CHiYO NOTE (苺ジャム)
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プロローグ
第一話 新たな生活


どうも。苺ジャムです。
初投稿作品なのでお手柔らかに。

デスノートとウマ娘のクロスオーバーですが、登場人物が死ぬ描写をするつもりは一切ないのです。

ウマ娘のゲームも楽しませてもらってます。
本編はデスノートの原作の最終話の直後からそのまま始まっていきます。

それでは、本編をお楽しみください。


「うわーーーっ 死にたくない!! 逝きたくないーーーっ」

 

ドクンッ

 

「ち 」

 

 

「ちくしょう…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジリリリリ…

 

ガバッ

 

「?!」

 

「どういうこと、だ…?」

 

僕は

 

夜神月は

 

ニアとの決戦で、負け…死んだ

 

そうじゃないのか?

 

どうして今…生きているんだ?

 

デスノートに名前を書かれた人間は死ぬ…

そのルールは絶対の筈だ

とするとここはどこなんだ?

もしや人間界ではないのか?

 

様々な憶測が頭の中を巡る

 

自分の周りを見渡すが、見慣れた自分の部屋があるだけだった

どうやら死神界ではないらしい。

前にリュークに話を聞いたことがあるが、死神界は砂漠の様な殺風景な場所らしい。

人間界であることが分かってひとまずは安心だ。

依然として疑問はあるが。

そして、自分の部屋になにか手がかりがないか、探し始めた。

 

「…!机の二重底がない…」

 

普段デスノートを保管していた学習机の二重底が、なくなっている。

 

「おい、リューク、いるのか?」

 

しかし、返事は返ってこない。

 

「………」

 

僕は…夢でも見ていたのか?

 

デスノートなんて初めからなくて…

ずっと、夢の中の出来事だったのか…?

 

目の前のなんの変哲もない現実

デスノートを発端とした目まぐるしい頭脳戦の日々

 

理知的に考えれば、どちらが現実的か、比べるまでもない。

 

「もしかして、本当に悪い夢を見ていたのかもしれない…

現実的に考えて、ノートに名前を書くだけで人が死ぬわけないじゃないか」

 

しかしまだこの状況では何が真実かという決断を下すには早すぎる。

まずは今がどういう状態なのかを知らなくては。

 

そう考えた月はリビングに降りていった。

 

「月、今起きたの?もう9時よ?」

 

彼女は僕の母、夜神幸子。

 

「お兄ちゃん、いくら疲れたからって寝すぎーー」

 

こいつは僕の妹の粧裕(さゆ)。

 

「いいだろ、いつまで寝てたって」

 

カレンダーで今日が何もない日なのは確認した。

余計な事を口に出さないように会話をやりすごす。

 

「お兄ちゃん、明日は朝早いんでしょ?だらしない生活してちゃダメだよー!」

 

明日…カレンダーには「AM6:00」と書かれていた。

しかし、肝心の用事が書いてなかった。

なんのことを言っているのかが分からない。

「ごめん、明日って何の日だっけ?」

 

「えーっ?!お兄ちゃん忘れちゃったの?」

 

「あんた、明日はトレーナー試験の合格者発表の日でしょ?

今からそんな調子でどうするの?」

 

…トレーナー?

僕は中学生の頃にテニスの全国大会で2度優勝したことがあるが…

テニスのトレーナーの資格でも取ろうとしていたのだろうか

しかしこの段階でこれ以上ボロを出すわけにはいかない

ここは…

 

「申し訳ないんだけど、ここ数日の記憶が曖昧でね…

何をしていたのか、あまり覚えてないんだ」

 

…これが最善か?下手に当てずっぽうで喋るよりも、こうした方が情報を引き出しやすいと思う。

実際、僕はこの世界で生活していたという記憶がない。

だからまぁ、あながち嘘ばかりというわけでもない。

 

「えーっ、お兄ちゃん、記憶ソーシツってこと?!」

 

「ちょっと、大丈夫?病院に行った方がいいんじゃない?」

 

「あんまり酷いようなら病院に行くよ。それで、とりあえず明日僕はどこに行けばいいのかだけ教えてくれないかな」

 

「そりゃあもちろん『トレセン学園』だけど…

まぁ私は合格発表自体は心配してないけどね~

なんたって全国模試一位も取った自慢の兄ですから」

 

どうやら僕はこっちでも全国模試一位を取っていたらしい。

それよりも今気になるのは『トレセン学園』というワードだ。

 

「ありがとう、それじゃあちょっと外に出てくるよ

朝食はいらないから」

足早に家を出た。

まず、この世界はただ単に僕がデスノートを拾わなかった世界という訳ではない。

少なくともトレセン学園なんて聞いたこともない。

僕は知らないことが多すぎる。

 

「まずは、知らないとな。」

 

この世界について。

そして、今の僕について。




【DEATHNOTE】

少年ジャンプで連載されていた漫画。
生まれつきの天才で人生に退屈していた高校生夜神月と、「面白いこと」を求める死神リュークによって織り成されるダークヒーローファンタジー。

【夜神月】

DEATHNOTEの主人公。
容姿端麗、博学才穎であり、運動能力も優れている、まさに非の打ち所のない程の天才。更に友達も多い。しかし彼は煽り耐性が0であり、原作ではそのせいで感情的になってしまい、致命的なミスを犯している。

デスノートを拾う前は心優しい優等生だったが、デスノートを使っていくうちに性格が豹変していく。

なお、素で「新世界の神になる」とか言っちゃうくらいなので、厨二病だと思われる。


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第二話 ウマ娘との出会い

第二話です。今回から少しずつウマ娘も出していけそうです。
それでは早速第二話をどうぞ!


とりあえず外に出てきたはいいものの、ここからどうするか…

図書館にでも行ってみるか。『トレセン学園』がなんなのか、分かるかもしれない。

 

 

 

 

 

【図書館】

 

月は早速図書館にあるパソコンを使い『トレセン学園』について調べていた。

 

「日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園…

中高一貫校であり、東京都府中市のトレセン学園には2000人以上のウマ娘が在籍している…」

 

謎が増えたな…ウマ娘?とは一体何なんだ?

やはりここは人間界ではないのか?

いや、僕の家はそのまま残っていたし、図書館までの道中にも変わった様子はなかった…

一体どうなっているんだ…?

とりあえずこの『ウマ娘』というものについて調べてみるか…

 

「ウマ娘とは…腰付近から尻尾が生え、耳が頭頂部付近にあり、さらに超人的な走力を持つ生き物。耳と尻尾以外は一般的な女性と同様の見た目を有する…成程。」

 

人間に近い容姿を持つ生物…

まぁ僕はこの目で死神も見ているわけだし、人間以外の不思議な生物がいてもなんら疑問はないが…

 

問題はそこではなく、僕が元いた世界にはウマ娘という生物は存在しなかった、ということが問題なのだ。

どうやら、ここはやはり僕が元々いた世界とは違うらしい。

デスノートがなくなっただけの世界でもない、という事だ。

 

「トレセン学園では、ウマ娘がトレーナーと共にレースへの出走を目指し、日々切磋琢磨している」

 

もしや母さんと粧裕が言っていたトレーナーというのはこれのことか?

一体どうして僕はこんな職業の試験を受けたことになっているんだ…

母さんが言っていた通りなら、明日その試験の合否発表があるらしい。

これは願ってもない事だ。これから試験を受けるとなれば、トレセン学園、もといウマ娘についての知識が一切ない僕がその試験を突破出来るとは思えないからだ。

 

「この世界の僕はどうしてトレーナーになろうと思ったんだろうか…」

 

謎は深まるばかりだが、今はそこについて詮索している暇はない。

 

「まぁ、兎にも角にも明日の試験の結果次第だな」

 

色々と調べたが、僕がウマ娘に関わるのはトレーナー試験に合格したらの話だ。

 

少し謎が解けて安心したので、一旦家に帰ることにした。

その前にコンビニで何か買って帰ろう。小腹が空いた。

月がコンビニに到着したとき、入口付近に何台かバイクが停まっていた。

 

「おねーさーん、今から俺らと遊ばない?」

ガラの悪そうな男が、コンビニから出てきた女性相手に絡んでいる。

 

ナンパか。どの世界にもこういう奴らは一定数いるものなんだろうか。

 

「俺、渋井丸拓男 略してシブタク

付き合ってよ、おねーさん」

 

渋井丸拓男…?!どこかで聞いたことがあるような名前だな。

だが、こんな男と僕が知り合いな訳もないし、勘違いだろう。

 

「こ… 困ります…」

 

話しかけられている女性は…髪の色がややピンクがかっており、腰の辺りに尻尾があり、頭頂部付近に耳がある。

 

「もしや、この女は…ウマ娘、なのか?!」

 

実際に見てみると、本当に人間の女性と遜色のない容姿をしている。

いや、むしろ女性の中では容姿端麗な方ではないか?

 

「すみません、急いでますのでっ!」

 

 

そう言って彼女は走り出したのだが、そのスピードが尋常ではない。

渋井丸拓男と名乗る男は後を追いかけていったが、あれだと逃げ切られてしまいそうだ。バイクで走っている以上、小道なんかに逃げられてしまったら追いかけようがないだろう。

それよりも僕は、彼女に興味があった。

 

「なんだあのスピードは…?50キロは出てるんじゃないか?」

そういえば、さっき調べた時に『ウマ娘の最高速度は50~70キロほどで…』とあったがあれは本当だったのか。

 

その後いくつか食べ物を買ってコンビニを出た。

家に帰ってからも何度かさっきの出来事を思い出していた。

 

「確かにウマ娘の速度には目を見張るものがあるが…

アレはなんだったんだろうか…」

 

月の言うアレとは、店先で絡まれていたウマ娘が大事そうに抱えていたものである。

月が目視した限り、彼女が大事そうに抱えていたものは、『ノート』だった。

 

「まさかデスノート…いや、この世界にはそんなものはないはずだ。」

 

そうは思うが、ここは前に僕がいた世界とは違う世界だ。何があっても不思議ではない。

気づけばウマ娘のことばかり考えている。まだ関わることになるかどうかも知れていないのに。

 

「今日はもう寝るか。合格発表は朝早いらしいし」

まだまだ謎は多いが、現状これ以上出来ることもないだろう。

 

色々な事を考えながら、僕は眠りについた。




第二話、どうでしょうか?
話が大きく進んでいくのは次回からですね!
今回は渋井丸拓男が出せただけでもう満足です。(おい


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第三話 いざ、トレセン学園へ

昨日はよく眠れた。と、言いたい所だが、そうでもない。

考えることが多すぎたからだろう。

 

「朝6時に家を出発、ここまでは計画通りだな。」

トレセン学園までの経路は昨日のうちに調べておいた。

うちからトレセン学園まではそこまで長い時間はかからないようだ。

 

 

 

 

早速駅から電車に乗り、トレセン学園を目指す。

学園に近づくにつれ、恐らく合格発表を見に行くであろう人達が電車に乗り合わせてきた。大半がスーツを着て、ソワソワとぎこちなくしている。

どうやら府中のトレーナーになることはかなり難易度の高いことらしい。東大合格レベルの知識が必要になるとか。

まぁ僕は過去に東応大学を首席で合格している。

ただ知力を問われるだけの試験なら突破出来ている筈だ。

そんなことを考えているうちに、トレセン学園の最寄り駅、府中駅に着いた。

 

「やはりほとんどの人がここで降りるか」

 

よく見るとチラホラとウマ娘もいる。この世界ではウマ娘は至って普通に人間と共存しているのか。かなりの走力や力を持っているだけあって人間とはまた違う地位にいると思ったんだが。

僕の創ろうとしていた新世界に近いものを感じる。

 

電車を降りて駅を出て、しばらく歩くとトレセン学園が見えてきた。

ウマ娘が大勢いるかと思ったが、そうでもなかった。今日はトレーナーの合格発表の日だし、やはり学園は休みになっているのだろう。

7時半から学園が解放され、学園内に張り出してあるボードで合否が分かる様になっているようだ。

ネットでも合否が見られるらしかったのだが、一度トレセン学園を実際に見ておきたかったので直接見に来る事にした。

 

「ここがトレセン学園か

かなり広いな…気を抜くと迷いそうだ」

 

かなりの敷地面積を誇るとあったが、噂に違わず、といった感じか。

そしてすぐに合否発表が掲示されている場所へと着いた。

月は自分の番号を探す。

 

128、128…

 

 

 

 

 

 

 

 

…あった。

 

「…ふぅ」

安堵の息が漏れる。東応大学の合格発表の時より緊張した。

あの時と違って、試験を受けた記憶がなかったからだ。

 

とりあえず合格だったわけだし、書類を受け取って今後の為にウマ娘やここについてもっと詳しく調べる必要があるな。

 

すると、一人の女性が近づいてきた。

 

「すみません、夜神さん」

 

「? 僕に何か用ですか?」

 

「すみません、私、駿川たづなと申します。

ここトレセン学園で理事長秘書を務めております。」

 

「駿川たづなさん…分かりました。覚えておきましょう。

ところで、どうして僕を呼び止めたんですか?」

 

「夜神さん、いや試験に合格したので夜神トレーナー、が正しいですね。夜神トレーナーは今回の筆記試験でトップの成績で合格でしたので、声をかけさせて頂きました。こちら、合格者用の書類です。」

 

たづなさんは僕に書類を手渡してきた。

こちらから取りに行く手間が省けた。

しかし、理事長秘書に呼び止められるとは。幸先が良いのか悪いのか。

 

「書類、わざわざありがとうございます、恐縮ですが、今日は試験の結果を見に来ただけなので、失礼します。」

 

「はい、それでは三日後の新人トレーナーへの説明会でお会いしましょう」

 

次に僕がトレセン学園に来る時は、三日後の新人説明会か。

三日もあれば、色々調べるには十分か。

 

そうして学園を後にしようとした時、前から来た一人のウマ娘とぶつかった。

こっちは避けようとした。が、思いのほかスピードが速かった。

やはり人間基準の考え方だと足元を掬われるな…

 

「す、すいません!!おケガないですか?」

 

「あぁ、大丈夫…」 あれ、この子は…

 

「昨日、の…」

 

そう、コンビニの前で絡まれていたウマ娘だった。

ピンクの髪が特徴的だったし、昨日の今日の出来事だったので、覚えていた。

 

「君の名前は?」

 

「えっ、わ、私ですか?『サクラチヨノオー』って言います!」

 

「サクラチヨノオー、ね。覚えておくよ。

僕は今日からトレーナーになった夜神月と言います。

月と書いてライトと読ませるんだ。変わってるでしょ?」

 

「ライトさん、ですね!ご親切にありがとうございます!

そうだ、お近づきのしるしにここは格言をひとつ…」

 

彼女はそう言うと、カバンからノートを取り出し、パラパラとめくる。

 

「っ、そのノートは?!」

 

「えっ、そんなにこのノートが気になるんですか?」

 

しまった、僕としたことが取り乱してしまった。

 

「い、いや…個人的にノートにはいい思い出が…」

 

「そうなんですか?おっと…」

 

バサッ、と音を立ててノートが落ちた。

 

「ノートは大事に扱わなきゃ、ほら…」

 

月はノートを手に取り、チヨノオーに渡そうとする。

 

しかし、月がノートに触れた瞬間。今まで見えなかったはずのものが見えた。

 

「うわぁぁぁ!!!」

 

それは、今まで月が何度も見てきたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死神、リュークだった。



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第四話 再会

「ライトさん、大丈夫ですか?!」

 

サクラチヨノオーが心配して声をかける。

 

しまった、思わず大声をあげてしまった。

 

「だ、大丈夫。はい、ノート。」

 

月はチヨノオーにノートを返す。

どうやらチヨノオーにはリュークは見えていないようだ。

 

「そ、それじゃあ、ライトさんに格言を差し上げます!!

えーっと…『にんじんは、いつ雨が降るか知らないものである。』!!」

 

………。

どういう意味なんだろうか。

 

「あ、ありがとう、それじゃあ僕はもう行くね」

 

「はい、お元気でー!!」

 

とりあえずどうにかその場を離れ、その日は家に帰った。

なぜかリュークもついてきたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいリューク、どういうことだ?

僕が今この世界にいるのはリュークが関係してるのか?」

 

「いや、俺じゃない。あの時月を殺したと思ったら、急に目の前が真っ白になって、気がついたらあのノートの死神になってたんだ。」

 

リュークもこの状況を理解していないのか。

いよいよ八方塞がりだな。

 

「あのウマ娘には、お前の姿は見えてないのか?」

 

「あぁ、見えてないみたいだ。デスノートのルールで『ノートに触れた人間は死神が見えるようになる』ってのがあるだろ?

あれには他の生物は適応されないから、それと同じってことじゃないのか?」

 

「…やはりウマ娘は人間とは異なる生物、ということか…?

そもそもあのノートは何なんだ?あれはデスノートなのか?」

 

「いや、どうやら違うみたいだ。あのノートにはところどころに色んなやつの名前が書いてあったが、そいつらは死んでなかったからな。

だから正確に言えば、俺は今死神じゃないのかもな。」

 

「……前に文献で読んだことがあるが…

この状況はもうそうとしか…」

 

「お、月、心当たりがあるのか?」

 

「心当たりがある、というかそう考えるしかない状況ってだけだ。

リューク、僕の見立てが正しければここはパラレルワールドってやつだ。

デイヴィッド・ドイッチュ曰く、人間が生きてる世界は一つだけでなく、いくつかの多次元世界が同時に進行しているという理論だ。

僕たちはその無数に存在するパラレルワールドに迷い込んだということなんじゃないか?」

 

「そんなことが本当にあるのか?」

 

「あるのかもな。今僕たちがこうしている説明がこれでしかつかないんだ。非現実的な話だが、死神やウマ娘がいる時点で、もう十分非現実的だ。」

 

「なるほど、言えてるな。」

 

そう言ってリュークは笑う。

 

「一応聞いておく。リュークは今デスノートを持ってないんだな?」

 

「あぁ、持ってない。それどころかこの世界にはどうやら死神界もないらしい。一度死神界に行こうと思ったんだが、無かったからな。

まぁ、あんな何も無いところに戻りたいわけでもないけど…。」

 

「となると、この世界で僕がまたキラとして新世界を創る、というのは出来なさそうだね。残念だよ、リューク。」

 

「そんなこと俺に言われてもなぁ」

 

「とにかく、もう一度サクラチヨノオーに接触する。あのノートがデスノートでないにせよ、あのノートにはリュークが憑いてるんだ。普通のノートじゃない可能性は高い。」

 

「つっても、どうするんだ?月、あの子と接点なんてないだろ?」

 

「おいおいリューク、僕はトレーナー試験に合格し、晴れてトレーナーとなったんだ。あの学園でトレーナーをやっていれば、彼女との接点は作れるよ。」

 

「月、知らないのか?あのウマ娘とかいう奴らには、一人につきトレーナーが一人担当について、個別でトレーニングをさせたりするって話らしいぞ。接触するにしても、お前はあのサクラ…なんとかの担当トレーナーってやつになるしかないんじゃないか?」

 

「なっ、そうなのか?」

 

知らなかった。一般的なスポーツで言うトレーナーは、複数人の指導を出来るものだから、勘違いしていた。そういえば前に調べた時にも、『担当トレーナーと協力して~』のようなことが書いてあったな。

しかし、問題は無い。接触する方法はいくらでもある。

 

「でも問題ないよ、リューク。もし彼女に担当がいたとしても、僕が別のウマ娘のトレーナーになって、その立場から彼女に接触すればいい。チャンスはいくらでもある。」

 

そのためには、ウマ娘についての知識が必要だ。トレーナーと言うからには、恐らくウマ娘に対して様々なアドバイスやサポートを施すのだろう。現状、僕はそういった知識については無知に等しい。

 

「それじゃあまだお昼だし、昼食を済ませたら図書館に出かけよう。リューク、りんごでも食べるか?」

 

「おぉ、りんごがあるのか?じゃ、頂こう。人間界のりんごは格別に美味いからな。」

 

こうして、何の因果か再び出会った僕とリュークは、昼食を済ませた後、図書館へ向かうのだった。

 




【リューク】

死神と呼ばれる存在。なお、この作品『CHiYO NOTE』では死神としての力を失っている。

本来死神のみが持つアイテムだったデスノートを人間界へと落とした、全ての元凶とも言える存在。

そんな彼だが、意外と愛嬌があり、ファンからの人気は高い。
好物はリンゴ。食べないと禁断症状が出るらしい。


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第五話 出発

あの日から3日が経った。

僕はその3日間の間で中央図書館にあるウマ娘・トレーナー関連の本を片っ端から読んでいった。

 

そこには様々なことが記されていた。

ウマ娘の走り方のフォームの例、レース場の種類、一般的なトレーニング方法、脚質適正や距離適性など。

 

トレーナーとして必要な最低限の知識は身についたのではないか。

 

「それじゃあ行くよ、リューク。」

 

「ようやくだな、待ちくたびれたぜ。」

 

僕は今日トレセン学園で行われる新人トレーナー説明会へと向かうため、リュークを連れて家を出た。

 

新人のトレーナーのほとんどは寮で生活することになる。

 

僕は家が学園とそれなりに近かったため、自宅通勤でも構わなかったのだが、寮での生活を選択した。

 

寮の方が都合が良かったからだ。

他の人間にはリュークの姿は見えないし声も聞こえない。

だから、家族がいる家よりも一人でいられる寮の方がリュークとの会話がしやすいのだ。

 

寮で生活するとなると、かなりの大荷物を当日に持っていくことを想定していたが、ある程度の家具は寮に揃っている上に、衣類などは予め寮に郵送することが出来た。そのため、今日はカバン一つにおさまる量の荷物でトレセン学園へと向かっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園に着き、貰った書類に記載してあった地図を頼りにかなりの広さのホールのような場所を目指す。

 

学園一つで東京ドーム数個以上の敷地面積を誇るというだけある。かなり歩かされた。

指定時間の10分前に自分の席に着いたが、既にかなりの人数が席に座っていた。

僕が着席し、しばらくすると説明会が始まった。

 

 

 

 

 

まず最初に理事長の挨拶から始まったのだが…

あれはどう見ても子供じゃないのか?

いや、見た目だけでの判断は禁物だ。

ニアとメロはまだ年端もいかない子供だったが、僕は彼らに敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、いくつかの説明があった後、各自解散ということになった。

残されたトレーナー達は、寮へ荷物を整理しに行ったり、その場でトレーナー同士での交流をしたりしている。

僕も交友関係を構築していくか。人脈はあるに越したことは無い。

 

「あの、すいません!」

 

一人の女性が僕に声をかけてきた。

 

こっちから行こうと思った矢先、まさかすぐに声をかけられるとは。

 

「はい、何ですか?」

 

「私、桐生院葵と言います!同じ新人トレーナーとして、よろしくお願いします!」

 

「桐生院葵さん…じゃあ、葵さんで良いかな?僕は月。夜神月です。よろしく。」

 

「夜神さん、よろしくお願いします!あの、夜神さんはこの後どうされる予定ですか?」

 

「とりあえずトレーニング中のウマ娘たちを見に行こうかなと思ってます。やはり実際に目で見て見ないことには、どうにもなりませんからね。」

 

「そうなんですね、あの、私もご一緒してよろしいでしょうか?まだこの学園を把握しきれていなくて…」

 

「えぇ、構いませんよ。じゃあ、一緒に行きましょうか。」

 

桐生院葵…トレーナーの名門、桐生院家の人間か…

 

ある程度リサーチは済んでいる。彼女の一族には代々受け継がれている『トレーナー白書』というものがあるらしい。

 

これは今後トレーナーとして生活していく上で、是非とも一度見ておきたい。そのためにも、出来れば友好な関係を築いておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、二人でグラウンドへとやって来た。

昼過ぎの時間帯だった為、ちょうど授業を終えたウマ娘たちがグラウンドへと出てくるところだった。

 

思った通り、僕ら以外にも何人かの新人トレーナーがウマ娘の走りを見に来ていた。

 

この三日で分かったことだが、一般人がウマ娘の走りを目にする機会はレース以外だと少ないのだ。

 

彼女達は基本的にトレーニングには学園やジムを利用するので、一般の人がトレーニング中のウマ娘を見ることはあまりない。

 

僕もレースの映像資料を参考にしただけで、実際にウマ娘の走りをこの目で見るのは今回が初めてだ。

 

レース場に行く程の時間の余裕は無かったからな。

 

「リューク、お前はサクラチヨノオーを探すんだ。僕はここでウマ娘のトレーニングを参考に見ておきたい。」

 

「まったく、死神使いの荒いやつだぜ。」

 

そう言うと、リュークは翼を広げて上空へと飛んで行った。

 

チヨノオーの担当トレーナーとなるのがベストだが、担当選びはそう簡単に出来ることではない。

新人に限らずトレーナーの給与は担当ウマ娘の戦績によって決められる。

ベテランのトレーナーは何人かのウマ娘の担当を兼任出来るのだが、新人の多くは例外を除き、一人につき一人のウマ娘の担当をすることしか出来ない。

 

そういった事情もあるので、担当ウマ娘選びは自身の生活に直結するのだ。

 

もしチヨノオーにレースで勝てるだけの素質が無かった場合というのも視野に入れた時、他のウマ娘の担当トレーナーとして接触する、というプランも考えておいた方が良いだろう。

 

そのためには、チヨノオー以外のウマ娘についても情報を集めなければならない。

 

後々ライバルになる可能性もあるわけだし。

 

「夜神さん、気になるウマ娘はいましたか?」

 

「そう…ですね、あの子なんかは素質ありそうですね。」

 

芦毛で長髪のウマ娘を指さす。

 

「明らかに一般的な走り方と違うフォームで走っていますし、実際それが噛み合ってスピードも出ている。足首が柔らかいのかな、ともかくあれは彼女にとって強力な武器になるんじゃないでしょうか。」

 

「あ、あの娘はオグリキャップさんですね、地方からトレセン学園に来たらしいですよ。なんでも、あの生徒会長『シンボリルドルフ』が直々にスカウトに行ったとか…」

 

シンボリルドルフ…史上唯一の八冠バにして、トレセン学園に在学する二千余人の生徒をまとめあげる生徒会長か。

 

実際のレース映像も見たが、あれはもう…ただ速いという域を超えている。

全体のレース運び、スパートをかけるタイミング、どれも非の打ち所がないレースだった。

『レースに絶対はないが、彼女には絶対がある』とまで言わしめたというだけはある。

 

「そうなんですか、あの生徒会長が…」

 

あのオグリキャップというウマ娘も、かなりの実力者なんだろう。

そんなことを考えながら、グラウンドを眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも何人か気になるウマ娘はいたが、名前が分からない。

こんな時、死神の目があれば、と少しだけ思ってしまった。

 

そういえば、今のリュークは死神の目の取引を行えるのだろうか。

まぁ、仮に行えたとしてもやるメリットがないな。

今はデスノートはないし、僕はキラじゃない。

 

殺したい相手なんていない上に、僕は今、ただの新人トレーナーだから。



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第六話 退屈

ウマ娘がどういうトレーニングをしているのかは概ね把握出来た。

グラウンドで得られる情報はこれくらいか。

 

「葵さん、僕はそろそろ寮に帰りますが、葵さんはどうしますか?」

 

そろそろリュークがチヨノオーを見つけた頃だろうか。

桐生院葵と離れたいので、適当な嘘をつきその場を離れようとする。

 

「私はもう少し見ていきます。気になる子もいるので。」

 

もう担当したいウマ娘の目星がついているのだろうか。

 

「そうですか、それじゃあまた。」

 

一度リュークと合流するため、その場を後にした。

しばらく学園の構造の把握がてら歩いていると、リュークが空から降りてきた。

 

「いたぜ、月。あっちのコースの方だ。」

 

「そうか、ありがとうリューク。今は手元にりんごはないから、寮に戻ってからでも構わないか?」

 

「さすが月、話が分かるな。」

 

そして、リュークがチヨノオーを見つけたというコースへ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは…中距離レースを想定したトレーニングコースか。

かなりの数のウマ娘やトレーナーがいる。

 

やはり中距離用のコースは人が多いな。中央競バでは中距離のGIや重賞レースが多いため、トレーナーとしては中距離が得意なウマ娘を担当したいんだろうな。

ここにいるということは、チヨノオーは中距離が得意なウマ娘なんだろうか。

 

「月、あそこだ。あいつだろ?」

 

リュークのいう方には、確かにサクラチヨノオーがいた。

 

「あぁ、あの子だ。どんな走りをするのかと思ったが…なるほど、極めて特殊、と言った感じじゃないな。むしろ基礎を磨き上げたような…型にはまった走り方をしているよ。ただ、確実に他のウマ娘と比べて頭一つ抜けている。」

 

彼女の走りは、さっきのグラウンドで見たオグリキャップのような、いわゆる『特殊型』のそれではなく、基本を積み重ねた上での、教科書通りの走り、といったような走りだった。

 

そして見た限りだが、彼女にトレーナーはいない。

 

「……。」

 

「どうした、月。」

 

「決めたよ、リューク。僕は彼女の担当トレーナーになる。もちろんあのノートが気になるってのもあるが、それだけじゃない。純粋に試してみたくなったんだ。僕のトレーナーとしての実力を。」

 

「意外だな、月がそんなことを言うなんて。俺はてっきり、また『新世界の神になる』とか言い出すのかと思ったぜ。」

 

「僕ももう立派な大人だ。さすがにもうそんなことを言うような年齢でもないよ。あの時は高校生だったしね。それに、あの時はデスノートという手段があったからああいう事をしたが、今の僕にそんな力はないよ。本来僕は、『心の優しい優等生』なんだよ、リューク。」

 

「よく言うぜ。」

 

「そもそも今も昔も僕が一番恐れているのは、退屈なんだよ。リュークも退屈だったから人間界にデスノートを落としたんだろ?」

 

「まぁ、そうだな。あの時は他に何も面白いことがなかったし。」

 

「それをたまたま退屈だった僕が拾った。つまるところ、全て退屈が原因なんだよ。だから、僕がトレーナーとしてここにいるのも『退屈しのぎ』に過ぎない、ってことでいいだろ?」

 

「よく分からんが、俺は面白いものが見られるなら、なんだっていい。」

 

「安心しろ、リューク。また面白いものを見せてやるよ。新世界の創世の始まりだ。」

 

「あ、言った。」

 

「……。」

 

「月ってちょっと中二病っぽいところあるよな。」

 

「……リューク、今日はりんご抜きだ。」

 

「えぇっ、それはないぜ…」

 

そうして二人は寮へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次の日。今日は未契約のウマ娘たちが出走する模擬レースがあるそうだ。

出走者名簿には、サクラチヨノオーの名前もあった。

 

「よし、ここで彼女をスカウト出来れば、僕は晴れて正式に担当持ちのトレーナーになれるという訳だ。」

 

「そう上手くいくか?」

 

「リューク、僕の予想が正しければ、この模擬レースの結果はーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ククク、本当にそんなに上手くいくか?」

 

「まぁ見てなよ、リューク。」

 

とはいえ、まだ11時を回ったばかり。

模擬レースは昼の12時から、距離別に開催される。

 

最初に短距離のレースが行われる。

次にマイル、中距離、長距離ときて、最後にダートレースが行われる。

 

それぞれ一時間の予定で、レースの間に20分程度の時間がある。

これはレース場の移動に関係している。

 

ここトレセン学園は簡単に言うとかなり広く、距離ごとに別々のレース場が用意されている。

 

ウマ娘からしたら、自分の最も得意な距離を選んでコースを走れるといった利点がある。

 

加えて、今回の模擬レースのような学園内のイベントにも利用されている。

 

本来、レース場をいくつも設置すると莫大な金額がかかるため距離別にコースが用意してあるのはかなり珍しい。

聞くところによると、理事長がかなり無理を言って設置したらしい。

子供のように見えて、恐ろしい人だ。

 

 

そして僕とリュークは昼食を取るため、食堂へと来ていた。

なんだかんだ、食堂に来るのも初めてだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入ってすぐに後悔した。

席に座って食事をしているのは、ほとんどがウマ娘だった。

 

 

これは後になって知ったことだが、トレーナーたちが食堂で食べることはあまりなく、自分のトレーナー室で食事を取るのが普通、とのことらしい。

 

人目を気にする方ではないのだが、さすがにこっちを見ている人数が多い…

次回からは自室で食事を取ろう、と固く誓う夜神月であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして僕たちは食事を取り終えた後に、午後から始まる模擬レースのため、中距離用のコースへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中距離用のコースに着いたが、時間よりかなり早めだったので、レースが始まるまでかなり時間がある。

 

今回の模擬レースは距離ごとに違う時間にレースが開催され、トレーナーたちは見ようと思えば全てのレースが見られるようになっている。

 

「中距離の前はマイルのレースか…」

 

昨日見た『オグリキャップ』も出走するみたいだ。まだ時間もあるし、見に行ってみるか。

 

 

 

 

 

 

マイル用のコースへと向かっていると、後ろから声をかけられた。

 

「トレーナーさんデスか?」

 

今日のレースに出るウマ娘だろうか。何故かプロレスラーが試合でつけるようなマスクをつけている。

 

「あぁ、僕は新人トレーナーの夜神。君は今日のレースに出る子かな?」

 

「私には既にトレーナーさんがいるので、今日のレースには出れないのデース!今日のレースに出るライバルの偵察に来たのデース!」

 

そういうパターンもあるのか。

 

「そうなんだ、じゃあ、僕は行くところがあるから。」

 

背を向け、その場を離れようとすると、またしても呼び止められた。

 

「あ、待ってくだサイ!まだ名前を言ってないデス!」

 

そう言うと、彼女はまた僕に近づいてきた。

確かにまだ彼女の名前を聞いていないが、僕に名前を伝えることがそんなに大事なのだろうか。

 

 

 

直後、彼女が言った言葉に、思わず背筋が凍りついた。

 

 

 

 

「私は『エル』デース。」

 

 

「!!!」

 

 

 

このセリフは…聞いたことがある。忘れるはずがない。

〝あいつ〟と初めて会った時のセリフ…

 

「これは私のトレーナーさんに教えてもらった挨拶なんデス!どうデス?面白いデスか?」

 

面白いというか…僕にとっては恐怖でしかないんだよ、そのセリフは。

 

「う、うん、独特な挨拶だね。僕は先を急ぐから。それじゃあね、エルさん。」

 

「はい、また会いまショウ!」

 

 

嵐のような子だったな。

 

 

…待てよ、さっき、あのセリフはトレーナーさんに教えてもらった、とか言ってなかったか?

 

いや、考えすぎか。あのウマ娘に担当トレーナーがいるということは、僕が関わることもそうそうないだろう。

今は自分のことに集中しなければ。

 

気持ちを切り替え、マイル用のコースへと向かうのだった。



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第七話 怪物

マイル用のコースにやって来た。

予定外の出来事があり少し遅れてしまったが、なんとか出走には間に合ったようだ。

 

中央競バではマイルのGIも多いため、トレーナーの間ではマイルのレースの注目度は中距離レースに次いで高い。この模擬レースにもたくさんのトレーナーが詰めかけている。

 

よく見ると何人かのトレーナーは既に声をかけるウマ娘に目星をつけているようだ。

手元の出走者リストに印がつけてある。

僕ものんびりとはしていられないな。下手すると先を越されそうだ。

 

ウマ娘たちは既にゲートに入って準備万端だ。

このレースの出走者は18名。恐らく彼女たち一人一人がこのレースに出るためにかなりの努力を積んできているはずだ。

 

なにせ2000人以上の中から選び抜かれた18名だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガコンッ

 

ほどなくして、レースが始まった。ゲートの開く音が観客席まで響く。

 

先頭に出たのは三番の子か。名前は…ミホノブルボン。

 

バ群から抜け出すのが上手かった。先頭集団はミホノブルボン含め四人か…この辺りにいるウマ娘が脚質で言うと〝逃げ〟と〝先行〟に分類されるのだろう。

 

「月、どうだ?このレースは。」

 

リュークが僕に言う。

 

「後方脚質…〝差し〟と〝追込〟のウマ娘がかなり多い。正直、逃げや先行のウマ娘にはやりづらいレースになるだろう。十四人分のプレッシャーが常に後ろからかかっている状態だからな。その反面、団子状態になっている後方のウマ娘たちは、誰が抜け出してもおかしくない。良くも悪くも誰にでもチャンスがある状態、という感じかな。」

 

「確かに、あれだけ後ろの方に固まっていると、こりゃ前の方は苦しい展開になりそうだな。」

 

「前方のウマ娘たちは、最終直線まででどこまでバ群を伸ばすことが出来るかが問題だな。」

 

「ん?どういうことだ?」

 

「バ群を伸ばすっていうのは、簡単に言うと後ろの方との差を広げるということだ。最終直線で後ろの脚質のウマ娘たちがスパートをかけても追いつけない程に差を広げておけば、今前の方にいるウマ娘たちにもチャンスがあるだろう?」

 

「なるほどな、そういうことか。」

 

そう言っているうちに、最終コーナーを回った。

この時点での先頭は未だにミホノブルボン。

ここまで一度も他のウマ娘に先頭を譲ることなく走り続けている。

そんなことが出来ている時点で、既に彼女にはかなりの素質があると思う。

 

後続との差は四バ身程度か…これは逃げ切りも有り得るかもしれないぞ。

 

徐々に後続のウマ娘もスパートをかけるが、差がかなり開いている。

 

「このままだと、あのミホノブルボンとかいう奴が逃げ切りそうだな。」

 

リュークはそう読むか。だが、僕はそうは思っていない。

 

「いや、まだだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…やはり来たか。

 

 

突如、レースを見ているトレーナーたちがざわつく。

それもそのはず、団子状態になっていた後方集団から突然一人のウマ娘が抜け出したからだ。

 

そしてその娘はどんどんスピードを上げ、先頭集団に食らいつこうとしている。

 

「凄い速さだな。それになんというか…低いな。」

 

そうか、リュークは昨日見ていなかったな。

彼女の走りを。

 

『オグリキャップ』の走りを。

 

リュークの言うように、彼女の走りは尋常でない程に姿勢が低い。

とてつもない前傾姿勢で走っている。

 

本来、あんな走り方をすれば、足が追いつかずに転倒してしまうだろう。あれが出来ているという事は、やはり足のバネが強いということだろう。そのバネがあの力強い走りを生み出している。

 

さすがにあの生徒会長にスカウトされたというだけはある。

 

そしてオグリキャップは先頭集団を大外から追い越し、二着に二バ身の差をつけ一着でゴールした。

 

なお、二着はミホノブルボン、三着はアイネスフウジンというウマ娘だった。

 

この二人も今回のレースでは二着と三着という結果に落ち着いたが、正直GIを勝ちきれるだけのポテンシャルはあるように見える。

霞んで見えるのは、レースが終わって早々に持参していた大量の食事を片っ端から食べているあの娘がいたからだ。

GIレベルのウマ娘を差しきれるウマ娘、まるで怪物だな…

 

しかし、何故彼女はあんなに食べられるんだ。

よく考えたら彼女はレースが始まる前にも大量に食事を取っていた。

普通のアスリートなら試合の直前や直後は食事が出来るような精神状態でないことが多いはずなんだがな…。

あの速度で走る為には、かなりのエネルギーを消費するのかもしれない。

 

「月、あのオグリキャップとかいう奴がメシを食ってるのを見てたら、俺もりんごが食べたくなってきたぞ。」

 

「我慢しろ。今手元にりんごはないんだよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして暫くして、トレーナーたちによるスカウトが始まる。

 

気になるウマ娘は何人かいたが、僕は既にサクラチヨノオーをスカウトすると決めている。これ以上ここに用もないし、そろそろ中距離のレースが始まる頃だ。中距離のコースに戻るとするか。

 

そう思い、戻ろうとすると、誰かに腕を掴まれた。

この子は…ウマ娘か。しかし、見たことない顔だな。

長い黒髪に黄色がかった目をしている。

 

 

 

 

 

「あの…すみません、その…あなたの後ろに…怪物のような方が…」

 

 

?!

 

 

このウマ娘、リュークが見えるのか?!




今回はずっと描きたかったレースの描写が出来ました。
いつか、もっと繊細なレースの描写も出来るようになりたいものです。


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第八話 目

このウマ娘、リュークの姿が見えている…

 

ノートの所有者であるチヨノオーにさえ見えていないのだから、てっきり誰の目にも見えないものだと勝手に思っていた。

 

しまった、動揺を顔に出してはいけない。

何も知らないという体でやり過ごそう。

 

「いや、分からないな。僕の後ろには誰もいないと思うけど?」

 

リューク、頼むから大人しくしててくれよ。

 

「そう…ですか。すみません、私、よく霊的なものが、見えるんです。周りに言っても…信じてもらえないんですが。」

 

霊感が強いタイプなのか?

もしそうだったとしても、死神が見えるはずはないんだが…

理由はどうあれ、彼女には今リュークが見えている。

 

「そうなんだ、霊感が強いんだね。教えてくれてありがとう。僕の名前は夜神月。新米のトレーナーさ。よろしく。」

 

「あ、いえ…こちらこそ、よろしくお願いします。

私は、『マンハッタンカフェ』と言います…。あの、もし困ったことがあれば…お力になりますので…。」

 

「ありがとう、助かるよ。」

 

そう言って、僕はマンハッタンカフェと別れ、中距離コースを目指した。

 

 

 

 

「リューク、どういうことだ?ノートに触れたことのない人間にはお前の姿は見えないはずじゃないのか?」

 

「そう責めるなよ。俺だってどうしてあの女に姿が見えるのか分かってないんだから。」

 

 

「そういえばリューク、お前は今も人間の寿命が見えるのか?」

 

前にも気になっていたことだが、リュークは今、死神の目を持っているのだろうか。

そしてリュークは今も『死神の目』の取引が出来るのだろうか。

 

「……月、実はな。俺、多分死神じゃないんだ。」

 

「なんだと?どういうことだ?」

 

「まぁ…人間の寿命が見えなくなってるってのもあるんだけど。

最初は気づかなかったんだよな。でも気づいたんだ。今俺に見えてる数字は多分能力値みたいなもんだ。」

 

…?

 

どういうことだ?

 

「ちょっと待ってくれ。リューク、お前は今人間の寿命が見えないが、何か別の数字が見えているってことか?」

 

「あぁ、そうだ。俺自身この数字が何なのかよく分かってないけどな。最初は寿命が見えてるんだと思ってた。けどこの数字減らないんだよな。なんだったら増えてるときもある。」

 

「つまりその数字はその人間の能力値…という可能性があるのか。」

 

「ちなみにウマ娘の数字も見えるぜ。なんかスカウターみたいだな。」

 

もし、リュークの言っていることが本当なら…こいつは今、ウマ娘の能力値を可視化出来ているという事になる…

 

それはトレーナーからしたら、喉から手が出るほど欲しいものなんじゃないか…?

 

「リューク、その目の取引の条件は何なんだ?死神の目と同様に寿命の半分なのか?」

 

「さぁな。俺は死神の目の取引は何度かしたが、このよく分からん目の取引はしたことがないからなぁ。ただ、何かしら代償があるって認識は多分間違ってないぞ。取引ってのはそういうもんだからな。」

 

「せめてその目の取引の内容が分かればよかったんだけどな。残念だ。それで、今までの行動から察するに、その目を使って僕を助ける気はないんだろ?」

 

「あぁ、今のところはな。取引するか?何が取られるかは分からないけど。」

 

リュークは不敵な笑みを浮かべながらそう言った。

 

「いや、遠慮しておくよ。何を代償として払うかも分からない取引をするほど切羽詰まった状況じゃない。それに、昨日も言っただろう?自分の力を試すって。そんな目を使ったら、到底胸を張って実力です、とは言えないだろうしな。」

 

「そういうもんかね。ま、欲しくなったらいつでも言えよ。」

 

死神の目の時同様に、誰かにこの目の取引を行わせるか…?

正直、リュークの目はトレーナーなら誰だって欲しいだろう。

なんにせよ今は保留だ。不確定要素が多い。

 

それに、リュークは今死神じゃないというのも気になる。

死神ではない『何か』になっているから、あのマンハッタンカフェというウマ娘には姿が見えているのだろうか…?

 

「とりあえず、他のウマ娘にはお前の姿は見えてないってことでいいな?」

 

「多分そうなんじゃないか?」

 

曖昧な答えだな。お前のことなんだが…?

しかしそれなら、現状大きな問題ではないか…?

 

「なら今のところは様子見で行こう。あのマンハッタンカフェとかいう奴が近くにいる時は僕に話しかけるなよ。」

 

「お、おう。」

 

まだ分からないことは多いが、そんなことばかりも気にしてられない。

新たな不安要素を抱えつつ、チヨノオーの出走する中距離レースを見に、レースコースへと向かった。




補足ですが、この世界だとリュークは死神と霊的な存在の中間に位置する生物として扱われています。
原則としてチヨノートに触れた人間には見えますし、マンハッタンカフェのような霊感が強い人やウマ娘にも見えます。

ただ、霊感が強い場合ははっきりと見える訳ではなく、ぼんやりと存在を感じる程度です。
マンハッタンカフェにもリュークの姿ははっきりとは見えていません。
イメージとしては霧がかかっているときのような見え方をしています。


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第九話 決着

プロローグを十話というキリのいいタイミングで終わりたいので、今回は短めです。


ここまで色々なことがあったが、ようやく中距離のレースが開催されるコースに戻ってこれた。どうやらまだレースは始まっていないみたいだ。

 

「ククク、月といると本当に退屈しないな。」

 

「笑い事じゃない。それに、さっきのはお前のせいでもあるんだぞ。」

 

人間やウマ娘の能力が可視化出来る目、リュークのことが見えるウマ娘…

考えたいことはあるが、今は後回しだ。

 

まずはサクラチヨノオーの担当トレーナーになる。

話はそれからだ。

そのためにも、余計なことを考えている暇はない。

 

今日の昼から立て続けに予想外の事が起きている。この中距離レースだって、僕の予想しているようにいくとは限らない。レースに絶対はない、とも言うしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、ウマ娘たちが続々とゲートへと入っていく。

そろそろレースが始まるみたいだ。さっきまで各々散らばっていたトレーナーたちも徐々に集まってきた。

 

「あ、夜神さん!夜神さんもこのレース、見に来てたんですね!」

 

「葵さん、昨日ぶりですね。まぁ、中距離のレースは他のトレーナーも注目されているようですし、僕もスカウトしたい子がいるので、見に来ました。」

 

「そうだったんですか。スカウト、成功するといいですね。」

 

「葵さんはもうスカウトするウマ娘は決めたんですか?」

 

「はい!私は既にスカウトしました!ハッピーミークっていう名前のウマ娘なんです。マイペースなんですけど、かなりのポテンシャルを持ってると思ってます!」

 

桐生院家の人間が選んだウマ娘か。ハッピーミークという名前のウマ娘は聞いたことはないが、一度見ておきたいな。

 

「それじゃあ、僕もウマ娘をスカウトに成功して、お互いに担当持ちのトレーナーになったら、一度併走をお願いしてもいいですか?」

 

「いいですね!ぜひ、お願いします!」

 

こうして、併走の約束を取り付けることに成功した。

まぁそれも、僕のスカウトが成功したらの話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ついに中距離のレースが始まった。

このレースの結果如何によって、僕の命運が別れると言っていい。

 

まず先頭を取ったのはサイレンススズカというウマ娘だった。

その後ろをキタサンブラックというウマ娘が追走する。

 

…チヨノオーは現在四~五番手あたりの位置についている。

先行のレース運びとしては良いのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最終コーナーを回って、直線へと入る。

先頭は変わらずサイレンススズカ。

 

「夜神さん、あのサイレンススズカさん…最初から一切スピードを落としていないですよね。」

 

「そうですね、最初はどこかでスタミナ切れになるかと思いましたが、どうやらそうでもないみたいですね。」

 

正直、僕も驚いている。中距離の、2000mのレースでこんなことが出来るなんて。理論上にしか存在しなかった走りが、今、目の前で行われている。

スタートからゴールまで、最高速度のまま走る。まるで小学生の考えたような走りだ。

 

現在、二番手との差は四バ身。しかし、二番手のトウカイテイオーも追走する。もしかしたらサイレンススズカを捉えるかもしれない。

サクラチヨノオーも四番手まで上がってきている。

さぁ、どうなる…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、レースが決着した。

結論から言うと、誰もサイレンススズカを捉えることは出来なかった。

圧倒的な走りだった。あれでデビュー前というのだから恐ろしい。

一着サイレンススズカ、そして一バ身差で二着がトウカイテイオーだった。三着はメジロライアン。彼女も最終コーナーの辺りから凄い勢いで上がってきていた。ステイヤーの名門、メジロ家のウマ娘でもあるし、中・長距離の素質は十分にあるだろう。

 

続く四着はヤエノムテキというウマ娘。

 

そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクラチヨノオーは、五着だった。




色んなウマ娘も登場してきましたね。
今後もっと絡みなんかも増やしたいです。


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第十話 契約

プロローグ最終話です。
それではどうぞ…!


程なくして、トレーナーたちによるスカウトが始まった。

通例ならば一着~三着のウマ娘のスカウトが集中するらしいが、今回に限っては半数以上のトレーナーが一着のサイレンススズカのスカウトに行ってしまった。デビュー前からあのレベルの走りが出来るウマ娘となれば、こうなるのも当然な気はするが。

 

僕は迷わずサクラチヨノオーの元へと向かう。

 

「こんにちは、サクラチヨノオーさん。」

 

「あ…えっと、夜神…さん?」

 

どうやらサクラチヨノオーは僕のことを覚えているようだ。

 

「はは、覚えててくれたんだね。嬉しいな。」

 

「私、人の名前とかはよく覚えてる方なので……」

 

気丈に振舞ってはいるが、前に会った時のような元気はない。

やはり落ち込んでいるな。

五着はそんなに悪い結果ではないと思うのだが、今回のレースは上位のウマ娘たちの走りのレベルが高かったから、余計に自分を過小評価しているのだろう。

 

「五着、でした…全力で走ったんですけど、まだまだですね…。」

 

「落ち込むことはないよ。君の努力は十分に伝わった。だから僕はここに来たんだ。」

 

チヨ「私、日本ダービーで勝ちたいんです。憧れのマルゼンさんが、どうしても走りたかったレースだから。夜神さん、私、日本ダービーで勝てると思いますか?」

 

 

 

 

 

 

月「…君の力では、日本ダービーを勝つのは…難しいと思う。」

 

 

 

「っ…。そう、ですよね。分かりきってたことですよね。……、分かりきってたこと、なのに…」

 

チヨノオーが涙を流す。

 

 

 

 

「だけどそれは、君一人なら、の話だ。」

 

チヨ「…え、」

 

「確かに君一人だと限界がある。だけどこれは君に限ったことじゃない。誰にだって言えることだ。一人で出来ることには限界がある。

でも、二人なら…二人なら、ダービーを勝てる。マルゼンスキーを越せる。…僕は、そう思ってる。」

 

「だから、僕に君を担当させてくれないか。必ず、君を勝たせてみせる。」

 

 

 

 

 

「…こんな結果でも、私を信じてくれるなら…こちらこそ、よろしくお願いします、夜神さん!いや、トレーナーさん!」

 

チヨノオーの顔は以前涙ぐんではいるが、その表情からは前向きな姿勢が伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、僕とチヨノオーは担当契約を結び、次の日の放課後にグラウンドでトレーニングをするという約束をして、その日はお互いに帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「月、本当にお前の言った通りになったな。」

 

リュークが言う。

 

「まぁ、多少想定外なことはあったが、無事に担当契約を結ぶことが出来て、良かったよ。」

 

そう、僕はこの展開をある程度予想していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は、今日の午前中に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

━━━━━━━━昼食前、寮にて━━━━━━━━

 

「リューク、僕の予想が正しければ、この模擬レースの結果は、チヨノオーが入着せずに終わると思う。」

 

「どうしてだ?才能はあるんだろ?」

 

「彼女の走りはまだ完成系には程遠い。他のウマ娘よりもまだまだ発展途上だ。昨日の練習を見ていたが、彼女はなぜか模擬レースの距離である2000mではなく、1000mを何度か走るという練習をしていた。」

 

「なんで1000mを走ってたんだ?レースの合間に休憩なんてないだろ?」

 

「僕は今の彼女に2000mを走りきるだけのスタミナが多少不足しているからだと考えている。

このことを踏まえて考えると、彼女は今日のレースは中盤までは良い位置で走れると思う。だが、おそらく後半、スタミナ不足で沈んでいくと予想している。模擬レースとは言えど、選りすぐりの十八名のウマ娘が出揃っているんだ。スタミナ不足で勝てるようなレースではないだろう。」

 

「なるほどな。そこまでは分かったが、そこからどうやってスカウトに持っていくんだ?」

 

「入着出来なかったとなれば、スカウトの声がかかる可能性は限りなく低いだろうから、ライバルがいないってことだ。もしそうなれば、担当契約は案外すんなりいくと思うよ。ウマ娘はトレーナーがいないとレースにも出られないらしいからね。担当契約が結べるとなれば、断るウマ娘なんてそうそういないだろう。」

 

「ククク、本当にそんなに上手くいくか?」

 

「まぁ見てなよ、リューク。」

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、僕はサクラチヨノオーと担当契約を結ぶことが出来た。

これで僕の当面の目標は本人の希望通り、サクラチヨノオーを日本ダービーで勝たせること、もといマルゼンスキーを超えるウマ娘にすることだ。

 

マルゼンスキーについては調べがついている。

別名『スーパーカー』と呼ばれた、伝説級のウマ娘の一人…

それを超えるとなると、生半可は気持ちではトレーナーなんて務まらないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白い、やってやるよ。

 

僕は、ウマ娘界の神になる。




という訳で、次回から第一章が始まります!
ようやく夜神月をトレーナーとして動かせるということで!
やりたいことはたくさんあるので、頑張って書いていきたいなと思ってます!


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第一章 始まり
十一話 挨拶


プロローグも終わり、遂に物語が動き出します!
第一章の始まりです!
それでは、どうぞ。


紆余曲折あったが、僕は正式にサクラチヨノオーのトレーナーとなった。

早速今日からレースで勝つためにトレーニングをしていくわけだが。

 

ウマ娘は、レースで勝つことが目標とは言っても、実際に重賞レースで勝つことが出来る素質を持つウマ娘は一握り。

レースに勝つことが出来ずにレースの道を諦めるウマ娘も数多くいる。

そして、そうなってしまったときは普通の人間同様、進学なり就職なりするので、最低限の学力は必要。

なので、普通の学生同様に、勉学に励んでいる。ということらしい。

 

この時間のウマ娘たちは授業を受けているので、僕は授業が終わるまで待っていなければならない。

 

そういえば、正式にトレーナーになって、この学園に来てから三日経つが、まだ理事長に挨拶をしていない。色々あったとはいえ、これ以上後回しにするのも良くないだろう。

時間もあるし、一度理事長に挨拶に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコン

 

「失礼します、新人トレーナーの夜神です。

理事長へのご挨拶に伺いました。」

 

「許可ッ!入ってよろしい!」

 

ドアを開けると、そこにはたづなさんと理事長がいた。

 

「君がトレーナー試験をトップの成績で合格したという夜神トレーナーだな?」

 

「はい、…そうみたいですね。」

 

トレーナー試験を受けた時の記憶がないので、こういう答え方になってしまう。

 

「歓迎ッ!我々は、君のこの学園での活躍を心から期待しているぞ!」

 

新人トレーナー説明会のときも思ったが、背丈が子供くらいしかない。

これだけ近くで見るとなおのことそう思う。

それに、独特な喋り方をする人だな…。

 

「私は『秋川やよい』だ!何か用があるときは理事長と呼んでくれて構わない!」

 

秋川やよい理事長…活力のある人だな。

噂によれば、莫大な財産を所有しており、その私財を惜しげも無くウマ娘たちのトレーニング施設に投資しているらしいが…。

 

「夜神さん、お久しぶりです。早速担当ウマ娘も決まったみたいですね。」

 

「はい、この学園のトレーナーとして、誠心誠意努力したいと思います。」

 

「感心ッ!良い心がけだ!今年はトップでの合格者が二人もいるし、ウマ娘側だけでなく、トレーナー側も豊作な年だったな!たづな!」

 

「そうですね、理事長。」

 

試験の成績トップが二人同時に出ただと?

聞くところによると、東大に合格するような人間でもこの試験に合格することは難しいと言われているらしいが…

 

 

…嫌な記憶が蘇ってくる。

僕は過去にも同じようなことを経験したことがある。

 

あれは東応大学の入試の時。

あの時も、僕は試験の成績一位で合格した。

それも全教科満点でだ。

 

しかし、〝あいつ〟も僕と同じく全教科満点で合格した。

結果、僕と〝あいつ〟はその年の大学の新入生代表としてスピーチをした訳だが…

 

この世界でも同じような奴がいるとはな。

どんな奴なのか、一度見てみたいな。

 

「夜神さんは、もう一人の成績トップの方とはお会いになりましたか?」

 

「いえ、おそらく会ったことはないですね。成績トップが二人もいたんですね。初めて知りました。」

 

「そうなんですね。しかしその方、少し変わった方のようで…」

 

「変わった…というと?」

 

「どうやら模擬レースを見る前から担当するウマ娘を決めていたようで。契約用の用紙を模擬レースの前に出しに来たとか…。」

 

模擬レースを見る前から…?

ということは、あの説明会の日に、即日で担当するウマ娘を決めたということか?

確かに変わっているな。

本来なら自分の担当するウマ娘は慎重に選ぶものだからな。

 

「そうなんですか、もし会うことがあったら、ぜひトレーニングの意見などを聞いてみたいものです。」

 

実際、この世界に来たばかりの僕にはウマ娘に関わりのある知人が少ない。

人脈は大事なので、その成績トップの奴に限らず、多くのトレーナーと交流をしていかなければな。

 

「それでは、失礼します。」

 

理事長室を出て、トレーナー室へ行くまでの廊下で、おそらく新人のトレーナーとすれ違った。

 

やたら姿勢が悪かったので、顔はよく見えなかったが、どこかで見たことがあるような気がした。

 

 

 

 

 

 

こうして、理事長への挨拶を終えた僕は、トレーナー室で食事を取り、授業が終わる頃に待ち合わせ場所のグラウンドに向かうのだった。



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第十二話 憧れ

時間ちょうどにグラウンドに着くと、そこには既にウォーミングアップを始めているサクラチヨノオーの姿があった。

 

やる気があるようで何よりだ。

レースでの負けを長い間引きずり、練習に支障をきたす性格のウマ娘も少なくないらしい。

少なくとも彼女は今のところ大丈夫そうだ。

 

「お待たせ、ウォーミングアップ中?」

 

「あっ、トレーナーさん!ちょうど今、アップが終わったところです!」

 

ちょうど良いタイミングだ。

 

「よし、じゃあ早速トレーニングを始めていこうか。」

 

「はい、頑張ります!私…マルゼンさんみたいに、速く、強くなりたいので!」

 

前にも感じたが、彼女はマルゼンスキーに強い憧れを持っている。

確かにマルゼンスキーも優秀な成績を残しているウマ娘の一人ではあるが、大抵のウマ娘は三冠バであるシンボリルドルフやミスターシービー、ナリタブライアン辺りに強い憧れを抱くものだと思っていたが。

 

おいおい彼女と仲を深めていけば、彼女がマルゼンスキーを慕っている理由も分かるだろう。

 

「分かった、じゃあまずは、君の走り方を見たい。」

 

「走り方を、ですか?」

 

「あぁ、だからまずは、このグラウンドを普段のトレーニングの時のように一周ぐるっと回ってきてほしい。」

 

走り方というのは、ウマ娘個人で必ず違うものだ。

全く同じ走り方をするウマ娘などいない。

コーナーで多少傾いたり、姿勢が変化するタイミングがあったり、個人によってその癖は様々だが、必ずどこかに違いが生じる。

 

だからまずはそれを把握しなければならない。

本人が理解している癖もあれば、場合によっては無意識にそうなってしまう癖だってある。

もちろんそれら全てが走りにマイナスに作用している訳ではない。

癖を適切に把握し、トレーニングメニューの調整を行うのが、僕らトレーナーの役割だ。

 

「分かりました!」

 

そう言うとチヨノオーはグラウンドの方へ行き、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく走りを見ていたが、これは…

 

「リューク、あの走りを見て、どう思う?」

 

「え?そうだな…俺は走り方とか詳しくないけど、なんかぎこちない走り方じゃないか?」

 

「リュークもそう思うか?」

 

「なんかな…自分の走りたいように走ってるってよりかは、何かに従って走ってるように見えるんだよな…。」

 

概ね同じ意見か。

 

「僕は最初に彼女の走りを見た時、教科書通りの走り、と表現した。

でも違ったんだよ。確かに彼女は何かを参考にしたような走り方をする。しかしそれが何なのか、あの時の僕には分からなかった。しかし、昨日の会話で確信した。彼女は…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…これがまず最初の課題になりそうだな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん…どうでしたか?」

 

「あぁ、まぁいくつか課題点は見つかったよ。とりあえずスポーツドリンクでも飲んで。」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、一つ確認したい。チヨノオー、君の今の走り方は誰かを参考にしてる?」

 

「えっと…はい。マルゼンさんの走り方を参考に…」

 

やはりそうか。

 

今のサクラチヨノオーは、マルゼンスキーの走り方を参考にしている。

 

人の真似をして感覚を掴む、というのはトレーニングとしては悪いことではない。

人には向き不向きというものがあり、得意な事や苦手な事がそれぞれ違うものだ。

それはウマ娘にも同じことが言えるだろう。

自分に合った走り方や、合わない走り方が存在する。

自分の走り方のヒントを得るために、他のウマ娘の走り方を試してみるというのは悪いことじゃない。

 

しかし、彼女の場合は…あまりにも走り方を寄せすぎている。その上走り方が噛み合っていない。あれだと本来の能力を出し切れないだろう。

 

そもそもマルゼンスキーは脚質〝逃げ〟のウマ娘だ。

対してチヨノオーの脚質は…現状の走りを見た限り、〝先行〟だ。

逃げでも恐らく問題なく走ることは出来るんだろうが、多少走りづらくなっているんだろう。

 

「チヨノオー、君はマルゼンスキーのようなウマ娘になりたい?」

 

「は、はいっ!」

 

「…恐らくだけどその走り方のままだと、君の目標のダービーはおろか、重賞レースにも勝てない。」

 

「そ、そうですか…」

 

チヨノオーは落ち込んでしまった。

でも、僕が本当に言いたいのはマルゼンスキーのようなウマ娘になるな、ということじゃない。

 

「君はマルゼンスキーじゃない。

でも、マルゼンスキーを超えることが出来ると僕は思っている。」

 

「…!」

 

「まずは君に合った走り方を探そう。チヨノオー、もう一度グラウンドを走ってきてくれないか?

