさん』って呼ばれてたヤツがいたのは……たまたまだけど、覚えてたよ」
「……最後に何を言っていたか、覚えておるか?」
「なんだったかなぁ。忘れちゃった。覚えてるのは、女のプロモーターがそこそこ良い腕してたのに、雑魚で役立たずのイニシエーターを庇って犬死にしたってことくらいだよ。笑えるよね」
「……そうか。分かった。もういい」
そして延珠の踵落としが、小比奈の頭蓋を叩き割ろうとしたその時──延珠は突然飛び退いた。次の瞬間地面が弾け、同時に銃声が鳴り響く。
「ヒヒ、危ない危ない」
「──蓮太郎ッ!」
影胤の姿を見た彼女は、相棒の安否を確認すべく視線を巡らせる。すると……一枚岩に背を預け、座り込む形で気絶している彼の姿があった。
救出するには、影胤を突破して行かなければならないが……
(大丈夫だ、勝てる。『今の妾』なら……!)
そうして彼女は足に力を込め──激痛。
「〜〜〜ッッ!?」
(足を酷使し過ぎた……! 怪我が、悪化して……!)
延珠のコンディションが、急速に落ち込んでいく。先程までの万能感が、消えていく。
しかしそれを悟られぬよう、彼女はいつでも飛び出せるような体勢で影胤を睨んだ。
「さて。取り引きをしないか、レディ?」
「……取り引き? 妾とお主がか?」
意外な言葉に、延珠は思わず聞き返した。
「そうだ。私は里見くんに勝ち、キミは小比奈に勝った。今から勝者同士でやり合ってもいいが……敗者はどちらも重傷だ。すぐに治療が必要だろう。そこでだ」
「……互いに今は退こう、と?」
「その通り。悪い話ではないと思うがね?」
「……分かった。交渉成立だ」
延珠は蓮太郎を背負い──影胤の手に渡ったケースを見て唇を噛んだ。
「ヒヒ、
(……バレていた、か)
つまり実質、蓮太郎共々見逃されたということになる。
「くそぅ……すまぬ真守……二人の仇、取れなかったのだ……」
痛む足に鞭を打ち、彼女も急ぎ帰路に着いた。
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第七話:『情報屋』
柔らかい感触と、身体を包む温もり。小さな違和感。
薬の匂いに、静かな電子音。……ここは、家じゃない。どこだ。
目を開くと、白い天井。どうやらオレは、病室に寝かされていたらしい。
「調子はどうかな? 真守くん」
「……最悪よりはマシってとこです」
「ハハッ、なら良しとしよう」
……なるほど、この人の
相変わらず、声色や仕草に反して目が死んでいて不気味だ……しかし何より不気味な点は、そこじゃない。
「オレが今日、あなたに会いに行こうとすることも……知ってたんですか?」
「ただの予測だよ」
……つまり、知っていたと。
情報屋を営み『何でも知ってる不思議な人間』を自称する、フィクションから飛び出してきたようなこの存在は……本当に、『何でも』が誇張じゃない知識を持っている。
「そして一つ訂正しておくと、もう一日経ってるから、昨日のことさ」
「マジか……帰らないと……」
一日経ったからなのか、自己申告通り気分もマシになっている。これ以上舞に心配をかけてまで、意地を張る気はない。
──なのに、
「それはオススメしないよ」
「……どうしてですか」
「だって、今日は世界が終わる日だからね」
「は?」
まるで『その商品、隣の店で買う方が安いよ』とでも言うような気軽さで、何を言っているのかこの人は。
「『ステージⅤが来る』と言えば、キミなら分かるだろう?」
「いや、分かりませんよ……なんでゾディアックが来るんですか」
「分かってるじゃないか。ステージⅤが何なのか」
モノリスの結界を無力化する、超巨大な11体のガストレア。内2体は討伐済みという話だが、残りを討伐する目処は立っていない。現れた時点でゲームオーバーの、大災害だ。
それがどうして東京エリアに向かって来るのか……気にはなるが、聞いても答えてくれないのなら構わない。
……というか、所在不明である筈のゾディアックを、どうやって捕捉したんだこの人。そっちの方が気になる。どうせそれも教えてはくれないだろうから、聞きはしないけども。
「……じゃあ尚更、家に帰ります。妹と一緒に、叔父の居る仙台エリアにでも向かいますよ」
「へぇ? 妹以外は何人死んでもいいと」
「オレに何ができるって言うんですか。オレには、ステージⅤを止める力なんてありません」
「無力な少年だからこそ、できることもある」
言葉と共に、寝台へ小さな箱が置かれる。
開封を促され、中身を見ると──
「デザート、イーグル?」
ハンドガンの中では最強格の火力を誇る銃であり、総じて硬いガストレアを倒すことを目的とした民警には人気の銃だ。父も使っていて、
「いや、いやいやいや。まさかコレでステージⅤを撃てと? ライオンに鼻糞投げるのと何も変わりませんって」
「ハハハ、そんなこと言わないさ。キミが撃つべきものの名は──蛭子小比奈」
──女性名。
「オレは人間を撃つ気はありません。それが呪われた子供であっても、です」
「
「…………詳しく、聞かせてください」
心が黒く染まっていく。
延珠ちゃんの情報をバラし、父さんと母さんを殺した相手が同一人物だったなら──
「……とまぁ、伝えるべき情報はこんなところかな」
「そうですか。じゃあ、行ってきます」
銃を手に取り、寝台を降りる。
病室の出口前には、二つの鞄が置かれていた。右には普段使っている見慣れた鞄。左には、あからさまに新品な迷彩柄の鞄。
「家に帰るなら、右だよ」
「ハッ、今更何を」
左の鞄を開き、ホルスターとウエストポーチの付いたベルトを取り出して装備。サイレンサーを銃に取り付けホルスターに収納。
「点滴は打ったけど、キミのお腹はカラッポだ。水筒の中にヨーグルトを入れてあるから、まずはそれを飲むこと」
言われた通り口に流し込むと、果物の甘み。バナナが入っているらしい。バナナもヨーグルト同様栄養バランスに優れた『完全食』と呼ばれるものかつ、消化吸収の良い最強の組み合わせだ。
「……何から何まで、ありがとうございます。そっちの鞄にオレの有り金全部入れて来てたんで──」
「情報代の子供料金1000円だけ貰っておくよ。他経費は全てサービスだとも」
「取っといてください。預金含めて20万円はあった筈ですから、銃の料金を含めても足りる筈です。あっ、引き出しに必要なパスは──」
「だから、いらないってば」
「……妹のことを頼みたいんです。叔父が保護してくれるまで、見ててください。その分の料金も含まれてます」
「うーん。いいけどボク、舞ちゃんと叔父さんに殺されないかい?」
「これだけオレを死地に送るお膳立てをしておいて、妹には何もなしですか?」
「それを言われると痛いねぇ。うん分かった。情報屋の業務内容じゃないから、割り増し料金1500円で引き受けよう」
「……じゃあそれで」
今度こそ、扉を開く。
「さようなら、グークルさん」
「また会おうぜ、真守くん」
……『また』 か。
きっとオレは死ぬだろう。確実と言っていいほどに、生きて帰れる望みはない。
だけど、『何でも知ってる』あの人が『また』と言うのなら。オレは──
*
氏名:神崎 真守 性別:男 生年月日:令和3年4月20日
死亡したとき:令和13年5月3日 午後9時30分前後
死亡したところ:未踏査領域元千葉県房総半島付近
死亡の原因:複数のガストレアによる捕食
上記の通り診断する医師:室戸 菫
2036年5月4日、5年の保存期間が経過したため『神崎真守』は戸籍から完全に抹消された。
原作では影胤との初戦闘が2031/4/28(月)となっていますが、翌日学校&防衛省、その翌日が休日となると、おそらく該当するのは昭和の日(4/29)なので……4/28は誤字であり、原作の初戦闘の日付けは本来4/27であったという設定にしております。
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第八話:未踏査領域にて
「どうも、初めまして。突然ですがアナタ、民警ですよね」
防衛省近くに居た、民警らしき男性に声をかける。すると男性は、不機嫌そうにこちらを睨んだ。
「あぁ? なんだよガキ。民警とお巡りさんは違ぇぞ。今立て込んでるからよぉ、道に迷ったんなら──」
「蛭子親子の件で、話が」
「──っ!? テメェ、どこでその名を」
一発目でアタリだ。運がいい。
「どこでもいいでしょう? それよりも……未踏査領域に行くのなら、少しでも生き残る可能性を上げたいですよね?」
「……とりあえず聞いてやるが、ふざけた話だったら殺す」
「結構です。では早速本題なんですが──今回の作戦に、オレを同行させてほしいんです」
「……ふざけた話なら殺すと言ったよな? お荷物はいらねぇ」
「足手纏いにはなりませんよ。今ここで証明してみせましょうか」
デザートイーグルを抜いて、50mほど先にある木を指差す。
「右側の枝を一つ撃ち落とします」
両手でしっかり持ち、反動に耐えるよう足を広げて構える。
狙いを定め、引き金を引き──命中。反応は……?
「おいおいそれ実銃だったのかよ。なんでそんなモン持ってんだ……」
「それもどうだっていいことでしょう? それで、どうなんです。まだオレの腕は信用できませんか?」
「……静止状態とは言え、この距離で目標に当てられるなら……射撃の腕が高いことは認める。だが……」
「足手纏いと思ったなら、途中で囮にしても構いませんよ」
「──へぇ?」
ガストレアは賢い。獲物を狩るなら、確実に食える奴にする。
完全武装した大人と、貧弱装備の子供なら……どちらがそれに該当するかは言うまでもない。生き餌があれば、生存率は上がる。
「テメェから提案してきたんだ。今更吐いた唾は飲めねぇぞ?」
「同行させてくれるのなら、構いません」
「いいだろう。連れて行ってやる」
──こうしてオレは、未踏査領域へ向かうヘリに密航することに成功した。
担当区域に到着すると、街頭の無い本物の夜がオレ達を出迎える。昨日の雨で濡れた土の臭いが鼻を突き、異様な静けさは『あぁ、来てしまった』という後悔を掻き立てる。
「……この付近には居ねぇ。場所を移すぞ」
「え、あっ、あの……この付近を探すように、言われてました、よね……?」
「うるせぇ。黙ってついてこい」
「ひっ、すみません……」
……やはり、蓮太郎さんのような……イニシエーターを家族のように扱う人は早々いないか。
移動しながら、小声で少し解説してあげる。
「ぬかるんだ土ってさ、歩くたびに足が取られて嫌だよね。キミもそう思わない?」
「……え、え? もしかして、私に話しかけてくれてます?」
「うん、ちょっとした雑談がしたくなってね。嫌だった?」
「ヤじゃないです、ハイ!」
「オーケーありがとう。でも声は控えめにね?」
「ぁ、ごめんなさい……」
「そんなに落ち込むほどのことじゃないよ、大丈夫」
言葉を発する度に文字通り目を光らせて喜んだり、分かりやすくシュンとしたり……余程会話に飢えていたのか。
「声を潜めないといけないのは確かだけど、この付近ではあまり気にしなくていいかな」
「どうしてですか?」
「それはねぇ、さっきの話の続きに答えがあるんだ。
ぬかるんだ土は足を取られるだけじゃなくて、ヌチョヌチョって音もするでしょ? 敵も条件は同じだから、迂闊に歩くことすらできないんだよ。『儀式』がどういうものなのかは知らないけれど、何かしらの行動を取る必要があるなら、ここは潜伏に向いてない」
「な、なるほど……」
「──だが、俺達民警軍団の接近を察知しやすいのは事実だろう? 儀式が動きを必要としない行為であれば、潜伏に向いていることになる」
おっ、なんだ? 試されているのか?
「ただでさえ気温が低いのに、周囲の濡れたものは体温を容赦なく奪います。この点も長期の潜伏に向いていない要素の一つです」
「テント一つで解決できる問題だな。ビニールシートでもいい」
「冗談でしょう? そんなもの使ったら、見つけてくださいと言ってるようなものじゃないですか」
「なら、ガストレアはどうだ? 奴らは何処にでも潜んでいるぞ」
「それも考えにくいですね。まず足音がしない。地上を動く動物は居ません」
「なら鳥は?」
「虫の声も聞こえないので、虫を食べる小鳥は居ません。ということは小鳥を食べる大型の鳥も居ない。居ても羽ばたく音が聞こえます。怖いのはフクロウくらいです。ですが奴らの目は赤く発光しますので、少なくとも近くには居ないと考えていいでしょう」
「……合格だ」
「お、おぉ……! 私と同じくらいなのに、すごく頭がいいんですねマモルくんは……!」
「……勉強は、頑張ったからね。ありがとう」
尊敬の眼差しが痛い。個人的に『謙遜は嫌味』だと思うタイプの人間だから、素直に感謝するけれど……勉強だけできたって、オレなんて……まだまだ未熟だ。
「……言っておくが、地中からガストレアが出ることだってあるんだぞ。警戒は必要だ」
「えっ」「あっ」
完全に盲点だった。やはり未熟……
「……気をつけます」
「ふん、それでいい」
「ぁ、あまり落ち込まないでください。私だって言われるまで気付いていませんでしたから……!」
「……うん、ありがとう」
──これが天使か。
ハッ、いかんいかん。オレには延珠ちゃんがいるんだ……!
という冗談はさておき、このペアとも少しは打ち解けられてきたところで──アスファルトが見えた。
「……こっから、無駄話は一切無しだ。いいな?」
「承知」「はい……!」
三人で背中合わせの陣形を取り、死角を潰しながらゆっくり進む。
「……止まれ。ガストレアだ」
「……何も見えませんが」
「奴も俺達に気付いて、目を閉じたんだ。耳を澄ませ。逃げてくれるならいいが……近付いてくるなら、迎撃する必要がある」
言われて、集中する。
──物音と、一瞬の発光。
「……近付いてきてます」
「戦闘体勢に入れ」
ジリジリと敵が近付いて来ることで、呼吸が荒くなり、手が震える。
「実戦は初みたいだな」
「……恥ずかしながら」
「今回の迎撃はお前に任せようと思ってたんだが……俺がやってもいいぞ。どうする?」
「足手纏いにはなりませんよ。囮に使われたくはないので──ねッ」
赤い光が見えた瞬間発砲。
──重いモノが落ちる音がした。
「……やったか?」
暫く警戒するが、物音は聞こえない。
「……大丈夫そう、ですね」
「よかった……」
そうしてオレ達が、一息ついたところで──ライトを浴びせられる。
全員で武器を取り、そちらを向くと──
「ぐぉっ!?」
「きゃあっ!?」
背後から奇襲。一瞬で、オレ以外の二人が倒れていた。オレ自身も、何かで両腕を後ろ手に縛られる。しかも銃を落としてしまった。
「くそっ……!」
緩い感触に反して、全く取れない。粘着質で、もがくほど絡まっていく。
「何しやがるテメェら! 同じ民警だろ!?」
「黙れ」
「ひっ!?」
『ドゴッ』という重低音が響く。どうやら蹴られたらしい。
「ハイアンタ、ちょっと顔見せてね〜
……うわ、ホントに男の子じゃん」
「だったら何だ……!」
「分かんない?
「……え?」
予想外な言葉に、間抜けな声が漏れた。
「何が『同じ民警』だよクソファッキン。銃声がしたから来てみれば、男のガキを連れてるたぁどういう了見だ?」
……あ、これ二人がキツめに拘束されてんのオレのせいだ。
そう気付いたところで『オレが連れてって欲しいと頼んだ』と言ったら、再び重低音。
「えっ」
「オイ、今何でもう一回蹴りやがった……!?」
「責任逃れできるように脅迫までしてるとはな……テメェみたいな人間のクズがいるから、民警はいつまで経っても嫌われ者なんだ」
「あっ、あの……すみません、本当にオレから頼んだんですけど……」
「大丈夫。大丈夫よ。もう無理しなくていいから、ね? アンタは私と兄貴が、ちゃんと守ってあげるから」
イニシエーターの子が、慈愛に溢れた声で安心させようとしてくる。うわぁ、すっごく申し訳ない。
この状況、ホントにどうしよう……
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未踏査領域にて(2)
「……じゃあ、何か。お前は本当に、自分の意思でここに居る……と?」
「えぇ、はい」
「どうしてそんなバカなことを……」
どうにかこうにか根強く説明することで、ようやくオレは誤解を解くことに成功した。続けて、オレがここに来た経緯を説明する。
「だって今日は、世界が終わる日ですから。何もしないでじっと待つなんて、できませんよ」
「バカだなボーイ。どこでそれを知ったのか知らんが……そういうのは、オレっちみたいな大人に任せときゃいいんだ」
「じゃあそこの妹さんはどうなんです?」
「…………」
「私はいいのよ。戦う力があるんだから」
お兄さん自身は、本音を言えば『妹を戦わせたくない』という反応だった。しかし妹さんの方は、自らの強い意思で戦場に立っているらしい。
──なんとなく、この娘は延珠ちゃんと気が合いそうだなと思った。
「オレだって戦えます。実際、さっきガストレアを仕留めたのはオレですし」
「アンタねぇ……」
「いいから帰んな。今ヘリを呼んでやるから、ここで大人しく──」
──それはダメだ。オレはまだ帰れない……!
「友達がここで戦ってるんです!」
「……何?」
「『何かあったら守ってあげる』って、約束したんですよ……! なのにオレは、助けてあげられなかった! 守れなかった! それどころか、知らないところで助けられてた……! 守られてたのは、オレの方だったッ」
「お前……」
「なのにあの娘はっ、学校から追い出された……! 助けた相手に裏切られて、その直後に今こうして殺し合いをさせられてる!」
どうして、延珠ちゃんばかりがこうも苦難にぶち当たる。
「おかしいだろ!? みんな頭がどうかしてるッ! 救われるべきは、一番助けが必要なのは──ッ」
「もういい、黙れ」
「黙らない! オレに戦わせろッ、守らなきゃいけないんだ。オレが、この手で──!」
「分かった、分かったから! お前の気持ちは充分伝わったから! 少し静かにしろ……! 夜行性のガストレアが起きちまう……!」
「……ぁ」
すっかり熱くなって、とんでもない愚行をしていた。自覚すると同時に、血の気が引いていく。
「頭は冷えたみてぇだなボーイ」
「あ、ぁ……ごめんなさ──」
「怒ってねぇよ。幸い、今ので起きた奴はいないっぽいからな」
良かった……
深く溜め息を吐き、身体の緊張を
「……
「ちょっ、まさか兄貴……コイツ連れてく気?」
「男には、退けねえ状況ってのがあんだよ。コイツにとっちゃあ、今がそうだ」
「〜〜〜っ。兄貴のそういうとこ嫌いじゃないけどさ……どうなっても知らないからね?」
手首に絡まっていた糸が、一瞬で千切れたのが分かる。凄まじい力だ……流石はイニシエーター。
「さて、そういえば自己紹介がまだだったな。
オレっちは
「モデルスパイダー、片桐弓月よ。IP序列は1850位」
「せっ!?」
驚愕でまたうっかり出た大声を、自由になった両手で慌てて塞ぐ。
だが仕方ないだろう。約24万ペア存在する民警の中で千番台と言えば、余裕で上位コンマパーセントに入る超エリートだ。今まで顔を合わせた中で一番高い。オレを密航させてくれたペアも、序列1万と5千台の上位陣だったが……これならば、先の圧倒も不思議じゃない。
「フン、驚くことじゃないでしょ。蛭子ペアはもっと上なんだから」
「えっ、そうなの?」
「……そこは知らなかったのね。奴らの序列は134位よ」
「百、番台……? う、嘘でしょ? だって
そこまで言って、自分で気付く。
「世界が終わるって時に、そんなの言ってらんないでしょ。ここにアンタが来た理由だって、そうだったじゃない」
そうだ、オレの私情なんて関係ない。今はゾディアックが出るかどうかの瀬戸際。政府が少しでも頭数を確保するべく、広範囲に募集をかけることは想像に難くない──と、そこまで考えたところで
──周囲が赤い光で満たされる。
「いっ、嫌ぁああああ!!!
「ちょっ、言われなくても取ったげるから暴れないでよ! 解きにくくなるでしょう!?」
一瞬で、イニシエーターの二人はパニックになった。弓月ちゃんもだ。表情には不安が滲み出ていたし、拘束されたままだったペアを解放する手付きが、小刻みに震えていた。
「ねっ、ねぇ。どうしよう兄貴──」
「まぁまぁ、そう焦んなよマイスウィートシスター」
「分かってるけど……!」
そう言って、彼女はオレを見た。
──まぁ、そうだよな。
「弓月ちゃん、玉樹さんを背負って逃げてくれないかな」
「えっ……?」
「分かってるよ。オレが足手纏いだってことくらい」
「笑えねぇジョークだなボーイ。そして侮辱だ──オレっちと弓月なら、たった三人ぽっち守りながらの行軍程度ワケねぇんだよ」
ナックルダスターと拳銃を掲げ、玉樹さんはニヤリと笑ってみせるが……オレを安心させるための強がりだ。弓月ちゃんは遅れてその意図に気付き、胸を張った。
「そうね! 私と兄貴が、三人纏めて面倒見てあげるわよ!」
「……
「何言ってんの、そんな諦めた顔しないで──」
「周囲の大合唱。コレ全部、仲間を呼ぶ交信だよ?」
「──っ!?」
弓月ちゃんがギョッとした顔で玉樹さんを見る。彼は苦虫を噛み潰したような顔で『だろうな』と言った。
「現状の数だけでもマズいのに、そんな……!」
「フェロモンを使った無音の招集もされてるだろうな。足手纏いを庇う余裕なんてねぇ」
「……テメェ、何が言いたい」
「──コイツをここに置いて行こう。何割かはコッチに残る筈だ」
聞き終わるや否や、玉樹さんは彼を殴り飛ばした。
「じゃあテメェが残れよ、ゴミクズ」
「止めてください玉樹さん。元々そういう約束で連れて来て貰ったんです」
「だからってなぁ……!」
「……もう時間がねぇぞ。早く移動しないと囲まれて全滅だ」
「──チッ、分かってんだよクソファッキン! 行くぞ!」
玉樹さんの号令で、弓月ちゃんはオレを抱えて走った。他の皆は自力で走ってるのに、オレだけが文字通りの荷物だった。
「弓月ちゃん、もういい。放して」
「嫌よ。死ぬ気でしょアンタ」
「このまま逃げても死ぬよ。その場合は、オレ以外も」
「死なないわ。死なせない」
「最大戦力のキミが、両腕を封じられた状態で?」
「えぇ、朝飯前よ!」
……あぁ、本当は分かっている。彼女だって。
「じゃあ言い方を変えようか──」
オレを背負う手に、万力のような力が入った。痛い。ひたすらに痛い。痣とか結構慣れっこだけど、そんなもんじゃない。
「──
「それ以上バカなこと言うと、ホントに折るからね」
「構わない。構わないから……! 一つだけ、約束して」
「……何?」
「藍原延珠っていう、赤髪ツインテールの子を見つけたら……助けてあげて」
「……嫌よ。自分で助けてあげなさい」
「厳しいなぁ──」
コウモリのガストレアが、左右から同時に4体出現。片桐ペアは玉樹さんが2体、残りはもう一組のペアがそれぞれ仕留めていた。
「……仕掛けてきたよ。怪我をする前に、意地は捨てた方がいい」
「嫌よ」
それから一分するかしないかくらいで、今度はハイエナのガストレア。今度は左右それぞれに6、7匹くらい居る。
……背負われながらで不安定ではあるが、オレも加勢するか。
「弓月ちゃん、反動に備えて」
「……了解」
まず一発──狙いとは違う奴に当たった。失速していったから結果オーライ。
二発目──外した。三発目──掠っただけ。
四発目──撃つ前に向かってきた。
「撃たないで。しっかりつかまってなさい」
「え? ──うぉっ!?」
急激なGの増加と視界の反転。
──ムーンサルトか。
内臓が潰れるかと思ったが、その甲斐あって一体は倒したらしい。
「アンタ、いい腕してるわよ! そのまま援護射撃よろしく!」
「よっしゃ、ノってきた!」
撃って、回って、警戒を呼びかけて、また撃って。
……そうやって次々現れるガストレアを処理しながら、どれだけ時間が経ったのか。どれだけの距離を走ったのか、分からない。
──ただ、分かることが二つ。
「皆さん、見てください! 炎が見えます! もう少しで味方と合流できますよ!」
一つは左手に見える崖下に、複数の人の痕跡があったこと。もう一つは──
「ホントだ、良かっ「弓月右!!!」──え」
警戒が薄れるのを待っていたのか、音もなく飛んで来たフクロウの鉤爪が──弓月ちゃんの首筋に向かっていたこと。
だから、オレは
*
横合いからの強い衝撃に、私は不覚にも転倒した。
すぐさま両手で受け身を取って起き上がり、敵を──え、
「……ぁ」
気付いた時には、手遅れだった。
フクロウのガストレアは、既に銃で撃たれ絶命していて。
「そんな……」
──同様に、私を庇った少年も……胴体が千切れて転がっていた。
「……っ、ぁ゛」
驚くべきことに、彼がまだ生きていることに気付いていたのが私だけだったのか……誰もが走り続けていた。
「待って兄貴! この子まだ息がある! 助けなきゃ!」
「──無理だ、助けられねぇ!!」
「でも!!」
「お前が死んだらソイツは犬死にだぞ!!!」
「──っっっ」
遅れて私も走った。全力で走った。
「……ゅ……っ゛、き……ぁ……」
かすかに聞こえた声に振り返ると──彼は笑っていた。
『無事で良かった』『それでいい』『逃げて』と、その目が告げていた。
──私達4人は無様にも、無傷で生き残った。
「……うっ、うぅう……兄貴ぃぃぃ……」
「……おう、泣け泣け弓月。民警やってりゃよくあることだが……涙を枯らしちまったら……人間としてお終いだ」
「なんで、なんで私なんか庇うのよあのバカ……! バケモノの私ならあのくらい平気だったのにっ、なんでッ!」
「……お前は、バケモノじゃねぇ」
「バケモノよ!! いつか私達は形象崩壊する! 文字通りの『化物』じゃない! だからどの道、長くは生きられないのに……!」
「……それでもお前は、人間だ」
だけどそんなものは、少数派の考え方で。
それでもあの子は、兄貴と同じで。
「なんでっ、なんで……! どうして良い人から死んじゃうのよぉぉ……!」
「……あぁ、なんでだろうな。本当に腹が立つ」
あの子は、延珠を友達だと言った。彼女の身に降りかかった理不尽に、憤ってくれた。
あぁ、きっと彼なら──私の友達になってくれると、思ったのに。
「こんな世界っ、クソ喰らえよ……!」
「……チクショウ。この腐った世界に、救いはねぇのか……?」
この涙がせめて、誰よりも優しかった彼への鎮魂となりますように────
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第九話:girl meets Unknown
後半は三人称視点ですが、一人称が混ざり気味な表現を多用しております。苦手な方には申し訳ありません……
弓月ちゃんの背中が小さくなって、やがて見えなくなるまでの様子を見届け──目蓋を閉じる。
泣きそうな顔で振り返った彼女の顔が、『助けなきゃ』と叫んだ声が、塗り潰されてしまう前に。
痛みは無かったから、独り言を言う余裕はある。以前にも一度だけ、肉が抉れる大怪我をしたことがあるけれど……その時も、痛かったのは最初だけだったことを覚えている。ただ今回は、前回よりも痛みの麻痺が早い。好都合だ。
「──やっってみろよガストレア! オレを異形にしてみせろ!
お前らがオレの遺伝子を書き換えようと、父さんと母さんの血は
弓月ちゃん達を追っていたガストレアの群れが、足を止める。確実に捕食できる、ウイルスの苗床が落ちている場所へ、向かって来る。
「んゴボっ、ァアぁ゛あ……!」
もう、言葉を発することもできない。
口を満たし、溢れるこの液体が何なのかは……知らない方が良いだろう。鉄の味も混じっているので、オイシイ。
──違う。自分の血だと思った方が、精神衛生上ヨクナイ。治レ。
「──ォエ゛エェェ! 痛い痛い痛いイタイッ!!」
神経が修復され、激痛が復活する。思わず患部を見ようと目を開き──すぐさま後悔に襲われる。
視界一杯に
あまりの衝撃に、気を失うかと思った。
その様子に
……あぁ、そうか。
オレは、もう既に──
*
「…………」
そして周囲の
ソレは、急いでそこに向かった。
ソレの目的は、同胞を増やすことと、守ること。ヒトがいるなら、同胞に迎え入れる。そうすることで、同胞との争いを止めるのだ。
崖を飛び降り、
そしてソレは、銃を乱射している下手人を補足し──武器を蹴り飛ばして破壊した。ソレと下手人の少女が、同時に
「!?」
「オマエ、ナンデ……」
(──人型のガストレア!? しかもこの個体、言語を……!)
「ドウシテ、仲間、殺ス?」
少女は咄嗟に答えることができず、口籠った。
そしてソレは何かに気付いたのか、顔を近付けて少女を観察し始める。
「……オマエ、仲間、違ウ?」
「キィィィ!!!」
少女が返答する前に突進してきた、コウモリらしきガストレアを──ソレは
「話、マダ! 遮ル、駄目!!」
「ギッ!?」
ソレは己の腕に噛み付いた同胞を、少し強めに振り払った。
──中学生程度の大きさを持つガストレアが、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。
「ギッ、ギィィ!!」
「……?」
コウモリの姿をした同胞はバタバタと逃げ出し、少女と殺し合いになるほど
その様子から、ソレは恐怖と困惑を感じ取った。
「……話、ヲ」
ソレは、己が高次の知能生命体であるという自負があった。言語はそう在るために、重要なものであった筈だ。
──周囲の同胞から帰ってきたのは、理性の言語ではなく威嚇の声だった。
「アレ……?」
ソレは、強烈な違和感に見舞われた。
ソレは、ガストレアである筈だ。彼らも、ガストレアである筈だ。同族とは、意思疎通が取れるものではないのか。
……では何故、彼らは未知の存在と対峙しているような態度を取っているのだろう。ソレは、首を傾げるしかなかった。
ならば、言葉を尽くして己が何者であるのか説明しなくては──と思い立ったところで、ふと気付く。
「オレ……誰?」
ソレは、自分の名前さえ覚えていなかった。
いや、基本的にガストレアは名前を持たない。それはおかしなことじゃない。
──では、名前が無いことに気付いたソレを
そうして疎外感が、孤独が、ソレを飲み込もうとした時だった。
「──話をしましょう!」
同胞殺しの少女が、ソレの手を握り、声をかけた。
「私の名は、
「──ォ、オォ……」
ソレは途中から、彼女が完全なガストレアではないことに気付いていた。
だが、彼女はソレの言語を理解している。そして、名前を持っている。
──『ならばもしや』と、ソレは思った。
「キミ、オレ、仲間?」
「……はい。そして奴らは、私の敵です」
「──オレ、仲間、守ル。オレ、敵──倒スッ!」
彼女こそが同胞であり、目の前のガストレア達は敵である。ソレは、そう解釈した。
実際、それは間違いじゃあない。だってそれは──
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第十話:千寿夏世の見解
──夢を、見ているのだろうか。
目の前には、巨大なガストレアの死骸があった。コモドオオトカゲを十倍くらいに巨大化したようなその個体は、下顎が吹き飛んでいた。
あぁ、それ自体は別に珍しくもなんともない。同じことは、私が持っていたショットガンでも可能だろう。
──だが、それを
少なくとも私には無理だ。いくら正面戦闘向きじゃないとは言え、序列
それでもイニシエーターならば、実行可能な娘もいるだろうが……私の目の前でアレを殴り飛ばしたのは、
では現在進行形でヘビのガストレアを振り回し、周囲のシカやカエル、その他元の生物が判別不能なガストレア達を一掃している赤目の男性は、一体何者なのか。
所有因子は黒い昆虫の外骨格と、膂力の強さから見て……
だが彼は、日本語を話した。私と会話が成立したのだ。ガストレアとも、言い切れない。……少なくとも、ガストレア化する前は人間の男性だったと見ていい。年齢は、
──そうこう考えている内に、彼はガストレアの
「フゥゥゥゥ……」
行進を止めたと言っても、全滅させたワケじゃない。動きを止めただけだ。今は互いに睨み合っている。
動物は、大抵の人間が思っているよりは賢い。人間と同じで個体差はあるものの、愚かじゃない。だから、明らかに自分より強い生物が暴れていれば、近付かない程度の知性は持っている。
──ガストレア達が、引き返していく。つまり彼は、それだけ恐ろしく強いということだ。
「……怪我、ナイ?」
「……えぇ、おかげさまで」
ガストレアは他の動物より体力も知性も高い傾向がある。そして何より再生力が違うので、意表を突くような捨て身の作戦を好んで練ってくることが多い。頭の良い脳筋戦法を取るのだ。
……だが、それでも彼には勝てないと判断させた。繰り返すが、恐ろしい強さだ。
その彼が、戦闘後も理性を保っている保証はなかった。そっと胸を撫で下ろす。
……しかしまさか、戦闘が終わってからの第一声が
「……アナタは、昨日の出来事を何か覚えていますか?」
「…………何モ」
つまり、彼は今日ガストレア化したばかりらしい。十中八九、今回の作戦に参加していたプロモーターの一人だ。
……ということは、彼がこうなった原因は……私が使った、爆薬のせいだろう。なのにこうして救って貰って、更に今から……口車に乗せて利用しようと、画策している。自己嫌悪で心が痛い。
「キミ、ハ……昨日、覚エテル?」
「……はい。そして、おそらく……私なら、アナタの名前を、思い出させて、あげられます」
「──ホント!?」
「ですので、それまでは……私と一緒に、行動、してくれますか?」
「勿論!!」
爛々と目を発光させ、彼は喜んだ。良心の呵責が増すものの……既に一度、利用してしまった後だ。今更引き返すことはできない。
私は──私の存在を肯定してくれた人に、里見さんに、生きていて欲しい。そのためなら、なんだって使おう。
きっと
──でも、この人がいればどうか。
私の見立てでは、
影胤の方は、ステージⅣを完封する斥力フィールドを持っているから……どう見てもステージⅢ以上ではない彼では、荷が勝つかもしれないが。瞬殺はされないと思われる。
問題は、完全な人間であるプロモーターに襲いかからないかどうか。個人的に、大丈夫そうな気はするものの……一応聞いてみる。
「アナタにとって、『人間』とは?」
「敵」
「──っ!!」
「同時、原料。同胞、増ヤス」
危なかった。事前に確認を取っていて良かった……今ならまだ間に合う。
「名前を知るために、少し……人間と、接触しなければ、なりません。敵は……仮面を着けた人間。それと……」
彼は、呪われた子供が同胞だと思っている。蛭子小比奈のことを、何と言えばいいか……
「……双剣を持った、裏切り者が一人。この二人以外は、攻撃、ダメです。同胞にも、しないでください」
「仮面、ト、双剣。覚エタ」
……さて、後は野となれ山となれ。
──勝っても負けても、この人に未来はない。
蛭子親子と戦って死ぬか、政府に捕獲されて
自己弁護するなら……私が放っておいても、この人には明るい未来がないという点。彼は人間とも相容れないが、ガストレアとも分かり合えない。どうしても、孤独になってしまう。
「……嫌な役ですね。全く」
非情に徹するべく感傷を打ち切り、私達は決戦の地へ向かった。
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第十一話:その名は
午前4時10分。
蓮太郎と延珠が夏世と別れた10分後、彼らは影胤ペアを発見した。
「影胤……ケースは、どこだッ」
「待ちくたびれたよ、里見くん。君達以外では、暇潰しにもならなくてね」
そう言って彼は、足元に転がっている生首を蹴った。蓮太郎達が夏世と行動していた、ほんの10分前まで生きていたソレを……つまらなそうに、
──バラバラにされた29人の亡骸が、屍山血河を作っていた。
「……コレは全部、貴様らがやったってことでいいんだよな?」
「神聖な教会を、血で汚したくはなかったからね」
相変わらずのどこか噛み合っていない返答に、蓮太郎は眉を
「それはいいことを聞いたな。その教会にお前の血をぶち撒ければ、儀式が破綻するのか?」
「さて、どうだろうね」
影胤が二挺の
「里見くん、理解しているのかい? 百番台に挑むことの意味を」
「テメェこそ分かってんだろうな? たった1日でも、俺は最新機器で治療を受けてる。対しテメェはロクに休憩もできねぇ環境に居た」
そして何よりパートナーのコンディションは、より差がハッキリしている。延珠は全快であるのに対し、小比奈はバラニウムの磁場を纏った蹴りで未だボロボロだ。
「──その程度のハンデが何か?」
「…………」
蓮太郎は、無言で攻防一体の構えを取った。
(……あぁ、分かってるさ)
──そして、4時35分。
「君の負けだ」
蓮太郎は、いくつかの勝ち筋を用意していた。
個人兵装を用いた正面突破、延珠との
影胤は頑丈だった。斥力フィールドを抜きにしても尚、異常なタフネスを見せつけた。前回と今回で、それぞれ一回は蓮太郎の右拳を受けているにも関わらず……彼は堪えた様子もなく、海を割って水中から脱出。蓮太郎に斥力フィールドの槍を叩き込んだ。
「ぁ、が……」
丸い型抜きで切り取ったように、蓮太郎の横腹が消えていた。間違いなく致命傷。延珠が懸命に身体を揺するが、無情にも命はこぼれていく。
──影胤が、静かに銃剣の照準を合わせた。
「ちょっとパパ、延珠は殺しちゃダメだからね!? 延珠、
「我が娘よ、こればかりは我儘を聞いてやれない。前回戦った時の状態になられたら危険過ぎる」
「ダメだってば!! これだけは譲らないんだからッ!」
蛭子親子が、何か言い争っている。
「血がっ、血が止まらない……!」
その間に延珠が、何か叫んでいる。
(ごめん延珠……何も……なにも、聞こえ──)
「ヤダッ、やだよぅ。死なないで蓮太郎──妾を一人にしないで」
どういった運命の悪戯か、その言葉だけは
「「──ッヅ、ああああああああッッッ!!!」」
今の蓮太郎には、延珠以外の声が届かない。今の延珠には、蓮太郎しか眼中にない。だから、
「んなっ!?」
(……え?)
義眼の演算が、影胤の視線を解析する。そして初めて、蓮太郎は背後から猛進してくるソレに気付いた。
『──人型のガストレア!?』
4人が一斉に、驚愕の声を上げた。
*
その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
「──ッヅ」
「……どうしたんですか?」
身体が熱い。全身を駆け巡る衝動が、本格的に『役目を果たせ』と告げている。
……心配そうにコチラを見る同胞へ、心からの感謝を。彼女が連れて来てくれた此処が、この身の目的地であったのだ。
「アリガトウ。ゴメン。オレ、先行ク」
「えっ」
走るのだ。一瞬でも早く。救うのだ。声の主を。きっとオレは、そのために此処へ来た。
そして、姿が見えて
「妾を一人にしないで」
──頭が沸騰するほどの、怒りを覚えた。
何故、これほど怒りが湧くのだろう。
そうだ、『一人にする』のはいけないことだ。彼女を連れ帰って、
……誰だ? 分からない。でも、考えている場合じゃない。
「──アアアアアアアアッッ!!」
その場に居た4人が、ギョッとした顔でコチラを見た。
そうだ、それでいい。こっちを見ろ。彼女に手を出すな。
「ネームレス・リーパーッ!」
突然、オレの右足が千切れ飛んだ。踏み出す足が無い。
仮面の男にやられた? 銃も剣も使わずどうやって? バカな、奴は人間じゃないのか?
