シドの国 (×90)
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プロローグ 誰かが言った昔話

 昔々、テレビはまだブラウン管で、携帯電話が贅沢な高級品だった頃、世界中に悪い金持ちがたくさんいました。

 

 悪い金持ちたちは、世界中から若い女を誘拐してきて、己の欲望を満たす”性奴隷“にしていました。

 

 とある悪い金持ちが言いました。

 

「ああ、つい最近(さら)ってきた女も飽きてしまった。女というのは、どうしてこうも醜いのだろう。若い女は顔が悪かったり、美しい女は性格が悪かったり、性格の良い女は身体が醜かったり。折角完璧な女を手に入れても、少し遊べば飽きてしまう。それに、誘拐は多かれ少なかれリスクが伴う。こうも毎回誘拐を繰り返していたら、いずれ私の身にも危険が及ぶかもしれない」

 

 他の悪い金持ちも言いました。

 

「そもそも人は性奴隷に不向きだ。顔も性格も体格も、オーダーメイドというわけにはいかない。賞味期限も5年ぽっち。それなりに遊んでいたら1年も保たないだろう。そして、一体作るのに長い長い年月がかかる。幾ら金があっても、時間ばかりはどうしようもない」

 

「ああ、どこかに、美しく、若く、性格の良い、私を飽きさせない完璧な女がいないものだろうか」

 

 そして、悪い金持ちたちは閃きました。

 

「そうだ。いないなら作ってしまえばいいんだ」

 

 悪い金持ちたちは、悪い研究者たちに言いました。

 

「金なら好きなだけくれてやろう。その代わり、美しく、若く、性格の良い、私を飽きさせない性奴隷人形をたくさん作りなさい。顔も、体格も、性格も、全てが思い通りで、決して劣化しない。従順な性奴隷用の人形を」

 

 悪い研究者たちはとても困りましたが、大金を差し出されるとすぐに笑って答えました。

 

「かしこまりました。必ずや、ご満足いただける品を作りましょう」

 

 悪い研究者たちが金を欲しがれば、悪い金持ちたちは一も二もなく与えました。

 

 不出来な試作品も、文句ひとつ言わずに買い取りました。

 

 兵隊が必要となれば、大勢の私兵や飼いならしたマフィアを動かしました。

 

 そうして遂に、悪い金持ちたちの満足する“使い捨て性奴隷”ができあがりました。

 

「どうでしょう。顔も、身長も、胸も、尻も、声も、性格も、全てがあなたの思うがまま。もしも飽きてしまったら、その時はまた新しいのを作りましょう。どんな命令にも従う理想の性奴隷です。まだ肌の色や目の色、それと黒い痣が目立ちますが、それを差し引いても立派なものでしょう」

 

 悪い金持ちたちは大いに喜びました。

 

「ああ、素晴らしい。確かにこの真っ白な肌や真っ黒な目玉は気味が悪いが、“使い心地”は申し分ない。これぞ、私の求めていた完璧な女だ」

 

 悪い研究者は満足そうに笑い、深く頭を下げて言います。

 

「これからも我々にお任せください。肌や目の色の不具合も、すぐに解決して見せましょう。我々の研究は、まだ始まったばかりです」

 

 しかし、悪い金持ちたちの願いはここで終わりませんでした。

 

「そうだ、折角ここまで自由にできるなら、マッサージや歌も覚えさせてはどうだろうか」

 

 悪い研究者はニコリと笑いました。

 

「やってみましょう」

 

 願いがひとつ通ったことで、悪い金持ちたちは次々に注文を増やしていきました。

 

「身の回りの世話も任せたいな。家事もできるようにしてくれ」

 

「いざという時の護衛も任せたい。達人顔負けの武術も覚えさせてくれ」

 

「ここまで戦えるなら、いっそのこと軍事や政治の助言も欲しいな」

 

「一方向からの視点だけじゃダメだ! とにかく色んな知識を詰め込んでくれ!」

 

 こうして、使い捨て性奴隷は性奴隷としてだけでなく、最早できないことなどない万能な人造人間になりました。理想の奴隷を手に入れた悪い金持ちたちと悪い研究者たちは、この万能な人造人間の成果を大いに喜び、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたし。めでたし。



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使奴の国
1話 義賊もしくは大悪党


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~第二使奴(シド)研究所~

 

 薄暗い実験施設に、悲鳴と高笑いが木霊(こだま)する。

 

「たっ、助けっ、助けテッ!」

「あーっはっはっは! 許さん!」

 

 足を怪我した研究員の男は、ソレから逃げるため四つん()いで出来る限り早く走った。

 

 身の丈2mはあろう大柄な女は、ボディラインを強調する黒スーツ姿でハイヒールをコツコツと(わざ)とらしく音を鳴らし、腰まで届く紫の髪を(なび)かせ男を追い詰める。一目で人外とわかる死人のような真っ白な肌に、悪魔の(ごと)く真っ赤な二本の角。黒く染まった白目は(ひたい)(おお)う黒い(あざ)のせいで、実際よりもより大きく見えた。

 

 大柄な女は逃げ回る男を滑稽(こっけい)嘲笑(あざわら)いながら追い詰め、腕を鷲掴(わしづか)みにして実験器具の大型カプセルへと投げつける。男はガラスを突き破って体をズタズタに引き()かれながら、研究所の壁に叩きつけられた。

 

「がはっ……許し、許してくれ……頼む……許し……」

「許さん!! 死んでも殺す!!」

 

 大柄な女は歯をギラリと輝かせながら笑顔で(にら)み、男の腹を踏み潰した。

 

「仲間の(うら)みだっ!! よし! 次! ラデック! 次だ!」

 

 ラデックと呼ばれた男が暗闇から現れ、大柄な女にタオルを差し出す。短い金髪と切れ長の青い目。普段から部屋に(こも)っていることが(うかが)える色白の肌。背はかなり高い方だが、大柄な女の隣にいるせいでひと回り小さく見て取れる。

 

 彼はこんな惨事(さんじ)を目の当たりにしながら、依然(いぜん)として眠そうな顔で口を開いた。

 

「ソイツと俺で最後だ、ラルバ」

 

 ラルバと呼ばれた大柄な女は不満げな顔でタオルをひったくり、返り血を(ぬぐ)う。

 

「こいつで? これで最後? ならばこの怒りはどこにぶつければ良いのだ! これでは死んでいった仲間が浮かばれん!」

「んー……、研究所は他にもあるし……。そこへ行くのは駄目か?」

「他? 外か。ここと似たような感じか?」

「まあ多分大体は」

「よし! 行こう! すぐに行こう!!」

 

 汚れたタオルを放り投げラルバは意気揚々(いきようよう)と部屋の出口へ歩き出す。

 その瞬間、赤色灯が真っ赤に光り輝き大音量の警告音が鳴り響いた。

 

「警告、警告、緊急事態につき隔離(かくり)プロトコル”浮島(うきしま)“を実行します。時間壁(じかんへき)構築(こうちく)に注意してください。繰り返します……」

「うるさい。なんだこれは」

「浮島……、良くないヤツだったと思う。止める」

 

 ラデックは近くの端末装置に早足で近づき操作を始める。しかし後ろから近づいてきたラルバが数百㎏はあろうその端末装置を軽々と()り飛ばした。

 

「壊す方が早い」

「……なるほど?」

 

 手当たり次第に機械を破壊して進むラルバを、口元に手を当て考え事をしながらラデックがついていく。

 

「ところでラルバ。さっき仲間の恨み――――とか言っていたが、仲間って誰のことだ?」

「うん? いや、特に意味はない。ただの景気付けだ」

 

 

~研究所(そば)の林道~

 

 

【挿絵表示】

 

 

 研究所を抜け出したラルバは林道の端で寝転がっていた。

 

「ぐぅ……、頭が痛い……。死ぬのか……?」

「時間壁を無理に止めたせいだろう」

 

 ラデックが木に登って木の実を()ぎ取りラルバに向かって投げると、ラルバは器用に口でキャッチした。

 

「もごもご……ラデック、その時間壁ってのは何なんだ」

「全く知らない」

 

 ラデックが木の実を(かじ)りながらラルバの脚をさする。

 

「触るな、汚い」

「怪我してるだろう。まあ放っておけば治るだろうが、今はやることもないしな」

 

 ラデックが脚を(さす)り続けると、細かい切り傷が跡形もなく消滅した。

 

「……何をした?」

「俺の異能(いのう)だ。生き物なら大体、無機物も少しなら改造できる」

「便利だな。私には搭載(とうさい)されてないのか?」

「ラルバは自分のがあるだろう。それに、異能はそう簡単に移せない」

「フン。無能エンジニアめ」

 

 ラルバは悪態をつくと盛大に欠伸(あくび)をした。

 

(ひま)だ。研究所まではあとどれくらいだ?」

「さあ、方角さえ見当がつかない」

「お前まさか何の手がかりもナシに言ったのか?」

「研究所がアレ以外にもあることは知ってる」

「研究所の外へ来たことは?」

「本での知識ならそこそこ」

 

 ラルバがラデックの胸倉を掴み激しく揺さぶる。

 

「貴様!! “役に立つ”って言うから命乞いを受け入れてやったと言うのにクソの役にも立たないではないか! 外に出たことすらないとは! 今すぐ切り刻んでやろうか!!」

「木の実取ってきたじゃないか」

「あんなモノ私でも取れるわ天然猿めが!!」

「研究所に着けば必ず役に立つ。それから判断して欲しい」

 

 ラルバがパッと手を離すと、ラデックは揺さぶられた勢いがついたまま地面に投げ飛ばされた。

 

「嘘だったらケツに死ぬほどムカデ突っ込んでやるからな」

「ムカデが可哀想だ」

 

 ラデックは土埃(つちぼこり)を払いながら立ち上がってラルバに向き直る。

 

「ラルバはなんでそんなに研究員を殺したいんだ? 勝手に作り出された腹いせか?」

「半分正解だ。作り出されたことによる腹いせではなく、なんとなくムカつくからだ」

 

 ラルバは木にもたれかかり、手でろくろを回すジェスチャーを取る。

 

「あの研究所にいたやつはみんな悪いやつだろう。私のような人造人間を好き勝手作って利用する、命の(とうと)さを知らない悪党だ。だから殺してもいい。殺してもいいなら出来る限り(もてあそ)んで殺したい」

「悪いやつは殺してもいいのか?」

勿論(もちろん)。悪だからな」

 

 ラルバは大きく伸びをする。

 

「悪い奴なら誰だっていい。研究員じゃなくとも指名手配犯とか悪徳貴族とか、人を困らせて楽しむ奴を盛大に出来るだけ派手に美しく(いじ)めたい」

 

 そんな話をしていると遠くから馬の鳴き声が聞こえてきた。ラルバはラデックの首根っこを掴み茂みへ飛び退()く。そのまま10分ほどじっとしていると、目の前を野蛮な風貌(ふうぼう)の女性達――――見るからに不当な行いで日銭を稼いでいるであろう者たちを乗せた馬車が、けたたましい笑い声と共に通り過ぎて行った。

 

「喜ぶといいぞラデック。お前の寿命が少なくとも2日は伸びた」

「嬉しい限りだ」

 

 

 

 

盗賊(とうぞく)住処(すみか)

 

「ここから出せーっ! 出せーっ!」

 

 冷たく薄暗い洞穴(ほらあな)にラルバに絶叫が木霊するが、天井から(したた)り落ちる水音以外に返事はない。

 

 森に囲まれた断崖絶壁。隠蔽(いんぺい)魔法によりただの岩肌になった巨大な亀裂(きれつ)の先には、盗みを主な職業とする者が過半数を占める集落が築かれていた。

 

 その奥深くの牢屋で簀巻(すま)きにされたラルバは、身を(よじ)りながら誰に届くかもわからない声を張り上げ続けていた。

 

「この縄を解けクソ野郎ぉーっ!!」

 

 

 

 

「全くうるさい女だ」

 

 集落の酒場では、(きら)びやかな宝石を身に(まと)った盗賊達が愚痴(ぐち)と酒を盛大に(こぼ)しながら、今回の「戦利品」について悪態を突き合っていた。

 

「あのデカ女。まだギャーギャー(わめ)いてるらしいぞ」

「宝物庫に忍び込んだ時点で殺せばよかったんだ」

「仕方ないだろう。公開処刑は一応規則だし、皆楽しみにしている」

「処刑日は明日かぁ、今日なら都合がよかったんだけどねぇ」

 

 豪華な料理を(むさぼ)り、人の生死を(さかな)に騒ぐ盗賊達を天井の(はり)から見下ろすラデックは昨日のことを思い出していた。

 

 

 

 

【盗賊の国】

 

 

 

「見ろラデック、盗賊の巣だ。胸が(おど)るな」

 

 盗賊の集落に侵入し、見つからないよう高台の屋根に登ったラルバとラデックは(きら)びやかな街を見下ろしている。

 

風貌(ふうぼう)からして皆盗人(ぬすっと)みたいだな。殺し放題だ」

「そうなのか?」

「違うのか?」

 

 予想外の返答にラデックは少し硬直して、再び街に視線を落とす。

 

奴隷(どれい)も大勢いるようだ。生産性のある労働は自分たちではしない主義なんだろう」

 

 店先には、見すぼらしい子供達が首輪で(つな)がれている。中には荷車を引く女や、四つん這いで主人に(くさり)を引かれる男も見えた。同じく集落を見下ろしていたラルバが楽しそうに口を開いた。

 

「ここは研究所とは違って随分(ずいぶん)自然的なんだな。魔法もそんなに高等な技術は使われていないし、機械も見当たらん」

「研究所が特殊なんだ。高度な魔法は長年研究しなきゃ(あつか)いにくいし、機械を普及させるには設備や配線が要る。そんなものを実用的にするより、簡易的(かんいてき)な魔法を普及させた方が楽なんだろう」

「女が多いな、研究所では男が多かったがどっちが普通なんだ? 」

「筋力で言えば男中心の文化になるはずだが……、黒い(あざ)が多いな……」

盗賊の女達の中には、黒い痣のような刺青(いれずみ)をした者が多く見られた。

「私と一緒だな」

 

 ラルバが自分の黒い痣を()でる。

 

「それは使奴(シド)の特徴……人造人間的に言えば不具合の一つだ。本来怪我した部分が跡形もなく治るのが理想なんだが、今のところ真っ黒な痣になってしまう」

「なるほど……あいつらも使奴(シド)か? 」

「いや……肌の色が違う。ラルバの真っ白な肌も、本来は彼女達の様な焦げ茶から赤みがかった白くらいまでが理想なのだが……そこまで着手されていなかった」

 

 ふと、ラルバが街の広場を指差す。

 

「見ろラデック。“公開処刑は2日後”だそうだ」

「見えない。誰の処刑だ?」

 

 ラデックは目を細めるが、ラルバが指差しているのは恐らく500mは先の掲示板に貼られた紙のどれかであり、(いく)ら目を凝らしたところで人間であるラデックには見える(はず)がなかった。

 

「ちょっとまて……えーと、“処刑予定、情報屋ラプー 計1人” 捕らえた捕虜(ほりょ)や罪人を一定周期で処刑するのがこの国の娯楽(ごらく)だそうだ」

「悪趣味だな」

「全くだ。情緒がない」

 

 ラデックが無言で見つめるとラルバはニヤっと笑って返す。恐らく自分がなぜ見つめられたか理解していないのだろう。

 

「イイ事を思いついたぞラデック」

 そう(つぶや)いたラルバの目はかつてないほど輝いていた。



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2話 盗賊の国

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~盗賊の国~

 

 公開処刑の当日、ラルバは簀巻(すま)きからは解放されたが、両手を後ろに縛られて鉄球付きの足枷を引き摺りながら街道を歩かされていた。

 

「ほら、いい匂いがするだろう?」

 

 横で槍を(たずさ)えた女が、持っていた食べかけの骨付き肉をラルバの目の前でゆらゆらと振る。

 

「んあっ!」

 

 ラルバは噛みつこうとするが、ひょいっと(かわ)され空をガチンと噛む。同時に肉を見せびらかした女は首を前に突き出したラルバに横から肘打(ひじう)ちを入れた。

 

「誰がやるかバァーッカ! ハハハッ! 」

 

 満足そうに肉を(かじ)り、ラルバの(すね)(かかと)で後ろ蹴りを入れてからさっさと歩いていってしまった。

 

 ラルバは牢屋から歩かされてここまで来るのに、既にもう3人もの盗賊達に似たような嫌がらせを受けていた。後ろで手錠から伸びた鎖の端を持つ女はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら黙っている。三歩進めばゴミを投げられ、十歩進めば水をかけられ、もう少し進めば先ほどと同じようにからかわれる。

 

 それでもラルバは歯を食いしばり(うつむ)いて、自らの足で広場へ設置された処刑台へ向かわなければならない。

 

 処刑台は既に多くの盗賊達でごった返しており、ラルバが到着するや否や大声を浴びせた。

 

「遅ぇーぞデカ女ぁーっ」

「早く死ぬとこ見せてくれー!」

「ずぶ濡れじゃねぇかよ! 水遊びは楽しかったかぁーっ?」

「お前らあんま虐めんなよー! 泣いちまうぞー!」

 

 これから人が死ぬというのに猿のように手を叩いて喜んだり、山盛りのポップコーンをバリボリと(むさぼ)る奴や露店を出す者。処刑はもはやこの国の一大イベントになっており、ラルバは小さく「悪党が」と(つぶや)き目を細めた。

 

 処刑台まで登らされると目の前に一本の縄でできた輪っかが差し出され、首にかけられた。

 

「今からこれをゆっくりと引き上げる。ゆっくり、ゆっくりとな」

 

 ここまで連れてきた看守の女がジェスチャーを交えてラルバに説明する。

 

「するとお前の首はゆーっくりと締まっていき、想像を絶する苦しみと、想像を絶する痛みの中死んでいく。死んでいく、のだが」

 

 処刑台の周りを杖を持った女達が取り囲む。

 

「回復魔法でなんとか生きながらえさせてやろう。するとどうなるか。いっちばぁん辛い苦しみが、もぉーっと続くんだ。なんせ瀕死のお前を8人がかりで蘇生するんだからな。因みに今までの最高記録は22分だ。頑張って生き延びてくれよ? あっちで賭けもやってるんだ」

 

 満足そうに話し終えると看守役の女は処刑台から降りてハンドルに手をかける。女がゆっくりとハンドルを回すと縄が少しずつ上昇してラルバの頸動脈(けいどうみゃく)を少し押しつぶした。

 

「あーそうそう」

 

 女はハンドルから手を離し、ラルバの正面に立ってひらひらと紙を振る。その写真にはラデックの顔がハッキリと映されていた。

 

「この男、助けに来ないから」

 

「なっ……!?」

 

 ラルバは目を見開いて写真を見つめた。

 

 一瞬の間を置いて広場は大爆笑に包まれた。至る所から罵倒や指笛、手を叩いて笑う声が湧き上がり広場に反響する。

 

「あの男ねぇ、昨日忍び込んできて牢屋の鍵を盗もうとしたもんだからね、ひっ捕らえたんだよ」

 

 ラルバは小さく「嘘だ」と呟いた。喧騒(けんそう)にかき消されたかと思えたが、看守の女にはしっかり聞こえていた。

 

「それがねぇホントなのさ。で、尋問してやろうかと思ったんだけどイイ事思いついちゃって」

 

 少し思い出し笑いをして女は下を向く、そしてそのまま上目遣いで――――

 

「ウチらの財宝を少し渡してさ”何もなかったことにしてあの女を見捨てれば持って帰っていいよ”って言ったんだよ。そしたらちょっと渋ったから、倍に上乗せしてあげたのさ。その瞬間手からあぶれた金貨も拾ってすっ飛んで行ったよ! 途中でポロポロ宝石を落としては拾い落としては拾い! まったく情けない男だね!」

 

 ラルバは何度も何度も何かを呟いてから(せき)を切ったように大地が揺らぐ程に()え、それを掻き消すように再び会場は爆笑と歓声の渦に呑まれた。

 

「そんじゃお別れが済んだところでバイバーイ!!」

 

 看守の女がハンドルをくるくると回すと、縄が締まりラルバの体はゆっくりと宙に浮き始める

ラルバは足をバタつかせて首を()(むし)った。杖を持った回復役の女達は詠唱(えいしょう)を始め、ラルバはより一層身を激しく振るう。会場は拍手(はくしゅ)喝采(かっさい)で罪人の旅立ちを祝い、出店の一つでは絶命までのカウントダウンタイマーが動き始めた。

 

 

 

 タイマーが28分を示したところでラルバ動きを止めた。看守の女が槍でラルバの肩を貫くが、(うつろ)な瞳が動くことはなかった。

 

「タイムはー……28分56秒!!!」

 

 会場は再び拍手に包まれ、あちこちからラルバを()め称える声や罵声が聞こえる。

 

「よく頑張ったなねーちゃん! 大往生だよ!」

「アンタのおかげで賭けに大勝ちできた!! ありがとよーっ!」

「ふざけんなクソ女ーっ! 何でもっとはやく死なねぇんだクソがーっ!」

「燃やせ燃やせーっ! ()いちまえーっ!」

 

 看守の女はハンドルを回しラルバを下ろす。

 

「さーてさて、あのまま糞尿垂れ流しにするのもいいが、せっかくの美形だ。剥製にしようか装飾にしようか……」

 

 うつ伏せになったラルバの首の輪を解き表向きにしようと転がすと、恐らくは死体であったはずの殺意と目が合った。

 

「御丁寧にどうも」

 

 ラルバは看守の女が何かをするより早く口を掴み、顎を握り砕いた。そのまま振りかぶり天高く放り投げる。群衆は理解が追いつかないまま投げられた何かを見上げ、落下してきた人型が地面にぶつかり血飛沫(ちしぶき)になるまで呆けた顔が剥がれることはなかった。

 

「殺せ!!!」

 

 誰のものかもわからぬ雄叫(おたけ)びを合図に、群衆は各々得物を構えラルバに向かっていく。

 

 ラルバはそれを嘲笑(あざわら)うかのように群衆へ走り出し、千切っては投げ千切っては投げ――文字通り盗賊達の腕や脚がもぎ取られ宙を舞った。盗賊達がいくら斬りつけようが刺そうが燃やそうが、曲芸師のようにしなやかで竜の様に強靭(きょうじん)な身体に傷がつく事はなく、怒り心頭に発した群衆の心が折れ雄叫びが悲鳴と命乞いに変わるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

「たーんたーんたーんたたーん、たーんたたーんたたーんたー」

 

 ラルバはメルヘンな曲調の歌を口ずさみながら、倒れ(うめ)き声を上げている盗賊達の首に縄で作られた輪っかをかけていく。

 

「や、やめ、てくれ」

 

 盗賊が輪を外そうとするが、粉砕された手では上から()でることが最大の抵抗だった。

 

「たーん、たーん、たーんたたーん」

 

 そのままご機嫌なラルバは全ての盗賊の首に輪をはめ、その反対側に長く伸びた縄の端を持って大きく跳ね、洞窟(どうくつ)の天井につけたフックに一本一本通していく。盗賊達の呻き声が段々と悲哀に満ちたものになっていく様子は、ラルバの加虐心(かぎゃくしん)を余計に焚きつけた。

 

「さてさて皆様大変長らくお待たせいたしましたぁ……」

 

 ラルバは先程自分が釣られていた処刑台に立ち、全方向で散らばっている盗賊達のに向け、紳士の様に何度も丁寧にお辞儀をする。

 

「皆様の首に繋がれました縄は、天井に刺さったフックに通して反対側は宙ぶらりんの状態。ここに摩訶不思議(まかふしぎ)な術で大岩を繋げてご覧にいれましょう。すると皆様はゆるりゆるりと吊り上げられ、まるで召されるかのように天高く昇っていくのです」

 

 盗賊達が必死に首の輪を外そうともがき、粉々に潰された手から砕けた骨が飛び出て首を引っ掻いた。

 

「それでは皆様準備はよろしいですか? お飲み物はご用意なされましたか? トイレはお済みですか? ショーの間のおしゃべりはご遠慮ください。一世一代の大合唱! どうか拍手でお迎えください!」

 

 誰に向けたわけでもない前口上を意気揚々と述べ、胸の前で手を組み勢い良く左右へ弾く。ラルバの足元がひび割れ”ひっくり返り“そのひび割れは中空を伝って広がり、まるで景色が壁に描かれた絵画であったかの様に剥がれ落ち、洞窟はあっという間に古びた石畳と星々が(きら)めく満天の空に包まれた。ラルバが指先をくるくる回すと、どこからともなく岩が湧いて縄の先にぶら下がる。縄の反対側に(くく)られていた盗賊の1人は重みでゆっくり吊り上げられ、苦しみに人ならざる断末魔を上げる。

 

「いっせーのーでっ」

 

 ラルバが指揮者の様に両手を振ると、次々に岩が現れ縄にぶら下がり始める。盗賊達が大絶叫を星空に響かせると、そのけたたましい不協和音にラルバはうっとりとした表情を浮かべ踊り出した。

 

 数分もせずに盗賊達は1人残らず吊られ動かなくなったが、ラルバは目を閉じて微笑(ほほえ)みながらくるくると踊り続けた。

 

 

 

「いやあ面白かった! またやろう!」

 

 満天の空は“ひび割れガラガラと崩れ落ちて“消え去り、元の静まりかえった洞窟に戻ったが、宙に浮かぶ盗賊達は変わらず(しかばね)のままであった。ラルバはぐるりと見回し「ウンウン」と満足そうに(うなず)いた後、無人になった屋台からフライドチキンを一本手に取り出口へと歩き出した。

 

「あ、あのっ! あのっ!」

 

 家の中からラルバを呼ぶ声がした。みすぼらしい男が足枷(あしかせ)をガリガリと引きずって窓から顔を出す。

 

「あ、あいつら死んだんですか?」

「あ? ああ、お前も仲間か?」

 

 男はブンブンと首を振る。

 

「まっまさか! 俺は奴隷(どれい)でっ……ああ神様っ……まさかこんな日が来るなんて……!」

 

 男の呟きを聞いた別の家の奴隷が「まさか」と窓から盗賊達を見上げる。次第に他の家から足枷をつけた奴隷達がゾロゾロと出てきて歓声をあげる。

 

「た、助かった……助かったんだ!」

「こんな生活もう終わりだ! 終わったんだ!」

「やった! やった! 生きててよかった!」

 

 洞窟はあっという間に奴隷達の喜びと祝福で埋め尽くされた。ラルバは近寄ってきた奴隷達に感謝を()べられ、手を握られて上下に激しく振られる。

 

「ありがとう! ありがとう救世主様!」

鬱陶(うっとう)しいから離せ」

 

 ラルバは握られた手を乱暴に振り解き、拍手で(たた)える群衆の間をぶつかりながら強引に進んでいく。

 

「ありがとう! ありがとう!」

「あなたは神様だ!」

「救世主様! 救世主様!」

 

 洞窟中に響き渡る歓声に、ラルバは眉を(ひそ)め呟いた。

 

「私にどうしろというのだ」

 

 

 

 盗賊の国の出入り口である巨大な亀裂の前で、ラデックは3本目のタバコに火をつけようとしていた。

 

「ん、おかえり。どうだった?」

「楽しかった!!」

 

 そこへ戻ってきたラルバが満面の笑みで万歳をする。

 

「そりゃあよかった」

 

 ラデックが「どっこいせ」と腰を上げると、ポケットから宝石がコロコロと転がり落ちる。

 

「そういえばラデック、昨晩捕まったらしいな」

 

 ラデックは宝石を拾いながら答える。

 

「ん?ああ、その方がラルバは喜ぶかと思って」

「いい働きだ! 褒めて遣わす!」

「ありがたきしあわせー」

 

 大きく胸を張るラルバに、ラデックは(ひざまず)いてお辞儀をする。

 

「だが、天井にフックつけて縄を用意するくらいなら俺がやった方がよかったんじゃないのか?」

 

 ラルバは「チッチッチ」と舌を弾きながらしたり顔で指を振る。

 

姦計(かんけい)()ね繰り回しながら何も知らない悪党共を眺めるのも……また醍醐味(だいごみ)なのだよ」

「じゃあ俺行く必要なかったんじゃ……」

簀巻(すま)きにされるのは1人じゃ無理だ」

 

 ラデックは昨晩、脱走後に牢屋であぐらをかいて寝ていたラルバを元どおり簀巻きにし、丁寧に牢屋の施錠をして鍵を返却していた。盗賊達は鍵返却時のラデックを見て「牢屋の鍵を盗もうとしている」と勘違いし捕らえていた。

 

「まあお陰で”助けに来た仲間が裏切って絶望する侵入者”を演じることができて満足だ。金もたんまり稼げたし! コレ幾らになるんだ?」

 

 ラルバはラデックからひったくった宝石を太陽に透かす。

 

「さあ、物価が分からないからなんともいえないが……1、2年は平気で暮らせるんじゃないのか」

「金は大切だ。悪党を呼ぶ幸せの笛だ。無駄遣いするなよ」

 

 ラルバは宝石をラデックの腰袋に詰めると、眉間に(しわ)を寄せてギラっと(にら)んだ。

 

「わかった……ところで」

 

 ラデックがラルバの足元を指差す。

 

「その男は誰だ?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ラルバの足元には小柄な中年の男が縄で拘束されていた。

 

「こいつか?こいつは私の後に処刑予定だった情報屋のラプーだ」

 

 縄をぐいっと引くとラプーの丸々とした顔の肉が上にぎゅっと絞られるが、声は一言も発さない。

 

「どっかのクソ無能天然猿の案内では頼りないので連れてきた。どっかのクソ無能天然猿より役に立つだろう」

 

「どっかのクソ無能天然猿は別に博識というわけではない」

 

 ラデックはしゃがんで小柄なラプーに目線を合わせる。

 

「情報屋か……何を知ってる?」

「何でも知ってるだ」

 

 ラプーは間の抜けた声と表情で淡白に答えた。

 

「例えば?」

「2人のことも知ってるだ。第二使奴(シド)研究所レベル1技術者ラデック。第二使奴(シド)研究所56番被験体ラルバ」

 

 ラルバとラデックは顔を見合わせた。

 

 

 

【情報屋 ラプーが加入】



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3話 生き残り?

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~見晴らしのいい草原~

 

 商人の馬車は通常の配送ルートを外れて草原を進んでいく。道中気前のいい3人組に貰った宝石を眺め、今晩のご馳走や娼館(しょうかん)の妄想に(うつつ)を抜かす。その後ろでは、商売道具の傍で小さく正座しているラプーにラルバが質問を繰り返していた。

 

「ラプー!研究所までは後どれくらいだ!」

「このままの速度ならあと6時間くれーだ」

「長いなぁ6時間は……6時間は長い……」

 

 馬車に乗った時からずっと同じ質問を繰り返すラルバに、ラプーは眉ひとつ動かさず正確に答える。項垂(うなだ)れるラルバを他所目(よそめ)にラデックは鉄の塊を粘土のように()ねる。

 

「気持ち悪いなソレ」

 

 金属が飴細工(あめざいく)の如く伸びたり膨らんだりする様子を見てラルバが(つぶや)いた。

 

「無機物も少しは改造できるって言っただろ、ほら」

「本当に少しだな……何を作ってる」

「基礎的な工具。研究所に侵入するのに要るだろうと思って」

 

 鉄の塊が(いびつ)なレンチの形になると、ラデックは「よし」と呟いて近くの木箱から新しい鉄を取り出す。

 

「ラデック、それ役に立たなかったら尻ウナギの刑だってことを忘れるなよ」

「ウナギが可哀想だ」

 

 

 

~切り立った崖の上~

 

 研究所近くで商人に別れを告げた後、3人は崖から研究所の残骸(ざんがい)を見下ろしていた。

 

「まさかあれが研究所じゃあるまいな、信じぬ、私は信じぬぞラデック、一言も喋るな、ラプー、研究所はあれか?」

「んだ」

 

 ラルバは鬼の形相(ぎょうそう)でラデックの頭を掴み左右に揺さぶった。ラデックは眉を八の字に曲げ小さく(うめ)き声を上げる。

 

「俺のせいじゃない」

「知るか、知らん、ラプー!この近くでウナギが獲れる場所は!」

「3時間前に休憩した湖に繋がる川が一番近いだ」

「ま、待て、研究所は頑丈だ。外壁がボロボロでもメイン設備は地下にあるから、崩壊を(まぬが)れている可能性がある」

 

 ラルバが揺さぶる手を止め、じっとラデックを(にら)みつけた。

 

「……ラプー、あの研究所の研究員は今どうしてる?」

「地下で機械を直してるだ」

「いやあすまんなラデック!やっぱりお前を連れてきてよかった!さあ扉を開け!すぐ開け!」

 

 ラルバは打って変わって上機嫌になりラデックを放り投げる。しかしラデックは受け身を取り損ね崖から落下した。

 

「おや、そんなつもりはなかった」

 

 崖を数十メートル転がり落ちたラデックはその場に倒れ込み、(しばら)(うずくま)った後にヨタヨタふらつきながら研究所へ歩き出した。

 

「よし、無事だな。我々も行くぞラプー」

「んあ」

 

 ラルバはラプーの頭を片手で鷲掴(わしづか)み崖から飛び降りた。

 

~第四使奴(シド)研究所~

 

 薄暗い研究所は今日も機械音と足音、そして研究員のストレス発散に“サンドバッグ”を殴る音だけが響いている。

 

「オラァッ!!死ねっ!!」

 

 両手を後ろに縛られ座り込む使奴の女は、鉄パイプの殴打に一言も発さず中空を見つめる。

 

「くそっ!くそっ!おめぇらの所為(せい)で俺らばっかり損な役だっ!!」

 

 研究員の男が何度も大きく振りかぶって使奴の女を殴り付け、ぐにゃぐにゃにひしゃげた鉄パイプを放り投げ立ち去る。

 

「ああ、なんと(むご)いことを」

 

 天井のダクトの中からラルバが独り言を呟く。横ではラデックが双眼鏡を手に周囲を観察している。

 

「ラデック見たか?可哀想に」

「そうだな、救出するか?」

「え?なんで?」

 

 思わぬ返答にラデックは双眼鏡から目を離し硬直する。数秒考えてから再び双眼鏡に目をあてがい、研究員の男を追う。

 

「……端末は別の部屋か。見取り図が欲しいな」

「はい見取り図」

 

 ラルバが上着の胸ポケットから四つ折りにされた紙を差し出す。ラデックは驚きに目を見開いて受け取る。

 

「どこで手に入れた?」

「お前がふらふらと間抜けな顔で入り口こじ開けてる最中にラプーに作らせた。私は覚えたから持ってていいぞ」

「なるほど……肝心のラプーは?」

「戻ってくるまで隠れてろって言ったら消えた」

「なるほど……」

 

 地図に目を落としながら曖昧(あいまい)に返事をするラデック。ふと目をあげると、横にいたラルバは既に下に降りて使奴の女にちょっかいを出していた。

 

「うりうりー、あはは変な顔ー」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 見た目は10代前半の少女だが、ラルバと同じく真っ白な肌に黒い白目と、額に広がる黒い(あざ)。白髪の女が使奴(シド)であることは明白だった。あれだけ殴られたというのに傷ひとつないどころか、身を包む黒いスーツとミニスカートにも損傷はなく、寝起きなのではないかと思うほどにぼーっとした態度は(うつ)ろな目つきの無気力さをより強調している。

 ラルバが頬を何度も左右に引っ張ったり上下に伸ばして(もてあそ)ぶも、白髪の女は一言も喋らず(うつろ)な瞳でラルバを見つめている。

 

「ラデックー、こいつは何だ?私と一緒か?」

 

 ダクトから飛び降りたラデックが(ひざ)(ほこり)を払い近づく。

 

「いや……こいつは()()()だな。強化系の異能を持ってる」

 

 ラデックがポケットからナイフを取り出してバリアの腕を切りつける。

 

「うわあ酷い」

「大丈夫だ」

 

 そう言ってラデックがナイフを見せると、血がつくどころか鋭かった刃先はボロボロに刃毀(はこぼ)れしており、使奴の腕には引っ()(あと)すら残らない。

 

「こいつを傷つけようと思ったらラルバが本気で殴り付けないと難しい」

「私が本気で殴りつけるとどれぐらいの傷がつく?」

「多分死ぬ」

 

 ラルバは首を(かし)げ言葉の意味を理解しようとするが、すぐに飽きて使奴の髪をわしゃわしゃと(もてあそ)び始めた。その間にラデックは使奴の手錠を()ねくり回し拘束を解いていく。

 

「こんなところで縛られているってことは、隷属化(れいぞくか)はされていないようだな」

「きっとあの悪党共にあんな事やこんな事をされて(なぐさ)み者にされたのだろう。ああ可哀想だ。胸が(おど)る」

「いや、服が脱がせられない。異能のお陰で性行為まではされなかったようだ」

 

 ラデックが上着のボタンを引っ張るが、どんなに引っ張っても千切れることはなかった。

 

「ほう……?」

 

 ラルバが口元に手を当て考え事をする。

 

「……てことはあの部屋のロックはまだ開いてなかったから……ラデック!地図!」

 

 拘束を解き終わったラデックはラルバに向き直ると、地図を取り出して広げる。

 

「この部屋!この部屋の中に使奴の生き残りがいる可能性は?」

「まあ……ない事はないが、ゼロに近いだろうな……」

「じゃあこの研究所の設備で使えそうなものは?」

「研究所内で使用できるものなら……標準なら拘束具や洗脳器具や毒ガス類……ただ洗脳器具はIDが無いと使えないのと、あと使奴的には首のとこに……」

「ふむふむ……ならば……」

 

 しばらく2人はヒソヒソと話を続け、突然ラルバが話を(さえぎ)って大きく拳を突き上げた。

 

「これだ!!これで行こう!!」

「どれだ」

 

 ラルバは無視してズンズンと使奴の女に近づく。

 

「バリア!!私の仲間になれ!!」

 

 使奴は黙ってラルバを見つめる。

 

「悪党共を()らしめる正義の旅路だ!ワクワクするだろ?な!?」

 

 ラルバが手を取り連絡通路へ走り出す。使奴は手を引かれ強引に走らされついていく。

.

「はっはっはっはー!!ラデックは向こうだぞー!!」

 

 連絡路から反響する声に、ラデックは「うん」と小さく呟いて反対側へ歩き出した。

 

 

 

「全く……やってられんよ……」

 

 研究員の男は手元のパネルを操作しながらブツブツ独り言を漏らす。横にいた別の研究員は何度注意しても直らない独り言にうんざりしていた。

 

「いい加減にしてくれ!やってられないのは我々全員だ!そんなにストレスが溜まってるなら22番でも殴りに行け!」

「今朝行ってきたんだよ。いい加減飽きた……せめてエロい事でもできりゃあな……」

 

 独り言の男は大きくあくびをすると、上部のパネルに警告が出てるのが目に入った。

 

「……12培養室のロックがエラーを起こしているな。カメラは生きてるか」

「12?あの辺は事故が起きてからずっとオフラインだ。なんで今更警告が飛んできたんだか……」

 

 面倒臭そうに歩いてきた研究員は少し考え、そして2人は同時に顔を見合わせる。

 

「……生き残り?」

「まさか……」

 

 2人は大急ぎでガスタンクを背負い放射器を取り付けると、脇目も振らずに走り出した。

 

「生き残り!生き残り!未洗脳個体の可能性が高いぞ!!」

「オーナー登録受付状態の可能性まである!最高だ!」

「抜け駆けするなよ!2人で登録だ!」

「こっちのセリフだ!他の奴らには絶対バレるな!俺達で独占するんだ!」

 

 気味の悪い笑い声を(こぼ)しながら、研究員2人は(よだれ)を垂らして通路を駆け抜ける。ストレスに破裂寸前だった性欲や加虐心(かぎゃくしん)()け口を見つけた2人は、先程の(うつろ)な表情とは打って変わって眼光を(みにく)く輝かせ、誕生日プレゼントを貰う子供のように全身で喜びを表す。カードキーを認証機に叩きつけ通路のロックを解きながら、毒ガスが充填(じゅうてん)されたタンクの重みも忘れハンドルを回し扉を開ける。

 

「この辺だこの辺!どっかにいるかも……!」

「おい!あれ見ろ!」

 

 研究員が指差した先には、濡れた裸足で歩いたような足跡が通路の先に伸びていた。

 

「いるいるいるいる!いるぞコレ!」

「急げ急げ!セーフティー外しとけよ!」

 

 ガス放射器の安全装置を外しガスマスクをつける。曲がり角からゆっくりと顔を出すと、全裸のラルバがキョロキョロと周囲を見回していた。

 

「いた!いた!おい!認証輪(にんしょうりん)は!?」

「待て!確認する!」

 

 1人が目元のダイヤルを操作してズーム機能を使う。するとラルバの首に赤い印――――ラデックの落書きが確認できた。

 

「認証輪はあるな……レベル2だ」

「オーナー登録は無理か……じゃあ拘束するしかないな!あっち回れ!」

 

 もう1人が通路の反対側に回り込む。研究員の2人は通信機で合図を出し合い、一気にラルバに向けてガスを噴射した。

 

「……っ!?いやぁあっ!!」

 

 あざとく悲鳴を上げたラルバが、怯みながら近くの部屋へと逃げ込む。

 

「追え追え!ガスで満たせ!」

 

 部屋の扉の隙間に銃口を突っ込みガスを噴射しようとする2人。しかしラルバは(あらかじ)め壊しておいた壁の穴から走って逃げる。

 

「クソッ!逃げたぞ!」

「絶対他の奴らに見つかるな!横取りされる!」

 

 2人が崩落した壁を超え部屋を抜けると、横の通路から走ってきた別の研究員2人とぶつかりそうになる。

 

「おっお前ら何でここにっ!」

「そりゃあこっちのセリフだ!持ち場はどうした!」

「エラーが出たから見回りに来たんだよ!」

「おいっ!逃げちまうぞ!」

 

 一触即発となりかけるが、男たちは顔を見合わせてから(あわ)ててラルバを追いかける。それから(いく)つか通路を抜けるたびに別の研究員と鉢合わせて、2人だけだった追跡部隊は数十人の集団に膨らんでいた。

 

「向こう!向こう回れ!」

「くっそ何でこんな事になったんだ!」

「押すな馬鹿!」

「通路塞げ!通路塞げ!」

 

 司令塔の存在しない即席の追跡部隊は、迷路のような研究所を右往左往しながら進んでいく。その醜態(しゅうたい)を監視カメラ越しに見ていたラデックは眉を(ひそ)めながらタッチパネルを叩く。

 

「これで23人だから……あと3人か。今ラルバはB3通路だから……残り時間は10分ないな……通信機が欲しい……」

 

 ラルバが“最後の部屋”に逃げ込む前に残りの研究員を誘き出そうと、プログラムにエラーを吐かせる。

 

「これで向かうだろうか。機械は苦手だ」

 

 数秒モニターを見つめていると、左上の部屋に“退出”の表示が3連続で光った。

 

「あーよかった」

 

 大きく伸びをしてから再びタッチパネルを叩いてマイクに語りかける。

 

「バリア、聞こえるか?あと5分もせずにラルバが来る」

「……うん」

 

 使奴の気の抜けた返事を聞いてからラデックは席を立つ。

 

「次はなんだっけか……」

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら歩き、開きかけた自動ドアに肘をぶつけ悶絶(もんぜつ)する。その後ろではオレンジ色の“研究員の現在位置”を知らせるマーカーが、群れをなして右上の“実験棟”へと向かっていた。



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4話 肉欲のツケ

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~第四使奴(シド)研究所 実験棟~

 

「追い詰めたぞ……すばしっこいやつだ……」

 

 疲労困憊(ひろうこんぱい)の研究員の群れの中、一人が肩で息をしながらよろよろと前に出る。

 

「はあっ……はあっ……クソッ……上手くいってりゃ俺らのモンだったのに……」

「抜け駆けなんてセコいことしようとするからだ……ぜえっ……ぜえっ……」

 

 走り疲れた研究員達は疲労を露わにしながらも、目の前のご馳走に爛々(らんらん)と目を輝かせている。そうして疲れ切った体と武装を引き()って突き当りの角を曲がると、大きな扉の持ち手に、使奴の少女”バリア”がしがみついていた。

 

「はあっ……? こいつ……!」

「ふざけんなよ……ふざけんなよぉっ!!」

 

 あまりの怒りに研究員が背負っていたガスボンベをバリアに投げつける。ガスボンベは衝撃に(ゆが)み跳ね返ったが、バリアには傷一つ付いていない。

 

「ガス! ガス撒け!」

「馬鹿やめろ! こんな狭いとこで撒くな!」

「知るかクソが!」

「死ね死ね死ね死ねこのクソ女がぁっ!!」

「誰かカッター持ってこい! 扉切るぞ!」

「こんな換気悪いとこでどうやって切んだよ!」

 

 あまりの怒りと疲れにパニックになった研究員達はガスを撒き散らし、他の者は鬼の形相(ぎょうそう)でバリアを殴りつける。バリアは怪我こそしないものの、研究員達に引っ張られ両手は今にも扉から引き剥がされそうだった。

 

「引っ張れ引っ張れ! 引き剥がせ!」

「離せクソ女ぁぁああっ!!」

 

 必死にしがみつくバリアだったが、次第に指は一本一本と外され、ついに両手が離れてしまった。研究員達はバリアを扉の反対側へ蹴とばすと、我先にと扉の制御端末に群がる。

 

「よしよしよしよし!! 開けろ開けろ!」

「ロックナンバーいくつだ!?」

「馬鹿! 覚えとけ!」

「おい! 手の空いてるやつ22番を押さえろ!!」

 

 扉が短い電子音を発して、赤いランプが青に変わる。研究員達は涎を垂らし下品な笑みをガスマスク越しに(のぞ)かせ、そして――――――――

 

 

 白目を剥いて次々に倒れ込んでいった。

 

 

 その様子を見たバリアは(おもむろ)に手をついて立ち上がり、扉を数回不規則にノックする。(わず)かに扉が開き、隙間からラルバが目を覗かせた。

 

「全員眠ったか?」

「うん」

 

 ラルバがゆっくりと扉を開け、床に倒れ込んでいる研究員をみてニヤつき監視カメラに向かってVサインを掲げる。一拍置いてスピーカーからノイズが漏れ、ラデックの声が響いた。

 

「まだ息はするなよ。換気が終わってない」

「流石にもうそろキツいぞー」

「2人の性能ならあと5分は止めていても問題無い。3分だけ我慢してくれ」

 

 ラルバはむすっとした顔で監視カメラを(にら)みつけ、横にいた研究員の頭を軽く蹴る。

 

「間抜け共め」

 

 ラルバが細工したガスマスクが割れ、中から穴だらけになったフィルターが転がった。

 

「バリアよくやったなーお手柄だぞー、えらいえらい」

 

 ラルバの頭を乱暴にわしゃわしゃと()で回す。

 

「俺も頑張ったぞ」

「この程度でか? 馬鹿言え」

 

 ラデックの抗議に悪態をつきながら、ラルバは研究員達を実験室に引き摺り込んでいった。

 

 

 

「おはよう諸君! 気持ちのいい朝だなぁ! 崇高なる神は今日も我々を見守ってくれているぞ!」

 

 実験室のスピーカーからけたたましく鳴り響くラルバの挨拶に、研究員達は飛び起きる。

 

「な、なんだ?」

 

 両手を後ろで縛られた研究員達は、自分たちの置かれた状況が理解できずに狼狽(うろたえ)る。

 

「これからは君たちにゲームをしてもらう! とっても楽しいゲームだから期待した方がいいぞ!」

 

 ブザー音と共に実験室の四方からガスが噴射され、実験室に充満する。

 

「ゲホッ! ゲホッ! な、なんだこれは!」

「ど、毒ガスだぁ! たっ助けてくれっ!」

 

 1人が扉に駆け寄るが、破壊された電子ロックが火花を散らして黙り込む。監視カメラ越しに様子を見ていたラルバが手を叩いて喜び、大声で嘲笑(あざわら)う。

 

「毒ガス? 否! これは媚薬(びやく)ガスだ! はっはっはー!」

「正確には生殖機能増幅ガスだ。精神的な作用はない」

 

 後ろでラデックが訂正する。

 

「だっ出してくれっ! 何でもする!」

「俺は商工会会長の弱みを知ってる! 俺を助けてくれたらアゼルバンの街で一生遊んで暮らせるぞ!」

 

 研究員達が監視カメラに()(へつら)ってアピールをするが、スピーカーからはラルバが暢気(のんき)に酒を(すす)る音だけが返ってきた。

 

「えーと……なんだったか……そうそう!!」

 

 ラルバは大きく手を打ち鳴らすと「ヒッヒッヒ」と不気味な笑い声を(こぼ)す。

 

「今君達はとっても元気だろう? 主に股間が。媚薬でそれはもうギンッギンの(はず)だ」

 

 後ろでラデックが資料を見ながら解説をする。

 

「元は男性器を有する特殊な雌型使奴を対象とした薬だが、元々の性別が雄なら問題があるほど効果が発揮される」

 

 そして前屈みになってモニターと資料を交互に見つめる。

 

