花は少女の幸福を願う (カフェラテ)
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第1話 共に歩き出す

初投稿です。生暖かい目で見守ってください。


 沈む夕日を横目に見ながらバスに揺られる。私はこれから、知らない人と一緒に知らない場所へ行く。

 こんな状況でいつものように携帯ゲームをする気分にもなれず、ふと数時間前のことを思い返す。

 今更どうにもならないが、これでよかったのだろうかと考える。

 隣に座る男性の優しげな表情を見て、これでよかったのだと思う。

 

 よかったのだと、そう思いたい。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「郡千景ちゃんかな?」

 

 小学校三年生の一学期最終日、放課後に買い物に出た帰り道。私は知らない男性に話しかけられていた。

 普通の子供なら、ここで防犯ブザーを鳴らしたり叫んだりするのだろう。

 でも、私がそんなことをしたところで、助けてくれる人はこの村にはいない。

 

「……わたしに、何か用ですか」

 

「うん。僕は蓮花、君を助けに来たんだ」

 

「……は?」

 

 どういうことだろう。この村の人ではないのか?なのに私の現状を知っている?

 色々と浮かんでくる疑問を口に出す前に、男性が続けて話す。

 

「…僕と一緒に、ここじゃないどこかで暮らさないか?」

 

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 これが最近の誘拐の手口なのだろうか。

 しかし、こんなにも優しい声色で話す人を誘拐だとも思えなくて。

 

 何より、ここでの日常から逃げ出したかった。

 

 その言葉に、縋りたくなってしまった。

 

 気がつけば、私は頷いていた。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 蓮花さんを連れて家に帰ってきた私は、両親と話をするからその間に荷物を纏めておいてほしいと言われ、自室に入って戸を閉めた。

 

 唐突なことで色々混乱しているが、教科書等はランドセルに詰め込み、服やゲーム機等はリュックサックに詰めていく。

 元々私物は多くない。早々に荷物を纏め終えた私は、することも無く布団に横になる。

 今夜にはこの家を出るらしい。生まれてからずっと生活してきた家だが、名残惜しくなるほどの思い入れは無い。

 両親は私の親権を押し付けあって離婚できずにいる。この家に私はいらないのだ。

 

 しばらくして、父親が帰ってきた音が聞こえた。

 そして話し声の後、蓮花さんが怒っている声が響いた。

 私が蓮花さんの怒りを顕にした声を聞くのは、この日が最後になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一応聞くけれど、最後に千景に何か言いたいことはありますか?」

 

 玄関前で私の手を握った蓮花さんが両親に尋ねる。

 

「千景、引き取ってくれる人が見つかってよかったな」

 

「ッ、あんたはそんなことしか言えないのか!!」

 

 面倒な問題が片付いたとでも言わんばかりの顔で言う父親に、再び憤怒する蓮花さん。

 私はこの人達の元を離れたかったはずなのに。どうしてだろう……胸が痛かった。

 最後の最後まで、愛してくれたらと心のどこかで思っていたのかもしれない。

 無意識に、握る手に力がこもっていた。

 

「千景……元気でね」

 

 私を手放すことを望んでいたはずなのに。

 どうしてお母さんは最後にそんな優しい声をかけてくるのだろう。

 

「……お父さん、お母さん。今までありがとうございました。……さようなら」

 

 手を振ることも無く、小さく頭を下げる。

 そして振り返り、蓮花さんと共に歩き出す。

 たとえ親がどんな人であっても。幼い心は、自分を産んでくれた両親との別れを少なからず悲しんでいた。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 気がつけば、蓮花さんがバスの降車ボタンを押していた。

 

「今日は市役所の近くの宿に泊まろうか。今夜はもう暗いから、市役所での用事は明日済ませよう」

 

「はい……」

 

 子供を引き取って遠くで暮らすというのは、色々手続きをしなければならない、らしい。

 具体的に何をするのかはわからないが、大変だろうというのはわかる。

 見ず知らずの子供の為にどうしてそんなことをしようと思うのか、私にはわからず、いつの間にか難しい顔になっていた。

 

「……晩御飯どうしようか。千景ちゃんは何かオススメある?」

 

 難しい顔で黙り込んでいたのを気にしてくれたのだろうか。

 せっかく意見を求めてくれたのだから真面目に答えよう。

 

「…………カツオ……とか」

 

「そういえば高知はカツオが有名だったっけ。じゃあ今夜はカツオ食べるか!」

 

 外から高知に来たのなら是非ともカツオを食べてほしいと思って出した案は、どうやらお気に召したらしい。

 

 

 

 

 

 いざ立ち寄った飲食店、メニューを開いた蓮花さんの視線は『カツオ丼』に向いていた。

 

「こんなのあるんだね、食べたこと無いから気になる……これにしようかな。千景ちゃんは?」

「……わたしもそれで」

「了解」

 

 注文してしばらくすると、カツオ丼が二つ運ばれてきた。正面に座る蓮花さんは目を輝かせている。

 

「いただきます。……美味」

 

「…いただきます」

 

 ひと口食べて真顔で感想を零す蓮花さんがなんとなく可笑しくて、自然と頬が緩む。

 

「千景ちゃんは美味しい?」

 

「うん」

 

「それはよかった。そのうち作ってみようかな」

 

 蓮花さんは料理もできるらしい。少し楽しみになった。

 

 その後も気さくに話しかけてくれる蓮花さん。

 誰かと食事を楽しむというのはいつ以来だろうか。蓮花さんは雰囲気が柔らかくて、まだ緊張はするけれど、不思議と一緒にいて不快感は感じない。

 他人といるのが少し楽しいと感じている私がいる。

 

「やっと少し笑ってくれたね」

 

「え?」

 

 いつの間にか私は笑っていたらしい。少し気恥ずかしくなる。

 

「これからは毎日君が笑えるような日常にしてあげたいと思うんだ」

 

 そう言って笑いかけてくれる蓮花さんを見て、今更ながら、この人は信じていいのかもしれないと思い始めた。

 優しい言葉しか言ってこない人は逆に怪しい、と思う人もいるかもしれない。

 それでも、優しくされることに慣れていない私は、こんなにも真っ直ぐに向けられた優しさを、信じて受け止めたかった。

 

 




少女達に幸せになってほしい青年が頑張る日常系。


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第2話 確かな愛情

小学校低学年の千景は中学の時ほど大人びた口調ではない、と思う。


 千景を引き取って二日後の昼、僕らは香川県丸亀市でうどんを啜っていた。

 注文したのはどちらも肉うどん。千景にオススメを聞かれたのでこうなった。

 メニューを見れば、ざるうどんやきつねうどん、肉うどんに肉ぶっかけうどん、天ぷらうどん、とろろうどんなど色々あるが、肉うどんと肉ぶっかけうどんの違いは僕にもよくわからない。

 

「…おいしい」

 

 千景は俯きがちだった顔を上げ、香川のうどんを堪能している。どうやらうどん県のうどんはお気に召したらしい。

 ここに来るまで千景は不安そうにしていたが、美味しいうどんを食べて零した微笑みを見て僕も少し安堵した。

 

「天ぷらとかおにぎりも食べる?」

 

「うん」

 

 メニューを見てかぼちゃやさつまいもの天ぷら、おにぎり数種を追加で注文する。

 

「食べ終わったら、モデルルーム見に行こうか」

 

「家を探すの…?」

 

「うん。いつまでもホテルに泊まり続けるのは財布に痛いから、早く見つけないとね」

 

 それなりに貯金を準備してきてはいるが、無限ではないのだ。早く見つけなければ、千景との新生活がもやし炒めスタートになってしまう。

 まだ見ぬ新居を想像しながら、僕らは運ばれてきた天ぷらを咀嚼するのだった。

 

「…美味い」

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を終えた僕達は、三つ目のマンションのモデルルームを見に来ていた。

 千景と二人での生活なら、マンションでも広さは十分だろう。そう思って近くのマンションを見て回っていたら、もう太陽は沈み始めていた。

 二人でモデルルームに足を踏み入れる。

 

「ここ、家賃のわりに広いし綺麗だね」

 

「うん」

 

 リビングの隣に和室、その他に部屋が二つ。二人で住むには十分な広さだろう。

 

「千景の住みたい家は今日見た中で見つかった?」

 

「……ここがいい」

 

「わかった、じゃあここにしよう」

 

「…れんかさんはいいの?」

 

 僕の即答に少し心配になったのだろうか、不安そうな顔で千景が聞いてくる。

 

「いいよ。千景に選んでほしかったし、僕も気に入った」

 

 千景が幸せに暮らす為の家なのだから、千景が気に入った家にしたいと思う。

 

「ならいいけど…」

 

「うん。選んでくれてありがとう」

 

「そんなこと…」

 

 お礼を言われ慣れていないのか、少し照れる千景が可愛い。

 千景の笑顔を隣で見守っていく為にも、頑張って早く手続きを済ませようと小さな決意をする。

 入居が決まるまではホテル生活が続くので、ホテルへ向かって二人で歩き出す。

 沈みゆく夕日に照らされた道を、小さな手を繋いで歩いた。

 目の前の多少の苦労と、その先にある幸せを思いながら。

 

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 入居の手続き等からしばらくして、入居日の昼過ぎ。私と蓮花さんは玄関前に来ていた。丸亀市のとあるマンションの2階である。

 

「今日からここが僕らの拠点です」

 

「うん」

 

 蓮花さんに促され、内心わくわくしながら中に入る。

 部屋に入ると、当たり前だが家具は無く、すっからかんだった。一応エアコンはあったが。

 

「まずは色々買いに行かないとな」

 

 続いて入ってきた蓮花さんが部屋を見渡し、必要なものをリストアップし始めた。タンスや食器棚はともかく、冷蔵庫や洗濯機などの家電はすぐにでも必要だろう。

 

「テレビが無いと千景がテレビゲームできないな」

 

「え、そこ?」

 

 ゲームはそこまで優先するべきことだろうか。

 

「うん。千景と一緒にゲームしたい」

 

「わたし、テレビゲームは持ってないんだけど…」

 

「……そうなのか」

 

 前の家で私がテレビを使える時間はあまり無かったから、自分でテレビゲームを買ったことはない。

 

「じゃあ家電を買いに行くついでに、ハードとソフトも買ってこよう!テレビが届き次第、一緒にゲームしたい」

 

「そんなにゲームが好きなの?」

 

 実はゲーマーだったりするのだろうか。

 

「好きなことを一緒にするほうが仲良くなれるかと思って」

 

「……そう」

 

 私がゲーム好きだからそんなに一緒にしたがるのか。私も誰かと一緒にプレイしてみたいゲームは沢山あったから、いい機会かもしれない。

 

「あと、ゲームは普通に好きだよ。対戦ゲームでは多分千景には負けない」

 

 手加減されても嬉しくないので構わないが、仲良くなりたいと言いながらそれはどうなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家電やゲーム、食材を買って家に帰った私達は肉をこねていた。もう夕方なので夕食の準備である。

 

「なんでハンバーグ?」

 

「初めて千景に手料理を食べてもらうから得意料理にしようと思ってね。ハンバーグは嫌い?」

 

「……普通。ハンバーグは長い間冷凍のやつしか食べてない」

 

 最後に母がハンバーグを手作りしてくれたのはいつだったか。

 

「……そっか。じゃあ今夜は、世界一美味しいハンバーグを作ってあげよう!」

 

 なんと。ドヤ顔で世界一を宣言する蓮花さん。

 

「世界一なの?」

 

「さあ。周りの人達には『お前が店を出したら周りの飲食店が潰れるからやめろ』って言われたことがある。さすがに言い過ぎだと思うけど」

 

 そんなに美味しいのだろうか。自然とわくわくしてくる。

 

「きっと千景を満足させてあげられると思う」

 

 ハンバーグの形を整えながら優しく微笑む蓮花さん。

 私は、フライパンの上で良い音をたてるハンバーグが香ばしく焼きあがるのを楽しみに待つのだった。

 

 

 

 

 買ってきたばかりのテーブルの上に、買ってきたばかりの食器を並べる。

 そうこうしているうちに、キッチンから美味しそうな匂いが漂ってきた。どうやらハンバーグが焼けたようだ。

 蓮花さんが運んでくるハンバーグを盛りつけた皿には、ポテトサラダも乗っていた。

 

「ポテトサラダ、いつの間に作ったの?」

 

「ハンバーグを焼いてる間にぱぱっとね。さっ、食べよう」

 

 私の前に置かれたハンバーグ。見た目だけでもジューシーなのはわかる。箸で切ると、想像通りに大量の肉汁が溢れて手作りのソースと絡んでいく。

 蓮花さんは私の正面に座り、食べ始めることなく私を見ている。その表情を見るに、私が一口食べてどんな反応を見せるか待っているようだ。

 

「いただきます」

 

 一口サイズに切ったハンバーグを口に運び、咀嚼する。

 

 

 

 思わず、涙が零れた。

 

 蓮花さんのハンバーグは、私が今まで食べた料理のなかで間違いなく一番美味しく、温かかった。

 

「どっ、どうした!?熱かった!?」

 

 心配してくれる蓮花さんに対して首を横に振る。

 

「そうじゃ、ないの…………なんでかな…」

 

 心ではわかっていた。愛情の無い料理の冷たさを知っているからこそわかる温かさ。

 蓮花さんを安心させようとハンバーグを食べ進める。

 零れる涙は量を増し、抑えようにも止められない。

 

「千景…」

 

 蓮花さんが私をそっと抱き締め、優しく頭を撫でる。長い間感じていなかった人のぬくもりが伝わってくる。

 ついに嗚咽混じりに泣き始める私を、蓮花さんは何も言わずに泣き止むまで抱き締め続けた。

 

 

 

 僕にとって君は大切な人なのだと、僕がそばにいるから大丈夫だと、伝えるように。伝わるように。




郡 千景
 学校ではいじめを受け、村人からは冷たく当たられ、両親は親権を押し付け合っている状況の中、小学三年生の7月、突如現れた青年に引き取られ村を出る。自分の世界に浸れるためゲームが好きで、一人でできる携帯ゲームを多く持っている。パーティーゲームやボードゲームにも興味はあるが、一緒にする相手がいなかったので持ってはいない。

郡 蓮花
 千景の前に突如現れた黒髪の青年。おそらく千景全肯定マン。苗字は千景に合わせて郡にした。料理が非常に得意だが家事万能。インドアかと思われがちだが実はアウトドア寄りで、本当に人間なのかと疑われるほど身体能力が高い。すらっとした細マッチョのような体型をしているが、アスリートを軽く超える筋肉密度を誇る。


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第3話 幸せを想う

今回はちょっと短いです。


 夕食を終え、千景はいつものように携帯ゲーム機を握っていた。僕は食べ終えた食器をキッチンで洗っている。

 

「もうすぐ風呂が沸くから、先に入っていいよ」

 

「うん……」

 

 少し考えるような仕草をしながら返事をする千景。何か気になることでもあるのだろうか。

 

「どうかした?」

 

「えっと……」

 

 何かあるようだ。食器を洗う手を止めて、少し照れた様子を見せる千景の言葉を待つ。

 

「……おふろ……一緒に入る?」

 

 ………………ふむ、なるほど。一応理由を聞いてみよう。

 

「いいけど、どうして?」

 

「普通の家族って、一緒におふろ入ったりするのかなって…」

 

 …………そうか。この子は家族になろうとしてくれているのか。

 少しずつ信頼してきてくれているのだろうか。なんだかとても嬉しくなってくる。

 きっと今の僕はちょっとにやついているだろう。

 しかし、世の中の父親は何歳くらいまで娘と風呂に入るのだろうか。こういうことは家庭によるんじゃないだろうか。

 まあ、千景が誘ってくれたことを断ろうとは思わないが。

 

「わかった。普通の家族がどうかはわからないけど、一緒に入ろうか」

 

「…うん!」

 

 きっと僕は、千景のことなら何でも肯定してしまう人間になるだろう。もうなっているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 湯舟に浸かり体を伸ばす。

 風呂は良い。布団の次にリラックスできる場所だ。静かに考え事をするのにも良い。

 

 水滴の滴る音を聞きながら、ざっくりと頭の中でこれからの予定を立てる。千景の転校先の学校に挨拶に行かなければならないし、仕事も探さなければ。

 すぐには落ち着けないかもしれないが、千景と暮らしていく為なら頑張れる。

 

 ふと隣を向いて、綺麗な長い黒髪を洗う千景を見る。色白く綺麗な肌にはどこにも傷は見当たらない。

 よかった。僕は間に合ったのだと、懸念していたことの一つを確認できて安心する。

 

「……そんなにじっと見られるのははずかしい」

 

 千景と目が合う。千景の体を見つめたまま考える人になっていたので気がつかなかった。確かに女の子の体をじっと見つめるのはよろしくない。

 

「ごめんね。綺麗な肌だと思って」

 

「そう…」

 

 少し顔を赤くする千景。可愛い。

 静かな風呂場。誰も声を発さなければ、千景が体を洗う音だけが響く。

 しばらくして、洗い終えた千景が湯舟に入り、僕の正面に体育座りした。

 

 無言。シャワーヘッドから滴り落ちる水滴の音だけが小さく響く。

 せっかく一緒に入っているのだから何か話したほうがいいかと思い、今一番聞きたかったことをそのまま聞いてみることにした。

 

「…僕のことは、少しは信頼してもらえたかな?」

 

「…信頼してなかったら一緒におふろ入ったりしない」

 

 ……確かに。しかし、千景の口から言葉で聞くことができて、とても安心した。

 

「最初は誘拐かと思ったりしたけど、れんかさんがわるい人じゃないのはわかったから」

 

「…そっか」

 

 小さく微笑む千景。やはり可愛い。こんなに可愛い笑顔がこれから毎日傍で見ていられるという幸せに嬉しくなる。

 その為には、千景にはいつも笑っていてほしい。

 

「…僕には目標があってね」

 

「目標?」

 

「君に幸せになってほしいんだ。これからの生活を、君が『幸せ』って言ってくれるような日常にしたい」

 

 千景に幸せになってほしい。ただそれだけである。その為に金を貯め、色々なことを勉強してきた。

 

 少し俯き、驚いたような、照れたような。それでもどこか嬉しそうな千景が口を開く。

 

「……ありがとう」

 

 僕は、堪らなく愛おしいこの子の為に生きようと思った。

 

 ──────────

 

 風呂からあがった私と蓮花さんは、リビング横の和室に二枚の布団を引いていた。寝るには少し早い時間だが、今日は沢山歩いて疲れている。

 特にすることも無く布団に横になり、隣に座る蓮花さんをボーっと見つめる。

 

「どうした?」

 

「…なんでもない」

 

「もう電気消す?」

 

「うん」

 

 疲れているからか、今からゲームをする気にもなれず。

 早く寝るのはいいことだし、もう寝よう。

 

 立ち上がった蓮花さんが灯りを消し、隣の布団に横になる。

 蓮花さんについてきてはや数日。今更どうにもならないけれど、本当についてきてよかったのか、心のどこかで不安はあった。

 しかし、今日までの触れ合いで、この選択は間違っていなかったのだと、確かにそう思えた気がする。

 暗闇の中、蓮花さんが口を開く。

 

「おやすみ、千景」

 

「…おやすみなさい」

 

 明日からの日常を楽しみに思いながら、私は目を閉じた。今夜は良い夢が見られそうだ。

 




次回予告

おはよう千景
 えいっ!ファイヤー!アイスストーム!
  もう一回
     これからよろしくね、千景ちゃん

 お願いします、授業参観の時に重要なので

  めずらしいですね、わかばちゃんが宿題を学校にわすれるなんて


第四話 新しい日常


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第4話 新しい日常

ここ好きされると地味に喜びます。


 主夫の朝は早い。

 目が覚めるとまず、隣で眠る千景の寝顔を見る。可愛い。その後顔を洗う。

 着替えて洗濯物を干し、朝食を作る。今日の朝食の主食はフレンチトーストである。千景は朝はパンでも米でもいいらしいが、一度作ったフレンチトーストが好評だったらしく、パンの頻度は少し高い。

 フレンチトーストを焼きながら、横でウインナーを焼いたりちょっとしたサラダを作ったり、おかずを用意する。千景の健やかな成長の為、栄養豊富でバランスの良い食事を作るのは欠かせない。

 

 そうこうしていると千景が起きてくる。目を擦りながらとてとて歩いてくる様子はとても愛らしい。

 

「おはよう千景、もうすぐ朝ごはんできるから顔を洗っておいで」

 

「おはよう…」

 

 千景が顔を洗っている間にリビングのテーブルに朝食を運ぶ。千景が戻ってくると、朝食を食べ始める合図である。 

 

「「いただきます」」

 

 これが蓮花のモーニングルーティーンである。

 

 ──────────

 

 えいっ!ファイヤー!アイスストーム!ダイヤキュート!ブレインダムド!ジュゲム!ばよえーん!ばよえーん!

 

「僕の勝ち」

 

「…強い」

 

 昨日届いたテレビに映し出されるぷよの連鎖。朝食後、僕と千景はぷよ的なパズルゲームで対戦していた。

 今のところの戦績は3勝1敗。さすがに千景は素人と比べるとかなり強いので負けることもある。

 

「もう一回」

 

「受けて立つ」

 

 落ちてくるぷよを積み上げながら千景に話しかける。

 

「今日の午後は転校先の小学校に挨拶に行こう」

 

「うん」

 

「教科書とかも買わないと。同じものを持ってたらいいけど」

 

「……」

 

 千景が無言になった。どうやら本気で勝ちに来ているようだ。

 そういえば、関係ないけど小学校って教科書は学校で貰えるんだっけ?

 

 えいっ!ファイヤー!アイスストーム!ダイヤキュート!

 

「…お?」

 

 えいっ!ファイヤー!アイスストーム!

 

「おお?」

 

 えいっ!ファイヤー!アイスストーム!ダイヤキュート!ブレインダムド!

 

「おおお」

 

「わたしの勝ち」

 

 負けてしまった。隣で勝利に喜ぶ千景がとても可愛いので構わないが。

 悔しがる千景も可愛いけれど笑顔の千景も可愛いな。また見たいけれど、手加減してもそんな顔してくれないんだろうな。

 そんなことを考えていると、時間はお昼時に近づいていた。楽しい時間はあっという間である。

 

「そろそろ昼ご飯の準備しようかな」

 

「続きは?」

 

「帰ってきたらしよう」

 

「わかった」

 

 物分かりが良くて助かる。

 さて、昼食はどうしようか。うどんだな。

 

 ──────────

 

 小学校の応接室。目の前には灯りを頭皮で見事に反射する教頭先生と、とてもほんわかした若い女の先生。

 教頭先生というのはどうして皆頭部が寂しいのだろう。クレーム対応とかによるストレスだろうか。

 

「こちら、9月から千景ちゃんの担任となる山根先生です」

 

「山根です。よろしくお願いします」

 

「郡です。こちらこそよろしくお願いします」

 

 教頭先生に紹介された女の先生に挨拶され、こちらも挨拶を返す。若い女の先生は山根先生というらしい。大変優しそうな担任でよかった。

 

「これからよろしくね、千景ちゃん」

 

「…よろしくおねがいします」

 

 僕の手を握ったまま離さない千景がおずおずと挨拶する。

 

 その後、教科書を貰ったり体操服の購入の説明がされたりした。どうやら体操服は自分で業者に行って注文する必要があるらしい。

 

「それでは、校内を少し案内しますね」

 

「お願いします」

 

 山根先生に先導され応接室を後にする。これから3年ほどお世話になる校舎だ。ざっくりとした構造は覚えないと、授業参観などの行事の際に困る。

 

 図書室や図工室、音楽室や給食室などを順に見て回る。この学校に通っていたわけではないが、懐かしくてたまらない。小学校の給食って美味しいよね。

 

 繋いだ手の先を見れば、心なしか千景も少しわくわくしているように見える。

 相変わらず手は離さないが。

 

 当然ながら、夏休みなので生徒はおらず校内はとても静かで、僕らの声と足音が廊下によく響く。

 

「では次は教室を見て回りましょうか。まあどこも同じですけど」

 

「お願いします、授業参観の時に重要なので」

 

 音楽室や図工室などで参観があることも全くないとは言い切れないが、教室は確実に行くことになる。しっかり場所を憶えよう。

 

「この階は1年生の教室です。この館は奇数の学年の教室があるので、3年生の教室はここの二階にあります」

 

 1年生の教室の前の廊下を歩きながら説明してくれる山根先生。奇数と偶数の学年で館が分かれている、しかと憶えた。

 

「一応隣の館も見ておきましょうか、来年使いますし」

 

「そうですね」

 

 渡り廊下を通り、2、4、6年生の教室がある隣の館へ入っていく。

 

 突き当たり、曲がり角に差し掛かったところで、誰もいないはずの静かな廊下に子供の声が響いた。

 

「めずらしいですね、わかばちゃんが宿題を学校にわすれるなんて」

 

「わざわざついてきてもらってすまない…」

 

 

 

 とても懐かしい声が聞こえた。




教頭先生
 よくいるハゲ。温厚で優しいおじさん。

山根先生
 教師2年目の若い女の先生。ほんわか。


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第5話 二人の友達

セリフのひらがなを多くすることで幼さを表現したい。


 夏休みの学校には珍しい、子供の声が聞こえた。

 2年生の教室前、廊下の突き当たりを曲がると、その声の主らしき二人の子供達と目が合った。

 片方は綺麗で長い落ち着いた金髪の女の子、もの片方はこれまた綺麗で艶のある黒髪の女の子。

 なぜか蓮花さんは二人を見つめたまま固まっていた。

 その見つめる目はどこか嬉しそうな、懐かしむような、それでいて哀しそうだった。

 

「あら、君達どうしたの?」

 

「わたしが教室に夏休みの宿題をわすれてしまったのをとりに来ました」

 

 山根先生の問いかけに金髪の女の子が答える。

 繋いでいる蓮花さんの右手に少し力がこもっていた。

 固まっていた蓮花さんが口を開く。

 

「…こんにちは、お名前は?」

 

「乃木若葉です」

 

「上里ひなたです」

 

 答えてぺこっと頭を下げる二人。すごく礼儀正しい。

 名前を聞いた蓮花さんの目は、さらに感情が溢れそうになっていた。

 

「……若葉ちゃんとひなたちゃんか。ここで出会ったのも何かの縁、千景と友達になってくれないか?」

 

「えっ、……え?」

 

 突然私の名前で初対面の女の子二人にフレンド申請し始めてしまった。

 さすがに唐突すぎて私も困ってしまう。いきなりそんなことを言われて了承する人がいるのか。

 

「いいですよ、わかばちゃんはどうですか?」

 

「わたしもかまわないが」

 

「…え?」

 

 いいの?友達ってそんな簡単にできるものなのだろうか。

 

「ありがとうね二人とも。千景も自己紹介しないと」

 

「…あの、えっと…郡千景、です…」

 

 蓮花さんに促され、私も自己紹介する。

 すると、上里さんが私の空いている手を握って笑いかけてくれた。

 

「ちかげさんですね、よろしくおねがいします!」

 

「うん…こちらこそ」

 

 とても優しそうな子。私なんかが友達になっていいのだろうか。

 蓮花さんの顔を見上げると、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。

 

「ちかげ…ちゃんは何年生なんだ?」

 

「3年だけど」

 

「え、じゃあちかげ…さん?」

 

 学年が1つしか違わないのに、律儀にさん付けしてくる乃木さん。1歳しか違わない友達にさん付けされるのもなんだか嫌だ。

 

「…呼び捨てでいい」

 

「じゃあ、ちかげ」

 

「うん」

 

 一段落したところで、ずっと空気と化していた山根先生が声をかける。

 

「千景ちゃんは転校してきたところだから、学校の事とか色々教えてあげてね」

 

「「はい」」

 

 いい返事をする乃木さんと上里さん。上里さんはずっとにこにこしていて、なんだか見ていて癒される。

 隣の蓮花さんがずっと微笑んでいるのはそれが理由だろうか。

 

「では、そろそろ行きましょうか。君達も気を付けて帰るのよ」

 

「「はい」」

 

 やっぱり声を揃えて返事をする二人。とても仲良しっぽい。

 

「ではまたな」

 

「さようならちかげさん」

 

「うん、またね」

 

 手を振って帰っていく二人に手を振り返す。

 誰かに「またね」と言ったのは初めてかもしれない。

 

「…いきなりごめんね」

 

 蓮花さんが謝ってくる。突然フレンド申請したことについてだろうか。

 

「ううん」

 

 結果的に優しそうな子達と友達になれたのだから、謝られることではない。

 

「まあまだ7月だし、次に会うのは1ヶ月以上後かな」

 

 ──────────

 

 なんて言っていたら数日後の昼。僕達はとあるうどん屋さんに昼食を食べに来ていた。

 扉を開けて中に入る。空いている席を探して店内を見回す。

 

 見覚えのある姿を見つけた。金髪二人と黒髪一人。

 

「あ、ちかげさん!」

 

 ひなたが僕達を見つけて千景の名前を呼ぶ。

 

「あ、上里さんと乃木さん」

 

 自然と近くの席に座る。まさかこんなにすぐ会うことになるとは思わなかった。

 

「若葉、友達か?」

 

「ああ、この前友達になった」

 

 若葉に話しかける金髪の長身美女、おそらく若葉の母だろう。誰が見ても血縁者だとわかるほどとても似ている。

 

「郡蓮花です、この子は千景です」

 

「若葉の母の楓です」

 

 お互い初対面なので名乗っておく。やはりこの人は若葉の母であったか。

 

 その後、うどんを注文しお喋りを始める子供達。千景は同年代の人と話すことに慣れていないみたいだが、たどたどしくも楽しそうに話している様子を見て安心する。

 

 うどんを食べ進めてしばらく経った頃。

 

「次の土曜日はひまですか?」

 

「まぁそうだね」

 

「うん」

 

 唐突なひなたの問いに素直に返す。何だろうか。

 

「次の土曜日、一緒にプールに行きませんか?」

 

「プール?」

 

「私と若葉と、ひなたとひなたの母親の四人で行く予定だったんだが、この二人が千景達も誘いたいと言うんでな」

 

「一緒に行っていいの?」

 

「私は構わないぞ」

 

 若葉とひなたが僕らをプールに誘ってくれて、楓さんも構わないと言う。

 

「プール行く?」

 

「うん」

 

 千景に聞いてみれば行く気満々である。千景の返事を聞いた若葉とひなたは、笑顔で顔を見合わせていた。

 

「じゃあ一緒に行こうか、よろしくね」

 

「はいっ!」

 

 笑顔でいい返事をしてくれるひなたがとにかく可愛い。撫でてもいいだろうか。

 そんなわけで、次の土曜日は市民プールに行くことが決まったのだった。

 

 

 

 うどんを食べ終え、若葉達と一緒に店を出る。

 これから向かうのはイネス。食料品と水着を買いに行くのだ。

 ちなみに、連絡をとるために楓さんとRINE(SNS)を交換した。

 

「じゃあまた土曜日に」

 

「ああ、またな」

 

 

 若葉達と別れ、千景と共にイネスへ向かう。

 今夜の晩御飯はとろとろのオムライスでも作ろうか。千景はなんでも幸せそうに食べてくれるから、毎日頑張ってしまう。

 

「千景はどんな水着が似合うかな」

 

 小学生だからさすがにビキニとはダメだろう。やはりフリフリか?

 千景に似合う水着を見つける情熱に少し駆られながら、千景と手を繋いで歩く。

 

「イネスでアイス食べる?」

 

「食べる」

 

 この数日で随分懐いてくれたように思う。

 真夏の昼過ぎはとても暑く手汗もかくが、それでも手を握ったまま歩いていた。

 

 千景が僕の手を握ってくれるかぎり、僕からこの手を放すことはないだろう。



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第6話 渾名と親交

今回は今までと比べて2倍くらいの文章量です。


 夢を見た。

 厳かで悲しみに満ちた葬儀のような場で、前には棺の中に穏やかに眠る少女が二人。

 棺の前で泣き崩れる少女が一人。

 

 入口には、押し寄せる大波の如き虚無感や無力感に苛まれ、立ち尽くす青年が一人。

 

 

 

 場面は変わり、雨が降る暗い空の下、丸亀城の天守前。

 少女の亡骸を抱きかかえ、赤く染まりながら悲しみに涙を流す青年と少女。

 

 青年は少女達の運命を嘆き絶望する。

 

 

 

 ──────────

 

 目が覚める。自分の手に重なる小さな手。それを辿った先には千景の寝顔。

 毎朝、目が覚めた時に千景の穏やかな寝顔を見るのが、最近の僕の小さな幸せになっていた。

 どんな夢を見ているのだろう。良い夢を見ているだろうか。もうじき夢は終わるのだろうか。

 

 僕はあと何年、この夢を見続けるのだろう。

 

 

 ──────────

 

 土曜日の10時半前、僕と千景は市民プールの前で真夏の暑い日差しの下、ではなく日陰の下で立っていた。暑い。日差しに当たるよりはマシだが、熱された空気は結局どこでも暑いのだ。

 

「ひゃっ!!」

 

 冷たいペットボトルを千景の頬に当ててみた。可愛い。

 

「このまま持ってていいよ」

 

「うん」

 

 今度は自分でペットボトルを頬に当てる千景。気持ちよさそうにしているのがなんとも可愛らしい。

 

「まだかな」

 

「もうすぐ来ると思うよ」

 

 約束した時間は10時半なのでそろそろ来るはず。あ、麦わら帽子が見えた。

 

「おはようございます!」

 

「おはよう」

 

 今日もにこにこ挨拶してくる、麦わら帽子を被ったひなた。似合っていて可愛い。

 隣にいる初めましての人がひなたのお母さんだろう。こちらもとてもよく似ている。ひなたが大人になったらこんな感じだろう。

 

「初めまして、ひなたの母の上里琴音です」

 

「郡蓮花と千景です」

 

 娘同様にこにこと自己紹介してくる琴音さん。ひなたの柔らかさは母親譲りか。

 

「暑いだろう?早く入ろう」

 

 楓さんに促され、六人ぞろぞろと市民プールへ入っていく。

 更衣室前まで来たところで、繋いでいた千景の手を放す。

 

「じゃあ千景、また後でね」

 といっても数分程度だが。

「うん」

 

 千景を男子更衣室に連れていくわけにはいかない。しかし、僕が女子更衣室に行くわけにもいかない。

 若葉達に連れられて更衣室に入っていく千景を見送り、僕も更衣室に入っていった。

 

 

 

 着替えを終え、プールサイドで女性陣を待つ。

 千景と5m以上離れたのは久しぶりだ。香川に来て以来、どこに行く時も千景と一緒である。

 

 さほど待たずして女性陣が更衣室から出てきた。

 

 この前買ったフリルのついたワンピース型の水着はとても良く千景に似合っていた。ひなたと若葉の水着もよく似合っていて大変可愛らしい。

 

 別に僕はロリコンとかではない。

 

 楓さんと琴音さんはビキニの上にパーカーを羽織っている。

 

 しかしなんというか、大きい。琴音さんは大変立派な双丘をお持ちであった。楓さんも決して小さくはない。むしろ下半身の肉付きは楓さんのほうが……。

 

 

 ……僕は千景の友達のお母さんの水着姿を観察しに来たわけではない。

 

 ──────────

 

 更衣室から出ると、既に蓮花さんが着替え終わって待っていた。

 そして私達と目が合ってからちょっと固まってしまった。

 

「…どうしたの?」

 

「…なんでもないよ」

 

 そう答えた蓮花さんが私の髪を優しく撫でてくれる。少しくすぐったい。

 

「早くプールに入ろう!」

 

 はしゃいでいるのか暑いのか、乃木さんが皆を急かしていく。初対面では落ち着いた印象だったが、年相応なところもあるらしい。

 

「そうだね、行こうか」

 

 私の髪を撫でていた蓮花さんが、今度は私の手を握って歩き出す。

 友達と来る初めての市民プール。私も内心少しはしゃいでいるのを自覚する。

 

 プールに入っていく。冷たい水が、昂った心と熱された肌に心地よく染み渡った。

 

「あぁ~冷たくて気持ちいぃ~」

 

「れんかさんが温泉につかるおじさんみたいだ」

 

 乃木さんが言う通り、蓮花さんはプールに入るなり縁にもたれてくつろいでいた。

 

「おじさん……まあそうだよね。若葉ちゃんやひなたちゃんからしたら僕はおじさんか…」

 

 なんか落ち込んでいたので蓮花さんの髪を撫でてあげた。

 

 

 

 

 

「おいしいです!」

 

 パラソルの下の椅子に腰かけ、カップヌードルを食べる上里さん。柔らかそうなほっぺが動いていてかわいい。ちょっとつんつんしてみたい。

 そんなことを思いながら私もカップヌードルを啜る。おいしい。家で食べたことのあるカップヌードルよりもなんだかおいしく感じた。

 

「なんで大体の市民プールってカップヌードル売ってるんだろうね」

 

「身体が冷えて体力を使った状態では、炭水化物や脂質、タンパク質が豊富に含まれていて温かい料理を身体が要求するからだそうだ」

 

 カップヌードルを啜る蓮花さんの疑問に、同じくカップヌードルを啜る楓さんが答える。

 

「なるほど」

 

「さすが楓ちゃんは博識ね」

 

 今食べているカップヌードルがおいしく感じるのは気のせいではなく、ちゃんと根拠があるらしい。

 

「冬に暖かい部屋で食べるアイスがおいしいのと一緒かな」

 

「ああなるほど」

 

 乃木さんが私の例えで納得する。楓さんの話はよくわからなかったらしい。

 

「早く食べてプールにもどりましょう!」

 

 そういう上里さんはいつの間にか食べ終えていた。

 

「若いなぁ」

 

 上里さんを見て蓮花さんが呟く。

 

「蓮花は何歳なんだ?」

 

「今年23になりまする」

 

「あら、私達からしたら十分若いですよ」

 

「この子達と比べたら僕は年寄りですよ」

 

 大人達は年寄りみたいな話をしていた。

 

 ──────────

 

 午後、プールでは私と乃木さんと上里さんの三人で遊んでいる。蓮花さん達三人は近くのプールサイドのパラソルの下の椅子に座って話している。

 

「そういえば、れんかさんはすごい身体だな。わたしの父さんよりマッチョだ」

 

「そうですねぇ。服の上からではぜんぜんわかりませんでした」

 

 上里さんの言う通り、蓮花さんはマッチョだけどボディビルダーみたいな感じではない。服を着ればスリムな人だ。

 

「関係ないけど、乃木さんと上里さん、お母さんにすごくそっくりね」

 

「よく言われます」

 

「うむ」

 

 誰から見てもよく似ているらしい。楓さんと琴音さんの子供の頃の写真を見てみたい。

 

「えっと、ちかげ」

 

「なに?」

 

「名前は呼び捨てでいいぞ。わたしも呼び捨てなんだし」

 

「そうですね、わたしもひなたって呼んでください!」

 

「ええ?えっと、じゃあ…若葉とひなた」

 

 なんだろう、友達っぽい。今日一緒に遊んでもっと仲良くなれたってことでいいのかな。

 

「じゃあわたしはちーちゃんって呼んでもいいですか?」

 

「え?う、うん。いいけど」

 

 渾名か。初めてつけてもらった。凄く友達っぽい。ぽいじゃなくて友達なのか。

 

 なんだか少し照れてしまう。

 まだ出会って日は浅いけど、私の大切な友達。

 

「だまってしまってどうしたんだ?」

 

「えっと、あの…なんでもない」

 

 気にかけてくれるのが嬉しいと感じる。

 照れて火照った顔を冷やすため、少しだけ深く水に潜ってみよう。

 

 ──────────

 

 子供達が遊んでいるのを微笑ましく見守りながら、保護者達はプールサイドでくつろいでいた。

 

「今年で23歳で小学3年生の娘がいるとはどういうことなんだ?」

 

 楓さんが当たり前の疑問をぶつけてくる。普通に考えれば疑問に思うだろう。14歳で親になった計算になってしまう。

 

「…千景と僕は血が繋がってなくてですね」

 

「「え?」」

 

 ここまでの経緯をざっくりと説明する。この人達はきっと信頼できる。若葉とひなたの母親なのだから。

 

 

 

「なるほどな。だからあの子は君を蓮花さんと呼ぶのか」

 

「普通の親子にしてはちょっとよそよそしい呼び方ですもんね」

 

「僕と千景はまだ出会って一ヶ月も経ってないから、しょうがないね」

 

「その割には結構懐かれているように見えるな」

 

「嬉しいね」

 

 視線の先では千景が水の中に潜っていった。

 

「これからも一人で千景ちゃんを育てていくんですか?」

 

「そのつもり」

 

 誰かと結婚する予定もないし、千景と二人で暮らしていきたいとも思う。

 ただ、僕は男である。

 

「そこで、ちょっとお願いがあるんだけど」

 

「なんでしょう?」

 

「千景と生活していくうえで、男の僕ではわからないことや、頼りにくいこともあると思うんだ」

 

「なるほどな。わかった、困った時はいつでも頼ってくれ」

 

「そうですね。あ、連絡先交換しておきましょうか」

 

 即答してくれたことがこの上なくありがたい。

 

「ありがとう…」

 

 きっとこれから、たくさんお世話になるだろう。

 子育てで頼れる人がいるというのは、とても心強いと思った。

 

 ──────────

 

 夕方、そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、千景達がプールから上がって戻ってきた。

 

「もうすぐ日も暮れるし、そろそろ帰ろうか」

 

「うん」

 

 帰ったら晩御飯作らないと。何にしよう。帰りにスーパーに寄って千景と相談するか。

 

「あの、れんかさん」

 

「どうしたの?」

 

 珍しくひなたが話しかけてきた。まだ一緒に過ごした時間も短いので、珍しいというのも変か。

 

「れんちゃんって呼んでもいいですか?」

 

「れんかさんにまであだ名をつけるのか?」

 

「そのほうが親しみやすいです」

 

 なるほど、そういうことか。

 

「ああ、いいよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 笑顔になるひなたの濡れた髪を撫でる。きっとこれから家族ぐるみの付き合いになることだろうし、仲良くなれるのは嬉しい。

 

「これからも千景をよろしくね」

 

「はい!」

「こちらこそ」

 

 本当にいい子達だ。香川に来てすぐに出会えてよかった。

 

 

 

 

「またね」

 

「ああ、またな」

 

「さようならー」

 

 市民プールから出て手を振って別れた後、それぞれの帰り道を歩き出す。

 千景と手を繋いで向かうはスーパーである。

 

「千景、晩御飯何がいい?」

 

「何でもいい。れんかさんの料理はおいしいから」

 

 そう来たか。褒められるのは嬉しいが、メニューを聞いて『何でもいい』と返すのは世のお母さん達を困らせる。さて、どうしようか。

 

「食材見ながら決めようかなぁ」

 

「うん」

 

 今日は疲れたからがっつり食べようか。

 

「今日は楽しかった?」

 

「うん」

 

 いつもの短い返事だが、千景の顔には喜色が表れている。

 今日は来てよかった。帰る頃には呼び方も変わっていたし、仲良くなれたのだろう。

 

 

「…ねえ」

 

「どうしたの?」

 

 似たような返事をさっきひなたにした気がする。

 繋ぐ千景の手に少し力がこもる。

 千景の顔を見れば、今度は少し赤くしている。夕日で赤く見えるだけかもしれないが。

 

「…わたしも、れんちゃんって呼んでもいい?」

 

 話の内容もひなたと同じだった。

 聞かれるまでもない。大切な人に親しみを持って呼んでもらえることに嫌な事など微塵も無い。

 

「もちろん」

 

 内心は嬉しくて仕方ない。

 少し安心したように微笑む千景。手にこもっていた力が少し緩まる。

 今日は良い一日だった。この浮かれた気持ちのまま眠りたいと思いながら、スーパーへと歩き進めた。



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第7話 仕事と子供

ゆゆゆい5周年お祝いイラストを応募して貰える壁紙、とても良かったです。


 8月頭の朝、上里家の玄関にて。

 

「千景をお願いします」

 

「はい。ひなた、ちーちゃんが来ましたよ」

 

 リビングから裸足でぺたぺた歩いてくるひなた。口元にケチャップらしき赤いものが付いている。朝食中だっただろうか。

 

「ちーちゃん、おはようございます!」

 

「おはよう、ひなた」

 

 朝からにこにこ元気な子だ。朝は弱い千景とは反対なようだ。

 

「もうひなた、ほっぺにケチャップ付いてますよ」

 

 琴音さんが指摘する。ケチャップで合っていた。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃーい」

 

 少し不安そうな顔をする千景の頭を撫でて上里家を出る。向かうは仕事先である。

 ちなみに隣にはお屋敷のような家が建っている。乃木家である。

 

 ──────────

 

 貯金はある。千景と二人でなら数年は働かなくても生活できるくらいにはある。

 しかし、いつかは尽きてしまう。千景にちょっと贅沢をさせるならなおさら。なので、働くことにした。

 収入はあまり考慮せず、9月以降は学校の行事があることをふまえて、時間に融通がきく働き方をすることにした。アルバイトである。

 乃木家と上里家が我が家から徒歩十数分の距離にあったので、千景を一人にすることがないように、夏休みの間は仕事に行っている時は預かってもらうこととなった。

 

 ──────────

 

 連れてこられた二階にあるひなたの部屋は、程よくクーラーがつけられて、外とは違い過ごしやすい温度だ。

 

「さて、何しましょうか」

 

「うーん……夏休みの宿題は終わった?」

 

 言ってから思ったけど、宿題を指摘してくる友達ってなんか嫌かも。間違えたかもしれない。

 

「まだですけど、わたしが宿題してる間、ちーちゃんはひまじゃないですか?」

 

「ゲームしてるから大丈夫」

 

 特に気にした様子もなく返してくるひなたに、持ってきたリュックサックからゲーム機を取り出して見せる。

 どこでも持ち運べるのが携帯ゲーム機のいいところである。

 

「じゃあ、わかばちゃんが来るまで宿題します」

 

「若葉来るの?」

 

「多分来ると思います」

 

 家が隣同士だし、きっとよくお互いの家で集まるのだろう。

 

 

 

 少しした頃、階段を登る軽い足音が聞こえてきた。

 ひなたの部屋のドアが開かれる。入ってきたのは若葉だった。

 

「おはよう二人とも」

 

「おはようございますわかばちゃん、おけいこ終わったんですね」

 

「おけいこ?」

 

 若葉は何か習い事でもしているのだろうか。

 

「わかばちゃんは毎朝居合のおけいこしてるんです」

 

「居合!?刀を抜くやつ!?」

 

「ああ」

 

 そんなことをしている小学生がいるのか。

 居合に関してはゲームで得た知識しかないけれど、確かに若葉に似合っていると思った。

 そんなことを考えている横で、ひなたはさっき開いたばかりの宿題を片付けていた。

 

「じゃあわかばちゃんが来たので宿題終わります」

 

「まだ5分くらいしかしてないけど」

 

「だいたい終わってるので大丈夫です」

 

 ならいいか。

 

「さて、何しましょうか」

 

「5分前にも聞いたセリフ」

 

「ちかげもいると聞いていたから人生ゲームを持ってきたぞ」

 

 そう言いながら、持ってきた手提げバッグから人生ゲームを取り出す若葉。

 人生ゲーム。友達がいたらやってみたかったことの一つだ。ボードゲームも好きだけど一人ではできない。最近はれんちゃんと色々やっているが。

 

「じゃあそれをやりましょうか」

 

 

 

 

 

「あ、また子供が生まれました!」

 

 ゲーム開始から数十分後。ひなたは五人の子宝に恵まれていた。

 

「すごいなひなた。わたしなんてまだ独身なのに」

 

 若葉は独身街道驀進中である。

 

「次はわたしね。…4ね」

 

 ルーレットの針が4に止まったので、私の駒を4マス進める。

 

「『宝くじが当たって5万円もらう』だって」

 

 銀行役を兼任するひなたから5万円を受け取る。

 私は結婚して子供が一人、所持金は一番稼いでいた。職業は総理大臣。

 

「次はわたしか、…10だ!」

 

 ルーレットで一番数字が大きい10を引いた若葉は一気に進み、私とひなたに大きく差をつけた。…かに思われた。

 

「えっと…『恐慌が起きて職を失う』!?」

 

 恋愛をすることもなく仕事一筋だったキャリアウーマン若葉は、その仕事さえ唐突に失うのだった。

 

 

 

 最終的に一位になったのは私だった。総理大臣のお給料は強かった。

 

 ──────────

 

 夕方、仕事を終えて上里家へ千景を迎えに行く。いい子にしているだろうか。千景のことだから大丈夫だろうけど。

 

 上里家に到着しインターホンを押すと、すぐに琴音さんが出迎えてくれた。

 

「おかえりなさい蓮ちゃん。ちーちゃん呼んでくるので、リビングでお茶でも飲んで待っててください」

 

「わかりました」

 

 言われてリビングに入ると、楓さんがソファに座っていた。

 

「おや、こんばんは」

 

「ああ、仕事お疲れ様」

 

 楓さんが労いながら茶を淹れてくれる。

 千景が来るまで飲みながら少し話でもしようか。

 

「楓さんと琴音さんはいつから仲良いの?」

 

「そうだな…幼稚園から一緒だったか」

 

 顎に手を当て思い出す楓さん。そんなに小さい頃からなのか。

 

「そこから小中高と一緒でね。まあ高校は自分達で同じ学校を選んだが」

 

「ずっと仲良しなんだね。家はずっと隣同士?」

 

「いや、結婚する時に家は隣同士がいいという話になってね。乃木家は昔からあれだから、琴音とその旦那が隣に家を建てた」

 

 なるほど。確かに由緒ある家の一人娘が出ていくわけにもいかないだろう。

 

 そうこう話しているうちに千景が二階から降りてきた。ひなたと若葉も一緒だ。

 

「おかえりなさい」

 

「ただいま。今日は何してたの?」

 

 しゃがんで目の高さを合わせ、千景の髪を撫でてみる。

 

「ひなたに五人の子供ができた」

 

「………ん?」

 

「どうかした?」

 

「何でもないよ…ひなたがなんだって?」

 

 一応聞き返す。凄いことを聞いた気がする。

 

「五人の子供が生まれ…あっ、人生ゲームの話ね」

 

「ああ、なるほど」

 

 それなら理解できた。人生ゲームでも子供五人は多い気がするが、置いておこう。

 

「人生ゲームしてたんだね」

 

「うん、他にもボードゲームとか色々」

 

 今日のことをとても楽しそうに話す千景。これなら、これからも仕事の間は預かってもらっても大丈夫だろう。

 

「じゃあそろそろ帰ろうか」

 

「うん」

 

 お母さん方にも挨拶しておかねば。

 

「今日はありがとう。明日からも千景をよろしくお願いします」

 

「はい」

 

「ああ、明日はこっちで預かろう」

 

 じゃあ明日の朝は乃木家のインターホンを押そう。

 

「若葉、ひなた、また明日」

 

「ちーちゃん、れんちゃん、さようなら」

 

「また明日な」

 

 手を振り合いながら上里家を出る。ここに来るまでにスーパーに寄ってきたので、千景と手を繋いでまっすぐ家に帰る。

 

「お仕事おつかれさま」

 

「ありがとう、千景を見たら疲れも吹き飛んだよ」

 

 僕にとって千景は万病に効くかもしれない。

 

「今日の晩御飯は肉じゃがにしようかな」

 

「お肉多めで」

 

「ああ、わかった」

 

 最初の頃に比べて増えた口数に、距離が少しずつ縮んでいるのを感じた。




乃木若葉
 落ち着いた金髪ロングの女の子。小学2年生。家の敷地内に道場があり、居合を習っている。生真面目だかちょっと天然なところがある。まだ成長期は来ていないので、身長はひなたより少し高い程度。

上里ひなた
 艶のある黒髪ロングの女の子。小学2年生。若葉とは赤ん坊の頃からの付き合いであり大親友。いつもにこにこしていてほんわかする。


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第8話 人の繫がり

今更だけど原作とは完全に別物ですね。


 平日の昼間、僕達は楓さんに誘われて近所の商店街に来ていた。肉屋に八百屋をはじめ様々な店が立ち並ぶ。ちなみに今日は仕事は休みである。

 

「よく来るの?」

 

「まあそうだな、昔から大体の買い物はここで済ませている」

 

 なるほど、何でも揃うのかな。それは助かる。これからはここで買い物をするようにしようかな。

 

「お、今日は初めて見る顔と一緒かい」

 

「この子達の友達なんだ」

 

 声をかけてくる肉屋のおじさんに返答する楓さん。小さい頃からよく来ているらしいから顔馴染みだろう。

 

「ちーちゃんとれんちゃんです」

 

「郡千景と蓮花です」

 

 ひなたが渾名で紹介してくれたので、一応ちゃんと本名を名乗る。

 

「蓮花さんと千景ちゃんか、よろしくな。コロッケ食べるかい?若葉ちゃんとひなちゃんも」

 

 そう言いながら、売り物らしきコロッケを食べ歩きできるように紙で包み始めるおじさん。

 

「「ありがとうございます!」」

「…いいの?」

「おう、食え食え」

 

 いつもの事なのか、礼を言ってコロッケを受け取る若葉とひなたと、ちょっと困惑しながら受け取る千景。

 

「僕も貰っていいんですか?」

 

「おう、これからお得意様になってくれることを信じて」

 

「あ、はい」

 

 そういうことなら遠慮なくコロッケを受け取る。揚げたてらしく、衣はサクサク、中はホクホクしていて旨い。

 隣でコロッケをかじる千景達も頬が緩んでいる。可愛い。可愛いのが三人並んでいて可愛さのジェットストリームアタックだ。写真撮りたい。

 

「じゃあせっかくだし、晩御飯の材料買っていこうかな」

 

 

 

 肉屋での買い物を済ませ、その後も楓さんに連れられて様々な店に寄りながら商店街を歩き進む。

 

「それにしても色んな店があるんだね」

 

「活気があるだろう」

 

 食材だけでなく服屋や靴屋、本屋に文房具屋、パン屋、和菓子屋など、ここだけで生活できそうだ。

 商店街をゆっくり歩いて見て回るという経験があまり無く、新しいものを発見する子供のようなわくわくした気持ちである。

 

「ここのお肉屋さんに行くといつもコロッケもらえます」

 

「え、いつもなの?」

 

「うん」

 

 頷く若葉。確かに、こんな可愛い子達が来たらたくさん食べさせてあげたくもなる。おじさんおばさん達の気持ちはわかる。

 

「若葉達はこの商店街のアイドル的な何かなのか」

 

「そんな感じかもしれないな」

 

 もしかして千景もそこに仲間入りするのだろうか。今日も色々な店で千景達は何か貰っていた。

 ここでなら、千景はたくさんの人に愛してもらえるかもしれない。

 隣を歩く千景の髪をなんとなく撫でてみると、不思議そうな顔で見上げてくる。

 

「…よかったね」

 

「…?……何が?」

 

「なんでもないよ」

 

 ──────────

 

 商店街での買い物を終えて、私達は乃木家に来ていた。

 昼食を作るため、楓さんとれんちゃんは台所へ、私と若葉とひなたは居間で遊んでいた。

 

「ウノ」

 

「またか!?」

 

 私の手元に残る最後の一枚。今回も勝ちだろう。ちなみにすでに3勝している。今は4周目である。

 

「わたしの番か、ちかげにドロー4だ!色は赤!」

 

「むう…」

 

 渋々山札から4枚のカードを引く。勝利までが遠のいてしまった。

 

「赤ですか…ごめんなさいわかばちゃん、ドロー2」

 

「む、そうか」

 

 若葉が山札からカードを2枚引き、また私の番が回ってくる。手元にあったワイルドカードを場に捨てる。

 

「青」

 

「青ですか…ごめんなさいわかばちゃん、ドロー2」

 

「またか!?」

 

「さっきわたしに4枚引かせた報いよ」

 

 2ターン連続で場に出せずに2枚引く若葉。何事にも報いを。若葉がよく口にする言葉だ。

 

 

 2分後。

 

「あがり」

 

「また負けたぁ…」

 

「ちーちゃんすごく強いです」

 

「ゲームではれんちゃん以外には負けないわ」

 

 4連勝する私であった。

 

 ──────────

 

「昼ご飯できたよー」

 

 昼食のうどんを居間に運ぶ。この家は広い。廊下が長い。こういう時は給食のカートが欲しいものだ。

 

「ウノをしていたのか」

 

「ああ、ちかげに全敗している」

 

 千景の勝利報告を聞きながら皆のうどんを机に並べていく。

 

「昼食ができたかい」

 

 唐突に声がしたほうへ振り向くと、年老いてなお凛々しさを纏うおばあさんが立っていた。もしかしなくても若葉の祖母か。

 

「おや、あんたは千景ちゃんのお父さんかい?」

 

「初めまして、郡蓮花です」

 

「私の母だ」

 

 やはりそうなのか。千景は預けている間に会ったことがあるのだろうけれど、僕は乃木家に入ったのは初めてなので初対面である。

 

「気軽におばあちゃんとでも呼んでおくれ」

 

「じゃあおばあちゃん」

 

「それでいいのか」

 

 物腰の柔らかいおばあちゃんである。しかし乃木の女、きっと怒った時は凄まじいのだろう。

 

「さあ、いつまでも立ってないで、座って食べよう」

 

 広い居間、大きな机の周りに並んで座る。

 若葉はきつねうどん、ひなたはとろろうどん、千景は肉うどん、ちゃんと作り分けている。

 

『いただきます』

 

 皆一斉にうどんを啜る。美味しいものを食べて笑顔の3人が並んでいる姿は、見る者の心を癒すとても幸せな光景だった。

 

 

----------

 

「……」

 

「ほう、なかなかやるねえ」

 

 れんちゃんが木製の盤上に駒を指す。

 昼食後、れんちゃんはおばあちゃんに将棋を挑まれていた。どちらも一進一退、かれこれ十数分続いている。

 

「…すごいなれんかさん、母さんより強いぞ」

 

「そうだな」

 

 あまりにいい勝負をしているので、皆で囲んで行く末を見守っている。

 楓さんとおばあちゃんが将棋をしているところも見たことはある。楓さんも弱くはない、むしろ強いほうだとは思う。しかし、おばあちゃんには数分で負けていた。

 

「王手だよ」

 

「う~む…」

 

 れんちゃんが王手になっている相手の角と自分の玉の間に銀を移動させる。私から見ても、銀を盾にするしか防ぎようがないことはわかる。

 

「まあそうするしかないね」

 

「…長いな」

 

 見ていることに飽きたのか、若葉とひなたが隣でオセロを始めた。

 しかしいつ決着がついてもおかしくないこの勝負、私は目が離せない。

 

 

 

「いやぁ負けちゃった」

 

「こんなに強い若いもんは久々だよ、また時々相手をしておくれ」

 

「ええ、リベンジしますね」

 

 結局、決着がついたのはさらに十分後だった。

 

 ──────────

 

 午後三時、おやつの時間。

 台所を借りて作ったクッキーを皆で食べていると琴音さんがやってきた。

 

「ただいま~」

 

「おかえりなさいお母さん」

 

 何か用事があったとのことで乃木家に預けていたひなたを迎えに来たのだ。

 

「クッキー食べてるの?」

 

「れんちゃんが作ってくれました」

 

「琴音さんもどーぞ」

 

 大量に焼いたチョコチップクッキーが、大皿に山のように積み上がっている。

 

「れんちゃんはお菓子作りもするんですね」

 

「うん、色々作るよ」

 

 クッキーを小さな口で齧りながら尋ねてくる琴音さん。一口は小さいながらもすぐに一つ目を食べ終え、二枚目に手を伸ばす。

 どうやらお気に召したらしい。

 

「例えば何作るんだ?」

 

「プリンとかマフィンとかケーキとか」

 

「そんなの作れるの?」

 

「今度何か作ってあげようか」

 

 千景は何が好きだろうか。千景が喜んでくれるのなら何でもいくらでも作ってあげよう。

 

「れんちゃんはお料理が好きなんですか?」

 

「好きっていうか、得意なだけだよ」

 

「そうなんですか」

 

「そうなのさ」

 

 料理が得意になったのはいつからだろうか。もう憶えていない。

 話しながらも皆手は止めず、山のようにあったクッキーは少しずつ減り続けていく。

 

「得意料理は何ですか?」

 

「ハンバーグかな」

 

 なぜハンバーグが得意料理なのかは正直わからない。自分が作る料理で一番美味しいような気がするだけだ。

 

「…いいな、食べてみたい」

 

「れんちゃんのハンバーグはすごくおいしいの」

 

 若葉が食いついてきた。

 

「じゃあ今度うちに来る?」

 

「行きたいです!」

 

 ひなたも食いついてきた。

 

「いいんですか?」

 

「いいよ、いつもお邪魔させてもらってばかりだし」

 

 二人が家に遊びに来てくれたら、千景も喜ぶだろう。

 その千景を見てみると、嬉しそうにニコニコしている。可愛い。

 

「じゃあ次の土曜日にでも遊びに来てよ。昼ご飯にハンバーグ作ろう

 

「ああ!」

 

「行きます!」

 

 ハンバーグの材料を買っておかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千景、そろそろ帰ろうか」

 

 日が傾きだした頃、千景に帰宅を提案する。そろそろ帰って夕食の準備をしなければならない。

 

「うん」

 

「もうそんな時間か」

 

「早いですね」

 

 三人が遊んでいたボードゲームを片付け始める。大量に作ったクッキーはとっくに完食されていた。

 

 

 

 

「ただいまー、ん?今日は靴が多いな」

 

 玄関のほうから、戸を開く音と共に知らない男性の声がした。まあ若葉の父だろう、ただいまって言ったし。

 

「おかえり」

 

「ああ。お、千景ちゃんが来ていたのか」

 

 若葉父らしき人が居間に入ってくる。長身でガタイのいい、スーツを着たハンサムな感じの人。

 

「こっちは千景の保護者だ」

 

「保護者」

 

 父ではなく保護者と紹介されてしまった。まあ合ってるが。

 

「郡蓮花です。千景がいつもお世話になってます」

 

「乃木誠司です。こちらこそ若葉がお世話になっています」

 

「わたしはお世話になっているのか?」

 

「そう言うものなんだよ」

 

 誠司さんというらしい。しっかりしていて凛々しい感じは楓さんと似ている気がする。

 

「もうお帰りですか?」

 

「ええ、帰って晩ご飯の準備をしないと。あと敬語じゃなくていいですよ」

 

「そうか、わかった」

 

 なんと順応が早い人だろう。

 

「帰るじゅんびできたよ」

 

 そうこう話しているうちに千景の準備ができたらしい。手提げバッグを持ち立ち上がる。

 

「じゃあ帰ろう、お邪魔しました~」

 

「またね」

 

「ああ、またな」

 

「さようなら、また土曜日に」

 

 手を振り挨拶をする僕と千景に振り返してくれる若葉達。

 

 居間を出て、長い廊下を通り玄関を出る。

 この家でかくれんぼでもしたら楽しそうだなと、年甲斐もないことを思った。

 

 ──────────

 

 今日は乃木家を知る一日となった。両親はどちらもしっかりした感じだが、一つ気になることがある。

 

「若葉の天然は部分はどっちから受け継いだんだろう」

 

 静かな浴室に僕の声が少し響く。

 

「天然?」

 

「どこか抜けてる感じのこと」

 

「ああ」

 

 まだ誠司さんとは顔を合わせただけなので何とも言えない。少しわかったことは、妻の尻に敷かれていそうだと思った。勝手な想像だが。

 

「せっかくなら、土曜日に皆で何かお菓子作りするか。何作りたい?」

 

「簡単なやつ」

 

「じゃあカップケーキでも作るか」

 

 食べるだけなら美味しさを優先するが、作るとなると失敗しないようにお手軽さを優先する。失敗もいい経験にはなるが、それでは皆で食べる分が無くなってしまうかもしれない。

 

「……」

 

「…なに?」

 

 会話が途切れたのでなんとなく向かい合って座る千景を見つめてみる。

 

「……可愛いね」

 

「…そう」

 

「おいで」

 

 手を広げて伸ばす。寄ってきてくれる千景を抱き寄せる。一緒に暮らし始めてまだ三週間ちょっとだが、呼べば来てくれるようになった。

 

 全身で密着する。互いの心臓の鼓動が伝わる。

 こうして抱き締めている時が、千景が生きていることを感じられるこの瞬間が、僕は何よりも幸せなのだ。

 



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第9話 支える努力

夕日好きすぎる気がする。


「おはようございますっ」

 

「おはよう」

 

 土曜日の9時過ぎ、上里家玄関前。私達はひなたと若葉を迎えに来ていた。今日は私達の家に遊びに来てもらう日である。

 乃木家と上里家のインターホンを押し、先に出てきたのは上里母娘だった。

 

 すぐ後に楓さんが出てくる。しかし若葉はいない。

 

「おはよう、若葉は今稽古中でな。もう少ししたら終わるから、すまないが中で待っていてもらえるか」

 

「そうなんだ、わかった」

 

 楓さんにそう言われ、私達4人は乃木家の玄関を通る。

 

「わたし、若葉のおけいこを見てみたい」

 

「僕も見たい。いいかな?」

 

「ああ、別に構わないが。こっちだ」

 

 案内されて連れてこられたのは敷地内の道場。なぜ家の敷地内に道場があるのか。どこかの魔術師の家だろうか。

 中を覗けば、道着を着た若葉が静かに佇んでいた。

 

 次の瞬間、瞬く間に鞘から抜き放たれる刃。

 一つ年下とは思えない女の子がそこにいた。

 

「ん?」

 

 こちらに気づいた若葉が歩み寄ってくる。

 

「おはよう若葉、かっこいいね」

 

「うん、かっこいい」

 

 別に驚きはしないけど、楓さんも居合をやっていたのか。

 

「楓さんも居合やってたの?」

 

「ええ、かっこいいんですよ楓ちゃん!」

 

 れんちゃんの問いになぜか琴音さんが意気揚々と答える。

 

「わかばちゃん、おけいこはもう終わりですか?」

 

「ああ、今日は終わりだ」

 

 ひなたがどこからか取り出したタオルで若葉の汗を拭く。鞄は持っていないのに、本当にどこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていた。

 

「れんかさん」

 

「ん、どうした?」

 

「ちょっとあれを切ってみてくれないか?」

 

 そう言いながら巻藁を指差し、自分が手に持っていた練習刀を差し出す若葉。

 

「いいけどどうしたの?」

 

「その筋肉で振ったらどんな感じか見たい」

 

「筋肉関係あるのかな…まぁいいか」

 

 練習刀を受け取り、巻藁の前に立つれんちゃん。

 

「…大丈夫かな」

 

「蓮花は武道の経験はあるのか?」

 

「知らない」

 

 れんちゃんが練習刀を構え、静かに集中し始めたのを見て黙る私達。

 普段の柔らかい雰囲気はそこには無かった。

 

 

 

 

「」

 

 いつの間にか、刀は音も無く振り抜かれていた。

 

「…え?」

 

 瞬きを忘れて見守っていたはずなのに、私の目は刃が放たれた瞬間を捉えることは無かった。

 綺麗な断面を残して落ちる巻藁。そっと納刀するれんちゃん。

 

「見えなかったし、あまり切れない練習刀でこんなに切れるとは……これが筋肉か!!」

 

「若葉、違うと思うぞ」

 

 これがれんちゃんが前に言っていた『天然』だろうか。

 

「れんちゃんかっこいいです!」

 

「ありがと~」

 

 興奮した様子のひなたに礼を言いながら頭を撫でるれんちゃん。ひなたの手にはいつの間にか、今度はカメラが握られていた。ひなたは四次元ポケットでも持っているのだろうか。

 

「居合経験者か?」

 

「居合は初めてだけど、こういうのを握ってた時期もある」

 

「そうなのか」

 

 

 私は断面を見ようと、切断された巻藁に近づく。

 そして気づく。気づいてしまった。

 

「…そこの壁、切れてる」

 

「「「え!?」」」

 

 巻藁の後ろ、少し離れた道場の壁が細く裂けていた。

 今度はれんちゃんまで驚いていた。…いや、毎日一緒に暮らしている私にはわかる。この驚いた顔は『驚愕』ではなく『やっちまった』顔だ。

 

「……弁償します」

 

「いや…別に構わないが…」

 

 ──────────

 

 れんちゃんがやらかして少しした後、着替えた若葉も連れて我が家に向かっていた。

 そしてなぜか楓さんと琴音さんもついてきていた。

 

「私は昨日楓ちゃんに若葉ちゃんのことを頼まれたんだけど…」

 

「やっぱり私もハンバーグが食べたくなってな」

 

「母さんが来たらわたしたちが食べる分が減ってしまう」

 

「いっぱい作るから大丈夫だよ」

 

 愚痴を零す若葉の頭を撫でる笑顔のれんちゃん。

 ちょっと軽率に人の頭を撫ですぎだと思う。撫でられている時の若葉やひなたが可愛いのはわかるけれど。

 

「我が家は6人で過ごすには少し狭いかもしれないけど、まぁゆっくりしていってね」

 

 元々距離が近いのもあるけれど、話しながら歩いていればあっという間に到着した。

 

 

 

 

「昼ご飯にはちょっと早いけど、ゆっくり作ろうか」

 

 そう言いながらハンバーグの材料や調理器具をリビングのテーブルに運ぶれんちゃん。材料は既に全部切ってある。

 

「こんなものも入れるのか」

 

 テーブルの上には私が知らないような調味料もあった。我が家にこんなのあったのか。

 

「今からやることは、これを混ぜて練って形を整えて焼きます」

 

「はーい」

 

 れんちゃんが材料を混ぜて練り、私と若葉とひなたも加わって形を整えていく。

 琴音さんは横で微笑みながらカメラを構えている。

 

「まんまるですっ」

 

 いくつか形を整えてから、れんちゃんがテーブルの上に電磁調理器とフライパンを用意する。

 

「順番に焼いていこうか」

 

 フライパンに肉を並べていく。入るだけ並べてから蓋をする。

 部屋中に香ばしい匂いが立ち込め、舌がハンバーグを求める。

 

「若葉、涎が出ているぞ」

 

「え?あっ」

 

「そういう楓ちゃんも出てますよ」

 

「え?あっ本当だ」

 

 親子だなぁと、れんちゃんと一緒に微笑ましく眺める。

 

「れんちゃんとちーちゃんが同じ顔してます」

 

「「え?」」

 

「そっくりだ、親子だな」

 

 ひなたの言葉に若葉が共感する。言われた私達はお互いの顔を見合わせる。そしてクスっと笑みが零れる。

 きっと見合わせた顔も同じような表情をしているのだろう。

 

「そろそろいいかな」

 

 れんちゃんがフライパンの蓋を取り、皿にハンバーグを盛り付ける。その皿には、いつの間にか作られたサラダも盛り付けられていた。

 

 若葉達の視線はハンバーグに釘付けである。そんなに見つめてはハンバーグが照れてしまう。

 

「先に食べていいよ。僕はまだまだ焼いていくから」

 

「いただきます!」

 

 私も食べ始めよう。箸でハンバーグを切ればいつかのように溢れ出る肉汁が、これ以上ないほど食欲を掻き立てる。

 隣を見れば、既にハンバーグを口に入れた若葉が固まっていた。

 

「…うまい……なんだこれは…」

 

「ハンバーグよ」

 

 どうやらハンバーグが美味しすぎて感動を噛み締めているようだ。

 

「すごくおいしいですっ!!」

 

「これはびっくりですね」

 

「それはよかった」

 

 ひなたは若葉とは対照的に激しくびっくりしている。

 そして楓さんはというと。

 

「……ぅんまい…」

 

 見たことないとても綻んだ顔になっていた。とても幸せそうで何よりである。

 

「母さんのこんな顔は初めて見た」

 

「レア顔楓ちゃんです」

 

 楓さんの顔に驚く若葉と、すかさずカメラを構える琴音さん。

 

「ちかげは毎日こんなにうまい料理を食べているのか。うらやましいな」

 

「じゃあうちの子になる?」

 

 毎度突然何を言い出すのかれんちゃんは。

 

「いくら料理が美味かろうと若葉はやらんぞ」

 

「冗談だよ、千景で十分」

 

 そう言って後ろから抱き締めて髪を撫でてくるれんちゃん。皆の前でされるのは少し恥ずかしい。

 

「大好きだな」

 

「大好きだよ」

 

 そんなはっきり言われては照れてしまう。

 気を紛らわすように抱き締められたまま食べ続ける。

 

「ちーちゃんのお顔真っ赤でかわいいです!お母さん、カメラかしてください!」

 

「ちゃんとちーちゃんに写真を撮っていいか聞いてから撮るんですよ」

 

 琴音さんが持っていたカメラをひなたに渡す。道場でひなたが持っていたカメラやタオルは琴音さんが渡したのだろうか。

 

「ちーちゃん、お写真とっていいですか?」

 

「今はダメ」

 

「ダメって言われちゃいました」

 

「じゃあダメです」

 

 普通の写真を撮るのはまあ良しとしても、こんな照れて他人からもわかるほど真っ赤になった顔なんて撮られたくはないのだ。

 

 

 

 

 昼食を食べ終えて少しした後、今度はカップケーキを作ろうとしていた。

 

「まずは砂糖と牛乳を混ぜます」

 

「はーい」

 

 ひなたが返事をしてボウルに入れた砂糖と牛乳を混ぜ始める。カップケーキの生地を作るのはよく混ぜるらしいので、疲れてきたら交代する予定だ。

 

「次は、ここに薄力粉とベーキングパウダーと溶いた卵と溶かしたバターを入れて混ぜます」

 

「はい」

 

 返事をした若葉が色々入ったボウルを混ぜる。ひなたは既に疲れて交代していた。しかし若葉は体力があるだろうから、私に回ってくるかはわからない。

 

「あとはこれをカップに入れて焼きます」

 

「まぜるの終わり?」

 

「終わり」

 

 結局私に回ってくることはなかった。

 れんちゃんが生地をカップに分けて入れ、キッチンにあるオーブンに入れた。

 

「焼けるまで20分弱待ってね」

 

「もう完成?」

 

「そうだよ」

 

 お菓子作りはこんなに簡単なのか。これなら、レシピを見ながら私でも作れるだろう。

 

 

 十数分後。

 

「焼けたよ」

 

 れんちゃんが焼き上がったカップケーキが乗ったトレーをリビングに持ってくる。

 

「まだ焼きたてで熱いから気をつけてね」

 

「ああ」

 

 最初に若葉がカップケーキを手に取り、息を吹きかけ少し冷まして齧る。

 

「普通にうまい」

 

「そうだな」

 

 乃木母娘が満足気にカップケーキを頬張っている。

 

「こんなにかんたんに作れて、こんなにおいしいんですね」

 

 若葉に続いて私とひなたもカップケーキを食べる。ホクホクした出来立てのカップケーキはとても美味しく、無意識に頬が緩んでいることに後から気づく。

 

「まだまだあるから、お父さん達にお土産で持って帰ってもいいよ」

 

「もったいない気もするが、ちょっとだけ持って帰ってあげよう」

 

「お父さんきっとよろこびます!」

 

 小さな包みにカップケーキを少し分けるれんちゃんの姿は、ケーキ屋さんの店員さんみたいだと思った。

 

 

 

 

 

 

 日も暮れてきた頃、乃木母娘と上里母娘は帰り支度を済ませ、玄関に立っていた。

 

「今日はご馳走様でした」

 

「おいしかったです」

 

「食べてばかりだったけど、満足してもらえたようでなにより」

 

「それはもう」

 

 乃木母娘がとても頷く。それを見る上里母娘は微笑んでいる。

 美味しい料理は食べた人を笑顔にするのだ。

 

「また遊びに来たいです」

 

「うん、いつでもおいで。パーティーゲームでも買っておこうか」

 

「また来てね」

 

「ああ、またな」

 

 手を振り順番に出ていく若葉達。部屋には私とれんちゃんだけになり、とても静かになった。

 そして玄関からキッチンに向かうれんちゃん。

 

「そろそろ晩ご飯の準備しようかね」

 

「…ねえ、れんちゃん」

 

「ん?どうしたの?」

 

 ついて行って声をかける。私が声をかける時、れんちゃんはいつも優しい瞳を向けてくれる。

 

「あの…わたしに、家事を教えてほしくて…料理とか洗濯とか」

 

「いいけど、どうして?」

 

「わたしが家事をできるようになったら、れんちゃんが楽になるかと思って…」

 

 ずっと思っていた。れんちゃんは毎日一人で家事を全部やってくれている。平日なんてお仕事もあるのに、私より早く起きて朝食を作ってくれて洗濯物を干して、帰ってきてからは夕食を作って洗濯物を取り入れて、風呂掃除やトイレ掃除もやってくれている。しかし私に手伝いをするようには一切言わない。

 これではれんちゃんに支えられるばかりで、私は支えてあげられていない。

 

「…そっか。ありがとね、千景。ほんとにいい子だなぁぁ!」

 

 れんちゃんに抱き締められてひたすらに頭をわしゃわしゃと撫でられる。髪はぐちゃぐちゃになるけれど、なんだか心地良いので構わない。

 

「わかった、家事教えてあげる」

 

「…うん!」

 

「とりあえず、今から一緒に晩ご飯作ろうか」

 

 れんちゃんと並んでキッチンに立つ。

 これから私は、一緒に暮らすこの人の為に努力するのだ。

 窓から差し込む夕日が優しく、私達の未来を照らしている気がした。




カップケーキはこの通りに作ればできるはず。


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第10話 看病と心配

乃木家は地元で有名そうなイメージがある。


 いつものように起きて、いつものように朝食を作る。

 しかし、朝食を作り終えた頃に起きてきた千景の様子はいつもとは少し違っていた。

 

「おはよう、朝ご飯できたよ」

 

「おはよう…」

 

 なんだか少しフラフラしている気がする。

 顔色も少しよくないように見える。

 

「大丈夫?熱計ろうか」

 

「ん…」

 

 リビングにある二人掛けのソファに腰掛け、体温計を腋に挟む。額や首筋を触ってみると、少し熱いようにも感じる。

 

 計り終えた体温計を見る。

 

「38度2分…高いな。病院行こうか」

 

「お仕事は…?」

 

「今日は休むよ。熱出してる千景を放っておけない」

 

 こんな弱々しい表情をした千景を置いていくなんて僕にはできない。

 

「食欲はある?小さいおにぎりとか作ろうか?」

 

「うん…」

 

 すぐに一口サイズのおにぎりをいくつか握る。どれだけ食べられるかはわからないが、残った分は後で食べるなり僕が食べるなりすればいい。

 

 千景がおにぎりをゆっくり食べている間に楓さんに連絡する。近くのいい病院を聞くのだ。

 

 ──────────

 

 診察を終えて薬を受け取り、千景をおんぶして病院を出る。

 喜ぶべきか、おばあちゃんのお医者さんが言うにはただの風邪らしい。

 

「帰ったら薬飲んで寝ようね」

 

「うん」

 

 背中で千景が小さく返事をする。

 早く元気になってほしい。たとえただの風邪であっても、やはりとても心配してしまう。子を持つ親は皆、子供が体調を崩すたびにこんな気持ちになるのだろうか。

 

 

 

 家に着き、千景が薬を飲んで布団に入る。

 スマホを見ると、いつの間にか楓さんからRINEが着ていた。

 

『何か買っていこうか?』

 

 ありがたい、わざわざ買い物に行って届けてくれるのか。今はご厚意に甘えよう。今度お礼をしよう。

 

「おやすみ、千景」

 

 楓さんに返信し、そっと千景の頭を撫でる。すると、千景に僕の左手を掴まれた。

 

「…手、にぎってて」

 

「わかったよ。起きるまでずっと握っててあげるから、安心しておやすみ」

 

「うん…」

 

 千景は少し安心したように、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 千景の寝息が聞こえ始めてしばらく経ち、僕もウトウトし始めた頃、スマホが震えて少し目が冴えた。

 

『着いたぞ』

 

『ごめん、今手が離せない。鍵は開いてるから入ってきて』

 

 返信してすぐ、玄関から扉が開く音が聞こえた。

 静かにリビングまで歩いてくる楓さん。右手には買い物袋を持っている。

 

「買ってきたぞ。……手が離せないとは?」

 

「千景に手を握っててって言われたから離せない」

 

 

 楓さんが何とも言えない表情になる。しかしすぐに微笑んでくれた。

 

「…そうか。千景はどうだ?」

 

「ちょっと前に寝たところ。熱は高いけど風邪だって」

 

「そうか、なら少し安心だな」

 

「うん」

 

 眠る千景の表情は安らかで、天使のように可愛らしい。

 

「…あ、忘れてた」

 

「何だ?」

 

「まだ朝ご飯食べてない」

 

 作ったまま食べずに放置していた。千景の寝顔を見て安心したら今思い出した。空腹である。

 

「何か作ろうか?」

 

「もう作ってはあるんだ、キッチンにある」

 

「わかった、温めなおして持ってこよう」

 

 楓さんが立ち上がり、キッチンから温めなおした朝食を運んできてくれる。

 

「食べさせてやろうか?」

 

「いいよ、利き手は空いてるし」

 

 左手は千景の手を握ったまま、右手で朝食を口に運び腹に入れていく。

 

「若葉は体調を崩した時は何食べるの?」

 

「うどんだな」

 

 やはりそうなのか。生粋のうどん県民である。まあうどん県民でなくとも、うどんは消化にいい食べ物だから体調が悪い時に食べる人は多いだろう。

 

「若葉は今日どうしてるの?」

 

「家にいるか琴音の家にいるかだな」

 

「もう第2の実家じゃん」

 

「そうだな、赤ん坊の頃からよく出入りしているからな」

 

 昔を懐かしむように楓さんが話す。

 

「子供の成長って早いね」

 

「そうだな。少し前までオムツを穿いていたはずなのに、いつの間にか小学生だ」

 

「気がついたら大人になって、楓さんに孫ができるよ」

 

 千景もいつかは大人になって、誰かと結ばれ子をなして、一人の母親になるのだろうか。

 その頃には、僕の元を離れていくのだろうか。

 

「…子供が大きくなるって、嬉しいけど、ちょっと寂しいね」

 

「…そうだな、若葉ももう少し小さい頃はよく甘えてくれたんだが」

 

 たとえ千景が親離れしたとしても、僕が子離れできないかもしれない。

 

 ──────────

 

 目を覚ます。ゆっくりと瞼を開けると、寝る前と変わらずれんちゃんが手を握ってくれていた。

 そしてリビングにはなぜか楓さんがいた。

 

「おはよう千景」

 

「ん、起きたか」

 

「おはよう。…おなかすいた」

 

 時計を見れば、もう昼過ぎになっていた。

 

「食欲あるね、じゃあおじや作るよ。体温計ってて」

 

「うん」

 

 握っていた手を離し、立ち上がりキッチンへ向かうれんちゃん。その横顔はどこか安心したようだった。

 枕元に置いてある体温計を腋に挟む。

 

「熱はどうだ?…37度5分か、下がってきているな」

 

 楓さんが体温計を確認しに来る。そしてキッチンにいるれんちゃんに伝えに行った。

 昼食を食べて薬を飲んで寝ていれば、今日中にでも熱は下がりきるだろう。

 

「できたよ」

 

 れんちゃんに呼ばれてリビングに行く。立ち上がり歩くのも朝よりは楽になっていた。

 テーブルに置かれたお椀には出来立てで湯気を立てるおじや。

 

「冷まそうか?」

 

「ううん、大丈夫。いただきます」

 

 スプーンですくったおじやに息を吹きかけて冷まし、口に入れる。

 

 驚いた。溶き卵がトロトロで凄く美味しいうえ、落ち着いた味でとても食べやすい。

 正直、体調が悪い時でなくても食べたい。

 

「すごくおいしい…」

 

「それはよかった」

 

「……私も食べていいか?」

 

「まだまだあるから別にいいけど」

 

 楓さんが自分の分をよそいにキッチンに行く。

 れんちゃんは隣でフレンチトーストを食べている。

 

「なんでフレンチトースト?」

 

「千景の分の朝ご飯も作っちゃってたから」

 

 そういえばそうだった。私が起きたのは朝食ができた後だった。

 戻ってきた楓さんがおじやを食べ始める。

 

「うまっ!何だこれは!?」

 

「おじや」

 

「いやそれはわかっている」

 

「じゃあなんで聞いたの」

 

 二人のやり取りに思わず笑いが零れる。それを見たれんちゃんが微笑んでくれた。

 れんちゃんの料理は難しいものから簡単なものまで、なんでも凄く美味しい。毎日高級レストランの料理を食べているみたいだ。おまけに栄養満点である。

 私はあっという間におじやを食べきっていた。

 

「僕が子供の頃、体調を崩した時は母親がよくこれを作ってくれてね。そのおじやは父親が子供の頃に体調を崩した時、おばあちゃんが作ってたらしいけど。

 

「じゃあ千景が大人になって子供ができたら、子供が体調を崩したらこのおじやを作るのかもな」

 

 このおじやは代々受け継がれてきたものらしい。

 薬を飲みながら、未来の自分を少し想像してみるのだった。

 

 

 

 

「寝汗かいてないか?」

 

「え?あ、かいてる」

 

 言われて気づいたが、結構な寝汗をかいていた。

 

「濡らしたタオルで体を拭こうか」

 

「ん?お前が拭くのか?」

 

「え?そうだけど」

 

「え?」

 

 れんちゃんに体を拭いてもらうの?自分で拭くんじゃなくて?

 毎日一緒にお風呂に入ってはいるけれど、全身を触られるのはさすがに恥ずかしい。

 

「お前…千景は女の子だぞ」

 

「自分で拭くから」

 

「それもそうか」

 

 あっさり納得したれんちゃんが濡らしたタオルと着替えを用意してくれた。

 体を拭いて着替えたら、もうひと眠りするとしよう。

 

 ──────────

 

 隣で眠る千景。僕の左手は午前中と同じように繋いでいる。

 

「この調子なら明日には治ってるな。明日はどっちに預ければいいんだっけ」

 

「明日はうちだな」

 

「そっか、お願いします」

 

「ああ」

 

 せっかく千景との仲が深まってきたのに、平日はあまり一緒に過ごせないのが少し残念だ。千景と生活していく為に働いているので仕方ないが。

 

「…親ってさ、子供が体調崩すたびに心配になるの?」

 

 朝に思ったことを、近くで茶を飲んでいる楓さんに聞いてみる。

 

「そうだな。お前も心配したんだろう?」

 

「うん…これって慣れる?」

 

「多少はな。だが、全く心配にならなくなることはないだろう」

 

 親が子を愛している以上、その子がどれだけ強い子であっても心配になってしまうのだろう。

 

 

 

「特に用が無ければそろそろ帰るが」

 

「うん、今日はありがとう」

 

「ではまた明日な」

 

 そう言って玄関へ向かう楓さん。しばらくして、静かに扉を開く音がした。千景を起こさないように気を使ってくれたのだろう。

 とても良い人だ。娘の若葉が良い子に育つのも納得できる。

 

 静かな空間に、千景の小さな寝息だけを耳が拾う。

 握る手は温かく、とても静かなのも相まって僕の眠気を誘う。

 他にすることも無いので、千景の隣で添い寝することにした。

 

 ──────────

 

「ん…」

 

 目を覚ますと、隣でれんちゃんが眠っている。

 辺りを見回すと外は既に暗く、時計の針は午後7時を指していた。

 体を起こし、近くに置いてある体温計を手に取り体温を計ると、もう平熱近くまで下がっていた。

 

「んぁ…起きたの千景」

 

 れんちゃんが目を覚ます。

 

「体調はどう?熱は下がった?」

 

「うん、もう大丈夫」

 

「そっか。よかった」

 

 立ち上がりながら時計を見るれんちゃん。

 

「もうこんな時間か、晩ご飯作らないと…。何がいい?」

 

「肉うどん」

 

「わかった、すっかりうどん県民になってきたね」

 

 そう言い笑いながらキッチンに歩いていく。

 …確かにうどんは美味しいけれど、うどんに限らずこの家で食べる料理は全て美味しいので、れんちゃんの料理でうどん県に染まるということはない気がする。

 今日一日、お仕事も休んで付きっきりで看病してくれたれんちゃんの為に、れんちゃんが体調を崩した時は私が頑張って看病しよう。いつかれんちゃんのおじやも作れるようになりたい。

 二人で、支え合って暮らしていきたいと思った。




次回予告

 「高知から来ました、郡千景です」
                     「来週の土よう日はさんかん日ですね」
「やっぱり早い?」

              「…空を飛んでって言ったら飛ぶのだろうか」

       「構わない、場所を取りに行くのは誠司だ」

第11話 『新学期の始まり』


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第11話 新学期の始まり

書いてて思ったけど、内容が日常的すぎる気がする。


「高知から来ました、郡千景です…よろしくおねがいします」

 

 九月になり、二学期の初日。私は教室の前で担任の山根先生に紹介され、転校の挨拶をしていた。

 

 …学校にはいい思い出が無い。前とは違う環境だけれど、私は馴染めるのだろうか。

 

 

 

 

 

 今日の学校が終わり、靴箱で上靴と下靴を履き替えて正門から出る。

 二学期が始まって数日はまだ給食がない。よって学校は午前で終わる。

 私の昼食は夏休みと同じように乃木家か上里家にお願いされている。なので今日は今から上里家に向かう。

 

 今日は色々話しかけられて疲れた。転校生が興味の対象になるのは珍しいことではない、と思う。

 

「あ、ちーちゃん!」

 

「本当だ!」

 

 声がした方へ振り返れば、若葉とひなたがこちらに走ってきた。今のところ、この二人は家以外では一緒にいるところしか見ていない。本当に仲が良い。

 

「今からわたしのおうちに行くんですよね?」

 

「うん、そう言われてる」

 

「ならいっしょに帰ろう」

 

 若葉、ひなたが私の隣に並んで歩き出す。学校からの帰り道を誰かと一緒に歩くのは初めてだ。

 

「ちかげ、今日は教室で色々聞かれたか?」

 

「ええ、それはもう…」

 

「おつかれさまです」

 

 やはり転校生にクラスメイトが群がるのはよくある認識らしい。

 

「そういえば、来週の土よう日はさんかん日ですね」

 

「先生がそんなことを言ってた気がする」

 

 授業参観。れんちゃんは校内を案内してもらった時によく気にしていたから、きっと見に来てくれるだろう。

 

「その代わりに月よう日が休みになるんだったか」

 

「そうですね、何しましょう」

 

「その日はわたしもどっちかの家に行くのかな」

 

 れんちゃんが仕事でいない平日だから、おそらくどちらかの家に預けられるだろう。

 

「わかばちゃんのおうちでかくれんぼしてみたいです」

 

「母さんに聞いておくか」

 

 あのお屋敷でかくれんぼ。隠れる所がたくさんあってきっと楽しいと思う。

 

 そんなこんな、他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間に上里家に到着した。友達と話していると時間が早く過ぎる気がする。

 

「じゃあまた後でな」

 

「はい」

 

 若葉が自分の家に入っていくのを見て、私とひなたに続いて上里家に入る。

 

「ただいま~」

 

「おかえりなさい、ひなた、ちーちゃん」

 

「…ただいま」

 

 玄関の扉が開く音に気付いた琴音さんが出迎えてくれる。友達の家に来てただいまと言うのは少し変な気分だけど、悪い気はしない。

 

「お昼ご飯できてるから、手を洗ってリビングに来てね」

 

「「はい」」

 

 手を洗ったところでひなたと別れ、ひなたは自室へランドセルを置きに、私はまっすぐリビングに入った。

 

「ここに座ってね」

 

 琴音さんに促され、ダイニングテーブルに着く。目の前には肉うどん。もはや見慣れた光景である。

 

 すぐにひなたが二階から降りてきて隣に座る。ひなたの前にはとろろうどん。好物なのだろう、ひなたがよく食べているのを目にする。

 ひなたが手を合わせたのを見て私も手を合わせた。

 

「「いただきます」」

 

 ──────────

 

 夕日も沈みかける頃、仕事を終えて上里家へ千景を迎えに行く。

 インターホンを鳴らし玄関の扉を開けると、見慣れた靴があった。

 

「ただいまー」

 

「「「おかえりなさい」」」

 

 挨拶した瞬間リビングから飛び出してくる三人。

 近寄ってくる千景の頭を撫でる。しょっちゅう撫でている気がするが、サラサラな黒髪の手触りが良いので仕方ない。

 

「もう帰るの?」

 

「うん、もう晩ご飯の時間だしね」

 

 突然背後の扉が開かれる。入ってきたのは優しそうな男性。ひなたの父親だろう。

 

「ただい…あ、千景ちゃんのお父さんですね」

 

「どうも、おかえりなさい。郡蓮花です、千景がお世話になってます」

 

「上里伊織と申します、こちらこそひなたがお世話になっています」

 

 伊織さんというらしい。身長は僕と同じくらい(170ちょっと)で細身、全身から柔和な雰囲気が溢れている。ひなたの柔らかさは母親譲りかと思っていたが、父親の割合も高いかもしれない。

 

「お父さんおかえりなさい」

 

「ただいまひなた」

 

 ひなたの頭を撫でる伊織さんを隣で眺めていると、リビングからランドセルを背負った千景が出てきた。隣で若葉が名残惜しそうな顔をしている。

 

「帰るじゅんびできたよ」

 

「よし、じゃあ帰るか」

 

 玄関に皆が集まっていてかなりごちゃごちゃしているので早く出てあげよう。

 

「ありがとうございました」

 

「またね」

 

「ああ、また明日」

 

「さようなら」

 

「また来てね」

 

 上里親子と若葉に見送られて上里家を出る。

 もうほとんど沈みかけの夕日に薄く照らされながら、千景と手を繋いで僕らの家へと歩いた。

 

 

 

 

 

「今日、何かあった?」

 

 静かに声が響く浴室、帰ってきてからの千景がずっと何か言いたそうにしている気がしたので聞いてみた。僕らがその日あったことを話すのは大抵風呂である。

 

「…えっとね」

 

「うん」

 

 少しもじもじしながら千景がゆっくりと話す。可愛い。

 

「…来週の土曜日が参観日なんだって」

 

「まじか」

 

 そんなに早速なのか、授業参観。そして土曜日とはありがたい。

 

「…来てくれる?」

 

「もちろんさ」

 

 行かない訳が無い。千景の学校での様子を見ることができる数少ない機会だ。転校して二週間というタイミングはある意味ちょうどいいかもしれない。千景がクラスに馴染めているか確認できる。

 何より、千景に上目遣いでお願いされて断れる人はいるのだろうか。千景全肯定人間の僕には無理である。

 

「よかった…」

 

 安心したように微笑む千景が愛おしくて堪らない。なんだこの可愛い生き物は。

 

「あ、あとね」

 

「ん?」

 

 まだ続きがあるのか。さっきほどもじもじせずに話す千景。

 

「9月の最後の土曜日は運動会だって」

 

「まじか」

 

 突然の公式からの供給過多ですぐ死ぬオタクのように衝撃を受ける。

 

「朝6時から起きて場所取りに行くよ」

 

「え、そんなに早起きするの?」

 

「いい場所で千景を見たいから」

 

 早起きして場所取りをして弁当を作る。運動会は一番保護者が忙しい行事かもしれない。妥協はしないし自分で許さない。いい場所で千景を見て、美味しい弁当で千景を笑顔にするのだ。

 

 ──────────

 

 翌日の昼、昨日と同じように若葉、ひなたと一緒に帰り、なぜかひなたも一緒に乃木家に入ると琴音さんがいた。

 

「どうして琴音さんが?」

 

「皆で一緒にお昼ご飯食べようって話になったの」

 

「なるほど、それでひなたもこっちに来たのか」

 

 若葉も聞いていなかったらしい。広い居間の隅に三つのランドセルを置いておく。

 

「若葉は自分の部屋に置きに行かないの?」

 

「後でここで一緒に宿題しようと思ってな」

 

 なるほど、それはいい。

 

「まずは昼食だ」

 

 居間にうどんを運んでくる楓さんの後ろからついて入ってくるおばあちゃん。

 最近毎日うどんを食べている気がするが、美味しいので気にしない。

 

 

 

 

「ちかげ、れんかさんにはさんかん日のこと言ったか?」

 

 宿題しながら話しかけてくる若葉。手元を見る限り、既にほとんど終わっているらしい。夏休みの宿題も7月中に終わらせていたし、若葉は優等生なのかもしれない。

 

「ええ、来てくれるって」

 

「そうか」

 

「今月末の運動会のことは言いましたか?」

 

「うん。朝6時から起きて場所取りに行くって言ってた」

 

「流石だな」

「流石ですね」

 

 後ろで聞いていた楓さんと琴音さんが感心している。

 

「やっぱり早い?」

 

「まあそうだな、6時起きということは学校が開いたらすぐ入るのだろう。いい場所を確保できるだろうな」

 

「れんちゃんってちーちゃんの為ならとことん頑張りそうですものね」

 

 琴音さんの言葉に嬉しく感じながらも手は止めず、宿題を進めていく。

 

「…空を飛んでって言ったら飛ぶのだろうか」

 

「さすがに無理だと思いますよ?」

 

「でもあの筋肉なら何とかならないか?」

 

「ならないわよ」

 

 若葉にとって筋肉は万能な存在なのだろうか。思っていた以上に若葉は脳筋なのかもしれない。

 

「だがふれずにかべを切ったんだぞ」

 

「たしかにあれはよくわからないけど、それと空を飛ぶことは関係ないでしょう」

 

「あれなんだったんでしょうね」

 

 未だにれんちゃんが練習刀で壁を裂いたことはよくわからない。

 

「あれのおかげで少しの間、道場の風通しがよかった」

 

「そうなんですか…」

 

 ──────────

 

「今日はうちで夕食を食べていくか?」

 

「いいの?」

 

 仕事を終えて乃木家に千景を迎えに来ると、楓さんに夕食に誘われた。

 

「ああ。もうすぐ誠司と伊織さんも帰ってくるだろうから、それから皆で食べよう」

 

「了解です」

 

 居間に入るといつものように三人で遊んでいた。そのすぐ傍で、おばあちゃんが顔の皺を増やして微笑みながら見守っている。

 

「あ、れんちゃんおかえりなさい!」

 

「おかえりれんかさん」

 

「ただいま~」

 

 僕に気づいて笑顔で迎えてくれるひなたと若葉。

 

「おかえりなさい」

 

「ただいま」

 

 小さく笑ってくれる千景に笑顔で返し頭を撫でる。もう癖になってしまったように思うが、千景が嫌がっている様子もないので直そうとも思わない。

 

 

 三人で遊んでいるところをおばあちゃんと将棋をしながら見守っていると、しばらくしてから誠司さんが帰ってきた。伊織さんはまだのようだ。

 

「今日はまた多いな」

 

「晩ご飯に誘われたんだ」

 

「ああ、そうなのか」

 

「おかえり、伊織さんはまだか」

 

 楓さんが台所から戻ってきて、伊織さんだけまだ帰ってきていないことを確認する。

 

「まあそのうち帰ってくるだろう、そろそろ居間に運び始めるか」

 

「手伝うよ」

 

「ああ、頼む」

 

 おそらくもうできているのだろう料理等を運ぶ為、僕は楓さんに続いて台所へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

「皆一緒に食べることってよくあるの?」

 

「まあ時々な」

 

 夕食を食べ終え、男共三人で片付けをしていた。

 ママ友ほどよく話すわけでもなく、早々に食器洗いを済ませて居間に戻った。

 

「終わったよ」

 

「ああ蓮花、ちょっと提案なんだが」

 

 居間に戻ってすぐ、楓さんに提案を持ち掛けられた。

 

「どうしたの?」

 

「今月末の運動会だが、代わりに場所取りしてあげようかと思ってな」

 

 なんと、代わりに6時起きしてくれるというのか。それは大変ありがたい。

 

「いいの?」

 

「構わない、場所を取りに行くのは誠司だ。というか、うちの大きなブルーシートを敷いて一緒に弁当を食べるか」

 

「僕はいいけど、千景もそれでいい?」

 

 すぐ傍にいる我が家のお姫様に一応聞いてみる。振り返った千景は特に悩むこともなくすぐに微笑んで答えた。

 

「うん、それがいい」

 

「そっか。じゃあお願いします、誠司さん」

 

「ああ」

 

「お弁当はそれぞれで作っていく?」

 

「そうしよう。食べる量や好きな味付けは家族が一番知っているだろう」

 

 …それは確かにそうかもしれないが、千景は僕の料理を何でも美味しいと言ってくれるので、いまいち好き嫌いがわからない。運動会までに調べておこうと思った。



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短編 趣味と幸福

短編は本編とは違う時間軸です。


「ねぇ、蓮花さん」

 

「ん、どうした?」

 

「趣味ってありますか?」

 

 ある冬の日、部屋でのんびり過ごしていると、なぜか僕の部屋で同じようにのんびり過ごしているひなたにそんな事を聞かれた。

 

「そういえばなんで僕の部屋にいるの?」

 

「こたつがあるからです」

 

「なるほど」

 

 冬にこたつの有無は確かに重要である。特にこの寮は壁が薄い。唯一僕の部屋にはこたつがあり、今はひなたとこたつを挟んで向かい合っている。

 

「それで、趣味ってありますか?」

 

「趣味といえるほどのものは無いかな」

 

 今も特にすることが無く、こたつの上にあるみかんの皮を剥いてはひなたに餌付けしている。

 

「なんでそんな事聞いたの?」

 

「プライベートでは部屋で何して過ごしているのかと思いまして」

 

 そう答えながらひなたは窓の外を指さす。今日は雪が降っている。それも、球子や友奈が部屋に引き篭るほどの大雪である。

 

「今日はどこかにお出かけしたりもできませんし」

 

「そうだねぇ。はい、あーん」

 

「あーん」

 

 みかんをひなたの口に入れる。こののんびりと過ごす時間が幸せで好きなので、別に趣味が無くても困らない。

 

「皆は部屋で何してるんだろう」

 

「若葉ちゃんは千景さんの部屋でゲームしてるはずです」

 

「他の三人は?」

 

「杏さんは読書でしょうか。友奈さんと球子さんはわかりません。次下さい」

 

 足先で内腿を撫でてみかんを催促してくるひなた。これは甘えてくれていると考えていいのだろうか。

 

「はい、どうぞ」

 

「あむ。…このみかんとても甘いですね」

 

「球子の実家から送られてきたやつだよ」

 

「愛媛のみかんですか」

 

 球子や杏の部屋には、実家から時々大量のみかんが届く。それをいつも分けてくれている。

 

「話を戻しますが、趣味を探そうとは思ったりしないんですか?」

 

「別に思わないかな。こういう時間が好きなんだ」

 

「…私と過ごす時間が好きってことですか?」

 

「まあそうだね」

 

「…そうですか」

 

 頬を少し赤く染めるひなた。とても可愛らしいので是非とも写真に収めたい。

 

「写真撮っていい?」

 

「ダメです」

 

 即答されてしまったので止めておこう。

 

「千景さんとゲームをする若葉ちゃんは楽しそうですし、蓮花さんも一緒にどうですか?」

 

「二人でお楽しみ中なところを邪魔したら迷惑じゃない?」

 

「変な言い方しないでください!…好きな事を共有できる人が増えるのは嬉しいんじゃないでしょうか」

 

 それは確かに一理ある。僕がゲームにハマることで、千景の笑顔は増えるのだろうか。

 

「ふむ…じゃあ千景の部屋に行こうか」

 

「はい…え、私もですか?」

 

「部屋の主が出るんだから、こたつの電源は切るよ」

 

「わかりました…」

 

 手に持っていたみかんの最後の一つを口に入れて立ち上がる。

 渋々といった感じで立ち上がるひなたの手を取り、僕達は千景の部屋へ向かった。

 

「あ、みかん持って行ってあげようかな」

 

「こたつを持って行ったほうが喜ばれると思います」

 

 ──────────

 

「そんなわけで来たよ」

 

「…えっと、いらっしゃい」

 

 千景の部屋に入ると、ひなたの言った通り若葉もいた。そして友奈もいる。

 

「友奈さんもここにいたんですね」

 

「うん、三人で狩りしてるの!」

 

「モンハン?」

 

「モンハン!」

 

 モンスターハンティング、有名な狩りゲーである。僕も小さい頃にした事がある。

 

「何したい?」

 

「そうだなぁ…」

 

 千景のゲームのパッケージが並んでいる棚を見る。見た事のあるもの無いもの様々である。

 

「あ、これ懐かしいな」

 

 手に取ったのは、ぷよ的なものを繋げて消していく落ち物パズルゲーム。

 

「じゃあ、それやる?」

 

「いいの?三人で狩りしてたんでしょ?」

 

 そう言って若葉達を見ると、視線に気づいたのか若葉が顔を上げる。

 

「ああ、構わない。暫く友奈と練習しておこう」

 

「わかった」

 

 そうして千景がディスクを入れたりテレビの電源をつけたりと準備をしてくれる。

 

「そういえば、なぜひなたも蓮花さんと一緒に来たんだ?」

 

「蓮花さんの部屋のこたつに入ってたんですけど、部屋を出るからこたつの電源を切るって言われまして」

 

「なるほどな」

 

「まあ当然ね」

 

 千景が賛同しながらリモコンを渡してくれる。

 

「僕がふとんの代わりにでもなってあげようか」

 

「お願いします」

 

 千景のベッドの縁にもたれて座る僕の足の間にひなたが座る。ひなたを覆うように両手でリモコンを持つ。

 

「これいいですね、暖かいです」

 

「なら良かった」

 

 ご満悦の様子なのでこのままゲームをするとしよう。暖かい上にいい匂いもする。

 

「ゲームの邪魔にはなりませんか?」

 

「大丈夫、このままでいいよ」

 

「私、手加減はしないわよ?」

 

「大丈夫、普通にやっても多分勝てない」

 

 僕はゲームが得意というほどでもないので、千景に勝てる気はしない。楽しめたらそれでいい。

 

「負け続けて楽しい?」

 

「千景と遊ぶのが楽しい」

 

「ならいいけど」

 

 そして対戦は始まった。

 

 

 

 

 数十分後、僕は10連敗していた。

 

「いやぁ強いな、思っていた以上に勝てない」

 

「ぐんちゃん強い!」

 

「ありがとう高嶋さん」

 

「ちょっと休憩しませんか?」

 

 ひなたが部屋から持ってきたみかんの皮を剥き始める。

 

「そういや球子はどうしてるんだろう、杏の部屋にいるのかな?」

 

「多分そうだろうな」

 

 若葉もゲーム機を置いてみかんの皮を剥き始める。

 

「球子さんが一緒なら、杏さんは読書中ではないんでしょうか。はい、あーん」

 

「あーん。後で覗いてみようか」

 

 さっきとは逆にひなたに餌付けされる。今日はもうそれなりにみかんを食べているが、食べさせてくれるのを断りたくはない。

 

「最近の上里さんは人目を気にせずイチャつくようになってきたわね」

 

「千景が人の事を言えるのか?」

 

「わ、私はまだ人目がある所ではしないわよ!」

 

「そうだねぇ」

 

 甘いみかんを咀嚼しながら考える。僕らがどういう関係なのか、正直自分でもよくわからない。

 

「それで、ゲームしてみてどう?」

 

「一人でもやり込むほどになるかはわからないけど、誰かとするのは楽しいな」

 

 大切な人と、その人が好きな事をして同じ時間を共有することに幸せを感じている、ように思う。

 

「千景が時々相手してくれるなら、ちょっと頑張ってみようかな」

 

「いつでも相手してあげるわ」

 

 少し視線を下げれば、ひなたが次のみかんを差し出していた。

 

「趣味は見つかりましたか?」

 

「趣味になるように時々やろうかな」

 

 口でみかんを受け取り、ひなたの髪を撫でながら、一応目標を考える。千景と一緒に遊んで楽しむだけより、目標があったほうが成長が早いだろう。

 

「そうだな…今は1月か。じゃあ今年中に千景に勝つよ」

 

「あら、言ったわね。楽しみにしているわ」

 

 そう言ってくれる千景の微笑みに、確かな幸福を感じた。

 

 

 西暦2019年1月のとある休日。



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第12話 参観と友達

時系列的に原作の3年前から始めたわけだから、もっとテンポを上げないと終わらない気がしてきた。


「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 玄関で手を振って千景を見送る。今日は土曜日だが、千景は昼まで学校がある。

 そう、参観日である。

 

 授業参観は十時半頃。千景の学校での様子をこの目で直接見ることができる数少ない機会だ。

 それまで時間に余裕があるので、今のうちに洗濯などを済ませておこう。

 

 ──────────

 

 授業参観。今まで自分の親が来てくれたことはほとんど無い。しかし、今日はれんちゃんが見に来てくれるということで少し緊張している。

 

 クラスメイト達は皆仲良くしてくれていて、今のところ私はクラスに馴染めている、と思う。

 きっと今日クラスを見て、れんちゃんも安心してくれると思う。逆に心配をかけるようなことがあってはならない。

 

「むずかしい顔してどうしたの千景?」

 

「大丈夫、なんでもない」

 

「もしかして緊張してる?」

 

「…ちょっとだけ」

 

 クラスメイトの弥勒美琴と橋本凜に声をかけられ、緊張が顔に出ていたことに気づく。

 この二人は多分、友達と呼んでも差し支えないだろう。席が近く同じ班なので、給食を始め色々なところで一緒に行動することが多く、自然と親しくなれたと思う。

 美琴ちゃんは距離感の近い子で、名前で呼んでほしいと言われたのでそうしている。それならばと凜ちゃんも名前で呼んでいる。

 前までは、班行動は他人との関わりを強制させられる煩わしいものだったが、今は他人と仲良くなるのを助けてくれるものだ。

 

「千景ちゃんのお家の人は来るの?」

 

「うん、来てくれるって」

 

「お父さん?お母さん?」

 

「えっと…お父さん」

 

 学校ではれんちゃんのことはお父さんと言ったほうが、ややこしくならずに済む。普通の子は両親と暮らしているから。

 

「そっか、どんな人?」

 

「え?えっと…」

 

 美琴ちゃんにれんちゃんのことを聞かれ考える。私から見た特徴を淡々と言えばいいのか。

 

「料理がすごく上手で、筋肉がすごくて、すごく優しくて…かっこいい」

 

 すごくを沢山並べてしまった。語彙力の低下。

 

「筋肉がかっこいいの?それともイケメン?」

 

「両方かな」

 

 ただし筋肉は脱がないとその凄さがわかりずらい。自慢したくても友達の前で脱いでもらうわけにはいかない。

 

「ちょっと楽しみ」

 

「えぇ…」

 

 話しているうちに授業開始一分前になり、少し教室を見回してみる。

 教室後方ど真ん中、その姿はすぐに見つかった。

 れんちゃんも私を見ていたのか目が合い、小さく手を振ってきたので振り返す。

 

 そこで授業開始のチャイムが鳴った。前を向いて座り直し、背筋を伸ばして姿勢を正す。

 ちゃんと授業を受けて、いつもの私を見てもらうのだ。

 

 ──────────

 

 授業の終わりを告げるチャイムが静かな教室に鳴り響き、クラスメイト達のほとんどは立ち上がって家族のもとへ向かう。

 例に漏れず私もれんちゃんの所に歩いていく。

 

「お疲れ様。この後もまだ授業あるんだよね?」

 

「うん」

 

 頭を撫でながら労ってくれるれんちゃん。

 

「その人が千景ちゃんのお父さん?」

 

「えっと、そう」

 

 自分達の家族から離れてこちらにくる美琴ちゃんと凜ちゃん。

 

「千景の友達かな?」

 

「はい、弥勒美琴です!」

 

「は、橋本凜です」

 

「弥勒?」

 

 れんちゃんの問いに自己紹介で返す二人。

 友達であるとはっきり肯定してくれたことが、とても嬉しく思った。

 れんちゃんを見てみれば、きっと今の私よりも嬉しそうな顔をしていた。

 

「…そっか。千景をよろしくね」

 

「はい!」

 

 相変わらず元気の良い返事をする美琴ちゃんと頷く凜ちゃん。

 

「じゃあ帰って昼ご飯作って待ってる。残りの授業も頑張ってね」

 

「うん」

 

 もう一度私の頭を撫でてから教室を出ていくれんちゃんの横顔は、とても満足気に微笑んでいた。

 

 ──────────

 

 千景がどんぶりによそってくれた炊き立てのご飯の上に、とんかつとトロトロの卵をのせる。今夜はカツ丼である。

 

 二つのどんぶりをリビングのテーブルに運び、一緒に食べ始める。

 

「おいしい…」

 

「うむ」

 

 良い揚げ具合だ。卵の半熟具合もちょうどいい。サクサクのとんかつとトロトロの卵でどんどんご飯が進む。多めに米を炊いておいてよかった。

 

「月曜日は朝から若葉の家に行こう」

 

「うん」

 

 今日の授業参観の代休で千景は休みだが、僕は仕事でいない。なので乃木家で預かってもらう約束をしている。運動会の代休は上里家で預かってもらうことになるだろうか。

 

「若葉達とは何して遊ぶの?」

 

「テーブルゲームとか色々。月曜日はかくれんぼするかも」

 

「ほほう」

 

 乃木家でかくれんぼとな。あの広い敷地でかくれんぼとは、広さも隠れる所もたくさんあって絶対楽しい。

 

 

 千景と話しているとあっという間に時間が過ぎていく気がする。毎日千景と一緒にいるので、毎日があっという間だ。

 こんな幸せな日常は、もっと長く感じていたいものだ。

 

 夕食を食べ終えてテレビゲームを起動しコントローラーを握る千景の隣で、同じくコントローラーを握り腰を下ろす。

 

「そういえば」

 

「なに?」

 

 少し視線をテレビからこちらに移す千景。僕を見据える紅い瞳はかつての友を思い出させる。

 

「運動会のお弁当のおかず、何食べたい?」

 

「んー…なんでもいい」

 

「そうか」

 

 それはまた、悩む。

 

「何入れる予定?」

 

「えっとね、ウインナーと玉子焼きと、唐揚げも入れよう。あとはポテトサラダとか?」

 

 弁当のおかずの定番である。ただ、少し品数が少ない気がしないでもない。

 

「あとどうしよう」

 

「それだけあれば充分じゃない?」

 

「それは…そうだな」

 

 あまり悩まずに済んだ。今度材料を買っておこう。

 

 千景の運動会の思い出の一部分になれるよう、最高に美味しい弁当を作ろうと思った。



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第13話 運動会と夏の終わり

小学校の運動会って何したっけ…?


 朝6時。起床し、隣で眠る千景の穏やかな寝顔を見てほっこりしてから顔を洗う。

 炊飯器を確認すれば、昨日の夜に予約しておいたので既に米は炊けている。

 場所取りは誠司さんがやってくれるとの事で、その分空いた時間を弁当と朝食作りに回すことができる。

 今日は、運動会である。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい、頑張ってね!」

 

 千景を見送り、僕も家を出る準備をする。弁当は既に完成している。水筒に氷とお茶を入れながら、リビングから聞こえてくる天気予報に耳を傾ける。今日は一日中快晴のようだ。

 

 スマートフォンのSDカードと三脚も持った。これでいくらでも写真と動画を撮ることができる。せっかくだから、若葉とひなたも撮りたい。

 

 そろそろ楓さん達との集合時間になることに気づき、僕は足早に小学校へ向かった。

 

 ──────────

 

「次は2年生の50m走か」

 

「若葉ちゃんとひなたが出ますね」

 

「カメラの準備だ」

 

 誠司さんが取ってくれていた場所は、そこからでも運動場がしっかりと見えるとても良い場所だった。

 僕と誠司さんと伊織さんがそれぞれ横並びに各々の三脚を立てる。

 

 少ししてから2年生が入場し、50m走が始まった。前半は男子で後半は女子である。

 

 しばらくして、ひなたの番が来た。

 

「ひなたぁぁぁ!!」

 

「!?」

 

「頑張ってー!」

 

 伊織さんが今までで一番大きな声を出して驚いてしまつた。

 まあ、おそらく数時間後の僕もこんな感じになるのだろう。

 

 そしてピストルが鳴り、ひなたを含む5人の女の子達が走り出す。

 必死に腕を振ってはいたが、結果は4着となった。ただ、とても可愛かった。

 

 そして今度は若葉の番がやってくる。

 

「若葉ぁぁぁ!!」

 

「!?」

 

「あはは…」

 

 今度は誠司さんが叫ぶ。隣で急に叫ばれるとさすがに驚く。楓さんが少し苦笑いしていた。

 おそらく誠司さんも伊織さんも僕も、似たような親バカなのだろう。

 

 若葉達が走り出す。そしてまた僕は驚いた。

 若葉は50m走で20m近く差をつけて1着となった。圧倒的である。

 

「…えげつないな、若葉」

 

「去年もあんな感じでしたね」

 

「そうだったな」

 

 去年のことを思い出す琴音さんと楓さん。去年もあんな風に圧倒的だったのか。想像に難くない。

 

 

 

 しばらくして、今度は3年生の100m走が始まった。

 そして千景の番が来る。

 

「千景ぇぇぇ!!頑張ってぇぇ!!」

 

「「!?」」

 

「何を驚いている。さっきのお前達もこんな感じだったぞ」

 

「「え」」

 

 さすがに僕の声が大きすぎたのか、声に気づいた様子の千景が少し苦笑いしていた。

 

 そしてポニーテールにした黒い髪を靡かせて走り、結果は3着であった。

 結構インドアな子だから、上出来である。後で褒めてあげたい。

 

 ──────────

 

 午前の競技が終わり、れんちゃんが迎えに来てくれるのを待つ。私はどこにレジャーシートがあるのかわからない。

 

「千景、おまたせ」

 

 迎えに来てくれたれんちゃんについて行きレジャーシートに辿り着くと、既に若葉とひなたも集まっていた。

 

「さあ千景、弁当沢山作ったから好きなだけ食べてくれ」

 

 れんちゃんが大きな弁当箱を開けると、明らかに2人分ではないような量のおにぎりとおかずが入っていた。

 

「……さすがに多い」

 

「ちょっと作りすぎちゃった」

 

「わたしもちょっと食べていいですか?」

 

「わたしも食べたい」

 

 一緒に弁当を食べてくれるというひなたと若葉。

 

「私も食べたい!」

 

 自分で自分の弁当を作っているはずの楓さんも食いついていた。

 

 まあ残れば夜にでも食べればいいと思いつつ、弁当を食べ始める。

 

「…おいしい」

 

 感想を漏らした瞬間、れんちゃんにスマホのカメラを向けられる。

 

「なんで今?」

 

「可愛い笑顔になってたから」

 

 思っていた以上に顔に出ていたらしい。

 

「うまい!」

 

「これも美味いぞ!」

 

 れんちゃんの弁当を食べた乃木母娘が目を輝かせている。それにつられて父親達も気になっているようだ。

 

「いっぱいあるからどうぞ」

 

「頂きます」

 

 そしてれんちゃんの弁当を食べた誠司さん達も笑顔になる。

 美味しい料理は自然と人を笑顔にできるのだと、改めて実感する。

 

 そうして皆で弁当を食べた結果、沢山あったれんちゃんの弁当が残ることはなかった。

 

 

 ──────────

 

「そういえば千景、100m走の時僕の声聞こえてた?」

 

 弁当を食べ終えてのんびりしている時、ふと思ったので聞いてみた。

 

 関係ないが、なぜか若葉が僕の脚の間に座っている。

 若葉が座ってきた時、誠司さんが無言でショックを受けていた。僕はそっと目を逸らした。

 

「聞こえた。さすがにはずかしかった」

 

「それはごめんよ」

 

 少し反省するのだった。

 

「そういえば、門のところでアイスを売ってましたね」

 

「食べたいです」

 

「わたしも食べたい」

 

 琴音さんの言葉にひなたと若葉が食いつく。さっき弁当を食べたところだが、デザートは別腹らしい。

 

「千景も食べる?」

 

「食べる」

 

「じゃあ皆で買いに行こうか」

 

 子供達を連れて立ち上がる。

 

「お金は後で渡しますね」

 

「うん」

 

 同じようにアイスを買う親子は多く、門の回りにはそれなりに人が集まっていた。

 

 少し列に並んでアイスを買う。

 夏の終わりのよく晴れた日に、冷たいアイスは身体によく染み渡るのだった。



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第14話 家族の形

Twitterでも投稿したってツイートしたほうがいいのかな?