前のめりに倒れる。ダメだ、止まったら彼女が危ない。
『ならば』と両手で着地、すかさず背中の羽を展開。腕と羽の力で前進を継続し、仮面の男へ頭突きをかますが……
「マキシマム・ペイン」
攻撃が当たる前に、透明な空間の揺らぎが出現・膨張し、オレの身体は吹き飛ばされた。
ただし幸い、奴の注意は完全にコチラへ向いた。
「フーッ、フゥウヴゥゥ……!!」
急いで足を再生させながら、威嚇。次の手を考える。
ただ突進するだけではダメだ。さっきの雑魚共と違い、それで勝てる相手じゃない。ならばどうする?
「フーッ、フゥゥゥ……」
足が再生したなら『
「アハッ、何あの再生速度……! ずっと斬ってられるじゃん……!」
「…………は? おい待て、それは」
合理的な動作を以て、肉体の膂力を最大限引き出せ。オレはその
「天童式、戦闘術……?」
そうだ、コレは『天童流』だ。原理不明のよくわからないチカラ──勁力を用いた不殺の武術。人は敵だが殺しちゃいけない。同胞に迎える。
──ただし仮面野郎、貴様は別だ。ただぶちのめすだけでいい。
「ソコ、動クナ」
「なんとっ、人語を解するか! 面白い、望み通り受けて立とう!」
天童式戦闘術 一の型八番──
「ス──ハァアアッ!」
「イマジナリー・ギミック!」
拳が青白い力場に触れ、破裂音と共にお互いを押し離す。
……地面が陥没したせいで踏ん張りが効かなかった。力が逃げる。コレでもまだ、足りない。もっと、もっとチカラが必要だ……!
「パパッ」
「クヒっ! その体躯で、これほどのパワー……! あぁっ、試したい! 実験したい!
つまり、『既に呪われた子供で何かしらの実験を行った後』ということ。いつかどこかで同胞が、コイツに傷付けられていたということ。
理解したくないソレを理解し、
「──外道ガァアアッッ!!」
怒りを力に変えろ。ただし、思考を止めるな。
全身の力を使った一撃は、地面が耐えられなかった。ならば次は、主に上体の力を使えばいい。
天童式戦闘術 一の型三番──
「やらせないッ」
「妾の台詞だッ」
捻りを加えた拳が届く前に、二人の同胞が激突していた。一人はきっと、千寿と名乗った同胞の言っていた裏切り者。それを止めてくれた彼女に、視線で礼を言う。
「フゥゥッ!!」
「エンドレス・スクリームッ」
透明な槍が、オレの腕を斬り裂いた。
大丈夫。まだ、左腕が残って──
「下がれッ!」
反射的に、左後方へ飛び退く。
血塗れの青年が、爆速でコチラに向かって来ていた。
「何!?」
「加速できるのが腕だけとは言ってねぇ!」
完全に意表を突いたらしい青年は、驚異的な速度で掬い上げの拳を繰り出す。先手を取ったからこその、力強い大振り。
(コレをやるために、今まで温存してたからなッ)
「
インパクトのギリギリ直前、青白い燐光が走った。しかしそれでも尚、彼の黒い拳は仮面の男を上空へ打ち上げた。そして彼は追撃を行うべく、空へ跳んだ。
……この青年も、奴とは別方向に人間離れしているらしい。
「あぁ、これは……ぬかった、ね……」
「
爆発音と共にオーバーヘッドキックが放たれ、再び張られたバリアを突き抜け仮面の男に直撃。人体が砲弾のように打ち出され海面に激突、巨大な水柱を作成し、続けて大波と疑似的な雨を発生させた。
轟音と不自然な雨により決着を察知した同胞二人もコチラを見て── 一人はくずおれ一人は泣き笑いした。
「れんたろぉぉぉ!!!」
自分で放った蹴りの威力を殺せず体勢が崩れた彼は、そのままだと背中から落ちていただろう。
そうならないように、ツインテールの少女は彼を素早く抱きとめ着地した。
「良かったッ、死んだかと思ったぞこの大バカ者ぉぉぉ……!!」
「イ゛ッ!? ちょっ、止めろバカ! 俺まだ病み上がりだぞ!?」
「あぁっ、すまぬ!」
生きていたことが、余程嬉しかったのだろう。彼女は力を解放したまま、腕の中の彼に頬擦りした。
「そんな……パパァ、パパァァァ……」
三人で声のした方を見ると、呆然とした表情のままフラフラと海に入っていく少女の姿があった。
……父の遺体を、探しているらしい。それが裏切り者と敵であっても、『父の死』という響きは……何故か心を、ズタズタにされるような心地がした。
あれだけの勢いで海に落ちたのだ。打撃は肋骨を粉砕して内臓をグチャグチャに壊しているだろうし、すぐに血の匂いで肉食海獣のガストレアが寄ってくる。見つかるかどうかは、分からない。
「……チッ」
海に飛び込み、『探す』と強く念じる。
──ガストレア因子がオレの望みに応えて肉体を再構築し、本能にその手段を提示してくれる。
「ハ────」
知識によると、コレは……『反響定位』なる技法らしい。ついさっきまでできなかったことができるようになるのは、なんだか少し変なカンジだ──まぁいい。見つけた。
潜って仮面男を引き上げ、裏切り者の少女に預けた。
「──え?」
「……持ッテ行ケ」
「…………礼は、言わないから」
当然だ。何せオレも、彼と戦った。オレが殺したようなものだ。
……海から上がると、三人がオレを見つめていた。
*
「……なぁ、蓮太郎。アイツは……何者なのだ?」
海に飛び込んだ赤目の男を見て、延珠は問うた。
……その『答え』を察することができる存在は、おそらくこの世に俺しかいない。
だがこの『答え』を、延珠に伝えていいのか? 二人を傷付けるだけにならないか?
そうやって自問自答している内に──着信音。こんな時に……いや、こんな時だからこそか。
…………相手は木更さんだった。ステージⅤ召喚は、止められなかったらしい。
『人型ガストレアのことは気になるけど、今は放置。すぐに天の梯子に向かって』
「……なぁ、木更さん。ステージⅤが上陸するまで、あとどれくらいだ? 少しアイツと話がしたい」
『はぁ!? 今はそんな場合じゃ……!』
「知り合い、かもしれねぇんだ……」
『──っ、2分よ。猶予はそれだけ。それ以上は待てない』
「分かった」
通話を切り、延珠に視線の高さを合わせた。
「──延珠、いいか? よく聞け」
コレが最後になるかもしれないなら、知らないことの方が残酷だ。
「アイツは、ガストレアだ」
「……うむ。やはり、そうだよな……」
「だけどアイツは、人間だった頃の強い意志が残ってる」
「……うむ。とても……とても優しい人だったのだろうな」
敵だった少女に、彼はささやかな救済を施した。その様子を、延珠は口を真一文字に結んで見ていた。
「こういう時、どういう顔をすればいいのだろうな」
「分からない。何せ、こんなことは人類史上初だからな」
「……あぁ」
「……延珠、気をしっかり持てよ。俺達は、アイツを知ってる」
目を最大限に見開いて、延珠は俺を見た。
「アイツは……」
「──里見さんっ!」
答えを言う前に、知っている声が聞こえた。
「「えっ!?」」
夏世だ。彼女はガストレアの足止めをしていた筈。まさか、全部倒したというのか?
「お主、あれだけの数をどうやって……」
「……『通りすがりの方』に、助けて頂きました。コチラに向かった筈なのですが」
「──っ、お前もアイツに助けられたのか」
「ふぅ……えぇ、良かったです」
何となく、その『良かった』にはいろんな意味が含まれている気がした。
……そしてアイツが陸に上がって来て、目が合った。
既に一分近く経っている。手早く済ませなければ。
「──ここは空から監視されてる。お前は逃げろ。海か森か、とにかく上に遮るものがある場所にだ」
「里見さん、何を!?」
俺は政府から、裏切り者として断罪されるだろう。だが、それでもいい。
「来てくれてありがとう。お前は生きろよ──真守」
「──ぇ」
硬直した延珠の手を引いて、俺は走った。個人兵装を使い切る勢いで、全速力を出した。
「まっ、待て! 待て蓮太郎!! 戻らせてくれッ!」
「駄目だ」
「なんでッ! どうして真守がガストレアにっ」
「……分かるだろ」
「分かるものか!! だって、あり得ぬではないか! 状況証拠だけ見たら──妾なんかのために、命を捨てたとしか……!」
「……真守にとってお前は、そうするだけの価値があったんだ。俺も同じ立場なら、きっとそうしてた」
「──っっ! 愚か者……! 真守のおろかものぉぉ……!!」
延珠は目を真っ赤にして、俺を抱えて走った。東京エリアを終わらせないために。
──もう一度、あのバカと話をするために。
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第十二話:逃げない
「──ァ゛ッ」
『お前は生きろよ、真守』
その言葉に、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「ア、あぁ……!」
そうだ、思い出した。オレの名前は『真守』だ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「大丈夫……大丈夫だよ……ぅぐっ。ちょっとフラフラするだけ」
「……!」
(さっきまでの片言と違って、流暢な返答……! もしや名前が呼び水になって、記憶が戻った?)
あー、千寿さんが凄いビクビクしながらこっち見てるのキツいな……いや、うん。さっきまで完全にバーサーカーだったからしょうがないんだけどさ。
「……あなたの、名字は?」
「神崎。生年月日とか住所とかも、ちゃんと覚えてる。というか思い出した、か。まぁとにかく、もう『人を襲ってガストレアにしてやる』なんて思ってないから、安心して」
「…………」
「『これだけ知性があるなら騙し討ちの線もあるか……?』って顔だね……」
「……すみません。助けて貰った恩は忘れていませんが……第一発見者として、浅慮な扱いは避けなければいけませんので」
「まだ人間と敵対する意思があるなら、蓮太郎さんの忠告に従って、今の内に逃げてるよ」
「……そうですね」
と言いつつ思考を止めないそのスタイル、嫌いじゃないぜ。ただいかにも『警戒してますよ私っ』な顔は止めてくれ……その視線はオレに効く。
「……逃げないんですか?」
「逃げないよ。今逃げたら、蓮太郎さんの立場がヤバいでしょ」
「それが、里見さんの望みに反することでも?」
「おっ、もしかして心配してくれてる?」
茶化して言ったそれに、彼女は涙目になるほど怒ってくれた。
「──当たり前じゃないですか。
そして彼女は、オレを海に突き落とした。
「そのまま、逃げちゃってください」
「……そしたら、千寿さんもマズいでしょ」
「──今ならもう分かってますよね!? 私はっ、こうなると解ってて貴方を連れて来たんです!!」
「……だろうね」
恥じることじゃない。彼女は当然の判断をした。
「分かっているなら、どうして怒らないんですか……? どうして、逃げてくれないんですか……?」
「んー、何か勘違いしてるみたいだけど──オレ、死ぬ気は毛頭ないぜ?」
「……え?」
せっかく生き延びたんだ。投げ捨てるのは勿体無い。
「妹に謝らないとだし、玉樹さんと弓月ちゃんには生存報告したいし、グークルさんにお礼言わないとだし……何はともあれ、一回帰らないと」
「……そう、ですか」
「さっきから千寿さん、様子が変じゃない? 何かあった?」
なんだか、凄いネガティブ。戦いに勝った直後のテンションじゃない。むしろ何かに負けて、『いっそ全部終わらせたい』って顔だ。
「……ここに来る途中で、将監さんの……相棒の、死体を見ました」
「……、…………。そう……」
あぁ、なるほど。それは確かに、最悪の気分にもなる。
「将監さんが亡くなっていて、呆然として。里見さんも死んでるんじゃないかって、ハッとして……走り出す頃には、結構な時間が経っていました」
「……無理もないよ」
「本当に、心配していたんです。胸が苦しかったんです。なのに私──里見さんが生きている姿を見て、『どうして』と思ったんです」
「…………」
それは……かける言葉が、見つからない。きっとどんな慰めも、響かないだろうから。
「あの人はどうしようもない悪人で、ロクでなしで……それでも、私の理解者でした。そして私も──彼と同じ、ロクでなしでした」
「……ロクでなしは、言葉を喋るだけの化物を……人間扱いなんて、しないよ」
「──本物の化物は、赤い目をそんな優しい形にはできませんよ。
私と違って、貴方にはやるべきことがあるのでしょう? なら、こんなところで終わってはいけません」
「千寿さん、でもオレ……」
「さぁ、行ってください。政府に補足される前に」
「千寿さん……!」
「何をしているんですかッ、早く!」
「いやオレ、ガストレアだから自力だとたぶんモノリス越えられねぇと思うのっ!!」
「あっ」
どうやらそのことを完全に忘れていたらしい彼女は、今だけモデルユデダコのイニシエーターになっていた。
ちなみにこの後、戻ってきた延珠ちゃんに『やっぱり逃げてなかったなこの阿呆!!』と言われ、出会い頭にドロップキックでまた海に落とされた。もう一回この説明をすることになって、ユデダコが二人に増えた。
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第一章エピローグ:それぞれの着地点
──
まず蓮太郎さん。あの人は世界三例目にして唯一の、『
それに伴い序列が12万台から1000位への超昇格。近い内に会社へ懸賞金も振り込まれるという。
次に延珠ちゃん。
……彼女はやはり、正式に学校から追放された。腹立たしい限りだが、あれ以上在籍していても互いに良いことは無いだろうし……業腹この上ないが、仕方ない。本人にあまり気にした様子がない点も、幸いと言える。
でもって
安否を調べて貰ったところ、どちらも五体満足でピンピンしているらしい。あの二人が、足手纏い無しの状態で負傷するとは元々思っていなかったけれど……凄く、安心した。
んで、最後にオレのことなのだが……
「ハーハッハッハ! ファァハッハッハァ!!
コレは傑作だ! アインシュタインも顎外して目玉を落っことすだろうさ!!」
場所は、勾田大学病院の地下室。そして今どういう訳か、オレは偉人の顎を外して眼球をくり抜いたそうです。
「分からないかね? 今の映像だけで、キミは腕と足を再生させているワケだが──キミと延珠ちゃん、蓮太郎くんの証言を信じるならば、キミは元々身長147cmの小学四年生。にも関わらず、今は目算で185cm程度の大男だ。さて一体、この体積差分の身体は何で出来ているのかな?」
そう。オレは『四賢人』の一角たる彼女に引き取られることとなったのだ。
「質量保存の法則に反している、と? それについてはオレに限らず、ガストレア全般に言える謎ですよね」
「あぁ。この十年、世界中で研究されているが……未だに答えは出ていない。その上で、キミは更に特殊だ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。何せキミは──
何故だか分からないが……蓮太郎さんと延珠ちゃんがゾディアックを倒して戻って来た数分後、オレの目は黒茶色に戻り、身体を覆っていた外骨格も皮膚に染み込むように消えていった。(ちなみに
目の色が戻っていたことで、蓮太郎さん達を回収するためやって来たヘリの運転手さんからも、特に嫌悪の目で見られることはなかったが……流石に、エリア内へ戻ってからはヤバかった。
ヘリから降りてすぐ銃口に包囲されるわ、バラニウム製の手錠を三重にかけられるわ、
……まぁオレにやましいことなんてなかったし、聖天子様は聞き上手な上に、ガストレア新法の件からも分かる通りガストレアウイルスの
それで事の顛末を把握した聖天子様は、言葉少なに『同志たる貴方を、決して悪いようには致しません』と仰ってくれた。
そしてオレは、此処に送られた。『〝室戸菫預かり〟になっている間は、他の研究者から文句が出ることはありません』『彼女は差別主義者ではないので安心してください』とのことだ。実際室戸先生は、オレや延珠ちゃんが相手でもにこやかに接してくれた。そこに文句はないのだが……ゥプッ
「あの、すみません。そのチュロス……」
「映像鑑賞の時はポップコーンかチュロスは必須アイテムだろう? もう一本あるから、キミも食べるなら解凍するが」
「いえ、遠慮しときます。酷い悪臭がするんで……」
「あぁ、死体の胃袋から出てきたブツだからね」
「消し炭にしていいですか??」
マジでっ、マジでこの変態性さえなければ凄く綺麗で優秀で優しい文句なしの超人なのに……!
「コレを消し炭になんてとんでもない! キミが作る料理だけでは健康に良すぎるんだよッ、もっと私に不摂生をさせてくれ!!」
「多少のジャンクフードくらいなら構いませんが、ソイツはオレの鼻を仕留めに来てるんですよッ!」
何せオレ、五感が超強化されてるからね!! 嗅覚も鋭くなってて、マジでキツい!!!
ああもう限界だッ、気絶する前に燃やす!!
「わーっ、待て! 今食べるから! ミイデラゴミムシの因子*1を使おうとするんじゃあないッ」
「フーッ、フーッ!」
室戸先生は溶けかけチュロスを掻き込むと、不満そうな顔でこちらを見た。
「全く……堅物め」
「いや、コレはおそらくオレじゃなくても怒りますよ……?」
ヤバい、クラクラする。そろそろ
「あぁ、もう時間か。行ってらっしゃい」
「ハイ、行ってきます……」
悪魔のバストアップが刻まれた扉を開け、アホみたいに急勾配な階段を登る。ここからは、うっかり目を赤くしないよう注意しなければならない。
そして南の正面玄関まで進むと──待ち人が見つかる。
「……顔色が悪いですね。また変なものでも食べましたか?」
「うん、室戸先生がね……今回は溶けかけチュロス」
「前回のスターゲーローパイとどっちが酷いですか?」
「ぅぷっ、思い出させないで……」
千寿さんと合流し、軽口を言いながら歩いていく。目的地は、
「──今日が、最終試験ですね」
「うん、焼肉の日だね」
「もう合格祝いの話ですか?」
「当然。オレ達なら余裕でしょ?」
「──まぁ、その通りですがね」
パートナーを喪った千寿さんは、序列を一旦剥奪されてIISO預かりになっている。そしてオレは、パートナー候補のいないプロモーター志望。となれば話は一つだ。
オレは
「──神崎さん」
「んー?」
「合格したら、一つ……いや二つ、お願いをしてもいいですか?」
「聞いてみないと、なんともねぇ」
「じゃあ先に言っておきましょう。
一つ目。下の名前で呼び合いたいです」
「モチのロン。嬉しいこと言ってくれるね、
「……ちゃんはいりませんよ、
「ならそうする。んで、もう一つは?」
「…………」
返事がないので『どうしたんだろう』と思い、横を歩いていた夏世の目を見ると──
「……私より先に死なないと、約束してくれますか?」
泣きそうな顔で、彼女はオレを見ていた。
……相棒の死は、オレが思っていたよりも深刻な、彼女のトラウマだったのだ。
だから守護者として、オレは
「ん──ごめん! オレ、好きな人いるんだわ!」
「…………はい?」
「いやー、うん。まさか民警のパートナーだけじゃなく、人生のパートナーまで申し込まれるとは……」
「自意識過剰です爆発してください」
「えー? だってさぁ、
「……え?」
「オレの身体、
「────」
まぁ、うん。それが世間に知れたら、呪われた子供を殺そうとする勢力はより苛烈になるだろうから……薬が出来たとして、一般公開できるのは何十年先か分からないけど。
「でもって、戦場ではオレが夏世を守る。オレは夏世より先に死なないから、二人で永遠に生き続ける。ほら、生涯のパートナーじゃん」
「──っ、バカですね真守さんは! 私にも好きな人がいるんですよ!」
「ほうほう、ちなみにどなた? オレが知ってる人?」
「教えませんッ!」
そう言って、夏世はズンズンと先に進んでしまった。
「あやや、フられちゃった」
「……バカですね。戦場でのパートナーは、断ってませんよ」
クルリと振り返り、彼女は泣き笑いした。
「──生涯に渡り、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
*
観察記録・対象:ステージ識別不能ガストレア『code name・Theseus』
体内侵食率が零でありながら、ガストレアウイルスを自在に操る特異個体。平常時の姿は日本男児と見分けがつかず、知能も人間と遜色ない。IQは初計測時105。
感染前のデータは『神崎真守』の頁を参照。
観察を始めて160時間目の記録であるためデータ数は少ないものの、分かっていることを記す──
「……しかし、コレはマズいね……ド素人でも、気付く奴は気付いてしまう」
菫は『神崎真守』のパーソナルデータを閲覧しながら、溜め息を吐いた。
「生年月日2021年5月……人間の妊娠期間は十月十日……実際はそれより短い場合が多いが、それでも神崎真守という生命は
それは、つまり。
「彼は、
その候補は?
菫の脳内で、様々な考察が為される。改造説以外の線も、同時に探っていくものの……
(ガストレア出現当時、人口の9割が奴らに殺された。その内正確に何割がガストレア化したかは分からないが、10億は下らないだろう。真守くんがあくまで意志の力及び偶然の産物で意識を保っているなら、その中から一人も同様のケースが見つからないのは何故だ? 隠すにも限界がある。その場合は必ずどこかに噂程度でも痕跡が残る筈だが……!)
見つからない。機密情報アクセスキーがあれば別かもしれないが……少なくとも今無いもののことは後だ。
「あぁクソッ、本当に腐ってるね。この世界は……!」
敢えて不味い溶けかけチュロスで糖分を補給しつつ、四賢人の良心は研究を続行した。
ちなみに延珠ちゃんも妊娠期間を考慮すると『アレ?』となりますが、彼女は捨て子なので生年月日不明。つまり何かしらの記念日を誕生日としている可能性が高いので、特に矛盾はありません。
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一月の平穏
閑話:You could not protect her
──あぁ、孤独だ。
人間誰しも生まれた瞬間には家族がいるもので、私の場合は両親と双子の兄が該当する。
優しい両親に、優しい兄。特別なものは何もない、ありふれているが充実した、穏やかな日々……私は、私の環境をそう捉えていた。
しかし世間一般からすると、私達の幸せは『異端』だったらしい。
両親は共に民警で、イニシエーターとの関係が良かった。そんな両親に育てられた私と兄は『呪われた子供たち』を『世界の救世主』だと思いながら育ったが──民意は、その真逆。
小学校に入る前には、そのことを教えられていたが……交友範囲が広がったことで、私と兄はそれを『実感』した。
誰もが『呪われた子供たち』はガストレアの同類であると、思い込んでいた。
私と兄は、それに同調することこそなかったが……真っ向から逆らう気も無かった。
──だから一人目を失った。大切な、親友を。
趣味が合う、明るくて優しい子だった。文武両道という言葉が似合う子だった。喋り方が特徴的な子だった。誰とでも仲良くなれる子だった。沢山の友人の中から……私を親友に選んでくれた。
──ある日突然、その子が『呪われた子供たち』だという噂が流れた。
私は……何もしなかった。結果、あの子はクラスから拒絶された。
兄はあの子を助けるために動いたのに。私が嘘でも『あの子が怪我をしているところを見たことがある』と言えば、助けられたかもしれないのに。
私は逃げた。周囲に『呪われた子供たちの味方』と認識されるのが、怖かったのだ。自己保身に走ってしまった。
あの時が、最初で最後の機会だった。次の日には、それどころではなくなった。
──両親が死んだ。
ショックを受けた私は、何も考えられなくなって部屋に閉じ籠った。
それから何度も、兄が部屋の外で私を励ますために声を掛けてくれたが……その時の私には逆効果だった。
私は一人になりたかったのだ。だから兄を拒絶した。『一人にしてよ』と叫んでしまった。
──だから、残る筈だった者まで失った。
売り言葉に買い言葉の応酬で、互いに傷付け合って。兄が家を出る音が聞こえて。その時、初めて兄が泣き叫ぶ声を聞いた。後悔して兄を呼び止めた時には、何もかも遅かった。
私も泣いて、泣いて泣いて泣き疲れて、なのに眠ることもできなくて。兄との繋がりを求めて、冷たくなったお粥を口に運んだ。孤独な私の、最後の晩餐。
独りになって最初の日。
気分は大分落ち着いていた。死んでしまった両親は帰って来ないが、兄はいつか帰って来てくれると、信じていたから。
飽きるまで天誅ガールズのゲームをやって、それでも帰って来ないことに痺れを切らして、擦れ違いになっても大丈夫なように置き手紙を残して、私も家を出た。
そして兄が行きそうな場所を探し回ったが……何処にもいなかった。手がかりが無くなると、家に帰って眠った。もう、何もしたくなかった。
2日目。
この日のことは、あまり覚えていない。起きても疲れが取れていなくて、一日中横になっていた。食事をしていないのだから、回復なんてする筈がないのに。
3日目。
インターホンの音がして、カメラのところまで這って行くと、叔父だった。私を引き取りに来たらしい。
『差別主義者の世話になる気はない』と言って、門前払いした。
そのすぐ後、私は倒れた。
4日目。
目を覚ますと、病院に居た。倒れた原因は栄養失調らしい。『そりゃそうだ』と、死んだ目で苦笑いした。誰が通報したのか分からないが、『余計なことを』としか思えなかった。
丁度起きた時、クラスメイトの一人がお見舞いに来ていたが……その子も差別主義者だと思うと全く嬉しくなかった。
だから、『
こう言われても私を友達と言うなら、それは本物の友情だと思った。だが、結果は予想通り。その子は悲鳴を上げて逃げ帰った。
バカな子だ。真守という双子の兄がいる時点で、私が『呪われた子供たち』だなんてあり得ないのに。
だが、これでいいのだ。もっと前からこうするべきだった。
そうしていれば、ただ一人の親友だけは失わずに済んだだろうに……
──そんなことを考えていたときだった。彼に出会ったのは。
『初めまして。突然押し掛けてごめんね? でも、どうしても君に伝えたい情報があるんだ』
『何? まず名乗れ……? 嫌だと言ったら?』
『ナースコールは面倒だなぁ……でも本名は言えないから通称で名乗ろう。ボクはグークル。なんでも知ってる不思議な人間さ。例えば──』
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間話:小さくて大きな分岐点
最近、一気に暑くなりましたね。季節の変わり目で体調を崩さないようにご注意ください。
物語のテンション乱高下にも警戒してくれやがれヒャッハァ!(今回明るい話からの暗いテンション、しかし次回から明るい話メインです)
──イルカ。
彼らは海洋生物だが歴とした哺乳類であり、肺呼吸を行う。
じゃあ寝る時はどうするのか、まさか寝ないのか? と疑問に思う人は珍しくないだろう。だってオレもそう思ったから。んで、調べたことがある。
結論から言うと、イルカは脳を半分ずつ眠らせながら生活しているらしい。──
「入社四日目にして、早くもバディ解消を希望したくなっています……」
「ファハハ。逃がさないぜ、相棒」
なのでまぁ、寝れません。徹夜です。二徹目。そしてご飯は一回エリアに戻って買ってきた夏世の分の携帯食料と水のみ。いくら『子供たち』が頑丈でも、これはキツい。
だが半分寝れる夏世は、このくらいの無茶ならついてきてくれるらしい。
「……先生みたいな笑い方やめてくださいよ。似合ってませんので」
「うん、やってて自分でも思った」
そう言いつつ、横目で少し様子を伺う。大丈夫だと思ってたらダメだった、なんて洒落にならないからね。
……大丈夫そうだ。なんでか少しニヨニヨしてる。まだまだ余裕っぽい。
(心配性ですね、全く。チラチラ見てるの、バレてないと思ってるんでしょうか? 後でからかってあげましょう……)
「しかし見つかりませんね、ガストレア」
「うん。こうなると、初日に見つけた奴を倒しちゃったのが痛いね」
「アレはステージⅡかⅢでした。
「やっぱステージⅠじゃなきゃダメか……」
そう、記念すべき我らが初任務はガストレアの捕獲。依頼主は室戸先生。イニシエーターの体内侵食率を下げる薬──侵食浄化剤の試作品ができたので、実験体が欲しいとのこと。
蓮太郎さんと延珠ちゃんがゾディアックを倒した影響なのか、最近エリア内に入ってくるガストレアの数は、非常に少なくなっているらしい。なので手っ取り早く、こうして未踏査領域まで足を運んだという訳だが……モノリス外ですら、想像の百倍少ない。
「ねぇ夏世、今凄く嫌な可能性に気付いちゃったんだけど」
「どうしたんですか?」
「この状況ってもしかしてさ、前にオレが暴れ過ぎたせいもあるんじゃ……」
「いやいや、ここから房総半島まで何kmあると思ってるんですか? アレとは無関係ですよ」
「だよねごめん、ちょっと疲れてるのかも。一旦帰って休んでいいかな?」
「逃がしませんよ、相棒」
「うぼあー」
いやはや、帰るのは何時になるやら。こんなに時間かかると思ってなかったから、作り置きとかしてないんだよなぁ……室戸先生、ちゃんと食べてるかな……
*
「ここ、病院だよね?」
悪魔のバストアップが刻まれた扉の前で、思わず呟く。
だが、場所はここで合っている筈だ。受付の人に確認も取ったから間違いない。
「……真守が、ここに」
背負っていた鞄を一度降ろし、中身があることを確かめ、抱き締めながら深呼吸。兄の匂い。
……我ながら変態的な行動にドン引きだが、こうでもしないと不安で不安で仕方なくなるのだ。最近の出来事は、現実味が無さすぎて……『私に家族なんて居なかったんじゃないか』って、おかしくなるくらいの恐怖に支配されてしまう。
ある日突然、知らない人が私の病室に来て『あなたの兄は死にました』と言った。面と向かって言いに来たのは、色々理由があったそうだが……一番は『最悪の事態』を避けるためだと、
グークルと名乗った彼は胡散臭かったが、真守の知り合いであることと、情報通であることは確かだった。
彼は兄の鞄を私に手渡し、いくつかの情報を与えた。その一つが、『兄の死』について。
『近日中に、真守くんが死んだって言いに人が来るけど、それ嘘だから安心してね。まぁショックで錯乱して暴れてもいいように対面で人を寄越すワケだから、ここらでいっちょストレス発散するのもアリだと思うけど』
この時点ではグークルさんが『ただのヤバい人』という認識だった私は、ナースコールを鳴り響かせ、彼は逃げていった。
そして後日、彼の情報が本当だったと思い知らされたすぐ後に、彼は再びやって来た。
『当ててやろう。キミは最初に、『兄はどこですか』と言う』
『……兄はどこですか』
素直にそう聞くと、彼は『勾田大学病院の霊安室』と答えた。
『霊安室は基本的に、病院関係者以外立ち入れない。それに霊安室は、病院内の地図に場所が書かれてないから、普通は見つけられない。だがキミは、記録として遺体が運び込まれたことになっている神崎真守の遺族だ。そう伝えれば、霊安室まで案内して貰える』
実際、こうして霊安室までは来れた。
……問題は、ここから。
『真守くんが死んだことにされてる理由は、会って直接確かめるといいさ』
「……酷いよ、みんな」
延珠ちゃんを追放した学校の皆も、私を置いて逝ったお父さんとお母さんも、肝心なところは教えてくれないグークルさんも、何より──
「寂しいよ……真守……」
生きてるのに連絡一つ寄越さない兄は、ほんとうにひどい。
「私を、独りにしないでよ……!」
あぁ、解っている。この腐った世界に用意された、『生きているのに死んでいる』というナゾカケの解答なんて……一つしかない。
「今、私もそっちにいくから……」
覚悟を決めて、私は霊安室──『
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You will (not) destroy the world.
すみません、明るい話オンリーは、もう少し先です……
「おや、可愛らしいお客さまだね」
『あぁ、この娘は、ダメだな』
室戸菫は一目見た瞬間、彼女の心が限界に達していることを察した。
彼女は簡潔に名前だけの自己紹介をした後、これまた簡潔に用件を伝えた。
「私は兄に……神崎真守に、会いに来ました」
「そうかい、
真守と舞の接触を避けるよう、菫は政府から命令を受けている。しかし彼女は躊躇なく、命令を無視することにした。
(どうせ政府の連中は、この程度の身勝手をしたくらいじゃ私に手出しできんからな──それはそれとして
菫の頭脳を以ってすれば、彼女を此処へ連れてきたのが誰なのかはすぐに分かった。
「今電話で呼ぶから、適当な椅子に座って待っててくれ」
「?? はい」
(電話で、呼ぶ……?)