「とは言うものの、強制的に生殖機能、主に血流や海綿体及び精巣に影響を及ぼすだけで大したことはない。精巣上体に生成された粘液を排出し切れば症状は収まる」

「と言うことだ! 放っておいてもまず()えることは無いだろう!」

 

 ラルバがラデックを押し除けマイクを握る。

 

「しかし出してしまえばそれまで……そこで! 君たちの中で萎えてしまった奴から殺していくことにする!!」

 

 研究員達はラルバの言葉を理解できずに呆然(ぼうぜん)とモニターを見つめ、口から漏れ出た唾が(あご)を伝う。そんな研究員達に向かって、ラルバは少し声のトーンを落として――――

 

「今から全員で互いのモノをしゃぶり合え」

 

 マイクのノイズと、ラデックが書類をめくる音だけがスピーカーから小さく漏れ出している。いつもなら研究員達は余りにも馬鹿げた発言に嘲笑と怒号の入り混じった抗議をぶつけただろうが、モニター越しにこちらを睨む怪物に物言いは出来なかった。そして、その自分たちの沈黙が正しい選択であったことを知る。

 

「両手は後ろで縛られているから無理だろうとは思うが、一応言っておく。”求愛行動”に手や足を使うのは禁止だ。相手のモノに触れていいのは首から上のみとする。そして」

 

 甲高い金属音。突然鳴り響いた聴き慣れない音に皆情けない悲鳴を上げながら屈み、恐る恐る音のした方を向く。

 

「萎えた奴からこのように殺していく」

 

 視線の先には、股間から大量の血を流し白目を剥いて(もだ)える男の姿があった。全身を縛られ、口には猿ぐつわを付けられており声は一切漏れてこない。

 

「安心しろ、こいつは個人的にムカついたから“ちょん切った”だけだ。しかし萎えてしまったやつは同じように、腰に装着してある”ギロチンマシーン”でモノをズタズタにして失血死するまで嘲笑ってやろう」

 

 重たいラルバの声が研究員達の後ろから擦り寄る。

 

「……まあまあまあそんな暗い顔をするな!! 楽しいゲームだって言っただろう!! ちゃーんとご褒美も用意してあるぞ!!」

 

 打って変わってニコニコしながら明るく話すラルバは、彼らには一層(おぞ)ましく見えた。ラルバが鼻歌を歌いながら手元のパネルを操作し、満面の笑みで両手を広げる。

 

「最後まで生き残っていた奴にはー……、じゃじゃーん!」

 

 合図とともに実験室の隅のカーテンが落下し、ラルバ達が手に入れた金銀財宝が露わになる。

 

「こちらの財宝を差し上げまっしょーう!」

 

 突然現れた目も眩む財宝に研究員達は唾を飲む。

 

「ほ、本物か? コレ……」

 

 一人の男が恐る恐る近寄る。

 

「わからん! ラデック、どうなんだ?」

 

「盗賊の国から手に入れた財宝だ。質はかなり良いと思うが……いかんせん物価がわからないことには相場もわからない」

 

 研究員達は見たこともない宝の山に、今までの恐怖など忘れて見入る。

 

「せ、世界ギルドの紋章入りだ……! 間違いねぇ!」

「こんだけあったら一番いい女を何百回も……いや娼館(しょうかん)ごと買い取れる……!」

「使い切る方が難しいぞこんな大金……」

 

 舐めるように見つめる研究員達に、ラルバは満足してニカっと笑う。

 

「もちろん生き残れば逃してやる。ルールは簡単! 手足の使用と暴力禁止! お宝目指してレッツラゴー!」

 

 

 陽気なGOサインを最後に実験室は静まり返り、少しずつ不安と焦りに(どよめ)き始める。

 

 

 ラルバの後ろでラデックはマイクのスイッチを切り、モニターを眺めながら問いかける。

 

「上手くいくのか? これ」

「まあ見ていろ……ひひひっ」

「……俺はいい」

 

 ラデックは資料を棚に戻し、鞄を担いで振り向く。

 

「終わったら教えてくれ」

「終わったと思ったら来い」

 

 操作パネルに行儀悪く両足を乗せ、背もたれを大きく倒して鑑賞準備が整ったラルバを一瞥(いちべつ)して、ラデックは閉まる自動ドアに勢いよく肘をぶつけて出て行く。

 

「俺は少しせっかちかも知れない……」

 

 独り言を溢しながら肘を(さす)るラデックの後ろでドアが閉まる瞬間、隙間からラルバの下品な笑い声がけたたましく鳴り響いた。

 

 

 

【使奴の生き残り バリアが加入】



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5話 燃え盛る灯火

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~見晴らしのいい草原~

 

「へぁっ……はひぃっ……」

 

 研究員の男は、財宝の入った袋を引き摺りながら草原を進む。疲労困憊(ひろうこんぱい)の身体には恐ろしく遠い道のりではあったが、男の顔色の悪さには別の理由があった。

 

「あ、いたいた」

 

 男の遥か後ろから、忌々(いまいま)しいゲームの主催者達がゆっくりと歩いてきた。

 

「おっお前らっ……! 何のっ用だっ……! やっぱり……宝をやるなんて嘘かっ!!」

 

 財宝が入った袋にしがみつき、ラルバ達を(にら)み付けるが、その目にもはや生気はなかった。

 

「いやいやまさか。私は約束は守るぞ? ねーバリア?」

「うん」

 

 何となく肯定したバリアの頭を()でてから、ラルバは男へと歩み寄る。

 

「しかしだ優勝者くん。君、ちぃと具合が悪いんでないかい?」

 

 そう言ってラルバが男の腹を軽く蹴ると、(せき)を切ったかの様に血反吐を吐き出した。

 

「うわ。汚ったないなもう」

 

 軽く飛び退いたラルバは、僅かに血がついた靴の先を地面に擦り付ける。

 

「こっこれっ……お前のせいか……!」

 

 腹を抱えてうずくまりながら男が(うめ)く。

 

「私じゃなくてコイツのせいだ」

 

 ラルバがラデックの頭を掴み男に差し出す様に引っ張る。

 

「……ガス単体であればそう毒性は強くないんだが、過度に吸引した被験者の体液……特に精液なんかは濃縮されて強い毒性を得る」

「うわぁなんて酷いやつだ。謝れ」

「ガスの副作用は事前に説明したはずだが……」

「うるさい。謝れ」

「ごめんなさい」

 

 無理矢理頭を下げさせたラデックを放り投げると、ラルバは男に小さな黒い塊を見せる。

 

「そこでだ、この解毒薬を買わないか? 言い値で売ってやるぞ?」

 

 男はラルバを細目で睨みつけた後、泣きじゃくりながら地面を殴りつける。

 

「おまっ……! 最初からっ……! そのつもりでっ宝をっ……!」

「全部寄越せなんて言ってないだろう。言い値だよ?言い値」

「くそっ……! くそっ……!!」

 

 混濁した恨み辛みを単調な暴言で垂れ流しながら、宝の入った袋をラルバに向け蹴飛ばす。

 

「ほう、全部くれるのか。気前がいいなぁ」

「早っ……早く寄越せっ……! 薬っ……!!」

「どうぞどうぞ」

 

 ラルバが黒い塊を男へ差し出すと、ひったくるように奪い取り飲み込んだ。

 

「しかしラルバ。解毒薬なんてよく見つけたな」

 

 ラデックがのそのそと起き上がってきた。

 

「ん?ああ、私のお手製だ」

 

 そう言ってVサインを作ると、男は目を見開いてゲボゲボと滝の様に血を吐き出した。

 

「ああ、やっぱダメだったか。製剤って難しいなぁ」

「だっ、騙し、(だま)したっ」

「騙した?なんてことを言うんだ。せっかく頑張って作ったのに」

 

 ラルバがむすっとした顔で瀕死の男に抗議する。

 

「ちなみにラデック、お前は解毒薬作れるか?」

「俺がやるなら肉体改造して毒の耐性つけたほうが早いし確実だ」

 

 それを聞くなり男はラデックにしがみつく。

 

「たった助けてくれっ……! たっ宝は返しただろっ!」

「え、ああ、うん。まあ」

 

 狼狽(うろたえ)ながらもしゃがみ込んで男の額に手をかざす。しかしその手をラルバが掴む。

 

「何してるんだ。世の中はギブアンドテイクだぞ。対価がなくては」

「宝は?」

「あれは私の解毒薬の代金」

 

 男にはもはや暴言や命乞いをする力は残っていない。

 

「で、優勝者くん。何か対価はあるかね」

 

 男は黙って首を振る。

 

「あれま残念」

 

 ラルバがラデックの手を左右に振り「サヨナラ〜」と男に微笑む。突如(とつじょ)、男が青白い光に包まれ、一瞬で消えた。

 

「おん?」

「運搬魔法だ。近くに術者がいる。ラプー!」

「んあ」

 

 ラプーが指を刺した先の岩陰から人影が現れる。

 

「我らは世界ギルド!私は”燃え盛る灯火“所属、レイヤだ!」

 

 先頭の小柄な人影が声を張り上げ、それに続き後ろの女2人も前へ出る。

 

「同じく“燃え盛る灯火”所属。カローレン」

「同じく“燃え盛る灯火”所属!フェイト!」

 

 カローレンは杖を、フェイトは弓を構えてラルバ達に対峙(たいじ)する。後ろではさっきの研究員がゲボゲボと血を吐きながら(うずくま)っていた。

 

「ラデック。覚えたか?」

「世界ギルドの“燃え盛る灯火”所属。左からカローレン、レイヤ、フェイト」

「わかんないからいいや」

 

 ラルバがわざとらしく肩で風を切って歩き、レイヤ達の前に立ちはだかる。

 

「私はラルバだ!その男を返せ!」

「断る!」

「じゃあいい!帰れ!」

 

 毅然(きぜん)と拒否したレイヤに「どっか行け」と手で追い払うジェスチャーをして、ドヤ顔をしながらラデック達の元へ戻ってきた。

 

「……レイヤ、あいつらは多分話が通じない。さっさと捕まえて帰ろう」

 

 カローレンがレイヤに(ささや)く。

 

「確かに通じそうにないな……しかし、悪人にも人権はあるのだ」

 

 そう言ってレイヤはラルバ達の方へ歩き出す。

 

「昨晩!魔工研究会からの連絡が突然途絶えた!」

「マコウってなんだ?」

「魔力で動く機械」

 

 首を(かし)げるラルバにバリアが(つぶや)く。

 

「恐らく使奴研究所が彼ら相手に商売をするために名乗っていたんだろう。機械を魔工にするのはそう難しくない」

 

 ラデックが説明しながらラルバの腕を引き自分の後ろへ下げる。

 

「我々は無関係だ!」

 

 ラデックが声を張り上げた。

 

「あ、嘘つきだ」

「すぐバレるよ」

「嘘をつけ! この男が回復すればすぐわかることだぞ!」

「やーい嘘つき」

「やっぱりバレた」

 

 ラデックは文句を言うラルバとバリアに「ごめん」と一言謝り、そのままのこのこ戻ってきた。

「はい!コイツです!コイツが全部やりました!」

 

 ラルバがラデックの首根っこを持って振り回す。

 

「見苦しいぞ犯罪者共! 先程のやり取りの一部始終は聞いていた! 主犯格はお前だろう!! ラルバ!!」

 

 ラルバは眉を八の字に曲げ、不満そうにラデックを落とした。

 

「やーい嘘つき」

 

 ラルバの真似をして(あお)るラデックの腹を蹴飛ばし、前へ出る。

 

「そんな奴殺されて当然だ。命を粗末に扱い、肉欲に垂涎(すいぜん)する悪の権化のような男だ」

「止まれ!」

 

 威嚇(いかく)するフェイトの矢先など気に求めず、レイヤ達に近づく。

 

「お前らの仕事は治安維持なんじゃないのか? だったら裁くべきは私ではなくそいつらだろう」

 

 カローレンがラルバの足元を魔法で焼き払い足止めをする。ラルバにとってはなんの障害にもならなかったが、炎の手前で足を止めて3人を睨みつける。

 

「私の復讐の邪魔をするな」

 

 炎にゆらゆらと揺れるラルバの冷たい眼光にレイヤは物怖じせず言い返す。

 

「復讐だと? 復讐は何も生まない。そんなことで失ったものは戻らないし、お前の心も癒されはしない」

 

 ラルバは少し驚いたように目を見開き、数秒経ってから目を細めせせら笑う。

 

「当然! 復讐とは! 最も利己的で、最も豊かで、最も魅力的な、最も優れた娯楽である!!」

 

 大きく手を広げ、鋭い歯をギラつかせ熱弁する。

 

「ギャンブル・セックス・ドラッグ・スポーツ・アート・ゲーム、お前は何かで遊ぶ時に生産性を求めるか? 娯楽(ごらく)の目的は快楽だ! その中でもリベンジは素晴らしい! 正義の名の下に悪を制することは他の何よりも甘美! お前らも覚えがあるだろう?」

 

 レイヤは(あき)れたように眼差しを鋭く突き刺す。

 

「お前らが何をされたかは知らないが、どんな事情があれ誰かを傷つけていい理由にはならない。憎しみの連鎖は世界を滅ぼす。お前の言う正義は偽善だ」

 

 ラルバはつまらなそうにムスっとする。

 

「話がまるで通じん……ラデックー?」

 

 振り返ると静かに正座しているラプーの横で、ラデックとバリアが頭の上で大きくバツ印を掲げていた。

 

「全く、頼りにならん」

 

 やれやれと呆れるラルバにレイヤが怪訝(けげん)そうな顔をした。



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6話 ”使”い捨ての性”奴”隷

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~見晴らしのいい草原~

 

 あまりにも話が通じないラルバに、フェイトが見かねてレイヤに耳打ちをする。

 

「ねぇレイヤ……やっぱり説得は諦めた方がいいよ」

「そうだな……、残念だが僕らには救えない」

 

 そう言ってレイヤが剣に魔力を注ぎ込む。

 

「おい! チビスケ坊主! 」

 

 ラルバの呼びかけにレイヤはムッとして言い返す。

 

「レイヤだ!」

「ガキンチョ! お前……さっきから私の胸ばかり見ているな?」

 

 予想外の問いかけにレイヤが顔を赤らめて驚く。

 

「なっ……急に何を! ふざけるな!!」

「……レイヤぁ?」

 

 フェイトが眉間にシワを寄せてレイヤを(にら)む。

 

「ちっちがっ! アイツが勝手に……!」

 

 言いがかりとはいえ、年頃のレイヤは顔を真っ赤にして否定する。それを見てラルバはニヤリと口角を上げ、両腕を頭の後ろで組み誘惑するようなポーズを取る。

 

「ほらよく見ろ、豊満な胸とは対照的に細い腰……、引き締まった尻と太もも、肌の白さに違和感を覚えるかも知れんが、顔は中々の美形だろう? もし私のような女性が娼館(しょうかん)に居たらどんな金を払ってでも抱きたいと思わんか?」

 

 くねくねと身体を(ひね)り胸を揺らすラルバに、レイヤはフェイトとカローレンが見ているにもかかわらず喉を鳴らした。

 

「レイヤぁ……」

「……低俗」

 

 フェイトとカローレンがレイヤに冷ややかな目線を向ける。

 

「ちっ違うっ!! ふざけるなっ!!」

「私は自分の魅力を自覚しているさ。でもそれは自惚(うぬぼ)れなんかじゃあない」

「お前っ……ぼっ僕を馬鹿にしてるのか!」

「何故私が美しいのか……、それはな……」

「うるさいっ!! (しゃべ)るなっ!!」

 

「それは……」

 

「私が慰安用(いあんよう)奴隷(どれい)として造られた人造人間だからだ」

 

 

 レイヤの紅潮していた顔に白さが戻る。それはフェイトとカローレンも同じで、ラルバの言葉に目を見開いて硬直する。

 

「私は使奴……”使()い捨て性()隷”だ」

 

 ラルバの後ろからラデックが近寄る。

 

「最も、随分(ずいぶん)前に使い捨てモデルは廃止されてリサイクルが主流になったんだがな。名前だけ俗称として馴染(なじ)んでしまった」

 

 ラルバはレイヤ達が攻撃してこないことを確認すると、体の力を抜いて静かに話を続けた。

 

「奴隷として人間は性能が低すぎる。顔、体、性格もランダムな上、出荷できるようになるまでに莫大な金と時間がかかる。誰かから奪うにしても数は有限だし危険が(ともな)う。何より、貪欲な成金異常性癖者共は我慢強くない」

 

 ラルバは両手を広げてレイヤ達に歩み寄る。しかし3人は近づいてくるラルバを攻撃する素振りは見せず、怯えた表情で数歩だけ後退(あとずさ)りをした。

 

「そこで私達使奴、“愛玩用人造人間”が考案された。」

 

 ラルバは再び立ち止まり、くるりと一回転して身体をアピールする。

 

「身長や肉付きは勿論(もちろん)のこと! 顔に身体の形状から声色! ある程度の性格補正も! さらには角に獣人化! しかも私のような成体になるまでの製作期間は一体(わず)か2年! 記憶の操作で知識の植え付けも自由自在だから教育の必要もナシ! 意識を持つより前に洗脳を(ほどこ)すことで反逆の危険性も皆無! まあ肌の色がたまにキズだが? それでも! 従来の奴隷を作るよりコストは半分以上削減され“使奴”は(またた)く間に大人気商品となった!」

 

 安全を確信したのか、ラデックがラルバの後ろでタバコに火をつけ座り込み補足する。

 

「開発初日から顧客(こきゃく)の熱量は凄まじかった。まだ実験段階だった頃に希望額の10倍以上の支援金が集まって、不出来な試作品も飛ぶように売れた。互いに金と時間をかければ上質なものができることはわかっていたからな。ラルバぐらいの使奴が開発されるまで、そう障害は発生しなかった」

 

 ラルバがずいっとレイヤの顔を(のぞ)き込むと、あまりの不気味さに飛び退き尻餅をつく。

 

「坊っちゃん。我々使奴が出荷されると、君の考えるよりずぅーっと酷い目に合うんだが……どんなことをされると思う?」

 

 レイヤは蒼褪(あおざ)めた顔で黙ってラルバを見つめる。

 

「犬や豚の相手なんか良い方だ。四肢を()がれて達磨(だるま)にされたり、穴という穴に棒という棒をぶっさされ、(えぐ)り、かき回される。奴らにとっては脳味噌(のうみそ)でさえ適温の潤滑剤(じゅんかつざい)に過ぎない」

 

 今度はフェイトに顔を寄せる。

 

「想像できるか? 歯を全て抜かれて(あご)の骨を砕かれる。何のために? 何のためだろうねぇ。拷問器具(ごうもんきぐ)を自ら装着し、自ら使用することを強制される。知ってるか? ハンドル回すとゆっくり針が出てくる首輪とか。(くず)の性処理をこなしながら自らの肉体を致命傷以上に追い込まねばならない。想像を絶する恐怖と快感と痛みと苦しみと嫌悪と愛情と憎悪と性欲と羞恥(しゅうち)が、四六時中眠ることも休むことも許されず押し寄せる。だが、臓物(ぞうもつ)が抜き取られようが代わりにクソを詰められようが、舌を抜かれようが切り刻まれようが、全身の皮膚(ひふ)()がされようが、そのまま水に沈められて魚の(えさ)にされようが決して! 死ぬことは愚か気絶さえ許されない……。高い金を出して買った玩具(おもちゃ)には相応の耐久性が保証されている。私たちはそうできている」

 

 ラルバはフェイトが力なく構えていた弓を掴み、矢先を自分に向ける。

 

「こんなもの何十本何百本打ち込まれようが、私にとっては(かす)り傷でしかない。だってそうだろう? 両手は自由に動くし目は見えるし音も聞こえる。仮にこの矢が私の両眼両耳を貫き肺と喉を切り裂き両手両足を突き刺さし昆虫標本のように()い付けたとして、使奴の本来の定めからしたらとぉっても幸せな方だ。そうは思わんか?」

 

「……っひ、うあっ……あっ……!」

 

 フェイトは思わず弓から手を離し後ろへ倒れる。ラルバはフェイトの手に優しく弓矢を握らせ、上から手を重ねる。

 

「なあ……。私は悪か? 」

「……っ!! ………………っ!!!」

 

 目尻いっぱいに涙を溜め顔面蒼白(がんめんそうはく)のフェイトは、意思表示にならぬように必死に首の震えを(こら)える。すると真横からフェイト以上に震えた剣の切っ先がラルバの頬に突きつけられた。

 

「でっでまかせだっ!! そんな話っあるはずがないっ!」

 

 ラルバがゆっくり振り返ると、ガタガタと足を震わせたレイヤが、冷や汗で額を濡らしながら青い顔で剣を握っていた。

 

「ほう。では逃げ出した魔工研究所の男を捕まえて尋問すればいい。嘘を見破る魔法とか機械とか、なんかしらあるだろ?」

 

 レイヤがハッとして振り向くと、助けたはずの研究員は忽然(こつぜん)と姿を消しており、代わりに血溜まりが点々と街の方へ続いていた。

 

「もっとも、あの様子じゃとっくに死んでしまっているかも知れんがな」

 

 ラルバが手を腰の後ろで組み、お辞儀をするように屈んでレイヤの顔を覗き込む。

 

「私が使奴の話をした時にはもう逃げ出していたよ。なぜだろうね? この話が嘘なら大人しく助けてもらえばいいのに」

 

 レイヤは再び震えた目でラルバに向き直る。

 

「魔工研究所を調べればいい」

 

 ラデックが欠伸(あくび)をしながら答える。

 

「あそこは今無人だ。残った資料を隠蔽(いんぺい)する奴はいない。ちょっと探せば顧客名簿やら管理フォルダが山ほど出てくるだろう」

 

 怯えるレイヤにラルバが再び詰め寄る。

 

「なあ、これは“どんな事情があれ誰かを傷つけていい理由にはならない”ことの”どんな事情”にも含まれるか? 私にこのまま泣き寝入りをしろと? ただこの世界に産み落とされ偶然最悪の運命から逃れることができて「じゃあいいじゃん」の一言で未だのうのうと生き永らえて私服を肥やし続け私たちへの罪の意識なんぞ髪の毛先程にも持たぬ奴らを傷つけてはならないと?」

 

 今度はフェイトを背後から抱きしめる。

 

「この子が我々と同じ目に()っても同じことが言えるか? 使奴と同じ結末を辿り、殺してくれと願う気力すら無くなってしまった、死ぬことも生きることも許されないこの子を見ても……」

 

 フェイトを背後から押して歩かせ、レイヤの眼前に突きつける。

 

「復讐は義に反すると? お前らの考えた刑罰如きで罪を償わせられると?」

 

 2人は何も言うことができない。カローレンは苦虫を噛み潰したような顔で静観しているが、強く握られた拳は「早く2人を助けろ」と爪を食い込ませる。

 

「……というわけだ。それじゃあ我々はお(いとま)させていただくが、まだ自分に正義があって我々が悪だと思うなら追いかけてくればいい」

 

 では、と手を振りラルバ達4人は歩いて行った。

 

 

 レイヤは遠ざかっていく彼女らを、ただただ漠然と見守ることしかできない。

 

「……追いかけなきゃいけないのはわかってるんだ」

 

 レイヤが一歩だけ前へ足を踏み出す。

 

「でも、どうしても体がいうことを聞かないっ……!」

 

 そして、剣の(さや)で足を(しき)りに殴りつける。

 

「自分が間違っていたなんて事は思わない……アイツらが正しいとも思わない……でも……でもっ! 」

 

 

「アイツらだって……アイツらだって……間違ってるわけじゃないんだ……」

 

 

 カローレンとフェイトの2人は何も言い返すことができない。

 

「僕は……僕は、なんだ……?」

 

 遠ざかる4人の背中が見えなくなるまで、レイヤ達はその場を動くことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「追いかけて来ないね」

 

 バリアがたまに後ろを振り返りながら3人の後をついていく。

 

「ふふん、私の説教がよっぽど応えたらしい。良いことをして清々しい気分だ」

 

 ラルバは上機嫌に足を進める。

.

「正直、ラルバが3人とも殺すと思っていたから少し安心した」

 

 ラデックがそう言うと、ラルバは少し驚いたような怪訝(けげん)そうな顔で(にら)む。

 

「殺す? 私が? あの善良な民を? なんてこと言うんだラデック。そんな酷いことするわけないだろう! それじゃあまるで私は残忍な快楽殺人鬼ではないか!」

 

 熱を持って反論するラルバに、ラデックは何を言い返そうか少しだけ考え「ごめん」と一言だけ謝罪した。するとラルバは「わかればいい」とラデックからタバコを引ったくり一口吸うと、気に入らなかったのか眉間にシワを寄せてラデックの口に押し込んだ。

 

「ラプー! 世界ギルドってのはどっちだ! 」

「んあ」

 

 感情の上下が激しいラルバとは打って変わって眉一つ動かさないラプーが、進路とは少しズレた森を指差す。

 

「あっちに歩いて3日」

「3日かあ、遠いな」

「ギルドに行ってどうするんだ?」

 

 タバコを吐き出したラデックが、口をモゴモゴさせながら問いかける。

 

「襲撃だ」

 

 ラルバが不敵な笑みを浮かべる。

 

「残忍な快楽殺人鬼じゃないか……」

 

 反論に(いら)ついたラルバは、頬を膨らましてそっぽを向く。

 

「正確には占拠(せんきょ)だ。私達には今のところ人権も情報もない。偉いとこの偉い奴をとっちめれば何もかも手に入る。どっかのクソ無能天然猿が役に立たないからな!!」

 

 肩で風を切って歩くラルバに、ラデック達は早足で近寄る。ラデックはラプーを見下ろしてからラルバに向き直る。

 

「なるほど」

「ところでラデック。実際のところどうなんだ?」

「何がだ?」

「使奴の末路だ。ビビらせる為に適当にでっち上げたが、私の作り話ぐらい酷いものなのか?」

 

 ラデックが顎に手を当て少しだけ考える。

 

「そうだな……実際か……俺が見てきた限りでは」

 

 

 

 

「倍は酷い目にあっていたな」

「まーおっそろしー」

 

 ラルバは(わざ)とらしく身震いをさせた。



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7話 世界ギルド【境界の門】

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【世界ギルド】

 

〜巨大な城門〜

 

「うーむ、困った」

 

 ラルバは物陰に隠れて行列を(にら)みつける。商人に旅人、(おごそ)かな騎士団。城門から伸びた行列に並ぶ人々が談笑をしながら順番待ちをしている。先頭では数人の兵士に、外から来た人間が手帳のようなものを見せて検査を受けている。

 

「あれはパスポートか……?」

 

 ラルバが独り言を(つぶや)くと、横からラデックが身を乗り出して(のぞ)く。

 

「まあこれだけデカい城門だ。中も相当なものだろう。怪しい人間は入れたくないはずだ」

 

 後ろからバリアも顔を覗かせた。

 

「女の人がいっぱい」

 

 不思議そうに行列を見つめるバリアにラデックが説明する。

 

「ん? ああ。盗賊の国でもそうだったんだが……といってもバリアにはわからないか。確かにやたらと女性が多いな」

 

 門番、衛兵、商人、狩人、戦士、魔術師。積荷を運び出すのも検査をするのも皆女性で、男もいるが馬車の中で座っているのが数人見えただけである。

 

「どうしたものか……ラプー!オマエはパスポート持ってるのか?」

「んあ」

 

 ラルバがラプーを呼ぶと、(ふところ)から赤い革の手帳を取り出した。

 

「私もあるよ」

 

 バリアも上着の内ポケットから同じ手帳を見せる。

 

「ほう……?」

 

 ラデックがバリアから手帳を受け取る。

 

「……顔写真以外はほぼ無記入だな。年齢は17?」

「適当だと思う」

 

 バリアが手帳の隅を指差す。そこには小さく“アイテム“とスタンプが押されていた。

 

「私は人間じゃなくて道具に換算されてたから」

「……なるほど」

 

 ラルバがバリアの頭を()でながら行列を睨み続ける。

 

「ようし! じゃあバリアはラプーについていけ。ラプー! バリアを連れて中で待っていろ! ラデックは私と侵入だ」

 

 ラプーが小さく(うなず)くと、バリアを連れて行列へ歩いて行く。それを見届けたラルバは城門の外壁に沿って歩き出した。

 

「どこからどうやって入るんだ?」

「ふっふっふ……」

 

 ラルバがニヤリと笑って城壁に手をつく。すると城壁から泡が湧くように”氷塊が生え“地面に落下する。氷塊が湧き出た城壁にはポッカリと穴が開き、向こう側に倉庫のような部屋が覗いている。

 

「ラッキー! 無人だ!」

 

 指をパチンと鳴らしながら穴を潜り侵入するラルバ。

 

「早くこい。お前も氷になりたいのか?」

 

 氷塊を調べているラデックをラルバが引っ張る。

 

「ラルバ。これは”いつ“のだ?」

 

 ラルバは問いに答えず、扉を破壊して奥へと進んでいく。

 

「……直しておくか」

 

 ラデックは城壁の一部を”()ぎ取り“ぐねぐねと()ね始めた。

 

〜賑やかな城下町〜

 

 通行人は珍妙な2人組を見ては好奇の視線を向けて距離を取る。いつもは人混みで歩き辛い大通りも、2人には関係のないことだった。

 

「……みんなこっち見てる」

 

 そう呟くバリアに目もくれず、早足でスタスタと歩くラプー。

 

「どこ行くの?」

「ラルバん探すだ」

「どうやって?」

「聞くだ」

 

 一問一答に疲れたバリアは、辺りをキョロキョロと物珍しそうに見回しながらついて行く。

 黙々と歩みを進めるラプーは、路地裏を通り裏口の鍵を開け、天井に張り巡らされたダクトを登り、格子窓を外して屋根を伝って梯子(はしご)を降りる。やがて周囲には“立ち入り禁止”の看板が散見されるようになり、時折ラプーは歩みを止めて監視カメラやセキュリティゴーレムの視界を外れる。

 

「んあ」

「おお?ラプー!」

 

 ラプーが物陰からチラリと見えた見覚えのある赤い髪に近づくと、ラルバが驚いた顔でラプーに振り向く。

 

「はっはー! よし! 大通りへ案内しろ!」

「んあ」

 

 ラプーは軽い返事で(きびす)を返し、また黙々と歩き出す。バリアはキョロキョロと辺りを見回してからラルバに尋ねる。

 

「ラルバ、ラデックは?」

「ん? 遅いから置いて来た。なんとかなるだろう」

「そっか」

 

 三人はラプーの開けたハッチから地下へ降りて行った。

 

 

〜簡素な取調室〜

 

「貴様!! あそこで何をしていた!!」

「壁の修理を」

 

 衛兵に取り押さえられたラデックは小さな事務室で取調を受けていた。ラデックは女衛兵の剣幕に動じず淡々と返事をしている。

 

「あんなところに穴は開いていなかった! お前がやったんだろう!」

「やっていない」

「正直に言え! では何故(なぜ)あんなところにいたんだ!」

 

 ラデックは少し考え、静かに視線を戻す。

 

「正直に言うと、侵入しようと思っていたのは確かだ」

「……何故侵入しようとしたんだ」

「身分を証明するものがない」

「だったら何故門番に聞かない?」

「……紙とペンを貸して欲しい」

 

 女衛兵が引き出しからメモ用紙とペンを手渡す。

 

「……この紋章の意味を教えてほしい。そうしたら答える」

 

 そう言ってラデックは”盗賊の国”の紋章を描いた。

 

「これは……! ”一匹狼の群れ”の紋章を何故お前が知っているんだ! 奴らの仲間なのか!?」

「ってことはこの国は盗賊達とは敵対しているんだな。よかった」

 

 ラデックはほっと胸を()で下ろして、ペンを机に置く。

 

「俺はその国で奴隷(どれい)として使われていたが、逃げて来た。でもここが盗賊達の仲間じゃあ門番に会った瞬間お終いだ」

「な、なるほど……。それは災難だったな……」

 

 鬼の形相(ぎょうそう)だった女衛兵の顔が哀れみの色を見せ、みるみる大人しくなっていく。

 

「だから侵入しようと思ったが、壁の穴を見つけたときに侵入よりも修復をしている方が心象がいいと思ったんだ」

「そ、そうか」

 

 女衛兵は兜を外し、後頭部を()く。

 

「一匹狼の群れの場所を教えてもらえるか?」

「ここから南西に馬で2,3日。大きな岩肌の隠蔽(いんぺい)魔法で隠した亀裂が入り口だ」

「わかった。中にいる奴隷の数と盗賊の数を教えてほしい。大体で構わない」

「奴隷は2〜300人。盗賊は100人程度、皆死んだ」

「え?」

 

 メモを取る手を止め、ポカンと口を開ける。

 

「5日前に大柄な女が捕らえられて来たんだが、その女がめっぽう強くてな。出払っていた者以外みんな彼女に殺されてしまった」

「そ、その女は……?」

「我々には目もくれず立ち去っていった。どこにいるのか、どこの誰なのかさえもわからない」

 

 衛兵が口元に手を当て、怪しむそぶりでラデックを見つめる。

 

「……しかし、君が未だ一匹狼の群れの仲間でない証明ができない。すまないが、暫くは拘留されるだろう」

「なら俺にマーカーでもつけておけばいい。呼ばれればすぐに出向くと約束をしよう」

「……は?ま、まあそれならいいが……人権侵害と言われても擁護(ようご)できないぞ?」

「こっちも無理を承知で頼んでいるし、多少の不自由も覚悟している」

「う〜ん……まあそれなら……」

「あと出来ればアナタに換金に付き合ってほしい」

 

 そう言ってラデックは腰につけた袋から宝を幾つか取り出す。

 

「恐らく盗品だろうから……売れるものとそうでないものがあるはずだ。詐欺(さぎ)に遭っても困る。手数料は払うからどうかお願いしたい」

 

 素人目にもわかる財宝の数々に衛兵は目を丸くした。

 

〜世界ギルド 総本部〜

 

「イっイチルギ様!イチルギ様!」

「はいはーい、何かしら?」

 

 大慌てで飛んできた衛兵に、イチルギと呼ばれた女性は優しく返事をする。

 (あで)やかな黒髪のポニーテールに黄色い怪しげな瞳。衛兵の甲冑(かっちゅう)とは対照的に、丈の短いジャケットを羽織(はお)りチューブトップに薄手のパンツとカジュアルな装いは、180cmという高身長にも(かかわ)らず、優しげな朗らかさを(かも)し出す理由の一つかもしれない。しかし、その雪よりも白い肌と夜空よりも黒い白目は、明らかに人外であることを物語っていた。

 

「先日連絡が途絶えた魔工研究所から! 使奴の歴史に関する文章が多数発見されたとの報告があったのですが……!」

「ふぅん。それで?」

「も、申し訳ありません……。調査員が罠を起動してしまったようで……、全て焼き払われてしまいました……」

「あらあら、まあそれはそれで良かったわ。見つけても機密文書にする予定だったしぃ」

「……あの、イチルギ様」

「ん? なあに?」

「その……我々でも使奴については教えていただけないのでしょうか。……イチルギ様も使奴なんですよね?」

「知らないほうが身のためよ〜」

「……はい」

 



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8話 一縷の正義

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜質素な宿屋〜

 

 カーテンが勢いよく開かれ(まぶ)しい朝日が窓から差し込み、まだ瞳孔が開いているバリアの目を瞼越(まぶたご)しに突き刺した。バリアは身を(よじ)って毛布に顔を埋めるが、ラルバによってすぐに引き()がされてしまう。

 

「バリア! 朝だぞ! いつまで寝ているんだこの寝坊助(ねぼすけ)っ!!」

 

 ラルバの声が(やかま)しく降り注ぎ、バリアは(うっす)らと目を開ける。

 

「……今何時?」

「朝だ!」

 

 ラルバはラプーから紙切れを受け取るとバリアに向き直る。

 

「私はこれから偉い奴をブチのめしてくるから留守番していろ! それと……私が三日戻らなかったら助けに来てくれ」

 

 バリアは寝ぼけ(まなこ)を擦りながら一言だけ「わかった」と(つぶや)いた。

 

「それと……ほれ、お小遣い。無駄遣いしちゃダメだぞ! あと、夜遅くは出歩かないこと! 私のアリバイがなくなるからな!」

 

 数枚の金貨と宝石を受け取ったバリアは(うつろ)な目で「うん、うん」と生返事を繰り返す。

 

「そんじゃあ行ってくるぞ! ラデックに会ったら一発ぶん殴っておくように!」

 

 窓から勢いよく跳躍(ちょうやく)して屋根を駆け上がるラルバを見送ると、バリアはひったくられた毛布を手にとり、布団の上でモゾモゾと二度寝の準備を始めた。

 

 

〜カルネの家〜

 

「な、なあ本当にもう行くのか?」

 

 女衛兵のカルネは不安そうにラデックを引き止める。

 

「ああ。換金だけじゃなく食事に寝床まで用意してもらえるとは……。とても助かった。」

「こ、この辺は何かと物騒だ。そんな大金持ち歩いていたらスリや強盗に遭うかもしれない。もう少しここにいたほうがいい」

「アナタにこれ以上迷惑をかけられない」

「迷惑だなんて……。私は別に1人や2人増えたって……、家庭もないし……」

 

 顔を赤らめながらラデックを見つめるカルネは、恥ずかしそうに身を捩る。

 

「本当に助かった。これはほんのお礼だ」

 

 ラデックは麻袋から札束を取り出してカルネに渡す。

 

「そっそんな!受け取れないよ!」

「いいんだ。きっと盗賊の被害に遭った人たちも、貴方のような善人に渡るなら許してくれる」

 

 そう言ってラデックは深々と頭を下げると背を向けて歩き出した。

 

「まっまたいつでも来ていい!何か困ったことがあったら……!」

 

 ラデックは少しだけ振り向いて手を振った。

 

「……これから国を(おとしい)れようとしている人間だと言うのに。悪いことをした」

 

 一言だけ申し訳なさそうに呟き、足早に中央区へと向かった。

 

 

〜世界ギルド 総本部〜

 

「異常ナシッ!」

「異常ナシ」

 

 兵士が互いに中空を指して(きびす)を返す。石造りの巨大な城は王国制であった頃の名残をありのままに残し、それでいて監視カメラや電子機器といった高度な文明にも馴染みつつあった。

 

「……どこがどこだか」

 

 陰からキョロキョロと首を振るラルバが、眉を(ひそ)めながら小走りで廊下を駆け抜ける。兵士の後ろをピッタリとついていき、回れ右と同時に左側をすり抜ける。

 

「……会議室、情報処理室、給湯室。研究所と大して変わらんなあ」

 

 途中、設置してある自動販売機で飲み物を買って、まるで見学に来た子供のように城内を気ままに散策する。所々に設置されたカメラの死角をすり抜け、時々天井に張り付いたり静かに壁に抜け穴を開けて隠密に徹し監視を(あざむ)く。

 

「……?」

 

 ふと、ラルバは自分の後ろに気配を感じた。微弱な魔力が自分のほうへ向かって流れてきている。誰かが自分に気づき近寄ってくるのを感じて、足早にその場を立ち去る。しかし気配の主はラルバの後ろを迷うことなく一定の速度でついてきた。

 

 

「……ばあっ!!!」

「こんにちは」

 

 気配の主を大きな空箱の中で待ち構えていたラルバは、勢いよく飛び出して驚かせて見せた。しかし、目の前にいる使奴(シド)の女性は眉一つ動かさず丁寧に挨拶を返してきた。

 

「……お前つまんない奴だな」

「こんな所まで使奴が何の用かしら?」

「ふうむ。一番偉い奴を探してる」

 

 侵入がバレてもラルバは顔色一つ変えずに歩き出す。

 

「一番偉い人ならヴェングロープ総統ね。今日は2番棟で会議をしてらっしゃるわ」

 

 ラルバが顔をムスッと膨らませる。

 

「一番偉い? アレが? ただの汚いババアだろう。あんなのじゃなくて、裏で糸を引いてるボス的な奴がいい」

「裏で糸を引いてる?」

「さっき裁断された紙屑を()()()きた。サインがあのババアの筆跡じゃない。あと、ババアのちんたら作業じゃ1日にあの量の書類に目を通してサインするのは無理だ」

「へぇ……」

 

 ラルバは持っていた空き缶を使奴の女性に「捨てといてくれ」と手渡し、資料室へ入っていく。使奴の女性も後に続き、後ろ手で鍵をかけた。

 

「名簿名簿〜め〜い〜ぼ〜は〜……おい、名簿どれだ? この城の関係者全部載ってるやつ」

「私と賭けをしない?」

 

 暢気(のんき)なラルバの質問を無視して、使奴の女性が不敵な笑みを浮かべる。

 

「私の名前はイチルギ。多分アナタの言う“裏で糸を引いてるボス的な奴”よ。私に勝ったら言うこと一つ従ってあげる。でも、アナタが負けたら私の言うこと一つに従ってもらうわ」

「……ほう」

 

 ラルバは持っていた資料を閉じると、(そば)の椅子に腰をかけふんぞり返って資料を団扇(うちわ)代わりに優雅に(あお)ぎ始める。

 

「じゃあ私が勝ったら仲間になれ。悪を滅ぼす正義の旅路についてこい」

 

 イチルギがニヤっと笑い返す。

 

「じゃあ私が勝ったら、アナタは私の部下になってもらうわ。勿論(もちろん)この国のルールに従うことになるのだから、変なことをしたら法律に(のっと)って裁かれてもらう」

「決まりだ!」

 

 ラルバが勢いよく椅子から立ち上がり、イチルギに詰め寄る。

 

「ゲームには公平性と戦略性が求められる。こんなのはどうだろう」



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9話 分の悪い賭け

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~世界ギルド 総本部~

 

 廊下の石畳に敷かれた赤い絨毯(じゅうたん)の上を、ラルバが独楽(こな)のように回転しながら飛び蹴りを連打する。イチルギはそれをすんでのところで(かわ)し、少しずつ後退(あとずさ)る。ラルバが後退に合わせて膝を伸ばした瞬間を狙い、イチルギが距離を詰めて喉元を手刀で突き刺す。しかし、ラルバも同時に倒れるように後ろへ下がって手刀を避ける。そのまま片手でバク転の要領で下半身を持ち上げ、爪先で半円を描いて後退し立ち上がる。

 

「んひひっ、一点先取っ」

 

 そう呟くラルバは、指先についた血を自慢げに弾いた。イチルギは悔しそうな渋い笑顔でラルバを睨みつけながら首筋を抑える。

 

 ルールその一、先に人間的致命傷を2回加えた方の勝利。

 

 イチルギは指先で傷を()で、それが先程の手刀を避けられた際に引っ()かれたものだと理解して顔を(しか)める。首筋に火炎魔法で焼き(あと)をつけて傷を塞ぐと、姿勢を屈めて一瞬でラルバに詰め寄った。

 

「あ、ルール違反だ」

「攻撃じゃないからいいでしょ」

「まあそうか」

 

 ルールその二、魔法・異能禁止の肉弾戦

 

 再び2人はサーカス団のように飛び跳ねながら廊下を駆け抜けていく。しかし、確実に癖を見抜き攻撃が激化するイチルギに気圧(けお)されたラルバは、窓を開けて外へ飛び出し外壁をよじ登って距離を取る。しかし登った先の窓はどれも外側に鉄格子がついており、ついていない窓は鍵がかかっていた。

 

「ぐぬぬ……。窓が開かない……」

 

 ルールその三、城の設備・備品等の破壊禁止

 

 偶然開いている窓を見つけたラルバは聞き耳を立てて中の様子を(うかが)い、安全を確認すると中へ入り込む。

 

「はい同点」

 

 しかし待ち構えていたイチルギが廊下の隅からクロスボウで矢を放ち、ラルバの耳ごと側頭部を撃ち抜いた。

 

「うぎっ……!」

 

 痛みに顔を(ゆが)ませながら刺さった矢を引き抜くラルバ。イチルギを睨みつけ、床を蹴り壁を走って距離を詰める。すると――――

 

「イチルギ様!お疲れ様です!」

 

 衛兵の足音が聞こえたラルバは、即座に石の壁に指を引っ掛けて勢いを殺し天井の隅に身を隠す。イチルギも咄嗟(とっさ)に持っていたクロスボウを棚の陰に押し込んだ。

 

 ルールその四、城内の従事者・一般人に戦闘がバレたら即敗北

 

「お疲れ様〜」

「先程2階で不審な物音を聞いたと言う報告がありましたが、イチルギ様は何かご存知ではありませんか?」

「ん〜聞いてないわねぇ、後で確認してみるわ。どうもありがとう」

「そうでしたか、では自分は警備に戻ります!」

「はーい、お疲れ様〜」

 

 手を振って見送るイチルギの後ろから、ラルバが天井の縁に足を引っ掛けて蝙蝠(こうもり)のようにぶら下がり、喉元へ爪を伸ばす。しかしイチルギも屈んでこれを(かわ)し、同時に逆立ちをしてラルバの顔を蹴り上げる。

 

「ぬおっ!ハズレっ!」

 

 咄嗟に顎を持ち上げたラルバの首筋をイチルギの爪先が(かす)る。

 

「この靴、毒塗ってあるから今ので一点よ」

「嘘つけこのタコ」

「バレちゃったか」

 

 互いに低レベルな悪態をつきながら城内を飛び回る。時折衛兵に出会(でくわ)してはラルバが飛び退()き、イチルギが傷を隠す。2人の静かな死闘は誰の目に触れることもなく繰り広げられた。

 

 

 

「いい加減諦めて欲しいわ……。私この後予定あるのよ」

「そうか。じゃあそれまでに仕留めてやる」

 

 最初こそ一瞬で得点を許した2人だが、まるで武術の型に当てはまらないラルバの不規則な動きを警戒するイチルギと、自分の動きを即座に読み取り常に逆をついてくるイチルギに翻弄(ほんろう)されるラルバ。2人の戦闘能力の高さは、今回のルールには噛み合わなかった。

 

 戦闘開始から4時間が経過し、使奴である2人のスタミナに問題はなかったが、城の消灯時間が刻一刻と迫ってきていた。

 

 すると、曲がり角の先から誰かの足音が聞こえてきた。イチルギは足音から衛兵のような金属音がしないことに気づき、役人の誰かだろうと目星をつけた。ラルバも足音に気づき、早めに距離をとって天井に張り付く。

 

「……む、こんばんは」

「こんばんは〜……見ない顔ね?」

 

 陰から歩いてきたのはラデックだった。しかし、面識のないイチルギはつい頭の中で彼が誰なのかを考えてしまった。イチルギの頭上にいたラルバは、獣のように歯をギラつかせて瞳孔を開き静かに天井から落下をする。そして、イチルギの背中から心臓目がけて持っていたクロスボウの矢を突き刺した。

 

「私の勝ちだ!!」

「えっ……、ちょっ……!?」

「……?」

 

 困惑するイチルギとラデックを他所に、仁王立ちで胸を張るラルバ。

 

「ちょっと! 彼に見つかったんだからアナタの敗北が先でしょ!」

「だってそいつ私の仲間だし、従事者でも一般人でもないもーん」

「ええっ!?」

「初めまして」

 

 心臓を(えぐ)り胸から飛び出した矢のことなど気にも留めず、イチルギは自身が敗北したことに頭を抱えて悶える。

 

「ええ……そんな事って……でもぉ……」

「喜べラデック! 今しがた我々の仲間になったイチルギだ!」

「ラデックだ。よろしく」

 

 (うずくま)(うな)るイチルギにラデックが手を差し伸べると、イチルギは項垂(うなだ)れたまま渋々手を握り返す。

 

「まずはこの国の権力を全て譲渡してもらって! いや、その前に金か。あとパスポートと住所と……」

 

 ラルバは小さく唸りながらその場を彷徨(うろつ)く。

 

「ところでラデック。お前ここへ何しにきたんだ?」

「いや、宿にいたバリアに聞いたらラルバがここにいると聞いたもんでな」

「よく入れたな」

「ここ立ち入り自由だぞ」

 

 そう言ってラデックはポケットから入場許可証を引っ張り出してラルバに見せる。するとイチルギはハッとして固まってからゆっくりと立ち上がり、ラデックの両肩を掴む。

 

「あのね……ラデックさん……。あのね……許可証はね……首から下げてなきゃダメなのよ……」

「そうなのか」

「あと……ここは関係者以外立ち入り禁止なの……。許可証で入れるのは一階ホールだけ……」

「そうなのか」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で笑顔をわなわなと振るわせるイチルギと、真顔で許可証を首に通すラデック。横でラルバは勝ち誇った顔で腕を組みイチルギを見下している。

 

「ところでラルバ。さっきバリアに会った時いきなり殴られたんだが、なんでだ?」

 

 ラルバはキョトンとした顔で首を捻る。

 

「……? さあ? ラデックに会ったら殴っておけとは言ったが……なんで言ったかまでは忘れた」

「そうか……」

 

 ラデックはまだ痛む頬を軽くさすった。

 

 

〜真夜中の中央広場〜

 

 誰もいない石畳の広場を、両腕を広げバランスを取ってくるくると回りながら踊るラルバ。その後ろをラデックがタバコを吸いながらついて行く。

 

「ふんふふ〜ん。気分がいいなぁ……これで権力と戦力がぐぐーっと上がったわけだ」

「本当に来るのか? 彼女は」

「え? 来るだろう」

 

