法華経転読 (wash I/O)
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 転読(てんどく)とは、辞書的な意味を引くと法会において,経の題名と初・中・終の数行を読み,経巻を繰って全体を読んだことにする読み方(大辞林)のことであり、要するに過分に儀礼的な読経儀式である。古代には、この転読を神前でおこなって以ってその加護を願うことが、国家公認の官僧の主要業務だった。現代も東大寺等で年中行事として挙行される法会にその名残を認めることができる。

 

 それはそれとして、拙稿の表題は“てんどく”ではなく“うたたよみ”と読むことにしたい。そんな日本語はないのであるが、転寝(うたたね)あたりのニュアンスから、意図するところをお察しいただきたい。

 

 “法華経(ほけきょう)一部八巻二十八品(いちぶはっかんにじゅうはっぽん)”という言葉が示しているように、法華経は全二十八章から成る……厳密にはこれは正しくない、後述……経典である。これを序品から順に読んでいってもきっとダレるだけなので、本来の順序に依らず、何らかのテーマ設定から任意に選んだ章をアットランダムに精読していくスタイルを採ろうと思う。

 

 本稿はその序として、法華経について概説する。もっとも、以下はボク個人の理解の備忘録なのであって、今から述べることも、あくまでも「ボクはこのような理解を前提としてこの連載を書いていきますよ」という宣言に過ぎないこと、を了されたい。

 

 さて。

 

 法華経は紀元1~2世紀頃にインドで書かれたものらしい。作者はわからないが、体裁上は釈迦(しゃか)(紀元前7~3世紀頃の人、念のため)が説いたものを弟子の阿難(あなん)が聞き伝えたもの、とされる。成立年との隔絶を考えれば、万が一にも釈迦の直説である可能性はないし、百万歩譲って釈迦直説の正確な伝承であったとしても、その内容はかなり荒唐無稽なものであり、たとえば次下に示す章句を読めば「釈迦が説いたから皆是真実(かいぜしんじつ)である」などという主張が、如何に馬鹿げたものであるか知れよう。

 

 そのとき、世尊(せそん)のみ前において、大衆のつどう中央あたりの大地から高さ五百由旬(ゆじゅん)、周囲もそれにふさわしい七宝づくりの塔が現れ出てきた。そして虚空に昇り、中空に安座した。

法華経第十一章冒頭より

 

 由旬というのは古代インド語“ヨージャナ”の音写で、旅行レベルで用いられる長さの単位であり、一説には約15Kmとされる。つまり高さ7,500Km、宇宙空間にまで届く高さの宝塔が地面から突如湧き出してきて、しかも空中に静止した、というのであるから、信仰としてどのように解釈するかはともかく、これを字義通りの歴史的事実であると考えるのは、ちょっと頭がどうかしていると言わざるを得ない。

 

 一方で、少なくとも我が国の歴史においてはこの法華経が、仏典中最高のものとして尊崇を集めてきたこともまた事実である。これは単に天台宗、日蓮宗がそうであるのみならず、読者諸兄もそうとは知らないだけで、実は法華経由来の観念を多く無意識のうちに受容していたりもするのであるが、その詳細は追々触れていくことにしよう。

 

 言わんとするところは、法華経そのものは、概ね1~2世紀頃に書かれたものであろう、という他は、どこの誰が書いたものかわからないし、その内容についても到底この世の客観的真実について述べたものとはまったく見做せない代物である。

 

 が、一方で、現代の我々の思考様式にも深く関わるほどに我が国の文化の根底に深く染み込んでいる経典でもある、ということである。この法華経を、与太話であるとわかった上で、なぜその与太話が大きな影響力を持ち得たのか、そこにはどのような意味があるのか、について、ボクも与太話をする、というのが本稿の趣向である。

 

 さて、上掲の法華経引用は現代文で示した。その出所、すなわち本稿で使用する底本を紹介しておくことにする。『現代語訳法華経<上・下巻>』(中村瑞隆著,春秋社,1995-1998)である。本稿中、特に断わりなく引用されている部分はすべて同書からのものとご承知おき頂きたい。

 

 法華経……インドにおけるサンスクリット語原典の名前をそのまま呼べば“サッダルマ・プンダリーカ・スートラ”になるのだが……の訳本としては、古来、4世紀の訳聖、鳩摩羅什(くまらじゅう)の手になる『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』が随一のものとして珍重されてきた。日蓮宗の開祖日蓮も、基本的には自説の種本にしている。蛇足であるが、彼は他二つ『正法華経(しょうほけきょう)』『添品妙法蓮華経(てんぽんみょうほうれんげきょう)』も読んでいて、比較検討の上で、原則羅什訳を採用しているようである。

 

 本連載でも必要に応じて……主に漢文の方が格好いいから、という理由で……妙法蓮華経を引くつもりではあるが、原則としてはわかりやすさを優先し中村師の訳文を用いることにする。なお、師の訳文は妙法蓮華経からの重訳ではなく、二種のサンスクリット語写本を底本としつつ、妙法蓮華経を含む複数の訳本・原語写本とも比較検討して訳出されたものになっている。

 

 これでどんなことが起きるか、というと、たとえば、法華経一部八巻二十八品、と先に書いたが、これは妙法蓮華経が一般に八巻の巻物として製本され、二十八章から成っていたことに由来する言葉である。一方で、サンスクリット語原典に遡ると法華経は二十七章構成であり、漢訳妙法蓮華経では上に引用した章句で始まる第十一章を、二つの品に分割していることがわかったりするのである。厳密に言うと事情はもう少し複雑なのだが、これについては追々触れていこう。

 

 妙法蓮華経の内容については、一部羅什の意訳の限度を明らかに超えていると思われる挿句……方便品第二の十如是などがよく知られる……を除けば、その内容が原典から大きく逸脱しているという指摘はないので、決して妙法蓮華経を疑って中村師訳を採るとするワケではない。

 

 むしろ、中村師は日蓮宗の僧侶であり、かつ立正大学々長を務めた御仁であらせられるから、むしろこちらの訳の方が日蓮教学に由来する逆汚染を受けているかも知れない点は考慮すべきではあるが、入手以来幾度となく本書を通読したボク個人の心象としては、まったく正確無比であると阿るつもりは毛頭ないが、中村師は非常に誠実な訳を提供してくださっていると判じている次第である。

 

 なお、原典直訳の法華経には他数種があり、中には完全に学問畑の方の手になるものもあるから、そちらの方がボクのような読み方をするものには相応しいのではないか、という指摘もあるかも知れないが、ボク個人が本書に思い入れが深い、という理由でこれを却下する。というのも、手元の上下二巻は、妻が一緒に暮らし始めて最初の誕生日にプレゼントしてくれたものなのだ、と唐突に惚気。

 

 そんな感じで、次稿から第1話として、法華経のとある章の精読に入っていく。各章はそれほど長くないし、かつ、これは法華経に限った話ではないが、仏典というのは散文の論述部分に続いて、ほぼ同趣旨の韻文が繰り返される構成を採ることが多く、実質的な長さは更に短くなるものである。とは言え、釈迦の時代まで遡ることはないにせよ、ざっくり二千年前に書かれた文章であるから、我々の日常的な常識からは俄かに理解し難い語句や修辞が多いことも事実であり、精読には章毎にそれなりの文字数を要することとなろう。

 

 また、法華経の章の中には、日蓮マニア・法華経マニアを自認するボクですら眠気を禁じえない冗長な章が含まれていたりもする……特に六章から九章(授記品第六~授学無学人記品第九)の退屈さ加減は呆れるばかりである……ので、読了にはそれなりの覚悟を要する。ダレないように適度にくすぐりを入れていくので、それをお楽しみいただきつつ……どちらかと言えばそちらが筆者自身目的であるような気がしないでもないが……お付き合いいただければ幸いである。

 

 

                    *

 

 

 本稿は、2015年12月から2016年8月にかけて、当時運用していた拙Weblogに同表題にて連載していたものを再編集したものとなる。当該Weblogが今夏サービス終了となるのを受け、そのまま散逸させるのも惜しいように手前味噌ながら思われたので、ある程度使い慣れたこちら(ハーメルン)に移植しておくことを思いついた。

 

 明らかにこれは“小説”ではないが、『法華経』という二千年前に書かれたおそらくは人類最古級“SF小説”の二次創作、ではあると思うので、そのように理解してもらってご寛恕いただきたい。

 



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第一部 解読篇
第1話 成仏大安売り……第十章“法を説く師”


 記念すべき(?)第1話は、法華経第十章“法を説く師”(妙法蓮華経法師品(ほっしほん)第十)を取り上げる。

 

 八幡賜衣(はちまんしい)伝説*1、というものがあってその元ネタが本章と考えられるのであるが、果たして原典は何を言っているのか、賜衣伝説と同じなのか、あるいは異なるのか、を検証し、以って、その意味するところを読み解くことを目的とする。八幡賜衣伝説のオリジナルは日本天台宗の開祖、伝教大師最澄について彼の死からそう遠くない時分に書かれた伝記だと思われるのだが、ここでは日蓮の言及を通じて八幡賜衣伝説を振り返ってみたい。

 

 日蓮著『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』において日蓮は、扶桑記(ふそうき)に云く、すなわち『扶桑略記(ふそうりゃっき)』にこのような話がある、としてこのエピソードを紹介している。残念ながら現存する略記は桓武帝時代に触れた原巻が遺失しており、当該期間については抜萃本が伝えられるのみである。同本には、以下に引くところの八幡賜衣伝説は含まれていない。ここではひとまず日蓮を信用して、彼が略記にこうあったのだ、と主張している引用をまず見てみることにしよう。

 

 又、伝教大師、八幡大菩薩の奉為に神宮寺に於て、自ら法華経を講ず。乃ち、聞き竟て大神託宣すらく「我法音を聞かずして、久しく歳年を歴る。幸い和尚に値遇して、正教を聞くことを得たり。兼て我がために種種の功徳を修す。至誠随喜す。何ぞ徳を謝するに足らん。兼て我が所持の法衣有り」と。即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて、手ら紫の袈裟一つ、紫の衣一を捧げ、和尚に奉上す。「大悲力の故に幸に納受を垂れ給え」と。是の時に、禰宜・祝等各歎異して云く「元来、是の如きの奇事を見ず、聞かざるかな」此の大神施し給う所の法衣、今山王院に在るなり。

(諫暁八幡抄、句読点鍵括弧は引用者が適宜補った)

 

 冗長になるが、語意を補いつつ現代語訳してみよう。

 

 また、伝教大師=最澄は、八幡大菩薩へ奉るために宇佐の神宮寺において、自ら法華経を転読(てんどく)しました。これを聞き終わって、大神=八幡神が託宣を下しました。「私=八幡神は、(仏)法の音色を聞かないまま、久しく歳月を経てしまった。幸運にも、和尚=最澄に出会い、正しい教えを聞くことができた。最澄は、私のために前以てたくさんの徳を積む修行をしてきてくれた。誠に嬉しい。どうやってその徳に報いようか。ここに、以前から私が所持してきた法衣がある」と。そう言うと八幡神は自ら宝殿を開いて、自身の手で以って紫の袈裟一着と紫の衣を最澄に捧げました。「大きな慈悲の力でもって納めていただければ幸いです」と。このとき、宇佐神宮寺の神職たちは「このようなことはかつて見たことも、聞いたこともない」と驚き歎きました。この八幡神が与えた法衣は、今は(比叡山の)山王院にあります……といった具合になる。

 

 念のために言っておくと、以上の出来事が歴史的事実であるはずがないし、そもそも、この記述の真実性自体はどうでもいい話だ。注目すべきは、このような言説が何者かによってなされ、語り継がれ、何らかの説得力を以って通用した、という点である。

 

 扶桑略記の成立は11世紀末、日蓮が八幡抄を書いた時点(1280年)まで、およそ200年の開きがあるし、さらに元ネタであると考えられる『傳教大師傳』まで遡れば、少なく見積もっても300年を経た伝承である。いくら現代とは時間の流れ方が異なる中世の話とは言え、これだけの期間を経てなお有効な伝承というのは、それだけ人の心を捉えていたことの証しであろう。

 

 さて次に、これを引いた日蓮が、それをどのように読んだのか、諫暁八幡抄の続く一節から読み取ってみたい。

 

 法華経第四に云く「我が滅度の後に、能く竊に一人の為にも法華経を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。乃至如来、則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云。当来の弥勒仏は、法華経を説き給うべきゆへに、釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ。又伝教大師は、仏の御使として法華経を説き給うゆへに、八幡大菩薩を使として衣を送り給うか。

(諫暁八幡抄)

 

 ここでも手間を惜しまず現代語訳しておくことにする。

 

 法華経の第四巻にこうある。「私=釈迦が死んだのち、ひそかにたった一人に対してのみでも法華経を説く人がいるとすれば、その人は如来=釈迦の使いであると知りなさい。如来は衣でもってその人を覆うことでしょう」と。未来において仏となる弥勒(みろく)は、法華経を説いてくださることになっているので、釈迦は迦葉(かしょう)を使いとして衣を贈られました。また、伝教大師=最澄は、釈迦の使いとして法華経を説かれたので、(釈迦は)八幡大菩薩を使いとして衣を贈られたのでしょうか……ほどの意味になろう。

 

 法華経第四とあるのは、第四章のことではなく、伝統的に八巻の巻物として書写された妙法蓮華経の第四巻のことを言っていて、ここに本稿で取り上げるところの法師品第十が含まれる。そこからの引用は、日蓮は一続きのように書いているが、実際には我滅度後~則如来使乃至如来~覆之は、()……仏典中、韻文=詩形式で表記される要点のリフレイン……を一つ挟んで配された、まったく異なる文脈の章句である。ここではそのことを指摘するに留め、詳細は中村師訳を読み進める中でそこに至ったときに触れることにする。

 

 続く弥勒云々の下りは法華経由来ではない。日蓮が自身の典拠を示していないので断言はできないが、一般には『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』という釈迦およびその弟子達の伝記に由来する釈迦が弟子の迦葉に衣を与えたとするエピソードが、後に釈迦から迦葉に対する正統後継者指名であったと見做されるようになり、さらに転じて弥勒下生信仰と結びついて、釈迦が次世代の仏陀である弥勒への権威継承を示したものであると解されるようになったこと、を受けてのものと思われる。ちなみに、弥勒信仰の世界ではこれを伝統的に“伝衣(でんね)”と呼ぶ。

 

 なお、仏本行集経を素直に読む限りにおいて釈迦が迦葉に与えた衣は、八幡神が最澄に与えたとする紫……伝統的に最高位を示す貴色である……の衣、ではなく、“糞掃衣(ふんぞうえ)”すなわち、汚物を拭き取るくらいにしか用をなさないほどの粗末な布を使った衣、であり、伝統的にその色は黄土色や青黒色だ。これは、インドのいわゆるカースト制において最々下層とされる不可触民……日本における穢多・非人を想起せよ……が、身分標識として強制された着衣に直接的には由来する。食を乞う人、であった比丘(びく)=出家者は、自ら最々下層の人々と着衣を合わせることで以って、自身が世俗から離れたことを示した、と一般的には理解されており、現代の東南アジア圏の上座部仏教僧の着衣もこの伝統に倣っている。

 

 いささか脱線が過ぎたが、つまるところ言葉は悪いが、日蓮の言っていることは“衣”つながりの語呂合わせ、ということになる。このエピソードの意味合いは、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

 とまれ、日蓮は、おそらくは天台教学の伝統的な解釈に則って、法師品には、釈迦の死後に法華経を説く者は如来使であり、仏はその人を衣で覆うのだ、とあるし、この話は弥勒伝衣の話とも通じるので、釈迦の垂迹である八幡神もまた、法華経を説く最澄に衣を与えたのだ、と考えたのであり、これは、そもそもの八幡賜衣伝説を創作した人……おそらくは最澄にそう遠くない弟子筋の誰か……も、ほぼ同様の連想からこのエピソードを大師傳に盛り込んだのだろう、と考えることは出来る。

 

 では、そもそも法華経第十章“法を説く師”は果たしてそういうことを本当に言っているのだろうか、違うとしたら本当は何を言っているのだろうか、を読み解くのが、法華経転読(うたたよみ)第1話のテーマ、ということになる。

 

 なお、念のために申し添えておくが、ボクがやりたいのは、大師傳作者や日蓮が法華経を読み間違えているという指摘、では決してない。法華経成立と日蓮の間には千年の時間の隔たりがあり、この間にその意味合いが変化するのはむしろ当たり前のことであり、逆にまったく変化していないとしたら、そこにこそ超自然的な何かを見出さねばならないことになる。

 

 法華経と、それに連なった人々の言行を突き合わすことでわかるのは、究めれば以下の二点に尽きる。

 

 第一には、およそ二千年前にこういう不可思議な話を書き残した人たちがいた、ということ。第二に、その不可思議な話に、千年乃至は二千年の時を超えて続く人々に何かをさせる力があった、ということ。これらについては疑いようのない歴史的事実である、というのがボクの認識……あるいは、これを“信仰”と言うべきであるかも知れないが……である。

 

 そして、言うまでもなく、ここで“何かをさせる力”と呼ぶそれは、超常的・神秘的な何かを観念しているワケではまったくない。むしろ、それらのテキストを書いた人たちは我々と同じ、喜怒哀楽も希望も絶望も普通に抱え込んだ人間である、という前提の元、その人たちが我々よりも少しだけアレゲな世界へ踏み込んで書き記した言葉が発端となり、そこから生じた連鎖反応を持って“何かをさせる力”と便宜上呼んでいるに過ぎない。そしてボクは、キリスト教の聖書その他の宗教テキストもまた、まったく同じ認識で読むものである。

 

 たとえば、今日は全世界的にクリスマスらしい*2が……そういう日にボクはいったい何を書いとるんだ、という気も今更ながらするのであるが……知っている人は知っているように、本日を以ってイエス=キリスト生誕の日とする根拠、さらにはその生誕を皆で祝わねばならない理由、は、実はキリスト教信仰のセントラルドグマ的には特にないのであって、これはキリスト教が汎地中海世界化していく過程において、偶然の連鎖が生み出した代物に過ぎないのであるが、それが現在において、こうして読者諸兄をしてクリスマスを祝わしめているのであり、これをボクは“何かをさせる力”と呼んでいるのであって、そこには、我々が意識上で認識しているものとは別に、意識下に訴えかける普遍的な何かが潜んでいるに違いないのであるが、普通の人はそこを敢えて自覚的に意識しようとはしないのである。

 

 ボクが“趣味的に”強く関心を抱くのは、まさしくその意識下の部分、テキストや伝承の目に見える部分の底に埋もれてしまい、良くも悪くも我々の思考様式を束縛しているにも関わらず、その正体が莫として掴み難い何か、の、わずかばかりの掘り起こしである。その中でも本稿で以って法華経を取り上げるのは、特に法華経が優れているから、という理由ではなく、単にボクの個人史においてたまたま縁が深い経典であったから、であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と諒されたい。

 

 以上、前置きが長くなったが、ここに述べたような視座を踏まえて、法華経第十章“法を説く師”を読み進めてみよう。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊(せそん)は、薬王菩薩摩訶薩(やくおうぼさつまかさつ)をはじめとするかの八万の菩薩(ぼさつ)たちに仰せられた。

 

 法華経第十章“法を説く師”は上引用の書き出しではじまる。世尊、すなわち釈迦が薬王菩薩摩訶薩を代表とする八万人の菩薩……設定上、他に無数の聴衆がいることになっている……に語ったとされること、が第十章の内容、ということになる。

 

 いきなりの脱線で恐縮なのであるが、以降の内容を理解する上でどうしても必要になると思われるので、まず、そのとき、つまり、法華経第九章が終わった時点までに、どのようなことが語られているか大雑把に触れておきたい。

 

 大前提として、法華経を書いた人々が、“仏”というものを“成る”ものだと考えていたことを抑えておきたい。つまり“成仏”とは、現代の標準的な日本人が考える“死ぬ”の意ではなく、法華経においては文字通り“仏に成る”の意であったということである。同じことを漢訳の妙法蓮華経では得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)と表現し、この成句は法華経の様々な文脈の中で繰り返し登場する。

 

 これは阿耨多羅三藐三菩提を得る、ということだが、阿耨多羅三藐三菩提はサンスクリット語のアヌッタラ・サムヤク・サンボーディの音写で「無上の正しい覚り」ほどの意となる。つまり、彼らにとって仏とは、それが具体的にどのような覚りであるかはともかくとして、無上の正しい覚りを得た人、のことであり、同時に、どのようにしてかはともかくとして、その無上の正しい覚りは、得ることができるもの、と観念されていた。

 

 この見解は、必ずしも<仏教>史を通じて絶対普遍的なものではない点に注意が必要である。狭くは、仏とは歴史的実在としての釈迦のみを指す、と考える人々がいた。もう少し広く考えて、釈迦が説いたとされる仏典に描かれる超越的な存在のみを仏と考え、自分自身がそれになるとは夢にも思わなかった人々もいた。また、無上の正しい覚りを得ることで仏となることが出来るのだ、と考えてはいるものの、同時に、それは普通の生身の人間には決して到達不可能なものだ、と考える人々もいた。

 

 つまり、法華経を書いた人々には、同じ<仏教>の中に、見解を異にする論敵がいた、ということである。

 

 一方で、当時の仏教者の間で概ね共通見解として共有されていたことのひとつに、普通の人間が仏に近づく方法として、以下の三つがあるという認識がある。今後も頻出する語句となるので、その三つにここで触れておきたい。

 

 第一に声聞(しょうもん)。これは、仏そのものか、あるいはその知見を語ることが出来る人物に師事したり、その書き遺したものを読んだりして学ぶことで、自身を仏に近づけていこうとするアプローチを取る人々をいう。

 

 第二に独覚(どくかく)縁覚(えんがく)、あるいは辟支仏(びゃくしぶつ)と呼ぶこともあるが、これは、他者から学ぶのではなく、自分で試行錯誤したり自然の在り様等を観察することで、自身を仏に近づけていこうとするアプローチを取る人々をいう。

 

 第三に菩薩。冒頭に登場した薬王菩薩もそのような人物とされるワケだが、これは、自分が仏の悟りを得ようとするよりも、むしろ他者のそれを支援したり、あるいは直接的に救済することを通じて、自身を仏に近づけていこうとするアプローチを取る人々をいう。

 

 第九章までの法華経は、この互いに相異なる三つのアプローチを統合する試みになっていて、直接的には釈迦の言葉で以って……もちろん、本当に釈迦がそういったのではなく、法華経を書いた人が釈迦の言葉を騙ってそう主張するのであるが……声聞、独覚、菩薩それぞれの道を極めた人に対し「あなたは未来に仏になるだろう」という予言を与える、という体裁になっている。この予言を授記(じゅき)と呼ぶ。詳しくは、追ってそれらの章を精読する際に改めて論じたい。

 

 さて、第十章に話を戻す。

 

 釈迦は薬王菩薩たちに対し、ここに集まった声聞、独覚、菩薩、その他の人々、さらには人間ではないファンタジックな存在諸々が、第九章までを聞いているのを見ていたか、と問いかける。これに対し、薬王菩薩が「見ております」と応じる。この釈迦の問いかけを聴衆が追認する、というやり取りは、やはり法華経の中で頻出する修辞で、語られている出来事の事実性を強調すべくやっているようだ。もちろん、現代的な感覚で言えば何の証明にもなっていないのであるが、少なくとも当時のインドではこれでよかったらしい。

 

 そして釈迦は語りだす。

 

 薬王よ、彼らはすべて菩薩摩訶薩であり、この大衆の中にあって法華経の一詩句を聞くか、一句を聞いただけでも、あるいは、一度でも発心(ほっしん)し、この経典に随喜(ずいき)したとしても、薬王よ、これらの四衆はすべて、無上の正しい覚りを得るであろう、と私は予言を授けるのである。

 

 ちなみに、同じ部分の妙法蓮華経を引くと、

 

 如是等類咸於仏前。聞妙法華経一偈一句。乃至一念随喜者。我皆与授記。当得阿耨多羅三藐三菩提。

 

となって、前述した得阿耨多羅三藐三菩提のフレーズがここにも登場していることを確認することができる。

 

 さて、これは何を言っているのか。

 

 一言で表現するならば、言葉は悪いが「成仏の大安売り」とでも言うべき言明である。これを素直に信じるならば、たとえば今、得阿耨多羅三藐三菩提という法華経最頻出フレーズの一つを知ったあなたも、それを語ったボクも、まさに得阿耨多羅三藐三菩提してしまったことになる。そんな単純なことでいいのだろうか。結論から言ってしまえば、それでいいのだ、というのが法華経の基本スタンスである。

 

 が、追々触れることになるが、同時に法華経は、普通の人=俄かに成仏することが出来ず現世において種々の苦しみの中に生きて行かざるを得ない人々は、この単純明快な言明を信じることが出来ないがゆえに、種々の苦しみの中に生きて行かざるを得ないのだ、という循環論法を、手を変え品を変え繰り返し説く経典でもある。

 

 とまれ、ここではその意味に深入りはせずに、ともかく法華経にはそう書いてあるのだ、法華経を書いた人たちは、どこまで本人たちが本気であったかはともかくそういうことを主張していたらしい、とだけ理解して先へ進もう。

 

 続けて釈迦はこうも言う。

 

 薬王よ、如来(にょらい)入滅(にゅうめつ)されたのちに、だれかある人たちが、この(たえ)なる教えの白蓮華経(びゃくれんげきょう)を聞き、そのたった一詩句(しいく)を聞いただけでも、あるいは、発心して随喜したとしても、薬王よ、これらの善男子(ぜんなんし)あるいは善女人(ぜんにょにん)たちは阿耨多羅三藐三菩提を得ると、私は記を授けよう。

 

 また出てきたでしょwww

 

 それはさておき、先の引用とほとんど同じことを言っているのだが、実はかなり異なることを言っている。着目点は如来が入滅されたのちにであり、やはりこれも法華経中の頻出フレーズの一つになるのであるが、要するにこういうことだ。

 

 言葉通りに受け取る限りにおいて、法華経が書かれた時点であっても、法華経に書かれている出来事は、釈迦本人が語る体裁を採っている以上、遠い過去の出来事なのである。妙法蓮華経では前引用部に於仏前という句があるが、これは「仏=釈迦の前において」と読めるから、釈迦その人に神秘的な力があって、その釈迦が語る法華経の一句なりともを聞くがゆえに阿耨多羅三藐三菩提を得るのだ、という解釈をすることが出来る。

 

 と言うことは、昔は釈迦がいたから成仏することが出来たけれども、今はもう釈迦はいないから無理だね、ということになってしまう。

 

 が、もちろん法華経を書いた人が言いたいのは釈迦の神秘性ではないのである。如来=釈迦が入滅=死んだのちに、というのは、法華経を書いた人たちにとっての現在なのであり、そこに釈迦本人はいないのであるが、その状態にあっても、法華経テキストのたった一詩句を聞いただけで阿耨多羅三藐三菩提を得るのだ、というのが、彼らの真の主張なのである。

 

 つまり、ここに法華経教団……法華経執筆グループをこう呼ぶことにしよう……の二つの信念を知ることができる。

 

 第一に、釈迦その人に唯一無二特別の神性があるのではなく、その説いた内容、法華経教団にとっては自ら創作したところの法華経々典、にこそ唯一無二特別の神性があるのだとする考え方である。字面上は、絢爛豪華な仏菩薩がてんこ盛りなので典型的多神教に見えてしまいがちであるし、それに連なる現代教団の多くも実態としてそうである法華経信仰であるが、少なくとも執筆者自身が尊ぶのは、自ら創作したそれらの仏菩薩といったアイコン、キャラクタ、ではなく、それらを通して表現される理念の方であり、そのような意味において、法華経信仰は本質的に無神論的であり、彼らが尊崇する理念が、漢訳経典のいう“法”、サンスクリットで言えば“ダルマ”ということになる。

 

 第二に、他ならぬ彼ら自身がその法華経を創作したのであるから、法華経教団は、彼ら自身が阿耨多羅三藐三菩提を得たのだ、という強い確信を抱いていた、と言っていいだろう。そして、それをそのまま「ボク、阿耨多羅三藐三菩提を得ちゃった」と当時のインドで……これは現代だってそうだと思うが……主張しても誰も耳を傾けてはくれないので、彼らは釈迦の名を騙ってそれを表現するしかなかったのであり、こうして生まれたのが、今読んでいる法華経である、ということになる。

 

 空恐ろしいことに、考えようによってはこれだけで法華経のほぼすべてを語ってしまったに等しいような気がしないでもないのであり、同時にそれは、ある意味において一詩句を聞いただけでも、あるいは、発心して随喜したとしても、これらの善男子あるいは善女人たちは阿耨多羅三藐三菩提を得るとの授記が、必ずしも空文でないことを証ししているように思わないでもないのであるが、だがしかし。

 

 それがわかったから何だと言うのか。え、今、ボクもあなたも仏なん?阿耨多羅三藐三菩提を得たん?まったく実感が湧かないではないか。が、法華経教団の言い分に従えば、そのように素直に信じることが出来ず疑ってしまうことが、ボクやあなたが末代の凡夫である証し、ということになってしまうのである。

 

 うーむ、一詩句でわかったような気もするけども、どうにも不十分なのでもう少し読み進めたいが、それをするってことは、一詩句で得阿耨多羅三藐三菩提だと断言する法華経を信じていないことになっちゃうじゃん、というのは自己矛盾も甚だしいのではあるが、そもそもボクの目指すところは得阿耨多羅三藐三菩提ではなく、単なるツッコミ芸なのであるから、そこは気にせずに読み進めていくのである、あははー。

 

 

                    *

 

 

 法華経に限らず、仏典においては似たような内容を繰り返し述べる……つまり、リフレインである……ことで、その内容の真実性を強調する修辞が多用される。言い換えれば、仏教典というのはおしなべて冗長だ、ということであり、これを一字一句読む……これを真読(しんどく)という……ことは、無意味とまでは言わないが、さして有益ではない。ましてや、漢訳経典の漢字々義にまで立ち入って連想を広げるのは、どちらかというと害の方が多い、と個人的には思う。全体として何を言っているか、何が言いたかったのか、を把握するのが肝要だ。

 

 本稿は“転読(うたたよみ)”であるから、飛ばし飛ばし読んで然りなのである。なんだか言い訳がましいが、そうなのである、そういうものなのである、そういうことにしておこう……とボクも仏典に倣って三唱しておく。どうしても真読したい人は、中村師の本か、その他の適当なそれを自分で調達してくれ。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 目下精読中の第十章においても、しばし「法華経の一句なりとも聞く者は成仏するのだ」という言明がぐだぐだ(ぉぃ)繰り返されるのであるが、少し毛色が異なる論述が登場するあたりから読みを再開することにしよう。

 

 だれかある男子あるいは女子がこのように言うとしよう。「さて、いかなる衆生(しゅじょう)が、未来世において、正しい覚りを得た、尊敬されるべき如来となるのでしょうか」と。薬王よ、その男子あるいは女子に対しては、一詩句でも受持(じゅじ)し書写するかの善男子あるいは善女人を挙げるべきである。

 

 これも、ここまで言っていることと一見してほぼ同内容ではあるが、やはり一捻りが加わって新しい意味が付け加えられている。法華経を書いた人々が何を言いたいのか、については、ここで言われている未来世とはいつのことなのか、一詩句でも受持し書写するかの善男子あるいは善女人とは具体的に誰のことであるのか、を考えれば一目瞭然である。

 

 法華経中の釈迦から見た未来世とは法華経教団にとっての現在であり、その現在の時点で法華経を奉じる善男子あるいは善女人とは彼ら自身のことに他ならない。要するに「オレたちこそが正しい覚りを得た、尊敬されるべき如来である」というのが彼らの主張、ということになる。より厳密に言えば、彼ら自身を含む、法華経に賛同する人々がそのまま仏なのだ、ということであり、これは前回述べた彼らの二つの信念の一方、阿耨多羅三藐三菩提を得たのだ、という強い確信、の裏返しの言明ということになろうか。

 

 今一瞬「言葉の意味はよく分からんがとにかくすごい自信だ」という古いアニメの台詞が脳裏を過ぎったのだが、事実、古来より法華経に対する揶揄的な批判として「法華経は自画自賛するばかりで中身がない」というものがある。ここでいう“自画自賛”はまさにその通りで、上引用のような、釈迦やその他の仏菩薩の権威で以って遠回しに自分たち=法華経教団を賞賛する表現が、法華経中には頻出する、というか、突き詰めればそれしか言っていない観すらあるのであるが、では“中身がない”のか、ということになると、それは本稿全体のテーマということになるかと思うので、ここでは拙速な結論は下さずにおくことにする。

 

 以下、とにかく法華経を受持する者は尊敬されるべきだ……要するに、オレたちは尊敬されるに値するのだ……ということがぐだぐだと繰り返され、遂には以下のような言明に至る。

 

 かの善男子あるいは善女人は阿耨多羅三藐三菩提を成就したものと知るべきであり、如来と等しいものであり、世間の人々を利益し慈しみあわれむものとして、誓願の力によって、この法門を広く説き明かすために、この閻浮提(えんぶだい)の人々の間に生まれたものと知るべきである。すぐれた法による業報(ごうほう)も、高貴な仏国土(ぶっこくど)に誕生する果報(かほう)をも自ら捨てて、この法門を説き明かすために、私が入滅したのちに、衆生たちを利益し、慈しみあわれむために、ここに生まれてきたものと知るべきである。

 

 ピュアな信仰心で以って読めば、これは感動的な一節なのかも知れない。今目の前で法華経の一句一偈なりともを説いている人がいるとすれば、その人は本来は極楽浄土……厳密には違うのだが、仮にこうしておこう……で遊んでいてよい福徳の持ち主であるところを、そうでない人々を救うために、自ら望んで、敢えてどうしようもなくくだらないこの世に生まれて教えを垂れているのであり、それは仏様の慈悲ゆえなのである、と言っているのであるから。

 

 が、ここまで述べてきたように、そのありがたい善男子あるいは善女人は、これを書いた本人たちのことを言っているのであるから、これを聞かされる側の立場としては、こんな恩着せがましい物言いもないのである。現代風に言えば「何、その上から目線!?」とでも言うべきか。

 

 そして、この文脈に日蓮が『諫暁八幡抄』に引いた一節が登場する。

 

 如来である私が入滅したのちに、この法門を説き明かす場合に、ひそかに内密に説くにしても、まただれか一人に対してであっても、この法門を説き明かし、知らしむるものは、如来の仕事をなすものであり、如来によって遣わされたものと思うべきである。

 

 参考までに、妙法蓮華経の漢訳当該部を引くと以下のようになっている。

 

 我滅度後。能窃為一人説法華経乃至一句。当知是人。則如来使如来所遣行如来事。

 

 日蓮がこの一節を引いた意図が、伝教大師最澄こそが法華経を正しく解釈した人であること、ひいては日蓮自身がその正統継承者であること、を主張するところにあったのは明らかだが、こうして法師品原本の文脈の中でこの一節に至ってみると、幾分ニュアンスが異なることにお気づきいただけるのではないか、と思う。それをより鮮明にすべく、上引用に続く一節にも目を向けてみよう。

 

 これに反して、薬王よ、ある悪人が悪心をもち、不善の心を起こし、害心をいだき、如来の面前で一劫(いっこう)の間、法を(そし)りののしるとしよう。しかしながら、在家であれ、出家であれ、このような法を説くものたちや、この経典を受持するものたちに対して、たとえ真実であろうとなかろうと一語でも悪言を聞かせるとするならば、私はこのほうがもっと重い悪行であると言うのである。

 

 非常に回りくどい表現になっているが、釈迦本人を面前で一劫……仏典で頻出する数万年に及ぶ長い時間の単位……に渡って罵倒するよりも、法華経を受持する人に一言悪口を言う方が罪深い、との主張である。一見して、前引用部に対して不自然なつながりになっているが、結局のところここで言うこのような法を説くものたちや、この経典を受持するものたちが、他ならぬこの文章を書いている本人たちだ、という前提で読めば、その背景がわかってくる。

 

 つまり、何が原因かはここでは捨て置くとして、法華経教団の悪口を言う人が少なからず存在したのであり、彼らはそれを快く思っていなかったのである。そして彼らは、自分たちに対する悪口に対して真っ向から議論することを避け、釈迦の権威で以って、少なくとも彼らの教団内部的には封殺してしまおうとした、ということだ。

 

 このように考えると、日蓮の引用部に含まれる、ひそかに内密に説くにしても、まただれか一人に対してであってもとの句の意図も明らかになる。要するに、法華経教団は、彼らの信念を大きな声で公言したりたくさんの人に対して演説すると、少なからぬ悪口が返って来ることを自覚していたのだ。この挿句は、その悪口に耐えられない教団メンバーに対するフォローなのである。

 

 あくまでもボク個人の感想であるが、何と言うか、非常にちぐはぐな話である。

 

 以上の読みが正しければ、法華経教団は、自分たちこそが阿耨多羅三藐三菩提を得た、人々から尊敬されるべき存在である、との、高慢なまでの自意識を有し、しかも、本来自分たちは仏国土に生まれるべき尊貴な存在であるにも関わらず衆生への慈悲ゆえにに自ら望んでこの世に生まれてやったのだ、とまで嘯く一方で、それを公言すると悪口で応じられると怯え、しかも相手に反論するでもなく内輪向けに「悪口言うヤツは罪深いんや」と言って自身を慰めていたことになる。

 

 何じゃそりゃwww

 

 いや、失敬。しかし、こうして書き出してみると、ここで言う法華経教団の人々がいかにも幼稚で愚かな人々に見えてしまうかも知れないが、これもあくまでもボク個人の見解である、と断った上で言うが、自身失笑しつつも、これを以って彼らを蔑む気にはなれないのである。というのも、上記のような自意識が自分自身を含む現代人全般にまったく無縁である、とは到底思えないからである。たとえば、他ならぬあなた自身が、上に示したようなことをまったく考えたことがない、と断言できるだろうか。

 

 同時に、虚心坦懐に考えれば、そのような自意識を持つことでままならぬ現実の苦しさから、完全に逃れることはできないにしても、一瞬でも安らぎを得られるのであれば、それはそれで結構なことではないか、という気すらするのだ。実際、ちょっと本屋に行って平積みされている漫画やライトノベルをザッと眺めれば、似たような観念が法華経の授記よろしく大安売りされている、と言っても過言でないのではないか。

 

 このことの是非はともかくとして、現代社会ではなく、二千年前のインドに生きた法華経を書いた人々が、自覚的にせよ無自覚にせよ、こういうことを書き遺していた、ということは注目に値する、とボクなどは思う次第である。

 

 

                    *

 

 

 ここで、冒頭からここに至るまでの内容を要約した韻文、いわゆる“()”が挿入される。

 

 存外、やたらと歌って踊るインド映画の原点はここにあるのかも知れない、というのは冗談だが、ここで脱線して、漢訳経典では原典にならって漢詩……厳密には意味内容を優先して韻が無視されるので漢詩になっていないのだが……で表記される偈の意味合いについて少し考察を加えておくのも無駄ではあるまい。

 

 参考までに、妙法蓮華経法師品第十の最初の偈を以下に引いてみよう。

 

 爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言。

 

 若欲住仏道 成就自然智 常当勤供養 受持法華者

 其有欲疾得 一切種智慧 当受持是経 并供養持者

 若有能受持 妙法華経者 当知仏所使 愍念諸衆生

 諸有能受持 妙法華経者 捨於清浄土 愍衆故生此

 当知如是人 自在所欲生 能於此悪世 広説無上法

 応以天華香 及天宝衣服 天上妙宝聚 供養説法者

 吾滅後悪世 能持是経者 当合掌礼敬 如供養世尊

 上饌衆甘美 及種種衣服 供養是仏子 冀得須臾聞

 若能於後世 受持是経者 我遣在人中 行於如来事

 若於一劫中 常懐不善心 作色而罵仏 獲無量重罪

 其有読誦持 是法華経者 須臾加悪言 其罪復過彼

 有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃

 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼

 於八十億劫 以最妙色声 及与香味触 供養持経者

 如是供養已 若得須臾聞 則応自欣慶 我今獲大利

 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一

 

 前置きなしにいきなりこれを見せられると読む気も起こらないかとは思うが、曲がりなりにもここまでの内容を大雑把に押さえてきた今では、読もうと思えば読み通せるのではないか、と思う。

 

 たとえば書き出しの爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言。は、お経として音読する際は「にじせそん。よくじゅうせんしぎ。にせつげごん。」と読む。書き下せば「そのとき世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく」となり、「そのときお釈迦様はもう一度大切なことを伝えるために、以下の詩を詠まれました」ほどの意味になる。ほとんどの偈は、この書き出しを伴う*3

 

 しかし、どうして仏経典はこのような冗長な記述を敢えておこなうのだろうか。

 

 まぁ、これはちょっと考えてみればわかることだが、我々がこれを冗長と感じるのは、全世界史中、例外的に異様に識字率の高い社会に住む我々が、お経を「読み物」と誤解しているからである。現代日本でも葬儀がその様式を保っているが、元来、一般庶民にとってお経は「聞く物」なのだ。

 

 マルチメディアの刺激に慣れ親しんでしまった今日の我々としてはなかなか実感が湧かないものの、少なくとも法華経を含む大乗経典が成立した当時のインド、漢訳経典を手にした時分の中国大陸、そして朝鮮半島を経てそれを紹介された当時の日本において、韻文の朗読は散文のそれに比べて、聞き手にとってはより強く印象に残るものであり、詠み手にとってはより暗唱しやすい、というメリットがあった。偈は、その名残*4なのである。

 

 そして、これを踏まえて考えると、一詩句でも受持し書写するかの善男子あるいは善女人を尊敬すべきであるという自画自賛の主張も、また異なる意味合いを持つことになる。字面のみを追うと、この主張はさも法華経教団が「オレたちにタダ飯を食わせろ」と言っているように見えるし、事実そういう要素もあったとは思うが、同時にこれは、必ずしも識字率の高くない社会において仏典の内容を世代を超えて伝承していくには、その暗唱を専業とする一定の人々を養う必要があったことが反映されているのだ。

 

 もちろん、仏典にそこまでして伝承していくほどの価値があるのか?という問いは別途存在する余地がある。が、ボク個人の価値観としては、すべての人が血眼になって少しでも良い食べ物、美しい衣服、快適な住まいを得ようと競う社会よりは、その一部の人々がそういった競争から離脱した上で、過去から伝えられてきた伝承の維持に専従する見返りに最低限の衣食住は保障してもらえる社会の方が、文化的には豊かであろう、と思う……のであるが。

 

 前掲の偈に続く本章後半部を読むと、そうした法華経教団の理想とは異なる現実が見えてくるのである。続けて釈迦……念のために言うが、本物の歴史上の釈迦ではなく法華経教団を代弁するキャラクターに過ぎない……は、過去、現在、未来に渡り自分は多くの法を説くのであるが、と断った上で以下のように続ける。

 

 それらすべての法門の中で、定めて、この法華経こそはすべての人々にとって受け入れがたいもの、すべての人々にとって信じがたいものである。(中略)この法門は、如来である私のいる現在においてすらも、多くの人々からそしられた。ましてや如来が入滅したのちの世においては、なおさらのことである。

 

 天台法華教学においては妙法蓮華経のフレーズから猶多怨嫉(ゆたおんしつ)況滅度後(きょうめつどご)……怨嫉(なお)多し(いわん)や滅度の(のち)をや……としてよく知られる一節がここに登場する。言うまでもなく、これは歴史上の釈迦がそうであった、のではなく、法華経を書いた人々が必ずしも周囲の人々の理解を得ることが出来ず、むしろ、法華経教団主観から見て怨念や嫉妬で以って応じられたことを言っているのであろう。

 

 そして、ここで日蓮が『諫暁八幡抄』で引いた残り半分のフレーズが登場する。

 

 如来が入滅したのち、この法門を信じ、読誦(どくじゅ)し、書写し、供養(くよう)し、尊重し、他の人々に説き聞かせる善男子や善女人たちは、如来の衣によっておおわれているものと知るべきである。

 

 上引用の結句、妙法蓮華経では如来則為以衣覆之と記されている部分が日蓮の引用部になる。やはり、日蓮の引用意図と原典の文脈上の意味は、微妙にニュアンスが異なっていることがわかる。日蓮は、法華経の意図を正しく解釈した者に対し如来が衣で覆うことで報いるのだ、という意味合いでこの一節を引いているが、原典が言いたいのは、これを書き広めている我々は如来の衣に覆われているのだ、との主張である。何とも皮肉なことではないか。

 

 しかも、実は本章中、妙法蓮華経ベースで五百文字ほど後に、法華経を書いた人々がここでいう“衣”にどういう意味を込めていたのか、ちゃんと説明されているのだ。

 

 その菩薩摩訶薩は、如来の室に入り、如来の衣をまとい、如来の座に坐して、この法門を四衆に説き明かすべきである。(中略)如来の衣とは何であるのか。すぐれた忍辱(にんにく)と柔和な心が、薬王よ、如来の衣なのである。かの善男子・善女人はそれを着るべきである。

 

 この部分は、後に天台教学において“衣座室(えざしつ)三軌(さんき)”と呼ばれ、布教者の心得と解されるようになる*5のであるが、おそらく元来の意味合いも天台大師が解釈してみせたそれ、そのものであったように思われる。ぶっちゃけ、ここで言われている“如来の衣”は、法華経教団のメンバーに対し、外部の者から悪口を言われても我慢しろ、と言っているだけなのである。ちなみに、如来の室は慈悲の心、座は一切を空と悟ること、なのだそうである。

 

 と言うワケで、第1話のテーマに掲げたところの「八幡賜衣伝説と法華経法師品第十の関係は?」の答えは明らかになった。

 

 確かに元ネタではあるかも知れないが、語呂合わせ以上でも以下でもない……身も蓋もないが、これが事実であろう。一方で、最澄をして空海との布教競争に敗北せしめ、日蓮をその独特の排他的な境地へと追いやった、よく言えば潔癖主義、悪く言えば被害妄想の源泉が、その原典たる法華経に確かに刻み込まれていることもまた、確認できたワケである。まぁ、そんなの精読なんかせずともそうに決まってるじゃん、と言われればそれまでなのだが、この作業が楽しいんだから仕方がないのである。

 

 

                    *

 

 

 本章における“如来の衣”が、法華経教団が外部から受けていた論難に対する観念的なバリアを象徴していたことは以上の通りである。

 

 では、彼らはどのような論難を受けていたのであろうか。紀元1~2世紀頃から釈迦在世に遡って書かれている法華経には、直接的にそれについての記述があるワケではないが、本章次下の内容から、書き手の本音を類推することは可能である。

 

 大地のある場所で、この法門が説かれたり、示されたり、書写されたり、書写されたものが経巻とされたり、読誦されたり、たたえ歌われたりするとしよう。薬王よ、大地のその場所には高くて広壮な宝珠づくりの大きな如来の塔が造立されるべきであるが、そこに如来のご遺骨を安置する必要はない。それはなぜかというと、そこには如来の舎利(しゃり)の全体が安置されているからである。

 

 ここまで述べてきたように、法華経教団は、釈迦その人に特別な聖性が備わっているとするのではなく、その説いた教え、(ダルマ)にこそ普遍的な価値があるのだ、という信念を有していたように見える。よって、ここで触れられているところのいわゆる仏舎利(ぶっしゃり)信仰に言及する必然性は、本来はまったくないはずなのであるが。

 

 ここであらためて仏舎利信仰について概説しておくと、仏舎利=釈迦の遺骨……とされるもの……に特別な聖性があるとして、これを納めた塔を信仰の中心とする形態であり、現代の我々が故人の遺骨に墓碑を添えて恭しく扱うのも、直接的にはこれに由来している。法華経成立時分のインドにおいては、出家者集団はそれぞれに分骨を受けた仏舎利塔を拠点に活動をするのが普通だった。直接の影響関係はないと思われるが、奇しくもこの嗜好はキリスト教における聖遺物信仰と軌を一にしている。

 

 上引用から伺い知れるのは、どうも法華経教団はその仏舎利を欠いていたのではないか、ということである。比丘=食を乞う者である彼らは、本質的にその生活の糧を在家からの喜捨に依存していたが、もちろんその喜捨は無限に存在するワケではないから、<仏教>について異説を構える出家者集団同士は、その喜捨を奪い合う競合相手となる。このとき、それが本物であれ贋物であれ仏舎利を所有していない、というのは、自身が尊敬されるべき=衣食住が保障されるべき比丘である、ことを主張する上で圧倒的に不利だったと想像される。

 

 法華経の言う「個人としての釈迦ではなく、その説いた法・理念にこそ仏教の神髄がある」とする主張は、現代的な感覚からするとむしろ仏舎利信仰よりは進歩開明的な言明であるように見えるワケだが、穿った見方をすれば、仏舎利を欠いた法華経教団が、その日の飢えを凌ぐために苦し紛れに編み出した詭弁であった可能性も否定できないのだ。

 

 この法門を聴聞しない限り、彼ら菩薩たちは、ほんとうには菩薩の行によく通じたものではないのである。しかし、この法門を聞き、聞きおわって信受し、深く志を興し、よく理解し、受持する人々は、そのとき、阿耨多羅三藐三菩提に近づいたもの、近くにいるものとなるであろう。

 

 彼らはさらに一歩踏み込んで、仏舎利を所持する教団であっても、法華経を受容しないのであればそれは悟りから遠ざかるのだ、とまで主張している。本章ではこのことを表現するのに、今日において“穿井(せんせい)の譬喩”と呼ばれる例え話が持ち出される。さして面白くも納得もいかないものなので詳細の紹介は割愛するが、今後も本稿を通じて似たような例に多く出会うことになるのだが、法華経ではしばしば現代的な感覚ではピンと来ない奇矯な例え話が登場する。それらを通して言えることは、例え話でもって強調される論点というのはは、概ね法華経執筆者が最も主張したい論点である、ということだ。

 

 ここで言うこの法門を聞き、聞きおわって信受し、深く志を興し、よく理解し、受持する人々というのは、出家者集団に食べ物を届けてくれる人々であり、この文脈における近づくべき阿耨多羅三藐三菩提とは法華経を書いた出家者のことであるのは明らかだから、要するに彼らは、在家からの衣食住の提供の独占を目論んだのだ、と見做されても無理はあるまい。しかもそこに“穿井の譬喩”が添えられているのであるから、これは単に彼らが「そうであればいいな」と消極的に望んだことではなく、かなり本気で「他説を唱える連中に麦一粒も残すまじ」と積極的に取り組んでいた試みであることがわかるのである。

 

 同様の意図からか、本章末では(1)法師=法華経を説く者が大衆の中にあるときは、釈迦がその支持者を周囲に遣わすだろう、(2)法師が山林で孤独に修行するときは、釈迦本人が現れて助けるだろう、と述べられている。ここまで論じたことを踏まえて考えれば、(1)は法華経教団のシンパに対するリップサービス……あなたたちは釈迦に遣わされた方々なのです!……であり、(2)は後日に新たな奇跡譚を捏造するための前振り、ということになろうか。いずれにせよ、一見有り難い法門を説いているかのように見えて、彼らが教団経営に腐心していることが透けて見える。

 

 さて。

 

 法華経教団が、仏舎利信仰を無視して万人の成仏可能性を主張したがゆえに既存権威から攻撃された、がゆえに反撃したのか、それとも、法華経教団が在家からの喜捨を独占しようとしたから他教団から反撃を受けたのか。その前後関係の真相は定かではない。が、背景にこのような事情があることはほぼ間違いないだろう、とボクは考えている。考古学的な証拠を以って主張しているワケではないから、この解釈が唯一無二だ、などと言うつもりはないが、少なくとも、法華経は神秘の釈迦の直説であり、ゆえに皆是真実なのである、との主張よりは、手前味噌ながら蓋然性が高いだろう。

 

 一方で、法華経執筆者たちの並外れた想像力・構成力・筆力は認めざるを得ない。現代の知見を通じて振り返ればこそ彼らの隠された本音が透けて見えるが、法華経成立当時の人々、天台大師や日蓮の視点から、これらを見抜くことは困難であったろう。さらには、実は冒頭で引用した、彼ら自身が仏舎利を所有していなかったことへの言い訳の記述は、続く第十一章への伏線を兼ねていて、本連載の序で紹介した“宝塔の出現”は、この直後に起きるのであり、しかも、その種々の奇瑞すべてが第十五章で示される“久遠(くおん)の釈迦”に向かって収束するように計算され尽くしている。その辺については追々。

 

 法華経成立時分の我が国では、まだ文字すら存在せず、かろうじて稲作が始まったばかりであったことを考えれば、同じ時代のインドに、こういう良くも悪くも破天荒な物語を編み、しかもそれがさも世界の真実であるかのように嘯くことが出来た集団がいた、というのは、それ自体が一種の奇跡とすら思えはしないか。まぁ、同じ頃に地中海地域では新約聖書信仰が生まれてるんだから、単に日本列島が遅れてただけで、人類は環境条件さえ整えば皆同じところにハマるのだ、って話でもあるんだけども。

 

 結びでいささか発散し過ぎた感がなきにしもあらずであるが、以上で法華経第十章“法を説く師”の転読(うたたよみ)を終える。以降も同じようなノリで法華経の各章を読み解いていくつもり、乞うご期待(?)。

 

*1
 読者にとってはどうでもいい話になるがボクは本研究に取り掛かる前の1年間を八幡神の研究に費やしていて、その余勢を買って本研究に突入したという背景がある。

*2
 本稿初出時そうだった。

*3
 偈は釈迦の専売特許では決してないので、文脈上の釈迦の対話相手、本章であれば薬王菩薩側が、偈で以って釈迦に賛意等を示す場合もあることを附則しておく。

*4
 便宜上、ここまで偈を“本文の要約”と表現してきたが、本来は偈が先行して暗唱されていて、これを書き物、いわゆる経典化する際に、その背景や詳細を論述する本文……これを“長行(じょうごう)”と呼ぶ……が加えられた、というのがそもそもの始まりであるらしい。最も、一旦それが様式化した後は、経典に後付で何か別の考え方を忍び込ませるに際しても、偈を以っておこなうということが確信犯的におこなわれるようになるので、偈の方がより原初の伝承に近いと一概に言えるワケでもない。

*5
 日蓮の名誉のために申し添えておくと、彼の直弟子が日蓮の講義を書き留めた体裁の『日興記(にっこうき)』または『御義口伝(おんぎくでん)』と呼ばれる書物の法師品十六箇の大事の下りに、衣座室の三軌に関する言及があるので、決して彼がこの部分を読み飛ばしていたワケではない。とは言え、同記は偽作説もあるから、後世の弟子が諫暁八幡抄の問題点に気付いて、師をフォローすべく創作した可能性も否定はできない。



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第2話 目指せ観音菩薩 ……第二十四章“あまねく導き入れる門戸”

 正しくは統計を採らねば断言はできないが、日本で最も人口に膾炙している仏教フレーズは“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”であろう、と勝手に思っている。同様に、日本で最もよく知られている仏教上のキャラクタは誰、との問いを立てると、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)……いわゆる観音(かんのん)様ではないか、と思う次第である。

 

 第2話では、法華経第二十四章“あまねく導き入れる門戸”を取り上げる。鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の妙法蓮華経では本章を観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五と題していて、特に我が国では本章のみを取り出して“観音経(かんのんきょう)”と呼ぶ場合がある。同菩薩は法華経を原典とするキャラクタではなく、法華経成立以前の大乗経典に登場していたものを法華経もまた取り入れたものであるが、今日我が国において“観音信仰”と総称されるところの「観世音菩薩の立像・座像に対する信仰」は、基本的にはこの観音経=妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五に由来する、と考えてよい。

 

 となると察しがつくとは思うが、観音経の原典(の中村師訳)を読んでみて、果たしてそこで言われていることは、いわゆる観音信仰に通じているのか、異なるとしたら実際には何を言っていたのか、を探ろうという、まぁ、どうでもいいことが今回のテーマである。何故そんなことを?とは問わないで。とにかく、ボクはこれが楽しいのだから仕方がないのだ。

 

 

                    *

 

 

 法華経本文に耽溺する前に、観音様についてサクッとおさらいしておこう。

 

 法華経に限らず、漢訳経典に登場する固有・普通名詞には、サンスクリット語を音写したものと意訳したものが混在している。原語のアヴァローキテーシュヴァラを“観世音”とするのは羅什による意訳であり、ゆえに他訳者による異訳がある。般若心経の冒頭に「かんじーざいぼーさー」と聴こえる部分があるが、これを漢字で書くと“観自在(かんじざい)菩薩”となり、こちらは玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が訳したものとされる。歴史的には後者の方が新しく、かつ、玄奘は羅什らのそれを誤訳であると非難すらしているのだが、現在の我々の間で“観音様”という略称が通用していることから明らかなように、庶民レベルに根付いたのは妙法蓮華経のそれであった。

 

 一般的に観音様は、何か困ったことがあったときに救いを求めると、それに応えてくれる仏様……厳密にはその名が示すように菩薩、なのであるが……とされているようである。これは、観世音が「世音を観ず=世の中で求められている声を聴き取ることができる」と解せるところからの連想もあろうかと思うが、仏典が原則その性別を論じていないのに対し、通俗的に母性イメージを投影されることが多い点も含め、西欧キリスト教圏における聖母マリア信仰に通じるところがあるのも面白い。

 

 一方で、その聖母信仰については、新約聖書中にマリアに対する言及が実際にはほとんどなく文献・教義的な裏づけをほとんど持たない信仰であるのに対し、観音信仰は、建前上は典拠経典を有している。以下に示す狭義の観音経、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五の末尾に配される“観音偈(かんのんげ)”がそれなのであるが。

 

 爾時無尽意菩薩。以偈問曰。

 

 世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音

 具足妙相尊 偈答無尽意 汝聴観音行 善応諸方所

 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億仏 発大清浄願

 我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦

 仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

 或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没

 或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住

 或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛

 或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心

 或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊

 或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱

 呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人

 或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害

 若悪獣囲遶 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方

 玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自廻去

 雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散

 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦

 具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身

 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅

 真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間

 悲体戒雷震 慈意妙大雲 濡甘露法雨 滅除煩悩焔

 諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散

 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念

 念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙

 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼

 

 繰り返される印象的な念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)のフレーズのキャッチーさ加減が、観世音菩薩をしてAKB48ならぬMRK28(みょうほうれんげきょう)からソロデビューさせる原動力だったのではないか、とボクなどは思うワケであるが、実はこの偈文はオリジナルの妙法蓮華経、すなわち羅什が訳出した時点、5世紀初頭での漢訳に、含まれていなかったことがわかっている。現在伝わる複数のサンスクリット写本は概ねほぼ同内容の偈文を含んでおり、これが7世紀以降に他の誰かによって漢訳され、妙法蓮華経に編入されたらしい。

 

 一方で、現在流通する妙法蓮華経テキストは、文献学的に扱われる場合を除き、ほぼ例外なくこの観音偈を、さも元からそこに書かれていたかのように扱っていて、いささか不誠実なことになっている。要するに、この部分だけが観音経として、独立してあまりに人口に膾炙してしまったため、今更「実は漏れてました」と言えなくなっているのである。

 

 この差異がなぜ生じたのか、この羅什訳の脱落部分を、誰が、いつ、どのような意図で補ったのか、もよくわからないのであるが、そういう経緯であるがゆえか、漢訳に怪しげな部分もあったりする。顕著なのは、冒頭に爾時無尽意菩薩。以偈問曰。……そのとき無尽意菩が偈を以て問うて曰く……とあるように、この偈は釈迦ではなく、本章における釈迦の対話相手である無尽意(むじんに)菩薩が詠んだものとなっているのだが、サンスクリット写本では、この偈が前後半に分割されており、前半部は釈迦自身が述べた偈とされていたりする。

 

 さらには、現存サンスクリット写本の一部には、漢訳された上掲の偈に続いて、さらに未訳の一節を含むものが複数あって、これも後世の挿句が疑われている。また、中村師の翻訳を素直に信じると、どうもこの部分は、法華経を原理主義的に堅守して専修念仏を忌み嫌った日蓮にとっては皮肉なことながら、浄土三部経に基づく浄土思想からの汚染を受けた可能性がある。観世音菩薩は、法華経の登場キャラクターであると同時に、浄土経における阿弥陀仏の脇士でもあることを思い出そう。

 

 とは言え、ボクが言いたいのは「来歴怪しげな観音偈に基づく観音信仰はおかしい」などという、狭量なことではないのである。宗派を問わない、言わば俗信レベルの日本の仏教文化に、この観音信仰が大きな影響を与えたことは疑う余地のない事実なのであり、その善悪良否はともかくとして、そこには何か、人の心に深く突き刺さるものがあったがゆえに違いないのであるから。

 

 

                    *

 

 

「世尊よ、観世音菩薩摩訶薩はいかなる因縁によって“観世音”と名づけるのですか」

 

 法華経第二十四章“あまねく導き入れる門戸”は、無尽意菩薩なる登場人物が釈迦に礼を尽くしつつ、上引用の問いを発するところから始まる。と言うと、先行する二十三章までに、何か観世音菩薩が活躍するエピソードがあって、それを受けてこの問いが発せられるのだろう、と考えるのが常識的なところかと思うのであるが、さにあらず。

 

 実は、ここから法華経を遡って読んでいくと、観世音菩薩が登場するのはただ一度、しかも序章の登場人物一覧に出てくるだけなのである。無尽意菩薩も同じく。何じゃそりゃ?と思うのであるが。

 

 これは実は至極単純な話なのであって、諸説あるので断定はできないものの、ボク個人の見解としては、法華経の序章、第二章から第九章、第十章から第十七章、そして第十八章以降の各章は、作者および成立時期が異なるのである。特に、本章を含む第二十二章から第二十六章の五章はそれぞれに独立性が極めて高く、単章で内容が完結している。

 

 序章に観世音菩薩と無尽意菩薩の名が現れるのは、法華経の構想時点からこの二菩薩が本章に登場することが予定されていたから、ではもちろんなく、二十二章以降が最後に法華経に編入された後に、辻褄合わせに序章にその名が追記されたか、あるいは、序章自体がその時点になって初めて書かれたから、と考えるのが妥当だろう。

 

 一方で、本章の記述が法華経の他の章とまったく隔絶しているか、というと、もちろんそんなことはないのであって、冒頭に示した「~という名の仏・菩薩はいかなる因縁によってそうなのですか?」という問い、それに対する答え、という修辞は、法華経全篇に渡って共通して用いられる比喩のスタイルになっている。つまり、執筆者も執筆動機も異なるが、その基底にある思考様式は概ね共有はされているのだ。

 

 では、本稿冒頭に示した問いに対し、釈迦……法華経教団が自論を仮託したキャラクタであって、歴史上の釈迦ではない、念のため……はどのように答えるのであろうか。

 

 善男子よ、この世において、百千万億那由他の多くの衆生たちがもろもろの苦を受けているが、もし彼らが観世音菩薩の名を聞くならば、彼らはすべて、その苦の集積から解き放たれるであろう。

 

 え?

 

 普通「いかなる因縁で?」と問われれば、その答えは、たとえば「~な修行を積んでこうなったのだ」とか「~な善行をおこなった報いでそうなったのだ」的な回答を期待したいところである。実際、この仏菩薩の名の因縁を問う修辞は、法華経のみならず、その他の大乗経典全般においても、読み手・聞き手に推奨されるべき善行、あるいは忌避すべき悪行を印象づけるために用いられることが多いのであるが、本章では、いきなり上引用に示したような“結果”から始まるのがいささか特殊である。

 

 いやいや、この後に、どうして観世音菩薩が衆生を苦の集積から解き放つことができるようになったのか説明があるんでしょ?と思うのが人情であるが、実は最後まで読んでも一切これがない。とにかく、観世音菩薩はそういうお方なのである、というゴリ押しが延々と続くのだ。

 

 善男子よ、観世音菩薩の名を称える衆生たちは、たとえ大きな火の塊りの中に堕ちたとしても、彼らはすべて、観世音菩薩摩訶薩の威神力によって、その大なる火の塊りの中から救いだされるであろう。

 

その冒頭が上引用で、いきなり常識的には有り得ないことが持ち出される。ちなみにこの内容は、前回紹介した観音偈の念彼観音力、すなわち観世音菩薩の名を称えるを含む一行目、

 

 仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

 

と、内容的に概ね……厳密に言えば、偈のそれは「誰かに火の坑に落とされても」と言っているのだが……一致している。

 

 仮に、羅什が妙法蓮華経漢訳に際してこの観音偈を見落としたのではなく、その時点でそもそも観音偈は存在しておらず、羅什の訳出後に何者かによって追記されたのだ、と考えても筋は通るのであるが、この内容の一致からすると、その追記者は、少なくとも悪意でもって本来のそれとは異なる意味を付け加えることを試みたワケではないようだ。

 

 とまれ、以下同様の、かなり無理のある救済事例が続いていく。中には、罪を問われて手枷・足枷をはめられていても、観音の名を呼べばそれらに裂け目が生じて逃げ出せる、などという「え、そんなんアリですか?」と言いたくなる効能まで含まれていて理解に苦しむ。

 

 仏様……厳密には菩薩なのであるが……の慈悲は善人・悪人を問わず施される、ということが言いたいのだろうか。それならば、他に何か言い様があるようにも思われるのであるが。また、お願いすれば男女の産み分けを叶えてくれて、しかも生まれてくるのは美男美女だ、とか言っていて、とはいえ、古代インドで美男美女で国が溢れて困ったという話は聞かないから、存外、観世音菩薩は崇敬されなかったのかも知れない、まぁ、これは冗談だが。

 

 念のために言っておく。

 

 仏様……いや、菩薩なんだけど……に何かお願いしたら叶えてくれる、というのは当たり前の話なのではないか?などと馬鹿なことを言わないように。あなたがそれを当たり前だと考えるのは、本経典を含む大乗経典が、それまでには存在しなかったそのような観念を流布し、その観念を無批判に継承した文化の中に、何の疑問を抱くこともなくあなたが育ったからである。今回のテーマは、そのような観念が生まれた背景の一端を探るところにあるのだ。

 

 閑話休題。

 

 さらには次のような、輪をかけて理解に苦しむことが言われる。引用すると冗長なので、要約で済ませることにする。

 

 まず釈迦が「六十二億恒河沙(こうがしゃ)の菩薩に施しを与える福徳はいかほどか」と無尽意菩薩に問う。恒河沙というのは、仏典で多用されるとてつもなく大きな数を表す単位で、直接的にはガンジス川流域の砂粒の総数、を意味する。ここで言っているのは、それ掛ける六十二億、である。無尽意はこれに「はなはだ多いです」と答える。対して釈迦は「その福徳よりも、観世音菩薩に一度でも礼拝して得られる福徳の方が多いのだ」と教える。

 

 いくら誇張にしても、これはやり過ぎではないのか。後日触れることになるが、法華経第十四章“菩薩の大地からの出現”において、釈迦の死後の布教を命じられる“地涌(じゆ)の菩薩”なるものが突如登場する。これは、直接的には法華経の書き手が釈迦から時空を超えて使命を与えられたのだ、ということを主張すべく用いられる比喩なのだが、このとき出現する地涌の菩薩の数が六万恒河沙なのである。まぁ、こういう馬鹿げた数値を比較することに意味などないのであるが、これもまた、法華経の各章の書き手が、必ずしもスケール感を共有しない複数名から成っていることの証拠とも言えよう。

 

 ところで、観世音菩薩と言えば、主に仏像としての話になるが、その表象バリエーションの豊かさについては読者諸兄もご存知のことと思う。千手観音であるとか、十一面観音であるとかである。ここに例示した名号は、直接的には法華経からさらに3〜5世紀後に成立する真言系の経典に由来するのであるが、その変幻自在さを説いてみせているのはやはり本章であり、上記の福徳比較の次下において述べられている。

 

 やはり無尽意菩薩が「観世音菩薩はこの世界において、どのように遊行され、どのように衆生に法を説かれるのですか」と問うのに対し、釈迦は「あるときは仏陀のお姿によって……」を皮切りに、これまた延々と例示を始める。その数、三十三。直前に六十二億恒河沙などというふざけた数字が登場しているだけに、え、たったそれだけ?と一瞬考えてしまいそうになるが、百面相とまではいかないものの、変身のバリエーションとしては十二分であろう。

 

 もちろん、この数自体には、特に深い意味はないのである。そもそも、その数はサンスクリット写本各種、漢訳経典各種、それぞれで一致していない。中村師訳が三十三になっているのは我々に最も馴染みのある妙法蓮華経のそれが、暗黙の前提として還流しているからである。まぁ、それはよしとしよう。

 

 将軍によって教導すべき衆生たちには将軍の身をもって法をとき、婆羅門によって教導すべき衆生たちには婆羅門の身をもって法をとき……

 

 上引用は観世音菩薩三十三変化……などと書くと歌舞伎の演目みたいだが……からの抜粋になるが、読めばわかるように、言いたいことはそのバリエーションではなく、観世音菩薩が相対する衆生、すなわち菩薩からすれば救済すべき人々のニーズに応じて、然るべき姿を示して然るべく救済するのだ、ということが、三十三種を例示して言われているワケだ。

 

 なお、観音偈には、この三十三変化に対応する部分はない。強いて言えば、

 

 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦

 

 念彼観音力を含む十二行の次下にくる上引用の一行は概ね、苦悩に苛まれる人々を妙なる智の力で観じて救うのだ、という意味であるから、この部分がそれだ、と言えばそうかも知れない。

 

 これで本章の前半を概ね読んだことになるのだが、とにかく意図不明な論述である。いや、意味はわかるのである。観世音菩薩の名を称えれば救われる、としか言っていないのだから。意図がわからなくなるのは、だとしたら、ここまで二十三章を費やして述べられてきた法華経は何だったんだ、ということに、必然的になってしまうからである。観音様にすがればそれでハッピーなのであれば、ここまでの二十三章はなくてもよかったことになるし、実際、本章のみを取り出して観音経としてありがたがる人はまさにそれをやっていることになるが、その責任が、ありがたがる人の愚かさにのみ起因する、とは言えない。

 

 その謎解きは追々するとして、一方で、この観音経が我が国の庶民レベルの信仰シーンに深く根を張った理由はおわかりいただけたのではないか、とも思う。以上の文面を素直に信じるならば、これは救済の大安売りとでもいうべき状態である。西方極楽浄土へお導き下さるという阿弥陀仏ですら、言ってしまえば、その救済は極楽への片道切符だけなのであり、しかもそれは死後の話に過ぎないのだから。

 

 が、これを馬鹿げている、と一笑に付すのもいかがなものか、とは思うワケで、要するにこれは、それだけ現実の生活が苦しいものであり、いつの時代も庶民というものは、そこからの救済を謳う物語を、たとえそれが非現実的な夢物語に過ぎないとしても、渇望するものであるということを示しているのである。

 

 では、本章は単にそのようなニーズを文字通り“観世音”して、空手形を売ったのみのものなのだろうか。そのあたりを後半部から探ってみることにしよう。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、無尽意菩薩摩訶薩は世尊にこのように申し上げた。「世尊よ、私は観世音菩薩摩訶薩に対する敬虔な念に基づいて供物や法にかなった供養の品々を贈るでありましょう」。世尊は仰せられた。「善男子よ、そなたは今やその時が至ったと知るならば、贈るがよい」。

 そこで、無尽意菩薩摩訶薩は、百千の値のある真珠の首飾りを自らの首から解きほどいて、法にかなった供養の品として観世音菩薩摩訶菩薩に贈った。「仁者よ、どうぞこの法にかなった供養の品を私からお受けください」。

 

 法華経第二十四章“あまねく導き入れる門戸”の後半部分が上引用から始まる。観音様に対して畏れ多いコトとは思うが、突っ込まずにはいられない。

 

 居たのかよ!

 

 序章においてその名が臨席者の一人として挙げられて以降、観世音菩薩は今の今まで黙って座っていたらしい。法華経を文字通り読む限り、そういうことになる。いわゆる雛壇タレントでももう少しマシな扱いを受けそうなものであるが、まぁ、そういう戯言はともかく、コレ、その情景を思い浮かべると、ちょっと可笑しくて笑いが止まらなくなるのはボクだけだろうか。

 

 と言うのも、本章冒頭から延々と続いてきた、釈迦による観世音菩薩への“褒め殺し”をもまた、彼……次下で善男子と呼びかけられるので、少なくともこの観音様は男性らしい……は黙って聞き続けていたことになるのだから。いや、あるいは観音様は心中穏やかでなかったのかも知れない。「お釈迦様ってば好き勝手なことおっしゃってるけども、大火の穴に落ちた人を救うとか、三十三変化して法を説くとか、私、そんなことせなあかんのですか?」みたいな。

 

 読みようによっては、これが本章のオチの前振りなのかも知れないのだが、今のところはともかく、観音様は黙ってそれらを聞いていたし、それに感動した無尽意菩薩から首飾りを捧げられたのだ、としておこう。

 

 ところが、観世音菩薩はこの首飾りを、やはり黙したまま受け取らないのである。

 

 これに対して無尽意菩薩は、善男子よ、仁者は私たちに慈しみを垂れられて、どうぞ納受してくださいと食い下がる。この、その場において権威のある側が一旦申し出を断り、再びへりくだった申し出がなされてようやく受け入れる、という演出も、法華経に頻出する修辞の一つ*1になっているのだが、その意味するところも追って考察するとして、ここでは先に進むことにする。

 

 そのとき、観世音菩薩摩訶薩は無尽意菩薩摩訶薩に哀れみを垂れられ、また、かの四衆や天・龍・夜叉(やしゃ)乾闥婆(けんだつば)迦楼羅(かるら)緊那羅(きんなら)摩睺羅伽(まごらが)・人間・鬼神たちにも哀れみを垂れられて、無尽意菩薩摩訶薩からその真珠の瓔珞(ようらく)を受け取られた。

 

 やたらと厳めしい単語が居並んでいるが、かの四衆~鬼神たちというのは、観世音菩薩同様にこの場で黙って釈迦と無尽意の問答を聞いていたとされる人々……というか、人間でないものも随分混じっているのだが……を列挙しているだけである。言わんとするところは、観世音菩薩が贈り物を受け取るのは、それが欲しいからではなく、その場に居合わせたすべての者に対する慈悲の心で以って受け取るのだ、ということらしい。何だか恩着せがましい話だが、とりあえずそういうことにしておこう。ちなみに瓔珞とは首飾りのことで、転じて、今日においては仏殿の天井から垂れ下がっている金属片を数珠繋ぎにした装飾具もそう呼ばれる。

 

 また、これは本章のここまでの流れからすると、同時に、観世音菩薩が無尽意菩薩のみならず、居合わせたすべての者に対して、本章で説かれたところの救済を与える義務を負ったのだ、という意味にも取れる。まぁ、菩薩は元来見返りなどまったく期待せずに……厳密に言えば得阿耨多羅三藐三菩提がその見返り、ということになろうか……一切衆生の救済を誓願した存在なのであるから、これを労務関係に準えるのは本来おかしいのであるが、それを言ったら、観世音菩薩の救済を期待するのに一度だけでも礼拝し、名号を受持するなどという条件が示されるのもおかしな話になってしまう。真に菩薩であるならば、無条件であらゆる衆生を救済するのが建前なのであるから。

 

 それはともかく、そのことを知ってか知らずか、ともかく観世音菩薩は首飾りを受け取るのである。受け取るのであるが、

 

 受け取られてから、その瓔珞を二分し、二分したうちの一分を釈迦牟尼仏に献上し、他の一分を世尊の多宝如来・応供・正等覚者の宝塔へ奉献した。

 

 ……いくら観音様とはいえ、饅頭ならともかく、宝飾品を贈り主の目の前で割っちゃうのはどーよ、とか思うのであるが、そのようなささいな疑問は、その一方が多宝如来(たほうにょらい)*2に捧げられたとする記述を前にするとどうでもよくなってしまう。

 

 と言うのも、多宝如来というのは、本稿序でも触れた第十一章において出現する高さ7,500Kmの宝塔の中央に鎮座しているという仏様なのであり、つまり、この瞬間もその宝塔は、彼らの目前に浮かんだまま*3なのである。なんじゃぁ、そりゃ!

 

 虚空に浮かぶ、高さ7,500Kmの塔を目前に交わされる、この謙遜になっていない謙遜劇。とてつもなくシュールな光景ではないか。

 

「善男子よ、観世音菩薩摩訶薩はこのような自在力によってこの娑婆世界を遍歴遊行されるのである」

 

と釈迦が再び断言し、次下から件の観音偈が始まる。呆れたことに、法華経全二十七章を通じて、観世音菩薩の出番はこれで終わり。台詞もなく、何か神秘の力を発するでもなく……観世音菩薩については、ただ釈迦が延々とその力を賛嘆したのみであったことを思い出そう……やったことと言えば、受け取った首飾りを二つに割っただけである。

 

 この観世音菩薩が、我が国においては、教主釈尊を凌ぐ人気を博したのであるから、いろいろな意味でトンデモない。おかしな喩えになるが『踊るさんま御殿』に出演した雛壇タレントが、明石家さんまにいじられたおした挙句、自身一言も発することなく番組が終わったのに、千年経ってみたらさんまさんよりも人気者になっていた、みたいな話だ。

 

 まぁ、そういう冗談はさておき。

 

 原典もここで偈で以って内容のおさらいをしていることでもあるし、我々もここまでの内容を整理してみることにしよう。

 

・無尽意菩薩が、釈迦に対して観世音菩薩の名号の由来を問う。

 

・釈迦は問い自体には答えないまま、観世音菩薩がその名を呼ぶ一切衆生を苦から解き放つこと、三十三相の変化を以って衆生の求めるところに応じることを述べる。

 

・感極まった無尽意菩薩が首飾りを捧げるが、観世音菩薩はそれを二つに割り、釈迦と多宝如来に捧げてしまう。

 

 つまるところ、本章が言っているのはたったこれだけのことに過ぎない。では、いったいこの不可思議な物語は、法華経の書き手にとってどのような意味があったのだろうか。観音偈の次下に添えられた一節から、その背景を探ってみよう。

 

 

                    *

 

 

 本題に入る前に、本稿冒頭において、この観音経が「浄土思想からの汚染を受けた可能性がある」と述べた点について解題しておくことにする。

 

 妙法蓮華経の観音偈が後世に追加挿入されたこと既に述べた通りであるが、中村師によると、現行妙法蓮華経の観音偈に対しさらに七詩句多いサンスクリット写本が複数現存していて、師の現代語訳はその部分を含んでいる。不躾ながら、全引用するには冗長なので以下に拙抄訳でもって紹介したい。

 

 未来に仏陀となる観世音菩薩を礼拝しよう。

 法蔵比丘は修行して阿弥陀仏になった。

 観世音菩薩はその脇に仕えて扇ぎ続けた。

 極楽浄土には無量光という名の如来がいる。

 そこには女人も淫欲もなくみな純潔だ。

 無量光如来は蓮華の獅子座においでになる。

 共におられる観世音菩薩のように私もなりたい。

 

と、こんな具合。

 

 一見して、観世音菩薩を阿弥陀仏の脇士とする浄土経そのままの内容となっている。他ならぬ鳩摩羅什その人が浄土三部経もまた漢訳していることから鑑みるに、成立当初の法華経が上抄訳の内容を含んでいたならば、羅什がこれを見落とすことはないと考えられる。事実、後日触れることになろうが、第七章と第二十二章にも阿弥陀の名が見えるが、羅什はこれを訳し漏らしてはいない。

 

 加えて、細かい点ではあるが、極楽浄土をして「そこには女人も淫欲もなく」としている点が要注目である。追って論じる予定だが、法華経の中でも最初期に書かれた前半部分には同様のあからさまな女性蔑視が含まれているが、これは第十章以降においてまるでなかったかのように消え去っている。にもかかわらず、この偈の作者はそのことを承知しておらず、まるで法華経の前半部しか読んだことがないように見える。

 

 といった程度のことで論証できたつもりなど毛頭ないのであるが、詳細な経緯を知ることは叶わないにせよ、羅什が参照したところのオリジナル法華経を成立させた教団メンバーが世代交代した後に、浄土経の影響を受けた何者かが新たな法華経写本製作に際して、上抄訳の七詩句を追加した可能性をボクは考えている。あるいは、そもそも本章が偈で以って要約するほどの長さを有していない……事実、対になる内容で長さもほど近い第二十三章には偈がない……ことを思えば、観音偈全体がこのとき挿入されたこともあり得よう。

 

 では、なぜそのようなことがおこなわれたのだろうか?

 

 以下、あくまでも私見であることを断って書くが、先に述べたとおり、本章が示す観世音菩薩の現世利益は常軌を逸しており、これに比較すれば法蔵比丘(ほうぞうびく)の誓願……浄土経は、成仏の暁に衆生を極楽へ救済すると誓った法蔵が阿弥陀仏に成ったと説く……すら霞んで見えるほどである。逆に言えば、浄土経教団の主力商品(?)となる死後の救済は、ときに見劣りすることがあったろう、ということだ。

 

 思うに、浄土経が観世音菩薩を阿弥陀仏の脇士として取り入れているのもそういった事情によるのではないか、と思うのだが、世の趨勢に応じて、死後救済と現世利益の両面に対応できるよう、突き抜けてポジティブな世界観を示す法華経への浸透を図ったのではないか、というのがボクの推理である。こうして、妙法蓮華経訳出後に法華経サンスクリット本に追記された観音偈が後の世に再発見され、羅什を絶対無謬の翻訳者と信じる人々によって、彼の犯した翻訳漏れ……そう見えるだけで実際には漏れてなかったとは思うのだが……をなかったことにするために、現行妙法蓮華経テキストへの編入が確信犯的におこなわれたのではないか。

 

 無論、以上は単なる歴史浪漫的妄想である。また、ことさら浄土思想の先達を貶めたくて言っているワケではないことを断っておく。むしろ、彼らが本気でそこまでやっていたとしたら、ボクはその信徒獲得の努力に敬意すら表するだろう。その程度のことすら出来ない宗教者の方が、むしろ多数派なのであるから。

 

 さて、ここからが本題である。

 

 まぁ、以下もボクが手前勝手に思っていることであるから話半分に聞いていただきたい、とエクスキューズしておくが、敢えて言おう。我が国の観音経を信仰した人々はもちろんのこと、観音偈を本章に忍び込ませた人々も、その権威(?)を自派に取り込もうと目論んだと思われる浄土経教団の人々も、本章の真意を読み間違えている。本章が言いたいことは「観世音菩薩の名を呼ぶものは救済される」ではないのである。

 

 本章の最末尾、観音偈が終わり残り数行となるに至って、やはり法華経全篇を通じてここにしか登場しない、持地(じぢ)菩薩なるキャラクタが登場する。そして、釈迦を礼拝したのちに以下のように独白するのだが。

 

「観世音菩薩に対するこの法門、すなわち、観世音菩薩の自在力を説く『あまねく導き入れる門戸』の章と名づける、観世音菩薩の神力をによる変幻を聞く衆生たちは、さぞかしわずかばかりの善根をそなえたものではないでありましょう」と。

 

 随分と回りくどい台詞であるが、文字通り読めば、ここで言われている観世音菩薩の神力をによる変幻を聞く衆生たちというのは、法華経の書き手たちが空想した、法華経説法の場に居合わせた人々、という意味になるが、当然のことながら、これは同時に、テキスト化された法華経本章を聞く人、読む人のことを言っている。そして地持菩薩は、その人々は、決してわずかばかりの善根をそなえたもの、すなわち、単にこの物語を「ありがたや~」と聞いたり読んだりするだけの存在、ではない、と、釈迦に対して言上している。

 

 さらに、続く本章結句は以下の通り。

 

 さて、世尊がこの普門品を説かれているとき、その会衆の中の八万四千の人々が、比類ない無上の菩提心を起こした。

 

 八万四千という値は、法華経に限らない多くの仏典で頻出する「とても多い」程度の意味の比喩的な数字なのだが、本章を含む法華経第二十二章以降においては、それぞれ文脈は異なれども、共通して、法華経を受持することで成仏に近づく菩薩の数として用いられている。つまりここでも、八万四千の人々とは、字面上の意味は法華経説法の参加者であるが、同時に法華経の聞き手、読み手を指している。そして、その彼らが起こしたという比類ない無上の菩提心とは、自らが仏の悟りを得ようという誓いなのであるから、よって、本章の真意はここに明らかとなる。

 

 本章執筆者が真に言いたいことは「観世音菩薩の名を呼ぶものは救済される」ではなく、この法華経を聞き、あるいは読んで、観世音菩薩の因縁に心打たれた他ならぬあなたが「観世音菩薩の如く衆生を救済せよ」なのであり、ひいては「法華経に参加せよ、菩薩行を通して成仏せよ」なのだ。

 

 おぉ、感動的な展開!!

 

 だが、しかし。

 

 私見によれば、まだこれでは法華経の書き手の真意の半分しか読み取ったことにならないのである。残り半分は、実はミもフタもないことなのである。本章内容は、登場する釈迦を法華経を書いた人・法華経教団指導層の代弁者、観世音菩薩を教団に所属する比丘に期待される人間像、として考えるとより鮮明に読み解くことができる。

 

 要するに、観世音菩薩が起こす種々の救済、三十三相の変幻は、法華経教団がその配下の比丘たちに「衆生……潜在的な、教団にお布施をしてくれる人々……が喜ぶことであれば何でもせよ」と遠回しに命じている無茶振りなのだ。文字通り「世音を観じ、応じよ、それが菩薩道である」と言っているのであるが、その目的は、必ずしも仏道を成じることではないようだ。

 

 そこで問題になるのが、件の捧げられる首飾りである。これを、教団経営を支えるべく献じられるお布施、と解釈すればどうなるか。つまり法華経執筆者は、衆生がお布施を払いたくなるように人気取りに走り回れ、と比丘たちに言っているのだ。そして、無尽意菩薩よろしくお布施を献じようと思い立った人に対して、一旦は謙譲の美徳を示すべく遠慮せよ、と言っている。その意図は明らかで、要するに、お布施目的でやっていることだ、と衆生に思われたくはないのである。が、結局は慈悲の心でもってそれを受け取り、釈迦、すなわち法華経教団の指導者に黙って上納せよ……ってことだよね、コレ?

 

 というワケで、空恐ろしい事実がここに明らかになったのである。今日においても少なくない新興宗教教団が採用しているこのメソッドは、二千年も前に法華経教団によって発明されていた*4のである!!

 

 誤解のないように申し添えておく。ボクはコレを、揶揄したくて言っているのではないのだ。たとえそれが究極的にはお布施集めの手段であるとしても、少なからぬ人に使命感を与え、その人々をして、仮にそれがありがた迷惑の類であったとしても、多少なりとも誰かの利益になる行動を、自発的意思を以って起こさせる、というのは、至極結構なことではないか。しかも、本章表題が“あまねく導き入れる門戸”とされていることが象徴しているように、この運動への参加は、基本的には誰に対してもオープンに開かれているのである。

 

 逆に、善意の裏には必ず隠された悪意があると疑い、それを理由にあらゆる自発的・積極的行動を忌避し、科学や法律に権威付けられた正しさにのみに唯々諾々と随い、自由と奔放を混同し、社会的な身分・肩書きの排他的占有を互いに競い合う現代の我々の生き方は、観音経が示す観世音菩薩の姿に比して、果たして「観音様など俗信だ、我々の合理的世界観の方が優れている」と胸を張って主張できるものであろうか。

 

 無論、こんな藁人形論法を以って法華経に学ぶべき点がある、などということを主張するつもりもまた、ボクには毛頭ないのである。ただ、二千年前に、今ではその名も知れぬ法華経を書いた人たちが、おそらくはそういう問題意識に直面した上で、この法華経第二十四章“あまねく導き入れる門戸”を書き残したのだ、ということを、現代の我々は、知っておいて損はないと思う次第なのである。

 

 ふざけているのか真面目にやっているのか、自分でもわからなくなってきつつあるが、以上で法華経第二十四章“あまねく導き入れる門戸”の転読(うたたよみ)を終える、ねんぴーかんのんりき。

 

*1
 ここでの無尽意菩薩の観世音菩薩に対する態度は、八幡賜衣伝説における八幡神の最澄に対する態度、すなわち悲力の故に幸に納受を垂れ給えに通じるものがある。こういったところからも、同伝説を創作した人が法華経に通じていたことが窺い知れる。

*2
 続く応供・正等覚者は釈迦・多宝を含む仏陀に対する尊称

*3
 漢訳妙法蓮華経では、この宝塔が消失し本来の世界へ帰還するエピソードが本章よりも前に配されており(嘱累品第二十二)、観世音菩薩はその場には既に存在しない多宝如来へ首飾りの一分を捧げたことになっている。対してサンスクリット原典では、それが最終二十七章になっており、ここでは後者の解釈に従った。ちなみに、上引用では観世音菩薩が自発的に首飾りを受け取ったように読めるが、妙法蓮華経は釈迦が受け取るよう観世音菩薩に告げた、と言っている。

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 中東方面でも同時期に独立並行して似たような発明がなされた模様であるが、これはまた別のお話。



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第3話 教育者∞……第二章“巧妙な方便”

 “嘘も方便(ほうべん)”という言葉がある。良きにつけ悪きにつけ「ときとして嘘が必要な場合がある」という意味で用いられる成句であるが、ここに見える“方便”という漢語は仏典由来のもので、辞書的な意味としては、仏が衆生を教化・救済するために用いるさまざまな方法(大辞林)ということになっている。

 

 つまり、嘘も方便というのは、ここで言う“さまざまな方法”の中には“嘘”も含まれる、というのが元来の意味となる。

 

 サンスクリット語では“ウパーヤ”であったこの“方便”という語自体は、必ずしも法華経を嚆矢とするものではなく、原経典成立史的にも漢訳史的にも先行して確認できる語であるが、これを我が国において人口に膾炙させたのは、その名に方便の語を冠する妙法蓮華経方便品第二、すなわち法華経第二章“巧妙な方便”の存在が大きい*1

 

 ここまで繰り返し述べてきたように、法華経は文面上は歴史上の釈迦が直接説いたもの、として書かれているが、有り体に言えば、これは法華経執筆者にとっては“嘘”である。

 

 つまり、彼らがそう自認していたように、彼らが阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得た仏の集団であるとすれば、法華経そのものが“嘘も方便”、すなわち法華経教団が彼らが信じるところの真理へと衆生を導くべくついた壮大な嘘であった、ということになり、事実そうなのであるが、もちろん、第二章表題となる“巧妙な方便”は、そのような意味でつけられているワケではない。少なくとも、法華経の文面上、法華経執筆者は自身が嘘をついているとはまったく認めていないし、ひょっとすると、嘘をついている自覚すらなかった観もある。

 

 では、法華経が、まさに本論が始まる章の章題にまで採用して述べようとした“方便”とは実のところ何であったのか、そこにはどのような意味が見出せるのか。これを、法華経第二章“巧妙な方便”から探るのが第3話のテーマ、ということになる。

 

 法華経本文に耽溺する前に、本章の法華経全体における位置づけを概説しておきたい。本章は伝統的に法華経前半の眼目を為す要文と見做されており、これを押さえて読まないとワケがわからなくなるからである。まぁ、押さえたからワケがわかる、というモノでもないのがアレゲなのだが。

 

 

                    *

 

 

 天台教学では、妙法蓮華経二十八品を前後半各十四品に分け、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門(ほんもん)と呼ぶ。これは天台大師が言い出したことではなく、妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の直弟子である道生(どうしょう)(生年不詳〜434年没)が、師の訳出に注釈を添えた『妙法蓮華経疏(みょうほうれんげきょうじょ)』にまで遡る伝統的な解釈であるらしい。天台では、前述したように方便品第二を以って迹門の(かなめ)とする。

 

 そのような権威ある解釈に対し、ボク如き凡愚の者が異を唱えるのはまことにもって畏れ多いこととは思いつつ……いや、んなこたぁまったく思ってないのだが……私見では、法華経を本迹二門に分ける解釈は、その内容から考えて、特に法華経の書き手がそれを以って何を言わんとしたか、という観点で読むと、天台教学の解釈は間違っている、と思っている。

 

 まず、何を以って天台の伝統的解釈を間違いとするのかについて述べる。念のために言うが、あくまでも浅学不才な趣味人の戯言である。真に受けないように。

 

 本迹二門論は、法華経に記録された釈迦の発言を釈迦の直説であることを大前提として、“久遠実成(くおんじつじょう)”すなわち妙法蓮華経でいうところの如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六が言う「釈迦は永遠の昔からずっと仏だったのだ」という命題が、文中の釈迦自身の言葉で主張されているか否か、を以って本迹二門を分かっている。もうこの時点で普通の感性の読者は振り落とされていると思うが、ボク個人の趣味であるからして構わず続ける。

 

 が、そもそもこの久遠実成は何の根拠も伴わない、良く言えば法華経執筆者の信念、悪く言えば戯言の類なのであって、その壮大無比なプロットに心奪われるのは、隋代を生きた天台大師智顗(ちぎ)にしてみれば無理なからぬところ、と共感を示した上で、それでもやはり、これを軸に内容を判じる発想がそもそもナンセンスだ、と言わざるを得ない。

 

 一方で、法華経全体を何部かに分けて考えた方が理解に資する、というのは、その内容からしても成立史から考えても妥当である。では、どう分類するか。

 

 序章は、既に述べた通り、登場人物を含む背景を後から辻褄合わせすべく作られたプロローグと考えられるので一旦除外する。

 

 法華経の本論は、本章、すなわち第二章に始まる。ボク個人の読みとしては、理論面における法華経執筆者の主張したいことは、概ね本章に集約されている、と見ている。以降、第三章から第九章は、本章で示された主張を手を換え品を換え敷衍したものに過ぎない。その中核となる概念がまさに“方便”であり、そのような意味において、妙法蓮華経ベースになるが、第二章が方便品、続く第三章が比喩品、と題されているのは、決して偶然ではなく、そこにこそまさに執筆者たちの言わんとするところが凝集されているゆえなのである。

 

 これに対して、第十章、すなわち本稿第1話にて読んだ“法を説く師”以降は、書き手の関心が、自分たちが信じる理論から、自分たち自身の日々の言動、及びそれを下支えするところの信念へ移っている、と読める。その極限に、前述した久遠実成が現れる。詳細は追ってそのときに論じたいが、言うなれば久遠実成は、彼らの信念を宇宙内在の究極原理とすることで、彼らへの一切の反論に対して一方的に下された不可能宣言になっている。これが、第十七章まで続く。

 

 第十八章以降は、第三章から第九章が第二章の敷衍であったのと同様に、第二章から第十七章までの全主張に対する敷衍として暫時加わったものと考えられ、ゆえに、これらは総じて独立性が高い。第2話で読んだ第二十四章“あまねく導き入れる門戸”が、後世において“観音経”として独り歩きしたのも、直接的にはそのためである。

 

 これを法華経の成立史の観点から再整理すると、おそらくは以下のようになる。

 

 原初の法華経は、第二章あるいはその偈のみであった。これに徐々に敷衍的な部分が付け加わっていって、第二章から第九章までで成る“原法華経”が完成したものと考えられる。おそらくこのプロセスは、数年から数十年をかけたゆっくりとしたものだったろう。

 

 これを奉じる法華経教団に対し、ある時点でその他の小大乗教団からの反撃があり、その対応の要に迫られて比較的短期間に一気に論述されたのが第十章から第十七章と考えられる。これは、この部分が一貫した伏線を有する完成度の高い物語として読めることに裏付けられる。

 

 その後、第二章から第十七章までの法華経が、教団にとって十二分に既成事実化した後に、これをさらに敷衍し、ときには図らず内在してしまった自己矛盾を解消したり、他教団に対する個々の脆弱性を補完するために、第十八章以降が徐々に追加されていったと考えると、この部分の各章の独立性の高さに納得がいく。序章と末章もこの過程において自然発生したものであろう。

 

 以上を通じて何を言いたいか、と言うと、畢竟、法華経の主張するところは、今回転読するところの第二章“巧妙な方便”に集約されるのだ、という点である。これが、前述した天台法華教学の伝統的正統解釈から逸脱するものであることは、予め宣言しておく必要があると考え、ボク個人の法華経全体に対するパースペクティブをここに開陳した次第である。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊(せそん)は深く真実の理を思念し、正しい智慧をもって、かの深い瞑想から立ち上がられた。立ち上がられて長老の舎利弗(しゃりほつ)にお告げになった。

 

 法華経第二章“巧妙な方便”は、以上の書き出しに始まる。

 

 連載第1話で取り上げた第十章、第2話となる第二十五章では、釈迦……繰り返すが、法華経教団を代弁するキャラクタであって、歴史上の釈迦その人ではない……の直接の対話相手は空想上の“菩薩(ぼさつ)”だった。対して、本章から次章にかけて釈迦の相方を務めるのは、歴史上の釈迦の弟子の一人で、智慧第一、すなわち、その中にあっても智慧が最も優れていた、とされる舎利弗である。

 

 このように言うと、他章に比較して、第二~三章には史実性があるのではないか、と誤解されるかも知れないが、そういうことではない。たしかに舎利弗は、既に触れた『仏本行集経(ぶっぽんぎょうじっきょう)』を含む他仏典群にもその名の現れる、おそらく実在したとして間違いない人物ではある。が、法華経が成立した1~2世紀頃からすれば、伝説的な釈迦の直弟子の一人であるに過ぎない。

 

 逆に、現代の我々は、菩薩という語を超常的な神仏の一種と考えてしまいがちであるが、法華経執筆者たちにとっては、仏となることを目指して修行している人々の中でも特に利他行に優れた人々、ひいては自分たち自身をそう呼んでいるものであって、本章に現れる舎利弗に対して、その実在性において取り立てて差異が意識されているワケではないのだ。

 

 一方で、法華経中に舎利弗を含む、実在したと考えられる釈迦の弟子の名が現れる場合に特有の意味合い、というものは確かにある。結論から言えば、彼らは概して、既にその語意を解説した声聞(しょうもん)独覚(どくがく)を象徴するキャラクタとして登場する。

 

 この、仏の覚りを目指すに際して採ったアプローチの差から分類される中でも、特に声聞・独覚をまとめて二乗(にじょう)と呼ぶ。天台法華教学においては、妙法蓮華経方便品第二はこの二乗の成仏可能性を保証したものであるとして、法華経前半(迹門)の眼目を為す要文である、とするのであるが、確かに字面上の意味合いはまさにその通りなのであるが、法華経執筆者たちの真意を慮るとき、それとは質的に異なる本音まで想像を逞しくする必要がある。

 

 如来(にょらい)が悟られた仏陀(ぶっだ)の智慧ははなはだ深遠にして理解しがたく、入りがたい。一切の声聞や、辟支仏(びゃくしぶつ)にとっては知りがたいところのものである。

 

 釈迦が開口一番、言い出すのが上引用である。一切の声聞や、辟支仏が、ここでいう二乗に当たる。つまり、二乗には仏の智慧は決して理解できないのだ、との、いきなりの断言である。この言明は、声聞・辟支仏(独覚)がそれぞれアプローチは異なれども仏の境地を目指す人々、と理解する我々にとっては、俄かにその真意がわからなくなるものである。彼らにとって仏の智慧が理解不可能なものであるならば、いったい他の誰が理解できるというのか。

 

 舎利弗よ、如来のみが一切の法を教え、如来のみが一切の法を知っておられるのである。

 

 これがその答え。妙法蓮華経の同じ部分の方がより端的に示しているので引いておくと、唯仏与仏乃能究尽(ゆいぶつよぶつないのうくじん)、つまり、ただ仏のみが能く究め尽くす、と言っている。仏の智慧の真なるところは、他ならぬ仏のみの知るところであって、他の誰にも理解できないのだ、と。しかし、そんなことを言って何になるというのか。誰にも理解できない智慧、そんなものは、あってもなくても同じではないのか。

 

 このわかりにくさは、直接的には法華経執筆者が、この主張を何を目的におこなっているのか、文面からは理解しにくいことに起因している。が、少し遡って、以下に示す「なぜ仏の智慧は二乗には理解できないのか」についての釈迦の説明から、その背景を垣間見ることはできる。

 

 舎利弗よ、もろもろの如来・応供(おうぐ)正等覚者(しょうとうかくしゃ)が密意をもってお説きになられた言葉を知ることはむずかしい。なぜかというと、諸仏は自ら実証された法を、種々の巧みな方便と知見と、因縁や譬喩や依り所や言辞の解釈やかりそめの設定などを用いて教え示されたからであって、それは、それぞれに適した巧みな方便によって、あれこれに執着している衆生たちを解き放たせるためである。

 

 回りくどい言い回しになっているが、分解すれば以下のようなことである。

 

 第一に、法華経執筆者およびその同時代人から見たとき、歴史上の釈迦が説いたとされる……実際には釈迦を起点として、連なる人々によって積み上げられてきた……教説は、その字面上の意味合いの背後に密意、すなわち、明言はされないが、表面上のそれとは別の真の目的があるのだ、とする主張である。

 

 第二に、諸仏、つまり、歴史上の釈迦を含む仏典成立に寄与してきた人々は、その真の目的を達成すべく譬喩やかりそめの設定を示したのであって、すなわち、仏典それ自体は真の目的そのものではなく、そこへ向かうための方便である、とする主張である。これが本章のキータームとなる。

 

 第三に、その方便はあれこれに執着している衆生たちを解き放たせるために示されたのであるが、ここで言われるあれこれとは、実はここまでに積み上げられた仏典、そのもののことを言っている。ここに、法華経教団の問題意識の中核がある。

 

 本章の釈迦の第一声に言われた、仏の智慧を理解することが出来ない一切の声聞や、辟支仏とは、つきつめれば、法華経教団から見た自分たち以外の仏教出家者全般を指している。あくまでも法華経教団の主観である、と断った上で、彼らは自分たち以外の出家者たちを、仏典を学んだりそれについて思惟することに執着するあまり、ここに言う“仏の真の目的”を見失った人々だ、と批判的に見ていた。本章冒頭の釈迦の断言は、法華経教団のそうした問題意識を釈迦に仮託し、同様に、彼らから見て真の目的を見失っているように思われる出家者の立場を、釈迦の弟子中智慧第一と称された舎利弗に仮託したものなのである。

 

 これが、本章を読み解く上での大前提になる。

 

 伝統的に、天台法華教学では前述した通り、本章を二乗の成仏可能性……これを二乗作仏(にじょうさぶつ)という……を論じたものであると位置づける。つまり、この後本章では、こうして釈迦から仏の智慧の理解不可能性を指摘された二乗に対し、さらなる逆転が示されるのであるが、それは追々見ていくこととして、天台法華が本章を迹門の要とする最大の理由は、本章が説かれる以前は二乗は不作仏、つまり、決して仏にはなれない、とされていたものが、本章において二乗作仏が示されたからである、というところに尽きるのであるが、私見であるが、この解釈は根本的におかしい。

 

 以上見て来たように、そもそも二乗不作仏それ自体を言い出したのが本章だから*2である。法華経以前は二乗不作仏であった、と言っているのは、法華経それ自身なのだから、これは完全な循環論法である。しかもその動機が、前述したように、法華経教団が在家からの施与を得る上でライバルであった他出家者集団に対する鞘当てであったことはほぼ疑いない。

 

 では、これらの主張は、所詮は法華経教団が施与……平たく言えば、額に汗して働く人々が彼らを有り難がって恵んでくれる食べ物……の独占を図ったプロパガンダに過ぎないのであろうか。ある一面において、答えはイエスである。が、そのために彼らが弄んだ論理が、今日まで連綿と続く法華経信仰のセントラルドグマの発端となったのであり、そこには確かに、紀元1~2世紀の人々が考え出したとは俄かに信じ難い飛躍した思考過程を見出すことができ、実際、それが後世多くの人々を善悪良否様々な実践へと誘ったのである。

 

 果たしてそれはどのようなものであるのか。

 

 

                    *

 

 

 声聞や独覚には仏の智慧は理解できないのだ、との断言で始まる法華経第二章“巧妙な方便”の冒頭部の結びに、“十如是(じゅうにょぜ)”の名で天台法華信仰者の間では有名な一節が現れる。妙法蓮華経からその部分を引いてみよう。

 

 所謂諸法如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

 

如是、すなわち、()くの如し、と十個述べられるのでこれを十如是と呼ぶ。所謂諸法、すなわち、いわゆる諸々の法……声聞や独覚には理解不可能でただ仏のみが知りえる法とは、に続いてこの十如是が示されるのであるが、実は、この十如是はサンスクリット語原典に対応する箇所がない。厳密に言うと、原典では五つであり、かつ、直感的である。

 

 それらの法が何であり、いかにあり、何に似ており、どのような相をしており、どのような自性をもっているか

 

 漢訳妙法蓮華経を物した鳩摩羅什は、何か思うところがあってこの一節を大幅に増補し、かつ、分析的な体裁を加えたらしい。この背景については諸説がありどれが妥当とも判じ難いのであるが、敢えてその判断は避けて、羅什がそのようにしたくなった理由に想像を廻らせてみたい。

 

 以下、例によって私見に過ぎないのであるが、全般的に法華経の文面は、他の仏典に比較して、極めて情緒的であり分析的な視点を欠いている。読者諸兄には、八正道(はっしょうどう)十二支縁起(じゅうにしえんぎ)六波羅蜜(ろくはらみつ)(あるいは十波羅蜜)といった仏教由来の用語をご存知の方もおいでかと思うが、これらの語が示しているように、全体として俯瞰した場合の<仏教>には、普段我々が明確に意識していない物事を、やたらと分析的に分類し「それはn個の~からなる」とする言明が無闇に多い。

 

 これは、歴史上の釈迦がそう言ったから、というよりは、釈迦が、普段明確に自覚されないところを自覚的に思惟することを弟子達に勧めた……これとて史実かどうかはわからないが、少なくとも<仏教>に形を与えていった人々の多くがそのように考えていたことは、現代に伝わる経典群から読み取れる……結果、それを弟子達が経典として書き遺すに際し、いわばその副作用として表れたものであろう、とボクなどは考えているのであるが、対して法華経の記述は全般的にそういう傾向に乏しく、直感的あるいは情緒的な表現を中心に話が進むという特徴がある。

 