想像と違った対応に首を傾げつつも、舞は素直に椅子へ腰掛けた。
『──はい、もしもし』
「夏世ちゃん、急用だ。二人で急いで戻って来てくれないか」
『承知しました。すぐ戻ります』
(……あぁ、生きたガストレアと会うんだもんね。護衛の民警さんを呼ばなくちゃいけないから……)
「……お手数を、おかけします」
「なに、気にするな。子供の内はもっとワガママを言って、大人を困らせるくらいが丁度いいというものだ」
そう言うと菫は戸棚まで行き、コーヒーの準備を始めた。
「よければ待ってる間、コーヒーでも飲みながら話さないかね?」
「……話、ですか?」
「あぁ。ただの世間話さ。趣味の話とかね」
「……室戸先生は……休日、何を?」
「コーヒーを飲みながら、本を読んでいることが多いね」
──『あとエロゲー』という言葉は、流石に自重したらしい。
そして菫は、コーヒー豆の入った瓶を舞に手渡した。
「瓶を開けて、匂いを嗅いでみるといい」
言われた通り、彼女が瓶に鼻を近付けると──
(……何これ、凄い)
「気分が落ち着いただろう?」
「……はい」
「私は『食事』という行為があまり好きではないのだがね、そうと知りながら、私が難しい顔をしていると、コレをしつこく勧めてきた男がいたんだ……」
菫はロケットを撫でながら、どこか懐かしそうに呟いた。
「『コーヒーにはリラックス効果がある』だなんて、言われなくても知ってるのにね……だが実際やってみて驚いた。何せ、人生最悪の気分もマシになるくらいだったからね」
話の流れから、舞は彼女の悲劇を察した。
「ある日、私の大切な人が死んだ。将来、家族になろうと誓い合った相手だ」
「……心中、お察しします」
「あぁ、私もキミの気持ちが分かるよ。家族の死は、とても辛い」
「……えぇ」
「だがそれでも、我々は生きている。それは、まだやるべきことが残っているからじゃないのかい?」
舞は俯いて、暫く答えを返さなかった。
「…………先程室戸先生は、ワガママを言っていいと……大人を困らせていいと、仰いましたね」
「あぁ、言ったね」
「じゃあ言わせてもらいますが──綺麗事なんて聞きたくありません。もう話しかけないでください」
「ハッハッハ! それは困ったな」
菫は黙ってマグカップにコーヒーを注ぎ、スティックシュガーとコーヒーフレッシュそれぞれ三つと共に、舞の前に置いた。
「…………」
舞は数秒何か葛藤するような視線でカップを見つめた後、ブラックのコーヒーを口に運んだ。
「──ぇほっ、ケホッ!」
「コレは独り言だが、私はコーヒーの匂いは好きでも味はそうでもなくてね。砂糖二つにミルク二つを入れなければ、飲めたもんじゃない」
「…………独り言も言わないでください」
完全に口を封じられて肩をすくめる菫を尻目に、舞は砂糖とミルクを二つずつ使った。
再び口をつけると、今度はむせずに飲み込んでいた。菫がニヤニヤしながら手話で何かを言っている。
「……いや、全く分からないです」
『トン・ガリ・トン、トン・トン・トン、ガリ・トン・トン・トン──』
かろうじて、モールス信号だろうということだけは分かったが……舞が覚えているモールスはSOSだけだ。いや、それでも充分優秀なのだが。
「あの、モールスも分からないです……もう普通に喋ってください……」
「残念。まだ何種類もあったのに」
「ホントですか……?」
「本当だとも。シンプルに筆談もアリだし、多少面倒だが、メッセージ性の強いレコードを流したり……ね。世界は広いぞ」
「……室戸先生、世界を知るのは、楽しいですか? 私は、世界を知れば知るほど壊したくなります」
「あぁ、知れば知るほど胸糞悪いね。でも、それだけじゃない」
「でも、腐ってないのは極一部です。そして不可解なことに、いつも腐ってない部分から崩れ落ちていく」
「ふむ。じゃあ聞くが──キミは世界を滅ぼす力を与えられたら、この世を壊し尽くすかい?」
「……いいえ」
「ふむ、どうして?」
「本当にどうしようもないなら、どうせ勝手に滅びますから。それに……」
「それに?」
「両親と兄は、この世に絶望してはいませんでした。私も、まだ諦めたくないんです。
……なんて、カッコつけ過ぎですね。『世界を滅ぼす力』なんて、ただの仮定なのに」
(……ただの仮定なら、良かったんだがね)
彼女は真守にとって、双子の妹である。彼の細胞を、拒絶反応なく受け入れる可能性が高い。彼女は第二のテセウスと化し、
「ククク、いやはや。
「……人間だった頃の兄のことも、知ってるんですか?」
「おや? 何か勘違いしているらしいが──そろそろ時間だ」
「え? 勘違いって何の」
言い終わる前に、『コココッ』という三連続のノック音。緊急時だろうと馬鹿正直に礼儀を忘れない、どこかの誰かによく似た行動。
「さて、お邪魔虫はここで退散するとしよう」
「えっ、え?」
混乱の最中、ドアが開かれて。
「先生! 急ぎと聞きましたが、大丈夫ですか!?」
「あぁ、大丈夫だ問題ない」
「全く。だから心配性だと言っているんですよ──
「──ぇ?」
そこに居た彼の声は、彼女の父によく似ていて。かの兄が成長すれば、きっとこうなるというイメージのままで。
「……は? なんでここに」
その姿は、変わり果てていたけれど。面影もあって。
「おにい、ちゃん?」
「……舞」
「……!」
理屈なんてどうでもよかった。彼女にとって、重要な点はそこじゃない。
「ごめんっ、ごめん真守! 謝るから……! もう、私の前から消えないで……!」
「……オレこそごめん。すぐに帰れなくて、ごめん。誰に何と言われようが、お前を迎えに行くべきだった……!」
この瞬間、一つの細い世界線が生まれた。
それは本当に細い、小さな小さな分岐点。
その先はきっと──まるで別世界と感じるような、『修羅の道』
──室戸菫により√B:『バケモノの守護者』への分岐点が追加されました。
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閑話:延珠と舞
里見家にて。
神崎兄妹の再会に伴い復縁した延珠と舞は、早速二人きりで遊ぶことになったのだが……
「──と、いう訳でだ。舞ちゃん、妾に料理を教えて欲しいのだ」
「ごめん延珠ちゃん、何が『という訳で』なのか全く分からないんだけど」
彼女は以前、本人から『台所出禁』という話を聞いている。なので延珠が料理を習いたいと考えること自体は、そう不思議な話ではないと知っているものの……直前の会話内容との因果関係が掴めなかった。
「里見さんがアルバイトを始めたことと、延珠ちゃんが料理を習うことに、何の関係があるの?」
「では、順を追って話すのだ」
「うん」
延珠はグラスに注いだりんごジュースを一口飲み、話し始める。
「妾がイニシエーターだ、ということは話したな?」
「うん。プロモーターが里見さんで、こないだ本当に世界を救っちゃったってところまでは聞いたね」
「うむ!」
己の立場を偽ることなく話せることも、蓮太郎の名が英雄として公認のものになったことも、延珠にとっては至上の喜びだった。自然と目を光らせ破顔する親友の様子に、舞も目を細める。
「うむ、うむ……だが、だがしかし、だ。蓮太郎には、
「え?」
「疑問に思った筈だな舞ちゃん。何故ゾディアックなんていう超特大の賞金首を取っておきながら、民警としての地位名声を確保しておきながら、何故副業なんてやる必要があるのか」
確かに、それは謎だ。舞は居住まいを正して、続きを促す。
「──有名に、
「あー、民警って半分便利屋みたいな扱いだもんね……」
実際は蓮太郎相手に決闘の依頼が来ていたり、ゴキブリ退治の依頼が来ていたりするが……プライドの高い木更が蹴っている。後はそもそも、本業の依頼数が少ない時期というのもある。
「だが、真守と夏世には依頼が沢山来ている」
「らしいね。ずっと働き詰めで、今も
現地で名のあるハンターも複数やられ、困り果てて日本まで依頼が回ってきたらしい。依頼主は大手企業に片端から声をかけているが、水中戦海上戦が得意な民警は、大抵所属地域に深い根を張って動こうとしない。
そこで三ヶ島ロイヤルガーダーの
ただ、つい最近まで危うい状態だった妹をほったらかすのはどうかと思うが……
「あー、あぁ……それは、うむぅ……」
「延珠ちゃんが口ごもるなんて珍しいね──何か知ってるんでしょ」
「まぁ、な……本人は一応隠してるつもりだったようだが、別に話しても問題あるまい」
延珠は気不味そうな顔で舞を手招きすると、小声で耳打ちした。
「舞ちゃんの学費を稼いでいるのだ、真守は。蓮太郎もだがな」
「え?」
「阿呆よのぅ……二人だって
「……そう、だったんだ。私はてっきり……」
「棚ぼたで得た力に酔いしれる凡愚に見えたか? 真守が」
「正直、ちょっとね。
……でも、そっかぁ。私のため、かぁ」
最近ブラコンを発症しつつある親友を生暖かい目で見つつ、延珠は話を本題に引き戻す。
「うむ。真守と蓮太郎が懸命に働いている理由が分かったところで……今の妾がどういう立場か、考えてみてほしい」
「……? 蓮太郎さんのイニシエーター、だよね?」
「そうだな。例の一件以来
「あっ」
「ついでに言うと妾は学生でもないから、実質ニ──」
「それ以上いけない!」
それを認めたら自身もそうなってしまう舞としては、切実な話だった。いや、『児童が何を気にしているのか』という話なのだが……
「だからそうならないためにだな、妾は花嫁修行をすることにした。目標は専業主婦レベルだ。料理以外の家事は既に大体できるぞ」
「あぁ、そういう……」
延珠の事情も、完璧に理解した。
「……それで、作りたい料理とかはあるの?」
「味噌汁と、それに合う料理だな!」
蓮太郎がよく『俺より美味い味噌汁を作る女性に会ってみたい』と言うので、延珠は迷いなく返答した。
「じゃあ和食かな」
「そうなるな!」
延珠から『家にあるものは好きに使っていい』と許可を貰い、舞は具材を物色する。
「うん、じゃあまず主食だね。炊飯器があれば簡単なお米でいいかな」
「うむ」
延珠は計量カップで二合ほど米を取り、釜に移した。そして、
「お米を洗う、と──」
「待って待って待って。水洗いでいいから。洗剤(しかも原液)入れたら死んじゃうから」
お約束を発揮しつつ、米とぎも完了。後は二合分の水を入れて炊飯のスイッチを押せば終了だ。
「これだけか?」
「これだけです」
「習ってみれば意外と簡単ではないか。蓮太郎め……」
「本当は調味料と具材を入れて釜飯にしようかとも思ったんだけど、最初だからね」
単純に白米単体を炊くだけでも、使う水を変えたり漬ける時間を変えたり、細かい工夫はできるが……最初はこれで充分だ。
「次に、味噌汁です」
「よし来た!」
「まず鍋に具材、今回はもやしを投入します」
「うむ」
「水を張って、火にかけます」
「うむ」
「一煮立ちしたら火を止めて、味噌を溶きます。味噌カスが出るタイプなので、味噌こしを使いましょう」
「うむ」
「ちょうどいい色になったら、顆粒出汁を入れます。分量は箱に書いてあるので、しっかり確認しましょう」
「うむ」
「味見をします。薄かったら出汁か味噌、濃かったら水を足してね」
「ちょうどいいな」
「はい、完成です」
「早い!?」
「うん、顆粒出汁を使ったからね。蓮太郎さんはイチから取ってるみたいだけど……」
「そっちを教えて欲しかったのだ……これじゃ全然料理をしてる気が……」
「初心者が焦らないの。まずは成功体験から、かな」
「そういう、ものか……?」
「うんうん」
何事も、まずはできることから。基本である。
「さて、味噌汁が冷めない内に次を作ります」
「おー!」
そして舞が取り出したのは、生卵。
「和食を作る時は基本的にお米と一汁三菜。三菜は主菜一つと副菜二つなんだけど……今回は初めてだから、主菜と副菜一つずつでいこうと思います」
「ほうほう」
「今から作るのは主菜。主にお肉とかお魚、タンパク質のあるものだね。今回は卵を使うよ」
「卵は安くて栄養豊富だと、蓮太郎がよく言っていたな」
「そうそう。それに使えるメニューも多いから、とりあえず買っといて損はないんだよね」
「まず卵をボウルに割り入れて、液状の昆布出汁と一緒にかき混ぜます」
「うむ。どこにでも出てくるな、ダシ」
「人間って塩と出汁があれば大体のものを食べれちゃうから……フフ……人間ってホント……」
「お、おぅ……? なんだか怖いぞ舞ちゃん……?」
「──ハッ、危ない危ない。闇堕ちして延珠ちゃんに天誅されるところだった」
「舞ちゃんは、たまにノリが男子になるなぁ……」
「そしたらこの四角いフライパンに、1/3くらい投入します」
「うむ──あ゛っ、半分くらい入ってしまったのだ!」
「大丈夫大丈夫。そしたらフライパン全体に薄く伸ばして……」
「うむ……」
「全体に火が通ったら、ヘラで巻きます──そうそう、上手。やっぱり器用だよね、延珠ちゃん」
「ふっふっふ、流石妾」
「──よし、巻き終わる直前くらいで位置を戻して、溶接する感じで卵を継ぎ足して」
「うむ」
「今度は最後まで巻いて、『出汁巻き玉子』完成!」
「コレも早いな! もう少し手の込んだものはないのか!?」
「じゃあ最後は延珠ちゃんお待ちかね、包丁を使った料理です!」
「おー!」
「まず夏野菜たちを、食べやすい大きさに切ります。
……包丁は構えないでね」
「何故やる前から分かった……?」
「延珠ちゃんもノリが男子なとこあるから……」
ただし器用な延珠は、ふざけなければ包丁の扱いに関して特に言うことはなかった。
「火の通りにくい根菜から、あらかじめ油を引いて加熱したフライパンに投入します」
「うむ」
「ある程度火が通ったら、葉物とお肉、臭み消しに料理酒を投入します」
「うむ……なんだか嫌な予感が」
「お肉に焼き目が付いたら火を止めて、塩胡椒で味付けをします。オイスターソースがあったので、少量加えると味に深みが出るでしょう。肉野菜炒めの完成です」
「やっぱりか!」
一食のメニューが、全て簡単に揃ってしまった。ごはんと味噌汁に関してはインスタントと手間がほぼ変わらない。
「延珠ちゃんの目標は、専業主婦レベルなんでしょ? 主婦って休日もなく毎日家事をやるんだから、むしろ主婦ほど凝らずに適度な手抜きを覚えるものだよ?」
「クッ……! じゃあ次! 次はその『凝った料理』を教えて欲しいのだ!」
「はーい」
そうして自分達で作った昼食を食べ、二人は日が暮れるまで仲良く遊んだという──
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狙撃兵の見た景色
第十三話:『護衛』
一月の平穏編は、閑話集として随時更新します。こちらは本編二巻(第二章)となります。
「──延珠ちゃんたちの新しい学校、まだ見つからないの?」
「ああ……」
木更の問いに、蓮太郎は肯定を返す。
通学路に漂う新緑の匂いも、今は彼らの気分を晴らす材料になり得なかった。
(本当なら、延珠も今ここを歩いていたハズなのに……)
彼らの親密さを見ると忘れがちだが、彼らはまだ
(虫を捕まえて歩くことも、紅葉を見ることも、雪を投げることも、一人でだってできるさ。だけど、それを友達と共有する楽しみは──)
「ちょっと里見くん、一人で抱え込まないでよ。社員である延珠ちゃんのことは、社長である私のことでもあるんだからね?」
「……そうだな」
「だから私考えたんだけど……この際、外周区の学校はどう?」
「あの壁も天井も無い青空教室にか? 授業のレベルも低過ぎるし、話にならねぇだろ」
「でも、一番重要なのは延珠ちゃんの『居心地』でしょ?」
蓮太郎は立ち止まると、バツが悪そうに頭をガシガシと掻いた。
「……その方向も、考えておく」
「──うん、吹っ切れた顔になった。頭の中が延珠ちゃんで一杯なのね、里見くんは」
「おいおい勘弁してくれッ、木更さんまで俺をロリコン扱いするのかよ!?」
「違うの?」
「断じて違う!!」
木更はクスクスと笑った後、少しだけ真剣な顔をして本題を切り出した。
「里見くん、何事にも先立つものは必要よね? たとえばそう、学費のための、高額依頼とか」
「……面倒くさいのは嫌だぞ」
「そこはどちらとも言えないわね。なにせ今回の依頼主は──」
*
電車に揺られながら、蓮太郎は『どうして俺が』という疑問を振り切れずにいた。
向かう先は東京エリア第一区、聖居前。つまり依頼主は、聖天子である。
蓮太郎は一月前、彼自身の
「どう思う?
「うーん、別におかしな話じゃないと思いますが。裏があるなら、社長が先に警告を出しているのでは?」
そう、この依頼には真守も呼ばれている。任務内容が『護衛』であることを考えると、
「よーし、頑張るぞ……!」
(……まだ、依頼を受けるって決めたワケじゃねぇんだがなぁ)
聖天子への謁見を前に、真守が珍しく年相応にはしゃいでいる様子を見て……『水を差すのも悪いか』と思ったこともあるらしい。
そんなこんなで二人は聖居前で列車を降り、数分歩くと目的地が見えた。
二人が守衛に名前と来意を告げると、記者会見室に通される。
「──ごきげんよう里見さん、
練習がひと段落つくと、聖天子は人払いをして壇上を降り、二人の元にやってきた。
真守の名前については、戸籍等の問題で偽名を使っている。
「おう……その、この前は悪かったな」
「気にしていません」
声色や表情からは、本当に気にしていないことが分かる。『見た目だけじゃなく性格までいいのか』と、蓮太郎は内心舌を巻いた。
「それはありがたいけど、よ……それを差し引いてもやっぱり解らねぇ。民警を……それも俺と
天童菊之丞は、呪われた子供たちを追い込むためなら自らが統治したエリアの大絶滅すら『良し』とした、筋金入りの差別主義者だ。イニシエーターを連れている民警は、それだけで彼にとって憎悪の対象となる。中でも『ステージ識別不能ガストレア』たる真守と、個人的な因縁のある蓮太郎は、尚更だ。
「今、東京エリアに菊之丞さんは居ませんよ。なので私の独断です」
「……そういえば、中国だかロシアだかに訪問してるんだったか。帰ってきた後が怖えな」
「お二人に迷惑はかけませんのでご安心ください」
「いや、そういう問題じゃなくてよ……というかそもそも、アンタにゃ専属の護衛がいるだろ」
「えぇ。ですので、詳しい説明は彼らと一緒に受けて頂きます」
聖天子が手招きすると、一糸乱れぬ
「──挨拶を」
「はい。護衛隊長を務めております、
「「…………」」
蓮太郎は視線から、真守は臭いから、保脇の敵意を感じ取った。*1
「……えぇ、命に替えてもお守りします」
「フフ、それは頼もしい」
言葉とは裏腹に、敵意が増した。
聖天子はそれに気付かず話を進め──
「説明は以上となります。依頼を受けて頂ける場合、こちらの書類に必要事項を記入して、私にご連絡ください」
それだけ伝えると、彼女は『予定が押していますので、失礼します』と言って立ち去った。護衛官達も、その後に続く。
「──あっ、あー……真守、来た道覚えてるか?」
「げぇ、蓮太郎さんも覚えてない感じです……?」
それでも二人は『迷路じゃないんだし、適当に歩けば出れるだろ』と判断して会議室を出るが……聖居は無駄に複雑な構造となっているらしく、完全なる迷子と化した。
見覚えのないレッドカーペットが広がる廊下へ出た頃には、出口よりも道案内をしてくれる人を探す段階に移っていたが──突如、二人は背後から腕を捻られた。
「喚くな」
蓮太郎の耳元で押し殺した声が囁かれ、下手人が近くの男子トイレに彼を押し込もうとしたその時だった。
「──テメェがな」
二連続の重低音とくぐもった悲鳴が響き、蓮太郎の腕が解放される。
……関節技というのは、一定以上の筋力差があると意味を成さない。只人が生身一つで真守を拘束するなぞ、トイレットペーパーでゴリラを捕獲しようとするようなものだ。
「さっき見た顔? 聖天子付護衛官の人じゃないですか」
「──両手を上げろ」
殴って気絶させた襲撃犯の正体を看破するや否や、『カチリ』という銃の撃鉄を起こす音。
二人がゆっくり振り返ると、保脇と三人の部下が拳銃を抜いていた。
「一度だけ言う──依頼を断れ。さもないと撃つ」
(……
コレは本当に撃ってくるかもしれない……と、真守は呆れるしかなかった。
「ライフリングってご存知です? 撃ってもいいですけど、すぐにバレますよ」
「心配するな、英雄の腰巾着。幾らでも誤魔化しようはある」
「あ〜、そうですかそうですか。じゃあ面倒なんで撃ってください」
「……正気か貴様?」
「え? もしかして撃てないんですかぁ? やーいやーい! 口だけ! 弱味噌! アホ眼鏡〜!」
罵倒は得てして、難しい言葉でこねくり回すより、単純な内容で一方的に騒がれる方が耐え難いものである。(単純に真守の場合、罵倒の仕方が年相応なだけだが)
煽り耐性/ZEROなスーパーエリート(笑)の保脇は、『分からせてやる』と言わんばかりに肩口を狙って引き金を引き──
「はいコレ、見えますか? 今アナタが撃った銃弾です」
「なっ、なぁ……!?」
「こんなのも防げない雑魚が、聖天子様に呼ばれるとでも? 蓮太郎さんはもっと凄いですよ」
真守の場合、強化された五感と身体強度に加え、一瞬だけ発電魚の因子を発現して磁力で弾を手に引き寄せるというタネありきの手品だが、蓮太郎の場合は純粋な思考加速のみで同じことができる。(無論、義腕の強度ありきではあるが)
そこで『力技は無謀』と悟った保脇は、方針を変えることにした。
「──いやはや素晴らしい! 噂は通常誇張されて広まるものですが、天童民間警備会社は噂以上ですね!」
「……はい?」
「一連の無礼を、どうかお許しください。これは、私の独断によるテストだったのです」
曰く、『不意打ちに対応できるかどうか』『数の不利がある状況でも、戦えるのか』『脅しに屈したりはしないか』を確かめたかっただけで、悪意は無かったと。『部下は自分の命令に従っただけ』だというらしい。
(……いやいや。フィクションじゃねぇんだぞ? 白々しいにも程が──)
「そ、そうだったんですか。知らなかったとはいえ、色々すみません……」
(おい嘘だろ、信じやがった……)
真守くんは、純粋だった。
「いえ、当然の反応ですよ」
「そう仰って頂けるのならありがたいです」
「そういえば、道に迷っていたのでしょう? 案内しますね」
「あっ、ご親切にどうも」
(……まぁ、出れるならいいか)
保脇の先導で聖居を出る時には、蓮太郎は依頼を受けると決めていた。彼としても、ガストレア新法が潰れては困る。保脇では、到底菊之丞不在の穴を埋められるとは思えなかった。
──身内の癌が暗躍する護衛任務編、開幕。
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第十四話:『殺し屋』
事情聴取がなかった分、聖居を出るのが少しだけ早くなっています。不良くんたちは出番カットです。
ぐらぐら、ぐらぐら、揺らめいている。
ふらふら、ふらふら、よろめいている。
太陽は爛々とその存在を主張しているにも関わらず、
この国では私達を『呪われた子供』と呼ぶらしいが、言い得て妙だと思った。人間の生態に反し、年々増していく光への忌避感は……まさに『呪い』だ。
「──ねぇ」
「うぇっ?」
外部からの干渉により、ようやく最低限の意識が回復する。
声を掛けてきたのは、若い男性。日本人としては高身長の、優しそうな雰囲気の青年だ。
「とりあえず、止まろっか」
「はい……?」
「自転車、降りれる?
……私は、何故自転車なんてものに乗っているんだ?
困惑しつつ、言われた通り車体を減速。慣性を失い不安定になるものの、青年の補助を受けつつ停止して降車する。
「さて、落ち着いて話せる状態になったところで……一つ確認。日本語は通じるって認識でいいんだよね?」
「あぁ……はい……」
「それでキミ、一人? 保護者の方は?」
「……いません」
「……それは、『今この場に』ってこと? それとも……」
「死にました」
「……そっか。お揃いだ」
青年も、随分若く見えるが。比較的平和なこの国でも、そういう不幸は転がっているらしい。
「帰る場所は、あるの?」
「…………さあ?」
両親と暮らした家には、帰れない。あのアパートは、『任務』が終われば焼き払う。マスターも、私も、沢山恨みを買っているから……帰った時、今の家が無事かも分からない。
(……服は綺麗で、体臭もない。だから生活拠点はこの近くにある筈と思ったんだけど……)
「……じゃあ、ウチに来なよ」
「あぁ……誤解させましたね。私、アパートの場所、わかります」
「……道、分かる?」
「はい」
「じゃあ、ここはどこ?」
「…………さあ?」
「ダメじゃん」
そう言って彼は苦笑いすると、しゃがんで手を差し出した。
「一緒に駅まで行こっか。あそこなら周辺の地図があるし、駅員さんに道を聞くでもいいし」
──〝他人との接触は避けろ〟
「…………」
回らない頭で少し考えたが、良い断り方は思い付かなかった。
だから私は、彼の手を取った。
──久しく忘れていた、人肌の温度。
「……名前」
「ん?」
「あなたの名前、まだ聞いてなかったので」
「あー、そういえばそうだったね」
そう言って振り返り、彼は名乗った。
「──
マモル……『safeguard』か。良い名前だ。
「キミは?」
「……ミラです。ミラ・ペイン」
「じゃあ、ペインちゃんだね」
──そうだ。私は『
「……今日は、ありがとうございました」
駅に着き、彼の手が離れたので、一礼をする。
「あっ、待って」
立ち去ろうとした私に、彼は再び手を差し出した。
「これ、オレの電話番号ね。何かあったら電話して。すぐ飛んでくから」
「…………」
パジャマの中に入っていた携帯を取り出し、番号を登録する。
……大丈夫だ。使わなければいい。
「携帯持ってたのかお前……ちょっと貸せ」
「あっ」
神崎さんと一緒に居た青年は、私から携帯を取り上げると、少し操作をした後返却した。
「コイツだって、すぐに動けない場合もあるからな。俺の電話番号も登録しておいた」
登録名は、『里見蓮太郎』
「……なんと、読むのですか?」
「サトミ、レンタロウだ」
「里見さん、ですね」
「蓮太郎でいい」
「オレも、真守でいいよ」
「……分かりました」
思わず実名で、『私もファーストネームでいいですよ』と言いそうになってしまった。
だけど、もうこの二人とは関わらない。関わってはいけない。何故なら私は、殺し屋だから。
「真守さん、蓮太郎さん──
私は、この腐った世界で出会った優しい人達を……きっと忘れない。
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第十五話:『お兄ちゃん』
聖居前での遭遇以降は、原作とほぼ変化なしです。地味な変化としては、真守・夏世ペアが入社して収入が増えたので、木更の行き倒れがなくなり、里見家の家具が無事なことくらいです。
──さてそれでは、1st battle行きましょうか!
護衛任務の当日となった。
蓮太郎達は聖居から車で二時間ほどの位置にある、超高層ホテルを訪れていた。要人のセーフハウスとしてよく利用されているらしいこのホテルが、斉武と聖天子の会談の場所だ。
「……しかし、非合理的ですね。私達を置いていくとは」
なんでも『こういう真面目な場に子供は連れて行けません』とのことだが……安全性を考えると、彼女の言う通りだった。
「まぁまぁ、そうむくれるでない。良いではないか。蓮太郎がいるなら充分だろう」
「そうそう。聖天子様のすぐ近くで警護できないのは、オレとしても残念だけどさ……蓮太郎さんがいるなら、中で何かあってもオレ達が向かうまで対処できるでしょ」
「……私だって、里見さんを信頼していないワケではありませんが……」
「うむ、知っておる。夏世も蓮太郎ラブだからな」
「なぁっ!?」「えっ!?」
突然のカミングアウトに、夏世と真守が同時に驚愕の声を上げる。
「夏世の好きな人って、蓮太郎さん!?」
「ちっ、ちがっ……!」
「お主ら、隠し事が下手過ぎるのだ」
「そんな……私、この人と同レベルなんですか……?」
「あー……いや、すまぬ。言い過ぎた。流石にコレと同レベルはな……あっ、蓮太郎本人には気付かれてないから安心していいぞ」
「いつの間にかオレがディスられてる件」
「「だって、分かりやすい(です)し」」
「えぇー」
ただし延珠は、真守の恋心に気付いていない(友愛だと思っている)模様。
──平穏が破られるまで、あと二時間。
*
パラパラと、小雨が降ってきた。
ただでさえ夜間で視界が確保しにくく、ビル風で弾道の制御が難しかったのに、雨まで降ってきては狙撃なんて不可能だ──と、私以外の同業者は諦めるのだろう。
だがフクロウの因子と『
「目標補足……」
引き金に指をかける。冷たい感触。
指を曲げれば、弾は狙い通りに進む。そして
「は……?」
突如
すると狙撃弾は
「は……??」
意味が、分からない。理解不能な現象に、思考が固まる。
『──おいティナ、どうした』
マスターの声に反応し、ありのまま今起こったことを話す。
『……あのマヌケな聖天子付き護衛官以外にも護衛が居たのか。チッ、情報にはないが……そんなことができる奴に、心当たりがないでもない』
純粋に、驚いた。心の中で、マスターの評価が上がる。
『そこは日本……それも東京エリアだからな。
「奴?」
『室戸菫。私と同じく、機械化兵士作成技術を持つ人間だ。奴が与える個人兵装は、ガストレアの
私のシェンフィールドと同じく、進化したということか。
『ソイツの姿を見たか?』
「はい。しかし鎧らしきものを纏っていて、顔立ちは見えませんでした」
『分かった。ならこちらで調べておく。お前は速やかに撤退しろ』
命令に従い、撤退の準備をする。
最後にシェンフィールドを回収し……そこに映った敵へ思いを馳せた。
「私を邪魔したあなたは、誰?」
思わず出た自分の声に、負の感情が乗っていないと気付いた。
……何故? 任務を達成できなかったのに。私は……安心している?
まさか……聖天子の殺害を、躊躇しているのか? この私が?
──いや、あり得ない。そんなバカな。
今まで何人も殺してきたのだ。今更、たった一人の命を奪うことに抵抗なんてない。だからそう、証拠にそこらの一般人でも──
「……何をやってるんでしょうね、私は」
人混みに向けた銃口を下げ、冷たい引き金から指を離す。
「……今日はいつになく、手が冷えますね」
もうすぐ、夏が来るというのに。
凍りついた指は、温度を求めて携帯を握っていた。
*
──翌日。
私は、外周区を訪れていた。
周囲には巨大な怪物の足跡、血がこびりついた椅子、赤錆で真っ赤になった自動車などが散見される。
「こう言ったらアレだけど……変わってるね。観光名所とかをそっちのけで、真っ先に外周区を見に来るなんてさ」
「……よく言われます」
観光名所なんて人の多い場所へ行ったら、それだけ接触が増えてしまう。……仕事以外の殺人は、趣味じゃない。
「……それで、本当は何をしに来たの?」
「……外周区を見たかったのは、本当ですよ」
「でも、それだけじゃないでしょ」
「…………また手を握って、一緒に歩いて欲しい……と、言ったら……笑いますか?」
「いやいや、笑わないよ」
そう言って彼は、笑顔で手を差し出した。
「……笑ってるじゃないですか」
「
「……そうですね」
そうしてどこを目指すでもなく、彼の話を聞きながら歩いた。
彼は話し上手で、その声は子守唄のように心地良くて……どこまでも、こうしていたくて。カフェインの錠剤を、いつもより多めに頬張った。
「……眠いなら、寝ていいんだよ。それ、夜行性動物の因子でしょ?」
「──ッ!? いつから気付いて……?」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。ボロを出した覚えはないのだが……
「割と最初から。確証を得るための鎌かけだったんだけど、正解か」
「なら貴方は、私が『呪われた子供』だと知った上で誘いを受けたのですか……?」
「うん。それが?」
「…………私たちのこと……恐くないんですか?」
彼は一瞬、とても辛そうな顔をした。
「君たちの正体を知った途端に、手のひらを返す人達の方が……よっぽど恐いよ」
「──貴方の目の前に居るのが、人殺しだとしても?」
……何を、口走っているのだろう。
こんなことを言われたら、誰だって……
「……誰彼構わず殺したがる快楽殺人鬼じゃないなら、恐がる理由はないかな」
「……ぇ?」
拒絶しない、と言うのか? この人は。
「──ッ! 私が殺したのは、一人や二人ではありません! 何人も、何人も……! 数え切れないほど殺しました!」
……あぁ、さっきから私は、どうして会ったばかりの人に、自分の闇を曝け出しているのだろう。
「……そっか。辛かったね」
どうしてこの人は、私を突き放さないんだろう。
「……っ! 何なのですか、貴方はッ! なんで……!」
そうして『何故だ』と言いながら泣き始めた私の頭を、彼は優しく撫でて、落ち着くまで背中をさすってくれた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろうか……でも、仕方ないだろう。両親が死んでからは、弱みを見せられる相手なんて誰もいなかったのだから。
次々と仲間が死んでいき、気付けば私を含めて六人になっていて。生き残った五人の仲間は、全員妹世代だった。だから私は年長者として、気丈であり続ける必要があったのだ。
年上なら一応マスターがいたが、あの人に弱音なんて吐いたら何をされるか分からない。
……あぁそうか。私はずっと──
「ありがとうございます。もう落ち着きました。真守さんは優しいですね……なんだか、
──こんな
「実際、キミくらいの妹がいるからね」
「そうですか……羨ましいなぁ……」
その妹さんは、幸せ者だ。
「二人だけの時は『お兄ちゃん』って呼んで、頼りにしてくれても良いんだよ? 最近妹は『お兄ちゃんって言うの面倒。真守なら三文字で済むから』とか言って、『お兄ちゃん』って呼んでくれないから……ちょっと寂しかったんだよね」
──少し、驚いた。
『羨ましい』の部分は面と向かって言うのは恥ずかしかったから、聞こえないように小声で呟いた筈なのだが……思っていた以上に声が出ていたらしい。
なら、少しくらい甘えても──
「嬉しいです、でも遠慮しますね。胸を貸してもらえただけで、十分以上に満足しましたから」
────駄目だ。
にっこりと笑顔を作り、辞退する。
私は殺し屋。命令とはいえ数多の人生を、幸福を奪ってきた極悪人。
そんな私が何かを望むなんて、烏滸がましいにも程がある。
「嘘だね」
「嘘じゃないです」
「いーや、嘘だね」
「……どうして、分かるんですか?」
この演技は、マスターや妹たちにも気付かれたことがないのに……
「ペインさん、もう何年も泣いてなかったでしょ? 泣き方が壊滅的に下手だった。
……オレの前では我慢しなくていいから、辛いことは吐き出して、やりたいことは遠慮なく言うこと。全部、受け止めるからさ」
「……まだ二回しか会ってない子供のために、そこまでする理由はなんですか?」
今までの自分の行動を棚に上げて、問い詰める。
でもとにかく、このままじゃ駄目だと思った。このまま彼の優しさに甘えたら、私はもう……殺し屋ではいられなくなってしまう気がして。
「──オレがオレであり続けるためかな」
「……え?」
彼の口から、予想外な言葉が出てきた。
「オレの名は真守。真の守護者と書いて『真守』
つまりキミを見捨てちゃったら、偽物の守護者『
「……ははっ、なんですか、それ!」
「なんで笑うのかな? オレは真剣なんじゃが? じゃが??」
「ぷっ、アハハハハ!!」
気付けば私は、今まで押し殺していた願いを吐き出していた。
ずっと行ってみたかった場所があると。
ずっと食べてみたかった料理があると。
ずっと読んでみたかった物語があると。
「よし、じゃあ一つずつ片付けていきますか!」
「……本当に、叶えてくれるんですか……?」
「男に二言はない!」
『これ、一回言ってみたかったんだよ』
そんなことを言いながら、彼は優しく私の手を引いてくれた。
だから──私もせめて、不義理はなくそう。
「……ペインさん?」
急に立ち止まった私に、彼は声をかけた。
だけどその名は、違うのだ。
「──〝ティナ〟です」
「え?」
「私の名前、本当は『ティナ・スプラウト』っていうんです」
「……そこもお揃いか」
またもや放たれた意外な言葉に、今度は私が『え?』と返した。
「オレもね、ちょっち事情があって……普段は偽名を使ってるんだ」
「……じゃあ、さっきの話は……」
「いやいや、真守は本名だよ。秘密だぜ?」
どうやら普段は、『守屋』と呼ばれているらしい。
本当の名前は、お互い二人きりの時だけ呼び合うということになった。
「──いいね?
「いいですよ、
──この時から、『痛い』だけだった私の人生から、
それは今だけの……この人といる時だけの錯覚なのだろう。
だがそれでも良い。今はただ、この時を楽しみたいと──そう思えた。
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第十六話:迫り来る悪意
「──今日も会いに行くのかい? 真守くん」
「はい」
地下室を出る扉を開ける直前、室戸先生に声をかけられた。
「……キミのことだ、待ち合わせの時間に余裕は持たせているんだろう? 少し、話をしようか」
外周区でティナと会った日から、今日でちょうど一週間。あれから毎日のように、彼女と会っていたから……そろそろ何か言われるだろうなとは、思っていたが。
「いいかい、真守くん。多くの呪われた子供たちにとって、キミは
……言いたいことは分かる。『依存させてしまうぞ』という警告だ。
「使い方を間違えなければいい話です」
「ペーパーテストと違って、優しさの分量に正解はない。仮に今回上手くいっても、いつか必ず間違えるぞ」
「そんなもの、今できることをやらない理由にはなりません」
「……キミを育て上げたご両親を見てみたいよ、全く」
オレも、できることなら……先生に両親を紹介したかった。
「もう、行っていいぞ」
「はい、行ってきます」
元々、覚悟はしていた。その上で、先生の警告を受けて……気を引き締め直したつもりだった。
……あぁ、そうだ。
傲慢にも、オレは──
*
「……、…………」
昼下がりの国定公園には眩い陽光が降り注ぎ、小さな人工滝と風に揺れる植木が、爽やかな空気を生み出していた。
そんな園内のベンチに、新書を読み耽る少女が一人。タイトルを見るに、『伝える力』を養う教育本らしいが。それよりも目を引くのは──日輪の下で輝く、金糸の髪。
「お待たせ、ティナ。何読んでるの?」
「──あっ、真守さん!」
背後からの声に、少女は喜色を
「……教え方の本?」
「はい。……私将来、護身術を教える先生になろうと思うんです」
「おぉ、良いじゃん!」
彼女は、エイン・ランドから逃げられない。だがもし、前線を退くことができたなら……その時彼女は、目の前の同胞が『生き抜くための技術』を与える教官となるだろう。
(それが、間接的に人を殺すのだとしても……私は、私にできる範囲で人を守りたい。胸を張って、貴方と顔を合わせられる人間になりたい)
彼女がこうして悲壮な決意を固めているとは
「えっ」
「……どこか、変でしょうか?」
緑を基調とした、ワンピースタイプのドレス。後ろから見た時は、ベンチの背もたれに隠れて見えなかったが……隣から見ると、背中や胸元が大きく露出していてとても扇状的な装いであることが分かる。また、不安と期待の入り混じったような表情で小首を傾げ、頬を染めている様子は、とても──
「──綺麗、だよ。全然、変じゃない……」
「〜〜っ、嬉しいです。気合いを入れて着飾ってみた甲斐がありました」
(うん、変ではない。凄く綺麗。可愛い。
だけどさ────エッッ!?!? 何それ、嫁入り前に見せちゃっていいヤツなの!?!?)
真守くんは、健全な肉体に健全な精神を宿しているタイプの男の子である。そして彼は、決して鈍感ではない。
「──あっ、あんなとこにタコ焼き屋の屋台が! たしかタコって日本以外じゃ珍しい食べ物だったよね!?」
「……? そうですね。アメリカではあまり見かけな──」
「よし、買ってくる!!」
「??」
いたたまれず、彼は動揺を隠せないまま足速に撤退した。
(すみません室戸先生……! オレ、既にやらかしてたかもしれません……!!)
彼の耳に『即落ち2コマか、キミは』という幻声が届いた。
*
「……どこも、おかしくないですよね」
彼がタコ焼きを買いに行っている間に、手鏡を使って自力で確かめられるところは確かめた。自分の美的感覚がそもそもおかしい、という線もない筈だ。……判断材料が
──ということは、つまり。
「……照れてくれた、ということでしょうか」
だとしたら、嬉しいのだけれど。
「……
仮に何かの奇跡が起こって、彼が私を異性として見てくれるようになったとして……私と彼が、結ばれることはない。彼を裏の世界に巻き込みたくはないし、私が任務を投げ出しても……追手が来て、二人纏めて殺される。
だから私は一人でアメリカに帰って、彼は日本で恋人を作って──
「本当に私、
そんなことを考えると、胸が痛い。何もかも告白して、楽になってしまいたい。
でもダメだ。彼の幸せを考えるなら、これ以上深く私と関わるようなことは避けなければ。
「買ってきたよ〜!」
「──あっ、ありがとうございま──」
彼が戻ってきて、声が聞こえた次の瞬間。無機質な着信音が響いた。
……マスターからの、通信だ。
「……ごめんなさい。今日は、ダメみたいです」
「……プロモーターさん?」
「はい」
私に保護者がいないと知っている彼は、私の収入についても気にしてくれた。だから、当たり障りのない範囲で仕事やマスターのことも話している。
「では、
「──っ、
「……楽しみにしています」
一礼をして、今度は私が足速に去る。
充分に距離を取り、マスターへ折り返しの電話をかける。
『遅いぞ』
「すみませんマスター、どうしても電話を取れない状況にありました」
『意識を、会話ができるまで覚醒させよ』
──既に、会話可能な状態へ調整済みですが。アナタのためにやったワケじゃありませんがね。
……流石にそんなことは言えないので、いつもの錠剤をいくつか口に放り込み、音が出るよう噛み砕く。
「それで?」
『次の警護計画書が流れてきた』
「……マスターを疑うワケではありませんが、確かな情報筋でしょうか?」
国家元首の近衛が、二度も同じ失敗をする無能とは思えない。
『勿論だとも。聖居の職員に、目の前でガストレアに子供を食われた者がいてな……非常に協力的で助かっている』
…………なるほど、納得だ。
『その職員から、例の『鎧』が籍を置いている会社の情報も届いている』
「……! 拝聴します」
今回の仕事における最難関を攻略するための情報だ。聞き逃してはならない。
『天童民間警備会社。どうやったのかは知らんが、
「……、…………。それが本当だとすると……」
『案ずるな、流石にそんなバケモノを倒せとは言わん』
「『鎧』は無視して構わない、と?」
『ああ。お前が望むのであれば、アイリーンかルイーズ辺りを増援に送って直接叩くのでもいいが……』
「遠慮しておきます」
そこでリタの名前が出ない時点で、本気ではないのだろうが……誰が送られて来ても、無用な屍が増えるだけだ。
『ククッ、だろうな。まぁ要は、奴が依頼を降りたくなる状況を作ってやればいい』
「……具体的には、どうすれば」
『次の会合まで、まだ日数があるからな。奴が依頼を降りるまで──』
「……分かりました」
通話を切り、直後に唾を吐いた。気分が悪い。
「……『鎧』さんが、一日でも早く折れてくれることを祈りましょう」
まず最初は社長──天童木更からだ。
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第十七話:襲撃
朝が嫌いだった。日に日に
夜も嫌いだった。仕事の時間になると、人を殺さなきゃいけないから、嫌いだった。
でも本当は、どちらも嫌いではなかったのだ。
美しい夕陽を眺め、感嘆の息を吐く。空模様をマトモに楽しめたのは、いつ以来だったか。
私は元々比較的夜型の人間だったから、夜が好きだった。昔はよく、星空を眺めていたことを覚えている。
その頃の朝は、目覚めると母がピザを焼いてくれていて。父と共に、匂いに釣られて起きていた記憶がある。
──
「──、フ──」
深呼吸を一つ。力を解放。
そして
「……お願いですから、来ないでください
マスターからの通信後、自力で『天童民間警備会社』と『英雄』について調べてみた結果──会社情報から分かったのは所属ペア二組の超少数精鋭であることと、社長の名前のみ。だが同時に検索候補として浮上した『東京エリアの英雄』の名前は、私の心をグチャグチャに掻き乱した。
『彼』に電話をかける時、いつも目に入る名前──『里見蓮太郎』
あの日彼と一緒に居た青年こそが、『鎧』の中身と目される『英雄』だった。同姓同名という線は、希望的観測に過ぎる。
もし、蓮太郎さんに私の正体がバレたら。
私の正体が、『彼』に伝わるようなことになったら。
「嫌……! それだけはっ、それだけは……!」
仮定するだけで、悪寒と震えが止まらなくなる。その先どうすればいいのか、ちっとも思考が進んでくれないのだ。だから、絶対にバレないようやるしかない。
「ハ──、フ──」
もう一度落ち着くまで深呼吸を繰り返し、覚悟を決める。
ビルはメンテナンス費削減のためかエレベーターが設置されておらず、地道に階段で上るしかないらしい。
一階は対面式のバーだった。店名はドイツ語で『立ち入り禁止区域』を意味する『シュペールゲビート』
二階はフランス語で『私の愛しい人』を意味する『マ・シェリ』という店だったが……どう見ても、風俗である。これだけで人避けになりそうなものだが……会社は本当にこの場所で良かったのだろうか。
……まぁ、気にしても仕方ない。何故だか他人事ではない気がして止まないが、気にしない。
──次が三階。敵地、『天童民間警備会社』だ。
一階と二階は営業時間外だったので、あまり下を気にしなくていいのは助かる話。
扉を開けると、黒髪の女性が肩を怒らせながら書き物をしていた。
「あなたが、天童木更ですね?」
「え? そうだけど──ッ!?」
肯定を確認するや否や、室内を蜂の巣にする。
天童木更は、私が武器を持っていることを視認した瞬間身を伏せ、机を盾にしたが……ガトリングの前では紙切れ同然。むしろ破壊されて飛び散った破片が二次被害を生み出す分、紙切れの方がマシまである。
「……
十字を切って、彼女の冥福を祈る。
そして私が踵を返そうとした、その時──強烈な殺気。反射で斜めに飛び退くと、背後で轟音。横目で見ると、壁が大きく断裂していた。
ギョッとして社内に視線を向け直すと、刀を持った修羅の姿があった。
「……私いま、機嫌が悪いの。子供だからって、手加減してあげないんだから」
「──上等です……!」
射程距離のある斬撃には驚かされたが、それでも所詮は人間。格の違いを見せてやろう。
銃は『構える』『狙う』『撃つ』の三工程で行う、
まず『狙い』を完了させないよう、走り出す。そしてすぐに、壁際へ到達する。
(悪手ね。移動先が潰れれば、こっちのもの──)
──とでも、思っていたのだろうか。
三角跳びの要領で、私は天井へ向かうと同時にガトリングを乱射。狙いを付けていないので当然命中はしないが、特殊な歩法と組み合わせれば……!