ただし今度は自由に走ってみてくれ。思いのままに走るんだ。」

 

「はいっ!分かりました!」

 

そして、チヨノオーが再び走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…さっきまでより、生き生きとした走りだな。」

 

無理に前に出過ぎず、前の方で足を溜め、後半でスパートをかける。

おそらくこの走り方がサクラチヨノオー本来の走り方なんだろう。

この走り方を軸にトレーニングを組んでみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ、チヨノオー。僕はこの後今の走りを参考にトレーニングメニューを組むから、今日のトレーニングはこれで終わりかな。」

 

「はい、分かりました!…あの、トレーナーさん。毎回名前をフルネームで呼ぶの、大変だと思うんです。だから私のことは、チヨって呼んでください!」

 

確かに呼びづらいとは思っていた。

チヨノオーの方からそう言ってくれるなら、受け入れておくべきだろう。

 

「分かった、それじゃあチヨ、また明日。」

 

「はい!それじゃあまた明日!」

 

今回はフォームに重点を置いてトレーニングをしたが、ここからはデビュー戦で一着を取るためのトレーニングを行っていかなければいけない。

今はチヨ一人でトレーニングしているが、レースの感覚を覚えてもらうためにも、他のウマ娘との並走トレーニングも僕が予定しておくべきだな。

 

まだまだやるべきことはたくさんある。

 

 

 

 

 

 

こうして、僕とチヨのトレーニング初日は幕を閉じるのだった。



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第十三話 因縁

さてと…今日は昨日のトレーニングで得た情報を元に作ったトレーニングメニューをチヨに試してもらおう。

フォームの矯正が目的のため、基礎に重点を置いたトレーニングではあるが、デビュー戦で勝つためにはまず基礎が完成していないと話にならない。

 

こう考えると、僕のこれまでしてきた勉強もレースも、大差ないな。

基礎を理解し、応用し、自分のものとする。

チヨノオーは元々努力家気質だし、レースで勝ちきれるだけの素質もある。

このペースでトレーニングをしていけば、本当に日本ダービーでも勝てるかもしれない。

 

ともかく、その才能を生かすも殺すも僕次第だ。

しっかりとサポートしていかないとな。

 

 

 

そんなことを考えながら、グラウンドへと向かう。

着くのが早かったため、まだチヨノオーはいなかった。

ちょうどいい。他のウマ娘の走りでも見ておこうか。

 

そう思った時、後ろから声をかけられた。

 

「久しぶりですね、月くん。」

 

「!」

 

この声は…忘れるはずがない。

 

 

〝あいつ〟だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はかつてデスノートを使い、腐った世界を正し、新世界の神になろうとしていた。

 

しかし、僕のその夢は、この男によって阻まれた。

 

「……久しぶりだな、竜崎。いや、『L』。」

 

「覚えていてくれたんですね。この学園でも竜崎ということで通しているので、呼び方に関しては竜崎で構いませんよ。」

 

L…お前もこの学園にいたとはな。

 

Lは、前に僕がいた世界では、警察内でトップの権力を持っており、『最後の切り札』なんて呼ばれていた名探偵だった。

その頭脳故にICPO内にもかなりの発言力を持っていた。

 

こいつさえいなければ、僕は新世界の神になれていたはずだった。

 

僕がデスノートを使い犯罪者を殺し、世間で救世主『キラ』と呼ばれ始めたとき、わざわざ日本のテレビをジャックして僕に宣戦布告してきたのが全ての始まりだった。

 

 

その一件で『キラ』が僕、夜神月であると考えたLは竜崎という偽名を使い僕と同じ大学を受験し、僕と同率の全教科満点で受験を通過した。

 

他にも、僕とLは警察内部に介入し、共に捜査を進めたり、お互いが監視となりながらの生活をしたこともある。

 

Lは終始僕を『キラ』だと疑っていた。

しかし最終的に勝ったのは僕だった。

僕は死神を操り、Lを殺した。

 

僕とLの対決は、僕の勝利で幕を閉じた。

しかしLとの対決の数年後、Lの意思を継ぐ「ニア」と「メロ」によって、僕は敗北した。

 

僕とLには、そんな因縁がある。

 

「それで、どうして竜崎はトレセン学園に来たんだ?」

 

「それは私の方が聞きたいです。月くんに殺されたあと、目が覚めたらこのトレセン学園の寮だったんです。」

 

ほぼ僕と同じ状況と言うわけか。

 

「それで、お前はどうするつもりなんだ?

僕は今キラじゃないし、デスノートなんて持ってない。

目的なんてないんじゃないのか?」

 

「いえ、目的はあります。月くんに勝つことです。」

 

「…何を言ってるんだ?」

 

「私が死んだその後の事がどうなったかは知りませんが、私は月くんに敗北しました。これは紛れもない事実です。

私は負けず嫌いなので、月くんに勝ちたいんです。」

 

「僕に勝つって言ったって、一体何で優劣をつけるんだ?」

 

「それはもちろん、レースですよ。

私たちは今トレーナーですし。」

 

それはつまり、自分の担当ウマ娘を勝手に勝負に巻き込むということか…?

 

「L、ウマ娘にもそれぞれ人生がある。僕らの勝手な都合で巻き込んでいいわけないだろ。」

 

「…正論ですね。とてもデスノートで多くの人間を殺したとは思えない程の。

まぁ、やる気があるとかないとか、そんなのは関係ないです。

僕は勝手に月くんに勝つことを目標にしてるというだけなので。」

 

「はぁ…相変わらずだな。」

 

おそらく今回のトレーナー試験をトップで通過したもう一人のトレーナーというのはLのことだ。

もしたづなさんの言うことが本当なら、Lにも既に担当してるウマ娘がいるに違いない。

 

「そういうことなら、勝手にすればいいさ。」

 

「では、そうさせてもらいます。」

 

 

 

やはり僕とLの因縁は、切っても切れないらしい。




というわけで、Lが登場です!
Lの本名はエル=ローライトですが、実は原作設定の月は本名を知りません。


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第十四話 因果

まさかLまでトレセン学園のトレーナーになっていたとは。

それも既に担当ウマ娘までいる。

同じデビュー戦に出走すると決まったわけじゃないが、もしそうなった場合は一筋縄ではいかなそうだ。

これまで以上に気合いを入れなければな。

 

L「どうです?月くん。

お互いに担当ウマ娘がいるわけですし、一度併走トレーニングでもしてみませんか?」

 

「…何を考えている?」

 

「そんなつもりはないですよ。ただお互いのためになると思っただけです。」

 

Lはこう言っているが、何かあるんだろうな。

でなければ併走をしようとは言わないだろう。

 

レースでライバルになる可能性のある相手と併走するというのは、それなりのリスクを伴う。

トレーナーとしては、併走は相手のウマ娘の情報を知ることが出来る機会である。

 

しかし、これは逆も然り。

相手側にも自分の情報を教えてしまうことになる。

だからライバル相手に併走を申し出るということは、Lには何か策があるに違いない。

 

「まぁ、考えておくよ。それに、まだうちのチヨは他のウマ娘と併走が出来るほど仕上がってないんだ。」

 

「そうですか、残念です。では、私もトレーニングがありますので、この辺りで。私の連絡先は渡しておきますので、併走する気が起きたら連絡ください。」

 

「分かった、考えておこう。」

 

Lが何を考えているのかは分からない。

分からないが…関係ない。

 

 

今回も、僕が勝つ。

 

 

 

思えば、僕個人としてトレーナーをやる意味はあまりなかった。

ウマ娘に対して特別何かがあるわけでもなく、ただ能動的に流されてここまで辿り着いたというのも真実だ。

デスノートもないこの世界で、いたって普通に生きていくという選択肢もあるにはあったわけだ。

 

しかし、流されて辿り着いた先にはL、お前がいた。

何の因果かは分からない。

 

どうして僕がこの世界にいるのかも。

どうしてこの世界の僕はトレーナー試験なんて受けているのかも。

どうしてリュークがチヨのノートに憑いているのかも。

 

分からないことだらけだ。

 

ただ、今の僕には目標が出来た。

 

「Lに勝つ」

 

どうやら僕は生粋の負けず嫌いのようだ。

俄然やる気が出てきたよ。

 

こうして僕はこの世界でもLと関わりを持つことになった。

 

「いやぁ、やっぱり人間って…面白!」

 

リュークはいつものように笑う。

こっちは面倒事が増えて大変なんだがな。

 

「良かったな、リューク。これでもう退屈することはないんじゃないか?」

 

「あぁ、また面白いものが見れそうだ。期待してるぜ、月。」

 

そう言って、リュークはさらに笑うのだった。

 

 

そうして、僕も本来の目的であるチヨとのトレーニングをするため、グラウンドへと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでは、アップを終えたチヨが、他のウマ娘と話していた。

 

「それでね、私今度のデビュー戦に出れるかも!」

 

チヨが元気に話す。

 

「そうなんですか、頑張ってくださいね。」

 

話しているウマ娘は、髪の色が薄い水色で、赤い髪飾りをしている。

あれはメジロ家について調べていた時に見たことがある。

メジロアルダンか。

 

彼女の姉、メジロラモーヌはティアラ路線で偉大な功績を残したウマ娘だ。

しかし、メジロアルダンは生まれつき体が丈夫ではないという話を聞いたことがある。

とはいえメジロのウマ娘。実力は折り紙付きのはずだ。

 

「こんにちは、メジロアルダンさん、だよね?」

 

「あ、アルダンさん!この人が私のトレーナーさんなんだよ!」

 

チヨが嬉しいそうにアルダンに言った。

まぁまだ新人のトレーナーがこの学園に赴任してきて数日だ。

トレーナーがいるウマ娘の方が少ないのだろう。

 

「そうですか、こんにちは。

メジロアルダンです。以後、お見知り置きを。」

 

見た目に違わない礼儀正しい立ち振る舞い。

流石良家の令嬢だ。

 

「チヨとは仲が良いんだね。」

 

少しチヨとの関係性を探る。

仲が良いのなら、今後チヨのトレーニングにも付き合ってくれるかもしれない。

 

「はい、同じクラスですし、チヨノオーさんは可愛いので。」

 

「ちょっと、アルダンさん?!何言ってるの?!」

 

チヨノオーが照れる。彼女は良くも悪くも純粋だ。

常に感情を表に出さない無表情な奴よりは接しやすいが、ここまで純粋だと騙されそうで心配にもなる。

 

「いや、実際チヨは可愛いと思うよ。」

 

「ちょっ、トレーナーさんまで急にどうしたんですか!も、もういいから、早くトレーニングしましょう!トレーニング!」

 

そう言うとチヨノオーはアルダンをどこかに追いやった。

 

「まぁいいや、それじゃあトレーニングを始めよう。

まずは昨日の練習を踏まえてトレーニングメニューを調整したから、一度これでトレーニングをやってもらえるかな?」

 

「了解です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うん、やはり速くなっている。

これがベストな走り方とまではいかないかもしれないが、前の走り方よりはいいのではないだろうか。

よし、当面のトレーニングメニューはこれでいこう。

 

「月、ちょっといいか?」

 

リュークはうすら笑いではなく、焦ったような顔をしている。

 

「どうした?」

 

「なんか後ろの奴に見られてるぞ…お前。」

 

…それくらいなら、別にあるんじゃないか?

自慢になるが、僕は顔も悪くないので、見られることは昔からよくあった。

 

「どういう奴だ?」

 

「髪が黒くて、髪の長さはそんなに長くない。手帳みたいなのに何か書き込んでるぞ。でもそれだけじゃない、あいつの頭の上に数字が見えないんだよな。」

 

これは死神の目の話だが、「死神の目」の所有者は目で見た人間の名前と残りの寿命を見ることが出来る。

しかし、ノートの所有権を持っている人間の寿命は見ることが出来ない。

これは、デスノートの所有者は「命を狩られる」側ではなく「命を狩る」側として認識されるため、殺す対象の名前と寿命だけ見えればいいからである。

 

「なっ?!おい、デスノートじゃないだろうな?」

 

もし今のリュークの目にも同じルールが適用されているとしたら、あのウマ娘はノートの所有者である可能性がある。

 

「名前は見えるのか?その子の名前は?」

 

「えーっと、エイシンフラッシュ…かな。」

 

リュークはそう言った。

 

エイシンフラッシュ…?!

初めて聞く名前だ。少なくとも僕と面識はないはずだが。

僕が後ろを振り向くと、彼女はどこかへと走っていってしまった。

 

くそっ、逃げられたか。

追いかけたいが、人間の脚力だとウマ娘に追いつくのは難しい。

それに、今はチヨのトレーニングの最中だ。

何も言わずここを離れるというのもはばかられる。

結局、彼女の正体は謎のままだ。

 

まったく、次々に予想外の事が起こる。

一体この学園はどうなっているんだ。




メジロアルダンとエイシンフラッシュが初登場ですね
エイシンフラッシュは今後重要なキャラになっていく…予定です


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第十五話 研究

僕がエイシンフラッシュのことで気を揉んでいる間に、チヨがトレーニングを切り上げて戻ってきた。

 

 

「トレーナーさん、どうしたんですか?

顔色が悪いですけど…?」

 

 

余計な心配をかけさせてしまったか。

 

 

「いや、大丈夫。なんでもないよ。

ところでチヨ、エイシンフラッシュって名前のウマ娘について何か知ってたりしないか?」

 

 

チヨ「フラッシュさんですか?

違うクラスなのであんまり仲良くはないんですけど、すごく几帳面な性格ですよ。いつも手帳を携帯してるんですけど、そこに書いてあるスケジュールは分刻みどころか秒刻みという噂も…」

 

 

チヨは冗談めかしてそんなことを言った。

 

 

なるほど、恐ろしいまでに几帳面な性格ということか。

秒刻みのスケジュールというのは流石に胡散臭いが、どっちにせよそういう噂が出回るほど予め決めた予定に準じているウマ娘ということだろう。

 

 

あの手帳に書いてあるのがその日のスケジュールなんだとしたら、あの手帳がデスノートであるという可能性は薄そうだな。

そもそも手帳にデスノートの効力が宿ることはあるんだろうか…?

 

 

「そうか、ありがとう。」

 

 

それから、チヨはメニューにあるトレーニングを一通りこなし、その日を終えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日僕は寮に戻った後、色々と考えを巡らせていた。

考えなければいけないことはいくつかある。

 

 

とりあえずマンハッタンカフェについて調べてみるか。

彼女はノートの所有権を持っているサクラチヨノオーですら見えないリュークを唯一見れる存在だ。

マンハッタンカフェについて調べれば、何かしらリュークのことについて分かるかもしれない。

 

 

幸いにも明日は休日。

ウマ娘たちも授業はないし、忙しくもないはずだ。

 

そうしてマンハッタンカフェに会いに行く決意を固め、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次の日。

朝食を済ませた僕はリュークと共にマンハッタンカフェの元へと向かうことにした。

リュークは、特に何も喋らないという条件で連れていくことにした。

マンハッタンカフェの目の秘密を明らかにするためにはリュークがいなければ始まらないからな。

 

 

昨晩、桐生院葵と連絡を取ったところ、マンハッタンカフェは空き教室の一つを保有しているから、そこに行けば会えるのではないかという話を聞いた。

どうやら理事長が学園を広大に作り過ぎたため、空き教室や空いているトレーナー室がそれなりにあるという話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ここか。

電気がついていないが、本当に中にいるのだろうか。

 

ガラッ

 

 

 

ドアを開けると、中には白衣を着ているウマ娘が一人。

電気のついていない暗がりの中で、怪しい薬品が光っている。

見た感じ、どうやらマンハッタンカフェはいないようだ。

まだ昼前だし、ここにいないのも不思議ではない。

仕方ないから、午後にまた出直すことにしよう。

 

 

「君、待ちたまえよ。ドアを開けて要件も言わずに出ていくとは、随分不躾じゃないかな。」

 

 

突然白衣のウマ娘に声をかけられた。

何か取り込み中だったのか、

実験用ゴーグルのようなものをかけている。

 

 

「あぁ、すまない。僕は新人トレーナーの夜神月。マンハッタンカフェがここにいると聞いて来たんだが、いつ頃に来るか分かるかな?」

 

 

「残念だが彼女は常にここにいるわけじゃないのでねぇ。

知らぬ間にここに来て知らぬ間にいなくなっているから、私も彼女がここに来る正確な時間は知らないのだよ。」

 

 

なるほど。マンハッタンカフェはまさに幽霊のようなウマ娘ということか。そうなると、いつここを尋ねればいいのか分からずじまいだ。

と、ここで一つの疑問が生じる。

 

 

「ところで、君は一体誰だ?この部屋はマンハッタンカフェの部屋じゃないのか?」

 

 

桐生院から聞いた話だと、マンハッタンカフェがこの部屋にいる、以上の情報はなかった。

だからこのウマ娘がどうしてここにいるのか、僕には分からない。

 

 

「私はアグネスタキオン。この部屋は私とカフェが半分ずつ利用している空き部屋でね。ここは彼女の部屋でもあれば、私の研究室でもあるのだよ。」

 

 

なるほど、この部屋を二人でシェアしているということか。

それはさておき、どうしていちウマ娘が研究室を有しているんだろうか。

個人にそれだけの施設を与えられる程トレセン学園の敷地は余っているのだろうか。

どちらにせよ、朝方から研究室に入り浸っているウマ娘に関わりあうのは避けた方がいいだろう。

 

 

「そうか、それじゃあ僕はまた出直すとするよ。」

 

 

足早にその部屋を出ようとする。

すると、アグネスタキオンに呼び止められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ちたまえよ、君はもうここに用はないかもしれないが、私は君に用があるぞ。君だろう?カフェの言っていた、化け物を連れた新人トレーナーというやつは。」




というわけでアグネスタキオンです。
タキオンとカフェの組み合わせは個人的にめちゃくちゃ好きです。


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第十六話 運命

お気に入り登録が100人を超えました!
たくさんの方に見て頂いているんだなぁと思うと本当にありがたいことで…
頑張っていきますので、今後とも応援よろしくお願いします!


予想外の質問に、思わず絶句してしまった。

固まっていると、アグネスタキオンが口を開いた。

 

 

「まぁ座ってくれたまえよ。トレーナーくんの後ろにいるそこの…化け物くんも。」

 

 

しかも今リュークの姿が見えてるのか。

もしやあのゴーグルのようなものが関係しているのか?

こうなってしまった以上は仕方ない。

こっちとしても情報を引き出すまでは帰れない。

 

 

「まさか本当に化け物を連れた新人トレーナーがいるとはね。

とは言っても、どんな姿をしているのかハッキリと見えているわけではないがね。」

 

 

「アグネスタキオン、聞きたいことがある。君はマンハッタンカフェからこの化け物のことをどういう風に聞いているんだ?」

 

 

「おい、なんだよ化け物って…」

 

 

リュークが不服そうだが、構わず続ける。

このウマ娘がどこまで信用に足るか分からない以上、今リュークの名前を出すことは流石に避けたい。

もしこちらに有益な状況になりそうな時は、場合によっては僕とリュークの関係を明かすくらいならしてもいいと思っている。

 

 

 

「正直に言おう。実は僕にもこの化け物が見えている。だが、僕の後ろにいるという化け物の詳しい正体は僕にも分かっていない。ただ、一般人やウマ娘には見えていないらしい。

しかし、君とマンハッタンカフェにもそれが見える。一体なぜだ?」

 

 

純粋な疑問をぶつけた。

多少リュークの存在を明かしてしまうが、仕方ないだろう。

それに、このウマ娘が周りにリュークの存在を言い触らすとも思えない。

 

 

「彼女に霊的な存在が見える理由は、分からない。

彼女曰く、幼い頃から霊が見えたらしい。」

 

 

ある程度予想はしていたが、マンハッタンカフェの方にリュークが見えるのはやはり先天的なものなのか。

 

 

「私にその化け物が視認出来る理由はこれだ。

今私がかけているゴーグル。

これは赤外線センサーのような原理で肉眼では見えないものを可視化することが出来るというアイテムでね。

微細な赤外線を発し、その反射によって物体を認識するというゴーグルだ。

これを通すと、君の後ろの方で赤外線の一部が反射している。

だから、うっすらと何かがいるということが分かるのだよ。

どのような姿形をしているかは分からないがね。

そういえば、カフェもはっきりとした姿は見えないと言っていたね。」

 

 

なるほどな。だがこちらからしたらリュークの姿がはっきりと見えなくても、『何かが存在している』ことがバレている時点で大して変わらない。

 

 

「アグネスタキオン。君から見てこいつはどういった生物だと思うんだ?」

 

 

「ふぅン、これはあくまで私の推測でしかないが、私はその生物はカフェの言う『おともだち』と同じ類いの生物なんじゃないかと思っている。

…ときに君は、ウマ娘という生き物について考えたことはあるかい?」

 

 

言われてみれば、当たり前のように受け入れていたが、ウマ娘というのも僕の本来いた世界からしたら異質な存在だ。

 

 

「いや、深く考えたことはないな。それが何か関係しているのか?」

 

 

「私はウマ娘の謎について長らく研究を続けているのだがね、多くのウマ娘を見てきた限り、私たちは決められた運命をなぞっているのではないか、と思う時がある。しかしそれは不変の運命というわけではなく、意志の力で変えられることが出来る。私はそういう解釈をしている。」

 

 

「それは自在神化作説…いや、宿作因説の一種か?悪いが、僕はそういった類の話は信じていないんだ。」

 

 

にわかには信じ難い仮説だ。

僕はこの世に運命なんてものは存在しないと考えている。

この世で起こる事象全てには原因があり、神という抽象的な存在によって決められるものではない。

この考えは死神やウマ娘に出会った今でも変わることはない。

 

 

「いや、そんな話ではない。そして、この説を裏付けるものが存在している。それが彼女、マンハッタンカフェなのだよ。」

 

 

「私を呼びましたか…?」

 

 

「うわぁぁっ!」

 

 

思わず柄にもなく叫んでしまった。

いつの間にか、僕の背後にマンハッタンカフェがいた。

本当に音もなく現れるんだな…流石に驚いた。

 

 

「ちょうどいい、カフェ。この新人トレーナーくんに、君の話を聞かせてあげてほしい。」

 

 

「私の話、ですか…?」

 

 

「あぁ、君の『おともだち』の話を。」



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第十七話 改変

「ちょっと待ってくれ、僕はリュ…いや、僕に憑いている奴の正体を知りたいんだ。そんな訳の分からない話を聞きにここまで来たわけじゃない。」

 

「まぁそう事を急がなくてもいいじゃないか。君の知りたいことは、カフェの話の先にある。」

 

「タキオンさん、適当な事を言わないでください…

私は今来たばかりなので、状況が分からないんですが…。」

 

「まぁ簡単に言うと、このトレーナーくんは前にカフェが言っていた怪物を連れた新人くんだ。

彼はその怪物の正体を知りたくてここに来たらしい。そして私はその怪物は君の言う『おともだち』と同じ存在だと考えている。だから、君と『おともだち』の話を彼にしてあげてくれ。」

 

「そうですか、そういうことならお話します…。」

 

よく分からないが、マンハッタンカフェの話を聞けば、リュークの正体が分かる…のか?

 

しばらくすると、マンハッタンカフェはゆっくりと話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私には、他の人には見えないものが見えます…

そのうちの一つが、私の『おともだち』です。

彼女は、私とそっくりの見た目で、いつも私が走っていると、私の前に現れます…

そして、彼女は恐ろしく速くて、私がどれだけ速く走っても、追いつけないんです。」

 

一見イマジナリーフレンドのようにも思える話だが、アグネスタキオンがこれをわざわざ説明させる以上、何かあるのだろう。

 

「私は、一度海外遠征に行こうと思っていた時期がありました。何故か、行かなければならない…そんな気がしたんです。そして、私はそのまま海外に行く寸前の所まで行きました。でも、空港に着いたとき、足が…動かなくなったんです。どれだけ前に進もうとしても、足が動かなかったんです。

…結局、海外遠征は取り止めになりました。これが、私の経験したことです。」

 

…つまり、タキオンの言う「運命」に従って、マンハッタンカフェは海外遠征に行こうとした。それを促したのはこの話から『おともだち』で間違いないだろう。

しかし、出発の直前、それを止めたのもまた『おともだち』だったということか。

 

予め定められた『運命』…それを変えたということか?

 

そして、その『おともだち』とリュークが、同じような存在という推測…ここから導かれる結論は

 

「つまり、僕に憑いているこいつは…生物が本来歩む運命を覆すことが出来る存在…ということか?」

 

「話が早くて助かるよ。少なくとも、私はそう睨んでいる。」

 

確かに、今のリュークの目は人間やウマ娘の能力を数値化して見ることが出来る。

これがあれば、ウマ娘たちは不必要なトレーニングはせずに済ますことが出来るし、限りなく勝利への最短ルートを行くことが出来る。

 

まさにウマ娘のためにあるような能力だ。

これらが全て、ウマ娘に本来ある運命を覆すための力…ということか?

 

「とはいえ、まだまだソースが少なすぎる。この仮説を断定するためには、更なる研究が必要だ。そこでだ、君。我々の事を信用してくれるなら、今後ともその化け物の情報を提供してもらいたい。あぁ、心配しないでくれたまえ。この件は他言しない。というか、こんな話をしても、信じる者など余程の物好きだけだろう。」

 

…悪くない提案ではある。

ごく僅かな情報でここまでの推論を組み立てるアグネスタキオンと、リュークと同一の存在と思しき『おともだち』と繋がりがあるマンハッタンカフェ。

 

この二人との関わりは、今後必要になってくるような気がする。

 

「なるほど、悪くない提案だ。だが少し考える時間をくれ。ここまでの推測を展開してもらった上で申し訳ないが、正直な話まだ僕は君たちを信用しきっているわけじゃない。」

 

「ふぅン、至極真っ当な意見だ。なんせ我々はかたや霊障に悩まされているウマ娘、かたや研究熱心なマッドサイエンティストと呼ばれるウマ娘だ。無理もない。しかし、この提案はその怪物の正体を知りたい君にとってもメリットはあるだろう?いい返事を期待しているよ。」

 

こうして僕は、旧理科研究室、もといマンハッタンカフェとアグネスタキオンのいる空き教室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リューク、どうだ?さっきの話を聞いて、何か思うことはあったか?」

 

あの部屋でリュークは一切喋らなかったが、何か思ったことがあったのではと思い、聞いてみることにした。

 

「……化け物って呼ばれるのは慣れてるが、ああ何度も呼ばれると傷つくぜ。」

 

柄にもなく落ち込んでいる。こいつ、こんな繊細な性格だっただろうか。

この分だと、特に気づいたことはなさそうだな。

 

「分かったよ、後でリンゴをやるから。」

 

「そう何度も同じ手で許すと思うなよ。今回は1個や2個じゃ満足しないからな。」

 

 

 

結局、その日リュークは5個のリンゴを平らげるのだった。




史実でのマンハッタンカフェは、『凱旋門賞』に出走するため海外遠征を決行し、レースで十三着という結果に終わります。
そして、凱旋門賞で負った屈腱炎を理由にその競走馬生命を終えることになります。
マンハッタンカフェのシナリオでは様々な憶測がありますが、この物語では『おともだち』には史実のマンハッタンカフェとSSの二つの意思が混在している、という説を基に話が進んでいきます。

この説だと、「史実の競走馬マンハッタンカフェ」が凱旋門賞行きを強行させようとし、カフェの身を案じる「SS」が凱旋門賞行きを断念させたというシナリオが成り立つためです。

なお、『おともだち』に二つの意志がある事をカフェは知りません。
カフェ自身は『おともだち』はあくまで一人だと思っています。

この辺りの考察はかなり色々な説があるので、気になる方は自分で調べてみてください。


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第十八話 併走

あれから一ヶ月が経った。

あれ以降特に目立った出来事はなく、Lからの接触もないままだ。

この一ヶ月で分かったことと言えば、Lが担当しているウマ娘についてだ。

 

 

Lが担当しているのはエルコンドルパサーというウマ娘だった。

どういった経緯で二人が出会ったのかは知らないが、彼女はアメリカ生まれのウマ娘らしく、言葉遣いにも特徴がある。

どうやら、この世界でもLは相当に有名らしく、アメリカに住んでいたエルコンドルパサーもLの事はよく聞いていたらしい。

そんな中トレセン学園でLと名乗るトレーナーが担当契約をしたいと言うので快く承諾したということだ。

普通に考えたら偽物の可能性の方が高かっただろうに。

そこで本物のLだと見抜けたのは、エルコンドルパサーが優れた頭脳の持ち主か、考え無しのウマ娘かのどちらかだ。

失礼な話ではあるが、ここ一ヶ月の彼女の言動を見ていると…

そこまで頭脳明晰であるという印象は受けない。よって後者の可能性が高い。

 

 

 

それと、彼女は何故かコンドルを飼育している。

グラウンドだろうがレースコースだろうが所構わず放つので、僕やチヨ、他にも一部のウマ娘が迷惑を被ることもしばしばあった。

 

 

しかし、今ではLがそのコンドルを完全に手懐けていて、それ以降場所に構わず飛び回るということはなくなった。

 

 

そして、サクラチヨノオーについてだが、順調に実力をつけている。

担当契約したとき、スタミナ不足気味だったが、一ヶ月に渡るトレーニングによりそれも改善されてきた。

今のチヨは、2000mまでなら走ることが出来ると思っている。

ただ、それは走りきるスタミナがある、というだけの話だ。

実際のレースで他のウマ娘相手に競り勝つことが出来るかどうかはまだ分からない。

一人でのトレーニングしかさせていないからだ。

 

 

そろそろ併せトレーニングを取り入れてもいいかもしれない。

今まではフォームの改善やスタミナ作りのトレーニングを中心にしていたが、フォームもこの一月でかなり改善されてきたし、併走相手にもよるが大抵のジュニア級ウマ娘相手なら既に戦える土俵には上がっているだろう。

 

 

とは言っても今は五月。チヨが出られるようになるジュニア級のデビュー戦は一番早いもので八月や九月である。

まだまだ余裕があるので、焦る必要はない。

 

 

しかし、デビュー戦は遅いよりは早い方が良いというのも事実だ。

早い段階でデビュー戦に出走出来れば、その分出られる重賞レースも多くなる。

慎重になるのも良いが、攻めることも大切ということだ。

 

──よし。

 

そう言って僕はメールを送信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一週間後。

 

 

「おはようございます、月さん!

今日の合同トレーニング、よろしくお願いします!」

 

 

「いえ、こちらこそよろしくお願いします。

お互いに有意義なものにしましょう。」

 

 

 

そう、僕は1週間前に桐生院葵に合同トレーニングを持ちかけておいた。

元々お互いに担当が決まったら併走でもしようという話してはいたのだが、都合の合うタイミングがなかったため、五月まで予定がずれ込んだ。

 

 

初めての合同トレーニング。

チヨにとっても良い経験になるだろう。

それに、僕自身頭も学ぶことは多い。

レースは周りとの駆け引きが最も大切になってくるためだ。

今までは一人で走っていたため、チヨは競り合いや読み合いに関する経験がほとんどない。今現在チヨが出走したレースといえば、最初の模擬レースくらいだ。

よって、出来れば本番に近い形…多くのウマ娘でレースをするという形にしたかった。

 

 

…よって、不服ではあったが、あいつも合同トレーニングに誘った。

人数が多いほど本番に近い経験が得られるからだ。

 

 

「月くん、お誘いありがとうございます。」

 

 

背後から気だるそうな声が聞こえた。

相変わらずの猫背で、不健康そうな見た目をしている。

他のトレーナーやウマ娘もいる中、見た目にはお構いなしと言った感じである。

僕が合同トレーニングを取り付けたもう一人の相手。

そう、Lだ。

正直呼びたくは無かったのだが、なにせ僕はトレセン学園ではまだ大した人脈がない。

たとえLだろうと、利用出来るものはなんでも使う。

 

 

「夜神さん、この方は…?」

 

 

三人で合同トレーニングをする、という概要だけ送ったため、桐生院にはLのことを教えていなかった。

 

 

「彼はL…いや、竜崎トレーナーです。多少変わり者ではありますが、トレーナーとしての腕は確かなんですよ。」

 

 

癪ではあるが、実際Lのトレーナーとしての腕は良い。

たびたびトレーニングの時に居合わせるのだが、一ヶ月前よりはエルコンドルパサーのフォームもかなり良くなっている。

実際にレースで戦うとしたら、強敵になるだろう。

 

 

すると、どこからか声が聞こえてきた。

 

 

「何やら面白そうな事をしているね、私も混ぜておくれよ。」

 

 

聞いたことのある声だ。

振り返ると、そこには長過ぎない髪に素粒子をモチーフにした耳飾りをした、白衣のウマ娘がいた。

 

 

「だ、誰ですか?」

 

 

桐生院が恐る恐る聞く。

まぁ知らない人からしたらこの反応が普通だろう。

 

 

「私はアグネスタキオン。速さの限界を追い求める、しがないウマ娘さ。私の知り合いから、何やらグラウンドで面白そうな事をしているという話を聞いてね。いいデータが取れそうだから、是非私も混ぜて欲しいと、そう思ったわけだ。」

 

 

一体誰がそんな噂を流布したのだろう。

合同トレーニングなど別に珍しくも何ともないはずだが。

 

 

「タキオン、混ぜてくれというのはトレーニングに参加するということか?」

 

すると、タキオンはこう返した。

 

「あぁ、勘違いしないでくれたまえ。私はあくまで若く素質のあるウマ娘たちのデータが欲しいだけだ。君たちのトレーニングを邪魔するつもりはない。ただ脇の方から君たちの担当ウマ娘が走っているデータを取りたいだけさ。」

 

 

…それはどうなのだろうか。

自分の担当ウマ娘のデータが流出する可能性もあるし、何より僕らには何のメリットもない。あまり気乗りはしないな。

 

「…それだと私たちにメリットがありません。何かそちらが提示できる条件は?」

 

 

今まで黙っていたLが答えた。

Lも同じことを思っていたようだ。

 

 

「確かに、今の条件だと一方的にこちらにしか利がないね。いやぁ、すまない。

それではこうしよう。今回の合同トレーニングはもちろん併走をするだろう?私もそこに参加させてもらう。そちらとしてはよりレース本番に近い形式で併走が出来るわけだ。

それと、私が取るデータはあくまでも私の研究に必要というだけなのでね。他の誰かに情報が渡るということはないと考えてもらっていい。」

 

 

「分かりました。それで手を打ちましょう。月くんと桐生院さんはどうですか?」

 

 

「僕は構わないよ。」

 

「わ、私もそれで大丈夫です!」

 

 

アグネスタキオンが嘘を言っていないとも限らないが、その時はその時だ。もしもデータを第三者に横流しするようなことがあれば、最悪の場合僕が彼女のパソコンにハッキングをかけてデータを消去することも出来る。

 

 

こうして、サクラチヨノオー、エルコンドルパサー、ハッピーミーク、アグネスタキオンの四人による併走トレーニングが始まるのだった。



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第十九話 進歩

今回は初めて状況描写を強めに意識して書いた話となります。
小説書くのって難しいですね。
他にも色々な技法とか使っていきたいです。


それでは、本編をどうぞ。


今日は本当に晴れ晴れとした空だ。

雲一つない晴天を仰ぎ見る。

思えば、こうして落ち着きをもって空を眺めたのなんていつぶりだろうか、なんてふと思った。

いつだって心が休まる時間などなかった。

常に何かと戦っていた日々が蘇る。

今だってそうだ。僕はチヨを勝たせるために戦っている。

 

 

しかし、今の夜神月には今までの重苦しい感情はなかった。

それは彼が戦っている理由にある。

彼は今まで、デスノートを使い『世の中』のために戦っていた。

世界を良くする為に。

間違いを正す為に。

彼はその事に対して一切の悔いはないだろう。

しかし、世の中の為、正義の為の戦いは真の意味で充実した戦いとは言えなかった。

何故ならそれは自分の為の戦いではなく、誰かの為の戦いだったからだ。

 

 

彼は今、初めて自分の為に戦っている。

純粋に『Lというライバルに勝つ』為に戦っているのだ。

だからこそ純粋に、この戦いが楽しいと思えている。

 

 

「トレーナーさん!アップ、終わりました!」

 

 

チヨの声が、物思いにふける月を現実に引き戻した。

 

 

「よし、じゃあ行っておいで。」

 

 

そういうと、チヨは元気に返事をして、コースへと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

その後、チヨたちはお互いに入念なアップを行った後、併走が始まった。

とはいえ、あくまで併走。目的は順位ではない。

今回の目標はタイムを縮めることだ。

併走は、複数人で走ることにより、生物の闘争本能…『勝ちたいという気持ち』を掻き立て、競り合うことによって、一人で走るときよりも良いタイムが出やすい。

 

 

「今回はアグネスタキオンに外を回ってもらう。それでいいな?」

 

 

「まぁ、妥当な判断だろうね。了解した。」

 

 

これにももちろん理由がある。

併走の目的はあくまでお互いの成長。

一般的な併走では強いウマ娘には外を回ってもらい、遠心力などがかかる負担を大きくしてもらう。そうすると、大きく実力が離れていなければある程度勝負にはなるからだ。

 

 

アグネスタキオンは今シニア級で活躍している。

彼女には既にトレーナーがついており、二年以上レースに出てきた実績がある。

よって、今回は外側を回ってもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、併走が始まる。

 

 

淀みなく進んでいき、芝を駆けていく軽快な音がする。

お互いがお互いを先には行かせまいとして速度を上げている。

これこそ併走の本懐だ。

 

 

そして、各々コースを一周して戻ってきた。

チヨのタイムは7秒ほど縮まっていた。

実際のレースだとさらに多く競り合う機会があるだろう。

さらなるタイムの短縮の可能性は十分にある。

ハッピーミークとエルコンドルパサーも、普段より良いタイムが出ていた。

 

 

一方アグネスタキオンは、実際に走って得たデータを自分のパソコンに入力している。

彼女の性格上、あのデータが流出するような情報の管理はしていないだろう。

良い記録も取れたし、僕としては今日はこれでお開きでも構わないが…

そう思っていると、Lが口を開いた。

 

「月くん。併走も終わったことですし、私の担当とそちらの担当ウマ娘で一度レースをしてみませんか?」

 

 

一瞬辺りが静寂に包まれる。

まだデビュー戦まではかなりの時間がある。

ここで無理に戦う必要は無いはずだ。

何を考えているんだ、こいつは…

 

 

「どうしたんですか?もしや、自分の担当ウマ娘を信じていないんですか?」

 

 

こいつ…!言わせておけば…!

 

 

「いや、そういうわけじゃないが、まだお互い担当がデビューもしていない状況だ。どうせレースをするなら、お互いがデビューした後でも遅くはないんじゃないか?」

 

 

すると、エルコンドルパサーが食い気味に話に入ってきた。

 

 

「トレーナーさん!私もレースしたいデス!

ぜひやりまショウ!レース!」

 

 

いつになくやる気だ。

しかしこれ以上こちらの情報を与えたくはない。

やはり断ろう。

 

 

「いや、今日じゃなくてもいいんじゃないか?また日を改めてでも…」

 

 

と、断ろうとしたとき。

 

 

「トレーナーさん、私もレースがしたいです!

大丈夫です、きっと勝ってみせますので!」

 

 

チヨがそう答えた。

いや、僕が心配してるのは勝ち負けじゃなく…

しかし、3対1だ。これ以上粘っても押し切られるだろう。

 

 

「分かった。レースをしよう。ただしチヨ、それにエルも。

ケガには十分に気をつけてくれ。

ここで全力を出して何かあったらそれこそ本末転倒だからな?

というわけで桐生院さん、どうします?レースをしますが、ハッピーミークは出れそうですか?」

 

「お誘いは嬉しいのですが、ミークが疲れちゃっているので今回は休ませてもらってもいいでしょうか?」

 

 

「いえ、構いませんよ。こちらが勝手に決めた事ですし。」

 

 

一応ケガへの注意勧告はしておいた。

エルコンドルパサーはLの担当ウマ娘だからライバルではあるのだが、彼女たちにも自分の人生がある。

僕はLに勝ちたいが、そのせいでエルコンドルパサーの人生を台無しにしてしまうようなことは避けたい。

 

 

「トレーナーさん、ありがとうございます!

私、頑張りますね!」

 

 

まぁ勝負になった以上、頑張ってほしいものだ。

全力で戦ってここで勝てば、彼女は自信を手にすることが出来るだろうし、負けてもそれをバネにしてトレーニングに精を出すだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、僕らはコースのスタート地点まで移動した。その間にチヨとエルは二人とも準備が完了した。

なお、不正がないようにスターターは桐生院さんにお願いした。

 

「それじゃあ、私がスターターをさせてもらいます。」

 

 

「よーい………ドン!」

 

 

こうして、僕とLのトレーナーとしての最初の対決は幕を開けた。




ちなみに月くんは煽り耐性がゼロです。
原作の『DEATH NOTE』ではその性格のせいで致命的なミスをいくつか犯していますし。


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第二十話 走法

Lの提案から始まったサクラチヨノオーVSエルコンドルパサーのレース。

 

 

桐生院の合図で二人は勢い良く走り出した。

最初はお互いに真っ直ぐに直線を駆けていく。

チヨはいつもこの最初の直線で傾きがちな癖があったが、一ヶ月の特訓で、それも改善されている。

 

 

一方のエルコンドルパサーは、力強い走りをしている。

多少のブレはあるものの、力強さで釣り合いがとれている。

流石にLの担当しているウマ娘というだけあり、一般的なウマ娘と違い、型破りな走り方という印象を受ける。

 

 

そしてレースはちょうど第一コーナーに差し掛かった。

すると、第一コーナーを回った辺りで、エルが仕掛けた。

そこまではチヨの少し前のポジションをキープしていたが、ここでエルコンドルパサーが仕掛けた。

 

 

「やあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

気合いの入った大声と共に、エルコンドルパサーが全力で走りだした。

このタイミングでスパートをかけるだと?!

そんなのスタミナが持つはずが…

そんな事を考えていると、おもむろにLが僕に話しかけてきた。

 

 

「月くん、一つ言っておくことがあります。

月くんはあまり自覚がないみたいですが、レースの世界は非情です。

勝てば評価され、負ければ一切見向きもされない。そういう世界です。」

 

 

いきなり何を言い出すんだ。

そんな事は重々承知しているつもりだ。

だからこそ、僕はチヨを勝たせるために最善を…

 

 

「ですから、常識に囚われたお行儀の良いだけの走りでは、この先勝つことは難しいと思いますよ。」

 

 

お行儀の良い走り…?

それは、今のチヨの走り方の事か…?

 

 

当初のチヨの走り方はマルゼンスキーを参考にしたものだった。

まさに逃げの脚質のような走り方をしていたが、今は改善したはずだ。

型にはまった走り…

 

 

!!

 

 

そうか、そういう事か。

僕は勘違いをしていた。

確かにチヨは走り方が改善されたが、それはあくまでも逃げの走り方から先行の走り方になっただけだったんだ。

 

改めて見ると、今のチヨの走りは一般的な先行の走りと大差ない。

一般的な走り方というのは、長い間最適解とされてきた走法だ。

それ故に、それを習得すれば安定した走りが出来るようになる。

 

しかし、裏を返せばそれは『普通』の範疇を出ないということだ。

今のエルコンドルパサーのような、特殊な走り方をするウマ娘と走ることになった時、レースの流れ支配するのはおそらくエルコンドルパサーだろう。

 

だが、個人のウマ娘に完全に合う『走法』を見つけ出すなど、並の努力では出来ないはずだ。

少しでも本人の感覚とズレている走り方をすれば、ケガや引退の危険性もある。

 

それを覚悟した上で、Lはこの一ヶ月で見つけ出したのか。

エルコンドルパサー固有の『走法』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、決着がついた。

 

 

今回のレース、結果から言うと、エルコンドルパサーの勝ちだった。

チヨは2バ身差で負けてしまった。

今になって思えば、おそらくエルは前半でかなり余力を残した状態で走っていた。

先頭を取った上でペースを落としていた。

こうすることで、チヨのペースも乱され、エルコンドルパサーは持久力を温存していた。

全てLの『計画通り』のレースになってしまった。

こんな屈辱は生まれて初めてだ…!

 

 

「あはは、トレーナーさん、私…また、負けちゃいました…。」

 

チヨノオーも、元気に見せているものの、良い気分ではないだろう。

公式戦ではないとはいえ、模擬レースに続く二度目の敗北。

全く気にかけないというのが無理な話だろう。

 

 

「大丈夫だ。チヨは良くやった。

実際、タイムも伸びてるんだ、この調子でいけば、君は必ずどんなレースでも勝てるようになる。僕を信じてくれ。」

 

 

Lに負けたという悔しさもあるが、それ以上に自分の担当にこんな言葉しかかけることが出来ない自分が情けない。

 

 

「トレーナーさん、私…もっと強くなりたいです。

今後もトレーニング、よろしくお願いしますね!」

 

 

レースで負けても、後ろ向きにならず、常に前を向いていられる。

彼女の武器の一つだ。

 

 

「あぁ、任せてくれ。僕が君をウマ娘界のかm…いや、マルゼンスキーを超えるウマ娘にしてみせるよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、日も沈む時間になり始めていたので、今日の合同トレーニングはお開きということになった。

 

「夜神さん、それじゃあ私はこれで。今日はありがとうございました。

またよろしくお願いしますね!」

 

 

「それではエル、私たちもこの辺りで切り上げましょうか。

では月くん、また。」

 

 

 

こうして波乱の合同トレーニングは幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

寮に帰ると、リュークがテレビを見ながらリンゴを貪っていた。

Lと接触する以上、リュークがいると面倒なことになる可能性があると判断したため、リュークには寮で留守番を任せていた。

 

 

「おぉ月、この芸人面白いぜ。」

 

ゴロゴロとだらしなくソファに座ってくつろいでいる。

まったく、一体この部屋は誰の部屋なんだろうか。

 

 

「それで、どうだったんだ?今日のトレーニングは。」

 

 

「Lに負けたよ。どうやらトレーナーとしては僕よりもLの方が一枚上手だったみたいだ。」

 

 

「クク、なるほどな。それでイラついてるってわけだ。」

 

 

まさかリュークに言い当てられるとはな。

「うるさいな。確かにイラついてはいるが、問題は無い。やるべき事の概形は掴めた。

今回Lに負けたことは甘んじて受け入れるが、次に僕が勝てば良いというだけの話だ。」

 

 

「そうか、じゃあ俺はその戦いの行方を見届けさせてもらうぜ。

せいぜい楽しませてくれよ。」

 

 

今回もあくまで助けたりするつもりはないんだな。

まぁそれで構わないが。

 

 

そして僕はパソコンを使って今日のトレーニングのデータの記録と、今後のトレーニングメニューの調整を行うのだった。



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第二十一話 初陣

あれから実に二ヶ月が過ぎた。

 

 

僕はあの合同トレーニングの日の夜、それまで使っていたトレーニングメニューを見直した。

これまでのメニューは、一般的なスタミナトレーニングに僕独自の調整をしたものだった。

しかし、一般的なトレーニングで得られるのは、常識の範疇を出ない結果でしかない。

僕はさらなる効率を模索し、トレーニングの様々な部分を調整した。

これは完全に僕の独断で行ったことなので、このメニューをチヨノオーのところに持っていった時は、「このメニューでトレーニングをするかどうかは、君が決めていい。」と言った。

しかし、彼女は躊躇なくそのトレーニングを始めた。

 

 

正直、そのメニューは初めは酷いものだった。

余計に負荷がかかってしまっているものや、得られる効率が見合っていないものなどもあった。

しかし、彼女は決して投げ出さず、僕と共にメニューの改善に努めてくれた。

 

 

あのレースの日以降、彼女のトレーニングに対する向き合い方も変わったように思う。

これまでがやる気がなかったわけではないが、あの日からはただ提示されたメニューをこなすだけでなく、自分から改善案を出してくれるようになった。

 

 

そうして一ヶ月が経つ頃には、僕らの作り上げたトレーニングメニューは、徐々に完成形へと近づいていった。

このメニューを他人に勧められるかと言われたら、正直難しいだろう。

このメニューは僕が完全に『サクラチヨノオー専用』に調整したメニューだ。

他のどのウマ娘のトレーニングにも使うことは出来ないだろう。

しかし、サクラチヨノオーがこのトレーニングをこなす分には、最高の効率を発揮する。

そんなトレーニングメニューを作り上げたのだ。

 

 

そのトレーニングをこなすこと二ヶ月。

そして、遂にその日はやってきた。

 

太陽が今日という日を明るく照らす。

今日はサクラチヨノオーのデビュー戦だ。

 

 

レースはジュニア級メイクデビュー。

距離は1800m、函館レース場で行われるマイルのレースだ。

今のチヨのスタミナで問題なく全力でスパートをかけることが出来る距離。

それがマイルの1800mだった。

函館レース場は右回りだ。この点は問題ない。普段の練習から、右回りのコースの対策は行ってきた。

 

 

そして、今日は快晴。バ場状態は良だ。

雨でも大きな問題はなかったが、晴れであるのはありがたい。

雨は芝がかなり荒れてしまい、走りづらくなる。

デビュー戦から雨であるよりは晴れの方が好都合だ。

 

 

「いやぁ、遂にお前の担当のサクラ…なんとかもデビュー戦まで漕ぎ着けたな。なんかこう…感無量だな。」

 

 

「サクラチヨノオーだろ。もう何ヶ月も一緒にいるんだから、いい加減覚えたりしないのか?」

 

 

初めて会ってから数ヶ月が経つが、リュークは未だにサクラチヨノオーの名前を覚えない。

チヨノオーにはリュークが見えないので、必然的にリュークもチヨノオーに無関心なのかもしれない。

 

 

「いや、嫌いってわけじゃないんだけど…名前が長いと覚えづらいんだよな…」

 

 

そういうものなのだろうか。

とはいえ、今はそんな事を気にしている程余裕はない。

もうチヨノオーが出走するレースまで一時間もない。

一度控え室に様子を見に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レース場の地下には、出走前のウマ娘が待機している控え室がある。

各ウマ娘毎に一部屋が割り当てられており、レースを前に精神を研ぎ澄ます者、自分の作戦を確認する者、不安を押し殺しながら出番を待っている者、様々だ。

 

 

レース前の控え室からは圧のようなものを感じることがあると聞いた。

実際、さっきチヨと共にここに来た時よりも重苦しい雰囲気を感じる。

 

 

「チヨ、入っていいか?」

 

 

「はい、どうぞ。」

 

ドア越しにチヨの声が聞こえた。

気のせいか、声の端々から若干の緊張があるように感じた。

ゆっくりとドアを開ける。

すると、そこには『チヨノート』を確認するサクラチヨノオーの姿があった。

 

 

「レース前の復習?昨日のミーティングでもしたし、大丈夫じゃないか?」

 

 

僕がそう聞くと、チヨはこう答えた。

 

 

「いや、まぁ…そうなんですけどね。なにせデビュー戦ですから。

準備不足で負けたなんてカッコ悪いことは言いたくないので。

勝っても負けても、悔いのないようにしておきたいんです。」

 

 

そう言ってこちらを見るその目には、確かな闘志があった。

ノートをよく見ると、今回のレース場の情報はもちろん、トレーニングで編み出した走り方、そのコツ、スパートのタイミングなど…

様々なことが書き記してあった。

僕と出会った時もその書き込みの量の多さに感心したが、今は付箋やマーカーなども多用し、前よりも更に使い込まれている。

これまでの日々の努力に甘えず、本番の直前まで自分の全力を出すために出来る努力をし続ける。

当たり前のことだが、大事な事だ。

 

実際は模擬レースの出走メンバーにも選ばれているし、才能がないわけではないのだが、彼女は、自分には才能がないと思っている。

それ故なのだろう、誰よりも努力が出来るウマ娘であるのは。

 

 

「大丈夫、あれだけのトレーニングをこなしてきたんだ。チヨなら勝てるよ。」

 

 

月並みな言葉しかかけることは出来ないが、僕は今本気でそう思っている。

 

 

「トレーナーさん…ありがとうございます。

実は私、ちょっと緊張してたんです。もし負けたらどうしようって。

でも、トレーナーさんにそう言ってもらえて、元気が出ました。私、頑張ります!『ここもダービーに続く道と思え』です!」

 

 

今に始まったことではないが、チヨノートにはレースの詳細な情報、自分の戦略やトレーニングがまとめてあるだけでなく、チヨによる自作の格言がいくつか記されている。

『ここもダービーに続く道と思え』もその一つだ。

 

 

「間もなく、レースが始まります。次のレースに出走予定のウマ娘は、パドックにお集まり下さい。」

 

招集のアナウンスがかかる。いよいよレース本番が近づいてきた。

 

 

「よし、そろそろだな。頑張れ、チヨ。」

 

 

そうしてチヨノオーは控え室を後にしてパドックへと向かっていった。




というわけで次回は遂にデビュー戦!
そろそろ第一章の終わりも近づいてきました!


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二十二話 デビュー戦

今回のタイトルは「デビュー戦」です。
今までは単語一つ縛りみたいな感じだったんですけど、今回はどうしてもこのタイトルにしたかったので。


控え室を出てから、僕はレースを見るために観客席に来ていた。

一時間前は閑散としていた観客席ではあるが、発走の時間にもなると大勢の観客が詰めかけている。

みな、その目で見たいのかもしれない。輝かしい原石の誕生を。

時代を担うような才能を。

 

 

周りをよく見ると、チヨの友達のメジロアルダンや、ヤエノムテキもレースを見に来ているようだ。

この二人はチヨと同年代で、二人とも今年デビュー戦を迎えていた。

実力があるのは間違いない。

 

 

他にも、家族連れやトレーナー候補の人、ウマ娘など、実に多種多様な人たちがレースを見に、この函館レース場に詰めかけていた。

 

 

 

しばらくすると、今回のレースに出走するウマ娘たちの紹介が始まった。

 

「一枠一番、ヘキサキャニオン。三番人気です。このレースでどれだけ実力を出せるのか、期待したいですね。 」

 

淀みなく紹介が続いていく。

チヨノオーの番号は四番だ。

 

 

「四枠四番、サクラチヨノオー。堂々の一番人気です。これは…凄い仕上がりですね、好レースが期待できそうです。」

 

 

そして、チヨノオーが登場する。

一番人気というだけあり、観客席がどっと湧いた。

 

 

「なぁ見ろよ、あのサクラチヨノオーってウマ娘!

凄い闘志だぜ!気合い十分、って感じだな!」

 

 

「まぁそりゃあデビュー戦ともなれば気合いは入るもんだと思うが…

ありゃすごいな、今日出走するウマ娘の中でも一番勝つって気持ちが強そうだ。こりゃ期待できるぜ。」

 

 

「頑張れー!サクラチヨノオー!応援してるぞー!」

 

 

観客席からの評価も上々だ。

あとはチヨが実力を出し切ることが出来れば、勝てるレースのはずだと思うが…。

 

「七枠七番、パワフルトルク。ちょっと気分が乗っていないようですね。これがレースにどう影響してくるか。」

 

 

そして、今日のレースに出走するウマ娘の紹介が終わった。

今日のレースに出走する他のウマ娘についても事前に調べてある。

その誰もがデビュー戦に出走する所まで漕ぎ着けた実力のある面子ではあるが、データで見る限りは、僕は問題なく勝てると思っている。

 

 

「リューク、どうだ、他のウマ娘の様子は?」

 

 

今のリュークには死神の目…のようなものが備わっている。

その目で見たウマ娘の能力値が分かるらしい。

だから、今のリュークにはどのウマ娘がどれ程の強さなのかが一目瞭然のはずだ。となると、一体どのウマ娘がライバル足り得るのか、リュークの意見を聞いておきたい。

 

 

「そうだな…この中で言うと、三番…五番とかが若干…つっても殆ど誤差みたいなもんだ。サクラチヨノオー以外で今日出走してる奴らの実力は殆ど同じだ。」

 

 

なるほどな。まぁ枠番や出遅れ、コンディションなんかで多少の変動はあるだろうが、そんなものか。

しかし便利な目だな。

ノートの所有権を持っているウマ娘の能力値が見えないのは欠点だが、それを差し引いても便利な目だ。

 

 

「さぁ、各ウマ娘、ゲートに入って体制整いました。」

 

 

いよいよだ。レースが始まる。

ここに来るまで緊張することなどなかったが、流石の僕もここに来て手に汗が滲む。

これまでは自分の努力で何とかしてきた。

無論トレーナーとしても僕はよくやってきたと思っている。

しかし、今から走るのは僕ではなくチヨノオーだ。

ここからは僕はどうすることも出来ない。

頑張ってくれ、サクラチヨノオー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガコンッ

 

 

「スタートしました!」

 

 

勢いよくゲートが開く音がして、レースが始まった。

 

六番が一人出遅れたが、チヨノオーは問題なくスタートを切れた。

 

 

「さぁ早くも現在先頭二番と四番が競り合っています、一番人気サクラチヨノオーは前から四番手!ここからどう出るのでしょうか。

さぁ先頭から振り返っていきましょう現在やや四番が優勢、二番が追走、追って五番、三番、七番、一番、そして六番と続いています」

 

 

実況は淡々とレースの状況を伝えてくる。

実際にこうして聞いてみると、これだけのハイペースでレース全体の解説や実況をするというのも簡単なことではないなと痛感する。

 

チヨは四番手についたか。

悪くないと言えば悪くない。

十分に後半捲れる位置取りだ。

 

 

「さぁハナに立った四番このままリードを保てるか、四番も先頭を伺っているぞ、そこから二バ身差で二番、すぐ後ろに三番だ!

一番人気です三番サクラチヨノオー、この位置ですがどう見ますか?」

 

「彼女の脚質には合っているのではないでしょうか。後半で抜け出す為に足を溜めているようにも思います。」

 

 

解説の言うのは一般的な先行の走り方だ。

あの合同トレーニングがなければ、僕はその走り方でこのレースに臨んでいただろう。

だが、今は違う。サクラチヨノオーの走り方は今や一般的な先行の走り方のそれではない。

 

 

「いけ、チヨノオー。」

 

 

隣にいるリュークに聞こえるかどうかという程度の小さな声で僕はそう呟いた。

 

 

「さぁ先頭から最初のコーナーに差し掛かる…おっと、三番サクラチヨノオー、ここで速度を上げてきた!現在二番手を追い越しました!これはどう見ますか?」

 

 

「掛かってしまっているかもしれません。一息入れられると良いのですが。」

 

 

解説の一言に、観客席がどよめく。

 

 

「えぇ、仕掛けるにしては早過ぎないか?」

 

 

「実力はあると思ったんだがな…初めてのレースで仕掛けるタイミングを見誤っちまったか…?」

 

 

観客席の動揺が見て取れる。

確かに、普通に考えたら『初めてのレースで焦って前に飛び出した』ようにしか見えないだろう。

 

 

さぁ、問題はここからだ。

 

 

「負けじと後続も追いすがる!続々とスピードを上げ先頭集団に喰らいつかんとしているぞ!」

 

 

よし、今このレースのペースメーカーは間違いなくチヨノオーだ。

 

 

「月、大丈夫か?サクラチヨノオー、随分と前に出てるみたいだが」

 

 

「あれ?リューク、今回のレースの作戦知らないのか?」

 

 

「あぁ。それ知ってるとつまんないからな。」

 

 

「そうか。だったらどうなるか大人しく見てろよ。」

 

 

レースは直線に突入する。ここで如何にしてペースを落とさず最後のコーナー周りを迎えられるか。そこが勝負の分かれ目となる。

 

 

「さぁ、依然先頭は四番、一バ身後ろに三番、次いで二番、三バ身離れて五番、すぐ後ろに一番、六番、七番と続きます!」

 

 

この時点で大きく動きはない。

強いて言うなら出遅れで最後尾だった六番が上がってきている。

 

 

そして、レースは最終コーナーへと近づいていく。

 

 

「さぁ先頭集団最終コーナーを回っていく!残り300mを切った…おっと!ここで先頭が変わった!ここで先頭が三番!サクラチヨノオーだ!ここで更に加速!」

 

 

 

一度は掛かったかに思われ、ここから沈んでいくと思われた三番の更なる加速。その瞬間、観客席が一気に熱を帯びる。

 

 

「マジか?!ここで更に加速?!」

 

「おいおい、何度ペースアップする気なんだ?!」

 

そのまま差し掛かった最終直線、サクラチヨノオーはぐんぐんと後続を引き離す。

その差実に約五バ身ほどだ。完全なセーフティリードと言っていい。

まさに…

 

 

 

 

『計 画 通 り』

 

 

 

 

あの第一コーナーでの加速も、最終コーナー終盤からのスピードアップも、全てが僕らの計画通りだった。

最初のコーナーでの加速で、後続のウマ娘たちはチヨノオーに離されまいとして無理にペースを上げた。

それと同時に、後続のウマ娘はこうも思っただろう。

「ここで加速したサクラチヨノオーは最終直線でスタミナが不足して沈む」と。

しかしこれまでスタミナトレーニングに重点を置いていたチヨは、まだスタミナに余裕があった。

よって、最後のコーナーの終盤で更なる加速に踏み切れたのだ。

 

 

一度で加速し、周りのウマ娘のペースを乱しつつ、自分はスタミナに余裕がある状態で逃げに近いポジションで最終直線を迎えられるという戦略。

 

 

これこそが僕とチヨが編み出した今回のレースの戦略の全貌である。

正直に言うと、前例がない以上成功するかどうかは賭けでもあった。

しかし、チヨはやれると言った。そして、僕もチヨならやれると信じていた。

 

そして今ーーーー

 

 

「さぁ一着に入ったのはサクラチヨノオー!サクラチヨノオーです!

二着は五番ホットダイナマイト、三着は一番ヘキサキャニオンとなりました!」

 

 

 

そこにいるのは、満面の笑顔でこちらに手を振るサクラチヨノオーだった。




今回、レースの描写をめちゃくちゃ気を使いました。
色んな資料見ながら作業してました。疲れた。


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第二十三話 始まり

初めてレース場で行われたレースを終えたチヨノオーを、僕は函館レース場の地下通路で迎えた。

 

 

地下にはさっきのレースに出走したウマ娘と、その担当トレーナーたちがいて、今回の結果について話し合っていたり、レースの反省点を話し合ったりしている。

そんな中、僕はチヨノオーに労いの一言をかける。

 

 

「チヨ、お疲れ様。」

 

 

「はい、トレーナーさん…私、やりました!」

 

 

ようやくサクラチヨノオーを勝たせることが出来た。

いや、気を抜くのはまだ早い。ここはまだスタートラインに過ぎない。

目標はサクラチヨノオーをダービーで勝たせること、そしてマルゼンスキーを超えるウマ娘にすることだ。

 

 

しかし、今くらいは手放しで喜ばせてもいいだろう。

なにせサクラチヨノオーにとって初めての勝利だ。

 

 

「とにかくおめでとう、チヨ。これを励みに、今後もトレーニング頑張っていこう。…っと、その前にウイニングライブがあるか。

チヨ、ライブの振り付けはちゃんと覚えてる?」

 

 

「はい!それはもうバッチリです!」

 

ウイニングライブとは、レースで活躍したウマ娘の晴れ舞台である。

ファンはウマ娘を応援するため、ウマ娘は応援してくれたファンに感謝を伝える場となっている。

しかし、センターとしてライブの主役になれるのはレースで一着を取ったウマ娘ただ一人だ。

華やかさの裏には熾烈な世界が広がっている。

 

とはいえ、今回一着でゴールしたのはチヨノオーだ。

何も気兼ねなく、存分にライブを楽しんでほしい。

 

無論、チヨがライブの練習を熱心にしていたのも知っている。

振り付けもちゃんと覚えているなら問題はないだろう。

後は、大勢の観客の前で緊張しないことを祈るばかりだ。

 

 

「そうか、じゃあその場にいる全員をファンにするくらいの気持ちで構わない。全力で楽しんで。」

 

 

本来ならウイニングライブはファンの為に行われるライブではあるが、デビュー戦のウイニングライブにおいては多少意味合いが変わる。

デビュー戦で走るウマ娘に既にファンがついていることは少ないからだ。

大抵のウマ娘は、デビュー戦のウイニングライブはファンの為というより、観客をファンにする為にパフォーマンスをする。

 

 

「はい!もちろんです!」

 

 

すかさずチヨノオーが返事を返す。

ウイニングライブでセンターを務めることは全ウマ娘の憧れだ。

チヨノオー本人も、このライブを楽しみにしているのだろう。

軽い足取りでステージへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、しばらくしてライブが始まった。

 

 

結論から言うと、今回のウイニングライブは大いに盛り上がった。

歌や踊りの練習の成果もあり、チヨノオーはセンターで堂々と自分の役目を果たしていた。

僕自身、ライブに行くということがなかったので、今回のライブは新鮮な体験だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブが終わった後、チヨノオーは荷物を取りに行くために一度控え室に戻っていた。

 

しばらくしてチヨノオーが入口から出てきた。しかし…

 

 

「きゃああああ!!!」

 

 

何故かチヨノオーは僕を見るなり顔色を変え、空まで響き渡るような大声を上げた。

 

一体何がどうなっているんだ…?

