インフィニット・ストラトス―In the Blue Sky― (ケリュケイオンの蛇)
しおりを挟む
プロローグ 《始動》
そんなISと×バーチャロン。果たして需要があるのかどうか。それ以上にまとめられるかどうかもわからない。そんな冒険の心が生み出した拙作。読んでいただけたら幸いです。
漆黒に閉ざされた空間。そこに、一人の少年が存在していた。
ただ一人、闇に閉じた空間に身を委ねている。瞳を閉じ、身じろぎしない様子は、傍から見れば眠っているようにも見える。
だが少年は眠っているわけではなく、変化はすぐに起こった。
『ナンバーX‐00、出ろ』
閉ざされた空間に、突如声が響く。その音源は天井部に設置されたスピーカーのものだ。
ナンバーX‐00とは、少年の名前だろう。自分の名を呼ばれたからか、少年が目を開ける。声が響くと同時に、周囲には明かりが灯っていた。漆黒の空間が一気に照らされ、その眩しさに少年の目が細まる。
明かりがともったことで、少年の容姿がはっきりと浮かび上がった。一際目を引く青みがかった銀色の髪。開いた瞳は蒼色で、肌は白色人種の血統なのか白い。
顔立ちは整っており、特徴的な色彩を余すことなく活かしている。有り体に言えば、文句なしの美形だった。
目を閉じていたのは部屋が急に明るくなることに備えたためだろう。すぐに明るさに慣れたのか、少年が立ち上がると、白く照らされた部屋の壁が視界に入った。
部屋の様子をゆっくりと観察する間もなく、少年は歩き出す。
自動開閉の扉を抜ければ、無機質な空間の通路に出た。
『お前の仕事はいつも通りだ。期待している』
再び声が辺りに響く。どうやら通路にもスピーカーが設置されているらしい。
その言葉に従ってナンバーX‐00と呼ばれた少年は歩いていく。淡々とした、感情らしさのない動きだった。
人によく似たロボットだと言われても、初めて会った人は信じてしまいそうなくらいに。
「……」
沈黙したまま、歩く。先程からスピーカーの声が聞こえないあたり、ナンバーX00は思い通りの動きをしているようだ。
でなければ、罵倒が飛んでくることを少年は知っている。
「いつも通り、か」
今まで沈黙していた少年から、ぽつりと声が漏れた。
いつも通り。そう、いつも通りなのだ。先ほどの声も、今少年が歩いている事も。これからする『仕事』も。
この施設で育ってから何も変わらない。変わることなく、不定期ではあるが行われてきた日常。
それが少年の仕事だった。生きるため、施設の人間に生かしてもらうためにやってきたことだ。
研究対象である少年には、拒否権はなかった。
与えられた仕事を期待通りにやるのは当然。できなければ処分される。
それが当然として、許される小さな世界。
「気分が悪い…」
表面的には淡々としていたものの、少年自身何も感じないわけではない。繰り返し行われる仕事も、感覚が麻痺しているとは言え、できれば願い下げだった。
人を傷つける、という内容は少年の心をたやすく歪めてしまうものだ。
「ここか…」
憂鬱な気分になりつつ、廊下を歩き続けること数分。自身の部屋よりも巨大な扉前にたどり着く。
扉の右側に備え付けられたパネルに少年は手を置いた。手を置いた機械は今膨大なデータベースからナンバーX‐00の情報を検索している。
数秒後、ピピッ、という電子音が響き、生体認証が完了する。重低音を響かせながら扉が開く……ことはなく右側の壁が展開、内部が露出した。
壁の内部に格納されていたのは金属製の物体。外見的には鎧のようにも、ロボットのようにも見える。
ソレは、見たものによってはひと目で何か分かるはずだ。そして驚愕するだろう。その存在そのものが希少である上、少年の生体認証で出てくるはずもない。
ソレの名は、インフィニット・ストラトス。その名だけしか、少年は知らない。そして、ソレが世界全体でどれほど価値があるものかさえ知らなかった。
いや、興味がなかった、と言うべきだろう。少年にとってソレを動かせればいいだけなのだから。
「展開」
ただ一言、命令する。それだけで目の前の鎧は発光し、少年の視界を遮った。
不意に身体が軽くなり、浮遊感が襲う。その一瞬後には目の前にあった鎧が少年の手足に『装着』されていた。
視線を落とすと、少年の腕には機械の手が装着されている。腕だけでなく、足や肩、そして胸部に至るまで、鎧のような装甲に身を包んでいるのが『知覚』できる。
今の少年の姿はまるでロボットのようでも、騎士のようでもあった。特に整った容姿とヒロイックな外見の装甲によって、カッコイイという表現が真っ先に浮かぶほどだ。
しかし少年はそのことに関して特に感慨を持つことなく、扉へと向かう。
巨大扉を開けると、その先には広大な空間が広がっている。その中に一人、佇んでいる者がいた。
「遅かったな。逃げたかと思っていたが」
少年に対し、嘲るような声音で相手が言う。女性と分かる声だが若干低い、アルトボイス。眩しいとさえ形容できるほど人工照明に照らされたこの空間において、特徴的な金髪がよく映える。
ポニーテールにしているせいか、声と合わせて凛々しく見えるものの、年齢的にはまだ少女のようだ。
ISを装着したことで感覚拡大した少年は、相手のことをより詳細に知覚する。
――ナンバー612、個体名『ノエル・シュヴァルティン』。知覚、反応速度に優れる。装着IS、検索……。
少年は、思考のみでISの検索処理を中断させる。それ以上の知識を、知る必要がないからだ。相対するISは、仕事の中で何度か見かけた覚えがある。異様に大型化した肩部や足周りが特徴的で、重厚な印象を受ける機体だ。カラーリングは、赤みの強い茶色。威圧的なフォルムを持つソレの名は、『ライデン』。
ノエルのことを時間にして一秒にも満たない中で知った少年は、相手の言葉に返答した。
「できればそうしたかった」
本心からそう告げると、少女は表情を変え、嘲笑した。
「これはとんだ臆病者だ。やはり男というものは情けないな!」
少年が私情を持ち込まないならば、ノエルは仕事にも私情を持ち込むタイプだろう。その嘲笑には、明らかに自分優位であろうとする感情が感じられた。
「先手は譲ってやろう。機関砲でもミサイルでも、好きなもので攻撃してくるが良い」
ノエルも少年がISを装着していることは知覚しているはずだ。それでも先手を譲るということは、『自分が少年に負けることなど有り得ない』という絶対的自信の表れだろう。
それは傲慢な考えでもあり、ノエルの弱点でもあった。
少年に先手を与えたのは、おそらく致命的なミスだ。
「その言葉ありがたく」
ノエルの言葉を受け取り、少年は手元に獲物を取り出す。ノエルから意識を逸らすことなく思考を展開。瞬時に量子収納されていた武器が具現化し、何もなかった手に物質として現れた。
「――Get Ready」
少年が戦闘開始の言葉を発した瞬間、その手に握っていたモノを投げた。その名を、ボム。要は高エネルギーを火薬代わりとした、手榴弾のような特性の武器だ。大きさ的にはりんごに近い。投げたボムはある程度放物線を描いたところで光を放ち、少女を照らし出す。
その瞬間、少年の視界に映ったノエルの顔は、驚愕したような表情だった。
「なっ」
まともな言葉を出すことなく、ノエルは光に飲み込まれ、爆発。赤い爆炎がその場を包みこんだ。
インフィニット・ストラトス。遥かなる成層圏、すなわち、宇宙を活動視野として想定されたマルチフォーム・スーツ。
そのポテンシャルは極めて高く、従来の軍事兵器を遥かに凌駕する戦闘力を持つ新世代の兵器として注目。軍事転用化によって、単なるパワードスーツの領域を超えたソレは、今や究極の機動兵器とまで言われていた。
ただし、究極と呼ばれるこの兵器は女性しか使用することはできない。原理は不明だが一般的に広まった見解は、概ねそれで一致している。男では使えない。女だけの『鎧』なのだと。
しかし、その常識を打ち砕く存在が現れた。
「ふふっ、面白いですね」
窓から見下ろせる景色を見て、影は笑みを浮かべる。彼女が見下ろした先に、ナンバーX00の姿が見えた。