「え、ちょっ──ウソでしょ!?」
防御は不可能。文字通りの『銃弾の雨』から、天童木更は逃げるしかない。だがそれも、いつまで持つか見もの──と、慢心していたのがいけなかった。
腕に衝撃。患部を見ると、注射針。
新手の存在を悟ると同時、イニシエーター相手に麻酔銃なんてものを使った愚かさを嗤ってやろうと思ったが……すぐにそんな余裕はなくなった。突如、私の『力』が
ガトリングの制御が効かなくなり、手元から離れてロスト。私は重力に従って、床へ叩きつけられた。受け身は取ったが、無傷とはいかない。絶体絶命の窮地。
(──AGV試験薬V2。イニシエーターの体内浸食率を下げる浄化薬の研究途中で生まれた、
……しかし、勝ち誇った表情で向かってくる新手は……なんだか無性に、気に食わない。
────ハイブリットを舐めるな。
私には、まだ機械化兵士としての力が残っている。
念力──『Brain-machine Interface』を使って、シェンフィールドを操作。無防備に向かってくる敵イニシエーターの眼前で自爆させる。爆風が彼女を壁に叩きつけ、金属片が肌を裂いた。
「カッ、は……!?」
「ぐ、うぅ……」
バラニウムを使っていない以上、死にはしないだろうが……少なくとも今日中は戦闘不能だろう。まさかシェンフィールドの予備を使わされるとは思わなかったが……これで天童木更の方も、度重なる攻撃の余波もあって充分なダメージ。後はトドメを刺すだけだ。
「力は……まだ戻りませんか……」
まぁ、それでもやりようはある。重い身体に鞭を打って、天童木更の前に立つ。
「痛み無く、というワケにはいかなくなってしまいましたね。無駄な抵抗をした、己自身を恨んでください」
「……優しいのね。あなた──人を殺すのが、怖いんでしょ」
「──ッ」
カッとなって、力の限り首を絞める。
「誰が……! 誰が好き好んで、人殺しなんてするんですかッ!?」
「ぁ、ぐ……!」
「怖いに決まってるじゃないですか……! 態々分かり切っていることを言うなら、助けてくださいよ……!」
私達を憐れむようなことを言う奴は、皆結局命乞いが目的だった。甘い言葉に騙されて、何人殺されたと思っている。
──口だけじゃなかったのは、たった一人。
「結局、何もできないくせに……!」
誰も私を救えない。『彼』ですら。
だって皆、私より弱いから。
「来てください、相棒……!」
「たすけて、里見くん……ッ、嫌ぁぁ」
呼び声に応えたかのようなタイミングで、ガラスの割れる音。怒りに震える雄叫びを上げ、鎧の男が向かってくる。
……あぁ、この人には助けてくれる
ポケットから催涙手榴弾を取り出して放り、先程落としたガトリングを回収する。
「ア゛ァァァ──ぁ?」
鎧越しの叫び声は、以前一度だけ聞いたあの声とは……随分印象が違っていて。何故か、耳に残った。
──もう力は、ある程度戻っていた。
ガトリングの重さも借りて、床を破壊して逃走する。まさか、あの二人を置いて追っては来るまい。
「……次は殺しますから」
順番を間違えたのだ。無視して別の社員を殺そうにも、結局彼が立ち塞がるというのなら──いいだろう。我が必勝の『処刑台』に招待するまで。
『止めろ』『止めろ』と誤作動を起こしている勘に蓋をして、私は撤退した。
──この警鐘を無視したことを、私はずっと後悔している。
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第十八話:決別
規則的な機械音が、病室の静寂を埋めていた。
「……何やってんだよ、木更さん」
蓮太郎と木更は、襲撃が来ると分かっていた。
……正確には夏世と菫が事前に想定し、心構えをさせていた。故に日常生活においても、常に二人以上で行動するよう徹底していた筈なのだ。
にも関わらず、木更が部屋に一人だったのは……蓮太郎との喧嘩が原因である。当初夏世と行動していた彼女は、『蓮太郎と二人で話したい』と言って、夏世に席を外してもらっていた。その結果がコレだ。
……まぁ蓮太郎が呆れているのは、彼女が今ここにいる理由が
「事務所が襲撃されたって連絡のすぐ後に、アンタが病院に搬送されたって聞いたから、急いで来てみりゃ……心配させやがって」
「……悪かったわね」
『ぷいっ』という効果音が付きそうな膨れっ面で、木更は
彼女が搬送された理由は、戦闘による負傷ではない。腎臓の機能が停止している木更は、定期的に血液の透析治療を行わなければならないのだが……彼女はそれをサボっていたのである。
「……でも今は私のことより、真守くんの方を心配してあげて」
「……そうは言ってもよ、どう声をかければいいってんだ──」
襲撃犯が知り合いだった時の慰め方なんて、俺は知らねえぞ
*
──ティナだった。
木更さんの首を絞めていたあのイニシエーターは、間違いなくティナだった。タオルで顔を一部隠していたが、知り合いなら一発で分かる。事務所に帽子が落ちていたから、本来それと合わせて目元以外を隠していたのだろうが……
「……ティナの匂いだ」
結果的に、正体を隠すための帽子が『見間違い』という線も潰してしまっている。確実に、あの娘が犯人だ。
「〜〜っ、どうすりゃいいんだよ……!」
司馬重工の未織さん曰く、聖天子様を撃った狙撃手の技量は『実在を疑うレベル』らしい。
だが、オレは知っている。あの娘の因子──フクロウの眼なら、夜という不利はほぼ無効。動体視力も、申し分ない。
「敵が何人いるのか分かんねぇけど、ティナは多分……」
あの狙撃手と、同一人物だろう。
だとすると、生きて拘束したとして……死刑を免れることは、できるのか?
「駄目だ……! オレにはできねぇ……!」
──なら、護衛を降りるか?
「それも駄目だ……! それは、絶対に……!」
あの狙撃は、蓮太郎さんと延珠ちゃんの二人レベルでもギリギリだ。聖天子様だけじゃなく、二人共殺されたっておかしくない。
……なら、取るべき行動は一つじゃないか。
「……覚悟を決めろ、オレ」
*
──深夜。
「こんな時間に、珍しいですね──真守さん」
『……うん。大事な話があってさ。ティナがしっかり起きてる時に、話しておきたくて』
「……なんでしょう?」
『ねぇティナ──オレの養子にならない?』
「…………え?」
彼の口から発されたのは、全く予想していた言葉ではなかった。
……しかしまだ、安心できない。
「経済面なら大丈夫ですよ。私これでも、高給取りなので」
『……仕事なんて辞めちゃってさ。まだ子供なんだし、命懸けてまで働かなくてもいいでしょ』
「そうはいきません。私が辞めたら、相棒が困ったことになるので」
そうしたら彼はきっと──貴方のことも殺すだろう。
『……困らせておけばいいじゃん。大人なんだから、子供に頼らず自力でなんとかしやがれって話だよ』
「ハハッ。それ、プロモーター全般に当て嵌まっちゃいますよ?」
『──ティナ!!』
初めて、彼が怒鳴る声を聞いた。
『……ごめん、怒鳴っちゃって……でも、お願い。真面目な話なんだ……茶化さず答えてほしい。ティナは……今の仕事、楽しいの?』
「……楽しくはありませんよ」
『──だったらッ!』
「
『どうして……!』
彼の焦りように、私は……『最悪の想定』が当たってしまったことを悟る。
「『どうして』ですか。こちらの台詞ですが──いいでしょう。言い当ててあげます。アナタが急にこんなことを言い出した、そのワケを」
残念なことに、今は夜。人々は眠り、私は夢から覚める時間。
「──
『……!』
彼は息を呑み、絶句する。沈黙は肯定であり、私はその肯定を嗤った。
「恐怖で言葉も出ませんか? フフッ、言ってましたもんねぇ。『快楽殺人鬼じゃないなら恐がらない』って──逆に言うと、快楽殺人鬼は恐いってことですもんねぇ?」
『違っ、そういうことじゃ……!』
「いいんですよもう、取り繕わないで──アナタの作戦はこうです。私の正体に気付いていないフリをしながら、私を電話で
『ちっ、違う! 誤解だ!!』
あぁ、知っている。貴方は優しいから……こんな私を、本気で助けようとしてくれたのだ。
「──ウソツキ。でも恥じることじゃありません。私もアナタに嘘を吐きました」
『話を聞いてくれティナッ、オレは本当に……!』
「私ホントは殺すのダイスキですし、アナタみたいな兄貴ヅラした偽善者がダイキライなんです。だからもう、殺したくて仕方なかった」
『────』
嘘です。今言ったこと、全部嘘です。
そう言ってしまえたら、どれだけ楽になれるか。
「次に会ったら殺します。命が惜しければ、もう私に関わらないでください」
それだけ一方的に言い捨て、電話を切った。そしてすぐさま、彼の番号を『着信拒否』に設定する。
────これでいい。これで。
「ぅ、あぁああ……! あ゛ァあああ……!」
バレた原因は分かっている。アパートに帰ってすぐ、紛失したことに気付いたあの帽子──部屋中探し回ったが、元から狭い上に物も少ないからすぐに分かった。私はアレを、戦闘中に落としたのだ。そして『鎧』に、素顔を見られた。
「忘れててくださいよ……! なんで覚えてるんですか……!?」
たった一度会っただけの相手。しかも顔の下半分は隠れていて、粉塵で視界も悪かったろうに。お門違いの怒りと分かっていても、文句を言わずにはいられない。
「──ころしてやる」
そうだ、ころしてしまえばいい。私を苦しめた分、苦しめて殺せばいい。
「殺してやる……!」
元よりその予定だったが、俄然やる気が湧いてきた。かつてない程のモチベーション。
──耳元で、再び『止めろ』という警鐘。
「うるさいですね……」
幽鬼のような足取りで、印刷した第二回会談の護送ルートを取り出しに向かう。アイデアは全て書き込まなければ。確実に、逃がさないように、奴の命を刈り取るために。
──人生最大の絶望は、もうすぐそこに。
曇らせタグが、アップを始めたようです。
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第十九話:イケニエ
──第二回会談当日、護送車内にて。
車が発進してすぐ、聖天子は蓮太郎と真守に頭を下げた。
「おい、どうしたんだよ急に」
「……先日、天童民間警備会社が襲撃を受けたとの情報を耳にしました。……私の責任です」
「その件で誰かが死んだってワケでもねぇんだ。アンタが気にする事なんてなにもねぇよ。まぁビルは穴だらけにされちまったけど、そこは保険も降りそうだしな」
「しかし、天童社長が病院に搬送されたと……」
「あぁ、それは全く無関係の別件だからマジで気にすんな。怪我の重さで言ったら、社長より夏世の方が酷かったって話だぜ?」
「そうなのですか?」
聖天子はつい先程『リベンジです!!』と息巻きながら車に乗り込む彼女の姿を確認している。イニシエーターの回復力は人間と比較にならないので、実際どの程度の怪我だったのかは分からないが……ひとまず胸を撫で下ろした。
尚、微妙に様子がおかしい夏世については、延珠が『やけにやる気だな』と聞いたところ──『
聖天子は真守の方を一瞥すると、意を決して口火を切った。
「真守さん。何か悩み事があるのでしたら、是非仰ってください」
「……いえ、大丈夫です」
「立場は違えど、お互い何をするにも足枷がつく身です。言葉一つでさえ、私達は自由とは言い難い。ですがこの場には、たった四人の身内だけ。実家だと思って、話してみるだけでも……楽になるかもしれませんよ?」
「…………」
長い沈黙。真守は何度も『言うべきか』『言わざるべきか』と葛藤し、口を開閉させる。
そして──彼は、言うことにした。
「聖天子様、貴女は……自分を殺そうとした相手を、許せますか?」
『ふむ』と、彼女は一呼吸置いて。それから……
「許しましょう。貴方がそれを望むなら」
『……!』
その場に居た全員が、驚愕に目を見開いた。この場でそれを言うことの意味を、理解していたから。
「狙撃手を助けたいのですね? お知り合いですか?」
「なっ、な……!?」
「何故も何も、分かりますよ。
「──神様だ。蓮太郎さん見て、神様がいる」
「落ち着け。ソレは人間だ」
「ふふっ。現人神の如き力を持つ貴方が、それを言いますか?」
「……アラビト神?」
「この世に人の姿を借りて現れた神のことです」
「……オレはそんな、大それた奴じゃないです。今回も、たった一人を説得することすらできなかった。オレはまだ、あの頃と──クラスメイト一人を前に啖呵を切れなかった、無力なクソガキの時と……何も変わってない」
「えぇ、貴方はただの人間です。私と同じ人間です。未熟者同士、一緒に成長しましょう」
「……はい」
真守はこの時、彼女を一生守り抜くと誓ったという。
──それからしばらくして、聖天子たちを乗せた
(……無事で何より)
先に着いていたリムジンが無事であることを視認し、蓮太郎は安堵の息を吐く。運転手の護衛に延珠と夏世は付けていたが、何もなかったのならそれでいい。
蓮太郎はスライドドアを引くと、聖天子の方に手を伸ばす。
「さ、お姫様。行くぜ」
聖天子は恥ずかしそうに俯くと、黙って蓮太郎が差し出した手を取った。
今回の会談は前回と違い、料亭で行われることとなっていた。敷地面積は広く、外塀がかなり高い場所だ。中に入ってさえしまえば狙撃は難しい。
──故に、蓮太郎は顔を
「……里見くん、これはどういうことかな?」
「……保脇」
「何故聖天子様をこのような車に?」
「リムジンじゃ危険だと判断した」
「では私に報告が通っていない理由は?」
「ギリギリで思い付いたことだったからな。悪かったとは思ってる」
──嘘である。
蓮太郎は、彼を信用していない。依頼前の一件で見せたあの姿が、どうにも彼の本性に思えてならないのだ。だから蓮太郎は、敢えて彼に報告しなかった。
「ただアンタだって、前回の護送計画を一部俺らに送んなかったろ。コレでチャラにしてくれ」
「…………分かった。これで手打ちにしよう」
そして話が決着し、蓮太郎が再び足を踏み出さんとしたその時だった。
視界の端に映る巨大ビル屋上で、光の明滅──
「ハアアアアァァァッ!」
真っ先に反応したのは延珠。
「相棒! 場所は──」
「大丈夫、オレも見えてた!」
「なら行ってください! こっちはお任せを!」
「ありがとう、任せた!!」
そして彼は、人目を避けるべく近くの地下駐車場へ入り込み──力を解放。全身を黒い甲殻が包み、少年を戦士へと変化させる。
(──また光った!)
聖天子に死んで欲しくない。蓮太郎、延珠、夏世に傷付いて欲しくない。それを為すのがティナであることに、彼は耐えられない。
「──ティィナァァァ!!!」
ビルからビルへ飛び移り、彼は遂に敵地へ到達する。そしてすぐに狙撃銃を発見し、移動の勢いそのままに蹴り砕いた。
──直後、前方ビルから
(……スポッターとフランカーか)
大抵、狙撃手には一人か二人護衛が付いているものである。真守は特に驚くことなく二つの弾丸を弾き飛ばし、
「────は?」
まず大前提として、自然界に対戦車弾を弾ける生物はいないし、銃弾の軌道を捻じ曲げるような磁力を発生させる生物もいない。
彼がそれらをやってのけるには、ガストレアウイルスの『特性強化機能』を『拳一点』に集中させる必要がある。
そして磁力の要である発電魚は、
つまり彼は──死角からの狙撃には無力なのだ。
首と、胸と、右膝。真守の身体には、鎧を貫通した三つの大穴が空いていた。
「──ッッテェなぁ、オイ……!」
それでも尚、彼は立っていた。只人だった頃から持ち合わせていた異常な精神力と、異形の耐久力が、彼に戦闘続行を可能とさせた。
(こちとら一度は身体半分千切れて無くなっとんじゃい! この程度で倒れるオレじゃ──)
再び、五ヶ所から
(──あっ、流石に無理)
痛みの許容限界を一口に含む米粒の数ほど乱雑に叩き込まれ、真守は意識を手放す他なかった。
*
「しぶとい奴でしたね」
泥酔した酔っ払いのように、制御に失敗した糸繰り人形のように、無数の鉛弾で不恰好なダンスを披露してくれた『鎧』は──遂に彼自身が作った血の海に沈んだ。
やはり、私の『処刑場』は最強だ。誰も私に勝利できない。
「……首でも取っておきましょうか」
今回の一発目は、赤髪のイニシエーターに防がれた。二発目以降も、事務所で戦ったあのイニシエーターと、腕利きのプロモーターに邪魔された。しかしどの相手も、『鎧』ほど化物染みた動きはなかったから……彼の首を見て、戦意喪失してくれれば楽になるのだが。
──だからそう、これは天罰なのだろう。
「……鎧が、ない?」
『処刑場』のビルまで辿り着き、違和感に気付いて。
「────ぇ?」
仰向けに倒れた『彼』の顔を見て、呼吸が止まった。見間違いだと信じて、バカみたいに
フラフラしながら近くに寄って、見間違いじゃないんだと確信して、『彼』に覆い被さるような形でくずおれる。
「あぁ、あぁあああ……!」
飛び散った内臓、砕けた骨片、多量の出血。暗殺者としての経験が、どれ一つ取っても『致命傷』だと太鼓判を押している。
あまりの衝撃に、視界がグルグルと回転するような──
「──貴ッッ様ァァァ!!!」
……あぁ、違う。コレは……実際に転がっているのか、私が……蹴り飛ばされたんだ。
「ウッ──ェほっ、ゲホっ……! ぅ、うぅ……!! こんな、こんな酷い傷……妾でも、治るかどうか……ッ!」
……赤髪の、イニシエーター。『彼』の仲間が、吐き気を堪えて口元を押さえ、震えながら慟哭する。
あぁそうだ。
だからそう、これは天罰。
この惨状が『悲惨』なのだと思い出させるための生贄に、世界は私の最愛を蹂躙した。
「──Kill me……」
「……ぁ?」
「殺して、ください……」
もう、充分思い出せた。もう、充分苦しんだ。きっと来世も、今生で悪行を積んだ分酷い死に方をするだろう。だからもう、終わらせてくれたっていいだろう。
「私、こんなつもりじゃなかった……『鎧』の中身が『彼』だと知ってたら、こんな……」
「…………あぁ、そういうことか」
彼女が何に納得したかは知らないが、どうでもいい。何もかも。
「──甘ったれるな」
彼女はズンズンと私に近付くと、胸ぐらを掴み上げて頬を張った。
「死ぬくらいなら、暗殺稼業なんて辞めて罪を償え」
「……私は、これ以外の生き方を知りません」
「『甘ったれるな』と、そう言ったッ! お主はこの先、自分のしたことを後悔しながら生きるのだ! それが贖罪にもなるだろう」
「……厳しいですね」
「フン、何度同じことを言わせる気だ?」
彼女は私から手を離すと、『彼』の遺体を抱きかかえた。
「……今私を殺さないと、後悔しますよ」
「そんなに死にたいなら──お主が『罪を償い切った』と思えるようになった時、天童民間警備会社を訪れろ。妾が此奴に──真守に会わせてやる」
「……あぁ、それなら……頑張らないとですね」
「分かったならいい」
そう言って、彼女は引き返していった。
「……ごめんなさい」
あぁ、彼女の言った通りだ。私は罪を償う義務がある。
だけど──
「それでも聖天子は、殺します」
私にはやっぱり、殺すしか能がないのだ。
だから私は、エイン・ランドの殺害を贖罪としよう。そのためには、
──個人兵装、BMI使用。狙撃銃に仕込んだ自爆機能を発動。証拠隠滅完了。
「さようなら──真守さん」
私は、彼女が垂らしてくれた蜘蛛の糸を引き千切る。だから、貴方にはもう会えない。
「待っててください──プロフェッサー・ランド」
私は、私を外道へ堕とした男と共に──地獄の底まで、堕ちていこう。
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閑話:歪な進化
──時は数日巻き戻る。
これは、天童民間警備会社が襲撃を受けた日のこと。その時現場へ現れなかった、里見ペアの話。
「延珠、気を付けろ」
「む、何にだ?」
襲撃が起こる少し前、蓮太郎と延珠は菫に呼ばれ、勾田大学病院を訪れていた。
「……先生が
「だからって、警戒する必要があるのか? 妾は菫と会うのは久しぶりだし、楽しみだぞ」
「……まぁ、それならそれでいいか」
楽しそうに拳を上下させる延珠を見て、蓮太郎は嘆息しながら扉を開ける。
すると『パリンパリン』という、ガラスの割れる音。
何事かと二人が音の方に視線をやると、菫がテーブルの上で笑い転げていた。ガラスの音は、テーブルから落ちた試験管やビーカーの音だった。
「……何やってんだよ、先生。たしかアンタの使ってる試験管って、高いやつだよな?」
「あぁ、来たのか蓮太郎くん。試験管のことは気にするな。通販で買える程度の代物だ。一本五千円くらいだったかな」
「…………」
五千円は、充分高い。
「ハッハッハ、そんな顔をするな。ただでさえ見ていられない面が更に酷くなる」
「帰るぞオイ」
「あぁ待て、スマンスマン。今日は大事な話があるんだ。おふざけはこのくらいにしておこう」
菫はテーブルから降りると、ビーカーにコーヒーを注いで持ってきた。
「蓮太郎くん、延珠ちゃん、遅れたけど千位への昇格おめでとう」
「うむ!」
「……おう」
「だが残念なことに、高位序列者になれば良いこと尽くめとはいかん。だから、君達に警告がある」
二人は居住まいを正し、傾聴の姿勢に入った。
「まずは蓮太郎くん、君のことから話そうか」
「はい」
「君は、本格的に自分の出自を追うと決めたそうだね」
蓮太郎は首肯する。
「ならば君は近い将来、再び機械化兵士と対峙することとなるだろう。さてここで一つ問題だが、私はどうして影胤のスペックを君に伝えなかったと思う?」
「……そういえば、どうしてだ?」
彼女は新人類創造計画の元最高責任者である。そして影胤は、新人類創造計画の機械化兵士。ならば彼女は元々、彼の能力をある程度知っていた筈なのだ。
「答えはね、単に
「先生以外にも、機械化兵士を作れる奴がいたのか?」
「あぁ。私の知る限りでは三人。私は『四賢人』と呼ばれた者の一人に過ぎない」
そうして彼女の口から語られた、三人の存在。
オーストラリアのアーサー・ザナック。
アメリカのエイン・ランド。
ドイツのアルブレヒト・グリューネワルト。
中でもグリューネワルト翁は、菫含む他三人より天才としての格が上だという。
「気を付けるといい、彼らの能力は我々の想像を超えた進化を遂げているかもしれないぞ」
聞き終わり、蓮太郎の頬を冷や汗が伝う。それを見て取った菫は、安心させるように笑った。
「蓮太郎くん、そう悲観するな。君は既に、グリューネワルト翁の機械化兵士、蛭子影胤を撃破している」
「……でもアレは」
「AGV試験薬の全投入と、真守くんの参戦。二つの奇跡があったからこそ、かい?」
「あぁ。正直に言って、俺は勝ったと思ってねぇよ」
「それでも君は勝利した。そして朗報だ。君はね、個人兵装のスペックを引き出し切れていない」
「そうなのかッ?」
「あぁ。特にその眼。あまり回転数を上げすぎると脳が焼けちゃうからリミッターを付けてるんだが、それでも最大で二千倍──現実での一秒を三十分くらいまで引き伸ばせる」
「そ、そんなにか……」
蓮太郎は影胤との最終決戦にて、最大でも五十倍程度の思考加速しかできていない。二千倍なぞ遥か先だ。
「精進したまえ。君はまだまだ強くなれる」
「……おう。ありがとな、先生。おかげで目標ができた」
蓮太郎の返答に、菫は満足そうに頷いた。
「さて次は延珠ちゃん、君だ」
「うむ、妾か」
「聞いての通り、蓮太郎くんには先がある。それを話した後に、この話をするのは残酷だが──」
延珠は言葉の先を察し、手でそれを制した。
「言うな、菫。言われずとも分かっておる……
「……あぁ、その通りだ」
菫は二人に見えないよう、テーブルの下で自分の肌に爪を立てた。
「イニシエーターには、『成長限界』が存在するんだ。延珠ちゃんは既に、イニシエーターとして『完成』している。だから……」
「だから蓮太郎が強くなっていく様子を見ても、焦るなと?」
「……そうだ」
「──嘘だな。『成長限界』を超える方法を菫は知っている。違うか?」
延珠の指摘に、菫は観念した様子で溜め息を吐いた。
「……やはり、既に『ゾーン』へ到達してしまった相手を誤魔化すのは、無理があるね」
「……やっぱり、アレが『ゾーン』なのだな」
「待て待て待てっ! 二人共、何の話をしてるんだッ?」
一人取り残された蓮太郎は慌てて声を上げ、菫がそれに対応する。
「前に君が相談してきたことだよ。一度だけ、延珠ちゃんの目が
「──っ、アレか」
「なっ!? ちょっと待て蓮太郎! なんだそれはっ、聞いていないぞ!?」
「……お前はピンピンしてたし、原因も分からない内から無駄に不安を煽ったってしゃーねぇだろ」
「それは、うむぅ……!」
呪われた子供たちはガストレアと同じ赤い目を持つが、ガストレアは眼球全体が赤く発光しているのに対し、彼女らは虹彩の部分のみが赤く発光する。その決定的な違いが消えたとあれば、誰だって不安にもなる。
「安心してくれ延珠ちゃん、君の身体に異常は見つからなかった。今のところ、普通の『子供たち』が能力を解放する時と本質的には変わらない現象と捉えていいだろう。無論、使用は控えてくれた方がこちらとしてもありがたいがね」
「……それなんだが、菫。ゾーンとは、
「「……何だって?」」
蓮太郎と菫は、揃って首を傾げた。
「……使い方を、聞いたのだ。妾がゾーンに至ったのは、あの時だけ……あれ以来、どう頑張ってもあの時の力が出ないのだ。自由に使えたなら、影胤も小比奈も妾が倒していた。蓮太郎にあんな……死ぬほど酷い怪我なぞさせるものか」
「……ふむ? ちょっと、詳しく当時の状況を話してみてくれないか?」
────話を聞いて、菫は一つ頷いた。
「私が集めた情報によると、ゾーンとは本来自転車の乗り方や逆上がりのやり方と同じで、一回成功してしまえばもう元に戻せない、忘れられない代物らしい」
「なら、妾はどうして……」
「たぶん、足を怪我していたからじゃないか? 健常ではない時にやり方を覚えてしまったから、感覚が合わないんだろう」
「じゃあ、わざともう一回足を捻って──」
「本格的におかしな癖を定着させる気か? 止めておけ。それに、狙って全く同じ怪我なんてできるモンじゃない」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
蓮太郎は、密かに胸を撫で下ろした。延珠の寿命は残り僅かだ。それを更に削る技なんて、忘れていた方が良い。
「ファハハハハ。潔く諦めるんだな」
「だが、もしゾーンイニシエーターと戦うことになったらどうするのだ!?」
「その時は逃げろ。君の不完全なゾーンでさえ、本来同格の蛭子小比奈を圧倒したんだろう? 完全なゾーンを相手にすればどうなるか分からないほど、君はバカじゃない筈だ」
「うっ、うぅ……分かったのだ……」
延珠は渋々、本当に渋々、脳内メモに『ゾーンと会ったら逃げる』と書き記した。
「ゾーンと会ったイニシエーターは、首筋がビリビリするらしいぞ。覚えておくといい」
「うむ」
そうして話を終えた二人は、地下室から退出した。
蓮太郎の携帯に緊急連絡が飛んできたのは、その直後のことであった。
*
──夜の街を、ツインテールの少女が飛び跳ねていた。
「……あやつは、ゾーンじゃなかった」
その腕には、血塗れの青年が抱きかかえられていた。
「それでも奴は、真守に勝ってしまった」
少女は、青年の強さを『自分以上』と認めていた。
だが青年は、敗北した。
「──妾が、ゾーンに至っていれば」
少女は考える。
もし、自分がもっと強かったなら。彼女の想い人が、何度も死にかけることは無かっただろう。腕の中で眠る彼が、こうなることも無かっただろう。
「蓮太郎、菫……すまぬ」
少女は、ここに居ない誰かへ謝罪した。
「妾はもう、妾の弱さに耐えられない……!」
──少女の眼球が、赫い明滅を繰り返した。
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第二十話:『真の守護者』
──痛い、痛い、痛い。
一定以上の痛みは熱の錯覚を起こすとか、そんな話を聞いたことがあるけれど……自分の場合は、
恐る恐る、目を開ける。
……強く打ち付けられた右足は肉が見えて、血がダラダラ流れている。しかし熱は感じず、ただひたすらに痛いだけだった。
『──起きちゃった? ごめんね。痛いよね。うまく運べなくて、ごめんね』
ぐらぐら、ぐらぐら、激しく揺られていた。オレは、自分と同じくらいの女の子に運ばれていた。
……どうして、こうなったんだっけ?
あぁそうだ、思い出した。
『……ねぇキミ、あの子……オレの近くにいた、子犬……あの子は……?』
『……ごめんね。私一人じゃ、キミかワンちゃんのどっちかしか、運べなかったから』
あの子犬。怪我をしていた子犬。
助けようと近付いて、その近くに猪が居たことに気付かなくて、突進されて、こうなった。
……あぁそうだ、
『ごめんね、もう少し頑張ってね。ほら、もう病院が見えたから──』
そうしてオレは、すぐに治療を受けた。
そうしてオレは、愚かな質問をした。
『……ねぇ先生、あの子……オレと一緒に来た、女の子は……?』
猪を追い払うために戦ったのか、オレなんかよりよほど酷い怪我をしていた。だから心配になって……本当に、バカなことを聞いてしまった。
『あぁ、安心して。赤目は放っておいたらすぐ治っちゃうから──』
そうだ、ガストレアウィルスに守られた生物の傷は治る。だから、
『ちゃんと再生する前に
『…………は?』
治らないようにするためには、バラニウムが有効だ。バラニウムがあれば、力の強い『子供たち』も、たちまち普通の子供以下。
──そして彼女は、殺された。オレのせいで、殺された。
呆然として、それ以降のことは何も覚えていない。
ただ、退院する日に病院の窓ガラスを叩き割れるだけ叩き割ったことは覚えている。……反省はしているが、後悔はない。
それが原因で仙台エリアに居づらくなったオレのために、両親は東京エリアの家を買い、移住することにしてくれた。小一の夏に起こった、最悪の思い出。
あの頃はまだ、大戦の記憶が今より色濃く残っていて。同時にオレ達『無垢の世代』は、『子供たち』がどれだけ恨まれているのか実感がなかった頃だったから。彼女も、オレも、警戒が足りなかったのだ。
それでも東京エリアなら、先代の聖天子様も『子供たち』に厳しくはなかったから……殺されることは、なかったかもしれないけど。仮定に意味は無い。彼女はもう死んだ。オレのせいで。
『──それは違うぞ、真守』
あぁ、わかってるよ……父さん。
『人間にはな、二つの命があるんだ』
人は二回死ぬ。一回目は生物として。二回目は、記憶として。
だからオレが生きる限り、あの子に二度目の死は訪れないのだと。その言葉に従って、今まで頑張ってきた。
『──お前は、真に人を守れる男になれ』
そして、繋ぐのだと。
オレが誰かを守ったその時には、彼女の存在を語ってきた。『キミを助けたのは、オレじゃない』と。『オレを守った彼女が、キミを守ったのだ』と。
そしてその誰かが、更に人を守って。善意が回っていく。誰もが互いを守り合う、平和な世界を──なんていう、荒唐無稽な理想を掲げて。それが父とオレが目指した、『真の守護者』の正体。
『じゃあどうして、キミはティナちゃんにその話をしなかったの?』
あの子は、ボロボロだった。あんな、あんなに『下手』と表現するしかない泣き方をする子を初めて見た。
声のトーンが外れていて、泣くと呼吸が乱れるということすら知らない様子だった。後から知ったが、彼女はオレ達『普通の子供』が無意識に参考としている
とても、これ以上の
『……ごめんね。やっぱり私は、キミの重荷だったか』
いいや。おかげで退屈知らずの人生を送れてるよ。キミには感謝しかない。
『本当に? 今日までずっと頑張り続けて、疲れてない?』
……正直、ちょっとね。
『なら、こっちに来て。休んでいこ?』
……あぁ、うん。
オレ、頑張ったよな。少しくらい、休んでも──
『──うそつき』
ドクンと、心臓が跳ねた。
『私より先に死なないって、約束したじゃないですか……!』
……あぁ、ごめん。
オレは、まだそっちに行けないんだった。
『……そっか、残念』
『なら速やかに帰りなさい、愚息』
一瞬天国のような場所と懐かしい顔が見えたが、次の瞬間オレの意識は殴り起こされた。
*
「息子さんと話していかなくてよかったんですか?」
「真守は放っておいても大丈夫よ。どこまで堕ちても、いつか自力で理性を取り戻せるって信じてる。だってあの子、父親似だもの──
……私のケアが必要なのは、舞の方よ。あの娘は、私に似ちゃったから」
「……だったら」
「今すぐは無理。現状で接触が取れるのは、真守以外だと……うん。やっぱり夏世ちゃんでギリギリ。他の娘はまだ駄目ね」
「いや、伝言とかでもよかったんじゃ……と」
「…………次よ次! どうせウチのバカ息子は、また近い内に来るだろうし」
「……ポンコツ。そんなだから格下相手に殺されるんですよ」
「それは本体の話でしょ。なんでゾーンでもない雑魚に殺されたかは知らないわ」
「(どう考えても、相手が子供だと本気を出せない性格が原因ですよね。真守くんもそれで負けたようなものですし)」
「思念、漏れてるわよ」
「おっと、失礼しました」
「……まぁ、そこは大目に見てもらいたいわね。私も、真守も、
──というか、アナタの死因だって人のこと言えないでしょうに」
「……若気の至りです」
「……死後含めても九歳でしょ、アナタ」
*
目の前に、肉塊が置かれている。
「…………すまぬ。助けられなかった」
ソレを置いた少女は、長い沈黙の末に、それだけ言って。元々俯いていた頭を更に下げた。
「は……?」
彼女が何を言っているのか、何故そんなことをしているのか、分からない。
助けられなかった? 誰が、誰を?