「二人は冬休みは何か予定あるの?」

 

 12月、冬の寒さに冷える教室で、ふとそんな事を凜ちゃんに聞かれた。

 

 秋?そんなものはあっという間に過ぎ去った。1年を四季で分けると、一つの季節がだいたい3ヶ月くらいあるはずだが、実際は9月末くらいまではまだ暑く、11月半ばくらいからはもう冬の寒さがやってくる。なので秋は1ヶ月ちょっとくらいしかない、ように感じる。

 

「わたしは今のところないかな」

 

「うちは家族で旅行に行くの」

 

「どこに行くの?」

 

「……忘れたわ」

 

 美琴ちゃんは旅行に行くらしい。私は家族で旅行をしたことは無いが、きっと楽しいのだろう。

 

「楽しんできてね、美琴ちゃん」

 

「もちろん」

 

 笑顔でサムズアップする美琴ちゃん。その笑顔はいつも自信に満ちており、周りに安心感を与えてくれる。

 

「それと千景」

 

「何?」

 

「いい加減ちゃん付けはやめて。呼び捨てでいいって最初に言ってからもう3ヶ月よ」

 

 そういえばそうだった。いきなり呼び捨てにするのも気が引けてちゃん付けから始めたが、それに慣れて忘れていた。

 

「わたしの事もね」

 

「そうね、じゃあ…美琴と凜」

 

「うむ、くるしゅうない」

 

「…フフッ」

 

 急におかしくなる美琴の口調に、私と凜が思わず笑い出す。そんな平和な学校生活を過ごしている。

 

 ──────────

 

「…なんて話をしたの」

 

「へぇー、美琴ちゃんは家族で旅行か」

 

 夕食を食べ終え、れんちゃんと一緒にゲームをしている時に、今日あった事を話す。

 

「そういえばれんちゃん」

 

「何?」

 

「初めて美琴に会った時、弥勒って苗字に反応してなかった?」

 

 参観日で初めて会って名前を聞いた時、ぼそっと呟いていたような気がする。

 

「ああ、それか。昔の知り合いに同じ苗字の人がいたんだ」

 

「でも弥勒って苗字は多くないと思うけど」

 

「だからちょっと気になったんだ」

 

 そうだったのか。確かに、珍しい苗字で知り合いがいれば、関係を疑ったりもするだろう。

 

「美琴の親とかがれんちゃんの知り合いだったり?」

 

「いや、それはないと思う。歳が合わない」

 

「ふーん」

 

 話しがらも私達のゲームを操作する手は違わない。話すくらいで気が散ってミスをするような熟練度ではない。

 

「ああ、そういえば千景」

 

「何?」

 

「冬休みに北海道に旅行しようと思うんだけど」

 

「…え?あ」

 

 唐突にそんな事を言われて驚き、操作する手がブレる。

 

「あ、ゲームオーバー」

 

 画面に表示されるGAME OVERの文字。ではなく。

 

「…北海道?」

 

「北海道」

 

 聞き間違いかと思い復唱したが、間違いではなかった。

 

「どう?」

 

「…行ってみたいとは思うけど、なんで冬に?すごく寒いのに」

 

「北海道の雪ってサラサラしてるっていうか、他の場所とは質感が違うんだ。だから雪山で遊ぼうかと思って」

 

 そういえばパウダースノーというのを聞いたことがある。

 

「行ってみない?」

 

「…行く」

 

「よし」

 

 こうして、我が家も旅行に行くことが決定したのだった。

 

 ──────────

 

「北海道!いいですね!」

 

 数日後の昼、乃木家で冬休みの話をしていた。昼に乃木家にいることについては、学期末で給食が無く、午前で授業が終わるからである。

 

「いつ行くんだ?」

 

「年末。お正月は家でゆっくりしたいし」

 

 冬休みの話となると、やはり私は旅行の話が出てくる。初めての家族旅行である。

 

「北海道と言えば、白い恋人とか白いブラックサンダーとか美味しいわね〜」

 

「そうだな。札幌ラーメンとかも良い」

 

 琴音さんと楓さんは北海道に行ったことがあるのか、思い出に耽るように話す。

 

「白い、ブラックサンダー?」

 

「ブラックサンダーのホワイトチョコ版が売ってるんだ」

 

「なるほど」

 

 名前をホワイトサンダーではなく白いブラックサンダーで売り出した辺りにセンスを感じる。

 

「おもしろいですね」

 

「見つけたら買ってくるね」

 

 旅行の楽しみがまた1つ増えた。

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 夕方になり、れんちゃんが迎えに来てくれた。その体は外気の寒さで冷えている。

 

「おかえりなさい」

 

「温かいお茶とコーヒーどっちがいい?」

 

「じゃあコーヒーで」

 

「わかった」

 

 そう言って楓さんが台所へ消えてゆく。

 

「北海道に旅行するんですね」

 

「ああ。お土産買ってくるね」

 

 れんちゃんに寄っていくひなた、その頭を撫でるれんちゃん。れんちゃんは髪を撫でるのが上手いのか、優しく撫でて髪型を崩さない。

 

「ほら、コーヒーだ」

 

「ありがとう…」

 

 湯気が立つマグカップを持った楓が戻ってきて、れんちゃんに手渡す。

 

「そうだ、ちーちゃん、れんちゃん」

 

「「何?」」

 

「一緒にクリスマスパーティーしませんか?」

 

 そう提案するひなた。クリスマスパーティー、存在は知っているが、具体的に何をするのかはわからない。

 

「ああ、いいね。やろうか」

 

「うん」

 

 まあ楽しそうなので賛成しておこう。

 

「具体的には何するの?」

 

 今私が知りたいことをれんちゃんが聞いてくれる。れんちゃんもわからないのだろうか。

 

「ごちそうを食べて、遊んで、プレゼント交換とかも考えてます」

 

「なるほど。料理は僕も手伝うよ」

 

「ああ、頼む」

 

 特に難しいことはなく、ただ集まって騒ぐ、といった感じだろうか。

 

「では、クリスマスイブにうちに来てくれ」

 

「わかった」

 

 こうして、冬休みの楽しみがさらに1つ増えたのだった。

 

 ──────────

 

「プレゼント交換って何を用意すればいいのかな」

 

「若葉かひなたか、どっちに渡っても喜んでもらえそうな物がいいと思うよ」

 

 その日の夜、風呂でクリスマスパーティーについて話していた。

 風呂は良い。冬でも、ここでなら寒さを気にしなくて済む。

 

「あ、そうだ千景」

 

「何?」

 

 れんちゃんがふと思いついたように話し出す。

 

「クリスマスプレゼントでサンタさんにお願いしたい物はある?」

 

 私がクリスマスプレゼントに欲しい物を知りたいらしい。しかし…。

 

「わたし、サンタがいないの知ってるよ」

 

「え?あ、そうなんだ」

 

 前の家にそんなものはなかった。

 しかし、今年からはれんちゃんがプレゼントをくれるらしい。私が今一番欲しい物は…。

 

「…れんちゃんのエプロンがほしい」

 

「え?僕のエプロン?」

 

 れんちゃんがキッチンで料理をする時、いつも着けている黒いエプロン。

 

「新しいの買おうか?」

 

「ううん、れんちゃんが使ってるのがいいの」

 

 私が料理を教えてもらい始めた時、れんちゃんは私にエプロンを買ってくれた。それは勿論大事な物である。

しかし私は、いつかれんちゃんのエプロンを着けて料理をしたいと思っていた。

 

「…そうか、まああれでいいならプレゼントするよ」

 

「…ありがとう」

 

「となると、僕のエプロンを買いにいかないと」

 

「それは、わたしがプレゼントするから」

 

「え?」

 

 私がれんちゃんのエプロンを貰ってしまうと、当然れんちゃんが使うエプロンが無くなってしまう。

 だから私がれんちゃんに、クリスマスプレゼントとしてエプロンを贈りたい。

 

「じゃあ、今度選んでもらおうかな」

 

「うん!」

 

 私の考えを笑って受け入れてくれるれんちゃん。

 クリスマスにプレゼントを贈り合う親子はあまりいないと思うけれど、これも私達の関係性、家族の形だと思うのだ。




 目指す家族の形は、一方的に支えられ養われる関係ではなく、互いに支え合える対等な関係。


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第15話 クリスマスプレゼント

 冬休みに入り、クリスマスイブ当日。僕達は昼前に乃木家へやって来た。

 インターホンを鳴らすと、ドタドタと廊下を走る足音が聞こえてくる。

 

「「メリークリスマス!」」

 

 玄関を開けて出迎えてくれたのは、赤い三角帽子を被った若葉とひなた。なんて可愛いのだろうか、もうクリスマスプレゼントを貰った気分である。

 

 

 居間に入ると、テーブルの上には既に様々な菓子が広げられていた。

 

「好きなだけ食べてくれ」

 

「いいの?」

 

「ああ」

 

 若葉が千景を菓子へ促す。おそらくこれらを買ったのは楓さん達なのだろう。少しそちらへ視線をやると、楓さん達は微笑んで返してくれた。

 

「誠司さん達は今日も仕事?」

 

「はい」

 

「ご馳走が食べられなくて可哀想だな。代わりに私がしっかり食べておこう」

 

 一体何が代わりなのだろう。

 

「パーティーゲーム、色々持ってきたよ」

 

 千景が持ってきたカバンからテーブルゲームを色々取り出す。一瞬クトゥルフ神話TRPGのルールブックが見えた気がしたが、さすがにそれを出すことはなかった。

 

 

 

 子供達がゲームをして遊んでいる中、僕達保護者組は台所に立っていた。

 

「さて、やるか」

 

「頑張りましょう」

 

「2人とも、いいお母さんだね」

 

 一体何品作るつもりなのか。台所に広がる沢山の食材を見て、子供の為にこれだけ頑張れる親は世の中にどれくらいいるのだろうと思った。

 

 

 

 沢山の料理を居間に運び昼食を食べ始める。それぞれの量は程々だが、品数が多い。

 

「おいしいです!」

 

「こっちもうまいぞ」

 

 声と表情から喜んでいるのがよく伝わってくるひなたと若葉。千景はにこにこしながら無言で食べ進めていた。

 

「はぁぁ……可愛い…」

 

 笑顔で並ぶ3人を、そっと写真を撮るのだった。とても良いものを得た。

 

「頑張った甲斐があったな」

 

「そうですね」

 

 子供の笑顔は何よりも尊い、そう思う瞬間だった。

 

 

 

「そろそろプレゼント交換しましょうか」

 

「そうだな」

 

 そう言ってプレゼントを持ち寄るひなたと若葉。千景もカバンからプレゼントを取り出す。

 

「どうやって交換するの?」

 

「番号を付けてくじ引きで決めますか?」

 

 準備をする子供達を見守る中、僕はある事に気づいた。

 

「3分の1の確率で自分のプレゼントが帰ってくる?」

 

「あ」

 

「ならよくある、曲を流している間に隣に回すやつでやるか」

 

 楓さんがスマホで動画アプリを起動する。そして流れる…国歌。

 

「楓さん…まじか」

 

「え?」

 

「もう楓ちゃんたら、私が流します」

 

 そして琴音さんのスマホから流れ出すジングルベル。曲に合わせて3人もプレゼントを回し始める。

 

 そして曲が止まり、千景の所にはひなた、ひなたには若葉、若葉には千景のプレゼントが渡った。

 

「今開けていいの?」

 

「どうぞ!」

 

 千景がひなたのプレゼントを開けると、入っていたのは赤いリボンだった。

 

「わかばちゃんでもちーちゃんでも、リボン付けたらぜったい似合うと思うんです!」

 

「千景、付けてあげようか」

 

「うん」

 

 さらさらの髪に触れ、ひなたと同じように千景にリボンを付ける。

 

「おお、似合う」

 

「いいですね!お母さん、カメラかして下さい!」

 

「はいはい」

 

 赤いリボンを付けた千景は、それはもう可愛かった。思わず無言でスマホのカメラを向けて連写してしまった。

 

「…………はぁぁぁぁ…可愛い……」

 

「満足そうだな」

 

「それはもう」

 

 今日は素晴らしい日だと思った。

 

「わたしも開けますね」

 

「ああ」

 

 次はひなたが若葉のプレゼントを開ける。

 

「これは、シュシュですね」

 

「ひなたもちかげも、ポニーテールとかにしているのを見たことがないから、似合うと思ったんだ」

 

「わかる」

 

 若葉がシュシュを選んだ理由に大いに共感する。千景もひなたも、後ろ髪は基本的にストレートで纏めていない。時々はポニーテールも見てみたいものである。

 

「じゃあ、ポニーテールにしておきますね」

 

 シュシュで髪を纏めるひなた。普段の落ち着いた雰囲気から、少し元気っ子のような印象へと変わる。

 なんて可愛らしいのだろう。

 

「凄く…良いね…」

 

「ありがとうございますっ」

 

 

 そして最後は、若葉が千景のプレゼントを袋から取り出す。

 

「ジグソーパズルか」

 

「うん。1人でも皆でも楽しめるかと思って」

 

 少し前に2人でイネスに行って選んだジグソーパズル。ボードゲームにすることも考えたが、完成した後は飾っておくこともできる。

 

「なるほど、なら今からみんなで完成させよう」

 

「え、今から?」

 

「ああ、後でわたしの部屋にかざろう」

 

 そしてパズルをテーブルに広げ、3人で囲む。

 若葉・ひなたと一緒に遊んでいる時、千景はいつも笑っている。こんな光景がずっと続いてほしいと思いながら、その姿を写真に残した。

 

 ──────────

 

 翌日。目を覚ますと、布団の傍にラッピングされた袋が置かれていた。誰がどう見てもクリスマスプレゼントである。

 袋から出して確認すると、お願いしていたれんちゃんのエプロンだった。

 

 立ち上がりリビングへ向かうと、キッチンに立つれんちゃんの姿が見えた。

 

「おはよう、もうすぐ朝ごはんできるからね」

 

「うん、おはよう」

 

 洗面所に行き、顔を洗いながら考える。

 クリスマスプレゼント、中身がわかっているのに何故わざわざラッピングしてあったのか。

 

 わかっている。私の生まれて初めてのクリスマスプレゼントが良い思い出になるように、しっかりラッピングしてくれたのだろう。

 もう5ヶ月も一緒に暮らしているのだ、れんちゃんがそういう人だということはわかっている。

 

 リビングに戻ると、れんちゃんはテーブルの上に朝食を運んでいた。

 

 

「…ありがとう」

 

 プレゼントの内容も、それに込められた愛情も嬉しい。それらを纏めて、素晴らしいプレゼントを貰ったことに対して感謝を伝える。

 

「…メリークリスマス、千景」

 

 急に言われた感謝の言葉に少し驚いた後、れんちゃんはいつものように、優しい笑顔を私に見せてくれた。




その笑顔も含めて、私のクリスマスプレゼントだ。


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第16話 初家族旅行

 12月末、私達は空港にいた。正確には、飛び立つ直前の飛行機の中。今から北海道に向かうのである。

 

「飛行機に乗るのは初めて?」

 

「うん、初めて」

 

 というか旅行が初めてである。

 私はイヤホンをつけ、離陸の時を待つのだった。

 

 ──────────

 

「…耳が変」

 

「僕も」

 

 飛行機に乗ると耳が痛くなると聞いたことがあるが、本当になった。少し音が遠く聞こえる。

 

「初めての飛行機はどうだった?」

 

「空が綺麗だった」

 

 今日の天気は曇りだったが、雲の上に出た瞬間、窓の外は真っ青の晴天だった。思わずイヤホンを外して写真を撮ったほどに綺麗だった。

 

 

 空港を出ると、辺りは当然のように雪が積もっていた。

 

「雪すごい」

 

「これが北海道か」

 

 街が白い。香川ではほとんど見ることの無い光景である。

 

「とりあえず、旅館に向かいながら途中で散策しようか」

 

「うん」

 

 れんちゃんに手を引かれ、期待に胸を膨らませながら、私は北海道の大地に足を踏み出した。

 

 

 

 

 

「ラーメン美味かった」

 

「うん、おいしかった」

 

 私達は今、様々な店が立ち並ぶ商店街のような場所にいた。観光地が近いため、辺りを見回せば観光客らしき人がたくさん歩いている。

 

 昼食を食べ終え近くのお土産屋さんに入ると、すぐに目につく場所に白い恋人と白いブラックサンダーが置かれていた。

 

「これが白いブラックサンダー…!」

 

 私の知っているブラックサンダーとは違い、本当に白かった。

 

「知ってるの?」

 

「楓さんと琴音さんがおいしいって言ってた」

 

「じゃあお土産に買って帰ろう」

 

 白い恋人と白いブラックサンダーをカゴに入れるれんちゃん。しかし明らかに量が多い。

 

「そんなに買うの?」

 

「家でも食べるでしょ?今日旅館で食べてもいいし」

 

 なるほど。夜のおやつも含めた量ということらしい。

 

 レジを済ませて店を出て、また別の店に入るのを繰り返す。

 どの店に入っても大抵人は多く、冬休みの観光地の賑わいを知る。

 

 店を見て回っている途中、ふとれんちゃんが立ち止まる。

 

「すぐそこにトイレあるから、ちょっと行ってくるね」

 

「わかった、ここにいる」

 

 トイレに行くれんちゃんを見送り、その場にあったベンチに腰掛ける。

 

 何の気なしに正面を見れば、服屋のショーウィンドウ。そこに張り付く眼鏡を掛けた女の子。

 そこに飾られている服は明らかに大人用で、それを欲しがっているわけでもないだろう。服のデザインが好きなのだろうか?

 

 そんな事を考えていると、ふと振り返った女の子と目が合う。

 すぐに目を逸らしたが時既に遅く、なぜか女の子がこちらへ歩み寄ってきた。

 

「…すごくかわいい」

 

「…え、わたし?」

 

 なぜか唐突に褒められる。その女の子は私を見て妖しい笑みを浮かべている。

 

「えっと…何か用?」

 

 いつまでもこちらを見ている女の子に、問いを投げ掛ける。

 

「試着室でファッションショーしてください!」

 

「は?」

 

 少し着せ替え人形になってほしいということだろうか。

 そんなやり取りをしていると、れんちゃんがトイレから戻ってきた。

 そして私と眼鏡の女の子を見て、驚いたような表情を見せた。まるで若葉、ひなたと出会った時のような。

 

「…どういう状況?」

 

「この子が、試着室でファッションショーをしてほしいって言ってきて」

 

「そうです!」

 

 話を聞きながら、落ち着いた表情に戻るれんちゃん。

 

「君、名前は?」

 

「秋原雪花です」

 

「…そうか」

 

 今度は懐かしむような表情で雪花と名乗る女の子の頭を撫でるれんちゃん。

 そしてこちらへ向き直り、口を開く。

 

「いいんじゃない?」

 

「え、なんで?」

 

「可愛い千景が見られそうだから」

 

「えぇ…」

 

 そういうわけで、私達3人は服屋に入るのだった。

 

 ──────────

 

「じゃあこれ着てみて」

 

 試着室前で待つ千景に、雪花が一組の服を渡す。受け取った千景は試着室へと入り、そっとカーテンを閉めた。

 

「楽しみだ」

 

「うん!」

 

 雪花と共に試着室前で千景の着替えを待つ。数分も経たないうちに、カーテンが開かれた。

 

「着たけど」

 

「いいね、似合ってる!」

 

「ああ…可愛い……」

 

 下はプリーツミニスカートとニーハイソックス、上は長袖Tシャツの上にジップパーカーを着ている。

 僕はスマホのカメラをそっと連写した。

 

「じゃあ次はこれおねがい」

 

 いつの間に用意したのか、雪花が次の服を千景に渡す。

 

「今着てるこれはどうしたらいい?」

 

「買おう」

 

「え、買うの?」

 

「時々着てほしいな」

 

「…まぁ、いいけど」

 

 そしてまたカーテンを閉める千景。視線を下げると、雪花がこちらを見上げていた。

 

「気に入りました?」

 

「そりゃあもう」

 

 千景が着替えている間に、ふと思ったことを雪花に尋ねる。

 

「なんで1人でこんなところにいるの?家族は?」

 

 小学2年生の女の子が1人でぶらついているのはどうなのか。

 

「わたしの家がこの近くで、この辺はよく1人で来るんです」

 

 うちの近所の商店街に若葉達だけで行くようなものだろうか。

 周りの店の店員さん達が顔見知りであれば、多少は安心できる。

 

 そんなことを話しているうちに千景の着替えが終わり、カーテンが開く。

 今度は黒いワンピースで、腰の辺りをベルトで締めている。少し大人びた雰囲気の服装だが、普段落ち着いた性格の千景の魅力を引き出しているように感じる。

 

「…素晴らしいな」

 

「でしょ?かわいいから色んな服が似合うし、えらぶのも楽しい」

 

 またそっとカメラを連写する。夜に旅館で写真を整理しよう。

 

「…これも買うの?」

 

「買ったら着てくれる?」

 

「それはまあ、着ないともったいないし」

 

「じゃあ買おう」

 

 

 

 その後も何度か着替えを繰り返し、その全てを購入することとなった。選んだ雪花も大変満足気である。

 

 

「それじゃあ僕らはそろそろ行くけど、1人で帰れる?家まで送ろうか?」

 

「大丈夫だよ。あ、そうだ」

 

 何か忘れていたことを思い出したように、雪花が言葉を続ける。

 

「ちかげさんは聞いたけど、お兄さんの名前はまだ聞いてなかったね」

 

「あ、言ってなかったか。郡蓮花だよ」

 

「じゃあちかげさんはこおりちかげ?」

 

「うん」

 

 僕が千景と呼んでいたから、そこだけ知っていたのか。

 

「よし、おぼえた!また北海道に遊びに来てね!」

 

「ああ、元気でな」

 

「またね」

 

 手を振りながら去って行く雪花を見送り、僕達も旅館への道を歩き出した。

 

 ──────────

 

「あ"あ"〜いい湯だ…」

 

「おじいちゃんみたい」

 

「せめてオッサンと言ってくれ」

 

 夜、旅館にて。僕達は部屋に個別である温泉に浸かっていた。多少値は張ったが、千景を1人で大浴場に行かせるのも少し不安な為、部屋に温泉がついている旅館を選んだ。

 

「上がったら買ってきたお菓子食べようか」

 

「うん、じゃあ上がる」

 

 行動が早い千景。まあ既にそれなりの時間浸かっているので、別に構わない。

 

 

 

「今日は面白い子に会ったね」

 

 白い恋人を食べながら今日を振り返る。

 

「わたしはつかれたけど」

 

「お疲れ様、可愛かったよ」

 

 千景の服を大量に買った。しばらく冬服には困らないだろう。何枚か半袖の服もあったから夏も困らないかもしれない。

 

「また会えるといいね」

 

「…そうね」

 

 同じ時間を楽しんだ仲だが、友達と呼ぶには一緒に過ごした時間が短いだろうか。

 

 まあ焦る必要はない。きっとまた会えるだろう。

 

 おやつタイムを終え、千景が布団に入っていく。

 

「電気消すね」

 

「うん」

 

 消灯し、僕も布団に入る。たくさん歩いた疲れからか、急に眠気が強くなる。

 

「明日は雪山で遊ぼうか」

 

「うん。わたし、スキーとかした事ないけど」

 

「一緒にソリで滑ろう、スキーと違って座ってるだけだから、難しくないよ」

 

「うん」

 

 隣に並んだ布団から、千景の手がこちらに伸びてくる。僕も布団から手を出し、千景の手を握る。

 最近は、こうして手を繋いで眠ることが多くなった。

 手から伝わる温度に安心感を覚え、眠りにつきやすいように思う。ただ相手の体温を感じていたいという思いもあるが。

 

「おやすみ、千景」

 

「おやすみなさい」

 

 明日を楽しみに思いながら、僕達は睡魔に身を任せた。




秋原雪花
 北海道で暮らす小学2年生の女の子。眼鏡をかけており、モフりがいがありそうなフワッとした髪をしている。オシャレが好きでファッションに興味がある。


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第17話 たくさんの初めて

 片手にソリを持ち、もう片手に千景の手を繋ぎ、雪を歩き踏みしめる。僕達はゲレンデに来ていた。

 

「さすがに人が多いな」

 

 冬休みの北海道のゲレンデは、たくさんの旅行客で賑わっている。

 雪で遊ぶということもあり、今日の千景は厚着をしている。もこもこしていてとても愛らしい。

 

「じゃあ早速、ちょっと登って滑ろうか」

 

「うん」

 

 千景の手を引いてリフトへ向かう。列ができているので最後尾に並ぶ。

 

「ベンチが回ってる…!」

 

「リフトって言うんだよ。これに乗ったら上まで運んでくれるんだ」

 

 少しして順番が来たら、回ってきたリフトに腰掛ける。千景は上手く座れるか不安がったので、僕が抱きかかえて乗ってから隣に座った。

 

「すごい、高い」

 

 しばらく乗っていれば、全く足が届かないような高さに上がっていく。

 

「落ちたらどうなるのかな…」

 

「雪に落ちても柔らかいから多分大丈夫だよ」

 

 少しすれば降り口が見え、リフトから立ち上がり降りる。それなりの高さではあるが、一番下まではいくつか段階がある。

 

「この辺からちょっとずつ滑っていこう」

 

「うん」

 

 ソリを置いて僕が座り、脚の間に千景が座る。腕で千景を覆うため、千景が落ちることはない。

 

「よし、じゃあ行くよ?」

 

「いいよ」

 

 体重移動でソリを少し前へ動かし、坂を下り始める。千景にとっては幸か不幸か、その坂は少しだけ急な傾斜であり、それなりにスピードが出てしまった。

 

 

「きゃあああー!!」

 

 

 

 

 一旦平らな所まで滑り降り、自然とソリが止まった。

 

「えっと、大丈夫?」

 

「大丈夫、これ楽しい」

 

 千景はジェットコースターとかが好きなタイプだろうか。先程の悲鳴は怖くて叫んでいたわけではなく、はしゃいでいただけのようだ。

 千景が大きな声を出してはしゃぐ姿はとても珍しく、ここに来て良かったと心から思った。できることならはしゃぐ様子を動画で撮りたいが、スマホを持って滑るのは危ないのでやめておこう。

 

「じゃあ、ここから一気に途中で止まらずに滑ってみる?」

 

「うんっ」

 

「よし、行くぞ!」

 

 勢いを乗せて坂に入り、どんどんソリは加速していく。

 

「きゃああああぁーーー!!」

 

 千景の楽しげな声は僕の胸に響く。とても楽しんでくれていることに嬉しくなる。

 

 勢いを乗せたソリは坂と平場で加速と減速を繰り返しながらも、止まることなく一番下まで滑り降りた。

 

 

 

 何度かリフトで登って滑ってを繰り返し、お昼時になってきた頃。僕達はさっきまでとは別のリフトに乗っていた。

 

「なんでさっきのリフトじゃないの?」

 

「このリフトは頂上まで登るんだ。で、頂上にはレストランがあるから、そこで昼ごはんを食べよう」

 

「なるほど」

 

「その後、頂上から滑って降りようか」

 

「うん!」

 

 すっかりソリにハマったようである。もう少し大きくなったら、スキーを教えてみようか。

 

 ──────────

 

「カツカレーおいしかった」

 

「暖まったね」

 

 レストランでカツカレーを食べ終え外に出る。今も続々と、昼食を食べるためにリフトで人が登ってくる。

 

「だいぶ混んできたな。ちょっと早めに来てよかった」

 

 レストランの回りに大量のスキー板が雪に刺さっている中、れんちゃんがソリを見つけ歩き出す。

 

「じゃあ、下まで滑ろうか。さすがに高いから、一気に滑らずに途中で止まるね」

 

「うん」

 

 坂の近くにソリを設置して乗り込むれんちゃん。続いて私も乗り込み、スタートを待つ。

 

「…ん?」

 

 しかし待ってもソリは動かず。どうかしたのかと、振り返りれんちゃんを見る。

 すると、れんちゃんは正面の空を見ていた。

 

「どうしたの?」

 

「見てごらん、千景」

 

 れんちゃんが指さしたほうを見れば、空が輝いていた。

 

「きれい……これ何?」

 

「ダイヤモンドダストなのかな?僕も見た事無いからわからないけど、空気中の氷の結晶に日光が反射して輝くんだって」

 

 これがダイヤモンドダストなのだろうか。そうであってもなくても、とても貴重な光景を見ることができた。

 

「写真撮っておこう。千景も入って」

 

「うん」

 

 ソリから立ち上がり、れんちゃんがダイヤモンドダストを背景にして、私にスマホのカメラを向ける。

 

「撮るよ?はい、チーズ」

 

 撮れた写真を2人で見る。

 

「綺麗だね…」

 

「うん」

 

 写真の中の私は笑っている。そして今の私も笑っているだろう。

 れんちゃんは私に、たくさんの初めてを経験させてくれる。今回の旅行も、初めて雪山で遊んだし、凄く綺麗な光景も見られた。旅行自体も初めてである。

 

 帰りの飛行機の中、これから先はどんな初めてを経験させてくれるのだろう、なんてことを考えながら、疲れから来る眠気に身を任せた。

 

 ──────────

 

「なんてことがあったの」

 

「すごいですね、この写真!」

 

 旅行から帰った翌日、お土産を渡す為に乃木家に集まり、旅行中に撮った写真を見せていた。

 

「これが白いブラックサンダーか。たしかに白いな」

 

「美味しいよ」

 

 乃木家にあげた白いブラックサンダーは、若葉の手によって即開封される。

 

「街中で急に試着をお願いしてくる女の子…、子供じゃなかったらただの不審者だな」

 

「…確かに。でもまあいい子だったよ」

 

「うん」

 

 確かに、知らない人に声をかけて着替えさせるなんて、雪花はちょっと変な子ではある。

 

「次は夏休みに沖縄でも行こうかな」

 

「本当に!?」

 

「うん、千景が行きたいなら行こう」

 

 夏休みの絵日記に書くことが決まった。

 

「いいなぁ沖縄」

 

「またお土産買ってくるね」

 

「ありがとうれんかさん!」

 

 笑顔になる若葉の髪を撫でるれんちゃん。

 

「気にしなくていいんだぞ?」

 

「構わないよ、この子達がそれで喜んでくれるなら」

 

 れんちゃんは私達が喜ぶことなら、何でもしてくれて喜ばせてくれる。

 だから私は、れんちゃんが喜ぶことをしてあげたい。

 私はまだ子供だから、たくさんお金が使えるわけでも、できることが多いわけでもない。

 

「…ん?千景、どうかした?」

 

「ん〜ん、何でもない」

 

 それでも、私のできることで頑張ろう。私を見て微笑んでくれるれんちゃんを見て、そう思った。

 

 最近はれんちゃんに料理を教えてもらっているし、1人で何か作ってみようか。




千景
 蓮花がたくさんのものをくれるから、出来る限りお返しがしたいめっちゃ良い子。高い物を買ってプレゼントしたりはできないけれど、想いを込めて料理を作ることはできそう。味は別として。

蓮花
 千景達が笑顔でいてくれれば十分嬉しい人。

乃木家の白いブラックサンダー
 若葉と楓に完食され、誠司の口には入らなかった。


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第18話 寒空の下の温かさ

今回はちょっと短めです。


 12月31日。今日は大晦日である。

 そんな日に、私はれんちゃんから貰ったエプロンを着けて1人キッチンに立ち、クッキーの生地を形作っていた。

 

「むむ…」

 

 できるだけ綺麗な円形を目指す。

 初めて1人で料理をするということで、簡単なクッキーを作り、れんちゃんに食べてもらおうと思ったのだ。

 食べてもらうのだから、見た目も綺麗なほうがいい。

 

 クッキーを作るのは大して難しいことはなく、バターや卵、砂糖、薄力粉などを混ぜた後、形を作って焼くだけである。

 

 一通り形ができたら、オーブンの鉄板にオーブンシートを敷き、生地を並べていく。そして15分ほど焼く。

 

「できた?」

 

「うん、多分大丈夫」

 

 後は焼きあがるのを待つだけである。

 

 

 

 

 焼きあがったクッキーを皿に乗せ、リビングのテーブルに運ぶ。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 れんちゃんがクッキーに手を伸ばし、口に入れて咀嚼する。

 

「……どう?」

 

 緊張しながら、クッキーを飲み込んだれんちゃんの言葉を待つ。

 

「…うん、美味しい!」

 

「本当に?」

 

「本当だよ」

 

「よかった…」

 

 私の作ったクッキーを食べたれんちゃんの笑顔に安堵する。

 

「一緒に食べよう」

 

「うん」

 

 れんちゃんの隣に座り、私もクッキーを口に入れる。その味はちゃんと美味しくできていた。

 

 今後も時々何か作ろう。少しずつ難しい料理に挑戦して、いつかれんちゃんの夕食を作ってあげよう。

 仕事で疲れて帰ってくるれんちゃんの代わりに、私が2人の夕食を作れるようになりたい。それを今後の目標とするのだった。

 

 ──────────

 

 翌日、元旦。

 

「あけましておめでとう、千景」

 

「あ、あけましておめでとう」

 

 新年の挨拶をしてから顔を洗いに洗面所へ向かう千景。その間に僕は朝食を運ぶ。

 

 そして朝食を終え、僕はポチ袋を用意する。

 

「はい、お年玉」

 

「…ありがとう、れんちゃん。初めてお年玉もらった」

 

 お年玉を受け取って笑顔になる千景。毎日あげたいくらいである。

 

「それじゃあ今から初詣に行こうか」

 

「うん。前に買った着物を着るの?」

 

「ああ、着付け手伝ってあげる」

 

 事前に用意しておいた晴れ着を出し、千景が着替え始める。

 着替え終えた千景を見て、僕は無言で悶絶しながらカメラを連写するのだった。

 

 

 

「やっぱり正月の神社は人が多いな」

 

 神社に着くと、道に沿うように並ぶ屋台と大勢の参拝客でとても賑わっていた。

 一度はぐれると見つけるのが大変そうである。しかし僕達は家からずっと手を繋いでいるので、はぐれる心配は無い。

 

「後で屋台回ろうか。何食べたい?」

 

「ベビーカステラとかクレープとか」

 

「よし、全部食べよう」

 

 参拝の列は長蛇だが、2人で話していればあっという間に順番は来る。

 

 賽銭を入れて鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼をする。

 

「れんちゃんは何をおねがいしたの?」

 

「千景の健康と幸せだよ。千景は何をお願いしたの?」

 

「……ないしょ」

 

「内緒かぁ」

 

 気にはなるが、言いたくないなら無理には聞かないでおこう。

 屋台を回り、千景の食べたがったものを片っ端から買っていく。

 

「おいひい」

 

 ハムスターのようにほっぺを膨らませてクレープを頬張る千景は、この世のものとは思えない可愛さをしていた。当然写真は撮った。帰ったら現像して額に入れてリビングに飾ろう。

 

「あ!ちーちゃんとれんちゃん!」

 

「ん?」

 

 声のした方へ振り返ると、晴れ着を着た若葉とひなたが駆け寄ってきていた。

 

「草履で走ると危ないよっと」

 

「わっ、ありがとうございます」

 

 話している間に転びかけたひなたを受け止める。

 

「「あけましておめでとうございます!」」

 

「今年も千景共々よろしくね」

 

「はい!」

 

「こちらこそ」

 

 2人の後ろから歩いてくる乃木家と上里家の皆。珍しくおばあちゃんも一緒である。

 

 それにしても、やはり2人とも着物がとても似合う。

 

「千景、2人と並んで。写真撮ろう」

 

「うん」

 

 3人並んだところを写真に収める。これも帰ったら現像しよう。

 

「もう参拝は済んだのか?」

 

「ああ、したよ。それから千景と屋台を回ってる」

 

 楓さんに手に提げた袋を見せる。中には屋台で買った色々な食べ物が入っている。千景と食べ歩いているので、少しずつ減っていっているが。

 

「わたしもクレープ食べたいです!」

 

「先にお参りしてからな」

 

 伊織さんがひなたの頭を撫で、手を引いて参拝の列に並びに行く。

 

「じゃあ私達も参拝してきますね」

 

「行ってらっしゃい」

 

 琴音さんと乃木家の皆も参拝の列に並びに行くのを見送り、千景に向き直る。

 

「皆のお参りが終わるまで待つ?」

 

「うん」

 

 そして待っている間、また屋台を回るのだった。

 寒空の下、握る千景の手は温かく、寒さなんて感じなかった。




誠司さん
 北海道のお土産の白い恋人は食べたが、白いブラックサンダーもあったことは知らない。


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第19話 多くの愛で包まれて

「というわけで、来週千景の誕生日なんだけど」

 

「どういうわけで?」

 

 日曜日、僕達は乃木家に遊びに来ていた。当然上里母娘も一緒である。

 子供達が若葉の自室で遊んでいる間に、僕は楓さんと琴音さん、ついでにそこにいる誠司さんにも、来週の日曜日が千景の誕生日であることを伝えた。

 

「サプライズでパーティーしたいんだけどさ、僕がパーティーの準備をしている間、千景をここに連れてきていい?」

 

「別に構わないが、千景を連れてきてお前だけ帰ったらバレないか?」

 

「隙を見て抜け出すよ。例えば、大人だけで昼食を作りにキッチンに行く時とか」

 

「私達もお祝いに行っていいですか?」

 

「パーティーに来てくれるの?」

 

「是非とも」

 

「ありがとう」

 

 誕生日パーティーで、僕だけでなく慣れ親しんだ乃木家と上里家の皆からも祝ってもらえたら、千景も喜んでくれるだろうか。

 

「それで、具体的にはどうするんだ?手伝えるなら手伝うが」

 

「晩ご飯を豪勢にして、食べ終わる頃にケーキを出そうかと。あとリビングを飾り付ける」

 

「なら蓮花が抜け出す時に俺も一緒に行こう、飾り付けなら手伝える」

 

 黙って新聞を読んでいた誠司さんが急に声を発した。

 

「ありがとう誠司さん。じゃあ僕はその間に料理を作ろう」

 

「昼に抜け出して晩ご飯を作るのは早くないか?」

 

「…確かに」

 

 冷めても大丈夫な料理はともかく、だいたいの料理は駄目だ。

 

「普通に夕方頃、男3人でちょっと出かけてくるって言えばいいんじゃないですか?」

 

「なるほど」

 

 さらっと伊織さんも手伝いに行かせようとする琴音さん。

 

「そういえば今日伊織さんは?」

 

「家にいますよ。呼びましょうか」

 

 そう言って電話をかける琴音さん。30秒ほどで伊織さんはやってきた。行動が早い。

 

「私達は子供達を見ていればいいか?」

 

「そうだね…。準備が終わった後、どうしようか」

 

 楓さん達に千景を家まで連れてきてもらうと、途中で勘づかれる可能性がある。

 

「僕が一旦ここに帰ってきて、千景と買い物して帰る間に皆に家に行ってもらうか」

 

「なるほど、わかった」

 

「じゃあ、来週はお願いします」

 

 廊下を歩く子供達の足音を合図に話を終えた。今回は完全サプライズ、バレるわけにはいかないのだ。

 

 ──────────

 

 2月3日、今日も先週と同じく、乃木家に遊びに来ていた。

 

「ここはいけそう…よし、いけました」

 

「次はわたしだな。ここはどうだ…あ、やってしまった」

 

「若葉の負けね」

 

 若葉の指によって崩れる木のブロック。私達は今ジェンガをやっている。

 

「若葉って不器用?」

 

「そうなんです、わかばちゃん昔からちょっと不器用なんです」

 

「え、わたしって不器用だったのか」

 

 本人に自覚は無かったらしい。若葉は既に3連敗していた。

 

「…もう1回しよう」

 

「勝つまでやるとか言わないでよ?」

 

「これで負けたら別のことをしよう」

 

「そうですね、ジェンガだとわかばちゃんは不利ですもんね」

 

 そして3分後、またも若葉の手によってジェンガは崩れ去るのだった。

 

 

 

「じゃあ僕らちょっと出かけてくるね」

 

 昼過ぎ、ふとれんちゃんがそんなことを言って、伊織さんと誠司さんと共に出かけた。

 

「お父さんたち、どこに行ったんでしょう?」

 

「男だけでお酒飲みに行ったのよ」

 

 そういえば、れんちゃんが家で酒を飲んでいるところを見たことがない。どうしてだろう。

 

 そんなことを考える私の横で、こたつに入った若葉がバニラアイスを食べ始めた。おやつの時間ではあるが、なぜ真冬にアイスなのか。

 

「やはりこたつに入って食べるアイスはうまいな。市民プールで食べるカップヌードルがうまいのと同じだろうか」

 

「その話、市民プールに行った時もしてなかった?」

 

「そうだったか?」

 

 した気がする。カップヌードルを食べながら、暖かい部屋で食べるアイスと一緒だとか言っていた気がする。

 

「まあちかげも食べてみるといい、ほら」

 

 若葉に差し出されたアイスが乗ったスプーンを口で迎える。

 

「…おいしい」

 

 

 

 

 夕方、太陽がだいぶ沈んだ頃にれんちゃんは帰ってきた。

 

「あれ、父さんたちは?」

 

「千景と買い物して帰ろうと思って、僕だけ先に帰ってきたんだ」

 

「そうなんですね」

 

 さすがにそろそろ帰る時間らしいので、帰り支度を始める。そんなに散らかしていたわけでもないので、片付けはすぐに済んだ。

 

「じゃあ帰ろうか」

 

「うん、またね」

 

「またな」

 

「さようならー」

 

 皆に挨拶して乃木家を出る。そしてスーパーに向かって歩き出す。

 

「明日の晩ご飯は何がいい?」

 

「明日?今日じゃなくて?」

 

「今日はもう決まってるんだ」

 

「そうなんだ。…じゃあすき焼き」

 

「わかった、あったまるね」

 

 そんな話をしながら10分程歩けばスーパーに到着する。この辺りは徒歩圏内で色々あるので助かっている。

 

 数日分の食材を買って出ると、すっかり陽は落ちて暗くなっていた。

 

「じゃあ帰ろうか」

 

「うん」

 

 手を繋ぎ、今度は家へ向かって歩を進める。この道も結構近く、数分歩けば家に着く。

 

 

 

「ただい…ま?」

 

 玄関の扉を開けると、見覚えのある靴が並んでいた。ついさっき見たものである。

 

 不思議に思いながらリビングの扉を開けると、乃木家と上里家の皆がいた。

 

「「「お誕生日おめでとう!!」」」

 

「…ぇ」

 

 部屋を見渡せば、『Happy birthday』の文字の形をした風船などで飾り付けられ、テーブルの上にはたくさんの料理が並んでいた。

 

「サプライズ成功かな」

 

 振り向けば、れんちゃんが満足気な表情をしていた。

 

「なんで、みんなここに…?」

 

「誕生日パーティーするって言ったら、一緒にお祝いするって言ってくれてさ、飾り付けとか手伝ってくれたんだ」

 

 伊織さんと誠司さんはれんちゃんと酒を飲みに行ったわけじゃなく、この準備をしていたのか。

 

「千景、誕生日プレゼントだ」

 

「え?これ…」

 

「最近欲しがってたゲームと、子供用の包丁。これのほうが使いやすいかと思って」

 

「…ありがとう」

 

「わたしからもプレゼントです!」

 

「わたしも持ってきたぞ!」

 

 

 そして皆からもプレゼントを受け取る。プレゼントも嬉しいが、それ以上に誕生日を祝ってくれる気持ちに嬉しく感じる。

 

 

 私は今まで、誰にも誕生日を祝ってもらったことは無い。私が生きていることを喜んでくれる人が周りにいなかったから。

 

 

 しかし、今はこんなにも祝ってくれる人がいる。私が生きていることを喜んでくれる人がいる。

 一度その事を理解すると、押し寄せる感情の波と涙を堪えることはできなくなった。

 

「…誕生日おめでとう、千景。生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 泣きじゃくる私を、れんちゃんはいつかのように優しく抱き締めてくれた。



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短編 冬の終わりとBBQ

前と同じく、短編は本編とは違う時間軸です。


「バーベキューやろう!!」

 

 3月のとある休日。千景の部屋で杏と3人で恋愛ゲームをしていたところ、急にやってきた球子がそう言い放った。

 

「……え?今から?」

 

「いえす!!」

 

『…これ、あげる。義理だけど』

 

 会話の間にゲームの音声が挟まる。ヒロインからバレンタインデーにチョコレートを貰った。

 

「やりました!ようやく義理という名の本命チョコを貰いました!」

 

「ここまで長かったわね」

 

 チョコを貰ったことにテンション高く喜ぶ杏と、対照的にぽかんと口をあける球子。

 

「……何してるんだ?」

 

「恋愛ゲームだよ」

 

「……バーベキューやろう!!」

 

「ゴリ押したな」

 

 そんなに今からバーベキューをしたいのか。別に構わないが。

 

「機材はあるの?」

 

「今から買いに行く!」

 

「そこからか」

 

 一旦ゲームの手を止めて、杏と千景もこちらに気を向ける。

 

「食材は?」

 

「それも一緒に買いに行く」

 

「なるほど」

 

 何も無いけれど急にやりたくなったらしい。良く言えば、気の向くままに生きる姿は実に球子らしい。悪く言えば、無計画。

 

「わかった、買いに行こうか。杏と千景も行かない?」

 

「そうね…休憩も兼ねて行くわ」

 

「じゃあ私も行きます」

 

 ゲームをセーブして電源を切り、千景の部屋を出る。

 

「なんなら皆連れて行って、各自焼きたいものを選ぶか」

 

「高嶋さん呼んでくるわ」

 

「じゃあ私はひなたさんと若葉さんを呼んできます」

 

 そしてすぐに寮の前に集合し、僕達はまずスーパーへと向かった。

 

 

 

 

 

「じゃあ皆、焼きたいもの持ってきてこのカゴに入れてね」

 

『はーい』

 

 スーパーに着き、一旦散開する。僕は肉を見ようか。

 

 

「ふむ…せっかくだから高い肉を焼きたいな。……後で大社に請求できるかな」

 

 そんなことを考えながら黒毛和牛のステーキを手に取りカゴに入れる。

 

「凄いの入れたな」

 

「おかえり、早いね」

 

 振り返ると、戻ってきた球子がカゴに焼きおにぎりを入れた。

 

「なるほど」

 

「バーベキューに米は欲しい」

 

 その後も球子と一緒に肉を選んでいく。7人で食べるのだ、それなりの量を買っておかねば。

 

 

「なんで急にバーベキューやろうと思ったの?」

 

「最近暖かくなってきたから、アウトドアがしたくなったんだ。冬の間は外が寒くてあまりできなかったからな」

 

「そうだねぇ」

 

 冬の間はしょっちゅう誰かが僕の部屋のこたつに入っていたものだ。猫はこたつで丸くなる。

 

「あ、いた。お肉を見てたんですね」

 

 選び終えた様子の杏が戻ってきた。その手に持っているのは、かぼちゃ。

 

「かぼちゃ?」

 

「うん。焼いたかぼちゃ美味しいよね」

 

「わかる」

 

 かぼちゃは煮ても焼いても揚げても美味い。凄いなかぼちゃ。

 そのまままっすぐ歩いていると、友奈と千景が正面から歩いてきた。

 

「ただいま、野菜持ってきたよ!」

 

「ありがとう。皆もお高い肉食べたい?」

 

「私は別に何でもいいけど」

 

「じゃあ高いの買っちゃおう、千景はもっとしっかり食べないと」

 

 相変わらず千景はあまり食に興味が薄い。美味しいものを食べた時は笑顔になるが、自分から美味しいものを食べたいとは言わない。

 

「…普通に食べてるけど?」

 

「そう?でもこの前抱き締めた時、ちょっと細いなって思ったんだけど」

 

「ちょっ!?」

 

「えっ!?」

 

 顔を赤くして睨んでくる千景と、驚きテンションが上がる杏。睨み顔も可愛いな。

 

「何があったら抱き締めることになるんですかっ!?」

 

「何でもないから!…貴方もにやけてないで何か言ってよ!」

 

 僕はただ静かに、慌てる千景を見て微笑むのだった。

 

 

「何を騒いでるんだ?」

 

「あ、若葉ちゃんとヒナちゃんおかえり」

 

「ただいま戻りました」

 

「何持ってきたの?」

 

「これです!」

 

 そう言ってひなたがカゴに入れたのは、見慣れたうどん玉だった。

 

「焼きうどんするの?」

 

「ああ」

 

「おお、いいな!」

 

 バーベキューで焼きうどんをしたことはないので、どんな出来になるのか少し楽しみである。

 

「どれどれ」

 

 皆が覗き込んだカゴの中は、食材ばかりで飲み物がなかった。

 

「ジュースが足りない!」

 

「見に行きましょう!」

 

 また皆が飲み物を求めて散開するなか、千景は僕の横に残っていた。

 

「どうしたの?」

 

「…ねぇ」

 

「ん?」

 

「…蓮花さんは、太り気味なのと痩せ気味なのはどっちの方が好き?」

 

 さっき細いと言ったことの続きだろうか。顔は赤くしたままだが、真剣な声色で聞かれたので真面目に答える。

 

「どっちでもいいんだけど、多少はともかく痩せ過ぎていたらちょっと心配になるね」

 

「私、心配になるほど痩せてる?」

 

 どうだったかと、少し前の記憶を遡る。

 抱き締めた時、痩せているとは感じたが、心配になるほどではなかったように思う。

 

「そこまでではないか。千景はそのままでいいよ、多少太っても良いくらいだけど」

 

「…そう」

 

 少し困ったような表情をしつつも、安心した様子の千景の手を引いて皆の元へ向かった。

 

 ──────────

 

「よし、火がついたぞ」

 

「さすがタマちゃん!」

 

 丸亀城へと帰ってきた僕達は、寮の前でバーベキューの準備を始めた。

 機材や火の準備は球子達に任せ、僕とひなたは部屋のキッチンで食材の下ごしらえをする。

 

「ステーキは人数分で切り分けるか。他の肉はそのままでいいか」

 

「かぼちゃ、硬いです」

 

「任せて」

 

 野菜の調理をしていたひなたに変わり、かぼちゃを細く切り分ける。

 

「野菜はボウルにまとめて入れればいいですか?」

 

「そうだね」

 

 ひなたが野菜をボウルに入れる隣で、僕は切り分けたステーキを皿に乗せる。

 

「これくらいでいいか、戻ろう」

 

「はい」

 

 

 

 

「お、こっちの準備はできてるぞ!」

 

「よし、焼き始めよう」

 

 順に肉を焼き始め、野菜も少しずつ焼いていく。すぐに良い匂いが鼻腔をくすぐり、食欲を掻き立てる。

 

「よし杏、これもういけるぞ!」

 

「ありがとう、いただきます……美味しい!」

 

 続いて他の皆も焼きあがった肉を食べ始める。肉が美味しいのもあるが、バーベキューという状況も相まってさらに美味しく感じる。

 

「うどんはいつ投入するの?」

 

「後の方でいいですよ」

 

 少しした頃、網の上が空いたので皿を掲げる。

 

「ステーキ焼くぞ!!」

 

「「おお!!」」

 

 切り分けたステーキを全て網の上に乗せる。そしてすぐに焼き上がり、それぞれの皿に乗せていく。

 

「千景、皿!」

 

「ええ」

 

 最後に千景の皿を受け取り、黒毛和牛のステーキを乗せる。

 

「美味い!」

 

「凄く美味しいです!」

 

「ぐんちゃんも食べてみて!」

 

 友奈に促され、ステーキを口へ運ぶ千景。咀嚼した瞬間驚いた表情になり、そしてふわっと微笑みを見せた。

 

「…凄く美味しいわ、これ」

 

「だよね!」

 

「お高いからね。金の味だよ」

 

「嫌な表現だな」

 

「フフッ」

 

 横から若葉に突っ込まれる。ごもっともだ。

 しかし、このやり取りに笑ってくれた千景を見て、僕は少し嬉しくなるのだった。

 

 

 

 

 大体肉を焼き終え少し落ち着き、ジュースの入った紙コップを片手に近くのベンチに座る。

 

「いやー食べた食べた」

 

「タマっち先輩ほんとによく食べたね。その体のどこにそんなに入るの?」

 

「胃だな」

 

「そうだね」

 

 球子と杏も満足したのか、箸を置いて紙コップを持っている。

 

「そういえば、なんで蓮花さんも千景と杏と一緒に恋愛ゲームしてたんだ?」

 

「千景さんの部屋に行ったら、なぜか蓮花さんも一緒にいたから、そのまま一緒にやってたの。…なんで蓮花さんも千景さんの部屋にいたんですか?」

 

「僕は昨日の夜、千景の部屋に泊まってたから」

 

「えぇっ!?」

 

 視界の隅で千景がむせた気がする。

 

「お泊まりしたんですか!?でも床に布団をひいた形跡は無かった…ということは、1つのベッドで一緒に寝たんですか!?」

 

「うん。千景の部屋、余ってる布団は無かったから」

 

 僕は床で寝ようとしたが、千景が一緒で構わないと言ってベッドに入れてくれた。人肌の温もりはとても安心感を得る。

 

「昨晩はお楽しみだったんですね!」

 

「そうだね」

 

 2人で夜更かししてゲームをするのは楽しかった。

 

「もしかしてお赤飯炊いたほうがいいですか?」

 

「…え?赤飯?」

 

「炊かなくていいから!」

 

 頬を真っ赤に染め、声を張って否定する千景。今日は千景の色んな表情が見られてとても嬉しい。

 

 

「もう春ですねぇ」

 

「来月の今頃は桜が咲いているんだろうな」

 

 肌寒さを感じない風に春の訪れを実感する。すると球子が何かを閃いたような、バーベキューをすると言い放った時と同じ目をした。

 

「来月は花見をしよう!」

 

「いいね。お弁当作るよ」

 

「蓮花さんのお弁当でお花見、最高ですね」

 

「私もお手伝いしますね」

 

 次の楽しみを想像し、またそれぞれのテンションが上がっていく。事前にわかっていれば準備もしっかりできる。皆で過ごす良い思い出になるように、色々と準備をしておこう。

 開花前の桜の下、暖かい日差しに冬の終わりを感じながら、紙コップの中を飲み干した。

 

「楽しみだね、お花見」

 

 

 西暦2019年3月のとある休日。

 もうすぐ、別れの季節がやってくる。




皆で過ごした、忘れたくない遠い思い出。


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第20話 贈る想いとチョコレート

小学3年生から料理の練習してたら中学生になる頃には料理上手ですね。


「そういえば、もうすぐバレンタインですね」

 

「……そうだったわね」

 

 放課後、若葉達と帰っている時にふとそんな話題が出てきた。

 私は今まで縁がなかったから、すっかり忘れていた。

 

「ちーちゃんはれんちゃんにチョコあげるんですか?」

 

「そうね。できれば手作りしたいけど、作れるかな」

 

「店で買うのはだめなのか?」

 

「せっかくれんちゃんに料理を教えてもらってるし、成長を見せる意味でも手作りしたい」

 

 市販のチョコより味は落ちてしまうかもしれないが、料理は気持ちが大事なのだ。手作りで日頃の感謝を伝えたい。

 

「あ、でも…」

 

「どうした?」

 

「家のキッチンで作って冷蔵庫に入れていたら、れんちゃんにバレる」

 

「たしかに」

 

 作れるかどうか以前に、作れる場所が必要であることに気づいた。できればサプライズにしたいのだ。

 

 

 乃木家に着いた後、その事を楓さんに言ってみると。

 

「なら、放課後にうちの台所で作るか?」

 

「いいの?」

 

「ああ、いいよ。何を作るのか教えてくれたら、こっちで材料も用意しておこう」

 

「ありがとう」

 

 場所の問題はあっさりと解決するのだった。

 

「わたしもれんかさんにあげるチョコ作ろうかな。ついでに父さんにも」

 

「若葉、ついでとか言ったら父さんショック受けるぞ」

 

「ひなたはれんちゃんにチョコあげるの?」

 

「そのつもりです!」

 

「そうなのね」

 

 若葉とひなたもれんちゃんにチョコをあげるのか。作るものが被らないように相談しておこう。

 

 ──────────

 

 数日後の放課後。

 

「ちーちゃんは何作るんですか?」

 

「わたしはチョコマフィンを作ってみる」

 

「1人で作れるか?」

 

「レシピを見ながら作るから、多分なんとかなる」

 

 心配してくれる楓さんに、レシピ本のページを開いて見せる。作り方はたいして難しくはなく、ざっくり言えば材料を混ぜて型に流し入れて焼くだけである。

 

 既に15時半なので、れんちゃんが帰ってくるまで約2時間程度、あまり時間がないので早速作り始める。

 

 耐熱ボウルにマーガリンと割った板チョコを入れ、溶けるまで温めて混ぜる。

 そこへ砂糖、ココアパウダーを加えて泡立て器でよく混ぜ、卵を入れて滑らかになるまで混ぜる。

 その後、薄力粉とベーキングパウダーを加え、またひたすら混ぜる。

 

 私が混ぜている隣では、ひなたと若葉がそれぞれ母に手伝ってもらいながら調理している。

 

「お母さん、これでいいですか?」

 

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 その姿は、私がれんちゃんに料理を教わっている時を思い出す。優しく分かりやすく教えてくれる、れんちゃんと触れ合う時間は私の楽しみの1つだ。

 

 そうこうしているうちにいい感じになってきたので、生地を型に流し入れ、20分弱焼き始める。

 

「ちかげのほうからいい匂いがしてきたな。もしかしてもうすぐ完成するのか?」

 

「ええ、焼き終わったら完成」

 

「ちーちゃんすごいですね!」

 

 真っ直ぐ褒めてくるひなたの言葉に照れるが、自分が成長していることを実感する。

 

 少しして、焼き上がったチョコマフィンを1つ食べてみると、ちゃんと美味しくできていた。これなられんちゃんに渡しても恥ずかしくない味だ。

 

「よかった、ちゃんとできた」

 

「1つ食べていいか?」

 

「うん、多めに作ったからどうぞ」

 

 若葉が調理の手を止めて、私のマフィンを1つ口に運ぶ。

 

「おお、うまい!」

 

「わたしもいいですか?」

 

「うん」

 

「いただきます、はむ…おいしいです!」

 

 若葉とひなたの反応から、他人からしてもちゃんと美味しくできているとわかる。他人の評価は安心材料の1つになる。

 

「これを今日はここに置いておいて、明日の放課後に取りに来るのか?」

 

「うん、そのつもり」

 

 今日はバレンタイン前日、今日持って帰って冷蔵庫に入れているとバレてしまう。それでは意味が無い。

 

「じゃあ、暗くなる前に帰るね」

 

「はい、また明日!」

 

「またな」

 

 

 乃木家を出て家に向かう。真冬の夕方、既に夕日は落ちかけていた。

 ──────────

 

「ただいまー」

 

 玄関の扉を開いて家に入る。玄関にはいつも見ている千景の靴。

 

「おかえりなさい」

 

 リビングの扉からひょこっと顔を出した千景が迎えてくれる。顔の出し方が可愛らしい。

 

「すぐ晩ご飯作るね」

 

「うん、手伝う」

 

 荷物を置いて上着を脱ぎ、キッチンへ向かいエプロンをつける。

 

「今日は生姜焼きにしようかな」

 

「あの、れんちゃん」

 

「ん?」

 

 後ろ手に何かを持ち、モジモジとしながら近づいてくる千景。そんな姿もまた可愛い。

 

「……これ、どうぞ。…いつもありがとう」

 

 差し出されたのは、可愛らしくラッピングされた袋。その中に入っていたのはチョコマフィン。

 

「もしかして、バレンタインのチョコ?」

 

 僕の問いに千景は小さく頷く。なんということでしょう。

 

「ありがとう千景。凄く嬉しい…」

 

「…よかった……」

 

 安堵したように笑顔を見せる千景をとても愛おしく思い、少ししゃがんで抱き締める。

 

「じゃあ、これは晩ご飯の後に食べるね」

 

「うん」

 

 一旦マフィンを冷蔵庫に入れ、今度こそ夕食を作ろうとした瞬間、インターホンが鳴った。

 

「ん、誰だろう……はい?」

 

『こんばんは〜』

 

「ひなた?」

 

『はい!』

 

 インターホンに出てみれば、帰ってきたのはひなたの声だった。こんな時間にどうしたのだろうかと思いながら玄関の扉を開く。

 

「「こんばんは!」」

 

「こんばんは、どうしたの?」

 

 扉の前には、ひなただけでなく若葉と、おそらく付き添いで楓さんもいた。

 

「バレンタインチョコのおとどけです!」

 

「わたしからもどうぞ」

 

 そういって包みを渡してくるひなたと若葉。おそらく今の僕は顔のにやけを隠せていないだろう。

 

「ありがとうひなた、若葉」

 

 可愛らしい2人の少女達の髪を撫でると、くすぐったそうにしながらも嬉しそうにしてくれる。

 

「今度おいしかったか教えてくださいね」

 

「ああ、わかった」

 

「それじゃあ帰ろう、晩ご飯が待っている」

 

「ああ」

 

「またね」

 

 3人の後ろ姿を見送り、キッチンに戻った僕は今度こそ夕食を作り始めた。

 

 

 

 

 

 夕食を終えて風呂にも入った後、僕は3つのチョコをテーブルの上に置いた。

 

「もしかして1人で作ったの?」

 

「うん。若葉とひなたもおいしいって言ってくれたから、多分味は大丈夫」

 

「じゃあ、いただきます」

 

 チョコマフィンを口に運び咀嚼する。

 

「おお、美味しい!焼き加減もちょうどいいね、中がフワフワだ」

 

「喜んでもらえてよかった…」

 

「成長してて凄いよ千景!」

 

「うん…」

 

 髪をわしゃわしゃと撫でると、照れて少し俯く千景。

 続いて若葉とひなたのチョコも食べながら、ホワイトデーのお返しは気合いを入れようと決意するのだった。

 

 

 

 

 明かりを消し、千景と一緒に布団に入る。千景の誕生日以降、千景が僕の布団に潜り込んでくるようになっので、1枚の布団で一緒に寝るようになった。

 

「ありがとね、千景」

 

「え?何が?」

 

「チョコもだけど、僕は毎日千景に癒されてるから」

 

「…そう」

 

 千景の笑顔の為ならば、僕はどんなことでも頑張れる。今までも、これからも。

 

 チョコと共に日頃の感謝を伝えてくれた千景に、何度目かわからないが僕も想いを伝える。

 

「千景。大好きだよ」

 

「……ん」

 

 胸板に顔を擦り寄せてくる千景を抱き締め、幸せに浸りながら眠りに落ちていった。



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第21話 本とみかんとエンカウント

第1話に挿絵を追加しました。


 春休み、私達は愛媛にいた。理由は暇だったから。

 

「千景、春休みの予定はある?」

 

「特には無いけど」

 

「じゃあちょっと旅行でもしようか」

 

 といった軽い感じで決まった。

 

 

 今は海に面した道の駅のレストランで昼食を食べている。

 

「午後は旅館周りを探索するか」

 

「うん」

 

 愛媛に来たのも初めてである。やはり知らない土地を歩くのは少しワクワクする。

 

 

 

 

 昼食を終えバスで旅館近くに向かい、のんびりと辺りを散策する。

 

「せっかく愛媛に来たんだし、どこかでみかんを買って帰りたいね」

 

「お土産にもちょうどいいね」

 

 人通りの多い方へと歩いていくと、イネスに到着した。

 

「観光とは関係ないところに着いてしまった。千景は城とかの観光地を見るより、こういうところのほうが楽しめる?」

 

「そうかも」

 

「じゃあ入って色々見て回ろうか」

 

 私のような子供には、観光地に行ってもあまり楽しみ方がわからない。まだ電気屋さんでゲームコーナーを見ているほうが楽しいのだ。

 

 

「なんか、いろんな店でみかんのスイーツがあるね」

 

「おいしそう」

 

「片っ端から食べていく?」

 

「うん」

 

 そして私達はイネス内でスイーツ巡りを開始した。

 

 

 

 

「結構食べたね」

 

「そこそこお腹いっぱい」

 

 みかんを使った和菓子やアイス、パフェなど色々食べたが、私は特にみかんの入ったミルクレープが気に入った。

 

「次はどうする?まだ食べる?」

 

「おいしそうなのを見つけたら食べる」

 

「そうか。…ん?」

 

 本屋の前を通りかかった時、何かに気づいたれんちゃんが足を止める。

 視線の先には、今にも泣き出しそうにおろおろとしている女の子がいた。

 身長は私より少し低い、クリーム色でふわふわとした髪の女の子。

 れんちゃんは真っ直ぐその子に向かって歩いていき、しゃがんで目の高さを合わせて声をかけた。

 

「ねぇ、どうしたの?」

 

「…本屋さんで本を見てたら、お母さんとお父さんがどこかに行っちゃって、見つからなくて…」

 

 どうやら迷子らしい。

 

「そっか。お母さんとお父さんは本屋さんの外に行ったの?」

 

「わからない…」

 

「じゃあ、子供を置いて違う店に行ったりはしないだろうし、まだ本屋さんの中にいるかもしれないな」

 

「そうね」

 

 もしかしたらこの子の両親も、本屋の中でこの子を探しているかもしれない。

 

「君、お名前は?」

 

「伊予島杏です…」

 

 名前を聞くと、れんちゃんは杏ちゃんの手を取って立ち上がる。

 

「よし、一緒にお母さん達を探そうか!」

 

「あ…はい!」

 

 杏ちゃんの泣きそうだった顔は、少し安心したような表情に変わる。

 本屋に入って見渡すと、店内はそれなりに広く高い死角が多かった。

 

「杏ちゃんはどこにいたの?」

 

「あっちの、恋愛小説があるところです」

 

 杏ちゃんが指さした方へ進んで周囲を見ると、それは案外あっさりと見つかった。

 

「私と似た髪色の子をこの辺で見ませんでしたか!?」

 

 杏ちゃんと似た髪色の女性が、店員に話しかけていた。

 

「あ!お母さん!」

 

 れんちゃんの手を離し、その女性の方へ駆け出す杏ちゃん。それに気づいた女性も、杏ちゃんに駆け寄り抱き締める。

 

「杏!どこに行ってたの?」

 

「お母さんたちが見つからなくて、本屋さんの外に行ったのかと思って…」

 

「そうだったの…ごめんね」

 

 その様子を見守っていると、すぐに細身の男性も駆け寄ってきた。どうやら父親のようだ。

 

「見つかってよかったね、杏ちゃん」

 

「はい!」

 

「もしかして杏と一緒に探してくれていたんですか?」

 

「はい、店の前で泣きそうになっていたので」

 

「そうだったんですね、ありがとうございます!」

 

「いえいえ」

 

 杏ちゃんの両親が私達に頭を下げて礼を言う。何はともあれ見つかってよかった。

 

「あの、お名前は?」

 

「郡蓮花だよ。この子は千景ね」

 

 両親が見つかりほっとした様子の杏ちゃんの問いに、れんちゃんが杏ちゃんの頭を撫でながら答える。

 れんちゃんは子供の頭を撫でる癖でもあるのだろうか。

 名残惜しそうに手を離し、れんちゃんが立ち上がる。

 

「じゃあそろそろ行くね」

 

「さよなら」

 

「はい、さようなら!」

 

 手を振る杏ちゃんに振り返し、私達はスイーツ巡りを再開した。

 

 

 

 

 

「お、みかんを売ってる屋台があるよ」

 

 1階の広いスペースでれんちゃんが指さす先には、本当にみかんだけを売っている屋台があった。みかん農家が直接売りに来ているのだろうか。

 

 

「おっちゃん、みかんちょーだい!」

 

「タマちゃん、さっきも1個あげたろ?」

 

「もう食べた!」

 

「早いな。でもこれは売り物だから、食べたかったらお小遣い貰ってきなさい」

 

 屋台では、小柄の女の子がおじさんにみかんをねだっていた。

 

 その様子を見ながら、れんちゃんと屋台へと歩いていく。

 

「お、いらっしゃいませ」

 

「お、客だ。めずらしい」

 

「失礼な、珍しくないよタマちゃん」

 

 この子とおじさんはコントでもしているのだろうか。

 

「そうだなぁ、3袋ください」

 

「ありがとうございます!」

 

 いくつかのみかんが入った袋を3つ買い、店を離れる。

 

 おじさんと女の子のやり取りが聞こえなくなったので振り返ると、なぜか女の子がついてきていた。

 

「…れんちゃん」

 

「ん?あ……おいで」

 

 そう言ってれんちゃんは女の子を連れて近くの椅子に座ると、みかんを1つ取り出して女の子に差し出した。

 

「あげるよ」

 

「いいのか!ありがとうおっちゃん!」

 

「僕はまだお兄さんだよ…」

 

 微笑みを崩すことなくダメージを受けるれんちゃん。

 女の子は貰ったみかんをその場で皮をむいて食べ始めた。

 

「ここで食べるのか」

 

「家までガマンできない」

 

「そうなんだ…」

 

 女の子はあっという間にみかんを食べ終え、こちらに質問を飛ばす。

 

「兄ちゃん達は旅行か?」

 

「そうだよ。香川から来たんだ」

 

「へぇー、うどんがうまいんだっけ」

 

「ええ、そうよ」

 

 

 少しだけ話した後、女の子は立ち上がった。

 

「じゃあ帰るよ、みかんありがとう!またな!」

 

 

「え、うん」

 

「またね。………球子」

 

 手を振り走り去っていく女の子の後ろ姿を、れんちゃんは少し寂しそうに見つめていた。

 最後にボソッと何か言った気がしたが、私には聞き取れなかった。




タイトルの語呂がとてもいい。


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第22話 信頼とGW

ワクチンの副作用で寝込んでたり、ここまでハイペースで投稿し続けてきて筆が進まなくなったりして、少し投稿が遅れてしまった。
あと前回の勇者部活動報告聴き忘れた……。


 4月になり、私達は1つ学年が上がった。

 若葉とひなたは今年も同じクラスになったらしく、とても嬉しそうに話していた。

 そして私も、今年も美琴と凜の2人と同じクラスだった。

 そして担任も、前年と同じく山根先生となった。

 

 

「もうすぐゴールデンウィークですねぇ」

 

「千景は何か予定はあるのか?」

 

「今のところは特に無いけど。帰ったられんちゃんに聞いてみる」

 

 放課後の帰り道。3年生だった時から変わらず、私達はだいたいいつも途中まで一緒に帰っている。

 学年が違うので帰る時間が違うこともあるが、そういう日は美琴や凜と一緒に帰っている。

 一緒に帰る友達ができるなんて、去年の夏までの私では考えられなかった。

 れんちゃんに出会ってから、私の全てが良い方へと変わっていっているように感じる。

 

「それじゃあ、また明日ね」

 

「はい、さようなら」

 

「また明日な」

 

 家の近くの分かれ道で若葉達と別れる。もう2、3分も歩けば家に着く。

 

 れんちゃんはまだお仕事で家にいないだろうから、ご飯くらいは炊いておこう。干してある洗濯物も取り込んで畳んでおこうか。

 

 そんな事を考えながら玄関の扉を開き、部屋にランドセルを置いてキッチンの炊飯器を確認する。

 

「…もう準備してある」

 

 炊飯器は既に、夜6時に炊きあがるように予約してあった。

 

「じゃあ洗濯物を…あ、その前に宿題しないと」

 

 ベランダに向かいかけた足を止めて部屋に戻り、ランドセルを開いてノートやドリルを取り出す。

 自分の事もちゃんとできていなければ、他の誰かを支えるなんて言っていられない。

 れんちゃんに心配をかけないよう、自分の事はちゃんとした上で、家事を手伝うのだ。

 

 

 ──────────

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 家に帰ると、いつものように千景が出迎えてくれる。

 

「すぐ晩ご飯作るからね。今日は唐揚げ作ろうか」

 

「うん」

 

 リビングで荷物を置き、キッチンに向かいながらエプロンをつける途中、隣の部屋にある畳んである服を見つけた。そしてベランダを見ると、朝干して行った洗濯物はそこには無かった。

 

「干してた洗濯物を畳んでくれたの?」

 

「うん」

 

「そっか、ありがとね」

 

 同じようにエプロンをつける千景の頭を撫でる。こういう瞬間に見せてくれる笑顔がまた、たまらなく可愛いのだ。

 

 

 

「ねぇれんちゃん」

 

「どうした?」

 

「もうすぐGWだけど」

 

 夕食中にそう話し出す千景。GWといえばあれだろうか。

 

「ガンダムウイング?」

 

「…違うし古くない?」

 

「ごめん」

 

「じゃなくてゴールデンウィーク」

 

「そうだよね」

 

 このボケは古いのだろうか。ほんの少しだけショックを受け、唐揚げを頬張る。

 

「ゴールデンウィークがどうしたの?」

 

「何か予定はある?」

 

「…無いな。どこか行きたい?」

 

「特には行きたいところは無いけど」

 

 千景は基本的にインドアだから、連休でも用がなければわざわざ出掛けようとはしない。僕の子供の頃のようだ。

 しかし、どこかに遊びに行けば普通に楽しんでいる。

 

「若葉達も誘って遊園地とか行く?」

 

「行く」

 

 ──────────

 

 そんなわけで5月5日子供の日、僕達は遊園地へとやってきた。

 

「私、遊園地に来るの初めて」

 

「ジェットコースター乗ってみる?」

 

「身長制限があったはずだが」

 

 ジェットコースターの乗り場前に来ると、身長制限の看板が立ててある。

 

「ぎりぎり超えてる」

 

「わたしもだ」

 

「わたしはちょっと足りないです…」

 

 看板の前に並ぶ3人だが、ひなただけ少し身長が足りなかった。

 

「じゃあわたしは乗ってる若葉ちゃんとちーちゃんの写真をとります!」

 

 そしてジェットコースターに乗り込む僕と千景、誠二さんと若葉、そして伊織さん。

 理由はよくわからないが、ひなたに乗ってきてほしいと言われていた。

 

 動き出すコースター。隣の千景を見れば、不安とわくわくが入り交じったような表情をしている。

 

 そして頂上まで登ったコースターは、坂を下り始め一気に加速する。

 

 

「きゃああああああ!!」

 

「うぉわああああああ!!」

 

 千景と若葉の叫び声が聞こえる一方で、後方から一番大きな絶叫が聞こえた。

 

「ぎぃゃああああああああああああああ!!!」

 

 声の主は伊織さんであった。

 

 

 

「ジェットコースターはどうだった?」

 

「怖かったけど楽しかった!」

 

「ひなた、あんなに早かったが写真はとれたのか?」

 

「とれましたよ、ほら!」

 

 ひなたが撮った複数枚の写真は、千景達が叫んでいる顔も良かったが、後ろの伊織さんが凄まじい顔をしていたのが印象的だった。

 

「伊織さん、もしかして絶叫マシンは苦手?」

 

「そうなんだよ。ひなたに言われて仕方なく乗ったけど」

 

「ひなた、なんでお父さんに乗ってって言ったの?」

 

 一緒に乗ってというならわかるが、親だけ乗らせる理由がわからないので聞いてみる。

 

「お母さんにおねがいしてみてって言われました」

 

「え、なんで?」

 

「絵的に面白くなるので」

 

 琴音さんは鬼かもしれない。確かにインパクトの強い写真にはなったが。

 

 

「次はわたしも一緒に乗りたいです!」

 

「じゃあメリーゴーランドはどう?」

 

「行きましょう!」

 

 そしてそれぞれメリーゴーランドの馬や馬車に乗り込む3人。それを周りで見守る保護者達。

 

 回り始めるメリーゴーランド。千景達がこちら側に回ってきた時、手を振ってくれるのがとても可愛らしく、片手を振り返しながらもう片手でスマホのカメラを構える。

 

「良いな…」

 

「そういえば蓮花、こっちに来てだいぶ経ったが、最近どうだ?」

 

 素晴らしい光景に幸せを感じていると、楓さんがそんなことを聞いてきた。カメラは誠二さんに任せているようだ。

 

「最近は、そうだな…特に何事も無く平和かな」

 

 千景と2人での平和な日常に幸せを感じる。千景もそう思ってくれていたら嬉しい。

 

「家での千景はどんな感じなんだ?最初のうちと比べて何か変わったりしたか?」

 

「家事を結構手伝ってくれてるよ。自分の事をよく話してくれるようになった。甘えん坊になってきた気もするけど」

 

「それだけ心を許しているということだろう」

 

「そうかな」

 

 また千景達がこちらに回ってきたのでカメラを構える。手を振りながらこちらに向けてくれる笑顔が愛おしい。

 出逢った頃と比べると、かなり笑顔を見せてくれることが増えたように思う。

 信頼してくれているのだろうか。僕を大切に思ってくれていると、少し自惚れてもいいのだろうか。

 

 メリーゴーランドが止まり、僕の元へと帰ってくる千景。

 

「どうかした?」

 

「なんでもないよ。次のアトラクション行こう」

 

「うん」

 

 時間もアトラクションもまだまだ沢山ある。

 いつものように自然と手を繋ぎ、僕達は次のアトラクションに向かった。



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第23話 夜空に咲く花

「………暑い…」

 

「アイス買ってあるけど食べる?」

 

「食べる」

 

 冷凍室からカップのバニラアイスを取り出し、固い表面をスプーンで削り口に入れる千景。

 

「…美味しい」

 

「僕にも一口ちょーだい」

 

「はい、あーん」

 

「ん…美味しい」

 

 

 熱い体に染み渡る冷たいアイス。

 時間が経つのは早いもので、今年も夏がやってきた。

 7月末、既に千景は夏休みに入っている。

 

 気温は高く、扇風機をつけても吹いてくる風はもはや熱風。

 

「さすがにそろそろクーラーつけようか」

 

 ──────────

 

「じゃあお願いします」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

「行ってらっしゃい、れんちゃん」

 

「行ってきます」

 

 去年の夏と同じように、れんちゃんが仕事の時間は私は乃木家か上里家に預けられる。今日は乃木家である。

 

 れんちゃんを見送り居間に入ると、朝食を食べている若葉と目が合った。今日の朝食はざるうどんらしい。

 

「おはよう、若葉」

 

「おはよう千景。少し待っていてくれ、すぐ食べる」

 

「急がなくていいから」

 

「ん、わかった。ゆっくり食べる」

 

 若葉が食べ終わるまで、私は鞄からゲームを取り出して時間を潰す。若葉が食べ終わりひなたが来たら、ここで3人で宿題をする予定である。

 

 

 

 

 

「ふむ、ビミョーだな…もう1枚!」

 

「はい」

 

「あ」

 

「超えたのね」

 

 昼食を終えた私達は、トランプでブラック・ジャックをしていた。

 簡単に言うと、カードの合計を21以内に収め、一番21に近い人が勝ちとなるゲームである。21を超えると強制的に負けとなる。21を超えないようにギリギリを攻めるチキンレースである。

 ちなみに、JからKは10として数え、Aは1か11の都合のいい方で数える。

 

 今回は5回勝負とし、一番勝ちが多かった人は乃木家の冷凍室に残っていた棒アイスが進呈される。

 

 現在3回戦を終え、それぞれ1勝ずつしていた。

 

「じゃあ次ね」

 

 それぞれがまず2枚、山札からカードを引く。本来はディーラーが配るものだが、そこまで気にしなくてもいいだろう。

 

「ふむ…」

 

 それぞれが何を引いたのかは最後に一斉に見せるまでわからない。

 相手がいい感じにギリギリなのか、合計が低いのか、はたまた超えたのかは、表情を見て推測するしかない。

 若葉はとても自信ありげな表情をしている。20とかだろうか。

 私は18であり、もし推測が正しければ若葉に負けるかもしれないが、ここでもう1枚引くと超える可能性が高い。

 

「もう1枚」

 

 ひなたが山札に手を伸ばす。

 

「あ!」

 

 超えたのだろうか。

 

「いい?」

 

「ああ」

 

「はい」

 

 全員の確認を取り、一斉に手札を見せる。

 

「え、21!?」

 

「なんだって!?」

 

「わたしの勝ちですね」

 

 超えたかと思われたひなただったが、21ピッタリになったことに驚いていたのか。

 ちなみに若葉は19であった。勝つ可能性は十分にあったので自信ありげだったのだろう。

 

「これでわたしは2勝ですね」

 

「次でラストか。2勝が2人になったらどうする?」

 

「勝った方はひなたと2人で勝負して、優勝を決めましょう」

 

 

 

 そして。

 

「21ですっ!!」

 

「え、また!?」

 

 連続でひなたが21となり、計3勝で優勝となった。

 

「では、このアイスはひなたに。味わって食べてくれ」

 

「ありがとうございます!」

 

 若葉の手からひなたへ、冷たい棒アイスが差し出される。

 

「…やっぱり、3人で分けませんか?」

 

「いいのか?」

 

「ひなたの優勝商品よ?」

 

「わたしのものになったから、このアイスはわたしの好きにします。これは3人で食べます」

 

「なるほど。ありがとうひなた」

 

 そしてどうやって分けるか考えていると、買い物に行っていた楓さんが帰宅した。

 

「アイス買ってきたぞー」

 

「え?」

 

 楓さんが手に持つ袋には、全く同じアイスの箱が入っていた。

 

 

 

 

 

「そういえば、今年の花火大会は行くのか?」

 

「あ、そうだ。まるがめ婆娑羅まつりだっけ。行きたいな」

 

 仕事を終えて私を迎えに来たれんちゃんに、楓さんがそんな話を始めた。

 

「千景も花火大会行くよね?」

 

「行きたい」

 

 昨年のこの時期は、まだこの土地に来たばかりで知らなかったから、知ってから楽しみにしていた。

 

「わたしたちと一緒に行きませんか?」

 

「ひなた達も行くの?」

 

「ああ」

 

「じゃあ一緒に行こうか」

 

 初めての花火大会を友達と一緒に行けることになり、さらに楽しみが増す。

 

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 

「またね」

 

 

 

 太陽は沈みかけているが、それでも暑い夏の空気を感じながら家路を辿る。

 

「そういえば、うちの学校は5年生の7月に修学旅行があるんだって」

 

「へえ、5年生なんだ。じゃあ千景は来年修学旅行に行くんだね」

 

 来年となると、またクラス変えを1回挟むことになる。また美琴や凜と同じクラスになれるだろうか。

 

「千景がいない夜か…」

 

「寂しい?」

 

「寂しい」

 

 私も、ここに来てかられんちゃんが傍にいない夜は無かったから、きっと少し寂しく思うだろう。

 

「まあ、友達と一緒に過ごす修学旅行の夜は楽しいからさ。楽しんでおいで、まだ早いけど」

 

「うん」

 

 れんちゃんからは、夏の嫌な暑さとは違う、安心する温かさを感じるのだ。

 

 ──────────

 

 花火大会当日の夕方、僕は千景の浴衣の着付けを手伝っていた。

 

「これでいいかな」

 

「ありがとうれんちゃん。浴衣を着るの初めて」

 

 

 嬉しそうに袖をフリフリと揺らす千景は大変可愛い。

 髪もいつもとは違い後頭部の高い位置に纏めている。

 

「凄く似合ってる…可愛い……写真撮っていい?」

 

「うん」

 

 満足のいくまで写真を撮った後、僕達は若葉達と合流するため乃木家へ向かった。

 

 

 

 

「お、来た来た」

 

「こんばんはー」

 

「こんばんは!」

 

 乃木家の前には、上里夫妻と浴衣を着たひなた、誠二さんが集まっていた。

 それにしても、やはりひなたは和服が似合う。普段と違い髪も纏めており、とても可愛らしい。

 

「浴衣のひなたも可愛いな」

 

「ありがとうございます」

 

 髪を崩さないように優しく撫でると、嬉しそうに笑ってくれるひなた。永遠に撫でていたくなる。

 

「ちーちゃんの浴衣も似合っていてかわいいです!」

 

「あ、ありがとう」

 

 ひなたがいつの間にか手に持っていたカメラを、千景に向かって構える。

 

「写真とっていいですか?」

 

「まあ、いいけど」

 

「今回は許可がもらえました!」

 

 ひなたが様々な角度から千景の写真を撮っていると、着替えを終えたのか、楓さんと浴衣姿の若葉が玄関から姿を現した。

 

「お、もう来ていたのか」

 

「こんばんは。若葉も和服似合うなぁ…可愛いよ」

 

「ありがとうれんかさん」

 

 後で3人並んだ写真を撮らせてもらおうと心に決めた。

 

「じゃあ行くか」

 

「そうだな」

 

 

 

 

 

「屋台がいっぱい」

 

「何食べたい?」

 

「え、えっと…色々」

 

「そうだね、色々食べて回ろうか」

 

 会場に着くと、立ち並ぶ屋台と人混み。はぐれないように千景の手を握る。

 

「うどんの屋台がある」

 

「初めて見た」

 

 香川だからなのか、僕があまり知らないだけでどこでもあるのかはわからない。

 

「わたしはからあげが食べたいな」

 

「フランクフルトも食べたいです!」

 

 

 はしゃぐ子供達を微笑ましく思いながら、片っ端から屋台を回っていく。

 一周する頃には、夕食には充分な量の食べ物を抱えていた。

 

「もうすぐ花火が上がるから、そろそろ移動しよう」

 

「はーい」

 

 時間を確認した伊織さんに促され、全員で花火を見られる場所へ移動し始める。

 

「足痛くない?」

 

「大丈夫」

 

 慣れない下駄を履いているから、足を痛めていないかとふと思ったが、問題ないようだ。

 

 移動を終えてすぐ、大きな音と共に空が明るくなる。

 

「お、上がったね」

 

「間に合った!」

 

「お母さん、カメラかしてください!」

 

「はいはい」

 

 花火を写真に収めようと、空にカメラを向けるひなた。

 隣の千景を見ると、目を輝かせて花火を見上げていた。

 

「……きれい」

 

「…そうだね」

 

 夜空に咲く花は、夜闇の中でも千景を明るく照らしてくれた。




私はブラック・ジャックをカイジのアプリで知りました。


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第24話 双方の喜び

リアルが中々忙しいですが、最低でも週一で更新できるように頑張ります。


「あ、かなりいい聖遺物ができたわ」

 

「え?」

 

 9月末。少しずつ秋に移り変わり始めているが、まだ暑さが残る季節。千景の言葉に反応し、テレビに映るゲーム画面を見る。そこに映っていたのは、特級呪物一歩手前のサブオプションに育った聖遺物。

 

「いいなぁ…羨ましい」

 

 僕も神聖遺物を手に入れるべく、再びノートPCに向き直り、終わらない聖遺物厳選に身を投じるのだった。

 

 

 

 

「もうすぐひなたの誕生日だね」

 

「そういえばそうね」

 

 休憩がてら、午前中に作ったベイクドチーズケーキを切り分けて千景と2人で食べている時、そんな事を思い出した。

 ひなたの誕生日は10月4日、もう1週間を切っている。

 

「今年も上里家で誕生日パーティーやるんだっけ」

 

「うん、平日の夜だから来れたら来てって言われてる」

 

「行こうか」

 

「ええ」

 

 ひなたの誕生日を祝わないわけにはいかない。アイスコーヒーを入れたコップに口をつけながら、絶対に時間は空けておこうと考える。

 

「このチーズケーキ美味しい」

 

「よかった。千景はチーズケーキはベイクドとスフレどっちが好き?」

 

「うーん…どちらかというとベイクドかな」

 

「そうなんだ」

 

 チーズケーキを咀嚼しながら微笑む千景。千景は僕の料理を食べている時、大体いつも笑顔になってくれる。やはり美味しい料理は人を笑顔にする。

 

「…あ、そうだ」

 

「どうかした?」

 

「ひなたの誕生日プレゼントなんだけどさ」

 

「うん」

 

「一緒にケーキ作らない?」

 

「…なるほど。作る」

 

 何か物をあげるのもいいが、思い出に残るような凄いケーキを作るのもいいだろう。

 誕生日パーティーのケーキは僕達が作っていいかと琴音さんに連絡し、どんなケーキにしようかと想像を膨らませるのだった。

 

 ──────────

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

「もう行ける?」

 

「うん」

 

「じゃあ行こうか」

 

 家に帰ってきてすぐ、千景を連れてまた家を出る。これから向かう先は上里家、ひなたの誕生日パーティーだ。

 

 

 

 

「「誕生日おめでとう、ひなた」」

 

「ありがとうございます!」

 

 玄関で出迎えてくれたひなたに、千景と共に祝いの言葉を伝える。

 にこにこと笑っているひなたを見ると、どうしても頭を撫でたくなるのは何故だろうか。

 

 

 

「こんばんは」

 

「こんばんはー」

 

 リビングに入ると、既に誠二さんを除く乃木家の皆も集まっていた。

 

「誠二さんはまだ仕事?」

 

「ああ、今日は遅くなるらしい。料理は残しておかなくてもいいから」

 

 テーブルの上には、おそらく楓さんと琴音さんが作ったのであろう数々の料理が置かれている。

 

「じゃあはい、とりあえず晩ご飯にしましょう」

 

 

 

 ────────

 

 夕食を大体食べ終えてきた頃、既に食べ終えたれんちゃんが立ち上がった。

 

「そろそろケーキ持ってくるね」

 

「ああ」

 

 楓さんから鍵を受け取ったれんちゃんが乃木家の冷蔵庫へ向かう。それを見たひなたは不思議そうな顔をした。

 

「ケーキ、うちの冷蔵庫に入っているんじゃないんですか?」

 

「入ってないよ、ひなた」

 

「…え」

 

 一瞬悲しそうな顔になったひなたに、伊織さんが笑いかける。

 

「まあ楽しみに待っていなさい、大丈夫だよ」

 

「どういうことですか?」

 

 琴音さんも立ち上がり、取り分ける皿とフォークの用意をする。

 

 すぐに戻ってきたれんちゃんの手には、大皿に乗った3段のケーキが抱えられていた。

 

「え!?何ですかこれ!?」

 

「よいしょっと、ケーキだよ」

 

 テーブルの中心にケーキが置かれる。

 

「僕と千景からの誕生日プレゼントだよ」

 

「そういうことよ」

 

 ホールを3段積んだ巨大な誕生日ケーキ。1段目の1番大きなホールはチョコ、2段目と3段目は生クリームであり、1段目はバナナ、2段目はイチゴ、3段目はみかんを間に挟んでいる。

 そして1番上には、チョコの板にホワイトチョコで書いた『ひなた Happy birthday!!』の文字と蝋燭。

 

「僕も初めて見たけど、凄いの作ったね…」

 

「ひなたの思い出に残るように頑張ったよ」

 

 高さ30cmを超えていそうな巨大なケーキを前に、ひなたの目は輝いている。隣の若葉の目も輝いていた。

 

「ありがとうございますっ!」

 

「どういたしまして」

 

「蝋燭に火をつけるね」

 

 れんちゃんがライターで蝋燭に着火していく。全ての蝋燭に火をつけ終わり、琴音さんが部屋の明かりを消すと、ひなたが全ての火を吹き消す。

 

『誕生日おめでとう!!』

 

「ありがとうございます!」

 

 

 ──────────

 

 切り分けられたケーキを頬張り、ひなたは満面の笑みを見せた。

 

「すごくおいしいです!」

 

「…よかった」

 

 ケーキを食べ進めるひなたを見て、少し安心したように微笑む千景。

 自分の作った料理で人が笑顔になる喜びを、少し理解したのだろうか。

 

「よかったね」

 

「うん」

 

 嬉しそうにする千景を見ていると、僕も嬉しくなってくる。

 ケーキを食べる皆も、作った側の千景も笑顔の素晴らしい時間を、僕は写真として切り取り残した。

 

 そこに僕がいなくても、千景が自然と笑えるようになってほしいと願いながら。




蓮花が撮った写真に、蓮花自身は入っていない。


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第25話 不思議な縁

ようやく勇者史外典を読んで心が疲れました。


 年が明け、1月3日の朝。

 

「準備できた?そろそろ出るよ」

 

「ええ、大丈夫」

 

 れんちゃんに返事をしながら、着替え等荷物を詰めたリュックを背負う。

 これから私達はいつもの如く、長期休みの旅行をする。

 向かう先は大阪、奈良、京都である。それぞれで1泊する予定なので、3泊4日の旅行になる。

 キャリーケースを引っ張るれんちゃんに続いて玄関を出る。

 冬空の下、初めての都会に期待を膨らませながら、私達は駅へと歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、都会!」

 

「皆休みだから人多いね」

 

 大阪の街に出ると、沢山の人で溢れかえっていた。北海道の時よりも多いだろう。

 

「多分奈良と京都もこんな感じなんだろうね。はぐれないように手を繋いでおこう」

 

「うん。…あ、グ○コの看板!」

 

「お、本当だ!僕も初めて本物を見たよ」

 

 道頓堀のグ○コの看板は、強く存在感を放っていた。

 

 

 その後もたくさん歩き、様々な店や観光地を回った。

 特に私は、日本橋周辺の雰囲気がとても楽しかった。サブカルチャーの聖地と言われるだけのことはある。

 掘り出し物のゲーム等もあり、いくつか買って帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

「…くしゅんっ」

 

「やっぱり寒いね。コンビニで温かい飲み物でも買おうか。ついでにおやつも」

 

「そうね」

 

 繋いでいた手を一旦放し、れんちゃんがスマホで近くのコンビニを調べ始める。

 

「凄いな都会。周りにいっぱいコンビニあるよ」

 

 便利ではあるが、そんなにあっても使うのだろうか。

 再び手を繋ぎ、一番近いコンビニへ向かう。

 少し放しただけで冷たくなったお互いの手を、再び温めようと少し強く握った。

 

 

 

 

 

 コンビニにたどり着き、出てきた女性とすれ違いながら中に入ると、目の前の床にハンカチが落ちていた。

 

「これ、さっきすれ違った人かな」

 

「そうかもしれないね」

 

 ハンカチを拾い、おそらく持ち主であろう女性を追ってコンビニを出る。

 幸い、女性は徒歩で来ていたようで、すぐに後ろ姿を見つけることができた。

 一瞬、少しれんちゃんの足が止まった気がしたが、すぐにまた歩き出し女性を追う。

 

「…あのー、ハンカチを落としてませんか?」

 

 れんちゃんが声をかけると、すぐに気づき女性が振り返る。

 振り返った女性はとても綺麗な人で、白衣を着ている事と黒髪に入った赤いメッシュが特徴的だった。

 

「ん?…ああ、本当だ。ありがとうございます」

 

「いえ」

 

 クールな雰囲気の女性は、礼を言うと振り返りまた歩き出した。

 

「……」

 

「どうかした?あの人が綺麗だから見とれているの?」

 

「…いや、なんでもない。知り合いに似てるなって思っただけだ」

 

「どんな知り合いよ」

 

 白衣を着ていて髪にメッシュを入れている人なんて、そうそう見かけないが。

 

 今度こそ私達はコンビニに入り、買い物を済ませるのだった。

 

 ──────────

 

「大阪はどうだった?」

 

 その日の夜、旅館にて、昼間にコンビニで買ったおやつを食べながら、千景に1日目の感想を尋ねる。

 

「楽しかった。メイド喫茶とか初めて見たわ」

 

「そうだね。客引きが凄かった」

 

 1本の道に左右交互、ジグザグに客引きの人が立っていて、多くの人が躱せずに捕まっていた。僕は千景を連れていたことで話しかけられなかった。

 

 さっき風呂を上がったところなので、まだ千景はホカホカしている。

 

「今アイス食べたら美味しいだろうね」

 

「でも冷えるんじゃない?」

 

「そうだね、やめておこう」

 

 おやつを食べきり、少しずつ寝る準備に入っていく。

 

「明日もたくさん歩くだろうから、早めに寝ようか」

 

「うん」

 

 布団に入りながら、少し今日のことを振り返る。

 

 まさかあの人に会うとは思わなかったけれど、そういえば大阪の大学院に通ってたって言ってたっけ。

 

 布団は2枚引いてあるが、僕の布団をめくり入ってくる千景。

 

 温かい千景を抱き締めると、強い睡魔に襲われる。

 

「おやすみ、千景」

 

「おやすみなさい」

 

 僕は行く先々で不思議な縁があるなと思いながら、睡魔に抵抗することなく身を任せた。

 

 ──────────

 

 翌日。朝食を終えて旅館を出た私達は、少し電車に乗り奈良に到着した。

 

「まずは大仏かな」

 

「そうね」

 

 奈良といえば大仏だろう、という考えが私達にはあるらしい。修学旅行でも大抵は大仏を見に来るらしいし、別に間違ってはいないだろう。

 

 東大寺の前まで来ると、周囲にはたくさんの鹿がいた。

 

「こんな普通に鹿がいるのね…」

 

「そういえば、鹿せんべい買った瞬間、突っ込んできた鹿にせんべいを全部持っていかれた同級生がいたな。あとで鹿せんべいを買ってあげようか」

 

「今の話で怖くなったわ」

 

 

 門に入り左右を見れば、金剛力士像が立っている。

 

「これでも十分大きい」

 

「でも大仏はもっと大きいよ」

 

 少し写真を撮り、また奥へと進んでいく。

 門を出ると広場だった。そして正面には大仏殿が見えた。

 

「れんちゃんは大仏を見たことあるの?」

 

「あるよ。小学校の修学旅行でここに来た」

 

 まっすぐ進み大仏殿に入ると、巨大な仏が座していた。

 

「凄い…」

 

「大仏を背景に写真撮ろうか」

 

 そう言って私にスマホのカメラを向けてくるれんちゃん。

 撮れた写真を見てみると、あまりにも背景のインパクトが強かった。

 

 

 

 東大寺を出た後、近くで鹿せんべいを購入した。

 

「これを鹿にあげるんだよ」

 

「大丈夫?襲われない?」

 

「僕がついてるから大丈夫」

 

 そう言いながら鹿にせんべいを食べさせるれんちゃん。

 周りを見てみると、私より少し年上そうな女の子が両親と一緒に鹿せんべいをあげていた。

 

「鹿せんべいって美味しいのかな。ボクも食べてみていい?」

 

「やめておきなさい、そんなに美味しくないぞ」

 

 鹿せんべいを食べようとする女の子を止めるお父さん。どうして美味しくないと知っているのだろう。

 

 私も少し勇気を出し、小柄の鹿にせんべいを差し出す。

 すると、鹿はとても美味しそうに食いついてきた。

 隣でれんちゃんが餌付けしている鹿は物凄くがっついている。

 

「…鹿せんべいって美味しいのかな」

 

「食べちゃダメだよ」

 

 

 

 

 

 

 色々お土産屋等を回って買い物をした後、今日泊まる旅館へ向かって歩き出す。ここから徒歩で向かえる距離らしい。

 

 途中、小さな神社の横を通りかかった時、神社の境内の方からボールが転がってきた。

 

「なんで神社からボール?」

 

 ボールを拾い上げて首を傾げるれんちゃん。そして神社の方を向き直ると一瞬目を見開き、ボールを落とした。

 

「すいませーん!」

 

 こちらに走ってくる赤毛の女の子。年は私と同じくらいか、少し下だろうか。

 ボールを拾い直すれんちゃん。

 

「…君のボール?」

 

「はい!拾ってくれてありがとうございます!」

 

 女の子はれんちゃんからボールを受け取ると元気良く礼を言う。礼儀正しい良い子のようだ。

 

「神社でボール遊びをしているの?」

 

「うん、わたしはよくこの神社で遊んでるの。神主さんには、さわぎ過ぎなければいいって言われてるから」

 

 どうして公園とかではなく神社なのかと疑問に思ったが、気にしないでおこう。

 

「それじゃあ、さようなら!」

 

「あ、ああ。さようなら…」

 

 神社の境内に戻っていく女の子を、れんちゃんは名残惜しそうに見つめていた。




鹿にせんべいをひったくられた同級生は実話です。


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第26話 あなたを支える

 春休みに入り、私達は長野に来ていた。例のごとく、旅行である。

 

「…旅行しすぎじゃない?長期休みの度にしてる」

 

「嫌?」

 

「嫌じゃないけど」

 

「千景にいろんなところを見せてあげたいんだ」

 

 そう言いながら私の髪をわしゃわしゃと撫でてくるれんちゃん。

 辺りには、既にチラホラと桜が咲き始めている。春風に吹かれて花びらが舞う。

 

「なんで今回は長野?」

 

「蕎麦が食べたくなったんだ」

 

「蕎麦?スーパーに売ってるのに?」

 

 なぜわざわざこんなに遠出して食べに来たのだろう。

 

「長野の蕎麦はね、香川のうどんみたいなものなんだ」

 

「そうなの?…れんちゃんは食べたことあるの?」

 

「あるよ」

 

 香川にとってのうどんのようなものなら、確かにスーパーで1玉10円の蕎麦とは違うのだろう。

 香川で暮らし始めて2年弱、既にうどんに染まった身ではあるが、少し楽しみになってきた。

 

 

 

 

 蕎麦を求めて歩いていく途中、通りかかった公園で1人ブランコを漕ぐ少女を見つけた。ショートヘアで歳は私と近そうである。

 

 同じくその子に気がついたれんちゃんは、公園に入りその子の元へと歩いていく。

 手を繋いでいる私も当然そちらへ歩く。

 

「こんにちは」

 

「…え?わたし!?」

 

「うん」

 

 れんちゃんに挨拶され、少し驚く女の子。見知らぬ大人にいきなり声をかけられたのだから当然だろう。

 

「どうして1人で遊んでいるの?」

 

「えっと…わたし、あまり友達がいないから…」

 

「れんちゃん、いきなりそういう事聞いちゃダメよ」

 

「ごめん」

 

 れんちゃんのデリカシーの無い質問に釘を刺す。普段は気遣いの鬼なのに、どうしてたまにこうなるのだろう。

 

「じゃあ僕達と友達になろう」

 

「え?私も?」

 

 また初対面の相手にフレンド申請をするれんちゃん。そして巻き込まれる私と困惑する女の子。

 

「……いいの?」

 

「…まあいいけど」

 

 明るくなっていく女の子の表情を見て、私達も微笑む。

 そういえば大事なことを聞いていなかった。

 

「お名前は?」

 

「藤森水都、です」

 

「敬語じゃなくていいわ、歳近そうだし」

 

 ブランコから離れ、公園のベンチに腰掛ける。漕がないのにブランコの前にいても邪魔になってしまう。

 

「水都はこの近くに住んでるの?」

 

「うん、歩いてこの公園に来たの」

 

「じゃあさ、この辺で蕎麦屋さんを知らない?」

 

 そういえば私達は蕎麦屋さんを探していたのだった。

 

「知ってるよ」

 

「案内してもらってもいい?お昼に蕎麦食べたくてさ」

 

「わかった」

 

 立ち上がり、水都に続いて公園を出る。れんちゃんは少し方向音痴なところがあるので、案内してもらえるのはありがたい。

 

 

 

 

 

 5分ほど歩くと蕎麦屋に到着した。

 

「近かったね」

 

「それじゃあわたしはこれで」

 

「え?水都は食べないの?」

 

 帰ろうとする水都を呼び止めるれんちゃん。確かに水都は案内をしただけで、蕎麦を食べに来たわけではない。

 

「今お金持ってきてないから」

 

「それくらい僕が出すよ」

 

「でも、友達とお金の貸し借りはトラブルになるから良くないって聞いたし」

 

「貸すわけじゃなくて奢るつもりなんだけど…じゃあ友達としてじゃなくて、友達のお父さんとして奢るよ」

 

「…それなら、まあ」

 

「え、それでいいの?」

 

 3人で店に入り、空いている席に着く。

 

「好きなの食べてね」

 

「私は…肉そばにしようかな」

 

「わたしは月見そばで」

 

 注文し、運ばれてくるのを待っている間に店内を見回すと、隣のテーブルでは女の子が1人で、物凄く美味しそうに笑顔で蕎麦を食べていた。その子も私と歳が近そうな、ショートヘアの女の子である。

 

「ねえれんちゃん、あの子、1人で来ているのかな」

 

「え?…!!」

 

 私が指をさした方を見ると目を見開くれんちゃん。確かに子供1人でいるのはあまり見ないが、そんなに驚くことだろうか。

 

 れんちゃんは立ち上がり、その子の正面の椅子に座り話しかける。

 

「君は、1人で食べに来ているの?お父さんやお母さんは?」

 

「家にいます。わたしは家が近いから、よく1人で食べに来るんです!」

 

「そっか」

 

 家が近くて常連なのか。なら店の人とも顔見知りだろうし、親も安心しているのだろう。今見知らぬ大人に話しかけられているが。

 

「遠くから来た人?」

 

「うん、香川から旅行で来てる」

 

「香川!ということはうどん好きの人!?」

 

「まあそうだけど」

 

 女の子の声が大きくなった辺りで注文した蕎麦が運ばれてくる。それに気づいたれんちゃんは立ち上がり戻ってくる。

 

「蕎麦来たから戻るね」

 

 そして蕎麦を食べ始める。

 その味と感動は、初めて香川に来てうどんを食べた時と似ていた。

 

「凄く美味しい」

 

「おいしいね」

 

 私達が蕎麦を食べ進める横で、食べ終えたさっきの子がこちらのテーブルにやってくる。

 

「うどんとそば、どっちが美味しいですか!?」

 

「え?」

 

 この子は戦争がしたいのかしら?

 

「どっちも美味しいじゃダメなの?」

 

「ダメ……ではないですけど」

 

「いいのか」

 

 実際どちらもとても美味しいので、優劣をつける必要は無いだろう。

 

「あら?あなたは見覚えがある気がするわ」

 

「…え?わたし?」

 

 30分ほど前に同じ声で同じセリフを聞いた気がする。

 れんちゃんは蕎麦を食べる手を止めて、女の子と水都の会話を見守り始めた。蕎麦がのびないだろうか。

 

「多分学校ね。あなたは香川じゃなくてこの辺に住んでる人?」

 

「う、うん」

 

「もしかして同じ学校に通ってるの?」

 

「そうかも」

 

 どちらもこの近くに住んでいるのなら、学校が同じでもおかしくはない。

 

「君の名前は?」

 

「白鳥歌野です!」

 

「そっかそっか」

 

 歌野の頭を撫で、また蕎麦を食べ始めるれんちゃん。

 そんなやり取りを聞いている間に、私は蕎麦を食べ終えた。

 

「ごちそうさま。満足」

 

「美味しかったね」

 

 いつの間にかれんちゃんも食べ終えている。それを見た水都が少し急ごうとする。

 

「急がなくていいよ、ゆっくりで」

 

「うん、ありがとう」

 

 落ち着て食べようとする水都を見て、れんちゃんが微笑みを零す。優しさに満ちた瞳で見守っている。

 

「…友達になったのはいいけど、僕ら明日には帰っちゃうんだよね」

 

「…そっか、そうだよね」

 

 目に見えて落ち込む水都。せっかくできた友達が明日でお別れなのだから、仕方ない。

 

「一生の別れじゃないし、またここに来れば、一緒に蕎麦を食べましょう」

 

「うん」

 

 大人になれば、会いに行こうと思えばいくらでも会えるだろう。私達が長野に行くだけでなく、水都が香川に来ることもできるようになるだろう。

 

 

「じゃあ、わたしとも友達になりましょう!」

 

 急に歌野が身を乗り出し、水都にそう提案をする。対する水都は驚き、箸で挟んでいた蕎麦が滑り落ちる。

 

「え!?…いいの?」

 

「ええ!あなたのお名前は?」

 

「藤森水都」

 

「藤森水都……じゃあみーちゃんね!!」

 

「みーちゃん!?」

 

 唐突にあだ名をつけられたことにまたも驚く水都。今日は感情が忙しい日だ。

 

「あだ名をつけたほうが親しみやすいかと思って」

 

「なるほど…」

 

「水都も歌野にあだ名をつけてあげたら?」

 

 れんちゃんの提案を受け、箸を置いて考え込む水都。もう麺はのびているだろう。

 

「白鳥歌野さんだから…………うたのんなんてどうかな」

 

「あら、いいわね!よろしくね、みーちゃん!」

 

「こちらこそよろしくね、うたのん…!」

 

 立ち上がり握手を交わす2人。その様子を、れんちゃんは静かに写真に収めていた。

 

 ──────────

 

「それから、香川の2人もわたしと友達になりましょう」

 

「私達も?」

 

「もちろんよ、みーちゃんの友達はわたしの友達!」

 

 なんてフレンドリーな子なのだろう。千景や水都には無いコミュニケーション能力である。

 

「あなた達のお名前は?」

 

「そういえばわたしもまだ聞いてなかった」

 

「あれ、言ってないか…言ってないな。郡蓮花だよ」

 

「私は郡千景」

 

 まだ名前を言っていなかったことを忘れていた。名前も知らない初対面の友達についてきた水都が少し心配になる。

 

「2人は親子?」

 

「まあそうだね。歳は14歳差だけど」

 

「今更だけど兄妹のほうが良かったかしら」

 

 14歳差の親子と聞いて歌野と水都が首を傾げる。当たり前だ。どんな複雑な家庭だ。……うちも普通ではないが。

 

「……ん?どういう関係?」

 

「いろいろあってね、血は繋がってないけど家族だよ」

 

「夫婦?」

 

「ふっ!?」

 

「夫婦は確かに血は繋がってないけど家族だね」

 

 隣の千景は顔を真っ赤にして大変可愛い。なので写真を撮った後頭を撫でておく。

 

 そして水都が食べ終わると、入った時とは違い4人で店を出る。

 視界に広がる桜色の景色が、少女達の出会いを祝福しているように感じた。

 

 ──────────

 

 その後、夕方まで歌野と水都に近くを色々と案内してもらい、2人を家に送り届けた後、私達は旅館にチェックインした。

 

「今日は楽しかった?」

 

「ええ。友達も増えたし」

 

 夕食と入浴を終え、広縁の椅子に座りバニラアイスをスプーンで口に運ぶ。温まった体に冷たいアイスが染み渡る。

 前回の旅行では冬だったため遠慮したが、旅館で入浴後に食べるアイスはとても美味しく感じる。

 正面では、れんちゃんがチョコアイスを食べている。後で少し貰おう。

 

「ねぇれんちゃん」

 

「ん?」

 

「私達って、旅行の先々で私と歳が近そうな女の子に出会うね」

 

「確かにね」

 

「その内、今後再会できる子は何人いるかわからないけれど」

 

 不思議なものだ。

 

「まるで神様が引き合わせているみたい、なんてね」

 

「…そうだね」

 

 いつものように微笑んでいるれんちゃん。その笑顔はただアイスが美味しいからなのか、何か想いを隠しているのか、私にはわからない。

 

 ただ一瞬、その顔が少し淋しげに見えた気がした。

 

「れんちゃん」

 

「どうした?」

 

 れんちゃんのそんな表情を見ることはほとんど無いから。

 私は椅子から立ち上がり、れんちゃんの元へ近寄る。

 両腕をれんちゃんの首の後ろに回し、そっと抱き締める。いつもれんちゃんがしてくれるように。

 

「…私は、傍にいるからね」

 

「……ありがとね、千景」

 

 私の背中に腕を回し、抱き締め返してくれるれんちゃん。

 いつもはれんちゃんがこうして私の心を支えてくれるから、今は私がこの人を支えてあげられたら、と。そう思った。




没ネタ

「藤森水都……じゃあフジモンね!!」

「フジモン!?」


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第27話 心の拠り所

友奈狙いでガチャを引いたら、友奈が出るまでにUR雀が2回出ました。


「行ってらっしゃい、楽しんできてね」

 

「行ってきます」

 

 7月、駅で千景を見送る。これから千景は修学旅行に行く。

 千景達の通う小学校は、5年生の7月、授業日数の関係で夏休み中に修学旅行がある。

 集合場所に向かいながらも時折振り返る千景に手を振る。

 

 千景の姿が見えなくなると、僕は1人で帰路を辿った。

 

 ──────────

 

 修学旅行は1泊2日。れんちゃんに出会ってから、そんなに長く離れたことはない。

 学校の先生や同級生達と見知らぬ土地に行くというのは、楽しみでもあるが少し不安でもある。

 

「どうしたの千景?これ食べる?」

 

「…食べる」

 

 電車で隣に座る美琴に、食べていたクッキーを差し出される。1枚手に取り、口に運ぶ。

 このペースで食べていたら到着するまでにおやつは無くなりそうだが、大丈夫だろうか。

 

「美味しい」

 

「でしょ。私これ好きなんだ」

 

 そう言いながら鞄の中を見せてくる美琴。そこには同じクッキーの箱が複数入っていた。

 

「もしかして持ってきたおやつ、全部これ?」

 

「全部じゃないよ、7割くらい」

 

「…そうなのね」

 

「それで、どうかしたの?」

 

 美琴や凛は何かあればいつも気を使ってくれる。2人のおかげで私はこの学校に馴染めたと言っても過言ではない。

 

「…家族と離れて遠いところに行くって、少し不安じゃない?」

 

「ああなるほど、わからんでもない。この歳ではなかなかそんなことしないもんね」

 

 腕を組んでうんうんと頷く美琴。しかしすぐに顔をあげる。

 

「まあ1泊2日だしさ、滅多にない経験だと思って楽しもうよ」

 

「…そうね」

 

 美琴の明るい人柄にはいつも元気を貰っている気がする。

 できることなら、来年も、中学生になっても同じクラスになりたいものだ。

 

「とりあえず夜は枕投げだ!」

 

「それはダメって言われてるでしょ」

 

 ──────────

 

 夕方、仕事を終えて帰ろうとしていたところ、スマホにRINEの通知が来ていることに気づく。相手は琴音さん。

 

『ちーちゃんがいなくて寂しくしていそうかと思って、良ければうちで一緒に晩ご飯食べていきませんか?ひなたも喜ぶので』

 

 有難い申し出だ、断る理由も無い。ひなたも喜ぶというなら、尚更行かねば。

 しかし千景はいないのに、僕だけ行って喜んでもらえるのだろうか。

 

 少し考えた末、プリンでも買っていくことにした。

 

 

 

 

 

 上里家に到着しインターホンを鳴らすと、出迎えてくれたのはスーツ姿の伊織さんであった。仕事から帰ったばかりなのだろう。

 

「こんばんは」

 

「いらっしゃい、琴音から聞いてるよ」

 

 リビングに入ると、夕食の準備をする琴音さんと、それを手伝うひなたがいた。

 

「こんばんはー」

 

「え!?れんちゃん!?なんで!?」

 

「こんばんは〜。もうすぐ準備できるので、ちょっと座って待っててくださいね」

 

 僕の声に驚きながら振り向くひなた。ひなたには言ってなかったのか。

 

「どういうことですかお母さん!」

 

「今日はちーちゃんが修学旅行でいないから、寂しいんじゃないかと思って、晩ご飯に誘ったの。サプライズ大成功〜」

 

 サプライズだったらしい。さっきのひなたの驚いた顔を写真に撮ればよかった。

 とりあえず、買ってきたプリンをひなたに渡す。

 

「ひなた、プリン買ってきたから、晩ご飯の後にでも食べて」

 

「わぁ、ありがとうございます!」

 

「あら、美味しそうなプリン」

 

「ケーキ屋さんのプリンだからね」

 

 これ1つでスーパーの3つ入りプッチンプリンが2つほど買える。ちょっとした贅沢である。

 ひとまずプリンを冷蔵庫に入れるひなた。

 

「これは食後にれんちゃんと一緒に食べます」

 

「え、僕もいいの?」

 

「買ってきてくれたんですから半分こします」

 

「ありがとうひなた。でもひなたの為に買ってきたから、僕は1口くらいでいいよ」

 

 なんて優しい子なのだろう。思わずいつものようにひなたの髪を撫でる。

 

 少しして、部屋着に着替えた伊織さんがリビングへと戻ってきた。

 

「じゃあ皆揃ったので食べましょう」

 

 

 

 

 

 

 夕食を終え、すぐに冷蔵庫からプリンを取り出すひなた。

 

「それどうしたんだ?」

 

「れんちゃんが買ってきてくれました」

 

 プリンに興味を向ける伊織さん。人数分買ってくるべきだっただろうか。

 

「もう食べるの?」

 

「はい、早く食べないとれんちゃんの帰りが遅くなりますから」

 

 僕の隣に座り、箱からプリンを取り出し蓋を開ける。

 柔らかく揺れるプリンにスプーンを入れるひなた。

 

「いただきます!」

 

「召し上がれ」

 

 プリンを口に入れたひなたは、とても良い笑顔を見せてくれた。事前に準備しておいたスマホのカメラで写真を取る。

 少し顔を横に向けると、伊織さんもカメラを構えていた。

 

「すごく美味しいです!」

 

「よかった」

 

 もう一度スプーンでプリンを掬い、今度はこちらにスプーンを向けてくる。

 

「あーん」

 

「あ、あーん…美味しいね」

 

 大変満足げな表情をするひなた。

 とても嬉しいが、両親の前であーんをされるのは少し恥ずかしい。

 琴音さんは微笑んでいるが、カメラを構える伊織さんは何とも言えない表情をしている。

 

「残りは全部食べていいよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 笑顔でプリンを食べるひなたに、千景のいない寂しさが少し紛れるように感じた。

 

 

 

 

 

 

 誰もいない家に帰り、1人で風呂に入り、洗濯物を干して明日用の米を洗い炊飯器を予約する。

 1人ではすることも無く自分の無趣味を痛感しながら、時間は早いが布団に横になる。

 普段なら、この時間は千景と一緒にゲームをしていたりする。

 

「千景…」

 

 ここに来てから、千景のいない夜は初めてだ。

 

 もう寝よう。1人の夜は嫌な事を思い出す。

 少しでも早く、この時間が過ぎ去ることを願った。

 

 ──────────

 

 夕方、駅に帰ってきた私は、おそらく迎えに来ているはずのれんちゃんを探す。

 辺りには、同じように我が子を迎えに来ている親がたくさんいる。

 美琴や凛は自分の親を見つけて寄っていくのをさっき見かけた。

 

「れんちゃん…」

 

 ようやく会えるはずなのに見つからないことに、なぜか焦りを覚える。

 

 

「千景!」

 

 声がした方を見ると、こちらへ歩いてくるれんちゃんを見つけた。

 重い旅行鞄をその場に置き、彼の元へ走り出す。

 その胸に飛び込んだ私を、れんちゃんは優しく受け止めてくれた。

 

「おかえり」

 

「ただいま」

 

 この人の傍が私の、一番安心できる場所なのだ。

 

 ──────────

 

 右肩に千景の旅行鞄を掛け、左手を千景と繋いで歩く。

 

「帰ったら土産話をいっぱい聞こうかな」

 

「いっぱい話してあげる」

 

 夕日に照らされながら手を繋いで家に帰る、という状況は何度もあったが、並び立つ背の高さとその手の大きさに時間の経過を実感する。

 もうそんなに一緒にいるのか。

 

「…私がいなくて寂しかった?」

 

「寂しかったよ」

 

 昨日の時間を埋めるように、今夜はたくさん話そう。千景を傍に感じられるように。



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第28話 私の大切

「暑い…」

 

「暑いねぇ」

 

 夏休みに入り、私達は沖縄にいた。本当にれんちゃんは私を様々なところに連れて行ってくれる。

 

「でもなんで夏に沖縄?暑いのに」

 

「冬に沖縄に旅行するイメージできる?」

 

「……できないけど」

 

「夏はどこに行っても大抵暑いよ。楽しもう!」

 

 そう言いながら近くのコンビニを探すれんちゃん。やはり暑いのだ。

 

 

 

 

 

 美ら海水族館に到着した私達は、海人門の下を歩いていた。

 

「入り口から既に凄い」

 

「写真撮っとこ」

 

 中に入り奥へ進んでいくと、ジンベイザメが泳ぐ大水槽に迎えられる。

 人を丸呑みにしてしまえそうな大きな口と体は圧巻である。

 

「大きい…初めてジンベイザメを見たわ」

 

「千景、写真撮るから水槽の前に立ってみて」

 

「これでいい?」

 

「ああ……よし、撮れたよ」

 

 撮れた写真を見せてもらうと、ちょうど私の真後ろにジンベイザメが寄ってきていた。本当に大きい。

 

 その後も色々と見てまわる。水族館はあまり来ることがないので、とても新鮮に感じた。

 

 

 

 

 昼過ぎ、海沿いの道を歩いていると、海上に少女が浮かんでいるのを見つけた。

 

「れんちゃん、あれ…」

 

 足を止めて指をさし、れんちゃんもすぐに見つけて足を止める。

 

「ここは海水浴場じゃないはずだけど…ん?」

 

 目を凝らして見るれんちゃん。

 

「あれは…多分大丈夫だな。一応行ってみるか」

 

 浜辺に降り、海の方へ歩いていくれんちゃんに私も続く。

 こちらに気がついたのか、浮かんでいた少女が陸地へと戻ってくる。

 

「こんにちは。どうしてここで浮かんでいたの?」

 

「どうしてか…。私は海が好きなんだ」

 

 そう話す少女は高身長で肌が褐色であった。長い髪を後ろで1本に纏めている。海に入っていたので、当然水着を着ている。

 

「海水浴場には行かないの?」

 

「ここは私の家から近いから、よくここで海に入っているんだ」

 

「大丈夫なの?」

 

「ああ」

 

 少女の落ち着いた声はとても聞きやすい。スッと耳に入ってくるようだ。

 

「2人はこの辺りでは見ない顔だが、旅行客か?」

 

「そうだよ、香川から来たんだ」

 

「なるほど。…タイミングがいいな」

 

「タイミング?」

 

「今夜はこの近くで夏祭りがあるんだ」

 

 なんとタイミングのいいことか。旅行先で祭りにも参加できるのか。

 

「千景、行きたいって顔してる」

 

「えっ?…まあ行きたいけど」

 

「案内しようか?」

 

「いいの?」

 

「ああ、構わない」

 

 とても親切な少女である。たまたま出会った旅行客を案内だなんて、私にはとてもできない。

 

「一応名前を聞いておこう。私は古波蔵棗だ」

 

「僕は郡蓮花」

 

「郡千景よ」

 

「蓮花さんと千景か、覚えた。…祭りまでまだ時間があるが、どうしよう」

 

 まだ昼過ぎ、確かにまだ時間が早い。れんちゃんが顎に手を当てて考える。

 

「よかったら、この辺を案内してくれないか?お礼に祭りの屋台で奢るよ」

 

「わかった、少し待っていてくれ。着替えてくる」

 

 そう言って近くの岩場の影に入っていく棗。そんな所で着替えるのか。

 

「あんな所で着替えるんだね…」

 

「同じことを思ったわ」

 

 

 

 少しして、水着から着替えた棗が戻ってくる。

 

「来た時もあそこで着替えたの?」

 

「いや、来た時は服の下に水着を着ていたんだ。海に入る前に服を脱いであそこに置いていた」

 

「大丈夫なの?」

 

「問題ない」

 

 ないのか。

 

 

 

 

 

 

 棗に様々な所を案内してもらい沖縄を満喫していると、あっという間に空は暗くなってくる。

 

「着いたぞ」

 

 祭り会場に到着すると、中心には神輿が置かれ、その周囲を人々が踊っていた。いわゆる盆踊りだろうか。

 かき氷やわたあめ、焼き鳥などの屋台も出店している。

 花火大会のような人口密度ではなく、地元感の強い祭りのようだ。

 

「お神輿凄い」

 

「凄いね。僕こういう祭りも好き」

 

 まずは屋台の方へと3人で歩いていく。

 

「お、棗ちゃんいらっしゃい!こっちのお2人は友達かい?」

 

 焼き鳥の屋台のおじさんが気さくに声をかけてくる。棗の知り合いだろうか。

 

「ああ、この2人は香川から旅行で来ているんだ」

 

「そうなのかい!じゃあ皆1本おまけするよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 全員分の焼き鳥を買い、次の屋台へと進んでいく。

 

 

「あら棗ちゃんいらっしゃい!」

 

 

「おう棗ちゃん来てくれたか!」

 

 

「棗ちゃん今日も海に入ってたのかい?好きだねぇ」

 

 

 屋台に留まらず、進む先々で声をかけられる棗。棗は地元で有名なのだろうか。

 

「棗って有名人なの?」

 

「いや、この辺りはだいたい皆知り合いなんだ」

 

「そうなのね」

 

 一通り屋台を回り、ベンチに座って踊りを眺めながら食べていく。

 

「千景、わたあめ1口ちょーだい」

 

「うん」

 

 わたあめをれんちゃんの方へ向けると、れんちゃんが顔を近づけ1口食べていく。おじさんがおまけしてくれたのでわたあめは大きく、1口食べられた程度では減ったように見えない。

 

「もっと食べてもいいけど」

 

「…そうだな、残り全部を千景が食べるには多いね」

 

 隣で黙々と食べ進める棗のわたあめを見ると、同じサイズを貰ったはずなのにもうかなり小さくなっていた。

 

 

 

「…では、踊ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

 早々に食べ終えた棗は、踊る人の列へと入っていく。周りの人と談笑しながら踊り始める。

 

 

 …もし、何かが違っていれば、あんな風に私もあの村の人達と仲良くなれたのだろうか。

 

 しかし、そうならなかったから今ここにいる。

 私の隣にいる人を見れば、これで良かったのだと今は確信できる。

 

 私の視線に気がついたれんちゃんがこちらに顔を向ける。

 

「どうかした?」

 

「…ううん、なんでもない」

 

 不思議そうな顔をしながらわたあめに食いつくれんちゃん。もう渡しておこう。

 

 

 

「……ねぇ、れんちゃん」

 

「何?」

 

「私といて、幸せ?」

 

「ああ。幸せだよ」

 

 笑顔でそう言ってくれるあなたの事が、私は大切なんです。



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第29話 揺らぐ日常

前回で計30話も連載してたんですね。投稿し始めてから季節が1つ変わりました。


 今日は帰りが少し遅くしまったので、お土産にプリンを買って帰る。ひなたにあげたケーキ屋のプリンである。

 

 家の前まで辿り着き、玄関の扉を開ける。

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 エプロンを着たまま玄関に来て出迎えてくれる千景。

 

「もう晩ご飯はできてるから」

 

「ありがとう。プリン買ってきたから、後で一緒に食べよう」

 

 リビングに入ると、テーブルの上には既に夕食の準備がされている。

 最近、僕の帰りが遅くなった日は千景が夕食を作って待ってくれているようになった。正直とても助かっている。

 