ナンバーX‐00。ドイツで行われている遺伝子調整され、兵士となるべくして生まれた存在。その中でも、男でありながらISを動かせる者として造り出された人間だ。
当然、IS開拓期にはよくあった思想だ。しかし、男でISを動かせた人間は一人もいない。だからこそ、女尊男卑の世界へと変わっていったのだ。
しかし、影の目の前には例外が確かに居る。そしてその例外は、ISをより上手く扱えるであろう女性を倒してしまっていた。
きっと金髪の少女も、男に負けるなど予想もしなかったに違いない。でなければ、IS戦闘において自ら先手を譲るなど有り得ない行動だ。油断したとは言え、試合内容を見る限り実力差は明白だった。
そのことは、影の想像を大きく裏切る結果となった。ISの未知の可能性を見せられたことで、ひどく高揚した気分にさせられる。
それがたまらなく面白い。そしてとても気に入った。影にとって、彼のような存在はまさに理想の人材だったのだから。
「お気に召しましたかな?」
影に対して、一人の男性が声をかける。高級そうなスーツに身を包んだ、痩身の中年男性だ。影の顔色に感じるものがあったのだろうか、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
「えぇ、とっても。わざわざ足を運んだ甲斐があったというものです」
「それでは?」
「約束通り、貴方がたの研究費を支援致しましょう。生体実験は認められませんが、ISに関してもできる限りの融通を利かせます」
影の言葉に、中年男性は今にも飛び上がらんばかりに喜んだ。当然だ。たった一人の少年が、世界最強の兵器と莫大な資金に変わるのだから。
どのみち、この研究施設が潰れれば、中年男性にとって少年の価値はなくなるに等しい。ただ珍しいだけの少年が、実用可能なIS数機と施設存続に繋がるのであれば手放すのも頷ける。
「ありがとうございます」
中年男性が差し出した書面にサインすると、それをまるで家宝のように大事に抱えて去っていった。
あのような紙切れ一枚が眼下の少年と同じ価値とは思えないが、影には良い買い物となった。
買い物を済ませた今、ここはもう用済みだ。そのうち潰してしまえばいいか、と腹黒い算段を考える。
「私はあの者を選びました。あなたと同じように」
誰もいなくなった部屋で、一人影は呟く。まるで、誰かに聞かせるように。
影の前にある机には、もう一枚の紙が置かれていた。それを見ながら影は念を押すような口調で言葉を紡ぐ。
「そして今から彼は私の騎士。たとえあなたであっても、手出しすることは許しませんよ――束」
紙にはナンバーX‐00と呼ばれる少年の写真と共に、こう書かれていた。
―カイゼル・エンドレート―と。
ここまで読んでくださった方はありがとうございます。蛇です。
ISに関してもいい作品だと思います。バトルスーツもので言えば、テッカマンやアムドライバーなんかが俺の中ではあるのですが、知名度も設定の親しみやすさもISの方が上でしょう。
ただ、作者はハーレムが好きではありません。最終的に一人とくっつくにしても、それらしく期待をさせて甘い雰囲気にどっぷり浸かるというのは、見てていい気分じゃありません。まぁ、嫉妬といえばその通りです。否定はしません。ですが純粋に、ただ女の子に囲まれてあっちこっち行くような展開は、キャラを安っぽく見せてしまう気がするのです。
それなら市販のラノベを読んだほうがきっと面白いです。俺がわざわざ書いても、お仕事で書いてる人たちに敵いようがありません。悔しい限りです。
なので、好きなことを書いて勝負しようというわけです。とはいえ、作家としては全てを好き嫌いでモノを生むわけにも行かないというのもありますので、この作品がどう転ぶかはわかりません。
ただ、ハーレムであっても明確な人間描写をしていきたいです。もし共感していただける方がいれば、きっとこの作品も楽しめると思います。そう頑張ります(笑)。
今後も、是非読んでくださる方がいることを祈って。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『戦闘人形編』
一話 《始まりは終わりを告げる》
プロローグの直接の続きになる戦闘人形編。今回はバーチャロン側からリリン・プラジナーが本格登場。ただし参考資料の少なさからバーチャロン原作におけるリリンのイメージとは少し異なるかもしれません。言うなれば半オリ化ってやつです。
バーチャロン知らないよ、IS知らないよっていう方でも読みやすいよう書いていますので、これをきっかけに興味を持っていただけたら幸いです。
ではどうぞ。
女が、地に突っ伏している。先程までその身体を守っていた鋼鉄の鎧は、既に消えていた。
砕かれたか、あるいは吹き飛んだか。通常の鎧ならばそうだろうが、女‐ノエル‐のまとっていたものに関しては違う。
完全なる消失。量子となって視認が不可能な状態になる現象は、物理的に存在する通常の鎧ではありえないことだった。
IS。インフィニット・ストラトス。呼び方は様々だが、この量子化現象を持つのは、その名を持つマルチフォーム・スーツのみしか持ち得ない特性だった。
つまり、目の前の女はISの適合者であり、先刻までそれを纏っていたことになる。
世界において、ISは最強の兵器。そう認識されており、ISを行使できる女性は同時に、男では手が出せない領域に至っているのが普通だ。
男では決して、適うことのない存在。抗うことも、張り合うことも、何より超えることなど、決して不可能な存在であるはずだった。
「な、ぜ…」
目の前でノエルが、苦しげに声を放つ。外観的に目立った負傷は見られないが、満身創痍といった体だ。見えない痛みに苛まれているのだろう。
ソレを、淡々とX‐00は見下ろしていた。その瞳は、昏き蒼。何の感情の光も宿さない、深海の闇。
その冷淡な瞳は、ノエルにとって初めての恐怖だった。男など惰弱だと嘲笑っていた。それが、今では逆だ。
何もできないはずの男に、生殺与奪を握られる。そのことは、ノエルにとっては屈辱であると同時に、自分のアイデンティティを脅かす恐怖を植え付けていたのだ。
「男の、お前に…負けるなどッ」
ノエルの言葉は、血を吐き出しそうなほど苦渋に満ちた声だった。それに対して、X‐00の心が揺らぐ。だが、X‐00が表情を変えることはない。
今まで、そういう恨みごとを腐る程聞いてきた。だから、今更X‐00は反応することをしなかった。
そのことに使う力が、勿体無い。そう考えるゆえの、無視だ。
ただ、X‐00は目の前の女に言葉を放つ。
「お前のライデンは、細工されていた…俺が勝ったわけじゃない」
X‐00の言葉に、ノエルは衝撃を受けたように目を見開いた。ISに対する細工。それは、ノエルとX‐00が行った試合を、X‐00側が勝つように仕向けたもの。最初からノエルが負けるようにしてあるなら、女の敗北は必然だった。
「通常、ライデンのシールドバリアーはボム一発で抜けはしない。本来なら、あそこで射撃武器を使っているところだった……お前のライデンは、最初から防御設定が最小だったんだ」
その言葉に、ノエルは身体の痛みを無視して立ち上がる。激昂して、X‐00へと掴みかかった。
だが、掴みかかったところで、X‐00はピクリとも動かない。女も、寄りかかるように体を支えるほどの力しか残っていない。
X‐00も、同情はしなかった。それが仕事なのだから。上で支配する奴らには、逆らえない。
運が悪かった。そう言うしかないだろう。ノエルは、当て馬にされたのだ。
「私は、捨てられたのだろうか」
声を震わせて、ノエルが言う。彼女にとっては、この施設で優秀な人材であり続けること。それが全てだった。
だから、X‐00の当て馬にされて、施設が女にかけている期待がなくなっていることに気づいてしまった。
急激な脱力感が女を襲う。このあと、ノエルは処分されるか、もっと過酷な環境を強いられるだろう。
そんなことを今更知ってもどうにもならない。
だからX‐00は、肯定も否定もしない。気休めの言葉を言っても、無意味でしかないからだ。