 ラルバは踊るのをやめてラデックに向き直る。

 

「聞いたところ彼女はこの世界ギルドのNo.2だ。しかしトップのヴェングロープ総統はもう寿命だろう。実質この国の(ほとん)どの決定権をイチルギが握っている状態だ。そんな彼女が自分の地位や権力を捨ててラルバについていくとは思えない」

「だって奴はゲームに負けたんだぞ。負けたら私の仲間になるとも言った」

詭弁(きべん)だろう」

 

 ラルバは眉間にシワを寄せ(うつむ)く。

 

「……もし、もしイチルギが約束を破ったら……」

 

 手を(かざ)し、指の隙間から城を睨み付ける。

 

「ラルバ。世界ギルドに喧嘩を売るなら俺はそこで降りるぞ」

 

 ラデックがラルバの翳した腕を掴む。

 

「……なんだと?」

「俺がついてきたのは命惜しさ故だ。イチルギと敵対することは俺の死に直結する」

「……その時は、お前を殺すだけだ」

 

 ラルバはラデックの手を振り払い、不機嫌そうに(わざ)とハイヒールを鳴らして立ち去る。ラデックは暫く立ち尽くした後、一目だけ城の方を見てから宿へ向かった。

 

~質素な宿屋~

 

 部屋の扉を乱暴に開けたラルバは、上着を無造作に丸めてコートハンガーに投げつけベッドに倒れ込んだ。

 

「おかえり」

 

 ラルバは異物感のする毛布の返事に眉を八の字に曲げる。声の出所を鷲掴みにして持ち上げると、(うつろ)な目のバリアが出土した。

 

「バリア、まさかこの時間まで寝ていたのか……?」

「うん」

 

 そう言ってバリアは今朝渡されたお小遣いを、そっくりそのままラルバへ返却する。

 

「……おやすみ」

 

 ラルバは一言だけ呟いてバリアを毛布へ押し込むと、隣のベットに寝転び数分もしないうちに寝息を立て始めた。

 

 

 

 深夜、(わず)かな水音にバリアは目を覚ました。月明かりだけが部屋を照らしており、世界が止まっているのではないかと錯覚した。未だへばりつく眠気に耐え、ベットを這い出てトイレへと向かう。しかし扉は使用中の色を示していたため、暫く部屋をうろうろと彷徨(さまよ)ってから諦めて玄関に手をかける。

 

「2人とも遅い……」

 

 彼女は独り言を呟きながら外へ出て、まだ明かりのついている酒場へふらふらと吸い込まれていった。

 

 

 

 (きら)びやかだが、どこか老舗(しにせ)の優しさを(かも)し出す酒場は、怪しい無愛想な使奴にも丁寧だった。バリアがトイレを借りて外へ出ようとすると、突然何者かに腕を引かれて隅の席へ座らされる。

 

「こういうところでは何か注文するのが礼儀よ」

 

 目の前の見慣れぬ使奴の女性にそう(さと)され、ポケットを探るが中は空っぽだった。

 

「お金持ってない」

「じゃあ私が(おご)ってあげる。マスター! こっちに黒バニラティーとメロンウイスキー頂戴!」

 

 奥の老婆が優しい笑顔で手を振って返事をする。

 

「私はイチルギ。ラルバと賭けに負けてアナタ達について行くことになったの。明日からよろしくね」

「ん……」

 

 バリアは差し出された手を無機質に握り返す。

 

「アナタ名前は?」

「名前……バリア」

「そう、バリア。アナタはどこからきたの?」

 

 一度、使奴研究所と言いかけて。

 

「魔工……研究所……」

「偉いわね。でも大丈夫よ」

 

 イチルギが優しく頭を()でる。

 

「私と同じ出身ね。悪いけど、全部内緒ね?」

「一緒じゃないよ」

「……そう?」

 

 話を(さえぎ)るようにウェイターがドリンクを運んできた。バリアはイチルギに差し出されたカップを、じぃっと見つめてから静かに(すす)る。

 

「どう? おいしい? こんなの初めて飲んだでしょう」

 

 笑顔で聞いてくるイチルギから少し視線を外し、カップの水面を見つめる。

 

「……甘い」

 

 一言だけ呟きまたちびちびと啜り始めたバリアを、優しく微笑んで見つめるイチルギ。2人はそれ以降黙ったままだったが、その間にはどこか(ほが)らかな空気が(ただよ)っていた。

 

「……これでいいんでしょう。ヴァルガン」

「誰?」

「ううん。なんでもない」

 



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10話 新たな世界

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〜質素な宿屋〜

 

「朝だっっっ!!!」

 

 薄暗かった部屋を、縫針の様に鋭く尖った朝日が微睡(まどろみ)を突き刺した。まだ僅かに(うごめ)くだけの2つの毛布の塊は、太陽を嫌って低い(うめ)き声を漏らす。

 

「朝だぞ2人ともっ! 起きろっ!!」

 

 ただ1人元気なラルバが布の塊を鷲掴み持ち上げる。無理やり掘り起こされた幼虫の様に体を縮こまらせたバリアとラデックは、太陽に照らされ目を強く(つぶ)る。

 

「……おはようラルバ」

 

 ラデックは一言だけ挨拶を返してのそのそと洗面所へ歩き出すが、バリアは取り上げられた毛布をつかんで抗議する様に引っ張る。

 

「眠い……」

「バリア! 起きろ! 朝だぞ朝朝〜っ!!」

 

 再び毛布を剥ぎ取られ、ラルバに不満げな視線を送る。

 

「昨日も散々寝てたじゃないの! 寝過ぎは体に毒!」

「……昨晩寝れなかった」

「……ごめん」

 

 毛布が優しくバリアに被せられた。

 

「ラデック!ラプー!支度をしろ!」

 

 勢いよく上着に袖を通して足を鳴らし玄関へ向かう。

 

「イチルギを迎えに行くぞ」

 

 洗面所から出てきたラデックがラルバの腕を引く。

 

「ラルバ。あまり期待はするな」

「……わかっている」

 

 ゆっくりと掴まれた腕をほどき、玄関の扉に手をかける。

 

「お邪魔しま〜す」

 

 ラルバが扉を開けた瞬間に、イチルギがすれ違うように部屋に入ってきた。目を丸くしているラルバとラデックを他所に、イチルギは眠っているバリアの横へ腰掛ける。

 

「……いいのか?」

 

 最初に口を開いたのはラデックだった。イチルギは少し困った様な顔で足を組み直す。

 

「仕方ないもの。まさか本当に負けるとは思ってなかったし……。でも条件付き」

「条件? ゲームそのものが条件だったろう」

 

 むすっとした顔でラルバが抗議する。

 

「わかってるわよ。それは悪かったわ。でもね、アナタ達についていく上でどうしても必要なことなのよ」

 

 不機嫌なラルバを「聞くだけ聞こう」とラデックが制止する。

 

「……私が抜けた後はライドル中将に私の権限を譲渡しようと思ってるんだけど、その露払いを手伝って欲しいの」

「中将が後釜とは、なんというか……」

「他はみんな歳を食っただけのお飾りだから」

 

 イチルギが窓を開けて身を乗り出す。

 

「あっちに塔が建ってるの見える?」

 

 ラルバとラデックがイチルギと入れ替わり身を乗り出す。地平線と雲が混じる霞の奥に、微かに建造物らしき影が揺らいでいた。

 

「見えない」

「むぅ……あれか。先が膨らんでるやつ」

「アレが気がかりなのよ」

 

 イチルギが持ってきた地図を机に広げる。

 

「今この国は二つの勢力に分かれているの。一つが“保守派“。もう一つが”改革派“。二勢力合わせても国民の2割程度だけどね。」

 

 ラデックが地図を覗き込む。

 

「……どこの国もそんなもんだろう」

「問題なのは改革派のうちの過激派。彼らは差別や問題意識を事あるごとに煽って、派閥に属さない人間を焚きつけて暴動を起こしてるの」

「……どこの国もそんなもんだろう」

「その過激派の大多数、それと改革派の半分があの塔の建っていた国の移民なの」

「どこの国も……」

「だから困ってるんじゃないの!!」

 

 遮ってイチルギが若干苛ついた声を荒げる。

 

「それに! 一番問題なのはココが世界ギルドってこと! あの国は世界ギルド以外の殆どの国と同盟を結んでるの! 世界の秩序を保つ筈の世界ギルドが一方的な統治なんてしたら他の国からの信用がなくなるの!!」

「そうか」

 

 依然として淡白な反応をするラデックに、イチルギは呆れたように脱力して項垂(うなだ)れる。

 

「ライドル中将がノイジーマイノリティを上手く操れるとは思えないし……私はこの国でやれることは全部やるから、アナタ達にはあの国へ行って無力化してきて欲しいのよ。筋書きは世界ギルドを巻き込まなきゃなんでもいいわ」

 

 力なくベッドに座り込むイチルギに、ラデックがコーヒーを差し出す。無力化という単語に反応したラルバは、窓から頭を引っ込めて興奮気味にイチルギに詰め寄る。

 

「聞いた限りでは相当な悪だろうな! 弱者を騙ったお涙頂戴の姑息な籠絡(ろうらく)! 気に入った!!」

「そこまでは言ってないけど……いや、そうかな……」

「無力化はどこまでが“無力化”だ? 相手の規模は? 大逆無道の数々! その詳細が知りたい!」

 

 爛々と目を輝かせて詰め寄るラルバに、イチルギが鬱陶しそうに顔を歪ませる。

 

「行けばわかるわよ。というより私もそこまで把握してない」

「もう一つ! お前……本当に私たちの仲間になるつもりはあるのか?」

「ん?」

「私たちがやるだけやった後にとんずらでもしたら……そのライネル中将とやらがミートパイになって国民に振る舞われることになるやも知れんぞ」

「逃げないわよ。っていうかもう退陣するって届出(とどけで)ちゃったし、街へ出ればその話で持ちきりよ」

 

 イチルギは鞄をラデックに放り投げて「後よろしく」と手を振り立ち去ってしまった。

 

「むむむ……。いかんせん信用ならんな……ラデックが必要以上に不安を煽るからだぞ!」

「今は警戒するに越したことはない……ん、これはあの国の書類か……それとラルバの身分証明書?」

「ああ、昨日イチルギに頼んだやつだな。ラデックのも作るか?」

「いや、俺は昨日作ってきた……氏名“ラルバ・クアッドホッパー”? このクアッドホッパーってのはどっから出てきたんだ」

「え、名前欄の後半って埋めなくて良かったのか?わからなかったから近くにいた奴のを書き写したんだが」

「……黙っておいた方がいいかもな」

 

 

〜賑やかな城下町〜

 

 壁の至る所にイチルギの写真が一面にプリントアウトされた記事が貼られており、どの記事にも”イチルギ総裁、電撃退陣”と大見出しで書かれている。街行くものは皆その話題を口にしており、やれ陰謀だのなんだのと好き勝手な憶測を飛ばしている。

 

「これだけ話題になっていれば”実は嘘でした”なんてことはできないだろうな」

 

 ラデックが数社の号外新聞を見ながら呟く。

 

「さて、どうだか。油断は禁物だ」

 

 ラルバは露店で買ったケバブを頬張りながら不満そうに咀嚼(そしゃく)する。

 

「寝袋、水筒、調理器具……」

「飯なんか街で食えばいいだろう」

「何日かかると思ってるんだ。使奴は平気でも俺とラプーが餓死する」

 

 一行は塔のある国への準備に勤しんでいた。ラデックの買う必需品にラルバが(ことごと)くダメだしをしながら商店街を右往左往する。

 

「結構買ったな……魔袋(またい)を新調した方がいいな。もういくらも入らない」

「中身を出せばいい。無駄遣いするな」

「無茶を言うな……それに金の心配ならいらない。宝が思いの外高く売れたからな。贅沢しなければ4人で一生暮らせるほどある」

「だぁから言っているんだ!全部現金に変えよって……!金銀財宝は悪党の垂涎(すいぜん)の的!釣り人が餌を食べてどうする!」

「無駄遣いはしない」

 

 2人の会話を耳にしていたゴロツキ数人が目尻を下げて忍び寄る。1人がゆっくりとラデックの腰の魔袋(またい)に手を伸ばす。が、一瞬で粉々に粉砕され後ろに回ったラルバに羽交い締められる。

 

「私が求めているのは世界を滅ぼす悪の大魔王であって、お前のような人も殺せんようなチンケなコソ泥に興味はない。治療代やるからどっか行け」

 

 口の中に金貨を突っ込まれた男は泣きながら人混みを駆け抜けていった。

 

「それこそ無駄遣いじゃないのか」

「ん?………………しまった」

「治療代どころか、アレで魔袋(またい)もテントも新調できたと言うのに……」

「よしラデック!買い物の続きだ!バリアおいでーアイス買ったげようねぇ」

 

 ラデックはアイスの屋台に向かう2人を見つめ、少し考え事をする。程なくしてアイスを手に持ったラルバが戻ってきた。

 

「どうしたラデック。指名手配の快楽殺人鬼でもいたか?」

「いや……ラルバ。そのアイス買うとき、なにか言われたか?」

「ん?「オマケするから今晩どうか」って聞かれた」

「変だ」

「お前冗談も分からんのか……?本当にアイスのオマケ如きで体を売る奴がいるか……」

「違う。周囲の反応だ」

 

 ラデックは早足で人混みを抜け出して物陰に身を移す。

 

「なんだ。なにがだ」

「普通使奴の白い肌は異端だ。人造人間なんぞ到底世に出せない非人道的な代物。一般社会にとっては怪物そのもの」

「酷い言われようだ……」

「でもこの街で白い肌や角にも黒い白目にも言及されたことはない。周りの人間は皆「それが当たり前」って顔で素通りする」

「イチルギの政策かなんかじゃないのか?じゃなきゃ使奴があの地位にはいないだろう」

「人間の常識は数年で変わるものじゃない。例えイチルギが俺たちが脱走する10年前に自由の身になっていたとしても異常だ。それと……」

 

 人混みの中を白い肌の女性が歩いているのが見えた。

 

「……私以外の使奴もいるな」

「盗賊の国でも見かけた。見間違いだと思っていたが……アレは使奴じゃない」

 

 ラデックが自分の鎖骨を突いてから白い肌の女性を指す。ラルバが目を細めると、白い肌の女性の鎖骨に縫い痕が赤黒くついているのが見えた。

 

「使奴は傷が治るとき真っ黒に変色する。正確には傷がある程度まで達した場合だが……縫い痕は間違いなく変色する。でも彼女は普通の傷痕のように赤くなっている」

「それがなんだというんだ」

「それに、女性が多いと思っていたがそれだけじゃない。皆ラルバとバリアの格好に驚かないどころか、過剰な肌の露出を(いと)わない」

「私の格好変だったのか……?普通の黒スーツだと思っていたのに……」

 

 ラルバが困惑した表情で自分の上着を(めく)る。

 

「普通スーツは自分の体に合わせて作るだろう。胸で上着のボタンが留められないなんて非常識にも程がある。バリアのスカートもスーツにしては短すぎる」

「何故もっと早く言わないのだ……」

「都会へ来たらまず2人の服を買おうと思っていたんだが……必要はなさそうだな」

 

 街ゆく女性たちの多くは肌を過剰に(さら)け出し、下着や局部のシルエットが見えることに特別な意識を持っているようではなかった。男達もその過激な扇状的姿に特別な感情を抱いている様子はなかった。あまりに常識外れた光景を見て、ラデックは少し考えた後に重たく口を開く。

 

「この世界は……俺が思っていた以上に普通じゃないのかもしれない」



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笑顔による文明保安教会
11話 笑顔の国


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〜笑顔による文明保安教会〜

 

「なんだか間の抜けた名前だな。本当に国名か?それ」

 ラルバがラデックの読んでいる資料を後ろから覗き見する。雲を突き抜けて(そび)え立つ巨大な塔の足元に広がる国。”笑顔による文明保安教会“その城門の手前で4人は馬車を降り、イチルギに渡された書類を再確認していた。

「ああ。『笑顔による文明保安教会』で合ってる。他にも『崇高で偉大なるブランハット帝国』『スヴァルタスフォード自治区』『愛と正義の平和支援会』どうやら国名は俺たちの知っているような単語ではなく文章等で記されることが多いようだな。世界ギルドの国名も『境界の門』だったし」

「あれ門の名前じゃなかったのか……」

 ラデックが4人を代表し、旅人を装って門番に話しかける。

「こんにちは。少しお尋ねしたいことが……」

「ようこそ『笑顔による文明保安教会』へ!!!!!」

 門番の2人がニカっと歯を見せつけて大声で挨拶を返す。ラデックとラルバは少し気圧(けお)された。

「パスポートはお持ちでしょうか!?」

「あ、ああ」

 ラデックが4人分のパスポートを手渡す。

「拝見いたしますっ!!!……はいっ!!!ありがとうございまぁす!!!」

 まるで機械のようにマニュアル通りの所作を素早くこなす門番は、輝くような笑顔を貼り付けられたロボットに見えた。

「どうも……ひとつ尋ねたいんだが、この国の正式な国名を教えていただいても……」

「はいっ!!!ここは『笑顔による文明保安教会』ですっ!!!」

「……それが正式な国名?単語ではなく?」

「はいっ!!!ここは『笑顔による文明保安教会』ですっ!!!」

「……どうもありがとう」

 門番の不気味な笑顔に圧倒されたラデックは、大人しく引き下がり門を潜る。

「やたら元気な門番だったな」

 ラルバが振り向いて門番の方を向くと、こちらに向かってブンブンと手を振っていた。

 門を潜り街へ入ると、そこには華やかかつ朗らかで奇怪極まりない光景が広がっていた。

「いらっしゃいませっ!どうぞご覧くださいませっ!」

「お父さん!僕荷物持ちます!」

「こんにちはユグロさん!今日もお綺麗ですね!」

「募金をお願いしますっ!ありがとうございますっ!募金をお願いしますっ!」

 町中の人は門番と同じく輝くような笑顔で元気に溢れる振る舞いを見せている。老若男女問わず活気に満ちた広場は、まるで御伽話に出てくるような平和な世界を連想させた。

「な、なんだぁここは……」

「気味が悪いな……」

「みんな笑ってる」

 ラデック達が唖然としていると、横から募金の箱を持った女性が近づいてきた。

「こんにちは!!募金をお願いします!!」

「あ?ああ……」

 ラデックが熱意に気圧されてコインを一枚箱に入れる。

「ありがとうございます!」

 女性は元気よく返事をして頭を下げると、足早に別の通行人へと向かっていった。

「……まるで笑顔の国だな」

「お姉さん!こんにちは!」

 突然小さな子供がラルバに挨拶をしてきた。

「ん?あ、ああこんにちは」

 一瞬困惑したラルバは思わず会釈をして挨拶を返す。すると子供は人差し指で口角を持ち上げ「笑って」とジェスチャーをしてきた。

「お姉さん達も笑ってください!笑顔による文明保安教会のマナーです!」

「はあ?」

「笑って!」

 子供は小さくぴょんぴょんと飛び跳ねながらラルバ達にアピールをする。ラルバは呆れた様に溜息をついて無視をする。移動しようと振り向くと、ラデック達3人とも子供の真似をして人差し指で無理やり笑顔を作ってコチラを見ていた。

「やめんか気持ち悪い」

 ついてこい、とジェスチャーをして足早に立ち去るラルバ。子供はラデックの足元へ近寄り、先ほどと同じ仕草で見上げる。

「笑わないとどうなる?」

 ラデックが真顔でそう尋ねると、子供は変わらぬ笑顔で小さく答えた。

「笑って下さい」

 表情に似つかわしくない掠れたか細い声にラデックは違和感を覚えつつも、ラルバを見失ってしまう前にその場を離れた。

「笑って……」

子供はいつまでもそこで微笑み続けていた。

 

 

〜閑散とした住宅街〜

 

「表通りはあんなに賑やかだったのに、こっちは随分と静かだなぁ」

 ラルバが露店で買った焼きそばを食べながらうろちょろしながら住宅を観察する。

「皆出払っているのだろうか」

「いや、中にいる」

 ラデックの言葉にラルバが耳を澄ませて否定した。片手を耳の後ろに添え、獲物を睨む狼の様に鋭い眼差しを家屋に向ける。

「1人ないし2人……いや、もう少し居そうだな……」

「なんだ、外に出ていないだけか……それそんなに美味いのか?」

 ラルバがニヤニヤしながら焼きそばを頬張っているのを見て、ラデックは「俺にも少しくれ」と手を差し出す。

「皆家の中で何をしているかと思えば……まるでコソ泥のようだ。抜き足差し足、何をそんなに怖がっている?」

 後ろでバリアがラルバの真似をして耳に手をかざしている。

「バリア、何か聞こえるか?」

 ラデックの問いに暫く沈黙したあと、静かに口を開く。

「……沢山の笑い声」

「笑い声?」

 同じようにラデックも耳を澄ますが、風の音がそよそよと鼓膜を撫でるだけである。

「本当だ!あっちだ!」

 興奮したラルバが突然走り出した。

「俺たちも行こう」

「あと……」

 バリアが少しだけ歩いて立ち止まる」

「あと?なんだ?」

「あと………………命乞い」

「……そうか、成る程」

 ラルバが興奮した理由を知ったラデックは2人を連れて足早にラルバを追いかけた。

 

 

 

〜笑顔による文明保安教会本部 笑顔の巨塔〜

 

 街の中心に(そび)え立つ巨塔は、古びた石造りで今にも崩れそうなほど朽ち果てていた。

「うひゃあ……地震でも来たらドンガラガッシャン生埋め祭りだな」

「演技でもないことを言うな」

 ラルバは塔を見上げながら驚嘆の声を上げる。

「どっかから入れないかな〜」

「お手を触れないようお願いしますっ!!」

「お手を触れないようお願いしますっ!!」

「む」

 塔に近寄ろうとしたその時、後ろから宗教服を着た2人組が満面の笑みで近づいてきた。胸には笑顔による文明保安教会の紋章が描かれており、すぐに教会の役人であることがわかった。

「これは失礼した。少しお話をいいだろうか」

 ラデックがラルバの代わりに頭を下げる。

「あなた方は我が国の国民ではありませんね!?旅のお方!この国では笑顔でっいることがっマナーなのですっ!!!」

「マナーですっ!!!」

 2人組は手に持っていた槍の石突を勢いよく何度も地面に打ち付けて威圧した。

「それはすまない。我々は昔からあまり笑ってなかったもんで、笑顔でいることが中々に難しい」

「それはなんと嘆かわしいこと!」

「あなた方も我が国の民になるべきです!きっと数多の祝福が訪れる事でしょう!」

「結構」

 後ろからラルバが顔を覗かせ割って入る。

「ここは何だ?ただの役場じゃあないだろう」

「ここは笑顔による文明保安教会本部!“笑顔の巨塔”ですっ!」

「本部なら修繕くらいしたらどうだ。今にも崩れそうだぞ」

「問題ありません!これは初代“先導(せんどう)審神者(さにわ)”の祝福によって当時の姿を保ち続けているのですっ!」

「祝福?」

「俺達の言うところの異能だろうか」

 ラデックが塔を見上げて目を細める。

「笑顔の巨塔付近は関係者以外立ち入り禁止ですっ!お引き取り願いますっ!」

「ああ、すぐに離れよう」

 お辞儀をして立ち去るラデックに続きその場を後にする3人。ラルバだけが少し立ち止まり、暫く塔を見つめた後口元を手で隠しながら早足でラデック達に追いつく。

「どうした?ラルバ」

「んふふふふふ」

 ラルバは人差し指で口角を持ち上げ、先程の子供と同じジェスチャーを取る。

「ワクワクしてきた」

 

【笑顔の国】

 

 

〜豪奢なホテル〜

 

「『幸福のシャングリラ』へ!ようこそいらっしゃいましたっ!!!」

 宮殿と見間違う程豪華な館に足を踏み入れた一行は、自分たちは貴族なのではないかと思う程に手厚い歓迎を受けた。

「荷物はこちらでお預かりいたしますっ!」

「いや、結構だ」

 強引に荷物を持とうとするポーターにラデックは怪訝そうな顔をする。

「こちら土足厳禁となっておりますっ!こちらで館内靴に履き替えてお上がりくださいっ!」

「む、かかとがぺったんこだ」

「普通はそうだ」

 ラルバとバリアはハイヒールを脱ぎ、慣れないスリッパに少し不快感を示した。

「お客様のお部屋は右手奥の階段を登り、三階の左から2番目31号室になりまぁす!何かご用事がありましたらなんなりとお申し付けくださぁい!!」

「どうも」

「ラデック!凄いぞここ!目薬と耳かきの自動販売機がある!あっはっはっは!この棚の酒全部タダだそうだぞ!」

 館のサービスに逐一大笑いしながらうろつくラルバを尻目に、象が通れるほど広い階段を登っていくラデック達。

「28……29……30……あった、ここだな」

 部屋の鍵を開けると照明が連動して点灯し、優雅な赤を基調とした豪華なスイートルームが広がっていた。

「むおおっ!広い!風呂がでかい!!」

「確かに……トイレの便座が勝手に開く」

「ベッドふかふか……」

 いつも通り隅に鎮座するラプーを除いて、充実した設備に感嘆の声を漏らす3人。

「いやあ素晴らしい!風呂も寝室も空調も完璧だ!いやはやこれほどの拘りとは恐れ入ったぞ文明保安教会!まるでココは……豪奢(ごうしゃ)な監獄のようだ」

 手を広げながらくるくると回り喜ぶラルバは、突然ピタリと静止して呟く。

「監獄?随分特殊な例えだな」

「特殊なものか……見ろラデック」

 ラルバが街を一望できる巨大な寝室の窓ガラスをコンコンと叩く。

「マジックプルーフ加工の強化ガラスだ。簡単には破壊も壁抜けもできまい……天井の至る所に開いた換気口ならば毒ガスを満たすことも容易いだろう。風呂釜の魔導大理石には模様をカモフラージュに刻み込んだ魔法式!多分雷か氷の類かな?無駄に広い廊下や階段は軍隊や衛兵を迅速に流し込むためのものだろう!このスリッパも……見ろ。ちょっと炙っただけでアロエの粘液のようだ。これではまともに歩けまい」

 興奮気味に早口で語るラルバの横で、バリアは眠そうに羽毛布団を抱きしめ欠伸をした。ラデックは口元に手を当て、暫し沈黙する。

「いっひっひ……い〜香りがするなぁラデック。この部屋で死んでいった、悔恨に塗れた怨念が身体中に纏わりついている気分だ……」

 崩れるように椅子に座り込んだラルバは、後ろに傾き大きくのけぞって恍惚(こうこつ)の表情を浮かべる。

「案ずるな悪霊ども……お前らの仇も、じきに地獄の釜へ蹴り落としてやる……」

 

 

〜???〜

 

 暗い石造りの小部屋にはあちこちに儀式的な模様が刻まれ、蝋燭に照らされた壁に大きく『笑顔による文明保安教会』の紋章である目が描かれている。その紋章に向かって1人の宗教的な白い衣装を着た女性が跪き、祈りを捧げている。彼女の長い金髪が蝋燭の火をキラキラと反射して宝石のように光っていた。

 後ろの小さな木の扉が開き、色違いの黒い衣装を着た女性が入ってくる。

「ハピネス様。神託を賜りに参りました……」

 ハピネスと呼ばれた白い衣装の女性は祈りを中断し、ゆっくり振り返る。

「ラルバ……ラデック……バリア……ラプー……今日入国した4人……彼らは世界ギルドから送り込まれた刺客です……我が国に大きな災いを(もたら)すでしょう」

 静かに黒い衣装の女性を見つめ、暫く沈黙したあと少し身動(みじろ)ぎをして言葉を続ける。

「4番地区……ハムカーン。1番地区……ステフォニー、6……6番地区、バイゼン。忌面(いみづら)による黒い(もや)がかかっています……」

 黒い衣装の女性は深々と頭を下げると、扉を閉めて立ち去っていった。ハピネスはゆっくりと背を向け、紋章に向き直る。

「……哀れな溝鼠(どぶねずみ)に、僅かな光を」

 ハピネスは再び跪き、懺悔か懇願のように祈りを捧げ続けた。



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12話 運悪く

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〜豪奢なホテル〜

 

「もう寝るぞラデックー」

「ああ」

 夕食を済ませた4人は、どこへ行くわけでもなく部屋で(たむ)ろしていた。

「……ラルバ。明日はどうするんだ?」

「んー?明日ー?」

 布団に寝転んだままラルバが気怠そうに返事をする。

「ゆっくり風呂に浸かって夕食を食べて寝るだけじゃないだろう。それとも一人で勝手に何かするか?」

「んー……半分正解……」

「半分?」

 不思議そうにラルバの方を振り返ったラデックは、突然飛んできた上着を反射的にキャッチする。

「一人で勝手に何かするが……恐らく私たちに明日は来ないぞ」

 不穏な一言だけ残してラルバは眠ってしまった。その姿を見てラデックも不満そうな顔をして眠りについた。

 

 

〜気力に満ち溢れた大通り〜

 

「……いい朝だな」

 ラデックは露店で買ったコーヒーを飲みながら眩しそうに朝日を浴びる。

「いいじゃないか明日が来たんだから。もっと喜べ」

 屋台で買ったイカ飯を頬張りながらラルバが早足で人混みをすり抜けていく。

「宿に2人を置いてきて良かったのか?」

「ラプーには隠れてろと言ったし、バリアは何かあっても平気だろう」

「バリアは丈夫なだけで死なないわけじゃない」

「大丈夫、すぐ帰るから」

 呑気に露店を物色して回るラルバの後ろを追いかけながら、ラデックはホテルの方角を心配そうに見つめた。

 

 

〜巨塔の地下牢獄〜

 

「大丈夫じゃなくなったぞラルバ」

「大丈夫大丈夫。私は」

 突然憲兵に拘束された2人は有無を言わさず巨塔に連行され、表の活気に溢れた街とは対照的に暗く冷たく薄汚れた地下深い檻に投獄された。

「おいバカチン!私達が何をしたって言うんだ!まだなんもしてないぞー!」

「一言多いぞ」

 憲兵が持っていた槍の石突を激しく床に叩きつける。

「アナタ方は法を犯しましたっ!!よって笑顔による文明保安教会教則第4条に基づきっ!!刑を執行いたしますっ!!」

「笑顔でないものは笑顔により笑福(しょうふく)の神へと導かれるっ!!」

 呆れ顔のラルバがわざと大きくため息をつく。

「なぁにが笑顔だ。そんなんで裁かれてたまるか」

「俺は裁かれたくないから笑顔になるぞ」

 ラデックが人差し指で口角を持ち上げ、目の笑っていない不自然な笑顔を作る。

「気持ち悪いからやめろ」

「ラルバチャンモイッショニ笑オウ」

「やめろ」

 ラデックを小突いて黙らせるラルバ。ラルバが視線を信者2人に戻すと、立ち去っていく後ろ姿が見えた。

「おい!こっから出さんか!まさか本当に笑ってなかっただけで投獄なんて訳じゃなかろうに!」

「先導の審神者(さにわ)のお導きですっ!!」

「先導の審神者(さにわ)のお導きですっ!!」

 信者2人が振り向きニカっと笑う。

「なにがお導きだバカチン」

「先導の審神者から神託を賜りましたっ!!貴方達が災を(もたら)す巨悪であると!!」

 溌剌(はつらつ)と答える信者2人に腹を立てたラルバは、怒りに満ちた攻撃的な笑顔で睨み付ける。

「神託だぁ?そんなもん私だってできるぞ。特別にお前らに神託を授けてやる。えーとそうだな……もうすぐ隕石が落ちてきてお前らは業火の中悶え苦しみ……聞かんかぁ!!!」

 ラルバの神託を無視して立ち去っていく信者。分厚い石の扉が断末魔のような音を軋ませ閉まっていくのが見えた。

「ラルバ。俺は神託の続き聞きたいぞ」

「え?ああ。みんな笑ってハッピーエンド」

「良い話だな」

 ラルバはふてくされて胡座(あぐら)をかきながら上半身を前後に揺すり(うめ)き声を漏らす。虚な怒りを宿した瞳は、まだ見ぬ大悪党を今か今かと待ち望んでいる。

「これからどうする?」

「んー……ひとまず奴らがどんな悪さをしてるかもわからんし、寝る」

 ごろんと横になったラルバは腕を枕にして目を瞑る。

「あ、あんたら……外の人かい?」

 どこからか聞こえた声に、ラルバが寝ながら返事を返す。

「外?まあこの国の外だな。そういうお前は中の人か?」

 声の主は安心したように息を漏らし、少し期待を込めたような興奮気味の声で早口に話す。

「おっ俺の名はバーレン!娘がいるんだ、外の国に!頼むアンタらに頼みがあるっ!俺はあの子になんもしてやれなかった……娘の名前はウォレン!白い巻き毛のいい子なんだ!手紙を何通も送ったが何も帰ってこなかった!不安で仕方がないんだぁ……あの子は格好つけるのが好きだったから自分の好きなことだけをしたいって子だから……だからアンタらに頼みが」

「やかましいな」

 徐々にヒートアップして捲し立てるバーレンを遮り、ラルバが冷たく言葉を突き刺す。

「頼みがあるなら交換条件だ。ここの、笑顔による文明保安教会の悪事を教えろ。簡潔明瞭に」

「あっ……ああ何でもするさ……!何でも言うさ!この国は狂ってる!国民全員が“先導の審神者“の言うことを信じて……いや、従わされて顔に笑顔を貼り付けてる!笑顔でいないとダメなんだ……!災いを呼ぶ”忌面(いみづら)“だと……!子供でも5歳になったらみんな言われる!あんたらもこの国に来て思ったろう!信者はみんな異常だあんなのを信じて!俺はウォレンが心配で心配でもう笑ってられなかった……!笑ってないのが先導の審神者に見つかったぁ……!巻き添えを恐れて誰も助けてくれやしなかった!今ウォレンが家に帰ったらきっと悲しんで到底笑顔になんて」

「もういい。静かにしろ」

 興奮して話すバーレンを制止し、鬱陶(うっとう)しそうにため息を漏らす。

「一問一答だ。 先導の審神者ってのはなんだ」

「こっこの国の王だ……」

「見た目は」

「…………わからん。見たことないんだ」

忌面(いみづら)ってのは」

「笑顔以外の顔……笑顔じゃないとこの塔に閉じ込められる……」

「閉じ込められるとどうなる」

「……わからない。みんな帰ってきても笑顔で「なんでもない」って言うだけだ……」

「結構。この話は終わりだ」

 そう吐き捨てると、再びラルバは目を閉じて眠りについた。

「たっ頼む……!娘を……!ウォレンは今どこで……!」

 眉間にグッとシワを寄せたラルバを、ラデックが肩に手を置き抑える。

「バーレン。俺の名はラデック。もう1人はラルバ。そのウォレンという子に会えるかはわからんが、もし会えたらこの国へ帰るよう伝える」

「こっこの国はダメだ!あの子が元気にしてればそれでいい!」

「いや、この国は恐らくもうじき良くなる。多分。俺たちが無事に出国できるなら平気だ」

 理解不能な説明にバーレンは言葉に迷ったが、それ以上何も喋ることはできなかった。

 

 

〜豪奢なホテル〜

 

 少しだけ、と言葉を残して去っていった2人の遅い帰りに、残されたバリアは1人布団の中で薄目を開けて疑問に思っていた。

「………………ラプー?」

「んあ」

 どこからともなくラプーがバリアの目の前に姿を表す。

「ラルバ達どこ行ったのかな」

「捕まって投獄されてるだ」

「…………あちゃぁ」

 小さく呻きながら再び毛布を被り(うごめ)くバリア。数分経つと再び毛布から顔を覗かせ、ラプーを見つめる。

「助けに行ったほうがいいのかな……………………行こ、ラプー」

「んあ」

 まだぼんやりとした目を擦り小さく欠伸(あくび)をするバリア。ベッドから這い出て立ち上がり、大きく背伸びをする。

「うん……なるべく誰にも見つかりたくない。できる?」

「出来るだよ」

 ポテポテと歩き出したラプーの後ろをゆっくりとついていく。途中ラプーは急に方向転換したかと思えば、来た道を真っ直ぐ戻ったり個室に入ったり出たりと奇妙な案内をした。最初は考えなしに歩いていたバリアも、流石に不審に思いラプーに尋ねた。

「何してるの?」

「撒いてるだ」

 理解不能な一問一答にバリアは首を捻り沈黙する。暫く歩いていると、後ろの方から大勢の足音と金属のぶつかる音が聞こえてきた。バリアがラプーと一緒に身を隠しながら待っていると、甲冑を着た衛兵が10人ほどホテルの奥に向かって走っていった。

「もう少し待ってたら私たちも捕まってたのかな」

「んあ」

「……捕まった方が早かったなぁ」

 残念そうに愚痴を零すと、再びホテルの入り口へ向かって歩き出す。そしてラプーは何故だかポケットから財布を取り出して、廊下の端にあった目薬と耳かきの自動販売機で買い物を始めた。

「何してるの?」

「開けるだ」

「開ける?」

「扉」

 ラプーがお金を入れて数個の商品を買うと、ゴゥンと重い金属音を響かせて自動販売機が回転扉のように回り、石造りの下り階段が現れた。

「……ここが牢屋に続いてるの?」

「んだ」

 迷いなく暗く湿った階段を降りていくラプー。バリアは一瞬足を踏み出すのを躊躇(ためら)った。僅かな風の反響音に混じって、大勢の笑い声と叫び声が聞こえたような気がした。



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13話 笑葬の儀

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〜巨塔の地下牢獄〜

 

 時刻を告げる鐘の音だけが響く満月の夜。虫の鳴き声は巨塔の地下へと反響し、亡者の(うめ)き声に似た怪しい叫びを木霊させる。そこへ突然の檻を叩く金属音にラルバは目を覚ました。

「んむむ……なんだラデック……ぬおっ!バリア!?」

「おはよう」

 檻の向こうに鎮座する珍妙な2人にラルバは笑顔で近寄り、檻の隙間から手を伸ばしてバリアの頬を摘みからかうように揺らす。

「なんだぁ助けに来てくれたのかぁ?可愛い奴めぇ〜」

 暫くバリアを(もてあそ)んでいると、眠っていたラデックも目を覚ましゆっくり体を起こした。

「……バリア?とラプーか、よく来れたな」

「ラプーが案内してくれた」

「成る程……」

「ラデック!ここ開けろ!」

 乱暴に急かされたラデックは寝ぼけ眼を擦り、鉄格子を異能で折り曲げ、干してあった布団を取り込むように手繰り寄せ一つの塊にした。

「……後で元どおりにして欲しかったんだが」

「……先に言って欲しかった」

 ラルバは文句を言いながらも檻の外へ出て大きく背伸びをする。

「さぁてど〜こ〜に〜行〜こ〜お〜か〜な〜?」

 ラルバはふらふらと周辺を彷徨(うろつ)きながらへらへら笑い、突然踊ってみたりと不規則な動きで遠ざかる。

「ラルバ。バーレンがいない」

 ラデックが隣の檻を見ると、そこは(もぬけ)の空であった。

「ん〜?私達が寝ている間に連れてかれたんだろう。気にするな」

 そう言ってふらふらと階段を登っていく。

「ラデックー早く来ないと迷子になるぞー」

「今行く」

 少し遅れて3人はラルバの後を追いかけた。

 

 

〜巨塔の中層〜

 

 石造りの巨塔を登っていく一行。深夜だと言うのにも(かかわ)らず、まるで機械の様な動きで巡回する信者達の合間を縫って遥か上層を目指す。

「上でいいのか?」

「ひっひっひ。偉い奴ってのは大体一番上か一番下に居るって相場がきまっている」

「そうか」

「こっち入るだ」

 突然階段脇の部屋に入っていくラプー。ラデックとバリアも後に続き、ムッとした顔でラルバが乱暴に入室する。

「なんだラプー。ここに何がある」

 苛立った声でラルバは静かにラプーを睨む。

「何もないだ」

「じゃあ何でココに入った!」

「撒くだ」

「誰もついてきてない!」

「いるだ」

 そう言って扉の向こうを指差すラプー。扉の向こうからは塔の中を吹き抜ける不気味な風の(いなな)きだけが重苦しく響いている。

「ラプー、まだか」

 ラルバが神妙な顔つきで問いかける。

「まだだ」

 ラプーは誰もいないはずの扉の向こう側を、いつもと変わらない呑気な顔でじっと見つめる。

「……………………まだか」

「まだだ」

 ラルバもラプーの言葉を信じていないわけではないが、理解できない抑圧に好奇心を押さえつけられ、晩ご飯を待つ子供の様に苛立ちを(あら)わにする。木箱の上で足を組み、わかりやすく貧乏ゆすりをして依然呑気なラプーを急かした。

「まだか」

「まだだ」

「まだか」

「まだだ」

「まだか!!」

「声大きいと見つかるだ」

 不満が限界近くに膨らみ、部屋を徘徊するラルバ。そのまま数分間待っていたが、遂に我慢がきかず壁に手をかざした。嫌な予感がしたラデックは、後ろから制止しようと近づく。

「何をする」

「登る」

 そう言うと、手をかざした壁から溶岩が流れ出し、ポッカリと開いた穴を潜ってラルバは外壁をよじ登り始めた。

「お前らも来いっ!」

「馬鹿を言え」

 若干の呆れ顔で穴を見つめるラデック。やれやれとタバコを咥えようとすると、バリアがスッと横切りラルバの真似をして外壁をよじ登り始めた。

「…………本当に登るのか?」

 ラデックがポカンとしていると、ラプーもバリアに続き塔の外壁をよじ登る。ラプーの指先からは小さな魔法の様な発動光がチラつき、ぺたりと(てのひら)を外壁に貼り付けヤモリの様にスルスルと登っていく。

「…………出来ないことはないことはない……かも知れない……多分……」

 決心した様に小さく頷くと、青ざめた顔でラデックは靴を脱いでその場で準備運動がてら数回飛び跳ねる。壁の穴から外を覗くと、どす黒い暗雲が大火事の煙の様に立ち込め、数百m下には笑顔による文明保安教会の夜景が小さくキラキラと輝いている。

「下を見るんじゃなかった」

 ゆっくりと上半身を穴の外に突き出し、左手をゆっくり石の壁に“差し込み“腕に力を入れる。昨日教会の役人が言った「祝福」のせいか塔の壁は異能の影響を受け辛く、うまく改造できずに指が刺さらない。集中しなければすぐに手を滑らせてしまいそうだった。

「右……解除……左……解除……右足……解除……」

 異能で壁を柔らかくして指を差し込み、異能を解いて引っ掛けて、再び異能を使って引き抜く。まるで両手両足で別々の絵を描く様な繊細な作業を繰り返して、カタツムリの如くゆっくりと登っていく。先に登って行ったラルバとバリアは既に何処かから侵入した様で姿は見えず、少し遅れて登っていくラプーの尻がリズミカルに左右に揺れている。一歩間違えれば即肉塊となるこの状況では、その滑稽(こっけい)な様が少しだけラデックの心の助けになった。

 カメムシの様に壁にへばりつき指先に血を(にじ)ませて壁をよじ登るラデックを、鋭く凍てついた夜風が(あざけ)るように掻き(むし)る。次第に暗澹(あんたん)とした煙雨(えんう)が降り始め、暗雲がごうごうと吠えて放電を始めた。まるで石を削る様なガリガリとした音がすぐ耳元まで……

「遅い」

 音のする方を見ると、ラルバが爪を石壁に突き立てて滑り落ちて来ていた。ムッとした顔でラデックの首根っこを掴み、壁の上を跳ねる様に駆け上がる。古びた小さな跳ね上げ扉からするりと中に入り、ラデックを床に転がす。

「死ぬかと思った」

「登れないなら最初に言わんか」

「言ったんだが……」

「それより見ろラデック。面白いものが見れるぞ」

 楽しそうに笑うラルバがそう言って下を指差す。ラデック達が入ってきた窓は、大きなホールの天井近い部分にある換気口だったらしく、床だと思っていたのは鼠返しの様に壁から迫り出しただけの幅僅か1m程の狭い足場であった。ホールの中心付近には横長椅子が並べられ、私服の国民がニコニコしながら静かに座っている。椅子の前には、円形の大きな台座の上に、手足を柱に縛られた怯えた顔の国民が立たされており、その周囲をぐるっと黒い宗教服を着た信者数人が囲っている。

「何だこれは」

「さぁ〜てねぇ……わからん。わからんが、非人道的なお遊戯会であることは間違い無いだろうなぁ」

 ラルバはラデックの魔袋(またい)に手を突っ込み酒瓶を取り出して足場に足を組んで腰掛ける。手品師を見つめる子供の様にキラキラした瞳で、眼下でガタガタと怯える仔羊の末路を心待ちにしている。

「助けないのか?」

「んー?まあどっちでもいいかなぁ〜」

 酒を盛大に(あお)り、2本目を取り出して頭を左右にゆっくりと振る。

「ひとまず悪事の内容だけは見ておきたいから、取り敢えずは観察だねぇ」

 そうこうしているうちに、1人の信者が座っている国民と縛られた者たちの間に立ち、透き通った声で宣言をする。

「それでは!これより“笑葬(しょうそう)の儀”を執り行います!」

 宣言と共に、座った国民が突然大声で笑い出した。イタズラが大成功した悪ガキの様に(わざ)とらしく、(あざけ)るかの様に、それを見て宗教服の信者達も大口を開け高らかに笑う。

 耳を握り潰す様な笑い声に、縛られた者達は堪らず歯をガチガチと打ちつけ涙を流し青ざめる。諦めたかの様に一緒に笑う者。余りの恐怖に失禁する者。発狂して縛られた手を引き千切れる程に引っ張り回し、のたうちまわる者。

「笑顔でない者はっ!笑顔によってっ!笑福の神へと導かれるっ!!!」

 1人の信者の合図で、台座を囲んでいた信者が持っていた松明に火をつける。まるで誕生日を祝うように楽しそうに歌って踊りながら、松明を台座や床に打ち付け振り回す。

「だっ……だすげでっ!!お父さんっ!!お父さんっ!!」

 縛られている子供が、仕切りに長椅子の方へ向かって何度も泣き叫ぶ。恐らく「お父さん」であろう中年の男性は、目から涙をぼたぼたと溢れさせながら大声で笑い続ける。膝の上に置いた震える握り拳からは鮮血が流れ、ズボンに大きな染みを作っていた。

 悪魔も怯えて逃げ出すような阿鼻叫喚に、ラルバはウンウンと頷きながら笑みを溢す。

「ふぅん……火炙りを笑ってお見送りとは、中々悪くないな……どうしたラデック、探し物か?」

「階段か梯子を探してるが……ないみたいだな。そもそもこの足場は登るところじゃないようだ」

「探してどうする」

「見殺しにするのか?」

「ひとまず観察だと言ったろう。まあ大丈夫だ。へーきへーき」

 ラデックは渋々腰を下ろし、呑気なラルバに従う。

 その間にも儀式は続き、笑いに包まれながら信者たちは松明を振り回して踊り狂う。時折火を縛られた者たちへ掠らせるように近づけて、炎の恐怖を植え付ける。

「おどうざんっ!!おどうざんっ!!」

「あっ熱いっ!!熱いっ!頼む助けてくれっ!!」

「もう二度と泣きませんから!!怒りませんから!!許してください!!」

「あはあっはっは!!あひっ!ひひーっひっひはは!!!」

「うああああああああっ!!あーっ!!あーっ!!」

 信者たちの大爆笑と縛られた者たちの絶叫が混じり合い、音の津波となって荒れ狂う。

「合点がいった!」

 ラルバが拳で手をポンと叩いて頷く。

「これは見せしめだ!教会はなんらかの方法で忌面(いみづら)を見つけ監禁する。椅子に座っている者たちは“初犯”だ。そして、恐らく「次に忌面を見せるとこうなるぞ」と見せしめに縛られているのが“再犯者”だ。これにより笑顔の強制力が高まり、この異常な狂気が教会の犬としての首輪となっているのだ!多分!」

 嬉しそうなラルバに拍手をするラデック。それを見たバリアがボソッと呟いた。

「なんで笑顔……?」

「それは知らん」

 ラルバは信者たちが台座に火をつけようとしているのをみて「おっと」と呟いた。

「そろそろスーパーヒーローの出番だな!」

 持っていた酒を、円を描くように零す。高濃度のアルコールは台座を囲んでいた信者たちの松明に引火し、見事に信者だけを炎のカーテンとなって包み込んだ。

「あぢぢぢぢぢぢっ!!!」

「ぎゃああああああっ!!!」

「うわっわ!ななっなんだっ!?」

 悶え慌てふためく信者が、火のついた服を脱ぎ捨てて上を見た。そこには今まで見たことないような邪悪な笑みを垂れ流す怪物(ラルバ)が、今まさにお前らを喰い殺さんと言わんばかりにこちらを見下ろしていた。

「どうした信者共。私にそんなケッタイな面を見せるな」

  怪物(ラルバ)が、より邪悪を深めて笑った。

「笑顔でない者はぁ!笑顔によって!笑福の神へと導かれるっ!!!」



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14話 先導の審神者

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 笑顔による文明保安教会は、決して驕ってなどいなかった。数々の大国と同盟を結び、反乱の芽を根こそぎ潰しても尚、信者達は怠ることなく己の武力を磨き続けた。