「それじゃ、いただきます」

 

「いただきます」

 

 千景の作ってくれた料理を食べれば、その日の疲れなんて消し飛ぶ。気がする。

 

 テレビの電源をつけるとニュースが映り、最近不審者が目撃されているとの情報が流れる。

 

「結構近いわね」

 

「気をつけてね。帰る時は複数人で帰ってね」

 

 朝は班で登校するため、大丈夫だろう。

 

「大丈夫、帰りは若葉達と一緒だから」

 

「そうか」

 

 ニュースの話題は変わり、仮装して街を歩く人達の映像が流れる。おそらく去年のハロウィンだろう。

 

「そういや、もうすぐハロウィンか」

 

「何かする?」

 

「お菓子作って皆でパーティーでもするか」

 

 最近はひなた達も千景を見習って料理の練習を始めたらしい。各自で作った菓子を持ち寄るのはどうだろう。

 

 そんなことを考えながらも食べ進め、夕食を終える。

 

「ご馳走様、今日も美味しかった」

 

「よかった」

 

 千景が作ってくれた美味しい夕食を食べ、僕が美味しいと言えば千景が笑ってくれる。なんて幸せなのだろうと思った。

 

 

 

 

「先に風呂行ってて。食器洗い終わったら僕も行くから」

 

「わかった」

 

 キッチンで夕食で使った食器を洗いながら、千景にそう伝える。

 2人分の食器なのでそう時間はかからない。

 

 

「れんちゃん!!ちょっと来て!!」

 

 なかなか聞くことの無い千景の大きな声が浴室の方から聞こえた。

 

「どうした?」

 

 途中で手を止めて浴室へ向かう。

 そこには、既に服を脱いだ千景。その脚を伝う赤い液体。

 

「なんか…血が…」

 

「…なるほど。遂に生理が来たんだね」

 

「これが生理…?保健の授業でやったけど」

 

「うん。大丈夫、心配しなくていいよ」

 

 千景ももうそんな時期なのか。小学5年生だがまだ10歳、思っていたより早かったので生理用品の用意が無い。

 

「千景、今から琴音さんに電話して生理用品買ってくるから、シャワー浴びててくれ」

 

「いいの?」

 

「ああ、脚に付いた血も流さないといけないしね。で、僕が帰ってくるまでそのまま風呂場にいてほしい」

 

「わかった」

 

 浴室の扉を閉め、すぐに琴音さんに連絡する。生理用品の選び方等、僕は男なのでわからない。

 こういう時のママ友は安心感が違った。

 

 

 

 

「ただいま、買ってきたよ」

 

「こんばんは〜」

 

 生理用品を買って家に帰り、浴室の千景へ声をかける。

 夜だが琴音さんは買い物を手伝ってくれたうえ、千景に生理用品の使い方を教える為に家までついてきてくれた。

 

「体濡れてるけどどうしたらいい?」

 

「タオルで拭いていいよ。血が付いちゃってもいいから」

 

 

 その後、体を拭いた千景と共に琴音さんから生理用品の使い方を教わる。

 僕も一緒に教わるのはどうかと思ったが、この家には僕と千景しかいないため、千景の為にちゃんと知っておいたほうがいいと思った。

 

 ──────────

 

「もうすぐハロウィンね」

 

「そうだな」

 

 放課後のいつもの帰り道、昨日れんちゃんが言っていた案を2人に話す。

 

「れんちゃんが、お菓子作ってパーティーでもするかって言ってたんだけど、どう?」

 

「いいですね!」

 

「ああ、会場はうちを貸し出そう」

 

「勝手に家を貸し出していいの?」

 

「問題ないだろう」

 

 乃木家の居間は広いため、集まって何かをするのは大抵乃木家で行う。我が家からも近いので問題はない。

 少しずつ落ち葉が増えていく通学路の風景に、夏から秋、冬へと季節が移り変わっていくのを感じる。

 香川に来て、3回目の秋だ。

 

 

「じゃあまた明日ね」

 

「はい、また明日」

 

「またな」

 

 いつものように分かれ道で若葉達と別れ、私は自分の家に向かう。

 今日はれんちゃんの帰りは遅いのだろうか。それとも早く帰ってきてくれるのだろうか。

 

 ──────────

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 今日はあまり遅くならずに帰ってくることができたから、今日は僕が夕食を作ろう。

 そう思いながら部屋に入ると、既に千景がエプロンを着け、キッチンに立っていた。

 見たところ、夕食を作り始めたところのようだ。

 

「今日は僕が作ろうと思ってたけど、せっかくだし一緒に作るか。今日は何作るの?」

 

「今日はしょうが焼きとポテトサラダよ」

 

「了解」

 

 荷物を置き、僕もエプロンを付けてキッチンに立つ。2人で並ぶには少し狭いが、一緒に料理をするのは楽しい時間となった。

 

 

 

 

 夕食を食べている途中、僕のスマホの着信音が鳴った。電話をかけてきた相手は琴音さん。

 

「誰?」

 

「琴音さん。どうしたんだろう」

 

 箸を置いて電話に出る。

 

 

「もしもし?」

 

『れんちゃん、そちらにひなたはいませんか!?』

 

 スピーカーから聞こえてくる琴音さんの声には、焦りや不安が感じ取れる。

 

「いないけど、ひなたがどうしたの?」

 

 

『ひなたがっ、ひなたが帰ってきていないんです!!』

 

 

 日常が一瞬、揺らいだ気がした。



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第30話 大丈夫

 ひなたが帰ってきていない。

 琴音さんからそう告げられ、僕の思考が一瞬止まる。

 

 

「ひなたが帰ってきていない?」

 

『はい。学校から帰って直接楓ちゃんの家に行って若葉ちゃんと遊んでいるのかと思っていたんですが、夕食の時間になっても帰ってこないので迎えに行ったんですけどいなくて、若葉ちゃんに聞いたらいつものように一緒に帰ってきて家の前で別れたって…』

 

 通学路で帰ってくると、家の並び的に乃木家の前に先に着き、もう少し進んで上里家に着く。

 乃木家の前で若葉とひなたが別れ、そこまでは一緒にいたということは、乃木家の前から隣の上里家の前までの間に何かがあったということか。

 

「警察には?」

 

『今伊織さんが電話してくれています。ひなたがそちらにいれば必要ないと思っていたんですが、いないと聞いてすぐ電話をかけてくれました』

 

「そうか」

 

 立ち上がり、上着の袖に腕を通す。

 

「僕も捜しに出る」

 

『ありがとうございます!こちらに何か情報が入ったらまた電話します!』

 

 そして通話を切り、ポケットにスマホを入れる。

 

「どうしたの?」

 

 電話の様子から何かあったことを察したらしい千景がこちらを見上げる。

 

「ひなたが帰ってきてないらしいから、僕も捜しに行ってくるね」

 

「え!?私も一緒に捜すわ」

 

 そう言って立ち上がろうとする千景を手で制止する。

 

「千景は留守番を頼む、僕の晩ご飯にラップしておいてくれ。すぐ戻るから」

 

「…わかった」

 

 大人しく言うことを聞いてくれた千景の頭を撫で、玄関の扉を開けて外に出る。

 

 

 神による少女の選別は既に行われているはずだ。ならば、見初めた少女のことは常に見守っているのではないだろうか。

 

 

「──ひなたは何処にいる」

 

 目を閉じ虚空に問いかける。

 そして脳に流れ込んでくるのは、ここから少し離れ、路地裏を抜けて行った先にある倉庫の風景。

 

 徒歩なら1時間くらいの距離か。

 しかし千景にすぐ戻ると言ったからには、そんなにかけていられない。

 

 マンションの塀の上に立ち、壊さない程度に力を込めて踏み込み、塀を蹴って飛び出す。

 建物の屋根や電柱を足場として最短距離で駆け抜ける。既に日は沈んでいる、夜空を駆けても気づかれないだろう。

 

 10分も経たないうちに、目的の倉庫を視界に捉えた。

 

 ──────────

 

 知らない倉庫の中で椅子に座らされ、口をテープで塞がれ手首を後ろ手に縛られている。

 

 私は誘拐されたのだろう。この状況で他が思いつかない。

 私の周囲には、男が4人立っている。

 

「でもよぉ、なんで隣の屋敷のガキにしなかったんだ?」

 

「デカい家を狙うのは多少リスクも高くなる。そういう家の人間は、大抵地域の人間によく知られているからな」

 

「確かに、地域総出で捜されちゃあ大変だな」

 

 その会話から、手慣れているように感じる。

 この誘拐犯達は、若葉ちゃんのことも標的に入れかけたのだろうか。

 攫われたのが私で、若葉ちゃんは無事でよかった…。

 

「そろそろ身代金の電話するか?」

 

「そうだな」

 

 目的は身代金か。いかにもといった感じの誘拐だ。

 

「にしても可愛い嬢ちゃんだな。ガキにはあまり興味は無いが、ちょっと味見でもするか」

 

「向こうが金を用意するまでの時間暇だしな」

 

 そう言って私の方を向く男達。その視線に震えが止まらない。

 

 

 

 次の瞬間、大きな音を立てて倉庫の扉がぶち抜かれた。

 

「何だ!?何が起き」

 

 1人の男が言い終える前に、男達は吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。

 

 

「……ぇ?」

 

 そして砂埃が落ち着いた頃、私の前にはれんちゃんが立っていた。

 

「迎えに来たよ、ひなた」

 

 ──────────

 

 ひなたの口を塞ぐテープを剥がし、手首を縛っていたベルトを外すと、勢いよく僕の胸に飛び込んでくる。

 

「れんちゃんっ!!」

 

「ひなた、怪我とかしてないか?」

 

 ひなたを抱き締め返すと、その小さな体も、僕の背中に回された手も、震えていた。

 

「もう大丈夫。僕がいる」

 

 

 突如、物音がした方へ振り向けば、男が1人立ち上がっていた。

 全員殺すつもりで拳を撃ち込んだが、1人狙いを外したか。他の3人は四肢が異常な方向へ曲がっている。内1人は脊髄をやったか。

 

「ひなた、ちょっとだけ待っててくれ。すぐ終わらせて帰ろう」

 

 ひなたに怖い思いをさせた奴等を生かしておく必要はないだろう。

 

「れんちゃん、殺すのは駄目です!!れんちゃんが人殺しになっちゃう!!」

 

「……わかった」

 

 どうして君はそんなに優しいんだ。

 

 話している間に、男は懐からナイフを取り出す。そんな物で僕の肌は切れないのに。

 

「何だよお前!!こ、こっち来んじゃねーよ!!」

「…フッ!!」

 

 男が瞬きをした刹那、一気に距離を詰め左手でナイフを握り潰し、右手で顎に掌打を入れる。

 その感触から、男の顎が砕けたのを感じ取る。

 脳震盪により気絶した男は、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 ──────────

 

 砕けたナイフを捨て、れんちゃんが私の元へ戻ってくる。

 一撃で男は崩れ落ちた。れんちゃんの身体が凄いのは知っているが、今の動きは相当な技術も伴っていると素人目にもわかる。

 

「…れんちゃんって、武術の達人とかですか?」

 

「うーん…まあそんな感じかな。さあ、帰ろう。おんぶしてあげるからおいで」

 

 そう言って私に背を向けてしゃがむれんちゃん。首に腕を回し、その背中に寄りかかる。

 

 私を背負って立ち上がり、歩き出すれんちゃん。その大きな背中は私の震えなんてかき消して、とても安心させてくれた。

 

 ──────────

 

 ひなたを背負って上里家まで帰ってくると、未だ落ち着かない様子の琴音さん達と楓さん達、警察がそこにいた。

 

 僕に気がついた琴音さんは、その背中に見えたひなたに安堵してその場に座り込んでしまった。

 

「お母さん!!」

 

 僕がしゃがんでひなたを下ろすと、ひなたは琴音さんのところへ走った。

 

「ひなたぁ…良かった…本当に良かった……」

 

 ひなたを抱き締め、安堵の涙を流す琴音さん。

 ひなたも遂に、ずっと我慢していた涙を溢れさせていた。



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短編 後悔と喪失

今までと同じく、短編は本編とは違う時間軸です。
短編同士は繋がっています。


 球子と杏が死んだ。僕のいないところで。

 真鈴は部屋に籠もって寝込んでしまっていると久美子から聞いた。

 

 そして約1ヶ月後、千景が故郷の村に帰った際に一般人に刃を向けた。

 しかし僕が間に合い止めたため、その刃が誰かを傷付けることはなかった。

 だが、若葉に千景を連れて帰ってもらった後、僕がその村人達を傷付けた。個人的な怒りをぶつけたのだ。

 千景の耳を切った奴の両耳を引きちぎり、千景の体に残る傷をつけた奴の体を切り刻んだ。

 夕日に照らされたことも相まって、僕の格好は返り血で赤く染まっていた。

 

 そして今、千景は謹慎となり丸亀市で両親と暮らしている。

 

 僕は今、その家の前に立っている。

 インターホンを鳴らすが、何も反応はない。誰も出てこない。

 

 玄関の扉を引いてみると、鍵は開いていた。

 普通なら良くないが、この際気にせず家に上がる。

 

 まっすぐ2階へ上がり、千景の部屋をノックする。

 

「千景?」

 

 すると、少し遅れてドア越しに千景の声が聞こえた。

 

「……どうしてここにいるの?」

 

「千景に会いに来たから。…開けてくれないか?」

 

 ゆっくりと扉が開く。そこにいた千景は、少しだけやつれているように見えた。

 千景の部屋に入り、床に座る。千景は自分のベッドに腰掛けた。

 

「ちゃんとご飯食べてるか?」

 

 

「…なんで会いに来たの」

 

「千景が心配で様子を見に来た」

 

 千景はずっと俯きがちで、顔を上げてくれない。

 部屋の中は荒れており、千景の心を表しているのではないかと感じる。

 

「千景。ここにいて心は休めているか?そうじゃないなら、丸亀城に連れ戻そうと思ってここに来た」

 

「…謹慎中だから」

 

「外出しなければいいなら、寮の部屋でもいいだろう。誰かが文句を言ってきたら僕が黙らせる」

 

 少しだけ顔を上げ、こちらを見てくれる千景。やはりこの家では千景は休まっていないようだ。

 

「……ねえ千景。僕の我儘を言ってもいいかな」

 

「…どうぞ」

 

 千景の紅い瞳をまっすぐに見つめる。

 

「寮の僕の部屋で、一緒に生活しないか?」

 

「……え?」

 

 目を開いて驚きを見せる千景に、僕の思いを伝える。

 

「君を傍で支えたい。だから僕の傍にいてほしい」

 

「……なんでよ」

 

「え?」

 

「なんで私にそこまでしてくれるのよ……」

 

 感情の揺れる潤んだ瞳を僕に向ける千景。何故傍で支えたいのか。その理由はきっと千景もわかっている。それでも僕の口から聞きたいのだろう。その方が安心できるのだろう。

 

「君が大切だから」

 

 立ち上がり、千景の傍に寄ってその手をそっと握る。

 

「…僕と一緒に来てくれないか」

 

「……はい」

 

 服が涙に濡れても構わず、僕はこの子を抱き締めた。

 

 

 

 

 荷物を纏めた千景と共に部屋を出て、1階に降りる。

 そこには、おそらく千景の父親と思われる男が立っていた。

 

「そいつをどこに連れていくつもりだ!」

 

「この子は丸亀城に連れ戻します」

 

「そんな役立たずが戻ったところで何になる!!」

 

 握る千景の手が震える。怒りに揺れる心を押さえつけ、僕の思いを話す。

 

「この子を戦いに戻すつもりはない。丸亀城の寮で謹慎するだけだ」

 

「謹慎ならここでもいいだろう!!ここは家だし、こいつは俺の娘だぞ!!」

 

「この子はここでは休まらない。その理由もよくわかった気がする」

 

 その手に持つ酒瓶を今にも振りかざしてきそうな勢いで話す男。

 

「とにかく、千景は連れて行く。きっとそれがこの子の為になる」

 

「行かせるかッ!!」

 

「危ない!!」

 

 本当に酒瓶で殴りかかってくる男。千景と繋いでいた手を放し、酒瓶を割らないよう左手で掴みつつ、右手で男を殴り飛ばす。

 

 

「娘だと思っているなら、こんな時くらい支えてやれよ!!」

 

 怒りをぶつけた後、男が立ち上がる前に僕達は家を出た。

 

 

 

 

 

「外出禁止ってことは、食堂も行っちゃ駄目なのかな?」

 

「そうじゃない?気分的にも行きづらいし」

 

 丸亀城までの道を千景と2人で歩く。千景は周りに気づかれないようフードを被っている。

 

「じゃあご飯は部屋で作って一緒に食べるか」

 

「私はインスタントラーメンとかでいいから」

 

「駄目。ちゃんと僕が作った栄養満点の料理を食べてもらいます」

 

 家ではそんな食生活をしていたのだろうか。そういえば、千景の部屋のゴミ箱にはカップ麺の容器が沢山入っていた気がする。

 

「…わかったわ」

 

「とりあえず、1回帰ったら買い出し行ってくるね。今日の夜は何食べたい?」

 

「……何でも」

 

 千景の返答に少し困りながら、遠くに見えてきた丸亀城へ足を進めた。

 

 

 

 

 

「あら、蓮花さん。こんばんは」

 

「買い物か?」

 

 日が沈みかける頃、買い出しを終えて丸亀城に戻ってくると、夕食のため食堂に向かう途中の若葉達と遭遇した。

 

「ああ。今日から僕は部屋で食べるっておばちゃんに言っておいてくれ」

 

「構いませんけど、どうして?」

 

「千景と一緒に食べるんだ」

 

 僕は千景を連れ戻した事等を話す。当然2人は驚いた。

 

「じゃあ千景は今蓮花さんの部屋にいるのか!?」

 

「いるよ。まあしばらくはそっとしておいてあげて」

 

「わかりました」

 

「まあ2、3日経ったら、ゲームでもしに来てくれ」

 

 そして食堂へ向かう2人の後ろ姿を見送り、僕は千景の待つ自室へ戻った。

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 部屋に入ると、千景はベッドの縁に背を預け、携帯ゲームをしていた。

 

「今夜はハンバーグ作るね」

 

「うん。……私も手伝うわ」

 

「ありがとう」

 

 キッチンへ向かいエプロンをつけ、玉ねぎをみじん切りにしてフライパンに入れる。

 

「これ炒めて。その間にタネ作るから」

 

「はい」

 

 2人で並んで調理していく。千景は玉ねぎが目に染みているようだ。

 

「そういえば、テレビにゲーム繋いだり好きにしていいからね」

 

「わかったわ」

 

 その後も何気ない会話をしながらハンバーグを作る。

 こんな風に千景と一緒に料理をするのは初めてか。

 

 

 そして焼き上がったハンバーグはとても良い出来だった。

 箸で切ったところから溢れ出す肉汁に目を輝かせる千景。

 

「はふっ……凄く美味しい」

 

「そうだね」

 

 僕はハンバーグの美味しさよりも、千景が様々な表情を見せてくれることに満足していた。

 

 

 

 

 風呂から上がると、千景はテレビにケーブルを接続していた。ゲームを繋いでいる真っ最中である。

 

 

「これでよし」

 

「せっかくだし一緒にやりたいな」

 

「じゃああれね」

 

 そう言って千景が起動したのは、初めて僕が千景と一緒にした落ち物パズルゲーム。

 

「結構上手くなったわね」

 

「でもまだ千景には勝ってない」

 

 あれからも時々一緒にしていたが、僕が勝ったことはない。少しずつ成長して、たまに惜しいところまで行ったりはする。

 

「年内に私に勝つって言っていたけど」

 

「まだ半年ある。多分いける」

 

「あら、楽しみね」

 

 そう言いながら連鎖を起こす千景。あっという間に僕の敗北が決まった。

 

 

 

 

「そろそろ寝るかぁ」

 

「そうね」

 

 日付が変わった辺りでゲームを終わる。結局僕が勝つことはなかった。何度か惜しかったが。僕が連鎖の準備ができる頃には千景が連鎖を起こしているのだ。

 

「千景はベッド使ってくれ。僕は床でいいから」

 

「え、でも…」

 

「いいからいいから」

 

 僕の部屋に余っている布団はない。今度買うべきだろうか。

 せめてタオルくらいは掛けて寝ようと思い、タオルを取りに行こうとすると千景に止められる。

 

「ベッドで…一緒に寝ればいいじゃない」

 

「いいの?」

 

「私は構わないわ。前にもベッドで一緒に寝たし」

 

「そういえばそうだった」

 

 春にバーベキューをした前日に、千景の部屋に止まって一緒に寝たのだった。

 

「じゃあ千景、奥に入って」

 

「いいけどなんで?」

 

「僕が先に起きて朝ごはん作るだろうから」

 

「確かに」

 

 納得した千景がベッドに入っていき、僕も部屋の明かりを消してベッドに入る。

 

「…狭いわね」

 

「やっぱり僕出ようか?」

 

「このままで、いいから」

 

 出ていきかけた僕の服を掴んで放さない千景。その顔は暗闇でもわかるほど赤く染まっている。

 

「あ。今気づいたけど枕も1つしかないから、使っていいよ」

 

「……枕は蓮花さんが使って」

 

「いいの?」

 

「ええ。そのかわり…腕を貸して?」

 

「これでいい?」

 

 千景の方を向いて右腕を伸ばすと、二の腕辺りに千景の頭が乗せられる。さらさらな髪が少しくすぐったい。

 

「ん…これでいい」

 

「明日、布団と枕買ってこようか」

 

「高いでしょ?もうずっと、これでいいから」

 

「…わかった」

 

 すぐ傍からとても良い香りがする。互いの心音が伝わる距離で向かい合う。

 空いていた左腕を千景の背中に回すと、千景の両手が僕の背中に回される。

 

「…安心して寝られる?」

 

「……ええ」

 

 より体温を感じられるよう、自ら2人の隙間を埋めて密着してくる千景。

 

「おやすみ、千景」

 

「…おやすみなさい」

 

 千景は僕の理性を削りながら、静かに眠りについた。

 

 

 

 朝千景が起きる前に起きて朝食を作り、千景と一緒に食べ、千景に見送られながら出発し、昼には1度戻ってきて千景と一緒に昼食を食べ、夕方帰ってきてから一緒に夕食を作って食べ、順番に風呂に入ってから少し遅い時間まで遊び、一緒にベッドに入って寝る。

 時々、若葉とひなたが僕の部屋に遊びに来てくれたりもした。

 友奈の見舞いの為病院に行き、友奈と部屋にいる千景を通話させたりもした。

 

 

 そうして束の間の平穏な日々は過ぎていき、千景と一緒の生活を始めて数日が経過した。

 

「…さっき大社から連絡が来たわ」

 

「何て?」

 

「私の精神の安定が確認できたから、明日で謹慎を終了して勇者システムを返還するって」

 

「……そうか」

 

 夕食を食べながらそんな話を聞き、千景が戦いに戻ることを知る。ちなみに今日は若葉の鍛錬に長時間付き合い汗をかいたため、先に風呂は済ませている。

 

「……私が戦うのは嫌?」

 

「ああ。皆そうだが、傷ついてほしくない。ずっと思っていたけど」

 

 大切な人が傷ついて、時には命を落とすかもしれないのが嫌じゃない人はいないだろう。

 どうしても気分は落ちていく。

 

「でも仕方ないわ。私は勇者だから」

 

「…わかってる」

 

 友奈は未だ入院中。千景が戦わなければ、その分若葉が危険を引き受けることになる。

 

「千景、まだ勇者であることに価値を感じているか?」

 

「いいえ」

 

「そうなの?」

 

「ええ」

 

 出会った頃は勇者だから愛されると、勇者であることに価値を見い出していた千景が。変わったものだ。

 

「だって、貴方は私が勇者だから傍にいてくれるわけじゃないでしょう?」

 

「うん」

 

「だから、もうどうでもいいの。私が勇者じゃなくなっても、貴方は傍にいてくれるって思えるから」

 

「…そうか」

 

 不特定多数の人間よりも僕1人からの愛を望んでいるということだろうか。

 

「……謹慎が終わるから、私は自分の部屋に戻らないといけないわね」

 

「え、どうして?僕は謹慎中だけとは言ってないよ?」

 

 箸を持つ手を止めてこちらを見る千景。

 

「…まだここにいていいの?」

 

「もちろん。僕はそのつもりだったんだけど」

 

「……蓮花さんがそうしてほしいなら」

 

「うん。そうしてほしい」

 

「…わかった」

 

 それ以降、千景は言葉を発さず夕食を終え、そそくさと風呂に向かった。その顔はどこか嬉しそうで、安心した様子だった。

 

 

 

 

「……蓮花さん」

 

 ベッドの縁に背を預けスマホをいじっていると、千景の声で名前を呼ばれる。風呂から上がったらしい。

 

「ん?どうし…!?」

 

 呼ばれた方を向くと、そこにはバスタオルを体に巻いた千景が立っていた。いつもは脱衣場で服を着て出てくるが、今はバスタオルのみである。

 

「……着替えを忘れた?」

 

 僕の思いついた可能性に首を振る千景。うっかりではないのか。

 

「あの……お願いが、あって」

 

「え、この状況で?…どうしたの?」

 

 湯冷めしない為にも先に服を着たほうがいいように思ったが、真剣な目をこちらに向ける千景を見て、そのまま続きを促す。

 

 

「…この傷のある体でよければ……抱いて…くれませんか……?」

 

 顔を真っ赤に染め、緊張して震える声で、彼女は確かにそう言った。

 立ち上がり、千景を真っ直ぐに見つめて問う。

 

「……どうして急にそんなことを?」

 

「…明日からまた私は戦いに戻るから、もしかしたら、死ぬかもしれない。伊予島さんと土居さんがそうだったように、唐突にその時は訪れるかもしれない」

 

 千景は可能性を話し出す。普通の子供ならほとんど無いようで、この子達には普通に有り得てしまう可能性。

 

「そう思ったら、伝えたい事は伝えられる内に伝えたほうがいいと思ったの。最後に後悔しないように…きゃっ!!」

 

 そんな千景の言葉を聞いて、僕は千景を抱き締める。いきなりで驚かせたかもしれない。その体は震えている。

 

「そんな悲しいことを言わないでくれ……」

 

「……ごめんなさい」

 

 どれだけ否定したくても、その可能性を消し去ることはできない。

 

 伝えたい事は伝えられる内に伝える。それはとても大切なことかもしれない。千景にとっても、僕にとっても。

 

 心を決めて、いつか伝えようと思っていた事を、今伝えよう。

 

「──僕は、千景が好きだよ」

 

 顔を上げて僕の目を見る千景。驚きや喜び等、様々な感情が籠った瞳。

 

「…君を抱くのが、僕でいいのか?」

 

 最初に求められておきながら、今一度その是非を問う。

 顔は赤いまま、しかし千景は微笑んで答えてくれた。

 

「…貴方がいいの。私も……貴方が好きだから」

 

 

 その夜、僕達はベッドの上でひたすらに互いを求め合った。伝えたかった事を沢山伝えた。

 千景の破瓜の痛みに歪めた表情も、達した時の恍惚とした表情も、その唇の柔らかさも一生忘れることはないだろう。

 何もかもが愛おしいその時間は、心の底から幸せだと思えた。

 

 

 

 そしてその翌日、バーテックスの侵攻が起きた。

 

 樹海に立っているのは、僕と千景、若葉の3人。正面には白い群勢。

 必ず2人を守り抜くと身構える。しかし次の瞬間、僕だけが樹海から弾き出された。

 それは神樹の意思なのだろうか。お前がいては2人とも生き残ってしまう、少女はここで命を落とす運命なのだと言わんばかりに。

 気がつけば僕は丸亀城にいた。そしてその時には既に、戦闘は終わっていた。

 

 僕は急いで若葉達がいるはずの天守前へ登った。

 恐怖が胸を締め付けた。とても近い距離なのに、とても長く感じた。

 

 天守前には、全身から血を流し右腕はちぎれかけている千景と、それを抱える若葉がいた。

 

「千景!!!」

 

「ぁ……蓮花…さん…」

 

 千景に駆け寄り、若葉に変わり千景を抱きかかえる。

 

「千景!すぐ病院に連れて行く!!」

 

「もう…無理よ……。わかっているでしょう…?」

 

「でも!!」

 

 恐怖や焦りが頭を埋めつくしていく。

 

「ああ…結局、後悔するじゃない……」

 

「え?」

 

「貴方を遺して……死ぬことが…辛い……」

 

 千景を抱き締める僕の服もどんどんと赤く染まっていく。千景の血が止まらない。

 

「死なないで…僕を置いて逝かないでくれ……ずっと僕の傍にいてくれよ……」

 

「…ごめんなさい……」

 

 雨が降る暗い空の下、僕の頬を濡らすのは雨か涙かわからない。

 

「…蓮…花…さん……」

 

「何……?」

 

 振り絞るように言葉を紡ぐ千景の声に耳を澄ませる。

 

「……愛…し…てる………」

 

「僕も…君を愛してるよ……」

 

 僕の言葉を聞いた千景は安心したように微笑み、静かに瞼を閉じた。

 

 

「…ぁぁあ゙あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 遺体となった千景を抱き締め、僕は声と涙が枯れるほど泣き続けた。込み上げる感情を吐き出さないと、心が壊れてしまいそうで。

 

 もっと沢山、笑顔の千景を見ていたかった。誰よりも近くで。

 千景を愛したから、こんなにも辛く悲しいのだろう。

 ──それでも僕は、千景を愛したことを後悔はしない。



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第31話 冬と温もり

ゆゆゆいサービス終了が辛くて仕方ないです。


 夢を見た。

 

 厳かで悲しみに満ちた葬儀のような場で、前には棺の中に穏やかに眠る少女が二人。

 

 棺の前で泣き崩れる少女が一人。

 

 

 

 入口には、押し寄せる大波の如き虚無感や無力感に苛まれ、立ち尽くす青年が一人。

 

 

 

 

 

 

 

 場面は変わり、雨が降る暗い空の下、丸亀城の天守前。

 

 少女の亡骸を抱きかかえ、赤く染まりながら悲しみに涙を流す青年と少女。

 

 

 

 青年は少女達の運命を嘆き絶望する。

 

 ──────────

 

 目を覚ますと外はまだ薄暗く、時計の針は5時前を指していた。

 目の前には千景の安らかな寝顔。どんな夢を見ているのだろう。幸せな夢だといいな。

 

 ここに来た時、千景はまだ8歳だったが、次の誕生日で11歳になる。

 時間の流れはとても早い。僕はあとどれくらいこの子の傍にいられるのだろう。

 

 2度寝をしようにも、辛い夢を見たせいか目が冴えて眠れない。仕方ないので、マフィンでも焼いておこう。ちょうど今日は乃木家に遊びに行く予定だ。

 

 立ち上がり、布団に千景を残してキッチンへと向かう。千景を起こさないよう静かに作業しよう。

 

 

 何年経っても夢に見る度、僕は少し安心する。あの辛い過去を忘れていないことを確かめられるから。

 

 ──────────

 

「最近悩みがあってさ」

 

「どうした、千景のことか?」

 

「うん」

 

 乃木家の居間にて、楓さんと琴音さんにちょっとした悩みを話す。ちなみに子供達はすぐそこでマフィンを食べている。

 

「最近、千景が一緒に風呂に入ってくれなくなった…」

 

「…………当たり前だ。小5だぞ」

 

「そうですよ、もう胸も膨らみ始めてますし」

 

「そうだよね…」

 

 予想通りの回答をされて気が沈む僕を他所に、若葉とひなたは何故か驚いていた。

 

「千景、胸が膨らんできているのか!?」

 

「え、ええ」

 

 生理が始まった辺りから、千景の胸は膨らみ始めた。僕がそれに気がついた辺りから、千景は一緒に風呂に入るのを少し恥ずかしがり始め、最近は一緒に入ってくれなくなった。

 

「むしろ最近まで一緒に風呂に入っていたことに驚きだ」

 

「仲良しだから」

 

「いいことですね」

 

 千景に向かって両手を広げていると、大抵寄ってきて抱き締めさせてくれる。なんて可愛い生き物なのだろう。

 

「そういえば、若葉とひなは誠司さんや伊織さんと一緒に風呂に入らないの?」

 

「入らないな。小学校に上がった辺りで入らなくなった」

 

「ひなたもそんな感じです」

 

「まじか、早いな」

 

 誠司さんと伊織さんはもう4年以上娘と一緒に風呂に入っていないのか。可哀想に。

 

「ねえ、普通の親子ってそんなに早く一緒にお風呂に入らなくなるの?」

 

「人によると思うが、そういう人は多いんじゃないか?」

 

「え、そうなの?」

 

 若葉の回答に少し驚く千景。まあ確かに、若葉とひなたは特に早いほうかもしれないが、大体の子は小学校低学年の間くらいに異性の親とは一緒に入らなくなるのだろう。

 

「でもちーちゃんはれんちゃんのことが大好きですし、いいんじゃないですか?」

 

「ちょっ……そうかしら」

 

「そうですよ」

 

 話が一段落し、マフィンを食べ終えた子供達が遊びに戻るのを眺めながら、みかんの皮を向いていく。今は正月、ここにはこたつもみかんもある。

 

「話は変わるが、今回の休みはどこにも旅行しないのか?」

 

「予定は無いよ」

 

「珍しいですね」

 

 たまには家でゆっくり過ごす休みもいいだろう。

 

「千景、どこか行きたかったりする?」

 

「特には無いかしら。今まで長期休みの度に旅行していたし、たまには家でゆっくり過ごすのもいいんじゃない?」

 

「凄いね、僕の考えと丸かぶりだよ」

 

 長く一緒に過ごしてきて考え方が似てきたのだろうか。

 

「ねえ若葉、ひな」

 

「何ですか?」

 

「僕と千景って似てる?」

 

「似てるな」

 

「似てますね」

 

「え、そう?」

 

 2人共に似ていると言われるとは思わなかった。

 

「具体的にどの辺が似てる?」

 

「具体的にか……雰囲気とか?」

 

「嘘のつき方も似てますね」

 

「嘘のつき方が似てるとか生まれて始めて言われたよ」

 

 僕は千景に悪影響を与えていないだろうか。大丈夫だろうか。

 

「微笑みながらサラッと嘘をつくのはそっくり」

 

「僕そんな千景見たことないよ」

 

「れんちゃんに嘘をついたことは無いから」

 

「そうか」

 

 千景は僕に対してはいつも素直でいてくれているのか。思い返しても確かに嘘をつかれた記憶はない。

 

「いい子だねぇ〜」

 

「ん…」

 

 髪型を崩さない程度にわしゃわしゃと千景の頭を撫でる。千景の髪はいつもサラサラで触り心地が良い。

 

「みかん食べる?」

 

「食べる」

 

 先程剥いたみかんを千景の口に入れる。

 

「若葉とひなも食べる?」

 

「ああ」

 

「食べます」

 

 寄ってきた2人の口にもみかんを入れる。前にもこんなことがあったような気がする。

 

 そんな事を思っていると、どこかに出かけていた誠司さんが帰ってきた。手に買い物袋を1つ持っている。

 

「ただいま」

 

「おかえり。何しに行ってきたんだ?」

 

「アイスとみかんを買ってきた」

 

 テーブルの上に袋を置き、みかんの入ったネットとバニラやチョコのアイスが複数入っている箱アイスを取り出す誠司さん。

 

「どっちもこたつと相性抜群だ!」

 

「皆も食べていいよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 子供達と共に僕も餌付けされるのだった。

 

 ──────────

 

「今日は色々食べていたけど、晩ご飯何にする?」

 

「温かいものが食べたいわ」

 

 夕日の差す冬空の下、乃木家から帰宅する前にスーパーへ向かう。

 ほんの少し雪が降っている程度には寒く、温かいれんちゃんの手を握る。

 

「鍋焼きうどんでもしようか」

 

「いいわね」

 

 温かい夕食を想像し、気分も少し温かくなる。

 

「冬休みの宿題は進んでる?」

 

「ほとんど終わったわ」

 

「さすが」

 

 スーパーに辿り着くまで、私達はどうでもいいような日常会話を繰り返す。

 内容は本当にどうでもいいような事。それでも会話を続けるのは、互いの声を聞いていたいから。

 大切な人の声を聞いていると、心がとても温まるから。

 買い物を終えてスーパーを出る頃には、既に雪は止んでいた。



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第32話 桜下の約束

今回で計10万字を超えましたね。


「千景、玉子焼きの味付けは醤油、だし、砂糖のどれがいい?」

 

「全部作ってみたら?多分皆食べるでしょ」

 

「そうだね」

 

 朝から千景と2人でキッチンに立ち、弁当と朝食を作る。今日は皆で花見をするのだ。

 

「朝ご飯できたわ」

 

「ありがとう。一段落したら冷める前に食べるよ」

 

 千景が朝食を作ってリビングのテーブルへ運んでいく。料理の腕は2年前と比較して随分と上達し、主婦レベルに到達しつつある。

 料理以外にも家事全般を教えてきたので、既に家事万能と言っても差し支えない。

 どこに出しても恥ずかしくない立派な子だ。

 玉子焼きを巻きながら、そんなことを思った。

 

 ──────────

 

 春が来て、千景は小学6年生、若葉とひなたは5年生になった。

 丸亀城の桜は満開を迎えており、時折吹く風に花弁が舞う。

 

 桜の下に1枚の大きなレジャーシートを広げ、その上に全員で座る。

 今日はいつもの乃木親子、上里親子に加え、珍しくおばあちゃんも一緒である。

 

「あと何回、孫達と一緒に花見できるかねぇ」

 

「縁起でもないことを言うなよ、母さん」

 

 丸亀城は有名な花見スポットで、周囲には同じように花見をしている人達がたくさんいる。

 

「弁当たくさん作ってきたから、皆も食べてね」

 

「ああ!」

 

「ありがとうございます!」

 

 自分達の弁当そっちのけで僕達の弁当へ箸を伸ばす若葉達。お母さん達が作ってくれた弁当も食べてあげてね。

 

 

 そんなことを一瞬思ったが、その楓さん達も一緒になって僕達の弁当をつつき始める。別に構わないが、それでいいのか。

 

「このポテトサラダは千景が作ったんだよ」

 

「何!?母さんが作るサラダより美味いな」

 

「確かに私のより美味いな」

 

「あはは…」

 

 

 

 女性陣が談笑する中、誠司さんは持ってきた酒を開けて紙コップに注いでいた。

 

「伊織と蓮花はどうだ?」

 

「貰う」

 

「僕はいいかな」

 

 速攻で紙コップを差し出す伊織さんと対照的に、僕は酒を遠慮する。

 

「酒は苦手か?」

 

「苦手っていうか、千景に酒臭いとか言われたら嫌だから」

 

 だから僕は千景の前で酒を飲んだことはない。というか千景と暮らし始めてから一切飲んでいない。

 

「そんなこと言わないけど」

 

「思われるだけでも嫌なんだ」

 

「蓮花さんの代わりに私に入れておくれ」

 

「1杯だけですよ、お義母さん?」

 

 おばあちゃんの紙コップを受け取り、酒を注ぐ誠司さん。

 

「ケチ臭いこと言わんでくれ」

 

「健康の為です。来年も若葉達と花見するんでしょう?」

 

「…ならしょうがないね」

 

 今の飲酒欲より孫との未来を優先するおばあちゃん。乃木家の人間の意志の強さは、そう簡単に欲に負けることは無い。

 

 

「れんちゃん、ここ空いてますか?」

 

「空いてるよ」

 

「では失礼します」

 

 確認を取って僕の足の間に座るひなた。2年半前、初めて運動会に行った時と比べると、ひなたも背が伸びていることがよくわかる。

 ちなみに若葉は最近とても背が伸びている。成長期が来たのだろう。2年生の時はひなたと大差無かった身長は、今では千景を少し追い抜いている。

 

 カシャッ。

 

 突如カメラのシャッター音がした方へ目線を向けると、琴音さんがこちらにカメラを向けていた。

 

「いきなりだね」

 

「こっそり撮ったほうが自然体が撮れるので」

 

「なるほど」

 

 おかずを箸でひなたの口に運びながら、撮れた写真を見せてもらう。

 

「確かに自然だ」

 

「自然体で甘えているひなたを写真に収めることができました」

 

「えっ!?」

 

 すぐさま飲み込み、写真を覗き込むひなた。

 

「消してください!」

 

「消していいの?」

 

「……やっぱり消さなくていいです」

 

 上里母娘が微笑ましいやり取りをしている横で、乃木母娘は弁当を食べながら千景に作り方を聞いている。

 人に教えられるほどに成長したのだと、千景の成長を1人静かに喜んでいると、背後から見知った声が聞こえた。

 

「あ、やっぱり郡親子だ!」

 

「こんにちは〜」

 

 振り返ると、そこには美琴ちゃんと凜ちゃんがいた。その手には屋台で買ったらしき唐揚げを持っている。

 

「久しぶりだね。2人も花見?」

 

「はい、凜と一緒に遊びに来ました」

 

 確かこの2人は家が隣同士で、小さい頃から仲がいいのだったか。若葉とひなたのような関係だろうか。

 

「千景、唐揚げ1個いる?」

 

「いる」

 

 紙皿に唐揚げを1つ貰う千景。屋台の唐揚げは大抵大きい。

 

「ありがとう、お返しにお弁当のおかずをちょっとあげる」

 

「ありがとう!」

 

「あ、私もベビーカステラちょっとあげる」

 

 千景の紙皿に凜ちゃんのベビーカステラが追加される。その代わりに紙皿におかずを乗せ、割り箸と共に2人に渡す千景。

 

「何このふわふわの玉子焼き!?凄く美味しい!」

 

「それはれんちゃんが作ったの」

 

「この生姜焼きも美味しい!」

 

「そっちは千景が作ったんだ」

 

 箸が止まらない様子の2人。素直な反応を見せてくれて嬉しくなる。

 

「こんなの毎日食べてるとか、もう私郡さんちの子になる!!」

 

「それは駄目よ」

 

「駄目か」

 

 とてもエネルギッシュな美琴ちゃんを前に、若葉とひなたはポカンとしていた。無理もない。

 

「そっちの2人は、もしかしてよく千景と一緒に帰ってる子?」

 

「ええ」

 

「乃木若葉です」

 

「上里ひなたです」

 

「わぁ、礼儀正しくていい子達」

 

「見習ってちょっと落ち着いてね、美琴」

 

 凜ちゃんに宥められる美琴ちゃん。なるほど、凜ちゃんが美琴ちゃんを制御するのか。

 

「私は弥勒美琴、こっちは橋本凜。千景のクラスメイトだよ」

 

「今年も同じクラスになれるといいね」

 

「そうね」

 

 凜ちゃんの言葉に同意する千景。今のところ3年連続同じクラスである。

 

「若葉ちゃん達は千景とどういう関係?」

 

「香川に来て、最初にできた友達よ」

 

「そうだったんだ」

 

 

 

 その後、美琴ちゃんの人柄もあってか子供達はすぐに仲良くなり、和気藹々と過ごしていた。そして僕達保護者はそれを微笑ましく見守り、琴音さんは時折写真を撮っていた。

 

 そして日が傾き始める頃、僕達は帰り支度を始めた。

 

「じゃあ私達も帰るね、また学校で」

 

「またね」

 

「さようなら」

 

 美琴ちゃん達を見送り、弁当箱を片付ける。だいぶ多めに作っておいた弁当もとっくに空になっている。

 

「ほら伊織さん、そろそろ帰りますよ」

 

「ん……ああ」

 

 少し前に酔って寝ていた伊織さんを起こす琴音さん。あの騒がしさの中、よく眠れたものだ。

 

 荷物を片付け、レジャーシートを畳む誠司さん。

 周りを見渡せば、屋台も少しずつ店仕舞いを始めている。

 

 今日の夕食はどうしようかと思い千景の方へ振り向くと、千景は夕風に靡く桜を見上げていた。

 長く綺麗な黒髪に桜の花弁が少し付いていることに気がつき、千景の髪から花弁を取る。

 

「髪に花弁付いてたよ」

 

「あら、いつの間に。ありがとう」

 

 まだ付いていないかと髪を揺らす千景。

 桜の下、夕陽に照らされて煌めく髪はとても綺麗で、僕は写真に収めることも忘れ、その美しさを目に焼き付けた。

 

 

「また来年も、ここで花見をしよう」

 

「ええ、約束よ」

 

 

 桜下で交わした約束を、二度と破らないと心に誓った。

 

 

 

 

 季節は移り変わり、あっという間に夏が来る。

 

 そして、運命の日がやってくる。



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第33話 絶望が降った日

ようやくここまで来ましたね。


「「行ってきます!」」

 

「「「「行ってらっしゃーい」」」」

 

 7月30日の朝、駅にて千景や楓さん達と共に若葉とひなたを見送る。2人はこれから修学旅行で島根県へ向かうのだ。

 平日ではあるが、僕はちょうど休日だったので見送りに来た。

 若葉達の後ろ姿が見えなくなった頃、僕達も帰ろうと千景の手を引く。

 

「千景、帰りにどこかで朝ご飯食べに行こうか。その後、スーパーで買い物をして帰ろう」

 

「そうね」

 

「そうか、ではまたな」

 

「またね」

 

 楓さん達と別れ、朝食を求めて歩く。普段は外で朝食を食べることはほとんど無い為、僕達は少しわくわくしていた。

 

 ──────────

 

 朝食を終え、スーパーで買い物カゴに食材を入れていく。しかしいつもの買い物と比べて、明らかに量が多い。

 

「今日はいつにも増してたくさん買うのね」

 

「外は暑いからね、買い物に出る回数を減らす為に1回で買い込むよ」

 

 数日分のメニューを2人で相談しながらスーパーを回る。朝食を食べる前にメニューを考えておけばよかったかもしれない。

 

「ああ、そうだ千景。今夜は僕ちょっと用事があって出かけるから、晩ご飯はちょっと早めに作るね」

 

「そうなの?わかった」

 

「もしかしたら明日の朝まで帰ってこないかもしれないから、明日の朝ご飯は自分の分だけ用意して食べてていいよ」

 

「そんなに遅くなるの?」

 

 どんな用事なのだろう。れんちゃんが朝帰りなんてしたことが無い。

 

「ごめんな。でも、行かないといけないから」

 

「…そう」

 

 その時のれんちゃんの表情は、どこか暗くて、しかし強い意志を感じるようだった。

 

 ──────────

 

 夕方には夕食を作り始め、僕は5時過ぎには食べ終えた。

 さすがに時間が早いので、千景は後で温め直して食べるらしい。

 

 上は丈夫で伸縮性のある黒のインナー、下は足首で締まる黒のミリタリーパンツに着替える。

 多めに炊いておいた米でおにぎりをいくつか作り、ラップで巻いていく。

 

「なんでおにぎり?」

 

「夜食…かな」

 

 小さなボディバッグに最低限の必要な物とおにぎり、水、絆創膏や消毒液等を入れて背負う。

 

「千景、今夜は絶対に外に出ちゃ駄目だよ。玄関と窓の鍵やカーテンも絶対に開けないこと。何があってもね」

 

「どうして?」

 

 不安そうな表情になる千景の頭に手を置き、安心させるように撫でる。

 

「ちょっと嫌な予感がするだけだ」

 

 膝立ちになり、千景を抱き締める。今夜、傍にいられないことが辛い。

 

「できるだけ早く帰ってくるから、いい子で待っててね」

 

「……うん」

 

 立ち上がり、玄関でいつものスニーカーではなく黒のタクティカルブーツを履く。上半身に対して下半身がゴツいが、たくさん走ることになるため足の怪我は避けたい。

 まるでサバイバルでもするような格好だが、あまり間違ってはいない。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 千景に見送られ玄関を出て、扉の鍵を閉める。

 

「さて、気合いを入れろ蓮花」

 

 扉の前で軽くストレッチをして身体を解しながら、自分に活を入れる。

 これから向かうのは、島根だ。

 

 ──────────

 

 夜、私達は島根県にある神社に避難していた。

 修学旅行で香川から島根へ来ていたが、そこで強い地震に見まわれた。地震はその後も断続的に起こり、教師達は非常事態と判断し、地域の避難所である神社へ生徒達を移動させた。

 神社に避難した人の数は、近隣住人も合わせてかなり多い。

 

 しかし、私のクラスメイト達は修学旅行中に起こったこのイベントをむしろ楽しんでいるようだ。

 

「明日もここにいないといけないのかな?」

 

「えー、せっかく修学旅行なのに」

 

「誰かトランプとか持ってない?」

 

 私はおしゃべりをしていた3人組の女子グループに目を向ける。

 注意した方がいいか、むしろこうして話していることで不安は和らぐだろうかと、そんなことを考えていると。

 

「……あ、乃木さんがこっち睨んでるよ」

 

「あたしたち、ちょっと騒ぎすぎ?」

 

「怒られるから、静かにしてよう」

 

 すっかり静まり返ってしまうクラスメイト達。

 怒るつもりはなかったのだが、私の顔はそんなに怖く見えるのだろうか…。

 

「わーかーば、ちゃん」

 

 後ろから声をかけられて振り返ると、パシャリとカメラのフラッシュが光った。ひなたがスマホを構えていたのだ。

 

 誘拐事件の後、今後もし何かがあった時に現在地がわかるように、連絡できるようにと、ひなたはスマホを買ってもらったのだ。

 

 しかし、何故修学旅行にまで持ってきているのだろう。担任はそれを許可したのか。

 

「物憂げな表情の若葉ちゃん……んー、絵になりますね。背景が社殿の中というのも良いです。私の若葉ちゃん秘蔵画像コレクションがまた一枚増えました」

 

「ひ〜な〜た〜……私の写真など集めるな、消せ!」

 

「嫌です! この画像コレクションは私のライフワークですから!帰ったられんちゃんとちーちゃんにも見せてあげるんです!」

 

 わけの分からないことを堂々と宣言するひなた。

 スマホを持たされて以来、いちいち写真を撮るためにおばさんからカメラを借りる必要が無くなったため、ひなたが写真を撮る頻度は加速していた。

 

「そんな怖い顔をしないでください。眉間にしわが寄っちゃいますよ。ぐりぐり」

 

「……人の眉間を指で押すのはやめてくれ」

 

「ちょっと解してあげようかと思いまして。そんな風に厳しい顔をしているから、さっきみたいにクラスメイトに怖がられちゃうんです」

 

「み……見ていたのか」

 

 恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

「まぁ若葉ちゃんは生真面目すぎますからね。ずっと学級委員長で超優等生。クラスの人たちから『鉄の女』ってイメージで見られてますし」

 

「うぐ……」

 

 自分でも自覚していたが、改めて言われるとショックである。

 

「でも……そんなイメージ、壊しちゃえばいいですよね!」

 

 ひなたはにっこりと笑って私の手を取り、さっきの女子達の方へ歩き出した。

 

「お、おい、待て!?」

 

「こんばんはー」

 

 戸惑う私を無視し、ひなたは彼女たちに声をかけてしまった。彼女たちは何事かとキョトンとしている。

 

「すみません、実は若葉ちゃんが皆さんに混じっておしゃべりしたいと」

 

「ひ、ひなた、何を!?」

 

「何を恥ずかしがってるんですか。さっきもですね、皆を注意しようと思ってたんじゃなく、どうやって話しかけようかなーなんて可愛らしい悩みを抱えていただけなんです」

 

「な、そ、そんなことは──」

 

 女子達三人組は少しの間キョトンとして、やがて吹き出すようにして笑った。

 

「へー、なんか乃木さんのイメージ変わった」

 

「いつもきちんとしてるし、すごく優等生だし」

 

「そうそう、もっと厳しくて怖い人かと思ってたー」

 

「そうなんですよねー。あと、若葉ちゃんは無愛想だから損をしていると思うんです」

 

 妙な成り行きだが、私とひなたは女子グループに混ざっておしゃべりをし始めた。

 

「でも、中身はすっごく可愛い女の子なんですよ。だから、仲良くしてあげてくださいね」

 

「か、かか、かわいい……? 何を言ってる!?」

 

「大丈夫だよ。私たち、もう乃木さんと友達だし」

 

 彼女たちは私とひなたのやり取りを見て、笑いながらそう言った。

 

 

 しばらく話した後、私は神楽殿の外に出た。夜と言えど7月の暑さは相当のもので、少し夜風に当たりたかった。

 空を見上げると、無数の星が輝いている。

 

「若葉ちゃん、こんなところにいたんですね。もうだいぶ遅い時間ですよ。寝ないんですか?」

 

 ひなたも外に出てきて、私の隣に立つ。

 

「寝ている間に何か問題が起こるかもしれないからな。念のために起きておこうと思う」

 

「先生方が起きててくださいますよ」

 

「私は学級委員長だから、責任がある」

 

「はぁ〜……本当に若葉ちゃんは。真面目すぎるというかなんというか」

 

 少し呆れたようにひなたは微笑む。

 

「だったら、私も起きてますよ」

 

「……付き合う必要はないぞ」

 

「いいえ、私は若葉ちゃんの幼馴染ですから。ずっと一緒にいます」

 

 はっきりとした口調でひなたがそう答えると、私としてもそれ以上強く言えなかった。

 

「……ひなた」

 

「なんですか?」

 

「さっきはありがとう。ひなたがいてくれなかったら、さっきもまたクラスメイト達から距離を置かれてしまうところだった」

 

「いえいえ、私は若葉ちゃんが誤解されてるのが嫌だっただけですよ」

 

 当然のことのようにひなたはそう言った。しかし、それでは私の気が済まない。

 

「何事にも報いを。それが乃木の生き様だ」

 

 それは私の祖母がよく口にする戒めの一つ。祖母を慕っている私は、その言葉をとても大事にしている。

 

「だから私は、ひなたの友情に報いたい。してほしいことがあったら、なんでも言ってくれ」

 

「そこまで言うなら……う〜ん。まぁ、何をしてもらうかは後でじっくり決めます。とにかく、若葉ちゃんはもっと気楽にクラスの人たちに話しかけたらいいんですよ。そしたら、みんなも若葉ちゃんのことを分かってくれて、もっと仲良くなれると思います」

 

 私はクラスで少し浮いているが、私自身も無意識に他のクラスメイトから距離を置いてしまっているのだろうか。さっきも実際に話してみたら、簡単に仲良くなれたのだから。

 

「ああ、ですが、そうして若葉ちゃんがクラスで人気者になってしまったら、もう私に構ってくれなくなるかもしれません。私は過去の女として捨てられてしまうんですね……よよよ」

 

「な、何を言っているんだ!? そんなわけがないだろう! ひなたと千景は何があっても私の一番の友達だ!」

 

 慌てて言う若葉に、ひなたはおかしそうに笑う。

 

「冗談ですよ。それにしても一番が二人だなんて、若葉ちゃんったら──」

 

 突如、地面が激しく揺れ始めた。

 

 立っているのさえ困難なほどの、今までの地震とは段違いに大きな揺れ。

 隣にいたひなたは、小さな悲鳴をあげて地面に尻餅をついた。

 

「凄い揺れだったな……ひなた、大丈夫か?」

 

 私はひなたに手を差し出したが、彼女はその手を取ることなく、真っ青な顔をして呟いた。

 

「怖い……」

 

「え?」

 

 ひなたの体が小刻みに震えている。

 

「わ、若葉ちゃん……な…何か、凄く、怖いことが……」

 

 そう言ってひなたは空を見上げた。

 何かあるのかと思い私も顔を上げるが、それは一見、何の変哲もない星空のようだった。

 

 だが、違う。

 

 無数の星々は、まるで水面を漂うように蠢いていた。

 そして星々の幾つかが次第に大きくなっていき──

 

 絶望が、空から降ってきた。

 

 星のように見えたものの1つが、神楽殿の屋根に落下した。

 それは全身が不自然なほど白く、人間よりも遥かに巨大で、不気味な口のような器官を持つモノ。

 それは明らかに人間が知るあらゆる生物と異なっていて、ゆえに最も単純にして適切な名称をつけるなら、こう呼ぶべきだろう──『化け物』と。

 

 それは1匹ではなく、2匹、3匹…と次々に落ちてきて、神楽殿の屋根や壁を食い破り、中に侵入していく。

 

「なんだ、あれは……?」

 

 異常な光景に私は呆然と立ち尽くす。

 ゆらり──と、ひなたが立ち上がった。彼女の目にはどこか異様な光が宿り、口からは呪詛のような言葉が漏れる。

 

 どうしたんだと問おうとした瞬間、神楽殿の中から、悲鳴と共に弾かれたように人々が逃げ出てきた。

 

「きゃあああああああああああ!!」

 

「な、な、なんだあの化け物は!?」

 

 咄嗟に私が神楽殿へ駆け出すと、その手をひなたが掴んだ。

 

「私も行きます」

 

 ひなたの目からはさっきの異様な光が消え、代わりに強い意志が感じられた。

 

 私とひなたは神楽殿に駆け込む。

 そこで見たものは──今にもクラスメイト達を襲わんとする白い化け物と、それを右腕で貫く蓮花さんの姿だった。



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第34話 地獄での再会

 蓮花さんに貫かれた白い化け物は、光の粒子となり消滅していく。

 周囲を見回せば同じような光が複数、そして元は人だっただろう肉片もいくつか落ちていた。

 

「ふっ」

 

 蓮花さんは動きを止めず、すぐに他の化け物へ攻撃していく。

 殴られた化け物、蹴り飛ばされた化け物は全て等しく文字通り木っ端微塵となっていく。

 

 その間に、私達はクラスメイト達の元へ駆け寄った。

 

「皆無事か!?」

 

「乃木さん…」

 

「大丈夫だよ。あの人が助けてくれたから」

 

 そう言った女の子が指をさす先では、今も蓮花さんが一方的に化け物を屠っている。

 

「あの人、何?……本当に人間なの?」

 

「…優しい人ですよ」

 

 昔から蓮花さんの身体能力は色々おかしかったが、その優しさは本物であると私達はわかっている。

 

 瞬く間に神楽殿内の化け物は殲滅され、その光景に人々は静まり返っていた。

 

「蓮花さん!!」

 

「若葉、ひなた。怪我は無いか?」

 

「私達は大丈夫ですが……」

 

 ひなたが肉片へ視線を向ける。おそらくさっきの化け物に喰い殺されたのだろう。

 

「…少し遅れてしまったな。僕は外の化け物を片付けてくるから、2人はここにいてくれ」

 

「私も一緒に…!」

 

「危ないから駄目だ」

 

「それでも、蓮花さんだけに危険を負わせるわけには……」

 

 蓮花さんの言うことは正しい。私が一緒にいたところで、素手の子供に何ができるというのか。

 

「……若葉は頑固だな。……この神楽殿の中に、刀があるはずだ。僕は具体的な場所を知らないが、ひなたならわかるだろう」

 

 そう言うと、すぐに蓮花さんは外へと走り出して行った。

 

「刀?ひなた、何か知っているか?」

 

「私は何も……いえ、そこです!!」

 

 ひなたは社殿奥の祭壇を指さす。なぜそうだとわかるのか、ひなたにも聞きたいことは色々あるが、他に手がかりも無い。

 

 化け物によって壊されたらしき祭壇の中には、確かに錆びついた刀と鞘があった。

 

 私がその刀の柄を握った瞬間、ドクン、と急激に血が全身を巡り始めた。

 体が熱く息苦しくなると同時に、感じたことのない力が湧き出してきた。

 錆びていたはずの刀身は、いつの間にか生きているような瑞々しい輝きを帯びている。

 

「これなら、戦える……!」

 

「若葉ちゃん……」

 

 心配そうに私を見つめるひなた。

 

「ひなた、しばらく皆の傍にいてくれ。行ってくる」

 

 神楽殿の隅に集まっているクラスメイト達は、今もまだ震えている。

 

「……わかりました。お気をつけて」

 

「ああ」

 

 そして私は外へ駆け出す。蓮花さんと並んで戦う為に。

 

 

 

 

 

 外に出ると、巨大な口のある白い化け物が混ざり合い姿を変えていた。

 しかし残る化け物はそれら数体のみしか見当たらない。既に蓮花さんが倒したのだろう。

 

「蓮花さん!」

 

「来たか。刀はあったか」

 

「ああ。……あれは?」

 

 私は姿を変えた化け物を指さし、蓮花さんに尋ねる。

 

「そのままじゃ僕に勝てないと学習して、進化してるんだ」

 

「進化?」

 

「うん。まあ、無駄だが」

 

 体表面に矢のようなものを発生させた進化体が、その矢を周囲の人々に向かって射出した。

 その時には既に、私の横にいたはずの蓮花さんはいなかった。

 

「ぬんっ!」

 

 矢が人々に当たる前に、蓮花さんはその矢を片手で掴んで受け止め、化け物へと投げ返した。その力強さに周囲の空気が揺れる。

 

 矢を放った化け物は、投げ返された矢によって貫かれ消滅した。

 

「あんなの…私ではどうにもならないんじゃ……」

 

「大丈夫だ若葉、お前は生き残っている人達を神楽殿内に集めて、守ってくれ。進化体は全部僕がやる」

 

「……わかった」

 

 人々を守る。任された事は、遂行しなければ。

 

「全員、神楽殿の中へ!!こっちはもう安全だ!!」

 

 周囲の人々へ大声で呼びかける。恐怖で立ち上がれない人には手を貸して共に歩く。時折近づいてくる化け物を切り伏せる。

 

 そうして全員が神楽殿への避難が完了する頃にはとっくに、蓮花さんは全ての進化体を倒し終えていた。

 

 

 

 

 

 安全となった神楽殿の中で、私達はようやく落ち着いて話をしていた。

 

「どうして蓮花さんがここに?」

 

「お前達が心配になって追いかけてきたんだ」

 

「こうなることがわかっていたんですか?」

 

「…いや、僕が家を出たのは夕方だ。島根では大きな地震が起きていただろう?」

 

「そういえばそうだった。色々あって忘れかけていた」

 

 化け物が出現して以来、地震は収まっている。まだ地震のほうがマシだったが。

 

「とりあえず、2人共おにぎり食べるか?」

 

「なぜ今おにぎり」

 

 背負っていたボディバッグからおにぎりを2つ取り出す蓮花さん。周囲には見えないように私達へと渡してきた。さすがにこの場の全員に配れるような数はないからだろう。

 

「これから帰るまで、ちゃんと食事ができるかわからないからね。今のうちに食べておきなさい」

 

「わかりました」

 

 やたらと美味しいおにぎりを食べながら、今後について相談を始める。

 

「これからどうする?」

 

「若葉とひなは、ここの人達を連れて香川に帰ってくれ。四国はこの辺りよりは安全だ」

 

「どうやって帰るんだ?」

 

「交通機関は機能していないし、この人数だから、徒歩で帰るしかない。安全な道はひながわかるだろう」

 

 私と蓮花さんがひなたへ向くと、ひなたは目を丸くする。

 

「私、わかるんですか?」

 

「本人はこう言ってるが」

 

「大丈夫、わかるはずだ。刀の場所もわかっただろう?」

 

 そうだ、どうしてひなたはこの刀の場所がわかったのだろう。それをひなたに聞いてみるが、ひなたははっきりとしない表情をする。

 

「なんとなく、です。でも、どうしてか確信できるんです」

 

「そのなんとなくを信じるんだ。それで大丈夫」

 

 蓮花さんがそう言ったことで、ひなたの表情に迷いは無くなっていった。

 食べ終えたおにぎりを包んでいたラップを片付けながら、次の質問を蓮花さんにする。

 

「さっき私とひなたは香川に帰れと言ったが、蓮花さんはどうするんだ?一緒に帰らないのか?」

 

「ああ、僕は今から行くところがある」

 

「こんな状況でどこに?」

 

「奈良だ」

 

「「奈良っ!?」」

 

 驚いて大きな声を出してしまったことで、周囲の人々が私達に視線を向ける。

 

「さっき交通機関は機能していないって言ってたじゃないですか、どうやって行くんですか!?」

 

「もちろん走っていくさ」

 

「ここからどれだけ距離があると思っているんだ!?」

 

「問題無い、僕の足なら2時間もあれば着く」

 

 私達の質問に淡々と返していく蓮花さん。その表情からは揺るがない意志を感じる。

 

「どうしてそこまでして…」

 

「あっちにも、助けたい人がいるんだ」

 

 奈良に知り合いがいるのだろうか。一緒に帰れると思っていたゆえに、ひなたは寂しげな表情になっていく。

 

「ひなたが示す安全な道なら、たとえ化け物が出たとしても少数だろう。若葉なら問題無く倒せる」

 

「……わかった。ひなたと一緒に頑張って帰るよ」

 

 

「……ごめんな。一緒にいてやれなくて」

 

 蓮花さんが私達の頭へ手を乗せ、優しく撫でた後に私達を抱き寄せる。

 

「お前達2人なら大丈夫だ」

 

「ああ」

 

「はい」

 

 少ししてから私達を放した蓮花さんは、ポケットからスマホを取り出した。

 

「ひなた、スマホは持ってきているか?」

 

「はい、持ってますけど…」

 

「もしもの時は、僕に電話してくれ。助けに戻るから」

 

「…わかりました」

 

 ひなたが頷き、蓮花さんはポケットにスマホをしまって立ち上がる。

 

「れんちゃん…無事に帰ってきてくださいね…」

 

「ああ、行ってくる。また香川で会おう」

 

「行ってらっしゃい」

 

 神楽殿を出ていく蓮花さんを見送った後、私は立ち上がって、これから香川へ向かうことを皆に伝えた。

 そして全員の準備が整ったことを確認すると、私達は神楽殿を出た。

 

 ──────────

 

 島根を出て、すれ違う敵を処理しながら、足を止めずに走り続ける。見渡す限り、何処も彼処も地獄のようだ。

 

 若葉のクラスメイト達を救ったことで、若葉が復讐に囚われることはないだろう。

 

 探している人物の気配を辿っていくと、御所市のスーパーマーケットに到着した。

 

 

 

 

 

 

 そこの駐車場にも、他の場所と変わらず死体や車の残骸が落ちていた。

 そして端に停まっているマイクロバスの前には、見覚えのある少女達が立っていた。

 少女達へ歩み寄ると、あちらも僕に気がついた。

 

「ん?あんたはスーパーの中にはいなかったな。まさか他の場所から来たのか?」

 

 白衣の女性に訝しげな視線を向けられる。当然だ、こんな状況で出歩けるのは普通ではないだろう。

 

「ああ。君達は何をしているの?」

 

「これからこのバスで四国へ避難する」

 

「そうなんです。一緒に行きませんか?」

 

 知らない相手にも自然と手を差し伸べる赤毛の少女。やはりとても優しい子だ。

 

「ありがとう、一緒に行くよ」

 

「私は高嶋友奈です!…って、あれ?もしかして会ったことある?」

 

「そうなのか?」

 

「そういえば、神社で遊んでいた君にボールを拾ってあげたね」

 

「あ、そっか!ボールの人!」

 

 思い出してくれたのはいいが、そんな憶え方をされていたのか。

 

「僕は郡蓮花。ボールの人じゃないよ」

 

「蓮花さん!」

 

「てか怪我してるじゃないか。消毒して絆創膏を貼るから、じっとしてて」

 

「大丈夫だよ、ただの擦り傷だし」

 

「いいから」

 

 バッグから消毒液と絆創膏を取り出し、友奈の傷口を軽く手当する。

 

「あと、君も初対面じゃないよ」

 

「私か?」

 

 長い黒髪に赤いメッシュが入っていて、白衣を着ている綺麗な女性。忘れられないだろう。

 

「正月に大阪のコンビニでハンカチを拾った」

 

「……思い出した。あの時の子連れか。娘はどうした?」

 

「家で留守番してもらってる」

 

「こんな時に1人でか?」

 

 最もな疑問だ。『こんな時に子供を置いて自分だけバスで逃げようとしている』ように見えるかもしれない。

 

「大丈夫、僕の家は香川にある」

 

「なるほどな。ではなぜわざわざ危険を負って四国から出てきた?」

 

「ちょっと用事でね」

 

 白衣の女性の問いに回答しながら、さっきからずっと黙っている少女へ目を向ける。初めて見る子だ。

 

「君の名前は?」

 

「えっと……ボクは横手茉莉と言います」

 

「こいつは化け物の場所がわかるそうだ」

 

「……なんだって?……本当に?」

 

「はい……一応……」

 

 僕の確認に自信なさげに答える茉莉。

 これは驚いた。想定外だ。友奈を見出した巫女は久美子ではなかったのか。

 

「私からもう少し質問がある。あんたはいかにも戦いそうな格好をしているが、まさかあんたも化け物を倒せるのか?」

 

「ああ。でなきゃここまで来れてないよ」

 

「…そうか。そうだな」

 

 話が一区切りしたところで、スーパーの中から黒シャツの男が出てきた。

 

「おい、まだか!?この後どうするんだ!このバスで逃げるのか!?まさかお前らだけで逃げようとしてたんじゃないだろうな!?」

 

 大声で怒鳴りながらこちらを睨みつける黒シャツ男。その剣幕に茉莉は怯えてしまっている。

 

 これは、邪魔だな。

 

 これから集団で逃げようというのに、この男はおそらく和を乱す。今のうちに処理しておいた方がいいだろう。

 

 黒シャツ男に近づき、相手にしか聞こえない小さな声で話しかける。

 

「ちょっといいか?あっちでいい物を見つけたんだ。これから役立つかもしれない。2人で山分けしないか?」

 

「ああ?……いいだろう」

 

 乗り気になった男を連れて、スーパーマーケットから離れていく。

 

「で?こっちで何を見つけたんだ?」

 

「あれさ」

 

 僕が指をさした先には、人間を探して漂っている化け物がいた。それを見た瞬間逃げようとした男の頭を鷲掴みにする。

 

「放せ!!何しようってんだ!?」

 

「お前は邪魔になりそうだから、あれの餌にでもしようかと思って」

 

「な、なんだと!?待ってくれ、やめ──」

 

 男が言い終える前に、化け物の方へ投げ飛ばす。

 そして男が喰われている間に、化け物も狩っておく。これも逃げる時に邪魔になるかもしれない。

 

 

 スーパーの駐車場に戻ると、既に中にいた人々がバスへ乗り込み始めていた。

 

「戻ってきたか。……さっきの男はどうした?」

 

「そのまま逃げたよ」

 

「……そうか。あんたは私と同類かもしれないな」

 

「一緒にするのはやめてほしい」

 

 全員乗り込んだことを確認すると、最後に僕達もバスに乗り込む。

 

「あ、そうだ。久美子」

 

「ん?どうして私の名前を知っている?教えてないが」

 

「友奈から聞いた。それより、ここから大鳴門橋まで早ければ2時間ちょっと、遅くても朝までには着くはずだ」

 

「……そうだな。それがどうかしたか?」

 

 こんな状況で、久美子の為のバスツアーに何日も付き合うわけにはいかない。企みは潰しておかないと。

 

「寄り道せず、真っ直ぐ四国へ向かってくれ。もし朝になっても着かないようなら、君を全身縛ってでも僕が運転する」

 

「……わかったよ。にしても、あんたにそんな趣味が「無いよ」」

 

 そして、ようやく僕達の乗ったバスは四国へ出発した。



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第35話 心配と信頼

連日更新なんて久々だ。


 明けない夜闇の中、私はハンドルを握りバスを走らせ続ける。

 出発してからかれこれ数十分経つが、外の景色は何処も彼処も瓦礫や人の肉片が散乱している。

 

 想定されていた私の人生のレールは、今日あっさりと壊された。

 

 こんな状況、楽しくないわけがない。私は今、バス遠足を楽しむ子供のような気持ちだ。

 

 遠回りして終わらせないようにしよう、と考えていたが、蓮花に真っ直ぐ四国へ向かわなければ運転を代わると釘を刺されたため、渋々四国へ向かっている。

 

 蓮花も運転ができるとなれば、私がいなければ避難できないというこの集団内での優位性が失われてしまう。私の発言力も弱まるだろう。ここは従うしかない。

 

「友奈、茉莉、おにぎり食べる?」

 

「食べる!」

 

「ありがとう、ございます」

 

 その蓮花は今、私の後ろの席で友奈達におにぎりを与えている。

 確かに避難にはこいつらが必要だ。餌付けするのは構わない。

 

「私には無いのか?」

 

「あるよ?でも今運転中だから、後でね」

 

 

 

 

 

 また少し進んだところで、道路が瓦礫で塞がれていた。

 

「蓮花」

 

「あいよ」

 

 バスを停めて蓮花の名を呼ぶと、すぐに察した蓮花がバスを降りていく。

 そして走行の邪魔となる大きな瓦礫を持ち上げ、道の端へと片付ける。

 

 既にこれを何度か繰り返している。

 瓦礫や化け物で通れない時、蓮花が降りて片付けるので、私達は遠回りをする必要が無く最短距離を進んでいる。今のところ、蓮花は一切友奈に戦わせようとはしない。

 

 バスに戻ってきた蓮花に手を伸ばす。

 

「ん?……ああ」

 

 そして私の手にはラップで包まれたおにぎりが乗せられた。食べてから進むとしよう。

 

「……美味いな」

 

 

 

 あまりにも順調な走行により、2時間程度で明石海峡大橋付近まで辿り着いてしまった。

 すると、茉莉が何かをスケッチブックに描き始めた。

 

「……へぇ、上手いね」

 

「ありがとう、でもそんな場合じゃないです」

 

 茉莉が描いたページが蓮花、友奈から私へと回ってくる。

 一旦路上にバスを停めて受け取ると、それはこの辺りの簡単な地図のようで、明石海峡大橋の途中が黒く塗り潰されている。

 

「……ここに化け物がいると?」

 

「はい、多分……」

 

 相変わらず自信なさげな茉莉だが、ここに来るまでも茉莉の予測は全て当たっていた。そしてその全てを蓮花が片付けて進んできた。

 

「どうする蓮花?」

 

「行こう。問題無い」

 

「わかった」

 

 蓮花の返事を聞き、またバスを発進させる。ここまでの道のりから、私は蓮花の戦闘能力を信頼している。蓮花が問題無いと言ったのだ、大丈夫だろう。

 

 明石海峡大橋に入っていくと、確かに遠くの上空に何かが見えた。

 より近づくと、見覚えのある大きな口の化け物もいるが、初めて見る形状の化け物も複数体浮遊している。

 

「初めて見るやつだな」

 

「僕は奈良に行く途中で見たよ」

 

 運転席の横に立ち、前方を観察する蓮花。

 

「何だあれは?」

 

「あの普通のやつが複数体合体した進化体だ」

 

「なるほど……本当に大丈夫か?」

 

 ほんの少し不安になり蓮花に問うが、その横顔に不安なんて欠片も感じられなかった。

 

「大丈夫だ。行ってくる」

 

 ある程度近づきバスを停めてドアを開けると、蓮花が飛び出していく。そして敵に向かっていく様子を、私達はバスの中から眺める。

 

 蓮花に気がつき、大きな口の化け物が接近するが、その歯が蓮花に触れる前に蓮花の拳が化け物に触れ、爆散していく。

 これはもう何度も見てきた光景だ。

 

 そして蓮花は全身のバネを使って上空へ飛び、降りてこない化け物へ攻撃を始めた。

 百足のような長い体形の化け物を引きちぎり、付近を飛ぶ化け物を足場にして空を駆け、別の化け物へ攻撃を仕掛ける。

 

「凄いね……」

 

「……そうだな」

 

 瞬きも忘れて感嘆の声を漏らす友奈に同意する。

 友奈の戦いを初めて見た時もかなり驚いたが、蓮花はその比ではない。人間離れしすぎている。

 普通の人間が踏み込んだだけで十数メートルも飛べるものか。

 

 そんな事を考えている間に、それなりにいた進化体も掃討されていた。

 

 

「もう大丈夫、進めるよ」

 

 戦闘を終え、バスに戻ってきた蓮花。あれだけ動いたにも関わらず、大して息も切れていない。

 

「……お前は非現実の権化みたいな奴だな」

 

「それは褒めてる?」

 

「褒めてる褒めてる」

 

 何をどうすればそんな身体能力になるのか疑問は尽きないが、ひとまずは置いておいてバスを進めることにした。

 

 その後、淡路島を走り大鳴門橋から四国へと入った。

 大鳴門橋にもそれなりの数の化け物がいたが、特に何事も無く蓮花が一掃した。

 

「四国には着いたが、ここからどうする?」

 

「ひとまず一番近い避難所に行こう」

 

 スマホで避難所の情報を調べ、一番近いところへバスを走らせる。

 到着すると、そこには既に多くの避難民がいた。大鳴門橋から一番近い避難所故に、同じように外から避難してきた人々が集まっているのだろう。

 

「皆、避難所に着いたぞ。ここはもう安全だ」

 

 私が皆に呼びかけバスのドアを開くと、順番にバスを降りていく。去り際に礼を言っていく者もいた。

 危険から脱したことに安堵する者、これからの生活をどうするか頭を抱える者、様々だ。

 

 私も一度バスを降り、少し避難所で休憩する。

 蓮花は友奈と茉莉を連れて、食料の配給を受け取っている。主にインスタントカップ麺のようだ。

 

「久美子も食べる?」

 

「ああ」

 

 戻ってきた蓮花がこちらに手渡してきた一つを受け取る。

 

「今はどこにいるの?」

 

「今は徳島だね」

 

「蓮花さんはこれから香川に帰るんですか?」

 

「ああ」

 

 そういえばこいつは香川から来たんだった。もう少し運転する必要があるのか。

 

「君達は、どこか行く当てはあるの?」

 

「無いです…」

 

「私も」

 

 行く当てのない友奈と茉莉。祖父母が四国に住んでいるとかならともかく、そうでないならしょうがない。

 

「久美子は?」

 

「私は……実家が香川にあるが、帰るつもりはない」

 

「えぇ……帰ってあげてよ、心配してるよ」

 

「面倒だ」

 

 別に喧嘩別れをしたとかではない。ただ実家に帰ってもつまらないだけだ。両親と話す話題も無い。

 

「……じゃあ、とりあえず皆うちに来るか?」

 

「いいんですか?」

 

「頼れる大人がいないんじゃ、これから生きていくの大変でしょ?放っておけないよ」

 

「行く!」

 

「久美子は?」

 

 色々考えながら、カップ麺を食べ終えて返事をする。

 

「……私も行くよ」

 

 こいつらと一緒にいれば、これからもっと面白いものが見られるかもしれない。

 

 ──────────

 

 また少しバスで移動して、ようやく家に帰り着く。

 今は深夜だ。千景が寝ていることを考慮して静かに玄関の扉を開く。

 

「ただいまー……」

 

 中に入ると、同じタイミングでリビングの扉が開かれた。

 

「あれ?千景起きてたの?」

 

「……れんちゃん……れんちゃん!!」

 

 飛び込んできた千景を受け止める。

 

「こんな時にどこに行っていたのよ……なんかテレビやSNSで地獄みたいな光景が流れてるし……寝られるわけないじゃない……」

 

「……ごめんな、もう大丈夫。帰ってきたよ」

 

 今にも泣き出しそうな千景の髪を撫でていると、後ろから声をかけられる。

 

「早く入ってくれ」

 

「ああ、ごめん」

 

 ブーツを脱いで家に上がると、友奈達も玄関へ入ってくる。それを見た千景は驚き、涙は一瞬で引っ込んでいた。

 

「……え?誰?……と思ったけど全員見たことあるわね」

 

「え?友奈と久美子はあるけど、茉莉も会ったことあったっけ?」

 

 僕が茉莉を指さすと、千景は確かに頷く。

 

「奈良で鹿にせんべいをあげようとした時、鹿せんべいを食べようとしていた人だわ」

 

「え?」

 

「え!?あの時いたの!?あれはどんな味か気になっただけで食べようとはしてないよ!?」

 

 どうやら僕は、気づかない間に茉莉とも遭遇していたようだ。

 

「というかこの人達どうしたの?れんちゃんがナンパしてきたの?」

 

「違うよ。四国の外から避難してきて、行くところが無いから連れてきたんだ」

 

「……外は今、どうなってるの?」

 

「地獄だ。人が沢山死んでいる」

 

 久美子がド直球に教える。しかし事実だ。

 

「……とりあえず皆、風呂入って。着替えは友奈と茉莉は千景の服を貸そう。久美子は…僕の服でいい?」

 

「ああ。なんでもいい」

 

 着替えを用意して、順番に風呂に行かせる。その間に僕は、軽食を作ることにした。

 

 

 

 

 

「上がったぞー。……何を食べてるんだ?」

 

「ホットケーキ!」

 

 友奈、茉莉に続いて久美子が風呂から上がってくる。

 現在僕はキッチンでホットケーキを焼いている。

 

「久美子も食べる?」

 

「……食べる」

 

 一通り焼き終え、ホットケーキを乗せた皿をリビングに運ぶ。既に久美子はテーブルの前に鎮座している。

 

「焼けたよ。……ちょっと僕の服は大きかったか」

 

「千景のは流石に入らないし、しょうがない。私は別に構わない」

 

 久美子が着ている僕のTシャツは少しサイズが合わず、ダボっとしている。それ故に、上から見下ろすと胸の谷間がよく見える。

 

「これは……いけないな。早めに服を買いに行こう」

 

「れんちゃん、どこを見ているの……」

 

「偶然視界に入っただけさ」

 

 千景の視線が痛い。この状況で服屋は営業しているのだろうか。

 

「まあそんな事は置いといて。今この家には食材は沢山あるから、節約しながら使えば少しは食事に困らない」

 

「そうね」

 

 食材を買い込んでおいてよかった。この人数での食事を想定した量ではないが。

 

「で、これからなんだけど。とりあえず皆は寝ていてくれ。ここまで寝てないでしょ?」

 

「そうだな。疲れた」

 

「蓮花さんは寝ないの?」

 

「僕は外に出てくるよ。四国内にも、少数とはいえ化け物が出現している。だから見回ってくる」

 

「化け物ってこれのこと?」

 

 千景がスマホの画面を見せてくる。そこには、SNSに投稿された化け物の写真が写っていた。

 

「そう、それ」

 

「大丈夫なの?危なくないの?」

 

 心配そうな顔をする千景。友奈と茉莉も少しだけそんな顔になるが、久美子の表情は全く変わらない。それが信頼から来るものであれば嬉しいが。

 

「大丈夫だよ」

 

「お前の親父はアホほど強いから、心配いらないぞ」

 

「……そう。父親ではないけど」

 

「ん?違うのか?」

 

「そうなの?」

 

「違うわ」

 

 数年前はお父さんだと言ってくれたはずなのに、はっきりと否定されてしまった。

 

「なんかショック受けてるぞ」

 

「大丈夫だ……行ってくるね。朝には帰るよ」

 

「わかったわ。行ってらっしゃい」

 

 また千景を置いて外へ出る。今度は友奈達がいるから、千景への心配は少しマシだ。

 

 

 

 

「そういえば若葉達はもう帰ってきたのか?……流石にまだか。数時間で島根から徒歩で帰って来れるわけがない」

 

 若葉達で思い出したが、乃木家と上里家の皆はどうなっているのだろう。

 

 状況を確認するために僕は乃木家へ向かい、崩れて瓦礫と化した屋敷を見た。



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第36話 死別と休息

休日はすることなくて筆が進む。


 あの瓦礫と化しているのは乃木家なのか……?

 

 隣に見覚えのある上里家があるから、そうなのだろう。上里家は少し崩れているが全壊はしていない。

 

 乃木家前に人だかりができている。それは皆知っている顔、商店街の人達だ。

 

 建物の上から乃木家前に降りると、そこにいた琴音さんがすぐこちらに気づいた。

 

「れんちゃん!?よかった、無事なんですね!?」

 

「ああ。どうして商店街の人達が?」

 

「楓ちゃん達が家の下敷きになってしまって、助けを呼んできたんです!!」

 

「下敷き!?」

 

 皆が瓦礫を動かそうとしているのはそのためか。

 

「全員、ちょっと離れてて」

 

「蓮花さん、どうするつもりだ?」

 

「瓦礫を片付けるんでしょ?」

 

 大きな瓦礫を片っ端から隅へ移動させていく。

 

「すげえ力持ちだ……!」

 

 やがて、瓦礫を動かした下からガタイのいい男性が見つかった。誠司さんだ。

 さらに誠司さんの下には楓さんがいた。

 

「楓ちゃん!!誠司さん!!」

 

 皆が駆け寄り容態を確認する。

 

「……私は大丈夫だ。誠司が庇ってくれたから……」

 

「でも楓ちゃん、足が折れてますよ!病院に連れていきますね!」

 

 楓さんは足を骨折しているが、命に別状は無さそうだ。

 しかし、誠司さんは違った。

 

「誠司さん!!おい、誠司さん!!」

 

「救急車を呼べ!!」

 

「……」

 

 沢山の瓦礫から楓さんを守った背中は、背骨が折れており内臓は破裂している。横腹には柱が刺さっており、辺りは血で染まっている。

 

「もう……息が無いよ……」

 

「……ぇ」

 

「じ、人工呼吸とかは!」

 

「肺が破れているから無意味だ……血も流しすぎている……」

 

 誠司さんは既に死んでいる。おそらくもっと前から。

 それでもなお、楓さんに覆いかぶさり、楓さんを瓦礫から守ったのだろう。助け出されるまで。

 

「……せ、誠司…?目を…開けてくれ……若葉を泣かせる気か……?」

 

 足を引き摺って誠司さんの元へ這う楓さん。しかし、遺体は目を開けず何も話さない。

 

 遠くから、救急車のサイレンが聞こえる。こちらに向かってきている。

 

「……誠司さんは、最後まで愛する妻を守り抜いた。だから、楓さんは生きてくれ。誠司さんと若葉の為にも」

 

「…ああぁ……うあ゙ぁああ゙ぁあぁ゙ああぁぁあ゙ぁあ゙ぁぁ──!!」

 

 

 

 その後、おばあちゃんの自室辺りの瓦礫を動かしたところ、おばあちゃんの遺体が発見された。

 若葉と楓さんは、遺されてしまった。

 

 

 この被害が化け物によるものであれば、結局若葉は復讐に囚われたかもしれない。

 しかし、人が喰われていないところを見るに、地震による被害であったようだ。

 

 

 

 

 楓さんの運ばれた病院にやって来ると、同じように怪我をした人々で溢れかえっていた。

 今は楓さんの病室にいる。先程手術を終えたばかりだ。

 

「……そういえば、千景はどうした…?」

 

「家にいるよ。多分寝てる」

 

「離れていて大丈夫なんですか?」

 

「ああ。一緒にいてくれている人達がいるから」

 

 久美子以外は信頼できる子達だ。大丈夫だろう。

 

「……琴音さん、伊織さんはどうしたの?」

 

 ふと気がついて、隣に座る琴音さんに問いかける。

 

「……昨日の夜は残業していて、帰ってきていないんです」

 

「連絡は?」

 

「取れません……」

 

 嫌な予感がする。大抵こういう時、僕の嫌な予感は当たるのだ。

 

「会社の場所を教えて。直接行って見てくるよ」

 

「はい…」

 

 

 そして僕は病院を出て、教えてもらった場所へ移動した。

 その場所の周辺は、食い荒らされたように人の肉片が散乱していた。

 

 そして伊織さんが勤めていたらしい会社も、外と同じく肉片と血が飛び散っていた。

 

「……まさかまだこの辺りにいるのか?」

 

 その思った瞬間、天井を崩して化け物が現れた。数は一体。

 

「本当に僕が見に来てよかった」

 

 速攻で消滅させ、社内を探索する。

 オフィスらしき部屋に入ると、かなり濃い血の臭いがした。人が集まっていたところを襲われたのか。

 

「……ん?」

 

 その部屋を見て回っていると、床に落ちていた腕に目が止まった。

 腕しか無いが、それが伊織さんであると僕には瞬時にわかってしまった。

 見覚えのある腕時計をしていたから。

 

 腕時計を外して裏を見ると、幼児向けアニメのシールが貼られていた。

 

 ひなたが小さい頃に貼ってしまったが、可愛いからそのままにしている、と伊織さんは笑いながら言っていた。

 その時に見せてもらったのと同じシールだ。

 

「伊織さん……」

 

 この腕時計は持って帰ろう。伊織さんの形見だ。

 琴音さんとひなたには、伊織さんは地震で会社が崩れて下敷きになって死んだと伝えよう。

 ひなたにも、復讐に囚われてほしくはない。

 

 愛する人が自分のいない所で死んでいた、と伝えるのか。伝える側も辛いな。

 しかし、いつまでも帰ってくる可能性を信じて待ち続けるのは、もっと可哀想だ。

 

 

 病院に戻ると、まだ楓さんの病室に琴音さんはいた。

 伊織さんの死を伝え腕時計を渡すと、琴音さんは膝から崩れ落ち、腕時計を抱えて泣き続けた。

 

 

 琴音さんが泣き止んだ頃、僕は今後のことについて話し始める。

 

「2人は、これからどうするの?」

 

 上里家も、乃木家ほどではないが崩れている。そのうちさらに崩れない保証は無く危険なため、あの家では暮らせない。

 

「……どうするかな」

 

「家も無くなりましたし……」

 

「……とりあえず、うちに来てくれないか?そうしてくれたら、千景を安心して任せられる」

 

「お前は千景の傍にいてやらないのか?」

 

 不思議そうな目でこちらを見る楓さん。

 僕はスマホでSNSを開き、その画面を2人に見せる。

 

「今、四国の外ではこんな化け物が大量に出現してて、沢山の人が喰われて死んでいる」

 

「……え?」

 

「四国はこれらがあまり出現してなくて、外から沢山の人達が避難してきているんだ」

 

 日本の現状を簡単に説明する。2人は驚いて声を発さない。

 

「でも四国も全くいないわけじゃなくて、少ないけど出現している。だから僕はこれから、四国中を回ってこれを狩りに行く」

 

「……だから家にはいられないと?」

 

「ああ。これ一体いるだけで、人が数十人、数百人と殺される。同じように家族を失う人が沢山出てくる」

 

「それでお前が死んだら、千景はきっと立ち直れないぞ」

 

「大丈夫。僕は四国の外で既に沢山こいつらを倒してきた」

 

「……どういうことですか?」

 

「僕は昨日の夜、若葉達が心配になって島根まで行ってきたんだ」

 

 そしてそこであった事を簡単に話す。僕と若葉は化け物を倒せること、若葉達が他の人達と共に香川へ向かっていることも。

 

「……そんなことが」

 

「だから、若葉とひなたは大丈夫。あの子達は神に愛されている。話を戻すけど、この後琴音さんを家まで送ったら、僕はそのまま四国を回るね」

 

「……わかりました。ちーちゃんは任せてください」

 

 先程夫が死んだと聞いたばかりなのに、もう前を向いている。本当に強い人だ。

 ひなたの芯の強さは母親譲りか。

 

 

 

 

 

「多分、中では奈良から避難してきた子達と千景が寝てると思う。琴音さんも昨日の夜から寝てないでしょ?」

 

「大丈夫。こんな状況ですから、誰かが起きていたほうが安心です。もし急に電話がかかってきても、皆寝ていたら困りますから」

 

「……ありがとう。でも、ちゃんと時間を見つけて寝てね」

 

 玄関の前で琴音さんと別れ、暗い世界へ飛び出していく。もうすぐ夜明けの時間だが、全く朝日は見えない。時間確認のためにスマホの充電には気をつけよう。

 

 ──────────

 

「ん……」

 

 目を覚ます。時計を見ると9時だが、外は未だに暗い。太陽が登っていないのか。

 

 襖を開けてリビングに出ると、既に起きていた久美子さんと、琴音さんがいた。

 

「ん、起きたか」

 

「おはよう、ちーちゃん」

 

「おはよう……どうして琴音さんがここに?」

 

 私の朝食を準備してくれようとする琴音さんに問いかける。

 

「れんちゃんから、ちーちゃんのことを頼まれまして。私の家は潰れちゃいましたし」

 

「え?」

 

 話す琴音さんの横顔はとても悲しそうで、何かあったのだと私にもわかった。

 

 顔を洗ってリビングに戻ると、既にうどんが準備されていた。

 

「いただきます」

 

 うどんを啜る私の横で、久美子さんがスマホとテレビを一緒に見ている。目が忙しそうだ。

 

「何をしているの?」

 

「情報収集だ。私が寝ている間に何か状況が変わったりしていないか調べている」

 

 テレビでは、相変わらずどこの番組も悲惨な光景を映している。世界はどうなってしまったのだろう。

 

「私もさっき起きたんだが、起きたら知らない人がいて少し焦った。災害発生時は泥棒がよく出ると聞いたことがあるから」

 

「驚かせてすみません」

 

 テレビは今生中継をしている番組が多く、リアルタイムで情報が届けられている。

 

「あ、四国」

 

 今は多くの人が避難してきた徳島を映している。その避難所はどこも人で溢れている。

 

『あ、あちらをご覧ください!何やら黒い人影が建物の上を高速で移動しています!あ、早すぎてもう見えなくなりました。あれも化け物なんでしょうか…?』

 

「……」

 

「今の…れんちゃんですか?」

 

「あいつ化け物か疑われてるぞ」

 

 れんちゃんは今、徳島にいるらしい。本当に寝ずに四国中を回っているようだ。こんな形で生存確認をするとは。

 

「…心配か?」

 

「……大丈夫。れんちゃんが大丈夫って言ったから」

 

 私はれんちゃんを信じている。今は、信じて待つしかできない。

 

 

 

 そして日が登らぬまま一日が終わる。

 

 翌日の昼、れんちゃんが帰宅した。若葉とひなたを連れて。

 

「四国を回った後、若葉達を迎えに行ってきたんだ」

 

「お母さん、ただいま帰りました!!」

 

「ひなた!!おかえりなさい!!無事でよかったぁ……」

 

 玄関で琴音さんがひなたを抱き締める。

 

「若葉ちゃんもおかえりなさい!お母さんは今──」

 

「入院していると蓮花さんから聞きました。後で会いに行きます」

 

 若葉は所々擦り傷等があるが、大きな怪我はしていないようだ。2人共無事で帰ってきてくれたことに私も安堵する。

 

「若葉、ひなた。ご飯作っておくから風呂に入ってきなさい」

 

「「はい」」

 

「れんちゃんもよ。ご飯は私が作るから」

 

「…わかった。ありがとう千景。でも先に若葉達が入ってね」

 

 若葉達が風呂入っている間に、2人の着替えを用意する。

 ……私の服は足りるだろうか。

 

「おかえりなさい蓮花さん!」

 

「おかえりなさい」

 

「ただいま。いい子にしてた?」

 

「うん!」

 

 リビングに入ると、ちょうど昼食を食べていた友奈ちゃん達がれんちゃんを迎える。

 

「そういえば、お前徳島でテレビの生中継に映っていたぞ」

 

「え、そうなの?」

 

「そうよ。あれも化け物なんでしょうか!?って言われていたわ」

 

「えぇ…」

 

 相変わらずれんちゃんの服を着てソファに座る久美子さん。その隣にれんちゃんも腰を下ろした。

 

「…………疲れた……」

 

「お疲れ様」

 

 何日か寝ずに動き回っていたのだ。流石のれんちゃんでも疲れて当然だ。

 

 

 うどんが茹で上がる頃、若葉とひなたが風呂から上がってきた。若葉に私の服は少し小さいかもしれない。昔は私のほうが背が高かったのに。

 

「れんちゃん、お次どうぞ」

 

「ああ」

 

 風呂に向かったれんちゃんと入れ替わり、若葉達がテーブルに着く。

 

「……疲れた」

 

「そうですね……」

 

「食べたら寝なさい。ずっと寝てないんでしょう?」

 

 2人共、目の下に薄くクマができている。その疲れた目で周囲を見回す若葉。

 

「……今更だが、知らない人達がいるな」

 

「あ、私は高嶋友奈って言います!」

 

「横手茉莉、です」

 

「烏丸久美子だ。お前達のことは千景から聞いている」

 

 若葉の問いに怒涛のジェットストリーム自己紹介をする友奈ちゃん達。この3人には、既に私から若葉達のことを話している。

 

「お前が若葉か……なぜ日本刀を持っている?銃刀法違反だぞ?」

 

「ん?ああ、これは私の大事な物だ。これで化け物を倒してここまで帰ってきた」

 

「……なるほどな。お前も友奈と同じか」

 

「同じ?」

 

「私もこれでお化けを倒すの!」

 

 そう言って篭手を若葉達に見せる友奈ちゃん。

 

「なんと、この刀以外にもあれを倒せる武器があるのか!」

 

「若葉ちゃん、うどん伸びちゃいますよ?」

 

「あ、ああ」

 

 刀を置き、ひとまずうどんを食べることに専念する若葉。

 その間に友奈ちゃんと茉莉さんが、若葉達に対して自分達の経緯を話す。

 久美子さんは友奈ちゃんの抽象的な説明を聞いて笑っていた。友奈ちゃんの説明だけでは伝わらないかもしれない。

 

 2人の説明が終わる頃、れんちゃんが風呂から上がってきた。

 既にテーブルの上にうどんは準備している。

 

「ありがとう千景。いただきます」

 

「どうぞ」

 

 うどんを啜るれんちゃんに、久美子さんが尋ねる。

 

「今後どうするんだ?」

 

「……とりあえず明日、皆の服を買いに行こう。千景の服が足りなくなるし、いつまでも久美子に僕の服を着させるわけにもいかない」

 

「大きくて着心地が良いから私は構わないが」

 

 そう言って立ち上がり、シャツの裾を持って揺らす久美子さん。

 

「ふとした時に僕の理性が削られるから駄目」

 

「……れんちゃん、久美子さんをそんな目で見ていたのね」

 

「違うんだ千景」

 

「冗談よ。確かに久美子さんは無防備だから、しょうがないわ」

 

「私が無防備…?」

 

「女性の恥じらいが少し欠けてると思う」

 

 茉莉さんは久美子さんに対してはあまり遠慮が無い。

 

「話を戻すが、服を買いに行った後はどうする?」

 

「……しばらく社会の動きを見るかな。人の動きもそうだけど、食料とか資源の扱いも。またすぐにスーパーとかで買い物ができるようになるかはわからないし」

 

「確かにこの人数だから、食材の確保は優先すべきですね」

 

「むしろ服よりもそっちを優先すべきだろう」

 

「そんな格好で久美子を外で歩かせられない」

 

「そうね」

 

「そうですね」

 

 これに関しては久美子さん以外満場一致らしい。

 

 

 

 昼食を終え、れんちゃん達は布団で眠りにつく。

 おそらく、れんちゃんや若葉達はこれから忙しくなる。他の人にできないことができるから。

 せめて今はしっかり休んでほしい。

 そう思った私は、れんちゃんの隣で添い寝をすることにした。良い夢が見られるように。



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第37話 束の間の平穏

 目を覚ます。

 隣の布団に若葉とひなたはいない。既に起きているのだろう。

 時計を見ると、正午を回った頃だった。ほぼ丸一日眠っていたらしい。

 

 立ち上がり、襖を開けてリビングへ出る。

 

「れんちゃん!おはようございます、全然起きないから少し心配し始めてたんですよ」

 

「おはよう、ひなた。寝すぎて頭が重い……」

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫大丈夫」

 

 リビングでは、皆テーブルを囲んで昼食中だ。

 

「顔を洗って来て。ご飯の用意はしておくから」

 

「ありがとう千景」

 

 洗面所で顔を洗い、リビングに戻り昼食をとる。

 8人で囲むにはこのテーブルは狭すぎる。もっと大きなテーブルを買いに行くべきか。

 

「にしても、千景は凄いな。家事は何でもできるし、料理は美味い。小学生とは思えないな」

 

「でしょ?」

 

「どうしてお前が誇らしげなんだ」

 

「千景が褒められると嬉しい」

 

 先に昼食を終えた久美子がソファに移動し、スペースが少し広くなる。

 

「……ふと思ったんだけど、久美子さんは下着はどうしてるの?」

 

「蓮花のを履いてるが」

 

 茉莉の疑問に、それがどうかしたかと言わんばかりに答える久美子。

 僕は別に構わないが、男物の下着は違和感は無いのだろうか。

 

「……ブラジャーは?」

 

「してないが」

 

「……ノーブラ?」

 

「ああ」

 

 早く、服を買いに行かないと。

 

「むしろ、お前はどうしてるんだ?」

 

「千景ちゃんのを借りてるけど」

 

「2歳下のやつのブラのサイズが合うのか?」

 

「……そんな哀しいことを聞かないでよ」

 

 久美子の言葉に茉莉が傷付いている。フォローしなければ。

 

「千景は大きいから、しょうがないよ」

 

「確かにちーちゃんは大きいほうですね」

 

 毎日栄養バランスの良い食事を続けてきた結果、千景はとても発育の良い子になった。良い事だ。

 

「なるほど、ならしょうがないな。茉莉が小さいわけではないのか」

 

「……久美子さんって羞恥心だけじゃなくてデリカシーも無いんだね」

 

 茉莉が傷付いている間に、皆続々と昼食を終えていく。

 

「これから皆で出かけようと思ってたけど、ノーブラの久美子は連れ出せないな……」

 

「最初に着ていたのがあるから問題ない。洗濯も済んでいるしな」

 

「あ、確かに。じゃあ着てきてよ、もうすぐ出るから」

 

「わかった」

 

 隣の和室に入り襖を閉める久美子。

 

「あ、そうだ久美子。ついでに僕の服じゃなくて君の服に着替えたら……」

 

 久美子が着ていた他の服も洗濯が済んでいるのではないか。ふとそう思い提案しようと襖を開けると、久美子は既にシャツを脱いでいた。

 視界に入ったのは、美しい双丘と頂点の紅。

 

 

 

 僕はそっと襖を閉めた。そして襖の前で土下座を敢行した。

 

「れんちゃんどうしたの?」

 

「なんでもないよ、千景。僕は何も見ていない」

 

「無理のある嘘はやめろ」

 

 着替えを終えた久美子が襖を開ける。その頬は赤く染まっている。

 ……恥じらい、あるじゃないか。

 

「久美子さん、顔真っ赤だけどどうしたの?」

 

「……なんでもない」

 

 照れた久美子の破壊力は凄いということを知った。

 

 

 

 

 

 家を出て、まずは楓さんが入院している病院へ向かう。楓さんは若葉が帰ってきたことをまだ知らないからだ。

 

 病室に入ると、楓さんは退屈そうに天井を見上げていた。

 

「お、いらっしゃ……」

 

「母さん!!」

 

 楓さんの元へ駆け寄る若葉。楓さんは驚いて一瞬言葉を失っていたが、すぐに若葉を抱き締めた。

 

「……若葉……よく…帰ってきたな……」

 

 娘の無事を確認して涙を流す。

 ひとまず楓さんが泣き止むまでは、誰も話さずそっとしておいた。

 

 

 

 

「そうか、昨日帰ってきたのか」

 

「ああ、そのまま朝まで寝ていたんだ」

 

 昨日のことを母に話す若葉。楓さんの隣では、琴音さんが林檎の皮を剥き始めた。

 

「……ところで、今日はどうしてこんなに大所帯なんだ?」

 

「これから関わることもあると思うから、一応紹介しておこうと思って連れてきた」

 

 友奈達の紹介と、どういう経緯で一緒にいるのかをさっと説明する。

 

「なるほど、それで大所帯なんだな。若葉も預かってくれているのか」

 

「ああ、若葉のことは僕達に任せてくれ。楓さんはどれくらいで退院するの?」

 

「1ヶ月もかからないだろう」

 

「そっか」

 

 琴音さんが剥いた林檎を皆で食べ始める。人数が多いだけにあっという間に無くなる。

 

「……すまないが、少しだけ若葉と2人きりにしてくれないか?」

 

「……わかった。ちょっと出てるね」

 

「私もひなたとここにいていいですか?」

 

「ああ」

 

 不思議そうな顔をする千景達を連れて病室を出る。

 

「……売店にでも行こうか。好きなの買っていいよ」

 

「やった!」

 

 売店に移動し、友奈達がそれぞれ商品を選んでいる間に、千景が僕の隣に寄ってくる。

 

「何かあったの?」

 

 そういえば、この子にも教えていなかったか。どうせそのうちわかるだろうし、今教えておこう。

 

「……伊織さんと誠司さんとおばあちゃんがさ、死んだんだ」

 

「……え?」

 

「伊織さんは会社、誠司さんとおばあちゃんは家で、地震で潰れた建物の下敷きになった」

 

 唐突で現実味が無いのだろう。もう二度と会えないと言われても、最初のうちは実感が湧かず、時間が経つほどわかってくるものだ。

 

「……若葉の家、潰れちゃったの?」

 

「ああ。瓦礫の下から、なんとか楓さんだけ助け出せたんだ。誠司さんが楓さんを庇っていたから」

 

「……そう」

 

 皆、とても優しい人だった。千景の誕生日には、毎年僕達の家に祝いに来てくれた。

 

「……僕は、絶対に千景の傍からいなくならないよ」

 

「うん……信じてる」

 

 千景と話している間に、友奈達は買う物を決めて集まっていた。なぜか久美子は酒とつまみを持っている。

 

「……え、久美子の分も?」

 

「着替えを覗いたことはこれで許してやる」

 

「え?どういうことれんちゃん?もしかして、着替えを覗いたから土下座していたの……?」

 

 千景の目から光が消えていく、ような気がする。久美子はその様子を見ながらニヤニヤしている。

 

「……違うんだ。千景と2人での生活に慣れてるから、うっかりいつもの感じで開けちゃったんだ」

 

「……気をつけてよ?」

 

「はい……」

 

 その後、千景と友奈の選んだ菓子、茉莉の色鉛筆とノート、久美子の酒とつまみを持ってレジに行き、会計を済ませた。

 

 

 

 楓さんの病室に戻ると、室内はとても静かで、4人の啜り泣く声だけが聞こえていた。

 

「……もう少し、廊下で待とうか」

 

 

 

 

 

 

「すまない、だいぶ待たせたな」

 

「構わないよ」

 

 数分後、琴音さんが病室の扉を開けたので中に入ると、ようやく若葉達も落ち着いていた。たくさん泣いたのだろう、目の下が赤くなっていた。

 

「この後はどうするんだ?」

 

「皆の服を買いに行くよ。着替えが無いからね」

 

「今営業している店はあるのか?」

 

「色々回って探すよ」

 

 地震で店内がぐちゃぐちゃになっている店は多いかもしれないが。

 

「じゃあ、そろそろ行くね。日が暮れる前に見つけないと」

 

「ああ、またな」

 

 

 各々が挨拶して病院を後にする。

 僕はスマホでマップを開き、服屋を探した。

 

 

 

 

 

 

「イネスに着いたけど、これは望み薄かなぁ…」

 

 数件の店を回ったが、店が崩れているところや、仕事をしている場合ではないと休業している店ばかりだった。

 

 最後の望みを託してイネスへ足を運んだが、1階の広間は避難民が集まって避難所のようになっている。

 

「営業している店、ほとんど無いわね」

 

「食料品を扱う店以外は、今営業しても客が来ないんだろうな」

 

「確かに」

 

 久美子の推測に納得しながら、服屋がある階へ登る。

 しかし、案の定服屋は営業していなかった。

 

「まじかぁ…」

 

「久美子さんのノーブラ生活が続くわね」

 

「……まじかぁ」

 

「今の間はなんだ?本当は嬉しいのか?」

 

 口角を少し上げて僕を揶揄う久美子。

 

「嬉しいけど…じゃなくて、僕も男だよ」

 

「……なるほど、私に欲情するのか」

 

「それは駄目よ。久美子さんは乳首に絆創膏でも貼っててちょうだい」

 

「千景、はしたないからやめなさい」

 

 他の子達が苦笑いしている。外でする話ではないな。

 

「……スーパーは営業してるみたいだし、食料品だけ買い物して帰ろうか」

 

「そうね」

 

 イネスのスーパーで買い物を済ませた後、若葉の希望で乃木家へ向かった。

 

「……別れは、一瞬なんだな。私が最後に父さんを見たのは、修学旅行の朝、仕事に行く父さんを見送った時だ」

 

「私もです……。あれが最後になるなんて、思いませんでした……」

 

「行ってらっしゃいと言って見送ったのに、……おかえりなさいって……言えなくなってしまったな……」

 

 また涙を流す若葉とひなたを、琴音さんが優しく抱き締める。

 千景が強く、僕の手を握っていた。

 

 いつの間にか、茉莉もぽろぽろと涙を零していた。

 

「大丈夫…?」

 

「ごめんなさい、家族のこと…思い出しちゃって……」

 

 茉莉の片手を友奈が、もう片方の手を僕の空いている手で握った。

 この子達はまだ子供なのだ。親との別れを経験するには早すぎる。

 

 

 崩れかけの上里家から琴音さんとひなたの服を回収し、家に着く頃には日が落ちかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を終え、ソファでくつろぎながら風呂の順番待ちをしていると、やけに久美子の視線を感じた。

 

「……どうしたの?そんなに僕を見つめて」

 

「私はお前に興味がある」

 

「ブッッ」

 

 目の前で千景が飲んでいた麦茶を噴き出した。千景の正面にいた若葉も被害を受けている。

 久美子が来てから千景が賑やかだ。様々な千景が見られて僕は嬉しい。

 

「久美子さんはれんちゃんのことが好きなんですか?」

 

「いや、恋愛感情ではない」

 

 千景がタオルを持ってきて無言で床に飛び散った麦茶を拭いている。床より先に若葉の顔を拭いてあげてほしい。

 

「蓮花の人間離れした強さに興味があるが、普通の食事、日常的にトレーニングをしている様子も無い。不思議だ」

 

「なるほど。確かに不思議ですけど、れんちゃんってそういう生き物なんじゃないですか?」

 

 千景、床を拭いたタオルで若葉の顔を拭こうとするのはやめてあげてほしい。行動が面白くて久美子とひなたの会話が頭に入ってこないじゃないか。

 

「まあそういうわけで、これからも観察は続ける」

 

「そのうち愛情が芽生えるやつじゃないですか。そういう漫画を読んだことありますよ」

 

「お前は恋愛脳か?頭の中に花畑でも咲いているのか?もし本当に私がこいつに惚れたら、土下座でも何でもしてやる」

 

「言いましたね?そういうのをフラグって言うんですよ?ちーちゃんに教えてもらいました」

 

 千景、ひなたに何を教えているんだ。

 

 

「……楽しいな」

 

「そうですね」

 

 琴音さんも微笑みながら見守っている。こういうわちゃわちゃしている感じは好きだ。

 

「お風呂空いたよ……若葉ちゃん、顔がビチャビチャだけどどうしたの?」

 

「ちょっとな…洗ってくる」

 

「そのまま風呂に入っておいで」

 

 風呂から戻ってきた友奈、茉莉と入れ替わりで若葉が洗面所へ行く。

 

「私も入ってきますね」

 

「ああ」

 

 自分と若葉の着替えを持って脱衣場に行くひなた。

 

「面白い奴らだな」

 

「何かあったの?」

 

 隣でくつろぐ久美子の呟きに反応する茉莉。動画を撮っておけばよかったか。

 

「久美子とひなたが話してて、千景が麦茶を噴き出して若葉が受けた」

 

「どんな話をしたら千景ちゃんが噴き出すの……?」

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、お前は千景との生活に慣れてるから襖を開けてしまったと言っていたな」

 

「え?ああ、言ったね」

 

 全員の入浴が終わり、子供達がリビングのテレビでゲームをしている中、久美子は昼間に買った酒を飲んでいる。

 

「それはもしかして……」

 

「……ん?何?」

 

 急に顔を寄せてきた久美子が、吐息が耳にかかる距離で囁く。良い声で囁くのはドキッとするのでやめてほしい。

 

「……普段から千景の着替えを覗いていたのか?」

 

「いや、覗くとかじゃなくて。和室にタンスがあるから一緒に着替えてただけだよ」

 

「……お前達はそういう間柄なのか?」

 

「一緒に暮らし始めて4年目の家族だよ」

 

「……不思議な関係だな」

 

 言っていて思ったが、もう3年も過ぎて4年目に突入したのか。

 かなり距離が近いため、視線を下げると谷がよく見える。

 

「……誘ってる?」

 

「何がだ?」

 

「酔っ払ってるだけかな」

 

 背中に視線を感じる。久美子を引き離したほうがいいだろうか。

 

 一応振り向くと、その視線の主は千景だった。

 

「……仲がいいのね」

 

「……そうなのかな。酔っ払いに絡まれてるだけの気もするけど」

 

「失礼だな。まあ千景が嫉妬しているようだし、ほどほどにしておこう」

 

 僕から離れた久美子は、反対側の隣にいた茉莉にもたれかかる。

 

「なんか酒臭いから離れて久美子さん」

 

「なっ……」

 

 押しのけられた久美子はこちらに帰ってきた。

 

「地味にショック受けてる?おーよしよし」

 

「茉莉さんって久美子さんには遠慮が無いわね」

 

「久美子さんに遠慮はいらないと思うよ」

 

「このクソガキめ……」

 

 また僕にもたれかかる久美子は、確かに少し酒臭い。しかし同時に女性の甘い香りもする。

 

「なんか、残念な美女だなぁ」

 

「そうね」

 

「しっくりくるね」

 

「残念言うな」

 

 文句を言いながらもつまみに手を伸ばす久美子。手と口は止めないらしい。

 

「どうでもいいけど、久美子は彼氏いないの?」

 

「いない。どうでもいいなら聞くな。お前だって独り身だろうが」

 

「僕は別にいいんだよ」

 

 なぜか久美子は僕の口につまみを入れようとしてくる。なんだ?これで僕を黙らせようとしているのか?

 

「お前は酒は飲まないのか?」

 

「飲まない」

 

「なぜ?」

 

「子供達に酒臭いって言われたくないから」

 

「……なるほど……」

 

 先程茉莉に酒臭いと言われたばかりだから、実感しているのだろうか。

 次第に大人しくなっていく久美子。

 

「……ふあぁぁ……」

 

「眠くなってきただけか」

 

 目を擦りながら、横になり僕の腿に頭を載せる久美子。

 なんとなくその髪を撫でてみると、メッシュを入れているにも関わらず、髪はさらさらであまり傷んでいない。

 

「……綺麗な髪だね」

 

「ん……」

 

 大人しい久美子はただただ可愛い。

 気がつけば、友奈達もゲームの手を止めて久美子を眺めている。

 

「どうした?」

 

「こんな一面もあるんだなーって」

 

「久美子さんは酔うと人に甘えるんですね」

 

「そうだね。……酒臭さを除けば最高」

 

 しかし、素でこんなことはしないだろう。

 静かにカメラを構えるひなた。後で写真を送ってもらおう。

 

「久美子、寝るなら布団に行こう?」

 

「んん……運んでくれ……」

 

「えぇ……しょうがない子だな」

 

 久美子を抱きかかえて寝室へ運ぶ。

 優しく布団に降ろし、掛け布団をかける。

 

「おやすみ、久美子」

 

 寝息が聞こえてくるまで、そう時間はかからなかった。

 きっと明日、今日のことを思い出して赤面する久美子が見られるだろう。

 

 

 時計を見ると、時間は既に10時過ぎ。良い子は寝る時間だ。

 

「皆もそろそろ寝ようか」

 

「はーい」

 

「続きはまた明日しよう」

 

 続々と寝室に移動していく。しかし8人で並んで寝るのは流石に狭い。

 

「僕はリビングで寝ようかな」

 

「え、じゃあ私も…」

 

「ソファで寝るから2人では無理だよ」

 

 一緒に寝ようとする千景を寝室に戻す。嬉しいが仕方ないのだ。正直布団も足りていないので、寝室から持ってくるわけにもいかない。

 

「おやすみ、皆」

 

 

 1人リビングに戻り、明かりを消してソファに横になる。

 外は大変なことになっているが、今だけは平穏を享受するのだった。



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第38話 夢と嫉妬

どうしよう、想定していたより久美子がヒロインすぎる。
でも照れる久美子を想像すると可愛くて興が乗る…。


 目を覚まし、視線を横に向けると茉莉がいた。テーブルで何かを描いている。

 

「…おはよう」

 

「あ、起きたんだ。おはよう」

 

 体を起こし、ソファの上から茉莉の隣に移動する。

 

「何してるの?」

 

「えっと、絵の練習」

 

 手元を覗き込むと、スケッチブックには可愛らしい絵が描かれている。

 

「将来、絵本作家になりたくて」

 

「……そっか」

 

 この子は明確な夢を持っていて、世界がこんな状況になっても、変わらず夢を追いかけている。

 なんとなく、茉莉の頭をそっと撫でる。

 

「ふぇ…?」

 

「何か僕にできることがあれば言ってね。夢を叶える為に頑張る君を支えたい」

 

「……ありがとう」

 

「とりあえず、すぐに朝ご飯作るね」

 

 立ち上がり、朝食の準備をするためにキッチン、の前に顔を洗う為に洗面所へ向かった。

 途中で、起きてきた久美子とすれ違って目が合い、彼女は顔を真っ赤に染めて目を逸らした。

 

 ──────────

 

 数日が経過し、突如四国を囲うように大きな壁が現れ、世間では大社という組織が表に出てきた。

 四国に現れた、土地神の集合体である神樹を信仰する宗教組織だという。

 避難所の運営や街中の瓦礫の撤去、道路の修繕や治安維持等、各地の役所と連携して様々な事業を行いつつ、日本中に出現した化け物の対策も行っていく。というのが、ニュース等で流れている大社の情報だ。

 

 ちょうど今も、ニュースで流れている。

 皆で朝食をとりながらニュースを眺める。

 

「大社ねぇ……」

 

「……おそらく大社は、お前達を探しに来るだろうな」

 

 久美子さんはそう言いながら、隣に座る友奈ちゃんの髪をわしゃわしゃと撫でる。

 

「そうだね……。化け物の対策をする上で、若葉達の戦う力とひなた達の能力は必要だろう」

 

「何を他人事みたいに。お前も探される側だろうが」

 

「え?……ああ、確かに」

 

 忘れていたと言わんばかりに一瞬ポカンとするれんちゃん。

 

「……それって、若葉達が化け物と戦わされるってこと?」

 

「ひなたや茉莉はともかく、若葉と友奈と蓮花はそうなるだろうな」

 

「僕が全員守るから大丈夫」

 

 そうは言われても、大切な人と親友が戦場に立たされるというのは心配である。

 

「そもそも大社は、化け物を倒せる人がいるって知っているの?」

 

「知っているだろうな。避難所で聞き込みをすればすぐにわかる。四国外から来た人間が、どうやって生きて四国に避難したのかをな」

 

「そうだね」

 

 化け物の対策をするというのなら、話を聞くために実際にあれに遭遇した人間を探すだろう。そしてどうやって生き延びたのかを聞く。

 自動車等で振り切ったという話も聞けるだろう。しかしその中に、『化け物を倒した』という回答をした人がいれば、質問は『生き延びた方法』から『倒した方法』に変わる。『誰』が『どうやって』倒したのか。

 

「役所と情報を共有できるなら、個人の特定もできるんだろうな」

 

「そう遠くないうちに、この家に訪ねてくるかもしれないね」

 

 ──────────

 

「蓮花、ちょっと話がある」

 

 その日の夜。他の皆は寝室に向かい、僕も1人リビングで寝る体勢に入った時、久美子が茉莉を連れてリビングに戻ってきた。

 

「何?告白?」

 

「え!?そうなの!?」

 

「違う。告白なら茉莉を連れてこない」

 

「それもそうか。それで?」

 

 横になっていた体を起こすと、隣に座る2人。茉莉はよくわからないまま連れてこられたようだが、久美子の表情は真剣なものだ。

 

「もし、大社がこいつらを探しに来た時は、私が茉莉の変わりに名乗り出る」

 

「……え!?なんで!?」

 

 先程から驚いてばかりの茉莉。寝る前なのに興奮して、この後寝られるのだろうか。

 

「どうして?」

 

「こいつはきっと、友奈達が戦って傷付いていくのを傍で見ることに耐えられない」

 

「……っ!」

 

「それに、大社に所属するとなったら、絵を描いたりしていられないだろう」

 

「……茉莉が心配なのと、夢を応援したいんだね」

 

「……そうかもしれないな」

 

 そう言って微笑む久美子は、もしかしたら何か考えがあるのかもしれないが、少なくとも今は優しく見えた。

 

「ちょっと待ってよ!」

 

「なんだ?」

 

「ボクは確かにこれ以上怖い思いはしたくないけど、そもそもゆうちゃん達にも戦ってほしくないよ……皆まだ子供なんだよ……?」

 

 そうだ。それが普通の感情なんだ。

 

「そうだね。僕もそう思うよ」

 

「だがな、友奈や若葉は、自分が戦うことで傷付く人が少しでも減るなら、自分が傷付くことを厭わないタイプの人間だ。あいつらは人々の為に戦うかどうか2択を迫られたら、迷わず戦うことを選ぶ」

 

「そんな……」

 

「お前には、普通の日常の中で生きてほしい」

 

「ボクは……その普通の日常を皆で過ごしたいのに……」

 

「でも、世の中もあの子達も、きっとそれを赦してはくれない」

 

「蓮花さんも……久美子さんに賛成するの……?」

 

「ああ」

 

 俯く茉莉を抱き締める。震えている。泣いている。

 友達が戦うことを止められないからだろうか。

 普通の人間にとって、自分や周囲の人が傷付くことは、見知らぬ他人が傷付くことより辛い。僕もそうだ。

 

「すまない……皆のことは、僕が守るから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣き疲れて眠った茉莉を寝室に運び、リビングに戻る。そこではなぜか、久美子が寝室から持ってきた1枚の布団を敷いている。

 

「……何してるの?寝ないの?」

 

「寝るぞ?ここで」

 

 ここで?