「屈辱的だ。そんな設定さえなければ、お前程度に私は」
「ならば、強くなることだ。ISの性能なんて無視できるほど」
X‐00がノエルに言葉をかける。場外から鳴り響くブザー音が、今になって試合の終了を知らせた。
ただ、X‐00の言葉は女にきちんと伝わったようだ。ノエルの瞳が見開かれ、次の瞬間には力強い光が宿っていた。
「お前などに言われなくとも、分かっている。次は、負けない」
場内アナウンスにより、X‐00を呼ぶ声が響いている。遠目では、白衣の研究員たちが走ってきているのが見えた。
おそらく、ノエルを回収するためだ。そう当たりをつけて、X‐00はノエルから身を離す。急に支えを失ってふらつくものの、強い光を宿した彼女は倒れるようなことはなかった。
ノエルが職員に連れて行かれる姿を見て、X‐00は息をつく。それまで纏っていたISを解除した。
ISが量子状態となり、X‐00から分離する。そして一瞬後、再び形状を取り戻し、装着者のいない鎧飾りとして現れた。
「次か…甘いことだ」
X‐00は先ほどのことを思い返し、嘲笑った。
シールドバリアー。最小とは言え、それが設定されている以上、ISは絶対防御というものが働く。装着者の命を守る、安全装置のようなものだ。
ただ、X‐00の機体には絶対防御すら搭載されていなかった。
次があることの幸運。それがどれほどいいことか。相手の女を内心で羨ましがりつつ、今度こそX‐00はその場を離れた。
「あなたは私が買いました」
初対面の人間にそんなことを言われれば、誰だって戸惑うことだろう。だから、カイゼルが何も反応しなかったことを咎める人間はいないはずだ。
見慣れた研究施設とは違う、高級感たっぷりの一室。桜色を基調に彩られたその部屋は、ご令嬢の部屋というのがふさわしい。
ただ、その場の主には不釣合だった。手錠をして佇むカイゼルの目の前。そこには、一人の人間が座っていた。
体つきは華奢で、豊満な双丘が女性らしさを自己主張している。そのスタイルは、女性の中でもトップクラスと言えるだろう。
相手の顔が、フルフェイス型のヘルメットに覆われていなければ。
「…センスが凄いな」
「まぁ! お褒めに預かり光栄です」
褒めてない。むしろ、何故そのスタイルを褒められたと思えるのか、カイゼルにはさっぱりだった。
外の世界ではこういうのが流行っていたりするのか。恐ろしいところだ。そのような誤解をしつつも、カイゼルは相対する存在を直視する。
ヘルメットを付けていること以外は、普通の女性という佇まいだ。どことなく気品を感じさせる仕草は、高級感のある部屋にふさわしい。
「自己紹介がまだでしたね。私はリリン・プラジナー。今後は私が貴方のマスターとなります」
相手の言葉に、カイゼルは少なからず衝撃を覚える。
リリン・プラジナー。その名は、今や世界において知らぬ者の方が少ないほどの超有名人の名だ。
ISを最初に開発した人間、篠ノ之束と同様に、インフィニット・ストラトスの開発において独創的な発想と優れた技術力を発揮した天才的科学者の一人。
IS界にとっては、最高クラスの重要人物が目の前にいるのだ。驚くのも無理はない。
とはいえ、カイゼルにとってはただのマスター。いわば新しい飼い主だ。そのことに関して、相手の経歴はさほど関係なかった。
すぐに平常を取り戻し、カイゼルは頷く。理解した、というジェスチャーだ。その意図を理解したのか、リリンはヘルメット越しに笑い声をこぼした。
「まずは、貴方に名前を与えます。兵士の前に、一人の人間であることを自覚してください。私は貴方に命の無駄遣いをさせるつもりはありません」
「…それは命令か?」
「命令ではありませんが、最初はそういうことにしておきましょう」
カイゼルにとって、命令以外の依頼は受けたことがない。お願い、なんて対等な立場での頼みなど、夢のような話だ。
「カイゼル・エンドレート。それがあなたの名前です。以後そう名乗るように」
「了解した」
リリンの言葉に、X‐00ことカイゼルは了承する。変態的な姿であろうとも、仮にも主に当たる人間だ。
感情を抜きにすれば、従わない理由がない。
「そういう時は、分かった、で良いのですよ?」
「……分かった」
少しばかり間を置いて、カイゼルは訂正した。以前の施設とはまるで違う状況に、少なからず戸惑いを覚える。
ただ、すぐに従うあたりカイゼルも頭が固いわけでもないのだろう。
その答えに満足したのか、リリンは満足そうにソファに身をあずけた。
「聞き分けがよくて好感が持てますね」
仮面越しに、柔らかい声が届く。ただ、どれほど聴き心地の良い言葉だろうと、その格好が全てを台無しにしていたが。
「それで俺は、何をすればいいんだ?」
手錠のかけられた手を持ち上げ、カイゼルが疑問を呈した。命令があるまで基本的に待機、つまり何もしないのが今までで当たり前だったが、待機するにも待機場所がいる。
よもや、むき出しのナイフを鞘に収めず放りっぱなしにするという人間はいないだろう。だからカイゼルは、以前の施設のように鞘に当たるものが割り当てられるはずだと思っていた。
「そうですね。色々と説明しなければなりませんが、まずは任務を与えます」
「任務…?」
リリンの言葉に、カイゼルは聞き返す。随分と急な話だ。少しは監視の意も兼ねてそういったものはないと思っていたが、どうやらリリンは既にカイゼルを信頼しているようだった。
「貴方のいた施設、その施設の破壊を、お願いできますか?」
前言撤回、すぐさまカイゼルは相手の評価を取りやめた。
信頼しているのではなく、リリンは試しているのだ。どこまでカイゼルが自分の命令に従えるのか。自分が買ったものにふさわしい手駒であるかどうか。それを、曲がりなりにも故郷の破壊という命で試そうとしている。
「了解した。手段は?」
施設破壊といっても、やり方は様々だ。クラッキングによる運営機能の破壊。通常兵器による物理的な破壊。人的資源の抹消…いわば、殺戮などなど。
そしてその用途ごとに、必要な武器なども変わってくる。だからこそ、カイゼルは訪ねていた。
相手の目的を見極める。それもまた、施設において培った戦闘人形としての技能だった。
「お任せします。ただ、施設は完全に破壊してください。存在の痕跡も許しません」
そう答えたリリンが、脇にあったトランクを机に置く。銀色に光る、重厚なトランクケースだ。素材は強度に優れた特殊チタニウム製。つまりよほど重要なモノが入っているのだろうとカイゼルは推測する。
「こちらを、貴方に与えます」
開かれたトランクの中身は、IS用のインナースーツと、小さなネックレスだった。ペンダント部分は青く、サファイアのような質感の鉱石が埋め込まれている。
そういう装飾具に疎いカイゼルでも、それがかなりの一品だということがひと目でわかった。ただ、それを戦闘で活かす術を思いつかない。
何かの装置なのだろうか、と思う一方で、リリンが補足に入った。
「現在完全非公開の第4世代IS。テムジン747J。貴方の専用機にして、最強の力です」
「第4、世代?」
現時点で、世界に流通しているISは、第2世代が基本だ。第一世代も未だ活躍しているところもあるほどで、IS市場においては第3世代ですらようやく人目に触れられるようになった、という状況である。
そんな中での第4世代。オーバーテクノロジーにも程があるというものだ。さすがに聞き間違いかとカイゼルが聞き返すが、仮面に覆われたリリンの表情は読めない。
「それを託される意味、あなたならわかりますね?」
「敗北は許されない。了解している」
淡々と、カイゼルはネックレスを受け取る。その様子に、リリンは何も言わなかった。彼女の満足する答えをとりあえずは出せたということだろう。
ネックレスを首から下げると、リリンから端末を渡された。その端末に記されたテムジン747Jのスペックに、目を通していく。
「初期化及び最適化は、実戦前に行っておく」
そう言うと、カイゼルは任務へと赴くために踵を返す。その姿に、リリンは何も言わなかった。
お読みいただきありがとうございます。いかがでしたでしょうか?