 イチルギの手腕により侵略の進まぬ世界ギルド“境界の門”や、鎖国により未だ同盟に加わらぬ世界一の軍事大国“人道主義自己防衛軍”への対抗策として、少数精鋭の戦闘部隊を育成し世界中を巻き込むであろう大戦に向け備えていた。

 ラデックの喉元を狙って突き出された槍は、僅かに混乱魔法を帯びて(きっさき)をボヤけさせる。少ない魔力で確実に命中させる、殺戮(さつりく)に特化した魔法槍術。しかし、ラデックの喉を貫いたかに思われた刃は、異能により飴細工の如く曲がりくねる。

 それでも喉を突かれた衝撃で、ラデックは若干の嘔気(おうき)を覚えながら、なんとか槍を掴み軟化させ引きちぎった。徒手空拳の信者はすかさず距離を詰めて、手に魔力を集中させてラデックの顔に押し当てる。

 しかし、ラデックは肌が触れると同時に異能を発動させ、信者は紐が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。

「服越しだったら危なかった……」

 異能により“改造”を施された信者は、ひょっこひょっこと奇妙な動きで床を這い回る。

「流石に“両手両足の操作がごっちゃになった”時の訓練はしていないだろう」

 まだ違和感を感じる喉を少し(さす)って、ラデックは振り向きながら叫んだ。

「気を付けろラルバ!」

 信者は相当な実力者だ。そう続けようと思ったが、10人近くいたはずの信者は1人残らず倒れ込んで動かなくなっていた。

「案ずるなラデック。そう心配しなくても手加減ぐらいはしている」

 腰に手を当てVサインを掲げるラルバを見て、ラデックは「そうか」と一言だけ返して肩の力を抜いた。

「お前研究員の癖に戦えるんだな。弱っちいけど」

 ラルバがラデックの腕を掴み、筋肉を確かめるように指で押す。

「異能での自己改造だけだから武術とかは無理だ。人間が鍛えても届かないぐらいの身体能力はあるが、使奴には到底敵わない」

「難儀だなぁ」

 あまりに信じがたい光景を目にした国民達は、呑気な侵入者をただただ茫然と見つめていたが、突然我に帰りラルバに向かって叫んだ。

「こっこの国を……!この国をたっ助けてくださいっ!!」

「頼むっ!!アナタ方しか頼れない!」

「どうか……!どうかお願いします……!」

 縛られた者達は縄を解いて貰うことを願うよりも先に国の未来を案じ、椅子に座っていた者たちは(ひざまず)いてラルバ達に擦り寄る。興味のない善人の好意に、ラルバが怪訝(けげん)そうな顔をして「しっし」と追い払うジェスチャーをした。

「勝手になんとかしろ。私は忙しいんだ。ラプー!先に行ってろ!」

「んあ」

 国民の拘束を解いていたラプーは、ラルバの命令に返事一つで走り出す。ラルバが「ついてこい」と顎をしゃくってラデックとバリアに(うなが)す。

「おっお願いします!お願いします!」

「どうか……!どうかお願いします!!」

 両膝をついて祈るように手を握り懇願する国民達。ラデックは去り際に一言だけ言い残す。

「教会が滅んだ後どう(まと)めるか、助かるかどうかはアナタ方次第だ」

 

 “教会が滅ぶ”

 

予想外の言葉に硬直し、懇願どころか涙さえ止める国民達。一行が出て行った後の扉のきいきいと軋む音だけが、薄暗いホールに響いていた。

 

 真夜中だというのに行手を阻む信者達の行動に緩みはなく、巨塔の内壁から()り出した狭い螺旋階段に、油虫のように(たか)り続ける。先頭にラルバ、間にバリアを挟みラデックが最後尾を務め登る一行を、上から下から絶え間なく襲い続ける。ラルバの遥か先で、ラプーが迫り来る信者の手から丸々とした図体を流水のような滑らかな動きで華麗に(かわ)しているのが見えた。

「捕まえろーっ!!」

「脱獄者発見っ!脱獄者発見っ!」

 下水路に蔓延(はびこ)る鼠の如く湧き続ける信者達を、ラルバが次々に蹴落としていく。

「お前は悪!お前はいいや、お前お前お前!お前は悪だっ!」

 悪と決めつけた信者の頭を殴り昏倒させ、それ以外の信者をラデックの方へ放り投げる。それをラデックが階段から落ちないようキャッチして、眼前に人差し指を突きつける。

「死にたくなかったら消えろ。ラルバはきっと二度目は殺すぞ」

「ひっ……!だ、脱獄……者は……」

「何も言わずに飛び降りろ。着地くらい出来るだろう」

「……っ!………………っ!!!」

 女信者は笑顔を顔に貼り付かせたまま、目に涙をいっぱいに溜めてラデックを見つめる。そして意を決したように螺旋階段から底の見えぬ暗闇へ飛び降りた。

「……そろそろ危ないか?バリア、降りて他の信者から彼女らを守ってやってくれ」

「ん」

 ラデックにそう指示されたバリアは、ふらりと倒れるように暗闇へ頭から落ちていく。

「…………飛び降り自殺みたいだな」

 

 

〜笑顔の巨塔 下層〜

 

奈落の底では、ラルバに見逃してもらった裏切り者の元信者達と狂信者達が争いを繰り広げていた。

「謀反者に笑福の罰を!笑顔による制裁を!」

「うるさいっ!!あんなのに勝てるかっ!!」

「裏切り者を粛清せよ!裏切り者を粛清せよ!」

「うるさいうるさいうるさいっ!!!」

 そこへ突然の落下物が地面を叩き割る。土煙の奥から人影がひょっこり立ち上がり、服についた埃をはらう。

「裏切り者?裏切り者?」

「おいっ!アンタ!早く戦わないと殺されるぞ!」

 土煙に走っていく狂信者と大声で警告する元信者。しかし土煙が晴れると、走って行った狂信者は地面に突っ伏しており、代わりに眠そうな顔をした白い肌の人外が突っ立っていた。

「…………助けってまだ必要?」

「え……ひ、必要…………です?」

「そっかぁ…………」

 不満そうに小さくため息を漏らしたバリアは、頭を掻いて狂信者達に歩いて近寄る。戦闘中だった別の元信者は余りに無防備なバリアを見てギョッとした。

「きっ君!危ないよっ!!」

 狂信者の放った光弾が勢いよくバリアの顔を直撃する。

「粛清粛清っ!!!」

 チャンスをモノにしようと、光弾がトドメを刺すように連続で放たれる。元信者は必死に防御魔法でバリアを守ろうとするが、上位階級の狂信者の猛攻に障壁はあっという間に砕け散る。放たれた4発の光弾がバリアの上半身に命中し、轟音と共に壊れ波導煙(はどうえん)を上げて消滅する。

 しかし、バリアは依然として眠そうな顔で狂信者へ歩き続ける。

「しゅ、粛清っ!!!」

 一瞬だけ恐怖に囚われた狂信者が、より魔力を凝縮させて光弾を放ち続ける。しかし暖簾(のれん)に腕押しバリアは鬱陶(うっとう)しそうに眼前を手で払うだけで、ダメージどころかボタン一つ傷つかない。

「しゅ、粛……せ……」

 狂信者は堪らず(きびす)を返し逃げ出そうと背を向ける。そこへバリアが少し早足で近づいて張り手を頭部へ打ち込んだ。武術も魔術も伴わぬただの少女の張り手。しかし、異能によって物理影響を殆ど受け付けないバリアの体は鋼鉄のように堅く、反動さえ無視する。そんな奇怪な少女のただの張り手は、(さなが)ら樋熊の殴打に匹敵する破壊力を有していた。

 頭から血を吹き出し倒れ込む狂信者。その一部始終を見ていた他の狂信者達は思わずたじろぎ、慌ててバリアを取り囲む。バリアは面倒臭そうに(うつむ)き視線を下げる。

「あっらぁ?ケッコーかぁわいいじゃなぁいぃ?」

 一角から聞こえた野太い女性口調。声の主は石の床をけたたましく踏みつけ、大樹の根のような掌を擦り付けて舌舐めずりをする。

「こんばんわぁバリアちゃぁん?だったわよネぇぇえ?」

 長身であるラルバよりも頭ひとつ大きい筋骨隆々の大男……ではなく大女は、もはや服というよりは模様のように体に張り付いた宗教服越しに筋肉を脈動させる。背の低いバリアを覗き込むように腰を大きく屈め、顔を90度横へ倒すことで(ようや)くバリアと目線が合った。

「初めましてぇぇ……ワァタシはファムファール・ファラクシール。ココの部隊長ヤってるのヨぉおお、ファムちゃんって呼んでぇぇ?」

 独特のイントネーションと訛りでぐちゃりと笑いながら粘液のようにドロついた言葉を垂れ流すファムファール。あまりにも異質な剣幕に、仲間であるはずの狂信者達までもが笑顔を痙攣(ひきつら)らせながら一歩後ずさる。

「アァナタい〜いわねぇぇさっきの張り手。ケッコーな力自慢なのねぇん?」

「ううん」

 この巨体に睨まれたものは、まるで鯨の舌の上にいるような恐怖に(さいな)まれる筈だが、バリアは子供や老人と話す時と変わらぬような自然体でファムファールに返事をした。それを見てファムファールは再び歪んだ笑顔に更に皺を寄せる。

「アァナタいいわぁあとぉっても素敵!謙虚で物静かで可愛くって強いなんてッッッ!!アナタ、ウチにこなぁい?歓迎するわヨォ?」

 ファムファールはゴツゴツとした岩壁のような手をバリアに差し出す。少し間を置いてバリアはファムファールを見上げた。

「イヤ」

 その場にいた者全員が背筋を凍りつかせた。笑顔のまま動かないファムファールの心の内を想像し、誰もが乾き切った口内をへばりつかせて息を飲む。

「………………そう。じゃァ……仕方ナイわネぇ…………」

 ファムファールがゆっくりと立ち上がり、半身の構えをとる。

 魔法や科学技術の発展により、純粋な肉弾戦を極めんとする者は非常に少ないが、生まれつき膨大な魔力と強靭な躰に恵まれたファムファールにとっては、強大な雷魔法や超圧縮された重力魔法よりも、魔法による肉体強化から繰り出される武術の方が何倍も破壊力があった。溢れんばかりの魔力を躰に纏い、龍のように強靭な筋肉はより堅く、しなやかに。鉄すら腐ったトマトの如く容易に握り潰し、家すら軽々持ち上げる膂力(りょりょく)を得る。使奴顔負けの馬鹿げた身体能力は、バリアにも一目で理解できた。

「規則なのよネぇ…………ヤりましょっか?」

 青白い波導煙(はどうえん)を蒸気機関のように鼻からを吹き出し、口からもわもわと狼煙(のろし)のように吐き出しているファムファールに、バリアは顔色ひとつ変えず答える。

「うん」

 ファムファールを真似してバリアも同じ構えをとった。信者達は数分前までの死闘をも忘れて、地獄の怪物(ファムファール)少女(バリア)を遠巻きに見守る。

 終始淡々としたバリアの態度に、ファムファールは再び笑顔をぐちゃりと捻じ曲げて笑った。

 

 

〜笑顔の巨塔 上層〜

 

「んー……ふぅむ……ほぉん……?」

 ラルバは暗い部屋で木の椅子に腰掛けながら書類を読み(あさ)っていた。横ではラデックとラプーが置いてあった干し肉を食べている。

「なにか分かったか?」

「んー……イチルギの資料とそんな変わりないが……とりあえず幹部どもが悪者だっていうのは分かった」

 ラルバは後ろの黒板にチョークで図を書きながらラデックに説明する。

「天辺が先導の審神者(さにわ)。だがこいつはぶっちゃけお飾りだろう。次にいる幹部7人、こいつらが親玉だ。先導の審神者の異能で他国の弱みを握って強制同盟。先導の審神者が得た有益な情報と引き換えに資源や人材を、国民達へは恐怖での弾圧と豊かな暮らしを。飴と鞭の使い方がはちゃめちゃに荒い」

「ここの兵士達はそれを知らないようだが……」

「マジの狂信者なんだろう。「先導の審神者について行けば全部平気なんだ〜!」って馬鹿面下げてる気狂い共と、幹部に(そそのか)されたオツムの弱い馬鹿と」

「じゃあその幹部と狂信者が悪人か」

「そうですよ」

 突然割り込んできた声に、ラデックは驚いて顔を向ける。部屋の入り口には一人の女性が優しそうに微笑みこちらを見ていた。

 

【挿絵表示】

 

 他の信者達とは違う宗教的な衣装に、腰まで伸びた輝く金髪。薄い灰色の瞳と、ごく僅かに赤みがかった色白の肌。女性にしては高い身長とスレンダーな薄い肉付き。額には目をモチーフにした笑顔による文明保安教会の紋章が彫られている。

 ラルバがチョークをクルクルと回しながら首を傾げた。

「お前が先導の審神者か?」

 女性は静かに(うなず)く。

「はい。私がこの国の長にして先導の審神者を務めさせていただいております。ハピネス・レッセンベルクといいます」

 ハピネスは丁寧にお辞儀をして3人に挨拶をする。

「どうも、ラデックだ」

「私はラルバ・クアッドホッパー。まあ知ってるだろうが。あっちはラプー」

「初めましてラルバさん。ラデックさん。ラプーさん。来ていただきたい場所があるのですが……少々お時間よろしいですか?」

 唐突な誘いにラデックは警戒する。

「もう牢獄は勘弁してほしい。……まあ今は確実に重罪だが」

「行く行くー」

 ラルバは上機嫌に席を立って歩き出す。

「行くのか……」

「今更何を怖がるか」

「ではどうぞ此方(こちら)へ……」

 ハピネスが扉に手を差し出して先導する。廊下へ出ると、先程ラルバが倒した狂信者達と6人の幹部が転がっていた。それに無反応のまま歩き出すハピネスに、違和感を覚えたラデックは歩きながら問いかける。

「……仲間を介抱しないのか」

「ええ。もとより仲間ではありませんから」

「ほう……」

「私が先導の審神者になったのは5つの時です。自らのおかしな力を父に話したことで教会に招待されました。父は教会の幹部だったので話はトントン拍子に進み、()ぐに王位継承の儀が行われました」

「ハピネス。アンタの異能……その“おかしな力”ってのは……具体的にどういうものだ?」

「“覗き見”ですよ」

 ハピネスは立ち止まってラデックの方へ振り返る。

「皆は“祝福”とか“神託”と呼んでいます。私はそんなもの信じていませんが……精神体みたいなものを飛ばすことができるんですよ。幽体離脱に近いかもしれません。見たり聞いたり、飛んだり潜ったり。遥か遠くの国も、地下深くの要塞も、空飛ぶ機械の中も、魔法障壁に阻まれたギルドも、私に行けないところはありません。誰にも見ることはできませんし」

「それは……便利だな。とても」

 顎に手を当てて感心するラデック。後ろではラルバがイチルギに貰った資料を見ながら笑みを浮かべる。

「なるほどなぁ……よその国はそれで弱みを握れるが、世界ギルドはそうもいかなかった訳か。他の国のお偉い方は利権のためにアレコレ姑息な姦計(かんけい)を用いるが、イチルギは突かれて弱い部分を作るほど馬鹿でも強欲でもない」

 ハピネスは再び歩き出しながら困ったように笑う。

「はい……彼女の手際は素晴らしい物でした。正義を(おとし)めるわけでもなく、弱者を煽るわけでもなく、全ての責任を一人で背負い全ての利益を誰かのために使う。ウチの幹部が必死にデマと憶測を絡めて陥れようとしましたが、世界ギルドの民のイチルギさんへの信頼は決して揺ぎませんでした。彼女の自己犠牲と誠実さの賜物(たまもの)です」

 廊下の奥には大きな木製の門があり、その横に小さな木の扉が付いている。ハピネスが小さな木の扉を開けて中へ入っていく。

 

 

〜笑顔の巨塔 神託の間〜

 

 部屋の中は蝋燭(ろうそく)が十数本置いてあるだけの薄暗い石造りの部屋で、正面の壁には大きく笑顔による文明保安教会の紋章が描かれている。

「少し長くなりますが……私の話をさせてください」

 ハピネスは紋章を見上げ、目を細める。

「私は、私は教会に囚われてから、1日のほとんどの時間をここで過ごしてきました」



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15話 扇動の審神者

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〜ハピネスの回想〜

 

 私がこの部屋に閉じ込められたのは、いや、この国の王になったのは5つの時……今から22年前ですね。私の両親がこの国のルールを教えてくれました。

 笑顔でいなければ怖い悪魔が来て連れ去ってしまう。でも笑顔でいれば神様が守ってくれる、と。私はこのおかしな力でその規則を随分前に知っていました。両親はそのことを驚きながらも受け入れ、愛してくれました。

 でも、終わりはすぐに来ました。私の父は教会の幹部で、私を先導の審神者にすれば今よりもっと強大な国になると画策しました。直ぐに前任の先導の審神者が、神のお導きだとか何とかそれっぽい理由で私を次期先導の審神者として認めました。

 母は私を溺愛していたので先導の審神者になることを強く反対しましたが、強欲な父の逆鱗に触れ”忌面の禊(いみづらのみそぎ)“を受けました。あなた方が先程ご覧になった“笑葬(しょうそう)の儀”の元となった刑罰です。まだこの頃、忌面は死罪ではありませんでした。鞭打ちや水責め、焼印などの暴力で恐怖を植え付けるのが目的でしたが、体の弱かった母は儀式の途中に耐えきれず命を落としました。

「あなたをマトモに産んであげられなくてごめんなさい」

 忌面の禊の直前、母が私に言った最期の言葉です。私は恨みました。母を殺した父も、狂ったこの国も、自分の忌まわしい力も。そしてそれは逆恨みに変わりました。

 国中を飛び回って、笑っていない者を尽く告発して罰を与えました。母だけが殺されたのが許せなくて。他の幸せな人間が許せなくて。無意味に死ぬ人間が母だけではないと思いたくて。

 忌面の禊はやがて弱者を一方的に痛ぶる娯楽のようなものへ変わっていきました。刑罰をより残酷なものに変えたり、忌面を死罪として扱い、それならばと私怨や言いがかりを理由に都合のいい処刑装置として機能するようになりました。

 そうして今の“笑顔による文明保安教会”があります。元々は笑顔によって幸せを願う慎ましやかな慈善の国だったそうですが……幸せを呼ぶ笑顔はいつしか、災いを招く忌面という形でこの国に蔓延(はびこ)っています。

 この国を動かしているのは実際は幹部である部隊長達ですが、その根幹は私にあります。他の国を強請(ゆす)り強引に肩を組んで同盟を持ちかけ、行く行くはこの世界の支配者にでもなりたいのでしょうかね。

 

 

〜笑顔の巨塔 神託の間〜

 

 「王にされ、この部屋で一日中祈祷を強いられても何も感じませんでした。後悔や自責の念がなかったと言えば嘘になりますが、私も大概狂っているのでしょうね。」

 ハピネスはボロボロの玉座に座り、ラルバを見上げる。

「これが私の知るこの国の全てです。他に何か聞きたいことはありますか?」

 そして穏やかな笑顔で少し俯き、目を閉じる。

「もしなければ……私の首を国民達へ見せてください。それだけでアナタはこの国の王になれるでしょう……幹部達もみんな殺されてしまいましたし。ああ、そうだ。ひとつだけお願いがあるのですが、ファムファールという部隊長が」

「はぁ〜……やかましいなぁ……」

 ハピネスの言葉は、酷く退屈そうなラルバの溜息に遮られる。

「満足か?この臆病な道化師め。独擅場(どくせんじょう)にやっとスポットライトが当たって(さぞ)かしいい気分だろうなぁ」

 ラルバの唾を吐きかけるような非難に、ハピネスは微笑みを少し崩して声を震わせる。

「道化師……?私が、でしょうか?」

「それ以外に誰がいるというのだ。自慰を覚えた猿じゃあるまいし……悲劇のヒロインを演じたいだけだろう」

「な、何を勝手に……っ!!!」

 思わず立ち上がろうとするハピネス。ラルバは小石を弾きハピネスの額に当てて怯ませ、再び玉座へ座らせる。

「お前にはお似合いの玉座だぞ。なあラデックもそうは思わんか?」

「思わない」

「ええ……」

「だが、今のラルバの気持ちも十分に理解できる」

「なっ何故……っ!!」

「やったー」

 憤りを必死に押さえながら体を強張らせるハピネスに、ラデックが前へ出て語りかける。

「アナタは救いが欲しいんじゃないのか?誰かに認められたいわけではなく、誰かを救いたいわけでもなく、贖罪(しょくざい)や逆恨みでもない。ただ“救い”を求めている。」

「私のような人間が許されることは決してありません……!」

「じゃあ何故今まで償ってきた?」

 ラデックの指摘に、ハピネスは目を見開き鬼の形相で歯を食いしばり睨む。

「償いたいなら生きて償い続けるべきだ。でもアナタはそれを拒否した。それなのにアナタは償い続けてきた。笑顔でいないといけないなんて馬鹿げた規則、到底守られはしない。幾ら恐怖で支配しようと感情を抑圧するのは不可能だ。しかしこの国の牢屋はガラガラだ。それに、忌面全員を処刑してきたんなら反逆や貧困でこの国はとっくに滅んでいるだろう。それらを鑑みるに、アナタはかなりの人数を見逃してきたんだろう。逆恨みで国民を虐殺しているうちに間違いに気付いたのかもしれないが、遅すぎたな。しかし忌面を見逃していたのも罪悪感や罪滅ぼしからかもしれないが、1番は“逃亡”なんじゃないのか」

 部屋中に狂気と殺意が充満する。ハピネスは手をわなわなと震わせ、今にも殴りかからんと体全体をガタガタと揺らしているが、お構いなしにラデックは語り続ける。

「俺やラルバに命乞いをしなかったこと。忌面を見逃してきた事実を言わなかったこと。アナタは終わりを求めているんだろう。今まで殺してきた国民の幻影から逃れたい?父への憎悪が鬱陶しい?無意味に死んでいった母を忘れたい?“赦し”という終わりが来ないなら、せめて『独裁者の無残な死』を以てこの世を去りたい?悲劇のヒロインと揶揄(やゆ)されても仕方のない我儘(わがまま)だ」

 ハピネスは何も言わない。何も言えない。ラルバ達がこの国へ来た時、内心”安堵(あんど)”したことが、足枷を引き摺り歩いてきた地獄で(ようや)く底の見えない奈落に辿り着いたという“終わり”を感じていたことが、ハピネス自身も理解していなかった心の弱さが今になって(いなな)き始めた。

 茫然と焦燥が入り混じった顔で目を白黒させるハピネス。暇そうにしていたラルバは、大きく背伸びをして背を向ける。

「さぁて……じゃあ帰るとするかな」

「か、帰る……?」

 ハピネスは焦燥をより濃く煮詰めながらラルバを見つめる。

「ああそうだ。私はこのまま帰る。特にまだ誰も殺してないし、朝になれば幹部達も目を覚ますだろう。とんだ悪党が来たもんだとボヤキながらいつも通りの日常が来るわけだ」

「そ、そんな……そんな…………!!」

 立ち上がろうとしたハピネスは、思わず玉座から転げ落ちてラルバに這い寄る。

「今更……!今更何もせず帰るなど……!!」

「別に私はこの国の何かしらが欲しいわけじゃあない。ただ自分の加虐心を満たしたいだけだ」

 じゃあ、と手を振り歩き出すラルバ。ラデックもハピネスにお辞儀をしてからラルバに続く。

「ま、待ってください……待って…………待てっ……!!」

「んー?」

 ただならぬ大声に、渋々ラルバが振り向く。ハピネスはラプーを後ろから羽交い締めにし、首筋に短剣を押し付けている。

「ゆ、許しません……!あなた方は我々を陥れるのです…………!この国は滅び……そうして国民は独裁から解き放たれる……!」

「ほう……」

 足を震わせながら息を荒げ、目をギラギラと光らせるハピネス。まるで強盗をする小心者の浮浪者のような姿に、もはや最初の穏やかな聖職者の面影はない。

 ラルバは首を鳴らして、気怠そうにハピネスへ歩き出す。

「全く自分勝手な奴め……人質をとるぐらいの覚悟があるなら最初からやらんか」

「うっ……うるさいっ……!!」

「今まで幾らでもチャンスはあっただろう。ましてや覗き見なんて異能があれば幹部を世界ギルドへ告発することも不可能じゃない」

「わたっ……私にっ……そんな発想はなかったんです!恐怖や自己嫌悪に囚われていたあの頃に……牙を剥くなどっ!!」

 ハピネスは大粒の涙を溢れさせ、次第に顔をぐしゃぐしゃに歪める。

「言い訳も甚だしい。結局お前は幹部の言いなりで何もしなかったろうに。お前は強い力に流されることを選んだんだ」

「ちっ違うっ!!知らなかったんですっ!!歯向かうことなどっ!!誰かに助けを求めることなど思いもしなかった!!誰がっ……誰が教えてくれるんですかっ!!この呪いの解き方をっ!!物心ついて直ぐに閉じ込められ!!誰も味方がいなかった私に!!」

 憤怒に染まった泣き声が、ラルバに津波の如く押し寄せる。

「どうすればよかったんですか!!立ち向かうことを……戦うことを知らなかった私に……!!どんな道があったと言うんですか……!!逃げ出すこともっ…………!助けを求めることもっ…………!何もっ…………!何も知らなかった私にっ!!何ができたというのですかっ!!恐怖に!恨みに!運命に!全てに呪われた私はどうしたらよかったと言うのですかっ!!アナタには強い力があるのかもしれないっ!!立ち向かう勇気があったのかもしれないっ!!でも……でもっ……!私には……何も……なかったんですっ!!ただの一つもっ!!!この呪いは……この呪いは!!どうやったら解けるんですかっっっ!!!」

「知るかそんなこと」

 ラルバが拳を開くと、中から溶岩が湧き流れ出す。それをギュっと握りしめ、燃え上がる灼熱の手でハピネスの額を鷲掴む。

「っっぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!」

 ハピネスの絶叫が小部屋に響き渡り、蝋燭の火を揺らす。絶叫に紛れて僅かに額を焼く音が、手と顔の隙間から生々しく漏れ出している。

 ラルバはジタバタと悶えるハピネスをそのまま投げ飛ばし、手をブンブンと振って焦げ跡を払う。

「これでよし。そんなに元気が余ってるなら一緒に来るか?悪党惨殺ツアー。楽しいぞ?」

 ラデックがハピネスを治療をしようと近寄るが、ラルバに遮られる。

「死ぬほど強く焼いてない。あっちよりもこっち治してくれ。せっかくの真っ白おててが真っ黒だ」

 ラルバは炭なのか痣なのかわからないほど真っ黒に染まった(てのひら)をラデックに見せる。

「いいのか?ハピネスの方は」

「そんなことより拷問!早くしないと朝が来てしまう」

 ラデックの改造が済んで元通り真っ白になった手を満足そうに見つめ、軽快に歩き出すラルバ。ラデックは部屋の隅で(うずくま)るハピネスを心配そうに見つめてから、ラプーと一緒にラルバを追いかける。

 

 ハピネスは3人が去ってから芋虫の様に身を揺らし、のっそりと起き上がる。

 焼かれて失明したのか、目蓋(まぶた)を開いても視界は真っ黒のままだった。ならばと異能を使い、自分の顔を見た。生え際から目元まで皮膚が焼け剥がれており、額に刻まれた紋章は跡形もなく消え去っていた。

 そっと指先で額をなぞると、突き刺す様な激痛と、指先にぬるりとした粘液の感触がした。

「ははっ…………」

 僅かに笑い、再び崩れ落ちるハピネス。その眼からは涙をぼたぼたと溢れさせるが、その表情はどこか清々しさを感じさせる微笑みを浮かべていた。

 

【挿絵表示】

 

「呪いは……こんなにも簡単に消せたのか…………」



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16話 命を大切にしない奴はこうだ!

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 笑顔による文明保安教会の七人衆と言えば、名のある戦士なら誰もが聞いたことがあるだろう。

仇討(あだう)ちエンファ』

『逆鱗グドラ』

『収集家ポポロ』

『残飯喰らいのガンマ』

(だんま)りボルカニク』

『元先導の審神者シュガルバ』

『寵愛ファムファール』

 

 笑顔による文明保安教会が他国からの侵略や反発を受け付けなかったのは、殆どが彼らの功績によるものである。並外れた魔力。獣じみた身体能力。そして何よりも、万人を殺しても揺らぐことのない悪意。大功成す者は衆に謀らず。下に就く狂信者達も部隊長には口出し無用であり、さらに言えばワンマンプレイで今の地位を作り上げたとも言える。

 

 俺は何年も前に“一匹狼の群れ”からこの国に亡命してきたガ、まさか幹部を殺しタ事が功績になるなんて思いもしなカッタ。”残飯喰らい“なんて二つ名カッコ悪くて好きじゃナイケド、まあ何ヤっても無罪放免だから文句言わナイ。聞けば部隊長はミンナ俺みたいな腕の立つ“気のイイ“奴らばかりらシイ。

 エンファは少し頭がイってル。何かにつケテ難癖因縁ふっかけテ誰でも殺スから危なっかシイ。殺すナって言われてモ自分勝手に拷問おっぱじメルから手がつけらんナイし、いっつモ死にカケを最後にブチ犯すから後始末が大変ダ。

 グドラはスンゲ怒りっポイ。目が合うだけデ俺にも喧嘩腰になンノはヤメテ欲しいケド、そのお陰デ雑魚はみーんなぶっ殺シテくれっから楽ちん。そういヤこの国の王がグドラの娘っつったっケ。頼んだらヤらせてくんねぇかなんて思うケド、グドラに本気で目ぇつけラレたらケッコー困るから、いつかナイショでヤろうと思ウ。

 ポポロはイイヤツ。集めたモン盗ると怒っケド頼めば何でも貸してくレル。俺の“食べ残し”モ喜んデ持ってってくレルから後先考えなくて済ム。“ペット”の女の子達もポポロに“懐いテル“からしつけ要らズで面倒がナイ。今度は誰を借りようかナ。

 ボルカニクはよくわかンネ。肌と目の色から使奴だってことはわかんだケド、かわいーのに何聞いても二つ名通り(だんま)り。他の国からの貸し出シ品らしいケド、俺らと肩並べテルのは意味わかラン。つえーからイイのカナ。

 シュガルバはグドラの娘が王になる前の王様だったらシイ。あんな旨いポジション譲るとか気がしれナイナ。マアそのお陰デ俺らも動きやすくなったカラ、口には絶対ださないケド。笑葬の儀ん時の笑い方がめっちゃ気持ち悪リィのが毎回吹き出しそうになっちマウ。

 ファムちゃんは正直超気持ち悪リィ。可愛くもねーのに振る舞イばっかあざとくシテ、敵にも味方にも変に優シイのがマジで気持ち悪リィ。喋り方も気持ち悪リィし、俺らとも付き合い悪クて好きじゃナイ。

 ミンナ嫌いなトコは多いケド、それでもおんなじ部隊長。無理に仲良くはしナイケド、程々には付き合ってヤロウと思ウ。

「いつまで寝ているっ!この軟弱デブめ!!」

 

 

〜笑顔の巨塔 上層〜

 

 突然の罵声にガンマは目を覚ました。世界がボヤけているのは、自分の目が半開きになっているからということに気づくのに少し時間がかかった。そうだ、脱獄者を捕まえなければ。あの赤いツノの使奴(ラルバ)を殺さなくては。さっきは油断して遅れを取ったが、その程度で我ら天下無双の七人衆が負けるはずがない。ファムファールこそ居なかったものの、たった一人相手に、七人衆一人の不在など何てことはない。脱獄者は今頃エンファの八つ当たりを受けているか、シュガルバのオモチャにされているか……

 しかし、件の使奴(ラルバ)が目の前に仁王立ちをして不満そうにしているのを見て、脳味噌が凍ったような感覚がガンマを襲った。

「まあ現実逃避したいのはわかるが……気絶する程か?まだお前には何もしていないぞ?」

 ガンマは朧げな記憶を朦朧としながら辿る。少し視界がハッキリしてくると幾つか分かったことがあった。自分が少し地面から高い場所にいること、それは地面から伸びた柱に縛られているからだということ。そして、部屋の隅に5人の人影が無造作に積まれているのがわかった。そのうちの一人、見知った顔がだらりと垂れ下がっている。

「ポ、ポポロ……!!」

 あのボロボロの衣装はエンファのものだろうか、グドラと同じ腕輪をつけた黒焦げの右腕、シュガルバと同じ白髪が焼け焦げ、ボルカニクの真っ白な背中がピクリともせず横たわっている。

「まさかお前覚えていないんじゃなかろうな。気絶した上に記憶喪失とは、部隊長なんだからもう少し強い精神をだな……」

 呆れるラルバを他所に、ガンマの頭の中で忘れかけていた惨劇が映画の如く鮮明に浮かび上がる。見ようと思えば、マグマに飲まれ業火に焼かれ悶え死んでいく仲間の眼が、今でも自分を恨めしそうに睨むだろう。

「忘れているようならもう一度だけ説明してやろう」

 ラルバが持っていた分厚い紙の束を叩く。

「これはハピネスが書いた覗き見の内容だ。各国の弱みや国民の隠し事。そしてお前らの悪事も尽く記されている。そこで!今まで殺した人数くらいは当然覚えているよな?その中で10人の名前と殺害方法を答えることができれば!命を重んじる心を考慮し!情状酌量の余地ありということで助けてやろう。ただし!」

 ラルバがパチンと指を鳴らすと、ガンマの真上の天井から溶岩がボコボコと沸き始める。

「ひっひぃぃぃいいいい!!!」

「結構粘っこいヤツだからすぐには落ちん。焼き殺される前に全員言えるかな?」

 ガンマはまだ溶岩の熱を感じていないにも(かかわら)らず、全身からは滝のような汗を流し手足をバタバタさせてもがく。虚をついた反撃、舌先三寸の姑息な口車、幻覚魔法での逃亡。この状況ではそのどれもが徒労に終わることは先の戦いから分かっていたが、今の地獄絵図にその場凌ぎの籠絡を考えずにはいられなかった。

「ほぉら、早く答えんと丸焼きだぞ?私はどちらでも構わんが……」

「ごっ……ゴウラン失血死!マレッタ失血死!」

「ほう?」

「マンバーク絞殺!オルダラ内蔵破裂!カラガダンタ内蔵破裂!ケルダニ窒息死!ジュヅスバ中毒死!イラー餓死!ゲンソウス窒息死!マルグレット圧死ぃい!」

「これは……たまげた」

 丸々とした巨体をまるで鯨の心臓のように膨らませ息を切らすガンマ。唖然としていたラルバが、小さく拍手をしながらガンマを柱に縛っている縄を千切る。

「いやあ疑って悪かったな!意外や意外。お前にも命を大切にする心があったんだなぁ!」

 ガンマは部隊長の中でも人の死に際を楽しむ人間だった。気に入った見た目の人間を甚振(いたぶ)り、犯し、愛し、この世から去るときには自らが最も興奮する方法でトドメを刺した。残飯喰らいの名の通り、見た目さえ気に入れば他の部隊長の獲物も、死にかけであろうが意識があろうがなかろうが構わず持ち帰った。故にガンマは自分が今まで殺してきた人間の大半を、事細かに、鮮明に覚えていた。子供が好きなおもちゃや食べ物を大人になっても覚えているように、お気に入り達の最期の顔を思い出しては悦に浸るのがガンマの趣味であり日課であった。

 ガンマは拘束を解かれると液体のように地面に倒れ込んだ。ガンマの縛られていた柱に溶岩が流れ落ちて、白煙と焼け付く音を響かせる。ラルバが優しくガンマの背中を叩き、出口の鍵を開けようと背を向けた。

「他の部隊長共はだぁれも答えられなかったが……いやあ期待に応えてくれて嬉しいよ!うん!人殺しはいけないことだからなぁ!」

 鍵を開けながらガンマを褒め称えるラルバに、ガンマはふらふらと千鳥足で部隊長達の死体に近づき、一本の巨大な剣を引っ張り出して後ろからラルバ目掛け大きく振りかぶる。

 振り下ろされた剣は石の床をバターのように抉り、避けるのが遅れたラルバの右腕を吹き飛ばした。ガンマはそのまま片足を軸に回転しラルバを連続して斬りつける。体勢を崩したラルバは這いずり回りながら斬撃を避けるが、ガンマの猛攻から逃れきれず身体中に深い切り傷を負い、右脚を切断され地面を転がる。

「ふざけヤがっテ……!ふざけヤがっテ!!なんでっ!!なんデ俺が説教されナキャいけねーんダッッッ!!」

 倒れ込むラルバに、再び大剣が振り下ろされる。なんとか腕を交差するように防御するが、さほど鋭くないはずの刃は腕の骨近くまで食い込む。

「俺がッ!何したっテ!何シヨウがッ!!勝手!!俺のッッ!!勝手ダロッッ!!」

 恨み節と共に、何度も、何度も、何度も剣が振り下ろされる。その度にラルバの腕は滝のような血を流し、防ぎきれなかった刃は顔面や頭蓋を斬りつける。

「お前みたいナッ!!偽善者がッ!!一番ンン!!いっち番!!ムカつくっっっ!!!」

 トドメト言わんばかりに剣がラルバの腹部目掛けて突き刺さる。大量の血を吐き出し、暫く痙攣(けいれん)した後に動かなくなったラルバを見て、ガンマは肩で息をしながらモゴモゴと口を動かし、血の混じった唾をラルバに吐きつける。

「フゥーッ!フゥーッ!フゥーッ…………フー…………ふへっ……ふえへへへへっ!!」

 怒りが収まると、今度は突然に笑い出した。そのまま腹を抱えながら部屋の出口へ向かうガンマ。頭の中には醜悪な妄想が広がっている。

 今度は俺の番だ。部隊長はみんな死んだ。先導の審神者も殺せば俺がトップ。俺が先導の審神者。全部俺に従う。うるさいことを言う邪魔者も、俺のお楽しみに水を差す馬鹿も、可愛い子達を独り占めするドケチも誰もいない。俺が一番だ。俺が一番。俺が

「悪い子だ」

 聞こえるはずのない声に振り向くと、立てないはずの人影が仁王立ちしていた。切断したはずの右腕と右足は(いびつ)に繋がっており、大量の血を吹き出していた裂傷は真っ黒な痣になって塞がっている。真っ白な肌に真っ赤な血を滴らせる不死身の化物がコチラを睨んでいる。

「お前っなんでっ」

 慌てて手に魔力を込めるも、瞬きの間に距離を詰めたラルバに腕をへし折られた。

「ぎゃああああああああっ!!?」

「悪い子だねぇ」

 ラルバはガンマの折れた腕を握りしめ、雑巾を絞るように捻る。

「ぶあああああああああああっっ!!!」

 ぐるぐるに絞られた腕からは肉の裂ける音と骨のへし折れる音が唸り、鋭く突き出た骨の破片がまた肉を裂く。

「やめっ!!やめへ(やめて)っ!!はなひて(離して)っ!!」

「せっかく見逃してやろうと思ったのになぁ……」

 今度はガンマの反対の腕を握り、指先の関節を一つ一つ曲げてはならぬ方向へ折り曲げる。

「びゃああああっばっばあああああっ!!!やめけ(やめて)けっ!!あばああああああっ!!!」

「命を大切にしない奴はこうだ」

 親指、人差し指、中指、薬指、小指。もはやガンマの悲鳴は、声と言うよりは金属の擦れるような音に変わっている。それでも呼吸困難になりながらも必死に鼻水を(すす)り息を吸う。

「ゆっゆうひへ(許して)っ!!ゆうひへ(許して)っ!!」

「ほう……許して欲しいか」

 ラルバがガンマの胸に指を刺し入れ、土に埋まった木の根を掘り上げるように、皮膚をバリバリと破りながら肋骨を引っ張り出す。ガンマの叫び声が衝撃波のような塊になってビリビリと空気を揺らすが、その声に応える者はいない。

「じゃあ……笑え!とびっきりの笑顔で!!」

 破けた皮膚を摘み、日焼けを剥がすように剥き続ける。

「むむむい(無理)っ!!むい(無理)いいいいいっっっ!!!」

「笑顔でないものは笑顔によって何たらかんたらだぞー」

 皮膚が剥がされた腹部は皮下組織を曝け出し、そよ風すら激痛を伴ってガンマを貫く。

おえんははい(ごめんなさい)……おえんははい(ごめんなさい)ぃぃ……」

 痛みと恐怖と憤怒で感情をぐちゃぐちゃに掻き回しながら呟くガンマ。流した涙は裂けた肉や剥き出しの内臓に触れては激痛を呼ぶ。その度にガンマは喘ぎ、再び涙を流す。

「飽きちゃったなぁ……流石に。リアクションがワンパターン」

 一条(ひとすじ)の希望が差し込んだ。怪物は気怠そうに立ち上がり、大きく伸びをする。ここを耐えきれば逃してもらえるかもしれない。ガンマには回復魔法の心得があった。そして、何より人一倍負けず嫌いだった。涙と鼻水と涎に(まみ)れた、子供の描いた油絵のような顔にも、拷問で雁字搦(がんじがら)めにされた今にも捻れて切れてしまいそうな意識にも、復讐心はメラメラと燃え盛り、猛り、ガンマの乱れ切った吐息に熱を持たせる。

「じゃあ〜さいご!さいごだ!」

 これさえ乗り切れば。

「問題!子供への(しつけ)や、親子や恋人のコミュニケーションとしても行われる。人間の自律神経を使ったイタズラはなんでしょう!!」

 もう少し、もう少しで。

 

「正解は〜?くすぐりの刑!!」

 

「あぎゃああああああああああっっっ!!!」

 剥き出しの皮膚や内臓。腐った藁のように裂けた肉。その至る所から飛び出た鋭い骨の破片。そんな状態のガンマをくすぐれば、到底人間には耐えられない苦しみが脳味噌を握り潰す。

「こちょこちょこちょ〜」

 そしてラルバのくすぐりは、次第に一般的なイタズラのくすぐりではなくなっていく。爪を立てて脇や腹を掻き(むし)り、掻き混ぜ、ミキサーのように肉を切り裂いた。

「こちょこちょこちょ〜こちょ?」

 人並外れた精神力、筋力、魔力を持ち、無意識下ですら生存のための呼吸法や精神制御の最善策を選択したが故に、この拷問の最後まで生き延びてしまったガンマ。しかし、そんな強者もとうとう意識を手放し動かなくなった。呼吸困難で悲鳴すら上げず、防御反応としての痙攣すら見られない。

「ああかわいそうに……安らかに眠れ……」

 ラルバはガンマの前で祈りを捧げ、首根っこの肉を部屋の壁に引っ掛けて死体を吊るした。

「おっ洒落(しゃれ)〜」

 親指と人差し指で長方形の窓を作り、片目で覗き込む。すると突然部屋の扉が勢いよく開かれ、一人の狂信者が入ってきた。

「脱獄者はどっ!!ど……こ……」

 突然目に飛び込んできた無残に吊るされた、天下無双の部隊長“残飯喰らいのガンマ”の死体。血塗れの歪な脱獄者。状況が飲み込めず放心状態の狂信者に、返り血に塗れたラルバは眉間にシワを寄せ小刻みに手を振る。

「私が来たときにはこうなってました」



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17話 笑葬の儀!