 

「お前と少し話したいと思ってな。ほら、ここ空いてるぞ?」

 

 布団に横になり、自分の隣を手でポンポンと叩く久美子。

 

「……僕はソファでいいよ」

 

「ずっとソファだと体を壊さないか?今日は構わないぞ」

 

「……そんなに僕と寝たいならしょうがない」

 

 いつまでも布団の半分を空けて待ち続ける久美子の誘いに乗り、リビングの明かりを消して久々の布団で横になる。

 

「君ねぇ、出会って2週間程度の男との距離感バグってない?」

 

「なんだ、意識しているのか?」

 

「そりゃするよ。……明日の朝、千景に凄い目で見られそう……」

 

 布団1枚に大人が2人。流石に狭く距離が近い。今日は酒臭いわけではないので、普通に女性の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「で?茉莉の代わりをする本当の理由は?」

 

「あいつが心配なのと夢を応援したいのは本当だが」

 

「他には?」

 

「そのほうが面白そうだから。こんな時でも普通の日常を過ごすなんて、私には御免だ」

 

「なるほどね」

 

 やはりそういう企みもあったのか。久美子らしいといえばらしいか。

 少し動くだけで触れ合ってしまうこの距離、手の置き場に困ってしまう。

 

「……やっぱり今もノーブラなのか?」

 

「ああ。寝る前だし普通だろう?揉んでみるか?」

 

「……………………遠慮しておきます」

 

「かなり悩んだな」

 

「僕だって人間なんだよ。性欲だってある」

 

 久美子は自分がいい女である自覚はあるのだろうか。

 

「……お前は、もし戦うかどうか選べたとしても、戦うのか?」

 

「ああ。友奈達は見ず知らずの他人でも全力で助けようとする子達だから止められない。なら僕は傍で戦って自分で皆を守る。それが一番確実だから」

 

「……確かに確実だな」

 

 結局、一番信じられるのは自分の力なのだ。

 僕の力は守りたいモノを守りきるためにあ……。

 

「……何?どうしたの?」

 

「そういえば、若葉達がお前の筋肉は凄いと言っていたのを思い出してな」

 

 僕の体をベタベタ触り回る久美子。本当にこの子の距離感はどうなっているのだろう。

 次第にシャツの下に手を入れ、直接触り始める。くすぐったい。

 

「服を着ていると分かりずらいが、かなりしっかりと筋肉が付いているな」

 

「血反吐を吐きながら死ぬ気で鍛えたからね。……くすぐったい」

 

「すまん」

 

「そんなに僕の体が気になるなら、今度一緒に風呂に入るか?」

 

「お前は何を言っているんだ?」

 

「……僕には君の距離感が理解できないよ」

 

 最近久美子に振り回されることが多い気がする。

 胸筋や腹筋に満足したのか、次は腕や足に手を伸ばそうとする。

 もうこの手は握っておこう。そうすれば体中をまさぐられずに済む。

 

「……そういえば、久美子って何歳?」

 

「今年で24だ」

 

「じゃあ2つ歳下なのか」

 

「もっと離れていると思っていた」

 

 失礼な。

 

「……いつまで手を握っているつもりだ?」

 

「久美子が寝るまで」

 

「……まだ足が空いているが」

 

「大人しくしなさい、縛るよ?」

 

「やっぱりそういうのが好きなんじゃ「違うよ」」

 

 ……久美子ってこんな人だっただろうか。第一印象となんか違う。

 

「大人しくするから手を放してくれ」

 

「わかったわかった。もう寝るよ」

 

「せっかく布団で寝られるのに、もう寝てしまうのか?」

 

「布団で寝られるからこそ早く寝るべきなんじゃないの?」

 

 この子は何を言っているんだろう。

 

「言い方を変えよう。せっかく私と寝られるのに、もう寝てしまうのか?」

 

「…………ずるい女」

 

「まあそう言うな」

 

「でも起きてて何するのさ?」

 

 無駄に起きてどうでもいいことを長々と駄弁るのも幸せではあるが、流石にそろそろ寝てもいい時間だ。

 

「ふむ……」

 

 一言呟き、僕の唇に人差し指を当てる久美子。

 

「……私と何がしたい?……なんてな」

 

「……なんで今日はそんなに小悪魔的なんだ」

 

「この前のお返しだ。お前の赤面を拝んでやろうと思ってな」

 

 久美子はふふっと笑いながら指を離す。

 

 

 

 

 その余裕を奪ってみたら、一体どんな表情を見せてくれるのか、少し気になってしまった。

 

「…ん?ちょっ……!」

 

 久美子の背中に片腕を回し、こちらに抱き寄せる。

 そしてもう片方の手を久美子の頬に添える。

 

「お返しだよ。……ほら、もう真っ赤だ」

 

 抱き締めているが故に、心音の速さの変化もよく伝わってくる。

 

「急に心音が速くなったね。緊張してる?」

 

「……こんな状況は初めてだからな」

 

「そういえば恋人いたこと無いんだったね」

 

 先程までの勢いはどこに行ったのだろう。

 

「……久美子って鍛えてるんだっけ?」

 

「多少な…」

 

「だからこんなに引き締まってるんだね」

 

 久美子の頬に添えた手を放し、腹部や腰回りをそっと撫でる。引き締まっているが、女性らしい柔らかさも兼ね備えている。

 下半身の肉付きはとても僕好みだ。太腿を撫で、臀部をそっと揉んでみると、その揉み心地の良さに心が躍る。

 

「んっ……」

 

「……可愛い声が出たね」

 

 窓から差し込む月明かりに照らされる久美子は顔を真っ赤に染め、少し蕩けたような瞳をこちらに向ける。

 求めるような瞳に応え、首筋に口づけし、徐々に下に降りていき鎖骨に到達する。

 

「ん……蓮花……」

 

 久美子に名前を呼ばれ、ふと冷静になる。

 ……これ以上はいけない。久美子を蕩けさせておいて何だが、この辺りでやめておこう。

 

 

「……ねえ、久美子」

 

「……ん…?」

 

「…このまま寝てもいい?」

 

「……よくこの状況で…寝られるな」

 

「…久美子の心音で眠くなってきた」

 

 誰かを抱き締めて心音を聞いていると、とても安心して眠くなる。

 両手を久美子の背中に回し、より強く抱き締め、密着する。

 久美子の両腕も僕の背中に回され、さらに2人の間の隙間は無くなる。

 

「……久美子は眠れそう?」

 

「……ああ」

 

「なら、このままで…。おやすみ、久美子」

 

「ああ…おやすみ……」

 

 久美子の体温と香りを傍に感じながら、興奮する心を抑えて眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。目を覚ますと、寝る前と変わらず久美子は僕の腕の中で眠っていた。僕の背中に回された久美子の両腕もそのままだ。

 

 少しその髪を撫でる。やはり触り心地が良く、千景の髪といい勝負だ。

 

 上半身を起こし、後ろを見るとソファに千景が座っていた。逸らしてしまいたい目でこちらを見ている。

 

「あ……えっと、おはよう」

 

「……おはよう、れんちゃん」

 

 千景の声が、重い。こんな『おはよう』を聞いたのは初めてだ。

 

「久美子さんと遅くまでエッチなことをしていたの……?」

 

 微妙に笑っていない目で尋ねてくる千景。

 

「そんなことは……してない、です」

 

「本当に……?」

 

「うん……。久美子がからかってきたから、ちょっと仕返しで抱き締めたりしたら、眠くなってそのまま寝た」

 

 他にも色々した記憶はとても強く残っているが、黙っておこう。言ったところでこの場は好転しない。

 

「そもそも、どうして久美子さんがここにいるの?布団も1枚持ってきて」

 

「色々話したいからここで寝るって言って敷いてた」

 

「色々って何?」

 

「年齢の話とか筋肉の話、とか……」

 

「なんで筋肉」

 

 どうしよう、千景が怖い。こんなにお怒りなのは初めてだ。

 

「他の皆はまだ寝てるの?」

 

「ええ。私だけ早く目が覚めたから起きてきたら、れんちゃんと久美子さんが抱き合って寝ていたのよ」

 

「さ、さようで…ございます、か……」

 

 この状況をどうしようかと悩んでいると、布団が動いた。

 隣を見れば、久美子が少し目を覚ました。

 

「ん……朝か。……ふぁ…ぁあ!!」

 

「あら、おはよう久美子さん」

 

 起き上がった久美子が目の笑っていない千景を視認し、欠伸をしながら驚いた。なんだ今の。

 

「おお、おはよう……」

 

「じゃあ、僕は顔洗って朝ご飯作るね!」

 

 そして洗面所へ逃げようとしたところ、背後から久美子に抱き締められたことで立ち上がるのを阻止された。

 

(待て、逃げるな。私だけ置いていくな)

 

(そんなつもりはないから放してほしい)

 

 千景に聞こえないよう小声で久美子とやり取りをする。この距離では意味が無いかもしれないが。

 僕を抱き締める久美子を見て、千景の表情がより険しいものとなる。

 

(……こうなったら、僕に考えがある。手を放してくれ)

 

(……わかった)

 

 久美子の手が放され、僕は立ち上がり千景に対して両手を広げる。

 

「千景、ごめんね。おいで」

 

「……」

 

 ほんの少しだけ考えた後、千景はソファから立ち上がり僕を抱き締めてくれた。

 

「……こんなんじゃ許さないんだから」

 

「ごめんよ、僕は千景が大好きだよ」

 

「……知っているけど」

 

 しばらく抱き締めていると、僕と千景の腹が空腹で鳴った。

 

「……朝ご飯にしようか」

 

「……うん」

 

 いつの間にか洗面所に逃げていた久美子を追って、顔を洗う為に僕も洗面所へ向かう。

 朝からとても疲れた気がした。




今日の郡家
 朝起きたら、蓮花さんと久美子さんがなんだか疲れた顔をしていた。朝から何かあったのだろうか。
                   茉莉


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第39話 愛しさと神性

タイトル考えるの苦手……。
『今日の郡家』は絵本の物語のアイデアを見つけるために、茉莉が一言日記をつけ始めたようなものです。


「やっと皆の服買えたね。よかったよかった」

 

「久美子さん、これからはちゃんとブラ着けてよ?」

 

「わかったよ」

 

 数日が経過し、私達はようやく営業を再開した近くの服屋を訪れ、それぞれの服を数着購入した。

 これで私の服も帰ってくるだろう。

 

 ついでに食料品の買い物も済ませマンションへ帰ってくると、マンションの前に一台の車が停まっていた。

 そしてその横に、変な面を付けた人が立っていた。

 その人はこちらに気がつくと、深くお辞儀をしてから言葉を発した。

 

「郡様方でございますか?」

 

「違います」

 

「違わないだろ、息をするように嘘をつくな」

 

 ノータイムで否定したれんちゃんにツッコミを入れる久美子さん。

 

「私は大社から参った神官です。あなた方に大事なお話があり、こうしてお待ちしておりました」

 

 

 

 

 

「お茶をどうぞ」

 

「これはどうもありがとうございます」

 

 大社の神官を名乗る男を家に入れ、話を聞くためにリビングに集まる。

 気が利く琴音さんは神官にお茶を出している。

 

「それで、話とは?」

 

「はい。私は今日、勇者である乃木若葉様と高嶋友奈様、それに巫女である上里ひなた様に大社に所属していただきたく、お話に参りました」

 

 それから神官は、様々なことを説明し始めた。

 まず、あの化け物を大社は『バーテックス』と呼称していること。

 そして、バーテックスを倒すことができる人間を『勇者』、神の声を聞くことができる人間を『巫女』と呼ぶこと。

 若葉の刀は『生大刀』、ゆうちゃんの篭手は『天ノ逆手』という神器だということも教えてくれた。

 

「勇者とは、神器を扱える人のことを指します。勇者と言えど神器が無ければバーテックスを倒せませんので、バーテックスを倒せるということは神器を扱えることになります」

 

「え?でも、れんちゃんは素手でいっぱい倒してましたよ?」

 

「え?」

 

 驚いて素の声が漏れる神官。

 

「……そうなんですか?」

 

「違います」

 

「違わないだろ、お前素手で無双していたじゃないか」

 

 またノータイムで否定するれんちゃんにツッコミを入れる久美子さん。

 

「……この件は、一度他の神官と共有させていただきます。またお話を伺うことがあるかもしれません」

 

「ないと思いま…」

 

「お前は少し黙っていろ」

 

 遂にれんちゃんは久美子さんに黙らされてしまった。

 

「……話を戻しますが、この度、高知のとある神社から発見、回収された神器『大葉刈』の勇者に、神樹様は神託で郡千景様を示されました」

 

「……え?私?」

 

 急に私の名前を出されたことに驚く。皆も驚いている。

 

「私が、勇者?」

 

「はい。私が今日ここに参った理由の一つとして、貴女様に勇者になっていただきたくお願いに参りました」

 

「……それに、拒否権は無いんだろう?」

 

「え?」

 

 重い声を発するれんちゃん。その表情はいつになく真剣だ。

 

「お願いとは言いつつも、人類の為に戦ってもらうことになったと、報告をしに来ただけだろう?」

 

「……否定はしません」

 

「そうなの……?」

 

 私に、命をかけて戦う以外の選択肢はない?

 

「大丈夫だ、千景。選択肢なら僕が作る」

 

「どういうこと?」

 

「お前が嫌なら、勇者にならなくていい。僕が全部どうにかするから。とりあえず大社は潰す」

 

「いきなり潰すのはやめてやれよ」

 

 ……私が勇者になって戦えば、若葉やゆうちゃんを守って、れんちゃんの負担を減らせるのだろうか。

 

「……私、勇者になるわ」

 

「……本当にいいのか?」

 

「ええ」

 

「……そうか」

 

「ありがとうございます。そして、本当に申し訳ございません……」

 

 頭を床につけて、消え入りそうな声で感謝と謝罪をする神官。この人はおそらく、子供を戦わせることに罪悪感を感じているのだろう。

 

「そして次に、勇者様巫女様方には大社に所属していただきたいのです」

 

「戦争の為に戦力を集めていると?」

 

「……それも、否定はできません」

 

 とても辛そうに声を出す神官。この人はきっと、本当にいい人なのだろう。立場上、どうしようもないだけで。

 

「……実は、私の娘も巫女として大社に所属することになりました。人類の為だと言われ、拒否することもできず……」

 

「なるほど……娘さんの名前は?」

 

「花本美佳と言います。どうか皆様、娘と仲良くしていただけると幸いです……」

 

「覚えておきますね」

 

 そう言って微笑むのは、いつもの優しいひなただった。

 

「……それから、乃木様にとっての上里様のように、高嶋様の傍にも巫女の方がおられるはずなのですが」

 

「それは私だ」

 

「貴女様のお名前は…?」

 

「烏丸久美子だ」

 

 神官の言葉に名乗り出る久美子さん。ゆうちゃんの巫女は茉莉さんのはずでは……。

 当の茉莉さんは、俯き口を開かない。ただ、手を握りしめている。

 

「だが、私はここに来てすぐに能力を失った。こいつらのような歳ではないからな」

 

「なるほど、そうでしたか。では、事情を知る身として、皆様とご一緒に大社に所属されてはいかがですか?巫女ではなく神官の立場になるかと思いますが」

 

「……いいだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 かなりあっさりと話に乗る久美子さん。もしかして大社に入りたかったのだろうか。

 

「では、最後に。3日後、皆様には大社にお越しいただきます。こちらから迎えの車をご用意いたします。そこで、他の勇者様方と共に今後について説明をさせていただきます。烏丸様の入社手続き等もその時に行いましょう」

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。私は寝室ではなく、リビングに布団を敷いていた。

 今日は、久々にれんちゃんと一緒に寝たい。

 

 ──────────

 

「電気消すよ?」

 

「うん」

 

 部屋の明かりを消し、千景の入っている布団に潜り込む。

 こうして一緒に寝るのは、なんだか久々な気がする。

 

「……これでよかったのかな」

 

「大丈夫。何があっても僕が守るから」

 

 千景の背中に腕を回して抱き寄せる。もう慣れたものだ。

 しかし昔と違い、今の千景には女性の柔らかさが備わってきている。

 

「それに、歳の近い子と友達になれるかもしれないよ」

 

「そうね。他の勇者の子もいるもんね」

 

 

 千景を抱いていると、どうしてこんなにも安心するのだろう。

 

「……ねぇ」

 

「ん?」

 

「最近私が、よく久美子さんに嫉妬していたの、気づいてた?」

 

 そう言って僕の胸に顔を埋める千景。

 

「ああ。嫉妬して怒った千景は怖かったな」

 

「しょうがないじゃない。れんちゃんが久美子さんとイチャイチャするんだもの」

 

「ごめんね」

 

 千景の頬に手を添えて、少し顔を上げた千景の額に、僕の額をくっつける。

 

 

「……じゃあ、寝ようか。おやすみ、千景。……好きだよ」

 

「……その『好き』は、どういう『好き』なのかしら……おやすみなさい、れんちゃん」

 

 千景の額にキスをして、僕は瞼を閉じた。

 この『好き』は、正直僕にもはっきりとはわからない。

 ただ、千景が愛おしいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日後。僕達は大社の用意した車で大社へやってきた。

 この前、家で神官から聞いた話は、既に楓さんには見舞いに行った際に伝えてある。ただ『若葉に任せる』とだけ言われた。

 

「大っきいね!!」

 

「こんな建物、急造なんてできないし、前からあっただろうか……」

 

 各々が様々な感想を抱きながら、車を降りて大社の中へ入っていく。

 しばらく歩き、案内された大部屋に入ると、知っている顔があった。

 

「お、もしかして他の勇者の人達か!?……あれ?」

 

「タマっち、もうちょっと大人しくしてて……って、あれ?」

 

 そこにいたのは、愛媛で出会った、みかんをあげた子と本屋で迷子になっていた子だった。

 

「もしかして、杏ちゃんと……みかんをあげた子?」

 

「おお!やっぱりあの時の親子だ!!」

 

「蓮花さんと千景さん!!タマっちも知ってるの?」

 

「ああ、みかんを買ってたから後ろをついて行ったら1個くれた人」

 

「球子……何してるんだ……」

 

 球子の父親らしき人が今の話を聞いて落胆している。

 

「実はね、僕らが2人と出会ったのは同じ日なんだよ」

 

「え、そうなんですか!?」

 

「そうだったわね。イネス2階の本屋で杏ちゃんと出会った後、1階で球子と出会ったのよ」

 

「え、まじか。あの日、タマとあんずはめちゃくちゃ近くにいたのか」

 

 懐かしい顔に再会し、思い出話に花を咲かせる。

 若葉達は空気と化していた。

 

 

 その後、数人の神官がやってきて、まずは動画を見せられた。自衛隊とバーテックスの戦闘だ。

 現存する兵器ではバーテックスに傷をつけることができないという説明だ。

 

 それから、今後の生活についての説明がされた。

 勇者達は皆が丸亀城で共同生活をすること。そこでは普通の授業を受けながら、戦闘の訓練も行っていくこと。巫女達は基本的に大社の寮で生活すること。

 勇者の保護者は毎月大社から手当金が給付されること等。

 

「丸亀城なら、家からすぐじゃないか」

 

「僕入り浸るよ」

 

「流石に駄目でしょ」

 

 

 

 

「以上で説明は終了となります。ここからは、手続き等をしていただきます。烏丸様はこちらへ」

 

 そうして入社手続きのために別の部屋へ移動する久美子。

 

「すみませんが、郡蓮花様はこちらへお願いします」

 

「え?ああ」

 

 皆の方を振り返ると、琴音さんが微笑んで送り出してくれた。

 

「皆のことは心配なさらず、私に任せてください」

 

「わかった。ありがとう」

 

 そして僕は神官に案内され、久美子とはまた別の部屋へ移動した。

 

 

 

 

 

「お連れしました」

 

 ここは応接室、だろうか。

 中心のテーブルを挟み、高価そうなソファが設置されている。

 

 そして正面には、厳かな雰囲気を漂わせる初老辺りの男達。

 

「……なるほど、お偉いさんかな」

 

「郡蓮花様でお間違いありませんか?」

 

 1人の男が口を開き、よく通る低い声で話し出す。

 

「はい」

 

「……この間、貴方のお宅へ訪ねた神官から、貴方は素手でバーテックスを倒したらしいと聞きました。それは本当ですか?」

 

「ええ、本当です」

 

 周囲がざわめく。しかしまた別の男が話し出した瞬間、室内は静まり返った。

 

「ならば、貴方がどうやってバーテックスを倒したのか、説明していただけますか?少女ではなく勇者でもない貴方がなぜ、バーテックスを倒せたのか」

 

「そうだな……」

 

 全て話してしまってもいいものだろうか。しかしこちらから答えのみを渡してしまってもつまらない。

 

「まずそもそも、勇者の扱う神器は、神性があるからバーテックスを倒せるわけですよね?」

 

「…そうですね。なぜ貴方がその事を……?」

 

「まあ、それは置いといて。要するに、バーテックスを倒すのに必要なのは武器とかではなく、神性です」

 

 あまり表情がパッとしない男達。周りに立っている神官達も同様のようだ。

 

「……神性を宿していれば、それが何であれバーテックスに傷をつけられる、ということですか?」

 

「そうです」

 

「しかし貴方は、何も使わず素手で倒したと言いましたね?」

 

「うーん……難しく考える必要は無いんだけど」

 

 そう言うと、何人かは理解したのか、驚きの声をあげる者、僕に頭や膝をつく者が現れた。

 

 しかし初老の男達はまだ理解できないようだ。歳のせいで頭が回っていないのだろうか。

 

「簡単な話だ。僕はこの『手』や『足』でバーテックスを倒した」

 

「……つまり、貴方の体が神性を帯びている……と?」

 

「し、しかし…それでは……まさか……!!」

 

 流石に初老の男達も理解し始める。僕が何なのか。

 

「理解したのなら、とりあえずいくつか頼みを聞いてもらおうか」

 

「は、はい!!何なりとお申し付けください……!!」

 

 この場にいる全ての人間が、僕の前に頭を垂れた。




今日の郡家
 夜、リビングに布団を敷く千景ちゃんは、とても嬉しそうだった。本当に蓮花さんが大好きなんだと思った。


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第40話 変化する日常

怒涛の連日更新。


「まず、勇者と巫女達の情報を絶対にネットやメディアに公開するな」

 

 ひれ伏す神官達に、僕の一つ目の頼みを告げる。

 

「し、しかし、勇者様の情報を公開することは、民衆の希望に繋がります」

 

「知ったことか。そんなものより子供達のプライバシーのほうが大事だ」

 

「失礼しました!!」

 

「もしも情報が漏れたら、大社を潰した後にその情報を見た人間を片っ端から消していく」

 

 額を床に擦り付ける男はそのままに、次の頼みを告げる。

 

「それから、千人程度が住める集合住宅のようなものを建設してもらいたい。できるだけ早く」

 

「……一応、理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「四国外の生き残りを避難させる為だ。諏訪とかな」

 

「その事まで……!!まだ発表していないのに」

 

「しかし、諏訪に千人も生き残っているのでしょうか……」

 

 規模に対して疑問を持つ神官が1人。他の神官もそれに同調する。

 

「北海道と沖縄にも同じように生き残っている人達がいる」

 

「なんと……!!そんなことが……!!」

 

「それでも余れば、避難所で生活している小さな子供や老人がいる家族に、格安で住まわせるなりすればいい」

 

「承知致しました」

 

「それから──」

 

 その後もいくつかの頼み事を伝え、その全てを了承してもらった。

 

 

 

 

 

 

「あ、帰ってきた。おかえり」

 

「ただいま。久美子も戻ってきているね」

 

「さっき終わった」

 

 話を終え、皆のいる部屋に戻ってくると、既に用事を終えた久美子も戻ってきていた。

 

「杏達はこの後どうするの?」

 

「とりあえず家に帰ります。丸亀城で生活し始めるのは1週間後だから、その時にまた来ます」

 

「そっか。またね」

 

 勇者達は1週間後に丸亀城での生活が始まることになっている。

 巫女のひなたはひと足先に、2日後から大社の寮で暮らすらしい。

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

 来た時と同じ車に乗り込み運ばれ、僕達は帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 翌日の夜。ひなたは明日から大社での生活になるため、多くはないが荷物を纏めていた。

 しっかりした子ではあるが、多少の不安は顔に出ている。

 その隣で、なぜか久美子も荷物を纏めている。

 

「どうしたの久美子さん?」

 

「私も明日から大社で生活するから、荷物を纏めているんだ」

 

「え、そうなの?」

 

「言っていなかったか。ここから大社まで毎日通勤するのは遠いから、私も職員の寮に入ることにした。大体の神官はそうしているらしい」

 

 初耳である。しかし、確かにここから大社までは距離があるので、納得ではある。

 

「少し心強いですね」

 

「少しか」

 

 知らない環境で知っている人がいるというのは、誰しも少し安心するものだ。

 

 

「ひなた、寂しくなったらいつでも電話してね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「私は?」

 

「久美子は寂しくなったりするの?構わないけど」

 

 久美子にそんな感情があるのだろうか。

 

「ひなたがいなくなるのは寂しいけれど、久美子さんがいなくなるのは落ち着くわね」

 

「そうだね」

 

「お前ら……」

 

 

 千景の言葉に茉莉が共感し、さすがの久美子も気落ちしている。

 

「2人とも、久美子さんが嫌いなのか?」

 

「冗談よ」

 

「お前ら、なぜ私には遠慮のない冗談を吐くんだ」

 

「遠慮、必要?」

 

「いらないと思うよ」

 

 ……これは仲が良いと見ていいのだろうか。

 このやり取りを見ている友奈やひなたが微笑んでいるので、そう思って大丈夫なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、遂に千景達が丸亀城で暮らし始める日となった。

 

 家の前に来た迎えの車に荷物を乗せて乗り込み、皆で丸亀城へ移動する。

 入り口の前には、既に球子と杏が立っていた。

 

「お、来た来た」

 

「こんにちはぁー!」

 

「ああ、これからよろしくな」

 

 

 神官の案内に着いていくと、寮らしき建物、その前に立つひなたを見つけた。

 

「え、ひなた!?」

 

「なんでここに!?」

 

「ふふっ、驚きましたか?実は、勇者達の生活をサポートし、神託があった際には直接伝えるという名目で、私も今日からここで一緒に生活することになりました!!」

 

「ほんとに!?やったぁ!!」

 

 ひなたのサプライズに驚き、とても嬉しそうにする面々。丸亀城ならいつでも会いに来れるため、僕も嬉しい。

 

「よかった、これからもひなたと一緒にいられるんだな」

 

「はい、若葉ちゃんのお世話は変わらず私がします!」

 

 安堵する若葉の手を、ひなたが両手で包み込む。

 その様子を見て、友奈と千景は顔を見合わせて微笑んだ。

 

 

 

 

 部屋の割り当てや設備の説明が終わり、それぞれの部屋で荷解きをする。

 全ての部屋にテレビやエアコン、冷蔵庫や洗濯機などの一般的な家電は既に設置されていた。

 

 そして僕は今、千景の部屋で荷解きを手伝っている。

 

「千景、家のテレビゲームも持ってくるか?ここなら皆で遊べるし、家に置いていても茉莉はやらないし」

 

「そうね、持ってこようかしら」

 

 タンスや勉強机も設置されており、生活に必要なものは大体揃っている感じだ。

 

「必要な家具等があれば言ってくれたら用意するって言っていたけど、充分よね」

 

「確かに」

 

 

 荷解きを終え部屋中を見回していると、ノックと共に扉が開かれた。入ってきたのは若葉達だ。続いて球子達もやってきて、全員が千景の部屋に集まった。

 

「……どうして私の部屋に集まるの?」

 

「皆の共通の知人だからじゃないか?」

 

 

 

 

 

 その後、コンビニで菓子やジュースを買い込み、ついでにゲームを取りに家に寄ってから丸亀城に戻り、千景の部屋で談笑が始まった。親睦会のようなものだ。

 

「明後日から学校が始まるって聞いたけど、それまで何してたらいいんだ?」

 

「普通にのんびり過ごしてたらいいと思うよ。丸亀城の敷地内を探検してみたら?」

 

「それいいな!タマは初めて丸亀城に来たんだ、後で色々見てくる!」

 

 

「食事は食堂に行くんでしたっけ」

 

「そうね。キッチンはあるから、食材があれば部屋でも料理できるけど」

 

「千景さん、料理できるんですか!?」

 

「ちーちゃんは凄く料理上手だよ!」

 

「そうなんですよ。家事万能です」

 

 

 皆、これから始まる新生活に心を躍らせているようだ。親元から離れて生活することに不安は感じているかもしれないが、これなら大丈夫だろう。

 琴音さんも、楽しそうにしているひなたを見て安心していた。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、僕らはそろそろ家に帰るね」

 

「もう帰るの?」

 

「うん。家には茉莉がいるし、晩ご飯作らないと」

 

 夕方になり、帰り支度をする。千景達は目に見えて気を落すが、しょうがない。

 

「またちょくちょく会いに来るよ。寂しくなったらいつでも電話してね。毎晩でもいいよ」

 

「わかった。毎晩電話するわ」

 

 皆の頭を撫でて立ち上がる。

 

「じゃあ、またね」

 

 皆に見送られ、僕達は丸亀城を出た。

 

 

 

 

 夜。夕食と風呂を終え、リビングでのんびりと過ごす。

 

「……なんか、一気に静かになっちゃったね」

 

「……そうだね」

 

 8人で過ごしていたこの家も、今は僕と茉莉と琴音さんしかいない。

 千景がここにいないのは、去年の修学旅行以来か。

 

 そんなことを考えていると、唐突にスマホが鳴り始めた。

 

「もしもし」

 

『もしもし。れんちゃん、今何してる?』

 

 電話の主は千景。早速かけてきたらしい。

 大社で説明を受けた際、勇者達は専用のスマホを支給された。

 

「今は茉莉と絵しりとりしてるよ」

 

『……なにそれ、見たい。ビデオ通話にするね』

 

「了解」

 

 こちらのスマホもビデオ通話に切り替える。そして画面に写る千景の部屋には、また皆が集まっていた。

 

「まだ皆いるの?」

 

『それぞれの部屋でお風呂に入ってから、なぜかまた私の部屋に集まったの』

 

「そうなんだ」

 

 既に皆とても仲良しである。

 

『絵しりとり見せて?』

 

「ああ」

 

 絵を描いている紙をカメラに写す。

 

『……茉莉さん、凄く上手ね。何を伝えたいのかちゃんとわかるわ』

 

「そうなんだよ。だから凄くスムーズに進む」

 

「皆は何してるの?」

 

 茉莉が僕の隣に来てカメラに写り、皆に話しかける。

 

『今は人生ゲームしてるよ!』

 

「それって、何年か前に買ったやつ?」

 

『そうよ。確かあの時はひなたが子沢山になってたわね』

 

『そんなこともありましたねぇ』

 

 初めて千景がひなたの家に行った時にしていた人生ゲームを、部屋に持って行っているらしい。

 確か、千景は総理大臣になったんだったか。

 

『今回も若葉はキャリアウーマンになっているわ』

 

『結婚できない』

 

「……頑張って!!」

 

 僕には励ますことしかできなかった。なんだか、将来の若葉は実際にそんな感じになっていそうだ。

 

 そのまま30分ほど話し続け、千景の部屋が解散となると共に電話も終わることとなった。

 

『じゃあ、おやすみなさい。れんちゃん、茉莉さん、琴音さん』

 

「おやすみ、千景。というか皆」

 

『『『おやすみなさーい!』』』

 

 皆はまだまだ元気いっぱいのようだ。これが若さか。

 電話を切って時計を見ると、既に寝るにはいい時間になっていた。

 

 そして寝ようと思った矢先、また電話が鳴った。今度は久美子だった。

 

「もしもし、どうしたの?寂しくなった?」

 

『違う。聞きたいことがある』

 

 その話の内容は、僕が神官達に頼んだ事の1つに関係していた。

 

 ──────────

 

 丸亀城での生活が始まってから2日が経過し、学校が始まる日となった。

 支給された制服を着て、まだ教材を貰っていないため軽い鞄を持って部屋を出る。

 寮の前では、既に若葉とひなたが待っていた。

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

「おはよう千景。友奈はまだだぞ」

 

「まだ寝ているのかしら?」

 

 ゆうちゃんの部屋の扉をノックすると、すぐにゆうちゃんの声が聞こえた。そして3分もしないうちに部屋から出てきた。

 

「ごめんね、制服を着るのに手間取っちゃった」

 

「それはしょうがないな」

 

「そうですね。若葉ちゃんも、私が部屋に行くまで手間取ってましたし」

 

「言わないでくれ」

 

 食堂に行くと、球子と杏はまだ来ていなかったが、注文を済ませて待っている間にやってきた。

 

「おはよう皆!今日から学校だ!」

 

「おはようございます」

 

 球子は朝は寝坊するタイプではなく、朝から元気なタイプらしい。

 

 朝食を終え、教室へ向かう。

 丸亀城の内装が一部改装され、私の教室として使われる。

 

 

 

 

 教室に入ると、6つの席が用意されていた。

 

「席の場所は決まっていないのか?」

 

「そうみたいね」

 

「どうします?」

 

 話し合った結果、右前が杏、前の真ん中が球子、左手前がゆうちゃん、右後ろがひなた、後ろの真ん中が若葉、左後ろが私となった。

 基本的には身長で決まった。ひなたと杏を入れ替えるべきかもしれないが、ひなたは若葉の隣を譲らなかった。

 

「そういえば、先生のことって聞いてる?」

 

「タマは知らん。ていうか先生がいるのか」

 

「一応学校なんだから、いるんじゃないかな?」

 

 話をしながら始業時間まで待っていると、廊下から足音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 そしてガラッと扉が開かれ、おそらく担任となる人物が姿を現した。

 

 

「席につけー」

 

 

「……は?」

 

 扉を開けて教室に入ってきたのは、久美子さんだった。

 

「……え?」

 

「なんで久美子さんがここに!?」

 

「久美子さん、ここは大社じゃないですよ。職場を間違えていませんか?」

 

「間違えていない。今日からここが私の職場だ」

 

「……まじなのね」

 

 久美子さんが、私達の担任となった。




今日の郡家
 皆がいなくなって寂しかったけれど、蓮花さんがボクと一緒に楽しめる事を考えてくれた。
 楽しかったし、嬉しかった。


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第41話 サプライズ

「久美子さんが担任の先生!?」

 

「なんと……」

 

 それぞれの反応を示す私達とは対照的に、球子と杏はポカンとしている。

 

「話をするからとりあえず1回黙れ。質問は後で纏めて受け付ける」

 

 その声に、一旦教室内は静寂に包まれる。

 

「今日からお前達の担任となる烏丸久美子だ。以上。質問は?」

 

「はい!」

 

「友奈」

 

 即行で話を終えて質問を受け付けた久美子さんに対して、ゆうちゃんが勢いよく手を挙げる。挙手制なのか。

 

「なんでここにいるんですか?」

 

「受け取り方によってはかなり失礼だぞ。お前らの担任になったと言っただろう」

 

「はい」

 

「若葉」

 

 次は若葉が手を挙げ、久美子さんが指名する。

 

「どうして久美子さんが私達の担任なんだ?」

 

「蓮花の要望だ。知らない奴に家族を任せるより、私のほうがよっぽどマシだからだそうだ」

 

「なんでそんなれんちゃんの個人的な要望が通ったの……」

 

「知らん」

 

 どうやらこの状況はれんちゃんが仕組んだものらしい。確かに、知らない人より久美子さんが担任であるほうがマシではある……が。

 

「はい」

 

「今度は千景か」

 

「久美子さんは教員免許を持っているの?」

 

「持っている。大学時代に取った」

 

「え、意外」

 

「ちなみに、私が選ばれた理由の1つとして蓮花の要望もあったが、私が教員免許を持っていることと武術の経験者であることも選ばれた要因だ」

 

 久美子さんは武術の経験があるのか。初耳である。

 

「お前達はこれから普通の勉強もしていきながら、戦闘の訓練も行っていく。私は全科目と対人格闘を指導する」

 

 一応ちゃんと選ばれた理由があるらしい。それならば納得だ。しかし対人格闘とは。

 

「はい」

 

「お前は、伊予島杏だな」

 

「はい。なぜバーテックスと戦う私達が、対人格闘をするんですか?」

 

「それはだな、一応お前達は国家レベルの最重要人物だから、何かあっては困るんだ」

 

「タマ達、そんなすごいことになってるのか……!!」

 

 久美子さんの言葉に球子が感激している。私も少し動揺しているが。

 普通の子供として過ごしていたはずなのに、いきなり国家レベルの最重要人物とは。

 

「今は色々あって治安が悪くなっているから、外出した時に何か事件に巻き込まれる可能性だってある。そういう時に自分の身を自分で守れるように、対人を訓練するんだ」

 

「なるほど」

 

「護身術は学んでおいて損は無いと蓮花も言っていた」

 

「そうですね」

 

「ちなみに対人格闘はひなたもやるからな」

 

「わかりました」

 

 ひなたも巫女であるが故に、とても重要な立場にあるのだろう。

 

「質問はもう無いか?なら次は教材を配る」

 

 そして全員の手元に教科書やノート、問題集等が渡る。

 そこには、国語や算数などの5教科だけでなく、家庭科等の実技教科の教科書もあった。

 

「ん?実技教科もやるのか?」

 

「ああ。私の気が向いた時に気分転換としてやる」

 

「何その不定期授業」

 

「やるだけマシだと思え」

 

「えぇ…」

 

 杏が軽く引いている。早く慣れてくれることを願おう。

 

「授業についてなんだが、3学年がいるから授業をするのが難しい。よって、大抵は教科書を読んで問題を解き、自習してもらう。わからないことがあれば私が説明する」

 

「なるほど。こればかりはしょうがないわね」

 

「ただ、これでは各々で進むスピードに差が生まれるだろう。だから、毎時間進める範囲を決める。終わらなければ、その残った範囲が宿題だ。あまりにも進んでいない場合は補習をする」

 

「うへぇ……」

 

 球子が目に見えて嫌そうな顔をする。

 

「そんな顔をするな。授業時間中に終わらせてしまえば、毎日宿題無しだぞ」

 

「そう考えるとかなり優しいな」

 

「久美子さんが宿題を出してチェックするのが面倒なだけなんじゃないの?」

 

「……テストについては、小学生の間は単元毎にする。中学からは1学期に2回だ」

 

 宿題については図星らしい。別に構わないが。

 

「それから、私はお前達の担任だから、先生と呼べ」

 

 先生と呼ばれることに憧れでもあるのだろうか。

 

「今日は基本的に説明だけで、明日から本格的に授業を始めていく。今日はこの後訓練設備を見に行って午前中で終わりだ」

 

 ──────────

 

『…ってことがあったわ』

 

「そっか、驚いた?」

 

『それはもう』

 

「サプライズ成功だな」

 

 夕食の準備をしながら、千景から電話で今日の話を聞いている。久美子が担任になったことは、やはり皆とても驚いたらしい。

 

『……凄く油が跳ねる音がするけど』

 

「ああ、今ハンバーグを焼いてるから」

 

 フライパンの上のハンバーグをフライ返しで裏返す。この肉が焼ける香ばしさは電話では伝わらないのが残念だ。

 

『いいなぁ』

 

「また今度、皆で帰っておいで。その時にまたハンバーグを作ろう」

 

『わかった。……ねぇ』

 

「ん?」

 

『……次、いつ会える?』

 

 そう言う千景の声はどこか寂しげで、今すぐにでも会いに行きたくなる。

 

「……次の土曜日、そっちに行くよ。そのまま千景の部屋に泊まろうかな」

 

『……!! わかった、待ってるわ』

 

 明らかに嬉しそうな声に変わる千景。声だけでもなんて可愛いのだろう。

 そう思いながら焼けたハンバーグを皿に盛り付けていると、玄関の扉が開いた音に気がついた。帰ってきたのだろう。

 

「ただいま」

 

「おかえり、久美子。もうすぐ晩ご飯できるから」

 

「ああ」

 

 リビングに入ってきた久美子は、羽織っていた白衣を脱いでハンガーにかけ、ソファに腰を下ろした。

 

『え?久美子さん、家に戻ってきたの?』

 

「ああ、昨日戻ってきたんだ」

 

 勤務地が丸亀城になり、大社から通うとは遠いということで、久美子は家に戻ってきた。毎日ここから丸亀城に通うらしい。

 

『……聞いてない』

 

「ごめん、サプライズに勘づかれるかと思って言わなかった」

 

「ボクも昨日、久美子さんが帰ってきた時は凄くびっくりしたよ」

 

「お前を驚かせたいから教えるなと、蓮花に言っておいたからな」

 

「え、そうなの?」

 

「うん」

 

 おかげで昨日は茉莉のとても驚いた顔を見ることができた。写真にも残してある。

 

「じゃあ晩ご飯食べるから、そろそろ切るね」

 

『ええ、またね』

 

「ああ」

 

 電話を切り、ハンバーグをリビングのテーブルに運ぶ。

 琴音さんがサラダを作ってそれぞれの取り皿に盛り付けてくれているので、その皿にハンバーグを乗せていった。

 

 

 

 

 

「えっと、これは何?」

 

「……怪獣?」

 

「うさぎだ」

 

「フフッ」

 

 夕食を終え、リビングでは茉莉と久美子が絵しりとりをしている。

 今回、見ているほうが面白そうなので僕は観客に回った。琴音さんも一緒になって勝負を見守っている。

 そして、久美子の番が来る度に何を描いたのか当てる遊びをしている。

 

「これ、うさぎなんだ……」

 

「……次は『ぎ』だぞ」

 

「うん…」

 

 茉莉の『アンコウ』に対する久美子の返答は『うさぎ』らしいが、とてもそうは見えない。

 

「……烏丸先生、こんなんで美術の授業できるの?」

 

「……美術の時は茉莉を連れていく」

 

「なるほど、アリだな」

 

 絵に関しては久美子より茉莉のほうがよっぽど上手だ。茉莉を講師に招いたほうがいいだろう。

 久美子と話している間にも、茉莉のペンは止まらない。

 

「できた」

 

「これは、ルアーか?いや……なるほど、『疑似餌』か」

 

「うん」

 

 茉莉の描いた絵は一見魚のようだが、ちゃんと腹と尻尾のところに針がついている。

 しかし、ルアーを疑似餌に言い換えるとは。茉莉は普通にしりとりをしても強そうだ。

 これを久美子が描くとフックが付いた細長い怪物になりそうだ。

 

 

 

 数分後、久美子の画力が尽きて勝負は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても」

 

「……ん?」

 

 入浴を終えてリビングに戻ると、茉莉が久美子を見つめて険しい顔をしていた。

 

「久美子さん、その服がこの前買った部屋着?」

 

「ああ。着心地がいいぞ」

 

「その布面積で着心地を語らないでよ」

 

 久美子が今着ている部屋着は、上は黒のノースリーブに、下はよくある丈がとても短いショートパンツだ。

 要するに腕も生足も丸出しである。

 

「お前も着てみるか?」

 

「嫌だよ」

 

「即答か。ラフで過ごしやすいんだがなぁ」

 

 とてもラフな格好ではあるから、部屋着としてはとても良いのだろう。

 

「僕はいいと思うけど、その格好で外に出ないでね」

 

「わかっている。さすがに外に出る時は何か羽織る」

 

「それもだけど、まずは足を隠そうよ……」

 

 鍛えているから引き締まっているが、同時に女性らしい丸みも備わっている美脚。これを晒して外に出すわけにはいかない。

 

「お前は年頃の娘の派手な格好を注意する中年の親父か」

 

「君と3つしか変わらないよ。あとたまにチラチラお腹も出てるから気をつけて」

 

「そういうところが親父なんだよ」

 

 ……子供の頃の久美子はどんな子供だったのだろう。ご両親は苦労したのだろうか。

 

「まあ、家の中ではどんな格好でも別にいいけどさ。外に出る時だけ気をつけてくれれば」

 

「そういうことだ茉莉。これ以上口出しするな」

 

「えぇ……久美子さんがどんな格好をしようとボクには関係ないけど、蓮花さんの目の毒にならないか心配だよ」

 

「なかなか失礼だな。目の毒どころか目の保養だろう」

 

「そうだね」

 

「認めちゃうんですね……」

 

 琴音さんが苦笑いしている。しかしこれは否定できないのだ。

 

 

 

 

 

 寝るにはいい時間になり、皆で寝室に移動して布団に横になる。

 

「……ねえ」

 

「どうしたんですか?」

 

「よく今までここで7人で寝てたね」

 

 布団は3枚。今僕達は3枚の布団を4人で使っているが、正直狭い。少し前までここで7人で寝ていたのか。久美子や千景が布団をリビングに持ってきた時は2枚の布団で6人だったのか。

 

「仕方ないですよ。布団を売っているお店も休業していましたし」

 

「そうなんだけど、これならリビングのソファで寝ていた僕のほうが広かったんじゃないか?」

 

「そうだな」

 

 ……けれど、もし僕が布団で寝ようとしていたら、大人が増えてもっと狭くなっていたか。

 

「お前と寝た時は少し広かった」

 

「そうだったのか」

 

 しかし、前よりマシとはいえ今も少し狭いことに変わりはない。

 僕は一番端にいるが、少し動けば布団から落ちるか、もしくは隣の久美子に当たる。

 ちなみに久美子の向こう側に茉莉、その隣に琴音さんがいる。

 

 掛け布団を掛け直そうと腕を布団の外に出そうとすると、何かに触れてしまった。

 

 いや、何かではなく、この柔らかさは久美子のふとももだ。

 僕が触れてしまった途端、そっと顔を寄せてきて小声で話す久美子。

 

「……何だ、触りたかったのか?」

 

「違うよ、布団を掛け直そうとしただけだよ」

 

「触れた感想は?」

 

「……柔らかくてスベスベでした」

 

「そうか」

 

 吐息がかかる距離にある久美子の顔は、やはり綺麗だ。初めて会った時から美人だとは思っていたが、間近で見ると凄い。

 こういう雰囲気の時に時折見せる妖しい笑みは、こちらをそそらせる。

 

 久美子の髪に手を置き、少し撫でてみる。

 

「……大人しく寝なさい。明日も仕事でしょ?」

 

「……そういえば、お前は仕事どうするんだ?」

 

「え?」

 

「今、無職だろう?」

 

 久美子の髪を撫でていた手が止まる。

 そうだ、僕は今無職だった。一応、職場が無事か確認をしに行ったが、瓦礫と化していた。

 

「……久美子は綺麗だね」

 

「……いやそうじゃない。話を逸らすな」

 

「そうだなぁ……大社からの給付金もあるし、貯金もあるし、しばらくはこのままかなぁ。やる事もあるし」

 

「やる事?」

 

「四国の周りに集まってるバーテックスを定期的に片付けようと思うんだ。そうすれば、皆が戦わなくて済むし、敵が来たとしても少数で済むだろう」

 

「なるほどな。……それ、大社に言って給料を出してもらったらどうだ?」

 

「……なるほど」

 

 後日、大社に行ってお偉いさん達にこの話をすると、月々の給付金を増額してもらえることになった。

 

「じゃあ僕の職の話は終わり。ほら、茉莉も琴音さんももう寝てるし、寝るよ?」

 

「ああ」

 

 久美子の髪を撫でていた手を下ろして瞼を閉じる。

 視覚を閉じると、聴覚が少し敏感になる。

 次第に規則正しい呼吸になっていく久美子の寝息を聞きながら、僕も眠気に誘われた。




今日の郡家
 久美子さんは凄く絵が苦手だとわかった。あれをうさぎだと言い張る図太さは、ボクも見習いたい。


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第42話 訓練と癒し

原神ver.3.1を遊んでて更新が遅くなってしまった。
ゆゆゆい終了まで1ヶ月を切ってしまった……。


 久美子さんの担任サプライズを受けた翌日。

 午前の授業と昼食を終え、一度寮の自室に戻り道着に着替えてから道場に向かう。

 今から格闘術の訓練が始まるのだ。

 

 訓練開始時間までに道場に集合し、それぞれ体操やストレッチを行う。

 昼休みが長く確保されているため、急いで着替えて集合しなくても問題ない。

 

 開始5分前くらいになって、久美子さんが道場に現れた。上下共に動きやすい格好に着替えており、髪はポニーテールにして纏めている。

 

「ストレッチは済んだか?じゃあ始めるぞ」

 

 

 ストレッチを終え、全員が久美子さんの元へ集まり座る。

 

「今日から対人の格闘術の訓練をしていくわけだが、今回は初回ゲストとして助っ人を呼んでいる。入ってくれ」

 

「初回ゲスト?助っ人?」

 

 久美子さんの呼び声と同時に、道場の入り口から助っ人と思われる人が現れた。

 それはとてもとても見覚えのある人物であった。

 

「助っ人の蓮花だ」

 

「助っ人です」

 

「「蓮花さん!?」」

 

 ……納得の人選ではある。

 

「こいつ暇してるしな」

 

 そういえば、職場が潰れたのだったか。

 久美子さんがれんちゃんの肩に手を置き、説明を続ける。

 

「動きをわかりやすく教えるために、今日は蓮花には変質者になってもらい、私が蓮花に技をかけていく」

 

「え、変質者?」

 

「そうだ。お前は今から変質者だ」

 

「……久美子に『訓練に助っ人として協力してほしい』って言われたから、皆の為になるならと思って喜んで引き受けたのに……」

 

 騙されて連れてこられたのだろうか。

 

「皆の為になるから嘘は言ってない。後で可愛がってやるから、大人しく変質者になれ」

 

「えぇ……わかったよ、今日は変質者と呼んでくれて構わない。どんな罵倒でも耐えよう」

 

「だそうだ。千景、何か言ってやれ」

 

「えっ!?」

 

 急に私を指名する久美子さん。れんちゃんを罵倒だなんて……。

 

「……女たらし」

 

「今の可愛かったからもう1回言ってくれ」

 

「蓮花、お前今とても輝いているぞ。変質者として」

 

「蓮花さんは女たらしなんですか!?」

 

「違うよ」

 

 なぜかそこに反応する杏。れんちゃんも繰り返し言わせないでほしい。罵倒したはずなのに喜ばれては、本当に変質者みたいである。

 

「……れんちゃんを罵倒することに意味はあるの?」

 

「いや、特に無い」

 

「無いのかよっ!!」

 

 勢いの良いツッコミを入れる球子。そしてゆうちゃんは展開について行けず、ただ微笑んでいる。

 

「はい、烏丸先生!!」

 

「ん、何だ?」

 

「後で可愛がるって、具体的にはどんなことをするんですか!?」

 

 杏が少し前のセリフを追及すると、珍しく久美子さんは目を逸らした。

 ……何をするのか私も興味がある。

 

「……そんなところに興味を持つな。お前達にはまだ早い」

 

「ええっ!?私達にはまだ早いようなことをしちゃうんですか!?」

 

「え、一体僕は何されるの?」

 

「れんちゃん、今日は家には帰らないほうがいいと思うわ」

 

「茉莉達がいるから、そういうわけにはいかないよ」

 

 ……心配である。

 

「茶番はこの辺にしておいて、そろそろ始めていくぞ」

 

 久美子さんは真面目な表情に切り替え、ようやく訓練が始まった。始めは憂鬱そうな顔をしていた杏も、今では鼻息を荒くしていた。

 

 

 

 

 

 

 格闘術の訓練が終わると、次の時間は個別で武器の扱いを訓練する。

 それぞれに指南役がおり、訓練場所は指南役が決める。

 刀を振るう若葉や旋刃盤を振り回す球子、遠距離での射撃を訓練する杏は屋外で、徒手空拳で戦うゆうちゃんは引き続き道場で訓練する。

 そして私もまた、道場にいた。目の前には指南役であるれんちゃんが立っている。

 

「……なんで?」

 

「何が?」

 

「どうしてれんちゃんが私の指南役なの?」

 

 ゆうちゃんの指南役は久美子さんだが、他の指南役は皆それぞれの武器の扱いに長けた人達である。球子の旋刃盤はちょっと特殊だが。

 

「大鎌を武器として扱うプロって見つからなくてさ、僕使えるよって大社の神官に言ったら、僕が千景の指南役になった」

 

「……なんでれんちゃんは大鎌を使えるの?」

 

「ちょっと使ってた時期があったんだ」

 

 一体どんな生活をしていたら、大鎌を武器として使う時期があるのだろうか。

 それも気になるが、私の大葉刈は若葉の生大刀よりも大きいため、室内で大丈夫なのだろうか。

 

「私達は外でやらないの?」

 

「今はまだ屋内でいいかな」

 

 後々は外で広く動いて訓練するようになるのかもしれない。

 れんちゃんが木製の大鎌を持ち、説明を始める。

 

「これは大社が訓練用に用意してくれたものなんだ。しばらく千景はこれを使って練習してね。いきなり本物の刃を振り回すのは危ないから」

 

「わかったわ」

 

「大鎌ってのは見てわかる通り、扱いが難しい武器でね。でもいろんな使い方ができるテクニカルな武器だ」

 

「テクニカル?」

 

「刃で切ったり刺したりするだけじゃなく、長い柄で防御したり殴打したりもできる」

 

 そう言いながら、大鎌を棍のように構えるれんちゃん。なかなか様になっている。

 

 ズドンッ!!

 

「まあ基本的には刃で攻撃するんだけどね」

 

 ズパァンッ!!

 

 れんちゃんが話している横で、久美子さんの持つミットにゆうちゃんが打ち込む音が重く響く。

 

「いい感じだ!もっと腰を入れてみろ!」

 

「はい!うぉおおお!!」

 

「……なにあれ?訓練初日の光景じゃないと思うわ」

 

 その小さな体からは想像できないほど重いパンチを繰り出すゆうちゃん。

 久美子さんは正面から受けることもあれば、時々受け流したりもしている。

 

「凄いな。久美子曰く、友奈は格闘の天才らしいね。初めて会った時にちょっとアドバイスしただけで一瞬で動きが成長したんだって」

 

「なるほど」

 

 れんちゃんに向き直り、説明の続きを促す。

 

「そうだなぁ。とりあえず、ちょっと持ってみて」

 

 そう言って木鎌を私に渡すれんちゃん。受け取ると、かなりの重さが腕にずしりとのしかかる。

 ……これを振り回すの?

 

「……重い」

 

「でしょ?だから大鎌は遠心力を利用して振るんだ。腕だけじゃなく、体全体を使う感じで」

 

 れんちゃんに後ろから手を添えられ、一緒に木鎌を持って少し振ってみる。

 

「なんとなく、勢いのつけ方はわかった?」

 

「……ええ、なんとなくわかるわ」

 

「じゃあ、ちょっと好きに振ってみて?」

 

 そう言ってれんちゃんは私から離れ、少し距離をとる。

 

「腰を柔軟に使うのが重要だよ」

 

「腰を柔軟に……こうかしら」

 

 少しずつ勢いをつけ、その勢いを殺すことなく振り抜いてみる。振っている最中は、最初に感じたほどの重さは感じなかった。

 

「そうそう!いい腰使いだ」

 

「お前丸亀城出禁になるぞ」

 

「なんでさ」

 

 いつの間にか少し休憩をしていたゆうちゃんと久美子さんが、こちらを見ていた。

 

「ちーちゃんの動き綺麗だった!」

 

「ありがとう」

 

 少し振っただけで腕に疲れを感じる。単純に筋力や体力不足だろう。私はインドア派なのだ。

 

「遠心力を利用すれば振りやすくなるとはいえ、千景はそもそも体を少し鍛える必要があるね」

 

「そうね……」

 

「というわけで、これからしばらくは屋内で筋トレです。毎日少しは木鎌を振ってみるけど」

 

「だから今日も道場なのね」

 

「そう。今から終了時間まで一緒にのんびり筋トレするよ」

 

 のんびりでいいのだろうか。若葉やゆうちゃんと比べて、私はスタートから遅れているのに。

 そんな思いが顔に出たのだろうか。心を読んだかのようにれんちゃんが話す。

 

「いきなり激しくしても、体がもたないからね。地道に少しずつ頑張ればいい」

 

「……それもそうね」

 

 そして、その日は時間いっぱい筋トレに励んだ。今まで筋トレなんてしてこなかったのもあり、筋肉痛になった。

 

「そういえばれんちゃん、昨日の電話で次いつ会える?って聞いたら土曜日に来るって言っていたけど、もしかしてこれから毎日会える?」

 

「あーそうだね、平日は基本的に毎日この時間にここに来るよ」

 

「……嬉しい」

 

「僕もだ」

 

 毎日の訓練の時間が、楽しみだと思えるようになった。

 ────────

 

「……何してるの?」

 

「見てわかるだろ?マッサージだ」

 

 夕食と入浴を終え、僕は布団にうつ伏せになっている。背中には久美子が跨り、僕の首周りや背中をマッサージしてくれている。

 その光景を見た茉莉が不思議そうな顔をしている。

 

「なんで蓮花さんにマッサージしてるの?」

 

「今日は久美子に一方的に技をかけられまくったから」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 そのお返しとして、久美子はマッサージをすると言い出したのだ。ありがたいが。

 

「ねぇ久美子」

 

「どうした?」

 

「これは可愛がるって言うより、癒すでは?」

 

「……そうかもしれないな。他人を可愛がったことが無くてな。後で耳かきでもしてやろうか?」

 

「それはもう甘やかすでは?してほしいけど」

 

 ……可愛がるって、何だろう。

 背中を指で押されると、少し気持ちいい。

 

「久美子さん、普通に蓮花さんの上に座ってない?」

 

「それがどうかしたか?」

 

「重くない?マッサージしながら新たな負荷をかけてない?」

 

「大丈夫だよ。久美子は軽いから」

 

 久美子が遠慮なく僕の背中に座っているため、背中で久美子の肉付きの良い臀部の柔らかさを感じる。

 

「このくらいでいいか。茉莉、耳かき棒を持ってきてくれ」

 

「うん」

 

 茉莉がリビングへ耳かき棒を取りに行くと、久美子が僕の背中から降りる。

 そして正座をして、その膝をポンポンと叩いた。

 

「ほら、耳かきするから頭を乗せろ」

 

 言われた通り、久美子の膝に頭を乗せる。人に膝枕をしてもらうなんて、いつぶりだろうか。

 戻ってきた茉莉から竹製の耳かき棒を受け取り、僕の耳にそっと入れる久美子。

 

「……人に耳かきをするのは初めてだ」

 

「え、待って怖い」

 

「大丈夫だ、心配せずリラックスしていろ」

 

 久美子の呟きに一瞬焦ったが、そっと頭を撫でられ落ち着く。普段の久美子からは想像できないほどの母性を感じる。

 そういえば、人に耳かきをしてもらうのも久々か。

 耳の中を耳かき棒で優しくかかれ、少し眠気に襲われる。

 

「どうだ?」

 

「……気持ちいいです」

 

「そうか」

 

 耳かきで思い出したが、最近千景に耳かきをしてあげていない。

 土曜日の夜にでも、耳かき棒を持って行ってしてあげよう。

 

 安らいでいく意識でそんな事を考えていると、耳から耳かき棒が抜かれ、今度は梵天が入れられる。

 耳をかくのとはまた違った柔らかい癒しに意識が落ちていく。

 すると、少しして梵天が耳から抜かれる。

 

 

「……フゥ──」

 

「おおう」

 

 唐突に耳に息を吹きかけられ、落ちかけていた意識が冴えていく。

 

「ん?これが好きか?」

 

「好きだけど、眠くなっていたのに驚いて目が冴えた。する前に一言言ってほしい」

 

「そうか。もう1回いくぞ?」

 

 次はちゃんと宣言をして、耳に息を吹きかける久美子。優しい吐息に耳が幸せになる。

 

「左右交代だ。回れ」

 

「うん」

 

 もう片方の耳を癒してもらうべく反対を向く。目の前には久美子の腹があり、香りにより先程までよりも久美子に包まれているように感じる。

 

「眠くなったらそのまま寝ていいぞ」

 

「わかった……」

 

 また耳かき棒が耳に入り、僕に快楽を与え始める。

 久美子が寝ていいと言ったのだ。このまま眠気に身を任せよう。

 久美子のふとももに頭を乗せたまま、僕の意識は今度こそ落ちていった。




今日の郡家
 久美子さんが蓮花さんとイチャイチャ?してるのはいつもの事だけど、それを見ながら琴音さんはにこにこ微笑んでいた。琴音さんはいつも微笑んでいる気がした。

おまけ ポニーテール久美子さん

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第43話 休日と親愛

話の切り所が見つからなくて過去最長になってしまった。


「なあ千景」

 

「何?」

 

「タマはな、初めて香川のうどんを食べた時、感動したんだ。これが本物のうどんなんだと」

 

「私も初めて食べた時はそうだったわ」

 

 放課後、また私の部屋に皆が集まっている。そしてふと球子が私に話しかけてきたのだ。

 

「しかし、聞けば香川には骨付鳥なるものがあるらしいじゃないか」

 

「そうね」

 

「タマはそれを食べてみたい!だから皆で食べに行こう!」

 

 球子の提案を聞いて、皆こちらに意識を向ける。

 

「構わないけど、そもそも営業しているの?」

 

「おう、調べてみたら今週営業を再開したらしい」

 

「なら、次の土曜日の昼にでも食べに行く?」

 

 球子だけでなく全員に提案すると、皆賛成のようだ。

 

「骨付鳥か、最近食べていないな」

 

「そうですねぇ」

 

「実は私も気になっていました」

 

「私は今知った!食べてみたい!」

 

「よっしゃ、皆乗り気だな!」

 

 そういえば、土曜日はれんちゃんが泊まりに来てくれる日だ。どうせなら、昼前に来てもらって一緒に骨付鳥を食べに行こう。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

「え、どこに?」

 

「職員室」

 

 携帯ゲーム機を置いて立ち上がり、言い出しっぺの球子も立たせ、寮を出るため扉に向かう。

 

「なんで職員室に行くんだ?」

 

「外出許可を貰いに行くのよ」

 

「誰に許可を貰うんだ?」

 

「久美子さん」

 

「身内かよ」

 

 

 

 

 

 職員室の扉を開くと、久美子さんを含む複数人の職員が仕事をしている。

 久美子さんは時折刺激を求めて奇行に走るが、基本的にはやる事はきちんとやる人なのだ。

 

 傍まで歩いていくと、久美子さんもこちらに気がつく。

 

「……ん?どうした?」

 

「外出許可を貰いに来たの」

 

「どこか出かけるのか?」

 

「今からじゃないけれど、次の土曜日に皆で骨付鳥を食べに行きたいの」

 

 簡潔に、いつどこに行くのかを伝える。

 

「全員でか?」

 

「ええ。れんちゃんも誘ってみるけど」

 

「あいつが一緒なら問題無いな。わかった、許可する」

 

「よっしゃあ!!ありがとな烏丸先生!!」

 

 無事に許可が降りてテンションが上がる球子。ここは職員室で他にも仕事をしている人達がいるため、あまり騒がないでほしい。

 

「にしても骨付鳥か。……次の土曜日は休みだな。よし、私も行く」

 

「え?あ、はい」

 

 ────────

 

『ってことなんだけど』

 

「わかった。じゃあ昼前に丸亀城に行くよ」

 

 茉莉、琴音さんと夕食の準備をしていると、いつもより早く千景から電話がかかってきた。そして、土曜日に皆と一緒に骨付鳥を食べに行くことになった。

 

「あ、そうだ。茉莉と琴音さんも、土曜日に皆で骨付鳥を食べに行く?」

 

「行きます。ひなたにも会いたいですし」

 

「ボクも行く。ゆうちゃんに会いたい」

 

「わかった。そういうわけで千景、茉莉達も一緒に連れていくね」

 

『ええ、わかった。皆にも言っておくわ』

 

 琴音さんと茉莉がポテトサラダを作っているのを眺めながら、僕は唐揚げを揚げている。

 

『あ、そういえば久美子さんも行くらしいわ』

 

「そうなんだ。……全員で十人か。予約しておいたほうがいいな、後でしておこう」

 

 土曜日まであと二日。皆で一緒に出かけられるのが、とても待ち遠しく思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夜、入浴を終えた久美子は冷蔵庫から取り出した酒の缶をテーブルに置いた。

 

「飲むの?」

 

「明日は休みだから遅くまで飲む。付き合え」

 

「えぇ…まあいいけど。何かおつまみ作ろうか?」

 

「頼む」

 

 キッチンに向かい、どんなものを作ろうかと考える。酒のつまみを作ったことはあまりない。

 

「……ベーコンとかウインナーにチーズ絡めて焼いてみるか」

 

 冷蔵庫からベーコンとウインナー、スライスチーズを取り出し、適当な大きさに切って火をつけて油を引いたフライパンに放り込む。そして溶けたチーズを絡めながらベーコンとウインナーを焼いていく。

 

「どうしよう、酒のつまみじゃなくても美味しそう」

 

 焼きあがったそれを皿に移し、リビングのテーブルに運ぶ。

 

「できたよ。味見はしてない」

 

「……美味しそう」

 

「茉莉も食べていいよ」

 

「いただきます……美味しい」

 

 満足気な表情をする茉莉。やはり普通におかずとして美味しいらしい。

 

 

 

 

 少し時間が経過し、既に琴音さんと茉莉は就寝したが、まだ久美子は飲んでいた。

 時々飲んでは、ソファの縁にもたれてスマホを弄りのんびりとしている。

 僕も同じようにソファにもたれかかり、ボーッと過ごしている。

 

「そういえば、お前は飲まないのか?今は千景達もいないし、茉莉は寝ているぞ」

 

「……じゃあ、ちょっとだけ貰おうかな」

 

 久美子が飲んでいた酒を少し貰い飲んでみる。酒を飲むのは何年ぶりだろうか。

 

「久美子はお酒好きなの?」

 

「少しな。毎日飲みたいほどではないが、時々飲みたくなる」

 

「へー」

 

「興味無い相槌だな」

 

「そんなことはない。僕は君に興味がある」

 

「……なぜ?」

 

「変人だから」

 

「馬鹿にしているのか?それはブーメランだぞ」

 

「馬鹿になんてしてないよ」

 

 普通の人間とは少し違うが故に、面白い。

 なんだろう、頭がふわふわする。

 そういえば、僕は酔うのも覚めるのも早いんだったか。

 

「……茉莉のことなんだけどさ」

 

「急に話題が変わったな。茉莉がどうかしたか?」

 

「……そのうち、普通の学校にまた通わせてあげたいんだ」

 

 今は、体育館が避難所として使われている学校が多く授業どころではないため無理だが。

 

「いいんじゃないか?」

 

「うん……普通に幸せになってほしい。そうなれるように、できることはしてあげたい」

 

「……そうか」

 

 既に冷めたおつまみに箸を伸ばす。……美味しい。

 その手軽さと美味しさに少し感動していると、僕の右肩に久美子の頭が載せられる。

 

「……また話は変わるが、私はお前に感謝している」

 

「どうした急に」

 

「私がここで暮らせているのも、丸亀城であいつらの担任をしているのも、お前のおかげだからな」

 

「……僕がそうしてほしかっただけだよ」

 

「それでも、私は今の生活が少し楽しい。丸亀城を学校として使い、生徒に授業だけでなく訓練もするという生活は、普通の人間ではできないから。奈良から避難する時は楽しいバスツアーを邪魔されたが」

 

「それはそうだよ。友奈と茉莉の安全のほうが優先だ」

 

「だろうな」

 

「久美子にももう少し自分を大事にしてほしいけど」

 

「していると思うが。私は自分の欲求に素直だぞ」

 

 そう言いながら、また酒とつまみに手を伸ばす久美子。確かに自分の心は大事にしているようだが。

 

「自分の気持ちを大事にした結果、自分の体を危険に晒すことが多くないか?」

 

「私はそういう感性だからな」

 

「そうだね……」

 

 何とも生きづらい精神構造をしている。これが茉莉と真逆なのだ。

 普通の人間は、危険なことには関わりたくないという気持ちを大事にすることで、自分の身の安全を確保し、結果的に自分の身も心も大切にする。

 

「僕は君の体も大事にしてほしいんだけどなぁ」

 

「多少の危険には首を突っ込んだほうが楽しいから無理だな」

 

「えぇ……」

 

「そんなに言うなら……お前が私の体を大事にしてくれ」

 

 体を起こし、四つん這いで僕の表情を覗き込む久美子。その体勢は谷間が見通せるので本当に良くない。

 

「大事にしているつもりだよ。久美子も他の子と同じように」

 

「そうだな、わかっているよ。大切にされていることはよく伝わっている」

 

 今度は脚を伸ばして座る僕の太腿に座る久美子。僕は自然と久美子の腰に手を回し、少し抱き寄せる。

 

「いきなりだが、今から四国の外にデートに行かないか?」

 

「いきなりだね。四国内なら行ってあげたけど、行き先が地獄だよ」

 

「だから楽しいんじゃないか」

 

「これは、酔ってなくても素でそうなんだろうな……」

 

 茉莉が、久美子は悪意が無くても周りの人達にとっては有害だと言っていたことがあるが、確かに巻き込まれる側からすれば有害だ。

 

「久美子、僕以外の人をそういうことに巻き込むなよ?危ないから」

 

「……お前がいると私の安全が確保されてしまうな。サファリパークで肉食獣の群れの中を走るバスみたいだ。……それはそれで少し面白そうではある」

 

「……なるほど」

 

 上手い例えに感心していると、久美子が僕の両肩に置いていた手を僕の首に回し、全身でもたれかかってくる。いい香りと柔らかさ、そしてやはり少し酒臭い。

 

「眠いのか?もう寝ようか」

 

「もう少し残っているから、飲み終えてから寝る」

 

「じゃあ飲みなよ」

 

「……飲み終えるまでは寝ない」

 

 だいぶ酔ってきたのだろうか。顔は見えないが、声は眠たげだ。そして酔うと甘え出す。

 

「僕がいないところで酒は飲むなよ?」

 

「ああ……。わかっている……」

 

「ならいいけど」

 

 クーラーをつけているため密着していても暑いとは感じないが、人肌のほどよい温かさはより眠気を誘う。

 

「……久美子?」

 

 

「……スゥ…………」

 

「寝たのか。……しょうがない」

 

 久美子を起こさないように抱きかかえて寝室に運び、布団に寝かせ、少し髪を撫でる。

 

「おやすみ、久美子」

 

 僕はリビングに戻り、残っていた少しの酒を飲み干した。

 

 ──────────

 

 土曜日。出かける準備をして丸亀城の門の前に向かうと、既にれんちゃん達は来ていた。

 

「茉莉さーん!」

 

「ゆうちゃん!元気だった?」

 

「うん!」

 

 駆け出したゆうちゃんを茉莉さんが受け止める。声は電話で聞いていたが、会うのは一週間と少しぶりか。

 

「おはよう」

 

「おはよう千景。もうすぐ昼だけど」

 

「まあいいじゃない」

 

 私はれんちゃんの元へ歩いていくが、れんちゃんの目は少しだけ眠たげだった。そして久美子さんも。

 

「夜更かししたの?」

 

「ちょっと遅くまで酒飲んでたんだ」

 

「あら珍しい。久美子さんも?」

 

「ああ。布団に行った記憶は無いが、起きたら布団にいた」

 

「僕が運んだんだよ」

 

「またですか……」

 

 久美子さんはまたリビングで寝たのだろう。呆れるひなたに私も同感だ。

 

「あ、初めまして……横手茉莉…です」

 

「土居球子だ!よろしくな茉莉!」

 

「伊予島杏です」

 

 そういえば茉莉さんと愛媛の二人は初対面だったか。自己紹介を交わしている。茉莉さんは相変わらず少し人見知りだ。

 

「球子、茉莉さんはあなたの三つ上よ」

 

「え!?じゃあ茉莉さん!」

 

「茉莉でいいよ、球子ちゃん」

 

「じゃあ茉莉姉ちゃん!」

 

 球子と並んで微笑む茉莉さんは、本当にお姉さんのようだ。

 

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 

「ええ」

 

「待ってろ骨付鳥!!」

 

 れんちゃんと手を繋ぎ、私達は少し久々に丸亀城を出た。

 

 

 

 

 

 店に着くと、意外と店内は空いていた。

 予約してあることを伝え、案内された席に座り、それぞれがメニューを眺め始める。

 

「親と雛ってどう違うんだ?」

 

「親は歯ごたえがあり、雛は柔らかくて食べやすいんだ。私は親派だ」

 

「ちーちゃんは?」

 

「私はどちらかと言えば親派だけど、いつもれんちゃんと両方注文して半分こしているわ」

 

 どちらも美味しいことに変わりはないのだ。

 

「じゃああんず、タマ達も両方頼んで半分こしよう!」

 

「いいよ」

 

「久美子はどうするの?」

 

「……久々だから両方食べたい。友奈、半分こしよう」

 

「うん、私も両方食べてみる!」

 

 半分こ、良い文化である。

 

 

 注文した骨付鳥が運ばれてくると、球子はすぐにかぶりついた。

 

「……美味い!!」

 

「タマっち先輩声が大きすぎるよ。他のお客さんもいるんだから」

 

「だって美味いんだよ!あんずも食べてみろ!」

 

 球子に促され、杏も骨付鳥を食べ始める。球子とは違い上品な食べ方である。

 

「ほんとだ、凄く美味しい……!」

 

「だろ!?」

 

 とても良いリアクションをする二人を、れんちゃんは写真に収めていた。

 

 

 

 

 

 

「……あら?」

 

「どうした?」

 

 骨付鳥を頬張りながら周囲を見ていると、今入ってきた客に目が止まった。

 その客もすぐにこちらに気がついたようで、自分達の席に向かわずにこちらへ歩いてきた。

 

「やっぱり千景達だ!」

 

「美琴と凜じゃない!無事だったのね!」

 

「うん、うちと凜の家は家具が倒れたりしたけど怪我とかはしなかったの」

 

 そこに現れたのは美琴と凜、そしてその両親達だった。夏休みに入ってから一度も会っていなかったから心配していたのだ。

 

「それにしても、随分と大所帯になったね。若葉ちゃんとひなたちゃんは覚えてるけど」

 

「お久しぶりです」

 

 美琴達に挨拶をするひなたと、タイミング悪く骨付鳥にかぶりついていたためペコッと頭を下げる若葉。

 

「何?蓮花さん遂に結婚したの?」

 

「まだ未婚だよ」

 

「そうよ。この人はただの居候だから」

 

 久美子さんを見てれんちゃんが結婚したのかと思ったらしい美琴の言葉を否定する。

 

「二人とも、お父さん達が待ってるからとりあえず席についてきたら?」

 

「あ、確かに。また後でね」

 

「ええ」

 

 家族の元へ戻っていく二人の後ろ姿を見ながら、一緒に注文したとりめしを食べ進める。

 この店で美味しいのは骨付鳥だけではないのだ。

 

「千景の友達か?」

 

「そう。小3からずっと同じクラスだった子達」

 

「なるほど」

 

 

 

 

 

 注文した料理を食べ終え、少し美琴達と話してから店を出た。無事を確認できただけでも良かった。

 

「この後はハンバーグの材料を買いに行って、楓さんのお見舞いにも行こうか」

 

 

 

 スーパーに行って買い物を済ませ、楓さんの入院している病院に向かう。

 少し前は病院の周りは怪我人等で溢れかえっていたが、少し落ち着いたようだ。

 楓さんの病室にたどり着き、戸を開く。

 

「来たよ」

 

「おお、皆で来たのか」

 

 楓さんはベッドに座り本を読んでいた。

 ぞろぞろと病室に入っていくが、当然椅子は足りない。

 私はゆうちゃんを膝の上に載せておこう。

 

「さっき買ってきた林檎食べますか?」

 

「ああ」

 

 先程スーパーで買ってきた林檎の皮を琴音さんが剥き始める。

 その横で、球子と杏は目を丸くしていた。

 

「もしかしなくても若葉の母ちゃんか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「凄くそっくりですね」

 

「よく言われる」

 

 誰が見ても血縁者だとわかるだろう。楓さんは美人で若く見えるため、たまに姉妹だと思われることもあるらしいが。

 

「若葉、最近はどういう生活をしているんだ?」

 

「丸亀城で授業を受けながら訓練している。久美子さんが担任の先生なんだ」

 

「なんと、そうなのか。それで、この子達が同じ『勇者』として一緒に生活しているクラスメイトか?」

 

「ああ」

 

 楓さんは初対面の球子と杏と少し話した後、思い出したように話を変えた。

 

「そういえば、私の退院は来月辺りになりそうだ」

 

「そうなんですね」

 

「出してもらっておいてなんだが、病院食は味が薄くてな……早く退院したい」

 

「しょうがないよ。ゆっくりちゃんと治してね」

 

「ああ。今日は来てくれてありがとう」

 

「またそのうち来るよ」

 

 

 

 あまり長居はせずに病院を出たが、丸亀城に帰ってきたのは夕方前だった。

 

 ──────────

 

「……いつにも増して狭いわね」

 

 現在、千景の部屋には十人集まっている。狭くて当然だ。

 

 そのうち僕と千景はキッチンでハンバーグを作っている。上里親子はテーブルでサラダを作ってくれている。

 今夜僕は千景の部屋に、茉莉は友奈の部屋に泊まるが、琴音さんと久美子は一緒に夕食を食べてから帰るらしい。

 

 全員同時には食べる場所が無いので、ハンバーグが焼けるとどんどんテーブルに運び、次のハンバーグを焼いている間に数人ずつ食べてもらう。

 

「……美味い!!千景はこんな料理を食べて育ってきたのか。ならそのたゆんたゆんも納得だ」

 

「セクハラかしら?」

 

「タマは今日、美味いものがたくさん食べられて大満足だ!」

 

「それはよかった」

 

 

 

 最後に僕と千景のハンバーグを焼いてテーブルに運び、食べ始める。

 

「美味しい?」

 

「ええ、美味しい」

 

 ハンバーグを箸で切り、口に運んで微笑む千景。

 自分のを食べることも忘れ、食べる千景を見ていたくなる。

 ずっと見つめていると、すぐに千景と目が合った。

 

「どうしたの?食べないの?」

 

「食べるよ。千景の笑顔を見ていると幸せでね」

 

「そんなに笑ってた?」

 

「ああ」

 

 千景の笑顔を写真に収めればよかったと一瞬後悔しかけたが、まあいいかと悔いを流す。

 これからいくらでも、千景の笑顔は見られるはずだ。

 

「そういえば、この前蓮花さんを可愛がるって言っていたのは結局どうなりましたか!?」

 

 僕達が食べている横で皆が談笑している中、唐突に飛び出した杏の発言に千景がむせる。

 

「まだ覚えていたのか……」

 

「茉莉さん、火曜日辺りに久美子さんは家で蓮花さんに何かしてましたか?」

 

 久美子は答えないと理解した杏は、その場にいた茉莉に尋ねる。

 

「火曜日?えっと……あ、そうだ。マッサージと耳かきをしていたよ」

 

「あら〜そんなことをしてあげたんですね!」

 

「くっ……」

 

 ニヤニヤが止まらない目で久美子を見る杏。その久美子はあっさりと答えてしまった茉莉を横目で睨む。

 

「れんちゃん、そんなことをしてもらったの……?」

 

「あ、ああ」

 

 正面に視線を戻すと、千景が冷めた目で僕を見ていた。

 

 

 

 

 

 ひなたと共に久美子と琴音さんを見送り、寮に戻る。

 若葉、ひなた、千景と部屋が並んでおり、ひなたの部屋の前で別れる。

 

「おやすみ、ひな」

 

「おやすみなさい、れんちゃん。今度私の部屋にも泊まりに来てくださいね」

 

「え?ああ、わかった」

 

 ひなたが部屋に入ったのを確認し、僕は千景の部屋に入る。

 風呂の準備は既にされており、もうすぐ湯が沸くようだ。

 

「先に風呂入っていいよ」

 

「あ、うん……」

 

 千景は着替えを用意し、なぜか僕の方を向いて立ち止まった。

 

「どうかした?」

 

「えっと……一緒に入らない?」

 

 少し照れながらそう言う千景。こんなやり取りを数年前にもしたような気がする。

 

「いいの?」

 

「れんちゃんがじっくり見てこなければ、いい」

 

「わかった。じゃあ一緒に入ろう」

 

 すぐに僕も着替えを用意し、先に脱衣場に向かった千景を追った。

 

 

 

「痒いところはございませんか〜」

 

「大丈夫」

 

 千景の長く綺麗な黒髪をわしゃわしゃと洗う。なんだかとても久しぶりだ。

 シャンプーを流すと、今度は場所を交代して千景が僕の頭を洗い始める。

 髪を洗ってあげることは多かったが、洗ってもらったことはあまりない。

 白く細い指で頭皮に触れられる。

 人に髪を洗ってもらう気持ち良さを知った。

 

 体も洗い終えると、二人で湯船に浸かる。

 千景が僕の脚の間に座り、僕にもたれかかる、一緒に入っていた頃はいつもしていた体勢になる。

 しかし一年近く一緒に入っていなかったこともあり、千景の頭の高さに背が伸びたことを実感する。

 

「いつの間にか大きくなったね」

 

「どこが?」

 

「身長」

 

 身長以外も色々と大きくなっているが、言わないでおこう。健やかに成長していてくれて、とても嬉しい。

 千景の腹に腕を回し、少し抱き寄せる。

 

「……」

 

「黙っちゃってどうした?」

 

「なんでもない……」

 

 こちらからは千景の顔が見えないから、どんな表情をしているのかわからない。

 ただ、心臓の鼓動が速くなっていくのは伝わってくる。

 久しぶりで緊張でもしているのだろうか。可愛らしいな。

 

「……なんか硬くなってる」

 

「ごめん。気にしないでくれ……」

 

「わかったわ」

 

 千景が大きくなっていくほど、どうしても女を感じてしまうようになるのは、どうしようもないのだ。

 

 ──────────

 

「千景、久々に耳かきしてあげようか?」

 

 入浴後、そう言いながら耳かき棒を用意するれんちゃんの提案に乗り、ベッドに腰かけるれんちゃんの太腿に頭を載せる。

 

「入れてくよ」

 

「ん……」

 

 そっと私の耳に入ってくる耳かき棒。れんちゃんに耳かきをしてもらうのは、何ヶ月ぶりだろうか。

 優しい手つきで耳の壁をそっと掻かれると、風呂上がりで体が温まっているのも相まってとても眠くなる。

 

「気持ちいい?」

 

「うん……」

 

 しばらく掻いてもらうと、耳かき棒が抜かれて代わりに梵天が入れられる。そして小さな耳垢をとった後、そっと息を吹きかけられる。

 体を反対向きに動かし、もう片方の耳もしてもらう。

 

「……れんちゃんも、こんな風に久美子さんにしてもらったの?」

 

「うん」

 

「気持ちよかった?」

 

「ああ。気持ちよくて途中で寝ちゃったよ」

 

「あの人、耳かきなんてできたのね」

 

「人にするのは初めてって言ってたよ」

 

 最近は減ったが、昔は私が眠れない夜等に、れんちゃんはよく耳かきをしてくれた。そうすると、いつも決まっていつの間にか眠りに落ちているのだ。

 しかし、今夜はまだまだ寝るわけにはいかない。私は必死に意識を落とさないように最後まで耐え抜いた。

 

 

 その後、久々にれんちゃんと一緒にゲームをしていると、あっという間に時間が過ぎていく。

 

「そろそろ終わって寝ようか」

 

 23時を回った辺りで、れんちゃんがそう提案した。

 明日になればれんちゃんは家に帰ってしまうから、本当はまだ寝たくない。しかし、れんちゃんに包まれて眠る心地良さも知っている。

 それにこれ以上の夜更かしはれんちゃんが許してくれないので、私は渋々ゲームの電源を切った。

 

 

 部屋の明かりを消し、れんちゃんと一緒にベッドに入る。この部屋に他の布団はない。

 

「布団を何枚か買っておけば、皆でお泊まり会とかできるね。大社に要望出しとく?」

 

「……布団があっても、れんちゃんは一緒にベッドで寝てくれる?」

 

「それはもちろん」

 

「なら、要望出すわ。久美子さんに言えばいいかしら」

 

「ああ。明日家に帰ったら僕が言っておくよ」

 

 私の両腕をれんちゃんの背中に回すと、れんちゃんは抱き寄せてくれる。

 枕は一つしか無いが、この距離なら一つでも問題無い。

 

「……ねえ、れんちゃん」

 

「ん?」

 

「久美子さんのこと、好きなの?」

 

 最近、少し不安に思っていたことを尋ねる。れんちゃんは大人だから、恋人がいてもおかしくないし、結婚してもいい年齢だ。歳が近い久美子さんと、そういう関係になる可能性が無い、とは言い切れないのが不安だった。

 れんちゃんは真っ直ぐに私の目を見て答えた。

 

「……好きだよ。でも、この気持ちは恋愛じゃなくて親愛かな」

 

「……そうなの?」

 

「うん。大切な人ではあるけど、それは皆にも感じていることだ。恋愛も親愛も、その人と一緒にいて嬉しいのは同じだけどね」

 

 私にはまだ、愛の違いがはっきりとはわからない。愛である以上、共通点もあるからだろうか。

 私が今抱いているこの感情は、何なのだろう。

 

 れんちゃんの胸に顔を埋めると、私の腰辺りにあったれんちゃんの手が、片方は私の背中辺りに上がってきて、私を抱き締める力も少し増す。

 私達の間に、隙間なんて要らない。

 

「……やっぱり僕は、千景の心音を感じている時が一番幸せだ」

 

 優しい声でれんちゃんは囁く。貴方の声を聞く度に、私の心は揺れ動く。

 

「私は……貴方の体温を感じている時が、幸せよ」

 

 その温かさに段々と眠気が増してくる。けれど、もう少しだけ起きていたい。まだ、貴方を感じていたい。

 

 

 

「私を離さないで」

 

「ああ」

 

 

「私の傍にいて…」

 

「いるよ」

 

 

「私を…好きでいてください……」

 

「ずっと大好きだよ」

 

 

 そう言ってくれる貴方の笑顔は、いつも私の心を満たしてくれた。




今日の郡家
 一週間ちょっとぶりに会ったゆうちゃん達が変わらず元気でよかった。今の生活環境でも毎日を楽しく過ごせているようで安心した。


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第44話 遠方の繋がり

原作ではまだ苗字で呼びあっている時期ですが、皆が既に下の名前で呼びあっているのは、共通の知人であった蓮花と千景がそれぞれを下の名前で呼んでいるのが馴染んだためです。
というか千景も蓮花の影響を受けて下の名前で呼んでいるので、主に蓮花が原因です。


「よっと……」

 

 瀬戸大橋から四国を覆う壁に近づき、その上に登る。

 そこから周囲を見渡せば、瀬戸内海と遠くに壊れた街が広がる。

 しかし少し前に踏み出し、神樹が作った結界を出ると、先程見えていた景色にバーテックスが現れる。

 周囲に見える数は少ないが、一体でも人類からすれば脅威となる。見つけたからには殲滅しておこう。

 

「さて、頑張るぞー」

 

 今日は日が暮れるまでに、四国を一周して周囲に確認したバーテックスを片付けるのだ。

 久美子の定時退勤とどちらが早いだろう。

 

 ──────────

 

「えー、昨日言っておいた通り、気が向いたので今日は家庭科の授業をする。教科書は持ってきているな?」

 

『はーい』

 

 丸亀城での授業が始まってから一週間と少し経過し、今日は初めての実技科目の授業である。烏丸先生の気が向いたらしい。

 

「では今から食堂に向かう。調理実習だ」

 

「おお、やった!食べられる!」

 

「ちゃんと作れたら、な」

 

「食べられ……るものができたらいいな……」

 

 調理実習と聞いて上がった球子のテンションが、烏丸先生の一言で一気に落ちていく。

 

「おっと、忘れるところだった」

 

 教室の戸に向かおうとしていた足を方向転換した烏丸先生が、教室の隅に置かれたダンボールを持って教卓に戻る。

 

「順番に取りに来い。エプロンだ」

 

「エプロン!」

 

 それぞれが立ち上がり、教卓の前に並んでエプロンを受け取っていく。それぞれが違う色のようだ。

 

「これ、どうしたんですか?」

 

「蓮花が大社の金で全員分選んで買った」

 

「えっ」

 

「正確には、蓮花が買って代金を大社に請求した。授業で使うから経費になるだろ」

 

「なるほど」

 

 れんちゃんはそれぞれのイメージカラーで選んだのだろうか。若葉は青、ひなたは紫、ゆうちゃんはピンク、球子が赤で杏は黄色だ。

 

「お前にはこれだ」

 

「あ、これ…」

 

 私に渡されたのは、家に置きっぱなしだった私の黒のエプロン。3年前のクリスマスで貰ったれんちゃんのエプロンだ。

 

「じゃあ、それと教科書を持って食堂に行くぞ。事前に話して使わせてもらえることになっている」

 

 それぞれのエプロンと教科書を手に持ち、私達は食堂に向かった。

 

 

 

 

「始める前に説明するぞ。まず、作った料理が今日の昼食だ」

 

「え、うまく作れなかったら?」

 

「昼抜き。もしくは分けてもらえ」

 

 私は大丈夫だが、ゆうちゃんや球子は大丈夫だろうか。多めに作ったほうがいいだろうか。

 

「で、今回は二人組で作ってもら」

「ちーちゃん!!」

「千景!!」

「千景さん!!」

 

「……最後まで話を聞け」

 

「「「はい……」」」

 

 烏丸先生が言い終わる前にゆうちゃん、球子、杏が私に押しかける。若葉とひなたは時々一緒に料理をしていたし、何とかなるだろう。

 

「そうだな……ペアはくじで決めよう」

 

「なっ!?」

 

 途端に若葉が衝撃を受ける。ひなたがいれば大丈夫だと油断していたか。

 適当な紙にあみだくじを書き出す烏丸先生。

 

 くじの結果、私とひなた、若葉と球子、ゆうちゃんと杏という組み合わせになった。

 

「マジかよ…終わった。さようなら…タマの昼ごはん……」

 

「失礼だな、少なくとも球子よりは料理できるぞ。刃物の扱いにも慣れている」

 

 

「が、頑張ろうねアンちゃん!」

 

「は、はい!頑張ります!」

 

 

「……私達で、少し多めに作りましょうか」

 

「そうね」

 

「偏ったな。まあ面白いからいいか」

 

 久美子さんはすぐこういうことする。

 

「それで、何を作るんだ?」

 

「お好み焼きだ」

 

「初調理実習でお好み焼き」

 

 米を炊くとか、ゆで卵を作るとかではなく、お好み焼きらしい。なぜ。

 

「理由は?」

 

「私が好きだからだ」

 

「個人的な好みかよ!!」

 

 球子のツッコミに同調する。おそらく他の皆も同じ思いだろう。

 

「簡単な作り方はこのホワイトボードに書いておくが、詳しいことは教科書を見て作れ。以上」

 

「家庭科の教科書にお好み焼きのレシピなんて載っているのかしら……あった」

 

 パラパラと料理について書いているページを捲っていくと、確かにお好み焼きのレシピが載っていた。

 

「お好み焼きの作り方が載っている教科書を選んだからな」

 

「職権乱用かよ!?」

 

「これくらい別にいいだろ」

 

 球子がツッコんでいる横で、私達は調理を始める。

 

「私は生地を作りますね」

 

「なら私はキャベツを切るわ」

 

 ひなたがボウルに小麦粉や卵、水等を入れて混ぜる横で、私はキャベツをみじん切りにしていく。

 

 周囲を見ると、少しハラハラしそうになることもあるが、ゆうちゃんと杏は少しずつだが順調に進んでいるようだ。

 

 

「なあ若葉、この豚肉そのまま焼いたほうが確実に昼ごはんを確保できるんじゃないか?」

 

「確かに……だが、これは家庭科の授業だ。成績に響くぞ。私がキャベツを切っている間に、大人しく生地を作ってくれ」

 

 失敗を見越して昼食を確保しようとする球子と、一瞬流されそうになるがちゃんとお好み焼きを作ろうとしている若葉がいた。

 

「そうだぞ、ちゃんと作れ。後で全班私が味見するからな」

 

 そう言いながら、烏丸先生も一人でお好み焼きを作っていた。

 

「烏丸先生、料理できるの?」

 

「私は大学時代、一人暮らしだったからな。ある程度はできる。お好み焼きは好きだからよく作っていた」

 

 自分が上手く作れるから教えやすい、というのもお好み焼きを選んだ理由の一つかもしれない。あまり教えず放置しているが。

 

 そんなことを考えている間にキャベツを切り終え、ひなたの生地ももうすぐできそうなのでフライパンに火をつけ、油を引いておく。

 

「できました」

 

「じゃあキャベツを入れて混ぜましょう」

 

 みじん切りにしたキャベツをボウルに入れ、また混ぜる。そして熱したフライパンに投入し、丸く広げて豚肉を載せる。

 

「いい感じだな。流石だ」

 

「ちーちゃんがいると料理の安心感が違います」

 

「ひなたも随分できるようになったじゃない」

 

「一緒に料理を練習しましたから」

 

 生地の焼き加減を見ながら他の班を見てみると、杏達はキャベツの大きさにバラつきはあれどなんとかできそうだった。

 若葉は既にキャベツを切り終え、球子は大人しく生地を作っている。

 

「そういえば、どうして烏丸先生も作っているんですか?量も多い気が」

 

 ひなたの疑問を聞いて烏丸先生のボウルを見ると、確かに量が多かった。明らかに一人分ではない。

 

「調理実習をすると言ったら、蓮花も食べたいと言ってな。昼は来れないらしいから夜に持って帰る。あとは私と、失敗した奴の昼食になる」

 

「そうなんですか。私達が多めに作る必要は無いんですね」

 

 れんちゃんの分も入っていたのか。

 それにしても、誰かが失敗した時の為に作っているとは、一応教師だからなのか、それとも優しさなのかわからないが、少し見直した。

 

 

 

「できたわ」

 

「味見する」

 

 他の班より一足先にできた私達のお好み焼きを、烏丸先生が少し箸で切り分けて食べる。

 

「……美味いな。よくできている」

 

「ありがとうございます」

 

「先に片付けて食べていいぞ」

 

「はい」

 

 使った調理器具を洗い、お好み焼きを食堂のテーブルに運ぶ。

 

「「いただきます」」

 

 美味しくできたお好み焼きを食べながら他の班を見守っていると、球子がこちらに羨望の眼差しを向けていた。

 

 私は黙って目を逸らし、お好み焼きを食べ進めた。

 

 

 

 

「千景」

 

 格闘術の訓練を終え個別訓練の前の休憩時間、水を飲んでいると唐突に烏丸先生に声をかけられた。

 

「何?」

 

「今日は蓮花が用事で来れなくてな。今日やることのメモを預かっている」

 

 烏丸先生から渡されたメモを見ると、確かにれんちゃんの字で書かれていた。

 内容は主に筋トレとその回数等が書かれていたが、明らかに時間が余りそうだった。

 

「途中で休憩を挟んでもいいからその回数をこなして、余った時間は他の奴の訓練を見学するようにと聞いている」

 

「自分のペースでやればいいのね」

 

「ああ、それでいい」

 

 れんちゃんに会えないのは残念だが、ゆうちゃん以外の訓練を見ることは無かったため、いい機会かもしれない。

 

 

 メモに書かれていた回数の筋トレを終え、ひとまず軽く休憩しながら、隣で訓練しているゆうちゃんの様子を見る。

 最初はパンチだけを訓練していたが、今はキックだけを訓練している。

 両方を織り交ぜた動きを訓練するのはもう少し先なのだろう。

 

「ふっ!!」

 

 烏丸先生が構えるミットにゆうちゃんが回し蹴りを叩き込む。重く響く音がその威力を表している。

 

「流石だ友奈。少し休憩にしよう、腕が痛い」

 

「はい!」

 

 ゆうちゃんは休憩するというので、私は道場を出て他の子の訓練を見学しに向かった。

 

 道場を出てすぐの広場で、若葉が居合をしていた。

 幼少から鍛錬を続けているため、その動きは洗練されている。切った巻藁の断面はとても綺麗なものだ。

 

「千景か、どうした?」

 

「ちょっと見学して回ってるのよ。流石の動きね」

 

「ありがとう。だが、私が目指すのは蓮花さんのように、離れたものすら切ってしまうあの太刀筋だ」

 

「それは諦めなさい」

 

 三年前に乃木家の道場でれんちゃんが練習刀を振った時のことを思い出す。あれがもう三年前なのか。

 

「……やはり、流石にあれは無理だろうか」

 

「無理よ。他の子はどこにいるか知ってる?」

 

「ああ、球子はあっちだ」

 

 若葉が指をさす方向に歩いていくと、球子が大きなヨーヨーのようなものを振り回していた。

 

「……それは何?」

 

「お、千景じゃん。これはヨーヨーだ」

 

 ヨーヨーだった。しかしかなり大きい。

 

「タマの旋刃盤はワイヤーを付けてもらったからこんな感じで振り回せるんだ。でも訓練でそれは危ないから、同じくらいの重さと大きさで特注のヨーヨーを用意してもらったんだ」

 

「そういうことなのね」

 

 愛媛で戦った時、球子は神器でバーテックスを殴って無理やり倒していたと杏から聞いた。そこにワイヤーが付いたことで、中距離戦闘が可能になり扱いやすくなったのだろう。

 

「なんで千景がここにいるんだ?」

 

「見学して回っているのよ」

 

「へぇー。なら、タマの華麗なヨーヨー捌きを見せてやろう!」

 

 そう言ってヨーヨーを広範囲に振り始める球子。しかし、段々と遠心力によってふらつき始め、線が絡まっていった。

 

「……まずは体幹を鍛えることをお勧めするわ」

 

「お、おう……」

 

「杏はどこにいるか知らない?」

 

「あんずなら、さっき道場のほうに行ったぞ」

 

「あら、入れ違いかしら」

 

 線を解く球子を横目に、私は杏を探して道場へと戻った。

 

 

 道場に入ると、確かに杏がいた。プランクをしている。

 

「どうしてプランク?」

 

「えっと、矢を射った時に反動でブレてしまうので、まずは体幹を鍛えようということになりました」

 

「なるほど」

 

 よく入退院を繰り返していたらしい病弱な杏の体は、確かに細い。私より細いかもしれない。

 

「……私も体幹が重要だってれんちゃんが言っていたわね。私も一緒に体幹トレーニングするわ」

 

 残りの訓練時間、私は杏と一緒に体幹トレーニングに励んだ。途中から球子も道場にやってきて、体幹トレーニングに参加した。

 

 ──────────

 

「今日行けなくてごめんね」

 

『大丈夫よ、皆で体幹トレーニングをしたわ』

 

「ああ、久美子から聞いたよ」

 

 予定よりかなり帰りが遅くなり、家に着いたのは20時頃になってしまった。

 今は夕食に久美子のお好み焼きを食べながら、千景と電話をしている。

 

「…お好み焼き美味しい」

 

「そうか」

 

「茉莉もちょっと食べてみる?」

 

「え?うん」

 

 お好み焼きを少し橋で少し切り分け、寄ってきた茉莉の口に運ぶ。

 

「……美味しい。久美子さんって料理できたんだ」

 

「どうして皆、私は料理できないというイメージを持っているんだ」

 

「普段しないからじゃない?」

 

『そうよ』

 

 スピーカーにしてビデオ通話をしているため、千景にも全ての会話が聞こえているのだろう。自然と話に混ざってきた。

 

「それで、若葉と球子の班はどうなったの?」

 

「なんとかできたが、時間ギリギリだったな。キャベツは綺麗に切れていたが、味は微妙だった」

 

『球子はソースで味を誤魔化して食べていたわ』

 

「見たかったな」

 

 どうでもいいが、僕が小学生の時の調理実習で、苦手だったトマトに家庭科室にあった調味料を片っ端からかけて、味を誤魔化して無理やり食べたことを思い出した。

 

「れんちゃん、早めにお風呂に入ってくださいね。あまり遅くなるとご近所の迷惑になりますし」

 

「わかった。じゃあ千景、そろそろ切るね。おやすみ」

 

『おやすみなさい、れんちゃん』

 

 電話を切り、残りのお好み焼きを食べ切る。

 そしてキッチンの流し台に食器を運び、浴室に向かった。

 

 ──────────

 

 数日後、長野県諏訪市で生き残っている人々と無線が繋がったと報告を受け、放課後に週一回、代表して若葉が諏訪と連絡をとることとなった。

 

「もうすぐ時間だね」

 

「ああ」

 

 今から通信が始まるわけだが、初回ということで全員が放送室の無線機前に集まっている。

 後方に置かれている椅子では、烏丸先生が足を組んで座っている。一応担任として見守るらしい。

 そして訓練の直後ということもあり、ちょうど丸亀城にいたれんちゃんも一緒にいる。

 

『…………聞こえますか?』

 

「聞こえています」

 

 遂に無線機から聞こえた声にどこか懐かしさを感じた。

 若葉も少し緊張しながら返事をする。

 

『問題無さそうですね。では、勇者通信を始めます』

 

「よろしくお願いします」

 

 向こうには見えていないのに、少し礼をする若葉。

 

「まずは自己紹介をしますね。私は乃木若葉、丸亀城で生活している勇者の一人です」

 

『乃木さんですね』

 

 こんなに敬語で話している若葉を見るのは初めてである。

 通信の向こうも、私達と同じくらいの年齢の少女なのだろうか。

 

『私は諏訪の勇者、白鳥歌野です』

 

 

 

 

「え?」

 

 私は素で声が漏れた。




今日の郡家
 今日は珍しく蓮花さんの帰りが遅く、お好み焼きを持って帰ってきた久美子さんがほんの少しだけそわそわしながら待っていた。
 久美子さんの作ったお好み焼きは普通に美味しかった。


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第45話 頼る

最初の方を読み返すと温度差で風邪引きそう。可愛さのジェットストリームアタックとかめちゃくちゃ懐かしい。


「歌野……?れんちゃん、今歌野って…」

 

「ああ、言ったね」

 

 驚く私を余所に、れんちゃんは無線機に近づいて声をかけた。

 

「歌野、僕達のことは憶えてる?」

 

『あら?どこかで聞き覚えのある声……私のことを知っていて、香川にいる……もしかして、郡蓮花さん!?』

 

「正解。千景も一緒にいるよ」

 

 れんちゃんに手招きされ、私も無線機に近づく。

 

「えっと……歌野、元気?」

 

『え!?本当に千景さんの声だわ!!どうしてこの通信の先に千景さんがいるの!?もしかして千景さんも勇者!?』

 

「ええ、そうなの」

 

『アメイジングだわ!!』

 

 とても元気そうで安心した。ノイズが混ざるほどに大きな声で騒いでいるので、少し落ち着いてほしい。

 

『そうだわ、ねえ聞いて!?なんとみーちゃんは巫女なのよ!!』

 

「え、本当に!?」

 

『本当よ!今は畑の方にいるけれど、次の通信の時はみーちゃんも連れてくるわ!』

 

 歌野が勇者である事実だけでも驚いたのに、水都が巫女であるということにさらに驚く。

 気がつくと、他の皆は後方でポカンとしていた。

 

「なんだ、千景達は白鳥さんと知り合いなのか?」

 

「そうだよ。ほら、この写真のこの子が歌野でこっちが水都」

 

 れんちゃんが一年半ほど前に旅行先で撮った写真を皆に見せる。

 今度は無線機が放置される。

 

『どうかしたの?』

 

「今、れんちゃんが皆に歌野達の写真を見せているわ」

 

『え!?……まあいいわ』

 

 

 その後、少し私と歌野で話してから若葉が戻ってきた。

 

「……そろそろ話を戻そう」

 

『あ、そうですね…つい盛り上がってしまいました』

 

「もう素が見えたから、敬語がじゃなくて構わないぞ。白鳥さん」

 

『アハハハ……』

 

 最初の話し方から、しっかりしている人だと皆は思ったかもしれないが、その第一印象は既に消え失せた。

 

「えっと、烏丸先生。勇者通信は何を話せばいい?」

 

「お互いの状況を共有して、他はなんでもいい」

 

「アバウトなんだね」

 

 若葉が無線機に向き直り、会話を切り出す。

 

「白鳥さん。そちらは今、どんな状況だろうか」

 

『こっちは大変よ。生きることを諦めている人がたくさんいるわ。私は皆を元気づけながら、畑を耕す日々ね』

 

「畑?」

 

『自給自足しないとね』

 

「……凄いな」

 

 歌野の話を聞き、若葉は静かに感心する。

 

「私と同い年で、人々の先頭に立って生きようとしているのか」

 

『別に凄いことじゃないわ。でも、私は勇者だから。誰も見捨てない。皆で生きるの』

 

 歌野の言葉に感心しているのは若葉だけではなかった。私も皆も、久美子さんですら瞳に映る感情が動いていた。

 

『そちらは?』

 

「ああ、私達は丸亀城で共同生活をしていて、授業と訓練の毎日だ」

 

『丸亀城で授業?』

 

「中を一部改装して、教室として使っているんだ」

 

『丸亀城が学校なのね!私、丸亀城って行ったことないから、いつか行ってみたいわ』

 

 話を後ろで聞いていたれんちゃんが、その言葉を聞いて身を乗り出した。

 

「歌野。今こっちでは、君達を迎え入れる準備をしている」

 

「そうなの?」

『そうなの?』

 

「ああ。大社に頼んでる」

 

 問いが歌野と被ってしまった。

 

「それがいつ終わるかはわからないけれど、来年か、遅くても再来年には、僕が君達を迎えに行く。それまで、頑張ってくれ」

 

『わかったわ。蓮花さんが迎えに来てくれるまで、皆と一緒に頑張って生きるわ』

 

 無線機から聞こえる歌野の声には、安心感と決意が篭っているように感じた。

 それからまた十数分話して、その日の通信は終了した。

 

 ──────────

 

 九月に入り数日が経過した。

 

 久美子と共に珍しく朝から丸亀城に向かうと、城門付近でカメラを持った男が彷徨いていた。

 

「記者かな?」

 

「そうだろうな」

 

「…久美子はちょっとここにいて」

 

 少し離れたところに久美子を残し、僕はその記者らしき男に近づく。

 

「すいません。何をしているんですか?」

 

「え?ああ、私は新聞記者でして。最近ネットで、この関係者以外立ち入り禁止になった丸亀城に出入りする子供がいると目にしまして、少し話を聞けないかと、こうして出てくるのを待っているんです」

 

「……なるほど」

 

 完全に頭から抜けていた。大社が子供達の情報を公開しなくても、今の丸亀城に出入りする子供を見かけたら不審に思う人はいるだろう。

 ……後で神樹に頼んで、人々の意識から丸亀城に関する認識を阻害してもらうとしよう。

 

「とりあえず、今日は帰ることをお勧めします。このまま居座るなら、不審者がいると警備を呼びますよ」

 

「な、私は別に悪いことをしようとしているわけではなく、ただ話を聞いて、場合によっては記事に……」

 

「知らないほうがいい事も、あると思いますよ。自分の命は大切に、ね?」

 

「ヒッ」

 

 少し脅すような目を男に向けると、男はそそくさとその場を去っていった。そんな覚悟なら、最初から来なければいいのに。

 

 男がいなくなったのを確認して、久美子がこちらに近づいてくる。

 

「何を言ったんだ?」

 

「ちょっと脅しただけさ」

 

「……まあいい」

 

 深く気にすることはなく、僕達は丸亀城に入っていった。

 

 僕が寮の前で立っていると、最初に寮から出てきたのは千景だった。

 

「ん?朝からどうしたの?」

 

「今日はひなの付き添いで大社に行ってくるんだ」

 

「なるほど。そういえばひなたが大社に行くって言っていたわね」

 

 丸亀城での生活が始まってから約一ヶ月経過し、勇者達の生活を報告するということでひなたが大社に呼ばれた。

 僕はそれに付き添うだけである。

 

「久美子さんは?」

 

「一緒に来たよ。今は職員室にいるんじゃないかな」

 

 話していると、寮から続々と皆が姿を現す。

 

「おはよう皆」

 

「おはよう」

 

「おはよーれんちゃん!」

 

「おはようございます」

 

 友奈達と挨拶を交わしたが、杏と球子はまだ出てこない。

 

「杏達は?」

 

「そのうち出てくるわ。食堂に行きましょう」

 

 食堂に行き、ひなたが朝食を食べ終わるのを待っていると、案外すぐに杏達もやってきた。

 

 

 

 

 

 丸亀城前に来ていた迎えの車に乗り込み、大社に運ばれる。着いてしばらく歩くと、ちらほらと巫女の子達が視界に入るようになる。

 

「では滝垢離に行ってきますね。この先は男子禁制なので、ついてきてはダメですよ?」

 

「わかった。この辺で待ってるよ」

 

 ひなたが滝垢離の場へ向かっていく。この辺りに巫女が多いのは、この時間は皆滝垢離をするからだろうか。

 

 

 

 十数分待つと、ひなたが二人の巫女と一緒に出てきた。

 

「お待たせしました」

 

「この人が蓮花さん?」

 

「はい」

 

 少し背の高い、そばかすのある少女が僕をジロジロと見る。

 

「僕がどうかした?」

 

「あ、いや」

 

「こちらは安芸真鈴さん、ちーちゃんと同い年です。そしてこちらの花本美佳さんは私と同い年です」

 

 ひなたの紹介の後、美佳は僕に深く頭を下げた。

 

「本当に申し訳ございません!!」

 

「え、どうした急に」

 

 僕が困惑していると、ひなたが声をかける。

 

「実は、ちーちゃんの大葉刈を発見したのは花本さんだそうです」

 

「……そうか、君が……」

 

「私が大葉刈を見つけなければ、あなたの御家族が勇者になることも、危険に身を晒す可能性もなかったのに……!!」

 

「顔を上げて、美佳ちゃん」

 

 もはや土下座しそうな勢いの美佳の顔を上げさせる。自分が神器を見つけたことで、千景が戦わなければいけなくなったのだと罪悪感を感じているのだろう。

 

「千景は、自分で勇者になることを選んだんだ。だから気にしなくていい。謝らないで」

 

「でも……」

 

「それに、君が見つけなくても、他の巫女が神託を受けて見つけたと思うよ」

 

「……はい」

 

 一番近くにいた巫女が、たまたま美佳だった。それだけだ。

 

 

 

 その後、ひなたに付き添い神官達の会議に参加した。

 そして昼食の時間になり、僕達は食堂に集まっていた。

 

「巫女も神官も、皆ここで食事するんだね」

 

「はい。なので食事時には、このように大勢の人が集まります」

 

 美佳と真鈴に先導してもらいながら昼食を注文して席につく。周囲を見回すと、いつか家に来た神官と目が合った。美佳の父親だったか。

 美佳父は既に食べ終えたらしく、こちらに軽く頭を下げた後、食堂を出ていった。

 

 

「……味が濃いものが食べたい」

 

「今度ハンバーガーでも持ってきてあげようか?」

 

「本当に!?蓮花さんめちゃくちゃいい人!」

 

「餌付けされてどうするんですか安芸先輩」

 

 真鈴と美佳のやり取りを微笑ましく思いながら昼食を食べ進める。

 隣を見ればひなたも微笑んでいた。

 

「あの、蓮花さん」

 

「何?」

 

「郡千景様は、どういう方なんでしょうか。私は資料でしか知らないので…」

 

 美佳にそう聞かれ、少し考える。どんな子か。

 

「というか資料って?」

 

「巫女は自分が見出した勇者の資料を見せてもらえるの。アタシは球子と杏ちゃんの資料を見せてもらった」

 

「なるほど。そうだなぁ……千景は綺麗で、家事万能で、素直でいい子で優しくて長い黒髪がサラサラで綺麗でスタイル良くて笑顔も泣き顔も可愛くてゲームが上手で友達想いでちょっと寂しがり屋なところも可愛くて──」

 

「れんちゃんストップです」

 

「あ、ああ。すまない、ヒートアップしてしまった」

 

 ひなたに止められ落ち着く。真鈴と美佳は目を丸くしてしまっている。

 

「大好きだね」

 

「大好きだよ」

 

「素敵な方だということはよくわかりました!写真を見た時もとてもお綺麗な方だと思いましたが、良い所がたくさんあるんですね!」

 

「そうなんだよ!」

 

「二人共落ち着いてください」

 

 またひなたに止められる。いかんいかん、熱烈に千景が褒められて嬉しくなってしまった。

 

「またそのうち、二人共丸亀城に遊びに来てよ。皆でバーベキューでもしよう」

 

「行く!」

 

「ぜひ」

 

「球子さんがノリノリで準備しそうですね」

 

 美佳を千景と会わせてみたいと思った。それぞれどんな反応をするのだろう。

 

 

 昼食を終え、午後のひなたは他の巫女達と一緒に神事の勉強等をするらしい。

 その間、僕は暇なのでお偉いさんがいそうな部屋を探した。

 

 扉をノックして開くと、そこにはいつぞやの初老の神官達がいた。

 

「郡蓮花様!?一体何事でしょうか!?」

 

「神樹と話がしたいから、案内してください。数分だけでいい」

 

 

 

 

「この先に神樹様がおられます」

 

「我々はここでお待ちしておりますので」

 

「ありがとう」

 

 案内された場所をさらに進む。舗装されていない道を歩いていく。

 

 少し進むと、正面に巨木が見えた。神樹だ。

 近づき、直接その幹に触れる。

 

 

 

 

 こんにちは。ひなたが誘拐された時は場所を教えてくれてありがとう。

 

 

 ───。

 

 

 今日はお願いがあってね。一般人の意識から丸亀城に関する認識を阻害してもらいたい。記憶を消したりできるんだから可能だろう?

 

 

 ……──?