「何言ってるんですか、延珠さん。相棒が死ぬワケないでしょう?」
なんたって、彼は蛭子影胤との戦いで
「ほら相棒、いつまで死んだフリしてるんですか? 早く起きてくださいよ。延珠さん、完全に信じちゃってるじゃないですか」
『────』
場が静寂に包まれ、憐れむような視線が私に集中するのが肌で分かる。
「あの、もういいですって。本当に……私が恥ずかしくなるじゃないですか」
痺れを切らし、彼の肩を揺すってみる。
ぐらぐら、ぐらぐら、何度も何度も、揺すってみる。それでも彼は、反応してくれない。
「夏世、もう止めてやれ……分かるだろ……? ソイツはもう、息をしていない……」
「里見さんまで何を言い出すんですか。呼吸くらい止められますよ。一緒に海の中で戦った時は、たしか──」
「夏世!!」
延珠さんの怒鳴り声に驚いて、言葉を切った。
彼女は大粒の涙を溢しながら、こちらを見ていた。……現実を、見ていた。
「
「──ッッ」
あぁ、またこれか……
「嘘吐き……!」
私の相棒は、またしても……
「私より先に死なないって、約束したじゃないですか……!」
彼に覆い被さるようにくずおれ、慟哭し──心臓に激痛。
「──うん。だから帰ってきたぜ、相棒」
「ぇ」
背中に手が回り、包容を返される。その力加減も、その声も、彼のもので。
「〜〜っ、起きるのが遅いんですよッ、バカぁぁぁ……!」
「夏世と比べたら、誰だってバカでしょ」
「そういう意味じゃないですよっ、バカ……!」
心臓の痛みは、もう引いていた。
『やっぱ侵食率上がっちゃうわよねぇ……まぁ
……代わりに、耳鳴りがするようになったけれど……
『そこはどうしようもないから勘弁してほしいわぁ』
まぁ、悪いものではない気がするので良しとしよう。
相棒が、明日からも変わらず私の側に居てくれる。私は、その事実さえあれば充分だ──
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第二十一話:決戦前夜
──事件の二日後、三回目の会談の日程が決まった。
明後日の夜八時から。それが第三回非公式会談の予定日時。
「……何もかも早過ぎる」
「えぇ、私もそう思うわ」
『第二回の時点で三回目の予定を立てていた』としか考えられない速度だ。それが意味することは……
「斉武宗玄、奴が暗殺の依頼人に決まってる……」
「でしょうね」
初めから、二回目で聖天子を仕留める気は無かったのだろう。事前に事務所を襲撃したことからも分かる通り、狙いは邪魔な天童民間警備会社だった。
「それで、どうするの? 退くなら今よ」
「まさか。依頼は続行する」
「誰が死んでもおかしくないわよ」
「依頼を降りても、真守は一人で戦いに行く気らしいぜ? なら、俺達がサポートしてやった方が良い」
延珠は真守を連れ帰る前、狙撃手に会ったという。そして、自暴自棄になっていた狙撃手に、罪を償うよう諭したとも。
(──だが、こうして三回目の会談が決まった。敵はまだ諦めていないと想定して動くべきだ)
「一人で戦うって……それで一回殺されかけてるのよね?」
「あぁ。心配なのは確かだけど、たぶん大丈夫だ」
「何を根拠に」
基本的に過保護な蓮太郎は、無責任にこのようなことは言わない。そう分かっていても、木更は不安から語気が荒くなるのを自覚した。
「先生が『任せておけ』ってさ。あの人がそう言うなら、勝算があるってことなんだろ」
「そうかもしれないけど……!」
「気持ちは分かるぜ、木更さん。だからさ、実は
「え?」
豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になった木更へ、蓮太郎は言い難そうに報告する。
「未織に頼み込んで、VR訓練室を借りた。今、対狙撃手用のプログラムを組んで貰って修行中だ」
「…………」
VR訓練室は本来年単位で予約が埋まっている代物だ。それを横入りで利用するとなれば、司馬重工に大きな借りを作ることとなる。未織と犬猿の仲であり、つい先日も大喧嘩をしたばかりの木更は、いつも以上に嫌な顔をして──
「気に食わないけど、
「……俺一人でも、大丈夫だぜ?」
「別に邪魔とかしないわよ。背に腹はかえられないもの」
「なら、いいけどよ」
「何よ、そんなに意外? 心外ね。私だってTPOくらいわきまえてるわよ」
「…………」
白昼堂々と、学校に、銃火器刀剣フル装備で、真面目な話の邪魔をしに行った女は誰だったか──蓮太郎は訝しんだ。
そしてジト目の蓮太郎を尻目にテキパキと手荷物を纏めた木更は、気まずそうにボソボソと言った。
「……ウチの大事な稼ぎ頭だもの。こんな所で喪えないでしょ?」
「……あぁ、そうだな」
素直になれない彼女と共に、蓮太郎は司馬重工へ足を運んだ──
(……この世はいつも、良い人から死んでいく。里見くんも、真守くんも、危なっかしくて見てられない。見てられないから──私は、暗い方を見つめるわ)
『絶対悪』の胎動に、彼らは未だ気付けない。
*
無機質な電子音が仮住まいの自室に響き、目を覚ます。時刻は深夜二時半。
「……マスター、私です」
『第三回の警護計画書が流れてきた』
「早いですね」
不自然だ。前回ですら早かったのに、今回は更に早い。
違和感に眉を顰めながら、送られてきた計画書を見て──頭を抱える。
早過ぎる日程、あからさまに遠回りなルート、あつらえたかのように絶好の狙撃ポイント、そして……彼と一緒に、歩いた場所。私はここの土地勘がある。
「……マスター、気付いていますか?」
『何にだ?』
「罠です。この計画書は偽物かと」
『まだ内通者が露見した形跡はない』
呆れた。こんな見え見えの罠を張る方も大概だが、それに気付かずかかる阿呆が、世界で五指に入る頭脳とは……
「……分かりました。罠だった場合を想定しつつ、現場で臨機応変に対応します──ご安心ください、『鎧』を失った彼らに敗北する私ではありませんので」
『…………それについてだが、貴様……
「──は?」
『私が殺せと命じた警官が生きているという情報が入った。それに、天童民間警備会社の社員も
──全力で拳を壁に叩き付け、携帯を潰す勢いで握り締める。
「殺しました。確実に。生きているなら会わせてくださいよ」
『……そうか。ならいいが』
「マスター。私がこれまでに一度でも、アナタの命令に背いたことがありましたか? 任務に失敗して、逃げ帰ったことがありましたか?」
『……そうだったな。お前は私の最初の作品。最も長く私に尽くしている、愛用品だ。疑って悪かった』
「……私こそ、すみません。寝起きで気が立っていたもので」
『構わん。帰ったら、詫びに珍味でも馳走してやる。楽しみにしておけ』
「ありがとうございます──それでは」
通話を切り、溜め息を吐きながらベッドに倒れ込む。
危なかった。叛意を悟られてもおかしくない状況だった。
「……珍味、ですか」
スーパーで買ってきた冷凍のたこ焼きは、
「ふふ……私の好みなんて、知らないくせに」
部屋に用意していたガソリンのタンクを開封し、中身をぶち撒け点火。部屋から撤退する。
すぐに消防車が現れ、野次馬が押し寄せ歓声を上げた。
……こんなに人が居るのに、誰も私を見ていない。私の側には誰もいない。
「…………だれか……」
……自分の口から無意識に漏れた単語に驚いた。
彼という温もりを知ってしまった私は、ここまで人との繋がりに飢えていたのか。
「誰か、私を──」
殺してください……
続く言葉は、アパートが倒壊する音に掻き消された。
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閑話:彼の身体で起きたこと
──室戸研究室にて。
真守の診察を終えた菫は、深い溜め息を吐いた。
「同時狙撃を頭蓋骨の超硬化と、心臓の局所バリアで凌ごうとしたな? バカな真似を」
「むぅ、バカとはなんですか。あの状況で咄嗟に致命傷を避けるなんて、我ながら凄いと思ってたんですけど……」
「……やはり気付いていなかったか。夏世ちゃんに感謝したまえよ、キミ。あの子が来なければ死んでいたぞ」
「えっ?」
いつものふざけた様子は鳴りを潜め、彼女はまっすぐに真守を見つめていた。
「ケーキが入った紙箱を落としたら、ケーキと箱はグチャグチャになる。ではケーキを金庫に入れて落としたらどうなる?」
「……金庫は無事でも、ケーキはグチャグチャになります」
「それが、キミの頭で起こった事象だよ」
頭蓋骨が無事でも、
「まぁ、そっちは
「……どうなっていたんですか?」
「
「……すみません、もう一度お願いします」
聞き間違いだと思いたかったのだろう。しかし彼女は無慈悲にもう一度真実を告げた。
「動いている心臓にAEDをぶち込むと止まるって、聞いたことないかい? キミはそれをやっちゃったんだよ。するとどうなる?」
「……血流が止まります」
「そうだな。すると血液にしか存在できないガストレアウイルスは、全身を巡ることができない。そうなると、各自持っていた分のエネルギーを使い切ったらお終いだ」
「……そしてオレは、そんな状態で貴重な血液をぶち撒けた。肝心の心臓も、バリアのせいで動かすことすらできない」
「その通り。だからね、キミは一度死んでいる」
──そして、千寿夏世の手で蘇生された。
「再生レベルⅢ以上のガストレア及び呪われた子供は、細胞同士が磁石のように引き合うんだ。キミもその領域に足を踏み込んでいる」
「それと相棒に何の関係が?」
「分からないかい? 夏世ちゃんの身体には
「──どういう、ことですか」
「そう不思議な話じゃない。再生に必要なエネルギーを、彼女が負担してくれたのさ。磁石と磁石がくっつくためには、磁界の範囲までそれらを近付ける人間が必要なのと同じで──」
「そうじゃなくてッ! どうして夏世にオレの血が流れてるんですか!?」
「彼女には定期的に、キミの血を輸血していた。勿論同意の上でね」
「何のためにッ! いくらオレの侵食率が零だからって、ガストレアの血を輸血なんてしたらどうなるか……!」
怒りのあまり、真守は菫に掴みかかろうとして──彼女のキョトンとした顔が目に入り、毒気を抜かれる。
「……意外だな。キミ、もしかして侵食率の計測方法知らないのかい?」
「え? えぇ、はい……」
「まずステージⅠガストレアの血液を採取する。次に同量の血液をイニシエーターから採取する。そして可能な限り同条件のモルモットを用意して──」
「──ガストレア化するまでの時間差から百分率を割り出す、と。胸糞悪いですね」
「医学なんてそんなもんだよ。まぁこの計測方法は最初期のものだから、今はもうやってないけど──これでキミの『侵食率零』という状態がどういうものか、理解できただろう?」
「……
「そういうことだが、より正確に言うと──キミの血に触れたガストレアウイルスは侵食活動を停止する」
「──それって、つまり」
「あぁ。キミの血そのものが、侵食浄化剤として作用し得る」
「それで、夏世の体内侵食率は……?」
「輸血前は27%だったのが、今は18%まで下がっているよ」
「良かった……」
「……ああ」
夏世は既に、真守と同じ体質になりつつある。それは良いことばかりではないが……今言うのは無粋と判断し、口をつぐんだ。
「……あれ? でもそれなら、態々浄化剤なんて作らなくても良かったんじゃ」
「キミ、血液型AB+だろう。そのままだと、使える人間が限られてしまう」
『なるほど』と、彼は首肯した。
彼は知らないことだが、誰よりも寿命が近い延珠に輸血がされていない理由がコレだ。
「──あぁそうだ。帰ったら夏世ちゃんにも診察を受けるよう言っておいてくれないか」
「はい」
「ついでに購買でお菓子でも買って帰るといい。いつも頭脳労働をしている彼女は、常に甘味を必要としているぞ」
「……いや、駅でお高めのものを買っていきます」
「それと、最後に一つ」
「はい?」
立ち止まった彼に歩み寄り、菫は注射器の束を手渡した。
「──
「……肝に銘じておきます」
「できれば渡したくなかった。これを手にしたキミが、どんな無茶をするか分からなかったからね……だけど」
菫は、真守を優しく抱擁した。
「キミが死にかけたと聞いて、私がどれだけ動揺したと思っている? 私は後悔したよ。こんなことになるなら、初めからコレを渡しておくべきだったとね」
「……すみません」
「真守くん、キミはもっと自分の価値を自覚するべきだ。私はキミと東京エリアの人間全てを天秤にかけても、迷わずキミの命を取るだろう」
「……命の価値は皆等価、なんて言う気はありませんが……少なくとも聖天子様は、オレなんかより価値のあるお方です」
「キミがそう言うのなら、私は依頼を降りろとは言わない。だが、一つだけ約束してくれ」
「……なんでしょう」
「そのアンプルは、絶対に二つ以上同時に使うな。できれば連続使用も避けろ。キミの血も完璧ではない。本来十歳児であるキミが今こうして大人の身体を手にしている時点で分かると思うが、一度に許容限界を超えるガストレアウイルスを注入されれば、いくらキミとて肉体への影響が出る」
「……分かりました。約束します」
「……うん。ならいい」
菫は真守を解放し、赤くなった顔を逸らした。
「まぁ、その、なんだ──勝てよ、真守くん」
「無論です。もうオレは、誰にも負けません」
*
「──見つけた。あの運転手には感謝しなければなるまいなぁ」
聖天子付護衛官保脇卓人は、とある遊園地の防犯カメラに映った映像を観てほくそ笑んだ。
「ククク、これで守屋真護は終わりだ……!」
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第二十二話:狙撃兵は月を見て
決戦の夜。
真守はティナが居るであろう、廃ビル群に向かっていた。
(五分……五分、ね……)
人間の歩行速度は分速約80m程度。その場合五分で進めるのは400mということになる。1km先の目標を正確に狙える狙撃兵ティナ・スプラウトを相手にする今回の場合、一発は不意撃ちを貰う恐れがあるが──
(──銃口炎ッ!)
幸運なことに、彼女の潜伏先は予想通りだったらしい。正面からの狙撃弾を危なげなく弾いた彼は、すかさず鎧に着けたウエストポーチからアンプルを取り出し、首筋に突き刺した。
──瞬間、彼が所有している
そう、再生レベル増加なぞオマケに過ぎない。GVBアンプルの真骨頂は、彼のスペックを最大限引き出すこの効能にこそある。
「……見つけた」
彼の所有因子には、フクロウを含めた複数種の強力な眼を持つ生物が存在する。この瞬間、真守の視力はティナをも凌駕した。
「やっぱ、同時狙撃のタネはそういうことね……夏世の予想通りだったワケだ。まさか本当に無人とは」
その事実は、彼の心を複雑に掻き乱す。
説得する相手がティナ一人であるのは、真守にとっては都合が良いことだが……
「絶ッッテェ許さないからな。四賢人の誰かさんよぉ……!」
真守の眼球が、憤怒により輝きを増した。
思念により物体を操作するBMIの技術はガストレア大戦以前から存在していたが、コレは本来医療目的の技術である。イニシエーターである彼女には、無用の長物なのだ。本当なら。
「五分もいらねぇ、十秒で片してやんよ!!」
*
決戦の夜。
満月の夜道を、懐かしい道を、私は一人眺めていた。
彼に本当の名前を打ち明けたあの日。恋を知ったあの日。まだあれから一月も経っていないのが、信じられない。随分と昔のことに感じられる。
そんな場所に、一人の男が現れた。見覚えのある鎧を纏って。
「────ッッッ」
この国には『怒髪天を衝く』という怒りの表現があるらしいが──今まさに、私はその状態にある。
ずっと、気になっていた。彼の鎧が、どこに行ったのか。誰が何のために、回収したのか。
「マスターより性格の悪い人間なんて存在しないと思っていたんですが──どうやら下には下がいるらしいですね、ドクター室戸……!」
もう一人いたのだ、彼と同じ個人兵装を持つ人間が。そして情報を渡さないために、鎧だけを回収した。
あの時彼を連れ帰った彼女はそのことを知っていたのだろうか。……いいや、知らないのだろう。彼女は鎧の在り方について、一切気にした様子がなかった。それに、彼女は純粋に真守さんの死を悲しんでいた。そうでなければ、血で汚れることも厭わず、あれほど優しい手付きで、遺体を抱きかかえることはしない。
「悪趣味にも程がある……!」
室戸菫は、知っていたのだ。私と彼の関係を。だから態々誘導場所に此処を選んで、同じ個人兵装を持つ人間を送り込んだ。
「私の前にその鎧を纏って現れたこと、後悔させてあげます……!」
そう息巻き、BMIを使って囮の銃を操作する。弾は弾かれるが想定内。彼と同じ方法で殺してやろう──と、思った次の瞬間。
標的をロスト。同時に囮を配置していたビルが、
「──は?」
ビルに配置していたシェンフィールドが全損している。見間違いではない。
一体、何が起こった……? ワケが分からない。思考が停止して、活動を放棄している。
ただ、呆然として倒れたビルを見つめ続けた結果……一つ分かったことがある。
舞い上がった粉塵が少し落ち着き、人影が見えるようになったのだ。兜の隙間から赤い光を出している、相変わらず悪趣味な鎧を纏った人影が。
「更にもう一人……? いや、まさか……この一瞬で近付いて、ビルを壊した?」
なんだそれは。私の上位互換、最強のハイブリットであるリタでも不可能だろう。ふざけるな、そのような生物が存在してたまるか。
しかし現実は非情で、今度は私の居るビルで轟音が響いた。
……こういう時、どうすればいいのだったか。
「『万が一、敗北した場合』は……」
拳銃を取り出し、バラニウム弾が装填されていることを確認。
呼吸を整え、側頭部に銃口を押し当てて目を閉じ──
「自害、しないと──ッ」
手首に衝撃。拳銃が飛ばされ、私は全ての手札を失った。一応ナイフはあるが、それでどうにかなる相手とは思えない。
これからどうなるんだろうか、私は。
『自害』というのは、何もハイブリットとしての技術や情報の漏洩を避けるためだけの行動じゃない。何せ私は『呪われた子供』だ。生きて囚われれば、待っているのは大抵『死んだ方がマシ』とされるような拷問の日々。その中には……性的なものも、含まれているという。
──嫌だ。
『痛い』のは嫌だ。彼以外の男に犯されるのはもっと嫌だ。絶対に嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──
「はぁ……デコピンくらいはしてやるつもりだったんだけどな……」
「ぇ?」
震える私を、温もりが包んだ。もう感じることはないだろうと思っていた、人肌の温度。そして壊れものを扱うような力加減で、背中がポンポンと叩かれる。それに、この声は──
「──うそ」
「何が?」
「こんなの、ウソです。幻覚です……」
だって、彼は死んだのだ。私がこの手で、殺してしまったのだ。
そう分かっていても、目を開けられない。そうすればこのまま、夢見心地に浸っていられ──
「せいっ」
「あうっ」
額にヒリヒリとした痛みが走り、その後一瞬で治癒される。覚悟していた拷問には、遠く遠く及ばない痛み。
まさかと思って恐る恐る目を開けると、そこには『彼』がいた。
「コレは夢でも幻覚でもないよ? というかそもそもイニシエーターって、幻覚とか見れるの?」
「……私、ストレスで味覚無くなったんですよ?」
「げぇ、マジで?」
「本当です。本当に──本物、なんですよね……?」
「大丈夫大丈夫。モノホンの真守さんですよー? たびたび語呂の悪い偽守さんになったりするけど、ちゃんと本物」
「────っ」
感極まって、彼を抱き締めた。
本物だ。声も、体温も、所作も、匂いも、突拍子のないことを言うところも、ちゃんと『彼』だ。
「ごめんなさい……! ごめんなさいっ、最後の電話で言ったこと、全部嘘です!」
「あー、アレね。結構傷付いたんだよ? でも許す」
「貴方を撃ってしまったこと、ごめんなさい……!」
「あぁ、アレなぁ……ガチで死ぬかと思ったわアホ。でも許す」
「私他にも、謝らなきゃいけないことが沢山あるんです……! 本当は私、誰にも許されちゃいけない……!」
「でも許すよ。全部全部、許してあげるから。許されちゃいけないことも、オレが半分背負って償うから── 一緒に帰ろう、ティナ」
あぁ……反則だ。断らなければいけないのに、そんなことを耳元で囁かれたら……頭の中がドロドロに溶かされて、何も考えられなくなってしまう。
「う、うぅ……だめ……ダメです……」
「……またそれか。そうやって自分を抑えつけるのは、ティナの悪い癖だよ」
「でも……!」
『うるさい。余計なことを考えるな』
「──っ」
急な命令口調に、ビクンと身体が跳ねる。
「前に言った筈だよ? 『オレの前では我慢しなくていい』から『やりたいことを遠慮なく言うこと』って。
──ねぇ、ティナはこの先どうしたい?」
「ぅ、あ……」
いけない。コレは、マズイ。本格的に、頭が回らなくなって……
「ティナ、護身術の先生になりたいってのも嘘? 本当に、こんな所で死にたいの?」
「──ゃ、やめて……お願いです、もう止めてください……!」
頭の中の『やるべきこと』が薄れていって、心が『生きたい』と叫び出して、もう止められない。
だけど、私にとって一番の望みは
「
「……死なないよ」
「死にますよッ! マグレでも私相手に負けてしまうようでは、絶対に……!」
「は? 負けてねえし。オレ生きてますけど? ピンピンしてますけど?」
「〜〜っ、仮に! あの時点では貴方の負けじゃなかったとして、この先私を殺しに来る刺客を、貴方が次々打ち倒したとして──最後の刺客には、絶対に勝てません……!」
「……どのくらい強いのさ、ソイツは」
「アレは、私の完全な上位互換です。私程度じゃ、底が見通せないくらい……」
「ふぅん? ──で? お前に
────は?
いや、待ってほしい。流石に聞き間違いだと思いたい。
恐る恐る、私は崩れたビルを指差し確認する。
「……アレ、手加減してやったんですか?」
「本気を出してたら、こっちのビルまで崩れてたかな。でもってその場合、ティナが無事である保証はなかったし……」
「……じゃあ、前回私と戦った時のアレは本当に……?」
「本当にマグレ。そもそもティナが相手じゃなかったら、狙撃兵相手にわざわざ足を止めたりしないっての」
……確かにあの時私が彼を撃てたのは、彼が止まっていてくれたからだ。
──で、あれば。
この人なら、リタに勝てるのではないか?
だが、それでも……
「私……返せるものなんて何もありませんよ……?」
「あー、別に気にしなくていいんだけど……うーん、ティナがどうしてもって言うなら……そうだ、
「──っっ!?」
身体が一気に熱を帯びる。そういえば、先程からずっと抱き合っているワケだが…………無意味に周囲を見渡して、誰もいないことを確認。
「それは、その……今、ここで……ですか?」
「え? いやいや。確かに早い方がいいけど、今すぐは無理でしょ」
「私なら、大丈夫です。ただその、初めてなので、優しくして頂けると──」
「ごめんちょっと待って。話が噛み合ってない気がする……オレは、ティナが『
「……え?」
『身体で支払う』って、
「〜〜っ!! ま、紛らわしい……!」
「一体何をされると思ったのさ」
「言わせないでくださいよ恥ずかしい……!」
「えぇ……何それマジで気になるんですけど……」
まぁ冷静に考えれば、この人が子供を性欲処理の道具にするような非道をするワケがないのだし、私は真守さんのそういう誠実なところが好きなのだが……この対応は、普通に悔しい。悔しいので、この仕返しは
「……しかし、意外に厳しい提案をするんですね。アレだけ事務所をボロボロにして、あまつさえ社長を殺しかけたのです。会社の皆さんはきっと、私を認めないでしょうに」
「あぁ、そこは説得済みだから大丈夫。ていうかそもそも──」
そこで一度言葉を切った彼は、琥珀色の目を閉じ──赫色の目を開いた。
「オレの目、見てみ? キミらと違ってガチの
「……それ、見間違いじゃなかったんですね」
「失望した?」
「まさか。むしろ嬉しいです」
「嬉しい? どうして」
「だって、赤目で良かったことなんて今までありませんでしたけど──真守さんとお揃いなら、悪くないかなと。本当の兄妹、みたいじゃないですか」
そう言うと、彼は照れ臭そうに顔を逸らし 『そっか』と呟いた。
「……もうすぐ姉もできるよ」
「ふふっ、楽しみにしてます」
こうして私達は、カビ臭いビルを降りて。錆びた扉を押し開ければ、清涼な空気と優しい月光が出迎えてくれる。
──あぁ、今日が満月で良かった。
世界がよく見える。この眼は暗闇すらも見通すが、それでも暗ければ暗いほど、見えないものは多くなるから。例えばそう──黒塗りの拳銃なんかは、特に。
「えっ」
力一杯愛しい人を引き寄せて、半回転。そしてすぐさま押し離す。不意打ちに弱い彼は、間の抜けた声を漏らしてたたらを踏んだ。
──銃声。
彼が無事であることを確認して、溜め息を一つ。
「ごぼふっ」
吐息の代わりに出たのは、汚い音と多量の血。乙女的に、これはいただけない。
「なん、で……」
彼の言葉に、首を傾げる。『なんで』とは、なんのことだろう。
「なんで庇ったッ!? オレなら大丈夫だったのに……!」
……どうだろうか。体感的に、コレは
だけど、そういう問題じゃないのだ。もう、彼が撃たれる姿を見るのは嫌だったのだ。私が何度、あの日の悪夢に魘されたと思っているのか。
「──おい」
背後からの声に視線を向けると、『パシャリ』という機械音と同時に、一瞬光を浴びせられる。
……写真を撮られたらしい。
「ククク、イイ表情だ。最高の写真が撮れたぞ」
「……どうして……どうしてこんなところに居るんですか、保脇さん……アナタの配置は、聖天子様のすぐ近くだった筈でしょう……?」
「バカが。お前、聖天子様に自分が狙撃手と通じていることを自白したんだってなぁ? バンの運転手から聞いたぞ」
……それは、ちょっと……擁護しようのない愚行ではないだろうか。
「実際調べてみれば──そら」
写真が何枚か、投げ渡される。
パサリと落ちたそれは、私と彼が映った写真。駅や遊園地の防犯カメラに映った画像だろうか。
「狙撃手が赤目のゴミというのは話に出ていたからな。お前の行動履歴を探って、会社のイニシエーター以外でお前が会っていた女児という条件で絞ればすぐだったぞ?」
そして今、私と彼が此処に居た証拠も撮られた。
「ククッ、ハハハ! 無様だなぁ守屋。折角お優しい聖天子様が許してくれたのに、台無しになってしまったなぁ? コレでお前達はオシマイだ」
コイツ……!
シェンフィールドが無くても、BMIの狙撃自体は可能なのだ。全弾を惜しみなく使って、脳髄をぶち撒けてやる──!
「ああそうだ、僕を殺して証拠隠滅してやろうなんて考えない方がいいぞ? 例の運転手には、定期的に生存報告を送っている。連絡が途絶えたら、証拠をばら撒いて貰う手筈だ」
……それを言うということは、コイツの目的は。
「だが守屋真護、僕はお前の力を高く評価している。ここで失うには惜しい。だから、選択肢をやるよ。
お前、僕の犬にならないか? そうすればそこのゴミも、命だけは勘弁してやる。僕が今すぐ車で病院に搬送すれば、まだ助か──」
言い切られる前に、私は保脇と呼ばれた男を撃ち殺した。この手の輩は、話をするだけ不利になる。
「なっ、なんてことを……!」
「……片手落ち、です。さっきの写真、さえ、送られなければ……私が、狙撃手とは……分かりません……貴方は、ただ……知り合いの、子供と……遊んでいた、だけですと……言い張れ、ます」
「どうっっでもいいんだよそんなことは!! このままじゃ、お前……!」
「死ぬでしょうね……」
それこそ、どうでもいい話だ。
……でも、どうせなら……
「……最期に一つ、お願い……です……」
「嫌だ、最期だなんて……!」
「お兄さんの、いじわる……私に、悔いを残したまま死ねと……そう言うんですね……?」
「──ッ、チクショウ。言えよ不肖の妹。なんでも叶えてやるから……!」
「じゃあ…………で、ください……」
「……ごめん、もう一回お願い」
そうして耳を近付けてきた彼の頭を引き寄せ、口付けをする。
「──好きです」
「なっ、なぁ……!?」
「私の、最期のお願いは……真守さんに……私の、好きな人を……どうか……嫌わない、で……」
もう喉が限界だが、言いたいことは言えた。これで悔いなく逝ける。
「なんだよ、それ……」
わなわなと、彼が震えている。
……いや、私が痙攣しているのか? 息ができなくて、意識が朦朧として、もう何も分からない。痛くて熱くて寒くて、現実がぼやけていく。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
ぼやけた視界の中で、最期の瞬間──巨大な『竜』が、見えた気がした。
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第二十三話:ヘンシン
──気付けば、アンプルを首筋に突き刺していた。連続使用は先生から避けるよう言われていたが、躊躇している余裕はなかった。
アンプルの効能により、世界の動きがゆっくりになる。一瞬でも早く、ティナを救命する方法を見つけなければならない。
見捨てるという選択肢は論外だ。考えろ、考えろ──
……なんて誤魔化してみたが、やっぱり駄目だ。
考えるまでもない。ティナを助けたいなら、遠くに見える病院へ運べばいい。オレの身体能力なら、視界に入る程度の距離なんてすぐだ。結論は既に出ている──
外科医という人種は、特に。あんな、ヒトの皮を被った汚物共に、家族を預けられるものか。
「はは……クズだなぁ、オレ……」
……分かっている。医者だって、全員が『ああ』ではない。室戸先生のような人だって、いるにはいる。
だが、怖いのだ。信用できないものはできないのだ。
故に──自力でなんとかするしかない。
幸い、手段はある。
GVBアンプル。この猛毒から有害性を取り除き、ティナに投与すれば良い。
そのために──もう一本、アンプルを首筋に突き刺した。
「足りない……」
三本目のアンプルを、突き刺した。
「ぐ、ァああ……」
身体が内側からはち切れそうだ。……コレでいい。
乞い願うは『治癒の力』
ただ目の前の一人を救うための力。
──そう言えば聞こえはいいが、その実はどうか。
一体どの程度の勝算がある? オリジナルの能力なんて、本当に手に入るのか? それに、形象崩壊した後理性を保っていられる保証はない。最悪の場合、東京エリアに大絶滅が訪れる。
「それが、どうした……!」
四本目のアンプルを突き刺した。
──どうせ最悪の場合でも、
だって、
先生に言われて、気付いたことがある。死にかけた時に見た母の姿──アレは、幻覚じゃなかった。
コレは、この血の力は、
そしてこの血は……同性である舞の方が、よく馴染んでいるだろう。きっと妹は、オレより強大な力を手に入れる。
「ククッ、ハハハ……!」
最低だ。最悪だ。
それはつまり、舞が怪物と化すことを意味していて。あの子に、兄殺しをさせるということで。
そして何より、オレ達の戦いに巻き込まれた人間達は大勢死ぬ。
──知ったことか。
イニシエーターに守られているくせに、この娘たちを『呪われている』だの『ゴミ』だのと罵る連中なんて死ねばいい。だから、コレでいい。
「ハハッ、アハハ! そうだ殺そう! 皆殺しだ!! フヒっ、ふひは……!」
笑って、嗤って、嘲笑う。
腐った世界を、腐敗した人類を切除する未来を想って──五本目を突き刺した。
「アハッ、ハハハ! ハハ、は……──ごめんティナ。やっぱりオレは、
げんかいがきて、ついにはじけた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
あぁ……オレは、何をしたかったんだっけ……ただ大きな感情の揺れだけが残っていて、叫ばずにはいられない。
すごく、悲しいことがあった気がする……すごく、許せないことがあった気がする……
天を仰ぐが、月は何も教えてくれない。
仕方なく、俯いてみる。すると、あるものが目に留まった。
ぼんやりとこちらを見つめる、エメラルドの瞳。金糸の髪。小さな小さな、可愛い小人のお人形。赤い汚れが玉に瑕。
「……ォオ……」
何故か強く心が惹かれ、屈んでそれをよく見ると──どうやら生きているらしい。赤色は汚れではなく、血ということか。
──ならば、助けねばなるまい。
尻尾の針から薬を出して、傷口に垂らしていく。
「──ッッ!? ああああああ!!!」
あぁ、暴れないでほしい。ただでさえ加減が難しいのに……全身びしょ濡れにしてしまった。
傷口に染みてしまったのだろうか。それとも、切れていた神経が再接続されることによる痛みだろうか?
「う、ぅぐ……え? 傷が……」
あぁ良かった。小人にも、この薬は効くらしい。流石は室戸先生が作った薬だ。
「…………真守、さん?」
マモル……?
「オガ、ア……」
訂正するために出た声は、ガラガラ過ぎて言葉を成していなかった。どうやら叫び過ぎたようだ。
仕方がないので『やれやれ、違うぜ』と首を横に振り、爪で地面に文字を書いて意思疎通を──と、思い至ったところで気付く。
そもそも、
というか、オレの尻尾や爪はこんなだったか? ……少なくとも、人間より極端に大きい生物ではなかったような気がするのだが。
「ヴゥ、ウウウ……」
あぁ、分からないことを考えたら頭が痛くなってきた。思考が堂々巡りになる。
こういう時は眠るに限る。だって夜だし。
「グウ……」
目を閉じると、すぐに睡魔が出迎えた。
あぁ、やはり疲れていたんだ。とりあえず、考えるのは起きてスッキリしてからに────
*
「……眠った?」
謎の傷薬を私に投与した竜は、数回首を振ったり唸ったりした後……目を閉じて動かなくなってしまった。
「えぇ……っと……どうすればいいのでしょう……」
……彼(?)は、真守さん……だと、思われる。
ステージⅣ基準でも巨大と言える、50m程度の体躯にこそなっているが……私を、助けてくれた。少なくとも通常ガストレアと違い、人類への攻撃性はないようだが。意識は残っているのだろうか。
そして三分ほど右往左往していると──彼の身に変化が起こった。
みるみる身体が小さくなっていき、以前と同じくらいにまで縮む頃には、人型に戻っていた。
「──えっ」
そして更に縮み、
「────」
露になった裸体の下半身に目をやらないようにしつつ、その顔を確かめてみると……やはり彼だった。
しかし、これは……
「真守さんが、子供になっちゃいました……」
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間章:それぞれの反応
聖居の二人
聖居の一室にて、男女が静かに言い争っていた。
「即刻、テセウスを処分するべきです」
「なりません」
男──菊之丞は妻をガストレアに殺された結果、ガストレアと同じ目を持つ『子供たち』までをも恨むようになった、典型的な差別主義者である。
女──聖天子は『子供たち』の基本的人権確立を目指す、異端的な理想主義者である。
故に、互いの意見が対立するは日常茶飯事。主従関係にある二人だが、こういった時ばかりは『対等の敵』として互いの主張をぶつけ合う。
……と言いつつ、なんだかんだで菊之丞が落とし所を見つけて矛をおさめるのが恒例なのだが……
「聖天子様、これは私怨を抜きにした上での忠言です! このまま奴を放置すれば、東京エリアはおろか日本全体、最悪世界が滅びますぞ!?」
聖天子狙撃事件は、
他者のDNAを汚染しない血を持つ特異個体であった彼は、人としての形と意思を持っていた。だが、今の彼は……
「……
ガストレアウィルスのキャリアであることを証明する、赤く光る目。
小さくなった彼の虹彩は、『呪われた子供たち』と同じ輝きを放ち続けているという。
彼女らが目を発光させるのは、感情が昂った時と力を解放する時の二通り。そのどちらにしても、四六時中となれば尋常ではない。
「……保脇は、奴らに殺されました」
「殺された?
「精神崩壊した今の
「ですが死んではいません」
そう、保脇は生きていた。ティナの攻撃は間違いなく致命傷であったけれども、真守が垂らした傷薬のおこぼれで命を拾っていたのだ。
……ただしその過程で当然、彼もティナと同じく神経再接続による痛みを味わっている。人体への使用が禁止されている
結果、彼の精神は壊れた。それは別に、彼が軟弱だったからではない。人間は静電気で指を痛めればドアノブを触る手が緊張するし、砂浜を走って足にガラスが刺されば裸足では歩けなくなるものだ。何ならもっと些細な痛みでも、人はトラウマを刻むことができる。対戦車弾が直撃して正気を保っていられる、延珠や真守の方がオカシイのだ。
「……仮に、奴が現状我々に敵意を持っていないのだとしてもです。放置するには、あまりにも危険過ぎます……!」
「彼の何が危険だと言うのですか」
「貴女ほどのお方が、解らない筈もないでしょうに……バラニウムの再生阻害すら押し返す薬効を、ノーリスクでばら撒く能力。これが危険以外のなんだと仰るのか? 敵に回れば災厄。身内に抱き込んでも、魅力が過ぎる力は余計な争いの火種となりましょう」
聖天子とて、それは解っている。菊之丞は間違っていない。
だが、それでも──
「菊之丞さんこそ、解っている筈です。このままでは、人類に未来がないということを」
「人類の未来は、人類の手で切り開くべきです!」
「彼も、『子供たち』も、人間です!!」
「この際『子供たち』は見逃しましょう! しかし奴の存在は、どうあっても看過できない!!」
「どうして……いえ、もういいです」
どういった形であれ、菊之丞は今『子供たち』を『人間』として認めた。これは彼にとって最大限を超えた異例の譲歩である。この瞬間を逃す聖天子ではない。
「分かりました。テセウスは処分しましょう」
「!?」
彼女からも、最大限以上の譲歩。これにより平行線という名の拮抗状態は崩れ、話は急速に終結へと向かう。
「それで、どう処分しましょうか?」
無論、聖天子は真守を見捨てたワケではない。彼の生存力に全幅の信頼を寄せて、『やれるものならやってみろ。協力は惜しまないぞ? その上で、どうせ殺せやしないだろう』と言っているのだ。
……しかし、彼女の想定は甘かったとしか言いようがない。
「
「……はい?」
「自衛隊は論外。民警を使うにも、序列98位が
「ですが、菊之丞さんの身に何かあれば──」
「ええ、政務に致命的な支障が出るでしょうな」
だからそれは、彼女にとっての『想定外』
聖天子は、菊之丞の覚悟を読み違えた。対する菊之丞は、聖天子の
故に、聖天子は手を抜けない。菊之丞が敗北し、死亡するような事態は、万が一にもあってはならないのだ。
(ですが、神崎さんを喪うワケには……ッ!)
これで聖天子は、真守と菊之丞の両名が『勝利』しても『敗北』してもいけない両天秤をかけることとなった。
それから二人は政務の合間を縫って、腹の中で別々の終着点を思い描きつつも計画を練る日々が続くだろう。
*
──金牛はとうに息絶え、骸は腐敗した。
世界を震撼させた畏怖は忘れ去られ、消えていく。そして人知れず、真っ赤な目が腐り落ちた。
目玉はコロコロコロコロ転がって、通った印に『赤』を残して、今日も転がっていく。
────東京エリア到着まで、あと一月。
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『義妹』
──柔らかい感触と、身体を包む温もり。小さな違和感。
薬の匂いに、静かな電子音。……ここはどこだ?
目を開くと、白い天井。どうやらオレは、病室に寝かされていたらしい。
「──あ、やっと起きましたね。おはようございます」
「……? おはよう、ございます……?」
声のした方を見ると、金髪の女の子が微笑んだ。眩しい笑顔にドキリとして、目を逸らす。
……しかし、
「……私が誰だか、分かりますか?」
「…………ごめん、分からないや。どこかで会ったことある?」
こんなに可愛い娘、一度会ったら忘れないと思うのだけど……彼女はオレの返答を聞くと、凄く悲しそうな顔をした。とても申し訳ない。
「……はい。聖居前の公園で」
「聖居前の、公園……」
駄目だ、思い出せない。いつ何のためにそこへ行ったのか。それに、公園の名前も、風景も……全く、これっぽっちも出てこない。
「……やっぱり、何もかも忘れちゃったんですね」
『何もかも』って、そんな大袈裟な。それじゃあまるで、オレが記憶喪失みたいじゃないか。
此処がどこなのかは知らないが、オレは──
…………オレは、誰だ?
自覚すると同時に、息を呑んだ。『ひゅっ』という音と、心拍の増加。体温の上昇を感じる。
どういうことだ、何故オレは何も覚えていない? なんで何も思い出せない……!?
「──落ち着いてください。大丈夫です、私がついてます」
「ぁ……」
身体が柔らかな感触と温度に包まれる。
すると、驚くほどに心が落ち着いて。呼吸が安定するようになって──彼女から、
『ごぼふっ』
──瞬間、脳裏に彼女が血を吐く姿が映った。
「そうだ怪我はッ!?」
「ひゃっ」
彼女を寝台へ押し倒すように寝かせ、患部を確認するため服に手をかけ──ふと我に返って固まる。
反射的にやってしまったが、女の子の服を無理矢理脱がすのは完全にアウトだろ。オレの人生終わった……おまわりさん私です。
……いやまだだ、まだギリギリ未遂だ。今から許可を取れば大丈夫、かもしれない……!
「……ぁ、えっと、その……今更で凄く申し訳ないんですけど……お腹、見ても大丈夫でしょうか……?」
「…………どうぞ」
ですよねそりゃダメに決まって──ん??
予想外の返答でオレが固まっている間に、彼女は自ら服をはだけて……見惚れるほど綺麗な肌が、
あぁ、傷跡が残ってなくて良かっ──
「……許可なんて、いりませんから」
──エッ、なんて??
「全身どこでも、見ていいです。触れていいです」
な、なんだって? どこでも好きなところを見て触れていい、だと……?
自然と視線が、服と肌の境界線──その少し上の膨らみに移動したのが分かる。記憶が吹き飛んでも尚、魂が覚えているのだ。そこに、『男』の求めるものが在ると。
……手が震える。
本当にいいのか? 信じられない。
しかし実際、オレがこの手を数cm動かせば『見えてしまう』状況にも関わらず、彼女から抵抗の意志を一切感じない。
ということは……OK、なのか?
ゴクリと生唾を飲んで、覚悟を決めた。
「じゃ、じゃあ失礼して──」
「勿論
「ですよねすみません調子乗りましたッッ!!」
すぐさま距離を取り、両拳を床に突いて頭を下げた。
つまりさっきのは『またどこか怪我したら、そこがどんな部位であれ応急処置のために見ていいし触れていい』ってことを事前に伝えたかったのだろう。
────紛らわしいわコンチクショウ!!!
男の純情を
「ふふっ、これで
「え、何。どゆこと……?」
「これは『仕返し』なので、悪く思わないでくださいね? ということです。早く全部思い出して、反省してください」
……つまり、マジで全部オレが悪かったと。一体何やらかしやがったんだ……?
「……というか、さ。そもそもなんでオレ記憶喪失になってんの?」
さっき彼女は『やっぱり』と言っていた。原因を知っている筈だ。
「……詳しいことは、私にも分かりません。ただ……貴方は一度形象崩壊を起こし、ガストレアになって……人に戻りました」
「…………」
……は??