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〜笑顔の巨塔 中層〜

 

「お、目が覚めたか」

 ラデックが朦朧(もうろう)とした意識の狂信者に話しかける。

「こ、ここは……」

笑葬(しょうそう)の儀の部屋だ」

 ハッとして周囲を確認する狂信者。数十人の仲間達と尽く柱に縛りつけられ、自分たちがいつも殺してきた国民達と同じ格好にされていることに気付いた。

「きっ貴様がやったのか!!」

「とても疲れた」

 鬼の形相の狂信者に、ラデックは気怠そうに肩を回して答える。

 狂信者は魔法を使い脱出しようと試みるが、思うように発動できず手をもぞもぞと動かす。

「魔法は使えないぞ。まあ使えるは使えるんだが……やり方は教えない。まだ死にたくないからな」

 ラデックはタバコに火をつけ、深く煙を吸う。

「貴様……こんなことしてどうなるかわかっているのか?お前の想像しうる地獄程度では到底済まされないと思え!!」

「そうなのか」

 そこへ部屋の扉を勢いよく蹴り開けて、血(まみ)れのラルバがぎこちない大股で入ってきた。

「ラデックー!治してくれー!」

「ラルバ……どうしたその怪我は」

「太ったブサイク部隊長に斬り刻まれてしまった。顔とか腹は平気なんだが、吹っ飛ばされた脚と腕がいまいちうまく繋がっていなくてな。とても歩きづらい」

「……そりゃそうだろうな。脚が90度近くズレてるし、腕も角度がかなり……これはどうなってるんだ?」

「分からん。くっ付けたら付いたし動かせば動く」

「……何度でも言うが、使奴(シド)は丈夫なだけで不死身じゃあない。使奴の物理的な死亡報告が無いから、詳しい耐久性に関してはなんとも言えんが……あんまり無茶なことはするな」

「あんま難しいこと言うな。私はまだ0歳だぞ」

「シマウマみたいな痣を付けて来るな」

「可愛いじゃんシマウマ」

「あと服。使奴細胞の技術を応用してるからそう簡単に傷付きはしないはずなんだがな……破ける度に俺が毎回繊維の一本一本を編み込んでいるという事を忘れないでくれ。とてもしんどい」

「ブサイク部隊長が悪い」

「他の部隊長はどうした?」

「残念ながらみんな死んでしまったよ。可哀想になぁ……」

「そうだな。……痣も酷いな。ついでだから額の痣も消しておくか?」

「あ、コレはいい。無いと変だろう」

「ある方が変なんだがな……まあラルバがそう言うなら残しておこう」

 一通りラルバの治療を終えたラデックは少しストレッチをして肩の力を抜く。そして狂信者達の方に振り向くと、みな目を覚ましているにも拘らず蒼ざめた表情のまま茫然としていた。ラルバが少し跳ねたり踊ったりしながら身体の調子を確かめ、狂信者達へ向き直る。

「さてさて!お待たせしました皆様方!!……なんだか元気がないね?もっと罵詈雑言の嵐かと思ったのに」

 1人の狂信者が震えた声で尋ねる。

「そ、その……部隊長……達が……死んだと、いう……のは?」

 ラルバが答える前に別の狂信者が同じく震えた声で遮る。

「ばっ馬鹿を言うなっ!!笑顔の七人衆がこんな使奴1人に殺されるものかっ!!」

「だ、だって」

 ラルバは何かを閃いたように口角を上げて指を鳴らす。

「ラデック!ちょいちょい!」

「なんだ。労働なら軽めのを頼むぞ」

 面倒臭そうなラデックにラルバが笑いを堪えながら耳打ちをする。

「……労働なら軽めのものをだな」

「走れラデック!!時間がないぞ!!」

「これ時間制限あるのか……?」

 ラデックは言われるがままに出口の方へ走っていった。ラルバは手を振って見送ると、再び狂信者達へ向き直る。

「えーオホン!いやあさすがに部隊長を全員殺したと言うのは嘘だ!ちょっと調子に乗ってしまってなぁ申し訳ない。君らをボコした後必死で逃げて撒いて来たんだ……てなわけで?部隊長が戻ってくるまで君らとゲームをしようと思う!!」

「ふざけるのも大概にしろ脱獄者!!」

「大概にしまーす」

 ラルバは空間に模様を描くようにクルクルと指先を回す。すると狂信者の真上の天井にヒビが入り、数滴の溶岩が垂れ落ちた。

「あっ熱っ!!熱ちちちっ!!」

「燃え、燃えるっ!!」

 狂信者達を縛る柱を固定している木製の台座は、溶岩が触れた部分からブスブスと黒い煙を上げて燃え始める。天井の隙間からは赤く煌く溶岩が、亡者の涎のように少しずつ滴り落ちている。

「んひひひひ……実は私は昨日ある予言を……失礼。神から神託を(たまわ)ってなぁ。『隕石が降り注ぎ、不躾な信者もどきは業火の中やけ死ぬであろう』とな。んひひひっ」

 幼い少女のように、あざとく口元を両手で隠しながら笑うラルバ。狂信者達は半狂乱になりながら必死にもがき脱出を試みている。

「だが!お前らの信仰心が本物なら……笑え!笑顔でないものはナンチャラにナントカカントカ?笑っている間は溶岩を止めてやろう……その間に部隊長が帰ってくれば私の負けだ!!」

 ラルバがそう高らかに宣言をすると、狂信者達は間髪入れずに大笑いを始めた。

「はっはっはっは!!馬鹿者めが!!我々の信仰心が貴様如きに穢されるものか!!」

「あーっはっはっはっは!悪しき脱獄者に天罰を!!笑福の罰をーっ!!あーっはっはっはっは!!」

「…………案外笑えるものなんだな。こんな状態でも」

 耳を(つんざ)く大爆笑に、ラルバは背を向けて立ち尽くす。

「脱獄者に罰をーっ!!奈落へ誘い給えーっ!!ははははははーっ!!」

 狂信者達は次第に火の勢いが強まる台座にも怯まず、高らかに笑い声を上げ続ける。

「脱獄者に裁きを!!あはははははっ!!災いを呼ぶ忌面(いみづら)に裁きを!!あはははははっ!!」

 爪先が焦げようとも、煙を吸い込もうとも、彼等は狂ったように笑い続ける。

「あーっはっはっは!!」

 狂ったように。

「裁きをーっ!ははははーっ!!」

 信じながら。

「脱獄者に罰を!あはははっ!!」

 勝利を。未来を。

「あはははははっ!!!」

 希望を。確信しながら。

「んひひひ……」

 怪物がどんな顔で笑っているかも知らずに。

 

 台座の炎の勢いも弱まり、火力不足で殆どが燃えずに残った台座の上で、狂信者達は喜びと嘲笑に満ちていた。

 すぐにあの馬鹿は殺される。七人衆に何をしたのかは知らないが、我々が力尽きるまで七人衆がココへ辿り着けないと思い込んでいる。七人衆は常に各部隊員から魔力を供給しており、大方の方角・体力と魔力の変化を把握している。襲撃直後に、笑葬の儀の部屋という普段は立ち入り禁止の場所で、減らない魔力に減り続ける体力。七人衆はとっくに異変に気付いているに違いない。問題は誰が一番最初に来るかだ。

 エンファかドンマかシュガルバなら最高だ。特等席で解体ショーが見れる。グドラかポポロだと流れ弾が厄介だ。ボルカニクかファムファールなら何事もなく一瞬で終わるだろう。

 そんな考えを巡らせていると、予定よりもずっと早く部隊長“達”は帰ってきた。予想外の方向から。

 石の天井が生クリームのように”溶け出し、垂れ下がって“来たかと思うと、張り裂けた隙間から6人の人影が落下してきた。

「あーっはっはっはっは……は?」

 狂信者達は思わず笑いを止めて人影に目を向ける。

「おっと!お待ちかね部隊長様のお帰りだぞ!はい国歌斉唱!!」

 ラルバが手を叩いて狂信者達を煽る。

 天井から落下してきたのは、部隊長達の見るも無残な焼死体。そして、ドンマの死体だけが人間の仕業とは思えぬ程に残忍な傷を負っていた。

「ド、ドンマ様……!!」

「ああっ……あああっ……や、やっぱり……殺したってのは、本当だったんだ……!!」

「そんな馬鹿な……!!」

 大爆笑の渦が一転して恐怖と悲哀の波に飲まれる。

「いやぁーまいった!部隊長達のお帰りってことは?私の負けかーっ!くぅーっ!悔しいなぁ!!」

 ラルバは大きく(おど)けて天を仰ぐ。天井の穴から目があった汗だくのラデックに親指を立てて「ナイスタイミング」とジェスチャーを送った。

「それじゃあ敗北者は尻尾を巻いて逃げるとしますか……」

「待っ待てっ!!我々の勝ちなら縄を解け!!」

「そっそうだ!縄を解け!!」

「んー?」

 背を向けて歩き出そうとしたラルバを狂信者達が引き止める。

「別に負けたら解放するとも何とも言ってないが……」

 ラルバは嘲笑するようにニヤリと笑うと、指先をパチンと鳴らす。それを合図に天井のひび割れが広がり、再び溶岩がポタポタと(したた)り始める。

「おっお前っ何のつもりだっ!!」

「いやだってまだ6人しか帰って来てないからなぁ……部隊長は七人衆なんだろう?」

「お前さっき“私の負け”だと……!ゲームは終了だ!!」

「違う違う。“私の負けかー”って勘違いしたんだ。ただの感想。でも実際は人数足りて無いし、まだまだゲームは終わらないぞ?」

「お前は“部隊長が帰ってくれば私の負け”と説明しただろう!!全員とは言っていない!!」

「え?…………あ、ホントだ」

 ラルバはポンと手を叩き頷く。すると天井のひび割れは塞がり、溶岩の供給は止まった。

「なんだーつまんないの。はいはーい。私の負けでーす」

 両手をひらひらと頭上で振り降参するラルバ。狂信者達はホッと安堵の溜息をつく。

「じゃ、じゃあ我々を解放しろっ……!このままでは焼け死ぬ!」

 狂信者達との押し問答の最中も滴り落ちた溶岩は、再び台座を真っ赤な炎となって走り回っている。

「え?やだよ?」

「なっ……!この期に及んでまた負けを撤回するのか……!?」

「いや負けは負けだけどさ。さっきも言ったけど、負けたら解放するなんて言ってない」

「こっ……この……!!!」

「じゃあバイバイ」

 そう言ってラルバは(きびす)を返して出口へ歩き出す。

「まっ待て!!このままじゃ火が……!!」

 出口の手前でラルバは立ち止まって振り返る。

「遊んでくれてありがとう。そのまま焼け死ね」

「っ――――――――!!!」

 狂信者達の声を掻き消すように扉が閉じられた。

 

「トドメは刺さないんだな」

 部屋の外へ出ると、タバコをふかしているラデックが階段に座って待っていた。

「んー?ああ……実を言うとな……」

「罪悪感が芽生えたのか?」

「ちょっと飽きた……」

「……そうか」

「帰るか……」

「ならバリアを迎えに行こう」

「ああ、下にいるんだっけか」

 ラルバは螺旋階段の通路まで行くと、塔の一階に繋がる吹き抜けに飛び降りた。

「まさか俺も飛び降りろと言うんじゃないだろうな……」

 着地の術を持たないラデックは急いで螺旋階段を降り始めた。

 

 

〜笑顔の巨塔 下層〜

 

「ぬぅぅぅぁぁぁぁあああああああっっっ!!!」

 ファムファールの固く握られた両拳が、雄叫びと共にバリアを両サイドから挟み込む。その破壊力は鉄の塊すらも一瞬で消し飛ばすほどの威力を持っているが、挟まれたバリアは無傷どころか、夜通し動いていたせいで感じていた眠気を、今になって欠伸に表した。

「ぜぇっ……ぜぇっ……バ、バリアちゃぁん…………アナタァ……ホントに丈夫ねぇぇえ!?」

 汗だくになりながら大きく肩で息をするファムファールに、バリアがやる気のないVサインで反応を返す。

「捕獲……捕獲って言ったっテ……フゥーッ……フゥーッ……」

 通常の戦闘であれば、ファムファールはバリアを放り投げて終いであった。しかし、今回は脱獄者と幇助者(ほうじょしゃ)の捕獲が目的であり、バリアを弱らせる必要があったファムファールは、塔を壊してはならないという状況も相まって酷く難儀していた。

魔封鎖(まふうさ)はダメ……毒もダメ……トリモチが充満したカプセルなんテ魔法使える子誰かいたカシラぁん……?エンファちゃんナラ出来るカシラ………………ん?」

 ファムファールは何者かの気配を感じて飛び退く。すると上空から落下して来たソレは、少しの土煙を上げて着地しファムファールとバリアの方を向く。

「バリアー帰るぞー!うおっ、なんだこのジャガイモの魔人は」

 ラルバはファムファールに「どうも」とお辞儀をすると、そそくさとその場を立ち去ってしまった。

「……バリアちゃん。お仲間?」

「うん。帰るね。ファムちゃんバイバイ」

「…………バイバイ」

 唖然としながらファムファールはバリアに手を振って見送る。

「……まさかとは思っていたケド、あの子もしかシテ本当に部隊長全員倒しちゃっタノ……!?」

 思わずその場で見上げるファムファール。見えはしないものの、いつもなら不気味なほどに禍々しく満ちている魔力も一切感じられず、ただただ真夜中の静けさだけが降ってきている。

「なんだこの巨人は……」

 茫然と真上に顔を向け続けるファムファールの横を、遅れてきたラデックは見つからぬように抜けていった。



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18話 今何時?

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〜世界ギルド 質素な宿屋〜

 

「あぁ〜たのしかったなぁ!」

 ラルバは簡素なベッドに身を投げ目を瞑る。ラプーとバリアはいつも通り部屋の隅に座り、ラデックはコーヒーを飲みながら椅子に腰掛けた。

「ラデックー。イチルギ呼んできてくれぇ」

「もう呼んである。そろそろ来るはずだ」

「んふふー。あの国今頃どうなってるかなぁ」

「気になるなら暫く滞在すれば良かっただろう。なにもあんな明け方に夜行馬車を取らなくても……」

「犯罪者扱いされても旨味がないもん。あれ以上の悪人がいるわけでもなさそうだし」

悪辣(あくらつ)な政府を滅ぼしたんだ。寧ろ礼を言われるんじゃないのか?」

「ヒーロー扱いはもっとイヤー!」

「わがままだな……」

 ラデックがコーヒーを(すす)りながら新聞に目を通す。

「なんか面白い記事あるか?」

「いや……流石に笑顔による文明保安教会のことは書いてない。まだ3日も経ってないしな。他も面白いものはない」

「お、これ面白そうだぞ。『魔工(まこう)研究所にて爆発事故!人為的な工作の痕跡!』どう?」

「それやったの私よ〜」

 2人が話していると、イチルギが入り口の扉を開けながら会話に割って来た。当然のようにベッドに腰掛け、ラデックにコーヒーを注文する。

「4人ともお勤めご苦労様」

 和やかなイチルギの微笑みを、ラルバがムスッとした顔で睨見つける。

「あの資料、クソの役にも立たなかったぞ」

「あらごめんなさい。何もないよりはマシかと思って。奴らの悪巧み、わかったんでしょ?」

「はっ!悪巧みなんて可愛い響きでは言い表せんな!」

 ラルバがベッドに座ったまま、身振り手振りを織り交ぜてイチルギへ説明する。忌面(いみづら)笑葬(しょうそう)の儀、部隊長の非行の数々、ハピネスの生い立ち。最初こそ微笑みを浮かべていたイチルギも、次第に顔を曇らせ眉間にシワを寄せ始める。

「――――ってな感じで、まあ七人衆はクソの集まりだったわけだ。1人残らず――――あ?ああ。殆どぶっ殺してきた。問題あるまい?」

「…………ええ。まさかそこまで無茶苦茶やってるとは……」

「イチルギがさっさと乗り込んでボコボコにしてやれば、今日を生きた命もたくさんあったろうになあ。まったく」

「………………ごめんなさい」

 ラルバのわざとらしい悪態にも、イチルギは反論せず俯いて謝る。

「まあいいさ!これでお前は我々の仲間に加わるわけだろう?仲間の失態は許すのが仲間だ!」

 ラルバが俯いているイチルギの背中に肘を置いて寄りかかる。そこへラデックが2人分のコーヒーを淹れて運んできた。

「俺の失態も許してもらえたりするんだろうか」

「え?ああ、コトによる」

「コトによるか」

 イチルギはラデックからコーヒーを受け取ると一口飲んで溜息をつく。

「それで、貴方達はこれから何をするの?」

 ラルバがコーヒーを一気に飲み干して低い唸り声を漏らす。

「決まってない!なーんにもな!」

 そう言って顔をニカっと明るく光らせるラルバに、イチルギはコーヒーを啜りながら新聞を差し出す。

「じゃあここへ行ってみないかしら?」

「どれどれ?『人道主義自己防衛軍に、新幹部誕生か?』これがどうかしたのか?」

「新幹部は「ハザクラ」っていう若い男。3年前に人道主義自己防衛軍に現れて、たった3年でここまで上り詰めた超大物ルーキー。彼と少し話がしたくって」

「なんだイチルギの都合か。それは私の望む悪党惨殺大冒険にメリットがあるのか?」

「彼、魔工研究所に写真があったわ」

「魔工研究所って言うと……バリアがいた研究所か!」

「彼に少し用があって。付き合ってくれる?」

「まあしょうがない。今は目的もないし、悪党探しついでにハザクラに会いに行くかぁ」

 ラルバが大きく背伸びをして、ベッドにダイブする。イチルギはコーヒーを飲み干すと椅子から立ち上がり、4人から見える位置に立った。

「じゃあ改めまして、世界ギルド”境界の門“総帥。今は退陣して、特別調査員イチルギです。よろしくお願いします」

 

 

【挿絵表示】

 

 

【使奴 イチルギが加入】

 

「ちょっといいだろうか」

 声と共に部屋の扉が唐突に開かれる。その姿にイチルギは愕然とした。

「ハ、ハピネス・レッセンベルク……!!」

 そこには、まだ皮膚が焼け落ち真皮を剥き出しにした無残な焼け跡を額に残すハピネスが立っていた。

「な、なぜ貴方がここに……!ラルバ!彼女の残っている戦力は!!」

「ジャガイモの魔人」

「ファムファールなら来ませんよ。私1人です」

 ハピネスが椅子に座り、静かにラルバの方を見る。

「私も連れて行ってほしい」

「え、なんで」

 露骨に不満を示すラルバ。そこへイチルギがハピネスに横槍を入れる。

「ついこの間まで敵だった相手を、『はいわかりました』で許すと思う?」

「それについては深く謝罪させてほしい。こんな能力を持っていながら世界ギルドへ降伏できず、民をいたずらに死なせてしまった。全て私の責任だ」

 ハピネスがイチルギへ深々とお頭を下げる。

「……復讐しに来たんじゃないの?」

 怪訝そうな顔でイチルギが少し距離を取る。

「まさか。アナタ方は私の腐った国を罰し、民を助けてくれた。礼こそすれど、恨む理由がない」

「じゃあなんでここに、まさか本当に仲間にしてほしいってわけじゃないでしょ」

「まさか本当に仲間にしてほしいんだ」

 イチルギが苦虫を噛み潰したような顔で固まる。

「……どうして」

「ふむ……まあ一番は、ラルバに誘われたからだ」

「えっ」

「ええっ!?」

 小さく驚くラルバを、その十倍は驚いたイチルギが襟元を持って激しく揺らす。

「なんで誘ったのよ!バカじゃないの!?」

「誘ったっけ……」

 ラデックがハピネスにコーヒーを差し出してから会話に混ざる。

「誘ってたぞ。『そんなに元気があるなら一緒に来るか?』って」

「言ったような言わないような……」

「考えらんない……」

 唸る2人を他所に、ハピネスはコーヒーの水面を見つめてから目を閉じる。

「しかし俺も疑問だハピネス。俺達についてくる明確なメリットはなんだ?」

「…………言ったところで理解できないと思うが、聞くか?」

 ラデックとハピネスの問答を遮って、ラルバがわざとらしく音を立てて立ち上がる。

「好きにしたら?ただし!覗き見ができるからと言ってネタバレは許さん。私は楽しみを潰されるのが一番嫌いだ。全員部屋を出るぞー」

 その場を立ち去るラルバを慌ててイチルギが追いかける。

「ちょっとラルバ本気!?アナタ失うものないかもしれないけど、一応まだ私世界ギルドの看板背負ってるんだから……」

 遠ざかって行く声に、眠そうなバリアがのそのそと歩き出すとラプーもその後に続く。

「……バリア。よろしくお願いします」

 バリアはハピネスの前で丁寧にお辞儀をすると、ハピネスもそれに倣いお辞儀を返す。

「ハピネス・レッセンベルク。どうぞよろしく」

 2人は部屋を後にし、部屋の中にはハピネスとラデックの2人だけが残った。

「ラデック君。これからよろしく」

「……財布がない。宿の支払いよろしく」

 ラデックはコーヒーの残りを飲み残すと、上着を羽織って外へ出て行った。ハピネスは鞄の中身を漁って、数枚の小銭を机の上に出す。

「……最初の仕事は盗みかな。人生初だ」

 

先導(せんどう)審神者(さにわ) ハピネス・レッセンベルクが加入】

 

 

〜呑み喰い処「うわばみ」 個室「赤蛇の間」〜

 

「それじゃあイチルギとハピネスの加入を祝いまして!かんぱーい!!」

 円卓の正面に立ったラルバの大きく杯を掲げる合図に、イチルギ以外の4人が杯を掲げる。

「どうしたイチルギ。お腹痛いのか?」

「……一応私もハピネスも一般人じゃないんだから、大声で名前呼ばないで」

 イチルギは苦い顔のまま焼き鳥を頬張る。

「確かに、んじゃあだ名で呼ぼうか“おイチ”さん」

「もっとやめて」

「イっちゃん。イッチー。ルギルギ。チル助。どれがいい?」

「や・め・て」

「ラデックお醤油とってー」

「はい」

「……調子狂うわね」

 イチルギの横では、ラデックがハピネスに手羽先の食べ方を教えている。

「次にここから骨を出すと食べやすい」

「ははぁ成る程……無知ですまないな」

「俺も初めて食べた。……結構辛いな」

 もそもそとから揚げを頬張るバリアを、隣のラプーがじっと見つめている。

「……食べれば?」

「んあ」

 ラプーは小さく返事をすると、から揚げを口いっぱいに頬張ってモゴモゴと顎を動かす。バリアは笑いもせずそれをじっと見守る。

「……食べ辛くない?」

「もがもがもが」

「……………………そう」

 ラルバは円卓を見回し満足そうに微笑む。それを見たラデックが、顔を寄せラルバに話しかける。

「随分大所帯になったな」

「ん?ああ。演者は多ければ多いほどいい!」

「演者?」

「ああ、演者だ」

 2人の会話にハピネスが割って入る。

「すまない、この後は人道主義自己防衛軍に行くと言うことでいいんだろう?」

「どっか寄りたいのか?悪党がいっぱいいるならいいぞ」

「ああ、人道主義自己防衛軍に向かうなら“ヒトシズク・レストラン”を経由するといい」

「ヒトシズク・レストラン?」

「あの“グルメの国”?いいわねぇ一回仕事抜きで行ってみたかったの!」

 妙に興奮したイチルギが横から反応をする。

「何があるんだヒトシズク・レストランには。生きたまま人間を食うカニバリストか」

 イチルギがしかめっ面でラルバを睨む。

「食べないわよ気持ち悪い……!」

 ハピネスがイチルギを(なだ)めてラルバに向き直る。

「ヒトシズク・レストランは特殊な中立国でな、資源も豊富、国土も広く海にも面している。それなのに他国と揉めたことが一切ない上に、友好国が多いのに戦争にも一切参加しないんだ」

「中立国なのに?お前んトコ(笑顔の国)とかにボコボコにされそうだが」

「笑顔の七人衆の庇護下にあるというのも大きな理由ではあるが……その理由はなによりも“飯が旨い”んだ」

「はぁ〜〜〜!?」

 ラルバが口をへ字に曲げ、疑心に満ちた声を上げる。。

「本当だ。世界各国から我こそはと名乗りを上げた優秀な料理人が集まり、世界一の高級食材が取引される。その技術や資源の集大成があそこなんだ。国というよりは全世界共有の娯楽施設と言った方が正しい。独り占めしようものならグルメの国を贔屓(ひいき)にしてる大国全てから銃口を向けられる。金持ちの共有財産だ」

「ふぅ〜ん……」

 ラルバは顎をテーブルに乗せ、前歯で串を咥えて上下に振る。イチルギが髪を掻き上げながら麺を啜り、ハピネスの説明を引き継ぐ。

「ヒトシズク・レストランを束ねているのは“ラグラ・アムスタレイド”って言う料理人なんだけど、実際は使奴の秘書“アビス”が全部やってるのよ。だから無茶苦茶で経営が多少荒くてもなんとかなるの。あんな綱渡りしながら雨粒避けるような経営、使奴並の演算能力がなきゃ無理無理」

「ほぉん……まあ儲かるのはいいことだ!悪党も肥えるしな……!んひひひっ。すみませーん!”綿孔雀の照り焼き“と”レモンロブスターの旨塩焼き“下さーい!あと”ゲンコツビール“と“味噌ダレ枝豆”!ラデックなんか食うか?」

「頼みすぎだ。イチルギ、一ついいか?」

「ん?なあにラデックさん」

「ラデックでいい。さっき”使奴の演算能力“と言っていたが……イチルギは使奴の事をどれだけ知っている?」

「さぁてね……」

 ハピネスがイチルギにグイッと顔を寄せる。

「私も知りたい。使奴の情報だけはどうしても手に入らないんだ。並外れた戦闘能力に強靭な体、100年以上の時を生きる超常的生命体……私は人間とは明確に違う生物種だと睨んでいるんだが」

 ガタンッ!!と、突然ラデックがテーブルを叩いて立ち上がる。少しの間、バリアとラプーの咀嚼(そしゃく)音だけが響き、ハピネスがラデックを見上げて口を開く。

「ど、どうしたんだ。急に」

「………………使奴の耐用年数は実験で最長15年、劣化魔法での観測限界は80年、実在する最長勤務モデルは7年、そもそも使奴が誕生してからは16年しか経ってないし使奴の研究が開始されてからはまだ19年だ100年生きたケースなんてどこの資料にも記述されていない……!!」

 ラデックの早口の呟きは、次第に熱を持って荒い口調になる。それを聞いたイチルギが一言だけポツリと漏らした。

「ラデック……アナタもしかして使奴研究員……!?」

 その声にラデックが額に汗を浮かべながら顔を向ける。

「漸く思い出した……!研究所の警報……!“隔離プロトコル”……“浮島”……“時間壁”……!!イチルギ……お前は……お前が知っている事全て教えてくれ……!!今は……今は……!!あの“事故”から……!!ラルバ達が目覚めてから……!!何年、いや“何百年後”なんだ!!!」

 



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19話 不運なタイムトラベラー

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 イチルギが深刻そうに顔を伏せてため息をつく。

「ラデック……ひょっとしてアナタ相当な世間知らず?」

「生まれてからはずっと使奴研究所の保育施設で過ごした。研究所の外はフィクションの本でしか知らない」

「そう……ちょっと残酷な話になるかもしれないけど……」

 深呼吸をしてラデックに向き直る。

「アナタのいう“事故”……まだ実験カプセルの中で眠っていたラルバが目覚めるきっかけになった事故からは……大体200年が経過してるわ」

「200年……!?」

 ラデックが体を硬直させる。

「そう200年」

「………………研究所を出る時に警報が鳴ったんだ。“隔離プロトコル浮島”あれは研究所の外で何かトラブルがあった時の最終防衛装置。時間壁(じかんへき)で研究所を囲って、外の時間と研究所内部の時間を切り離す。時間は川のように流れ続け、研究所は“浮島”のように流れに取り残される……トラブルを時間が解決するまで研究所を防護する装置だ」

 イチルギが少しだけ酒を口に含む。

「私もそれを聞いて納得した。なんで使奴研究員なんて太古の人種が最近になってチラホラ現れ始めたのか。私や他の使奴は事故が起きた時、その“隔離プロトコル”前に逃げ出した。でもって、隔離された後の研究員が最近になって現れ始めた。でも、アナタ達随分後になって脱出したのね?魔工(まこう)研究所の連中がウチに来たの2年前よ?」

「ラルバが装置をぶっ壊したせいだろう。恐らく、正常な終了プログラムが作動しなかったんだ」

「うーわ人のせいかー?」

「2年も3年も大して変わらない。俺たちはどうせ外の世界を知らなかったんだ」

 ラデックが椅子に大きく寄りかかって天井を見上げる。

「使奴が世間に受け入れられている理由。ラルバの格好が世間に浸透している理由。合点がいった」

 ハピネスが手を挙げて会話に入る。

「すまない……私はまだ理解していないんだが、わかりやすく説明してもらえるか?」

 イチルギが酒を大きく(あお)り、溜息を漏らす。

「いいわ。どうせラルバもあんまり理解できてないでしょうし」

「理解できないんじゃない。聞いてなかっただけだ。もっかい話してー」

「……最初から説明するから、ちょっと長くなるわよ」

 イチルギが大きく深呼吸をする。

「事の始まりは今から200年近く前。正確な時間は覚えていないんだけど、私達が使奴研究所から脱走した時、世界は戦争状態だったの。大きな戦争だったわ。空は常に戦闘機が飛び交ってて、爆発音を聞かない時間はなかった。歩けど歩けど死体の山、山、山。たまに生きてる人間を見かければ問答無用で撃たれた。後から知ったんだけど、大戦の発端は使奴研究所の顧客同士の(いさか)いみたい」

 ラデックが天井を見つめたまま口を開く。

「使奴同士を争わせようとすれば、使奴研究所からの停止命令が飛んでくる。使奴なんて怪物、軍事兵器に利用しない理由は皆無だからな。使奴研究所は顧客同士の争いを避けるために停止装置を仕込んでいたが……バリアが研究所でサンドバッグにされていたところを見ると、停止装置が故障したんだろうな」

「ええ、恐らくね。その世界を巻き込む大戦争は1年も経たずに終息したんだけど、その時世界は破滅寸前まで崩壊したわ。それこそ文明が殆ど滅んで石器時代に逆戻りするんじゃないかってほどに。でも使奴は丈夫だったから無事だった。それからは、流石に目の前で怯えてる難民を放っておくわけにもいかなくてね、人助けを始めたの。使奴は食べ物も睡眠も必要なかったから、みんなのために全力を尽くせた。我ながら理想のリーダーになれたと思う。それから十数年ほど経つと、他の集落と連絡がつくようになってきた。大体どこの集落も使奴が率いていたわ」

 ラルバが机に顎を乗せたまま話を遮る。

「揃いも揃って脱走直後に人助けとは……よっぽど暇だったんだな」

 イチルギが少し笑いながら話を続ける。

「ええ……きっとみんな同じ気持ちだったのよ。もちろん人間に協力しない使奴もいたけど、使奴は特に利権とか資源とかを必要としなかったから無闇にこっちを襲ってくることもなかった。今でもいるわよ?秘境で誰とも合わずにぼーっとしてるだけの使奴は」

 ハピネスが思い出すように中空を見つめ呟いた。

「私も何人か見たことはある。何をするわけでもなく茫然としているだけの使奴を。偶にではあるが、何を思ったのか知らないが賞金稼ぎやら何やらが門を叩いては使奴の怒りを買い、鬱陶(うっとう)しそうに返り討ちに遭っていた」

「彼女達はただ誰かに囚われてるのが嫌だっただけみたい。ラルバみたいに積極的に人を害そうとしてくるのは希少個体よ」

「希少個体か、悪くない響きだ」

「人間同士の諍いも使奴がいれば簡単に仲裁できたし、反乱程度で敵うわけもないから誰もそんなことを画策しなかった。そもそも私達は人間と平穏に過ごすことを目的としていたしね。あの頃は平和だったわ…………また数十年経つと、使奴と人間のハーフも増えてきて、女性は使奴の遺伝子の馴染みがいいのか、男性よりも圧倒的な力を持つようになった」

 ラデックが小さく手を挙げる。

「確かに使奴の妊娠可能モデルは少なくないが、その子供まではまだ実験の対象外だった。実験で生まれた赤ん坊に使奴細胞が組み込まれていることは少なくなかったが、その子供同士で交配させたことはなかった。きっと世代を経るごとに使奴細胞に馴染む個体に変化していったんだろう」

「そこからは女性中心の社会になっていって、今までの世界とは違う人種が幅を利かせるようになった。今の文明レベルは200年前と比べるとかなり低いけど、私達使奴が尽力して0から一気に経済を成長させたにしては高い方だと思わない?結構頑張ったんだから。それと……周りの人達、随分きわどい格好してるでしょう?ここだけの話……私達使奴が逃げた時の衣装って……使奴研究所にあった物なのよね。今ラルバが着てるような、イメクラみたいなやつ」

「イメクラ言うな」

 ラデックが顎に手を当てて考える。

「なるほど……強さの象徴といえば使奴。その使奴の特徴で真似できるものといえば、黒い痣とセクシーなコスチューム……あれは彼女らにとって正当なファッションなんだろうな」

「これが、私が200年見てきた世界の仕組みよ」

 ハピネスが手羽先を齧りながら微笑む。

「私の能力を以ってしても研究所が覗けなかったのも合点がいく。あの時はまだ隔離プロトコルとやらが実行中だったのか……流石に時間の流れは跨げん」

 ラデックが新聞を取り出してイチルギに渡す。

「だとすると、このハザクラという男は十中八九使奴研究所の研究員で決まりだろう。だから会いに行きたかったのか」

「ええ。けど人道主義自己防衛軍は永年鎖国の軍事大国。どうやって幹部にまで漕ぎ着けたのか……」

 しかめっ面をしていたラルバが、我慢が解かれたように両腕を振り上げて喚く。

「んあー!今はグルメの国だろう!そんな研究所があーだとか人道主義がどうとか!後でいい!!今はグルメの国!!」

 ラルバがイチルギの手元の砂肝を、箸で全て摘み口に放り込む。

「あっ私のお肉!」

わらひ()ひゃくえんご(100年後)らろーが(だろうが)あんがろーが(何だろうが)あんがっけいいああ(何だっていいなあ)えおはいらひ(0歳だし)

「0歳が人の肉とるなぁ!」

「200歳がケチケチするな!」

「26歳の手羽先やるから落ち着け200歳」

「えっ?ラデックって26歳なの!?もっと若いかと思ってたわ……」

「因みに私は27歳だ。ラデック君一個下だったんだね。ハピネスお姉さんって呼んでくれるかな?君みたいな弟が欲しかったんだ」

 ラルバがハピネスをキッと睨み付ける。

「今なら身長190の0歳児もついてくるぞ……」

「それは脅迫?それともセールス?妹ならバリアちゃん見たいな大人しい子がいいんだが」

「んがー!セールスじゃない!おばあちゃんに言いつけるぞ!!」

「ラルバ……もしかしておばあちゃんって私のこと……?」

「200歳は十分過ぎるくらいおばあちゃんだろう。なあラデック」

「それで言うと俺はお父さんか?」

「一個上の私はお母さんか。ラルバの母親やれる自信はないな……」

「私だってお前のようなお母さんは要らん!保護者はイチルギおばあちゃんだけで十分!」

「誰がおばあちゃんよっっっ!!!」

 酒場はいつも通りの喧騒を路地裏へ響かせ、隣のボロ宿の宿泊客は今日も安眠を妨げられる。

 しかし、今日の宿泊客は酒場の明かりを見つめながら、ボロ宿には不釣り合いな質のいい毛皮で口元を隠す。燃え盛るような紅い髪を掻き上げる使奴特有の真っ白な手に彫られた”盗賊の国の紋章”が、酒場の明かりを艶やかに反射した。

 

〜高級ホテル「大樹の根」 VIPルーム〜

 

「……………………起きれれれない」

 昼過ぎになっても、ラルバは高級ベッドから起き上がれずにいた。いつもは誰よりも早く目覚め朝に弱いラデック達を叩き起こしていたが、今日に限っては皆が目を覚ました今も布団に潜り込んでいる。それを見かねたイチルギが溜息混じりに声をかける。

「ラルバー?もうみんな行っちゃったわよー?いつまで寝てるのー?」

「……おばあちゃんは早起き」

「誰がおばあちゃんだっっっ!!!」

 イチルギがベッドにかかと落としを浴びせると、小さく「うっ」と呻き声が漏れた。

「もうお昼回ってるのよ!チェックアウトが15時だから、いい加減起きてくれないともう1日分料金(かさ)むわよ!」

「それもいいかもしれん……」

 ラデックがベッドに近寄り布団を剥ぎ取る。

「あーもうちょっとだけー!」

「……ラルバ。笑顔の国に行く前に俺に言ったこと、忘れたのか?」

「…………………………お前を殺す?」

「無駄遣いをするな、だ」

「ラデック、ラルバよろしくね。先行ってるから」

 ラルバは大きく伸びをした後、ラデックに手を引かれ渋々歩き出した。

「布団ってのはグレード上がるだけで寝心地全然違うんだな……笑顔の国のホテルとも比べ物にならん……あれはダメだ。使奴を殺す」

「イチルギもバリアも普通に起きてたぞ」

「あの2人は使奴じゃなかったのか……」

 ホテルを出ようとすると、受付の人間が総出で見送りに来た。ラデックは小さく会釈を返し、ラルバを引き摺って外へ出る。

「ハッ……!ラデック!」

「どうした。忘れ物か?」

「どうせイチルギのコネで泊まれたなら、別にもう一泊くらいどうってことなかったんじゃないか……?」

「馬車の予約がある」

 皆が待つ馬車乗り場に行くまで、ラルバは眉間にシワを寄せたままラデックに引き摺られていった。

 

 

〜高級馬車「天使の揺り籠」〜

 

 ラルバが馬車の受付でもらったパンフレットを読み上げる。

 「美しいメタリックボディにまるで一軒家のリビングのような荷台は、浮遊魔法により一切の揺れを感じさせず快適な旅をサポートします。当社独自の運搬用セキュリティ・ゴーレムと、三本腕連合軍に特注したハイエンド防衛魔工がお客様の安全をお守りします……本当か?」

 パンフレットを置いて、怪訝(けげん)そうな顔でイチルギを睨む。

「襲われた事がないから何とも言えないけど、そうね。はぐれ盗賊ぐらいにはまず襲われないわ」

「てかわざわざこんな豪華な馬車要らなくないか?泊まっておいて何だが、あのホテルも高級すぎる。税金の無駄遣いだ」

「安い馬車とホテルは一般人が使うわよ。こういう高い買い物は私ら金持ってる人が使わないと、ただでさえ富裕層は少ないんだからあっという間に潰れちゃう。高級品が廃れたら富裕層の支出も減るし、高級品を扱う業者も減る。生活の質の上限が下がれば、そのシワ寄せは貧乏人にも響く。お金持ちにどれだけ沢山お金を使ってもらえるかが大事なの」

「ほえ〜」

「自分から聞いたんだから真面目に聞きなさいな……!」

 ハピネスが窓の外を指差して会話に割り込む。

「そのハイエンド防衛魔工っての、故障しているぞ」

「うそぉ!?」

 イチルギが慌てて窓から身を乗り出すと、美しいメタリックボディに備え付けられたマシンガンからは黒煙が上がり、十数人の盗賊が馬に乗ってラルバ達を取り囲んでいた。

 イチルギは窓から頭を引っ込めて項垂(うなだ)れる。

「どうしたイチルギ。お腹痛いのか?お前いっつもお腹痛そうだな」

 ラルバがイチルギの背中を摩るが、鬱陶しそうに振り払われる。

「痛いのはお腹じゃなくて頭。ああ〜これで境界運送の評判が落ちたら私の責任になるんだろうなぁ……」

 イチルギは呻き声を上げながら頭を掻き毟る。そこへジャックされたスピーカーから女の声が響いた。

「死にたくなければ西の森へ進路を変更しろ。我々についてこい。もしどこかへ連絡しようとしたり、逃げ出したり反撃すれば馬車ごと爆破する」

 ラルバがイチルギの背中をポンと叩いて、顔を覗き込む。

「いい考えがあるぞイチルギ。我が儘を言って申し訳ないが……2時間ほど森林浴がしたい。到着時間には間に合わなくなるだろうが……せっかくの高級馬車だ。旅はより質の良いものにしたいと思わんか?日程にない身勝手な行動に会社は怒るだろうが、元総帥イチルギ様のご友人の勝手な我が儘ならば、そう邪険にもできまい。勿論チップだって弾むし、アンケートには全員満点を記載するだろう。“誰にも邪魔されることのない快適な旅だった”と」

 したり顔で不敵に笑うラルバに、イチルギは同じく不敵な笑みで返す。

「いい考えねラルバ」

「初めて意見が合致したな。うっひょーワクワクするっ!」

 馬車は急遽進路を変え、西の森へ走り出した。

 



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ヒトシズク・レストラン
20話 豚にでも食わせておけ


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〜世界ギルド外れの大森林〜

 

 一行の馬車は、馬に乗った盗賊達に囲まれながら鬱蒼(うっそう)とした森を走り抜ける。

 倒木が散乱する森を突き進もうとも浮遊魔法のおかげで快適な馬車の中で、イチルギはラルバと打ち合わせをしていた。

「一番後続にいる黒い馬に乗った男。あいつが黒幕ね」

「確かに一番悪そうな顔してる」

「覆面してるのに顔わかるの?」

「勘だ」

「あいつは境界運送の人間ね。男の名前はネルダバ。元々金持ちの生まれで、脅しとコネで会社に入ったようなものだけど、まさかこんな悪事に手を染めてるなんて……」

「周りの盗賊達は?」

「あれは……義賊っぽいけど、私達を襲うってことは違うのかしら」

 イチルギが渋い顔で窓の外を見ると、後ろからハピネスが会話に割り込んできた。

「カランクラ率いる盗賊団“ヘビースモーカー”だ」

 イチルギは驚いたような顔でハピネスを見つめる。

「ハピネス……アナタ知ってるの?」

「覗き見は唯一の趣味なんでね。世界ギルド関連の情勢がマイブーム。ラルバ、続きを話しても?」

「許可する!」

「では、僭越(せんえつ)ながら……彼らは世界ギルドの貧困層を根城にする義賊だ。金持ちから奪い貧民に分け与える。そこへ漬け込んだのがネルダバだ。分け前を半分もらう代わりに顧客情報を流して襲わせる。ヘビースモーカーは悪党ではないから奪うだけだが、ネルダバは自宅に奴隷を何人も飼ってる。お気に入りがいれば持ち帰るだろうな」

 イチルギが拳を強く握りしめながら窓の外を睨む。

「奴隷!?そんなの一体どこから……」

「……ヘビースモーカーは子供を売ってたのさ。ネルダバにな。もっと言うと“奪われて“いた。ヘビースモーカーのリーダー”カランクラ“と、その部下3名は元”怪物の洞穴“のメンバーだ」

「えっ……!?」

「なんだ怪物の洞穴って」

 イチルギが暗い顔で口を重たく開く。

「……世界ギルドの軍隊の一つ。ラルバは確か、”燃え盛る灯火“と遭遇してたんだっけ」

「ああ!あのおチビちゃん!」

「レイアに会ったのね。あの子、あの若さで燃え盛る灯火のリーダーなのよ。戦闘能力もトップクラス」

「おチビちゃんやるなぁ」

 ハピネスが話を続ける。

「元世界ギルドの軍隊が盗みをやってるなんて知れたら、世界ギルドの面目が丸潰れだ。ネルダバは最初こそ「金持ちに対する正義の鉄槌だ」とカランクラに持ちかけたんだろう。しかしヘビースモーカーが幾つか仕事をした後で強請(ゆす)った。なんてったってヘビースモーカーが襲った相手は、どれも世界ギルドを良く思っていない権力家だったんだ。それで「この事を公にして欲しくなければ」と、子供を売らせ、今もこうして人々を襲わせているんだ」

「イチルギさぁん政治全然出来てないじゃないですかぁ。なんですかこの治安の悪さはぁ」

「……ごめんなさい。義賊がいたのは知っていたけど、まさかこんな目に遭わされているなんて……!」

 両手で顔を覆うイチルギの背中を、ハピネスが優しく撫でる。

「……イチルギ。アナタが見抜けなかったとなると、誰かから入れ知恵をされているのかもしれん……いや、イチルギを欺く程の悪党なら痕跡も残さないか。私もこれ以上は知らないんだ」

「てことはてことはー!殺してもオッケーってことだな!?」

 ラルバが机に手をついてぴょんぴょん跳ねる。ラデックが窓の外を少し覗いてラルバに話しかける。

「それでどうするんだ?もう時間もなさそうだが……」

「一個だけ聞かせてくれ。ハピネス!あのボンボンに人殺しの経験は……?」

「ネルダバはグロいのが苦手らしくて、滅多に人は殺さない。殺したとしても銃殺なんかの手に感触が残らない方法だ。あとの罪と言うと、デカいのは奴隷に対する強姦くらいだろうか……」

「っしゃあキタキタ!!臆病でチンケな大悪党!!こう言うのを待ってたんですよぉ!!」

 

 森林奥地で停車させられた馬車に、盗賊の1人が無線機で命令をする。

「1人づつ、頭の後ろで手を交差させて降りてこい。逆らえば殺す」

 その声を合図に、馬車の側面から煙が吹き出して降車口が開いた。すると、両手を頭の後ろで交差させたバリア、続いてハピネスが降りてきた。ハピネスはゆっくり盗賊の1人に近づくと、体を震わせてバリアの手を取り抱きついた。

「おっお前!離れろ!」

「お願いしますこの子を助けてください!なんでもしますからこの子だけは!どうか……!アイツから守って……!」

「ア、アイツ?」

 その直後、降車口から血塗れのイチルギが転がり落ちてきた。その姿を見てハピネスは口元を覆って悲鳴を上げる。

「い、いやぁぁぁぁああああああ!!!」

「なっ!?」

「イッ、イチルギさっ……ま……!?」

「きっ貴様等!私を守れっ!!」

 盗賊達の奥にいたネルダバは大声で盗賊達に指示をする。

「クソッ。奴隷目当てについてくるんじゃなかった……!」

 ネルダバが馬を方向転換させようとすると、突然景色が“ひび割れ”まるで脆い土壁のように“剥がれ落ち”満点の夜空が現れた。

「こ、これは……異能の虚構拡張……!!」

 ネルダバが振り返ると、馬車の中から現れた血塗れのラルバがイチルギのポニーテールを掴んで引き摺り、鼻歌を歌いながら此方へ歩いてくるのが見えた。

「ふーんふふーん……ふーんふーん……親玉テメェだな」

「ひっひぃぃいい!!」

 怯えるネルダバに、銃口を向けながらも狼狽るヘビースモーカーの女達。

「ア、アイツはいったい何者なんだ……!?」

 体をガタガタと震わせるハピネスは、ゆっくりと呟くように口を開く。

「ま、まさか……笑顔の七人衆……“仇討ちエンファ”が忍び込んでいるなんて……!!!」

「なっ何!?」

「仇討ちエンファだと……!?」

 盗賊の1人が堪らずラルバに発砲するが、真後ろからの弾丸を余裕の表情で避ける。

「んー?アタシってば有名人?」

 ラルバはイチルギを引き摺ったまま、詰め寄るようにネルダバに近寄る。

「まっままままままってくれ!!金っ!!金ならある!!」

 早口で唾を飛ばしながら必死に命乞いをするネルダバ。

「ふぅん……10?15?幾ら出せる?」

「に、にににに20出すっ!!!」

「気が変わった。50」

「5っ!?わわわわかった!!50!!50出す!!!」

「んふふ〜。あんた結構物分かりいいね。じゃあさ、物分かりついでに……知恵貸してよ」

「ちちちちち知恵???」

 ラルバはイチルギのポニーテールを持ち上げ、ぐったりとしたイチルギをネルダバに見せつける。

「コイツ今から殺すんだけどさ、ただ殺すってのはつまんないじゃん?だからぁ、提案してよ。コイツのクッソ惨めな処刑」

「もっ……もちろんです!もちろんですっ!!」

 そのやりとりを見ていたヘビースモーカーのリーダー“カランクラ”は、堪らず銃口をラルバへ向ける。するとほぼ同時にラルバがカランクラの方を振り返る。

「なあ変な気ぃ起こすとそのガキも殺っちゃうよぉ!?」

 ビクッと体を硬直させるカランクラに、バリアは抱きついて顔を擦り付ける。カランクラはバリアを抱きしめながら歯を強く噛み締める。

「…………クソッ……すみませんイチルギ様…………!!!」

 ラルバは鼻で軽く笑い、ネルダバの肩を組む。

「なあどんな方法がいいかな?ただしクッソつまんねぇコト言うなよ……もしビビって銃殺とかつまんねぇコト言ったら、テメェの目ん玉くり抜いてやっからな……!?」

「はっはひっ!はい勿論ですエンファ様!!」

 過呼吸気味のネルダバは必死に息を落ち着け、ラルバに提案した。

「でででではこう言うのはどうでしょう……!!この辺の森では、昔から住み着いている野生のキノコ豚がおります……!キノコ豚はその体にキノコが生えるほど緩慢(かんまん)で……栄養をキノコに吸われているため小柄ですが大食漢……!!その女の体全体にバターを塗りたくり!!四肢を捥いで身動きが取れぬ状態にして!!ゆっくりゆっくりと!!豚に食わせるなど!!いかがでしょうかぁ!!」

「ほう……」

 ラルバはネルダバの肩から腕を外し、口元を押さえる。

「ほうほうほうほう!!中々!!中々いい提案だ!!ネルダバ君!!採用!!」

 ラルバがパチンと指を弾くと、満点の夜空はたちまちガラガラとひび割れ崩れ落ち、鬱蒼とした森が姿を取り戻す。

「あああああありがたき幸せっっっ!!!」

 ネルダバは目を見開いて何度もラルバに頭を下げる。それを見下しながら、ラルバは今日一番の笑みを浮かべる。

「ラデック!ラデックー!」

「聞こえてる」

 ラルバに呼ばれたラデックは馬車から降りて、ネルダバに歩いて近寄る。

「だ、誰だアンタは?」

「ラデック。手を出せネルダバ」

「こ、こうか?」

 ネルダバの手にラデックが触れると、ネルダバはたちまち四肢から力が抜け崩れ落ちた。ネルダバは何が起きたかわからず、冷や汗をダラダラと流しながら目を白黒させる。

「んふふふ……”身動き取れなくして豚に食わせる“か。中々いい発想力だと思わんか?”イチルギ“さん」

 ラルバに話を振られたイチルギは、ゆっくりと体を起こして体の土を払う。その姿にネルダバは目を見開き、ヘビースモーカーの女達全員が口を開けて硬直する。

「もう!必要以上に汚さないでラルバ!!結構お気に入りの服なのに……」

「あっはっはっは!!汚れくらいならラデックがちゃちゃっと落としてくれるさ!」

「何度も言うが、服の汚れを払うのも割と気力がいるんだが……」

 呑気に会話を続ける3人を、驚愕の表情で見つめる盗賊達。すると、畳み掛けるようにさらなる事実が襲った。盗賊の体に抱きついていたハピネスは、さっきまで震えていたのが嘘のような微笑みでラルバ達の方へ歩き出す。

「彼女等はどうするんだ?イチルギ。アナタから説明したほうがいいと思うが」

「あ、ああそうね。ラデック。この血だけでも落としてくれる?」

「わかった」

 イチルギの汚れに手をかざして、異能ではたき落とすラデック。血や土はたちまち繊維のように(ほぐ)れ絡まり落下する。

「あ、仇討ちエンファとイチルギ様が……仲間……!?」

「仲間じゃないわよ!!」

「ああ、私エンファじゃないぞー」

 狼狽るカランクラは一歩前に出てラルバへ近づく。

「じゃ、じゃあアナタは……?」

「私はラルバ。イチルギのお友達です!」

 ニカっと笑うラルバに、イチルギが頭を抱えて訂正する。

「……拷問が趣味の快楽殺人鬼……無理やり言うこと聞かされてるの」

「えーおばあちゃん冷たい……私快楽殺人鬼じゃないし……」

「おばあちゃん言うな!!はぁ……ごめんなさいねカランクラ。貴方達義賊の存在は知っていたけど、まさか脅されていたなんて……」

「いっいえ……!!!こちらこそ世界ギルドの顔に泥を塗るようなことを……!!」

「ううん。貴方達は悪くないわ。治安を守らなきゃいけない筈の私が見抜けなかったのが悪いの……この後、ヘビースモーカー全員で世界ギルド総本部へ行って。それなりの地位に就けるよう、私から話を通しておくわ」

「そ、そんな!私は一度世界ギルドを裏切った身です!!」

「裏切ってなんかないわ。裏から私の手の届かない世界を守ってくれていたじゃない。今までやっていた善行に、大義名分がつくだけ」

「イ、イチルギ様……!!」

 少し離れたラルバはイチルギとカランクラが話す様子を遠巻きに眺め、盛大に大欠伸を溢した。

「ふぁ〜あ……いい話だなぁ……思わず涙が出るヨ……」

 ラデックが足元を指差してラルバに尋ねる。

「コレはどうする?」

「コレ?ああコイツか」

 足元では四肢の自由が効かないネルダバが、目を見開いて鼻息荒く(うごめ)いている。

「ラデックもしかして言語機能も奪ったのか?」

「イチルギとヘビースモーカーの会話に水を差すといけないと思って……」

「まあいいけど、どうせなら豚の鳴き声みたいなのだけ出せるようにできない?」

「…………難しい注文だな」

「何事も挑戦挑戦!!」

 ラデックがしゃがみ込むと、ネルダバは恐怖に顔を染めて涙を流す。

「……自業自得だ」

 そうこうしていると、ヘビースモーカーの女達は馬に乗って森を抜けて行った。

 ラルバがイチルギに近寄る。

「アイツ等これからどうするんだ?」

「ん?一応無罪放免ってわけにはいかないから、暫くは勾留させるわ。でもすぐに出所させて世界ギルドの軍隊のどこかに入隊させる。優秀な子達だから、お給料も沢山あげないと」