僕を見た途端に大声を……いや、違う。

僕を見ていたというよりは…僕の後ろの方を見ているといった感じだった…

 

 

まさか!

 

 

「リューク、少しそこから動かないでくれ。」

 

僕はリュークをその場に留め、チヨノオーの元に駆け寄る。

そして、チヨにある質問をした。

 

 

「チヨ、落ち着いて聞いてくれ。

さっき叫んだのは、僕の後ろに変なやつが見えたからか?」

 

 

チヨノオーは怯えた様子で喋ることは叶わなかったが、小さく頷いた。

やはりそうだ。今のチヨノオーにはリュークが見えている。

しかし何故だ…?今までサクラチヨノオーが何度チヨノートに触れても、リュークが見えるようになることはなかった。

それが何故今は見えるようになっているんだ…?

 

 

考えられる要素としては今のリュークが見えるようになるためには条件があり…それをチヨノオーが無意識に満たしたという可能性…

もしくは、今日のレースに関係しているのか…?

 

 

いや、今はそんな事を考えている暇はない。

今のチヨノオーにリュークが見えている以上、どうにかしてリュークの事を説明しなければならない…

 

 

「チヨ、聞いてくれ。今チヨに見えているあいつの名前はリュークだ。

元々はある力を持つ神だったらしいが、今はその力はない。

そして、あいつはチヨが持っているチヨノートに憑いている存在らしい。僕はチヨと初めて会ってノートに触れた時にあいつと出会った。

その時から特に危害は加えられていないから、チヨに危害を加えるようなこともないと思う。

チヨに言わなかったのは、チヨにはリュークが見えてなかったし、言ってしまうとチヨが怖がってしまってトレーニングに支障が出ると思ったからなんだ。」

 

 

多少無理があるが…今言える範囲で理由を説明する。

流石に死神やデスノートのことについて言う必要はないだろう。

この世界に来てからの僕は、デスノートには関わっていないし、リュークに今死神の力はない。

余計な事を言ってこれ以上チヨノオーを混乱させる訳にもいかない。

 

下手に事実を隠しても、信頼が損なわれる恐れがある。

トレーナーと担当ウマ娘という関係である以上、信頼関係を損ねるのは得策ではないだろう。

 

 

「分かりました。にわかには信じ難い話ですけど、現に私は今…リュークさん…?が見えてますし、トレーナーさんが言うことなら、私、信じます。」

 

 

チヨノオーが素直な子で良かった。

 

それから、チヨノオーは恐る恐るリュークの方へにじり寄っていった。

リュークはさっき僕が「動くな」と言ったからなのか、チヨノオーに見られて緊張しているのか定かではないが、微動だにせずその場にいる。

そこへゆっくりとチヨノオーが近づいていき、リュークに触れようとする。

しかし、チヨのその手がリュークに触れることは叶わず、リュークの体をすり抜けていく。

 

 

「チヨ、リュークには基本触れることは出来ないよ。もっとも、リュークは自分の意思でものを触ったり掴んだりすることが出来るけどね。」

 

 

僕はそう言って、リュークにリンゴを差し出す。

そういえばここしばらく、リュークにリンゴをあげていなかった気がする。

 

 

「そういや久々のリンゴだな。こりゃ美味そうだ。」

 

 

リュークがそう言うと、チヨノオーは「わひゃあ?!」と情けない声を上げ驚いていた。

ウマ娘は尻尾に感情の機微が顕著に表れると聞いていたが、今のチヨもそうなのだろう。尻尾がピンと逆立っている。

 

それからチヨは、しばらくリンゴを食べるリュークを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

程なくしてリュークがリンゴを食べ終わると、僕らは学園に戻るための新幹線に乗らなければならないので駅に向かって歩き出した。

その頃にはもうチヨノオーがリュークを必要以上に怖がる様子はなかった。

前から思っていたことだが、チヨノオーは様々な状況に順応する能力が高いと思う。

トレーニングメニューを変更した時も、二日もすれば慣れてしまい、かなり速いペースでそのトレーニングをこなせるようになっていた。

今もリュークが見えるようになって三十分も経っていないだろうに、もう慣れている。

 

 

「トレーナーさん、よく見るとリュークさんってカワイイですね!」

 

 

…こんなことを言い出す始末だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅に着いたが、新幹線が来るまで少し時間があったので、家族や職場の先輩や同僚たちにお土産を買うことにした。

僕は函館名物をいくつかお土産として買った。

チヨノオーもクラスメイトに渡すためのお土産を買っていた。

 

 

そして僕らは新幹線に乗り、この函館の地を後にして、トレセン学園へと戻るのだった。

 

こうして、様々な出来事と謎を残し、サクラチヨノオーのデビュー戦は幕を閉じた。



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第二章 ジュニア級
第二十四話 開幕


激動のデビュー戦の次の日。

 

色々あったが、サクラチヨノオーのデビュー戦も終わったし一段落ついた。

実はレースへの出走登録はトレーナー側もかなりやることが多い。

なので僕もレース当日までは比較的忙しくしていた。

しかしそのレースもようやく終わり、今日はトレーニングの予定もない。

これで僕も久々に休みを満喫出来るわけだ。

そんな事を思っていると、手元のスマホに一通のメールが届いた。

 

 

『学園所属の全トレーナーに告ぐ!君たちの未来にも関わる重大な発表がある!必ずチェックするように!』

 

 

そう書いてあるメールには、このメッセージと共にURLが貼り付けられてある。

一体何があるというのだろうか。

URLを開くと生放送の動画に繋がった。

どうやらこの生放送で何かしらの発表があるらしい。

 

 

「お、重大発表か。なんか面白そうだな。」

 

 

リュークも食いついてきた。

現場にはマスコミも大勢詰めかけているようで、かなり大規模な発表であることが伺える。

僕とリュークで生放送を見ていると、秋川理事長が話し始めた。

 

 

「では…提言ッ!

私はここに、新レース『URAファイナルズ』の開催を宣言するッ!」

 

 

瞬間、画面越しでも分かるほど会場がざわつく。

しかしそんな喧騒はよそに、理事長は言葉を続ける。

 

「このレースを設立した目的はただ一つ!全てのウマ娘に活躍の場を与えるためであるッ!!」

 

 

「おぉ、随分と大きく出たな。しかし全てのウマ娘に活躍の場を与えるレースなんてそんな事が出来るのか?」

 

 

こればかりはリュークの言う通りだ。

全てのウマ娘に活躍の場を与えるため…だと…?

レースというのは、どんなものでもそれがレースである以上、決められた距離がある。そしてウマ娘には一人一人に適性があり、出られるレースにはある程度の制約がある。

例えば短距離とマイルの距離が得意で、数々の成績を残したウマ娘がいたとしても、そのウマ娘が長距離のレースに出走して良い結果が得られるかと言えばそうではないだろう。

つまるところ、どんなウマ娘にも距離適性が存在している。

全てのウマ娘に活躍の場を与えるレースなど、本当に存在するのか…?

 

 

その日はそのことばかりを考えることになってしまい、結局ろくに何かをすることもないまま休日は過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会見から、数日が経った。

 

マスコミやレース界に大きな衝撃を与えたこの会見は、すぐにネットニュースなどでも取り上げられ、世間でも大きな話題となった。

まだ『URAファイナルズ』に関する情報はほとんど開示されていないが、世間ではこの会見に様々な反応が送られていた。

 

一方ではどんなウマ娘でも活躍出来るということ、これは素晴らしいことであると賞賛の声を送る者もいるが、一方では今回の決定に対して懐疑的な声も上がっている。

そんな中、トレセン学園で『URAファイナルズ』に関する説明会が行われる運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザワザワ…

 

 

説明会の出席を認められ、体育館に招集されたのは中央トレセン学園所属のトレーナー、そして学園に通うウマ娘たち。そして情報発信のため集められた一部の大手のマスコミのみだった。

僕がここに来るのは最初の新人説明会以来だ。

あれももう数ヶ月も前の出来事なのか。懐かしいな。

 

会場はざわついており、各々が今回の件に関する意見であったり予想であったりを議論している。

どうやら今回の新レース設立の運びには反対の者が多いようだ。

当然と言えば当然のかもしれない。

理事長としてどれだけ優秀であるとはいえ、まだ年端もいかない子供であることには違いない。

子供の妄言のような扱われ方をしているのかもしれない。

僕も少なからずそう思っている。

この件がどう転ぶか、その全てがこの会見にかかっていると言っても過言ではない。

 

 

そんな中、理事長秘書である駿川たづなが壇上に現れた。

しかし、依然として会場はざわついており、とても何かを話し出すような状況ではない。

ここでこの場の雰囲気に飲まれてしまえば、対応が後手に回ってしまい、その隙をマスコミに突かれる可能性も出てくる。

さぁ、どう出る…?

 

 

すると、数秒後。会場全体に響き渡る大きな音が鳴った。

 

 

キイイイイイ……ン

 

 

ハウリングだ。

体育館に集められた全員が会話を止め、壇上を見る。

 

 

「うわっ、うるさいな。耳がイカれちまうかと思ったぜ。」

 

 

この分だと恐らくリュークは気づいていないだろうが、今のハウリングはわざとたづなさんが仕掛けたものだ。

先程のざわついているタイミングで、指をマイクに近づけて意図的にハウリングを起こしていた。

大きな音が鳴れば、集団は一度音のする方向を見る。

原始反射に近いものであり、たづなさんはそれを利用し大衆の意識を壇上に引っ張った。

そして、そのタイミングを見逃さず、駿川たづなは話し始めた。

 

 

「皆様、今回は突然の招集に応じて頂き、誠にありがとうございます。

今回皆様にお集まり頂きましたのは、URAファイナルズに関する詳細の説明を行うためです。

それでは、ここからは理事長である秋川やよいさんにお話して貰います。」

 

 

すかさず秋川理事長が登壇し、話し始める。

「諸君、突然の招集、重ねてお詫び申し上げる!

今回の件だが、急な発表であったことはこちらも重々承知しているッ!

しかし、聞いて欲しい!URAファイナルズについての私の意見、そしてその意義を!」

 

 

意義…?言葉の意味を考える暇もないまま、理事長は続けた。

 

 

「トレーナー諸君に告ぐ!悔しい思いをしたことはないか?!

記念に出たい!日本ダービーで勝ちたい!そう思っても…距離適性やレース場との相性が芳しくないせいで、断念したトレーナーも多いのではないだろうか?!」

 

 

確かに長くトレーナーをやっていれば、そういった出来事には直面すると思う。

しかし、距離適性などはウマ娘が生まれ持ったものであり、距離適性を矯正することは容易なことではない。

今理事長が壇上で話していることは、多くのトレーナーが直面した問題であり、その度に割り切ってきたことなのだろう。

 

 

「ここに集まってもらった諸君らに伝えたい!私の夢は、『全てのウマ娘が輝くことが出来る世界』だ!

私は、全てのウマ娘が全力を出せる、出し切れる舞台を用意したいのだ!」

 

 

雰囲気が変わった。

理事長の力強い言葉に、先程まで懐疑的な視線を向けていたトレーナーたちやマスコミがいつの間にか聞き入っている。

 

 

「通常のレースでは、距離やコースはレースごとに定められているものだ。しかし!URAファイナルズでは『全ての距離、全てのコース』を用意することをここに発表する!」

 

 

途端に会場がどよめく。

それもそのはずだ。全てのコース、距離を用意するレースなど聞いたこともない。

もしこれを本当に実現するのならば、レース界に残る偉業となるだろう。

 

 

「参加資格を手に入れる条件は『宝塚記念』やっ『有記念』と同様にファンによる投票とする!すなわち、トゥインクル・シリーズにおいて多大な成績を残し、活躍したウマ娘に出走権が与えられる!」

 

 

なるほど。多くのレースに出走し、良い成績を残せば、自ずとファンが増え、そのファンの投票によって出走権が得られるということか。

分かりやすくシンプルなシステムだ。

 

 

「ウマ娘諸君、トレーナー諸君!ぜひ、URAファイナルズの初代チャンピオンの称号『ファイナルズ・チャンピオン』の称号を目指して、これまで以上に切磋琢磨し、トレーニングに励んで欲しい!

激励ッ!!!私は諸君らの活躍に期待している!」

 

 

理事長が話し終わってから僅かな時間、会場が静寂に包まれる。

しかし、その静寂が切り裂かれた時、会場に溢れたのはーーーー

 

 

ワアアアアアア…!!!

 

 

歓声であった。

 

それもそのはずだ。何せ全てのウマ娘が活躍出来る新レースなど、過去に類を見ないことを、やると言ってのけたのだ。

 

大歓声の中、URAファイナルズの説明会は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後。

この説明会の内容はすぐに各テレビ局やニュースサイトなどで広がり、トレセン学園には連日記者が押し寄せることになった。

 

 

にしても、あの理事長も大したものだ。

巧みな話術で見事にあの会場の空気を支配し、あの場にいたトレーナーやつウマ娘たちをやる気にさせた。

おかげで今日のグラウンドにはいつもより活気が溢れている。

 

こうは言っているが、かく言う僕もガラにもなくやる気になっている。

まだデビュー戦が終わったばかりだと言うのに、既に次のレースの出走登録に手をつけ始めている。

 

なにせURAファイナルズの参加資格は一般のファンによる投票で決まる。

となると多くレースに出走したウマ娘が有利になるのは自明の理だ。

グズグズしている暇はない。

 

 

それに、やる気になっているのは僕だけじゃない。

チヨノオーもそうだ。

これまでも熱心に練習をしていたが、最近はより一層努力している。

僕の管理している範囲でトレーニングの運動強度を上げている。

 

 

Lの方もどうやらトレーニングのスタイルを変えたようで、最近のエルコンドルパサーはタイヤ引きをしていたり、Lと将棋をしていたり、一般のトレーナーから見たら何をしているのか分からないことをしている。

 

 

しかし、エルコンドルパサーはの先日デビュー戦を一着でゴールしている。

その時の映像を見たが、彼女も着実に実力をつけている。

前の合同トレーニングの時とは違う走り方をしていた。

恐らく向こうも自分なりの型を見つけたのだろう。

やはりLは侮れない。

 

恐らく今は最適なトレーニングを模索している最中なのだろう。

まだそれが完成していない段階で既にデビュー戦で一着を取れているエルコンドルパサーの潜在能力もかなりのものだ。

 

 

今後ジュニア級のレースに出ていくことになれば、他にも洗練された猛者がひしめいているのだろう。

これからはLだけを相手どって戦っていくわけではない、

レースで出会う全てのウマ娘に勝たなければいけないのだと強く感じた。

まぁ元来レースとはそういうものだが。

 

 

「なぁあんた、新人のトレーナーか?」

 

 

チヨノオーを待っている間、グラウンドを眺めながら思索に耽っていると、後ろから声をかけられた。

この人は…

 

 

「はい、そうです。あなたは確か…沖野さん、でしたよね?」

 

 

この中央トレセン学園でそれなりに長い間トレーナーを務めているベテランのトレーナーだったはずだ。

スピカというチームを監督しており、かなり特徴的な見た目をしている。

側頭部が刈り込んであり、残った癖毛を後ろで束ねており、前から見るとリーゼントのような髪型をしている。

 

 

「おぉ、俺のことを知ってるのか!

いやぁ、俺も有名になったもんだなぁ!」

 

 

「いや、沖野さんは実際トレーナーの間ではかなり有名ですよ。

実績もありますしね。」

 

 

これは謙遜で言っているのではなく、事実だ。

彼の担当しているチームスピカは、数々の優秀なウマ娘を排出してきた有名なチームの一つだ。

 

先日の模擬レースに出走していたサイレンススズカやトウカイテイオーも、数多のトレーナーからのスカウトを蹴って現在チームスピカに所属している。

 

「聞いたぞ~、今年は有望な新人トレーナーが入ってきたって!

お前のことだろ?試験を満点で通過した上に、初担当のウマ娘が既にデビュー戦で一着っていう凄腕トレーナーってのは!」

 

 

どうやら僕の方もそれなりに噂が立っているらしい。

確かに僕もその条件に当てはまるが、Lも当てはまるので、どちらの話かは分からないが。

 

 

「いや、そんな大層なものでもないですよ。先輩と同じように日々のトレーニングに四苦八苦しているただのトレーナーです。

沖野さんの方はどうなんですか?

急に新レース設立なんて経験、今までなかったんじゃないですか?」

 

 

僕自身トレーナー経験が浅いので判断が下しづらいが、新レース設立というのはそうそうあるものではないと思う。

今回の発表について、ここに席を置いて長いトレーナーたちはどう思っているのだろうか。

 

 

「あぁ~、あれな。確かに俺も何年かトレーナーをやってるが、あんなことは初めてだよ。しっかし、理事長も中々とんでもねぇことをするもんだな。流石に俺も驚いちまったね。

 

…でも、俺はURAファイナルズにゃ賛成だね。

純粋に頂点を目指したいと、そう思っても、色んな制約やしがらみがあってレースに出られなかったウマ娘ってのも数多いるもんだ。

そういう奴らからしたら、今回の新レース設立の発表は嬉しかったんじゃねぇかなって思うしさ。

それに、折角だし俺もトレーナーとして担当してるウマ娘をURAファイナルズまで連れてってやりたいしな!」

 

 

…この人が多くのウマ娘から慕われているのが、何となく分かった気がする。

恐らくこの人は打算で生きている訳ではなく、純粋にウマ娘やレースが好きなんだろう。

 

 

「そうですか、確かにそうですね。お互いライバルとして、頑張りましょう。」

 

 

そこに、チヨノオーがやってきた。

 

 

「トレーナーさん、お待たせしましたぁっ!あれ、こちらの方は…?」

 

 

チヨノオーは不思議そうに沖野さんの方を見ている。

沖野さんもチヨノオーの方を見ている。

 

「へぇ、こいつがあんたの担当してるウマ娘ってわけね。

…中々根性がありそうな奴だな。

まぁ、お互い頑張ろうぜ、それじゃあな。」

 

 

そう言うと沖野さんは去っていってしまった。

彼の担当するウマ娘とも、そのうちレースで会うことになるだろう。

それに、彼の担当するウマ娘たちはいくつかのレースを経験している猛者ばかりだ。

もしこちらのトレーニングに協力してもらうことが出来れば、チヨも得られるものがあるかもしれない。

 

 

気さくでウマ娘への情熱があるトレーナーか…。

今後も関わることがありそうだ。




今回初登場したのは、アニメオリジナルのトレーナー、通称沖野Tですね。
ウマ娘はアニメから入ったので、ゲームの方にもこの人が出てくるもんだとずっと思ってました。


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第二十五話 仮説

今日もトレーニングを終え、寮に帰る。

 

あれから色々とチヨノートについて調べてみたが、どうやらノート本体に特に変化はなく、チヨは今まで通りにチヨノートを使っている。

デビュー戦以降変化したことと言えば、現状チヨにリュークが見えるようになったことだけだ。

最初こそ怯えていたものの、今となってはリュークのことを可愛いと言っているので、なんの支障もなくトレーニングは進行できているが…

 

問題はそこじゃなく、チヨにも突然リュークが見えるようになったというところだ。

デビュー戦の前は見えなかった。

つまり、あのレースに何かの手がかりがあるはずだ。

とはいえ今からもう一度函館に行くわけにもいかない。

純粋に距離が遠いし、トレーナー業を疎かにするけにもいかない。

 

 

「リュークには何か変化はないのか?」

 

 

僕の部屋で漫画を読んでいるリュークに尋ねる。

 

 

「いや、俺の方には特に変化はないぞ。

あるとしたらチヨの方じゃないか?」

 

 

そうか、まぁあのレースの時、リュークは常に僕のそばにいたし、その間に何かをしていたということもないしな。

 

ちなみに今はリュークもチヨノオーのことをチヨと呼んでいる。

トレーニングの合間にチヨノオーとリュークが喋っている所もしばしば見るし、二人は案外仲良くやっているらしい。

チヨ曰く「可愛いものって見てると癒されるじゃないですか、それと同じよう感覚なんです」と言っていた。

 

…僕にはリュークが可愛く見えることは一生ないと思うが。

 

話が逸れたが、要するにチヨノオーにもリュークが見えるようになった原因はやはりチヨノオー、もしくはチヨノートにある可能性が高い。

 

…一度試しておくか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次の日。

僕はトレーニングの開始時刻を少し遅らせる旨のメールをチヨノオーに送り、リュークを連れてある場所に向かっていた。

 

 

「なぁ月、どこに行くんだ?」

 

 

「少し試したいことがあってね。じきに分かるよ。」

 

 

そう言って、僕は手に持った紙切れをリュークに見せる。

リュークはそれが何なのか分からずに首を傾げていた。

 

 

そうこうしているうちに、目的の場所に着く。

所々さびれているドアをノックすると、すぐに返事が返ってきた。

 

 

「入りたまえ。」

 

 

言われてすぐにドアを開け、中へと入る。

そう、用があるのは今そこの椅子に腰掛け、怪しげな薬品を調合するウマ娘だ。

 

 

「久々だねぇ、君の方からこの研究室に来るのは。それで?一体、私に何の用だい?」

 

 

お手製の白衣に身を包み、アグネスタキオンはそう尋ねた。

無論僕だって用がなければこんな所へは来ない。

向こうもそんなことは承知で聞いているのだろう。

 

 

「少し試したいことがあるだけだ。もちろん、無理にやってくれとは言わない。内容を聞いた上で、この提案を受けるかどうか判断してくれ。」

 

 

こうは言ったが、僕はアグネスタキオンはこの提案を受けるしかないことを知っている。

まだ数回会っただけではあるが、彼女の性格上必ず乗ってくるはずだ。

 

 

「ほう?君がそこまで念押しするということは、例の怪物についての話かい?私は一向に構わないよ。既に研究の過程でいくつかのタブーは乗り越えて…おっと、今のは忘れてくれたまえよ。」

 

 

何やら危険な雰囲気が漂う一言が飛び出したが、話を先に進めるため、続ける。

 

 

「まぁ概ね合っている。試したいことというのは、タキオンの言う怪物、リュークのことだ。」

 

 

前回会った時はリュークの名前についてはひた隠しにしていたし、僕はリュークと意思疎通を取れないというスタンスで接していた。

今後関わることはないという前提で会話をしていたため、その時はそれで問題はなかった。

 

しかし、状況が変わった。

サクラチヨノオーにリュークが見えるようになってしまった今、リュークが見えるようになるトリガーを見つけなければならない。

それが何か分からないままだと、いつの間にか他のウマ娘にもリュークが見えていた、ということになりかねないからだ。

そのためには、『こちらの事情を把握していて、かつ現在リュークの姿が肉眼で視認出来ない人物』が必要だった。

そして、その人物にいくつかの事を試してもらい、どれをトリガーにリュークが見えるようになるのかを調べたいのだ。

 

その実験にうってつけの人材が、アグネスタキオンであった。

ある程度こちらの事情を汲むことが出来て、なおかつ他人に言い触らすような性格でもない。

実験対象としてはこれ程の人材もいないだろう。

 

しかし、これ以上踏み入った話をするのなら、僕にはリュークが見えていない、という設定では無理がある。

なので、僕はアグネスタキオンにリュークのことについて明かすことにした。

 

明かした内容はチヨノオーに説明した時と同じで、リュークが元々死神の力を持っていたことなどは伏せたまま話した。

 

しかし、それでもアグネスタキオンにとっては十分刺激的な情報だったようだ。

 

 

「そうか…そうかそうか、その怪物は…いや、失礼。リュークくんだったね。リュークくんは、あの時サクラチヨノオーくんが持っていたノートに宿る付喪神のような存在なんだねぇ。ここまで明かしてくれたんだ、もちろんこのことは他言しないさ。それで?このことを説明して、私に一体何をする気だい?」

 

 

他言しないと言っているし、ひとまずアグネスタキオンの方から情報が漏れることはないだろう。

ひとまずリュークの存在について納得してくれた所で、本題に入る。

僕は胸ポケットに入れて置いた紙を取り出し、アグネスタキオンに見せる。

 

「僕が試したいことというのは、この切れ端のことだ。この切れ端は、昨日僕がチヨノートの一部を切り取ったものだ。僕の仮説が正しければ、この切れ端に触れた者にはリュークが見えるようになる。」

 

 

なぜこのチヨノートの切れ端に触れただけでリュークが見えるようになるのか。

もちろんあのレースの日の状況から考えて、チヨノオーがしていた行動のうちの一つが『ノートに触れる』だったこともあるし、僕がトレセン学園に来てリュークが見えるようになったのも、あのノートに触れた時だったからだ。

 

 

「ふぅン、成程ね。君が私に念押しをしたのは、そういう理由だったわけだ。だが、未知の生物が見えるようになることなど、私にとってはデメリットではないのだよ。」

 

 

そう言うとアグネスタキオンは僕の手からノートの切れ端を奪い取っていった。

すると、アグネスタキオンはリュークの方を見て、声を上げた。

しかし、声を上げたと言っても、チヨノオーが初めてリュークを見た時のような叫び声ではなく、笑い声だった。

 

 

「フ、フフフ…ハハハハハハ!!これは驚いた!!まさかこの目でこのような生物を実際に見ることが叶おうとは!!あぁ素晴らしい、今実に愉快だ!!」

 

 

リュークを見た途端、アグネスタキオンはいやに上機嫌になり、初めて見せる異常なテンションで話し出した。

 

 

「あんたも中々変な奴なんだな。普通の奴は俺の事を見ると、すぐに逃げたり叫んだりするもんだが、あんたは違うんだな。」

 

 

「まぁ、日常的に実験や研究に明け暮れているものでね。

一般の人々よりは、イレギュラーな事件や存在には耐性があるつもりだ。とはいえ、流石に面食らってはいるよ。実際に非科学的な生物をこの目で見るのは初めてだからね。」

 

 

冷静沈着に振舞っているように見えるが、会話のペースが早口で、彼女はどこか取り乱した様子だった。笑ってはいるが、初めて自分の目で見た異形の怪物だ。恐怖ももちろん感じるだろう。

恐らく今彼女は知的好奇心が感情の大半を占めているのだろうが、少なからず恐怖心もを感じている。

とはいえ、やはり仮説は正しかった。

ノートに触れるとそのノートに憑いている死神が見える。

デスノートの時と同じようなルールだ。

 

 

「それじゃあ仮説も立証出来たことだし、僕はこの辺りでお暇させてもらおう。あまり長引くとこの後のチヨノオーとのトレーニングにも支障が出るしね。」

 

 

そもそもこの後はいつも通りにチヨノオーとのトレーニングの予定が入っている。だからあまりここに長居することも出来ない。

なので部屋を出ようとすると、アグネスタキオンは焦って僕とリュークを引き止めてきた。

 

 

「おいおい、待っておくれよ。君の方は満足したかもしれないが、私はまだ満足していないぞ。私はリュークくんの生態について調べたいことが山ほどあるんだ。最悪の場合、君は帰ってもいいが、リュークくんは置いていってもらうぞ。」

 

 

そう来るか。まぁ今のリュークを調査したとて、僕たちにとって不都合な何かが露呈するようなことはないだろう。

 

 

「なら、トレーニングが終わるまで君にリュークを預けることにしよう。リューク、頼むぞ。」

 

 

そう言うと、リュークは驚いたような表情で僕を見る。

その目は明らかに「お前、嘘だろ」と訴えているが、僕も僕でこれ以上ここに留められると、トレーニングに間に合わなくなりそうだから、なりふり構ってはいられない。

 

 

そんなわけで、リュークをアグネスタキオンに預け、僕はその部屋を後にした。

…帰りに、購買でリンゴを買っておこう。

それも多めに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日のトレーニングも終わり、寮に戻ったが、リュークは部屋にはいなかった。それからしばらく経ち、僕がトレーニングメニューを見直している間にリュークは部屋の壁をすり抜けて戻ってきた。

恐らくアグネスタキオンに酷い目に遭わされたのだろう。

何故かリュークの体が発光している。

一体何をされたらそうなるんだ…。

 

 

「酷い目に遭ったぜ…。」

 

 

絞り出したようなかすれ声でリュークは開口一番にそう言った。

流石にあの研究室にリュークを置いてきた罪悪感も込み上げてきた。

買ってきたリンゴをリュークに与えながら、何が起きたのか、事の顛末を聞くことにした。

 

 

「俺を見ても全く怯える様子とかがなかったから、おかしな奴だとは思ったが…間違いない、あいつは狂ってる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく話を聞いていたが、要するにアグネスタキオンはノートに触れていない者にもリュークが見えるようになる方法を探っているということらしかった。

リュークは薬品を飲まされたらしいが、恐らくその薬品はそのためのものだろう。

リュークが発光することによって、周囲の人間は「そこに何かがいる」という認識を下すことになる。

 

 

しかし、何よりも問題なのは、体が発光している状態でリュークが僕の部屋まで帰ってきたということだ。

幸い夜も更けているし、大勢に見られていたということはないと思うが、もし誰かに見られていた場合、リュークの存在がバレてしまうんじゃないか…?

 

いや、まさか誰かに見られているはずもないだろう。

なぜならリュークが部屋に帰ってきたのは11時過ぎだ。

ウマ娘はとっくに寮に帰っている時間だし、そもそもこの時間にグラウンドやコースにいる者などいるわけがない。

 

僕は自分に言い聞かせるようにして、その日は眠ることにした。

しかしリュークは深夜でも構わず光輝いていて、どうにも眠ることが出来なかった。

光るのはやめろと言うには言ったのだが、どうやら自分の意思で決められるものではないらしく、ただただ僕はリュークの出す光に耐えながら眠りにつくのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして次の日。

掲示板に張り出されている学園新聞の見出しには、こう書かれていた。

 

『目撃者多数!!謎の発光体の正体とは!?』

 

恐れていた事が現実に…。

記事を読むと、あの時間にまだ自主的にトレーニングをしていたウマ娘がグラウンドにいたらしい。

 

他にも何人かのトレーナーの目撃情報が新聞に載せられていた。

くそっ、リュークのやつ、よりによって目立つ道ばかり通っていたらしい。

このままだとリュークの事がバレるもの時間の問題かと悩んでいたが、どうやら周りのウマ娘やトレーナーたちはその新聞に大して食いついてはいなかった。

どういうことだ…?

発光体が目撃されるという事態が日常的に起こっているとでも言うのか…?

 

 

「夜神さん、お久しぶりですね!」

 

 

突然の声に、僕の思考は遮られた。

振り返るとそこには桐生院葵がいた。

 

 

「あぁ、葵さん、お久しぶりですね。どうですか?葵さんの担当の子、最近調子が良いらしいですね。」

 

 

ともかく新聞に対する動揺を悟られぬように会話を続ける。

一応、桐生院葵の担当ウマ娘である『ハッピーミーク』についての調べはある程度ついている。

なんと言っても現在のオーソドックスなトレーニング法の基礎を確立させた桐生院家の人間だ。

蔑ろにしていい相手ではない。

 

 

「そうなんですよ!うちのミーク、先日のデビュー戦で一着だったんです!夜神さんの担当のサクラチヨノオーさんもデビュー戦、一着だったんですよね?おめでとうございます!

お互いにURAファイナルズに出走出来るように頑張りましょう!」

 

 

やはり桐生院葵もURAファイナルズを意識して動いているか。

かなりの注目度のレースだからな。

桐生院に限らず、今はURAファイナルズを目標としているトレーナーは多いんだろうな。

 

 

「あれ、その記事…」

 

 

桐生院の視線が僕の背後の新聞へと移る。

しまった、これに関して追求されるわけにはいかない。

そう思った僕は先手を打つことにした。

 

 

「これですか?面白いですよね、この記事。

いつの時代もこういうものって一定数あるものなんですね。

僕も学生の頃はこういうオカルト的な話に心躍らせたものです。」

 

 

この記事をあくまでも『学生の悪ノリ』として処理する。

先にこう言ってしまえば、この記事について深堀りするようなことはないだろう。

 

 

「そうですね、でもこの学園ではそういった話はよくあるみたいですよ?先日もタキオンさんが自分の担当トレーナーを光らせていたって話を聞きましたし。」

 

 

なっ…やはりこの学園では、この手の話がよくあるのか?!

てっきりリュークという生態の不鮮明な相手だからこそ躊躇なく薬品を飲ませたのだと思っていたが…

アグネスタキオンが誰に対しても同じスタンスで薬品を飲ませているということなら、先程の新聞を見たウマ娘たちやトレーナーたちの反応も頷ける。

もしその通りなら、今回の件でリュークの存在が広く知れ渡るようなことはまずないだろう。

まったく、とんだ取り越し苦労だよ。

 

再び新聞を見る。

心境の変化のせいであろうか、その記事は今の月には酷く稚拙な内容であるような気がして、思わず笑いそうになってしまう。

 

夜神月は桐生院葵に「そうですね。」とだけ返し、不安が解消されたことに対して安堵するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーProject■■■ー

 

本日、■■二号に第一次覚醒の兆候あり。

 

■■二号の■■■への■■は安定している。

なお、条件を満た■た者は、■■二号の■■が可能となるこ■が確認された。

 

■■二号に■有■があることが発■したが、引き続き■■二号と呼称する。

 

依然■して他の■■に変化はなく、対象同士で■■するということはない。

 

■■一号の■■二号との■■は現■確認されていない。

なお、今後の動■次第ではあるが、現■■持に努めると共に、経■■■に徹することとする。

 

■■■■■■■■検閲済



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第二十六話 踊り

日々のトレーニングに打ち込み続け、いつしか時は八月も中頃に差しかかり、生成色の日差しが眩しくなる頃。

このウマ娘のいる世界で夜神月は…

ダンスを、踊っていた。

 

 

「どうしてこうなったんだ…」

 

 

話は、一時間前に遡る…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、僕はチヨノオーのウイニングライブの練習を見に来ていた。

無論トレーニングのために、だ。

 

前回のデビュー戦で初めてチヨノオーはライブで踊ったわけだが、その時の月の率直な感想は───

 

 

「動きがぎこちない」

 

 

ということだった。

確かにあの時チヨノオーが言っていた通り、振り付けは完璧だった。

デビュー戦で歌った『Make debut !』も、素人目ではあるが良かったと思う。

 

となると、今のチヨノオーに足りないもの何か?

そう、ダンスの完成度である。

振り付けは完璧に覚えていたが、一つ一つの動きの繋ぎ方がぎこちなかった。

あれではデビュー戦のウイニングライブは何とかなっても、重賞のレースで勝った時のウイニングライブでは、目の肥えたファンを満足させることは出来ないだろう。

 

そして本日の課題曲は『ENDLESS DREAM!!』である。

 

ジュニア級の数少ないGI『朝日杯フューチュリティステークス』や『阪神ジュベナイルフィリーズ』、そして『ホープフルステークス』の後に行われるウイニングライブの曲だ。

チヨノオーもこのまま重賞を勝ち進んでいけば、いずれ朝日杯FSやホープフルSに挑戦するかもしれない。

だからこそ今回の練習を見学しに来たわけだ。

GIのウイニングライブ。

半端な完成度にするわけにはいかない。

 

 

「ほら、チヨ。またステップが雑になってる。」

 

 

何度やってもこの部分のステップが疎かになっている。

仕方がないと言えば仕方がないが…

 

実はライブのパフォーマンスを全て完璧に覚え切るのは中々に難易度が高い。

なぜなら、一人分の立ち位置や動きを覚えておけばいいという訳ではなく、全員分の動きを把握しておかなければならないからだ。

というのも、ウイニングライブでの配置というのは知っての通り、直前のレースの着順によって決まる。

そして、その時まで自分がどこで踊るかが分からないため、何着だったとしても対応出来るようにしておかなければならない。

よって、余程一着を取る自信がない限り、基本的に全てのポジションでの段取りを覚えなければならない。

 

となれば、覚える振り付けは膨大な量となる。

多少の抜け漏れが出てくるのは仕方のないことではある。

しかし、今練習しているのはライブが始まってすぐの、ファンが最もウマ娘の動きをよく見ることが出来る部分なのだ。

ここでのステップの手抜きは致命的に映ってしまうだろう。

 

他にもいくつか気になるところはあるが…

まぁ、焦ることはない。

どんなことにも言えることだが、一朝一夕で簡単に出来ることばかりではない。

今はまだ八月。

『ENDLESS DREAM !!』をライブで披露するのは早くとも十二月頃にだ。それまでに踊りを完成させればいい。

時間はある。

 

それに、僕がここに見学に来た目的はライブの練習を見るためだけでは無い。

 

そう、偵察だ。

今後のレースで勝ち抜くためには情報収集も重要な要素になってくる。

相手のことを知れば、それを加味した上で作戦を練ることが出来る。

相手の得意なレースパターンを把握していれば、それを阻止するように走ることも出来る。

レースに必要なのは自分自身の身体能力だけではない。

 

 

「なぁ月、一つ聞きたいんだが」

 

 

これまで特に何も喋らずにウマ娘達が踊っているのを見ていたリュークが、唐突に話し出した。

 

 

「どうしてこんなところに俺を連れてきたんだ?別にウマ娘の能力見るだけならグラウンドでも良かったんじゃないのか?」

 

 

そういえば、ここに連れてくる時にリュークには理由を説明していなかったな。なぜわざわざこのライブ練習で偵察を行わなければならなかったのかを。

言いたいことは分かる。確かにグラウンドにはリューク大勢のウマ娘がいるし、ただウマ娘の能力を量りたいだけならそっちの方が楽、ということだろう。

 

だが、今回の目的は少し違う。

リュークの言う通り、グラウンドにはたくさんのウマ娘がいる。

そう、()()()()()()多くのウマ娘がいるのだ。

これが今回僕がここに来た理由だ。

 

チヨノオーは今ジュニア級のレースに出走するウマ娘。

今後は先輩やシニア級のウマ娘と同じレースに出ることもあるだろうが、それはチヨがクラシック級に進級してからの話だ。

ジュニア級のウマ娘がシニア級やクラシック級のウマ娘と同じレースに出走することはまずないと言っていいだろう。

グラウンドにいるウマ娘たちはクラシック級やシニア級、もしくはそれ以降で活躍を目指すウマ娘が多い。

そんなウマ娘たちのデータを取ってもどうしようもない。

チヨノオーが今戦っているのはジュニア級の相手だからな。

 

ではジュニア級のウマ娘が集まる場所は一体どこなのか。

それを考えて、僕はここに辿り着いた。

ウイニングライブの練習は必修科目というわけではない。

そのレースに出走する予定のあるウマ娘たちが自主的に選択して受講する制度になっている。

つまりここにいるウマ娘は、全員が朝日杯フューチュリティステークスや阪神ジュベナイルフィリーズなどのジュニア級GIへの出走を予定しているウマ娘なのだ。

 

そういう理由もあり、僕は今日ここへ足を運んだというわけだ。

その事を軽くまとめてリュークに説明すると、すぐに理解しまた初めの時のようにウマ娘たちの方を見だした。

 

最近のリュークは自分の興味のあることには強く関心を示し、逆に興味のないことには一切関心を示さなくなっている。

死神だった頃から面白いことを好む性格ではあったが、かなり極端になってしまっているようだ。

単にリュークの心持ちが変わったのかと思ったが、話を聞く限り、どうやらどうやらそうでもないらしい。

リューク曰く、『チヨノオーを成長させて、彼女の夢を叶えさせなければならない』という強迫観念に近いものが心のどこかに常にあり、チヨノオーやウマ娘に関する頼みは基本断ることが出来ない、とのことだ。

これはリュークが死神でなくなったことと関係があるのかは定かではない。

そもそも『ウマ娘や人間の能力が数値化されて見える目』というのもウマ娘にとって都合が良すぎるように思える。

リュークはウマ娘を導く存在にでもなるつもりなのか?

しかしもしそうなったとしても、僕に恩恵はほとんどない。

リュークはあくまで傍観者としてそこにいるだけであり、故意に誰かを味方したりすることはないからだ。

ただし、リンゴがかかっている時はそうでもない。

割と簡単に言うことに従う。

それに本人の言っていることが本当なら、「ウマ娘に関係する事柄なら断ることが出来ない」というのは後々使えそうだ。

 

 

「どうですか?トレーナーさん!」

 

 

いつの間にかダンスの練習は休憩に入っていて、チヨノオーが僕の元に意見を求めに来ていた。

スタミナがついたことはここでも生かされているようで、かなり激しい動きを伴うダンスを一曲まるまるこなしたにも関わらず、疲れている様子もなく、元気に満ち溢れていた。

耳をピコピコトレーナー動かし、尻尾を振っているその様子はまるで犬のようでもあった。

 

本題のダンスについてだが…僕個人の意見としては、上手とも言えないが下手とも言えないというのが正直な感想だ。

例えるなら、デビュー直後の地下アイドルユニットよりは良い動きをするが、メジャーなアルバムをいくつも世に出している大物グループのバックダンサーとして使うには少し実力不足、という具合のダンスだった。

僕自身ダンスは齧った程度の実力なので具体的なアドバイスが出来ないことが悔やまれる。

とはいえ、前回のライブの時よりは上手くなっている。それは僕でも分かる。

 

「そうだね、前のライブの時より上手になってると思うよ。一つ言うとするなら、そうだな…あくまで僕個人の意見だけど、動きを追いかけることに精一杯になってて余裕がない印象を受けたから、次はもう少しファンに向けたライブということを意識して踊ってみたら良いんじゃないかな?」

 

 

このアドバイスが正解だったのかどうかは分からない。

しかしチヨノオーのこの満足そうな反応を見る限り、今言ったことが原因で彼女を不機嫌にさせたということはなさそうだ。

 

純粋に相手の成長を望む上でしてはいけないことは『相手を否定すること』だ。なのでまずその努力の過程を認めてあげる。仮に指摘することがあるとしたら、その後だ。

最初から怒鳴りつけて、その上でいくら至極真っ当なアドバイスをしたところで、真剣に聞く気にならないことも多いからだ。

 

 

夜神月は人心の掌握が存外上手かった。

彼は大学卒業後は警察官僚として警察に務めており、多くの部下から慕われていたという実績もある。

キラとして世界中の犯罪者の情報を得るために都合が良かったから警察官僚という職に就いたというのが正直な話だが。

 

 

「おや、月くんも来ていたんですね。」

 

 

「竜崎…お前も来たのか。」

 

 

ちょうど練習が休憩時間に入ったタイミングで、エルコンドルパサーとLがダンスルームに入ってきた。

Lもウマ娘の偵察をしに来たんだろう。

でなければわざわざこんな所まで来ることはないはずだ。

とはいえ僕は既に欲しい情報を手に入れた。

ライブの練習の最中にリュークから各ウマ娘の情報を聞いておいた。

つまり僕はこれ以上ここにいる理由はない。

 

 

「竜崎、僕としてはエルコンドルパサーのダンスにも興味があるが、僕には用があってね、今から帰るところなんだ。」

 

 

正直な話、Lがいつリュークの存在に気づいてもおかしくはないので、早めに撤退したい。

チヨノオーにも無視しておいて欲しいということは伝えてあるが、先程からチラチラとリュークの方を見ている。

あまりここに長居するとLにバレてしまいそうだ。

僕がリュークと共に部屋を出ようとすると、Lは一言こう言った。

 

 

「月くん、私とダンスで勝負しませんか?」

 

 

勝負だと…?模擬レースの時と同じだ。

必ず何か魂胆があるに違いない。

それに何故ダンスで勝負なんだ?レースで勝つことに関係がないような気がするが…?

 

「悪いが、急いでいるんだ。また時間がある時にしてくれ。」

 

Lが何を考えているのかは定かではないが、こうして誘いを断ってしまえばそれで終わりだ。

 

 

「…逃げるんですか?」

 

 

…ほう、言ってくれるじゃないか。

そっちがその気なら、やってやるよ。

 

僕は先手を打ち、軽いバドブレ、クロスステップ、ウィンドミルという流れで技を繰り出す。

突然始まったトレーナー同士の戦いに、周りのウマ娘は釘付けになってこの戦いを見ている。

 

L、お前は僕にダンスの経験がないと考えていたんだろうが、それは大きな間違いだ。

ダンスは基本のステップ程度なら踏めるし、軽いアクロバット程度なら出来る。

 

さぁ、どう出る?

するとLはいきなり飛び上がり、エレベーター、ジャイロ、マーシャルと流れるようにブレイクダンスの大技を繰り出した。

周りで見ていたウマ娘はその見事な技の数々に惜しげのない拍手を送った。

Lは呼吸を整えてこう言った。

 

「凄いですね、月くん。ダンスも踊れるなんて。」

 

 

くっ、今のLに言われても嫌味にしか聞こえない。

というかこれは実際に嫌味だろ。

まさかLがダンスも上手いとは。

逆に一体何が出来ないのだろうか。

 

ダンスルームは降って湧いたトレーナー同士のダンスバトルの話題で持ち切りになった。

そんなダンスルームにプライドの高い月が長くいられるはずもなく、しばらくするとリュークを連れて寮の部屋へと帰ってしまった。

 

くそっ、こんな屈辱は生まれて初めてだ。

ちなみに、一部始終を見ていたリュークは僕が負けた時からずっと爆笑し続けている。

癪だが、負けたことが事実なので何も出来ない。

結局Lの狙いも分からなかった。一体何がしたかったんだろうか。

その日は負けたことへの苛立ちと、Lにしてやられたという落胆で作業効率が落ちていた気がする。

 

しかし、月はその後チヨノオーがくれた『私はトレーナーさんの方がカッコイイと思いましたよ!!』というメールで少しやる気を取り戻すのだった。




お久しぶりです、皆さん。
何を思ったのか、今回の後半の方はギャグ全振りでしたね。
これを書いた時、恐らく疲れていたんだと思います。

ちなみにLがダンスバトルに持ち込んだ理由ですが、特に深い意味はありません。
彼は純粋に月と対決がしたかったのです。


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第二十七話 蹄鉄

連載形式に関してのアンケートを開催してます。
良かったらぜひ一票投じていってくだされ。


ライブ練習の日から三日後。

今日は8月20日。

もうすぐチヨノオーが出走する次のレース、『新潟ジュニアステークス』がある。

チヨノオーにとっては初の重賞レースとなる。

必要なものは早めに揃えておきたい。

 

その上、このレースの結果如何によって今後のチヨノオーの路線がはっきりしてくる。

このレースは翌年のクラシック路線のレースのローテーションを決める上で非常に重要な役割を果たすレースとなる。

チヨノオーの最終目標は日本ダービーだが、そうなるとクラシック三冠バとなることは実質諦めなければならなくなる。

なぜならクラシック三冠最後のGIは菊花賞だからだ。

 

菊花賞は3000mの長距離レース。

長距離の適性がないチヨノオーには到底走りきれる距離ではない。

仮に皐月賞、日本ダービーとクラシック二冠を取ったとしても、並み居るライバルを倒し、適正外の菊花賞で勝つことは困難なのだ。

しかし、ティアラ路線なら、チヨノオーでも三冠を取れる可能性がある。

 

トリプルティアラのGIレースは桜花賞、オークス、秋華賞の3つ。

どれもマイル、中距離のレースであり、チヨノオーはマイルと中距離のどちらの適性もある。

つまり、本人の意志に反することにはなるが、もし日本ダービーを諦めれば、チヨノオーはトリプルティアラ路線で三冠を取れるかもしれないということだ。

どちらの路線で進んでいくのか、それを見極めなければいけない。

なので、今回のレースでとはいかずとも、ジュニア級の戦績如何でチヨノオーをどの路線で出走させていくかを決めようと思っている。

 

よって、今日はチヨノオーと共にショッピングに来た。

前から蹄鉄を新調したいと思っていたし、ちょうどいい機会だ。

今の蹄鉄はトレーニング用のものになっている。

耐久性が高く、長く使うことに特化したものだ。

デビュー戦の時はチヨノオーの能力をレースに出られる所まで仕上げることに神経を使っていて気づかなかったが、やはり今後レースに出ていく上で使っている蹄鉄の種類というのは気にしておいた方が良い。

 

例えばトレーニング用の蹄鉄は、先述した通り耐久性が高い。長い時間使い続けられるようになっている。

しかし、当然ではあるが質量が重くなる。

一方レース用の蹄鉄。これは耐久性こそ決して高くないものの、質量がトレーニング用のものよりも軽い。

レースのタイミングだけで使うものなので、耐久力を削ることが出来るのだ。

 

そしてチヨノオーはどうやら新しい服が欲しいらしい。

僕が新しい蹄鉄を買うために出かけたいと言うと、交換条件で服屋に着いてきてくれと言われた。

まぁ、ウマ娘とはいえ彼女も学生だ。

ファッションに興味があるのだろう。

 

トレセン学園で合流した後、ショッピングセンターへと向かう。

なお、リュークは家で待機している。

一応行くかどうか聞いたが、家で待っている、と言っていた。

最近のリュークはテレビをよく見ている。

今日来なかった理由も『いつも見ている昼ドラの最終回が気になる』という理由だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショッピングセンターに着き、まず先にウマ娘用の靴や蹄鉄の専門店へと入る。

実際に来るのは初めてだったが、思っていたよりも多い品揃えに驚いた。

府中随一の品揃えの専門店というのは伊達ではないようで、芝、ダートなどバ場に合わせたシューズはもちろんのこと、距離別でも用意されているようで、膨大な量のシューズが店内に所狭しと並べられている。

店に入ってすぐ、店員が僕元へやって来て、何やらセールストークを始めた。

このシューズは前年度のGIウマ娘が愛用していたものだとか、このシューズはかつての三冠ウマ娘が太鼓判を押したものだとか。

 

しかし、僕が今回買うものははっきりしている。

店員のトークを話半分で聞きながら、お目当ての蹄鉄を探す。

 

 

 

これだ。先芯のないアルミニウム合金製の蹄鉄。

蹄鉄の素材は主に二種類で、鉄とアルミニウムがある。

現在はアルミニウム合金と言っても、普段のトレーニング時からレースまで幅広く使える兼用蹄鉄と、レース専用の競走用ニウム蹄鉄がある。

多くのトレーナーは使い勝手の良い兼用蹄鉄を使用している。

耐久性にも優れ、なおかつレース使いも出来るのだ。使わない理由はない。

しかし、僕が今回求めていたのは兼用蹄鉄ではない。少し特殊な競走用ニウム蹄鉄だ。

チヨノオーの走り方は、少し特殊で『スパートで強く踏み込まない』走り方をしている。

これはスパートが弱く速度が出ていないということではない。

むしろ、普通に力強くスパートをかけているウマ娘より速度が速い。

これはチヨノオーの生来の走り方に由来するものとしか言えないのだが、彼女はスパートに限らず大きく踏み込むということがない。

そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

むしろ、本来力強く踏み込むところを軽く踏み込むという動作で抑えることによって、他のウマ娘よりも小さな予備動作で最高速度に到達することが出来る。

これはチヨノオーの大きな強みだ。

そして、僕はこれを最大限に生かす蹄鉄を探していた。

なるだけ軽い蹄鉄をだ。

それがこの、先芯が入っていないアルミニウム合金の蹄鉄だ。

耐久性は他のものに比べて低いものの、抜群の軽さを誇る。

更に先芯を取り払うことによって、軽さを追求したものとなっている。

 

先芯というのは、スパートで力強く踏み込む時にシューズが耐えられるように使用される補助金属である。

チヨノオーのスパートは力を必要としないので、本来必要な先芯を取り払えるのだ。

耐久が低いとは言っても、一回や二回のレースでダメになるようなことは無い。

よって、今回のレースは試験的にこの蹄鉄を導入してみようと思っている。

一度チヨノオーにトレーニングで試してもらって、違和感がなければレースで使用してみよう。

僕はこの店でこの蹄鉄と普段のトレーニング用に兼用蹄鉄をいくつか買った。

さて、僕の欲しかったものはこれくらいだ。

 

次はチヨノオーの欲しいもの…服選びだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いてチヨノオーと共にやってきたのはもちろん洋服店。

洋服店には過去に何度か同級生の女性と入ったことがあったが、ここ最近は来ていなかったな。

 

 

「トレーナーさん、私今日の為に色んな人にオススメの服とかを聞いておいたんです!だから任せてください!」

 

本人もこう言っていることだし、最近のファッションの流行も僕には分からない。

ここはチヨノオーに任せるとしよう。

 

 

「あった!これです!リサーチした最近流行ってる服!」

 

 

そう言ってチヨノオーが手に取った服は、肩パッドが入っていて、派手な赤を基調とした服…いわゆるボディコンシャスと呼ばれるバブル時代に流行った服だった。

僕ですら教科書に載っているものを見たことがあるくらいのものだ。

まさか実物をこの目で見ることになろうとは。

というか、なぜこんな流行の最先端を行くオシャレそうな洋服店に未だにボディコンのスーツが置いてあるんだ。

これは流石の僕でも分かる。

チヨノオーはリサーチする相手を間違えたのだと。

 

 

「チヨ、さっき色んな人に聞いたって言ってたけど…これが流行ってるって誰に聞いたんだ…?」

 

 

この世界ではまだバブル時代のファッションが流行っているのかと一瞬考えたが、やはりそれはないはずだ。

少なくともこれまで僕がトレーナーとしてやってきた間、バブル時代のような服装をしている人には一度たりとも会ったことがない。

 

 

「え?それはもちろん、マルゼンさんですよ!」

 

 

チヨノオーが憧れているというウマ娘、マルゼンスキーか。

もし彼女が完全な善意でこれを勧めているのだとしたら、マルゼンスキーの流行の認識は世間とかなりズレていると言うしかなくなるが…

それよりも問題なのは、チヨノオーがこの服を見て今にも購入しそうなくらい目を輝かせていることだ。

まさかこの服装を着て歩くことに何の疑問もないのだろうか。

チヨノオー、よく考えてくれ。これまで君が出会った人の中に、こんな服を着た奴は一人だっていなかったはずだ…。

 

こんな服を着たチヨノオーが僕の横で歩いていては、僕のセンスまで疑われかねない。かくなる上は…

 

 

「チヨ、その服も良いと思うんだけど、僕が服を選んでもいいかな?」

 

 

僕も特段ファッションに理解のある方ではないが、少なくともこれよりもマトモな服は選ぶことが出来るはずだ。

 

 

 

そして服を見繕う。

夜神月が選んだ服は、店先のマネキンが来ていた服装と大して変わらないものではあるが、オシャレに精通していない月からすれば、最良の選択をしたと言える。

結果的にサクラチヨノオーはその服装を気に入り、ボディコンのスーツは諦めて月の選んだ服一式を購入した。

月は何とかマルゼンスキーオススメの服の購入を阻止することが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に僕らが訪れたのはゲームセンターだった。

チヨノオーがどうしても少しでいいからドライブゲームがしたいと言うので、折角ならということで僕も一緒に行くことにした。

よく考えたら、ゲームセンターも久しぶりだ。

遊びは中学までと決めていたので、高校に入ってからは遊びに行くこともめっきり減ったし、デスノートを拾ってからは忙しくなり、余計にそれどころじゃなかったしな。

 

今日一日を通して、チヨノオーが本当にマルゼンスキーを慕っているということがよく分かった。

恐らくこのドライブゲームがしたいというのも、マルゼンスキーがドライブが好きだからなんだろう。

一体なぜそこまで彼女に憧れるのか、

 

 

 

今なら聞けるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、帰り道。既に日は傾き始めていて、空は薄暗くなり始めている。

それでもまだ寮の門限までは時間があるので、月とチヨノオーは他愛のない話をしながら、ゆっくりと学園へと帰る。

その道中、月はそれとなくマルゼンスキーの話を口にする。

 

 

「チヨは本当にマルゼンスキーが好きなんだな。」

 

 

するとチヨはそうなんですよ!と言ってマルゼンの凄いところやカッコイイところなんかを沢山話してくれた。

その話をしている時のチヨノオーは本当に嬉しそうで、まるでクリスマスを前にはしゃぐ子供のようだった。

話が終わる頃、僕はずっと思っていた疑問を彼女に投げかけようとした。

 

なぜマルゼンスキーに憧れているのか。

 

僕とチヨノオーはトレーナーと担当ウマ娘という関係だ。

もちろん本人が聞かれたくないことにまで首を突っ込むつもりもないし、必要以上に世話を焼くつもりもない。

しかし。

なぜ夢を追うのか。

なぜ憧れを超えたいのか。

それはトレーナーとして、知っておくべきだと思う。

 

 

 

 

しかし、すんでのところで月は口を閉じた。

今、聞くべきじゃないと思った。

僕はまだ、相手の事情に深入り出来る程のトレーナーではない。

僕がトレーナーとしてチヨノオーにしたことなど、まだほとんどないに等しい。

デビュー戦で勝てたのも、トレーニングを毎日真面目に頑張っていたチヨノオー本人の努力の結果でしかないと思う。

彼女がなぜマルゼンスキーに憧れるのか。

それについては、僕が胸を張ってサクラチヨノオーのトレーナーを名乗れるようになってから聞こうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして日は流れ、八月三十日。

新潟ジュニアステークスが、始まる。



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第二十八話 新潟ジュニアステークス①

第一話、第四話の後書きにそれぞれ夜神月、リュークの紹介を追加しました。

デスノートの原作を知らない方にもこの作品をもっと楽しんで頂きたいと思ったので。
Lの説明は作中で月くんがしてくれているので省きました。


新潟レース場

 

新潟県新潟市にあるレース場。

公共交通機関での移動手段がバスのみであり、レース場に行く為には多少の不便を強いられる。

とはいえ特色もある。ここ新潟レース場は、日本で唯一直線1000mのレースが開催されることで有名なのだ。

夏にはこのコースを活かして、名物重賞『アイビスサマーダッシュ』が行われることで有名だ。

 

そして気持ちの良い快晴に恵まれた新潟レース場に、僕とチヨノオーはやって来ていた。

目的はもちろん、今日ここで開催されるレースに出走するため。

レース場の前に来るのは二度目だが、やはりこの雰囲気には慣れないな。

 

新潟ジュニアステークスは、今後の展望を決める上で一つの指標となる重要なレースだ。

新潟ジュニアステークスを含むジュニア級の重賞でどのような結果を出すかどうかで、難易度の高いレースに挑戦するか、目標を下げるかを考えることになる。

 

今回のレースは前回のデビュー戦とは違って、18頭立てで行われる。

ウマ娘の人数が多い分、先行策で挑むチヨノオーは前回よりも大きなプレッシャーを感じながら走ることになるだろう。

とはいえ、こっちも出来る限りの事はした。

今回のレースの為、蹄鉄も新調したし、新潟のコースの()()も把握している。

懸念事項と言えば…前回のデビュー戦と違い、既にいくつかのレースで好成績を収めているウマ娘が出走しているというところか。

今回のレースで僕がマークしているのは3人のウマ娘だ。

 

 

一人目はゴールドシチー。

彼女は元々モデル業に精を出していたウマ娘だったが、ジュニア級ウマ娘となった今年からレースにも力を入れ始めている。

そんなモデル業の影響もあり、今回のレースは三番人気という結果になっている。

 

デビュー戦では二着と惜しい結果に終わったが、彼女の実力が折り紙付きであることは間違いない。

何度かグラウンドでの練習風景を見たことがあるが、やはり良い走りをする。

特殊な走り方をするわけではないが、今回出走するメンバーの中では要注意となるだろう。

 

 

二人目はハッピーミーク。

このウマ娘は他でもない桐生院葵の担当ウマ娘でもある。

デビュー戦デビュー一着という鮮烈なデビューを飾った猛者の一人であり、今回のレースでも一番人気となっている。

流石あの桐生院葵が選んだウマ娘というのは伊達ではない。

彼女は一言で言えばオールラウンダーであり、芝でもダートでも、果ては短距離から長距離まで。

特に制限なくどんなレースでもある程度好走することが出来るらしい。

更に彼女は逃げ、先行、差しの三つの脚質適正があり、どんなレースを展開するのか予想することが難しい。

 

今回のレースではその実力に加え一番人気となっているので、かなりマークされることが予想される。

僕も注視はしているが、どの脚質で仕掛けてくるのかが不明なのであまり気にしすぎても思考が乱される。

それよりも問題なのは三人目だ。

 

 

三人目はニシノフラワー。

ウマ娘にとっての名門であるトレセン学園に飛び級で入学したというあまりにも異色の経歴を持つ。

年齢的には小学生にあたるため、まだ身長は低く、小柄である。

そんな彼女は短距離やマイルの適性が高いらしく、先日の短距離のデビュー戦では短距離としては異例の二バ身差での一着だったという。

僕の見立てでは、今回のレースの台風の目は間違いなく彼女になるだろう。

 

今回のレースの脚質分布は、

 

逃げ 4

先行 5

差し 7

追込 2

 

となっている。

逃げ4、先行5と前脚質が多いので、前が塞がることが予想される。

先行は如何にして逃げの間を抜け出せるか。

差し追込は恐らく大外を回り込む形になるだろう。

マイルとはいえ大外を回るとなればスタミナはギリギリの勝負になるだろうから、どこで仕掛けるかという勝負になりそうだ。

 

 

 

そして、今回出走するウマ娘が解説の声に合わせてパドックに出てきた。

パドックというのは、レース前のウマ娘たちが準備運動がてら周回をする場所である。

レースを見る観客は、このパドックで出走するウマ娘の善し悪しを判断する。

そのため、ウマ娘によってはこのパドックで披露する一芸を持っている者もいる。

最近だと、先日デビューしたトウカイテイオーなんかがそうだ。

俗に『テイオーステップ』と呼ばれるその独特な歩き方にはその場にいた観客の多くが注目していた。

 

 

「一枠一番、ブリッジコンプ。調子が良さそうですね、好走が期待できそうです。」

 

 

「二枠二番、ハートシーザー。ちょっと調子が悪そうですね、レースに影響しないと良いのですが。」

 

 

出走ウマ娘が続々とパドック入りしてくる。

入場は淀みなく進んでいき、チヨノオーの番が回ってきた。

 

 

「六枠六番、サクラチヨノオー。二番人気です。これは…仕上がっていますね。今回のレースが楽しみです。」

 

 

チヨノオーがパドックに入ってくると、観客のどよめきが増した。

どうやら観客の中には、サクラチヨノオーに注目している者も多かったようだ。

とはいえ、それもそのはず。

サクラチヨノオーは前回のデビュー戦を六バ身差で快勝している。

デビュー戦で二着と六バ身の差をつけての大勝というのは、そうそう起きることではない。

僕の先述した三人のウマ娘も脅威には違いないが、サクラチヨノオーの存在も、他のウマ娘からすると脅威に感じることだろう。

 

 

「あ、夜神さん、こんなところにいたんですね!」

 

 

観客席の一番前にいた僕に声をかけてきたのは、今回のレースにも出走するハッピーミークのトレーナー、桐生院葵だ。

 

 

「葵さん。来ていたんですね。」

 

 

来ていたんですねとは言うものの、大抵のトレーナーは自分の担当ウマ娘のレースは流石に見に来る。

レース場に来ていることに対して驚く必要はないように思えるが、桐生院葵に限っては話が別だ。

 

桐生院家は全てのトレーナーの模範と言っても過言ではない程に優秀なトレーナーを数多く排出してきた由緒ある家である。

故にその家の人間は多忙を極めている。

トレーニングのノウハウを書き記した本の出版や、数多くのウマ娘関連のニュースで専門家として意見を出すこともある。

なのでレースには来ないのだろうと思っていた。

 

 

「ミークの初の重賞レースなので…スケジュールを切り詰めて来ちゃいました。」

 

 

まぁ、いくら多忙とはいえ自分の担当の初の重賞レースだ。

気にならない方が珍しいことだ。

 

そうして桐生院葵は手早く月に対する挨拶を済ませ、予め彼女が確保していた撮影にうってつけの場所へと向かっていった。

そこにはプロの写真家が使うような大きな三脚のカメラが置いてあった。どうやら彼女はそのカメラで自分の担当のレースを写真に収める気のようだ。

まるで初めて子供の運動会に来た母親のようだ。

 

 

「七枠七番、ニシノフラワー。四番人気です。デビュー戦では華々しい結果を見せてくれました、今回のレースも期待できそうですね。」

 

 

彼女がニシノフラワーか。

実際にこの目で見るのは初めてだが、身長は恐らく130~140cm程であり、小柄。

とてもこの厳しいレースの世界でやっていけるようには見えない。

何も知らない者が彼女を見たなら、小さな子が迷い込んでしまったのかと勘違いしてしまうだろう。しかし…

 

 

「月、あのニシノフラワーってやつ…かなり強いぜ。他の奴と比べてもあいつは群を抜いてる。」

 

 

そう、彼女には実力がある。

残酷なレースの世界でただ一つ必要なものを持っているのだ。

それ故に彼女はここにいる。

相手の能力を見極める目を持っているリュークが言うのだから、間違いないだろう。

 

だが、積み重ねたもので言うならこちらも負けてはいない。

この日までに出来ることは全てしてきたつもりだ。

いくら相手が強かろうと、負けるつもりは毛頭無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

各ウマ娘の紹介も終わり、

全てのウマ娘のゲートインが完了した。

いよいよ出走までの時間は秒読みだ。

 

月の手に汗が滲む。

彼は柄にもなく緊張していた。

 

一体何故なのか。

それは自分以外の相手に成否を委ねているという点にあった。

夜神月は生まれつき全てを自分の手で何とかしてきた。

本来人間はお互いを助け合い生きていくものだが、夜神月はそれらをほぼ一人で捌ききれるだけの能力があった。

 

自分以外の他人に成否を委ねるというのは彼のこれまでの人生においてめったにないことであった。

自分が如何に努力したとしても、最後に結果を決定するのは自分ではない。その恐怖が、彼に緊張を与えていた。

 

 

チヨ…頼んだぞ。

 

 

月がそう思ったと同時に、ゲートが勢いよく開いた。

レースの火蓋は、切って落とされたのだ。



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第二十九話 新潟ジュニアステークス②

お待たせしました、新潟ジュニアステークス決着します。


雲ひとつない晴天。

そんな青空の下、臙脂色の髪を靡かせる一人のウマ娘がいた。

彼女の名前はサクラチヨノオー。

彼女はゲートの中で静かに、されど確かにレースへの執念を燃やしていた。

 

これまで、様々なトレーニングをこなしてきた。

しかし、ただの一度として彼女が弱音を吐くことはなかった。

何が彼女をそこまで突き動かすのか。

その答えを出すには、まだ彼女の経験は足りていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガコンッ

 

ゲートが開く。

そして、18人のウマ娘が一斉に駆け出す。

大勢の人々の夢を乗せたレースの幕が、今上がったのだ。。

 

 

 

走り始めて間もなく、位置取り争いが始まる。

逃げのウマ娘のうち二人はそんなものを気にもかけないといった様子でぐんぐんと前へ行く。

 

チヨノオーはすかさず中団の前方に位置取る。

 

『いち、に…よん、ご。よし、悪くない位置だ。』

 

チヨノオーは前から六番目についた。

18人立てのレース、尚且つ逃げのウマ娘が4人いる中で六番手についているのは先行としては理想のポジションと言える。

 

トレーナーから警戒するように言われていたハッピーミークは十番手、ニシノフラワーは七番手だ。

 

一つ予想外の事があるとすれば、思ったより全体のペースが早いということだろうか。

逃げ二人が予想以上に前で競り合っているようで、それにつられて全体の進行が早くなっている。

この状況を前にして、ペースを落とした方がいいのか、このスピードのまま走っていいのかを迷っているウマ娘もいる。

 

しかし、チヨノオーは動じない。

これは事前に自分のトレーナーから伝えられていた可能性の一つだったからだ。

 

『そう、こうなった時は…』

 

チヨノオーはそのままバ群のペースに合わせて走っていく。

並のウマ娘ならバテてしまう可能性もあるが、チヨノオーには日頃のトレーニングで培ったスタミナがある。

このままのペースで進んだとしても、最後の直線でスパートをかける事が出来るだけのスタミナを残しておくことが可能なのだ。

 

すると、一瞬。

バ群のスピードが落ちたタイミングで、ハッピーミークが仕掛けた。

いつの間にか八番手まで上がってきていたミークは更に速度を上げ、前との差を詰めていく。

 

あまりに突然の出来事に、ウマ娘も、観客も驚きを隠せなかった。

 

 

「なんのつもりなんだ?ただでさえ600m以上の直線が控えているこのコースで、こんなにも早く仕掛けるなんて…」

 

 

「このタイミングで仕掛ける作戦なんて、余程スタミナに自信がないと取れない作戦のはずだが…」

 

 

「くそー、一番人気だって言うから期待してたのに!