 この点は古くから問題視されていたようで、要するに「法華経は自身を最高の経典だというワリには、教理的な内容に乏しいではないか」との批判があったのだが、他ならぬ天台大師が『法華玄義(ほっけげんぎ)』において、唯如来設教の大綱を論じて微細の網目を委しくせず、あるいは前の経に已に説くが為の故なり、すなわち、法華経は本当に重要なことのみを論じて細目には触れないのだ、なぜならそれらの細目は法華経以前の経で説き終えている*3のだから、と、いささか苦しげな弁明を遺している。

 

 強いて天台大師と異なることが言いたいワケではないが、敢えて別の見解を示してみたいと思う。

 

 天台は、歴史上の釈迦が法華経を説いた(厳密にはその正確な伝承が法華経に成った)と考えているので以上のような弁明をしたと思うのだが、繰り返し述べているように、法華経を作ったのは法華経教団であり、その内容は、当然のことながら彼らの能力によって制約を受けている。で、法華経に分析的であったり教理的であったりする表現が、皆無でこそないものの少ないのは、そもそも執筆陣にそのようなことを書く能力が欠けていたからではないか、と不遜なことを考えてみたりするのである。

 

 前段でのべた「二乗不作仏論は法華経教団が在家からの施与を得る上でライバルであった他出家者集団に対する鞘当てであった」とする指摘を思い出して欲しい。ここで言う“他出家者集団”こそが、まさに、八正道や十二支縁起といった、よく言えば分析哲学風の仏教を重んじた人々であり、悪く言えば、思弁哲学としての仏教を弄びつつ、その難渋さで以って在家からの施与を既得権益化していた人々でもある。

 

 予め断っておく。言葉尻の印象による善悪良否の価値判断を一旦停止して次下の拙論を読んで欲しい。

 

 結論から言えば、法華経からはある種の“反知性主義”の臭いが感じられるのである。

 

 法華経が書かれた当時のインドには、仏舎利(ぶっしゃり)信仰に端的に表れるような釈迦の遺徳に対する恋慕渇仰が未だ息づいており、そのエネルギーは、具体的には“施与”という形で、仏教を専従的に研究する出家者集団へ流入していた。一方で、声聞あるいは独覚と呼ばれた彼らの実践は、一般庶民の目線からすれば、俄かには意味のわからない専門用語を諳んじ、内輪の哲学談義に盛り上がる閉鎖的なものに見えていたに違いない。

 

 これに対するカウンターカルチャー(の一つ)として法華経の言説が生まれる。彼らの言い分はこうだ。教理的かつ難渋な用語の氾濫が、我々が敬慕する釈迦が望んだことであろうはずがない。そんな用語を弄ぶだけの学者連中=二乗に、仏陀の真意など理解できようはずもない。釈迦が衆生を救済すべく生まれた仏陀であるならば、その真意は我々にも容易に理解できる単純明快なものであるはずだ、と。

 

 本章において釈迦の対話相手に、その弟子中智慧第一とされた舎利弗が選ばれていることも、決して偶然ではない。本章の釈迦は舎利弗に対し「おまえたち声聞・独覚には決して仏の真意は理解できない」と宣言するが、これは同時に、法華経執筆者たちが他の出家者“学派”に対しておこなった宣戦布告にもなっている。

 

 ボクがこれを反知性主義、と呼ぶのは、不適切な対比であることは承知の上で言うが、たとえば今日においてアインシュタインの相対性理論に対してトンチンカンな反論を提出するトンデモさんたちが、しばしば似たような言辞を弄するからである。曰く「宇宙の真理が(私に理解できない)難渋な数学であるはずがない、もっと簡単なものであるはずだ」というアレだ。ただし、この比喩において、一方の相対性理論およびそのオルタナティブは実験を通じてその妥当性が検証できる性格のものであるのに対し、<仏教>の教説はどこまでいっても思弁哲学であって、部々分々の論理の妥当性はともかくとして、教説全体の真偽の検証などというものは本質的に不可能である、ことには注意が必要である。

 

 とまれ、これが法華経に存外分析的な視座が欠けており、情緒的な論が幅を利かせている直接の要因ではないか、とボクは考える。つまり、法華経執筆者は、そもそも伝統的な分析哲学的な仏教用語を扱えなかったか、扱えはしたがそれを用いると反知性的な支持者を失うばかりではなく、正統権威を有した対立出家者との際限ない揚げ足取り合戦に陥り、そうなると権威に欠ける側=法華経教団が敗北すること、が見えていたので、敢えて分析哲学的な用語を使うことを避けたのだ。おそらく真相は後者の方だろう。

 

 ここで話が冒頭の十如是に戻る。鳩摩羅什の生没年には諸説あるが、4世紀後半の人である。彼の妙法蓮華経訳出は、法華経の成立からは短く見積もっても200年以上経てからおこなわれている。また彼の学識の多くは、分析哲学的な<仏教>を大成させた中興の祖である龍樹(りゅうじゅ)、原語でナーガールジュナ(2世紀後半のインドの人)の論に依っていることがわかっている。羅什の視点からすれば、法華経が、何か従来の他経典とは質的に異なったことを論じていることは容易に読み取れたろうが、そこに龍樹のような分析的な視点が欠けることは、彼からすれば甚だ不整合なことに思われたに違いない。

 

 前述したように、十如是の成立背景には諸説あるので、ボク如き浅学不才のものが判じるに値わないのではあるが、その直接の動機が何であるにせよ、根っこの部分には、大前提として羅什に、仏説は龍樹の著作同様に分析的であるべきだ、という信念があり、その上で分析的でない法華経を訳出したため、本人も企図しない粉飾が加わったのではないか、と考えることは、さほど的を外しているとも思わない。

 

 この傾向は、法華経を全仏典の集大成と見做す天台大師の解釈によって、より強化されることになる。決して中村師を悪く言いたいワケではないが、師も天台の末流、日蓮宗の僧侶であられるからして、前掲書の本章訳注を読むと、ここまでの部分に登場する各種用語について、やたらと詳細な解説がなされているのであるが、これらは、法華経が先行経典から概念の名前だけを借りて列記しているものを、師が天台以来の解釈に従って、他経典で解説されたその意味を示しているものであって、原典にせよ漢訳にせよ、法華経自身がそれを解説しているワケではないのである。

 

 そして、概念の名前だけを借文して、そこに情緒的な論述を加えるのは、今日も変わらず反知性主義の常套手段なのである……念のために断っておくと、見る人が見れば、ボクもその一人であることにはちゃんと自覚がある。むしろ、二千年前からそうだ、ということに、我々は驚嘆すべきであるのかも知れない。

 

 さて、さきほど「言葉尻の印象による善悪良否の価値判断を一旦停止せよ」と書いた。反知性主義、というと、知性に反する、と書くのであるから、それだけでそれは悪いものだ、無価値なものだ、と読者諸兄は感じるかも知れない。が、反知性主義そのものは絶対悪ではない。これを論証するのは連載の本旨ではないので詳述は避ける。

 

 ボクとしては、法華経が反知性主義を潜在させている、ということ念頭に置いた上で、法華経教団が何を訴えたのか、の方に着目したい。さらに法華経本文を読み進めていけば、彼らが反知性主義の暗黒面、すなわち、無知な大衆に対する煽動家に過ぎなかったのか、あるいは、何か異なる新しい価値を生み出し得たのか、が明らかになるはずだ。

 

 

                    *

 

 

 十如是に続き、ここで()が挿入される。その訴えるところは冒頭部と同じ二乗不作仏説の繰り返しとなるが、少し趣の異なる句を含むので、そこから見ていくことにしよう。

 

 それを示すことは不可能で、それを説く言葉もない。だれかにその法を説き示し、その説き示された法を理解する、そのような衆生はこの世界には見当たらない。信力堅固な菩薩たちを除いては。

 

 上引用部は、底本の註によるといささか論理の混乱している難読箇所であるらしく、複数ある法華経現代語訳間でも揺れているそうであるが、とりあえずここでは中村師訳を受容しておくこととしたい。妙法蓮華経の当該部、是法不可示。言辞相寂滅。諸余衆生類。無有能得解。除諸菩薩衆。信力堅固者。もほぼ同意となっている。

 

 言わんとするところは、冒頭長行部同様に、当の仏のみが仏の真意を知り得るのである、とする主張であるが、ここに信力堅固な菩薩たちを除いては、との但し書きが加えられる。ここでいう菩薩が法華経執筆者自身を指しているのは明白である。注目すべきは、ここでその菩薩を信力堅固としているところだ。

 

 日蓮教学ではこれを“以信得入(いしんとくにゅう)”、すなわち「信を以って入ることを得る」と称する。日蓮自身が直接依った経文は続く第三章に登場するのであるが、それはここで言われていることを敷衍したもの、と言うことになろう。つまり、仏典の記述を己の知性で以って解釈し理解することには凡人には限界があるので、それをそのまま信じることを以って如来の知見に入るのだ、とする主張である。この点については、日蓮は正しく法華経執筆者の意図を喝破したものと見える。ただし、それが普遍的に正しいことか、と問えば、有り体に言えばこれは「思考停止して妄信しろ」と言われているように取れなくもないから、注意が必要である。

 

 とまれ、前稿でも指摘した法華経の反知性主義的な一面をここにも垣間見ることができる。法華経教団が、難渋な分析哲学を弄ぶ声聞・独覚(を気取る人々)に対し、強い嫌悪感を抱くと同時に、その対極として、無心に仏陀の遺徳を信じる自分たちこそが真の菩薩なのだ、との自負を抱いていたことがわかる。

 

 この後、偈はこの世間のすべてが、舎利弗と等しいものたちで満たされ、彼らが一緒に思い量ったとしてもと、かなり無理のある場面を想定しつつ、それでも仏の真意を汲み取ることは不可能なのだ、を始めとした同様の言明を繰り返す。最早、これが知性主義に対する徹底的な否定を狙った反語表現であることは明らかだろう。

 

 そして、舎利弗に対し大信力を起こすが良いと勧めた上で、偈の末尾に至ってキーワードが登場する。

 

 私は世間において多くの法を説き、あれこれに執着している人々を解脱させるため、覚りに至る三つの乗物を説き示す。これが私の最高の巧みな方便である。

 

 キーワードの一つは言うまでもなく本章々題にもなっている“方便”であり、もう一つは三つの乗物、すなわち“三乗(さんじょう)”である。三乗とは、声聞・独覚の二乗に、菩薩を加えて三乗と呼んでいるのであるが、ここまで敢えて触れずにきたが、この二乗・三乗に見える“乗”の字は、ここでの表現を借りれば覚りに至る乗物のことを言っていて、サンスクリット原典の“ヤーナ”がこれに当たり、やはりその意味は乗り物のことである。

 

 もちろんこれは比喩である。法華経教団に限らず、当時の仏教者は、釈迦の教え(とされるもの)を、人間を至上の悟りへと導く乗り物に喩えることを好んだようだ。余談だが、いわゆる浄土思想、つまり、我々の生きる世界とは異なる別世界(西方極楽浄土)へと救済されるとの観念は、直接的にはこの乗り物の比喩の副作用によって生まれたように思う。得阿耨多羅三藐三菩提、つまり、至上の悟りを“得る”という観念に縛られている限り、この発想は生まれまい。悟りを得ることが、悟りの無い場所から有る場所への移動と観念され、仏の教えがその間を空間的に移動する手段=乗り物、と観念されたがゆえに、ある種の異界信仰として浄土思想が生まれるワケだ。

 

 閑話休題。

 

 法華経執筆者はここに至って「三乗は方便である」と釈迦に言わせている。偈の末尾に示されていることから、これが彼らにとっての結論、関心の中心であることが明白となる。では、この言明で以って言わんとしていることは何なのだろうか。

 

 三乗とは、声聞・独覚・菩薩のことである、と既に述べたが、これをより平たい表現に直せば、お釈迦様が「よく学びなさい」「よく考えなさい」「人助けをしなさい」と言った、ということに他ならない。そして、これが方便である、というのは、これら三つそれ自体は、手段であって目的ではない、ということが法華経教団の主張ということになる。逆に言えば、少なくとも法華経教団の人々の主観からは、他の出家者集団のやっていることが自己目的化した学習・思索・救済に見えていたのだろう。これが、法華経誕生の原点である。

 

 このように噛み砕いてみると、彼らの主張がさほど突飛なものでないことが次第にわかってくる。たとえば、我が国において受験戦争の弊害が指摘されるようになって久しいが、これはまさに自己目的化した学習に対する批判である。受験戦争は、真に目的とするところは次代の日本国家を背負って立つ人材を競争の中から輩出することであって、他者よりも少しでも良い学歴を身につけてふんぞり返ることではないだろう、と言われればまさにその通り。同様のことは、独覚を現実問題から遊離した為にする哲学、菩薩を自己満足に陥った偽善的ボランティア、と読み替えれば、そのまま現代の我々にも当てはまる。

 

 無論、ここでボクが言いたいのは、だから法華経教団の主張は妥当である、などといった拙速な結論ではない。現代の我々と、細部は異なれども同じような社会矛盾を紀元1世紀頃のインドの人々も抱えていて、それに対して問題意識を持った法華経執筆者たちの思考過程もまた、決して神秘的でも深遠でもなく、極普通の人間が極普通に考える域から大きくはみ出してはいなかった、ということである。

 

 ではどうするのだ、という点についての彼らの主張はもう少し後に出てくるので、ここは今しばらく本章に沿って読み進めることにしよう。

 

 偈が終わると、これを聞いていた釈迦の修行時代からの同志とされる阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)をはじめとする声聞たちがざわめきはじめる。彼らは阿羅漢(あらかん)、すなわち声聞の最高位であり仏陀の教えを学び尽くしたとされる人々……先の現代との対比で言えば、東大で博士号を取得といったところか……とされるのであるが、その彼らが「自分たちは悟りを得たはずであるのに、今、世尊がおっしゃっていることが自分たちには理解できない」と独白するのである。

 

 これは明らかに、法華経教団から声聞的な出家者集団に向けて発せられた嫌味である。おまえたちは、難渋な哲学用語を諳んじて我偉しとふんぞり返っているが、我々の言わんとすることがわからないだろう、と言っているのだ。個人的には、当時の声聞的な人々にとって、こうした主張はおそらくは想定範囲内であって、その妥当性はともかく、何らかの論理的な反論があったはずだが、反論があった事実は法華経から読み取れる(これは次話で扱う)が、その内容まではわからない。というか、この態度にも示されているように、反知性主義的な性格を有する法華経教団は、そうした反論を論理的に分析して更なる止揚を目指すような発想はなかったろう、という気がする。

 

 それはともかくとして、彼らが戸惑うばかりであるのに対し、智慧第一の舎利弗は、智慧第一と称されるだけに……まぁ、法華経教団のプロパガンダキャラクタだ、と言ってしまえばそれまでなのだが……戸惑うことなく理知的な言動を取る。曰く、

 

 世尊よ、いかなる因、いかなる縁によって、世尊はいくたびも、もろもろの如来の巧みな方便と智慧と法の教示を繰り返し称嘆されるのでしょうか。「私ははなはだ深遠な法を悟った」と仰せられ、また「如来が密意をもって説かれたことは知りがたい」と、たびたび賛嘆されるのでしょうか。私はかつて世尊から親しくこのような教説を聴聞したことがありません。ここにいる四衆もみな疑惑と疑念につつまれております。世尊よ、如来はいかなる意図によって、如来の甚深の法をたびたび称嘆されるのか、お説きください。

 

 そもそもこの一言だけがあれば、本章のここまでの内容は要らなかったんじゃないか、と思うほどの再要約である。流石は智慧第一(いや、違う)。

 

 そしてこの舎利弗の台詞は、ここまでの要約であると同時に、法華経教団が他出家者に対して暗に求めている態度でもある。現時点では何を以って彼らがそこまでに自信過剰であるのかは明らかではないが、智慧第一の舎利弗ですらこうして釈迦にその密意を説くことを求めるのであるから、現代の声聞たちも法華経教団に同様に教えを乞え、と言っているのだ。

 

 愉快なことに、次下からは舎利弗が偈で以って釈迦に教えを乞う。ミュージカルかよ、と。まぁ、さしずめ「♪教えて~お爺さん♪」といったところか。困ったことにこの偈が妙法蓮華経ベースで四十四句、二百二十字に及んでいて、しかも基本的に釈迦を褒めたたえるばかりで無内容……厳密に言えばそうでもないが、本筋ではない……なので、ここではサラッと流す。

 

 で、舎利弗がこれほどまでに歌って踊って(いや、踊ってはいない)みせたのに、これに対する釈迦の返答は以下の通りそっけないのである。

 

 舎利弗よ、やめよ。この意義を述べたとしても何になろう。なぜなら、舎利弗よ、もし私がこの意義を説いたとしても、神々を含む世間のものたちは驚き、疑うであろうから。

 

 えーっ!!ここにきてジラすのかよ!?

 

 釈迦のジラしに対し、再び舎利弗が教えを乞う。突き詰めればこれは法華経執筆者の一人芝居なのであるから、いささか滑稽な感がなきにしもあらずではあるが、二度目の乞いに対する釈迦の再びのジラしはなかなか興味深いことを言っている。

 

 舎利弗よ、この意義を説いても何の役に立つであろう。舎利弗よ、この意義を説き明かすならば、天をはじめとするこの世間のものたちは驚き、疑いをいだくであろう。また、増上慢(ぞうじょうまん)比丘(びく)たちは、大きな坑に堕ちこんでしまうであろう。

 

 途中までは前段と同じであるが、末尾に法華経教団の本音が垣間見える。増上慢というのは、見慣れない言葉かと思うが漢訳仏典にしばしば見られる語で、悟りを未だ得ていないにもかかわらずさも得たような偉ぶった態度、またはそのような態度を取る人……要するにボクのような嫌なヤツ、のことを言う。もちろん、ここで言われている大きな坑に堕ちこんでしまうとされる増上慢の比丘とは、法華経教団から見た同時代の論敵のことを指していると考えて間違いあるまい。

 

 う~む、どっちが増上慢なんだ?と首を傾げたくなるが、捨て置こう。

 

 メゲずに舎利弗が三度教えを乞う。またも偈がやり取りされるが、キリがないので割愛。ここに至って釈迦は、ついに舎利弗の乞いを受け入れて如来の密意を説こうと宣言する。

 

 ちなみに、このやりとりを天台教学では“三止三請(さんしさんしょう)”と呼ぶ。この前後の流れでは釈迦は二回しか止めてないじゃん、とか思うのだが、これは冒頭のやり取り、つまり、二乗には仏の密意はわからん、と断言した直後に舎利弗よ、この程度の説明で満足するがよい(これについて問うのを止めよ)との言葉があり、妙法蓮華経ではこれを含むすべてを止舎利弗(ししゃりほつ)と表記しているからである。

 

 殊更説明するまでもなくこの修辞は、三国志演義における劉備玄徳の諸葛亮孔明に対する三顧の礼と同じ効果を狙ったものであろう。もう少し簡略化された形になるが、天台教学における後半部(本門)の要、如来寿量品第十六(第十五章)の冒頭にも、同じような三唱される繰り返しが見られる。この点において、方便品と如来寿量品が法華経の要であると喝破した天台大師の解釈は、決して的を外しているワケではない。つまり、この三唱の後に示される部分が、法華経を書いた人が主観的には一番言いたかったことだからである。

 

 まぁ、言いたいこと、と、正しいこと、は必ずしもイコールではないのであるが。

 

 かくして、ついに釈迦が本章の本題に入ろうとするのであるが、その前にちょっとした幕間劇が入る。少し長いのであるが、非常に興味深い部分なので以下にそのまま引くことにする。

 

「舎利弗よ、そなたは、いま、三たびにわたってまで如来に懇願した。舎利弗よ、このように請い願うそなたに私は説かずにおくであろうか。それゆえに舎利弗よ、明らかに聴き、よく心に留めるがよい。私はそなたに説くであろう」

 世尊がこの語を仰せられるやいなや、そのとき、その集会の中から、増上慢の五千人の比丘・比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい)が席からたって、世尊の両足を自らの頭に頂き礼拝して後、その集会から退き去って行った。なぜかというと、これらの増上慢のものたちは、不善根のために、いまだ得ていないものを得たと思い、いまだ悟っていないものを悟ったと思っているからである。彼らは自分に過失のあることを知って、その集会から立ち去った。しかし世尊は黙然としてそれをお許しになった。

 

 この下りについて、まず、天台法華教学における伝統的な解釈を示しておく。

 

 舎利弗の三止三請を受けて、釈迦は、如来の密意であるがゆえに、説き明かすことが返って衆生を惑わす恐れもある究極の真理を、時が来たと判断して説くことにした。が、そのとき、過去世からの善からざる因縁によってそれまでの二乗・三乗の教えに満足していた人々は、そのことを真正面から指摘されることを恐れてその場から立ち去った。釈迦は、その人々にはまだ真理を受け入れる準備が出来ていないのだから、と考えて、敢えて呼び止めずに見送った。

 

 これを天台教学では“五千起去(ごせんききょ)”と呼び、主に、自身の思い上がりによって、より博識な人物からの教授の機会を失することを戒める逸話として取り上げられる。それはそれで、自身の日々の生活の実践へのフィードバックとしてよろしい読み方であるとは思うが、この天台の解釈は、やはり、ここに現れる釈迦を歴史上の釈迦と見ているからこうなるのであって、この下りの真意は、これを書いたのは釈迦を騙る法華経教団の人間である、との前提で読まないとわからない、と、ボクなどは思うワケである。

 

 では、この下りの真意は何か。例によって例の如く、あくまでも私見であると断って書くが、二通りの考え方が出来ようかと思う。

 

 第一には、五千起去は実際に起こった出来事であるとする捉え方だ。もちろん、釈迦在世の話ではない。法華経教団のメンバーが、ここまでの議論、もしくは本章次下に示されるところの彼らが信じる如来の密意を、当時の主流派声聞衆に対し、それが辻説法なのか討論会なのかはわからないが開陳したことがあって、声聞衆が実際に一斉に席を立って退去した、というような事件があったのではないか、という話である。

 

 もちろんこの場合、五千という数は粉飾されたものであろうが、空想の産物にしては釈迦の弟子の一部なりともが説法の場から退去するというのは、あまりに突飛かつ生々しいものであるから、むしろこれを法華経教団が実際に自ら体験した出来事であると考えた方が筋が通るような気はする。また、既に見た第十章の記述もそうした事件の存在を匂わせている。

 

 一方で、同じ第十章から読み取った彼らの自意識と実践のちぐはぐさを踏まえると、もう一つの可能性も考えておく必要があろう。つまり、五千起去は実際には起こっておらず、法華経執筆者が、彼らの信念を主流派声聞衆に開陳したとすればこのようになるだろう、と想像したものである、とする考え方である。

 

 いずれが真相か……もちろん、ボクがまったく的外れなことを言っている、という可能性もあるがここでは捨て置く……はわからないが、ここから導かれる結論は大きくは変わらない。それが事実であるにせよ空想であるにせよ、読む人が読めば(あるいは聞く人が聞けば)ここで言われている増上慢の五千人の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷*4が誰を指して言っているのか、当時は明白であったろうと考えられる。そして、これを釈迦在世に仮託してこのような形で経文として吹聴されてしまえば、どれだけ法華経教団の主張に素晴らしさがあったとしても、少なくとも主流派声聞衆は法華経教団に合流するどころか、対話の席につくことすら困難となったはずである。

 

 つまり、この五千起去は、法華経教団による主流派声聞衆に対する事実上の絶縁状になっている。ある意味において、天台大師の好意的な受け取り方とは真逆だ、とすら言えるかも知れない。

 

 また、このような態度、すなわち自分たちの信条を最高のものと定義し、以って論敵を見下して一方的に対話不可能性を突きつける物言いは、現代の教条的・原理的な宗教集団にもまま見られる傾向であることは言うまでもあるまい。ここでもまた、我々は、我々人類の思惟が二千年を経てさして進歩していないという事実を知るのである。

 

 天台法華教学が、本章をして二乗作仏を示した妙法蓮華経迹門の要としていることを繰り返し述べてきた。詳しくは次稿以降で見ていくが、成仏できない二乗に対して、本章で示される一乗に信伏することで成仏が許されるからそうだ、というのが言い分なのだが、以上見てきたように、少なくともボクは本章をそのようには読まない。法華経教団は、この五千起去を書いたことにより、意図してかせざるかはともかく、主流派声聞衆を自分たちの運動から締め出しているのだ。

 

 

                    *

 

 

 ようやく法華経第二章“巧妙なる方便”の本題まで辿り着いた。ここまでの引張りが濃厚だっただけに期待するところ大な人もいるかも知れないが、予め断っておくと、そんなに劇的に凄いことが語られるワケではない。

 

 また、この部分は法華経全体を通して最も冗長度が高い……言い換えれば、こなれていない、と言うか、整理されていない部分に当たる。思うにこれは、法華経成立史の早い段階でこの部分が書かれ、後にセントラルドグマとして固定化されて容易にブラッシュアップすることが彼ら自身をしても出来なくなってしまったからではないか、と思うのであるが、そういう事情なので、逐一読むことを避け、要旨抜粋で進めていくことを諒されよ。

 

 舎利弗よ、いつか、もろもろの如来はこのような妙法の教えを説くのである。舎利弗よ、たとえば、優曇鉢の華はいつか、あるときに現れるが、そのように舎利弗よ、如来もまたいつか、あるときに、このような妙法の教えを説くのである。舎利弗よ、そなたたちは私を信ずるがよい。私はあるがままに説くものであり、相違なく説くものである。

 

 本論部分の釈迦……ひつこく言うが、法華経教団を代弁するキャラであって、歴史上の釈迦ではない……の第一声は上引用の通り。

 

 まず大前提として、法華経執筆者のみならず、当時のインドの人々の間で広く受容されていた世界観を押えておく必要があるだろう。彼らは今我々が住んでいるこの世界を“サハー”と呼んでおり、これが漢訳音写されて“娑婆(しゃば)”になるのだが、同様の並立する世界が事実上無限に渡って存在すると考えていた。これを漢訳経典では“三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”という。

 

 上引用のもろもろの如来は、この三千大千世界それぞれに現れる仏陀のことを言っており、その観点からすると、歴史上の釈迦は、三千大千世界に無数におわす仏陀のうち娑婆世界に現れた一人、ということになる。従って、引用部初句が言っているのは、仏が妙法の教えを然るべき時が至れば説く、ということが、三千大千世界に共通する法則だ、とする、いきなりの、超宇宙大の言明なのである。しかも、ここで言われている妙法の教えとは、法華経執筆者たちの信念=法華経の内容、に他ならないのであるから、おそらくこれは人類史上最大級の大言壮語の類ということになろうか。

 

 これを優曇鉢(うどんぱつ)、サンスクリット語でウドゥンバラと呼ばれる、三千年に一度咲くといわれる伝説上の花に喩えているのは、言っている本人としては、妙法を説く仏に出会うのは稀有なことなのであり、ゆえに尊崇せねばならない、と言いたいのはわかるが、ここでも法華経の論理が極めて情緒的・文学的であり、分析的論理性やスケール感の統一が度外視されていることが確認できる。

 

 その上で私を信ずるがよいと言われても、とりあえず話半分でよければ承ります、としか応じようがないのであるが、とまれ、ここでは彼らの思考が存外雄大であったことを理解できれば十分である。

 

 ところで。

 

 現代の仏教者、またそれに連なる新宗教の関係者が、しばしばこの三千大千世界観を以って「仏教は現代天文学の知見を予見していた」と発言するのを散見するのであるが、確かに、地球のみが唯一の世界なのではなく、同様の世界が事実上無限大に広がっていて、現時点では確認されていないものの、我々同様の知性が宇宙に無数に存在するであろうとする観念は、現時点では証明も反証もなされてはいないが半ば常識化しており、ソレとココで言う三千大千世界が通じている、と言われれば、それはそうかも知れない。が、ボクはこれは三重に間違っていると思う。

 

 第一に、三千大千世界観(および輪廻転生観)は当時のインド人のそれであって<仏教>の発明によるものではない。<仏教>はその世界観を当初は比喩として活用していたものが、仏典の伝承を重ねるうちに既成事実化したものである。よって、これを先見の明として称揚するのであれば、当時のインド人全般に対してそうすべきであって、仏教のみを褒めるのは、法華経同様の根拠なき自画自賛に過ぎない。

 

 第二に、元来の仏教*5は、三千大千世界があるとかないとか、死後の生命があるとかないとかは、他ならぬ私が生きていく上で目下の問題ではないので拘う必要なし、との立場だったはずである。無論これは、釈迦が現代宇宙物理学を無価値と判じるだろう、と言っているのではない。当時に比較して我々の認識可能範囲は飛躍的に拡大されたのであり、認識されるものはあるがままに学べ・考えろ、が釈迦の基本姿勢であったはずだから、彼もまた宇宙物理学に関心を示したであろう。が、究めれば、宇宙物理学そのものは一人ひとりが生きていく上の問題とは関係がなく、むしろその学問的正統への執着が人を苦しめるのであれば忌避すべきである、という点は同様であったろう、とは思う。

 

 第三に、百歩譲って三千大千世界観が現代天文学に通じているとして、だからどうだと言うのか。空を見上げれば今も三千年前もかわらず星はまたたいているのであり、我々が住むこの大地もあの星々の一つではなかろうか、という着想さえあれば、その実証性はさておき似たような観念には至るはずである。それを言ったからといって、それを言ったものの他の全知見が正しいことの証明にはまったくならない。むしろ「仏教は現代天文学の知見を予見していた」などと軽々しく発言する人間に対しては、疑ってかかることを個人的には推奨する。

 

 とまれ、そのような意味において、法華経教団もまた、仏教の出発点である釈迦の立ち位置からはかなり逸脱していることが見て取れるのであるが、これまた別の文脈で既に論じたことではあるが、釈迦の出現を契機として東アジアで発展した思考様式を<仏教>と総称する観点からすれば、法華経がその結実点の一つであるということは言えるだろう。

 

 閑話休題。

 

 この後、三乗には如来の密意はわからない、とする冒頭部と同様の言明が再びなされた後、以下のことが言われる。

 

 如来・応供・正等覚者はただ一つの目的、ただ一つのなすべきことのために世に出現されるからである。すなわち、大いなる目的のために、大いなるなすべきことのためである。

 

 やっと、如来の密意に辿り着いた。以下、似たような表現が繰り返されて冗長なので、主意抜粋するが、ここで言われる大いなるなすべきことは以下の五つである。

 

 ・衆生たちに如来の知見を開かせる

 

 ・衆生たちに如来の知見を示す

 

 ・衆生たちを如来の知見に入らせる

 

 ・衆生たちに如来の知見を悟らせる

 

 ・衆生たちを如来の知見の道に入らせる

 

……これだけもったいぶって、言うことがコレかよ、とか思ってしまうボクはやはり増上慢なのだろうか。まぁ、そういう冗談はさておき。

 

 これを天台法華教学では“四仏知見(しぶっちけん)”と呼び、動詞句のみを四つ連ねて“開示悟入(かいじごにゅう)”とも言うのであるが、ご覧の通り、原典からの翻訳では知見の数は五つである。底本訳注によると、この部分は写本・訳本間で揺れがあるらしく、四仏知見と五仏知見のどちらが正しいとも一概に言えないようである。いいのか、如来の密意とやらがそれで?

 

 いや、とりあえず良しとしよう。そもそも分析的視座を欠く法華経においては、このような言明に際しての数には深い意味はないのである。敢えて我見を以って超訳すれば、仏の密意、大いなる目的とは「人々の主体性で以って如来の知見をどうにかさせること」ということになろうか。主体性で以って、を挿句しているのは、おそらくは模範を示すの意であろう“示”を除き、すべての動作の主体は仏ではなく衆生に置かれているからである。

 

 そして、ここで言う“如来の知見”もまた「人々の主体性で以って如来の知見をどうにかさせること」なのであるから、これを代入展開すれば、

 

 仏の大いなるなすべきことは『人々の主体性で以って「人々の主体性で以って「∞」をどうにかさせること」をどうにかさせること』である。

 

ということになる。

 

 以上が、ボクの解釈による法華経のセントラルドグマであり、本章は以下延々と続くのであるが、結局のところこれを超えることは何も言っていないし、それは、法華経全篇を通じてすらそうである、というのがボクの理解である。そして、このボクの理解が万が一にも正しければ、法華経を書いた人は、何がキッカケかはともかく、これこそが仏の知見であり密意であり大いなる目的である、と確信するに至り、それを表明するために(合わせて、以って在家衆の支持を得て食いつなぐために)法華経を書いた、ということになる。

 

 結局のところ、本章表題のいう“巧妙な方便”とは何だったのか。

 

 実は、既に中盤の偈の末尾でそれは示されていたのであるが、その時点では、法華経教団にとっての如来の知見が何であるか明らかではなかったため、その意味するところははっきりとしていなかった。

 

 私はただ一つの乗り物に関して衆生のために法を説くのである。それはすなわち仏陀の乗り物であって、舎利弗よ、そのほかに第二あるいは第三の乗り物はまったく存在しない。舎利弗よ、あらゆる十方の世界においても、このことが根本の理法なのである。

 

 以上は、前稿に示した四 or 五仏知見の初出に続けて現れる一節となる。

 

 ここで言われているただ一つの乗り物、天台教学ではこれを“一乗(いちじょう)”または“一仏乗(いちぶつじょう)”と呼ぶのであるが、これは既に見た声聞・独覚・菩薩の三乗に対比して言っている。つまり第二あるいは第三の乗り物はまったく存在しないというのは、三乗は一乗のための巧妙な方便である、というのが法華経教団の主張の核心であり、これをあらゆる十方の世界……これは先に触れた“三千大千世界”の別の表現である……の根本の理法と言い切っているのであるから、またも突如として宇宙大の断言でもってコレが言われていることになる。

 

 一乗だの三乗だのと抽象的な表現になっているのでいまひとつ意が掴みにくい。以下、くどいようだが私見であると断った上で、読み解いてみよう。

 

 三乗が平たく言えば「よく学びなさい」「よく考えなさい」「人助けをしなさい」になる、ということは既に述べた。対して一乗とは何であったか。ここで前稿末で超訳したことをもう一段噛み砕こうと思うが、

 

 人々の主体性で以って「人々の主体性で以って「∞」をどうにかさせること」をどうにかさせること

 

 これが畢竟何を言っているかというと、まず、自分自身は、自らの意思……これは責任と読み替えてもいいと思うが……で以ってそれに取り組まねばならない。何者かからの強制であったり、利益誘導であってはならない。で、何をするかと言うと、自分ではない誰かが、自らの意思で以って他の誰かに、今まさに自分が彼また彼女に伝えようとしていることを伝えることができるようになるように明に暗に導きなさい……ボクの言語能力の限界から他の書き様が思いつかないのであるが、概ねこのようなことであろう。

 

 やや矮小化し過ぎかも知れないが、一乗を「教育者を育て得る教育者、を育て得る教育者……以下無限ループ……でありなさい」と読み替えてもいいかも知れない。繰り返し書くのに不便なので、以下これを「教育者∞でありなさい」と略記することにする。

 

 すると、三乗は一乗の方便だ、とする言明はどのような意味になるだろうか。

 

 「よく学ぶこと」「よく考えること」「人を助けること」は、手段なのであって、この手段を尽くして「教育者∞でありなさい」

 

 以下本章では、釈迦はここでいうところの「教育者∞でありなさい」をいきなり衆生に伝えてもワケがわかるまいと考えたので、相手の持って生まれた性質に応じて、あるときは「よく学びなさい」あるときは「よく考えなさい」またあるときは「人助けをしなさい」と衆生を導いたのであり、これを可能にするのが方便=如来の知見である、と述べられる。もちろん、その目的は釈迦自らが「教育者∞である」ためであり“教育者∞”こそが仏である……大雑把に翻案すれば以上のような感じになる。

 

 一方で、法華経を書いた人々は自分たち以外の当時の出家者を、釈迦の密意に思いを馳せることなく、方便として諭されたところの「よく学びなさい」「よく考えなさい」「人助けをしなさい」に執着した人々だと見ていた。裏を返せば「私はよく学んだ」「私はよく考えた」「私は人を助けた」は、それはそれで立派かも知れないが決して仏ではないし、ましてや、それを鼻にかけてふんぞりかえる連中を我々は仏弟子とは断じて認めない、が、その適否はともかくとして、法華経教団の他出家者集団に対する批判の核心ということになろうか。

 

 逆に、教育者∞であろうとする人は、当たり前のように「よく学ぶ」し「よく考える」し「人助け」もするだろう。法華経教団の言う方便力は、このとき発揮されるそれをも含んで言っているように思う。そして、真にそのように思考し言動する人は、多少の凶事にも心惑わされることなく前進し続けるだろうし、そのことが、他の人に同様の力を身につけさせるための方便力として働くだろう、と言われればそうかも知れない。

 

 無論、これは法華経教団が抱いたと思われる理想に過ぎないのであって、現実にそれですべてがうまくいくか、と問えば、もちろんそんなことはないと思うが、それでも、二千年前の人々が考えたにしては……少なくとも、あの人が磔になって神から我々を贖ってくださったのだ、とする迷信よりは……地に足のついたセントラルドグマであるように思う。

 

 さて、本章末尾には、百四十五句、七百二十五字からなる超長文の偈が配される。ここに、とても印象的な一節がある。あえて妙法蓮華経からこれを引きたい。

 

 舎利弗当知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異

 

 書き下せば舎利弗よ、まさに知るべし、我、もとより誓願を立つ、一切衆生をして、我の如く等しくして異なることを無からしめんと欲す。現代語訳すれば「舎利弗よ、私の願いは、みんなが私と等しくなって異なることがないことです」といった具合。中村師訳も概ね同じことを言っている。

 

 これまたあくまでも私見であるが、思うに、法華経を書いた人々の出発点が、案外この章句にあったのではないか、などと妄想してみるのである。つまりこうだ。周囲の権威ある出家者たちの有り様に不満を抱えつつ、それでもなお釈迦を敬慕して止まない彼らは、なぜ我々は不満なのか、何が現状に欠けているのか、と自問自答した。そしてある日、彼らのうちの一人が何気なく「そもそもお釈迦様は何を願って法を説かれたのだろう?」と問う。

 

 この、一見自明のように見えて自明でない問いが、発端だったのではないか。そして、ああでもない、こうでもない、との議論の末に、不意に上に引用した欲令一切衆、如我等無異のフレーズが誰からともなく示される。その瞬間、彼らに衝撃が走ったのであろう。なぜなら、この釈迦の誓願が真であるならば、自分たちもまた同じことを願うべきであり、また、自分たちが輩出するであろう次世代の者もまた同じことを願うべきであり……以下無限ループ。

 

 そして、この“無限ループ”が、三千大千世界や輪廻転生といった、彼らにとっては自明と受け取られていた世界観と結びついたとき、すなわち、この連環は時間的にも空間的に無限に続くのだ、と観念されたとき、彼らはとてつもない感動と歓喜に包まれ、以って、彼らの中でこの命題が、一気に超時空的な真理へと飛躍したのである。

 

 

                    *

 

 

 ボク個人の好みとして、法華経第二章“巧妙なる方便”に示されるところの仏知見、一仏乗の発想は好きである。また、本質的にそれは知性によって論証される類の命題ではなく、提唱者自身にとってもこれは祈り・願いの類なのであって、ゆえに、反知性的に信を以って入れ、とする姿勢にもまた、一定の理解を示したい。

 

 が。

 

 これは同時に危険思想でもある。“無限ループ”というのは、何か無限の可能性を秘めているように感じられるし、夢や希望に溢れたものに感じられるかも知れない、情緒的には。が、たとえば、情報科学的には、無限ループはその別名を“暴走”と言われるのであって、一切の割り込みを受け付けないループ、というのは、極めてタチの悪い状況にもなり得る。物理学的には要するに臨界状態なのであって、平たくいえば核爆発である。

 

 実際、少なくとも本章は「無限ループを駆動せよ」以外のことは特に何も言っていないのであり、そこからは確かに何らかのエネルギーを取り出せるではあろうが、そのエネルギーが必ずしも平和利用されるとは限らない。実際、この無限ループは、その善悪良非は別としても、いわゆる新興宗教の信者獲得メソッドそのものであり、決して手放しに賞賛できる類のものではないことも付言しておくべきだろう。

 

 また、ボクの仮説が妥当であれば、法華経教団によるこの“如来の知見”の発見は、特に彼らとは別に存在したであろう権威的声聞集団への反感を契機に生まれたがゆえに、結果的に強い反知性主義を胚胎するに至った。繰り返すが、知(三乗)を捨て信(一乗)を以って入れ、とするスローガンには一定の共感を示しつつ、敢えて言う。知なき信ほど恐ろしいものはない、と。

 

 彼ら自身がこの問題に自覚的であったならば、法華経を読み進めていけば、この問題に対する“安全弁”がどこかに仕掛けられているはずである。逆に、全篇読み通してみてそれがみつからなければ、彼らは終始その危険性に無自覚だった、ということになろう。これは、今後読み進めていく上で通底する課題となる。

 

 大丈夫だとは思いつつ念のため重ねて申し上げる。

 

 以上はボク個人の見解であり、それ以上でもそれ以下でもない。真に受け過ぎないように。若き日にこの法華経の洗礼を受けたボク自身もまた“教育者∞”でありたい、とは願っているが、本稿に述べたようなそれであるよりは、むしろ、自ら自分なりの答えを見出せる人を育て得る教育者でありたい、と願っている。とか言うと少し格好付け過ぎだと思うが、有り体に言えば、これはボクにとっては菩提心でも菩薩行でもなく、楽しいお遊びなのだ。

 

 以上で法華経第二章“巧妙なる方便”の転読(うたたよみ)を終える。今回の内容を、密意と取るか方便と取るか、決めるのは他ならぬあなたである。

 

*1
厳密に言えば、江戸時代に“嘘も方便”という言い回しが使われだした際に意識されていたのは、方便品第二の次下となる比喩品第三に見える“三車火宅(さんしゃかたく)の譬え”だったらしいが、これについては追々改めて。

*2
 厳密に言えば、大乗教団からの小乗教団に対する論難、という意味において、二乗不作仏は法華経の専売特許ではなく同時期の大乗教団に共通する主張であり、本章はそのバリエーションの一つということになる。今日において本章が二乗作仏の根拠経典とされるのは、ひとえに天台大師の経釈が幅広く受容されたからであって、そのこととそれぞれの説が実際の歴史上のどの段階に現れたのかには直接の関係はない。

*3
 余談になるが、この天台大師の説が、日蓮が主著『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』において、極端な法華経原理主義を採りつつも、彼自身が爾前経(にぜんきょう)、すなわち法華経以前の真実ではない教え、と蔑む余経を引用して憚らなかった背景にある。

*4
比丘とは男性出家者、比丘尼は女性のそれ、優婆塞・優婆夷は在家信者のそれぞれ男女を指す。

*5
釈迦自身の教説に最も近いとされるパーリ語で書かれた経典にみられる「毒矢の喩え」が有名。



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第4話 殉教あるいは被害妄想……第十二章“よく耐え忍ぶ”

 “殉教”という言葉には、良きにつけ悪しきにつけ甘美な薫りが漂う。

 

 読者諸兄は、殉教というと具体的に何を思い浮かべるだろう。時節柄*1、ISIL配下のテロリストによる自爆テロを想起し、以って、ゆえに宗教なんてケシからん!とお考えになるだろうか。あるいは我が国の近世史の汚点ともいうべき隠れ切支丹(キリシタン)に対する弾圧だろうか。こちらになると、不思議とISILに対するそれとは異なり、一定数の人が共感を示すのが興味深いところではある。

 

 2015年暮れのフランスはパリでの自爆テロに際し、ボクは妻と共にネット経由でフランスのテレビ報道を見ていたのだが、その中で繰り返し現地記者が“kamikaze”の語を使っていることに、日本人の端くれとして何やら小っ恥ずかしい思いを抱いていたのだが、国内に目を転じると、この語法を「イスラム原理主義テロリストと神風特攻隊を一緒くたにするとはケシからん!」と吹き上がっていた人もいたようである。いささか愛国心に欠けるボクとしては、むしろ、何が違うのかがわからない。

 

 閑話休題。

 

 古来、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”(妙法蓮華経勧持品(かんじぼん)第十三)が、法華信仰における殉教の章として知られてきた。連載第4話では本章を取り上げる。たちまちの関心事としては、前話で取り上げた第二章“巧妙なる方便”の五千起去(ごせんききょ)の下りから読み取ったように、法華経を書いた人々には(彼ら主観からみて)彼らを批判する論敵がいたことはほぼ間違いない。本章には、間接的ながら彼らが受けた批判が反映されているように思われるので、これを邪推してみよう、という趣向である。

 

 例によって例の如く、法華経本文に耽溺するのは次稿以降のお楽しみとし、ここでは本章にまつわる日蓮の興味深いエピソードを引いてみることにする。

 

 法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界(じゆせんがい)迹化他方(しゃっけたほう)・二聖・二天・十羅刹女(じゅうらせつにょ)鬼子母神(きしぼじん)・他国の賢王の身に入り代りて、国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず、真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山(てついざん)を日本国に引回し、須弥山(しゅみせん)を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散して散散に踏たりし大禍は、現当二世にのがれがたこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでか・かかる国をばたすけ給うべき。いそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめ。

(下線は引用者による、適時用字句読点を改めた)

 

 以上は、真蹟断簡の残る『下山御消息』(1277年)という日蓮遺文からの引用である。

 

 さて、引用部をザッと抄訳しておく。

 

 法華経を守護する諸仏が賢王(元皇帝フビライのこと)に入って日本の国主(北条一門)を罰しようとしていることを知らぬ者は、たとえ鉄壁を講じても蒙古から日本を守ることはできまい。なぜなら、教主釈尊よりも大事な法華経の行者である日蓮の頭を法華経の第五巻でもって殴り、十巻を踏み散らした罪は逃れ難く、天照や八幡にも救い難いのだ。急いでその責を問い、自身の罪科から逃れるべく尽力せよ……ほどの意となる。

 

 本題と関わってくるのは日蓮の頭を法華経の第五巻でもって殴りの部分である。妙法蓮華経が八巻の巻物になっていた……その直後で“十巻”とあるのは、更に開結として『無量義経(むりょうぎきょう)』『仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつふげんぼさつぎょうほうきょう)』を加えて数えているから……ことは繰り返し述べている通りであるが、ここで言われている“第五巻”に勧持品第十三、すなわち今回取り上げるところの法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”が含まれている。

 

 日蓮はこの出来事をよほど根に持っていると見えて……いや失敬、日蓮にとって非常に印象的であった、と言い改めよう……真贋定かでないものも含めて多数の日蓮遺文に本件に対する言及を見出すことが出来るのであるが、どこまでが事実でどこからが伝説の類であるかはともかく、いわゆる竜口(たつのくち)の法難に際し、日蓮を捕縛した平頼綱(たいらのよりつな)の配下の一人が法華経第五巻で日蓮の頭を殴る、という一幕があったらしい。

 

 余計なこと、と思いつつ補足するが、仮にこれが実際にあった出来事だとして、日蓮の(およびその門下の)筆は被害者側の主張のみを強調して伝えているので、経巻を以って僧を殴るなどという捕縛者の悪辣さばかりが目につくのであるが、当時の迷信深い人々にとって、たとえ罪人捕縛の体裁が整っているにせよ曲りなりにも僧形を取っている人に暴力を振るうことには相当の心理抵抗があったと考えるのが妥当かと思う。何が言いたいかと言うと、そのとき日蓮は、例によって例の如く、その心理抵抗を安々と超えさせるほどの何かひどいコトを相手に……しかもまったく悪気なく……言い放ったんだろうな、というお話。

 

 一方で、日蓮はこの事件を誇りにも思っているのである。

 

 法華経の第五の巻をもつて日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし。不軽品(ふきょうぼん)の如く身を責め、勧持品の如く身に当つて貴し貴し。但し法華経の行者を悪人に打たせじと、仏前にして起請(きしょう)をかきたりし梵王(ぼんのう)帝釈(たいしゃく)・日月・四天等、いかに口惜かるらん。現身にも天罰をあたらざる事は小事ならざれば、始中終をくくりて其の身を亡すのみならず、議せらるるか。あへて日蓮が失にあらず。謗法(ほうぼう)の法師等をたすけんが為に、彼等が大禍を自身に招きよせさせ給うか。

(同上)

 

 以上は真蹟のない録外(ろくげ)*2扱いの『妙密上人御消息』(伝1276年)より。

 

 法華経の第五巻で殴られたのは嬉しかった。不軽品(妙法蓮華経常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第二十、次話にて詳述)と勧持品に書かれた通りで貴い限りだ。が、法華経の行者(=日蓮)を守ると誓った神仏は悔しかったことであろう。(日蓮を殴った人に)天罰を与えなかったことはたいへんな罪になるので、過去・現在・未来に渡って自身を滅ぼすことになり、(その旨を釈迦の前で)議せられているだろう。これは日蓮の罪ではない。謗法の人を助けたがために、神仏が自ら招いたものである……といった感じ。

 

 この文章は後世に偽作された可能性も否定できないが、法華経の行者守護を起請した神仏が日蓮を守らないのは罪である、との言及は真蹟の残る『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』にも共通するものであるし、仮に本抄が偽作であったとしても、後世の弟子も含めて「法華経第五巻で殴られることには神秘的な意味がある」との観念が共有されていたことが確認できれば、本稿主旨としては十分である。

 

 要するに、法華経の行者は迫害を受けてこそ、殉教してこそ法華経の行者である、とする観念を日蓮とその信奉者は抱いていたのであり、鍋かぶり日親*3を殉教へ誘ったのも、不受不施派が江戸幕府相手に折れなかったのもコレに依っていて、時代が下って現代に至っては、その末流同士が「どちらがより世の中から疎んじられているか」を以っていずれが正統であるかを争う*4という、もはや笑うべきか嘆くべきか悩ましい事態すら出来せしめているのであるが、それらすべてが本章“よく耐え忍ぶ”に由来することになっている。

 

 さて、果たして本当だろうか?

 

 以上のことを念頭に置いて、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の転読(うたたよみ)に取り掛かることにしよう。

 

 

                    *

 

 

 最初に、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の正しい楽しみ方について言及しておきたい。

 

 実は本章の前章が、件の高さ7、500Kmの宝塔が出現して中空に浮かぶ例のアレである。そして、素直に読む限り前章と本章は時間的に連続しているので、以下読んでいく本章の出来事は、宙に浮かぶ高さ7、500Kmの宝塔を前におこなわれている会話……少なくとも書いた本人にとってはそういう物語になっている。これを念頭に読むと本章はとても面白い。ついつい忘れそうになるのでその都度リマインドするつもりでいるが、とりあえず前以て言っておくことにする。

 

 さて、本章で最初に登場する人物は、第十章に続いて薬王菩薩、さらに大楽説(だいぎょうせつ)菩薩と、加えてその配下の二万の菩薩衆となっている。既にお気づきのこととは思うが、法華経全般を通じて、登場キャラクタが現実の誰を表象しているか……前回扱った第二章では舎利弗=法華経教団と対立した声聞衆を表す……を除き、その名前や数に特に深い意味はない。ここでの菩薩も、声聞・独覚ではない人たち、程度に理解しておけば十分である。

 

 彼らが釈迦……繰り返すが、歴史上の釈迦ではない……に対し誓いを述べるところから本章は始まるのであるが、コレが「え!菩薩ともあろうお方が、そんなことをおっしゃる?」という内容で興味深い。

 

 世尊よ、この教えのことにつきましてはご案じくださいませんように。世尊よ、私たちは如来がご入滅になられたのちの世において、この経典を衆生たちのために説き示し、解説するでありましょう。そして世尊よ、またその時代には衆生たちは信義を守らず、善根が少なく、高慢の心が強く、名利を貪り、不善の行ないを積み重ね、教化することむずかしく、教えを信受することがなく、強い信仰心もないでしょう。しかしながら、世尊よ、私たちは耐え忍ぶ力を起こし、その時代にも、この経典を受持し、読誦し、説き、書写し、恭敬し、尊敬し、敬い使え、供養するでありましょう。また、世尊よ、私たちは身命をなげうって、この経典を説き示すでありましょう。どうぞ世尊は、お心を安んじられますよう、お願い申し上げます。

 

 この部分だけをいきなり読むと、耐え忍ぶ力を起こして、身命をなげうってとあるから、なるほど殉教精神であるなぁ、と思わないでもない。思わないでもないのではあるが、直前に第二章“巧妙なる方便”、特に五千起去の下りを読んでいると、いささか印象が変わってきはしないだろうか。

 

 如来がご入滅になられたのちの世というのは、法華経教団にとっての現在に他ならない。ということは、以下、くどくどと信義を守らず~強い信仰心もないと非難されるその時代の衆生というのは、狭くは第二章で法座中に席を立った五千人の比丘たち=法華経教団と対立した声聞衆のことであり、広くは、対立しないまでも法華経教団に賛同しない当時の人々すべて、を指していることになる。

 

 一切衆生の救済を誓願する菩薩ともあろうが、布教の誓いを立てるにあたり、のっけからその救済すべき衆生の難点ばかりをくどくどと並べ立てて、これではまるで「法華経を広めてはみますが、うまくいかなくても、それはアイツらがアホだからです」と前以て言い訳を準備しているようではないか。

 

 いやいや、この程度のちぐはぐさにイチイチ突っ込んでいては本章は読み通せないのである。とりあえずここは、釈迦の入滅(にゅうめつ)……仏の死去を憚ってこう言う……の後の世に布教することは極めて難事なのであり、その難事に敢えて菩薩たちは挑戦することを表明したのだ、法華経を書いた人々もそのように考えていたのだ、とだけ理解して先へ進もう。

 

 次に、学・無学の五百人の比丘たちが同様に誓願を述べる。

 

 ここで少し脱線するが、無学(むがく)というと現代的には「学がない人」という意味になるが、仏典においては「既に学ぶことが無い人」のことをいっていて、(がく)、すなわち「まだ学ぶべきことがある人」よりも格上である。というワケで、明日以降は、このことを知らない人に対して「ワタシ、無学なもので」と謙遜する体で、内心は(オレは既に学ぶことがないのだ)と相手を見下すことをボクが許す。これでキミも明日から立派な増上慢(ぞうじょうまん)だ。

 

……いかん、いかん。茶化す気満々ぢゃないか。まぁ、ちょっとでも面白おかしく演出しないとこんなモン読み通せないと思うのでやっていることで、他意はないのである。そう、アレだ、これも“巧妙な方便”なのだ、と諒されよ。あぁ、何たる増上慢。

 

 閑話休題。

 

 世尊よ、私たちも、苦難の多い娑婆世界(しゃばせかい)ではなく、他の国土においてではありますが、この経典を説き示すことに努め励みましょう。

 

 その五百人の誓願が上引用となる。これは何を言っているのかというと、どのくらい本気であったかはともかくとして、法華経執筆者たちが有していた三千大千世界観および輪廻転生観においては、人間は生まれ変わるに際し、我々のこの世界=苦難の多い娑婆世界ではない、他の世界=他の国土に生まれ変わることもあるし、修行次第では自ら望んで生まれ変わる先の世界を選ぶことが出来る、と観念されていた。その上での、他の国土においてではありますが発言となっている。つまり、この娑婆世界ではなく他の世界に生まれて布教したい、との表明だ。

 

 その理由は、次下の有学・無学八千人の比丘たちの誓願に示される。

 

 私たちも他の世界においてではありますが、この経典を説き明かしましょう。それはなぜかと申しますと、世尊よ、この娑婆世界にいる衆生は高慢で善根が少なく、つねに悪心をもっており、虚偽に満ち、生来、無頼の心の者たちであるからです。

 

 何ぞ、この言い分はwww

 

 ついつい忘れそうになるが、法華経執筆者の主観においては、ここで言われる高慢で~無頼の心の者たちには、他ならぬ今日の我々自身も含まれていることになる。普通、ここまで言われて、敢えてそういうことを言い放つ人の説く教えを、いくらそれが優れたものであるとしても耳を傾ける気になれるだろうか。一方で、なるほど最澄も日蓮も、やはり真に法華経の行者だったのだな、と妙なところに得心がいったりもするのであるが、それはさておき。

 

 例によって私見であるが、と断った上で、ここで誓願する比丘たちが、しきりに他の国土においてと言っているのには凡そ以下の二つの意味が込められている。

 

 第一には、これが第十四章で登場する“地涌(じゆ)の菩薩”への伏線になっている。詳しくは同章を取り上げる際に論じたいと思うが、地涌の菩薩は法華経教団、ひいては後の法華経信奉者を表象しており、彼らこそが釈迦の嫡流であって、法華経教団と対立した声聞衆には娑婆世界で仏教を布教する資格がないのだ、ということを言っている。良く言えば使命感の表明であり、悪く言えばお釈迦様印の独占宣言といったトコロか。

 

 第二には、これまた忘れそうになるが、法華経は、あくまでも字面上は歴史上の釈迦がその最晩年におこなった説法、という体裁になっている。ゆえに、法華経の中で釈迦の死後の布教を誓う人があまりにたくさんいると都合が悪いのである。釈迦の死から法華経の誕生まで短く見積もって400年、その間、死後の布教を誓った連中はいったい何処で何をしていたんだ、という話になってしまうからだ。

 

 加えて、前述したように、ここでいう比丘はすなわち声聞・独覚とその末流であるが、同時に、釈迦以来分析哲学的な経典を蓄積してきた小乗仏教(上座部仏教)をも表象している。法華経の布教を誓った比丘が他の世界へ行ってしまったのだから、娑婆世界の小乗仏教(の経典理解)には、法華経教団が信奉する如来の密意は継承されていないのだ、との意味合いも込められている、と考えてよかろう。

 

 以上、これで本章冒頭部をザッと読んだことになるが、ここからは以下のことが言えるかと思う。

 

 まず、本章成立時点の法華経教団が、自分たちの身内以外の人々、つまり対立する声聞衆のみならず在家の信者候補を、存外見下していたという点である。見下していた、という言い方が悪ければ、自分たちの信念を真に理解してもらえることをあまり期待してはいなかった、と言い換えようか。ともかく、第二章末尾で見た「教育者∞であろう」とする当初の彼らの信条と比較して、いささか後退している感がある。

 

 これは、前話冒頭で論じた、法華経第二~九章が書かれた時期と、第十~十七章が書かれたそれの間に時間的断絶がある、とする拙論の根拠でもある。おそらくこの間に法華経教団内部で世代交代が起きて、彼らの関心の中心が、第二章に見られた彼らの信念そのものよりも、むしろ、その信念を保ちつついかにして教団を維持運営していくか、といった方向へズレた結果ではないか、とボクは見る。

 

 もう一つは、この“法華経第二期”とでも呼ぶべき本章を含む第十~十七章を書いた人(または人々)は、第一期、すなわち第二~九章を書いた人たちよりも、物語の構成力が巧みであるという点だ。追々述べたいと思うが、前述した地涌の菩薩への伏線を含め、法華経第二期はかなり綿密に考え抜かれた構成になっていて、文量や言及内容の配分バランスが不安定な第一期に対して、読み物としての読み易さが格段に改善されている。

 

 これも、法華経第一期が自分たちの信念をとにかく書き留めることに注力していたのに対し、法華経第二期が、第一期において成文化された信念をどのように布教し、以って、いかに教団を維持運営していくかを目的に、緻密に計算して書かれたものであること、ひいては、この時期の法華経教団の中心メンバーは、そこに気が回る人でなければならなかったことを示しているように思われる。

 

 と言っておいて何だが、本章次下では「藪から棒に何だ?」的な方向へと話が転じるのである。それから、念のために言っておくが、この瞬間も高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。お忘れなきように。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊のご生母の妹にあたる摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)は学・無学の六千の比丘尼たちとともに、座から立ち上がり世尊のおられる方に向かって合唱して礼拝し、世尊を一心に仰ぎ見ながらたたずんでいた。ときに世尊は摩訶波闍波提比丘尼に仰せられた。

(引用に際し一部冗長な表現を省略している)

 

 ここで言うそのときは、先に示したところの八千の比丘が私たちも他の世界においてではありますが、この経典を説き明かしましょうと、いささか問題アリながも誓った、本当にその直後である。

 

 摩訶波闍波提は釈迦の叔母であると同時に、釈迦を生むと同時に亡くなったと伝えられる生母摩耶夫人(まやふじん)に代わって彼を育てた養母でもある人だ。ちなみに、後付されたと思われる序章を除き法華経の文中に女性の個人名が登場するのは……性別不詳の菩薩衆を除けば……これが最初になる。

 

 普通、この流れからすると「あぁ、彼女もまた娑婆世界なり他国土での布教を誓うのだな」と考えると思うのだが、続く釈迦……くどいが法華経教団を代弁するキャラクタであって歴史上の釈迦ではない……の発言は意外な方向へ展開を見せる。

 

 憍曇弥(きょうどんみ)よ、あなたは「私は如来から名を呼ばれ、無上の覚りについて予言を授けられていない」と憂いに心ふたがれて立ちつくし、如来を見つめているのはどうしてなのですか。しかしながら、憍曇弥よ、私がすべての会衆に記を授けたことによって、あなたも記を受けているのですよ。

 

 えーっ、何この話の流れを丸っと無視した時間差攻撃www?

 

 ピンと来ない人のために補足説明する。

 

 まず、憍曇弥というのは、釈迦一族の女性に与えられる姓……男性は憍曇摩(きょうどんま)と称される……であって、つまり摩訶波闍波提に対し、釈迦が他人行儀に呼びかけている様を示している。まぁ、これはこの部分の本質とは関係がない。

 

 本稿ではまだ直接に扱っていないが、第十章転読に当たって概説したように、法華経の前半部、特に第三章から第九章にかけて、釈迦が登場人物に対し「あなたは未来において仏になるだろう」と予言を与える話が延々と続く箇所がある。この予言を記別(きべつ)といい、釈迦が記別を与えることを授記(じゅき)……中村師訳は、ここでは記を授けとなっている……という。

 

 つまり、ここで摩訶波闍波提……厳密にはその視線に気付いた釈迦……は、三章も前に終わった話題を、話の流れを仏陀斬って……もとい、ブッた斬って蒸し返していることになる。これを、時間差攻撃、と評したワケだが、注意すべきは、釈迦は、この時点で授記したのではなく、摩訶波闍波提に対して「あなたは既にそれを得ている(これは第八~九章の話になる)のに気付いていないだけだ」と諭している点だろうか。その意味するところは後述する。

 

 さらに面白いことに、この脱線はこれで終わらないのである。

 

 そのとき、羅睺羅(らごら)の母である耶輪陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)はこのように考えた。「世尊は私の名を呼んで成仏の記を授けてくださらない」と

 

 羅睺羅は釈迦が出家以前にもうけた実子、その母である耶輪陀羅は、要するに釈迦の嫁さん(だった人)ということになる。伝承上は、彼女も息子も、夫および父の後を追って仏門に入ったことになっているワケだが、その耶輪陀羅は、直前の釈迦の発言、すなわち、すべての会衆に記を授けたことによって、あなたも記を受けているの意を知ってか知らずか、自分の名を直接呼ばれていないことにご不満の様子。

 

 だから何なの、この流れwww

 

 ついつい忘れそうになるのでリマインドするが、この瞬間にも、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの目前の虚空に浮かんでいる、そういうことになっている。超シュールwww

 

 かくして釈迦は彼女の意を汲んで……耶輪陀羅自身は何も発言していないので、これは一方的に釈迦がかつての嫁に気を揉んだだけの話であり、おいおい煩悩断ててねーじゃん仏陀、な感がないでもない……記別を与える。対して彼女は短い偈で以って……もちろん彼女も歌うのである……謝意を述べ、

 

 世尊よ、私たちもまたのちの世、末代の時に、他の世界においてでもこの経典を広く説くことに努め励みます。

 

 と誓願を立てて、ようやく話が本筋に戻って来る。呆れたことに、以降、この謎の幕間劇についての言及は一切ない。当時のインドの人々には、これで納得がいったのかも知れないが、現代の我々としてはどうにも首を傾げざるを得ない展開である。で、例によって私見ではあるが、この一連の流れの含意するところを論じてみたい。

 

 結論から言ってしまえば、これは法華経教団が在家女性信徒を獲得するためにおこなったリップサービスである。

 

 前述のとおり、法華経第一期(第二章~九章)には女性に関する言及がほとんどない。例外的に存在するのが第八章における長老富楼那(ふるな)に対する授記なのだが、その中で、未来において、法明如来(ほうみょうにょらい)という名の仏となった彼が住む善浄(ぜんじょう)世界には女人がいない、とされる。これはその後に続く偈においても繰り返し言われるので、法華経教団第一期の信念の一部であったことがわかる。

 

 要するに、少なくとも第九章までの法華経を書いた人々にとっては、女性には成仏可能性がなく、むしろ仏道の妨げとなるものである、と観念されていたのだ。

 

 ここに、法華経第二期以降から変化が生じる。既に見たように第十章からは、それまで善男子とされてきた聴衆に対する呼びかけが、善男子、あるいは善女人との表記へと、いつの間にか入れ替わっている。この変化について、法華経は何も説明していない。これは、法華経教団第二期の関心事が、現実社会における布教へとスライドし、かつ、彼らが全<仏教>集団の中でも比較的早くに、女性在家信徒の取り込みの重要性に気付いた手合いであることを反映した結果のようである。

 

 以下、あくまでも想像に過ぎないが、法華経第十章~十七章は短い期間に一気呵成に成立したと思われるので、その最中、第十章~十一章が完成し本章に着手した時点で誰からとなく「第十章での善女人表記の追加のみではインパクトに欠けるので、やはり、全女性を代表する誰かへの授記が必要だ」ということが言われだしたのではないか、と思う。そして、法華経教団第二期の編纂者には、第一期成立部分への修正加筆が認められていなかったか、既に聖典化したそれに対する遡及修正に心理的な抵抗があって、以って本章の「摩訶波闍波提は第八~九章ですでに授記を受けていたが、本人がそれに気付いていなかった」とする、いささか付け焼刃な説明がなされたものであろう。

 

 ところで、古来我が国で法華経の人気が高かった理由の一つに「法華経は女人成仏を示す経典だから」というものが上げられ、実際、平安期の女性貴族が遺した書き物の多くからそれを読み取ることが出来るのであるが、このとき言われるのは、実は本章ではなく、前章となる妙法蓮華経提婆達多品第十二なのである。これが何を意味しているかというと、第二期完成後に本章の“原”女人成仏に対してその記述の不足が指摘され、これを更なる加筆によって補ったから、と考えられるのであるが、この辺りの詳細は、原典法華経ベースで第十一章となる“塔の出現”を取り上げる際に改めて論じたいと思う。

 

 とまれ、ここまで読んでわかったことを以下にまとめたい。

 

 まず、後世において殉教の章として読まれることの多い本章であるが、女性信徒の取り込みを企図したと考えられる以上の展開からもわかるように、少なくとも書き手の関心は、殉教者=法を説く側ではなく、施与者=法を聴く側、の心を如何にして捉えるか、にあったことが読み取れる。前回みた部外者に対する見下しも、既に法華経教団に賛同している施与者に対する「あなたたちは、生来無頼の者の多い娑婆世界にあって、稀有な人たちです」との(おもね)りの裏返しと解される。

 

 また、法華経第一期が無関心であったか、あるいは忌避すらしていた女性に対し、法華経教団第二期の人々は、明らかに異なる価値観を持っていたことが読み取れる。狭くは彼ら、広くは当時のインド人全体において、この時代に女性観の変化が生じていたことが推察されるのだが、本連載はフェミニズムの探求を目的とするものではないのでこれについては捨て置く。

 

 ただし、これを以って、法華経教団が先進的な男女平等観を有していた、とまで解してしまうのは早計である。本稿からもわかるように、釈迦の叔母は、既に得ていた授記に気付かなかった人、釈迦の元妻は、それを横で聴いていながら自分に当てはめて考えることが出来なかった人、さらには両者共に、自分からはその意見を表明することが出来ず釈迦に慮ってもらって初めて救済される人、として描かれている。これは、おそらくは男性集団であったはずの法華経第二期の執筆陣もまた、意識的であれ無意識にであれ、男性に対して女性を一段格下の存在として見ていたことの現れであろう。

 

 個人的には、殉教などというものは、命懸けで生を授けてくれた母……事実、釈迦の生母はそれで死んだのであり、このことが釈迦の思索の出発点にあったと一般的には理解されている……に対する最大の背信行為である、と思うのだが、法華経以前にはほとんど省みられることのなかった女性の救済可能性に対し、おそらく<仏教>史上初めてスポットライトを当てたであろう本章が、後世において殉教の章として読まれるようになった、というのは皮肉な話だな、と思ったりもするのである。

 

 ただし、本章の言う殉教は実はそれほど大したものでもなかったりするのだが。そして、ひつこく繰り返すがこの瞬間も高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。

 

 

                    *

 

 

「善男子らよ、世尊はこの法門を未来世に説き広めることを願っておられますが、私たちはどのようにしたらよいのであろうか」

 そのとき、彼ら善男子たちは世尊に対する敬信と、自らの過去における行と誓願によって、世尊のみ前において獅子の叫び声のような音声を響かせた。

 

 ここで、後世に“勧持品二十行の偈”と呼ばれることになる偈が挿入される。この偈は漢訳妙法蓮華経において八十句四百字から成っており、これが伝統的に四句一行で巻物に書写されたことからこの呼び名がある。上引用からもわかる通り、この偈を詠んだのは釈迦ではなく、ここに至るまでの諸菩薩、声聞、釈迦の養母と元妻の誓願を聴いて感極まった善男子……彼らも菩薩、ということになっている……であるが、『立正安国論』における日蓮の引用などを見ればわかるように、天台法華教学においては伝統的に、いわゆる“未来記(みらいき)”として読まれてきた。

 

 本章転読の初回において述べたように、ここに法華経教団が他声聞衆から被ったと思われる非難が反映されていると考えられ、これを読み解いてみたい。

 

 まず偈の冒頭で「世尊よご安心あれ、我らが法華経を広めていきます」と誓われる。このとき、法華経を広める対象世界は、妙法蓮華経では恐怖悪世(くふあくせ)と表現されており、法華経執筆者が我々の暮らす娑婆世界に対し、あまり良い印象を抱いていなかったことが伺い知れる。

 

 続いて現れる句は、本章々題の直接の由来となる。

 

 無智の人たちに悪口され、罵られ、刀や棒を振りおろされても、導師よ、私たちは耐え忍びましょう。

 

 なるほど、確かにここだけ読めば殉教である。本章を含む巻物で頭を殴られた日蓮も、この章句を想起したのであろう。さて、この次下に、その日蓮が安国論に引いた章句が登場する。少し長くなるが、以下に中村師訳を引いてみよう。

 

 のちの世には、比丘たちのなかには邪悪な考えをもち、無頼で、虚偽に満ち、愚かで、まだ得ていないものを得たと思い込む者がおり、無智の者たちはいたずらに山林に住みつき、ぼろ布をつづった衣をまとい、「我らは戒を堅持する行を守っている」と、このように言うでありましょう。

 美味の食べ物に愛着するものが在家の人たちに法を説き、あたかも六神通をしなえた阿羅漢であるかのように恭敬されるでしょう。

 悪心をいだき、忿怒の心をいだき、放縦で、家族や財物のことに心を奪われていながらも、形だけは悪をいとう隠れ場所としての山林に身を置いて、私たちを悪しざまに言いふらす。

 そしてまた、私たちに対して「名誉と利得を貪るものであり、これらの比丘たちは外道であって、自分たちが勝手につくった俗悪な教法を教える」とののしるでありましょう。

 さらにまた「利養と名聞のために、自ら経典を作り、大衆の中において説法する」と私たちをそしるものもありましょう。

 国王、王子たちに、また、大臣たち、婆羅門たち、長者たち、他の比丘たちにも、私たちのことを「外道の言説をなすもの」とののしって言うでしょう。けれども私たちは、大仙者たちを敬い尊ぶことによって、これらの非難にことごとく耐え忍びましょう。

 また、その時代には、悪意に満ちたものが私たちをあざけり、「このものたちは仏陀であるそうな」と言うこともありましょうが、私たちはどんなことにも耐え忍びましょう。

 

 さて、以上を読んで、どのような印象をお持ちになるだろうか。

 

 天台教学では、ここに現れる法華経教団に対する攻撃者を三種の増上慢に分類し、末法の世に法華経の行者と対立する“三類(さんるい)強敵(ごうてき)”なのだ、ともったいぶって呼んでみせるのであるが、個人的にはそれは、漢訳経典の漢字々義にまで踏み込んでおこなわれた言葉遊びに過ぎないと考えている。

 

 まず間違いなく言えることは、どちらに非があるにせよ、おそらくこれはすべて実話である。でないと、このやたらと具体性のある描写は説明がつかない。特にこのものたちは仏陀であるそうな()()を言われる下りは……むしろ、古代インドにもこういう悪口の言い方があったんだ、と驚くが……空想では書けない、とボクは思う。

 

 で、これが実話である前提で読むと、いろいろと興味深いことがわかる。

 

 第一に、法華経教団と対立した声聞衆は、街の喧騒を離れた山林でボロ布をまとって暮らしていたらしい。上引用ではその事実の前にこれでもか、と悪口……を言ってんのはどっちなんだ、という気がしないでもない……が連ねられるので、山林もボロ布もネガティブなものと読み違えそうになるが、山林とはすなわち出世間(しゅっせけん)……釈迦は弟子に俗世から離れることを勧めた……であり、ボロ布とは糞掃衣(ふんぞうえ)のことであろうから、少なくとも外形的には、この声聞衆は極めて仏教出家者の伝統に則した集団であったことが、図らずも読み取れる。

 

 第二に、どうもこの声聞衆が法華経教団に対しておこなったことは、言論による批判であったらしい。しかも、自分たちが勝手につくった俗悪な教法であるとか、自ら経典を作り、大衆の中において説法するであるとか、仏陀であるそうなは、それに対する善悪良否の価値判断はともかくとして、第二章“巧妙なる方便”の読解を通じて読み解いた法華経教団の信念およびその実態、そのまま、であり、嘘偽りを以って非難されていたわけでないこともわかる。

 

 第三に、どうやら法華経教団は、声聞衆のこうした批判を邪悪な考えをもち、無頼で、虚偽に満ち、愚かで、まだ得ていないものを得たと思い込むがゆえである、としか受け取ることができなかったらしい。うーむ、やはりどっちが増上慢なんだ、っつー話に戻って来るな、こりゃ。

 

 私たちは、仏を信じたてまつることによって、難事を忍び、忍辱(にんにく)の鎧を着て、この経典を説き明かしましょう。

 

 ふたたび、上引用のような威勢のいいことが言われる。どうでもいいが、ここで忍辱の鎧と言われているものは、第十章では“如来の衣”であったはずだが、穿った見方ではあるが、どうも自分たちの受けた嫌がらせを偈としてまとめているうちに、感情が高ぶってきて鎧にパワーアップしてしまったらしい。おい、柔和な心はどこへやった?

 

 しかも、この後に再び彼らが直接体験したと思われることに触れられるのであるが、

 

 眉をしかめられたり、しばしば大事について知らされなかったり、僧院から追い出されたり、さまざまな束縛や殴打、ののしりをうけても、すべて耐え忍びましょう。

 

眉をしかめる?

大事を知らされない……要は回覧板が回って来ない、ってことだよな。

 

 続いて束縛や殴打の文言もあるので、かろうじて殉教迫害っぽさがなくもないが、直前に眉だの回覧板だのを難事の例に挙げられると、その殴打ってのは禅宗の坊さんが肩に喝を入れられるアレじゃねーよな?と勘繰りたくもなる。

 

 加えてここから伺い知れるのは、回覧板や僧院からの追い出しが問題視されるということは、法華経教団と対立声聞衆は、まったく断絶しているワケではなく、存外同一の上部組織に所属している者同士の派閥抗争である可能性すら匂わせるのであるが、これについては詰め材を欠くのでここでは捨て置く。ともかく、彼らがここで言っている難事は、殉教・迫害といったものよりは、むしろ、いじめ・いやがらせの類のように思ってしまうのはボクだけだろうか。で、忘れそうになるが、彼らが獅子の叫び声のような音声でもってこうして愚痴っているその瞬間も、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいるのである。

 

 何、このスケール感のズレっぷりwww

 

 と、このように突っ込むと、いかにも一方的に法華経教団側に問題があったように読めなくもないのではあるが。しかし敢えて、ここでもう一歩踏み込んで考えてみたいと思うのであるが、虚心坦懐にこの対立構図を俯瞰すると、一方には既に一定の権威と利権を得た集団がいて、一方にそれに挑戦する新しい集団がいる、と。前者は後者を伝統に則していないと非難し、後者は前者を悪意に満ちた愚か者と見做す。これって、普遍的に見られる世代交代劇なのではないだろうか。

 

 実際、その批判が妥当であるかどうかはともかく、前回、第二章“巧妙なる方便”から読み取った法華経教団の三乗否定の論理からは、彼らが対立した声聞衆を保守的で硬直化したものと見てうんざりしていたことが嫌と言うほど伝わってくるし、法華経成立時点では新興集団に過ぎなかった彼らの信念は、約300年のときを経て彼らの新しい論理と過去からの伝統の双方を折半昇華した新しい大乗経典『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の説く“一切衆生(いっさいしゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)”においてその極限へ至るのであり、また、涅槃経も含めたエッセンスの集大成として、天台法華信仰へとつながっていくワケで、そのような意味で、直接的に法華経を書いた人々自身がそういった自分たちの活動の成果を知ることはなかったとしても、確かに彼らは<仏教>を変えたのである。それが彼ら自身が望んだ結末であったかはわからないけれども。

 

 そして、そのような変化を生じせしめる上において、反動的な批判にいちいち心迷わせることなく、殉教精神で突き進むべし、という点においては、本章の論理は、適正であるとは思わないけれども、集団の採用する戦略としては決して間違ってはいないし、むしろ、歴史上はこのような戦略を割り切って採択し、かつ、信じ込んだ側が勝ち残ったケースが、良かれ悪かれ多いように思えもするのである。そして、仏教諸宗派中、日蓮筋が最も熱く宗祖のノリを現代に至るまで継承しているのも、この辺りにその原動力があると言えるだろう。

 

 本章を改めて通読して思うのは「これを書いた人は、どのくらいまで本気で、どのくらいまでを“方便”と自覚的に割り切っていたのだろう」という、いささか意地悪な関心だ。原・女性成仏の下りからは、かなり自覚的な割り切りを感じるのに対し、本稿に見えた対立声聞衆への批判はそれが結果的に自分たちを貶し得ることに無自覚な感がないでもない。

 

 そして、少なからぬイスラム原理主義者の自爆テロや神風特攻隊のように、社会構造的に本人が本人の意思においてそもそも拒絶することが不可能な状態に追い込まれているケース……蛇足ながら、それが自分自身を死に追い詰めるそのときまで容認した、という点で、ボク個人はそういう人がまったく免責されるとは考えていない……を除けば、“殉教”を要請する物語の構造に読み手が自覚的である場合、殉教行為それ自体は必然ではなくなるはずである。

 

 そのような意味において、たとえ聖典への不敬を問われようとも、本章のようなテキストは敢えてそこに踏み込んで茶化さねばならない、という読み方を強いてやってみた。もし不愉快に感じられた方がおられたら、これはそのような意図によるものである、と、まぁ納得はできないにせよ了解していただきたい。

 

 以上で法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の転読(うたたよみ)を終える。そして引き続き、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。

 

*1
 本稿初出は2016年初頭であり、当時中東および欧州でISILによるテロ活動が問題になっていた。

*2
 日蓮遺文は一般的に15世紀におこなわれた蒐集編纂時に存在が確認されていたかで録内(ろくない)と録外に分類され、当然のことながら前者の方が真贋の点で信頼性が高いとされる。

*3
 室町時代の京都の日蓮宗僧侶。宗祖に倣って他宗排撃を論じ反感を受けて焼けた鍋を頭に被せられ、終生その鍋を頭に乗せたままだったという伝説からこの名で呼ばれる。

*4
 創価学会、日蓮正宗、顕正会がまさにそんな関係。



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第5話 二十四字の法華経 ……第十九章“常に軽侮しない”

 “二十四字の法華経”と呼ばれるものがある。

 

 いきなり脱線するのだが、昔からボクを知っている人は、実はこの二十四字の法華経(のパロディ)を既に見ているかも知れない。拙共著『鉄道模型シミュレーター4エキスパートガイド』(工学社,2006年)の奥付、編集後記に冗談半分に載せていたからである。図らずもこのことが、ボクが十数年前から今とさして変わらないことを考え続けていた……進歩がない、とも言う……ことを証しているのであるが、それはさておき。

 

 我深敬汝等不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道当得作仏。

 

 以上が妙法蓮華経常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第二十所収の、二十四字の法華経と呼ばれる一節になる。その意味するところは追々見ていくとして、今回は法華経第十九章“常に軽侮しない”を転読(うたたよみ)していく。

 

 この一節が、二十四字の法華経、と呼ばれるのは、もちろんこれが妙法蓮華経ベースで漢字二十四字から成るからであるが、これに特に別称が与えられているのは、この部分が法華経全体を要約していると見做すからである。このような章句を“略法華経(りゃくほけきょう)”と呼び、天台教学においては、ここまで本連載で触れた部分でいうと、第十章の“衣座室(えざしつ)三軌(さんき)”であるとか、第二章の“十如是(じゅうにょぜ)”も略法華経であるとされる。

 

 日蓮遺文に目を向けると、実に多くの遺文がこの我深敬汝等~当得作仏の一節、またはその趣意を引いていて、彼がこの章句に深い思い入れを抱いていたことがわかる。なお、遺文中にはそのものズバリ“略法華経”の語を見出すことができないが、真贋不詳ながら『日興記』中に、

 

 御義口伝(おんぎくでん)に云く、此の廿四(にじゅうよ)字と妙法の五字は替われども、其の意は之れ同じ。廿四字は略法華経なり。

(引用に際し句読点を適時補った)

 

 つまり、師日蓮から口伝で承ったところによれば、この二十四字が略法華経である、との言明で、逆に、これ以外の法華経の伝統的に要文とされる章句で略法華経とされている箇所はない。

 

 <仏教>史に目を転じると、同じく日蓮遺文から引くが、

 

 仏法の中に、内薫外護(ないくんげご)と申す大なる大事ありて宗論にて候。法華経には「我深く汝等を敬う」、涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」

(『崇峻天皇御書』より、同上)

 

と、彼が大なる大事として併記しているように、法華経の影響を受けて紀元4世紀頃に成立したと考えられる『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の一切衆生(いっさいしゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)もまた、直接的にはこの章句から派生したと考えられる。

 

 つまるところ、今日の大乗<仏教>が、自身を絶対平等主義者であると主張するとき、その出発点は今回扱うところの法華経第十九章“常に軽侮しない”に遡るのだ、と言っても、それが唯一無二ではないにせよ、決して過言ではない。

 

 例によって例の如く、本文への耽溺に先立ち法華経成立史の観点から本章の位置付けを確認しておきたい。

 

 現在伝わる法華経全二十七章(妙法蓮華経は二十八品)が、どのような順序で成立していったと考えられるかについては、連載第3話の冒頭で概説した。つまり、法華経が第二~九章から成る第一期、第十章~十七章から成る第二期、第十八章以降と序章を加えた第三期の三段階を経て成立した、と捉える史観であるが、この観点から考えると、本章は第三期、すなわち、法華経の教義が第一~二期を経て概ね確立されて以降、それを補うべく追加された中にあっても早い時期の経典であろう、ということが推測される。

 

 もっとも、法華経の第十八章以降が必ずしも章番号順に追補されたとは言えないのではあるが、本章は法華経第三期の特徴である独立性の高さ(本章のみを抜き出して読んでも話が完結している)を前章以前と比較して顕著に示す一方、第二十一章以降が第一~二期の章に対する直接的な言及を失うのに比べて、特に第二期とのつながりを考慮したと思われる記述が散見される。この二点から、本章(および前章・次章)は、法華経第二期成立から間もない時分に、第二期に包含されて然りであったが不足するか欠けていたと考えられた部分を補完すべく書かれたものではないか、とボクなどは考えている。

 

 有り体に言えば、前話で扱った第十二章“よく耐え忍ぶ”を含む法華経第二期は、法華経教団の運営継続が関心の中心となった結果、第一期の理論的・教義的な主張とのつながりが弱い感もある。特に、古来殉教の章として読まれてきた第十二章が、法華経教団の部外者に対する存外冷ややかな目線を伝えていることは既に見た通りである。

 

 対して本章は、後に我が国でいわゆる“本覚(ほんがく)思想”として大成……本覚思想自体が仏教史上で筋目正しいと言えるのか、思想自体に価値を認め得るか、の判断は一旦捨て置こう……するところの、涅槃経の章句でいう一切衆生悉有仏性のルーツでもあり、当然のことながらそれは、法華経全体の根になっている第二章“巧妙なる方便”における彼らのセントラルドグマの表明ともつながってくるはずである。

 

 もう一点、触れておきたいことがある。

 

 現代の法華経について何かを書く著者が、特に本章に触れる際、宮沢賢治を引き合いに出すことが多い、と言うか、ほぼ例外なくそうだ、と言っていいかも知れない。底本著者の中村師も、下巻解題に『雨ニモマケズ』を全文引いている。

 

 活字にされる際は省略されるのが普通なので知らない人は知らない話かも知れないが、宮沢の自筆原稿では、有名な結びの句、サウイフモノニ ワタシハナリタイの次頁に、いわゆる日蓮の十界曼荼羅……宮沢による改変が加わっているのでそれそのものの模写ではない……が書かれていることは結構有名な話である。また、同詩中に表れる謎の存在デクノボーとは、法華経本章が示す常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)、その人を指しているというのが通説である。これは直接的には、宮沢が、田中智学が率いた国柱会の影響下にあったことによる。

 

 宮沢がどのような思想を抱いていたか、は、それはそれで興味深いテーマではあると思うが、ボク個人はあまり関心がない。むしろ関心があるのは、現代において法華経、特に本章に触れるに際して、どうしてこうも宮沢の名前を出す人が多いのか、また、その人が同じ文脈中において、関東軍参謀石原莞爾もまた国柱会々員であったことや、二二六事件の思想的指導者であった北一輝、に言及することがほぼ皆無なのか、の方である。

 

 彼らは、戦前の日本において日蓮法華主義を奉じた同時代人であり、この中で、特に宮沢のみを法華経の影響を受けた著名人、として取り上げるのは、恣意的に過ぎるのではないか、というのがボクの関心事である。有り体に言えば、そういう恣意的な取り上げ方をする人は、宮沢の思想……ボクは彼はちょっと変だと思う……に特に関心があるワケではなく、単に童話作家としての宮沢の名声を利用しようとしているだけなのであって、そういうことをする人は根本的に信仰心や探究心に欠けている、とすら思う。

 

 もし、真に信仰心や探究心があるのであれば、宮沢を宮沢に為さしめた法華経が、何故に同時代的に石原や北をも生み得たのか、の方にむしろ関心を抱くべきであって、そのことに無関心なまま法華経を褒めそやす者は、無自覚のうちに自身が石原や北の後を追うのであるから。これは、最澄と日蓮の関係にも当てはまる重い話題ではあるのだが、本連載を続ける中で、核心に至ることが出来ないとしても、その外殻にでも少しなりとも触れることが出来れば、と願うテーマではある。

 

 以上の諸々を念頭において、法華経第十九章“常に軽侮しない”の転読(うたたよみ)に取り掛かることにしよう。

 

 

                    *

 

 

 まず、本章の登場人物を確認しておこう。釈迦……例によって歴史上の釈迦、ではなく、法華経教団を代弁するキャラクタである……と、対話相手となる得大勢(とくだいせい)菩薩である。なお、これまた例によって例の如く、得大勢菩薩は序章を除き本章のみに名前が現れる。ちなみに、この得大勢菩薩は、浄土系経典において観世音菩薩と共に阿弥陀如来(あみだにょらい)脇士(わきじ)に挙げられる、勢至(せいし)菩薩の異名である。

 

 加えて、本章は釈迦が一方的に得大勢に語り掛ける体裁になっており、極端なことを言えば、得大勢がいなくとも話は成り立っている。現代の我々の感覚から考えると奇怪な修辞であるが、当時としては、釈迦が誰かに話しかけるという体裁、それ自体が、その釈迦の説法が実際に歴史上においてなされたのだ、とする証明を兼ねていたと考えられるので、おそらくは本章もそのような意識の下に書かれたものであろう。同じ理由から、ここに阿弥陀三尊の一人となる勢至菩薩が登場すること、それ自体には、特に深い意味はないように思う。

 

 それにしても、我が国の中世においては、日本浄土宗の開祖法然(ほうねん)こそが勢至菩薩の化身であると観念されたのであるが、その勢至菩薩が、法然を忌み嫌った日蓮が深く思い入れを抱く本章に登場している、というのも、何とも皮肉な話ではある。

 

 得大勢よ、この道理によって、やはり、このように知るべきである。もし、このような法門を誹謗し、このような経典を持つ比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷たちを罵り、悪口を言い、虚言を語り、粗暴な言葉で話しかけるようなものたちには、言葉では説明しがたい不幸な報いを生ずるであろう。

 

 冒頭、釈迦はまず上引用を問わず語りに話し出す。いきなり随分なご挨拶であるが、それはさておき。ここでこの道理とされているものは、前章となる第十八章“説法師の功徳”(妙法蓮華経法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九)で論じられたことを指しているようである。同章は章題が示すように、釈迦の死後にこの法華経を語り継ぐこと……要するに法華経教団自身の活動……に絶大な功徳があるのだ、ということを言っていて、上引用の断言はその裏返しということになる。引用次下は、前章の内容をそのまま要約した言及になっている。

 

 本章冒頭がこのような発話から始まることの意味は、追って考えてみることとして先へ進もう。続く段から本章の本題へと入っていく。

 

 まず、威音王仏(いおんのうぶつ)なる異世界……三千大千世界観におけるこの娑婆世界とは別の世界……の仏陀が紹介される。言葉通りに受け取ると、威音王仏は入滅と出現を数千億年に渡って繰り返し、その異世界において仏法を説き続けたということになるが、これはその偉大さを過剰に示そうとする誇張として、いちいち真に受けずにサラッと聞き流してよかろう。ともかく本章主題の舞台設定となるのは、

 

 その世尊が入滅されたのち、正法が滅し終わり、像法も隠れ滅しつつあるとき

 

である。

 

 ここで大乗仏教における正像末(しょうぞうまつ)の歴史観に触れておく必要があるだろう。これは体系的には法華経よりも後に成立する『大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)』あたりから明確になってくる概念であるが、狭くは歴史上の釈迦の入滅を起点とし、以降の時間経過に沿って正法(しょうぼう)像法(ぞうぼう)末法(まっぽう)と遷移するにつれて仏法の効力が減衰していく、とする考え方である。

 

正法仏陀の教えとその修行、それによって得られる結果すべてが備わっている時代。
像法仏陀の教えと修行が、正法時代を真似ておこなわれている時代。
末法仏陀の教えと修行が無力となる時代。

 

 大雑把に言えば上表のような感じになる。厳密には正しくない比喩ではあるが、とりあえずは、仏法には仏陀を起点とした賞味期限がある、と考えてよい。

 

 なお、念のために付記しておくと、妙法蓮華経に関していえば“像法”の文字が19箇所において今日知られている意味で使われているのに対し、“末法”は僅か2箇所に表れるのみであり、かつ、今日の意味とは異なり、単に“遠い未来”という意味合いで使われているように見える。従って、法華経成立時点においては、像法の概念は既に存在していたが、いわゆる“末法思想”的な意味においての“末法”の観念および語法はまだ生まれていなかった、と考えるのが妥当だろうと思う。

 

 閑話休題。この賞味期限が、歴史上の釈迦に対してのみならず当時のインド人が三千大千世界として観念していた異世界においても同様と考えられていたのが、彼らの想像力の逞しさを証して余りあるのであって、しかも、これが輪廻転生観とも結びついている。「入滅と出現を数千億年に渡って繰り返し」と書いたのがそれで、

 

(数千億年の繰り返し)

   ↓

 威音王仏出現(正法のはじまり)

   ↓

 威音王仏入滅

   ↓

 正法が滅していく

   ↓

 像法の始まり

   ↓

 像法が滅していく

   ↓ 常不軽菩薩の時代

 仏陀不在の時代

   ↓

 再び威音仏出現(以下、繰り返し)

 

 本章の舞台は、上記のループが何千億年も繰り返された果ての、常不軽菩薩の時代と書いた段階の話、ということになる。とにかく常軌を逸したスケール感ではあるが、ともかくそういうものなのだ、と割り切って先へ進もう。

 

 この舞台設定に本章の主人公が登場する。

 

 その教法が増上慢(ぞうじょうまん)比丘(びく)に攻撃されたとき、常不軽という名の菩薩の比丘がいた。

 

 常不軽(じょうふぎょう)菩薩というのがそれで、妙法蓮華経における章題も、これに由来して常不軽菩薩品となっている。そして、この常不軽菩薩がいたときに、同時に、威音王仏の教法を攻撃する増上慢の比丘もいた、というのであるから、これはもうお約束の黄金パターンなのではあるが、ここでは拙速に結論せずに、やはり、ともかくそういうことなのだ、としておこう。

 

 本章の釈迦は、傍らで耳を傾けているとされる得大勢菩薩に問う暇すら与えず、さらに一気にまくしたてる。

 

 得大勢よ、何ゆえにその菩薩摩訶薩が“常不軽”と名づけられるかというと、得大勢よ、その菩薩摩訶薩は比丘であれ、比丘尼(びくに)であれ、優婆塞(うばそく)であれ、優婆夷(うばい)であれ、そのだれを見ても彼らに近づいて、このように言うのである。

「尊い方がたよ、私はあなた方を嘲り軽んじません。あなた方は軽んじられません。なぜかといいますと、あなた方は皆、菩薩の行を実行なさい。そうすれば、あなた方は如来(にょらい)応供(おうぐ)正等覚者(しょうとうかくしゃ)となられるでしょう」

 

 お気づきかとは思うが、上引用中の鍵括弧で囲まれた常不軽菩薩の発言部分が、妙法蓮華経でいう我深敬汝等不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道当得作仏。すなわち“二十四字の法華経”に当たる。超時空スケールから一気に目的の一文にたどり着いてしまったのでちょっと悪酔いしてしまいそうな感すらあるが、つきつめればこの釈迦が言いたかったことは、我々の住むそれとは異なる宇宙、異なる時代に「皆さんを軽んじません、なぜなら皆さんは仏様になるからです」と言って歩いた奴がいた、ということに尽きるようである。

 

 この常不軽菩薩の発言が、涅槃経の一切衆生悉有仏性とほとんど同内容であることには、特に説明は不要だろうと思う。問題は、で何なんだ?という話になるのだが、まだ、前段において触れられた増上慢の比丘に役割が与えられていない。もちろん、彼らが常不軽菩薩に対して何らかのリアクションを返すのである。

 

 しかし、彼のその言葉を聞いた多くのすべてのものたちは、彼に対して腹を立て、憎しみ、いみ嫌う心を起こし、悪口を言い、罵るであろう。

「何ゆえに、この比丘は、問われもしないのに、われわれに、われわれを軽んずる心がないなどと告げて言うのだろう。われわれに、われわれが阿耨多羅三藐三菩提を得るであろうなどと、偽りの、求められもしない予言を語るのは、かえって自らを軽蔑させるものである」

 

 前話末において、今日、勧持品二十行の偈として知られる一節が、おそらくは法華経教団が自ら体験した対立声聞衆からの非難を反映したものだろう、ということを書いた。本章の上引用は、第十二章のそれと比べると抽象的で具体性を欠くので、ボク個人としては、ここに示される常不軽菩薩のエピソードが必ずしも法華経の書き手たちの実践を反映したものとは考えておらず、むしろ理念的な極論を示したものであろうと思っているのだが、それがいずれであったとしても、以下のことは言えると思う。

 

 第一に、やはり法華経教団は、自分たちの主張を受容しない人々は、法華経教団に対して立腹し、憎悪しているがゆえに受容しないのであって、自分たちの教説に問題や不足があるからではないか、という立脚点を持とうとはしなかったのだろう、という点である。

 

 第二には、ここでいう受容されない彼らの教説とは、誰しもが阿耨多羅三藐三菩提を得ることができる、に尽きるのであって、それを信じることが出来ないことこそが、自分たちの主張を受容しない人々の問題点である……少なくとも法華経教団主観ではそう考えていた、という点である。

 

 総じてこれは、本章冒頭において釈迦……繰り返し言うが、歴史上の釈迦ではなく、法華経教団の主張を代弁するキャラクタである……が問わず語りに断言した、罵り、悪口を言い、虚言を語り、粗暴な言葉で話しかけるようなものたちには、言葉では説明しがたい不幸な報いを生ずるであろうへとつながる。つまり、第十二章にみた法華経教団の外部に対する存外冷ややかな目線がここにも含まれているように見えるのであるが、ここからもう一歩踏み込んだ展開が見られるのが本章の見所であり、後の世の人々の心を捉えたのもその点であろうと思うのである。

 

 かの菩薩摩訶薩はこのように誹られ侮蔑されながら、多くの年月が経過した。しかし、彼はだれにも憤怒せず、敵意をいだかない。そして、彼をこのように罵り、瓦石や杖を投げつける人々に、彼は遠くから声を高らめて言ったのである。

「私はあなた方を嘲り軽んじません。あなた方は菩薩の行を行じなさい。如来となるでしょう。」

 こうして常にこの言葉を聞かされていた増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷たちは、彼に“常不軽”という呼び名をつけたのである。

 

 こうして常不軽菩薩の名の由来が示される。

 

 文字通り読めば、他の多くの仏菩薩の名がその徳を表象したものであるのに対し、常不軽のそれは対立者から投げかけられた嫌味、あるいは蔑称、として観念されていることになる。思うにコレは、伝統的に仏教出家者が糞掃衣を敢えて纏うことに誇りを見出していたのと同様な心性が働いているようだ。これを謙譲の美徳と見るか、被害妄想的ナルシズムと見るかは微妙なところではあるが、本章の書き手が第十七章までの法華経第二期に対する反省としてこれを設定したのはほぼ疑いなかろう、と思う。

 

 繰り返し述べて来たように、観念論から成る法華経第一期(第二章~九章)に対し、法華経第二期は、字面上のファンタジックな展開とは裏腹に現実的な実践論、組織的な運営論を念頭に構成されたと考えられる。そして、彼らの行き過ぎた自説への傾倒は、その裏返しとして、自説に賛同しない人々に対する、蔑視とも取れる視線を胚胎(第十章、第十二章を参照)するに至った。

 

 一方で、少し考えればわかることだが、自説に賛同しないものを軽蔑する、という態度は、本来的に彼らが理想とした“教育者∞”とあからさまに矛盾するものである。対話相手が自分の言っていることに理解・賛同を示さないからといって、軽蔑し切断操作してしまうのであれば、法華経教団が増上慢と見做しその権威主義を嫌った声聞(しょうもん)衆と何が違うんだ、という話になってしまうからだ。彼らは、それに気付かないほど阿呆ではなかった。これが法華経第三期において本章が増補された直接の理由であろう、とボクは見る。

 

 この視点に立つと、次下の論述がより興味深く読める。

 

 さて、得大勢よ、常不軽菩薩摩訶薩は死の時が迫り、命の尽きようとする時に臨んで、この“妙なる教えの白蓮華”の法門を聞いた。しかも、この法門は、かの世尊の威音王如来・応供・正等覚者が二百万億那由他の詩句を二十回も説いたのであった。そして、かの常不軽菩薩摩訶薩は、臨終のとき、空中から届いてくる妙なる音声によってこの法門を聞いた。

 

 例によって、冗長かつ過大な数字の修辞が用いられているので本質を見落としそうになるが、この一節は法華経教団が抱いていた信念のユニークな一面を垣間見せてくれる。

 

 ここで言われる妙なる教えの白蓮華の法門は、そのものズバリ法華経のことに他ならないのであるが、素直にこの一節を読む限りにおいて、常不軽菩薩はあらかじめ法華経(の主張)を知っていて「私はあなた方を嘲り軽んじません。あなた方は菩薩の行を行じなさい。如来となるでしょう。」と他者を礼拝する行をおこなっていたのではなく、この行をおこなった結果として法華経に出会った、とされているのである。

 

 これは、抽象化して言えば、理論があってそこから導かれた実践がある、のではなく、実践が先行しその実践が適切であったがゆえに理論に出会った、という構図になる。ここではこれを指摘するに留め、その意味するところは、もう少し読み進めてから改めて論じることにしたい。

 

 とまれ、常不軽菩薩は……前引用部からは、彼に法華経を説いて聞かせたのが(入滅して久しい)威音王仏なのか、それとも、どこからとなく法華経が聞こえてきたのか判然としないのであるが……その福徳によって六根清浄を得て、寿命が二百万億那由他年延びたのだそうである。

 

 さきほども登場した那由他(なゆた)というのはサンスクリット語の音写で、とてつもなく大きな数字の桁を表す。一説には1060とも1072とも言われるが、まぁ、あまり真面目に取り合う必要はない。ともかく、常不軽菩薩は、自らも法華経を人々に説くようになった。思うに、彼の寿命が延びる、と言うのは、法華経のエッセンスが語り継がれることによって継承されていくことを言っているのであって、字義通り(事実上の)不老不死になったという意味ではなかろう。

 

 以下、同じ意図で言われるのだと思うが、先に常不軽菩薩の礼拝に対し罵り、瓦石や杖を投げつけて応じた増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷たちは、ついに常不軽菩薩に帰伏するに至る。つまり、前述の那由他は、単に法華経の時間的永続性のみを言っているのではなく、彼を一つの起点として、法華経が空間的に他者へ拡散していくことも言っているのであろう。桁数が馬鹿げているのは、時間と空間を掛け合わせているからなのだ。

 

 そのことは、さらに続く論述からも裏付けられる。以下、雑多なのでいちいちの引用は避けるが、その後、常不軽菩薩は今度こそ寿命が尽き……つまり二百万億那由他年!!が経過したのだろう……また異なる世界に転生して日月燈明王(にちがつとうみょうおう)なる仏陀の下、法華経を説く。また二百万億那由他年!が経過し、次は天鼓音王(てんくおんのう)の世界で、更には雲自在(うんじざい)王の世界で……と百千万億那由他の説法遍歴を繰り返す。オラフ・ステープルトンやグレッグ・イーガンもびっくりの途方も無い法螺話……もとい、スケール感である。

 

 そして、唐突に、この物語の真意が釈迦の口から告げられる。

 

 かの常不軽と名づける菩薩摩訶薩は、誰か別の人であろうという疑惑、疑念、不審をそなたはいだくかもしれない。しかしながら、得大勢よ、そなたはそのように見るべきではない。それはなぜかというと、得大勢よ、そのとき、その折の常不軽と名づけられた菩薩摩訶薩は、実に私であったからである。

 

 な、なんだってー!!>ΩΩΩ

 

と驚いてみせるのは、最早いささか白々しくもあるが、仏典において釈迦の前世譚として語られるエピソードというのは、書き手にとっては真理中の真理であり、聞き手・読み手に対して最も強く主張したい事柄であることは疑いない。

 

 以上のことを通じて私見を述べれば、天台法華教学において法華経本門(後半十四章)の要とされるのは第十五章“如来の寿命の長さ”(妙法蓮華経如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六)であるが、これは、法華経の書き手の思いを慮った読み方としては間違っている。既に述べたように、同章は法華経第二期の書き手たちが論敵に対して一方的に断言した虚しい勝利宣言に過ぎない。これは、この時期の彼らの関心事が主に組織防衛にあって、自分たちの理念の深堀りにはなかったからと考えられる。

 

 対して、法華経第三期、すなわち第二期までの法華経が教団内において十二分にドグマとして定着した後に、その至らぬところを補うべく加えられたとみられる第十八章以降において、要となるのは本章、つまり、第十九章“常に軽侮しない”である、とボクは見る。所以は以下の通り。

 

 既に見たように、法華経第一期の要となる第二章“巧妙な方便”において示されたところの、仏知見を“教育者∞”と捉える見解は、それはそれで<仏教>史におけるブレイクスルーではあったが、本質的には、新興の法華経教団から見て既存権威であった声聞衆に対する反骨心から生じた反知性主義の産物に過ぎなかった。

 

 であるがゆえに、第一期で成立した理念をコアとして誕生した組織の防衛を主眼に据えた法華経第二期は、本来的な理念に反して、彼らの運動=法華経、に賛同にしない人々に対して必要以上に攻撃的であり、また、自身に対しては「我々こそが釈迦に選ばれた布教者である」との選民思想的な過剰な自意識を胚胎するに至ってしまった。

 

 法華経第三期は、物語としての完成度は高いながらも上記のような問題点を孕んでしまった第二期に対する改善を目指して編まれたものと見るのが妥当であろう。既に見た第二十四章“あまねく導き入れる門戸”は、典型的な新興宗教の布教メソッドである、と言ってしまえばそれまでのものではあるが、布教者たるものは我偉しとふんぞり返るのではなく、“観世音”の精神で以って被布教者の救済をおこなわねばならない、と勧めている点においては、本章同様に、法華経第二期が抱え込んでしまった教団外部に対する見下し目線を超克する試みなのだ。

 

 そして、上に述べた第二十四章にも通じることになろうかと思うが、前述したように、本章の書き手が、実践が理論に先行するという視座を持っていたことにも改めて注目すべきであろうと思う。常不軽菩薩に仮託された二十四字の法華経は、現代的な文言に改めれば「すべての人間はその内在的可能性を尊敬されるべき存在である」ということに尽きるのであり、要するにこれは今日の我々が極当たり前に感じているところの人権感覚・平等観に他ならないのであるが、彼ら自身がそれを実践したかどうかはともかくとして、このことを、理念として「皆等しく仏である」と語るのではなく、無理解に耐えつつ常不軽菩薩によって行じられた他者への礼拝、という実践を通じて語ったところに、少なくともこの時点における法華経教団のこのテーマに対する本気度が表れている、とボクなどは思うワケである。

 

 事実、ここに生まれた理念は、後の『大般涅槃経』の一切衆生悉有仏性の宣言に受け継がれていくのであって、これを<仏教>史上における一つの画期と見做すのは、決して大袈裟ではない。ボクが本章をして法華経第三期の要である、と主張するのはそのような意味において、である。法華経教団自身が本章編纂を通じて、法華経第一期のセントラルドグマに潜在していたにも関わらず気付かれることなく、法華経第二期の拡充においても見落とされた、二十四字の法華経を“発見”した、と考えるからだ。これは、彼ら自身にとっても、衣裏繋珠(えりけいじゅ)(詳しくは第9話にて)だったのである。

 

 

                    *

 

 

 ここまで本稿では、法華経の書き手がさも当たり前のように書き記すところの輪廻転生観、すなわち、人間(あるいはすべての生命)は、その実体が何であるかはともかく、死んでは生まれ、生まれては死ぬを繰り返すのであり、また、我々の五感では把握不可能ではあるものの、連続する生死は何らかの因果関係によって結ばれている、とする考え方、を無批判に受け入れてきた。

 

 改めて言うまでもなく、少なくとも現代の我々は、この輪廻転生観もまた、“方便”として読むべきである。

 

 ここでいう方便は“嘘”という意味ではない。仏教の本義……便宜上こう言うが、ボクはこの物言いが好きではない、と付言しておく……から言えば、輪廻転生観に対しても無記、すなわち、その命題が真であるか偽であるかは人間にはわからないし、その真偽は人間の生にとって決定的な問題ではない、とするのが原則である。真偽不明の命題であるが、我々が何がしかの考え方を理解し、それを我々自身の行動や思考の原理として採用する上で、その命題が有用であるならば活用しよう、という意味においての“方便”である。

 

 これを前提として、もう少し法華経第十九章“常に軽侮しない”を読み進めてみよう。

 

 さて、得大勢よ、そのとき、その折、かの菩薩摩訶薩を軽蔑し、侮辱した彼ら衆生たちはだれであろうか、という疑惑、疑念、不審をそなたはもつかもしれない。

 

 常不軽菩薩が、他ならぬ釈迦の前世(の一つ)であったとされることを前稿において見た。すべての人に対し「すべての人間はその内在的可能性を尊敬されるべき存在である」と信じるのみならず、たとえ周囲の無理解を受けようともそれを実践を通して示すことが仏陀の成道の因となった、と法華経教団は考えるに至ったワケだが、続いて言われるのは、遂には常不軽菩薩に帰伏したとはいえ、当初は無理解を示すのみならず、暴言・暴力で応じたとされる増上慢がどうなったか、という話になる。上引用の表現が、常不軽菩薩は私(釈迦)であった、と表明される際の修辞と対になっているのは一目瞭然である。

 

 これについても、読者諸兄には一旦本稿を読み進めることなく、この後どのようなことが語られるか想像してみて欲しい。……想像しましたか?