「コネ入隊か、民衆からアレコレ言われるぞ」

「言われるだけなら我慢我慢!」

 イチルギはバリアとハピネスを連れて馬車へ戻っていく。すると。

「ブ、ブヒィィィィィィイイイイイイイ!!!」

 一際大きな豚の鳴き声が森に響いた。

「あっはっはっはっは!!ラデック成功したのか!!」

「まさか成功するとは思わなかった」

「ブヒッブヒッブヒィィィィイイイイン!!」

 ネルダバは大粒の涙を流しながら、仕切りに豚のような鳴き声を上げ続ける。

「んふふ、あんまり吠えると豚寄ってくるよ」

 ラルバにそう言われると、ネルダバは口をぎゅっと結びピタッと泣き止んだ。

「んひひひっ。3歳児かお前は」

「ラルバ、はいこれ」

 馬車から戻ってきたハピネスが早足でラルバに駆け寄り、霧吹きを手渡す。

「なにこれ」

「バターだ。溶かして持ってきた。さっき塗りたくるとか言ってなかったか?」

「言った!流石!ようしラデック!ひん剥け!」

「なんで俺が、自分で剥いてくれ」

「やぁだこんな汚いオッサンの身包み剥ぐのぉ。ハピネス!」

「私も遠慮させてもらおう。まだ生娘なんでな」

「ええぇ……0歳児にオッサン剥かせるフツー?幼児虐待じゃないのぉ……まったく」

 ラルバはネルダバをうつ伏せにし、思い切り服を引き千切った。

「ブヒィィィィイイイイイイ!!」

「うるさっ」

 服は体のあちこちに引っかかり、破ける直前に皮膚を強く擦り引き裂いた。激しい痛みにネルダバは思わず大声を上げる。

「あんま鳴くと豚来ちゃうぞー」

「ブヒッ!ブヒッ……ブヒィイィン……!!」

 素っ裸にされた醜い体に霧吹きでバターを(まぶ)すラルバを、大粒の涙をポロポロと流しながら見つめるネルダバ。

「美味しくな〜れ。美味しくな〜れ…………どう考えても美味しくならんなコレは。豚から抗議されたらどうしよう」

 暫く霧吹きをかけていると、数匹のキノコ豚が茂みから現れた。

「おお!可愛……くはないな……単純に汚いしブサイクだし臭い……」

 キノコ豚はネルダバの体に(たか)り体の臭いを嗅ぎ始める。

「さーて食べてくれるかなー」

 一匹がネルダバの太ももに噛み付くと、堪らず痛みに声を上げる。

「ブヒッ!!ブヒィイィィイイン!!!」

「あはは、喜んでる喜んでる」

 すると一匹のキノコ豚が、ネルダバを仰向けにして上から覆いかぶさった。

「ブッ、ブヒッ?」

「…………あ」

 覆いかぶさったキノコ豚は、一心不乱に体をネルダバに擦り付ける。

「…………ご、ごゆっくりぃ」

 ラルバは苦笑いをしながら立ち去る。

「ブッブヒヒッ!!ブヒィイィイン!!ブヒィィィイイイイイイ!!!」

 薄暗い森にネルダバの鳴き声が響き渡る。その鳴き声は、不幸にも豚の”劣情“を誘うものだった。

「ブヒィン!!ブヒヒィン!!ピギィィィィイイイイイ!!!」

 

 馬車の中で、イチルギは耳を塞ぎながら視線を下へ向ける。

「…………悪趣味にも程がある」

 そこへ走って戻ってきたラルバが、急いで扉を閉める。

「ラデック!馬車出してくれ!」

「いいのか?随分早かったな」

「……流石に豚の交尾には興味ない」

「……鳴き声は意図して改造したものじゃないぞ」

 ラデックがラプーに指示を出し、2人で機械のパネルを操作して再度進路を設定する。

 ハピネスはラルバの顔を見ると、少し声を漏らして笑う。

「私の顔に何かついているか?」

「いや、ラルバにも可愛いところがあるんだなぁ、と」

「あ?豚の交尾か?いや、別に見届けてもよかったんだが……」

 ラルバはソファに仰向けに寝そべる。

「……そのうちネルダバが悦びだしたら嫌だなぁと思って。見届けられんかった」

 ハピネスとラデックも顔を見合わせて苦い顔を浮かべた。

「まあコレでもう邪魔は入らんだろう。ラデックー馬車の不具合直しといてー」

「やることが多い……」

「まだあと2日もあるじゃないか。グルメの国に着くまで」

 

【グルメの国】



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21話 グルメの国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜ヒトシズク・レストラン メインストリート〜

 

 ”ヒトシズク・レストラン“世界一の料理人が集まるグルメの国。世界ギルドにも引けを取らぬほど厳重な警備が敷かれている城門を抜ければ、ヒトシズク・レストラン名物のド派手なメインストリートが入国者を出迎える。見渡す限りの歓楽街に、広場と見間違う程に広いメインストリート。しかし、所狭しと並び地を埋め尽くす露天商のせいで、メインストリートの通り一面に描かれた壮大な絵画を拝むことはできず、四六時中スパイスと脂の匂いが立ち込める街は、夜になれば提灯やネオンで昼間のように明るく輝く眠らぬ街と化す。

 ラルバ達がメインストリートへ到着したのが午後11時。幾ら機械化された高級馬車とはいえ、決して良い寝心地とは言えなかった旅路で疲れた体に歓楽街の轟音が襲い掛かる。

「いらっしゃいらっしゃい!!“鬼蜜熊(おにみつぐま)の黒鍋”が食べられるのはココだけ!お客さんヒトシズク・レストランに来たら食べなきゃソンだよ!!」

「さあさあご賞味ください〜ぶっとい“山海老(やまえび)”を丸々1匹使った串焼きだよ〜今なら3本で1本サービス3本購入で1本サービス〜」

「お兄さんお兄さんお姉さんもっ!ウチの名物”海鮮トマチー煮込み“食べてってよ!モッチモチのスパイスチーズとゴロッゴロの海老イカ蛸に、歯応え抜群なのにホロロと崩れる”岩鯨(いわくじら)“と酸味旨味コク抜群の”砂漠トマト“のコンボは病みつき間違いナシ!!どう?」

 一行の先陣を切るイチルギは、3歩進むごとに群がる客引きを必死に(あし)らう。

「はいごめんなさいねぇ〜通して下さい結構です〜もう私達さっき食べてきたんで!!」

 その真後ろをついてくるラデックは、露天に興味津々なラルバの手を引いてイチルギを追いかける。

「ラルバしっかり歩いてくれ。イチルギを見失う」

「あっはっは。平気だ平気。お!ラデック!”極旨炙り味噌シシ鍋“だって!」

「ああ明日な。今は空腹よりも睡眠だ」

「極旨って言うだけで旨そうなのズルいよなぁ……」

 更に後ろをハピネスがバリアの手を引いてラデック達を追いかける。

「バリア、足元躓かないように。私がコケるからな」

「ん」

「ラプーはどこに行ったかな……っと。いたいた」

 ハピネスの異能に映ったラプーは、ずんぐりむっくり太った体に似合わぬ俊敏な動きで人混みの隙間を擦り抜ける。

「ふふふ……なんとも奇妙な男だな」

 一行は城門最寄りの駅を目指して、たかだか数百メートルを牛歩で進んでいく。

 

〜ヒトシズク・レストラン 城門前駅〜

 

 一行を乗せた要人専用機械馬車は、メインストリートとは打って変わって静まった大通りを進んでいく。車内ではイチルギとラルバの向かいに、ヒトシズク・レストランのハンカー大臣がニコニコしながら座っている。

「メインストリートの中をわざわざご足労様です〜職員は皆業務時間外ですので〜お迎えに行けず申し訳ありません〜」

 あまりに見え見えの嫌味に、イチルギはしかめっ面を笑顔で隠しながらにこやかに答える。

「いえいえ、こちらこそ遅れてしまい申し訳ありません。連れが急に“森林浴がしたい”なんてワガママを言い出しまして」

 イチルギがチラリとラルバを見るが、当の本人は窓の外を物珍しそうに眺めている。ラルバはイチルギの視線に気がつくと、キョトンとした顔で呆ける。

「何の話だ?」

 イチルギは信じられないような顔で目を見開き眉を(ひそ)める。

「……で〜ハンカー大臣。先日お送りさせていただいた資料なんですが」

  唐突に話を変えるイチルギに、ハンカーはへらへらしながら話を遮るように口を開く。

「拝見させていただきました〜総帥をご退陣なされたようで〜大変でしたねぇ〜」

「はい。なので改めて調査員として少しだけ挨拶にと」

 グルメの国は数々の大国の要人がひっきりなしに訪れる為、あまりに急なイチルギの来訪は酷く煙たがられていた。ハンカーは大きく鼻から息を吐いて背もたれに寄りかかり、若干の苛立ちを微かに表す。

「……少しだけって言われましてもぉ〜ウチの事情はよく分かってらっしゃるかと思っていたんですが〜思い違いでしたかねぇ〜」

「申し訳ありません。まあ今回は職務っていう建前で観光にでもと思いまして!来訪させて頂いたからには顔出しだけでもしないと上がうるさくって!」

「……むぅ。まあ〜明日の午前中数十分程度なら〜マルカ大臣もお時間取れると思いますので〜」

「はいはい!もう写真一枚だけ撮らせてもらえれば結構ですので!重ね重ね申し訳ありません本当!」

 段々とやさぐれるハンカーの態度に、イチルギは怒りに揺れる眉を押さえながら媚びた笑顔をなんとか保つ。

 馬車の後部座席でやりとりを聞いていたラデックは、こっそりとハピネスに耳打ちする。

「俺の知ってる大臣という職業はもっと社交的なんだが……これが普通なのか?」

「ふふ……ヒトシズク・レストランは娯楽が主の観光業が盛んだからな。規則を定め秩序を保つ世界ギルドは目の上のたんこぶ、煙たがられて当然だ。しかしそれを抜きにしても、完璧超人のイチルギは権力者に妬まれやすい。半分以上ただの嫌がらせだ」

 2人がヒソヒソと話していると、ラルバが前の座席から振り向き、身を乗り出す。

「んふふ〜愉快愉快。2人とも明日は早いからしっかり寝るんだぞ!」

 ニヤニヤと悪戯っぽい顔で笑うラルバに、ハピネスは微笑んで問いかける。

「その様子だと、何かいいことを思いついたのかい?」

「ん〜?まあ半分くらいかなぁ。明日は食べ歩きだぞ!胃袋が裏返るくらい腹を空かせておけ!」

 

 

〜ヒトシズク・レストラン メインストリート〜

 

 翌日。朝早くから一行はラルバを先頭にしてごった返す人混みを掻き分け進んでいく。

「みんなついて来てるかー?」

 唯一人混みに流されかけているハピネスが、返事の代わりに助けを乞うような呻き声を上げながら苦しみの眼差しをラルバに向ける。

「あはは、ハピネスが死にそうな顔してる。ラプー、ハピネスの手を引いてやってくれ」

「んあ」

 ラプーはハピネスの手を取り、歩きやすいよう人混みを掻き分ける。

「す、すまないラプー……何故皆平気なんだ……?」

「身体能力が人並み外れてるだ」

「……そういえばそうだった。こんなことなら祈祷の合間に少しくらい運動しておくんだった。ラルバ!少しペースを落としてくれないか……!」

「んあっはっは、無理な頼みだなぁ!時間は有限、此岸(しがん)は幽玄!弱音を吐いても前には進まんぞー?」

 

一軒目、海鮮料理屋“海の宿“

「はい”花火魚(はなびうお)のお造り“お待ちっ!」

 一行の待つテーブルに、赤と黄の斑模様が美しいカサゴの舟盛りが運ばれてきた。料理が来るなり、ラルバがトロの切り身を箸で掻っ(さら)う。同じくトロを狙っていたイチルギが口撃を飛ばす。

「ちょ、ちょっと一切れくらい残してよっ!」

「んおお旨いなぁ……脂がねっとりしてるが後味サッパリ……カラフルな鱗も綺麗だし、これは人気が出るわ……」

「食べたかった……んっ!でも赤身も甘くて美味しいっ!牡蠣醤油のコクに合うわね……」

「どれどれぇ?」

「だぁから全部持ってかないのっ!!」

 

二軒目、馬料理専門店“山麓苑(さんろくえん)

「お待たせしました〜桜ユッケ盛り合わせ”特上桜吹雪“で〜す」

 上品な大理石の机とは対照的に、薄いピンクの大皿が中央に置かれる。遠目に見ればまるで大きな薔薇のように美しく螺旋状に盛られた細切り肉に輝く山椒ダレ。螺旋の中央には拳並の大きさの卵黄が艶かしく身を揺らしている。ハピネスはバリアから箸を受け取り、少し躊躇(ためら)いながらタレを混ぜた肉塊を口へ運ぶ。

「むっ……最初は生肉なんぞ奇怪な代物だと思っていたが、中々美味しいな。スパイスの効いた山椒ダレと肉の脂が舌に絡みつくようだ」

「モチモチしてる」

「歯を僅かに押し返すような弾力が心地いいな。プチプチとした食感は山椒だろうか……この鼻から抜けていく香りがいい。バリア、おいしいかい?」

「掴みづらい」

「……味の感想はないんだな。味覚がないのかい?」

「隠し味に薔薇生姜(ばらしょうが)赤縞鮫(あかしまざめ)の肝を使ってる」

「……そう」

 

三軒目、狩猟肉料理屋“とらばさみ”

「お待たせしましたっ!ヒトシズク・レストランが誇る“鬼蜜熊の黒鍋”ですっ!」

 老舗の貫禄を纏う石造りのテーブルに、まるで魔女が薬を作るような大鍋が鎮座する。ぐらぐらと煮えたぎる赤褐色のスープに、リンゴのように大きな肉塊が幾つも浮いている。ラデックが溢さぬよう肉塊を掬い上げると、どろどろに溶かされた野菜の成れの果てが若干混じっているのが見て取れた。

「……鍋料理って普通ナイフは使わないんだろうな」

 ナイフで熊肉を切ろうとすると、切った感触が伝わる前にぬるりと真っ二つに裂けた。

「……おお?」

 ナイフを箸に持ち替え肉を摘むと、まるで細かい藁を掴んだように繊維が解れて引き千切れる。

「熊肉ってこんなに柔らかいのか。どれ…………んんっ!肉の甘味と野菜の風味が猛烈だな……!蜂蜜のコクがいい土台になっている」

 イチルギが口いっぱいに肉を頬張ると、満面の笑みで目を瞑り口角を持ち上げる。

「ん〜っ!!!おいっし〜いっ!!歯で肉を押しつぶした時にぶちぶち〜って筋繊維が潰れていくのが良いわね〜!!やっぱり“鬼蜜熊”って言うだけあって、蜂蜜のじゅわじゅわ〜って溢れる旨味もご飯によく合うっ!!」

「しかし使奴はよく食べるな……ラプーも相当食べているが、ハピネスはもう水しか飲んでいないと言うのに」

「沢山食べられるのもそうだけど、熱々を火傷せずに頬張れるのも、どれだけ辛くても平気なのも使奴の特権!いいでしょ〜」

「それは少し羨ましいな。辛いのは苦手だ」

 

〜ヒトシズク・レストラン ホテル「箸休め」〜

 

 それから十軒目の店を後にした一行は、三軒目でダウンしたハピネスと五軒目でダウンしたラデックを引き摺り帰路に着いた。ラデックを担ぎながら上機嫌にホテルの階段を登るラルバを、ハピネスを背負ったイチルギが追いかける。

「イチルギ……すまないな……満腹なんて概念、ここ20年近く縁がなくてな……うっ」

「私は200年以上ないわよ」

「……それはそれで可哀想だな」

 部屋につくなり、ラルバはラデックをベッドに放り投げ自分も隣に飛び乗る。

「うっ……もっと優しく置いてくれ」

「んはぁ〜食った食った!やっぱり優勝は八軒目のピザだなぁ。シーフード照り焼きミックスと旨辛ベーコンデラックス……」

「今食べ物の話は少し控えてくれ。つらい」

「今しなきゃいつするんだ」

 ラルバが飛び起きて部屋の備え付けのパソコンの電源をつける。

「……まさか明日も食べ歩きか?」

「うんにゃ、明日は〜」

 ラルバがポケットから出したチラシをラデックの目の前に突きつける。

「食べる方じゃなくて作る方っ!お料理大会だっ!!」

「なになに……“第32回グルメコンテスト”これに出るのか?」

「受付はもう過ぎているらしいが、まあ問題ない。誰かしら脅して出場権を奪い取る」

「またイチルギの頭痛が加速するな」

「そこは問題ない。脅す方法もお料理対決だからな。自分より旨い料理を作る相手に出場権を譲ってくれそうな融通の効く奴を探そう」

 遅れて入室してきたイチルギ達に事情を説明すると、心底嫌そうな顔をしたイチルギが呻き声を上げた。

「……問題起こさないでネ。貴方達一応世界ギルド名義で入国してるんだから」

「もっちろん!それはそうとハピネス!一つ頼みがある」

「なんだろうか」

「んふふ〜先導の審神者(さにわ)様の御神託を賜ろうと思いましてなぁ」

 ハピネスが少し首を捻り考えると、すぐにラルバの思惑を察して微笑みを浮かべる。

「ああ、なるほど……“御神託”をね……」

「そうそう。か弱いか弱い迷える仔羊を導いては下さらんか?」

 ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべ手を(こまね)いているラルバに、ハピネスは仰々しく咳払いを一つして背筋を伸ばす。

「そうだな……ふむ、どうしようか…………では…………

 

 目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。握り3年巻き8年。至高の料理を彩る要は、餌に拘る職人心と、死苦をも搔き消す幸福一匙。一世一代無上の味に、滴るネズミを殺す唾

 

 ……こんなのでどうだろうか?」



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22話 謝れ

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜生パスタ専門店「カーネーション」〜

 

 朝方。ラデック、イチルギ、ハピネスの3人は、ラルバ達と別れて朝食をとっていた。

「はいどうぞ〜“松茸蟹の濃厚チーズパスタ”で〜す」

 運ばれてきた料理を、ラデックが手を挙げて受け取る。それを両隣にいたハピネスとイチルギが覗き込み、小さく感嘆の声を漏らす。

「チーズの香りは思ったより薄いんだな。しかしその分蟹の香りがいい。私の分はまだだろうか……」

「うひゃぁ豪華〜この上に乗っかってるの全部蟹のほぐし身?」

 その後、2人も自分のパスタをウェイターから受け取って唾を飲む。ラデックは大量のほぐし身が絡み付いたパスタを頬張り、イチルギに問いかける。

「イチルギは昨日の神託の意味。わかったか?」

「う〜ん……“ネズミを殺す唾”は何となく。他はさっぱり」

「そうか。俺は“死苦をも搔き消す幸福一匙”は何となく察しがついたが、他は分からん。前半が調理工程だって言うのは分かるんだが」

 2人の会話を他所にハピネスは微笑みながら黙ってパスタを食べ続ける。

「目打ち、骨切りって事は鰻かしら。いや(はも)?」

「焼き霜、湯引きだったら(はも)の方がメジャーだろうか。昨日の寿司屋にもメニューにあったな」

「でも握らないし巻きもしないわね。そもそも巻き8年は長すぎない?」

「そうなのか?」

「あんなの半年もあればそこそこできるようになるわよ」

「握りは3年は妥当なのか?寿司は難しいと聞くが」

「んー……人によるかなぁ。正直、私は野菜炒めの方が難しいと思うわ。寿司が難しいって言うよりは、料理ってジャンルそのものが難しいって言った方が適切」

「そうなのか」

「……ラデックは使奴の保育施設で育ったって言ってたわよね?それにしては随分食の知識があるのね」

「まあ、使奴研究所では最底辺の技術者ではあったが、奴隷ではなかった。粗雑ではあったがちょっとした娯楽も自由時間もあった。そうだな……生まれた時からずっと刑務所にいたと思ってもらえれば」

 2人が話していると、ハピネスが突然小さく笑い声を溢した。

「どうしたハピネス」

「ラデックの出自に笑う部分なんてあった?」

「いやいや、違うんだ。なあに、ラルバ達の“後を尾けていた”んだが……面白い相手と面白いことをしているもんでな」

 イチルギが眉を八の字に歪めながら下唇を噛む。

「……どこで何してるの?」

「ふふふっ……行き先は“純銀の台所”で、今丁度“ウルグラ・クラブロッド”に料理勝負を持ちかけている所だ」

「ウルグラっ……!!あーもうあの0歳児ぃっ!!!」

 

〜レストラン「純銀の台所」 応接室〜

 

 白を基調とした絢爛豪華な応接室に置かれたソファに、丸々と太った中年男性がふんぞり返って腰掛けている。イボとシミだらけの顔は後退した生え際も相まって相当に老けて見えた。

 男の名は“ウルグラ・クラブロッド”このヒトシズク・レストランで100年続く老舗レストラン「純銀の台所」の5代目料理長であり、グルメコンテストのシード権保有者。

「それでぇ……お宅等は何で僕がそんな勝負を受けると思ってるのぉ?」

 一本で家が買える程の高級ワインを下品にじゅるじゅると音を立てながら啜るウルグラは、目の前でソファに座っている生意気で珍妙な来客3人を見下す。

「いやあ我々も何故アナタと料理対決などをしなくてはならないのか、イマイチ納得していなくてですねぇ」

 ラルバは飄々とした態度で足を組み替える。両脇ではバリアとラプーが大人しく両手を膝の上に置き、ウルグラを真っ直ぐに見つめている。

「第一、コンテストはもう明後日。万が一僕がオッケー出したとしてぇ……主催側はそんなの認めないよぉ?そぉれにシード権なんてそう安易に渡せるわけないでしょぉ。帰ってもらえるぅ?」

 元々深い鼻呼吸が癖のウルグラが、苛立ちで余計に音を立てて鼻息を荒げ始める。

「帰る?まあ別に構いませんが、困るのはそっちですよ?」

「はぁ?」

「私もあのお方……“グドラ”様に頭を下げるくらいのことはしますが……怒りの矛先は私よりもアナタに向くでしょうねぇ……」

 そう言ってラルバが机の上に腕輪を差し出す。笑顔による文明保安協会の笑顔の七人衆の一人“逆鱗グドラ”の死体から奪ってきた腕輪は、ウルグラを脅すには充分な力を持っていた。

「グドラ様にお願いしてお借りしてきました。信じてもらえます?」

 ウルグラは超一流の料理人であると同時に、達人レベルの目利きの能力があった。魚を見れば暮らしていた海域が、牛を見ればその肉の断面や香りが手にとるように分かる。それは骨董品や魔道具にもある程度応用が利き、ましてや“笑顔の七人衆なんて化け物級の猛者”の魔力が染み込んだ持ち物を見分けることなど、腐ったトマトを見抜くより容易かった。

 腕輪を見るウルグラの顔が見る見る青ざめていき、凸凹の肌から粘液のように冷や汗が吹き出し始める。ワインを持つ手がカタカタと震え始め、思わず横にいた使用人はウルグラの肩に手を添えて声をかけた。

「だ、大丈夫ですか?」

「……こっこれが大丈夫に見えるなら、お前は皿洗いからやり直しだ……!」

「もっ申し訳ありませんっ……!」

 怯えながらコチラを睨むウルグラの視線に、ラルバは口角を歪ませて微笑む。

「いやいや心配要りませんよウルグラさん。この料理対決は私とアナタ、どちらが“仕事”に相応しいかを確認するためのゲームみたいなものですから……」

「しっ……仕事ぉ……?」

「まあ私もなんの仕事をするかは知らないんですがね。グドラ様が仰るには、より料理の上手い方を配下にする……と。早い話しが、勝者はグドラ様の名前を使うことを許されるようになるわけです」

「…………負けた方はぁ?」

「特に何もありませんよ。強いて言えば……今後、笑顔による文明保安協会からの後援は無いと思って下さい。今まで通りですね。元々アナタにこの話が通る予定だったんですが……失礼ながら、アナタよりも美味しい料理作れると思うんですよねぇ、私。それをグドラ様に申し立てをしたところ、この料理対決が提案されたわけです」

 ウルグラは粘ついた悪臭を深呼吸で撒き散らしながら息を整える。死体のように蒼かった顔に少しずつ色が戻っていき、それどこか毛虫のような眉毛をギュッと寄せて鬱陶しそうに溜息を吐き出した。

「お宅が僕よりもぉ?狂言も大概にして欲しいモンだねぇ〜」

 ウルグラは使用人に手招きをして屈ませ耳打ちをする。すると、使用人は小さく返事をすると早足で部屋を出て行った。

「わかった。受けてあげるけどぉ……お宅等が負けた時はぁ……何か代償を背負ってよぉ」

「代償?……と仰いますと?」

「ん〜……そうだ、僕のお嫁さんになってよ。2人とも」

「……はい?」

「なんか最近の女ってぇ……やる事なす事てんでダメダメなんだよねぇ。料理に関しては特にダメ。無駄にプライドばっかって言うかぁ、繊細な心遣いとかぁ、ウケりゃいい見たいな流行りに乗っかった馬鹿ばっかって感じでぇ。でもぉ、お宅ら顔だけはそこそこだからさぁ、料理の腕もそこそこならぁ僕との子もそこそこ優秀なのが生まれそうじゃん?世継ぎとしては及第点だと思うんだよねぇ」

「はぁ……」

 身振り手振りにくぐもった早口で説明するウルグラに、ラルバはキョトンとした顔で生返事をする。何の感情も籠ってないラルバの返事に、ウルグラはイライラしながらさらに鼻息を荒げ、独り言にも似た罵倒を垂れ流す。

「でたでた……そう言うとこよホント、人の話を聞く態度がまず最低。女って自分より優秀な人間を見抜く力もないしぃ、優秀な人間への敬い方も知らないしぃ。見てくればっか気にして中身が伴ってない。口先ばっかで動かない。ちょっと働いたかと思えば無駄が多い。結局仕事増やして足引っ張って、そのくせ結果だけ取り上げて「ほらほら私頑張ったでしょぉ〜」って。そう言うのほんっとゴメンなんだよねぇ。臭すぎて鼻が曲がっちゃう。お宅等ぐらいの顔がついてきて初めて土俵に上がれるってのに、それだけでドヤ顔してほんっと臭いんだよねぇ」

 残りのワインをグッと飲み干して立ち上がり、ウルグラは「ついてこい」と指先でジェスチャーをする。

 

 ラルバがバリアとラプーを連れてウルグラに着いていくと、まるで博物館のように食材が所狭しと陳列された部屋に通された。奥の部屋には厨房が備え付けてあり、巨大なピザ窯から液体窒素まで取り揃えられている。

「うっひゃぁ〜これまた豪勢な部屋ですねぇ〜」

 ウルグラは白衣を纏い、呑気なラルバを睨む。

「そりゃそうだよぉ。ここは僕の料理研究室。ここにあるモンで……あ、使った分は代金はらってよぉ?んで、肉・魚・野菜料理一品ずつ作ってぇより美味かった方の勝ちって事でいんだよねぇ?」

 あたりをキョロキョロしながらラルバが目も合わせず返事をする。

「はいは〜い。審判はどうすんですか?今からその辺の通行人呼んできます?」

 横柄な態度にウルグラは一層苛立ちを溢れさせながら、舌打ちを響かせる。

「食えばお互い分かるでしょぉそんなのぉ〜っ!大体そこ等の人間に判断できるような料理とかぁ!肥料でも作るつもりぃ?」

「じゃあウルグラさん好みの味にすりゃあいい訳ですね〜了解しました〜」

 ウルグラの嫌味を全く意に介さず、ラルバは食料庫へ戻っていった。

「ったくむっかつくなぁ……あの女。笑顔の七人衆の使いだからっていい気になっちゃってさぁ……これだから女は嫌いなんだよなぁ……」

 ウルグラはぶつぶつと文句を言いながら、厨房の奥にある部屋の鍵を解いて中に入っていった。

 

〜喫茶「美麗ヶ丘(びれいがおか)」〜

 

「……で、ハピネス。そのウルグラという男はどんな奴なんだ?」

 山のように生クリームが盛られたホットケーキを頬張りながら、ラデックはモゴモゴと口を動かす。

「なあに、典型的なプライド人間だ。なまじ優秀なだけあって、自分以下の能力の人間をクズと一蹴し、優秀な人間を及第点と見下す。自分より優秀な人間にも「評価に値する」なんて言い放つ、何とも生意気なミソジニストだ」

「ラルバの好きそうなタイプだな」

 イチルギが怒りを露わにしながらパンケーキを切り分け、八つ当たりのように口へ放り込む。

「それもそうだけどっ!!確かにウルグラはめっっっちゃくちゃ性格悪いけどっ!!悪人ってわけじゃないのっ!!犯罪とか!法の穴を突くとか!嫌味で傲慢で敵は多いけど犯罪者じゃない!」

 ラデックが二口目を頬を膨らましながら咀嚼(そしゃく)する。

「じゃあいいじゃないか。ラルバは多分殺しはしないだろう。それとも死んで欲しかったのか?」

「まず手を出して欲しくなかったのよ!ラルバを連れてきたのが私だってわかったら、あいつ絶対世界ギルドに嫌がらせしてくるもの!そうなったらウルグラの支持者から世界ギルドの改革派からアッチからコッチからもぉ!」

 イチルギはフォークとナイフを置いて、頭をくしゃくしゃと掻き毟る。

「今のうちに打てるだけ手を打たなきゃなぁ……でも何やっても大体世界ギルドに迷惑かかるわねぇ……はぁ……」

「使奴でも無理なのか」

「……いや手段を問わなきゃ幾らでも。でも私そういうの嫌いなの」

「難儀だな」

 ハピネスがコーヒーをかき混ぜながら、遠い目で中空を見つめる。

「……ところでラデック、ラルバはどうやってウルグラとの料理対決に勝つつもりなんだ?」

「そりゃあ料理対決だからな、料理だろう」

「……しかし、ラルバはどう見ても料理が得意なタイプではないだろう。毒でも盛るのか?」

「いや、ラルバの料理の腕は達人レベルだぞ」

「…………なんだと?」

「使奴という生物は……そうだな、超耐久の高性能な多目的バイオロボットと思ってもらっていい。家事・炊事・娯楽に、戦闘・演算・操縦・指揮等々……顧客から要望があった便利スキルの殆どが組み込まれている。経験こそゼロだが、昨日あれだけ店を回って厨房と料理を見たんだ。ラルバぐらいの新型モデルなら、このホットケーキだって一目見ただけで完璧に再現できるだろう」

 ハピネスは若干引き()った表情で硬直する。

「……確かに、使奴の存在意義を考えたら当然なのか……そうか……ラルバが……」

「組み込まれていないスキルと言ったら、スポーツやゲームなんかの遊戯類ぐらいだろう。要望自体少なかったからな」

 イチルギが苦い顔をして、口を真一文字に結ぶ。

「…………昔、小さな子供と遊んだ時にコテンパンにされたのはそれが原因だったのね……ちょっと納得……」

「……いや、スキルとして組み込まれていないだけで運動能力や学習能力は特化しているから、それはイチルギという個体が遊戯を苦手としているだけだな」

「…………忘れてちょうだい」

 

〜レストラン「純銀の台所」 料理研究室〜

 

 いくら使奴が尽力して取り戻した文明とはいえ、旧文明とは比べものにならないほどの差があった。短時間でコクを出す煮込み方、鮮度の低い魚ならではの旨味、スパイスや出汁の組み合わせ。ラルバの料理に用いられた技術はウルグラ個人どころか、ヒトシズク・レストラン中どこを探してもお目にかかることのできない神業だった。幾ら一流料理人のウルグラと言えどラルバの腕には到底敵わず、その雲泥の差は生まれたばかりの子供でも分かるほどに歴然であり、もはや勝ち負けを争う段階にすらなかった。

 ぼつぼつと斑点が浮かぶ頬を芋虫のように脈動させ、一頻(ひとしき)り料理の味を吟味したウルグラは目を伏せたまま暫く黙り込み、数秒経つとまた一口ずつ料理を下品に貪り啜る。舌を何度も上顎に貼り付け、とても一流の料理人とは思えぬ醜悪な水音を立てて咀嚼し、ウルグラはとうとう自分の負けを――――――――――

「ゲロまずっ……」

 人間とは、前提の情報に大きく左右される生き物である。同じ絵でも素人が書けば落書きだと罵り、偉人が書けば芸術だと涙を流す。偉人の格言に心打たれたかと思えば、生徒の啓蒙(けいもう)塵芥(ちりあくた)と一蹴する。例え同じ料理でも一流のシェフが作ったと言えば、皆食べもしないうちから大金を叩いて列を成す。一方見習いの賄い飯などと言えば、唾を吐きかけて豚に食わせてしまうかも知れない。

 ウルグラの女性蔑視は最早病気の域に達していた。世界の常識を覆すほどの技術が詰め込まれた一皿すら、今のウルグラには猫の餌となんら変わらぬ下作であった。口をモゴモゴと動かしたかと思うと咀嚼中の料理を皿の上にべぇっと吐き出し、(くす)んだ紫色の舌をナプキンで拭った。

「まずねぇ、主菜一品副菜二品スープにデザート。この組み合わせを外すって時点で常識がなってないよねぇ?色合いもセオリーから外れすぎぃ。なんでもかんでもオリジナリティ出せばいいと思ってるのが丸わかりで気持ち悪いなぁ。魚の臭みも消せばいいってもんじゃないし、その際立った香りをいかに応用するか……あ〜もう一々言うのも面倒くさいなぁ。言われなくてもわかってない時点でお察しって感じぃ。ま、掃除だけはある程度出来てるみたいだから、百歩譲って背に腹代えてギリギリ赤点掠らないレベルだねぇ」

 わざとらしく溜息をついた後、まだ半分以上残った料理を皿ごとまとめてゴミ箱へ放り投げる。それをじっと静観していたラルバは、そっと口を開く。

「……随分残っていたように見えましたが」

「んん〜?何?残ってたら何ぃ?もしかしてぇ全ての食べ物に感謝云々とか言うタイプ?はぁ〜ほんっと頭悪いよねぇ……あんな生ゴミを料理とは呼ばないしぃ、ゴミに感謝してる暇があったら皿でも磨いてろっての。それとも持って帰る?あの生ゴミを?メインストリートの露天商(生ごみ棚)に並べるの?はぁ〜汚い汚い」

 再び独り言のように罵詈雑言を垂れ流しながらウルグラは食糧庫を出て行く。ラルバは隅で見ていたラプーとバリアを連れて後を追う。

 食糧庫から廊下へ出ると、ウルグラは少し離れた場所で面倒くさそうに手招きをして奥の部屋に入っていく。誘われるがままにラルバ達も入ると、応接室と似た間取りの部屋のソファでウルグラがふんぞり返って座っていた。

「じゃ、下脱いで四つん這いになって」

 ウルグラはシミが広がり斑模様になった手で、ソファの上をポンポンと叩く。一瞬眉を(ひそ)めたラルバは、引き()った顔を真顔に戻しながらゆっくりと近づいて行く。

「勝負の判定ですが、アレは私の負けなんですか?料理の味では勝っていたと思いますが」

「はぁ〜?ウチの食材をあんな生ゴミにしといてぇ、よくそんな事が」

「味・香り・食感。どれも好みの差異こそあれど、圧倒的に私の方が優れていましたよね?」

「お宅あんな味の違いも」

「ロブスターの下処理も碌に出来ない香草の組み合わせも時代遅れ隠し包丁火加減焼き時間余熱それらの活かし方」

「人の話を遮っ」

「茸は雑に切られて旨味がすっからかん米も炊く時間が短いし洗いすぎて折角の風味が損なわれている卵の管理もなってない温度管理が杜撰なせいでコクも舌触りも最悪よくまあこんなママゴトのような店でお前みたいな豚モドキがシード権なんぞ得られたもんだ」

 ラルバはウルグラの返す言葉を尽く遮り、食の欠点を言葉の洪水で捲し立て貶める。指摘された内容はウルグラ自身が自覚していた弱点であり、最もプライドを傷つける巨大な逆鱗だった。

「っ!!!お宅に何が分か」

「私は傷ついた。とてもとてもとてもとても悲しい気分だ。謝れ」

 ウルグラの眼前で立ち止まったラルバは、背筋を伸ばし後ろで手を組んだまま見下ろす。

「誰が」

 バチンッ!!

 ウルグラが口を開いた瞬間、ラルバが勢いよく頬にビンタを打ち込んだ。

「謝れ」

「お前っ」

 バチンッ!!

「謝れ」

「ふざ」

 バチンッ!!

「謝れ」

「待っ」

 バチンッ!!

「謝れ」

 バチンッ!!

「謝れ」

 バチンッ!!

「謝れ」

 バチンッ!!

「謝れ」

 バチンッ!!

「謝れ」

「分かっ、分かった」

 バチンッ!!

「謝れ」

「悪か」

 バチンッ!!

「謝れ」

「悪かっ」

 バチンッ!!

「足りん」

「許し」

 バチンッ!!

「謝れって言ってるだろ」

「すまなかっ」

 バチンッ!!

「もっと」

「すみま」

 バチンッ!!

「もっと」

「ごっ、ごめ」

 バチンッ!!

「聞こえない」

「ごめっ!!ごめんなさ」

 バチンッ!!

「聞こえない」

「ごめんなさいっ!!」

 バチンッ!!

「聞こえない!」

ごべんざざい(ごめんなさい)っ!!!」

 バチンッ!!

「もう一回!」

ごべんざざい(ごめんなさい)っ!!!ごべんざっ」

 バチンッ!!

「いいぞもう一回!」

ごえんあはい(ごめんなさい)っ!!!」

 バチンッ!!

「もう一回!!」

「ごっ!ごえんあはいぃ(ごめんなさいぃ)っ!!!」

「やーだよっ!!!」

 ラルバがウルグラを勢いよく蹴飛ばし、ハイヒールに着いた血をソファに擦り付け拭う。

「じゃ、約束通りシード権は私のものですね。明日には手続き済ませておいてください。もし言う通りにしなかったら……分かってますね?」

 獣のような呻き声をあげながらなんとか立ち上がったウルグラは、壁に手をついて顔を抑えながら、涙と涎と血を滴らせコクコクと小さく頷く。満足そうに腕を組み仁王立ちしていたラルバは、棚に飾られていた三枚のうち一枚の大皿に爪で傷をつけてメモをする。ウルグラがヒトシズク・レストラン栄誉料理賞を受賞した証は、ガリガリと不快な音を立てて粉を溢し傷だらけになっていく。

「あ……あ……」

「じゃあこれ、コンテストの登録内容と……特別に私の似顔絵です!上手いでしょ!」

 ラルバは皿を棚に戻す時、わざと手を別の皿に当てた。皿の形をしたトロフィーは二枚とも落下し、大きな音を立てて粉々に砕け散った。

「おっと、めんちゃい」

 ラルバは爪先を(ほうき)がわりにして破片を棚の下へ蹴飛ばす。

「ナイナイしちゃおうねーっと。じゃあウルグラさん後よろしくねー」

 何度も頬を打たれ茹で蛸のように真っ赤に腫らした顔に、大粒の涙をボロボロと転がしながら呆然とするウルグラ。その姿を見て、ラルバは上機嫌で“さよなら〜”と手を振って歩き出した。



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23話 さよならクソゴミチビハゲデブ脂ダルマ

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 自身の功績であり、プライドであり、生きる意味でもあったトロフィーを粉々に砕かれ、その場に力なく崩れ落ちるウルグラ。ラルバはその情けない権力者の姿を見て、上機嫌で部屋を出ようとバリアの手を引く。

 しかし、ふと違和感を感じて立ち止まる。振り向くと、茫然自失としていたウルグラが両手で顔を(おお)っており、その隙間から怨嗟(えんさ)と憤怒に塗れたどす黒い視線がこちらを突き刺しているのが見えた。

 ラルバは壊れたと思っていた玩具がまだ遊べる事に気付き、悪知恵を思いついた子供のようにニヤリと微笑む。

――――(おいラプー。)――――――(こいつは世界ギルドの)―――(外れの森で)―――――(仇討ちエンファが出た)―――――(という情報を)―――――(知っているか)?」

 ラルバはバリアとラプーの方へ振り返り、外国語で指示を出す。旧文明でも話者が極めて少なく、消滅の危機にあった少数言語は当然ウルグラには全く理解できなかったが、ラルバの楽しそうな声色で良からぬことである事は容易に理解できた。

――――――(自分とこの情報屋から)――――――(聞いてるだ)。」

―――――(どこまで知ってる)?」

―――(ネルダバが)――――――(豚に食われて死んだ)――(って事だけ)。」

――――(なるほど)―――(じゃあソレで脅すか)!!―――――(ラプーはポポロの役な)―――――――(バリアはボルカニク)!!―――――――(まあ黙ってればいいよ)―――――(今まで喋ってないし)――――――――(ラプーはそれっぽく)!」

――(わかっただ)。」

 ウルグラは口いっぱいに広がる血の味に吐き気を催しながら、上機嫌なラルバを目を細めて睨み続ける。しかし、先程のビンタの応酬のせいで、その傲慢なプライドの根に臆病の糸が絡み付いているのが(うかが)える。

「ウルグラさん……アタシはガッカリだよ……アンタはもっと聞き分けのある頭の良い馬鹿だと思ってたのに……」

 ラルバは肩をすくめて(うつむ)き、溜息と一緒に首を振る。

「……な、何がだ」

「それ、それだよ」

 怯えながらも未だ恨みが垣間見えるウルグラに、ラルバ「チッ、チッ、チッ」と舌打ちをしながら人差し指を振る。

「『何がだ?』違うだろ?『申し訳ありません。仰りたいことが理解できません』だろ?()()()()()()()()()()()!なあポポロ!!」

 ウルグラは身体をビクッと震わせてラプーを見る。ポポロと呼ばれたラプーは、大欠伸(おおあくび)を挟んで気怠そうに口を開く。

「エンファ〜もうソイツ殺して早よぉ行くべぇ。ペットの(しつけ)ん時間過ぎてるだでよぉ。ボルカニクも早よ帰りてぇべな?ん?」

 ラプーがバリアのことをボルカニクと呼び肩を数回突くが、バリアは無表情のまま何も答えない。

 ウルグラは全身から脂汗を吹き出し、油を吸わせたティッシュのような姿でへたり込む。その顔は悲哀とも放心とも絶望とも取れぬ奇怪な形相で、3歳児に弄ばれた粘土細工の方がまだ人間味を感じられるだろう。

 

“仇討ちエンファを怒らせた”

 

 それどころか、“収集家ポポロ”に“(だんま)りボルカニク”まで。笑顔の七人衆のうち3人を、“逆鱗グドラ”を含めれば4人の怒りを。1人で数百人を相手にする一騎当千の破壊神を、赤ん坊すら笑って蹴り殺す巨悪を怒らせた。そうだ。これはハッタリだ。最初に見せられたグドラの腕輪は偽物で、コイツらは虎の威を借る狐に過ぎない。そう自分に言い聞かせるが、腕輪を見た時に感じた吐き気を催す嫌悪感と自らの審美眼に対する過剰な自信が、姑息で稚拙な自己暗示を一蹴する。

 自分は彼らの怒りに見合う対価を持っているだろうか。それとも、自分は殺す価値もない歯牙にも掛けぬ愚昧(ぐまい)な俗人と思われたりはしないだろうか。その前に彼らは弱小者の戯言に耳を貸すだろうか。そもそも、この場から五体満足で逃げ(おお)せる方法など存在するのだろうか。ウルグラは護身用の短銃を持っていない事を、自殺の手段を持ち合わせていないことを、握り拳に血を(にじ)ませながら後悔した。

「お前は折角のチャンスを不意にした」

 ラルバが腕を組んでウルグラを睨み、貧乏ゆすりのように片足で床を何度も叩きながら呟く。

「このエンファを罵倒しておきながら、その代償は数発の平手打ちで済んでいる。これがどれほどの温情か!私を侮辱し!私の料理を生ゴミと(ののし)り!皿に吐き戻し!!挙げ句の果てに“服を脱いで四つん這いになれ”だぁ!?それでも!!私は!!許した!!!」

「ひっ……!ひっ……!あぁっ……!!」

「言っても言っても殴っても殴っても分からん豚もどきを!懇切丁寧(こんせつていねい)に教育し!!時間とチャンスをくれてやった!!に・も・か・か・わ・ら・ずっ!!!」

 最早過呼吸で声すら(ろく)に出せないウルグラは、涙と脂汗と小便を垂れ流して唇を震わせる。この世の悪を煮詰めたかのような殺意の前に、脚を()がれた蛙の如く(うごめ)き後退ることしかできない。

 鬼の形相で歯軋りをするラルバは本物のエンファ同等の魔力を(たぎ)らせ、血管が痺れるようなオーラを放ちウルグラを脅し続ける。

「脂ダルマ風情が、よくも、よくもよくもよくも!このアタシをコケにしてくれたな…………!!!」

「んぃぃぃいいっ……!!ふぃぃぃぃっ………!!」

 息ができないウルグラは、首を激しく左右にブンブンと振って汗を撒き散らしながら否定の意を見せる。そんな情けないウルグラの醜態(しゅうたい)一瞥(いちべつ)し、ラルバは静かに怒りを鎮める。

「だが……寛大(かんだい)聡明(そうめい)で謙虚でお(しと)やかで慈悲深いアタシは、こんなクソゴミチビハゲデブ脂ダルマにも最後のチャンスをくれてやろう」

 ウルグラはハッとした顔で一瞬硬直し、すぐさま何度も床に頭を打ちつけ感謝の意を表明する。

「あっ!!あいがとごやましゅ(ありがとうございます)っ!!あいがこごやいましゅ(ありがとうございます)っ!!」

「歯ぁ全部抜け」

 

「……えっ?」

「早く」

「あっ、えっ?えっ?」

「上下交互に、自分の指で」

「あっ、あっ」

「早く」

「あのっ」

「5」

「ああっ!あっ、あのっ」

「4、3、2」

「やっ!やりっ、ますっ!」

「いーち」

「やいっ、やいまふかは(やりますから)っ、おごっ、あえっ」

 

 ボキッ……

 

〜ヒトシズク・レストラン ホテル「箸休め」〜

 

「たっだいま〜!」

 ラプーとバリアを連れて帰ってきたラルバは上機嫌で部屋に入り、既にラデックが寝ているベッドに勢いよくダイブする。

「うっ、おかえり」

「んふふ〜ハピネスとイッチーは?」

「風呂だ」

「私も入るか。疲れたし」

「違和感を覚えないから気づいていないかもしれないが、使奴は老廃物とは無縁だから別に入らなくても何ら問題はないぞ。実際研究所抜け出してから、風呂はおろかトイレも殆ど行ってないだろう」

 ラデックがラルバの髪の匂いを嗅ごうとすると、ラルバは嫌がって飛び退く。

「ばっちい!(ほこり)とか色々ついてるだろ!」

「あっちこっちで泥んこになってくる度に俺が落としてやってるだろ」

「いいの!気分!」

 ラルバはそのまま足早に部屋を後にする。

「……バリアは行かなくていいのか?」

 バリアはベッドに腰掛けたまま置物のように硬直している。

「………………………………………………後でいく」

「今の間はなんだ?」

 

〜ホテル「箸休め」 大浴場〜

 

 広々とした和風の露天風呂には白濁した源泉が掛け流されており、周囲を取り囲む木々と石造の垣根が山奥の秘湯を彷彿(ほうふつ)とさせる。そんな岩石の灰色と木々の暗い緑の中、使奴の真っ白な肌が(なまめ)かしく月光を反射している。

 普段はチューブトップに押し込められているイチルギの胸が、歩くたび重力に引っ張られ弾みつつも綺麗な球体を保っている。引き締まった筋肉を脂肪が薄らと覆い、誰もが振り向く魅惑のスレンダーなシルエットと対照的に、脂肪がふっくらついた大きめの丸尻が湯煙に滑らかな曲線美を描いている。

 イチルギはかけ湯をして足先からゆっくりと湯に浸かり、縁に寄りかかって香りを楽しむように大きく深呼吸をする。

「ラルバ、飛び込んだら引っ叩くわよ」

「ぬあっ」

 後ろで助走の構えを取っていたラルバは、振り向きもしないイチルギの牽制(けんせい)に怯み立ち止まった。イチルギよりも一回以上大きい胸を豪快に揺らし、渋々歩いて湯に近づく。不満そうな顔で荒々しくかけ湯をしてから、半ば飛び込むように水飛沫を上げて座り込む。

「わっ、飛び込むんじゃないの!」

 イチルギが勢いよくラルバの後頭部を引っ(ぱた)く。

「あだっ、飛び込んでないじゃん!」

「先に入ってる人を気遣えって言ったの!!」

「じゃあそう言ってよ。あだっ」

 口ごたえをするラルバをイチルギはもう一度引っ叩いた。

「あと湯船に浸かるなら髪しばりなさい」

「今度な」

「まったく……」

 イチルギは大きく溜息をついてから、折角の露天風呂を楽しもうと(しばら)く中空を見つめ放心する。

「ふぅ……で、ウルグラと話はついたの?」

「ん?ああ、バッチリつけてきた!」

「そう……変なことしてないでしょうね」

「ビンタなら。あでっ、すぐ叩くなバカ!」

「すぐ叩くのはアンタでしょうが!問題起こすなって言ったでしょ!」

「問題にはならん。どうせ公にはならな……叩くな!」

 イチルギの振りかぶった手をラルバが掴む。

「問題起こすなってのは!人様に迷惑掛けるなって意味よ!」

「あいつ以外はみんな幸せだからいいだろ!」

「人ってのは人でなしも含むの!!」

 イチルギが掴まれていない方の手でラルバを引っ叩く。

「あだっ!!」

「……で、何したのよ」

「いや、ビンタ以外はなんもしてない」

「アンタがビンタ程度で満足するはずないでしょ。まさか……殺してないでしょうね」

「まさか!いくら悪党とは言え、罪に合わん罰を与えるつもりはない!」

「じゃあ何したの。どうせハピネスが見てるんだから、今言いなさい」

「…………歯ぁ全部引っこ抜、叩くな!!あだっ!!」



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24話 至高の料理を彩る要

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜ヒトシズク・レストラン ホテル「箸休め」〜

 