時系列的にはプロローグ時点で一夏がIS適正発覚。こちらはその数日後に当たります。原作だとセシリアに絡まれたあたりでしょうか? あの辺はよく分かりませんね。
細かい時系列についてはまた整理しようと思っています。ISに関してはそれほど設定に詳しいわけでもないので不自然な点、気になったところなどあれば感想にてお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
二話 《影は深く、獣は吼える》
戦闘人形編はバーチャロン側の設定に慣れ親しんでいただく意味合いが強いです。
ただしまるごと世界観はISなのでそう難しい話でもないと思います。軽い時間の合間にでも、さくっと読んでいただけたら幸いです。
意識を深く落としていく。深淵の闇を歩くように、手探りで自分の一番奥を探るように。
カイゼルは今、第4世代IS『テムジン747』に対して自らのデータを登録する初期化、及び最適化の手順を踏んでいた。胸部に搭載されたISコアが、生体認証によってカイゼルの情報をデータ化、自らの知識として蓄えていく。
自分の内側を覗かれる感覚。鮮明にISとつながっていく感覚が、カイゼルは気に入っていた。
―
意識に直接語りかけてくるように、電子音声の無機質な声が響き渡る。その声に応えるかのように、カイゼルは目を開けた。
視界には半透明のウィンドウ。そこには、『enter』の文字が並んでいる。リリン製らしく英語フォーマットのようだ。支障をきたすほど英語に無知というわけでもないので、そのままウィンドウに触れた。
その瞬間、光が機体を包む。情報の奔流が、カイゼルの意識へと流れこんだ。
手錠は当然、外されていた。先ほどは監視の意も兼ねて、とのことだったようだ。リリン側からの音声認識で簡単に外れたあたり、服従意思を確認するための形式的な意味合いが強いように思われた。
右腕を軽く振る。するとそれまでまとっていた光が粒子となって弾け飛び、色鮮やかな装甲の機体がその姿を現した。
カイゼル専用のIS、『テムジン747J』。現在のISでは珍しく全身装甲に身を包むその姿は、機械の鎧でありながらもヒロイックな雰囲気を醸し出していた。
第一次移行を終えたのを確認し、カイゼルは通信回線を開く。
「
ISに搭載されている広範囲索敵機能―通称『ハイパー・センサー』―を応用した遠距離通信だ。既存の通信機器であれば、それがどんな規格であれIS側から回線を繋げることが可能だという。
そうしてカイゼルがつなげた相手は、ヘルメットをかぶったまま口元に手を当てた。微笑している、ということらしいが、ヘルメット越しではなんの魅力も感じない。
『ふふっ、了解です。見事使いこなしてみせなさい』
「……分かっている」
短い言葉を交わしたあと、通信を切る。それ以上の私語は意味のないものだからだ。カイゼルにとって、任務外の話はこの時において余り必要のない情報だった。
これから向かう目標地点は、現在地から10km先だ。歩兵にとっては遠い距離だが、ISにおいては関係ない。高出力スラスターにより、戦闘機以上の高機動性を持つISにとっては、合って無いようなものだった。
瞳を閉じ、集中する。意識を研ぎ澄ませ、一切の感情を切り離す。心と身体は別。あたかも、コントローラーを握ってキャラクターを動かすゲームのように、ただ自分という人形を操る。
「――Get Ready」
いつもの言葉を口に乗せ、覚悟を決める。ハイパーセンサーによって知覚された目標を見据えたカイゼルの表情に、迷いはなかった。
たとえそれが、生まれ育った場所であろうとも。
標的となった研究施設は、突然の襲撃に大混乱の様相を呈していた。
研究員たちが走り回り、自らの身を守るために必死になって逃げ惑う。次々に襲う揺れにともない、天井部から細かい資材が時折降り注いでいた。
大事そうに自らの研究データを抱えている者、手に何も持たない者、必死に他の研究員を避難させようとするものなど様々な逃走模様が見られたが、その中に実験に使われていた少年少女たちの姿はない。
その様子を見て、ノエルは笑った。結局、研究員たちにとってノエルたちデザイナーズベイビーは実験動物でしかなく、救出するべき命に数えられていないのだ。
両脇にいた研究員も、今やもういない。彼らはとうの昔に、ノエルを見捨てて逃げてしまっていた。
最初は状況確認しつつ対処を考えていたが、誰もがノエルを煩わしく無視した。そんなことを経験すれば、誰だってやる気をなくすだろう。
「命令があるまで待機、か」
笑わせてくれる、とノエルは鼻を鳴らす。命令もなにも、この様では下されるわけもない。
待機していれば間違いなく死ぬ。しかし命令違反をして助かったところで、命の保証があるわけでもない。
今この研究施設がどのような状況になっているのかは不明だが、この周囲の慌てぶりから推測するに施設自体が長く持つことはないだろう。
よくて廃棄か、最悪崩落による消滅の可能性も有り得た。
「無力だな、私は」
アレほど実験において優秀な数値を出したにもかかわらず、ISがなければただの女だ。今にも崩落しそうな天井に、不安を抱えて震えるただの人間。
ノエルはゆっくりと壁にもたれかかり、目の前の光景を見つめた。
視界の先に、もはや研究員の姿は見えない。この場からはとりあえず避難したということだろう。
結局、誰もノエルを連れて行くものはいなかった。それだけで、裏切られたような悲哀がノエルの胸を締め付ける。
自然と胸を押さえて俯いた。こんな時、涙を流すことさえできない。ノエルたちデザインベイビーは、一般的な教養など一切教えられていないのだ。
「あいつは、どうしてるかな」
そんな時に思い浮かぶのは、以前に対戦したノエルと同じ実験体の少年。
X‐00と呼ばれていた少年は、どこかに売り払われたという。ノエルが聞いたときは、大変残念に思っていたものだ。
ただ、今となっては売られたことに安堵すら覚えている。X‐00には、こんな惨めな終わり方はして欲しくない。不思議とそう思ったノエルは、それが恋心だということに気づいていなかった。
「できればもう一度、会いたかった」
振り仰いだノエルの視界が、天井部に亀裂が入っていく様子を捉える。それを見て、ここもすぐ崩落することを感じ取った。
亀裂が徐々に大きくなり、激しい振動とともに天井部が崩落する。その瓦礫が、ノエルの周囲へと降り注いだ。
瓦礫による粉塵が周囲に舞い上がる。幸運か運命か、ノエルは奇跡にも似た確率で瓦礫の下敷きから逃れていた。
粉塵が止み、ノエルの視界に光が差す。
ゆっくりと顔を上げたノエルは、その視線の先を見て目を見開いた。
「何故、お前がここにいるんだ」
搾り出すような声で、ノエルが言葉を紡ぐ。ノエルの先には、鮮やかな色のISを纏う少年の姿があった。
青や黄色、赤など、色とりどりな装甲を持つそのISは見たことがないものの、ソレを纏う少年の姿は、つい先ほどノエルが会いたいと願っていた人物そのものだった。
「X‐00…!」
「ノエル・シュヴァルティン…?」
強く、少年の名を呼ぶ。その時ようやく少年はノエルの方に気づいたような声を出した。
X‐00ことカイゼルは、相も変わらず感情を見せない表情を浮かべていた。
研究施設へと奇襲をかけたカイゼルは、ハイパーセンサーによる索敵を頼りに建造物を破壊して回っていた。当然、生体反応も見逃さずに消して回る。生体反応を示す光が消えるたび、カイゼルの胸の奥底で鈍い痛みが走っていた。
だが、その痛みを無視してカイゼルは駆ける。背部のスタビライザーが光を伴い、カイゼルの身体を押し上げた。
一瞬の加速。即座に固定砲台を踏みつけ、破壊。続いて飛翔し、次の狙いを定める。
その直後、ハイパーセンサーが熱源を感知。瞬時に情報を解析し、正体を探った。
――熱源照合…完了。機体名、ラファール・リヴァイヴ。
護衛用のISだろうか。黒髪の少女が狙いを定めているのを視覚で再度確認し、即座に左へとブースト。
「武器転送、スライプナー」
右手に意識を集中させ、武装を実体化させる。
手に持ったのは、第4世代武装『スライプナーMk.6/mz』。全領域対応型多目的複合武装の異名が付けられているこの武装は、それ一本であらゆる武器の役割を果たす。
そのスライプナーをライフルモードに選択し、走りながら連射した。カイゼルの放った二発の高圧縮ビーム弾が真っ直ぐ相手のISへと向かっていき、直撃する。
派手に吹き飛ぶ少女。ソレを追うように、カイゼルもまた疾駆した。戦場は既に荒れ果てており、研究施設も半壊している。
ほとんど抵抗力を失っているとはいえ、完全なる抹消を任務とするカイゼルにとっては未だに油断できない状況だ。
視界による情報も然ることながら、カイゼルはハイパーセンサーを展開。施設のうちで、最も電子機器の密集した一角を探ると、そちらへと向きを変えた。
「モード変更……攻撃モーション選択、ラジカル・ザッパー」
カイゼルの声にスライプナーが反応、その形状を変更していく。スライプナーが横に開かれ、真っ二つに割れる。先ほどのライフルモードと比べ、展開したことで両手で支えるほどの巨大な火砲へと変形した。