人はガストレア化すると、精神的にも肉体的にも、完全に『別の生物』になる。まあ端的に言って『死ぬ』ワケなので、記憶もそりゃ吹っ飛ぶのも分かるけど……
「信じられませんよね、こんな話。私も目の前で起こったことでなければ、鼻で笑ったでしょうし」
「……まあでも現状、キミ以外に頼れる人もいないワケだしなぁ。ひとまず信じてみるよ」
「……良かった。では、こちらをご覧ください」
そう言って彼女が取り出したのは、スマートフォン。
パシャリという音がして、写真を撮られたのだと分かる。
「……これが貴方です」
「わぁお」
真っ赤な目をした少年の姿。どうやら本当に、オレはガストレアウイルスのキャリアらしい。
「これまた今更だけど、キミはオレが恐くないの?」
すると彼女はキョトンとした後、声を出して笑い始めた。
「ぷっ、ふふ。あははっ! それ、貴方が言うんですか……!?」
「えぇ……?」
「じゃあ私の目、見ててください」
「……ん、見た」
「私が、恐いですか?」
「いや、全然。だってオレ、キミらと違ってガチのガストレアっぽいし?」
「あぁ……やっぱり変わりませんね、貴方は」
「……お、おう」
あまりにトロンとした
てかこんな美少女相手に『恐い』とか言う奴、目と性根が腐ってるだろ。
「……それで、いい加減気になってるんだけどさ……キミとオレってどういう関係?」
記憶喪失でも流石に分かる。これは『ただの友達』って距離感じゃない。
「──ティナです。私のことはティナと呼んでください、
「……じゃあ
「はい!」
妹……そうか、妹か。
──妹を
「なっ、突然何を……?」
「兄としての心構えを、叩き込んでた」
「そういうところも、変わってませんね──
ふむ。どうやらオレは、記憶の有無で性格が変わるタイプじゃあないらしい。安心した。
……ただ、その……
「マモル……? それが、オレの名前?」
「はい。何か、思い出しましたか?」
「いや……」
嘘だ。一つ、思い出したことがある。
「……お兄さんは、『真の守護者』と書いて『
「……そう」
──嘘だ。思い出したから分かる……オレは、
「私は、貴方にふさわしい……素晴らしい名前だと思っています」
「……じゃあ早く、この名に恥じないオレに戻らないとだね」
……嘘だ。頭が警鐘を鳴らしている。
『止めろ』『思い出すな』『戻ってはいけない』と、そう叫んでいる。
「──うそつき」
「え?」
ティナはオレの顔を両手で挟んで、真っ直ぐこちらを見て言った。
「……急がなくていいんですよ。ゆっくり、ゆっくりでいいので……自分を、許してあげてください」
「……えっと、ごめん。意味が、よく分からない……」
「気付いてないんですか? お兄さん……名前の話をしてから、凄く苦しそうです」
「……そんな、ことは」
「嘘を見抜くのは得意なのに、嘘を吐くのは下手なんですね。
……察してましたよ。貴方は自分を『偽守』と呼んで卑下することがありましたから」
「あ、あぁ……!」
そうだ、思い出した。オレは『偽守』だ。『真守』という名を、父を裏切った男だ。
だって、だって……! あの時オレは、
そんなことをしたら、真っ先に外周区の『子供たち』が、すぐ近くにいたティナが、犠牲になるのに。守るべき存在を、攻撃しようとした。
──それ以上に、人間が憎くなっていたから。
最後の理性でオレは、記憶をリセットして。憎悪を、『無かったこと』にした。
「ぐ、ァ……今、何か……」
「……ごめんなさい。私の方こそ、急いでしまっていたみたいです」
「いや、待って。もう一回、もう一回思い出すから……!」
「いいんです。もうすぐ、お兄さんをよく知る人が迎えに来てくれますから。思い出すのは、その後でも」
「……正直頭も痛いし、そうしようかな」
寝台に移動して、横になる。
「……まさか、また起きたらリセットとかないよね?」
「どうでしょうね。ないとは思いますが……もし、そうなるのだとしたら」
ティナは寝台の横まで来ると、オレの耳元で囁いた。
『──私が毎晩
「んー、じゃあ(夜伽が何かは知らないけど)その時はよろしく……」
*
「…………そういうところは変わっててくださいよ、ニブチン」
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『『相棒』』
彼が再び眠りについて、数分後。病室に、呼んでいた迎えが到着した。それはいいのだが……
「お待たせしました」
「……いえいえ。わざわざご足労頂き、ありがとうございます」
やって来たのは緑掛かった金髪の少女。事務所で一戦交えた、あのイニシエーター。
……よりにもよって、この娘が来るか。何故か分からないが、私はこの娘が苦手なのだ。できれば他の人に来て貰いたかった……というか私が電話をかけた相手は蓮太郎さんで、応答したのは赤髪の彼女だった筈なのだが。
「予想外の人選で驚きましたよね。里見さんは会談に同席中で、延珠さん──赤髪の娘は、万が一に備えて向こうに置いてきたんですよ。私より彼女の方が、護衛向きのスペックなので」
なるほど、そういうことか。
……しかし、聞いてもいないことをよく堂々と答えられますねこの人。違ってたら恥ずかしいとか考えないんでしょうか?
「あぁ、聞かれてもいないことをペラペラとすみません。悪い癖です──でも、
「……残念、ハズレです」
得意気な顔が無性にイラッと来て、つい意地悪で嘘を吐いてしまった。
「ハズレの場合は大抵、お相手の方が『何を言ってるんだろう?』という顔をするから途中で分かるんですよ。まぁ、私は外したことないんですけど」
「…………」
またドヤ顔。心の中でストレス値が上がっていくのが分かる。
「その場の感情でつい嘘を吐いてしまうなんて、意外と歳相応なんですね。安心しました」
「…………」
どうしましょう。私、この人と仲良くできそうな気がしません……
「──そういえば名乗っていませんでしたね。私は千寿夏世。夏世でいいですよ」
「……ティナ・スプラウト。ティナで構いません」
「ではティナさん。
──あっ、ダメですねコレ。絶対仲良くできない。
『相棒』という単語を強調したこの娘もまた、私と同じく……!
「何せ私──真守さんと
「……宣戦布告、ということでいいんですね?」
「──はい。相棒は渡しません」
「上等です。力尽くで奪い取ってやりますから……!」
『一生を共にする約束』というのが具体的にはどういうものなのかは分からないが……要は夏世さんが法的に結婚可能な年齢に達する前に、真守さんをオトしてしまえばいい。
今までの付き合いで、彼にも人並みの性欲があることは確認が取れている。裏社会で培った、男性を虜にする技術を総動員すれば──
「そうだ、最初に忠告しておきますけど……真守さん相手に色仕掛けはオススメしません」
「……それは、何故?」
「だって彼、性知識ほぼ皆無ですから。ハニトラ効かないんですよ」
「いやいや、年頃の男性ですよ? そんなまさか……」
「……真守さんは、まだ10歳です」
…………は?
え、それはつまり……
「……今の姿が、本来の状態ってことですか?」
「えぇ。私も実際に見るのは初ですけど」
「内面成熟し過ぎじゃないですか!?」
確かに子供みたいな面もあったけれど。それも『幼稚』というほど悪印象を残すものじゃなく、『愛嬌』といえる範囲に収まっていた。
「まぁ、私達も大概ですがね」
「でも『
恐ろしい可能性に気付いて、背筋が凍った。
彼はたしか、『両親が他界している』筈だ。
そして今、彼との付き合いが私より長い夏世さんは……本来の姿を初めて見たという。つまり二人が出会った時には、彼はもうガストレア化していたのだ。
── 一体いつから彼は一人で、何歳の時ガストレアに……?
場合によっては、私達よりも更に過酷な幼少期を送っていてもおかしくはない。
「あぁ、彼の両親が亡くなったのも、彼が『
「……そうですか」
なんとも、信じがたい話だ。だって彼は、『大人の振る舞い』に
「──ところでティナさん、真守さんは一度も目を覚ましていないんですか?」
「いえ、一度起きましたよ」
「……何か変わった点は?」
「記憶喪失になっていました。後は見ての通り身体が小さくなったのと、目の色ですね」
「記憶喪失……言葉は理解していましたか?」
「はい。以前と変わらず会話できていました」
「
では目の色……白目の部分はどうでしたか?」
「白でした。私達と同じ状態です」
「……そうですか」
それから彼女は泣きそうなほど震えた声で、小さく小さく『良かった』と呟いた。モデルオウルたる私以外では、聞き取れないだろう声量。
「聞きたいことは聞けました。帰りましょう」
「もういいんですか?」
「聖天子付護衛官隊長が暴走してやらかした件のことなら、ご心配なく。アレと繋がっていた運転手の方を、先に私の方で『潰して』おきましたから」
「…………」
あぁ、そちらはあまり気にしていなかったが……どう転んでも、彼の結末は
「……おっと、今回はハズレだったみたいですね。失敗失敗」
「……まぁ、そういう日もありますよ」
さっきの『良かった』とはなんのことなのか、聞く勇気はなかった。その意味が私の想像通りなら、きっと……私は非合理な行動を取ってしまうから。
「ティナさん、真守さんを背負って先に外へ出ていてください。目のことがあるので、起きる前の方がいいです。私は受け付けに行って、支払いを」
「あぁ、料金なら大丈夫ですよ。ここまで
「そうですか。なら軽く挨拶するだけで済みそうですね」
そう言って、彼女は小走りで出て行った。
その目に浮かんだ涙を隠すように──
*
『──夏世ちゃん。キミは今回の一件で、ほぼ完全に彼と同じ体質へと変化した』
『その通り。キミの体内侵食率は彼と同じく零であり──だが同時に約30%で固定されている状態とも言える』
『……そして、ここからが本題だ』
『キミはおそらく、
『……あぁ、キミが怒るのも解るよ。こんな最低最悪の依頼、私自身吐き気がする。でも夏世ちゃん、キミにしかできないんだ──』
「良かった、本当によかった……!」
彼は、人の心を保っていた。相棒は、私の知る相棒のままだった。
「
そう、私は真守さんほどの出力は出せないが、同じことができるようになった。あの一件以来、より彼との繋がりが濃くなったためだ。
──だから、逆のこともできる。
私は
再生レベルⅢの彼も、私がバラニウムで脳か心臓を貫けばギリギリ殺せてしまう。だから『もしも』の保険で、私が来た。
「全く、人騒がせなんですから……!」
記憶なんて無くていい。身体なんて小さくていい。目玉の色なんて気にならない。
私は、彼が生きているならそれでいい──
ちなみに今回、地味に盛大な勘違いが発生。
夏世「金髪、敬語口調、イニシエーターには珍しい後衛スタイル……属性だだ被りじゃないですか!? クッ……! 相棒ポジションは渡しませんからね!!!」
ティナ「恋敵……!!」(違う)
ただし夏世は半分解っててティナをからかってる部分はある。
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第一部最終章:テセウスの船出
プロローグ
東京エリア第39区第三仮設小学校にて。
「……今日からお前らの先生をやることになった、里見蓮太郎だ。趣味は昆虫観察。よろしくな」
里見蓮太郎は、死んだ目で簡潔な自己紹介をした。
「…………」
「…………。……何か、質問のある奴は」
『ハイハイハイハイハイ!!!』
「お、おぅ……」
自己紹介には全くの無反応だったにも関わらず、子供たちは質問タイムに入るや否や、一斉に手を上げ元気に声を上げた。あまりに急なテンションのアップダウンに、蓮太郎はすっかり気圧されている。
(どうしてこうなった……)
途方に暮れて天を仰げば、青い空に白い雲。そして真夏の太陽が
──あれから一ヶ月。真守の記憶はまだ戻っていない。そして同様に、目の色も。
となると仕事ができないどころの話ではなく、外を出歩くこと自体がほぼ不可能だ。買い物はおろか、おちおち洗濯物を干すことすらできない。ふと窓を見て誰かと目が合ってもいけないので、家のカーテンは全て日中でも完全閉鎖だ。
それは流石に精神衛生上よろしくないので、蓮太郎は『ある人物』を頼った。
彼が奇異の目で見られない外周区に拠点を構えていて、ある程度の社会的地位と資金力を持ち、差別主義者ではないと、蓮太郎が信頼できる大人。そう──
「里見先生〜! 頑張ってくださーい!」
松崎さんである。
彼はマンホールチルドレンの保護者を買って出ていて、半ボランティアで『
蓮太郎にとってはありがたい話だったが……流石に負担が大き過ぎやしないかと心配して、それを口に出したのが運の尽き。
『そうですね。ちょっとだけ大変かもしれません──なので少し、手を貸して頂けませんか?』
そう言われてしまっては断ることもできず、あれよあれよと話が進み──気付けば彼は、教壇に立っていた。
(まぁ、やるからにはキッチリやらねぇとな……)
見た目に反して面倒見のいい蓮太郎は、覚悟を決めて腹から声を出した。
「じゃあまずそこッ」
「先生、延珠ちゃんと結婚を前提に
「んなワケねぇだろ居候だよ! ハイ次ッ」
「夏世ちゃんと二股かけてるって本当ですか!?」
「大嘘だよ勘弁してくれ!! 次ッ!」
「先生の一番好きな人って結局誰なんですかー?」
「黙秘するッッ!!! そっち系以外の質問ある奴いねぇのか!?」
「先生のこと、なんて呼べばいいですか?」
「──……お、おう。そうだな……」
どうせ次もマトモな質問なんて来やしないだろうと半分諦めていた蓮太郎は、余分に詰め込んでいた空気を吐きつつ返答した。
「里見先生か、蓮太郎先生か……まぁ俺と分かる呼び方なら、なんでもいいぞ」
「ロリコン!」「変態!」「不幸面!」
「ぶっ飛ばすぞテメェら!?」
どうやら他にめぼしい質問はなかった様子なので、蓮太郎は一緒に来ていた木更と交代した。戦いを終えた蓮太郎だけでなく、見ていただけな筈の木更まで、心なしかゲッソリしていた。
「て、天童木更です。できれば木更先生って呼んでくれると嬉しい、かな」
『木更先生、質問いいですか!?』
「は、はい! じゃあそこ!」
「どうやったら先生みたいなおっぱいエリートになれますか!?」
「おっぱいエリートって何よ!? 知らないから次ッ」
「その大きさだと足元見えませんよね? 階段で転んだりしませんか?」
「見えてますっ! だから転びません!! 次ッッ」
「お二人は付き合ってるんですか? 結婚するんですか?」
「付き合ってません! 結婚もしません!!!」
延珠と夏世がガッツポーズを取り、蓮太郎は心に深い傷を負った。
そんな彼らを尻目に、木更はぜぇぜぇと肩で息をしながら解答作業を続行する。
「他に、質問のある子は……?」
「ハイ先生! 木更先生の通ってる学校ってどこですか!?」
「…………あぁ、私の学校?」
疲れ切る一歩前のタイミングになると、マトモな質問が出るのは……狙っているのか、単なる偶然か……蓮太郎は訝しんだ。
「第一区の方にある、美和女学院ってところよ」
「やっぱり!」
「え、第一区……?」
「木更先生、凄い人なの……?」
子供たちの反応に気を良くしたのか、木更はパッと髪を掻き上げて笑った。
「えぇ、美和女学院の学生は中央でも一目置かれる存在よ。何せ我が校は、聖天子様も在籍なさる名門中の名門校だもの」
周囲から感嘆の声が上がる中、生徒の一人がおずおずと手を上げた。
「……私、聖天子様見たことない」
「あら……」
その直後、延珠が立ち上がって指を差した。
「聖天子様とはあんな奴だぞ!」
木更と蓮太郎の二人がギョッとして振り返ると──草原の向こうに、
「ごきげんよう、みなさん。突然で大変申し訳ありませんが、里見先生と天童先生を、今日一日お借りしますね」
生徒たちは、もれなく口を半開きにして固まっていた。
「──天童民間警備会社に、依頼があります」
*
──ハッピービルディング三階、天童民間警備会社事務所内。
蓮太郎と木更は今、聖天子からの依頼説明を聞き終えたところだ。
「……聖天子様、確認させてくれ。このままだと6日後に
「はい」
「対策は現在制作中の代替モノリス。32号倒壊から、これが完成するまでの3日間……侵入を試みる敵性ガストレアを全て迎撃する。これが依頼内容」
「はい」
蓮太郎は、大きく溜め息を吐いた。
「分かった。
もう一つの依頼とは、真守個人に出された『アルデバランの暗殺』である。
アルデバランが生きている限り、何度でもモノリスは破壊される。だから最初に、そこを叩く。その必要性を理解した上で、蓮太郎は依頼を『論外』と判断した。
「アルデバランがご丁寧に敵を一箇所に纏めてくれてんなら、そこにミサイルでも撃てばいい。ウチの社員を危険に晒す必要性を感じられない」
しかし聖天子は、首を横に振る。
「
「……で、どうなったんだ」
「どこにも着弾することなく、反応が消失しました。その後戦闘機を飛ばして追撃を試みましたが……こちらも途中でパイロットと連絡が取れなくなり……それきりです」
「……だったら尚更、行かせられねぇよ。危険過ぎる」
「
「……どういうことだ?」
聖天子は悔しげに、ドレスの裾を握った。
「……菊之丞さんは、彼を殺す気でいます」
「「────」」
木更の目に殺気が宿り、蓮太郎は不快そうに眉を顰めた。
「私は、表立って彼を助けることができません。できるのは、こうして警告を出すことくらいです。神崎さんには、自力で助かってもらうしかありません」
「…………ジジイが持ってるガストレアへの憎悪以上に、真守を『使える存在』だと認識させようって腹か?」
「私達は国家の首脳として、最大多数の最大幸福こそを重視します。そこに個人的な感情は挟みません。
──どうか彼が『脅威』ではなく『希望』なのだと、証明してみせてください」
かつてバンの中で彼女自身が語ったように、『聖天子』は言動に枷が付いている。面倒な言い回しに、聖天子も蓮太郎も辟易とするが……真意は伝わった。
「……受けるかどうかは、本人に決めてもらう。返事は後日だ。それでいいな?」
「勿論。ただ、時間が無いのでお早めにお願いします」
「分かってんよ」
それを聞くと聖天子は立ち上がって一礼し、事務所を後にした。政務が山積みなのだろう、立ち去る姿はいつも通り優雅であったが、心なしか焦りが見えていた。
「……ほとんどオレが決めちまったが、これでよかったか? 社長」
「駄目だったら途中でストップかけてるわよ、おバカ。
里見くんは今すぐ真守くんに連絡取って。私はその間にアジュバントの勧誘リスト作っておくから、帰ったら目を通しておいてね」
「へいへい……」
「もっとシャキッとする! お互い今日から、休んでる暇なんて無いわよ?」
「わーってんよ。
…………懲りずに子供の命賭けさせんだ。俺達が手抜きなんてできねぇだろ……」
──電子音が、事務所内に木霊した。
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第二十四話:出航前
早くヒロインズとのイチャコラを書きたいけれど、まだ我慢だ……!
「わかりました。やります」
電話口からは『……いいのか?』という重い声。
少年は目を閉じ、話された内容を思い出して、舌で飴玉を転がすようにじっくり吟味して──それでも答えは変わらなかった。
「ここで『やらない』なんて選択肢、無いも同然でしょう。オレがやらないと、皆死んじゃうんですよね?」
『そんなことはねぇよ。今回の作戦は、自衛隊が主な指揮を執る。あいつらは関東会戦を、『ガストレア相手の集団戦』を経験しているプロだ。しかも今回はそれに加えて、俺達民警もいる。
──だからな、真守。
「ならどうして、オレに依頼のことを話したんですか? 断らせるつもりなら、始めから知らせなければよかったじゃないですか」
電話口から、大きく長い溜め息の音が聞こえた。
『そんなことをしても、意味はねぇよ。モノリスの白化現象は、いずれ隠し切れなくなるって話だ。そうなれば芋づる式に、アルデバランのことも世間に公表されるからな』
真守は声に出さず『なるほど』と首肯した。
『真実を知ればお前は、報酬の有無に関わらず戦いに行く。俺の知る『神崎真守』は、そういう奴だ』
故に止めるなら、彼が先走る前。今このタイミングしかないのだと、蓮太郎は言う。
対する真守は──見えないと分かりつつ、申し訳なさをごまかすように苦笑い。
「……蓮太郎さん、ごめんなさい。オレを止めたかったなら、その言葉は逆効果です」
『え?』
「実はオレ、人がどんだけ死のうが知ったこっちゃないと思ってます」
『──え?』
「自衛隊も、民警も、応援します。でもそれだけです。別に助けてあげたいとか、思ってません。市民の安全を守ってやる気もありません」
『でもさっきは、お前……』
「『皆』っていうのは、学校の皆のことですよ。
今のオレにとっては『病院で目が覚めてからの一ヶ月』が記憶の全てです。そこで関わった人達が、オレの全部。他は
……薄情でしょう? 昔のオレは、違かったのかもしれませんが。今のオレはこうなんです」
『違う! お前は薄情者なんかじゃない。今も昔も、お前って奴はどうして……!』
「ありがとうございます。オレを『薄情者じゃない』と言ってくれて、オレを止めてくれて──ありがとうございます。
オレは、そんな貴方のために戦いたいって思うんです」
だから逆効果なのだ。彼の狭い世界に住んでいた青年を、彼が好きになればなるほど──彼は『神崎真守』に戻っていく。
「依頼は受けます。聖天子様にそうお伝えください」
『駄目だ! 勝ち目がねぇんだよ、お前でも……!』
「と、言いますと?」
『戦闘機が落とされてるんだ。
「なるほど……だったら尚更、オレが行かないと」
『どうしてッ』
「オレなら死にません。敵のカードを暴いて、あわよくば潰せます」
『お前は不死身じゃない、死に難いだけだ! 自分から捨て駒になってどうする!? お前はもう少し、自分を大切にしてくれ……!』
「『もう少し自分を大切に』 ね──オレの台詞だ大バカ野郎」
「えっ」
突然語気が荒くなった真守に、蓮太郎は気圧された。
「どうして自分から責任を背負い込む? 矢面に立ちたがる? アンタは、オレよりたった6年早く産まれただけの只人だろ……!」
『真守、それでも俺は──』
「右手足と左目」
『……!』
「──バラニウムだろ。いつも忌々しい気配が漂ってる」
『気付いてたんだな』
「なんで失ったのかは知らねぇけどさ……生えてこないから、そうしてるんだろ?」
『そりゃ、な……』
「五体満足ですらない癖に、でしゃばるんじゃねぇよ。全身バラニウムのサイボーグにでもなるつもりか? なぁ──どうしてそんなに、脆い身体を痛めつけようとするんですか……?」
『……すまん』
電話口から聞こえてくる少年の声は、とても震えていて。荒い口調を維持することもできなくなっていて。心の底から蓮太郎を心配しているのだと、傍目にも分かった。
「蓮太郎さんが戦うなんて、許しませんから。絶対に」
『おいおい……なんで説得する側が逆になってるんだ?』
「ていうかそもそもですよ。蓮太郎さんが戦うってことは、パートナーの延珠ちゃんも戦うってことですよね? それはいいんですか?」
『ぅぐっ』
体内浸食率的にも、全くよろしくない。
「……依頼は受けます。イイですね?」
『…………駄目だ。相手は高度に組織化されてる。軍団相手に個人の戦力がどれだけ突出していても──』
「電話を切って、今すぐ出発してもいいんですよオレは」
『待て待て待て!!! 敵の座標も分からないのにどうする気だバカ!?』
「
『戦闘機が撃墜されてんだぞ!? 頼むから待て! せめてバックアップをだなぁ!!』
「つまり依頼は受けるってことでOKなんですね?」
『あぁクソっ、OKだコンチクショウ!』
こうして蓮太郎は折れた。心の奥底で『真守なら大丈夫』という信頼があったからだろう。
──実際、彼は任務から生還する。
数百体のガストレアを薙ぎ倒し、アルデバランの脳天をかち割った上で、帰還する。
その道中での絶望を、誰にも明かすことなく──
真守くん最大の鬱フラグがアップを始めました。皆さま対ショック姿勢をお取りください。ヒロインズはメンタルケアの準備をしてください。
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間話:『いもうと』
翌朝。
惣菜パンと即席スープで軽い朝食を済ませ、オレは向かいに座っている
「……そ。帰りはいつ頃になりそうなの?」
「え、あ、んーと……今から説明受けに行くから、それ聞いてから報告するね」
彼女は淡々とオレの話を聞いて、動揺することもなく、慣れた調子で先の予定を気にしていた。
「何キョドってんの? キモいんだけど」
「辛辣っ!? え、何。オレ達って仲悪かったの?」
「はぁぁ……メンド。別に、普通だったよ。このくらいの軽口を言い合える程度にはね」
「そ、そう……」
「というか、事情は把握してるんだからさ……露骨に避けるの、止めてくれない?」
「うぐっ」
図星だった。
記憶喪失になっても一般常識は残っているワケだが──『家族の距離感』というのは『人それぞれ』だ。しかもオレ達の場合、互いが唯一の肉親だという。
端的に言って、距離感を想像しようにも……特殊なケース過ぎて全く分からなかった。下手にトライアンドエラーをするのもマズイだろうし……ということで、彼女とはこの一ヶ月ほぼ会話をしたことがなかったのだ。
「……ごめん。仕事から帰ったら、もっとちゃんと話そう」
「うわ。そういうクッサい死亡フラグ立てる? マジ引く……」
「やっぱキミ、実はオレのこと嫌いだったろ??」
「は? 世の妹が皆ティナちゃんみたく好意全開だと思ってんの? アレは絶滅危惧種兼特別天然記念物に指定されるくらいの例外。私は普通。むしろ優しい方だよ?」
「まぁ、うん。それは分かるけど……」
「ホントに分かってる?
不自然に、言葉が途切れる。
彼女はハッとした顔で、口元を押さえていた。
「……聞かない方がいい、のかな? その二人のことは」
「…………ううん、話す。家族のことだもん。
血の繋がってない妹はね、ティナちゃんが初めてじゃないんだ。私達にとって、あの子は三人目の
「────」
今の今まで、誰もその存在に触れてこなかったということは……
「……うん、お察しの通り。死んじゃったんだ、二ヶ月前にね。
二人はお父さんとお母さんのイニシエーターで……殉職したの。四人共、同じ任務で」
「そう……でも、納得した。だからあの家、部屋数多かったんだ」
「んー……まぁ、それだけが理由ってワケじゃ、ないんだけどね」
「というと?」
「本当はさ、お父さんもお母さんも……
「そうなの?」
すると彼女は、オレの足を指差した。
「そもそもの引っ越した理由が、真守が足を怪我して入院して、退院する時病院で暴れたせいで、仙台エリアに居づらくなったからなんだけど……」
「え、何やってんのオレ」
「真守は悪くないよ。私が当事者だったら刃傷沙汰になってたかもだし」
「え、何されたのオレ」
「詳細は省くけど、真守の恩人の『子供たち』がね……そこの病院に居た、医者を名乗る悪魔に殺されたの」
「────」
……気のせいだろうか? 今一瞬、
「それから真守ね、ずーーっと『あの子が死んだのは自分のせいだ』って気に病むようになってさ……一番酷かった時期には、魘されて夜起きて、たまたまトイレに起きた
そんなんだったからさ……二人も遠慮しちゃって、『ペアを解消して家族だけで暮らしたらどうか』なんて言い始めてね……その時『民警を辞めてアパートを借りて、慎ましく暮らす』って案も出たんだ。
……まぁ真守が猛反対したから、結局間を取って『民警は続けるけど一時別居』って形になったんだけどさ。私達と二人は、それきりになっちゃった」
「そっ、か……」
なるほどこれは確かに……舞が一瞬口をつぐむのも分かる話だった。
「あの家が大きいのはね、別居してた二人がいつ戻ってきてもいいようにっていうのもあるけど──将来真守が民警になった時、沢山人を匿うことになるだろうから……って、お父さんが気を利かせたからなんだよ。
……まさか月に一人のペースで拾ってくるなんて想定してなかったと思うけどね」
「お、おぅ……昔のオレがすみません……」
「だーかーらー、私に敬語使うのやめてよ気持ち悪い」
「……ごめん」
「ん。気にしてないよ。昔のことも、今のことも」
「……そっか。ありがとな」
──腕時計を見ると、そろそろ出発の時間が迫ってきていた。
「もう行かないと」
「うん、行ってらっしゃい」
「色々聞かせてくれて、ありがとな」
「うん──あ、ちょっと待って」
「ん?」
振り返って待つと、舞はスタスタと近付いてきて──思いっきり、オレの脛を蹴った。
「え、いきなり何するん……?」
「〜〜〜〜!?!!? 痛っったぁぁぁ……! 何その身体、皮膚の代わりに鉄板でも張ってんの……!? ふざけんな! 死ね!!」
「逆ギレ!? てか不謹慎だなオイ!?」
「──足の傷!!」
「……うん、それが?」
「一月前まで、真守の足には傷が残ってたの……今蹴ったとこに」
「……ガストレア化してたのに?」
「そう。それが消えて、私は嬉しかった。真守がやっと苦しい思い出を忘れて、お父さんの真似を止めて、自分の道を進んでくれると思ってたから……」
「…………」
「でも、真守がまた戦いに行くっていうなら──生きて帰る理由は、多い方がいい。たとえそれが、呪いと大差ないものだとしても」
「……そっか。じゃあさっきのは、『お
「〜〜っ、私からは以上! じゃあね!!」
「──うん、いってくる」
オレは生きて帰るだろう。この足がある限り、必ず道を踏破するだろう。
あぁ、そうだ。
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第二十五話:『テセウスの船』
「さて──行きますか」
依頼の説明はすぐに済んだ。あらかじめ蓮太郎さんから大体のことは話されていたし、作戦は実質『正面突破』の四文字に集約される程度の内容だったから。
具体的に言うと、流石に少し長くなるが……
二千体のガストレアは大きさも形も文字通りの『千差万別』だ。しかし彼らは同士討ちを始めることなく、互いを『味方』として認め、一所に集まり留まっているのが現実だ。
勿論アルデバランが一体一体『これは味方』『これは敵』と教え込んでいるワケがないので──彼らは何かしらの手段で、それを自己判断していることになる。
となると彼らに唯一共通している『白目まで赤く発光する眼球』が識別信号になっている、と考えるのが妥当だ。
つまりあくまで仮説だが──常時赫目なオレ単騎であれば、攻撃されずに最深部まで到達できるんじゃあないかと。
後はアルデバランの頭に一発不意打ちをかまして、全力で逃げ帰ればいい。『軍』としての統率が取れていればいるほど、頭を失った時には脆くなるから、逃走も比較的楽だろう。
……というのが、作戦の全容である。
だからまぁ、具体的な行動の指示は特にない。ただ敵の座標を受け取って、モノリスを越えるためのヘリを手配してもらったくらいだ。
「実はヘリすら、いらないんだけどね……」
道中、ポツリと独りごちる。
モノリスの磁場は上空5000mでほぼ消失するため、自力でそれくらい高く飛んでしまえば関係ないのだ。
……まぁ飛んでる姿を誰かに見咎められても困るし、空気薄いしクソ寒いし疲れるしで、やっても良いことは何もないのだが。そのくらい、特に支援されることがない。
爆弾一つくらいなら貰ってもよかったかもしれないが、火薬や金属の臭いで警戒される恐れがあったから却下した──聖天子様が。
「…………あの人、本気なのかな……? 本気だったらいいなぁ……」
爆弾を持っていくという提案は、攻撃力を重視したからではない。
アルデバランの能力は、未だ謎が多い。その統率力の源も、不明なことの一つだ。
ということは、アルデバランの能力でオレが洗脳されて寝返る──なんてことが、ないとは言えない。
ならば『そうなった時』に備えて、遠隔操作でオレを殺せる火力の爆弾を用意するべきだ。……そうする、『べき』だと思うのだけど。
あの人は……聖天子さんは蓮太郎さんと同じく、オレを止めてくれた。
……記憶を失って、『ガストレア新法』のことを聞いた時は……全く信用できなかったけど。もし本当に、彼女が本気であるのなら……オレはかつての
そんなことを考えながら平野を抜け、外周区の最奥よりもボロボロの廃墟ばかりとなった町を抜け──確信する。どうやら仮説は正しかったらしい。これだけ堂々と歩いているのに、オレは一度もガストレアに襲われていない。
「そしてこっからが、敵の根城ね……」
ガストレアウイルスの恩恵により巨大化した生物を覆い隠す、更に巨大かつ広大な森……
バラニウム磁場から解放されたせいか、
あぁそうだ、恐れることはない。今はまだ、警戒も緊張も厳禁だ。感覚の鋭いオレ達は、言葉以外でコミュニケーションが成立する。内心を読み解く力は、全員がオレと同等以上だと心得ろ。
警戒すべきは、逃げる時。戦闘機やミサイルを落としたという謎のガストレアが、この任務における最大かつ唯一の脅威。
ここからアルデバランがいる場所への道は、自力で探すしかないが──さほど問題はない。奴の体躯はステージⅣ基準でも規格外な50m級という情報が、既に出ている。
「有名過ぎるのも考えものってね……」
足跡や、木々の隙間。巨大生物特有の糞便を探せば、自ずと道は決まってくる。生物マニアの蓮太郎さんには、帰ったらお礼をしなければなるまい。そら──
(見ぃぃつけたぁ……なんつって)
鼻をつまみながら巨大な排泄物の方へ行き、近くの土に残った足跡を見る。
……ウン、この足のサイズは期待できそうだ。後はこれを辿って──
(いた……!!)
目算で体長約50m。ステージⅣ基準でも規格外サイズ──カメに似た、四足のガストレア。その顔は、聖天子様が見せてくれた写真にも合致している。
心臓がドクドクと運動し、戦闘用の血を循環させていくのが分かる。もう緊張は隠せない。
アルデバランはモノリスに取り付いた時の疲労が抜けていないのか、グッタリしていたが──こちらに気付いたのか、おもむろに首をこちらへ向けた。
構わずオレは近付いて、予定通りその首を捻じ切ってやろう──と、思ったその時だった。
「……Guardi?」
アルデバランの口から、
驚きのあまり、ピタリと身体が止まる。
「What happened?」
「────ぇ」
──待て、待ってくれ。
コイツ今、
聞き違いでないのなら、コイツは今オレを……
────気の迷いだ。
そう判断して、オレは今度こそ奴の首に手を伸ばした。
そして、そこに手が触れる直前。横合いから強い衝撃を受けて吹っ飛んだ。
ダメージそのものは小さかった。敵は倒すより、アルデバランとの距離を離すことを優先したらしい。
だからオレはすぐに起き上がって、下手人を見て
──そこに、『絶望』がいた。
「おいおい……おいおいおいおいおいおい……どういうことだよ、なぁ? どうなってんだよ、オイ……!」
「……は、ぁ? 嘘だ……なんで──」
「……あぁいや、そういうことか……ハハッ、胸糞悪いなぁオイ!!」
「誰だよ、お前……! 『そういうこと』ってなんだよ!?」
「見て解れよ。オレは
「……は?」
驚くほど、掠れた声。
いや違う、驚くのはそこじゃない。
──本当に? いいや、気付いていたハズだ。最初から。だから驚けない。
考えないようにしていたのだろう。
あぁそうだ、オレの正体は──
自分を神崎真守だと思い込んでいた、気狂いのガストレアだったのだ。
〝テセウスの船〟
あるものを壊して、修復してを繰り返し──全ての部品が入れ替わった時、それは最初と同じものと言えるのか? というパラドクス問題。
これにはあまり有名ではないが、他の問題も存在する。
あるものを二つに分解し、それぞれを以前と同じ状態に修復した時──本物はどちらか? というものだ。
ただもし人間を上下に分けて、その両方を元の状態にできたなら。誰もがきっと──
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第九話裏:Boy meets girl
前回の話で重要な真相が明かされているので、必ずそちらを先にご覧ください。
今回は番外編ですが、前回の話を読んだ前提になっております。注意してください。
以下事故的なネタバレ対策のため、空行を入れておきます。
それではどうぞ!
弓月ちゃんの背中が小さくなって、やがて見えなくなるまでの様子を見届け──目蓋を閉じる。
泣きそうな顔で振り返った彼女の顔が、『助けなきゃ』と叫んだ声が、塗り潰されてしまう前に。
痛みは無かったから、独り言を言う余裕はある。以前にも一度だけ、肉が抉れる大怪我をしたことがあるけれど……その時も、痛かったのは最初だけだったことを覚えている。ただ今回は、前回よりも痛みの麻痺が早い。好都合だ。
「──やっってみろよガストレア! オレを異形にしてみせろ!