 

 では続きをどうぞ。

 

 得大勢よ、その衆生たちとは、実に、この会衆の中の跋陀婆羅(ばつだばら)を首とする五百人の菩薩たち、獅子月(ししがつ)を上首とする五百人の比丘尼たち、思仏(しぶつ)を上首とする優婆夷たちであって、それらすべてのものたちは阿耨多羅三藐三菩提を得て、決して退転しないものとなっているのである。

 

 さて、諸兄の予想は的中しただろうか。

 

 まず、見慣れない語句を少し説明しておこう。跋陀婆羅、獅子月、思仏は、ここでは列挙される集団の上首(じょうしゅ)、すなわち、集団を代表する人物またはリーダー的存在、の個人名あるいは称号として示されるもので、特に深い意味はないと思ってよい。言わんとするところは、遠い過去の異世界において、常不軽菩薩に暴言・暴力を以って応じた人々が、今この法華経が説かれる法座に同席していて、かつ、既に阿耨多羅三藐三菩提を得ているのだ、ということに尽きる。

 

 決して皆様を侮って言うワケではない……もちろんボクも常不軽菩薩に倣って皆様を礼拝するものである……が、期待を裏切られた人が多数ではないか、と思う次第である。と言うのも、そもそも本章は冒頭において、このような法門を誹謗し、このような経典を持つ比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷たちを罵り、悪口を言い、虚言を語り、粗暴な言葉で話しかけるようなものたちには、言葉では説明しがたい不幸な報いを生ずるであろうとのミもフタもない断言から始まったからである。おかしいじゃないか。不幸な報いなのか、無上の覚りなのか、どっちなんだ、と。

 

 が、私見では、これは輪廻転生観を方便として活用したなかなかに深い言明なのである。我田引水に過ぎるとは思うが、これはアブラハムの宗教、すなわち、ユダヤ・キリスト・イスラム教と比較すると面白いので、まぁ、話半分に読んで欲しい。

 

 ここまで述べてきたように、本章における常不軽菩薩のエピソードは、創作した人々がそこまで自覚的に考えていたかは定かでないものの、結果的に<仏教>における平等観の源流の一つとなっている。

 

 アブラハムの宗教における平等観は、宗派毎に細部は異なるといえども、唯一絶対の神を前にすれば、向かい合う人間は皆平等である、との観念を共通の前提としている。これは、法華経第十五章における“久遠の釈尊”同様に、反論不可能な真理主張の修辞としては、極めて有効なものであると言って良いと思う。

 

 一方で、この言明には原理的な限界がある。唯一絶対の神を決して認めない、という人がいた場合、どうなるか。無論、現代的かつ穏健的な信者は「それでも神はすべての人を愛しておられます」と言うだろう。が、各宗派の標準的な信者が、アブラハムの宗教同士の間柄ですら、自派以外の信者に対して存外不寛容であることは、皆様ご承知の通りである。神は自身を否定する人を許すかも知れないが、人は自身の信じる神を否定する人を許せないのだ。これが、人間以外の絶対他者を平等観の前提とする場合に、必然的に抱え込んでしまう原理的な限界である。

 

 対して、本稿で見てきた法華経第十九章“常に軽侮しない”における、信仰を共有しない他者、すなわち、常不軽菩薩に暴言・暴力で応じた増上慢への言及はいささか異なる様相を示している。確かに、本章冒頭において彼らに対する不寛容な言明は見られるものの、究極的に彼らは法華経の座に迎え入れられている。これを可能にしているのが、方便としての輪廻転生観である。

 

 つまりはこういうことだ。

 

 少し頭を冷やして考えれば、それがどんなに優れた理念であろうと、唯一絶対を称する神であろうと、あまねくすべての人間に受け入れられるのは無理なのであって、その無理を通そうとすれば、十字軍だの聖戦だのに行き着くのは必定なのである。が、本章に示された平等観は、輪廻転生観をバイパスすることでそれを回避している。法華経の理念に共鳴しない人はいるだろう。が、それはそれで(共鳴しない人の不幸を予見しつつ)構わないとされる。

 

 得大勢よ、このように、この大利益のある法門を受持し、読誦し、説き教えることは、菩薩摩訶薩たちに阿耨多羅三藐三菩提を悟らしめることになるのである。このゆえに、得大勢よ、菩薩摩訶薩は、如来の入滅されたのちにこの法門を常に受持し、読誦し、解説し、書写し説き示すべきである。

 

 上引用は先に引いた一節の次下であるが、これが何を言っているのかというと、法華経を一句一偈なりとも誰かに伝えれば、それが縁となって、今この人生でなくとも、輪廻転生の先に必ず阿耨多羅三藐三菩提に至るのだ、という意味になる。言い方を換えれば、今たちまちに目前の他者が賛意を示さずとも、来世以降の救済につながる布石となるがゆえに、倦むことなく法華経を説き示せ、ということだ。もちろん、これは客観的な真実ではあり得ない。否、仏教の伝統に従えば、その真偽は決してわからないし、その真偽は我々の生には直接は関係しない、類の言明に過ぎない。

 

 一方で、前稿で論じたように、本章の常不軽菩薩のエピソードが、法華経第二期が結果的に胚胎してしまった教団外部への攻撃性、その裏返しとしての選民思想を中和すべく構想されたと考えるとき、そこにこそ彼ら自身が仏知見と見做した方便力を見るのである。なぜなら、この物語を作った何者かは、多くの法華経教団メンバーが、第二期までの法華経を教条的に解釈し実践するがゆえに、教団外部に対し不必要に攻撃的に振る舞ったり、あるいは我こそは釈迦に選ばれし使命の子、と彼らが最も忌み嫌った増上慢に陥るのを目の当たりにして、そこから彼らを元来彼らが理想とした一乗へ復帰せしめるために、この超時空大の物語を編んだのであるから。

 

 有り体に言えば、釈迦が異世界における前世において、云千億那由他年に渡って常不軽菩薩として二十四字の法華経を行じた、などという話は、嘘八百、与太話もいいところである。いいところであるが、この方便を以って教団メンバーをより真っ当な方向へ導こうとした何者かの誠意は疑うべくもないし、唯一絶対神の権威で以って価値観相容れぬ他者を切断することが常であったアブラハムの末裔たちよりは、人間全体に対して誠意があると認めてよいのではないか、とボクは思う次第である。

 

 なお、ボクは護教論を講じたいワケではないので敢えて申し添えておくが、かのオウム真理教が“ポア”などと称して自身への非賛同者の殺害を正当化した発想は、直接的ではないものの、ここで示した「輪廻転生の末の融和」から派生して真言密教が抱え込むに至った闇の成れの果てである。このことからもまた、目を逸らすべきではないだろう。

 

 さて、本章は以下、例によってここまでの内容を要約した偈で締めくくられる。その最末尾に、ここまでの長行部には含まれない敷衍があるので、最後にこれを引いておきたい。

 

 考え及ぶこともできないほどの千万劫の多くの間、いまだかつてこのような法を聞いたことはない。百億もの仏陀が出現されても、それらの諸仏もこの経典を説き示されることはない。

 このゆえに、独立自存の自在なるお方が自ら進んで広く説き明かされたこのような法を聞いて、繰り返し仏陀にお会いして、私が入滅したのちには、この世において、この経典を説くべきである。

 

 自分たちで創作しておいていまだかつてこのような法を聞いたことはないとは、自画自賛もここに極まれり、な感もあるが、それはさておき。

 

 その自負とも関わってくるが、何はさておき、少なくとも本章の書き手の主観においては、彼らが奉じる法華経こそが、未来永久に語り継ががねばならない価値あるもの、と観念されていた。その法華経の伝承を、教団外部に対し無闇に攻撃的に振る舞ったり、我偉しとふんぞり反る輩に委ねることは、彼には出来なかった。とは言え、そういった人々を切り捨てることは、彼が信じる法華経の理念と矛盾してしまう。

 

 そうしたアンビバレントなせめぎ合いの中から本章は生まれた。現代的な知見から見れば、くだらない作り話に過ぎない本章であるが、事実、本章は既に述べたようにのちの<仏教>に大きな影響を与えたのであり、強いて言えば、現代の仏教者が「私は平等主義者で御座い」と脳天気に振る舞えるのもまた、この名も知れぬ彼の法華経テキストとの真摯な格闘があったればこそなのである。

 

 そして、その格闘が二千年も昔の話でありながら、現代の我々に伝播している現実を鑑みるとき、科学的に真とされる言明にのみ唯々諾々と従う……否、科学的に真とされる言明に私は従っているのだと周囲に対して示し続ける以外に自身の言動の正当性を主張できない、現代の我々の思考方法とはいささか異なる、法華経教団のそれを、丸呑みするのは論外としても、一聴する価値はあると、ボクなどは思うのである。

 

 以上を以って、法華経第十九章“常に軽侮しない”の転読(うたたよみ)を終える。

 

 ちなみに、ボクが拙著後書きに二十四字の法華経を引いたのは、その時点では結構本気でそういうつもり、教育者∞だったからである。まぁ、飽きちゃったんだけども(ぉぃ)。

 



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第6話 燃えるお父さん……第三章“譬喩”

 壇一雄の小説『火宅の人』(新潮社,1975年)は、テレビドラマ化、映画化もされているので、ご存知の方はご存知のことと思う。この表題に現れる“火宅”という言葉は、火事になって燃え盛る家、ほどの意味であるが、妙法蓮華経譬喩品(ひゆほん)第三に由来することも、知っている人は知っている話だろう。

 

 三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏

 

 壇の語法に直結するのは上に引いた同品末尾の偈の一節で三界(さんがい)は安きこと無く、なお火宅(かたく)の如し、衆苦(しゅうく)充満して、甚だ怖畏(いふ)すべしと読み下すのが普通だが、我々が輪廻転生を繰り返す世界は安心できるものではなく、燃え盛る家のようであり、いろいろな苦しみに満ちていて恐れるべきものである、ほどの意味となる。

 

 結論から言うと、壇のこの語の用法、すなわち『火宅の人』の内容は、法華経第三章“譬喩”の主題、ひいては法華経の主題とはあまり関係がない……とボクは思うのだが、世間一般からすれば壇の小説の方が知名度というか理解度は高いであろうから、ひょっとすると、壇の小説を以って「法華経もそういう内容なのか」と思っている人もいるかも知れず、だとすると、それはそれでトンデモない話のような気がしないでもないが、現代の天台法華系の僧侶ですら、どちらかというと壇寄りの意味で本章を引く人も少なからず散見されるので……というか、そういう坊さんは壇の小説だけ読んで、法華経を読んでないんじゃねの?とか思ってしまうのだが、まさかそんなコトはあるまい……一概に壇を責めるのもおかしな話ではある。

 

 法華経に限らず、あらゆる宗教テキストの文言は、自由に解釈し応用して良いのだ。なのでボクも好き勝手やらせてもらうのだ(ぉぃ)。

 

 それはともかく、第6話となる今回は、法華経第三章“譬喩”を転読(うたたよみ)し、本章が本来何を言っているのか……まぁ、ボクの過分に偏った解釈であるから壇のコトをどうこう言う資格はないのであるが……を確認してみたいと思う。

 

 法華経の文脈においては、火宅という語は、上に引いた三界無安猶如火宅ではなく、法華七喩(ほっけしちゆ)の第一“三車火宅(さんしゃかたく)”の方に力点がある。三界と三車って、一字違うだけやん!!と言われればその通りなのであるが、詳しくは追々見ていくこととして、ここでは“車”は要するに“乗り物”なのであり、それが三つということは、前章“巧妙なる方便”とつながっているのだ、ということがわかっていれば十分である。

 

 ちなみに法華七喩というのは、法華経中で語られる幾多のたとえ話の中でも、特に法華経思想の根幹に当たるものとして天台教学がピックアップした以下の七つをいう。

 

 第三章   三車火宅(さんしゃかたく)

 第四章   長者窮子(ちょうじゃぐうじ)

 第五章   三草二木(さんそうにもく)

 第七章   化城宝処(けじょうほうしょ)

 第八章   衣裏繋珠(えりけいじゅ)

 第十三章  髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)

 第十五章  良医病子(ろういびょうし)

 

 個人的にはこのピックアップは法華経……少なくともそれを書いた法華経教団の連中の言わんとしたところをうまく拾えていない、という気がしないでもないのだが、これをさらりと七つ言えたりすると格好いいのでこの際憶えておこう(いや、そんな必要はない)。

 

 

                    *

 

 

 本章は、前章において釈迦の対話相手であった舎利弗(しゃりほつ)の独白から幕を上げる。物語としては時間的に連続していると考えてよい。

 

 法華経第一期(第二章~九章)に共通して言えることであるが、原法華経に当たるこれらの章は、書き手自身の修辞がまだ熟れていない感があって、第十章以降と比較して、やたらと冗長かつ難渋なものとなっているのだが、特にこの第三章はその傾向が顕著であるように思う。以下、早足に抄訳ベースで見ていくことが多くなることを予め諒されよ。

 

 第二章末尾の偈は、以下のような章句で終わっている。

 

 仏陀の語る密意の言葉をよく知って、疑惑を断じ、疑念を捨て去るならば、仏陀となるであろう。歓喜を喚起せよ。

 

 本章冒頭の独白は、この釈迦の呼びかけに対する舎利弗からの応答になっていて、まずは自身が大きな喜びに満たされていると述べている。もちろん、ここに現れる釈迦も舎利弗も法華経教団の見解を代弁するキャラクタなのであるから、よくも恥ずかしげもなくそんな一人芝居が打てるものだ、と言ってしまえばそれまでなのであるが、書いている本人からすればこれも如来の方便力であるから、それは捨て置こう。以下舎利弗は、何故そんなに喜んでいるのか、その説明とも告解とも解せる理屈を捏ね繰りまわす。

 

 曰く、まず彼は他者が受記(じゅき)を得るのを見て、悩んでいたのだ、と告白する。

 

 受記というのは、仏陀から「あなたは未来に仏に成るだろう」と予言されることを言う。逆に予言を与える側からはこれを授記(じゅき)と表現する。その詳細は追って見ていくことになるが、現代の我々の感覚からすると俄には理解し辛いが、少なくとも法華経が創作された当時のインドではとても重要視されたことであったらしい。本質的には異なるものだが、我が国で似たものを探すと朝廷からの官位叙爵が近いかも知れない。つまり、何らかの権威から地位を確約されることに、その実態に比して極めて高い価値が置かれていた、ということである。

 

 法華経文中では、実は他ならぬ舎利弗がこの後得る受記がその初出になり、舎利弗は誰の受記を見て悩んだんだ?との疑問が浮かぶのだが、授記自体は法華経の専売特許ではなく、紀元前には既に成立していたと考えられている小乗経典『阿含経(あごんきょう)』にも“記別(きべつ)”として登場するので、彼がここで言っているのは、それらを含む過去からの伝承なのであろう。

 

 ちなみに、これを聞いて「バカじゃねの?」と思った人は身内の死に際し戒名(かいみょう)を貰おうなどとは考えないことだ。戒名はこの記別に端を発する仏門に入るに際し名を改める習慣が形を変えつつ今日まで伝わったもの、ということになる。それでも戒名は必要だ、と思うのであれば、あなたは法華経を含む仏典に文化的に呑まれているのだ。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 続けて、自身がそれ=受記、を未だ得ることが出来ないことに対し、世尊は、私たちを小乗の教えによって救ってくだされたであるとか、これは自分たちの過失によるものであって、世尊の過失によるものではない等と考えていたことを述べる。翻訳によって生まれたニュアンスかも知れないが、何だか高慢な物言いである。否、舎利弗は、これを悔いたことで受記を得るのであるから、これは法華経教団の主観において問題視されていた、対立声聞衆の姿勢を反映したものなのかも知れない。

 

 そして、前章“巧妙なる方便”にて示される如来の密意に今日まで気付かなかったことを謝罪し、それを知った自分は今まさに、一切の苦悩から離れることができましたと締めくくる。

 

 法華経の舌足らず(ぉぃ)もあって、これだけを読んでも何が舎利弗をして一切の苦悩から離れさせたのか、一般的な読者にはわかりづらいように思う。また、これは冒頭に示した三界無安猶如火宅の認識とも通じるように思うので、以下にいささか私釈を加えておく。

 

 先に結論から言うと、大袈裟な話になるが、ここで<仏教>誕生以来の観念が180°ひっくり返っている。

 

 三界無安猶如火宅とは、端的に言えば、我々は苦しい世界に住んでいる、ということなのであり、歴史上の釈迦以来、仏教者は如何にしてそこから逃れるかを模索してきたのであって、本稿でも繰り返し登場してきた阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)というのは、それを可能とする何か、であった。舎利弗の前述の告白に登場する小乗の教えも、言わばそのサブセットの一つであり、これは、いささか矮小化し過ぎかと思いつつ敢えて言うと、仏典を学んで=声聞を究めて、三界の苦しさに対するスルー力を身につけよう、という話だったことになる。

 

 一方で、本章に登場する(過分に理想化された)智慧第一の舎利弗は、智慧第一であるがゆえに、このアプローチに疑念を抱いていたのだった。つまり、博識な智慧で以って三界の苦しさを無視することは、確かに救いではあるかも知れないが、それが釈迦の悟りのすべてであるとは思えない。何か隠された更に深い悟りがあるのではないか、私が受記を得られないのは、私に何か不足するところがあって、ゆえに釈迦はその真の悟りを教えてくれないのではないか、しかし、何が私に欠けているのかがわからない……これが前述の(ある意味において贅沢な)彼の悩みということになる。

 

 対して、前章“巧妙なる方便”において示された如来の密意をこの文脈に当てはめると、前話でも少し触れたように、三界においての苦しみ、それ自体が、共感を以って衆生に法を説くための方便である、ということになる。第二章末の歓喜を喚起せよは、舎利弗に「喜べ」と言っているのではなく、舎利弗が(自身の三界の苦悩の方便力を通して)「衆生の歓喜を喚起せよ」と言っているのであって、この瞬間、舎利弗を苦悩させていたその高慢さは、同じく高慢さゆえに一乗に思いを致すことが出来ない衆生を共感を以って導く方便力に昇華するのである。

 

 ゆえに、強いて舎利弗の告白に従って彼の過失を問えば、三界無安猶如火宅から逃れることを目的……これは伝統的に法華経以前の<仏教>が目指していたこと、そのものなのであるが……と思い込んでいたこと、こそが過失なのであって、法華経的には三界無安猶如火宅は自身が仏陀として活躍すべきホームグラウンドなのであり、それを自覚的に悟ることを以って得阿耨多羅三藐三菩提、と称しているのである。

 

 いくら練習や試合に辛いことがあっても、ホームグラウンドで野球することを苦悩する野球選手はいないのであるから、半ば自動的に三界の苦悩も滅失するのである。逆に、自身が望んでホームグラウンドに立っているのだ、という自覚のない選手、誰かにやらされているのだ、と考える選手は、逃れようもない苦しみに苛まれるであろうし、結果を残すこともまずないだろう……と、これも譬喩。

 

 我ながら旨いこと言うなぁ、と言うか、以上でほとんど法華経の主意を言い切っている、とか思うのだが(ぉぃ)、いくらなんでも旨いこと言い過ぎである(ぇ?)。

 

 と言うのも、前話でも述べたように、法華経第一期は明らかに上に述べたような思想を含意しているのだが、書いている本人たちに必ずしもその自覚がないのである。もし、彼らがそのことに気付いていたら、本章末の偈には三界無安猶如火宅ではなく、たとえば「三界無悩将如球場」と詠まれていたはずである、まぁ、これは冗談だが。

 

 無論、そうなっていない……どう転んでも火宅が球場になるはずないのだが……ことが、ボクの解釈が間違っている証拠だ、と言われればそれまでなのであるが、その判断はボク自身には下しかねるので、聡明なる読者諸兄に委ねる。

 

 ただ一つ確実に言えるのは、妻から逃げ障害を負った子から逃げ愛人から逃げる『火宅の人』の主人公……同書は私小説と見做されており、つまりこれは壇一雄本人ということになると思うのだが……は、法華経を本稿に述べたようには読まなかっただろう、ということである。

 

 閑話休題。

 

 こう見てくると法華経がさも高邁な思想を説いているように見えなくもないのであるが、前述したように説いている本人たちには今ひとつ自覚がないようである。

 

 続いて舎利弗は、妙法蓮華経ベースで百二句五百十字から成る偈で同主旨を繰り返す。この部分は前段と異口同音であり、やたらと、自身が得たと思い込んでいた悟りが真の悟りでなかったこと、如来の密意は素晴らしいのだということ、が強調される一方、では、それが実のところ何であるかには言及されないところまで同じなのだが、これ対する釈迦の返しが、いきなりその自覚のなさを露呈している。

 

 舎利弗よ、私はそなたを二万億の仏陀のみもとで、無上の菩提を得るように成熟させ教化してきたのである。

 

 二万億の仏陀のみもとでから、釈迦が前世以来舎利弗を教導してきたという主張であることがわかる。言葉通りに受け取れば、舎利弗が三界無安猶如火宅こそ我がホームグラウンドと気付いたこと、ではなく、彼がそれに気付くように前世以来釈迦が教え導いたこと、の方に話の力点が移ってしまっている。

 

 実のところ、この「今のあなたの素晴らしさは前世以来の善行の積み重ねによるものだ」とする修辞は、輪廻転生観を前提とした当時のインドの人々の間では極普通に交わされるところの他人に捧げる最大級の賛辞であったようで、本章書き手の意図としても、ただ単に、釈迦が示す如来の密意を悟った舎利弗を褒めたかっただけと思われるのだが、後世これを読んだり聞いたりする立場から見ると、舎利弗が無上の正しい覚りに至った要因が、彼のこの時点の意識の変化なのか、前世以来の釈迦の教導なのか、俄かに判別できなくなっている。

 

 実際、我が国の浄土宗の開祖である法然が、法華経を含む仏典を読み通した上で千中無一(せんちゅうむいち)、すなわち「千人のうち一人も成仏でき無い教えである」と断言するに至ったのは、彼の主観においては、自分を含む末法の衆生が舎利弗のように前世以来釈迦から教導されたものであると信じることが余りに思い上がった行為であるように感じられたからであり、彼にそう思わせたのは、まさにここに引いたような、自分たちの主張が含意するところに必ずしも自覚のない法華経教団の書き手の不用意な言葉遣いである、とボクは解釈している。

 

 

                    *

 

 

 とまれ、ここに至って釈迦はいよいよ舎利弗に授記を与える。

 

 舎利弗よ、そなたは未来世に、無量、無辺にして思議することも不可能なほどの長い期間、千万億という多くの如来の正法を受持し、種々の供養をし、この菩薩の行をことごとくそなえて、蓮華光(れんげこう)という名の如来、すなわち尊敬されるべきお方であり、正しい覚りを得、知と行とを具足し、覚りの彼岸に逝けるお方であり、もろもろの世間を知り、最高のお方であり、調教されるべき人々を調御であり、天と人々の師である仏・世尊として世に出現するであろう

 

 粉飾語句が多いので読み辛いが、言っていることはただ一つ「舎利弗は蓮華光如来という仏陀になるだろう」ということだけだ。何を以って授記の記事と見做すか、にもよるが、釈迦が特定個人に対して予言したものだけを数えても法華経全篇を通して本章を含め十一回繰り返される。さらに定義を弱め、釈迦以外の仏陀が与える授記、特定個人名が示されない授記などを含めるともっと多くなる。

 

 総論としてこれらの授記は、舎利弗に代表される釈迦の弟子たちですら法華経の教え、一乗真実を悟ることで未来の成仏を約束されたのであるから、三乗方便に執着している出家者たちはすみやかに法華経(教団)に帰伏すべきである、と主張すべく書かれたものと考えられる。もちろんこの主張は、表現方法としては非常にユニークではあるものの、何ら裏付けを持たない与太話に過ぎず、おそらくはこれを聞いて法華経教団へと転向した出家者はいなかったか、いても僅かだったろう。

 

 一方で、彼らがこのような表現を、ボクが法華経第一期と呼ぶ第九章までの論述で繰り返し多用しているのは、彼らのこの時点での関心が、何はさておき、対立した出家者集団を説得するか、説得できないまでも論破することに注がれていたことを意味するものと考えられる。

 

 この授記の記事は特有のフォーマットを共有していて、それ自体がいろいろな意味で面白い読み物になっているのだが、今の時点では詳述を避け追って改めて論じることとしたい。ここでは、本章の舎利弗に対する授記のみに見られる面白い特徴があるので、それを見ておくことにしよう。

 

 舎利弗よ、かの蓮華光如来は十二中劫を過ぎたとき、“堅満”と名づける菩薩摩訶薩に、将来、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるという予言を授けてから、入滅されるであろう、「比丘たちよ、この堅満菩薩摩訶薩は私につづいて、無上の正しい覚りを悟るであろう。華足安行という正しい覚りを得た……

 

 なんと、釈迦は未来世に仏陀となった舎利弗が授記する弟子の名、堅満(けんまん)、さらにその如来としての名号=華足安行(けそくあんぎょう)、授記に当たっての台詞にまで言及している。これは、親が子……事実、舎利弗は文中で自身を比喩的に世尊の長子と言っている……に対し、孫が生まれる時期、孫の名前、さらには命名に際しての発言まで決めているような話で、ちょっと過保護なんじゃねの?という気がしないでもない。っつーか十二中劫を過ぎたときだったら入滅してないか、蓮華光如来?

 

 まぁ、そういう冗談はさておき。

 

 私見では、これは釈迦の授記が釈迦から舎利弗に対する一回限りのものではなく、未来永劫次世代の仏陀へと続いていくものなのだ、とする……つまり仏陀は教育者∞なのだ、ということを意味している、と考えている。いささか我田引水ではあるとは思うが、それ以外に理由はみつからないだろう。

 

 ここで釈迦が()で以ってこの授記を繰り返す。続いて、この法座に同席した天子たち……粉飾なので、彼らが何者であるかは深く考えるに値しない……が、釈迦と舎利弗の双方を賛嘆する偈を捧げる。完全にミュージカルのノリであり、この間、言っては申し訳ないが、話が止まっている。法華経全般を見たとき、章を重ねる毎に長さが短くなっていく傾向が見出だせるのであるが、そんなことはなかろう、と思いつつも、法華経の整備が進むうちに、書き手たる法華経教団のメンバー自身が「あんまり粉飾し過ぎると暗唱するとき辛くね?」ということに気付き、要点だけを書き残すことを学んだのではないか、と下衆な勘繰りをしたくなる。

 

 ふたたびそういう冗談はさておき……要するに全体的に冗談のような話なのである。

 

 受記を得た舎利弗は、私には疑いも惑いもなくなりましたと言い切った上で、自分以外の声聞・独覚は、未だ生老病死の苦悩から自身が逃れることのみを目的としていて、前章“巧妙なる方便”において説かれたことに疑いや惑いを抱いている、と言う。好意的に捉えれば、ついに如来の密意を解した舎利弗が、自身の覚りではなく、共に学ぶ声聞・独覚と覚りを分かち合うことこそが自身の真に目指すべきところと知ったのだ、と読めなくもない。

 

 が、この下りには、他ならぬ釈迦がこのように教えられ、このように導かれたがゆえに彼らがそうなのだ、というニュアンスがあって、未来における成道を保証された舎利弗に、別種の高慢さが芽生えたのではないか、と穿った見方もしたくなるのだが、それはともかく。彼は、その声聞・独覚のために、疑いや惑いがなくなりますようにお説きくださいと釈迦に請う。

 

 対する釈迦の応答も、なかなか一筋縄にはいかない。

 

 舎利弗よ、私はそなたに以前説いたではないか。如来・応供・正等覚者はいろいろな信への志向、また種々に異なった素質と願いをもつ衆生たちの心に欲するところを知った上で、種々の修習の方法を説き、種々の因縁や譬喩や思惟の対象と言語の解説など、巧みな方便によって、法を説くのである。それらすべての説法は、この阿耨多羅三藐三菩提について、衆生をただ菩薩乗に教え導くためなのである。

 

 蓮華光如来が未来に授記を与える弟子の名、その名号まで決めてしまうほど節介焼きのくせに(ぉぃ)いきなり、以前説いたではないか、とくるのだから、この釈迦はなかなかのツンデレである。と言うか、この二人、実は相性が悪いのではなかろうか?

 

 それはともかく、ここで釈迦が言っているのは前章の趣意の繰り返しになっている。注意すべきは、三乗方便一乗真実、という言い方に端的に表れているように、前章で言われた方便というのは声聞・独覚・菩薩の三乗のことであって、これを一仏乗の真実へ導くのが釈迦の本意である、という主張だったはずだが、ここでは、衆生をただ菩薩乗に教え導くとなっていて、語用論的な混乱が見受けられる。

 

 この混乱が、後世において三車家(さんしゃけ)vs四車家(よんしゃけ)の論争を生むことになるのだが、その直接の源泉に当たるのが、

 

 舎利弗よ、それでは次に、この意義をさらに明らかにするために、私はそなたに譬喩を説くことにしよう。

 

との宣言から始まる第6話の本題、三車火宅の譬喩となる。

 

 その詳しい内容に入る前に、上に述べた三車家、四車家と呼ばれる本章の二通りの解釈について概説しておく。これを念頭において、三車火宅の譬喩に触れて欲しいと思うからだ。

 

 三車家、四車家、という場合の“家”は、“火宅”のいう燃えている家、ではなく、評論家だとか音楽家だとかいう場合の“家”の意味である。むしろ、三車派、四車派、と言い換えた方が馴染みやすいかも知れない。“車”は、もちろん、衆生を仏の覚りへと導く乗り物のことであり、つまるところ両派の対立点は、その乗り物は三つであるのか、四つであるのか、という、部外者からするとどうでも良さ気な議論である。

 

 三つ、という場合、声聞乗・独覚乗・菩薩乗の三つをいう。より厳密にいえば、一仏乗と菩薩乗は同じものだ、とする解釈である。対して四つという場合、声聞乗・独覚乗・菩薩乗・一仏乗の四つをいい、菩薩乗と一仏乗は同じものではない、とする解釈である。

 

 やはり「だから何だ?」と首を傾げたくなる論争なのであるが、換骨奪胎して言えば、三車家に言わせれば、一仏乗は如我等無異(にょがとうむい)(第3話参照)を目指すものであり、これは衆生は救うべくおこなわれるのであるから菩薩乗と同じである、ということになり、四車家に言わせれば、衆生を救う菩薩乗と、衆生を仏陀そのものにまで導く一仏乗は、次元の異なるものである、ということになる……のだが、違いがおわかりいただけるだろうか?

 

 天台法華教学は、原則論としては四車家を以って正統と見做しているようであるが、上引用に見たように、法華経の地の文自体がこれを混同して書いているので、俄かに判じ難い話題ではあるのだ。個人的には、書いた本人たちですらちゃんと使い分けられていない概念を、後世の人間がゴニョゴニョ言わんでもええんちゃうの、程度に思っているのであるが、これについては三車火宅の譬喩を一読いただき、読者諸兄にも頭を捻ってみていただきたい。

 

 

                    *

 

 

 舎利弗よ、それでは次に、この意義をさらに明らかにするために、私はそなたに譬喩を説くことにしよう。それはなぜかというと、この世では、学識あるものはだれでも、譬喩によって、説かれた意義をさらによく理解するものだからである。

 

 先の引用部と重複するが、冒頭において釈迦……繰り返すが歴史上の釈迦ではなく、法華経教団の主張を代弁するキャラクタである……は、上に引いたようなことを言う。

 

 やや穿った見方かと思うが、天台法華筋の人の中には、法華七喩ほかの仏典中の譬喩を、さもそれが何らかのこの世の真理を“証明”するもの、と勘違いしているのではないか思われる発言をする人が多いように思うし、これは仏教のみならず、キリスト教神学においてもしばしば見られる傾向なのであるが、殊更ボク如きが力説するまでもなく、譬喩というのは単にうまいこと言っているだけ、の話であって、含む内容の真理性とは関係がない。上引用に見えるように、少なくとも法華経を書いた当人たちには、譬喩が書き手にとっては説明、聞き手・読み手にとっては理解のための便法であることに自覚的であったようだ。

 

 以下、例によって、まだ要約力が熟れきっていない本章の地の文はやたらと冗長なので、以下、趣意抜粋にて三車火宅の譬喩を紹介していきたい。

 

 まず、裕福な長者がいて彼は立派な邸宅を持っている、とされる。なぜかこの邸宅には門はただ一つしかないのだが、これはストーリー上の要請によるもので、当時のインドの家が皆そうだった、という意味ではないだろう。この邸宅で、ある日突然に大火が起こり、諸方に燃えひろがり、みるまに屋敷全体が火につつまれる。中には長者の子どもたちが多く取り残された。この燃える長者の家が“火宅”ということになる。

 

 私のこれらの息子たちは、まだ幼い童子であって、この燃えさかる家の中で、それぞれの玩具で遊び戯れ、喜々として楽しんでいる。しかも、この家が燃えているとは知らず、気づかず、わからず、注意もせず、おじ恐れもしない。この大火に焼かれ、また、大きな苦の集まりにおそわれながらも、心に苦痛とも感じていない。また、逃げ出そうという心も起こさない。

 

と長者は独白するのであるが、これが今話冒頭に示した三界無安猶如火宅衆苦充満甚可怖畏のことであるのは言うまでもあるまい。つまり、火宅から既に逃れて上引用の慨嘆を述べている長者とは釈迦のことであり、いまだ火宅の中で遊んでいる息子、幼い童子とは、我々を含む一切衆生のことを指している。

 

 どうでもいいが、大火に焼かれながら本当に心に苦痛とも感じていないのであれば「その子供ら、既に悟ってるんじゃね?」という気がしないでもないのだが、もちろん、ここで法華経の書き手が言いたいのはそういうことではない。本来は「迫り来る苦痛を予期することもなく」等と言うべきところかと思うのだが、やはり、修辞が熟れきっていない法華経第一期に属する本章の書き手は、論理的に矛盾を孕む文言をうっかり書き残す傾向が見て取れる。

 

 とは言え、法華経の書き手が何も考えていないワケではなく、むしろ、彼らの関心の範疇においては、その適否はともかく、彼らなりに懸命に考えてこの話を作っている、ということは次下の描写に現れている。

 

 「私は勇敢であり、腕の力もある。だから、私はすべての子供たちをみんな一緒に集め、抱きかかえて、この家から逃げ出させよう」と。また、彼はこのようにも考えるであろう。「この家は門は一つで入り口は閉まっている。子供は移り気で走り回っているが、過って危険を冒すようなことがあってはならない。彼らはこの大火によって不幸な災厄に遭うかも知れない。だから、私は、彼らに注意を促そう」。そう考えて長者は子供たちに呼びかけた。

 

 これは何を言っているのかというと、長者とは釈迦なのであり、法華経の書き手を含む当時の仏教者は釈迦が各種の神通力を備えていたと観念していたので「なら、まず神通力で子供を救出するか、そもそも消火しろよ」というツッコミを予め封じているのである。以下読んでいけばわかるように、三車火宅の譬喩本体は、火宅の外から長者が子供に向けて発する呼びかけ、である。つまり、上引用は、その呼びかけが必然なのだ、とする(かなり強引な)エクスキューズなのだ。

 

 う〜む、ちょっと力点を誤っているような気がしないでもないが、これは当時のインド人の思考様式に沿ってのことかも知れないので、とりあえず捨て置こう。

 

 長者は火事だから逃げなさい、と子供たちに声をかける。が、当の子供たちは遊びに夢中で一向に長者の意図を解さない。こういうのが幼児のありのままの姿だからであると本文は言っている。これが、仏陀の目線から見た、三界で苦悩しつつ煩悩に振り回される衆生、を表象していることは説明するまでもあるまい。対して長者はこう宣言する。

 

 私は巧みな方便を用いて、これらの子供たちをこの家から外へのがれ出させよう。

 

 “巧みな方便”という前章表題が現れることが、核心に近づいてきたことを予感させる。それにしても、息子たちを火宅の中に取り残してきておいて、存外悠長な長者さん(ぉぃ)である。しかも、ここで彼が弄する方便が、これまた悠長なのである。

 

 子供たちよ、お前たちがきっと喜ぶにちがいない、珍しくて、めったに手にすることができない玩具がここにある。いろんな色が塗ってあり、いろんな種類があり、それらを手に入れなければお前たちがきっと後悔するようなもの-たとえば牛の車、羊の車、鹿の車などである。お前たちがほしがり、望んでいたもの、愛らしくて心を奪われるような素敵なもの、それらのすべてを、私は、お前たちが戯れ遊ぶようにと、家の門の外に置いてある。さあ、お前たち、こちらに来なさい。この家の中から走って出て来なさい。そうすれば、私はお前たちの一人ひとりが何をほしがり、何に関心をもとうとも、それをそれぞれにあげよう。さあ、それを受け取るために、早くこちらに走って出て来なさい。

 

 ……落語『寿限無』のオチ(クソ長い名前を復唱している間に、溺れた寿限無〜が自力で川から上がってくる)を想起したのはボクだけか?

 

 それはともかく。

 

 今度は、子供たちは先を競って燃え盛る家から飛び出して来る。そして口々に、父上のおっしゃった、あのいろんな楽しい玩具、たとえば牛の車、羊の車、鹿の車などを、どうぞ私たちにくださいと訴える。対して長者は、それら三種の車ではなく、風のように速く走る牛の車を与えたとされる。

 

 三つではなく一つ……この流れから、この部分が一乗真実三乗方便を象徴する、三車火宅の譬喩の主題であることがわかる。つまり、長者(釈迦)は三乗を方便として示し、子供たち(衆生)を一乗へ導いたのだ、とする主張だ。問題は、三つの車にいう牛の車と、長者が与えたとされる風のように速く走る牛の車、どちらも“牛“だという点で、これが前稿で触れた甚だ馬々鹿々しい……この文脈では牛羊鹿しい、とでも言うべきか……三車家・四車家論争の火種となったものである。

 

 次下を読んでいくと、長者が与えた一つの車の牛は、普通の牛ではなく白く純白で、迅速な足をもつ牛であることがわかり、漢訳妙法蓮華経は続く偈中でこれを大白牛と表記している。これを受けて天台大師(四車家)は「長者が与えたそれは“牛車”ではなく、“大白牛車(だいびゃくごしゃ)”である」と言っている。天台教学では、牛車は菩薩乗を、大白牛車は一仏乗を表象する、と解される。

 

 本稿は三車家と四車家のいずれが真であるかを判じること……など、そもそも無意味だ……を目的とするものではないので、ここでは、法華経の書き手は、三つの車のうちの一つは、長者が与えた一つの車と質的には異なる(普通の牛と純白・迅速の牛)が、同時に何らかの共通点(どちらも牛)もまた意識していたのだろう、と指摘するに留めたい。

 

 むしろ、面白いのは続く釈迦と舎利弗の問答の方ではないか、と思う。

 

 舎利弗よ、そなたはこのことをどのように思うであろうか。かの人は彼の子供たちに、さきには三つの乗り物を告げ、のちにはみんなに大きな乗り物だけを与え、すぐれた乗り物だけを与えたということは、偽りを言ったことにはならないであろうか。舎利弗は申し上げた。「世尊よ、そのようなことはございません、善逝よ、そのようなことはございません、世尊よ、とにかく、かの人は巧みな方便によって、子供たちをかの燃えさかる家から逃げ出させ、その身命を守ったのですから……

 

 法華経中、釈迦がしばしば発するそなたはこのことをどのように思うであろうかとの問いかけは、授記に際して明らかなように、読みて・聞き手からして不可知な因縁を、釈迦が断言する前振りとして用いられるのが常であるのだが、ここでは釈迦の偽りを言ったことにはならないかとの問いを、聞き手の舎利弗がそのようなことはございませんと繰り返し否定する体を採っている。

 

 ここから推察されるのは、本章の書き手自身も、彼自身はともかくとして、読み手・聞き手にとって一乗真実三乗方便の主張が俄かには受け入れ難いものであり、釈迦の立場から天下り的な真実として断言するよりは、むしろ、舎利弗すなわち教説を受容する衆生の立場から、釈迦がそう言うからにはひとまずはそれを信じてみよう、と受け入れるべきもの、と観念していたのではないか、という点である。法華経教団自身も、少なくとも本章が編まれた時点では、自分たちの主張するところに絶対の確信を持っていたわけではないか、あるいは、確信していた人もいるが、中には懐疑的な人もいて、そのあたりのブレがこの三車火宅の譬喩に反映されているのではないか、というのがボクの読みである。

 

 当時の<仏教>界において、法華経はある種の大統一運動、つまり、釈迦を原点に措定しつつ派生した諸運動を単一の教理に帰一させようとした試み(の一つ)であったと考えられるのだが、それによって救済される衆生の立場から見れば、三車火宅の譬喩にも見えるように、とりあえず火宅から連れ出してさえもらえれば、連れ出しの方便であった三つの車であろうが、純白・迅速の牛車であろうが、いただけるものはいただくし、あるいは、極端な話、全部嘘であっても構わないのであって、これは西欧におけるキリスト教の正統・異端論争とも通底すると思うのだが、概して帰一運動というのは、救済される側よりはむしろ、救済を与える(とされる)側の都合によって推進されてきた。

 

 究極的には、ローマ教会の関心事が教会税の独占確保であったのと同様に、彼ら自身にその自覚があったにせよなかったにせよ、法華経教団の帰一運動のそもそもの動機は、限られた在家の施与が諸派に分散霧消することを防止し、逆に集約することで自分たちの影響力を最大化するところにあったと考えるのは妥当と思うのだが、同時に、法華経教団が過分に理想主義的であったことも法華経の文面からは十二分に伝わってくるので、そのあたりの現実と理想のギャップが、このやたらと迂遠な三車火宅の譬喩、創出の背景にあると考える次第である。

 

 とまれ、第3話冒頭で紹介したように、我が国においてはこの物語を典拠に“嘘も方便”という成句が江戸時代あたりから生まれた、と言われているが、おそらくは、天台・日蓮系の寺院において講じられた法華経講義を耳にした人が「お釈迦様ですら嘘をついて目的を達しようとするのだから、我々が嘘をついて何が悪い」といったような、江戸時代的な諧謔精神で以って言い出したのがキッカケだったのだろう。この用法は、法華経の書き手が意図したものでは決してなかったろうが、それでも、およそ千五百年の時を超えて彼らの発した言葉が後世の人々の思考様式に影響を与えた一つの例となっている。

 

 

                     *

 

 

 三車火宅の物語に続き、釈迦……くどいが法華経教団を代弁するキャラクタである……自身の言葉で以ってこの譬喩物語の意義が語られる。この解説が、やたらと粉飾語句が多いこともあって物語本体の三倍近い文量があるのだが、趣意抜粋で見ていきたい。

 

 まず冒頭において、火宅の如き三界から衆生を救い出すこと、そして阿耨多羅三藐三菩提へと教え導くことが如来の目指すところなのである、と断言される。もちろん、これは歴史上の釈迦がそうであったのではなく、少なくとも法華経教団が、広くは大乗仏教諸派が共有していた、釈迦がそうであって欲しいという祈り、願いであろう。ここまではまぁいい。

 

 次に言われるのは、釈迦が救い出したいと願う当の衆生は、火宅の如き三界において大きな苦の集積に苦しめられながらも、それを苦と覚えず、思いもしないのだ、とされる。対して、衆生の父である釈迦が、真の遊び、喜び、楽しみを知らしめるために仏陀の智慧を与えるのだ、というのであるが、これは現代的な知見から見ると、典型的なパターナリズムである。

 

 この論述から見て取れるのは、少なくとも本章の直接の書き手は、言葉の上では「衆生を火宅の如き三界から救済する」と言ってはいるが、実際にその衆生が主観的に苦しんでいるかどうかにはあまり関心がなく、愚かな衆生は苦しみに気づいていないから、聡明な釈迦がそれを救い出してやるのだ、と言っているのであって、ここで言う釈迦は法華経の書き手自身に他ならないのであるから、この構造的な問題に当の本人が気づいていたかどうかはともかくとして、これは随分と尊大な物言いなのである。一方で、三車火宅の譬喩を釈迦の直接の説法であると信じて疑わない天台法華教学は、この点を一切問題視していない。

 

 このようなパターナリズムは、法華経第十九章“常に軽侮しない”に見えるような、「すべての人間はその内在的可能性を尊敬されるべき存在である」とする法華経第三期に生じた観念とは本質的に矛盾しているように思える。理念構築の途上にあった法華経第一期の著者にその責を問うのが酷であるとしても、完成形を受け取った天台筋の系譜に連なる人々はこれに気づくべきであった、とボクなどは思うワケだが、最澄や日蓮に共通すると見られる“弟子を育成する師匠としての問題点”もまた、行き過ぎたパターナリズムにあるように見えるので、これは第十九章のようなパッチ当てでは解消し切れない、法華経理念が抱え込んでいる根本的な問題、と言うべきなのかも知れない。

 

 続いて、一乗真実三乗方便の敷衍を目的としたと思われる論述がなされる。曰く、衆生はそのようなものであるから、釈迦がいきなり一乗を説いても、かの子供たちのように衆生は理解しないであろう、と。そして、火宅のような三界からのがれ出なければ、彼らはどうして仏陀の智慧をよく理解することがありえようかと反語表現で強調されるのであるが、勢いに呑まれそうになるが、よくよく考えるとこの論理もまた、彼ら自身の主張といささか不整合である。

 

 法華経教団の言う一乗、如来の密意、仏知見が、ここで言われる通り、火宅の如き三界を逃れなければ決して理解できないものなのであれば、依然としてそこから逃れ出る手段としての三乗は必要である、ということになる。とすれば、そもそも法華経教団には殊更声聞衆と対立する理由がないことになる。声聞に限って言えば本章で受記を得た舎利弗よろしく、阿羅漢に至った声聞衆のみを相手に、いわば仏教のエキスパート編として法華経を説けば良いのであって、阿羅漢の育成は声聞衆にお任せ、という住み分けが可能になりはしないか。

 

 が、現実には、法華経教団は第十章に見たように、麾下の比丘衆のみならず有意の在家が自身で法華経を説くことを勧めているし、第十二章からは、彼らがそのことを以って対立声聞衆から非難されていたことが読み取れた。つまり、少なくとも法華経第二期の主張からは、一乗真実三乗方便が「一乗が明らかにされた上は、最早三乗は必要ない」という意味で用いられていたことがわかるのであり、天台法華教学も基本的にはその延長線上にある。

 

 また、こちらの方がより本質的であると思うが、今話冒頭においても私釈を示したように、法華一乗思想は、火宅の如き三界こそが仏陀のホームグラウンドである、とするその一点のみにその思想的価値があるのであって、三界の外側からパターナリズムで以って衆生を一本釣り救済する仏陀、などというものは論外であるはずなのだ。これは、第二十四章に見た観世音菩薩を、救済をもたらす絶対他者と捉えるか、信仰者のロールモデルと捉えるか、の問題にも通底するように思うが、そのような意味において、三車火宅の譬喩の作者は、どうにも当事者意識に欠けていると言わざるを得ない。

 

 この思惟の不徹底は、続く三車の譬喩それぞれへの言及にも顕著に現れている。やはり冗長なのでいちいちの引用は割愛するが、以下、三車火宅の譬喩で言われた羊の車、鹿の車、牛の車が声聞乗、独覚乗、菩薩乗に対応していることが、それぞれの改めての解説を付して述べられるのであるが、それらを方便として誘引し与えたのだとされる同一の大きな車については、それは素晴らしいものなのだ、ということが繰り返し賛嘆されるのみで、その実体が何であるのか、の論述を欠いている。

 

 ここからも、少なくとも本章が創作された法華経第一期の時点においては、彼らの信念は彼らが反感を抱いていた既存他教団に対するカウンターカルチャーの域を脱しておらず、彼ら自身が自分たちの言い出したことが図らずも抱え込んでいた思想に無自覚であったことが見て取れるのである。

 

 この後本章は、妙法蓮華経ベースで六百六十句二千六百四十字に及ぶ超長文の偈……最早韻文として暗唱する限界に達していると思う……で以って、ここまでの内容を再要約……これを要約と見做すのであれば、だが……して終わるのだが、おかしなことにこの偈は、その力点がここまでの内容からあからざまにズレている。具体的には、火宅の如き三界には語るにも恐ろしい魑魅魍魎が跋扈しているのであり……冒頭で触れた壇一雄が観念していたであろう火宅は、まさにコレであろう……そこから救い出そうとする法華経を誹謗するものには、世にも恐ろしい報いがあるのだ、という脅しが繰り返される。

 

 ここまで来て、そこへ堕ちるのか?と言いたくなる。日蓮が『立正安国論』に引いている「法華経は、法華経を信じずに死ぬと長さ5,000Kmの蛇のような体で生まれてくるだろうと言っている」の典拠となる一節も、意外なことにこの偈の中に登場する。護教的観点から善意でこれを解釈すれば、これもまた火宅の如き衆生を一乗に帰伏せしめるための方便なのだ、と言えなくもなかろうが、少なくとも文面上の修辞は、これをこの世の真理として断言する体であり、どうもこの筆者は、論敵を説得するための譬喩を勘案するうちに、自説を受容しない論敵への怒りの方が打ち勝ってしまって、論点が相手を貶める方へ滑ってしまったようである。

 

 さらに呆れたことに、このようないささか醜悪な文中に、第二章転読(うたたよみ)(第3話)で先取りして触れた“以信得入(いしんとくにゅう)”の依拠文が登場するのである。以下に引いてみよう。

 

 この経典は、浅薄な人々を惑乱させるかもしれないが、これは深い明智をもつ人々のために、私が説き示したものである。そこにおいては声聞たちのよく理解できるものではなく、辟支仏たちもそこには通達しえないのである。

 舎利弗よ、そなたは信心が堅固である。これらの私の他の声聞たちもそうである。彼らもまた私にたいする敬信によってこの経に入るのであって、それ以外の各自の智慧によるものではない。

 

 仏典の記述を己の知性で以って解釈し理解することには凡人には限界があるので、それをそのまま信じることを以って如来の知見に入るのだ、とする主張は、ここだけを切り文し、かつ、反知性主義的な問題点を棚上げすれば、それはそれで信仰というものはそういうものかも知れない、と思わないでもない。

 

 が、やはり、信じない者、疑う者、に対する恫喝を伴ってしまっていることには、ただただ残念だ、としか申し上げようがないし、繰り返しになるが、天台法華教学がこの問題点を取り上げることなく、ただただ教条的に釈迦の金言であるとして受容し続けてきたことについては、信仰者として怠惰であると指摘せざるを得ない。本章を「嘘も方便」という諧謔に転じた江戸の庶民の方が、まだ聡明である。

 

 

                    *

 

 

 と、今回はかなりネガティブな批評をおこなってみた。

 

 念のために申し添えておくが、ボクはこれを以って法華経、および、法華経本章を書いた人、を貶めたいワケではない。そもそも、そんなことをして何になると言うのか。ボクがこのように思惟し駄文を書き連ねて喜びに満ちているのも、元を正せば彼らのお陰……まぁ喜んでいるのはボクの変態的な個性によるものかも知れないし、事実、ボクはしばしば法華経を読みながら大笑いするので、妻からは変態扱いを受けている……なのであるから、感謝することはあっても責めることなどないのである。

 

 言わんとするところはまったく逆なのであって、それが意図されたものか意図せざる結果なのかはともかく、狭くは法華経成立に関わった人々、広くは<仏教>を積み上げて来た人々は、自分たちの理念が徐々に、良く言えば精緻化、悪く言えば肥大化していく過程を、本章に見えるように隠蔽していない。生焼け状態の思索を、存外二千年を経た今日においても容易に追体験できるのであり、ボクはそれを楽しんでいるのである。

 

 決して善悪良否を言うワケではないが、これは公会議で異端が定められる都度、少数派の文献を焼き捨てることが常であり、それを追跡するには正統側が残した記録から逆算せざるを得なくなっているカトリックなどとは対照的ですらある。この比較論も面白いテーマかとは思うが、連載本筋から逸脱しそうなので、備忘するに留め今日のところは捨て置こう。先はまだまだ長いのだ。

 

 以上を以って、法華経第三章“譬喩”の転読(うたたよみ)を終える。この転読自体が何かを譬喩しているような気がしないでもないが、まぁ、それは読者諸兄で好き勝手に解釈して欲しい。

 



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第7話 呪文を唱えよ……第二十一章“ダーラニー”

 思うに、一般的な日本人はいわゆるお経を「意味はわからないけれども何だか有難い呪文」というように認識している、と言って間違いないと思う。

 

 たとえば、第3話で触れた妙法蓮華経方便品(ほうべんぽん)第二の十如是(じゅうにょぜ)は、天台大師によって略法華経(りゃくほけきょう)の一つに挙げられたこともあって、後世の信徒に音読されることが多い一節であるが、これは片仮名で書けば以下のように発声される。

 

 ショーイーショーホー、ニョーゼーソー、ニョーゼーショー、

 ニョーゼータイ、ニョーゼーリキ、ニョーゼーサー、

 ニョーゼーイン、ニョーゼーエン、ニョーゼーカー、

 ニョーゼーホー、ニョーゼーホンマックキョートー……

 

 いろいろな理屈(本筋ではないので割愛)があって、音読*1に際してはこれを三回繰り返して読むのが一般的だが、これを聴いて呪文だと思うな、という方が無理がある。

 

 さて、ここまで本連載で見てきた法華経の各章の内容から、いわゆるお経が意味不明の呪文ではなく、その主張に納得するかどうかはともかくとして、さほど難解なことを言っているワケではなく、むしろ一部稚拙とすら思える理屈を捏ね繰り回しているに過ぎない平易な文章である*2ことは、ご理解いただけたのではないか、と思う。

 

 が、法華経の全章がそうなのか、と問うとこれまた違うのであって、第7話となる今回は、全27章中でも際立って異色な第二十一章“ダーラニー”(妙法蓮華経陀羅尼品(だらにほん)第二十六)を取り上げる。

 

 何が異色かというと、そもそも章題が異色である。これは、本連載底訳本の著者である中村師が章題をそのようにしておられるのでそれに倣ったものであるが、章中の陀羅尼についての訳註において、師は以下のように書いておられる。

 

 原典の「ダーラニー」の呪文は、日本語音写すべきであると思われるが、K本、G1本、G2本、写本集成、また、チベット訳の五種類の版本を比較するとき、異なる語が見られ、どの語を音写すべきか決めがたいものがある。ここは羅什訳の音写語に従った。

 

 これだけ抜き書くと読者諸兄には意味不明かと思うので不遜ながら語意を補うが、まずK本〜チベット訳の五種類の版本というのは中村師が邦訳に際して参照した諸写本のことを言っている。陀羅尼……この漢字表記がそもそもダーラニーの音写なのであるが……は呪文、つまり意味ではなくその音に価値があるとされるものであるから、邦訳に際しては本来的にはこれを片仮名なり平仮名で音写すべきであるが、諸写本間でこれが一致しないので、最も人口に膾炙した鳩摩羅什訳妙法蓮華経のそれを採用するのであしからず、というのが師からのお断りである。

 

 つまり、本章は本当に「意味はわからないけれども何だか有難い呪文」から成る章であり、ゆえに、その章題も原典の音のまま“ダーラニー”と表記された、ということなのだろう、と思う。

 

 また、本章は本稿底本中の章番(第二十一章)と妙法蓮華経中の登場順(第二十六)の乖離が大きい章でもあるのだが、これも師の訳註によれば、本章の位置は諸写本間で第二十一から第二十六までの間で揺れ動いており、底本が本章を二十一番目に配しているのは、単に、そうである写本が多数派だったから、らしい。逆に言えば、本章は法華経第三期の章の中でも、どこに配しても構わないほどに突き抜けて独立性の高い章だ、ということを含意している。

 

 法華経全体に目を向けると、ダーラニーの語が初出するのは、序章と全章成立後に加わったと見られる第十一章後半(妙法蓮華経提婆達多品(だいばだったほん)第十二)を除けば、既に見た第十二章“よく耐え忍ぶ”からになる。つまり、法華経第一期の時点では、ダーラニーの語は一切登場しない、ということになる。ここから言えるのは、少なくともダーラニーは、それが何であるにせよ、法華経の中心的な理念とは特に関係がない、ということだ。

 

 第十ニ章転読に当たっては、特に触れる必要もなかったのでこの語を無視していたのだが、これは、同章も含めて本章以外にこの語が現れる場合、共通して何の脈絡もなく「そのとき〜はダーラニーを得た」と挿句されるのみで、それ以上の広がりが皆無だからであり、しかも各章に一回か二回である。と言うことは、法華経第二期の筆者は、途中から粉飾語句的にダーラニーに触れるようにはなったが、そこにはさほど積極的な意味はなかった、ということになるだろう。

 

 法華経第三期に入ると、本章までの三章には一切ダーラニーの語は現れない。対して、本章以降は、第二十ニ〜二十三章に第二期同様に一回ずつ挿句された後は、第二十六章で突如頻出する。本章の全章中の位置が写本間で不安定なことには既に触れたが、以上のことを鑑みるに、おそらくは法華経第三期に入って「やっぱりダーラニーに触れる章があった方がいいんじゃない?」という話になって本章が作られ、以外にウケが良かったので続いて着手された第二十六章で多用されたものの、そこで法華経の拡充が終わってしまった、といったところが真相なのではないか、と思う。

 

 ここで改めて本章の位置についての中村師の註を参照すると、写本の成立時期が新しくなるほどに本章が前に出てくる傾向があるので、意外に羅什の妙法蓮華経における位置がオリジナルに近いのかも知れない、などと思ったりもするのであるが、まぁ、楽しげに推理を進めておいて言うのもアレだが、実のところどうでもいい話だ。言わんとするところは、ダーラニーは、少なくとも法華経にとってはあってもなくても良いものだ、ということである。

 

 ところで、ダーラニーとはそもそも何であろうか。陀羅尼、は音写である。“尼”の字が見えるが、女性とは何の関係もない。漢意訳としては、総持(そうじ)能持(のうじ)能遮(のうしゃ)などが知られる。対応する和語はないが、原義は「しっかりと覚えて忘れない」ほどの意味らしい。総持、能持はこれを受けての訳だろう。後述する『正法華経(しょうほけきょう)』では本章を“総持品(そうじぼん)”第二十と題している。また、特定のフレーズを繰り返し暗唱することで雑念を払うのがそもそもの用法であったらしく、能遮は雑念を“遮る”の意から訳されたもののようである。

 

 輪廻転生観など、現代の我々が“仏教由来のもの”と考えてしまいがちな多くの概念同様、これも元来は仏教の産物ではなく、<仏教>者が“外道”と呼んで自分たちと区別した各種の祭儀……婆羅門(ばらもん)と総称することが多いが、これは祭儀に従事したカーストの呼称であって、そういう名前の宗教があったワケではない……に含まれていたものを、仏教が取り入れたものらしい。

 

 後に、ここに神秘的な意味合いが付加されるようになり、マントラ……漢訳経典はこれを真言(しんごん)と称する……が派生する。このマントラこそが仏の悟りの実体であるとするのが、インドにおいては7〜8世紀頃に体系化が進む密教となる。これが中国大陸を経て、空海によって我が国に持ち込まれ、我々の知る真言宗へと繋がっていく。そのような観点において、大乗経典に取り入れられた、後の密教に繋がるダーラニー等の呪術的な所作を、初期密教と呼ぶことがある。

 

 つまるところ、本章は、一般的には密教の対概念となる顕教を代表する経典とされることが多い法華経に紛れ込んだ初期密教、ということになる。それはいったいどのようなものであったか、味わってみようというのが第7話のテーマとなる。

 

 

                    *

 

 

 いきなり本筋から外れるが、本章冒頭に法華経全篇を通じてしばしば登場する面白い所作が紹介されるので、少し触れておきたい。

 

 そのとき、薬王菩薩摩訶薩は座から立ち上がって、右肩の衣を脱ぎ、左肩は衣によっておおい、右膝を地につけて、世尊に向かって合掌、礼拝して、このように世尊に申し上げた。

 

 昔の時代劇で渡世人が仁義を切るシーンなどをボクは想像してしまう……若い人はわからんかも知れんなぁ……のであるが、これは“偏袒右肩(へんたんうけん)”といって古代インドにおいて一般的であった尊者に対する礼法であったらしい。

 

 本件に限らず興味深いなぁ、と思うのは、仏教にせよキリスト教・イスラム教にせよ、その良し悪しは別にして、世界宗教・普遍宗教を自認している割には、こういった特定の時代・地域のみで通用した礼法・習慣を聖典の中に記録していることが存外多いこと。それに起因して、主に教条的保守派や原理主義者が、無意味な所作を現代の信仰者に押し付けるといった事態もしばしば散見される。最も極端な例を挙げれば“割礼”などがそれだろう。

 

 特に、法華経が、自分たちのそれとはまったく異なる世界や時代をそもそも想定しているにも関わらず、ここに例示したような極めてローカルな礼法をさも当然のように記載していることを鑑みると、少なくとも本章の書き手は、自分が記録しているこういった所作が、自分の周囲のごく限られた範囲でのみ意味を持つものであり、場所や時代が遷移すれば無意味になってしまうかも知れない、という事実に対して自覚がなかった、ということがわかる。

 

 一方で、ここまで本連載で例示してきたように、法華経が主張する視点には現代に通じるものも多々含まれており、それが信仰として有意味な部分になるワケだが、それと上に述べたようなローカルな習慣が文面上区別されない、ということは、後世の我々が有難がるほどには、聖典テキストの書き手は、何が時代・地域を超えて普遍的なものであって、何がそうでないか、をわかってはいなかった、ということを示していると言えよう。

 

 本章に見えるダーラニーも、まさにそのような例のひとつであるように思う。

 

 本章は上引用に見たように、第十二章以来の再登場となる薬王(やくおう)菩薩の問い掛けから始まる。今の今までおまえは何をしてたんだよ?といったところが気にかかるが、まぁ、それを言い出したら法華経は読み通せないので捨て置こう。

 

 世尊(せそん)よ、善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)で、この“妙なる教えの白蓮華”の法門を身につけたり、経巻として受持するものは、どれほどの福徳を得るでありましょうか。

 

 いい加減見飽きてきた感じのするシチュエーションであるが、同じく薬王菩薩と釈迦の問答になっている第十章……本章のこのやり取りは、それを本歌取したものと思われる……のそれが、法華経を聴いて(意味を理解し)歓喜したり、自身で法を説いたり経典を書写したり、といった状況を想定していたのに対し、ここでは経巻として受持するといった、極めて形式的なことが主題になっている点に注目したい。

 

 いささか勇み足な解釈ではあるが、おそらくこれは在家信仰のカジュアル化を反映したものではないか、と思う。第十章が書かれた時点では、法華経教団が想定していた在家信仰者の参加形態は、お布施をすることはもちろんとして、経典を聴いたり書写したり、ときには出家者に混じって自ら説いたり、と積極的なコミットを含んでいた。概ね第二期までの法華経は、出家・在家を問わず、信仰活動への参加が明に暗に呼びかけられている。

 

 が、時代が下って……私見では法華経第一期から第三期までの間には百年前後の時が流れている……お布施は惜しまないが、手間を惜しむ人々が現れたのだろう。これが、信仰の形骸化を反映したものなのか、社会活動の複雑化……商業的富裕民が余暇時間を失うのは世の常である……を反映したものかは俄かに判じがたいが、書写された経巻を贖って所有する以上の信仰活動への参加をしない・できない人々が一定数現れ、この人々に対するケアが必要になって本章が書かれたことが想定されるワケだ。

 

 この問いに対し、釈迦……クドいが、法華経教団を代弁するキャラクタであって、歴史上の釈迦その人ではない……が「八十恒河沙、百千万億那由他の如来を供養する功徳はいかほどか」と、問い返す。この流れも見覚えのあるもので、第二十四章で観音様の救済を強調する際に用いられていたものと同じである。章番は観音経の方が大きいが、先に述べた理由から、おそらく本章の執筆の方が後であり、やはりこれも本歌取なのだと思う。

 

 とまれ、その結論するところは容易に想像できる。釈迦は薬王に、それはたくさんでありましょうと一旦言わせた後に、以下のように続ける。

 

 だれかある善男子か善女人で、この“妙なる教えの白蓮華”の法門から、四句よりなる詩句の一つだけでも受持し、読誦し、熟達し、修行によって成就するとすれば、薬王よ、かの善男子あるいは善女人は、この因縁によってはなはだ多くの福徳を得るであろう。

 

 どうにも直前の修辞とのつながりが悪いような気がしないでもないが、まぁ、予想通りの展開ではある。が、これも細かいことながら注目しておきたいのは、四句よりなる詩句の一つだけでもとの挿入句である。これは具体的には偈の一句を指していると思われる。つまり、明示こそされていないものの、この対話は、経巻を所有する以上の信仰参加をする気がない在家信者に対し、一句のみでいいから読め(あるいは、詠め)、と釈迦を騙って示された妥協案であるように見える。

 

 以上の前振りを経て、ようやく本章の本題に入る。

 

 そこで、薬王菩薩摩訶薩は、そのとき、世尊にこのように申し上げた。

「世尊よ、私たちはこの“妙なる教えの白蓮華”の法門を身にいだいたり、経巻とする善男子あるいは善女人たちに対して、守護し、保護し、擁護するために、陀羅尼の呪文の句を与えましょう。それは、次のような句です。

 

 やはり、微妙に会話が噛み合っていない。直前の釈迦の発言は前述したように「一句のみでいいから読め」と善男子・善女人に勧めているが、対する薬王菩薩は法門を身にいだいたり、経巻とするというように、形式論で応じている。

 

 が、これは修辞が下手糞なのではなく、意図されたものではないか、とボクは読む。

 

 というワケで、薬王菩薩が示すダーラニーを見てみよう。本稿底本では妙法蓮華経が採用している音写漢字表記になっているが、漢字自体には意味はないので、敢えて音読の読みをカナ表記する。

 

 アニ、マニ、マネイ、ママネイ、シレイ、シャリテイ、シャミャ、シャビタイ、センテイ、モクテイ、モクタビ、シャビ、アイシャビ、ソウビ、シャビ、シャエイ、アシャエイ、アギニ、センテイ、シャビ、ダラニ、アロギャバサイハシャビシャニ、ネビテイ、アベンタラネビテイ、アタンダハレイシュダイ、ウクレイ、ムクレイ、アラレイ、ハラレイ、シュギャシ、アサンマサンビ、ブッダビキリチテイ、ダルマハリシテイ、ソウギャネク、シャネ、バシャバシャユダイ、マンタラ、マンタラシャヤタ、ウロタ、ウロタキョウシャリャ、アシャラ、アシャヤタヤ、アバロ、アマニャナタヤ、ソワカ。

 

 何じゃコリャ、と一見思うのであるが。

 

 冷静に考えてみれば、そもそもの法華経原典全文も同じ言語で書かれているのであって、ここだけが特別にこのようであるワケでは本来ないのである。が、この部分が薬王菩薩の台詞でもって呪文の句とされていることから、妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)は敢えて意訳せず、音写表記を連ねた。中村師訳も、師は日蓮宗の僧侶であられるから、それに倣ったものになっている。

 

 部分的にであれば意味を追うことができないでもない。たとえば、本連載でしばしば引く『日興記』に以下のような部分がある。

 

 御義口伝に云く、安爾(あに)とは止なり。曼爾(まに)とは観なり。此の安爾・曼爾より、止観の二法を釈し出せり。

(句読点は引用者が補った)

 

 ここで言われている安爾、曼爾は、上引用ダーラニーの書き出し部分のことであり、日興が日蓮に口伝されたところによれば、それぞれ“止”と“観”の意なのであって、天台大師の『摩訶止観』の“止観”はここから来ているのだ、ということらしい。

 

 この調子で全部説明してくれていたら、と思うのだが、同書はこの安爾・曼爾以外のダーラニーは一切スルーしているため、日興記からわかるのはこれだけである。これが真に日蓮の口伝であるにせよ、日興またはその門流が師を騙って言ったことであるにせよ、なぜ日興記は強いてこの部分にのみ言及しているのだろう、という疑問が残るのであるが。

 

 他にも意味がわかる部分はある。たとえば、ブッダビキリチテイ、ダルマハリシテイ、ソウギャネクの各句の頭、つまり、“ブッダ”、“ダルマ”、“ソウギャ”は、要するに“仏・法・僧”のことであろう。音の似た別語である可能性がないワケでもないが、連関のある三語が偶然連続するとも思えないし、実際、妙法蓮華経はそれぞれの音写漢語(仏陀・達磨・僧伽)を充てているので、ここはいわゆる“三宝(さんぽう)”に言及していると考えて間違いあるまい。

 

 加えて、これはよく知られた定型句なのでわかるのだが、ダーラニー末尾のソワカは、他のダーラニーや後のマントラ=真言の多くの末尾にも共通して現れるものであるが、本来の発音は“スヴァーハー”であり、強いて日本語訳すれば「幸あれ」「栄光あれ」、キリスト教でいうところの“ハレルヤ”的な常套句であったらしい。

 

 羅什に先行して『正法華経』を訳した竺法護(じくほうご)は、この部分もすべて漢訳している。つまり彼は、この部分を音に何らかの効能のある呪文と見做さず、意味内容を理解すべき、との立場をとったことがわかるワケだが、冒頭部分に限って引くと、

 

 奇異、所思、意念、無意、永久、所行奉修、寂然、澹泊、志默、解脱、濟渡、平等、無邪、安和、普平、滅盡、無盡・・・・・・

(引用者が切れ目に読点を補った)

 

となっている。奇異、所思は現代語的に直すと「不可思議、思惟」ほどの意味になるらしく、前述した日蓮遺文の「止観」がこれに対応する。強引に通訳すれば「考えることを止めざるを得ないものを敢えて観る」といったところか。個人的には「日立、不思議、発見」とでも訳したいところだが、冗談はさておき。日興記が伝えるのは天台大師の解釈によるもので、原語も竺法護訳も文章としては読むことができず、意味ありげな単語を並べたもの、といった体である。

 

 とまぁ、いったい何を言っているのかについては興味がつきないのであるが、言っている本人が呪文の句だと言っていることでもあるし、連載種本を含む他の法華経日本語訳……とりあえず岩波文庫版、新書版は確認した……でも特に意味内容に触れていないので、ここでは、まぁ、何か意味はあるようだが、さほど気にする必要もないものらしい、といったところにしておこう。

 

 世尊よ、これら陀羅尼の呪文の句は六十二のガンジス河の砂の数にも等しい諸仏・世尊によって説かれたものです。ですから、このような説法師や、このような経典を受持する人たちを悩乱させるものは、そのすべての仏・世尊に敵意をいだくものにほかなりません。」

 

 ダーラニーに続いて、上引用が薬王菩薩の発言として続く。どうにも意図がよくわからない。特にわからなくなるのは、ここに見える「六十ニ恒河沙の諸仏が説いたものだ」との断言である。原則としては、この手の断言は法華経中においては釈迦の専売特許であったはずである。なぜ、薬王菩薩はこの謎の呪文について、このように言い切ることが出来るのであろうか。

 

 これに対する釈迦の返答が、また輪をかけてわからない。

 

 素晴らしいことである。素晴らしいことである。薬王よ。そなたはこの陀羅尼の句を説き、多くの衆生を利益した。薬王よ、衆生たちに対する慈悲と哀れみのゆえに、よくぞ守護し、擁護し、救護することをなしとげた。

 

 本当に他に何の付加説明もなく、上引用の発言が釈迦からなされる。薬王菩薩がおこなったことは、単に意味不明なダーラニーとされる一節を述べたのみ、であるが、なぜ、これが守護し、擁護し、救護することをなしとげたことになるのだろうか。

 

 さらに謎なことには、本章における薬王菩薩の出番は、これで終わってしまうのである。変わって勇施(ゆうぜ)菩薩が突如として登場する。彼は、本章の他には第二十三章に名前のみ登場するマイナーキャラクタなのだが、本当に唐突に「私も陀羅尼の句を授けましょう」と言い出して、

 

 ザレ、マカザレ、ウツキ、モツキ、アレ、アラハテイ、ネレイテイ、ネレイタハテイ、イチニ、イチニ、シチニ、ネレイチニ、ネリチハチ、ソワカ。

 

 と、前出のそれに比べれば短めのダーラニーを示した後、薬王菩薩とほぼ同じこと、つまり「この陀羅尼の句は恒河沙の諸仏によるものです、法華経を説く法師を悩ませる者は諸仏の敵です」と断言し、そして、もう笑うしかないのだが、釈迦からの返答すらなく、これで法華経全篇における彼の出番がやはり唐突に終わる、何の説明もなしに。

 

……何が起こってるんだー!?

 

 そして、空恐ろしいことに、同じ流れがまだ続くのである。三番手を務めるのは毘沙門天(びしゃもんてん)、いわゆる四天王の一人である。微妙に言葉使いこそ異なるが、前述のニ菩薩とほとんど同じ前置きから、

 

 アリ、ナリ、トナリ、アナロ、ナビ、クナビ、ソワカ。

 

とダーラニーが示された後は、やはり前ニ菩薩と同じことを言って退場する。想像がつくとは思うが、まだこれがしばらく続くのであるが、一旦置こう。とにかく意図不明瞭な本章であるが、その根本的な部分の疑問は少し棚上げして、ここまでの部分から推測できることを確認しておきたい。

 

 第一に、ここまで三つのダーラニーを例示しているが、こうして並べて比較してみるとわかることがある。どうやらこれは、何らかのルールに従っている韻文らしい。全句がそうだ、というワケではないが、多くの句が概ね前後の句と音節の一部を共有しているように見える。何を狙ってそうであるのかはよくわからないが、ともかくダーラニーというのはそういうもののようである。

 

 第二に、これも実態として何を意味しているのかはよくわからないが、一見適当な言葉をただ並べたように見えるダーラニーであるが、釈迦の薬王菩薩に対する返答を素直によむと、何らかの形で衆生の役に立つものであるらしい。また、それは何らかの形で衆生を“護る”類の役立ち方が想定されていることが読み取れる。

 

 第三に、これまた不可思議なことではあるが、ダーラニーは本章も含め法華経全篇に渡って、教主たる釈迦から教え示されるもの、ではなく、菩薩や諸天(インド土着宗教に由来する神)から「諸仏が説いたものである」という体裁で以って示される。繰り返し述べているように、法華経自体が法華経教団によって釈迦を騙って語られたものであるのだから、ダーラニーもまた釈迦の発言として示しても良さそうなものであるのに、そう出来ない、あるいは、したくない、何らかの事情があるようだ。

 

 以上のことから、あくまでも私見である、と断った上で書くが、ダーラニーは本来、経典の暗唱に取り組む初学者の練習用フレーズだったのではないか、とボクは考えている。現代の我々が暗唱という行為を考える場合、文字テキストの音読を繰り返す、というスタイルを想起してしまいがちであるが、法華経が成立した当時の人々の識字率がそんなに高いはずはないので、ほとんどの場合それは口伝によっておこなわれていたはずである。

 

 無論、理屈の上で言えば、法華経を含む仏典テキストをそのまま伝え聴き、復唱することを繰り返して練習することを否定する理由はないのであるが、それに取り組む本人たちからとってみれば、それは紛うことなき聖典なのであって、万が一にも間違って覚えたり誤って復唱したりすることが憚られるものである。一方で、ダーラニーのように、まったく無意味なワケではないが、比較的覚えやすい韻文と定型句からなるフレーズは、聴きながら覚えるという技能の練習台としては好適であったのかも知れない。

 

 このように考える理由はもう一つあって、それは、本稿で取り上げたダーラニーを示す菩薩・諸天の発言に共通するニュアンスとして、法華経の説法師の過ちを指摘するヤツは許さない、というものが含まれるからである。過ちは誰かに指摘してもらえないと改められないじゃないか、とか思うが、第十ニ章の二十行の偈からも読み取れたように、法華経教団には自分たちに対する批判を一切合切悪口として切り捨てる傾向があったようなので、法華経の章句の暗唱を間違えること、特に、立場の異なる仏教徒の前でそれをしてしまうことにもまた、我々が想像する以上の忌避感が働いていたのだろう、と思う。

 

 そのような背景から、指導者から示されるダーラニーをほぼ百発百中暗記復唱できるようになった熟達者が、仏典テキストの口伝継承に本格的に取り組むことを許されたのではないか、と考えると、上に挙げた三つの特徴すべてに納得がいく。つまり、それは偈に通じる韻文構造を持ち、衆生の仏典テキストへの取り組みに役立つものであり、かつ、釈迦の説法そのものではないので誤っても害がないが、究極的には諸仏の衆生救済を目的とした知恵に位置づけられるものとなる。

 

 だがしかし。同時にダーラニーは、<仏教>から見れば外道であった婆羅門の呪術にも通じるものであった。厳密に言えば、当時のインドに仏教以前から連綿とつづいた呪いの章句を扱う文化があって、これを<仏教>が仏典の口伝継承者の育成に応用したものであろう、という話になるのだが、そのような文化が背景にあるがゆえに、このメソッドが形骸化すると、ダーラニーあるいはマントラ自体に神秘的な力があるのだ、とする観念が生じるのは、我々が想像するよりも遥かに容易であったのは間違いない。

 

 さらに二回、同じパターンが繰り返される。

 

 登場するのは、まず、前出の毘沙門天同様に四天王の一角を占める増長天(ぞうちょうてん)であるが、これは写本によっては同じく四天王の持国天(じこくてん)になっていたり、そこが脱落して誰かわからなくなっている(妙法蓮華経もそれ)。続いては、主に日蓮宗穏健派の信仰対象としてよく知られる鬼子母神(きしぼじん)十羅刹女(じゅうらせつにょ)。いずれの場合も、唐突に登場し、法華経の法師の守護を誓い、ダーラニーを示して、法師を悩乱するものに災いあれと語るところまで、すべて共通している。

 

 参考までに、それぞれの示すダーラニーを以下に引いておこう。

 

増長天、あるいは持国天、あるいは無名の誰か:

 アキャネイ、キャネイ、クリ、ケンダリ、センダリ、マトウギ、ジョウグリ、フロシャニ、アッチ、ソワカ。

 

鬼子母神と十羅刹女:

 イデイビ、イデビン、イデイビ、アデイビ、イデイビ、デイビ、デイビ、デイビ、デイビ、デイビ、ロケイ、ロケイ、ロケイ、ロケイ、タケイ、タケイ、タケイ、トケイ、トケイ、ソワカ。

 

 何と言うか、鬼子母神のそれからはネタ尽き感が漂っていなくもないが、まぁ、いずれもそもそも深い意味はないもの(ぉぃ)であるからして、捨て置こう。

 

 ここまで、ダーラニーを示した菩薩・諸天は、各自の仕事を終えると速やかに退場していったのであるが、最後に登場した鬼子母神たちにはもう一仕事残っている。すなわち、彼女らはやはり何の前置きもなく突如として、似たような章句を四回繰り返す短い偈を詠うのであるが、その最初が以下のものになる。

 

 この呪文を聞いて順わず、説法者を悩乱するものは、その頭は七分に破れ裂け、阿梨樹の花房のようになるであろう。

 

 ピンと来た読者がもしいたら偉い、というか怖いが、この一節が日蓮の曼荼羅に見える“若悩乱者頭破七分”の文言の典拠になる。直接そうだ、とは書いていないが、鬼子母神や十羅刹女を超自然の神・精霊として仮定するならば、法華経を信じるものを惑わす者がいれば、彼女らが頭を七分に破り裂きに来るぞ、という意味だろうか。鬼子母神がいつ妻に取り憑かないとも限らないので、今夜からはヘルメットを被って寝よう。

 

 そういう冗談はともかく、説法者を悩乱するものを罰する、というネガティブな形ではあるが、こうして鬼子母神たちが法華経を奉じる人々の守護を誓う。

 

 これを以って、今日においても日蓮宗穏健派の人々の間では、特に安産や子育て、ひいては家内安全の神様として鬼子母神が信仰される、ということになるのだが、ここで強いて“穏健派”と書いたからには対局に“過激派”がいるのであって、むしろ日蓮の言説に教条的な宗派においては、鬼子母神信仰は忌避される傾向にある。これは、同神の加護を願って陀羅尼呪を唱える行為が、晩年の日蓮が精力的に論難した真言宗のそれに通じるため、過激派の言い分としては「陀羅尼品の論述は、法華経信者を守護する諸天を譬喩的に示したもので、信仰対象ではない」ということになる。

 

 本稿はどちらの言い分が正しいか、を判じることを目的としない……っつーか、判じる価値もない……が、それでも敢えてこの話題を取り上げたのは、次下以降の内容、ひいては本章が法華経に含まれる意味合いに通じるものを、個人的に感じているからである。

 

 まことによろしい。姉妹たちよ、そなたたちがこの法門の名号だけでも受持する法師たちを守護し、擁護し、救護しようとする福は量ることができないほどである。

 

 彼女らの偈を、釈迦……クドいが法華経教団を代弁するキャラクタである……が賛嘆して上引用のように言う。発言は今少し続くが、以下は粉飾文として無視してよかろう。本章はこれを以って終わる。

 

 お気づきかと思うが、この一節は、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱えるだけでよい、とした日蓮の教説の直接の依文、すなわち教義的根拠の一つになっている。と言うか、そのものズバリである。

 

 但法華経の題目計りを唱えて三悪道を離る可きことを明さば(中略)第八に云く、汝等但能く法華名を受持する者を擁護する福量る可らず

(『守護国家論』より、適時句読点を整えた)

 

 受持法華名者福不可量の事、御義口伝に云く法華の名と云うは題目なり。

(『日興記』より、同上)

 

 一方で、法華経を書いた人々の立場から考えた場合、ここに見える主張、すなわち、この法門の名号だけでも受持するというのは、一乗真実三乗方便の教説を信受すると共に、共感・歓喜せよ、仏陀とその法を礼拝せよ、と比較するとき、かなり後退している、と言うか、妥協の産物であるように見える。これは何を意味しているのだろうか。

 

 以下、例によって例の如く甚だ論拠に乏しい私見であることをお断りした上で、本章が法華経第三期の中にあってもその最末期に増補されたと思しきことも鑑みるに、その時点の法華経教団が、自分たちを支える在家衆に対して妥協せざるを得ない状況にあったことが反映されているのではないか、とボクは考える。これは言い方を変えれば、信仰の形骸化が始まっていたのではないか、ということである。

 

 つまり、こういうことだ。

 

 法華経全体は百年前後の時間をかけて整備されていった、と考えられるが、本章が書かれた第三期末期というのは、出家・在家を問わず、法華経第一〜ニ期の対立声聞衆との緊張感の中から自分たち自身の信念を自分たち自身の言葉で綴りあげた世代、また、その世代から直接その体験を聴くことが出来た世代が、徐々にこの世を去っていった時分である、と考えられる。別の言い方をすれば、この時期の法華経教団は、指導的立場の者にせよ、追従する在家にせよ、歴史上の誰かによって大成された経典として法華経を受け取る世代へと交代しつつあった、ということである。

 

 これを前提に考えるとき、本章冒頭の、いささか噛み合わない釈迦と薬王菩薩の対話の真意が明らかになる。釈迦、つまり教団の指導層は詩句の一つだけでも受持し、読誦し、熟達することを求めている……この時点でかなり後退しているのだが……のに対し、在家信徒またはその教化の前線に立っている人にあたる薬王菩薩は法門を身につけたり、経巻として受持するという妥協案で応じているように読めるのだ。

 

 同時に、このやり取りからは、法華経教団全体の総意として、どのような形を採るにせよ、法華経それ自体を後世へ確実に継承していくことが最重要課題として共有されていたことがわかる。その上で、釈迦は一句一偈なりとも理解して伝承せよ、と言っているのに対し、薬王菩薩は文字化されたテキストを所有するので精一杯です、と言っているのが、本章冒頭の対話なのである。

 

 とすると、続けてダーラニーが示される理由も見えてくる。前述したようにダーラニーは法華経に限らず、仏典の口頭伝承に参加する人向けのトレーニング教材であったと想定されるのであるが、このダーラニーの暗唱を菩薩や諸天の言葉で以って推奨することで、次代の法華経口頭伝承の候補者を募っているのだ。これがボクの考える本章創作の、直接の動機である。

 

 が、その時点でこの試みがどのような成果を得たか、あるいは得なかったか、については知る由もないが、歴史的にみた場合、大きな副作用を生じせしめたことは疑いない。一言でいってしまえば、法華経の密教化、ということになる。つまり、元来は、法華経テキストの口頭伝承を確実にするための“方便”であったはずのダーラニーが、口頭伝承されていくはずだったセントラルドグマを押しのけて、信仰の中心を乗っ取るのである。

 

 個々の論証は手に余るものの、いわゆる密教はこの流れの果てに生まれた信仰形態であるように思うし、その日本に至った末流となる真言密教や天台密教を批判した日蓮自身もまた、ここに見える密教化した思考なしには「法華経の題目のみを唱える」という発想には決して至らなかったはずである。さらには、その日蓮の末流もまた、法華経に内在した密教を“再発見”し鬼子母神に対する神祇信仰へ陥った、と理解することができる。

 

 いささか踏み込み過ぎの解釈であるように我ながら思うが、本章以外で唯一陀羅尼呪が示される法華経第二十六章“あまねく賢明な菩薩が人に勧めて仏道を修める心を起こさせる”が、本章に垣間見える法華経の密教化を敷衍しているように読めるので、次話でこれを取り上げて改めてその意義を論じてみたい。

 

 以上を以って、法華経第二十一章“ダーラニー”の転読(うたたよみ)を終える。アニ、マニ、うんたらかんたら、ソワカ。

 

*1
 今日流通する音読用仏典テキストの多くが、経文に振り仮名するのに“平仮名”を用いるのは何故なのか。拙稿のような文章中の引用の場合はともかく、原則としては、音読みの表記には片仮名ではないのか。仏教プロパーのこのような無自覚な行為もまた、経文テキストの呪文化の一因のように思えてならない。

*2
 ボクは高校生くらいの時分から、漢訳経典の意味を意識して読む癖がついたのだが、人に言われるまで気付かなかったのだが、この癖がボクにとある変化をもたらしたのである……というと、何か神秘的な話が始まるかのようであるが、何のことはない。変化したのはお経の音読法である。

 たとえば、妙法蓮華経中で最も人口に膾炙しているのは如来寿量品第十六後半の偈、通称“自我偈”であり、かく言うボクも淀みなく暗唱することが出来るが、

 

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万

 億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生

 令入於仏道 爾来無量劫……

 

 冒頭八詩句は上引用の通りだが、これを音読する際……葬式の読経を想像してもらえればいい……一般的には以下のように発声される。

 

 ジーガートクブッライ、ショーキョーショーコッシュ、ムーリョーヒャクセンマン

 オクサイアーソーギー、ジョーセッポーキョーケー、ムースーオクシュージョー

 リョーニューオーブツドー、ニーライムーリョーコー……

 

 おそらく、ボクもこれを覚えたての頃はこういう感じに発声していたのだ、と思うのだが、いつ頃からか字義に意識が引っ張られて詠み方が以下のような感じになってしまったのである。

 

 ジガ、トクブッライ、ショキョウ、ショコウスウ、ムリョウヒャクセンマン

 オクサイ、アソウギ、ジョウ、セッポウ、キョウケ、ムスウオク、シュジョウ

 リョウニュウ、オブツドウ、ニライ、ムリョウコウ……

 

 おわかりいただけるだろうか?

 別に、上段に示した読み方が正しくない、といったような意図で言っているワケではない。自分でやってみればわかると思うが、発声のしやすさで言えば上段のそれの方が圧倒的に楽なのである。が、この読み方をすると、意味が頭に入って来なくなって本当に呪文になってしまうのである、少なくともボクにとっては。

 で、意識的にそうしたワケでもないのだが、いつの間にか下段に示したような……要するに、調子を整えるための長音化を止め、意味の切れ目で一息止めるようになった、ということなのだが……読み方が癖になったのであるが、コレが存外評判が悪く、読経に変な癖がある、と指摘されるのはマシな方で、人によっては面と向かって罵倒されることもあって、それで初めていつの間にか自分の読経が変化していたことに気づいたのだった。

 まぁ、あくまでもボクの個人的な体験に基づく話なのではあるが、ここからわかるのは、宗教コミュニティにおいても、お経の意味を意識して読む、という読み方は、必ずしもメジャーではなく、むしろ意味不明な呪文として読むのが普通であって、そうでない人間に敵意を剥き出しにする人すらいる、という事実である。

 とまれ、そういう手合はもう漢訳経典なんかも詠むのは止めて、今話に紹介する意味不明なダーラニーを有難がってりゃいいのに、ということが言いたかった。ま、誰にも共感してもらえないとは思うけどね、こんな話。いや、カトリックの人はミサ等の言葉使いでそういう矛盾、というか、やるせなさを感じてる人がいたりするかなぁ?



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第8話 形骸化する信仰……第二十六章“あまねく賢明な菩薩が人に勧めて仏道を修める心を起こさせる”

 普賢菩薩(ふげんぼさつ)は、現代においては既に触れた観世音菩薩=観音様ほどの認知度はないかも知れないが、我が国では厚い崇敬の対象にされてきた菩薩であり、特に、中世においては貴族階級の女性からの人気を観音様と二分した菩薩である。伝統的には、同じく法華経に登場する文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)と共に、釈迦立像を信仰する場合の脇士とされる。文部科学省の実験検証原子炉が“ふげん”、“もんじゅ”と命名されたのもここに由来する。

 

 第8話となる今回は、この普賢菩薩が登場する法華経第二十六章“あまねく賢明な菩薩が人に勧めて仏道を修める心を起こさせる”(妙法蓮華経普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぽつほん)第二十八)を転読(うたたよみ)していきたい。

 

 前話で取り上げた第二十一章を除けば、具体的なダーラニーの呪文が示されるのは本章のみであり、また、定型パターンで以ってダーラニーの提示を繰り返す同章に比して、本章は曲がりなりも一連の物語構造を有しているので、そこから法華経におけるダーラニーの持つ意味合いを邪推してみよう、というのが今回のテーマとなる。

 

 法華経全篇を通して見たとき、普賢菩薩は序章にすら登場せず、本章にのみその名が見える。このような扱いを受けているのは、主要キャラクタ中では普賢菩薩だけだ。全篇中における本章の位置から考えても、本章が全二十七章中の最末期に増備されたことはほぼ確実であり、ひょっとすると、序章が作られた後に本章が付け加えられたから、かも知れないが、序章に見える登場人物一覧、すなわち釈迦が霊鷲山において法華経の説法をおこなった際……もちろん、これは歴史的事実ではなく、法華経教団の創作した物語に過ぎない……に同席した人々の一覧に彼が含まれないことには、いちおう筋の通った理由がある。

 

 彼は娑婆世界(しゃばせかい)、すなわち我々が住むこの宇宙、の住人()()()()からである。

 

 どっひゃー!!