 

 

 子供達の為だ。僕のエゴかもしれないが。

 

 

 ……─────。

 

 

 それから、もしも敵が攻めてきた時は、僕も樹海に入れてくれ。皆を守るついでに守ってあげるから。

 

 

 ────。

 

 

 ありがとう。お願いね。

 

 

 

 

 手を離し、振り返って来た道を戻る。話は済んだ。

 

「もうよろしいのですか?」

 

「ええ。必要なことは伝えた。もう戻っていいよ」

 

「では、失礼致します」

 

 初老の神官達が部屋に帰っていくのを見送りながら、今からどうするか考える。まだまだ時間が余っている。

 

 ……コンビニに行って、真鈴達にチキンでも買ってきてあげよう。

 

 

 

 

 

 神事の授業を終えた巫女達が大部屋からぞろぞろと出てくる。

 その後ろの方にひなた達を見つけた。

 

「お疲れ様。コンビニチキン買ってきたよ」

 

「やったありがとう!!大事に食べます」

 

「私にも?わざわざすみません、ありがとうございます」

 

 真鈴と美佳にそれぞれ手渡す。

 

「ひなの分もあるけど、今食べる?」

 

「うーん…そうですね、食べます。後は帰るだけですし」

 

「わかった」

 

 ひなたは広い通路の端に設置されているベンチに腰を下ろし、チキンを食べ始める。

 その匂いに食欲を刺激された真鈴達も、一緒に座って食べだした。

 

 

「じゃあ、バーベキューする日が決まったら連絡しますね」

 

「うん。またね、上里ちゃん」

 

「さようなら」

 

 大社を出て、来た時と同じ車に乗って丸亀城に送られる。

 

「あ、そうだ。れんちゃん、今日私の部屋に泊まっていきませんか?」

 

「唐突だね」

 

「明日はお休みですし。この前、わかったって言ってくれましたよね?」

 

「ああ、構わないよ。丸亀城に着いたら、一旦着替えを取りに帰るね」

 

 丸亀城に到着する頃には、空は赤く染まっていた。

 

 

 

 

 夜、丸亀城の食堂。

 

「あら?どうしてれんちゃんが?」

 

「今日はひなの部屋に泊まるんだ」

 

「そうなのか?」

 

「はい」

 

 僕が泊まることの確認をする若葉に、笑顔で答えるひなた。

 

「どうして?」

 

「ひなたに泊まってほしいって言われたから」

 

「ああ、なるほど」

 

「フンスッ」

 

 何故か納得している若葉と、鼻息を荒くしている杏。可愛い。

 

「明日の昼ご飯は僕が部屋で作るから皆で食べようか」

 

「「やったー!!」」

 

 明日の午前中に買い物に行ってこよう。

 

 

 

 

 

 夕食を終え、各自それぞれの部屋で過ごしている。

 僕は脚の間に座るひなたと共に、ぽけーっとテレビを眺めている。

 

「ひなって、ここ好きだね」

 

「はい、落ち着くんです」

 

「そうなんだ」

 

 テレビに映るバラエティ番組では、芸人が続々と漫才をしている。今の時代、こういうのが生きる支えになったりもするだろうか。

 そんな事を思っていると、ひなたが口を開く。

 

「ねぇ、れんちゃん」

 

「ん?」

 

「趣味はありますか?」

 

 僕を見上げてそう言うひなた。

 

「えっと…みかん食べる?」

 

「どうしてみかん?食べますけど」

 

 部屋に置かれている、球子と杏の実家から送られてきたみかんを一つ手に取り、皮を剥いていく。

 一つひなたの口に入れると、甘いみかんに微笑むひなたが可愛らしい。

 

「趣味か」

 

「趣味です。一人の時は何して過ごしますか?」

 

「そうだなぁ……」

 

 少し自分の生活を思い返してみる。最近は一人でいることがないため、少し前を思い出す。

 

「……家に帰ったら千景がいたから、一人の時間はほとんど無かったな」

 

「あ、確かに」

 

「一緒にゲームとかはするけど、一人の時はあまりしないし……」

 

「お料理は?」

 

「趣味って程じゃないと思うけど、それが一番近いような気もする」

 

 まあそれも、千景達の為にお菓子を作ったりする以外は一日三食分しか作らないが。

 

「では、明日の午後は一緒にお菓子作りでもしませんか?」

 

「いいよ。何作る?」

 

「そうですねぇ……れんちゃんは案はないですか?」

 

「うーん……クレープでもする?色々材料用意して、皆それぞれ好きなものを選んで巻く?」

 

「いいですね!皆で楽しめそうです」

 

 明日の午前中に買ってくる食材を追加だ。ひなたの笑顔を見ていると、とても癒される。

 

「そういえば。ねぇひな、何で若葉達じゃなくて僕に泊まってほしいの?」

 

「若葉ちゃんやちーちゃんもよく泊まりに行ったり来たりしていますよ?」

 

「そうなんだ。じゃあ何で今日は僕?」

 

「……駄目でしたか?」

 

「駄目じゃないけど、気になって」

 

 みかんを食べながら、ひなたは少し黙ってしまう。聞かないほうがよかっただろうか。

 

「……たまには、甘えたくなるんです」

 

「そうか。わかった、いくらでも甘えてくれ」

 

 ひなたを抱き締めて、わしゃわしゃと髪を撫でる。もうすぐ風呂に入るし、髪型が崩れても問題無いだろう。

 普通の子なら、まだ親に甘えていられる歳だろうに。

 この歳で父親を亡くし、母親と離れて暮らしている。

 僕に、その穴を埋められるだろうか。

 

 

 

 

 僕が風呂から上がると、ひなたはベッドを整えていた。

 

「これは、僕もベッドで一緒に寝る流れ?」

 

「はい」

 

 はいって。そう断言しながらも、ひなたは少し照れていた。可愛い。

 僕はスマホのメモアプリを開く。明日の買い物リストを作るのだ。

 

「明日の昼ご飯の分と、クレープの具……何入れる?」

 

「バナナとか生クリームとかですか?」

 

 そして片っ端から思いつく具を書き出していった結果、流石に多すぎるということで少し減らした。

 

 

 

 夜十時過ぎには、僕達は就寝準備をしていた。とても健康的だ。

 部屋の明かりを消し、ベッドに二人で横になる。

 

「この枕は使ってください。私は腕枕でいいので」

 

「わかった」

 

 一つしかない枕を貰う代わりに、右腕を差し出す。

 二の腕辺りにひなたの頭が載せられる。

 

「なんだか久しぶりですね、れんちゃんに腕枕をしてもらうの」

 

「そうだね。昔はよく、乃木家の居間に大の字に寝て、左右の腕で若葉とひなに腕枕して、体の上に千景が載って、皆で昼寝したね」

 

「今更ですけど重くなかったですか?」

 

「全然。皆軽いよ」

 

 あの広い居間はもう無いのか。あそこで過ごした時間の記憶はたくさんあるのに。

 空いている左手でひなたの髪を撫でる。相変わらず艶々だ。

 

「……ひな」

 

「はい」

 

「辛い時は、僕に頼ってほしい」

 

「え……?」

 

 ひなたの紅い瞳を真っ直ぐ見据えて、風呂で考えていた伝えておきたいことを話す。

 

「お前は勇者の皆を支える立場にあるから、精神的支柱になろうとしているのか?」

 

「……皆は勇者だから、これから先、私より辛い経験をするかもしれないから、そんな時に頼ってもらえるようになりたくて」

 

 頼れる存在になる為に、弱い所はあまり見せようとはしない。しかしそれでは、自分が辛い時や悲しい時に、一人で抱え込んで耐えようとしてしまうかもしれない。

 

「僕はそれを止めないよ。でも、ひなは優しい子だから、心配をかけないようにお母さんにすら弱音を吐かないだろう?だから、僕の前では気丈に振る舞わないでほしい」

 

「…え?」

 

「皆の前で気丈に振る舞うのはいい。でも、辛い時は僕に頼るようにしてほしい。僕には全てを吐き出してほしい。感情を我慢しないでくれ。僕が全部受け止めて、お前を支えるから」

 

 いつか、君が僕にそうしてくれたように。

 

「……ありがとうございます」

 

 ひなたが僕の胸に顔を埋める。髪を撫でていた左手をひなたの背に添える。

 

「……お父さんと最後に会ってから、もう一ヶ月半経つんですね」

 

「……そうだね」

 

 ひなたは少しずつ、言葉を続ける。

 

「毎日一緒にいたのに、あの日の朝に見送ってから、一度も会ってません……」

 

「うん……」

 

「修学旅行から帰ったら、たくさん旅行中のお話をしたり、お土産を渡したりするんだって……当たり前のように思いながら…見送ったのに……」

 

 だんだんと涙声になっていく。こんなに弱々しいひなたは見たことがない。

 帰ってきてすぐに泣いて以来、ずっと耐えてきたのだろう。生活環境の変化もあって、いつまでも悲しんでいられなかったのだろう。

 

「時間が経つほど……お父さんはもういないんだって…実感して…っ……」

 

 遂に涙を流すひなた。それでいい。僕の前では我慢しなくていい。

 僕は伊織さんの代わりにはなれないけれど、出来る限りこの子を支える。

 父親の死による悲しみだけでなく、これから先にあるかもしれない辛い事も、悲しい事も。

 

 その夜、僕はひなたを抱き締めたまま眠った。ひなたが安心できるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。目を覚ますと、僕の腕の中には安らかに眠るひなたがいた。

 たくさん泣いたことで、目の下は赤く腫れてしまっている。

 

 少しして、ひなたが目を覚ました。そして僕の顔を見上げると、また僕の胸に顔を埋めた。

 

「おはよう、ひな。朝だよ」

 

「……おはようございます。昨夜は、ごめんなさい」

 

「謝らないで、あれでいいんだ。吐き出してくれたほうが、僕も安心できる」

 

「……ありがとうございます。……また、泊まりに来てくれますか?」

 

「ああ。いつでも」

 

 ひなたが少し顔を上げると、少し照れていたが、そこにはいつもの柔らかい笑顔があった。




今日の郡家
 蓮花さんがひなたちゃんにお願いされて部屋に泊まると聞いた琴音さんは、どこか安心したように微笑んでいた。


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幕間 丸亀城運動会 前編

「来週の金曜日は運動会を行う」

 

 ある日の朝のホームルームで、烏丸先生が唐突にそう告げた。

 

「「運動会!!」」

 

「いきなりどうして?」

 

「運動会の季節だと思ったからだ」

 

 テンションが上がる球子やゆうちゃんとは対照的に、インドア派の杏やひなたは微妙な表情をしている。私もどちらかといえばインドア派だ。

 

「道具とかが無いのでは?」

 

「大社の金で用意する」

 

 この担任、クビになったりしないのだろうか。

 

「種目は何をするんですか?」

 

「後で考えてまた伝える。なんせさっき思いついたことだからな」

 

「もっと考えてから提案してよ……」

 

「種目は募集もするとしよう。案があれば後で言ってくれ」

 

「はーい」

 

 運動が得意というわけではないが、楽しそうなゆうちゃん達を見ていると、まあいいかという気持ちになってくる。

 

「詳細はまた後日。じゃあホームルームは終わりだ、授業を始めるぞ」

 

 そしていつものように授業が始まった。

 

 ──────────

 

「来週の金曜日、運動会をすることにした」

 

「え、そうなの?」

 

 夕食時、僕は久美子からそう報告された。

 

「することにしたって、久美子の独断?」

 

「職員に話は通したから大丈夫だ」

 

「じゃあいいか」

 

「あ、久美子さんが豆腐崩した」

 

「すまん」

 

 久美子が箸で豆腐を取ろうとしてうっかり崩してしまった。今夜はすき焼きなのだ。

 

「お玉持ってきますね」

 

「ありがとう」

 

 すぐに立ち上がり、キッチンにお玉を取りに行ってくれる琴音さん。その気配りに僕達はいつも助けられている。

 

「それで、運動会は丸亀城でやるの?」

 

「ああ、その予定だ」

 

「保護者は見に行ってもいいの?」

 

「問題無いだろう」

 

「やったね。皆の分の弁当作って持っていこう」

 

 弁当にレジャーシートに、三脚は必要だろうか。一応持っていこう。

 

「私も一緒にお弁当作りますね」

 

「うん。茉莉も行く?」

 

「行く」

 

 全員で応援に行くことが決定した。一応球子や杏の両親にも後で連絡してみよう。

 

 ──────────

 

「えー、では今日は種目を発表する。人数が少ないため、全ての種目に全員が出ることになるだろう」

 

「結構忙しいのね」

 

「その分種目の間に長めの休憩時間を設ける」

 

 運動会を行うと発表されてから三日後の朝のホームルームで、烏丸先生がその話を始めた。

 

「まず種目の前に、お前達を赤組白組に分ける。ちょうど偶数人だしな、三対三だ。分け方は私がもう決めた」

 

「え」

 

「赤組は若葉、千景、杏。白組は友奈、ひなた、球子だ」

 

「「「ええ!?」」」

 

 何人かの声が共鳴して教室内に響き渡る。

 

「若葉ちゃんと、ちーちゃんが……敵……」

 

「ひなた、大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃないです……」

 

「ちなみにこの分け方をした理由は?」

 

 烏丸先生なら、単に親友同士が争う光景が見たいからという可能性もある。一応私が理由を尋ねると。

 

「戦力差を考えて決めた。若葉、球子、友奈が固まったら偏りすぎだろう?それでは結果が見えてしまって面白くない」

 

「確かに」

 

 どうやらちゃんと考えたらしい。

 烏丸先生はチョークを手に取り、黒板に白線を走らせる。

 

「次。種目はラジオ体操、リレー、障害物競走、玉入れ、宝探しの五つだ」

 

「宝探し?」

 

「私が丸亀城の敷地内に六個の宝を隠す。それを先に三人が見つけてゴールしたチームの勝ちだ」

 

「なるほど」

 

「これはあまり身体能力に左右されなさそうですね」

 

 杏やひなたの顔が少し上がる。玉入れや宝探しは、皆等しく貢献できるだろう。

 

「質問!」

 

「どうした友奈」

 

「一人で三個見つけたら、それをチームメンバーに配ってゴールするのはアリですか?」

 

「アリだ」

 

「いいのか」

 

「ちなみに、最初は相手チームが持っている宝を奪うのもアリだと考えていたが、それは駄目だと蓮花に却下された」

 

「そりゃそうよ」

 

 奪うのがアリなら、結局体が強い子が有利になってしまう。

 

「他の種目は説明しなくてもわかるな?では種目についてはこれで終わりだ。当日は蓮花達が弁当を持って見に来るらしい」

 

「そうなのか」

 

「タマ達の弁当もあるのか?」

 

「全員分作ると言っていた」

 

「よっしゃあ!!」

 

 球子はとっくにれんちゃんに胃袋を掴まれているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、運動会当日。

 

 今日は朝から体操服でいいと言われているので体操服を着て、食堂で朝食を終えた私達が屋外の広場に出ると、前方に朝礼台とモニター、テントが設置されていた。学校でよくある、長方形で脚が長いテントだ。

 テントの下には机と、その上に何やら機械が置かれている。あの様子だとおそらく放送機器だろう。

 

「あんなの、いつの間に用意したんでしょうか?」

 

「昨日の夜には無かったはずだし、今朝なのかしら?」

 

「その通りだ」

 

「うわっ!?」

 

 唐突に機器の後ろから姿を現した烏丸先生。もう来ていたのか。烏丸先生はいつもの白衣ではなく、訓練の時の動きやすい格好で髪を纏めている。

 ゆうちゃんと若葉が機器をジロジロと見回す。

 

「これ何の機械?」

 

「放送するやつだ。このマイクに向かって話すと、城内各地に設置されたスピーカーから放送できる」

 

「わざわざスピーカーも設置したのね……」

 

 この人のやる気スイッチはよくわからない。

 

「もうすぐ始まるから、そこに並んでいろ」

 

 指示に従って私達は広場の中心辺りで並び、開会の時を待つことにした。

 少しして広場に現れたれんちゃんは、なぜかテント下の放送機器前に座った。

 すると、烏丸先生が朝礼台に上り、スタンドマイクの前に立った。

 

「では、今から運動会を開会する。お前達、楽しめ」

 

 それだけ言って朝礼台を下り、テント下のれんちゃんの隣に座ると、今度はれんちゃんがマイクに向かって話し出す。

 

『プログラム一番、ラジオ体操第一!皆広がって』

 

「え、れんちゃんが司会なの?」

 

「そうみたいだな」

 

 話しながらも、両手を広げても周りに当たらないよう広がる。

 そしてスピーカーから流れ出す聞き慣れた音声に従い、私達はラジオ体操をこなした。

 

 

 

『プログラム二番、玉入れ!』

 

 れんちゃんがそう言うと、どこからともなく丸亀城でよく会う大人達がやってきて、玉と籠を設置して戻っていった。あの人達がテント等も設置したのだろうか。お疲れ様です。

 

『烏丸先生がピストルを鳴らしたらスタート、もう一度鳴らしたら終了です。その間に入れた玉の数がそのままそれぞれの組の点数になります』

 

「なるほど、多かった方しか点数が入らないというわけではないのか」

 

『この運動会、勝ったチームには賞品として一人一つずつハーゲ○ダッツを買ってやる』

 

「何!?」

 

 唐突な賞品宣言に球子が目を輝かせる。

 

『それ、久美子の自腹?』

 

『ああ。お前に買わせたら全員分買ってやろうとするだろう?』

 

『僕のことをよくわかってるね』

 

 

 そしてピストルの音と同時に、私達は動き始める。

 

「私はとにかく玉を集めますね!」

 

「ああ、頼む!」

 

 私達白組は、杏は玉集めに徹し、若葉が玉を投げ続けるという作戦で動き出す。私は基本的に玉を集め、玉が溜まっていたら投げ入れるのを手伝う。

 流石の若葉は運動なら何をやらせても万能で、次々と玉を的確に籠に入れていく。

 

『これは凄い!頭脳プレイにより白組の籠にはどんどん玉が入っていく!』

 

「え、実況?」

 

『言い忘れていたけど、司会進行と実況は僕、解説は烏丸先生でお送りします』

 

『よろしく』

 

「なんで運動会に解説がいるんだ」

 

 唐突な紹介に少し手が止まるが、赤組の方を見るとそれは同じだったようだ。

 

 赤組は全員でひたすら玉を投げている。そこそこ入ってはいるが、問題なく勝てそうだ。

 

『赤組は皆で玉を投げているが、なかなか入らない!しかし頑張って投げる姿はとても可愛い!』

 

『それは実況なのか?』

 

 

 しばらくして、烏丸先生のピストルが鳴り響いた。

 最終的な個数は、私達白組は62個、赤組は41個であり、そのままの個数が点数となった。

 

 

 少し休憩時間となり、改めて広場を見渡すと、いつの間にか琴音さん達がレジャーシートを広げて座っていた。

 

 そして、そこには楓さんもいた。

 

「……え、母さん!?」

 

「元気か若葉?」

 

 私達が楓さんの元へ駆け寄ると、楓さんはすぐに若葉を抱き締めた。

 

「実は昨日退院してな。驚かせようと思って、連絡せずにいたんだ」

 

「驚かせなくていいから、そういうことは連絡してくれ……でも、よかった」

 

 心の底から安心したような表情を見せる若葉達。それを琴音さんが微笑んで写真に収めていた。

 

「茉莉さんも来てくれたんだ!」

 

「ゆうちゃん達に会いたくて。この後も楽しんでね」

 

「うん!」

 

 そのまま少し談笑していると、休憩時間終了を知らせるホイッスルが鳴った。

 

 

 

『プログラム三番、障害物競走!』

 

「どんな障害物があるんでしょう?」

 

『説明しよう!まず、第一走者はこの広場からスタートし、借り物競争をします。そこにお題が書かれた紙があるのでそれを見て、物を持って第二走者の待つ地点まで走り、審査が通ったらバトンパスです』

 

 れんちゃんの説明を聞きながら広場を見ると、確かに紙が置かれた台が二つ設置されていた。休憩時間中に設置したのだろうか。

 

『第二走者はテニスラケットの上にボールを乗せ、第三走者の所まで走ります。落としたら乗せ直して続行です。そして第三走者はゴールまでただ走ってください。ゴールは丸亀城天守閣です。……なんで第三走者は走るだけなの?』

 

『ネタが思いつかなかった』

 

『だそうです』

 

「えぇ……」

 

『三分後にスタートするので、その間に誰がどこをやるのか相談してください』

 

 説明が終わると、私達はそれぞれの組に別れて相談を始めた。

 

 その結果、第一走者は私、第二走者は杏、第三走者は若葉となった。

 そして三分後、第二走者と第三走者はそれぞれの待機地点まで移動していった。どうやら赤組はひなた、ゆうちゃん、球子の順らしい。

 

「借り物競争なら、私でもちーちゃんに勝てるかもしれません」

 

「私だって負けないわ」

 

 ひなたと共にスタート地点に並んでいると、れんちゃんと烏丸先生も立ち上がった。

 

「どうしたんでしょう?」

 

『ここからは僕達もカメラを持って走者を追います。それぞれの様子はそこのモニターに映し出されるから、他の子達の様子も見れるよ』

 

「なるほど。その為のモニターだったのね」

 

 確かに、一番下にいる私達は第三走者が天守閣でゴールするところを見ることができず、結果がすぐにはわからない。しかしこのモニターに映し出されるなら、リアルタイムで様子を知ることができる。

 

『では位置について、よーい』

 

 烏丸先生がピストルを鳴らし、私とひなたは走り出す。そして台に置いてあるお題が書かれた紙を手に取る。

 ┌───┐

 │ 腕 │

 │ 時 │

 │ 計 │

 └───┘

 

「腕時計ね」

 

 腕時計なら、確か烏丸先生が毎日つけていたはずだ。そう思い烏丸先生の元へ走る。

 

「先生、腕時計を貸して!」

 

 しかし、先生は笑みを浮かべた。これは悪いことを考えた時の顔だ。

 そして掲げられたその手首に腕時計は無かった。

 

「え、どうして!?」

 

「ふふふ……ふははははは!!いい表情だ千景!!確かに私はいつも腕時計をつけているから、まっすぐ私のところへ来ることは予想していた。だがその表情を見る為に、今日は外してきたんだよ!!」

 

「なんですって!?」

 

 悪い顔で高笑いをする久美子さんに少しイラッとしながら、どうするべきか考える。

 すると、今度はれんちゃんがニヤッとした。

 

「フッ、甘いよ久美子」

 

「何?」

 

「君はそういうことをするだろうと思って、今日の僕は腕時計をつけてきた!」

 

 そう言って掲げられたれんちゃんの手首には、確かに腕時計がついていた。見覚えのある、れんちゃんの腕時計だ。れんちゃんはそれを外し、私に手渡してくれた。

 

「これを持って行きなさい」

 

「ありがとう、れんちゃん」

 

 れんちゃんの腕時計を受け取り、私は杏のいる地点まで走った。

 

 

 

「……お前も私の事をよくわかっているな」

 

「まあね」

 




今日の郡家
 ボクは蓮花さんの代わりにカメラマンを頼まれたので、皆の写真をたくさん撮ってみた。
 ゆうちゃんや球子ちゃんははじけるような笑顔で、千景ちゃん達もなんだかんだ楽しんでいる様子で安心した。


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幕間 丸亀城運動会 後編

ゆゆゆいが終わってしまった衝撃が大きい……CS版がいつか出るとはいえ、やはり辛いです。


 第二走者の元へ走っていく千景の後ろ姿を見送っていると、今度はひなたが僕の所にやってくる。

 

「れんちゃん、一緒に来てください!」

 

「え?わかった、行こう」

 

 お題を聞く間もなく、ひなたに手を引かれて走り出す。後ろからはカメラを構えている烏丸先生も追ってくる。

 

 

 やがて見えた中継地点。そこでは借り物競争の審判役として食堂のおばさんが待機している。

 先に到着していた千景が審査を終え、杏に今襷を渡した。

 

『今、白組の襷が第二走者へ受け渡された!』

 

 走りながらも実況は忘れない。広場で映像を見ている保護者達に、しっかり状況を伝えるのだ。

 そして僕達も中継地点にたどり着き、ひなたが審判にお題の紙を見せる。角度的に僕からお題は見えない。

 

「あら……いいでしょう!」

 

 おばさんが微笑んでそう言うと、ひなたが友奈に襷を渡した。

 

「……なるほどな」

 

「どうかした?」

 

「いや、なんでもない」

 

 久美子がひなたを見て呟いたが、誤魔化されてしまった。

 引き続き、僕と烏丸先生は第二走者の杏と友奈の後を追う。

 ボールをラケットから落とさないよう慎重に走る杏と、対照的にどんどん走っては落として拾ってを繰り返す友奈。

 しかし、素の体幹や身体能力の差で、後からスタートした友奈がどんどん杏との距離を詰めていく。

 

「え、もう来たんですか!?」

 

「追いついたよアンちゃん!」

 

『ここで遂に赤組が白組を追い越した!』

 

 丸亀城の坂道を走って登っているのだ。杏は既にバテてきている。

 そしてここまで一緒に走っている烏丸先生も少し息が切れてきている。

 

 そこそこの差をつけて、友奈が球子へ襷を繋いだ。

 負けじと杏も最後に踏ん張り、若葉に襷を受け渡す。

 

『今第三走者へ襷が繋がれた!少し赤組がリードしている!』

 

 杏と友奈は中継地点に座り込んだ。そして烏丸先生も膝に手をついた。

 

「カメラを貸してくれ。ここで休んでていいよ」

 

「ああ……助かる……」

 

 烏丸先生からカメラを受け取り、若葉達を追って走る。

 

「うおおお!速ぇ!若葉速ぇ!」

 

 怒涛の勢いで距離を詰めていく若葉と、必死で逃げる球子。

 どちらも運動神経はとても良いが、身長差が響く。

 

『遂に二人が並んだ!そして若葉が追い抜いていく!そして今、ゴ──ル!!』

 

 ゴール直前で順位は入れ替わり、白組の若葉が一着でゴールした。

 

 

 

 

 

 休憩時間を挟み、皆は広場に戻って水分補給等をしている。

 

「若葉ちゃん、凄く走るの速かったね」

 

「若葉ちゃんは昔からずっと徒競走は一着なんです」

 

「徒競走『も』でしょ?個人競技は全部一位だったし」

 

「そうでしたね」

 

「わぁ、凄いね」

 

 ひなたと千景の言葉に茉莉や杏は感心し、球子は顔を引き攣らせる。

 

「後ろから迫り来る若葉は、晩ご飯のつまみ食いがバレた時の母ちゃんより怖かった」

 

「微妙に例えがわかりにくいね」

 

「家庭によるだろうしな」

 

「うちは怖いんだよ」

 

 今回、球子や杏の両親は、急遽開催が決定したことや平日であることもあり、さすがに来ることができなかった。後で写真を送ってあげよう。

 

「そういえば、ねぇひな。借り物競争のお題は何だったの?」

 

「えっ」

 

 少し気になっていたことを思い出して尋ねると、ひなたは固まってしまった。

 

「私も気になるわ。れんちゃんを連れていったということは、『男の人』とか『料理上手な人』とか?」

 

「そっ、そうです!料理上手な人です!」

 

 ……なんだか嘘っぽい。

 

「まあいいや、そういうことにしておこう」

 

 隠したがっているのなら、詮索はしないでおこう。

 

 

「蓮花」

 

「ん?」

 

 久美子に呼ばれて振り向くと、こちらにカメラを差し出していた。

 

「次は最初から渡しておく」

 

「疲れたんだね」

 

 久美子は多少鍛えているとはいえ、基本的に机に向かって仕事をしている時間が長い。十代の子達ほどの体力は無いのだろう。

 

 

 

 そして休憩時間が終わると、次はリレーだ。これは特に特筆すべき事もなく、走った。

 走順は障害物競走と同じで、第一走者は千景がひなたに差をつけて第二走者へ移った。

 しかしその後、友奈と球子の奮闘により赤組は白組に食らいつき、ぎりぎりで勝利した。

 

 そして最後の種目が始まる。

 

『プログラム五番、宝探し!皆はルールを聞いていると思うけど、保護者の為に一応説明します。烏丸先生が丸亀城内に隠した宝を三人共一つずつ持った状態で先にゴールした方が勝ちです。ゴールの場所はリレーと同じく天守閣、僕と烏丸先生はそこから見渡して皆の位置を把握します。ちなみに見つけた宝は持って帰ってよし……って書いてます』

 

 烏丸先生がルールを書いた紙を読み上げていく。

 

「持って帰ってよし?」

 

「適当な物を宝として扱うんじゃなくて、本当に宝を隠したの?」

 

『見つけてからのお楽しみだ。きっとお前達にとっては宝だろう』

 

 それを聞いた球子と友奈は目を輝かせてソワソワし始める。一体何を隠したのだろう。

 

 

 烏丸先生と一緒に天守閣に上り下を見下ろすと、広場にいる皆が見える。皆もこちらを見上げている。

 

『それでは、始めます。よーい』

 

 本日七回目のピストルの音が響き渡ると、皆が動き出すのが見えた。

 

 ──────────

 

 ピストルの音が聞こえ、とりあえず私達は動き出す。

 

「どうしますか?手分けします?」

 

「そうだな、集まって行動してもメリットは無いだろうし、手分けして探そう」

 

「そうね」

 

 それぞれ違う方向を向いて走り出す。

 宝というのは、一目見てそれだとわかるモノなのだろうか。

 

 宝は烏丸先生が丸亀城内に隠したと言っていた。あの人のことだから、屋内に隠してある可能性もあるだろう。

 若葉と杏は屋外を探しているようだから、私は屋内を探してみることにした。

 

 まずは馴染みのある教室の扉を開けて中に入る。

 そして教室内を見渡してみると、それはすぐに視界に止まった。

 

「……あれかしら」

 

 教卓の上には、細長い箱が置かれている。

 その蓋を開けてみると、そこに入っていたのはそこそこ高級なうどんの乾麺束だった。食べたらレベルが上がりそうだ、なんて一瞬頭に浮かぶ。

 

「これは……確かに宝ね」

 

 これは、勝たなければ。

 

 その後、教室を出て屋内を探して回ったが、これ以外に宝は見つからなかった。

 外に出て一旦広場に戻ってみたが、誰もいない。

 

『お、千景は既に一つ見つけたようだ!』

 

『早いな』

 

 スピーカーから声が聞こえたので天守閣を見上げてみると、れんちゃん達が双眼鏡でこちらを見ていた。

 ……もしかして、れんちゃん達が向いている方向を見れば、他の子の位置がわかるのでは?

 そう思った矢先、またスピーカーかられんちゃんの声が聞こえた。

 

『今度は友奈が見つけたようだね』

 

 れんちゃんの向いている方向にあるのは寮だ。そちらへ行くと、寮の裏側から出てきたゆうちゃんに遭遇した。

 

「あ、ちーちゃん!」

 

「寮の裏にあったの?」

 

「うん、うどんの束があったの」

 

 どうやら宝は全て高級うどん束のようだ。

 

「ちーちゃんも一緒?」

 

「ええ、うどんの束だったわ」

 

「今日の晩ご飯だね!」

 

 そう言ってゆうちゃんは満面の笑みを浮かべた。この子の笑顔は周りも笑顔にしてくれる。

 

「じゃあ、私は次のを探しに行くわね」

 

「あ、そっか。いっぱい見つけたら皆に渡してゴールしてもいいんだよね」

 

 ゆうちゃんと別れて宝を探しに行く。他の子の状況はわからないが、放送が無いということは見つけていないのだろう。

 

 

 

 しばらく探したが見つからず、一旦広場に戻る。先程杏とひなたが見つけたとれんちゃんが言っていたため、あと必要なのは若葉の分だ。

 広場に戻ると、杏と若葉も別々の方向から広場に戻ってきた。

 杏はその手に私の持っているものと同じ箱を持っている。

 

「見つかりませんね…」

 

「残っているのはあと二つですね」

 

「というかそれは何だ?」

 

 若葉が私達の持っている箱を指さす。

 

「高級うどん束」

 

「何!?」

 

 やはり香川県民にとってこれは宝らしい。

 

「千景さんは見つけるの早かったですよね」

 

「烏丸先生なら屋内に隠したりするかもって思って教室に行ったら、隠れることなく教卓に置かれていたのよ」

 

「なるほど、烏丸先生が隠しそうな場所を想像したんですね」

 

 そうだ、私は烏丸先生の考えを想像して見つけたのだ。ならばもう一度想像してみよう。

 

「……ゴールの前にあったりしないかしら」

 

「え、ゴールの前?」

 

「あの人のことだから、頑張って三つ探してゴールに向かったところ、ゴール前であっさりと四つ目を見つけて落胆する私達を見ようとしていたりしないかしら」

 

 面倒臭い考え方かもしれないが、あの人は他人が悪い意味で驚いた顔を見るのが好きなのかもしれない。

 

「……有り得るな」

 

「可能性は否定できませんね。烏丸先生ですし……」

 

 どうやらこの認識は共通のもののようで、若葉と杏も共感する。

 その可能性に賭け、私達はゴールの天守閣に向かうことにした。

 

 

 

「本当にあったわね……」

 

「あったな」

 

「ありましたね」

 

 天守前に設置されたゴールの前には、誰がどう見ても見つけられるように、堂々とうどん束の箱が設置されていた。もはや隠してすらいない。

 

「まさかこれを三つ目に見つけるとは思わなかったぞ」

 

「私は烏丸先生の考え方をそこそこ理解しているのかもしれないわ」

 

「そうか」

 

 ゴールで待ち構えていた烏丸先生に感心される。あまり嬉しくはない。

 三つ目の宝を若葉が手に取り、三人でゴールを切った。

 

『今、白組が三つの宝を持ってゴールしたー!!』

 

 

「なんだってぇぇえ──!!」

 

 丸亀城のどこかから、球子の叫びが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運動会を終えて昼食に皆で弁当を食べた後、シャワーを浴びて着替えた私達はスーパーマーケットに来ていた。

 

「どうしてスーパーなの?コンビニのほうが近かったのに」

 

「コンビニでハーゲ○ダッツを買ったら高いだろうが。私の自腹だぞ」

 

 アイスの売り場に向かい、私と若葉と杏はハーゲ○ダッツを選び始める。

 

「いいなぁ……」

 

「後で少し分けて貰ったら?」

 

「なるほど!杏、一口でいいから分けてくれ!」

 

「はいはい、わかったから」

 

 球子が爆速で杏に頼み込む。良く言えば素直、なのだろうか。

 ひなたとゆうちゃんはきっと、こんな風に欲しがったりしないだろう。しかし何も言わずとも、若葉はひなたと分けるだろう。それならば。

 

「ゆうちゃん、何味がいい?」

 

「え?」

 

 振り返り、味をゆうちゃんに尋ねる。私は何でも構わないので、ゆうちゃんの好きなものにしよう。

 

「私が選んでいいの?」

 

「ええ。半分こにしましょう」

 

 困り顔で是非を問うゆうちゃんの手を引き、冷凍ショーケースの前に並んで選ぶ。

 後ろでれんちゃんと茉莉さんが微笑んでいる気がした。

 

 ──────────

 

「んっ……」

 

「もっと体の力を抜いて?そのほうが気持ちいいよ」

 

 

「んぁ……そこ……」

 

「ん?ここがいいの?」

 

 

「あぁ…あ…っん……」

 

「解れてきたかな」

 

 

 

「何だ?こいつらは家ではいつもこんな感じなのか?」

 

「いえいえ、そんなことないですよ?」

 

「茉莉が気まづそうにしているじゃないか」

 

 楓さんの言葉を聞いて顔を上げると、無言でテレビを見ている茉莉は耳を赤くしていた。

 

「久美子が変な声を出すからだよ」

 

「お前がマッサージ上手いんだよ……」

 

 布団にうつ伏せで寝る久美子の腰を指で押すと、久美子はまた弱々しい声を出す。

 

「そもそもどうしてマッサージを?」

 

「この一週間、普段の仕事に加えて運動会の準備とか色々頑張ってくれたから、労おうと思って」

 

「労うのはいい事だな」

 

「もう充分だぞ……」

 

「わかった」

 

 布団から立ち上がり、リビングのソファに移動して腰を下ろす。

 

「そういえば茉莉が撮ってくれた写真をまだ確認してないな」

 

「いっぱい撮ったよ」

 

 スマホのギャラリーアプリを開くと、確かに大量に写真が増えていた。

 

「おお、こんなに。ありがとう茉莉」

 

「どういたしまして」

 

 皆の真面目な顔で頑張る姿や、楽しそうな笑顔等、眺めていると僕も笑顔になる。

 

「何枚かプリントして、アルバムに貼ろうかな」

 

 数年前から作っている千景のアルバムは、そろそろ四冊目に入りそうだ。最近は友奈が一緒に写ることが多い気がする。

 このアルバムには、ずっと一緒にいる若葉やひなただけでなく、旅行先で出会った歌野達が一緒に写った写真もある。

 いつか少女達が大きくなったら、このアルバムを一緒に見返して懐かしみたい。

 そして、小さい頃の皆はもういないことに寂しさを感じながら、皆が健やかに成長してくれたことに幸せを感じるのだ。




今日の郡家
 千景ちゃんとゆうちゃんは、時々姉妹のように見えて、ボクはそれが微笑ましく思った。
 蓮花さんはボクも含めて三姉妹みたいだって言ってくれて、少し嬉しかった。


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第46話 交友の広がり

時々最初のほうの話から細かいところを書き直してます。
日常ばっかり描いてて話が進まない……まあ日常系だからいいか。


 目を覚ます。隣にはまだ眠っている久美子と、さらにその隣に眠っている茉莉。

 リビングに行くと、既に起きていた琴音さんがキッチンに立っている。ほぼ毎朝最初に起きて、朝食を作ってくれている。

 

「おはよう」

 

「おはようございます。もうすぐできるので、顔を洗って皆を起こしてきてください」

 

「ああ」

 

 洗面所に向かい顔を洗っていると、キッチンの方から話し声が聞こえた。楓さんが起きたのだろう。

 顔を洗いに来た楓さんとすれ違い、僕は寝室に向かう。

 キッチンから漂う美味しそうな匂いを感じながら、まだ眠っている二人を揺すって起こす。

 

「茉莉、久美子、朝だよ。もうすぐ朝ご飯できるよ」

 

「んん……」

 

 二人共、起こせばすんなりと起きてくれるのでとても助かる。

 リビングに戻りキッチンから朝食を運び、茉莉と久美子が顔を洗って戻ってくるとテーブルを囲い、朝食を食べ始める。

 これが、最近の我が家の朝だ。

 

 

 

 

 

 

「平和だねぇ」

 

「うん」

 

 琴音さんが淹れてくれた茶を飲みながら、のほほんとテレビを眺める。最近は街の様子も、ようやく少し落ち着いてきたように感じる。

 目の前では茉莉がテーブルに向かって座り、参考書を読みながら問題集を解いている。

 いつかまた学校に通えるようになった時に困らないよう、こうして平日は勉強を進めているのだ。

 ちなみに参考書等は久美子が選んだ。

 

「丸亀城の皆は平和なのかな」

 

「平和だよ。久美子の唐突な思いつきで運動会をできるくらいには余裕もある」

 

「確かにな」

 

 僕と同じく茶を啜っている楓さんが同意する。茶が似合う。

 

「ズズ……しかし、入院していた時は外がどうなっているのか気になって仕方なかったが、この家は平和過ぎないか?」

 

「家が無事だったし、家具も無事だったし、貯金もあるし、大社の支援もあるからね。食料や生活に必要な物資には困らないよ」

 

「最初は久美子さんの下着に困っていたけど」

 

「そんな時期もあったね」

 

 天災から約二ヶ月経過したが、我が家は人が増えたこと以外は、以前と特に変わらない。

 街の瓦礫等は少しずつ片付けられ、天災直後と比較するとそこそこ綺麗になってきている。

 避難所には職を失った人が大勢いるため、人手はある。時間と道具さえあれば、街並みは修復されていく。

 

「皆が高校生になる頃には、だいぶ街も元通りになるんじゃないかな」

 

「茉莉ちゃんが高校生になるまでに、学校に通えるようになるのかしら……」

 

「学校を再開するよりも、多くの人が普通に生活できるようにすることが優先されるだろうから、難しいだろうな……」

 

「先に学校を再開しても、通える子供が少ないだろうしね」

 

 未だに各避難所には多くの人々がいる。これを放置したまま学校に税金を使うのは難しいだろう。

 

「最悪、丸亀城で卒業式だけでもやろう」

 

「なるほどな」

 

「ボ、ボクはそういうの無くても大丈夫だよ」

 

 僕の方に振り向いてすぐに遠慮する茉莉。この子はいつも欲張らず、遠慮をする。美徳と言えなくもないのかもしれないが。

 

「遠慮しなくていいから。茉莉が本気で嫌がるならしないけど、そうじゃないなら僕がしたい」

 

「嫌ではないけど……」

 

「ならよかった。君はもっと、普段から我儘言っていいと思うよ?我儘言われたい」

 

「言われたいのか」

 

「気持ちはわからなくもないです」

 

 子供に我儘を言われたいこの気持ちは琴音さんもわかるらしい。流石母性の権化。

 

「我儘……思いつかない……」

 

「今じゃなくていいよ。行きたい場所、欲しい物、やりたい事、食べたい料理、何でもいい。思いついたら遠慮なく言ってくれ」

 

 最初の頃の千景のようだ。とても甘やかしたくなる。

 そっと茉莉の髪を撫でる。膝まで伸びる長い黒髪。

 

「……わかった」

 

「うん」

 

 どんな我儘がこの子から出るのか、楽しみに待つことにした。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうだ。蓮花」

 

「ん?」

 

「私と琴音は、近いうちにこの家を出ようと思う」

 

「……ん?」

 

 夕食時、ふと楓さんにそんなことを言われた。思わず箸と頭の回転が止まる。

 それに気がついた久美子が代わりに返答をする。

 

「そうなのか。どうしてだ?」

 

「いつまでも世話になり続けるわけにはいかないさ」

 

「……まじか。そんなこと気にしなくていいのに」

 

「私達が気にする」

 

 正直、僕が不在の時に安心して家を任せられるので助かっていたのだが。本人達がそう言うなら仕方ない。

 

「ちなみにどの辺で暮らすの?」

 

「このマンションの上の階に空き部屋がありまして」

 

「近っ!?それ引っ越す意味あるの?」

 

「場所はどこでもいい。この家から出ることに意味がある」

 

 大人達が話している間も、茉莉は黙々と食べ進める。もぐもぐと咀嚼している姿が可愛い。

 

「私達がここにいると、時々ちーちゃん達が帰ってきた時に狭いでしょうし」

 

「ん……」

 

 否定はできない。千景達の丸亀城での生活が始まるまでは僕だけリビングで寝るほどに狭かった。

 

「それに、場所は近いほうが何かと都合がいいだろう?」

 

「まあ確かに。僕が一日中いない時に茉莉のご飯をお願いできるし」

 

 僕がそう言うと、茉莉が少し口を開いた。

 

「自分のお昼ご飯くらいなら、自分でなんとかするよ?」

 

「お前は料理できるのか?」

 

「……おにぎりくらいなら」

 

「可愛い」

 

 思わず考えが口から出てしまった。頑張って米を握っている茉莉を想像すると、なお可愛い。

 

「若葉でももう少し何か作れるぞ」

 

「うっ……」

 

「なんてことを言うんだ久美子」

 

 久美子の容赦ない一言に茉莉がショックを受ける。しかし、中学二年生でおにぎりくらいか。

 

「……これから、一緒に晩ご飯を作るようにしようか」

 

「はい……」

 

 まずはうどんを茹でることから始めてみよう。……さすがにそれはできるだろうか。

 

「そういえば、次の土曜日はバーベキューをするんだったか?」

 

「うん」

 

 久美子が次の話題へ切り替える。次の土曜日は丸亀城でバーベキューをするのだ。真鈴と美佳も呼ぶ予定である。

 

「食材は?」

 

「午前中に皆を連れて久美子に買ってきてもらおうかな」

 

「金は?」

 

「僕が出すから、好きなの買ってきていいよ」

 

「わかった。お前は行かないのか?」

 

「僕は大社に真鈴と美佳を迎えに行くから」

 

「そういえば言っていたな」

 

 久美子との会話はとてもスムーズに進んでいく。いつの間にか茉莉は食べ終えており、思い出したように僕も食べ進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして土曜日。大社の入口前で待っていると、やがて二人の巫女が姿を現した。

 遠くから僕を視認して手を振る真鈴に、僕も手を振り返す。

 

「おはよう!」

 

「本日はよろしくお願いいたします」

 

「おはよう、そんなに畏まらなくていいよ。もっと柔らかく、ね?」

 

 深々と頭を下げた美佳に、頭を上げさせる。まだ小学生なのに、なんと礼儀正しいことか。しかし、もっとフランクに接してほしい。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 ここまで乗ってきたタクシーに乗り込み、まずは最寄り駅に向かった。

 

 ──────────

 

 久美子さんに連れ出され、私達は商店街に来ていた。球子と杏はバーベキューの機材を準備するため、丸亀城に残っている。

 

「ここに来るの、久しぶりね」

 

「そうですねぇ」

 

 丸亀城で暮らし始めてから、商店街にはほとんど来ていなかった。見渡せば、まだシャッターを下ろしている店もあるが、いくつかの店は営業を再開している。

 

「まずは肉だな」

 

「お肉!」

 

 肉屋に向かうと、以前と変わらず営業していた。こちらに気がついた肉屋のおじさんが手を振ってくる。

 

「皆いらっしゃい!久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」

 

「はい、元気です」

 

「コロッケ食べるかい?」

 

「食べる!」

 

 勢いよく返事をしたのはゆうちゃんだが、久美子さん以外全員にコロッケが渡された。ありがたいが。

 

「今日は初めましての子もいるし、蓮花さんはいないのかい?」

 

「おつかいです。バーベキューをするので」

 

「バーベキューか、いいね。このステーキとかどうだい?分厚くて柔らかいぞ〜」

 

 おじさんの示すステーキは確かにとても美味しそうだが、相応の値段でもあった。しかしゆうちゃんは目を輝かせ、若葉も目を逸らせずにいる。

 

「よし、買うか」

 

「え、買うの?そこそこ高いけれど」

 

「蓮花から食材代として一万円預かっている。使い切っていいと言われているから問題ない」

 

「太っ腹だぁ」

 

 そしてステーキを含む大量の肉を購入し、残った金で野菜等を買って回った。

 

 

 

 

 

 丸亀城に戻ると、既に球子達は火の準備等を済ませて待っていた。

 

「おかえり!後は焼くだけだぞ!」

 

「タマちゃんアンちゃん、これ見て!!おっきいステーキ買ってきたの!!」

 

 ゆうちゃんが肉の袋の中からステーキを取り出し、二人に見せると、二人はそれぞれの反応を見せた。

 

「すげー!!うまそうだ!!」

 

「美味しそうだけど、高そう」

 

「一枚千円よ」

 

「……大事に食べないと」

 

 れんちゃん達がまだ来ていないので、とりあえず紙皿や割り箸の準備をしておく。

 

 そうこうしているうちに、れんちゃんが丸亀城にやってきた。知らない女の子を二人連れて。

 

「お、準備できてるね」

 

「球子ー!!杏ちゃん!!元気にしてた!?」

 

「真鈴さん!!」

 

「ますずー!!久しぶりだな!!タマもあんずも元気だぞ!!」

 

 背が高いほうの女の子が球子と杏の元へ駆け寄る。この二人と知り合いということは、愛媛の人だろうか。

 

「あの子は安芸真鈴、球子と杏の巫女だよ。そしてこの子は花本美佳」

 

「は、初めまして、郡千景様!私は、花本美佳と申します!」

 

 れんちゃんが二人のことを軽く紹介すると、眼鏡をかけた子が緊張した様子で私に自己紹介をした。郡千景様?

 

「えっと……」

 

 その勢いに困惑していると、れんちゃんが話を繋いだ。

 

「この子は、千景の大葉刈を見つけた巫女だよ」

 

「え、そうなの?」

 

「……はい」

 

 れんちゃんがそのことを話すと、花本さんは先程までの勢いが無くなり、怒られるのを震えて待つ子供のようになった。

 

「……ありがとう、大葉刈を見つけてくれて。おかげで私は、家族や友達を守ることができるわ」

 

「え……?」

 

 花本さんの手を取り握手をすると、花本さんは拍子抜けしたような表情になった。

 

「立場的には私の巫女ということになるのかしら?」

 

「多分そうだね」

 

 私に戦う力をくれた、私の巫女。きっとこれからも、関わることがあるだろう。

 

「これからよろしくね、花本さん」

 

「は、はい!!こちらこそ、よろしくお願いいたします!!」

 

 花本さんは瞳を潤ませ、満開の笑顔を見せた。

 

 ──────────

 

「……ほれ、いい焼き加減だぞ、あんず」

 

「ありがとうタマっち先輩」

 

 球子が焼けた肉を杏の紙皿に入れる。とてもいい焼き加減だ。

 アウトドア大好きな球子は、キャンプやバーベキューといったことにも精通している。

 

 球子に全て任せるわけにもいかないので、隣で僕も肉を焼いて、皆の皿に入れていく。

 真鈴や美佳もだいぶ皆と馴染んできたようだ。普通に談笑している。その横で。

 

「ゴクッゴクッ……ぷはぁ!!やはりこういう場で飲む酒は美味い」

 

 久美子は肉と共に酒を味わっていた。いい飲みっぷりである。

 

「その酒どうしたの?」

 

「余った金で買ってきた」

 

「えぇ……まぁいいや。いつも皆のことを見守ってくれているお礼、ということにしておこう」

 

「一応人数分あるが、楓さんと琴音さんは飲むか?」

 

 そう言ってクーラーボックスから酒の缶を取り出す久美子。そのクーラーボックスはどうした。

 

「せっかくだし、貰おうか」

 

「では私も」

 

 楓さんと琴音さんが一本ずつ、久美子から缶を受け取る。

 

「お前も飲むか?」

 

「いや、いいよ」

 

「そうか。じゃあこの一本も私が飲む」

 

 帰る頃にはそこそこ酔っていそうだ。酒に強いわけではないのに。

 

「お酒って美味しいの?」

 

「ああ。飲んでみるか?」

 

「駄目だよ」

 

 茉莉に飲酒を勧める久美子を止める。茉莉は確か14歳、まだ早い。

 

「あ、そうだ。若葉、ひなた」

 

「ん?」

 

 楓さんが若葉とひなたを手招きする。ひなたは今咀嚼中で返事ができない。柔らかいほっぺたを少し膨らませているのが可愛い。

 

「私達は引っ越すことになった」

 

「え?」

 

 先程から若葉が疑問符を浮かべてばかりいる。というか言ってなかったのか。

 

「いつですか?」

 

「来週」

 

「早っ!?」

 

「どこにですか?」

 

「郡家のマンションの上の階」

 

「近っ!?」

 

 ひたすら若葉が驚いている。やがてしゃっくりが出そうだ。

 

「言うのを忘れていた」

 

「いつでも帰ってきていいですからね?」

 

「いつでもいいのか?」

 

 若葉はそう言いながら久美子に視線を向ける。視線に気がついた久美子は、口に入れようとしていた肉を一旦止めた。

 

「近いし、家に帰るくらいいつでも構わないぞ。一応言っておいてほしいが」

 

「わかりました」

 

 久美子は言い終えると、今度こそ肉を口に入れた。咀嚼して美味しさに口角が上がる様子は、見ていて可愛らしい。

 

「ちーちゃん、このステーキ凄く美味しいね!」

 

「そうね。高かっただけあるわ」

 

 友奈達の方を見ると、球子がステーキを焼き始めていた。焼ける肉の匂いは食欲を唆る。

 

「若葉とひなたも来いよ、今いい感じだぞ!」

 

「はい!」

 

「ありがとう球子」

 

 皆が球子を囲い、順番にステーキを食べている。その輪の中に、真鈴と美佳もいる。茉莉は一人歳上ということもあり、一歩引いて見ているようだ。

 

「茉莉さんもステーキ食べてみて!すっごく美味しいよ!」

 

「う、うん。ありがとう」

 

 友奈がステーキの載った皿を茉莉に渡す。それを食べた茉莉がとてもいい笑顔になる。

 そんな様子を、大人達は微笑ましげに見守っていた。




今日の郡家
 バーベキューはとても楽しかったし、お肉も美味しかった。皆に会えたのも嬉しかった。とても良い日だ。
 あと、久美子さんはこういう場で飲む酒は美味いと言っていたけど、家でもよく美味しそうに飲んでるよねと思った。


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第47話 進化と褒美

 目を覚ます。洗面所で顔を洗い、キッチンに向かい朝食を作る。

 やがて久美子が気だるげな顔で起きてくる。最近は自分で起きてくれるようになった。

 

「おはよう。もうすぐできるから、茉莉起こしてきて」

 

「ん……」

 

 茉莉を起こすため、久美子はまた寝室に戻っていく。最初のうちは気だるげかつ低い声で「起きろー……」と言うだけで、なかなか茉莉は起きなかった。そのまま茉莉の隣に潜り込んで二度寝しかけたことも稀にあった。まったく自由奔放である。

 出来上がった朝食をリビングのテーブルに運んでいると、茉莉だけがリビングに起きてきた。

 

「おはよう。久美子は?」

 

「布団で横になって二度寝しかけてる」

 

 今日がその稀な日だったようだ。久美子を起こすために僕は寝室に向かった。

 

 

 

「行ってらっしゃい」

 

「行ってきます」

 

 出勤する久美子を玄関で見送る。この後僕は、家事を済ませたら昼までのんびりと過ごす。

 キッチンに戻り、朝食の食器を洗う。リビングでは茉莉がテーブルに教材を広げ始めている。

 食器を洗い終えてリビングに戻り、少しスマホを弄っていると、久美子からRINEが来た。

 

『杏が熱を出したらしく、今日は欠席している』

 

 なんと。そういえば杏は病弱だったか。

 

『教えてくれてありがとう。看病に行く』

 

 久美子に返信し、出かける準備をする。

 

「どこか行くの?」

 

「ああ、杏が熱を出したらしくて。ちょっと看病に行ってくるね。昼ご飯は後で戻ってきて作り置きするね」

 

「え!?わかった、行ってらっしゃい」

 

 玄関を出て家の鍵を閉め、階段を降りてマンションを出る。途中で色々買ってから丸亀城に行くとしよう。

 今は11月。既に冬の寒さに移り変わり始めている。

 

 

 

 

 寮に到着し、杏の部屋の扉をノックする。少しして扉が開き、パジャマ姿の杏が現れた。

 

「熱出したって聞いて、看病に来たよ」

 

「わざわざすみません。ありがとうございます……」

 

 杏に続いて部屋に入り、買い物袋をテーブルに置く。

 

「朝ご飯は食べた?」

 

「食べてないです……。部屋に食べ物無くて……」

 

 基本的にこの子達は食事は全て食堂でするため、部屋に食べ物を置いておく必要が無い。よってこういう時にも食べる物が無い。日常的に料理をする千景ならともかく。

 

「実家から送られてきたみかんも、ちょうど食べきっちゃったところで……」

 

「そうか。色々買ってきたから、何か作るよ。うどんは食べられる?茹でようか?」

 

「お願いします……」

 

 普段は使われている痕跡のないキッチンに立ち、湯を沸かしてうどんを茹でる。

 その間、することが無い杏はベッドに横になっている。

 

 お椀にうどんつゆを入れ、そこに茹で上がったうどんを入れてテーブルに運ぶ。

 

「お待たせ」

 

「ありがとうございます」

 

 起き上がってうどんを食べ始める杏。熱があるだけで、食欲が無いとかではないようだ。

 

「症状は熱が高いだけ?」

 

「はい、熱が高くて、体が怠くて。頭痛とか吐き気とかは無いです」

 

「病院に行ったりはしなくて大丈夫?」

 

「大丈夫です、寝てれば治ると思います」

 

 早々に食べ終えた杏は、またベッドに入り眠りについた。

 

 

 

 

 

 昼頃、杏は目を覚ました。途中で一度も目覚めることはなく、とてもぐっすり眠れていたようだ。

 

「おはよう、体調はどう?」

 

「ちょっとマシになった気がします」

 

「昼ご飯作るから、熱計っといて」

 

 杏に体温計を渡し、僕はキッチンに向かった。

 

 これを作るのは久しぶりだ。出来上がったおじやを二つのお椀によそい、テーブルに運ぶ。一つは杏、もう一つは僕の昼食だ。

 

「これは?」

 

「おじやだよ。千景が体調を崩した時によく作った」

 

 おじや。たまご雑炊とも呼ばれる。もしかしたらこちらが正式名称で、おじやは方言かもしれない。

 

「いただきます」

 

 杏がおじやをスプーンで掬い、息を吹きかけて少し冷まして口に入れる。

 

「……凄く美味しいです。体調不良の時しか作らないのはもったいないです」

 

「ありがとう。塩をかけたらもっと美味しいよ」

 

「え?……本当だ、美味しい!」

 

 スプーンが止まらない杏。どうやらお気に召したようだ。僕も自分の分を食べ進める。美味しい。

 

「おかわりありますか?」

 

「あるよ。入れてくる」

 

 杏のお椀を受け取って立ち上がる。この様子なら、全然心配ないだろう。

 心底安心しながら、おじやのおかわりをお椀によそった。

 

 

 

 

 夕方、僕が林檎の皮を剥き杏が食べていると、外が騒がしくなり、やがて杏の部屋の扉がノックされ、扉を開けると皆がいた。

 

「え、どうして蓮花さんが?」

 

「久美子から杏が熱出して休んでるって聞いて、看病に来てたんだ」

 

「そうだったのか」

 

 ぞろぞろと杏の部屋に入っていく。当の杏は兎林檎を食べている。

 

「あんず、大丈夫か?」

 

「うん。もう熱も下がってきて、微熱って程度かな」

 

「なら、明日は登校できそうですね」

 

「なんで林檎はわざわざ兎にしたの?」

 

「なんとなく」

 

 杏も元気になってきたし、皆も帰ってきたし、もう大丈夫だろう。

 

「じゃあ、僕はそろそろ帰るね」

 

「もう帰るの?」

 

「うん、晩ごはんの買い物も行かないと。また明日ね」

 

「今日はありがとうございました」

 

 寂しげな顔をする千景の頭を撫でてから、僕は丸亀城を後にした。

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「おかえり。もうすぐ晩ご飯できるから」

 

 夜。キッチンで夕食を作っていると、久美子が帰宅した。

 

「今日の夕飯はなんだ?」

 

「うどんだよ。肉うどんでよかった?」

 

「ああ」

 

 キッチンでは今、うどんを茹でている横で茉莉が肉を煮ている。鍋の中の煮汁からとても食欲をそそる香りがする。

 

「……そろそろいいね。火を止めよう」

 

「はい」

 

 三つのどんぶりにうどんを入れ、その上に肉を載せてリビングのテーブルに運ぶ。

 久美子は白衣を脱いでハンガーに掛け、既にテーブルの前に座っている。

 

「お待たせ、食べよう」

 

「「いただきます」」

 

 二人が食べ始めたのを見て、僕も肉うどんを食べ始める。ふむ、良い出来だ。

 

「やっぱり肉うどんは美……」

 

 

 ──、──────────。

 

「……タイミングが悪いな。うどんが伸びちゃうよ……」

 

 唐突な神樹の呼びかけにボソッと愚痴を零す。

 

「ん?どうかしたか?」

 

「ちょっと用事ができた。すぐに戻る」

 

 玄関に向かい、いつもの黒のタクティカルブーツを履いて家を出る。そして屋根伝いに夜闇の中を駆け、僕は瀬戸大橋に向かった。

 

 

 

 大橋を渡り、四国を囲う壁のところまで来ると、その上へ登る。

 そして神樹の結界を出ると、遠くの空に大きな丸い物体が見えた。

 

「あれは……何だったっけ……カルマートだっけ……?」

 

 爆弾のような小さいバーテックスを生み出す、空母のような大型バーテックス。前に見たものよりも二回りほど小さい気がするが、どうしてここにあんなものが。

 

「……もしかして、僕のせいで急速に進化してる?」

 

 前から思っていたが、出会ったバーテックスは全て殲滅しているのに、どうして初めて会った個体まで情報を持っているかのように進化するのだろうか。

 バーテックスの集合知のようなものがあるのか、そもそも天の神が指示して進化させているのか。

 

 正直、僕を超えるためにこの調子で進化していけば、最終的にどうなるのか、興味はある。天津神は、自らの尖兵を己自身よりも強い存在にするのだろうか。

 

「まあ、今はどうでもいいや。早く帰らないとうどんが伸びるし、イレギュラーは潰しておこう」

 

 地を蹴って飛び出す。誰もいない夜空に、大小沢山の花火が咲いた。

 

 

 

 

 

 帰宅し、玄関の扉を開けると、脱衣場から出てきた久美子と目が合った。

 

「ただいま」

 

「おかえ……その服はどうした?」

 

 久美子の視線が向く僕の服は、ボロボロである。いつものように素手で敵を潰したせいで、間近で爆発を受けてしまった。

 

「えっと……ちょっとうっかりしてて……」

 

「……リビングに行かず、このまま風呂に入れ。着替えは用意しておく。茉莉には見せるな」

 

「わかった」

 

 聡明な久美子は、僕の用事が何だったのか察したようだ。

 言われた通り脱衣場に向かい、ボロボロになった服を脱いで浴室に入る。この服は捨てるしかないか。

 久美子は狂っているところもあるが、やはり優しい人だ。

 茉莉は段々と『普通』の日常に戻りつつあるが、そこにボロボロの服を着た僕が現れては、自分の近くに危険な非日常が存在することを感じさせてしまう。

 

「着替えはここに置いておくぞ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 扉越しの久美子の声に礼を言う。

 うどんは既に伸びているだろうが、一応早めに風呂を上がった。

 

 案の定、うどんはしっかりと伸びていた。

 

 

 

 

 寝室。茉莉の寝息は聞こえているが、僕は考え事をしていてなかなか眠れずにいる。

 敵の進化の事や、神樹の呼びかけのタイミングをもう少しどうにかしてほしいとか、杏の事等。

 神樹は危険だと判断した時にしか僕に呼びかけないため、これに文句は言えない。

 杏はよく入退院を繰り返していたため、出席日数が足りずに留年したと聞いた。これはどうにかできないだろうか。

 

 仰向けで天井を見ながら悩んでいると、久美子に僕の手を握られた。

 

「まだ起きてたの?」

 

「お前もな」

 

「僕は考え事をしていたら眠れなくてね」

 

 体の向きを仰向けから横に移すと、こちらを見る久美子の紅い瞳があった。千景と久美子は瞳の色が似ていることを知る。

 

「どうしたの?」

 

「……大丈夫だとは思うが、ここからいなくなるなよ?」

 

 戦闘後の姿を見て、心配させてしまったのだろうか。

 

「お前がいなくなったら、あいつらが困る。茉莉も、私も」

 

「……大丈夫。いなくなったりしないよ」

 

 握られた手を放して、久美子を抱き締める。こうすれば、安心してくれるだろうか。

 

「ちなみに、なんで久美子も困るの?」

 

「お前がいなくなったら、誰が料理をするんだ」

 

「そういうことか」

 

 確かに僕がいなくなったら、久美子が料理をしなければならない。それに加えて、朝は自分で早起きする必要が出てくる。

 

「お前は何を考えていたんだ?」

 

「色々。……ねえ久美子」

 

「ん?」

 

「杏を、皆と一緒に卒業させてあげたいんだけど、できる?」

 

「……友奈達が小学校を卒業するまでの約一年半の間に、杏が二年半分の勉強を進めれば、可能ではある」

 

 普通の学校ではないからこそ、多少融通も利く。杏は賢い子だから、勉強面では全然問題ないだろう。

 

「杏がそれを望んで、杏の両親が許可をくれたら、お願いしてもいい?」

 

「……わかった。いいだろう」

 

 久美子が僕の背中に腕を回し、僕を強く抱き締め返す。締められる背中とは対照的に、前はとても柔らかい。

 

「私の仕事量も増えるからな。何かご褒美を貰おうか」

 

「いいよ。何でもあげる」

 

 皆で一緒に卒業できるのなら、僕達大人は精一杯できることをしよう。




今日の郡家
 久美子さんが二度寝してしまうのは、蓮花さんが起こしてくれると信頼しているからなのかと思った。


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第48話 贈り物

もうすぐ今年も終わりですね。投稿を始めてからいつの間にか半年以上経っていたことに驚きです。


 目を覚ますと、目の前には千景がいた。千景はまだ眠っている。

 視線を動かすと、そこは寮の千景の部屋。

 少しずつ覚めてきた頭で思い出す。昨日は土曜日で、千景の部屋に泊まったのだ。

 

「……寒い」

 

 12月ともなれば、部屋は冷気に包まれている。掛け布団を掛け直し、眠る千景を見つめる。とても安らかな寝顔だ。

 

「……んん……」

 

 柔らかい頬に触れると、眠ってはいるが反応は示した。いつ見てもきめ細やかで絹のような肌だ。

 皆でいる時は少し大人びているが、この子もまだ11歳の子供なのだ。難しいことは考えず、毎日を楽しく過ごしてほしい。

 

 千景を抱き締めると、その温かさにまた眠くなる。

 今日は日曜日だ。このまま二度寝しても大丈夫だろう。

 愛する人を抱き締めながら二度寝をする、という至高の幸福を享受しながら、僕は再び眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……退屈だ」

 

「どうした急に」

 

 球子達の実家から送られてきたみかんの皮を剥いていると、久美子がボソッとそう言った。

 ここに久美子達がいるのは、昼前に起きて、千景の部屋で昼食を作るから、ということで呼んだからだ。

 とりあえずみかんを一つ久美子に向けると、久美子は口を開けたのでそこに放り込む。そして隣を見ると、千景も口を開けて待っていたのでみかんを入れる。

 

「……今の生活は他人から見れば特殊かもしれないが、毎日同じように過ごしていると慣れてきてしまった」

 

「ふーん」

 

 久美子の話を聞きながら、友奈、茉莉、ひなた、球子、杏、若葉と順にみかんを口に入れていく。ちょうどみかんが無くなったので、次のみかんの皮を剥き始める。

 

「何か非日常を感じられることをしたいってこと?」

 

「そうだな」

 

「ねぇ茉莉さん。久美子さんって家ではどういう生活をしているの?」

 

「えっと……朝は蓮花さんに起こされて、夕方に帰ってきて、晩ご飯を食べてお風呂に入って……のんびり過ごして寝る」

 

「普通だな」

 

 千景の問いに対する茉莉の返答は、ごく普通の社会人の生活だった。久美子はこれといった趣味も無いような気がする。

 

「あ、金曜日の夜は遅くまでお酒を飲んでるよ。蓮花さんを巻き込んで」

 

「巻き込んでとは何だ。一緒に飲んでいるだけだ」

 

「そうなの?」

 

「まぁ…そうかな……」

 

「話を戻すが、何か面白いことはないか?」

 

 皆はみかんを食べながら、一応考え始める。おそらく、若葉と千景は考えるふりをしているだけで何も考えていない。とても興味の無さそうな顔をしている。

 

「ふむ……デートでもす」

「駄目」

「はい」

 

 おそろしく早い却下。僕でなきゃ聞き逃しちゃうね。

 

「楽しませてくれるなら構わないが」

 

「却下されたのでこの案は無しです」

 

 再び真面目に考える。久美子の『楽しい事』は一般人とはズレているため、なかなか難しい。

 

「イベント的なことなら何でもいいんですか?」

 

「まあ、そうだな。案によるが」

 

「では、もうすぐクリスマスですし、クリスマスパーティーをしませんか?」

 

「「やる!!」」

 

 提案されたのは久美子のはずだが、ひなたの提案に反応したのは友奈と球子だった。

 

「いいだろう」

 

「てかクリスマスって今週末じゃん。今から買い物行く?」

 

「そうね」

 

 唐突に決定したクリスマスパーティーの準備のため、僕達は動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎ、僕と久美子はイネスに来ていた。

 同時刻、子供達は楓さん、琴音さんと共にホームセンターでパーティーグッズを買いに行っている。

 

「どうして私はイネスに?」

 

「久美子には重要な任務を与える」

 

「重要な任務?」

 

「僕は今から料理に使う食材とかチキンとか買って回るから、久美子は皆に配るプレゼントを買ってきてほしい。サプライズでパーティーで配りたい」

 

「なるほど」

 

 久美子が納得したところで、財布から福沢さんと樋口さんを取り出して久美子に差し出す。

 

「というわけで資金の1万5000円を渡しておく。これで7人分お願いね」

 

「そんなに?一体何を買えばいいのやら」

 

「何でもいいよ、久美子に任せる」

 

 平均して一人分が2000円ちょっと。それなりに色々買えるだろう。久美子のセンスを信じよう。

 

「それから、久美子は何か欲しいものはある?」

 

「私か?私はプレゼントを貰う側じゃないだろう」

 

「サンタじゃなくて、僕が家族として何かプレゼントするよ。何かない?何でもいいよ?」

 

「そうだな……」

 

 頭を捻って考え込む久美子。

 

「……急に聞かれても思いつかないな。蓮花に任せる」

 

「任された」

 

 その後一旦久美子と別れ、僕は久美子のプレゼントを考えながら、大量の食材を買って回るのだった。

 

 

 ──────────

 

 

 ホームセンターに到着した私達は、季節のグッズが陳列されているコーナーでパーティーグッズを見ていた。大体こういうものは季節に合わせて纏めて置かれている。

 

「……そういえば、どこでパーティーをするんでしょう?」

 

 クリスマスツリーを見ていた杏が、ふとそんなことを呟いた。そういえば決めていなかった。

 

「場所がわからないと、ツリーの大きさを決めづらいです」

 

「ちょっとれんちゃんに電話してみるわ」

 

 スマホでれんちゃんに電話をかけると、すぐに出てくれた。スマホを手に持っていたかのような早さだ。

 

『もしもし、どした?』

 

「れんちゃん、パーティーってどこでするの?」

 

『家でするつもりでいたけど』

 

「そうなのね」

 

 確かに、自由に飾り付けをしたり、作った料理をすぐに運べたりと家なら都合がいい。寮の部屋でするには狭い。

 

『ついでに、そのまま泊まっていったらいいんじゃない?』

 

「そうね、そうするわ」

 

 電話を切って話を皆に伝える。泊まるとなると、流石に全員では狭い。何人かは若葉達の家に泊まってもらうことになるだろう。

 

「大きいツリーは邪魔になりますね。小さめにしておきますか?」

 

「……いや、うちは確かツリーはあるわ。毎年クリスマスには部屋の隅にコンパクトなツリーを出していたから」

 

「じゃあツリーは買わなくていいな」

 

 クリスマスツリーは買うのをやめ、他のグッズを見て回る。何が必要だろうか。

 

「……ホームセンターにこんなのあるんですねぇ。ちーちゃん、着てみませんか?れんちゃんが喜ぶと思いますよ?」

 

「え?」

 

 ひなたが両手に持って掲げたそれは、レディースのサンタクロースコスチューム。ようはコスプレ衣装である。

 

「ええ……」

 

「あ、私も着たい!ちーちゃんも一緒に着ようよ!」

 

「……わかったわ。一緒に着ましょう」

 

 ゆうちゃんに誘われては断れない。どうしてだろう。

 ひなたが買い物カゴにサンタコスを四着追加した。……四着?

 

「せっかくなので、私と若葉ちゃんも着ようかと」

 

「ええ!?私もか!?」

 

「駄目ですか……?」

 

「……まぁいいだろう」

 

 ひなたが小さくガッツポーズをしたのを、私は見逃さなかった。若葉がひなたの頼みを断れないのは、何年経っても変わらない。

 

「あんずは着ないのか?」

 

「私はいいよ、恥ずかしいから……。タマっち先輩こそいいの?」

 

「タマはこういうの似合わないだろ」

 

「あら、そんなことないんじゃない?」

 

「え」

 

「そうだよ、きっと可愛いよ!!」

 

「えぇ……」

 

 どうせなら全員巻き込んでしまおうと思い、球子と杏も着るように仕向ける。杏が勢いに乗ると、球子はそれに敵わない。

 

「じゃあ、あんずも着ろよ?」

 

「え、私も?」

 

「当然だ、タマだけに着せようとするのはズルいぞ」

 

「諦めて全員着なさい」

 

「はい……これも可愛いタマっち先輩を拝むため……」

 

 さらに二着のサンタコスが買い物カゴに追加された。

 もう一つカゴを持ってきたほうがいいだろうか。

 

「ねぇちーちゃん、茉莉さんの分も買ったほうがいいかな?」

 

「……そうね、仲間外れは良くないわ。恥ずかしがるかもしれないけれど」

 

 というわけでもう一着追加。いつの間にか若葉が次のカゴを持ってきている。

 

「こっちには大人用のサンタコスもありますね」

 

 ひなたが言う方に振り向くと、同じコスチュームの大人用サイズがあった。

 

「……仲間外れは良くないわ」

 

「そうだな」

 

「ですね」

 

 大人用のサンタコスを一着、買い物カゴに追加した。

 後ろで楓さん達は苦笑していた。

 

 

 ──────────

 

 

「なっ、これを私も着るのか!?」

 

「せっかく買ったんだから着てよ」

 

 完成した料理を順にリビングのテーブルに運んでいく。

 今日はクリスマスイブ、今からクリスマスパーティーだ。

 隣の和室は今襖を閉められており、着替えか何かをしているようだ。先程、久美子と茉莉も連れ込まれていた。

 

「何してるんだろう?」

 

「すぐにわかるから、楽しみに待っていろ」

 

 皿や飲み物等の準備をする楓さんがそう言うので、楽しみに待つことにする。

 この大きなチキンはテーブルの真ん中に置いておこう。

 

「これで合ってるかな?」

 

「ええ、ちゃんと着れているわ」

 

「きゃああタマっち先輩可愛い!!」

 

「うぉぉぉやめてくれぇ……!!」

 

 何が起きているのかわからないが、皆とても楽しそうだ。球子は困っているようだが。

 大体の料理を運び終えたところで、ようやく襖が開かれた。

 

「なっ!?!?」

 

 そこから出てきたのは、ケープのついた赤と白のワンピース型の衣装を着たサンタクロース達だった。

 

「あ゙あ゙あ゙あ゙……可愛いぃ…………」

 

 あまりの可愛さに思わず膝から崩れ落ちる。聖夜に天使達から最高のクリスマスプレゼントを貰ってしまった。

 

「えっと……大丈夫?鼻血が出てるけど……」

 

「大丈夫……」

 

 楓さんからティッシュを受け取り、鼻に詰める。可愛いものを見て鼻血が出たのは初めてだ。

 

「喜んでもらえたようで何よりです」

 

「そうみたいね」

 

「最高だ……ありがとう……」

 

 詰めた鼻栓がすぐ真っ赤に染まっていく。絞れそうなほどに血を含んだティッシュを抜き、次のティッシュを詰める。可愛さに殺されるかもしれない。

 

「てか、久美子も着たんだね。似合ってないけど可愛いよ」

 

「貶すか褒めるかはっきりしろ」

 

「れんちゃん駄目ですよ、久美子ちゃんも女の子なんだから、『可愛いよ』だけでいいんです」

 

 琴音さんに指摘されてしまった。しかし、さすがに普段の雰囲気と合わなすぎる。可愛いが。

 

「なあなあ、もう食べていいのか!?」

 

 球子は既にテーブルの前に座り、箸を持っていた。今日の球子は髪を降ろしていて、見た目の雰囲気が少し違う。杏の球子を見る目も少し違う。

 

「ちょっと待ってね。写真撮りたいから皆寄ってほしい。後で杏と球子のご両親にも送ってあげよう」

 

 そして僕は、大量の写真をスマホに保存した。これもプリントしてアルバムに加えよう。

 

 

 

 

 食事も一段落してきた頃、僕は押し入れから大きな袋を取り出し、リビングに運んだ。

 

「何その大きな袋」

 

「今から皆にプレゼントを配ります!」

 

「プレゼント!?」

 

 身を乗り出す友奈や球子を手で制し、落ち着かせる。

 

「今から皆には目隠しをして袋に手を入れて、一人一つ取ってもらいます。ちなみにこのプレゼントは久美子に選んでもらったから、僕は中身を知りません」

 

「え、怖い」

 

「……それでも、タマは貰えるもんは貰う!」

 

「順番はじゃんけんでもして決めてね」

 

 

 

 そして一人目、まずは球子がアイマスクをつけて袋に手を入れる。そして取り出し、アイマスクを外す。

 

「お、腕時計だ!ちょうどアウトドアの時に使う腕時計が欲しかったんだ!しかも気温とかも分かるやつじゃん!」

 

「それはよかった」

 

「久美子さん、一応ちゃんと選んだんだね」

 

「蓮花の金で買ったからな」

 

 二人目に茉莉が袋に手を入れる。

 

「……何これ?薄くて大きい」

 

 そう言いながら取り出したそれは、色鉛筆の72色セットだった。

 

「お、ちょうどいいのを引いたな」

 

「……ありがとう、久美子さん」

 

「お前が私に礼を言うとは、明日は吹雪か?」

 

「それはそれでホワイトクリスマス」

 

 茉莉は色鉛筆のケースを抱え、嬉しそうに微笑んだ。

 そして次は若葉の番だ。若葉が袋から取り出したそれは、ショルダーバッグだった。シンプルなデザインが若葉に似合っている。

 

「ショルダーバッグか、これは使いやすいな」

 

「誰が引いても困らないプレゼントだね」

 

「今のところ、変な物は入ってないわね」

 

「さすがに大丈夫じゃないでしょうか」

 

 その後もプレゼントを引いていき、千景は音楽プレーヤー、ひなたはマフラー、杏はニット、友奈はスニーカーだった。

 

「最後まで変な物は特に無かったね」

 

「……袋の底を見てみろ」

 

「え?」

 

 言われた通りに見てみると、何か紙が底にあった。取り出してみると、そこには『烏丸先生の肩を揉む券』と書かれていた。

 

「えぇ……」

 

「誰か引かないかと思っていたが、誰も引かなかったな」

 

「後で僕が揉んであげるよ」

 

「ああ、頼む」

 

 年末ということもあり、どうやら烏丸先生はお疲れのようだった。

 

 

 

 

 パーティーも終わり、若葉達は自分の家に帰った。球子と杏も、今夜は若葉達の家に泊まることになった。

 現在、千景と友奈、茉莉は三人一緒に風呂に入っている。その間に僕は久美子の肩を揉んでいた。

 

「そういえば久美子さん。あのプレゼント、絶対1万5000円じゃ足りなかったよね?」

 

「ああ、足りない分は私が出した」

 

「いくら?僕が返すよ」

 

「構わない、気にするな」

 

 そう言う久美子の表情は僕からは見えない。

 

「あ、そうだ」

 

「ん?」

 

 肩揉みを中断し、押し入れの中に入れていたもう一つの袋を持ってリビングに戻る。

 

「はい久美子、クリスマスプレゼント。いつも出勤する時の格好が寒そうだったから」

 

 久美子が袋から取り出したそれは、ベージュのチェスターコートだ。スタイルのいい久美子はロングコートがよく似合うと思った。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして。君からの礼は珍しいな」

 

「私は別に礼儀知らずではないぞ」

 

「そっか」

 

 また久美子の後ろに座り、肩揉みを再開する。しかし久美子が段々と僕にもたれかかってくる。

 やがて、肩を揉むのは諦め、久美子を後ろから抱き締める形となった。

 

「クリスマスパーティーは楽しめた?」

 

「……ああ、悪くなかった」

 

 やはりその表情は後ろからでは見えないが、今は微笑んでいる気がした。




今日の郡家
 今日は久しぶりにゆうちゃんと千景ちゃんと一緒にお風呂に入った。千景ちゃんの発育を見て、ボクは敗北を感じた。
 次の日から、久美子さんは白衣ではなくロングコートを着て仕事に行くようになった。


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第49話 甘い感謝と妖艶な苦味

 夕食を終え、久美子はリビングで茉莉のテストの採点をしている。

 茉莉は定期的に、久美子が作ったテスト問題を解いている。成績がつくわけではないが、どの程度理解できているかわかるため、やった方がいいらしい。

 

「……」

 

「……黙って真面目にやってる久美子の顔良過ぎ……」

 

 長い睫毛に女性らしさを感じるが、その横顔はかっこいい。美しいというか、絵になるというか。

 暫くして、赤ペンを置いて伸びをする久美子。どうやら採点が終わったらしい。

 

「お疲れ、どうだった?」

 

「5教科平均78点。これなら次はもう少し難しくしてもいいな」

 

 久美子はマグカップに入ったホットコーヒーを飲み干して立ち上がった。そして隣の和室にあるタンスに着替えを取りに行く。

 

「やることやったから風呂に入ってくる」

 

「今は茉莉が入ってるよ?」

 

「いきなり突入して驚かせてやる」

 

「ええ……」

 

 久美子は嬉々とした表情で脱衣場に向かった。そしてすぐに、茉莉の悲鳴が聞こえた。本気で嫌がられていないだろうか。

 

 

 

 

 

「そういえば、もうすぐバレンタインだな」

 

 ホットコーヒーを入れ直し、ソファに座る僕の隣に座りスマホを見ていた久美子が唐突にそう言った。おそらく、季節柄そういう広告でも流れてきたのだろう。

 

「久美子の口から出るとは思わない言葉ランキング上位だよ」

 

「ちょっとわかる」

 

「何だそのランキング」

 

 読書をしていた茉莉も同意する。美形な久美子だが、どうしてかそういう事には縁が無さそうに感じるのだ。変人だからか。

 

「お前は千景から毎年貰うのか?」

 

「うん。若葉とひなたもくれるよ」

 

「お返しはどうしたんだ?」

 

「チョコのスイーツを人数分作った」

 

「ほう……」

 

 おそらく今年も、千景達はチョコをくれるだろう。そう信じたい。貰えなかったら夜に一人で泣くかもしれない。

 

「茉莉と久美子は誰かにチョコをあげたことあるの?」

 

「ボクは無いよ」

 

「あるわけないだろ」

 

「……そっか」

 

 あるわけないと来たか。僕は何と返せばいいかわからなくなった。

 いつものように久美子が僕の肩に頭を乗せると、少し湿り気を感じた。

 

「久美子、まだ髪が乾ききってないよ。ドライヤー持ってくる」

 

「すまん」

 

 立ち上がって脱衣場に置いているドライヤーと櫛を取りに行き、リビングのコンセントにプラグを差し込む。

 久美子の後ろに座り、櫛で髪を梳かしながら乾かす。茉莉の髪もとても長いので、よく僕か久美子がこうして乾かしている。

 

「いつも思うが、髪を乾かすの上手いな」

 

「しょっちゅう千景の髪を乾かしていたからね」

 

 千景の綺麗な髪質は僕が丁寧に乾かしてきたからできたものだ、と言うのはさすがに過言。

 僕の周りには綺麗な長い髪の子が多いなと、ふと思った。

 

 

 ──────────

 

 

「皆、ちょっといいかしら」

 

 朝のホームルーム前、私は皆に呼びかける。各々でそれぞれの話題が盛り上がっていた教室が、一旦静まりかえり、皆の視線が私に向く。

 

「どうかしましたか?」

 

「もうすぐ、バレンタインよ」

 

「そうだな」

 

「それで、皆にれんちゃんにチョコを渡すのか聞いておきたいのよ。事前に相談しておけば、渡すチョコが被るのを避けられるでしょう?」

 

 全員が渡すのかはわからないが、教室には六人、茉莉さんと久美子さんも合わせると八人になる。これだけいると、先に相談しておかないと同じようなものを渡すことになりかねない。

 

「私と若葉ちゃんは例年通り渡すつもりです」

 

「うむ」

 

「そうだと思ったわ」

 

 そして私達三人の視線は、残りの三人に向く。

 

「あんずはどうするんだ?」

 

「私は体調を崩した時に看病してもらったし、感謝も兼ねて渡そうかな」

 

「なるほど、感謝か。確かにタマ達、しょっちゅう蓮花さんの世話になってるもんな。タマチョコも進呈しよう」

 

 球子と杏は渡すらしい。そして最後、五人の視線がゆうちゃんに向けられる。

 

「ゆうちゃんは?」

 

「私は渡すよ!こういう機会でもないと、日頃の感謝を伝えることってあまり無いもんね」

 

「わかったわ。じゃあ全員渡すのね」

 

 渡すことは確認できた。後はどんなものを渡すかだが、いつ相談しようか。もうすぐホームルームのため、今は時間が無い。

 

「では、明日は土曜日ですし、明日の夜にお泊まり会をしませんか?その時に色々相談しましょう?」

 

「そうね」

 

「お泊まり会いいな!」

 

「お菓子とジュース持っていくね!」

 

 そんなわけでひとまず話を終えたところで、ちょうど烏丸先生が教室に入ってきた。

 

「……烏丸先生はどうするんだろうか」

 

「聞いてみたらいいんじゃないですか?烏丸先生」

 

「何だ?」

 

「烏丸先生はれんちゃんにチョコを渡すんですか?」

 

 ひなたの問いを聞いた烏丸先生は、顎に手を当てて少し考える様子を見せた。

 

「……まだ渡すかどうかは決めていない」

 

「久美子さん、感謝を伝えるって大事だよ」

 

「感謝か……」

 

 ゆうちゃんの言葉で揺れているようだ。別に私はどちらでも構わない。

 

「……まあ後で考えるとしよう。ホームルームを始めるぞ」

 

 話を区切り、烏丸先生はいくつかの連絡事項を簡潔に話す。時間割表ではホームルームの時間は十分あるが、いつも五分もかからない。それは今日も例外ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜、風呂上がりにスマホの通知を確認すると、珍しく茉莉さんからメッセージが届いていた。

 

『千景ちゃん、蓮花さんってチョコの甘さの好みとかある?』

 

 内容からして、どうやら茉莉さんもれんちゃんにチョコを渡すようだ。せっかくなら、明日のお泊まり会に茉莉さんも誘ってみるとしよう。

 

『チョコの好みはあまりわからないわ、れんちゃんは何を渡しても美味しいって言ってくれるから』

 

 返信すると、すぐに既読がついた。画面を開いたままにしているようだ。

 

『明日、丸亀城でお泊まり会をするのだけれど、茉莉さんも来てくれない?』

 

『ボクも行っていいの?』

 

『もちろん。というか、バレンタインの相談とかをするから、来てくれるほうが助かるわ。バレンタインの相談の事はれんちゃんには内緒ね』

 

『わかった。お泊まり会に行くってだけ蓮花さんに伝えておくね』

 

 そこで会話は終わった。そして髪をまだ乾かしていないことを思い出し、洗面所に戻った。

 おそらくお泊まり会は私の部屋ですることになるだろう。明日は昼間にクッキーでも焼いておこうかと、髪をドライヤーで乾かしながらぼんやりと考えた。

 

 

 ──────────

 

 

 翌日。丸亀城でお泊まり会をするということで、今日は家に茉莉はいない。

 

「……今何してるかなぁ」

 

「お前は行かなくてよかったのか?」

 

「行きたかったけど、女子会だからダメって言われたよ……」

 

「それはそうだ」

 

 鍋から豆腐を取りながら呆れた顔をする楓さん。今は楓さんと琴音さんも一緒に、四人で夕食を食べている。とても寒いので今夜は鍋だ。

 

「久美子は行かなくてよかったの?」

 

「私は呼ばれていない」

 

「……そっか。今夜は僕が傍にいるよ」

 

「いつもいるだろ」

 

 久美子にツッコまれながら箸でマ○ニーを取ろうとするが、茹ですぎたマ○ニーは取ろうとすると次々とちぎれていく。

 

「……お玉を使え」

 

「そうする」

 

 もう少し早く回収するべきだった。ボロボロになったマ○ニーをお玉で掬い、自分の取り皿に入れる。

 

「そういえば、久美子ちゃんはいくつなんですか?」

 

「24だ」

 

「私達が結婚した歳だな」

 

 ということは、若葉達がいつ生まれたのかは知らないが、楓さんと琴音さんは34か35辺りだろうか。そう考えると、久美子とは10歳程離れているのか。

 

「結婚早いね」

 

「確かに早いかもしれないな。だがお前はそろそろ結婚を考えたりしないのか?」

 

「え?僕が?」

 

「お前今26歳だろう?」

 

 僕が、26歳。ここに来てもうそんなに経ったのか。千景が小3から小6になったのだ、僕だって歳はとる。

 

「でも、僕は別にいいかな。少なくとも千景や友奈、茉莉がいつか誰かと結婚して家を出ていくまでは」

 

「最後まで一人で子供達が大人になるまで育てるのか?」

 

「そのつもり。今は久美子もいてくれるから色々助かってるけど、いつかは久美子も出ていくだろうし。そもそも僕には相手もいないしね」

 

「え?」

 

 琴音さんは目を丸くして、僕と久美子を交互に見る。

 

「あー……なるほど、これはそっとしておきましょう」

 

「ん?何だ?」

 

「いえいえ、何でもありません」

 

 琴音さんは有無を言わさぬ微笑みを久美子に向ける。どうやらこの話はここで終わりのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バレンタイン当日。訓練の時間が終了した後、僕は千景に呼び止められていた。

 

「れんちゃん、今から一緒に私の部屋に来て?」

 

「わかった」

 

 千景と共に寮の千景の部屋に入ると、千景は着替えを持って脱衣場に向かった。

 

「先にシャワーを浴びるから、ちょっと待ってて」

 

 スマホで茉莉に今夜の夕食は何がいいかと聞いてみたり、テレビを眺めたりしながら少し待つ。

 しばらくして脱衣場から出てきた千景は、体操服から部屋着に着替えていた。

 そして千景は冷蔵庫から何かを取り出し、それを僕に向けて差し出した。

 

「バレンタインのチョコ、どうぞ」

 

「ありがとう!」

 

 箱を受け取り、開ける前に千景を抱き締める。わざわざ毎年手作りのチョコをくれるこの子が愛おしい。千景からチョコを貰うのも今年で四度目。毎年少しずつ凝ったものになっていくが、今年は何だろう。

 

「開けていい?」

 

「ええ」

 

 箱を開けると、一つの大きなガトーショコラが入っていた。表面に粉砂糖が振りかけてあり、雪が降ったようだ。

 

「ガトーショコラか。今食べてもいい?」

 

「ええ。あ、ナイフで切り分けるわね」

 

 千景がキッチンにナイフとフォークを取りに行き、フォークを僕に渡してくれた。そしてナイフでガトーショコラを扇形に切り分ける。

 

「いただきます」

 

 切り分けられた一つにフォークを刺し、口に運ぶ。そのガトーショコラはとてもしっとり濃厚な味わいで、とても美味しかった。

 

「美味しい。どんどん上達するね」

 

「ここでも、時々料理はしているから」

 

「でも食事は食堂でできるでしょ?」

 

「お菓子を作ってあげると、ゆうちゃん達が喜んで食べてくれるの」

 

「そっか」

 

 一歳下の少女達に菓子を作ってあげているらしい。とても優しいお姉さんなようで、僕も嬉しい。

 ガトーショコラが美味しいせいでフォークが止まらず食べ進めていると、千景の部屋の扉がノックされた。そして入ってきたのは若葉達。

 

「あ、千景はもう渡したのか」

 

「れんちゃん、今年もどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 ひなたと若葉から小包を受け取る。これはクッキーやチョコブラウニーだろうか。

 

「タマチョコも進呈しよう!」

 

「わ、私からもどうぞ。前は看病ありがとうございました」

 

「れんちゃん、いつもありがとう!」

 

 球子、杏、友奈からもそれぞれのチョコを受け取る。まさか皆がくれるとは思わなかった。

 

「皆ありがとう……嬉しい……泣きそう……泣く」

 

「泣きそうから泣くって断定しちゃいましたね」

 

「ほらほら、泣かないの」

 

 泣きそうになっていたところを千景に抱き締められ、頭を撫でられる。いつの間にこんなに大人びていたのだろう。歳下の子達と毎日一緒に生活しているからだろうか。

 

「来月、楽しみにしててね。お返し、頑張って作るから。パティシエ顔負けの美味しいスイーツ」

 

「子供の手作りチョコのお返しが凄すぎる」

 

 その後、少女達は自分達で作ったチョコや買ってきたお菓子、ジュース等でお茶会を始めた。僕もそこで、皆から貰ったチョコを全て食べて帰ることにした。

 

 そして日が傾き始めた頃、帰り支度を始める。

 

「もう帰るの?」

 

「ああ。スーパーに行って買い物して、晩ご飯の準備しないといけないから」

 

「そう」

 

 膝の上に乗っている友奈を降ろして立ち上がる。本当は降ろしたくないが、帰らないといけないので仕方ない。寂しげな表情を見せる千景を抱き締め、頬にキスをする。

 

「じゃあ皆、また明日ね」

 

 丸亀城を出て、スーパーに向かう道を歩く。茉莉にリクエストされた料理に必要な食材を含む、数日分の食料品を買う為に。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい、蓮花さん」

 

 玄関に出迎えに来てくれた茉莉が、僕の両手に持つ買い物袋を一つ持ってキッチンに運んでくれる。良い子だ。

 靴を脱いでキッチンに向かうと、茉莉がラップがかけられた皿を持っていた。その皿に乗っているのはどう見ても生チョコだ。

 

「蓮花さん、えっと、バレンタインのチョコ、どうぞ。生チョコを作ってみました」

 

「ありがとう。もしかして一人で作ったの?」

 

「はい。何回か失敗して作り直したけど……」

 

 半年弱前はおにぎりくらいなら作れると言っていた子が、一人で生チョコを作ったのか。成長を感じて嬉しくなる。思わず抱き締めて頭を撫でる。

 

「わっ……えっと、食後のおやつにでも、どうぞ」

 

「ああ、そうするよ」

 

 一旦生チョコを冷蔵庫に入れ、買ってきた食材も冷蔵庫に入れていく。

 

「それじゃ、今日の晩ご飯作ろうか」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「おかえり。今日は遅かったね」

 

「ちょっとな」

 

 今日は久美子の帰りが遅く、既に夕食を食べ始めている。今夜はすき焼きだ。

 久美子がコートを脱いでハンガーに掛けている間に、久美子の茶碗に白米をよそい、湯呑みに温かい緑茶を入れる。

 

「寒かったでしょ。あったかいお茶どうぞ」

 

「ん、ありがとう」

 

 席につき、緑茶を飲む久美子。僕は鍋に白菜や肉を足していく。

 

「で、茉莉からはどんなチョコを貰ったんだ?」

 

「え!?なんでボクがチョコをあげたの知ってるの!?」

 

「この前丸亀城のお泊まり会に行ったのはそういうことだろ?」

 

「そうだったのか……久美子は何でもお見通しだな」

 

「むしろ気づかなかったのか?」

 

「普通に仲良く女子会してるだけだと思ってた」

 

 しかし言われてみれば確かに。なぜ気づかなかったのだろう。

 

「茉莉からは生チョコを貰ったよ。一人で作ったんだって」

 

「ほう、成長したな」

 

 身近な子供の成長はとても嬉しいものであると、改めて実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茉莉はもう寝たけど、久美子はまだ寝ないの?」

 

「ああ」

 

 寝室で茉莉が眠ったことを確認してリビングに戻ると、久美子はまだテーブルに向かって作業をしている。

 

「何してるの?」

 

「テストの問題を作っている。そろそろ学年末の総復習テストをやって、成績をつける必要があるから」

 

「なるほど」

 

 烏丸先生はちょっと変わったところはあるが、生徒の為を思って頑張る良い人だ。

 

「……あ、そうだ。意地の悪い問題を考えるのに熱中して忘れていた」

 

「普通の問題にしてあげて……」

 

 思わず一瞬で考えを否定しそうになる。

 久美子は立ち上がると冷蔵庫に向かい、何かを取り出して戻ってきた。

 

「ほら、ハッピーバレンタイン」

 

「ん?これは……」

 

 差し出されたものを受け取ると、それはブランドチョコの箱だった。箱から既にちょっと高そうなのがわかる。

 

「手作りする時間はなかったから、買ってきた」

 

「もしかして今日の帰りが遅かったのは、これを買いに行ってきたから?」

 

「ああ。お前はコーヒーを飲む時にあまり砂糖を入れないから、苦いほうが好きなのかと思ってビターチョコにしたが、合っているか?」

 

「……ありがとう。僕のことをよく見てくれているんだね」

 

 箱を開けてチョコを一つ口に入れる。今日は甘いチョコをたくさん食べたのもあり、ビターチョコがさらに美味しく感じる。

 

「美味しい。お返しは楽しみにしててね」

 

「ああ。来月が楽しみだ」

 

「久美子も一つ食べてみる?あーん」

 

「あ、あー……ん、美味いな」

 

 チョコを一つつまんで久美子に差し出すと、指ごと口に含まれる。指を抜こうにも放してくれず、チョコと共に指も少し舐められる。

 ようやく指を抜くと、指に付いていたチョコが久美子の唇に付いてしまった。それを舐め取る久美子はどこか妖艶で、僕の理性を刺激する。これが大人の女性の魅力か。

 ビターチョコの深い味わいを二人で感じながら、夜は更けていった。




今日の郡家
 久美子さんが帰ってきた後、こっそり冷蔵庫に何かを入れたのをボクは見逃さなかった。きっとあれはチョコレートだ。
 しかし、何時になっても久美子さんは蓮花さんにチョコレートを渡す気配が無い。仕方ないので、二人きりにしてあげるためにボクは早めに寝ることにした。
 久美子さんにも色々お世話になっているから、そのお返しだ。


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第49.5話 刺激的な夜

茉莉がお泊まり会に行って家にいない夜の話です。
なのでほぼ蓮花と久美子しか出てきません。


「……寒」

 

 2月の夜は、おそらく一年で一番寒い時だろう。早々に洗濯物を取り入れてリビングに戻る。

 久美子はソファに座り、退屈そうにテレビを眺めている。

 隣に座って洗濯物を畳み出すと、久美子も自然と手伝ってくれる。

 

「暇?」

 

「暇」

 

「今日は茉莉もいないし、これを畳み終えたら一緒に酒飲む?」

 

「そうだな」

 

 心做しか久美子の畳むスピードが上がった気がした。

 

 

 

 風呂に湯をはる準備をしてから、一つの缶を開け、二つのグラスに注ぐ。しっかりと飲酒をすることはあまり無いが、今夜はいいだろう。

 

「ねぇ、久美子」

 

「ん?」

 

「君は、小さい頃に将来の夢とかあった?」

 

 グラスを傾けながら、久美子は過去を思い出しているようだ。どんな子供だったのだろう。親によく迷惑をかけていそうだ。

 

「無かったな。なんとなくそれなりに勉強して、学力にあった高校に進学して、周りが進学したから私も大学に進学して。途中に色々あったが、よくいる一般人の人生だ」

 

「多分、途中にあった色々が一般的じゃないんだろうね」

 

 大事なところを『色々』で片付けたような気がする。

 

「お前はあったのか?」

 

「昔は無かった。今は、皆が幸せになってくれることが僕の夢、かな」

 

「世界平和か?」

 

「そういうのじゃないよ。僕の大切な人が幸せになってくれればそれでいい。千景達や、茉莉に、久美子。見ず知らずの他人の幸福を願えるほど聖人じゃないさ」

 

 こういう考え方は茉莉に近いだろうか。大多数の『普通』の人間の感性だろう。そして勇者達は、知らない人の幸福も願える子達だ。

 

「久美子の思う幸せはちょっと難しいのかもしれないけど、自分と他人を傷つけない形で幸せになってほしいな」

 

「自分と他人を傷つけない、か」

 

 久美子はもう慣れたように、僕の左肩に頭を乗せる。左手で髪を撫でると、少し甘えるように身を寄せてくる。酔っている場合を除いて、こんな仕草は二人きりの時にしか見せてくれない。

 

「今の生活はどう?幸せ?」

 

「……まあ、そこそこだな。もう少し刺激が欲しいところではあるが、悪くはない」

 

「そっか。……刺激かぁ……」

 

 僕の体質は酔いやすく、醒めやすい。既に酒が回り理性の緩んだ頭で考える。

 

「……今夜は二人きりだし、刺激的な夜を過ごしてみるか?なんてね」

 

「……」

 

 右手に持っていたグラスをテーブルに置き、空いた右手を久美子の頬に添えながらそう言うと、久美子は赤くなった顔を逸らした。

 愛らしく思いながらも、頬に添えた手を離す。

 

「まあそれはさておき、来月で千景が小学校卒業だね」

 

「さておくのか……そうだな、教室で卒業式をやるつもりだ。式辞とか面倒なことは省いて、卒業証書を授与するだけだが」

 

「それでいいよ、ありがとう」

 

 久美子が千景の卒業について考えていてくれたことに嬉しく思う。そして久美子の刺激になるかわからないが、前から考えていたことを話す。

 

「皆が春休みに入ったら、千景の卒業旅行と称して皆で旅行をしようと思うんだ。久美子はどう?」

 

「行こう。担任教師が一緒だと、修学旅行みたいだが。行き先は?」

 

「まだ決めてないけど、四国内に限定されるな。今度皆で相談しようと思う」

 

 どこに行こうかぼんやりと考えていると、風呂が沸いた音が聞こえた。

 

「久美子、一番風呂どうぞ」

 

「ん」

 

 グラスを置き、着替えを持って脱衣場に向かう久美子を見送る。

 千景達は今、何をしているだろうか。一人で待つのはやはり退屈だ。千景の声も聞きたいし、久美子が風呂から上がってくるまで、千景に電話して聞いてみよう。

 スマホを開き、発信ボタンをタップする。するとすぐに電話は繋がり、千景の声が聞こえた。

 

『もしもし、どうしたの?』

 

「千景、そっちは今何してる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 入浴を終え、酒を飲みながらなんとなく時間を過ごして就寝の準備をして布団に入る。

 寝ている時に暖房をつけていると起きた時に喉を痛めるため、暖房は消したが、真冬の夜はやはり寒い。

 

「……寒いな」

 

「大丈夫?こっち来る?」

 

 少し横に寄って場所を開け、久美子に向かって掛け布団を腕で上げると、ゆったりと僕の布団に入ってくる。

 普段は茉莉がいるため、茉莉の前でこういうことはあまりしないが、今夜はいいだろう。寒いし。身を寄せ合って暖まるのだ。

 少し冷たい久美子の手を握る。

 

「どう?暖かい?」

 

「ああ。だが……足も冷たいな」

 

 そう言って久美子は自分の脚を僕の脚に絡ませる。確かに久美子の足先は冷たく、僕の足先も冷えている。

 

「そういえば、久美子が風呂に入ってる時に千景に電話したんだけどさ。クッキーの最後の一枚を賭けてゲーム大会してるって言ってたよ」

 

 電話の向こうでは、ゲーム音と少女達の騒ぐ声がよく聞こえていた。楽しそうでなによりだ。

 

「楽しそうだな」

 

「久美子も行きたかった?」

 

「……いや、別に構わない」

 

 握っていた手を、久美子が指を交互に絡ませる。所謂恋人繋ぎというやつだ。

 

「お前と二人で静かに過ごすのも、悪くない」

 

 茉莉がいても大人しくて静かだから、いつもと大して変わらないのでは。なんて思ったが、黙っておこう。

 

「……君達が一緒に暮らし始めて、もう半年も過ぎたんだね」

 

「もうそんなに経つのか。……お前は私をどう思っているんだ?」

 

「どうした急に」

 

「私の感性に、共感はできずとも理解は示してくれたのはお前が初めてだからな。どんな風に思われているのか気になったんだ」

 

 なるほど。確かに、多くの人は茉莉のように、混沌を望む久美子の感性を否定したがるだろう。

 久美子の瞳は真っ直ぐに僕を捉える。僕が久美子をどう思っているか。

 

「そうだなぁ。……僕は久美子が好きだよ」

 

「……は?突然の告白か?」

 

「家族に対して、大切に思っているよって伝えただけだよ」

 

「お前が好きなのは千景じゃないのか?」

 

「家族を一人しか愛しちゃいけない、なんてことはないだろう?皆大好きだよ」

 

「そういう意味か……」

 

 そういえば、久美子に好きだと伝えるのは初めてか。千景にはよく言っているが。想いはちゃんと言葉にしたほうが伝わるし、他の子にも言ったほうがいいだろうか。

 しかし、成人男性が子供達に好きだと言って回るのは、危ない光景かもしれない。やはりやめておこう。

 

「逆に、久美子は僕をどう思ってるの?」

 

「ん?……あー、そうだな……」

 

 同じ問いを返すと、久美子は目を逸らして言い淀む。ならばどうやっても目が合う距離まで近づこうと、繋いでいた手を放して久美子を抱き寄せる。鼻が触れるほどに近づけば、久美子がどの方向に視線を向けても目が合う。

 

「僕はちゃんと答えたから、久美子にも答えてもらおうか。……抱き締めてるほうが全身が暖かいな」

 

「……私も、お前のことを大切に思っているよ」

 

 二人の体の間にあった久美子の両腕が、僕の背中に回され、抱き返してくれる。

 

「……ありがとう。久美子の口からそんな言葉を聞ける日が来るとは」

 

「私の内面を知ってなお、私の幸せを願ってくれたのは、蓮花が初めてだから」

 

 相手が言葉を発する度、その吐息を感じる。

 少しでも動けば唇が触れてしまいそうな距離で見つめ合う。

 久美子の背中に回した腕で、久美子の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。

 

「……緊張してる?」

 

「当然だろう……」

 

 それでも久美子は、僕の背中に回した腕を放さない。一夜の過ちを犯してしまいそうな雰囲気だ。

 久美子は無言で僕の目を見つめ続け、やがて何かを待つように、その目を閉じた。

 

 

 僕でいいのか、なんて聞くのは野暮だろう。こんな状況では僕でもさすがにわかってしまう。

 久美子は、僕を求めている。

 

 

「……君がそれを望むなら」

 

 

 もう少しだけ久美子を強く抱き寄せ、顔を近づける。そして重ねた唇は、とても柔らかかった。

 互いの舌を絡ませ、唾液を交換する。キスは直前に口にしていたものの味がするとよく聞くが、久美子とのキスは先程まで二人で飲んでいた酒の味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。目を覚ますと、久美子はまだ僕の腕の中で眠っていた。

 起こさないように身を起こし、久美子の頬にキスをして立ち上がる。

 洗面所で顔を洗い、いつものように朝食を作っていると、珍しいことに起こさずとも久美子が自分で起きてきた。

 まだ半開きの寝惚け眼で僕を視認すると、久美子は顔を逸らした。

 

「おはよう。昨日はよく眠れた?」

 

「……眠れるわけがないだろ」

 

「そっか」

 

 今は茉莉がいないので二人分の朝食を用意し、リビングのテーブルに運ぶ。既に久美子はテーブルの前に座っている。

 

「冗談のつもりで言ったけど、意図せず刺激的な夜になったね」

 

「……私はファーストキスだったんだが。しかも初めてがディープキスとは……」

 

「どうだった?」

 

「……悪くなかった」

 

「そうか」

 

 向かい合って座ると久美子が顔を逸らすため、久美子の隣に座って朝食を食べ始める。昨夜のことで、久美子の退屈が少しでも満たされていたらいいなと、その横顔を見ながら思った。




今日の郡家
 お泊まり会の翌日、家に帰ると、蓮花さんと久美子さんの距離感が普段よりも少し近いような気がした。


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第50話 成長と節目

 朝食後、僕と茉莉がポケーっと眺める中、久美子はスーツに身を包む。スカートではなくパンツスタイルだ。

 

「……はぁぁぁ……久美子にスーツ似合う……かっこいい……」

 

「久美子さん、どうしてスーツを着てるの?」

 

「私の初めての教え子の卒業だからな。思い出にも、写真にも残るだろうし」

 

 久美子は千景達生徒のことを、かなり気に入っているようだ。

 普段はラフな格好をしているクール系美女が正装をすると、こんなに威力があるのかと、僕は膝から崩れ落ちる。

 

「えっと、蓮花さん大丈夫?」

 

「大丈夫……。久美子、家を出る前に写真を何枚か撮ってもいいだろうか?」

 

「は?写真?……まあ構わないが」

 

「ありがとう」

 

 すぐに自分のスマホを手に取り、カメラアプリを開く。カメラを久美子に向けてピントを合わせ、シャッターボタンを長押しする。そして鳴り続けるシャッター音。

 

「ん、連写か?」

 

「後で何枚かに厳選する」

 

「そうか」

 

 僕のスマホのシャッター音が止むと、久美子はスーツの上にコートを着る。久美子は通勤する際、クリスマスにプレゼントしたチェスターコートを毎日着てくれている。プレゼントした甲斐があったというものだ。

 ちなみに白衣を着なくなったわけではなく、持って行って屋内では白衣を着ているらしい。時折洗濯に出されている。

 荷物を持ち玄関に向かう久美子を見送る為、僕も一緒に玄関に行く。

 

「行ってらっしゃい。また後でね」

 

「ああ、行ってきます」

 

 扉を開いた瞬間、部屋の中に吹き込む風に長い黒髪を揺られながら久美子は家を出た。

 僕はキッチンに戻って朝食の食器をササッと洗い、乾燥機に入れる。

 

「さて、僕等も家を出る準備をしようか」

 

「はい」

 

 服は既に着替えてあるので、三脚等を準備する。

 今日は、千景の小学生の卒業式だ。どれだけ泣いてもいいように、ハンカチは五枚ほど持っておこう。

 

 

 ──────────

 

 

 いつものように制服を着て、食堂に向かい皆と共に朝食をとる。そして食べ終わると、揃って教室に移動する。

 今日は荷物は必要ないと言われているので手ぶらだ。また烏丸先生の思いつきで何かやらされるのだろうか。

 

「今日はなんなんでしょうね」

 

「ちょっとわくわくするな!」

 

 教室に入り、それぞれの席に着く。教室の窓から見える桜の木は蕾が膨らんでおり、もうすぐ咲きそうだ。

 

 

 

 

「烏丸先生遅いね」

 

「珍しいわね」

 

 いつものホームルームの時間になっても、教室に烏丸先生は現れない。

 不思議に思っていると、教室の前ではなく後ろの扉が開かれた。そしてそこから、れんちゃん、茉莉さん、楓さん、琴音さんが入ってきた。

 

「おはよう皆」

 

「え?どういうこと?」

 

「今日は授業参観とかか?」

 

「違うよ」

 

 若葉の問いに返答しながら、れんちゃんは三脚を組み立て、そこにスマホを設置する。

 呆気にとられていると、今度は教室の前の扉が開かれ、今度こそ烏丸先生が姿を現した。

 

「え?なんでスーツ?」

 

「似合いますね」

 

「れんちゃんが好きそうね」

 

 スーツ姿で教室に現れた烏丸先生は、教壇に立ち教室を見回した。

 

「静かに。今から、千景の卒業式を挙行する」

 

「……え?私の卒業式?」

 

「わぁ!」

 

 改めて教室を見回すと、普段よりも明らかに花瓶が多い。教室を簡易的に卒業式の会場にしているのか。

 

「とは言っても、式辞とかは読まん。私も面倒だし、それを聞くお前達もつまらないだろう」

 

「それな」

 

「だから、卒業証書の授与だけやろうと思う」

 

 そう言って、烏丸先生は一枚の紙を取り出した。

 

「郡千景!」

 

「は、はい!」

 

「前へ」

 

 急に名前を呼ばれて返事をし、立ち上がって教室の前に進む。

 烏丸先生が横に向いたので、私は教壇に上がり烏丸先生と向かい合う。

 

 

 

「卒業証書。郡千景。平成16年2月3日生」

 

 手に持った卒業証書を読み上げていく烏丸先生。普段の気だるげな様子は一切無く、真剣に読んでいる。

 その声に、教室内も静まり返り厳かな雰囲気を作り出す。

 

「小学校の全課程を修了したことを証する。平成28年3月18日。烏丸久美子」

 

 読み終え、差し出された卒業証書を両手で受け取る。

 

「卒業おめでとう、千景」

 

「……ありがとうございます」

 

「中学生になると勉強も難しくなるが、お前なら大丈夫だろう。頑張れよ」

 

「はい」

 

 烏丸先生に渡された筒を受け取り、卒業証書を細く丸めて入れる。

 後ろを見ると、れんちゃんはぼろぼろに泣いていた。目元をハンカチで押さえ続けている。

 

「行ってやれ」

 

 烏丸先生に促され、教壇を降りてれんちゃんの元へ歩く。涙が止まらないれんちゃんは、次のハンカチを鞄から取り出す。

 

 

 

「小学校、卒業したよ。れんちゃん」

 

「ゔん……ゔん……卒業おめでとう、千景……」

 

 涙声のれんちゃんを抱き締めると、れんちゃんはハンカチを手放して両手で私を抱き締めてくれた。

 

「大きくなったね……凄く嬉しい……」

 

「うん……あなたのおかげよ、いつもありがとう」

 

「こちらこそ……元気に育ってくれて、ありがとう……」

 

 強く抱き締めてくれるれんちゃんを、私も力いっぱい抱き締める。

 卒業したといっても、学校やクラスメイトが変わるわけではないけれど。それでも、節目というのは大切だと思うのだ。こんな風に、思い出になるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度解散し、各自着替えてから再び集まり、今は焼肉店に来ている。

 さすがに全員で一席は狭いので、私の家族で一席、若葉達と杏、球子で一席で案内された。隣同士なので不便はない。

 

「肉を焼くのはタマに任せタマえ」

 

「お願いします、球子さん」

 

 向こうでは球子が肉を焼き、こちらはれんちゃんが焼いてくれている。時々久美子さんが食べたいものを勝手に網に乗せている。

 

「泣きすぎて水分が足りない……」

 

「ほら、水」

 

「ありがとう。てか久美子はビールを飲んでいるのか」

 

 れんちゃんが冷水を飲んでいる中、久美子さんはいい飲みっぷりを見せる。どうやら今日は羽目を外すようだ。

 

「そういえばれんちゃん、目の下が凄く赤くなっていたけど、もう治ったの?」

 

「いや、そんなすぐには治らないよ。琴音さんにファンデーションを貸してもらって隠してる」

 

「なるほどね」

 

「あんなに泣いた蓮花さんは初めて見たよ。家に帰ってから、ハンカチを四枚くらい洗濯機に入れてたし」

 

「え、そんなに使ったの?」

 

「ああ。どんどん涙でびしょびしょになっちゃってね」

 

 れんちゃんは今日だけで数年分の涙を流したんじゃないだろうか。

 

「お前枯れるんじゃないか?」

 

「ブフッ……すみません若葉さん、すぐ拭きます」

「ああ」

 

「だから今いっぱい水を飲んでる」

 

 酔い始めた久美子さんのツッコミで、杏が飲んでいたものを吹き出し、それを若葉が受けたようだ。似たような状況を私は知っている気がする。

 

「どうする千景、中学の入学式もやってもう一回泣かせるか?」

 

「本当に枯れかねないからやめておきましょう」

 

「大丈夫だ、こいつが枯れるのは数十年後だろう」

 

「ブフォッ……本当にごめんなさい若葉さん、すぐに新しい拭くもの貰ってきます」

「あ、ああ」

 

 また杏が吹き出して若葉が受けたようだ。『ブフォッ』て。女の子の口から出していい音ではない。

 何がそんなに面白いのだろうか。今度杏に聞いてみよう。

 

「千景、この肉そろそろいけるよ」

 

「ありがとう」

 

 焼けた肉をタレにつけて口に運ぶ。簡単に噛み切れるほど柔らかい肉を咀嚼すると、自然と白米も進む。

 

「そういえば子供の頃、焼肉のタレを米にかけて食べまくってたな」

 

「焼肉のタレってご飯が進むよね!」

 

 そう言いながら肉につけたタレをご飯に塗るゆうちゃんは、どんどんご飯を食べ進める。せっかくの焼肉なのに、米でお腹がいっぱいにならないのだろうか。

 

「美味しい?」

 

「うん!」

 

 そんな事を思ったが、口いっぱいにご飯を頬張るゆうちゃんの笑顔を見ていると、まぁいいかと思った。可愛い。

 

「食べたいものがあれば言ってね、いくらでも注文するから」

 

「ウインナー!」

 

「とうもろこしも食べたい」

 

「このステーキもいいわね」

 

「生をもう一杯」

 

「はいはい、注文するね」

 

 

 

 

 

 

 会計の際、大人達の目は笑っていなかった。

 

 

 ──────────

 

 

 翌日、ひなたの定期的な報告や会議の為に、僕とひなたは大社を訪れていた。

 

「じゃあひな、また後でね」

 

「はい」

 

 巫女達のいる区画でひなたを見送る。すぐに真鈴や美佳を見つけて駆け寄っていくのを見てから、僕も自分の用事を済ませるために歩き出す。

 向かう先は、いつものお偉方の神官達がいる部屋だ。

 

「失礼します」

 

 扉をノックし、開いて中に入ると、そこにいつもの初老の神官達はいた。

 僕を視認した瞬間、神官達は驚き動きも表情も固くなる。

 

「こ、郡様!?」

 

「すぐにお茶を御用意しろ!」

 

「あ、大丈夫です。そんなに長居はしないので」

 

 茶を出す指示を受けて動き出そうとした神官を止め、他の神官に促されるままソファに座る。

 

「本日は、どのようなご用件でしょうか」

 

「せっかく大社に来たから、工事の進捗を聞いておこうと思って」

 

 僕と向かい合って座る神官達に、今日の用件を伝える。僕は半年前に頼んでいた、四国外で生き残っている人々を避難させるための集合住宅の建設、その進捗を聞きに来たのだ。

 そもそもこの建設を頼んだ理由は、避難してきた人々のその後の生活を助けるためだ。避難してきたところで、住むところが無ければ避難所に行くしかない。しかし避難所も永遠にそのままというわけにはいかない。

 ただでさえ今も四国内には多くの避難所があり、そこで多くの避難民が生活している。それをまた増やしても、問題を先送りにするだけだ。

 

 一人の神官が書類の束を手元に用意し、それを読んで発言する。

 

「現状の進捗は、全体から見て三割を超えた辺りです。集合住宅の建設に加え、そこに避難してきた人々に配給する食料や生活物資の用意も含め、全て完遂するのは来年の春頃になると思われます」

 

「なるほど、来年の春か……ちょうどいい。なら、それが終わったらすぐに避難をさせる」

 

 夏や冬では、長距離の移動をするには人々の体調面で難しいが、春や秋なら気温も落ち着いているだろう。

 元々、工事がいつ終了しても春か秋に避難させる予定ではあった。

 

「じゃあ用は済んだので、僕は帰ります」

 

「お気を付けてお帰りくださいませ」

 

 僕がソファから立ち上がると、扉の近くに立っていた神官が扉を開けてくれた。

 僕はその部屋を出て、一度ひなたのところへ向かおうと思ったが、今は滝行中で、男はそこに入れないはずだ。

 

「……コンビニでも行って時間潰すか。ついでに何かおやつでも買ってきてあげよう」

 

 とりあえず大社を出て、僕はコンビニに向かうことにした。

 次の勇者通信の時に、迎えに行く時期を歌野に伝えておこう。




今日の郡家
 卒業式の日の夜、千景ちゃん達は家に帰ってきて皆で寝た。
 少し夜更かしして、皆でリビングでゲームをしたり。
 蓮花さんは千景ちゃんの卒業証書を額に入れて、本当に嬉しそうに眺めていた。

おまけ スーツ久美子さん

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第51話 思い出とカワウソ

基本的に深夜に書いてるので、時々深夜テンションで変なこと書いてるかも。


 千景の卒業から約一週間後、僕達は卒業旅行と称して、旅行先である高知県に電車で向かっていた。

 幸運にも車内は空いており、子供達と久美子の八人は座席に座ることができた。僕と楓さん、琴音さんはその横に立っている。

 ちなみに座席は、千景・茉莉と友奈・久美子、球子・杏と若葉・ひなたが向かい合って座っている。

 

「あんず、きのこの里食べるか?」

 

「ありがとうタマっち先輩」

 

「若葉も食べるか?」

 

 球子が用意してきた菓子を鞄から取り出して杏に分け、ついでに正面に座る若葉にも差し出して尋ねる。しかし、若葉はそれを受け取らなかった。

 

「すまない球子。気持ちは嬉しいが、私はたけのこ派だ」

 

「な、なんだと!?お前はたけのこ派だったのか!?」

 

「私もたけのこ派です」

 

「ひなたさんも!?」

 

 きのこ派かたけのこ派か。いつの時代もこの二つが相容れることはない。今ここに、一つの争いの火種が生まれようとしていた。

 

「お前ら、一応公共の場なんだから騒ぐな」

 

「はーい」

 

「すみません……」

 

 争いの火種は、担任教師によって即座に鎮火された。

 一方うちの子達は、千景が鞄からクッキーを取り出した。

 

「ゆうちゃん、茉莉さん。クッキーを焼いて持ってきたけど、食べる?」

 

「食べる!」

 

「ありがとう千景ちゃん」

 

 千景、友奈、茉莉が三人でクッキーを食べ始める。その様子を見て、久美子がひたすらに千景を見つめていた。

 

「私の分は無いのか?」

 

「久美子さんの分は計算に入れてないけれど」

 

「……そうか」

 

 軽く落ち込んだ様子を見せる久美子。とりあえず、頭を撫でておいた。

 

「蓮花……千景が冷たい」

 

「おーよしよし、代わりに僕がまた今度何か作ってあげるよ」

 

「ん」

 

 しばらく、触り心地の良い髪を撫で続けておくことにした。

 

 

 

 

 

 目的の駅に到着し、僕達は順に電車を降りていく。

 

「タマ、高知は初めて来た!」

 

「私も!」

 

 ずっとテンションが高い球子や友奈は其処等中を見渡している。

 楓さん達に先導されて皆が駅を出て歩いていく中、一番後ろを歩く僕は、千景の歩みが少しずつ遅くなっていることに気がついた。

 隣に立ってその顔を見ると、楽しみ半分、不安半分といった表情をしている。

 

「大丈夫だよ、千景。あの村からは離れてるし、僕もいるし皆もいる。楽しもう」

 

「……ええ!」

 

 千景の手を引いて歩き出す。千景は前進する。ここには、千景の笑顔を妨げるものなど存在しない。

 

 

 ──────────

 

 

 私達はまず、高知県の観光スポットの一つである龍河洞にやってきた。

 入口には龍河洞観光センターがあり、そこから龍河洞までの道には商店街がある。高知の名物が並ぶ土産店や土佐打刃物の専門店、手打ちそば屋やカフェ等、様々な店が並んでいる。

 

「今買うと龍河洞に入る時に邪魔になるから、後で見て回ろうか」

 

「そうね」

 

 店を見て回るのは後にし、私達は真っ直ぐ龍河洞に向かった。

 日本三大鍾乳洞の一つである龍河洞、その入口に到着し、チケットを買って入場する。

 卒業式はしたが、今月末まで私は小学生料金だ。

 洞窟に入り遊歩道を歩いていくと、見たことの無い光景がそこにあった。

 

「これは…凄いな」

 

「不思議な造形ですねぇ」

 

「なんか、冒険してるみたいでワクワクするな!」

 

 不規則な形の石の壁が広がる空間もあれば、規則的な形をした石柱が上下に伸びている空間もある。

 そして奥には、とても長い滝があった。鍾乳石を照らす青い照明が流水に反射され、幻想的な光景だった。

 

「凄い……綺麗って表現で合っているかわからないけれど……」

 

 不思議な光景に言葉を無くす者、スマホを取り出して写真を撮る者様々だ。

 

「……久美子さん?」

 

「……なんだ?」

 

「いや、初めて見るくらい真剣な目で見てたから」

 

「鍾乳洞というのは知っていたが、直接見るのは初めてでな。正直、少し興奮している」

 

 普段はよく退屈だのなんだの言っている久美子さんが、こんなに興味を示すのは珍しい。普通に生活していては見ることの無い光景に、非日常を感じたのだろうか。

 

「これが自然の神秘か……」

 

 その様子が面白かったのか、何人かは鍾乳石ではなく、鍾乳石を見る久美子さんを撮り始めた。

 

 

 ──────────

 

 

 龍河洞を出ると、次は桂浜にやってきた。坂本龍馬の銅像が立っている場所だ。

 ここも観光スポットなだけあって、土産店がいくつも並んでいる。

 そして桂浜の浜辺には桂浜水族館がある。子供達には、観光地よりもこういった所のほうが楽しめるだろう。

 

 奥に進んでいくと、コツメカワウソのコーナーがあった。

 

「きゃぁ〜可愛い〜!」

 

「写真撮りましょう杏さん!」

 

 

「うおっ、こっちにはカピバラがいるぞ!」

 

「カピバラって水族動物だったのか……」

 

 子供達は可愛い動物に夢中なようだ。その様子を僕達は後ろで見守っている。

 

「……千景ってさ」

 

「ん?」

 

「可愛いよね」

 

「そうだな」

 

「てか勇者も巫女も皆可愛いよね。なんだ?神樹は面食いロリコンか?」

 

「お前バチが当たるぞ」

 

 しばらくカワウソとカピバラを見て楽しんだ後、さらに進むとお土産コーナーがあった。そしてそこは、大きな棚から大量のカワウソのぬいぐるみが顔を出していた。

 

「さすがにこんなにいると気持ち悪いな……」

 

「くじ引きで貰えるんだって。誰か引いてみる?」

 

「私やりたい!」

 

 勢いよく手を挙げた友奈がくじを引いてみる。

 

「……え!?1等!?やったぁ!!」

 

「おめでとうゆうちゃん!」

 

 そして店員から渡された1等の景品は、90cmのカワウソのぬいぐるみ。

 

「でけぇ」

 

「でかいな」

 

「頑張って持って帰れよ」

 

「うん!」

 

 そして、どうやらこのカワウソくじは外れが無く、大きさに違いはあるが絶対にカワウソのぬいぐるみが貰えるらしい。

 それを知った少女達は皆くじを引き、それぞれのカワウソを手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 高知市の旅館にて、入浴を済ませた後に豪勢な夕食を頂き、今は部屋でのんびり過ごしている。

 

「カツオ、美味しかったですねぇ」

 

「うむ」

 

「明日の朝ご飯も楽しみですね」

 

 既に部屋には布団が敷いてあり、友奈が大きなカワウソを抱き締めてゴロゴロしている。可愛いので写真を撮っておこう。

 最近また画像フォルダが溜まってきている。今少し整理しようと思い、広縁の椅子に腰を下ろしてアルバムアプリを開く。

 

「何をしているんだ?」

 

「写真を整理してるんだ」

 

 正面の椅子に座る楓さん。その手には酒を持っている。

 

「楓さんって酒飲むの?」

 

「たまにな。お前の家ではよく酒の缶を見かけるが、最近よく飲むのか?」

 

「飲むのは久美子だよ。時々一緒に飲んでるけど」

 

 その久美子は今は飲んでいない。……しかし途中で寄った店で買っていた気がする。

 

「せっかく子供達といるのだから、写真の整理は後にして、皆と遊んではどうだ?」

 

「……そうだね。これは家でやろう」

 

 スマホの画面を消して椅子から立ち上がる。

 

「よし。皆、ババ抜きやろうか!一抜けした子には烏丸先生から愛情たっぷりのハグで」

 

「人を勝手に景品にするな」

 

「……ボク、棄権しようかな……」

 

「それ誰が喜ぶの?」

 

「やめろ」

 

 僕がパッと思いついた提案は怒涛の如く否定され、採用されることはなかった。

 

 

「というかれんちゃんもこの部屋で寝るの?」

 

「そうだよ?」

 

「私は構わないけれど、皆はいいの?」

 

 確かに、今ここにいるのは千景だけではない。しかも皆女の子。完全に頭から抜けていた。

 

「皆が着替える時は外に出るよ」

 

「なら私は構わない」

 

「タマもいいぞ」

 

「私は一緒に着替えても気にしませんが」

 

 どうやら許容されたらしい。しかし次からは部屋を分けたほうがいいだろうか。今後の検討事項だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜にふと目を覚ます。時計を見ると時間は1時過ぎ。

 隣を見ると千景が安らかな寝顔で眠っている。良い夢を見ているだろうか。なんとなく、その髪を撫でておく。

 部屋を見渡すと、一つだけ布団が空いている。久美子が寝ていたはずの布団だ。

 広縁を見ると、そこの椅子に久美子は座っていた。

 

「……ん?起こしてしまったか?」

 

「いや、なんか目が覚めた」

 

 布団から立ち上がり、久美子の向かいの椅子に座る。

 久美子は昼間に買った酒を飲んでいた。

 

「……なんでこんな時間に飲んでるの?」

 

「ふと目が覚めて、眠れなくてな。眠くなるまで飲もうかと」

 

「そっか」

 

 窓から射し込む月明かりが久美子を照らす。部屋の中も少し照らされ、皆の寝顔が見える。

 

「皆の寝顔を見る機会ってなかなか無いな。可愛い寝顔だ」

 

「私の寝顔はほぼ毎日見ているだろうに」

 

「ああ。久美子の寝顔も可愛いよ」

 

「……」

 

 久美子が差し出してきた酒の缶を受け取り、少しだけ飲む。

 

「お前と千景は、よく旅行をしていたのか?」

 

「そうだね。一緒に旅行をするのはこれで六回目かな」

 

「多いな」

 

「いろんな場所に連れて行ってあげたいんだ。知らない土地に行って見たことの無い景色を見るのは楽しいだろう?」

 

「……ああ」

 

 久美子も今日は鍾乳洞で目を輝かせていた。きっと初めて見る光景を楽しめたのだろう。

 

「この旅行は思い出になったか?」

 

「……まぁ、そうだな。……だが、もう少し思い出を彩るとしよう」

 

「ん?」

 

 久美子はそう言うと立ち上がり、僕に近づいてくる。そして僕は首に両腕を回され、唇を奪われた。

 甘えるように入れようとしてくる久美子の舌を受け入れる。

 長いキスの後、呼吸が苦しくなり互いの唇を離す。

 

「……なんか、久美子とのキスはいつも酒の味がする」

 

「キスの前に飲んでいるからな」

 

 綺麗な顔が間近にある。照らす明かりは月光だけだが、紅潮しているのがわかる。

 

「久美子は、攻めている時の方が良い顔をするね」

 

「そうか?」

 

「そうだよ。生き生きしてる」

 

 僕の太腿の上に跨る久美子は、もう一度僕の唇を奪う。僕は手持ち無沙汰な両手を久美子の腰に回し、さらに抱き寄せる。

 皆が寝ている近くでこんな事をしている背徳感がスパイスとなり、余計に気分を昂らせる。

 

「ん……」

 

 人は初めは躊躇っていたことでも一度経験してしまえば、それ以降は躊躇いを無くすものだ。

 

「……はぁ」

 

 唇を離すと、互いの唇を唾液が糸を引いて繋ぐ。

 いつの間にか久美子の浴衣の帯が緩み、浴衣が左肩からずれ落ちかける。気づいてすぐに久美子の浴衣を元に戻す。

 

「危ない、零れるところだった」

 

「見たければ見ても構わないが」

 

「嫁入り前の女の子がはしたないよ」

 

「今更だろう」

 

 依然久美子の両腕は僕の首に回されたまま、僕の首元に顔を埋めた久美子は鎖骨下に吸い付き始めた。

 なんとなくそのまま久美子の髪を撫でていると、久美子が唇を離した頃には、僕の鎖骨下に内出血による痣ができていた。

 

「……生まれて初めてキスマークをつけられたよ」

 

「私もキスマークをつけたのは初めてだ」

 

「だろうね」

 

 つけられたのが鎖骨下でよかった。首だったら隠せない。

 

「千景とはこういうことはしないのか?」

 

「するわけないよ。娘と熱いキスをする父親がいるか?」

 

「お前にとって千景は娘か」

 

「そんな感じ。ずっとそんな風に接してきたつもりだ」

 

 僕は保護者として千景を育て、あの子が大人になって誰かに恋をして、家を出ていくその時まで支え見守るのだ。それでいい。

 

「朝は八時から朝食だから、そろそろ寝ようよ」

 

「わかっているが、もう少しだけ……」

 

「……しょうがない子だ」

 

 久美子の両手が僕の頬に添えられる。満足するまで寝ないというのなら、もう少しだけ応えてあげよう。

 右手は久美子の腰のまま、左手を後頭部に添えて顔を引き寄せ、今宵三度目の口付けを交わした。

 

 

 ──────────

 

 

 目を覚ます。時計を見ると今は七時前で、周囲を見るとまだ眠っている子も多い。

 隣にいるれんちゃんもまだ眠っている。この人の寝顔を見るのはとても久しぶりな気がする。二週間に一回くらいの間隔で私の部屋に泊まってくれるが、いつも私より先に起きているのだ。

 逆隣ではゆうちゃんがカワウソのぬいぐるみを抱き締めて眠っている。とても気に入っているようだ。可愛らしいので写真を一枚撮っておく。

 さらにその向こうの布団は茉莉さんが寝ていたはずだが、空いている。既に起きているようだが部屋にはいない。そして若葉も部屋にいないことに気がつく。

 どこに行ったのかと思っていると、静かに扉が開かれた。入ってきたのは若葉と茉莉さんだった。

 

「あ、千景ちゃんおはよう」

 

「おはよう千景」

 

「おはよう。二人でどこに行っていたの?」

 

「自販機に飲み物を買いに行ってきたんだ」

 

 若葉はそう言って緑茶のペットボトルを掲げた。

 

「他の皆はまだ寝てるんだね」

 

 若葉と茉莉さんは広縁の椅子に座り、ペットボトルの蓋を開けて口をつける。

 私もその近くに座り、昨日買って冷蔵庫に入れていた水を飲む。

 

「そういえば、ふと思ったんだが」

 

「何?」

 

「蓮花さんと烏丸先生って、なんとなく似てないか?」

 

「え?」

 

 若葉の言葉に、私と茉莉さんは振り返ってれんちゃんと久美子さんを見比べる。

 確かになんとなく似ている。地毛の色はもちろん、顔のパーツもなんとなく似ている。久美子さんが男だったらこんな感じだろう。

 

「外見もそうだが、大抵の事はこなせるのも共通している。レベルに違いはあるが」

 

「確かにそうね」

 

「不思議だね」

 

 れんちゃんが髪を伸ばしてマスクをして白衣を着たら、球子辺りは久美子さんと間違えそうだ。今度、白衣だけでも着てみてもらおうか。

 そんな事を考えていたら球子が目を覚まし、他の子もだんだんと目を覚ましていき朝の静寂は終わっていく。

 