お前らがオレの遺伝子を書き換えようと、父さんと母さんの血は
弓月ちゃん達を追っていたガストレアの群れが、足を止める。確実に捕食できる、ウイルスの苗床が落ちている場所へ、向かって来る。
「んゴボっ、ァアぁ゛あ……!」
もう、言葉を発することもできない。
口を満たし、溢れるこの液体が何なのかは……知らない方が良いだろう。鉄の味も混じっているので、オイシイ。
──違う。自分の血だと思った方が、精神衛生上ヨクナイ。治レ。
「──ォエ゛エェェ! 痛い痛い痛いイタイッ!!」
神経が修復され、激痛が復活する。思わず患部を見ようと目を開き──すぐさま後悔に襲われる。
視界一杯に
あまりの衝撃に、気を失うかと思った。
その様子に
……あぁ、そうか。
オレは、もう既に──
「──まダだ、まだ終わってナい……!!」
そうだ、既に手遅れなのだとしても……最期まで、抗うンだ。
腕は動く。腹に乗った蟲共には手が届く。なら、払い落とせばいい。
「ギィィィィイイ!!」
足が無クとも、這ッて動け。せめて
そしてこノ自我ガ残ってイル限リ、
「殺ス……殺ス……!!」
追ってきた蟲を、叩いて殺す。落ちてきた蛭を、握り潰して殺す。走っている鹿は、飛び乗り首を噛んで殺す。殺して殺して殺して──
「…………どうしてオレ、自我が残ってるんだ?」
もう足も生えて、しばらく経つ。なのに意識は薄まるどころか、鮮明になっていく。
──それはある意味で、正気を失うよりも苦しい拷問だった。
最初は羞恥心。文明人の意識を持ちながら、一糸纏わぬ姿で外を闊歩するのは、少々恥ずかしかった──そんなもの、すぐにどうでもよくなるのだが。
次の問題は、もっと切実だった。空腹だ。
人間は、『動物』は従属栄養生物である。食事によって五大栄養素+αを摂取しなければ生きていけない。……それは、ガストレアの身となっても同じことだ。目下の課題は……
「オエエエエェェッ!! ゲェッ、ゲエェ! ク゛ソッ、マズい゛……!!」
……タンパク質。『肉体』という文字の通り、身体は大部分が肉で出来ている。五大栄養素の中でも、特にここは外せない。
摂取する方法は簡単──栄養学の基礎、『同物同治』の考えに則れば自明の理。動物の肉を食えばいい。
だが無論火もなければ調味料もないので、生で食う他ない。一応こうすればビタミンも取れるという利点はあるが……絶望的にマズい。辛い。でも、
「死にたく、ない……!!」
生きるためには、こうするしかないのだ。
ガストレアウイルスの恩恵で、食中毒や寄生虫などの心配がほぼ不要というのは幸運だが。
……果たして本当に、幸運なのだろうか。ひょっとしたら、この生き地獄は死ぬよりも……
「違う、違う違う違う……!」
オレは生きるのだ。あの強がりな宣言が、現実になったのだから。この命には意味があるハズなのだ。
……たとえ、ここに来た意味が……もう既に、ないのだとしても。
冷たくなった焚き火の跡を見た。散らばった空薬莢を見た。
そして──何人もの、死体を見た。
ガストレア化していなければ、歯型なんかもない死体。……人間の手で殺された、人間の死体だった。
……オレが意識を取り戻す前に、戦いは終わっていたのだ。
延珠ちゃんも、蓮太郎さんも、弓月ちゃんも玉樹さんも……生きているかすら、分からない。
……いいや、分かっている。一人一人埋葬しつつ探しても、死体こそ見つからなかったが……あれだけの人数が惨殺されていたのだ。民警軍団は、負けたのだ。
……延珠ちゃんは、おそらく……死んだ。
間に合わなかった自分が憎くて、素手で何個も穴を掘りながら、ずっと泣いていた。
泣いて、泣いて、泣いて──全員を埋葬する頃には、前に進もうという気力も、少しだけ戻っていた。
「…………帰ろう」
東京エリアには聖天子様がいる。妹もいる。もしかしたら、人間として最低限の尊厳を持った生活に、戻れるかもしれない。
…………あぁ、だけど。受け入れられなくてもいい。いや、
「仇を、取らなきゃ……」
彼女も、こんな死に方は無念だろう。
ならばせめて……
「あいつらみんな、ころしてやる……」
あの学校の奴ら、全員。
生徒も先生も、その親兄弟も等しく鏖殺しよう。
だから歩く。昼夜を問わず歩く。東京エリアを目指して……
ガストレア達はどういった理屈か分からないが、明確に人間を優先して襲う。そしてモノリス内に人間が居るということを理解していて、常にそちらの方に向かっては結界に弾かれ返ってくる。……たまに諦めず進行して死んだり、侵入に成功したりする奴もいるが……とにかく奴らを殺しつつ、同じ方向に進めばいい。
だから今日もガストレアを追って、殺して──
「あれ……? なんでオレ、ガストレアを殺さなきゃいけないんだっけ……?」
……ガストレアが減っても、喜ぶのは人間だけだ。延珠ちゃんを追いやったアイツらだけだ。
「違う、違う……食べなきゃ、死んじゃうから……死んだら、復讐できないから……」
そうやってオレは、今日も生き血を啜る。
あぁ……今思えばかつてのオレは、甘過ぎた。言葉だけで、行動が足りていなかった。
衣食住の全てが、人間として最低限の尊厳を満たす水準に到達していないこの状況──それは外周区の『子供たち』にとって、当たり前のことなのだ。
「こんなに、苦しいんだな……知らなかった……」
彼女らの苦しみを実体験せず、何が『真の守護者』か。滑稽にも程がある。
「そうだ……全員殺したら、あの学校……『子供たち』に、あげよう……」
そして次は、日本純血会の支部。とにかくまずは住まいを確保しなければ……衣服も食糧も、すぐダメになる。
「ハハハ……! なんだ、やらなきゃいけないことは沢山あるじゃん……!」
目標ができたら、足取りが軽くなってきた。
ただそれはそれとして、食事は必要なワケだが……
「……最近、『波』が二つあるよな」
モノリスの方へ向かう『波』とは別に、オレの知らない『どこか』を目指す『波』がある。
「……行ってみるか」
多少遠回りになる気配があるものの、正直妙に心を惹かれる。
何故だろうか……匂いとはまた別種の、心地良い空気のようなものがあるのだ。
──そしてそこで、オレは出会った。
雄大な体躯、溢れる威厳、落ち着いた呼吸と所作からは、野生動物とは思えぬ知性さえ感じる、そのガストレアに。
実際その感覚は間違っていなかったと、すぐに証明された。
「……! ■■■■■■!?」
「……!?」
そのガストレアはオレを見るや否や、興奮した様子で何かを問うた。
意味は理解できなかったが──間違いなく人間の声だった。
「〜〜! ──っ。
…………
今思うと、最初は母国語を話していたのだろう。そしてオレがそれを理解していないと判断し、即座に
当時のオレは驚愕で息を呑みつつ、肯定という形で返答した。
「──
「
見た目に反し可愛らしい声で、彼女は率直に喜びを表現した。
そして今度は、オレから問いかけた。
「……
「──
アルデバラン……タウルスと共に行動していた、バラニウム侵食能力を持つというガストレア。生きていたのか。
「
「……
「
「……
マモルは少し、発音しにくかったのだろう。
「
「
挨拶を返すと、アルはゆっくり頭を近付けてきて、オレの髪に軽い口付けをした。
……口付けを返すのは小っ恥ずかしかったので、代わりに彼女の頭を軽く抱擁しておいた。
アルは満足そうに息を吐いて、居住まいを正し──
「
「OK」
まぁ、大体何を言われるかは察している。
「
「──
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第二十六話:激突
「──ぁぁあああアアアアアア!!!」
雑念を払うように叫んで、『敵』に向かって走る。
元より知っていたことだ。オレはガストレアであって、人じゃない。
それに、人でありたいとも思わない。一部を除けば、人間は嫌いだ。
しかもオレは、記憶喪失。無くしたモノが偽物と分かったところで、未練はない。
……なのにどうして、こんなに息が苦しいんだろう?
「──あ゛? なんだテメェ、その動きは」
天童式戦闘術 一の型三番
オレの突進に『敵』は怯むことなく、捻りを加えた拳で出迎えた。
こちらの手が奴に届くよりも早く、その一撃はオレの
「ゴッッハ……!? う゛ぅぅ……!」
「オイ、オレの姿でド
あぁ、そうだった。『神崎真守』は天童流の使い手。武闘家だ。肉体のスペックが同じなら、技術のある方が勝つに決まっている。
──ならば、スペックを上げるまで。
「グッ、ゥゥゥウウウ゛ウ゛ウ゛ウ゛!!」
「……え、ちょっ、オイオイオイ……そんなんアリか……?」
何を驚いているのか。この身は偽物なれば。当然『真の姿』もあるだろう。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
最早、自分を偽る必要はない。この姿こそ、オレ本来の形。
毒針を持った尾、
まるで子供が考えた『戦うためだけに産まれた生物』だなと、自分でも思ってしまう。
──あぁ、そう
形象崩壊のために大量のウイルス摂取が必要とか、代償に理性が吹っ飛ぶとか……そんなのは、『人間』としての『枠』を越え過ぎないための『枷』だった。
自分を偽物だと、ガストレアだと割り切った今……そんなものは不要だ。
「──死ね」
先程同様突進し、力任せに拳を叩きつける。
『神崎真守』も先程と同様に、天童流を用いた拳で迎撃するも……今度はこちらの完勝。敵は無様に地面へめり込んだ。昆虫のような鎧兜にはヒビが入っている。
「──死ね」
無論奴がこの程度で死ぬ訳がないので、追撃にもう一発。鎧が剥がれて、血の付いた破片が飛んだ。
「ぅ、あ……」
「──死ね」
まだ生きている様子なので、もう一発。何度でも何度でも、奴が息絶えるその時まで、叩くのみ。
「
横からの衝撃でバランスを崩し、拳が外れる。
下手人は当然、
「アルデバラン……」
「
「ぁ、あぁあ……ダメ、だ……! ソイツの狙いは、キミなのに……!」
「…………」
────オレは、容赦なく、アルデバランの脳天をかち割り殺した。
「あ……ああああああああッッ!!! よくも……! よくもやりやがったなお前!!
「──ッッ」
血の唾と涙を撒き散らしながら、少年は叫んだ。
……あぁ、そうだな。オレはコイツから東京エリアでの立場を奪い、ガストレアとしての拠り所も奪った。
「それがどうした!? 裏切り者の分際で何言ってやがるッ!!」
尻尾の針で、腹を貫く。ガストレアに毒は効かないが、再生力を割かせるという意味では有効だ。
「大量虐殺の片棒担いで、何が『真の守護者』だ……! テメェの同類になるくらいなら、オレは記憶喪失のままでいい!!」
「は……? 記憶、喪失……?」
疑問に答えてやる必要はない。コイツはもう死ぬのだから。
針を刺したまま奴を持ち上げ、アルデバランの遺体に投げつける。総じて頑丈なガストレアの、最上位に君臨する個体だ。その遺体に叩きつけられた衝撃は、地面や岩石の比ではない。
そしてトドメにもう一撃、全力の拳と電撃を浴びせる。
通常の傷だけでも致命傷クラス。加えて毒を送り込み、傷口を焼いたのだ。もう再生はしないだろう。
「…………もしテメェが、アルデバランを倒すために駆けつけてくれてたなら……オレは、全部返してもよかったんだよ。バカ野郎……!」
そう吐き捨てたオレは、八つ当たりのように道中のガストレアを薙ぎ倒しつつ、帰路に就いた。
*
「──Guar……di……」
「……ぁ、る……?」
奴が立ち去って、遠くから聞こえる戦闘音もなくなった頃。
愛しい声が聞こえて、なんとか返事をする。
「
「
背中をペチペチと叩き、位置を知らせてやる。すると彼女は長い首をもたげ、こちらに顔を近付けて──オレの口に、
「──ングッ!?」
反射的に顔を背け、咳き込んだ。
「
「飲めって、何言って……!?」
──いや待て。焼けた五臓六腑に染み渡る、この感覚……
「……OK」
今度は素直に、口移しを受け入れる。……いやめちゃくちゃ恥ずかしいけど、それはともかく。死に向かっていた筈の身体が、生き返っていくのが分かる。
「……凄い」
「
意識してみれば、彼女はとっくに無傷だったことに気付く。
モノリス磁場の件と合わせて、もうヘトヘトだろうが……
そんな感情を込めた一言は、言語の壁を越えて彼女に伝わったのだろう。彼女はおちゃらけた声で、自らの力を誇ってみせた。
……だけどすぐに、その虚勢は剥がれた。
「
「……
震える彼女の頭を優しく抱きしめ、宣言する。
「
強がりではない。奴とオレの素体は同じだ。ならば、同じこともできる筈。
──そして、
「……
──あぁ。応えてみせよう。
もう、色んなものを裏切ってきた。オレを『裏切り者』と呼んだアイツは正しい。
だからこそ、もう裏切らないと決めたのだ──アルのことだけは、絶対に。
真守&アル((……ちなみにさっきのって、キスに入るのかな……?))
実はどっちもしばらく悶々としてたり。
二人共生き残ることができたなら、いつか人間に戻れるようになって、山奥とかで隠居して、罪を償いながら仲良く生きるのかもしれない。でないとあまりにも不幸過ぎる……(自分で設置した真守・偽守・アルデバランの死亡フラグ数から目を逸らしつつ)
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第二十七話:走馬灯・冬の記憶
彼が死ぬ時、今日のことを『最も辛かった日の記憶』として思い出すだろう。
「…………寝れねぇ」
モノリス内に戻った時には、既に日が落ちていた。聖天子様へ任務達成の報を送った後は、軽い湯浴みと食事だけ済ませて寝ることにしたのだが……
寝袋に入って横になり、体感で二時間ほど経過している。これならばクラスメイト兼同居人の皆に、要望通り武勇伝を語ってやった方が良かったかもしれない。
「……ハッ。語ってどうすんだよ、バカが」
頭を振って、愚かな考えを払い捨てる。
──だって、言える訳がないだろう。同居人達の中には『神崎舞』がいる。オレが殺した彼の、妹がいる。真実は絶対に明かせない。かと言って、こんな精神状態で上手く嘘を貫けるとも思えない。だから、何も語るべきではない。
「……夜風にでも当たってくるかね」
寝袋から這い出て、玄関代わりのマンホールを押し上げる。
臭いし暑苦しい下水道の空気から解放され、気分もいくらかマシに──
「……ならねぇなぁ」
地べたに寝転がって、星を眺めてみる。
……暗いままだ。空も、心も。
分かりきっていた事実に、苦笑い。おそらくこの先一生、本当の意味で心が晴れることはないだろう。
……ずっと、考えている。
『他の道はなかったのか』と。『話し合いはできなかったのか』と。
……その度に、同じ答えを叩き出す。
『これしかなかったのだ』と。『話し合う余地はなかったのだ』と。
だって、アルデバランはモノリスを攻撃した。軍団を集めていた。これは弁明しようのない、明確過ぎる敵対行為だ。
そしてアイツは、アルデバランを助けようとした。アルデバランも、アイツを助けようとした。……二人は、仲間だった。
「そうやって誰かを思いやれるなら、どうして……ッ!!」
……いや、愚問か。言葉が通じるというだけで戦争が回避できるなら、この世には警察も軍隊も必要ない。あの二人は、殺すしかなかった。
だけど、どうしても……分からないことがある。
この東京エリアには、舞ちゃんがいる。延珠ちゃんと蓮太郎さん、聖天子様だって。
……彼らのことを思い浮かべると、胸が温かい。この先の戦いで死んでしまうかもなんて、考えたくもない。
借り物の記憶の、残り火しか持たないオレでさえこうなのに……アイツは何故、戦争を選んだのか。そこには何か誤解があって、もしかしたら説得の余地があったのでは──と、思ってしまうのだ。だから同じ自問自答が、繰り返されていく。
「──こんな時間にどうしたんですか? お兄さん」
「……ティナ?」
不意に声をかけられ、我に帰る。
上体を起こすと、軽く手を振る彼女の姿。『そっちこそどうして』という言葉が喉元まで出かかるが、寸前で彼女が極度の夜型だったことを思い出す。散歩でもしていたのだろう。
「……なんだか、目が冴えちゃってね」
「奇遇ですね、私もです」
そして彼女はオレの隣まで歩いてきて、問うた。
「隣、いいですか?」
「……服、汚れるよ?」
「お兄さんもでしょう?」
「いやオレは服の隙間から尻尾出して隙間作ってる」
「えっ」
証拠に『みょーん』と言いながら、蠍の尻尾を見せてやる。
「ほら、
巨大化した時に一着分壊しちゃったから、尚更ね。
「…………」
「……話、聞いてた?」
彼女は躊躇せず、五体を母なる大地へ投げ出した。
「誰も気にしませんよ、このくらい」
「……それもそっか」
オレも割り切って、普通に寝転がることにした。
「……明日、蓮太郎さんが内地を案内してくれる予定になってるんです」
「ふぅん? 良いじゃない」
「……お兄さんも、一緒にどうですか?」
「オレは駄目だなぁ。目の色が、
「それなら大丈夫ですよ。Dr.室戸から、カラーコンタクトを貰っています」
「おぉう、用意周到」
「
「……そうだね」
正直、既に滅入っている。と言っても、彼女の考えているような理由ではないのだが。
『──おかえり、
『今日の献立、奮発したんだからね? これ、
『えぇ……言わなきゃダメ……? もう、分かった。分かったから押さないで──っ。
……心配したんだから。
舞ちゃんがそんなことを言う度に、心臓がズタズタに引き裂かれるような心地がした。
『やめてくれ、オレは真守じゃない』
『キミが作ったその料理を、好きと言ったのはオレじゃない』
『キミの兄は二度と帰ってこない。何故なら、オレが殺してしまったから──』
そんなことは、言えなかった。
オレは今まで通り、
──ヤツが『裏切り者』なら、オレは『
……オレは彼女に、合わせる顔がない。
一時的にでも、距離を置く理由があるなら……
「お言葉に甘えても良いかな?」
「勿論!」
外に出ても、連れ添う相手にも『演技』をする必要があったら意味がないワケだが……ティナだけは、オレを『真守』と呼ばないでくれる。オレがその名を嫌っていることを、知っている。それがとても、ありがたい。
「あ、言い忘れてたんですけど……明日は夏世も来ます。──
「……義理とはいえ、オレ達兄妹でしょ?」
「あれ? お兄さんは
「──へっ?」
「ふふっ、そんなにキョトンとするくらい──
言われた意味に気付いた瞬間、顔から火が出るかと思った。
「ちっ、違うわアホ! 授業中、夏世が蓮太郎さんを熱っぽい視線で見てるから、それで……!」
「なんだ、気付いてたんですか。もうちょっと
……どうやら、上手く誤魔化せたらしい。
「流石に寝ますね。これ以上は明日に響きそうですし」
「そうだねウン。流石にそろそろ寝よう」
「──楽しみにしてます」
「お、おう」
ティナがマンホールの中に入っていくのを見送り、もう一回地べたに五体を投げる。
「……デート、ねぇ」
偽物のオレに、恋愛なんて許されるのだろうか。
百億歩ほど譲って、許されるのだとして……オレはどうする気だ?
「良い断り文句、考えとかねぇとな……」
犬の鼻は、感情を嗅ぎ分ける。ガストレアウイルスは、生物の特性を強化する。
……ティナからは、強い『好意』の匂いがする。
だから近くにいると、とても心地いいのだ。ずっと側に置いておきたいと──『ほしい』と、思ってしまう。
「フンッ!!」
全力で、自分の右頬を殴った。
──『神崎真守』は、いずれ人類の敵になる。
ヤツがそうなった以上、ヤツの半身だったオレもそうなるのは確実。だからその前に、オレは
……ティナは、可愛い。将来、一目一声で人を魅了する美女に育つだろう。きっと、世界中の男が放っておかない。気立ての良さもあるから、本気で付き合えばどんな奴でも堕とせる筈だ。彼女が一人になることはない。喜ばしいことだ。
「
あぁ、嫌な男だ……本当に。
自分が『盗人』であるなら、開き直って『盗んでしまおうか』という思考がちらつく。
戦いの後、彼女を攫って未踏査領域で暮らす。そんな選択肢が……
「──死ね」
立つ鳥跡を濁さず。『神崎真守』は『真の守護者』を目指した少年として、綺麗な思い出のまま終わる。人類の敵となったアイツは初めから存在しないし、偽物のオレはただの夢。だから潔く、死に果てろ。
「…………嫌だ、怖い。死にたくない……誰か、だれか……」
「……そこまできて、どうして『助けて』と言えないんですかね?」
「言いたいことは分かってるんです。なら、後は実行するだけでしょう──助けますよ、私達で」
「それこそ言われるまでもありませんね、鳥頭」
「足を引っ張らないでくださいよ、頭でっかち」
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第二十八話:秋の記憶
醜いものを見た。
周囲は汚いものばかり。道行く者は敵ばかり。
──それでも、綺麗なものはあったのだ。少ないけれど、味方だって居てくれたのだ。
──とある駅前の公園にて。
オレと蓮太郎さんは、出店のアイスを買うため並んでいた。
「いつまでムスッとしてんだ? 真守」
「……逆に聞きたいんですけど、どうして
勾田駅からここまでの上り電車。その車内にあった広告は、どれも非常に不快な内容だった。
「どれもこれも、『子供たち』を差別するものばかり……しかも大半が、何一つ科学的根拠の無い嘘っぱちですよ……!?」
思い出すだけで、
先日、オレが任務に行っている間に放送されていたというニュース──『呪われた子供たち』による、『日本純血会』の東京エリア支部長殺害事件。
どうやらこの一件以来、『子供たち』の排斥運動が活発になっているらしいが……怒りの矛先がお門違いにも程がある。どうせなら彼ら彼女には、是非とも『子供たち』を
それにそもそもこの事件、『子供たち』が犯人という証拠が
蓮太郎さんだって、電車で広告を見て内心イライラしてる臭いを出してたのに……
「俺が落ち着いてるのはな……お前がそうやって、俺の分まで怒ってくれてるからだよ」
「…………」
「今日は折角のデートなんだろ? お前が笑ってねぇと、ティナが可哀想だ」
「……デートじゃないです。オレとティナは兄妹ですし、夏世と蓮太郎さんは仕事でしょう?」
モノリス崩壊後の全面衝突。その戦いに参加する民警は、アジュバントというチームを組んで挑む必要がある。
アジュバントは三組六名以上の登録が必須なので、所属ペア実質二組の天童民間警備会社は他社の民警を勧誘しなければならない。(ティナが『ミラ・ペイン』という偽名でライセンスを取って、木更さんとペアを組んでいるが……
今回の内地巡りは、仕事のついでだ。
「アイツの服装見て、それ言うか?」
「…………」
緑を基調とした、ワンピースタイプのドレス。
肩から背中、胸元までの露出は……どう考えても『夏だから』で済まされる範囲ではない。
……なんでも記憶喪失前のオレが『綺麗だ』と言ったらしく、一月前に彼女が全ての私服を
「……じゃあ蓮太郎さんも、しっかり夏世と向き合うんですね?」
「うぐっ」
「そして帰ってからは勿論、延珠ちゃんと木更さんとも向き合うんですよね? あぁ後未織さんと聖天子様も──」
「分かった分かった! オレが悪かったよチクショウ……素直に好意を受け止められない事情があるのは、お互い様だったな」
「そういうことです」
それから少しして、列の先頭はオレ達になった。
「抹茶とチョコを一つずつと、バニラを二つ頼む」
『あいよー』という声と共に、手際よくコーンへアイスが乗せられていき、手渡される。
蓮太郎さんは、そこからバニラ二つをオレに手渡した。
「……嫌なことはさ、美味いもん食って忘れようぜ。今だけでも」
「……はい」
そしてオレ達は、ベンチを取っておいてくれた二人と合流した。
「ほれ、買ってきたぞ」
「はい、どうぞー」
蓮太郎さんは夏世にチョコを渡し、オレはティナにバニラを渡した。
二人は同時に『ありがとうございます』と言い、ハモったことに気付いて同時に相手を睨んで、同時に舌打ちをした。
……シンクロしすぎでしょ。仲良しか。まぁ実際嫌悪の臭いはしないし、見た目ほど不仲ではないのだろう。
「ティナはバニラでよかったんだよね?」
「はい。お兄さんとお揃いです」
相も変わらず、小っ恥ずかしいことを言ってくれる……
言った本人も恥ずかしかったのだろう。熱を持った頬を冷ますように、アイスを多めに掬って口へ放り込んでいた。
一方、あちらの二人はと言うと。
「里見さん、味見に少し交換しませんか?」
「あぁ、いいぞ。ほい」
「──はむっ。……こちらもどうぞ」
「──んっ、こっちも美味いな」
「……間接キスとか、あまり気にしないタイプなんですね」
「あー、延珠がめっちゃしかけてくるから慣れた」
「……デート中に、他の女の話をしますか」
「そういうセリフは八年早えよ、アホ」
「……私達も、しますか?」
「いや、オレ達のアイス味同じでしょ」
「そうですね。なのでその分刺激的に、口移しの交換なんてどうで──あぅっ」
アホなことを言う駄妹には、制裁として強めのデコピンを喰らわした。
「あんまり揶揄わないの。兄妹はそんなことしません」
「…………じゃあ真面目に、
「ティナ、あのねぇ──」
「私、本気です。こんなこと、軽々しく言ったりしません」
「────」
分かっている。知っている。彼女が本気だということくらい……
そして彼女が、何故か
「……その返事、考える時間をくれない?」
「では……モノリス崩壊前までに、答えをお願いします」
「えー、戦いのモチベに関わらない? だったら後の方が──」
「ダメですッ。……そんなに待てません」
「……わかった。それまでには答えを出す」
「はい。……待ってますね」
互いに気恥ずかしさを隠すように、残りのアイスをかきこんだ。
──ドロリと、溶けていく。お腹の中に、溜まっていく。
誰か、誰か一人でいいのだ。偽物のオレに、存在していい理由を──生きる理由を、権利を、くれる人が……ほしい。ずっと、そう願っている。
だから──
なぁ、どうして『モノリス崩壊前まで』に拘るんだ? 何故このタイミングで関係の進展を急ぐんだ?
ひょっとして、もしかして……あり得ないことだと、解っているけれど。
……そういう、あり得ない期待をしてしまう。
しかし実際、コレはおかしな話なのだ。
蓮太郎さんは、ティナと夏世に昨日のことを明かした。敵の正確な内情を、身内に隠す理由はない。加えて、聖天子様からの最新情報も。
──オレの手で、敵陣は既に崩壊している。証拠に、ミサイルが通るようになったらしい。無効化していたのが誰なのは知らないが……とにかく、これで残りの戦いは消化試合と言える。だから
彼女の焦りと心配は、次の戦いとは別の場所に要因があることになる。
だからそう、『今』である理由は……オレの内心に、
それこそ、一番おかしな話なのに……
*
アイスを食べ終え、先に進み──市街中心部の大きな
すると蓮太郎さんが、不意に首を巡らせて……歩道橋のところで止まる。どうやら彼も、歌声に気付いたらしい。夏世が気を利かせて『逆方向でもないんですし、行きましょうよ』と言い、オレ達は歩道橋へ向かった。
──歌い手は、ボロを纏った物乞いの少女だった。
彼女の横には手持ちの看板らしきものがあり、そこには自らが『呪われた子供』であることと、妹がいるということが書かれていた。
……しかしそうなると、気になることがある。蓮太郎さんも同じことを思ったらしく、疑問を口にした。
「おい、お前……その目はどうした」
彼女は布で両目を覆っていた。『呪われた子供』が全盲なんてことは、まずあり得ないのに……
少女は歌を止めてこちらを見ると、にっこりと笑い、答えた。
「これですか?
『────』
みんな、絶句していた。
スルリと外された布の向こうには、言葉通り固着した鉛。その奥の両目は、二度と開くことがないだろう。
──怒りのあまり、オレは彼女の両肩を掴んで問い詰めた。
「どこのどいつにやられた? 言ってくれ、そんなことをしたクソ野郎は誰なのか……!」
見つけ出して、挽き肉にしてやる──そう息巻いていたのだけれど。
「他人にやられたわけではありません。自分でやったんです」
「──ぇ」
どうして……
「私達を捨てたお母さんが、赤い眼を嫌っていたので」
「そんな……!」
頭に、かつて培った知識が提示される。
『ガストレアショック』 赤い目を引き金とした
──突如金属音がして、発生源を見る。物乞いの少女のものであろう、鉄鉢だ。
「ありがとうございます!」
投げ入れられていたのは硬貨ではなく、缶ジュースのプルタブだった。
「──ッッッ」
下手人の男はクスクスと笑いながら、遠ざかっていく。男の連れも、笑っている。すれ違う奴らに、咎められることもなく。
────キモチワルイ。
気色悪い。穢らわしい。なんだこの空間は?
何故止めない? 何故誰も不快と思わない? 小学校で『倫理』『道徳』を学ばなかったのか?
あぁそうだ、きっとみんな小学校に行けなかったんだ。カワイソウニ。
だから、汚い場所の掃除をどうやるのかも知らないんだ。
──掃除しなきゃ。
教室の埃は箒で掃いて、塵取りからゴミ箱に。
歩道橋の
『バチン』という乾いた音が、歩道橋に響き渡った。
「頭は冷えましたか?」
「……ごめん。ありがとう」
平手打ちされた右頬をさすり、気不味さから目を逸らす。
……さっきまで、オレは何を考えていた?
夏世に止められなければ……本気で人を、殺すところだった。……『神崎真守』はやはり、人類の敵にしかなれないのだろう。
だから早く、手遅れになる前に、オレは……
「あの……」
「……うん?」
思考を打ち切って、声のした方を向く。すると物乞いの少女が近寄ってきて、手を伸ばした。
特に敵意の臭いはしなかったので、好きなようにさせてやると……彼女はオレの顔や肩を、満遍なく撫でていった。
「……とっても熱い。私のために怒ってくれたんですね、ありがとうございます」
「……気付いてたんだ」
「気付きますよ。もう長いことやってるので、慣れました。普段は気付かないフリをしてるんですけどね。そうすると、見てた人がたまに本当のお金をくれることもあるので」
「……意外と
「妹の分も、稼がないといけませんので」
「……そっか」
立派な『姉』だ。同じく妹を持つ身として、尊敬する。
「じゃあ、これで妹さんに栄養のあるものを食べさせてあげて」
財布から紙幣をひとつまみして、少女に手渡した。
すると彼女は匂いと手触りで紙幣であることに気付き──顔を青くした。
「こっ、これ……全部一万円札ですよね!? こんなに貰えません!」
「ん、よく分かるね。どうやってるの?」
「一万円と五千円は、前に一度だけ『掃除屋』のお姉さんから貰ったことがあって……その時に『紙幣は大きさが違うから覚えておくように』と言われたんです。『でないとお釣りを少なくされても気付けない』からと……」
「なるほど」
記憶を失う以前から『割とトンデモナイ仕事』をほいほいやっていたらしいオレは、口座にも財布にも、桁がオカシイ量の資金がある。だから特に気負うことなく万札を渡したのだけど……そこまで気が回っていなかった。名も知らぬ『掃除屋』さんに感謝だ。
「お返ししますっ」
「受け取り拒否。代わりに一つ、お願いを聞いてほしいんだ」
「……なんでしょう?」
「しばらくここに……内地に来ないで。最近、テレビで『子供たち』の悪いニュースが大々的に放送されてて……皆殺気立ってるんだ。ここは危ない」
「なるほど、それで……」
思い当たる節があるのか、少女は逡巡しながら服の中にお札を入れて、ペコリと頭を下げた。
「……ありがたく、頂戴しますね。お礼に一曲──」
「いいからいいから。今日はもう帰って」
「ですが……」
「……しょうがないなぁ。一曲だけね?」
それからスマホを取り出し、メモアプリに文字を打ち込んで、皆に先に行くよう促す。同時に、『彼女を外周区まで護衛する』とも。
蓮太郎さんは溜め息を吐いて、二人の手を引いた。
──始まった曲の名は、『アメイジング・グレイス』
*
「……腹、減らねぇな」
少女を送り終えた頃には、夕方になっていた。
彼女が一人で帰れるのか、こっそり後を尾行して……その間勿論、目を離さないよう食事などもしていないのだが。
……まぁ、考えてみれば当然の話。この身体は本来、50mを超える巨躯を駆り続けるよう設計されている。それを、小学生サイズの省エネモードで運用しているのだ。空腹になぞなる訳がない。
「ははっ──バケモノめ」
文字通りの、変
歩道橋の上で、血の雨を降らせようとした男──それがオレだ。
「…………もう、ここでいいや」
ダメだったんだ。次の戦いが終わるまでなんて、悠長なことを言っている場合ではなかった。
未練に縋るな。自己中な恐怖は捨てろ。『神崎真守』は今ここで、終わるべき存在だ。
第何区かも分からない、外周区の廃墟街。周囲には、血の跡が散見されている。オレも今から、その仲間入りをしよう。
「ス──ふぅ…………」
全因子、励起。
痛覚──遮断。
全力発電──
貫手──強度上昇、筋力増加。
胸部装甲──胸周囲の皮膚・骨・筋肉を脆弱化。
胸に手をやり、鼓動の位置を確認。
この心臓を止めれば、全部終わり──そう、思っていたのに。
「何やってんですかッ、バカーーーッッ!!!」
突然背後から体当たりを受けて、押し倒される。
うつ伏せになったせいで顔は見えないが、この声は──
「夏世……? どうしてここに……」
「どうっっでもいいでしょうそんなこと!!」
なんとか身体を仰向けにすると、彼女は顔を真っ赤にして涙をポロポロ流していた。
「嘘吐きッ! また私より先に死のうとしましたね!?」
「……なんのことか、分かんないよ」
「じゃあ今ここで、もう一度誓ってください!! 私と戦場でのパートナーになると! 私と一緒に、永遠を生きると!」
「……駄目だよ。分かってるでしょ? オレが歩道橋で、何をしでかそうとしたのか」
この衝動を、永遠に抑えるなんて……オレにはできない。
「そんなの、私が何度だって止めてあげますから!!」
──プツンと、ナニカが切れた気がした。
次の瞬間、夏世が吹っ飛び廃墟を崩しながら転がっていった。
「ぁ……」
我に帰り、血の気が引いた。
今、オレは何を……
「──なんですか、今のテレフォンパンチは」
瓦礫と粉塵の向こうから、怒りに震える声と──赫い光。
光の明滅。瞬きの後には、眼前へ拳が迫っていた。
反射でガードを上げ、それを防ぐも──鳩尾に激痛。
「……! ゴフッ!?」
「一発は一発。これでチャラにしてあげます」
顔面を狙う
「でも次は喰らわない、とか考えてそうな顔ですね」
「──っ」
「気が済むまでやってやりましょうか? 脳筋」
「──じゃあ、お前の頭なら思い付くのかよ!? 人間共を殺し尽くす以外に、『子供たち』を助ける方法が!!」
「──そんなの、あるわけないでしょう」
「だったらッ、邪魔すんじゃ──」
「どうしてそこで諦めるんですかッッ!?」
──諦める? オレが?
「歩道橋にいた人達は勿論、内地を我が物顔で歩いてる奴ら皆──みんなみんな、狂ってますよ! ぶっ殺したくもなるというものです! 貴方の感情は間違ってない!!」
「……じゃあなんで、あの時止めたんだよ」
「
「……だったら、正しい手段って何さ」
「──
「……え?」
「内地の奴らは、私達民警をどう評価していると思いますか?」
「……知ってるよ。『ガストレア同士を殺し合わせる、体のいいゴミ処理』だろ?」
「──
「……ぁ」
「生きて戦っている間、私達は正しいんです。だから、戦い続けましょう! そしていつか、奴らに言わせるんです──『ごめんなさい、私達が間違ってました』って!!」
「────」
「私と一緒に、
「──ッッ」
オレは、彼女の手を取った。
「……うん、証明する。オレ達の存在価値を、認めさせる」
「はい! それでは改めて──」
今作夏世は将監さんの価値観に強い影響を受けていて、実は結構バトルジャンキーだったりします。(漫画版参照)
なので彼女視点だと、真守くんとペアを組んだ日の台詞の捉え方がちょっと違かったりする。
話は変わりますが実はティナ、真守の任務のことを盗み聞きしていました。(散歩してたら偶然電話してるのが見えて、近付いたらヤバい話が聞こえてきて隠れた)
それから真守と同じ体質を持つ夏世に事情を話し、彼の任務にこっそり着いて行ってもらいました。
そしてシェンフィールドで索敵支援しつつ、最深部手前まで行き──二人はもう一人の彼のことを知りました。
二人が真守と出会ったのは、分離してガストレア化した後なので──二人にとって『本物の真守』はテセウスの方。故にショックも小さかったですが……他だと軒並み大変なことになります。
延珠:発狂、気絶。ただし総合的には一番幸せな結末を迎えられる。(延珠の場合、時間をかけて立ち直って、彼を更生させるために戦う。真守くんは彼女に攻撃できず、無理矢理エリアに連れ返されて和解エンド)
舞:発狂、気絶。全員にとって最悪の結末を迎える。(舞がガーディ側とテセウス側のどちらに立つかは半々だが、どちらのルートでも他の人が遭遇した場合とは比較にならない数の死体が発生する)
蓮太郎・菫・聖天子:精神に甚大なダメージ、茫然自失状態に。テセウスの自殺を止められず、バッドエンドルート一直線。
木更:精神に大ダメージ──を受けるが、ガーディが『話の分かる
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間話:一方その頃
明けましておめでとうございます。本当は昨年の内に投稿したかったのですが、遅くなってすみません……
未踏査領域、某所。
「しっかし、マズいことになったな……」
爆撃を受けて
「いかにも『八つ当たりでテキトーに暴れました』って感じで帰ったくせに、一番やられたら困る奴だけキッチリ仕留めやがって……」
鉄砲魚を素因子に持つステージⅣ。正史において『プレヤデス』のコードネームを与えられたガストレア。
圧倒的な射程と、それを活かす広大な索敵能力を持ち、更にはマッハ単位の速度で飛来する物質を精密に撃ち抜く技量まで持っていた怪物だが──
「アイツ、
本来陸路での一騎駆なぞ『人類側が取り得る選択肢』として考慮する必要すらないのだ。その油断をまんまと突かれた形ではあるが、襲撃者の『彼』は存在そのものがイレギュラーの塊だった。この結果も無理はない。
「ま、嘆いて過去が変わるワケでなし。アイツの分まで、オレが働けばいい」
──そうだ、過去は変わらない。
名も知らぬ恩人も、両親も、義妹達も、友人も、生き返ることはない。いつものことだ。
彼は、『他者の死』に麻痺し始めている自分を嗤った。
(……ただ、気になるのは)
「…………延珠ちゃん、蓮太郎さん」
(もしかして……生きてたりするのかな?)
最後に『彼』は、『記憶喪失』と言った。
だが、それが本当ならば。一つおかしな点がある。
(どうしてアイツは、
その言葉を知っている人物は限られている。
故人である神崎夫妻と、今は仙台エリアに居る筈の神崎舞を除けば、元クラスメイトくらいだが……差別主義者の彼らが『彼』と良好な関係を築ける訳がない。ということは、
「……いいや。グークルさんだろうな」
本名不明、性別不明、年齢不明。不明だらけの死んだ目をした『情報屋』を、彼は想起する。
(オレが倒れたあの時と同じく、どこからともなく現れて、色々助けてくれたんだろうな……)
里見ペアが生存している可能性については、意識して考えないようにするつもりらしい。
(……第一、二人が生きていたとしてどうする気だ?
彼は決めたのだ。
もう退かないと。もう裏切らないと。
(耳が早いあの人のことだから、もう東京エリアから出て行ってるだろうけど……仮に残っていたとしても、関係ない)
──彼はアルデバランと共に、人間を滅ぼすだろう。
(……でも結局、
最早確かめる術は無いと知りつつも、その疑問は彼の中にこびりついて離れなかった──
*
「──アハハハハハハ!!! いやぁ予想外! 飽きさせないねぇ今代の主役達は!!」
東京エリアのどこかで、その『人間』は大笑いしていた。
そこは窓の無い一室にも関わらず、照明はついていなかった。ただし部屋中くまなく設置されているモニターにより、室内はむしろ眩しいほどの光に満ちている。
「まさかこのボクが、こんな特大の商品を腐らせることになるとはね……」
『グークル』という通称を持つこの『人間』が扱う商品とは、『情報』のことである。
情報は時間経過による商品価値の変動から、よく
「腰が低過ぎでしょ聖天子ちゃん。もうちょっと躊躇してくれてもいいんだぜ?」
グークルは『アルデバランのモノリス襲撃』を知った瞬間、聖天子がどう動くかを正確に読み切っていた。
ミサイルと戦闘機の使用も、その後彼女が真守に頼ることも、予想していた。
──そして、それが
「
ミサイルと戦闘機による攻撃、真守の単騎襲撃の目的はいずれも、『アルデバランが複数のモノリスを攻撃できないよう体力を削ぎ落とす』ことだ。
しかしそんなことをしなくとも、
それが『天童の汚職』
アルデバランが攻撃したモノリスには
(まぁ、真守くんが生還してくれたから結果オーライではあるんだけどさ? ホント、勘弁してくれよ聖天子ちゃん……彼は大事な大事な、ボクの
他の生ゴミはどうなろうと構わないけど、真守くんを喪うのはダメだ。
……二ヶ月前のアレから生きて帰った時点で、早々死なないだろうけどさ)
──正直あの時、『血の力』込みで九割死ぬだろうなと思ってたし
グークルにとって、今回の戦いは──いや、今回の戦い
この『情報屋』が狙う首は、ただ一つ。全ての関心は、『ソレ』と『ソレを殺し得るもの』にのみ向けられる。
「ゾディアックガストレア、ジェミニ──」
「ま、そのためには面倒でもコツコツ盤面を整えなきゃいけないワケですが……うん、決めた。
邪魔な
*
真守くん視点だと既に『東京エリアには大切な人がもういない』状態になってますよ。という話と、しばらく先送りにされていたグークルさんについてのお話でした。
グークルさんの破綻者らしさやクズだけど憎めないくらいな性根の悪さを表現できていたらいいな……(原作で蓮太郎から『悪人』と断言されながらも『さん』付けで呼ばれているので、その絶妙なラインを常に意識していきたい)
オマケ
グークルから登場人物への関心度・評価など
一般人:愚か過ぎて最早逐一怒りを抱くのも疲れた。
まさに衆愚。心の底からゴキブリの方がマシ。同じ『人間』とは思っていない。
聖天子:中途半端。荒削り。だけど見所はある。
真守:キミのようなバカは好きだよ。
彼の力の由来や正体について知っているが、彼が二人に別れてることは知らない。
延珠:キミのようなマセガキも好きだよ。
グークル側から特に何か仕掛けることはない。でも延珠側から頼られれば、大抵のことはしてくれる。
蓮太郎・ティナ:……機械化兵士、嫌いなんだよね。(ただし二人のこと自体は比較的嫌いじゃない)
木更・夏世:実に話が合いそうだ。いつか直接会ってお茶でもしないかい?