 

 そのとき、普賢菩薩摩訶薩は、東方より、数えることのできないほど多くの菩薩摩訶薩とともに人々に取り巻かれ、敬われ、途中のもろもろの国土を震い動かせ、蓮華の雨を降らし、百千億那由他の楽器を奏でながら、菩薩の威徳と、菩薩の偉大なる変化の力と……(中略)……このような思議を超えた神通による変化を現わしながら、普賢菩薩摩訶薩はこの娑婆世界に到着した。

 

 あまりに粉飾語句が多いので一部割愛させてもらったが、本章は上引用の書き出しに始まる。ビジュアルを想像するとトンデモない光景である。何か明確な根拠があって言うワケではないが、ジャパニメーションにしばしば見られる異形の者たちが大挙して行進・登場するシーンのイメージの源流は、存外ここにあるのではないか……直接的には百鬼夜行かも知れないが、百鬼夜行もまた、ここに源流があるような気もする……などと考えさせられる。ともかく、常軌を逸したイマジネーションである。

 

 一方で、イマジネーション不徹底な部分がないでもない。

 

 と言うのも、娑婆世界に到着した普賢菩薩が最初にやるのが、仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)だからである。漢訳経典を通じて我々がそれを知ったがために“仏”の字が見えるが、そもそもは古代インドの、仏教者に限らず尊敬すべき相手に対してとられた所作に由来するらしい。汎世界的に通用する侮りの所作として、相手の頭を踏みつける、あるいは靴を舐めさせる、といったものがあるが、その逆バージョンと言ったところか。

 

 前話でも論じたように、この礼法が法華経が説かれた古代インド以外の社会で通用する謂れはないし、そもそも、娑婆世界以外から来訪した普賢菩薩に頭や足といった構造があるのか……本章には彼自身の容姿についての説明は一切ない……が疑問である。もちろん、これは冗談で言っているのであるが、後日触れるが、法華経執筆者の中にはこの枠組みを明確に意識して、更にトンデモないことをケロッと書き遺したヤツもいるので侮れないのである(コレについては第11話にて取り上げる)。

 

 世尊(せそん)よ、私はかの世尊の宝威徳上王(ほういとくじょうおう)如来の仏国からこの国土にまいりました。世尊よ、この娑婆世界において、この“妙なる教えの白蓮華の法門”が説き示されていると知り、私はそれを聴聞するために、世尊であられる釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)のもとに来詣いたしました。

 

 普賢菩薩が開口一番に発するのが上引用の台詞。SF読みでもあるボクとしては「そんなファーストコンタクトってアリかよ?」とか思うのであるが、書き手にとっては大した問題ではないようだ。同時に、トンデモ本読みでもあるボクとしては現代の「宇宙人から宇宙の真理を授かりました」と無邪気に主張するトンデモさんたちが、自分たちの思いついた……失敬、宇宙人から授けられた真理とやらの伝道に注力するあまり、肝心の宇宙人の描写がぞんざいになりがちであること、以って主張全体の説得力が失われるのみならず失笑の対象となること、に通底するものを感じる。

 

 つまり、本章書き手の意識は、法華経が説かれるという事象は他の宇宙から聴聞しに来たくなるほど稀有で貴重なことなのだ、という主張に置かれているのであり、逆に言えば、現代のトンデモさんたちがそうであるように、彼らは他宇宙から来迎した普賢菩薩の権威で以って自身の主張を裏付けしているだけ、ということになる。もちろん、彼らやトンデモさんたちが期待しているほどの権威が本当にそこにあるのか、というのはまったく別問題なのであって、これらのケースに限って言えば、断言するがまったくない。

 

 この修辞上の問題は、広くは法華経全篇に共通するのであって本章のみに限ったコトではないのであるが、それにしても、宝塔の出現を除けば(厳密に言えば第二十三章もそうだがコレについては後日改めて)原則的には釈迦の語る物語の中に現れるのみであった他仏国土が、法華経最末尾に当たる本章に至って、改めてその実在を観念される体で登場することには、何らかの意図が込められている、と考えるべきだろう。ここでは結論を急がず、もう少し本章を読み進めることにする。

 

 さて、本人が語るところによれば普賢菩薩は『法華経』を広く説き明かして欲しくてはるばる異世界から我らが娑婆世界を訪ねたそうだが、まぁ、そもそも終劇間近にやって来て何言ってんだ、という気がしないでもないが、これを迎えた釈迦……繰り返すが、法華経教団を代弁するキャラクタであって歴史上の彼ではない……は、例によって例の如く、いささか噛み合わないことを言い出す。あまりに噛み合わないので、妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)はここに、

 

 若善男子善女人。於如来滅後。云何能得是法華経。

 

 つまり、若し善男子・善女人ありて、如来の滅したる後において、云何にして能く是の法華経を得んという、他のどの写本にもない挿句を補っている。要するに、普賢菩薩の要請にもかかわらず、釈迦は法華経そのものではなく、釈迦の死後においてどうすれば法華経を得ることが出来るか、ついて語り出す。もちろんコレは、この釈迦が空気が読めないから、ではなく、本章の書き手が本章を通じて言いたいことがそちらにあるからであって、それに対して前振り……他仏国土からの普賢菩薩ご一行の来迎……が大袈裟過ぎたのである。

 

 逆に言えば、少なくとも本章が執筆された時点で、それだけ大袈裟な前振りを以ってしてまで強く主張したいことがあったればこそ、このようなちぐはぐな修辞が用いられたのだ、ということは言えそうである。

 

 さて。

 

 言葉通りの意味としては、如来滅後という語は法華経教団にとっての現在、つまり紀元1〜2世紀頃のインドも含んだ言葉であり、実際、第十章の用例を見れば、第二期までの法華経がむしろそちらの意味でこの語を使っていることがわかる。対して、本章の普賢菩薩と釈迦の対話に見える如来滅後はいささか異なる意味合いを持っていて、結論を先取りすれば、前話末で触れた法華経教団の世代交代が前提としてあって、本章のいう如来滅後は、法華経教団を代弁するキャラクタとしての釈迦が死んだ後、つまりは、法華経を成立させた人々が死に絶えた後のことを言っている。

 

 なぜコレが言えるのかというと、本章と第二十ニ章のみに見出だせる表現(厳密には第十三章にも存在するが、これは少し意味合いが異なると思われる、詳しくは後日改めて)漢訳妙法蓮華経から拾えば如来滅後後五百歳というものがあるからである。

 

 天台大師や日蓮はこの語を、いわゆる末法思想における“末法”の意と解していたようであり、日蓮の主著『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』の題号も実にここに由来するのであるが、既に論じたように、法華経自身からは末法思想は読み取れない。如来滅後後五百歳は、法華経教団にとっての現在=如来滅後とは区別される何かであるが、後世の天台法華が考えた末法でもないのであり、法華経第三期の中でも教説の維持伝承に強い関心を示す第二十二章と本章にのみこの語が現れることから、コレが知れるのである。

 

 これを念頭に置いた上で、本章の書き手が異世界からの来訪者を招いてまで言いたかったコトを探っていくこととしよう。

 

 善男子らよ、四種の法をことごとくそなえる女性は、この『法華経』を得ることができるであろう。四種とは何かというと、すなわち、(1)諸仏・世尊に加護せられるようになること(2)徳本を植えたものとなること(3)真実の集団のなかに入っているものとなること(4)すべての衆生を救護するために、無上の正しい覚りに向かって発心することである。

(付番、下線は引用者による)

 

 普賢菩薩の「法華経を説き明かしてください」との請願に対し、釈迦……クドいが歴史上の釈迦その人ではない……が半ば問いを無視して語るのが上引用となる。

 

 まず、上引用を素直によむと女性限定の話をしているように見えるが、これは写本間に差異がある。中村師は上のように訳出しているが、たとえば妙法蓮華経の当外部は「もし、善男子・善女人があって」というように、性差を問わない表現になっている。いずれが正しいにせよ、むしろコレは、第二期までの法華経に女性蔑視が潜在していることを前提として、ここで述べることは男性限定の話ではないのだ、というところに力点があるのだろう。

 

 以下、ここで言われる『法華経』を得る……これは得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)と同義と思われる……ための四種の条件を検討してみたい。

 

 下線部(1)は、加護の動作の主体は諸仏・世尊であるから、これを聞いている善男子・善女人側にはどうしようもない話のように読めるが、おそらく言わんとするところは、授記の要件にも見える、釈迦と法華経を礼拝せよ(その結果として加護を得よ)の意であり、平たく言えば、食べ物や財物を法華経教団に供出せよ、を遠回しに言ったものと思われる。

 

 続いて下線部(2)であるが、ここに見える徳本(とくほん)の語は、法華経第三期、特に第二十三章以降に頻出する無定義語、つまり、それが何であるか説明されないまま用いられる語、になっている。中村師は欄外註に衆徳の本、善根と同意とされているが、これとて、師には申し訳ないが、説明しているようで説明になっていない。やはり授記に関する第一期の論述から類推すると、前世以前において釈迦(の前世)から受けた薫陶、を言っているように見えるが、これも上記の“加護”同様に、言われた本人にはどうしようもない話になっている。

 

 やや踏み込んだ解釈になるが、近世キリスト教徒の道徳律などを合わせて鑑みるに、ここで言われているのは「自身が前世において徳本を植えられた者であることを、自らの言動で以って証明してみよ」の意ではないか、と思う。授記においては、受記を得る人物の徳(舎利弗であれば知恵、富楼那であれば説法のスキル)が前世以来からの釈迦との因縁によるものとして称揚されるのが常であり、これは逆に言えば、今日において賞賛されるべき徳を示す者は、前世以来の“徳本”を有するゆえである、ということにもなろう。

 

 下線部(3)は、さもありなんと理解できるが、意外なことに、本章に至るまでの法華経がほとんど主張してこなかった観点である。要するにこれは、現代の原理主義・教条主義的宗派が「我々の組織に所属していないと救済されない」と主張するのに通じている。その一方で、ここまでの法華経の主張は、その是非はともかくとして、究極的には法華経の主張に耳を傾ける個々人の受け止め方を問うものがほとんどであったので、本章における唐突な組織論の登場には注目すべきと思う。

 

 最後の下線部(4)は、当たり前のことが言われているようにも見えるが、これも本章に至るまでの法華経の主張とは微妙にベクトルがズレている。本連載のここまでの理解に準じれば、仏の無上の覚りを得ようとすることは、自らが教育者∞であろうとすること、と等しく、そこには必然的に他者の救済が包含される構造があった。第三章の解釈に見た三車家と四車家の対立も、このことを表現する字面上の問題だった、と言ってしまえばそれまでなのである。

 

 が、ここでは、無上の覚りに向かって発心するに際し、すべての衆生を救護するためにとの断りがわざわざ加わっている。これは裏を返せば、すべての衆生の救護を目的としていないのに自身は発心しているのだと思っている人……というのは、法華経教団のセントラルドグマからすれば完全な自己矛盾なのであるが……が少なからず本章が執筆された時点において存在したことを意味しているように思う。そういう人がいるからこそ、わざわざこのような断りをおこなう必要性が生じたのだ。

 

 これが、前話末に論じた信仰の形骸化の実態なのではないか、というのがボクの見解である。

 

 法華経が、やたらと自画自賛する経典であるということは繰り返し述べている通りであるが、これはなにも後世においてそのように理解されたのみならず、法華経を成立させた法華経教団自身にとっても、世代交代に伴って、法華経テキストの聖性ばかりが強調される余り、第一期の論者たちが忌み嫌った対立声聞衆の保守的な傾向を、他ならぬ法華経教団自身が体現するに至ったのではないか。それに気づいた一部の有志が、何とかその傾向に対して巻き返しを図るべく講じたのが本章なのではないか。

 

 一方で、その有志たちにせよ、第一期の論者たちが抱え込んでいた、良く言えば理想主義的な、悪く言えば反知性主義的な熱さは失いつつあるのであって、どうしても立脚点が組織防衛的になっているように、ボクには見えるのである。これは、続く普賢菩薩の発言からも読み取れる。

 

 世尊よ、私はのちの世、末代の時、のちの五百年の現世において、このような経典を受持する比丘たちを守護し、安穏ならしめ、禍いを除き、悪毒を消すでありましょう。

 

 こう言って普賢菩薩は語り始めるのであるが、その内容がいささか奇妙なのである。これは前話で見た第二十一章“ダーラニー”において繰り返される構造にも通じるのであるが、法を説くものたちの欠点をほじくり出したり、短所を探し求めたりする機会が得られないようにいたしましょうなどということが三度も繰り返し述べられる。

 

 これはおそらく、本章が書かれた時点で法華経教団が問題視していた禍いや悪毒が、具体的には外部からのそのような指摘であったことが反映されているのだろう。そこからは、法華経第一〜ニ期が良かれ悪かれ抱え込んでいた、増上慢とも言うべき満ち溢れた確信が微塵も感じられない。何が彼らをそこまで弱体化させたのだろうか。次下の一節には、そのヒントとなることが言われている。

 

 かの法を説くものがこの法華経を思惟し、瞑想に精進しているとき、この経の一句一語でも忘れることがあるときには、私は六牙をもつ白象の王に乗って、その法を説くものの門前に現われて、彼にこの経の文辞を欠くるところなく再説するでありましょう。

 

 仮にボクがアルツハイマーか何かになって一句一語が思い出せなくなったとしても、あまり現れて欲しくはないルックスではあるが、それはさておき。この一節が典拠になって、普賢菩薩を描いた図像では、しばしば六牙をもつ白象が描かれるのだが、そこに乗っている当人が当たり前のように人類の姿をしていることには個人的に疑問がないでもない、それもさておき。

 

 思うにこれは、実際に少なからぬ法華経教団のメンバーが、法華経の一句一語を覚えられないがゆえに言い出されたことではないか、などと邪推してみたくもなるのである。自分たちこそが如来の密意を知っているのだ、と主張しつつ、経典を諳んじることができない一群の人々。そのこと自体の良し悪しはともかくとして、伝統に従った戒律や修行を順守する対立声聞衆からすれば、欠点をほじくり出したり、短所を探し求めたりしたくもなろうと言うものである。

 

 が、この時点の法華経教団には、そういった批判に真正面から立ち向かう知力も胆力も既に失われていたのだろう。そのような集団が、ある種の神秘主義=ダーラニーに活路を求める、というのは、十二分にありそうな話だとは思われないだろうか。

 

 アタンダイ、タンダハダイ、タンダハテイ、タンダクシャレ、タンダシュダレイ、シュダレイ、シュダラハチ、ボッダハセンネ、サルバダラニ、アバタニ、サルバシャ、アバタニ、シュアバタニ、ソウギャハビシャ、ソウギャネキャダニ、アソウギ、ソウギャハダイ、テレアダソウギャトリャ、アラテハラテ、サルバソウギャサンマジキャランダイ、サルバダルマシュハリセッテイ、サルバサッタロダ、キョウシャリャアトギャダイ、シンナビキリダイテイ。

 

 普賢菩薩から示されるダーラニーを、前話同様にカナ表記で書き出してみた。

 

 これを教え示す普賢菩薩が法華経を説くものを守護するのだ、という主張、同時に、そこに何の理論的な説明がなされないところまで、第二十一章とまったく同じ展開である。そしてこれは、明らかに密教……その言葉は意味はわからなくとも人智を超えた力が宿っているのだ、とする呪術的思考……そのものであり、法華経の通奏低音となっている諸々の主張とまったく噛み合っていない。

 

 しかも、続けて普賢菩薩はこんなことも言っている。

 

 散乱しない正念によって書写する人には千仏がみ手を差し伸べられるでありましょう。また、寿命が尽きようとするときには、千仏がその面前に現われたもうことでしょう。

 

 百歩譲って一文目、すなわち、法華経の書写……これは経典の継承に直結している……が諸仏に愛でられることだ、とする観念は良しとしよう。が、続く一文……死に際して救済がもたらされるとする慰め……は、これまた明らかに浄土思想のそれであって、法華経第一期の書き手が権威ある声聞衆すべてを敵に回してまで声高に宣言した、一乗真実三乗方便、如我等無異の思想とは何の連続性も感じられないではないか。

 

 以上のことから、

 

・法華経成立の最末期において、法華経教団は既に信仰形骸化の危機に陥っていた

 

・その危機に対し、法華経教団の書き手は密教思想や浄土思想を借りることしか出来なかった

 

の二点が、本章から読み取れるとボクなどは思う次第なのであった。

 

 一方で、本章は法華経全二十七章(妙法蓮華経は二十八品)の中でも、比較的後世において人気を集めたものの一つであり、特に中世の我が国においては女性の成仏を保証する経典の一つとして深い崇敬を受けたのである。この噛み合わなさは何を意味しているのだろうか。

 

 一足飛びに結論を言ってしまえば、法華経の言う如来の密意は、それはそれで一つの思想としては興味深いもので、現代の我々の視点からも学ぶべきところは少なからずあるものの、つまるところは(法華経教団の考えたところの)如来側の都合で言われていることであって、それを受け取る市井の極々普通の人々が自然に求めるところにリーチしていないどころか、究極的にはそもそもそこに関心がないのである。

 

 これを、本連載で繰り返し多用する教育者∞の譬えに当て嵌めて言えば、法華経は超理想主義の熱血教師なのである。掲げる理想自体は、それは結構なもので、俄かに反論しがたい聖性すら漂わせている。が、理想は理想なのであって、そのような熱血教師の陰には、必ずそのノリについて行けない生徒、その熱さに返って冷めている生徒がいる。ましてや、この熱血教師は、すべての生徒に自分と同じ熱さに至ることを要求しているのであるから、これは土台無理な話なのである。

 

 むしろ、普通の人々が……それが合理的な要求であるか否かはともかくとして……歓迎する教師とは、たとえば「これさえやっておけばいい」と至極単純な指示を与えてくれる教師、「別に無理しなくても何とかなる」と根拠のない安心を与えてくれる教師であったりするものであって、ここでは前者が密教思想、後者が浄土思想に当たるのであるが、これらが果たして良い教師かどうかはともかくとして、いずれが一般的な生徒から見て親しみ易いか、と問えば、法華経教師よりは密教教師・浄土教師の方がそうだろう。

 

 そして、法華経第三期の書き手の一部はこのことに気づいたがゆえに本章が書かれたのであるが、本章の書き手自身もまた信仰が形骸化していて、法華経第一期の人々が遺した衣裏繋珠、すなわち“巧妙な方便”に思い至ることがなく、ただただ学級崩壊を防ぐべく無分別に密教教師・浄土教師を真似てしまったのだ。

 

 後世において、本章や観音経(第二十四章)が法華経中でも他章に比べて多くの人々の崇敬を集めた理由も同様で、これは法華経第三期の書き手が、おそらくは自覚のないまま先達の理想を見失って、人気取りに走った必然的な結果なのである。そのような意味において、彼らはその短期的な目的は見事に達成したが、その代償として長期的な目的を結果的に放棄してしまった、と言えるかも知れない。無論、その自覚は彼ら自身になかったろうけれども。

 

 無論、ボクが言いたいのは、法華経第三期の(第十九章の書き手を除く)執筆陣が無能であった、ということではないのだ。彼らを彼らがそうであるように成さしめたのもまた、疑いようもなく法華経なのであるから、これは法華経自身の欠陥であるはずだ。そしてこのことは、伝教大師最澄や日蓮が、ことごとく弟子の育成に失敗していることとも、無関係であるはずがないではないか。

 

 といったところで、第二十六章“あまねく賢明な菩薩が人に勧めて仏道を修める心を起こさせる”の転読(うたたよみ)を終える。



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第9話 自覚されぬ含意……第八章“五百人の比丘に対する予言”

 第9話となる今回取り上げるのは、法華経第八章“五百人の比丘に対する予言”(妙法蓮華経五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八)。例によって、法華経本文への耽溺の前に、本章の法華経全体、特に本稿において法華経第一期と呼んでいる第二章〜九章の流れの中における位置づけを確認しておくこととしたい。

 

 第二章“巧妙なる方便”において、法華経教団のセントラルドグマとするところが語られることは既に見た(第3話)。改めて以下に整理してみたい。

 

・三乗(声聞・独覚・菩薩)は一仏乗へ導くための方便である。

 

・一仏乗とは、衆生をして仏知見へと開示悟入するものである。

 

 これを私的に平易な表現に改めると、

 

・学べ、考えよ、救え、は手段であって目的ではない。

 

・教育者∞となれ。

 

と展開されることも、既に述べた通りである。法華経第一期の残り部分、つまり第三章〜九章は、大雑把にまとめれば上記の命題に対し二種類のアプローチで以って敷衍をおこなっているものと言える。

 

 第一のアプローチは、一乗真実三乗方便をたとえ話を通して繰り返し説くもの。ボク自身、これを説明するために“教育者∞”の譬喩を用いた。法華経を書いた人々も、自分たちの信念を伝えるのに“開示悟入”や“如我等無異”のような端的な断言では事足りないことを自覚していて、様々な角度から繰り返し譬喩を使って述べることで、その浸透を図ったものと思われる。こちらは、言っていることに納得できるかはともかく、比較的その意図が現代の我々からも理解しやすい。

 

 対して第二のアプローチは、釈迦の言葉を騙って物語中に登場する弟子たちに「未来世において仏と成る」との予言を与える、という、一見してその意図が現代の我々の感性からは理解しにくいものになっている。この予言を、釈迦の立場から見た場合は“授記”、弟子の立場からみた場合は“受記”といい、いずれも“じゅき”と読む。

 

 第二章において、伝説的な釈迦の弟子であり知恵第一と称された舎利弗が、法華経教団から見て権威主義に陥り硬直化していると見做された対立声聞衆を表象するキャラクタとして扱われることを見たが、どうもこの第二のアプローチは、その延長線上の発想に基づくもののようである。つまり、法華経第三章〜九章において受記を得る弟子たちもまた、具体的には対立声聞衆を指している。

 

 論敵の成仏を予言する、というのも妙な話であるが、法華経の文面上は、いずれの授記に際しても、それぞれの弟子が法華経を信受し、歓喜したことを見届けて受記に至る、という構成が共通しているので、私見ではあるが、どうもコレは、法華経教団から対立声聞衆に対して発せられた「成仏したくば我らが軍門に下れ」という降服勧告として書かれたものらしい。詳しくは実物の例を示しながら改めて論じよう。

 

 第三章〜九章において、上記2つのアプローチ、すなわち譬喩と授記は入れ代わり立ち代わり文面に現れるため、何章が譬喩で何章が授記、と一概に立て分けることは出来ないのだが、概ね、第三章〜五章が前者、第六章〜九章が後者を中心とした内容となっている。

 

 第八章“五百人の比丘に対する予言”は、そういう意味では授記を扱った章であり、章題もそれを表している。と言うワケで、転読の第一のポイントは、法華経における授記の具体例を通じて、その定型フォーマットを理解すると共に、そこから垣間見える書き手の本音を邪推して楽しもう、というものになる。

 

 第二のポイントとしてはは、本章に登場する法華七喩の第五“衣裏繋珠(えりけいじゅ)”である。法華七喩のうちその第四までは一乗真実三乗方便の敷衍に当てられている。第五となるこの譬喩も、第四までの譬喩同様に法華経第一期に含まれるので直接的には一乗真実三乗方便の敷衍として述べられているはずではあるのだが、いささか異なる趣きを含んでいる。また、その異なる趣きが、どうにも法華経教団自身にとってまったく異なる意味合いを持ってしまっているような気がしていて、そのあたりを論じてみたいと考えている。

 

 

                    *

 

 

 法華経第八章“五百人の比丘に対する予言”の主人公は、第二章の舎利弗同様に、実在したと思われる釈迦の直弟子で説法第一と称された富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)。名前の中に“尼”の字が見えるので誤解しそうになるが、これはプルナ=マイトラヤニーの音写であって、彼は比丘(びく)、すなわち男性の出家者である。

 

 彼は本稿中に既に一度登場している。第十二章“よく耐え忍ぶ”の転読(うたたよみ)(第4話)に際し、法華経第一期の執筆者が女性蔑視観を有していたと見られることに言及したが、このときに触れた授記が、この富楼那に対するそれであった。まさにその授記がここに始まろうとしている。

 

 そのとき、長老の富楼那弥多羅尼子は、世尊(せそん)から親しく、このような(1)仏陀の知見による巧みな方便と、人々の機根に応じて密意によって説かれた教法を聴聞し、また、これらの(2)大声聞たちの来世に関する授記をうかがい、宿世の因縁の物語を聞き、また、世尊の威神力についておうかがいして、(3)不思議の念をいだき、未曾有のことと思い、浄らかな心と歓喜に満たされた。そして、大きな喜びにつつまれて胸おどらせ、(4)法に対する深い尊敬の念を起こして座より立ち上がり、世尊の両足を頭面に頂いて敬礼し、このような思いをいだいた。

「世尊よ、実に素晴らしいことです。善逝(ぜんぜい)よ、稀有なことです。もろもろの尊敬されるべき、正しい覚りを得た如来は、はなはだしいことをなしとげられました……

(付番下線は引用者による)

 

 上引用が本章の書き出しとなる。ここに、法華経第三章~九章に繰り返し描写される授記の典型を見ることが出来るので、この機会に詳細に見ておくことにしたい。その上で、以降、転読を通じて繰り返し登場する授記の場面は、サッと読み流すようにしようと思う。

 

 まず引用下線部(1)。受記する者の前提条件の第一は、第二章“巧妙なる方便”に示されたところの如来の密意と方便の教説、これを受け入れていること、になる。釈迦の教えを受け入れていることが条件になるのは当たり前じゃないか、と言ってしまえばそれまでだが、法華経に登場する釈迦が法華経教団の見解を代弁するキャラクタに過ぎず、また、彼らの言う方便とは、つまるところ、対立する声聞衆が後生大事に継承してきた仏典の学問的習得であることを思えば、これがかなり一方的かつ独善的な服従勧告であることがわかる。

 

 続いて引用下線部(2)。以下は必ずしも法華経文中に直接言及されていることではない、と断った上で話を進めるが、法華経全篇を通して最初に受記を得るのは前述した舎利弗になってる。以降、受記される者は必ず、直前に受記を得た者に少なからず言及し、賛辞というか祝辞というか、とにかくそのような発言をするのが定型になっている。

 

 法華経中の釈迦は、そのような誰がしかの発話を受けて、その人物に対する授記へと進む。ここから鑑みるに、引用下線部(3)ともつながるのであるが、受記の要件として、前述の(1)に加えて、自分以外の誰かが受記を得たことに驚き、かつ喜び、賛意を示すこと……これは端的に“共感”と言い換えてもよいと思うのだが、とにかく、そのようなものを、法華経教団は想定していたようである。

 

 そして、そのことは法華経第一期を通して明に暗に繰り返される一乗真実三乗方便の主張に比して、地の文中で説明されることが皆無であるところを見ると、どうも法華経教団にとって、他者の成仏への共感が自身の成仏の要件となるとするこの観念は、言及するまでもない自明のことであったか、あるいは、彼ら自身そのことに無自覚なまま語っていた可能性が考えられる。

 

 思うに、抽象化すればこれは、ある信念の体系に参加することそれ自体が慶事であり祝意を以って迎えられるべきである、ということなのであって、その適否良悪はともかく、多くの宗教や擬似宗教(自己啓発セミナー等)にも同様の傾向を見出すことが出来る。また、広く世俗まで視線を向ければ、入社・入学・入会儀礼等も同様なのであって、ボクのような共同体への参加意識に乏しいスタンドアローンな人間ですら社交辞令としてはそういった言辞を弄するのであって、存外これは、人間という種にハードワイヤードされた観念であるのかも知れない、とすら思うのであるが、脱線しそうなので一旦捨て置く。

 

 最後に引用下線部(4)であるが、狭くは法華経教団、そして広くは当時の仏教者は、それが何者であれ仏陀と見做される人物に対しては最敬礼で応じるべき、との観念を共有していたようである。ここで示されているのは前話にも登場した仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)になる。現代の我々が真に受けるべき典礼であるとも思わないが、ここで仏足頂礼を受けている釈迦は、法華経教団の代弁者なのであるから、これは彼らが、自分たちこそが尊者に対する礼を施されて然るべきである、とする強い自負を有していたことの現れと読むべきだろう。

 

 続いて富楼那は、ここまでにおこなわれた法華経の説法を褒めたたえる。つきつめればこれは法華経教団による自画自賛なのであり、虚しい限りであるので上引用ではその冒頭までを引くに留めた。ちなみに、ここに見える善逝というのは、善く覚りの彼岸へ逝くお方、ほどの意味で、要するに世尊同様に釈迦に対する敬称なのであるが、どうにもボクはこれを“()って()し”と読みたくなってしまう、あぁ懐かしいフレーズ。

 

 冗談はさておき。

 

 これに対し、文中の釈迦は富楼那弥多羅尼子が心に願っていること……彼も前章までの他声聞同様に受記が欲しいのである……を察して語り始める。曰く、富楼那は弟子中でも説法第一である、と。その熱心さ、理解力、解釈力、説明力が賞賛され、説法については如来を除いて富楼那をしのぐものはない、とまでされる。まぁ、何と言うか、出来レースだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、とりあえずここは素直に、法華経教団もまた、釈迦およびその伝説的な弟子の遺徳を偲んでいたのだ、と善意で解釈しておくことにしよう。

 

 比丘たちよ、そなたたちはこれをどのように考えるであろうか。彼はただ私の正法を護持するだけのものであると思うであろうか。

 

 既に読者諸兄は法華経独特のこの語り口に馴染んできただろうから、この先の展開は予想可能ではないかと思う。

 

 比丘たちよ、私は過去世における九十九億の諸仏のことを知っているからである。そのときに、富楼那は、実に、それら諸仏・世尊の教えのもとで、正法を護持したのである。それはあたかも、現に私のもとにおけるがごとくであった。

 

 無論、ここで言われているのは、釈迦と富楼那の前世の因縁である。つまり、富楼那は富楼那として生まれる以前から釈迦の弟子であり、前世においても説法第一で釈迦の布教を助けて共に修行を積んで来たのだ、とされる。

 

 さて。おそらく法華経の書き手の意図としては、これは、繰り返し述べていることであるが、輪廻転生観が当たり前に受け入れられていた古代インドにおいて、過去世の因縁を賞賛することが相手に対する最大級の賛辞として通用していたことに倣ったものなのであって、それ以上の深い意味はない、言わば定型句に過ぎないものだったと思うのであるが、個人的には、この手の修辞が授記の記事にいちいち付いて回っていることは、彼らの真に目指すところとは噛み合っていないような印象を受ける。

 

 見てきたように、本来的に法華経教団が成仏の要件としていたのは、(1)一乗真実三乗方便の教説を信受すること、(2)受記を得ること、(3)受記を得た人に共感すること、(4)釈迦と法華経に礼を尽くすこと、であるはずなのだが、ここに示された因縁話を言葉通りに受け取る限り、この4つに、(5)前世において釈迦と共に修行したこと、が加わることになる。言うまでもなく、この(5)は本人の努力ではどうにもならない類の話になり、いささか筋が悪い。

 

 もちろん、本章の書き手が富楼那に対してやっているように、前世の因縁話はいくらでも捏造はできる。が、そうであるからこそ、逆に、恣意的に特定個人を排除する論理としても利用できてしまうのであって、実際、後の世の話となるが日蓮がその暗黒面に足を掬われていることは、ご存知の方はご存知のことであろう。たとえば……

 

 我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思いていわく、此の御房は八幡をかたきとすと云云

諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)

 

 上引用は日蓮が、自身の弟子の一部が「師匠は八幡神を(かたき)のように言っている」と批判したことに対する反論の書き出しになるが、文脈上そんなことを言う必要もないのに謗法の余慶有る者、すなわち、自身に対する批判者に対し、仏教に違背する罪を過去世において犯した者、というレッテル張りをしている。この物言いは、結果的に弟子たちから師匠に対して議論をする機会を奪い、百害あって一利もない。これなどは、法華経にも見えるすべてを過去世からの因縁で粉飾しようとする思考様式の裏返しだ。

 

 この日蓮のケースとの対比から考えられるのは、少なくとも法華経第一期の執筆陣は、このような文脈で前世譚を持ち出すことが孕む問題に対し、無自覚だったのだろうということだ。逆に、法華経全体で考えると、この問題に対して自覚が芽生え解決策が模索されたからこそ、第十九章“常に軽侮しない”(第5話)において、輪廻転生観をも方便として活用し、理想としての絶対平等と実際には不平等な現実との矛盾を超克する、という発想が後に生まれたのだのだ、と言えるかもしれない。

 

 

                    *

 

 

 以下見ていくものが、狭義の授記、すなわち、釈迦による弟子の未来世の成仏の予言、の定型フォーマットとなる。念のために申し添えておくが、もちろんこれは、法華経を書いた人たちが手前勝手に言っていることであって、歴史的事実ではない。

 

 彼はこのような菩薩の修行をなしとげ、無量にして数えきれない劫ののちに阿耨多羅三藐三菩提を悟るで あろう。彼は“法の光明”と名づける正しい覚りを得た、尊敬されるべき如来となり、知と行を具足し、覚りの彼岸に逝ったお方であり、世間をよく知り、無上のお方であり、人々を訓練する調御師であり、天と人間との教師であり、仏陀、世尊としてこの世に現われ、この仏国土に出現するであろう。

(下線は引用者による、以下同)

 

 まず、法華経の釈迦は授記の相手に名前を付ける。上引用下線部がそれで、富楼那は”法明如来(ほうみょうにょらい)”となるらしい。

 

 未来仏に固有の名前が前以って与えられること、それ自体は法華経の専売特許ではない。たとえば、浄土教は法蔵比丘(ほうぞうびく)が未来において阿弥陀仏(あみだぶつ)……阿弥陀は音写で、漢意訳では無量光(むりょうこう)如来、あるいは無量寿(むりょうじゅ)如来と表記する……に成る、と説く。弥勒経(みろくきょう)は、弥勒(みろく)菩薩が弥勒如来に成ると説く。このケースでは名前が変わっていないが、これは、そもそも“弥勒”が名号だからであって、個人としての彼の名は阿逸多(あいった)であり、この名で以ってトンデモない扱われ方で法華経にも登場する(詳しくは追って)。

 

 その中にあって法華経の特筆すべき点は、やたらめったら授記が乱発され、それぞれにユニークな名前を与えるあまり、当然のことながら中には「そんなんアリですか?」と言いたくなるような無理矢理なモノが混じってくるところである。その具体例についても、追って授記系の他章を転読(うたたよみ)する際の楽しみに取っておこう。

 

 また、比丘たちよ、そのときに、その仏陀はガンジス河の砂の数に等しいほどの三千大千世界を一つの仏国土となすであろう。その国土の大地は掌のごとく平坦で、七宝をもってつくられ、山稜はなく、七宝づくりの楼閣が建ち並んでいるであろう……

 

 順序はいろいろであるが、続いて、その未来仏が住む世界について、何やかやと粉飾がおこなわれる。敢えてこれを“粉飾”と呼ぶのは、未来仏の名前ほど、個々がユニークでないからで、有り体に言えば中身がないからである。

 

 面白いのは、平坦で山稜はなくに見られるように、どうも法華経を書いた人々にとっての理想郷には坂道がないらしい、という点だろうか。この表現は他の授記にも繰り返し現れるので、存外彼らは体力に自信がなかったらしい、ということがわかる。七宝云々は、彼らの想像力の範囲内で最も贅を凝らしたものがそれだ、ということに尽きるのだと思うが、この文脈の中に問題の一節が登場する。

 

 さらに、比丘たちよ、そのときは、この仏国土には悪趣がなく、また女人もいないであろう。

 

 第4話で触れたのがコレで、全女性に対して失敬なことに、こともあろうか、女人と共にこの世界に存在しないものとして悪趣(あくしゅ)が挙げられている。中村師による解説から拾えば、悪趣とは衆生が悪因によって赴く処、地獄などであるとなっているが、少なくとも法華経第一期の執筆陣にとっては、女人はそれと併記されるべきものであったらしい。

 

 もちろん、これを以って「法華経は女性蔑視のトンデモない教えだ」とするのは適切ではない。これが法華経教団内で問題視されたからこそ、第十章以降の法華経第二期において是正が試みられたのであるから。一方で、是正の経典補完がおこなわれたにも関わらず、本章の記述が改訂されないままに今日まで伝わっていることは興味深い。穿った見方をすれば、教団内にどうしても過去の伝統に縛られて女性蔑視を捨てられない人たちがいて、彼らの手前、第二期の改革派も第一期経典の改訂にまでは手を出せなかったのかも知れないし、もっと言えば現代の我々だって女性蔑視を克服できているわけではないのだから、受け手も含めてこういう文言に常にニーズがあり続けた結果だ、とも言えるかも知れない。

 

 閑話休題。

 

 この他、未来仏の住む世界の説明において、同じく繰り返し現れる表現に、“食べる”という行為がなくなる、であるとか、仏道を行じれば食べなくてもよくなる、というモノがある。法明如来は後者のケースで、

 

 また、比丘たちよ、そのとき、その仏国土におけるこれらの衆生の食物は二種類あるであろう。二種の食物とは何かというと、すなわち、“法を喜ぶ”という食物と、“瞑想を喜ぶ”という食物とである。

 

とある。

 

 ガンジス河の砂の数に等しいほどの三千大千世界からなる仏国土、などという途方もない話をしつつ、食い物の心配をしているというスケール感のちぐはぐさに眩暈すら覚えるのであるが、これも、本章を書いた人の日常の関心事が反映されたものと考えて良かろう。

 

 彼らは比丘=食を乞う者、であったはずで、とは言え食わねば生き永らえることは出来ないから、そもそも食べなくて済んだり、仏道修行がそのまま食事になる世界、というのは、彼らにとって理想郷なのである。有り体に言えば、彼らは少なからず、在家の人々に食を乞う日々に存外うんざりしていたのだと思う。ならテメーで畑の一つでも耕せ、とか思うが。

 

 さて、もう一つ、授記の定型フォーマットに含まれる要素を見ておこう。

 

 そして、その劫は“宝石の輝き“と名づけられ、その国は“完全に清浄なもの”と名づけられるであろう。仏陀の寿命は無量阿僧祇劫(あそうぎこう)であろう。

 

 未来仏のみならず、劫と国土にもユニークな名前が与えられるのである。如来の名だけでも大変なのに、それぞれの如来にさらに二つユニークな名前が付くのだから、法華経を書いた人たちは随分と面倒な修辞を選んだものである。

 

 (こう)というのは、仏典中で二重の意味を持つ語になっている。直接的には途方もなく長い時間を表す単位、サンスクリット語の“劫波(カルパ)”の略である。Googleに「劫波は何年」と尋ねると、事も無げに「43億2千万年」だと答えてくれて驚くのだが、これが適切であるか否かはともかく、常識的にイメージし得る時間の長さでないことだけは確かだ。そこから転じた第二の意味として、任意の一人の仏陀が君臨する正法の期間(第5話参照)を同じく劫と呼び、上引用ではこの意味合いで使われている。

 

 考えようによっては、この劫と意味が被っているのだが……というか上引用では、この部分において時間の長さの意味で劫を使っている……上引用末尾に示した仏陀の寿命もまた、授記にほぼ確実に含まれる要素になっている。無量、阿僧祇(あそうぎ)は数の桁を示す語で、先に紹介した那由他(なゆた)(第5話)の親戚である。ただし、呆れたことに無量>阿僧祇>那由他である。つまり、とにかくトンデモない桁数の数である、ということ。

 

 すなわち、法明如来の寿命……これが常識的な意味においての人生なのか、法明如来の説く教えの有効期間であるのか、は文面からは判然としない……は、無量×阿僧祇×劫ということになって、最早それを見積もる意味すら見出だせないモノになっている。と言うか、こんなこと、言明する必要があるのだろうか。

 

 それはともかく。

 

 歴史上の人物としての釈迦の寿命は、諸説あるがだいたい80年だったろう、ということになっている。これが事実であるとして、当時のインドとしては破格の長寿であったろう、とは思うが、ここで述べられる法明如来とは比較するのも馬々鹿々しい。まぁ、そもそも言葉通りに受け取る限りにおいて、別の宇宙で実質上無限の寿命を有する法明如来が、人類であるはずがないのであるが。

 

 では、その教説の有効期間と考えるとどうか。しかし、天台大師や日蓮、その他の大乗仏教を奉じた人々が信じていたように、仏滅後二千年を以ってこの娑婆世界は“末法”に入った、とされる。と言うことは、釈迦の法の寿命が「天上天下唯我独尊」と叫んで生まれたと伝えられる誕生の瞬間から始まる、という無理な定義を持ち出しても、それはせいぜい2,080年にしかならない。う〜む、不甲斐なくないか、釈迦?

 

 もちろん、これは冗談で言っているのであって、法華経を書いた人が、法の尊さを強調したい余りに用いた途方もない数字が、返って釈迦の聖性を貶めているという皮肉な話なのである。が、これに限らず、次稿以降で改めて論じることになるが、法華経第一期の面々は、自分たちが何を主張しているのか、ちゃんと自覚できていなかった疑いが濃厚なので、コレもまたその一つだと思えば、それはそれでそうでしょう、という話ではあるのだ。

 

 一方で、天台大師や日蓮、その他の、法華経を釈迦の金言、皆是真実と確信し、それを他者にも訴え続けて来た人々、またその末裔には、ちょっとこのことをよくよく考えてみてもらいたい、とは思うのである。法華経が皆是真実であり、かつ、末法思想を奉じる限りにおいて、釈迦の寿命は三千大千世界の諸々の仏陀の中でも比類なき短さになってしまうのであるから。

 

 ま、そんなことを気にする人はそもそも宗教にハマらんとは思うけどね。

 

 

                    *

 

 

 ここで()が挿入される。例によってここまでの論旨の繰り返しなのだが、法華経第一期が授記を乱発する真意につながると思われる記述があるので、これに目を向けておこう。

 

 世の衆生たちが劣った教えを願い、広大な乗り物に畏れをいだいていることを知って、このゆえに、これらの仏子である菩薩たちが、仮に声聞となったり、独覚を示して見せたりする。

 

 法華経教団は、自分たちの教説に賛同しない人々を、広大な乗り物=一乗に対し畏れをいだいているがゆえである、と考えていたらしい。対比される劣った教えが、いわゆる二乗を指していることは、続く声聞・独覚への言及から明らかである。

 

 彼らの信念に従えば、仏とは教育者∞なのであり、そうあろうとするということは、必然的に、彼らが“衆生”と呼ぶところの自分たち以外のすべての人々、ひいては世界すべてに対して、その実態がどうであれ責任を背負い込むことを含意している。これは奇しくも、と言うよりは、むしろ必然的に、我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ(開目抄、読点は引用者が補った)と嘯いた日蓮のスタンスに通底するのであるが、法華経教団は一乗に参加しようとしない人々を、日蓮にも見えるこのスタンスを背負い込むことに怯んでいる、と見ていたのである。

 

 彼らは、自身も激しい貪欲をもち、憎悪をいだき、迷妄をもっているかのようによそおい、衆生たちが誤った見解に固執しているのを知りながらも、彼らの邪な見解に関わりをもつように見せたりもする。

 私の多くの弟子たちは、このように行ない続け、方便をもって衆生たちを苦悩から救うのである。もし弟子たちが教化のために用いた行為のすべてを説き明かすならば、無知の人々は惑乱するにちがいない。

 

 続いて、偈の中にさらりと書き飛ばされているのが上引用になる。これは、大乗仏教に共通して見られる“煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)”思想のバリエーションと考えられるが、その中にあっても特筆すべき観点を含んでいるように思われる。

 

 煩悩即菩提とは、字義通り、煩悩、すなわち普通の人間の種々に惑い迷わされる心が、即、菩提、つまり仏の悟りに通じるのだ、とする思想であるが、一般的な理解としては、人は特に無理な修行などしなくて良いのだ、とする現状追認を示したものとされやすい。後のいわゆる“本覚思想”もこの系譜上にあるといって良いだろう。

 

 対して、ここで言われているそれはいささか異なるベクトルを有している。彼ら、すなわち、自らも教育者∞であろうと発心した法華経賛同者は、衆生を菩提へ導くべく、方便として自らの煩悩を示すのだ、と言うのである。逆に言えば、たとえ今この瞬間に自身が迷いを抱えていようとも、それは、その迷いがあるからこそ心が通じる誰かに、菩提を伝えるための方便として、ポジティブに捉えよ、という意味でもある。同時にこれは、原則としては煩悩を滅し尽くして寂涅槃に至ることを理想とした、対立声聞衆に対するアンチテーゼにもなっている。

 

 いささか踏み込んだ私釈を加えれば、前々稿に見た授記の前提要件の中に“共感すること”が含まれているのは、ここに通じている。法華経教団にとって授記とは、自身は煩悩を脱した聖者であると嘯く対立声聞衆……真にそうであったか、はわからない、が、少なくとも法華経執筆者はそう見ていたはずである……に対し、法華経教団の衆生救済計画に共感せよ、衆生に共感すべく敢えて自身に煩悩があることを認めよ、同時に、この枠組みを理解できない衆生を惑わさぬようコレを如来の密意とせよ、されば釈迦は汝に授記するであろう、という勧誘メッセージになっている。

 

 これをそのまま言葉で伝えても「伝統的な学習や修行に耐えない青二才の戯れ言」と流されてしまうので、法華経教団は、釈迦の直弟子ですら二乗への執着を捨て、如来の密意、一乗真実、如我等無異の誓願、へ共感・参加することで初めて阿耨多羅三藐三菩提を得たのだ……否、その共感こそが阿耨多羅三藐三菩提なのだ、とする物語を創作するしかなかったのであり、これもまた“巧妙な方便”なのである。

 

 おぉ、凄いぞ法華経!!

 

 だが、しかし。第十九章“常に軽侮しない”を通してみた(第5話)ように、法華経第一期が、理念のみとは言えども抱え込んでいた上述の思想を、法華経第二期は見事に取りこぼしており、かろうじて第三期においてそのリカバリがなされている。つまり、彼らは自分たちの創作物が含意するところを、必ずしも自覚的に理解し尽くしてはいなかったのである。そして、皮肉にも本章末において、彼らは自分たちでそのことを譬喩を通して予見しているのであるが、その話は後に譲り、ここでは偈に続く部分を読んでみることにする。

 

 そのとき、千二百の阿羅漢(あらかん)たちは、このように考えた。「私たちは驚きの念を禁じえず、未曾有のことと思われる。もし世尊が、これらの他の大弟子たちに来世に関する予言をお授けくだされたように、私たちにも、如来が私たち一人ひとりに、未来に関する予言をお与えくださるならばなんと快いことであろう」

 

 かくして、新たな共感の輪が千二百人の声聞……阿羅漢は声聞の最高位、とされる……へと広がる。だがちょっと待って欲しい。本章の表題は“五百人の比丘に対する予言”であったはずだが、千二百人とはこれ如何に?

 

 そのとき、世尊はみ心にこれら大声聞たちが心の内で考えていることを見透かされて、長老の摩訶迦葉(まかかしょう)に仰せられた。「迦葉よ、これら千二百人の阿羅漢たちが、いま、私の前にいる。これら千二百人の心の自在なる者たちすべてに、迦葉よ、私はただちに阿耨多羅三藐三菩提を得るという予言を授けるであろう。

 

 釈迦は第十二章(第4話)において養母および元妻に対しておこなったのと同様に……と言うか、こちらがその元ネタであり、十二章のそれがここでの修辞を本歌取しているのであるが……阿羅漢たちが口に出すまでもなく、その共感を感じ取って授記を始める。ちなみに、ここに名前の現れる摩訶迦葉は、日蓮の八幡賜衣伝説解釈(第1話参照)にもその名の見えた迦葉その人で、釈迦の直弟子の中では頭陀(ずだ)第一、すなわち托鉢に優れた……プロ乞食?……とされる人物である。

 

 迦葉よ、この中で大弟子の憍陳如比丘(きょうしんにょびく)は六万二千億の諸仏が出現されたのちに、“あまねく照らすもの”と名づける如来である応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊として、この世に出現されるであろう。

 

 ここで千二百人に先駆けて受記を得るのは、第二章において三乗方便が宣言された直後に、釈迦の言うことが理解出来ない、と頭を抱える汚れ役(?)を仰せつかった阿若憍陳如(あれんにゃきょうしんにょ)である。彼に与えられた名号は、漢語表記では普明(ふみょう)如来。意味するところは上引用に示した通りだが、彼の劫および国土には名前が与えられていない。

 

 素直に読む限り、この世に出現されるとあるので、憍陳如は我らが娑婆世界の未来仏、ということになり、とすると、一説には五十六億七千万年後に下生するという弥勒如来のご同輩、ということになるが、六万二千億の諸仏が出現されたのちというのが、弥勒の先なのか後なのかは判然としない。あるいは、ここでいう六万二千億の諸仏の最初が弥勒なのだとすると、普明如来の成仏は無限遠の未来の話のようにも思える。

 

 また、定型フォーマットに従い、この普明如来の寿命が示されるのであるが、これが満六万劫とあって、前稿で見た法明如来の無量阿僧祇劫に対して随分と見劣りする。まぁ、そもそも“劫”というのが事実上無限なのであるから、それに対する乗数を比較することに特に意味はないのかも知れないが、個人的には無限の濃度の発見者であるところのゲオルク・カントール先生にこれを見せて、ご見解を伺いたいところではある。

 

 さて、次下に至って本章々題の由来が判明する。

 

 迦葉よ、そこには、この同じ“普明”という名号をもつ五百人の如来が出現されるであろう。なぜかというと、五百人の大声聞たちが順次に阿耨多羅三藐三菩提を悟り、そのすべての者たちが同じく、“普明”という名前の如来となるであろうから。

 

 えっ、まさかの名号ネタ切れ!?

 

 しかも、章題の由来はわかったが、釈迦が授記しようとしたのは千二百人ではなかったか。残る七百人はどこへ行ったのだろうか。その答えは、以降しばし続く粉飾語句の末尾に現れる。

 

 迦葉よ、そなたは、今日ここにおいて、自在を得たすべての五百人のものたちと、また、私の他の声聞たちをも、このようなものであると知るべきである。そして、いまこの集会にいない七百人の他の声聞たちにもこの予言のことを説いてやるがよい。

 

……なんだかなぁ。っつーか、授記の冒頭で千二百人の阿羅漢たちが、いま、私の前にいるって言ってなかったか?

 

 なにはともあれ、続いて、直接に受記を得た五百人の阿羅漢が釈迦に謝辞を述べるのであるが、ここでようやく本題となる衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬喩が登場する。

 

 

                    *

 

 

 比喩、たとえ話というものは、当然のことであるが、それをやり取りする者同士が暗に共有している文化コードに依存している。

 

 文化が共有されていない場合……二千年前の法華経執筆者と現代の我々の場合、まさにそうであるが……まったくその意図が伝わらないか、あるいは、まったく違う意味で伝わってしまうこともありえるし、逆に、その含意するところが別の方法で伝わっている場合、背景にある文化を遡って類推することもまた可能になる。

 

 世尊よ、たとえば、ある男がある親友の家を訪れて酒に酔いしれるか、寝こんでしまったかしている間に、その親友が「この宝珠(ほうじゅ)が彼の役に立てばよいが」と念じて無価(むか)の宝珠を眠っている男の衣裏に結びつけたとしましょう。世尊よ、それから、その男は寝床から起き出て巡り歩き、他国へ行ったとしましょう。大いに努力して、かろうじて少しばかりの食物を得たりすると、彼はそれで満足し、歓喜し、快楽を得ることでしょう。そのとき、この男の旧友で、彼の衣服の端に高価な宝珠を結びつけておいてくれたかの友人が再び彼に会い、このように言うとしましょう。「なあ、友よ、キミはどうして衣食を求めるために苦労しているのだ。なあ、友よ、私は君が安楽に暮らすことができるようにと、すべての欲望を達成させることができるほど高価な宝珠を君の衣服の端に結びつけておいたのに。なあ、友よ、私はその宝珠を君にあげたのだよ。それを、いまもなお、衣服の端に結びつけたままにして持っている。なあ、友よ、君は“自分に何が結びつけられているか。だれによって結びつけられたか。何の理由で、何のために結びつけられたのか”ということを、よく知ろうともしない。なあ、友よ、君は心をわずらわし、苦労して職や衣を求めて満足しているなんて、なんと、君は愚かなことか。おお、友よ、行きたまえ。そして、そのお金で、お金でできることをなんでもやりたまえ」

 

 いささか冗長ではあるが、以上が法華七喩の第五、衣裏繋珠の譬喩の全容となる。本章末では再び偈で以って同じことが言われる。さて、この譬喩の含意するところが理解できるだろうか。まずは、法華経が書かれた時代・場所と我々のそれのずれから来る違和感を、雑把に解消しておくことにしよう。

 

 まず、法華経が書かれた紀元1世紀頃、我が国にはもちろん貨幣経済などというものは存在しなかった。が、上引用の物語から、当時のインドには貨幣経済が存在し、それは他国へいっても通用するものであること、また、耕作地を私有しない者が他国へ行って、労働によって衣食を得ることが出来る程度には習慣が共有された社会連合が存在したこと、がわかる。

 

 さらに、無価の宝珠……ここでいう無価は、価値がない、ではなく、値段を量り知ることができ無いほど高価な、の意である……というような、直接は衣食住に関係しない物品であるにもかかわらず、その希少性で以って貨幣に代えることができたこと、また、他国への旅に際して、そういった宝玉や貴金属を衣服の中に隠し持ち、以って緊急の支出に備える習慣があったことも見てとれる。

 

 加えて、彼らが、現代の日本人が考えるほど不労所得というものに嫌悪感を抱いておらず、むしろ労働を忌避していたことも読み取れる。少なからず我々には、働かずして得た衣食よりも、手に汗して得たそれを尊ぶ……これは無論、他者の不労所得に対するやっかみでもあるのだが……傾向があるが、当時のインドの人々、少なくとも仏典を弄ぶような社会階層の人々は、働かずに生活の用が得られるのであればそれに越したことはない、と考えていたようである。これは、同時代的に貨幣経済を有していた古代ローマ帝国の支配層にも通じる価値観とも思われるが、これがインドのいわゆるカースト全階層に共有されていたのか、についてはいささか疑問ではある。

 

 さて、法華経に登場する譬喩は、たとえ話だけが暗喩として投げっ放しにされることは稀であり、大抵は何を言わんとするかが前以て述べられた後に、その説得力を増す目的でたとえ話が持ち出される。本章のこれも同様であり、幸いにして我々は、この物語の書き手がこの譬喩を通して何が言いたかったのかを、ほぼ正確に知ることが出来る。

 

 ここでは、発言者は釈迦ではなく、受記を得た五百人の阿羅漢である。上記のたとえ話は、受記に対する彼らの謝辞に含まれているのだが、この謝辞は彼らの自己批判から始まる。曰く「我々は涅槃を得たと思い上がっていたが、それは真の涅槃ではなかった」と。おわかりかとは思うが、彼らが得たと思い上がっていた涅槃は、すなわち、二乗であり、真の涅槃とは、如来の密意、一乗真実ということになる。つまり、たとえ話のある男は狭くは五百人の阿羅漢、広くは声聞・独覚とされた人々全般を指しており、その親友が狭くは釈迦、広くは仏陀である。ということは、親友が男に与えた宝珠こそは無上の覚り、阿耨多羅三藐三菩提を表象していることになる。ここまでは、いわゆる三乗方便一乗真実の教説を敷衍するもの、として容易に理解できる。

 

 この譬喩の注目すべき点は、男が宝珠を無自覚なまま受け取り、あろうことか自身の衣の裏に縫いつけたままそのことに気付かずにいた、とされる点である。これは直接的には、法華経教団が、彼らの奉じる如来の密意が、彼らの手前勝手な創意によるものではなく、伝統的に蓄積された仏典の中に隠されていた真理なのであり、対立声聞衆はそれを受け取っていながら気付いていなかったのだ、とする主張を含意している。この主張の真偽、つまり、法華経以前の仏典群から法華経の主張が必然的に抽出されるか、という命題の真偽はひとまず置こう。

 

 このような譬喩を使うからには、少なくとも法華経教団は、人があるテキストを自身で弄びつつその含意するところに自覚がない、という状況があり得ることに気付いていた、ということになる。

 

 自分で話したり書いたりしているコトの真意に自覚がない、などということがあり得るのか?という疑問を持つ読者もいるかも知れないが、あなたがそのように考えるのは、ある程度完成した知を一方的に教授される教育制度に慣れ過ぎているからである。本来的に知というものは、ある水準に定式化された時点で、まだ諸人はもちろん定式化した本人ですら気付いていない新たな知への鍵を潜在させている場合の方がむしろ多い、と言うか、その知が真に知であれば確実に潜在させている。

 

 この文脈では不適切な譬喩か、と思いつつ書くが、たとえば、特殊相対性理論は後の一般相対性理論を含意しているが、アインシュタイン本人がそのことに気付いた……おそらく着想はそもそもあったのだろうが、具体化する方法を見出したのは、と言った方が厳密には正しい……のは、一般には特殊相対性理論発表の二年後だと言われている。これは、あるテキストの含意を他ならぬ本人がさらに掘り下げた、ある意味で稀有な例と言える。

 

 ゲーデルの不完全性定理は、後に多くの情報科学系の定理と等価になることが判明する……というか、ゲーデルのそれが一つの道標となって、種々の応用場面においてどのような意味を持ち得るかが次々に明らかにされていったワケだが……が、不完全性定理を定式化した時点でのゲーデルがそのようなことを予見していたワケでは決してなく、むしろその瞬間の彼は、単にダヴィッド・ヒルベルトの出した小難しい宿題を生真面目に解いただけだった。

 

 これらの世紀の天才たちですらそうであるのだから、余人については何をか言わんや。

 

 法華経は所詮は文学的思弁の産物であり、アインシュタインやゲーデルの例と対比するのは適切でないとは思うが、定式化された知、という意味では、数学的厳密さを欠くことを除けば、似たようなものである(暴言)。そして、アインシュタインやゲーデルがそうであって、ゆえに自身の業績から更に新たな知を見出していったように、法華経を書いた人々も、人があるテキストを自身で弄びつつその含意するところに自覚がない、という状況があり得ること……つまり、これは“メタ知”とでも呼ぶべき、きわめて現代的な概念なのであるが……には気付いていた。

 

 気付いていたのではあるが。

 

 彼らは、このメタ知認識を、仏教の理解を巡って対立する他派に対して論破のためのみに適用し、自分たち自身の教説もまたそうであり得る、ということに、どうも終始気付かなかったのではないか、というのが本章の転読を通してボクが言いたかったことになる。

 

 たとえば、本章に限って言えば、授記、すなわち得阿耨多羅三藐三菩提の前提要件に“共感”が見出せることを指摘した。実際、法華経全体を通して「法華経の詩句に歓喜する」という表現は数え挙げるのが躊躇われるほどに多用されており、彼らがそのことに重きを置いていたことが読み取れる。そして、これは現代的な教育学の知見、すなわち、教育とは先達が後続に一方的に知を与える行為、なのではなく、教育者と被教育者が共感して分かち合い高め合うものである、とする観念とほぼ等価なのであり、そのような意味において、法華経を書いた人々には二千年の先見の明があったのである。

 

 が。

 

 法華経のどこを探しても、この共感や歓喜をメタ的に論じた箇所はなく、ただ歓喜すれば素晴らしいということが延々と繰り返されるがゆえに、後世に法華経は「自画自賛するだけで中身がない」との批判に晒されることになったのであり、また、少なくないその末裔=今日の仏教者が、ただただ何となく有り難そうな漢文のお経を対価を得るべく葬式で音読するのみの存在に成り下がり、社交辞令程度のお悔やみを述べるのみで、日常的に共感や歓喜をシェア出来なくなってしまったのも、突き詰めれば、法華経執筆者たちが自分たちの教説に含意されていることを定式化し切れず、中途半端に放置した結果なのである。

 

 逆の例を挙げれば、同じ稿で触れたが、受記を得る者の前世譚を捏造することは、書いた本人たちからすれば敬慕する<仏教>の先達の遺徳を称揚する修辞に過ぎなかったであろうが、それを文字通りに読む後世の者からすれば、不可知の前世に成仏の因があるのであれば、自分如きに、あるいは虫の好かないアイツなんかに、成道など不可能ではないか、と思わせてしまっているのであり、事実、たとえば法然が法華経を千中無一(せんちゅうむいち)……千人中、一人も成仏できない、の意……と言って放逐したのも、究極的にはここに起因している。

 

 つまり、法華経を書いた人々は、自分たちが創作したテキストの含意を十二分には消化し切れていない。本章のたとえ話で言えば、衣裏繋珠を語っている当の本人が、自分自身の衣裏繋珠に気付いていないのである。これ以上に皮肉な話があろうか。

 

 だがしかし。

 

 ボクが言いたいのは、これを以って「法華経は思索不徹底な駄作だ」という話ではないのである。

 

 狭く法華経に限って言えば、第三期の書き手が第二期までの法華経に内在はしているが不徹底な問題に気付き、第十九章“常に軽侮しない”において補完をおこなったことは既に指摘した通りである。気付いている人はちゃんといたのだ。だからと言って「ゆえに法華経は素晴らしい」と言いたいワケでもない。

 

 ボクが言いたいのは、それが法華経であれ不完全性定理であれ、そのままで完成した知、それの真偽正否のみが問われる知、というものは存在しないのであって、どのようなテキストにも衣裏繋珠は隠されているのであり、それを見出すのは、テキストの書き手よりはむしろ、読み手の責任なのだ、ということである。もちろん、論外なテキスト、というものも世の中には多数存在するが、それはそれ、としよう。

 

 前述したように、現代の我々は、ある程度完成した知を一方的に教授される教育制度に慣れ過ぎているがゆえに、日々触れる情報に対し、短兵急にその真偽正否のみを問う思考様式にどっぷり浸かっている。が、ことさらボク如きが指摘するまでもなく、これは知の在り様として決定的に間違っているのであって、いかなる知であれ、そこに含意され未だ定式化されていないものを発掘するのは、過去からの知の遺産を継承するものの義務であると同時に権利なのである。

 

 といったようなコトが、ボクが発見した衣裏繋珠である。コレが言いたかったwww

 

 以上を以って、法華経第八章“五百人の比丘に対する予言”の転読(うたたよみ)を終える。願わくは、こうして書き飛ばしている拙駄文に、貴兄らにとって衣裏繋珠たる何かが潜まんことを。

 




 ここまで法華経全二十七章中の九章を転読(うたたよみ)してきた。これは全体の3分の1にあたる。あっちへウロウロ、こっちへウロウロしながら進めたワリには、わかる人には「なるほど法華経ってそんなことを言ってたのか」とご理解いただける内容にまとまったのではないか、と増上慢なことを思っていたりするのであるが。

 法華経が三期に分けて考えることが出来るのに倣い、本連載もここまでの9話を、言わば法華経の“解読篇”として一区切りを設け、次話からは、また異なる視点で以って転読(うたたよみ)を進めていく。

 と言うわけで、次回法華経転読シーズン2“お笑い篇”にご期待あれかし。


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第二部 お笑い篇
第10話 トンデモ本もびっくり……第十一章“塔の出現”


 全世界に僅か数名の法華経転読(うたたよみ)ファンの皆様、お待たせいたしました。連載開始以来、前振りに前振りを重ねてきた法華経随一のトンデモ章、第十一章“塔の出現”(妙法蓮華経見宝塔品(けんほうとうほん)第十一)がいよいよ登場です。

 

「高さ7,500Kmの塔が宙に浮くんでしょ?もうわかったよ!」

 

とか醒めたコトを言わないように。繰り返し茶化し続けてきたソレは、本章開巻僅か数行にサラッと書かれる出来事に過ぎず、その後も、これでもか、これでもか、と言わんばかりに、二千年前の法華経執筆者たちの正気を疑わざるを得ない、突き抜けたイマジネーションが炸裂しまくるのである。まさに本章こそが法華経のクライマックス、と言っても過言ではない。

 

 連載第10話となる今回は、この第十一章“塔の出現”を、まずは書かれたままに、そのブッ飛び具合を楽しむことを目的とする。その上で、少しだけ真面目に、それら、何かヤバいアレをキメているかの如き表象の数々が、書き手にとって、また、読み手にとってどのような意味を持ち得るのか、を考察していきたい。これが今話の前半戦となる。

 

 後半戦では、法華経二十七章の成立後に本章に後付けされたと見られる後半部分、妙法蓮華経提婆達多品(だいばだったほん)第十二に注目する。この部分には、後付けしててでも改善すべき、と法華経の書き手たちが考えた問題点が反映されているワケだが、その注目点のズレっぷりが面白いのであり、しかも、その解決法が、前半部とはまた別の意味でブッ飛んでいて楽しいのである。

 

 総じては、本章転読(うたたよみ)を通してボクが示したいのは「ホラ、ここに馬鹿なことが書いてあるから笑おうぜ」ではもちろんなく……そういう一面もしばしば垣間見えるとは思うが、それはあくまでも読者諸兄の関心を惹きつけるべくの“方便”なのだ、そうなのだ、多分きっと……なぜ、そのような馬鹿な物語が生まれるのか、そして、その馬鹿な物語が現代も含めた後世の人々にも影響を与えてしまうのはどうしてか、という問題提起である。無論、これは容易に答えが出る類の問いではなく、本稿もまたそのような問いの存在の一端を示すものに留まるだろう。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊のみ前において、大衆のつどう中央あたりの大地から高さ五百由旬、周囲もそれにふさわしい七宝づくりの塔が現れ出てきた。そして虚空に昇り、中空に安座した。

 

 というワケで、序においても引いた上引用の一節から本章は始まる。

 

 ちなみに底本では、ここに言う周囲もそれにふさわしい二百五十由旬(約3,750Km)としている。この構造物が円筒形と仮定すると、その直径は約1,200Km。本州をほぼ覆い尽くす幅である。まぁ、以下見ていけばわかるように、本章の書き手はこうして示す数値が、実際に目の前に現れたらどのようになるのか、を考証したとは到底思えないので、具体的な値には深い意味はないのである。そもそも7,500Kmという高さは火星の直径を上回るのであるから。とにかく、とてつもないことが起こっているのだ、というのが書き手の言いたいことであろう。

 

 聡明な読者は既にお気づきのことと思うが、この塔の出現は、前章となる第十章(第1話)の後半において唐突に論じられた仏舎利(ぶっしゃり)塔に関する論述を受けて、と見るのが妥当である。そこで論じたように、おそらく当時の法華経教団は仏舎利を所有していないか、自身が所属する上位出家者集団の所有する仏舎利塔へのアクセスを禁じられていて、それが、彼らの教説を広めていく上での弱味になっていたと推察される。そのコンプレックスに対する反動が、本章における塔の出現論述の直接の動機であることは、ほぼ疑いない。

 

 が、もちろん、法華経自身がそのようなことを馬鹿正直に語っているはずもないのであって、では彼ら自身はこの奇瑞中の奇瑞をどのように説明するのか、その辺りから読んでいくことにしよう。

 

 最初のキッカケは、こうして出現する塔の中から声が発せられるところから始まる。

 

 そのとき、その宝塔からこのような声が発せられた。「善きかな、善きかな、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)よ。世尊は、このような菩薩を摂受し、平等大慧(びょうどうたいえ)の教えであり、一切諸仏の護念せられる法門をよくお説きになられました。仁者はこの妙なる法門をよくお説きになりました。世尊よ、それはまさしくそのとおりです、善逝よ、それはまさしくそのとおりです」。

 

 声の主が何者であるかはともかく、この時点で塔の出現の目的が、ここまでに示された法華経の内容、より限定すれば、法華経第一期の論述、その真理性を証しするためであることがわかる。同時に、これを書いた法華経第二期の書き手の立場からすれば、このような手段以外に、自分たちが奉じる信念の真理性を主張する方法がなかった、あるいは、他に思いつかなかった、という事情もあるのだろう。

 

 とまれ、この書き手は、前述したように第十章末で(彼ら主観から見て)形骸化した仏舎利塔信仰を否定しつつ、一方で、一般聴衆にとっては未だ仏舎利塔が権威の源として有効であることを理解した上で、この劇的な演出を選択したのであるから、その妥当性はともかくとして、なかなかに侮れない筆力の持ち主であることも見て取れる。

 

 以降の流れはお約束パターンとなる。本章と第十二章のみに登場する大楽説(だいぎょうせつ)菩薩が、ここで以下のように問う。

 

 世尊よ、このような大宝塔がこの世に出現したのには、いかなる因、いかなる縁があるのでしょうか。また、世尊よ、いったいどなたがこの大宝塔の中からこのような大音声を発せられたのでしょうか。

 

 火星より大きい何かが目前に浮かんでいる状態……というか、肉眼では何が起こっているかわからないと思う……においても「これは何だ?」と問わずに出現の“因縁”を問う大楽説菩薩は、既に十分悟っているのでもう釈迦に教えてもらうことなんかないんじゃねーの、と意地の悪いことを言いたくもなるが、それはともかく。この流れからも、書き手にとって塔の大きさ自体にはあまり意味がない、ということを知ることが出来る。

 

 閑話休題。

 

 釈迦……クドいが歴史上の釈迦ではなく、法華経教団の代弁者である……はこの問いに対し、東方千万億阿僧祇の国々を越えた彼方に、宝浄(ほうじょう)世界があり、そこに多宝(たほう)如来なる仏陀がおわす、と語り始める。この設定構造が、授記のそれ(前話)と共通していることは最早指摘するまでもあるまい。

 

 釈迦によれば、この宝塔は、その多宝如来が入滅に際して自身の弟子たちに仏舎利塔として作らせたものらしい。エジプトのファラオすら霞んで見える遺命であるが、それはともかく、加えて多宝如来は以下のことを宣言して入滅したのだ、というのである。

 

 十方のすべての世界にある仏国土において、この“妙なる教えの白蓮華の法門”が説かれるところには、私の全身を祀ったこの塔が出現するであろう。そして、おのおのの仏・世尊がこの法華経を説かれているとき、会衆の上の中空に静止するであろう。そして、この法華経を説いておられるそれらの仏・世尊たちに、私のこの全身を祀った塔の中から“善きかな”と唱え、讃えるであろう。

 

 ゆえに、釈迦が今この場において法華経を説いているので、多宝如来は入滅に際して誓った言葉を守るべく、こうして出現したのである、と断言される。

 

 マッチポンプもここまであからさまにやられると、呆れを超えて感動すら覚えるのであるが、法華経の書き手は、予言書を別途捏造して以って自分たちの主張を証しする、といった手間すらかけないのである。とにかく、あまりに大胆なプロットなので勢いに呑まれてしまいそうになるのだが、指摘するのも馬々鹿々しいが、これは究極の循環論法であり、その壮大さにおいては人類史上最大の循環論法である、とすら言えるかも知れない。

 

 ここまで繰り返し見て来たように、それを語る(騙る?)釈迦の発言の聖性以外には確たる根拠を持たない前世譚、異世界譚が法華経の中では繰り返し用いられているのであって、本章に見えるコレもまた、その極端なバリエーションの一つでしかない。つまり、少なくとも書き手にとっては、主張する内容はともかくとして、さほど突飛な修辞ではないのである。

 

 が、読み手・聞き手についての疑問は残る。妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)、天台教学を大成させた天台大師智顗(ちぎ)、それに連なる最澄、日蓮、さらには後世の門下たち……無数の人々がこれを読んだはずであるが、なぜ彼らは「いくら何でもそんな馬鹿な!」と言わなかったのだろうか。これは本連載全体を通した究極本源の問いの一つでもあるから、ここで容易に答えを出すことは出来ない。が、その答えの答えになっていない半分であれば、確信を以って断言することが出来る。

 

 この程度で「そんな馬鹿な」と言っていたら、続きが読めないからである。

 

 世尊よ、私たちは世尊の神通力によって、この多宝如来の尊いおん身を見たてまつりたいと願います。

 

 文字通り読む限りにおいて、多宝如来は入滅済の仏陀であるのだから、ここでいわれる多宝如来の尊いおん身は、要するに遠い過去に死んだ仏様の遺体、ということに他ならないのであって、個人的には「やめとけ」と忠告したいところであるが、大楽説菩薩は上引用のように釈迦に願い出る。

 

 対する釈迦……クドいが釈迦本人ではなく、法華経教団を代弁するキャラクタである……は、前稿に示した循環論法を更に拡大する。曰く、多宝如来は以下に示すような深遠で重要な誓願を立てていると言う。

 

 他の仏国土において、諸仏・世尊がこの法華経を説かれるとき、私の全身の塔はその法華経を聴聞するために、如来たちのお側近くに往詣するであろう。また、それら諸仏・世尊が私の全身を開いて四衆に示そうと欲せられるときには、十方(じっぽう)におけるおのおのの仏国土、そこにはもろもろの如来によって本身から化作された如来の分身がおられて、それぞれの名号をもってそれぞれの仏国土で衆生に法を説いておられるが、そのすべてを招き集め、しかるのちに、彼ら本身より化作した如来の分身とともに、この私の塔を開いて四衆に示すべきである。

 

 いささか冗長ではあるが、この超弩級のスケール感を共に味わいたく、敢えてこの釈迦の言う“多宝如来の誓願”をそのまま引いてみた。ここで言われる十方は既に説明した三千大千世界の同義語であると考えてよい。つまり、多宝如来は、無限の異世界のすべての仏陀をこの場に集合させるならば、塔を開いて我が身を示しても良い、と言っているのであって「いったいお前何様よ!?」とツッコミたくもなるのであるが、紛うことなく仏様なのである。

 

 ところで、本章ではこの後、特に深堀りされることもなく流されてしまうのだが、上引用にはここまでの法華経に見られなかった仏陀観が加わっている。本身、分身、化作の語がそれに当たるが、これも文字通り読むと、三千大千世界それぞれに、互いに無関係な仏陀が存在するのではなく、それが具体的に何であるかはともかくとして、仏陀の本身がただひとつ存在し、三千大千世界それぞれにおいて衆生に法を説いている仏様……釈迦も多宝もそのうちの一人、ということになる……は本身から化作したところの分身である、ということが言いたいらしい。

 

 考えようによっては、こちらの観念の方が塔の出現よりもよほどショッキングなもののように思わないでもないのだが、本当に本章においてはここでサラッと触れられるのみで流されてしまう。と言うか、以降の法華経の論述において、言及が皆無でこそないものの、この観念はさほど掘り下げられることなく終わってしまい、どちらかと言うとそこに血肉を与えたのは後の天台法華教学だったりする。有り体に言えば、これは本章の書き手が張ってはみたが回収するのを失念した伏線の類だ、とボクなどは理解しているのだが、それを割り引いても、やはり法華経第二期の書き手はかなりのキレ者である、ということだけ押さえて次へ進もう。

 

 さて。

 

 普通の感覚で考えると、三千大千世界の仏陀を一堂に会させるなどということは、不可能であることの遠回しな表現に思える。従って、大楽説菩薩が望む多宝如来との対面は叶わない、と考えるのが人情であるが、そのように考える人はまだ法華経の破天荒さをわかっていない、と申し上げざるを得ない。よくよく考えてみれば、冒頭に引いた大楽説菩薩の請願の中に、世尊の神通力によって、との、この時点では意味不明の前振りがちゃんとなされているのである。

 

 しかも、この神通力とやらは、おそらく諸兄の想像の斜め上である。

 

 そのとき、世尊は白毫(びゃくごう)から一条の光を放たれた。

 

 白毫とは、仏陀の眉間に生えている、とされる白い毛のことである。奈良や鎌倉の大仏の額にあるポッチ、と言った方がわかりやすいだろうか。一条の光というのは、言葉通りに受け取れば、額からレーザー光線を放った、ということになる。しかも、その出力は尋常ではない。

 

 その光が放たれたそのとき、東方におけるガンジス河の砂の数にも等しいほどの五百万億那由他の世界に安住しておられるすべての仏・世尊のお姿が照らし出された。

 

 どれほどのレーザー出力がこの行為に必要なのか、を見積もる手段はないが、この瞬間、釈迦の周囲にいた人々を即死……というか蒸発?……させてお釣りの来るそれを下回ることは決してあるまい。要するに、宇宙の果てまで届く光線を発する、ということは、これはかの白毫がクェイサーになった、と言っているのと同じなのであるから、それを自身の眉間に擁する釈迦とて無事ではあるまい。塵は塵へと帰り……は旧約聖書か……法華経はここで幕を閉じる。

 

 ワケない。

 

 かくして、水晶づくりだったり、七宝による黄金の網だったりで飾られる仏国土が照らされるのであるが、律儀にも話は、

 

 東南方においてもこのようであり、南方においても、南西方においても……

 

と続いていく。そもそも十方というのは、八方位に上下方向をを加えて十方なのであり、三千大千世界というのは、この十方向それぞれの方角の先に無数の異世界がある、という観念である。

 

……下の方においても、上方においてもこのようである。それは、東方に向かって世尊が眉間の白毫から光を放たれたときと同様であった。

 

とあるから、釈迦は東方のみならず、少なくとも十方向に件のレーザーを放ったことになる。宇宙級の大災害である。ひょっとすると、しばしば天空に観測されるガンマ線バーストは、どこか他の惑星で仏陀が法華経を説き、その説法が塔の出現の下りに至ったことを示しているのかも……なワケない。

 

 呆れたことに、ここまでで、まだ本章のトンデモなさの半分にも至っていない。さも当たり前のように続く以下の叙述には恐怖すら覚えるのであるが、十方それぞれに恒河沙ほどあるそれぞれの仏国土の仏陀が「多宝如来の宝塔を拝礼すべく、娑婆世界の釈迦牟尼如来の元へいざ行かん」と発言する。これ、誰が見聞きしてんだよ、とツッコむ間もなく、

 

 そのとき、かの諸仏・世尊はおのおのの侍者とともに、二人づれ、三人づれでこの娑婆世界に来詣されたのである。

 

と、やって来てしまう。このスケールにおいて、それぞれの如来に連れがいようがいまいがどーでもいいじゃん、とか思うのであるが、こういう妙なところの描写にこだわるのも、法華経の面白さである。どうも、その書き手の感性としては、十方の如来が時空を超越して一堂に会することよりも、仏陀が侍者を連れずに一人で出歩くことの方が、あり得ないこと、と認識されているらしい。

 

 同様の発想によるのだと思うが、この十方の如来の来詣によって、娑婆世界が掃き清められる。仏陀をお迎えする世界が汚れていることはあり得ない、と言いたいのかも知れないが、瑠璃七宝黄金の網曼陀羅華で世界が飾られるのはともかくとして、村や都や山々が消え去って平らになった、というのはちょっとやり過ぎである。

 

 いや、白毫からのアレが真にガンマ線バーストであれば必然的な結果、というべきか。ともかく、言葉通りに読むと、このとき、法華経の座に集っていた者を除く地球上のすべての生き物が他の世界に移されたとあり、コレが絶滅を意味するのか、一時的に何処か安全な場所へテレポートされたことを意味するのかは定かでないが、呆れたことに法華経はアフターケアを欠いている。つまり、その後、この後始末を誰がどうしたのか、に関する説明が全章を通じて一切ない。

 

 しかも、この期に及んで書き手が気にしているのは、眉間の一撃で滅んだ世界の行く末ではなく、十方×恒河沙×ニ〜三人の来詣者の収容先なのである。と言うのも、それぞれの如来は、ニ〜三人の供の者だけではなく、その権威を象徴する宝樹と獅子座を伴っているのであって、この宝樹の高さは五百由旬、とあるから、多宝如来の宝塔と同じである。これが十方×恒河沙だけ立ち並ぶのであるから、もうコレは大混雑どころの話ではなく、地球のウニ化なのである。なのであるが、

 

 (世尊は)かの来集された如来の分身のお方たちのために、安座される空間を作り出された。すなわち、八方のすべての方向に、二百万億那由他の仏国土が、すべて瑠璃でつくられ、七宝と黄金の網でおおわれ、小鈴をつけた網によって飾られ、曼陀羅や大曼仏羅の華がまき敷かれ、天界の日除けがあまねく張りめぐらされ、天界の花環が懸けられ、天界の香と香料が燻ぜられた。

 

といった無茶な手段で解決される。そんなことが出来るのなら、僅か数行前、この娑婆世界を壊滅的に掃き清める必要はなかったのではないか、不必要な破滅をもたらす彼らは、むしろ仏陀ではなく魔王の類ではないのか、と、疑問は限りなく浮かんでくるが、むしろ書き手の関心は、空間を作り出すなどというグレッグ・イーガン的な超々常SF現象にではなく、作り出された空間をどのように飾るか、という主婦的な発想に注がれていることを、上引用から読み取ることが出来る。

 

 何なんだコレは?

 

 しかし!トンデモ話はまだまだ続くのである。

 

 かくして、多宝如来の宝塔を開く条件が満たされた……ともかく、満たされたのである。最早、我々凡俗の頭脳では何が何やらわからない事態に至っているのであるが、とにかくそういうことなのだ、としておこう。

 

 釈迦……もう、彼が何者であるかもよくわからない……はおもむろに立ち上がり、虚空の中にお立ちになられて、大宝塔の中央を右手の指で開かれる。それが高さ7,500Km、周囲3,750Kmのどの辺りなのか、同じく神通力を備えておいでであろう十方×恒河沙の如来たちはともかく、元から法華経の座に同席していた連中は、どうやってその様子を見ているのだろう、とか、疑問は尽きないのであるが、とにかく釈迦が宝塔を開く。

 

 すると、実に、かの大宝塔が開かれるやいなや、そのときそこに、世尊・多宝如来・応供・正等覚者が獅子座(ししざ)に座しておられ、そのお体は枯れ乾いておられながらも、全身は分散することなく、完全なお姿で結跏趺坐(けっかふざ)され、あたかも禅定に入っておられるかのように見受けられた。

 

……これは要するに、宝塔を開いてみたら、

 

 ミイラが座禅を組んでた

 

ということになる。

 

 しかもこのミイラ……もとい、多宝如来は、再び釈迦が法華経を説いたことを褒め称えた後に、その獅子座の半座を分けすすめられとあるから、ここでいう獅子座がどのような構造物であるのかはよくわからないのではあるが、つまり、半ケツして釈迦を隣に座らせた、ということである。

 

 無限に広がる平面に、三千大千世界から参集した諸々の如来を擁する高さ7,500Kmの宝樹が立ち並び、その中央に同じ高さの大宝塔が宙に浮き、その何処であるかはわからないが、開かれた扉の内部で獅子座に半ケツし合う釈迦と干乾びた多宝如来……なんともシュールな光景である。

 

 なんともシュールな光景なのではあるが、天台教学ではこれを恭しく“二仏並座(にぶつびょうざ)”と呼んでいて、日蓮の十界曼荼羅においても、その中央に大きく号された南無妙法蓮華経の文字の最上段左右には向かって左に“南無釈迦牟尼佛”、右に“南無多宝如来”と書かれて、天台大師や日蓮が本章に述べられたこの光景を、リアルな出来事として受容していることがわかるのである。

 

 受容するのか?コレを!

 

 ここに至って、この様子を、何処からかはよくわからないが見上げていた四衆から私たちも今また、如来の神通力によって虚空に昇りたいとの声が上がる。これを受けて、釈迦は、これまた具体的に何をどうしたのかはよくわからないが、法華経の座に同席した全員を虚空の中空に移し置く。

 

 ここまで特に触れずに来たが、法華経の説法は設定上は霊鷲山(りょうじゅせん)なる山の山頂でおこなわれていたことになっている。上に見たように、本章において釈迦が四衆を引き連れて虚空へ昇るので、ここまでの説法を“霊山会(りょうぜんえ)”、以降の説法を“虚空会(こくうえ)”と呼んで区別するのが、伝統的な法華経解釈になっている。

 

 天台法華教学において法華経本門の要とされる如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六(法華経第十五章)もこの虚空会で説かれたもの、とされる。つまり、天台法華教学は、自身のセントラルドグマが異次元空間において説かれたものである、と認めていることになる。少なくとも、法華経の文面上は、第一期がそうであるように「これは譬喩である」と明言する下りが、以降には一切ない。

 

 比較するのも可笑しな話ではあるが、これと比べるとキリスト教のセントラルドグマ、すなわち、イエスは三位一体の神であり、十字架上で全人類の罪を贖って死んだ後に復活した、の方が、まだ、信じやすい。と言うのも、三位一体云々は究極的には我々が彼をどのように認識するか、だけの話であるし、死からの復活も、彼一人に限ったことであれば、如何様にも合理化できるからである。

 

 対して、法華経本章のコレは、いくらなんでもちょっとやり過ぎである。

 

 もちろん、現代の我々はこれを振り返って、第十章からの前振りも含めて、法華経の書き手が自身の信じるところの真理を最強調した結果生まれた修辞である、と理解することは出来る。しかし、ボクの思うところ、それは善意に解釈し過ぎのようにも思う。

 

 法華経はその前半部において、仏陀は方便の力で以って衆生を導くのだ、と繰り返し繰り返し述べていて、かつ、そこに示される喩え話を、例外なく自らの言葉で“譬喩”であると明言している。つまり、それを書いている彼らは、そこに書かれた喩え話が、含意される如来の密意はともかく、話自体としては“偽”であることに自覚があるし、そのことを隠していない。

 

 これは、前述したキリスト教のケースにおいても本質的には同じことが言えて、逆にパウロをはじめとする新約聖書の書記者たちは本気でイエスが死から復活したと信じていたのであり、その信じている内容が現代の我々から見ればいささか荒唐無稽に感じられるのみなのであって、彼ら自身に新約聖書の読者を騙そうというつもりはないのである。

 

 対して、本章およびここから派生する伏線が回収される第十四〜五章の書き手は、明らかに自分が書いていることが“偽”であることを知りつつ、文面上はそれをまったく示していない。要するにこれは人類史上でも最古の部類となるSF小説なのである。なのであるが、それを、釈迦の名を騙るという修辞上の問題はあるにせよ、方便としての譬喩に自覚的な法華経第一期の文面に連続させて登場させているところに、ボクとしては書き手の誠意を疑わざるを得ないのである。

 

 が。

 

 これで終わらないのが法華経の面白いところでもあるのだ。と言うのも、上に指摘したようなことを、どうも本章の書き手はわかってやっているようなのである。これについては追って論じることとしたい。

 

 とまれ、かくして虚空会がここに始まるのであるが、その冒頭の釈迦の第一声、すなわち、釈迦がその神通力で以って四衆を虚空の中空へ移し置いた直後の台詞は、注目に値することを言っている。

 

 比丘たちよ、そなたたちのなかで、この娑婆世界において、妙法蓮華経を説くことに努め励むことができるものはだれか。如来が現前にいます今こそが、まさにそのときなのである。比丘たちよ、如来はこの妙法蓮華経を委ねて、入滅することを願っているのである。

 

 読者諸兄に共感していただけるかどうか定かではないが、この場面は()()()()()()()()()()()()()()ちょっと感動的なシーンなのかも知れない、とボクは思うのであって、存外、天台大師や日蓮にその一生を法華経に捧げさせたのもこの一節の魅力ではないか、とすら考えるのであるが、要するに、ここまで述べられたトンデモない出来事は、すべて、この一言を釈迦に最も劇的に言わせるための演出なのである。

 

 つまり、ここまで繰り広げられた超時空的な奇瑞の数々は、つきつめれば、今この物語を読んだり聞いたりしている人に「汝は釈迦を、法華経を後継するや否や」と問うためだけに引き起こされたのだ、とするのが本章の白眉なのであって、自覚的にやっているのだとすると、本章の書き手は本当にキレッ切れの怖い人なのである。無自覚なのだとすれば、ヨハネ黙示録の作者などでは足元にも及ばない真の狂人である。究極的には、その良し悪しはともかく、後世の法華経信仰者を揺り動かした熱量は、ここに帰結するのではないか、とすら思う。

 

 これに比較すると、前々話(第8話)に見た、同じく異世界から来詣する普賢(ふげん)菩薩の物語は、信者組織維持のための配慮が透けて見えて、拍子抜けするほど迫力を欠いていると言えよう。同時にこれは、時代も場所も超えて共感者を得た法華経第二期の熱さが、その直接の後継者たる第三期の書き手には必ずしもうまく伝わっていなかった、という皮肉な事実の反映でもある。

 

 この噛み合わなさは何なのか。その答えは、前述した「わかってやっている」問題も含めて、次下へ続く()の中に見出される。釈迦の隠居宣言……入滅したい、ってんだからそうなんだろう……の直後から偈が始まる。その前半部は例によってここまでの内容の要約であるが、後半部は明らかに異なることを論じている。

 

 天台法華教学において“六難九易(ろくなんくい)”と呼ばれる一連の譬喩がそれである。天台大師が何故これを法華七喩に含めなかったのか……髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)よりは六難九易の方が妥当だ、と個人的には思っている……謎なのであるが、まぁ、それはさておき。

 

 そのまま引くには冗長なので趣意抜粋するが、六難九易とは、六つの難事と九つの易事、の意であり、例示される九つの易しいことと比べれば、六つのそれは困難であり、ゆえに挑む価値がある、とする譬喩になっている。まず、易しい方の九つを挙げてみよう。

 

・恒河沙ほどの数の経典を説示すること。

 

・手で須弥山(しゅみせん)……古代インドの世界観において世界の中心とされた山……をわしづかみにして放り投げること。

 

・三千大千世界を足の指先で突き動かし、数億の国土の彼方に蹴り飛ばすこと。

 

・世界の最上部……これが“有頂天”という語の原義である……に立って数千の経典を説くこと。

 

・虚空界のすべてを拳の中に握り収めて遊び歩くこと。

 

・大地のすべてを足の爪の上に置き、そのまま梵天の世界まで歩いていくこと。

 

・世界を焼き尽くす劫火の中を、枯れ草を背負って焼かれることなく歩くこと。

 

・八万四千の法蔵を護持し、数千万の命あるものにそれを説示し、神通力を身につけさせること。

 

・恒河沙ほどの数の人々に神通力を与え、阿羅漢の位を得させること。

 

 互いに内容が被っているっぽいものがあるのはご愛嬌として、以上の通りとなる。「え、これって難しい方じゃないの?」とか言わないように。何せ、これをおっしゃっているのは眉間からガンマ線バーストを放って三千大千世界を焼き払うお釈迦様(いや、そんなことはしてない)なのであるから、このくらい朝飯前なのである、などという冗談はさておき。これらが、六難九易の九易の方になる。

 

 では、これらに比して難しいとされる六つとは何なのか。もう、聡明な読者諸兄にはおわかりのことと思うが。

 

・仏陀が入滅した後に、法華経を護持し、説き示すこと。

 

・仏陀が入滅した後に、法華経を受持し、書写すること。

 

・仏陀が入滅した後に、しばらくの間だけでも法華経を読むこと。

 

・仏陀が入滅した後に、ただ一人に対してのみでも法華経を聞かせること。

 

・法華経を深く信じる心を生じるか、あるいは、繰り返して講説すること。

 

・仏陀が入滅した後に、法華経を護持すること。

 

 やはり部分的に重複が見られるが、以上が六つの難しいこと、となる。

 

 総じては、偈の直前になされた釈迦の隠居宣言に見られる「汝は釈迦を、法華経を後継するや否や」の問い掛けを受けて、その困難さをこれでもかと強調して挑戦者となる聞き手を煽っている修辞、ということになる。

 

 そして、六つの中でも唯一「仏陀が入滅した後に」の挿句を伴わないもの、すなわち「法華経を深く信じる心を生じるか、あるいは、繰り返して講説すること」が、他五つに通底する根本的な難しさであることは一目瞭然であるから、要するに、本章の書き手には、

 

 本章内容が信じ難い、との自覚がちゃんとあった

 

のである。その自覚がありながら、六難九易の譬喩で以って、読み手・聞き手を煽っているのである。コレはちょっと背筋が寒くなるほどの確信犯、と言わざるを得ない。しかも、ついつい忘れそうになるが、これを書いたのは二千年前の人なのであって、かつ、この奇っ怪な書物は『水滸伝』や『封神演義』がそうであるように、摩訶不思議な小説として読まれてきたのではなく、少なからぬ人々の信仰の根幹として読み継がれてきたものなのであり、さらに我が国に限って言えば、これを教条的に真理であると奉じる人々が政権与党にまで加わっているのであるから、もうコレは笑うしかないのである、いや笑いごとじゃねーな*1

 

 結局のところ、何がトンデモないかというと、もちろん本章“塔の出現”の内容がトンデモないのは言うまでもないが、コレを含む法華経が、奇想天外小説としてではなく、信仰対象として一定数の人々に今日に至るまで支持され続けてきた、ということがトンデモないのである。

 

 そして、敢えてボクがここで“トンデモ”という表現を多用していることに通じるのであるが、こういう物語を真理として信じて来た人々をトンデモない連中だ、と切断操作して言っているのではないのだ。

 

 トンデモ、というのは、ある意味において人類の脳が種として抱え込んでいるセキュリティホールなのであって、条件さえ揃えば誰にだって発動するのである。天台大師も最澄も日蓮も、我々凡人と比較すれば、足元にも及ばぬ碩学であったことは疑いようもないのであり、その彼等をして心を捉えた法華経は、その書き手こそ天晴と讃えられようとも、捉えられた人々を笑うものではない。

 

「リバースカードオープン、六難九易ッ!!その効果により、一定の知性を有し過剰気味な自負を抱えるプレイヤーはコレを信じずにはいられない!!」

(CV:津田健次郎で脳内再生してね)

 

 今、こうして種明かししつつ述べているから、あなた自身はこのトラップを回避することが出来るかも知れない。が、コレを他人事として笑う人は、断言しても良いが、明日には見た目こそ異なるが本質的には同種の地雷を踏み抜くのである。

 

 一方で、ボク自身は必ずしもこの地雷を踏むことを絶対悪とは見做していないことも付言しておくべきだろう。セキュルティホールは、ときにチートとしても利用可能なのであって、法華経に限らず、こういった宗教的物語に心酔することで何がしかの有益なエネルギーが取り出せるのであれば、それはそれで結構なことだとも思っている。当の本人が自覚的にそれを運用する限りにおいて、という断りがつくが。

 

 さぁ、例によって例の如く、どこまで本気でどこからが冗談なのかよくわからない展開になってきたが、本章はまだまだ続く。いや、実はここで終わりなのだが、まだ続くのである。そして、ここからがまったく別の意味でこれまたトンデモないのであり、これは笑ってもいい方のトンデモなさなのであるが、もうコレを読まされてる人にとっては何がなんだかワケわからんだろうな。

 

 

                    *

 

 

 法華経第十一章“塔の出現”の内容を、ここで一旦整理してみよう。

 

・唐突に塔が出現して宙に浮かぶ。

 

・三千大千世界から如来が集結する。

 

・塔の中から多宝如来が姿を現す。

 

・釈迦が隠居を宣言し後継者を募る。

 

・偈で以って六難九易が示される。

 

 さて、本来の本章はここで終わっていた、らしい。続くのは既に転読した第十ニ章“よく耐え忍ぶ”(第4話)である。この第十ニ章もいささか不可解な内容を含むことは既に論じた通りであるが、本章における釈迦の隠居宣言、続く六難九易の煽りを受けて奮起した諸菩薩が滅後の布教を誓願する、という流れになっていることがわかる。二千年前に書かれたにしては、よく出来た物語である。

 

 が、今日我々が目にする法華経第十一章はまだしばらく続くのであり、妙法蓮華経はこれを別章に分けて、提婆達多品(だいばだったほん)第十二としている。サンスクリット写本の章数全二十七と、漢訳妙法蓮華経二十八品の差異はここに起因している。

 

 さらに、この提婆達多品第十二は、鳩摩羅什が訳出した時点(5世紀初頭)の妙法蓮華経にはなかった。つまり、当初は妙法蓮華経も二十七品だったのである。ここに提婆達多品第十二が加わったのは隋代、すなわち天台大師の登場(6世紀後半)に前後してのことで、7世紀初頭に闍那崛多(じゃなくった)らによって新たに訳された『添本妙法蓮華経(てんぽんみょうほうれんげきょう)』の第十一章後半が、提婆達多品第十二として編入されたと考えられている。これを正当化するために、女人成仏説を嫌った人々によって秘匿された経典が、天台の法師たちによって再発見されたのだ、という伝説まで創作された。

 

 一方で、竺法護(じくほうご)が3世紀末に訳した『正法華経(しょうほけきょう)』の七宝塔品第十一には、以下見ていく第十一章後半が含まれている(妙法蓮華経同様に梵志品第十二として分割する写本もあるらしい)。羅什を護教的に弁護するつもりは毛頭ないが、どうにも彼がこれを見落としたとは考え難いので、この部分は法華経の全二十七章が完成・伝播し始めた後に加筆されたものだろう、とボクは考えている。つまり、法護は加筆された系の法華経を訳し、羅什は加筆されないまま伝わった法華経を訳したのだろう、という話である。実のところ話はもう少し複雑なのであるが、これは後日に譲りたい。

 

 さて。

 

 この加筆者が何者であれ、その意図は、内容から明白である。結論を先に示せば、第十九章(第5話)に見える逆縁の成仏、および、第十ニ章に見える女人成仏……この二つの成仏に対して理論的背景を与えるべく、この加筆がおこなわれたことは間違いない。詳細な経緯を知ることは出来ないが、おそらくは、法華経全二十七章が成立してしばらく経った頃に「悪人成仏、女人成仏などあり得ないのではないか?」との古い議論の蒸し返しが起こり、ボトムアップかトップダウンかは知る由もないが「失われていた後半部写本が発見されました」的な体裁で以って応急のパッチ当てがおこなわれたのであろう。

 

 そもそも法華経自身がそういった行為の繰り返しによって成立したものであるから、このこと自身は非難されることではない。問題視すべきは、この加筆が冒頭に述べた第十一章から第十二章にかけて綿密に計算された伏線を仏陀……もとい、ブッた斬って台無しにしている、という点だ。要するに、この加筆をした連中は、トンデモないことに、本章、ひいては法華経が読めていないのである。

 

 

                    *

 

 

 といったことを前提に、本章後半を読み進めてみよう。

 

 件の偈が終わると、釈迦……ここでは法華経への加筆者を代弁するキャラクタである……は唐突に自身の過去世の因縁話を始める。これが、たとえば彼にとっての先代の仏陀から彼に対しての継承の物語であったりすれば、まだ、“原第十一章”とのつながりも維持されようと言うものであるが、そういうことはまったくない。ともかくは、彼の言い分に耳を傾けてみよう。

 

 彼はどこかの王様であったらしい。自身修行をし、また仏法のために財宝を施すことを一切惜しまなかったそうだ。まぁ、前世の話だから何とでも言えるわな、と茶化すのは止めて続けると、ともかく彼はそのようであったが“妙なる教えの白蓮華の経”には出会うことが出来ず、常にそれを求め続けていたのだという。そこへ、一人の仙人*2が現れてこう言う。

 

 大王よ、“妙法蓮華”と名づける最勝の法を説く経典があります。もしあなたが私の下僕となることに同意されるならば、そのとき、私はその法をあなたに述べ説いてあげましょう。

 

 見るからに胡散臭い申し出であるが、どこぞの王様であった釈迦は喜び勇んで千年もの間、この仙人の下で草、薪、水、球根、根、果実などを採り集める下僕の仕事をし、家令までも努め、ときには寝入っている仙人の臥床の脚をゆるぎなく支えることまでしたそうである。ここまで語って、まったく同内容の偈が挿入される。とにかく、どこぞの王様であった釈迦は、法華経を聞くために千年間喜んで下僕をやったのだ、と。

 

 で。

 

 比丘たちよ、そなたたちはこのことをどのように思うであろうか。そのとき、その場合のかの国王であったのは、だれか他の人であると考えるならば、決してそのように見るべきでない。そのときその場合の私こそがかの国王であったからである。

 

 いつもの前世譚のパターンである。と言うか、アンタ、最初にコレ、自分の過去世の話だって言ってたじゃん、とか思うのであるが、まぁ、定型句に突っ込んでも詮無い話だ。先へ進もう。問題はこの次の部分である。

 

 また、比丘たちよ、そのときその場合のかの仙人であったのはだれか他の人であるのだろうか。決してそのように見るべきではない。この提婆達多(だいばだった)比丘こそが、そのとき、その場合のかの仙人であったのである

 

 ???

 

 藪から棒に何やねん、な展開である。というか、法華経だけを読んでいる人からすると、まったく以って意味不明の論述である。もちろん、法華経全章を通じて彼の名が現れるのはこれが最初であるし、その出番はまもなく終わる。と言うか、本人は(前世であるとされた仙人を除けば)登場しない。何故なら、設定上、歴史上の釈迦が法華経を説いたとされる時点において、既に提婆達多は故人であったからである。

 

 知らない人のために補足しておくと、提婆達多は、一般には釈迦の同時代人であり、かつ、釈迦の率いた教団の乗っ取りを試みて、その悪行のゆえに地獄に堕ちた、とされる人である。昭和に限って言えば、何故かこの人がレインボーマンの師匠*3、ということになっている。まぁ、そんなことはどうでもいい。

 

 とにかく、この釈迦の言い分としては、過去世の仙人=提婆達多が彼に法華経を求めての千年の下僕生活を強いたがゆえに、その徳によって今日の私があるのだ、ということらしい。なお、結局、かの仙人が“妙法蓮華”なる経典を説いたのか、あるいは、それは王様を下僕にするための嘘だったのか、本章の文面からは判然としない。大いなる寛大さを学んだとあるので、おそらく意図されているのは後者だろうと思う。

 

 え〜っと、読者諸兄はこの物語の意味が理解できるだろうか。正直なところ、かく言うボクにとっても意味不明である。さらに意味不明なことに、続いて釈迦はかの提婆達多に授記を与えるのである。いちおうお約束なので、彼にユニークなパラメータを示しておくことにする。これを定型パターンに代入さえすれば、詳細は読むに及ばない。

 

 名号:天王如来

 国土:天への階段(天道)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:二十中劫

 

 最後に、善男子・善女人が本章の内容を信じるのであれば、三悪道(さんあくどう)……地獄・餓鬼・畜生の三悪趣をいう……への門が閉ざされるだろう、として提婆達多に関するエピソードが終わる。このクロージングも、微妙に内容に合致していない。三悪道に堕ちようとも如来への門は閉ざされないのだ、とでも言うのならば、まだ理解できるのであるが。

 

 実に謎の多い下りである。いや、意味内容は明瞭なのだ。そして、天台教学が言うように、この下りが悪人成仏の理論背景、すなわち、提婆達多およびその前世とされる仙人のような悪人であっても、仏陀の成道に必要とされる修行の過程に結果的に参与することにより、最終的には如来へ至るのである、になっていることはわかる。

 

 が。

 

 何故にコレが、よりによって第十一章のこの位置に挿入されたのかがさっぱりわからないのである。しかも、この物語には法華経中の他の物語に比して、学ぶべきところが一切ない。本連載で読み解いてきたように、荒唐無稽であったり現代の価値観とは不適合であったりはするものの、多くの法華経の物語には、何かしら我々にも訴えかけるものがあった。一方で、この提婆達多に関する物語は、不可知の前世と不可知の未来世を理屈抜きに結びつけたものであって、実のところ何も言っていないに等しい。

 

 これは何を意味するのであろうか。ここでは結論を急がず、続くもう一つの物語を読み解いてから再びこの問題に取り組むこととしたい。そしてそのもう一つの物語が、これまたまったく異なる意味合いにおいてトンデモないことこの上ないのである。

 

 

                    *

 

 

 トンデモ尽くしの第十一章であるが、その最末尾を飾るところの、後世において“竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)”の名で知られることになる物語は、その導入部からしてトンデモないものになっている。

 

 するとそのとき、下方にある多宝如来の仏国土から“智積(ちしゃく)”と名づける菩薩が来ており、彼がかの多宝如来にこのように申し上げた。「世尊よ、私たちは自分の仏国土に帰りましょう」と。そのとき、世尊・釈迦牟尼如来は智積菩薩にこのように仰せられた。「善男子よ、しばらく待ちなさい。しばらくの間、わが文殊師利(もんじゅしり)法王子菩薩と何か法の議論をして、その後に自分の仏国土に帰りなさい」と。

 

 はぃ?

 

 この加筆者は、本章前半の含意を理解していないどころか、何を思ってかブチ壊そうとしている。登場間もない多宝如来にいきなりの帰国を促すとは何事ぞ。というか、彼の宝塔を開くためにどれだけトンデモないことが起こったか忘れたとでも言うのだろうか。しかも、対する釈迦の足止めの何と脈絡もなく強引なことよ。東方とされていたはずの多宝如来の仏国土を下方と間違えていることすらどうでもよくなってくる。あるいは同名の別人なのだろうか?

 

 で、言われた文殊菩薩が車輪の大きさほどの千の花弁をもつ蓮華に座り、多くの菩薩に取り巻かれ、尊敬されて、大海の中にある海の龍王の宮殿から上空に昇り、空中を通り、霊鷲山におられる世尊のみ前に来詣する。

 

 待て待て!

 

 演出としては面白い、それは認めよう。さしずめ「手札から文殊菩薩、召喚ッ!!」(CV:津田健次郎で……)といったところか。なんかもう、釈迦の台詞が全部海馬社長の声で聴こえてきてしまいそうだが、そういうわかる人にしかわからない強引なボケはさておき。

 

 法華経の舞台はつい今しがた霊山会から虚空会に移ったのではなかったか。そもそも、文殊菩薩は本章以前には序章にのみ登場(十三章以降にもしばしば出番がある)するのであるが、辻褄合わせで序章に名前のみ示される諸菩薩とは異なり、彼には序章において弥勒菩薩と対話する、という役回りがあるのだ。ということは、文字通り読む限りにおいて、彼は序章でチョイ役を務めた後、第ニ〜十章のどこかの時点でこともあろうに師たる釈迦の説法から抜け出して、今この瞬間呼び戻されたことになる。

 

 何してたんだ文殊菩薩!?

 

 もうツッコミどころ満載でどうしてくれようか、なのだが、物語は(当然のことながら)何事もなかったかのように淡々と進んでいく。

 

 智積菩薩……実は“智積”の名は第七章にもまったく異なる文脈上に登場するのだが、これは同名の他人であろう、っつーか、コレを書き加えたヤツはちゃんと法華経を読んでいないのだ……は文殊菩薩に「龍宮でどれほどの衆生を導きましたか」と唐突に尋ねる。対する文殊菩薩は「数え切れません、ご覧に入れましょう」と答える。刹那、数千の蓮華が海の中から上空に涌きいでて、それらの蓮華には数千の菩薩が安座して現れる。どうやら文殊菩薩には菩薩トークンを特殊召喚する能力があるらしい(え、もうこのボケは飽きた?)

 

 で。

 

 智積菩薩は偈で以って「どうやったんですか」と尋ねる。っつーか、コレ、偈にする必要があるのだろうか。おそらくこの加筆者は、聖なるお方に対する問い掛けはすべて韻文でおこなうべきである、という思い違いをしているのだろう。そのような疑念も、法華経の根幹を揺るがす文殊菩薩の返答の前にはかき消されてしまう。

 

 私は大海の中において『妙法蓮華』という経典を説き示したのであって、他の経典を説いたのではありません。

 

 おいコラ、ちょっと待て!

 

 法華経を説くのは勝手だ、大変結構なことではないか。しかし、である。よりによって、多宝如来がこの“妙なる教えの白蓮華の法門”が説かれるところには、私の全身を祀ったこの塔が出現するであろうと語った本章においてソレを言うか。言葉通りに受け取れば、釈迦が霊鷲山で法華経を説くその裏で、文殊菩薩が法華経を説いたという大海の中(龍宮)にも宝塔が出現していたことになるが、本当にそれでいいのか?

 

 驚くべきことに、この下りの書き手は、法華経全体どころか自身が加筆するところの本章すら読んでいない。この不可解な状況を合理的に説明する方法は一つしかない。つまり、この物語は、法華経テキストとはまったく別に独自に書かれた後に、その内容と加筆先の整合にまったく頓着しない脳天気な書写生の手によって本章に編入された、ということだ。

 

 もうこの時点で支離滅裂なのであるが、今話においてコレを言うのが何回目かすらわからないのであるが、本当にトンデモないのはここからなのである。何がトンデモないかというと、今日の我が国のある特殊な性癖を有する人々のサブカルチャーは、実は本章に端を発していたのである。

 

 智積菩薩がさらに問う。「法華経は深遠、微妙、精通しがたいものであるのに、本当に無上の覚りに至れた者がいるのですか」と。以下、コイツは“一句一偈なりとも受持するものは成仏する”という法華経をわかっていないようなので、ボクの判断で以って菩薩号を剥奪して智積とだけ呼ぶことにするが、これに文殊菩薩が答える下りからがいよいよである。彼が、無上の覚りに至った者を例示するのであるが……

 

 善男子よ、いるのです。娑竭羅(しゃから)龍王の娘で、生まれて八歳になるのですが……

 

 まさかの幼女登場である。

 しかも龍王の娘なのだから、ケモナー要素ありだ。

 

 念のために言っておく。これは法華経第十一章“塔の出現”、妙法蓮華経で言えば提婆達多品第十二の内容であってボクの趣味ではない。いいな、ボクの趣味ぢゃないぞ、違うぞ(大切なことなので釈迦に倣って三唱してみました)。

 

 閑話休題。

 

 こともあろうに、智積は「信じられない」と言い出す。法華経で成仏することが信じられない?それをよりによって“六難九易”を説く本章で言うか?本当にコイツは多宝如来配下の菩薩なのだろうか?まぁ、ストーリー上の要請による汚れ役だ、と言ってしまえばそれまでだが、ここで健気にも件の幼女……もとい、龍王の娘が偈で以って訴える。

 

 私の願う通りに正しい覚りを得ることについて、如来は私の証人であらせられます。私は人々を苦悩から解き放つ広大な教えを説き示しましょう。

 

 ところがここで舎利弗(しゃりほつ)(居たんだwww)が茶々を入れる。

 

 良家の娘よ、女人は精進を捨てることなく、数百という多くの劫、数千という多くの劫の間、功徳を積み、六波羅蜜の行を完成したとしても、仏果を得た人はいません。

 

 ハイ、もー舎利弗くんからも授記を剥奪します。嗚呼、どこまでもトンデモないな、この下りは。だが、真のトドメはこの後来るのだ。

 

 龍王の娘は三千大千世界のすべての価に相当する一つの宝珠なるものを持っていて……もう、阿呆らしくて何だよソレ、とツッコむ気力も失せる……これを釈迦に献上する。するとどうしたことか!!

 

 そのとき、娑竭羅龍王の娘は、すべての人々の面前で、舎利弗の目の前において、彼女の女性としての感官(かんがん)が消滅し、男性の感官を生じ……

 

 よもやの男の娘である!

 

 しかも、すべての人々の面前でって……

 

 それってどんな羞恥プレイ?

 

 っつーか、代わってくれ舎利弗ッ!

 

 念のためにもう一度言っておく。これは法華経第十一章“塔の出現”、妙法蓮華経で言えば提婆達多品第十二の内容であってボクの趣味ではない。いいな、ボクの趣味ぢゃないぞ、本当に違うぞ。

 

 そして呆れたことに、本章はここで唐突に終わってしまう。厳密には男身に変じた彼女(?)が成仏の相を示すのだが、そこで終わってしまう。マジわけわからん。

 

 

                    *

 

 

 さて、冗談はこのくらいにして、以下、いったいぜんたい本章は何だったのか、に考察を加え、以って今話を終わりたいと思う。

 

 ここまで見てきたように、本章は前半(原第十一章)と後半(提婆達多品第十二)で、書き手はもちろんのこと、書かれた時代や目的、意図、含意がまったく異なっている。そして、両者には対照的な捻れがある。

 

 前半部は話の筋こそ二千年前に書かれたとは俄かに信じ難いほどブッ飛んでいるが、意図は明瞭である。根底には、仏舎利信仰を相対化するとともに、これを転じて自身の権威として取り込もうという綿密な計画性が伺えるのであり、字面上のブッ飛び具合は、要するに書いている間に楽しくなってきて筆が踊ったのだろう。一方で、これを六難九易の譬喩でクローズする構成は、結果的に絶妙な効果を生み出しているようにも思う。

 

 対する後半部は、話の筋は極めて平凡で法華経の他の部分のパロディとも取れる演出である一方、字面があまりに稚拙である上、筆者が法華経に対して不勉強であることが透けて見え、何故後世のこの加筆者は、曲がりなりにも完成度の高い原本章にこのような悪文を追記したのか、何故そんなことがまかり通ったのか、その意図がわからなくなる。

 

 これを整合する仮説としては、ボクは一つしか思い浮かばないのであって、それは、法華経第二期の時点で、法華経テキストの権威化が始まっていた、ということになる。第一期、すなわち第二〜九章の記述からは、いささか対立声聞衆に対する傲慢な態度という問題点はあるにせよ、いろいろな寓話を通して何とか相手を説得し、共感を勝ち取ろうとする姿勢を読み取ることが出来た。

 

 対して第二期、特に本章から第十六章へかけての論述(詳細は追々見ていく)は、やたらと派手な演出を伴う書き手の信じる真理が、釈迦が語ったことである……厳密には、想定される法華経の座に同席したものの証言である、が正しい……ということだけを権威の源泉として断言され続ける、という独善的な姿勢が垣間見える。これは、第三期にも受け継がれ、その中でも出色の出来の第十九章ですら、つきつめれば、書き手は釈迦の権威を騙って断言しているのみであり、読み手の共感に対する配慮はあまり感じられない。

 

 以下、あくまでも私見であるが。

 

 そもそもの法華経のセントラルドグマが極めて理想主義的であり、かつ、図らずも反知性主義的であることは繰り返し指摘してきた。第一期を通じてこの観念は陶冶され、第二期に冒頭となる第十章においては、彼等が、理念とそれを表現するテキストにこそ聖性が宿るのだ、という、かなり合理的なところにまで至っていたことを知ることができた。

 

 が、既にその第十章において、法華経教団が、主にはその権威の不足から種々の批判を受けていたことが読み取れるのであり、また、そのことが彼等の内部に良くも悪くも自己陶酔的な心性を育みつつあったことも確認できる。その続章が本章であることは、実に示唆的だと言わざるを得ない。

 

 本章は、法華経教団が一発大逆転を狙った大芝居なのである。

 

 原十一章に後続する第十二章が、教団外部に対してやたらと上から目線を振りまいているところから察するに、この試みは、少なくとも教団内部的には成功を収めたのではないか、と推察するのであるが、これは、本質的には、今日の夢見がちな小・中学生が友人たちと大法螺を吹きあって内輪で盛り上がる……困ったことに、子どもに限った話でもないよな……のと同じことなのであって、同時に自らをも危うくする諸刃の剣だ。

 

 極端に戯画化すれば、本章公表以降、法華経教団は二種類の人間に分かれたはずである。一方は、小・中学生、あるいは現代のネット右左翼よろしく、扇動者から指し示された耳心地のよい“真理”を奉じ、以って自分たちこそが正しいのだと満足する人々であり、もう一方は、その扇動者自身の態度に学んで「言ったモン勝ちやん」と醒めた立ち位置を採る人々、である。

 

 念のために申し添える。“戯画化すれば”と断ったように、これはわかりやすさを狙って単純化したものである。また、上に例示した二種類の人間像は、それぞれ絶対悪ではない。法華経教団に限らず、なんらかの組織的な運動……否、これはもっと普遍的に人間社会、と呼ぶべきかと思うが……これを維持継続していくためには、こういった人々、つまり扇動に乗る人も、醒めた目でそれを見る人も一定数は必要不可欠なのであって、もし、あなたが例示の二つの人間像に悪印象を抱いたのだとすれば、それは程度の問題なのであって、薬は量によっては毒になるものだ、という使い古された修辞に思いを致すべきである。

 

 それはともかく、法華経第二期の人々は、自分たちの信じる真理の絶対化を求めるあまり、経典テキストの権威化、という、そもそも第一期の人々がそれに反発して自身の信念を産んだはずのところへ回帰してしまったのであって、本章前半部はその最も極端なケースであると言える。これは当然第三期にも受け継がれるのであるが、ボクの見るところ、例えば既に取り上げた第十九章、第二十四章あたりは、そのテキストの権威を“方便”として活用しつつ、何か新しい価値・思想を創出しようというところに踏み留まってはいたように思う。

 

 が、第二十一章、第二十六章を通して見たように、テキスト権威化の反作用としての信仰の形骸化は、第三期の時点で既に始まっていたのであって、これらの章はそれを何とか食い止めるべく書かれたはずではあるが、書いた本人たちが既に形骸化の中に呑まれていて、結果的にそれを後押ししていたことも既に見た通りだ。本章後半部の後世の加筆部は、その延長線上にある。

 

 つまりはこうだ。

 

 形骸化した信仰を抱えた第三期以降の法華経教団は、法華経テキストが訴えるその信奉者の聖性に寄りかかるあまり、彼等が聖性の対局にあると見ていた悪人や女性の成仏を俄かには信じることが出来なくなっていた。が、その法華経自身には、女性の成仏、悪人の成仏が書き遺されている。この矛盾に解消の必要あり、と考えた人々が、俄かに信じ難い物語が連続する本章の末尾を加筆点として狙い定めたのは、ある意味において合理的であるように、ボクは思う。

 

 一方で、所詮は形骸化した信仰集団の一員に過ぎないこの加筆者たちには、法華経第一〜ニ期、すなわちその草創期の人々が有していたような、胆力や熱量が欠落しており、また、第三期末以来の「とにかく書いてしまえばいい」的な惰性もあって、全体を俯瞰し得る現代の我々からすると「何じゃこりゃ?」としか形容のしようのないものがそこに生まれたのである。

 

 以上が、ボクの仮定する……あくまでも仮定だ、と断っておく……本章のひっちゃかめっちゃかさの謎の真相なのであるが、ボクが可笑しさを指摘したいのは本章それ自身の話ではない。以上の推論を、基本的にボクは法華経テキストのみから導出したのであり、現代になって加わった新しい知見があってのことではないのであるからして、理屈の上では、天台大師や最澄や日蓮にも、ボクと同様に、本章のひっちゃかめっちゃかさを笑う機会はあったはずなのである。

 

 が、実際には、彼等が書き遺したものを言葉通り受け取る限りにおいて……実は彼等自身も法華経の可笑しさには気づいていたが、その権威を自説を述べるのに利用したのだ、という解釈も出来なくはないがここでは捨て置く……彼等はこの七転八倒の本章もまた“教主釈尊の皆是真実の金言”と読んでいたことは明らかである。まぁ、それは百歩譲って時代的制約、として看過してもいいだろう。

 

 しかしである。法華経テキストを読むという行為は彼等の専売特許では決してないのであって、かく言う浅学不才なボクですら妙法蓮華経白文を読めるのであるし、もちろん本連載は中村師の原典邦訳にも大いに助けられてのことではあるのだが、それにしても、そもそも法華経に味噌をつけること自体を目的とした、たとえば平田篤胤などは別として、自身法華経信仰者を自称する人々の中から、本章に見えるような法華経の問題点を直視し、欠点は欠点として受け止めよう、自分たちの言説でもってそこに含意された理念をより陶冶していこう、といった運動が、少なくとも一般市民に覚知され得るレベルにおいて為されていない、というのは、これは一体どうしたことなのか。

 

 少なく見積もっても、我が国の人口の一割は自称法華経信仰者であるはずなのに、である。

 

 もちろん、コレが無茶振りであることに自覚がないほどボクはお目出度くはないのであるが、それでもこの疑問を口に出さずにはいられない。そしてこのことは、何も法華経に限った話ではなく、大袈裟なことを言えば仏教以外のあらゆる宗教にも適用できる話であるように思う。

 

 本連載は、この疑問に素人なりに斬り込みたくやっていることであって、決して宝塔品と遊戯王デュエルモンスターズを無理矢理結びつけて笑うためにやっているのではない……いや、しばしば自分が笑いを優先して脱線していることにはちゃんと自覚がある、諸兄がコレを笑えるか、については甚だ疑問ではあるが……のだ。っつーか、本章加筆者の無理矢理さを考えれば、ボクが同じコトをやって何が悪い、と開き直っておこう。

 

 以上を以って、法華経第十一章“塔の出現”の転読(うたたよみ)を終える。それにしても、天台教学の人たちの頭の中で、釈迦が白毫からの一閃で吹き飛ばした娑婆世界は、その後どうなったことになっていたのだろうか……?