ラジカル・ザッパー、砲撃モードとなったスライプナーの攻撃名称だ。先ほどよりも高出力のビームが展開したスライプナーの中心で収束していき、巨大な光の奔流となって放たれた。
放たれたビームが建造物を飲み込み、あるいは貫いて、消滅させていく。その衝撃で、カイゼルの乗っていた建造物も崩落を起こしていた。
即座に跳躍して崩落から逃れると、その場に再び着地する。
メイン区画を消滅させたことで、後はだいぶ楽になったと言えよう。瓦礫も残さないようにするため、再びスライプナーを構えるカイゼル。
「X‐00…!」
そんな中自らのコードネームが聞こえて、カイゼルは思わずそちらへと目を向けた。
「ノエル・シュヴァルティン…?」
つい最近、この施設で最後に相手にした人物の登場に、カイゼルは内心で戸惑いを見せる。表面上には出ていないだろうが、なるべくなら見たくない相手だった。
「どういうことだ! 何故お前がここに」
「事情は後で話す」
苛立たしげにノエルが言葉を放つが、カイゼルは即座にそれを中断させる。ノエルを抱き寄せると、その場を跳躍。二人がその場を離れた直後、そこに無数のミサイルが降り注いだ。
「ッ!?」
その光景に、ノエルが息を飲んだ。無理もない。生まれ育った施設が完全な廃墟と化している上、カイゼル自身が施設の人間に狙われているのだ。
聡明なノエルだ、その状況でそれまでの経緯をすぐに理解したことだろう。つまりは、カイゼルが施設の敵に回ったということに。
「……さっきのISか」
ミサイルが撃たれた先を見て、カイゼルが淡々と呟く。その視線の先には、先ほどスライプナーのライフルモードで撃たれた少女がミサイルを構えているのが見えた。
ノエルを降ろし、距離を取らせる。ノエル自身にも戦闘技能はあるものの、IS相手に生身で勝てる道理はない。
おとなしく下がったノエルをIS側の情報だけで感じ取ると、敵意を見せた少女に意識を向ける。
冷ややかな目でスライプナーを構えたカイゼルは、視界で起こった異常に動きを止めた。
「ウ…ア……」
少女が苦しげに呻く中、ラファール・リヴァイヴに変化が起きた。滲むように胸部が漆黒の影に染まっていく。同時に、装甲の隙間から、赤い光が溢れ出した。
瘴気のように侵食する影は、怪物のようにラファール・リヴァイヴを飲み込んでいく。
頭を抱えて少女が黒髪を振り乱した。苦しげな声に呼応するように闇は広がっていき、遂には四肢を含めた全てを黒く染め上げる。
まるで、第一次移行の光を反転させたような光景。その現象を見て、カイゼルの表情が険しさを増した。
その変化を、カイゼルは知識で把握していた。
ISが搭乗者の意識管轄から離れ、制御不能となる暴走現象。
「シャドウ化現象…」
その現象の名をカイゼルがつぶやくと同時に。
《ア゛ア゛アアアァァァァッ!》
漆黒に染まった魔人が、咆哮した。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
カイゼルたちがいた施設に関しては名がありません。《名も無き施設》それでもいいと思いますが、便宜上でも名前が欲しいところです。もし読者の方で何かいい呼び名が浮かんだ方、提供していただけるとありがたいです。
ノエルさんはISらしくちょろいです。とはいえ、その恋心が成就するかどうかはわかりません。カイゼル相手では厳しそうですが(笑)
それでは、次回でまた会えるよう頑張ります
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
三話 《罪禍》
投稿時期を考えていたらいつの間にか一週間以上経っていました。こんなはずじゃ…orz
予定ではあと一話を終えたら学園編に行こうと思っています。ただ、戦闘人形編も回想や番外編などで続けていけたらいいですね。
それはともかく、今回は三話をお届けします。今回は戦闘がメインなので、カイゼルとテムジンの勇姿を楽しんでいただけたら幸いです。
目の前で起こった現象に、ノエルは衝撃を受けていた。
黒く変色したIS。凶暴化した少女。無作為に行われる破壊活動。今までISには何度も乗ったノエルですら、その現象に見覚えがない。
「シャドウ化現象…!」
そう言ったカイゼルにすら、ノエルは驚きを覚えていた。一体どこで情報を手に入れたのか知らないが、少なくとも現状で出来ることは何もない。
カイゼルを手助けすることもできず、ノエルは邪魔にならないよう離れていることしかできなかった。 それが何よりも、悔しい。再会は予想外だが、まがりなりにもカイゼルに再戦を申し込むほど負けず嫌いなノエルにとっては、その相手の助けをすることもできない。
「私にもISがあれば無様な姿を見せないものを…!」
悔しくて、ノエルは唇を強く噛み締めた。カイゼルの襲撃に加えて、シャドウの無差別攻撃により破壊された施設の状態を見れば、無事なISなど残っていないことはひと目でわかる。
仮に残っていたとして、生身のノエルでは起動できるかどうかも怪しいところだ。
顔を向ければ、相対するカイゼルとシャドウの姿が映る。戦闘行動を開始した二機は、視認すら困難な速度でぶつかり合っていた。当然、物理的な衝突ではなく、比喩的な意味だ。
ただ、その戦闘は今までノエルが経験したどれよりも激しく、高次元の領域だった。亜光速まで達した機動性、一瞬の攻防を繰り返す判断力、相手に有効な打撃を与えるための状況認識力。どれもがノエルの知っているものを超えていた。
人間という限界のなくなったシャドウに対して、カイゼルも劣らず…いや、それ以上の戦闘力で圧倒しているようにも見える。
「何故なんだ…何故、そこまで強くなれる?」
同属に対しても、敵対するカイゼルの動きに迷いは見られない。少なくとも表面上では、完全に撃墜する意志が垣間見れた。
それを見て、ノエルは聞かずにはいられなかった。たとえ相手がハイパーセンサーで知覚していても、ノエルの問いは返答するほどのものではないだろう。
ただそれでも、ノエルは思わず言葉にしていたのだ。
どうしてカイゼルは戦えるのか。カイゼルの強さは何なのだろうか。そんなことばかりが、ノエルの思考を埋め尽くす。
すぐそばで戦闘が行われている以上、ノエルにそんなことを考える余裕などないはずだが、どうしようもなく気になって仕方がない。
「お前のことを知れたら、私も強くなれるんだろうか」
そう言って、ノエルは無意識に手を伸ばす。ただ伸ばした手の遥か先に居るカイゼルは当然、掴むことができない。
それが一生追いつくことができないような、そんな錯覚を抱かせて、ノエルは胸が締め付けられていた。
シャドウ化現象。ソレはISのコアの性質、自己進化がもたらす暴走現象の一種。
搭乗者の過度な負担、いわゆる無意識に感じ取る恐怖や憎悪などの不安定な感情を引き金として発現し、IS独自のプロセスで破壊行動を繰り返す。
基本的にこの現象が発現したISは装甲が黒く変色し、性能が大幅に強化される。性能強化の度合いは汚染率に比例しており、シャドウ現象の汚染数値が高ければ高いほど、ISコア及び搭乗者の回収再利用は不可能になっていく。
発生条件、対抗策など未だ解明されていない部分の多い、ISを使う上での最大の欠陥だった。
《ガアアァァァァァッ!》
獣のような叫びを上げながら、ラファール・リヴァイヴ:シャドウが飛翔する。ソレを見て、カイゼルもまた迎撃を開始した。
シャドウとの戦闘はこれが最初だ。ハイパーセンサーを拡大強化し、相手の情報を細かく分析する。
ハイパーセンサーによって、相手の情報が次々にホロ・ウィンドウに表示された。
視界の隅で確認すると、ラファール・リヴァイヴのシャドウ汚染率は30%。未だ低いとは言えその数値は少しずつ上昇を続けている。
つまり戦闘が長引けばその分相手が強化され、不利になっていくということだ。
「迎撃開始」
短く言葉を放ち、カイゼルが地上を走る。テムジン747Jが駆け抜けるそばで、次々とミサイルが飛来した。
それをバーティカルターン―ブースト中に進行方向を変更し、別方向に移動するテクニック―で回避すると、相手に向けて姿勢を反転。ライフルモードのスライプナーを向け、連続して放った。
二発の光弾が空に走る。ソレを立て続けにかわすシャドウ。光速かつ正確な射撃を回避するあたり、反応速度も強化済みらしい。
すぐさまパワーボムを転送し、投げつける。相手は再び避けるが、エネルギーの爆風によってバランスを崩した。
通常のラファール・リヴァイヴであれば、そのダメージだけでシールドエネルギーを使い切る威力がある。だが相手のシャドウは機能を停止することなく加速、カイゼルへと襲いかかった。
「……ッ!?」
落下からの挙動にしては異常なほどの速度に、カイゼルが目を見開く。咄嗟にスライプナーを構え、シャドウの展開した高周波ブレードを防いだ。
飛び散る火花が、相手の顔を照らす。シャドウに蝕まれた少女は虚ろな瞳のまま、恐怖に歪んだ表情をしていた。
すぐさま蹴り飛ばして距離を取ると、スライプナーを構え直す。