焦って前に飛び出しちゃったのか?!」

 

 

観客席からは様々な声が漏れる。

しかし、チヨノオーはこの感じに覚えがあった。

それは、自分のデビュー戦。

自分のした策と同じことが目の前で起きようとしている?

いや、きっと偶然だ。

そう思い、チヨノオーは雑念を振り払う。

目の前のレースに集中する。

 

チヨノオーは現在五番手。

そのチヨノオーの横を、ハッピーミークが揚々と抜かしていく。

チヨノオーが横目に見たその時のミークの表情には、感情らしい感情が見受けられなかった。

まるで、それが当然であるかのように、ハッピーミークは更に前に行く。

 

そして、四番手の位置についた辺りでスピードを落とし、その位置をキープした。

 

一見無茶苦茶な走りに見えるが、先程の横顔を見た時、チヨノオーは確信した。

 

『ミークさんは焦って飛び出したわけじゃない。

何か作戦があって意図的に前に出たんだ。

何をしてくるのかは分からないけど、そればっかり気にしてもいられない!私は、私のレースをしなくちゃ!』

 

チヨノオーは呼吸を整え、落ち着いてペースを維持する。

ここで焦って前に飛び出してしまえば、それこそスタミナ不足になる危険性がある。

ここは慎重に。

受け身の姿勢を崩してはいけない。

チヨノオーはそう判断した。

 

 

 

そして、チヨノオーの二つ後ろ、現在八番手の位置で、ニシノフラワーは静かにその目を光らせていた。

 

 

そして、コーナーを曲がり、レースは大きな順位の変動もないままに最終直線に差し掛かっていく。

 

この時点で、ハッピーミークは三番手。

サクラチヨノオーが六番手。

ニシノフラワーは七番手、ゴールドシチーが九番手の位置にいた。

 

前半のペースメーカーであった逃げのウマ娘二人は、未だ先頭争いをしてはいるものの、既に体力が限界に近い様子であり、いつ速度が落ちてもおかしくない程度には疲れの色が見える。

 

さしものサクラチヨノオーも、ここまで来ると流石にスタミナに余裕はない。

ここからの判断は一つ間違えれば敗北に直結する。

もう戦いはそういう局面に突入している。

その事を肌でひしひしと感じる。

 

そんな中、先頭でバ群を引っ張っていた逃げの二人の勢いが明らかに落ち始めた。

 

その隙を見逃さず、ゴールドシチーが仕掛ける。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

普段モデルをしている彼女からは想像も出来ないような大声を上げ、彼女は凄い勢いでバ群から抜け出した。

そんな彼女につられるように、続々とウマ娘たちが速度を上げる。

しかしチヨノオーはまだ速度を上げない。

 

それを見た観客はチヨノオーに対して諦めのような感情を向けた。

最後の直線。もう出し惜しみなどする必要も無い。

そして、それを裏付けるように次々にスパートをかけるウマ娘たち。

しかし、そんな中スパートをかけないとなれば、諦められても仕方がないと言える。

 

だが、無論そのことはチヨノオーも把握している。

彼女は今、()()()スパートをかけていない。

 

もちろん諦めているからではない。

それは、最後の『切り札』に全てを賭ける為。

 

日々のトレーニングを欠かさず続けたことによって編み出されたその走法は、一般的なスパートよりも遥かに速いスピードを生み出す事が出来る。

ただし、この走法にはデメリットもある。

持続出来る時間が本来のスパートよりも短いのだ。

それ以上は怪我に繋がる恐れがある。

彼女は今、その『切り札』を使うタイミングを見極めているのだ。

 

『あれが使えるのは最後の400mだけ…それまでは私の力で、なんとか前の方に食らいつかなきゃ…』

 

チヨノオーは、自分に出来る最大限の力で、何とか前方集団に食らいつく。

現在チヨノオーは七番手。

先行が最後の直線にいる位置としては、少し後ろになってしまっている。

 

『せめて五番以内に…』

 

何とか前と距離を詰める。

そして、一人抜き去る。

何とか六番手まで上がったところで、ここまで動きのなかったニシノフラワーが、遂に仕掛けた。

 

 

「いきます…!」

 

 

誰に聞かせるつもりもない、ニシノフラワーの呟き。

それを引き金にして、彼女は尋常ではない加速を始めた。

 

 

「おぉっと、ニシノフラワー!ニシノフラワーが上がってきた!

素晴らしい末脚です!凄い勢いで前方のウマ娘を抜かしていく!」

 

 

実況の声が響き渡る。

レース場に割れんばかりの大歓声が響き渡る。

それを聞いて、チヨノオーは確信した。

後ろで、ニシノフラワーが動き出したのだと。

しかし、現在のゴールまでの距離はあと450m。

『切り札』を出すにはまだ少し早い。

しかし、ニシノフラワーはどんどん前へと追い上げてきている。

もうあと三十秒ともたず、今自分のいる所まで上がって来てしまうだろう。

そして、その予想は的中してしまう。

 

残りの距離が420mとなったタイミングで、ニシノフラワーは五番手のサクラチヨノオーに並びかけてきた。

 

その速さを目の当たりにして、チヨノオーは気づく。

これはもう、出し惜しみしていて勝てる相手じゃない。

たとえリスクを負うことになったとしても、ここで使うしかない。

今現在の最高速度のニシノフラワーに一度抜かされてしまえば、後で差しかえす事は至難だ。

 

やるしかない。勝つ為には。

チヨノオーは焦りを鎮め、呼吸を整える。

そして、もう一度前方の様子を詳細に把握する。

 

前に抜け出すためのコースはある。

今なら、いける。

 

『花道』!!

 

心の中でそう叫ぶと、チヨノオーはそれまでの大きく踏み込む走り方をやめた。

そして彼女は自分の走っている芝を、まるで薄氷の上を渡るかのように軽い足取りで走り始めた。

本来ならこんなことをすれば速度は落ち、勝ちへの道は潰えてしまう。

しかし、スピードは上がり続ける。

先程までニシノフラワーに追い越されてしまいそうだったサクラチヨノオーは今、ニシノフラワーと同じ、もしくはそれ以上の速度で前にいるウマ娘を掻き分け、一直線にゴールへと駆けていく。

その姿は、まるで鮮烈な光を放つ閃光のようで。

それを見た観客は、思わず息を飲んだ。

 

これが彼女の生来の走り方。

彼女の生まれ持った特有の力なのだ。

 

軽く踏み込んでいるのにスパートが成立するという、サクラチヨノオー特有の走り方。

夜神月とサクラチヨノオーはこの独特の走り方を編み出し、その走り方を『花道』と名付けた。

ちなみに、この走法を名付けたのは月である。

 

この走り方の特徴は、地面を強く蹴らないというところにある。

本来の走り方は地面を強く蹴り、自分が芝に与えた力の反作用を利用して勢いをつけ加速する。

しかし、このスパートはエネルギーがいくらか地面に吸収されてしまうので、最大限を発揮しきれない。

例えば100の力を使ってスパートをかけたとするなら、自分に返ってくる反作用のエネルギーはだいたい80くらいなのだ。

残りの20のエネルギーは地面に与えた力として消費されてしまう。

 

それに引き換え、チヨノオーの走り方は地面との接地面積を少なくして力の分散を避けながら走るという方法を取っている。

こうすることにより、自分の持っているエネルギーを最大効率でそのまま使用することが出来る。

 

しかし、この走法にはリスクも存在する。

長く使用すると、転倒の危険性があるのだ。

足と芝の接地面積を少なくするということは、地面をしっかりと踏み込めないということ。

長い間この走り方をしていると、バランスの維持に関わってきてしまい、最悪の場合転倒する可能性がある。

この走法で無理なくバランスを維持できる距離が約400mなのである。

 

四番手、三番手、二番手。

 

チヨノオーは次々と前方のウマ娘を抜き去り、現在先頭であるハッピーミークに並びかけるまでに至った。

 

しかし、ほんのすぐ後ろにはニシノフラワー、ゴールドシチーが追走してきている。

少しでも気を抜けば追い抜かれる。

残りは200m。

既にチヨノオーのスタミナに余裕はない。

しかしそれは他のウマ娘も同じ。

みな最後の力を振り絞ってゴールを目指す。

 

そして、ここに来てニシノフラワーが更に加速した。

一体どこからそんな力が出てくるのか。

執念か、渇望か。

ともかくニシノフラワーは競り合っているサクラチヨノオーとハッピーミークを華麗に抜き去り、先頭へと躍り出た。

 

チヨノオーは既に限界ギリギリであった。

だんだんニシノフラワーの背が遠くなっていく。

追いかけなければ。追いつかなければ。

チヨノオーは力を振り絞り、更なる加速に踏み切る。

 

 

「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

先程まで競り合っていたハッピーミークを抜かし、先頭のニシノフラワーへと並びかける。

かくして残り100m、最後はサクラチヨノオーとニシノフラワーとの一騎打ちとなった。

 

しかしサクラチヨノオーは既に限界であった。

足は重くなりはじめていて、スタミナももうほとんど残っていない。

息を入れるタイミングすら分からなくなりつつあった。

もうゴールは見えている。

しかし、ゴールがやたらに遠く感じる。

酸欠気味で朦朧とした意識の中、チヨノオーは観客席を見た。

そこにいたのは、自分のトレーナー。

しかし、このレースのクライマックスだと言うのに、彼は声を張り上げて応援する訳でもなく、ただ静かにこのレースの行方を見守っている。

傍から見れば、なんと冷淡なトレーナーなのかと思われるであろう。

しかし、チヨノオーは感じ取った。

 

彼は、私を信じているのだと。

 

なら、その想いに応えなければ。

こんな私に期待してくれた人の為にも!

 

不思議と、足に絡みついていた鉛は消えていた。

 

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

何度目か分からない最後の力を振り絞る。

その時、サクラチヨノオーは僅かにニシノフラワーを追い越した。

その差は少しづつ、しかし確かに開いていく。

 

 

「っ……!」

 

 

ニシノフラワーも苦しそうな顔をしている。

彼女も限界が近いのだ。

しかし、必死に追い上げる。

徐々に距離が縮まっていく。

彼女も少なからず背負っているものがある。

負ける訳にはいかない。

そんな想いを、チヨノオーは彼女から感じていた。

 

 

 

そして、二人はほぼ横並びの状態でゴール板を通過した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、激闘の新潟ジュニアステークスは幕を閉じた。

 

レースが終わり、しばらくして電光掲示板が光る。

順番に着順を映し出す。

 

サクラチヨノオーとニシノフラワーは固唾を飲んでその様子を見守る。

今、彼女たち自身もどちらが先にゴールしたのかよく分かっていない。

 

それだけ無我夢中で走っていたのだ。

 

そして、やがて電光掲示板に映し出された結果は…

 

 

 

三着 ハッピーミーク

 

一バ身差

 

二着 ニシノフラワー

 

アタマ差

 

一着 サクラチヨノオー

 

 

 

 

これを見たチヨノオーは、ただただ心の中でその結果を噛み締めていた。

もちろん嬉しくないわけではない。

ただ、飛んで跳ねてをするだけの体力が残っていないだけである。

もしチヨノオーが今元気だったならば、やったー!と声に出して叫んでいるところだ。

しかしたった今レースを走りきった彼女に、そんな元気が残っているはずもなく。

 

そんな彼女はヘロヘロになりながら、観客席へと手を振るのだった。




『花道』

CHiYO NOTEオリジナルの技です。(技なのか…?)
命名は夜神月ですが、名前の案を出したのはチヨノオーです。
名前の由来は相撲などで力士が土俵に入る時に通る花道から来ています。
チヨノオーの父親が力士であり、チヨノオーは相撲の文化にある程度精通しているので、「花道なんてどうでしょう?!」って感じで月に提案しました。

他にもいくつか案はあったのですが、月がチヨの気持ちを尊重して花道にしました。


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第三十話 新潟ジュニアステークス③

「ハッピーミークを差し切り、サクラチヨノオーとニシノフラワーが先頭に現れた!」

 

 

「さぁ最後の200m!依然先頭はニシノフラワー!

おぉっと、サクラチヨノオー差し返した!サクラチヨノオー差し返しました!」

 

 

「サクラチヨノオーとニシノフラワー、横並びでゴール!

サクラチヨノオーが僅かに優勢にも見えたが、結果はどうでしょうか!?」

 

 

「勝ったのはサクラチヨノオー!見事なレースでした!!」

 

 

 

 

 

 

あっという間のレースだった。

そして、そんな瞬く間に終わってしまったレースは、サクラチヨノオーに勝利という勲章を与えていった。

正直な話、今回のレースは一着では無いかもしれないと思っていた。

デビュー戦の時と違い、今回のレースには多方面から実力を認められた猛者たちが多く出走していたからだ。

しかし、そんな者達を相手取り、なおかつ勝ってしまった。

これでもう疑いようもない。

チヨノオーの実力は本物だ。

 

酷な話だが、ウマ娘の才能の有無を測る指標の一つに、重賞のレースを勝てるかどうかというものがある。

実際、重賞レースと非重賞レースとでは難易度に大きな開きがある。

いかに名門トレセン学園に入学することが出来たとはいえ、中央の重賞で勝ち星を挙げることが出来ずレースの道を諦める者も多い。

どれだけ優秀なトレーナーが担当に就こうとも、ウマ娘側に実力の無い者や二人の相性が芳しくない場合などには容赦なく退学通告をくらう、そういう厳しい世界なのだ。

しかし、そんな中チヨノオーは重賞のレースで見事一着という結果を残した。

それも初出走の重賞レースでの事だ。

今後日本ダービーを目指していく上での一つの懸念点が解消された。

 

この調子なら、問題なくあのレースにも出走出来そうだ。

ジュニア級GIである「()()()()()()()()()()」に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、地下通路にてサクラチヨノオーと再会する。

レースから少し経ってはいるが、疲れているのが見て取れる。

この後ライブもあるのに、この調子で大丈夫だろうか。

持ってきておいたゼリー飲料をチヨノオーに手渡す。

それをゴクゴクと凄い勢いで飲むと、少し元気を取り戻したチヨノオーはゆっくりと喋りだした。

 

 

「トレーナーさん、私…勝てました!

正直なこと言うと、緊張してたんです。

私みたいな普通のウマ娘じゃ…勝てっこないって思ってたから…。

でも、そんなことなかったです!確かにもうムリって…何度も思いました。すごく疲れたんですけど、みんな速かったですけど、でも…私、勝てました!勝てたんです、トレーナーさん!」

 

 

まだ気持ちに整理がついていない彼女は、自分の言いたいことをいっぱいいっぱいになりながら話してくれた。

支離滅裂ではあるが、割と何が言いたいのかは大体理解出来る。

要するに嬉しいということだろう。

僕がチヨノオーを褒めると、彼女は尻尾をぶんぶん振っていた。

この子は実は犬なんじゃないかと割と本気で勘違いしそうになる。

 

 

「ほら、気を取り直して。まだウイニングライブがあるだろ?手放しで喜ぶのは、それが終わってからだ。」

 

 

そう言うとチヨノオーはハッとしたような顔をして、すぐに控え室へと帰っていった。

まさかライブのことを忘れていたんじゃないだろうな…?

 

 

そうして控え室へと戻るチヨノオーを見送って、僕もライブ会場に移動しようかと歩き出したその時、1組のトレーナーと担当ウマ娘の姿が目に付いた。

確か彼女は…今日のレースで十着だった子だ。

その表情は決して明るいとは言いがたく、とにかく彼女は俯いていた。

そして、恐らく彼女のトレーナーであろう男が何かを話している。

彼女はそれを俯いたまま聞いていて、しばらくすると涙を流し始めた。

負けたことに対する悔しさだろうか。

 

華やかなレースの世界の裏ではこういう事が起こっているというのは知識として知ってはいたが、実際に目の当たりにすると思うものがある。

トレーナーというのはウマ娘の人生を預かっている存在だ。

自分一人の選択で、その子の人生を変えることが出来る。

良くも悪くも。

そういうことを、強く再認識させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、僕とリュークはウイニングライブを見る為に会場入りしていた。

入場者入口から入ろうとしたのだが、係員の人に呼び止められた。

どうやらライブに出演するウマ娘の担当トレーナーやライブの関係者には別で席が用意されているらしい。

前回のデビュー戦のライブは規模が小さかったのでそんなものはなかったが、流石に重賞のレースともなるとライブの規模も違ってくる。

 

ライブが始まり、ウマ娘達が踊り出す。

すると横にいたリュークは意外なものに興味を示した。

 

 

「なぁ月、あの下の方で光る棒持って踊ってる奴らって何なんだ?

あいつらが踊る必要はないだろ?」

 

 

あれは…俗に言うオタ芸か。

アイドル文化の普及に伴って進化したファンのパフォーマンスの一つであり、実はいくつかの技が存在している。

四突きや六突き、アマテラスなどがそれにあたる。

オタ芸と言うとナヨナヨとしたイメージを持たれることが多いが、プロの打ち師によるオタ芸は一般のオタ芸に対する常識を遥かに凌駕する完成度を誇る。

僕がリュークにその事を説明すると、どうやら興味を持ったようで、リュークはライブの方ではなくオタ芸の方を見ていた。

 

 

「人間って…面白!」

 

 

どうやらオタ芸に面白さを見出したようだ。

一体リュークはどこに向かおうとしているのだろうか…?

 

一方僕は、今回のレースの後の会見での立ち振る舞いについて考えていた。

重賞のレースで一着を取ったウマ娘とそのトレーナーは、記者の前で取材を受けることになっている。

会見と言っても、レースの内容についての反省だったり、何かに対して言及されるという訳では無い。

会見の内容は人によって様々だが、大抵ここで今後のレースの出走方針を明言したりすることが多い。

簡単に言うと、一般の人々に一着を取ったウマ娘を知ってもらう為の会見ということだ。

ほとんどメディア露出のないサクラチヨノオーにとっては、ほぼ自己紹介の場のようなものだと言っていい。

 

そしてそんな記者会見を目前に控えたこの状況で、僕はまだチヨノオーの今後のレースのローテーションを決めかねていた。

というのも、彼女は恐らく短期間でいくつものレースに出られるタイプのウマ娘では無いからだ。

しばらくはレースの出走を避けたい。

具体的には1ヶ月ほどだろうか。

しかし会見の場で「1ヶ月レースには出ない」といった後ろ向きと捉えられてもおかしくはないような発言をしてもいいものだろうか。

今はまだジュニア級の8月。

レースへの出走を急ぐような時期でもないが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた記者会見。

僕の方はある程度話すことは固めた。

こうなると問題はチヨノオーの方だ。

記者会見では、僕が話すタイミングとチヨノオーが話すタイミングがある。

僕が話すことはサクラチヨノオーの魅力であったり、今後のレースの展望だったりする訳だが、チヨノオーが話す内容に関しては、完全に彼女に一任しておいたので、何も知らない。

もしこの全国放送の記者会見で、何か爆弾発言を彼女がかましてしまったらと思うと恐ろしいが…

彼女もまた思慮分別の深い、トレセン学園のウマ娘だ。

そんなことは無いはずだ。

半ば言い聞かせるような形で自分を納得させ、チヨノオーと共に記者会見の場へと赴く。

 

 

「チヨ、大丈夫か?緊張とかしてないか?」

 

 

「だ、だ…大丈夫ですよぉ、トレーナーさんん…。」

 

 

一応確認はしてみたものの…本当に大丈夫だろうか。

しかし、もう彼女の緊張をほぐす時間などない。

既に会見の時間は少し過ぎており、今現在僕らは大勢の視聴者を待たせてしまっている事になる。

一刻も早く出ていかなければいけない。

意を決し、会場へ繋がる扉を開く。

その向こうには大勢の記者とカメラがあった。

途端に浴びせられるフラッシュの嵐。

事前に聞いていたより記者の数が多い。

どうやらあのレースの結果は報道陣が思っていたよりも鮮烈だったようで、急遽大勢の記者団が詰めかける事になったらしい。

まずい、チヨが明らかに動揺している。

僕は何度か大勢の前で話す機会があったから問題ないが、彼女にはそういう機会はなかっただろうし、仕方がないと言えば仕方がない。

何とか僕がフォローする形にして、問題なく会見を締めくくることにしよう。

 

 

まず僕が記者の質問を受けることになっている。

進行の方が記者への質問を促し、記者団が各々手を挙げる。

そして選ばれた一人が質問をする。

 

 

「月刊トゥインクルの乙名史です。夜神トレーナーに質問ですが、サクラチヨノオーさんの今後のレースについてはどのように考えていらっしゃいますか?」

 

 

これは事前に返答を考えておいた質問のひとつだ。

流石に何の問題もなく答えることが出来る。

 

 

「そうですね、今回の結果を踏まえて考えた結果、直近のレースへの出走は控え、12月に開催されるホープフルステークスに出走する予定です。僕は彼女はまだ伸び代が大きいと思っているので、ジュニア級の間はトレーニングに重点を置いて、レースへの本格的な参入はクラシック級以降になると考えています。」

 

 

その後もいくつかの質問がされたが、どれも想定の範囲内の質問だったので、難なく捌ききれた。

僕への質問が粗方終わると、次はチヨノオーへの質問が始まった。

ここからは僕がどうすることも出来ない領域だ。

チヨノオーの発言に対して僕が意見を添えることは出来るが、彼女が何を言うのかは全く予想できない。

そして早速チヨノオーへの質問が飛ぶ。

 

 

「さくらTVの〇〇ですが、サクラチヨノオーさんに質問です。今後レースに出走する機会も何度かあると思いますが、今の段階で目標にしているレース、またはお相手などいらっしゃいますでしょうか?」

 

 

「は…はい、そうですね…ライバルとかは分からないですけど、今の私の目標は、『日本ダービー』で勝つことです!」

 

 

その発言に、会場が騒然とする。

それもそのはず、シニア級のそれなりに勝利数を重ねたウマ娘が言うのならまだしも、ジュニア級の重賞を一つ勝利しただけのウマ娘がいきなり日本トップクラスのレースである『日本ダービー』が目標です、なんて言おうものなら驚かれるのも無理はないだろう。

 

もちろん僕も動揺している。

彼女の目標が日本ダービーなのは当然知ってはいたが、この公の場で言うことは想定していなかった。

しかし、これは逆にチャンスだ。

僕はすぐにマイクを手に持ち、話す。

 

「皆さん、今彼女が言ったことは本当です。彼女の目指している目標は僕がトレーニングを開始した当初から変わらず日本ダービーです。

確かに今の彼女ではまだダービーに届くような実力を持ち合わせていないかもしれません。ですが、僕も約束をした以上、彼女がダービーで走ることが出来るように全力で努める所存です。皆さん、どうか彼女の応援をよろしくお願いします。」

 

 

何とかその場を締めくくり、記者会見はそこで終了となった。

半ば強制終了のような形だが、これ以上続ける訳にもいかない。時間が押しているし、何よりこれ以上失言をする訳にはいかないからだ。

 

こうして、結局多少の波乱は起こりつつも記者会見は無事閉幕…

 

とはいかなかった。

後日明らかになる事だが、各新聞社が今回の会見の内容を大々的に報道。

瞬く間にサクラチヨノオーは大口を叩いたウマ娘として学園中に知れ渡ってしまうのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして会見も終わり、後は学園に帰るだけだ。

そうしてレース場を出ようとすると、目の前にいた人物に声をかけられる。

 

 

「久しぶりだな、月。

いいパートナーに巡り会えたようで、何よりだ。」

 

 

僕にとっては見慣れている、髭を生やしたスーツ姿。

そこに居たのは僕の父親、夜神総一郎だった。




補足です。
何故月がアイドル文化に詳しいのか。
これについては元ネタがあります。
夜神月はドラマ版では普通の成績のアイドルオタクな高校生として登場するのです。
これはドラマ版独自の設定で、恐らく10話のドラマでデスノートを完結させる為の苦肉の策だったんだと思います。
とはいえ私も初めてドラマ版デスノートを見た時は衝撃を受けました。
そして、そのドラマ版夜神月のアイドルオタクの因子をこの作品の夜神月は受け継いでいます。
そういう理由で彼はアイドル文化に詳しい、という感じです。


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第三十一話 仮説

レースも終わり、会見も終わり一段落…と、いきたいところだが、まだ僕への受難は続くらしい。

 

 

「と、父さん…?!」

 

この世界に来て初めて父さんと会った。

何故家に父さんがいないのかは母からも粧裕からも聞いていなかったから、どこにいるのかも知らなかった。

だから敢えてこちらから連絡を取るということもなかった。

僕はてっきり父さんは警察関係の仕事をしているものだと思っていたが、これは…

 

 

父の今の服装はスーツ。

正装ではあるが、警察官のそれとは程遠い。

この世界の父は、何の職業に就いているのだろうか。

 

 

「部長、先に行かないで下さいよー!

何か問題があった時は僕が色々言われるんですから!」

 

 

奥の車から出てきた男が困った顔でそう言う。

こいつは…!松田じゃないか!

 

彼の名は松田桃太。

夜神月がこうしてトレーナーになる前…デスノートを使い、『キラ』と名乗り犯罪者に裁きを下していた時に、警察庁に勤務し、キラ事件について捜査している刑事だった。

しかし、刑事としてはお世辞にも頼りがいがあるとは言い難く、警察庁にもコネで入ったとされている。

どこか気が抜けていて楽観的な性格ではあるが、類まれな射撃の能力を有している。

そして、間接的にではあるものの、 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あ、月くんじゃないか!久しぶりだね!」

 

 

しかし、彼は至って普通に僕に接してきた。

一時は殺す程憎んでいた相手に、普通に接することが出来るだろうか?

もしや、松田は僕がキラだという事を覚えていないのか?

僕やLにはあの頃の記憶があるが、松田や父さんにはその時の記憶はないということなんだろうか…?

 

 

「ま、松田さん。お久しぶりですね。」

 

 

動揺を顔に出さないように接する。

もし松田がデスノートを巡る出来事を忘れていたとしても、何かの拍子に思い出さないとも限らない。

ともかく、今は普通のトレーナー、夜神月として自然な行動を取るべきだ。

 

 

「それよりも父さん、どうしてこんなところに?最近は忙しかったんじゃなかった?」

 

 

再び父さんに話を振る。

父さんが忙しくしていた、というのは僕の推測だ。

僕がトレーナー試験の結果を待っている間、家には父さんがいなかった。それに、家の様子から察するにしばらく帰ってきていないようだった。そのことから、父さんがしばらく家に帰れない程に忙しいんじゃないかと推測した。

 

 

「あぁ、その件に関してはすまなかったな。こっちも昇進して、片付けなければならない案件が多くてな。」

 

 

どうやら忙しくしていたという僕の予想は当たっていたようだ。

しかし、昇進…?それにさっき松田は父さんの事を「部長」と呼んでいた。

この世界では父さんや松田は一般の企業にでも勤めているのか…?

 

 

「ここに寄ったのは、たまたま仕事の出張で新潟に来ていたからだ。ちょうど今日ここでお前が担当している子のレースがあると聞いてな。」

 

 

なるほど、仕事のついでに寄ったということか。

しかし父さんには一度もトレーナーになったことを報告していないのに、何故僕がトレーナーとして働いていることを知っているんだ?

 

 

「部長、そろそろ戻らないと、まだ例の事件も解決してないんですから!」

 

 

「あぁ、そうだな。それじゃあ月、これからもトレーナーとして励んでくれ。」

 

 

そう言うと、父さんは松田と車に乗ってどこかへと走り去っていってしまった。

松田の言うことが本当なら、父は今事件の捜査をしているらしい。

ということは職業はやはり警察官なのか?

一度調べてみるか。父のパソコンなら、簡単にハッキングすることは出来るはずだ。

 

そうして釈然としないまま、僕とサクラチヨノオーは新潟を離れ学園へと戻るのだった。

 

そして、今回のレースではチヨノートに変化は見られなかった。

ノートに変化が起こるには、何か条件のようなものがあるのだろうか。

この辺りも今後調べていかなければならない。

やることは常に山積みだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして次の日。

僕は自室で父のパソコンをハッキングして、情報を得ていた。

そして、そこで驚くべき事が発覚した。

僕の父親、夜神総一郎はURAの職員であった。

それもレース関係の比較的重要なポジションの部長を務めあげていた。

そして、父は過去にトレーナーとしても活躍していた事が分かった。

それもつい最近まで。

どうやら父はトレーナーとしての腕も相当に優秀だったらしい。

父が担当したウマ娘の中には、三冠バとなったナリタブライアンの名前もあった。

そうしたトレーナーとしての功績も認めれ、URAで部長にまで昇進したということらしい。

元の世界で父と同じく警察庁に勤務していた松田や模木たちは、父と同じ部署に所属していた。

 

ここまでに得た情報を踏まえた僕の予想はこうだ。

恐らくこの世界の僕は父に憧れてトレーナーを志したに違いない。

そして、トレーナー試験を受けた。

試験の結果は上々で、後は結果を待つだけ、というところで僕と意識が入れ替わったということではないだろうか。

これなら辻褄が合う。

とはいえ非科学的であることに違いはない。

 

そしてもう一つの疑問。

デスノートに関する記憶を持っている者と、そうでないものがいるというところ。

僕やLはデスノートに関する記憶を持っているが、父さんや松田はそうでも無い様子だった。

 

これらのことから、僕が導き出した結論。

それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

きっとこのウマ娘がいる世界にも元々僕やLは存在していた。

しかし、何者かの介入によって僕やLの意識はデスノートを巡る戦いがあった世界の意識と入れ替わったということではないのだろうか。

父さんや松田は恐らく意識が入れ替わっていない。

こう仮定すると、かなり無理はあるが、一応理論としては成り立つ。

 

そうなるとこの出来事を仕組んでいる者の捜索といきたいところだが、何にせよ情報がない。

そもそもこの考え自体仮説の域を出ない。

結局のところ今の僕に出来ることは、サクラチヨノオーのトレーナーとして真面目に仕事に勤しむことだけだ。

そうすることでチヨノートにも何か変化が訪れるかもしれないし、レースに出ることで何か情報が得られるかもしれない。

結局は地道な努力が実を結ぶということか。

 

そういえば、父のパソコンに、奇妙な事が打ち込まれていた。

それによると、最近URAを神聖視する新興宗教が存在するとの事だった。

その宗教の信徒らしき人々が、一部で騒ぎを起こしている、というものだった。

恐らく父が追っている事件というのはこれのことだろう。

警察官でないにも関わらず、こういった事件の捜査をしているというのはなんとも正義感に溢れた父らしい。

この件に関して僕が出来ることはなさそうだし、あまり関係はなさそうだが、一応気に留めておくか。

 

とりあえず僕のやるべきことは変わらない。

サクラチヨノオーを日本ダービーで勝たせることだ。

そうして気合いを入れ直し、明日のトレーニングメニューをもう一度見直しにかかるのだった。




キャラ紹介の時間だコラァ!

【夜神総一郎】

夜神月の父親で、漫画デスノートの世界では警察庁長官という役職のかなり偉い人だった。
正義感が強く、家族想い。
自分の職業やキャリアにこだわることなく正義を貫く信念を持っており、キラを追うなら警察官を辞めなければならないと言われた時も、真っ先に退職届を提出した。
原作後半のデスノート奪還作戦では、自分の命を犠牲にして作戦に協力したりするあたりを見るに、本当に正義感が強い。

【松田桃太】

夜神総一郎と同じく警察庁に勤務していた警察官であった。
犯罪者を裁くキラのことを多少肯定していたが、夜神月がキラだと分かった時に月を庇う訳でもなく、むしろ何発も拳銃を浴びせた。
怒りに任せて撃ったにも関わらず弾が全て命中していたことから「早撃ちの松田」と呼ばれているとかいないとか。


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第三十二話 魔女

時は流れ、あの新潟のレースから数週間後。

夏の日差しも落ち着き、穏やかな風の吹く時期になってきた。

そう、季節は夏から秋へと移り変わろうとしていた。

そしてこの日、夜神月はたづな秘書からある事を頼まれていた。

 

話によると、理事長がまたしても私財を投じてウマ娘のための施設を増設したらしい。

そこまではいいのだが、施設が増えたことによって、その施設を管理する人手が不足しているとのことらしい。

そういう訳で、今回何人かのトレーナーに管理の要請が来た。

僕が手伝うことになっているのは、2ヶ月前に増設したにんじん畑のにんじんの収穫だ。

 

URAファイナルズの開催にあたって、レース場を盛り上げるものが必要と考えた理事長は、レース場グルメに目をつけた。

そこで、学園内でにんじんを育て、それを名物として売り出していこうと考えた上で作られたのが、このにんじん畑と言うことらしいのだが…

 

 

…あまりにも広い。

これはもはや農園と呼んで差し支えないレベルだ。

おおよそ体育館程の広大な面積を誇るその大農園を任されたのが、僕と

他二人のトレーナーだけだという事実に震える。

この畑の膨大な量のにんじんを全て収穫せねばならない…

昼過ぎにはサクラチヨノオーが受けている授業が終わるので、トレーニングをしなければならないので、僕がここでにんじんを収穫することが出来る時間は朝方から昼過ぎまで。

数日はかかりそうだ…

とはいえ、この仕事を終えたらそれなりに報酬もある。

理事長が極秘に開発していたウマ娘用のシューズ、そのプロトタイプが先日完成したらしい。

そして、この畑仕事を終えたら、そのシューズを報酬として貰う事になっている。

先日新しいシューズを買ったばかりではあるが、品質の良い物が貰えるのならばそれに越したことはない。

 

僕の他にここの担当に指名されたトレーナーは沖野さんと桐生院葵。

沖野さんが体育会系の人達で助かった。

桐生院は女性だが、この重労働が務まるだろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、この仕事は一日で終わった。

一瞬の出来事だった。

桐生院…いや、『葵さん』の恐るべき身体能力により、一人で畑のうちの3分の2のにんじんを収穫してしまった。

聞くところによると、彼女はパルクールの選手でもあるらしく、本人曰く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という人並み外れた事もしているらしい。

か弱い女性どころの話ではない。

恐ろしい人間だ、桐生院葵。

 

そんな事に驚いてはいるものの、思いの外早く作業が終わってしまったので、微妙に手持ち無沙汰になってしまった。

時間があるし、学園でも見て回ろうかと考えていると、前からウマ娘が走ってきた。

何とか間一髪直撃は回避したもののぶつかってしまい、よろける。

 

 

「痛いじゃない!何すんのよ!」

 

 

ぶつかったウマ娘は僕を見るなりそう言った。

特徴的な見た目をした、不思議な子だった。

そのウマ娘は身長が低く、黒を基調とした色に2本のストライプが入っている帽子を被っていた。

帽子に耳を出す穴が空いているという訳ではなく、帽子の中に耳を入れられるデザインになっている。

それに、杖のようなものを右手に持っている。

魔法使いの真似でもしているのだろうか。

一瞬園児が迷い込んだのかとも思ったが、この子が着ているのは間違いなくトレセン学園の制服。

間違いなくこの学園の生徒だ。

しかし、だとすると矛盾が生じる。

 

 

「えっと…君、授業は?」

 

 

そう、今の時間帯だとどの学年も授業が行われている。

トレセン学園のウマ娘ならばら、この時間にこんなところにいるはずがないんだが…。

 

 

「サボってやったのよ、つまんなかったから。…悪い?!」

 

 

何故か堂々と質問に答えて、ふんぞり返っている。

トレセン学園は名門校だからそんなことはないと思っていたが、やはりどこの学校にも一定数こういった不登校というか、欠席気味になる生徒は存在するものなんだな。

トレーナーとしてはここで注意するべきなんだろう。しかし…

 

 

「まぁ、僕も無理に授業に出ろとは言わない。君の好きなようにしたらいいさ。」

 

 

相手にどんな事情があるか分からないのに、決まり事を押し付けるようなことはするべきではない。

この子にはこの子なりに授業に出たくない理由があるんだろう。

傍から見れば何でもないことでも、本人からすれば一大事ということなんてよくある話だ。

それに、悪さをしているわけでもないようだし、放っておいても問題はないだろう。

 

 

「ふーん…アンタ、今暇なの?」

 

 

本当に初対面なのか疑わしくなってくる程に高圧的な態度だ。

そっちが礼節のない態度をするなら、こちらも相応の対応をさせてもらう。

 

 

「もし僕が今暇だったら、君はどうするつもりなんだ?」

 

 

「探して欲しいものがあるの。アンタにはそれを探してもらうわ。」

 

 

冗談じゃない。僕にいくら時間があったとしても、こんな高飛車な子の相手をしている暇はない。

 

 

「悪いが他を当たってくれ、生憎と僕は忙しいんだ。」

 

 

実際は特に用事もないのだが、ここで正直に暇だと言ってしまえば恐らくその探し物に付き合わされるだろう。

そんなことに時間を使うのはいくらなんでもごめんだ。

 

 

「そう、なら仕方ないわね…」

 

 

疑ってくるのかと思いきや、案外すんなりと受け入れてくれた。

根は真面目な子なんだろうか。ともかく詮索されるよりは都合がいい。

僕がその場を去ろうとした時、沖野さんがその場にやって来た。

 

 

「おぉ夜神、この後ヒマって言ってたよな?ちょっとウチのトレーナー室の電球変えるの手伝ってくんねぇ?」

 

 

ぐっ、最悪のタイミングで…

予定がないことをこの子にバラされてしまった。

恐る恐るさっきのウマ娘の方を見ると、明らかに不機嫌そうにふくれっ面をしている。

 

 

「何よ!!用事なんてないんじゃない!!もう怒ったわ!!アンタ、ちょっとこっちに来なさい!!」

 

 

凄い剣幕のそのウマ娘は、左手で僕をガッと掴み、どこかへと歩いていく。

振りほどきたいところだが、そこは相手もウマ娘なので、簡単に振りほどくことが出来ない。

そうして、僕は彼女の探し物を探すことになったのだった。




ゲーム版ウマ娘では、桐生院葵は身体能力に非常に秀でており、人並み外れた事を平気でやってのけます。

そもそもウマ娘用のトレーニングを実践してしまうというところが規格外。
もはやウマ娘じゃないか。


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第三十三話 魔法

「なぜ前回から唐突にスイープトウショウが出てきたんですか?」

可愛いからです。


魔女のような格好をしたウマ娘に連れられ、先程の畑の辺りに戻ってきた。

一体彼女の目的は何なんだ…?

 

 

「アンタにはさっきこの辺りで逃げたスズメを探して貰うわ!!」

 

寄りによって地味に難易度の高い作業だ。

昆虫なんかの捕獲は方法を知っていれば比較的簡単なのだが、鳥となるとそうもいかない。

というか、鳥類の無断での保護は鳥類保護法の8条に違法するので、基本的に行ってはならないことだ。

スズメも例外ではなく、もし然るべき機関に保護の事実が露呈した場合は1年以下の懲役や罰金が課せられる場合がある。

何故この子がスズメを探しているかによっては、僕が止めなければならない可能性もある。

 

 

「ちなみに、君はどうしてスズメを探しているんだ?」

 

 

僕がそう言うなり、彼女は得意げな表情をし、こう答えた。

 

「ふふん、気になるのね?仕方ない、教えてあげるわ!

私は魔法少女スイーピー!今は変化魔法の練習中なの!

スズメをフェニックスに変化させるのよ!」

 

 

なるほど、この子は本当に魔法使いに憧れているのか。

手に持っている杖からもその程が伺い知れる。

まさかこの子、スズメを探すためだけに授業を欠席したということか?

多少変わった子のようだが、彼女に限らずこの学園に在籍するウマ娘は大小はあるもののそれぞれが強烈な個性を備えている。

特に取り立てて驚くようなことでもない。

 

まぁ鳥類保護法に引っかかる事もなさそうだし、問題は無いか。

本来ならここで帰っても構わないのだが、先程嘘が露呈したことで彼女を怒らせている。

流石に帰ることは出来ないだろう。

 

 

「分かったよ、少しだけならそのスズメ探しを手伝うよ。」

 

スイープトウショウと共にスズメを探すことにした。

畑の周りには柵があり、彼女が畑の中でスズメを逃がしてから飛び立った鳥はいないと言うので、恐らくスズメはこの畑の中にいるはずだ。

とはいえ、この畑だけを探すにしても広い。

という訳で、彼女にバレない範囲でリュークにもスズメ探しを手伝ってもらうことにした。

リュークに飛んでもらい、空からスズメを捜索する。

とはいえ、スズメのいる場所にはある程度目星がついている。

彼女が言うには、スズメを見つけたのもこの畑の辺りだったらしいからな。

となれば、この辺り巣があるはずだ。

スズメは家の屋根の内側に巣を作る性質を持っている。

この畑の周りで建物と言えば、農作業用の道具を保管してあるこの倉庫くらいのものだ。

 

…あった。

 

屋根の内側に巣があり、その中にスズメが3匹ほど。

2匹はまだ幼い子供だ。

恐らく彼女が見つけたのは成体のスズメの方だろう。

1度彼女の元に行き、スズメがいた旨を知らせると、倉庫の方に飛んでいってしまった。

 

しかし、スズメの巣は彼女の手の届かない位置にあるので、むくれていた。

1番手っ取り早いのは餌を使って寄せる方法だ。

スズメが好む餌は青米なのだが…

生憎持ち合わせがない。

ちょうど倉庫の中に代用出来そうな稲穂が置いてあったので、それを使いスズメを寄せる。

これでスズメが見つかった訳だが、彼女はここから一体どうするつもりなんだろうか。

そんなことを思っていると、彼女はおもむろに杖を振り、呪文のような言葉を叫ぶ。

 

 

「パンドレーア☆パンドラナ!パフィオペディルム☆インシグネ!」

 

 

…。

 

 

当然、何かが起こるはずもなかった。

この不思議な世界でならそういうことも有り得るのかとも思ったが、流石に魔法やら魔獣やらといった概念はないようだ。

 

 

「うーん、おかしいわね…グランマに教えてもらった魔法、間違ってないはずなんだけれど…?」

 

 

どうやら本当に魔法が成功すると信じていたようだ。

このままだとまた何かしら要求されそうな気もする…。

どうにかして彼女に魔法が成功したと思わせなければ…。

その時、ちょうど上空にいたリュークが降りてきた。

 

 

「月、スズメなんでどこにも…って、なんだ、もう見つけてたのか。」

 

 

そうだ、彼女にはリュークが見えない。

それなら、リュークを使って魔法のように見せることも可能なんじゃないか?

僕は置いてあった箱からにんじんをひとつ掴み、リュークに手渡す。

 

 

「リューク、その辺りでこのにんじんを持っていてくれ。」

 

 

そう言うとリュークは首を傾げながらもにんじんを持って少し離れた場所に立ってくれた。

それを確認して、僕は彼女に声をかける。

 

 

「すごいな、君は魔法使いだったんだね。」

 

 

「そうだけど、別に魔法は失敗しちゃったじゃない!」

 

 

「え、じゃああのにんじんが浮いているのは君の魔法じゃないのか?」

 

 

彼女がリュークのいる辺りを見る。

僕から見たらリュークがにんじんを持ってそこに立っているだけだが、彼女から見たらそこににんじんが浮いているように見えているはずだ。

 

 

「あ、あれっ?にんじんが浮いて…?…い、いや!そうよ!これこそ大魔法使いスイーピー様の魔法よ!どうよ?!凄いでしょう?!」

 

 

彼女は一瞬困惑しながらも、すぐに自慢げな表情に変わり、僕に嬉しそうに自慢している。

ひとまずこれで彼女がこれ以上駄々をこねることもないだろう。

 

思った通り、彼女は魔法が成功したことで満足してどこかへと行ってしまった。

そういえば、名前を聞いていなかったな、なんてことをふと思う。

自分のことを魔法使いスイーピーとか言っていたが、スイーピーという名前が本名という訳ではないだろう。

まぁ、特に名前を知っておく必要がある相手という訳でもない。

 

【その時、ふと閃いた!このアイデアは、サクラチヨノオーとのトレーニングに生かせるかもしれない!】

 

…?!

なんだ、今のモノローグのようなものは…?

頭の中に直接響いたような感覚がしたぞ、くそっ、どうなっている…?

新手の催眠術のようなものか…?

 

よく分からないが、特に異常も起こらなかったので、疲れていたんだろうと思い、深く考えないことにした。

しかし、その後のサクラチヨノオーとのトレーニングで、何故かやたらと他のウマ娘が協力してくれたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その日もトレーニングが終わり、寮に帰るところで、アグネスタキオンと出会った。

特に用もないので素通りしようとしたが、彼女は僕に話しかけてきた。

 

 

「やぁやぁ、夜神くんじゃないか。元気かい?どうも君の担当のサクラチヨノオーくんとも上手くやっているようじゃないか。」

 

 

「あぁ、この前の重賞も問題なく勝てた。このままいけば、日本ダービーも本当に勝てるとさえ思っているよ。」

 

 

僕が話を切り上げ寮に戻ろうとすると、彼女は突然よく分からないことを言い出した。

 

 

「ふぅン、そうか…ところで君、『名前のないトレーナー』に会ったことはあるかい?」

 

 

名前のないトレーナー、だと?

常識で考えれば、そんな人間はめったに存在するものではない。

 

 

「話が見えてこないな。そんな人間など見たことも無い。なにかの心理テストでもしているのか?」

 

 

「いや、出会ったことがないのなら良い。何せ彼は滅多に人前には現れないからね。とはいえ、恐らくジュニアGIには出走してくるだろう。そうだな、ホープフルステークスあたりか。…それと、ひとつ忠告しておくことがある。もしそいつに出会っても、『()()()()()()()()()。』」

 

 

なんだ…?彼女が冗談でこんな事を言うとは思えない。

もしや、本当に名前のない人間が存在するとでも言うのか?

 

 

「あぁ、ご忠告どうも。まぁ気にはかけておくよ、その名前の無いトレーナーというやつをね。」

 

もし彼女の言うことが本当なら、そいつはホープフルステークスに出走してくるらしい。

そんな人間がいるとは思えないが、もし彼女の言うことが本当なら、1度見てみたいものだ。

 

そうして彼女は僕の中に大きな謎を残して、どこかへと去っていくのだった。

 

心なしかその日はよく眠ることが出来なかった。




モノローグについてですが、あれはゲーム版と同じ仕様になっています。

ゲーム版ウマ娘では、特定の行動条件をクリアすることでトレーナーがトレーニングに生かせるヒントを閃き、その恩恵を担当ウマ娘が受けられるというシステムがありますが、この世界にもそれが存在します。

夜神月はゲーム版で言う「ワンダフル☆ミステイク」をクリアしたのでサクラチヨノオーに愛嬌が付与されました。

やったね。


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第三十四話 傑物

一週間ぶりの更新となってしまいました。
最近は忙しいので 
今回は今後の展開の大きな転換点となる話です。


タキオンの忠告から一週間、取り立てて驚くような出来事もなく、サクラチヨノオーはトレーニングに打ち込んでいた。

 

あれから僕もトレセン学園所属のトレーナーを調べてみたりしたが、名前のないトレーナーなど在籍していなかった。

怪しい人物は何人かいるのだが、数が多すぎる。

一般のトレセン学園ならここまで異色なトレーナーが揃うことはないのだろうが、ここは他でもない中央トレセン学園だ。

最高峰の試験をくぐり抜けて選び抜かれた者たちが集う場所。

そんなところに集まっている人間が、癖がなくとらえどころのない人間であるはずもない。

 

常時発光していたり、担当ウマ娘に自分のことを「お兄様」と呼ばせているトレーナーが在籍していたりする、という話を聞いたことがある。

そんな奇々怪々という言葉が体現されたような人間達が集まっている中から、怪しいやつを見つけろと言われても、無理があるという話だ。

 

一度リュークにも学園に在籍しているトレーナーの名前を見てもらったが、リュークの目にも全員の名前が映っていたらしいし、やはりアグネスタキオンの勘違いだろう、という事でこの話を処理した。

 

そして今日は併走の約束をチヨノオーが取り付けてきた。

相手はあの怪物、オグリキャップだ。

どうやらチヨノオーとオグリキャップは学校では同じクラスらしく、仲も良いらしい。

こちらとしても、あの強靭な末脚を持つオグリキャップと併走出来るのはありがたい。

この機会、無駄にする訳にはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして約束の時間に、サクラチヨノオーは購買で大量の食品を買い込んだオグリキャップを連れながらグラウンドへとやって来た。

前々から思ってはいた事ではあるが、オグリキャップは常に何かしらを食している。

模擬レースの時も何かを食していた覚えがある。

あの爆発的な走法は、かなりのエネルギーを使うのかもしれない。

 

 

「トレーナーさん、お待たせしました!オグリちゃんがどうしてもトレーニングの前に買っておきたいって聞かなくて…」

 

 

何故かサクラチヨノオーが申し訳なさそうにしている。

その姿はさながらオグリキャップの保護者のようだ。

 

 

「む、この人がチヨのトレーナーか。私はオグリキャップと言う。よろしく頼む。」

 

 

近くで見るとより映えて見えるその銀髪を靡かせ、彼女はそう言った。

随分と無骨な喋り方をする子なんだな。

 

 

「あぁ、よろしく。僕はサクラチヨノオーのトレーナーの夜神。夜の神と書いて夜神と読むんだ。どうぞよろしく。」

 

 

「夜神、か。なかなか珍しい名前をしているんだな。分かった、覚えておくよ。」

 

 

1人1人の名前が物珍しいウマ娘に名前が珍しいと言われるのもどこかおかしな気がするが、印象に残りやすい名前と捉えてくれたのなら幸いだ。

 

 

それからしばらくして、早速チヨと併走をしてもらうことになった。

距離は決めず、こちらからストップをかけるまで走ってもらうことにした。

いくつか理由はあるが、1番の理由はオグリキャップの現在の実力を確かめるというところにある。

模擬レースの時ですら既に重賞で勝利できる程のポテンシャルを秘めていたウマ娘だ。

それがトレーナーのもとでトレーニングを積んだら、一体どこまで成長しているのか、想像もつかない。

距離を決めて併走してもらうにしても、あまりにも実力が離れていては話にならない。

なので、一度距離や時間を定めずに走ってもらう。

そこで2人の実力に開きがあると判断すれば、勝負はなしだ。

 

 

「それじゃあ、始め。」

 

 

僕が軽く手を振り下ろしたのを合図に、2人がゆったりとしたペースで走り出す。

とは言っても、()()()()()()()()ゆったりと、だ。

普通の人間で言うところの全力疾走程度の速度が出ている。

 

 

こうして見てみると、チヨノオーもオグリキャップの走りについていけているように見える。

無論オグリキャップもまだ実力は隠しているのだろうが、それはこちらも同じだ。

チヨノオーは現在3割程度の力で走っている。

これなら、実力勝負でもオグリキャップといい勝負が出来るかもしれない。

 

 

しばらくして、終了の合図を出し、2人を呼び戻す。

そして、1度距離を決めて2人で走ってみてくれないかと提案をする。

オグリキャップは快く承諾してくれた。

距離は2000m。

ジュニア級GI、ホープフルステークスと同じ距離だ。

この条件でどうかと提案すると、オグリキャップはこれも特に不満を言わず了承し、こう言った。

 

 

「おぉ、その距離なら私もよく走っているぞ。トレーナーは、今年の冬に私が出るレースがこの距離と言っていたからな。」

 

 

ということは、十中八九オグリキャップもホープフルSに出走するということか。

彼女の実力を鑑みれば当然と言えるが、そうなると朝日杯は一筋縄ではいかなくなってきたな。

まぁもとよりGIだ。

そう簡単に勝てるとは思っていなかったが。

そして、今の発言で引っかかったことがある。

オグリキャップがこの時期からホープフルS想定の距離で練習をしているということだ。

もちろん、一概にホープフルSのみを想定しているとは言えない。

2000mのレースなんていくらでもあるにはある。

だが、もしこの9月の段階からGIへの調整を開始しているとなれば、そのトレーナーはGIを取る事に対して並々ならぬ執着を持っているということに…

 

とはいえ、仮説に過ぎない。

今は情報収集に専念しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、準備が整った。

2人とも既にやる気は最高潮で、今にも走り出さんとしている。

 

 

「3、2、1…スタート。」

 

 

合図と共に、ストップウォッチのボタンを押す。

それと同時に2人が勢いよく走り出した。

出遅れはなく、実に滑らかな走り出しだった。

 

序盤は2人とも力を調節しながら走っていて、この時点でお互いの差はほとんどなかった。

 

問題は、最終コーナーを回ってからだった。

オグリキャップは、考えうる限り最高のタイミングで加速を始め、最後の直線では信じられない程の速度を出していた。

おおよそジュニア級のウマ娘に出せる速度ではない。

それに、レースの最中に何度か彼女がスタミナ不足になりかけているのが見て取れたのだが、今の彼女はスタミナ不足などなかったかのように全力疾走をしている。

まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

しかし、そんなことが有り得るはずがない。

彼女が栄養補給をしている素振りはなかったし、第一レースの最中だ。

そんなことをすれば失格となってしまうだろう。

とはいえ確実に1度彼女はスタミナ不足になりかけていたはずだ。

一体どうなっているんだ…?

 

様々な憶測が頭を駆け巡る最中に、オグリキャップはゴール板を通り過ぎた。

手元のストップウォッチを止める。

サクラチヨノオーの最高タイムよりも5秒早いタイムだった。

これが、今のチヨノオーと『怪物』の差ということか…。

 

 

「ふぅ…流石に疲れたな。」

 

 

そう言ってついさっき自分で買い込んでいた大量の飲み物を飲んでいる。

そして数分もしないうちに、2リットル容器に入っていた飲み物を5本も空にしてしまった。

その健啖家っぷりにも驚くが、問題はそこではなく…

 

 

「オグリキャップ、さっきの走りでの事だが、途中で持久力を回復させていなかったか?あれは一体どういう方法なんだ?」

 

 

教えて貰えるとも思っていないが、彼女の性格を加味すればあるいは…

 

 

「あぁ、あれか。あれは私のトレーナーが教えてくれたんだ。呼吸法を意識すると、体力の消費を抑えることが出来るらしい。こう…体の内側の力をぐわーっと抑えるような感じで走ると、体力の消費を減らせるということらしい。」

 

 

案外すんなりと教えてくれた。

彼女の話から推察するに、コーナーを回ったタイミングで息を入れているということか…

それならあの無尽蔵に近いスタミナも説明がつく…のか?