 誰かがつけたテレビでは、朝の情報番組でもうすぐ桜が満開になると放送している。

 

「旅行が終わったら、今度はお花見ね」

 

 なんとなく弁当に入れるおかずを考える。しかしまだ旅行は終わっていない。おかずを考えるより、今日一日を目一杯楽しむとしよう。




今日の郡家
 帰りの電車では、ゆうちゃんのカワウソが荷物棚を占拠していた。きっと他の乗客達は、何だこれはと不思議に思ったことだろう。


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第52話 変遷と写真

あけましておめでとうございます。


「えーっと、鶏肉入れた、じゃがいも入れた、ウインナー入れた、卵は……そろそろ無くなるか、買おう」

 

「ん」

 

 卵のコーナーに向かい、十個入りの卵を買い物カゴに二つ入れる。これもすぐに使い切るかもしれないが、無くなればまた買いに来ればいい。

 子供達に弁当に入れるおかずのアンケートを取り、久美子と共に必要な食材をスーパーに買いに来たのだ。

 子供九人、大人四人分の食材を買う為、既に買い物カゴはいっぱいである。子供が九人なのは、真鈴と美佳も呼ぶ予定だからだ。

 

「必要なのはこれくらいかな?他に何か欲しい物はある?」

 

「酒」

 

「……まあいいか」

 

 久美子の要望を受けて酒のコーナーに向かう。楓さん達の分は必要だろうか。

 

 

 ──────────

 

 

 作ったおかずを弁当箱に入れ、茶を入れた水筒と共に持って部屋を出る。

 寮を出て少し歩くと、桜の下で球子達がブルーシートを広げている。

 

「お、千景ー!こっちは準備できてるぞ!」

 

「丸亀城の桜を独占してお花見ができるのは嬉しいですね」

 

「そうね、去年は人がたくさんいたけれど」

 

 天災以降、丸亀城は関係者以外立ち入り禁止となっているため、ここで花見ができるのは私達だけだ。

 

「お待たせしました〜」

 

 声のした方に振り向くと、若葉とひなたが手提げ袋を持って歩いてくる。

 弁当のおかずは私、ひなた、れんちゃん、琴音さんで分担しているため、それが手提げ袋に入っているのだろう。

 

「蓮花さん達はまだなのか?」

 

「まだよ。もうすぐ約束の時間のはずだけど」

 

 どうしたのかと思っていると、遠くから見覚えのある人達が歩いてくるのが見えた。茉莉さん達だ。

 

「おはよう皆。準備万端だね」

 

「おはよう!タマは弁当が楽しみでもう待ちきれないぞ!」

 

「花より団子だね」

 

「れんちゃんは?」

 

「大社に安芸と花本を迎えに行ってる。これを持って行っといてくれってさ」

 

 そう言って久美子さんは、おそらく弁当が入った鞄とクーラーボックスをブルーシートに置いた。

 

「このクーラーボックス、何が入ってるの?」

 

「飲み物」

 

 ゆうちゃんがクーラーボックスを開けると、酒の缶とペットボトルのジュースが数本入っていた。

 

「さて、蓮花は先に食べ始めていていいと言っていたから、もう弁当を開けるぞ」

 

「よっしゃ!」

 

「タマっち先輩、一人で食べすぎちゃ駄目だよ?真鈴さん達の分も残しておかないと」

 

「わかってるわかってる」

 

 球子が皆に割り箸と紙皿を配り、私達は弁当箱の蓋を開ける。一応れんちゃんに、早く来ないと弁当が無くなると連絡しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせー」

 

「皆久しぶりー!」

 

 ほどなくして、れんちゃんが安芸さんと花本さんを連れてやってきた。

 

「本日はお誘い頂き、ありがとうございます」

 

「こらこら固いよ花本ちゃん」

 

 とても固い挨拶をした花本さんは私の元へ歩いてくると、持っていた鞄から長方形の箱を一つ取り出し、私に差し出してきた。

 

「郡様、ご卒業おめでとうございます。こちら私から、つまらない物ですが、御祝いの品でございます」

 

「えっと…ありがとう、花本さん」

 

 箱を開けてみると、うどんの束が三本入っていた。いかにも高そうだ。こんなものを受け取っていいのだろうか。

 

「ちなみに、値段を聞いてもいいかしら?」

 

「大したものではなく申し訳ないのですが、千円です」

 

「え?じゃあこのうどん一束で三百円ちょっと?」

 

「スーパーでうどん十玉くらい買えるじゃん、花本ちゃんそれ自分で買ったの?」

 

「もちろんです」

 

 小学生の千円は大金だ。本当に受け取ってもいいのだろうか。

 ……いや、これは花本さんが私の為に買ってくれたのだ。受け取らないほうが良くない。

 

「……ありがとう花本さん。大事に食べるわ」

 

「御礼だなんてそんな!ただ私が勝手に差し上げたかっただけなので!」

 

「でも私は貰って嬉しいから、ありがとう」

 

「喜んでいただけて何よりです……!」

 

 何度も深く頭を下げる花本さん。なんとも忙しい子だ。そして礼儀正しい。

 

「でも、様はやめてちょうだい」

 

「え、では……郡さん?」

 

「僕も郡だよ」

 

「あ……千景…さん?しかしそんな恐れ多い……」

 

「そうね、それでいいわ」

 

「……!!」

 

 顔を両手で抑え感激している様子の花本さん。今にも泣き出してしまいそうだ。

 

「ほら、お弁当食べましょう?このきんぴらごぼうは私が作ったんだけどどう?」

 

「千景さんの手料理ですか!?!?」

 

「え、ええ」

 

「そんな、私なんかが食べていいのでしょうか……」

 

「いいから食べてみて」

 

 その後も花本さんは感情の動きが激しく、落ち着くまでに時間がかかった。

 そんな様子を、皆は弁当を食べながら見守っていた。

 

 

「花本さんって面白い人ですね」

 

「でしょ?アタシには卒業祝いなんてくれなかったけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 満開の桜の下、皆で弁当を食べたりはしゃいだり。その『皆』は、昨年にはいなかった人もいれば、いなくなった人もいる。

 そんな顔ぶれを見渡して、この一年であった出来事を思い返す。

 多発した地震と、空から現れたバーテックスにより、沢山の人々が家や家族を失った。

 私の周りでは、伊織さんと誠司さん、若葉のおばあちゃんが亡くなった。おばあちゃんは、来年も孫達と一緒に花見をするのを楽しみにしていたのに。

 そして私は、新しい家族と友達ができた。

 多くの出会いと別れを、夏の数日の間に経験した。

 願わくば、これ以上別れを経験したくはない。

 

「どうした千景?春の陽気で眠いの?」

 

「……ううん、少し考え事をしていただけ」

 

 れんちゃんはいつも、私のことをよく見てくれている。些細なことでも、誰よりも早く気がついてくれる。

 

 時折思う。私はきっと、この人がいなくなったら生きていけないだろう。生活力等ではなく、精神的な問題で。

 そして、もし私がいなくなったら、れんちゃんは生きていけるのだろうか。

 

 そんな事にならない為に、護ってくれているのだろう。

 

 

「……あぁ、美味い」

 

「久美子さんは事ある毎にお酒を飲んでいる印象がありますね」

 

「こういう場で飲む酒は美味いんだ」

 

「家でもよく飲んでるけど」

 

「どこで飲んでも味は同じだからな」

 

「即行で矛盾したな」

 

「もう酔っ払ってるね」

 

 れんちゃんには、辛い時に精神的に寄りかかれる人はいるのだろうか。誰かに弱音を吐いているのを見た事がない気がする。

 れんちゃんが寄りかかるには、私はまだ幼いのだろうか。

 

「……眠くなってきた。茉莉、膝を貸してくれ」

 

「え、嫌だよ」

 

 即座に茉莉さんは立ち上がり、久美子さんから距離を取った。

 

「……蓮花」

 

「はいはい、おいで」

 

 茉莉さんの膝を諦めた久美子さんは、横になってれんちゃんの腿に頭を乗せた。

 

「ますず!今度一緒に骨付鳥を食べに行こう!めちゃくちゃ美味いんだ!」

 

「いいわね!ゴールデンウィーク辺りにでも外出申請しようかな」

 

 こんなに騒がしい中で眠れるのだろうか。

 そう思ったが、久美子さんはれんちゃんに髪を撫でられながらすぐに寝息を立て始めた。

 

「凄いな。もう寝たのか」

 

「酒を飲むとすんなりと寝やすくなるんだ」

 

 若葉にそう話す楓さんも、久美子さんが持ってきた酒を飲んでいる。しかしその目はどこか寂しげだ。亡き母親と夫を思い出しているのだろうか。

 

「……千景さん、どうかされましたか?先程から黙り込まれていますが」

 

「いえ、大丈夫よ。私は基本的に静かだから」

 

「常に落ち着いた振る舞い……全人類は千景さんを見習うべきです。特に安芸先輩は」

 

「何よ花本ちゃん、アタシから明るさを取ったら何が残るのよ」

 

「自分で言っていて悲しくないんですか?」

 

「悲しい」

 

「フフッ……」

 

 花本さんと安芸さんはいいコンビだと私は思う。大人になっても、なんだかんだ時々一緒にお酒を飲んでいそうだ。

 

「ちーちゃん、ヒナちゃんの作った玉子焼き美味しいよ?」

 

「ええ、いただくわ」

 

 

 歌野達の避難は来年の春になるとれんちゃんは言っていた。来年は、ここに歌野達もいるのだろうか。

 遠い地で暮らす友達を、早く皆にも会ってもらいたいものだ。来年の花見は今よりも騒がしさが増すのだろう。きっとそれは、幸せなものだ。

 

 

 ──────────

 

 

「何してるんだ?」

 

 唐突に後ろから左肩に顎を乗せられる。風呂上がりの久美子からは甘い香りが漂う。

 

「千景のアルバムに写真を追加してるんだ」

 

「ほう」

 

 クリスマス辺りから溜まっていた写真を整理し、何枚かはプリントしてアルバムに貼っていく。

 僕の肩から顎を下ろした久美子は、僕の隣に座ってアルバムを眺め始める。ちなみに正面では茉莉が他のアルバムを見ている。

 

「……何冊あるんだ?」

 

「今は三冊目だけど、もうすぐ四冊目に入る」

 

「多いな」

 

 一年間で約一冊のアルバムになる。イベント事だけでなく普段から色々撮っているため、写真が多いのだ。

 

「この千景ちゃんは何歳?」

 

「それは9歳の時だね」

 

「じゃあ隣の若葉ちゃん達は8歳?」

 

「……いや、これは夏の写真だから、若葉は9歳だな。若葉と千景って学年は違うけど誕生日は4ヶ月しか違わないんだよね。一年の内8ヶ月は同じ歳」

 

「なるほど、確かにな」

 

 茉莉達と一緒に写真を眺めて懐かしく思いながらも、手は止めずに新しい写真を貼っていく。今年は千景の友達が増えたのもあり、その分写真も増えている。

 

「……蓮花が一緒に写っている写真はほぼ無いな。まるで蓮花はここにはいないみたいだ」

 

 アルバムをパラパラと捲りながら久美子は言う。

 

「いいんだ。僕は撮る側だからしょうがないよ」

 

 千景には、僕がいなくても笑えるようになってほしい。これらの写真を見ている限りでは、それが叶っているように見える。

 

「……蓮花」

 

「ん?」

 

 久美子の方に振り向くと同時に聞こえたシャッター音。久美子がスマホのカメラをこちらに向けていた。

 

「ちっ、ブレた。少しじっとしていろ」

 

「え……まぁ、いいか」

 

 少しの間、僕は久美子の被写体となった。茉莉は不思議そうにこちらを見ている。

 

「私がお前を写真に残しておく」

 

「そう……ありがとう」

 

「ん」

 

 

 写真を貼り終え、アルバムを元の場所に片付ける。そして僕はまだ風呂に入っていないことを思い出し、脱衣場に向かった。




今日の郡家
 髪に桜の花弁が付いたゆうちゃんはとても可愛くて、ゆうちゃんには桜がよく似合うなぁと思った。


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第53話 私を頼れ

「ぐぅぅ……痛ぇ……」

 

 梅雨の時期、雨の日のとある朝、久美子は布団から出てくることなく腹を押さえて悶えていた。

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

「大丈夫……じゃない……。こんなに重い生理痛は久しぶりだ……」

 

「生理痛か」

 

 こんなに弱っている久美子はとても珍しい。

 先程までリビングで朝食を食べていた茉莉も、僕の横に来て珍しく久美子を少し心配そうな目で見ている。

 

「その様子じゃ、仕事は無理そうだね。今日は休むか?」

 

「そうだな……蓮花、私の代わりに出勤してくれ……」

 

「いいけど、授業内容は?」

 

「各教科の進める範囲をメモする……茉莉、書くものを持ってきてくれ……」

 

「うん」

 

 茉莉がリビングに戻って紙とボールペンを持ってくると、久美子はゆっくりと身を起こしてメモを書き始めた。

 

「……それから、格闘術の訓練の時間は好きに使ってくれ。あと……友奈の訓練も見てやってくれ……うぅ……」

 

「わかった」

 

 メモを受け取り、家を出る準備をする。すると久美子もリビングにやってくる。

 

「せっかくだ、この白衣も着てくれて構わない……チョークを使っていると服が汚れるからな……」

 

「ありがとう」

 

 久美子の白衣の袖に腕を通す。サイズは問題ない。

 

「久美子の朝ご飯もできてるから、食べられるようになったら食べてくれ」

 

「ああ……」

 

「昼ご飯は……茉莉、自分で用意できる?昼に戻ってこようか?」

 

「大丈夫だよ。もう半年くらい一緒に晩ご飯作ってるから」

 

「そうだね。じゃあ久美子のことお願いね、行ってきます」

 

「「行ってらっしゃい」」

 

 珍しく久美子にも見送られて家を出る。

 そして丸亀城に到着してから、白衣は着いてから着ればよかったと思った。白衣を着て街中を歩いていると、道行く人々から不思議そうな目で見られるのだ。

 

 

 ──────────

 

 

「今日も雨かぁ……こうも雨が続くとさすがのタマでも滅入っちゃうぞ」

 

「梅雨だから仕方ないね」

 

 雨に対する球子の愚痴を聞きながら、ホームルームの時間を待つ。

 雨の日は洗濯物を外に干せなかったり、普段外で訓練している子達も道場に集まるので場所を広く使えなかったりと、色々困ることがある。

 じめじめとした嫌な湿度を不快に感じていると、廊下から足音が聞こえ、教室の扉が開かれた。

 

「皆おはよう」

 

「……え?れんちゃん?」

 

「一瞬烏丸先生が髪を切ったのかと思った」

 

 教室に現れたのは烏丸先生ではなく、烏丸先生の白衣を着たれんちゃん。

 

「烏丸先生はどうしたんですか?」

 

「今日は体調不良でお休み。今頃布団の中で苦しんでるよ」

 

「体調不良?」

 

「生理痛が重いらしい」

 

「「「「ああ……」」」」

 

 ゆうちゃんと球子がキョトンとしている中、私を含め生理痛を経験した事のある子達から納得の声が漏れた。あれは辛いものだ。

 

「だから今日は、代わりを頼まれて僕が来た」

 

「なるほど」

 

 そんなわけで、いつもとは少し違う一日が始まった。

 

 

 

 

 

 

 いつものように教科書と問題集を広げ、自分で学習を進めていく。授業の最初に進める範囲を伝えられ、早く終われば他の子を教えに回ったりもする。

 

「杏はもう五年生三学期の内容に入ったんだね……凄いなぁ」

 

「はい、だからもう少しで学年も皆に追いつきます」

 

 昨年の秋頃から、杏は他の子に追いつく為に倍くらいのペースで学習を進めている。放課後も毎日自分の部屋で自習しているようで、成績は落としていない。

 

「ほら、球子起きて。杏を見習って頑張ろう?」

 

「んにゃ……あと五分……」

 

「えぇ……いつもこうなの?」

 

「最初はやる気があるんですけど、教科書を読んでいたら眠くなるらしくて……大体夜に私の部屋で宿題としてやってます……」

 

「う〜ん、そうか……わからないでもないけど」

 

 困り顔を浮かべるれんちゃん。

 

「今だから許されているけど、普通の学校に戻った時に困るよなぁ……よし。ほら球子起きて?今日一日寝ずに頑張ったら、今週末に皆で骨付鳥を食べに行こう」

 

「え、骨付鳥!?ほらタマちゃん起きて!」

 

「起きて手を動かせ球子。私が寝かせん」

 

 竹刀を片手に球子の席の隣に立つ若葉。それはどこから取り出したのだろうか。

 机に突っ伏していた球子も何とか身を起こし、鉛筆を手に取る。

 

「うう……しょうがない。骨付鳥のためだ、タマ頑張る……」

 

「しょうがなくないぞ」

 

「スパルタ若葉ちゃんもいいですねぇ……」

 

 ひなたがスマホを取り出してカメラを若葉に向ける。普通の学校では授業中にスマホを使うのは駄目なのでは。

 

「……久美子は毎日頑張ってるんだなぁ……」

 

 

 

 一応、今日一日は球子が寝ることはなかった。というより、寝かせてもらえなかった。

 

 

 

 

 

 

 昼休みには皆で食堂に移動し、昼食をとる。普段はこの時間は私達だけでなく、警備員のおじさんや職員も昼食の為に食堂に集まるので意外と賑やかだが、今日は人が少なく少し静かだ。

 

「いやぁ頑張った後のうどんはうまいなぁ」

 

「ならこれからも毎日頑張れるな」

 

「お、おう」

 

 談笑しながら食事をする中、ひと足先に食べ終えたれんちゃんは、スマホを取り出して耳に当てた。

 

 

「もしもし久美子、生きてる?」

 

『……一応な。今は少しマシだからうどんを食べている』

 

「烏丸先生の声、弱ってますね」

 

 食堂が静かなため、れんちゃんのスマホから出る久美子さんの声が私達にも聞こえる。確かに普段より弱っているようだ。

 

「今日の晩ご飯はどうしようか。どんなものがいい?」

 

『そうだな……お前のおじやが食べたい』

 

「わかった。帰る前に買い物してくるね」

 

『ああ』

 

「あと、本当にいつもお疲れ様。じゃあね」

 

『……ああ』

 

 れんちゃんは電話を切ってスマホをポケットに入れると、立ち上がり水を取りに行った。

 

「……弱っている久美子さんを見に行きたいけれど、弱っているところを煩くするのは良くないわよね」

 

「同意です」

 

 久美子さんといえど、さすがに体調不良の人はそっとしておくべきだろう。

 

 

 ──────────

 

 

『今日も雨で嫌になっちゃうわね』

 

「そうだな、こちらも雨だ」

 

 放課後、僕は若葉と共に放送室にいた。今日はちょうど勇者通信の日で、せっかくなら歌野の声を聞いてから帰ろうと思ったのだ。

 

『雨の中でも関係なく敵は来るから本当に嫌だわ』

 

「襲撃があったのか?」

 

『昨日ね。あまり被害は出なかったけど、ちょっとドジって怪我しちゃった』

 

「大丈夫なのか?」

 

『これくらい平気よ、かすり傷だわ』

 

「ならいいんだが……」

 

 歌野の声音は強がっている様子は感じられず、怪我は大したことはないようだ。しかしこちらは声でしか情報を得られず、どうしても心配は拭えない。

 

『まあ他に変わったことは無いし、いつもの……始めましょうか』

 

「そうだな、始めよう……」

 

「ん?」

 

『「うどんと蕎麦、どちらが優れているか!!』」

 

「いつもしてるんだ……仲良いね」

 

 そして始まる怒涛の討論。うどんと蕎麦、それぞれの魅力を互いに熱弁し合う。

 面白いので動画を撮って楓さんに送ってあげよう。あなたの娘さん、うどんを語る時が一番生き生きしてますよと。

 

 

 

 

 

 

 

 夜、食器洗いを済ませてソファでくつろぐ。先程までは千景と通話していたが、風呂に入ると言われて通話を終了した。ちょうど茉莉も今入浴中だ。

 

「はぁ……女の体は不便だ……どうして私は女に産まれたんだ……」

 

「僕と巡り会う為じゃない?なんちゃって」

 

「…………そんなわけないだろ」

 

「ちょっと納得しかけなかった?」

 

 家に帰ってからというもの、ずっと久美子にくっつかれている。人にくっついていると暖かくて生理痛がマシになるらしい。

 

「……家に帰ってきてから浮かない顔だな。何かあったか?」

 

「……僕が何かあったわけではないけど。昨日、諏訪で敵の襲撃があったんだってさ」

 

「ほう?」

 

「それで、歌野が軽い怪我をしたらしい。歌野は平気って言ってたし、平気そうな声だったんだけど……」

 

「……白鳥歌野が心配か?」

 

 久美子の方に顔を向けると、久美子もこちらを向いていた。紅い瞳が僕を見据えている。

 

「……そうだな。心配だ」

 

「諏訪に助けに行きたいのか?」

 

「行きたいけど、今は行けない」

 

「何故だ?交通機関は止まっているが、お前なら走っていけるだろう?」

 

「それはそうなんだけど……」

 

 諏訪までの移動については問題ない。今は助けに行けない理由はそこではないのだ。

 

「バーテックスがどんどん進化するのは知ってるよね?」

 

「ああ」

 

「僕が時々、四国の周りのバーテックスを片付けているのも知ってるよね?」

 

「ああ……なるほどな」

 

「え、もうわかったの?」

 

 時々久美子の聡明さには驚かされる。一を聞いて十を知るとはまさにこの事だろう。

 

「四国の周りのバーテックスはお前を超える為に進化を続けて強くなっているんだな?だが進化させない為に放置していたら数を増やして攻め込んでくるから、定期的に片付けるしかないと」

 

「わぁ、凄い。本当に全部わかったのか」

 

「そしてお前が四国を離れたら、敵からすれば四国に攻め込む絶好のチャンスになるから、お前は四国を離れられないと」

 

「久美子との会話はとてもスムーズで助かるよ」

 

 理解が早い、理解したことを的確に言語化できる。巫女の才能があるのではないだろうか。もう少し幼ければ巫女に選ばれていたかもしれない。

 

「……四国の周りのバーテックスは、今の友奈達では勝てないくらい強いのか?」

 

「勝てない。勝てたとしても誰かが命を落とす」

 

「時々四国に戻ってきて周りのバーテックスを片付けるのは?」

 

「駄目だ。僕が諏訪で戦うことで、諏訪周辺のバーテックスが進化してしまう。そして僕が四国に戻ってきている間に諏訪が襲撃されたら終わる。安易に諏訪を助けに行くことは、却って諏訪の危険が増してしまう。それに……」

 

「それに?」

 

「もしも僕が諏訪にいる間に四国が襲撃されて帰ってきたら誰かが死んでいた、なんてことになったら、きっと僕は諏訪を助けに行ったことを後悔してしまう」

 

「……なるほどな」

 

 テーブルに置いていたアイスコーヒーを入れたグラスを手に取り、一息つく。

 最初の見通しが甘かったのだ。バーテックスの進化速度を舐めていたかもしれない。

 

「だから、僕は諏訪を助けに行けない」

 

「それなら、次の春に四国に避難させる時はどうするんだ?」

 

「早めに対策を考える。避難は長期間ではなく数日で済むから、なんとかなると思う」

 

 僕が四国を離れる少しの間だけ神樹に結界を強めてもらうとか、できないだろうか。今度大社に行った時に聞いてみよう。

 リビングの扉が開いた音を耳が拾う。茉莉が風呂から上がってきたのだ。

 

「次どうぞ」

 

「ああ。久美子は風呂どうするの?」

 

「私は最後にシャワーでいい」

 

「そっか」

 

 着替えを持って脱衣場に向かう。今日は久美子が後に控えているので、少し早めに入浴を済ませるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。いつものように朝食を作っていると、久美子が起きてきた。茉莉はまだ寝ているようだ。

 

「おはよう。今日は出勤できそう?」

 

「ああ、今日は大丈夫だ。……蓮花」

 

「ん?」

 

 久美子はキッチンに入ってくると、僕を後ろから抱き締めた。

 

「……お前にしかできない事が沢山あるのかもしれないが、一人で背負い込み過ぎるなよ?私はお前のようには戦えないが、戦闘以外のことなら私を頼れ」

 

「……ありがとう」

 

 久美子の手に僕の手を重ねる。触れ合ってみないとわからない優しい手だ。

 朝から甘い雰囲気になりかけたが、それは廊下から聞こえた茉莉の足音により霧散した。

 

「おはよう……久美子さんどうかしたの?」

 

「おはよう茉莉。なんでもない、気にするな」

 

 リビングに射し込む朝日により、久美子の頬や耳に差した朱は紛れた。




今日の郡家
 ボクがお風呂に入る前と後で、蓮花さんの表情の明るさが変わっていた。久美子さんと何か話したのだろうか。


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第54話 心の変化

 基本的に深夜に書いてるので時々深夜テンションで変な事書いてるかもしれません。


 ひなたの付き添いで大社を訪れ、ひなたの用が終わるまで待っている間に大社内をうろうろしていると、白衣を着た女性とすれ違った。

 あまり神官らしくない雰囲気の人だなと思っていると、彼女もこちらに気がつき目が合った。

 

「あんたが上里の付き添いか」

 

「どちら様?」

 

「烏丸久美子。神官兼巫女達の教師をしている」

 

「ああ、あなたが烏丸先生か」

 

 神官らしい格好はせず基本的に白衣を着ている、歳上の女性。

 最初は、大社に行った際に偶然会ったら少し立ち話をする程度の仲だった。

 その後も何度か顔を合わせ半年程経った頃には、大社に行く時はついでに久美子に差し入れを持っていくようになった。酒だったり、菓子だったり。それを久美子の自室に持っていくと、久美子は一度仕事の手を止めて休憩する。そして差し入れを食べながら雑談をする。友奈の様子を聞かれることも多かった。

 

 良い友人だったと思う。時々、久美子が退勤した後に一緒に焼き肉を食べに行って奢らされて、酒を飲んで酔い潰れた久美子に肩を貸して大社の職員寮の久美子の部屋まで連れて帰り、そのまま泊まったこともあった。

 これが、烏丸久美子という女性との出会いだった。

 

 

 ──────────

 

 

 夏が来て、私達は夏休みに入った。私が香川に来てから四年が経過した。

 夏休み中、午前中は訓練があり午後は自由に過ごしている。一応、量は少ないが夏休みの宿題も出ているため、毎日コツコツと進めていく。

 すると部屋の扉がノックされ、返事をする前に扉が開かれた。

 

「誰かいるかー?なんだ、千景だけか」

 

「ノックしたなら返事を待ってから開けなさい」

 

「あ、ごめん」

 

「何か用?今宿題をしていたんだけど」

 

「誰かと遊ぼうと思って、千景の部屋に来たら誰かいるだろってな」

 

「私の部屋は談話室でも集会所でもないわよ」

 

 球子は夏でも元気いっぱいだ。正直暑苦しいので大人しくしてもらいたい。

 

「しょうがない、あんずの部屋に行くか」

 

「今は杏も多分宿題中よ。一緒に宿題したらどう?」

 

「うーん……そうだな、邪魔するくらいなら一緒に宿題やるか」

 

 そして球子は私の部屋から出ていった。素直なのはあの子の良いところだろう。

 机に向き直ると、またも部屋の扉がノックされた。

 

「今度は誰かしら?」

 

「ちーちゃん、私だよ」

 

「ゆうちゃん?」

 

 扉を開けると、ゆうちゃんが宿題のドリルと筆箱を持って立っていた。

 

「どうしたの?」

 

「宿題のわからないところがあって、教えてほしくて」

 

「わかったわ、入って」

 

 こんな風に、私の部屋はよく誰かが訪ねてくる。おそらく後で球子が杏を連れて戻ってくるだろう。そしてパーティーゲームをしていたら若葉とひなたも来るのだ。それがここ数日の日常である。

 

 皆でゲームをしていたら時間が過ぎるのはあっという間で、17時を過ぎた頃、また扉がノックされた。

 

「え、誰?皆いるのに……はい?」

 

「私だ」

 

「先生?」

 

「今日の仕事は終わったから、今の私は烏丸先生ではなく久美子さんだ」

 

「あらそう。どうかした?」

 

「とりあえず入れてくれ」

 

 扉を開けて久美子さんを部屋に入れる。珍しいという程では無いが、よくあることでもない。

 

「お、全員いるな」

 

「どうかしたんですか?」

 

「なに、帰る前に少し様子を見に寄っただけだ。すぐ帰るさ」

 

「お帰りはあちらです」

 

「帰らせようとするな、まだ早い」

 

 用も無いのに来てこれ以上部屋を圧迫しないでほしい。

 久美子さんは私のベッドの縁に腰を下ろした。

 

「お前達、ちゃんと宿題は進んでいるか?」

 

「ええ」

 

「問題ない」

 

「今日もあんずと一緒にやったぞ」

 

「そうか、ならいい。……この部屋はクーラーが効いていて最高だな……」

 

 そう言って久美子さんは背中から私のベッドに倒れ込んだ。やめてほしい。

 

「職員室もエアコンはありましたよね?」

 

「節電で温度が高めに設定されているんだ。できることならここか家で仕事をしたい」

 

「ご遠慮願うわ」

 

 私のプライベートな空間を職場にしてほしくはない。

 

「私がここで仕事をしていれば、いつでも質問に答えてやれるぞ」

 

「なら球子の部屋で仕事をしたらどう?」

 

「烏丸先生!質問があります!」

 

「ん、なんだ?」

 

 唐突に杏が挙手をして声を上げる。勉強の質問をするテンションではない。

 

「最近蓮花さんとの距離が近いように思いますが、蓮花さんとはどういう関係ですか!?」

 

「……さて、帰るか」

 

 ベッドから立ち上がり扉へ向かおうとする久美子さんの前に、私は立ち塞がる。

 

「答えるまでは帰さないわ」

 

「……帰れと言ったり帰さないと言ったり、どっちなんだ」

 

「……」

 

 真面目な表情で久美子さんの目を見る。すると久美子さんは、私の頭にポンポンと軽く左手を置いた。

 

「心配するな、お前が想像するような関係じゃないさ。今のところ、ただの私の片想いだ」

 

「……え?」

 

「そろそろ私は帰る。じゃあな」

 

 私を軽く押し退け、久美子さんは部屋から出ていった。そして少しの間、室内には沈黙が漂った。

 

 

 

「……さっき、何て言いました?」

 

「片想いだと聞こえた気がするが」

 

「私も。聞き間違いじゃないのね」

 

「軽い気持ちで質問したのに……」

 

 段々と騒ぎ始める中、私のスマホにRINEの通知が着た。久美子さんからだ。

 

『蓮花には言うなよ?』

 

 皆もスマホの画面を覗き込み、息を飲んで顔を見合わせた。

 

「……マジなのね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夕方、私と茉莉さんはゆうちゃんの部屋にいた。今夜は三人でお泊まり会である。

 昼間に皆でコンビニに行き、それぞれ食べたいお菓子やスイーツ、ジュース等を買っている。

 

「今夜はちょっとくらい夜更かししてもいいよね」

 

「そうね。明日は土曜日で訓練も無いから、早起きしなくていいわ」

 

「でもボク、普段10時くらいには寝ているから、自然と眠くなっちゃいそう」

 

「無理して夜更かしする必要はないよ、私達も普段そんな感じだし」

 

 それぞれで買ったお菓子をテーブルに広げ、シェアして食べてみたり。数年前の私なら想像できなかったようなことをして過ごす。

 せっかくなので、今夜は沢山ある私のボードゲームを三人で色々やってみるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間が経ち、一度遊びの手を止めて夕食の準備に取り掛かる。今夜はゆうちゃんの部屋のキッチンで、三人で夕食を作るのだ。メニューはハンバーグとマカロニサラダだ。

 

「とりあえず、たまねぎを切るわ」

 

「私マカロニ茹でるね」

 

「じゃあ、ボクは肉の準備をするね。ボウルはどこかな」

 

「そこだよ」

 

 各々作業を始めていく。たまねぎが目に染みる。

 みじん切りにしたたまねぎを炒め、冷ましてから茉莉さんが肉を入れたボウルに入れる。そこに溶き卵を入れて混ぜる。そして形を作り、ハンバーグを焼き始める。

 茉莉さんに焼き加減を見てもらいながら、私はゆうちゃんの手伝いに回る。

 

「あ、そういえば茉莉さん」

 

「なに?」

 

「久美子さんが、れんちゃんに片想いしているらしいんだけど」

 

「え!?……ああ、そうなんだ」

 

 一瞬驚いた茉莉さんは、少し納得したような表情を見せる。

 

「どうかした?」

 

「ボクはてっきり、単純に仲が良くてよく甘えてるんだと思ってたよ」

 

「よく甘えてるの?」

 

「蓮花さんの肩に頭を乗せて寄り添ってたり、耳かきしてあげたり、夜中に二人でお酒飲んだりしてるよ」

 

「凄くイチャイチャしてるね」

 

 私がいないところでそんなことになっていたなんて……。

 

「ていうか久美子さんにそんな感情あったのね」

 

「久美子さんもちゃんと人の子だったんだね」

 

 茉莉さんのくらいに対する物言いはいつも遠慮がなく、もはや長年の腐れ縁のようだ。久美子さんは茉莉さんを気に入っているようだし、なんだかんだ長い付き合いになるのだろう。

 

「……夏休みの間に、ちょっと家に泊まろうかしら」

 

「私も一緒に泊まりたいな」

 

「ええ」

 

 いつもはれんちゃんが部屋に泊まりに来てくれるから、たまには私から行こう。

 ひとまずは、焼き上がったハンバーグを美味しく食べることにした。

 

 

 ──────────

 

 

 キッチンで夕食の準備をしていると、玄関の方から扉が開いた音が聞こえた。僕はリビングの扉を開いて顔を出す。

 

「ただいま」

 

「おかえりー。晩ご飯はもうちょっと待っててね」

 

「ん」

 

 リビングに入ってきた久美子は、部屋中を見回して首を傾げる。

 

「……茉莉は?」

 

「丸亀城。千景と一緒に友奈の部屋に泊まるんだってさ」

 

「そうか。……お前は留守番か?」

 

「子供達の女子会に成人男性が行っても、場がしらけるでしょ」

 

「蓮花なら大丈夫じゃないか?」

 

「親の前では話せないこともあるじゃない?」

 

「まぁ確かに」

 

 久美子は白衣を脱いでハンガーに掛けると、キッチンに入ってきた。そしてフライパンに顔を近づけ匂いを嗅ぐ。

 

「今夜は生姜焼きか。……いい匂いだ、腹が減る」

 

「もうできるから、ご飯をよそってテーブルに運んでおいてくれ」

 

「わかった」

 

 少しして、出来上がった生姜焼きとポテトサラダを皿に盛り付け、リビングのテーブルに運んだ。

 

 

 

 

 

 

 夕食を終え食器を洗い、洗濯物を畳み終え、風呂に湯を張り始め、リビングのソファに座ってのんびりとテレビを眺める。

 

「……久美子じゃないけど、なんか刺激が欲しいな」

 

「ん」

 

 唐突に、隣に座る久美子に唇を奪われる。刺激を与えてくれようとしたのだろうか。

 

「ありがとう。でもそういうことじゃなくて、ただ普段しないことをしたいなって思ったんだ」

 

「そうか」

 

 たまには何か日常に刺激が欲しくなる。何かないだろうかと、天井を見上げてぼーっと考える。

 

「……今度、皆を連れてイネスにでも行こうかな。何かあるでしょ。久美子も刺激を探しに一緒に行く?」

 

「ああ、行こう」

 

 イネスは便利だ。イネスに行けば大体の用事は片付く。

 皆といえば、千景達はどうしているだろうか。ちゃんと夕食は食べただろうか。

 

「千景達は今何してるかな。……ちょっとRINEで聞いてみるか」

 

 スマホでメッセージを入力して千景に送信する。何かをしている最中だった場合、電話では邪魔になるかもしれない。

 

「お前はあと何年経ったら子離れできるんだろうな」

 

「え?子離れできて……ない?」

 

「ほぼ毎晩電話しているくせに何を言っている」

 

「……確かに。声を聞きたくなるんだよね」

 

 そう考えると、僕はいつ子離れできるのだろう。千景が大人になってもできる気がしない。

 なんて思っていると、千景から返信が届いた。

 

「今から三人で一緒に風呂に入るんだってさ。楽しそうで何よりだ」

 

「絶対狭いだろ」

 

 風呂の話題に入った所で、風呂の湯張りが完了したお知らせ音声が鳴った。

 

「風呂が沸いたか。僕等も一緒に入る?背中流すよ」

 

「……そうだな、入るか」

 

「えっ……否定されるかと思って冗談のつもりで言ったのに」

 

「人は変わるぞ」

 

「そっか。……じゃあ、入るか」

 

 珍しいこともあるものだと思いながら、スマホを置いて立ち上がり、二人で脱衣場に向かった。

 脱衣場の扉を閉め、服を脱いで洗濯機に入れていく。

 

「人は変わるって言ったけど、久美子はこの一年で羞恥心を無くしたんだろうか……」

 

「さすがにあるわ。あまりジロジロ見るなよ?」

 

「ああ、わかってる」

 

 しかし全裸になれば、自然と色々視界に入ってしまう。

 心を鎮め、理性を強く持ち、僕は浴室に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「あ゙あ゙ー……一番風呂は良いな……」

 

「そうだねぇ……」

 

 身体を洗い終え、二人で湯船に浸かる。千景と入る時と同じように、僕の脚の間に久美子は座り、僕の胸に背中を預けている。

 

「……お前達がこの家に来てからもう一年も経ったのか」

 

「時間が経つのは早いな。色々な事が起きて日常が変化した時はわくわくしていたが、今ではその変化した日常に慣れてしまった」

 

「その色々が僕は凄く大変だったから、落ち着いた日常の方がいいな……ていうかあまり動かないでくれ……」

 

「ん?……お前、大きいな……」

 

「意識しないようにしてるんだから、そういうこと言わないでくれ」

 

「すまない……」

 

 後ろからでは久美子の顔は見えないが、耳が真っ赤なのはわかる。

 どんな表情なのか気になるが、覗き込もうとすると双丘がよく見える。頂点の紅を見るのは一年ぶりだ。

 どこを見ればいいのかと目のやり場に困っていると、久美子の体の所々に傷があることに気がついた。

 

「……この傷は?」

 

「これか?私はよく路上の喧嘩等を見つけては首を突っ込んでいた時期があってな。その時に怪我をしたり刺されたりしてできた傷だ」

 

 過去を懐かしむように語る久美子の腹に、両腕を回して抱き締める。

 

「もう、危ない事はしないでくれよ……?」

 

「……わかったよ」

 

 少し黙り込んだ後、久美子はこちらに体ごと振り返った。スタイルの良い体を隠すこともせず、両手で僕の顔を挟み、顔を近づけ瞳を見つめる。

 

「お前が私の日常に刺激をくれるなら、危ない事に首を突っ込まなくて済むんだが」

 

「……それで済むなら、いくらでもあげるよ」

 

 僕がそう言うと久美子は体を寄せ、もう慣れたように唇を重ねた。そして入れてくる舌を受け入れ、互いの舌を絡ませるように触れ合う。

 

「んぁ……ん……」

 

 ディープキスは官能的で、理性は段々と情欲に侵蝕されていく。

 いつものような服の上からではなく、直接肌に触れて久美子を抱き寄せる。久美子の柔らかい胸が僕の胸板で潰れる程に強く。

 普段の口調は男勝りだが、その体に触れる度、女性なのだと思い知らされる。

 

「ん……」

 

 呼吸が苦しくなってようやく、久美子は唇を離す。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 久美子は僕の顔を挟んでいた両手を放して両腕を僕の首に回し、首元に顔を埋めた。

 

「……蓮花…………」

 

「ん?何?」

 

「……いや、なんでもない……」

 

 そう言って久美子は僕の首筋に唇を当てて強く吸った。またキスマークを付けようとしているのだろう。

 やがて唇を離し、キスマークが付いたであろう箇所を久美子が指で触れる。

 

「……痛くないか?」

 

「全然。まだバーテックスに噛まれたほうが跡が残る」

 

「比較対象が悪い」

 

 そして今度は、長く深いキスではなく啄むようなキスを繰り返す。

 

「……顔が真っ赤だよ」

 

「煩い……」

 

 久美子の顔が赤いのは、のぼせてきているのか、恥ずかしいからか、それとも興奮しているからか、はたまたその全てか。

 

「……今夜は離さない」

 

「ああ、いいよ。今夜は二人きりだし」

 

 再び強く抱き寄せ合う。久美子の首元に顔を埋めると、シャンプーの香りを嗅覚で強く感じる。先程同じシャンプーで髪を洗った僕も、同じ香りがするのだろうか。

 

「……そろそろ上がろうか。あまり長湯をするとのぼせるよ」

 

「ああ……」

 

 湯船から立ち上がる。久美子の頭は大体僕の鼻辺りの高さにある。

 少し顔の角度を下げると、久美子は少し上を向いて僕の顔を見上げていた。綺麗な人だと改めて思う。

 そして久美子は瞼を閉じた。こういう時は僕からのキスを待っているのだと、この半年で学んだ。

 浴室を出る前にもう一度、今度は僕から唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂から上がり、リビングで少しのんびりと過ごした後、二人で寝室に向かった。

 そしてスキンシップを取りながら時間は過ぎていき、気がつけば深夜に差し掛かっていた。

 

「……もうこんな時間か。そろそろ寝ようか」

 

「ん……そうだな」

 

 一枚の布団に二人で横になる。二つ並べた枕に頭を乗せ、互いを見つめる。

 

「……久美子、キスマーク付けすぎだよ」

 

「お前も付けたじゃないか。胸や太腿に付けられたのはともかく、首は服では隠せないぞ」

 

「……とりあえず、明日起きたら絆創膏を貼り合おうか。首元は自分じゃ見えないから」

 

「そうだな」

 

 右手を久美子の頬に添えると、久美子が左手を僕の右手に重ねる。

 

「……最初はさ、久美子のこと、もっと冷酷で狂ってる人かと思ってた」

 

「抓ってやろうか」

 

「でも、ちゃんと常識はあるし、面倒見がいいし、冷酷ではなかったね」

 

「……ふん」

 

 右手を顔の位置まで上げていることに疲れ、下ろして久美子の腰に添える。

 

「……なあ、蓮花」

 

「ん?」

 

「恋をしたことはあるか?」

 

「そりゃあるよ。記憶にある中で初恋は保育園五歳児の時」

 

「早いな」

 

 言われてみれば確かに。初恋早いな。もう顔も名前も憶えていない。

 

「一番最近に恋をしたのは?」

 

「一番最近……五年程前かな」

 

「……そこそこ前なんだな。今も好きなのか?」

 

「……今も好きだ。でも、それが今も恋心なのかわからない」

 

「どういう意味だ?」

 

「長い時間が過ぎて、恋愛感情から親愛に変わっていっている気がして……それを自覚するのも、辛い……」

 

「……そうか」

 

 そう呟くと、久美子は僕の胸元に頭を寄せる。まだスキンシップが足りないのだろうか。

 

「腕枕しようか?」

 

「ああ」

 

 左腕を伸ばすと、その二の腕に久美子は頭を乗せた。

 

「……なぜお前は、こんなに私に応えてくれるんだ」

 

「そうすることで、大切な人が幸せそうにしてくれるから」

 

「……寝る前にもう一度だけ、キスしてもいいか?」

 

「いいよ」

 

 僕が返事をすると久美子は身を起こし、両手を僕の頭の左右に置いて覆い被さり唇を重ねた。風呂でしたようなディープキスではなく、優しい口付け。

 久美子は満足すると、また元の位置に戻った。

 

「おやすみ、久美子」

 

「おやすみ……」

 

 互いに抱き締め合いながら瞼を閉じる。久美子の心臓の鼓動を感じながら、心地良く眠りについた。

 

 

 ──────────

 

 

 蒸し暑さに目を覚ます。

 真夏に抱き合いながら寝たのだ、暑くて当然だ。

 少し目線を上げると、未だ眠る蓮花の寝顔があった。

 

 暑いから離れたいという思いと、このまま抱き締めていたいという思いに心が板挟みになる。

 そして私は閃いた。一度布団から出て、クーラーをつけてからまた布団に戻ればいいと。

 布団を出てリモコンを探し、クーラーをつけてもう一度布団に入り、蓮花を抱き締める。

 

「……蓮花」

 

 眠る蓮花の唇に、私の唇を重ねる。

 蓮花の想いの方向は私には向いていないとわかってしまった。やはり、今は私の片想いだ。

 これだけ私の想いを受け止めてくれているだけでも幸せな事なのだろうが、これでは私は満足できない。

 いつか私の方に振り向かせると心に決めながら、私は再び眠りについた。




今日の郡家
 家に帰ると、蓮花さんと久美子さんは首に何枚も絆創膏を貼っていた。理由を聞くと、少し怪我をしたのだと言う。何をしたら首を怪我するのだろう。
 時折、久美子さんは愛おしそうに首の絆創膏に触れては優しい目で微笑んだ。
 その目をボクは見たことがある。お母さんがお父さんのことを話していた時にも同じような目をしていた。愛する人を想っている時の目だ。


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第55話 All Hallows' Eve

「んぁ……ん……」

 

 朝から久美子に求められ、キッチンで抱き合いディープキスを交わす。まだ少し寝ぼけ気味だった頭が一気に冴え渡る。

 

 僕も久美子もキスに夢中で、故に茉莉の起床に気がつかなかった。

 リビングの扉が開いた瞬間、驚いた久美子は僕の舌を思いっきり噛んだ。

 

「ア゙ッッ!!……痛ぇ……」

 

「すまない蓮花、大丈夫か?……血の味がするんだが」

 

「僕も血の味がする……」

 

「お、おはよう。……何事?」

 

「なんでもないよ、おはよう……痛い」

 

 こんな激痛を味わったのは何年ぶりだろうか。

 

「……これが蓮花の血の味か」

 

 なんだか久美子が怖いことを呟いた気がした。

 

 

 ──────────

 

 

 10月31日、今日はハロウィンだ。クリスマスほど目立つ日ではないが、代わり映えしない毎日を過ごす私達にとっては少しテンションが上がる。

 ホームルームの時間を待っていると、今日も今日とて廊下から烏丸先生の足音が聞こえ、やがて教室の扉が開かれた。

 

「席に着けー、ホームルームを始めるぞ」

 

「「トリック・オア・トリート!!」」

 

「は?」

 

 教壇に立った烏丸先生に先制攻撃をしかける球子とゆうちゃん。

 

「そういえば今日はハロウィンか。一体私にどんなイタズラをしてくれるんだ?」

 

 どうしてこの人はイタズラを求めているのだろう。ここは私が提案してみよう。

 

「久美子さんの気持ちをれんちゃんにバラそうかしら」

 

「ちょうどここにクッキーがある。欲しい奴は並べ」

 

「やったあ!」

 

 一瞬で掌を返した烏丸先生の元に球子とゆうちゃんが駆け寄る。

 

「お前達は要らないのか?蓮花の手作りクッキーだぞ?」

 

「「「え!?」」」

 

 即座に全員が席を立ち、教壇の前に一列に並ぶ。

 

「どうしてれんちゃんのクッキーを持っているの?」

 

「時々何か作っては、間食として持たせてくれている」

 

「今日だけ、というわけではないんですね」

 

「ああ」

 

 全員がクッキーを貰うと、席に戻って口に入れる。授業前の糖分補給だ。

 

「それから、その脅しはあまり意味が無いぞ」

 

「どうして?」

 

「蓮花はきっと、もう私の想いに気付いている」

 

「……ふーん」

 

「ついでに、あいつには恋をしている相手がいるらしい」

 

「「「えっ!?」」」

 

 烏丸先生の口から衝撃の発言が飛び出し、私の口からは飲み込もうとしていたクッキーが飛び出しかける。

 

「五年程前からその人に恋をしているらしい」

 

「……え、五年前?」

 

「千景さんですか?」

 

「私がれんちゃんと知り合ったのは四年前だから、違う……」

 

「思い当たるような人物はいないのか?」

 

「……いないわ」

 

 必死に頭を回して考えるが、そんな人は思い当たらない。

 そもそも私は、私と出会ってからのれんちゃんしか知らない。

 

「……よく考えたら、私はれんちゃんの過去を何も知らないわ。どこで生まれて、どこで育って、私と出会うまで何をしていたのか……何も知らない」

 

「千景が知らないなら、私達にもわからないな」

 

 四年間一緒にいて何も話してくれていないのは、話したくないからかもしれない。それでもいつか、少しでもいいから聞いてみたい。あの人のことを少しでも知りたい。

 

「……おっと、もう一時間目の開始時間か。ホームルームはしていないが、まぁいいだろう。授業を始めるぞ」

 

「起立」

 

 若葉の号令で全員が席を立つ。そしていつものように礼をして、今日も授業が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、私は自室でれんちゃんと談笑していた。れんちゃんは訓練の後、よく私の部屋でお茶して帰るのだ。

 

「一年間の訓練でかなり鎌を振れるようになったね」

 

「れんちゃんの教え方が上手だから」

 

「それはよかった」

 

 アイスコーヒーのおかわりを入れる為に立ち上がろうとした時、部屋の扉がノックされた。今日は誰が来たのだろうと思いながら、キッチンに向かおうとした足の方向を変えて扉に向かう。

 扉を開けると、『誰』というか全員いた。

 

「どうしたの?」

 

「れんちゃんはいますか?」

 

「いるけど」

 

 とりあえず全員を部屋に入れる。すると皆はれんちゃんを囲うように座った。

 

「「「トリック・オア・ トリート!」」」

 

「お菓子はあげるからイタズラしてくれ」

 

「どういうことよ」

 

 この為にここに来たのか。まあ構わないが。というかイタズラしてくれって何だ。

 

「でも、今はお菓子持ってないな……。今から皆でスーパーに買いに行く?金は出すよ」

 

「「行く!」」

 

「いいの?」

 

「いいよ。元々買い物して帰る予定だったし」

 

 れんちゃんは残りのコーヒーを飲み干して立ち上がる。

 私も軽く出かける準備をして、皆で寮を出た。

 

「ちょっと職員室に寄っていくね」

 

「どうして?」

 

「久美子にもいる物あるか聞いていく」

 

 七人で職員室に向かう。全員で入るとさすがに邪魔なので、れんちゃん以外は扉の前で待つことにした。

 中に入っていくれんちゃんを見送り、扉から皆で中を覗き込む。

 

「久美子、お疲れ様」

 

「どうした蓮花?」

 

「今から皆を連れてスーパーに行ってくるね。久美子は何かいる物ある?」

 

「いや、特には無い」

 

 二人をやり取りを見ていると、久美子さんがこちらに気がつき目が合った。

 

「お前達は何か用か?」

 

「いえ、私達はただの野次馬なのでお気になさらず!」

 

 久美子さんの問いに杏が返答する。私達は野次馬だったらしい。

 

 

 

 

「久美子さん、いつもの悪い笑みではなく自然な笑顔ですね」

 

「きっと好きな人が会いに来てくれて嬉しいんだよ」

 

 ひなたやゆうちゃんがひそひそと呟く隣で、杏が鼻息を荒くしている。

 

「少年少女の甘酸っぱい青春とはまた違った、大人の恋愛……!!」

 

「楽しそうだな、あんず」

 

「郡家の観葉植物になって恋の行方を見守りたいです……」

 

「うちに観葉植物はいらないわ」

 

 一応静かに騒いでいるが、二人には聞こえていないだろうか。

 

 

 

 

「今日の晩ご飯は何がいい?」

 

「……な──」

 

「なんでもいい以外で」

 

「……肉」

 

「広いな。まぁいいや、食材見ながらメニュー考えるか」

 

 

 

 

「なんでもいいって言われると困るのよね」

 

「タマ、時々母ちゃんになんでもいいって言ってたぞ」

 

「私も」

 

「これからは出来る限り考えて答えてあげなさい」

 

 私も最初の一年くらいはれんちゃんになんでもいいと答えていたが。考えるのが面倒なのではなく、れんちゃんは何を作っても美味しいので決められないのだ。

 

 

 

 

「それじゃあ、仕事頑張ってね」

 

「ん……ああ」

 

 れんちゃんは久美子さんの髪を撫でてそう言うと、職員室から出てきた。

 

「あ、今のいいですね……!!」

 

「ん?どうした?」

 

「あ、いえ、何でも」

 

 興奮する杏を、れんちゃんは面白いものを見る目で見るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人五百円までで好きな物選んでおいで」

 

「「はーい」」

 

 スーパーに入りれんちゃんがそう言うと、皆それぞれ散開していく。

 

「あ、千景と友奈。茉莉の分も選んであげてくれ」

 

「わかったわ」

 

 ひとまず、ゆうちゃんと共にお菓子コーナーに向かう。

 私は大体ゲームをしながら食べるため、手を汚さずに食べられる物を選ぶことが多い。箸を使えば済む話だが、洗い物を増やしたくない。

 今日も例に漏れず、個包装されているクッキーの箱を何種類か選ぶ。

 

「ちーちゃんはクッキー好きなの?」

 

「ええ。手を汚さずに済むし」

 

「なるほど」

 

 ゆうちゃんが悩んでいる隣で、私は茉莉さんの分を考える。どういうものが好きなのだろうか。チョコチップクッキー等は皆好きだろうか。

 

「……ねぇゆうちゃん。三人でいろんな種類のクッキーを買って、ちょっとずつ分けない?」

 

「そうする!いろんな味が楽しめていいね!」

 

 そういうわけで、私達は沢山のクッキーの箱を抱えてれんちゃんの元へ戻った。

 

 

 畜産コーナーで豚肉を眺めているれんちゃんを見つけ、そのカゴにクッキーを入れる。

 

「色々持ってきたね」

 

「三人で分けるの!」

 

「そっか」

 

「れんちゃんは今日の晩ご飯は決まった?」

 

「う〜ん……」

 

 少し唸った後、れんちゃんは豚バラ肉を手に取った。

 

「……今日は回鍋肉にしようかな。最近中華食べてないし」

 

「そういえば私達も中華料理は最近食べてないね」

 

「一日三食うどんの日も珍しくないわね」

 

「また千景の部屋に泊まりに行った時に中華作ってあげようか」

 

「やったぁ!」

 

 次の土曜日の夕食が中華に決まった。おそらく、夕食時には私の部屋に全員集合するのだろう。

 豚バラ肉をカゴに入れ、次は野菜を求めて農産コーナーに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千景、そのクッキーを一枚くれないか。代わりにこのみたらし団子を一つ交換しよう」

 

「ええ、いいわ」

 

 夜は私の部屋にそれぞれ選んだ菓子を持ち寄り、のんびりと過ごしている。なぜ私の部屋なのか。談話室のようなものを増設してもらうべきか。

 

『いっけなーい遅刻遅刻っ!』

 

「なんか選択肢が出たぞ」

 

「こんな序盤で珍しいですね」

 

 テレビでは恋愛シュミレーションゲームが映っている。乙女ゲームというやつだ。

 適当なゲーム五本セット千円で買った中に入っていたがやらなかったゲームなのだが、杏が興味を持ったので、プレイしているところを皆で眺めている。

 今は、主人公が寝坊し、トーストを咥えて学校までの道程を走っており、もうすぐ曲がり角に差し掛かるというよくある状況だ。

 

「A.このまま全力で走る。B.一旦止まって左右を確認する。C.引き返す」

 

「引き返すって何だ?」

 

「よくあるラブコメではこのまま走って、曲がり角を走ってきた異性とぶつかる展開ですね」

 

「Aを選んだら青春が始まりそうだけど、他の選択肢が気になりすぎるわね」

 

 Bを選んだ場合は、誰かとぶつかることはなく恋愛に発展することもないのだろう。Cは何だ。

 

「ちょっとCを選んでみます。気になるので」

 

「ええ」

 

 杏がCを選択すると、主人公は立ち止まり、後ろを向いて来た道を全力で走り出した。

 

『登校途中で気が変わり、遅刻するかもしれないなら、いっその事仮病で休んでしまおうと思い家に帰った。BAD END』

 

 

 

 

「いや遅刻しそうでも学校行けよ!」

 

「悩んだ結果、振り切れちゃったんですね」

 

「このゲーム面白いね」

 

 面白いゲームとは、思わぬ所で見つかることもあるのだと知った。

 

 

 

 

 

「そういえば、四国は敵の襲撃が全く無いな」

 

 杏のプレイを眺めながら菓子を食べて談笑していると、ふと若葉がそんなことを言った。

 

「言われてみれば確かに」

 

「敵は全部諏訪に行ってるとか?」

 

「だが、四国の方が圧倒的に生き残っている人口が多い。そんな場所を完全に放置するとも思えないが」

 

 丸亀城での生活が始まって一年と少しが経過し、勇者として敵と戦うことを覚悟して毎日訓練しているが、今の所敵は全く攻めてこない。

 

「四国には神樹様があるから、外でめちゃくちゃ戦力を溜めて準備しているとかでしょうか?」

 

「小さい地域から先に潰しておこうとしてるとか?」

 

「もしくは誰かがこっそり倒してくれているとか?」

 

 杏の言葉に首を傾げる。バーテックスを倒せる人なんてそうそういるわけではない。

 

「誰かって?」

 

「えっと……私達勇者以外だと、バーテックスを倒せるのは蓮花さんだけですね」

 

「でもれんちゃんはちーちゃんの訓練で毎日丸亀城に来てるよ?」

 

「土日もよくここに来ているな」

 

 

 

「……毎日じゃないわ」

 

「え?」

 

 れんちゃんの行動を全て知っているわけではないが、大体何曜日の何時頃に何をしているかはなんとなくわかる。そして、時折よくわからない時間の穴があることに気がついた。

 

「れんちゃんは時々、用事があるからって訓練に来ない日があるわ」

 

「そういえばそうだね」

 

「そしてそれは、よく考えてみればいつも毎月第一月曜日。定期的に謎の『用事』でどこかに行っている」

 

 きっちり決まった日にどこかに行く。おそらく向かう先も同じ場所ではないだろうか。

 

「……千景はその『用事』が何か聞いていないのか?」

 

「何も聞いていないわ」

 

「久美子さんは知ってたりしないかな?」

 

「……明日、久美子さんに聞いてみましょう」

 

「で、でももしかしたらって可能性の話ですよ?」

 

「『用事』が何なのか聞くくらいは問題ないでしょう」

 

 私の一番身近な人が、裏で危険な事に身を投じ続けているかもしれない。

 そんな可能性に気がついた後は、談笑なんてしていられなかった。

 不安や心配が少しずつ生まれ出す。嫌なモノが背筋を冷たく走った。




今日の郡家

 夜。

「トリック・オア・トリート」

「え、久美子の分は買ってきてないよ?」

「……なら、イタズラしなければな」

 久美子さんはそう言うと蓮花さんを押し倒したので、ボクは風呂に入ることにした。


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第56話 少し素直に

「今日は、帰りが遅くなるのか?」

 

 朝食の後、おにぎりをいくつか作ってラップで包んでいると、久美子にそう聞かれた。

 

「わからない。できるだけ急ぐけど、もし遅くなったら晩ご飯は自分達で作って先に食べていてくれ」

 

「……わかった」

 

 そして久美子は僕を抱き締める。僕も少し手を止めて、手を洗ってから久美子を抱き返す。

 

「……気をつけるんだぞ」

 

「ああ」

 

 僕を強く抱き締める久美子は、僕の首元に顔をうずめる。

 夏頃から、僕が四国の周囲を回る日は、久美子は出勤前に僕を抱き締めるようになった。不安なのだろうか。心配なのだろうか。

 少しでも安心させるように、右手で久美子の髪を撫でる。

 

「どうしたの?」

 

「……何でもない」

 

 茉莉に不思議そうな視線を向けられ、久美子は僕から身を離し玄関に向かう。見送る為に僕も玄関に向かった。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 ──────────

 

 

 11月になった。そして第一月曜日、やはりれんちゃんは『用事』があり丸亀城に来ることはなかった。

 訓練の時間、私は事前に言われていたトレーニングメニューを自分のペースで進める。

 半分程終わったところで一旦休憩を挟み、道場の壁際に置いていた水を飲む。そしてタオルで汗を拭きながら、すぐ隣で訓練をしているゆうちゃんと烏丸先生に目を向ける。

 

「やあっ!はっ!」

 

「今日もキレがいいな、友奈」

 

 ゆうちゃんの力強い拳や脚を、烏丸先生はミットで受け止め、時には受け流す。

 ゆうちゃんは至って真剣で、その相手をする烏丸先生も真剣だ。そうでないと、ゆうちゃんの相手をするのは怪我をしてしまうだろう。

 しかし休憩に入ると、烏丸先生はどこか心配そうな表情をした。やはり何か知っているのだろう。

 ……こうして意識するまで、久美子さんがこんな表情をするなんて知らなかった。

 

 

 

 

 

 放課後、私は初めて自分から久美子さんを部屋に呼んだ。話を聞く為だ。

 今日の仕事を終えた久美子さんを一応労おうと思い、ホットコーヒーを入れる。

 

「お前が私を部屋に呼ぶなんて何事だ?今日は早く帰って夕飯を作らないといけないんだが」

 

「それは、れんちゃんがまだ帰ってないから?」

 

「……」

 

 久美子さんは黙ってマグカップに口をつけ、ホットコーヒーを飲む。

 

「……ねぇ。久美子さんはれんちゃんの用事が何か知っているの?」

 

「……聞かされてないのか?」

 

「うん」

 

「……そうか」

 

 腕を組み、真面目な顔で考え込む。私達の想像が当たってしまうのではないかと、緊張が立ち込める。

 

「……お前に話していないなら、蓮花なりの理由があるんだろう。私からは話さないでおこう。知りたければ直接聞け」

 

「え……わかった」

 

「……不安か?」

 

「うん……」

 

『用事』の内容も、私に話してくれない理由も、不安だ。悪い想像ばかりしてしまう。

 

「……まぁ、心配せずとも大丈夫だ」

 

「心配そうな顔をしていたくせに、どの口が言うのよ」

 

「顔に出ていたか?」

 

「ええ。きっとゆうちゃんも気づいてる」

 

「あの子は他人の感情に敏感だからな」

 

 久美子さんは膝立ちで私の元に近寄ると、いきなり私を抱き締めた。

 

「ちょっ、急になに!?」

 

「不安な時は誰かに抱き締めてもらうと安心するからな」

 

 そう言って私の頭をわしゃわしゃと撫でる久美子さん。

 れんちゃんは久美子さんを面倒見がいい人だと言っていた。こういう面も含めてのことなのだろうか。

 

「……久美子さんでも、女らしい甘い香りがするのね」

 

「前にあいつにも同じことを言われたな」

 

「……え、何?ハグしたの?」

 

「ハグなんて日常茶飯事だ」

 

「ちょっとどういうこと!?その辺詳しく──」

 

 久美子さんはパッと私から離れると、残りのコーヒーを飲み干して立ち上がった。

 

「用はこれだけか?なら私はそろそろ帰る。また明日な」

 

「ねぇちょっと待ちなさいよ!」

 

 私が追いつく間もなく、久美子さんは扉を開けて私の部屋から出て行った。

 外は既に日が落ちて暗く、秋の肌寒さを感じる。

 明日、れんちゃんに直接聞いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、れんちゃんはいつものように私の部屋に来てくれた。

 訓練で汗をかいた私は、ひとまずシャワーを浴びた。その間にれんちゃんはホットコーヒーを入れてくれていた。

 

「もうすぐ冬だねぇ」

 

「そうね」

 

 二人で隣合って座り、ベッドの縁に背を預けてコーヒーを一口飲む。

 少し肌寒いが暖房をつけるにはまだ早い。そんな時にホットコーヒーは程良く身体を温めてくれる。

 

「……ねぇ、れんちゃん」

 

「ん?」

 

「昨日は……どこで何をしていたの?」

 

 れんちゃんはマグカップをテーブルに置いた。

 

「……知りたいの?」

 

「うん」

 

「どうしても?」

 

「どうしても。知らないと、不安で……」

 

 れんちゃんの目を真っ直ぐに見つめて問う。想像と違っていればそれでいい。どうであろうと、知らないままではいつまでも不安は解消されない。

 

「……四国の壁の外に行ってたんだ。四国を一周して、周りのバーテックスを片付けていた」

 

「……ぇ」

 

 知りたいとは望んだ。しかし返ってきたのは、一番違っていてほしかった答えだった。

 

「……どうして今まで……教えてくれなかったの?」

 

「心配させたくなかったから」

 

「教えてくれていたら、私も一緒に……」

 

「絶対に駄目だ」

 

「なんで……」

 

「……娘を戦場に連れていく親がどこにいるんだ」

 

「ぇ……」

 

「大切な家族を、戦わせるわけないだろう」

 

 私を大切に思ってくれているのは、疑いようのないほど理解している。

 私は、大切な友達や貴方を守りたくて勇者になった。でも、貴方にとっての私は常に、勇者である前に家族なんだ。

 

「でも、だからって……せめて教えてくれても……」

 

「実際にこの一年、それを知らなかったことでお前は僕を心配なんてせずに済んだはずだ」

 

 そう言われて言葉が詰まる。確かに私は、れんちゃんの用事は大社にでも行っているのだろうと思っていた。不安になることもなかった。

 それでも。

 

「それでも……もっと早く教えてほしかった……。大切な人が危険な事をしているのを、知らないまま毎日を過ごすほうが嫌よ……!!」

 

「……すまない」

 

 感情が昂り、涙が零れてくる。この人に涙を見せるのはいつぶりだろう。

 れんちゃんは私を抱き寄せ、私の頭を撫でる。私が泣いた時は、いつもこうしてくれる。

 私の事を思って黙っていたのだろう。それでも私は、大事なことは早めに共有してほしかった。私の知らないところで傷付いたり、帰ってこなかったりしたら、私はどうしていただろうか。

 

「……これからは、大事なことはちゃんと私に話してください」

 

「はい……ごめんね」

 

 れんちゃんの腕の中はホットコーヒーよりも温かい。身体だけでなく、心も温まる。

 

「……今日はここに泊まって」

 

「……わかった。でも、一旦家に帰って晩ご飯を作ってくるね」

 

「ええ」

 

 れんちゃんは私を放して立ち上がると、荷物を持って私の部屋を出て行った。

 れんちゃんが戻ってきたのは約一時間後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂で夕食を摂り、一緒に風呂に入り、今はれんちゃんに髪を梳かしてもらいながらゲームをしている。至福の一時だ。

 

「千景の髪はずっと綺麗だね。触り心地がいい」

 

「れんちゃんはショートヘアとロングヘア、どっちが好き?」

 

「その人に似合う方」

 

「私は?」

 

「ロングかな」

 

 れんちゃんは私の髪にそっと触れ、櫛を入れる。もう何年も髪を梳いてもらっているため、れんちゃんは長い髪を梳くのがとても上手だ。

 

「……もしかして久美子さんの髪も梳かしたりする?」

 

「ああ。久美子も茉莉も時々してあげてる」

 

「茉莉さんも?ちょっと意外だわ」

 

「髪が膝まであるからね。一人だと大変そうだから」

 

 そうだった。茉莉さんは凄く髪が長いのだ。確かにあの長さは一人では手入れしにくいだろう。

 

「久美子はせっかく腰まである長くて綺麗な髪なのに、自分ではあまり手入れしないから」

 

「もったいないわね」

 

「でしょ?」

 

 というか、我が家の女はゆうちゃんを除いて黒髪ロングしかいないのか。それと比べると丸亀城の寮はカラフルだ。

 なんて考えていると、聞き慣れた音が聞こえた。部屋の扉をノックした音だ。

 

「僕出るよ」

 

「ええ」

 

 れんちゃんが扉を開けに向かうと、入ってきたのは若葉とひなただった。

 

「ここにもいたわね黒髪ロング」

 

「こんばんは〜」

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと遊びに来た」

 

 時間は夜8時過ぎ。まあ問題ないだろう。

 二人も既に入浴を終えているらしく、寝間着姿だ。

 

「今は何をしていたんだ?」

 

「ゲームしてる千景の髪を梳いてた」

 

「あら、いいですね。私もお願いしてもいいですか?」

 

「いいよ、おいで」

 

 れんちゃんの脚の間に座り、その長く艶やかな髪を委ねるひなた。

 

「若葉も後でしてあげようか?」

 

「いいのか?」

 

「いいよ」

 

「なら頼む」

 

「うん」

 

 その後、私達はゲームをしながら談笑していたが、れんちゃんの手から櫛が離れることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「電気消すね」

 

「ええ」

 

 消灯し、二人でベッドに入る。昔と比べて狭いと感じるのは、私が大きくなったからだろうか。

 ちなみに若葉達は二時間程過ごし、先程自分達の部屋に帰った。

 

「……ねぇ、れんちゃん」

 

「ん?」

 

「あなたは、どこで生まれたの?」

 

「僕は関東出身だよ」

 

「え、そうなの?」

 

 香川で暮らしていたことがあるみたいな話を聞いた気がするから、勝手に香川出身かと思っていた。

 

「……なんでここにいるの?」

 

「色々あったんだ」

 

 れんちゃんは過去を懐かしむように目を瞑る。

 

「僕の実家は親の仲が悪くてね。よく喧嘩してた。時々、怒りの矛先が子供にも飛び火した。で、14歳の時に家出した」

 

「え!?」

 

「それから色々あったけど、今は幸せだから、これでよかったんだと思ってる」

 

 そう言ってれんちゃんは私を抱き寄せる。もう何度も一緒に寝て慣れているのに、心の鼓動は少し加速する。

 

「千景は今の生活は楽しいか?」

 

「……そうね。いつも誰かが部屋に来るから賑やかだし。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……やっぱり私は、あなたと一緒にいたい」

 

 今夜は少し、素直に気持ちを話せる気がする。

 

「沖縄に旅行した時、私といて幸せって言ってくれたの覚えてる?」

 

「そんなこともあったね」

 

「……私も、あなたと一緒にいると、幸せよ」

 

 これでもかとれんちゃんを抱き締める。れんちゃんの心音を感じる。

 

「……そっか。ありがとう、嬉しいよ」

 

「ええ。私もあの時、凄く嬉しかった」

 

 夜遅く、ベッドの中で大切な人に包まれて心音を聞いていると、段々と微睡んでくる。もう少し起きていたいのに、意識とは裏腹に睡魔は容赦なく私を眠りに誘う。

 

「……おやすみ、千景」

 

「おやすみなさい……」

 

 このまま時間が止まってしまえば、どんなに幸せだろうと思った。




今日の郡家
 蓮花さんがいない夜は久美子さんと二人きりなわけで、少し気まずかった。ボクもゆうちゃんの部屋に泊まりに行けばよかった。


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第57話 大人達の窮月

「そろそろ白菜を追加しようか」

 

「肉も頼む」

 

 すき焼きの鍋に白菜と牛肉を追加する。今夜は茉莉が丸亀城に泊まっているので、楓さん達と共に夕食を食べている。

 

「なんだか私達が来た時は鍋系が多いな」

 

「人数が増えても準備の手間が増えないからね。あと温かい」

 

「もう外は寒いですしね」

 

 12月に入り、外はとても寒い。洗濯物は乾きにくい。電気代は高い。あまり嬉しい季節ではない。

 

「そういえばもうすぐクリスマスだが、クリスマスプレゼントはどうやって枕元に置けばいいんだ?」

 

「……夜中に丸亀城に忍び込んで、寮の扉の鍵は……ピッキング?」

 

「駄目だろ。というかピッキングできるのか?」

 

「できるよ?」

 

「何故だ」

 

「昔ちょっと憧れて練習した」

 

 ピッキングに憧れる気持ちを共感できる人は多いはずだ。多分。

 

「まぁ冗談は置いといて、去年みたいにクリスマスイブに家に泊まってもらったら?」

 

「そうですね。今年もイブにパーティーをするんですか?」

 

「する」

 

「らしい」

 

「そうか」

 

 昨年の皆のサンタコスの写真は、印刷して大事にアルバムに追加した。今年も着てくれるだろうか。

 

「また皆で相談しなきゃね」

 

「そうだな。明日、茉莉を迎えに行った時に全員集めるか」

 

 味が染みた牛肉や豆腐を取りながら、明日何かお菓子を作って持っていこうかと思った。きっと喜んでくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浴室にて、シャンプーを泡立てて久美子の長い髪を洗う。

 

「確か指で擦らずに、頭頂に向かってマッサージするみたいに洗うのが良いんだっけ。前にテレビで見た」

 

「そうなのか?私は気にしたことはないが」

 

「ちょっとくらい気にしようよ。せっかく綺麗な長い髪なんだから」

 

「ん……」

 

 頭皮を洗った後は、髪に指を通していく。

 

「気持ちいい?」

 

「ああ……毎日洗ってくれ」

 

「えぇー毎日か。まぁいいけど」

 

 毎日子供達の面倒を見てくれているのだ、できることはしてあげよう。

 

「久美子はなんで髪を伸ばしてるの?」

 

「伸ばしたくて伸ばしたわけじゃない。ただ切るのが面倒なだけだ」

 

「そうなんだ。そろそろ流すね」

 

「ああ」

 

 蛇口を回してシャワーから湯を出し、久美子の髪のシャンプーを流していく。

 流し終えると、二人で湯船に浸かる。いくらか湯が溢れて減ってしまうが、仕方ない。

 

「そういえばクリスマスパーティーについてだけど」

 

「ん?」

 

「今年も久美子に皆のプレゼント選びを頼んでいい?」

 

 遠慮なくもたれかかってくる久美子がこちらに振り返る。その表情はどこか不満げだ。

 

「また一人で買いに行けと?」

 

「そうなるね。僕はその間に食料品の買い物をするから」

 

「嫌だ。お前も連れていく」

 

「え、なんで?」

 

「一人で七人分のプレゼントを考えるの大変なんだぞ。去年も必死に絞り出してなんとかまともなプレゼントを選んだんだ」

 

「それは……確かに大変だな。ごめんね」

 

 プレゼント選びは簡単ではない。夕食の献立を考えるのと同じだ。多分。いきなり一週間分のメニューを決めろと言われても困る。

 

「じゃあ次の休みにでも、一緒に買い物に行こうか。プレゼントも食料品も」

 

「ああ」

 

「久美子は何か欲しいものある?」

 

「私もか?」

 

「うん」

 

「そうだな……」

 

 悩み出す久美子の返答を待つ。待っている間は手持ち無沙汰で、なんとなく久美子の腰を撫でる。

 

「ひゃっ!……急にどうした」

 

「なんとなく。久美子の括れが綺麗だったから」

 

 可愛い声が出た。もっと撫でてみたくなる。

 

「やめろ。……欲しいものは特に思いつかない」

 

「そっか。じゃあ僕が選ぶね」

 

「そうしてくれ」

 

 昨年はコートをあげたから、今年はマフラーか、それとも手袋か。……防寒着ばかりでは冬しか使えないな。他の何かにしよう。

 

「エプロンとかどう?エプロン着けてキッチンに立つ久美子を見たい」

 

「貰ってもあまり料理しないぞ?」

 

「うーんそうか……。料理しないのにエプロン渡しても、ただのコスプレになっちゃうな」

 

「イネスで色々な店を見ながら悩めばいいさ」

 

 そう言って久美子は体ごと僕の方に振り返る。

 

「……久美子ってさ、良い感じに大きいよね」

 

「……一応聞くが、何がだ?」

 

「胸」

 

「良い感じってなんだ」

 

「これ以上言うとセクハラになるから止めておくよ」

 

「既にアウトだろう」

 

 久美子の腰に手を回して抱き寄せ、鎖骨辺りに顔をうずめると、両手で僕を包み込んでくれた。

 大人の女性に甘えることなど、久美子がこの家に来るまで無かった。

 

「……凄く、落ち着く……」

 

「まったく、お前は私が大好きだな」

 

「ああ、大好きだ」

 

「……そうか」

 

 久美子の手に髪を撫でられる。誰かの髪を撫でることは多いが、撫でられる経験はほとんど無い。こんな気持ちになるのか。

 

「……なあ、蓮花」

 

「ん?」

 

「私は、いつまでこの家にいていいんだ?」

 

「いつまででも、好きなだけいていいよ」

 

 顔を上げると、深紅の瞳と視線が交わる。

 

「丸亀城で仕事をするならこの家から近くて便利だしね。勤務地が丸亀城じゃなくなっても、ここにいてくれて構わない」

 

「いいのか」

 

「いいよ。久美子が一人暮らしをしたいなら止めないけど。そうじゃないなら、ここにいてくれ」

 

 水滴の落ちる音と久美子の瞬きが重なる。水滴の音と僕達の声以外は何の音もなく、静かだ。

 

「茉莉は嫌がるかもしれないけれど、僕は傍にいてほしい」

 

「……そうか」

 

 久美子は僕の頬に両手を添えると、唇を重ねた。キスも慣れたものだ。

 

「今夜は寝かせない」

 

「夜更かしは美容の敵だよ?」

 

「知らん。私の気持ちを昂らせたのはお前だ、責任を持って受け止めろ」

 

「えぇ……わかったよ」

 

 明日は起きたら昼だろうか。なんて考えながら、湯船から立ち上がり浴室を出た。

 とりあえずは、久美子の髪を乾かすとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌週の土曜日の昼下がり。僕と久美子はイネスにやって来ていた。

 天災直後と比べると、今は大体の店が営業を再開している。そのまま潰れてしまった店もあるが。

 

「……僕さ、昔はこういう時期のこういう場所って嫌いだったんだ。そこら中にカップルがいるから。爆散しないかなぁって思いながら見てた」

 

「今は違うのか?」

 

「今は僕の隣に美女がいるからね」

 

 隣に立つ久美子は昨年のクリスマスにプレゼントしたコートを着てくれている。

 少し冷たい手を握ると、久美子は指を絡めて繋いでくれた。女性の細い指だ。

 

「お前はすぐにそういうことを言う。だから千景に女たらしだとか言われるんだぞ」

 

「思ったことを素直に言っただけなのに……」

 

「ほら、さっさと行くぞ。色々買いに回るんだろう?入り口で話していたら帰りが暗くなるぞ」

 

 そう言って久美子は僕の手を引いて歩き出す。誰かに手を引かれることなんて、いつ以来だろうか。

 

 

 

 

「で、どこから回る?」

 

「とりあえず雑貨屋に行こう。千景はもう決めてあるんだ」

 

 そして向かった雑貨屋で、僕はエプロンを探した。そしてその売り場はすぐに見つかった。

 シンプルな物から可愛らしい物まで様々だ。

 

「エプロンか」

 

「四年前のクリスマスで、僕が使っていたエプロンをあげたんだけど、もう汚れてきててさ。そろそろ新しいエプロンをあげようと思った」

 

「千景はよく料理をするからな」

 

 丸亀城では食堂に行けば食事ができるが、千景は自室のキッチンで自炊することもある。もしかして料理も千景の趣味の一つだろうか。

 

「そういえば若葉とひなも時々料理するらしいけど、ひなは前にちょっと小さいエプロンをつけてるの見たな」

 

「成長期だからな」

 

「三人で色違いのエプロンとかどうだろう?」

 

「いいんじゃないか?」

 

 ちょうど何色か種類があるエプロンもある。これを買うとしよう。

 レジで会計を済ませて雑貨屋を出る。あと四人分だ。

 

「茉莉の欲しがりそうな画材について少し調べてきたが、コペックという、アナログで絵を描く時にいい感じに色を塗れるマーカーがあるらしい」

 

「じゃあ次は文房具屋に行こうか」

 

 文房具屋に入ると、案外すぐにそれは見つかった。しかし、その値段に少し躊躇う。

 

「……1本400円か」

 

「こっちの24色セットは9000円だ」

 

「一人だけ高額過ぎるのもなぁ……12色セットで4000ちょっとか。じゃあこれにしよう」

 

「ああ」

 

 これが茉莉の夢に直結するかもしれないと考えると、これくらいの出費もまぁいいかと思えた。

 

 

「あと、趣味がわかりやすい子で言えば杏か」

 

「5000円分の図書カードでいいんじゃないか?」

 

「変なものをあげるより喜ばれそうでなんか悔しい」

 

「そういえばこの前杏の部屋を覗いた時、本が本棚に入りきらず積まれていたぞ」

 

「じゃあ本棚を組み立ててプレゼントするか」

 

 しかし徒歩で担いで帰るわけにもいかないので、本棚は帰ってから通販で買うとしよう。

 

「球子については、ホットサンドメーカーとかどうだろう?」

 

「そういうの好きそうだな」

 

「ホームセンターに売ってるかな。帰りに寄ろう」

 

 そして最後、一番悩ましい友奈のプレゼントだ。

 よくよく思い返してみると、友奈はあまり自分の事を他人に話さない。

 

「友奈の趣味とか知ってる?」

 

「知らないな……武道とかか?」

 

「何をあげたらいいかわからないな……」

 

 近くのベンチに腰を下ろし、顎に手を当てて考える。

 しばらく考えた後、とある小学6年生の女の子が合宿で持ってきていた物を思い出した。

 

「……プラネタリウムとかどうだろう。喜んでもらえるかな」

 

「プラネタリウムか……調べてみたら、子供へのプレゼントでよくあるみたいだな。いいんじゃないか?友奈は何を貰っても喜ぶだろう」

 

「だからこそ悩むんだよね。プラネタリウムってどこに売ってるんだろ」

 

「……家電量販店にあるらしい」

 

 僕の疑問に久美子が即座にスマホで調べて答えてくれる。

 

「ちなみにホットサンドメーカーも家電量販店で売っているらしい」

 

「じゃあ帰りに寄って両方買おう。案外早く済んだね」

 

「やはり二人だとラクだな。相談ができるのもいい」

 

「今からは食料品を買いに行くよ。パーティーで食べたい料理と今日の晩ご飯の案を出してね」

 

 再び立ち上がり、食料品売り場を目指した。

 買い物を終えてイネスを出ると、既に辺りは暗くなっていた。

 

 

 ──────────

 

 

 クリスマスイブ。昨年も着たサンタコスに今年も身を包む。

 

「……なんだかちょっときついわね」

 

「私もだ」

 

「私も胸元が少し……」

 

「なんだぁ!?そのぽよよんが去年より成長したって言いたいのか!?」

 

 小学校高学年から中学生にかけて、多くの女子は成長期を迎える。身長や胸など、色々大きくなる。

 ひなたはこの一年で身長はあまり伸びていない気がするが、胸が明らかに大きくなった。ほとんど変わらない球子とは対照的に。

 

「成長期なんだから当たり前よ」

 

「タマは……タマにはその当たり前が無いのか……」

 

「き、きっともうすぐタマっちにも成長期が来るよ!」

 

 球子をフォローしようとする杏も、この一年で身長、バスト共に成長している。逆に球子の傷を抉りそうだ。

 杏は今年の夏頃で学習が6年生の範囲に入り、少し前にようやく若葉達の進捗に追いついたため、球子に対して先輩と呼ぶのをやめた。

 

「どうしてタマは……去年の服のサイズがピッタリなんだ……」

 

「背が伸びていないからじゃないか?」

 

「若葉ちゃん駄目ですよ、こういう事に真っ直ぐ答えるのは相手を傷つけるんです」

 

「そうなのか。すまない球子」

 

「そう思うならお前の身長を分けてくれ……は!」

 

 落ち込んでいたかと思った球子は、唐突に顔を上げて茉莉さんの方を向く。

 

「えっと……どうしたのたまちゃん?」

 

「タマは思ったんだ。茉莉姉ちゃんもそんなに成長してないんじゃないかと」

 

「……ごめんねたまちゃん。ボクも一応、この一年で下着を買い替えた程度には成長したんだ」

 

「裏切り者ぉぉぉ!!」

 

 膝から崩れ落ちた球子はさておき、私も少し驚いた。言われてみれば確かに、少し大きくなっている気がする。

 

 

 全員が着替え終え、和室の襖を開けてリビングに出ると、今年もれんちゃんは鼻血を流しながら崩れ落ちた。しかし昨年とは違い、しっかりとティッシュの準備がされており、その手には既に鼻栓ティッシュが作られていた。

 

「一応聞くけど、大丈夫?」

 

「大丈夫大丈夫。去年は不意打ちだったけど、今年は先にわかってたから」

 

「あっという間に鼻栓ティッシュが真っ赤に染まったが」

 

「次の鼻栓に換えよう」

 

 そして次の鼻栓もすぐに血で染まっていく。本当に大丈夫だろうか。

 れんちゃんの隣では、久美子さんが少し笑いながら鼻栓ティッシュを量産していく。その格好はよく着ている紺色無地の長袖Tシャツで、昨年着たサンタコスではない。

 

「久美子さんは今年はサンタコス着ないんですか?」

 

「久美子は二人きりの時に着てくれるらしいから」

 

「二人きりの時にサンタコスを着て何をするんですかっ!?」

 

「おお、落ち着けあんず」

 

 ひなたの問いに対するれんちゃんの答えに、杏が鼻息を荒くして興奮する。そして久美子さんは顔を逸らしつつ、れんちゃんの脇腹を抓る。

 

「まあそんなことは置いといて、晩ご飯食べよう?チキンとか冷めちゃうよ」

 

「後で教えてくださいね!?」

 

「忘れろ」

 

 それぞれテーブルを囲んで座る。私の家のリビングに11人で集まるのは正直かなり狭いが、楽しいので良しとしよう。

 皆で過ごす二度目のクリスマス。来年はここに歌野達が加わり、さらに狭くなるのだろう。……入れるだろうか。

 

 

 ──────────

 

 

「皆寝たよ」

 

「そうか」

 

 深夜に差し掛かる頃、千景達が眠っているのを確認して和室の襖を閉める。

 そしてソファにもたれかかって飲酒をする久美子の隣に座る。

 

「日が変わった辺りでプレゼントを置こうかな。……あ、そうだ」

 

「ん?」

 

 またすぐに立ち上がり、押し入れの中にあるプレゼントの一つを取り出し、久美子の左隣に腰を下ろして手渡した。

 

「久美子は酔い潰れる前に渡しておくね。メリークリスマス」

 

「ん。ハイカットスニーカーか」

 

「久美子の靴は奈良から避難してきた時から履き続けてて、ちょっとボロくなってたから。今のやつと似たデザインにしたよ」

 

 久美子のクリスマスプレゼントに選んだのは、黒のハイカットスニーカー。ヒール等も似合うかと思って少し悩んだが、おそらく久美子は機能性を重視するだろうと思った。

 

「ありがとう。私からも……ほら、受け取れ」

 

 久美子から渡された箱を開けると、赤い石のネックレスが入っていた。

 

「これは?」

 

「ルビーのネックレスだ。異性にクリスマスプレゼントを渡すのが初めてで、どういう物を渡せばいいのかあまりわからなかった。要らなければ売るなり捨てるなりしてくれ」

 

 久美子はそう言い捨てたが、そんなことをできるわけがない。

 

「そんなことをするわけないだろう。ありがとう、大切にするよ」

 

「そうか、ならいい」

 

 声の抑揚は変わらないが、その表情は確かに嬉しそうで。

 スニーカーを履いてみてサイズや履き心地を確かめている久美子の手に左手を重ね、右手で肩を抱き、唇を重ねた。

 

「んっ……!?」

 

 

 少しして唇を離すと、久美子の顔はルビーのように赤くなっていた。不意打ちには弱いらしい。

 

「ごめんね、可愛くてつい」

 

「……する前に言ってくれ」

 

 そう言う久美子は僕の脚を跨いで腰を下ろすと、両腕を僕の首に回して密着し、再び唇を重ねた。今度はより深く、舌も入れて。

 

 

「僕は起きてるけど、久美子は寝てもいいんだよ?」

 

「付き合うさ。まだ酒も飲み切っていないし」

 

「そう」

 

 飲み切っていないと言いつつも、久美子は僕と向かい合って抱き締めたままで、酒はテーブルに置かれたままだ。

 

「……蓮花は、私と一緒にいて楽しいのか?私はつまらない人間だと思うが」

 

「どうした急に。……楽しいっていうか、一緒にいると嬉しいかな」

 

「……そうか。私もだ」

 

「それはよかった」

 

 一向に久美子は僕を放す気配がないので、僕も久美子を放さずに抱き締める。

 

「来年はどんな年になるかな」

 

「きっと今よりも騒がしくなるだろう」

 

「そうだね。そして久美子の仕事も増える」

 

「やめてくれ。疲れたら蓮花に癒してもらう」

 

「いいよ」

 

 普段は凛々しい人でもこんな風に誰かに甘えるんだなと思っていると、そういえば若葉もそうだったと思い出す。ひなたに甘えて息抜きをしているから、普段は凛々しくいられるのだと言っていた。

 

「今日はリビングで布団を敷いて寝ないか?和室で五人並んで寝るのは狭いだろう」

 

「まあ……確かに。じゃあそうしよう」

 

 一旦久美子に降りてもらい、押し入れから布団を一枚取り出して運ぶ。既に久美子がテーブルを少し動かしてスペースを空けてくれていたので、そこに布団を敷いて二人で入る。

 

「冬に布団に入ると眠くなるね」

 

「私がお前を寝かせないから安心しろ」

 

「酒で酔ってる久美子の方が先に寝そう」

 

 布団一枚に大人二人。狭くはあるが、密着していれば問題なく寝られる。

 日が変わるまで、二人で静かに時間を過ごした。




今日の郡家
 皆がジュースやシャンメリー等を飲んでいる中、蓮花さんはトマトジュースを飲んでいた。今年はとても準備がよかった。


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第58話 願い事

3月上旬辺りまで投稿頻度が下がるかもしれません。


「年が、明けたねぇ」

 

「そうね」

 

 正月のお笑い番組を見ながらみかんの皮を剥き、とりあえず僕の脚の間に座っているひなたにあげる。

 隣を見ると、同じように茉莉が友奈にみかんをあげている。

 

「愛媛のみかん美味しいね」

 

「そうだね。いっぱいあるから、どんどん食べないとカビが生えちゃう」

 

 部屋の隅に置かれたダンボール、その中に入っている大量のみかん。毎月球子や杏のご両親が送ってくれるのだ。これでも皆で分けた後なのだが、多い。正月だから多めに送ってくれたのだろうか。

 

「いいじゃないか。こたつと大量のみかんがある正月は最高だ」

 

「それには同意するわ」

 

「うちにもこたつが欲しいな……」

 

 こたつに入ってみかんを食べ続ける久美子、千景、若葉。狭くないのだろうか。

 

「球子達はまだ寝てる?」

 

「はい。昨日は年明けまで皆で起きていたので」

 

「まあ大晦日はそうだよなぁ」

 

 昨晩は若葉達の家に泊まった球子と杏はまだ寝ているらしい。寝正月も幸せだろう。

 みかんをもぐもぐと咀嚼するひなたの髪を撫でていると、若葉の視線がひなに向けられる。

 

「どうかしましたか若葉ちゃん?」

 

「いや、ひなたは昔からよくそこに座っているなと思ってな」

 

『そこ』とは僕の脚の間を指すのだろうか。思い返せば、ひなたは確かによくここに座る。

 

「ここが一番好きなんです」

 

「そうか」

 

「勝手に餌付けしてもらえるからか」

 

「ち、違いますよっ!確かにいつも何か食べさせてくれますけど……」

 

 最近はみかんをあげることが多い。愛媛から送られてくるみかんがほぼ常にあるからだ。

 

「ここが一番、安心できるんです」

 

 そう答えるひなたの表情は後ろからでは見えない。僕の元が一番安心できると言ってもらえるのはとても嬉しい。

 

「わかるわ」

 

「物理的にも世界一安全な場所だろうな」

 

「そういう意味じゃないってわかっているくせに」

 

 僕が次のみかんの皮を剥こうとすると、リビングの扉が開かれた。球子達が起きてきたのだ。

 

「おっすあけおめー!!」

 

「あけましておめでとうございます」

 

「あけおめ〜。新年も朝から元気だね」

 

「あけましておめでとう」

 

 球子達の後ろに続いて楓さんと琴音さんも入ってくる。二人が起きるまで見ていたのだろう。

僕は用意していたポチ袋を取り出すと、二人に手渡した。

 

「球子、杏。はい、お年玉」

 

「「ありがとうございます!」」

 

「じゃあ皆揃ったし、初詣行こうか」

 

「「「はーい」」」

 

「皆、和室で晴れ着に着替えておいで」

 

 昨年は無理だったが、今年は全員分の晴れ着を用意できている。皆が和室に入って着替え始める中、僕はスマホのカメラアプリを起動する。

 

「……あれ、久美子は着てくれないの?」

 

「私も着ないと駄目か?動きにくくて嫌なんだが」

 

 久美子は一人和室に入らず、今もまだこたつに入っている。

 

「せっかく用意したし着てほしいな。久美子の晴れ着姿も見たいし」

 

「……わかったよ」

 

 久美子は渋々といった様子で立ち上がり、和室に入っていった。

 了承してくれたことを嬉しく思う。久美子の晴れ着姿を見られるのは生涯で一度きりになるかもしれないから。

 

 

 

 

 

 しばらくして和室の襖が開き、続々と晴れ着に身を包んだ少女達が姿を見せる。皆それぞれの色や柄がよく似合っている。

 

「着付け終わりました〜」

 

「ああ……良い……最高だ……」

 

 シャッターボタンを長押しして連写する。後で良い写真を選ぼう。

 千景や若葉、茉莉は普段より少し大人びた様子で綺麗だ。ひなたはもはや若女将と呼んでも差し支えないような貫禄がある。

 やはり黒髪に着物は合う。

 皆それぞれ髪を纏めたりしているが、珍しく球子は髪を下ろしていて可愛らしい。

 久美子も例に漏れず、長い黒髪を纏めている。

 

「……なんだ」

 

「……綺麗だ」

 

「ふん……」

 

 顔を逸らす久美子は珍しく照れているようだ。そんな様子もしっかり写真に収める。

 

「一人ずつ写真を撮りたいけど、球子は脱ぎたそうだし初詣行こうか」

 

「おう!動きにくいから早く脱ぎたいぞ」

 

「せっかく可愛いんだからしばらくそのままでいようよ〜」

 

 僕も杏に同意したいが、嫌がっているのを強要したくもない。外でも沢山写真を撮ろう。

 家を出ると、僕達は最寄りの神社に向かった。

 

 

 ──────────

 

 

 神社に到着し、中に入っていく。数年前程多くはないが、元旦ということもありそれなりに人で賑わい、屋台も出ている。

 

「先に参拝してから屋台を見て回ろうか」

 

「参拝って、神樹様にお願いをすることになるのかしら?」

 

「そうかもしれないね。神樹はいろんな神様の集合体だから、ここの神様も含まれてるかもね」

 

「お前達は神に見初められた勇者と巫女なのだから、もしかしたら本当に願いを叶えてくれるかもしれないな」

 

 手水所で両手や口を清めて拝殿に向かい、参拝の列に並ぶ。

 

「真冬に冷水で手を洗うのは冷たいね〜」

 

「じゃあボクが手を握っててあげるね」

 

「ありがとう。茉莉さんの手、温かい」

 

 数分後、参拝の順番が来た私達は賽銭を入れて鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼をしてお参りした。

 全員の参拝が終わると一旦自由行動となり、各々が興味のある屋台へ歩いていく。

 

「やっぱり屋台といえばまずはベビーカステラだよな!」

 

「定番だね」

 

 そう言って球子と杏はベビーカステラの屋台に向かった。迷子になっても困るため、楓さんがその後ろをついて行った。

 

「私は唐揚げ食べたい!」

 

「一緒に買いに行こっか」

 

「私も少しつつきたい」

 

「嫌だよ、久美子さんは自分で買いなよ」

 

「チッ、わかったよ」

 

 ゆうちゃんと茉莉さん、久美子さんは唐揚げを買いに行った。あの三人でいると、久美子さんは大人というより年上の友達といった感じだ。

 

「あっちにはクレープがありますよ若葉ちゃん」

 

「おお、いいな。買いに行くか」

 

「甘いものが大好きですもんね」

 

「あ、ああ」

 

 少し離れたところにあるクレープの屋台に向かう若葉とひなた。その後をついて行く琴音さん。若葉は昔から甘いものに目がない。

 そして私の隣にはれんちゃんが立っている。

 

「……れんちゃんはどんな願い事をしたの?」

 

「ん?僕は……皆がずっと幸せでいられますように、ってね。千景は?」

 

「私は……」

 

 問い返され、答えかけて口を噤む。

 

「……内緒よ」

 

「えぇー聞きたいなぁ、千景の願い事」

 

 言えるわけがない。皆の幸せを願ったあなたの前で。

『あなたとずっと一緒にいたい』なんて自分の為の願いを。

 話を逸らそうとして屋台に目を向ける。

 

「れんちゃんは屋台を見に行かないの?」

 

「千景は何か気になるものはある?」

 

「まあ、ベビーカステラも唐揚げもクレープも、美味しそうだし食べたいけれど……」

 

 食べたいものは色々あるが、途中で満腹になって全ては食べられなさそうだ。そう伝えるとれんちゃんは微笑んだ。

 

「そっか。じゃあ食べたいもの全部買って、二人で半分こしよう」

 

「そんなにお金を使っていいの?屋台ってそこそこ高くない?」

 

「気にするな、今日くらい贅沢しよう。ほら、行こう」

 

 れんちゃんに手を引かれ屋台の方に歩き出す。草履を履きなれていない私の歩く速さに合わせてくれる。

 

 

「……一緒に過ごせる正月はこれが最後かもしれないから……」

 

 喧騒に紛れたれんちゃんの独り言を、私は聞こえなかったふりをした。

 

 

 ──────────

 

 

 新年最初の金曜日、僕はひなたと共に大社を訪れていた。新年最初の神託の儀を執り行うらしい。

 多くの神官達が集まり、巫女達が儀式を行う様子を、僕は後方から見守っていた。

 

 それが終わると、僕は応接室に通された。唐突な訪問ではなかったため、テーブルの上には茶も用意されている。

 ソファに腰を下ろし、対面に座るお偉方の神官達と向かい合う。

 話を始める前に、ひとまず茶を少し口にする。

 

「このお茶美味しいね」

 

「最高級の茶葉を使っておりますので」

 

「そう」

 

 湯呑みを置き、神官達を見据える。

 

「進捗を聞こうか」

 

 僕が話を切り出すと、資料を持った一人の神官が口を開く。

 

「集合住宅の建設や食料、生活用品の確保等、予定通り3月上旬には完了いたします」

 

「そうか」

 

 では次の勇者通信で、3月中旬辺りで迎えに行くと歌野に伝えておこう。迎えに行ったらすぐに避難できるよう、そこで暮らしている人々に荷物を纏めておくように伝えてもらおう。

 僕も移動経路の確認や緊急事態の想定等、できることをしておこう。この辺は久美子と相談しようか。

 

 あと、2ヶ月。この物語はそこから加速する。




今日の郡家
 お正月は楽しい。皆で一緒に家にいられるから。
 こんな風に平和な毎日を過ごしていると、時々、四国の外は今も地獄だということを忘れそうになる。でも、蓮花さんや久美子さんは、ボクがそれを忘れて生きることを望んでいるみたいだ。


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第59話 本心

かなり間が空いて申し訳ない……。


 夕食後、僕と久美子はリビングでテーブルの上に地図を広げていた。移動手段や経路の相談をしているのだ。

 

「北海道から諏訪までは陸路と海路はどっちがいいかな」

 

「海路じゃないか?陸路は道が崩れていたり瓦礫で塞がっている可能性がある。バーテックスはどっちの方が多いかは知らないが」

 

「圧倒的に陸上の方が多いね。海上に人はいないから」

 

「なら、燃料の問題はあるだろうが行けるところまでは海上を移動した方がいいな」

 

 地図上で海路をなぞる久美子の指を目で追う。

 

「日本海を通って新潟辺りまで行けたら理想的かな」

 

「そうだな。諏訪は内陸部だから、そこからは陸上を進むしかない。フェリーや大型漁船があれば自動車やバスも積んでおいた方がいいだろう」

 

 一応大事な事はメモに書き留める。大勢の命がかかっているのだ、用心して損は無いだろう。

 もっとも、僕にとっては歌野達以外の大勢の命なんてどうでもいいが。

 なんなら、僕が歌野達だけを担いで避難した方が圧倒的に安全かつ早い。

 しかしあの子達は他人を見捨てようとはしないだろう。故に、僕が全ての人々を守らなければならない。歌野達の安全の為に。

 

 後ろから、リビングの扉が開いた音がした。茉莉が風呂から上がったのだ。

 

「お風呂上がったよ」

 

「ああ。続きはまた後にして、先に風呂に入ろうか」

 

「わかった」

 

 テーブルの上の日本地図を片付け、久美子と共に着替えを持って脱衣所に向かった。

 

 

 

 

 

「そういえば、結局お前がいない間の四国の守りはどうするんだ?」

 

 湯船に浸かり、僕に背を預けもたれかかる久美子の声が浴室内に響く。

 

「……その間だけ神樹に結界を強化してもらうしかないかな。簡単には入れず、もし無理矢理入ってきても身がボロボロになるような感じにならないかな」

 

 一応四国を離れる前に周囲のバーテックスは片付けてから行くつもりだから、もし攻めてきても大した戦力ではないだろう。結界を越える過程でダメージを受けていれば、尚更敵の戦力を削ぐことができる。

 

「そんなに都合よく神樹に頼み事ができるのか?」

 

「僕はできる」

 

「……まぁいい。理由は気にしないでおこう」

 

 久美子は後頭部を僕の鎖骨辺りに置くと、全身で脱力する。湯船に浮かぶ二つの柔らかい果実が視界に入る。

 

「……外の奴らの避難を終えた後のことは考えているのか?」

 

「え?」

 

「避難をしても戦いが終わるわけじゃないだろう?」

 

「ああ、そうだね」

 

 今は目先のことに集中していたが、一番重要なのはその後なのだ。それが山場になるかはわからないが。

 

「僕が天の神を倒して、地上に残ったバーテックスを全て駆逐したら終わりだ」

 

「……は?天の神を倒す?そんなことが可能なのか?」

 

 身を起こし、目を丸くしてこちらを見る久美子。面白い顔だ、ここにカメラが無いことが悔やまれる。

 

「問題ない、神殺しには慣れている」

 

「どんな人生を送ってきたらそんな事に慣れるんだか」

 

「まあ普通の人生ではないね」

 

 それに、別に殺す必要はない。天の神が地上に干渉する手段を奪えばいいだけの話だ。ならば尚更難易度は下がる。

 

「……私には、蓮花の全容は理解できそうにないよ」

 

「いいよ、一緒に生活する上で必要なことじゃない」

 

「そうか?……そうだな、別に今まで困らなかった」

 

 誰だって、親しい相手だろうと知らないことはあるだろう。

 それに、僕はその辺を追及されても困る。

 

「ねえ久美子さん、明日は暇?」

 

「ん?まあ、休みだしな」

 

「じゃあデートしようか」

 

「唐突だな。……いや待て、もうすぐ千景の誕生日だから、誕生日パーティーの買い物だな?」

 

「正解です」

 

 一人であれこれ考えて決めるよりも、二人で相談しながら考えるほうがラクだし早く済むとクリスマス前に学んだ。

 

「またいつもみたいに豪勢な料理と巨大なホールケーキを作るのか?」

 

「そうだよ。買う物が多いから、久美子に車を出してもらえたらな〜と思って」

 

「はぁ……わかった。まぁいいだろう」

 

「ありがとうね、久美子」

 

 僕は感謝を込めて久美子を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 リビングに戻ると、茉莉がテーブルの上に問題集を広げていた。

 

「お、勉強してる。偉い偉い」

 

「あと一ヶ月ちょっとで受験だから」

 

「それもそうか」

 

 学校の体育館を避難所として生活する人が少しずつ減ってきたことで、最近になりようやく少しだが学校が再開するというニュースが流れた。3月に入試があり、授業が始まるのは4月かららしい。

 家から近い所にある高校も再開するとのことで、茉莉、久美子と相談した結果、茉莉がそこを受験することになった。

 

「茉莉はもうすぐ女子高生か……なんかいいな」

 

「おい。その言い方は少し危ないぞ」

 

「ホットコーヒーでも入れようか?」

 

「うん、ありがとう」

 

 キッチンに向かい電気ケトルに水を入れ、スイッチを押す。

 

「久美子も飲む?」

 

「ああ」

 

 マグカップを三つ用意し、コーヒー粉と砂糖を入れる。寝る前にブラックコーヒーはやめておいた方がいいだろう。

 沸いた湯と牛乳をマグカップに注ぎ、リビングのテーブルに運ぶ。

 

「入ったよ」

 

「いただきます。……温かくて美味しい」

 

「甘くないか?」

 

「夜だからね」

 

 ソファに腰を下ろし、勉強の邪魔にならないようテレビはつけず、大した目的も無くなんとなくスマホを眺める。

 今頃、千景は何をしているだろうか。風呂はもう入っただろうか。

 ……いや、あの子のことだから、ゲームをキリのいいところまで進めようと思ったけれど終わりどころが見つからず、遅い時間に入浴していそうだ。なんて思った。

 

 

 ──────────

 

 

 巨大なホールケーキに立てられた蝋燭の火を吹き消す。

 

「「「誕生日おめでとう!!」」」

 

 節分、夜に私の家では皆が集まり誕生日パーティーをしていた。今日は私の誕生日だ。

 

「ありがとう」

 

「これ私からの誕生日プレゼント!」

 

「私は千景さんが好きなゲームのノベライズを」

 

 皆からそれぞれプレゼントを受け取る。

 昨年もそうだったが、こんな大勢に誕生日を祝われるなんて、昔の私に言っても信じないだろう。

 

「ケーキ切り分けるね」

 

 れんちゃんが包丁を持ち、生クリームの二段のホールケーキに刃を入れる。ちなみにもう一つ、チョコのホールケーキもある。こちらも二段だ。大きい。

 人数が多いから一つでは一人分がとても少なくなるので、いつも二つ作るらしい。

 

 

 ご馳走やケーキを食べ、皆が自然と笑顔になる。そしてその様子をれんちゃんはカメラに収める。

 撮った写真を眺めるれんちゃんからも笑顔が溢れた。

 

「久美子さん唐揚げ取りすぎ」

 

「まだまだあるんだからいいじゃないか」

 

 

 

「ちーちゃんはもう13歳ですか」

 

「ここに来てから4年半ほど経ったのね」

 

 自分で言って、改めて時間が経つのは早いと感じる。そしてその4年半、若葉とひなたはずっと友達でいてくれている。きっとこれからも。

 

「私達も次の誕生日で13歳だな」

 

「そういえば次に誕生日が来るのは若葉か。次にこのご馳走が食べられるのは四ヶ月後……タマは今日、気の済むまで食べるゾ」

 

「私達の分も残してよ?」

 

 いつまでも食べ進む勢いが落ちない球子。体は小さいくせに胃は大きいのだろうか。

 

 

「……次、か」

 

「れんちゃん、どうかしましたか?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 れんちゃんはひなたの頭を撫でると、ひなたは嬉しそうにしてされるがままだ。

 れんちゃんが何か誤魔化したような気もしたが、そんな感覚は場の騒がしい雰囲気に掻き消された。

 

「そういえば昨日、寮の工事が終わったな」

 

「やっと静かに本が読める……」

 

 少し前に始まった、丸亀城の寮を増設する工事。新たに四部屋と談話室が増えたのだ。歌野達が暮らす為の部屋だろう。

 そしてこれからは私の部屋に皆が集まる必要が無くなる、はず。……いや、ゲームは私の部屋にしか無いから、これからもよく私の部屋に集まるのだろうか。談話室にゲーム機を置くか検討してもらおう。

 

「ていうかなんで四部屋なんだ?諏訪の二人だけじゃないのか?」

 

「北海道と沖縄にも一人ずつ勇者がいるんだ」

 

「そうなの?」

 

「神樹から聞いた」

 

 そう言われると私達には真偽を確かめる術は無い。ならどうして巫女であるひなたにはその情報が伝わっていないのか不思議だが。

 

 

「風呂が沸いたぞ、順番に入っていけ」

 

「「はーい」」

 

 久美子さんの言葉によりこの話題は終了し、最初にゆうちゃんと茉莉さんが風呂に向かった。

 

「私達もそろそろ戻りましょうか」

 

「そうだな」

 

「球子さんと杏さんはこっちですよ」

 

「おう」

 

「ご馳走様でしたぁ」

 

 琴音さんと楓さんが若葉とひなた、球子と杏を連れて自分達の家に戻っていった。私達が家に泊まる時はいつもこの振り分けだ。

 そしてリビングには、私とれんちゃん、久美子さんが残された。

 

「千景も友奈達と一緒に入ってきたらどうだ?後で一人で入るのか?」

 

「久美子さんが一人で入ればいいんじゃないかしら。れんちゃんは私とお風呂に入るから」

 

 どうせ普段から一緒に入っているくせに、こういう時くらい譲ってくれてもいいだろうに。

 

「どうするんだ蓮花?」

 

「間を取って久美子と千景で一緒に入ればいいんじゃない?僕はその間に食器を洗ったり片付けをするから」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

「どうして……」

 

「私が聞きたい」

 

 久美子さんと二人で浴室に入り体をシャワーで流す。

 

「髪でも洗ってやろうか?」

 

「いい」

 

「そうか」

 

 各々、髪と体を洗って湯船に浸かる。続いて久美子さんも入ってくる。長い黒髪を高い位置で纏めている、あまり見ることの無い姿だ。

 

「……」

 

 狭い空間に久美子さんと無言で二人きり。水滴が落ちる音だけが耳に届く。

 ……気まずい。

 

「気まずそうだな」

 

「えっ」

 

「顔に書いているぞ」

 

 私の瞳の奥を見通すような久美子さんの真っ直ぐな視線。

 目を逸らして視線を下ろすと、水面に揺れる双丘があった。大人の女性だ。

 自分の胸部と見比べる。私は同年代の中では大きい方だが、さすがにスタイルの良い大人には勝てない。

 

「くっ……」

 

「はぁ……人の胸を見て何勝手に悔しがっているんだ」

 

 溜息をつかれた。なんだか余計に腹が立つのでやめてほしい。

 

「……れんちゃんに告白とかしたの?」

 

「いや、まだしてないが。お前は伝えないのか?」

 

「私?……私は……」

 

 膝を抱えてれんちゃんのことを考える。出会ってからずっと傍にいて、一番私を大切に思ってくれた人。

 

「……私にとってのれんちゃんは家族で……父親のような人だから」

 

「それは本当にお前の本心か?」

 

「え?」

 

 浴槽の縁に肘を立て、頬杖をつく久美子さん。

 

「蓮花はな、自分が千景を娘のように接しているから、千景からも父親のように思われている、と思っている」

 

「……それが?」

 

「だから、自分が千景の恋愛対象になることはないと思い込んでいる」

 

「え……本当に?」

 

「ああ。一年半一緒に生活しているからな、さすがにわかる」

 

 衝撃の事実だ。……いや、正直なところ少しそんな気はしていた。私が久美子さんに嫉妬した時も、大好きな父親を取られて怒る娘のように見えていたのだろう。

 

「しかし、お前もそうとは限らないだろう?もしもそういう感情があるなら、お前から話さないと全く何も進展しないと思うぞ」

 

「私は……まだ、今のままの関係で一緒にいられたら十分幸せだから」

 

「その間に私があいつを貰っていくかもしれないぞ?」

 

「なっ!?」

 

 思わずザバッと立ち上がり、久美子さんを見下ろす。

 久美子さんは表情を変えることなく続けて話す。

 

「私がお前を待たなければならない理由は無いからな」

 

「それは……そうかもしれないけれど……」

 

 湯船に座り直し、久美子さんの瞳を見据える。

 久美子さんは「あ」と何か思い出したように声を発した。

 

「そういえばひなたもお前と同じ状態だな」

 

「言われてみれば、確かにそうね」

 

 思い返すと、れんちゃんはひなたや若葉にも私と同じように接していたように思う。

 だとすると、れんちゃんはひなたからのわかりやすい矢印にも気がついていないのだろうか。または、その向けられた思いを親愛だと思っているのだろうか。

 

「というか待つ理由が無いのなら、どうしてまだ告白せずに私にこんな話をするの?」

 

 毎日一緒にいるのだから、伝える機会などいくらでもあるだろうに。

 

「お前達がどんな行動を執るのか、興味がある」

 

「興味?……変な人。私には理解できないわ」

 

「だろうな。私が自分の考えを他人に理解されたことはほとんど無い」

 

「でしょうね。久美子さんみたいな人、他に出会ったことがないわ」

 

 その顔に笑みを浮かべる久美子さん。この人がれんちゃんの前以外で笑う時は、大抵悪いことを考えていそうなイメージがある。

 今は何を考えているのだろうかと思っていると、久美子さんは立ち上がった。

 

「私はそろそろ上がる。これ以上入っているとのぼせそうだ」

 

「そう」

 

 久美子さんは浴槽から出て浴室の扉に手をかけると、

 

「まあ、時間は有限だ。行動するなら早い方がいいぞ」

 

と言い残して浴室から出ていった。

 残された私は、静かになった浴室で一人思い耽る。

 しかし段々とのぼせかけてくると頭も回らなくなる。湯気で曇って姿が見えない鏡のように、自分の思いもはっきりと見据えられない。

 私は立ち上がり湯船を出た。

 

「……私も上がろう」

 

 考えるのは、布団の中でもいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 寝室で敷けるだけ布団を敷いて、五人並んで横になる。

 

「さすがに狭いね」

 

「くっつけばいいだろう」

 

「ぎゅーっ!」

 

「ふふっ、ゆうちゃんは暖かいね」

 

 れんちゃんと久美子さんを挟んだ向こう側では、ゆうちゃんと茉莉さんがギュッと抱き締め合っている。じゃれあっていると表現するべきか。

 そしてその手前では、久美子さんが当然のようにれんちゃんに腕枕をしてもらっていた。

 嫉妬を込めて睨んでいると、れんちゃんに気づかれた。

 

「千景、どうかしたの?」

 

「……私も腕枕してほしい」

 

「そうか。ほら、おいで」

 

 私に向かって伸ばされた左腕。その二の腕辺りに頭を乗せると、髪を優しく撫でてくれる。

 

「誕生日おめでとう、千景」

 

「……ありがとう」

 

 家族の元が帰る場所とはよく言ったもので、それが何処であろうとれんちゃんの隣にいると安心できる。

 一番近くにいてほしい人なのだと思う。

 

 蓮花さんは私を愛してくれている。たとえそれが親愛であっても、幸せなことの筈だ。

 なのに。それだけでは満足できなくなったのは、いつからだろうか。

 

 考えるのはやめておこう。

 今はただ、この人の温もりを感じながら眠りたかった。




今日の郡家
 お風呂から上がってきた久美子さんは、何やら思い悩んでいるような顔をしていた。どうかしたのだろうか。


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第60話 行ってきます

遅くなって申し訳ない……。
横手すずちゃんがかなり刺さりました。


「乃木若葉」

 

「はい」

 

 桜の蕾が膨らむ季節。担任教師に名を呼ばれた若葉は、席を立ち教壇へと歩いていく。

 

「卒業証書。乃木若葉、平成16年6月20日生」

 

 後方から聞こえるれんちゃんの啜り泣く音やカメラの音と共に、烏丸先生が卒業証書を読み上げる。

 

「小学校の全課程を修了したことを証する。平成29年3月9日。烏丸久美子」

 

 若葉が卒業証書を受け取ると、次にひなた、ゆうちゃん、球子、杏と、順番に卒業証書が授与される。

 そして最後に、茉莉さんが呼ばれた。

 

「横手茉莉」

 

「は、はい」

 

「中学校の全課程を修了したことを証する。平成29年3月9日。烏丸久美子」

 

 

 

 この日、若葉達は小学校を、茉莉さんは中学校を卒業した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式が終わり、私達は寮の談話室でのんびりと過ごしていた。しっかりテレビとゲーム機、お菓子やジュース等も用意してある。今から皆で大乱闘だ。

 

「それにしても、タマは杏も一緒に卒業できて嬉しいぞ」

 

「私も、皆と一緒に卒業できて嬉しいよ」

 

「4月からは皆で中学生だな」

 

 杏が学年の遅れを取り戻せたのは特殊な環境であったが故に実現したことだろう。それに加え、杏は体調を崩すことが少なくなった。日々訓練をしていることで、病弱だった体が強くなったのだろうか。

 

「そういえば、花本さんも今月で卒業よね」

 

「そうですねぇ。また一緒にお花見したいですね」

 

「誘っておこうか」

 

「そうね。去年はお祝いしてもらったし、今年は私が何かあげようかしら」

 

 昨年は卒業祝いにお高いうどんを貰ったが、私は何をあげよう。うどんか?……いや、そういえば花本さんは高知出身だ。鰹なんかどうだろう。

 手元のリモコンでキャラクターを操作しながら祝いの品を考える。

 

「あ、復帰ミスった」

 

「親指を立てて垂直落下する球子であった……」

 

「そして意外にも若葉さんが強い」

 

「ゲームは千景とひなたと一緒に何年もしているからな」

 

 昔の若葉やひなたはゲームといってもアナログゲームくらいしかしなかっただろうに、私が二人をデジタルゲームに染めてしまった。後悔はしていない。

 

 決着がついた頃、烏丸先生や職員の大人達と話していたれんちゃん達が談話室にやってきた。仕事中の筈の烏丸先生も一緒だ。

 

「わぁ、パーティーかな」

 

「打ち上げと言うべきじゃないか?」

 

「あまり違わないのでは?」

 

 やがて保護者達も大乱闘に加わり、さらに盛り上がりを増した。大人数でやるパーティーゲームは楽しいのだ。

 

 

 

 

「今年は卒業旅行はするの?」

 

「するつもりだけど、歌野達の親睦会も兼ねたいから月末かな。それまでに行きたい場所を考えておいてね」

 

「はーい」

 

 今年もたくさん泣いたれんちゃんは目元が赤く腫れている。

 

「……出発は明日でしたっけ」

 

「ああ。朝から出発する」

 

「……気をつけてね?」

 

「大丈夫、心配はいらないよ」

 

 そう言って頭を撫でてくれるれんちゃん。れんちゃんが大丈夫だと言ったのだから大丈夫なのだろうけど、どうしても全く心配しないのは不可能だ。

 

「むしろ、僕はお前達が心配だ」

 

「え、なんで?」

 

「蓮花が四国を離れている間に、ほぼ確実に敵の襲撃があるだろうからな」

 

 れんちゃんに向けられたゆうちゃんの問いに、久美子さんが答えた。

 

「今まで蓮花が四国周辺のバーテックスを片付けていたのは知っているな?」

 

「うん」

 

「なるほど。今までは蓮花さんがいるせいで攻められなかったから、蓮花さんがいなくなるこのタイミングを逃す訳ないですね」

 

「そうだ。私ならそうする。私じゃなくてもそうする。全員、心の準備をしておけよ」

 

 皆が理解した表情をする。それと同時に、不安が生まれ出す。

 私と杏はバーテックスとの戦闘が無く、なんなら私はバーテックスを直接見たことも無い。

 初めて対面する化け物との命懸けの戦いが、私にできるだろうか。

 少し俯いていると、右手を若葉、左手をゆうちゃんが握ってくれた。

 

「大丈夫だ、千景。私が皆を守る」

 

「私も!」

 

「……ありがとう、二人とも」

 

 そうだ、私は家族や親友達を守る為に勇者になると決めて、今までずっと訓練してきたのだ。れんちゃんに鍛えてもらってきたのだ。だから、きっと大丈夫。

 自分の心にそう言い聞かせた。

 

 

 ──────────

 

 

 不安なのは子供達だけではない。その親達も。

 

 その日の夜、僕達は家に四人集まり話していた。特に目的は無い。ただ、自分の心情を誰かに聞いてほしい。そんな思いはあった。

 茉莉は今夜、友奈達の傍にいたいと言って丸亀城に泊まっている。

 

「……今まで、若葉は人類を守る為に戦う凄い子になったんだと、心配しつつも少し誇らしくも思っていた」

 

「うん」

 

「ただ……いざ娘達が戦う時が来ると思うと、命を落とすかもしれないと思うと、どうしてあの子達なんだと嘆きたくなったよ」

 

「うん……」

 

 いつになく弱音を吐き出す楓さん。同じようなことを僕も思った。

 しかし、選択肢が無かった若葉と違い、千景には勇者にならない選択もできなくはなかった。

 僕はその選択を千景本人に委ね、千景は勇者になって戦うことを選んだ。

 千景を信じ、その意思を尊重したいと思う反面、勇者にならないでほしかったとも思ってしまう。

 僕のいないところで、あの子が命を落とすかもしれない。

 

「その時が来ても、私達大人はあの子達の為に何もしてあげられない……」

 

「……それでも僕達は、子供達を信じることしかできない」

 

「きっと大丈夫だ。私の教え子達は強い」

 

 楓さんと琴音さんを励ます為なのか、本当にそう思っているのかはわからないが、久美子の言葉は僕達に少しの安心を与えた。

 

「……出来る限り早く帰ってくるよ」

 

「ああ」

 

 歌野達を助けに行ったことを後悔しなくて済むよう、心から願った。この願いは、誰が聞き届けてくれるだろう。

 

 

 ──────────

 

 

「……眠れない」

 

 そろそろ寝ようと思いベッドに入って目を閉じた私は、一向に眠れずにいた。

 若葉やゆうちゃんが安心させようとしてくれて、大丈夫だと自分に言い聞かせても、いざ眠ろうとすると色々考えてしまって眠れない。どうしても不安は拭えない。

 自分達のことの不安や、れんちゃんに対する心配。

 

 どうしたものかと更に悩んでいると、部屋の扉がノックされた。

 一度ベッドから立ち上がって扉を開けに向かうと、そこには若葉とひなたが立っていた。

 

「こんばんは、千景」

 

「こんな時間に二人でどうしたの?」

 

「なんだか眠れなくて。三人で一緒に寝ませんか?」

 

 そう話す若葉とひなたはそれぞれ自分の枕を抱えている。

 

「……そうね。一緒に寝ましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 二人を部屋に入れて私は追加の布団を広げようとしたが、若葉にそれを止められた。

 

「ベッドで一緒に寝てもいいか?」

 

「三人で?いいけど、狭いわよ?」

 

「暖かくていいじゃないですか」

 

 二人がそうしたいならまぁいいかと、三人でベッドに入る。

 一番小さいひなたを真ん中にしようとしたが、何故か私を真ん中にされた。

 

「……狭い」

 

「ぎゅっとくっつけば大丈夫ですよ」

 

「そうだな。そうしよう」

 

 若葉とひなたに左右からぎゅっと抱き締められる私。

 昔と比べると感触も違う。私達は皆成長したのだと感じる。

 

「……こうしていると、安心して眠たくなりませんか?」

 

「え?」

 

 ひなたの優しい声で囁かれ、確かに一人で眠れずにいた時より落ち着いていることに気がつく。

 

「実はですね、さっき若葉ちゃんが私の部屋に来たんです。不安で眠れないから一緒に寝てほしいって」

 

「ひなた、それは言わなくてもいいだろう!?」

 