「ノエル・シュヴァルティン…?」
その際それまで意識の外に置いていたノエルが視界に入り、カイゼルは眉を顰めた。丸腰の身であるノエルは、瓦礫に隠れることもせずその身を晒している。
距離が離れているとは言え、今は戦闘中だ。あのような状態では撃ち合いとなった際に巻き込まれないとも限らない。
ハイパーセンサーからの警告音に、カイゼルは視線を変える。移り変わった視界には、シャドウが新たな武装を構えている姿が映った。
武装名《クアッド・ファランクス》。ラファール・リヴァイヴ特有の追加武装であり、無数の重火器を搭載した射撃兵装だ。
その射線の先には、ノエルの姿がある。そのことを瞬時に把握したカイゼルは、無意識に舌打ちした。
「何をしている…!」
ノエルに対して声を上げる。だが、ノエルは反応しない。この状況に対応できていないのだろうか。
ノエルの回避は間に合わないと判断し、カイゼルはスタビライザーを展開した。背部から光の粒子と共に、身体を押し上げるような感覚が伝わってくる。
その推力に逆らわず、カイゼルは疾風の如く加速した。
「スライプナー、ソードモード…ッ」
声を放つと同時に、右手に握ったスライプナーがビームの刃を形成する。地面を踏み抜きながら、カイゼルはシャドウに斬りかかった。
《アァァァアアアアッ!》
シャドウがカイゼルに反応するも、もう遅い。クアッド・ファランクスは多彩な銃火器の機能を併せ持つが、それに比例して火器の重量も当然肥大化している。例えシャドウ化で強化されていても、クアッド・ファランクスほどの重量となれば無視できない負担がかかる。
だが思いのほかシャドウの強化は劇的だった。本来であれば身動きの取れない射撃形態から、片手でクアッド・ファランクスを振り回す。
振り下ろしたスライプナーがクアッド・ファランクスを切り裂くが、本体までその刃は届かない。
クアッド・ファランクスが爆散する前に、真っ二つに切断されたソレをカイゼルが蹴り飛ばした。
宙に飛ばされたクアッド・ファランクスが爆発し、爆風がカイゼルの頬を撫でていく。だが、IS特有のシールドバリアー機能によって、熱風が肌を焼くことはない。よって、カイゼルはその感覚を無視。シャドウへと意識を集中する。
視界の片隅には徐々に上昇する汚染数値。いまやそれは50%を突破し、黄色く点滅を繰り返している。
「ニュートラル・ランチャー…シュート!」
これ以上は、操縦者が持たない。そう判断したカイゼルは、スライプナーを射撃モードへと変更。シャドウへ向けて引き金を引いた。
連続して放たれたビームが相手シャドウに着弾。操縦者の少女が悲鳴にも似た声をあげる。
だがシャドウは即座に姿勢を制御し立ち直った。すぐさまミサイルランチャーを転送し、放ってくるのを見て、カイゼルは跳躍することで回避する。
「よく見ておけ…ノエル・シュヴァルティン」
地面に着地し、ノエルに対してカイゼルは言葉を放つ。唐突にかけられた言葉に、ノエルがびくりと身を震わせた。
ノエルの表情は複雑な色を浮かべている。シャドウ化現象もそうだが、今のカイゼルはノエルの思考を混乱させている原因だった。施設を攻撃し、なおかつ同胞に対して容赦なく攻撃を行う姿は、紛れもない裏切り行為のはずだ。
それなのに研究施設で受けたスタッフたちの冷たい対応と、シャドウに飲み込まれた同胞。それによって、どちらが味方なのか判断できないでいる。そのことが、ノエルを鎖のように動きを縛り付けていた。
全て敵だと割り切れば良いだけなのに、ノエルは迷っている。それは同郷だからか、同属だからか。それとも別の情でも湧いているのかカイゼルには判断しかねた。
だからこそ、ノエルの苦悩を取り払うためにカイゼルは声をかける。迷いは苦痛を与えると、カイゼルはそう学んでいたから。
「これが、今の俺だ」
そう言葉を投げかけ、カイゼルはその場を離れる。ライフルモードのスライプナーをセットすると、容赦なく相手の少女に撃ち放った。
おかっぱ頭の少女が、悲鳴を上げる。だが、シャドウISはまだ展開している。それではダメだ。シールドバリアーが完全になくなり、ISが強制解除されなければ戦闘不能とは言えない。
だからこそ、徹底的に叩き潰す。それが、カイゼルの覚悟だった。進んで命まで取ろうとは思わない。ただ、必要であるなら殺すことも厭わない。
その覚悟は、幼い身には余りにも重い。10代半ばという感受性豊かな年齢を迎えたカイゼルの心は、気づかぬうちに壊れていく。
「今の俺は…!」
スライプナーを持ったまま、手のひらに握りこぶしサイズのパワーボムを転送した。それを投げつけると、息をつく間もなくスライプナーを展開。
ボード状となったスライプナーに乗り、相手に向かって突撃する。
その攻撃名は、ブルー・スライダー。エネルギー力場を最大出力で発生させ、最高速度で敵へと突撃、切り裂き圧壊させるスライプナーの最強奥義。
「お前たちの敵でしかないッ」
目の前のシャドウがパワーボムの爆風から姿を見せた。搭乗者である少女は虚ろな目を大きく見開いてカイゼルを見つめている。
それが少女自身によるものか、シャドウの反応であるのかは分からない。
ただカイゼルは目の前の標的を視認すると、エネルギー力場の発生したスライプナーで敵シャドウのボディを押しつぶした。
《ア゛ァァアアアアア゛ア゛ッッッ!》
少女の甲高い悲鳴とともに、シャドウの装甲が砕けて散っていく。シールド・エネルギーを使い果たし、直接装甲へとダメージが与えられたのだ。
その光景は、見る者によっては衝撃的な光景だろう。絶対の防御力を持つISが破壊されたのだから。これが公の場であれば、その衝撃は現在の世界基盤を揺るがしかねないほどのものだ。
シャドウの機能が停止したのか、相手の少女からISが解かれていく。
意識を失い、地面へ倒れこむ少女。
それを見たカイゼルは地上へと着地し、少女へと歩み寄った。先ほどの凶行は見る影もなく、少女はピクリとも動かない。
精神崩壊…シャドウ化による後遺症だ。徐々に見えてきた少女の瞳に光がないことから、カイゼルは間に合わなかったことを悟る。
シャドウ化によるリスクは、その際に起こる暴走だけでは済まない。シャドウの機能を停止させたところで、搭乗者の精神には汚染率に応じて後遺症が残ることがある。更に言えば、ISコアの再利用も不可能となってしまう可能性も孕んでいた。どちらも、汚染率が高くなれば救出は困難になる。
今回の少女は、もう手遅れだった。カイゼルがその肌に触れても、ピクリとも動かない。その反応を見て、カイゼルの胸が締め付けられた。
「俺には……お前たちを救えない」
少女を抱き起こし、カイゼルが言葉を放つ。その言葉を向けた相手は、ノエルだけではないだろう。抱き起こした少女に対してもまた、カイゼルは謝罪していた。
シャドウ化による末路は、余りにも惨めで、残酷だ。生きることも、死ぬこともできない。精神崩壊した少女は、生きた屍となって緩やかに死へと向かうだろう。
助けることはできたはずだ。それなのに、少女をそんな地獄へと追いやった自分の弱さを、カイゼルは呪った。
無意識に、少女の体を抱える手に力を込める。その時、少女から聞こえた声にカイゼルは目を見開いた。
「コ…ロ…し……て」
小さく、今にも消えそうな声だ。おそらく、少女に言葉を出している自覚はないだろう。精神の崩壊した状態では、考えることすらできないからだ。
ならば、その声は少女の無意識的な叫びといえよう。意識もない中ですら、少女は救済を望んでいた。その意味を、カイゼルは理解していた。
「……分かった」
黒髪の少女からの〝お願い〟を、カイゼルは聞き入れる。施設で生きていたカイゼルにも、人形であることの苦しみは十分に分かっていた。
リリンの命令は、施設の破壊だけ。精神崩壊した時点で、少女の命など奪わなくても構わないだろう。
だから、この時だけは、カイゼルが自分自身で決めた行動だった。
少女の身体を、ゆっくりと地面に下ろす。静かにその姿を見下ろすと、カイゼルはその手にスライプナーを握った。
「……すまない、助けられなくて」
スライプナーを少女へと向ける。見下ろした先に映る少女は、何も反応を示さない。
その光景を、カイゼルは胸に刻みつける。全て、自分の弱さが招いた結果だと。少女が最後に、自分の意志を示したことを、人として生きた証を、忘れないように。
「やめろ、カイゼル!」
カイゼルのやろうとしていることを見て、ノエルが悲鳴にも似た叫びを上げる。ノエルは悟っていた。カイゼルの心が限界であることを。
だが、そんなノエルの叫びを無視するように、カイゼルはスライプナーの引き金を引いた。
「ニュートラル・ランチャー…シュート」
カイゼルの言葉と共に、スライプナーから放たれた光が、その場を眩く照らし出す。
光によって照らし出されたカイゼルの表情は、苦しげに歪められていた。
今回は戦闘に加えてカイゼル自身の迷いや精神的弱さを書いてみました。上手く書けているか不安ですね。前話よりもメンタル面で脆くなってしまったかもしれません。この辺は描写の要研究ですね。精進せねば…!