正直な話、それだけで説明がつくものでもないと思う。

しかし、彼女が何か隠し事をしているようにも見えない。

恐らく彼女は本当にそれだけしか知らされていないのだろう。

 

 

「分かった、参考にするよ。」

 

 

その後、オグリキャップには帰ってもらい、チヨノオーと2人で今日の反省点の洗い出しをすることになった。

 

 

「チヨ、今日オグリキャップと走ってみて何か感じたことはあるか?」

 

 

「そう…ですね、模擬レースで見ていた時は純粋に凄いって感じてたんですけど、実際に走ってみて、気づいたこともありました。オグリちゃんがスパートをかける前に、大きな予備動作があるんです。そこで隙を突いて前に出れば、チャンスはあると思います!」

 

 

僕でも気づけなかったことを…

先程のレースで、一切手を抜かずに走りながら、オグリキャップの事を観察もしていたということか。

簡単に言ってのけているが、走りながら相手のことを観察するというのは中々に至難だ。

しかし、これはこちらにとっても嬉しい誤算だ。

観察眼を備えているというのは、ウマ娘としては強力な武器になるだろう。

 

 

「チヨ、恐らく近いうちにオグリキャップと戦うことになるだろう。その時にこの情報は必ず必要になる。よくやってくれた。」

 

 

そう言うとチヨは満面の笑みでいい返事を返してくれた。

性格も素直で、実力も持ち合わせている。

つくづく僕はいい担当ウマ娘に恵まれたものだ。

 

そういえば、結局その日オグリキャップの担当トレーナーを見ることはなかった。

彼女の話から推察するに腕利きのトレーナーと思われるので、一度トレーナー談義でもしてみたいと思っていたが…。

いないものは仕方がない。

またレースでも会う機会があるだろうし、その時にでもいいだろう。

そんな風に気持ちを切り替え、その日の練習はお開きとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

併走から戻ったオグリキャップは寮に戻る前にトレーナー室に寄った。

そしてそこには彼女の担当トレーナーが椅子に座って事務作業をこなしていた。

 

 

「トレーナー、戻ったぞ。」

 

 

そう言うと、大量の書類が積み重なった机の奥から彼女の担当トレーナーが振り返る。

 

 

「『おかえり、オグリ。』」

 

 

彼は一言そう言った。

少し間が空いて、彼が続けて話す。

 

 

「『今日は友達と並走をしてきたんだろう?』」

 

 

オグリキャップは頷く。

そして、今日あった出来事をトレーナーに話す。

友達と併走をしたこと、その友だちがこれまでに戦った中でも群を抜いて速かったこと。

()()()()()()()()6()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

それを聞いて、トレーナーは柔らかな笑みを浮かべる。

そして、次の瞬間。

 

【その時、ふと閃いた!このアイデアは、オグリキャップとのトレーニングに生かせるかもしれない!】

 

【圧倒的リード のヒントLvが1上がった!】

 

モノローグともナレーションともしれないような言葉が彼の頭に流れる。

それを聞いて、彼は呟く。

 

 

「『圧倒的リード…短距離用のスキルか。オグリの短距離適性は低いから、このスキルはお蔵入りだな。』」

 

 

「何か言ったか、トレーナー?」

 

 

「『いや、なんでもない。流石オグリキャップだな。これからも期待してるよ。』」

 

そう言うと、彼は再び机上のパソコンに向かい直し、書類を捌き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜神月の知らないところで、既に事態は動き出していた。




補足ですが、チヨはオグリと対決した時には花道を使用していません。
理由はこの勝負の目的があくまでオグリキャップの実力を量るためであることと、レースで対決する相手に手の内を見せすぎることは得策ではないからです。


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第三十五話 火急

前回くらいからですが、オリキャラの存在がちょくちょく出てきてます。
本当はオリキャラは出したくなかったんですけど、この役どころはウマ娘、デスノートどちらのキャラにもこなせなかったので…


とある日の朝。

僕はいつものようにその日に使う資料の整理を済ませ、スマホでネットニュースを見ながら朝食を食べていた。

そんないつもとなんら変わりない朝に、突如インターホンが鳴った。

宅配を頼んだ覚えもなければ、人と会う約束をした覚えもない。

モニター越しに相手の姿を見てみると、そこには髪型を特に整えていないアグネスタキオンがいた。

しかし、見知った者だったからといって安心できるということはない。

むしろ場合によっては見知らぬ者がドアの前に立っている方がまだマシだったかもしれない。

 

彼女は自分の知り合いを自作の薬品の実験台にするきらいがあり、この僕に対しても例外ではない。

幸いこれまで薬品を飲まされそうになった時は何とかかわせているが、彼女の被害者となり七色に光り輝いていたトレーナーを僕は何人も見てきた。

 

こんな朝早くに尋ねてくる理由はないはずなのだ。

故に恐ろしい。彼女が何を考えているのか理解出来ない。

ここは居留守を使ってやり過ごすことにしよう。

面倒事に積極的に関わりに行く程僕はお人好しではない。

 

すると彼女は案外あっさりと諦めて、手元のメモに何かをサラサラと書き、そのメモを僕の部屋のドアに挟み、どこかへと行ってしまった。

その様子に僕はまるで焦っているかのような印象を受けた。

彼女がどこかへと行った気配を確認して、彼女が挟み込んだメモを確認する。

そこにはこう書いてあった。

 

〘至急の案件だ 用意ができ次第旧理科準備室に来い リューク君も連れてきてくれ〙

 

早書きで書き殴りの文字を見るあたり、どうやら本当に余裕が無い状況のようだ。

幸い今日は特に用事もないし、トレーニングの予定もない。行って何かに支障が出るということもないだろう。

仕方ない、行くか───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、旧理科室に着いた。

そこでは既にアグネスタキオンが今回の件に関するものだと思われるデータをパソコンで弄り回していた。

彼女がこんなにも熱心に何かをしている所を初めて見た。

僕が来たことに気づいていない所を見るに、それだけ集中しているということだろう。

 

「おぉ、ようやく来たかい。それじゃあ早速で悪いが、そこに腰掛けてくれたまえ。」

 

 

こちらとしても時間を無駄に過ごすのは好きではない。

どうしても否応に軋む旧理科室の椅子に腰を掛けてすぐ、彼女に質問をする。

 

 

「僕がその計画とやらに協力するかは内容次第だ。タキオン、君は一体何をしようとしている?」

 

 

それなりに彼女の事を知っているつもりでいたが、今の彼女が何を考えて僕とリュークを招集したのかは分からない。

もちろんその目的如何によっては協力も辞さないつもりでいるが。

 

 

「説明を欠いたことに関しては申し訳ないね。何せ私もついさっき知ったんだよ、『彼』が動き出したことを。」

 

 

そして彼女はいつになく神妙な面持ちで語り始めた。

 

 

「確か、夜神くんには前に話したことがあったね、『名前のないトレーナー』の話は。私の言う彼とはその男のことさ。彼は滅多に学園の表舞台に出てくることは無い。初めはそうでもなかったのだがね。とにかく、そのせいでこちらからアクションを起こすタイミングを逃した。私が『彼』を見つけ出した時には既に彼には担当ウマ娘がいたし、そのウマ娘は規格外の強さにまで成長していた。こうなってしまった以上私一人で手を打つことは困難だと判断した。よって君たちを招集したのだよ。私に協力してくれる者の中で、尚且つトレーナーとして強い素質を持つ君を。」

 

 

タキオンはまくし立てるように話していった。

勝手に「タキオンに協力する人間」の枠に括られたことは癪ではあるが、まぁそこは一旦置いておくことにしよう。

そして、彼女は一度手に持つ紅茶を口に含んだ後、再び話し始めた。

 

 

「私が君を呼んだ目的は他でもない、その男とその担当ウマ娘に気をつけておいて欲しいということだけだ。ともかく気に留めておいて欲しかったからだ。何も知らずに接触してしまえば、みすみす相手に力を与えてしまうかもしれないからねぇ。そう、その男は明らかに『異常』なんだ。その手腕は並のトレーナーとは一線を画している。彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()的確なトレーニングを選択し続けることが出来る。そして他のウマ娘に大きな差をつけて軽々と賞を攫っていくという訳さ。」

 

 

それを聞いて、背筋が凍ったような感覚に陥る。

ウマ娘のステータスが見える…それはまるで…

 

 

「あぁ、まさに今君が思っていることさ。その力さよく似ているだろう?リュークくんの持っている力と。」

 

 

僕の心を見透かしたように彼女はそう言った。

実際に僕はそう思っていたが。

しかし、僕の見解は少し違う。

 

「いや、今言っていたことが本当なら、そいつはリュークの持っている目よりも強力な力を持っているかもしれない。」

 

 

今の話を聞く限り、そのトレーナーは自分の担当しているウマ娘の能力値が見えているということになる。

リュークの能力値を見ることが出来る目はノートを所有しているウマ娘には適応されない。

 

もしアグネスタキオンが言ったことが本当なら、そのトレーナーはチヨの所有しているチヨノートよりも強力な力を持っているか可能性がある。

これらの事を彼女に説明すると、彼女はそれを聞いてこう質問してきた。

 

 

「ふぅン、そうか。リューク君の持つ目はノートの所有者には適応されない…それは間違いない情報なのかい?」

 

 

「確たる証拠がある訳じゃない。これまでの状況から推測で判断しているに過ぎないからな。」

 

 

今言った通り、確証がある訳では無い。ノートの所有者であるサクラチヨノオーの能力値を見ることが出来ないことと、手帳を持っていたエイシンフラッシュの能力値が見えなかったことから推測で判断しているに過ぎない。

それに、エイシンフラッシュの方に関してはチヨノートのような特殊なノートを持っているのかどうかすら分からない。

リュークの目に能力値が映ることを防ぐ方法が存在していて、それを彼女が無意識のうちにしている可能性も否めない。

 

 

「…そうか。まぁそちらの件に関してはおいおい検証していくことにしよう。まだ不確定な事が多すぎるしねぇ。それよりも問題はこっちの方だよ。」

 

 

タキオンがお手製の資料を袖でペシペシと叩いて言う。

話が横に逸れたので少し機嫌が悪くなっているようだが、最初に話を逸らしたのはそっちだ。

こっちに当たらないで欲しい。

 

 

「そのトレーナーの名前は七篠 仁(ななしの じん)だ。オグリキャップのトレーナーとしてこの学園に勤務している。くれぐれも接触する際には気をつけたまえよ。彼は他の誰かとの会話を媒介として様々な戦略のヒントを得ることが確認されている。」

 

 

 

戦略のヒントを得る…?

よく分からないが、その男と会話をする事は避けた方がいいということだろうな。

そして、今の話を聞いてあの日の出来事に合点がいった。

 

先日のオグリキャップとの併走トレーニングの日。

あの日のサクラチヨノオーも並のウマ娘相手なら快勝できるレベルの実力を持っていた。

しかしそれでもなお、オグリキャップ相手には三バ身差で敗北を喫した。

僻む訳ではないが、あの時のオグリキャップの強さは異常としか形容出来なかった。

レースの最中に持久力が回復したことや、ベストなタイミングでの加速にしてもそうだ。

トレーナーの腕が相当に優秀なのだと踏んでいたが…

今の話を聞く限りだと、その『戦略のヒント』というのが関係しているに違いない。

 

 

「あぁ、気をつけておくよ。他に用はないか?ないなら僕は帰らせてもらうが。」

 

 

何せ唐突に警戒すべき相手が増えたのだ。

すべき事はいくらでもある。

オグリキャップとは今年のGIでぶつかる可能性も高いので、それまでにサクラチヨノオーを今以上のコンディションに仕上げておく必要も出てきた。

 

 

「それじゃあ一つだけ聞かせてもらおうか。前にチヨノオー君にリューク君が見えるようになって以来、他にリューク君やチヨノートに変わったことなかったかい?」

 

 

「主だった変化はない。強いて言うなら、やたらと色々な事に興味を持つようになった、ということくらいだな。」

 

 

これはあくまで僕の意見でしかないが、チヨノオーにリュークが見えるようになったあの日から、リュークはやたらと好奇心旺盛になったように思う。

そう言うとタキオンは満足したようで、僕とリュークはすぐに帰された。

 

 

「月、なんかまた面白いことが起きそうな予感がするな」

 

 

「あぁそうだね、リューク。」

 

 

その男には恐らくウマ娘のステータスが見えている。

それがリュークの持つ力と同等のものか、それともまた異質のものなのかは定かではないが…

もし、その力を僕の物に出来たのなら。

僕はトレーナーとしてより完璧に近い存在になることができる。

アグネスタキオンには悪いが、僕の目的はその男とオグリキャップにレースで勝つことじゃない。

僕が奪うことだ。その男の持つ能力をね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーProject■■■ー

 

■■■が本格的に動き■■た模様。

 

この件に関しては■が手を出すことはなく、あ■■でも対応を■■に留め■■■とする。

 

目的は■■■の■■ではなく、あく■■も■■■との接触による■■二号の■■である。

 

なお、本件の結果■第では、■■も視野に入れ■■のとする。

 

■■■■■■■■検閲済



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第三十六話 邂逅

少し前の事ですが、UAが2万を突破致しました!
これもいつもこの小説を読んでくれている皆さんのおかげです。
いやぁありがたい…
忙しくて更新頻度は少し落ちてますが、応援してくれるとありがたいです。


時は11月の下旬。

僕とリューク、そしてサクラチヨノオーはある目的の為に京都レース場を訪れていた。

 

 

「あ、トレーナーさん!来ましたよ!オグリちゃんです!」

 

 

そう、オグリキャップの偵察である。

前回の併走でオグリキャップと戦う為の足がかりとなる欠点を発見した。

それは、スパートの直前に大きなタメがあること。

この隙を突くことが出来れば、勝つ為のチャンスが生まれる。

 

ともかく、近く開催されるホープフルステークスで、最大の敵となるのはオグリキャップに違いない。

そしてそんなオグリキャップの対策に頭を悩ませていた時、京都ジュニアステークスにオグリキャップが出走するという話を耳にした。

そして偵察に来た、という訳だ。

 

 

「リューク、どうだ?オグリキャップのステータスは。」

 

 

リュークはノートを所有しているウマ娘のステータスは見ることが出来ない。

しかし、僕の予想では恐らくオグリキャップのトレーナーが持っている力というのはチヨノートの力とは別の能力だ。

もしそうなら、リュークでもオグリキャップの能力が見えるはずだ。

 

 

「お、月の言った通りだ、ホントにオグリキャップってやつの能力値が見える。おぉ…こいつはすごいな。少なくとも俺がこれまで見てきた奴の中じゃあダントツにやばいぜ、あいつ。」

 

 

リュークが感嘆の声を上げる。

これまででダントツ、というとエルコンドルパサーやハッピーミークすらも凌駕しているという事か。

それも恐らく、トレーナーの手腕によるものだろう。

リュークが模擬レースでオグリキャップを見た時には、そこまで脅威とは感じていなかったからだ。

つまり、その時点でのオグリキャップの能力値はそこまで突出したものではなかったということになる。

では、それをここまで伸ばしたのは一体誰か?

それがオグリキャップのトレーナーである『七篠 仁』という男なんだろう。

 

僕がはるばるこの京都レース場にやって来たのは、そいつに会うためでもある。

アグネスタキオンが言うには、七篠という男は滅多に姿を見せないらしい。

しかし、ウマ娘がレースに出走する際には、必ずトレーナーが付き添いで同行しなければならないという規則がある。

つまり、オグリキャップがこうしてレースにおいて出走しているということは、このレース場のどこかにその担当トレーナーである七篠もいるということになるのだ。

 

そして、大抵のトレーナーは観客席でレースを観戦する。

そして現時点でオグリキャップのトレーナー、七篠 仁らしき人物は観客席に現れていない。

なので、予め()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

今、このレース場の空席は、僕がいる席から見える場所が五席ほどだ。

彼がこの観客席で観戦するとなれば、その五席のうちのどこかに必ず現れることになる。

五席程度であれば、リュークが目を使って名前を確認することも容易だ。

 

 

「観客席の方は引き続きよろしく頼むよ、リューク。」

 

 

「あぁ、分かってる。その代わり、後で報酬は貰うからな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、レースに出走するウマ娘が続々とゲート入りしていく。

僕の用意した空席のうち、三席は既に人が座っている。

が、しかしその中に七篠らしき人物はいなかった。

滅多に姿を見せないというアグネスタキオンの言葉は正しかったようだ。

まさか担当ウマ娘のレースの直前にもなって観客席にいないとは。

最悪の場合、このまま観客席に来ることなく終わってしまう可能性もある。

そうなった場合のプランもあるにはあるが、出来ればここで決めておきたい。

 

僕がそんな風に焦りを感じ始めた時、観客席に一人の男が入ってきた。

席を探し、程なくして空席を見つけ、そこに腰掛ける。

月に言われるよりも先に、リュークがその場面を目撃する。

すぐに『目』の力を使い、その男の名前を確認しようとする。

そして、リュークは絶句し、月に声をかける。

 

 

「おい、月…確証はないが、多分あいつがお前の探してるトレーナーだと思う。」

 

 

そう言ってリュークは先程の男の方を指さす。

歯切れの悪い言い方をするリュークに、月が言葉を返す。

 

 

「だと思う、ってどういうことだ?その目で見ればあの男の名前は分かるだろ?」

 

 

「あぁ、そのはずなんだが…。どれだけちゃんと目を凝らして見ても、あいつの名前が見えないんだ。」

 

 

?!

 

名前が見えない?!

そんな事は今までなかった。

まさか、タキオンが言っていた『名前のないトレーナー』というのは本当だったのか?

 

名前というのは、戸籍に登録されている人間なら誰しもが持ち合わせているものだ。

それが存在しないということは、考えられる可能性は二つある。

一つは、特殊な出生だったという理由で名前を持たずに生きてきたという可能性。

しかし、曲がりなりにもトレセン学園のトレーナーとして務めている人間だ。

恐らく書類審査は通過しているはずだし、その際に必ず自分の名前や生年月日は書いているはずだ。

名前や住所が不明な男が書類審査を通るなんてことはまずないだろう。

 

もう一つは、自分の名前を本人が認識していない、という可能性だ。

状況から考えると、こちらの可能性の方が高い。

要するに、自分の名前を認識せずに生きているということだ。

 

例えば、戸籍上山田という名前になっている男性がいたとする。

周りの人間からは山田とか山ちゃんとか、色々な呼び方をされている。

しかし、本人が心の底から『自分の名前は田中だ』と思っていた場合、今のリュークの目に見える名前は田中となる。

そして、デスノートが存在していた場合、その男を殺すときに書く名前は恐らく田中となる。

 

名前というのは極めて曖昧なもので、つまるところ自分が自分を呼称する為のものであり、周りがどう思っていようと、自分がこうと思っているものが名前となる。

そしてノートにもその名前が適応される。

 

あくまで仮説ではあるが、つまりこの男は心の底から自分の名前はないと思っているということになる。

まさかそんな人間が存在しているとは…。

 

とはいえ、これでほぼ決まりだ。

その男は黒髪で短髪、赤と白の二色の色合いの帽子を目深に被っている。

タキオンの言っていた七篠の人相とも概ね一致している。

恐らくあの席に座っているトレーナーが僕が探していたトレーナーの七篠という奴に違いない。

 

 

「チヨ、僕は行くところがあるから、少しの間ここで待ってて貰えないかな?」

 

 

「えーっ、もうすぐレース始まっちゃいますよ?…早く戻ってきてくださいね!」

 

 

そして、七篠がいる席へと向かう。

接触するとはいえ、こちらにもリスクはある。

タキオンは会話からトレーニングのヒントを得ると言っていた。

もちろん僕からトレーニングに関する話題は出さないようにはするつもりだが、もしそれ以外の会話からもトレーニングのヒントを得られるとしたら、こちらの手の内を晒すようなものであり、GIを控えた今、もしこちらの情報が漏れてしまえば大きなリスクとなり得る。

しかし、相手との会話から様々なトレーニングのとっかかりを得るという能力。

もしそれが技術によるものなら、是非ともその方法を知っておきたい。

 

僅かな時間をおいて、僕は例の席へとやって来た。

そして、声をかける。

 

 

「あなたが七篠トレーナーですか?」

 

 

聞こえているはずだが、彼はすぐには返事を返さなかった。

まるで僕を試しているかのような感じだ。

 

 

「『はい、そうです。私が七篠です。何か用ですか?』」

 

 

これが、僕と七篠のファーストコンタクトだった。




補足

どうやって夜神月は空席の位置を操ったのか?

・まず、目星をつけた五つの席にペットボトルやらなんやらを置いておきます。
こうすることで誰かがその席を取っているように見せておくことができます。

・そして、ある程度混んできたタイミングでリュークにその席に置いてある物を回収させます。

こうすることで意図した場所に空席を作っていたのでした。
でも迷惑には違いないので、絶対にマネしないでね!


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第三十七話 技術

「『一体僕に何の用ですか?』」

 

 

その男は涼しい顔で僕にそう聞く。

 

 

「お会いできて光栄です。申し遅れましたね、僕の名前は夜神月。サクラチヨノオーというウマ娘を担当させてもらっている、新米のトレーナーです。」

 

 

相手の出方が分からない以上、こちらから事を荒立てるのは得策ではない。

ここは穏便に挨拶を交わし、会話に持ち込むとしよう。

 

 

「『あぁ、あなたが夜神トレーナーでしたか。噂は聞き及んでますよ。なんでも、初担当のウマ娘がいきなり重賞で一勝をあげたとか。』」

 

 

基本表舞台には出てこないと聞いていたので、僕のことは知らないかと思っていたが、どうやら思った以上にこちらの事情を知っているようだ。

 

 

「そんな大層なものじゃないですよ。担当ウマ娘に恵まれただけの、ただのトレーナーです。」

 

 

「『そうですよね、私もそうです。私が担当しているオグリキャップは本当に優秀なウマ娘でね、芝もダートも走れる上に、マイル中距離長距離、どんなレースでも走れるという幅広い適性を持ったウマ娘なんです。初めてウマ娘を担当する私には勿体ないくらいの能力を持ったウマ娘でした。』」

 

 

聞き及んでいる、オグリキャップは芝のレースのみならずダートのレースでも好成績を納めているとか。

オグリキャップの怪物じみた強さはこのトレーナーによって引き出された部分もあるのだろうが、恐らくオグリキャップにも自力でGIをいくつも取る事が出来るくらいのポテンシャルは元々あったのだろう。

才能のあるウマ娘と才能のあるトレーナーのコンビ、と言ったところか。

 

それよりも気になるのは、オグリキャップのことを「初めて担当するウマ娘」と言ったところだ。

何故かは分からないが、この男は嘘をついている。

先日、七篠 仁の学園公式プロフィールを見ていたのだが、彼は過去に何人かウマ娘の担当を受け持っていた。

もっとも、彼が担当していたウマ娘のうち、その誰もが未勝利のままレース人生を終えていたが。

 

 

「とはいえ、七篠トレーナーも凄腕のトレーナーだと聞き及んでいますよ。まるでウマ娘の全てを理解しているかのように的確なトレーニングを選ぶことが出来るらしいですね。」

 

 

ここで例の話を切り出す。

あとは相手の出方次第だ。

 

 

「『あー、そうですね。でも、そんなに難しい事じゃないんですよ。ただステータスを見て、足りないと思ったところのトレーニングを行うだけなので。あ、こんな話しても分かんないですよね、すいません。』」

 

 

一見意味の分からない事を言っているように聞こえるが、タキオンから前情報を得ている僕にはこの言葉の意味が理解できる。

この男はウマ娘のステータスを見ることができるということだ。

そして、そのステータスを見て最適なトレーニングを選択しているといったところだろう。

それにしても、こんなにも容易く教えてくれるとは思っていなかった。

警戒心が薄いのか、他人に知られても問題がないのか────

 

 

「『あ、あとはスキルとかに気をつけてますかね。オグリキャップは回復スキルを3つ持ってないと固有スキル発動しないんで。』」

 

 

スキル…これも恐らくタキオンが言っていた事だ。

タキオンは、彼が様々な経験から『戦略のヒント』を得ると言っていた。

恐らくスキルというのは、『戦略』のことだろう。

その力を使ってオグリキャップはレース中に持久力を回復させていたということか。

そしてこれまでの会話から推測するに、恐らくこの男はウマ娘の能力と持っている技術を可視化する力を持っている。

 

それにしても、臆面もなくペラペラと重要そうな事を喋る奴だ。

恐らく手の内を知られても問題ないという余裕の表れなのだろう。

確かにそうだ。相手からしたらこんなことを言われたところで意味が分からないし、仮に意味が分かったとしても彼以外には出来ないことなので意味が無いのだろう。

 

 

「『まぁ、どこかのレースでお会いする機会があればよろしくお願いします。勝たせてもらいますよ、()()()()()()()()()()()。』」

 

 

そう言うと同時に、観客席が歓声に包まれる。

いつの間にかレースが終わっていたようだ。

電光掲示板には一着 八番の文字が映し出されている。

今回のレースの八番は…オグリキャップだ。

なんと京都ジュニアステークスはオグリキャップが六バ身差で一着という脅威の結果で幕を閉じた。

 

 

…そう日も経たないうちに、この怪物と戦わなければならないのか。

とはいえ、こちらも諦めてみすみす勝ちを譲るつもりなど毛頭ない。

 

 

「七篠トレーナー、大変興味深い話、ありがとうございました。ですが、一つだけ訂正があります。勝つのは僕の担当ですよ。…それでは、失礼します。」

 

 

そう言って、僕はその場を後にした。

戻った時、チヨノオーはレースが終わるまで僕が戻ってこなかった件で少し機嫌を悪くしていたが、帰りに桜餅を買ってあげたら落ち着いた。

機嫌が直ったタイミングを見計らって、彼女に今日のレースの感想を聞いてみる。

 

「チヨ、改めてオグリキャップのレースを見て、どう思った?チヨはオグリキャップに勝てると思うか?」

 

 

この質問は彼女の意志を試すためのものだ。

僕は彼女をオグリキャップに勝てるくらい強くするつもりだが、その為にはお互いの足並みを揃えておく必要がある。本人に『オグリキャップに勝つ』という意思がなければ、どれだけトレーニングをしたところで効果はいまひとつになってしまう。

 

 

「愚問ですよ、トレーナーさん。私は負けるためにレースをしてる訳じゃないんです。勝つためにレースをしてるんです!たとえ相手がオグリちゃんでも、私は勝ってみせますよ!」

 

 

…聞くまでもなかったな。

 

 

「昔の私なら、諦めていたかもしれません。でも、今はトレーナーさんやリュークさんがいるので、絶対に勝てる気がするんです!」

 

 

「そうだぜ月、誰が相手でも勝てるくらいチヨを強くするのがお前の役割だろ?」

 

 

突然リュークが割って入ってきてそう言った。

一人じゃないのは、僕も一緒か。

 

 

「チヨ、明日からのトレーニングはより一層ハードなものになると思うが、ついてこられるか?」

 

 

「当たり前じゃないですか!トレーナーさん、一緒にGI、勝ちましょうね!」

 

 

京都レース場でライバルであるオグリキャップの快進撃を目撃した彼ら3人は、その姿に挫けることなく前を見て進む。

そんな彼らを祝福するかのように、赤みを帯び始めた夕焼けの空は晴れ渡っていた。




薄々気づいている人もいるかと思いますが、七篠が担当しているのはクリスマスオグリキャップです。

知らない人もいるかと思いますので説明を…
クリスマスオグリキャップは、ゲーム版ウマ娘プリティダービー史上最強格の育成ウマ娘の一人です。(2022年7月時点)
中距離や長距離の対人戦でクリスマスオグリキャップを見なかった日はないです。
具体的に何が強いのか、という細かい解説は小説の本筋とは関係ないので割愛します。でもとにかくハチャメチャな強さです。

そしてそんなクリスマスオグリキャップですが、固有スキルの発動条件が「回復スキルを3つ発動させる」となっております。
七篠くんがオグリキャップに回復スキルを3つ積んでいるのはこういう理由です。


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第三十八話 秘策

オグリキャップが鮮烈な勝利を飾った京都ジュニアステークスから数日、夜神月は苦悩していた。

 

あの日以降、夜神月はサクラチヨノオーのトレーニングの負荷をこれまでの1.3倍まで上げ、更なる能力の向上を目指していた。

幸い、サクラチヨノオー本人はこの負荷の上昇に問題なくついてこれている。

問題はそこではなく、レースでの作戦にあった。

今は11月下旬。

既にホープフルステークスまで1ヶ月を切っている。

それだけの期間でどれだけのトレーニングを積んでも、流石にオグリキャップと対等になるまでには及ばない。

となると残るはレースの戦略で差をつけるしかないのだが、肝心の戦略がいまひとつ定まっていなかった。

 

何せオグリキャップはそもそもの潜在能力からして怪物なのだ。

そこに優秀なトレーニングをつけるトレーナーが加わってしまったのだ、並大抵の事では勝てない。

それこそ、相手の虚を衝くような戦略でないと…

 

しかし、それがまた難しい。

何せ夜神月はつい1年前まで何の知識もないズブの素人だったのだ。

1年そこらでいくら情報を詰め込んだとはいえ、それを応用することは簡単なことではない。

知識の応用や発想の転換というのは長年の経験などに基づいて行われるものが多いからだ。

 

 

一旦情報を整理しよう。

オグリキャップは差しを得意とするウマ娘だ。

しかし、必要とあれば先行の走りをすることも出来ると聞いている。

そして、七篠の言っていたことが正しいのなら、彼女はいくつかの『スキル』を所有している。

それらはレース中に発動するものであり、併走のときの情報から考えるに、持久力の回復や任意のタイミングでの加速などが出来るもののはずだ。

そして極めつけは強靭な末脚だ。

レース終盤の大外からの怒涛の追い上げは、この末脚が成せる技だ。

これだけの能力を兼ね備えた怪物を、僕は倒さなければいけないということか。

 

改めて考えても、まったく恐ろしいウマ娘だ。

しかし、サクラチヨノオーに全く勝機がないということもない。

オグリキャップがレース終盤に末脚を発動する時、大きなタメが存在する。

そこで生じるタイムロスは一秒にも満たないが、問題はタイムロスではない。

()()()()()の方にある。

 

生物は自分が狩りをする側に立っている時には、自分が狩られるという考えをえてして忘れがちになるものである。

要するに末脚を発動する時のオグリキャップの意識は『狩る側』であり、そのタイミングで相手の予想外のアクションを起こせば、相手は動揺し、最大限の威力の末脚を発揮できなくなるかもしれないということだ。

問題はそこでどうするかということなのだが…

 

月はふと走っているチヨノオーが目に付いた。

今彼女がしているトレーニングは『ペースの調節』であり、ゆっくり走ったり、全力で走ったりを繰り返している。

様々なペースの走りに慣れることを目的としたトレーニングだ。

 

ペース、末脚、大外、スキル…

 

 

…!

そうか、これなら…オグリキャップに、勝てるかもしれない…!

 

 

「チヨ、ちょっと来てくれ。」

 

 

一度チヨを呼ぶ。

思いついたはいいものの、この作戦はチヨノオーのレース中の負担を大きくしてしまう。どれだけ良い作戦だったとしても、実現できなければ意味が無い。

チヨに今考えた作戦の概要を話し、率直な意見を貰う。

 

 

「確かにこれなら、オグリちゃん相手に勝てるかもしれない…」

 

 

やはりチヨノオーの意見も同じようで、恐らくこれが成功すれば勝機は跳ね上がるだろう。

問題は…

 

 

「恐らく気づいていると思うが、これはチヨにかなりの負担を強いる作戦だ。レース中の繊細な動きを得意とするチヨなら出来るかもしれないが、一つ間違えてしまえば大きなリスクにもなりうる。だからこそ、無理にこれを決行してほしいとは言わない。」

 

 

「…でも、これが出来るようになれば、私は今よりも強くなれるはずですよね?なら、やります。やらせてください!」

 

 

良い覚悟だ。

それならこちらもその熱意に応えなければな。

それが僕の仕事だ。

 

 

「分かった、この作戦の為の練習を組んでみるよ。ただし、二週間だ。二週間でこれを実現可能なラインまで持っていけなければ、この作戦は中止だ。」

 

 

そう、あくまでもこれは副次的な作戦だ。

こちらに没頭するあまり、基礎練が疎かになってしまっては元も子もない。

 

 

「分かりました!よろしくお願いします、トレーナーさん!」

 

 

そうして、僕らはこれまで以上に練習に打ち込んだ。

これは僕にとってもチヨノオーにとっても初のGIだ。

このレースを勝つことが出来れば、彼女の夢である日本ダービーへの大きな一歩となる。

それに、勝敗に関係なくGIでの経験は彼女を更に一回り成長させるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時はやってくる。

ホープフルステークス当日。

決戦が始まる。




次回からはジュニア級の集大成でもあるホープフルステークスです!
乞うご期待~


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第三十九話 ホープフルステークス①

遂にこの時が来た。

12月下旬、中山レース場。

今日はホープフルステークスの出走日である。

 

レース場の前まで来て驚く。

そこには、デビュー戦や新潟ジュニアステークスの時とは比にならない程の数の人がレースを見にやって来ていた。

 

一箇所にここまで大勢の人が集まる場面は、そうそう見たことがない。

今日走るウマ娘たちは、これだけの人々の想いを乗せて走るということなのか。

 

改めてGIというレースの規模の大きさ、注目度の高さ、何よりもその栄光の大きさなどを認識させられた。

中の観客席のボルテージは既に最高潮で、まるで一種のお祭りのような状態になっている。

中に入ると、僕を出迎えてくれたのは意外にもあいつだった。

 

 

「月くん、ここにいたんですね。探しましたよ。」

 

 

Lだ。

誤解のないように言っておくが、僕が呼んだ訳では無い。

なぜここにいるのかは僕も分からない。

 

 

「L…いや、竜崎。どうしてこんなところに?」

 

 

「水臭いですね、応援しに来たんですよ、月くんとサクラチヨノオーさんを。私は行かなくてもいいと行ったんですが、エルさんが行くと言って聞かなかったので。」

 

 

なるほど、あくまでもエルコンドルパサーの意思で来たということか。

まぁ出不精のLがわざわざ用もなくこんなところに来るはずもないだろうしな。

ちなみに、Lとその担当ウマ娘であるエルコンドルパサーは先日朝日杯フューチュリティステークスで一着を収めていた。

 

僕がホープフルステークスに集中するために出走を見送ったレースだ。

どうやら七篠とオグリキャップのコンビは阪神ジュベナイルフィリーズの方に出走していたようで、朝日杯フューチュリティステークスの方への出走は間に合わなかったらしい。

オグリキャップは阪神ジュベナイルフィリーズで特に苦戦する様子もなく勝利を収め、同期のウマ娘たちにその『怪物』っぷりを余すところなく見せつけたそうだ。

 

Lは七篠の持っている特殊な力のことは知らないが、どうやら警戒はしていたようだ。

これは推測でしかないが、もしかするとLはオグリキャップの出走するレースを見て朝日杯フューチュリティステークスへの出走を決定したのかもしれないとも思う。

 

 

「チヨちゃん、頑張ってくだサイ!私は観客席でトレーナーさんと応援してマース!」

 

 

いつにも増して元気なエルコンドルパサーがチヨノオーに声をかける。

GIで勝つことが出来て調子づいているのだろう。

僕の周りには既にGIを取っているトレーナーが二人もいて感覚が麻痺しそうになる訳だが、GIを取ることは決して簡単な事ではない。

並のウマ娘は、GIどころかオープンのレースですら一勝も出来ずにレース人生を終える者も珍しくないと聞く。

如何にトレセン学園が名門であろうと、GIを勝つことが出来るウマ娘などほんの一握りなのだ。

だが、僕はチヨノオーにはそれが出来ると思っている。

GIを勝つということにおいてLに先を越されてしまったが、今日ここで勝ち、すぐに追いついてやる。

 

 

「ありがとう、エルちゃん!わ、私、頑張ってくるね!」

 

 

チヨノオーはそう言って気丈に振る舞ってはいるが、やはりどこか緊張しているように思う。

無理もない、今日のレースはこれまでのデビュー戦や重賞レースとは訳が違う。GIレースだ。

その舞台に立つことが出来る者でさえもほんの一握りという、ウマ娘にとってはまさに夢の舞台とも言える場所だ。

僕はチヨノオーの肩に手を置き、声をかける。

 

 

「行こう、チヨ。『ここもダービーに続く道』、だろ?」

 

 

そう言うと、彼女は気持ちの整理がついたようで、いつも通りの穏やかな笑顔を見せ、頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして、今回のホープフルSに出走するウマ娘達が順々にパドックへと入ってきた。

 

 

「どうだ、リューク?」

 

 

「流石にGIってだけあるな。さっきから出てくるやつ全員、この前のニシノフラワーってやつと同じか、それ以上だ。」

 

 

そうか…ニシノフラワーには、あの時の新潟ジュニアステークスではかなりの苦戦を強いられた。

それと同等の能力を持ったウマ娘がこのレースでの()()()()()というわけか。

恐ろしい話のように聞こえるが、考えてみればあのレースから既にもう数ヶ月は経過している。

その間日々トレーニングを重ね、彼女は実力を積み上げてきた。

今のチヨノオーには、その程度の実力のウマ娘では相手にもならないだろう。

 

 

「八枠六番、オグリキャップ。 これは仕上げてきていますね。調子も良さそうに見えます。前走の阪神JFでも結果を出していますし、今回のレースも期待できそうです。」

 

 

…来たか。

満を持して登場したのは今回のレースの一番人気でもあるオグリキャップだ。

不思議な事に、クリスマスをモチーフとした勝負服を身にまとっている。

勝負服とは、ウマ娘にとっての晴れ着のような衣装であり、大抵のウマ娘はここぞというレースで勝負服を着用する。

しかし、厳密にどのレースで着用してはいけない、等のルールはなく、着用したいと進言すればオープンのレースでも勝負服を着ることが出来る。

彼女は阪神JFで既に一度着ているので、勝負服を着てレースを走るのはこれが二回目となる。

聞いた話だと、阪神JFの際も今と同じクリスマスモチーフの勝負服で挑んだらしい。

 

しかし、なぜクリスマスをモチーフとした勝負服なのだろうか。

彼女はクリスマスに強い思い入れがあるのだろうか。

 

 

「『気になりますか?』」

 

 

オグリキャップを不思議そうに見ているところが顔に出ていたのだろうか。

気付かぬうちに僕の背後を取っていたその男がまるで心を読んだかのような言葉を発する。

七篠…相変わらず不敵な男だ。

 

 

「『まぁ特に隠す理由もないですしいいですよ、教えてあげます。勝負服のデザインがクリスマスを模している理由。』」

 

 

僕は一言も言葉を発していないにも関わらず、彼は勝手に一人で喋りだした。

 

 

「『単純ですよ、その方がオグリキャップが強くなるからです。夜神さんに言っても分からないと思いますが、本来のオグリキャップの勝負服はセーラー服を模したデザインのものです。それを使っても十分に強力な力を引き出せるんですけど、こっちの勝負服の方が段違いに力が引き出せるんです。』」

 

 

こいつの言っていることは相変わらずよく分からないが、恐らくこいつが多用する『スキル』と関わりがある話だろう。

 

 

「おい月、今オグリキャップをこの目で見たんだけど、あいつ一ヶ月前より断然やばくなってるぜ。」

 

 

僕の思考を遮るようにリュークがオグリキャップの脅威の成長ぶりを伝えてくる。

その能力値の変化を自分で見られないことが残念だが、今はそれを悔やんでも仕方ない。

 

 

「七枠九番、サクラチヨノオー。こちらも仕上がっていますね。既に重賞での勝ち星をあげていますし、納得の二番人気といったところでしょうか。」

 

 

実況のアナウンスと共に、チヨノオーがパドックに入ってきた。

それと同時に、七篠はパドックの方へ振り向きチヨノオーを、いや、チヨノオーのステータスを見ている。

すると、それまで余裕の笑みを浮かべていた七篠の表情が少し曇った。

 

 

「『なるほど…確かに、オグリキャップを抑えて一着を取るというあの言葉、案外嘘でもなさそうですね。でも、嘘ではないというだけです。その言葉が真実になることはないですよ。』」

 

 

この反応で確信した。

チヨノオーの成長は、少なくともこの男の予想を超えたのだろうということを。

強い言葉による否定は、裏を返せば自信のなさの表れでもあるのだ。

 

 

「今日はお互いに実りのあるレースになるといいですね。」

 

 

僕が一言それだけ言うと、七篠は何も言わずにどこかへと帰っていってしまった。

 

 

「あれがこの前月が言ってた七篠ってトレーナーか。いい性格してるぜ、あいつは。」

 

 

そういえば、リュークは七篠に会うのは初めてだったな。

にしても、リュークが皮肉を言うなんて珍しい。

よっぽど奴の性格が気に食わなかったのだろうか。

 

 

「落ち着け、リューク。もうすぐレースが始まる。」

 

 

ちょうど今日のレースに出走するウマ娘たちの紹介が全て終わったようだ。

すぐにウマ娘が続々とゲートインしていく。

オグリキャップや、サクラチヨノオー、そしてサイレンススズカも…

 

 

「よう、こんなところにいたんだな、夜神!」

 

 

ちょうどタイミングよく声をかけてきたのは、『チームスピカ』を率いていて、そのチームメンバーの一人であるサイレンススズカのトレーナーでもある沖野さんである。

 

 

「沖野さん、久しぶりですね。」

 

 

そう言って、最後に沖野さんと会った時の事を思い出す。

そして、『自称魔法少女』のあの子の前で予定がないことを暴露された時のことを思いだす。

……。

まぁ、それくらいのことは水に流さないと対人関係などやっていけないからな。

あれは不慮の事故だったと思おう。

自分の中の感情に整理をつけ、会話を繋ぐ。

 

 

「サイレンススズカ、デビューして一年でGIに出られる素質があるなんて、やっぱり凄いウマ娘ですね。」

 

 

「だろ?まぁ素質もそうだが、それをここまで育て上げる俺の手腕もなかなかのものだと思わねぇか?」

 

 

こう言われると認めたくはないが、彼が何人ものウマ娘の担当をそつなくこなしている事も事実。

実際、複数人を同時に監督するというのはそう簡単に出来ることではない

その手の才能では、僕はまだ沖野さんには勝てないだろう。

だからここは、素直に褒めざるを得ない。

 

 

「そうですね、流石名門チームスピカを率いるトレーナー、といった感じですね。」

 

 

そう言うと沖野さんは上機嫌で観客席の上の方へ行った。

彼は一人でレースを見る時は、いつも観客席の上の方から見ているらしい。

かく言う僕も席を移動し、一人で比較的静かにレースを見られる位置を取る。

厳密に言えばリュークがいるから一人ではないが。

 

 

「なぁ月、チヨは勝てると思うか?」

 

 

ここに来てリュークから質問が飛ぶ。

目で能力値を見ることが出来るリュークですら今回のレースの結果は読めないということか…

 

 

「何言ってるんだリューク、ここまで来た以上僕らにできることはチヨノオーを信じることだけだろ。」

 

 

「まぁ…そうだな。」

 

 

そして、僕とリュークが固唾を飲んで見守る中、出走ウマ娘全員のゲートインが完了した。

いよいよだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『見せてもらおうか、夜神トレーナー。』」




ジュニア級の総決算なんで結構オールスターです。


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第四十話 ホープフルステークス②

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」

 

かつての歌人は、こういった短歌を詠んだ。

もしこの世に桜がなかったならば、春を過ごす人々の心はいくらか平穏であっただろう、という歌。

 

私はこの歌が嫌いだった。

桜なんて、ない方がいいと言われているみたいで。

桜の名を冠した、桜が好きな私は、この歌を好きになれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女はしっかりと芝の感触を確かめる。

 

うん、予想してた通りだ。

 

昨日は日中の間は晴れていたが、夜の間に少し雨が降っていた。

なので、地面は少しぬかるんでいる。

これをバ場状態の指標に当てはめて言うなれば、「微重」になるだろう。

でも、このバ場状態は問題じゃない。

こうなることは昨日の時点で分かっていたし、私とトレーナーさんはこれを見越して作戦を練ってきている。

だから、ここで私の勝敗に大きく関わってくるのは…

 

 

「…オグリちゃん。」

 

 

もちろん今回のGIレースの台風の目、オグリキャップ。

私だけでなく、ホープフルステークスに出走するウマ娘は全員が多かれ少なかれ彼女を意識していることだろう。

 

しかし、今回のレースで注目されているのはオグリキャップただ一人ではない。

あの名門チームスピカから、サイレンススズカさんも出走している。

彼女もデビューからこのレースまでの間、一度も負けたことがないという無敗記録を持つ最強の呼び声も高いウマ娘。

オグリキャップばかりに気を囚われていては、足元を掬われるだろう。

 

これまで私が出走してきたレースに比べて、今回のレースは考えることが多い。

今までのレースならマークするウマ娘は大抵1人、多くて2人だった。

でも、今回は違う。私は今回、この場にいる全員の動きを注視しなければならない。

誰かの一挙手一投足が、このレースの勝敗に大きく関わってくる。

そういう戦いを強いられることになる。

GIで戦うということは、そういうことなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

順番にゲートインを促すアナウンスが入る。

その声に呼ばれ、私もゲートの中に入る。

 

これまでよりも遥かに緊張している。

心臓が高鳴る。

本当に勝てるだろうか。

これだけの猛者がひしめくレースで、私が…

 

気持ちが落ち込んでいる事に気づき、パチンと自分の頬を叩く。

弱気になっちゃダメだ。

私だって、自分に出来ることを精一杯こなしてきた。

うん、臆することはない!

そう自分に言い聞かせ、彼女は自分を鼓舞する。

微かに震える足を落ち着かせ、彼女は、覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガコンッ!

 

 

少しいつもより大きく聞こえたゲートの開く音を合図に、全員が勢いよくゲートから飛び出す。

 

 

前に出すぎず遅れすぎず、サクラチヨノオーはゲートから出てすぐに適切なポジションを探す。

最初の戦いはまずこのポジショニングから始まる。

並大抵のレースでポジショニングが熾烈化することはままあるのだが、そういった場合は力負けしたウマ娘が後退し、ポジション争いは決着する。

だがことGIにおいては、実力が拮抗しているため、ポジション争いは普段のそれよりも長引くことが多い。

 

とはいえ、そこまで長く続くものでもなく、程なくして各々が定位置に収まり、バ郡はある程度のまとまりを持ってコースを進み始めた。

 

 

「どうだ、月?」

 

 

「あぁ、なかなかいい位置につけている。」

 

 

現在の先頭はサイレンススズカ。

今回のレースは15人が出走しており、そのうち逃げは3人。

最初の先頭争いは中々熾烈になるかと踏んでいたが、そんな様子もなくあっさりと決着がついたようだ。

サイレンススズカを除いた3人のうち、1人はどうやら出遅れたようで、現在4番手につけている。

 

そういった事情もあるにはあるのだろうが、とはいえそれも彼女の力あっての事だろう。

12月の今まで5回レースに出走していて、その全てで一着を取るという離れ業をやってのけたというだけはある。

 

そして戦闘争いに惜しくも敗北した現在二番手のウマ娘の後ろにいるのは…

怪物、オグリキャップだった。

 

差しが得意と聞いていたが、やはり先行に変えてきたか。

しかし、先行と言うにはあまりにも…

 

 

「おいおい、ありゃあどういうことだ?オグリキャップは先行のウマ娘じゃなかったか?()()()()()()()()()()()()?」

 

 

そう、今リュークが言った通りだ。

先行で三番手、不思議な事などないように思うかもしれないが、今回のレースは15人が出走している。

そうなると大抵の先行脚質のウマ娘は六番手、七番手あたりに位置取るはずなのだ。

それがどうしたことか、今のオグリキャップは三番手。

先行のウマ娘に前につかれたとなれば、出遅れた四番手の逃げウマ娘は型なしだろう。

オグリキャップが何をしたいのかはイマイチ掴みきれないが、1つ考えられるとすれば…

 

 

「サクラチヨノオーをマークしている、ということか…?」

 

 

サクラチヨノオーが先行のウマ娘だと知った上で対策を立てるとしたら、サクラチヨノオーより前に出て、相手の仕掛けるタイミングに合わせてスパートをかけ、その差を詰めさせずにゴールするというやり方が最前ではある。

判断材料が少ないのであくまで僕の主観からの意見でしかないが、もしそうだったとしたら非常にやりにくくなる。

今回の作戦は、オグリキャップ…もとい七篠がこちらを警戒していないことが前提になっているプラン。

もしサクラチヨノオーが警戒されているとしたら、こちら側から何かを仕掛ける前に先手を打たれる可能性がある。

 

…今は、そうでないことを祈る他ないか…。

 

そして三番手のオグリキャップの少し後ろ、五番手の位置にサクラチヨノオーはいた。

事前に練った作戦では六~七番手辺りを狙うつもりではあったが、前団と後方とで少し差が開きすぎている。

ここで後方に控えてしまうと、最後の直線でオグリキャップに追いつけるかどうか怪しくなってくる。

恐らくそれを加味した上での位置取りだろう。

最善ではないが、上出来だ。

 

そして、それぞれの思惑を交差させたまま、しかし大きく動くことも無くレースは中盤に差し掛かる。

 

そんな中、サイレンススズカが仕掛けた。

 

 

「おおっと先頭を独走中のサイレンススズカ、ここで更にスピードを上げるーーー!!」

 

 

実況が声高に状況を説明する。

そう、勝負も中盤に入ったこのタイミングで、サイレンススズカはスピードを更に上げたのだ。

これにはさしもの七篠も驚きの表情を浮かべた。

 

 

「『へぇ、サイレンススズカ、これまでのがトップスピードだと思ってたけど、まだギア入れきってなかったんだ。』」

 

 

しかし、焦る様子はなく、ただ淡々と目の前の出来事を受け止めている。

そうしている間にも、サイレンススズカはぐんぐんと距離を離し、あっという間に二番手のウマ娘と五バ身差をつけてしまった。

現在オグリキャップは三番手、サクラチヨノオーは五番手。

お互いに序盤から大きく動くことはなく、自分の位置をキープしていた。

 

しかし、サイレンススズカのこの独走でその均衡は破られた。

これをきっかけにサクラチヨノオーは少しスピードを上げ、四番手に上がる。

対してオグリキャップは特段気にする様子もなく、これまで通りに三番手を死守している。

 

こうしてサイレンススズカの大逃げ戦法により、当初よりも更に縦に伸びたバ郡はレース終盤に突入しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、観客席にはここにいるはずのないウマ娘がひとり。

黄色のセーターに、明らかに一回り以上サイズが大きいであろう白衣を纏ったそのウマ娘は、そこで繰り広げられるレースを見て、ため息にも似たような声を漏らす。

 

「ふぅン…」

 

 

彼女は怪訝な表情でレース場の方へと目を向けている。

その瞳には今何が写っているのだろうか。

彼女の目的は一体何なのか。

このレースの行方か、あるいは…

 

こうして、それぞれの思惑を乗せたまま、GIホープフルステークスは進んでいく。

 

 

勝利を手にするのは、果たして誰か。




余談ですが、作中のオグリキャップはこのホープフルステークスに至るまで、一度も致命的な出遅れをしたことがありません。
理由は「集中力」のスキルを取得しているからです。


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第四十一話 ホープフルステークス③

私は、昔から走ることが好きだった。

子供の頃はよく何も無い草原をひたすらに駆け回っていたものだ。

ただ、私の頬を切る風の感覚が心地よくて。

終わりがない地平線の先まで辿り着けそうな気がして。

 

そうして私は疲労を忘れて一日中走って、毎日くたくたになって家に帰っていた。

 

そんな私がトレセン学園に入りたいと思うのは必然といえば必然だったように思う。

私は実技試験で圧倒的な成績を残し、トレセン学園に入学した。

そうして、学園でたくさんの仲間が出来た。

チームの仲間は皆個性的で、楽しい人達だった。

苦労することも沢山あったけど、それを乗り越えられたのも皆がいたからのように思う。

そして、そんな皆のおかげもあって私は今、こうして走れている。

 

 

現在サイレンススズカはこのレースの先頭を走っている。

レースがもうすぐ最終コーナーに差し掛かるという、終盤も終盤の局面。

安心して最終直線を逃げ切るには、もう少し後続との差を広げておきたい。

サイレンススズカは一切表情に出すことなく、更に速度を上げる。

二着との差は2バ身差、3バ身差と開いていく。

 

もっともっと前に、前に。

先頭の景色は...誰にも!

 

彼女はこの時、かつてない程に集中力が高まっていた。

限りなく極限まで研ぎ澄まされていた。

しかし、それ故に。

自分のコンディションを最大限まで引き出したが故に、他のウマ娘への警戒を怠ってしまった。

彼女に敗因があるとすれば、それだろう。

 

 

「おおっと、オグリキャップここで仕掛けたーーー!!」

 

 

実況がそれを宣言する頃には既にオグリキャップは爆発的な末脚でサイレンススズカのすぐ後ろにまで迫っており、今にも追い抜かんとしている。

 

 

速い。速すぎる。

サイレンススズカが思った率直な感想は正にそれだった。

彼女は今の私よりも速いのかもしれない。

もちろん、認めたくはないが。

そして、サイレンススズカも全力で走っているが、徐々に距離を詰められる。

あと2m

 

1m

 

50cm

 

そして、横並びになった。

サイレンススズカは彼女の、オグリキャップの横顔を窺う。

それは、純粋な疑問から来る行動だった。

今まさに私を追い抜かんとする彼女は、一体今どんな表情でいるのだろうか、と。

 

そして、そこで彼女が見たものは。

 

 

底の見えない、灰色だった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そして、バ群の先頭争いが激化している時、静かに先頭集団に迫るウマ娘がひとり。

先程まで2番手で、オグリキャップに追い越され現在3番手につけるウマ娘に迫る。

 

断っておくが、現在3番手につけるこのウマ娘も決して実力に乏しいということはない。

彼女も既にGIIで一着を取るという偉業を成し遂げており、その実力を持ってしてこのホープフルステークスへの出走を成しえたのだ。

 

しかし、そんな実力派のウマ娘を、今の彼女は息を荒らげることすらなく抜き去る。

 

 

「さぁそしてここに来て、3番手が入れ替わった!!」

 

 

そんな実況の声を聞き流し、そして、現在2番手のサイレンススズカに狙いを定める。

サイレンススズカは抜かされてもなお必死に食い下がっており、決して気を抜いている状態ではない。

 

しかし、先程3番手が入れ替わったことを実況伝えに知り、ほんの一瞬、そちらの方に気を奪われた。

 

そこを見逃さず、距離を詰める。

そして、彼女はサイレンススズカのすぐ横につけた。

彼女はこれまでの走りで気づいていた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

サイレンススズカは逃げのウマ娘であり、これまでのレースはどれも影すら踏ませぬ程の圧勝だった。

 

ここで彼女はひとつの推測を立てた。

『サイレンススズカは、誰かに横に並ばれることに慣れていないのではないか』という推測。

 

そして、ついさっきのオグリキャップとの競り合いで確信した。

オグリキャップに真横に付けられた時に、一瞬露骨に速度が落ちていたから。

 

そこに目をつけ、彼女はサイレンススズカの真横に滑り込んだ。

そして、彼女の予想通り、1度ならず2度までも他のウマ娘に横に並ばれるという初の出来事に、サイレンススズカは動揺した。

 

そういう経緯で、彼女はサイレンススズカをも抜き去り、2番手まで勢いよく上がってきた。

そんな彼女の存在を、オグリキャップは感じ取った。

 

 

「来たな...チヨ!」

 

 

そう、オグリキャップの約一バ身後方には、サクラチヨノオーの姿があった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

よ、よし...ここまでは計画通り...!

2番手につけ、オグリキャップの後方に位置取ったことで、少し気持ちに余裕が出てきた。

 

ここまで、サクラチヨノオーと夜神月が立てた計画は、ほぼ完璧に進行していた。

 

序盤は前に出過ぎることなくポジションキープに徹する。

そして、オグリキャップの仕掛けるタイミングで自分も前に出て、サクラチヨノオーVSオグリキャップの構図まで持っていく、という計画。

 

現に、後続のウマ娘たちとは既に2バ身以上の差がついており、かなりのスタミナを消費しているここから大幅に捲ってくることは恐らくないだろう。

だからこそ、目の前の()()に狙いを定めることが出来る。

 

計画はむしろここからが本番と言ってもいい。

なにせ無敗の怪物オグリキャップをここから差し切って勝たなければないないのだ。

並のウマ娘には到底不可能にも思える難題ではあるが、それを可能にするだけの秘策を彼女は持ち合わせている。

 

 

でも、まだ動くには早い。

もうすぐ、残り800mに差しかかる。

きっと、オグリちゃんはその時にもう一回仕掛けてくる!

 

 

そして、ゴールまで残り800mを切って少ししたあたりで、オグリキャップの走りに変化が生じた。

サクラチヨノオーは、それまでオグリキャップから溢れ出ていた全身の力が一瞬完全に消えたように感じた。

 

 

 

 

それは、夜神月の予想通りだった。




追記:お気に入り登録200件超えありがとうございます!
今後も頑張ります!


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第四十二話 ホープフルステークス④

長いことお待たせ致しました。
ホープフルステークス編、完結でございます!


「チヨ、この作戦を決行するにあたって、最も重要な事をおさらいしておく。」

 

ホープフルステークスが開催される3日前、その日のトレーニングの前に、夜神月は今回の計画をサクラチヨノオーと吟味していた。

 

「オグリキャップを差しきる方法についてだ。恐らく今のチヨとオグリキャップのスピードはほとんど差がない。もしその状態で純粋なスピード勝負になった場合、向こうの隠し玉を考慮するとこちらが不利になる、というのは前に説明したと思う。」

 

ここで言う隠し玉とはもちろん七篠の言う『スキル』の事だが、このスキルがどういうものなのかいまいち判然としないので、サクラチヨノオーには敢えて伏せて話す。

 

「これまでのオグリキャップのレース映像を一通りさらって見たが、彼女はどのレースも距離に関係なく残り750~800mの地点でスピードを大幅に上げるということが分かった。」

 

スピードを上げているとは言うが、その動作が少し不自然だった。

自分の意思でスピードを上げているというよりは、強制的に、機械的に速度が上昇しているような印象を受けた。

これがスキルの力というのなら、スキルは所有者の意思に関係なく発動するものなのかもしれない。

 

そして、重要な事はもうひとつの方。

どのレース映像を見ても、オグリキャップがスキルを発動し大幅に加速する前に、オグリキャップの意識が一瞬飛んでいるように見えるのだ。

そして、その瞬間だけオグリキャップは完全に無防備な状態になる。

とはいえ、そんな状態はほんの一瞬であり、尚且つオグリキャップはこの状態になる前に後続を大きく突き放しているので、この隙を突かれるということはなかったようだが。

 

しかし、今のサクラチヨノオーならその隙を突くことが出来ると思っている。

おおよそ750~800mの地点でオグリキャップが隙を見せるほんの一瞬で、最高速度を出せば恐らく。

 

問題はここからだ。

仮にここまでの計画が全て上手くいって、オグリキャップの前にサクラチヨノオーがいるという状況が作り出せたとする。

そこからゴールまでの約700m、全力のスパートをかけてくるオグリキャップから先頭を死守しなければならない。

 

ここまでの説明を聞いて、サクラチヨノオーは頭を悩ませる。

オグリキャップと一度手合わせをしているのもあり、彼女の恐ろしさはチヨノオーも身に染みて分かっているはずだ。

恐らく、オグリキャップの全力に対抗するには、新潟ジュニアステークスで使用した『花道』しかないと思っている。

しかし、この方法にはリスクもある。

『花道』は長時間使用出来る走法ではない。

サクラチヨノオーの本来の走り方ではあるものの、その走法は非常に繊細なコントロールが必要となる上に、長時間となると足への負担も不安要素になってくる。

 

これまでの練習から考えられる『花道』の限界使用時間は…

 

「チヨ、分かっているとは思うが、今のチヨが『花道』を使用出来るのは20秒だ。」

 

分かっている。

20秒程度では、700mを走破し切ることは不可能であり、せいぜい300~400mが関の山であることは。

しかし、それ以上この走法に頼ることになれば、チヨノオーの選手生命を縮めてしまいかねない。

ここが使用を許可出来る限界だ。

 

「つまり、残り400m付近までは…私の地力だけでオグリちゃんと競り合う、ってことですね…?」

 

「その通りだ。それが出来るかどうかで今回のレースの勝敗は変わる。」

 

 

実際、これが出来るかどうかは僕でも分からない。

オグリキャップの成長の幅が未知数だからだ。

とはいえ、様々な策を練った上で最も成功率の高い作戦がこれだ。

あとはチヨノオーの頑張りに賭ける他ない。

 

「分かりました、私、頑張ります…!」

 

そうして、やる気に満ちたサクラチヨノオーは、意気込み十分でトレーニングへと向かうのだった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そして、現在。

ここまでこの計画は完璧に進行し、オグリキャップはスキル発動の影響で意識を失っている。

 

周りから見れば、変化などないように思えるが、オグリキャップの背後でその隙を伺っていたサクラチヨノオーは、それを鋭く感じ取った。

 

今だっ!!

 

瞬間、それまでオグリキャップに付かず離れずのペースで走っていたサクラチヨノオーは限界まで足を稼働させ、オグリキャップに目の前のオグリキャップを抜き去った。

 

これに観客は大いに湧き、実況も声高にその様子を謳った。

しかし、チヨノオーからすればここからが始まりなのだ。

残り約700m、この先頭の景色を自分のものにしなければならない。

しかし、とうに覚悟は出来ている。

改めて自分の置かれている状況を確認し、大きく息を吸う。

 

と、次の瞬間。

 

チヨノオーの背後で、何かが眩く光っている感覚に襲われた。

閃光のように弾ける光を放ったそれは、徐々にチヨノオーとの距離を縮めてくる。

自分が追う側だったから気づかなかった。

追われる側から見た怪物は、こんなにも恐ろしいものなのだということを。

 

観客席まで響き渡るような轟音を轟かせ、外側からオグリキャップが並びかけてきた。

ゴールまで残り600m弱というこの状況で、このレースの栄冠はこの二人の勝負の結末に委ねられていた。

 

サクラチヨノオーは全力で走っている。

にも関わらず、オグリキャップはジリジリと距離を詰めてくる。

そして、おおよそ残り500mを超えた辺りで、オグリキャップは完全にチヨノオーの横に位置取っていた。

依然として速度はオグリキャップが上。

このまま一度抜かれてしまえば、『花道』を使ったとて追いつける保証はない。

もう、今しかない。

 

『花道』!!

 

すぐにチヨノオーは走り方を切り替え、芝の上を滑るように走る。

さながらスケート選手のように。

横に並んで走っているライバルの突然の変化に、オグリキャップは一瞬目を奪われた。

その隙を見逃さず、サクラチヨノオーは再び、オグリキャップの前に出る。

 

「サクラチヨノオー、前に出た!サクラチヨノオー、再び前に出たぞ!」

 

実況解説も声を枯らさんとする勢いで叫ぶ。

それにつられ、観客も叫び声を上げる。

 

しかしオグリキャップもすぐに気を取り直し、さらに速度を上げる。

しかし、お互いに全ての策を出し尽くし、全力のスパートをかけているのだ。後は純粋な実力の勝負。

こうなってしまえば両者の実力に余程差がない限り、順位が逆転することは無い。

 

だがしかし、残り50mというところで、『花道』が切れる。

本来より前倒しで使っていたので、当然と言えば当然なのだが、オグリキャップにしてみれば僥倖である。

またしてもオグリキャップが距離を詰める。

もうゴールに到達するまでの時間は5秒もないだろう。

それをお互いに分かっているからこそ、オグリキャップはスタミナを考慮することなく全力の中の全力でサクラチヨノオーを捉える為に走り、サクラチヨノオーは絶対に追いつかれまいと最後の力を振り絞り逃げる。

そんな切羽詰まった状況で、自らを勢いづける為にチヨノオーは叫んだ。

 

「うああああああぁぁーーーーっ!!」

 

勝ちたい!!

負けてもいいと思ったレースなんて、過去一度だってなかった!

手を抜いたレースなんて、一度だってなかった!

それでも、ここまで()()()()()()と思ったのは初めてだった!

このレースは絶対に、絶対に負けたくない!

勝ちたい!!

 

とにかく前を目指す。

もう今のサクラチヨノオーには、横にいるオグリキャップは見えていない。

ただひたすら、前に、前に。

 

そして───────ゴール板を通り過ぎる。

 

もう走り終わってゆったりと歩くような体力もなくて、大きく息を吸って、芝生の上に仰向けに倒れこむ。

 

まだ息が整っておらず、空を仰ぎながら大きく深呼吸をしている。

そして、少し落ち着いてきた辺りで、着順掲示板を見る。

 

一着を意味するローマ数字の1の横に、9番の数字。

二着の所には6番の数字が。

酸素が行き届いていない状態で、ぼんやりとしながら考えを巡らせる。

 

オグリちゃんの私の番号は6番だったはずで、そして、私が9番…

だから…私、勝ったんだ…。

私が、勝ったんだ…!!