「それで、若葉ちゃんが不安で眠れないならきっとちーちゃんも眠れずにいるんじゃないかと思って、三人で一緒に寝ようと思ったんです。実際にそうだったみたいですし」

 

「……そうね。色々考えてしまって、眠れずにいたわ」

 

 私の両手を、二人の大きさの違う手で握ってくれる。

 

「私は一緒に戦うことはできませんが、こういう時は安心させてあげたくて」

 

「……ありがとう。若葉、ひなた」

 

「親友ですから」

 

「ああ。私達は三人一緒なら何も怖くない」

 

「と、さっきまで眉尻を下げていた若葉ちゃんが申しています」

 

「ひなた!」

 

「フフッ」

 

 小さい頃から変わらない、よく見たやり取り。

 本当に、二人と一緒ならとても安心する。

 

「なんだか楽しくなっちゃいますけど、もう遅い時間ですから寝ましょうね」

 

「……そうだな、おやすみ」

 

 私は、この二人を守りたい。球子や杏も、妹みたいなゆうちゃんや姉のような茉莉さんも、守りたい。若葉やゆうちゃんに守られるだけではいられない。

 

「おやすみなさい」

 

 親友達の温かさで安心した心は、今度こそゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 ──────────

 

 

「電気消すね」

 

「ああ」

 

 部屋の明かりを消して自分の布団に入ると、久美子も同じ布団に入ってくる。もう慣れたし、構わないけれど。

 明日は忙しいから早く寝て早く起きよう。そう思って目を閉じたが、久美子が僕の手を強く握ったまま放さない。

 

「……心配か?」

 

「心配……そうかもしれないな。私はお前のことも、友奈達のことも、心配なのかもしれない」

 

 久美子は僕の手を放すと、僕の胸に頭を押し付けてくる。

 その髪を撫でると、久美子の両手が僕の背中に回される。

 

「あいつらが死ぬかもしれないと思うと、心配でたまらなくなる……どうやら私は、あいつらの事をかなり気に入っているようだ」

 

「そうか」

 

「まさか私のようなクズに、こんな人間らしい感傷が沸き起こるとはな」

 

「……僕が一緒に過ごしてきた久美子は、クズなんかじゃなかったよ」

 

 時折子供達をからかったりするけれど悪感情が湧くようなものではなく、基本的に面倒見のいいお姉さんだった。

 

「私は過去に犯罪以外なら色々な事をやってきた。常人なら嫌悪感や吐き気を催すようなこともな」

 

「それでも、僕の隣にいる久美子はそんなのした事ないよ。久美子が自分をどう思うのも自由だけど、僕が久美子をどう思っていようと自由だ」

 

「ふん……」

 

 久美子は僕の首元に顔を埋め、その表情を見せてはくれない。

 

「久美子」

 

「ん?」

 

「僕がいない間、皆の事をお願いね」

 

「……ああ、任せろ」

 

 久美子はようやく顔を上げると、自分の唇を僕の唇に重ねた。

 そして微笑むその顔はいつもの久美子だった。

 久美子になら、子供達の事を安心して任せられる。子供達も久美子の事をなんだかんだ言いながら信頼しているだろう。

 

「報酬の前払いだ」

 

「しょっちゅうしてるけど、報酬になるのか?」

 

「……なら帰ってきたらまたしてもらおう」

 

「まぁいいけど」

 

 再度唇を重ね、軽く舌を触れ合わせる。明日の為に、今夜はあまり夜更かしできないが。

 

「……蓮花」

 

「ん?」

 

「できるだけ早く、帰ってきてくれよ?」

 

 上目遣いの久美子の瞳は寂しげで、僕まで離れるのが寂しくなってしまう。

 少しでも安心させるように、久美子を優しく抱き締めた。

 

「すぐ帰ってくるよ。お前の新しい生徒を連れて」

 

「ああ、楽しみにしているよ」

 

 もう春だが、夜はまだ少し寒い。

 互いの心地よい温もりを感じながら、僕達は眠りについた。

 

 

 ──────────

 

 

 早朝、出発前に一度丸亀城に寄った私と蓮花は、再び車に乗り込み瀬戸大橋に向けて走らせた。

 

「もうよかったのか?数日間会えないのに」

 

「いいんだ。長引くと離れ難くなる。時間の余裕もあまり無いしね」

 

 見送りがしたいという友奈達の要望と、子供達に会ってから行きたいという蓮花の要望を受け、私達は先に丸亀城に寄った。

 蓮花は子供達を抱き締め、何度も『大丈夫』だと伝えていた。それは子供達を安心させる為だとも思えたが、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 

 約30分後、瀬戸大橋の四国の壁付近に到着した。車で行けるのはここまでだ。

 私達は車から降り、その壁を見上げる。

 隣に立つ蓮花は、天災の日と同じ格好をしている。あの日と同じ、何度も戦闘することを想定した格好だ。

 

「ここまで送ってくれてありがとう」

 

「構わないさ」

 

 ただ少しでも長く傍にいたかっただけだ。蓮花の為というよりは自分の為にした事だろう。

 寂しいだとか傍にいたいだとか、自覚するとどこかむず痒い。……重症だな、私は。

 

「……行くのか」

 

「うん」

 

 唐突に蓮花に手を引かれて抱き留められる。

 考えたくはないが、抱き締められるのはこれが最後になる可能性だってある。

 だから、私は強く抱き締め返した。

 

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい、蓮花」

 

 

 ゆっくりと身を離すと、蓮花は駆け出し、地面を踏みしめ飛び上がった。

 その後ろ姿を見送ったが、壁を越えた辺りで視界から外れた。

 

 蓮花が帰ってくる頃には、丸亀城の桜も満開になっているだろう。花見の準備でもしておいてやろうか。

 

 神樹は、私のようなクズの願いでも聞き届けてくれるのだろうか。

 もしも聞き届けてくれるなら、どうか蓮花や勇者達が無事でいられるようにと、今だけは願わずにはいられなかった。




今日の郡家
 ゆうちゃんだって不安はあるだろうに、言動や雰囲気からはそれを感じさせない。
 そんなに強くあろうとしなくていいんだと、ボクはゆうちゃんに伝えてあげたかった。


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幕間 茉莉と久美子

ここから先の本編はしばらくほんわかした日常とかギャグとか挟めないと思うので、息抜き回です。


「はぁ……」

 

 蓮花さんが四国を発った翌日の昼前。久美子さんはテーブルに頬杖をついて外を眺めていた。

 ちなみに今日は土曜日で、仕事は休みらしい。

 更にちなみにボクの受験は一昨昨日に終わったので、今は勉強から解放されている。蓮花さんが帰ってくるまでに結果も出るだろう。良い結果を報告したい。

 

「暇だな……茉莉で遊ぶか」

 

「ボクと遊ぶんじゃなくてボクで遊ぶの!?」

 

「冗談だ。……はぁ……」

 

 今日はこれで何度目の溜息だろうか。数えておけばよかった。

 正直、その儚げな横顔はとても綺麗だと思ってしまった。黙っておこう。

 

「蓮花さんがいなくて寂しいんだね」

 

「別に……いや、そうだな。寂しい」

 

「え、素直」

 

「はぁ……」

 

 頬杖を倒してテーブルに突っ伏す久美子さん。この様子を動画に撮ってゆうちゃん達に送ってあげようか。

 今頃、蓮花さんはどこで何をしているのだろう。初日で諏訪まで行くと言っていたから、今は北海道に向かっている途中だろうか。

 

「電話もできないんだよね」

 

「ああ……」

 

 こんな久美子さんは初めてだ。もう少し見ていたいけれど、久美子さんと二人きりでいるのも嫌なのでゆうちゃん達のところに行きたい。

 

「ボク、丸亀城に行ってくるね」

 

「私を一人にするのか」

 

「え……今日の久美子さんめんどくさい」

 

「普通に傷つくからやめてくれ」

 

 ついポロッと本音が出てしまった。基本的にボクは久美子さんに対して遠慮や気遣いはあまりしないので、こういうポロリは度々ある。互いにこういう関係に慣れつつもある。

 

「しかし、そろそろ昼飯の時間だな。作るのも面倒だし丸亀城に行くか。食堂が開いているだろう」

 

「蓮花さんに自炊するように言われてなかった?」

 

「夜はする。というか丸亀城の食堂はタダなんだから別にいいだろう」

 

 というわけでボク達は立ち上がり、家を出る準備をして丸亀城に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 丸亀城に到着すると、寮の前で若葉ちゃんが木刀を振っていた。その凛とした佇まいは本当にボクより3歳下の女の子だろうかと疑いたくなる。

 

「……ん?茉莉さんと久美子さん?」

 

「こんにちは若葉ちゃん」

 

 ボク達に気がついた若葉ちゃんは木刀を止めた。そこそこの時間振っていたのか、その額には汗が滲んでいる。

 

「今日は訓練は無いが、自主練か?」

 

「もうすぐ敵が来ると思うと、じっとしていられなくてな」

 

「しかし無理をするといざという時に動けないぞ」

 

「わかっている。やりすぎないようにひなたが見てくれているから、大丈夫だ」

 

 そう言って若葉ちゃんが指をさした方を見ると、ベンチに座ったひなちゃんが微笑んでいた。その傍らにはタオルと水筒が置かれている。

 

「そうか、なら大丈夫だな」

 

「そろそろお昼ご飯にいい時間だし、休憩したらどうかな?」

 

「ん、そうだな。ひなた、食堂に行こう」

 

 自主練を終えるらしい若葉ちゃんがひなちゃんのところに歩いていくと、ひなちゃんがタオルで若葉ちゃんの汗を拭き始める。

 

「若葉ちゃん、先に軽くシャワーを浴びた方がいいのでは?汗臭いまま食堂に行くんですか?」

 

「……そうだな。というわけで私達は後から行くから、二人は先に行っていてくれ」

 

「そっか、わかった」

 

 寮の中に戻っていく二人を見送り、ボク達は食堂に向かった。

 

 

 

 

 

「あ、茉莉さんと久美子さん!」

 

「二人ともどうしたの?」

 

 食堂に入ると、そこには既に四人の先客がいた。ゆうちゃん達だ。いつものようにうどんを啜っている。

 

「家にいても暇だから遊びに来たの」

 

「ついでに昼飯を食べに来た」

 

「なるほど」

 

 席に座る前にカウンターに向かう。まずは注文だ。

 この食堂のおばさん達はとても気さくで親しみやすく、人見知りなボクでも話しやすい。

 

「私は肉うどんで」

 

「烏丸先生は肉うどんね。茉莉ちゃんは何にする?」

 

「えっと、ボクも肉うどんでお願いします」

 

「はいよ、ちょっと待っててね」

 

 注文をして席に座る。隣に座った久美子さんは頬杖をつきながらゆうちゃん達をぼーっと眺めている。

 

「……何?そんなに見られていると食べづらいのだけど」

 

「気にするな」

 

 そんな微妙に死んでそうな魚みたいな目でずっと見られていたら気になるよ。

 ゆうちゃんとたまちゃんは気にせず食べ続けているけれど。

 

「皆は午前中は何をしてたの?」

 

「タマは烏丸先生に出された宿題やってた」

 

「私はそれを見張ってました」

 

「宿題なんてあったかしら?」

 

 たまちゃんの言葉に疑問符を浮かべる千景ちゃん。

 

「球子の苦手な所を纏めた球子用の宿題だ」

 

「そんなのあったのね」

 

「やはりタマだけか……」

 

「いや、友奈にも友奈用の宿題を作って出したが」

 

 皆の視線がゆうちゃんに集まると、うどんを啜っていたゆうちゃんが固まった。

 

「友奈は午前中は何をしていたんだ?」

 

「えっと……ちーちゃんと一緒に、狩りを……」

 

「狩り?……あ、モンハンか」

 

 モンスターハンティング。プレイヤーがハンターとなり、キャラクターを操作してモンスターを狩る携帯ゲーム機ソフトだ。ボクも一緒にやりたいと言ったら蓮花さんが買ってくれた。

 

「まあ、春休み中に終わるなら別にいつやろうと構わないが、毎日コツコツやったほうがいいぞ」

 

「午後にやります!あ、でもせっかく茉莉さんが遊びに来てくれてるし……」

 

「夜にやればいいんじゃないか?」

 

「そっか!」

 

 宿題を優先しろ、とか言わない辺り、仕事中じゃない久美子さんは本当にただの親戚のお姉さんみたいだ。

 

「お待たせー、肉うどん二つできたよー」

 

 おばさんに呼ばれてカウンターに肉うどんを取りに行く。

 ボクは何故肉うどんをよく選ぶのだろう。ゆうちゃんや千景ちゃんがよく食べているからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食後、皆で談話室に集まりのんびりと過ごしていた。

 ……いや、のんびりとは言えないかもしれない。

 ボクは今、三頭のチンパンジーから必死に逃げていた。

 

「ん?どこに行った?」

 

「こっちのエリアでさっき見かけたわ」

 

「じゃあ私もそっちに向かいますね」

 

 逃げるボクを捜し回るチンパンジー(若葉ちゃん、千景ちゃん、杏ちゃん)達。

 ボク達は今、チンパンジーオンラインというスマホゲームをしているのだ。四人でマッチングし、一人がヒト、三人がチンパンジーでランダムに選ばれ、ヒトは制限時間を逃げ切れば勝利、チンパンジー達は時間内にヒトを捜して殴ると勝利というゲームだ。

 勝利で得られるポイントでガチャを引き、チンパンジーを強化することもできる。

 マップに配置された建物や木等の障害物に身を隠しながら移動する。

 

「あ、茉莉さん発見です。追いかけます」

 

「私も見つけた」

 

「え、挟み撃ち!?」

 

 二頭のチンパンジーが左右から迫ってくる。ボクに残された逃げ道は正面だけだと思ったその時、正面の道から白銀に輝くメタルチンパンジーが現れた。

 

「何これ!?動き早い!?」

 

「昨日ガチャで引いたのよ。チェックメイトね」

 

 そしてボクは追い詰められ、金属の拳で殴り飛ばされた。

 

 

 

「シュールなゲームだな」

 

「暇つぶしにはちょうどいいのよ」

 

 ボクのスマホの画面を覗き込む久美子さん。

 

「よし、今のでポイントが貯まったからガチャを引いてみよう……モヒカンが出たんだが」

 

「若干落ち込む若葉ちゃん頂きました」

 

 どんな時でも若葉ちゃんの表情の変化を見逃さず写真を撮るひなちゃん。見慣れた光景だ。

 

「若葉ちゃんコレクションに一枚追加です♪」

 

「ほう、そんな物があるのか」

 

「ちなみにちーちゃんコレクションもあります」

 

「初耳なんだけど!?」

 

 ひなちゃんの撮影対象は若葉ちゃんだけではなかったようだ。確かに時々千景ちゃんも撮っていた気がする。

 

「後で確認しないと……」

 

「駄目です、これは私の秘蔵コレクションなんです」

 

「変な写真は無いでしょうね?」

 

「…………無いはずです」

 

「その間は何?」

 

 千景ちゃんに詰め寄られて目を逸らすひなちゃんと、それをやれやれといった様子で見ている若葉ちゃん。

 

「小さい頃の、れんちゃんの帰りが遅くなって寂しそうなちーちゃんとか、若葉ちゃんに将棋で勝ってドヤ顔のちーちゃんとか、別に変な写真じゃないですよね?」

 

「私が見たいんだが」

 

「ボクも見てみたい」

 

「私も!」

 

「しょうがないですねぇ、では少しだけお見せしましょう。後で私の部屋に来てください」

 

 フフフと微笑むひなちゃんを見て、千景ちゃんは普段の若葉ちゃんの気持ちを理解するのだった。

 

 

 そしてずっと静かだったたまちゃんは、後ろで談話室にハンモックを設置しようとしていた。吊るすタイプではなく、床にスタンドを立てて設置する自立式ハンモックだ。

 

 

「……たまちゃん、それどうしたの?」

 

「最近ホームセンターで買ったんだ」

 

「どうして自分の部屋に置かないの?」

 

「大きいから置けない。皆も使っていいぞ」

 

「ありがとう!」

 

 確かにこの大きさは部屋には置けないだろう。ベッドがもう一つ増えるようなものだ。

 

「花見の時に桜の下に置いて、酒を飲んで寝たら気持ち良さそうだな」

 

「だ、駄目だぞ!これはタマが室内用に買った物で、先生がぐーたらする為の物じゃないぞ!寝るなら蓮花さんに膝枕でもしてもらえばいいだろ!?」

 

 一瞬、千景ちゃんの眉間に皺が寄り、ひなちゃんの笑顔が固まった気がした。

 

「冗談だ……はぁ……」

 

「あ、久美子さんの溜息がぶり返した」

 

 皆と一緒にいて紛れていた寂しさを、蓮花さんと聞いて思い出してしまったのだろうか。

 

「どうかしたの?」

 

「蓮花さんがいなくて寂しいらしくて、今日は何度も溜息をついてるんだ」

 

「午前中のちーちゃんもこんな感じだったよ」

 

「ゆうちゃん!」

 

 なるほど。確かに千景ちゃんも蓮花さんが大好きだから、寂しがっているところは容易に想像できる。

 けれど千景ちゃんが寂しそうにしていると、きっとゆうちゃん達が傍にいてあげるのだろう。

 ボクもこういう時くらいは、久美子さんに優しくしてあげてもいいのかもしれない。

 

「早く帰ってこないかな……」

 

「そうだな……料理をするの面倒臭い……」

 

「普段しないんだからこういう時くらいしようよ……」

 

 一瞬で考えを撤回したくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは帰りが遅くなったれんちゃんが迎えに来て凄く笑顔になったちーちゃんです」

 

「えっ、可愛い!!」

 

「今じゃこんな笑顔はしないな」

 

 ひなちゃんの部屋で『若葉ちゃんコレクション』と『ちーちゃんコレクション』を見せてもらっていると、子供達の帰る時間を知らせるチャイムが聞こえてきた。

 

「もうこんな時間か。茉莉、そろそろ帰るぞ」

 

「え?あ、はい」

 

 時計を見ると短針は午後5時を指している。そろそろ帰って夕食の準備をしないといけない。

 

「じゃあ続きは明日見せてもらおうかな」

 

「明日も丸亀城に来てくれるの?」

 

「うん。家で久美子さんと二人で過ごすのは嫌だから」

 

「お前な……」

 

 帰り支度をして立ち上がる。といっても大して物は持ってきていない。スマホをポケットに仕舞う程度だ。

 

「じゃあ皆、またね」

 

「あまり夜更かしするなよ」

 

「はーい」

 

「また明日」

 

 寮を出て、丸亀城を出る。

 太陽は既に西に傾いており、ボクと隣を歩く久美子さんの影が長く伸びる。

 

「あ」

 

「どうしたの?」

 

 唐突に久美子さんが足を止める。忘れ物でもしたのだろうか。

 

「家に食材はあったか?」

 

「……確認してない」

 

「よし、このままスーパーに向かうぞ」

 

 進行方向を変えて歩き出す久美子さんについて行く。冷蔵庫の中に何があるか確認しておくべきだった。

 

「今日の夕飯の食材だけでも買って帰ろう。何か食べたいものはあるか?」

 

「何でもいいけど、リクエストを聞けるほど色々作れるの?」

 

「私は天災までは一人暮らしだったんだぞ、それなりにはできる。まあ何でもいいなら、お好み焼きにしよう」

 

「うん」

 

 前に食べた久美子さんのお好み焼きはちゃんと美味しかったので、それなら安心だ。

 

「金は蓮花がいくらか置いていってくれているから、食べたい菓子でもあればついでに買うといい。私は酒とつまみを買う」

 

「えぇ……いいのかなぁ……」

 

 まぁそれくらい、蓮花さんは全然許してくれそうではある。というか蓮花さんは何か欲しいものを言えば大体何でも買ってくれるため、こちらが遠慮しなければならない。

 ……明日ゆうちゃん達と一緒に食べるお菓子やジュースだけ買おうかな。

 

「というかお酒飲むの!?」

 

「いいだろう別に」

 

「……今日は早めに寝ようかな。絡まれたくないし」

 

「寂しいことを言うなよ。夕飯の時に飲んでやろうか」

 

「えぇ……」

 

 夕食を食べ終わったら、早々にお風呂に入って寝よう。そう心に決める頃には、遠くにスーパーが見えた。




翌日の郡家

「茉莉、○NEPIECE見ないか」

「隠せてないよ」

「じゃあどうしたらいいんだよ」

「『×(バツ)』とか『━(ぼう)』とか使えばいいんじゃないかな」

「ハンタ━×ハンタ━」

「わざとでしょ」


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第61話 繋ぐ

初投稿から今日で一年が経ちました。
見切り発車で始めたので正直こんなに続くとは思ってなかったです。
今後もよろしくお願いします。


「ふっ!」

 

 息を吐くと共に勢いよく踵を振り下ろし、正面の星屑を粉砕する。

 そして他のバーテックスを探して建物の上を駆ける。

 子供達の負担を少しでも無くす為に、諏訪に向かう前に四国周辺のバーテックスを一体でも多く狩っておきたい。

 

「……臭いな」

 

 嗅覚を刺激する腐乱臭。

 天災時の死体がずっと放置されているが故に、現状の四国外はあちこちで人だったモノが腐りハエがたかっている。

 新鮮な死体が目の前で沢山転がった天災時は地獄と呼ぶに相応しい光景だったが、人によっては今の状態の方が吐き気を催すだろう。

 

 

「……急ごう」

 

 凄惨な光景に足を止めている時間は無い。早くバーテックスを片付けて歌野達の所に行かなければ。

 事前に四国を一周しておいたので、今日はあまり数は多くない。

 本来バーテックスは数ヶ月かけて戦力を揃えてから攻めてくる。

 しかし今、四国周辺のバーテックスはほぼ殲滅しているため、たとえ僕が離れている間に攻めてきたとしても大した戦力ではないだろう。

 もし急いで他所から戦力を集めてきたとしても、黄道十二星座のような大型の進化体は作ることができないはずだ。

 

 普段より広く四国の周囲を回ってから、僕は諏訪へ向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 しばらくして、滋賀を越えた辺りで少し足を止めた。

 

「……何だ?」

 

 ここまでの道中と比較して、急にバーテックスの数が増えた。

 周囲、というより僕の前方を塞ぐようにバーテックスが群れを成していた。群れの過半数は星屑だが進化体も混ざっている。

 

 少し思考し、僕を足止めして時間を稼ごうとしているという結論に至った。

 何故か。僕が諏訪に合流すれば、諏訪を落とせなくなるからだ。

 諏訪を落とす最後の機会。その為の時間稼ぎか。

 ならば今頃、諏訪が猛攻を受けているかもしれない。

 

 しかし、敵は選択を間違えた。

 本気で諏訪を落とすのなら、僕の足止めに戦力を割かず、全てを諏訪の攻撃に回すべきだった。

 この程度で僕は止められない。

 

「押し通る……!」

 

 この辺りに人はいないので、今更建物の損壊など気にする必要もないだろう。

 右脚を下げて腰を落とし、大きく息を吸いながら右腕を引く。

 じっとしているとバーテックスは次々と僕に襲いかかる。勝手に集まってくれて、良い的だ。

 

「ぬぅん!!」

 

 螺旋の回転を加えながら、全力を込めて大気を押し出し右拳を突き出す。

 触れたバーテックスとその周囲のものを粉砕し、押し出された大気は腕を中心に渦となり、前方広範囲の建造物も瓦礫もバーテックスも悉くを巻き込んで捻じ切り挽き潰した。

 

 渦が止む頃には前方のあらゆるものが塵と化し、綺麗に道が出来ていた。

 そして再び足を動かし走り出す。急いで諏訪に合流しなければ。

 

 

 

 

 

 

 やがて見えた目的の地で、一人の少女が必死に未来に手を伸ばしていた。

 

 

 ──────────

 

 

 全身で鞭を振るい、周囲のバーテックスを纏めて薙ぐ。

 これは建御名方神の持っていた『藤蔓』の力を宿す鞭だ。

 鞭とは、おそらく人力のみで扱える中で最速の武器である。質量は小さいが圧倒的な速度でその威力を補う。

 扱いは難しいが、手元で発生させたエネルギーが先端に伝わるにつれて速度に変換され、熟練した使い手であれば先端の速度は音速を超えるという。

 私にそこまでの熟練度は無いが、勇者の身体能力で振るわれた鞭は容易に敵を打ち砕き引き裂く。

 けれど。

 

「はぁ……はぁ……今日はいつにも増してメニーだわ」

 

 敵の数が多すぎる。倒しても倒しても減っている気がしないくらいだ。

 まるで、今諏訪を落とさないといけなくて総攻撃を仕掛けてきているようだ。

 

「ここが正念場かしらね……」

 

 結界を構成する御柱を破壊しようとするバーテックス達を叩き落とす。

 しかし数体落としたところで、大群の猛攻は止まらない。

 

「うぐっ!!」

 

 空中で動きが止まってしまった瞬間、大量の星屑達の突撃を諸に受けて突き飛ばされ地面を転がる。

 受け身を取ったが衝撃を軽減し切れずに左腕を痛めた。骨が折れなかっただけマシか。

 痛がっている暇は無い。顔を上げて敵を見据えると、中型の進化体達が一斉に私に矢を向けていた。

 

「やばっ!!」

 

 即座に飛び退くと同時に元いた場所に大量の矢が射出された。

 土煙が舞い上がり、収まった時には大きなクレーターが出来ていた。

 

「今までで一番のピンチだわ……」

 

 足を止めると矢の的になり、一撃で捌き切れる数でも無いから攻撃した瞬間の隙に物量で押される。

 どうしたものか。

 

「……考えたってしょうがないわね」

 

 再び敵に向かって鞭を振るう。別方向からの攻撃を身を捻ってどうにか躱しながら次の攻撃に繋げる。

 有効な策を思いつかなくても、命尽きるまで戦い続ける。私は勇者だから。

 

 それに、確か今日は蓮花さんが諏訪に来る日のはず。もしかしたら途中で蓮花さんが到着するかもしれない。

 蓮花さんが来るまで持ち堪えられれば、たとえ私が死んだとしても諏訪の人々は助かるかもしれない。

 皆の未来を、繋がなければ。

 

 

 

 

 

「が、がんばれ歌野お姉ちゃん!!」

 

「ダメだよ遥香ちゃん!!そっちは危ないよ!!」

 

「!?」

 

 声が聞こえた方に振り返ると、一人の女の子がそこにいた。天災で家族を亡くし、諏訪の皆で面倒を見ている5歳の女の子。

 そしてその後ろにはこちらに向かって走ってくるみーちゃんが見えた。

 

 遥香ちゃんの大きな声に、一体の矢を放つバーテックスが反応した。

 

「危ない!!」

 

 遥香ちゃんを庇うようにみーちゃんが抱き締める。

 私は必死で手を伸ばした。けれど、この足が放たれた矢の速度に適うはずもなく、この手が二人に届くこともなく。

 

 

 

 そして、二人が矢に貫かれることはなかった。

 二人の前に、空から人が降ってきたからだ。

 

 

 

「ギリギリセーフかな」

 

「ぇ……?」

 

 その人は矢を受け止めていた。そしてそれをバーテックスの群れに投げ返し、複数体を貫いた。

 御柱を攻撃していたバーテックスも動きを止めた。後退する個体さえいる。

 彼に会ったのは何年ぶりだろうか。私とみーちゃんを繋いでくれた人。

 

「……蓮花…さん……?」

 

「遅くなってすまない、歌野。全員無事かな?」

 

「え、ええ。大丈夫」

 

「なら良かった」

 

 そう言うと、蓮花さんは持っていた荷物をみーちゃんに預けた。

 

「水都、ちょっとこれをお願い」

 

「は、はい!」

 

「歌野は二人を連れて他の人達の所に戻るんだ」

 

「私も一緒に戦います!まだ、やれます!」

 

「いや、戻るんだ」

 

 強固な意思を感じる声に言葉が詰まる。

 そして蓮花さんは敵に向かって歩き出した。

 

「後は任せて」

 

 その言葉と後ろ姿は、私に絶対的な安心感を与えてくれた。

 

 

 ──────────

 

 

「終わったよー」

 

 戦闘を終えて歌野達の所に向かうと、歌野は傷の手当てを受けていた。

 諏訪の人々もざっと見たところ百人近く集まっている。これで全員なのかはわからないが、歌野が守りやすいように一箇所に集まっていたのだろう。

 中には僕に対して疑心の目を向ける者もいる。

 

「え、もう!?」

 

「うん。一匹残らず片付けておいたよ」

 

「乃木さんが、蓮花さんは凄い人だってよく言っていたけれど、本当だったのね」

 

「若葉がそんなことを言っていたのか」

 

 若葉……思い出したら会いたくなってきた。まだ離れて数時間しか経っていないのに。

 

「蓮花さんが四国から助けに来てくれた人だってことは、既に皆に説明してます」

 

「ありがとう水都」

 

 水都から預けていた荷物を受け取っていると、一人の年配男性を先頭に数人が僕の元に歩いてきた。おそらくこの人が諏訪の人々を纏めているのだろう。温和な雰囲気のお爺さんだ。

 そしてお爺さんが頭を下げると、後ろの人々も頭を下げた。

 

「諏訪を、この子達を助けて下さり、ありがとうございます」

 

「……どういたしまして」

 

 僕がお爺さんと握手をすると、周囲の人々の疑心も少し晴れたように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になり、僕は歌野と水都が寝泊まりしている家に来ていた。今夜はここに泊めてもらうことになっている。

 昼間には諏訪の土地を見て回った。

 ここの人々には生気があった。皆で協力して必死に生き抜こうとする心持ちがあった。

 最初の頃の勇者通信で歌野から、未来を諦めている人も多いと聞いていたが、きっと諦めずに頑張る歌野に鼓舞されたのだろう。凄い子だ。

 既に夕食は済ませ、今は居間でのんびりと過ごしている。

 約三年ぶりに二人に会ったのだ。話したいことは色々ある。

 

「二人とも大きくなったね」

 

「だいぶ身長は伸びたわ」

 

「蓮花さんは全然変わってないね」

 

「まぁ……この歳になると三年くらいじゃ変わらないね」

 

 小学校高学年女子の三年間はとても大きい。成長期が来て一気に背が伸びる子も多い。

 

「千景さんも大きくなったのかな」

 

「ああ、色々大きくなったよ。写真見るかい?」

 

「見たい!」

 

 スマホを取り出してアルバムを開き、千景が写っている良さげな写真を探す。といっても、大半の写真は千景が写っているが。どうしよう、画面が可愛いでいっぱいだ。

 

「あら美人」

 

「本当だ。というか千景さんの写真凄く多いね」

 

「まあね」

 

 スマホを三人で覗き込みながら画像をスライドさせていると、この前の卒業式の日に撮った集合写真が表示された。

 せっかくだから丸亀城の皆のことを紹介しておこう。

 

「この背の高い金髪が若葉だよ」

 

「へぇー、なんだかイメージ通りね」

 

「この人がいつもうたのんと熱く論争してるんだね……」

 

 子供達の事を順に紹介していく。4月からは歌野達もこの子達と一緒に授業を受けるのだ。

 

「この乃木さんにそっくりの人はお母さんかしら」

 

「こっちの人もひなたさんにそっくりだよ」

 

「その二人はそれぞれのお母さんだよ」

 

 楓さんと琴音さんはやはり誰が見ても母親だとわかるくらいに似ているのだ。綺麗で若く見えるから姉妹でも通るかもしれない。

 

「この人が蓮花さんの奥さん?」

 

 歌野はそう言って久美子を指さす。そんなふうに見えるのだろうか。単に歳が近いからか。

 

「僕は独身だよ。この人は烏丸久美子って言って、僕らの家族であり皆の担任の先生だ」

 

「ティーチャー!ということは私達の先生もこの人になるのね」

 

「というか家族増えたんだね」

 

「久美子と友奈とこっちの茉莉は、天災の時に奈良から四国に避難してきたんだ。で、行く宛てが無いから一緒に暮らすことにした」

 

「なるほど」

 

 あれから一年半経ったのか。早いものだ。

 

「久美子は変な人だけど、面白い人だから楽しみにしててね」

 

「変な人なんだ」

 

 再びスマホに視線を戻す。

 写真をたくさん見ていると懐かしい気持ちになってくる。

 子供達の成長もパッとわかるので嬉しくもなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、諏訪の人達には避難のことは話してあるんだよね?」

 

「ええ、準備はしてくれているはずよ」

 

「そうか、ならいい」

 

 消灯し、布団に入って寝る体勢になる。明日の朝も早い。北海道までは距離がある。

 

「何日かかるかわからないけど、僕が北海道の人達を連れて諏訪に合流したら、一泊して次の日に皆で移動しよう」

 

「うん」

 

「千景達も皆に会いたがってる」

 

「私達も会いたいわ。そして皆で蕎麦を食べるの」

 

「そ、そうか」

 

 まあ若葉達はうどんが上だと言い張りたいだけで、蕎麦が嫌いなわけではないだろう。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

 一日目は無事に終わった。

 目を閉じ、移動経路等を瞼の裏に思い出し確認する。

 やがて聞こえてくる歌野と水都の安らかな寝息にどこか安心しながら、僕も眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ僕は諏訪の結界の周囲を回ってから北海道に向かうね」

 

 早朝。玄関でブーツを履いて荷物を持つ。

 振り返ると、歌野と水都が見送る為にそこに立っている。

 そこそこ早い時間だが、二人は早起きに慣れているようだ。農作業が理由か。

 

「ええ、また数日後」

 

「行ってらっしゃい、蓮花さん」

 

「行ってきます」

 

 扉を開いて外へ出る。

 早朝故にあまり人を見かけない道を歩き、僕は次の目的地に向けて進み出した。

 北海道の、雪花の元へ。



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第62話 温かい場所へ

かなり遅くなりましたm(_ _)m
最近更に忙しくなり続きを書く時間を確保しにくくなりましたが、失踪はしません(断言)。
ここまで書いて失踪したら私もスッキリしないので、更新頻度がどうなるかは不明ですが更新はします。


 日が傾き始めた頃、僕は北海道旭川市の雪花がいるはずの街に到着した。

 約4年前、この街で僕と千景は雪花と出会った。

 あの頃とは見る影もない光景だが。そこら中でバーテックスが漂っている。

 離れた場所から見渡すと、降り積もる雪による真っ白な景色に星屑が擬態しているみたいだ。

 きっとここで血が流れても少し周囲を赤く染めるだけで、またすぐに雪で白く掻き消されるのだろう。

 

 

「ん……?」

 

 辺りを見回して疑問を覚える。人の気配が無い。

 死体はある。しかし、ここまでの道中と比較すると圧倒的に少ない。

 それに関しては雪花が守ったからと納得はできるが、死んでいないのならなぜこんなにも人がいないのか。

 既にどこかに移動したのか。

 

 

 

 しばらく探索していると、少し離れた所で黒い棒状の物が空に向かって飛んでいき星屑を貫いたのが見えた。

 

 見つけた。

 

 急いで戦闘の場へ向かうと、黒い衣を纏った少女が槍を手にバーテックスと対峙していた。

 とても成長しているが、4年前に出会った時と変わらない面影の少女。

 

「雪花!」

 

「えっ、まだこんな所に人が!?危ないから隠れてて!!」

 

 落ち着いて話をする為に、まずは周囲のバーテックスを片付ける必要がある。

 速やかに判断して行動し、数分で周囲の敵の掃討を終えた。速戦即決だ。

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

「どうした?」

 

「あなたも勇者なんですか?」

 

「……似たようなものだけど違うよ。僕は勇者だなんて名乗れるような人間じゃない」

 

 僕は勇者の子達のような、どんな人間でも助けるような精神性は持ち合わせていない。

 しかし、雪花の初対面かのようなこの反応。

 

「もしかして僕のこと憶えてない?」

 

「え?」

 

「……まあしょうがないか。出会ったのが4年前で数時間一緒にいただけだもんね」

 

「4年前?」

 

 顎に手を当てて考え込む雪花。やがて驚いたように極限まで丸くした目をこちらに向けた。

 

「……え……ああ!!蓮花さんだ!!」

 

「思い出してくれたようでなにより」

 

「すみません、4年も前だから顔がうろ憶えで」

 

 あはははー…と後頭部に手を当てて苦笑いをする雪花。

 

「むしろ蓮花さんはよく私だとわかりましたね。結構背も伸びたのに」

 

「まあね」

 

 僕からすれば小学2年生の雪花よりも、背が伸びて勇者服を着ている今の方が馴染みがある。もはや懐かしい記憶ではあるが。

 

 

 

「……あのー蓮花さん」

 

「ん?」

 

「さっきから私の精霊がめちゃくちゃあなたを警戒してるんですが」

 

「え」

 

 雪花の隣に紫色の狐のような精霊が姿を現す。確かコシンプだったか。

 今にも吠えてきそうな様子で僕を見ている。

 

「こ、怖くないよ〜ほれほれ〜……あ」

 

「あははは…」

 

 警戒心を解いてもらおうと思い撫でようと手を伸ばすが、さらに距離を取られてしまった。

 

「というか精霊が見えるんですね」

 

「ああ、うん」

 

 コシンプにはすぐには懐いてもらえなさそうだし、今は置いておこう。

 

「雪花、聞きたい事が色々あるんだけど」

 

「どうぞどうぞ、歩きながら話しましょう」

 

 少し離れた道の端に置いていたリュックサックを背負い歩き出す雪花について行く。

 

「他に生きている人はいないの?」

 

「いますよ?今はそこに向かってます」

 

「一人で何をしていたの?」

 

「食料を集めていたんです。この通り街はもうバーテックスでいっぱいだから、ここにいた人達は皆で山の方に隠れてまして。食べる物が減ってくる度に私が探しに出てきてます」

 

「だから人がいなかったのか」

 

 北海道は既に結構ギリギリな状況だったのかもしれない。

 通り道に擦れ違うバーテックスを二人で薙ぎ倒しながら、山の方に向かって歩き続ける。

 

「そういえば、私も聞きたいことがあるんですけど」

 

「何?」

 

 隣を歩く雪花が顔をこちらに向けて問う。

 

「なんで北海道には生きている人がいるって知ってたんですか?」

 

「え?えっと……四国には神樹っていう神様の集合体があって、そいつから聞いたんだ」

 

「へぇー、そんなのあるんだ」

 

 よし、それっぽい答えを返せたはずだ。

 

「ていうか神様をそいつって言っていいんですか」

 

「いいのいいの」

 

「いいんかい」

 

 千景達を勇者に選んで敵と戦わせようとする奴なんて『あいつ』や『そいつ』でいい。集合体だから複数形で呼ぶべきだろうか。

 

「どうやってここまで来たんですか?」

 

「徒歩」

 

「徒歩!?」

 

 

 

 

 互いの状況を知る為に質疑応答を繰り返していると、やがて山の中に掘られた大きな洞窟に辿り着いた。

 確かにここには人の気配があり、周囲にバーテックスはいない。

 

「着きました」

 

「ここで生活してるのか」

 

 中に入ると、そこには数十人の人がいた。高齢者から小さな子供まで様々だ。

 

「ただいま帰りましたー」

 

「勇者様!」

 

「おかえりなさい!ご無事で何よりです」

 

 勇者の帰還を歓迎する人々。その視線はやがて僕に向けられる。

 

「勇者様、こちらの方は……?」

 

「あ、この人は郡蓮花さんって言って、四国から私達を助けに来てくれた人です」

 

「四国から!?」

 

「いったいどうやって!?外には化け物がうじゃうじゃといるはずなのに……」

 

 想像通りの反応をする人々。正直人に会う度に同じ説明をするのは面倒くさい。

 

「もしかしてこの方も勇者様……?」

 

「似たようなものです。どうぞよろしく」

 

 希望を見つけたように湧き上がる人々。

 歓迎してくれるのは嬉しいが、今日は諏訪からここまで走ってきたので一旦座らせてほしい。

 

「さっき助けに来てくれたって……」

 

「はい。四国は結界があって安全です。だから僕は皆さんをそこまで連れていきます」

 

 そして、皆にできるだけ早く移動を始めたいこと、途中で諏訪の人々と合流すること等を説明する。休むより先に説明だけして、準備をしてもらわなければ。

 

「何で移動しますか?さすがに郡さんのように徒歩というのは無理があるでしょう」

 

「計画では、フェリーや大型漁船に車両を積んで途中まで海路を移動しようと考えていたけれど……」

 

 周囲を見回し、人数を数える。せいぜい30人前後か。

 この人数で大きな船を使うのは燃料等が無駄な気がする。

 

「……バスで行こう。雪花、街にバスはあったかな?」

 

「確か公民館の駐車場で見かけた気がする」

 

「今日はもう暗いから明日確認しに行こう」

 

 北海道に着いた時点で陽が落ちかけていたのだ。洞窟の外は既に暗くなっている。

 

「この中にバスを運転できる人はいますか?」

 

「俺できます!大型二種免許持ってます!」

 

「じゃあお願いします」

 

 最悪、運転さえできれば免許は無くてもいいかと思ったが、あるに越したことはない。

 

「できれば明日の午後には出発したいです。食料等、持っていく荷物の準備はそれまでにお願いします」

 

「わかりました」

 

 スムーズに話し合いは進み、無事に終わった。ここの人々が協力的でよかった。

 面倒な人がいれば置いて行こうかと思っていたが、その必要は無さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 雪花が集めてきた食料を皆で分け合い夕食を済ませた後、僕は小さな女の子と遊ぶ雪花の隣に腰を下ろしていた。

 ちなみに僕は食料は受け取らず、諏訪で作ってきたおにぎりを食べた。

 

「……想定していたより人は少なかったな」

 

「……ここにいた人皆を守れたわけじゃないから。少し前だって……」

 

 顔を上げず、沈んだ声で話す雪花。やはりここも色々と大変だったようだ。

 普通の子供なら、他人の命なんて背負う必要は無いのに。

 

「及川さんは勇者様のせいじゃないですよ。あの人が勝手な行動をしたせいなんだから、自業自得です」

 

「それは、そうかもしれないけど……」

 

 近くにいた中年男性が励ますが割り切れない様子の雪花。

 勝手な行動をする人はたとえ生きていたとしても連れていくつもりはなかったが、そんな事を言うと印象が悪くなりそうだから黙っておこう。

 

 一見飄々としているように思われることもあるだろうが、その実人の命を大切に思い、理性では投げ出したくても心の底では投げ出せない。

 それが秋原雪花という少女だと僕は思う。

 

 

「そういえば、千景さんは元気?」

 

「ああ、元気だよ。写真見る?」

 

「見る見る」

 

 諏訪の時と同じように、スマホのアルバムアプリを開いて雪花に見せる。

 

「お〜美少女。四国に行ったらまた更衣室ファッションショーやりたいな」

 

「いいね、金は僕が出すから最高のコーディネートを頼む」

 

「頼まれました」

 

 またいつかのように、困り顔で似合っているか聞きたげな目を向けてくる千景を見たい。

 

 

「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

「なっがいため息。どうしたの?」

 

「千景の事考えたら会いたくなった。千景の声を聞きたい……」

 

 千景と一緒に暮らし始めてから今までで一番長い時間離れている。もう会いたくて堪らない。

 千景は寂しくて泣いていたりしないだろうか。さすがに無いか。

 むしろ久美子の方が寂しさを紛らわせる為にいつもより酒に浸っていそうだ。そして茉莉にウザ絡みして鬱陶しがられるのだ。

 ……茉莉の為にも早く帰ってあげなければ。

 

 

 

「あ、そうだ。昔の雪花の写真もあるはず」

 

「そういえば千景さんと一緒に撮りましたね」

 

 画像フォルダをひたすら遡り、4年前の写真を見つけた。そこに写っているのは、買ったばかりの服を着て少し嬉しそうな千景ととても満足気な雪花。

 

「おお、この時の私って小2だっけ」

 

「そうだね。……本当に大きくなったね」

 

「へへっ、まあ4年も経ちましたからね」

 

 笑う雪花の少しウェーブがかりふわっとした髪を撫でる。

 前にも、こんな風に撫でてあげたことがある気がする。

 君が心の内を隠す為の笑顔の仮面ではなく、心からの笑顔を見せてくれたら、そこはきっと温かい場所なのだろう。

 これから連れていく所は、きっとそんな場所のはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けた。まだ薄暗い時間帯ではあるが、僕は雪花や運転手含む数人と共に街に下り、公民館へやって来た。

 そこの駐車場には、雪花の言った通りバスが停まっていた。一応全員乗れそうな中型バスだ。

 僕と雪花が周囲を警戒している中、運転手の青年がバスのドアを開けて入っていく。

 

「鍵はありますか?」

 

「刺さったままになっています!」

 

 外から問い掛けると返答してくれる青年。鍵が無ければ別のバスを探すことになっていたため助かった。

 

「ガソリンスタンドまで行く燃料はあるかな?」

 

「多少残ってるんで行けそうです」

 

「じゃあバスに乗ってガソリンスタンドまで行こうか」

 

 

 皆でバスに乗り込んでエンジンを掛けて走り出し、特に問題なくガソリンスタンドに到着した。車体にこれといった異常は無いようだ。

 

 給油を済ませた後、山の麓にバスを停めた。

 そして洞窟に迎えに行った雪花と共に下りてきた人々と必要最低限の荷物を乗せ、バスは走り出した。

 再び諏訪に戻り、歌野達と合流する為に。

 

 

 

「蓮花さーん。本当にそこでいいんですかー?」

 

 雪花がバスの窓を開け、屋根の上に座る僕に呼び掛ける。

 

「いいのいいの。何かある度にいちいちバスを停めて降りるより、この方が早いと学んだ」

 

 給油と運転手の休憩以外、出来る限りバスは停めずに走り続けたい。少しでも早く帰りたい。

 それに、最初からバスの外にいた方がバーテックスを見つけた時に対応しやすい。

 

 朝日を全身で浴びながら周囲を見渡す。

 給油や休憩を挟む事も計算して、諏訪に着くのは明日の早朝くらいだろうか。

 僕が焦ったところでどうにもならない。

 早く、早くと焦る心を落ち着かせながら、僕は朝食のおにぎりを食べた。



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第63話 初めまして

若葉happybirthday!!
ずっと書きたかった場面を書けて満足です。


 バスが走行していると、時折車体が揺れる。蓮花さんが屋根の上で踏み込んだ瞬間だ。

 揺れと同時にフロントガラスからは飛び出していく蓮花さんが見える。

 弾丸のように飛び出していく蓮花さんはバスとどんどん距離を広げ、その先にいたバーテックス達を手に握った槍で貫き叩き切った。蓮花さんに頼まれて私の槍を一本渡したのだ。

 

「……あの人、何者なんでしょうかね?」

 

「……スーパーカガワジン?」

 

「香川県民は戦闘民族ですかw」

 

 敵が前方にいたにも関わらず、安全すぎるせいで他の人達と冗談を言う余裕すらある。最初は敵が現れると悲鳴が挙がったりしたものだが。

 小さい子供達はもはやバス遠足を楽しんでいるかのようだ。目の前の戦闘はヒーローショーのように見えるのだろうか。

 やがてバスが追いつくと蓮花さんが屋根の上に飛び乗り、再び車体が軽く揺れた。

 

 

 ──────────

 

 

 翌日の早朝。もうすぐ諏訪に到着するといった所で、まだ少し薄暗い遠くの空に白く長い物を見つけた。

 

「あれは……」

 

 まだ距離はあるがバスの屋根上から降り、崩れ掛けの建造物の上を渡って近づいていく。

 それは巨大な蛇のような姿をした進化体バーテックスだった。矢を放つ進化体や百足のような進化体と比べて、なかなか見かけない形態だ。

 

「ふむ……」

 

 あれは確か、切断すると分裂、再生する個体だったはず。球子が輪入道で燃やして倒したんだったか。

 しかし、今はそういった手段が無い。

 どうしたものかと考えていると、向こうがこちらに、正確には僕の下を走るバスに気がついたように迫り来る。

 

 

「ちょっ、蓮花さーん!!なんかこっちに来てますけどぉ!?!?」

 

 敵を前に立ち止まっている僕に、雪花が焦りながらバスから叫ぶ。

 すぐに助けに向かい、ひとまず遠くに蹴り飛ばす。

 

「めちゃくちゃ焦りましたよ!」

 

「ごめんごめん。どうやって倒すか考えてた」

 

 雪花に謝りつつ、蹴り飛ばした敵を追う。

 対処法を考えながら何度も近づく度に遠くに投げ飛ばす。

 

 そして、穴を空けてみようという結論に至った。

 分裂はせず、かつ自己再生ができない程の大きめの穴を沢山空けてやれば、身を維持できずに崩れていくのではないだろうか。

 周囲に星屑はおらず、融合して再生することもできない。

 

 勢い余って引き千切らないよう、左手で敵をしっかりと掴み、右手で慎重に貫く。

 

「フンッ」

 

 残った部分の方が少ないんじゃないかという程に大きめの蜂の巣にしてやると、やがてその蛇のような長い体は砂のように崩れていった。

 

「なるほど、これでいいのか」

 

 また一つ学習し、いつの間にか離れていたバスの元に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日に眩しく照らされながら、長い道のりを走ってきたバスは止まった。諏訪に、辿り着いたのだ。

 

「人がいる!!」

 

「本当にここにも勇者様がいるんだ!!」

 

 驚きや歓喜に騒がしくなるバス内と同じように、歓迎する為に諏訪の人々が集まり周囲も騒がしくなる。

 バスの上から降り、傍に来ていた纏め役のお爺さんに歩み寄る。

 

「おかえりなさい、郡さん。この方達が北海道の?」

 

「はい。長旅で疲れているから、何か食べさせてやってください」

 

「わかりました、任せてください」

 

 諏訪の人々に案内されてついていく北海道の人々。雪花と共にその後ろ姿を見送っていると、二人の少女がこちらに走ってくるのが見えた。

 

「蓮花さーん!!」

 

「……はぁ……はぁ……待ってようたのん…速いよ……」

 

 全力で走る歌野について行こうとした水都が、僕達の元についた瞬間膝から崩れ落ちた。

 

「水都大丈夫?」

 

「はぁ…はぁ……うん……おかえりなさい、蓮花さん」

 

「…ただいま」

 

 二日ぶりの二人の笑顔に安心する。離れていた間は何もなかったようだ。

 

「ねえ蓮花さん、もしかしてこの人が……」

 

「ああ、北海道の勇者だよ」

 

「どうも、秋原雪花です」

 

 雪花をじろじろと見回す歌野に紹介する。自分以外の勇者を直接見るのが初めて故に、とても興味が湧くのだろう。

 

「初めまして!私は諏訪の勇者、白鳥歌野です!」

 

「あっ、えっと……巫女の藤森水都です……」

 

 ハツラツと自己紹介をする歌野に続いた水都だが、人見知りが発動しているようだ。

 まぁ、すぐに打ち解けられるだろう。

 

「白鳥さんと藤森さんね、よろしく」

 

「とりあえず、私達のホームに行きましょう。お風呂を沸かすわ」

 

「やった!お風呂入りたい!向こうじゃたまに水浴びする程度だったから……」

 

「ああ……ゆっくり入ってね」

 

 歩き出す歌野達にひとまず僕もついて行く。

 後で大人達と集まってここからの移動手段等を話し合う必要があるが、この二日間でたくさん動き回り砂埃を浴びたりしたので、まずは僕もシャワーくらいは浴びたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 夕日がほとんど沈んだ頃、用事を済ませて歌野達の家に戻ると、居間から歌野がひょこっと顔を出した。

 

「おかえりなさい、バスは見つかった?」

 

「ああ、あったよ」

 

 昼食後に集まって話し合った結果、やはり移動はバスということになった。諏訪にいるのは約百人、老人や子供もそこそこいるため、徒歩による長距離の移動は難しいという話が出た。

 しかし諏訪の結界内にはここまで乗ってきたものと同程度の中型バス一台しかなく、なんとか全員が乗れるように僕と大人数人で結界外に探しに出ていたのだ。

 見つけてもタイヤがパンクしていたりバーテックスに潰されていたりと、まともに走行できそうなバスはなかなか見つからず、数時間かけてなんとか二台見つけた。

 これならば少し詰めれば全員乗ることができるだろう。

 

「今日のディナーは蕎麦よ!」

 

「わぁ、いつも通りだね」

 

 居間ではちょうど三人で蕎麦を食べていた。ちなみに今日の昼食も蕎麦だった。美味しいので構わないが。

 

「諏訪の蕎麦美味しいね」

 

「でしょう!?私はこれを香川に持っていって蕎麦を布教するの!雪花さんも蕎麦派として一緒にどうかしら!?」

 

 ハイテンションで身を乗り出し、雪花を自陣に引き入れようとする歌野。

 

「いや私は麺類はラーメン派かな。ていうかうどん県で蕎麦を布教するってまじ?」

 

「まじよ。正々堂々とうどんに勝負を挑むわ」

 

「どっちも美味しいでいいんじゃないの?」

 

「駄目よ!直接会って勝負するって乃木さんと約束したもの」

 

「え?」

 

 無線でやっていたアレを、面と向かってやるのか。……面白そうだ。若葉と歌野、それぞれに自慢の一品のうどんと蕎麦を用意してもらい、プレゼンしてもらいつつ皆で食べ比べるとかどうだろう。

 久美子に話したら時間を確保してやってくれそうだ。

 

「楽しみだね」

 

「ええ!」

 

「えぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入浴を終えると、歌野達は縁側に並んで座り夜空を見上げていた。よく晴れており綺麗な星空だ。

 僕もその横に腰を下ろす。風呂上がりの熱された体に夜風が気持ちいい。

 

「明日でこのホームともお別れね」

 

「そうだね」

 

「ここって歌野か水都の実家なの?」

 

「いえ、ここは天災の後、大人達からこの家を使っていいって言われたの」

 

 ここでの生活が始まってからのことを思い返しながら話す歌野。

 雪花は自己紹介の時は二人を苗字で呼んでいたが、もう既に名前で呼ぶほど打ち解けている。きっと丸亀城の皆ともすぐに仲良くなれるだろう。

 

「今になって思うと、本っ当に私って頑張ったわね。みーちゃんが一緒じゃなかったら、途中で挫けてたかも」

 

 歌野は体を後ろに倒すと、水都の方を見て笑った。

 

「うたのんは凄いから、私がいなくてもきっと頑張れたよ」

 

「そんなことないわ。何があってもみーちゃんは私の味方でいてくれるって信じられたから、とても心強かったの」

 

 何の含みもない思いを真っ直ぐ伝えられるその素直さは、きっと歌野の美徳だ。

 それは何にも染まらずに、大人になっても変わらずにいてほしいと、夜空の星々を見上げながらそんな願い事をした。

 

「蓮花さんと千景さんが私とみーちゃんを引き合わせてくれていなかったら、今の私ってどうなっていたのかしらね」

 

「え?歌野も千景さんを知ってるの?」

 

 ずっと黙って話を聞いていた雪花が口を開く。そういえば話していなかった。

 

「ええ。三年くらい前に蕎麦屋さんで蕎麦を食べていたら蓮花さんと千景さんとみーちゃんが来たの」

 

「一人で公園にいたら旅行で来てた蓮花さん達に話しかけられて、近くの蕎麦屋さんを聞かれたから案内して一緒にお昼ご飯を食べたの」

 

「へぇー」

 

「それで、私が一人で食べていたら蓮花さんが話しかけてきて、食べ終わってから一緒に話したのよ」

 

「思い出した。確か千景に対しての第一声は『うどんとそば、どっちが美味しいですか!?』だったっけ」

 

「アハハハハハッ!昔からそうだったんだw」

 

 軽く笑いのツボにハマる雪花。

 今後ずっと香川で暮らしても、歌野の蕎麦への情熱は変わらないだろう。

 

「その時に私とみーちゃんは初めて話して、フレンドになったのよ。今では大親友よ」

 

「あの日蓮花さん達に会わなかったら、私が蕎麦屋さんに行ってうたのんに会うこともなかったね」

 

「だから、私は蓮花さん達にたくさん感謝しているの」

 

「……そっか。どういたしまして」

 

 きっと歌野と水都は、僕達がいなくても出逢えただろう。そういう運命だろうから。

 けれどこの笑顔を見ると、過去の自分の行動は無駄ではなかったのだと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。既にほぼ全員がバスに乗り込み、後は僕達だけだ。

 

「バス四台で移動って、校外学習みたいね」

 

「そんな楽しいものじゃないでしょ」

 

「三人は一番後ろに乗ってくれ。一応後方の警戒を頼む」

 

「りょーかいです」

 

 北海道からここまではバス一台だったから一人で問題なかったが、四台となると先頭と最後尾でそこそこ離れてしまう。

 歌野と水都、雪花がバスに乗り込んだのを確認し、僕は先頭のバスの屋根の上に乗った。

 

「よし、行こう」

 

 縦一列に並び走り出すバス。

 ここから瀬戸大橋までは約600km弱。途中で給油や休憩を挟んだとして、今日の夕方、遅くとも夜には到着するはずだ。

 

 諏訪の結界を出ると、そこには待ち構えていたかのようにバーテックスの群れがいた。

 声が聞こえるように開けている窓から、悲鳴や泣き声が聞こえる。

 雪花に借りた槍を右手で握り、バスの上に立つ。

 

「そのまま止まらずに走り続けてください」

 

「は、はい!」

 

 先頭のバスを運転する青年に声をかけ、次第にこちらに近づいてくる星屑に向かって飛び出す。

 槍で貫くと同時に蹴って次の敵へ飛び掛かる。

 空中戦は苦手だが、できなくはない。足場ならたくさん浮いているから。

 

 

 ──────────

 

 

 空中を飛び交い次々と敵を倒し続ける蓮花さんを、バスの中から見上げる私達。

 

「……降りてこないね」

 

「身体能力どうなっているのかしら」

 

「そのうち見慣れるよ」

 

 私は北海道から諏訪までの道のりで見慣れた。

 たぶんあの人は水の上も走れる。知らんけど。

 

 結局、全ての敵を倒し切るまで蓮花さんが降りてくることはなかった。

 見上げ続けていた私達は首を痛めた。

 

 

 ──────────

 

 

 夕日が沈み始める前に、バスは長旅を終えて停止した。

 出発直後の戦闘以降、ほとんどバーテックスに遭遇することはなくスムーズに移動できた。

 現在地は瀬戸大橋の上、四国を囲う壁の前だ。

 

「ようやく着いたのね……」

 

「でもこれ以上進めないよ?」

 

「この大きな壁は何?」

 

 雪花達は疑問の答えを求めて僕を見る。他の人達も同じような事を思ったのか、僕に注目が集まる。

 

「この壁は神樹の結界を形成するものだよ。諏訪の御柱みたいなものかな」

 

「へぇー」

 

 ここから先はバスでは進めない。ここなら電話は繋がるだろうか。

 スマホを取り出し、大社の神官に電話をかけるとすぐに繋がった。

 

『こちら大社です。郡様からのお電話ということは、到着なさいましたか?』

 

「はい、諏訪と北海道の人達が到着しました。壁の前にいるので予定通り迎えをお願いします」

 

『了解致しました。すぐに向かわせます』

 

 簡潔に必要な情報のやり取りを終えて電話を切る。この神官は有能かもしれない。

 

 もう一度、次は違う番号に電話をかけると、こちらもすぐに繋がった。

 

 

 

「もしもし?」

 

『……今はどこにいる?』

 

「壁の前、大橋の上だよ」

 

『そうか』

 

「今日の夜までには丸亀城に三人が着くと思うから、後のことはよろしくね」

 

『わかった』

 

 電話の向こう、久美子の声を聞くのは四日ぶりだが、かなりの距離を移動してきたのもあってか、もっと久々な感じがする。

 

 

「……皆はどうしてる?……生きてる?」

 

 これは聞いておかなければ。ずっと心配していた事だ。

 不安と緊張で心臓の鼓動が早くなる。

 

『ああ、いつも通りだよ。今のところ敵の襲撃はない。だから安心しろ』

 

「そうか。よかった……」

 

 安心して一気に体の力が抜ける。電話越しの声でも不安が伝わったのだろうか。

 なぜ襲撃が無いのかは少し疑問ではあるが、まずは一安心だ。例えこの後に襲撃があったとしても、外で生き残ってきた戦闘経験豊富な歌野と雪花が一緒だ。きっと大丈夫だろう。

 

 

 

『……なぁ、蓮花』

 

「ん?」

 

『……あとどれくらいで帰ってくるんだ?』

 

 確認したいことは聞けたためそろそろ電話を切ろうと思った瞬間、聞こえてきた声はどこか寂しげだった。

 

「三日くらい、かな」

 

『……そうか』

 

「どうした?寂しいの?」

 

『黙れ』

 

 このまま本当に黙り続けたら、どういう反応をするのだろう。

 

「……できるだけ早く帰るね。もう少し待っていてくれ」

 

『わかった……またな』

 

「ああ」

 

 

 電話を切り、ここからの事を皆に説明する。

 

「この後、ここにヘリで迎えが来て、順番に壁の向こうに運んでもらいます。そこからはバスが用意されているから、それで移動します」

 

「なるほど」

 

「歌野達は別移動だよ。三人は丸亀城に運ばれる」

 

「あっ、そっか」

 

「そこからの事は久美子に任せてあるから、久美子の言うこと聞いてね」

 

 昨日の夜に改めて写真を見せておいたから、大丈夫だろう。

 おそらく久美子はわかりやすいように丸亀城の門の前にでも立っていてくれるだろう。

 

「蓮花さんは一緒に行かないの?」

 

「ああ、僕は今から沖縄に向かう」

 

「ええ!?沖縄!?」

 

 まだ、迎えに行かないといけない子がいる。

 

「千景さんに会っていかないの?」

 

「……一度会ったら、もう一度離れるのが辛くなるから」

 

「……そっか」

 

 やる事が全て終わったら、今度こそあの子のところに帰ろう。離れていた分、たくさん傍にいてあげよう。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 後ろを向いて来た道を戻り、再び大橋を渡る。そして次は沖縄へ。

 

 

 ──────────

 

 

 一緒に避難してきた人々が大社の手配したバスで運ばれていくのを見送った後、私達三人は高級そうな車に乗り込んで運ばれていた。

 運転手の話によると、丸亀城の勇者や巫女が大社に用がある時は、いつもこの車で送迎しているそうだ。

 ちなみに勇者装束のままだと目立つため、服は人がいなくなった後にバスの中で着替えた。

 

 車に揺られること30分程、私達は丸亀城に到着した。

 扉を開けて車を降り、目の前にそびえ立つ城を見上げる。

 

「お城だぁー!!」

 

「嬉しそうだね、雪花さん。お城が好きなの?」

 

「城っていうか歴史が好きなんだよね」

 

「歴女ってやつね!」

 

 私は雪花さんのように城が好きな訳ではないけれど、同じように気持ちは昂っている。

 ようやく会えるのかと思うと、少し緊張もしてくる。

 門の前で立ち尽くしていると、中から一人の女性がこちらに歩いてきた。

 

「ん、お前達が蓮花の言っていた三人だな。写真で見たことがある顔だ」

 

「え?」

 

 一瞬、どちら様で?と思ったが、その人の顔には見覚えがあった。

 

「あ、写真で見た人!」

 

「は?」

 

「えっと……久美子さん、でしたっけ?」

 

「聞いているのか、なら話が早い。私は烏丸久美子、これからお前達の担任となる。寮の部屋まで案内するからついてこい」

 

 振り返って中に入っていく久美子さんの後についていく。

 

「丸亀城で生活してるって聞いたから丸亀城の隣にでも寮を作ったのかと思っていたけど、敷地内に作ったんか」

 

「これから私はここを拠点として蕎麦を広めていくのね……!!」

 

「蕎麦を広める?」

 

「うたのんの言うことは気にしないでください……」

 

 歩いていると、意外と人がいる。皆丸亀城勤務の大社の職員なのだろうか。

 五人の勇者が生活しているのだから、それを支える為に人手を多めに回していても不思議ではないか。

 

 

 

 

 

 

「見えたぞ。あれが今日からお前達が暮らす寮だ」

 

 久美子さんが立ち止まり、指を差す。その先を辿ると、確かに寮らしき建物と、その前で木刀を振る少女がいた。

 長く綺麗な金髪で、凛とした佇まいの少女。

 ようやく会えた、初対面の友人。

 

 私は持っていた荷物をその場に置き、その人の元へ駆け出した。

 少女はこちらに気がつくと、木刀を振るのを止めて私を見た。

 

「ん?丸亀城は関係者以外立ち入り禁止のはずだが……」

 

 無線機越しに何度も聞いたその声に、感極まって今にも泣いてしまいそうだ。

 

 

「乃木さん!!」

 

 

「ぇ……」

 

 

 少女の前で立ち止まり、その手を握る。

 ──ああ、触れられる。本当に貴女はここで生きているんだ。

 ずっと会ってみたかった。乃木若葉さん。

 

 

「初めまして、白鳥歌野です!!」



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第64話 変わらない笑顔

「白鳥……歌野さん……?」

 

「はい!」

 

 私の手を握る目の前の少女は確かにそう言った。その容姿は、蓮花さんに見せてもらっていた数年前の写真の姿と酷似している。

 

「本物、なのか……?」

 

 答えを求めるように久美子さんの方に目を向けると、久美子さんは頷いた。

 

「本物さ。そいつは諏訪の勇者、白鳥歌野本人だ」

 

 改めて目の前の少女と向かい合う。

 無線で何度も言葉を交わした少女が、生きて四国に、私の前にいる。

 そう思うと胸の奥がとても熱くなり、私は少女を抱き締めた。

 

「ひゃっ!?」

 

「初めまして、白鳥さん……ずっと会いたかった。……私が、乃木若葉だ」

 

「……ええ、私もです」

 

 白鳥さんが抱き返してくれると、その強い心音が生きていることを伝えてくる。

 少しして身体を離し、白鳥さんの後ろを見ると他にも二人の少女がいた。しかしどちらも見覚えがある。

 

「確か……藤森水都さんと、秋原雪花さんだったか?」

 

「は、はいっ、初めまして、藤森水都、です……!」

 

 藤森さんは聞いていた通り、そこそこ人見知りなようだ。

 

「水都はともかく、私のことも知ってるの?」

 

「ああ、蓮花さんに写真を見せてもらったことがある。ここにいるということは、秋原さんも勇者なのか?」

 

「そうだよ、私は北海道で勇者やってました」

 

 蓮花さんは本当に北海道まで行ってきたのか。公共交通機関が無い現状で。

 そういえば天災の時も島根から奈良まで走っていたかと思い出す。比にならない距離だが、あの人なら不可能ではなかったのだろう。

 

「お前達、積もる話は後にして先に寮の案内とここの生活の説明をするぞ。もうすぐ日が落ちるから早く帰りたい」

 

「あっ、はい」

 

「皆、また後で」

 

「ええ!」

 

 歩き出す久美子さんについて行く三人に手を振って見送り、私も一度部屋に戻る。そろそろひなたと共に食堂へ向かうとしよう。

 

 

 ──────────

 

 

「お前達はこの三部屋をそれぞれ使え。鍵はこれな。とりあえず荷物を置いてこい」

 

「はーい」

 

 私達はそれぞれの部屋の鍵を受け取り、中へ入る。

 部屋にはテレビ、ベッド、タンス、エアコン、テーブル等、基本的な家具は揃っていた。諏訪にいた頃より快適に過ごせそうだ。

 ひとまず言われた通り荷物を置き、再び久美子さんの待つ部屋の外に出る。みーちゃんと雪花さんも同じように部屋から出てきた。

 

「必要そうな家具は大体揃っているはずだが、他に何か必要な物があれば私に言え。大社に用意させる」

 

「何でもいいんですか?」

 

「まあ、大社は勇者の要望なら大抵のものは用意するだろう」

 

 何でもいいのか。

 

「じゃあ、畑が欲しいです!!」

 

「「は?」」

 

 久美子さんだけでなく雪花さんにまで「は?」って言われた。昨日あんなに語り合ったのに、まだ私のことを理解し切れていないようだ。

 

「家庭菜園みたいな感じか?」

 

「いえ、せめて1ヘクタールくらいは欲しいです!」

 

「ガチで農業やる気?」

 

「ええ!私は将来農業王となり、農業で生きていくの!」

 

「農業王」

 

 学生の身で本職の農家さんほどの広い畑を管理するのは難しいかもしれないけれど、さすがに家庭菜園では狭い。

 農業王を目指し、今のうちからしっかり農作業をやっていきたいのだ。

 

「……まぁいい。一応大社には言っておく」

 

「ありがとうございます!!」

 

「いいんか」

 

「あははは……」

 

 野菜や果物はもちろん、諏訪から持ってきたソバも栽培し、この地に蕎麦を広めるのだ。

 

「じゃあ、次は食堂に行くぞ」

 

 

 ──────────

 

 

「若葉ちゃんとひなちゃん遅いね」

 

「さっきまで木刀振ってたらしいから、シャワーでも浴びているんじゃないかしら」

 

「自主練かぁ。体力あるなー」

 

「まあこの時期の夕方って涼しいから、身体を動かすのには向いてるんじゃないかな」

 

 食堂にていつものように夕食のうどんを食べる私達。若葉とひなたはまだ来ていない。

 

「私も後でランニングでもしようかな?」

 

「丸亀城の敷地内で走る分にはいいけれど、もう暗いから外には出ないようにね?」

 

「はーい」

 

 一応、久美子さんから午後6時以降は丸亀城の敷地外には出ないように言われている。

 そういえば久美子さんはもう退勤して家に帰ったのだろうか。

 大体いつもこの位の時間になると、私達のRINEのグループに『帰る』と一言送ってくるのだ。

 しかしまだそれが無いということは、今日は残業だろうか。

 

 そんなことを考えながらうどんを啜っていると、突如ガラッと私の背中側にある食堂の入り口の引き戸が開いた。

 

「あら、ようやく来たの……」

 

 若葉とひなたが来たのだと思い振り向くと、そこに若葉達はいなかった。

 

「あ!!千景さん!!」

 

「ここにいたんだ!」

 

「ぇ……」

 

 代わりにそこにいたのは久美子さんと、その後ろには懐かしい笑顔達。

 

「ん?誰だ?」

 

「どこかで聞いた気がする声……え?」

 

 私以外は初対面だが、杏は気がついたようだ。この日をどれほど心待ちにしていたか。

 

「歌野…水都……雪花……!!」

 

「あ、よかった。憶えててくれた」

 

 

「「え?……えぇぇぇぇ!?!?」」

 

「本当だ!!無線で聞いた声だ!!」

 

 私も十分驚いているが、ゆうちゃんは興奮し球子と杏は驚いて声が少し裏返っている。

 

 

「まさか諏訪の……!?」

 

「遂に到着したのか!?」

 

 私達だけでなく、夕食を食べていた周囲の大人達も驚いている。

 彼女達がここにいるということは、北海道と諏訪にいた人達の避難が完了したのだろう。長い道のりだったけれど、れんちゃんはひとまずやり遂げたのだ。

 

「お互い大きくなったわね、千景さん!」

 

「そうね。……でも、雰囲気はあまり変わってないみたい」

 

「それはそうかも」

 

 私の手を握る歌野に握り返す。その手の感触は前に会った時とは違っていた。

 成長して手が大きくなっただけではない。何度もマメができたような固い手。頑張ってきたことがよくわかる手だ。

 

「皆……また会えて良かった……」

 

「ええ!」

 

「また一緒に蕎麦を食べようって約束してたもんね。うたのんが」

 

「……そういえばそうだったわ」

 

「安心して!残ってた蕎麦粉全部持ってきたから!」

 

 本当に歌野の中身は変わっていないようだ。

 

「私は蓮花さんから千景さんのコーディネートを頼まれたから、また今度一緒に服屋さん行こうね」

 

 雪花もあまり変わっていないようだ。

 そんな二人の様子に少し安心を感じていると、その後ろから若葉達が現れた。

 

「あらあら、いいですねぇ!ついでに若葉ちゃんのコーディネートもお願いします」

 

「引き受けましょう。……確か上里ひなたさんだっけ」

 

「私をご存知なんですか?」

 

「蓮花さんに写真を見せてもらったから」

 

 三人は既にれんちゃんからここの皆のことを聞いているようだ。

 そのれんちゃんは今ここにはいない。何故だ。

 

「……ねぇ、れんちゃんは一緒に帰ってきてないの?」

 

 三人に対して問う。どうして一緒に来たはずの歌野達はここにいて、あの人は一緒にいないのだろう。

 

「蓮花さんは、もう沖縄に向かったよ」

 

「え……一度帰ってきてくれてもいいでしょうに……」

 

 ずっと心配しているのだ。だから、少しでも顔を見せて欲しかった。無事でいることを確認できたら、少し安心できただろうに。

 

「一度会ったらまた離れるのが辛くなるって言ってたよ」

 

「……そう」

 

「あと三日ほどすれば帰ってくるだろう。もう少しだけ我慢していろ」

 

 そう言って腕を組み、壁にもたれかかっている久美子さん。

 

「自分だって寂しくて会いたいくせに……」

 

「しーっ、タマっちは黙ってて」

 

 何とも言えない空気になり静まり返る。

 久美子さんは一瞬目を伏せると、壁にもたれるのをやめた。

 

「……そろそろ帰る」

 

「ここで晩ご飯食べていかないんですか?」

 

「家で茉莉が待っているからな。何かあったら連絡しろ」

 

 食堂から出ていく久美子さんの後ろ姿を見送り、ひとまず全員席に着き直す。

 

「もうっ、タマっちが余計なこと言うから!」

 

「え、タマのせいか?」

 

 球子は人の気持ちがわかる子のはずなのに、なぜこうもデリカシーがないというかなんというか。

 

「ん?……あ、ふ〜ん……なるほど、そういう……」

 

 雪花は何かを理解したように不敵な笑みを浮かべている。いかにも眼鏡が光りそうな表情だ。

 わちゃわちゃした空気の中、パンッとひなたが手を合わせた。

 

「お話は後でたくさんするとして、とりあえず晩ご飯を食べましょう?」

 

「そうだな。三人とも、ここで食事をする時はまず、あそこの人達に食べたいものを注文するんだ」

 

 先導する若葉達に続く三人を、私達は席に着き直してうどんを啜りながら見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。入浴を終えた私達は寮の談話室に集まり談笑していた。

 会ったのは今日が初めてでも、既に何度も言葉を交わした若葉と歌野は昔からの友人のようだった。

 

「……で、香川のうどんを食べたわけだが、どうだった?」

 

「……ベリーベリーデリシャスでございました……」

 

 歌野は若葉に向かって両手を床につくと、深々とひれ伏した。

 その大袈裟な様子に、見守る水都も困り顔だ。あの歌野があっさりと蕎麦の負けを認めたのかと。

 

「で、でも、明日は皆に私達が育てた蕎麦を味わわせてあげるわ!」

 

「ほう?」

 

「午前中に私が蕎麦を打つから、明日のランチは全員蕎麦よ!」

 

「やったぁ!楽しみ!」

 

「そうね、私も久しぶりだわ」

 

 蕎麦を食べるのが好きだった少女は、三年の間に蕎麦を打てるようになったようだ。

 

「みーちゃんも手伝ってね?」

 

「あ、うん」

 

「なるほど、粉から作るのか……。ならば私も今度、一からうどんを作って振る舞うとしようか」

 

「あらいいですね」

 

 うどんと蕎麦の話で盛り上がる中、雪花は一人静かに頭を抱えていた。

 

「秋原さん、どうかしましたか?」

 

 少し心配するような杏の声の後、雪花は立ち上がると勢いよく右手を挙げた。

 

「うどんよりも、蕎麦よりも、ラーメンが好きって人!」

 

 静まり返る談話室。そして雪花以外の手が挙がることもなく。

 雪花は項垂れるように再び座った。

 

「やっぱりかぁ……ここでラーメン党としてやっていくのは無謀かぁ……」

 

「まぁ、うどん県ですし」

 

「皆香川県民なの?徳島出身とかいない?」

 

「タマとあんずは愛媛だ」

 

「私は奈良!」

 

「私は高知ね」

 

「そっかぁ……」

 

 香川で蕎麦を広めようとするのも大概だが、ラーメンも難しそうだ。

 

「なんか話してたらラーメン食べたくなってきたな」

 

「よし、今度一緒に香川のラーメン屋を回ろう!」

 

「それはそれで楽しそうね」

 

 初めて四国に来た三人の友達と一緒に行ってみたい場所や一緒にしてみたい事はたくさんある。

 けれど焦る必要は無いだろう。時間はこれからたくさんあるのだから。

 

「とりあえず、皆でゲームでもして親交を深めましょうか」

 

 私はテレビとゲームの電源を入れる。やはり仲良くなるには一緒にゲームをするのが手っ取り早いのだ。多分。

 

「そろそろ新しいゲームをしたいな」

 

「今度皆で一緒に買いに行きましょう。この辺りの案内も兼ねて」

 

「そうだね」

 

 この人数で同時にプレイすることはできないが交代しながらやればいいだろう。

 さらに人数が増えたことで、今までよりもさらに盛り上がるようになった。

 ただ騒がしいだけなのは苦手だが、こういう賑わいは嫌いではない。

 好きなものを共有して盛り上がれるこの空間は、私にとってとても居心地が良かった。

 

 

 ──────────

 

 

 家に着き、玄関の扉を開くと空腹を刺激する匂いが漂う。

 

「ただいま。美味そうな匂いだな」

 

「おかえりなさい。晩ご飯はカレーだよ」

 

「そうか」

 

 キッチンから顔を出す茉莉はエプロンをつけている。今作っている最中か。

 白衣を脱いでハンガーに掛け、キッチンに向かう。

 

「こんな感じの味でいいかな?何か足す?」

 

「どれどれ……」

 

 小皿に少し掬って味見をする。甘すぎず程良い辛さだ。辛すぎると茉莉が食べられないだろうし、これでいいだろう。

 

「問題ない」

 

「美味しい?」

 

「ああ。ちょうどいい味だ」

 

 二枚の皿を出して米とカレーをよそってリビングのテーブルに運ぶ。

 茉莉と二人での夕食は、今日で五日目だ。

 

 

 

 

 

「そういえば、今日は帰ってくるの遅かったね」

 

「ああ、諏訪と北海道の奴らが到着したんでな」

 

「ふーん……ん!?けほっごほっ」

 

「ほら水」

 

 急に驚いて噎せた茉莉に水の入ったコップを渡す。

 勢いよく水を飲んだ茉莉は、その勢いのまま話を続けた。

 

「どういうこと!?」

 

「言った通りだが。諏訪と北海道で生き残っていた奴らが四国に到着した。そして丸亀城には二人の勇者と一人の巫女が増えた」

 

「えぇぇぇ!?!?」

 

「もう少し声量を落とせ、近所迷惑になる」

 

 驚く気持ちはわかるが、既に外は暗いのだ。騒いで近所から苦情が来ても困る。

 

「……ということは、蓮花さんは一回帰ってきたの?」

 

「壁の前まで来て、そのまま沖縄に行ってしまったよ」

 

「一回帰ってきて一泊していってもよかったのに」

 

「まったくだ」

 

 今頃はどこにいるのだろうかと、窓の外の夜空を見上げる。今夜もよく晴れていて星が綺麗だ。昨夜もこんな風に夜空を見上げていたか。

 

「早く帰ってきてくれないと、久美子さんが面倒くさくてボクじゃ相手しきれない……」

 

「おい」

 

 

 ──────────

 

 

 入浴を終え、ドライヤーで長い髪を乾かす。

 さすがに長すぎるような気もして切る事も考えたが、これといった特徴が無いボクの数少ない個性かもしれないと思うと、このままでもいいような気がした。

 

 髪を乾かし終えてリビングの扉を少し開いて覗くと、久美子さんはソファにもたれて酒の缶を持っていた。

 

(え、もうお酒飲んでる……)

 

 リビングには戻らずにこのまま寝室に向かって寝るべきかと扉の前で悩んでいると、久美子さんの独り言が聞こえた。

 

 

 

「本当に…早く帰ってこいよ……蓮花……」

 

 

 

 ボクは扉を開いてリビングに入ると、久美子さんの隣に腰を下ろした。

 

 

「ん、上がったか。じゃあ私もこれを飲み終えたら風呂に入ろう」

 

「全部飲み切らなくても、お風呂上がりに飲むお酒も美味しいんじゃないの?」

 

「……それもそうだな」

 

 立ち上がって酒の缶をテーブルに置き浴室に向かう久美子さんを見送る。

 

 ボクが久美子さんの寂しさを埋められるわけではないけれど。

 戻ってきたら、少しだけ話に付き合ってあげよう。

 一緒に暮らす家族なんだから。




おまけ

友奈「うーん……私、漢字を覚えるの苦手だなぁ」

千景「そうねぇ……何か良い覚え方とか無いかしら」

久美子「『人』の『夢』と書いて『儚い』……」

千景「やめて」

久美子「『人』の『為』と書いて『偽る』……」

千景「やめて」


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第65話 見守る瞳

 瀬戸大橋で歌野達と別れてから再び四国を一周してバーテックスを片付けた。

 そして現在深夜2時、僕は九州の最南端、鹿児島県の佐多岬に立っている。

 

「暗くて何も見えない……」

 

 陸上を移動できるのはここまでだ。ここから先は海上を走って沖縄まで行く必要がある。僕は船の操縦なんてできないので仕方ない。

 途中には屋久島や奄美大島等の陸地がある。なんとかなるだろう。

 少女達も言っていた。なせば大抵なんとかなる。

 

 ──────────

 

「これが教科書でこっちが問題集な。春休みの間にこれ一冊終わらせるぞ」

 

「え、えぇ……」

 

 朝食後、歌野達三人は烏丸先生に教室に呼ばれた。そして一緒に朝食を食べていた私達も、なんとなく一緒に教室に集まっていた。

 

「お前達は天災以降学校に通えていないだろう?だから他の奴らに進捗が追いつくまでは補習をする」

 

「四国についたら皆でひたすら農作業をするつもりだったのに……」

 

「え、皆でひたすら?」

 

 項垂れる歌野がちょっとよくわからないことを言った気がする。別に少し手伝う程度なら構わないが。

 

「平日は基本的に午前に授業、午後に訓練がある。今は春休み中だから午後の訓練だけだが」

 

「へー」

 

「というわけで春休み中、お前達の補習は午前中にしようと思っている。今日は今からだ」

 

「ゔぇ!?」

 

 今のは歌野の声だろうか。こんなに面白い子だっただろうか。

 しかし新しい土地に来て早々補習とは。学習が一年半遅れているから仕方ないとも思うけれど。

 

「今日は朝から蕎麦を打って皆のランチにご馳走するつもりだったのに……」

 

「それは今日でなくてもいいのでは……」

 

「ダメですよ若葉ちゃん、これ以上歌野さんの気分を落とすようなことを言っては」

 

「ほう、蕎麦か……」

 

 腕を組んで少し黙り考える素振りを見せる烏丸先生。次に何を言うのか大体わかった気がする。

 

「やっぱり補習は明日からにする。そして私も蕎麦を食べる」

 

「えっ!?」

 

「そんな簡単に予定を変えていいの?」

 

「一日くらい問題ない」

 

 いつも通りフリーダムな久美子さんであった。私達はもう慣れた。多分。

 今日の補習が無くなった上に蕎麦を振る舞える相手が増えたことで、歌野はすぐに生気を取り戻した。

 

「ふむ、昼前に一回帰って茉莉も連れてくるか」

 

「じゃあ私も一緒に迎えに行く!」

 

「ん。11時に正門に来い」

 

「はーい」

 

「あ、それから歌野と雪花」

 

「何?」

 

「お前達の勇者装束を私に渡せ」

 

「……え?」

 

 どうしたのだろうか、もしや久美子さんも勇者装束を着たいのだろうか。

 

「さすがに久美子さんは入らないと思うけど」

 

「どういう意味だ。大社で解析して勇者システムに組み込むから渡せと言っている」

 

「ああ、なるほど」

 

 私達は理解したが、歌野達は頭の上に疑問符を浮かべたまま首を傾げている。

 

「システムに組み込む?」

 

「どういうこと?」

 

「いちいち着替えなくてよくなるということだ」

 

「リアリー!?」

 

「すぐ持ってきまーす!」

 

 テンションが上がった二人は走って教室を出て行った。敵が来る度に着替えるのは確かに面倒なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、諏訪の蕎麦を召し上がれ!」

 

 談話室に集まりテーブルを囲う私達の目の前には、それぞれつゆの入ったお椀と、テーブルの真ん中に置かれた蕎麦の入った大きな桶。

 

「こんな桶、寮にあったかしら」

 

「さっき買ってきたの。今後も使うだろうし」

 

「なるほど」

 

 全員箸を持ち、それぞれのお椀に麺を取っていく。

 

『いただきます』

 

 蕎麦を口に入れ、舌に乗せ、咀嚼し、飲み込む。

 その味は前に諏訪で食べたものと変わらない美味しさだった。

 

「うまい!」

 

「おいしいね!」

 

「香川のうどんよりも先に出会っていたら、私は蕎麦派だったかもしれません……」

 

「今からでも遅くはないわ!」

 

 愛媛組や奈良組が揺らいでいる。気持ちはわからないでもない。

 どちらも美味しいが故に、小さい頃から慣れ親しんでいなければ揺れてしまうだろう。

 そして生粋の香川県民であるうどん派代表の若葉は、黙々と蕎麦を啜っている。

 

「では若葉、蕎麦を食べた感想を聞こうかしら?」

 

 自信に満ちた表情で仁王立ちし若葉に問う歌野。

 若葉は蕎麦を啜り終えると、箸を置き両手と額を床についた。

 

「……凄く……美味い……」

 

 デジャヴを感じる。

 

「そうでしょうとも!!」

 

 歌野は満面の笑みで今にも高笑いしそうだ。

 そしてその横ではひなたが微笑みながら若葉にスマホのカメラを向けている。

 土下座をしているのは珍しいので私も撮っておこう。

 

「しかし、それでも私はうどんが一番だと主張する!!」

 

「それでこそ乃木若葉!!でも麺類では蕎麦がトップよ!!」

 

 なんだこの茶番。互いを認め鼓舞しつつも己のプライドを掲げるライバルか。

 

「どうしてそこまで一番を主張するんですか?どっちも美味しいじゃ駄目なんですか?」

 

「確かにどちらも美味い。だが、香川のうどんを食べて育った者として、うどんこそが最高の麺類だと証明したいんだ」

 

「そう。私も長野の蕎麦を食べて育った者として、蕎麦こそが至高の麺類であると全人類に認知させたいの」

 

「さすが王(仮)は規模がでかいな」

 

「王(仮)……?」

 

 王って何だ?歌野は諏訪では王様のような存在だったとかだろうか。あと(仮)も何なのだろう。

 

「王(仮)って何ですか?」

 

「歌野は農業王というのになるのが夢らしい」

 

「……(仮)って必要?」

 

「構わないわ、だって私はまだ農業王ではないもの」

 

「本人がそれでいいならいいか」

 

 ……農業王ってなんだろう。おそらく聞いてもよくわからない答えが返ってきそうなので黙っておくとしよう。

 農業王(仮)。なんだか字面が株式会社みたいだ。

 

 

 

 

「あ、そうだ歌野」

 

「ん?」

 

 皆でわいわいと話しながら蕎麦を食べていた中、ひたすらに蕎麦を啜っていた久美子さんが箸を止めて発言したことで、少し静かになり視線が久美子さんに集まる。

 

「午前中に大社に行っていたんだが、畑は話が通りそうだ」

 

「え!?」

 

「マジで?」

 

「ああ」

 

 畑?何故大社で畑の話?

 

「何の話?」

 

「昨日、歌野が畑を用意してほしいと言ってな。その要望を神官達に伝えたんだが通りそうなんだ」

 

「凄いな」

 

「勇者の頼みならそんな事まで聞いてくれるんですね」

 

「まぁ勇者あっての大社だからな」

 

 もしかして結構何でも叶えてくれるのだろうか。

 

「部屋にゲーミングPCやゲーミングチェアを設置してって頼んだら用意してくれるのかしら」

 

「するんじゃないか?物が何であれ、勇者の趣味というのは共通しているし」

 

「……お願いしても?」

 

「他人の金で用意してもらうことに良心が痛まないのなら構わないが」

 

「クッ……」

 

 数千円程度のものなら平気で頼めるが、数十万円程の物となると言いづらい。困ったものだ。

 

「……あ、大社で思い出した。少し待っていろ」

 

 立ち上がり、談話室から出ていく久美子さん。何かを取りに行ったのだろうか。

 畑が用意してもらえるかもしれないと聞いてから、歌野はずっとニヤニヤし続けている。そのうち顔の筋肉が疲れそうだ。

 

 三分程で帰ってきた久美子さんは、片手に紙袋を持っていた。

 

「待たせた」

 

「それ、何ですか?」

 

「つまらないものですがってやつかな?」

 

「全くつまらなくないものだ」

 

 そう言うと、久美子さんは紙袋の中から三つの大層な木箱を取り出した。それぞれはあまり大きくはない。

 そして私達はそれに見覚えがあった。

 

「こっちが歌野でこっちが雪花、これが水都だな。ほれ」

 

 三人は木箱を受け取るとすぐに蓋を開けた。そこに入っていたのは金属の薄い板。

 

「スマホじゃん!?」

 

「これ貰っていいの!?」

 

「いい。というかお前達二人は常に肌身離さず持っていろ」

 

「「え?」」

 

「お前達のスマホには勇者システムが組み込まれているからな」

 

「「「早っ!?!?」」」

 

 今度は私達が驚く。歌野達がここに到着したのは昨日で、システムに組み込むからと勇者装束を渡していたのが今日の朝だ。

 

「あらかじめ用意はしていたからな」

 

「これどうやって使うんです?」

 

「敵が来た時にこのアプリを開いてここをタップするんだ」

 

 丸亀城での生活が始まってすぐの頃に私達も聞いた説明だ。未だ実際に使ったことはない。

 

「それだけ?」

 

「それだけ。そこを押したら勇者システムが起動して、某ニチアサアニメの変身のごとく勝手に装束を身に纏うようになっている」

 

「ワオ!!変身!!」

 

「楽チン!!」

 

 まあ確かに、今まで自分で着替えていたのがボタン一つで変身できるようになれば感動もするのだろう。

 

「初めての、自分のスマホ……」

 

 勇者システムは関係ない水都も、初めて持つスマホが嬉しいのかにやけている。

 れんちゃんがここにいれば、きっとこの可愛らしい様子を微笑みながら写真に収めるのだろう。

 代わりに写真を撮っておいて、帰ってきたら見せてあげるとしよう。

 

 

 

 

 

 昼食を終えなんとなくゲームを起動すると、参戦しようとする子達がコントローラーを手に取る。

 球子はコントローラーを持ってハンモックに寝転がった。そこからやるのか。

 

「そういえば、ここまでの道中はどんな感じだったんだ?北海道からの移動なんて大変だっただろう?」

 

「いや、そうでもなかったかな」

 

「ん?そうなのか?」

 

「結構距離あるよね?」

 

 私達は皆、歌野達は大変な道程を経てここまでたどり着いたのだと思っていたが故に、雪花の言葉に興味が向く。

 

「距離はあったけど、私達はバスに乗ってただけだし」

 

「バーテックスには遭遇しなかったの?」

 

「したけど、蓮花さんが無双ゲームの如く蹴散らすから」

 

「小さい子達は『がんばえー!』『まけるなー!』って応援していて、さながらショッピングモールのヒーローショーみたいだったね」

 

「正直途中からはピクニックみたいだったわ」

 

「えぇ……」

 

 私は一体何を心配していたのだろうか。

 

「バーテックスとの戦闘って命懸けじゃないんですか?」

 

「私達は今までそうだったのよ?いつも敵が来る度に命懸けだった」

 

「でもあの人はそういう次元じゃなかったよね」

 

 雪花の言葉にうんうんと頷く久美子さんと、苦笑する茉莉さんとゆうちゃん。

 奈良組は歌野達と同じようにれんちゃんに守られながら避難したため、その状況を理解できるようだ。

 

「バスより速く走ったり数十メートルジャンプしたり、ちょっとよくわからない身体能力してたんよ」

 

「バーテックスが撃ってきた矢をキャッチアンドリリースしていたわ」

 

「どういうことだってばよ」

 

 球子が変な口調でツッコミを入れるくらいには訳が分からない。

 れんちゃんの戦う姿を見たことが無いのは、私と愛媛の二人だけか。

 

「まぁだから、蓮花さんは沖縄からも多分無傷で帰ってくるよ」

 

「そうだろうな」

 

 ソファでぐだ〜っとダラける久美子さんが相槌を打つ。

 これだけの話を聞けば、正直あまり心配は無い。ただ寂しいのだ。

 

「道中のれんちゃんの話、もう少し聞かせて?」

 

 離れていた間の彼がどんな様子だったのか少しでも知りたい。私の知らない一面もあるのかもしれない。

 

「そうだなぁ……あ、槍捌きが凄かったよ」

 

「槍なんて持っていたか?」

 

「私の槍を貸したの」

 

 雪花の武器は槍らしい。歌野は鞭のはずだから、誰も被っていないのか。

 

「しかし蓮花さんは刀の扱いも凄いぞ」

 

「鎌も綺麗に振るわ」

 

「何でも使えるじゃん」

 

「でも不思議ですね」

 

「何が?」

 

「戦国時代でもないのに、現代で武芸を極めたところで役に立つことってほぼないじゃないですか」

 

 杏の言葉に確かにと思う。今は天災が起きてバーテックスとの戦いがあるから役に立っているが、普通に生きていたら必要のない技能だ。

 

「どんな人生を送ってきたんだろう」

 

「聞いたら、話してくれるかしら」

 

「さあな」

 

 

 れんちゃんとよく一緒にいるであろう久美子さんも知らないらしい。誰にも自分の過去を話していないのだろうか。

 

 

 

「というか烏丸先生はいつまでここにいるの?」

 

「まだ昼休みだからセーフだ。もう少ししたら戻る」

 

 サボっていたわけではないらしい。

 

「茉莉はどうする?昼飯は済んだし帰るか?それとも私の仕事が終わってから一緒に帰るか?」

 

「そうしようかな。夕方まで皆と一緒にいるね」

 

「やったぁ!」

 

「わかった」

 

「せっかくだし、茉莉さんにも参戦してもらおうかしら」

 

 そして私は自分が持っていたコントローラーを茉莉さんに手渡した。

 手が空いている今の内にアイスコーヒーを用意しようと思い、談話室の角に設置している冷蔵庫に向かう。

 グラスに入れたアイスコーヒーをその場で飲みながら振り返る。部屋の隅だから全体を見渡せる。

 

「えっ、ちょっ、あ」

 

「タマちゃんが吹っ飛ばされちゃった」

 

「茉莉さん強くないか?」

 

「よく家でやってるんだ」

 

 球子が茉莉さんにあっさりと倒されたことで注目が集まる中、後ろからそれを見守る久美子さんは微笑んでいた。

 優しい目をして子供達を見守っていることに、気がついたのはきっと私だけだろう。

 今この瞬間のその優しい瞳は、彼によく似ている気がした。




畑を欲しがる勇者様に困惑する大社神官達。


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第66話 夢

謝罪!!なっっっがいこと更新できなくてごめんなさい!!_○/|_


 目を覚ます。

 食欲を唆る美味しそうな匂いがする。既に朝食ができているようだ。

 布団から身を起こして立ち上がり、襖を開けてリビングに出ると、キッチンにはれんちゃんが立っている。

 

「おはよう千景、もうすぐ朝ごはんできるから顔を洗っておいで」

 

「おはよう…」

 

 洗面所に行って顔を洗い、戻ってくるとテーブルの上にフレンチトーストやサラダ等、朝食が用意されている。

 テーブルを挟んでれんちゃんの向かいに座り、二人で手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 平凡で幸せな、日常の朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 目を覚ますと、視界に映るのはもはや見慣れた寮の部屋の天井だ。

 すぐには起き上がらず、ベッドの上でぼーっとする。

 懐かしい夢を見た。香川での生活が始まったばかりの頃の夢だった。

 あの頃はまだ色々と不安があったが、今では随分と馴染んだものだ。当時は8歳だったのが今では13歳だ。それだけの時が過ぎた。

 少し感傷に浸っていると、大きな声と共に扉がノックされた。

 

「グッモーニン千景さん!朝食の蕎麦は既に準備万端よ!」

 

 私の今日の朝食は蕎麦で決定らしい。別に構わないが。

 身を起こし、目を擦りながらベッドから立ち上がり朝から元気いっぱいの友人が叩く扉へ向かう。

 

「ダメだようたのん!まだ寝てるかもしれないし迷惑だよ!」

 

 扉を開けると、騒がしい歌野とそれを止めようとする水都がいた。

 

「……おはよう。朝から元気ね」

 

「グッモーニン千景さん、もしかして寝ていたかしら?」

 

「一応起きてはいたけれど……」

 

 寝起きにこのハイテンションはキツい。元気なのはいい事だが、朝はもう少し落ち着いてほしい。

 

「朝からうたのんが騒がしくてごめんなさい……」

 

「朝食の準備はできてるから、顔を洗ったら談話室に来てね!」

 

「ええ、ありがとう」

 

 扉を閉めて部屋に戻ると、隣の若葉の部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝からとても驚いたわ……」

 

「どったの?」

 

 10分程後、全員が談話室に集まり蕎麦を啜っていた。

 どうやら歌野はあの後、何かあったようだ。その悲鳴は私にも聞こえてきた。

 

「千景さんをコールしに行った後、私は若葉の部屋の扉をノックしてコールしたのよ」

 

「それで?」

 

「何度呼んでも出てこないからまだ寝ているのかと思ってね、談話室に戻ろうと思って振り向いたの。そしたら、後ろに若葉がいたのよ!!」

 

「ジョギングから戻ってきたら私の部屋の前に歌野達がいたんだ」

 

「そういうことだったのね」

 

 若葉やゆうちゃんはよく早起きしては走りに行っている。

 今は辺りに桜が咲いているから、きっとジョギング中の景色も綺麗なのだろう。

 

「皆さん、今日の予定は何かありますか?」

 

「私は特に無いな」

 

 ひなたの問いに少し考えを巡らせる。私は春休み中にゲームショップに行きたいが、別に今日である必要は無い。

 

「私達は今日から補習だよね」

 

「あ、そうだったわね」

 

「はぁ……まあ、遅れている分頑張んないとね」

 

「9時に教室に集合だっけ」

 

 教科書や問題集だけ渡して「これやっとけ」なんて言ったりせずに授業の準備をしてちゃんと教える辺り、烏丸先生は面倒見は良いのだ。

 教師に向いているのではないだろうか。丸亀城での生活が終わった後、本当に学校で教師をやればいいんじゃないだろうか。

 ……終わった後、か。

 

「……皆は、将来の夢ってある?」

 

 なんとなく、私の口から出てきた問い。

 

「夢?」

 

「ええ。なりたい職業とかじゃなくても何でもいいんだけど」

 

「私はファッションデザイナーかな。まあ、何かしらファッションに関する仕事をしたいな」

 

「雪花は変わらないわね」

 

 小さい頃からずっと変わらない好きなモノがあって、大人になったらそれに関する事を仕事にしたいとすぐに言える。目指す方向性が既に定まっている。

 そんな雪花を少し尊敬する。

 

「私は農業王になるわ!!」

 

「歌野は農家ね」

 

「ただの農家じゃないの。農業の王になるの!」

 

「はいはい」

 

「私は、うたのんが作った野菜をいろんな人に届ける宅配屋さんかな」

 

「それ、いいわね」

 

「うん!」

 

 歌野も将来の明確なイメージがあり、その夢は水都に影響を与えた。

 おそらく水都は私と似た人間で、元々は夢なんて持っていなかったのだと思う。

 

「みーちゃんは私の生命線ね!」

 

「逆だよ?うたのんが野菜を作ってくれないと私の仕事が無いから、うたのんが私の生命線なんだよ?」

 

「……確かに!でもやっぱり、野菜を作っても売れないと生活できないからみーちゃんが必要よ」

 

 けれど歌野と出会い、共に過ごし、その人柄や力強さに影響され、夢を持った。

 あなたの夢を叶える為に自分の夢を叶える。

 自分の夢を叶える為にあなたの夢を手伝う。

 そんな二人の関係を羨ましく思う。

 

「あんずは本が好きだから本屋さんとかか?」

 

 好きなものに関係する夢でパッと出てきそうな杏に問う球子。

 

「そういうのもいいんだけど……私、実はお医者さんになりたくて」

 

「え!?医者!?」

 

「どうして?」

 

「私は昔から病弱で、よく入退院を繰り返していたんです」

 

 杏が病弱だったという話は少し聞いたことがある。最近はかなりマシになったようだが、丸亀城に来てからもたまに体調を崩して欠席することはあった。

 

「私は入院していたころ、治療自体が怖かったせいでお医者さんのことも苦手になってしまいました。お医者さんが悪かったわけではないんですけどね。同じような子を時々見かけたし、多分そういう子供はよくいるんじゃないかと思うんです」

 

「ああ、確かになぁ」

 

「だから、もし可能なら私は、子供の患者さんに優しく接する、怖くないドクターになりたいなって。医者になるのは簡単じゃないってことはわかっているんですが……」

 

 自身の経験から生まれた、優しい彼女らしい夢。

 

「とても、素晴らしい夢だと思います」

 

「あんずなら大丈夫だ、きっとなれるぞ!」

 

「ありがとうございます」

 

 その後もそれぞれの思い描く将来を聞いていく中、若葉は顎に手を当てて悩んでいた。

 

「若葉ちゃん、どうかしましたか?」

 

「……なかなか将来をイメージできなくてな。未来の私は何をしているだろうか」

 

「きっと仕事一筋で行き遅れキャリアウーマンになった後、その職を失うのよ」

 

「よく覚えているなそれ。しかし実際にそうなりそうなのが怖い」

 

 人数も増えたことだし、また今度皆で人生ゲームをしてみても楽しいかもしれない。

 

 

 私には、将来の夢はあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと皆で出かけてくるわ」

 

「構わないがどこに行くんだ?ついて行ったほうがいいか?」

 

 昼食時、ちょうど食堂に来ていた烏丸先生に、午後は皆で出掛けることを一応報告しておく。

 何も言わずに出掛けると心配をかけてしまう。

 

「商店街とか、近所を案内するだけだから」

 

「そうか。……まあ、一応私もついて行こう」

 

「烏丸先生って過保護なの?」

 

「万が一にも何かあっては困るからな。お前達は本当ならどこに行くにも護衛をつけるべき立場なんだぞ?」

 

「うっ……まあ確かにそうかもしれないけど」

 

 元々は勇者にSPをつけるなんて話もあったと聞いたことがある。

 どうして実施されなかったのだろう。どこに行くにも人がついてくるのは少し鬱陶しいので構わないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 出掛ける準備を整え、正門前に全員が集合して丸亀城を出る。

 空を見上げるととても良く晴れており、雨の心配は無さそうだ。

 

「それにしても久美子さん、お仕事中なのについてきて大丈夫なんですか?」

 

「お前達の面倒を見るのも私の仕事だ」

 

「なんか先生っぽい!」

 

「失礼だな、先生だぞ」

 

 悪意は無いけれど失礼なことを言うゆうちゃん。しかし私も同じようなことを思ってしまったのは黙っておく。

 先に家で一緒に生活してから教師と生徒の関係になったのもあるからか、どうも学校に行ったら近所のお姉さんがいたみたいな感覚が抜けない。

 休みの日に一緒にゲームしたりしているのも影響しているかもしれない。

 

「そういえば私達、こっちに来たばかりで服とか全然無いんだよね。色々買いに行きたい」

 

「あ、そうね。私も新しい鍬とか買っておきたいわ」

 

「鍬ってどこで買えるんだ?」

 

「ホームセンターにあると思います」

 

「ここから徒歩10分くらいね」

 

 とりあえず最初の目的地をホームセンターに設定して歩いていく。

 周囲では桜が既に咲きかけている。れんちゃんが帰ってくる前に散ってしまわないか少しだけ心配だ。

 

 

 

 

 

 

 ホームセンターで各自必要な物を買い揃えて店を出る。

 そして私は思ったことを言葉にせずにはいられなかった。

 

「……鍬、邪魔じゃない?それ持ったままこの後服を買いに行くの?」

 

「え?」

 

 歌野は今、鍬を担いでいる。それも一本ではない。

 三本爪の鍬と幅広の鍬、二本の鍬を担いでいる。

 

「ちゃんと自分で持つからノープロブレムよ。邪魔だけど」

 

「プロブレムあるじゃないの」

 

「……丸亀城の人に車で取りに来てもらうか」

 

 そう言って久美子さんがスマホを取り出してどこかに電話をかけると、5分程でホームセンターの駐車場に見たことのある車がやってきた。車から降りてきたのは庭師のおじさんだ。

 

「お、来た来た」

 

「……電話で鍬を取りに来てくれって言われた時は何言ってるんだこの人って思ったけど、本当に鍬だったか」

 

「丸亀城までお願いします!」

 

「ああ、うん。寮の前に置いておけばいいかい?」

 

「はい!」

 

 そして庭師のおじさんは歌野から二本の鍬を受け取ると、車に積み込んで丸亀城に帰って行った。

 次の目的地は服屋だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私達がよく利用する衣料品店といえば、ここ「ユニシロ」だ。お手頃価格でシンプルなデザインの服が多く気に入っている。

 単に近いからというのもあるが。

 

「この店ってどこにでもあるんだね」

 

「良いことね」

 

 店に入り、特に散らばることも無く行動する。全員歳の近い同性なので、向かうエリアも大体同じだ。

 

「そういえば私のコーディネートをどうのこうの言っていたけれど、今やるの?」

 

「ああいや、それは蓮花さんが帰ってきてからにしようかな」

 

「そうね」

 

「若葉ちゃんもそれで構いません」

 

「どうしてひなたが決めるんだ?まあいいか」

 

 私達6人は別に服に困っている訳では無いので、歌野達3人が服を選んでいるのを眺めている。

 

「こっちかなぁ〜、あっこれもいいなぁ」

 

 雪花は流石というべきか、手に取る服がどれも彼女に似合うものだ。

 

「うーん……私はこれで!」

 

 歌野が即決して手に取ったのは無地の白Tシャツ。似合うけれども。年頃の女の子なのだからもう少しオシャレに気を使っても良いのではないだろうか。

 

「わぁ、このカエルのワッペン可愛い。これにしようかな」

 

「ちょっっと待てぇぇぇい!!」

 

「え、何!?どうしたの雪花さん!?」

 

 流石に止めに入る雪花さん。私は本人が気にしないなら構わないけれど、雪花は気になってしまうのだろう。

 

「2人とも、もうちょっとオシャレに気を使おう!?」

 

「動きやすければ良くない?このシャツ、文字を書きやすそうだし」

 

「文字を書きやすそう?」

 

「この服可愛いよ?」

 

「そうかも、しれない、けど!……私が選んでもいい!?」

 

「あら、助かるわ」

 

「ありがとう雪花さん」

 

 そして十数分後、雪花が選んだ服と自分で選んだ服を買い物カゴに入れた。結局買うらしい。

 

「烏丸先生は服買わなくていいんです?シャツの首元がよれてるけど」

 

「ん?これか?」

 

 私達の後ろでぼーっと立っていた久美子さんに雪花が声をかける。

 今着ているシャツは確か、我が家に来る前から着ているもののはずだ。襟がよれよれになっている。

 

「私は別に服には困っていないし、これはこれでいいんだよ」

 

「なんで?」

 

「この方が蓮花が喜ぶから」

 

「ちょっとそれどういう意味よ!?」

 

「……言わせるな恥ずかしい」

 

「帰ってから詳しく聞いてもいいですかっ!?」

 

 久々に鼻息を荒くする杏を見たかもしれない。

 きっとよれよれのシャツは、くっついていると谷間がよく見えるのだろう。

 無防備な胸元でれんちゃんを誘惑する痴女は後で問い詰めた方がいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニシロで会計を終え、私達は商店街にやってきた。

 ここに来るのも久しぶりな気がする。

 

「この商店街は私達が小さい頃からよく来ていたんだ」

 

「へぇー」

 

「天災前と比べると、シャッターが降りてしまっているお店があるのが少し寂しいですね」

 

 天災の影響は至る所に出ている。少し時間が経った今でもそれは変わらない。

 歩いていると商店街に入ってすぐの肉屋のおじさんに声をかけられた。

 

「おっ、今日はやたらと大所帯だなぁ!新しい友達も増えたのか。皆元気にしてたか?」

 

「はい、色々ありましたけど元気です」

 

「おじさんも変わりませんね」

 

「この歳になると数年じゃあ変わらんよ」

 

 思い返してみると、私がここに来た頃よりは少し老けたかもしれないが、それでも微々たる変化だ。そういえばれんちゃんも全然変わらない。

 

「皆、コロッケいるかい?揚げたてだよ!」

 

「いる!」

 

「ありがとうございます!」

 

 前にもほぼ同じようなやり取りをした記憶がある。

 毎度の如く、人数分のコロッケを貰ってその場で頬張る。食べ歩きできるように包んでくれているので手は汚れない。

 ちゃっかり久美子さんもコロッケを貰っている。

 

 

「今日は蓮花さんはいないんだなぁ」

 

「蓮花は今用事で遠出していまして」

 

「なるほどなぁ」

 

 

 

「お肉屋さんのコロッケ美味し〜」

 

「たくさん歩いたから小腹にちょうどいいですね」

 

 久美子さんがおじさんと世間話をしている隣で、球子達はコロッケにがっつく。おかわりと言わんばかりの速さで食べ終えた。

 

「おかわり!」

 

 おい。

 

「おっと……流石に既に十個あげたから、これ以上あげたら売り物が無くなっちまうよ。でも美味かったなら良かった」

 

「食いたければ自分で買え」

 

「そうだよな、ごめんなおっちゃん。タマ1個買う!」

 

「毎度あり!」

 

 二つ目のコロッケもあっという間に食べ終える球子はとても満足気な笑顔だ。

 感化されたように若葉やゆうちゃん、歌野ももう1つ買って頬張った。

 

「またいつでも来てくれよ!」

 

「また来ます!」

 

 

 

 肉屋を後にして歩き進む。

 

「そういえばここには何を買いに来たんだ?」

 

「特に何かあるわけじゃないけれど、とりあえず案内しておこうかと思って。何かと便利だし」

 

 ここは居心地が良い。人が温かいのだ。

 だから三人にも紹介しておきたかった。それだけだ。

 一通り歩き、久しぶりに会う人達と少し話し、商店街を出る頃には日が傾き始めていた。

 

 

 

「そろそろ帰りましょうか」

 

「そうね」

 

「久美子さん、こんなに長い時間丸亀城を離れていてよかったのか?」

 

「想像していた以上に長引いてしまったが、まぁ構わない。少し残業するか」

 

「茉莉さんを心配させないようにほどほどにね」

 

「わかっているさ」

 

 皆と出掛けるのは、楽しい。

 昔はインドアな趣味しかなかった私だが、こういうことを楽しいと思えるようになったのは、きっとれんちゃんや若葉達のお陰なのだろう。

 

 

 

 私の将来の夢なんて大層なものは思いつかない。けれど、小さな事であれば思いついた。

 初詣の時にも願った、れんちゃんとずっと一緒にいたいという思い。

 贅沢は言わない。どんな関係でも構わない。

 これは将来の夢と言えるだろうか。

 

 

 

 やがて丸亀城に到着し、私達は門をくぐる。

 寮の前には、庭師のおじさんが運んでくれた歌野の鍬が置かれていた。

 

 

 

「じゃあ久美子さん、お仕事頑張っ……」

 

 

 

 そう言いながら振り返ろうとした瞬間、世界が止まった。

 久美子さんやひなた、水都は微動だにせず、咲きかけの桜から風に舞った小さな花弁が空中に固定されている。

 

「え?何?」

 

「みーちゃんどうしたの?」

 

「これは……まさか!!」

 

 

 そして私達のスマホが同時に不快な警報音を鳴り響かせた。画面に表示されているのは『樹海化警報』という文字。

 

 

「……遂に来たのね」

 

「どうやらそのようだな」

 

 

 各々がすぐに自分の部屋に戻り神器を持って再び集まると、やがて世界が姿を変えた。

 穏やかな日常は唐突に終わりを告げる。




今日の郡家
 夕方頃、なんだかとても嫌な感じがした。何かが頭に直接流れ込んでくる、忘れかけていた感覚。
 ボクは家を飛び出し、必死に丸亀城へ走った。もう間に合わないかもしれないけれど。


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幕間 非叶

本編もう少しかかるので場繋ぎの幕間投稿。
深夜テンションかつムラムラしながら書いたのでちょっとR17くらいかも。
時系列的には59話と60話の間くらいの2月頃です。


 目を覚ます。

 左には久美子、右には千景がまだ眠っている。さらにその隣に友奈、茉莉と並んでいる。

 今日は日曜日。千景達は昨日帰ってきて我が家で一泊したのだ。

 

 起き上がろうにも動けない。両腕で腕枕をしているのだ。いつもの事だが。

 そして僕の上には久美子の左半身が乗っかっている。柔らかい。これもあまり珍しい事では無い。久美子は寝相が悪いのだ。

 

 しかし、どうしてこんなに密着してくるのか。冬の空気が寒いからだろうか。

 

 左右を見れば、幸せそうな寝顔。

 そんな千景達を起こしたくはないので、僕も二度寝をすることにした。日曜日くらい構わないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、見つけた。ペイントボール投げるわ」

 

「了解、すぐに向かう」

 

「私も」

 

 昼食を終え、子供達は狩猟中のようだ。

 同じように帰ってきていた若葉達も集まっており、リビングは人でいっぱいだ。

 

「私も昔はよく友人と狩りをしたものだ」

 

 ソファで隣に座る久美子が昔を懐かしむように話す。

 

「……オヤジ狩りとかですか?」

 

「お前は私を何だと思っているんだ」

 

「ヤバい事してた過去がありそうな人?」

 

「……少なくとも犯罪になるようなことはしていない」

 

 犯罪ではなくとも、はっきりとは否定し切れないらしい。

 しかしここに来てからはそういう事は一切していない。

 

「良い子になったねぇ」

 

「ん……子供扱いするな」

 

 頭を撫でてあげると、口ではそんな事を言いつつも嫌がる様子はない。

 

「あっ、逃げたよ!」

 

「追えー!追えー!」

 

 球子達から貰ったみかんの皮を剥いては、近くの子の口に入れていく。

 愛媛の実家から結構な量のみかんが送られてくるらしく、カビが生える前に食べなければとしょっちゅう食べている。

 みかんを使ったスイーツ等を作ってみてもいいかもしれない。

 

「皆、晩ご飯は食べてから丸亀城に戻るの?」

 

「私はそのつもりよ」

 

「じゃあ私も!」

 

「そうですねぇ」

 

「そっか。何にしようかな」

 

 鍋とかでいいだろうか。寒いし。すき焼きにしようか。

 買ってこないといけないものを考えていると、膝の上に座るひなたがこちらを向いて口を開けた。みかん待ちか。

 

「はいはい、あーん」

 

「あーん……いくらでも食べられますね」

 

「いっぱいあるから好きなだけ食べてくれ」

 

 次のみかんに手を伸ばすと、既に久美子が口を開けて待っている。

 

「皮剥くからちょっと待ってね」

 

「あー……」

 

 口を開けたまま待ち続ける久美子。閉じて待てばいいのに。

 皮を剥くのを止めたらどうするのだろうか。

 

「あー……」

 

「……」

 

 

「……あー……」

 

「……」

 

 

「……どうして手を止める」

 

「ごめんごめん」

 

 結果は「顎が疲れるまで開け続ける」だった。

 皮を剥いてみかんを久美子の口に放り込むと、人差し指ごと口に含んで放してくれなくなった。報復だろうか。

 

「指を開放してくれないと次のが渡せないよ」

 

「ん……」

 

「あっ、こらっ」

 

 口に含んだみかんを飲み込んだ後、そのまま僕の人差し指を舐め始める久美子。

 

「……そういう事は夜にしなさい」

 

「……みかんを剥き続けるお前の指が甘かっただけだが?そういう事とはどういう事なんだ?」

 

「くっ……」

 

 指を開放すると少しニヤつきながらからかってくる。

 

「そういう事って何ですか?」

 

「え?」

 

 不思議そうにこちらを見上げてくるひなた。

 久美子に視線を向けると悪い笑みを浮かべている。後でお仕置きするべきか。

 

「……何でもないよ、気にしないで」

 

「はぁ、そうですか」

 

 

「これでトドメだ!」

 

「ナイス若葉!」

 

 どうやらひと狩り終えたらしい。

 この空気から抜け出す為に、僕も狩りに参加することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の晩ご飯は何にするの?」

 

「今夜はすき焼き。何入れたい?」

 

「うどん」

 

 スーパーにて、必要な食材を買い物カゴに入れていく。というか僕がせずとも、一緒に来ている千景とひなたが勝手に食材を集めて来てくれる。

 白菜、糸こんにゃく、うどん、牛肉、麩、ネギ、細うどん、椎茸。

 

「……うどんと細うどんってどっちかだけじゃ駄目なの?」

 

「駄目です。両方食べたいです」

 

「さようか。まあいいけど」

 

 ひなたに確固たる意思で断言されてしまった。こだわりがあるらしい。

 まああれだけ人数がいると、それぞれ好みがあるのだろう。

 

「他に何か買いたいものはある?何でもいいよ」

 

「じゃあ、ゆうちゃんと一緒に食べるお菓子も買っておこうかしら」

 

「私は特に無いですけど、寮の談話室に置いておくお菓子でも選びましょうか」

 

 お菓子のコーナーに向かう千景とひなたを見送り、僕はお酒コーナーへ向かった。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「……お酒?」

 

「うん。お酒」

 

「なんで?」

 

 ひなたと共にお菓子を選びれんちゃんを探していると、こちらに歩いてくるれんちゃんを見つけた。

 そして手に持つ買い物カゴにはお酒が四つも入っていた。

 

「楓さん達に今夜一緒に飲まないかって誘われてさ。まあいいかと思って、ついでにおつかいを頼まれたんだ」

 

「お母さん達でしたか」

 

「久美子さんがめちゃくちゃ飲むのかと思ったわ」

 

「そんなに飲んでるイメージある?」

 

「事ある毎に飲んでますね」

 

「そうだった」

 

 ああいうのを酒カスというのだろうか。それともあれくらいは珍しい事では無いのだろうか。れんちゃんは全然飲まないため、基準がわからない。

 

 

 レジで会計を済ませてスーパーを出ると、既に日が傾きかけていた。そもそも家を出たのが3時過ぎだったので仕方ない。

 

「帰ったらすぐに晩ご飯の準備しようか」

 

「ええ」

 

 どんな世界になろうとも、この景色は変わらない。

 昔も、今も、この先も。夕日に照らされたこの家路を蓮花さんと一緒に歩けたら。

 出来ればその近くに親友達もいてくれたら、きっと幸せだと思った。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 夕食を終え、子供達を丸亀城まで送り届けて家に帰り玄関のドアを開くと、ちょうど入浴を終えて脱衣場から出てきた茉莉と目が合った。

 

「あ、おかえりなさい」

 

「ただいま。お風呂入ったんだね、髪乾かしてあげようか」

 

「大丈夫、今日は自分で乾かすよ。久美子さんもお風呂待ってるし」

 

「そうか」

 

 茉莉に続いてリビングに入ると、久美子がソファでくつろいでいた。

 

「ただいま。わざわざ待ってたの?先に入っててよかったのに」

 

「おかえり。どうせすぐ帰ってくると思ってな」

 

 丸亀城に着いた後、千景達と話していて結局帰ってきたのは一時間弱後だったが。

 

「そんなに一緒に入りたかったのか」

 

「うるさい。ほら行くぞ」

 

 立ち上がった久美子に腕を引っ張られて僕も脱衣場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゙あ゙〜あったまる〜……」

 

「オッサンみたいだな」

 

「やめてよ、久美子もそんなに歳変わらないんだから」

 

 狭い湯船に大人二人。これも慣れたものだ。

 狭いけれど脚は伸ばしたいので、基本的には僕の脚の間に久美子が入る形になる。遠慮されることもなく僕は背もたれにされるのだ。

 

「……あ」

 

「何?」

 

「ふと『そういう事は夜にしなさい』と言われたなと思ってな」

 

「え?いや、まぁ…言ったけれども」

 

 久美子は体ごとこちらに向くと、僕の腰の上に座り直した。

 

「結局、そういう事とはどういう事なんだ?」

 

「18禁になりそうな事」

 

「直球だな……こういう事か?」

 

 そう言って久美子は僕の右手を掴むと、自らの胸へ触れさせた。しっとりとした肌、柔らかい感触が掌から伝わる。

 

「………………はしたないよ」

 

「今更だろう」

 

「今更だけど、やめなさい」

 

 手を離そうとしても、しっかり掴まれていて離せない。

 胸に触れることで彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。

 

「……嫌か?」

 

「そういう訳じゃないけど……」

 

「私は、もう少しお前に求められ、触れられたい……」

 

 不意に見せたしおらしい表情が僕の理性を掻き乱す。

 

「……僕がいつもどれだけ鋼の意思を持って我慢していると思ってるんだ……」

 

「わかっているさ。現にここはこんなに硬くなっている」

 

「くっ……」

 

 久美子に腰を揺すられて刺激される。これ以上は本当にシャレにならない。

 

 

 少し強引に僕の右手を掴んでいた久美子の手を引き離し、腰に両手を回して抱き寄せる。

 

「久美子……駄目だ……」

 

「……すまない。冗談が過ぎた」

 

「うん」

 

 僕の首元に頭を乗せると、首筋に軽く吸い付く久美子。

 キスマークはつけるならもう少し隠れるところにつけてほしい。

 

「しかし、これだけしても我慢して襲わないとは。ヘタレか?据え膳食わぬは男の恥と言うだろう?」

 

「ちょっと傷つくからやめて」

 

 ヘタレて。久美子がグイグイ来過ぎなだけだと思う。

 

「久美子って、性欲強いよね」

 

「……お前が欲しいだけだ」

 

「え?んむ……」

 

 一頻りキスマークをつけ終えて満足したらしい久美子に、次は唇を塞がれる。

 両手を頬に添えられがっちりと顔を掴まれて逸らせない。

 

「んぁ……」

 

 少し呼吸が苦しくなってきた頃に、一度唇を離して酸素を取り込み、今度は舌を絡ませる。

 初めてのキスでディープキスをしたのがハマったのか知らないが、久美子はよく舌を入れてくる。

 甘えるように唇を求めてくる久美子が、今は堪らなく愛おしい。

 

「……はぁ……楓さん達との約束もあるし、あまり長風呂はしないよ?」

 

「ああ、わかっている……」

 

「これはわかってないな……」

 

 体を密着させて離れない久美子の熱が冷めるまで、彼女の求めるものに僕は応じ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったな、もう飲み始めているぞ」

 

「ごめん、久美子が放してくれなくて」

 

「……」

 

「あらあら、ふふっ」

 

 リビングに戻ると、既に楓さんと琴音さんは酒缶片手にくつろいでいた。

 テーブルの上には少しおつまみも広げてある。

 

「茉莉は?」

 