それでは、次話以降もお会いできることを願って。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
四話 《後悔を超えて》
本編中ではまだ触れていませんが、カイゼルやノエルの出身施設はサボテン様の『Suplage』を採用することとなりました。サボテン様、素敵な名前をありがとうございます。
最近原点回帰の意味を込めてISの小説を再読し始めました。永らく読んでなかったこともあり、色々と展開等で考えさせられます。特に転入時期。果たしてどのあたりにするかで主人公の立ち位置、人間関係も変わってきてしまいます。なかなかの悩みどころですね。
さて、こんな話をするからには次回から学園編、ということになります。
戦闘人形編は一旦の終幕となりますので、最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
では、どうぞ。
一面に広がる死の世界。其処にはそう言えるほどの無機質な景色が広がっていた。
荒れ果てた大地は褐色の肌を晒し、周囲には瓦礫が散在している。草木は一本もなく、生命の息吹を感じない。ただ、静寂のみがその場を包み込んでいる。
その静けさの中、カイゼルはただその場に佇んでいた。死んだ世界において、命あるその姿はかえって異質な印象を与えている。
「何故だ、カイゼル」
そんな彼を、呼ぶ声が響いた。その場を満たしていた静寂を吹き飛ばしたその声は、凛とした女性の声だ。
その声にカイゼルが振り向くと、ノエルの姿が視界に入る。その表情は、以前にあった時の印象とは違う。長く伸ばした金髪が風に揺れる中、ノエルはカイゼルへと近づいた。
「何故あの少女を殺した!?」
ノエルがカイゼルに掴みかかり、激情のままに言葉を吐く。ISの装甲に包まれたカイゼルにとっては、避ける必要もない無意味な行動だ。
冷たい装甲に触れたノエルの手は、掴むこともできずに滑り落ちていく。前に移動した重心を支えることもできず、ノエルはそのままカイゼルの胸にその身を預けることとなった。
カイゼルは身じろぎもせず、その身体を支える。その口が、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ソレが彼女の願いだった…」
カイゼルから紡がれた言葉は、淡々としていた。感情を感じさせない声音に、ノエルがカイゼルの顔を見上げる。
「……もうあの子は死んでいたんだ」
カイゼルは、いつものように無表情だった。だが、以前ノエルが見た人形のようなものではない。
己のうちにある感情を、懸命に見せないように作り上げた仮面のように、どこか違和感を抱かせる顔だ。その表情の差を、ノエルは見逃さなかった。
「だとしても! お前が命を奪うことはなかったはずだ」
カイゼルの言葉に、ノエルは苛立ちを露わに言葉を放つ。カイゼルは理解しがたいという様子だ。
確かに、ノエル自身でも何故これほど苛立っているのかは分からない。カイゼルが同胞を殺したことに対する怒りなのか、施設を裏切ったことに対する失望から来るのか。確かに、そういったことも苛立ちの原因かもしれない。
だが、ノエルが今この激情をカイゼルにぶつけているのは、別の要因が影響していた。
「…全て俺の責任だ。あの子を助けられなかった。ならば最後に願いを聞くことで、清算するしかないだろう」
「そのために、お前はどうなっても良いというのか!?」
カイゼルは全て、一人で抱え込もうとしていた。少女の死も、施設への裏切りも、自分の気持ちに嘘をついて、心が壊れていくのを無視してまで、自分に架せられた任務を果たそうとしている。
戦闘人形として過ごした時間が長すぎて、人としての自らを余りにも軽視しているのだ。
その心情を、ノエルが把握しているわけではない。ただ、カイゼルが人知れず傷ついていくことを、ノエルは感じ取っていた。
だから、憤っていたのだ。カイゼルが助けを求めないことに。
そして、ノエルは自身がカイゼルの支えになれないことが、どうしようもなく辛かった。
「…私はただお前と対戦しただけだ。お前からすればただの他人だろう」
ノエルが静かに口を動かす。そのことに、カイゼルは何も言わなかった。
ノエルの言葉など、聞いているかもわからない。ただそれでも、ノエルは口を動かさずにはいられなかった。
「それでも私は、お前のことが壊れていくのを見たくないんだ」
ノエルの声が、震えていく。涙を流すことはしない。ただ、声が震えているだけだ。
それでもハイパーセンサーによる生体情報から、カイゼルはノエルが泣いているということを知覚する。
「俺はお前たちの敵だ…何故俺のことを心配する?」
ノエルの言葉に、少なからずカイゼルは戸惑いを覚えていた。同胞を殺し、施設を裏切ったカイゼルは、糾弾されるべきであって、情けをかけられるような存在ではない。
そう思っていたのに、ノエルはカイゼルのことを心配した。
それがどうしてなのか、カイゼルにはわからない。だがノエルの言葉は、少しだけ暖かいと思った。
「お前は私を助けてくれた。それだけで私にとっては十分だ」
ノエルは、カイゼルの問いに答えるべく声を出す。その声は、どこか穏やかな口調だ。
「それに――私が倒す前に、壊れてもらっては困る」
そう付け足して、ノエルはカイゼルから離れる。その言葉がどう言う意味かすぐにはわからなかったカイゼルも、それが以前の対戦のことだと思い至るとため息をついた。
カイゼルの心は壊れかけたままだ。ただ、ノエルの言葉に幾分気持ちは楽になる。
「覚えておく」
そう答えたカイゼルの表情は、少しだけ柔らかいものとなっていた。
施設の破壊から数日。あの後、カイゼルはノエルを伴ってリリンの拠点である『フレッシュ・リフォー』へと帰還していた。
フレッシュ・リフォーは南極に位置するリリンの工廠プラントであり、周辺一帯は私有地として外部からの侵入者を拒んでいる。強力なジャミングと何重にも仕掛けられたプロテクトのおかげで、世界においてその全容を知る者はごく一部のみだった。
ノエルの保護を許可したリリンは、カイゼルから任務の事後報告を受けた後に、ノエルを連れ立ってどこかへと姿を消している。
その際割り当てられた部屋で、任務があるまで現状待機というのがリリンからの命令だった。
そのため、カイゼルはベッドにその身を預けている。無為に時間を過ごすことには施設で散々行ってきたことだ。そのことに苦痛は感じない。
ただ、思考するとどうしてもシャドウ戦のことが思い起こされた。あの時、どうすれば少女を助けることができたのか。そればかりを考えて、胸の奥が鈍く痛む。
研究員の命を奪ったこともそうだが、カイゼルにとって作戦上必要であるならば殺戮という手段をとることに疑問は抱かない。他者の命を奪うことに何も感じないわけではないが、だからといって躊躇すれば自分の身が危うくなるからだ。
ただしそれは任務上の行動であり、その時点で殺戮という選択を取らずとも任務達成が可能である場合、命を奪う行為はしたくないというのがカイゼルの本音だった。特に、シャドウ化現象がなければあの少女の命を奪うことなく無力化することも可能だっただろう。〝もしも〟の話とはいえ殺さずに済んだ可能性がなかったわけではない。そのことが、少女の死をカイゼルが引きずっている原因だった。