 

*1
某政権与党およびその支持者に限って言えば、賭けてもいいが、本章を読んだことのある人はその一割にも満たず、ましてや本章が含意するところにまで思いを馳せている人ともなれば、法然ではないが“千中無一”と考えて間違いないので、安心(?)されよ。

*2
“仙人”などというのは極めて中国的な観念なのであって、自身は現在の新疆ウイグル自治区に生まれた鳩摩羅什が漢訳に用いようはずもなく、事実、妙法蓮華経中にこの語が見えるのは提婆達多品第十二のみである。これを妙法蓮華経に紛れ込ませた漢訳者は、このことに思いが至らなかったらしい。この“仙人”という訳語の用法が本章を含む妙法蓮華経と原典の差異を読み解く鍵になるのだが、これについては後日改めて。

*3
 厳密を期せば、レインボーマンの師匠のダイバダッタは後世にこの提婆達多と同一視されるようになったヨーガ系の聖人であって別人なのだが、そんなこともどうでもいいわな。



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第11話 法華の巨人……第ニ十三章“妙音菩薩”

 第8話、第10話と、法華経の座が異世界からの客人を迎える章を取り上げてきた。今回取り上げる法華経第二十三章“妙音(みょうおん)菩薩”(妙法蓮華経妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)第二十四)もそうしたものの一つとなる。

 

 本連載においては、こうした異世界、漢訳経典の言う“三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”を、我々の住むこの宇宙とはまったく異なる並行世界と解釈して話を進めて来た。ひょっとすると読者の中には「いや、流石に古代インド人もそこまでは考えていなくて、せいぜい他の大陸のことを言ってたんじゃないの」との疑念を抱いている人もいるかも知れない。が、敢えて言おう。

 

 甘い。

 

 確かに、書き手のイマジネーションの限界から、ここまでに見てきた異世界の描写は、必ずしも並行宇宙とまで解釈せずとも理解できる範囲に収まっていた、別の意味での宇宙大の暴発はあったけれども。が、法華経の書き手の中には、どうやらこの問題に気づいて、これまたトンデモないことをさりげなく書き遺した愉快な人が紛れ込んでいたのであって、その彼の作品が本章ということになる。

 

 あまり期待を煽るのもアレなのだが、正直に言うと、ボクは法華経を読むとき、この章に至るとどうしても声を挙げて笑わずにはいられないのである。読者諸兄の笑いのツボが同様であるかは知る由もないが、ともかくこの面白さを独占するのは申し訳ない……というのも、本章は法華経全章の中でも最も影の薄い薄幸の章でもあるのだ……ので、これを紹介するのが今回の転読(うたたよみ)の目的となる。

 

 加えて……は特にない。ただ、それだけの章なのである、本当にコレは。

 

 本文に入っていく前に、何故、本章が法華経中最も影が薄い章となっているか、を説明しておくことにしたい。連載第2話の時点で既にそれに言及していたのだが「対になる内容で長さもほど近い第二十三章には偈がない」と書いたのがソレである。

 

 その時点では控え目に「対となる」としたが、より正確を期すならば、本章の言っていることは、後続する観音経とほとんど同じなのである。以下、ザッと要約すると、

 

・妙音菩薩は、あるときは梵王の身で、あるときは嵐の神の身によって、あるときは……(中略)……あるときは長者の婦人の身で、あるときは童児の身で法華経を説いたのだ。

 

・地獄、畜生、閻魔の世界や、不遇の場所に生まれた衆生たちに至るまで、法華経を説いて救ったのだ。

 

・后妃の住む宮殿の中に至るまで、女身に変じて救ったのだ。

 

・衆生の欲するところの応じて声聞にも辟支仏にも菩薩にも変じたのだ。

 

といったところであり、第二十四章“あまねく導き入れる門戸”が、観世音菩薩のおこないに仮託して、法華経教団に所属する比丘衆に期待される日々の実践を例示したのと、ほぼ同じ意図で書かれたものと判断できる。

 

 一方で、観世音菩薩こと観音様が、まったく信仰に縁のない人々の間にまで知名度が及んでいるのに対し、妙音菩薩の名前を知っている人は、おそらく読者諸兄の中にも皆無ではないか、と思う。まぁ、少し考えればわかることと思うが、法華経中に、内容がとても良く似ていてしかも隣接する章があり、その一方の主役キャラクタが圧倒的な人気を博せば、もう一方の影が薄くなるのは当然の話ではあるのだ。要するに、妙音菩薩は観世音菩薩に()()()()のである。

 

 法華経が必ずしも現在知られる章順に書かれたとは言えないことは、これまでも繰り返し論じてきた通りであるが、おそらく、本章と第二十五章は、本章が先に書かれて、それを踏まえて第二十五章が書かれたと考えて間違いなかろう、と思う。結論を先取りすれば、教団所属の比丘たちに日々の実践の模範を示すべく本章が書かれたのだが、思いの他ウケなかったため、同じ目的でリライトされたのが第二十五章であろう、というのがボクの読みである。

 

 逆に言えば、本章は、読む者・聞く者の心を捉え損ねた問題点を抱えていた、ということであり、実はこの問題点こそが本章の笑いのツボになっているのだが、一方で、同時にそれが、本章の書き手が二千年前の古代インドに生きた人とは思えないほどSF的なセンスを有していたことを証明してもいるのである。

 

 蛇足ながら、妙音菩薩について補足しておこう。前述したように、観世音菩薩の影に隠れて印象の薄い同菩薩であるが、これは必ずしも観音様のせいだけではない。これはどちらかというと法華経由来のそれではなく、真言密教において妙音天、あるいは美音(びおん)天とよばれる天部(てんぶ)の話になるが、一般的に我が国ではこれが、いわゆる弁財天と習合して語られる。

 

 七福神の一員である弁天様については、改めて説明するまでもないだろう。そして、このビッグネームに習合してしまえば、妙音の名号が忘れ去られるのもむべなるかな。日蓮宗系の寺院であっても、弁財天の名を目にすることはあっても妙音菩薩の名を目にすることは稀*1であるから、読者諸兄がその名を知らずとも恥じる必要はない。いずれにせよ、相並ぶ有名人(?)に食われる宿業を背負った妙音菩薩には気の毒な話である。

 

 なお、これも冒頭に示した通り、法華経本章に登場する妙音菩薩は、この娑婆世界の菩薩ではなく、浄光荘厳(じょうこうそうごん)世界の浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来の下で修行する菩薩、とされる。これと、元を辿ればヒンドゥー教の土着神にいきつく弁財天を同一視してよいものか、ボクには判断し兼ねる。

 

 

                    *

 

 

 法華経第二十三章“妙音菩薩”は、いきなり釈迦の必殺技から始まる。

 

 さて、ここで世尊(せそん)釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)にして、尊敬されるべき正しい覚りを得たお方は、そのとき、大人の相である眉間の白毫相(びゃくごうそう)から光を放たれた。その光によって、東方におけるガンジス河の砂の数にも等しい百千億那由他の仏国土が輝き照らされた。

 

 いきなりの白毫ビームである。これにツッコみだすとキリがないのでサラッと流す。物語は、同じく唐突に照らされた側、すなわち、浄華宿王智如来なる仏陀のおわす浄光荘厳世界へ移る。

 

 ちょっと脱線。

 

 もちろん、法華経を書いたのは紀元1〜2世紀頃にインドで活動していた()()法華経教団の人々であるのだが、体裁上は、法華経の説法に出席した釈迦の直弟子の一人、多聞(たもん)……要するに耳学問の能力……第一とされる阿難(あなん)を介して伝えられたもの、とされている。まぁ、これは法華経のみならず多くの仏典に共通することなのであるが、そういう体裁である以上、その物語は、阿難の認識可能範囲内に収まっていないと、本来はおかしい。

 

 が、法華経ではしばしばそこからの逸脱が見られる。

 

 かの光はその妙音菩薩摩訶薩の身体を照らし出した。そのとき、妙音菩薩摩訶薩は座から立ち上がり、ひたすらに右の肩の衣をぬいで右肩を顕わし、右の膝を地に着けて、世尊の方に向かって合掌し、かの世尊の浄華宿王智如来・応供・正等覚者にこのように申し上げた。「世尊よ、私は、世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者に親しくまみえ、礼拝し、供養するために、また、かの文殊師利(もんじゅしり)法王子に会うために、かの薬王(やくおう)菩薩に(中略)かの娑婆世界(しゃばせかい)にまいりましょう」。

 

 これまたツッコみどころ満載なのだが……貴兄はいくつツッコめるだろうか、試してみよう!……ここで問いたいのは、上引用の情景を観察し報告したのは誰なのか、という話である。実に野暮なツッコみではあるが、天台大師や日蓮はこれを疑問視しなかったのだろうか、というところも、これまた疑問である。

 

<答え合わせ>

 

(1) 浄光荘厳世界でも偏袒右肩(へんたんうけん)が通用するらしい。

 

(2) ということは、同世界の住人の身体形状は人類のそれに近いか同じらしい。

 

(3) 光に照らされただけで、何故、宇宙の彼方からオマエを照らした相手の名前を知っているのだ。

 

(4) 文殊以下、娑婆世界の諸菩薩の名をいつ知った。

 

(5) そもそも白毫ビームに撃ち抜かれた瞬間、オマエは蒸発しているはずだ。

 

 まぁ、そういう冗談はさておき。

 

 前置きも束の間、いきなり本章クライマックスが迫って来てしまった。ストレートにこの感動を味わって欲しいので、説明抜きに、一気に当該部分を全引用するとしよう。

 

 そのとき、世尊の浄華宿王智如来・応供・正等覚者は、かの妙音菩薩摩訶薩にこのように仰せられた。「善男子(ぜんなんし)よ、そなたは、かの娑婆世界に行って、劣ったものとあなどる意識を起こしてはならない。善男子よ、かの娑婆世界には高下があって平らかでなく、土で作られ、黒山がはなはだ多く、穢れや濁りで充満している。しかも、かの世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者は身長が低く、また、かの菩薩たちも身長が低い。それなのに善男子よ、そなたは四百二十万由旬の身の丈をそなえている……

 

……お楽しみいただけただろうか。ボクは、わかっているつもりでも、何度読んでもこの下りで吹き出してしまう……今この瞬間もニヤニヤしながら横にいる妻に気味悪がられつつコレを書いている……のであるが。

 

 妙音クン……怖くなってきたので、少しでもそれを和らげるためにこう呼ぶことにしよう……が第十一章に登場する宝塔よりも背が高い……というか、桁違いに背が高いことはわかった。ただ、隣接宇宙の菩薩の名前にまで精通する妙音クンほどの知性に欠ける凡俗なボクとしては、単位変換しないと実感し難いので、1由旬15Kmで換算してみよう。

 

 63,000、000Km

 

……残念なことに、我らが太陽系に彼の身の丈の尺度となる構造物は存在しない*2。太陽の直径ですら妙音クンの45分の1に過ぎないのであるから、太陽は彼の玉乗りの玉にすらならない。奇しくも、水星の軌道半径が妙音クンの身長にほぼ等しい。強いて恒星で彼の身の丈に等しい径を誇るものを探すと、おうし座のアルデバランが丁度いい感じであるが、返って実感が湧かなくなる。とまれ、今日の娑婆世界では知名度の低い妙音クンではあるが、みんな、おうし座の赤い瞳を見るたびに彼を思い出してやってくれ。

 

 そのような次第であるから、当然彼が娑婆世界にやってくると、その時点から太陽系の中心は太陽ではなく妙音クンになる……というか、実際にはスーパーコンピュータか何かでシミュレートしてみないと断言は出来ないが、妙音クンの密度次第ではあるものの、これだけ大きさが違うとそれも無視してよかろうから、事実上、太陽系の全物質が一気に妙音クンに向かって落下していくことになる。

 

 妙音クンからすれば、その中で最大のものとなる太陽ですら身長の45分の1でしかないのだから、少々の火傷はするかも知れないが、大したことではないだろう。無論、娑婆世界の住人で生き残るものはいない。釈迦が白毫ビームで迎撃したとしても、妙音クンを消滅させるほどの出力が白毫ビームにあれば、住民どころか釈迦自身を含む地球が瞬時に蒸発する。

 

 思うに。

 

 本章の作者は、法華経の他の書き手が他国土について描写するに際し、想像力が乏しいことに不満があったのではないか、と思う。まぁ、その彼にしても、妙音クンの礼法が娑婆世界のそれに倣っているのだが、よくよく考えてみれば、これは妙音クンの身体形状が人類に近似することを匂わせる叙述トリックになっているのであって、この作者はなかなかどうしてやり手なのだ。

 

 が、妙音クンが観世音菩薩の影に隠れて忘れ去られてしまったのも、元をただせば彼の責任である。ディズニーランドの着ぐるみミッキーマウスですら、その微妙な大きさに小さな子どもが泣き出すことがあるくらいなのであるから、妙音クンは末法の衆生が親しみを感じるにはあまりに大き過ぎた。

 

 しかし、後世の我が国において、彼のライバル(?)であるところの観音様の長身立像の建設ブームが起こったことを妙音クンが知ったら……浄光荘厳世界から娑婆世界の諸菩薩の名前に精通していた彼のことだから、当然このこともお見通しであろう……どんな顔をするだろう。そもそも、太陽系の全物質をかき集めて観音像を作ったとしても、決して妙音クンに並ぶことはないのである。浄華宿王智如来の戒めもあるから、決して侮ったりはしないであろうが、心中複雑であろうことは疑いない。

 

 それにしても、である。

 

 今日に至るまで、誰も本章作者のこのイタズラを補正しなかった、というのはどういうことだろうか。と言うのも、上に引用した下りの次下にはこんなことが書いてあるのだ。

 

(続く浄華宿王智如来の台詞)

 

 善男子よ、私もまた、六百八十万由旬の身を得ている。

 

 ぅひょひょぉ〜〜ぃ!

 

 以上を以って、法華経第ニ十三章“妙音菩薩”の転読(うたたよみ)を終える、他に語るべきこともないので。

 

*1
 むしろ今日の日蓮宗系寺院においては庶民に聞こえのよい弁財天の名を自寺院に()()として取り込む口実に本章が利用されている、と言うべきかも知れないが、思うに、そんなことないとは思いたいが、多くの日蓮宗僧侶もまた自寺院に弁財天が祀られるのをさも当然と考えていて、その背景に本章の言う妙音菩薩があることをすっかり忘れてしまっているような気がしなくもない。

*2
 妙法蓮華経では妙音菩薩は而汝身四万二千由旬となっていて三桁ほど小さい。それでも太陽系のどの惑星よりも大きいのだが、本稿では中村師が原典から訳したものに従った。ちなみに妙法蓮華経でも相方の浄華宿王智如来は我身六百八十万由旬と言っていて、この師弟のあまりの大きさの違い……師弟比160倍……を誰も問題視していないのも謎である。っつーか、誰も馬々鹿々し過ぎて真面目に読んでねーんだよな、きっと。



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第12話 成仏マンネリズム ……第六章“予言”

 法華経転読(うたたよみ)シーズン2“お笑い篇”の3話目となる今回は、第六章“予言”(妙法蓮華経授記品(じゅきほん)第六)を取り上げる。

 

 予めお断りしておくと、前々回、前回のような劇的な笑いを本章に期待すると、裏切られることになる。笑いというものには、まったく想像もしていなかった可笑しなものが突如現れるがために笑ってしまうもの、と、十二分に承知しているものが当たり前にあるがために返って笑ってしまうもの、があろうかと思うが、本章のそれは後者である。トンデモ本好きの人であれば『餓狼の弾痕』的笑い、と表現すれば伝わるだろうか?

 

 さて。

 

 本章は、漢訳妙法蓮華経章題が示す通り、授記(じゅき)がおこなわれる章である。これは、それを与える側=仏陀からの言い方で、得る側=弟子の立場では受記(じゅき)という。その意味合い、および定型フォーマットについては既に第9話において論じた通りである。そういう次第なので、改めて説明すべきことは特にない。以下、ただひたすらに繰り返される授記を、あるがままに楽しんでいくことにしよう。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊(せそん)は、これらの詩句を説かれた後、すべての比丘衆(びくしゅう)に告げられた。「比丘たちよ、私はそなたたちに告げ知らせよう。私の弟子であるこの大迦葉(だいかしょう)比丘は……

 

 本章冒頭は上引用の通り。ほとんど前置きなしに本題へと入っていく。ちなみに、ここでこれらの詩句と言われているのは前章となる第五章“薬草”の末尾の偈のことになる。詳しくは同章を取り上げる際に論じたいが、これは第三章と同じく一乗真実三乗方便を譬喩で論じる章であり、特に本章との連続性はない。何が言いたいか、と言うと、本章の授記は本当に唐突に開始される、ということであり、第三章において受記に先立ちやたらと自己批判させられた舎利弗(しゃりほつ)が気の毒になるほどである。

 

 というのは半ば冗談で、厳密には第四章に、迦葉を含む本章で受記を得る四人の、舎利弗のそれに相当する告解的な発言が記録されているのであるが、その記事と授記の場面が随分離れているので、結果的に舎利弗だけが悪目立ちする構成になっている。

 

 では、本章の口火を切る大迦葉比丘、すなわち頭陀(ずだ)……托鉢行のことで要するに乞食の技……第一の迦葉に与えられた授記パラメータを見てみよう。

 

 名号:光明(こうみょう)如来

 国土:光明を得た(光徳(こうとく)

 劫名:大きな荘厳

 仏寿:十二中劫

 

 既に微妙に舎利弗に対するソレと被りつつある、という苦しげなスタートである、まだ先は長いのに……。

 

 以下、彼の仏国土となる光徳世界に関する装飾語句が続くが、例によって深い溝や山稜がなくとその平坦さが言われる一方で、糞尿等の不浄物もなくとあるのが目を惹く。光徳世界の生物は消化効率マックスで、不要物を体外に排出しないらしい。

 

 ここで()が挿入される。繰り返し述べていることであるが、法華経第一期(第二〜九章)はとにかく冗長である。ここに見える偈も、迦葉に対する授記の内容を繰り返すのみで、何か目新しいことが言われるワケではない。逆に、第一期に限って言えば、原法華経は偈のみで成り立つ暗唱歌のようなものだったのであって、これに敷衍説明する長行が後から整えられたのではないか、という仮説が真実味を帯びてもくるのであるが。

 

 閑話休題。

 

 続いて、本章で受記を得る他の三人、すなわち神通(じんつう)第一の大目犍連(だいもっけんれん)解空(げくう)第一の須菩提(しゅぼだい)、論議第一の大迦旃延(だいかせんねん)が、まばたきもせず、世尊を仰ぎ見ながら偈を述べる。

 

 おお、尊敬されるべき大雄者よ、釈種の王である世尊よ、私たちをあわれみ慈しんで、仏陀の声をお聞かせください。人々の中の最高に尊いお方よ、どうか私たちの堅固な深心をお知りになられて、あたかも甘露をそそぐように、記をお授けください。

 

 法華経が創作された当時の人々の感性に、上引用の章句がどのような印象を与え得たのかについては知る由もないが、現代の我々の感覚からすると、何だか嫌らしい阿りのように思えてしまうのは意地悪な見方に過ぎようか。かのオウム真理教ありし日、麻原教祖からホーリーネームとやらを得るべくこのように阿って、結果的に彼を不帰路へ堕ち込ませた人々も、このような次第だったのではないか、と剣呑なことを考えたくなる。

 

 これに続く偈中の譬喩もなかなか面白い。曰く、飢えた国から来た人がいて、食べ物を手に入れたのだが食べるのを待つように言われた、としましょう、と。我々(前述の三大弟子)にとって、受記を得られないのは、あたかも手の上に置かれたその食べ物を、食べてはならない、と言われたようなものであり、故にとっとと授記しやがれ……いや、実際にはもう少し丁寧な物言いにはなっているのであるが、趣意はこの通りである。

 

 このような餓鬼道真っ盛りの連中に、授記を与えて良いものだろうか?

 

 いや、もちろんこの譬喩は、それほどまでにこれらの三大弟子が受記を求めていることを強調する修辞なのであり、裏を返せば、それほどまでに法華経の示す一乗真実は素晴らしいものなのだ、というのが書き手の言いたいところなのであろうが、やはり法華経第一期の論者は、しばしば勢い余って不適切な含意をあちらこちらに撒き散らすきらいがある。

 

 そのような問題点に自覚がないのか、そもそも彼等の偈をちゃんと聴いていたのかも疑問なのではあるが、釈迦……念のために言うが、法華経教団を代弁するキャラクタであって、歴史上の釈迦その人ではない……は、既定路線に従って須菩提に授記を与える。

 

 名号:名声の相あるもの(名相如来)

 国土:宝を出生するもの(宝生)

 劫名:宝の光明(有宝)

 仏寿:十二中劫

 

 続く仏国土の描写は、迦葉に対するそれとほとんど同じで、糞尿の不浄物もなくとされるところまで共通である。釈迦の弟子たちは……いやいや、これも法華経教団の書き手の嗜好の反映と読むべきであるが……よほどウンコが嫌いなのか。

 

 次下では、再び釈迦の偈によって須菩提に対する授記が繰り返される。もうお気づきかと思うが、これがあと二人分ある、ということだ。法華経マニアを自認するボクですら、この下りは読み出すと途端に眠くなる。いや、ひょっとすると本章(を含む授記関連の章)は、法華経を繰り返し音読することを日々の生業としていたであろう法華経教団の人々が、小難しい(というか熟れていない)理屈をこねくり回す第五章までの朗唱を経た後、ウトウトしながら一息つくために書かれた可能性すらあるかも知れない。いや、これは冗談だが。

 

 須菩提への授記が終わるや否や、立て続けに大迦旃延に対する授記が始まる。思えば、前稿に示した“阿りの偈”が三大弟子の連名になっていたのは、銘々がいちいちに歓喜や共感を表明する下りを挿入する手間を省いたものだったことになる……が、いいのだろうか、それで?

 

 第三章における法華経中最初の授記例を通して論じたように、少なくとも舎利弗に対する授記の下りが含意する中で最も重要なものは、如来の方便力は衆生の歓喜を喚起すること、すなわち、教育者∞たる仏陀に自ら望んで成ることへの共感を広げること、であるようにしかボクには読めないのであるが、本章では、その肝心の部分が省略されて、どうでもいい定型フォーマットや「ウンコがない」などという粉飾語句が死守されていることになる。

 

 ここからも、法華経教団第一期の人々が、自分たちが主張しているセントラルドグマが図らずも含意していることに、存外無自覚であったことが知れるのであるが、それはさておき。

 

 名号:閻浮河の黄金の光(閻浮那提金光(えんぶなだいこんこう)如来)

 国土:(言及なし)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:十二中劫

 

 如来の名がかなり苦し紛れになってきたせいか、国土と劫についてはその名に対する言及がなくなる。

 

 まぁ、これも冗談半分で言っているのであって、そもそもこの如来の名号が苦し紛れに見えるのは、これが漢訳だからである。前稿に見た“光明”や“名相”といった名号がスッキリしているのは、たまたま表意文字である漢字に、原典サンスクリット語句が示す概念にうまく対応する字があったからに過ぎない。

 

 が、ではこの“閻浮那提金光”の名号がまったく苦し紛れではないのか、と問うと実はそうでもなくて(苦笑)、“閻浮那提”というのはヒマラヤ山脈の北方に措定された伝説的な河を示す固有名詞であり、当然、これに一字で対応する漢字は存在しないので、訳者は音写せざるを得なくなったのである。むしろ、法華経に限らぬ仏典に見える各種の名号に、普通名詞と固有名詞が無頓着に入り混じって用いられるのは何故なのか、の方が興味深いテーマではあるのだが、本筋ではないのでここでは捨て置く。

 

 それはともかくとして、大迦旃延への授記の粉飾部に、ちょっと見逃せない面白い部分がある。

 

 流石にもうウンコの話は出ないのであるが、代わって、大迦旃延あらため閻浮那提金光如来の入滅に際しては、七宝で飾られた宝塔が建立されるだろうということが言われる。つまりコレは、第十一章に登場する多宝如来のアレである。法華経成立史の観点からすると、本章が書かれた時点で第十一章の内容が計画されていたとは思えないので、伏線、というワケではない。逆に、法華経第二期の書き手は、ここに見える七宝の塔に着想を得て多宝如来の宝塔を創作した、というのは大いにあり得る。

 

 あり得るのだが。

 

 問題はその大きさなのである。本当に法華経を書いた連中のスケール感の不揃いには呆れるばかりなのであるが、ここで言われる閻浮那提金光如来の塔の大きさは、

 

 高さは千由旬、周囲は五百由旬

 

とあって、キッチリ多宝如来のそれの倍なのである。

 

 地球よりデカい。

 

 閻浮那提金光如来の仏国土の名前に言及がないのは前述した通りであるが、これは考え方によると、この娑婆世界の未来仏だから、と解釈することもできる。だとしたら、

 

 どこに建てるの、ソレ?

 

 仮に作ったとして、要する建材は地球の全質量にほぼ等しいと思うのだが、

 

 土葬するのと何が違うの?

 

 まぁ、茶化すのはこのくらいにして。

 

 第十一章の多宝如来の宝塔が「三千大千世界のいずこにおいても法華経が説かれたときは、そこへ出現してその正しさを証しする」という特別な役割を託されているからには、その唯一無二性が主張されるべきであって、その最も簡単な方法はあり得ない大きさを示すことなのであり、実際そうなっているのだが、遡って法華経を読んでいくと、本章の時点で多宝如来のそれよりも大きな塔が語られているワケで、とすると、途端に多宝如来の宝塔の唯一無二性が揺らぐのである。

 

 無論、ここで言っているのは、第十一章の塔がもっと高くないとおかしいだろ、という難癖ではない。言いたいのは、法華経の各期の書き手が、自分たちの拠って立つ先達の書き物をちゃんと読んでいないし理解もしていない、という批判であり、同時に、天台大師や日蓮といった後世の解釈者も、こういったことを見落としている、という批判である。

 

 まぁ、前話でもっとヒドい例を見た今となってはどーでもいい話、ではあるのだが。浄華宿王智如来の入滅後に同じような塔が建立されるとすれば、それが事実上の墳墓である以上、その大きさが浄華宿王智如来よりも小さくなることはないワケで……。

 

 閑話休題。最後に、大目犍連に対して授記が与えられる。

 

 名号:多摩羅樹の葉と栴檀の香り(多摩羅跋栴檀香(たまらばっせんだんこう)如来)

 国土:心を楽しませるもの(意楽(いらく)

 劫名:喜びに満ちた(喜満(きまん)

 仏寿:二十四中劫

 

 いよいよ如来の名号がエラいことになっている。それよりも、大目犍連だけ如来の寿命が倍になっているのは何故なんだろうか。章中には特に説明がない。

 

 以下、やはり偈でまったく同じ内容が繰り返され、そして唐突に本章は終わる。以って、法華経第六章“予言”の転読(うたたよみ)もまた唐突に終わる。

 



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第13話 続・成仏マンネリズム……第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”

 前回からの惰性で、法華経第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”(妙法蓮華経授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九)へと転読(うたたよみ)を進めてみたい。

 

 これは、読み手であるボクにとってのみならず、書き手たる法華経執筆者にとっても惰性なのであって、本章の基本構造は、前回取り上げた第六章“予言”、および直前の章となる第八章“五百人の比丘に対する予言”、そっくりそのままとなっている。ここで改めてその構造を振り返っておこう。

 

(1) 登場人物が、直前の授記を賞賛し釈迦に拝礼する。

 

(2) 釈迦が定型フォーマットに従って授記を与える。

 

(3) (2)が偈によって繰り返される。

 

(4) 受記を得た人物が偈で答礼する。

 

 その意味合い、また<仏教>史上における意義についても既に論じた通りであるが、それにしても、法華経第一期の書き手が、何故にここまでこの論述を繰り返さねばならなかったのか、正直なところボクにもよくわからないのであるが、ひねり出される名号を楽しみつつ、その辺りを妄想してみようと思う。

 

 

                    *

 

 

 本章最初の登場人物は、体裁上は、法華経が説かれた場に居合わせ、その場で見聞きしたことを後世に伝えたことになっている釈迦の弟子、多聞(たもん)第一の阿難(あなん)である。

 

 本章は、法華経第一期の授記を扱う章の中でも最末尾にあたるが、ここに至って彼が登場するのはなかなか興味深いことではある。法華経に限らず、多くの仏典はその書き出しに如是我聞(にょぜがもん)という定型句が配される。「私はこのように聞いた」の意であるが、ここでいう「私」が阿難であり、多聞、すなわち多く聞いて暗記する技能に優れた彼が、在りし日の釈迦の語ったことを口述し、これを編纂したものが今日我々の知る仏典である、ということに()()()()()()()()()なっており、法華経もまたそのスタイルを踏襲している。これについては本連載第17話にて、法華経序章を転読(うたたよみ)する際に改めて詳細を論じる。

 

 とまれ、法華経が書かれた当時の人々にとって、阿難の名は仏典の聖性を保証するトレードマークのような意味合いを有していたのであるが、その彼の名が、第二〜八章までの法華経の中で表立って論じられることはなかった。

 

 以下、あくまでも個人的な想像に過ぎないのであるが。

 

 阿難の名がそのような意味合いを持っていた一方で、必ずしも個人としての彼がそれを理由に崇敬されていたか、と問うと、そういうことでもないようである。釈迦の“十大弟子”という言い方があるが、このとき、阿難は出家順が最も遅いということから、概ね末席として連ねられることが多い。逆に、筆頭になるのは、法華経においても最初に受記を得る舎利弗である。法華経における授記は、概ね、この十大弟子の順位に沿っているように見える。

 

 本章直前の第八章は、授記の章であると同時に、その末尾に衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬喩が配されていることを既に見た(第9話)。もし、法華経第一期の書き手に、十大弟子全員に対して概ねその権威順に授記の場面を描く意図が最初からあったのだとすると、衣裏繋珠の譬喩の挿入位置がいささか不自然である。また、その直前に受記を得るのは阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)と千二百人の声聞だが、阿若憍陳如は十大弟子ではない。

 

 そこで思うのは、そもそも書き手は授記については第八章までで十分と考えていたのではないか、ということである。いや、その第八章すらも、第六章との間にまったく意図の異なる譬喩からなる第七章を挟んでいることを鑑みるに、当初は計画されていなかったかも知れない。つまりはこういうことである。

 

 まず、第三章で十大弟子筆頭の舎利弗が受記を得る。これは、授記であると同時に、第二章の内容を敷衍して、法華経第一期のセントラルドグマの一部となっているワケだが、これを譬喩を以ってさらに敷衍するのが第四〜五章であり、さらに第六章で舎利弗に次ぐ四人の十大弟子に授記がおこなわれることで、第三章における授記が舎利弗一人のみに対する特別のものなのではなく、普遍的なものであることを示そうとしたのだろう。

 

 おそらく、書き手の意図としては、授記の論述は、当初はこれで必要十分だったのであり、ゆえに、改めて第二〜六章を敷衍する譬喩となる第七章が配されたのだが、その後から「受記は、釈迦の直弟子筆頭のみに許された特別なことなのではないか」という不安感が、どこからとなく表明されたのではないか、と思う。これを受けて、第八章において、十大弟子以外……憍陳如はそれに次ぐ五比丘の筆頭である……への授記が描かれ、一旦はこれで十分だと思われたので、その末尾が衣裏繋珠の譬喩でしめくくられたのであろう。

 

 ところが、さらに後になって「法華経を(教団シンパの主観として)今日の我々に伝えてくれた阿難に対する授記はなかったのだろうか」という疑問が呈されるに至り、以って本章がさらに加えられたのではないか、というのがボクの推理である。そもそも法華経は、それを読んだ人に対し他者へその内容を伝播することを強く勧める体を採っているのであり、設定上法華経を法華経教団に伝播したことになっている阿難が受記を得られないのであれば、どうして後世の法華経伝道者が成道できようか、という話になってしまうからだ。

 

 おそらく、書き手自身としては「阿難の成道は明示的に書かずとも当然じゃないか」と思っていた(がゆえに、第九章に至るまで授記が描かれなかった)ことだろう。が、読み手・聞き手は上述したような不安を抱いたに違いない。思えば、法華経第二期の話になるが、第十二章(第4話)において、釈迦の養母と元妻に対する授記に際し「あなたがたは、既に声聞・独覚衆への授記に含まれていたことに気づいていないのか」と釈迦が苦言を呈する場面があったが、考えようによってはこの演出は、法華経第一期の後半、第六〜九章が成立していく過程を反映したものだったのかも知れない。

 

 つまり、この過程においても第十二章で言われるのと同様に「先行した授記にそれは含まれている」と書き手は思っていたにも関わらず、読み手・聞き手が納得してくれないので、芋蔓式に授記の章が増えて行かざるを得なかったのではないか、ということだ。とすると、ひょっとすると衣裏繋珠の譬喩は、そもそもは、対立声聞衆に対してではなく「あの人への授記はないのか?この人へは?」と際限なく要求してくる法華経教団身内への嫌味で書かれた可能性すら考えられよう。

 

 まぁ、あくまでも以上はボクの妄想である。

 

 閑話休題。最早どうでもいいことのように思わないでもないが、授記に現れる名号には、一昔前の暴走族が好んだ名乗りにも見られる不思議な魅力もあるので、例によって定型フォーマットで一瞥しておくことにしよう。以下が阿難に対する授記となる。

 

 名号:山海慧自在通王(さんかいえじざいつうおう)如来

 国土:降ろされることがない勝利の幡(常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)

 劫名:心楽しい音をあまねく響かせる(妙音遍満(みょうおんへんまん)

 仏寿:無量劫

 

 なんだか山海の珍味みたいな名号になってしまっているのだが。また、これもその意図は不明だが、仏寿が、他の十大弟子の場合(十二〜二十四中劫)に比較して……まぁ、どちらが長いとも短いとも判じ難いのではあるが……エラいことになっている。これは、各種仏典が彼を通して後世に伝えられた(とされる)ことに対するボーナスなのだろうか?

 

 阿難に対する授記の後、その趣意を繰り返す釈迦……クドいが歴史上の釈迦、ではなく、法華経教団が自説を仮託したキャラクタである……の偈と、阿難からの答礼の偈が交わされる。

 

 このやり取りにおいても、以前第八章転読に際して指摘したのと同様の、釈迦と阿難の前世における因縁話が挿入されている。曰く、二人は過去世において、空王(くうおう)如来なる仏陀の下で同一の機会、同一の時に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に向かって発心したのであり、その因縁により、阿難はその成仏が今ここに確約されたのだ、というのであるが、スタート時点が同一の機会、同一の時であるにもかかわらず、一方(釈迦)は授記を与える側、もう一方(阿難)は受記を得る側、と運命が分かれたことになる。

 

 そのことと直接の連関が言われているワケでは必ずしもないが、文中では二人の差異について、阿難は常に法を多く聞くことにつとめ、私は精進に努めたと言われている。これは単純に、多聞第一と謳われた阿難の人物評を承けての修辞である可能性もあるが、素直に読めば、法を多く聞くよりも精進に努める方が、より迅速に成仏できる、の意に取れなくもない。

 

 いずれにせよ、前稿でも論じたように、本章の書き手にとってのそもそもの執筆意図は、授記の例を増やすことにあったのであって、私見では、授記そのもの以外の記述は変化をつけるための粉飾語句以外の何物でもなかったのではないか、と思うのであるが、上に述べたように、その粉飾部と思われる部分にも、後世の読み手をミスリードしかねない含意が散りばめられている。この辺りにも、法華経の書き手は、自ら衣裏繋珠の譬喩を語りながら、自分たち自身が法華経という名の衣の襟の中に、玉石混交の何かをせっせこ隠しまくっていたことに、存外無自覚であったことを伺い知ることができる。

 

 ここで阿難の出番が終わり、釈迦は唐突に羅睺羅(らごら)、すなわち彼の息子を指名する。羅睺羅もまた、いわゆる十大弟子の一人に数えられ、密行(みつぎょう)第一の人ということになっている。とりあえず、お約束の彼に対する授記のユニークパラメータを確認しておくことにしよう。

 

 

 名号:蹈七宝華(とうしっぽうけ)如来

 国土:(言及なし)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:(言及なし)

 

 国土や劫の名前に言及がないのは、いよいよのネタ尽き感を覚えるのであるが、これにはいちおう理由があって、そなたは、かの山海慧自在通王如来・応供・正等覚者の長子となるであろうとあるので、つまり、阿難が常立勝幡世界の妙音遍満劫における仏陀として君臨するに際し、羅睺羅が娑婆世界における釈迦の長子であるように、山海慧自在通王如来の長子として生まれるだろう、ということになっている。

 

 なお、厳密にいえばここでの言及からは、羅睺羅が蹈七宝華如来になるのがまさに山海慧自在通王如来の長子として、その世界、その劫においてであるのか、そこからさらに未来世のことであるのかは判然としない、おそらく後者。思うに、これも授記の記述に変化を付けるべくおこなわれた粉飾であろう、と思うのであるが、羅睺羅が常にそれらの諸仏・世尊の長子となるであろうとの語句もあり、これまた素直に読めば、羅睺羅(および彼が輪廻転生していく何者か)は仏教世界のプリンスである、ということになるが、これも結果的には、法華経教団第一期のセントラルドグマのみならず、<仏教>的に筋のよろしくない主張になってしまっている。

 

 羅睺羅のこの修行は人々に知られていないが、私は彼の誓願をよく知っている。彼は世の親を称賛し、「私は如来の息子である」と語る。今生における私の嫡子である羅睺羅の功徳は無量億千万であって、それらの量は決して量り知ることができない。

 

 書き手に悪気はないのだろうが、結果的に、釈迦がトンデモない親馬鹿に見えてきて、何だかなーな気がしないでもない。出家、っつーのは、そういう血縁者への執着も断ち切るものと違うんですか、と。

 

 まぁ、自身の居住する寺院を世襲の財物と考え、実子に家業として宗教法人を継がせることに慣れた今日の我が国の坊さんたち、それを有難がる自称敬虔な檀家たち、は、上に指摘したことには特に問題を感じないかも知れない。正直頭が痛いが、むしろここでは、この頭痛は今日の日本に限った話ではなく、二千年前にもあまり問題視はされていなかったようなので気にしなくていーんじゃない、と解釈するのもアリだろう。

 

 ボク個人としては、そのような観念に無自覚に束縛された人々に対し生暖かくも冷ややかな視線を送り続けることになるのであるが。

 

 それはさておき。次下は妙法蓮華経における本章の章題、すなわち授学無学人記品の由来となるエピソードになる。二千人の学・無学に対し授記がおこなわれるのであるが。

 

 名号:宝相(ほうそう)如来

 国土:(十方のおのおおのの世界)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:満一劫

 

 二千人いて如来の名号が一つなのは、第八章における五百人の比丘に対する授記同様に、皆、名号が同じだとされているからであって、お釈迦様といえども(実際には法華経の書き手なのであるが)流石に二千人分のいちいち異なる如来の名号を考えるのは面倒なのである。

 

 興味深いのは、ここで言われる名号、すなわち宝相如来は漢意訳なのであるが、原意は(もとどり)に宝珠をもつ王であり、もう少し噛み砕くと、長髪を束ねて頭頂に髻……仏像のお団子ヘアである……を結った王様がいて、ソイツがそのお団子の中に宝珠を隠し持っている、の意になる。何だコレ?と思うのであるが、実は本連載では未読の第十三章後半にまったく同じ設定の王様の話が出てきて、これが法華七喩の一つ“髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)”になっている。本章における学・無学への授記と髻中明珠の譬喩の間に何らかの連関があるのか、と問うと、パッと見は無関係のように思うのであるが、これについては第十三章を転読する際に改めて論じてみたい。

 

 このあと、やはり例によって例の如く、学・無学二千人からの釈迦に対する答礼が偈で以って述べられた後、本章は唐突に終わる。法華経第一期の最末尾に、何らかの必要性にかられて増補されたと思われる本章であるが、結果的には、後世の信仰者をミスリードしかねない(それでいて非本質的な)誤解の種を振りまいているのみのようにボクには読める。

 

 特に致命的に思われるのは、繰り返し述べているように、法華経を書いた人々にとってこれらの授記の物語は、本来的には仏教について見解の異なる人々に対し「我々の信じる理念に帰伏し、以って共に阿耨多羅三藐三菩提を得よう」との呼びかけであったはずであるが、これが、おそらくは法華経教団内部の事情によって水ぶくれ化、マンネリ化したことにより、読み手・聞き手にとって、目指すべきが阿耨多羅三藐三菩提であるのか、それとも授記であるのか、その両者の関係はどうであるのか、結果的にわかりにくくなってしまった点である。

 

 私見を交えて言えば、法華経教団が自覚的に気づいていたかどうかはともかくとして、教育者∞の譬喩を通して示したように、本源的には「“阿耨多羅三藐三菩提を目指し続けていること”それ自体が阿耨多羅三藐三菩提である」という入れ子構造的な主張を彼等はしていることになるのだが、これは普通の人にとってはわかりにくいし、そもそも彼等自身がそのことを明示的に説明し尽くせていない。一方で、ここまで見てきた授記の物語は、その妥当性はともかくとして圧倒的にわかりやすい。否、彼等にとってみれば、そのわかりやすさゆえにこれを法華経に採用し、以って衆生を導かんと企図したものであろう。

 

 が、要するにこれは“免許皆伝”の物語なのであって、絶対的権威=釈迦から免許皆伝=受記を得ること、それ自体が、そのわかりやすさゆえに目的化してしまうと思わぬ弊害を生むことになる。実際に、法華経第三期の人々はここに埋設された地雷を踏んでしまったようなのであり、これについては次話でその例を示したいと思う。

 

 とまれ、ボクの知る限りにおいては、天台法華に連なる人師による本章に対する註釈は、これまた種々の粉飾語句に塗れているものの、つきつめれば「授記を下さるお釈迦様、ありがたやー」以上のことは言っていないので、良く言えば、彼等は純粋に善意でのみ本章を読んだのであり、悪く言えば、彼等にとっての本章は冗長で退屈だったから適当に流したのだろう。

 

 いずれにせよ、いささかそこには、註釈家を気取りつつ後世の読者に対して誠意を欠くものを感じざるを得ないので、畏れ多いことながら、酔狂なボクが勝手に代わって釈させていただいた。以上を以って、法華経第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第14話 成仏マネタイズ……第二十五章“吉祥な荘厳王の往古の事”

 第10話以降、いろいろな意味で“おかしい”法華経の章を取り上げてきた。第14話となる今回取り上げる法華経第二十五章“吉祥な荘厳王の往古の事”(妙法蓮華経妙荘厳王本事品(みょうそうごんのうほんじほん)第二十七)も、そうしたおかしい章の一つなのだが、おかしいの意味が少し異なる。結論から言えば、“可笑(おか)しい”のではなく“可怪(おか)しい”のである。

 

 本章は、問答体を採る他の多くの章とは異なり、釈迦……歴史上の釈迦ではなく、法華経教団を代弁するキャラクタとしての釈迦である……が一方的にある物語を述べる形式になっている。決して長い章ではなく、また、物語の構造自体は単純明快なのだが、いったい本章の書き手は、この物語に託して何が言いたかったのだろう、と考え出すと“可怪しい“章、になる。

 

 そのような次第であるので、まずはザッと何が語られているのかを読み通した後に、その含意するところを検討する、という進め方をしてみたい。例によって粉飾語句があまりに多いので、逐一引用せずに大雑把にその意を押さえていくことを諒されよ。

 

 

                    *

 

 

 無量無辺不可思議の、数値で数えうる域を超えた劫の過去世に、ある如来がいたのだ、というところから物語が始まる。授記フォーマットに従って示せば、

 

 名号:雲雨音宿王華智(うんらいおんしゅくおうけち)如来

 国土:清浄な光によって荘厳された(光明荘厳(こうみょうそうごん)

 劫名:見る者を歓喜させる(喜見(きけん)

 

ということになろうか。雲雨音宿王華智とはまたご大層な名号であるが、特に含意があるものではないようだ。

 

 この如来が教化する世界に、漢訳章題にその名の現れる妙荘厳王(みょうしょうごんのう)という王様がいた。その妃に浄徳(じょうとく)がおり、王との間に二人の息子がいる。浄蔵(じょうぞう)浄眼(じょうげん)の二人の王子であり、この王子たちは神通力を得、智があり、福徳をそなえ、慧をもち、菩薩の行に精進していたとされる。

 

 以上で主な登場人物は出揃った。王様と妃と超能力に開眼済みの二人の王子。もう、それでハッピーエンドでいいじゃないか、という気もするのであるが……。

 

 さてそのとき。

 

 雲雨音宿王華智如来……いちいち書くのが面倒なので、以下“雲じぃ”と略記する……が法華経を説いたそうなのである。このようにサラッと書かれてしまうと、あぁそうですか、なのだが、よくよく考えてみると、そのときもやはり多宝如来の宝塔は出現したのだろうか、そもそもその雲じぃの説く法華経に、本章自身は含まれるのだろうか、等々と疑問は尽きない。いや、脱線は避けたいのでひとまず捨て置こう。

 

 浄蔵・浄眼は母、浄徳に「雲じぃの法華経を聴きにいきましょう」と誘う。が、母はいい顔をしない。曰く、妙荘厳王は婆羅門(ばらもん)たちを深く信じているので、妃や王子が雲じぃの説法を聴きにいくのを喜ばない、というのである。念のために補足しておくと、婆羅門とは、本来はインドのカースト制において最上位とされる祭祀階級の呼び名であるが、<仏教>においては、自身に属さない諸々の祭祀・哲学・習俗を十把一絡げにこう呼んでいたものである。つまり、雲じぃの立場から見たとき、浄徳・浄蔵・浄眼は仏教徒であり、妙荘厳王は外道(げどう)=異教徒だった、ということになろうか。

 

 これに対して二人の王子は言う。

 

 私たちは、この邪な見解を奉ずる家に生まれました。しかしながら、私たちは法王である仏陀の子です。

 

 一つ間違えると浄徳王妃の不貞が疑われる発言であるが、もちろんここで言っているのはそのような意味ではなく、比喩的な意味において「仏陀は一切衆生の親である」とされるところの逆を言ったものであろう。それにしても、自身が何か努力をしたワケでもなく、王子として生まれたがゆえに何不自由ない生活を保証されておきながら、この邪な見解を奉ずる家とはエラい物言いだが、いちいちツッコんでいるとキリがない。先へ進もう。

 

 そこで浄徳王妃は二人の息子に、父の前で何か神変の相を示し現わしてごらんなさいと勧める。仏弟子である二人の神通力を目の当たりにすれば、その師たる雲じぃの素晴らしさもまた妙荘厳王に理解されるだろう、と言うのである。

 

 で、二人は母の助言に従い父の前で、虚空に昇るや、横臥したり、虚空のあちこちを散歩したり、虚空の中にあって塵を払ったり、虚空の中において身体の下方からおびただしい水流を噴出したり、身体の上方から火炎を燃え上がらせたり……その他、巨大化したり、瞬間移動したり、と神通力を披露する。妙荘厳王はこれにいたく感じ入り、雲じぃに会いにいくと言い出す。尺の都合かもしれないが、存外イージーな展開である。

 

 母上よ、私たち二人は父上を無上の正しい覚りに教導いたしました。私たちは父上に教師の仕事を果たしました。それゆえに、いま、私たちをかの世尊のもとに行かせてください。私たちはかの世尊のみ前において出家いたしましょう。

 

 二人の王子は上引用の通り、出家すると言い出す。すると、母も共に出家すると言い出す。さらには、妙荘厳王までもが、一族郎党を引き連れて出家……それは最早、出家ではないのではなかろうか……する。う〜む、これは一国を支配する一族がその責務を放り出して隠遁するような話で、残された国は大混乱に陥るのではないか、と気懸かりになるのであるが、本章中にそれについての言及はない。

 

 かくして、妙荘厳王とその眷属は、八万四千年の間、『妙なる教えの白蓮華』という経を思惟し、修行し、完全に了解するために精進する。ちょっと時間かけ過ぎだろう、とか思うが、それはともかく。遂に、一切浄功徳荘厳(いっさいじょうくどくそうごん)と名づける三昧(さんまい)を会得した妙荘厳王は、雲じぃに以下引用のように告げるのだった。

 

 世尊よ、この私の二人の息子は私の師です。私は二人の息子の神通変化の力によって、あの大きな邪見から解き放たれ、如来の教えに安住せしめられ、教化され、その教えに深く入らせてもらい、如来にまみえるように励ましてもらったのです。世尊よ、この二人の息子は私の善き友であって、私の宿世における善根を想い起こさせ、私を導くために、私の息子の姿になって私の家に生まれたのです。

 

 さて、雲じぃはコレにどう応じるのか。

 

 大王よ、それはまさしくそのとおりである。それはそなたが言うとおりである。大王よ、善根を植えた善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)たちにとっては、生死の世界に輪廻するいかなる場所に生まれても、仏陀の衆生教化に向かって身を置き、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)について明示し、教導し、励ましてくれる善知識を得やすいのである。大王よ、すなわち善知識の恩恵は如来にまみえるように化導することで、このことが最勝の義なのである。

 

 以上が雲雨音宿王華智如来、こと、雲じぃの返答。内容の検討は先送りし、とりあえず先へ進もう。

 

 ともかくこうしたやり取りの後、妙荘厳王と浄徳王妃は仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)する。二人は不可思議な力で中空に浮かび、そこから百千の価値ある真珠の首飾りを雲じぃの頭上に振り撒く。散り飛んだ真珠は高楼の法座に転じ、雲じぃがそこに結跏趺坐(けっかふざ)して高らかに告げる。

 

 比丘たちよ、そなたたちは妙荘厳王が空中に静止して獅子吼しているのを見ているであろうか。

 

 雲じぃは妙荘厳王に対し授記を始める。定型フォーマットに与えられるパラメータは以下の通り。

 

 名号:娑羅樹(さらじゅ)の帝王

 国土:広く大きい(大光(だいこう)

 劫名:高遠な超越せる王(大高王(だいこうおう)

 仏寿:(言及なし)

 

 妙荘厳王を仏道に導いた浄蔵・浄眼ではなく、導かれた妙荘厳王の方に授記が与えられるのがどうにも不可解であるが、ともかく、ここで妙荘厳王についての物語は唐突に終わる。つまり、文面上のリアルタイム、テキストとしての『法華経』上において法華経を説く釈迦……もちろん歴史上の本人ではなく法華経教団が騙るキャラクタである……のタイムラインに復帰する。

 

 さてまた、善男子らよ、そのとき、その折の妙荘厳と名づける王をだれか別の人であると、そなたたちに疑惑、疑念、猜疑が生ずるならば、しかし、善男子たちよ。そなたたちはそのように見るべきではない。それは何ゆえかというと、ここにいる華徳(けとく)菩薩摩訶薩こそ、実にそのとき、その折の妙荘厳と名づける王であったからである。

 

 かくして、本連載をここまで読み通して来た奇特な方にとっては、最早見慣れたであろうこのパターンに至る。他、浄徳王妃は光照荘厳相(こうしょうしょうごんそう)菩薩、浄蔵・浄眼の兄弟は薬王(やくおう)菩薩……法華経のいくつかの章で釈迦の相方を務め、第二十二章の主人公でもある……と薬上(やくじょう)菩薩なのだ、と断言され、これで本章はこれまた唐突に終わる。

 

 何なんだ、コレは?

 

 

                    *

 

 

 以下、本章が何を言わんとしているのか検討してみたいと思うのであるが、最初に、本章が天台法華、特に日蓮筋においてどのように受容されたか、について触れておきたい。と言うのも、本章は日蓮宗々徒の間では、比較的知名度が高いのである。厳密に言えば、本章内容までを知る人は多くないかも知れないが、浄蔵・浄眼の兄弟の名を知らぬ人がいれば、これは日蓮宗のモグリであると言ってよかろう……いや、んなこたないか。

 

 日蓮晩年の弟子……出家したワケではないから信徒、と言うべきか……に池上宗仲(むねなか)宗長(むねなが)という兄弟がいた。日蓮が死んだのは、病んだ身体を癒やすべく湯治へ向かう途上、逗留した池上家邸宅においてのことであり、東京にある日蓮宗の大本山の一つ、池上本門寺の“池上”は、この寺領が元々は彼等が日蓮の死に際して寄進した土地であることに由来する。

 

 さて、彼等が兄弟であることから薄々察しはつくと思うが、幕府作事奉行を務める二人の父は、皮肉なことに日蓮が忌み嫌った真言律宗の僧、極楽寺忍性(にんしょう)の熱心な信者であった。これが仇となって、兄弟は一時は父から勘当されるに至る。これに前後して日蓮と交わされた書簡が多数現存しているのであるが、最も端的なものを以下に示すと、

 

 法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんするところ、ひとすぢにをもひ切つて、兄と同じく仏道をなり給へ。親父は妙荘厳王のごとし。兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。昔と今はかわるとも、法華経のことわりはたがうべからず。

兵衛志(ひょうえさかん)殿御返事、句読点は引用者が適時補った)

 

 これは、弟・宗長(兵衛志は彼の官職名)に対して日蓮が送った手紙の一節である。日蓮への帰依は兄・宗仲が先行したようで、ために兄が勘当されたワケだが、弟・宗長は、自身にも法華信仰を勧める兄に従うか、兄を廃嫡して家督を譲ろうと迫る父に従うか、選択を迫られたのであった。

 

 この手紙において日蓮は「法華経の敵となった父に従って一乗(法華経)の行者である兄を捨てることは、本当の意味での親孝行にはならない。思い切って兄につきなさい。あなたの父は妙荘厳王であり、あなたたち兄弟は浄蔵・浄眼だ。時代は変わっても、法華経のことわりは疑うべきでない」と言っているのであり、まさに、ここまで読んできた本章の内容を踏まえてのことであることがわかる。実際、この手紙が書かれた翌年には、二人の父が日蓮に帰依するに至ったと伝えられる。

 

 おぉ、何だか凄い話。

 

 念のために申し添えたいが、これを、法華経が池上兄弟を予言したものだ、などという読み方をすべきではない。これは言わば自己成就型の予言である。日蓮は父に背いて自身に帰依しようとする兄弟の姿に、生きる浄蔵・浄眼を見たのであり……彼の魂の熱量からすれば、法華経が池上兄弟を日蓮の下へ遣わしたのだ、と彼自身は本気で信じたことだろう……日蓮からそのことを告げられた池上兄弟もまた、妙荘厳王と浄蔵・浄眼を自分たち父子に重ね合わせて考えた。ひょっとすると、彼等の父もまた、法華経本章を息子たちに示されて日蓮への帰依を決めたのかも知れない。これは、経典が生ける者の行動モデルを示し、関係者がそれを受容した結果、経典と現実が一致したものであって、未来予言ではない。

 

 さて、ここで日蓮宗僧侶である中村師による、本稿底本の本章解説に目を向けてみたい。師は本章を、家庭成仏を説くものといわれると紹介する。その上で、家庭の中で最初に法華経信仰を持った者が『法華経』の説く菩薩の行に徹し切っていくならば、必ずや、自分でも気づかぬうちに、目つき、顔つき、言葉遣いがすがすがしく整えられ、立居振舞が真理にかなった浄らかなものになってくるはずであり、本章に現れるところの妙荘厳王を回心させるに至った“神変”とか“神通力”とかは、決して魔術ではない。真理にかなった行為が大きな力を生み、それが凡夫には“神わざ”か“魔法”のように見えるにすぎないのであると書いている。

 

 なかなかどうして名文である。ボク個人としても、後世の法華信仰者が本章を解釈する上では中村師の仰せがごもっともであり、これを論難するつもりは毛頭ない。

 

 が。

 

 師の論は、日蓮と池上兄弟のエピソードがあるから言える話だ。日蓮と池上宗仲・宗長は、言うなれば法華経本章を身読(しんどく)したのであり、それはそれで尊いことであるし、後世の法華信仰者がそれを自身の行動規範の一つとして採用することも、まことに以って結構な話である。実際、池上兄弟の物語と紐づくことにより、本章は、例えば呑んだくれの父を持つ子が、法華信仰を以って自身の心の拠り所としつつ、どのような方向へ進むにせよ、現状の改善に立ち向かう際などに援用される。ボク自身はそのような父を持たなかったが、そういう話は身近でいくつも耳にしつつ育ってきた。繰り返すが、これは素晴らしい話である、と思う。

 

 さりとて、それが法華経第三期、すなわち、法華経教団の信仰の形骸化が問題視されていたと思われる時期に、本章の書き手が本章に託した意図に通じているか、は、まったく別の話であるはずだ。有り体に言えば、ボク個人は、本章書き手の意図は、法華信仰者としての池上兄弟のエピソードとはまったく無関係なところにある、と見ている。

 

 繰り返し念を押しておくが、そう言いつつ、ボクは法華経信仰者の間で本章が池上兄弟と結び付けられて読み継がれてきたこと、それ自体は尊重する立場である。テキストの本来の意味内容、そこに含意されること、それがどのように利用されるか、の間には、明白な相関はない。何かしらテキストが書かれ、誰かによって含意が解釈され、誰かの行動が変容する、その結果が現れて初めてテキストの評価が定まる。そのような意味において、本章には一定の好評価が下されていることを認めつつ、それを相対化するために、敢えて異論を述べるものだ、と諒されよ。

 

 

                    *

 

 

 以下に述べるところは書いているボク本人も必ずしも確信には至っていない仮説に過ぎない。その点を割り引いて、話半分に読んで欲しい。最初に、法華経第二十五章“吉祥な荘厳王の往古の事”に何が書かれていたのか、整理してみよう。

 

・大昔、娑婆ではない別世界に、妙荘厳王という王様がいた。

 

・妙荘厳王の二人の息子、浄蔵・浄眼は神通力を示して父を仏道へ導いた。

 

・ときの仏陀、雲雨音宿王華智如来は妙荘厳王に授記を与えた。

 

・妙荘厳王は華徳菩薩の過去世である、と示された。

 

 まず、この物語の書き手にとっての意図を探るにあたり、特に、日蓮信仰における池上兄弟のエピソードとの連関を考える上で、不可解なことを列挙してみることにしよう。

 

 第一には、本章々題が原典にせよ漢訳妙法蓮華経にせよ、妙荘厳王その人を主人公に据えた表記になっている点に注目したい。池上兄弟がそうであったように、信仰厚い誰かがそうでない誰かを信仰へ導くこと、が本章の主題であるならば、章題は浄蔵・浄眼を主人公としたものになるはずだ。が、実際にはそうなっていない。そしてこのことは、以下に述べる他の点とも繋がっている。

 

 第二には、本章において授記、すなわち如来からの成仏の予言を受け取るのもまた、浄蔵・浄眼の兄弟ではなく、彼等に導かれたとされる妙荘厳王である点だ。法華経全般を通じて、授記は、釈迦と絡む前世譚と並ぶ、描かれる人物に対する最大級の賛辞になっている。本章の意図が、法華経信仰へと他者を導く者の賞賛にあるのであれば、授記は浄蔵・浄眼に与えられるべき、と考えるのが人情であるが、やはり実際にはそうなっていない。

 

 第三には、妙荘厳王の物語が彼への授記によって締めくくられた後、その妙荘厳王が前世の姿であったとされる華徳菩薩とは何者か、という疑問である。論理的に考えれば、妙荘厳王への授記は、同時にこの華徳菩薩への授記でもあることになる。言うなれば、華徳菩薩は、既に未来世においての成道が約束された妙荘厳王=娑羅樹王仏の“中継ぎの生”ということになるが、錯綜する釈迦の輪廻転生遍歴を除けば、このようなケースは法華経全篇を通じて本章のみに描かれる。

 

 本章書き手の執筆意図が、池上兄弟がそうであったように「法華経信仰を受容しない父親を、信仰へと導くこと」を称揚することにあったのだ、と仮定すると、上に挙げた三つの不可解さが謎のままになってしまう。無論、これは書かれた時点と今日の間に横たわる二千年の溝によって生じた理解不可能性であるかも知れないが、敢えて私的な異説を示し理解を試みてみたい。

 

 取っ掛かりとして、華徳菩薩について考えてみる。この菩薩の名は、法華経のみにその名が現れるものではないが、弥勒菩薩や観世音菩薩と比べると遥かにマイナーな名である。試みに大蔵経データベースで異名と思われる華徳蔵菩薩も含めて検索すると計67件だった。ちなみに弥勒菩薩と観世音菩薩で同じことをするとそれぞれ2,220件、2,187件ヒットする。これは前後関係を問わない予備調査に過ぎないことを断った上で、少なくとも華徳菩薩は、法華経に先行した仏典がその名号に与えた権威を引き継いだキャラクタではない、とは言えるだろう。

 

 視線を転じて法華経中にその名を探すと、法華経第三期となる本章、および第二十三章“妙音菩薩”にのみ登場する。同章転読時は身の丈四百二十万由旬でお腹いっぱいになってしまって精読を割愛したが、かの下りの後に、妙音菩薩の過去世の因縁と変幻自在の衆生救済の物語を釈迦から聴くのが同じ華徳菩薩となっている。さらに興味深いことに、華徳菩薩の名は序章の登場人物列挙の中に含まれていない。差し出された首飾りを半分に割るためだけに出番に備えていた観世音菩薩ですら、序章で言及されているにもかかわらず、である。

 

 もう一点。本章における妙荘厳王に対する授記が、結果的に華徳菩薩に対する授記になっていることは前述した通りである。ここで、法華経全篇を通しておこなわれる「定型フォーマット」に準じた授記を列挙してみたい。

 

章番授記者受記者
三章釈迦舎利弗(しゃりほつ)
三章華光(けこう)如来堅満(けんまん)菩薩
六章釈迦大迦葉(だいかしょう)比丘

須菩提(しゅぼだい)

大迦旃延(だいかせんねん)

大目犍連(だいもっけんれん)

七章大通智勝(だいつうちしょう)如来阿弥陀仏(あみだぶつ)

釈迦牟尼仏ほか計十六名

八章釈迦富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)

阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)

千二百人の阿羅漢(あらかん)

九章釈迦阿難(あなん)

羅睺羅(らごら)

二千人の学・無学

十一章釈迦提婆達多
十二章釈迦摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)

耶輪陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)

二十五章

(本章)

雲雨音宿王華智如来妙荘厳王=華徳菩薩

 

 さて、ここから何がわかるだろうか。

 

 まず明らかなのは、本章と明らかに後付けされた十一章後半(提婆達多)を除けば定型フォーマットに則った授記は、すべて法華経第一期の章中に現れている。第二期となる第十二章においては、話題にこそ上るものの、それは第八〜九章の出来事である、とわざわざ説明されるケースまであった。

 

 次に、法華経中の釈迦が授記を与えている相手は、皆、いわゆる声聞(しょうもん)独覚(どくがく)とされる人々であり、菩薩は含まれていないことがわかる。無論、これは法華経が菩薩の成仏を認めていない、という意味ではない。舎利弗の受記に際して論じたように、声聞・独覚への授記には、彼等が衆生に共感することが暗黙の前提となっており、これは言い換えれば「声聞・独覚よ、菩薩となって成仏せよ」という呼びかけでもある。法華経の論理においては菩薩の成道は自明であり、であるがゆえに、その成道が自明でない声聞・独覚に対する授記が延々と繰り返される、という背景がある。

 

 以上二つの点に鑑みて、本章における授記は特殊事例であることが見えてくる。第二〜三期を通じて授記が定型フォーマットで以って詳述されるのは本章のみであり、かつ、受記を得るのは、その時点においては俗名を名乗る妙荘厳王であり、輪廻転生を通じて、華徳菩薩であることが明かされる。これは、体裁こそ共通しているものの、第九章までとは異なる意図で以ってこの授記の下りを含む、妙荘厳王の物語が創作されたことを示唆している。

 

 そこで、やや踏み込んだ想像を巡らせてみたいのだが、舎利弗が法華経第一期の書き手にとって、問題視するところの対立声聞衆のあり方を表象していたのと同様に、華徳菩薩もまた、法華経第三期の書き手にとって、表象したい現実の誰かに対応しているのではないだろうか。

 

 具体的には、法華経教団にとって、菩薩とは自分たちと信念を共有する身内であろう。その前身たる妙荘厳王を信仰に導いた息子・浄蔵は薬王菩薩と同一視されており、薬王菩薩が法華経教団の指導者層を表象しているのは明らかだから、華徳菩薩はその指導者層によって信仰に導かれた人物であり、かつ、異例の扱いで以って受記を得たことにしたくなる相手だ、ということになる。そして、その受記の直前、妙荘厳王は私財を如来の頭上に振り撒いたのであるから、こうなってくるとその人物像は概ね特定される。

 

 要するに、華徳菩薩というのは、法華経教団第三期メンバーを支えた世俗の裕福なパトロンの誰か、を表象している可能性が考えられる。おそらく“華徳”という名号を示せば、それがその人を指していることは、知っている人には一目瞭然、といった背景があったのではないだろうか。そしてその人物は、元々は仏教徒ではなかったが、法華経教団に対して大きな経済的利益をもたらすようになった人物であったのだろう。

 

 なぜそのように考えるかというと、もしこの人物が古くから法華経教団を支えてきた人物なのであれば、その人を顕彰するのにこんな回りくどい話を創作する必要がないからである。前世の徳を褒め称えるのは当時のインドの人々の社交辞令の一種だったのであり、その応用として、今日において宗教的な徳=教団と関係した期間の長さが突出していなくとも、その前世において、薬王菩薩自らが信仰の世界へと招くほどの徳を有した人物であり、かつ、受記さえ得ていたのだ、と語ることで、経済的利益は大きくないが法華経教団との関係期間がより長い他の在家衆を押さえて、この人物のみを特別扱いすることが出来る。

 

 ボクの妄想するシナリオは以下のようなものである。

 

 まず、法華経教団第三期の経典拡充に際し、大きな施与と引き換えに自身を表象するキャラクタを法華経文中に登場させる提案が教団側からその人物に対して為される。この人物はその“商品”を購入するのだが、出来上がって来たのは身の丈四百二十万由旬の巨人が登場する奇妙奇天烈なものであり、その経典自身の不出来さから、同一コンセプトの第二十四章いわゆる観音経が追って増補されるような代物だった。これは、パトロンからすれば納得のいかない商品であり、当然、クレームがなされる。

 

 このとき、このパトロンが「私も法華経第八章や第九章のように受記を得たい」と要求した、とすればどうだろうか。流石に、経文中で華徳菩薩に直接授記を与えるのは躊躇われる。さりとて、パトロンの要望には応じねばならない。この相矛盾する要件を満たすべく考案されたのが、妙荘厳王の物語である、と考えると、冒頭に述べた疑問がすべて氷解する。

 

 つまり、なぜ信仰に導かれる側の立場の妙荘厳王が本章の主人公なのか、との問いの答えは、まさに彼が主人公であるから、であり、その彼が受記を得るのはなぜか、との問いの答えは、それが本章の目的だから、になる。同時にこれが、前話末で述べた「法華経第三期の人々はここに埋設された地雷を踏んでしまった」の顛末でもある。少なくとも本章書き手の中では授記が自己目的化しており、法華経第一期の書き手がそこに込めた真意は失われてしまったのだ。その責がいずれにあるか、は敢えて問うまい。

 

 もちろん、これはボクの妄想に由来する仮説であり、論証できるような類のものではないが、この仮説を前提すると、第二十一章や第二十六章に垣間見えた、信仰の形骸化に悩まされる法華経第三期のメンバーの格闘(?)が、より色鮮やかに見えてくる、というアドバンテージはあろうかと思う。

 

 以上を以って、法華経第二十五章“吉祥な荘厳王の往古の事”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第15話 勧誘どっこいしょ……第十八章“説法師の功徳”

 歳はとりたくないもので、ボクもついつい何か身体を動かす拍子に「よっこいしょ」などと口から出るようになってしまったのであるが、この「よっこいしょ」……あるいは「どっこいしょ」は、本を正せば「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が訛ったものだ、とする説がある。

 

 この説によると、江戸時代に盛んになったという信仰的な富士登山、いわゆる富士講(ふじこう)に際し「六根清浄」と口に唱えながら登ったものが、息も絶え絶えになるにつれて「よっこいしょ」「どっこいしょ」に転じ、この響きが滑稽で面白いので地口として流行った、ということらしい。

 

 この六根清浄なる語の由来は、有名なところでは般若心経、正しくは『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』に見える、無眼耳鼻舌身意……原義は眼も耳も鼻も舌も身も意も(本来は)存在しない、とする空の思想を言ったもの……に求められることが多いようであるが、そのものズバリ“六根清浄”の句としては、妙法蓮華経常不軽品(じょうふきょうぼさつほん)第二十の偈、

 

 能忍受之 其罪畢已 臨命終時

 得聞此経 六根清浄 神通力故

 増益寿命 復為諸人 広説是経

 

が典拠のようである。

 

 ザッと現代語訳すれば「これをよく忍んで受け、その罪は既に終わって、生命が終わる時に至り、法華経を聞くことを得れば、六根は清浄となり、神通力をもって寿命が伸び、また、諸人に広く法華経を説く」ということで、これは同章転読(うたたよみ)(第5話)に際してみた、周囲の無理解に耐えつつ礼拝行に徹した常不軽菩薩がついに法華経を会得する下り、を要約したものである。

 

 語の直接の典拠としてはそういうことになるのだが、同章を読んでもここでいう“六根”とは何であるのか、“清浄”とは具体的にどうなるのか、はわからない。これを詳しく述べているのは、その前章となる法華経第十八章“説法師の功徳”(妙法蓮華経法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九)であり、今話はこれを転読(うたたよみ)してみたい。

 

 先に結論しておくと、この法師功徳品と富士講信仰には直接の関係はなく……少なくとも常不軽菩薩は山登りをして六根清浄を得たのではない……単に語の響きだけが好まれて転用されたもののように見える。同様の例として、やはり江戸時代の民間信仰に、妙法蓮華経如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六の偈に見える即取服之、毒病皆愈の句を書いた御札、またはそれを焼いた灰を呑んで病の快癒を期する信仰があったことが知られるが、後日検証することとなるが、この偈の論旨は病気治療とはまったく無関係である。

 

 つまりこれらはある意味において、妙法蓮華経の本文それ自体がダーラニー、要するにその含意を一切問わない呪文として利用されるようになった(第7話参照)ことを示す事例なのであるが、こうした用法が法華経教団にとって不本意なものであるか、と問えば、これまた違うのであって、そもそもその発端は本章に遡るのではないか、というのが今回のテーマとなる。

 

 

                    *

 

 

 本章における釈迦の相方は常精進(じょうしょうじん)菩薩。続章登場の得大勢(とくたいせい)菩薩同様に、序章と本章のみにその名が見え、釈迦から一方的に語りかけられるのみで、常精進菩薩が別に居なくても話が成り立つところまで続章と同じである。

 

 だれか善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)がこの法門を会得し、受持し、読み、教示し、解釈し、解説し、誦んじ、書写したりするとしよう。その善男子・前女人は八百の眼根の功徳を得、千二百の耳根の功徳を得、八百の鼻根の功徳を得、千二百の舌根の功徳を得、八百の身根の功徳を得、千二百の意根の功徳を得るであろう。これら多くの幾百という功徳によって、その人の六根の総体は清浄に、極めて清浄になるであろう。

 

 上引用が、本章冒頭の釈迦……クドいが言わせてくれ、法華経教団の傀儡であって歴史上の釈迦その人ではない……の常精進菩薩に対する語りだしとなる。ここで言われる眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根が六根であり、これが極めて清浄になるというのであるから、まさに六根清浄、そのものなのである。ご覧の通り、六根清浄は元来は法華経を会得し、受持し、読み、教示し、解釈し、解説し、誦んじ、書写したりした結果得られるものだったのであって、富士登山の功徳ではなかったのである。

 

 それはともかくとして、要するにコレは「法華経の法師になったら六根清浄の功徳を得る」と言っているのであるが、よくよく考えてみると同じく“法師”の語を章題に含む第十章(第1話)の以下の論述、

 

 この大衆の中にあって法華経の一詩句を聞くか、一句を聞いただけでも、あるいは、一度でも発心し、この経典に随喜したとしても、薬王(やくおう)よ、これらの四衆はすべて、無上の正しい覚りを得るであろう、と私は予言を授けるのである。

 

に比べて、主張が後退してしまってはいないか。

 

 いや、もちろん信仰の立場からこれを読めば、無上の正しい覚りを得た結果、当然、六根も清浄となるのである、ということになるのかも知れないが、素直に読む限りにおいては、片や一詩句を聞くか、一句を聞いただけ無上の正しい覚り、片や会得し、受持し、読み、教示し、解釈し、解説し、誦んじ、書写した挙句に六根清浄、なのであるから、どうにも釣り合いが取れていない。ひとまずここでは、この問題点を指摘するに留め、先を読んでいくことにする。

 

 本章は、法華経の他章と比べてその文体に顕著な特徴が見られる。ここまで見て来たように、概して法華経の文章は極めて冗長であり、無駄な重複が多く、たまに箇条的なまとめをやって見せても項目毎に言っていることが被ったり矛盾していたり、ということが頻繁にある。対して本章の文は、冗長という点では同じなのであるが、意図的に構造化されているように見える。

 

 その人は清浄な眼根であるから、父母から受けた肉眼によって、三千大千世界の内外、山や密林とともに、下は阿鼻大地獄から上は世界の有頂に至るまで、そのすべてを生まれながらに受けた肉眼によって見るであろう。

 

 以上は、先に引いた部分の次下、最初に要約された眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の順に一つずつ詳述される下りの冒頭となる。察しの良い人は既にこの後の展開が想像できるのではないか、と思うのだが、一足飛びに、続く耳根の節を見てみると、

 

 この明瞭で清浄な耳根によって、下は阿鼻大地獄から上は世界の有頂に至るまで、三千大千世界において……(中略)……生まれながらに父母より受けた耳根によって聞くのである。

 

となっていて、眼根が耳根に換わっただけで、ほとんど同じ文であることがわかる。同様に、それぞれの下りは後半に偈を伴うのであるが、その末尾部分を、やはり眼根と耳根において比較すると、

 

<眼根の一節の末尾>

 彼は父母から受けた肉眼によって、この世界の内外にあるすべてを見る。弥楼山、須弥山、鉄囲山の山脈のすべてを見る。また、もろもろのその他の大山の集まりも、そしてまた、大海も見る。

 下は阿鼻地獄から上は有頂に至るまで、かの勇者はすべてを見る。彼の肉眼はこのようなものである。

 彼にはいまだ天眼がなく、また地獄から有頂まで知り尽くしてはいないが、彼の肉眼の届く範囲はこのようなものである。

 

<耳根の一節の末尾>

 下は阿鼻地獄から上は有頂に至るまで、この三千世界のすべてにおいて、内でも外でも、多くの音声を出す衆生たち、そのすべての衆生の音声を聞いても、彼の耳はかき乱されることがない。彼の鋭い耳根はかれこれを知るが、それでもその耳根は父母より受けた耳根にすぎない。

 彼はいまだ天耳を得るために尽力しておらず、その耳は生来のままである。それでもおじ畏れることなくこの経典を持つ人には、このような功徳があるのである。

 

といった具合に、やはり高い相似性を示す。となると、もう実物を示さなくてもわかると思うが、本章は以下これを、鼻根・舌根・身根・意根、と六回繰り返して、それで終わってしまう。

 

 もちろん、このような構造を有するのは、法華経中本章のみではない。たとえば、連載中の初出以降“定型フォーマット”で示してきた授記や、第十一章の三千大千世界からの如来の参集(第10話)がそうである。が、これらが連続しない複数章にまたがっていたり、あるいは成り行きで中途半端に割愛されていたり、と存外無計画で……有り体に言えば、思いつくままに書き飛ばされているのに対し、本章の六根清浄の下りは、冒頭に要約列挙されたものが、正しく章内ですべて同じ文体で説明され、それを以って章が完結するという点において、極めて計画的・確信犯的なのである。

 

 法華経が、その誕生時点においては暗唱による語り聞かせを前提にしていることは繰り返し述べてきた通りであるが、おそらくは、その創作に際しても同様なのであって、今日の我々が当然と考えているところの、文字で以って紙面に草稿をものしこれを推敲しつつ文章を練り上げていくといったプロセスを、法華経教団はおそらく採っていない。

 

 そもそも、建前上は法華経の教説は、多聞(たもん)第一の阿難(あなん)以来、口頭伝承されてきたものということになっているから、その創作に際しても、その伝承を受け継いだと嘯く教団指導層が諳んじたものを聞き取る、あるいは書き取るスタイルを採ったと考えられる。法華経の文体が冗長で野放図なのは、これに起因する。

 

 が、この方法で本章のように計画的に構造化された文章を生成するのは極めて困難と思われるし、仮にそのような技術が本章時点で確立されたのであれば、以降の章もそうなっていて然りである。が、実際には、全体として短文化の傾向こそ認められるものの、ついぞ意図的な文章の構造化は、見られないどころか、最末期には、せっかく綺麗にまとまっていた構造を自ら壊す、といったことまでおこなわれるのであるから、法華経教団総体としては、経典の文を構造化すべき、との考えを組織的に有したことはないのであって、本章における極めて計画的な文章の構造化は、本章創作に際してのみ起こった特別な事象なのである。

 

 そこには、何らかの意味が隠れているはずだ。

 

 彼は、まだ、天の鼻を得てはいないが、彼の鼻根の力はまさにこのようなものである。それは、かの煩悩より離脱した無漏の天の鼻を得る前の状態にあるものである。

 

 続く鼻根の下りの末尾は上引用の通り。余談になるが、鼻根について述べたこの部分は、他の五根に対して長行・偈ともに倍以上の長さを誇る。そうであるべき合理的な理由があるとも思えないし、

 

 彼は女や男の体臭を嗅ぎ、童男や童女の体臭を嗅ぐ。

  (中略)

 神々の娘たちや神々の妻たちの香りも嗅ぐ。神々の童児たちの身体の香りも嗅ぎ、神々の童女たちの身体の香りも嗅ぐ。

  (中略)

 懐妊している女性が、その疲れた身体の胎内に宿している胎児が童子であっても童女であっても、彼はそこに宿る胎児が童子か童女かのどちらかを匂いによって知る。

 

……等々と、それってここでどうしても言わなアカンの?と首を傾げざるを得ない変態的な言及があったりして面白い。本章の書き手は匂いフェチだったのだろうか。それはさておき。

 

 さて、まず前稿にて提起した「六根清浄は無上の正しい覚りに比して主張が後退していないか?」という疑問を解いておきたい。

 

 上引用にもその解の一部が含まれている。煩悩より離脱した無漏の天の鼻を得る前の状態とあるのがそれである。無上の正しい覚り、すなわり繰り返し法華経に登場するバズワードとなっているところの阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とは、ここでいう煩悩より離脱した状態であるが、本章の書き手のいうところによれば、六根清浄はそれを得る前の状態であるらしい。

 

 ということに思いが至れば、繰り返される父母から受けた〜との不可解な言い回しの真意も理解できるようになる。これは、例によって輪廻転生観を前提とした上で、ここで言う六根清浄を得るのは、父母から受けた今この身体においてのことだ、と言っているのだ。対して、一句一偈を聞けば得られるのは無上の正しい覚りを得るであろうという予言なのであって、これは来世以降の話ということになる。

 

 従って、法華経教団の主張は後退したのではなく、むしろ、いわゆる現世利益へ向かって前のめりしているのだ。ここで敢えてこれを()()()()と呼ぶのは、来世の予言=授記(じゅき)は、たとえ空手形であっても……というか空手形なのだが……それが空手形であることは誰にもわからない。お釈迦様にもわかるめぇ。が、ここで言っている六根清浄は、父母から受けた今この身体においてのことだ、と言っている以上、その通りになったかどうかが()()()()()()()()ことになる。

 

 童女の体臭を嗅ぐというのは本人の心掛け次第では実現するかも知れないが、神々の童女となるとそうはいくまい。また、続く身根の部分に目を向けると、

 

 その身は清浄であり、完全に清浄であって、その肌の色は清浄な瑠璃のようであり、衆生たちに対して美しいものであろう。

 

とあって、これは素直に読めば法華経の法師になることは美容に良いということになろうが、常識的に考えればこれは素材次第としか言いようがない。いや、むしろ裏切られる人の方が多いのではないか。

 

 このように、現世利益を謳うことは、その期待される訴求効果以上に、結果的に逆効果となるリスクが潜在している。そんなリスクなど負わなくとも、来世の成道のみを売り物にしていれば教団経営的には無難だったのではないか、と思わないのでもないのであるが、同時にこれは、本章の書き手はそのリスクを負ってでも、この時期に強く訴えたいことがあったことの現れ、と理解することもできよう。

 

 さて、それは何であるか。六根の最後に登場する意根の下りに、その真意と思しき下りがある。

 

 彼がその完全に清浄な意根によって一詩句を聞いただけでも、それに対する多くの意義に通達するであろう。その義を了解したのちに、それゆえに、彼は一か月間も法を詳しく講説するであろう。また、四か月間も、一年間も、法を講説するであろう。そして、彼はいかなる法を説いても、それを記憶して忘失することがないであろう。

 

 本章の書き手が、その読み手・聞き手に期待しているのは、まさにここに述べられていることである。これは、法華経教団の新たな法師……法華経を諳んじ諸人に広く法華経を説く(常不軽品の偈)人材……の求人広告なのであり、言わばその報酬が“六根清浄”なのである。そして、彼らがこの空手形となるリスクの極めて高いオファーを示さざるを得なかった理由は、それだけ教団の法師の人材不足が、この時点で深刻化していたからではないか、とボクは見る。

 

 理由は二つ。

 

 第一に、第十二章のいわゆる二十行の偈(第4話)から、法華経教団が勝手につくった俗悪な教法を教えるとの批判を受け、その結果として僧院から追い出されたことが読み取れるが、これは波羅夷(はらい)と呼ばれる当時の出家者に課せられた戒律中の最高法規の一つ、大妄語戒(だいもうごかい)と対応している、と考えられる。これは文字通り“妄語を戒める”ものであり、要するに「勝手に経典を作るな」という至極当然なルールなのであるが、これに対する罰則は原則教団追放であり、出家者としての身分を失うことになる。

 

 繰り返し述べているように、法華経教団は当初はある出家者集団内の少数派異端であったと思われるのだが、第三期初頭の法華経教団は、一定の在家衆の支持を得つつ、出家者集団からは追放されていた可能性が高い。こうなるとたちまちに困るのは、新しい法師の確保だ。経典の暗唱読誦は特殊技能であり、もっとも手っ取り早い確保方法は、既に一定の訓練過程を終えた出家者集団から一本釣りすることになるが、彼らはそこから締め出されていたのである。

 

 第二に、本章に後続する直近……必ずしも成立時が近いとは断言し難いものの……に第二十一章“ダーラニー”があるのは偶然ではあるまい、と思うがゆえである。法華経教団は、長期的に見て「やってみたけども、ちっとも六根清浄にならないじゃないか」とクレームされるリスクを覚悟の上で求人を出してみたものの、存外応じてくれる人が少なかったのだろう。かくして、新たな対策として、言わばワンランク妥協したプラン、すなわち法華経本文ではなく、より単純化したダーラニーの読誦、を実践の一形態として示さざるを得なくなったのだ。

 

 総じて言えば、これは、法華経がそのセントラルドグマの成立時点から胚胎していた反知性主義、反権威主義のツケが、この時期に一気に表出したものではないか、と思う。これは要するにポピュリズムと言い換えてもよかろうと思うが、一般庶民から一定の支持を得て短期的な教団経営は可能になったとしても、長期的な活動の継続を望むとき少なからぬインテリの存在が必須となるが、法華経教団はそもそもそうしたインテリを切断排除する論理の上に成り立ったため、世代交代の時期に至って矛盾が露見したのである。

 

 本章の書き手は、よもや遠い未来に自らの生み出した“六根清浄”のフレーズが、極東の登山の合言葉になろうとは夢々考えてはいなかったろう、と思う。が、意外なことに、法華経教団が本章の延長線上にダーラニーに辿りつくことと、富士講の人々が背景も何もかも一切合切無視して、ただただ現世利益に期待して「どっこいしょ」と唱えながら富士を登ったことは、その思考の根底に不気味なシンクロニシティを垣間見せている。

 

 以上を以って、第十八章“説法師の功徳”の転読(うたたよみ)を終える。

 

 ところで、こうして法華経全章釈義を行じるボクもまた法華経法師であり、ということは六根清浄なのであって、当然そこには鼻根の清浄も含まれるから、当然ボクにも童女の体臭を嗅ぐ権利が生じていると思うのであるが、思うのみに留めることとする、実践はしない、本当だ。

 





 ちなみに本稿が拙作『記憶のオーバーロード』第5話 https://syosetu.org/novel/284456/5.html におけるタブラ・スマラグディナの蘊蓄の元ネタになっている。


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第16話 広長舌をふるえ……第二十章“如来の神通変化”

 神通力(じんつうりき)という言葉は、現代日本においてはほぼ死語であるように思う。

 

 一方で、今日の我々の多くが仏教に心の平安や死者の救済を期待しているのとは異なり、古代日本の人々が仏教公伝以来そこに期待していたのは、この神通力であった。豊国(とよのくに)法蓮(ほうれん)*1がときの朝廷から期待されたのもそれだし、後期密教を持ち帰った日本真言宗の開祖弘法大師空海が一躍時の人となったのも、密教それ自身の魅力と言うよりは、そもそも当時の日本人が仏教による神通力に対する期待大であって、密教がそれにジャストフィットしたからである。

 

 ここまで釈迦の白毫(びゃくごう)ビームであるとか、浄蔵(じょうぞう)浄眼(じょうげん)の空中演舞であるといった、この世のものとも思えない……まぁ、空想の産物なのだから当然この世のものではないのであるが……神通力の描写の数々を見てきた。今回扱う法華経第二十章“如来の神通変化”(妙法蓮華経如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一)は、それらほど派手ではないが、表題のみから判じれば、如来=仏陀が発揮する神通力にスポットが当たっている章、ということになろう。

 

 結論から言えば、少なくとも本章を含む<仏教>の書き手の意図としては、種々の神通力は、それを発揮する釈迦その他の発言の真理性を強調する修辞なのであって、神通力それ自体には、仏典を通じてそれを知った後世の人々が期待したほどの力点は注がれていない。特に本章に限って言えば、表題に偽りあり、な感がないでもない。

 

 これは、今日の我々が自身の主張したいところの正当性を訴えるために、やたらと科学を装った言辞を弄ぶわりには、科学そのものについては余り関心がない、というところに通じているように思う。少なくとも法華経を書いた人々にとっては、神通力は権威の源泉の一つではあったが、主張の中核ではなかったように見える。

 

 それはともかく、そのような意図で以って描写された一連の神通力は、今日の我々の感性から見るとき、面白おかしいものが散見される。これを楽しもう、というのが今話のテーマとなる。

 

 

                    *

 

 

 そのときに、かの千世界の微塵の数にも等しい百千億那由他の菩薩たちは、大地の裂け目から出現し、彼等はみな、世尊に向かって合掌し、世尊にこのように申し上げた。

「世尊よ、私たちは、如来が入滅されたのちに、世尊の仏国土がどこであっても、あらゆる仏陀の国土において、世尊がどこで入滅されても、私たちはそれぞれのところにおいて、この法門を説き示すでありましょう。世尊よ、私たちはこのような妙なる法門を受持し、読誦し、説き教え、解説し、書写することを願っております。」

 

 本章は上引用の書き出しで始まる。ここで言われる大地の裂け目から出現した菩薩、というのが、いわゆる“地涌(じゆ)の菩薩”になる。地涌の菩薩についての詳細は第十四章を転読する際に改めて論じることとしたい。ここでは、法華経教団第二〜三期の面々が、自分たち自身のことを「釈迦から特別な使命を与えられた地涌の菩薩である」との自意識を有していた、と理解しておけば十分である。

 

 一方で、天台法華教学の伝統的な解釈においては、本章は「末法の世に現れる地涌の菩薩に対し、釈迦が法華経を付嘱(ふぞく)した章である」とされる。ここでいう付嘱は、現代的な表現に直せば「正統後継者の指名」ほどの意になろうか。つまり、天台法華教学は、法華経は歴史上の釈迦が発した皆是真実の金言である、と信じていたがゆえに、次下に見える上行(じょうぎょう)菩薩に対する付嘱を時空を超えた仏法の相続と観念し、ついには日蓮を上行菩薩の再誕とする言説が生まれるに至る。

 

 前述したように、元来は、地涌の菩薩およびそのリーダーとされる上行菩薩は、法華経教団のコアメンバー自身を指していたと考えるのが妥当かと思うので、天台法華教学のこの解釈は、直接的には間違っているということになろうが、一方で、後日見る第十七〜八章あたりの論述を見ると、法華経教団が自分たちの信念が未来永劫引き継がれていくことに強い期待を抱いていたことも事実なので、書き手がそこまで意図していたかどうかは判断が難しいが、天台法華教学の解釈は、結果的には法華経教団の期待に適ってはいた、とは言えそうである。

 

 さて、上引用の地涌の菩薩の誓願に続き、この娑婆世界(しゃばせかい)に住む文殊師利(もんじゅしり)菩薩を首とする百千億那由他の多くの菩薩以下、諸々の衆もまた、如来が入滅されたのち、この法門を説き示すと誓う。この対比を言葉通りに受け取ると、地涌の菩薩はこの娑婆世界の本来の住人ではない、とのニュアンスを感じるが、それが明示的に言われるワケではない。

 

 また、この誓願においては続いて、身体を現わさず空中に立って、声を聞かせましょうという意図不明の文言が見える。これも言葉通りに受け取ると、ここで滅後の布教を誓願する文殊師利菩薩以下諸々の衆は、法門を説き示しはするが、それは普通の意味においてではなく、空中から声を聞かせるという神秘的な方法によるのだ、と取れるが、これ以上の説明を欠くため、真意は定かでない。

 

 この両者の誓願に対し、釈迦……毎度繰り返すが歴史上の釈迦ではなく、法華経教団を代弁するキャラクタである……は、後者を無視し、大地の裂け目より出現してきた菩薩摩訶薩の群衆を率い、大群衆を従え、群衆の師である上首の上行という菩薩摩訶薩に向かって以下のように述べる。

 

 素晴らしいことである。まことに素晴らしいことである。上行よ、そなたたちはそのようにするがよい。この法門のために、そなたたちは如来によって教化されてきたのである。

 

 やはり明示を欠くため断言は出来ないが、全体の意図としては、滅後の布教を担うことを釈迦に認められたのは地涌の菩薩なのであり、文殊師利菩薩以下の娑婆世界の諸衆は、それを空中から声を発して助けることはするが、直接には布教はしないのだ、ということらしい。穿った見方をすれば、地涌の菩薩=法華経教団のメンバーにのみ法華経を布教していく権利があり、その活動は文殊師利菩薩等の権威によって支えられているのだ、との主張とも読める。

 

 以下、次下において、釈迦が上引用の発言の真理性を保証すべく、神通力による神変を現じるのであるが、その考察は後に譲る。ここで野暮なことながら考えてみたいのは、これを書いた人々、また後世これを読んだ人々は、そもそも地涌の菩薩とやらが大地の裂け目より出現することは、神通力と見做さなかったのであろうか、という疑問である。十二分にこれは超常的な出来事であり、これを言葉通り現実の出来事である、と受け取るのであれば、以降の釈迦の神変の下りで以ってその神秘性を保証する必要もないのではないか。

 

 これは裏を返すと、必ずしも法華経教団に限った話ではないが、当時の<仏教>者たちが何かを主張するに際し、存外釈迦の聖性に依存していた、ということでもある。たとえば、本章の主張は、つきつめれば「我々法華経教団が法華経を布教するのだ」ということだけなのであり、外部の人間からすれば「そうしたければ、どうぞご勝手に」としか言いようのない話なのであるが、彼等はその正当性を、後に示すような釈迦の神変に求めている。

 

 もちろん、これは当時の一般的な修辞に過ぎない、という見方も出来ようが、少なくとも天台法華経学は本章を、釈迦から末法の地涌の菩薩に対する神秘的な付属であるとする解釈に固執したのであり、同時にそれは、彼等自身をして自分たちの信念の一部なりともを時代や環境に応じて改良していくことに対する心理障壁として作用することになった、とも言えよう。

 

 と、小難しいことを述べてみたが、実のところ、そんなことはどうでもいいのであって、結果的にそのような権威の源泉となった神変が、書き手の意図を離れて面白おかしいので一緒に楽しみましょう、というお話なのである。

 

 「滅後の布教は地涌の菩薩に託すのだ」という言明の真理性を示すべく、釈迦……法華経教団を代弁するキャラクタであって、本人ではない……が示すありがたい神通力をご覧あれかし。

 

 そのとき、世尊の釈迦牟尼如来と、かの入滅なされた世尊の多宝如来の、尊敬されるべく正しい覚りを得たお二方は、宝塔の獅子座に坐しておられ、ニ世尊は微笑を浮かべられ、お口の中から舌をお出しになられた。そして、その両世尊の舌は梵天の世界にまで達し、その舌から百千億那由他の多くの光明が放たれた。

 

 薄ら笑いを浮かべながら、光輝く天まで届く長い舌を伸ばす二人の仏陀、しかも一方はミイラ。ビジュアルを想像するとあまりにシュールな光景なのであるが、意外にもコレは今日の我々に馴染みのあるものでもある。

 

 滔々と雄弁に語ることを“広長舌(こうちょうぜつ)をふるう”(長広舌(ちょうこうぜつ)、とも)と言うが、この“広長舌”とは、実に仏陀が真理を語る際に長い舌を示す、という上引用にみたこの様子に由来する。

 

 より厳密に言うと、広長舌は仏陀が備えるとされた三十二の見た目上の特徴……これを三十二相という……の一つで、その多くは今日の仏像の姿に反映されている。件のガンマ線バーストを放つ白毫もそこに含まれる。ただ、舌がみよ〜んと伸びた仏像はあまり見ないので、流石にこれはビジュアルが不気味に過ぎたので立体造形の定石には反映されなかったらしい。

 

 それはともかくとして。

 

 以下、如来の神通力によるとされる祥瑞が延々と描写される。雑多に過ぎるのでザッと箇条書きにしたいと思うが……

 

・舌が放った光の中から百千億那由他の菩薩が現れて、三千大千世界の如来たちと共に百千歳に渡って法を説く。

 

・如来たちが獅子のような咳払いをする。

 

・如来たちが一斉に指を弾く。

 

・咳払いと弾指により百千億那由他の仏国土が揺れ動く。

 

・それを見たすべての世界の衆生が喜びに満たされる。

 

・虚空の彼方から「娑婆世界の釈迦牟尼世尊が法華経を説くぞ」と声がする。

 

・すべての衆生が「釈迦牟尼世尊に敬礼します」と合掌する。

 

・花や香、金銀宝玉が世界に降り注ぐ。

 

・降り注いだ財宝が花の天蓋となって虚空を覆い尽くす。

 

 正直に言って、もう何が何だかわからないことになっている。

 

 特に、これらの祥瑞の冒頭百千歳に渡ってとある部分は、ここでいう“歳”が、普通の意味でいう“太陽年”に等しいのかどうかわからないのであるが、言葉通りに受け取れば、設定上法華経が説かれたとされる釈迦在世の晩年から、現実に法華経が書かれた紀元1〜2世紀に至っても、虚空会において法華経が説き続けられていることになってしまうが、それでいいのだろうか。

 

 まぁ、そういった野暮なツッコミはさておき。

 

 ここに至り、釈迦が“広長舌をふるい“だす。天台法華教学のいう狭義の付嘱はこの下りのことを言う……厳密に言うと、最終章にも付嘱とされる部分があるがこれは後日改めて。ここで、その付嘱の相手が、

 

 世尊は、大地から出現してきた地涌の上行を上首とするこれらの菩薩摩訶薩に仰せられた。

 

と明示されているので、以って、地涌の菩薩への付嘱である、とされる。やや冗長であるが、以下に引いてみよう。

 

 善男子(ぜんなんし)たちよ、もろもろの如来・応供・正等覚者は思議することも不可能な威大な神力をもっておられる。善男子たちよ、私はその威神力をもって、この法門を付嘱するために、百千億那由他の多くの劫の間、種々の教法などによって、多くの功徳を説いたとしても、さらに、この法門の功徳について説き続けたとしても、私はその功徳の果てに達することはないであろう。善男子たちよ、要約して言えば、(1)仏陀のすべての法(2)仏陀のすべての神力(3)仏陀のすべての秘要(4)仏陀の行われるすべての深奥な出来事を、私はこの法門において述べたのである。

(付番、下線は引用者による)

 

 この部分、特に下線部(1)〜(4)は天台法華教学において“四句要法”と恭しく称される。妙法蓮華経の漢文表記で書き記せば、

 

 (1) 如来一切所有之法

 

 (2) 如来一切自在神力

 

 (3) 如来一切秘要之蔵

 

 (4) 如来一切甚深之事

 

となり、なんだか凄いことを言っているように見えなくもないが、冷静に考えれば、これは釈迦が「伝えたいことはすべて法華経として述べた」と言っているだけであり、もちろんこれは歴史上の釈迦その人ではなく、法華経教団の書き手の主張に過ぎないのであるから、むしろ、今更何だ?という話ではある。

 

 さらに、その醒めた頭でそこに至る部分をよく読めば、……説き続けたとしても〜果てに達することはない……と言っているのであるから、要するにコレは、伝えたいことはたくさんあるが、伝えきれない、と言っているのであって、四句要法と微妙に矛盾している。語り尽くしたのか?語り尽くせないのか?どっちなんだ、と。

 

 また、細かいことであるが、この下りの次下には、

 

 (趣意:善男子がこの法を説く場所がどこであろうとも、そこには)……如来のために塔を建てるべきである。それはなぜかというと、その所はすべての如来が覚りを開かれた金剛の座であると知るべきであるからである

 

との一節がある。付嘱に続いているのであるから、素直に読めばこれは釈迦の地涌の菩薩に対する遺命である、ということになろうが、実は、本連載では未読の第十六章にはその善男子・善女人は、私のために塔を作ったり、僧坊を建てたりする必要はないとの断言が見られる。詳細は後日改めて見ることになるが、文脈整合性としては、後に続いて「経典を受持することが塔を建てることになるからだ」とする第十六章の方に分があるように思われる。

 

 以下、私見であると断って述べるが。そもそも第十九章“常に軽侮しない”に後続する本章が、前振りもなく唐突に地涌の菩薩に対する付嘱をおこなうのは何故か、ということを考えると「法華経第二期においてやり忘れていたから」が直接の動機ではないか、とボクは疑っている。

 

 これも詳細は後日改めて見ることになるが、第十四章において地涌の菩薩が初出する時点で、これが法華経教団自身を表象しており、以って(彼等主観における)釈迦の正統後継者を自認していることは読めばわかるのであるが、その時点での書き手の関心は、地涌の菩薩が何故存在し得るのか、の問いを伏線としての第十五章に向いており、そこから十七章まで、十五章の内容を褒めに褒め称えて第二期が終わってしまうため、釈迦の言葉でもって直接に地涌の菩薩を後継者指名する機会を遂に逸しているのである。

 

 これが、法華経第三期の拡充期になって問題視され、増補されたのが本章であろう、というのがボクの理解である。よって、全部述べた、いや、述べ切れない、の揺れは、本章が書かれた時点で、後続の章の増補が計画されていたことの影響ではないか、と思う。塔を建てなくていい→いや、やっぱり建てろ、は、この間に寺塔建設に関する教団の方針が変わり、ついでに紛れ込ませたものではないだろうか。

 

 かくして、如来の神通力とは何であるか、が明らかになった。同時に両立できない命題を、どちらも真実であると断言する力、これが如来神力である。古代以来、日本の権力者たちがそれを欲しがったのも無理はない。本音と建前は、我が国開闢以来のお家芸なのである。普通は、これを広長舌、ではなく、二枚舌と呼ぶように思うが、まぁ、これは冗談になっていない冗談。

 

以上を以って、法華経第二十章“如来の神通変化”の転読(うたたよみ)を終える。

 

*1
 続日本紀養老五年(西暦721年)の記述に詔曰。沙門法蓮。心住禅枝。行居法梁。尤精医術。済治民苦。善哉若人。何不褒賞。其僧三等以上親。賜宇佐君姓。の記録を遺す現在の大分県の仏教者。八幡神研究の過程でその事績を追ったので個人的に思い入れがある。



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第17話 菩薩による前座漫才……序章“発起”

 ここまで本稿では、敢えて原典の順序を無視して、前に飛び、後ろに飛びしながら法華経を転読(うたたよみ)してきた。そうした方が、頭から順に読んだだけでは見えてこない気付きが多々あろう、という思いがあってのことなのだが、第17話に至ってようやく取り上げる序章“発起”(妙法蓮華経序品(じょほん)第一)もまた、ここから読み始める場合と、法華経全体の視座を得た上で読む場合の印象が、大きく異なる章であるように思う。

 

 ここまで繰り返し述べてきたように、法華経成立史の観点から考えた場合、本章はおそらく第三期、すなわち第十八章以降の拡充と並行して整備されたものと考えるのが妥当と思われる。今話では、本章の記述からそれを裏付けていくことを第一のポイントとしてみたい。加えて本章には、法華経の本筋からすると一見無関係に思われる奇妙な対話が収められているのだが、これがまた微妙に面白おかしいので、それを楽しむことを第二のポイントとする。

 

 

                    *

 

 

 それはそれとして、法華経の書き出しについて見てみたいと思う。

 

 法華経の入門書的な本を読むと「法華経を含む仏典は“如是我聞”の書き出しで始まる」と書いてあるものが存外多い。この場合、その論者の言わんとすることは、仏典は歴史上の釈迦自身が書き遺したものではなく、その弟子たちが如是我聞(にょぜがもん)、すなわち「我、(かく)(ごと)()けり」と、釈迦の説いたことを思い出しながら書いたものなんですよ、といったところなのだと思うのであるが、この言説は二重に間違っている。厳密に言うと、単純化し過ぎている。

 

 まず、必ずしもすべての仏典が如是我聞の句から始まっているワケではない、ということがある。これには複数の意味合いがある。

 

 第一に、如是我聞という漢訳句は妙法蓮華経を訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)から始まる、という説があるが、逆に言えば、羅什以前の別の表現があった、ということであり、事実、竺法護(じくほうご)訳の正法華経(しょうほけきょう)光瑞品(こうずいほん)第一の書き出しは“聞如是(もんにょぜ)”となっている。つまり、漢語訳のブレ、という点において、すべての仏典が如是我聞の句から始まる、という言説は否定される。

 

 第二に、サンスクリット原典まで遡っても、如是我聞に相当する“エーヴァム・マヤー・シュタルム”の句が、すべてのテキスト冒頭に配されているワケではないし、今日伝わるテキストに仮にそれがあるとしても、暗唱口伝によってテキストが継承された時代があるため、最初期の原典にまでそれが遡れる保証はまったくない。また、早い段階で如是我聞が定型句化してしまったため、内容の如何に関わらず後から挿句されたケースが存外多い。

 

 総じて言えば、この言明においては主述が転倒しているのであり、実際にすべての仏典が如是我聞で始まるからそのように言われている、のではなく、すべての仏典は如是我聞で始まる、という思い込みが先行した結果、そうでない仏典に対しても思い込みに合わせて後から如是我聞が挿句されていった、という背景があることを押さえておくべきだろう。つまり、今日的には、如是我聞の句には、実質的な意味がないということであり、こういう物言いは本来いけないのかも知れないが、クルアーン各章が「慈悲深く慈愛遍くアッラーフの御名によりて」の定型句で始まるのと大差ない、と思ってよかろう。

 

 そしてもうひとつ。目下読むところの法華経について言えば、漢訳正法華経、妙法蓮華経は前述したようにそれぞれ聞如是、如是我聞の句で始まるが、サンスクリット原典テキストの冒頭は、エーヴァム・マヤー・シュタルム、ではない。より正しく言えば、エーヴァム・マヤー・シュタルムは確かにあるが、それより前にも章句がある、ということになる。

 

 オーム、あらゆる仏陀と菩薩に帰命したてまつる。あらゆる如来・独覚・聖なる声聞たち、そして過去・未来・現在の菩薩たちに帰命したてまつる。

 大乗経典の王であり、第一義の道理に入ってゆくための説法であり、大いなる道である“妙なる教えの白蓮華”を衆生のために私は説こう。

 このように私はお聞きしている。あるとき、世尊は王舎城の耆闍崛山においでになられ、一万二千人の比丘衆とともにおられた。これらの比丘は……

(下線は引用者による)

 

 以上が中村師訳による法華経の冒頭部となる。下線を付した部分が妙法蓮華経の如是我聞、正法華経の聞如是に当たる部分で、漢訳経典の場合、これより前には表題(妙法蓮華経であれば序品第一、正法華経であれば光瑞品第一)しかない*1