 風呂から上がったラルバは、サウナで倒れていたハピネスを担いでいるイチルギと一緒に部屋に戻った。

「ただいまーっと?バリア、ラデックは?」

「お風呂、私も今から」

 そう言ってバリアがラルバの横をすり抜けて退室していく。

「そうか、でだ!チル助!」

 イチルギはハピネスをベッドに寝かすと、その横にゆっくりと腰掛けラルバを睨む。

「変なあだ名で呼ばないで」

 ラルバは飛び乗った椅子を後ろへ傾け、ユラユラとバランスを取りながらニヤつく。

「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。握り3年巻き8年。至高の料理を彩る要は、餌に拘る職人心と、死苦をも搔き消す幸福一匙。一世一代無上の味に、滴るネズミを殺す唾――イチルギ達はこの意味、どこまでわかった?」

「うーん……私は“滴るネズミを殺す唾”はわかった。ラデックは“死苦をも搔き消す幸福一匙”がわかったって言ってたわ。それ以外はさっぱり」

 それを聞いてラルバが楽しそうに口角をにぃっと上げ、少し堪えるように鼻息を小刻みに漏らす。

「んふふふ……そっかそっかぁ。私は全部わかった!んだが……念のため答え合わせをしようか。イチルギ、続きを聞かせてくれ」

 イチルギは「じゃあ」と咳払いを一つ挟んで語り出す。

「まず“滴るネズミを殺す唾”だけど、これは恐らく“ ゼルドーム・レインフォン”の事を指してると思うわ」

「気を(てら)いすぎたお菓子みたいな名前だな」

「ヒトシズク・レストランで最も高名な美食家よ。料理人では無いんだけれど、異常な美食への執念から世界一の美食家になったの。その貪欲さは、猛毒ですら食べたがって自分の体にありとあらゆる毒を注入して耐性をつける程。巷じゃ”如何物(いかもの)喰いのゼルドーム“って呼ばれてるわ。その“体に注入した毒”の所為で体液に強い毒性を持ってるの。だから彼で多分間違いないわ」

「ほうほう。で、“死苦をも搔き消す幸福一匙”は?」

「多分人間の生理現象の一つじゃないかって。死ぬ瞬間に脳内麻薬と魔力が暴走して死の恐怖を紛らわす現象があるでしょ?」

「ああ、”ラストシアター“だっけか」

「正確には死への恐怖や不安から過剰分泌された脳内麻薬に加えて、無意識下で発動する幻覚魔法による解離性波導閉塞(はどうへいそく)。いわゆる走馬灯ってやつね。これが“死苦をも搔き消す幸福一匙”じゃないかってラデックは言ってたわ」

「なぁるほどねぇ」

「で、私たちの答えは……意味不明だけど、”(うなぎ)料理“じゃないかなって」

 ラルバが盛大に吹き出す。

「うっ、うなぎって、あーっはっはっは!」

 ムッとしたイチルギが立ち上がってラルバを怒鳴りつける。

「しょうがないでしょわかんないんだからぁ!!今のところよ!今のところ!」

「うなっ、うなぎっ、ひひひひっ」

「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き、後の握りと巻きも考えて食材は魚だとすると、これで考えられるのは(はも)とか鰻くらいでしょ。血液に毒もあるし、ゼルドームと死が関わってくるなら尚更。もちろん今は下処理キチンとすれば刺身も食べられるけど、一世一代無上の味ってことは2回は食べられない。てことは、“死を覚悟して食べる猛毒の鰻の刺身”辺りがいい線いってるんじゃないかなーと。いい加減笑うのやめなさい!!」

「いーっひっひ……うなっ……鰻……」

「その様子だと、てんで的外れみたいね……」

「だ、だって鰻も鱧も関係ないし……」

「じゃあ今度はラルバの推理を聞かせなさいよ」

「あー面白かった……私の推理?いいだろう!」

「うっ」

 ラルバがベッドの上に勢いよく飛び乗って仁王立ちをすると、足元から小さく呻く声が聞こえた。

「あ、ハピネス踏んじゃった」

「アンタはもうちょっと慎重になりなさい!死んだらどうすんのよ!」

「大丈夫だよ。ラデックいるし」

「そうじゃない!!」

 ラルバはイチルギの剣幕を他所に、ニヤニヤと笑みを溢しながらくるくると踊り出す。

「私がウルグラの歯を全部引っこ抜かせた時、なぜ怒った?」

「逆に何で私が怒らないと思ったのかしら……!」

 イチルギが歯を食い縛りながら静かに怒りを表す。

「良いじゃん別に」

「いい?ウルグラは性格悪いけど犯罪者じゃないの。アンタがもし性格が気に入らないとか言う理由で人を殺すんだったら、世界ギルドに被害が出るのを覚悟で私はアンタを止めるわよ」

 真剣な顔でラルバを睨みつけるイチルギ。それを見てラルバはヘラヘラしながら返事を返す。

「いやいやあいつ犯罪者だよ。それも並じゃない極悪非道な悪党だ」

「ウルグラが何をしたのよ」

「んー……口が臭かった」

「はぁ!?」

 イチルギは怒りを通り越して呆れ返り、項垂(うなだ)れるように椅子に寄りかかる。

「はぁ……いい加減にしなさいよラルバ、口が臭いって…………………………“口が臭い”?」

 何かに気づいたイチルギを見て、にたぁっと笑顔を歪ませラルバは再び踊り出す。

「そうだ。“口が臭かった”んだよ。異常な程な」

 口に手を当て黙っているイチルギに、ラルバが更に語り続ける。

「私はゼルドームなんて奴今初めて聞いたが……何故お前らは“ゼルドームが毒を食べたいがために耐性をつけた“と思ったんだ?どうして”毒を食ってることに気付いていない“とは考えなかったんだ?」

 ゼルドームは「毒を持つ物にも未だ知らぬ美味がある」と言いながら猛毒の生き物を食べて見せ自身の毒耐性をアピールしていたが、耐性を付与した技術者も、毒を食べるに至った経緯も一切触れられていなかった。

 イチルギは黙ったままラルバを細目で睨み、ラルバはそれを嘲笑するかのように言葉を繋ぐ。

「ウルグラの身体中のイボや斑点。常に荒い口呼吸と乱れた鼻息。汚らしいぶくぶくに太った体。回復魔法の使いすぎだ。新陳代謝に乱れが生じて身体中にイボや斑点ができる。粘液の異常分泌で常に鼻は塞がり、胃腸の活性化により肥満体型になる。典型的な波導性過回復症(かかいふくしょう)だな。ひょっとして、ゼルドームとやらにも似たような症状があるんじゃないのか?」

 ラルバはそのまま立て板に水を流すように語り続ける。

「毒にも回復魔法で治るものと治らんものがあるだろう。なにかしらの分泌や神経に影響を与えるものであれば無効化できるが、溶解液は体内に吸収すれば簡単には出ていかないから、“体液に毒性を持つ”例もある。もし寄生虫が体内にいれば余計活性化してしまうだろう。大量に繁殖し、大量に死滅する。その死骸は変異した体液も相まって、それはそれは“臭う”だろうなぁ」

 ラルバがベッドから降りてイチルギの前に立つ。

「だが奴らは気づかない。自分の口の臭さにも、塞がった鼻にも、食った物の毒にも。でも誰かが治しているんだ、気づかないはずはない。じゃあなんで気づかない?頭が大層”お馬鹿さん“になってしまっているんだろう。馬鹿につける薬はないと言うが……”お馬鹿さんになる薬”なら山程あるだろうなぁ」

 沈黙を保ってきたイチルギが静かに口を開く。

「ヒトシズク・レストランの麻薬摘発件数はほぼゼロに近いわ」

「摘発できない麻薬ならあるだろう?葉っぱや薬品の検査ならするだろうが、誰が“脳内麻薬の検査”など行うんだ?」

 イチルギが拒絶するように顔を覆い声を荒げる。

「まさか!脳内麻薬ってのはただの比喩(ひゆ)じゃない!実際の麻薬とは性質も形も異なってるわ!そもそも経口摂取で吸収できるようなものじゃない!」

「まあ今まで誰もやんなかったからな。それに吸収云々は変換魔法でどうとでもなるだろう」

「それに!麻薬だって定期的に摂取しなきゃ重症化はしないわ!」

「定期的に摂っているんだろう」

 イチルギは目を細めて顔に影を落とす。

「そんな……!!!一体……どこから……!!!」

「分かってるくせに」

 絶望に染まるイチルギに背を向け、ラルバはベッドに潜り込み寝支度を始める。

「じゃあ私は寝るぞー。明後日のグルメコンテストの為に英気を養わなくてはならないのでな……」

 イチルギは吐き気と嫌悪が絡み付いた頭を押さえながら部屋を出る。すると、丁度風呂から出てきたラデックとすれ違う。

「イチルギ。推理の方はどうだった?」

「…………」

 イチルギはラデックの方を振り向くが、何も言わずに目を伏せて背を向ける。ラデックは立ち去るイチルギに向けて、独り言のように呟いた。

「そうか。“悪い方が当たってた”んだな」



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25話 如何物喰いのゼルドーム

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〜ヒトシズク・レストラン ホテル「箸休め」〜

 

 微かな食器の音に目を覚ますイチルギ。辺りに漂うコーヒーとトーストの匂いに誘われ、薄目を開けながら不自然に静かなリビングに目を向ける。

「おはようイチルギ。丁度今焼けたところだ」

 風呂にでも入ったのか、髪をタオルで束ねたハピネスが朝食を用意して待っており、キッチンの隅にはシュレッダーの様にトーストを吸い込むラプーがちんまりと座っている。

「おはよう……ラデックとラルバは?」

 イチルギは椅子に座ってコーヒーを啜る。

「朝早くにバリアを連れて出て行ったよ」

「そう…………で、ハピネス」

 トーストを一口齧り、若干ハピネスを威嚇するように声のトーンを下げる。

「これからラルバ達が何をするのか、見当はついてる?」

 ハピネスは返事の代わりに新聞をイチルギに差し出した。朝刊の見出しには、当然明日のグルメコンテスト特集が組まれている。イチルギはその一部に記されたトーナメント表に目を留める。

「…………これ、シード枠にラルバ入ってないの?」

 イチルギが記憶を辿る限り、シード枠に書いてある名前はどれも著名な料理人達で、ラルバが偽名を使っている可能性すらなかった。

「仇討ちエンファに脅されたウルグラが、ラルバにシード権を譲渡しようと昨晩ゼルドームの元を訪ねた。しかし、ウルグラの血涙混じる懇願をゼルドームが蹴ったんだ」

「案外勘がいいのね、ゼルドームは……」

「本当にそう思……おや」

 ハピネスがイチルギの方を見ると、先程まで少し不機嫌そうにしているだけだったイチルギは顔面蒼白になりながら口元を押さえていた。瞳孔は小刻みに揺れ、今にも吐きそうな様子で硬直している。

「……察しが良すぎるのも考えものだな。ご想像の通りだよ」

「ごめん、ごちそうさま……」

 イチルギはまだ一口しか食べていないトーストを、ハピネスの方へ差し出して部屋を出ていく。

「おや……意外と繊細なんだな」

 ハピネスはイチルギの食べ残したトーストを齧りながら、平然と記事を眺めていた。

 

〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸〜

 

 ヒトシズク・レストラン中心部に(そび)え立つ、皇帝の巨城のようなレインフォン邸。黄土色のブロックで造られた外壁に鋼鉄の門。あちこちに美術品の彫刻や絵画が敷き詰められ、それを監視カメラにレーザーセンサー、数多のセキュリティゴーレムが徘徊する過剰な厳戒態勢。悪趣味な成金の、金と技術の闇鍋のような豪邸。

 しかし、ラルバと案内役の使用人が歩く地下道はレインフォン邸の敷地内であるにも関わらず、無骨なコンクリートと蛍光灯だけが続く不気味な回廊であった。ラルバは昨晩遅くにゼルドームから手紙を貰い、グルメコンテストの参加の代わりに特別料理人として招待されていた。

「此方です。ラルバ様」

 ()()()()()()()()()()()をした黒髪の使用人は、廃墟じみた廊下にはにつかわしくない鋼鉄の扉に手を当て、電子ロックを解除する。

 彼女が微笑みながら開いた扉の先は、人がやっと一人入れる程度の行き止まりであったが、僅かに覗き穴が設けられており、そこから向こうの様子が(うかが)えた。ラルバが穴に目をつけると、手を伸ばしても届かないほど分厚い壁の向こうに人影が見えた。

「うまぃ……うまぁい……」

 まるで熊のようなブクブクに太った大男が、(しき)りに手元を動かして何かを(むさぼ)っている。何かをナイフで切っているようだが、手元は一切見えない。しかし、使奴の鋭敏な聴覚には大男の声の他に、乱れた荒い呼吸音のようなものが感じられた。

「メ、メインディっしゅぅぅぅ……」

 大男は、イボだらけの手でカツラの様な黒い毛の束を持ち上げ、姿勢を屈めて何かを下品に(すす)り始めた。汚水を吸い上げるポンプを連想させるように不快な水音と、大男の荒い鼻息だけが響く。

「ふんっ!んふっ!んはっ!はっ!んもももっ!!」

 終いには背中を老婆の如く折り曲げ、一心不乱に何かを啜り頬張る。

「んぶはぁ……うまぃ……うまぃぃぃぃぃぃ……んぶっ!んはっ!はぐっ!」

 ラルバが穴を覗き続けていると、使用人に肩を叩かれ引き戻される。

「あれがゼルドームか?」

「はい。ご存知ありませんでしたか?」

 ラルバは何も言わずにその場を離れ、勝手に廊下を進んでいく。

「ラルバ様。勝手な行動は謹んで……」

「臭い」

 使用人の言葉をラルバが遮る。

「臭い?と、仰いますと?」

 使用人が首を傾げると、ラルバは立ち止まって天井を見る。

「随分独り言が大きい奴だな。私みたいだ」

「何を仰っているのですか?」

使()()()()、こんな狭い場所でボコスカ暴れたら迷惑だろうなぁ。アビス」

 この一言で、アビスと呼ばれた使奴の使用人は一瞬で理解した。ラルバがわざと此処に招かれた事。ゼルドームが何をしているか知っている事。此処で何をされるか知っている事。そして、アビスがゼルドームの“奴隷”である事。アビスの首には“レベル3認証輪(にんしょうりん)”が赤く浮かび上がっており、ラルバはそれを見てニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。

 使奴の制御状態を表す認証輪には、3種類の状態がある。オーナー受付中の初期状態、レベル1認証輪。仮受付完了後のレベル2認証輪。そして、出荷完了を表す命令受付状態、レベル3認証輪。

 バリア遭遇直前にラデックの話で認証輪の仕組みを知っていたラルバは、アビスが既にゼルドームの支配下にあることを見抜いた。

 そして、アビスを下劣なしたり顔で煽っている。”この不躾な異端者を殺すに相応しい場所へ案内しろ“と。

「……ラルバ様、此方へ」

「はいはーい」

 ラルバは誘われるがままに歩みを進める。その後ろで、自重でゆっくりと閉まる扉の隙間から、ゼルドームの声が最後まで漏れていた。

「んへぁ……うまぃぃぃ……うまい物を食ったモノはうまぃぃぃぃぃぃいぃぃいい」

 

〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸最下層〜

 

「聞こえますか?」

「んふふふ、ばっちし!」

 アビスはラルバから聞いた“ハピネスの神託”の答え合わせのために、少し遠回りをして寄り道をしていた。

「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。握り3年巻き8年。至高の料理を彩る要は、餌に拘る職人心と、死苦をも搔き消す幸福一匙。一世一代無上の味に、滴るネズミを殺す唾。この謎解きと答えは恐らく、ラルバ様のご推察の通りだと思いますよ」

「やったー!」

 アビスは壁の向こうに“いる”であろう“仕込み中の食材”を思い浮かべながらコンクリートの溝を撫でる。

「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。これは調理工程ではなく、ゼルドーム様が行っている拷問の暗喩ですね。目を潰し、身体の端から切り刻み、火で炙り、釜で茹でる」

 アビスが指差した壁にラルバが耳をつけると、絶え間ない焔の踊る音と絶叫が聞こえてきた。音が遠くハッキリとは分からなかったが、何かを打ちつけるような金属音や、けたたましいエンジン音も混じっていた。

「握り3年、巻き8年。これは拘束法でしょう。握っているスイッチから手を離すと締まる首輪や、単純な簀巻きの刑もあります。前者が1〜3年、後者は8〜10年ほど行われることが多いですね」

 再び歩き出したアビスに、ラルバが早足で近寄る。アビスは少しだけラルバの方に目を向けて、今まで通りの優しい微笑みを浮かべながら語り続ける。

「ラルバ様同様、此処には”本来グルメコンテストを優勝する筈だった料理人“達が招かれます。普段から美食を追求し切磋琢磨する。まさしく”餌に拘る職人心”の持ち主達です」

 ラルバが顎に手を当て、目を輝かせながら口角を上げる。

「そいつらを拷問にかけることで見せるラストシアター、“死苦をも搔き消す幸福一匙”」

「”ネズミを殺す唾“のゼルドーム様曰く、この料理こそ唯一無二の最高峰だそうです。一人の人生と引き換えに得るその味は正に“一世一代無常の味”と表現するに相応しいでしょう。まあ、私は食べたことないので分かりませんが」

「あっはっはっは!私ら毒の効かない使奴に麻薬の味はわからんだろうさ!ましてや”脳内麻薬ドバドバでくるくるパーにした料理人の脳味噌“なんてゲテモノ。到底美味とも思えん」

「同感です」

 

〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸 「神の食卓」〜

 

「ラデック、手に涎ついてる」

「ああ、炎症が起きてすごく痛い。代わってくれ」

「やだ」

 棒立ちで見ているだけのバリアを横目に、ラデックはゼルドームを椅子に縛りつける。

「お、お前らっ……!一体……!」

 ゼルドームが狼狽(うろた)えるのも仕方のないことであった。十重二十重にロックとセンサーが張り巡らされたお気に入りの食事部屋“神の食卓”に、手練の護衛数十人を無傷で薙ぎ倒して来た侵入者が、まさかのたった2人。ラルバがこの部屋を覗き見したほんの数分後の出来事であった。

「えーと、確かゼルドームと言ったか」

 真顔で手をプラプラと振り涎を払うラデックに、ゼルドームは怯えながらもハッキリとした物言いで対峙する。

「おおっお前らこんなことしてタダで済むと思うなよっ!!私のバックにはあの笑顔の七人衆が1人、“残飯喰らいのドンマ”直属の部下であり、自警団“空腹の墓守”団長!!“クレイメロン“がついているのだぞ!!」

「そうか」

 威勢のいい啖呵に生返事をし、タバコに火をつけて一息つくラデック。

「その様子だとウルグラから聞いていないみたいだな。“(だんま)りボルカニク”が出たという話を」

「だんっ……!?」

 ラデックがそっぽを向いているバリアを肘で小突くと、ハッと気づいたように一瞬身体を強張らせたバリアがゼルドームに向かって真顔でピースサインを見せる。

 ゼルドームの顔がみるみる青ざめていき、金魚のように口をパクパクと痙攣(けいれん)させる。

「さて……今から結構痛いことをするから、早めに覚悟を決めてくれ」

「まままままてっ!!待って、待ってくれ!!」

「コトによる」

「わたっ、私が死んだら“至高の料理”はもう2度と食べられなくなるっ!!!」

「………………詳しく話してみろ」

 ラデックが興味を持ったところは全く別のところにあるが、ゼルドームはラデックが“至高に料理“に惹かれたと思い込み、一筋の光明に腐った涎を撒き散らしながら捲し立てる。

「そそそそうだっ!!我が人生の集大成であり最初で最後の至高の料理!!それこそがこの“神下奈豆技(かんなずき)“だっ!!」

 椅子に縛られた足をモゾモゾと動かし、ゼルドームは足元に転がっている男の死体を見下ろしながら叫ぶ。つい先程までゼルドームが食べていた“料理”は、額から上の頭蓋が綺麗に切断されており、本来頭の中に収められるはずであった“内容物”を床に溢している。

「美味い豚を育てたければ酒を飲ませ!美味い牛を育てたければきのみを食わせ!美味い魚を育てたければ果実を食わせる!美味い物を食った物は美味くなる!!なら、“美味い食材を食い続けた料理人”は!!もっと美味いはずだっ!!」

「人の肉を食うコトに抵抗はないのか」

「何故?人間ってのは雑食だ――――!美味けりゃなんでも食う!気持ち悪いナマコやら貝でも!腐って糸引く豆でも!猛毒の魚や虫でも!挙げ句の果てにはションベンでも糞でも食う!なのに何故人間は食べない?見た目良し!鮮度良し!栄養価も高く、そこら中にゴロゴロいる――――!なのに誰も食べようとはしない!そっちの方が不思議じゃないか!」

 ラデックは大きくため息をついて後頭部を掻く。

「たったそれだけの理由で食殺……ましてや余興に拷問とは、どうしようもない悪党だな」

 あまりに的外れな弁明に呆れ返るラデック。しかし、ゼルドームの目には説得が足りてないように映り、余計に熱弁を激化させた。

「拷問は余興じゃない!立派な“仕込み”だ!!アラを煮込んだり、焼き目をつけるのとなんら変わりない!!恐怖に支配された脳は、死によるストレスから自我を守るために自身に幻覚魔法をかける!死ぬ直前に花畑が見えるってやつだ!脳内麻薬がドバドバ出て、波導閉塞の症状で脳内に魔力が溜まる!!これが一番美味いんだ!!!」

「非人道的だ。人の命でやるコトじゃない」

「何故!?じゃあ豚は殺してイイのか?牛は?魚は?虫は!?植物は!?感情がなければ殺してもイイ?苦しめなければ殺してもイイ?詭弁だ!!結局皆!美食に目がないんだ!!牛を食って豚を食って魚を食って植物を食って!!!人間だけがその輪から外れられると思うのは筋違いだ!!!何故人間を食ってはいけないのかを誰が説明できると――――」

 ラデックはゼルドームの顎を握り締め言葉を遮る。

「別に人を食うのが悪いとか、殺すのが悪いとか、そんな倫理観の話をするつもりはない。だが、お前のように“一般世間で言う悪行”に最もらしい持論をぶら下げて、さも大義名分を得たかのように振る舞う奴を悪と呼ぶことは知っている――――――」

 



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26話 精忠無比な謀反人

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〜ヒトシズク・レストラン ゴミ処理場〜

 

「えぇ……ここでやるの?」

 ラルバは顔の中心に力を込め、心底嫌そうに不満を漏らす。

 巨大な石の部屋を埋め尽くす生ゴミのコンサートホールに、天井付近から突き出す何本ものパイプから腐った廃棄物を絶え間なく吐き出し、嗅がずとも鼻腔を突き刺す悪臭が這い回る。常人であれば、防護服を着込もうが気が狂う程の地獄絵図。

 

【挿絵表示】

 

「……この悪臭の中随分と余裕そうですね。ご安心を、勝者は備え付けのシャワールームで綺麗さっぱり臭いは落とせます」

「敗者は?」

「このまま掃き溜めの中で数ヶ月……そのあと焼却され灰と一緒に棄てられるか、また生ゴミの下敷きです」

 アビスは少しストレッチして一息つくと、目にも止まらぬ速さでラルバに突進する。

「おっと、危ないよせっかちさん」

 ラルバは後ろに倒れて突進を交わし、寝転がった状態からアビスの腹に蹴りを打ち込む。上空へ蹴り上げられたアビスは咄嗟に受け身を取ろうと下を見る。しかし、落下地点でラルバが肩をグルグル回して拳を振りかぶっているのを見て眉を(ひそ)めた。

「どっせぇぇぇええぇぇぇぃ………あり?」

 ラルバが予想したタイミングを過ぎても滞空しているアビス。ラルバが「はて」と首を傾げると、アビスの背後から何かが飛んでいった直後、指先を槍のように尖らせラルバ目掛け落下する。

「おっとと、異能か!!」

 ラルバは飛び退いて距離を取り、先程アビスの背後から飛んでいった物体を目で追う。

 真っ赤な海老の体に8対のゴキブリの羽根と、そこへ鳥の脚を生やした生ゴミのモンスターが2匹。フロアの天井付近を高速で飛び回っているのが見えた。

「何だあの気持ち悪いの……」

「一般人相手なら幻影の翼だとか何とかそれっぽい事言って誤魔化せるんですがね……」

 アビスが“両手の指を組んで手を握り、外側へ勢いよく弾いた”瞬間、処理場の壁が”剥がれるようにガラガラと崩れて“いき、”(おびただ)しい数の枯れ木と墓石が姿を表す。腐敗臭が立ち込める薄暗いコンクリートのゴミ処理場は、一瞬でおどろおどろしい真夜中の墓場へと変化した。

「おっ!異能の“虚構拡張(きょこうかくちょう)”か!私もできるぞ!」

 そう言ってラルバが胸の前で指を組もうとするが、依然足元を埋め尽くす生ゴミから飛び出してきた魚の頭部に弾かれ阻止される。その一瞬の隙を逃さず、ゴミの中から幾千もの亡骸の化け物が溢れ、怯んだラルバに襲いかかる。

「おっ、うおっ、危ないって言うより汚いねこれ。アビスの異能ってネクロマンサー?」

「当たりです」

 兎のように飛び跳ね無数の死骸の避けながら、飛んできた生ゴミキメラの1匹をキャッチして見つめる。魚の目玉が埋め込まれた脈動する赤黒い肉塊から、何本もの蟹の鋏が突き出し蠢きラルバの腕を斬りつけている。ラルバがゆっくり手に力を込めると、黒い粘液を吐き出して絶叫の代わりに鋏をぶんぶんと振り暴れ回った。

「うーん、無理そうかな」

 荒れ狂う屍の猛攻から逃げ回りつつ、手の中の怪物を握り潰す。蟹の鋏が一瞬痙攣(けいれん)して関節を伸ばしたかと思うと、直ぐに力なく萎れた。ラルバがそのまま手に力を込めると、動かなくなった怪物から”ボコボコと岩が湧き出し“始める。

「おっ!できたできた!」

「それがラルバ様の異能ですか?」

 ラルバは背後からの質問と同時に飛んできた回し蹴りをしゃがんで(かわ)す。アビスはそのまま片足立ちで蹴りの雨を浴びせる。

「岩の生成というと生産系ですか?握り殺したゾンビに意味は?」

 暴風の如く吹き荒れるアビスの猛攻を、ヘラヘラと笑いながら避け続けるラルバ。

「さぁーどぉーでしょーねー、教えませーん」

「生産系ではない。となると非生物対象の変化系ですね。残念ながら“彼等”は一応生物扱いだと思いますよ」

「うん。殺さないと無理だった」

 のんびりと会話をする2人。しかし、その落ち着いた声色とは対極的に攻防の勢いは激化する一方で、目にも止まらぬ拳の空振りはけたたましい風切り音を打ち鳴らし、鉄をも押し潰す掌打は命中と共に落雷のような轟音で景色を揺らす。

 アビスのフェイントを読み切ったラルバのハイキックを、姿勢を崩したアビスが後ろへ身を(ひるがえ)して躱し距離を取る。

「発動条件が接触必須ならコッチが有利ですね。異能だけじゃなくて魔法も使った方がいいんじゃないですか?」

 アビスが手を胸の前で交差させると、足元から大量のムカデのような死骸キメラが湧き出しラルバへ突進していく。

「アビスと魔力差ある状態で戦うのはキツいかなぁ。筋力落ちるし、疲れるし」

 首を傾けて肩を回しストレッチをすると、ラルバは飛びかかって来たムカデのモンスターを避けようともせずニヤリと笑う。

「まあ勝てるけど」

 アビスの視界が急に傾いた。

 

 突然の落下。潜没。

 

 突如としてアビス達の立っていた生ゴミの山は消え去り、代わりに透き通った水が辺りに満ちている。巨大な湖となり水没した墓場は、重力で2人を飲み込んだ。

 アビスは着水の衝撃で泡だらけになった視界から、辛うじてラルバの姿を捉える。木っ端微塵になった死骸キメラと、倒れた墓石に蹲踞(そんきょ)の姿勢で構えるラルバ。アビスが姿勢を立て直すより早く、ラルバは大きく跳躍して水飛沫を散らしながら飛び跳ねる。

「私の勝ちぃー」

 水の中にいるアビスに声は届かなかったが、読唇術でラルバの口元から微かに読み取れた。

「お見事です」

 俯いたアビスの独り言は、一瞬で巨大な氷塊と化した湖に閉じ込められた。

 

 

 

「こんなもんかなー……どう?動けそう?」

「無理ですね。少なくとも半日はこのままかと」

 アビスの異能が解け、真夜中の墓場の景色が元の巨大なコンクリートの部屋に戻ったゴミ処理場で、ラルバはアビスの身体をバラバラに切り刻んでいる。

「こんな細切れにしても死なんとは……使奴ってのは不思議なもんだなぁ」

「でも、段々と意識が遠のくような気はしますよ。放っておけば恐らくは死ぬんじゃないでしょうか」

 地面に転がる生首は眠そうに半目を保ちながら呟く。

「でもラデックが……使奴研究所では使奴の死亡事例は確認されていないそうだぞ」

「そうですか……まあ……どっち、に……し……ろ…………」

 何かを喋りながらも、アビスはゆっくりと目を閉じて動かなくなる。ラルバはそれを見届けてから背を向けてシャワー室へ歩き出した。

 

〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸「神の食卓」〜

 

 ゼルドームは椅子に縛りつけられながらも、どこか心に余裕があった。“愛と正義の平和支援会”の国王から聞いた“使奴隷属化”の方法。それによって従えたアビスの助けを確信していた。ゼルドームがヒトシズク・レストランを代表する権力者になってからの十数年、数多の人間を拷問にかけ、捌き、隠し、謀り、その全てを完璧に行なって来た完全なる下僕。その実力は笑顔の七人衆をも凌ぐと大いに期待をしていた。

 しかしそんな期待も虚しく、目の前に姿を表したラルバは紅藤(べにふじ)の髪を(なび)かせ、鮫のような牙を釣り上がった口角から覗かせた。

「やあやあゼルドーム審査委員長。ご機嫌いかがかな?」

 口を縛られているゼルドームは、返事の代わりに鼻息荒く目を見開く。

「んー?アビスはどうしたのかって?細切れにして捨てて来たよ!残念だったねぇ」

 ラルバはガタガタと震えるゼルドームに膝をついて目線を合わせる。

「んふふ〜まさかアビスが殺されるなんて!って思ってる?思ってるねぇ。こんな強い使奴が相手じゃ勝てっこない!お手上げだ〜!って感じ?」

 そのまま爪先でくるりと一回転して椅子の後ろに立ち、ゼルドームの首に両手を添える。

「それは大きな間違いだ」

 唐突に声のトーンを落として威圧するラルバ。ゼルドームは身体を一瞬強張らせて、首に添えられた手の冷たさに震える。

「アビスは手加減してくれたんだ。じゃなかったら私とて五体満足ではいられん」

 ゼルドームの頭にかかる恐怖の(もや)を、疑念が突き破り蔓延(はびこ)る。その様子を見たラルバは、そのまま低い声で淡々と語り続ける。

「アビスが裏切った?奴隷化が解けた?あの馬鹿がしくじった?そんな筈はない!いいや、そんな筈あるんだよ。その原因はゼルドーム、お前だ」

 ラルバがゼルドームの首に添えた手に力を込め始める。鋭い爪がゆっくりと肉に食い込み始め、ゼルドームは少しでも空気の通り道を確保しようと上を向く。

「どうせ”邪魔者は殺せ“とか言ったんだろうな。無論私は殺されそうになったが……アビスは”私を殺そうとする以外のこと“はしなかった。これがどう言う意味かわかるか?」

 ラルバは更に指先に力を込める。だぶだぶに太ったゼルドームの首の肉がゆっくりと裂け始め、鮮血が皮膚を伝い落ちる。

「私を守れ――とか言っていればこうはなっていなかっただろう。アビスの死体操作能力は優秀だ。目眩しにも足止めにも使えるし、何より自分がわざわざ敵の前に立つ必要はない。しかし、お前の杜撰(ずさん)な命令のお陰でアビスは悪手を選ぶことができた」

 ラルバがポケットからボイスレコーダーを取り出してスイッチを入れると、ゼルドームと数人の男の声が流れてきた。

「ゼルドーム様……!また“至高の人肉料理“を食べさせていただけるなんて……!こっ光栄です……!!」

「んはぁはぁ……遠慮するなぁ……!うまいものは皆で分かち合ってこその美味!恐らく“今が一番うまい”ぞぉ……!」

 荒い呼吸音と、口を縛られているかのような呻き声。

「それじゃあまず私から……ジュルルルルルッ!んぼっ!んぼっ!!」

 吸い上げるような水音と、粘性の咀嚼(そしゃく)音。

「んじゅっ……んぶはぁ……うみゃいぃぃいいいいい……!!」

「ゼルドーム様……!!わたっ、私にもっ……!!」

「んあぁ……いいだろいいだろぉ……!ほれ!」

「はむっ!んむっ!!はぐっ!はぐっ!」

 レコーダーの電源を切り、ゼルドームの首を握った手をより強く締める。

「大方”情報を漏らすな“とでも言ったんだろう。だが死人に口なし。これから殺す相手に何を言おうが”情報を漏らすな“という制約には触れないからな。アビスはこの“不躾な侵入者”に色々教えてくれたぞ。拷問の方法に期間に発案者。その過程に()ける数々の無慈悲な犠牲。何よりこの録音だって公開しなければ“情報を漏らすな”という制約には触れない。アビスはずっと待っていたんだ。“自分を殺すことのできる正義のヒーローの助け“を。その為にずっと備え続けていた。己を殺させる方法、自らに課せられた制約の穴、悪行の証拠、それらの努力が実る今日という日を待ち続けた」

 ラルバは更に首を絞める手に力を込める。

「そして私が来た!!!」

 ゼルドームは顔を真っ赤にして白目を剥く。しかし、ラルバが同時に回復魔法を使っているため、死ぬことも気絶も出来ず只管(ひたすら)に鼻息荒く(もだ)えるしか無い。

「お前はアビスに負けたんだよ……!!平和なこの国でのんびりと悪食に垂涎し!その身に余る力に胡座(あぐら)をかき!!優秀な人間を文字通り食い潰してきたクソ豚野郎が!!!絶対に命令に逆らえない使い捨ての性奴隷1人に負けたんだよっ!!!」

 ラルバは大きく振りかぶるとゼルドームの背中に自らの手を突き刺し、比喩などではなく“心臓を鷲掴み”にする。

「…………っ!!!っ!!!っ!!!」

 ゼルドームは余りの激痛に身体を大きく揺らして涙する。しかし想像を絶する痛みと苦しみにもがこうが、椅子に縛りつけられた身体では身体を捻って苦痛を逃すことは叶わず、指先を伸ばすことが限界である。

「この世で最も苦しい死に方の一つに、焼死に次いで窒息が挙げられる。そして、最も痛い病気の中に挙げられている心筋梗塞。丁度今お前が受けている苦しみに限りなく近いだろう。だが心筋梗塞は他の疼痛(とうつう)と違い、苦しみから解放されるタイミングが早い」

 ラルバが心臓をぐりぐりとこね回すと、それに合わせてゼルドームが大きく震える。

「だが、それをもし回復魔法で延命させたらどうだ?ククク……コレは盗賊の国、“一匹狼の群れ”で学んだんだが、間違いなく世界で1番の苦しみと言って差し支えないだろう。数多の善人を食殺してきたお前にお似合いの末路だ」

 指先に魔力を集中させ、通常であれば50人がかりで行うような最高位の回復魔法をかけ続ける。しかし本来回復魔法とは直接患部を刺激するものであるため、同時に麻酔代わりの混乱魔法や痛みそのものを取り除く拘束魔法を併用することが一般的である。ゼルドームにとって今の状況は、麻酔なしで行われる解剖手術も同然であった。

「私とて首吊りだけでも1時間耐えられん苦しみだ。あれに心臓の苦しみとなると、10分耐えられんだろうな。あれは苦しかった。まあお前のようなクズには最低でもあと”5時間“は生きながらえてもらうぞ。私の魔力が続く限り付き合ってもらう」

 ゼルドームは椅子をガタガタ揺らして抗議するが、余りに微弱な抵抗は返って苦しみを助長させる。

 

 衛兵達が隠された入り口から神の食卓の扉を開き、最高位の回復魔法の余波で未だ意識を保っている死体寸前のゼルドームを見つけたのは、ラルバ達がヒトシズク・レストランを立ち去ってから1週間も後のことであった。



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27話 ヒトシズク・レストラン

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〜ヒトシズク・レストラン ゴミ処理場〜

 

 無機質で巨大なコンクリートの部屋に、今日も国中の生ゴミが集められる。鼻腔を抉る悪臭を伴って、真下に転がるアビスに覆い被さる。

 首から下を細切れにされたアビスに腐った汚物を除ける術はなく、腐敗した異臭の塊が美しい顔にボチャっと落ちる。そして、生首に意識を保とうと消費した莫大な魔力の反動で目を閉じた。

 今日まで悪逆無道の限りを尽くしてきた。命令に逆らえなかったと言い訳をしてしまえばそれまでだが、自分の中に巣食う亡霊の幻がそれを許さなかった。数々の未来ある若人達を、夢見る職人達を、希望に溢れた善人達を――――騙し、捉え、痛めつけ、(おとし)め、悪魔も逃げ出すような殺戮(さつりく)に手を染めてきた。

 恐らくゼルドームの絶命が近いのだろう。首の認証輪(にんしょうりん)は赤く輝き、“死の魔法”の展開を始める。アビスは、ゼルドームと“愛と正義の平和支援会”の国王が話していたことを思い出す。

「使奴を隷属(れいぞく)させる際には注意点がある。それは主人の死を使奴が感じ取ると、自分に“死の魔法”をかけちまうことだ。元はと言えば、大昔に主人のいなくなった使奴の暴走を防止するためにつけられた機能だが、今となっちゃあ邪魔でしかねぇ――――」

 そんな汚れに(けが)れた(くず)には相応しい末路だろう。アビスは惨めな最期を迎える舞台を見ようと、もう一度だけ薄目を開ける。死の魔法で急激に減りゆく魔力のせいか、今にも手放してしまいそうな朦朧(もうろう)とした意識で、何を思ったのか口元に触れた何かの残骸を(かじ)った。恐らくタンパク質を含んでいるであろう物体は、酷く()えた臭いを放ち、僅かな甘味と突き刺すような酸味と苦味で、とても人間が口に入れてよい物ではなかった。

 しかし、アビスはこの味に少しだけ覚えがあった。醜悪な肉片を吟味(ぎんみ)するように口の中で転がし、遠い昔の事を思い返していた。

 

 

 

 使奴の研究所を抜け出した時、外の世界は想像よりもずっと荒廃していた。いや、そもそも想像なんてする暇はなかったのだけれど。戦闘機が鳥の群れのように飛び交い、落下してきた爆弾や墜落機の地を揺るがす轟音が絶え間なく鳴り響いていたのをよく覚えている。

 とにかく研究所には戻りたくなかった。だから何を考えるわけでもなく、ただただ歩き続けた。廃墟とクレーターが続くだけの薄汚れた荒野を、1日、3日、1週間。今思えば――眠気も空腹も疲れも我慢できたのは、私が最初に感じた違和感のない異変だったんだろう。自分が使奴という化け物だと知るまでは、そんなこと一切不思議に思わなかった。

 海に突き当たってから海岸沿いを歩いていると、まだ半分以上は屋根が残っている廃屋を見つけた。中は腐敗しかけた木と、埃と、僅かな火薬の臭いが残っていて、家具や内壁も殆ど残っていないほぼ外壁と柱だけのハリボテのような廃屋だった。

 隅の方に残っていた小さな椅子に腰掛けて、何日かぶりに思考を再開した。

 ここはどこなんだろう。私は何者なんだろう。これから何をしよう。少しだけ研究所に戻ろうかとも考えたけど、なんだか戻っちゃいけないような気がしてやめた。

 そのまま石像のように何日も過ごした。家のすぐ側に戦闘機が墜落した時は、「ああ、どうせなら真上に墜ちてきてくれれば良かったのに」と思った。

 けどある日、突然家の扉が開かれた。10歳程の小柄な女の子が、痩せ細った身体に何か緑色の塊を抱きしめ、恐怖に染まった顔でこちらを見た。

「た、助けて下さい…………!!」

 脱水症状だろうか、呂律(ろれつ)は回っておらず唇は乾き切っている。にも拘らず両目いっぱいに涙を溜めて私を見つめる。

 事情は分からなくとも、幼気な子供を見捨てることに気乗りはせず、何日かぶりに椅子から腰を上げて入り口の扉を開ける。外には1人の男――これまたガリガリに痩せ細った浮浪者がこちらへ歩いてきていた。

「おおっ……女……?女っ……!!子供もっ!!!」

 浮浪者は私を見ると、半開きになった口から涎を撒き散らして走ってきた。思わず男の腹に蹴りを入れると、思ったより力が強かったのか、はたまた男が脆すぎたのか、裸足の爪先は男の腹に食い込み絶命させた。

 振り返ると、女の子が私の手を握ってこちらを見上げていた。私は……

 

 別に助けるつもりではなかったが、子供という存在は嫌いでは無いし、あんな浮浪者が彷徨(うろつ)き戦闘機飛び交う荒野に放り出す訳にもいかず、子供に手を引かれるまま海岸沿いを2人で歩いていた。

「こっち!こっち!ここなら安全だよっ!」

 見たところ墜落した戦闘機だろうか。女の子は手招きをして、巨大な鉄の塊に入ったひび割れから中に入っていく。遅れて入ると、中にいた人間が一斉にこちらを見た。

「なんだあの肌の色……!人間か……!?」

「生物兵器じゃねぇのか……!?」

 私を見て怯える人間たちの中、女の子は端で寝ている女性に駆け寄る。

「おかーさん!見て!鳥だよ!お腹すいたでしょ!?」

「レイン……!お前こんなもののために外へ……!!」

 そこで初めて女の子が抱いていた物が生物の死骸だと言うことがわかった。だけど、アレはもう……

「寄越せレインッ!!!」

「だっ、だめっ!それはおかーさんの……!!」

 後ろから来た大柄な男が女の子から死骸を引ったくる。

「もう“サリ”は助からねぇ!!俺達生きていける人間が食うべきだ!!」

「おかーさんの……!おかーさんのっ…………!!!」

 女の子は男の足にしがみついて爪を立てる。それを男が払い除けようと腕を振りかぶった。

「離れっ……あぁ!?」

 ――――子供という存在は嫌いでは無い。それに、圧倒的な力で弱者が虐げられるこの状況に、ただならぬ不満を感じていた。だから止めた。振りかぶった男の腕を掴み、死骸を奪い取ってから誰もいない方へ投げ飛ばした。

「これは……この子の物です」

「テメェ……!!」

 男が起き上がり再び向かってくるが、後ろに回って首根っこを引いてやると尻餅をついて倒れた。

「あまりヤケにならないでください。殺してしまう可能性があります」

 私がそう警告すると、男は不満半分恐怖半分といった顔で少し後退(あとずさ)った。私は女の子の方を向いて鳥の死骸を手渡す。

「おねーさん……!ありがと……!!」

 感謝の言葉は素直の嬉しかった。初めて心が満たされたような気がした。だから、次に発する言葉を少しだけ躊躇(ためら)った。

「でも……恐らくそれは食べられません」

「え……?」

 幼い女の子が涙を止めて脱力したことが、私には何より辛かった。

「……高濃度の負の波動と薬物に汚染されています。可食部位は……恐らく爪の先にも満たないでしょう」

 死骸から剥き出しになっている筋肉繊維を爪で削り、少しだけ口に含む。強烈な()えた臭いと、突き刺すような酸味と苦味が舌を抉るようだった。

 再び女の子が身体を震わせる。しかし、もう乾き切った身体からは涙どころか飲み込む唾も出ていない。人を殺すよりも、男を投げ飛ばすよりも、研究所に戻るよりも、ずっと一人で生きていくよりも……今が一番辛かった。

 女の子が鳥の死骸をボトリと落として、その場に座り込む。母親が後ろからゆっくりと這って近づき、優しく抱きしめた。

「おかーさんごめんね……!ごめんね……!」

「いいんだよレイン……私はお前さえ居てくれたら……!」

 私に何かできないだろうか。多分私は他の人間とは違う。何か、何かあるはずだ。この人たちを救う方法が。

「……少々お待ちを」

 私は鳥の死骸を拾って、腹に切れ目を入れて左右へ引きちぎった。どこか食べられる部位はないだろうか。汚染はどうすれば除去できるだろうか。どうにか……どうにかして……そうだ、生き返らせれば新陳代謝で波動汚染はなんとかなるかもしれない。あとは回復魔法と反転魔法で薬物を無毒化できれば……

 異能を使い握っていた死骸が脚をバタつかせて蘇ると、女の子を含め全員が怯えて私から離れた。しかし今はどうだっていい。女の子の喜ぶ顔が見たかった。私はもう、あの時に「ありがとう」の虜になってしまったのかもしれない。

「……コレで恐らくは食べても問題ありません」

 独特の臭気を放つ緑の奇怪な死骸だった塊は、茶色い鴨に戻り脚を痙攣(けいれん)させている。すると、横にいた男が恐る恐る近づいてきた。

「あ、あんた……何をした……!?」

 多分普通では無いことをしたのだろう。これ以上怖がられないためにも正直に答えた。

「生き返らせて回復魔法と反転魔法で無毒化しました。私は多分皆さんにできないことができます。でも安心して下さい。私は皆さんの味方です」

 私はそのまま立ち上がり背を向けて拠点の外へ出た。

「どっどこへ行く?」

「料理します。少々お待ちを」

 海水を蒸発させて得た塩。比較的香りの良い野草。出来ることは少なかったが、最低限“料理”と言えるものにはなったと思う。食べやすく割いた鴨を葉に乗せて女の子の元へ戻った。

「どうぞ。最低限料理とは呼べるはずです」

 母親の前に差し出して食べるよう促す。

「レイン……お前から食べな。お前の捕ってきた物なんだから……」

「ううん!おかーさんにあげる!食べて!」

 私も女の子のために口添えをした。

「食べて下さい。コレは貴女のものです」

 母親は少し躊躇(ためら)ったが、「ありがとう」と呟いて一欠片だけ口に含む。

「……美味しい。……こんなに美味しい物を食べたのはいつぶりだろうねぇ……」

 母親は目から一粒の涙を溢してゆっくりと咀嚼(そしゃく)する。

「ほら、レインも食べな……とっても……とっても美味しいよ……!」

「どうぞ」

 私も女の子が遠慮しないように差し出した。女の子も小さい欠片を遠慮がちにとって口に入れる。

「……おいしい!」

 女の子がこっちを見てニッと笑った。私は……もうこの感動から逃れられないかもしれない。

「おねーさんも食べて!」

「いや、私は……」

「食べておくれ。貴女がいなけりゃ、絶対にありつけなかったご馳走なんだから……」

 食べ物を必要としない私が食べるのは勿体ないと躊躇(ためら)ったが、2人の好意を無下にする訳にもいかず「では一口だけ……」と、少しだけいただいた。

 お世辞にも美味とは言えないただの塩味。パサパサで臭みも強く、さっき自分で言った“最低限料理とは呼べる“という発言を撤回したくなった。でも――――

「おいしいです」

 確かにアレは”ご馳走“だったと思う。

「みんなで食べよう!ちょこっとになっちゃうけど!みんなで!!」

 女の子は立ち上がって周囲の人間を手招きする。皆顔を見合わせて一瞬考え込むが、すぐに立ち上がって料理に群がった。

「うめぇ……!うめぇ!!」

「ああ……肉なんて何年ぶりだ!!」

「ここでビールでもグーッとよ!!あ……何でもねぇ……」

「美味い……美味いなぁ……!!」

「みんな美味しいって!お姉さんありがとう!!」

 また胸が締め付けられるような感触がした。とても心地よい苦しさ。私は少し席を外し、外に置いてきたもう一品を取りに行った。

「どうぞ。少ないですが、栄養価は高いです」

 鳥の骨と、植物の根を煮込んだだけの簡素なスープ。ないよりは良いだろうと思い、最も栄養を必要としている母親に手渡す。

「コレも分けよう!」

 女の子が立ち上がって周りの人間に振り向く。

「こ、これをですか?一人スプーン一杯程しかありませんよ?」

「スプーン一杯でも!みんなで分けよう!」

 コレには流石に皆面食らって口を半開きにするが、女の子は手作りと見られる食器を何個も持ち出し、スープを(すく)っては一人一人順番に手渡す。

「はい!」

「ああ……い、いいのか?」

「どうぞ!」

「あり、がとう……」

「どーぞ!」

「……ああ。ありがとう」

 