木更については、新たな顧客としても目を付けているらしい。
舞:……恐ろしい子。ボクは好きだけどね。
真守が死んでいたら、協力者候補の筆頭になっていた。
菫:???
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第二十九話:夏の記憶
最も生命が活気付く季節。最も長く地が照らされる季節。
そして何より、最も熱い季節。
彼が『彼』として生きた、『今』の季節。
「──時間だ。そこまで」
ストップウォッチのアラームが鳴り、蓮太郎の号令で答案用紙が回収される。
『どれどれ?』と呟きながら答案を流し見する蓮太郎先生に、生徒たちは次々と『難しすぎ!』『わかんない!』『時間足りない!』と非難をぶつけた。(尚問題作成者は木更な模様)
(……二桁同士の掛け算は、
蓮太郎は、勉学の成績が『暗記力・
その点外周区の『子供たち』が持つ『興味力』は非常に高いと、彼は評価している。それに実際……
(──ん??
あれ、嘘だろ? これ……)
流し見(義眼による超高速採点)の途中で、蓮太郎は己の眼を疑った。
──氏名「神崎真守」 採点結果:20/100
赤点である。文句なしの落第点である。
とてもではないが、民警ライセンスの座学免除試験を一発合格した男が取るとは思えない点数だった。……真守も蓮太郎と同じく、『興味力』の有無で成績が極端に偏る典型的な例であったのだ。*1
(今度補習が必要だな、こりゃ)
────南無三。
「……じゃあ次。今日はこれで最後な」
そうして配られたプリント──作文用紙には、こう書かれていた。
「──将来の、夢?」
*
(将来……それも『夢』とはねぇ)
考えたことはなかった。
喪失した過去の己であれば、『真の守護者』と書いただろう。
絶望に呑まれていた頃のオレなら……白紙で出すか、体調不良を訴え逃げ出すかのどちらかだろう。
だけど、今のオレは……
「書けました」
「おっ、早いな」
「一文しか書いてないので。駄目なら書き足しますが」
「あー、うん。察した」
今のオレが抱く、将来の夢は
「ん……?
「『真の守護者』になることは、オレの
「……そっか。お前にとっちゃ、通過点なんだな」
そう言うと蓮太郎さんは、オレの頭をグシャグシャと撫でた。
──この世界は間違っている。間違いだらけだ。なのに誰も、間違ってることにすら気付いてない。
だから正す。そのための証明。オレと
数分後、ストップウォッチが鳴るのと同時に用紙の回収が始まる。制限時間前に提出したのは、オレと延珠ちゃんだけだった。
夏世は一応、時間前に鉛筆を置いていたけど……最後の方に突然鉛筆を握り直して、凄い勢いで何かを書いていた。
「……夏世はさ、何書いてたの? 裏まで使ってたよね?」
「相棒と同じですよ。ただ全く同じだとつまらないので、手慰みに『人類が全てのガストレアを駆逐できる確率』について算出していた論文を思い出しながら、そこに私と相棒を組み込んだ場合の再計算を」
「おぉう。すっご……ちなみに結果は?」
「聞くまでもないでしょう? ──100%ですよ」
「ははっ、確かに。愚問だったね」
今回の件を含め、『モルフォ蝶事件』みたいな
だから極論、
それならできると思う。他エリアは、知らん。
……うん。目標ができて、前よりちょっとだけ前向きにはなれたけど……それでも人が変わったかと言うと、そうではないワケで。大切な人以外はとことんどうでもいい、薄情者のままなのだ。
『そんなものですよ』
「…………」
心を見透かしたように、夏世は声に出さずそう言った。音にされなくても、彼女の言葉は何故か伝わるのだ。
「──そこ、何二人で通じ合ってるんですか?」
背後から、少し不満気な声。
振り返ると、絵に描いたような膨れ面。本人としては睨んでいるつもりなのかもしれないが、正直可愛いだけで全く怖くない。
「私への返事をほったらかして、他の女の子に現を抜かすとは……一体全体どういう了見ですか? お兄さん」
「待って待って待って。ちゃんと返事はするから、もうちょっとだけ待って」
ティナのことが好きかと言われれば、『好き』だ。
異性として見れるかと聞かれれば、『Yes』と答えよう。
だけど……正直に言うと。
もし『一番大切な人は』と質問されたら、オレはきっと
勿論、夏世への感情は彼女が男だったとしても変わらない。でもティナが男になったら、想像するだけでかなりショック。
だからまぁ、『オレも好きだ』と返すこと自体には、何の問題も無いのだけれど。
…………それでいいのか? と。
「しっかり、向き合い方を考えたいんだ」
二人に、誠実な対応ができるように。
『──あぁそうだ。一つ言っておかないと……あの子はきっと、
『ぶっちゃけてしまうと、私とティナは
その上で、二人はオレの味方だと。
本物の『彼』を慕っていた舞ちゃんと延珠ちゃん、蓮太郎さんを騙し続けることを容認すると。その罪を一緒に背負うと、決めてくれたという。
そこまで言われてしまったら、こんなに想われていると知ってしまったら、受け入れる以外の選択肢なんて無い。
……だけどそれはそれとして、いや
心を固めて、計画を練って、相応の愛を返したいのだ。
そのためには、もう少し時間が必要なのです。けっして逃げではありません。えぇ、決して。
「……期日を過ぎても返事をしてくれなかったら、最終手段に出ますから」
「え、怖……」
「そう思うのでしたら返事はお早めに、です」
「善処する……」
そうして話している内にプリントの回収が完了し、解散というところで──
「よしお前ら聞け! いまから課外授業だ!! 社会科見学、行きたい奴は手ぇ挙げろ!」
やたらハイテンションな先生の様子にキョトンとして、ティナと顔を見合わせて
特に断る理由もなかったので、すぐさま全員の手が上がった。
*
電車に乗るというから少し身構えたが、目的地は第四十区。つまり外周区から出るワケではないと聞いて、肩の力を抜く。
同時に、蓮太郎さんの目的も察した。
駅を出て、森を抜け、廃ビル群を行き──オレ達は小さな公園に辿り着いた。予想通りだ。
「お前たちの中に、『関東会戦』のこと知ってる奴……いるか?」
皆の視線が、示し合わせたように夏世へと集中する。
彼女も分かっていたのだろう。『やれやれ』と言いたげに溜め息を吐くと、解説をしてくれた。
「関東会戦は過去に二回発生した、東京エリアにおける人類とガストレアの大戦争。
一度目は十年前。まぁ、ガストレア大戦のことですね。
問題は二度目。
「おう、満点花丸大正解だ」
──『回帰の炎』
それが、この公園に置かれた金属碑の名前。プロモーターの座学試験で必ず出る問題……と、『彼』の知識にある。
「戦場だった此処が、モノリスの内側にあるってことは……だ。人類がガストレアに勝利し、生活圏を取り戻した証だ。
いいかお前ら──
……皆最近、暗い顔をしていた。
モノリスの侵食が公式に報道されて、同時にシェルターの抽選券が配られて……その配布対象に『子供たち』が含まれていることを知った『大人たち』が今、暴徒と化している。
皆、不安なんだ。
外周区はモノリス崩壊後、真っ先に被害を受ける立地なのに……今は内側からも脅威が迫ってきて、板挟み。逃げ場が無い。
だから蓮太郎さんはこうやって、皆の気分を晴らそうとしてくれている。
「……でも先生。自衛隊、負けたんでしょ? 敵地に向かった飛行機とかミサイルとかが、落ちたって……」
「それは……」
先生が、こちらを見た。
────あぁ、構わない。
「それについては、このオレが説明しよう!!」
視線を集め、『ニッ』と笑う。
そうだ見ろ。見ろ──
「え、ちょっと、ウソでしょ? まもる、その目……」
「何驚いてんのさ。前から言ってたじゃん? オレ、ガストレアだって」
「虹彩の部分は元からだったじゃん? 冗談で目は赤く光らないよ??」
「いや、だって……」
「中央には、そういう売り物もあるのかなって……」
「うん。特殊なカラコンか何かかと……」
「なんなら男装女子説あったし……」
「おいコラ今『男装女子説』とか言った奴誰だ? この男前な顔のどこ見てそう思った??」
『ササなん』
「ササナちゃん、後で校舎裏」
「ウチ青空教室だよね!?」
知ってる。
「まぁ気を取り直して、本題!
──
『…………』
「なので不甲斐ない自衛隊の代わりに、オレがこないだ大将首を取っときました」
「バリバリ本当。だからまあ──安心して。皆のことは、オレが守るよ。
具体的に言うと、自衛隊が負けた時点でなりふり構わず全力でガストレア軍を鏖殺する。無論、一匹残さずね」
「つー訳で、だ。コイツがいる限りお前らは死なねぇ。あとついでに、俺と木更先生も戦うしな」
「先生たちも戦うの?」
「あぁ」
「『
「そうだ。……本来なら、俺達だけでやらなきゃいけないんだけどな」
「……みんな集まって!」
突然の号令に、民警組以外が反応してスクラムを組んだ。
ふむ、話の内容を聞くに……
……、…………。
「蓮太郎さん、夜道には気を付けてくださいね」
「え」
「たぶんそろそろ刺されますよ? いやマジで」
「え゛」
「──先生、合格です!」
蓮太郎さんは、受験に失敗した学生のような顔になった。
「私達は、先生が好きです」
「結婚を前提にお付き合いしたい者が五人います。私もその一人です」
「冗談だろ……?」
「諦めてください。
そして皆はジリジリと蓮太郎さんの方へにじり寄っていき、先生はその分後退りした。
「ま、待てお前ら。そうだ、真守はどうなんだ!? イイ男だろコイツ!」
『あー……』
「オイ、別にそういう目で見て欲しいワケじゃないけどそれはどういう『あー』なんですかねぇ皆さん??」
『略奪愛は、ちょっと』
「俺にも相手いるんだが!?」
「そうだぞ! 妾というフィアンセが──」
「お前はちょっと黙れ!」
『でも木更先生も夏世ちゃんも違うんですよね?』
「…………延珠、助けてくれ」
「皆、ヤッていいぞ」
──次の瞬間、ゾンビ映画もビックリの勢いで群がられた蓮太郎さんの悲鳴が響いた。
押し倒されて、皆の顔が見える。
チクショウ熱苦しいし動けん。ええい離れろ離れろ。
……ん? どうして皆泣いてるの?
というか、あれ。押し倒されたのは蓮太郎さんじゃ……?
てか、ホントに熱いな。おのれ太陽。焼け焦げるわ。
…………いや、コレ
あ゛ー、クソ。頭回んねぇ。夢と現実がごっちゃになる……
今、どうなってるんだっけ……? どうして、こうなったんだっけ…………?
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終話:崩御
『狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり』
徒然草第八十五段より。
ならば、聖人の真似とて人を救わば聖人なり。偽物とて人を守れば守護者なり──そう言っても、いいじゃないですか。
──残すところ一日になった。
民警軍団の団長は、モノリス崩壊前最後の日を完全自由にしたという。
「蓮太郎先生、早く来ないかな〜」
蓮太郎さんは今日を『先生』として消化することに決めたと、さっき電話が来た。本来は一昨日の授業が最後の予定だったから、『また会える』と知った皆は大盛り上がりだ。……かく言うオレも、結構嬉しかったりする。
戦闘員の中でオレだけアジュバントに所属していないから、正直寂しかったのだ。
元から蓮太郎さんとペアを組んでいた延珠ちゃん、この大戦を機に社長とペアを組んだティナは勿論、臨時で
ちなみに別れ際に『ペアを組んだのか、オレ以外の奴と……』って呟いてみたら、本気で嫌そうな顔をされた後に『…………ネタが古いですよ。中身おっさんですか?』と返された。『ブーメラン』と言ってみたくなったが耐えた。
「──時間あるし、せっかくだから何か準備して待ちたいよね」
「でも、今から何かできる?」
「テンプレなのだと、黒板に絵とメッセージ描いとくヤツとか」
「いいね、じゃあ皆で描こ!」
「私絵下手だから、代わりに花冠作ってるね。この辺りシロツメグサいっぱいあるし」
「あっ、わたしもそっちがいい……」
「シロツメグサってどれー?」
「んー、クローバーって言えば分かるかな?」
「前に四つ葉探してたアレ?」
「そうそう。アレの花」
それからは二手に分かれ、作業を進行していった。オレは花冠の方。
「大体できたね!? よし交代!!」
「交代!? 黒板の方もうやることないでしょ!?」
「寄せ書きなんだし、一人一文は書いた方いいでしょ!? あと私達も一個は手作りの花冠先生に渡したい!」
「たしかに!!」
そうやってワイワイガヤガヤと、ラストスパートをキメて──やり切ったと思った、その時。
「真守ッッ!!!」
突然舞ちゃんが、鬼気迫る様子でオレを呼んだ。
ギョッとして彼女の方を見ると、限界まで見開かれたその瞳が上空に向けられたのが分かる。
釣られてオレもそちらを見ると──ヘリコプター?
迷彩柄と国旗から、自衛隊のものだと分かる。時期が時期なので、珍しくもない。彼女は何をそんなに焦っているのか。
──いや待て、違和感がある。
「あ」
理解した瞬間、駆け出した。
「皆ッ、伏せろおおおおおお!!!」
無造作に放られた『ソレ』を見て、歯噛みした。
慣性と重力に従い、『ソレ』はこちらに向かってくる。
迎撃? バリア? 駄目だ、駆け出すのが遅かった。後ろの皆を巻き込みかねない。
──身体で受けるしかない。
「ガアアアアアアッッ!!!」
跳躍、からの形象崩壊。胎児のように身体を丸め、『ソレ』を包み込む。
──次の瞬間、極光と灼熱と共に、漆黒の金属が吐き出された。
終わりは、唐突にやってきた。
青空教室に、『爆弾』が投下されたのだ。
*
『おい、テメェら何やってんだ!?』
『何って、駆除だよ駆除! 邪魔だ退け!』
『──それ以上この子に近付いてみろ……撃ち殺すぞ、下衆共』
『そのライセンス──里見蓮太郎?』
『チッ、だったらなんだよ』
『……いや。英雄だろうがなんだろうが、やっぱり民警が守ってるのは、市民じゃなくてそいつらなんだなって思っただけだ』
『あ゛?』
『──なぁ、聞いてくれよ。こんなことがあったんだ』
『……そうか。災難だったな』
『頼むぜ? シェルターが当たんなかった俺らは、お前ら自衛隊が負けたらオシマイなんだからよぉ……
クソッ、アイツら安全な後陣に引き篭もってるくせに偉っそうに……』
『じゃあ俺が、代わりに痛い目を見せてやるよ。面白い噂があるんだ──』
『──へぇ? そいつぁ面白い』
『世話を焼いてた野良ガストレアが焼き肉になった時、英雄はどんな顔をするのかねぇ?』
*
「──グッ、ァァ……」
バラニウムの爆弾。
バラニウムがガストレアに有効なのは最早言うまでもないが、再生レベルⅡまでのガストレアなら実のところ燃やせば死ぬ。そもそもガストレアは研究用の個体以外焼いてウイルスを殺しているのだ。真正の『不死』たるレベルⅤ以外の個体は、
──だが、うずくまっている場合ではない。本当なら省エネモードに移行して再生に専念したいが……早く皆のところに、戻らないと。
「──兄さんッッ!!」
「真守!!」
あぁ、良かった。皆の方から固まってこっちに駆け寄ってくれた。都合がいい。
巨大化はそのままに、皆の上に覆い被さる。
──銃声。
機関銃なのだろう。四方からの絶え間ない轟音で、耳がやられそうだ。
「ひっ!?」
「何!? さっきから何が起こってるの!?」
……爆弾一発だと、勘のいい子と足の速い子は逃げられるかもだからね。あらかじめ囲んでいたのだろう。本気でやるならオレでもこうする。
「──大丈夫。皆は、オレが守る」
機銃なら、バリアで弾ける。時折放られる手榴弾も、熱はどうしようもないけど皆には通らない。だから後は、持久戦だ。
「〜〜〜〜っ、真守! もういい!! 私が外に出て、アイツらを追い払う!」
「ちょっ!?」
「無茶だよ! 舞ちゃんは普通の子でしょ!? やるなら私達が……!」
「──私、
『────』
彼女は、目を赫く光らせていた。オレと──『彼』と同じ体質。
前にも一度だけ見たことがあるが……見間違いではなかったか。それにそういえば、ヘリに最初に気付いたのも彼女だった。
……でも、
だって、
…………化物は、オレ一人で充分だ。
「舞……『寝てて』」
「えっ、何を──……ぅ」
「舞ちゃん!?」
感覚で解る。彼女は『
焼けて死にゆく身体が、再生のために血縁を辿ってちょっかいを出しただけ。……オレが死ねば、元通りになる。
とは言え今リンクしているのは間違いないので、少し血流を操作して失神して貰った。……上手くいって良かった。
「……皆も、反撃なんて……考えないで、ね……?」
「でっ、でも……!」
「殺していいなら、オレがもうやってる……その意味を……考えて……」
「だけど真守っ、もう……!!」
ああ。全身が焼けている。爆弾榴弾で外を焼かれ、内側も発電により感電しているから、正真正銘全身火傷だ。しかも再生のために、代謝で体温は際限なく上昇している。
「……大丈夫。奴らが退くまでは、耐えてみせる……」
「もういいッ! もういいから!! バラバラに逃げて、狙いを逸らせばなんとか……!」
「ハハッ……プロ、それも集団が相手だよ……?」
「でも見てるだけなんてッ」
「一番正しい選択は……得てして、辛いものじゃない……?」
「……っ!」
それからしばらく耐えて、耐えて、耐えて。
どんだけ弾薬浪費してんだよ殺意高過ぎだろとか、悪態を吐く余裕もなくなって、いよいよヤバいなって思うくらい耐えて。
────ようやっっと銃声が聞こえなくなって、身体を起こして。
反響定位で周囲を探って、自衛隊が撤退してることを確認した。
「はぁぁぁ…………」
緊張を解き、省エネモードに移行。
…………うん、指一本動かせない。あと一分長引いてたらアウトだったかも。すぐさま寝落ちする。
「──な、にが……起こったと、いうのですか……?」
耳に入ったその声に、意識を浮上させる。
──あぁ、相棒。会いたかったぜ。遅かったじゃねぇか。
*
東京の通学路というには些か牧歌的過ぎる通学路を、私は走っていた。
嗅ぎ慣れた、あまりにも場違い過ぎる臭い──硝煙と、生きた動物が焼ける臭いが、そこに満ちていたから。
そして、そして。私達の、教室は。
椅子も机も黒板も、全てが壊れて飛び散って。
何よりも、大切なものが。
私の相棒が、黒炭になって横たわっていた。
なんとか掠れる声で『何があった』と聞くと、彼は薄っすらと
────生きてる!!
『ならば』と駆け寄り、抱き起こす。
「もう大丈夫ですよ。今、病院に連れて行きますから」
「ん……それよか、水が欲しい……今、持ってきて貰ってて……」
「──駄目ですッ!」
水を経口摂取すると火傷した喉が腫れ上がって窒息する。更にはミネラルバランスが崩れてしまう。
必要なのは生理食塩水。それを経口摂取以外で──つまり点滴だ。
「今、病院に運びますから」
「……うん」
「幸い、ここの病院は信頼できます。相棒が記憶喪失になった後、最初に起きたところです」
「…………うん」
「全く、勘弁してくださいよ。記憶喪失前含みで、まだ二ヶ月しか組んでないんですよ? 私達。月一で死にかけてるじゃないですか」
「………………」
「ちょっと、返事しないのやめてくださいよ。怖いじゃないですか」
「……大丈夫だよ、相棒。だって…………」
「……だって?」
「まだ、何も始まってない……告白の返事も、できてない……それに……オレ達の……戦いは……証明、を……」
「えぇそうです、そうでしょう? これからじゃないですか」
「…………」
「……相棒、意識はありますか? 指を動かすでもいいですから、何か反応を……」
「────」
「あの、ホントに。冗談だったら怒りますよ? 相棒……相棒ッ!」
一度、背負っていた彼を下ろして脈拍を見る。
「──ッ!」
止まっている。だが、さっきまで返事をしていた。
胸骨圧迫──いや、もっと効率的に。
『──動け』
私の心臓と共鳴させて、彼の心臓を動かすよう働きかける。
『動け……!』
前回はコレで動いたのに、今回は上手く動かせない。
「どうして……! 私の心臓、代わりに止まっても構いませんから! お願い動いて……!」
──動かない。
「……ぁ」
そうだ、心臓を動かそうにも今の彼は
「あぁ……」
でも、水は飲ませられない。病院は間に合わない。点滴も、刺したところで心臓が動かなければ意味がない。
────詰みだ。
「…………こんな、世界。滅びればいいのに」
そんなことを呟いたのが、悪かったのだろうか。
この、すぐ後のことだった。
──政府の予想より一日早く、モノリスが崩壊した。
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第三十話:開戦前/■■灯・■の■■
大っっ変お待たせしました!!!
待たせ過ぎたので、お詫びに皆様が安心して曇らせを摂取できるよう、もう少し先に出す予定だった話を持って来ちゃいました☆
そこは六畳一間程度の室内だった。
コンクリートの壁に囲まれた、無骨な空間。照明は薄暗く、線香の匂いが充満している。
そして中には一つ、担架があった。
その上には、布を被せられた人型の膨らみがあった。
膨らみには── 一切動きが見られなかった。
「……現場にいた『子供たち』から、ガイシャは『身分証も戸籍も無い、自分達と同じマンホールチルドレンの学生』だと聞いているが……一応大人にも身元を確認して貰えると、
蓮太郎は手に持っていた鞄を『ボトリ』と落とし、その手で布を捲った。
「……あぁ、間違いない。オレの生徒だ」
「そうかい。協力ありがとうな、兄ちゃん」
警官にしては砕け切った口調の彼を、蓮太郎は恨めしげに見て──予想に反して光のない瞳が映り、口をつぐんだ。
「……ひでぇことしやがるよな」
「……?」
「外周区に
……まぁ、あり得ない話じゃない。定期的に体内浸食率を計測できない外周区の『子供たち』にとっちゃあ、形象崩壊は突然くるものだ。自衛隊だって、いくら前線に戦力を集める必要があっても……内地を完全な無防備にはできない。誤射に関しては言わずもがな」
──『だけどよぉ』と警官は、震える声で続けた。
「なぁ、信じられるかよ? オイ……だって『子供たち』の話じゃそのガストレア、
あぁ、実際に戦闘はあったんだろうさ。大量の銃弾と空薬莢、爆弾の跡を見りゃあ、そうなんだろうよ。
あぁ、実際にそのガストレアは人を襲わなかったんだろう。現場に居た人間で、死傷者はただ一人だからな。
通報によるとそのガストレアは発電魚の因子を持った固体で、バラニウムは通じなかったらしい。だが発電能力による自傷で自滅したのか、肺呼吸ができなくて窒息したのか……
──で?
実際に焼かれた身体で見つかったのは、こんなに小さい男の子。通報にあった巨大なガストレアは、一体どこにいやがるんだ?
──この子の、本当の死因は何だ?」
そう言って警官は、ペンをへし折る勢いで握った。
「公式では、ほぼ自衛官の報告通りに記録がされる。他ならぬ俺が、今こうして、嘘っぱちと分かり切った妄言を綴っているからだ……!」
「……ありがとな、アンタ。コイツのために、怒ってくれて」
「……それくらいしか、してやれないからな。警察にこう記録される以上、司法に訴えたところで勝ち目は無いって話だ」
「分かってんよ。それでも、ありがとう」
蓮太郎はそう言うと、部屋を後にした。
*
──心は驚くほどに凪いでいた。
いつかこんな日が来ると、そういう想定をしておく理由は沢山あった。覚悟をしておく、時間もあった。彼の死因が、あまりにも彼らしくて……納得しかなかった。というのも、ある。
そして、何よりも。
一番辛いのは、子供たちだ。
俺は、彼女らよりかは『他人の死』という
やはりと言うべきか、一番荒れたのはティナだった。
彼の死と、下手人が自衛隊の人間であることを知った彼女は、すぐさま走り出そうとしたのだ。
近くに居た夏世が『どこへ行く気だ』と言って止めると、ティナは『最前線』と答えた。何をするつもりかは、明白だった。
ただ……
『──仇討ちがしたいなら、私を殺してから行ってください』
『彼が死んだのは私のせいです』
『私が嘯いた〝正しさ〟のために、彼は命を賭してしまった』
だから『怨むなら私を怨め』と。
自分の首とティナの腕に糸を巻き付けて、『覚悟はできている』と。
彼の相棒が、身を挺して止めてくれたことで……ティナも少し、冷静さを取り戻した。
『……今日のところは、アナタの顔を立ててあげます』
そう言ってティナは、腕に絡んだ糸を慎重に解いた。
……他の皆は暴れたりせず、表面上は静かだったが……内面はその限りではないだろう。特に舞ちゃんは、酷く憔悴している。遺体をどうするかという話になった時も……
『──また焼くの? 私達を守って、あんなになるまで焼け焦げた真守を……また、焼くの?』
こう言って反発したのは、舞ちゃん
……十年前のことを考えるに、(彼の体質を抜きにしても)今回葬儀を行うことは難しい。だがそれでも、大抵の遺体は火葬される。土葬では感染症のリスクが大きいからだ。
『──それ、
……まぁ、こう言われてしまったら黙るしかない。『自分達の住んでいる場所じゃないから』と、外周区に原発をポンポン建てまくった『大人側』の俺達が……今更何を言えるのか。
ただ、延珠に関しては……意外なことに、周囲を気遣う余裕すら見せていた。
『妾としても、焼くより土に還してやりたいとは思うが……舞ちゃん、良いのか? 手元に遺骨を残すこともできぬのだぞ?』
『…………いいよ、別に。お父さんも、お母さんも、そうだったから』
本当は俺が言うべき言葉だったが……両親の遺灰を投げ捨て、葬式を抜け出した過去が、口をつぐませた。
木更さんは前線で『やること』があったから、こちらには来ていないけれど。今回の件は、誰だって繰り返し話したい内容ではなかったから……電話を繋いで、当事者を集めて、スピーカーにして、纏めて報告して貰った。
皆、モチベーションは最悪だった。
そんな状況で──モノリスは突風により崩壊した。
*
轟音により、意識が急浮上する。
…………ここは、どこだ?
「病院だよ」
言われてみれば確かに、
それで……キミは誰?
「ここに録音機器が無いのが残念でならないわね。有ったらもう一回言わせて、後でイジり倒してやるのに」
「……アカリさん、私は気にしてませんから」
どうやらもう一人居たらしい。
黒髪赫目の、若い女せ──
「アイム、ユア、マぁザぁー」
「……こちら、
そんな、バカな。随分前に亡くなった筈じゃ……
「えぇ、死んでるわよ? 私も、アンタも」
じゃあ、ここは……
「
「でも肉体は死んでるし、残った精神もこのままだと死ぬし、回避しようにも、できることが何も無いから実質『死』よ」
「アカリさん!!」
「現状は正しく認識させないとでしょ」
……じゃあ結局、ここはどこなんですか?
「私も知らない。ただ、そもそも『どこ』って表現自体が
……そうなの?
「……そう、だね。『記憶の整理場』って意味では、うん」
「そ。──という訳で今からアンタには、
「あの、アカリさん。ホント余計なこと言わなくていいですから」
…………記憶を取り戻せば、キミのことも分かる?
「……ホント、気にしてないのに。私のことなんて、思い出しても……傷が一つ、増えるだけだよ?」
……そっか。キミが、『足』の娘か。
「そうだけど、そこまで思い出す必要はないよ。キミに必要なのは最低限、天童流だけ」
「いや、どうせ思い出させるなら全部でしょ」
「……アカリさん、そろそろ怒りますよ?」
「真面目な話よ。天童流が一番必要なのはそうだけど、辛い記憶なら一月前のことだってあるんだし……それならこの機に全部思い出させた方がいい」
「……そうでしたね」
一月前のこと……形象崩壊と、記憶喪失の原因……
「まぁ、今のアンタならたぶん大丈夫よ。──正しさの証明、するんでしょ?」
──勿論。
「アンタが生き返れるかは、完全に外的要因頼り。人の力じゃどうにもならない『運』の要素が絡むけど……」
「キミの言葉を借りるなら、『それは今やれることをやらない理由にはならない』」
「幸い
「そうですね。もしかしたらアカリさんの記憶を観る時間もあるかもです」
「…………オススメはしないわ。天童流で充分よ」
「ふふっ。結局アカリさんだって、余計な辛い記憶はいらないと思ってるんじゃないですか」
「……息子のことよ? 当たり前でしょう」
……やっぱり愛されてたんですね。
「アンタも私の息子だっつってんのよ! 私だって贋作側だけど、『神崎燈』はそういうの気にしない
「その割に、私を此処へ送り込む時スッゴイ顔してましたけどね」
「そこ余計なこと言わない。……そりゃ、『他人がどう思うかは別』って認識くらいはあるわよ」
……優しいんですね。アカリさんは。
「うっさいわね。『優しい』なんて、アンタと大護さんほどじゃないし……もう、さっさと始めるわよ」
「メンドくさいツンデレですよね、この人」
「追い出されたいのかしら?」
「やめてください死んでしまいます」
ブラックジョークだェ……
「「それどうやって発音してるの!?」」
それはどうでもいいんで、早く始めましょう。
「グダグダね……」
「アナタが言いますか、それ」
「はいはい悪うござんした。じゃあ開始地点は、仙台エリアの──」
────走馬灯が、始まった。
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第三十一話:開戦
「蓮太郎……自衛隊、勝つかな」
「勝つだろうな」
──負ける道理が無い。
敵の数は多いが、第二次関東会戦の時と違って
……真の英雄が誰だったのかも知らぬまま、奴らはお膳立てされた勝利を誇るだろう。滑稽で滑稽で、涙が出そうだ。
戦火と轟音犇く最前線──その遥か後方にて、俺達民警軍団は待機していた。指揮系統としては自衛隊が完全な上位にいるので……俺達には、何もできない。戦闘に一切介入できず、無駄な時間を過ごしているだけ。
……本当に、あまりにも無駄だ。非合理的にも程がある。
人間の集中力は、最長でも数時間しか持続しない。何もしなくたって、気力と体力は磨り減っていく。そんな状態で、もう六時間だ。アホらしい。
そもそも民警の装備じゃ、こんな位置から救援に向かっても無駄だし、かと言って移動しなければ、地形がガストレアに有利過ぎる。頭痛が痛くなるわクソったれ。
────そして、長い長い虚無の時間が終わり……最前線から、一人の自衛官が向かってきた。周囲から、歓声が上がる。
「…………ぇ?」
「……そんな、バカな」
……? ティナと夏世は、何故かその自衛官を見て目を剥いているが……どうしたのだろうか?
分からないが……最前列にいたアジュバントのイニシエーターが一人、自衛官を出迎えに走り出した。
「──あっ、ぁ……」
「待っ……! いえ、落ち着きなさい私。
「──出迎えご苦労。キミに敬意を表し、
遠くて何を言っているのかは聞こえないが、自衛官が足を止め、大きく息を吸い込んだのは分かった。
──そして、絶望が始まる。
「総員、開眼ッッ!!!」
暗闇に、無数の光が灯った。
その全てが、赤色の光だった。
──統率された、ガストレア軍の眼だった。
『GAAAAAAA!!!!』
「──敵襲だッ!! 総員、構えよ!!!」
ガストレアの咆哮が響くや否や、我堂団長の号令で各々が戦闘態勢に入る。それはいい。それはいい、の、だが……。
発光する目を閉じて、闇夜に隠れ、音を立てず、号令で一斉に『開眼』だと? いくらガストレアは知能が高いとは言え、統率が取れ過ぎている。
それに、何より……
「────うそだ」
「テメェは、誰だ……ッ!」
それらを指揮している、
たった今形象崩壊した、あの軍服を着ていた野郎は……どうして、
──どうして、『
「撃てッッ!!」
解答を得るより先に、最前列から響く大量の炸裂音で思考が真っ白になる。
……銃声はすぐに止んだ。訓練通り、敵は引き付けてから撃つ。無駄弾は使っていない。だから何も問題は無い。
死んだ筈だ。『彼』も、奴も。
「さて、静かになったところで……話をしようか」
────では何故、生きているんだ。
「我が名はガーディ!! ガストレア軍副将、『ガーディ』である!!! 戦う前に、対話をしようではないか!!」
お前は、誰なんだ。
*
──誰だ。
「──惑わされるなッ! ガストレアに人の言葉は解らん!!」
「面白い冗談だッ! では貴様らが『呪われた子』と呼ぶこの娘らは、当然余すことなく基本的人権に則った健康で文化的な生活を送っているんだろうなァ!?」
「──何?」
団長の声が、困惑に染まる。小さくなる。
だが妾には、聞こえている。きっとティナも、夏世も、翠も、聞こえている。ガーディと名乗った『アレ』の声が、ハッキリと。
そして、奴の足元──そこで元気に震えている
「知っているぞ、貴様らが『呪われた子供たち』をどう扱っているのか……!
ガストレアと呼ばれて蔑まれ、虐げられ、義務教育の場から追いやられた娘を、オレは知っているぞ!! そのくせ貴様らは、この娘らにこの場で組織立って戦うよう言い聞かせているではないか!!」
あぁ、あぁ……やめてくれ。
どうして、そんなことを言うのだ。よりにもよって
「どういうことだよ、なァ!? ガストレアに言葉は解らねえんだろ!? じゃあどうして、イニシエーターが此処に居る!? 彼女らが言葉の通じる存在だと知っていながら、どうして!!!」
どうしてお主は……『死んだ我が友』のようなことを、言うのだ。彼にそっくりな、その声で。
「──黙れッ! モノリスを破壊した侵略者と話すことは何も無いッ!!」
「貴様に無くとも我々には有るッ!!」
「聞く耳持たん!!」
「いいから聞けよ
「──総員、戦闘準備ッ!!」
「…………あぁ、そう。じゃあもう、いいよ」
──やめてくれ。
「滅びろ、ニンゲン」
これ以上、妾の友達を
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第三十一話(B)
突撃命令を出し、目を閉じて、息を落ち着かせる。
そうすれば、この身は再び人間大に戻っていく。夜闇とモノリス粉塵、硝煙等々により、その様子を確認できる者はいないだろう。
『──〝
対話を試みたのも、オレごと撃たれそうになった娘を守ったのも、オレの我儘だ。
『……どうしてわざわざ、そんなことを?』
……アルの説得には苦労した。
まずお互い
『──〝元の姿に戻りたくはないか〟って……それは……半々、かな。ガーディみたいに切り替えができるなら、嬉しいけど』
彼女もオレと同じく、人の意識を残している。ならば当然、文明が恋しくなる時もあるだろう。
故に、取り付く島もない……ということはなかった。問題は、手段だ。
『東京エリアを、乗っ取る……?
…………別に、私は構わないわよ?
全てのガストレアは、何故か人類を優先して攻撃する。それは『子供たち』が相手でも変わらない。
アルの統率能力は、フェロモンを使った『沈静化』と『煽動』だ。そこに彼女自身の軍略とサバイバル知識が加わることで、驚異的な能力と化しているが……言ってしまえば『0か100か』な能力なので、手加減は一切できない。
──なので、そこは地道に頑張った。
『…………一体一体、直接教え込む……? 冗談でしょ? ……え、本気??』
ガストレアウイルスの制御は、既にできるようになっていた。オレと同じ素体から生まれたアイツも、考えてみれば『子供たち』だって、力のON OFFはできるのだ。オレにできない道理は無い。
──手順はこうだ。
オレは目の色を瞳だけ赤くして、ガストレアの前に立つ。そしてアルに、『沈静化』を使ってもらう。
当然それでもオレは襲われるが、それをアルが力尽くで取り押さえて、叱り付ける。
その後、別個体で行う。ガストレアには集団意識があるので、繰り返すことで意識が統一されていく。
……正直、めちゃくちゃ面倒だった。奴に軍勢を減らされたのが、逆に幸運だった。
それと、ガストレアの知能が高いことに初めて感謝した。成功したのは、彼らが『察してくれた』のが大きい。犬の躾だって、ホントはもっと丁寧にやるもんだからね。
これで、最初に集めた軍勢はイニシエーターを攻撃しなくなった。
──だから、自衛隊員は全員この手で殺した。
頭の悪い配置をしていることは、携帯を盗みにエリアへ入った時すぐに分かった。人間は、ガストレアが情報戦なんてする筈ないと思ってるから。
せっかくの手駒を失いたくなかったし、ガストレア化させたらそいつは『子供たち』にも攻撃するから、自衛隊は普通に殺した。
とても簡単だった。自衛隊の装備は必ずバラニウム製だから、磁気で逸らせばオレには当たらない。
逆に、オレは遠距離範囲攻撃ができる。鉄砲魚の因子で薙ぎ払ってもいいし、爆弾を反射してもいい。殺すだけなら、何も苦労は無かった。
そして、民警軍団の位置まで進軍するのも簡単だった。
──奴は、来なかった。
理由は分からない。オレが前線に出た時か、遅くとも自衛隊が全滅した時には、来ると読んでいたのだが。
事実として、オレは到達してしまった。
号令は発した。オレを避けながら、ガストレアの群れが雪崩れ込んでいく。
悲鳴、銃声、怒声。土煙と、血飛沫が舞う。
誰かの首が、千切れ飛ぶ。
女の子の首だ。
「────ぁ」
解っていたことだ。
命令を無視して殺す奴は必ずいる。味方からの誤射で死ぬ娘も出る。それにこちらから攻撃しなくても、攻撃されて反撃するなとは言えない。勇敢に戦う娘ほど、死にやすい。
──あぁ、人を殺してしまった。
『子供たち』を、殺してしまった。
もう、後戻りはできない。
「…………さくせん、どおりに」
甲冑を纏う。虫の羽で、空を飛ぶ。
向かうのは敵陣裏手。挟み撃ちだ。
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