 

 対して、サンスクリット語、チベット語訳の写本の多くは、部分的な異同……中村師は邦訳に際しスーパーセットを採られたようである……を示しつつも上に引いたような前置きを含む。この前置き部分を一般に帰敬文(ききょうもん)と呼ぶ。これは、元来法華経(を含む仏典)が音読によって口頭伝承されるものであったこと、の名残と考えられる。つまり、比丘衆の暗唱によって聞き手に伝えられる経典本体は確かにエーヴァム・マヤー・シュタルムから始まるのであるが、その前に「ここまでは私のことば、ここからはお釈迦様のお言葉」との区切りをつけ、言わば“発声の聖化”をおこなうべく挿入されたのが、この帰敬文ということになる。

 

 自身が表意文字であり、音読するにしても経典テキストを読み上げるのが普通であった漢訳経典の場合、この儀式が必要とされないので省略されたか、そもそも、漢訳に際して帰敬文が経典の一部と認識されなかったものと思われる。対して、原典を含む口頭伝承が優勢な地域の写本は、とにかく発声された音はすべて書き留める、という方針で制作されたことがわかる。

 

 何が言いたいか、というと、書き出しひとつ取っても、元々インドで生まれた仏教の言説が、中国文化圏を通過するに際し、そのベースとなる文化の特色によって変遷していることがわかる、ということである。

 

 さて。

 

 この漢訳に際して落ちた部分の最初の最初にあるオームに注目いただきたい。これが中村師訳でカタカナ表記されているのは、日本語訳のしようがないからである。これは、今日の我々が知るところとしては、例えば大日如来の真言とされる“オン、アビラウンケン、ソワカ”の“オン”であり、中村師の脚註では、敬虔な挨拶として用いられる呪文的な発声と解説されている。日本語の体系には、このような用途で用いられる単語が存在しない……大阪弁なら「毎度おおきに」とでも訳したいところだ……ので、外来語として音写するほかないのである。

 

 ちなみに、お気づきの方もおいでのこととは思うが、オウム真理教の“オウム”も、このオームに由来する。無論、オームは法華経において生まれた語ではなく、それ以前から仏教徒に限らないインド人の間で交わされていた挨拶であるから、オウム真理教が法華経の影響下にある、という意味ではない、念のため。

 

 続いて現れる“帰命したてまつる”との動作句は、同じく中村師の解説を引けば、帰依して身命を捧げるの意であり、要するに「命を懸けて信じます」という宣言なのであるが、原語では“ノウモ”であり、漢訳経典ではこれを音写して“南無”とするのが一般的である。つまり、もしこの下りを鳩摩羅什が漢訳していたら「南無仏菩薩、南無如来独覚聖声聞……」となっていた、ということになる。意外にも、少なくとも帰敬文においては、法華経教団自身は「妙なる教えの白蓮華に帰命したてまつる」つまり「南無法華経」とは言っていない。

 

 逆に、仏典漢訳に際し帰敬文が省略されることがなかったら、日蓮は「南無妙法蓮華経と唱えよ」とは言わなかったかも知れない、などとボクなどは考えてしまうのであるが、まぁ、これはしてもしかたがない仮定の話ではある。

 

 続く大乗経典の王であり〜の一節は、ネパール系の写本にのみ見られる挿句なのだそうである。ここで言われる私が、釈迦なのか、如是我聞の“我”同様に阿難なのか、あるいは、これから法華経を朗唱するところの比丘を指しているのかは文面からは明らかでない。これも、文化圏による経典受容の差異を反映したものなのだろう。つまり、ネパールの人々はインドの人々同様に帰敬文を必要とする口頭伝承を重んじたが、形式的な帰命の詩句のみならず、これから何を目的に何を説くのか、を明示的に宣言する習慣があった、ということである。

 

 ここに至って、ようやく我々の良く知る……いや、そんなに皆が知っているワケでもないか……妙法蓮華経と足並みが揃う。繰り返し述べているように、ここで言われるこのように私はお聞きしているは、本経典を歴史上の釈迦、その教えを聞き覚え後世に伝えたとされる阿難に仮託するための常套句であり、事実を反映したものではあり得ない。法華経の書き手は十二分にそのことを意識しているので、逆に、法華経の説法は実際に歴史的事実としてあったのだ、ということを訴えるべく、以降、どのような状況下でその説法がおこなわれたのかが延々と説明されることになる。

 

 まず言われるのが説法の場所であり、王舎城(おうしゃじょう)耆闍崛山(ぎしゃくせん)がそれに当たる。王舎城は意訳で、原語ではラージャグリハ。釈迦がその後半生を長く過ごしたマガダ国の首都であり、実在した地名である。耆闍崛山はグリドラ・クータの音写で、これも実在したラージャグリハを取り囲む五つの山の一つであり、これを意訳すると既に示した霊鷲山(りょうじゅせん)となる。

 

 言葉通りに受け取れば、釈迦は一万二千人の比丘……これも本章で言われる聴衆の一部に過ぎない……を引き連れて霊鷲山に登ったことになるが、そもそもが虚構の物語なのであるからリアリティを云々することに意味はないのであるが、場面設定について正しく実在の、かつ、いかにもそうでありそうな地名を具体的に示す一方で、そのリアリティを台無しにする数字を出してくるあたりに、法華経の書き手のある意味徹底したスケール感の破綻を感じるワケだが……。

 

 

                    *

 

 

 ここで法華経の“出席簿”を検証してみたい。

 

 すなわち、長老の阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)、長老の馬勝(めしょう)、長老の婆湿波(ばしば)、長老の摩訶男(まかおとこ)、長老の跋陀羅(ばつだら)、長老の摩訶迦葉(まかかしょう)、長老の優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)、長老の那提迦葉(なだいかしょう)、長老の伽耶迦葉(がやかしょう)、長老の舎利弗(しゃりほつ)、長老の大目犍連(だいもっけんれん)……

 

 次下から上に引いたように……切りがないので冒頭のみ引いたが……法華経説法の座に居合わせた人物の名が列挙される。既にその活躍を見た舎利弗、摩訶迦葉、大目犍連らの名が見える。これは、実際にそれらの人が居た、ということを言っているのではなく、これだけの目撃者が居るのだから法華経説法は実際にあったのだ、ということを言わんがために他の先行文献に現れる人名を引いただけ、のように思われるが、それはともかくとして、次に各章の登場人物を確認してみたい。

 

序章弥勒(みろく)菩薩、文殊師利(もんじゅしり)法王子
第二章舎利弗、阿若憍陳如
第三章舎利弗
第四章須菩提(しゅぼだい)大迦旃延(だいかせんねん)大迦葉(だいかしょう)、大目犍連
第五章大迦葉
第六章須菩提、大迦旃延、大迦葉、大目犍連
第七章(釈迦の独演)
第八章富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、大迦葉、阿若憍陳如
第九章阿難(あなん)羅睺羅(らごら)
第十章薬王(やくおう)菩薩
第十一章前半大楽説(だいぎょうせつ)菩薩、多宝(たほう)如来
第十一章後半文殊師利法王子、智積(ちしゃく)菩薩、娑竭羅(しゃから)龍王の娘、舎利弗
第十二章薬王菩薩、大楽説菩薩、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)耶輪陀羅(やしゅだら)
第十三章文殊師利法王子
第十四章弥勒菩薩、上行(じょうぎょう)菩薩、無辺行(むへんぎょう)菩薩、浄行(じょうぎょう)菩薩、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩
第十五章弥勒菩薩
第十六章弥勒菩薩
第十七章弥勒菩薩
第十八章常精進(じょうしょうじん)菩薩
第十九章得大勢(とくたいせい)菩薩
第二十章文殊師利菩薩、上行菩薩、多宝如来
第二十一章薬王菩薩、勇施(ゆうぜ)菩薩、毘沙門天(びしゃもんてん)増長天(ぞうちょうてん)/持国天(じこくてん)鬼子母神(きしぼじん)
第二十二章宿王華(しゅくおうけ)菩薩
第二十三章浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来、妙音(みょうおん)菩薩、多宝如来
第二十四章無尽意(むじんい)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩、多宝如来
第二十五章(釈迦の独演)
第二十六章普賢(ふげん)菩薩
第二十七章(釈迦の独演)

 

 地の文の解釈において、その場にいたとされる人物をピックアップした。話題に上るのみの人物は無視している。たとえば章題に薬王菩薩の名が見える第二十二章は、本人が登場しないので名前を挙げていない。当然のことながら、釈迦が登場しない章はないので、彼の名は省略している。また、後付されたことが明白な第十一章後半部は前半とは別枠とした。暇に任せて妙法蓮華経と正法華経についてもこれを調べてみたが、概ね同じ結果となった。表記は中村師に従い、妙法蓮華経のそれを用いている。

 

 さて。序章の出席簿と各章の登場人物を突き合わせると、出席簿に名前がないのに突如として現れる不届き者がいることがわかる。

 

 これには二種類あって、まず上掲表中にて斜体で示したものがそうだが、多宝如来がその代表となるが、異世界からこの娑婆世界へ説法中に乱入してくるがゆえに、序章の段階では霊鷲山に居なくて当然の人たちである。これはこれで、実話として読めるかは別として、設定上の整合性としては納得がいく。このカテゴリに入る登場人物たちは、例外なく劇的な登場シーンが描かれる……多宝如来の腰巾着と思われる智積菩薩を除く……という特徴がある。

 

 これに対し、娑婆世界の人であるはずなのに序章の段階でその名がなくいつの間に法華経の説法に合流したんだよ?という人がいて、これは太字で示した。「遅れて参加したんじゃないの?」という理屈は成り立たない。なぜなら、法華経は第十一章半ばから異次元空間たる虚空会(こくうえ)で説法されたことになっていて、第二十六章における驚天動地の普賢菩薩の登場シーンを思えば、ここへこっそり後から参加したのだ、などという主張は俄かに認めがたい。このけしからん“紛れ込み組”に該当するのは、鬼子母神と宿王華菩薩の二名だ。

 

 逆に、序章の登場人物一覧にのみ名前が見て、本編となる法華経各章中において一切言及されない人々も多数いるが、これは前述したように法華経の説法にはこれだけの目撃者がいたのだとする主張も兼ねているのであり、単なる粉飾と読み流して問題なかろう。

 

 何が言いたいのか、というと、序章は法華経成立史の中でいつ頃書かれたのだろうか、という、まぁある意味どうでもいい話である。

 

 既に述べたように、序章の登場人物一覧は、各章が今日の形に成立した後に、整合性を合わせて後付されたと考えるのが自然である。この観点で見ると、第二十四章を例外として、第二十一章以降が序章との整合性を大なり小なり失っていることがわかる。特に第二十三章、及び第二十五〜六章は、意図的に異世界の如来・菩薩を中心に扱うことで、序章との矛盾を避けていると見て間違いないだろう。

 

 以下、あくまでも私見ではあるが、序章が成立したのは、第二十一〜ニ章が書かれた頃に前後して、と考えるのが妥当であろうと思う。第二十一章は、曲がりなりにも鬼子母神以外は序章と整合しているし、鬼子母神は序章の登場人物一覧と比較すると一段格下の地祇の類であるから、第二十一章成立自体は序章に先行しており、序章側で鬼子母神が無視された可能性も考慮すべきかとは思うが、第二十二章の不整合は説明のしようがない。

 

 例外となる第二十四章については、実は第二十章に前後して成立していた、という見方もできようが、第二十四章が第二十三章をリライトしたものである可能性も無視できないので、これまた私見ではあるが、第二十四章を書いた人物は、その時点で成立していた序章との整合を手間を惜しまずに考慮できる人だった、と理解してみたい。むしろ、その存外手間なことを他の書き手たちが知った結果、前後の章がより安易な異世界譚や釈迦の独演に流れた、と考えることも出来よう。

 

 また、以上のことは、法華経第三期の半ばから、おそらくは教団内における信仰の形骸化が自覚されるようになり、第一〜ニ期に成立したセントラルドグマとは必ずしも連続性を見出だせない、組織防衛的な言説が中心となっていく過程ともシンクロしているように思われる。

 

 とまれ、以上の考察を通して言いたいのは、必ずしも考古学的に厳密な考証(写本間の精密比較等)をおこなわなくともこの程度の背景は、決して立証にこそ至らないものの十二分に読み解ける、ということであり、これは今日の法華経信仰者はもちろんのこと、天台大師や最澄や日蓮も、その気があれば出来たはずだ……だがやった形跡がない……ということが言いたかった。

 

 

                    *

 

 

 彼らはみな、一心に世尊を仰ぎ見て、めったにない不思議な思いをいだき、いまだかつてない気持ちにさそわれ、歓喜の心につつまれた。さて、そのときに、世尊は眉間の白毫相(びゃくごうそう)より一条の光を放たれた。

 

 登場人物一覧が終わるや否や、突如として白毫ビームが放たれる。法華経全章を通して、白毫ビームが放たれるのは本章、第十一章、第二十三章、ということになる。前稿で述べた成立順から考えると、まず第十一章で示される白毫相の奇瑞があって、他はこれを受けて真似て取り入れたものと思われるが、個人的には、クライマックス中のクライマックスの大技を序章に流用するなよ、と思わないでもない。おそらく、法華経第三期を生きた本章(および第二十三章)の書き手は、第十一章作者の度を超えた熱さを理解していなかったのだろう。理解していれば、これを安易に同一経典中で流用できるはずがない。

 

 それはともかく、なぜ本章の書き手がここでいきなりの白毫ビームを持ち出したのかというと、次下の弥勒菩薩の発言につなげるためである。そう、本連載ではやっとの初登場となる、かの弥勒菩薩である。

 

 ああ、如来はこの奇跡の大瑞相をここに現わし出された。世尊がこのような神変の大瑞相を現わされたのは、いかなる因、いかなる縁によるものであろうか。

 

 結論を先取りすれば、ここで問われているいかなる因、いかなる縁とは(法華経教団主観において)釈迦一代の説法中最高の教えとなる法華経を解き明かすがゆえ、なのであり、それを引き出す問いを弥勒菩薩に言わせるために白毫ビームが放たれたことになるのだが、こんなところでも法華経の書き手のスケール感はちぐはぐである。

 

 それはともかくとして、ここで注目すべきは、この問いを発しているのが他ならぬ弥勒菩薩である、という点だろう。

 

 再びの先取りをおこなうが、本章末尾を占める文殊師利法王子の偈の中に以下の一節がある。

 

 彼はまた、後のこのところに生まれ、やがて最勝の菩提を得るであろう。弥勒の姓を名乗る世尊となり、何千億もの衆生を教化することであろう。

 

 詩句中の“彼”は弥勒菩薩を指しているのだが、知っている人からすれば当たり前の話に思われるかも知れないが、ここで言われているのは、いわゆる弥勒下生信仰、すなわち、釈迦在世から我々の生きる今日に至るまで兜率天(とそつてん)において修行する弥勒菩薩が、五十六億七千万年後に娑婆世界(しゃばせかい)の新しい仏陀として降臨し一切衆生を救済する、というアレのことになる。

 

 それがどうした、当たり前じゃないか、とつまらないことを言わないように。

 

 ここにこのような言及がある、ということは、少なくとも法華経の本章を書いた人は、弥勒下生信仰を知っていたことを意味している。かつ、その弥勒菩薩をして法華経開幕の露払いを努めさせようとしているのであるから、それが事実であったかどうか断言までは出来ないものの、この書き手は、想定される読み手・聞き手にとって、弥勒菩薩の名が一定の権威を以って受容されることを前提として期待していることがわかる。事実、弥勒信仰の成立は、諸説あるものの、概ね紀元前1〜2世紀頃だろうとされていて、釈迦在世までは遡れないものの、法華経に対し1〜300年は先行していることになる。

 

 まずこのことを理解しておいていただきたい。その上で、この下りを読むと、書き手の真意が見えてきて面白いのである。

 

 私はこの意味をだれかに尋ねたい。いったい、だれに問うべきなのであろうか。だれがよくこの意味を答えてくれるであろうか。

 

 白毫ビームの因縁を問う弥勒菩薩の独白は、上引用で一旦切られる。もちろん、この台詞を言葉通りに受け取るべきではない。弥勒菩薩なる人物が実在し、彼が問うているのではないのだ。法華経教団の書き手は、弥勒菩薩の名が法華経の読み手・聞き手から一定の権威を以って受容されていることを承知の上で、その弥勒菩薩ですらかの白毫相の因縁がわからない、と言いたいのである。

 

 ここで引き合いに出されるのが、文殊師利菩薩である。

 

 私は文殊師利法王子にこの意味を問うことにしよう。

 

 弥勒菩薩は、その他の聴衆も同様の疑問を抱いているはずだ、として、代表して文殊師利法王子に質問するのだ、と宣言する。

 

 文殊師利はサンスクリット語のマンジュシュリーの音写であり、これを意訳した経典では妙吉祥(みょうきっしょう)などとされる。彼もまた実在の人物とは考えられていないが、仏教史のかなり早い段階からその名が見え、特に、多聞第一の阿難に仮託された釈迦の教説の結集(けつじゅう)……歴史上数度に渡っておこなわれた、記憶や伝承に頼っての釈迦の発言の経典化作業……に際し、釈迦が遺した智慧を表象するキャラクタとして扱われてきたものである。

 

 妙法蓮華経では、文殊師利菩薩に対して一貫して“法王子”なる敬称を特別に与えている。これは先行漢訳である正法華経には見られないので、鳩摩羅什の創意も感じられる一方、法華経全篇を通じて、他者からの問いに断言的に回答を与える登場人物は、釈迦その人を除けばこの文殊師利菩薩以外にはいない。従って、後世の我々が想像する以上に……ご承知の通り、法華経登場の菩薩では、観世音、普賢の方が圧倒的に文殊師利よりも知名度が高い=信仰対象化されている……法華経教団自身がその名に思い入れを抱いていたことがわかる。羅什訳も、これを受けて特別な敬称を与えたものだろうし、第十一章後半を加筆した何者かが、プロットの破綻を招いてまでも文殊師利法王子を龍王の宮殿から召喚するのも、おそらくは同じ意識によるものと考えられよう。

 

 これが何を意味しているのか、と問えば、あくまでも私見であるが、本章の書き手は、弥勒菩薩の名が既に得ていた権威を利用しつつ、同時に、文殊師利菩薩を相対させることで、その権威が他を圧倒してしまわないようにコントロールしているのである。なかなか巧み、というか、悪辣な演出である。これは以降の両菩薩の対話にあからさまに表れてくるので、念頭に置いておいて欲しい。

 

 さて、ここから弥勒菩薩が長文の偈で以って……もちろん弥勒も歌うのである……文殊師利法王子に、白毫相の因縁についてお伺いを立てる。この偈は、途中に高さは五千由旬などというふざけた塔の話が出てくることを除けば、要するに、いろいろな方法で菩提を求める人達がいる、ということを繰り返すのみで面白みはない。言わんとするところは、弥勒菩薩はこの世の衆生の求道のすべてを知悉しているが、かの白毫相の意義だけは理解できないので、文殊師利法王子さん教えてプリーズ、といった感じ。既に、この時点でかなり意図的に弥勒菩薩を貶そうとしているのがわかる。

 

 対する文殊師利菩薩の応答は、逆に彼の権威を意図的に持ち上げようとしているのが明白である。

 

 善男子たちよ、私が思い起こすところでは、無数の劫の過去世よりも、さらに無数の、はるかに遠い、量り知れないほどの、思議を超えた、量ることも不可能な、計測することもできない、それよりももっと以前の、さらに以前のことですが、そのとき、日月灯明(にちがつとうみょう)という名号の如来・応供・正等覚者が世に出現されました。

 

 法華経全篇を通じて釈迦の専売特許であるところの、遠い過去・異世界における仏陀の物語が、文殊師利菩薩の口から語られ始める。以下、この日月灯明如来の説いた法について長々と要約されるのであるが、四諦、十二縁起、六波羅蜜等、いわゆる上座部仏教の用語を借りてきたものが羅列されるのみで、これは粉飾部と読み流してよかろう。

 

 察しのいい人は既に想像がつくとは思うが、この日月灯明如来が遂に“妙なる教えの白蓮華・菩薩のための教誡・諸仏の守護されるところ”、つまりは法華経を説く日がやって来るのであり、その前触れとして日月灯明仏もまた白毫相を示したのだ、とされる。よって、今、白毫相を示した娑婆世界の釈迦牟尼如来もまた、法華経を説かれるのであろう、と結論される。これが、直接的には、弥勒菩薩が文殊師利菩薩に問うたことに対する回答になっている。

 

 これは第十一章に見たマッチポンプ、つまり、章中で示される何がしかの奇瑞が、遥かな過去において予定されていたものであったのだ、と同じ章中で説明されてしまうアレ、とまったく同じ構造だ。少なくとも、現代的な感覚で読む限りにおいて、この議論は何一つ立証していない。この点については、遥かに先行して成立した旧約聖書の章句と、イエスの事績が連関するように巧みに編み上げた福音書記者の方が一枚上手だ、と賞すべきか。まぁ、アチラはアチラで別の無理矢理さ加減が面白いのではあるが。

 

 それはともかくとして、ここに至って本章の執筆意図が、釈迦が法華経を説くに先立ち、白毫相を示してその真理性を証ししたのであり、かつ、それは遥かな過去における日月灯明如来の劫においてもそうであった、と主張するところにあることは理解できた。そしてこれを、法華経成立時点で一定の権威ある名として通用していた弥勒菩薩に問わせることで、読み手・聞き手に対する訴求効果の最大化を狙っていることも明らかになった。

 

 その上で、この問答の細部に見える弥勒菩薩の権威相対化の試みが微妙に面白おかしいので、これを楽しもうと思う。

 

 阿逸多(あいった)よ、その二万の如来の最初の如来より最後の如来にいたるまで、また日月灯明という名の如来であり、応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・御調丈夫・天人師・仏・世尊でありました。

 

 上引用は、文殊師利菩薩の語る日月灯明如来の物語の中で、その名号が二万人の如来に襲名されたものであったと語る……まぁ、言ってしまえば単なる粉飾部なのであるが……一節になるが、襲名自体はどうでもよくて、ここで注目したいのは、冒頭の呼びかけである。

 

 “阿逸多”の名は、実はここに……厳密にはもう一文前に……何の説明もなく初出するのであるが、これはサンスクリット語のアジタの音写であり、弥勒菩薩が“弥勒”という名号を得る以前に名乗っていた名前、とされるものになる。つまりこれは、蓮華光(れんげこう)如来と舎利弗、と同じ関係(第6話参照)になる。

 

 厳密に言えば、舎利弗が歴史上実在したと考えられているのに対し、阿逸多は観念上の弥勒菩薩に対する信仰が確立された後、その前身として想定された存在である、という点が異なるが、この文脈上では大きな差異ではないし、法華経教団を含む当時の人々がその差異を認識していたかどうかも怪しい。

 

 以降の法華経中では一貫して、地の文では“弥勒菩薩”と表記されるのに対し、文殊師利菩薩および釈迦が彼に呼びかける場合に限り、“阿逸多”と表記されることになる。法華経全篇を通じて、このような扱いを受ける登場人物は弥勒菩薩のみだ。

 

 これは何を意味しているのだろうか。

 

 もちろん、その意図は明白である。今日おいても、自身の言説に箔をつけるために、聴衆によく知られた著名人を引き合いに出し、かつ、その著名人を自身の発話中においては、他の人が憚って用いないファーストネームやニックネームで呼ぶことによって自身の権威を擬似的に高めようとする……ある意味において極めて卑屈な……修辞を弄ぶ人たちがいるが、まさにそれと同じことがここで起きている。むしろ、二千年前にも同じような言い回しがあったのだ、ということに驚くべきかも知れない。

 

 ちなみに、妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什は本章書き手のこの意図に気付かなかったらしく、文殊師利菩薩が弥勒菩薩を「阿逸多」と呼ぶことを不自然に感じてか、序品第一中に“阿逸多”の語は表れず“弥勒”と表記されている。第十四〜七章に見られる釈迦から弥勒菩薩に対する呼びかけは、すべてサンスクリット原典に従い“阿逸多”とされているにもかかわらず、である。

 

 対して、正法華経を訳した竺法護は、光瑞品第一……お気づきとは思うが、章題に見える“光瑞”とは、かの白毫ビームのことである……を含む“アジタ”との呼びかけを、“阿逸(あいつ)”またはその意訳となる“莫能勝(まくのうしょう)”……他に勝る者がいない、の意……と訳していて、法護が逐語的直訳を好んだことがわかる。

 

 何が言いたいかというと、繰り返し述べていることではあるが、以上のことは正法華経と妙法蓮華経を比較検討すれば読み取れることなので、天台大師や最澄や日蓮、さらには後の法華経信仰者もその気さえあれば読み解けたはずだ、という点である。が、たとえば日蓮について具体的に論難すれば、第十章転読(うたたよみ)(第1話)に際して示したように、彼もまた自説の補強に弥勒菩薩の権威を安易に利用していた。無論これは、日蓮もまた、法華経の書き手に倣って弥勒菩薩の権威を利用したのであり、真に法華経の行者である、との解釈も可能ではあるが。

 

「弥勒菩薩に対する呼びかけのみで、そこまで結論するのはどーよ?」

 

と思われる方もおいでかも知れない。確かに我ながら、いささか踏み込み過ぎた解釈であると思わないでもないが、本章の書き手が弥勒菩薩を貶そうとしていた傍証は他にもある。と言うか、本章の弥勒菩薩と文殊師利菩薩の対話の主題は、白毫相が法華経説法の前触れであることよりは、むしろ、次下に示される不可解な因縁譚の方であり、これが見たまんま弥勒菩薩を貶している。

 

 冗長なので要約で紹介することにしたいが、件の日月灯明如来が教化した中に、妙光(みょうこう)なる菩薩がいて、同如来の白毫相、そして法華経説法に立ち会ったのだ、と文殊師利菩薩は語る。つまり、妙光菩薩が彼の主張する「白毫相は法華経説法の前触れである」ことの目撃証人だ、というワケである。例によって例の如く、門外漢から見れば何一つ証明されてはいないのであるが、今のところ、それは捨て置こう。

 

 かくして日月灯明如来は法華経を説き給い、以って自ら入滅するであろうと告げ、実際にこの世……それが我々の娑婆世界であるかどうかはともかくとして……を去った。以降は、妙光菩薩が日月灯明如来の説いた法華経を受持し、多くの人々を導いたのだと言う。その中には、釈迦牟尼如来(の過去世)に授記を与えた燃灯(ねんとう)如来もいたのだそうだ。

 

 さて、この妙光菩薩の弟子の中に、たいへん財利を貪り、執着し、人から尊敬を受けたいと望み、名聞を重んじ、名声を欲する者がいた。この人物は言葉や文字を教えられたり説明されてもすぐに忘れてしまい、心にとどまることがなかったことを以って、求名(ぐみょう)と呼ばれることとなる。この渾名のつきかたは、かの常不軽菩薩を想起させるのであるが、それはともかくとして、そんな彼ではあったものの、積み重ねた善根によって、無量百千万億の仏陀に会いたてまつることを得たのだそうだ。

 

 さて、ここに至って文殊師利菩薩は恭しくも宣言する。

 

 阿逸多よ、あなたは、かのとき、かの折の妙光という菩薩摩訶薩であり、説法者であったのは誰か別の人であろうと疑い、不信をいだき、惑いを起こすかも知れないが、そのように見てはならないのです。

 

 本連載の熱心な読者であれば、もう見飽きたであろうこのフレーズ。念のために申し添えれば、これは、過去譚に登場した人物が、実は今こうして対話している誰かの前世の姿であり、その因縁で以って今ここに我々はいるのである、と断言し、以って、法華経の読み手・聞き手に対し、信仰のあるべき姿を示す修辞である。

 

 が、この後の展開は、おそらく多くの読者の期待を裏切るものとなる。以下、ツッコミを入れつつ進めるが、これは一続きの章句の引用である。

 

 なぜかというと、私こそかのとき、かの折のかの妙光という菩薩摩訶薩であり、説法者であったのです。

 

 え、オマエがかよ!?

 

 いや、まぁ、これはこれで良しとしよう。妙光菩薩として日月灯明如来の白毫相、続く法華経の説法を実見した文殊師利菩薩が、今また、釈迦牟尼如来の白毫相を見て、これから始まる法華経の説法を予見しているのだ、という筋立てであり、納得がいくかどうかはともかく、理屈としてはわからないでもない。

 

 が。

 

 そしてまた、かのときに、求名という名の怠惰な菩薩がいましたが、阿逸多よ、あなたこそ、かのとき、かの折の求名という名の怠惰な菩薩であったのです。

 

 えー、そう貶すの!?

 

 なんだか次期社長に指名されている若旦那が子どもの頃の……いや、前世なのだが……寝小便を衆耳に晒されるような話になってしまっていてアレゲなのであるが。しかも、である。

 

 阿逸多よ、このような次第で、私は釈迦牟尼世尊がこのような光明を放たれたこの瑞相を見て、「今日、世尊もまた、妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名づける大乗経を説き明かそうと願っておられる」と思うのです。

 

 これで文殊師利菩薩の話は終わってしまう。

 弥勒菩薩の前世譚、関係ねーじゃん!

 

 しかもこの後、偈で以ってここまでの文殊師利菩薩の話、つまり「白毫相は法華経説法の前触れである」という主張が繰り返されるのであるが、ご丁寧にも、この偈の中でも再び弥勒菩薩が、何の必然性もなく貶される。この章句を以下に引くが、

 

 彼はまた、後のこのところに生まれ、やがて最勝の菩提を得るであろう。弥勒の姓を名乗る世尊となり、何千億もの衆生を教化することであろう。

 そのとき、入滅された善逝の教えのもとにありながら怠惰であった者こそ、そのようであったあなた自身であり、そのときの説法師は私であった。

 この因縁によって、私は今日このような瑞相を見て、「私は最初にかのところで見た、かの繰り広げられた智慧の瑞相と同じである」というのである。

 

 お気づきだろうか。

 

 上引用の一句目は、前稿において「本章の書き手は弥勒下生信仰を知っていた」証拠として示したそれである。あろうことかこの書き手は、“弥勒”という名に権威があるのだ、と示すその筆で、その直後に、弥勒の前世の寝小便……もとい、怠惰を引き合いに出して貶しているのである。続いて再び白毫相の因縁が断言されるが、どう考えても、この主張に弥勒菩薩は一切関係がない。

 

 以上が、ボクが、本章の書き手が弥勒菩薩の名が既に得ていた権威を利用しつつ、同時に、文殊師利菩薩を相対させることで、その権威が他を圧倒してしまわないようにコントロールしている、と解釈する由縁である。同時に、ここまで見て来た本章があろうがなかろうが、法華経の主張するところにはまったく影響しないのであるから、本章が後付けされた辻褄合わせ、粉飾であることは、日を見るよりも……白毫相を見るよりも明らかである。

 

 これは結果的に、本章冒頭に示された“如是我聞”の信憑性をも傷つけるものであり、文献考古学の手を借りずとも、法華経が釈迦の直説であるはずはない、ということは、序章を読むだけで断言できてしまうのだ、トホホ。

 

 以上を以って、法華経序章“発起”の転読(うたたよみ)を終える。

 

*1
 さらに厳密を期すれば、今日大蔵経に収められる妙法蓮華経および添本妙法蓮華経には、表題の前に、蔵経編纂時に添えられた序文があるが、これは一見すれば原典からの漢訳でないことが瞭然なのでここでは捨て置く。



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第18話 ホッケオパシー……第十七章“随喜の福徳を説示する”

 今話で取り上げるのは、法華経第十七章“随喜の福徳を説示する”(妙法蓮華経随喜功徳品(ずいきくどくほん)第十八)。前話で言及した、法華経中において弥勒(みろく)菩薩が登場する章の最後であり、法華経第二期の末尾に当たる章になる。

 

 世に宗教テキストは数多くあれども、その中にあって法華経の特筆すべき点は、自分自身を後世に渡って末永く伝承すべきである、ということを、これでもか、これでもか、と繰り返し強く主張するところにある、とボクは思う。リチャード・ドーキンスの言葉を借りれば、法華経は「適応度の高いミーム」ということになろう。今日の、法華経を自身の根本経典であると称する宗教団体の多さ、その活発さ、を考えると、なるほどそうである、と思わないでもない。

 

 が一方で、今日のそうした人々が、果たして法華経の主張したところを本当に理解した上でやっているのか、と問うと、かなりこれは疑問なのであって、有り体に言ってしまえば、法華経を広めること、それ自体が自己目的化し、その中身を問わないからこそそれらの宗教団体は能天気に増殖し続けるのではないか、という気もしてくる。そして、当然のことながら、その責は、もちろん現代までに至る後世の法華信仰者も免れることは出来ないものの、究極的には法華経自身にあるのであり、まさに本章がその元凶である、というのがボクの理解である。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、弥勒菩薩摩訶薩は世尊にこのように申し上げた。

「世尊よ、善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)のなかで、この法門が説かれるのを聞いて随喜するものがあるとしましょう。世尊よ、その善男子・善女人はどのような福徳を得るのでしょうか」

 

 本章は上引用の書き出しに始まる。もちろん、弥勒菩薩なる人物が実在してこの問いを発したワケではない。法華経第二期の本章の書き手は、弥勒菩薩の名が読み手・聞き手の間で一定の権威を有していることを理解した上で、敢えてその弥勒菩薩に上引用の問いを発せさせることで、続いて釈迦……法華経教団の主張を代弁するキャラクタ……から、自分たちの最も主張したいところを語らせるべくこれを言っているのである。

 

 これに対し、本章中の釈迦は以下のように応じる。

 

 阿逸多(あいった)よ、ある善男子・善女人がいて、如来が入滅したのちに、この法門が説かれ、説き示されるのを聞くとしよう。

 

 ご覧の通り、ここで釈迦は何の説明もなしに弥勒菩薩に対し“阿逸多”と呼びかけている。これが何を意図したものであるかは、前話において論じた通りであるので繰り返さない。ここでは、本章の書き手が、弥勒菩薩の権威、さらにその弥勒菩薩を阿逸多と呼び捨てることが出来る釈迦の権威、という二重の権威で以って以下のことを主張しようとしているのだ、と理解していれば十分である。

 

 ここで言われるのは、後に天台教学において“五十展転(ごじゅうてんでん)”と呼ばれることになる論述である。例によって本章の生の筆致は冗長に過ぎるので、拙要約で以ってこれを紹介する。

 

 上引用に示したように、誰かが法華経の説き示されるのを聞くとする。この誰かは、出家であろうが在家であろうが、聡明な人であろうが少年・少女であろうが、とにかく誰でもよい、とされる。この誰かがその場を離れてどこでもよいから別の場所に行き、また他の誰かに、自分が聞いた法華経について語るとする。それを聞いて随喜した誰かが、またどこか別の場所で他の誰かに自分が聞いたことを語り伝える。これを繰り返して五十人目に至り、その人もまた随喜する……これを五十展転と言い、

 

 阿逸多よ、順次にめぐりめぐって法を聞いて随喜したその第五十番目の人は、阿逸多よ、その善男子あるいは善女人の随喜とともに生ずる福徳の功用について私は説くであろう。

 

と話は続いていく。

 

 ご承知のこととは思うが、ここで言われる“五十”という数値には特に意味はなく、では四十九番目の人はどうなの?とか、五十一番目の人は?などと尋ねるのは不毛である。この話の力点が、法華経が誰かから誰かへと、喜びを伴いながら語り継がれていくこと、にあるのは明らかだ。一方で、何事につけても無茶な数的誇張……たとえば次下の釈迦の語りは、

 

 阿逸多よ、たとえば四百千阿僧祇(あそうぎ)の世界に生存していて……

 

と、例によって例の如くスケール感を無視した阿僧祇なる桁が、世界の数としていきなり登場するのであるが、これに対し、五十展転の“五十”はやけに控え目な値である。

 

 私見ではあるが、これは、法華経の書き手が、数というものに託した意識の差の表れであろう、とボクは読む。

 

 先に後者について論じれば、四百千阿僧祇という途方もなく大きく事実上の無限大な数が出てくる場合、これは、たくさんのものがある、ということではなく、ここで言う事柄が、空間的に言えばあらゆる地点において成立する普遍性を有していること、時間的に言えばいついかなるときも常に成立する永続性を有していること、の表現になっている。

 

 対して、五十展転に見られるような、その気になれば誰にでも容易に数え上げられる値が用いられる場合、これは、読み手・聞き手に期待される具体的な実践が想定されている、と考えて良い。

 

 授記に際して示される如来の寿命が例外なく事実上の無限値で示されるのに対し、たとえば第二十四章に見えた観世音菩薩の変化の数が三十三、と控え目なのも同じ理由からだ。

 

 前者は如来の普遍性・永続性の謂いであって、読み手・聞き手に期待される態度は、その深遠さに感銘することのみである。対して後者は、読み手・聞き手が観世音菩薩に倣って三十三種の変化を通じた衆生救済の努力に参加することが期待されているのであり、であるがゆえに、こうした場合の数値はカウンタブルである必要があるのだ。

 

 そのような意味合いにおいて、一見野放図に見える法華経の書き手の数の修辞の有り様は、存外よく考えられている、とボクなどは思う次第であるが、彼等自身がその意図を法華経中に明示的に書き遺していないがゆえに、後世に渡って過分なミスリードをおこなっている、とも同時に思わないでもない。

 

 さて、本章内容に話を戻そう。

 

 上に示した四百千阿僧祇の世界に生存していて……以降も粉飾語句ばかりがあまりに多いので大雑把に要約するが、とにかくそれだけ多くの世界に生きているあらゆる生物に対し、無限の快楽と無限の財宝と、さらには阿羅漢果(あらかんか)……声聞の修行の果てに得られると観念されたこの世の苦しみに動じない境地……を惜しみなく与える人、がいるとされる。そんなことが実際にあり得るのか、と問うことにはやはり意味がない。上述したように、無限の数を以って言われることは、法華経においてはあくまでも理念を示すものであって、具体的な実践を言っているワケではないのだ。

 

 阿逸多よ、そなたはこれをどのように考えるであろうか。かの施主であり、大施主であるその人は、そのような結果、量り知れず、数え切れないほど多くの福徳を生じないであろうか。

 

 釈迦は弥勒菩薩に上引用のように問う。ここで言われる施主は、前段で言われた無限の生きとし生ける者に快楽と財産と阿羅漢果を与える何者か、のことである。対して弥勒菩薩は、世尊よ、そのとおりです、善逝よ、まさしくそのとおりですと大袈裟に同意する。本稿の熱心な読者であれば、最早見慣れた修辞であり、この後何が言われるかは十二分に予測可能であろう。

 

 もちろん、釈迦は「かの施主よりも、五十展転の人の福徳の方が大きい(趣意)」と結論するのである。しかもそれは、強いて比べれば五十展転の方が大きい、といったレベルのものではない。

 

 阿逸多よ、この随喜にともなって得るところの福徳、随喜にともなう善根の功用の前においては、先の、施しにふさわしい阿羅漢果を得させたことにともなって得るところの福徳は、百分の一にも及ばない。千分の一、百千分の一、億分の一、百億分の一、千億分の一、一百千億分の一、百千億那由他分の一にも及ばない。その差は数えることも、計ることも、量ることも、譬えることも、比べることもできない。

 

と釈迦は言う。当然、ここでおこなわれている数値的な比較には特に意味はないのであって……

 

 阿逸多よ、このように、かの展転して聞いた五十番目の人でもなお、この法門から一詩句、一句でも聞いて随喜するならば、量り知れず、数えきれないほどの福徳を得るのである。

 

……と続いて言われるように、どんなに徳が高いと思われる行為よりも、法華経の伝播に加わることの方が福徳が深いのだ、というのが法華経教団の主張したいところ、ということになる。

 

 改めて指摘するまでもなく、これは法華経教団が手前勝手に主張していることに過ぎないのであって、これがこの世の真理であることが証明されているワケではまったくない。が、釈迦の聖性を信じ、かつ、法華経を信じる人にとってはこの言明こそが真理である、ということになり、実際、法華経(を奉じる宗派)の布教力は、まさにここで言われる言明を受けた信仰者の、献身的な尽力によって成されたものであり、それこそが、まさに法華経教団が希望した未来だったのだろう。

 

 が、ちょっと待って欲しい。

 

 果たして、現代の法華経を自身の根本経典として奉じると称する宗教団体の興隆は、本当に彼等が望んだ未来像、そのものなのだろうか。

 

 

                    *

 

 

 ちょっと脱線して、今話を書き始めて不意に思い出したことを書き留めたい。何分、小学生の時分の記憶なので正確性を欠くものであるとは思うのだが。

 

 その着想は、毎日放送の『まんが日本昔ばなし』を見ていて浮かんだ。同作には、しばしば無心に念仏を唱える信仰深いお婆さんが登場する……というか、そのような設定が、日本古来の民話の定型の一つだ、と言うべきであろうか。法華信仰の家に生まれ、日蓮遺文に親しみながら育ったボクは、このアニメの演出を通して、ある思考実験を思いついたのだった。

 

「隔絶した僻地に一人で暮らす、信仰深い老婆がいるとしよう。彼女が知っている仏教上のフレーズは“南無阿弥陀仏”のみであり、無心にこれを唱え、仏様への感謝の祈りを捧げる日々を送っているとする。さて、日蓮信仰の立場から見たとき、彼女は救済されるだろうか?」

 

 我ながら変な子どもだった、とは思うのであるが、ボクはこれを周囲の日蓮信仰者を自認する大人たちに問うて歩いたのである。さて、どのような返答が返って来たか。

 

「日蓮聖人が念仏無限地獄と言っている以上、お婆さんは地獄に堕ちる」

 

「南無妙法蓮華経を知らないお婆さんは不幸だ」

 

といったところが最大公約数だった。

 

 これは、教条的日蓮信者……関東地方では堅法華(かたぼっけ)とも言うらしい……としては模範解答であったのかも知れない。

 

 念のために申し添えれば、ボクはこのようにボクに返答した人々を非難したくて言っているワケではなく、むしろ生意気な子どもであったボクに真摯に応じてくれたことに感謝しているくらいなのであるが、思うに、これを不条理に感じ、自分で仏典を読み、自分自身で考えない限りは何が正しいかは判断できない、と考えたのが、ボクが日蓮遺文や妙法蓮華経を自分で読むようになった直接のキッカケであったように、今になって思う。

 

 

                    *

 

 

 さて、法華経第十七章“随喜の福徳を説示する”は、五十人の伝言ゲームを経て伝え聞いた法華経の一句一偈であっても無上の福徳があると説く。これを書いた本人が、本気でそう考えていたであろうことは、本章が法華経中でも良くも悪くも最も熱い第二期の末章であることを考えれば、疑う余地はない。実際、本章はまったく同じ内容を偈で以って繰り返し、この主張を立証するでもなく、その含意を説明するでもなく、唐突に終わってしまう。

 

 書き手にとって、それはまさに“真理”だったからである。

 

 が、冷静に考えれば、五十人を経た伝言ゲームで以って何らかのメッセージが正確に伝わるなどということは馬鹿げた話である。実際、子どもの時分のボクが発した(過分に無茶振りな)思考実験の相手をしてくれた大人たちに、法華経第十九章の常不軽菩薩に託された一切衆生に礼拝する姿勢(第4話)や、第二十四章が観世音菩薩を通して勧める一切衆生救済の姿勢(第2話)は、伝わっていない。

 

 “五十展転”の果てに法華経のメッセージは極度に単純化され、宗派によって多少の温度差こそあれ、突き詰めれば日蓮筋においては「南無妙法蓮華経と唱える者は救われ、唱えないものは救われない」ということだけが後の世の人々に伝わったからである。

 

 無論、これは「日蓮が法華経を歪めた結果である」と解釈することも出来る。が、これも虚心坦懐に法華経を読む限りにおいて、法華経第二十一章(第8話)にはこの法門の名号だけでも受持する法師たちを守護し、擁護し、救護しようとする福は量ることができないとの一説があり、日蓮は“五十展転”のリレーを中継し、文字通り一句一偈を五十人目に伝えたのであるから、まさに、彼は本章が言っている通りの福徳多いことをやったのであり、それを心底信じている人々もまた、本章が言っている通りの福徳に包まれているのだろう。

 

 つまるところこれは、日蓮をはじめとする人師や、それに連なる後世の信仰者の問題ではなく、法華経が本質的に抱え込んでいる欠陥である。

 

 以下、私見であることを断って書くが、法華経の成立に関わった人々は、自分たちが編み上げたテキスト、端的に言えば“ことば”の力を過信していたように思う。が、これは彼等が異常に自信過剰かつ自己愛気味な集団であった、という意味では決してない。彼等が実際に生きた時代に限っていえば、それは過信ではなく、事実だったからだ。

 

 どうしても現代の我々は、漢訳テキストとしての仏典を第一に想起してしまうので、それが誕生した時点においても、それらはそのように当時の人々からも見えていた、と考えてしまいがちであるが、繰り返し述べているように、少なくとも法華経を含む大乗経典は、それを編み上げた比丘衆によって、彼等に対する施与を求めるべく、町々において集団で暗唱されたものであった。

 

 ここで想像力を逞しくして、自分自身が、テレビもラジオも新聞もないその町々に暮らした、自分自身は文字すら読み書きできない一般庶民であったなら、と考えていただきたい。そこに、揃いの糞掃衣を纏い、髪を剃り上げた一群の比丘衆が厳かにやって来る。それは五人であったろうか、十人であったろうか、或いはもっと多かったかも知れない。その異形の集団が、一斉に声を揃えて唱和する。

 

 オーム、あらゆる仏陀と菩薩に帰命したてまつる。あらゆる如来・独覚・聖なる声聞たち、そして過去・未来・現在の菩薩たちに帰命したてまつる。このように私はお聞きしている。あるとき、世尊は王舎城の耆闍崛山においでになられ……

 

 このとき、あなたはどのように感じるだろうか。食を求める乞食が好き勝手なことをほざいている、と考えるだろうか。無論、そのような、ある意味聡明な、ある意味捻た人もいたかも知れないが、普通の人はそうではあるまい。比丘衆は、全文朗唱に数時間はかかろうかという経典を、誤ることなく唱和し続けるのであり、しかもそれは、耳心地の良い韻文にもなっているのだ。

 

「世俗を離れボロボロの衣を纏って修行している人々が、このように声を揃えて長々と語ることには、何らかの真実が含まれているに違いない。」

 

 聞き手の多くはそう思ったはずであるし、その効果については語り手も自覚していたはずだ。つまり、この行為の有り様そのものが、語られる内容の真理性の証拠と理解されていたのであり、それ以上の立証は求められなかったのである。これが、前述した「ことばに対する過信は、過信ではなかった」とする理由である。

 

 一方で、ここまで示してきたように、法華経教団第一期の章句は、後のそれに比べておしなべて冗長であり、かつ、情緒的ではあるが理屈っぽい、という特徴をもつ。既にみたところの第二章におけるセントラルドグマの表明、第三章における譬喩を通しての敷衍説明を見れば、当初の彼等が、それほど自分たちの“ことば”を過信しておらず、むしろ、ことばを尽くして聴衆の理解や賛同を得ようと苦心していたことがわかる。

 

 が、どこかの時点で……おそらくは法華経第二期の拡充が始まった頃だろう……彼等は気づいたのだ。第二〜三章のようなことばを尽くした説明は、たちまちの賛同や施与を得るにはときに逆効果なのであり、授記の章に見られるようなシンプルな断言の方が、むしろ人々の心を捉える、ということに。

 

 かくして、第十章以降の法華経は、修辞がよく練られて短文化されるとともに、説明抜きの断言が多用されるようになっていく。語り手主観から見れば、冗長であった第一期経典を朗唱しているときと、得られる効果……つまりは、その日のアガリ……は、同じか、あるいは、わかりやすさとインパクトが増したことにより、増収につながっていたのではないかとすら思うのであるが、こうなってくると、彼等自身が、自分たちの語る一句一偈なりとも語ったり聞いたりすれば、無量の福徳があるのだ、と過信を抱くのも無理はない、とボクなどは思うワケである。

 

 が、彼等は以上に述べたようなことを、最初から知っていて計画的におこなったのではなく、言葉は悪いが行き当たりばったり試行錯誤しながら見出していったのであり、法華経全篇を通じてのスケール感の不一致などが端的にそれを証明しているように思うのであるが、であるがゆえに、彼等自身が創作した衣裏繋珠の譬喩を通して指摘したように、法華経教団はついぞ自分たちがやっていること全体を俯瞰してメタ視することがなかった。

 

 その行き着いた果てが本章の、五十人の伝言ゲームを経ても法華経に一句一偈には無量の福徳がある、との根拠なき断言、ということになる。

 

 これが何を生起せしめたか、と問えば、遠くはボク自身の子供時分の実験結果として示したような後世の法華信仰のあらぬ方向への拡散であり、近くは法華経教団自身が信仰の形骸化に早くも直面していたことは、既に見てきた通りである。これを以ってボクは、法華経が本質的に抱え込んでいる欠陥である、と考えている。

 

 が、これを単純に欠陥である、と切り捨ててよいものか、と問えば、そこに迷いがないワケでもない。と言うのも、以上見てきたように、その欠陥こそが同時に、今日に至るまでも法華経信仰が、その内実を失いつつも拡散し続けている原動力であり、かつ、それがあったればこそ今こうしてボクは十全な法華経テキストを弄ぶことが出来るのであって、彼等がいなければ、つまり、法華経にこの本質的な欠陥がなければ、これらのテキストはボクの目に留まることもなかったのであるから。

 

 何たる矛盾!何たる不条理!

 

 以上を以って、法華経第十七章“随喜の福徳を説示する”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第三部 深淵篇
第19話 空振る説得……第四章“信解”


 本連載も残すところ3分の1となり、遂に深淵篇に突入する。

 

 今回扱うのは第四章“信解”(妙法蓮華経信解品(しんげぼん)第四)。ここに法華七喩の第二、長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬喩が登場し、これとその敷衍的な説明が本章のほぼすべて、となる。

 

 第四章“信解”を挟んで第三〜五章は、立て続けに、譬喩を以って法華経教団第一期の人々が第二章において表明したセントラルドグマ、すなわち一乗真実三乗方便を敷衍する章になっている。うち、本章の長者窮子と第三章の三車火宅(さんしゃかたく)は、いずれも、釈迦を父親、教化を受ける弟子をその子どもに見立てる点が共通している。なぜ法華経教団は、似たような譬喩を続けて論じる必要があったのだろうか。

 

 

                    *

 

 

 本章の登場人物は、須菩提(しゅぼだい)大迦旃延(だいかせんねん)大迦葉(だいかしょう)大目犍連(だいもっけんれん)の四人。釈迦の直弟子カルテットである。もちろん、歴史上実在したであろう本人たちとは直接には関係はない。釈迦を含め、法華経教団が自分たちの伝えんとするところを仮託したキャラクタである。

 

 冒頭、彼等は前章となる第三章において、同じ十大弟子の筆頭、舎利弗(しゃりほつ)が得た受記(第6話)に対し喜びの言葉を述べた後、偏袒右肩(へんたんうけん)でもって釈迦に向かい、以下のように告解する。

 

 世尊よ、私どもは実に、齢を重ね、老い衰えたものでありまして、この比丘の僧団においては上座と思われておりますが、老い衰えてしまって、私たちは涅槃(ねはん)を得たと思いこみ、そして、世尊よ、私たちは怠けもので、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得ることにたいして無気力であり、そのための努力もいたしませんでした。

 

 彼等が揃って受記を得る第六章を転読(うたたよみ)した際(第12話)彼等もまた舎利弗同様に受記に先立って自己批判をおこなうことを指摘したが、これがそれに当たる。これもまた、舎利弗がそうであったように、法華経教団主観から見た、対立声聞衆に対する遠回しの批判を兼ねているように読める。

 

 そのような私たちが、世尊よ、いま世尊から親しく、声聞たちも阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるという予言を聴聞して、私たちは驚き、稀有なることと思って、大きな利益を得ました。……(中略)……探しもせず、求めもせず、考えもせず、願いもしなかったのに、このような素晴らしい宝を得ました。このことについて世尊よ、私たちには思い浮かぶことがあります。善逝よ、私たちには心に浮かぶことがあります。ここに一つの譬喩を申し上げます。

 

と前置きされて、長者窮子の譬喩物語が始まる。つまり、法華七喩の第二は、釈迦から示されるものではなく、この四人の弟子の連名で以って語られるものとなる。以下、第三章の三車火宅の譬喩同様に、やたらと冗長なので、要点を掻い摘んで見ていくこととしたい。

 

 まず、幼い頃に父親と生き別れ、二十年、三十年、四十年、五十年と流離った貧しい男の子……もう子じゃなくてオッサンだよな?……がいる、とされる。父親は商売か何かに成功して大金持ち=長者なのだそうだ。長者の父と生き別れて窮乏する子、これが長者窮子という語の直接の意味である。長者には財産を譲るべき子が他になく、ずっと生き別れた子のことを思い続けていた、とされる。

 

 あるとき、衣食を求めてさまよう窮子が、偶然にも長者の暮らす屋敷のそばへ、そうとは知らずにやって来る。金銀財宝が散りばめられた屋敷の様子に、窮子は震え上がる。

 

 思いもかけぬことに、私はいきなり、王か王に等しい人に出くわしてしまった。このようなところには、われわれのような者のする仕事があろうはずはない。立ち去ろう。貧しい人たちのいるところなら、それほど苦労せずに私たちの衣食が得られるだろう。ぐずぐずしてはいられない。私はここでつかまえられて強制的にこき使われたり、あるいは他の災いを受けるようなことがあってはたいへんだ。

 

 物語の都合だ、と言えばそれまでなのかも知れないが、当時のインドには、金持ちであれば、貧しい浮浪生活者をひっ捕まえて奴隷化してもよい、という掟でもあったのであろうか。ともかく窮子は、まさかその屋敷の長者が自分の父親とは思いもしないので、足早にそこを立ち去ろうとする。

 

 一方の父親は、これまたご都合主義的な話ではあるが、こちらは遠目に見て彼が我が子であることに気付き、喜び勇んで使用人に申し付ける。

 

 おまえたち、追いかけて、早くあの男を連れてきなさい。

 

 かくして窮子は父親の使用人たちに捕まり、恐れおののいて声高に叫びわめく。

 

 私は、あなたがたに何も悪いことをしていないのに。

 

 が、主人に従順な使用人たちは、窮子を無理矢理引きずっていく。窮子自身は、自分は殺されるに違いないのだ、と思い込み、ついには気絶してしまう。それを見た長者は、

 

 おまえたち、その男を無理強いに連れてきてはいけない。

 

 アンタが連れて来いって言うたんちゃうんかい!とか思うのだが、とにかく彼等は、気絶した窮子に冷水を浴びせて……ひどいなぁ……蘇生させる。が、長者は黙して何も語らない。なぜか。四大弟子の言い分はこうだ。

 

 それはなぜかといいますと、長者は、その窮子の心根が賤しくなっていること、そして一方、自分自身は豪勢な威力をそなえていることを知っており、また、貧しい男が自分の息子であることを知っているからです。その場合、世尊よ、その長者は方便に巧みであって、「これが私の息子である」とはだれにも語らないでしょう。

 

 さて、ここで法華経第一期を貫くキーワード“方便”が登場すると同時に、何だか雲行きが怪しくなってきた。生き別れた息子に父親の名乗りを敢えてしないことが、何故に方便に巧みであるとされるのか。たちまちには理解に苦しむが、ともかく長者は一旦窮子を解き放つ。窮子は命からがら貧民街へ逃げ込み、その日暮らしを始める。

 

 一方、長者は巧みな方便とやらで次の手を打つのであるが、顔色も悪く、無気力な二人の男に次のように指示する。

 

 おまえたち二人は、ここにきていたさきほどの男のところに行き、おまえたち自身の言葉で雇い入れ、二倍の日当を与えることにして、この私の屋敷で仕事をさせなさい。もし彼が「何の仕事をするのですか」と尋ねてきたら、おまえたち二人は彼に「われわれ二人といっしょに糞尿の掃除をするのだ」と、こう言いなさい。

 

 かくして窮子は、富める長者の家の近くにある草ぶきの小屋で寝起きしつつ、屋敷の糞尿や汚物の掃除をする仕事を始める。

 

 何なんだコレは?

 

 冒頭にも書いたように、話の筋に突飛なところはまったくない。理解に苦しむ白毫ビームも太陽よりも大きな巨人も天まで伸びる舌も出ては来ないが、それらの物語においてはあった「表現が過剰なことを割り引けば言いたいことはわかる」的な納得感が本章からは感じられず、むしろ、何だかよくわからない居心地の悪さだけが徐々に溜まっていくのはボクだけだろか。

 

 とまれ物語の続きを見ていこう。

 

 生き別れた息子に対し、親子の名乗りをしないまま汚物処理として召し抱えた長者は、自分が雇い主であるとわからないように、故意に身なりを汚して窮子に近づき、使用人身分の先輩を装ってやさしく振る舞う。

 

 おまえは糞尿や汚物を掃除して、私のために多くの仕事をしてくれた。なあ、若者よ、おまえはここで仕事をしていて、これまでに人を欺いたことも、不正なことも、偽りも、高慢なことも、何か隠しだてすることもなかったし、いまもしていない。なあ、若者よ、他の男たちには、仕事をしながらそのような欠点がみられるけれど、おまえは、何ひとつ悪いことをするのを見たことがない。今日よりは、おまえは私にとってほんとうの息子のようなものだ。

 

 言わんとすることはわからないでもないが、何とも回りくどい話である。さて、長者は、窮子が誠実であるかどうか身分を隠して観察していたのか、あるいは、単に親馬鹿で息子が誠実であると思い込みたいのか。仮に、使用人中に窮子以外に誠実な人物がいたとして、長者はその人物に対してはどのように振る舞うのだろうか、等々と疑問は尽きないのであるが。

 

 ともかく、当初は卑屈であった窮子の態度は次第に変化していって、長者の家にためらうこともなく出入りするようになるが、それでもなお、雇い入れられたときのまま、自身は草ぶきの小屋で暮らした。これが二十年続く。言葉通り受け取ると、親子の別れが三歳のときとしても、窮子はこの時点で七十三歳ということになる。その父親たる長者の年齢について言及はないが、推して知るべしであろう。長者はいよいよ自身の死期が近いことを知って、未だ親子の名乗りを挙げないままに窮子へこう語りかける。

 

 私は重い病気にかかっている。そこで、これはだれに与えるべきものか、あれはだれから受け取るべきものか、何を秘蔵すべきであるか、そのすべてをおまえに知っておいてもらいたいのだ。なぜかというと、私がこれらの財産の所有者であるけれども、おまえにとってもそれは同じことであるし、おまえが私のこの財産のなかから何かを失うようなことがあってはならないからなのだ。

 

 こうして、糞尿掃除人であった窮子は、事実上の長者の執事となる。彼は長者の財産のすべてに精通するが、それらを着服することはもちろん、欲しいと思うことすらなかった、とされる。

 

 ここに至って、長者は彼の息子が有能な財産の支配人として成熟したと判断し、親戚や王や大臣を集めて、

 

 これが私の息子で、私は彼の父親です。私が所有するところのものは何でも、その一切は私はこの男に引き渡します。私自身が所有する財物は、何でもその一切をこのものが知っております。

 

と宣言する。当の窮子は、

 

 思いもかけなかったのに、私は、この金塊、金、財宝、穀物、貯蔵室、倉庫を得た。

 

と驚く。物語はここで終わり、続いて四大弟子自身の言葉として以下のように結論される。

 

 実にこのように、世尊よ、私たちは如来の息子に等しいのであり、そして如来は私たちに「おまえたちは私の息子である」と、かの長者のように言われます。

 

 さて、読者諸兄におかれては、この物語の含意するところ、つまり、本章の書き手がこの譬喩を以って何が言いたかったのか、わかるだろうか。思いもよらぬ宝を、自分自身が気づかないままに得ていた、とする構造は、第八章に見える衣裏繋珠の譬えに共通しているが、どうにも不可解な内容である。以下、私見を交えつつ解読してみよう。

 

 まず、物語に登場する要素が、それぞれ何を表象しているのかを確認しておく。

 

 長者:釈迦

 

 窮子:この譬喩を述べている四大弟子

 

 財宝:如来の智慧

 

 つまり、四大弟子は釈迦の如来の智慧の相続者であって当然であったが、そのことに自分自身は長く気づいていなかった、というのが物語の基本構造であり、親友=釈迦が、ある男=弟子の衣の襟に忍ばせた宝珠=無上の覚りに気づいていなかった、とする衣裏繋珠の譬喩に通じるのもこれである。

 

 一方、衣裏繋珠の譬喩においては「得ていながら気づいていなかった」こと自体に話の力点があるのに対し、この長者窮子の譬喩では「窮子が長者の財産の管理人になっていた」ことの方に力点があるようだ。これは、以下に示す、物語に後続する四大弟子の論述から見て取れる。

 

 長い年月の間、長者に仕えた窮子が長者の財産を残りなく知り、出し入れが自由であったように、世尊よ、私どもは菩薩摩訶薩たちに如来の智慧をはじめとして、すぐれた法の宣説を行ない、如来の智慧を開示し、教え、解説したりしますが、世尊よ、私たちはそれについて関心がありませんでした。

 

 繰り返し述べているように、法華経第一期に実名で登場する釈迦在世の弟子たちは、概ね法華経教団と対立した声聞衆を表象していると考えて間違いない。とすると、ここで言われている残りなく知り、出し入れが自由であったところの長者の財産とは、声聞衆が継承してきた仏典を意味している。実際、声聞衆はその仏典を一般庶民に宣説し、その対価として施与を得て日々の糧としていたのであり、これが窮子が長者の財産の管理人に抜擢されたこと、に対応している。

 

 つまり、この構造を通して、法華経教団は対立声聞衆を「長者の財産=如来の智慧を相続したことに自覚のない窮子」として非難しているのであり、裏を返せば、彼等は自身をして「如来の智慧の相続人である」とする自負を抱いていたことになる。否、穿った見方をすれば、これはそもそも話が逆であるのかも知れない。

 

 第二章の五千起去の下りから、法華経教団がその創設のかなり早い段階において対立声聞衆からの批判、あるいは無視を受けていたことを読み取った。また、第十二章の二十行の偈が図らずもその批判の内容を間接的に伝えていることも見て来た。特に後者からは、対立声聞衆が法華経教団を自分たちが勝手につくった俗悪な教法を教えるであるとか、自ら経典を作り、大衆の中において説法するといった観点で問題視していたことがわかるが、これも裏を返せば、対立声聞衆は「勝手に経典を作るべきではない」と考えていたからである。

 

 とすると、本章に見える長者窮子の譬喩は、そもそもは法華経教団の創意によるものではなく、対立声聞衆が「滅後の我々は如来の智慧の管理人に過ぎないのに、法華経教団はそれを我が物のように好き勝手している」と批判した言説を、そのまま逆転させたものである可能性が考えられる。むしろ、そのように考えた方が、どうしてこの物語がここまで回りくどい構造を持たねばならなかったか、がすっきり説明できるのではなかろうか。

 

 同時にこれは、法華経教団自身が、対立声聞衆の伝統的・規範的・保守的な仏典解釈から離れ、独自の道を歩み始めるに際し、彼等自身の内部にもある種の後ろめたさやためらいがあったことの反映であるようにも思われる。法華経第一期のかなり早い段階で書かれたであろう本章は、自身が長者の実子であることに気づかぬまま二十年の歳月を使用人として過ごした窮子の姿を通して、彼等が母体となったであろう比丘集団から独立旗揚げするまでの葛藤を表現している、とも読めよう。

 

 もちろん、以上の解釈は傍証を欠くものであるから、あくまでも「そのように理解することも可能」なものの一つでしかないことは申し添えておかねばならない。

 

 この後本章は、主意を同じくし、かつ、ここまでの長行部分よりも長い偈、が体裁の上では大迦葉が詠ったもの、として繰り返されて終わる。ここに垣間見える法華経教団の立ち位置に検討を加えてみよう。

 

 

                    *

 

 

 前章と本章に続けて展開される、釈迦とその弟子の関係を親子になぞらえた二つの譬喩物語は、伝統的な天台法華教学の解釈によれば、広くは一切衆生、狭くは二乗=声聞・独覚の人々を、次第に一乗真実へ導く如来の“巧みな方便”なのである、ということになるのであるが、これは歴史上の釈迦がこれを説いたと信じるからそうなるのであって、実際にはこの譬喩は法華経教団の人々がなんらかの必要に求められて創作したのに違いないのである。

 

 ここでボクが思うのは、第二期以降は対立声聞衆に対し攻撃的な態度が目立つ法華経教団であるが、本章が創作された第一期、それもその初期においては、彼らは対立声聞衆……否、この時点では対立までには至っておらず、法華経教団は自分たちを含む大きな出家者集団の非主流派であったろう、と思うのであるが……すなわち所属教団の主流派を、これらの譬喩を以って説得することが可能であると、楽観的に信じていたのではないか、ということである。

 

 前章と本章の譬喩が、共に釈迦と弟子の関係を親子に見立てていることは前述した通りであるが、これを比較すると、前章の三車火宅の譬えにおいては、子どもは「火宅の如き三界」に遊ぶ未だ理非を判断できない存在として描かれているのに対し、本章の窮子は、文字通り読めば老成して父親の財産の管理を任された人物になっている。思うにこれは、悪気なく創作した第三章の譬喩が、結果的に教団主流派に「我々を小児扱いするのか?」と不興を買ったことをうけて、法華経教団なりにおこなった改善だったのではないか、と思うのだ。

 

 少なくとも、本章の書き手自身の主観においては。

 

 善逝は、私たちを、偉大な力のある多くの菩薩たちのところに遣わされ、私たちは数千億の譬喩や因縁をもって無上の道を説き示します。

 最勝者の子供たちは、私たちの言葉を聞いて、菩提のために最勝の正しい道を修習します。そして、その刹那に、「そなたたちはこの世において仏陀になるであろう」と、予言を授けられるのです。

 この法の蔵を守護しながら、また、最勝者の子供たちにそれを演べ説きながら、あたかも、かの信頼された貧しい男のように、私たちは救世者のために、このような働きをするのです。

 

 上引用は、本章後半に偈で繰り返される要約の中程に登場する一節である。文脈上はこれは大迦葉が詠んでいることになっているから、ここでいう私たちは、法華経教団にとっての説得相手となる主流派声聞衆を表象していることになる。前章において相手を小児扱いしたことを思えば、本章では同じ人々に対し、法の蔵を守護しつつ、数千億の譬喩や因縁をもって無上の道を説き示し、釈迦が衆生に予言を授ける下地を整える大役が託されているのであって、随分と持ち上げられていることがわかる。

 

 が、これを逆の立場、すなわち自分たちこそが釈迦以来の伝統の担い手であると自認する主流派声聞衆の立場から読めば、第三章のそれと五十歩百歩のものなのであって、むしろ、彼らからすれば青二才に過ぎない法華経教団の、思い上がりがなお一層強くなってきたように見えたのではないか。

 

 冒頭に述べたように、詳しくは次話にて改めて転読(うたたよみ)したいと思うが、法華経教団は続く第五章においても再び異なる譬喩でもって主流派声聞衆の説得を試みている。後に三草二木(さんそうにもく)と呼ばれることになる次章の譬喩は、釈迦と弟子の関係を親子に擬えることをやめるのであるが、それでも再び説得を試みていることを考えると、存外法華経教団は「親子関係に譬えるのがマズかったのだ」と、自分たちの問題点を単純化したのかも知れない。

 

 いや、むしろここで関心を抱くべきは、現代の我々の感性から考えると、三車火宅の譬喩が語られだした時点で、主流派声聞衆は激怒し、以降は一切法華経教団の発言に耳すら傾けない、という態度をとってもまったくおかしくはないのに、第五章に至るまで、三度これが繰り返されたこと、それ自体であるかも知れない。意外に主流派声聞衆は心が広く「青二才が次に何を言い出すか聞いてみよう」と悠長に構えていた、とも考えられよう。何せ彼らは声聞の学びを極めた阿羅漢である、と自認していたのであるから、多少のことでは感情を動かさない……否、動かせないのである。

 

 一方で、対する法華経教団の側は、自分たちが見出したと確信する一乗真実三乗方便に掛ける情熱が強すぎて、主流派声聞衆のこの態度の意味するところを読み違え、より“巧みな方便”を以ってさえすれば主流派声聞衆も自分たちの言っていることを理解し、賛同してくれるはずだ、と思い込んでいたのではないだろうか。こう考えると、第三〜五章が立て続けに繰り返される、手を換え品を換えの譬喩の章であることに得心がいく。

 

 前話でも論じたように、この一見噛み合わない、そして同時に、ある意味において初期の法華経教団にとっては孵卵器的な役割すら果たしたであろうこの関係が、続く第六〜七章の公表によって破綻した……有り体に言えば、主流派声聞衆の堪忍袋の緒が切れた……というのがボクの解釈である。おそらくは、法華経教団はこれに並行して在家衆の一定の支持を得ることに成功し、主流派声聞衆と袂を分かったのであろう。第十章以降の法華経から、これまで注力が見られた声聞衆へのアピールが消え、突如として在家の善男子・善女人へ訴える言辞が現れることも、これで合理的に説明出来るように思う。

 

 視点を転じて法華経全体の論調との整合を見ると、特に彼らの理想主義的傾向が頂点を迎える第二期後半から第三期初頭にかけての主張、すなわち第十九章などに端的に現れる一切衆生悉有仏性的な信念に比して、本章に見える長者窮子の譬喩は、階級差別的な社会構造を前提として無批判に受け入れている感があり、違和感を覚える。

 

 具体的には、釈迦の法の継承が財産の相続に譬えられ、窮子の相続の正当性は血縁関係の他には求めることが出来ず、しかも、その継承の手続きに参与する使用人たちに対する言及は、くる病眇目愚かなる人々見すぼらしい衣服を来た人々色の黒い人身分のいやしいい人たちと過分に差別的である。さらに、話中の長者は窮子への相続の宣言を、国王、親族、市民、また、多くの商人たちに対しておこなうのであって、このとき存在が前提されている使用人を含めた被差別階級の人々は丸っと無視されている。

 

 もし、本章が書かれた時点の法華経教団が、後に語られる常不軽菩薩の物語が含意するような絶対平等観をおぼろげながらも有していたのであれば、たとえば、長者の財産を相続した窮子が、そこに至るまでの自分を支えてくれた貧民街の人々や使用人仲間に謝意を捧げ、財産を分かち合ったというようなオチがあっても良さそうなものであるが、そのようなニュアンスは一切ない。ということは、法華経教団第一期の面々の関心はそういったところにはなかったのであって、あくまでも主流派声聞衆を説得・論破することにのみ力点があったことになろう。

 

 これは同時に、後に法華経第二期以降の人々が示すところの衆生救済の理念が、そもそもの法華経教団のセントラルドグマから派生したものでは必ずしもなく、第一期の人々が主流派声聞衆論破のために編んだ物語が、彼らの意図を離れて結果的に比較的下層の在家市民の心を捉えたため、教団経営上の事情から、彼らの語りかける相手が声聞衆から在家衆へと横滑りする中で生じたことを示唆しているようにも感じられる。

 

 無論、言わんとするところは「ゆえに法華経の説く平等観は食わんがために作り出された紛い物である」などといった極論ではない。そもそも、平等観が清廉潔白な神様・仏様から天下り的に示された絶対的真理であるべきだ、という前提がおかしいのだ。後に、それを権威付けるためにそのように演出されることは古今東西普遍的なことであると思うが、そもそものそういった理念の誕生は、泥臭い現実の中の必然性から生み出されるのが常なのであって、法華経は古代インドで起きたその一面を生々しく記録している、という読み方もできよう、という話である。

 

 それにしても皮肉に思うのは、本章が“信解”つまり「信じて理解する」と表題されていることだ。これは、本章が釈迦ではなく、四大弟子の側から一方的に論述される体を採っていることからわかるように、主流派声聞衆が法華経教団の主張を「信じて理解する」という意味を込めたものであったろう、と思うのだが、結果としてそれは実現しなかったし、実現できようはずもなかったのである。その一方で、彼らは遠い未来に、青二才であった彼らの主張を、まったく元来とは別の意味合いで“信解”する一群の人々を得たのであるから、信仰者であれば、むしろそのことを宝塔の出現よりも真に驚嘆すべき奇瑞として珍重すべきではないか、とさえ思わないでもない。

 

 以上を以って、法華経第四章“信解”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第20話 消えた後半部の謎……第五章“薬草”

 今日、我が国において“法華経”と言えば鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』を指すこと、その一方で、現在知られる法華経サンスクリット語写本と妙法蓮華経の間には少なからぬ異同があること、その中には後世になってこっそり妙法蓮華経に編入されたものもあること、をここまで示してきた。

 

 今話で取り上げる法華経第五章“薬草”(妙法蓮華経薬草喩品(やくそうゆほん)第五)は、原典と羅什訳の乖離が最も大きい章、ということになる。どう異なるか、というと、羅什訳は本章の後ろ半分を丸々欠いている。羅什訳を補完する体で闍那崛多(じゃなくった)達摩笈多(だるまぎゅうた)らにより7世紀初頭に編まれた『添本妙法蓮華経(てんぽんみょうほうれんげきょう)』がこの部分を含むのは当然として、どうしたことか、先行訳となる竺法護(じくほうご)訳『正法華経(しょうほけきょう)』もこの部分を含んでいる。ここまでは第十一章後半、すなわち妙法蓮華経でいうところの提婆達多品(だいばだったほん)第十二と似た話である。

 

 少し事情が異なるのは、正法華経にはこの第十一章後半を妙法蓮華経同様に梵志品(ぼんしほん)第十二として分かつものもあることから、原典当該部が後付けであることが推察されるのであるが、本章についていうと、後半部を欠くのは原典・漢訳を通じて羅什訳のみ、となっている点だ。とすると、これは羅什が何らかの事情でこの部分を訳し落としたか、意図的に省いた可能性を考慮する必要が生じる。

 

 視点を転じて、ボクの見るところ本章に登場する法華七喩の第三である三草ニ木は、第一期を要約した譬喩の中では……あくまでも第三〜四章と比較して、ではあるが……言わんとするところがわかりやすい。これを詳しく読むことで、改めて法華経教団のセントラルドグマを再確認してみたい、と思う。

 

 

                    *

 

 

 本章は、第四章から引き続いて釈迦と大迦葉(だいかしょう)の間で交わされる対話の体を採っている。

 

 大迦葉よ、善きかな、善きかな。迦葉よ、如来の真実の功徳をたたえて説くことは、そなたたちにとってまことに結構なことである。

 

 冒頭、釈迦……法華経教団を代弁するキャラクタであって、歴史上の彼ではない……が褒めているのは、前章で大迦葉が述べた体裁になっていた長者窮子の譬喩、ということになる。つきつめれば、褒めているのも褒められているのも法華経教団の書き手、ということになろうが、最早これにツッコむのも飽きた。

 

 本題となる三草二木の譬喩はすぐ次下から始まるのであるが、例によってその直前にこれから譬喩で以って言わんとすることが真正直に要約されている。いささか冗長ではあるが目を通しておいて無駄にはなるまい。

 

 迦葉よ、如来(にょらい)は法の主であり、一切の法の王であり、主宰者であり、自在者である。迦葉よ、如来がいかなる法を説かれようとも、いかなるところで安立されようとも、その法は真実の理なのである。また、迦葉よ、如来は一切の法を巧みに説かれる。如来の智慧によって説かれたものであるから、それらの他は一切知者の位に到達するように説かれるのである。如来は一切の法の意味の帰着するところをあまねく見透かされて、一切の法のもつ意味に対して自在の力を得ており、一切の衆生の深い願いの意向を完全に知っており、一切の法を巧みに決断し、選択するその智慧は最高の完成の域に達している。迦葉よ、尊敬されるべき正しい覚りを得た如来は、一切知者の智を衆生に明らかに示すものであり、衆生をして一切知者の智に入らしめるものであり、一切知者の智を授けるものである。

 

 随分と大仰な言い回しであるが、端的に要約すれば言っていることは以下の三点に尽きよう。

 

・如来は法の主権者である。

 

・如来は衆生の求めるところと、それに対する応じ方に通じている。

 

・如来は衆生に智慧を与えることが出来る。

 

 これが第二章で言われた一乗真実、開示悟入と同内容であることは明白であり、本連載では便宜上これを教育者∞と呼んできた。

 

 さて、ここからが、迦葉よ、たとえば……の語り出しに始まる三草ニ木の譬喩となる。やはり地の文はあまりに冗長なので、以下、拙抄訳で以って要点を押さえていくことを諒されよ。

 

 全体の枠組みは以下の通り。三千大千世界には種々の草木がある。ここに雨が降り注ぎ、草木はそれによって育まれる。雨はすべて一味の水であるが、それによって潤う草木はおのおのそれぞれの花を咲かせ、実をみのらせる。如来の出現は三千大千世界を覆う雲のようなものであり、草木、すなわち一切衆生を潤すべくして智慧の雨を降らせるのであるが、そのすべての法は一味であり、これを受け取る衆生は、草、灌木、薬草、樹木にはそれぞれ劣ったもの、すぐれたもの、中くらいのものがあるように様々であるが、それに対して等しく雨は降るのだ……と、こういった具合である。

 

 ここで言われる一味の水……醍醐味(だいごみ)等の仏典由来語に見られるように、仏教では法の効力を“味”で譬えることが多い……は、第二章以来繰り返し敷衍されてきた一乗真実を表象しており、対して草木に種々あることが三乗方便に対応している。衆生はそれ自身の可能性に応じて様々な姿を現じることになるが、その源泉となる如来の智慧は一つなのだ、ということが主張の骨子となるが、そう言われればそうかも知れない。ただし、これはあくまでも喩え話なのであって、これがそれを証明しているか、と問えば、そうではなかろう。第三章に見えた三車火宅に比べれば、より法華経教団の訴えたいところに適っている、といったところが関の山か。

 

 細かい部分を見ていくと、おや?と思う部分がないでもない。以上のことを論述した後、例によって偈で以って要約が繰り返されるのであるが、

 

 その人の能力がどのようであるか、境遇に応じて私は説く。種種に異なる意味を用いて、私は彼らの誤った見解を正しくするのである。迦葉よ、あたかも密雲が地上に湧き起こり、大地をおおい、すべてのものをことごとく包みこむようなものである。

 

とある一節は、ここだけ読めばなるほど至極ごもっとも、という気もするが、境遇に応じた上で種種に異なる何かを施すのであれば、それは一味とは言えないのではないか。

 

 また、続いて以下のような一節もある。

 

 雲から地上に降り注いだその水は、一味である。それを草や灌木などが力に応じ、生育の領域に応じて吸収する。

 大樹も巨木も、また、小さいものも中くらいのものも、すべて齢に応じ、活力に応じて水を吸収し、吸収して想いのままに生長する。

 

 素直にこれを読むと、一味の恵みをそれぞれの個性に応じて生長の糧とする能力は、如来ではなくむしろ衆生側に備わった本源的なものであり、如来の巧みな方便の力などを想定する必要はない、ということにならないか。

 

 後の涅槃経等に見える一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を前提に読めば……実際、天台法華経学がそうであるが……まさにその通りなのであって、“仏”とは衆生自身に本源的なものであり、ここで観念される“法を説く如来”は降り注ぐ雨のごとく、その仏性を開花せしむる契機となるものだ、ということになろうが、どうにもボクには、本章執筆時点の法華経の書き手自身が、そこまで考えていたようには思えない。彼らの関心の中心は、降り注ぐ一味の雨、すなわち彼らが信じる一乗真実にあって、それを受け取る衆生側の本源的な性質には向けられていない。事実、偈の後半では以下のように言われている。

 

 雲が雨を等しく降らせるように、最勝者はこの法を平等に説かれる。それなのに仏陀の智が衆生の性にしたがってさまざまであることは、あたかも地上に生える植物と同じである。

 この譬喩にたとえたことによって、如来の方便を察知するがよい。仏は同一の法を説かれるのであるが、種々の説明のあることは、雨に個々の水滴があるようなものなのである。

 

 ここでも彼ら自身の言葉は、如来の側が衆生に応じて法を説くことを個々の水滴に擬えており……水滴に個性はないだろう、とボクなどは思ってしまうのであるが……後の天台法華教学が、ここで彼ら自身が意識している声聞・独覚・菩薩の差異を、衆生側に内在する素質と解するようになることとは合致していない。

 

 ところで、本章々題が原典・漢訳ともに“薬草”を取り上げているにも関わらず、ここまで述べた内容は、直接的には薬草とは関係がなかった。これは、薬草が全く登場しないからではなく、少なくともボクの抄訳の視点においては、薬草が登場する下りが本筋と関係がないように見えるからだ。その部分の例を示してみよう。

 

 この世においては、これらの極めて小さい薬草もあり、やや小さな薬草もあり、そのほかに中くらいのものや、大きな薬草が有る。そなたたち、よく聞くがよい。私はいまそれらのすべてを解き明かそう。

 

と大層な宣言がなされた後に言われるのは、声聞・独覚は中くらいの薬草、仏陀となることを志す人は最上の薬草、仏陀となることに疑いを抱かなくなった者は小樹、不退の位に至った菩薩は大樹、との説明で、声聞・独覚・菩薩のほかに突如新たな類が二つ加わっている上、途中から薬草ではなくなっている。三乗方便の主張を敷衍するため、という意図はわからないでもないが、いささか的を外している感がなきにしもあらず。

 

 とまれ、以上のことを述べ、以下引用の末文を以って偈が終わる。

 

 一切の声聞たちは究極の涅槃に達したのではなく、彼らは無上の菩提に至るための行に努め励んでいる。これらすべての声聞たちは、やがて、仏陀になるであろう。

 

 ここで羅什訳の妙法蓮華経薬草喩品第五は終わる。続章は大迦葉を含む四大弟子受記の章となる第六章であり、上引用とのつながりは決して悪くはない。が、冒頭に述べたように、羅什訳以外の法華経は、まだこれで本章の丁度半分であり、いささか異なる趣旨の譬喩話が続くことになる。

 

 

                    *

 

 

 また次に、迦葉よ、如来が衆生を教化する場合には、すべて平等で、不平等なことはない。迦葉よ、たとえば月や日の光は一切の世間を照らす。善い行為をなす者にも、不善の行為をなす者にも、位の高いものにも、位の低いものにも、好い香を放つものにも、悪臭を放つものにも、光はすべてを平等に照らし、不平等なことはない。

 

 法華経第五章“薬草”の後半、妙法蓮華経薬草喩品第五に含まれない部分は、上引用の書き出しに始まる。また次になどという書き出しが、どうにも取って付けた感を醸しているが、ここでは結論を急ぐまい。言われていることは、前稿で紹介した薬草の譬喩に通じる。事実次下では、声聞・独覚・菩薩の三乗の間に差別はなく、ただ衆生がまちまちに異なった行動をするので、それによって三つの乗り物が仮に設けられるのだ、と第二章以来の主張が敷衍される。

 

 ここで、本章冒頭から無言であった迦葉が初めて口を開く。

 

 世尊よ、もし三つの乗り物がないならば、何ゆえに現在、声聞、独覚・菩薩たちが仮に立てられるのでしょうか。

 

 それを今さっき釈迦が言っただろ、オマエ何聞いてたの?な気がしないでもないが、続く部分を読むと、これは、迦葉が上述の釈迦の説明を理解しなかった、という意味ではなく、本章書き手……ここに見える釈迦の正体……がもう一つ譬喩を思いついたので、それを言うために迦葉……彼もまた書き手の意図に従う傀儡である……に再び問わせた、といったところが真相のように思われる。

 

 迦葉よ、たとえば陶工師が同じ粘土から種々の容器を作るようなものである。そのとき、あるものは砂糖の容器となり、あるものは酥油の容器となり、あるものは乳酪や牛乳の容器となり、あるものは下等な不浄物の容器となる。しかも粘土には差別がないのに、そのとき、中に入れるものによって、容器の別がつけられるのである。

 

 言っていることは至極真っ当であるが、これを以って実にこのように、迦葉よ、この乗り物はただ一つ、すなわち仏乗だけと断言されると、いや、それは違うんじゃないですか、という気もする。ある概念を説明する譬喩で以って、その概念の妥当性を証明することは出来ないのだから。

 

 本章書き手はさらに言いたいことがあると見えて、再び迦葉に問わせる。

 

 もし、信に対する種々に異なった心の願いをもつ衆生たちが三界から出離したならば、彼らには涅槃は一つなのでしょうか。それとも、二つまたは三つあるのでしょうか。

 

 現代の我々からすると急にややこしく抽象的なところに話が飛んだように見えるが、これは用語が見慣れないための錯覚である。三界から出離というのは、この世の有象無象に惑わされるのを断つこと、の別の謂いであり、涅槃とは、その結果辿り着くとされた理想的な境地を恭しくそう呼んでいるに過ぎない。

 

 言い換えれば「いろんな人がこの世のことに悩むのをやめますが、その結果辿り着く境地はみな同じですか、それとも人によって異なりますか」というのが、この迦葉の問いの含意となる。個人的には、この問い自体が無意味な問い……仮に悩むのをやめることが可能だとして、その結果が理想の境地であることは証明されているわけではないし、自分のそれと他人のそれを比較検証する手段はそもそも存在しない……であるように思えるが、ここの釈迦はこの問いに、それはただ一つがあるのであって、二も三もない、と断言し、これを譬喩で以って説こうと宣言する。

 

 この世では、譬喩によって一類の学識のある人たちは説かれた意義を深く理解するからである。

 

 察しの良い人はお気づきやも知れないが、これは、第三章で三車火宅の物語が説かれる直前に言われることと、文面上はまったく同じことを言っている。同じなのだが、文脈上の意味するところはいささか異なっていて、第三章のそれが、あくまでも如来の方便力とはどのようなものか、具体的には「火宅から子どもを誘い出す方便は、嘘とは言えない、ゆえに三乗方便も嘘ではない」という、理解の枠組みを示すものであるのに対し、本章のこれは「三乗は存在せず、たた一仏乗のみが存在する」ことが、この譬喩で以ってまるで論証されるが如き体になっている点に注目したい。

 

 この視点で本章前半の三草ニ木の譬喩を振り返ると、その趣旨は「一味の雨が様々な草木を育むように、一仏乗から三乗が派生することは驚くにあたらない」というところにあり、やはり理解の枠組みの例示にとどまっていることがわかる。とすると、本章後半の書き手は、ここから一歩深く踏み外して、説明と立証の混同に陥っている、と言えるかも知れない。

 

 とまれ、どのような譬喩が語られるのか見てみよう。例によって冗長なので、趣意抜粋することを諒されたい。

 

 まず、生まれつき盲目の人がいるとされる。この人は自身が見たことがないゆえに、この世には太陽も月もないと言うだろう、と。対して、目の見える人たちは太陽も月もあると言う。が、盲目の人は目の見える人の言を信じることが出来ない。

 

ここにあらゆる病に精通している一人の医師が現れ、ご都合主義極まりないが、かの盲目の人を治療し、彼は突如として目が見えるようになる。盲目であった人は自身の発言を悔いる。

 

 以前には、話しかけてくれる人たちがいても信用せず、言葉をわかろうともしなかった。その私が、いま、すべてのものを見ることができる。私は盲目の状態から解き放たれて、眼を得たのである。私よりもすぐれたものは、だれもいない。

 

 既にこの発言末尾が、続く彼を貶す展開を予感させるのであるが、果たせるかな五神通を得た仙人たちがここに登場する。ここに現れた“仙人”という語はキーワードとなるのでご記憶願いたい。それはともかく、この天眼通を得たという仙人が、視力を回復した男に言う。

 

 おまえは視力が回復したにすぎないのだ。おまえはほかに何事も知らない。それなのにどうしておまえは高慢になったのか。

 

 仙人がいくつか例示する彼が見えていないもの、に男はハッとさせられ、どうすれば五神通を得ることが出来るか、と仙人に教えを請う。仙人は山の洞穴に坐って法を思惟し、おまえは煩悩を断つべきと諭し、素直に従った男はついに五神通を得る。そして以下引用の通り独白する。

 

 いま、私は思いのままに行動することができる。以前、私は智慧も劣り、経験も少なく、何事にも私は盲目であった。

 

 盲目の男の譬喩はここで終わる。以下、その含意が説明されるのであるが、曰く、生まれつき盲目のものというのは、六道輪廻(ろくどうりんね)の中に浮き沈む衆生なのであり、無明(むみょう)によって盲目となったのだ、とされる。“六道輪廻”とは、簡潔に言えば、苦しんでは喜び、喜んでは苦しむことを繰り返す、当時の仏教者たちが忌避した生き方であり、彼らはそこから逃れ出たいと願い、逃れでた先を“涅槃”と呼んでいた。“無明”とは、涅槃を阻む無知、のことを言う。

 

 男の盲目を癒やした医師は如来であり、視力を回復した男の一時の高慢さは(法華経教団主観から見た)声聞・独覚の修行を極めて私は涅槃を得たのであると慢心する様に喩えられる。男は仙人……文中では明示されないが、彼もまた如来だ、ということになるのだろう……の導きを得て、目に見えるものだけがすべてではない、ことを知り、ついに五神通を得るに至ったのであり、ゆえに、三乗方便に留まることなく一乗真実を希求せよ、というのが書き手の言いたいことであるようだ。

 

 この話はそれはそれとして、なるほど、と思わない話でもない。盲人をこのような譬喩に用いることは障害者差別である、などという短絡思考は棚上げした上で、ある時点で有していなかった能力を得たことで満足してしまい、さらなる前進の歩みを止めるべきではない、と、この物語を読む限りにおいては。

 

 が、この物語は、そもそもの迦葉に言わしめた、涅槃は一つなのでしょうかとの問いに対して、今ひとつ噛み合っていない感がなきにしもあらず。仮に迦葉の問いが「涅槃は一つであるのに、二つ、三つと誤認する衆生がいるのは何故でしょうか?」であったならば、まだ文意が通じるのであるが。これは、翻訳によって生じた擬似問題かも知れないので、ここでは捨て置こう。

 

 いずれにせよ、それはただ一つがあるのであって、二も三もないとの断定から始まった割には、盲目の男の譬喩は何も論証してはいないように見える。穿った見方をすれば、法華経第一期の書き手は、対立声聞衆を、三乗方便の覚りに固執する権威主義者である、というように、感情的な目で見ていたように思われるので、物語を説き進めている間に、言わんとするところが、彼らが忌み嫌った声聞衆の慢心……個人的にはこれは、いわゆる同族嫌悪であるようにも思うのであるが……の方へ横滑りしてしまったように見えなくもない。

 

 だいたい、ただ一つがあるのであって、二も三もないことを言おうとしているのに、盲目の男には医師の治療と仙人の示唆という二通りのキッカケが与えられているのが自己矛盾ではないか。本章前半の流れを思えば、雨に個々の水滴があるけれどもその水は、一味というところに帰着させないと、これが続けて論じられる意味が失われてしまう。

 

 この後、本章は、本稿冒頭に示した釈迦と迦葉の問答の部分も含めて、その内容を偈で以って再要約して終わる。上に述べた前半とのつながりの悪さ、さらに、この偈と長行の対応範囲からも、本章の前後半が互いに独立性が高いことを知ることが出来る。

 

 

                    *

 

 

 さらに異なる観点から本章前後半問題を検討してみたい。

 

 以下に述べることは、あくまでも一つの仮説に過ぎず……それを言ったら本稿全部そうなのであるが……書いている本人も今ひとつ自信はない、ということを予め断った上で、それでも好き勝手なことを論じさせてもらう。

 

 ここまでに以下のことを示した。

 

・本章の後ろ半分を鳩摩羅什の妙法蓮華経は欠いている。

 

・現存する他の原語、漢訳すべての法華経はその欠落部を含んでいる。

 

・前半、後半(欠落部)は一見つながっているものの、独立した内容である。

 

 これは何故だろう、ということをつらつら考えていて、どうしても引っかかることがある。それは“仙人”という漢語について、である。この語が、妙法蓮華経においては、隋代に編入されたと見られる提婆達多品第十二にのみに用いられていることは既に述べた。

 

 で、前回読んだ本章後半部の中村師訳がこの仙人の語を含むのが気になって、正法華経と添本妙法蓮華経についても同じことを調べてみたのである。すると、意外なことがわかった。

 

・正法華経において“仙人”の語が現れるのは、薬草品(やくそうほん)第五後半と七宝塔品(しちほうとうほん)第十一後半、加えて例外的に一箇所のみ。

 

・添本妙法蓮華経において“仙人”の語が現れるのは、薬草喩品第五後半と見宝塔品(けんほうとうほん)第十一後半のみ。

 

 偶然にしては、ちょっと出来過ぎた話だとは思わないだろうか。

 

 ちなみに、正法華経の「例外的に一箇所」というのは光世音品(こうせおんぼん)第二十五、妙法蓮華経でいうところの観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)第二十五……つまり、竺法護は観音様を“光世音菩薩(こうせおんぼさつ)”と訳したのである……の観世音菩薩の三十三变化の下り、

 

 将軍によって教導すべき衆生たちには将軍の身をもって法をとき、婆羅門(ばらもん)によって教導すべき衆生たちには婆羅門の身をもって法をとき……

 

なのであって、上引用は中村師訳だが、下線を付した“婆羅門”の部分が正法華経では“仙人”になっている。なお法護は、妙法蓮華経が他に“婆羅門”とする部分は、概ね“梵志(ぼんし)”と訳しているようで、これは婆羅門がサンスクリット語の“ブラーフマナ”の音写であるのに対し、漢意訳としてこの語を用いているようである。

 

 正直に自身の能力不足を吐露すると、これがどうしても気になって『サンスクリット原典現代語訳法華経』(植木雅俊著/岩波書店,2015年)のローマナイズされたサンスクリットにも当たってみたのだが、同語の格変化についてまったく知識を欠くため、有意な結論に自力で至ることが出来なかった。そういう次第なので「原典も読めない若輩が何を言うか」と言われてしまえばそれまでだ、ということを重々承知の上で、それでも悪びれずに妄言を吐く。

 

 そもそも、ボクがこの“仙人”という語を気にするのは、『仏典はどう漢訳されたのか』(船山徹著/岩波書店,2013年)を読んだ際、ある経典が偽経か否かを判別する指標の一つとして、この“仙人”という漢語が紹介されていたからである。ここでいう偽経とは、対応するサンスクリット語やパーリ語の原典が存在しないにも関わらず、漢訳の体で中華文化圏で創作された経典のことをいう。

 

 誤解のないように明言しておくが、これは「“仙人”という語を含む仏典はすべて偽経である」という単純な話では決してない。正しく原典の存在する仏典であっても、サンスクリット語の“リシ”……これは単純化すればヨーガを極め超常的な力を身につけたとされる人、ほどの意味なのだが……に対する訳語として“仙人”が用いられる場合が知られている。前掲書が言っているのは、老荘思想や道教の示す“仙人”と思しき概念が漢訳仏典に登場した場合、これは偽経である可能性が高い、という話だ。もちろん、ここで話題に上げている法華経第五章および第十一章後半は、ちゃんとサンスクリット語原典が現存しているので、少なくともここで述べた偽経には当たらない。

 

 以上のことを踏まえて考えると、まず第一に、直訳調を好んだと思われる法護本人が“仙人”という語を用いたのだろうか、という疑問がある。現在知られる正法華経は、法護(厳密には彼が監督した訳場……前掲書を参照されたい)が書いたそれそのものではなく、もちろん幾度かの写本の果てに今日に伝わったものであるから、当然いくらでも改変の機会はあったはずだ。もちろん、これは可能性の話でしかないが。

 

 第二に、羅什(同上)が妙法蓮華経訳出に際し正法華経を参照しなかった、ということはないだろうと思うのだが、仮にこの時点の正法華経が薬草品第五後半と七宝塔品第十一後半を既に含んでいたとして、羅什の目に“仙人”の語がどのように見えただろうか、という点である。特に、第十一章後半部は、内容を読めば法華経第二期の書き手が当初意図したであろう筋を仏陀……もといブッた斬っているのは一目瞭然であるから、ここに“偽経”を疑わせる傍証が加われば、意訳を好み、ときに原典にない論述を加えることに躊躇しなかった羅什であればこそ、当外部を「後世の改竄なり」と喝破して除外したとしても、驚くにはあたるまい。

 

 ここで改めて第五章後半部に話を戻すが、この部分は、その書き出しからして後付感が漂っているのではあるが、言っている内容は法華経第一期の主張から逸脱はしていない。むしろ、前半部は、一乗真実を言いたいことはわかるが、三乗方便についてはやや滑っている感がなきにしもあらず。この点を後半部が補っているように見える。とすると、そもそもこの部分は、法華経第一期の人々が、第九章までの法華経の体裁が整った時分に、自ら加筆して補った部分ではないか、という気がしてこないでもない。第二期以降の法華経の書き手は、どう見ても三乗方便の主張にあまり関心があるようには思えないためである。

 

 というようなことをつらつら惟んみるに、以下の二通りのパターンが考えられるのではないか、と思うのである。

 

ケース1:

 

 正法華経の最初の訳出時点で第五章後半、第十一章後半は含まれていたが、偶然にも盲目だった男を導く人物、および提婆達多の前世が、共に“仙人”と訳されてしまった。羅什は、第十一章後半の内容に対する疑義からこれを除外し、正法華経において同じく“仙人”の語を含む第五章後半も、言わば巻き込まれる形で真性を疑われ除外されてしまった。

 

ケース2:

 

 遅れて加筆された部分であるがゆえに、正法華経の訳出時点で第五章後半、第十一章後半は伝わらなかった。後に伝わったこれを正法華経に編入した人物の、訳出上の癖として“仙人”の語が用いられ、以下、ケース1に同じ。

 

 まぁ、そもそも法華経原典自身が、釈迦の直説ではありえない、という点においては“偽経”なのであるから、上に論じたようなことは「だからどうした」な話ではあるのだが、ただただ趣味的に面白いというだけの理由で長々と書いてみた。そして、真相がいずこにあるにせよ、本章が法華経第一期の主張としては、後に法華七喩の一つに挙げられた割には、あまり役立ったようには思えない、という評価には影響しないだろう。

 

 以上を以って、法華経第五章“薬草”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第21話 成り損ねた最終章……第七章“過去世の因縁”

 ここまで本連載を通じてボクは、随分と好き勝手なことを断定する体で語ってきた。無論これは、そもそもの法華経自身がそうであるからそれに倣ってのことなのである、などという冗談はさておき、もちろん、このボクをしてもワケのわからない部分だってあるのだ。う〜む、これも随分と思い上がった物言いだなぁ。

 

 今話では、その、法華経全章を通して最も何が言いたいのかワケがわからない章となる、第七章“過去世の因縁”(妙法蓮華経化城喩品(けじょうゆほん)第七)を取り上げる。

 

 内容に入る前に、少し外形的な事柄を論じておきたいと思うのであるが、本章は法華経全二十七章中、最も長い章になっているのだが、存外中身が乏しい。と言うのも、本章は冒頭から延々と、授記の章と比べるのも馬々鹿々しくなるほど、同じような内容が繰り返される体裁となっているからである。

 

 加えて、妙法蓮華経の章題にも特徴がある。法華経原典の章題と妙法蓮華経のそれは……後者においてニ分割された第十一章(第10話)を除けば……概ね意が一致しているのであるが、本章に限ってその示すところが大きく乖離している。妙法蓮華経の“化城喩品”というのは、本章に登場する法華七喩の第四“化城宝処(けじょうほうしょ)”に由来する。つまり「化城宝処の譬喩の章、であるから、化城喩品だ」というのが訳者である鳩摩羅什(くまらじゅう)の解釈なのであるが、実は、前述した通り最長の長さを誇る本章のうち、化城宝処の譬喩が語られている部分は後半四分の一に過ぎず、しかもこれは同じ内容を繰り返す偈も含めてのことである。つまり、大雑把に言って本章において化城宝処の譬喩が占める割合は八分の一に過ぎず、これは「章題に偽りあり」と言うべきところであるかも知れない。

 

 本章の肝に当たる部分を法華七喩として取り上げたのは後の天台教学においてであるが、おそらくは羅什もまた、同じ判断の下で本章表題に敢えて原典直訳とは異なる語句を当てたものだろう、とは思う。有り体に言えば、彼もまた、本章前半四分の三が何を言わんとしているのか、今一つピンと来なかったか、あるいは、彼は正しくその意味を理解したが、重要性は低いと判断して、章題を見ればどこが本章の肝であるか一目瞭然となるように配慮したのかも知れない。ちなみに竺法護は正法華経の本章々題を“往古品(おうこほん)”としていて、これはほぼ直訳になっている。

 

 とまれ、以上のことを念頭に置いて本章を読み進めてみたい。

 

 

                    *

 

 

 本章の物語は、法華経中の登場人物たちの生きた時代……体裁上は歴史上の釈迦の最晩年とされている……から、遥か遠い過去のことであるとされるのであるが、これを表現する修辞がなかなか面白いので、ちょっと詳細に見てみよう。

 

 比丘たちよ、たとえば、ある人が、この三千大千世界にあるあらゆる大地の要素を砕いて粉にしたとしよう。そこでかの人はその世界から一粒のごく微細な塵を手に取って、東方に向かって千の世界を通り過ぎ、そこにその一粒の微細な塵を置くとしよう。それから、かの人は、また、第二のごく微細な塵を手に取って、それよりさらに遠方の千の世界を通り過ぎて、第二のごく微細な塵を置くとしよう。このようにして、かの人は東方において粉とした大地の要素すべてを次々に置いていったとしよう。比丘たちよ、そなたたちはこれをどのように思うであろうか。それらもろもろの世界の終極や果てを計算によって量り知ることができるであろうか。

 

 後に、天台法華教学においては、このあまりに冗長な説明(の漢語訳)から主要な文字を拾って“三千塵点劫(さんぜんじんてんごう)”と呼び、この一語で以ってこの物語の舞台の時代まで遡る時間の長さを表すようになる。

 

 それはともかくとして、興味深く思うのは、彼等がこの「事実上の無限」を表現するのに際し、定義された手続きの繰り返し、すなわち、アルゴリズムとして表現した上で、計算によって量り知ることができるであろうか、すなわち、それがカウンタブルであるかどうか、という視点で考えていることである。これは、そのものズバリではないにせよ、ある意味において、現代的な数学における無限の定義に通じるものがあり、インドの長い数学の文化の豊かさに驚嘆させられるのである。

 

 もっとも、反知性主義的な法華経の書き手たちは、終始これを情緒的な表現の粉飾に用いるのみで、数学的に厳密な定義を与えることは遂になかったのではあるが。

 

 さて。

 

 本章冒頭に見える、この無限とも思える時間を遡った過去世において、大通智勝(だいつうちしょう)なる如来がいたのだ、と釈迦が語るところから物語は始まる。そこは好成(こうじょう)という名の世界で、劫の名前は大相(だいそう)であったらしい。章題に見える“過去世”とは、直接的にはこれを指している。

 

 以下、とにかく本章は冗長で無駄な粉飾が多いので、例によって例の如く拙抄訳で話を進めていきたいと思うが、十中劫を菩提樹の下で瞑想し続けた大通智勝は、三十三天の神々に百・千由旬の大獅子座を作ってもらい……意味は問わないように。多分、意味などないのだ……そこに坐して、ついに阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得た。これを祝いで満十中劫の間、大通智勝如来に天の花の雨が振り続けた。

 

 さて、大通智勝如来は、まだ太子であったとき、十六人の嫡子をもうけていた。その子らの長男は“智積(ちしゃく)”という名であった、と唐突に挿句されるが、特にそれ以上の説明はない。この智積という名は、第十一章後半において、出現間もない多宝如来に「とっとと帰りましょう」とトンデモない進言をする菩薩と共通しているが、おそらく何の関係もない。とまれ、十六人の王子と、母、乳母、祖父、百人の王と大臣たち、そして百千万億の生命あるものたちが、大通智勝如来に仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)し、その周りを三回巡って合掌し、詩句で以って称賛し、法を説いてくれるよう請うた。

 

 ところで……何の脈絡もないのであるが、本当に本章は何の脈絡もないのである……大通智勝如来が阿耨多羅三藐三菩提を得たまさにそのとき、十方おのおのの方角における五百万億の世界は六種に振動し、大きな光明によって照らされた。同様に、東方のかの五百万億の世界にある梵天の宮殿ははなはだしくきらめき、輝き、照り映え、まばゆく、威光を放った。ちなみに梵天(ぼんてん)とは、古代インドにおいて信仰された、後にヒンドゥー教の主神の一柱となるブラフマーのことである。ここでは、現代日本の我々が考える神社の地祇程度に考えていればよかろう。とまれ、宮殿の輝きに梵天たちが色めき立つ。

 

 はなはだ稀有にして、未曾有のことである。友よ、これは、何の因、何の縁によるものであろうか。

 

 例によって例の如く、これはいったい何処の誰が見聞きして我々に伝えているものであろうか、と疑問に思う間もなく、当たり前のように梵天界を舞台にして物語は進行する。

 

 今日、だれかすぐれた天子が生まれでて、その天子にはこのような威徳があるので、それによってこのような未曾有のことが、今日見られるのであろうか。

 あるいは、人々の中の尊い王である仏陀が、今日、どこかの世界に出現されて、その瑞相として、今日、十方の世界が栄光によってこのように輝いているのであろうか。

 

 梵天たち……たくさんいるらしい……は、真偽を確かめるべく、天界の花を盛った器を須弥山の山の量ほども積み込んで西方へ向かい、ついに、百千万億の衆生に取り囲まれて、法を説くように請われている大通智勝如来を発見する。お、ちゃんと合流した。

 

 かくして、梵天たちもまた、百千万億の衆生とともに大通智勝如来に法を説くように請うのみならず、梵天の宮殿をご納受くださいと申し出る。五百万億の世界の彼方にある宮殿をもらって、いったいどうしろというのだ、という気がしないでもないが、梵天たちは私たちに慈しみを垂れたまいてご納受ください。もろもろの世間を知るお方よ、お望みのままにご利用くださいと言って引き下がらない。だから、何に使えと?