 

最初はふわふわとした気持ちで見ていたその掲示板の数字が、脳に酸素が巡り、冷静になってくると共に現実味を帯びてくる。

初めてGIのレースで一着を取ったという現実が。

内心では飛び跳ねて喜びたい気持ちでいっぱいだった。

しかし、全力を出し尽くした今の身体がそれを許さない。

もう立って歩くのがやっとなくらいなのだ。

 

そんな状態でいると、オグリキャップがチヨノオーの方へと近づいてきた。

 

「チヨ、今日はありがとう。良いレースだった。負けたのは、悔しいが…いつかまた、リベンジさせてくれ。」

 

口下手なオグリキャップなりに、自分の気持ちをチヨノオーに伝える。

そして、右手を差し出す。

チヨノオーがその手を取り、握手を交わすと、観客席から拍手が聞こえはじめた。

最初はまばらな拍手だったが、段々と大きなものになっていき、最終的には観客席全体が二人の友情を称えた。

 

そんな拍手に見送られながら、サクラチヨノオーらはターフを後にするのだった。



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第四十三話 七篠

長いようで短かった今回のGIレース、ホープフルステークスは、遂に決着がついた。

 

一着はサクラチヨノオー。

そして2分の1バ身差で二着がオグリキャップとなった。

 

観客席にはサクラチヨノオーの勝利を喜ぶ者と、オグリキャップの敗北に心を沈ませる者がいた。

誰かが勝てば誰かが負ける。

それがレースの世界の常であり、勝負の世界の必定だ。

 

そんな悲喜交々の観客席の中で、夜神月と七篠は再び相対していた。

 

「『いやぁ、負けてしまいましたね。完売です。まずはおめでとうございます。悔しいですが、今回は僕の実力不足だったようです。』」

 

七篠から賞賛を送られる。

言葉とは裏腹なその乾いた拍手から、本心が伺い知れる。

 

「『と、まぁ建前はここまでで。』」

 

スっと拍手する手を下ろし、雰囲気が変わる。

 

「『どうやったんですか?』」

 

「…それは、どういう意味で?」

 

質問の意図が分からず、聞き返す。

ただ、なんとなく感じの良いの質問でないことは察していた。

 

「『少なくとも、僕が今日見たサクラチヨノオーの能力値では、オグリキャップに勝つことは出来なかったはずなんです。ほんの少しですが、ステータス面で、オグリキャップが勝っていた。しかし、彼女は勝った。それがどういう理由なのかが、どうしても気になるんです。』」

 

なるほど。

やはり、今のサクラチヨノオーの純粋な実力では、オグリキャップには多少届かなかったか。

実際最後の直線で横並びになった時のスピード勝負では若干劣っていたし、本番前のリュークの反応からある程度の予想はしていたが。

 

「…なぜ今日のレースでチヨノオーが勝てたのか、と聞かれても。

レースというのは様々な要素が影響して成り立っているもので、100%の要因は存在しないものですし。

ただ、僕なりに何か一つ勝因を挙げるとするなら、レースで勝負をするウマ娘本人の熱意だと思います。実力や戦略、技能を過信せず、ただひたすらに努力が出来るサクラチヨノオーだからこそ、勝てたんじゃないかと僕は思いますよ。」

 

僕が思うに、オグリキャップが勝てなかった要因は、オグリキャップと七篠の気持ちの同じ方向を向いていなかったことではないかと思っている。

 

ただの意見になってしまうのだが、個人的にはオグリキャップからこのレースに勝ちたい、という熱量をあまり感じられなかった。

あまり根性論的な話はしたくないのだが、今回のオグリキャップはまるで、トレーナーに言われるがままに出走しているかのような印象を受けた。

 

恐らく、今回のホープフルステークスへの出走はオグリキャップの意思ではなく、七篠の意思だったのではないだろうか。

だからオグリキャップ自身に「勝ちたい」という熱がなく、最後の競り合いでチヨノオーに敗北したのではないか、と考えている。

 

「『なるほど。…確かに僕は、オグリキャップの実力を過信していたかもしれません。そのせいで勝利のための努力を怠った、というところですかね。見えない力が勝敗を決するなんて、そんな言い尽くされた根性論、今更敢えて言いたくもないですが、今回の件で思い知らされましたよ。』」

 

どうやら七篠なりに納得のいく答えだったらしい。

ウマ娘に対して感情を表に出さずに接している印象を受けていたので、この手の話には否定的だとばかり思っていたが。

まぁ本人がそれでいいならこちらから何か言うこともないが。

 

「質問ということなら僕の方からも一ついいですか。」

 

七篠の言葉が途切れたのを見計らってこちらから話題を切り出す。

こうして話をするタイミングがあるなら聞いておきたかったことがある。

 

「七篠トレーナーが初めて僕に会った時、オグリキャップが初めての担当ウマ娘だと言っていましたが、経歴を調べた結果、それが嘘である事が分かりました。どうしてあの時嘘をついたんですか?」

 

これがずっと引っかかっていた。

初めて会った時、七篠は間違いなくオグリキャップを「初めて担当するウマ娘」と呼んでいた。

しかし、経歴では彼はこれまで既に何人ものウマ娘の担当トレーナーとして在籍していたということになっている。

嘘にしてはあまりにも意図が読めないので、なぜこの発言をしたのかが気になっていた。

 

「『あぁ、その事。…特に隠すつもりもなかったんですけどね。』」

 

そう言うと、七篠は続けて語り始めた。

 

「『うーん、なんと言ったらいいのか…まぁ簡単に言うと、七篠 仁は僕ではないんです。』」

 

…突然何を言い出すんだ、こいつは。

 

「『僕自身よく分かっていないんですけど、多分僕は1年前にこの七篠 仁という男の肉体に転生したんです。』」

 

「『僕は元々、ウマ娘の育成ができるシミュレーションゲームのある世界で生活していた、普通の人間でした。でもある日、かけたはずのない目覚ましの音が聞こえたんです。その音を止めようと思って体を起こしたら、その時既に僕は七篠になっていたんです。』」

 

転生…か。

本来なら転生するなんてありえない、と突っ込む所なんだろうが、僕自身一度死んだはずの身で、こうしてトレーナーをしているんだ。

頭ごなしに否定することができない。

しかし、ウマ娘を育成するシミュレーションゲームがある世界か…僕のいた世界とも違う世界だ。

 

「つまり、最適なトレーニングを選ぶことが出来たりするのは、自分がウマ娘を育成するシミュレーションを何度もしていたから…という事ですか?」

 

「『それもありますが、七篠として転生してから、僕の目にははっきりとウマ娘のステータスやスキルが見えるようになったんです。サクラチヨノオーさんの成長ぶりからして、夜神さんにもステータス画見えているんだと思ってましたよ。』」

 

中々鋭いな。

ここで七篠に対してこちらもウマ娘の能力が見えることを開示するというのも1つの選択肢だが、七篠がこちらに協力的なのかどうかがまだはっきりしていない以上、あまり無闇にこちらの手の内を見せるべきではないな。

なのでここはシラを切り通す。

 

「いや、僕にはそんな特殊な能力はないですよ。今回の結果は、チヨノオーの努力の結果です。」

 

「『そうですか…。』」

 

七篠はそう呟いて大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。

その七篠の様子は、レースの前の自信に満ち溢れていた面影はなく、憑き物が落ちたように感じた。

今回のレースを通して、彼も何か思うところがあったのだろうか。

 

「『じゃあ、僕はこれで。負けたとは言っても2着です。頑張ってくれたうちの担当を存分に労ってきますよ。』」

 

そう言って、七篠は観客席の後ろの方へと去っていった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

レースが終わり、観客席からもだんだんと人がいなくなっていく頃、夜神月はまだターフを見つめながらリュークと共に観客席にいた。

 

先程まで七篠が言っていたことに嘘がないとするなら、彼はノートに関連する人物ではなかった…ということになる。

結局、現状に至るまでにノートについて分かったことはほとんどない。

一体あのノートが何なのか、どんな力を持っているのかも未だ未知数だ。

いずれ分かる時が来るのだろうか…。

 

「月、いつまでここにいるんだ?早くチヨの所に行こうぜ。」

 

痺れを切らしたリュークが、不機嫌そうに言う。

 

「あぁ、分かったよ。行こう。」

 

こうして、サクラチヨノオーにとっても、僕らにとっても初めてのGIレースはサクラチヨノオーの勝利という形で終結した。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

ホープフルステークスが終わって少しして、七篠はオグリキャップと別れ、1人で雑貨店へと足を運んでいた。

 

「『あぁーー…どういうのが良いんだろうか。』」

 

彼の前には今、色とりどりのミサンガが並んでいた。

それを一つ一つ見比べて、あれでもないこれでもない、と頭を悩ませているのである。

 

「『どれが似合うんだろうな…。』」

 

彼はこれまでの自分のオグリキャップへの向き合い方を省みて、改めて反省していた。

思い返せば、自分の言う最適なトレーニングをただこなしてもらっていただけの日々だったようにも感じる。

彼女に夢があると知ったのも、今日のレースの帰りが初めてだった。

彼女は…オグリキャップは、誰よりも速くなりたいのだと言っていた。

見ている人に希望を与えられるような、そんな存在になりたいのだと言っていた。

自分は、その気持ちに寄り添えていただろうか。

 

そんな事を考えて、彼はオグリキャップに何かプレゼントを渡そうとしていた。

これで償いになるとは思っていないが、せめて関係を改善するきっかけになれば良いと願って。

しかし、七篠はこれまで誰かに贈り物をするという経験がほとんどなかったため、プレゼント選びに難航していた。

 

 

七篠はこれまでの自分を思い返していた。

なんの前触れも説明もなくウマ娘のいる世界に飛ばされ、なんとなくいつか元の世界に戻れるんだろうなと思いながら、この世界の全てを俯瞰的に見ていた。

どうせこれも全部夢なんだ、と思っていた。

しかし、何ヶ月経ってもその夢が覚めることはなかった。

月日が経つにつれて、もう元の世界には帰れないんじゃないかという不安が心に巣食うようになった。

そう思うと急に孤独感と虚しさが込み上げてきて、やりきれないような気持ちになった。

そして、最初こそ楽しんでいたトレーナー業が、作業のようになっていったのだ。

最適なトレーニングをただ選ぶ。

勝つために。

レースで、勝つために。

 

この頃の俺はレースで勝ち続ければ帰れるかもしれないと、何の根拠もない推論に縋るようになっていた。

そして、ただひたすらにオグリキャップをレースに出走させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その結果が、ホープフルステークス(今日のレース)だ。

あれだけの大見得を切って、負けた。

元の世界に帰るための最後の望みすら潰えたのだ。

 

しかし、初めこそ本気で悔しかったものの、夜神トレーナーと話してからは、何故か気持ちがすっきりしていた。

この感情をどう形容していいのかが分からないが、多分…負けたことで、覚悟が決まったんだと思う。

この世界で、地に足をつけて生きていく覚悟が。

真の意味で『七篠』として生きていく覚悟が。

 

 

結局何を買うわけでもなく、手持ち無沙汰で店を出た。

12月後半ともなれば季節はすっかり冬で、もう辺りもすっかり暗くなっている。

しかしもうすぐ年明けというのもあり、既に夜の11時だというのに、まだまだ人通りは活発だ。

それを見て、七篠は自分もその人通りを構成しているうちの1人になっている事に気づいた。

そうか…俺もこの中の1人なのか。

 

しかしそれは、不思議と嫌な気持ちではなかった。

そして、少し歩いて人混みから抜け出したあたりで、七篠は一件のケーキ店を見つけた。

時間も時間だからなのか、2割引されたケーキが店先で売られている。

自分が食に対して頓着がないからなのか、実際に質が良いのかは分からないが、どのケーキも美味そうに見える。

こういうケーキは、あいつも好きなんだろうな。

そこまで考えて、ふと気づく。

 

「そうだ、あいつは…オグリは、こういうやつの方が好きじゃないか?」

 

結局プレゼントは何も買えていなかったし、ちょうどいいじゃないか。

そう思い、店先のケーキをなんの計画性もなく5種類購入し、大量の紙袋を抱えて店を出た。

そして大量のケーキを抱えて寮へと帰るのだった。

 

 

そこにはもう、勝ちへの執着に取り憑かれた男の姿はどこにもなかった。



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閑話
第四十四話 初詣


今回は短めです。


「トレーナーさん、お久しぶりですね!」

 

サクラチヨノオーは、トレーナー室に入ってくるなり大声でそう言った。

今は1月6日。

正月ということもあり、トレーニングは休みにしている。

 

休みと言っても、全く何もしないということでは無い。

実際に僕がテニスをしていた時に知ったことだが、丸一日ラケットを握らないと、大幅に実力が落ちてしまうのだ。

レースにおいても同じことが言えるだろう。

丸一日足を使わない日があると、今後のトレーニングに支障が出ると思われる。

なのでチヨノオーには自主的にランニングなどのトレーニングをしてもらっていた。

 

しかし…彼女が突然ここに来た理由が分からない。

本格的なトレーニングを再開するのはもう少し後のはずだが。

 

「チヨ、久しぶり。どうしたんだ?トレーニングを再開するのは10日からのはずだけど…。」

 

「決まってるじゃないですか!お正月ですよ?初詣です!初詣に行きましょう!」

 

あぁ、そういうことか。

そういえば今年は年末から年始にかけて提出する書類が多くて、ろくに外出してなかったし、初詣も行っていなかったな。

久しぶりに外に出るのもいいかもしれない。

 

「リューク、お前も行くか?」

 

「いや、俺は…いい。」

 

片やリュークはと言えば、リンゴを齧りながら正月特番のテレビを見ている。

年末からずっとこうだ。

まぁリュークは元々こういう性格のやつだったから今更何か思うこともないが…

 

「じゃあ僕とチヨで初詣に行ってくるから、リュークは家にいてくれ。」

 

「おう、じゃあな…。」

 

最早サクラチヨノオーよりもリュークの方がトレーニングが必要なんじゃないか…?

この調子で正月が明けた時大丈夫だろうか。

そんな不安を抱えながらトレーナー室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初詣のピークは過ぎた頃だと思っていたが、思ったより人がいるな。

人がある程度掃けた時期に来るタイプの人が多いのかもしれない。

 

「1月6日とはいえ、まだまだ混んでますね…!流石、府中で1番ご利益があると言われている神社…!」

 

なるほど、この辺りでは有名な神社だったのか。

道理でこんなに人が多いわけだ。

 

「ここの神社はウマ娘にまつわるご利益が多くてですね、おみくじを引いたらやる気がみなぎってくるだとか、参拝したら怠け癖や偏頭痛が治ったなんて話もあるんですよ!」

 

…聞いている限りは胡散臭い話だな…

ただ、これだけ多くの人やウマ娘がこうして参拝に来ている所を見ると、あながち嘘でもないのかもしれない。

 

「そうか、じゃあ、とりあえず中に入ろうか。」

 

どのみちこの近辺には他にめぼしい神社もない。僕とサクラチヨノオーは入口に聳え立つ大きな鳥居に一礼をして、境内へと入った。

 

そして、そのまま賽銭をすることになった。

賽銭待ちの列はそれなりに並んではいるが、そう長く並ぶこともなさそうな人数だった。

列に並ぶなり、サクラチヨノオーははしゃぎながら喋り出す。

 

「トレーナーさん、分かってますか?二礼二拍手一礼、ですよ!ちゃんと調べてきたんですから!」

 

どうやらサクラチヨノオーは相当今日の参拝を楽しみにしていたようだ。理由を聞いてみると、サクラチヨノオーはこう答えた。

 

「私、これまでも毎年ここの神社にお参りに来てたんです。それで、いつもお願いしてたんです。『デビュー出来ますように、担当のトレーナーさんが付きますように』…って。それで、昨年お願いが叶ったじゃないですか。だから、今日は神様にありがとうございましたって、感謝を伝えに来たんです!」

 

なるほど、そういう理由もあったのか。

僕がチヨをスカウトした理由はもちろんノートの所有者だったというのもあるが、ひたむきな走りに可能性を感じたというのが大きい。

それはひとえに彼女の努力によるものだと思うが…これだけはしゃいでいる所に水を指すのも悪いし、黙っておくか。

 

 

 

 

 

 

 

そんな話をしているうちに列も進み、僕とサクラチヨノオーはお互いに賽銭を済ませたことを確認した後、列を出た。

その後サクラチヨノオーは絵馬やらおみくじやらが欲しいと言うので、一旦別れ、後で合流するということになった。

とはいえ僕自身は特に何か用があって来たわけではないので、完全に手持ち無沙汰になってしまった。

さてどうしたものかと考えていると、視界の端に見たことがある影が横切った。

それは、かつてリュークの目に名前が映らなかったウマ娘のーー

 

 

 

 

エイシンフラッシュだった。



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第四十五話 占い

肩まではかからない程度の長さの艶のある黒髪に、白いシュシュのような形をした耳飾り。

そして何よりその耳と尻尾が彼女である証拠だ。

あれはエイシンフラッシュで間違いないだろう。

見たところ、出店の綿菓子屋に並んでいるようだ。

並んでいる最中、何度も手帳を取り出し、しきりに腕時計で時間を確認したり、鞄から取り出したペンで手帳に何かを書き加えたりしているようだった。余程時間に気を配っているのだろう。

 

以前サクラチヨノオーに『エイシンフラッシュは恐ろしい程に几帳面なウマ娘だ』という話を聞いたことがあった。

分刻みや秒刻みのスケジュールで生活しているという話だったが、あの様子だとそんな噂が流れるのも納得だ。

そして、その後彼女は綿菓子を2つ買って店を後にした。

2つ…ということは恐らく他の誰かと来ているのだろうか。

そして彼女は神社の入口の方へと向かう。

現状怪しい点はないが、誰と来ているのかくらいは把握しておきたい。

交友関係は後々彼女を調べることになった時に重要になってくるからだ。

少し後ろの方で見ていた僕も彼女の後をつけようと歩き出す。

しかし、僕が動き出したのとほぼ同時に、この神社の巫女らしき人物が人混みの中をかなりの速さで突っ切ってきた。

咄嗟の反射で直撃は避けたが、その巫女は僕の左肩の辺りに勢いよくぶつかり、派手に転んだ。

その拍子に、手に抱えていた大量の絵馬やらお守りやらを砂利の上に散乱させてしまった。

 

いくら向こうからぶつかってきたとはいえ、この状況でこれを見て見ぬふりをしてエイシンフラッシュの方を追うというのは流石に無理だろうな…

結局僕はそれ以上追うのを諦め、先程落として地面に散乱しているお守りを拾い始めた。

 

「す、すすすみません、すみません〜!だ、大丈夫ですか〜!?」

 

こちらから何かを言う前に、その巫女は勢いよく謝り始めた。

ぶつかってしまったことで気が動転しているのか、声が上擦っている。

 

「あぁ、これくらい大丈夫だよ。こっちこそ悪いね。拾うの、手伝うよ。」

 

その後も彼女は落ちているものを拾いながら何度も頭を下げていた。

ぶつかった時は気づかなかったが、この巫女もウマ娘だ。

茶髪に前髪の一部だけ白という、トウカイテイオーを彷彿とさせるような髪質のウマ娘。この娘はまさか…

 

少し間を置いて質問をする。

「…もしかして君はトレセン学園の生徒だったりしないかな。間違っていたら申し訳ない。僕は昨年からトレセン学園でトレーナーとして勤めていてね。何度か学園で君のようなウマ娘を見かけたような気がしたから。」

 

結論から言うと、僕は彼女が学園在籍のウマ娘だという事に対して確信を持っている。

今言った通り、トレーニングコートを使っている時に何度か見かけたことがあるからだ。

まぁ覚えていたのは、僕が見かける時に彼女が毎回何かしらのトラブルを起こしていたというのもあるのだが。

ある時はバケツの水をひっくり返していたし、ある時は前日の雨でぬかるんだターフで転んでいた。

見る度に何かしらのトラブルに巻き込まれたりしていたので、印象に残っていた。

 

「トレーナーさんだったんですねぇ〜、わ、私はメイショウドトウと申します〜!」

 

メイショウドトウか…。昨年に開催されたレースの出走者名簿には全て目を通したはずだが、メイショウドトウという名前はなかったはずだ。

となると恐らくデビュー前のウマ娘なのだろう。

 

「普段は学園でフクキタルさんと占いをしたりしながらトレーニングをしてるんです〜、お正月の間はフクキタルさんとここの神社で働かせてもらってるんですよ〜!」

 

他のウマ娘と一緒に働いていたのか。

フクキタル…という名前には聞き覚えがある。

恐らくマチカネフクキタルの事だろう。

確かサクラチヨノオーと同じく昨年デビューのウマ娘だ。

手相やタロット、四柱推命、西洋占星術などの占いやまじないを重要視するウマ娘で、出走するレースさえも占いで決めているという噂も聞いたことがある。

とはいえ実力は確からしく、デビュー戦で1着を取り、その後もいくつかの重賞レースで勝ち星を勝ち星を挙げていた。

僕がどこかでぶつかるかもしれないと警戒しているウマ娘の1人だ。

 

そのマチカネフクキタルと行動を共にしているのが彼女ならば、彼女…メイショウドトウかなりの実力者なのだろうか。

そんな事に考えを巡らせながら散乱しているお守りを拾う。

拾っていて思うのだが、かなりの量がある。

本来2〜3人がかりで運ぶような量。

この量をまた彼女1人に押し付けてしまうと、また同じようなことになりそうな予感がする。どうするべきか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拾ってもらった上に、一緒に運んでくれるなんて…本当、ありがとうございます〜〜!!」

 

「いや、気にする事はないよ。それに、君がトレセン学園の生徒なら、今後僕と関わる機会もあるかもしれないし、その時はどうかよろしく頼むよ。」

 

少し考え、結局拾った道具をメイショウドトウと一緒にマチカネフクキタルのいる社務所へと持っていくことにした。

特にこの後何かする予定もなかったので、それなら恩を売っておく方が得策だと考えたのだ。

 

社務所への道中にいくつか分かったことがある。

マチカネフクキタルの実家は神社で、彼女はいずれその神社を継ごうと思っていること。

そして、その神社を継ぐための経験を養う為に正月にこの神社でアルバイトをしているということ。

彼女の占いを神聖視する性格は家庭背景にあるのかもしれない。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そんな話をしながら歩いていると、案外早く社務所へと着いた。

メイショウドトウに連れられて裏口から入る。

朝方ではあるが日が差す窓が少ないために中は暗い。

少し進むと、大量の商品を置いておく部屋があった。

恐らく表で売るためのものだろう。

そして、きちんと整頓されている商品とは別に、ドリームキャッチャーなど、各地の開運グッズらしきものが所狭しと置かれていた。

これはマチカネフクキタルの私物…だろうか。

奇抜な色合いをしている壺や絶妙な味を出している掛け軸などがそこら中に乱雑に置かれている。

こう言っては悪いが、どれも展覧会などに並べてある一流の作品には今ひとつ届かないといった感じのする贋作のようなものに見えてしまう。

 

少しして、どたどたと大袈裟に廊下を走る音がして、マチカネフクキタルが部屋に入ってきた。

こちらは白の巫女服ではなく、花柄のあしらわれた薄緑の着物に白を基調とした袴を着ている。

 

「あ゛ーーっ!ドトウさぁん!どこ行ってたんですかぁ!」

 

「す、すみませ〜ん!私、商品の残りが少なくなってたから新しいのを取りに行ってたんですぅ〜!」

 

謝ると同時に、メイショウドトウはここまでの経緯を話し始めた。



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第四十六話 利益

その日の社務所は存外混んでいるという訳ではなかった。

理由は単純。

そもそも今日は1月6日で、参拝のピーク時である大晦日〜元旦を少し過ぎているからだ。

社務所に物を買いに来る参拝者自体はまだそれなりにいるが、お金を受け取り、商品を渡すだけの作業なので、そうそう長蛇の列が作られることもない。

要するにメイショウドトウは、暇を持て余し始めていた。

基本的に値段の計算や接客はフクキタルが行い、メイショウドトウは言われたものをフクキタルのもとへ届けるという仕事を受け持っていた。

バイトを始めた当初はフクキタルとメイショウドトウの2人で接客をしていたのだが、ドトウが注文を聞き間違えたり、渡す商品を間違えたりすることが頻繁にあったので、現在の仕事形態となった。

 

時々空を眺めて、面白い形の雲を見つけて想像を膨らませたり、木の下にたむろしている雀の群れを見て、チュンチュンと鳴き、ぱたぱたと小さな羽を震わせるその和やかな雰囲気に癒されたりしていた。

しかし、接客のフクキタルが忙しくなってくるとそうした日常の小さな出来事に思いを馳せる余裕もなくなってくる。

自分も何かしなければ、そう思うのだが、どうしたって仕事が少ない。

次第に、フクキタルに比べて仕事をしていない自分に対して焦りを覚え始めた。

とにかく何か役に立ちたいと思い、出来ることを探す。

すると、店頭の商品の残りが少なくなっている事に気づく。

もうあと20〜30分もすればなくなってしまうだろう。

物置へと取りに行く。しかし、朝持ってきた量よりも明らかに少ない。

少し考えて結論に辿り着く。

朝この社務所に来る前、手水舎の横の倉庫に寄った時に一度荷物を下ろした。恐らくそこに置いてきたのだと。

気づいてすぐに倉庫へと向かう。

あぁ、急がないと。早くしないと品切れになって、お守りを買えない人が出てきてしまう。

 

彼女は一度テンパってしまうと周りが見えなくなる傾向がある。

だから、この時も彼女はフクキタルに自分が商品を取りに行くことを伝え忘れていた。

こうして彼女は倉庫に置いてきてしまった荷物を取りに向かい、フクキタルは忽然と姿を消してしまったバイト仲間の分まで仕事をする羽目になるのだった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

5分もしないうちに、メイショウドトウは倉庫へと辿り着いた。

思った通りそこには持ってきた荷物が置いてあった。

荷物を担ぐとどっしりと重みが伝わってくる。

とはいえ彼女はウマ娘。

この程度の荷物、特にどうということは無い。

さて後はこれを持ち社務所に戻るだけ、あと数分もあればこの仕事は終えることが出来るはずだ。

その時、メイショウドトウの前を1匹のリスが横切る。

この神社は山の中腹辺りに位置していて、森に囲まれているので、リスがいること自体は不思議ではなかった。

しかし、ドトウはこの可愛らしいリスに目を奪われてしまった。

そしてメイショウドトウはそのまま仕事の事を忘れ、リスを追いかけてしまう。

しばらくリスとの追いかけっこが続いた後に、リスが自分の巣に入る。

流石のメイショウドトウもここで我に返る。

辺りを見回すと、完全に森の中。どの方向に神社があるのかも怪しい。

そう、メイショウドトウはこの森の中で迷子になったのだった。

 

「ふえぇ…」

 

とにかく音のする方へ向かう。

耳を研ぎ澄ませて話し声や足音を聞き取る。

微かな音を頼りに、なんとか神社まで戻ってくる事が出来た。

しかし、結局戻ってくるまでに20分程かかってしまった。

 

そして、何度か転びつつ、慌てて社務所に向かう途中で夜神月に出会ったのだった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

「なるほど…その途中でドトウさんを助けてくれたのがそこのトレーナーさんだった…ということですね?」

話を聞いたマチカネフクキタルがメイショウドトウに尋ねる。

その言葉にメイショウドトウが小さく頷く。

 

「とにかく、役に経ったなら良かったよ、じゃあ、僕はこれで…」

 

荷物は運び終えたし、役目を終えたので社務所を出ていこうとすると、マチカネフクキタルにガッと袖を掴まれる。

そして、「ドトウさんを助けてくれたお礼に、こちらのお守りを1つ差し上げます!」

 

と言って、商品のお守りを1つ貰った。

全体的に緑色で、見た目は普通のお守りだ。

「御守」の2文字が白いフェルトで縫い付けられている。

マチカネフクキタルによると、疲れている時や集中力が切れた時にこのお守りを持っていると、ミスをしたり怪我をしたりすることが無くなる…というご利益があるらしい。

…随分と具体的なご利益だな。

まぁ折角の好意を無下にする訳にもいかないし、ここは貰っておこう。

 

「ありがとう、大切にさせて貰うよ。」

 

そして、お守りを受け取り、マチカネフクキタルとメイショウドトウに別れを告げて、サクラチヨノオーとの待ち合わせ場所である入口の鳥居へと向かった。

 

「もぉ〜、遅いですよ!何してたんですか!」

 

待ち合わせ場所に着くとサクラチヨノオーは少し膨れていた。

想定外の予定が入ってしまったせいではあるが待たせてしまったようだ。

これを見越して出店でカステラを買っておいて良かった。

 

「悪いね、ちょっとトラブルに巻き込まれてて。」

 

カステラを渡すとサクラチヨノオーは尻尾を振って喜んでいた。

ひとまず待たせた件は許されたようだ。

 

とはいえ、新年早々ハプニングに巻き込まれるとは…

今年も大変な一年になりそうだな…

そんな一抹の不安とマチカネフクキタルから貰った緑のお守りを抱えながら、夜神月はサクラチヨノオーと共にトレセン学園へと帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

道行く人々が思わず足を止めてしまう程に見目麗しいそのウマ娘は、2つの綿菓子を持って道を歩いていた。

 

ゆったりとした足取りで階段を下る。

そして、彼女は誰と合流するでもなく()()()神社を後にする。

少し歩き、人目がないことを確認して路地裏に入る。

そして、手に持った綿菓子を1つ、空中へと掲げた。

 

「大丈夫ですよ、今年こそ、私達の力を世間に知らしめてあげましょう。」

 

そう一言だけ言い放ち、淡然たる姿勢で学園への帰路に着く。

何も無い空中に掲げたはずの綿菓子は、いつの間にかそこにはなかった。



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第三章 チーム結成
第四十七話 交流


年が明け、年末年始から忙しかった書類の整理も終わった。

本格的にトレーニングも再開し、一段落したという頃にはもう既に2月に入っていた。三冠を目指すクラシック路線のウマ娘達は否応にでも気合いの入るような時期である。

もちろん、サクラチヨノオーもそんな三冠ウマ娘を狙ううちの一人である。

最近は前よりもいっそう鬼気迫るような表情で練習に励んでいる。

それもそのはず、三冠の一角である「皐月賞」が終われば次に控えているのは彼女が目標としているレース、「日本ダービー」だ。

今はトレーニングの負荷を徐々に上げていき、更なる基礎能力の向上を目指している。

 

そして、初詣の時に見かけたエイシンフラッシュに関して探りを入れたのだが、その際に興味深い事実が判明した。

彼女は昨年トレーナーと担当契約を結んだにも関わらず、何故か今は担当契約を解消しているということだ。

 

彼女はデビュー前のウマ娘だ。昨年の時点ではデビュー戦を含めレースには出走していない。それ自体は把握していた。度々見かけた時の走りを鑑みると、恐らくデビューは来年になるだろうと思っていた。

しかし、昨年の12月に入ったタイミングでエイシンフラッシュはトレーナーとの契約を解消したということらしい。

レースへの出走手続きはウマ娘のみでは行えず、原則担当トレーナーがしなければならない。

なので、現在彼女はデビューすら出来ない状態にある。

 

更に興味深いのは、この担当契約の解消を切り出したのはエイシンフラッシュだということだ。

彼女程計画的なウマ娘が出走手続きの件を知らなかったはずは無い。

つまり、レースへの出走が出来なくなることと天秤に掛けても余りある程のメリットがある、ということなのだろうか…。

何にせよやはり、彼女には何かがあると見て間違いないだろう。

とはいえ、調べられる範囲ではそれ以上の事は分からなかった。

 

そして、彼女の交友関係を調べようとしていたところで、スマホに一件のメールが届いた。

これは…

 

◆◆◆

 

 

 

 

◆◆◆

そして、あれから一週間後。

夜神月は新人トレーナー説明会以来久々にホールへと向かっていた。

その足取りはもう慣れたもので、昨年トレーナーになったばかりの頃に学園の広大さに気を取られていたあの頃は見る影もない。

 

あの時のメールはトレセン学園在籍のトレーナー全員に送られたもので、昨年のトレセン学園の実績に対して表彰が行われる集会の知らせだった。

各年代で最も優秀な成績を収めた最優秀ウマ娘などが毎年発表されているが、それらが発表される会でもある。

この最優秀ウマ娘の発表にはメディアも注目しており、この集会には報道陣もかなりの人数が来るということだ。

 

そして、ゆっくりとドアを開けて中に入る。

重要な会ということもあるのか、開始時間の20分前にも関わらず用意されている席は既にほとんど埋まっていた。

座っているトレーナーたちを見ていくと、普段は滅多に表舞台に出てこない七篠や出不精のLも出席していることに気づいた。

僕の席は入口から入ってすぐの所だったので、手間もなく座ることができた。

新人トレーナーは主に会場の後ろの方の席に固められているらしかった。

席に座ると、隣の席の桐生院に声をかけられた。

 

「お久しぶりです、夜神さん。なんでもGIを獲ったとか。流石ですね、夜神さんは。私も見習わなくちゃですね。」

 

こうは言っているものの、桐生院 葵も1つ2つ程度、GIIIの重賞で1着を取っている。

感覚が麻痺すると忘れがちだが、GIIIの重賞を勝つだけでもかなりの功績だ。

 

中央に在籍しているウマ娘というのは、既に何らかの功績があって中央に移籍してきたタイプが多い。

つまり中央のウマ娘というだけで既にエリート気質がある。

しかし、そんな類稀なる才能を持つ中央のウマ娘ですら、重賞を勝ち抜くことが出来るのはほんの1〜2割程度というのが現実だ。

 

「ありがとうございます。桐生院さんも昨年、GIIIで1着を取ったそうじゃないですか。十分素晴らしい功績ですよ。」

 

そうして近況の報告やトレーニング論について話していると、開始のアナウンスが流れた。

そして舞台袖から出てきた人物がマイクの前に立つ。

相変わらず背丈が小さく、幼子と見間違うようなルックスの秋川理事長である。

一礼をして、マイクの音量確認をした後、彼女が話し始めた。

 

「えー、諸君!まず、ご苦労であった!今年度の働きも実に見事だった!諸君らの手腕により、数多くのウマ娘がその実力を遺憾無く発揮してレースに臨むことが出来た!URAファイナルズの主催者として、これほどに嬉しいことは無い!…もちろん、そう思い通りにはいかなかった、という者も多いだろう。ウマ娘が競う場がレースで、勝者が唯一人である以上、それは仕方の無いことである。しかし、どうか諦めないで欲しい!どうか『勝つ』ことを諦めないで欲しい!その道は簡単な道ではないだろうが、ここまで辿り着いた諸君らなら出来ると私は信じている!」

 

普段は私財を投じて滅茶苦茶な事ばかりしている印象があるが、こうして壇上に立っているその姿はやはりこの学園の理事長と言うに相応しく、自然と発言にも重みと説得力が感じられる。

 

「では、挨拶もそこそこにして、今年度の最優秀ウマ娘の発表に移りたいと思う!」

 

途端、会場全体が緊張感に包まれる。

中継を繋いでいる記者団達も書く手を止め、真剣に聞き入っている。

 

「えー、まずジュニア級の最優秀ウマ娘の発表を行う!今年のジュニア級ウマ娘のレースは例年に比べ実に迫力のあるレースが多く、今年度の選考は歴代の中でも屈指に難航した!そんな中、栄誉ある最優秀ウマ娘の座に輝いた者は…」

 

静寂が訪れる。

報道陣、トレーナー陣、ひいては中継を見ている視聴者も恐らく固唾を飲んで見守っていることだろう。

 

「…オグリキャップ!!」

 

会場全体がどよめく。

記者団はこの発表をどこよりも早く世間に出すために各々が会社に連絡を入れたり、メールを打ち始めたり、新聞の見出しに使う為の写真を撮ったりしている。

しかし、その行動の中に動揺の色はなかった。

それもそのはず、今年度のジュニア級最優秀ウマ娘がオグリキャップになるだろうというのは、ほとんど周知の事実だったからだ。

 

確かに最初に理事長が口にした通り、今年度はあの桐生院本家の娘である桐生院 葵が担当しているハッピーミークや、重賞をGI含め2つ制しているエルコンドルパサーもいる。

加えて、僕の担当するサクラチヨノオーも重賞を2勝している。

例年ならばこれらのレベルは最優秀ウマ娘に選出される充分な基準になるものなのだが、今年度に限ってはそうはいかなかった。

オグリキャップが阪神ジュベナイルフィリーズを含め重賞を5つ制するという、「怪物」の名に相応しい戦績を記録したのだ。

ジュニア級の時点で5つの重賞を制するというのはこれまでに類を見ない偉業であり、快挙であった。

よって、いかに今年のジュニア級ウマ娘が粒揃いだったと言えども、最優秀ウマ娘の座は揺るぎない者になっていたのだ。

 

壇上ではオグリキャップのトレーナーである七篠が表彰状を受け取っていた。

 

思えば、結局今年はLに敗北を喫した形で終わることになってしまった。

とはいえ一度模擬レースでの対決で敗北しただけであり、直接公式戦で対決したことがないことを鑑みると、引き分けと捉えてもよいだろう。

来年はクラシック三冠や天皇賞を含め多くのGIに出走できるようになる。

お互いにGIの各タイトルを狙っている以上、どこかでぶつかることになるだろう。

その時だ。その時に、決着を着けてやる。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

その後、クラシック級、ジュニア級の最優秀ウマ娘が発表され、チーム結成についての説明が終わった後に会はお開きとなった。

人混みに巻き込まれるのを避けるため、ある程度の人数が先に出てから僕も外に出た。

 

外に出ると、Lが待ち構えていた。

 

「お疲れ様です、月君。」

 

どうやら僕に用があるらしい。

相変わらずの猫背で、その風貌を見るに形式ばった会であるにも関わらず白いTシャツに着崩したジーパンというスタイルで出席していたようだ。

 

「…公的な場なんだから、もう少し身だしなみには気を遣った方がいいんじゃないか?」

 

「気にしないでください、私はこうじゃないと落ち着かないので。」

 

相変わらずの対応だ。

 

「それで、どうしたんだ?何か用があってここにいたんじゃないのか?」

 

「あぁ、そうでした。実は先日、ワタリに連絡を取ったんです。」

 

ワタリ…Lの右腕的存在のあの老人か。

彼もこちらの世界に存在しているのか。

 

「それで気づいたんですが、ワタリはキラを追っていた時期の記憶がハッキリとあるらしいです。ほとんど私と同じですが、急に心臓に衝撃が走って倒れて、気が付いたらこの世界にいたらしいです。」

 

心臓の衝撃は恐らくデスノートの効果による心臓麻痺の事だろう。

そこでLとワタリは死んだはずだが、死んだはずの2人は何故かこの世界に来ていた、ということか。

 

かつてデスノートに関わっていた人間の記憶だけが残っているのだろうか。

しかし、ならば何故父さんや松田の記憶は残っていないのだろうか。

何か明確な違いがあるとも思えないが…

 

「この状況を推測しようにも、あまりにも分かっていることが少なすぎるので、情報を共有したいと思ったんです。月君、何か分かったことはないですか?」

 

父さんや松田にはキラ事件の記憶がないこと。

サクラチヨノオーの謎のノートとリュークの存在。

 

今僕が知っていてLが知らない情報はこの2つくらいか。

少なくとも後者は言うべきではないだろう。

これがどういうものか分からない以上、そこにLの介入を許すのはリスクが高い。

極端な話だが、もしこのノートがデスノートと同じ効力を発揮出来るのなら、僕はもう一度キラになることを厭わない。

そうなった時にLにこのノートの存在を知られているのは都合が悪い。

よって、何があったとしてもこの情報は死守しなければならない。

 

「少し前に父さんや松田さんに会った時、2人はキラ事件についての記憶が無かった。僕はてっきり記憶があるのは僕とLだけだと思っていたから、今の話を聞いて分からなくなったよ。」

 

そう言葉を返す。するとLは少し間を置いて返事をした。

 

「…そうですか。ということはあの事件に関わった人間がこの世界に来ている、という可能性はありそうですね。もう少し周辺の人間をあたってみます。月君、ありがとうございました。」

 

確かに、僕らがこの世界にいる意味は一体何なのだろうか。

あの事件に関わった人間ばかりがこの世界にいるというのも何か理由があることなのだろうか。

そうして少し考えを巡らせていると、用が済んだLは自分の寮に帰ろうとした。僕も同じく寮に帰ろうとしたのだが、そのタイミングで僕とLはガっと肩を掴まれてしまった。

驚いて後ろを振り向くと、そこにいたのは沖野さんだった。

 

「よぉ〜優秀な新人トレーナーのお二人さん!」

 

沖野さんは満面の笑みで話を続ける。

 

「今年度もお疲れ!ってことでよ、この後近くの店でトレーナー同士の交流会するんだけど、お前らもどうよ?!」

 

交流会…とは名ばかりで、恐らくただの飲み会なんだろう。

飲み会そのものには一切興味はないが、それに参加するトレーナーの方には興味がある。

 

「誰が来るんですか?」

 

ちょうど僕が同じことを言おうとしたタイミングで、Lが口を開いた。

 

「ん、あぁ、さっきの会に出てたやつはだいたい来るぜ。あ、新人の中だと七篠ってやつはさっき帰っちまったな。でもそれ以外ならだいたい来るんじゃねぇかなぁ。なんだ、気になってる奴でもいんのか?」

 

「はい、少し気になってる人が。」

 

「おぉ、そうか。で、来るのか?来ないのか?」

 

「月君が行くなら私も行きます。」

 

こいつ…選択肢を人に丸投げしやがって…

Lが気になっている人物というのも気になるが、まぁそれは後回しだ。

基本こういう集まりは断っているのだが、実は僕も話を聞いてみたい人物がいる。

 

「僕は行きますよ。」

 

そう答えると、Lはぎょっとしたような顔をして僕を見た。

この反応を見るに、恐らく「行かない」という選択肢を想定していたのだろう。

自分で断るのではなく、あくまで「知り合いが行かないから」という理由付けをしようとするあたり、姑息というか何というか…

 

「おう、じゃあ2人も参加決定だな!よーし、じゃあ店の場所メールで送っとくから、後でな〜!」

 

僕の返事に対して間髪入れずに捲し立て、沖野さんはまた別のトレーナーのもとへと向かっていった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

ダイニングバー『CROW』。

ここが沖野さんに指定された会場だ。

てっきり居酒屋のような粗野な会場を想像していたが、案外しっかりとした会場を抑えていたようだ。

開始の時間からは既に20分が経過している。

この期に及んでLが行くことを渋ったせいで時間がかかってしまったのだ。

中に入ると、既に集まっている学園のトレーナー達が各々用意されている料理を食べたり、トレーニング論について花を咲かせたりしている。

僕がここに来たのはとある人物との接触を図るためだ。

Lにいつまでも構っている暇は無い。

夜神月は件の人物を見つけるなり、怪しまれない範囲で少しずつ距離を詰め、コンタクトを取る。

 

「ここの料理、美味しいですね。」

 

話かけた相手は女性だった。

20代前半に見えるその女性は、その場の明るい雰囲気に似つかず俯きげにワインを嗜んでいた。

 

「あっ、はい。そうですね…。」

 

突然話しかけられた女性は少しおどけながら簡単な返事を返す。

あるいは誰からも話しかけられないように俯いていたのかもしれない。

 

静宮(しずみや)さん…ですよね。最近、担当ウマ娘との契約を解除したそうで。僕でよければ相談に乗りましょうか?」

 

彼女の名前は静宮(しずみや)早織(さおり)

エイシンフラッシュの元担当トレーナーだった女性だ。



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第四十八話 葛藤

静宮 早織はトレセン学園に来て2年目の中堅トレーナーであった。

茶髪のショートヘアに飾り気のない髪留めという、粗樸な身だしなみではあるものの、容姿端麗であるウマ娘に対して引けを取らない程のルックスであり、男性トレーナーからの人気は密かに高い。

明るい性格で裏表がなく、その性格もウマ娘からすれば親しみやすいもので、ウマ娘からの人気も高いトレーナーだった。

 

しかし肝心のトレーナーとしての腕はいまひとつといった所で、1年目に担当したウマ娘は結局晴れ舞台に立つことはなく、レースの道を諦めてしまった。

そして担当契約が解消され、誰の担当をすることも無くレースの研究に明け暮れていること2ヶ月。

このままではいけないと思い、新たな担当ウマ娘をスカウトしに模擬レースを見に行くことにした。

そんな時に出会ったのが、エイシンフラッシュであった。

 

その予定調和のような綿密に計算されたようなレース運びを見て、彼女は可能性を感じた。

この娘となら、私はまた歩んでいけるかもしれない。

夢の舞台を目指すことが出来るかもしれない、と。

 

そう思ってから行動に移すまでは早かった。

模擬レースで2着という成績を収めたエイシンフラッシュの所には多くのトレーナーが押し寄せる…かと思いきや、スカウトの申し出は1着を取ったウマ娘に集中したようで、静宮は案外簡単にエイシンフラッシュと担当契約を結ぶことが出来た。

 

それからはデビューに向けて切磋琢磨する毎日だった。

初めはお互いに他人行儀で、どうコミュニケーションを取ったらいいのかも分からなかったが、共に月日を重ねていくうちに、自然とそんな障壁も無くなっていった。

彼女の脚質にあったトレーニングを考え、実行し、また練り直す。

短期間で大幅に能力のアップが図れる訳ではないものの、長い目で見れば着実に実力は上がっており、この調子でいけば来年にはデビュー出来るだろうと考えていた。

去年デビューさせてあげられなかったあの娘の気持ちも背負うつもりで今年こそと、彼女は息巻いていた。

 

しかし、お互いの理解も深まり、良い信頼関係を築き始めてから2ヶ月程経ったある日。

突然契約解消の話をエイシンフラッシュから切り出された。

 

「トレーナーさん、今年限りで、契約を解消したいんです。」

 

訳も分からず混乱する彼女をよそに、それだけ告げて去ろうとするエイシンフラッシュ。

昨日まではそんな素振りもなく、至って普通にトレーニングに励んでいたのに。

思わず咄嗟に問いただしてしまう。

 

「ねぇっ…!フラッシュ!何かあったの?理由くらい…教えてくれてもいいじゃない…。」

 

何がダメだったのか。

一体自分には何が足りなかったのか。

少し間を空けてエイシンフラッシュが振り返る。

その疑問に対するエイシンフラッシュの答えはこうだった。

 

「トレーナーさんは悪くないんです。でも、私はこのままじゃ…ダメなんです。だから…すみません。」

 

そう告げて去っていくエイシンフラッシュの背中を、彼女は引き止めるでもなく、ただ見ていることしか出来なかった。

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

そうした事のあらましを彼女から聞いた。

話している最中の彼女は時折辛そうな表情を覗かせていた。

夜神月はありがとうございますと一言礼を言い、彼女の空いたグラスの中にワインを注ぐ。

 

しかし、話を聞いた限り、彼女の方に落ち度らしい落ち度がある訳でもないように思うが…

何が不満だったのだろうか。

エイシンフラッシュの元担当である彼女に聞けば何故フラッシュが契約を自ら解消したのか分かるかと思ったのだが…

肝心な部分は分からずじまいだ。

 

「契約を解消する前に、何か変化はありましたか?」

 

ダメ元でもう少し深く突っ込んでみる。

去年の苦い記憶を思い出して、憔悴したような表情を見せながら、彼女は小さく呟いた。

 

「そういえば…話を切り出される2()()()()()()()()()、彼女、練習メニューにない自主トレーニングをするようになった気がする…。」

 

つまりエイシンフラッシュの行動や口振りから察するに、彼女はデビューを焦っていた、という可能性がある。

少しでも早くデビューしたいが故に自主トレーニングに精を出し、1歩ずつ堅実にレベルアップするという方針の静宮トレーナーと方針の食い違いが生じた、というところか。

 

「そうですか…。すみません、わざわざ辛い出来事を思い出させてしまって。」

 

そう言うと彼女は首を振り、とんでもないです、と一言だけ口に出した。

その後連絡先を交換して、夜神月はその場を離れた。

ひとまずここでやるべき事は終えたので、隙を見計らって寮に帰ろうと思っていると、この会の幹事である沖野さんに捕まった。

 

「お〜い夜神ぃ、お前すごいじゃねぇか!まさかこの中央に来て1年でGIを獲るなんてな!いやぁ、俺も鼻が高いぜ〜」

 

余程強めの酒を飲んだのか、開始からまだ1時間も経っていないというのに既に出来上がっている。

なるべく当たり障りの無い返答をしてやり過ごすしか…。

 

「いや、単純に担当のサクラチヨノオーの努力の成果ですよ、僕は何も。」

 

「かぁ〜〜っ!謙虚で良いねぇ!俺も若い頃はよぉ、謙虚に!しかし強かにトレーナーやってたもんだ!いやぁ〜懐かしいなぁ!」

 

しまった。

どうやら何かが沖野さんの琴線に触れたようで、1人でヒートアップしている。

これは長くなりそうだ…。

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

結局小一時間沖野さんの自慢話やら過去の経験談やらを聞かされて、彼が眠そうになっているところで隙を見て離脱した。

後で聞いた話だが、あの沖野さんの酔い方は学園内では有名なものらしく、一部では新人に対する洗礼という見方もあるらしい。

僕もそれにまんまとかかってしまったということだ。

そしてLはと言うと、僕が静宮に接触を図る為にLのそばを離れた直後に帰宅したらしい。

実際あの場にいたらLも沖野さんに絡まれていただろうし、その行動は正解と言えるか…。

 

先輩トレーナーからの洗礼を浴びて、夜神月は帰路に着くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーProject■■■ー

 

ここ数ヶ月、■■1号の■■に変化が生じている。

 

■■の兆候の■■性も考慮に■■た上で■■を続行する。

 

なお、■■■号と試■■の接触を確認したが、その事象が2■に及ぼした変■は未■に不明。

 

引き続き■■を続■するものとする。

 

■■■■■■■■検閲済




静宮さんはオリジナルです。
また安易に出してしまって申し訳ない。
髪型とかに関してはポケモンのユウリに近い感じです。


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第四十九話 新風

毎回2文字で作っているサブタイトルですが、話数が多くなるにつれてだんだん難易度が上がっています。
助けてください。


最優秀ウマ娘発表の会見からはや一月。

まだ寒気の残る2月の空気は少しずつ春の陽気にその色を溶かし、季節の移ろいを感じさせ始めていた。

そんな季節の移ろいに伴うかのように、トレセン学園も新たな風を感じ始める時期だ。

3月は模擬レースも行われ始め、ウマ娘のスカウトが活発になる時期でもある。

そして翌月の4月には新人トレーナーや新入生のウマ娘の入学、スカウトも控えている。

そういった事情もあり、3月はトレーナー側もウマ娘側も慌ただしくなり始める時期なのだ。

 

とはいえ、サクラチヨノオーのトレーニングは非常に順調に進んでいた。

肺活量、脚使い、位置取り。どれをとってもあのホープフルステークスの頃よりも遥かに洗練されている。

それは見ている者に、彼女ならば本当にダービーを取れるかもしれないと思わせる程の仕上がりであった。

加えて、彼女自身の気質が良い方向に働いた。

自分自身の実力に驕りを抱くことなくただひたすらに努力を続ける彼女の性格もあり、彼女はいまやクラシック路線のウマ娘の中でも一目置かれる存在に──────────

 

いわば『追う者』から『追われる者』になっていた。

 

「トレーナーさん!アップ終わりました!」

 

ちょうどアップを終えたサクラチヨノオーが戻ってきた。

 

「今日も調子は良さそうだね、チヨ。」

 

「はい!皐月賞も近いですからね!私達も出走する訳ですし、いい結果が残せるように頑張りましょう!トレーナーさん!」

 

ここ最近のサクラチヨノオーはいつにも増して溌剌としていて、やる気に満ち溢れている。

それは恐らくサクラチヨノオーの自己肯定感が上がってきた事に起因しているのだろう。

デビュー前のサクラチヨノオーは、自分自信に対する評価が低かった。

しかし、この1年間の努力や勝利の体験を経て、彼女は少しずつ自分に自信を持てるようになったのだと思う。

 

そして、水分補給を終えたサクラチヨノオーに今日のトレーニングメニューを手渡す。

ここ最近は脚の使い方を重点的にトレーニングを行っていた。

なので、今日のメニューは繊細な思考を必要としない走り込みのトレーニングを多めにした。

一通りメニューに目を通すと、サクラチヨノオーは手渡した紙を綺麗に折りたたみ、ポケットに入れ、そのままグラウンドへと走っていった。

 

彼女がトレーニングをしている間、夜神月はベンチに腰をかけ、先日理事長から手渡されたチーム登録用紙を手にしていた。

 

「月、それまだ提出してなかったのか。」

 

隣にいたリュークがその紙を見て呟く。

リュークは僕がこの登録用紙をすぐにでも出すものだと思ったらしい。

 

「リューク。前にも言っただろう、そう簡単に決められる事じゃないんだよ、これは。」

 

夜神月は去年からこのトレセン学園に勤務している。

そして去年、見事担当するサクラチヨノオーがGIを獲るという大きな成果を出した。

これが評価され、夜神月やLなどの大きな功績を成し遂げたトレーナーはトレーナー業務2年目にしてチーム登録が許可されたのだった。

 

つまり、同時に何人ものウマ娘を担当することが可能になったのだ。

とはいえ一般的にトレーナー歴2年の場合は1人のウマ娘を担当することが精一杯であり、3人はおろか2人のウマ娘の担当を同時にこなすことすら至難の業であるとされている。

しかし、夜神月やLに限っては別の話である。

超高校級の頭脳と類まれなる身体能力を併せ持つ彼らにとって、複数のウマ娘の担当を同時に受け持つ事はそう不可能なことでもないのである。

つまり、後は本人の意思次第ということになる。

そして、夜神月は今まさにそのチーム登録に関して頭を悩ませているのだ。

チームの登録というのは利点もあれば欠点も存在する。

 

強いて言うならば、自分1人の管轄で併せが可能になるということが挙げられる。

これがひとつの大きな利点となる。

1人のウマ娘のみを担当するトレーナーは、併せのトレーニングをする為に多くの煩雑な手間がかかる。

併せを申し込む場合、まず併せを行いたいウマ娘の担当トレーナーに声をかけ、許可を取り、日取りを決める…といった手間をいちいち踏まなければならない。

しかし、自分1人で複数のウマ娘を担当している場合、そういった手間をほとんどかけることなく併せを行うことが出来る。

 

一見大したことがないように思えるが、考えついてから実行までに時間がかかるのとそうでないのでは大きな違いがある。

例えばレースの2日前に併せをしておきたいとなった場合、そこから相手に申し込んで…という手間を踏むのは少し現実性に欠ける。自分が忙しい時期はほぼ例外なく相手も忙しい時期なので、そう易々と直近の予定を抑えられないのだ。

しかし自分が2人以上のウマ娘を担当しているのならば?