「さっき寝ましたよ。良い子です」

 

「そうだね」

 

 千景はおそらくまだ起きてゲームをしているだろうか。

 冷蔵庫から缶を二つ取り出し、久美子に一つ渡して僕も腰を下ろす。

 

「しかし首回りが痕だらけだな。包帯でも巻いておくか?」

 

「厨二病みたいで嫌だし、茉莉に心配されちゃうよ」

 

 絆創膏を貼るか。それも心配されそうか。

 マフラーかネックウォーマーでもしていようか。室内では変かもしれないが、季節的には問題ないだろう。

 

 少しずつ飲む僕とは対照的に、隣の久美子はグビっと缶を傾けている。

 早々に飲み切って僕の分を取られるかもしれない。

 

「同棲してもう一年半くらいになりますね」

 

「楓さんと琴音さんが?」

 

「いやお前達だろ。結婚はまだか?」

 

「ん?」

 

 久美子と顔を見合わせる。照れた久美子が先に目を逸らした。

 

「もしかしてもう酔ってる?」

 

「酔ってはいる」

 

「うふふふ」

 

 楽しそうでなにより。

 

「まさかまだそういう関係じゃないとでも言うつもりですか?」

 

「そんなくっついて腕組んで……」

 

 久美子が勝手に腕を組んで左肩に頭を乗せてきただけだが。

 それを受け入れている僕も大概かもしれないが。

 

「私がどれだけ誘惑しても襲ってくれないんだ」

 

「ヘタレか」

 

「ヘタレですね」

 

 ヘタレやめて。

 

 

 

 

 

 

 飲み始めて一時間程が経過した。

 僕達はまだちまちまと酒を飲みながら話しているが、久美子は僕の膝枕で眠ってしまった。

 琴音さんは酒に強いようだが、楓さんは結構酔いが回ってきているようだ。

 

「私達はなぁ〜蓮花を弟のように思っているんだぁ……」

 

「だから早くパートナーを見つけて、家庭を持ってくれたほうが、安心なんです」

 

「パートナーはいないけど家庭は持ってるよ」

 

「久美子はどうなんだぁ?優良物件だろう?」

 

 静かに寝息を立てる久美子。幸せそうに眠っている。

 その艶やかな黒髪に触れ、優しく撫でる。

 

「……優良物件かはともかく、僕は好きだよ」

 

 それがどんな形かはともかく、この想いは嘘じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酔っ払い二人を家まで送り、リビングで寝てしまっていた久美子を抱きかかえて寝室に運ぶ。

 茉莉が眠る隣の布団に寝かせ、その寝顔を見つめる。

 

 

「久美子……」

 

 

 眠りが深いのか、名前を呼んでも反応はない。

 今はきっと何を言っても、誰にも聞かれていない。

 

 

「……愛してるよ…………」

 

 

 嫌っているわけではない。彼女の想いを否定したいわけでもない。

 本当は応えてあげたい。将来も傍にいられたらとも思う。

 けれど、どうやら僕は屑なようで千景への想いもずっと心に残っている。

 

 そして、そのどちらも叶えてあげられない。

 

 

 

「…………ごめんね……」

 

 

 

 僕の恋した千景はもういない。

 そして僕は久美子とも共に未来を歩けない。隣にいてあげられない。

 僕はただ、皆の幸福を願うことしかできない。

 

 でも、大丈夫。きっと彼女達は、僕の事を忘れてくれるから。




 微睡む意識の中で、あいつの声が聞こえた気がした。
 愛してるよと。ごめんね、と。
 私の中に、不安の火種が生まれた。


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第67話 初陣

戦闘シーン書くの疲れる……ずっと日常だけ書いていたい……。
次は正月くらいで更新したいです(できるとは言ってない)。


「これが樹海化……」

 

 四国の土地全体が不思議な色の植物組織に覆われている。

 丸亀城や高層ビル等の大型建造物はわずかに原形を残しているが、生物も非生物も植物に覆われ同化している。この状態では人は敵の攻撃で被害を受けることは無いらしい。

 しかし、樹海が傷つくと現実に何らかの形で悪い事が起こるとも聞いている。

 

「何これ!?四国凄っ!?」

 

「これなら人を守りながらバトる必要も無いのね!」

 

「確かレーダーで敵を確認できるんでしたっけ」

 

「いや、もう見えてるゾ」

 

「え?あっ」

 

 スマホを取り出す杏の隣で、球子が遠くの空を指差した。釣られて私達もそちらへ目を向ける。

 遠くの空に白い物体が蠢いている。しかし数は多くない。

 

「あれくらいなら四国の外だと日常茶飯事だね」

 

「勇者もこれだけいるし、問題無さそうね」

 

「歌野ちゃん達は落ち着いていて頼りになるね、ちーちゃん!」

 

「そうね。おかげでこっちも冷静でいられるわ」

 

 今ここにいる勇者は七人。ずっと一人で戦っていた歌野と雪花が問題ないと言うのなら、大丈夫だろう。

 

「それでも絶対に油断はするな。全員で生き残るぞ」

 

 若葉はそう言うと勇者システムを起動した。そして光に包まれると先程まで着ていた衣服が青い勇者装束に変化した。

 

「ええ、わかってる」

 

 続いて私達も勇者システムを起動し、変身をする。

 全身に力が漲るのを感じる。これが神の力を身に纏う勇者か。

 

「私も!変ッ身!!」

 

 わざわざポーズを決めながら勇者システムを起動する歌野。そして黄と緑がベースの勇者装束を身に纏う。

 

「感動だわっ!なんて楽ちんなのかしらっ!」

 

「全員変身は済んだな」

 

「おう!」

 

 全員が変身したのを確認すると、若葉は先頭に立ち迫り来る敵を見据えた。

 

「事前に決めていた通り、私と千景、友奈と歌野でそれぞれ左右で前衛。球子は中衛をしつつ応援が必要そうなところを手伝う。そして杏と雪花が後衛で、私達の撃ち漏らしを落としつつ全体を見て指揮をする。いいな?」

 

「うん!」

 

「はい!」

 

 上から見るとY字型の配置になる陣形だ。前衛は無理して全ての敵を落とす必要はなく、多少後ろに流しても問題ない。負担を分散できているように思う。

 

「蓮花さんに言われている通り、切り札はできるだけ使わず、しかし使わなければ危険だと判断したら躊躇せずに使うように。命には替えられないからな」

 

 切り札。精霊を自分の身に降ろし強大な力を得ると大社からは説明された。

 ならばどんどん使うべきではないのかと思った子もいた。けれどれんちゃんは副作用があるから極力使うなと、使うと決めたら躊躇わずに使えと言われた。使うか悩んでいる間に状況が悪化する可能性もあるからだ。

 そういえば、どうして誰も使ったことがないのにそんなことを知っていたのだろう。

 

「よし、では行くぞ!!」

 

 若葉の声を皮切りに、それぞれが自分のポジションへ走り出す。

 地を踏み込んで飛べば、体感した事の無い高さまで飛び上がり、一瞬の浮遊感の後に再び地を踏みしめる。

 

「凄いわね……今なら何でもできそうだわ」

 

「そうだな。……一年半ぶりの戦闘か」

 

「緊張しているの?」

 

「当然だ。しかしこの時の為に鍛錬を重ねてきたんだ」

 

 持ち場に着き、回りを見渡すと全員の移動が完了しているのを確認した。

 

「安心してくれ、千景。私がお前を守る。誰も死なせない」

 

「ええ、信頼してる。そしてあなたのことは私が守るわ」

 

「ああ。ひなたを泣かせてはいけないからな」

 

 若葉と拳をコツンと軽く合わせる。そして前を向く。

 もう敵はすぐそこだ。

 

「行くぞ!勇者達よ、私に続け!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ…!!」

 

 大葉刈を振るって迫り来る星屑を切り裂き、勢いをそのままに流れるように振るい次の敵を引き裂く。

 

「…はぁっ!!」

 

 基本的には力を込めず遠心力に身を任せ、刃が敵に触れる瞬間に力を込めてぶった斬る。

 力み続けないことで疲労を軽減する。

 

 私のすぐ近くでは若葉が無駄の無い動作でスパスパと敵を切断していく。

 

「これなら問題なさそうね」

 

「そうだな。少し慣れてきて他の所を見る余裕も出てきた。友奈達も大丈夫そうだ」

 

 離れた場所にいるゆうちゃんと歌野の方へ少し目を向ける。

 近接戦闘が得意なゆうちゃんが届く範囲の敵は全て落とし、届かない敵は無理して追わず、中距離にも対応できる歌野が処理する。

 

「いいコンビかもね」

 

「私達は違うのか?」

 

「いいえ……ふっ!」

 

 私が前に出て片っ端から薙ぎ倒し、私の届かない敵は小回りが利く若葉が切る。

 

「私達もよ」

 

「ああ、昔からそうだった」

 

 私達は三人でよく一緒にいたが、私と若葉が何かをしているところをひなたが写真を撮っているという構図も珍しくなかった。

 私達は互いに、二人で息を合わせることに慣れている。

 

 私が撃ち漏らしても、若葉が拾ってくれると信頼しているから、私は無理をしない。

 私が全て倒さなければと気負う必要が無い。故に心にゆとりがあり、落ち着いて、冷静に迫り来る敵と向き合える。

 私はただ、届く範囲の敵を確実に切ることだけに専念すればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分程経った頃、敵の勢いがかなり落ちていることに気がついた。

 

「だいぶ数が減ってきたわね。そろそろ終わりかしら?」

 

「そうだな……ん?後方のバーテックスが外へ引き返している」

 

「え?」

 

 若葉に言われて敵の後方へ目を凝らすと、バーテックス達が入ってきた瀬戸大橋の方へ後退し始めている。

 レーダーを見てもわかる通り、どんどん四国から出て行っている。

 

「逃げているの?」

 

「私の勝ち、ということなのか……?」

 

 周囲を見回すと、皆が敵の変化に気がついたらしく一旦手を止めている。既に近くに敵はいない。

 

『これはタマ達の勝利ってことでいいんだよな!?』

 

『でも外に逃げたやつはどうするの?』

 

『蓮花さんが帰ってきたら片付けてくれるでしょ』

 

 スマホから聞こえる仲間達の声。

 皆の緊張が少しずつ解けていく。

 

 

 

「……いや待て。戦闘が終わりなら樹海化が解けるはずだ」

 

「それは、確かにそうね」

 

 まだ気を抜いてはいけない。

 そんな気がした次の瞬間、見たことの無いものが大橋の方から現れた。

 

『レーダーに反応!……蠍座と射手座?』

 

「どうして星座なんだ?」

 

 遠く離れていてもわかる、その巨体。

 きっと、バーテックスの合体、進化の先に辿り着いた形態だ。

 

「……星の集合体だから星座なんでしょうね。固有の名前が付く程に完成された姿なのかしら」

 

『あんなビッグなのは初めて見るわね』

 

『しかも二体かぁ。ちょっとヤバいかも』

 

 諏訪や北海道、そこから四国への道中でも現れたことの無い進化体のようだ。

 

「あんな戦力、どこに隠していたのかしら。四国の周りはれんちゃんが何度も片付けているはずなのに」

 

『……海上とかでしょうか』

 

 北海道から四国までは陸路を移動して来たと聞いている。もし最初に計画していた通り歌野達が海路で避難しようとしていたら、途中であれらに遭遇していたのだろうか。

 

『……来ちゃったからには相手しなきゃな』

 

『大丈夫だよ!私達ならきっと…』

 

 ゆうちゃんが皆を鼓舞しようとしたその時、射手座の青い巨大な口のような部位がゆっくりと光った。まるで何かを放つ力を溜めているような……。

 

「……ッ!!全員避けろ!!」

 

 若葉が叫ぶと同時に射手座から巨大な一本の矢が撃ち出され、全員が地を蹴ってその場から飛び退いた。

 幸い誰にも命中することはなかったが、矢が当たった樹海の植物組織が大きく抉れた。

 あまりにも強力な一撃。掠っただけで手足くらい軽く吹き飛びそうだと容易に想像できる。

 

「なんて威力の狙撃だ……」

 

「さっきまでとは比べ物にならないわね」

 

 バーテックスは進化するとこれほどまでに強くなるのか。

 射手座の狙撃は連発できないようで、蠍座と共にゆっくりとこちらへ前進を続けている。

 

「全員、一旦集合だ」

 

 若葉の招集の元、杏達後衛の所に全員が集まる。

 

「あれらと戦うにあたり、陣形を変える必要があると思うんだが、どうだ?」

 

「そうね、わらわらと大量にいるわけじゃないもの」

 

 元々は星屑の群れを相手にする想定であったため、あれら大型を相手にするのなら相性も考慮するべきだろう。

 

「あんず、なんかいい案ないか?」

 

「そうですね……相手の情報が外見から得られるものしか無いですけど、先程の狙撃や名称からして射手座は遠距離攻撃主体、逆に蠍座は遠距離攻撃手段を持っていなさそうですね」

 

「そうだね」

 

「なので、蠍座は私と雪花さんとタマっちと千景さんで、私達の遠距離攻撃で攻めます。逆に射手座は若葉さんと友奈さん、歌野さんで接近戦をするのが安全かと思います」

 

 確かに、射手座は接近してしまえば体当たりくらいしか攻撃手段が無さそうだが、あの巨体なら俊敏ではなさそうだし躱せるだろう。

 私と球子は蠍座が後衛に近づくのを防ぐ役か。

 

「……ふむ。それで行こう」

 

「あと、おそらくですが蠍座というからには針に毒があるかもしれません」

 

「気をつけるわ」

 

 短い作戦会議を終えて前を向く。まだ接敵までには距離があるが、また狙撃されても困るのでこちらから接近したほうがいいだろう。

 

「全員、まずいと思ったら切り札を躊躇うな。行くぞ!!」

 

 

 

 

 二手に分かれて敵に接近する。やがて目論見通り敵も分かれ、私達の方に蠍座が向かってくる。

 

「射手座がこっちに来てたら困ってたナ」

 

「……そうね。まあその時は向こうの三人と急いで位置を変わるしかないわね」

 

 楯を持つ球子は言わずもがな、私の切り札である七人御先は耐久に向いている。それも加味しての配置なのだろう。

 七人に分身し、その全てが同時に殺されない限り死ぬことは無い能力。一人を離れた場所にでも隠れてしまえばおそらく私は死なないだろう。

 

「……最悪、私が切り札を使って全員を庇うわ」

 

「……でもそれって、凄く痛いんじゃないのか?」

 

「使ったことが無いからわからないけれど、死ぬよりはマシでしょう」

 

 七人で感覚を共有したりするのだろうか。六人死んだら、殺される激痛を六回体験するのだろうか。

 ほぼ不死身という強力な能力なのだから、そういうデメリットがあってもおかしくはない。……できれば使いたくは無い。

 

「安心しろ、千景!お前に無理させたりなんかしないし、敵も進ませない!タマはこう見えて多分千景よりパワーあるからな、踏ん張るのは得意だ!」

 

 そう言って笑顔でサムズアップする球子からは、不安なんて感じない。不安を感じていないわけないだろうに。

 とても強い子だ。

 

「……ありがとう。頼りにしているわ」

 

「おう!じゃあ行くか!」

 

 球子と共に蠍座へ向かって走り出す。私達の頭上を杏の矢と雪花の槍が飛んでいく。

 それらを蠍座は巨大な尾を横薙ぎにして弾き落とす。

 

「はあっ!」

 

 本体ではなく、邪魔な尾を先に落とすために斬り掛かる。が、斬れない。

 すぐに刃を離し、振り回される尾を柄で防御しつつ距離を取る。

 

「硬いわね……星屑とは大違いだわ」

 

「一点を集中して攻撃し続けるとかしないとダメか?」

 

「そうね。後衛二人の武器でそれは難しいと思うから、矢と槍を防いでいる隙を狙って私達でやるわよ」

 

 後衛の攻撃に合わせて、蠍座の尾の繋ぎ目のような細い所を攻撃する。

 接近し続けていては危険なためヒットアンドアウェイに徹しながら、球子と共に少しずつ削っていく。

 しかし硬い。全く傷がつかない訳ではないが、気が遠くなる。まるで持久戦だ。

 

 しかし集中を切らしてはいけない。相手の攻撃はとても重く、防御もせずに直接喰らえば骨くらい簡単に折れてしまうだろう。

 一人でも戦線を離脱すれば決壊しかねない。

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく経った頃、唐突にスマホから若葉の声が聞こえた。

 

 

『気をつけろ!!射手座がそっちに照準を定めた!!』

 

 

「なっ!?」

 

 離れた場所で戦闘している筈の若葉達の方へ目を向けると、既に射手座が大きな口をこちらに向けて光らせていた。

 接近し続けている前衛三人相手では倒す手段が無いから、状況を変える為に蠍座に加勢しようとしたのだろうか。

 

「まじかよ!?!?」

 

「くっ……」

 

 

 しかし、ゆうちゃんも既に切り札を発動していた。

 

「墜ちろ!!千回連続勇者パァァァンチ!!」

 

 離れていても直接聞こえる程大きな声で叫び、凄まじい速さで射手座に拳を叩き込み続ける。

 そのお陰で射手座の狙撃の軌道がずれ、私達に当たることはなく近くの植物組織を抉った。

 

 その瞬間、私と球子は蠍座から視線を外してしまっていた。

 そして射手座の狙撃が当たらなかったことに安堵し、一瞬緊張が解れてしまった。

 

 

「タマっち!!千景さん!!」

 

 杏の声を聞いた時には、既に蠍座の尾が迫っていた。

 

「千景!!」

 

 球子に突き飛ばされ、私に尾が当たることはなかった。

 そして球子も盾で上手く尾を防ぎつつ、なんとか躱せていた。

 しかし蠍座は止まらない。このまま押し切ると言わんばかりに、後衛の攻撃も意に介さず私達に追撃を仕掛けてくる。

 

「ありがとう球子、一旦距離を取るわ!」

 

「ああ!!……ぐっ……」

 

 球子と共に後方へ跳躍しようとしたが、球子が片膝をついたままその場から動かない。左脚が腫れて爛れている。

 冷や汗が流れた。

 まさか、躱しきれずに毒針が当たったのか。私を助けたから。

 蠍の針は、もうすぐそこまで迫ってきている。

 

 私は咄嗟に、球子を庇うように抱き締めた。

 

「球子!!」

 

「ダメだ千景!!タマなんかほっといて逃げろ!!」

 

「できるわけないでしょう!?!?」

 

 咄嗟に動いてしまった。冷静に判断をすることもできず。

 今から切り札を使ったら間に合うだろうか。無理だ。間に合わない。

 よく考えたら、あんな大きな針なら私ごと球子も貫いてしまうんじゃないか。

 なんて、今更ながら思った。

 

 

 

 

 

 

 あ……れんちゃんにおかえりなさいって言えないな……。

 

 

 

 

 

「せぇぇぇぇぇぇぇぇえええい!!!」

 

 

 

 

 

 上空から、ここにいるはずのない人の、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 

 

 思わず顔を上げて振り返ると────。

 

 

 ────大きな音と共に、蠍座が砕け散った。



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第68話 帰還と疑念

新年明けましておめでとうございます。
蓮花が四国を出発した60話を投稿したのが3月末……9ヶ月ちょっと前?
大変遅くなりました。


 粉砕され形を保てなくなった蠍座が、崩壊し光の粒子となって散っていく。

 私達が何度斬っても斬れなかった大型バーテックスが、一瞬で粉々になった。

 

「御霊は無いけど中が空洞じゃない……御霊以外は完成しているのか。一番倒しやすい状態だな」

 

 そして砂塵が舞う中、私の目の前には郡蓮花が立っていた。

 

「れん…ちゃん……?」

 

「ああ、ぎりぎり間に合ってよかった。沖縄の人達を急かした甲斐があったな」

 

 突然の出来事に誰もが驚き動きを止めている。射手座に至っては後方へ下がり出した。まさか逃げているのか。

 

「れ、れんちゃん!!球子が脚に蠍座の毒を受けて……!!」

 

「えっ!?」

 

 私の隣でしゃがみこみ、球子の状態を確認するれんちゃん。

 

「タマは大丈夫だ、ちょっと左脚の感覚が無いだけで……」

 

「……すぐにサジタリウスも倒して病院に連れていく。棗、球子を頼む」

 

「ああ」

 

 れんちゃんが立ち上がりそう言うと、後方から白い少女が私達の元へ飛んできた。

 高い身長、落ち着いた声、そして褐色肌。

 

「……棗?」

 

「久しぶりだな、千景」

 

 私はこの人を知っている。

 そうだ。髪の色は全く違うけれど、沖縄旅行で出会って一緒に祭りに行った棗だ。雰囲気はあまり変わっていないようで少し安心する。

 

『またそっちに狙撃が行くわ!!』

 

 再会を喜んでいる場合ではないことを歌野の声が知らせてくる。

 そのまま逃げるのかと思われた射手座が、離れた位置から狙撃準備に入っていた。

 

「棗!球子を連れて早く後ろに……」

 

「大丈夫だ、千景」

 

「え……?」

 

 こんな状況でどうして棗はこんなに落ち着いていられるのか。

 前に出たれんちゃんが少し腰を落とす。

 

「三人とも動かないように。纏まってくれているほうが守りやすい」

 

「ま、まさか受け止める気!?」

 

「問題無い」

 

 もう射手座は発射寸前だ。球子を連れて機敏に避けるのは無理なので、れんちゃんを信じることにした。

 そういえば雪花が言っていた。世界で一番安全なのはれんちゃんの傍だと。

 

 目で追えないような速さで撃ち出された射手座の矢を、れんちゃんは右手で受け止めた。

 踏ん張りながらもズザザザザと後退していくが、やがて勢いを殺し切り止まった。

 

「ふっ!!」

 

 全身を躍動させしっかりと踏み込んで振りかぶり、今度はその矢を全力で投げ返した。

 射手座が撃ち出したよりも速く投げ出された矢は、遠く離れた射手座の中心を貫いた。

 

「……嘘でしょ」

 

「私も最初は驚いた。もう慣れたが」

 

 沖縄からここに来るまでにも激しい戦闘があったのだろうか。

 中心に大きく穴が空いた射手座だが、まだ崩壊するほどのダメージではないのか、光の粒子にはならず後退を続けていた。

 

「逃がすかッ!!」

 

 れんちゃんが地を踏み締めて前へ飛び出す。変身した私達よりも速く遠い跳躍で射手座まで数秒で距離を詰める。

 北海道まで徒歩で行くなんて言い出すのも納得だ。車両を使うより走った方が圧倒的に速い。

 

 射手座が小さい方の口から大量の矢が発射するが、それが彼に当たる訳もなく。

 全ての矢を躱し、勢いをそのままに右拳を叩き込む。

 巨大な破砕音と共に上半分が消し飛んだ射手座は、今度こそ崩れていった。

 

 そんな異様な光景に言葉を失い見入っていると、やがて戦闘終了を告げるように世界が元に戻り始めた。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 ゆっくりと瞼を開くと、視界は肌色に染まっていた。

 まだ少し寝ぼけている頭で今の状況を整理する。

 

 昨日家に帰ってきて、夕食と入浴を済ませた後は疲れていたから早々に寝たのを覚えている。

 そして今はとてもよく知る匂いに包まれている。顔は柔らかいものに埋まっている。

 

 理解した。僕は今、久美子に抱き枕にされているのか。

 とても強く抱き締められている。

 久美子の規則的な寝息が聞こえる。まだよく眠っているようだ。

 こんなにしっかり抱き締められていては、起き上がろうとすれば久美子を起こしてしまうかもしれない。

 

 僕は、久美子が起きるまでこのままでいることにした。

 久美子の胸の谷間に顔を埋めたまま深呼吸をすると、女性の甘い香りが鼻腔を通り頭を満たしていく。とても幸せな感じがする。

 寝ぼけている頭がまた眠気に誘われる。

 

 

 そういえば今は何時だろうか。

 それだけ確認しようと思い、スマホを探して少し顔を上げると、こちらを見ていた千景と目が合った。

 

「……おはよう、千景」

 

「ええ、おはよう」

 

「…………不可抗力なんだ。僕は今動けない」

 

「さっき胸に顔を埋めて深呼吸してなかった?それって必要?」

 

「………………」

 

 言い返せない。動けないことと久美子の匂いを嗅いだことは確かに関係ない。

 一瞬で頭が冴えていく。もう二度寝はできない。

 

「……あ、そうだ」

 

「ん?」

 

 千景が何かを思い出したように声を発する。

 追撃が来るのかと少し覚悟したが、それは杞憂だった。

 

「おかえりなさい、れんちゃん」

 

 そう言って微笑んでくれた千景を、今すぐ抱き締めたいと思った。

 久美子を起こさないように腕から抜け出して起き上がり、僕の大切を抱き締めた。

 

「ただいま……千景」

 

「ん……」

 

 たった数日離れていただけなのに、とても長い間離れていたかと思うほどに寂しかった。会いたかった。触れたかった。声を聞きたかった。

 

 たくさん話そう。この数日間、僕がいなかった間のことや、僕が見たもの、経験したことを。

 

 

 

 

 

 

 

「改めて紹介するね。沖縄から来た棗ちゃんです」

 

「古波蔵棗だ……よろしく」

 

 寮の談話室で集まっている皆に、新しい入居者を紹介する。

 ちなみに球子は入院中のため、ビデオ通話で話に参加している。

 戦闘終了後すぐに病院に連れていき、幸い命に別状は無かったが治療の為に少し入院することになった。

 

「写真で見たことありますね」

 

「沖縄旅行で千景と一緒に写っていたな」

 

「そうそう、あの子」

 

 その千景は今、久美子と共にキッチンで昼食を作っている。

 珍しく二人とも髪を纏めてエプロンをつけている。特に久美子はかなりレアだ。二人とも可愛い。写真に収めなければ。

 

「玉ねぎは切れた?え、まだ?早くしてよ久美子さん」

 

「こいつ……次のテストを楽しみにしていろ。……くっ……目が痛い……」

 

 千景と玉ねぎが久美子を泣かせているようだ。仲は良い、と言えるのだろうか。

 

「久美子、代わろうか?」

 

「いや、大丈夫だ。座っててくれ」

 

「わかった」

 

 珍しくやる気を出している久美子の言葉に甘え、僕はソファに座り膝の上にひなたを乗せて皆とゲームをして昼食を待つ。

 ちなみに今日は茉莉にも棗を紹介するために来てもらっている。

 

「……どうしてひなたちゃんは蓮花さんの膝の上に座ってるの?」

 

「ここは昔から私の定位置だからです」

 

「そうだっけ?まあいいけど」

 

 確かに、僕の膝に一番よく乗っているのは千景かひなたかもしれない。

 若葉も昔は乗ってくれていたのになぁ、と懐かしんでいると「蓮花さん、蓮花さん」と茉莉に耳元で囁かれた。一応僕も小声で話す。

 

「どうしたの?」

 

「久美子さんのことなんだけど、たくさん構ってあげてね。蓮花さんがいない間、ずっと寂しがってて面倒臭い感じになってたから。今だって、蓮花さんは疲れてるだろうからって気を使ってる」

 

「そうだったのか……面倒臭い感じって?」

 

「後で動画送ってあげる」

 

「ありがとう」

 

 茉莉と秘密の取り引きをしていると、何か勘づいたのか久美子がキッチンから話しかけてくる。

 

「茉莉、何の話をしているんだ?」

 

「久美子さんが寂しがってたって話」

 

「……別にそんなことはなかったが?」

 

「よく言うわ、ずっと溜息をついていたくせに」

 

「千景には言われたくないな」

 

 千景もか。まあ想像はしていたが。

 少し自惚れているかもしれないが、僕が千景や久美子に大切に想われているのは理解している。そして離れると寂しがることも。僕もそうだから。

 まだやらなければいけないことは残っているが、ひとまず今は皆の傍にいよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば久美子、インナーカラー落ちてきたね」

 

「ん?ああ、そうだな」

 

 風呂上がり、リビングでテレビでも見ながら久美子の髪をドライヤーで乾かす。

 ちなみに子供達は寮の談話室でお泊まり会をするとのことで、茉莉も丸亀城に泊まっている。

 本当は僕も行きたかったが、久美子を一人で放っておくわけにもいかず、かといって久美子もお泊まり会に連れていくのもどうかと思い、こうして二人で家にいる。

 年頃の女の子達のお泊まり会に大人がいては、話しにくいこともあるかもしれない。

 明日の夜は千景の部屋に泊まりに行くことになっているので、まあいいだろう。

 

「染め直すか、このまま色を落とすか、お前はどっちがいいと思う?」

 

「ふむ……僕としては、この綺麗な黒髪が傷むのはもったいないから染めないほうがいいんじゃないかと思う」

 

「そうか、ならそうしよう。お前は黒髪が好きだもんな」

 

 僕は黒髪が好きなのか?……好きかもしれない。

 ドライヤーを止めて久美子の髪を櫛で梳く。

 

「ふと思ったんだけどさ」

 

「ん?」

 

「今更なんだけど、久美子って出会ってすぐの頃から僕をお前って言うよね」

 

「そういえばそうだな。駄目か?」

 

「別に構わないけどさ」

 

 僕は一応歳上なのだ。出会ってすぐの歳上をお前呼びしていたのはどうなんだろう。僕は慣れていたから気にも留めなかったが。

 

「……あなた?」

 

「ん"ん"ッ…………似合わないよ」

 

「刺さっているように見えたが?」

 

「……少し」

 

 正直かなり良かったが、それを言うと調子に乗ってからかってくるだろうから黙っておく。

 

「……時々言ってやろうか」

 

「子供達の前ではやめてね」

 

 からかい方を一つ学んでしまったようだ。

 櫛を持つ手を止めると、久美子は身体をこちらに向けて振り返り、僕の胸にポンと頭を預けた。

 

 

「……寂しかった?」

 

 その頭を撫でながら尋ねる。

 

「……ああ。寂しかった」

 

 両手を僕の背中に回される。ずっとこうしたかったのかもしれない。

 僕も空いている片手を久美子の背中に回して抱き寄せる。

 

「ひとまずやる事は済んだから、傍にいるよ」

 

「ん……」

 

 きっと、こんな久美子は僕以外は知らないだろう。

 離れていたのは一週間だけだが、されど一週間。傍にいる幸福を知ってしまえば、たとえ短期間でも離れるのは辛いのだ。

 

「久美子は遠距離恋愛とかできなさそうだね」

 

「そうだな……だから、傍にいてくれ……」

 

「……ああ」

 

 

 

 久しぶりの久美子とのキスは、普段よりも強く求めるように熱く濃密で。

 今はただ、この子の心を満たしてあげたくて。

 一線は越えない。けれどそれ以外なら、と。いつもより少し羽目を外したかもしれない。

 僕達以外は誰もいないから、寝室にも向かわずにそのままリビングで遅くまで求め合った。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

「どうして私達を呼んだの?」

 

 夜、なぜか私と雪花だけが杏の部屋に呼ばれていた。

 談話室では皆でゲームしているだろうに、私もそっちに混ざりたい。

 

「お話がありまして」

 

「皆と一緒じゃ駄目なの?」

 

「大事な話なので、口が固くて顔にも出さなそうなお二人に。蓮花さんのことなんですが」

 

「惚れたの?」

 

「いえ、違います。……あ、別に嫌いというわけではないですけど、そういうのじゃないです」

 

 即否定されてしまったれんちゃんが可哀想だが、少しホッとした。

 正座をする杏が真面目な表情で話を続ける。

 

「蓮花さんって、異様じゃないですか?」

 

「強すぎるってこと?」

 

「確かに身体能力が異常だけど」

 

「それもあるんですけど、一旦それは置いておくとして」

 

 それは置いておいていいことなのだろうか。

 

「そもそも、どうして蓮花さんはバーテックスを倒せるのかと。身体能力とかの物理的要因でどうにかなるなら、自衛隊が為す術なく蹂躙されることもなかったでしょう」

 

「……確かに」

 

「私は色々考えました。バーテックスを倒せる勇者にあって、他に無いもの。それは神の力だと思います」

 

 確かに私達の持つ神器や、カムイや海の神の加護を受けている雪花や棗等、形は違えど神の力を借りて戦う。しかし自衛隊の戦車等には神の力はない。

 

「蓮花さんも神の力というか、神性を持ってるって言いたいの?」

 

「おそらく」

 

「……そういえばあの人、コシンプのこと見えてたし警戒されてたっけ」

 

「精霊がれんちゃんを警戒したの?」

 

「うん」

 

 そんなことがあるのか。

 これ以上、この話を続けていいのだろうか。

 知りたくないことに辿り着いてしまう気がする。全て私達の想像でしかないとしても。

 

「神樹がれんちゃんにも加護を与えている可能性は?」

 

「それも考えたんですけど、女性でも子供でもない成人男性にも力を与えられるなら、私達みたいな子供よりアスリートとかに勇者の力を与えたほうがいいじゃないですか」

 

「実際には不可能で、神が力を与えられるのはやっぱり少女だけってことだよね……」

 

「つまり、蓮花さんが持つ神性は他者から与えられたものではないということです。もちろん全て推測でしかありませんけど」

 

 杏が私を見る。私は何も知らないのに。

 

「そこで、蓮花さんと一番長く一緒にいる千景さんをお呼びしたわけです」

 

 

「……何が言いたいの?」

 

 

 

「蓮花さんは、本当に『人』ですか?」

 

 

 

 今まで気にすることもなかった問いを突きつけられる。

 しかし一緒に過ごしてきた時間を振り返るが、何もおかしかったことは思い当たらない。

 

「……彼は人よ。風邪をひくこともあったし、普通に病院で診察を受けていたわ。他人の気持ちもよく理解してくれる。何もおかしいところは無いわ」

 

「そうですか……それならいいんですが」

 

「でも戦闘では人間離れした動きしてるけど」

 

「…………」

 

 それは本当によくわからない。勇者でもあんな動きはおそらくできない。

 けれど、私にとってはれんちゃんが何だって構わない。

 

「もしもれんちゃんが人ではなかったとしても……私にとって彼は大切な存在で、ずっと傍に居続けるわ」

 

「千景さん……」

 

 話は終わりだ。立ち上がり、三人で皆のいる談話室に戻る。

 顔に出さずに、いられるだろうか。




この作品のタイトルって何て略すんだろうか。


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第69話 桜と最愛

「んん……」

 

「ん、起きたか」

 

「ふあぁ……おはよう……ん?」

 

 目を覚ますと、仰向けで寝ていた僕を久美子が跨いでいた。

 久美子が僕より先に起きていることも珍しくて驚きだが、それよりも……。

 

「……なんで僕は半裸なんだ?」

 

 昨日の夜はちゃんと服を着てから寝たはずだが。なぜパンツしか履いていないのか。

 隣を見ると僕の着ていた服が置いてある。

 顔の向きを元に戻して久美子を見つめると、久美子は目を逸らした。

 

「……ここがこんなに元気になっていたから、ついな」

 

「これは朝の生理現象で健康な証だから放っておいてほしいな」

 

 もう少し目覚めるのが遅かったらどうなっていたのだろうか。

 

「ほら、顔洗って朝ご飯食べよう?」

 

「……続きは夜に」

 

「今夜は千景の部屋に泊まるけど」

 

「そうだった……」

 

 意気消沈している久美子を抱きかかえてリビングに向かった。服は……どうせ着替えるからいいだろう。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

「じゃあ大社と病院に行ってくるから、準備お願いね」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

「行ってらっしゃーい」

 

「行ってきまーす」

 

 楓さん、琴音さんと共に蓮花を見送り、部屋の中に戻る。

 今日は昨年同様、丸亀城で花見をする。

 蓮花は前回と同じく安芸と花本、そして球子を迎えに行った。球子は医者と相談したところ、脚以外は悪いところは無いから一時的な外出は許可してもらえたらしい。

 

 私達は今から弁当や飲み物、レジャーシート等を持って丸亀城に向かう。

 しかしその前に弁当を完成させなければならない。

 メインのおかずは蓮花が作っていってくれたので、サラダ等は今から作るのだ。

 

「久美子、蓮花がいない間は寂しくて面倒臭い感じになっていたと茉莉から聞いたが、もう大丈夫か?」

 

「ああ、大丈夫。それにしてもあいつ、そんなに話して回っていたのか……」

 

「どうすれば元気づけられるかと相談されたんですよ」

 

「……そうか」

 

 茉莉に知らないところで気を使われていたとは。

 今度骨付鳥でも食べに連れて行ってやるとしよう。

 

 話しながらもそれぞれ手を動かす。

 料理は二人に任せて、私は持っていく荷物を纏めていく。キッチンに大人が三人並んでも邪魔だろう。酒は……よし、買い忘れていないな。

 

「そういえば最近、蓮花と何か進展はあったか?」

 

「進展?……なぜそんなことを聞く」

 

「この歳になると、娘の成長や周りのそういう話しか楽しみが無くてな」

 

「さすがにそれは言い過ぎですよ楓ちゃん。私達はまだ三十代半ばなんですから」

 

 

 楓さんの絡み方がちょっと面倒臭い近所か親戚のおばさんみたいだ。近所のおばさんだから合ってはいるのか。

 

「……これといった進展はない」

 

「ふむ、そうか……。昨夜は二人きりだったんだろう?何もしなかったのか?」

 

「いや、まぁ……色々と……」

 

「楓ちゃん、デリカシーが無いです」

 

「すまん」

 

 弁当以外の荷物は準備し終えてひと息つく。キッチンの様子を見ると、さほど時間はかからなそうだ。

 完成次第丸亀城に行くのは少し早いだろうか。

 いや、早ければ談話室でゲームをするなり誰かの部屋に突撃するなりして時間を潰そう。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「というわけで来たぞ」

 

「なんでよ」

 

 若葉、ひなたと一緒に部屋のキッチンで弁当のおかずを作っていると、唐突に久美子さんがやってきた。

 

「若葉がキッチンに立っているのを見るのは珍しいな」

 

「クリスマスにお揃いのエプロンを貰ってからは時々料理している」

 

「そしてその度にひなたの被写体になるのよね」

 

「まあ……もう慣れた」

 

 クリスマス以降、私達三人で料理をする時は始める前に撮影から入ることが多い。それでひなたが嬉しそうなので、私達は何も言えない。

 

「そういえば母さん達は?」

 

「談話室にいる」

 

「皆と一緒にいるのね」

 

 昨日は皆で談話室で眠り、朝食も一緒に食べたのでそのまま弁当も作ろうかと思ったが、食材のほとんどが私の部屋の冷蔵庫に入っているため私達だけ部屋に戻ったのだ。

 わざわざこれらを談話室に持っていって料理するのは面倒である。

 

「…………」

 

「……そんなに見られても私達は構ってあげられないけれど」

 

「気にするな」

 

「ずっと見られていたら気になります」

 

 いったい何がしたいのだろうか。私にベッドに腰掛けてずっとこちらを見ている久美子さん。

 

「……お前達はしっかりしているな。私が中1くらいの頃なんて料理なんてできなかったし、もっと好き勝手にやっていた」

 

「今でも結構好き勝手にやっているのでは……」

 

「人生を楽しもうとしていると言え」

 

「あっそ」

 

 久美子さんの子供の頃、か。さぞ両親の手を焼かせたのだろう。

 そういえば前に、久美子さんは香川出身だと言っていたような気がする。

 

「久美子さん、香川出身って言ってなかった?ずっとうちにいるけど、実家に帰らなくていいの?」

 

「今更、別にいいんじゃないか?」

 

「天災から約一年半、娘が帰ってこなければ心配しているんじゃないか?」

 

「久美子さんだって友奈さんや茉莉さんが音信不通になったら心配するでしょう?」

 

「ん……なるほど」

 

「会いに行けるところに親がいるなら、会っておいた方がいいぞ」

 

 そう話す若葉の目は寂しげだ。

 若葉もひなたも、なんならここには家族を亡くした子の方が多い。

 会えるのなら会いたいと、皆思っているのかもしれない。

 

「……そうだな。そのうち、帰ってみるか」

 

「それがいいです」

 

 

 話している間にも調理は進む。れんちゃんが三人を連れて来るまでには間に合いそうだ。

 私はもう、生みの親には興味は無い。今更会いたいとも思わない。

 私の傍にはれんちゃんがいる。それだけで十分だ。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「いやーいつぶりだっけ丸亀城!」

 

「一年ぶりですね。去年のお花見以来です」

 

「もうあれから一年も経ったんだなー」

 

 球子が座る車椅子を押して丸亀城の門を通る。

 桜は満開とはいかないが、散ってしまう前に帰って来れて良かった。

 少し登っていくと少女達の楽しげな話し声が聞こえてくる。既に準備は出来ているようだ。

 

「皆久しぶり!元気してた?」

 

「あんず、いい子にしてたか?」

 

「真鈴さん!タマっち!」

 

「こんにちは、ご無沙汰しております」

 

「花本さんも元気そうでなによりです」

 

 こうも大人数で集まると言葉が渋滞する。しかしそれが、誰も欠けることなくまた一緒に花見をできることを実感させてくれる。

 

「……嬉しいな」

 

「どうした?突っ立ってないでお前も座れ」

 

「ああ、うん」

 

 しれっと久美子が自分の隣にスペースを空けてくれたのでそこに腰を下ろす。隣には自然と千景がいる。

 

「そういえば花本さんも小学校を卒業よね、おめでとう。お祝いも兼ねてお弁当を豪勢にしたわ」

 

「ああ、千景さんからお祝いの言葉を頂けるなんて……!!今日を祝日としたいです……」

 

「だからこんなに弁当が凄いんだね……」

 

 16人で食べるからというのもあるが、物凄い量と品目である。

 

「タマ唐揚げ食べたい!……どこだ?」

 

「……あった、若葉の前だね」

 

「ああ、取ってやろう。皿を貸してくれ」

 

 レジャーシートもかなり大きいのだが、その上の弁当が占める面積も広く、端の方は届かない。協力が必要だ。

 

「……どうして蕎麦が入った弁当箱があるんだ?」

 

「うどんが入った弁当箱だってあるじゃない!」

 

「香川なんだからいいだろう!?つゆもあるぞ!」

 

「サンクス!……デリシャス!」

 

 

 

 

「……元気だなぁ」

 

「こういう騒がしさは嫌いじゃないわ」

 

 千景も微笑んでいて楽しそうだ。

 そっとスマホのカメラを向けて写真を撮り、それに気づいた千景がこちらを向いた瞬間に再びシャッターを押す。

 

「……凄く撮るわね」

 

「帰ったらプリントしてアルバムに追加しておくね」

 

 千景だけでなく、楽しそうな皆も写真に収めたい。

 既に同じようにスマホを構えている琴音さんとひなたも写真を撮る気満々なのだろう。後で共有してもらおう。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「……ねぇ球子」

 

「ん?」

 

「あんた本当に入院患者?」

 

 きっと誰もが心の中で安芸さんと同じことを思っただろう。

 あまりにも球子がたくさん食べる。

 

「そうだけど、どうかしたか?」

 

「食べ過ぎでしょ」

 

「病院食は味薄いし少ないから今は食欲が止まらないんだ!」

 

「ほどほどにね……」

 

 あんなにあったお弁当がどんどん減っていく。……まあいいか。足りなければ何か追加で作ればいい。

 とても美味しそうに食べてくれるから、作った側としては満足だ。

 

 

 

「あ、そういえば蓮花さんに言うの忘れてた」

 

「ん?」

 

「ボク、高校入試受かったよ」

 

「ええ!?」

 

 茉莉さんの言葉に驚き立ち上がるれんちゃん。

 私達は昨日の夜に聞いたのだが、れんちゃんはまだ聞いていなかったのか。帰ってきてすぐでタイミングが無かったのかもしれない。

 

「やったじゃん茉莉!!この春から高校生か!!」

 

「うん」

 

「地道に頑張って勉強してきたもんね!よかったよかった」

 

 自分の事のように喜び、茉莉さんの頭をわしゃわしゃ〜っと撫でるれんちゃん。

 髪型が少し崩れているが、茉莉さんもとても嬉しそうなので気にしないでおこう。

 

「皆無事に進学、進級できるな」

 

「そうねぇ、よかった」

 

 4月から茉莉さんが高校一年生で私と棗と安芸さんが中学二年、若葉達が一年生になる。

 

「……ん?棗は沖縄で学校ってどうなっていたの?」

 

「一応授業はあったから問題ない。……多分」

 

「多分?」

 

「春休みが終わったら最初にテストするからな。ちゃんと勉強しておけよ?」

 

 何人かがビクッと身体を震わせた。

 そして球子は何か思いついたように頭の上にビックリマークを浮かべた。

 

「もしかしてタマはテスト受けなくていいのかっ!?」

 

「どうするか……病院にテスト持って行ってやろうか?」

 

「やだ、持って来なくていい」

 

「やだじゃない。まあ最初のテストは免除しても構わないが、ちゃんと入院中も勉強はするんだぞ?遅れたら後で大変だからな」

 

「……わかった」

 

 皆に学年を追いつく為に頑張って勉強していた杏を思い出したのか、案外素直に頷く球子。

 きっと杏の頑張りを傍で見ていたのだろうから、その大変さも理解しているのだろう。

 

 

 広げられた弁当箱を眺めながらだいぶ減ったことに安堵する。

 かなりの量があったから、もし大量に残ったらどうしようかとほんの少しだけ心配していたのだ。

 杞憂に終わって何よりだ。

 空になった弁当箱を片付けていると、隣で久美子さんが横になりれんちゃんの太腿に頭を乗せていた。

 

「もう酔ったの久美子?」

 

「うん……いい感じにふわふわしているぞ……」

 

「そう」

 

 れんちゃんが優しい手つきで久美子さんの髪を撫でる。

 その様子を「またか」「やれやれ」と言いたげな表情で見る者もいれば、興味深そうに見る者もいる。こういう様子を見慣れていない歌野達がそうだ。

 

「今年も白昼堂々とイチャイチャして……」

 

「千景も後でしてあげようか?」

 

「……うん」

 

 今夜は私がれんちゃんを独り占めできるのだと思うと、多少は寛容な気持ちになれた。

 そして何故かひなただけはスマホのカメラを向けていた。

 

「……どうして久美子さんを撮ってるの?」

 

「シラフの時に見せたら何かに使えそうなので」

 

「脅しの材料……ッ!!」

 

 ひなたの微笑みが怖い。

 私も何か弱みを握られていたりしないだろうか。……これだけ長く一緒にいれば、何かしら握られていそうだ。

 

「ひな、脅したりしちゃ駄目だよ?でもそのデータは後で送ってほしい」

 

「了解です」

 

「おいおい」

 

 

 何はともあれ、直前に危機はあったがなんとか乗り越え花見ができてよかった。

 来年も、誰も欠けることなくここで桜を見られたらいいな。

 左手を隣に座るれんちゃんの右手に重ねると、優しく握ってくれる。

 この人がいれば、これから先もきっとなんとかなると、大丈夫だと信じられた。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「ご馳走様でした」

 

 寮の談話室で夕食を終え、食器を洗う。

 琴音さんと楓さんは既に家に帰り、真鈴と美佳、球子は遅くなってはいけないので夕方には送って行った。

 

「ボクも洗うの手伝おうか?」

 

「ありがとう、でも大丈夫だよ。流し台も広くないし、皆と遊んでていいよ」

 

「わかった」

 

 茉莉は今日も丸亀城に泊まるらしく、久美子も一人で帰るのは嫌だと言ってここにいる。

 

「久美子さんはどこで寝るの?」

 

「そうだな……千景の部屋に泊まるか」

 

「嫌よ、絶ッ対来ないで」

 

「冗談だ。皆で談話室で寝るか」

 

「やったー!」

 

 喜び友奈とは対照的に茉莉は一瞬困り顔をした。

 

「えっ……まあ、ゆうちゃんが喜んでるからいいか」

 

「皆友奈に甘いな」

 

「うちの末っ子みたいなもんだからね」

 

 長女茉莉、次女の千景に三女の友奈。可愛い三姉妹だ。

 

 食器を洗い終えると、それに気がついた千景が立ち上がった。

 

「じゃあ皆、おやすみ。あまり夜更かししてないで早く寝るんだよ?」

 

「よし、徹夜でUNOやるか」

 

「何言ってるの久美子?」

 

「すまん。程々にして寝るよ」

 

 

 千景と共に談話室を出て、千景の部屋に入る。

 浴室の方から浴槽に湯を張る音が聞こえる。夕食後に一時的に部屋に戻っていたが、風呂の準備をしていたようだ。

 

「もうすぐお風呂が沸くけど、すぐに入る?」

 

「そうだね。せっかくだしすぐに入ろう」

 

 着替えを準備して脱衣場に向かう。千景の部屋には僕の私物がいくらか置いてあり、当然泊まる時の着替えもあるのだ。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「痒いところはございませんか〜」

 

「大丈夫」

 

 一緒に風呂に入るのも久しぶりなので、れんちゃんに髪を洗ってもらうのも久しぶりだ。

 人に洗ってもらうのは気持ちがいい。特にれんちゃんに洗ってもらっていると、とてもリラックスできる。

 

 

 私を洗い終えると場所を交代する。次はれんちゃんを洗うのだ。

 

「背中流すね」

 

「ん」

 

 れんちゃんの背中に触れる。昔も今も変わらず、この背中はとても大きく感じる。私も大きくなったはずだけれど。

 

「凄く、大きい……」

 

「何が?」

 

「背中よ」

 

 背中以外に何があるというのか。

 

 

 

 

 洗い終えて湯船に浸かる。

 縁に背を預けるれんちゃんの脚の間に座り、私はれんちゃんに背を預ける。

 

「一緒にお風呂に入るの、久しぶりね」

 

「というか、千景と二人きりなのも久しぶりだよね」

 

「……そういえばそうね。もっと頻繁に泊まりに来てくれてもいいのに」

 

「……そうだね。もう少し頻度を上げようか」

 

 心の中でガッツポーズをする。私が家に帰っても久美子さん達がいるから、二人きりで過ごすにはれんちゃんに泊まりに来てもらうしかないのだ。

 

 色々話したいことがあったはずだが、考えが纏まらずしばし無言になる。

 シャワーヘッドからホースを伝い滴り落ちる水の音が小さく反響する。

 時間は有限だ。

 私がこの人と二人きりで一番したいことを考える。

 

 ……ただ、触れたい。

 話は離れていても電話でできる。

 触れることは、目の前にいないとできない。

 たくさん触れて、触れられたい。

 

「……ねぇ、れんちゃん」

 

「ん?」

 

「抱き締めても、いいですか……?」

 

「ああ、いいよ。おいで」

 

 振り返ると、両手を広げて受け入れてくれる。

 私の両腕をれんちゃんの首に回し、力いっぱい抱き締める。

 

「……胸が邪魔だわ」

 

「大きいのはいいことじゃない?」

 

「大きいほうが好き?」

 

「まぁ……」

 

 れんちゃんも両手を私の背中に回し、抱き締め返してくれる。

 少し恥ずかしくなってまた無言になる。

 速くなる心臓の鼓動が伝わっていないだろうか。

 

「……何か言ってよ」

 

「ふむ……」

 

 どんな話題が出てくるのだろう。

 少しの静寂の後れんちゃんの口から出てきた言葉は、とても聞き慣れた言葉であり、一番言って欲しい言葉であった。

 

 

「大好きだよ」

 

 

 何度も言われてきた言葉なのに、その度に私の心は満たされる。

 

 

「……私もです」

 

 

「ありがとう、千景」

 

 きっとこの人は、この言葉も親愛だと思っているのだろう。

 けれど、それは違うと言う勇気はまだ私には無くて。

 

 れんちゃんの首筋に唇を当てて強く吸うと、小さな赤い痣ができた。

 キスマークって、これでできているのだろうか。

 

「ん……千景?」

 

「ごめんなさい、痛かった?」

 

「痛くはないけど、どうしたの?」

 

「……なんでもない。ちょっと甘えたいだけ」

 

「そっか」

 

 父親に甘えたくてキスマークをつける娘がどこにいるのかと、少しは疑ってほしいものだ。

 

「そういえばさ」

 

「なに?」

 

「千景は、久美子が嫌い?」

 

 さすがに熱くなってきたので抱き締めていた手を緩め、顔を見て話す。

 れんちゃんは、少し不安そうな表情をしていた。

 

「嫌いというわけじゃないけど、どうして?」

 

「なんか基本的に遠慮が無くない?よく対抗しようとするし」

 

「それは……ちょっと久美子さんには負けたくないことがあるというか」

 

「そう。まあ嫌いじゃないなら、よかった。千景に聞かずに僕が久美子を家に連れて来たから、もし千景がそれで迷惑していたらって思って」

 

 安心したように微笑むれんちゃん。やっぱり私は、貴方の笑顔を見ていたい。

 迷惑しているかと言われると、ちょっと微妙なところではあるかもしれないが。今更追い出すつもりもない。

 

「……貴方は、久美子さんが好き?」

 

 丸亀城での生活が始まってすぐの頃にも聞いたけれど、あれから約一年半が経ったことで何か変わっただろうか。

 

「うん。好きだよ」

 

 いや、二人を見ていれば、若干の変化があったことはわかっている。歳の近い男女が一年半も一緒に暮らしているのだから。

 

「それは……やっぱりなんでもない」

 

「ええ?」

 

 私には、いつも勇気が足りない。

 それは恋なのかと聞いて、もし否定してくれなかったらと思うと、不安で聞けない。

 

 ああ……胸が苦しい。

 好きな人に触れているのに。

 私は今、どんな表情をしているのだろう。

 

 

「今は……私だけを見て、ください……」

 

「……ああ。ずっと見てる」

 

 れんちゃんの首元に顔を埋める。今は顔を見られたくない。

 こんな様子では、れんちゃんに心配させてしまうかもしれない。

 

 ごめんなさい。私には貴方の心を縛る権利なんて無いのに。

 願っても仕方の無い、直接言わなければいけないことかもしれないけれど。

 貴方の最愛を、私にください。




一方、談話室。

「UNO!!」

「+2」

「+2」

「+2」


「ぬああ!!」


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【IF】誕生日短編 ほろ苦い珈琲

千景Happybirthday!!
私はコロナでへばってますが、今年で千景が20歳ということで日が変わってから急遽書きました。
本編とはあまり関係ない話です。


「これで最後、と。……お、洗濯機が止まったな」

 

 洗った食器を乾燥機に並べ終えると同時に、早めに回しておいた洗濯機の停止音を聞く。

 濡れた手を拭いて洗濯機のある脱衣場に向かい、洗濯物をカゴに入れる。

 ……よく考えたら、洗濯物も濡れているから手を拭く必要はなかったかもしれない。

 

「外、少し雪が降っているけど」

 

「こんな寒い中、私は洗濯物を干しに出なければならないのか……」

 

「手伝おうか?」

 

「……いや、大丈夫だ。誕生日くらいくつろいでいろ」

 

 ソファに座ってテレビを眺めている千景。やっているのは昼の情報番組で、今日はどこも寒いようだ。雪の降る寒空の下、街頭インタビューをしているアナウンサーに少し同情する。

 普段なら手伝ってもらうところだが、今日は千景の二十歳の誕生日である。流石に今日くらいは家事は全てやってやろうと思わなくもない。

 

「ありがとう、ならお願いね。あ、ちゃんと皺を伸ばして綺麗に干してよ?」

 

「わかってるよ……今晩のおかず全部野菜にしてやろうか」

 

 もしくは窓を開けっ放しにして、私と同じ寒さを味わわせてやろうか。……干し終わった後の私も困るのでやめておこう。

 

 

 

 

 

 

 洗濯物を干し終えて部屋に戻ると、千景がホットコーヒーを入れてくれていた。

 

「淹れたてよ。飲む?」

 

「ああ、ありがとう」

 

 マグカップを受け取り、口をつけてゆっくりと傾ける。

 ほのかな苦味に優しい甘さ、私の好きな味だ。

 

「……また美味くなった気がする」

 

「まあ喫茶店で働いていればね」

 

 数年前とは違い、コーヒー豆を挽いてドリップしている。

 高校を卒業し蓮花の経営する喫茶店を手伝うようになってから、家でも練習がてらドリップコーヒーを淹れるようになった。

 私も友奈達の高校卒業と同時に教師を退職し、喫茶店を手伝うようになった。家族経営、というやつだ。

 

「……友奈は今日も大学だったか?」

 

「そうね。夕方には帰るって」

 

 今日は土曜日だが、大学生ならそういうこともよくあるだろう。

 幼い頃からの夢を追って杏は医大に、茉莉は専門学校に進学した。これは想定していたことだが、友奈が教師を目指して大学に進学したことには驚いた。

 友奈曰く、私に憧れたらしい。そんな要素があったかはわからないが、嬉しくはある。

 ちなみに茉莉は既に卒業して絵本作家になっている。

 そういえば歌野と水都も農業をより学ぶ為に大学に行ったか。いつか王にはなれるのだろうか。

 

「お前は進学しなくてよかったのか?」

 

「ええ。キャンパスライフに興味が無いわけじゃないけれど、進学して学びたいことも、それでなりたいものも無いし」

 

 周りが進学するからとなんとなく自分のレベルに合った大学に進学した私からすれば、自分の考えを持って道を選んだ少女達を立派に思う。

 

「れんちゃんと一緒に喫茶店をやっている今がとても幸せなの」

 

「……そうか。ならいいんだ」

 

 千景の満足そうな顔を見て、残りのコーヒーを飲み干す。

 冷えていた身体はとっくに温まっていた。

 

 

 

「そういえば、今日は若葉達はどうしているんだ?」

 

「歌野達と一緒に畑に行っているはずだけど……あら?」

 

 千景の言葉を遮り、唐突にインターホンが鳴る。

「はい?」とインターホンに出てみると、よく聞く声がした。若葉達だ。

 千景と共に玄関まで行って扉を開けると、畑から直接帰ってらしい格好をした四人がいた。

 

「それどうしたの?」

 

「さっき採れた長ねぎと白菜よ!」

 

「晩ご飯の食材にどうかと思ってな。鍋をすると言っていただろう?」

 

「あら、いいわね」

 

 リビングに戻ると、千景はスマホを手に蓮花へ電話をかける。

 蓮花と茉莉は今買い出しに行っているのだ。ねぎと白菜が必要無くなったことを伝えなければいけない。

 

「しっかし、こんな寒い中よく農作業できるな」

 

「寒いからこそ身体を動かすんだ。久美子さんもどうだ?」

 

「若葉ちゃん、久美子さんはもう三十路だから無理させては駄目ですよ?」

 

「お前らを畑に埋めてやろうか」

 

「私も!?」

 

 まったくこいつら、特にひなたは、年々私に対して遠慮が無くなって来ている気がする。

 というか私もいつの間にか32か。歳をとったな。千景が成人だもんな。

 

「ではちーちゃん。連絡するまで下の部屋に行っててくださいね」

 

「え、どうして?」

 

「ここを飾り付けるからです」

 

「あーなるほど、それ本人に言っていいのかちょっと怪しいけれど、わかったわ」

 

 確かに。サプライズにするべきではないのか。

 しかし千景に隠れてこの家を飾り付けるのは不可能だ。仕方ない。

 

 リビングから出ていく千景を見送ってからソファに腰を下ろすと、水都に『20』の形の風船をはじめいくつかの装飾を入れた箱を渡された。

 

「久美子さんはこれをお願いします。この風船はこの辺の壁に貼ってください」

 

「……わかった」

 

 こいつも随分と図太くなったな、良いことだ。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 玄関を出て下の階に降り、我が家の真下の部屋のインターホンを鳴らす。

 丸亀城の生活が終わってから、歌野達はここでルームシェアをしている。球子と杏も、皆で一緒に中学、高校に通いたいということで親を説得してここに住んでいる。

 ちなみに保護者は全員れんちゃんだ。

 すぐに玄関の扉は開き、杏が出迎えてくれた。

 

「ここにいろって言われたんだけど」

 

「はい、聞いています。タマっちが待ってますよ」

 

「え?」

 

 杏に通されてリビングに向かうと、格ゲーが映るテレビ画面にコントローラー二つ。既に対戦プレイが準備されていた。

 

「おう千景!ゲームしようぜっ!」

 

「……いくつになっても球子は変わらないわね」

 

 球子からコントローラーを受け取って隣に腰を下ろす。

 

「まだ19だぞ」

 

「愛媛で初めて出会ってからもうすぐ11年よ」

 

「「ええっ!?本当だ!!」」

 

 見事にハモって驚く愛媛組。自分で言っておいてなんだが、そんなに経つのか。

 丸亀城で一緒に生活し始めてからは7年半だが、それでも長い付き合いだ。

 

 

 

 

 

 何度か球子を負かした頃、スマホからRINEの通知音が鳴った。確認すると、茉莉さんからだった。

 

「どうかしました?」

 

「帰る途中で大荷物のお婆さんを見かけて助けてるから、少し帰るのが遅れるって」

 

「そっか。人助けはいいことだ、うん」

 

 

 

 数十分後、再び茉莉さんから連絡がきた。

 

「今度はなんですか?」

 

「ひったくり犯を拘束して警察に引き渡してるから少し帰るのが遅れるって」

 

「すげーな」

 

 数年前と比べて治安も多少マシにはなったが、それでも時々そういう輩はいる。

 

「というかもうすぐ夕方ですけど、間に合うんでしょうか」

 

「少し晩ご飯が遅れるくらい別に構わないし、いくらでも待つわ」

 

「懐が深い女だ」

 

「褒めても負けてあげないけど」

 

 

 そうこうしていると、玄関の扉が開いた。そしてリビングに顔を見せたのは棗だ。

 

「あ、おかえりなさい棗さん」

 

「どこに行っていたの?」

 

「海を…見に行っていた」

 

「またか」

 

「……めちゃくちゃ寒かった」

 

「そりゃそうよ」

 

 ガクガクブルブル震えている棗に温かいお茶を入れる杏。気が利く子だ。きっと良い母になる。

 

「そういえば雪花は?」

 

「学校です。多分もうすぐ帰ってくると思います」

 

「ただまー」

 

「ちょうどだな。おかりー」

 

 丁度帰ってきた雪花は棗と違いブルブルしていない。やはり北海道出身は寒さに強いのか。

 

「お、やってるやってる。タマちゃん負けてる?」

 

「勝てるわけないだろ」

 

「じゃあ私と交代で。タマちゃんよりは善戦するよ」

 

「なんだとぅ!?でもタマもちょっと疲れたし、交代だ。仇をとってくれ」

 

 こうしていると、球子だけでなく私達皆、一緒にいるとやっていることは昔と変わらないなと思う。

 しかし、もしかしたらそんなに遠くない未来、誰かが遠い所に就職したり結婚してここを出ていったりするかもしれない。

 こんなふうに過ごせる日常もあまり長くないのかもしれないと思うと、少し寂しさを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局夜になっちゃいましたね」

 

「晩ご飯だから夜でいいんじゃない?」

 

「それはそう」

 

 もう夜7時、ようやくひなたから連絡がきた。

 ゲームを片付けて全員で上の階に戻る。

 玄関の扉を開けて廊下を進み、リビングの扉を開く。

 

 

 

『お誕生日おめでとう!!』

 

 祝いの言葉と共に鳴らされたクラッカーに若干驚きつつも部屋を見渡す。

 買い出し組も学校組も、全員帰ってきていた。

 リビングはしっかりと飾り付けられ、テーブルの上には既に鍋が準備されていた。

 

「帰るの遅くなってごめんね」

 

「大丈夫よ、晩ご飯の時間には全然問題ないじゃない」

 

「もう食べられるぞ」

 

「お腹空いた!」

 

 皆でテーブルを囲って座る。昔よりさらに狭くなったことに各々の成長を感じなくもない。球子の身長はあまり伸びていないが。

 私はもちろんれんちゃんの隣だ。この場所は誰にも譲らない。

 

「食材はいっぱいあるから、いっぱい食べてね」

 

「タマめっちゃ食べる!」

 

「後でケーキもあるけど大丈夫?」

 

「別腹だから大丈夫!」

 

「後数年もすればそんなこと言えなくなるぞ」

 

「久美子さんの実体験?」

 

「ボ……私ももうすぐそうなるのかな……」

 

 昔は落ち着いた空間の方が好きだったけど、今はこの騒がしさも好きだ。だいぶ皆に影響されたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 賑やかなひと時も終わり、コーヒー片手にれんちゃんと二人で肩を合わせてソファでくつろぐ。

 ゆうちゃんはいつも通り既に眠りにつき、久美子さんと茉莉さんはしっかり飲酒していたのでケーキを食べた後すぐに寝てしまった。

 

 茉莉さんは最近、一人称を『ボク』から『私』に変え始めた。社会ではその方がいいらしい。ボクっ娘も可愛かったのに、本当にお姉さんらしくなってきた。

 

「誕生日プレゼント、いろいろ考えたんだけどさ」

 

「うん」

 

「二人で旅行でもどうかと思うんだけど、どう?」

 

「あら、いいわね。二人で旅行なんて新婚旅行以来じゃない?」

 

「ああ。一緒に行き先探そうか」

 

 左手の薬指にはまった指輪を見つめながら、一年半前に行った新婚旅行を思い出す。

 相変わらず四国内に限定されるが、この人とならどこに行っても楽しいのだ。

 

「楽しみね……」

 

 どこに行こうか考えを巡らせていると、私の左肩にれんちゃんが手を回して優しく抱き寄せられる。

 

「誕生日おめでとう、千景」

 

「ありがとう……れんちゃん」

 

 優しい口づけに身を委ねる。

 昔は勇気が無くて言えなかった言葉も、今なら何の躊躇いも無く伝えられる。

 

「……愛してる」

 

 コーヒーを飲んでいたからだろう。今夜のキスはほろ苦い大人の味がした。

 生まれて20年目の夜は、愛する人の腕に抱かれて更けていった。




千景が蓮花と結婚した世界線での20歳の誕生日、という回でした。
これがIFになるかは現状未定です。


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第70話 お姫様と実家

ここすきされると地味に喜びます。


 目を覚ます。

 少し視線を下げると、僕の溺愛する少女の可愛い寝顔がある。

 千景を抱き締めているととても寝心地が良く、朝は大抵すんなりと目が覚める。

 

 近くにあったスマホの内カメラを起動し、自分の首を確認する。

 昨晩千景につけられたキスマークに触れる。

 これは、どうしようか。

 

「……一応後で絆創膏を貼ろう」

 

 久美子に見られたら一瞬でばれるだろうけど、それは別にいいか。

 昨晩の千景は一体どうしたのだろうか。

 離れていた時間がそんなに寂しかったのだろうか。帰ってきてから今日で三日目だが。

 

「……んぅ…………」

 

 少しもぞもぞと動くが、僕を離そうとはしない千景。まだしばらく起きなさそうだ。

 

「……大丈夫だよ、千景。傍にいるよ」

 

 布団を掛け直し千景の髪を撫でる。

 カーテンの隙間から朝日が細く射し込んでいるが、千景が目を覚ますまではこのままでいるとしよう。

 千景の体温を感じる。胸の鼓動を感じる。

 安らかに、幸せそうに眠っている。

 僕の一番大切なものが、ここにある。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 目が覚めると、いつもの朝とは違い誰かに包まれていた。

 まだ微睡んでいる意識のまま、少し顔を上げる。

 

「あ、おはよう」

 

「……おはよう…………」

 

 そうだ、昨夜はれんちゃんと一緒に寝たのだ。

 抱き合っているこの状況で普通なら意識が冴え渡りそうなものだが、私はれんちゃんといると安心感の方が勝ってしまう。このまま二度寝したら最高に幸せだろう。

 

「まだ眠い?休みだし二度寝してもいいよ?」

 

「……起きる」

 

 正直二度寝もしたいが、せっかく二人きりで過ごせる時間を二度寝で潰してしまうのももったいない。

 ああ……頭では起きたいのに、体は起きようとしてくれない。二人でこのままベッドに入っていたいと動いてくれない。

 

「……洗面所まで連れて行って……」

 

「はいはい、お姫様の仰せのままに」

 

 お姫様抱っこで洗面所まで運ばれる。到着して下ろされそうになるが、れんちゃんの首に両手を回ししがみついて離れない。

 自分で立って顔を洗わなければと頭では思っているのに、それ以上に私は離したくないらしい。自分はこんなに甘えん坊だったのかと少し驚く。

 

「えっと……どうしたらいいんだ?」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくていいよ。気が済むまでこのままで構わない」

 

「……私に甘過ぎない?」

 

「今更かい?僕は世界一千景に甘い人間だと自負しているよ」

 

 確かに今更だ。この人は昔から、私の要求にはほぼ応えてくれている。よっぽど無茶なことでない限り、大抵叶えてくれる。……めちゃくちゃ甘やかされて育てられたな。

 

「そろそろ目が覚めてきたか?」

 

「うん……顔洗う」

 

 腕を放し、自分の脚で立つ。しっかり自立しなければ。

 私は一方的に依存した関係より、二人で支え合いたいのだ。なんなられんちゃんにも私に甘えてほしい。

 

 ……この人からすれば、私はまだまだ幼い子供なのだろうか。

 

 

 

 何か成長を示したい、ということで。

 

「朝ご飯は私が作るから、れんちゃんは座ってて」

 

「一緒に作ったほうが早くない?」

 

「それは……そう」

 

 

 

 

 結局一緒に作った。

 よく考えたら料理なんて何年も前からやっているのだ。今更一人でやったところで成長を示せない気がする。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 朝食を終え、二人でゲームをして過ごす。なんて平和なんだろう。

 最近バタバタしていたから、こういう落ち着いて過ごせる時間の尊さが身に染みる。

 

「そういえばそろそろ皆起きてるかな」

 

「ちょっとゆうちゃんに聞いてみるわ。……返信早、起きてるって」

 

「そっか。じゃあそろそろ談話室に行く?」

 

「……そうね」

 

 少し名残惜しそうにコントローラーを置いて立ち上がる千景。まだゲームしたりないのだろうか。

 

 千景の手を引いて部屋を出ると、綺麗な青空が広がっていた。今日は快晴だ。

 後でどこか出掛けるのもいいかもしれないと思いながら、談話室の扉を開いた。

 

 

 

「うたのんいつものやったげて」

 

「oh 聞きたいの私の武勇伝」

 

「その凄い武勇伝を言ったげて」

 

「私の伝説ベスト10!」

 

「レッツゴー!」

 

 

「農業ハマって桑振るう」

 

「凄い、自給自足で村救う」

 

「「はい武勇伝、武勇伝、武勇伝デンデデンデン」」

 

 

 

「事実なのが普通に凄くて笑えない」

 

「小学生が成せる伝説じゃない」

 

 

 

「は?」

 

 入り口で立ち尽くす僕と千景。どういう状況だ。

 部屋に入った途端、歌野と水都がなんか見たことあるお笑いコンビのネタをやっていた。

 

「あ、おはよう!」

 

「おはよう、何してるの?」

 

 すぐこちらに気がついた友奈に聞いてみる。

 

「さっきテレビでやってたの!」

 

「それを歌野ちゃんが急に水都ちゃんを巻き込んでやりだしたの」

 

「なるほど」

 

「一つだけ?ベストテンは?」

 

「いきなりやったから思いつかなかったわ」

 

「勢いで生きてる女」

 

 巻き込まれたというわりにはノリノリだった気がするが。歌野の影響を大きく受けているな。少し明るくなったのは良いことだと思う。

 

「皆朝ご飯は食べた?」

 

「久美子さん以外は食べました」

 

「なにゆえ」

 

「さっき起きた」

 

「なるほど」

 

 確かに寝起きみたいな髪をしている。軽く手櫛で解いてあげると頭を擦り寄せてくる。猫かな。

 

「……すぅ……」

 

「あ、ほら起きなさい。軽く朝ご飯作るから顔洗ってきな」

 

「ん……」

 

 久美子を立たせると千景が背中を押して洗面所に連れて行った。押し込まれたように見えなくもないが。

 久美子の朝食を用意する為、ひとまず僕はキッチンに立つ。

 そういえば皆が食べた残りの食材とかは無いのだろうか。

 

「皆は何食べたの?」

 

「ピザトースト!」

 

「久美子さんの分も焼いておこうかと思ったんですけど、いつ起きるかわからなくて冷めちゃうかと思いました」

 

「その具は残ってない?」

 

「皆で分けて食べ切った」

 

「そうか」

 

 はて、では何を作ろうか。食パンと卵はある。フレンチトーストだな。

 後は適当にサラダでも作ろう。

 

 卵と牛乳、砂糖をボウルに入れて混ぜ、そこに半分に切った食パンを浸す。

 しばらく浸している間にサラダを作ろう。

 冷蔵庫から野菜やハム等を取り出して包丁で切っていると、後ろからギュッと抱き締められた。この柔らかさは久美子だ。

 

「腹減った」

 

「もうちょいかかるから大人しく待ってて。サラダに入れたいものある?」

 

「ツナマヨ」

 

「了解」

 

 冷蔵庫からツナ缶を取り出し、蓋を開けて油を切る。

 久美子がくっついていて動きにくいが、大人しくしてくれているのでまあ良しとしよう。

 

「久美子さん、邪魔しちゃ駄目でしょう?」

 

「邪魔ッ……して、ないッ……!」

 

「このッ、なんて力……!!」

 

 無理やり引き剥がそうとする千景と、必死でしがみついてくる久美子。

 調理中に危ないな、僕の体幹が強くてよかった。

 

「ていうか久美子さんブラしてないでしょ!?ノーブラで乳押し付けて誘惑するのやめなさいよ!?」

 

「嫌がってないんだから別にいいだろうが!んっ……こら、揉むな千景!」

 

 僕の背中で激しい攻防が繰り広げられている。よし、サラダは完成だ。そろそろトーストを焼いていこう。

 

「今の声、久美子さんから出たのか?」

 

「久美子さんも女の子なんですねぇ」

 

「ここにタマっちがいたら、千景さんに加勢してここぞとばかりに揉もうとしそうですね」

 

「全く動揺していない蓮花さんは何なの?」

 

「今の所、セリフだけ見たら蓮花さんってお母さんだよね」

 

「ああ、おかんだ」

 

 僕はおかんだったのか。

 

「二人とも、火を使うから大人しくしてなさい。久美子、危ないから今は離して」

 

「……わかった」

 

 久美子は素直に僕を離すと、千景に連行されていった。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、旅行の話はどうなりましたか?」

 

「旅行?」

 

 膝の上のひなたから出た問いに雪花が反応する。

 

「皆の卒業旅行と、親睦を深めるのも兼ねて春休み中に旅行しようって話してたんだ」

 

「へぇー」

 

「でも今は球子が入院してるから、退院してからにしようか。ゴールデンウィークくらいにはできるかな?」

 

 球子だってこの春に卒業、進学なのに置いていくわけにはいかない。

 そして球子はこの前の戦闘でスコーピオンの攻撃から千景を守ってくれたと聞いている。僕は感謝しかない。

 後で見舞いに行くとしよう。何か味が濃いものを持って行ったら喜ぶだろうか。

 

「あ、行きたい場所を考えておいてね」

 

「はーい!」

 

「私徳島ラーメン食べてみたいんだよね」

 

「そういえば徳島出身はここにはいないわね」

 

「確かに」

 

 徳島か。四国で唯一千景を連れて行ったことが無いな。

 しかし僕はあまり徳島には詳しくない。今度少し調べておこう。

 

「ああ出身といえば、蓮花」

 

「ん?」

 

 ちょうどフレンチトースト最後の一口を飲み込んだ久美子。

 何が出身といえばなのだろう。久美子の出身?確か香川だったか?

 

「私は今度、実家に帰ることにした」

 

 

「」

 

 

「れんちゃんが固まっちゃいました」

 

「久美子さん、石化魔法とか使った?」

 

「使ってないが」

 

 

 …………ん?久美子が実家に帰る?確かにそう言ったのか?

 

「……実家に帰る?」

 

「ああ」

 

「……うちから出ていくの?」

 

「いや、少し顔を見せに戻るだけだ」

 

 

 

「なーんだ、びっっくりしたぁ」

 

 さらっと言われて脳が処理落ちしてしまった。

 寧ろ今まで一度も帰っていないのがおかしい。

 

「そうかそうか、そんなに傍にいてほしいのか」

 

「ああ、いてほしい」

 

「っ、そうか……」

 

 久美子には近い将来やってもらいたいことがある。いなくなってしまうと少し困る。

 まあ、それとは別に傍にいてほしい気持ちもあるのは自覚している。

 僕等はもう家族なのだ。できることなら子供達が成長して家を出ていくまで、できるだけ傍にいてあげてほしい。

 

 

「フンスッ!!フンスッ!!」

 

「杏ちゃん、落ち着いて」

 

「伊予島さんどうしたの?」

 

「杏ちゃんはこういうのを見ると興奮しちゃって……」

 

 

 鼻息を荒くしている杏が可愛い。写真を撮ろうかと思ったが手が届く位置にスマホが無い。わざわざひなたを膝から下ろすほどのことでも無いし、諦めよう。

 

「ご両親から連絡とか今までなかったの?」

 

「……実はあった」

 

「えっ」

 

 初耳である。もしかしてたまに久美子のスマホの通知音が鳴っていたのは両親からの連絡だったのか?

 友人等かと思っていたが、よく考えたら今久美子に友人はいるのだろうか。

 

「一応居候していることは伝えてある」

 

「帰ってこいとか言われてないの?」

 

「言われたらそれ以降は無視するようにしている」

 

「おいおい」

 

「久美子さんは、お父さんとお母さんが嫌い?」

 

 千景が久美子に尋ねる。千景は今、実の両親をどう思っているのだろうか。やはり嫌いなのだろうか。それとも、どうでもいい存在なのだろうか。

 千景は、久美子の両親がそういう人なのかもしれないと思ったのだろうか。

 

「別に嫌いじゃない。仲が悪いって訳でもない」

 

「そうなの?ならどうして帰らないの?」

 

「ここの方が居心地がいいからな」

 

 そう言って友奈と茉莉の頭をわしゃわしゃと撫でる久美子。

 撫でられている二人も久美子を拒否することはなく、受け入れているようだ。

 実家よりも居心地がいいと思ってくれるのはとても嬉しいけれど。

 

「ちょっとだけでも顔を見せに帰ってあげればよかったのに」

 

「そうだな……ただ、一度帰ったら『こんな時に人様の家に迷惑をかけるな』とか言って連れ戻される気がする」

 

「ああ、なるほど……天災の後はどこも大変だったもんね」

 

 我が家は被害が無く、大社の支援も受けられる故に比較的すぐに元の生活に戻れたが、多くの家は居候を受け入れられるような状態ではなかっただろう。

 未だに避難所で生活している人もいるくらいだ。

 

「だから、蓮花に頼みがある」

 

「何?」

 

「実家に一緒についてきてほしい」

 

「えっと、どうして?」

 

「家主が大丈夫だと言ってくれたら、私の親も連れ戻そうとはしないだろう」

 

「なるほどね。わかった」

 

 それは確かに直接話した方がいいかもしれない。連れ戻す理由に、迷惑をかけているかもしれないからというのもあるだろうが、未婚の娘を知らない人の家に居候させるのも不安だろう。

 

「で、いつ行くの?」

 

「さあな。気が向いたら」

 

「いつになることやら」

 

 近いうちに行くかのように話していたのに、そういう訳ではないのか。

 もうこちらから連絡してあげた方がいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「壁の外に何をしに行くんだ?」

 

 夜、湯船に浸かりリラックスしていると久美子に唐突に問われる。

 僕からこれから平日の午前中は壁の外に出かけるのだ。

 前に千景を泣かせてしまったため、今回は昼間にちゃんと皆に話しておいた。

 

「探し物さ。見つかるかわからないし、無くてもなんとかなるけど」

 

「前に天の神を倒すと言っていたが、それに必要なものか?」

 

「必須ではないけど、あれば使おうかなと」

 

「ふぅん」

 

 僕にもたれていた身を起こして向かい合う久美子。

 その顔はなんというか、少し膨れっ面をしていた。珍しいな、可愛い。

 

「どうしたの?」

 

「これ……」

 

 久美子がこちらに右手を伸ばし、僕の首に触れる。正確には、昨日千景にキスマークをつけられた位置だ。

 

「昨日の夜、千景とやることやったのか?」

 

「やることって何だ。これは……なんか風呂に入ってる時につけられた。甘えたいだけって言ってたけど」

 

「そうか……」

 

「……もしかして嫉妬してる?」

 

「……そうだな。私は嫉妬している」

 

 僕の首に両腕を回し身を寄せてくる久美子。

 耳元に吐息を感じて少しくすぐったい。

 

「久美子は普段からよくつけてくるくせに」

 

「うるさい。……なあ、蓮花」

 

「ん?」

 

「私とお前は……どういう関係なんだ?」

 

 なんだ唐突に。どういう関係か。なぜ改めてそんなことを聞くのか。

 

「家族じゃないの?」

 

「家族、か……」

 

 久美子は少し身を離すと、僕の頬に両手を添えて唇を重ねた。

 

「お前の言う家族は、こんなことをするのか?」

 

「……」

 

「……すまん、忘れてくれ。昨夜お前がいなくて少し寂しかったんだ」

 

「昨日の夜は遅くまでUNOで盛り上がってたって聞いたけど」

 

「チッ」

 

 目を逸らす久美子から小さく舌打ちが聞こえた。

 夜更かししないよう言っておいたはずだが。まぁ、たまにはいいかと大目に見よう。お泊まり会を楽しんだのならなによりだ。

 

「……ねぇ、久美子」

 

「ん?」

 

「お前は、今の関係では不満か?」

 

 静かな空間で二人きり、一度真面目な話をするとなかなか雰囲気は変えられない。

 ならついでにそのまま、不満があれば聞いておこうと思った。それが改善できることなら、したほうがいいだろう。

 

「……不満というほどじゃない。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……蓮花は実は私の事が嫌いだったりしないか?」

 

「大好きだが?」

 

 何を言っているんだこの子は。

 

「もしくは、私を女として見れないか?」

 

「めちゃくちゃ見てるけど。なんでそんなふうに思ったの?」

 

「全く私を抱いてくれないから、もしかしたらと」

 

「……なんかごめん」

 

「こうも抱いてもらえないと女としての自信を無くすんだが」

 

「久美子はとても魅力的な女性だよ」

 

 僕はどうしたらいいんだ。今の僕には言葉で取り繕うことしかできない。

 

「久美子って色恋沙汰でこんなに感情が揺れる人だったっけ……」

 

「お前のせいで脆くなったな」

 

「そうなのか……」

 

 昔の久美子が見たら「誰だお前」とか言いそう。

 

「久美子はちょっと僕のことが好き過ぎない?」

 

「……改めて言われると恥ずかしいな」

 

「可愛い」

 

「やめろ」

 

 再び密着し、久美子は僕の首元に顔を隠すように埋める。

 両手でゆっくりと抱き締める。やはり肌を合わせる触れ合いはとても安心する。

 何か脳からホルモンでも出ているのだろうか。僕はそういうことにはあまり詳しくない。

 

「……」

 

「……」

 

 久美子が黙り込んだので僕も黙る。

 何か言った方がいいのだろうか。いや、リラックスしているのならそっとしておくべきか。

 そう思ったが、少し経つと耳元で久美子が口を開いた。

 

「……なあ蓮花」

 

「なに?」

 

「ムラムラしないか?」

 

「……そろそろ出ようか」

 

「お前体は正直なくせに理性が強すぎるだろ」

 

 久美子を抱きかかえたまま湯船から立ち上がり、浴室を出る。

 熱気から解放されて心地よいが、湯冷めしないよう早めにバスタオルで体を拭いていく。

 

「ついでに私も拭いてくれ」

 

「もう介護じゃないか。髪拭いて乾かしてあげるから、自分で体拭いてなさい」

 

 甘えてくれるのは構わない。しかし甘やかすのと介護するのは少し違う気がする。その辺はしっかりしなければ、久美子を駄目人間にしてしまうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 消灯した寝室、布団に横になった僕は寝る前に少しスマホをいじる。千景達とメッセージでやりとりしているのだ。

 

「あいつらまだ起きているのか」

 

「もうすぐ寝るってさ」

 

 やりとりを終えてスマホを充電器に繋ぎ、掛け布団を掛け直す。

 耳をすませば久美子の向こう側の茉莉の寝息が聞こえる。

 

「久美子も明日仕事でしょ?もう寝よう」

 

「蓮花が発散してくれなかった昂りが冷めてなくて眠れない」

 

「ムラムラして寝れないってか。はぁ……」

 

 一緒に風呂に入るのはやめた方がいいのだろうか。今更やめてくれるだろうか。

 

「とりあえず腕枕してあげようか?抱き締めてあげてたら落ち着いて眠れる?」

 

「落ち着くかはわからないが眠れそう」

 

「ん、おいで」

 

 掛け布団の端を持ち上げると、久美子が身を滑り込ませてくる。もう慣れたものだ。

 

「……襲っていいか?」

 

「駄目、寝なさい」

 

 久美子が眠れるまで、頭を撫でていてあげよう。今までに何度こうやって千景を寝かせたか。

 

「どうしてそう頑なに抱いてくれないのか」

 

「……ごめんな。言えない理由があるんだ」

 

「……そうか」

 

 少し沈んだような久美子の声音に胸が痛む。

 

「でも……」

 

「ん?」

 

「好きだよ、久美子」

 

 千景に似た、久美子の紅い瞳が揺れる。

 お前を嫌いなわけじゃない、否定したいわけじゃないんだと、ちゃんと伝えておきたい。

 この命に代えても守りたい、僕の大切な家族の一人なのだから。

 

「……これだけ愛されていながらそれを疑う、というのが馬鹿らしいことくらい、本当はわかっていた」

 

「不安にさせたのは僕だ。すまない」

 

 頭を撫でていた右手を久美子の頬に添えて唇を重ねる。

 離さないと言わんばかりに、僕の右頬に久美子の左手が添えられる。

 深く長い口づけの後、唇を離すと唾液が糸を引いて橋を架ける。

 

 

「……レン」

 

「ん?」

 

「夜更かししないか?」

 

「明日の仕事に響かない?」

 

「少しだけだから」

 

 体を横向きから仰向けに動かすと、久美子はゆっくりと身を起こし僕に跨り、覆い被さるように両手を僕の頭の横についた。

 大切な人に求められるのは、正直な所とても嬉しいけれど。

 

「……襲わない?」

 

「……襲わない」

 

「なら、まぁ……少しだけだよ?」

 

「ああ、ありがとう」

 

 暗闇の中で微笑んだ久美子は、妖艶な美しさに満ちていた。




藤森繋がり。


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短編 移りゆく 晩夏に想う 桜かな

お茶濁しの短編投稿。
だいぶ前にTwitterにあげたやつです。
短いです。
本編とは何の関係もない原作時空です。


 蒸し暑い夏日、煌々と差す日光の下、私は冷えた缶ビールを片手に英霊之碑を訪れていた。

 今年も既に何人もここを訪れたようで、いくつかの石碑の前に供え物が置かれている。

 

「……ここに来るのも今年で何度目かな」

 

 数ある石碑の内の一つを見つけると、そこには既に供え物がいくつか置かれていた。この土地にその少女の親族はいないはずなのに。

 故に、これを持ってきた人物にはすぐに思い当たった。

 

「一応場所を教えておいたが、既に来ていたか」

 

 私は石碑の前に腰を下ろすと、缶ビールのタブを開けてグビッと口をつけた。

 

「……少し来るのが遅くなった。既に盆は過ぎているが、まぁいいだろう」

 

 熱気にじわじわと汗をかきながら、淡々と話し続ける。何か言葉が返ってくるわけではないが。

 

「こっちは最近ようやく落ち着いてきたよ。上里は強引に物事を進める事もあるが、大人達が仕切っていた頃よりはマシな組織になったはずだ」

 

 大社を大赦と改め、神世紀へと移り変わり、上里を始めとする巫女達が大赦のトップに立った。

 時代の変化や組織内のゴタゴタ等で長らく忙しくも楽しい時間を過ごし、最近になりようやく少し落ち着いた、ように思う。

 

「そういえば、毎年あいつが送ってきていた手作りの絵本が、今年から出版社から出たものになった。どうやら夢を叶えて絵本作家になったようだ」

 

 鞄の中から取り出したそれは、著者名はペンネームだが確かにあいつから届いたものだ。その絵もよく見知った画風だ。

 自室の本棚に並ぶ絵本は既にそれなりの数になっている。その冊数の分だけ出会ってから年数が経っているのかと思うと、私も老けたなと実感する。まだ三十代ではあるが。

 

「……お前も、生きていれば今頃は酒を飲める歳か。私はなんだかんだ丈夫だから、そっちに行くのはまだまだ先になりそうだ」

 

 缶を傾け、最後の一滴まで残さずに飲む。真夏の冷えたビールはあっという間に飲み切ってしまった。

 もう一本持ってくるべきだったかと思いながら遠くの空を見ていると、段々と曇り始めていることに気がついた。これはひと雨くるか。

 

「……そろそろ帰るか」

 

 立ち上がってズボンを払う。

 

「おっと、供え物を持ってくるのを忘れたな。何かないか……これでいいか」

 

 鞄に仕舞おうとしていた絵本を石碑の前に置く。

 一人の少女が叶えた夢の形を、この少女はどんな風に受け取るのだろうか。

 きっと、自分の事のように笑顔で喜ぶのだろう。

 

「じゃあ、また来年来る」

 

 後ろに振り返り、歩き出す。

 帰ったら上里達を飲みに誘ってみるか。きっと安芸辺りは喜んで奢られに来るだろう。



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幕間 甘えられる人

「……夢か」

 

 目を開くと、視界の大半を蓮花の首元が占めている。

 私の寝相が良いのか、蓮花の力が強くて抜け出せなかったのか、昨夜抱き合って眠った時の体勢のままだ。

 

「なんて淫夢だ……朝からムラムラする」

 

 とんでもない淫夢を見た。

 私は欲求不満なのだろうか。まあそうだろうな。

 少し顔を上げると、幸せそうに眠る蓮花の寝顔がある。

 

「……気持ち良さそうな寝顔しやがって。こっちの気も知らないで……」

 

 少し体を動かして蓮花を仰向けにする。

 そして邪魔な髪を耳に掛けながら、起こさないようにそっと口づけをした。

 私の髪が少し蓮花の顔に掛かってしまっている。くすぐったくはないだろうか。

 

 

「蓮花……」

 

 

 静かな朝だ。私の呼吸と早くなる心音、そして蓮花の寝息くらいしか感じない。

 

 

 ……ん?蓮花の寝息だけ?茉莉の寝息はどうした。

 

 

 顔の向きを変えて視界をずらすと、布団に横になったまま目を手で覆いながらも指の隙間からこちらを見ている茉莉がいた。

 

 

「……起きていたのか」

 

「もう少し寝たふりしておけばよかった……」

 

 茉莉がゆっくりと身を起こす。まだ目が覚めたばかりだろうか。

 

「起きたら目の前で久美子さんが蓮花さんを襲おうとしててびっくりしたよ」

 

「襲ってない。キスしただけだ」

 

「ふーん。……久美子さんってそんなに優しいキスできるんだね」

 

 十も歳下のガキに感心されているのか?

 

「久美子さんは蓮花さんが大好きだね」

 

「ああ。好きだ」

 

「即答されちゃった」

 

 茉莉の前で今更隠すこともないだろう。

 私は、隣で眠るこの人が堪らなく愛しい。

 

「……そういえば、なあ茉莉」

 

「何?」

 

「お前、性欲の解消はどうしてる?もう高校生なんだからムラムラすることもあるだろう?」

 

「…………そういうことは聞かないでほしいなぁ」

 

 低俗なものを見るような目をこちらに向ける茉莉。

 

「女同士なんだから別にいいだろ」

 

「嫌だよ」

 

「風呂でか?」

 

「追求しないでよ!」

 

 茉莉を揶揄うのは楽しい。しかしやり過ぎて今以上に嫌われると困るので程々にしておこう。

 茉莉の大声に反応したのか蓮花がもぞもぞと少し動く。

 

「……ん…………」

 

「起こしてしまったか」

 

「あっ、ごめんなさい」

 

 薄く目を開いた蓮花と視線が合う。

 髪をそっと撫でてやると気持ち良さそうで、そのまま二度寝してしまいそうだ。今日は休日だから構わないが。

 

「おはよう、蓮花。まだ寝るのか?」

 

「おはよ……僕が最後なんて珍しいな……」

 

「ああ。珍しくお前の寝顔を見ることができた」

 

 寝惚け眼でふわふわと喋る蓮花に対して何か邪な感情が湧き上がるのを感じる。

 ムラムラしているのもあり襲いたくて堪らない。

 

「蓮花さん……久美子さんに襲われる前に起きた方がいいと思うよ」

 

「……」

 

「ん……起きる。茉莉の前でR18な行為はさせない」

 

「二人きりならいいのか?」

 

「……ダメ」

 

 ダメか。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 顔を洗ってリビングに戻ると、なぜか久美子が髪を纏めてキッチンに立っていた。

 

「どうしたの?朝ご飯作ってくれるの?」

 

「いつもは甘えてばかりだから、たまにはな」

 

「気にしなくていいのに」

 

 冷蔵庫を開けて何を作るか思考を巡らせる久美子の様子は、周りから見れば人妻が過ぎる。

 沸き立つ衝動に駆られて、久美子の腕の下から僕の腕を通して後ろから抱き締める。

 鍛えているとはいえ、やはり女性の体だ。

 

「おお、どうした?」

 

「考え事をしてる時の久美子の横顔が良過ぎて。何作ってくれるの?」

 

「そうだな……お好み焼きでいいか?」

 

「朝から結構ガッツリなんだね。いいけど」

 

 久美子が食べたいだけの可能性もあるか。最近してなかったし。

 久美子は必要なものを取り出して冷蔵庫を閉めると、手を僕の手の甲に重ねた。

 

「なんか……後ろから抱き締められるのいいな。包み込まれている感じがする」

 

「そうか」

 

「この様子を杏ちゃんが見たら、鼻息を荒らげて機関車みたいになりそう」

 

「ちょっと見てみたい」

 

 見てみたいけれど、うら若き乙女に鼻息を荒らげさせるのもどうなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そうだ。朝の事で思ったんだが」

 

「朝?」

 

「茉莉に部屋を与えた方がいいんじゃないかと」

 

 お好み焼きを箸で切り分けて口に入れながら久美子の話を聞く。久美子のお好み焼き美味しい。

 しかし部屋とな。そういえば子供部屋とか考えたことがなかった。

 家中が自分の部屋、みたいな感じで今までやってきたと思う。

 

「理由を聞いても?」

 

「学校に通って彼氏ができても、自室が無いと家に連れ込んであれやこれやできないだろう」

 

「ンブフッ」

 

 咀嚼し飲み込もうとしたお好み焼きが逆流しかけた。

 茉莉が、彼氏を、連れ込んで、あれやこれや……?

 

「茉莉に、彼氏……?」

 

「女子高生なら恋愛くらいするだろ」

 

「高校時代何も無かった久美子が言っても説得力無いけど」

 

「今してるからいいんだよ」

 

「ていうか一応聞くけどあれやこれやって何?」

 

「そりゃ【ピ──】とか【ズキューン】とか」

 

「茉莉の前で聞くんじゃなかった……」

 

 茉莉を見ると少し気まずそうにお茶を飲んでいた。

 

「茉莉に限らず、年頃の女の子にプライベートな空間は必要じゃないか?」

 

「それは、そうかも。でも一人一部屋は無理だよ?足りないし」

 

「ボクとゆうちゃんと千景ちゃんで共用の一部屋でも十分だよ」

 

「わかった。後で千景達も交えて相談しよう」

 

 今日もいつも通り丸亀城に行くつもりだったし、ちょうどいいだろう。

 朝食を終え、食器を洗う為に立ち上がる。

 しかしふと、これは言っておかなければと思ったことを茉莉に向けて口にする。

 

「茉莉。もし、もしも…………彼氏ができたら、一度家に連れて来なさい……」

 

「何処ぞの馬の骨とも知れん奴にうちの茉莉はやらん!!ってやるのか?」

 

「うん」

 

「それは、嫌かな……」

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「という訳なんだけど」

 

「なるほど、部屋……」

 

 そういえば自室とか無かったな、とれんちゃん達のコーヒーを入れながら思う。別に今まで困らなかったが。

 

「空けるなら寝室かリビング横の和室なんだけど、どっちがいいかな」

 

「和室の方が広くていいんじゃないか?」

 

「そうね。コーヒーどうぞ」

 

「ありがとう」

 

「その部屋で三人で寝るわけだし、棚とかも置くし、広い方がいいね」

 

 私とゆうちゃんと茉莉さんの三人で寝る。毎日お泊まり会のようで楽しそうだ。

 しかし、膝の上にゆうちゃんを乗せてコーヒーを飲む久美子さんを見てふと思った。

 

「……それは久美子さんとれんちゃんが二人で寝るようになるということ?」

 

「結果的にはそうなるな」

 

「謀ったわね!?」

 

「いやいや、お前達にプライベートな空間を与える為だ。仕方ない」

 

 この女ッッ!!

 コーヒーに砂糖と間違えて塩を入れてやればよかったと少し後悔する。

 私が家にいたら毎晩一緒に寝て二人きりを阻止してやれるのに……かくなる上は茉莉さんに頼むしか……!!

 

「茉莉さん、お願いがあるの……」

 

「ボクにお願い?」

 

「れんちゃんと寝てください……」

 

「え?あ、うん。時々は一人で寝たいけど」

 

「……僕が丸亀城に住み着けば解決するのでは?」

 

「それだわ」

 

「ダメに決まってるだろ。家主が出ていってどうする」

 

「ダメか。まあそれはともかく、帰ったら和室を片付けて空けるね。物は少ないからすぐ空くよ」

 

 この話はこれで一段落、といった様子でコーヒーを飲むれんちゃん。

 残っていたコーヒーを飲み干すと、テーブルにコップを置いて立ち上がった。

 

「そういえば来た時、寮の前で歌野が若葉に鍬の振り方を教えていたけど、まだやってるか見てくるね」

 

「そんなことしていたの?行ってらっしゃい」

 

 まだ畑は用意されていないのに、気が早い子達だ。

 部屋を出ていくれんちゃんの後ろ姿を見送った。

 

 

 

「もうすぐ春休みは終わるが、テストは大丈夫そうか?友奈」

 

「えっ、私!?」

 

「お前しかいないだろ。千景は成績優秀だし、茉莉は……入学してすぐテストあるのか?」

 

「あるよ」

 

「そうか、頑張れよ。まあ大丈夫だろう、心配はしていない」

 

 そうだ、最近忘れかけていたがこの人は私達の担任教師だった。

 

「……ねえ久美子さんっ」

 

「ん?」

 

「何かイベントしたいな!」

 

 無理やり話題を方向転換しようとするゆうちゃん。

 強引すぎて茉莉さんも苦笑いだ。

 

「時間は確保してやってもいいからお前達で案を出してくれ。そして友奈は勉強を頑張れ」

 

「はぁい……」

 

 ゆうちゃんは勉強が好きや得意では無くとも、努力はできる子だ。きっと大丈夫だろう。

 

「…………あ」

 

「ちーちゃんどうしたの?」

 

「さっきの話だけど、名案を思いついたわ」

 

「イベントか?」

 

「違う、寝る部屋の話よ。久美子さんが丸亀城で寝泊まりすればいいんじゃない?」

 

 久美子さんはどちらかといえば丸亀城を管理している側だろうし、泊まり込んでもいいんじゃないか。通勤時間も0にできるし。

 

「嫌だ」

 

「朝ギリギリまで寝ていられるし食堂があるから料理しなくて済むのよ?」

 

「嫌だ」

 

 断固として否定される。

 

「……そんなにれんちゃんと一緒がいいの?」

 

「ああ。傍にいたい」

 

「わぁ」

 

「……」

 

 どうしてそんなに真っ直ぐと想いを言えるのだろう。

 私なんて、ずっと伝えられないままなのに。

 

「私は、久美子さんが羨ましい」

 

「……私は千景が羨ましいんだかな」

 

「どうしてよ」

 

「あいつの心の真ん中にはいつも千景がいる。そんな気がする」

 

「え……?」

 

「私と二人でいる時でさえ、時々お前の話を出すんだぞ。二人きりの時くらい私だけを見ろと言いたい」

 

 やれやれと言いたげな様子でベッドの縁にもたれる久美子さん。

 こんな様子の久美子さんを見ることなんて珍しく、なんと返せばいいのか考えを巡らせる。

 すると、外からドタドタと足音が聞こえ、部屋のドアが少し強めにノックされた音がした。

 

「えっ、何事!?」

 

 急いでドアを開けに向かうと、そこには息を荒げた杏が立っていた。

 

「恋の波動を感じました!!震源地はここですか!?」

 

 

「え、怖」

 

 何か杏にしかわからないものを感じ取ったのだろうか。

 これを部屋に入れていいものかと少し迷っていると、後ろから久美子さんが出てきた。

 

「どこか行くの?」

 

「見に行ったっきり帰ってこない蓮花のところに」

 

「……私も見に行こうかしら」

 

「じゃあ私もついていきますっ!!」

 

 杏が仲間に加わった。

 

 

 

「ナイスなフォームだわ蓮花さん!」

 

「ちょっと鍬を振っていた時期があってね」

 

 寮の前に出てみると、れんちゃんも一緒になって鍬を振っていた。

 

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「じゃあそろそろ帰るね。途中で球子の様子を見に病院に寄ろう」

 

「そう」

 

「新しい学年の教材を渡しに行かなければな」

 

 午後四時前になり、帰り支度をする。

 もう少しいたいところではあるが、明日も来るしまあいいか。

 病院とスーパーに寄って帰らなければ。

 

「あ、そうだ。帰る前に千景を吸いたい」

 

「いいけど吸うって何?」

 

「言葉通りだよ」

 

 千景を後ろから抱き締め、その艶やかな長い黒髪に顔を埋めて深呼吸する。

 千景の匂いに満たされてとても心が安らいでいく。

 

「…………幸せ……」

 

「そ、そう。少し恥ずかしいけれど、幸せなら良かったわ」

 

「千景ちゃんは猫か何かなの?」

 

 癒しを与えてくれるという点では共通している。

 

「ありがとう。皆また明日ね」

 

「ばいばーい」

 

「さようならぁ」

 

 三人に手を振って寮を出る。

 春になったことで最近は日が落ちるのも遅くなってきた。

 もう少しすると夕焼けが眩しくなってくるだろう。

 

「そういえばなんで杏がいたんだろう」

 

「なんか……急に来た」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。夕食で使った食器を洗い終えて乾燥機に入れる。

 既に入浴は済ませたので後は寝るだけだ。

 リビングでは久美子がソファでくつろぎながらボーッとテレビを眺めている。

 そして茉莉は既に自室に篭っている。今日は一人で寝たいらしい。

 

「茉莉、もう寝たのかな。部屋に籠るの早かったね」

 

「部屋を貰えて嬉しいんだろ」

 

「久美子に干渉されない空間が欲しかったのかな」

 

「傷つくぞ」

 

「ごめん」

 

 千景は自室があったら遅くまで夜更かししてゲームしてるんだろうな。視力が少し心配である。ブルーライトカットの眼鏡とかあった方がいいだろうか。

 ……千景に眼鏡、可愛いだろうな。

 

「久美子は視力いいの?」

 

「まあ普通だな。眼鏡やコンタクトが必要な程じゃない」

 

「そっか」

 

「どうして急にそんなことを?」

 

「千景に眼鏡似合いそうだなと思って」

 

「……」

 

「久美子はまだ寝ないの?」

 

「まだ早くないか?」

 

「寝る子は育つよ」

 

「そんな歳じゃない」

 

「でも起きててもすること無くない?」

 

「ふむ……」

 

 久美子は少し考えた後、座り直して自分の太腿をポンポンと軽く叩いた。

 

「ん」

 

「ん?」

 

「耳かきしてやるから頭乗せろ」

 

「ああ、そういうことか」

 

 言われるがまま、ソファの上に寝転んで久美子の太腿に頭を乗せる。

 

「少し前にひなにしてもらったから、そんなに汚れてないと思うけど」

 

「なぜひなたに」

 

「あの子がやりたがったから」

 

 ひなたはよく耳かきをしたがる。趣味なのだろうか。

 ゆっくりと左耳に耳かき棒が入ってくる。そして優しくかいてくれる。

 耳掃除をするというよりは、ただ癒そうとしている感じだ。

 

「……上手くなったね」

 

「ならよかった」

 

「途中で寝たらごめん」

 

 心地よい耳の刺激に少しずつ眠気が増していく。何か話していないと寝落ちてしまいそうだ。

 

「……最近の久美子は大人しいね。そのうち爆発して何かやらかさないか心配」

 

「最近は新しく面白い奴らが増えてあまり退屈していないぞ」

 

「そっか」

 

 個性豊かなメンバーだから退屈しないのは同意する。

 

「そういえば壁の外は今、どんな風になっていたんだ?」

 

「壁の外?えっとね……」

 

 結構な地獄絵図なのであまり思い出したくないが、聞かれたからには答えよう。

 

「建造物が色々崩れてるのは前から変わってない」

 

「うん」

 

「そこら中に腐敗した人体の一部が転がってて、臭いがやばい」

 

「ほう」

 

「地下とかに入ってみると、人間同士で食料とかを奪い合って争った痕跡があったりした」

 

「……なるほど」

 

「この話はこれでおしまい」

 

「そうか」

 

 嫌なものを思い出してしまった。別の話題に頭の中を切り替えたい。

 何を話そうかと考えていると、優しく耳に吹きかけられた吐息にビクッと体が少し反応してしまう。

 

「ねぇ、久美子」

 

「ん?」

 

「僕は千景に甘過ぎると思う?」

 

「思う。我儘なクソガキにならなかったのが不思議なくらいだ」

 

「たくさん愛して育てたからね。それに、千景は元々良い子だった」

 

「……」

 

 今まで千景を叱ったことがあっただろうか。いや、なかった気がする。

 僕に迷惑をかけないようにしてくれていたのだろうか。

 それと比べると久美子に対しては強気だ。言いたい事は遠慮なく言う。

 

「千景は久美子と一緒にいるとたくましくなるね。良い事だ」

 

「良い事か?」

 

「うん。これからも傍にいてあげてほしい」

 

「千景はそれを望まないんじゃないか」

 

「……なんだかんだ楽しくやっていけるんじゃない?」

 

 自分の意見をはっきり言えるしっかりした子になりそうだ。

 

「そろそろ反対やるか。向きを変えろ」

 

「ん」

 

 ごろんと寝返り久美子の方を向く。そして右耳に耳かき棒を受け入れる。

 

「私のことも、もっと甘やかしてくれていいんだぞ?」

 

「だいぶ甘やかしてると思うけど」

 

 これ以上どうしろと言うのか。

 

「烏丸さんちの久美子ちゃんはどうしてほしいのかな」

 

「もう郡さんちの久美子ちゃんでいいだろ」

 

「まだ早い」

 

「……まだ?」

 

「言葉選びを間違えた。気にしないで」

 

『まだこの家に来て一年半しか経っていない』という意味で言ったつもりだが、これでは違う意味にも捉えられてしまう。

 睡魔で頭が回らなくなってきている。

 

「我慢せず寝ていいぞ」

 

「ここで寝たら久美子が困るでしょ?」

 

「頑張って布団まで運ん……無理かもしれない。先に布団に移動してから続きをするか」

 

「そうだね」

 

 一度身を起こして寝室に向かう。

 布団の上に正座した久美子の太腿に再び頭を乗せる。

 千景やひなたに膝枕をしてもらうのは重くないか心配になるが、大人の女性の膝枕はとても安心する。

 

「……もう耳かきされなくても寝落ちしそう」

 

「そうか」

 

 そっと頭を撫でられる。その優しい手つきにとても安らぎ、だんだん瞼が重くなっていく。

 誰かに甘えてもらうことは多いが、甘えることはほとんど無い。甘えられる相手が歳の近い久美子くらいしかいないから。

 千景には甘えてほしいけれど、千景に甘えることはできない。千景の前では立派な父親のような存在でありたい。

 誰かに甘えることの心地良さに、僕の意識はあっという間に落ちていく。

 

「おやすみ、蓮花」

 

 

 

「おやすみ……久美子……」

 

 

 

 微睡み薄れていく意識を手放す直前、唇に柔らかい感触を感じた。

 よく知っているけれど、それが何かを判断する意識はもう残っていなかった。



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第71話 茉莉の入学

図らずしもいいタイミングになりました。


 目を覚ます。

 時計を確認すると午前9時過ぎ、春休みも終わりいつもなら既に授業が始まっている時間だが、今日は遅刻ではない。

 なぜなら、今日は茉莉さんの高校の入学式があるからだ。れんちゃんと久美子さんはそちらに行っている。そのため、今日の午前の授業は開始を遅らせることになっている。

 

 身支度を済ませて食堂に向かうと、雪花と杏が談笑しながら朝食を食べていた。

 

「おはよう、二人とも」

 

「あ、おはよう千景」

 

「おはようございます」

 

 注文したうどんを受け取って席に着く。

 もうここ数年は、一年の食事の内半分くらいはうどんを食べている気がする。

 杏も雪花も香川県民ではないが、ここに来てからはうどんを食べているところをよく目にする。香川のうどんはやはり美味しいのだ。

 

「他の皆は?」

 

「わかひなとうたみとはもう朝ご飯食べて部屋に戻ってるみたい」

 

「友奈さんと棗さんはまだ見ていませんね」

 

「朝弱そうだものね」

 

 まだ時間に余裕はあるし、食べ終わっても起きてこなかったら起こしに行こう。

 

「今頃は入学式の真っ最中かなぁ」

 

「久美子さんまで行く必要はあったんでしょうか?」

 

「一応保護者はれんちゃんだけど、久美子さんも茉莉さんの成長を楽しみにしているから、こういう行事には行きたいんでしょうね」

 

「確かに茉莉さん大好きだもんね」

 

 窓の外を見れば今日の天気は晴天だ。門出を祝うにはもってこいの空だろう。

 

 

 

 

 ─────────

 

 

 

 

「新入生、入場」

 

 司会を務める先生の言葉と共に、体育館の入口から新入生達が並んで入場する。

 拍手をしながら見送っていると、少しぎこちなくも胸を張って歩く茉莉を見つけた。緊張しているようだ。

 

「……ズビッ……」

 

「入学式って泣くところあるか?」

 

「頑張ってる茉莉を傍で見てきたから、ちゃんと高校生になれて良かったなって……」

 

 ハンカチは沢山持ってきている。どれだけ泣いても問題ない。

 

「久美子が泣くところは見たことないね」

 

「蓮花が涙脆いだけだ」

 

 否定できない。

 二年後には千景と棗が高校入学か。めちゃくちゃ泣くだろうな。その前に中学の卒業式か。顔の水分無くなりそう。

 

「ちなみにここは私の母校だ」

 

「え、そうなのか」

 

 ということは、久美子もこのブレザーを着ていたのだろうか。……とても良い。

 

「久美子の卒アル見たいな」

 

「実家にあるだろうから、行った時に見せてやろう。面白いものでもないがな。青春らしい事はしなかったし」

 

「茉莉にはこれからたくさん青春してほしいな」

 

 在校生の校歌斉唱を聞きながら、茉莉の高校生活がとても楽しく、思い出に残るものになってほしいと願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式も終わり、正門付近で茉莉を待つ。今日はすぐに学校が終わるだろうから一緒に帰るのだ。

 

「ん、あれじゃないか?」

 

「本当だ。茉莉ー、こっちこっちー」

 

 遠くに見えた茉莉はキョロキョロと周囲を見回していた。

 呼んで手を振っていると、すぐにこちらに気がついて駆け寄ってくる。

 

「お、お待たせ」

 

「じゃあ帰……る前に、門のところで写真を撮ろうか」

 

「うん」

 

 正門を出ると、『入学式』と書いた立て看板がある。今もその前で写真を撮っている人達がいる。まあここで写真を撮る人は多いだろう。

 

 立て看板の前が空き、茉莉がそこに立つ。

 

「久美子も横に並んだら?」

 

「茉莉がいいなら」

 

「ボクは構わないけど」

 

 茉莉に拒否されなかったことが少し嬉しかったのか、微笑んだ久美子が茉莉の隣に並ぶ。

 

「じゃあ撮るね」

 

 僕がスマホの構えようとすると、先生らしきおじいさんが声を掛けてきた。

 

「よかったらご家族皆でどうですか?私が撮りますよ」

 

「あ、じゃあお願いします」

 

 先生にスマホを渡し、茉莉を真ん中にして並び立つ。

 

「撮りますよー、はいチーズ!……よし、撮れました!」

 

「ありがとうございます」

 

 スマホを返してもらい、写真を確認する。

 背景の立て看板や桜の前で笑っている僕達三人の写真は、誰が見ても良い家族写真だ。

 

「……ん?ふと思ったが、もしや君は烏丸さんか?」

 

「ようやく気が付きましたか、小川先生」

 

「やはりそうか!」

 

「あ、知ってる先生?」

 

「こちら小川先生。私の三年の時の担任だ。教科は社会」

 

 僕達に先生を紹介してくれる久美子。紹介されている本人は頭を傾げているが。

 

「ん?まだ二十代のはずだが……高校生の娘さん?……んん?」

 

「娘ではないです。ただの家族です」

 

「そ、そうだったか。いやはや、実は隠し子がいたのかと思って驚いたよ。何やら事情がありそうなご家族だね」

 

「まあ。先生はもしかして今年の一年の担任ですか?」

 

「担任ではないが、一年生の学年主任だよ。何か困ったことがあれば何でも相談しておくれ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「出世したのか」

 

 穏やかな良い先生のようだ。茉莉の学年を受け持つようだし、きっと茉莉も色々お世話になるのだろう。

 

「君も元気にやっているようで良かった。久々に会えたから色々話したいところだが、この後も仕事があるから職員室に戻らねばならん」

 

「この子の行事とか見に来るつもりだから、そのうちまた来ます」

 

「そうかそうか。いつでもいらっしゃい」

 

 

 

 

 小川先生に手を振って学校を後にする。

 学校の近くに久美子の車を停めているから、そこに向かって歩き出す。

 今日は車だが、茉莉はこれから自転車通学だ。春休みの間に買いに行ったのだ。

 

「小川先生、良い先生みたいだね」

 

「ああ。こんな問題児のことも最後まで面倒を見てくれた」

 

「自覚はあるんだ……」

 

「正直安心した。茉莉も何かあればあの先生を頼るといい。しょうもない話にも付き合ってくれる面倒見のいい先生だ」

 

「わかった」

 

 久美子の面倒見のよさは元々の気質なのか、それとも小川先生の影響を受けてこうなったのだろうか。

 良き恩師と出会えることは、とても幸せなことなのだろう。

 

「そういえば茉莉、知らない人と話すのが久々で人見知りを発動したりしなかったか?」

 

「……ちょっとだけ」

 

「多分大丈夫だよ。ご時世的に遠くから来て友達がいないって人も多いだろうし」

 

「頑張って友達作ります」

 

 学校は沢山の人と出会える場所だ。

 茉莉には、沢山の良き出会いを経験してほしいと思った。

 学生時代の思い出は、一生の宝物になることもあるから。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 既に全員教室に揃っておりそろそろ烏丸先生が来るはずだが、まだ来ていない。

 暇なのでソシャゲの日課を済ませておこうと思いスマホをポケットから取り出すと、ちょうど通知がきた。れんちゃんからだ。

 何かと思い通知をタップして開くと、茉莉さん達と一緒に三人で写った写真が送られてきた。

 

「どうしたの?」

 

「れんちゃんから写真が送られてきたの」

 

 寄ってきたゆうちゃんに画面を見せると、他の子達も覗きに寄ってきた。

 入学式と書かれた看板の前に立つ三人の写真だ。

 

「あら、ブレザー可愛いですね」

 

「なにげにスーツを着ている蓮花さんもレアだな」

 

「なんか目の下赤く腫れてない?」

 

「また泣いたのね」

 

 各々が感想を話していると、教室の戸が開かれて烏丸先生が現れた。写真に写っているスーツ姿ではなく、いつもの白衣だ。

 

「遅くなった。授業を始める」

 

「もう着替えたんですか?」

 

「さては写真が送られてきたな?一旦家に帰って着替えてきた」

 

「よく考えたらこの写真誰が撮ったの?」

 

「高校の先生が撮ってくれた」

 

「ブレザー可愛いですよね」

 

「そうだな」

 

「蓮花さんのスーツ姿はどうでしたか!?」

 

「新鮮で良かった」

 

「泣きました?」

 

「泣いてないし質問が多い!!授業を始めると言っただろうが!!」

 

「律儀に全部答えてくれたわね」

 

 怒涛の質問攻めで少し疲れた様子の烏丸先生。

 どうせ家に帰ればれんちゃんがいるのだ、少し振り回すくらい構わないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後になり、いつものように格闘術の訓練が始まる。

 メンバーが増えたので、今日は基本的なことの復習が多かった。

 歌野達からすれば初めて知ることの方が多いのだ。ならば基本からやらなければ。

 

 

 烏丸先生の短い説明が終わり、慣れたように乱取りを始める。

 どうでもいいが、乱取りは柔道、組手は空手の用語らしいが、この訓練ではどちらが合っているのだろう。両方の要素がある気がするが。

 ……どうでもいいことは考えてもしょうがないからやめておこう。

 

 数分毎に相手を交代しながら繰り返し、三十分程経った頃に終了して少し休憩する。

 

「そういえば、どうして烏丸先生は格闘術を嗜んだの?」

 

「暇潰しになるかと思って」

 

「男子中学生?」

 

「失礼だな。それは偏見だぞ」

 

 普通の女性が暇を潰す為に格闘術をやろうという発想に至るだろうか。そういえば普通じゃなかった。

 

「ねえ烏丸ティーチャー」

 

「なんだ?」

 

 水筒片手に歌野がこちらに歩み寄ってくる。その後ろを水都がついてくる。この二人はいつも一緒にいる。

 私達と出会ったあの日からの約三年間、二人はどんな風に過ごしてきたのだろう。

 

「こういう体術とかってバーテックス相手に意味あるの?」

 

「学んだ技をそのままバーテックスに掛けるというよりは、身体の使い方を学ぶことが主な目的だ」

 

「あー、それは確かに効果あるかも」

 

 近くで聞いていた雪花も話に混ざる。というか初めて主な目的を聞いた気がする。

 

「あと痴漢対策とか防犯の為だな」

 

「あら実用的」

 

「だから私達巫女もやるんですね……」

 

 既に疲れた様子の座り込む水都。普通に体力をつける為にも必要なのかもしれない。

 

「そういえば体育の授業は無いな」

 

「ただでさえ毎日訓練があるのに、さらに体育もやりたいか?」

 

「「「やりたくないです」」」

 

 インドア派が口を揃える。というか時間が無いと思う。

 

「……うっかりしていたが体育はともかく保健の授業はやるべきだな」

 

「それはまぁ、生きていくのに必要な知識だし」

 

「実体験も交えてわかりやすい授業をしてやろう」

 

「じじっ、実体験!?!?」

 

「応急処置とかの話だが。杏は何を想像したのやら」

 

「あ、なんでもないです……」

 

 杏の清楚系なイメージは最初の一年で消え去った。

 

「アンちゃんどうしたの?」

 

「大丈夫です、気にしないでください……」

 

 両手で顔を隠す杏に、無垢なゆうちゃんが追い討ちをかけていく。

 それと同時にれんちゃんが道場にやって来た。もうそんな時間か。

 

「ん?杏どうしたの?」

 

「ふぇぇ……」

 

「ほっといてあげて、れんちゃん」

 

「わかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 格闘術の訓練を終え、いつものようにそれぞれの場所に移動して武器の鍛錬を始める。

 私は最初は道場だったが、今は屋外で広いスペースを使って鍛錬している。

 そして今、私の周りには歌野と雪花、棗もいた。

 

「……なぜ?」

 

「鞭とか槍とかヌンチャクとか、すぐには指南役が見つからないから僕が纏めて面倒を見ることにしたんだ」

 

「使えるの?」

 

「使えるよ?」

 

「……なぜ?」

 

「昔練習したから」

 

「……なぜ?」

 

 どうしよう、疑問しか出てこない。バグったNPCみたいになってしまった。

 

「うーん……気が向いたからかなぁ」

 

 なぜ気が向いたら鞭や槍やヌンチャクの扱いを練習するという発想になるのだろうか。

 私の周りには普通の大人はいないのだろうか。楓さん達は普通か。

 

 

 

 

 れんちゃんが三人それぞれと話している間、ひとまず私は素振りを始める。もうそこそこ慣れたものだ。

 

 やがてれんちゃんは説明と合わせて模造の武器で動きを見せる。

 雪花の投槍スタイルに合わせてフォームを見せてみたり、ヌンチャクを振るってみたり。

 

 

「……撮影しておこうかしら」

 

「千景さん、涎が出てるわよ?」

 

「あら」

 

 こんなかっこいいれんちゃんを見せられていたら素振りに集中なんてできない。素振りは諦めて撮影に専念しよう。

 ああ、これを生で見られない久美子さんが可哀想でならない。きっと今の私はとてもにやけているだろう。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 夕食の焼きそばを食べながらテレビを眺める。

 午後七時前なのでニュースで天気がやっているのだ。

 

「明日も晴れか。洗濯物がよく乾いて良い」

 

「茉莉は明日テストか?」

 

「うん。一日で五教科やるからお弁当がいるんだって」

 

「明日から毎日弁当いるの?」

 

「うん。朝忙しい時は自分でなんとかするから大丈夫だよ」

 

「なんて良い子……でも大丈夫。毎日しっかり弁当作るよ」

 

「ありがとう」

 

 今度弁当のおかずに色々買い込んで来るとしよう。後で茉莉に入れてほしいおかずをいくつか聞いておこう。

 

「……」

 

 久美子が無言でこちらを見ている。

 

「……なに?久美子も弁当作ってほしいの?」

 

「……そう思ったが、やめておく。千景辺りに睨まれながら食べることになりそうだ」

 

「そうか」

 

 まあ久美子は丸亀城の食堂でタダで食べられるし、そっちで食べてもろて。

 

「そういえば茉莉は何か部活やるの?」

 

「え?あー……どうしようかな」

 

 学生生活の思い出で部活動が占める割合はそこそこ大きいと思う。

 クラスメイト以外にも友達ができるのも何かと助かるものだ。

 

「何か気になっているのはないのか?」

 

「うーん……文芸部とか、美術部とかかなぁ。でも美術部って色々道具がいるからお金がかかるのかなぁ」

 

「お金のことは気にしなくていいよ」

 

「ラケットとかが必要な運動部よりは安いだろう」

 

「じゃあ、見学してみてから決めようかな」

 

「そうだね」

 

 そういえば、茉莉の学校は今月末に授業参観があったはずだ。予定を空けておこう。

 

「……ねえ、久美子」

 

「ん?」

 

「授業参観はしないの?」

 

「見せるような授業でもないが。……じゃあ今度球子が退院してから、土曜日にでも美術の授業参観でもするか。茉莉を講師に招いて」

 

「ボク?まあいいけど」

 

「ありがとう」

 

 日程が決まったら楓さんと琴音さんにも伝えておこう。

 食べ終えた食器を片付けながら、期待に胸を膨らませた。



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