 

 ところで……本当に脈絡がない……今度は東南の方角の五百万億の世界にある梵天の宮殿においても同じことが起こる。つまり、宮殿が光輝き、梵天たちが「何の因?何の縁?」と色めき立ち、ついては花を満載して北西へ向かう。この下りは、前述のそれとほとんど同文の繰り返しになっている。花を撒き散らしながら大通智勝如来とそれを取り囲む一行に合流した彼等は、やはり梵天の宮殿をご受用してくださいと、迷惑な寄進を申し出る。

 

 ところで……まさか……今度は南方の方角の五百万億の世界にある梵天の宮殿においても……以下略。まったく同じ構造が繰り返される。どうもここに至って本章の書き手は、この調子で繰り返し続けると、いざ暗唱する段に大変なことになる、とようやく気づいたようだ。この三度目の繰り返しの次下は、以下引用の通り。

 

 まとめていえば、南西方においてもこのようであり、西方においても、西北方においても、北方においても、北東方においても、下方においてもこのようであった。

 

 ここに至って手抜きwww

 

 要するに十方に対してそうだ、と言いたいようであるが……あれ、上方が足りないぞ、と思いきや、次下には、

 

 そのとき、比丘たちよ、上方のかの五百千万億の世界にある梵天の宮殿は……

 

って、まだやるんかい!?

 

 察しの良い人はお気づきのことと思うが、この展開は、第十一章において釈迦が白毫ビームを十方に放つ際とまったく同じである。第十一章では、東方……がこのような演出においては順序第一位であるらしい……に対する白毫ビームの発射が詳細に描写された後、他九方向に対しても同様であった、と簡潔に記されるのであるが、どうもコレは、本章のこの繰り返される梵天の宮殿寄進の下りから得た負の教訓であったようだ。

 

 ここまでで、法華経全章中最長となる第七章の前半分を読んだことになる。あまりに記述が冗長で何を言っていたのかわかりにくい。一旦、箇条書きにまとめてみよう。

 

・遠い過去に、大通智勝という名の十六人の嫡子を持つ仏陀がいた。

 

・大通智勝如来が成道した際、十方世界の梵天の城が光輝いた。

 

・一切衆生と梵天が、大通智勝如来を取り囲んで法を説くことを請うた。

 

 粉飾をすべて取り去れば、実のところ言っていたことはこれだけ、になる。本章第一の謎は、なぜたったこれだけのことを言うのに、これほどの分量を費やさねばならなかったのか、という点になろうか。

 

 では、続きを読んでいこう。

 

 さて、ここに至って大通智勝如来が衆生と梵天の求めに応じ、法を説いた。余談になるが、法華経に限らず、仏典では仏陀が法を説くことを「法の輪を転じる」と表現する。漢語的に書けば“転法輪(てんぽうりん)”というのがそれに当たる。以下、大通智勝如来の初転法輪(しょてんぽうりん)……特に成道後最初の説法をこう呼ぶ……の内容について示されるのであるが、ここに書かれていることは、四諦、八正道、十二因縁法といった、いわゆる“小乗仏教”が伝える歴史上の釈迦が弟子たちに説いたとされること、のかなり乱暴な要約に過ぎない。とまれ、以って大通智勝如来を取り囲む一切衆生、梵天たちはたちまちに声聞の阿羅漢果(あらかんか)を得た、とされる。

 

 続いて、件の十六人の王子にたちに話が戻ってくる。彼等は既に百千万億の諸仏のもとで浄梵行を修行したものであったとされ、その彼等が、かの初転法輪に満足することなく、私たちをあわれみたまいて、阿耨多羅三藐三菩提について法をお説きくださいと請う。つまりこれは(法華経教団の書き手の立場からすれば)十六王子が大通智勝如来に対し「法華経を説いて欲しい」と請うた、ということになる。

 

 かくして、大通智勝如来は二万劫が過ぎ去ったのち……随分と気の長い話である……妙なる白蓮華と名づける法門であり、菩薩のための教えであって、一切諸仏が護念するところの大乗経を、彼ら四衆のすべてに説き示した。十六王子はたちまちにそれを完全に理解し、以って大通智勝如来は十六王子に対し授記を与えた。

 

 さて。

 

 ここまで本連載では敢えて無視してきたのであるが、法華経中において“法華経”、あるいは“妙なる白蓮華と名づける法門”、サンスクリット語で書けば“サッダルマ・プンダリーカ・スートラ”と自己言及される場合、ここには二つの意味合いがある。

 

 第一には、文字通り自分自身、すなわち、建前上は釈迦が晩年に霊鷲山(りょうじゅせん)から転じて虚空会(こうくうえ)で説き給い阿難(あなん)を介して伝えられ、実態としては法華経教団が三期に渡って創作増補した経典、としての法華経である。当然のことながらこの法華経は、法華経教団にとっての現在、建前を含めても釈迦が生きた時代までは存在しなかったことになる。

 

 対して、上に述べたところの、十六王子が大通智勝如来に説くことを請うた“妙なる白蓮華と名づける法門”は、第一の意味における法華経ではあり得ない。大通智勝如来は無限とも思える時間を遡った過去世の仏陀だからであり、釈迦が説いたにせよ法華経教団が創作したにせよ、その時点で第一の意味の法華経は存在しようはずがないからである。

 

 この第二の意味の“法華経”に言及される章を列挙すると、

 

・序章の文殊師利(もんじゅしり)法王子が語る日月灯明(にちがつとうみょう)仏の法華経

 

・第十九章の常不軽(じょうふょう)菩薩が聞いた法華経

 

・第二十二章における日月浄明徳(にちがつじょうみょうとく)如来の法華経

 

・第二十五章における雲雨音宿王華智(うんらいおんしゅくおうけち)如来が説いた法華経

 

 そして本章における大通智勝如来が説く法華経がある。第十一章後半には文殊師利法王子が竜宮で法華経を説いたとする下りがあるが、これはいささか不出来な加筆部として無視して良かろう。

 

 法華経第三期に帳尻合わせで増補されたと思われる序章を除けば、このいささか不条理な自己言及が初出するのが本章、ということになる。

 

 天台法華教学においては、この第二の意味の法華経、すなわち、過去仏が説いたのだと釈迦(序章のみ文殊菩薩)から語られる法華経の存在を以って、広義の法華経は、歴史上の釈迦が説いた(と天台法華教学が信じる)法華経のみではなく、三千大千世界とともに無始無終、本源的に備わる真理の法なのであり、それぞれの世界に機に応じて出現する仏陀が各々の世界において法華経を説くのだ、と観念するのであるが、この気宇壮大かつユニークな着想*1は、本章を含む上記の全章において、さらりとさも当然のように書き飛ばされるのみで、まったくその意味するところが説明されない、というのもこれまた摩訶不思議である。

 

 かろうじて、第二章にそれを匂わせる論述、すなわち、舎利弗よ、いつか、もろもろの如来はこのような妙法の教えを説くのであるの下りがあり、その紹介に際して、本連載においても古代インドの三千大千世界観を概説はした。が、これはあまりに抽象的な言及なのであって、これのみを見てもその含意するところは明白ではなく、本章における、具体的な過去仏から法華経が語られたとする論述に至って、はじめてその意味がおぼろげながら明らかになるのであるが、やはり、ここでボクが説明したような言説は、法華経の書き手自身からはなされないのである。

 

 とまれ、これについての考察は先送りして、ここでは先を読み進めることにする。

 

 かくして、十六王子の求めに応じて大通智勝如来は、それが実体として何であるかはともかく、法華経を説いた。ところが、千万億の多くの衆生たちは、かえって疑惑を生じたのだそうで、大通智勝如来はその後も八千劫に渡って法華経を講じたのであるが、ついには独居して沈思黙考するために精舎に入り、以降、八万四千劫の間そこで瞑想し続けた……って、コレ、説いたことを理解されなかったことに拗ねて引き篭もった、ということだろうか。いきなりの不安な船出である。

 

 しかして、かの十六王子たちが引き篭もった大通智勝如来に代わって法華経を、やはり八万四千劫に渡って説き続ける。結果、六十ずつのガンジス河の砂の数と同じくらいの百千万億の生命あるものたちが、同じく阿耨多羅三藐三菩提へと導かれた。

 

 言葉通りに素直に読むと、授記を得たとは言え、この時点での十六王子は成道はしておらず、言わば仮免状態で法華経を説いていた、ということになるのだが、それでいいのだろうか。後世の付加部分とは言え、第十一章後半において既に受記を得たはずの舎利弗が「未だかつて成仏した女人はいない」と断言して恥をかく下りを思えば、ここにも法華経の一貫性のなさを感じずにはいられないのであるが、それはさておき。

 

 ここで、仮免の嫡子に布教を丸投げしていた大通智勝如来が、改めて登場し十六王子を褒め称える。冷めた目で見ると親馬鹿の極限であるような気がしないでもないが、とにかく、ここで改めて授記の詳細が示され、十六王子それぞれに未来仏の名号が与えられるのであるが、雑多なのでその一つ一つを引くことは割愛するが、その最末尾、つまり十六番目の王子に対する授記に至って、ようやくオチがつく。すなわち、

 

 私こそは第十六番目の釈迦牟尼と名づける如来・応供・正等覚者であって、中央のこの娑婆世界において阿耨多羅三藐三菩提を会得したのである。

 

 余談ではあるが、この釈迦の十五人の兄たちの九番目が阿弥陀と名づける如来・応供・正等覚者とされていて、西方の世界においてのことであるらしいから、誰あろう西方極楽浄土の阿弥陀様、その人(仏?)ということになる。これまた、後世の日蓮一門がその名号を無心に唱える人々を目の敵にしたことを思うと、何とも皮肉な話ではあるのだが。

 

 とまれ、以上で本章表題に言う“過去世の因縁”の物語は終わり、以降は法華経にとってのリアルタイムとなる、霊鷲山における釈迦……ひつこく言うが、法華経教団を代弁するキャラクタである……の説法に話は戻る。ここで述べられることは、化城宝処の譬喩の前振り……というか、その譬喩で以って書き手が主張したいところ、そのもの……になっているので、やや詳細に追ってみたい。

 

 まず言われるのは、大通智勝如来の十六王子の末が今日の釈迦であるのと同様に、十六王子の法華経説法を聴聞したその人々のなかには、今日もなお声聞の地位にあるものがあり、それが釈迦の法華経説法を聴聞している比丘たちだ、との言明。加えて、方便の教えによって次第に阿耨多羅三藐三菩提の完成に成熟せしめられているのであり、これが、実に、彼らが阿耨多羅三藐三菩提を達成するための順序であるとされる。

 

 これは、法華経全篇を通じて言われるところの……たとえば連載冒頭に触れた第二期先頭、第十章の論述を想起せよ……法華経の一句一偈なりとも信受すればたちまちに阿耨多羅三藐三菩提を得るのだ、とする主張と、一見して矛盾しているように思える。あるいは、大通智勝如来の劫において法華経を説いた過去世の釈迦は、“仮免”であったがゆえにその効力に制約があったのであろうか。否、法華経それ自体に阿耨多羅三藐三菩提を得さしめる力があるのであって、それが誰によって説かれるかは問題ではない、とするのが法華経教団の信念であったはずである。

 

 いちおう、この矛盾に対する説明として、ここでは如来の智慧はこのように難信難解(なんしんなんげ)であるからと言われている。好意的に捉えれば、第十一章において示される六難九易(ろくなんくい)に通じていると言えなくもないが、これをどう解釈するかについても、一旦棚上げして先へ進むことにしよう。

 

 私が完全に入滅した未来世においても、声聞たちは存在するであろうが、彼らは菩薩の行を聞いても、「私たちは菩薩である」と悟らないであろう。

 

 ここで言う私が完全に入滅した未来世とは、書き手である法華経教団にとっての現在に他ならない。ということは、ここで言われる「私たちは菩薩である」と悟らない声聞とは、法華経教団と対立した声聞衆のことであることがわかる。釈迦は、彼らが苦から脱れ出るだけの小乗教の涅槃のみを追い求めつつ、私がそれぞれ異なった名前で他のもろもろの国土に住しているとき、彼らもそこに再び生まれて、如来の智慧をもとめるだろうと予告する。つまり、本章前半で述べられた過去世の因縁は、単に過去の出来事であるのみならず、これからも未来永劫繰り返されていくのだ、ということになろうか。そして、結論されるのは以下の引用の通りである。

 

 比丘たちよ、この世には第二の乗り物も第二の完全な涅槃もない。いわんや、第三のものについてはいうまでもない。ただ如来の乗り物によってのみ、如来の完全な涅槃が得られるのである。

 

 ここに至って、ようやく言わんとするところは、第二章以来繰り返し述べられてきた、一乗真実三乗方便に帰着することが明らかになる。いくら贔屓目に見ても、本章前半の過去世の因縁は、これを言うのに必要であったように思われないが、これも一旦は捨て置いて後に検討を加えたい。

 

 実に、比丘たちよ、衆生の性質が長くそこなわれ、劣ったものを喜び、愛欲の泥沼に沈んでいるのを知って、それゆえに、比丘たちよ、如来は、彼らが信じて受持することができるような苦を滅尽した涅槃を説くのである。これがもろもろの尊敬されるべき如来の巧みな方便なのである。

 

ここで言われる、彼らが信じて受持することができるような苦を滅尽した涅槃は前段で言う苦から脱れ出るだけの小乗教なのであり、これが如来の巧みな方便なのだ、とするのも、最早見飽きた感すらある法華経教団の信念に当たる。

 

 現代的な感覚で考えると、あるがままの姿で、ただ一句一偈なりとも信受すればたちまちに阿耨多羅三藐三菩提を得るのだ、と主張する法華経の方が、小難しい擬似哲学用語や俄かには従い難い戒律に縛られた小乗教よりも、むしろ信じて受持することができるように思わないでもないが、法華経教団主観においては、あくまでも自分たちの信念こそが難信難解の真理であり、対立声聞衆のそれは易信易解の劣ったものだ、と観念されていたようだ。これが事実としてそうであるのか、彼らが単に自分たちの信念の方がより高等なのだ、と信じたいがゆえに、後付けの理屈を弄んでいるのか、なまじ彼らの一仏乗の論理には的を射ているところがないでもないだけに、たちまちには判断し難い。

 

 

                    *

 

 

 かくして、ここから法華七喩の第四、化城宝処の譬喩が始まることになる。

 

 比丘たちよ、たとえばここに五百由旬もある険しい難所のある広野がひらけ、すこぶる悪路で、住む人もなく、畏怖すべきところがいたるところにあるとしよう。

 

 物語は上引用の書き出しで始まる。奇しくも第十一章に見える宝塔の高さと同じ……というか、法華経の書き手はこの“五百由旬”という長さに大層ご執心である……であるが、高さとしては馬鹿げたこの長さも、水平方向の距離としては、さほど無茶ではない。いわゆるシルクロードの陸路がそれくらい(約6,000Km)である。

 

 例によって冗長な記述が続くので抄訳でカッ飛ばしていこうと思うが、場面設定としては、この五百由旬の道のりを、その彼方にある珍宝のある所を目指して進む大衆がいて、その中に賢明で、知識があり、慎重で、聡明な、広野の悪路をよく知っている案内者がいて、彼はその大衆をして無事に広野を通り過ぎさせようと先導している、ということらしい。

 

 そのうち、大衆の中から疲れ果てて嫌気がさし、恐怖におののき、不安に駆られる人々が現れ、もとのところに引き返したい。この険しい難所の広野は、これより先もずっと遠くまで広がっているにちがいないのだからと言い始める。対して、巧みな方便を知っている案内人は、苦しみながらここまできたものたちが、あのような大きな宝のあるところに行かずに終わってしまうというようなことがあってはならないと考える。読者諸兄におかれては、この時点でそれぞれの登場人物が誰を表象しているか、概ね了解されたこと、と思う。

 

 さて、案内人はこの危機をどう乗り越えるのだろうか。

 

 案内者は人々を慈しみ、巧みな方便を用いることであろう。彼はその広野の中に、百由旬あるいはニ百由旬または三百由旬を過ぎたところに、神通力によって幻の城を化作し、それから人々にこのように言うとしよう。「あなたたちは恐れる必要はありません。引き返してはなりません。あれは大きな城です。あなたたちはあそこで休息を取りなさい。あなたたちが何かしたいことがあるなら、それらすべてをあの城の中でやりなさい。あそこで快い安穏を得て、ゆっくりとどまり、疲れを癒やしなさい。そして、さらに、目的を達成しようと願う人はまた、あの大きな宝のあるところに向かって出発したらよいでしょう。」

 

 もし、これが日本の昔話だったら、突如出現した大きな城は文字通り幻の城であり、一夜明けて一行は枯れ葉や沼の中で目を覚まし「さては、狐狸に化かされたか!」とオチがつくところであるが、さにあらず。これは、神通力によって化作されたものではあるが、本物の城であるらしい。かくして心が挫けかけた大衆は、しばし休息し英気を養う。

 

 さて、この後どうなるか。

 

 案内人は、彼らがすべて十分に休息がとれたのを見届けてから、神通力によって造られた城を消滅させ、消滅させてから、かの人々に、このように言うであろう。「あなたたち、皆さん、こちらへおいでなさい。かの大きな宝のあるところはもう間近なのです。この城はあなたがたを休息させるために、私が化作したものにすぎないのです」と。

 

 そんな魔法が使えるなら一気に宝処まで運んでやれよ!

 

と、畏れ多くも釈迦にツッコミたくなるが、この釈迦とて法華経教団が自説を代弁させているキャラクタに過ぎぬと思えば、何をか憚らん。ましてや、ここで化城宝処の譬喩は、呆れたことに終わってしまうのであるから、何をかいわんや。

 

 お気づきのこととは思うが、この譬喩における案内人は釈迦であり、大きな宝は一乗真実、神通力によって造られた城は三乗方便をそれぞれ表象している。さしずめ、五百由旬もある険しい難所のある広野は、第三章の言葉を借りれば三界火宅(さんがいかたく)といったところか。

 

 本人の説明するところを引けば、

 

 そのように、比丘たちよ、如来・応供・正等覚者もまた、非常に巧みな方便を用いて、衆生たちを休息させるために、途中に二つのかりそめの涅槃の場所を説いて示すのである。すなわち、声聞の場所と独覚の場所とである。そして、比丘たちよ、彼ら衆生がそこに安住するときには、そのとき、比丘たちよ、如来はまた、このように述べ説かれるのである。「実に、比丘たちよ、そなたたちは真の目的を達成したのでもなく、なすべきことを完遂したのでもない。しかし、比丘たちよ、そなたたちにとって、求める如来の智慧はここからほど近いのである。比丘たちよ、よく見るがよい。深く思量するがよい。そなたたちの涅槃はまさに真実の涅槃ではないのである。しかも、また、比丘たちよ、一仏乗をおいて三乗を説いたということは、これはもろもろの如来・応供・正等覚者の巧みな方便によるものなのである。

 

ということになる。言わんとするところは、わからないでもない。

 

 声聞や独覚が目指したところの涅槃、すなわち、学び尽くし考え尽くすことによってこの世の有象無象の苦しみをスルーすること、が、“巧妙な方便”に過ぎず、如来の知見ではないのだ、ということは、第二章、第三章を通じて言われるところの、狭くは法華経第一期、広くは法華経全篇に渡ってのセントラルドグマとなっていることは、繰り返し述べてきた。“化城”が合間のかりそめの休息所に過ぎず、真に辿り着くべき“宝処”は他にあるのだ、とするこの譬喩物語は、確かにそれに通じている。

 

 が、これはいささか剣呑な含意を含む譬喩でもある。

 

 第一に、これを言葉通りに受け取るとして、ここで言われる大衆の立場で考えるとき、案内人が「宝の処に着きましたよ」と言ったとして、その都度、大衆は「これは本物の宝処なのか、あるいは再びの化城なのか」と疑わねばならないのではないか。

 

 むしろ“化城宝処”と端的に言うとき、その意味は“宝処(に至るための)化城”ではなく、“化城(か)宝処(か?)”と解する方が素直であるような気がしないでもない。

 

 特に、本章に限った話ではないが、法華経全篇を通じて、結局のところここで言う“宝処”、全体を通じて言われる言葉を使えば“阿耨多羅三藐三菩提”が具体的にどのようなものであるのか、遂に説明されないまま、ただそれは素晴らしい、素晴らしい、ということだけが繰り返されるのであるから、余計にそうなのだ。

 

 第二に、こちらの方がより本質であるが、法華経教団の信念とする一乗真実が教育者∞であると考えるとき、そこには決して“宝処”に表象される究極的なゴールはないのであって、仏陀たるものは永遠に衆生を導き続けてこその仏陀ではないのか。化城宝処の譬喩は、法華経第一期に通底しているこの観点を見事に欠いており、むしろ、如来の智慧をかりそめの涅槃に矮小化している感すらある。

 

 あるいは、素晴らしい、素晴らしい、と繰り返されるばかりで具体的な説明を欠くがゆえに、“宝処”は永遠に辿りつくことが出来ない……ポジティブに言い改めれば、永遠に求め続けることの出来るゴールだ、ということだろうか。いや、これは善意に解釈し過ぎだろう。

 

 と言った具合に、ワケのわからない本章なのであるが、最もワケがわからないのは、化城宝処の譬喩が始まるまでに示された、大通智勝如来と十六王子の“過去世の因縁”が、まったく関係がない、という点であろう。強いていえば、梵天の化城城つながり、と言えなくもなかろうが、それが何だと言うのか。ただのダジャレではないか。あるいは、化城宝処の物語で用いられる化城は、大通智勝如来への寄進を通じて釈迦に相続された梵天の城だったのか。

 

 以下、本章は偈で以ってここまでの流れを再要約し、それで終わってしまう。

 

 とにかく昔からボクはこの法華経第七章“過去世の因縁”だけは、何が言いたいのかさっぱりわからない章である、と思ってきたのであるが、こうして法華経全章の3分の2を転読してきて、不意に気づくところがあったのであり、もちろんコレは浅学不才なボクの思いつきに過ぎないのではあるが、我ながらなかなか面白い仮説ではあると思うので、これを論じてみたいと思う。

 

 

                    *

 

 

 法華経第七章“過去世の因縁”の言わんとするところ……より正確を期すならば、なぜ本章はこんなワケのわからんことになってしまったか、について述べてみたい。前以って断っておくが、そんなに劇的なことを語ろうというワケではなく、聞いてしまえばミもフタもない話に思われるかも知れない。

 

 まず、なぜ本章がワケがわからないか、その本質を問うてみよう。実は、本章の記述自体がワケがわからないのではない。ここまで見てきたように、部々分々については、言葉通りに信じられるかどうかは別にして、さして特殊なことを言っているワケではない。本章の意図がわかり辛いのは、本章が第七章という中途半端な位置を占めているから、これに尽きる。特に読解に混乱をきたすのは、前章、続章がともに授記の章であり、本章が両者に挟まれているのが不可解なのである。

 

 ここで視線を転じて、授記の章の側から考えてみよう。第九章転読に際して私見を論じたように、法華経第一期中に見える授記の章は、概ね釈迦十大弟子の席次順に準じてはいるものの、その並びが不自然である。以ってボクは「書き手の意図としては、授記の論述は、当初は第六章までで必要十分だった」とする仮説を述べたのであるが、これは裏を返すと、第一期の法華経は第六章または本章で一旦終わっていた、ということである。

 

 結論から言うと、法華経第一期は第七章で一旦終わっていたのではないか、つまり、最初期に経典の体裁で完成した原法華経は、第二章から第七章で成っていたのではないか、という話になる。

 

 もちろん、これは考古学的裏付け……たとえば第七章までで終わっている写本の存在……などがあって言っているワケではないので、有り体に言えば妄想の類でしかないのであるが、このように仮定すると、本章のワケのわからなさが、解消こそしないものの幾分かは和らぐように思われるのだ。

 

 まず、本章々題であり論述の大半を占める“過去世の因縁”であるが、これを授記の章に挟まれた教説として見ると脈絡不明なのだが、本章が元来は第二〜六章の論述のクロージングとして書かれた、と考えるとその意図が見えてくる。つまり、第二〜六章に述べた一乗真実三乗方便の教説が、前世の釈迦の父君であった大通智勝如来、その成道の瞬間から始まった因縁によって今日、ここ霊鷲山で説かれているのである、とすることにより、全篇を聖化する、という意図である。

 

 これは、後に同様の意図、つまりこの法華経の説法を極限まで聖化すべく、異世界の宝塔、如来を招来せしめ、説法の舞台そのものすらを異次元空間へと引き上げる第十一章とまったく同じ思考様式によるものと考えることが出来る。いや、話は逆で、法華経第二期のキレっ切れの書き手は、第七章に元来託されていた意図を正しく理解した上で、本章に用いられた時間的垂直性に被ることを避けて、空間的水平性、すなわち東方宝浄世界の多宝如来を用いて、本章と同じことを第十一章でやったのだ。

 

 その傍証……と言えるかどうかは読者諸兄の判断にお任せするが……としては、これまたワケがわからなかった、クドクドと繰り返される梵天の宮殿のエピソードを挙げることが出来る。既に述べたように、この繰り返し構造は、冗長ではあるものの、第十一章における白毫から光を放って三千大千世界を照らす釈迦とまったく相似している。現代の我々の感性からは俄かには納得できないものの、おそらく法華経が創作された時分のインドにおいては「十方世界で同時に何かが起こる」という修辞が、最上級の真理性表明の演出として受容されていたのではないだろうか。

 

 本章に初出する「過去仏が説く妙なる白蓮華と名づける法門」の描写も、同様の意図を託されたものと読むことが出来る。光を放つ十方世界の梵天の城が、真理の空間的普遍性を表象しているように、過去世における仏陀の法華経転法輪は、真理の時間的・歴史的普遍性を表象しているのだ。そして、これが何を意味しているのか、書き手の言葉で敷衍されない理由は、つきつめればこの物語にはそれ=真理性の強調、以外に特に深い意味がなく、そもそも書き手自身がこれを言うことがどのようなことを含意し得るかについて、この時点では自覚がないから……とりあえず真理性の強調こそが重要であり、彼らがこの時点で本当に主張したいことは他にあったから……と考えられる。

 

 では、その「本当に主張したいこと」とは何か、と問えば、本章末尾に見える、過去世の因縁とは一見連続性がないように見える化城宝処の譬喩が、実のところソレなのである。同譬喩を本章の締め、と考えるからワケがわからないのであって、第二〜第六章全体の締め、と考えれば十二分に納得がいくではないか。この観点から以下に示す本章末句を読むと、不思議と腑に落ちる。

 

 もろもろの導師の教えはこのようなものである。人々を休息させるためにかりそめに涅槃を説き、十分に休息したことを知ってから、真実の涅槃を得させるために、すべてのものたちを一切知者の智に導き入れるのである。

 

 これも、法華経の中程の一節として読むと意味がボヤけるが、第二〜七章のみから成る法華経を想定すると、綺麗にここまでの法華経教団の主張を要約した章句になっていることがわかる。

 

 このこととも繋がってくるが、もう一つ傍証……同上、まぁ判断しろというのがそもそも無茶振りだわな……がある。化城宝処の譬喩は「一乗真実が教育者∞であると考えるとき、そこには決して“宝処”に表象される究極的なゴールはないのであって、仏陀たるものは永遠に衆生を導き続けてこその仏陀ではないのか」という点において、法華経全体の主張と不整合であることを指摘したが、これは不整合であって当然なのである。というのは、第七章で一旦終わる原法華経には「究極的なゴール」があったからだ。

 

 つまり、対立声聞衆に法華経教団の主張を認めさせることである。

 

 要するに、法華経教団第一期のイニシャル・メンバーには、法華経第二期が繰り返し言うところの「釈迦の滅後に法華経を布教し、一切衆生を救済せよ」という着想は、具体的な実践レベルにおいてはなかったのだ。事実「一句一偈なりとも信受するものは阿耨多羅三藐三菩提を得る」との言明は、第二〜第七章の法華経中からは見出だせない。これが言われだすのは、第二期の冒頭に配される第十章からである。

 

 といったことを踏まえて、いささか飛躍を含むとは思うが、本章を編み上げた時点、さらには以降、第二期増補が始まるまでの法華経教団に何が起こったのか、を素描してみたい。

 

 五千起去(ごせんききょ)の下りが示唆するように、一乗真実三乗方便・如我等無異(にょがとうむい)の信念を表明した法華経教団は、当初は正統派声聞衆から、批判以前に黙殺されていたと考えるのが妥当だろう。よって、彼らの当初の目的は、自説を声聞衆に認めさせること、に置かれていたはずである。これを目指して、第二〜五章の、譬喩による“説得”の試みが繰り返された。

 

 おそらくターニングポイントとなったのは、第三章に結果的に含まれることとなった舎利弗への授記であって、実はこれは本源的には後の法華経全体に影響を与える含意もまた含んでいたのだが、おそらくは「あの舎利弗が成仏を約束されていた」というインパクトが先行し、そのウケの良さを以って第六章が加えられることになったと考えられる。

 

 そして……これは本当にボクの思いつき以外の何物でもないのであるが……法華経教団自身にそのようなつもりがなかったにも関わらず、この授記の下りが、存外、彼らに施与してくれる在家衆にウケたのではないか、と思うのだ。これに気をよくした法華経教団は、本章を増補して原法華経を完成させる。そして、これが彼らが期待していたのとは別の、二つの結果を生むこととなる。

 

 第一には、在家衆がもっと多くの授記の話を聞きたがる、という現象である。これに対し、法華経教団はたちまちには反応しなかったはずである、第二の、反応せざるを得なくなる事態が起こるまでは。

 

 第二には、声聞衆が法華経教団に注目したことであり、その反応は「勝手に釈迦の前世譚(本章における大通智勝如来と十六王子の因縁)を創作した」ことに対する激怒だったのではないか、と思う。つまり、法華経教団が目指した声聞衆の説得は失敗するどころか、この試みが返って“対立声聞衆”を生み出したのだ。

 

 これを受けて、法華経教団は、第一の現象に反応することを余儀なくされる。第十ニ章に見えるように僧院から追い出された彼らは、今日の糧を得るために、在家に直接法を説くしかなくなったからだ。本来終章となるはずだった第七章に後続して、授記の章が二章続くのはこれが理由である。そして、しばしこの膠着状態が続いた後、対立声聞衆に対して一発大逆転を図るべく、大胆不敵なキレっ切れの書き手によって、法華経第二期の増補が開始されることになる。

 

 そういう意味で、一見意味不明な本章が、実は法華経教団を独立旗揚げへと誘う起爆剤に……本人たちの意図とは過分に異なりつつも……なったのではないか、というお話。以上を以って、法華経第七章“過去世の因縁”の転読(うたたよみ)を終える。

 

*1
 法華経成立を紀元1〜2世紀とすると、この着想の背景にギリシア哲学のイデア論があった可能性も考えられるが本稿ではそこまでは立ち入らない。



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第22話 選ばれし者……第十四章“菩薩の大地からの出現”

 本稿では法華経の各章を、敢えて章順を無視し、アットランダムに……いや、かなり恣意的な順ではあったのだが……読み進めてきた。が、今話からの3話は連続する三章を読み進めていこうと思う。対象は以下の通り。

 

 第十四章:菩薩の大地からの出現

 

 第十五章:如来の寿命の長さ

 

 第十六章:福徳の分別

 

 法華経第二期の書き手が、他期に比して筆力……元を糾せば口述と思われるので、本当はこの表現はおかしいのだが、捨て置く……に勝ること、また、かなり綿密な伏線を張っていることは、ここまで繰り返し述べてきた通りであるが、特に上記三章はそれが顕著な章となる。今話はその冒頭となる法華経第十四章“菩薩の大地からの出現”(妙法蓮華経従地涌出品(じゅうじゆじゅっほん)第十五)を読んでいく。

 

 章順から言えば、前章は第十三章“安楽な行”なのであるが、これはいささか毛色の異なる幕間劇となっていて、物語的には第十二章“よく耐え忍ぶ”(第4話)に後続している、と読んだ方がわかりやすい。すなわち、第十二章末にて、いわゆる“二十行の偈”で以って善男子らが「世尊よご安心あれ、我らが法華経を広めていきます」と誓いを立てた……実際には愚痴っているようにしか読めないのだが……まさに、その直後から、ということになる。

 

 ここにおいて、他の世界から来た菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)の中の八つのガンジス河の砂の数にも等しい菩薩摩訶薩たちが、そのとき、その集会の中から立ち上がった。

 

 本章は上引用の書き出しに始まる。彼らが、釈迦に対し礼拝した後に以下のように言う。他の世界から来たとあるので、この菩薩たちは第十一章(第10話)の白毫(びゃくごう)ビームの下りにおいて、多宝(たほう)如来の宝塔を開くべく三千大千世界から召喚された他世界の如来たちの共連れ、ということになるのだろうか。

 

 もし世尊が私たちにお許しくださいますならば、世尊よ、私たちもまた、如来がご入滅になられたのちに、この娑婆世界において、この法門を説き示し、護持し、読誦し、供養し、この法門のために精進に努めましょう。それゆえ世尊は、快く、私たちにもこの法門を広めることをお許しください。

 

 第十二章において、娑婆世界の面々が苦難の多い娑婆世界ではなく、他の国土においてではありますが、この経典を説き示すことに努め励みましょうと、勇敢なのか臆病なのかよくわからなくなることを口にしたことを思えば、娑婆世界の住人の一人として「いやぁ、他世界の菩薩さんたちに気を使わせて申し訳ない」と詫びの一言も伝えたいところである。

 

 いや、これはいわゆる「隣の芝は……」というヤツなのだろうか。

 

 冗談はさておき。法華経に描かれる釈迦……ここでは法華経第二期の書き手の傀儡である……は、しばしばこれまたよくわからないツンデレぶりを垣間見せるのであるが、ここに示されるそれは、その極みとも言うべきものである。

 

 やめよ、善男子たちよ。そなたたちにとってこのことをなす何の必要があろうか。

 

って、滅後の布教を望んだのはアンタだろ!とか思うのであるが、釈迦は周囲の戸惑いも無視して続ける。

 

 まさしく、今ここに、私のこの娑婆世界においては、六万のガンジス河の砂の数にも等しい菩薩たちがおり、一人一人の菩薩には全くこのように従者たちがいるのである。このような菩薩たちには、また、六万のガンジス河の砂の数にも等しい菩薩が従者として付き従っているのであって、実に、これらおのおのの菩薩にはこのような多くの従者がいるのである。これらのものたちが、私が入滅したのちの世、末代のときに、この法門を護持し、読誦し、説き広めるであろう。

 

 釈迦の言わんとするところは、滅後の布教に立候補した他世界の菩薩とは別に、それをおこなうべき菩薩たちが六万恒河沙いて、さらにその従者が六万恒河沙いるのだ、ということらしい。なら先にそいつらを呼んどけよ、という気がしないでもないが、とまれ、ここに至って遂に、ある意味において法華経の主人公とも言える“地涌(じゆ)の菩薩”が登場する。

 

 世尊がこの言葉を仰せられるや否や、そのとき、この娑婆世界のこの大地のいたるところが震え裂けた。そして、それらの裂け目の中から百千億那由他の多くの菩薩が出現してきた。身体が金色に輝いていて、偉大な人物のもつ三十二の相好をそなえていた。彼らはまさにこの娑婆世界の中にあって、この大地の下にある虚空界に安住していたのであるが、世尊のこのような音声を聞いて、大地の下より現われ来たったのである。

 

 六万恒河沙なのか百千億那由他なのかどっちなんだ?あるいは六万恒河沙×六万恒河沙=百千億那由他なのか……といった野暮なツッコミは置いておいて、ともかく、何だか中二心をくすぐる登場シーンである。本章までの法華経、どころか、ここに至るまでの仏典にまったくその存在について言及がないにもかかわらず、突如として大地の下にある虚空界に安住していたことにされてしまうご都合主義も含めて、ライトノベルのヒーローのようですらある。

 

 が、そのド派手な演出ゆえに返って妙に冷めてしまう現代の我々とは異なり、書いている本人は至って真剣である。その度合いは、次下から繰り返されるあまりにクドい修辞からも明らかである。

 

 それらの一人一人の菩薩は六万のガンジス河の砂の数にも等しい菩薩を従者として従え、群衆を伴い、大群衆を引き連れており、群衆の師である。このような菩薩摩訶薩であって、群衆を伴い、大群衆を引き連れ、群衆の師である六万のガンジス河の砂の数にも等しい百千億那由他の菩薩たちが、この娑婆世界の大地の裂け目から現われ出てきたのである。であるから、菩薩摩訶薩で五万のガンジス河の砂の数にも等しい菩薩を従者とするものについては言うに及ばない

(下線、強調は引用者による)

 

 以下、上引用下線部の五万とある箇所が、四万、三万……と繰り返され、一万で終わるかと思いきや、今度は一、四分の一、六分の一……と続いていく。母数=恒河沙が大きいので、分数を乗じてもその数は十分に大きいのである。これが呆れたことに百千万億分の一まで続く。それで終わりか、と思いきや、今度は恒河沙が外されて、

 

 菩薩摩訶薩で千の菩薩を従者とするものについては言うに及ばない。

 

……以下、五百、四百、三百、二百、百、五十、四十、三十、二十、十、五、四、三、ニ、一とこれが繰り返され、最後に、

 

 従者なく一人で静住しているものについては言うに及ばない。

 

とされて、ようやくこの列挙が終わる。既に読んでいる側としては、そもそもの論旨が何であったかわからなくなりつつあるが、言いたいことは、

 

 この娑婆世界の大地の裂け目から現われ出た菩薩摩訶薩たちは、その数も、計算することも、たとえることも、ごくわずかの数についても知ることができないのである。

 

ということであるらしい。「数えきれないほど現われ出ました」と一言で終わらさず、それを表現する言葉自体が、こちらは数えきれないことはないにせよ、何度繰り返されたか数えるのが面倒になるほど繰り返される、という執拗な修辞で以って為されているところに、書き手の本気度合いが伝わってくる。

 

 もっとも、妙法蓮華経の同じ部分を引くと、

 

 各將六萬恒河沙眷屬。況將五萬四萬三萬二萬一萬恒河沙等眷屬者。況復乃至一恒河沙半恒河沙四分之一。乃至千萬億那由他分之一。況復千萬億那由他眷屬。況復億萬眷屬。況復千萬百萬乃至一萬。況復一千一百乃至一十。況復將五四三二一弟子者。

 

と、存外あっさりしている。直訳調の正法華経(しょうほけきょう)ではもう少し長いので、これは鳩摩羅什(くまらじゅう)があまりに冗長なのを嫌って要約した結果なのだろう。どうも本章書き手の熱さは、竺法護(じくほうご)と中村師には伝わったが、羅什には伝わらなかったようだ。読者諸兄には伝わっただろうか。

 

 しかもさらに呆れたことに、地涌の菩薩の数の多さを示す修辞はこれで終わりではないのである。続いてかの菩薩たちは、中空に浮かぶ宝塔……ついつい忘れそうになるが、もちろん第十一章における出現以来、宙に浮かんだままなのである……に居並ぶ釈迦と多宝如来を礼拝すべく、頂礼したり、如来がたを右回りに繞ること幾百千回したり、合掌、賛嘆したりするのであるが、

 

 種々の菩薩の讃歌をもって賞賛している間に、満五十中劫が過ぎ去った。

 

とあって、要するに、全員が釈迦・多宝如来を礼拝するのにそれだけの長い時間がかかるほど、地涌の菩薩はたくさんいるのだ、と言いたいのだとは思うが、文字通り読むと、どう考えても釈迦在世から満五十中劫を経たとは思えない今この瞬間も、虚空会(こくうえ)ではその礼拝が続いている最中であることになってしまう。しかもこの間、釈迦も多宝如来もその他の面々も沈黙を続けていたとあり、これは黙然(もくねん)と言って、法華経においては無言の同意を示す所作なのだが、ビジュアルを想像するととてつもなくシュールな光景になる。

 

 流石に本章書き手も「これではマズい」と思ったのかどうかは知らないが、下引用のようなフォローが入っている。

 

 そのとき、世尊はこのような神力を現わされていた。大きな神力が現わし起こされたことによって、かの四衆たちはその五十中劫という長い時間が半日であるかのように感じた。

 

 まさかの神通力による“早送り”である。これもビジュアルを想像するとトンデモないのであるが、紀元1〜2世紀を生き当然のことながらスマートフォンも映画も見たことのない法華経教団が、こういう演出を思いついて弄んだことには驚くほかない。とまれ、この下りを見ても、法華経の文が、紙面上で推敲を重ねた上で公表されたものではなく、口述によって述べ伝えられた後は、おいそれとは校閲されなかったものであることを知ることができよう。

 

 突如登場した地涌の菩薩なのであるが、ここに四人の上首(じょうしゅ)、すなわちリーダー的な存在がいたのだ、ということが言われる。

 

 (一)“勝妙の行”と名づける菩薩摩訶菩と、(ニ)“無辺の行”と名づける菩薩摩訶菩と、(三)“清浄の行”と名づける菩薩摩訶菩と、(四)“安住の行”と名づける菩薩摩訶菩である。

 

 中村師訳は上引用のようになっているが、これがそれぞれ妙法蓮華経でいうところの、

 

 一名上行(じょうぎょう)。二名無辺行(むへんぎょう)。三名浄行(じょうぎょう)。四名安立行(あんりゅうぎょう)

 

 すなわち、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩に対応する。うち、上行菩薩は後に第二十章において滅後の布教の付嘱(ふぞく)を受ける菩薩であり、後の世にかの日蓮がその化身であると見做されるようになったことも、既に述べた通りだ。

 

 これまた繰り返し述べてきたことではあるが、後の世の解釈はともかく、本章の書き手の意識としては、如来がご入滅になられたのち、すなわち、法華経教団にとっての現在において法華経の布教を釈迦から付嘱されるべきは彼ら自身をおいて他にないのであり、地涌の菩薩というのは直接的には彼ら自身を表象したものと考えるのが妥当だと思う。つまり、先に見た地涌の菩薩のド派手な登場シーン、そしてその威儀を称えるクドいまでの繰り返しは、彼ら自身の布教活動を正当化するとともに、極限まで聖別すべく創作されたものである。

 

 とすると、ここに示される四人の上首の存在も、何らかの現実を反映したものと考えるべきだ。もちろんこれは傍証を欠くので断定はできないが、おそらく法華経教団第二期の人々は、四人のリーダー的存在……あるいは、互いに主導権を牽制し合う四つのグループかも知れないが……を戴く合議制でもって組織の運営をおこなっていたのだろう。やや飛躍する想像ではあるが、対して第十章から第十二章まで釈迦の相方を努める一方、第二十一〜ニ章でダーラニーと教団への貢献の重要性を権威付ける薬王(やくおう)菩薩はおそらくは第一期の教団創設メンバーであり、地涌の菩薩の出現は法華経教団内の世代交代をも表象していた可能性がある。

 

 とまれ、半日を費やして……いや、五十中劫だったっけ……登場した地涌の菩薩を代表して、彼ら四菩薩が釈迦に挨拶することろから読み始めてみよう。

 

 世尊は、もろもろの憂いや悩みもなく、お体はお健やかに、安楽にお過ごしでしょうか。世尊よ、衆生たちは気質よく、教化しやすく、ご指導をよく守り、清浄に導きやすく、世尊のみ心を患わすようなことはないでしょうか。

 

 西欧のマナーハウスでフリル付のワンピースを身に纏い、膝折礼(カーテシー)を執って挨拶する淑女、を思い浮かべるのはボクだけだろうか。登場がド派手だっただけに、開口一番の台詞があまりに牧歌的で、そのあまりのギャップに眩暈すら覚える。

 

 しかも、続けてまったく同じことが偈で示される。つまり、彼ら(彼女ら?)もまた詠うのだ。以降、本章はここまでの劇的な叙述とは対照的に、散文で示される台詞に同内容の偈が交わるミュージカル調で進んでいく。いい加減慣れてきたつもりではいたが、このインド映画ノリは註釈者としては疲れる。天台大師も日蓮もよく投げなかったものだ、と変なところで感心したりもするのであるが、思えば、これがあるお陰でどこに書き手自身の力点があるか一目でわかる、という利点もあるのだ。いや、それを勘案しても疲れるのだが。

 

 閑話休題。

 

 滅後の布教を託されるべくド派手に登場しておいて、開口一番気の抜けた挨拶を放つ地涌の菩薩に対し、釈迦は「貴様ら、弛んどるぞ!!」と喝でも入れるのか、と思いきや、存外釈迦の答礼もまた牧歌的だったりする。

 

 善男子らよ、そのとおりである。まことにそのとおりである。私は安楽に過ごしており、憂いや悩みがなく、身体も健やかである。

 

 何なんだ、この人たちは。いやいや、おそらくこれは当時のインド人の中でも、教養十全な人であれば取ったであろう態度を反映したもの、と見るべきなのだろう。むしろ、同時代の日本人がかろうじて稲作を始めたばかりで、大部分の人々が日々獣を狩る暮らしをしていたことを思えば、その洗練された文化に驚くべきなのかも知れない。

 

 さて、これに続く釈迦の言明は注目しておく必要があろう。

 

 また、私のこれらの(1)衆生たちは気質よく、教化しやすく、指導をよく守り、清浄に導きやすく、清浄にされているとき、私を倦み疲れさせるようなことはない。それはなぜかというと、善男子らよ、私のこれらの(2)衆生たちは、もろもろの過去の正等覚者のもとですでに修習したものたちなのである。善男子たちよ、彼らは私の身体を見、私の所説を聞くだけで、私を深く信じて了解し、仏陀の智慧に向かって精進し、通達するからである。しかし、(3)声聞の道と独覚の道にいそしみ帰伏したものたちは除く。しかし、私は今、(4)彼らにさえも、実に仏智に向かわせ、最高の真実の義を聞かせるであろう。

(付番、下線は引用者による)

 

 のほほんと牧歌的に進むのかと思いきや、唐突にコレだから本当に法華経は油断ならないのである。

 

 さて、まず下線部(1)は、地涌の菩薩の挨拶の後半部を裏返したものだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、物語的に本章の前段となる第十二章において、薬王菩薩、大楽説(だいぎょうせつ)菩薩と配下二万の菩薩衆が、衆生たちは信義を守らず、善根が少なく、高慢の心が強く、名利を貪り、不善の行ないを積み重ね、教化することむずかしく、教えを信受することがなく、強い信仰心もないと愚痴をこぼしたのと対照的な内容になっている。

 

 これは決して矛盾しているワケではない。釈迦の言明が(設定上は)彼が生きた時代の衆生についてのものであるのに対し、薬王菩薩たちのそれは釈迦が死んだ後の……つまり、法華経教団にとっての現在の衆生のことを言っているからだ。これを下線部(2)と合わせ読むと、天台法華教学の言う正像末の歴史観になる。つまり、釈迦の在世には過去世で十分な修習を積んだ人々が教化の対象だったのに対し、天台法華教学にとっての現在、すなわち像法・末法の時代にあっては、そうではない人々が布教の対象となるため、薬王菩薩たちが愚痴ったような認識に至る、というようにつながる。

 

 が、どうにもこの解釈は、天台法華教学の色眼鏡で以ってこの一節を読んでしまっているような気もするのである。と言うのも、続く下線部(3)は第二章冒頭で言われた二乗不作仏、すなわち声聞と独覚は如来の知見を俄かに信じ理解することが出来ない、とする見解につながるものであり、次下下線部(4)は、第二章後半から第九章まで、譬喩と授記で以って二乗を一乗へ導いたことを言っているように見えるのであるが、その授記が不用意にも過去世からの修習に言及してしまっていることと、いささか不整合である。

 

 つまり、下線部(2)が下線部(1)の要因であるならば、同じく過去世からの修習があったとされる声聞、独覚とて同じではないか。実際、法華経の主張するところでは下線部(4)は成し遂げられたのではなかったか……というのが、ボクがこの一節を天台法華教学の解釈で素直に読めない理由である。

 

 ここで、思い切って踏み込んだ解釈をしてみたいと思うのであるが、上に述べた天台法華教学的な読み方は、本章の書き手が、登場人物主観における時制を徹底して使いこなしていたことを前提としている。つまり、文中の釈迦その他が自身の現在として述べることは正しく釈迦在世に仮託された事柄であり、滅後のこととして述べることは正しく法華経教団にとっての現在を反映している、ということであるが、この複雑怪奇な修辞が、大元は口述されたと思われる法華経の創作時点において、果たして常に正確に使い分けられていたか、と問えば、これはいささか怪しいと考えるのが自然ではないだろうか。

 

 言わんとすることはこういうことだ。下線部(1)は、実は釈迦在世のことではなく、法華経教団の現在のことを言っているのではないか、という見方である。もちろん、これは第十二章における薬王菩薩たちの認識と衝突するのであるが、本稿冒頭にも述べたように、上行以下四菩薩の登場は、法華経教団内の指導層の世代交代を反映している可能性が高い。つまり、下線部(1)は、第十二章に示された教団第一期指導層の一般庶民に対する見方を打ち消すべく、釈迦を騙って述べられた見解ではないか、という読み方である。

 

 そもそも、第七章転読(うたたよみ)(前話)末にて論じたように、法華経教団第一期の指導層が究極的に目指したところは、一般庶民に対して自分たちの信念を広めることではなく、自身の出自でありおそらくは追放された出家者集団を論破し、そこへ復帰することであった、とボクは見ている。これは、後世に殉教の予言として読まれた第十二章の二十行の偈にもその痕跡が認められた。

 

 対して、法華経教団第二期の指導者……つまり地涌の四菩薩たちは、出自教団と完全に決別し、一般庶民を取り込むことを教団の新たな目標に定めたのではないか、と思うのである。地涌の菩薩が登場するに際し、群衆を伴い、大群衆を引き連れており、群衆の師であるであるとか、ガンジス河の砂の数にも等しい菩薩を従者とするとクドいまでに繰り返されるのは、このことを表現しているのではないか。少なくとも、第九章までの法華経からは、こういったニュアンスはまったく読み取ることは出来ない。

 

 つまり、第十二章がやたらと愚痴っぽく見えるのは、実際にまだこの時点で残存していたであろう第一期指導層が出自教団への執着を愚痴っていたのであり、本章は、それを真正面から否定はしないものの、結果的にそこから次のステージへ飛翔する意図を込めて創作されたのではないか、というのが、かなり穿った解釈であると自身思いつつも、さりとて、妄想に過ぎないと切り捨てるには惜しく感じるボクの読みである。

 

 この話題については、連続する第十六章までを読み終えた後に、今一度立ち返って考察を加えてみたい。

 

 

                    *

 

 

 そのときに、弥勒(みろく)菩薩摩訶薩と他の八つのガンジス河の沙の数にも等しい百千万億那由他の菩薩たちは、このように思念した。

 

 法華経成立に先行して受記を得、五十六億七千万年後の世界に仏陀として君臨することを約束されつつ、法華経においては法華経教団の主張を聖別する狂言回しとしての役割を押し付けられている阿逸多(あいった)くん、こと弥勒菩薩。満を持して遂に登場。

 

 と言うワケで、以降第十七章まで彼が釈迦の相方を務めることになる。そういう意味では、第十四章から第十七章までがひと続きの物語なのではないか、と言えばそうかも知れないのだが、ボクの見るところ、第十七章は、おそらくは第十六章までの出来栄えに気分を良くした書き手が勢いで付け加えたもののように見えるので、敢えてこういう切り方をしている。これについても、第十六章まで読み終えた後に、改めて考察を加えることとしたい。

 

 とまれ、ここでは本文に戻り、冒頭引用の弥勒菩薩たちが何を思念したのかに耳を傾けてみよう。

 

 私たちはこのような菩薩の大衆、菩薩の集団が大地の裂け目から出現して、世尊の前に進み出て、世尊を称賛し、崇拝し、尊敬し、供養し、世尊に丁重にご挨拶申し上げているのを、いまだかつて見たこともなければ、いまだかつて聞いたこともない。ところで、これらの菩薩摩訶薩たちはどこから訪れ来たのであろうか。

 

 この一節を見れば、ここでの弥勒菩薩の役回りが序章のそれとまったく同じであることがおわかりいただけると思う。もちろん、本章が序章を真似て書かれたのではない。序章の方が本章から第十七章までの弥勒菩薩の使い方を真似た上で、トンデモないオチまで加えたのである。これ一つのみとっても、法華経は読み物として二千年前に創作されたとは俄かに信じ難い大傑作である、とボクなどは思うのであるが、それはさておき。

 

 以下、弥勒菩薩が、例によって偈で以って……もちろん彼も詠うのである……自身の疑念を表明するのであるが、これがまた千両なのである。

 

 これらの人々は皆、正念を得、智慧の明瞭な偉大な賢者であり、見る目にうるわしい姿をしております。これらの人々はどこから来られたのでしょうか。

 

 上引用はその偈の中でも特に際立った一節を抜いたものだ。以下、偈は本章冒頭に見た六万、五万……と続くあの大仰な修辞までご丁寧に繰り返すのであるが、それはともかくとして、法華経教団と同時代のインドの仏教徒であれば知らぬ人はいなかったであろう弥勒菩薩に、上引用を言わせるのであるから本章の書き手は本当にキレッ切れである。

 

 なにせ、ここでいうこれらの人々は、他ならぬ書き手本人たちのことなのである。

 

 私たちは、まさしく十方の世界をしばしば遍歴遊行しましたが、私たちはこれらの菩薩たちをかつて見たことがありませんでした……(中略)……牟尼尊よ、願わくは彼らの来歴をお説きください。

 

 今日的な目線でこの修辞を見るとき、まず思い浮かぶのは病的なまでのナルシズムであるように思うのだが、一方で、これから見ていく第十五章までの一連の流れは、一部不徹底があるものの、法華経全篇を通して最も考え尽くされた伏線になっていて、弥勒菩薩のこの問いが既にそのリードになっているのであり、これを単にナルシズムだけで創作できるか、と問えば、これまた疑問なのである。たしかに、本章の書き手はかなりヤバい人であったように思うが、ともかく彼が、これから語られる内容について深い確信を抱いていたことは間違いない、とは言えるだろう。

 

 もちろん、確信の深さと言明の正しさの間には何の関係もないのであるが。

 

 さて、ついつい忘れそうになるが、今この瞬間も、件の宝塔は中空にあり、その周囲を、多宝如来の尊顔を拝す条件を満たすべく三千大千世界から参集した如来とその従者が取り囲んでいるのであるが、彼らの中からも同様の疑念が持ち上がる。従者たちは、それぞれの如来に「どこから来たのでしょうか?」と口々に尋ねる。対するそれぞれの如来の返答は以下の通り。

 

 善男子たちよ、そなたたちは暫く待ちなさい。あの弥勒という菩薩摩訶薩は、釈迦牟尼世尊に次いでのちに無上の正等覚を得るであろうと予言されている。彼が世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者にその意義をお尋ねしている。かの世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者がお答えくださるにちがいない。それゆえ、そなたたちはお聞きするがよい。

 

 これまた、弥勒菩薩が他の聴衆を代表してより高位の権威に対し問いを立てる物語構造が、序章のそれとまったく同じである。同時に、序章のみならず、本章の書き手もまた、“弥勒菩薩”というキャラクタがどのような意味合いを持つか、法華経の聞き手・読み手にとってどれほどの権威となるかについて自覚的であったことも読み取ることが出来よう。

 

 果たして釈迦が口を開く。

 

 素晴らしいことです。まことに素晴らしいことです。阿逸多よ。そなたが私に問い尋ねたことは、阿逸多よ、きわめて大事なことである。

 

 そりゃそうでしょうよ。と嫌味の一つもこぼしたくなるが、とまれ、ここでも弥勒菩薩は釈迦……彼もまた歴史上の釈迦ではなく、本章書き手の主張を代弁する傀儡である……に阿逸多と呼ばれていることがわかる。この演出を最初に考えた人は、本当に頭が切れる。いい方にか悪い方にかはともかくとして、ではあるが。

 

 とまれ、釈迦は弥勒菩薩の問いに対して……と言うか、要するにこれは法華経教団が本章で主張したいこと、そのものなのであるが……淡々と語り出す。この部分はもったいぶりがヒドく冗長なので要約しつつ進めたいと思うが、まず言われるのは、如来は虚妄のない言葉を説くのだ、ということであり、そなたたちはすべて、決して疑念をいだいてはならないと念が押される。思うにこれは、第十一章の六難九易の下りにも見えた、法華経教団の書き手が、読み手・聞き手にとって俄かに信じ難いことを主張する際の常套手段である。

 

 弥勒菩薩の問いに対する直接の回答は下引用の通りとなる。

 

 阿逸多よ、これらすべての菩薩摩訶薩たちは、私がこの娑婆世界において無上なる正等覚を悟ってからのちに、私が教化し、励まし、喜ばせ、無上なる正等覚を得ることに発願させたものたちなのである。

 

 続けて、偈で以って同趣旨の主張が繰り返される。特に下に引く一節は次章となる第十五章“如来の寿命の長さ”への前振りも兼ねているので、注目しておきたい。

 

 私は伽耶城(がやじょう)のほど遠からぬ所にあるかの樹の根元で、この最勝の覚りを得たのち、無上の法の輪を転じて、すべてのものをこの最高の覚りに教化したのである。

 

 伽耶城というのは、出家以前に王子であった釈迦が住んでいたとされる城であり、遠からぬ所にあるかの樹は、釈迦がその下で悟りを開いたとされる“菩提樹(ぼだいじゅ)”のことを言っている。つまり、ここにおける釈迦の言明は「オマエたちが知らないだけで、地涌の菩薩は『ワシが育てた』」と言っていることになる。

 

 もちろん、本章の書き手自身がこの主張に無理があることは承知していて、その無理さ加減が弥勒菩薩によって代弁される。

 

 世尊よ、そのときから今日まで四十余年が経過したにすぎません。世尊よ、このようなわずかな時間に、如来はどのようにして、この量り知れない如来の所作をなされ、如来は如来の威力と、如来の勇猛心をお示しになられたのですか。世尊よ、このようなわずかな時間に、この菩薩の大衆と菩薩の集団を阿耨多羅三藐三菩提に勧め導かれ、教化されたのでしょうか。

 

 書き手の確信犯的なミスリードに丸め込まれそうになるのであるが、敢えてここで立ち止まって頭を冷やしてみよう。

 

 第一に、地涌の菩薩を「ワシが育てた」とする釈迦の主張が無理に思われるのは、その人数が六万恒河沙などという誇張した数字で語られるからである。そもそも、法華経が書かれた時点においては……否、21世紀の今日においても、インドの人口はたかだか13億人なのであり、六万恒河沙には遠く及ばない。これが誇張であるならば、四十余年が経過する間に、釈迦が別系統の人材育成をやっていたと主張した……まぁ、作り話なのだが……からと言って、さして驚く話ではないだろう。

 

 第二に、仮に地涌の菩薩が本当に六万恒河沙いるとして、つい今しがた釈迦は、本来なら五十中劫を要する彼らの挨拶を半日に早回しするという神通力を現じたばかりではなかったか。半日で六万恒河沙の地涌の菩薩の拝礼に応じれるのであれば、四十余年の間に彼ら全員を教化育成したとしても、やはり驚くような話ではないのではないか。

 

 ところが、続けて弥勒菩薩は以下のような譬喩でもって大袈裟に驚いて見せるのである。

 

 たとえば、ある若者がおり、若々しい青年で、髪は黒く、すぐれて健康に恵まれ、年齢は二十五歳であったとしましょう。彼は百歳になる老人をたちを指差して、「善男子らよ、これらのものは私の息子たちです」と、このように言い、また、かの百歳の人たちも、「この人は私たちの父であり、生みの親です」と言うとしましょう。しかし、その人の語る言葉は、世間には信じられず、信じがたいにちがいありません。

 

 それを言ったら、本章冒頭から述べられているすべてが信じがたいのであるが、それはともかくとして、もちろん本章の書き手は、それらすべてを百も承知の上で、計算づくでこれをやっているのが痺れるのである、憧れるのである。

 

 以下、ここまでの弥勒菩薩の問いが偈で以って再要約されて本章は終わる。その結句は次のとおり。

 

 このことについて疑いをいだき悪道に陥ることがないように、世尊よ、どのようにして、これらの地涌の菩薩たちを教化せられたのか、このことを適切に解説してください。

 

 ここから、以上本章で語られた与太話が、すべて次章“如来の寿命の長さ”の前振りであったことがわかる。しかも、上引用は、それを示すと同時に、これから述べられることに対し疑いをいだくことは、すなわち悪道に陥る因となるのだとほのめかした上で、読み手・聞き手にとって比類ない権威を有する弥勒菩薩の口から、衆生が悪道に陥ることがないようにとの、慈悲の配慮で以って釈迦に問うた、ように演出しているのだ。

 

 誤解のないように補足しておく。ボクはこれを以って、本章の書き手が確信犯の詐欺師である、と非難しているワケでは決してない。法華経に見られるこの弥勒菩薩の権威の用法は、今日的に言えば、ある小説家が自身の思想を歴史小説として作品化するに際し、想定読者に歴史上の偉人として受け入れられている人物……たとえば織田信長にしようか……に自身の思想を仮託して語らせるのと、原理的には同じことなのである。

 

 織田信長は確かに歴史上の偉人であり、弥勒菩薩は仏教が創作した架空のキャラクタなのだから、同列に語るのはおかしい、と憤慨する人もおられるかも知れないが、そういう人には敢えて問おう。では、あなたは織田信長が確かに戦国時代に存在し、今あなたが認識するような織田信長であったことを、自らの手で検証したことがあるのか、検証しようと考えたことがあるのか、と。念のために言っておくが、織田信長について書かれた本を何冊読んでも、ここでいう検証をおこなったことには決してならない。

 

 無論、ボクはこれを以って誰かを責めているのではないのだ。このような思考様式、すなわち、自身が何らかの主張を他者に対しておこなうに際し、想定される聴衆の中で既に通用している権威を利用するという手法は、二千年前から今日に至るまで普遍的なものなのだ、ということを自覚して欲しい、ただ、それだけである。自覚しておけば、不用意に騙されることもないし、自分自身がその手法を利用することもできようから。

 

 閑話休題。これらの修辞を総合して、ボクは本章を含む法華経第二期の書き手はキレッ切れである、と評するのであるが、そんな彼にも、もちろん限界はある。

 

 地涌の菩薩は、釈迦に対して滅後の布教を誓うべく登場したはずなのだが、弥勒菩薩が登場して次章への前振りに注力した結果、途中からその存在が忘れられているのだ。次話以降を見ればわかるが、しばらく地涌の菩薩は登場どころか言及すらされない。法華経教団がこのことを思い出して、地涌の菩薩に対していわゆる付嘱がなされるのは、かなり下った第二十章“如来の神通変化”に至ってのことになる。途中、どっこいしょや雨ニモマケズ等の、完全に内容が独立した章が立てられていることが、これが意図的な演出ではなく、本当に失念していたのだ、ということを示している。

 

 まぁ、それを差し引いても、ボクのこの書き手に対する評価は変わらないのではあるが。もちろん、だからと言って彼の主張を鵜呑みにし、信仰の対象と出来るかというのは、まったく別の話なのであって、少なくともボクにはその気はない。が、面白いし、大好きである。グレッグ・イーガンくらいには。

 

 以上を以って、法華経第十四章“菩薩の大地からの出現”の転読(うたたよみ)を終わる。次回はいよいよ本丸中の本丸に突撃だ。

 



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第23話 絶対反論不可能……第十五章“如来の寿命の長さ”

 さて、いよいよ法華経の本丸中の本丸、第十五章“如来の寿命の長さ”(妙法蓮華経如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六)の転読(うたたよみ)にとりかかる。執筆開始時は、よもやここまで辿り着けるとは思っていなかった。我ながら時折発揮される自身の馬鹿げたハマり方に呆れる限りなのであるが、それはさておき。

 

 以前に触れたように、天台法華教学においては、本章を以って法華経後半部“本門(ほんもん)”の要と見做す。ボク個人はこれを妥当だとは思っていないが、以下見ていくとわかるように、書き手自身もまた本章を、唯一無二ではないにせよ、自分たちの主張の中核と考えていたのは間違いないと思われる。

 

 日蓮は、彼の教学中、人本尊開顕/法本尊開顕と並び称される主著のなかで、それぞれ以下のように書き遺している。

 

 一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月の、国に大王の、山河に珠の、人に神のなからんがごとくしてあるべき

(開目抄、引用者が句読点を補った)

 

 末法の初は謗法の国にして悪機なる故に、之を止めて、地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て、閻浮の衆生に授与せしめ給う

(如来滅後五五百歳始観心本尊抄、同上)

 

「(釈迦の説いた)すべての経典の中にもし寿量品(本章)がなければ、天に太陽や月がなく、国に王がおらず、山河に珠がみつからず、人に神が寄り添わないようなものだ」「(釈迦は)末法は悪い時代なので、これ(他世界の菩薩が布教の許可を求めたこと)を止めて、地涌の菩薩を呼んで寿量品の肝心となる妙法蓮華経の五字を世界中の人々に遺したのだ」ほどの意味となるが、他にも随所において、彼もまた本章こそが法華経の最重要箇所であると論じている。

 

 特に、日蓮本仏論を擁する宗派においては、本章がその根拠とされ、それは「文の底に秘し沈められた」真理なのだ、という意味で“文底秘沈(もんていひちん)”と称されるのであるが、以上例示した後世の天台法華教学が高く評価したものとは、いったい何だったのか、その評価は妥当なのか、妥当でないとすれば、実のところどうなのか……といったあたりが、本章転読(うたたよみ)のテーマと、ということになる。

 

 さて、どういった結論に至ることやら。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊はすべての菩薩の大衆に仰せられた。「善男子らよ、そなたたちは私を堅く信じるがよい。如来の語る真実の語を信受するがよい」。

 

 本章書き出しは上引用に始まる。この「私を信じなさい」という釈迦……クドいが、歴史上の釈迦本人ではなく、法華経教団を代弁するキャラクタである……の前置きが三度繰り返される。対して、

 

 そのとき、かの菩薩の大衆は、弥勒菩薩摩訶薩を上首とし、合掌して世尊にこのように申し上げた。「世尊は、その意味をお説きください。善逝はお説きください。私たちは如来の述べ説かれたことを信受するでありましょう」。

 

との、弥勒菩薩を筆頭とした返答が、やはり三度繰り返される。

 

 察しの良い人はお気づきのように、これは法華経第二章(第3話)前半の三止三請(さんしさんしょう)と対になった表現であり、天台法華教学では“三戒三請(さんかいさんしょう)”と称されることもあるのだが、次下から展開されるところの論が、少なくとも書き手主観においては、読み手・聞き手にもっとも注目して欲しい点であり、かつ、それは理解するものではなく信受、すなわち、理屈抜きに受容されるべき天下りの真実として観念されていることがわかる。

 

 念のために前章からのつながりを確認しておきたいと思うが、第十四章“菩薩の大地からの出現”において突如出現した六万恒河沙(こうがしゃ)地涌(じゆ)の菩薩が釈迦滅後の布教を担うのであり、そのために釈迦が彼等を教え導いたのだ、ということが示され、対して、弥勒菩薩が衆生を代表して、覚りを得て四十余年しか経ていない釈迦がどのようにしてこれら無数の地涌の菩薩を教化育成したのか、と問うたところから本章は始まっている。

 

 既に述べたように、地涌の菩薩は法華経教団第二期の指導層を表象していると考えるのが妥当であり、第十四章は教団内の世代交代を示すと同時に、彼等の一般大衆に対する布教活動を聖別する目的があったと考えられるのであるが、これが、本章次下の主張……天台大師が法華経本門のセントラルドグマと見做したそれ……の伏線としても働いているところに、ボクなどは本章書き手の良くも悪くも確信犯的な筆力を感じるのであるが、では、その主張とは何なのであろうか。

 

 そのとき、世尊は、彼ら菩薩たちが三たびも請願するのを知られて、彼ら菩薩たちに仰せになられた。「それならば、善男子らよ、そなたたちはよく聞くがよい……

 

と、最大級の上から目線を放ちつつ釈迦が語り出すのは、以下のような事柄になる。

 

 まず、世間の人々や神々(と書いてある)は、釈迦が生まれた王族の城を出て菩提樹の下で覚りを得た、と思っているだろうが、実はそうではないのだ、ということが言われる。この“菩提樹の下での成道”というテーゼは、互いに微妙な差異を含む多くの先行経典、伝記の類の中でも、概ね共通して言われている仏教の大前提のようなものであるので、これを言下に否定するというのは、のっけからなかなか大胆なことを言っていることになる。

 

 逆に言えば、その大胆な主張をするつもりがあったればこそ、本章に至るまでに宝塔や地涌の菩薩といった奇瑞が必要になった、ということでもある。この点について、法華経第二期の書き手は徹底して合目的的であるようにボクには見える。

 

 さて、では、どうだと言うのか。

 

 ほんとうには善男子らよ、私が阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得てからすでに無量百千万億那由他(なゆた)阿僧祇(あそうぎ)の劫が経っているのである。

 

 この一文だけを唐突によむと、それなりに、な、なんだってー!!>ΩΩΩ、な言明であるのかも知れない。が、ここまで転読を続けてきた我々は曲がりなりにも、法華経を書いた人々の数字のスケール感が基本的に狂っており、無茶な桁数を弄ぶきらいがあることを既に理解しているので、それほどのインパクトはないかも知れない。

 

 が、真正直に読めば、ここにはこれまで本連載を通じて登場して来た桁表記、すなわち、無量・百・千・万・億・那由他・阿僧祇すべてが登場し互いに掛け合わされている。これは、法華経全篇を通じて示される時間の長さの中では、比較することに意味があるかどうかはともかくとして、疑いなく最大のものではある。また、次下以降しばらく、この時間の長さがどれほど桁違いであるかを示す修辞が続くことからも、書き手自身が、ここで言われる釈迦成道以来経過した時間を、法華経中最長の時間尺度にしようとすることに自覚的であることも読み取れる。

 

 ザッと要約すれば、五百千万億那由他阿僧祇の世界の塵という塵を、一粒ずつ手に取っては東方へ向かい、五百千万億那由他阿僧祇の国を通り過ぎる毎に一粒ずつ置く、ということを繰り返し、すべての塵を運び終わったとして、塵を置いた国、置かずに通り過ぎた国、すべての国の数を合計しても、釈迦が覚りを得てから経た劫の数に及ばない、というのがその修辞であり、ご丁寧にもその中程において、弥勒菩薩にそれらの世界は無数で、数えることもできず、心の働きの及ぶところではありませんと言わせている。未来世の成仏が約束されている弥勒菩薩ですら思議することが叶わない数、という彼の権威を利用した表現であることがわかる。

 

 ここで言われる法華経中最大桁数の数値、時間の長さを、天台法華教学では“五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)”と呼ぶ。聡明な人は既にお気づきかと思うが、細かい字句こそ異なるものの、ここで使われている修辞は、第七章(第21話)冒頭において示された三千塵点劫(さんぜんじんてんごう)のそれとほぼ同じである。五百塵点劫と三千塵点劫を、この語の字義のみを以って比較すると、三千塵点劫の方がより長い時間のように思えてしまうが、これは正しくない。三千塵点劫の三千は、三千大千世界の三千であるのに対し、五百塵点劫の五百は五百千万億那由他阿僧祇の世界の五百であるから、桁のみの比較で百万那由他阿僧祇ほど五百塵点劫の方が長いことになる。

 

 さらに言えば、続く論述の中に、

 

 如来はそれほどの長い久遠の過去世に覚りをひらき、とても数で量ることのできないほど長い寿命をもち、常に存在している

(下線は引用者による)

 

とあることから、三千塵点劫が遠い過去のある時点、を指していたのに対し、五百塵点劫は永遠、とこしえ、エターナル、を一語で表すサンスクリット語の語彙が存在しなかったか、あるいは、存在はしたのだけれども一語でそれを言ってしまうと安っぽいし有難味に欠くので、敢えて到底思議不可能な超々巨大な数値を想起させることで以って表現しようとしたもの、と理解するのが妥当だと思う。

 

 ここまで、法華経が好き放題に示す呆れんばかりの根拠なき大言壮語をたくさん見て来たが、これはその極限とも言えるそれと言えよう。

 

 そして、ここまでの流れ、つまり、前章において六万恒河沙の地涌の菩薩が出現し、彼等を教化育成したのは釈迦であるとの断言に対して弥勒菩薩が疑問を呈し、その答えとして、三戒三請のやり取りの後に、やはり弥勒菩薩の権威で以って釈迦の成道以来五百塵点劫の時間を経ていること……これは言い換えれば、釈迦は永久不変に仏陀である、ということになる……が示されるのであるから、本章の書き手の主観においては、法華経第二期の論述を通して最も主張したいことがコレである、ということについては疑問の余地がない。

 

 問題は、だから何なんだという点である。

 

 信仰の立場で読む場合においては、仏様は無始無終永遠不滅の存在なのである、とするこの言明は、百歩譲って有難い何かであるかも知れない、と認めてもよかろう。が、法華経教団は別にこれを証明したワケでは決してない……そもそも、神の存在同様の証明不可能命題である……し、これを主張することにどのような価値があるのか、今ひとつ不明瞭である。

 

 ここでいう“価値”とは、たとえばユダヤ・キリスト・イスラム教、すなわち、アブラハムの宗教における唯一神のそれと比較した方がわかりやすいように思う。ヤハウェ、アッバ、アッラーフ……まぁ、何でもいいのではあるが、その存在を仮定する価値とは、なぜこの世があるのか、なぜ人がいるのか、なぜ人の世界はこうであるのか、なぜ人の世界には順守すべき規範があるのか、等の、自然科学が決して与えてくれない答えが得られることである。それが正しいか間違っているかは、どうでもいい、というか、何を以って正しいか間違っているかを判断できようか。

 

 対して、法華経が主張する「釈迦は永遠不変に仏陀である」とするこの“仮定”は、アブラハムの宗教における“唯一神仮説”のような何らかの有益性を持つだろうか、というのが、ここでボクが問うてみたいことだ。法華経教団が、これを言うために随分なエネルギーを投資していることは、ここまで示してきた通りである。それに見合う何かがそこにあるだろうか。

 

 この“永遠の釈迦”を、後の天台法華教学は“久遠実成(くおんじつじょう)”と呼ぶのであるが、ボクの見るところ、久遠実成の主張は法華経の他の部分の論に対して無視し難い矛盾を多く孕んでいるように思われる。本稿では、これを列挙すると共に、自分たちで作り上げた経典の破綻の危機を犯してまで、法華経教団が久遠実成を主張せねばならなかった理由、を勘繰ってみたい。

 

(1) 地涌の菩薩の教化育成に久遠実成は必要か?

 

 繰り返し述べているように、久遠実成の主張は、前章となる第十四章“菩薩の大地からの出現”を前振りとし、六万恒河沙の地涌の菩薩の教化育成をおこなった釈迦の寿命は永遠でなければならない……とは明言はされないが、論理としてはそれ以外の意味には読めない……という流れで登場する。確かに、物語としてはよく出来ている。が、これは書き手本人たちが思っているほど必然ではないのではないか。

 

 法華経第一期、すなわち第九章までの中で繰り返される授記の下りを思い出して欲しい。この定型フォーマットの中に「釈迦と受記者の過去世の因縁が語られる」というものがあった。授記に際して、法華経中の釈迦はほぼ例外なく、自分と受記を得る弟子の前世以来の因縁が浅からぬことに言及している。

 

 そもそも、この主張自体が法華経全体の論旨と折り合いがよろしくないことは既に指摘した通りではあるのだが、それらの授記が述べられている時点で誰もこの過去世の因縁を疑問視していないのは、前章〜本章の弥勒菩薩たちの疑念とは不整合である。地涌の菩薩たちもまた「釈迦が過去世に渡って共に修行してきた仲間である」としても、特に問題は生じないからだ。

 

(2) 大通智勝(だいつうちしょう)如来の授記は何だったのか?

 

 論点(1)に限って言えば「過去世の釈迦は自身の未成道を方便として後の弟子たちを導いたのだ」とすることで、無理矢理整合できないワケではない。事実、本章にはそれを匂わす記述がある。

 

 如来が衆生たちを導くために説く言葉は、あるときは自身を現わしたり、あるいは他身を現わしたり、あるいは自らを根拠としたり、あるいは他人を根拠とするなどして説くのであるが、如来が何を説かれたとしても、如来の説いたそれらの法門はすべて真実なのであって、この点について、如来には虚言はないのである。

 

 随分な物言いのように思えるが、百歩譲って仰せの通りであるとしても、なぜ敢えてそこまで話をややこしくする必要があったのか、との疑問は残るのであるが。

 

 対して、第七章“過去世の因縁”において語られるところの大通智勝如来が、自身の末子であった過去世の釈迦に授記を与えたとされる逸話との不整合はかなり深刻である。この物語の中で、釈迦は自身が大通智勝如来からこの娑婆世界において阿耨多羅三藐三菩提を会得するとの予言を受けたと明言しているからだ。

 

 さらに言えば、同じ物語の中で大通智勝如来の十六王子は、自身は成道しないまま法華経を説き続け、その説法を聴聞したその人々のなかには、今日もなお声聞の地位にあるものがいる、とされているのであるから、逆に言えば、声聞の地位を脱しているものもあって良いのであって、その中に地涌の菩薩が含まれると考えれば、久遠実成を主張する理由がやはりなくなってしまう。

 

 天台法華教学は、この矛盾を「化城喩品第七は法華経迹門であり、本門寿量品の前ではやはり方便なのである」と強弁して回避するのであるが、この主張は三重におかしい。第一に、迹門・本門の区分けは後世の彼らが定めたもので法華経の書き手自身が言っていることではないのだから、これは自身の仮説で他の仮説を立証しようとする循環論法である。第二に、仮に天台法華教学の言う通りだとしても、本門寿量品の主張もまた「方便ではない」ことの立証にはならない。第三に、これが最も重篤なところとなると思うが、次下に示すように、彼らの言う本門の中にも矛盾があるのだ。

 

(3) 常不軽菩薩はどうなるの?

 

 法華経第十九章“常に軽侮しない”は、その所収位置からしても、冒頭に前章となる第十八章“説法師の功徳”への言及があることからしても、本章以降に成立したことを疑う余地はない。

 

 第十九章では、釈迦がその過去世において常不軽菩薩が我深敬汝等不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道当得作仏、の二十四字の法華経を行じたことが、彼の成道の因となったことを匂わせている。ということは、素直に読めば、釈迦は常不軽菩薩であった時点では成道していなかったことになり、久遠実成と矛盾する。

 

 前述したように、第十九章が成立したのは第十五章以降であることは確実で、ボクの読みが正しければ、法華経第三期になって第二期までの不足部を補うべく書かれたものであり、事実、続章となる第二十章“如来の神通変化”では、第十四〜五章の書き手がうっかり失念した、地涌の菩薩に対する滅後の付嘱がキャッチアップされている。

 

 ということは、法華経第三期の書き手には「地涌の菩薩=自分たち自身が釈迦滅後の布教を任された存在である」とする第十四章のテーゼは自覚されていた一方、「釈迦は久遠実成した永遠の仏陀である」とする第十五章のテーゼは伝わっていないことになる。仮に伝わっていたのであれば、第十九章では「既に仏陀であった釈迦が、仮に常不軽菩薩の姿を現じて衆生を導いた」と明言すべきであるし、それが暗黙に了解されていたのだとしても、であれば、同章が本筋には関係のない威音王仏に言及する必要がなかったこととなり、矛盾する。

 

 愉快なことに、上記の矛盾を理由に「第十九章はもっと早い時点で成立していたのだ」という議論をどこかで読んだ(大変申し訳ないことに、あまりにアホらしいので、どこで読んだか忘れてしまった)。書き手のみならず、読み手まで循環論法に陥ったら、その無限ループは止めようがないではないか……まぁ、大なり小なり法華信仰というのはそういうものなのであって、かの論者も、ボクなどよりはよほど信仰心が篤いのであろう。

 

 法華経を成立させた本人たち自身が必ずしも理解・受容していない命題を、後世の我々が真に受ける必要性があるだろうか。

 

 

                    *

 

 

 以上、大雑把に三点に絞って言及したが、これらのみが久遠実成説に伴って生じる矛盾だ、というワケではない。また、以上の指摘をおこなう理由は、久遠実成説を否定するため、ではない。久遠実成説を否定するには、そんな馬鹿なの一言で十分なのであって、以上のことを論じる必要などない。そもそも、久遠実成は証明不可能命題なのであるから、これを否定することもまた不可能なのである。

 

 ここまで長々と法華経内部に生じる矛盾に言及したのは、冒頭にも書いたように、法華経教団が久遠実成を主張したのには、こうした矛盾を孕んででも……第十九章に限って言えば、これは完全にプロットミスであるように思うが……これを主張せねばならない、強い動機があったに違いない、ということを示すためである。少なくとも、上記問題点(1)〜(2)については、書き手自身に自覚があったはずだ。あったればこそ、

 

 如来が衆生たちを導くために説く言葉は、あるときは自身を現わしたり、あるいは他身を現わしたり、あるいは自らを根拠としたり、あるいは他人を根拠とするなどして説くのであるが、如来が何を説かれたとしても、如来の説いたそれらの法門はすべて真実なのであって、この点について、如来には虚言はないのである。

 

 先にも引いた、この回りくどいエクスキューズが挿入されているのである。

 

 さて、ここで少し視点を転じてみたい。あなた、他ならなぬこの電波文を読んでいるあなたに問いたいのであるが、あなたは本稿においてボクが論じた、久遠成道説と法華経全体の矛盾の話が理解できただろうか。誤解のないように申し添えるが、これは貴兄らの理解能力を疑って言っているのではない。ボク自身、4ヶ月かけてようやくここまで読み解いたのであるから、その結果だけを示される側にこれをすんなり理解しろ、という方が土台無理な話なのである。

 

 で、飛躍も甚だしいことは自覚の上で言うのであるが、本章書き手の意図そのものも、実はそこにあったのではないか、というのが、ボクの読みとなる。

 

 既に触りは述べていたのであるが、結論から言えば、久遠実成は法華経教団の信念そのものではなく、法華経教団に対する教義上の反論を封じるための、これまた“方便”であった、とボクは見ている。

 

 第二期以降の法華経教団が、自分たちに対する批判に対して極めてナーバスであったことは随所に見られる。いくつか例をあげれば、第十章の如来の衣に至る下り(第1話)であるとか、第十二章の二十行の偈(第4話)であるとか、第二十一章のダーラニーの効用(第7話)などがこれに当たる。

 

 これらを通じて、法華経教団は自身に対する批判者を、体裁上は救済の対象として上から目線を注ぎつつ、内実は愚か者、あるいは臆病者、ときに魔に魅入られた者呼ばわりするのみであり、批判の中身についてはまったく詳らかにしていない。よってこれは想像するしかないのであるが、法華経教団の母体であったろう出家者集団が、単に権威的に振る舞い既得権を行使するのみの搾取者であったと考えるのはファンタジーに過ぎるのであって、彼らは彼らなりに、彼らの奉じる仏教の伝統に基づいた論理的な反駁を法華経教団に対しておこなっていた、と考えるのが妥当であろう。これは、法華経第一期の譬喩群が、概ね対立声聞衆を何とかして自説に取り込もうと説得を繰り返していることからも裏付けられる。

 

 一方で、特に第二期以降の法華経においては、在家衆が信仰集団に取り込まれ、同時に彼らの内部において出家者集団出身の人材が不足していたことから、法華経教団に対する批判は、第一期の時分における一乗真実vs三乗方便のような理念的なものから、経典の暗唱読誦に必ずしも通達していない在家衆法師の、片言隻句に対する揚げ足取りや単なる暗唱の間違い探しへ横滑りしていったであろうことは想像に難くない。実際、第二十六章に見られる信仰形骸化への危機感は、まさにその裏返しであろう。

 

 これらを総じて鑑みるに、本章に示される久遠実成は、それが何を含意するにせよ、書き手自身の第一義的には、俄かに反論することが困難な壮大なビジョンを示すことにより、究極的には法華経教団の組織防衛を図ったものであろう、とボクは読むのである。

 

 前述したように、読者諸兄におかれても、たちまちに久遠実成説に反論するのは、法華経全篇を通じて現代タイムトラベルSFも真っ青なほどに時間線が錯綜していることもあって、困難であろうと思う。無論、そんな馬鹿な、で事は足りるのであるが、それこそ法華経教団の思う壺なのであって「(体裁上は)釈迦の直説であり、弥勒菩薩も頭を垂れて承る真理を信じぬ不信仰者め!」とレッテルされてしまうのである。今日の我々には痛くも痒くもないレトリックであるが、当時において、しかも組織防衛のみを目的とする場合、これで必要十分なのだ。

 

 そもそも法華経教団の連中は、繰り返し指摘してきたように、証明と説明、反証と反論を混同している。むしろ、混同しているがゆえに、ここに辿り着くことが出来た、とも言えよう。

 

 もちろん、ここに述べた解釈が、一般に通用している本章の解釈をかなり逸脱したものであることは承知の上でこれを言っている。が、根拠なくこれを言っているワケでもない。本章は、久遠実成を宣言した後は、そこから派生して然りの話題……たとえば、久遠の釈迦はアブラハムの宗教における唯一神として世界創造の主とされてもよさそうなものだが、そういう方向には話は進まないし、法華経中でこれまた繰り返し言及される他世界・他時代における法華経との関係性にもまったく触れられることがない……を丸っと無視して、法華七喩の末尾を飾る“良医病子(ろういびょうし)”へ進んでしまう。

 

 詳細は追って見ていくが、良医病子の譬喩の趣旨は「なぜ釈迦は死んだか」を説明することにある。人間である以上、死は必然であるが、久遠実成の釈迦は永遠の仏陀、何でもかんでも出来てしまう不滅の如来なのであるから「なんで死ぬねん?」という疑問は当然起こるのである。前述したような、神話級の教義的視点に進まず、久遠実成説に対する“最後の疑問”に話が進むことこそ、書き手の目的が、久遠実成そのものを主張することではなく、久遠実成を主張することによって法華経教団に対するすべての反論を封じるところにあった証拠である、とボクは読む。

 

 そして、ボクはこれをかの書き手を侮って言っているのではなく、その目的のためにこれほどの法螺話を創作した彼は、やはりキレッ切れである、ということが言いたいのだ。

 

 善男子らよ、今、私は、ほんとうには入滅することがないのに、衆生にはまさに入滅すると説く。それはなぜかというに、善男子らよ、私はこの方法で衆生たちを教化しようとするからである。

 

 本章後半は上引用の書き出しに始まる。前述したように、如来の寿命は無始無終永遠不滅であるとする久遠実成説に対して、当然の如く最初に浮かぶ疑問、つまり「歴史上の釈迦は死んだではないか」との反問を先手を打って封じることが、書き手の真意であったろうと、ボクは読むのであるが、ひとまずは法華経教団の言い分に耳を傾けてみよう。

 

 私が入滅することがなく、はなはだ久しい間、この世に在住すれば、衆生たちはいつでも私に会うことができるから、善根を植えることをせず、福徳を失い、貧苦になり、欲楽に耽り、盲目となり、邪見の網におおわれ、如来はいつでも存在しておられると思い込んで、ほしいままの思いを生じ、如来には会いがたいという思いを起こすことがなく、また、私たちは如来のお近くにいると思い、三界の苦から脱れるための精進を起こすことがなく、そのために、願わくは、如来に会いがたいという思いを起こさないことがないように、と。

 

 冗長な物言いであるが、一言で要約すれば、釈迦が死なないと衆生が釈迦の存在に甘えてしまうので良くない、ということのようである。

 

 釈迦の権威に寄りかかって好き勝手なことを言ってきたオマエがそれを言うかという気がしないでもないが、無始無終永遠不滅であるはずの如来が入滅する理由付けとしては、納得できるかどうかはともかく、よく考えられた理屈ではある。

 

 しかし、この論理に従うと、人間としての寿命を80年で終えたとされる釈迦はともかくとして、比べるのも馬鹿らしくなるほどの長い寿命を持つとされた法華経前半で受記を得た如来たちの下の衆生は苦労が多そうである。あれ、同じく如来である彼らの寿命もまた、無始無終永遠不滅じゃないとおかしいんじゃないのか。これまた、久遠実成説に伴う矛盾の一つになる。

 

 それはともかくとして、「如来が入滅するのは衆生の教化のためである」とするこの考え方を敷衍すべく示されるのが、法華七喩の第七“良医病子”ということになる。例によっていささか冗長なので、趣意抜粋にて読み進めてみたい。

 

 まず、あらゆる病気を治癒させることのできる医師がいる、とされる。これが“良医”だ。かれにはたくさんの子供がいて、あるいは百人であるとしようと言われていて随分とお盛んなのであるが、彼が留守の間に、子供たちが誤って毒を飲んでしまう。これが“病子”ということになる。例によって、父である良医が釈迦を表象しており、対する病子が衆生に対応することは既にお気づきのことであろう。

 

 さて、毒で苦しみ悶える子供たちのところに良医が帰って来て、早速解毒のための薬を調合する。一部の子供は父を喜び迎え、素直に薬を飲んで苦しみを脱する。が、ほかの一部の子供は、父の帰宅は歓迎するものの、毒が効きすぎて意識が顛倒しており、本来は色も香りも味も好ましい与えられた薬を、好ましくないものと誤認して飲むことがなく、苦しみ続ける。

 

 そこで良医は考える。

 

 彼らはこのたいへん素晴らしい良薬を飲まず、それなのに私を喜び迎えている。私は今、この子供たちに巧みな方便を用いて、この良薬を服用させよう。

 

 法華経を貫くキーワード“巧みな方便”がここに登場した。どうにもこの流れは、第三章の三車火宅(さんしゃかたく)の譬喩に見える、悠長な作り話が想起されてなんだか嫌な予感もするのであるが……ともかく、良医の方便を承ろう。

 

 よい子たちよ、私は年老い、老い衰え、衰弱している。そして、私には死の時が近づいている。しかし、子供たちよ、お前たちは悲しんではならない。落胆してはいけない。私はお前たちにこのたいへんすぐれた良薬をここに置く。もし欲し求めるならば、この薬を服用しなさい。

 

 んなこと言う暇で無理矢理飲ませろよ!

 

 いや、失敬。きっとこの薬は自ら欲し求めなければ効かない、そういう薬なのである。というか、これは冗談で言っているのではなく、後で効いてくる伏線にもなっている。

 

 ともかく、良医は上引用の言葉を残して他国へ旅立ち、そこから子供たちに偽りの手紙を書いて「父は死んだ」と知らせるのであった。この手紙を受け取った良薬を飲まなかった子供たちは、間断なく悲しみに悩まされることによって、その顛倒した意識が正しい意識になり、ついに父の良薬を飲む。

 

 彼らは服用して、彼の病毒から救われるであろう。

 

 ちなみに、この部分が妙法蓮華経では即取服之(そくしゅぶくし)毒病皆愈(どくびょうかいゆ)となっていて、これが以前に少し触れた(第15話)江戸の日蓮宗寺院で流行った病除けの御札の文言の由来となる。ご覧の通り、由来の物語と病気の快癒とは直接には関係がない。なお、この御札には薬王(やくおう)菩薩の姿絵とされるものが描かれることが多かったそうだが、薬王菩薩も薬とはまったく関係がない。

 

 閑話休題。ここで譬喩物語は終わり、釈迦はどこかで聞いたような気がする台詞を口にする。

 

 善男子らよ、そなたたちはそのことをどのように思うであろうか。かの医師がその巧みな方便を用いたことについて、誰か、それは虚言であると挑発するであろうか。

 

 これに、対する諸菩薩……ここでは明示されないが、当然その筆頭に弥勒菩薩が想定されている……が、世尊よ、そのようなことはありません、善逝よ、そのようなことはありませんと応じるのであるが、これまた三車火宅の譬喩そのまま、であり、良医病子がそのセルフパロディになっていることがわかる。

 

 さて。

 

 ボクも本章の釈迦……クドいが何度でも言う、歴史上の釈迦ではなく、本章のキレッ切れな書き手の代弁者である……にならって、読者諸兄に対し、

 

 善男子らよ、そなたたちはそのことをどのように思うであろうか。かの釈迦がその巧みな譬喩を用いたことについて、誰か、それは妄言であると挑発するであろうか。

 

と問うてみたい気分なのだが、まぁ、それはともかくとして。

 

 百歩譲って言わんとすることはわかるとして、久遠実成などという大仰なことを断言した次下で言うことがソレか、的なチグハグ感は否めない。そして、我田引水ではあるけれども、久遠実成の主張それ自体には書き手の真意はなく、ただそれを以って法華経教団に対する反論可能性を封じることこそが真の目的である、とするボクの読みを前提に考えると、そのチグハグ感がいささか和らぐように思えはしないだろうか。

 

 本章の長行部分はここで終わり、以下、章末までがかの有名(ご存知ですか?)な“自我偈”になっている。ここまで本連載では、同趣旨を繰り返す偈の詳読は割愛してきたのであるが、特に有名な偈文であることでもあるし、それ以上に、後世に影響を与えた章句も散見されるので検討を加えてみたい。

 

 

                    *

 

 

 法華経第十五章“如来の寿命の長さ”の末尾部分は、後世に“自我偈(じがげ)”と呼ばれることになる、妙法蓮華経ベースで百二句五百十文字から成る偈になっている。この呼称は、同じく妙法蓮華経如来寿量品第十六の当該部が、自我得仏来(じがとくぶつらい)、すなわち、私は無上の覚りを得、それより以来……の句で始まることに由来する。

 

 天台法華教学は殊の外この偈を重視しており、今日においても法華信仰者の中では、法華経の他の部分には馴染みがなくともこの偈だけは読誦する、という人も少なくない。また、天台法華系宗派に限らず、葬儀における読経にこの偈が用いられることも多いと聞く。

 

 今回はこの自我偈を詳細に読んでみたい。まず、いきなりであるが、結句を先に確認しておこうと思う。

 

妙法蓮華経:

 毎自作是念(まいじさぜねん) 以何令衆生(いがりょうしゅじょう) 得入無上道(とくにゅうむじょうどう) 速成就仏身(そぅじょうじゅぶっしん)

 

中村師訳:

 どのようにして彼らのすべてを菩提に近づかせるか、どのようにして、仏陀の特質を得させるか、思いをめぐらし、衆生たちのために、それぞれに適切な教えを語るのである。

 

 詳読に先立ってこの部分に注目したのは、本章においても、法華経教団第一期のセントラルドグマであった“如我等無異(にょがとうむい)”が継承されていることを確認しておくためである。

 

 ここまで読んできたように、本章において第二期の書き手は、如来の寿命は無始無終永遠不滅であり、にもかかわらず釈迦が死んだのは、その死すらも方便として用い衆生を導くためである、と主張している。同時に彼は、釈迦の衆生の導きの究極的な目的は、衆生をして釈迦と等しくして異なることを無からしめることである、と信じていることになる。

 

 仮にその通りであるとすれば、その釈迦の願いが成就すれば、たとえばボクが如来になる、ということになるが、本章の主張によれば、如来は無始無終永遠不滅なのであるから、釈迦の導きがあろうがなかろうが、如来であるボクは無始無終永遠不滅に如来であったし今後もそうだ、ということになってしまう。

 

 はて、これはどういうことなのか?