脚質条件や距離適正などはあるものの、自分自身で予定を調整するだけで併せを行うことが出来る。

 

そして、欠点の方。

これは主に2つある。

『トレーナー側の負担の増加』と『チーム内の不和』である。

しかし、僕の場合前者は問題ない。

実は、この1年間あることを試していたのだ。

それが、『複数ウマ娘の同時担当が可能かどうかの検証』だった。

1年間トレーナー業を行っている間、もう1人担当ウマ娘が増えた場合に十分な時間が確保出来るのか、ということを時折考えていた。

そして何度かそれを想定したスケジュールに調整したりしてみた。

結論から言うと、これは可能だった。

サクラチヨノオーのトレーニングの質を落とすことなく、もう1人の担当ウマ娘に対しても真剣に向き合えるだけの時間の確保が出来るという結論に至っている。

 

しかし、今僕が危惧しているのはチーム内で摩擦が発生することである。

 

「でもよ、チヨは性格が真面目だから誰とチームになってもやっていけるんじゃないか?」

 

「…リュークもまだまだ人間、もといウマ娘について分かってないね。人間関係ってのはそんな一枚岩じゃないんだ。確かにもしチームメイトが我儘なウマ娘だったとしても、高圧的なウマ娘だったとしても、誰とチームになったとしてもチヨは上手くやっていけるだろう。だがその場合チヨは今のトレーニングに加えて更なる精神的な負担を強いられる事になる訳だ。それが体調に影響して、ひいてはレースにも影響が出るということになりかねない。つまり、結果的にパフォーマンスが下がるということに繋がりかねないんだよ。」

 

細かい事のように思うかもしれないが、最大限のパフォーマンスを発揮するためには精神面も重要だ。

アスリートなんかは肉体の研鑽と同程度かそれ以上にメンタルトレーニングを重要視している。

今年控えているのがGIレースともなれば尚更だ。

 

「なるほどな、つまりはお互いに納得出来る距離感のチームメイトが望ましいってわけだ。お前らって本当に面倒な生き物だな。」

 

色々考えを巡らせたが、やはりこればかりは僕の一存で決める訳にはいかないか。

一度サクラチヨノオーにも意見を聞くべきだな。

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

「はぁっ…はぁっ…トレーナーさんっ、トレーニング、終わり、ましたぁっ!」

 

トレーニング開始から2時間後、久方振りに気兼ねなく走り続けたサクラチヨノオーは汗だくで戻ってきた。

 

「チヨ、お疲れ。」

 

ゴクゴクと美味しそうに水を飲むサクラチヨノオーに、質問をひとつ投げかける。

 

「チヨ、僕は来年からチームを組もうと思っているんだけど、チヨはどう思う?」

 

基本的にチームを組むとなれば、どのウマ娘も多少否定的な意見を述べる。

その理由は明確で、自分のトレーニングに裂かれる時間が減るからだ。

もちろん僕に限ってそんなことはないが、サクラチヨノオーがどう思うかという話だ。

だからもしチーム結成に対して否定的ならば無理にチームを組むこともない。

 

「うーん、そうですね…私は良いと思いますよ!一緒にトレーニングする人が多いと、その方がやる気出ますもんね!」

 

少し意外な返事だった。

チヨはチーム結成には賛成的な意見を持っているのか。

まぁ本人が乗り気ならこちらも吝かではない。

それならとりあえず今度模擬レースでも見に行ってみようか。

 

「そうか、それじゃあ近々新しいウマ娘を連れてくると思うから、その時はよろしく。」

 

「はい!」

 

元気よく返事をするサクラチヨノオー。

そうしてその日のトレーニングは幕を引き、2人は各々帰路に着くのだった。

 

出会いと別れを象徴すると言われる月である3月。

この2人の間にも、新たな風が吹き込もうとしていた。




バトル漫画とかの仲間が増えたりするパート、個人的にすごい好きなんですよね。あそこが1番ワクワクする。


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第五十話 仮定

早いものでもう50話ですね。
案外100までもあっという間かもしれないですね。


トレセン学園はウマ娘にとってもトレーナーにとっても屈指の名門であり、そこに集まるのは第一線級の才能を持つ者ばかりである。

そして、才能のある者というのは得てして独特の世界を持つものである。

そして、そんな異才の集うトレセン学園にしても近寄ってはいけないという噂の流れる場所がある。

そこに入ったが最後、無事には戻って来れないという噂。

とはいえ『幽霊の正体みたり枯尾花』とはよく言ったもので、一度ここに足を踏み入れた夜神月からすれば既にその薄暗い部屋に対する恐怖心などとっくに消え去っていた。

夜神月は昼間でも薄暗いその部屋のドアをノックする。

しばらくして中から「入りたまえ。」と声がかかる。

そうして夜神月は『旧理科室』の中へと入る。

中で待つ白衣のウマ娘はそんな噂の事など露知らず、今日も蛍光色のビーカーを片手に実験に明け暮れているのだった。

 

「久しぶりだね。まぁ新人のトレーナーは年末年始の頃が山場なんてのはよく聞く話だからね。忙しかったのだろう?いや、君に限ってはそれだけが理由とは限らないか。なにせあの怪物を連れているんだからね。今日はいないのかい?残念だねぇ。もう一度自分自身の目で見てみたかったのだが。おっと、喋りすぎてしまったね。それで、今日はどんな用なんだい?」

 

アグネスタキオンは夜神月が席に着くなり捲し立てるように話し始めた。

会話と言うよりは完全に一方的な独り言である。

 

「…今日は確認したいことがあって来た。」

 

夜神月はそう言って2枚の写真を取り出す。

そのうちの1枚は別の世界から転生したというトレーナー『七篠』の写真。

夜神月はその写真を机の上に置き、アグネスタキオンに話し出した。

 

「この男は七篠 仁というトレーナーだ。アグネスタキオン、君が情報提供をしてくれた名前のないトレーナーというのはこの男の事だ。」

 

そして夜神月はこれまでの経緯をつらつらと話す。

ホープフルステークス、もとい七篠との対決の事。

彼が自称異世界からの転生者であるという事。

 

「…ふぅン。なるほどね。中々に…いや、かなり興味深い話だ。」

 

アグネスタキオンは溜息にも似た声を出す。

話の内容を少し噛み締めるように置いてある紅茶を啜る。

そこに夜神月は質問を投げかける。

 

「僕が今日ここに来たのはあることを確かめるためだ。タキオン、君はこの件についてどう思う?」

 

「…それはリューク君の目に七篠君の名前が写らなかったことに対する意見かい?」

 

それに対する返事として夜神月が頷く。

そう、夜神月が今日アグネスタキオンのある旧理科室へと足を運んだのは、これまでの一連の出来事に対する自分以外からの視点が欲しかったからである。

夜神月は死神リューク、そしてノートに纏わる知識については豊富だが、このウマ娘のいる世界、もといそこにある特有の慣習や文化に対しての知識は未だ完全なものでは無い。

そういう理由で、ウマ娘やこの世界に対して精通している者の意見が欲しかったのだ。

 

「…これはあくまで私の仮説でしかないのだがね、七篠君は自身の名前を『七篠 仁』だと認識していなかったんじゃあないかな?」

 

「リューク君の目には相手の思う自身の名前が写るんだろう?そこに写らなかったということは彼が自身の名を七篠だと認識していなかった、ということになる。」

 

「今の話を聞いた限り、実際にそう思っていたらしいしね。つまり彼…七篠君は、戸籍上の名は七篠となっているが自分の思う名前と食い違っていたためにリューク君の目に名前が写らなかった、という事だと私は思う。」

 

タキオンの意見は、概ね僕と同じ意見だ。だが…

 

「…実際には少し違うと思う。」

 

それを聞いたタキオンは耳をピクッと動かし、少し拗ねたような、しかし好奇心に満ちたような表情を見せる。

 

「ほう、君は私の仮説に対して違う意見を持っているということだね。それじゃあ聞かせてもらおうじゃないか。君の意見を。」

 

「あぁ、まず1つ言いたいのは、リュークの目に写る名前は本人の認識している名前になる、という事だ。たとえ戸籍上の名前が存在していたとしても、本人が自分が違う名前だと本気で思っていれば、リュークの目に写る名前は自分が信じている方の名前になる。」

 

これに関してはこちらの世界で検証した訳ではないが、その他の仕様が概ね元の世界と一致しているので合っているという前提で進める。

 

「これを踏まえると、七篠の名前が見えなかったというのはタキオンの仮説では通らなくなる。本人が自分の名前を七篠でないと思っているだけなら、自分が思う名前がリュークの目に写るはずだ。」

 

「つまり、七篠は自身の元の名前を覚えていないというのが僕の仮説だ。転生した時の影響で、記憶の一部に欠落が生じているのかもしれない。」

 

簡単に言えば、「七篠 仁は本来の自身の名を覚えていないからリュークの目にも名前が写らなかった」

これが僕の意見だった。

 

「…なるほどねぇ。まぁ、夜神君の言うことが本当なら、その説が今のところ最も有力だね。」

 

タキオンは自身の座っている年季の入った椅子を大袈裟にギシギシと鳴らしながら会話を続ける。

 

 

「それにしても、ウマ娘のステータスやスキルが見える七篠君は、さながら御伽噺の三女神のような存在なんだろうねぇ。」

 

「三女神?それは広場にあるあの三女神像の事か?」

 

「あぁ、まぁそうだね。太古の昔に実在したとされる3人ウマ娘で、全てのウマ娘の始祖なのではないかとも噂されている存在さ。知らなかったのかい?」

 

「まだここに来て日が浅いものでね。」

 

三女神…その概要については初めて聞いたな。

ただの空想上の存在だと思っていた。

 

「そうか、君はまだ体験したことがないんだね、『あの儀式』を。」

 

「あの儀式…?」

 

「あぁ、毎年4月に行われる、年に一度の儀式だよ。トゥインクルシリーズを走るウマ娘が三女神像の前で祈りを捧げる、というものでね。これはかつてレースに携わった者の想いを継承する為の儀式と言われている。科学的根拠などないが、実際に実力が向上したウマ娘が数多く存在する、不思議な儀式さ。」

 

なるほど、僕がトレセンに来たのは4月だ。

ちょうど僕が担当を持つ前にその儀式が行われていたのだろう。

 

 

「しかし、謎の化け物の次は異世界転生したトレーナーか。全く、君の周りは摩訶不思議な話題に事欠かないねぇ。いやぁ、実に面白い。」

 

「僕としては、トラブルなんて無いに越したことはないと思ってるんだけどね。」

 

しかし、三女神に儀式か…それらが七篠の持つ力と何か関係があるのかもしれない。

考えてみるとリュークにも関係がある話かもな。

…いや、しかしあいつが女神のような存在と言われてもどうにも…。

ともかく、新たな情報も得られたし収穫はあった。

この後サクラチヨノオーとのトレーニングも控えているし、そろそろ切り上げるか。

 

「タキオン、こちらから来ておいて申し訳ないが、そろそろ帰らせてもらうよ。今日はまだ担当のトレーニングが残っているものでね。」

 

「あぁ、構わないよ。確か担当のウマ娘の名はサクラチヨノオー君、だったね。よろしく伝えておいてくれたまえ。」

 

そして月は古びた椅子から立ち、薄暗いその部屋を立ち去ろうとする。

去り際にアグネスタキオンは一言だけこう言い放った。

 

「ダービーも近づいてきたし、君もトレーナーなら知っておくといい。レースに勝つ為に最も大事なものは、ウマ娘とトレーナーの信頼関係だよ。」

 

かつて読み漁ったどの教本にも書いてあった事だ。

何故今このタイミングでそんな事を…。

彼女なりの親切心なのだろうか。

 

「あぁ、肝に命じておくよ。」

 

そして入ってきた時と同様に入口から出る。

そしてなんの気なしに改めて旧理科室を見る。

中に入ってみればなんという事はないが、外から見るとやはり不気味だ。

こんな所に四六時中住み着いているタキオンの気が知れない。

個性派揃いのウマ娘の中でもタキオンが嫌煙されがちなのは、こういう理由なんだろうなと思う。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そして、トレーニングの為に会話を切り上げて出てきたものの、サクラチヨノオーとの集合時間まではあと1時間弱余裕がある。

何かしらで時間を潰せないかと思い、その日の学園案内を見る。

そういえば、今日は模擬レースの開催日だったな。

ちょうど時間は今から10分後。

新しいチームメンバーのスカウトもまだ済んでいないし、これはいい機会かもしれないな。

そうして時間を持て余した夜神月は模擬レースの会場へと向かった。



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第五十一話 勇者

トレセン学園生専用トレーニングコート。

普段は生徒がトレーニングに使用するコートであり、芝、ダート、ウッドチップなど幅広いコースが併設されている。

今日ここで行われるのは在学生の模擬レースである。

去年夜神月が見学したのは新入生を交えての模擬レースである。

しかし、そのレースとは別に在学生にスポットが当てられる模擬レースが存在する。

それが本日行われる模擬レースであり、3月時点でスカウトされていないウマ娘に対する救済措置のようなものである。

 

とはいえ、本来ここに来る予定は無かった夜神月は今日の模擬レースに出走するウマ娘を把握していない。

夜神月は早速模擬レースに出走するウマ娘を確認する。

よく見ると、聞いたことのある名前のウマ娘もちらほら見受けられる。

 

◆模擬レース 芝 2000m◆

 

◆出走ウマ娘◆

 

・スイープトウショウ

・アグネスデジタル

・メジロドーベル

・エイシンフラッシュ

・ミホノブルボン

・マチカネフクキタル

・メイショウドトウ

・エアシャカール

・ミスターシービー

 

どうやらスイープトウショウ、アグネスデジタル、ミスターシービーは今回が模擬レース初出走らしい。

よって、実力は未知数。今回は彼女らの実力を測ることもレースを見る目的の一つだ。

個人的に意外だったのは、ミホノブルボンに未だに担当トレーナーがついていないことだ。

ミホノブルボンは去年の模擬レースで2着という華々しい成績を残していたし、その後のスカウトもかなりの数受けていたと記憶しているが…。

こうなると考えられるのは、ミホノブルボンが並のトレーナーでは匙を投げ出す程の癖の強いウマ娘だという可能性か。

加えて前回ミホノブルボンが模擬レースで走ったのはマイルのレースだ。

そして今回のレースは中距離。

距離適正が合っているのかという所も気になるところだ。

 

ガコンッ

 

そんな事を考えていると、ゲートの開く音が一帯に鳴り響いた。

レースが始まったのだ。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そして、模擬レースが終わった。

電光掲示板に今回の模擬レースの結果が明るく照らし出されている。

 

◆1着 ミスターシービー

 ︎︎ ︎︎ ︎︎︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎3バ身差

◆2着 ミホノブルボン

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ 1/2バ身差

◆3着 メジロドーベル

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ハナ差

◆4着 スイープトウショウ

︎︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎1バ身差

◆5着 エアシャカール

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎アタマ差

◆6着 マチカネフクキタル

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎1バ身差

◆7着 エイシンフラッシュ

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎2バ身差

◆8着 アグネスデジタル

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎2バ身差

◆9着 メイショウドトウ

 

こうして結果を見ると、今回の模擬レースはミスターシービーの圧勝だった。

追い込み脚質のウマ娘らしく、後半からの豪快な捲りには目を見張るものがあった。

自分らしく自由な走り方をしている、とでも言うのだろうか。

とにかく何者にも縛られない自由な走りというのが相応しいウマ娘だった。

しかし、今回驚いたのはそこだけではない。

僕は、このレースのレベルの高さに驚いたのだ。

 

確かに結果だけ見ればミスターシービーの圧勝だ。

実際に彼女は強いと思うし、この結果はまぐれではないと思う。

それこそ三冠すらも視野に入るような器のウマ娘といった感じだ。

ミホノブルボンはそんな彼女相手にあと一歩の所まで迫るという鬼気迫る走りを見せてくれた。

ミスターシービーという三冠レベルのウマ娘に対して最後の最後まで先頭を譲る事無く互角に渡り合っていた。

これらのことから、ミホノブルボンもまた三冠並のレベルのウマ娘だと言える。

 

3着以下はほぼ団子状態でゴール。

なお前2人との差は大きくはないので、彼女らも実力としては折り紙付きだ。

そして9着のメイショウドトウに関してだが、個人的には彼女の実力を図るのはまだ時期尚早だと思っている。

個人の見解でしかないが、彼女はまだ『本格化』を迎えていないのかもしれない。

 

ウマ娘には本格化という時期が存在している。

人間で言うところのいわゆる成長期のようなものらしい。

その時期に入るとウマ娘は身体が突発的に成長し、自身の能力も飛躍的に上昇するようになるらしい。

ただ、この『本格化』というものは他人が見て判断出来るものではなく、あくまで自分の中の感覚として存在するものなので、僕が外から見てどうこうという事を判断する事は難しい。

 

加えて、彼女の臆病な性格が災いして実力を十分に発揮出来ていないように見えた。

レース中の位置取りも、強気に行けば良いポジションをキープ出来そうだった場面で少し引いてしまっているように感じた。

それらを考えると、メイショウドトウもこのレースに出走した他のウマ娘同様に実力のあるウマ娘なのだろうと思う。

 

つまりこの模擬レースに出走しているのは総じてGIで1着を取るポテンシャルを秘めているウマ娘かもしれないという事だ。

これがウマ娘にとっての名門、中央トレセン学園のウマ娘という事か。

改めて恐ろしい場所だ。

 

しかし、僕が見ていて唯一違和感を覚えた走りがあった。

各々が自分自身の個性を存分に押し出してレースに臨んでいる中、まるで自分の個性を押し殺して走っているような、そんな気にさせる走りだった。

 

模擬レースが終わってすぐ、トレーナー達によるウマ娘のスカウトが始まった。

基本は1着〜3着に集中するスカウトであるが、今回ばかりはその限りではなく、どのウマ娘に対しても一定のトレーナー集まっている。

 

僕は自身の違和感を確かめる為に、そのウマ娘の元へ向かう。

そのウマ娘は順位自体は低かった為、スカウトに来たトレーナーは少なめだった。僕よりも前にいた何人かのトレーナーが自身の名刺を渡したり、自身のトレーニング論を語り終わり、僕の番が回ってきた。

 

「こんにちは。さっきのレース、見てました。」

 

「あ、どうも…」

 

思っていたよりかなり簡素な返事が返ってきた。

暗めの性格なのかもしれない。

実は彼女はトレーナー間でも有名で、僕も何度か噂を聞いたことがある。

彼女は芝やダート、距離を問わずどんなレースに対しても適性が高いことから一部から『勇者』という大層な名前で呼ばれているウマ娘だと聞いていたのだが…。

僕の想像していた勇者像とは随分かけ離れた性格のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名前はアグネスデジタル…だよね。僕はトレーナーの夜神月。君をスカウトしに来た。」



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第五十二話 攻め

「…へ?」

 

僕の言葉を聞いた途端、彼女は硬直してしまった。

どうやら自分に対して言われた事が理解出来ていないらしく、混乱しているようだ。

 

アグネスデジタル、去年から度々僕の耳にも名前が入ってきたウマ娘だ。

トレーナーがついていないにも関わらず、毎日芝とダートの2つのコースで異常な量の自主トレーニングをこなすウマ娘として、トレーナーの間では有名な存在だった。

しかし、それだけのトレーニングを日々こなしているにも関わらず、何故か模擬レースへの出走は頑なに断り続けており、今回が初めての模擬レース出走という事で僕が密かに注視していたウマ娘の1人だった。

 

「あぁ、結論から入ってしまって申し訳ない。君の走りを見て、少し違和感を覚えたんだ。」

 

「い、違和感…ですか?」

 

アグネスデジタルは何の事か分かっていない様子で聞き返してくる。

 

「そう、違和感。さっきの走りを見た感じ、君が本気を出していないように見えてしまったから。」

 

「えぇ?!い、いやいや、そんな手を抜くなんて、他のウマ娘ちゃん達に失礼な事しませんって!何かの間違いじゃないですか?」

 

…なるほど、彼女は自分以外のウマ娘の事を「ちゃん」付けで呼称するのか。

それも気になるが、それはそれとして、話を続ける。

 

「それじゃあ聞き方を変える。さっきの走りの最中、君は何を考えていた?」

 

「…っ。」

 

やはり思った通りだ。

彼女はレースの最中に何か別の事に気を取られている。

レース中もしきりに他のウマ娘を見ていた。

そして、意図的に他のウマ娘と一定の距離を取っているようだった。

これだけならまだ戦略として分かるのだが、彼女は他のウマ娘を追い抜くという行動に移らずにゴール板を通り抜けたのだ。その結果、8着という結果に落ち着いてしまった。

通してみれば明らかに疑問の残る走り方だ。

これが僕の感じた違和感の正体だった。

そして、これらの行動から僕が導き出した結論が…

 

「君は何故かレース中終始他のウマ娘の観察に徹して、追い抜くことなくレースを終えた。もしかして過去、レース中に事故があったんじゃないか?」

 

というものだった。

レース中に集団での転倒事故などに遭ったウマ娘は、事故の心的外傷で無意識に他のウマ娘との接触を嫌煙するポジションの取り方をしてしまうという事例がある。

僕はアグネスデジタルがまさにそうなのではないかと考えた。

実力自体はあるものの、事故のトラウマで前に出る事に対して恐れを抱いているのではないかと。

 

「もしそうなら、僕がその障壁を乗り越える為の力になりたい。君と僕が出会えたのは運命だ。簡単な事ではないかもしれないけど、君には才能がある。この壁を乗り越えれば君は必ず大物になることが出来ると、僕は信じている。」

 

俯くアグネスデジタルに手を差し伸べる。

アグネスデジタルはしばらく俯いたままだったが、そのうち顔をあげて早口で喋り始めた。

 

「あ、ああああの〜…実はですね、夜神さんが仰ったようなその…事故…とか、障壁?みたいなものはですね、特に無かったりして…。」

 

「あの〜…私が、レース中ずっとウマ娘ちゃん達の観察に徹してたのは…私以外のウマ娘ちゃんを間近で見るためであって、それ以上の理由もそれ以下の理由もないんですよね…。」

 

「そもそも今回の模擬レースに参加したのも、担任に言われて半ば無理やりですし、私は特に出る気がなかったと言いますか…。スカウトの申し出はひっじょーーーにありがたいんですが、今の時点では私、デビューする気とか全くもってないんですよね…。」

 

つまり、アグネスデジタルの言う事が正しいのだとしたら…

先刻の僕の推測は的外れだったと言う事か…?!

くっ、深読みし過ぎたか…。

 

…しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。

僕には彼女をスカウトしたい理由がある。

それは、彼女の『ウマ娘に対する知識』だ。

アグネスデジタルは学園内では熱心に鍛錬を積んでいるウマ娘として有名だが、彼女にはもうひとつの顔がある。

それは、他のウマ娘に対する調査をいつも入念に行っているという点。

 

自主トレーニングが終わった途端、彼女はいつもメモ帳を片手に他のウマ娘を尾行し始める。

そして、そのウマ娘が何かをする度に逐一全てをそのメモ帳に書き記しているのだ。

そうして書き連ねられた大量のメモ帳はトレーナー間で『デジタル全書』と呼ばれており、その中身を知ったものはどんなウマ娘が相手でも勝てる程の知識を持つことが出来ると言われている。

よって、今後のレースで勝つ為にも、トレセン学園のウマ娘に対する知見を深める為にも、是非アグネスデジタルを僕のチームに迎えておきたいという訳だ。

だから、ここで彼女に逃げられてしまっては都合が悪い。

夜神月は申し訳なさそうにその場から去ろうとするアグネスデジタルを引き止める。

 

「待ってくれ、君の素質は本当に類稀なるものだ。僕なら君を勝たせる事が出来る。」

 

その多少胡散臭さのある物言いに、アグネスデジタルは怪訝な顔をこちらに向ける。

そしてしばらくの沈黙の後、月の熱意に押されたのか、彼女はこう返した。

 

「……夜神さんが私をどうしてもスカウトしたいのは分かりました。それでは、私からひとつ質問をします。この質問で、夜神さんが私の満足のいく答えを出せる方なのでしたら、謹んでそのスカウト、お受け致しましょう。」

 

「質問…?」

 

「質問は簡単です。『攻めの反対は?』です。」

 

攻めの反対…攻めを単純に『攻撃』の意と捉えるならば答えは『防御』、もしくは『守り』だ。

しかし、それが果たして本当にそれがこの場における答えなのだろうか?

この質問の趣旨は『アグネスデジタルを満足させる事』だ。

である以上、一般的な答えが正解という訳ではないように思う。

 

もう少し多角的な視点から考察してみる。

『積極性』という意味をはらんでいるのなら、答えは『逃げ』、『回避』『受け』あたりだろうか。

『自発的な攻撃』として捉えるならば、その反対語は『反撃』、『迎撃』となる。

 

そして彼女がウマ娘である事を考慮すると、答えはウマ娘に関連のあるワードの可能性が高い。

これらの中でウマ娘に関連する語はひとつ。

確証は少ないが、これで勝負するしかない。

 

「…『逃げ』、かな。」

 

そう答えた途端、アグネスデジタルの瞳からスッと興味の光が消える。

どうやら僕は答えを間違えたようだ。

 

「そうですか…残念です、夜神さん。申し訳ないですが、今回のスカウトは謹んでお断りさせて頂きます。いつかこの問題の答えが分かったら、またいつでも私の所に来てください。」

 

これ以上引き止めるのも不自然か。

そう言って彼女は自身の寮の方へと走って行ってしまった。

まぁ彼女の持つ膨大な情報は欲しかったが、必須という事もない。

これまで通り情報収集をすればさして問題はないだろう。

 

気持ちを切り替え、もう1人のウマ娘のもとに向かう。

そう、エイシンフラッシュの所だ。



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第五十三話 面接

並み居るトレーナー達の合間を縫ってエイシンフラッシュのもとを目指す。

後から聞いた話だが、今回は出走するメンバーがかなり優秀なウマ娘揃いだったということもあり、トレーナーの数が例年より多かったらしい。

実績の多い有名トレーナーから、無名ではあるが向上心のあるトレーナーまで、様々な思惑を巡らせてこの模擬レースを観戦していたらしい。

7着という一般的には奮わない成績となってしまったエイシンフラッシュのもとにも、数にして実に十余人ものトレーナーが集まっていた。

 

基本的に模擬レースでのスカウトはウマ娘の走りを見たトレーナー側が自分を売り込み、お互いの了承があれば担当契約が成立するというものだ。

こういうものなので、基本的にレースが終わったあとのウマ娘の周りではトレーナー陣が自己アピールに必死で、中々後続は近寄り難くなっているものだが、エイシンフラッシュの周りのトレーナー一同はピシッと整列させられていて、一人一人が黙って待機している。

周りのスカウトの様子に比べると、異様な光景だった。

とりあえずエイシンフラッシュのスカウトに来たという旨を伝えるため、声をかけようとした。

しかし、僕よりも先に彼女が口を開き、こう言った。

 

「あなたも私のトレーナー希望者ですか?」

 

この質問に対して一言「あぁ。」と答え頷くと、「ではこちらに。」と返され、目の前のトレーナーの列の一員に加えられてしまった。

 

恐らくこの後、1人ずつ彼女との会話が始まるのだろう。

几帳面とは聞いていたが、他人も巻き込んでここまでやるとは想像以上だ。

正直な話、エイシンフラッシュのトレーナーになる気もあるにはあるのだが、今日そこまで漕ぎつけようとは思っていなかった。

今日はエイシンフラッシュとの会話を通して彼女の人となりを知ることが出来ればいい、くらいに思っていたのだ。

しかし改めてこの状況を見ると、そういった相手を探るような質問や会話はしづらそうだ。

ともかく今の僕に出来る事をすればいい。

少しでも彼女に対する理解を深めるんだ。そして隙を見つけ、付け入る。

ただ、それだけだ。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そしてちょうど時計の秒針が12を指したタイミングで、エイシンフラッシュは整列させたトレーナー達との会話を始めた。

いくつかの会話を聞いていたが、それは会話というより、面接に近いものだった。

会話が始まると、まず彼女はトレーナーに対して質問を浴びせる。

そのトレーナーのこれまでの実績、エイシンフラッシュというウマ娘にどういう魅力を感じたのか、自分はエイシンフラッシュをどのように活躍させるビジョンを持っているのか、など。

それらの質問攻めの最中に一度でも口ごもってしまえばそれまで。

「結構です。」の一言と共に次のトレーナーへの質問攻めが始まる。

あまりにも淡々と年齢に不相応なその『作業』をこなすその姿は、まるで心を奪われてしまった機械のようだった。

 

十人以上もいたのでそれなりに時間がかかるかと思ったが、そういった形式の会話ということもあり、僕の番は案外すぐにやって来た。

エイシンフラッシュが僕の前に立ち、それまでと同じように質問をする。

 

「あなたが…夜神さんですね。昨年度は活躍していたので、名前と実績についてはよく知ってます。」

 

他のトレーナーに対しては名前や実績から聞いていたが、僕の事は知っていたようで、その過程は省略された。

どうやら、昨年の僕の実績を買ってくれているようだ。

 

「では。お聞きしたいのですが、どういった理由で私をスカウトしようと思いましたか?」

 

「もちろんその持ち前の走りの才能を見たからだよ。ひとつ挙げるとするなら『大局観に秀でた走り方』…という感じかな。」

 

他のトレーナーが自分の実績やトレーニング方針を軸にスカウトしようとしていたのだが、それらの時のエイシンフラッシュの反応はいまいちだった。

なので自分の良さを売り込みにいくより、今回の模擬レースの彼女の走りに焦点を当てた意見をしてみた。

すると、エイシンフラッシュは少し顔が陰り、こう返した。

 

「しかし、私は7着という順位でした。私で大局的な視野を持つウマ娘だというのならば、もっと上位に入着したウマ娘の方が大局観に秀でているのではないのですか?」

 

その発言は、どこか自暴自棄気味になったような、不貞腐れているかのような発言だった。

推測だが、彼女は自分自信の実力をまだ信じきれていないのではないか。

 

「いや、君が視野の広いウマ娘だと言ったことは嘘じゃない。君は確かにレース全体の流れを見通し、各ウマ娘の動きを見て、誰がどのタイミングで仕掛けるのか、そしてそれを鑑みて自分が仕掛けるタイミングを図っていたはずだ。」

 

そう言われ、エイシンフラッシュは俯いてしまう。

それは、彼女は実際にそうしていたからに他ならない。

 

「実際、それ程の事をレース中に観察し、しっかりと見極める事が出来れば、レースに勝つ確率は限りなく高くなる。しかし、その戦略には穴がある。」

 

一度こちらの話に興味を持たせてしまえばこちらのものだ。

それまで押し黙っていたエイシンフラッシュが続きを促す。

 

「その穴とは…なんですか?」

 

「そこまでの事をレース中に考えながら走ることはそうそう出来ない、という事だ。脚質分布が単純な場合なら出来る時もあるかもしれないが、今回は差しや追い込みの脚質が非常に多いレースだった。君は序盤に前に出過ぎてしまい、そのせいで後ろに続くウマ娘の動きに対して警戒が薄くなっていた。確かに後ろの方に留まり過ぎると後にスパートをかける時に先頭との距離が遠く、追いつけないという事も有り得るから、前の方に出ておいた方が良いというのはそうだが、今回は仕掛けるのが早かった。」

 

「っ…。」

 

具体的なレースの内容の批判に、エイシンフラッシュは悔しさを噛み締める。

彼女がスパートをかけるタイミングを見誤ったのは現時点で契約が決まっていない焦りや緊張などもあったのだろうと思うが。

そして、どうやらエイシンフラッシュは思ったより打たれ弱いようだ。

こんな風にトレーナー達に対して強い姿勢で出ていたから、勝ち気なウマ娘なのかと思っていたが、僕の批判への反応を見るに、そうでもないらしい。

ならば、当初の目的とは異なってくるが、ここで押し切って担当契約まで取り付けてしまえるかもしれない。

 

「とはいえ、完全にミスをせず走り切れというのも無理な話だし、自分の実力を披露出来る数少ない機会なんだ、緊張するのは無理もないと思うよ。むしろその状態であれだけの健闘をしたのは目を見張るものがある。ぜひ僕に君を担当させてくれないかな。」

 

一度厳しい批判をして、直後にその反省点に対するフォローを入れる。

この一連の人心掌握の流れによって夜神月は堅牢なエイシンフラッシュの心を動かしつつあった。

思わずエイシンフラッシュが「では…」と続けようとした時、突如現れた1人の男の声がそれを遮った。

 

「『すいません、僕もトレーナー希望です。』」

 

その男は、去年の暮れに夜神月と熾烈な争いを繰り広げた男、七篠であった。



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第五十四話 過多

正直な話、これ以上誰かを担当する気はなかった。

何故なら僕にはもうオグリキャップがいる。

僕は彼女を1番にすると決めた、そんな状態で更にウマ娘を担当するというのは、オグリキャップにもそのウマ娘にも失礼だ。

 

だから、今日はほんの少し見ていくだけにしようと思っていた。

しかし、僕の目は彼を捉えてしまった。

僕を唯一負かした男、夜神月。

彼はもう1人ウマ娘を担当するつもりなのか、その時はその程度にしか思わなかった。

しかし、彼がスカウトしに行ったのは1着や2着のウマ娘ではなく、8着のアグネスデジタルや7着のエイシンフラッシュだった。

何故だ?その理由は僕には分からなかった。

彼と僕とでは違う景色が見えているとでも言うのだろうか。

それが、僕と彼との差だとでも言うのだろうか。

ならば、僕にも覗かせてくれよ。

君が見ている景色を。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

「『僕もトレーナー希望です。それとも、もう遅かったかな。』」

 

その喋り方や表情からは、人柄が良く人当たりの良いトレーナー、といった印象を受ける。

しかし、一度レースで対峙した僕だからこそ分かる。

彼は全く『自分』を見せていない。

つまり、何かを企んでいるはずだ。

それに、僕には七篠とエイシンフラッシュを関わらせたくない理由がもう1つある。

それは、彼女が何らかの秘密を抱えているからだ。

そしてそれは十中八九リュークやチヨノートと関連しているはずだ。

この秘密を他の人間に知られる訳にはいかない。

 

一方、エイシンフラッシュやその場に居合わせたトレーナー達は突如現れた七篠に驚きを隠せなかった。

何故なら彼は今年度の最優秀ウマ娘「オグリキャップ」の担当で、ニュースや雑誌にも何度か出演を果たしており、優秀な人材が集まる中央のトレーナーの中でも頭1つ抜きん出た存在となりつつあるからだ。

そんな彼が何故今回の模擬レースで7着だったエイシンフラッシュをスカウトしに来たのか。

その場にいた誰もが不思議に思っている。

 

当然、エイシンフラッシュの担当に名乗りを上げた他のトレーナー達の表情は曇る。

それもそのはず、彼らの多くは現在担当がおらず、何としても担当のウマ娘を確保したいという者たちである。

彼らは競争率の高い1着や2着のウマ娘の担当を諦め、聞こえは悪いが、言ってしまえば『妥協』でエイシンフラッシュのスカウトに集まったという者たちなのだ。

そこに現れた強力な競合相手、七篠の出現。

これを快く受け入れられる程、今の彼らに余裕は無かった。

 

そしてそれは夜神月も例外では無い。

お互いに新人トレーナーという枠組みで括られている以上、夜神月と七篠というトレーナーが比べられてしまえば『最優秀ウマ娘を輩出したトレーナー』という箔が乗っている七篠が選ばれる可能性は高い。

更に言うなら夜神月のアピールタイムは既に終了しているので、これ以上自分からアクションを起こす事が出来ないというこの状況。

まるでこのタイミングを狙っていたかのような用意周到さに、かの夜神月ですら彼を訝しむ他ないという状態になっていた。

夜神月は今、ただ七篠の発言を聞くしかないのである。

 

エイシンフラッシュが彼に自己紹介に促すよりも前に彼は口を開いた。

「『突然遅れてきた奴がトレーナーになりたいなんて言っても無茶かな。まぁともかく一度名乗っておこうかな。と言っても、名前くらいは聞いた事あるかもですね。僕は七篠。今年度の最優秀ウマ娘に選ばれたオグリキャップのトレーナーです。どうぞお見知り置きを。」

 

突如現れた図々しいトレーナーに対して露骨に警戒していたエイシンフラッシュだったが、その名前を聞いた瞬間に表情が変わる。

 

「!…えぇ、存じ上げています、七篠さん。名前も、その実績も。」

 

エイシンフラッシュがそう言うと、七篠はまた更に話を続ける。

 

「じゃあ僕の事はこれくらいでいいかな。となると、次は君に関する話をした方が良さそうだ。とはいえ、僕は本当にさっき来たばかりでね。レースの内容に関する話はあまり出来そうにない。だから別の観点から話をしてみようかな?」

 

既に『面接』が終わったトレーナー達は彼の発言に聞き耳を立てる。

「今年度の新星(ルーキー)は一体どんな世界を見ているのか」と。

 

そして、七篠が目を凝らしてエイシンフラッシュを見る。

しかしその目が実際に何を見ているのか理解しているのは、夜神月だけだった。

 

「『…なるほどね。だいたい分かったよ。エイシンフラッシュ、君に足りていないのは相手を差し切る瞬発力…言うなればパワーだ。』」

 

やはり間違いない。七篠は彼女…エイシンフラッシュのステータスを見た。

こうなってしまうと少しまずいかもしれない。

彼に見えているステータスは寸分の狂いもなく当人の能力値を数値化している。

つまり今から七篠が話すこれを基にした発言は全て的を射ているということ。

そしてそれは彼が優秀なトレーナーである事の裏付けになってしまう。

 

七篠はその後も様々なアドバイスをエイシンフラッシュに与えた。

エイシンフラッシュの反応を見るに、彼女も思い当たるフシがあるようだ。

 

「『着順から見るに、レースプラン自体は悪くなかったと思うよ。ただ差し切る事が出来なかっただけだ。そしてそれは文字通り君の力不足によるものだ。前にいる相手との競り合いで勝つことが出来ていれば、このレースの結果はまた違ったものになっていたと思うよ。』」

 

エイシンフラッシュは下を向いて項垂れていた。

期待の若手トレーナーと評される人物にここまで自分の力不足を指摘されたのだ。無理もない。

それに加えて七篠の棘のある言い方も刺さったのだろう。

ホープフルSの1件でその高慢な性格が少しでも改善されているかと思ったのだが、どうやらそう期待通りにはいかないらしい。

 

「『…とまぁ、僕に言えることはこれくらいかな。』」

 

自身の批評の終わりを告げる七篠の言葉に、小さくありがとうございますと呟き、一礼をするエイシンフラッシュ。

そして、突発的な乱入もあったものの、これで一通りトレーナー側のアプローチは終了した。

エイシンフラッシュは自身の持つ手帳に熱心に目を向け、何かを書き込み始めた。

そんな状況が数分続いた後、彼女は手帳をぱたりと閉じ、トレーナーが並んでいる方に目線を向ける。

 

「これで選考は終了致します。そして、このような私の独断で行った形式での選考に最後までご参加頂きましたことに、心より感謝を申し上げます。」

 

一息置いて、エイシンフラッシュは言葉を続ける。

 

「どのトレーナーさんも非常に的を射たアドバイスをくださりました。この中から1人を選ぶのは心苦しいのですが、発表させていただきます。」

 

その言葉に、緊張が走る。

担当するウマ娘の戦績に応じて給与が支払われるトレセンにおいて、素質のあるウマ娘のトレーナーになりたいというのは誰もが願う事だからだ。

 

「各々トレーナーとして積み上げた実績や、会話から読み取れた人柄なども考慮に入れたのですが、最終的な決め手となったのは誰が最も今回の模擬レースに対して真剣に向き合ってくれていたか、という点です。」

 

そして、彼女は僕、夜神月の前に立つ。

そして先程のレースからは想像もつかない華奢な腕を僕の前に差し出す。

 

「夜神月さん。どうか私のトレーナーになってくれませんか?」

 

もとよりそのつもりで来たのだ。

もちろん、断る理由などない。

 

「もちろん、僕で良ければ喜んで。」

 

そう返すと、エイシンフラッシュの顔色がパッと明るくなる。

その表情は、嬉しさのような安堵のような、優しい表情だった。

 

「Auf gute Zusammenarbeit…! ありがとうございます、トレーナーさん。」

 

喜ぶエイシンフラッシュをよそに、選ばれなかったトレーナー一同はバツが悪そうにぞろぞろとその場を後にする。

しかし、七篠だけは帰る訳ではなく、僕の方へと近づいてきた。

そして一言だけ言葉を交わした。

 

「『…僕に足りないものはなんだと思いますか?』」

 

これは恐らくウマ娘のトレーナーとして、という事だろう。

 

「…君に足りていないものは恐らくほとんどないと思う。僕から言えるのは、君は捨てた方がいい物も持ち合わせているという事かな。」

 

僕がそう言うと、彼は何か腑に落ちたような表情で、その後特に何かを言うわけでもなくその場を後にした。

思い返してみれば、僕のこの行為は敵に塩を送るような行為だったかもしれない。

しかし、不思議と焦りはなかった。

 

そうして七篠が歩いて行った方向をしばらく見つめていると、痺れを切らしたようにエイシンフラッシュが話し始めた。

 

「…あの。」

 

とても短い言葉。

しかし、どこか重々しさを感じる一言だった。

まるで花瓶を割ってしまったことを親に白状する子供のような。

 

「夜神さん…いえ、トレーナーさん。担当契約を結ぶにあたってお話しておかなければいけない事があるんです。」



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第五十五話 神

遂に来た。

去年のリュークの発言が気にかかってからおよそ一年。

彼女がひた隠しにしている秘密を知る時が遂に来た。

しかしここで話しずらいことを

こういう時こそ冷静に…。

 

「何かな?正式な手続きはまだ踏んでいないとは言え、僕はもう君のトレーナーだ。僕で力になれることなら何でも話してみてくれ。」

 

そう言うとエイシンフラッシュの顔つきが変わった。

話をする決心がついたようだ。

そしてエイシンフラッシュが懐から手帳を取り出す。

それは約一年前にエイシンフラッシュを初めて見た時のもので間違いなかった。

 

「トレーナーさん、…もし覚悟があるのならば、これに触れてください。」

 

手に持った手帳を差し出し、いつになく真剣な表情で彼女はそう言った。

ノート…今回は手帳だが、それに触れるというのは、何度も経験した事だ。

既にこの後何が起きるのか概ね予想は付いている。

きっと彼女の手帳には死神が宿っているのだろう。

「手帳の中身を見てください」なら僕の予想と違ったことが起きたかもしれないが、「触れてください」とくればもう間違いないだろう。

間を置くこともなく目を閉じて手帳に触れた。

全く躊躇いもせず手帳に触れた僕に対してフラッシュは驚いているようだった。

リュークがこの世界にいたということは、他の死神であるレムやシドウがいたとしてもおかしくない。

そんなことを考えながらゆっくりと瞼を上げる。

目を開けると、まるで初めからそこにいたかのように人影がひとつ増えている。

そして目線をその人影の方へとやる。

しかし、そこにいたのは僕の想像とはかけ離れたものだった。

 

人間の容姿とかけ離れた死神が出てくると思っていたが、意外にもそこにいたのは人間味のある生物だった。

上には黄色のジャケットを羽織り、下はタイトパンツという格好。

見た目は概ね僕たち人間と遜色ないが、ひとつ大きく違うのは、その生物にはウマ娘と同じ尻尾と耳がついているということだった。

男性とも女性ともつかないような容姿をしているが、ウマ娘なのだとしたら女性なのだろう。

 

 

「ほう、私を見ても驚かないか。余程肝が据わっているものと見える。」

 

突然僕の前に現れたその生物は、僕が全く驚いていないことに関心があるようだ。

なぜ僕が驚かないのかと聞かれたら、答えは簡単だ。

 

「生憎、付喪神のような生物は見慣れているものでね。」

 

そういうとその生物は多少怪訝そうな表情を覗かせたが、特に何かを言うわけでもなく話を先へと進めた。

 

「そうか…まあいい。私の名はバイアリーターク。三女神が1人であり、今は…そうだな、そこのエイシンフラッシュの補佐役だとでと思ってもらえればいい。」

 

バイアリーターク!?その名は去年この世界に来た時、情報を求めて読み漁った文献に載っていた。

すべてのウマ娘の始祖と言われている三女神のうちの一人の名前が確かにそうだが…。

目の前の彼女がその

僕が彼女に対して懐疑心を抱いていると、それを見抜いたのかエイシンフラッシュが説明を加える。

 

「トレーナーさん、バイアリータークさんはかの有名な三女神のうちの一人なんですよ。確かに信じられないかもしれませんが、実際彼女には特別な力があるんです!」

 

特別な力…?

それは一体どういうことかと促すと、彼女は続きを話し出す。

 

「彼女は…バイアリータークさんは、実力が伸び悩んでいた私の前に突然現れたんです。三女神であると名乗る彼女に最初は私も警戒していたのですが、ある日彼女は私の走りを見てアドバイスをくれたんです。」

 

「…そしてそのアドバイスは、その時のトレーナーさんがくれたアドバイスとはかなり異なったものでした。」

 

前のトレーナー…静宮早織のことか。

確かに過去の戦績を見る限り、彼女のトレーナーとしての手腕は贔屓目に見ても二流のソレだ。

仮にそのバイアリータークが本当に三女神で、ウマ娘の始祖として最適なアドバイスを与えてくれるのならば、どちらが優秀なサポーターなのかは比べるまでもない。

 

「それで、一度バイアリータークさんの仰ったアドバイスをもとにトレーニングを変えてみました。すると、あれほど伸び悩んでいたタイムがみるみる縮んでいったんです。」

 

なるほど。

トレーナーと二人三脚でどうにもならなかった自分の実力を伸ばしてくれた…

リアリストなエイシンフラッシュが彼女を本物の三女神でと信じる理由としては十分か。

 

「しかし、良いことばかりではありませんでした。トレーナーさんに言われたトレーニングとは違うトレーニングをしていることに感づかれはじめたんです。幸いなことにトレーナーさんはそれに対して何かを言うということはありませんでした。しかし、私自身が迷ってしまったんです。果たしてこのトレーナーと共に今後も歩んでいけるのかと…。」

 

エイシンフラッシュが言いたいことは分かる。

その時の彼女は三女神であるバイアリータークの助言でトレーニングをこなしていたはずだ。

つまりその関係が成り立っている時点で、トレーナーの存在意義がなくなってしまっている。

レースに出走するためには確かにトレーナーがついていることが条件だが、その部分だけで見てしまえばトレーナーは誰でもいいということになる。

当時の彼女は自分のトレーナーとの関係性について悩んでいたのだろう。

 

「トレーナーさんはすごくいい人だったんです。私にはもったいないくらいに。本当に…。トレーナーさんは私と担当契約をしてからずっと忙しそうでした。私がレースに出るために…そのためだけに辛い思いをしてまで私のトレーナーを続けてもらうというのはあまりにも…傲慢だと、そう思ったんです。」

 

話し終わったエイシンフラッシュは俯いて押し黙ってしまった。

 

ひとまず、事の顛末はあらまし理解した。

エイシンフラッシュは静宮のトレーニングに不満があったわけでもなく、彼女が嫌いだったわけでもない。

むしろ逆だ。エイシンフラッシュは彼女を本当に大切に思っていた。

契約を解消するというのは彼女にとっても苦渋の決断だったのだろう。

その証拠に、静宮の話をしているフラッシュの顔はフラッシュの話をしている時の静宮と似たような辛さの滲んだ表情だ。

どうあれエイシンフラッシュが決めたことなら僕が口を出すことはこれ以上ない。

ただ、この話はひとつ誤解を残したまま決着が着いている。

他人同士の関係がどうなろうが知ったことではない。

だが、乗りかかった船だ。進む方向を多少修正するくらいの権利は僕にもあるだろう?

 

「ひとつ、いいかな。」



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第五十六話 義理

二週間ぶりの更新ですね。お久しぶりです。
週一くらいのペースにしていきたいと思ってるんですけど、中々難しいですね。


「そこにいる女神様の力が本物だというのは今の話で十分に分かった。その上で言いたいことがある。」

 

そう言うとエイシンフラッシュはパッと顔を上げる。

 

「少し前に彼女…静宮トレーナーと話をした。少なくとも、彼女は君を嫌ってはいなかった。君とのトレーニングの日々で辛いと思った事なんてただの一度もなかった、と言っていた。」

 

そう言うと、先程まで何ともなかったエイシンフラッシュの顔色が変わる。

 

「そんな…嘘ですよ。だって彼女は…いつも寝不足で、栄養が偏った食事を摂っていたんですよ?私のせいで…私の…せいで…」

 

エイシンフラッシュは夜神月の言っていることが信じられないといった様子だった。

彼女が知っている静宮早織というトレーナーは、常に忙しくしていた。

彼女が普通のウマ娘よりも多いトレーニングを望んでいたから。

日が落ちた後のトレーニングコートの使用許可を取ったり、トレーニング器具を使う為の手続きをしていたからだ。

次第に彼女の瞳が潤んでいく。

やがてその潤んだ瞳には大粒の涙が溜まり、その涙は数刻も置かず頬を伝いぼろぼろと流れ落ちてゆく。

 

「君が彼女を大切に思っていたように、彼女もまた君を大切に思っていたんだと思うよ。」

 

話をした時に聞いたのだが、静宮トレーナーはエイシンフラッシュのトレーナーをしている間に辛いと感じたことはなかったらしい。

確かにやるべき事は多く、その上エイシンフラッシュ自身がトレーニングプランを提案してくることもあり、練り直しになることもあったという。

だが、それらが全てエイシンフラッシュの為だと思えばなんて事はなかったと、むしろ楽しいと、そう言っていた。

簡単な事だ。きっと彼女は、エイシンフラッシュが思っているよりエイシンフラッシュを好きだったのだ。

その後数分間、エイシンフラッシュは人目を憚る事なく静かに泣き続けた。

僕とバイアリータークは、それをただ見守るのみだった。

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

「すみません、取り乱してしまって……。」

 

謝罪を述べるエイシンフラッシュに対して、構わないよと返事を返す。

ひとしきり泣いて気持ちに整理がついたのだろう。

目の周りが腫れているが、その顔は先ほどよりもすっきりとしていた。

二人のすれ違いが解消されたのは良いことだが、こうなると彼女は静宮トレーナーの元へと戻る可能性が出てきた。

まだ三女神についての詳しい情報を聞き出したい僕としては、何としても阻止したい事態だ。

エイシンフラッシュがその選択肢に気づく前にさっさとケリをつけなければ。

 

「フラッシュも落ち着いたことだし、担当契約を済ましてしまおうか。」

 

「ええ、そうですね。」

 

僕がそう言うと、フラッシュは僕に対して特に疑念を抱くこともなく承諾してくれた。

だがしかし、この場にいるもう一人の人物が横槍を入れてきた。

 

「だがいいのか?エイシンフラッシュ。静宮トレーナーがお前を嫌っていないと分かった今、お前には彼女のもとに戻るという選択肢もあるんだぞ?」

 

三女神のその言葉に、エイシンフラッシュはハッとしたような表情を見せる。

くっ、余計なことを…

どうやら僕の前に現れる神とやらは悉く僕の味方ではないらしい。

ここまでかとも思ったが、エイシンフラッシュの返答は僕の予想とは異なるものだった。

 

「バイアリータークさん、ありがとうございます。ですが、私は彼女のもとに戻るつもりはありません。」

 

「すれ違いがあったとはいえ、私は自分の意志で彼女と決別したんです。それを今更取り消すのは、彼女に対して不義理なので。

もし今の私にできることがあるとするのならば、夜神トレーナーのもとで結果を示し、その上で彼女に感謝を伝えることだと思います。」

 

ひとまず、エイシンフラッシュには静宮トレーナーの元に戻る気はないようだ。

彼女が義理堅い性格のウマ娘で助かった。

あとはこちらの問題だな。

バイアリータークには聞きたいことがいくつかあるし、エイシンフラッシュとサクラチヨノオーの顔合わせもしなければならない。

何よりリュークの存在をどうやって説明したものか…

どのみち今すぐに処理できる問題ではない。

既に日は落ち始めていて、夕焼けが校舎を飴色に照らしている。

チヨノオーとのトレーニングも後に控えているし、ここは一度日を改めて話し合うのがいいだろう。

 

「フラッシュの意見は分かった。ひとまず担当契約の書類は僕の方から出しておくよ。今僕が担当している子とも会ってほしいし、話すこともあるから明日にでも僕のトレーナー室に来てもらえるかな?」

 

そう言うとエイシンフラッシュは頷き、取り出した手帳に予定を書き込んでいた。

そして去り際にちらっとこちらを振り返り、微笑みながらこう言った。

 

「 Freut mich. Sehr Angenehm.これからよろしくお願いしますね、トレーナーさん。」




正直なところ、ドイツ語は専攻分野ではないので翻訳が怪しいところが今後出てくるかもしれません。
そのときは指摘してもらえると幸いです。
いや言語ってホントに習得難易度高いですよね…


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第五十七話 邂逅

最近体力が落ちてきて、このままじゃいけないと思って運動を始めました。
大して支障はないんですが、全身筋肉痛が酷いです。


エイシンフラッシュと担当契約を結んだ次の日。

僕とサクラチヨノオーはトレーナー室でエイシンフラッシュが訪れるのを今か今かと待ち構えていた。

昨日、エイシンフラッシュと別れて書類を出した後、すぐにサクラチヨノオーに連絡をした。

新しいチームメンバーが加わったことに対しては喜んでいたのだが、エイシンフラッシュの名前を聞いた途端少し反応にかげりが見えた。

理由を聞くと、どうやらサクラチヨノオーはエイシンフラッシュに対して恐れに近い感情を抱いているとの事だった。

ウマ娘サイドから見た彼女の印象は「ルール遵守の冷徹ウマ娘」だという。

そんな相手に対して上手くやっていけるのかが不安だということらしい。

 

外から見た彼女はそういう風に写っているのか。

とはいえまったく見当違いだと切り捨てる事も出来ない。

昨日実際に関わった時にもスカウトに来ていたトレーナーに対して臆せず命令していたし、物怖じしない性格なのは間違いないだろう。

サクラチヨノオーは物の管理も丁寧で、しっかりした性格だからエイシンフラッシュとウマが合わないということは無いと思うのだが。

そんな訳で、現在トレーナー室でエイシンフラッシュを待っているサクラチヨノオーは少し緊張していて、手に汗が滲んでいるのだった。

 

「大丈夫、エイシンフラッシュはそんなに酷い子じゃないと思うよ。」

 

「はい…そ、そうですよね!」

 

夜神月の気休めの一言に対して、サクラチヨノオーはぎこちなく簡単な返事を返すのみだった。

そうしているうちにだんだんと約束の時間が近づいて来る。

今の時刻は午後1時58分。

彼女が指定した時間は午後の2時。

もうそろそろ来る頃のはずだが…。

 

そして時計の長針が12の数字に針を合わせ、午後2時丁度になった瞬間にトレーナー室のドアがゆっくりと開いた。

 

「『午後2時にトレーナーさんの元を訪れる』、予定どおりですね。」

 

入って来るなりそう言って、満足気に手帳を眺める。

そこに居たのはもちろん、エイシンフラッシュだった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

「は、初めましてっ!私、サクラチヨノオーと申す者です!!」

 

「初めまして。昨日そこにいる夜神トレーナーと担当契約を交わして、今日からこのチームでお世話になるエイシンフラッシュです。」

 

「はいっ!よ、よろしくお願いしゅっ…し、します!」

 

チヨノオーは緊張のあまり言葉遣いがたどだどしくなっていて、おかしな敬語を使っている。

対するエイシンフラッシュは昨日と同じ丁寧な対応を貫いている。

こうして2人を眺めていると、どちらが新入りか分からなくなってくる。

この2人を今後監督していく身としては、早いところ仲良くしてもらいたいものだが…。

そう思っていると、エイシンフラッシュが手に持っていた手提げ鞄から綺麗にラッピングされたものを取り出した。

 

「実はサクラチヨノオーさんは和菓子が好きという話を聞きましたので、作ってみたんです。和菓子はあまり作ったことがないので、お口に合うのか分かりませんが…。」

 

そう言って彼女はサクラチヨノオーに小包を渡した。

彼女が丁寧に包装を開けていくと、中には桜餅が入っていた。

それを見た瞬間、サクラチヨノオーの顔から緊張の色が抜けていく。

 

「わぁっ、これ…今、頂いてもいいですか?!」

 

「えぇ、どうぞ。」

 

尻尾をぶんぶん振りながら桜餅を眺めるサクラチヨノオーに対して、エイシンフラッシュは嬉しそうな、しかしどこか恥じらいもあるような複雑な表情を見せている。

恐らくあまり手慣れていない和菓子の出来が気になっているのだろう。

しかしそんなエイシンフラッシュをよそに、サクラチヨノオーは綺麗に形が整えられた桜餅を一口食べる。

 

しばらく咀嚼する時間があり、飲み込んだ後開口一番に出たのは素直な感想だった。

「すっっごく美味しいです!!」

 

それを聞き、フラッシュの顔色もぱっと明るくなる。

そしてサクラチヨノオーは時折和菓子に関する知識を織り交ぜながら桜餅の味や見た目の感想を事細かに伝える。

真面目なエイシンフラッシュは彼女の感想や自分の知らない知識を忙しなく手帳に記していた。

 

その様子には先程の緊張していたサクラチヨノオーの姿はどこにもなかった。

この分なら2人は上手くやっていけるだろう。

そう思い、トレーナー室の外に出る。

そして外にいるエイシンフラッシュの守り神に対して声をかける。

 

「…君も来ているとは思っていたよ。君はこっちだ。」

 

「あぁ。」

 

必要以上の言葉はいらないといった様子だ。

彼女…バイアリータークはまだ僕の事を完全には信用してくれていないようだ。

だがそれはこちらも同じだ。

()()()()()、僕らはお互いを知る必要がある。

そして、トレーナー室の隣にある物置の扉を開ける。

 

「よう、待ちくたびれたぜ、月。」

 

物置部屋の中では予めリュークに待ってもらっていた。

彼女と腹の探り合いをする上でリュークの存在は避けては通れない。

事が上手く運べば、今のリュークに関する情報も手に入るかもしれない。

 

「?!……何だ、こいつは…?」

 

案の定バイアリータークは驚いている様子だ。

彼女も『こういう』生物を見るのは初めてという事だ。

 

「それについては僕から後で説明するよ。」

 

動揺する彼女の前に椅子をひとつ出す。

渋々ではあるが彼女はその椅子に対して腰かけてくれた。

ひとまずこれで役者は揃った。

 

「さぁ、話をしようか。」



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第五十八話 吐露

まだ日も高く、外のグラウンドではウマ娘達がトレーニングに勤しんでいる昼下がり。

そんな中で不自然に窓を閉め切っている物置部屋がひとつ。

そこにはすべてのウマ娘の始祖である三女神、将来有望で優秀な新人トレーナー、そして「元」死神という奇妙な顔ぶれが集まっていた。

 

「それではまずそこにいる奴について聞かせてもらおうか、夜神月。」

 

静寂の壁を切り崩すようにしてバイアリータークが声を発した。

高圧的な態度が気になったが、夜神月は飲み込んで話を進める。

 

「こいつにはリュークという名前がある。元々は特殊な力を持つ神だったらしいがどういう訳かその力を失ってしまったようで、今は僕と共にサクラチヨノオーをサポートしている。」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…お前はそのリュークとやらとどういう関係なのだ。」

 

「そうだな、なんと言えばいいか…リュークは僕がトレーナーとしてここトレセンに来て、サクラチヨノオーの担当トレーナーになってから数日経った頃に急に現れた。その時に今の話をリュークから聞いたんだ。」

 

いくつかの嘘を織り交ぜながらリュークについて話す。

もちろん目的があってのことだ。

まず第一に、僕がリュークと繋がっていると思われないようにするため。

彼女は恐らく僕がエイシンフラッシュのトレーナーとして相応しいのかどうかを見極めようとしている。

ならばここで僕とリュークが長い付き合いであることは伏せておいた方がいいだろう。

得体の知れない生物と密接な関係を持つトレーナーを、彼女が快く容認するとは考えにくい。

 

そして理由の二つ目は「僕が彼女をまだ信頼していないから」だ。

僕からすれば彼女はまだ第三者であり部外者。

そうやすやすと持っている情報をくれてやるほど僕もお人好しじゃない。

 

「なるほど、まぁいいだろう。では次はこちらの番だな。」

 

そう言って彼女は立ち上がる。

そして、悠々とした態度で自己紹介を始めた。

 

「自己紹介は簡単なもので構わないな?私の名はバイアリーターク。俗に言う三女神の1人だ。」

 

前に聞いたものとなんら変わりのない自己紹介。

しかし、引っかかっている事がひとつ。

 

「バイアリーターク。聞きたいんだが、文献によると三女神と呼ばれる君たちが活躍していたのは太古の昔だ。なぜそんな君たちが今こうして僕の目の前に現れている?」

 

この世界の絶対にして残酷な掟。

一度死んだ生物は蘇らない。

ならば時間を超えて存在している彼女らは一体何なのだろうか。

先の言葉はもちろん彼女が三女神を名乗る偽物である可能性を探るための言葉でもあるが、それ以上に僕の中の純粋な知識欲から出た言葉のような気がした。

 

「貴様の質問は至極真っ当だ。何せ我々がレースの世界で活躍したのはもう何十年…いや、何百年、何千年も前の話だからな。結論から言おう。厳密に言えば私は過去に存在したウマ娘、バイアリーターク本人ではない。」

 

なるほど…まぁ大方予想していた通りだ。

ウマ娘は人間と比較して絶大な身体能力を誇るが、寿命自体は人間と遜色ないと聞く。

バイアリータークも例外ではないという事か。

 

「なら、今ここにいる君は一体何なんだ?」

 

「簡単に言えば想いの集合体のようなものだ。かつてのウマ娘バイアリータークは一度天寿をまっとうし、間違いなく亡くなっている。しかしその後、我々の子孫にあたるウマ娘たちの『勝ちたい』『速く走りたい』という勝利への強い執念が形を成し、そこに我ら三女神の魂が宿った。そうして成ったのが私たちだ。」

 

科学的根拠に乏しい話だが、この世界には明らかに超常現象でしか説明がつかない事象が多すぎる。

これもまたその1つなのだろう。

 

「そうして第2の生を受けた私たちは、学園にある三女神像を媒介として数多のウマ娘を観測し、ときに力を与えてきた。しかし1年前のある日、目を覚ますといつの間にか私はエイシンフラッシュの持つ手帳に宿っていたのだ。これに関しては1年経った今も原因が分からない。人為的なものなのか超常的なものなのかすら…。」

 

彼女が嘘をついているような素振りはない。

仮にこの話が事実だとして話を進めると、やはり『1年前』というのがカギになってくる。

僕がこの世界にやって来たのも1年前で、彼女がフラッシュの持つ手帳に媒介を移したのも1年前。

加えて七篠がこちらに来たのも1年前だと言っていた。

とても偶然とは思えない。

やはりその時にこの世界で何かがあったとみて間違いないだろう。

 

「分かった。もうひとつ質問だが、君の目から見てリュークはどう映る?」

 

彼女にはチヨノートに触れる前からリュークが見えていた。

この事象を死神のルールに準えるならば、リュークとバイアリータークは同一の存在だということだ。

つまりそれは…。

 

「そうだな…信じられない事だが、そのリュークという奴から、我らと同種の気配を感じる。」

 

!……やはりそうか。

どうやらこの世界でリュークは、三女神とほぼ同一の存在になっているらしい。

ウマ娘の能力値が見えるという、まさしくトレーナーからすれば神のような能力もこれならば納得がいく。

 

「俺が女神ってことか?俺、男なんだけど…。」

 

リューク…性別とか、問題はそういうことじゃないだろう。

見当違いの訂正をするリュークに対し、月は心の中でそう呟いた。

そして、そのままバイアリータークに対して更に質問を投げかける。

 

「実は、リュークにはウマ娘の能力値が見えるという特技がある。バイアリーターク、君もそうなのか?」

 

「あぁ、確かにそうだ。エイシンフラッシュの手帳に宿る前から私にはウマ娘たちのステータス、その時の調子、所持しているスキルなどを可視化することが出来た。…しかし、数週間ほど前からか…何故かそれらが見えなくなってな。残念だが、今の私にそういった特殊な力はない。」

 

なるほど、興味深い情報だ。

無論嘘の可能性も拭えないが、今の話が本当でバイアリータークが今のリュークよりも強力な力を持っていたのだとしたら、同一の存在であるリュークもいずれその力を得られるかもしれない。

そうなれば僕はトレーナーとしてひとつ上の段階に進める。

しかしそれよりも僕が気になったのは、()()()()()()()()()という点だ。

 

考えられる可能性はいくつかある。

他の三女神と能力が分散している可能性や、能力の発動に何かしらの条件が必要な可能性…。

現状まだ不確定ではあるが、探っていく価値はあるな。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

その後、一通りお互いの知っていることを共有した。

バイアリータークからはいくつかのトレーニング論と他の三女神について聞くことが出来た。

残り2人の女神は名を「ゴドルフィンバルブ」「ダーレーアラビアン」というらしい。

彼女らとは少なからず面識があるので、もし出会った際はぜひ伝えて欲しい、とのことだった。

 

僕からは自分がトレーナーになった経緯と協力者であるアグネスタキオンの話をした。

別世界から来た、という荒唐無稽な話だったので軽く流すかと思いきや、バイアリータークは意外にも真剣に僕の話に聞き入っていた。

 

「…こんなところか。」

 

お互いに一通り話し終えたところで僕の方から終わりを切り出す。

バイアリータークも「そうだな。」と同調し、この話し合いは終わりを迎えた。

 

良い収穫はあった。調べたい事も山積みだ。

だが、今はチヨノオーのクラシックレースが近い。

残念だが、今はそちらを優先して進めなければならない。

 

去り際に、バイアリータークは僕にひとつの質問を投げかけた。

 

「夜神月、貴様は…自身の担当の運命を背負う覚悟はあるか?」

 

「当然だ。僕はサクラチヨノオーを半端な気持ちで担当しようと決めたわけじゃない。今後彼女に何が起きようと、乗り越えてみせるさ。」

 

今更熱意が揺らぐわけがない。

彼女の目標である日本ダービーはもうすぐだ。

彼女の夢の為に、僕にできることは全力でするつもりだ。

 

そして、僕の為にも。

 

「そうか。まぁエイシンフラッシュが担当になった以上、今後貴様が私と顔を付き合わせる機会も増えるだろう。その時にでも見極めよう。貴様がウマ娘にとって真のトレーナーたりうる男なのかをな。」

 

そう言ってバイアリータークは扉を閉め、エイシンフラッシュのいる部屋へと帰っていくのだった。



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第五十九話 チームキルシュ

あの日、バイアリータークとの会話の後、バイアリータークから少し遅れて僕とリュークはサクラチヨノオーらがいるトレーナー室へと戻った。

エイシンフラッシュはリュークの姿を見るなり倒れてしまい、一時は大変な事になってしまった。

どうやら彼女はゾンビなどのスプラッタなものか苦手なようだ。

最近『恐ろしいもの』としての扱いが薄れてきていたリュークは、エイシンフラッシュの驚きようにどこか嬉しそうな表情を見せていた。

 

バイアリータークとの一件があるからなのだろう。

目が覚めてからのエイシンフラッシュの飲み込みは早かった。

しかし、理解したとはいえ彼女がその日リュークに近づく事は決してなかった。

リュークはかなり癖の強いルックスをしているし、やはり内心は恐れや不安が拭えていないのだろう。

どちらかと言えばそれが普通の反応だ。

 

「フラッシュさん、そんなに怖がることないですよ!ほら、よく見るとリュークさんって凄く可愛くないですか?!『二度見三度見恐怖も高飛び』、ですよ!」

 

サクラチヨノオーがそう言うと、エイシンフラッシュは信じられないものを見るような目でサクラチヨノオーを見つめていた。

これ以上放置しておくと、折角縮まった心の距離が元に戻りかねないのでそろそろ本題に入ろう。

 

「チヨ。色々あったが、こうして僕がエイシンフラッシュの担当もすることになった以上、僕達はチームとして動いていく事になる。」

 

チヨには元より伝えてあったことだが、エイシンフラッシュを交えて話をするのは初めてだ。今一度確認をしておこう。

 

「チームになったからと言ってやる事が大きく変わるわけじゃないが、僕たちには決めなければならないことがある。分かるか?」

 

サクラチヨノオーが頭にクエスチョンマークを浮かべたような顔をしていると、すかさずエイシンフラッシュが答える。

 

「チーム名…ですね。」

 

軽く頷く。

チヨノオーは『あ、そうか』と言いたげな顔だ。

 

「その通り。特に決まりなどはないらしいけど、慣習的に星の名前をつけるチームが多いそうだ。」

 

沖野さんが率いるチームスピカも乙女座の真珠星から名前を取っている。

理由は定かではないが、この学園の名門チームはスピカやリギル、カノープスなど、星の名前から取ったチーム名が多い。

この『星の名前を冠するチームは大成する』というジンクスにあやかるなら、それでもいいだろうが…

 

「だが、それはそれだ。僕はチーム名に対してとやかく言うつもりはないし、折角だからチヨとフラッシュが好きなように付けてくれたら嬉しいよ。」

 

本心から出た言葉だった。

確かにチーム名を受け継いでいくのはトレーナーである僕だが、チーム名を背負って走るのは僕ではなく、ウマ娘だ。

そう考えると僕の一存でとやかく言うことでもないだろうし、個人的にはサクラチヨノオーやエイシンフラッシュが愛着が湧くような名前にして欲しいと思う。

 

その言葉を聞くなり、先程まで興味がなさそうにしていたサクラチヨノオーの目が輝きを帯びる。

 

「チーム名ってトレーナーさんが決めるものだと思ってたので諦めてたんですけど、私実は前々から温めてたチーム名があるんです!」

 

そう言って彼女はチヨノートをパラパラとめくり始めた。

そういえばチヨノオーはチームを作るかもと話した時から時々ノートに何かを書いていた。

もしかするとあれはチーム名の思案錯誤をしていたのかもしれない。

 

しばらくして彼女な手の動きが止む。

そのページには、遠目から見てもはっきりと分かるほど沢山の案が書き連ねてあった。

余程真剣に考えていたのだろうという事が伺える。

 

「えーっと、『走り続ければ拾えるにんじんもある』…これは違う。『草むらの虫は宝の地図である』…これも違うなぁ……あっ!これだ!!」

 

ページをめくる手を止め、バッと勢いよくノートをこっちに向けてくる。

そこには、『チーム桜餅』とあった。

 

「どうですか?」と言わんばかりの自信溢れる顔を見て、夜神月は気づいてしまった。

サクラチヨノオーはお世辞にもセンスが良いウマ娘とは言えないという事に…。

自由に考えていいとは言ったが、まさかここまで自由奔放な名前だとは…

 

規則としてあるわけではないが、チーム名は片仮名か平仮名のみというのが命名の上での暗黙のルールだ。

それを証明するかのように、これまでチーム名が漢字のみという事例は確認されていない。

 