帰還してから知ったことだが、シャドウに飲まれた少女の名は『サヤ・ナナセ』というらしい。知る必要もない情報だったが、リリンから聞かされた経緯がある。特にリリンが意図を持って教えたとは思えないものの、知ってしまった以上忘れることもできない。ただ、何故施設にいたのかまでリリンは教えてはくれなかった。
あの時、サヤは死を選んだ。その願いを叶えたことは間違いだと思ってはいない。
だがしかし、カイゼルは彼女を二度殺したのだ。精神汚染による心の死と、スライプナーによる肉体的な死。前者に関してはシャドウ化現象が直接的な要因だが、汚染数値が低いうちに無力化できれば助かったかもしれない。そもそも、シャドウ化を促したのも結局カイゼルの攻撃によるものだ。
「全て今更だ…」
そう呟き、カイゼルは思考を切り替える。後悔したところで、奪った命が戻ってくるわけでもない。
何もかも、カイゼルは奪ったのだ。施設も、そこに居た研究員も、サヤの命も、優劣などない。全て、カイゼルが手にかけたことに変わりはない。
そのことは、カイゼル自身の罪だ。一生背負って生きていくことでしか、その罪は精算できない。
「…俺は、この痛みを忘れない」
目を閉じたまま、言葉を紡ぐ。感情を殺すことで、何も考えない戦闘人形に戻ることは簡単だ。
だがそれは、自らの行動を否定し、奪った命を冒涜する無意味な行為だ。
人としての名を与えてくれたリリンにも申し訳がない。だからカイゼルは、言葉に出して贖罪を誓った。
その時、壁面に埋め込まれた通信装置が着信を知らせる音を鳴り響かせる。突然の通信に驚くこともなく、ベッドから身を起こしたカイゼルは回線を開くために立ち上がった。
《お久しぶりですね、カイゼル》
回線を開くと、通信装置に備え付けられた小モニターにリリンの顔が映る。特徴的なヘルメットで素顔を隠しているのは相変わらずだが、その姿を見るのも久しぶりだった。
リリンからの通信に、カイゼルは目を伏せて礼をする。軍人ではないためか、簡素なその態度にもリリンは特に言及することはなかった。
《その様子を見る限りは、休養できたようですね》
「気を遣わせてすまない…」
リリンの言葉に、カイゼルは謝罪する。おそらくリリンから見ても、自分の状態は酷かったのだろう。数日間にも渡って休養をもらったおかげで、感情を整理することもできた。
リリンに謝罪をすると、相手は口元に手を当てて笑う。その態度を見て、それほどリリンが気にしていないことをカイゼルは感じ取った。
《人形に戻っていないようで安心致しました。その感情を忘れないように》
「……分かっている」
リリンからの忠告を、カイゼルは素直に受け取る。多少なりとも心配はしたのだろう。リリンの表情はわからなくとも、その声音は幾分ほっとしたような響きを含ませていた。
「…それで、用件は?」
リリンが通信してきたのは、何もカイゼルの心理状況をチェックすることだけではないだろう。何か別の要件があるはずだと、カイゼルは訪ねた。
カイゼルからの言葉にリリンが少しばかり不機嫌そうな声を出す。
《……カイゼルには女性に対する接し方を教える必要がありますね》
どうやらリリンの気分を害してしまったようだ。もう少し、私的な会話を続けるべきだったかと思い至り、カイゼルは自省する。
施設で暮らしていた期間が長かったのもあり、対人関係に関してカイゼルは淡白な傾向にある。とはいえ、一般的な人間関係などリリンが初めてだったこともあり、現在の対応もいささか仕方ないと思えた。
「……」
《ハァ…まぁいいでしょう。用件が他にあったことは事実ですし》
カイゼルが難しい表情で沈黙したのを見てか、リリンが嘆息する。どうやら見逃してくれたようだと、カイゼルは内心安堵した。
ただ、リリンが帰ってくれば女性用の振る舞い方も教えられることになるかもしれない。そう考えると、少しだけカイゼルは疲労感を覚える。
そんなカイゼルの心情を気にすることもなく、リリンはその身を正すように身動ぎをした。
《カイゼル・エンドレート。貴方を、IS学園に編入することが決まりました》
リリンは少しばかり声を厳かにすると、カイゼルに対して言葉を紡ぐ。
リリンから放たれた言葉に、カイゼルは少しばかり戸惑いをみせた。
IS学園のことはカイゼルも知識で把握している。日本という島国に存在する、ISを専門的に扱い、運用するための技能や知識を教練している場所だ。ISを初めて開発し、その操縦者も日本出身ということでアラスカ条約により日本へと設置された経緯がある。
国家権力の及ばない点において、IS操縦が未熟な操縦者を保護する役割もあるらしい。確かに、現在のカイゼルの立場で言えば在籍することに問題はない。
ただ、ISを扱えるのは基本女性のみ。つまりIS学園は事実上女子高状態なのだ。そんなところに男が入るというのは、悪目立ちするのではないだろうか。
《既にISの操縦資格を持つ男性が在籍しています。カイゼルが懸念を抱くことはありません》
カイゼルの考えを見透かしたかのように、リリンが口を開く。どうやらIS学園への編入は決定事項だ。
抵抗するだけ無意味だと判断したカイゼルは、諦めたように息を吐く。それを見たリリンが、クスリと笑い声をこぼした。
《今回の編入はその男性の護衛も兼ねてます。任務として考えればさほど苦にもならないでしょう》
「……了解した。編入時期は?」
リリンの言葉に、カイゼルは頷いてみせる。早々に先を促したカイゼルに気を悪くすることもなく、リリンは言葉を続けた。
《一週間後ですね。詳細は情報端末に送っておきます》
そう言い残すと、リリンが画面から消える。通信回線を切ったようだ。一方的な対応といえばそうだが、カイゼルに対して信頼を寄せている証とも言える。
過度な期待のような気もするが、リリンに対して文句があるわけでもない。IS学園に編入することになれば、対人関係も学ぶことができる。そう考え、否定的な思考を排除した。
「……IS学園、か」
そう呟いたカイゼルは再びベッドへと身を委ねる。その胸で、青いペンダントが薄く輝きを放っていた。カイゼルの専用機、『テムジン747J』の待機形態だ。
未だ世界に認知されていない、第4世代IS。力としてはおそらく最高クラスと言える。だが、その性能を満足に引き出していたとは、到底思えない。
問題は、力を使うカイゼル自身。己の力量不足であることを自覚し、カイゼルは覚悟を決めた。IS学園で、自らを鍛え上げる。もう二度と、後悔しないために。
胸の内で密かに決意すると、カイゼルは目を閉じた。
カイゼル・エンドレートという存在は、今後世界にとって重要なファクターへと変わっていくこととなる。その運命を自覚し得ないまま、カイゼルは深くその意識を落としていった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
この話では前回の話でカイゼルが抱いた迷いを覚悟に変える話となっております。リリンに名前をもらったことで、一人の人間として成長していく第一歩を心がけたつもりですが、読者の皆様にはうまく伝わったでしょうか?
それでは、また次回お会いできることを願って。
目次 感想へのリンク しおりを挟む