 

 自我偈は、冒頭に示した書き出しに始まり、概ねここまでの長行部分と同趣旨のこと、つまり、釈迦が仏を得てこのかた無限の時間が経過しており、にもかかわらず歴史上の釈迦が死んだのは、方便現涅槃(ほうべんげんねはん)、すなわち、衆生を導く方便として涅槃=死を現じたのだ、と続く。が、顛倒した知性の愚かな人々は、私がここにいるのを見ないと語るあたりから、長行部分とは少し主張が変化してくる。

 

妙法蓮華経:

 一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ) 不自惜身命(ふじしゃくしんみょう) 時我及衆僧(じがぎゅうしゅうそう) 倶出霊鷲山(くしゅつりょうじゅせん)

 

中村師訳:

 それらの衆生たちが純真な真心で、優しく、柔和になり、[一心に仏を見たいと欲し]、身体をも惜しまなくなったとき、私は、弟子の僧団とともに、霊鷲山に自らの姿を現わす。

([ ]内は引用者が妙法蓮華経の意を汲んで補った)

 

 ここで言われているのは、続く妙法蓮華経の句で言えば常在此不滅(じょうざいしふめつ)、つまり、常にここに在って入滅しないと要約することができようが、釈迦の死は方便であるがゆえに、衆生の側が一心欲見仏しさえすれば、釈迦=仏陀は出現するのである、との言明になっている。

 

 私見であるが、これは前段の良医病子の譬喩の読解において「きっとこの薬は自ら欲し求めなければ効かない、そういう薬なのである」と述べたことと繋がっている。同時にこれは、第二章(第3話)に見えた四仏知見(しぶつちけん)開示悟入(かいじごにゅう)においても、衆生側の自発性が前提されていたことにも通じる。思うに、このことと、前述した「我々衆生自身もまた無始無終永遠不滅の如来である」と解せざるを得ない本章の論理、この二つが日蓮の法門に大きな影響を与えている。

 

 日蓮が、一切の万民、皆、頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし(撰時抄)と主張したのは、直接的には法華経第二十一章の一節に依拠したものと思われるが、その唱題に際しての信徒が向かい合うところの本尊、すなわち十界曼荼羅の中央に、釈迦如来でも多宝如来でもなく「南無妙法蓮華経日蓮」と揮毫したのは、彼自身の言葉としては明示されていないものの、本章のこの部分に依るのではないか、とボクは考える。

 

 つまり、十界曼荼羅に向かって唱題する行為は、すなわち一心欲見仏なのであり、見ようと欲する仏は久遠の釈迦であると同時に、その釈迦に異なることを無からしめんと望まれた我々自身でもあるがゆえに、南無釈迦牟尼仏ではなく、そのことを我々の伝えた妙法蓮華経と日蓮に南無するのだ、という論理である。日蓮主観においてはその結果として釈迦、すなわち如来が倶出霊鷲山することは必然であり、それは、我々自身が如来となって霊鷲山において法華経を講じる、すなわち、自らもまた釈迦に続いて他者の成道を導く者となる、ということを意味するのである。

 

 この視点から見る限りにおいて、日蓮宗過激派が奉じるところの日蓮本仏論は、日蓮本人がどう思うかはともかくとして、必ずしも法華経理解の枠組みを逸脱したものとは言えない。但しこの場合、日蓮が本仏なのであれば、それを信じようが信じまいが、他のすべての人もまた本仏である、ということになろうけれども。

 

 が、以上のことを、本章書き手たる法華経教団自身がそう考えていたか、と問えば、これはまったく別の問題となる。

 

 彼らが、後世の天台大師、日蓮の登場を予期できたはずもないが、彼らに限らず後世の人々が本章、ひいては法華経全体をどのように受容するか、については、十分想像は可能であったはずである。もし法華経教団自身に、開示悟入+久遠実成が、日蓮が信じたようなヴィジョンを含意することに自覚があったのであれば、それが具体的にどのようなものになるにせよ、たとえば自我偈の以降の部分に「ゆえに、今この場(虚空会)にいる者、また、私の滅後にこのことを伝え聞く者、すべてが私同様に久遠の仏陀なのであり、この教説を以ってそのことを思い出せ、確信せよ」的な言説があって然りではないか、とボクなどは思うのであるが。

 

 実際には、自我偈はこの後、如来の素晴らしさを粉飾する語句がしばらく続いたのち、良医病子の譬喩の要約を挟んで、先に示した結句に至ってしまう。

 

 また、以降の法華経の章についていえば、続章となる第十六章については次話に譲るが、つまるところ法華経第三期の章はこれまで繰り返し述べてきたように、ここまでの法華経の落ち穂拾いと、言葉は悪いが組織防衛を目的としたとしか思えない近視眼的な教説を垂れ流すのみである。

 

 従って、本章の書き手、さらには法華経教団は、本章が含意し、後の日蓮が読み取ったそれに自覚がなかった、と断言して良いと思う。“法華経の正しい読み”が、国語の筆記試験よろしく「書き手の意図を読み取りなさい」なのであれば、日蓮は間違っている。が、これほど浅薄な議論もないのであって、要するにこれもまた、法華経教団が自覚のないままに法華経の章句に埋め込んだ“衣裏繋珠(えりけいじゅ)”(第9話参照)なのである。これが“文底秘沈(もんていひちん)”だ、と言うのであれば、そうなのかも知れない。

 

 そして、我ながらクドいな、と思いつつ、それでも重要なことであるように思うので敢えて明らかにしておきたいが、ボクは「この衣裏繋珠ないし文底秘沈を見出した日蓮は正しい」と言っているのではない。ボクが彼を少なからず敬慕するのは、日蓮が法華経本章からコレを発見することにより、結果的に少なからぬ後世の人々を動かしたこと、の方である。たとえば、既に触れた宮沢賢治も石原莞爾も北一輝も、その功罪はさておき、日蓮がいなければ歴史に名を残すことはなかったかも知れない。彼ら(だけではないが)に善悪いずれにせよ、歴史に名を残す仕事を為し得る熱量を与えた、その一点のみを以って、ボクは日蓮を敬慕するのである。

 

 何が言いたいのかと言うと、ボクは、自身が以上のような意味において日蓮ファンであるがゆえに「絶対に正しい法華経を、絶対に正しく読んだ日蓮を、信じている私は絶対に正しい」みたいな顔をしている自称法華経信者各種詰め合わせが反吐が出るほど嫌いなのである。これは、真偽善悪の話ではない。とにかく、ボクはそういう連中が大嫌いなのだ。

 

 が、これを嫌いであるからといって、愚か者であるとして切断操作するのであれば、対立声聞衆を愚か者よ臆病者よと内輪で揶揄するばかりだった法華経教団と同じ轍を踏むことになってしまうので、まぁ、既にかなりヒドいことを書いているので、ボクが想定するそういう人は既にブラウザを閉じて続きを読んでもらえてはいないと思うのであるが、法華経自身がだれか一人に対してであっても説け、と言っていることでもあるから、敢えて以下のことを書き遺しておこうと思う。

 

 自称法華経の行者諸兄に申し上げたい。

 

「釈迦は永遠の仏陀であり、それを信じる者もまた永遠の仏陀である」との命題が正しいものとなるのは、他ならぬあなた自身が如来を現じた場合のみであり、法華経の釈迦と日蓮があなたに望んだのは、まさにそのことである。釈迦を、法華経を、日蓮を、いくら信じても拝んでも如来にはなれない。釈迦も、法華経も、日蓮も、単独ではまったく正しくない。あなたが如来になったとき、はじめて釈迦と法華経と日蓮が正しかったことになるのであり、信仰とは、その責任を自覚的に背負い込むことによって自身の為し得ることすべてを為すこと、をいうのである、と。

 

 まぁ、これは法華信仰に限った話ではなく、あらゆる教条的、原理主義的傾向を有する信仰……宗教とも限らない……すべてに対して、の話かも知れないし、上に書いたような戯れ言で通じるものなら、世の中、何の苦労もないんだけどね。

 

 以上を以って、法華経第十五章“如来の寿命の長さ”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第24話 自家中毒……第十六章“福徳の分別”

 ここまで、第十四章“菩薩の大地からの出現”、第十五章“如来の寿命の長さ”を通して読んで来た。

 

 後世において、まさに天台法華教学の中核となったこれらの章であるが、ここまで述べてきたように、これらの章の書き手自身としては(1)法華経教団の布教活動を聖別すること、(2)法華経教団に対する批判を封じ込めること、が直接の創作の動機であろう、という論を展開してきた。さて、ここに彼らはどのような落とし前をつけたのか。これを法華経第十六章“福徳の分別”(妙法蓮華経分別功徳品(ぶんべつくどくほん)第十七)から読み取るのが今話の課題となる。

 

 結論から言うと、どうも法華経第二期の書き手は、第十四〜五章を書き進めるうちに……厳密には口述するうちに、とすべきか……自分たちの言っていることに酔ってしまったように見える。

 

 

                    *

 

 

 この「如来の寿命の長さ」の教えが説き明かされているときに、量り知れず、数えきれない衆生たちは利益を得たのであった。

 

 本章は上引用の書き出しに始まる。法華経が、我が国において宗派毎に温度差はあるにせよ概ね仏教随一の経典として崇敬を受けると同時に、それを信じない人たちからは「自画自賛ばかりの中身のない経典」と批判されてきたことは繰り返し述べている通りであるが、まさにこの書き出しは自画自賛の最たるものであろう。以下、

 

 ときに、阿逸多(あいった)よ、この如来の寿命の長さを説く法門が解き明かされているときに、六十八恒河沙(こうがしゃ)にも等しい百千億那由他(なゆた)の菩薩たちが、一切のものは不生不滅であるという法そのものを会得し、確信することを得た。

 

と、例によって弥勒菩薩にその断言を追認させる記述を皮切りに、計十二の如来の寿命の長さを説く法門を聞くことによって得られる効用が列挙されるのであるが、得た、得たと繰り返されるばかりで、肝心のその得たものに関する説明は一切ない。中には百千万億那由他回も回転する陀羅尼を得たなどというものもあるが、いったいどんなダーラニーなのだろうか。見てみたいような、見たくないような。

 

 とにかく、前章“如来の寿命の長さ”を聞くこと、それ自体が素晴らしいことなのだ、ということが強調されるのである。

 

 さらに、この「“如来の寿命の長さ”を聞くこと、それ自体が素晴らしいこと」という釈迦の言明を聖別すべく、種々の奇瑞が起こる。曼荼羅華の雨が降り注ぎ、栴檀や沈水香(いずれも高価な香木)の粉が降り注ぎ、ひとりでに美しい太鼓の音が鳴り響き、天の衣や宝石が降ってきた、とされるのであるが、ここまでされると返って白々しい気分になってしまうのはボクだけだろうか。

 

 続けて、弥勒菩薩が偈で以って、ここまでの内容を彼視点で賞賛しつつ詠う。これで本章のほぼ半分を浪費している。さらに、ここまでにも多くの法華経の章において見られた、非常に大袈裟で尊い行為のように思われることが引き合いにだされ、それは福徳に優れたことではあるけれども、“如来の寿命の長さ”を聞くことと比べれば百分の一にも及ばない。千分の一にも、百千分の一にも、百千億分の一にも、百千億那由他分の一にも及ばないとする、どこかで見たような修辞(第22話)が現れる。

 

 法華経に対する「自画自賛ばかりの中身のない経典」との非難は、決して故なきことではないのだ。

 

 本章が面白くなってくるのは、件の“如来の寿命の長さ”を聞くことと他の尊い行為を比較する下りを釈迦が偈で以って繰り返したその後、からとなる。

 

 阿逸多よ、善男子(ぜんなんし)あるいは善女人(ぜんにょにん)でも、この“如来の寿命の長さ”の教えという法門を聞いて、深い願いをもって信受するならば、その深い願いの結果を知るべきである。すなわち、その人は、私が霊鷲山(りょうじゅせん)に在って菩薩の衆にかこまれ、菩薩の衆に恭敬され、声聞の僧団の中にあって法を説いているのを見るであろう。また、この私の仏国土である娑婆世界(しゃばせかい)は瑠璃からなり、平坦で、黄金の意図で八道を界し、宝樹の楼閣で暮らしているのを見るであろう。

(下線は引用者による)

 

 上引用の下線部は、前章の自我偈の中の一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ)の下りの内容そのままである。次下の部分、すなわち、この娑婆世界が授記等に際して示される他仏国土の様子と同じになる、とする部分も、対応する箇所が自我偈にある。

 

 後世の天台法華教学ではこれを“娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)”と呼び、特に日蓮が、西方極楽浄土への往生を説いた法然を毛嫌いしたのは、直接的にはこの教説に由来すると考えてよい。日蓮の立場からすれば、“如来の寿命の長さ”を信受する者は我々が生きるこの世界の真の姿が寂光土であることを知るのであるから、他国土への往生など顧慮する必要はない、ということになり、法然の立場からすれば、難信難解(なんしんなんげ)の法華経は末法の衆生には信受しようもないし、我々自身が地涌の菩薩であろうはずがないから、ただただ阿弥陀如来の慈悲に縋るのみである、ということになるワケだ。

 

 さて、ではこれを書いた本人たちはどう考えていたのだろう、と疑問に思うのであるが、既に述べたように、法華経教団第二期の書き手の意図としては、第一義的には久遠実成(くおんじつじょう)を示すことにより、彼らに対するあらゆる反論可能性を封じることに目的があったと考えられ、自我偈に“文底秘沈(もんていひちん)”されたところの諸々の含意はその副産物であって、少なくとも第十五章を論述している時点の彼ら自身にその自覚はなかっただろう、とボクは考えているのであるが、こうして本章においてコレが繰り返し言われるところをみると、彼ら自身が言っているうちにその気になってきたのではないか、という感じもするのである。

 

 これが本稿冒頭において「自分たちの言っていることに酔ってしまったように見える」と述べた所以なのであるが、次下にもそれを匂わせる論述が見られる。

 

 阿逸多よ、その善男子あるいは善女人は、私のために塔を作ったり、僧坊を建てたりする必要はなく、衆僧に病気を癒やす医薬や日用の器具を施与する必要もない。

 

 なかなか思い切った発言である。阿逸多との弥勒菩薩に対する呼びかけからわかるように、これは釈迦の発言としてなされているものだが、釈迦の言葉で以って「法華経教団のために建物も日用品も提供しなくてよい」と言っているのであるから、流石に食料品について同趣旨の言及がないのはご愛嬌としても、自ら汗して働くことのない出家者集団としては、この論述は有り体に言って自殺行為である。

 

 おそらく背景には、当時の社会において、法華経教団に限らず出家者集団の擁する仏舎利塔や僧院の維持費用、日用品の提供が、在家社会にとって結構な負担になっていた、というのもあるだろうと思うのであるが、“如来の寿命の長さ”を信受する者はそれをしなくてよい、と言い切るのであるから、これはちょっと単なるリップサービスには留まらない物言いなのである。そして、同趣旨の論述が章末までの間に偈も含めて計三回繰り返される。

 

 本章末尾においては、

 

 そこには、導師である仏陀・世尊のために、美しく輝く人中の最尊の塔を造り、また、そこで種々の供養を行なうべきである。

 

との、一見矛盾することが言われるのであるが、続く結句は、

 

 かの仏陀の息子が住まう大地、私はそれを受用し、私は自らそこで経行し、そこに私は坐すであろう。

 

となっていて、これは自我偈の時我及衆僧(じがぎゅうしゅうそう)倶出霊鷲山(くしゅつりょうじゅせん)と対応したものと読めるから、前句で言われる美しく輝く人中の最尊の塔というのは、建造物として寄進される塔寺のことを言っているのではなく、かの日蓮が、当初は対立する念仏信者でありながら日蓮の門弟となり、佐渡流罪中の彼を献身的に支えた阿仏坊なる人物に捧げた言葉、

 

 阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房

(阿仏坊御書)

 

に見られるような、地涌(じゆ)の菩薩を体現したような人、のことを指していたのは疑いなかろう。

 

 つまり、本章の書き手は、自分が生み出した“如来の寿命の長さ”の出来栄えに酔いしれる余り、それを読み手・聞き手が信受してくれるのであれば、自分たちがシンボルとなる塔や住む場所や日用品の提供を受けられなくなっても構わない、と考えるに至ったのである、少なくとも本章を書いている時点においては。

 

 が、醒めない酔いはないのであって。

 

 流石にこれはマズい、ということになったのだと思うが、同じく第十四〜十六章の中で本来は言及されるべきであったのに、やはり酔いによってであろうか、失念された地涌の菩薩に対する付嘱をキャッチアップした第二十章において、「いや、やっぱり建てろ」と言っている(第16話)のには失笑するしかないのではあるが。

 

 また、これはボクの不勉強によるのかも知れないが、本章に依拠して「塔や寺院なんぞ建てんでもよい」と主張した仏教僧を聞いたことがないのも、何だかなー、な気分ではある。

 

 本章後半の論旨は、武田信玄ではないが「人は石垣、人は城」の信仰版なのであり、実にいいことを言っているし、実際、日蓮宗や浄土宗・浄土真宗がその最初期に教線を拡大し得たのも、当初の彼らが権門体制の外側にいたが故に、既存権門から課せられる負担にうんざりしていた民衆の支持を集めたというのが背景にあったように思うのである。思うのであるが、結局その彼らも、江戸時代には中世以来の権門と同じようなものになってしまうのであるから、浄土系はともかくとして、日蓮宗については、そこまで法華経に従わんでもいいんじゃね、な気がしないでもない。

 

 

                    *

 

 

 以上ここまで、一連の伏線を有する物語として読むことできる、法華経第十四章“菩薩の大地からの出現”、第十五章“如来の寿命の長さ”、第十六章“福徳の分別”を通読してきた。後世、天台法華教学のセントラルドグマとなったこの部分を読み終えた今、改めて法華経全体におけるその意味合いを考えてみたいと思う。

 

 今日、天台法華教学から発して大乗非仏説へソフトランディングしようとする試み……まぁ、不躾ながらかく言うボクもその流れの中にいるのだろう……として「法華経は紀元初頭における仏教の民衆的な改革運動であった」とする言説をしばしば耳にする。粗雑な表現になるが、大乗非仏説ベースの市販の法華経入門書は概ね口を揃えてそう言っている、といってよかろう。

 

 ここまで読んで来たように、第二章を中心とする法華経第一期の主張は、概ね当時の仏教権威を独占していた声聞衆に対する若手出家者の造反劇と読むことができるし、今回見てきた第二期の主張は、地涌の菩薩に表象される使命を自覚した草莽の士こそが仏教を継承するのであり、それを永遠の釈迦が保証するのである、とする立論になっているから、確かにそのような一面がないとは言えない、とは思うのである。

 

 が。

 

 それは現代から振り返って見るからそう思えるのであって、当事者たちにとっても自覚的にそうであったか、と問えば、それは違うんじゃないか、とも思うのであって、これはプロテスタントを生んだ西欧のキリスト教宗教改革が、そこにキリスト教思想が果たした明暗両面の役割は認めつつも、実質としては西欧社会の権威権力の再編成劇であった、という話に通じているのであって、無自覚の護教精神で以ってその歴史を美化してしまうと、その修正主義は必ず意図しない好ましからざる副作用を招くのである。

 

 特に今日の我が国においては、それがそのものズバリであるかはともかくとして、天台法華教学の徒は実体として政治権力をも左右し得る勢力であることは、その善悪良否の評価はさておき認めざるを得ない事実なのであるから、まぁ、冗談の合間に人生をやっているボクのような人間が言うと説得力を欠くことは百も承知の上で、結構これは深刻な問題だと思うのだ、いや、マジで。

 

 もう少し具体的に言えば、法華経成立史を「仏教の民衆的な改革運動」などという美辞麗句で飾ることは百害あって一利もないのであって、今日の我々はこれを、それが少なからぬ人々の信仰の対象である、ということを一旦棚上げして、同時に、「何を馬鹿なことを」とミもフタもない切断操作をしてしまう衝動もグッと堪えて、たとえば、愚かさも賢さも兼ね備えた人間の集団として法華経教団を捉えた上で、なぜ彼らはこのように主張せざるを得なかったのか、他のやり方はあり得なかったのか、もう少しうまくやれなかったのか、という視線を送り、そこから今日的な教訓を引き出すべきであろう、とボクなどは思う次第なのである。

 

 そこで、第一に考えてみたいのは、地涌の菩薩論の功罪である。

 

 法華経第一期の譬喩を総覧するに、そもそも内在した反知性主義のツケとして、彼らの論理論述能力が相対的にあまり高くなかったのは明らかであり、一方で、出自教団から破門され、かつ、種々の論難を受けていた彼らが、それでも自分たちの運動を自立継続させていくために、「我こそは釈迦より付嘱を受けし地涌の菩薩なり」という自意識を持つのが有効な手立てであったことは認めたい。

 

 また、後に日蓮が我日本の柱とならむ……(開目抄)と誓い、その良し悪しはともかくとして、この世のすべてを自ら背負い込む境地へと至り、宮沢賢治や石原莞爾や北一輝に三人三様にその後を追わせたのも、元を糾せば法華経が説いた地涌の菩薩に銘々が自身を重ね合わせた結果と言えるだろう。

 

 今日的なドライな価値観からすると、この人たちの恩着せがましい暑苦しさは「ウザい」の一言で斬って捨てられるものであるかも知れない。が、事実、彼らは歴史に残る仕事をしたのであり、そのエネルギーを引き出したのが法華経であるとすれば……と言うか、確実にそうなのだが……法華経というテキストには、書き手が思っていた以上の力があった、ということになろう。

 

 が、既に上に例示したメンバーの中にも、地涌の菩薩の論理が孕む弊害を現じている人たちがいるのであって、一言で言ってしまえばそれはある種の“選民思想”ということになろうかと思うが、そもそもの地涌の菩薩の言説が、法華経教団が自分たちを対立声聞衆に対して聖別するために為されたものであったが故に、その思考様式もまた、受け手の個性によって発現の様態は様々ではあるものの、大なり小なり伝播しているのである。

 

 念のために補足しておくが、選民思想自体は、ボクは絶対悪だとは思わないのである。ある個人が、自身は聖別を受けた特別な存在であると信じ、使命感を以って何かに挑み、また、同じ使命感を余人と分かち合おうとする限りにおいては。が、石原や北の例を思えば、それは、自分以外の他者を手段化し、聖別された自分だけが特別な権威・権力を得る資格を持っているのだ、という思考の陥穽と表裏一体なのである。選民思想からエネルギーを取り出すに際しては、何らかの安全装置がなければならない。

 

 そこで第二に考えねばならないのが、この地涌の菩薩と対になっている久遠実成説である。

 

 結果的にはこの久遠実成が、天台法華教学における法の歴史的普遍性の裏付けと見做されたのであるが、繰り返し述べてきたように、これを書いた本人にとっては、対立声聞衆からたちまちに論難し難い観念上の防壁となればそれで十分だったのであって、必ずしも後世に評価されたようなところまでを法華経教団が考えていたとは思えない。実際、第十八章以降の法華経第三期からは、そこから派生して然りなビジョンは何も抽出できなかった。

 

 が、法華経教団がまったくそれを考えていなかったか、ということそこはまた少し違って、彼らは“妙なる白蓮華の法門”という名を、自分たちが創作した聖典の名としてのみならず、三千大千世界に過去・未来を通じて普遍的に内在する究極の真理の名としても用いていた。少なくとも今日伝わるテキストの文字上の解釈としてはそのように考えることが出来る。

 

 これは要するに、この世界、また見ることも知ることも出来ないが存在を想定することは出来る並行世界すべてを貫く共通の法則が存在して然りである、という信念であり、今日の我々は数学・物理学・天文学の成果を通してそれを当然と考えがちであるが、これは決して自明なことではなく、むしろ今日においても本質的には証明不可能な命題……今日突然、未知の万物理論に変更が加わって世界が消滅する、などということはないと、誰に断言できようか……である。法華経が書かれた当時としては、かなり先進的な着想であった、と評価して良いかも知れない。

 

 しかし、彼らは遂に、それが意味するところを自分たちの言葉では説明せぬままに終わった。無論これは時代的に、彼らにはそれ以上このアイデアを深く探求する手段がなかった、ということもあろうかとは思うが、むしろ敢えて指摘したいのは、彼らにその自覚があったか否かは定かでないが、結果的に彼らは、その先進的なアイデアの放つ聖性にもたれかかった、という事実である。

 

 つまり、彼らはそのアイデアが含意する“衣裏繋珠(えりけいじゅ)”を真面目に探索することよりは、その聖性を権威として振りかざして教団を維持する道を選んだ……よりソフトに、目下の生存問題に必死で、さらなる高みの可能性に気付けなかった、と言うべきかも知れないが……のである。そしてその可能性の探求は後の天台法華教学が引き継ぎ、一定の成果がなかったとは言わないが、やはり彼らもまた、法華経教団が振り切ることの出来なかった釈迦の権威へのもたれかかりから卒業することを得なかった。

 

 歴史にifはない、と巷に言われるが、この連載をここまでやってきて、いくつか、考えても詮無いことながら、頭の片隅から離れない着想がある。

 

 たとえば、もし地涌の菩薩が、釈迦からの付嘱の権威に依存する存在としてではなく、釈迦からは冷遇されるのだけれども、それでも我々は“妙なる白蓮華の法門”を自分たちの選択と意思でもって広めるのです、と誓う存在として描かれていたら……あるいは、常不軽菩薩が自身を非難する人々に対し、単に未来の成道を上から目線で予告する存在としてではなく、真正面から議論を戦わせて自身がより一歩前進できたことに対する感謝を論敵に捧げ、共に成道を果たす存在として描かれていたら……天台法華教学は今日我々が知るそれとは随分違っていただろうし、日蓮とその末流も異なる道を歩んでいたかも知れない。

 

 否、もし法華経がそうであったなら、などという仮定自体が、既に法華経の権威に対する寄りかかりを内包しているのであって、以上のような……あくまでも雑に素描したに過ぎないのではあるが……着想を与えてくれたことを法華経とその書き手たちに感謝しつつ、それを乗り越えた何かを見出していくのでなければ、法華経を読んだことにはならないのではないか、などと、つらつら思ってみたりもするワケである。

 

 まぁ、これは必ずしも法華経である必要はなくて、別に聖書でも古事記でも、ニーチェでもマルクスでもイーガンでも似たようなことは出来るだろうし、している人はたくさんいると思っていて、ボクはたまたま法華経に縁があったし好きなので素材にしているだけなのであるが、何が言いたいのかというと、これも他人に勧めるようなことでないのは百も承知ではあるのだが、読者諸兄にも、何に対してでもいいので、そういう視点を少しでも持って欲しいな、とは思ったりしているのである。少なくともボクは楽しいし、それなりに人生の役に立っているように勝手に思っているので。

 

 これは言い方を間違えると、本章……第十六章“福徳の分別”の轍を踏んで、中身のない自画自賛に陥るから難しいな、とも思うのではあるが、これもまた、反面教師としてではあるが、法華経から得られる教訓であるかも知れない。

 

 以上を以って、法華経第十六章“福徳の分別”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第25話 求められる献身……第二十二章“薬王菩薩の過去の修行”

 前話において、自ら創作した久遠実成の教説に感極まった法華経第二期の書き手が、支持者たちに対し「塔など作らんでいい、医薬品も日用品も要らん、諸君の信仰さえあれば」と、宗教で食っている人間とも思えぬ暴言(?)を放つのをみた。これが第十六章の話となる。

 

 今話で読んでいく法華経第二十二章“薬王菩薩の過去の修行”(妙法蓮華経薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三)を見ると、上記の放言が法華経第二期のキレッ切れの書き手の一時の気の迷いに過ぎず、第三期の書き手たちには継承されなかったことがよくわかる。むしろ、本章の書き手は、背景にどのような事情があったのかは知る由もないが、聞き手・読み手に対し、香と油の提供を求めているようにも読める。

 

 先に結論を言っておくと、少なくともボクの感性においては、本章は法華経中最も胸クソ悪い章になっている。その胸クソ悪い章が、法華経教団の創設メンバーを表象していると思しき薬王菩薩の因縁を通して語られる点が本章の見所、と言えるかも知れない。

 

 

                    *

 

 

 世尊よ、何ゆえに薬王菩薩摩訶薩は、この娑婆世界において遍歴遊行するのでしょうか。世尊よ、彼には百千億那由他の多くの難行があるのです。

 

 本章は、上引用に示した宿王華(しゅくおうけ)菩薩からの釈迦に対する問いかけから始まる。この宿王華菩薩は序章の出席簿にもその名が見えず、法華経全篇を通じて本章にのみ登場するキャラクタとなっている。意図するところは定かでないが、ボクの推理では、本章と序章の創作は同時期であった可能性が高く、それぞれに異なる人が当たっていたとすれば、これはある種の引き継ぎミスであったのかも知れない。

 

 出だしの問いからも想像されるように、本章は第二十四章“あまねく導き入れる門戸”(第2話)と同様、理想化された菩薩の振る舞いを通して、法華経教団が配下の比丘衆や支持者・信者に対し、あるべき姿を示す意図で以って書かれたものと考えられる。なお、観音経とは異なり本章には薬王菩薩本人は登場せず……観音様のアレを登場と見做すのであれば、の話だが……その過去世の因縁が釈迦から語られる体裁を採る。思うに、本章が書かれた時点で、法華経教団の創設メンバーであったと思われる薬王菩薩のモデルとなった人は、既に故人であったのだろう。

 

 では、釈迦を騙って語られるところの、薬王菩薩の過去世の因縁に耳を傾けてみよう。

 

 例によってそれは遠い昔、恒河沙にも等しい劫の過去世のことであるとされるが、そこに日月浄明徳(にちがつじょうみょうとく)如来なる仏陀がいた。この仏陀と、第十五章で論じられた久遠の仏陀の関係について、本章は何も語っていない。と言うか、本章に限らず法華経第三期の書き手はこの気宇壮大な観念にまったく触れておらず、先輩の遺した大言壮語を持て余していたようにも見える。

 

 さて、日月浄明徳如来には八十億の菩薩摩訶薩の大衆がおり、七十二恒河沙の声聞たちの衆が従っているとされる一方、その教えには女人がおらず、地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の衆もいなかったなどと、第八章につづき全女性を敵に回す物言いがなされているのはご愛嬌か。これは本章の書き手が、四人の地涌の菩薩の上首に表象された教団内派閥の中でも、比較的保守的なグループに属していることを反映している可能性もあろう。

 

 この菩薩衆の筆頭として、一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん)菩薩の名が挙げられる。彼が事実上の本章の主人公となる。そして、この一切衆生喜見菩薩を含むすべての大衆を前に、日月浄明徳如来はこの“妙なる教えの白蓮華の法門”を詳細に説かれたとサラリと書かれている。これまた例によって例の如く、過去仏の説いた法華経、というものになる。

 

 後世の天台法華経学が考えたように、久遠実成が真に法華経教団にとって最重要の教説であるならば、この時点で過去仏の説く法華経と久遠の仏陀の関係に何らかの言及がなされてもよさそうなものであるが、そういったものはまったくない。理由は明白で、本章書き手の関心がそういった抽象的な概念に対してではなく、追々わかってくるが、支持者から何を引き出すことが出来るかという具体的な物品に向かっているからだ。

 

 とまれ、一切衆生喜見菩薩は日月浄明徳如来の下で一万二千年に渡って修行を重ね、あらゆる身体を自由に現わす深い瞑想の境地に至ったのだそうだ。これに我を忘れ、喜悦し、快楽を生じた一切衆生喜見菩薩は、その瞑想を彼に与えた日月浄明徳如来と法華経に供養すべく、一計を案じる。

 

 神通力の变化を示し現わすことによって世尊を供養申し上げるとしても、このわが身を捨てて供養する功徳には遠く及ばないであろう。

 

 なんだか不穏な独白であるが、さにあらん。その日から十二年間、一切衆生喜見菩薩は沈香(じんこう)乳香(にゅうこう)薫陸(くんろく)の液を服し、瞻蔔(せんふく)の油を飲み続けたのだそうな。いずれも高価な香の名である。

 

 その十二年の歳月が過ぎ去ったのにち、、自らの身体に天衣を纏い、香油を注いで覚悟をした。自ら覚悟してから、如来を供養するために、“妙なる教えの白蓮華の法門”を供養するために、自らの身体を燈明として燃やした。

 

 阿呆か、と。

 

 いや、失敬。念のために補足しておくと、この「我が身を以って供養する」という類話は法華経に限らぬ仏典に散見される。有名なところでは、大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)施身聞偈(せしんもんげ)に説かれる雪山童子(せっせんどうじ)の物語がそれだ。法隆寺の玉虫厨子(たまむしずし)の図案に採用されていることからご存知の方もおいでかとは思うが、これは、釈迦がその前世においてヒマラヤ山中で修行していた際、山中で出会った羅刹(らせつ)がつぶやいた偈に感銘を受け、残り半分を聞き出すために我が身を捧げる話である。偈を聞き出した雪山童子は、これを後世に遺すために岩に刻んだ後、約束通り我が身を喰らえ、と、羅刹の口の中へ飛び込むが、その瞬間、羅刹が帝釈天(たいしゃくてん)に姿を転じ、童子の求法の志を試みるために羅刹を演じたのだと詫びて帰依を誓ったことになっている。

 

 この施身聞偈に代表される物語は、概ね共通して「法を得るために命を懸ける」という構造が見られ、現代的な感性からは少なからぬ違和感を覚えるものの、言わんとするところは理解できるものである。対して、本章の一切衆生喜見菩薩の逸話は、まったく何の役にも立っていない捨身の物語だ。一切衆生喜見菩薩摩訶薩の身体の燈明による光と炎は、八十恒河沙にも等しいもろもろの世界をあまねく照らしたとあるが、照明したいのであれば香油を飲まずに灯せばよかったのである。灯す芯がなかったのなら、こよりでも撚れば済む話ではないか。

 

 しかして、本章の釈迦はこの愚行を褒め称える。厳密には、過去世における八十恒河沙にも等しいすべての仏陀・世尊が賞賛した、と説く。

 

 素晴らしいことである、まことに素晴らしいことである。善男子よ、実にそなたは有徳のものである。善男子よ、これこそが菩薩摩訶薩たちの真実の精進の発露である。これが如来に対する真実の供養であり、法に対する供養である。

 

 要するにこれは、法華経教団が無分別な献身を支持者・信者に求めているに他ならないのであって、これをボクは「胸クソ悪い」と評するのであるが、本章の書き手がこのような妄言を吐くのは好き勝手にしてもらえばよいし、いちいち真に受ける必要もまったくないのであるが、今日においてもしばしば“捨身供養(しゃしんくよう)”などと称して灯油を被って焼身自殺する仏教者が少なからず存在することを思えば、笑ってばかりもいられない。間違いなく、本章のこの物語は、そうした愚行の源流の一つとなるものだからである。

 

 視線を本章の続きへ戻そう。

 

 千二百年間燃え続けた一切衆生喜見菩薩はついに消滅し、転生して浄徳王の家に生まれる。ここで言われる浄徳王と、同じく薬王菩薩の前世譚が説かれる第二十五章(第14話)の浄徳王妃の関係は不明だが、生まれてすぐに彼が出家を宣言する下りは、浄蔵・浄眼の物語との共通性を感じさせる。

 

 それはともかく、転生した彼は日月浄明徳如来に再会……かの如来は四万二千劫ほど寿命があったそうな……し、今度は如来の入滅に立ち会うことになる。日月浄明徳如来は入滅に先立ち、何を思ってか、

 

 そなた自ら私の舎利を広く供養すべきであり、また、それらの舎利を流布すべきである。幾千もの多くの仏塔を建立すべきである。

 

と、第十章、第十六章における仏舎利信仰、塔建立の否定とは明らかに矛盾することを言い遺す。これを受けて一切衆生喜見菩薩は八万四千の塔を建立、その高さは梵天の世界に達したとされるのであるが、同菩薩はそれでは飽きたらず、

 

 私はかの世尊の日月浄明徳如来の舎利を供養した。しかし私はこれよりさらに最上のすぐれた如来の舎利に対する供養を行おう。

 

と宣言、何をするのかと思いきや、八万四千の塔の前に座して自らの臂を燃やす。

 

 はぁ?

 

 彼の臂は七万二千年に渡って燃え続け、ついに失われる。このとき、彼に導かれた大衆たちが嘆き悲しむ。

 

 この一切衆生喜見菩薩摩訶薩は、私たちの師であり、指導者である。彼の身体は今やことごとくそなわっておらず、臂を失ってしまわれた。

 

 思うにこの発言は、徳を備えた仏菩薩は全き健常な肉体を備えているべきである、とする観念が前提されているようである。考え方によっては暗黙のうちに不具者差別が含意されてしまっているのだが、書き手にはその自覚がないようだ。

 

 対して、一切衆生喜見菩薩は嘆き悲しむ大衆を戒め、

 

 誠心誠意をもって、誓言をもって、私自らの臂を如来にを供養するために喜捨するならば、私の身体は金色となるであろう。そのように、誠実によって、誓言によって、私のこの臂がもとのようになりますように。そして、この大地も六種に振動し、空中におられる天使たちも、大きな花の雨を降らせてもらいたい。

 

と述べる。果たせるかな、三千大千世界は六種に振動し、上空から大きな花の雨が降りそそぎ一切衆生喜見菩薩の臂が元通りになった。本章の釈迦はこれを、

 

 かの菩薩摩訶薩が智慧の力を得ていること、福徳の力をそなえていたことによるのである。

 

と断言するのであるが、どう考えてもこれは、今日の欲深い自称宗教者が「神仏に捧げた以上のものが戻ってくるのだから何も惜しむことはない」と寄進を煽るのと、本質的には同じであるように思われる。ここでもまた我々は、こうしたメソッドが二千年も前から存在することに驚かされるのである。

 

 ここに至って、釈迦はこの物語の真意……まぁ、もう予測可能かとは思うが……を明かす。すなわち、かの一切衆生喜見菩薩は、薬王菩薩の前世の姿なのである、と。毎度のことながら、宿王華菩薩が問うたところの、何ゆえに薬王菩薩摩訶薩は、この娑婆世界において遍歴遊行するのでしょうかに対する答えになっていないようにも思うのではあるが、そもそも本章の書き手の関心はそこにはないのだろう。

 

 法華経第二十二章“薬王菩薩の過去の修行”の後半部は、その章題に反して薬王菩薩とは最早関係のない論述で占められている。もっとも、薬王菩薩が法華経第一期の創設メンバーを表象している、と考える本連載の読みに沿って考えれば、これとて決して不自然なことではない。

 

 ここから本章の釈迦……クドいが言う、法華経教団を代弁する傀儡である……は、延々と自画自賛を続けることになる。すなわち、様々な譬喩を用いて、法華経があらゆる経典のなかでも第一である、との言明を繰り返す。以下にザッとピックアップしてみよう。

 

(1) 泉、川、湖のなかで大海が第一であるように

 

(2) すべての山の中で須弥山が第一であるように

 

(3) あらゆる星座の中で月が第一であるように

 

(4) 日の光があらゆる暗闇を除くように

 

(5) 王の中で転輪聖王が第一であるように

 

(6) 三十三天の中で帝釈天が神々の主であるように

 

(7) 梵天の中で大梵天王が父であるように

 

(8) 独覚が無智の者や凡夫たちを卓越しているように

 

(9) 菩薩が声聞や独覚たちの中で第一とされるように

 

(10) 如来がすべての声聞・独覚・菩薩に対して仏法の王であるように

 

 余談になるが、後に天台法華教学において“十種の称揚”と呼ばれることになる上記のうち、(5)は妙法蓮華経のみにあって原典写本、他漢訳には対応部分がなく、後続する“十二の利益”から重用したものらしい。ちなみに転輪聖王(てんりんじょうおう)とは、古代インドにおける観念上の皇帝である。我が国では、各地域の実質支配者を実在の人間である天皇の権威が裏付けるシステムが近代まで続いたが、かの国では、その権威が転輪聖王と呼ばれる架空の存在に求められた。

 

 とまれ、以上の称揚は、書き手の自ら依って立つところ=法華経への思い入れの強さこそ伝えているものの、法華経が諸経に対して第一である、とする命題を何ら立証しているものではない。

 

 続けて、前述した十二の利益が語られるのであるが、法華経とは何であるかについて、以下の十二の喩えで以って示される。

 

(a) 渇き苦しむ人にとっての清涼な池

 

(b) 寒さにふるえる人にとっての温暖

 

(c) 裸のものにとっての衣服

 

(d) 商人にとっての商主

 

(e) 子どもにとっての母親

 

(f) 渡航するものにとっての船

 

(g) 病人にとっての医師

 

(h) 闇の中にいる人にとっての灯火

 

(i) 富を求める人にとっての宝

 

(j) 小国王にとっての転輪聖王

 

(k) 河川にとっての海

 

(l) あらゆる暗黒を除く炬火

 

 (1)〜(10)と(a)〜(l)には互いに意味内容が重複するものも含まれるので、鳩摩羅什(くまらじゅう)がわざわざ(j)から(5)を創作した理由は不明なのであるが、私見では、第二章の十如是がそうであったように、分析哲学的な視点を好んだ羅什が十種(本来は九種)の称揚の中に「権威の源泉」を意味する章句がないことを嫌って、最小限の改変で以って補うことを狙ったものではないか、と推察する。

 

 次下の部分は、今話冒頭に「油の提供を求めているようにも読める」と書いた典拠になる部分だ。少し長くなるが引いてみたい。

 

 宿王華よ、この法華経を聞き、書写する人、人をして書写せしめる人、宿王華よ、それらの人々の功徳の集積は、仏陀の智慧をもってしてもその果てに達することができないほどである。この法門を受持し、あるいは読誦し、あるいは教説し、あるいは聴受し、あるいは書写し、あるいは経典としたりして、恭敬し、尊敬し、敬い仕え、供養して、花、香、薫香(くんこう)華鬘(けまん)塗香(ずこう)抹香(まっこう)、衣服、傘、旗、幟、勝利の旗などによって、あるいは音楽、衣服、合掌することによって、あるいは蘇油(そゆ)の燈火、香油の燈火、瞻蔔油の燈火、須曼那(すまなす)油の燈火、波羅羅(はらら)油の燈火、那婆摩利(なばまり)油の燈火、あるいは多くの種類の供養によって恭敬し、尊崇し、敬い仕え、供養する善男子・善女人は、量り知れないほど功徳の集積を増進させるであろう。

 

 語り出しこそ、法華経全篇に見える「一句一偈なりとも」の信仰の勧めに共通するが、語っているうちに語り手が支持者から提供を欲しているものが、ポロポロと出て来てしまったような印象を受ける。特に末尾において六種もの具体的な油の名が挙げられるのは、何らかの事情で法華経教団がまさに本章が創作されたその時点に、これらの香と油を必要としていたからではないか、と考えざるを得ない。

 

 また、これも繰り返し連載を通じて述べていることではあるが、上引用に見える人をして書写せしめる人との表現は、法華経教団第三期を襲ったとみられる信仰の形骸化、すなわち、自身は信仰活動に積極的ではないが、何らかの投資をおこなうことでその功徳にだけは与りたいと願う人々の出現を匂わせるものとなっている。

 

 以下本章は、本章自体を読んだり語ったりすることにいろいろ功徳があるのだ、ということを繰り返して終わってしまうのであるが、要するにこれは、法華経教団からの「寄付のお願い」を口伝えで広めてくれ、と言っているに等しい。そのような実態に一度気づいてしまえば、

 

 善男子よ、そなたは怨敵の魔や賊を降伏させ、生死の戦いを克服し、怨敵の茨の棘を除いたのである。

 

などという下りが、いかにも虚しく響く。相当部分を妙法蓮華経から引けば諸余怨敵(しょよおんてき)皆悉摧滅(かいしつさいめつ)となって、その勇ましい字句から、古くは呪術的調伏に際して読誦されたり、現代では法華系新宗教において組織員を鼓舞する際に好んで引かれるものであるが、そういう使い方をする人は自分で法華経を読んだことがない、と苦言を呈さざるを得ない。

 

 そしてここに、本章でもっともよく知られた以下の章句も含まれる。まずは妙法蓮華経から引いてみよう。

 

 我滅度後(がめつどご)後五百歳中(ごごひゃくさいちゅう)広宣流布(こうせんるふ)於閻浮提無(おえんぶだい)令断絶(れいだんぜつ)

 

 中村師訳では以下の通り。

 

 のちの時代、のちの五百年に持続する中において、この閻浮提に流布し、決して絶えることがないように、

 

 天台法華教学では、法華経こそが末法のために説かれた仏陀の教えである、ということを主張する際にこの一節を引くことが多い。末法の世の一切衆生すべてに法華経を広めきることを“広宣流布”という。なるほど、ここだけを切り取って読めば、天台法華教学の主張するところはごもっともかも知れない。

 

 が、本章を通して読んできた我々としては、この一節をそのような意味に読むのはためらわれる。法華経教団が仮想した釈迦はそう言ったかも知れないが、それを言わせた彼らの真意が天台法華教学のいうそれであるとは思えない。法華経教団がのちの五百年に持続することを望んだのは、法華経それ自体ではなく、法華経教団に対する寄進である、と考えた方が素直であろう。

 

 隣接する第二十一章や、やはり有力支持者に阿って書かれたとみられる第二十五章を合わせて鑑みるに、第十五章に結実した法華経教団第二期の熱さは思いの外急速に冷め、第三期の書き手たちが組織運営の維持に汲々としていたことが読み取れるのである。

 

 以上を以って、法華経第二十二章“薬王菩薩の過去の修行”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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第26話 諦めきれない理想……第十三章“安楽な行”

 本稿では、法華経の第十章〜十七章を法華経第二期と称し、第一期末に出自教団から破門されたと考えられる法華経教団が自身に対する論難への対応を迫られて、これらの章を一気呵成に成立させたと論じてきた。

 

 第十章〜十七章は、後付けされた第十一章後半部を別格として、概ね一連の伏線を有する物語として読めることは繰り返し述べてきた通りであるが、この中にあって、今話取り上げるところの第十三章“安楽な行”(妙法蓮華経安楽行品(あんらくぎょうぼん)第十四)は、やや毛色の異なる幕間劇となっている。

 

 本章の特徴は、全般的に地に足の着かない抽象的な問答を交わす法華経の中にあって、やたらと具体的な話題が取り扱われるところにあり、その性格の差から鑑みるに、おそらく本章の書き手は第二期の気宇壮大な物語を編んだキレッ切れの彼とは別人であろう、と想定される。地涌(じゆ)の菩薩登場の下り(第22話)で論じたように、同菩薩群の四人の上首は第二期教団を四分したリーダーないしはグループ、を反映している可能性があり、字義からの想像に過ぎないが、本章作者は安立行(あんりゅうぎょう)菩薩その人か、あるいはその配下の文才巧みな人と推定される。

 

 結論から言えば、本章には法華経全篇を通じて醸されるところの法華経教団が良かれ悪かれ背負い込んでいたと見える使命感や被害妄想とは別に、純粋に出家者としての彼らが求めた理想が反映されている感がある。これを読み解き、また、本章と法華経全篇との温度差が後世に与えた影響についても論じてみたい。

 

 

                    *

 

 

 世尊よ、かの菩薩摩訶薩たちが世尊を尊敬して不屈不撓であることはむずかしいことです、きわめてむずかしいことです。世尊よ、これらの菩薩摩訶薩はどのようにして、のちの世、末代の時に、この法門を広く説き、どのようにして妙法を護持すべきなのでしょうか。

 

 本章は、文殊師利(もんじゅしり)法王子菩薩……面倒なので、以下“文殊菩薩”とする……から呈される上引用の問いから始まる。これに対し、釈迦……クドいが本章書き手の傀儡であり、歴史上の釈迦その人ではない……が、やたらと具体的なアドバイスを以って応じる、というのが本章の大枠の流れとなる。

 

 前章が後世に“殉教の書”として読まれた第十二章(第4話)であり、続章が件の地涌の菩薩が初出する第十四章であることを思うと、この文殊菩薩の弱気さは好対照をなしている。天台法華教学においては、本章を「末法の悪世の布教を不安に感じる釈迦在世の弟子に対して示されたもの」と本筋とは別枠扱いして合理化することが多いのであるが、言うまでもなくこれは、法華経は釈迦の直説である、という事実に反した前提から導かれるものだ。

 

 第十二・十四章を書いたのも、本章を書いたのも、異なる人ではあろうけれども同じ紀元1世紀末頃に生きた法華経教団のメンバーであり、両者を隔てるコントラストには何らかの意味があるはずだ。

 

 文殊師利よ、菩薩摩訶薩は四法に基づいて、のちの世、末代の時に、この経を広く説くべきである。

 

 文殊菩薩の問いに対する釈迦の総論が上引用となる。

 

 本章は、行き当たりばったりな展開著しい法華経中にあっても、既に見た第十八章(第15話)に次いで、論述の構造化が見られる章になっている。ここで言われる四法とは、前掲書註によれば身・口・意・請願の四種の心得であり、以下、この四つそれぞれについて、長行と偈が繰り返される構成を採る。また、それぞれの論述は、抽象的な定義から始まって後に具体例が示される体であり、言葉は悪いが“空理空論”が飛び交う前後の章とは、これまた好対照である。

 

 かくして最初に語られるのが“身の心得”ということになるが、これは自らを律する行為と対人関係の規範であるとされるのだが、前者については突き詰めればすべて存在するものは空であると観るという、仏教的には至極当然のことが言われるのみで、書き手の力点は後者、すなわち、菩薩摩訶薩=法華経教団のメンバーがどのような人間関係を築くべきか、にあるようだ。以下、その具体的な論述を抜き書きしてみよう。

 

 驕り高ぶる縁となる国王に親しみ近づかず、王子たち、大臣たち、王臣たちにも親しみ近づかず、頼らず、敬い仕えることなく……

 

 これはどうやら政治権力とは距離をおけ、ということらしい。

 

 異教徒たちにも近づかず、世俗の文筆や論書に専心する人々に奉仕せず、敬い仕えることなく、法門せず……

 

 こちらは、仏教徒は異なる論理を採用する人々と交わるな、ということらしい、異教徒に近づかなかったらどうやって布教するんだ?という気がしないでもないが、一旦は捨て置こう。

 

 旃陀羅(せんだら)、欺瞞者、豚肉業者、鳥肉業者、羊飼、猟師、屠殺者、捕鳥者、漁夫、役者、芸人、棒使い、相撲力士たちにも近づかず、他の人々の集うそのほかの娯楽や遊戯の場所にも近づかない。

 

 この辺りから主張が怪しくなってくる。ちなみに旃陀羅とはインドのいわゆるカースト制において最下層民とされた人々の呼称であり、続いて列挙される職業は概ねその最下層民が従事するものとされたそれ、になる。現代的な感覚からすれば、法華経の布教がたちまちに人々の救済となるか否かはともかくとして、そうした人々こそ真っ先に救済の対象とすべきのようにも思われるのであるが。

 

 彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも、何ものにもこだわることなく法を説くことを除いては、親しく近づくことをしない。

 

 続く上引用の論述からすると、明示的には言われていないが、強いて最下層民の救済を旗印に掲げて悪目立ちするな、と書き手はいいたいようである。逆に言えば、二千年前にも、今日の一部の欺瞞的な左翼勢力の常套手段が存在していた、ということになるだろうか。

 

 ところが、次下ではさらに不可解なことが言われる。

 

 男性の信者・女性の信者にも近づかず、頼らず、敬い仕えることなく、彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも何ものにもこだわることなく法を説くことを除いては、歩行の場所においても、僧房においても共に一つ所に会う場所にいない。

 

 信者とも付き合うな、とはこれ如何に?なのであるが、前段の旃陀羅の下りと彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも何ものにもこだわることなく法を説くことを除いて、が共通しているところを見ると、言わんとするところは、出家者たるものは世俗の人々が自ら求めた場合にのみ法を説くのであって、自分から押し売りにいったり取り入ろうとするものではないのだ、といったところが書き手の主張らしい。

 

 さらには、上記の一節に内包されるように思われる以下の論述が別途おこなわれているのが興味深い。

 

 女人に対してさまざまに親愛の様相をあらわにして法を説くこともなく、常に女人を見ようと願うこともなく、善き家を訪れて、その家の少女や娘、若い嫁と話し合おうなどとは決して考えず、丁寧に挨拶することもしない。

 

 ここまでくると、穿った見方にはなるが、おそらく上引用のようなことを釈迦の言葉を騙って主張したくなるほどに、そういう連中が実際にいたのだろう、と考えざるを得ない。つまり、法華経教団の「一切衆生に法華経の一句一偈なりともを述べ伝えるのだ」とする使命感を口実にして、在家の婦女に親しみ近づき、出家者にあるまじき行為に及ぶ者が少なからずいて、教団の指導者たちを悩ませていたのだ。これまた、我が国の仏教史に限っても普遍的な現象であり、拙稿から例を引けば、かの法然が島流しの憂き目にあったのは、専修念仏の伝播を口実に後鳥羽上皇の愛妾に近づいた彼の弟子が上皇の逆鱗に触れたからであった(日蓮『立正安国論広本』を読む、第4話参照)。

 

 同じ視線で次下を読むと、さらに困惑させられることになる。

 

 また、不男(ふなん)の人に法を説かず、彼らに親しみ近づかず、また、挨拶も交わさない……

 

 不男というのは、前掲書註の言葉をそのまま借りれば男根不具の者であり、要するにインポということになるのだが、これまたわざわざこういうことを言わねばならない背景の方に、むしろ心惹かれてしまうのはボクの心根が卑しいからであろうか。

 

 念のために申し添えておけば、前述したようにこの後に偈で以って同趣旨の内容が繰り返されるのであるが、そこに以下の章句が見える。

 

 いずれのときにも、彼は、劣ったもの、優れたもの、中位のものに、また、有為のものにも、無為のものにも、さらに真実なるものにも、不真実なるものにも、あらゆる点において執らわれない。

 智者は「あの人は女である」と執らわれず、「あの人は男である」とも分別しない。一切のものは不生そのものであるから、一切のものを求めながらも執らわれた見方をしない。

 

 ここから鑑みるに、本節の真に主張したいところは、あるカテゴリにあてはまる人に近づくな、ではなく、特定カテゴリの人を選んで近づくことは、たとえその人が一見して真っ先に救済されるべき人であるように思われる場合であっても忌避せよ、それは菩薩が避けるべき執着である、との見解にあるようだ。

 

 それはそれで決して間違った主張ではないし、むしろ、仏教の伝統に則った立論であるようにも思われる。一方で、仮に本章書き手の言わんとするところがそこにあるとしたら、それは、彼らが対立したであろう声聞衆と何が違うのだ、というところは問題視すべきであるように思われる。

 

 そもそも法華経教団は、出自となった出家者集団が在家その他に対して、既得の権威や権益にふんぞりかえっていたことが不満だったのではなかったか。法華経第一期の論述は概ねこの権威を覆すことを目指していたように見え、必ずしも一般庶民に対する訴求は感じられなかった。対して第二期の論調は明らかに在家衆への布教を念頭に置いているのであるが、本説の内容から察すると、法華経教団自身も一枚岩では決してなく、出自教団の出家者のスタンスに対する憧憬のようなものを捨て切れてはいなかったことが垣間見れるのである。

 

 続く“口の心得”の冒頭は、いきなり日蓮筋には耳の痛い話から始まる。

 

 如来が入滅したのちの世、末代の時、のちの五百年において、正法が抑圧されているとき、菩薩摩訶薩がこの経を説き示そうと願うなら、安楽な状態にあることである。彼が安楽な状態にあって、身につけたか書写した経典によって法を説き、他人に対して語るときも、ことさらに相手の過失をとがめだてすることもなく、他の法を説く比丘たちをそしることもなく、悪口を言うこともなく、非難の言葉を放つこともない。

(下線は引用者による)

 

 上引用下線部は、中村師は上のように訳しておられるが、鳩摩羅什は端的に末法としており、これは妙法蓮華経中に二箇所のみに現れる“末法”の語の用例となる。ちなみにもう一箇所は分別功徳品(ぶんべつくどくほん)第十七末尾の偈であり、同じく(釈迦の死後に)正法が尽きようとするときほどの意で用いられている。

 

 本章の書き手にとって、如来が入滅したのちの世、末代の時、のちの五百年において、正法が抑圧されているときというのが、具体的にいつのことを言っているのか、俄には判じ難いものがある。同じ表現が第二十二章、第二十六章に見えるが、これらは法華経第三期に含まれ、それぞれ勢いを失いつつあった教団の行く末を案じた内容であることから、彼らの言うのちの五百年が第三期のメンバーが死に絶えた後のことであろうと推測することができる。対して本章は、書き手自身が同時代の教団の有り様に感じている不満が背景にあるように読めるので、彼らにとっての近未来に仮託する動機がないように思われる。

 

 いずれにせよ、妙法蓮華経の句は前述したように末法であり、日蓮にとっては彼自身の現在を指している。従って、言葉通りに読めば、法華経は日蓮を含む末法の法華経の行者に対し、ことさらに相手の過失をとがめだてすることもなく、他の法を説く比丘たちをそしることもなく、悪口を言うこともなく、非難の言葉を放つこともないといった態度を求めていることになる。

 

 が、実際には日蓮がこの章句とは正反対の言動を採っていたことは今更力説するまでもあるまい。真蹟のない遺文であるが、13世紀末の写本が現存することから日蓮自身の書き物であろうとされている『如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)』……如説、とは、法華経に説かれた如く、の意……に以下に示す一節がある。

 

 然るに、摂受(しょうじゅ)たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して春菓を求る者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり。宵に鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱(ごんじつぞうらん)の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り、摂受を修行せんは(あに)法華経修行の時を失う物怪にあらずや。

(句読点は引用者が適宜補った)

 

 

 本章(安楽行品)に書かれた修行を末法においておこなうのは宵に鳴く鶏のようなもので物の怪の類だ、と言っているのだが、これは法華経原理主義者の彼としては極めて珍しい、法華経章句を真っ向から否定した一節となっている。冒頭に「日蓮筋には耳の痛い話」と書いたのはこのことであり、全面的に法華経の聖性に依拠する日蓮としては、本来は法華経の一句一偈なりともに反論するというのは本末転倒、自家撞着の極みなのである。

 

 以下私見ではあるが、日蓮はそもそもそのキャリアの端緒に専修念仏批判を足掛かりに最初の地歩を得よう試みた(拙稿、日蓮『立正安国論広本』を読む、参照)のであり、また生涯彼を突き動かしたモチベーションの源泉に先行して成功している仏教者に対する嫉妬のような感情があったことも見て取れる。そして、この彼の有り様は、偶然か必然かはともかくとして、法華経第一期〜二期の人々が対立声聞衆を批判することで教団独立を目指したそれとシンクロしている。

 

 であればこそ日蓮は、直接的には自身のスタンスとの不整合を解決するためであったにせよ、結果的に、本章書き手の法華経教団内での傍流性を喝破したのではないだろうか。無論これは日蓮の肩を持って言っているワケではない。法華経原理主義者を自認する彼もやはり一人の人間であり、自分の好みと合わない教説を無視している、という事実を指摘しているのみである。同時にそれは、本章も同様に法華経教団内部で必ずしも揃っていなかった足並みを露呈させてもいるのだ。

 

 まぁ、個人的には弟子に対する態度に難点があったと見られる彼に、本節の偈に見える以下引用の章句を噛みしめて欲しかった、と思わないでもないのではあるが。

 

 彼らから質問を受けても、彼らに適した意味をさらに説き明かすべきである。彼らがそれを聞いて覚りを得るものとなるように、その意味に包含されているすべてのことを説き教えるがよい。

 智者は怠惰な心を棄て、疲労や倦怠の思いを起こすことなく、あらゆる不快の念を離れ、集まった人々のために慈悲の力を奮い起こすべきである。

 かの智者は昼夜に無量の譬喩を用いて無上の法を説くべくである。集会の人々に歓喜を与えて満足させ、それよりほかに何物をも決して望んではならない。

 

 もっとも、本章書き手が上引用の一節に込めた意図は、いささか異なるところにあるようにも思われる。次下にさらに以下のように続くからだ。

 

 硬い食物、軟らかい食物、その他の飲食物、衣服、臥具、法衣、あるいは医薬品を得たいなどと考えてはならない。集会の人々に何物も決して求めてはならない。

 

 先に触れた少女や娘、若い嫁の下り同様、これも、そのようなことをあからさまに求める教団員が少なからずいて、本章書き手がそれを快く思っていなかったことを示しているのだろう。

 

 同様に続く“意の心得”の節は、後世の日蓮に対する批判と読めるのみならず、法華経教団の非主流派であった書き手が、第十四章〜十六章に見えるような強引とも言える法華経聖化の主張に違和感を覚えていたであろうことを伝えている。

 

 正法が滅尽する最後の時に、この経典を受持している菩薩摩訶薩は、嫉妬心がなく、偽らず、人をたぶらかすこともない菩薩摩訶薩である。また、他の菩薩の道を求める人々に罵りの言葉を投げかけず、誹謗せず、呵責することはない。

(中略)

 法によって議論することを好まず、法に関して論争せず、一切の衆生に対して慈悲の心を捨てることなく、すべての如来に父に対するような思いをいだき、一切の菩薩に師に対するような思いを起こす。

 

 興味深いことには、以下に示す本節の偈の章句は、第十九章“常に軽侮しない”の論旨を先取りしているようにも読める。

 

 だれに対しても軽蔑の語を放ってはならない。また、決して私見に固執して論争してはならない。しかも、「あなたは無上の智慧を得ることはないであろう」などと言って、他人に、疑惑や悔悟をいだかせる原因を作るようなことは決してしてはならない。

 

 言っていることは“二十四字の法華経”の完全な裏返しである。また、考えようによってはこれは法華経教団第一期のプレゼンテーション手法、すなわち第二章冒頭の二乗不作仏の主張に代表されるあり方に対する批判とも読めよう。

 

 さて、ここで一つの疑問が浮かぶ。

 

 以上見て来たように、本章の主張は、やや迂遠に書かれているものの法華経教団のあり方自体に対する批判であるように読める。ではなぜ本章は、法華経の一部として残るに至ったのか、しかも、よりによってこの位置に。

 

 結論を先に示せば、その答えは、彼ら自身そうだとは認めたくはないが、それでも捨て切れない理想が、本章に体現されているから、に尽きると思われる。

 

 続く“誓願の心得”に目を向けてみよう。

 

 如来が入滅したのち、正法が滅尽する終末の時に、菩薩摩訶薩でこの法門を受持しようと願うその比丘は、在家・出家の人々から遠く離れて安住し、慈しみの心を起こして安住すべきである。衆生のうちいまだ菩提に向かって出発していないすべてのものたちに対して慈悲の心を起こし、このように考えるべきである。

(下線は引用者による)

 

 ほかの人々と距離をおけ、とする主張は前段までと変わらない。興味深いことには、下線部については、中村師訳は上引用の通りであるが、写本間を比較すると、この部分を「菩提に向かって出発したすべてのものたちに対して」とするものと、師訳のように「出発していないものたちに対して」とするもの、この正反対の意味内容を有する二通りの写本が、ほぼその数を拮抗させて伝わっているそうである。

 

 これは、後世の写字生の立場から見て、次下に言われるこのように考えるべきことが、どちらに対しても容易に当てはまってしまうことに起因して生じた現象ではないか、と思う。では、次下には何が言われるのだろう。

 

 ああ、これらの衆生たちははなはだ智慧の劣るものたちである。彼らは如来のすぐれた教化方法であるところの人々の性質によって密意をもって説かれた言葉を聞かず、知らず、了解せず、問わず、信ぜず、信受しない。加えて、これらの衆生たちはこの法門に赴き入ろうとせず、信ぜず、理解もしない。しかしながら、私は、この無上の正しい覚りを得たときに、衆生がいかなる場所にいようとも、その場において、神通力によって彼をこの法門に引き入れ、信受させ、了解させ、完成させるであろう。

 

 前半部に見える見下し視線は、第三章の三車火宅の譬喩に見えたパターナリズムそのものである。対して後半部は、これが“誓願”に当たる部分になると思うが、一見して第十九章の常不軽菩薩のエピソードに見えた、たとえ法華経に対して敵対する人々であっても最終的には救済するのだ、の意に取れなくもない。

 

 が、冒頭に引いた、ほかの人々と距離をおけ、との言明も合わせて考えれば、これは実のところ、遠い未来に首尾よく如来となることが叶った暁には人々を救うぞ、と誓いはするけれども、今生きているこの現実の世界においては、どうせ周囲の人々は無理解に決まっているのだから積極的に働きかけることはしない、と言っているのと同じである。

 

 次下の一節にも、本章書き手が理想とした立ち位置が如実に現れている。

 

 この第四の法を満足し、成就する菩薩摩訶薩は、如来が入滅したのち、この法門を説き示しているとき、過失がなく、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・国王・王子・大臣・王臣・市民・村民・婆羅門・長者たちに恭敬され、尊重され、敬事され、供養されるのである。また、中空に住む神々は法を聴聞するためにその後に従い、天使たちも守護のために常に彼につき従うであろう。村にいるときも、精舎にいるときも、昼夜を分かたず法を問うものたちが訪れ来るであろう。そして、彼らは彼の解説によって満足し、歓び、勇躍して喜ぶであろう。

 

 これまた国王・大臣だの中空に住む神々などと粉飾甚だしいので意を掴み損ねそうになるが、要するに言っていることは、私だけが真理を知っており世の人々から尊敬され頼られたい、真理を求めるものは私のところに勝手に訪ねて来る、訪ねて来れば真理を教えて喜ばせてやろう、訪ねて来ないものは真理からはほど遠いのだから、私から真理を説いて歩くことはしない、と言っているだけの話である。

 

 有り体に言えば、これは偽りの全能感だ。

 

 本章が繰り返し述べるように、周囲の人々と距離をおき、議論することを避け、誰の非も咎めることがなければ、その全能感に傷がつくリスクは限りなくゼロである。あとは適当な場所に引き篭もって、私は遠い未来に仏陀となって、私に頭を下げて教えを請いに来ない連中であっても救ってやることを誓っている慈悲深い人間だ、と夢想に浸っていればいい。

 

 既に触れたように、法華経原理主義者であるはずの日蓮が本章に限って真っ向から否定する言辞を遺しているが、そうもなるはずである。ここに見える本章書き手の理想の境地は、神に喧嘩を売ってでもオレが現実を変えるのだ、と嘯いた日蓮のスタンスとは見事に真逆なのだ。

 

 一方で、この限りなく引き篭もりっぽい本章書き手の理想は、法華経教団がその出発点から追い求めていたものでもある。

 

 そもそも彼らが一乗真実三乗方便の主張を引っ提げて、自身の母体となった出家者集団と対決したのは何故なのか。法華経を、それが釈迦直説であろうがなかろうが、とにかく“ありがたいお経”であると考える人からすれば、彼らのチャレンジは、硬直化した権威集団に対して自分たちの理想をぶつけたもの、と映るかも知れない。が、ボクの見るところ、それは自身の理想を過去に投影しているに過ぎない。

 

 法華経教団が、自分たちの無学……これは“もう学ぶことが無い”の意ではない……も顧みずに声聞衆に喧嘩を売ったのは、聖者よ阿羅漢(あらかん)よと世人の一定の敬意を受けつつ、実際には内輪でしか通用しない論理を弄ぶしか能のない長老たちの地位が、たちまちには彼ら自身の手に入らないことが認め難かったからである。だから彼らは、一旦は対立声聞衆の拠って立つ二乗を否定した上で、自分たちの曖昧模糊とした理想である一乗真実を、言わば“でっち上げ”たのだ。

 

 おそらく、当初の彼らはこの試みで以って、いけ好かない長老衆に一泡吹かせることさえできれば、それで満足だったはずだ。しかし、長老衆は当初まともに彼らと向き合わなかった。このことが、彼らをしてより過激化させ、その結果、思わぬ事態を生むことになる。第一には、彼らが勝手に経典を作った科で破門されてしまったこと、第二には、彼らとは異なる観点、つまり“搾取者”としての出家者集団に反感を抱いていた在家衆からの、一定の支持を得てしまったことである。

 

 こうして、対立声聞衆を言い負かすことだけを目的としていた法華経第一期に対し、第一期が生んだ法華経テキストを根本経典に掲げた教団としての、自立自存を目的とした法華経第二期が始まったのであるが、その時点においても、古参の教団メンバーの理想とするところは、そもそもの彼らの出発点において、彼らが愛憎入り混じった眼差しを向けた出自教団の長老たちの立ち位置だったのであり、本章はそれを図らずも吐露しているのである。

 

 時代制約から、日蓮がこうした背景にまで想像を巡らせることは不可能だったと思うが、彼はこれを直感的に喝破し、本章を論外として棄却したのだ。無論、だからと言って、日蓮は日蓮で逆方向へ振れ過ぎだろう、とも思うのではあるが。

 

 さて、本章末尾には法華七喩の第六となる“髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)”が登場する。くだらない話(ぉぃ)なので、サラッと抄訳で流したい。

 

 転輪聖王がいて、(もとどり)……(まげ)を束ねる部分のこと……に唯一無二の宝珠を隠しているのだそうである。配下の王たちが転輪聖王に従って戦で手柄を立て、聖王はいろんな褒美を惜しむことなく与えるのだが、この宝珠だけは決して与えない。が、ついにその宝珠を与えるときがくれば、皆驚くだろう。法華経は、その宝珠のようなものなのだ……という、だから何だ?な話なのであるが、この話そのものよりも、むしろ、現実社会に背を向け偽りの全能感に浸れと説く本章の末尾に、勇ましい戦争の譬喩が登場するこのちぐはぐさに注目すべきだろう。

 

 要するに、これを書いたヤツは、自分が現実に背を向けていることに対し、ちゃんと後ろめたさを感じているのである。後ろめたさを感じているからこそ、自分たちの奉じる法華経を、転輪聖王が戦の末に与える褒美に擬すことで、それを打ち消そうとしているのだ。

 

 何が言いたいかと言うと、ここに垣間見える書き手の心象世界は、中世西洋のキリスト教修道士が好んで戦争の比喩を用いて自分たちの立ち位置を述べたのに瓜二つだ、という話である。面白いことには、実は日蓮遺文にも同じ傾向を見て取ることができる。そして、本章に示された“安楽行”は、考えようによってはネット上で政治・経済・軍事を論じて悦に浸る内弁慶さんたちそのものでもあるし、まぁ、見る人から見ればボクだってその類だろう。

 

 要するに、二千年前から我々は、あいも変わらず同じ穴のムジナなのである。

 

 以上を以って、法華経第十三章“安楽な行”の転読(うたたよみ)を終える。

 



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最終話 虚空会終わって日が暮れて……第二十七章“教法を委託する”

 結局全二十七章をやりきってしまった。誰も褒めてはくれないと思うので、自分で自分を褒めたい。善々哉々、まことにもってそなたは真に数寄者である。

 

 冗談はさておき。

 まぁ、それを言ったら本稿が全部冗談みたいなモンだが。

 

 法華経第二十七章“教法を委託する”(妙法蓮華経嘱累品(ぞくるいほん)第二十二)を読んでいきたい。中村師訳では本章が最終章ということになっているが、妙法蓮華経では如来神力品第二十一の後、薬王菩薩本事品第二十三の前に本章が配される。その意味するところは追々見ていくことにしよう。

 

 そのときに、世尊(せそん)釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)にして・尊敬されるべきお方であり・正しい覚りを得られたお方は、その法座から立ち上がられ、かのすべての菩薩たちを集めて、神通力の変化によってそなえられた無数の右手で菩薩たちの右手を握られ、そのとき、このように仰せられた。

 

 いきなり凄い書き出しで本章は始まる。本章が法華経のどこに収まるにせよ、地涌の菩薩とその眷属のせいでここで言うかのすべての菩薩たちの総数、すなわち釈迦が上引用が示す行為をおこなうために用意しなければならなかった右手の数がいかほどか、まさに思議不可能なのであるが、それにしてはその数が無数と控え目にサラッと流されているのが、そこはかとなく面白い。得意の百千万億那由他はどうした?的な。

 

善男子(ぜんなんし)たちよ、私は量り知れない百千万億那由他(なゆた)の劫において成就した無上の正しい覚りをそなたたちの手に託し、付託し、委ね、委託する。善男子らよ、そなたたちはこの法を広く流布するように努めなければならない」

 二度も、三度も、世尊はすべての菩薩の大衆を右手をもって握り、このように仰せられた。

 

 あ、出てきたわ百千万億那由他www

 

 それはともかくとして、本連載も最終話に至ったのでそろそろ究極の問いについて真面目に……まぁ、ボクが何書いても真面目には見えないだろうけども……考えねばならないだろう。

 

 つまり、この釈迦……クドいが法華経教団の代弁キャラクタである……がそなたたちの手に託し、付託し、委ね、委託するとありがたくも仰せの無上の正しい覚りとは、結局のところ何やねん?問題である。

 

 結論から言うとわからん

 

 手前味噌ながら、こうして私釈を加えながら、かつ、敢えて章順ではなく転読(うたたよみ)という各章をクロスリファレンスしつつ縦横無尽に読むという手間な手法を採ったお陰で、今やボクは法華経の一句一偈に至るまで、法華経教団の書き手がそのとき何を思ってそのようなことを言ったのか、言わねばならなかったのか、手に取るように喝破できるが(ぉぃ)それでも、この究極の問いに対しては思わず素の大阪弁が出てしまうくらいにわからん。

 

 この状況を説明する最もシンプルな解釈は「そもそもそんなものはない」であろう。平田篤胤が『出定笑語(しゅつじょうしょうご)』に書いた、法花經(ほっけきょう)一部八巻二十八品ミナ能書(のうが)キバカリデカンジンノ丸薬(がんやく)ガアリヤセンモノというアレである。この言明はある意味において正しい。

 

 敢えて私見を加えるならば、そもそも法華経の文面に篤胤の言う丸薬、つまり、それを服せば病も悩みもみな消えて何もかも思うがままハッピー、な特別な何かが潜んでいるに違いない、という前提がそもそも間違っている。というか、力説するまでもない当たり前のことであるが、法華経に限らず、そんな書物は存在しない。

 

 法華経は、二千年前のインドに生きたボクが“法華経教団”と仮称する人々が、何やかやと試行錯誤し、自信過剰になり、雲散霧消していった経緯の記録であり、それ以上でもそれ以下でもない。雲散霧消を別にすれば、聖書だってクルアーンだってそうである。むしろ、聖書やクルアーンと比較した場合、法華経は必ずしもそのテキストを奉じる人間の集団を常に持ち続けたワケではないのに、都度、後世の人間に再発見されて現代に至るという点で奇書の類であると言えるかも知れない。いや、私見ではここにこそ法華経の特徴がある。

 

 以下、好き勝手な妄言を書くが話半分に読んで欲しい。

 

 拙稿でしばしば触れるところの、伝教大師最澄や日蓮がことごとく弟子の育成に失敗しているという事実を、ボクはずっと彼らの個性に起因する問題だ、と思っていたのであるが、こうして改めて法華経を徹底的に読んでみて、その理由がわかった気がしている。これは、そもそもの法華経教団の法華経創作の目的と密接につながっている。

 

 つまりこういうことだ。つきつめれば、法華経教団は、対立した出家者集団に対し「自分たちの方が絶対に正しいのだ」と主張する根拠が欲しくて法華経を創作したのであり、それがすべてなのであって、結果的に含意してしまった必ずしも互いに整合していないがしかしながら魅惑的な思想の断片たち……篤胤の言う能書キは、言わばオマケなのである。

 

 そして、であるがゆえに法華経は、しばしば良かれ悪かれ「私は正しい、絶対に正しい者でありたい」という指向性を抱えた人間の思考にシンクロする。智顗や最澄や日蓮がまさにこれである。そして、シンクロした人にとてつもない使命感を植え付けて、これまた良かれ悪かれ尋常でないエネルギーを引き出しその人間に特殊な聖性を与えるのであるが、ここに集まってくる人は、その人の聖性に惹かれて集まってくるので、彼らとはちょっと別の種類の人間なのである。そして、智顗や最澄や日蓮が自分の下へ集まって来た人たちに「私が法華経から読み取った熱さをおまえも継承しろ」と迫ったところで、これはそもそも無茶振りなのである。振られた側は、彼らが体現した熱さをありがたがっているのであって、自分もそうなりたいとは必ずしも願っていないのだから。

 

 これは言い換えれば、そもそもの「教育者∞であれかし」と祈り願った法華経教団の出発点、さらにはそれを絶対反論不可能の聖性のベールで包まんと目論んだ久遠実成が、そもそも無茶振りだった、ということである。より正確を期すならば、これらは、ある素質を有した特殊な個人にのみ適合するスーパーチャージャーだった、ということになろうか。

 

 とすれば、驚くべきことではあるが、法華経を“千中無一”と喝破した法然は、それが「千のうち一人もないが、万のうちならいるかも」という意味であるならば、正しかったのだ。

 

 もちろん、だからといって念仏唱えたら救われるとも思えんが。

 

 冗談はさておき、法華経第三期の章が信仰の形骸化と手を変え品を変え悪戦苦闘しているのも同じ理由からなのであって……というか、こっちが原型で、後世に同じことが繰り返されている、と言うべきなのだが……ゆえに、法華経第三期にダーラニーのような密教化傾向が見出だせることと、現代日蓮宗穏健派が鬼子母神だの稲荷だのの総合デパートになっていることもまた、時空を越えて再現した予定調和なのである。逆に、日蓮宗過激派筋がそれぞれ異同がありつつも、総じては次世代の指導者を輩出できずに先細っていくのも、これまた法華経に見事にシンクロした結果なのだ。

 

 逆に、日蓮筋に限定して言えば、もし彼が彼ら自身でこの問題を超克できたとしたら、それは最早、法華経ではないのである。

 

 ところで。

 

 冒頭に引いた釈迦の台詞を文字通り読むならば、無上の正しい覚りをそなたたちの手に託し、付託し、委ね、委託するとまで言っているのであるから、任されたからにはどーしようとこちらの好き勝手なのである。この一文を遺した法華経教団を、ボクは評価したい。もしここに「一句一偈たりとも過たずに語り継げ」とでも書かれた日には、法華信仰にハマッた人には出口がなくなる。

 

 繰り返すが、これは法華経に限った話ではなく、あらゆる宗教テキストに普遍的に通用する話であるとは思うが、個々を論証するのは手に余るので、とりあえず法華経についてだけ断言しておきたい。

 

 法華経は未完成である。完成するかしないかは、自身を法華経の行者として自ら背負い込んだ人次第である。そして、その人が完成させた真・法華経はその人だけの法華経であり、他の人に適用可能である保証はまったくない。

 

 篤胤の言葉を借りれば「自分用の丸薬を作るヒントは様々に含意されている。我が身を以って試すならばそれが得られるだろう。が、それが他人にも効くなどとは夢々思うなかれ」と言ったところだろうか。これは奇しくも……というか必然的に……如来寿量品の偈に見える一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山と等価な言明である。

 

 強いていえば、これがボクが見出した“正しい無上の覚り”ということになる。もちろん、コレはボクだけの法華経であって、読者諸兄に適用可能である保証はまったくない。

 

 

                    *

 

 

 再び釈迦……クドいが……もういいや……は付嘱の言を繰り返す。発言回数は先に引いたものを含めて二回だが、二回目のそれは内部で同じ内容を二度繰り返しているので、第二章にみた三止三請(さんしさんしょう)や、第十五章の三戒三請(さんかいさんせい)を踏まえた強調表現であることがわかる。

 

 善男子たちよ、そなたたちも私に従って学ぶがよい。貪り惜しまないものとなって、この如来の知見と大いなる巧みな方便を信受するために集まってきた善男子や善女人たちに、この法門を聴受させるべきである。不信の人々は、この以前に説かれた法によって教え導くべきである。

 

 貪り惜しまないものというのは、直接的には法華経教団の主観から、対立声聞衆が非出家者に対して自身の悟りを出し惜しみしているように見えることへの批判かと思われるが、法華経第三期の信仰の形骸化・怠惰化を自己批判したもの、と読むのも可能だろう。

 

 不信の人々は、この以前に説かれた法によって教え導くべきというのは、中村師訳は訳者の日蓮宗僧侶としての立場からの訳であるように思う。いわゆる天台法華教学が“爾前経(にぜんきょう)”と呼ぶ法華経以前に釈迦が説いたとされる教え……実際の成立時期は法華経よりも後であるものが多いのであるが……は、機が熟していない衆生のために説かれたものだ、とする解釈を受けてのものだ。

 

 師は正直なので、訳註にこの部分の記述が写本間で一致していないことをちゃんと示してくださっている。ボクの直感では、書き手の意図したところは、信受するものに対してであれ不信のもの対してであれ法華経を説き示せ、の意であるように思う。

 

 この釈迦の言を受けて、かの菩薩摩訶薩たち……これが地涌の菩薩なのか、同座したすべての菩薩なのかは文面からは判然としない……が誓いを述べる。

 

 世尊よ、私たちは、如来が仰せられたとおりに実行いたしましょう。そして、私たちは、すべてのもろもろの如来の教えを実践し、成就いたしましょう。世尊は、どうか憂慮されることなく、安穏にお過ごしくださいませ。

 

 菩薩たちは上引用のように誓いを立てる。これも釈迦の付嘱同様に文面上は二回だが、地の文に二度も三度もと補足されるので、三唱の形式に倣っていることがわかる。

 

 それはともかくとして、ここまで述べたように結局のところ法華経を全篇通して読んでも、如来が仰せられたとおりに実行いたしましょうというのが、具体的に何を実行すればよいのかについては、よくわからない。ボク自身の解釈は先に述べた通りであるが、これはあくまでもボクの信仰心であって、本章の書き手がどう考えていたか、とは別問題である。

 

 これまた直感的には、彼ら自身は特に何も考えていなかったのではないか、というのが真相のように思わないでもない。法華経第三期においては、具体的な信仰者の実践という意味においては明確なビジョンを示すことが出来ず、第二十一章や第二十六章に見える妥協案を示したり、第二十二章や第二十四章のように無分別な組織への献身を求めたり、と、一貫したポリシーが感じられないからである。

 

 穿った見方をすれば、これは後世に対する丸投げと言ってもよく、これがボクが先に示したような総論を以って本連載を締めくくる直接の理由であるが、その観点からすれば、天台大師も日蓮も、法華経教団の全体的な主張との整合性はともかくとして、法華経が期待した通りの仕事をした、とは言えるのかも知れない。

 

 以下、第十一章にて召喚されたところの多宝如来 in 高さ五百由旬の宝塔や、それを開くためだけに三千大千世界から参集させられた如来たちが、互いに安穏にお過ごしくださいと牧歌的な言葉を交わしつつそれぞれの仏国土へ帰国した、とされる。これは言い換えれば、この時点で虚空会(こくうえ)が散会した、ということになる。

 

 古来、妙法蓮華経における本章の位置に基づき、法華経は“二処三会(にしょさんえ)”である、とされてきた。処は霊鷲山(りょうじゅせん)と虚空の二つであるが、見宝塔品第十一から嘱累品第二十二までの虚空会を前後の霊山会が挟むので会は三つだ、という意味である。が、先行漢訳である正法華経(しょうほけきょう)を含む写本の多くは本章を末尾に据えているので、多数決で判じるならば法華経は“二処二会”だ、ということになる。

 

 鳩摩羅什(くまらじゅう)がなぜ本章を二十二番目の位置……これは後世に提婆達多品第十二が加わったからで、彼自身は二十一番目に本章を配したのであるが……に持って来たのか、その真意について興味は尽きないのであるが、総論としてはどっちでもいいがボクの見解である。第二十二章“薬王菩薩の過去の修行”以降の章が、霊山会へで説かれようが虚空会で説かれようが、特に意味するところが変わるとも思えないからだ。

 

 厳密に言えば、妙法蓮華経で本章の前に配される如来神力品第二十一は地涌の菩薩を名指ししての付嘱の章であり、本章の付嘱との対比で天台法華教学においてはそれぞれ別付嘱、総付嘱と区別されるのであるが、この解釈に影響がないとは言えない。

 

 が、そもそも、ボクの読むところによれば、後世の信仰者が「私には/あの人には法華経が付嘱されている/されていない」と論じることは「私は正しい、絶対に正しい者でありたい」問題の発露に他ならないのであって、この問い自体がナンセンスである。

 

 法華経の行者とは誰か、なんて問うのは馬鹿げている。なりたい奴が勝手になればいいのであって、また、勝手になったからにはそれを経典であるとか、誰か権威者に保証して欲しいなどと考えるのは自家撞着というものだ。そういう意味において、本連載冒頭に示した八幡賜衣伝説を創作した最澄の弟子は法華経がわかっていないし、日蓮を上行菩薩の再誕だ、いや末法の御本仏だ、などと議論した連中も法華経がわかっていない。

 

 つまり、日蓮が『諫暁八幡抄』において「オレが八幡だ」と言い切ったのは正しいのである、少なくとも彼にとっては。

 

 そして、それを真に受けるのであれば「日蓮が八幡だ」と信じるのではなく「オレも八幡だ」と続くのが正しい信仰というものである。そういう意味で『雨ニモマケズ』に我流曼荼羅を書いた宮沢賢治は正しい、いや、彼は別の意味でちょっと変だが。

 

 ま、当の日蓮は「いや、オレが八幡だ」と返すだろうけど、んなこた知ったことか

 

 以上を以って、法華経第二十七章“教法を委託する”の転読(うたたよみ)を終える。

 




本日はオマケとして付録と結が続きます。


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付録
付録 法華経、2つのあらすじ


 ここまで法華経全二十七章を、興味関心の赴くままに転読(うたたよみ)してきた。最後に、まとめに代えて法華経のあらすじを二通りの方法で振り返ってみたいと思う。

 

天台法華教学からみた妙法蓮華経二十八品

 

 まず示すのは、天台法華教学が信受するところの妙法蓮華経二十八品のあらすじ。 厳密には、宗派によって細部に異同があるが、ここでは概ね受け入れられているであろう概要的なそれを示すに留める。

 

迹門(しゃくもん)

 

 天台法華教学においては、法華経前半十四品を迹門と呼ぶ。迹とは「仮」の意であり、この時点においては久遠実成(くおんじつじょう)が明かされていないことをもってこの名がある。

 

序品(じょほん)第一

 

 以下のことを釈迦の弟子、多聞(たもん)第一の阿難(あなん)がこのように聞いた。

 

 釈迦は霊鷲山(りょうじゅせん)において、集まった多くの人々に説法をした後白毫相(びゃくごうそう)を示した。弥勒(みろく)菩薩は、この奇瑞はどのような因縁によるものかと問う。文殊師利(もんじゅしり)法王子菩薩が答えて言うには、遥かな昔、日月灯明(にちがつとうみょう)如来が“妙なる教えの白蓮華”を説いた際も同じ奇瑞を示したので、釈迦も遂に法華経を説くのだろう、ということだ。

 

方便品(ほうべんぽん)第二

 

 開口一番釈迦は、如来(にょらい)以外には仏の知見は理解できないと断言する。

 

 知恵第一の舎利弗(しゃりほつ)三止三請(さんしさんしょう)を以って釈迦にその意義を問う。遂に釈迦は、これまでに説かれた三乗(さんじょう)の教えはいずれも方便であり、ただ一仏乗(いちぶつじょう)のみが真実であることを明かす。さらに釈迦は、如来がこの世に出現する目的は一切衆生をこの一仏乗へと導くことにあるのだと宣言する。

 

譬喩品(ひゆほん)第三

 

 舎利弗は即座に釈迦の真意を理解し、以って釈迦より受記を得る。

 

 重ねて舎利弗は釈迦に、自分以外の人々の理解のために教えを請う。これに応じて釈迦は三車火宅(さんしゃかたく)の譬えで以って、一切衆生の父たる如来が三乗の方便でもって火宅の如き三界から、子どものような衆生を一仏乗へと導くことは偽りに当たらないと説く。

 

信解品(しんげぼん)第四

 

 須菩提(しゅぼだい)大迦旃延(だいかせんねん)大迦葉(だいかしょう)大目犍連(だいもっけんれん)の四大弟子は舎利弗の受記を目の当たりにして歓喜し、同時に自分たちの怠惰を告解する。その思いを長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬えの譬えに託し、今得たところの歓喜は求めずして長者の財産を相続した窮子のようであると述べる。

 

薬草喩品(やくそうゆほん)第五

 

 釈迦は四大弟子が示した長者窮子の譬えを賞賛する。さらに、一乗真実三乗方便を敷衍すべく三草二木(さんそうにもく)の喩えを用い、如来は個々の衆生の個性に応じた教導をおこなうが、その発するところはただ一つの一仏乗に帰することを強調する。

 

受記品(じゅきほん)第六

 

 須菩提、大迦旃延、大迦葉、大目犍連が受記を得る。

 

化城喩品(けじょうゆほん)第七

 

 三千塵点劫(さんぜんじんてんごう)の昔に法華経を説いた大通智勝(だいつうちしょう)如来の因縁が語られ、今日釈迦の法華経の説法に居合わせた衆とはそれ以来の縁が結ばれていることが明かされる。さらに化城宝処(けじょうほうしょ)の譬えで以って、三乗によって得られる涅槃は仮のものであり、一仏乗によって得られる涅槃こそが真の涅槃であると説かれる。

 

五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八

 

 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)と、阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)を筆頭とした五百人の比丘が受記を得る。比丘たちは衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬えで以って、受記を得るまでの自分たちの高慢さを悔いるとともに、求めずして無上の覚りを得たことに謝意を示す。

 

授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九

 

 阿難と釈迦の子である羅睺羅(らごら)、さらに二千人の学・無学が受記を得る。

 

法師品(ほっしほん)第十

 

 釈迦は薬王菩薩たちに、法華経の一句一偈なりとも受持するものは受記を得ると宣言する。さらに、釈迦の滅後に法華経を受持することが容易でないことが示唆され、衣座室(えざしつ)三軌(さんき)で以ってその心構えを示す。

 

見宝塔品(けんほうとうほん)第十一

 

 大宝塔が突如出現し、中から釈迦の法華経説法を賛嘆する声が聞こえる。釈迦は白毫相を示して三千大千世界の諸仏を呼び寄せ、以って宝塔から多宝(たほう)如来が姿を現しその獅子座に釈迦を迎える。これより法華経説法の舞台は虚空会(こうくうえ)へと移る。

 

 釈迦は聴衆に、釈迦の滅後に法華経を説くものは誰かと問い、六難九易(ろくなんくい)の偈を示して法華経を信じることを勧める。

 

提婆達多品(だいばだったほん)第十二

 

 釈迦が前世において、提婆達多との因縁により成仏の因を得たことが示される。これを以って提婆達多に授記が与えられ、悪人であっても法華経によって成仏できることが明かされる。

 

 続いて文殊師利法王子菩薩が龍宮より娑竭羅(しゃから)龍王の娘を呼び寄せ、女性であっても法華経を信じることで変成男子して成仏できることが明かされる。

 

勧持品(かんじぼん)第十三

 

 薬王菩薩たちが釈迦の滅後に他世界において法華経を広めることを誓う。この誓いを聞いた善男子たちは、法華経を受持するものには様々な苦難が待ち受けているけれども、それに耐え忍んで布教していくことを宣言する。

 

安楽行品(あんらくぎょうぼん)第十四

 

 文殊師利法王子菩薩が滅後の法華経受持が困難であることを釈迦に訴える。対して釈迦は、四安楽行を示して布教を勧める。加えて、髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬えで以って法華経との出会いが稀有なものであることが示される。

 

本門(ほんもん)

 

 後半十四品は本門と呼ばれ、仮の教えである迹門に対して、釈迦の法華経における真意を説いたものとされる。

 

従地涌出品(じゅうじゆゆしゅつほん)第十五

 

 釈迦は滅後の布教の許可を求める菩薩たちを退け、大地の裂け目から地涌(じゆ)の菩薩を呼び寄せる。その姿に驚いた弥勒菩薩が、これらの地涌の菩薩を誰が教導したのかと釈迦に問い、釈迦は自分が彼らを教化したのだと述べるが、弥勒菩薩たちは成道から四十余年しか字経ていない釈迦がこれほど多くの菩薩を教化できようか、と疑念を抱く。

 

如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六

 

 釈迦は三戒三請(さんかいさんせい)で以って聴衆に自身の言を信じるように求めたのち、自身が如来となったのは五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)の過去であることを明かし、如来の寿命が量り知れないことを明らかにする。

 

 さらに良医病子(りょういびょうし)の譬えで以って、本来永遠の寿命を有する如来が衆生を導くための方便として死を迎えることを示し、釈迦の滅後であっても如来は常にこの世に存在し続けることを宣言する。

 

分別功徳品(ぶんべつくどくほん)第十七

 

 如来の寿命の永遠なることを明かすこの法華経を聞くことの功徳もまた無量であることが明かされる。

 

隨喜功徳品(ずいきくどくほん)第十八

 

 如来の寿命の永遠なることを明かすこの法華経を聞く喜びを、五十人を経て伝え聞いても無量の功徳があることが明かされる。

 

法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九

 

 法華経を説くものには、現世において六根清浄(ろっこんしょうじょう)の功徳が得られることが明かされる。

 

常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第二十

 

 遠い過去において、虐げ罵られながらも出会う人すべてに礼拝行を貫いた常不軽菩薩の修行が示される。常不軽菩薩は釈迦の前世であり、また、常不軽菩薩を虐げた人々もまた法華経によって救済されることが明かされる。

 

如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一

 

 釈迦は広長舌相などの神通力を示したのち、地涌の菩薩の上首である上行(じょうぎょう)菩薩に滅後の法華経布教を付嘱する。

 

囑累品(ぞくるいほん)第二十二

 

 すべての聴衆に滅後の法華経布教が付嘱される。

 

 多宝如来ほかの三千大千世界の諸仏はそれぞれの世界に帰還し、法華経説法の舞台が霊山会(りょうぜんえ)へ戻る。

 

薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三

 

 薬王菩薩の前世である一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん)菩薩の捨身供養(しゃしんくよう)が語られ、法華経に身命を捧げる実践の尊さが述べられる。

 

 加えて、法華経がすべての教えの中で最上のものであることが明かされ、後五百歳(ごのごひゃくさい)広宣流布(こうせんるふ)されるべきであることが示される。

 

妙音菩薩品(みょうおんぼさつ)第二十四

 

 釈迦が白毫相を示すと東方世界の妙音菩薩が照らし出され、妙音菩薩が霊鷲山の法華経説法へとやって来る。華徳(けとく)菩薩の問いに応じて釈迦は妙音菩薩の衆生救済の修行を賛嘆する。

 

観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)第二十五

 

 無尽意(むじんい)菩薩の問いに答えて釈迦が観世音(かんぜおん)菩薩の衆生救済の修行を賛嘆する。観世音菩薩は、自在の神通力によりその名を呼ぶすべての衆生を、衆生の求めるところに従って救済するのだ。

 

陀羅尼品(だらにほん)第二十六

 

 薬王菩薩たちが法華経を説くものたちを守護する陀羅尼の呪文を示し、釈迦がそれを賛嘆する。

 

妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)第二十七

 

 遠い昔、妙荘厳王を仏の教えへと導いた浄蔵(じょうぞう)浄眼(じょうげん)の二王子の因縁が語られ、妙荘厳王が華徳菩薩の、二王子が薬王・薬上(やくじょう)菩薩のそれぞれ前世であったことが明かされる。

 

普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぽつほん)第二十八

 

 東方世界から普賢菩薩が来詣し、釈迦滅後において法華経を説くものたちを守護していくことを誓う。

 

本迹論の問題点

 

 天台法華教学においては、法華経を前半十四品からなる迹門と、後半十四品からなる本門に分けて考えることは本書中でも繰り返し述べて来た通り。こうして同教学の標準的な見解を元にしたあらすじを改めて俯瞰すると、彼らの言う迹門・本門の区切りが極めていびつであることに気付かされる。

 

 第一に、安楽行品と従地涌出品を迹門・本文の切れ目とする必然性が感じられない。特に、従地涌出品の地涌の菩薩の出現が、見宝塔品における釈迦の滅後の布教の勧め、勧持品における菩薩たちの他国土における布教の誓いと、物語として連続していることは誰の目にも明らかであり、この連続を分断するほどの切れ目が安楽行品と従地涌出品の間にあるようには思えない。

 

 第二に、迹門・本文の内容的なボリュームがアンバランスである。特に主従で言えば主にあたるはずの本門十四品は、冒頭の従地涌出品と如来寿量品と少し空けて示される常不軽菩薩品を除けば、思想的な内容は皆無に等しく、いずれも平田篤胤の言い分ではないが法華経自身を褒め称える「能書キバカリ」であり、何が褒め称えられているのかさっぱりわからない。

 

 第三に、扱われている話題の切れ目を探すと、明確な断絶点は授学無学人記品と法師品の間、隨喜功徳品と法師功徳品の間にのみ認められ、法師功徳品以降の品はそれぞれまったく個別の話題を扱っている。ここからも、やはり迹門・本門の分け目は実質を伴っていないことがわかる。

 

 結論から言えば、迹門・本門の区分は、法華経はシンメトリックに中央で分割されるべきであるという思い込みが先行し、後から理屈が付けられたものと考えるべきだろう。

 

 天台法華教学は「本門においてのみ久遠実成が明かされている」と言うが、本稿を通して示したように久遠実成に言及しているのは本門の中でも従地涌出品から分別功徳品までの三品のみで、以降の品では言及がないどころか、常不軽菩薩品や妙荘厳王本事品では久遠実成を無視して迹門・化城喩品と同じレベルで釈迦の前世譚や過去仏の説く法華経を扱っている。どうしても「久遠実成が明かされるのが本門だ」と言うのであれば、従地涌出品から分別功徳品までの三品のみを本門とし他は迹門と分類すべきだが、そんな分け方に意味があるとも思えない。

 

 以上の理由から、天台法華教学の聖典としてではなく、法華経を書いた人々がこれを以って何を言わんとしたのかを理解するためには、以下に示す成立史から捉えたあらすじから考える必要がある、とボクは考える。

 

成立史からみた法華経二十七章

 

 続いて、本連載を通じて述べてきた法華経の成立史を三期に分けて考える視点を踏まえた全二十七章のあらすじを示してみる。

 

 改めてお断りしておくと、以下の解釈は考古学的・史料学的な裏付けのあるものでは必ずしもない。法華経の文面に表れる意味内容と、これを書いた人々は何らかの動機を有した普通の人であったはずだ、とするコモン・センスから導出されるものであり、少なくともボクは、以下に示すこれが法華経の唯一無二の正しい解釈であると主張しているわけではない。

 

 このように理解すれば、神秘的・超常的な仮定をせずとも法華経の言わんとするところが読み解ける、という枠組みの一つに過ぎないとご承知おきあれかし。

 

法華経第一期

 

 紀元1~2世紀頃、インドのとある出家者集団において、その時点の指導的な長老たちの権威を受け入れることが出来なかった有志たちの手により、法華経の創作が開始される。それは今日第二章とされる部分から着手され、主に出家者集団の主流派の説得を目的に第九章まで進められた。

 

第二章『巧妙なる方便』

 

 法華経教団の母体となった有志たちは「釈迦は我々に、釈迦同様の仏陀となることを望んでいた(如我等無異(にょがとうむい))」との信念を抱くようになった。

 

 彼らはその信念を以って主流派を説き伏せるべく、従来知られていた仏典は彼らの信じる釈迦の願いを実現するための方便(三乗方便(さんじょうほうべん))であり、彼らの信念こそが釈迦の真の教えである(一乗真実(いちじょうしんじつ))とする経典の創作に着手する。が、主流派出家者の反応は彼らに対する無視(五千起去(ごせんききょ))だった。

 

第三章『譬喩』

 

 主流派説得の方便として、彼らは「智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)ですら一乗真実によって受記を得たのだ」とする物語を創作する。また、三車火宅(さんしゃかたく)の喩えで以って、一乗真実に目覚めた彼らこそが三乗方便に執着する人々を導くのだとする考えを示す。

 

第四章『信解』

 

 主流派から期待した反応が得られないことに業を煮やした彼らは、彼らが期待する態度の変化を、釈迦の四大弟子に仮託して語ることを思いつく。かくして四大弟子の口から長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬えで以って、主流派の既存権威に寄りかかった怠慢を自己批判する言葉が語られる。

 

第五章『薬草』

 

 さらなる説得の必要性を感じた彼らは、三草二木(さんそうにもく)の喩えと盲目の男の喩えを使って一乗真実三乗方便の教説を敷衍した。

 

第六章『予言』

 

 第三章『譬喩』のセルフパロディとして、四大弟子に対する授記の物語が創作される。が、やはり主流派を説得することはかなわなかった。一方で、一乗真実によって釈迦の弟子たちに成仏の予言が示される物語が一般聴衆の好評を博すという、彼ら自身が期待していなかった結果を招くことになった。

 

第七章『過去世の因縁』

 

 ここまでに創作した教説すべてを聖別し、法華経を一旦完結させることを目論んで新たな釈迦の前世譚が創作されれた。この前世譚によって、彼らは自身の信念が三千大千世界を貫く空間的な普遍性を有しているとの過剰な自信を有するに至る。

 

 一方で、釈迦の前世譚を勝手に創作した科により、彼らは所属していた出家者集団から破門されてしまった。ここに実体としての法華経教団が誕生する。

 

第八章『五百人の比丘に対する予言』

 

 教団の経済基盤を安定させるべく、一般聴衆に好評であった受記の物語の増補がおこなわれた。

 

 あわせて、衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬えで以って主流派に対する批判が繰り返されるが、彼らは自分たちが図らずも衣裏繋珠を自身の創作物のあちこちに隠し続けていることに自覚がないままだった。

 

第九章『阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言』

 

 さらに受記の物語の増補がおこなわれた。おそらくはこの頃に、続く法華経第二期の書き手となる若手が育ってきたものと考えられる。

 

法華経第二期

 

 主流派説得の失敗と所属教団からの破門という挫折があったものの、法華経教団は彼ら同様に出家者集団に対して不満があった一定数の在家衆の支持を得た。結果、出家者集団にとっても無視できない存在となった法華経教団に対し、種々の批判が浴びせられるようになった。

 

 この時点で第一期における出自教団主流派説得という目的は放棄され、代わって、独立教団としての自立を確実なものとすべく法華経第二期の増補が開始される。

 

第十章『法を説く師』

 

 在家衆の支持を確実なものとすべく、法華経教団は一切衆生が一仏乗により成仏することが可能であると主張した。同時に、対立出家者の権威の源泉である仏舎利信仰が否定されるとともに、法華経に基づかない信仰を通じての成仏可能性が否定される。

 

第十一章『塔の出現』

 

 彼ら自身の創作物である法華経を究極的に聖別すべく、大宝塔の物語が創作された。

 

 この時点から法華経教団の書き手は自身の創作物を、釈迦に仮託した教説の範囲を超えて、ある種のSF小説であることを自覚するようになったものと思われる。そして、そのSF小説を信じて受容することを、六難九易(ろくなんくい)の喩えで以って聞き手・読み手に訴えた。

 

第十二章『よく耐え忍ぶ』

 

 法華経教団は、自身に対する批判を逆手に取って自分たちを聖別することを思いつく。同時に、釈迦在世の菩薩に他国土での布教を誓わせることで、彼らと立場を異にする対立出家者には娑婆世界において布教をおこなう資格がないことを匂わせる。

 

第十三章『安楽な行』

 

 法華経教団の中には、彼らのそもそもの目的、すなわち自分たちが出自出家者集団の主流派に成り代わりたかった、という思いを捨て切れない人たちも含まれていた。彼らは過激化していく法華経教団の主張を尻目に、彼らの理想とするあり方を四安楽行として論じた。

 

第十四章『菩薩の大地からの出現』

 

 法華経教団の自画像、釈迦の密意を受け継いだ使命ある存在として、地涌(じゆ)の菩薩の登場が描かれる。彼らはその存在を権威付けるために、既に人口に膾炙していた弥勒(みろく)菩薩の名前を持ち出す。

 

第十五章『如来の寿命の長さ』

 

 地涌の菩薩の出現を前振りとして、久遠実成(くおんじつじょう)説が論じられる。法華経教団の信念について時間的な普遍性が主張されるとともに、彼らへの一切の批判に対する絶対反論不可能な観念上の防壁が構築された。

 

第十六章『福徳の分別』

 

 第十〜十四章の出来栄えに納得し半ば陶酔した法華経教団は、法華経を信じさえするのであれば教団に対する施与すらする必要がないとまで主張するに至った。

 

第十七章『随喜の福徳を説示する』

 

 さらに法華経教団は、自分たちの創作物である法華経が未来永劫語り継がれるべきであると考えるようになった。

 

法華経第三期

 

 第二期までで概ね経典としての完成をみた法華経に対し、法華経第三期においては、ときどきの課題に対する対応やここまでの各章で取りこぼした内容を補うための増補が散発的に繰り返された。それは法華経を磨き上げる過程であると同時に、図らずも、彼らが信仰の形骸化と戦った記録となった。

 

第十八章『説法師の功徳』

 

 出自出家者集団との断絶から時が流れ、法華経教団では読経をおこなう法師の不足が問題視されるようになってきた。これを受けて彼らは、六根清浄(ろっこんしょうじょう)の功徳を謳って次代の法師の公募をおこなうが、あまり成果は得られなかったようだ。

 

第十九章『常に軽侮しない』

 

 並行して、法華経第二期の章が含んでしまった教団外部に対する攻撃的な姿勢が問題視されるようになり、これを相殺する目的で常不軽菩薩の物語が創作されたが、そこに久遠実成説が反映されることはなかった。

 

第二十章『如来の神通変化』

 

 同じく法華経第二期の取りこぼした主題、地涌の菩薩に対する釈迦からの明示的な付嘱を示す物語が創作された。

 

序章『発起』

 

 実際の作成時点は若干前後した可能性があるが、法華経教団は法華経全体の経典としての体裁を整える必要を感じ、ここまでの法華経のセルフパロディと登場人物一覧を含む序章を作成した。

 

第二十七章『教法を委託する』

 

 おそらく同時期に最終章も作成され、以降、新たな章が増補される都度、章番が後ろへとずらされたものと考えられる。

 

第二十一章『ダーラニー』

 

 経典の暗唱読誦をおこなう人材の不足と、在家の信仰形骸化が問題視されるようになり、密教的な発想に基づくダーラニー読誦の行が考案された。

 

第二十二章『薬王菩薩の過去の修行』

 

 法華経教団の財政に不安を持った人々により、未来永劫に渡って教団への無分別な奉仕を要求する物語が創作された。

 

第二十三章『妙音菩薩』

 

 法華経教団の体外的な存在価値を高めるため、慈善活動がおこなわれるようになる。これを称揚するために本章が創作されるが、あまりに突飛な修辞を用いたため広く受け入れられることはなかった。

 

第二十四章『あまねく導き入れる門戸』

 

 前章の失敗を踏まえ、既にその名が人口に膾炙した観世音(かんぜおん)菩薩の名前をつかって再びの慈善活動の称揚が試みられた。が、結果的にそれは信仰の形骸化に拍車をかける結果となる。

 

第二十五章『吉祥な荘厳王の往古の事』

 

 有力在家を賞賛する物語を創作することで、さらなる財政の安定化が図られた。

 

第二十六章『あまねく賢明な菩薩が人に勧めて仏道を修める心を起こさせる』

 

 より深刻化した信仰の形骸化に対しテコ入れが図られた。

 

 これに前後して第十一章『塔の出現』後半に追記された内容(提婆達多品(だいばだったほん))から察するに、この時点の法華経教団は理念的には空洞化してしまっていたと考えられる。



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 かくして、何となく始めた法華経全27章の転読(うたたよみ)を何となく完遂してしまった。正直、自分がちょっと怖い。

 

 この間、いろいろなことがあった。いい感じの新居に引越したし、何気に年収が大台を超えたし、これらはやはり法華経転読の功徳なのだろうか。本稿をどこかへ埋経したらご利益倍増だろうか。

 

 そういう冗談はともかくとして、まとめ的なものを書いて終わろうと思うのであるが、27章に渡る法華経の主張の要約を試みるなどということは、浅学不才の身に余る暴挙であることを百も承知の上で、さりとて、そうでもしないかぎりはクロージング出来そうにないので、敢えてやってみることとしたい。

 

 第一に、法華経を説いた人々は、仏陀を、超越的な神ではなく、人間が辿り着くことのできるうちで最も尊い何か、と観念していた。そして、仏陀の尊さの最たるものとして、他の人々を同じく仏陀の境地へと導く働きが想定されていた。本稿では、これを便宜的に“教育者∞”と表現してきたが、これは、彼らの主張を理解する上で、今日的に我々が“仏陀”の語から想起する超越的な何者かを、必ずしも顧慮する必要がないことを含意していると諒されたい。

 

 第二に、彼らは上記の彼らの仏陀観こそが、時間的・空間的に普遍な真理であると考えていた。同時に、この真理を訴える経典である法華経……ここには彼ら自身が創作したそれと、彼らが夢想した異世界においても真理として説かれるそれが含まれる……の一句一偈を語り継ぐことが、普通の人々が仏陀へと至る道筋であると主張するに至った。つまり彼らは、テキスト上の字面の印象とは異なり、実体存在としての超越的な神・仏・菩薩ではなく、我々が住むこの世界、さらには他宇宙をも統一的に貫く法則的なものを希求し、それを自分たちが表現し得た、と信じていたとしてよかろう。

 

 極めて大雑把な要約ではあるが、法華経が手を替え品を替え言っていることは、つきつめれば以上がすべてである。

 

 改めて力説するまでもなく、これらの主張は、紀元1〜2世紀頃を生きた彼らが手前勝手に放言したことが、たまたま複数の翻訳や翻案を経て今日の我々の知るところとなったものであり、それ以上でもそれ以下でもない。その主張は、真理性が証明されたわけではない。

 

 一方で、今日の我々が享受するところの、自ら望み求め勝ち取ったワケでもない自由・平等・科学に重きを置く価値観の視点から見れば、法華経教団の主張はさほど的を外したものではなく、むしろ面と向かって否定することが憚られる聖性を帯びていなくもない。「人間は誰もが等しく最高の可能性を発揮し得る存在である」「これが時間・空間を超えた真理であることを語り継ぐべきである」といった言明に対し、強いて噛みつく理由はない。が、これは有り体に言えば二重に錯覚である。

 

 個々人が認めようが認めまいが、我が国に限っていえば歴史的にみて法華経は我々がそういった価値観を受容するに至る下地の一つとなったものなのであり、その価値観をもって法華経を評価するのは循環論法である。我々が無意識のうちに正しくて当然と考えている自由・平等・科学といった価値観もまた、真理性が必ずしも証明されているものではないのだから。まぁ、それを言い出すとキリがないから一旦置こう。

 

 本稿では、法華経の冗長かつ難渋なテキストから、彼らが何を主張したのかを読み解くと同時に、頼りない推論を重ねに重ねつつ、彼らはなぜそのような主張をするに至ったのかを探ってきた、つもりである。

 

 その結果明らかになった……書いている本人は結構勝手に納得しているのだが……のは、法華経教団が法華経を論述するに至ったのは、釈迦以来の学問的探求の果てであるとか、深い哲学的洞察であるとか、超越的な啓示であるとか、そういったものではまったくなくて、ただただ、法華経教団が生きた時代において、彼らが在家衆から何がしかの寄進を得て食いつないでいくために法華経の主張が有利に働いたから、に他ならないという点である。

 

 否、より厳密に言えば話は逆で、法華経教団以外にも同時代的に種々存在したであろう仏教派生の亜種の中で、法華経の主張が、少なくとも次の時代へ継承可能な程度には人々に受容される何かを備えていた、と表現すべきであるように思われる。つまり、法華経の主張は、法華経教団が生み出した、と言うよりは、当時のインド社会に法華経的な考え方を受容する機運が潜在していて、これを法華経教団がたまたま具現化したに過ぎない、とすら言えるだろう。

 

 ただし、以降は話がいささか複雑だ。法華経が今日インドと呼ばれる地に生まれたことは疑いないが、現代のインドでは法華経どころか仏教自体が超マイナーな少数派である。つまり、法華経はその生地においては次世代への継承をおこなう程度には受容されたが、それは時間的普遍性を持たなかった。これはさほど驚くべきことではない。キリスト教だってその生地では存外影が薄く、本来的には縁もゆかりもないはずのローマやコンスタンティノープルが本場面をしていることを思い出そう。

 

 対して、法華経は漢語文化圏において厚遇を受けた後にその中心地においては忘れ去られ、生地から遥か離れた極東の島国……つまり我らが日本であるが……に、それそのものかはともかくとして、根付くことになった。繰り返すが、たとえばあなた個人がその直接の影響下にあるかはこの際どうでもいいのである。が、厳然たる事実として、今日この日においても、日本の政権与党の一角には法華経を奉じる人々がいる。その意味するところは何か。

 

 要するに、個々人がどう考えるかはともかくとして、総体としての日本人・日本社会には、法華経が主張するところの「人間は誰もが等しく最高の可能性を発揮し得る存在である」「これが時間・空間を超えた真理であることを語り継ぐべきである」といった考え方を受容する傾向がある、ということなのだろう、とボクは考える。そうでなければ、インドや中国大陸がそうであるように、法華経およびその亜種は今日に至るまで生き残ることはなかったし、ましてや政権与党に参与することもなかったはずだから。

 

 同党やその支持母体に悪感情を抱いている人からすれば面白くない話になるかも知れないが、必ずしもこれは悪いことではないように個人的には思う。アジア域において、その内実はともかくとして、日本ほど現代民主主義に急速に適応した国はないのであって、このことと、法華経を受容し得る下地は、おそらく無関係ではない。ただし、ボクはこれを以って法華経を高評価しているワケではないことは明言しておくべきだろう。有り体に言えば、ボク自身は民主主義の手放しの支持者ではないからである。

 

 とまれ、ここに至ってようやく、どのような問題意識がボクに法華経転読(うたたよみ)をなさしめたか、が自分でもわかってきた。

 

 法華経自体はここまで見てきたように、有り難くなくもないが、本質的には荒唐無稽な与太話に過ぎず、二千年に渡る継承過程にも少なからぬ問題が満載である。一方で、その法華経に含意された諸々の思考形態が、今日の日本に暮らす我々に浅からぬ影響を与えていることも、銘々の自覚の有無はさておき疑う余地はない。が、そのわりには、法華経に対して、自ら法華経信仰者を自称する人々も含めて、無知・無関心に過ぎはしないか。

 

 これが他人のことなら、隣の芝の話なら実はわかりやすい話なのである。

 

 たとえばアメリカ合衆国。第二次大戦以降、明に暗に我々をいろいろな意味で引きずり回してきたし、我々の方からも追い求めてきたかの大国のことを考えてみるといい。個々人はともかくとして、総体としてのアメリカ国家の価値観をキリスト教、特にプロテスタンティズムが規定してきたことは疑う余地もなく、それは決して悪い話ではないし、むしろ一定の成果を収めてきたことを我々は理解している。

 

 一方で、自身をクリスチャンでありアメリカ精神の体現者であると自認しつつ、実はキリスト教に対して教条的な解釈を振りかざし、その真価を自分の頭で考えようとしない宗教右翼が、同国の存立を脅かす潜在的なリスクとなっていることが、我が国においても指摘されるようになって既に久しい。

 

 きっと、向こうから見れば我々の方だって同じなのである。

 

 誤解のないように申し添えるが、ボクは件の政権与党だけをアメリカの宗教右翼に擬えているワケではないのだ。自身の価値判断を疑うことなく確信しつつ、その実そのルーツたるところ……無論、法華経のみがルーツだ、と言っているワケではないが……に無知・無関心で、そのワリにはやたらと偉そうに声高な人々を指して言っているのだが、まぁ、こうして好き勝手書きつつも、いささかどうでもよくなってきた感もなきにしもあらず。

 

 どうにもうまく表現することが出来なくて我ながらもどかしいのであるが、ボクは天下国家を論じたいワケではない。と言うか、有り体に言えば、正直なところあまり興味がない。ここまで便宜上マクロな視点を述べて来たが、真の関心事はむしろミクロな方にある。つまり、好むと好まざるとに関わらず、上に述べたような情勢の中を生きていかざるを得ない他ならぬあなたにとって、こういったことに無知・無関心でいることの本源的な怖さ……ちょっと違うような気もするが、他に思いつかない……を伝えたい、と言うか、これもやはりちょっと違うような気がするが、まぁ、そんなモヤモヤ感から、無為な我が人生から8ヶ月ほど振り出してみた次第だ。

 

 結果的に、ボク自身はとても楽しかったし、冒頭にも書いたように、何故かこのところ良いこと続きなのであるが、これが法華経転読(うたたよみ)の功徳であるか否かについては、ボク自身には判断しかねる。

 

 なんだか完全に狂人の文になっているような気がしないでもないが、なんだか満足してしまってこれ以上何も言うべきことも思い浮かばないので、この辺りで終了することとしたい。最後までお付き合いくださった幾ばくかの読者諸兄に謝意を捧げておく。願わくは我が法華経が貴兄をして結局何だかよくわからない阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得さしめんことを、スヴァーハー。

 



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