いくらなんでも、これをそのまま通す訳にはいかない。

トレーナーとしてこの名前を背負い続ける僕の身にもなって欲しいものだ。

この流れを変えなければ。

 

「良い案だな、チヨ。それじゃあ、フラッシュは何かあるか?」

 

エイシンフラッシュの引き攣ったような笑みを見るに、このネーミングセンスが不味い事は分かっているようだ。

僕自身はチヨとフラッシュに任せると言ってしまった以上、代替案をすぐに出すのは不自然になってしまう。

人任せになってしまうが、この流れで自然に案を出せるのはフラッシュしかいない。

そう考えてエイシンフラッシュにパスを回す。

 

エイシンフラッシュは僕が返答を求めたことに対して驚いていたが、すぐに状況を理解したようで、少し考え始めた。

彼女が「そうですね…」と言ってから、時間にして約1分。

 

「桜餅…とは少し違いますが、ドイツ語で桜をキルシュブリューテというんです。そして私が好きなケーキの名前が『キルシュトルテ』というんですが、この2つから取って『チームキルシュ』…というのはどうでしょうか?」

 

チームキルシュか…サクラチヨノオー、エイシンフラッシュ双方の「らしさ」を持っていて、かつチーム名として星の名前にも見劣りしないレベル。

異論はないだろう。

 

「チームキルシュ…良いですね!カッコイイです!それにしましょう!」

 

サクラチヨノオーもなんとか気に入ってくれたようだ。

気が変わらないうちにことを済ませしまおう。

 

「それじゃあチーム名はキルシュで登録しておこう。チヨ、フラッシュ、明日からはチームとして活動していくことになる。特に大きく変わることはないが、気持ちを新たに練習に臨んでほしい。」

 

そんな僕の言葉に対し、サクラチヨノオーは大声で「はい!」と返事を返し、エイシンフラッシュは落ち着いた様子で小さく「はい。」と返事をした。

正反対なように見える2人だが、お互いに相手を尊重しているのが見て取れる。

きっと上手くやっていけるだろう。

 

らしくもなく根拠のない自信に未来を預けて、書類の提出の為に僕はその部屋を後にした。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

夜神月は書類をたづなさんへと届け、いくつかの事務作業をこなした後、トレーナー室へと戻ってきた。

ドアを開けると、そこには先程までの賑やかさが嘘のように誰も居ない閑散とした部屋が広がっている。

サクラチヨノオーとエイシンフラッシュには今日は解散だと伝えたので、各々帰ったようだ。

明日以降のトレーニングのメニューの見直しをしなければならない。

そう思いトレーナー室の自分の椅子へと腰掛ける。

買い換えたばかりの新品同然の椅子はギッと音を鳴らし、その音が静かな部屋に響いた。

 

そして夜神月が仕事に取り掛かってから数分後、トレーナー室のドアを誰かが叩いた。

今は夕方。時間としてはそろそろ生徒は帰り始める時間のはずだ。

たづなさん辺りだろうか。

先程出した書類に不備があったのかもしれない。

ドアを開けると、そこには見知らぬウマ娘がいた。

 

いや、違う。

面識こそないものの、僕は彼女を何度も見たことがある。

サクラチヨノオーと出会ったばかりの頃、レースの映像研究をしたいた頃に。

 

「君は…どうしてこんなところに?」

 

思わず口をついて出たその言葉に彼女が答えることはなく、爛々とした調子で笑いながら言葉を返す。

 

「あなたがチヨちゃんのトレーナーさんよね?」



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第六十話 憧憬

突如としてトレーナー室の扉を叩いたのは、サクラチヨノオーが羨望の眼差しを向けているウマ娘、マルゼンスキーだった。

 

彼女の「サクラチヨノオーのトレーナーはあなた?」という質問に対し、あぁそうだと言うと、僕がそれ以上何かを言う前に彼女はトレーナー室へと上がり込んで来た。

 

「やっぱりそうなのね。」

 

自分の予想が当たっていたからなのか、真意は定かではないが彼女はどこか嬉しそうだった。

一方、僕は少し面食らっていた。

誰の了解を得るでもなく不躾に、無遠慮に上がり込んできた彼女に。

 

「…君がここに来たのは、何か話があるからだろう?」

 

「ええ、そうよ。」

 

彼女は爛々とした調子のまま返事をする。

元より癖の強いウマ娘だとは聞いていたが、これは中々手強そうだ。

ここで追い返してもいいが、彼女については僕も興味がある。

彼女はこれまでのトレセン史上最強格と名高いウマ娘の1人だ。

三冠を取っていないにも関わらず最強の候補に名を連ねるウマ娘。

話をする中で何かしらサクラチヨノオーとのトレーニングに生かせるアイデアが得られるかもしれない。

…随分とトレーナー業が板に付いてきたな、僕も。

 

夜神月は自身の心境の変化に多少驚きつつも、それを表情に出すことはなく至って静穏な調子でマルゼンスキーに対応する。

 

「話をしたいところ悪いが、ちょうど日も暮れてきたところだ。あまり長引かせることは出来ない。手短に終わらせよう、マルゼンスキー。」

 

そう言って僕が椅子を彼女の方へ椅子を引くと、彼女も了承したようでそうね、と一言だけ呟いてその椅子へと腰掛けた。

 

「それで、わざわざこんな時間に来た理由は?」

 

時間としては既に下校が完了し始める夕方の暮れだ。

あまりゆっくり話をしていると門限までにマルゼンスキーを寮に帰さなかったという罪状でたづなさん辺りに後日詰められそうなので、まどろっこしい駆け引きは省く。

元よりあちらも長引かせるつもりはないらしく、特に勿体ぶる素振りもなく話し出した。

 

「私ね、デビュー前からチヨちゃんを気にかけてたの。ほら、彼女ってすっごく真面目ちゃんじゃない?だから、時々がんばりすぎるところがあるっていうか…とにかく、心配だったのよ。直接関わったことはあんまりないんだけどね。」

 

なるほど、彼女が前々からサクラチヨノオーを気にかけていたのは分かった。だがそれなら…

 

「なぜ今なんだ?」

 

サクラチヨノオーのデビュー時、初の重賞レースでの勝利、GIレースでの勝利…僕の元に来る節目のタイミングなんていくらでもあったはずだ。

なぜ彼女はデビューから1年も経った今、僕の所へ来たんだろうか。

 

「そうね…ホントは口なんて出すつもりじゃなかったの。彼女には彼女の物語があるもの。私が関わっていくのはお門違いだと思ってた。でもダメね、この時期になるとどうしても思い出しちゃう。」

 

歯切れの悪い言い方だった。

先程までの陽気さはなりを潜め、今の彼女はほんの少しの悲壮感を漂わせていた。

この時期と言っていたな。

今のシーズンにあるウマ娘に関するなにかとなると、1つしかない。

 

「クラシックレース、だな。」

 

マルゼンスキーはその言葉に表情を変えることなく頷く。

 

マルゼンスキーはクラシック級だった時、三冠を争うクラシックレースに出走する事が叶わなかった。

理由は中央トレセンの規則が厳しかったからだと言われている。

クラシック登録をしていないウマ娘は「絶対に」クラシックレースに出ることが出来なかった時代。

この厳しすぎるルールには様々な意見が飛び交い、現在その規則は改定されているものの、マルゼンスキーがクラシック級だった頃には規則の改定は間に合わなかった。

その後、マルゼンスキーはレースの第一線から退き、名言こそしていないものの今はほとんど引退同然の状態となっている。

 

「後悔のないように走ってきた。それでもふとした瞬間に思い返してしまうの。もしダービーに出られていたら、って。そんな時に、チヨちゃんがダービーに向けてがんばってるって聞いたの。なんだか過去の私と重なっちゃって。何故か放っておけないのよね、あの子。」

 

それは、まるで過去の自分にサクラチヨノオーを重ねているような物言いであった。

 

「なるほどな、それで皐月賞を目前に控えた今、チヨのトレーナーである僕に対して発破をかけに来た訳だ。」

 

「ヤな言い方するわね、私はただチヨちゃんのトレーナーさんがどんな人なのか確かめに来ただけよ。もし変な人だったら一言ガツンと言ってやろう、ってさっきまでは思ってた。…でも、安心したわ。あなたとならきっと、チヨちゃんも後悔なく走れそうだもの。」

 

まるで姑のようなお節介だな、とは言わなかった。

きっと彼女は純粋にサクラチヨノオーの事を応援しているのだ。

その気持ちにこれ以上水を差すのは無粋だろう。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

その後、彼女がクラシック級のウマ娘だった頃にしていたトレーニングを参考までに聞いた。

走り込み多めの調整プランで、その日の本人の調子によってかなり融通が効くメニューになっていた。

 

「こんな時間にオジャマしちゃって悪かったわね。それじゃあ、私帰るわね。」

 

用も済んだマルゼンスキーが席を立つ。

なんだかんだ遅くなってしまったため、寮まで送っていこうと思ったのだが─────

 

気づくとつい先程席を立った彼女は既に椅子の周りにはおらず、ドアの扉を開けているところだった。

あまりにも早い動きだった。

颯爽と帰ろうとするマルゼンスキーに、最後の質問を投げかける。

 

「マルゼンスキー、最後に1つ教えて欲しい。君がレースをしている最中、勝ちたいという感情を強く意識したことはあるか?」

 

これは僕からの個人的な質問で、彼女のレース映像を見ていて思ったことだ。

僕は彼女のレース映像を見て、鮮烈な走りだと思った。

だが、僕は映像の中の彼女から、勝ちたいという感情を、他を蹴落としてでも負けたくないという執念を感じ取る事が出来なかった。

一体何故なのか。

映像を見た時からそれだけがずっと僕の心の端に引っかかっていた。

 

「う〜ん……ないかもしれないわね。私は、ただレースを楽しんでいただけだもの。走ることが楽しくて、その為に走っていたから。もちろん1着を取りたくないかって聞かれたら、そりゃあ取りたいって答えるんだけど。」

 

そう言って彼女は部屋に入ってきた時と同じような笑顔を見せた。

正に1点の曇りもない笑顔だった。

 

レースを楽しむために走る…誰にでもできることではない。

いや、誰もが初めはそうだったはずだ。

しかし、これを貫き通せるウマ娘はほとんどいない。

どんなウマ娘でも原点はそこにあるはずなのに、経験を積んでいくうちにいつの間にか忘れてしまっているもの。

それを今感じたような気がした。

 

質問に答えたマルゼンスキーは、チャオ☆と言いながら足早に走っていき、日の落ち始めた夕焼けに溶けていった。

 

誰もいなくなったトレーナー室で黙々と事務作業をこなす。

その日はこれ以上誰かがこの部屋に入ってくることはなかった。

日が落ちて外も暗くなり、部屋の中にはパソコンのタイピングの音だけが響く。

そして、ひとつを残して全ての仕事が片付き、最後の仕事を終わらせる為にゆっくりとカーソルを画面の1点へと移動させていく。

そこにあるのは「皐月賞 出走登録」の文字。

日本ダービーの前哨戦、クラシック戦線の第一の冠。

この皐月賞で5着以内に入ればダービーへの優先出走権が手に入る。

そして、僕がトレーナーとなってから初の三冠レースでもある。

絶対的な勝算があるわけではない。

だが、サクラチヨノオーなら───

そう思っている自分がいる。

柄にもなく人を信じてみるのもたまにはいいだろう。

僕は力強くマウスを押した。

 

そして荷物を片付け、部屋を出る。

窓から見える外の景色はすっかり暗くなっていて、いつもより星が多く見えた。

こうなるとリュークの姿は暗闇に紛れてかなり見づらくなる。

普段の行動で忘れていたが、こういうところを見ると死神らしいと思う。

そのままの足取りで寮へと帰る。

僕の中に引っかかっていたものは、もう無くなっていた。




後で気づいたんですがリュークずっと部屋にいるのに全く喋ってないですね。
まぁリュークだしずっと漫画とか読んでるんだろうなぁ()


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第六十一話 確度

新メンバーの加入、新たなノートの存在、伝説のウマ娘の訪問。

そんな慌ただしい出来事からそれなりに月日が経った。

桜の木はもう満開に咲き誇っていて、薄く綺麗な桃色の絵の具を空のキャンパスに馴染ませている。

 

そんな心地の良い季節に、夜神月率いる「チームキルシュ」は新メンバーが加入したこともあり、より一層の本格的なトレーニングの日々を過ごしていた。

 

サクラチヨノオーは皐月賞に向けての最終調整に入り、皐月賞想定で2000mのコースを何度も走って感覚を掴んでいた。

皐月賞の出走メンバーがまだ確定していないので具体的な対策を練るのはまた後になる。

だがサクラチヨノオーが出来ることは全てしておきたい、と言うので今は2000mのコースに慣れるための走り込みのメニューを多めにしている。

 

今年度に入ってから初めてのレースとなるのが若干の不安要素ではあるが、今のサクラチヨノオーを見ているとそんな不安も払拭されていく。

 

一方のエイシンフラッシュは4月後半に控えたデビュー戦に向けてトレーニングを重ねている。

中距離のデビュー戦に出るので、時々サクラチヨノオーと併走する事もある。

流石にジュニア級を1年戦い抜いたサクラチヨノオーとデビュー前のエイシンフラッシュとでは差があるかと思ったが、実際に走ってみるとその実力はそう大差なく、基本的にはサクラチヨノオーが勝つのだが、コンディションによってはエイシンフラッシュが勝つ事もあった。

伊達に三女神のアドバイス通りにトレーニングをしていたわけではないようだ。

 

そしてその三女神、バイアリータークだが、最近は何故かリュークを鍛えている事が多い。

何もせず自堕落な生活を送るリュークを見たバイアリータークが「ウマ娘を導く存在であるお前が、そんな体たらくでどうする!」と激高し、それ以降バイアリータークはリュークに対して厳しいトレーニングを課している。

僕としても最近の怠惰なリュークには手を焼いていたので、この一件でリュークの性格が多少なりとも改善されることを密かに祈っている。

 

そして今、サクラチヨノオーとエイシンフラッシュが併走をしている。

ちょうど最終コーナーを回ったところで、ここからどう動くのかと2人の動向に目を光らせていると、後ろからバイアリータークに声をかけられた。

 

「夜神月、お前は今回どちらが先にゴール板を駆け抜けると思う?」

 

中々に難しい問いだ。

どちらの実力も並のものではないうえに、2人のこれまでの勝敗が拮抗しているので、一概にどちらと言えない。

一度2人の勝敗を振り返ってみる。

これまでの戦績はサクラチヨノオーが4勝、エイシンフラッシュが2勝だったか。

 

「…あくまで順当にいけばの話だが、恐らく僅差でエイシンフラッシュが勝つ。」

 

今回2人が走っているのは2500m、右回りのコースだ。

皐月賞よりも少し長いので、ペース配分が大事になってくる。

ペース配分の一点で言うならばエイシンフラッシュの方が若干上手だ。

彼女の一寸の狂いもないコース取りには目を見張るものがある。

対するサクラチヨノオーはここ数日2000mのコースでよく走っていた。

これまで走ってきたレースは最長でも2000m。

2500mのペース配分はチヨノオーにとっても未知数のはず。

これらの情報を総合した結果、エイシンフラッシュの方に軍配が上がった。

 

「ほう、そう見るか。私はサクラチヨノオーが勝つと思っていたが。」

 

…珍しいな、意見が割れるとは。

 

これまでの併走での僕達の意見は全く同じ。

そしてこれまでの予想は悉く当たっている。

僕とバイアリータークで意見が割れたのは今回が初の事だった。

 

そして、程なくして2人がゴール板を過ぎていった。

結果は…サクラチヨノオーの勝利だった。

エイシンフラッシュに対して不利を取りつつも勝ったというのは皐月賞に向けて仕上がっているということなので良いのだが、自分の予想が外れた手前、素直に喜ぶことが出来ない。

動揺を表情に出さぬように徹していると、バイアリータークが話し始める。

 

「先程の最終コーナー手前、スパートのタイミングでフラッシュは利き足とは逆の足で強く踏み込んでいた。足の位置とスパートをかける位置がズレていたからだ。そのせいで勢いが半減し、最後の直線で伸びきらなかった。」

 

スパートをかけていたのは僕がバイアリータークにちょうど声をかけられたタイミングだった。

そのせいで、2人がどちらの脚でスパートをかけていたのか見ることが出来なかった。

これを見越してあの質問を聞いてきたのだとしたら若干卑怯な気もするが、勝負とは一瞬の判断で大きく変化していくものだ。

この場合一瞬でも目を離した僕の方に落ち度があるのだろう。

 

だが、それはそれとして気になることが一つ。

 

「バイアリーターク、先程エイシンフラッシュがスパートをかける脚が逆だったと言っていたな。伸びきらなかった原因はそれで説明がつくが、そもそも普通のウマ娘ならばスパートをかける脚を変えるんじゃなく、スパートの位置を変えるものじゃないのか?」

 

仮にスパートをかける位置で何か不都合が生じたのならば、その場でスパートをかけることを諦めまた別の機会を伺うものだ。

そうしなかったのは、何か理由があるのだろうか。

 

「ああ…まあ()()()()()()()()、そうするのだろうな。」

 

そう言って彼女は含みのある言い方をした。

 

「お前も知っているはずだ。あれは…エイシンフラッシュがエイシンフラッシュであるが故の弱点…とでも言うのが正しいのだろうな。」

 

彼女が彼女であるが故の弱点……まさか

 

「バイアリーターク、それは…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…だということか?」

 

バイアリータークは何も言わず頷く。

にわかには信じがたいが…エイシンフラッシュは事前に決めた走り方を絶対順守しているのだ。

故に、融通が利かない。

一般的なウマ娘はレース前に大まかな走り方(脚質)のみを決め、レース中の展開を見つつその場で細かな走法の調整を行うものだ。

しかしエイシンフラッシュは、事前にその日の走り方を事細かに全て定めておいて、文字通り()()()()()()()()その展開をなぞる走りをしている。

そういう理由で彼女の中に「スパートの位置を変える」という選択肢はなく、「利き脚でなくともその場でスパートをかける」という選択に踏み切ったのだろう。

 

真面目さという彼女の武器は、どうやら自分の身も刺し得る諸刃の剣だったということか。

手のかかるウマ娘だということは理解していたつもりだが、これは思っていたより骨が折れそうだ。

 

走り終え、水分をきっかり100mlだけ摂取しているエイシンフラッシュを見ながら、僕は先の苦労を思わずにはいられなかった。




デスノート要素薄いな…って思ったんで次回はデスノート要素多めです。


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第六十三話 特務部

URA特務部長、夜神総一郎は苦悩していた。

近頃水面下で騒ぎを起こしている新興宗教団体「鋼心会」の対応に手をこまねいているからだ。

 

ウマ娘こそが至上の存在であるという教義のもとウマ娘を信仰する団体で、基本的に大人しいがこの団体も一枚岩ではなく、過激派の中にはレースを中止にしろと声高に叫ぶ者もおり、現在夜神総一郎はその対応に追われているのだった。

 

「よりによって三冠のレースを中止にしろなどと…妄言もいい加減にして欲しいものだ。」

 

総一郎は思わずため息を漏らす。

いくら訴えられようとも、全国が注目しているクラシックのレースを中止に出来るわけがない。

何度もそう言っているのだが、彼らは聞く耳を持たない。

ここ最近URA本部のビルの前には常に5〜6人の人間がデモ活動を行っており、非常に迷惑している。

 

「なんで分かんないんすかね〜、レースの中止なんて余程のことがない限りありえないじゃないっすか。それなのに何度言っても『ウマ娘を見世物のように扱うのは辞めるべきだ』の一点張りですよ。彼女たちは自分の意思で夢を追ってるって言うのに!」

 

そう言って憤慨しているのは夜神総一郎の部下の1人である松田桃太だ。

彼は総一郎がこの部署に配属されてきた2年後にやって来た部下であり、それなりに付き合いも長い。

 

「まぁそう言うな、松田。彼らも彼らで思うところがあるんだろう。俺たちに出来るのは納得して貰えるよう説明を重ねる事だけだ。」

 

そう言ったのは夜神、松田と同じく特務部所属の相沢周市だった。

彼は松田よりも1年早くこの部署に配属された。

部下である松田に対するあたりはきついところがあるがその実力と夜神総一郎との信頼関係は確かなものであり、よく呑みに行く仲でもある。

 

「お前も少しは模木さんを見習ったらどうだ、俺たちがこうして話している今だって黙々と仕事を進めてるんだぞ。」

 

たった今話の引き合いに出されたのは、奥のデスクで黙々と事務作業をこなしている男、模木 完造である。

仕事人間とはかくやというような人物で、ほとんど喋ることがなく、あらゆる仕事をそつなくこなす特務部の中でもとりわけ優秀な職員である。

口数が少ないので職場の人間との人間関係が悪いかと思われがちだが実際はそうでもなく、大抵の仕事を任せれば完璧な状態で返ってくるからという理由で同僚からの信頼は厚い。

 

「えぇ〜、模木さんは真面目すぎますよ!いくら名誉あるURA職員と言えど、多少の遊び心は持つべきだと思います!」

 

「お前はちょっと遊びすぎなんだよ。この前の勤務時間中にお前がこっそりレース見てたのバレてるからな。」

 

「えぇ〜?!あれバレてたんですか?!」

 

「そこ2人、そろそろ仕事に戻れ。鋼心会の件もそうだが、そうでなくともまだ大量に事務作業が残っているだろう。口ではなく手を動かせ。」

 

言い争いをしている2人に、夜神総一郎が一喝を入れる。

それを聞くなり、松田桃太は渋々自分の持ち場に戻り、相沢周一は不満げな表情をしながら事務作業を再開するのであった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そして時は経ち、終業時間となった。

URAの職員らが各々帰り支度を始める。

特務部も多分に漏れず帰ろうとする中で、またしても松田が口を開いた。

 

「そういえば部長、今度月くんとその担当の娘が皐月賞に出るらしいですね!」

 

皐月賞の出走メンバーが、つい2日前のURA上層部の会議を経て決定された。

この情報は一般にはまだ公開されていないが、URAの職員である彼らは、一般の人間よりも報道陣よりも、誰よりも先にそれを知れる立場にあった。

 

「…あぁ、そうだな。」

 

自分の息子の話題だが、夜神総一郎は表情を緩ませることもなく返事をする。

 

「担当のサクラチヨノオーってウマ娘も既にGIを勝ってる素質あるウマ娘ですし、もしかしたら月くん、トレーナーデビューから2年でクラシックレースを獲っちゃうかもしれないですよね〜」

 

「まぁそれは確かにそうかもな、実際各新聞社の下バ評でも軒並みサクラチヨノオーが一位だ。それを1年で育て上げた月くんも確かな手腕を持っているとみて間違いないだろう。」

 

部長の息子ということもあったのかもしれないが、普段は松田の言うことに対して何かと突っかかる相沢も、これには素直に同意した。

これに端を発し、帰り際の部署内で各職員が今回の皐月賞の結末の予想を展開し始めた。

そうはならないだろう、と思われるだろうがURAの職員は皆ウマ娘が好きであり、レースが好きなのだ。

それを語れる機会があらば皆が思いの丈を語るのは当然の事なのである。

 

その激論はしばらく止むことはなく、最終的にはやはり月くんが皐月賞の優勝候補筆頭というところで落ち着いた。

 

「部長はどう思いますか?」

 

その一言で場の空気が一瞬張り詰め、先程までお互いの意見をぶつけ合っていた者達も総一郎の一言に耳を澄ましていた。

一線を退いたとはいえ過去に華々しい経歴を持つ中央のトレーナーだった現URA特務部長の意見は、皆が気になるところだった。

そんな静寂の中、夜神総一郎は思い口を開く。

 

「長いこと見ていると、むしろ誰が勝つか負けるかなんてのは分からなくなるものだ。私としては自分の息子にいい結果を残して欲しいという気持ちはあるが、結果というものは安易に予想出来るものではない。」

 

「現役の頃に言われた言葉を借りるとするならば私からは『中央を無礼(なめ)るな』…としか言えないな。さぁ、そろそろ消灯の時間が近い、外に出るぞ。」

 

その長年の風格を感じられる対応は、思わずその場にいた全員が息を飲むほどだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そんな話があったことなど世間は露知らず、時は移ろい遂に4月に突入する。

今年最初のクラシックレース皐月賞まで、あと2週間弱。




久々のキャラクター紹介、はっじまっるよー!

相沢周一
超常識人。
何かと特殊な感性の持ち主が多いデスノート世界においてはストッパーとして機能することが多かった。
笑いのセンスは松田以上模木さん以下。(独断と偏見)

模木完一
デスノート世界で2番目に仕事が出来る超優秀な人材。
彼がデスノート対策本部に残っていなかったらあそこまでキラを追い詰められなかったのではないかと言われているほど多大な功績を残している。
加えて真面目さだけでなくユーモアも兼ね備えているため無敵。
模木さんがミサミサのマネージャーをする回は個人的デスノート三大名シーンにノミネートしている。


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第六十四話 狼煙

桜咲く季節、出会いと別れの季節、年度始めの引き締まった空気感漂う季節。

そんな明らかに分不相応なレッテルを過多に貼られた春という季節を象徴する月、4月。

世間では入学式や入社式が執り行われている時期で、ここトレセンにも例外なく新入生が数多くやって来ている。

希望に目を輝かせた新入生のうち、一体何人が来年ここに残っているのだろうか。

ふとそんな残酷な想像に頭を回してしまっていた。

そしてそんな夢への理想を抱えたウマ娘たちもいる一方、現実を知ったウマ娘たちは今もグラウンドでトレーニングに励んでいた。

クラシック級のウマ娘は特に熱心に。

理由はもちろん、栄誉ある三冠ウマ娘への1つ目の冠である皐月賞の開催が間近に迫っていることだろう。

皐月賞に出走するウマ娘はもちろん、出走しないウマ娘でさえその熱にあてられて熱心にトレーニングをこなしている。

 

夜神月が担当するサクラチヨノオーももちろん例外ではない。

今日この日に至るまで毎日欠かさずトレーニングを続けてきた。

その甲斐もあり、最早今のサクラチヨノオーは前走とは比べ物にならないポテンシャルを持ったウマ娘へとなりつつあった。

だが、それは周りも同じ。

生涯一度しかない三冠を賭けたレース、軽視するウマ娘の方が珍しい。

ともかくそんなわけで、今トレセンは年内でも1、2を争うほどの盛り上がりを見せている。

 

そんな格式高い三冠を獲ると目されている渦中の男、夜神月は満を持して今朝発表された皐月賞の出走メンバーを何度も見返していた。

名のあるトレーナーが担当するウマ娘も数多く出走している。

そんな中でも一際月の目を引いたのは、見慣れたあの男の名前だった。

 

「竜崎…来たか。」

 

トレーナーとしても非常に優秀で夜神月のライバルでもある男、竜崎ことL。

彼の担当するエルコンドルパサーも今回の皐月賞出走枠に名を連ねていた。

エルコンドルパサーは昨年既に一度GIを獲っている。

今回のメンバーの中では一目置かれる存在となるだろう。

 

そして、意外なことにオグリキャップの名前はなかった。

彼女の担当である七篠は昨年片っ端から重賞を取りにいっていたので、てっきり今回の三冠も狙いに来るのかと思っていたが…

おもえばあのホープフルS以降、動きが大人しいような気もする。

何か心境の変化でも…

 

「トレーナーさーん!坂路終わりました〜!」

 

思考を遮ったその明るい声の主はもちろん、サクラチヨノオーだった。

もともとやる気に満ち溢れた娘ではあったが、ここ数日はより一層張り切ってトレーニングをしている。

やはり皐月賞を意識してのことだろう。

 

「あぁ、お疲れ。少し休憩にしようか?」

 

「いや、大丈夫です!まだ走っていたい気分なので、もう少し走ってきます!」

 

そう言って手に持ったドリンクを手早く飲み、さっさとコースへと戻っていってしまった。

最近のサクラチヨノオーは少し頑張り過ぎている。

最近よく一緒にトレーニングをしているエイシンフラッシュも心配するほどに。

もちろん練習に支障が出ている訳でもなければ、脚に不調がある訳でもない。

実際、今の彼女の脚のキレは以前に比べかなり良くなっている。

これまでの僕ならば、彼女が1着を獲ることを疑わなかっただろう。

だが今は…

 

「五厘、だな。」

 

いつの間にか僕の背後に立っていたバイアリータークが僕に言う。

恐らくは勝率の話らしかった。

 

「五厘か、随分と買い被ってくれるな。誰も結果の見えないレースで五厘もあれば充分だよ。」

 

「…そうか、貴様はそう思うのか。」

 

多少見栄を張ってみせたものの、バイアリータークはそれすら見抜いたような返事を僕に返した。

やはり僕もこのままでは勝つことは厳しいと思う。

 

皐月賞での対戦相手を見て言っているのではない。

ここ数日のサクラチヨノオーを見た上での判断だ。

皐月賞まで1か月を切った辺りから、どうも調子が乗っていない。

確かに以前に比べると脚力は上がっているし、息づかいやコーナリングも上手くはなっているのだが、仕上がりきっていない、という印象を受ける。

あとひと押しが足りない、という感覚だ。

これまで順調に縮んでいたタイムも、最近は横ばいになってしまっている。

理由を聞こうにも、最近のハードなトレーニングに対する疲れもあり、あまり話が出来ていない。

レースの数日前からは皐月賞に出るため、千葉の方に向かわなければならないので、もうここにいられる期間はそう長くない。

慣れない環境に行ってしまう前に、一度話をする必要があるな。

 

「チヨ、ちょっと来てくれ。」

 

コースで揚々と走っているサクラチヨノオーをハンドサインで呼び止める。

それから1分も経たないうちにチヨノオーは戻ってきた。

 

「なんですか?トレーナーさん。」

 

「今日のトレーニングが終わったあと、時間はある?いくつか聞きたいことがあるんだけど。」

 

僕がそう言うと、サクラチヨノオーは恙なく予定を教えてくれた。

トレーニングが終わった後の予定はないというので、そこで話をすることにした。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

それから数時間後、特に大きな怪我などもなく無事に今日のトレーニングを終えた。

時間としてはそこまで遅くは無いが、まだ日が沈むのが早いので外はもう日が落ち始めている。

 

「お疲れ様です、トレーナーさん。それで、聞きたいことってなんなんですか?」

 

そう言われてふと僕が思い出したのは、去年のことだった。

残暑の厳しい8月の終わり頃、チヨと共に蹄鉄を見繕いに行った時のことだ。

あの時も僕は似たようなことを聞こうとしていた。

だが、聞かなかった。それはあの時の僕が彼女のトレーナーになってから間もなかったから。

彼女に対して充分に信頼を得られていなかったと思っていたからだ。

そして、あれからもう半年以上の月日が経った。

今の僕にはそれを聞く資格はあるのだろうかと、答えのない問いを思考を巡らせる。

 

「話というのは、君のことだ。サクラチヨノオー、聞かせてくれ。君の原点を、マルゼンスキーの話を。」



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第六十五話 原点

「…分かりました。」

 

いつもの明るい笑顔とはまた違う、どこか覚悟の決まったような表情で彼女は言った。

それから、彼女は話し出す…かと思いきや、「付いてきてください」とだけ言って歩き出して行った。

 

そして、歩いて行く彼女の後を追う。

数分歩いて、足を止める。

今僕とサクラチヨノオーは、誰もいない練習用コースにいた。

そして、僕はこの場所を覚えている。

普段練習で使っているから、とかそういう浅い理由ではなく、もっと記憶の奥深くに残っている記憶。

 

「チヨ、ここは…」

 

「はい、そうです。」

 

「ここは、私とトレーナーさんが担当契約を結んだ場所です。」

 

記憶の奥にある引き出しに手がかかる。

まだ真新しいその引き出しを開け、ゆっくりとその日のことを思い出してゆく。

あれは日差しの強い夏の日の模擬レースの日だった。

あの日、僕は彼女と正式に担当契約を結んだ。

純粋に実力のみを買ったスカウトではなかった事も同時に思い出す。

彼女には言えないが、打算で動いたという側面があるのも間違いない事実だろう。

まぁ、そうしたことに対しての後悔もないわけだが。

 

「いつかは話そうと思ってました。」

 

力強い声で彼女はそう言う。

 

「私のことを担当してくれるトレーナーさんにはいつか言わなきゃと思ってたんです。でも、私にとっては嫌な思い出だから…タイミングが分からなかったんです。話をして、もし…見限られたらどうしようって。」

 

サクラチヨノオーは少し震えた声でそう話す。

表情を伺いたいのだが、夕焼けを背にした彼女は強く照らされ影になってしまっていて、その表情を見ることは叶わない。

 

「…大丈夫だ、君の過去がどんなものだったとしても、僕は君のトレーナーだ。」

 

サクラチヨノオーの過去についてはこれまで聞いたことがなかった。

特に知っておく必要も無いと思っていたから。

だが、サクラチヨノオーの持つノートの力の正体がなんなのか分からない以上、彼女の過去に原因が潜んでいる可能性ももちろん有り得る。

今となっては彼女について知らない要素は1つでも潰しておいた方がいいとも思う。

そして、月日を共にするにつれ心情にも変化が訪れていた。

今の僕は純粋に知っておきたいのだ。

どんなものだったとしても、サクラチヨノオーの過去を。

 

「…ありがとうございます。1年過ごしてみて、トレーナーさんなら…この人なら大丈夫って思うことができました。だから話します、トレーナーさんと出会う前のことを。…なんでもなかった頃の、私の話を。」

 

少しの間、静寂が訪れる。

夕焼けがその沈黙を鮮やかな空へと溶かしていく。

話すことに整理をつけたチヨノオーは、自分の飾らない想いを沈んでいく太陽に呟いていった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

話は彼女の幼少期まで遡る。

サクラチヨノオーは、特別な才能を持って生まれたウマ娘ではなかった。

 

無論才能がないわけではない。

子供の頃からクラブに入り、多くのレースに出た。

その上で人並み以上の努力も重ねた。

そして、何度も一着を取った。

 

しかし彼女は勝利に慢心せず、常に謙虚に生きてきた。

勝っても負けても、彼女は自分の持っているノートに必ず何かを書き留めていた。

次第に彼女はそのノートをチヨノートと呼ぶようになり、第2の自分であるかのように丁重に扱うようになっていく。

 

そんな優秀なウマ娘であるサクラチヨノオーは、当然と言えば当然なのだが周りから期待されていた。

それ故に、本人も信じていた。

自分は最高のウマ娘になれるのだと。

他の誰かに夢を抱かせることの出来る、稀代のウマ娘になれると、

心の底から、信じていた。

 

そんな志を持ったまま、レースに勤しみ、勉学に励んだ。

どちらも両立させたまま彼女は時間を過ごし、トレセン学園の入学試験に挑む時期になった。

受験当日は緊張していた。

これまでの積み重ねがあったが故に、彼女は恐怖していた。

自分自身の努力がこの日この時にかかっている、そう考えると心臓の鼓動はどんどん速くなってゆく。

そんな感情を押し殺し、彼女は受験を終えた。

感触は悪くなかった。

それでも、不安は拭えなかった

そして時は過ぎ、合格発表当日。

掲示板を見るときは手が震えた。

合格の2文字を見た時は足が震えた。

 

これまでの努力が報われた嬉しさ、ここから始まる新たな学園生活への期待…彼女はこの時心の底から未来を明るいものだと信じてやまなかった。

これから、私の物語が始まると──────

 

 

 

そう、思っていた。

 

 

現実は非情だった。

井の中の蛙大海を知らずとはまさにかくの如し、いくら地元で優秀な成績を収めていようとも、サクラチヨノオーはトレセン学園に集うウマ娘の中では平凡であった。

 

そんな状況を変えるため、サクラチヨノオーはこれまで以上に努力した。

学園の時間割にトレーニングがない日も、自主トレを欠かさなかった。

これまで努力を怠ったことはない。

常に全力で己の研鑽に努めてきた。

 

 

それでも、届かない背中があった。

 

 

私と彼女達の何が違うのだろうか。

生まれ持った才能なんて、そんなもの認めたくはなかった。

生まれてきた時から限界が決まっていたなんて、そんなことを認めたくはなかった。

 

しかし、磨きあげれば磨きあげる程に、自分がいかに凡庸かを理解する日々だった。

自分自身の軌跡を書き込んだノートの冊数は、この頃には十冊を超えていた。

自分の自信を体現していたはずのそのノートは、いつしか呪いにも近い物のように見えた。

 

そんな時、授業で教官に言われた言葉がサクラチヨノオーの胸に深く刺さった。

 

『あなたは堅実で、実直で、真面目なウマ娘ね。』

 

教官は彼女を褒めたのだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

しかし、その言葉は毒のようにサクラチヨノオーの精神を蝕んでいった。

堅実で、実直で、真面目。

 

それは…『普通』ということじゃないのかな…

時代を作っていくウマ娘は、果たして堅実で、実直で、真面目だったのかな

 

 

 

私は、『なにか』に、なれるのかな

 

 

 

 

 

 

 

そんなことばかり考えるようになってしまった。

日常の全てが退屈に思えてきてしまった。

一体何をしているんだろうか。

一体何をしていたんだろうか。

 

もう自分が何をしたいのかすら、そんなことすら分からなくなりそうで。

心の中にずっしりとした鉛が落ちたように、身体が重い。

何をしていても、この重りがなくなることは無い。

辛い、重い、苦しい。

 

全てが嫌になりそうだった。

もう投げ出してしまいたかった。

 

 

そんなある日、ぼんやりと眺めていた食堂のテレビで映っていたレースの映像を見ていた。

その日、彼女は出会ったのだ。

鮮烈な輝きを放つ赤い閃光、マルゼンスキーと。

 

初めてレースを見た時、衝撃を受けた。

あまりにも規格外のスピード。

正確無比なコース取り。

何より、楽しそうにレースを走るその表情に。

後続をぐんぐん突き放し、圧倒的な勝利をその手に掴んだウマ娘に、サクラチヨノオーは昂った。

 

この人だ!私は、この人みたいになりたい!

 

どれだけの時間がかかるかなんて分からない。

どれだけの努力が必要になるかなんて分からない。

そうなるまで、きっと何度も挫ける。

 

でも、初めてできたなりたいものなんだ。

ここで叶わない夢だと諦めたら、私は私を底なしに嫌いになる!

 

私は、証明するんだ。

堅実で真面目なウマ娘なんかじゃないってことを。

 

急いで自分の部屋にあった書きかけのノートを引きずり出す。

久々に眺めたそのノートの表紙は、いつもより綺麗に見えた。

 

いてもたっても居られずにコースへと走り出す。

あのウマ娘みたいに、マルゼンさんみたいになる為には時間なんていくらあっても足りない!

やらなきゃいけないことも、やりたいこともたくさんある!

立ち止まってる時間なんて1秒だって、ない!

 

 

昼下がりで他のウマ娘も走っている中、スタミナの事など微塵も考えずに心のあるままに激走するウマ娘がひとり。

だがその顔は晴れ晴れとしていた。

 

 

もう、彼女の心にあった鉛は消え去っていた。




この話自体はずっと前から出来てたんですけど、どこで出そうか迷ってたもののひとつです。
クラシック三冠前には出そうと思ってたんですけど、このタイミングで出すことが出来ました。


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第六十六話 周聲

初めてサクラチヨノオーの過去を覗いた。

それは僕が思っていたよりもずっと重く暗いものだった。

いつだって前向きな彼女は、弱音など吐かないと勝手に思い込んでいた。

 

言葉を紡いだチヨノオーは話す前よりも血色が良くなっているような気がした。

自身の原点を言葉にしたことでいくらか気が晴れたのかもしれない。

 

「それから何度かマルゼンさんに併走を申し込もうとしたんですけど…勇気が出なくて…えへへ。」

 

そう言って照れくさそうに笑う。

詳しく話を聞くと、どうやらサクラチヨノオーはマルゼンスキーと会話をしたことがないし、面識もないとのことだった。

あくまで自分の一目惚れで、片思いの憧れなのだと。

しかし、前に僕がマルゼンスキーと話したとき、確かに彼女はサクラチヨノオーを気にかけていた。

サクラチヨノオーが彼女に憧れていたとき、彼女もサクラチヨノオーを気にかけていた。

結果的に一方的な憧憬ではなかったという事だ。

 

伝えようかとも思ったが、この件に関してはマルゼンスキー自身の口から聞いた方が良いだろう。

 

とりあえず彼女の過去について知ることが出来て良かった。

それに、確かめられたこともいくつかある。

彼女は昔から変わらずマメな性格で、ノートをつける癖も昔から変わっていないようだった。

そしてその頃は今のようにリュークや三女神が見えるような事はなかった。

やはりこうなったのはごく最近の出来事が原因なようだな。

今回はそれが分かっただけでも収穫はあったか。

 

聞きたい話は聞けた。

ここから僕に出来ることは、これを受け止め、今の彼女の胸の内に抱えている問題を取り除くことだ。

 

「今の話を聞いたからには、半端なコーチングをする訳にはいかないな。僕が必ず君を勝たせてみせる。君を『赤い閃光』に並ぶ最強のウマ娘にしてみせるよ。だから、話して欲しい。今君が抱えている悩みを。」

 

そう言うと、チヨノオーは虚を突かれたような顔をして驚いていた。

それに続いて彼女の耳がぺしゃっと折れ曲がる。

 

「何でもお見通しなんですね。…そうです。私、怖いんです。皆の期待を裏切っちゃうことが。」

 

そして、サクラチヨノオーは今抱えている悩みをゆっくりと教えてくれた。

 

「最近、私を応援してくれる人が増えて…商店街でも、学園でも、皆が私を応援してる、期待してる、絶対勝ってくれって…そう言うんです。」

 

「最初はただ純粋に嬉しかったんです、こんな私を応援してくれる人がこんなにいるなんて思っていなかったので。…でも、その声が増えていくうちに、だんだん私の受け止め方が変わっていって。」

 

「期待に応えたい、期待に応えなくちゃって…義務感みたいなもので胸の中が埋まっていくんです。そしたら足が重くなって、上手く走れなくって…。」

 

彼女の悩みは、結果が出始めたアスリートによくあるものだ。

唐突に与えられた周囲の期待に応えなければならないと思い、無理をして追い込む。

しかしその結果普段通りのルーティーンが崩れ本来の実力が出せない、というものだ。

 

幸いなのはサクラチヨノオーに肉体的な不調が発生する前だったことか。

 

「チヨ、聞いてくれ。君が走る理由は君が決めればいいんだ。他の誰かの為に走る必要なんてない。」

 

「でも、もし私が負けたら…応援してくれた人達はがっかりすると思います。そうなったら私…」

 

…どうあっても人を気にしてしまう。

自分自身のことに集中することと周囲の声援を切り捨てることのどちらを選ぶのかを決めかねている。

こうして物事の片方を切り捨てることが出来ないところは彼女の真面目さの悪い部分だ。

だが、それが彼女の優しさでもある。それを否定はしない。

僕自身はあらゆる物を切り捨ててきた。

自身の精神を犠牲にして、時には自分の肉親ですら自身の為に切り捨てた。

そのことを後悔したことなどないが、もしあの時違う選択をしていたらと考えたことが…無いと言えば嘘になる。

 

「大丈夫だ、君のことを応援してくれる人の中に君が負けたくらいで離れていくやつはいない。もしそんな奴がいたなら…」

 

「僕が殺してやるさ。」

 

そんなことを冗談めかして言ってみると、サクラチヨノオーは張り詰めた糸が切れたように笑いだした。

 

「ふっ、…あははは!真面目なトレーナーさんでもっ、そんなこと言うんですね…あははは!」

 

僕のセリフは彼女のツボに入ったらしく、しばらく笑っていた。

まぁ、彼女が抱えていた重圧感や期待を少しでも取り除くことが出来たならそれでいい。

 

「分かりました、トレーナーさんがそう言うなら私、余計なことは考えません。目の前のレースに集中します!明日からもよろしくお願いします、トレーナーさん!」

 

ひとまず気持ちに整理が着いたみたいだ。

これまでの遅れを取り戻すためにも、明日以降はより頑張ってもらう必要がある。ここで決意を新たにしてくれたことは大きい。

 

「よし、それじゃあ明日から現地に向かうまではこれまでより少しハードなトレーニングにするよ。でも、キツかったらすぐに言ってくれ。」

 

「はい!頑張ります!…はっ!新しい格言、思いついちゃいました!『思い立ったら全力ダッシュ』…なんてどうでしょう?!早速ノートに書き留めておかないと…!!」

 

どうやら完全にいつも通りの状態に戻ったらしいサクラチヨノオーは、そう言って一心不乱に格言をノートに書きつけていた。



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第六十七話 穿鉄

サクラチヨノオーの悩みを聞いた次の日、彼女は早速これまで以上に熱心にトレーニングに打ち込んでいた。

 

最近は最高速度アップを目標とした走り込みが多かった。

その結果としてスパートの速度は前走よりも格段に良くなった。

が、しかし…

 

「はぁ…はぁ…やっぱりタイミングとか忘れちゃってました…。」

 

やはり、がむしゃらに走っていた分レース全体を見据えたペース配分が疎かになっている。

レース場のある千葉の方に行くまでの期間は今日を入れて3日。

この3日のうちに彼女には自身のレースプランをしっかりと叩き込んでもらう必要がある。

 

「そうか。それじゃあ現地の方に行くまではペース配分をしっかりと覚えることに集中してほしい。千葉の方に着いたら向こうの芝の感覚に慣れるための練習があるから、レースプランはこの3日で細かい調整まで終えてしまいたい。今から一度僕の考えたペースで皐月賞と同じ条件でコースを走って、その上で何か調整案があれば教えて欲しい。出来るか?」

 

「はい!大丈夫です!…。」

 

返事がどこか歯切れ悪い。

 

「どうかした?何か言いたいことが?」

 

そう言うと彼女は大振りに手と首を振り、「違う違う」といったような素振りを見せた。

 

「いや、違うんです!ただ、今回は秘策!とか新技!みたいなのはないのかなと思いまして…ほら、この前の『花道』みたいな!」

 

なるほど、チヨノオーが気にしていたのはその事か。

確かにそういった新技…もとい小細工のようなことはした方がいい時もあるのだが、今回に限ってはそうでもない。

まず、そもそもサクラチヨノオーは今の段位で『花道』を完全に使いこなせている訳ではない。

これ以上やることを増やしても、思考を圧迫するだけだ。

新たな技を考えるよりも今ある走法を完璧にした方がずっと効率が良い。

 

「いや、今回はそういう特殊なことはしない。僕は今回の皐月賞、チヨが自分の全力を出し切ることが出来れば勝てると思っている。変に普段と違うことをするより、今まで積み重ねたことをしっかりと出し切ることに力を入れたい。」

 

「なるほど、基本に忠実にってやつですね。確かに『花道』も前より使えるようになったとは言っても、それでもまだまだですもんね。分かりました、いつも通りの実力が出せるように、とりあえず走ってきます!」

 

そう言ってサクラチヨノオーは走っていった。

彼女の、思考を引きずることなく割り切ることが出来るのは良いところだと思う。

 

「おい月、お前宛てに手紙が届いたぜ。」

 

そう言って僕宛ての手紙を持ってきたのはもちろんリュークだった。

 

「リューク、そうやって目立つようなことはするな。お前は周りの人間からは見えないかもしれないが、お前が持っているものはちゃんと見えているんだからな。」

 

リュークは手紙をぶらぶらと指で摘んで持っているが、この様子はリュークが見えない者からすれば手紙が浮いているように見えているはずだ。

幸い今は人が少ない時間帯なので周りに見られることはそうそうないと思うが、注意を払うにこしたことはない。

 

「月は細かいな、どうせ今は人なんていないのに。」

 

叱責を受けたことに対してリュークは若干不満の色を滲ませていた。

 

「そういう話じゃない。万が一にもお前の正体を誰かに勘づかれて、それがきっかけでLが…」

 

「あぁ、分かった分かった。それより月、この手紙の中身見ないのか?」

 

僕の話を遮るようにリュークが手紙を見るように促す。

正直リュークにはまだ言いたいことがあるが、確かに手紙の内容も気になる。

ここは先に手紙を見ることにした。

ご丁寧に蝋で封をしてある。

URAからのものやサクラチヨノオー絡みの手紙では無さそうだ。

封を切るとそこには1枚の厚めの紙が入っていた。

そこにはこう書かれていた。

 

『皐月賞への出走を棄権しろ』

 

それ以外には何も書かれていない。

どうやらそれは脅迫文のようだった。

本来ならこういった類のものは学園の検閲で弾かれるはずなのだが、恐らくこの丁寧な包装のせいで検閲をすり抜けて僕のもとに届いたのだろう。

 

しかしこの文章、少し妙だ。

この手の脅しにしてはお決まりの『対価』が書かれていない。

誰かしらの人質、所定の建造物の損壊予告、そういった代償をちらつかせ相手に条件を呑ませるのがこの手のやり口の定石のはずだが…

あるいは…

 

いや、考え過ぎだろう。

どのみち対価があったとしても、この程度のイタズラを鵜呑みにして出走を棄権するウマ娘やトレーナーがいるはずもない。

 

皐月賞への出走は曲げない。

そしてその優勝を掴むのも、僕たちだ。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

そこは、トレセン学園から離れた場所にある教会だった。

その辺りに住んでいる人達はみな、その教会を所有している人物を一度も見たことがないといういわく付きの建物だった。

その上何故か手入れが行き届いていて、常に清潔に保たれているというのも周囲の人間からすれば不気味な話だった。

そんな人たちも大半が寝静まる丑三つ時に、その教会は動き出す。

その日も教会には数名の人物が集まっていた。

全員が全員白のローブを纏っており、人物を特定するのはこの教会では禁忌とされている。

お互いがお互いのことを知らずに集まる場所が、この教会であった。

 

「……」

 

「会長、本日の集会はどのようなご要件で。」

 

静寂に包まれた教会で、ローブを着たうちの一人が声を発する。

その言葉に対し、会長と呼ばれたその壇上の人物が話しだした。

 

「本日は、先日行ってもらった皐月賞中止計画についての報告について話し合おうと思う。」

 

「一昨日、URAに対して提出した皐月賞の中止に関する嘆願書類は無念にも通らなかった。そこで皐月賞の出走者に対してその中止を訴えかける手紙を送らせたが、皐月賞の出走取り消しの締切である今日までで出走取り消しの表明を出したものはいなかった。」

 

「こうなってしまってはもう穏便にこの件を解決することは出来ないだろう。そこで、我々はかねてより計画していたプランに計画を変更することにした。」

 

その言葉を聞くなり、他の白のローブを纏った人物達がざわつきだす。

「まさか…」「あの…」と、口々に話している。

何人かは否定的な意見を言っているようだが、その声が壇上に届くことはない。

会長と呼ばれる壇上の人物が彼らを制し、話を続ける。

 

「我らの意思は一つ。ウマ娘を救うというその一意に心血を注ぎ、必ずやこの理想を現実のものとしよう。全ては三女神の御心のままに。」

 

こうして夜神月やその他のトレーナー、ウマ娘たちの理解の及ばぬ所で、悪意は静かに爪を研ぎ、機会を窺っていた。



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第六十八話 暗雲

トレセン学園のある府中からそう遠くない地にある都会の喧騒から少し離れた土地に、その日夜神一行は降り立った。

それはもちろん皐月賞に出走する為である。

今は皐月賞当日の5日前、世間では皆が今年の三冠レース開幕に催して誰が有力候補かを議論していた。

そして、そんな有力候補の一人に名が挙がるウマ娘、サクラチヨノオーは大事な皐月賞の5日前に…

 

「トレーナーさん!イルカですよ、イルカ!凄いですね!」

 

…千葉の観光を楽しんでいた。

 

 

無論、夜神月も最初は反対していた。

他のライバル達は今も厳しいトレーニングに精を出し死力を尽くしているに違いない。

呑気に観光などしている暇はない、とサクラチヨノオーに伝えたのだが…

 

「えぇ〜っ、でも…もう連日トレーニング続きでくたくたですよ〜!こんな状態で無理にトレーニング重ねても、結果に結びつかないと思うんです!だから、ちょっとだけ!ちょっとだけ観光しましょう!」

 

…彼女が言うことも全くの的外れではない。

実際精神の状態というのは肉体のコンディションにも大きく影響し得るし、芳しくない精神状態での肉体の酷使は様々な問題を引き起こす可能性もある。

 

「分かった、少しだけだぞ。」

 

そう言うと彼女の表情はぱぁっと明るくなり、もう一度先程見ていたイルカショーの方に目を向ける。

普段はアスリートのようなトレーニングをしている面ばかり見ているが、こういう所を見ると彼女たちも間違いなく年相応の少女なのだと感じさせられる。

そんな彼女たちの人生の一端を預かっている僕たちの役割は、考えているよりもずっと重いように思えた。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

結局その日はトレーニング施設に向かうことはなく、一日中観光を楽しんでしまった…。

昼までは水族館でイルカを見て、昼はなめろうを食べ、そこからそれなりに時間をかけアウトレットまで行き、ショッピングを楽しんでいた。

無論、それらは僕の話ではない。サクラチヨノオーが、だ。

大量の戦利品を抱え予約したホテルに着いた頃にはもうすっかり日は沈んでいた。

 

しかし僕の胸中に広がっているのは今日の疲労ではなく、明日の不安だ。

今日行う予定だったこちらの環境に慣れる為の軽いウォームアップは、結局出来ずじまいだ。

明日以降のスケジュールは少し詰めて行っていかなければな…

 

僕のそんな雰囲気を感じ取ったのか、サクラチヨノオーはおもむろに買い込んだ落花生をひとつまみくれた。

 

「チヨ…こんなもので明日のトレーニングは減ったりしないからな。」

 

そう言うと、うっと怪訝そうな顔をする。

こうなることが分かっていて、なぜ観光を夜まで強行したんだろうか。

 

「分かってますよ〜…ただ、トレーナーさんも疲れてそうだったから」

 

「ここ最近、私のせいでちょっぴり負担が増えてたじゃないですか。ほら、一時期トレーニングに集中出来てない時期もありましたし、その分の調整とかも大変そうだったので。だから、その…罪滅ぼしじゃないですけど、トレーナーさんにも少しは楽しんでもらえたらいいなって思って…」

 

なるほどな、自己を顧みない性格のサクラチヨノオーが今日の観光を強行した理由はそこにあったのか。

数多くの人間と関わり、嘘を見抜いてきた僕だから分かる。

彼女のこの言葉は本心だ。

そうでなくとも、彼女は元来こういう嘘をつけるウマ娘ではない。

それはこの一年で十分に理解させられた。

 

「そうか、ありがとう。とはいえ、それでチャラにするほど僕が甘くないのも分かっているだろ?覚悟はしておいてもらうよ。」

 

そういって少しおどけた口調で返す。

本人には伝えないが、明日以降のスケジュールを少しだけ緩和しようと思う夜神月であった。

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

それからしばらく歩き、予約していたホテルに着く。

 

「それじゃ、チヨは先に行っててくれ。僕はもう少し外でやることがあるから。」

 

そう言って予約した番号と部屋の場所を伝え、サクラチヨノオーがホテルな中へ入っていくのを見届ける。

 

「なぁ月、俺も先にそのホテルってとこに入ってたいんだけど…」

 

今から僕が何をしようとしているのか何も知らないリュークが呑気にそう話す。

 

「リューク、お前もしかして気づいてないのか?」

 

その問いに対して、リュークは返事をせず首を傾げた。

どうやら本当に何も気づいていないらしかった。

 

「…なぁリューク、こんなことは言いたくないが、少したるんでるんじゃないか?」

 

僕がそう言ってもリュークは話の流れがまだ見えていないようで、的を射た反応は返ってこない。

仕方がないので説明することにした。

 

「いいか、よく聞け。今日僕らが電車を降りて千葉に着いたタイミングから今までずっと、誰かが僕らを尾けている。」

 

だが、僕の言葉を聞いたリュークは思ったよりも冷静だった。

 

「そりゃあ…皐月賞に出るウマ娘のトレーナーってことなら、チヨのファンが尾けてたり、同じ皐月賞に出走するウマ娘のトレーナーが視察ってことで尾行してたとか…色々あるだろ。今日は大したことしてないし、そんなに問題ないんじゃないか?」

 

リュークにしてはかなり的を射た分析だ。

ここまで理知的な思考を持ち合わせているなら尾行している存在がいることに気づいてもよさそうなものだが…

 

「いや、恐らく今僕らを尾けているのはそういう奴らじゃない。もし僕らに対して探りを入れてきている人物なら、周囲に溶け込み目立たないようにするはずだ。」

 

正直、僕も初めは皐月賞関連の誰かが興味本位で尾けてきているのだと踏んでいた。

しかし、それだと腑に落ちない点があったのだ。

 

「彼らは今日一日、全身を黒を基調としたコーディネートで固めている。これは目立ちたくない人間のする服装ではなく「素性を隠したい人間」のする服装だ。つまり今僕らを監視しているのは素性がバレるとマズい奴である可能性が高い。」

 

「ここまで特に何も干渉してこなかったから僕も下手に手を出すことはしなかったが、今後皐月賞までの間拠点となるこの場所を知られたからにはみすみす返すわけにもいかなくなった。リューク、奴らはそこの陰に2人でいる。目標は尾行の目的を聞き出すことだ。チヨの為にも、やってくれるか?」

 

最近思っていることなのだが、今のリュークは三女神と近しい存在…所謂「ウマ娘を導く存在」ということだ。

そして、こっちに来てからのリュークはやたらチヨ絡みの問題に対して積極的に動いてくれる印象を受けた。

しかしそれらの願いはかつてのリュークであれば面倒臭がってやらなかったものや興味のなさそうなものもある。

 

このことから僕は一つ仮説を立てた。

三女神の性質を持ったリュークは今「ウマ娘を導く」という目的に絡んだ頼みは基本受けてくれるのではないだろうか、と。

なので今回の尾行犯の鎮圧という頼みは仮説の検証も兼ねている。

 

「あぁ…仕方ないな。やってくるぜ。」

 

そうして夜の空にリュークが高く舞う。

その姿を見た夜神月は、改めて思い出すのだった。

彼は人々が数多くの神話や伝承の中で恐れた生物、死神であったという事実を。



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第六十九話 動乱

対象の拉致監禁、それが俺たち末端に課せられた使命。

無論これが法に触れる行為なのは重々承知だ。

だが我々には信念がある。

ウマ娘を競走という見世物の世界から解放するという信念が。

これを達成する為に我々は様々な手段を用いた。

凡百の手を尽くし、それでも尚成し得なかったのだからしようがない。

そう、これはしようのないことなのだ。

 

そう思い直し、改めて今回の対象に目をやる。

対象はサクラチヨノオーのトレーナー、夜神月。

我々の今日の目的は対象のこちらの方での予定を把握すること。

今日一日気配を殺し尾行して、最終的に彼の宿泊先であるホテルの場所まで突き止めた。

後は一度仲間と合流し、実行のタイミングを練るとしよう。

幸い今対象の夜神月はホテルに入らず何やら虚空に向かってぶつぶつと呟いている。

俺はもう一人の仲間にハンドサインで指示を出し、音を立てぬようその場を後にする…

 

はずだった。

 

ゆっくりと路地裏の方に向かって歩き出した途端、首元になにかひやりとした感覚が走る。

しかし目をやってもそこには何も見えない。

それでも確かにそこには()()()()()()

それ以上前に進もうものなら恐らく首が無事ではないだろうと、そう思わせる程の質感がそこにはあったのだ。

身動きが取れないので、もう一人の方を見る。

すると案の定そいつも俺の少し前で固まっていた。

一体何が起きているんだ?

俺は生まれてこの方霊感は全くない人間だ。

じゃあこの現象は何なんだ?

そんな事を考えていると、背後から微かに足音が近づいて来るのが聞こえた。

 

まずい、警察か?後ろを振り向けないので確認のしようがない。

今はもう夜も更けている。

そんな中全身黒ずくめの俺たちは警官にさぞ不審に映るに違いない。

 

「ち、違うんだ。俺たちはただそこのコンビニに買い物に出ただけで…」

 

咄嗟に弁明の言葉を述べる。

しかし俺達の後ろに立っていたのは警官などでは無かった。

 

「そんな嘘は通用しない。お前たちが今日一日僕とサクラチヨノオーを尾けていたのは分かっている。目的を吐いてもらおうか。」

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

僕を尾けていた2人は見たところ上の立場の人間では無さそうだ。

こういう人種は死の危険に直面すると自分の保身を真っ先に考えるタイプだ。

そう考え、試しに少しリュークの力を使って脅しただけで2人はいとも簡単に全てを僕に話し始めた。

 

結論から言うと、今日僕のあとを尾けていたのはとたる団体の末端の人間だった。

彼らは自身の事を「ウマ娘保護委員会」と名乗っていた。

彼らはウマ娘がレースで走ることを『搾取』と考え、それ自体を廃止にさせようと目論む集団だった。

その悲願の成就のための華々しい第一歩として皐月賞の中止を計画しているとのことだ。

その計画の一端として彼らが命じられたのが僕の拉致、そして皐月賞当日までの監禁…ということだ。

 

目的は理解したが、計画がどうにもお粗末だ。

突然失踪してレースに影響が出ることを防ぐために、皐月賞当日までのトレーナーの動向はある程度URAが補足しているはずだ。

今日の尾行の様子を見た限り、彼らがそのことを知っていて動いたとは思えない。あまりにも杜撰だ。

そもそもこの2人も上のやり方に全面的に賛成している様子はない。

実行犯がこれなのだから、恐らく中枢の人間以外は「大事を成せる」という熱に浮かされた有象無象の寄せ集めの集団だ。

 

「お前たちが僕の拉致に失敗した場合のプランは?」

 

そう質問を投げかけると、彼らは「恐らく別のメンバーがまた差し向けられる」と言った。

そういうことならこいつらをこのまま帰すのはやはり悪手だな。

さてどうするか…

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

――このままおめおめと捕まっている訳にはいかない。

任務を遂行出来なかったことが知れれば、自分たちがどんな罰を食らうことになるか分からない。

 

正直な話、俺は面白半分でウマ娘保護委員会に入会した人間だ。

そういう団体の裏を探って、ウマチューブにアップロードして一儲けしてやろうと思っていた、ただの一般人だ。

 

入ってすぐに後悔した。

いわゆる二流の()()()()団体は、加減を知らなかったのだ。

やることに加減がない。活動にしても、罰にしてもそうだった。

これまで失敗してきた者たちがどこに行ったのか、俺たちは知らない。

それ以降姿を見ることがなかったからだ。

ああはなるまいと思って頑張ってきたんだ、こんなところで終わってたまるか。

 

追い詰められた人間の集中力は普段のそれを遥かに凌駕する。

夜神月が思索を巡らし、思考の対象が自分たちから別のことに移った瞬間を彼は見逃さなかった。

身をかがめ、自身の首にかかっていた狂気的な「何か」を掻い潜り、携帯用スタンガンを上着の懐から取り出す。

 

「悪いな、夜神月――」

 

静かな暗がりに、細く弾けるような音が微かに反響した。



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