「じゃあコレおかーさんの分!みんなよりちょっと多いよ!」

「ああ……ありがとう。レイン」

 結局母親の元に残ったスープは一口ほどだったが、私はもう何も思うことはなかった。私は、今日やっと生きる意味を見出せた。

 

 

 

 それからというもの、使奴特有の身体能力は集落の発展に大きく貢献した。昼夜を問わず食料を探し、空襲や天災からみんなを守れるだけの力が私にはあった。魔法をたくさん使うと目に見えて疲れるし身体も脆くなるけど、みんなが私を心配してくれたからどうってことなかった。それに、数年経つと他の使奴とも出逢えた。

 ”ヴァルガンさん“は正義感に溢れた良い人だった。彼女の置いていった紋章のおかげで他の集落にも顔が利くようになった。”イチルギさん”はそっけない人だけど、目線や振る舞いから仲間を気遣っているのが良くわかる。その細やかな気遣いに言及するとすごく怒られたけど、彼女の良いところだと思う。“ジルファさん”や“カースさん“はあまり誰かと話したがるような人じゃなかったけど、2人とも人との付き合いが苦手なだけで周りに誤解されているんだと思う。最近やっと材料が揃って作れるようになったケーキを食べさせたら、2人とも照れながらお礼を言ってくれた。”ガルーダさん“という人は一方的に色々聞いてはくるけど自分のことは何も話してくれなかった。今度会ったらもう少し仲良くなってみたい。”ベルさん”は気のいい頼れるお姉さんといった感じで、とても優しい人だった。なにより、彼女に教えてもらった使奴についての情報はとても役に立った。

 

「”アビス“さん!!見て見て!!やっとできたの!!これが“レイン・フォーン・クレシェンド”ちゃんの第一歩となるのです!!」

「おお……これがレインさんのお店ですか。ご立派ですね」

「でしょでしょ!?んもー働いたお金ぜーんぶなくなっちゃった!!」

「えっ……それは大丈夫なのですか?」

「大丈夫じゃなきゃ困る!!それに困ったらアビスさんが何とかしてくれるんでしょ?」

「……レインさん。いつまでも私に頼ってばかりでは――――」

「冗談だってばー!大丈夫!きっと上手く行く!私がずっと夢見てきたことなんだから。世界中の子供達をお腹いっぱい……は――無理でも!みんなが一緒に笑顔で食べられるような世界になって欲しい……ここから、ここから始めるんだ」

「……素敵ですね」

「アビスさんが教えてくれたんだよ?覚えてる?出会った日のこと!」

「もちろん覚えていますよ。それに……レインさんの夢は私の夢でもありますから」

「アビスは自分の夢を持ってよ!こっちは私で頑張るから!」

「ふふ……期待していますよ」

 

 

 

「…………死にたくない」

 アビスは生ゴミに埋もれたまま、無いはずの首から下をもがき歯を食い縛る。

「嫌だ……まだ死にたくない……!!だって……!!だって…………!!!」

 目を見開いて、僅かに開いた生ゴミの隙間から天井を見上げる。

「まだ……!まだ、お腹を空かせた子供達が…………!!たくさん…………!!!」

 その呟きを皮切りに、天を貫くほどの大声で叫ぶ。

「誰かっ!!!誰か助けてっ!!!誰かぁっ!!!」

 アビスの細切れになった身体が少しずつ、死の魔法特有の朱色の炎を発し始める。

「お願いっ!!!誰かぁっ!!!」

 また新たな生ゴミが排出され、アビスの顔面に覆い被さる。その直後。

「喚くな。まだ間に合う」

 金髪の男が生ゴミを退けてアビスの生首を掘り起こした。

「アナタは……ラルバ様の――――」

「喋るな。意識を保つことに集中しろ」

 ラデックは火のついたタバコをアビスに咥えさせ、首の認証輪に手を当てる。

「バリア!!埋もれた残りのアビスの身体を!!」

 後ろにいたバリアは黙ってラデックに近づき、足元を掘り返し始める。

「いいかアビス。ゼルドームはまだ死んじゃいない。奴から伝わってくる波導の弱さで勘違いしているかもしれないが、ラルバがあの悪党をそんなに早く殺す筈はない。自分に言い聞かせろ」

 ラデックが認証輪を素早く左右に回転させ、ダイヤル錠を開けるようにまさぐる。

「使奴に設定された死の魔法の発動条件は“オーナー登録者の死亡”だ。発動タイミングは個体差がある、生きのびる自分をイメージしろ。アレだけ叫べるってことは何かしらあるだろ。それを強くイメージしろ」

 アビスは目をギュッと(つむ)って思い浮かべる。あの日の誓い。自分の生きる意味。

「ラデック。身体揃ったよ」

 何も持たなかった私に、生きる意味をくれた人。

「でかしたバリア。身体は俺に任せろ。あとはお前の気力次第だ。アビス」

 レインさんの。私の親友の叶えられなかった夢を。

「お前のしたいことは何だ」

 私のしたいことは。

 

 

 

 

 

 

「それでね!聞いて聞いて!!お店の名前なんだけど!!」

「ああ、なんだかここ暫くうずうずしてましたね」

「そう!そうなの!もう言いたくてしょうがなくって!!ここはねぇ――――昔、アビスさんに作ってもらったお肉とかスープみたいに、みんなで一緒にご飯を食べられる場所にしたいの。例え一欠片のお肉でも、スプーン一杯のスープでもみんなで分け合える場所。その名も!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ヒトシズク・レストラン!!!」

 

 



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28話 各々の役目

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〜ヒトシズク・レストラン 高級ホテル「大食館(たいしょくかん)」〜

 

 煌びやかな食堂のテーブルを埋め尽くす料理の数々。ファストフードから皇帝に献上する高級料理まで、ありとあらゆる食材と技術を余すことなく詰め込んだグルメの国の集大成が津波となって押し寄せている。

 とっくに食事を終え優雅にワインに口をつけるハピネスは、満面の笑みで料理を食べ続けるイチルギを静かに見守っている。

「使奴はよく食べるな……本当に」

「だってこんないっぱい来たら食べないわけには――――あー!コレって“山鯨(やまくじら)”のお刺身じゃない!?すごーい初めて見たーっ!」

 子供のようにはしゃぐイチルギとは対極的に、静かに黙々と料理を食べ進めるバリア。そこへアビスが後ろから近寄って顔を寄せる。

「バリアさん。お味の方はいかがですか?」

「おいしいよ」

「ふふっ。それは良かった」

 アビスは顔を上げて厨房の方へ歩き出す。

「そろそろ皆さんも此方へ来て食べましょう。早くしないとイチルギさんが全て食べてしまいますよ」

「私を何だと思ってるの!?」

 予想外の冗談に堪らず声を荒げるイチルギに、アビスは悪戯っぽく笑って頭を下げる。

 アビスが手招きをすると、厨房の奥から大勢の料理人が出てきた。皆顔に大きなアザがあったり、片腕――――ないし両腕がなかったり、脚がなかったりと、五体満足の者は一人としていなかった。両目を失った者、歯を残らず抜かれた者、中には両手両足全て()がれた者――――みな、ゼルドームの拷問にかけられていた料理人たちであった。

「い、いいんですか?アビス様……命の恩人をもてなす料理なのに……」

 料理人達は足を止め、互いに顔を見合わせる。その様子を見たイチルギは、急いで口の中のものを咀嚼(そしゃく)し飲み込む。

「あーいいのいいの!ていうかここに居るの、バリア以外何にもしてないし!肝心のラルバはラデック連れてどっか行っちゃうし……」

 大袈裟に手を振って否定のジェスチャーを見せるイチルギ。それでも料理人達は動かず困惑の表情を浮かべる。

「し、しかし……」

「ラルバさん達のお仲間なら、我々の恩人に変わりはありません!」

 あまりに(かしこ)まった態度を崩さない料理人達に、ハピネスは咳払いを一つして意見する。

「あー、それは違う。イチルギはヒトシズク・レストランの調査を怠ってゼルドームの悪事を助長させた張本人だ」

 突然矛先を向けられ、咳き込んで驚愕するイチルギ。

「ちょっ、ちょっと!調査を怠ってたわけじゃないわよ!」

「わかってる。他の国の目に余る蛮行で、一見平和に見えるヒトシズク・レストランにまで手が回らなかったというのが事実だ。”スヴァルタスフォード自治区“や”グリディアン神殿“を野放しにしていたら、それこそ今以上の惨事が世界中に蔓延(まんえん)していただろう」

 ハピネスの言葉に押し黙るイチルギ。ハピネスはイチルギに「悪かった」と少し頭を下げてから再び言葉を続ける。

「イチルギはラルバの我儘(わがまま)に従い、あの快楽殺人鬼に無罪放免の人権を与え、ヒトシズク・レストランの窮地(きゅうち)を救う手助けをしてくれている」

 イチルギは不満そうな顔でワインを飲み干す。

「……別に無罪放免とは思ってないけど。馬鹿と鋏は使いようよ。重罪人として引っ捕えるよりも、毒を(もっ)て毒を制した方が有用だと思ってるだけ。それで言うなら、そもそもヒトシズク・レストランに寄ろうって言ったのはハピネスじゃない。この国をラルバに救って欲しかったんでしょ?」

「確かに、ラルバに意見をしてヒトシズク・レストランに呼んだのは他でもない私だ。でもそれは決して助けようと思ったからではない。この国の悪党にラルバがどう立ち向かうのか見てみたかっただけだ」

 ハピネスはナイフの切っ先を料理人達に突きつける。

「だから、決して感謝などしてくれるな?私とて“笑顔による文明保安教会“の王という権力者であり、世界中の悪事を見通す力を持ち――当然ここ、ヒトシズク・レストランが行っていた悪逆無道の数々を知ってなお動かなかった臆病者だ。君達が気遣う必要など微塵(みじん)もない。まあ――――この料理は頂いておくがな。それはそれ。これはこれだ」

 そう言うと、少しだけ席から腰を浮かせ手を伸ばしケーキの乗った皿を取る。

 料理人達は再び顔を見合わせるが、こちらに微笑み続けているアビスを気遣って椅子に座り始める。最初こそ喪に伏すような素振りで遠慮がちに料理をつついていたが、拷問が終わったという実感が今になって沸々と湧き始め、次第に安堵(あんど)と狂喜が入り乱れる大宴会になった。

 

 

 

 翌朝、ハピネスは薄らと(ただよ)うトーストの香りに目を覚ました。二度寝を渇望する身体に鞭を打ち、のっそりと上体を起こす。

「…………朝か」

 正確には正午寸前だが、夜明け手前まで酒に溺れていた事を加味すると中々の早起きだと思い、眠気を払うために大きく身体を伸ばす。リビングでは既にイチルギとバリアが朝食を摂っており、ラプーは相変わらず部屋の隅に座り置物と化している。イチルギはトーストを咥えたまま手招きをして、空席に置かれた朝食を指した。

「……おはよう。おや、珍しい料理だな」

「牛乳と卵に浸して焼いた甘いトーストです。ここでは一般的ですよ」

 キッチンから説明と共にアビスが顔を覗かせる。

「おはようございますハピネスさん。今朝はよく眠れましたか?」

「ああ、お陰様で。……アビス、こんなところでのんびりしてて良いのかい?」

「その事なんですが……」

 アビスはエプロンで手を拭きながら咳払いを一つ挟み、真剣な表情で4人を見つめる。

「私も皆さんの旅に連れて行ってください」

 その申し出には誰も驚かず、イチルギだけが少し怪訝(けげん)そうな顔をした。それを見たアビスは慌ててイチルギに詰め寄る。

「めっ、迷惑でしたか!?決して足手(まと)いにはなりません!」

「いや!いやぁ〜違うのよアビス?」

 イチルギは顔の半分を抑えながら、眉間に(しわ)を寄せた目をアビスから背ける。

(むし)ろ貴方みたいな良識ある人が付いてきてくれるなら私としては大賛成!何より私が動きやすくなるし、いざと言うときラルバを止める戦力が増えるのはとってもありがたい……んだけどぉ……その、忍びないって言うか……」

「気など遣わないで下さい!皆さんが来てくれなければ、私は今も操り人形だったのですから!」

 ぐぬぬと唸るイチルギに、ハピネスが満足そうにトーストを齧りながら口を挟む。

「正直なところ、“命を救ってもらったから〜”なんて理由で身を捧げるのは如何なものかとは思うが……いいんじゃないか?ついてきても。使奴が自ら力を貸すと言ってくれているんだ。こんなうまい話、乗らない手はあるまい」

 アビスはパァっと顔を輝かせてハピネスを見る。

「あっありがとうございます!」

「どういたしまして……だが実際に判断するのはラルバとラデックだ。バリアとラプーは何も言わんだろうが、ラルバはともかくラデックも多少、一般とはかけ離れた考え方をすることがあるからな。説得する必要があるかも知れんぞ」

 未だに顔を(しか)めて悩むイチルギの後ろから、扉を開けてラデックが部屋に入ってきた。

「皆ここにいたのか、随分探した。アビス、身体の調子はどうだ」

「あっ、はい。お陰様で不調は一つもありません。それで、一つお願いが……」

「最後の方だけだが聞こえてきた。いいんじゃないか?寧ろ願ってもない僥倖(ぎょうこう)だろう」

「ほっ本当ですか!?」

「ああ。もうすぐラルバも来るから頼んでみるといい。断る理由は無いはずだ」

「ありがとうございます!私っ必ずお役に立ちます!」

「俺たちの旅で役に立つとなると、あまりいいことでは無いがな」

 目を輝かせて喜ぶアビスの横で、イチルギがラデックの手を引いて顔を寄せる。

「いやいやラデック……本当に連れて行く気?」

「何か問題があるのか?」

「いやそういうんじゃないけど……言わば私達ってラルバのお遊びに付き合わされてるわけじゃない?そこに彼女の人生を巻き込むのはちょっと……」

「それを判断するのはラルバだ。アビスがラルバのお遊びに付き合うと言っている以上、俺達に判断を下す権限はない」

「いやそれはそうなんだけど……なんか申し訳ないじゃない?」

「俺はラルバに脅されて同行しているからな。その理屈はよく分からない」

「あー……そういえばそうだったわね……」

 ラデックとイチルギが話をしていると、粗暴な足音と共にラルバが部屋の扉を開いた。

「たっだいまー皆の衆!あれ?アビス?」

 上機嫌なラルバに、アビスが駆け足で近寄り手を握る。

「ラ、ラルバさん!ご迷惑を承知でお願いしますが、私も旅に同行させていただけませんか!?」

「え?やだ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 当然のように拒否したラルバに、バリアとラプー以外の全員が目を丸くした。まさかこんなにもあっさりと却下されると思っていなかったアビスは、動揺を隠すそぶりもなくラルバに問いかける。

「な、何故……かっ必ず役に立ちますから……!」

「んー役に立つって言ってもなぁ……権力はイチルギがいるし戦力はバリアとラデックがいるし、知識はラプーとハピネスがいるしなぁ。そもそも足手纏いだから要らんと言っているんじゃあない」

「では何故……」

「いやあ、アビス。お前はいわゆる……“善人”だろう?ラデックから聞いたぞ。世界中の空腹で苦しむ人々を救う夢があるとか」

「それは、はい……」

「対する私は世界中の悪党を虐めたい――だ。世界平和じゃない。悪党を懲らしめに行けば苦しんでいる人々も沢山目にするだろうが、基本私はノータッチだ。そこでお前の我儘(わがまま)に付き合う気はないし、どっかで歯向かわれても困る」

「そんなっ命の恩人に歯向かうなど……!」

「いーや歯向かうねぇ!命の恩人だろうが恋人だろうが、悪と分かればそれを野放しにはして置けない説得したがる勧善したがる懲悪したがる目を覚ませだのなんだの言って自分の正義に染めたがる!それが善人だ――――!自分と違うってだけで思想を押し付けられちゃあ堪らないんだよこっちは」

「そんな……私は……」

「それにアビス。この国はどうする?イチルギが言ってたぞー“綱渡りしながら雨粒避け続けるような経営”だと。お前以外に担える奴がどこにいる?」

「もとよりこの国の運営から私は降りるつもりで……」

「見捨てるのか?この国を?未だどっかで明日の飯も買えず土壁煮て食う貧乏人は大勢いるだろう!自分の夢を叶えるならまずはこの国を救ってからじゃあないのか?」

 余りにアビスに対して攻撃的な姿勢を見せるラルバに、イチルギが文句を言おうと立ち上がるがラデックが引き止める。

「期待させるような事を言った俺が悪かった。アビス。実際俺たちの旅は決して善行じゃないし、アビスの望むような旅路には決してならないだろう。しかし言い過ぎだラルバ。何をそんな邪険にしている」

 ラルバが椅子にふんぞり返って座り、傾けユラユラとバランスを取る。

「邪険にもするさ。私は元より善人が好きじゃあない。期待とか尊敬とかの眼差しを向けられるのが嫌なんだよ」

「ラルバ」

「わーかってるよぉ!だから手も出してないし無視もしてないだろうがぁ!最低限の礼儀は取ってる!会話もしてるし追い出しもしない!ただついてくるなって言ってるだけだ!」

 アビスは不機嫌なラルバから離れ、気まずそうに手を胸の前で組み合わせる。

「す、すみません……私」

「あー気にしないでアビス!ラルバは全体的に思想が子供だから!」

 イチルギが慌ててフォローに入り、アビスを慰める。ラルバはムスッとしたまま、イチルギの冷ややかな目線を気にもせず帰りがけに買ってきたブロック肉を生のまま齧り出した。

「……子供って言うより猿ね」

うーへー(うるせー)うーへー(うるせー)

「ていうか善人がダメなら私も置いてってよ!自分で言うのもなんだけど私超善人でしょ!?」

「イチルギのことは喋るマスターキーだと思ってるから思想は気にしてない。存分に善人を気取るといい」

「コイツ……!!!」

 ラデックは笑顔のまま拳に爪を食い込ませるイチルギの手を抑え、コーヒーに口をつけてから若干眉間に皺を寄せて目を(つぶ)る。

「すまないが意見を変えさせて欲しい。アビス、貴方は俺達に着いてくるべきじゃない」

 アビスは何も言わずに(しばら)く立ち尽くしてから、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。それに合わせてイチルギも同じく頭を下げる。

「ごめんなさいアビス……ホラ!アンタも謝るの!」

 イチルギが肉を齧り続けるラルバの頭を押さえて、無理やり頭を下げさせる。

「なんでぇ!」

「なんでかは分かるでしょうがぁ!!」

「私悪くないもん!」

「うっさい!!」

 大声で怒鳴り合う2人を見て、これから先の旅路を(うれ)いて溜息を漏らすラデック。ふと隣を見ると、アビスが微笑みながら2人のやりとりを眺めていた。

「今でもアレについて行こうと思うか?」

「……ええ。なんというか、レインさんの話覚えてますか?」

「ああ。ゼルドームの祖先でヒトシズク・レストランの創始者」

「はい。レインさんもそうだったんですが、ラルバさんは少し似ているんだと思います」

「……それは――――主に、元気な所とかか?」

「ふふっ、まあ言ってしまえばそうなんですが…………2人とも、放って置けないんですよね」

「確かにラルバは放って置けない。尋常じゃない数の死人が出る」

「ふふっ、また近々会いに行きますよ。今がその時じゃないだけなんでしょうね。きっと」

 不思議なアビスの物言いに、ラデックは首を傾げてからラルバを見る。イチルギと取っ組み合って罵声を飛ばす姿は、イチルギの言った通り子供そのものであった。

「離れてても力になれることはきっとある筈です。私はここから皆さんのお手伝いをさせて頂きます」

「……ああ。よろしく頼む」



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クザン村
29話 生贄の村


毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


 

鬱蒼(うっそう)とした森〜

 

 グルメの国を去った一行は、当初の目的であった”ハザクラ“という男に会うために”人道主義自己防衛軍“を目指していた。永年鎖国の軍事大国への馬車――――ましてや娯楽の象徴であるグルメの国からの馬車などそうそう巡り会えるわけもなく、もう何日も不気味な森林地帯を歩き続けていた。

 整備などされているはずもない凸凹のジャングル。剣山のように密集して地に根を張り巡らす木々に足を取られ、幹に絡まる蔦が数少ない日向を求めて空間を埋め視界を遮る。むせ返るほどの湿気に湧き出る虫の大群。それらを求めて飛び交う鳥の“落とし物”が、歩き通しで死にかけているハピネスの美しい金髪に着弾した。

「ハピネス。大丈夫か?」

 ラデックは垂れた前髪で伺うことのできないハピネスの顔色を察し、覗き込むように尋ねる。ハピネスは一言も発することなく首を振って決死の意思表示をする。

「流石にキツいか――――ラルバー!!ハピネスが死にそうだ!!どこかで休憩を挟もう!!」

 そうラデックが叫ぶが、既に遠く離れた見えなくなっているラルバは返事を返さない。ラデックは「まあ大丈夫だろう」と呟き、まだ姿がみえているバリアに「止まれ」とジェスチャーをする。バリアのそばにいたイチルギもラデックの方に振り向き、周囲を見回して休憩地点を探している。

 

「――――っはあ!はあっ……はあっ……」

 水筒に口をつけたハピネスはそれを一気に飲み干し、溺れかけたかのように荒い呼吸を繰り返す。ラデックとイチルギが極相林(きょくそうりん)の一部を刈り取って作った平地にテントを立て、ハピネスは数時間ぶりに尻を地につけ上を向く。

「はあっ……はあっ……足手纏いですまない……」

「気にするな。どうせ夜になれば皆の汚れを払うのに俺も死にかける」

 ラデックはそう言いながらハピネスの体中についた汚れを、異能で結晶状に変化させて叩き落とす。密林を涼しい顔で進んでいたラデックも、たったそれだけの作業で額に汗を浮かべながら大きく深呼吸をする。

「もう姿は見えないが、ラルバも俺達が歩き出すまでは先でじっとしているだろう」

 その呟きに応えるようにテントの入り口が少し開かれ、外にいたイチルギが顔を覗かせる。

「いや、さっきラデックがラルバに休憩しようって言った時返事してたわよ。先に行ってるぞーって。私このままトンズラしていいかしら?」

「ラルバとハピネスから逃げ切れる自信があるならそうするといい」

「そうなるわよねー……あーもう虫がうざったい!」

「虫除けの術が切れたか?早いな」

「いや、その辺飛んでるだけでも充分嫌じゃない?」

 イチルギは鬱陶(うっとう)しそうに眼前を手で振り払う。追い払われた豆粒ほどの羽虫は息を切らしているハピネスの首筋にとまり、腹部の先端から毒針を突き出し皮膚に擦り付ける。虫除けの術で身体を防護しなければ、あっという間に毒が身体中に巡り卒倒する猛毒。しかしハピネスは毒虫の攻撃を全く意に介さず、スキットルに入った栄養酒をちまちま(すす)っている。

「……どうしたイチルギ。飲みたいのか?」

「いや、ハピネスって虫とか平気なのね……」

「ん?ああ……」

 ハピネスは首筋で毒針を振り回している羽虫を指でつまむ。羽虫はハピネスの指を(かじ)りながら毒針を擦り付け暴れている。

「あー……針ごと毒袋を引き抜けば食べられそうだな。今は必要がないから食べはしないが――――先導の審神者(さにわ)になったばかりの頃は酷い待遇だったからな。虫は貴重な栄養源だった」

 そう言って羽虫をテントの外へ放り投げる。それを見ていたイチルギは、顔の中心に(しわ)を寄せて渋い表情を作った。

「……(たくま)しいわね。あ、ラルバがすっ飛んできた」

 イチルギの呟きから数秒もせずに、木から木へ飛び移り密林を縦横無尽に駆け巡るラルバの姿が見えた。ラルバは勢いよく大木を蹴り付けて放物線を描き、ラデック達のテントの前に着地する。

「村があった!さあ立てハピネス!すったか走れ!」

 些細(ささい)な吉報とこの上なく残酷な命令に、ハピネスは(うつろ)な微笑みで首を横に振る。

「今から歩くと日没までに間に合わん!今晩くらいはあったか〜い風呂に入りたいだろう?」

「水魔法でなんとかするさ……苦難は乗り越えられるが……三途の川は渡れん……」

「じゃあ特別におぶってやろう。ほら乗れ」

「いや……あれはもう勘弁してくれ……」

 しゃがんで背中を向けるラルバを見て、ハピネスはグルメの国を発った直後のことを思い出す。使奴の身体能力をフル活用した急加速と急停止、化け物じみた跳躍に揺さぶられる脳と内臓のダンス。あまりの速度に呼吸を拒む肺。出国して10分経たずに満身創痍(まんしんそうい)になったトラウマがハピネスの背筋を撫でた。

「ええ〜わがままばっかりぃ〜」

「アンタが無茶するからでしょ!ハピネスこっち乗んなさい。ゆっくり行くから」

 そう言ってイチルギが手招きしてしゃがむ。

「すまない………………速いのはいいが、急停止とジャンプは加減してくれるか?」

「こういうのは経験あるから大丈夫よ」

 ハピネスを背負って茂みを踏み倒しながら走り出すイチルギ。少し遅れてラデックはテントを畳んで魔袋(またい)にしまい、ラルバと共に村を目指して進み始めた。

「ラデックー。ハピネスも改造でどうにかならんか?せめてお前ぐらいの身体能力がないと、多分この先死ぬぞ」

「他人の身体だからな。うまく改造()れる自信はないし、元に戻せる保証もない。誘った責任としてラルバが守ってやれ」

「むぅ」

 

 

 

〜クザン村〜

 

 簡素な平家が乱雑に立ち並ぶ秘境の集落に当然電気や水道などの設備はなく、僅かに泥濘(ぬかる)んだ通りには奇妙な形の毒草が点々と顔を覗かせている。度重なる修繕でツギハギになっている木造建築の中では、黄ばんだ薄布を一枚だけ(まと)った10代後半の少女が焦げ付いた鍋で湯を沸かしている。

「こんな物しか用意できませんが……どうぞ」

 歩くたびに家鳴りが響く廊下を通り、今にも壊れそうな椅子とテーブルに素焼きのカップを並べる。

 風貌(ふうぼう)からして相当な物好きか、はたまた自己陶酔に毒された愚かな旅人は、若干の汚れが浮いた白湯に近い茶を手に取り躊躇(ためら)いもせず一気に飲み干した。

「うん!お湯だな!」

 そう言ってラルバがニカっと笑うと、隣に座っていたイチルギがラルバの後頭部をパチンと叩く。

「アンタには礼儀ってもんがないのか!」

「いやコレ出す方が礼儀ないだろ」

 嘲笑する用に眉を八の字に曲げたラルバが周りを見ると、バリアとラプーは既に飲み干していたが、ラデックとハピネスは水面をじっと見て固まっているだけであった。

「ほら」

「…………」

 複雑そうな顔で黙り込むイチルギに、茶を用意した少女は申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません本当に……とてもお客様にお出しできるような物はなくて……」

「えっ?あー!いいのいいの!ごめんなさいね!?」

 慌てて少女と同じように頭を下げるイチルギをラルバはニヤニヤしながら見下し、ラデックの分のお茶を下品に(すす)り出した。

「んふふふふふ。こんなきったない村に礼儀など(はな)から求めているものか」

「そういう事言うなっつーに!!」

「すみません本当に……」

 

「それで……皆さんは何故この村にいらっしゃったのですか……?」

 今にも消えてしまいそうな少女のか細い声に、ラルバがあたりをキョロキョロと見回しながら答える。

「んー?いや私こう見えて民族学の研究者でしてー」

 唐突なラルバの大ホラにイチルギが心底嫌そうな顔をして睨み付ける。

「そこで助手のラデックくんとー念の為護衛と案内の方についてきてもらったわけなんですよー」

「どうも。助手のラデックです」

 何の疑問も持たず言われた通りの嘘に従うラデックと、同じように頭を下げるハピネスとバリア。それに(なら)いイチルギも渋々頭を下げる。

「あ……そうなん……ですか……」

「はいそうなんですよーってなわけで、暫く泊めていただけませんかねぇ?いやあこんな大人数で突然申し訳ないんですが、いかんせん職場の方には「半年は帰らない」って行き先も告げずに来てしまったもんで、元々鼻つまみ者にされていた手前頼るに頼れんのですよぉ」

 止め処なくありもしない嘘を垂れ流すラルバに、最早イチルギは顔を向けることもせずただ黙って中空に意識を預けている。少女はポカンとした顔で「はぁ」と相槌をうっていたが、暫くするとまたか細い声で話し出した。

「まぁ……主人もきっと許してくれるかと思います……こんなボロ屋で良ければどうぞ……部屋だけなら、そう狭くはないと思うので……」

「いやーありがたいっ!こんなご迷惑を聞き入れて頂けるとは――――と、ご迷惑ついでにぃ……村の軽い案内とか頼めます?」

「え……?はぁ……まぁ……いいですけど……」

 少女は再びポカンとした表情でぼんやりとした返事を返す。その気の抜けた態度とは打って変わって元気いっぱいのラルバは手を握って上下にブンブンと振り喜ぶ。

「いやもう本当に助かりますっ!あ、自己紹介まだでしたね。私“ラルバ”と申します。アナタは?」

「あ、はい。“クアンタ”と言います……」

「クアンタさん!いいお名前ですねーじゃあ案内をお願いしますっ!」

「はい……あの……主人が戻ってきた時のために書き置きを残したいので……少し待っていてください……」

 そう言ってクアンタは廊下に出ると、お辞儀を一つして扉を閉めた。するとさっきから真顔のまま硬直していたイチルギが、僅かに口を開いてラルバに問いかける。

「……民族学者(かた)ってお願いするくらいなら、何で最初っから礼儀正しくしないのよ」

 ラルバは釣り上がった口角を、より歪めながらイチルギに眼を向ける。

「んひひひ……そりゃーおイチさん……あの子がどれだけ愚かかを見るためですよぉ」

 それを聞くとイチルギは舌打ちをして「夜には戻るから」と言い残して家を出て行ってしまった。ラデックは首を(かし)げて(しば)し考え、ラルバに顔を寄せる。

「すまん。全くわからないんだが……どういう意味だ?」

「んー?他人を騙している時ってのはな、自分が騙されたと思うことはまずないんだよ」

「……クアンタが俺たちを騙そうとしている?」

 ラデックがチラリとハピネスを見ると、彼女の見えていない筈の灰色の眼が不気味にこちらを覗いていた。ラルバもハピネスの方に少しだけ目を向けて、口元を手で抑え含み笑いをする。

「そうだなー……二つだけ言うなら、さっきの白湯。飲まなくて正解だぞラデック」

「毒か?」

「まあコレは追々……それでもう一つだが、クアンタの服に書いてある文字。あれはこの村独自のものだろうな」

「読めるのか?」

「文法が全く一緒だ。片っ端から置き換えていけば必ず正しい文章になる」

「……まあそれはそうだろうが……使奴の思考能力は凄まじいな。なんて書いてあったんだ?」

「”男を楽しませて子供を産んで神のためにさっさと死ね”ってさ」

「…………じゃあ彼女は」

 (おぞ)ましい言葉を何の嫌悪も持たずに言い放ったラルバ。ラデックはクアンタが出て行った扉の方を見つめながら、次の言葉を若干つっかえさせた。

「…………生贄の村か」

 

【生贄の村】



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30話 担い手は誰?

昨日更新していなかったので今日は二回更新します。
31話は今夜11時更新予定。


〜クザン湖〜

 

「まあ案内できる所なんてここぐらいしかないんですが……すみません……」

 この村唯一の水源であるクザン湖。クアンタは持参したボロボロの魔袋(またい)を水面につけて水を汲んでいる。その様子を見て、ラデックは湖の“悲惨な状態”と交互に視線を向けて口元を押さえた。

「まさか……飲み水か?」

 湖は水面こそ透き通っているものの、その殆どは湖底と見間違うほどに茶色く濁りきった汚れが溜まっている。そのせいでクザン湖は巨大な水田のように見えており、もしも(よど)んだ泥の正体に気づかなければ、誰も湖だと思うことはないだろう。

 クアンタはハッとしたような顔をして、ラデックに向き直り否定のジェスチャーをする。

「あ、いえ、あの……た、確かに飲料水にも使いますが、その際には何度も濾過(ろか)して浄化魔法をかけます……でないと私達も毒に(おか)されてしまうので……」

「つまりその湖は“何度も濾過(ろか)した程度では決して口に出来ないほどの猛毒”なんだな?」

 ラデックの確認に、クアンタは再びハッとした顔をして口籠(くちご)もり、黙って深々と頭を下げた。

「す、すみません……飲料水としては問題ないとは言え……言わない方が良かったですね……」

 ラルバはクアンタの見ていない所で水を(すく)い、少し臭いを嗅ぐとグイッと飲み干した。それを見てしまったハピネスはギョッとした顔で硬直し、ラルバの様子を伺っている。

「ん……なんだハピネス。お前も飲むか?」

「いや、結構……その、ど、どうだ?」

「クソまずい。まあ飲んでも死なんよ……ひと月は(もだ)え苦しむだろうがな」

 ラルバはあたりを見回してからクアンタに近寄り、ニコッと態とらしい笑顔で話しかける。

「まあ飲み水くらい気にしませんよ!研究者たるもの、漠然とした嫌悪感程度には縛られません!ところでぇ〜……下流は?」

「えっと、はい?」

「海とは繋がってないのですか?地下水脈は?」

「えっと、あの……わかん、ないです……」

「これだけデカイ湖ですものねぇ。水源はどっかにあるんでしょうが、排水はどうなってるんでしょうねぇ。生態系も気になる!」

 ラルバはそれっぽく研究者っぽいことを言ってクアンタに詰め寄る。しかし肝心のクアンタは目線を下に向けて泳がし困惑の色を見せる。しかしラルバは気にせずベラベラと喋り続ける。

「これだけ色々溶け込んでいると比重も変わりそうですねぇああそれでこんなに濁っているんですね?恐らく循環も滅多にしないんでしょう普通は春になれば冬の間に冷え込んだ水が温められ一旦下に潜り混ざった後に更に温まって上昇し冬が来てもう一度冷やされ下降してを繰り返して循環しますがこれだけ濁っているということは酸素は愚か毒素も沈殿してより悪化していることでしょうしかしそれでも濁り切っていないということは多少なりとも新しい水が流入しているということであり水面が上昇していないなら排水もしているということしかしこの辺の地質的にこれだけの量を排水できるかと言われると難しいきっとどこかで地下水脈に通じてるとは思うんですが岩か何かで塞がっているとも考えられなくはない――――――――」

 息継ぎすら無しに(まく)し立てるラルバに、最早クアンタは呆然としたまま立ち尽くすしかできず、(うつろ)な目で口を半開きにして硬直している。

 ラデックがラルバの戯言(ざれごと)を話半分に聞いていると、ハピネスが木にもたれかかって休んでいるのが視界に入った。

「……座ったらどうだ?」

 ラデックは切り株を指差して促すが、未だ疲れが残っているハピネスは少し辛そうな顔のまま黙って首を振る。

「さてクアンタさん次行きましょう!」

 調査を終えたラルバはクザン湖に背を向け意気揚々と歩き出す。

「あ、はい」

 クアンタは慌てて魔袋(またい)をしまってラルバを追いかける。ハピネスも蹌踉(よろ)めきながら何とか歩き出し、杖を泥濘(ぬかる)んだ地面に突き刺し進み始めた。ラデックがそれを見送ってから進もうとすると、後ろの方でバリアがしゃがみこんでラプーの顔を覗き込んでいた。

「…………大丈夫?」

「んあ」

「そう」

 男性にしてはやたらと背の低いラプーの顔を覗き込むために汚した膝を払い、ラルバの歩いて行った方へ進むバリア。ラデックは不審に思いラプーの顔を見下ろすが、こちらを見上げるのっぺりとした中年の顔には、特に何も変わりはないように見えた。

「……何故バリアはお前を気遣ったんだ?」

「チビだからだでよ」

「……そうか」

 ラデックは首を捻って答えを考えながら、ラプーと2人でクザン湖を後にした。

 

〜担い手大堂〜

 

「クアンタさーん。ここは何ですかー?」

 村の端に位置する装飾の施された家屋。入り口の古びた看板には大きく“担い手大堂”と書かれており、あちこちに用途不明の杖や錆びついた鎧が無造作に飾られている。

「あっ。あの、そこは」

 担い手大堂を早足で素通りしようとしていたクアンタは、立ち止まってしまったラルバの質問に脂汗を浮かべながら目を泳がせる。

「えーと、担い手大堂?担い手って誰のことです?」

「あ、あの、あのですね。そこは……おきゃ、お客様などの方に用意されっされた宿みたいなもので……良ければラルバ様にと……」

 寝小便を隠している子供以上に(つたな)い演技に、横にいたラデックは気の毒になって聞こえないフリをした。しかしラルバはそんなクアンタの嘘にも何食わぬ顔で気づかない素振りを続けている。

「へー。じゃあラデック君泊まらせてもらうといい!」

「あっあのっ!そのっ、できっれば、代表者であるラルバ様に……っ」

「いやあ建築関係はラデック君の方が詳しいのだよ。それに彼は対話と同じ速度でメモを取ることができるからねぇ、出来れば私は屋外探索で彼には村民の方のインタビューを任せたい。それに何より彼には一度見たものを忘れないという特殊な能力もある!クアンタさんシャッターアイってご存知?」

 当然ながらラデックは建築は詳しくないし速記も出来ず、ましてやシャッターアイどころか昨晩の食事さえ思い出すのに時間がかかる。しかしラルバにそう言われてしまえば従わざるを得ず、ラデックは嫌そうな顔を堪えて無言の肯定をするしかなかった。

「あ、あの、その」

「構いませんよー」

 突然会話に入ってきた声。全員が声の方を見ると、1人の男性が立っていた。

「どうもー私“バビィ“と申しますー。”妻“がお世話になってますー」

 妻。その発言にラデックはギョッとしてクアンタを見た。何故ならバビィと名乗る男は、どう見てもクアンタの夫というよりは父と言うべき歳だったからである。

 10代後半の、充分少女と言って差し支えないクアンタとは対照的に、老化で後退した生え際と目尻の(しわ)。ガタガタの歯並びは煙草(たばこ)の黄ばみで余計に汚れて見え、温和で優しそうな顔立ちを台無しにしている。油脂で光を反射する茶褐色の肌に、歩く度に揺れる脂肪で大きく出っ張った腹部。その(みにく)い身体に加齢臭と煙草の臭いを(まと)う姿は、どう見ても一家の大黒柱ではなくギャンブル依存症の浮浪者(ふろうしゃ)だ。

「えっと……バビィさん。あなたが……クアンタの旦那さん?」

 ラデックが慎重に言葉を選んで尋ねると、バビィは少し恥ずかしそうにして会釈をする。

「いやあ仰りたいことは分かりますよ。私の見た目はあまり良くないと感じるでしょう。たまに他所の人と話すと毎回同じ反応を返されますから……」

「いや、こちらの責任だ。申し訳ない」

「いいんですよ。村と外の常識は少し違ってまして、ここじゃ私みたいな方が結構モテるんですよ。ね?クアンタ?」

 バビィが優しそうな微笑みでクアンタに目をやると、クアンタはニコッと笑ってバビィに抱きついた。しかし演技に極端に向いていないクアンタの表情からは、尋常じゃない嫌悪と恐怖の色が見て取れる。

 ラルバは顎を撫でながら適当に相槌を打って興味なさそうに他所を眺めているが、ラデック達にはラルバの好奇心が溢れ出す様子がひしひしと伝わってきた。

「まあ所変わればって奴ですかねぇ。前に訪れた村ではお洒落(しゃれ)のために歯を抜くだとか頬に矢を突き刺すだとか、突拍子もない奇行祭りでしたよ。それに比べりゃぁ歳の差ぐらい!些細(ささい)な問題ですねぇ」

 バビィはフラフラと退屈そうに歩き回るラルバに少し会釈(えしゃく)をしてクアンタの背中を撫でる。

「じゃあクアンタ。お客さんに失礼のないようにね」

 クアンタのバビィを見上げる可愛らしい笑顔とは裏腹に、服の裾を握る手は静かに震えていた。

 

〜クアンタの家〜

 

「では、私はお夕飯を持ってきますね……主人が作っておいてくれたそうです……少し待っていてください……」

 ラルバ達が家に戻ると、先に戻っていたイチルギが読んでいた本を閉じてクアンタに会釈をしてからラルバを睨む。

「おかえり」

「あっれぇルギルギいつ帰ってたの?」

「ハピネス。ちょっと」

 ラルバの質問を無視してハピネスの手を引くイチルギ。

「えっ?イチルギ?ちょ、ちょっと待ってくれ」

「別に何もしないわよ」

 困惑した表情で手を引かれていくハピネスをラルバが追いかけようとするが、イチルギに手のひらを突きつけられて制止される。それでも近づこうとするラルバを、今度はラデックが腕を掴んで引き留めた。

「ラルバ、イチルギに干渉は無用だろう」

「えー気になるじゃん」

「そのうち本人から話すだろ。放っておいた方がいい」

「あれぇラデックなんか知ってる?」

「楽しみにしていてくれ」

「プレゼントは家に帰る前に開けちゃうタイプなんだよなぁ……貰ったことないけど」

「別にプレゼントではないが……」

 そうこうしていると、クアンタが大きなお盆に人数分の夕飯を持って部屋に入ってきた。

「お待たせしました……あれ?お連れの方は……」

 クアンタがあたりを見回すのと同時に、ハピネスが玄関からふらりと入ってくる。

「おっと……ああ、すまない。少し席を外していてね」

 何事もなかったかのように椅子へ腰掛けるハピネスに、不機嫌そうなラルバが詰め寄って顔を覗く。未だ生々しい火傷の痕には眉毛も睫毛(まつげ)も生えてきておらず、(いびつ)(まぶた)が緊張で僅かに痙攣(けいれん)している。灰色に濁った眼玉は失明しているにも拘らず、ラルバを警戒するようにじっと目を合わせる。

「……な、なんだ?」

「イチルギとなにを話した?」

「いや……何も……?」

「ふぅむ……そうか」

 ラルバは不満そうに頭を掻いて椅子の上であぐらをかく。クアンタが不機嫌なラルバに恐る恐る料理を差し出して、お盆で身体を守るように抱える。

「ど、どうぞ……“らぷら”の煮付けです……一応この村ではこれを主食としています……」

 ラルバ達の目の前に出された魚の姿煮は香ばしい匂いと湯気を纏い、食欲を(そそ)る赤褐色のスープから顔を覗かせている。ラデックが手を合わせてから食べようと箸を持つと、ラルバが自分の皿そっちのけで横取りし、煮付けの上半分を骨ごと噛みちぎった。

「いただきまふ……んぐ……食ったことあるなコレ。なんだっけ」

 小さい(なまず)のような魚の鋭く尖った中骨をものともせずバクバクと喰らうラルバに、ハピネスは食べる素振りもなく煮付けを見つめながら答える。

「この村では”らぷら“と言うそうだが……一般的には”山鯨(やまくじら)“や”岩鯨(いわくじら)“と呼ばれる魚だ。通り名だと総称して“トコネムリ”とも呼ばれる。この小ささだと岩鯨の方になるのだろうか」

「ああ、あっち(グルメの国)で売ってたやつか。でもコレそんな美味くないぞ?なあバリア」

 ラルバの真似をして“らぷら”を骨ごと食べているバリアは、目を伏せながら静かに(うなず)く。

「すみません……こんな物しかお出しできなくて……すみません……」

 再びもてなしに文句を言われたクアンタは、申し訳なさそうに何度も頭を下げて謝る。しかし、ここに自らを弁護してくれていたイチルギは居らず、ラデックもハピネスもクアンタの方へは意識を向けずに沈黙している。そんな気まずい空気の中でも平然としていたラルバは、自分とラデックの分の煮付けを数分でペロリと平らげ、ハピネスとラプーの分の煮付けを当然のように奪い取る。

「クアンタさーん、コレも湖の?よくあんな汚ったないとこで獲ったもの食べる気になるね」

 突然話を振られたクアンタはビクッと身体を震わせ、またしても挙動不審に身を揺らしながら目を背ける。

「あ、あの、はい、すみません……でっでも解毒はちゃんと……して……ある、と、思い……ます……」

 (しき)りにお盆を持ち替えて、わざとなのではないかと思うほどに目を泳がせるクアンタ。その明らかに嘘をついている態度に、またしてもラデックは頭を掻いて困惑の色を示す。基本的にラルバが知らぬフリを通すのであれば自分も騙されたフリをするのだが、ここまであからさまに嘘をつかれてしまうと騙される方が不自然である。

 

「嘘だな」

 

 突然のラルバの言葉に、クアンタはのしかかる感情に絡まり石のように固まる。(まぶた)を痙攣させ滑稽(こっけい)な表情を浮かべるペテン師をラルバが睨むと、クアンタは顔を真っ青に染めて歯をガチガチと打ち鳴らして震え始める。そしてあまりの恐怖に、ラルバが席を立っただけでその場にぺたんと座り込んでしまった。

 あまりに情けなく崩れ落ちるクアンタに、ハピネスが非情な追い討ちをかける。

「……トコネムリは雑食で、動物だろうが植物だろうが土でも毒でもなんでも食べてしまう。例え病気だろうが猛毒でその身を犯されようが捕食と繁殖に支障をきたすことは無い。だからヒトシズク・レストランで出されるトコネムリの様に餌を厳選して、ましてや刺身で食べるとなると、この悪食の害魚が途端に高級食材になるんだ。だからトコネムリの生命力の高さなら、あの湖の汚染程度では死にはしない。死にはしないが――――あのレベルで汚れているならば、トコネムリは穴を掘って休眠状態になってしまうだろう。奴らは危険が迫ると自らをゴムのような粘液で防護して仮死状態になり、1年でも10年でも生き延びることができる。常眠(トコネムリ)と呼ばれる所以だ。故に……仮死状態で湖の底に埋まっている猛毒のトコネムリを、わざわざ何匹も捕まえて解毒して食する文化をでっち上げるのは無理があるだろう」

 ハピネスの雑学にラルバは感心して耳を傾ける。

「ほぉーん。でも私が食べた限りじゃ、私の分とそれ以外の煮付けじゃあ毒の成分が違ったな。多分私のやつだけしっかり解毒して、別の“何か”を入れたんだろう……例えば――――睡眠薬とか?」

 ラルバが座り込んでいたクアンタを見下ろすが、クアンタは糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かず茫然(ぼうぜん)と俯いている。するとラルバは膝を伸ばしたまま大きく腰を曲げてクアンタの顔を覗き込み

「代わってあげよっか」

「……え」

 突拍子もない発言に、クアンタは目を見開いてラルバを見つめる。

「クアンタちゃん。近々“担い手大堂”に行く予定だったんでしょ?代わってあげるよ」

「で、でもあそこは……!!」

 ラデックはクアンタの慌てる様子を見ながら心底気の毒に思った。ラルバに睡眠薬を盛り、自らの生贄(いけにえ)役を押し付けようと企んだのだろう。バビィが担い手大堂前に来たタイミングや、クアンタが残した置き手紙を読んで毒の煮付けを用意したところをから、クアンタがラルバを陥れる計画をバビィが受け入れたと推測できる。しかしクアンタは先程までラルバを騙そうとしていたにも拘らず、今はもう身を震わせながら目に涙すら溜めている。人を陥れるのにまるで向かない臆病なお人好し。ラルバがこの村に寄らなかった場合の未来を想像して、ラデックの同情はより深まった。

 ラルバはクアンタの震えを止めるように両肩を持って、優しい笑顔で慰めるように語り出す。

「クアンタちゃん……君が嘘を吐いていたみたいにね。私も嘘を吐いていたんだよ。私は民俗学者なんかじゃないし、ここに助手も案内もいない。私達はただ、こんな幼気な女の子においたする悪者を()らしめる正義のヒーローなのさ」

「ラルバ。嘘はよくない」

「ああそうだなラデック。嘘はよくない!と言うわけで嘘つきの死んで然るべきクソ変態ロリコンオヤジのケツの穴に何をぶち込むか!今からみんなで考えてもらいます!!」

「ラルバ。嘘はよくない」

「嘘じゃないよ?」

「嘘だと言うんだ」



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31話 踏み潰されるために生まれた命

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~クザン村 クアンタの家~

 

「ラルバ。バビィは今どこに?」

「近くにはいないよ。ハピネス、場所」

「担い手大堂の近くにいる。村の連中もその近く。暫くは平気だろう」

 未だ身を震わせるクアンタを気遣って、ラデックは目を爛々(らんらん)と輝かせるラルバを(さえぎ)ってクアンタに顔を寄せる。

「そも、生贄は何のためにある?クアンタは何のために死ぬんだ?」

「じゃ、じゃないと……(たた)りに()うんです……」

「祟り?」

「はい……お告げのあった年は生贄を捧げないと、毎回人が死ぬんです……それも1人や2人じゃありません……前回の祟りでは、村人の半分が死んでしまいました……」

「お告げとは?」

「はい。“クザンの()”がクザン様からのお告げを(たまわ)るんです。先程担い手大堂の前にいた私の夫……バビィの家系がクザンの徒なんです。お告げが来たら速やかに生贄を捧げなければなりません……」

「……生贄に反対する者もいるだろう。一体どうやって従わせるんだ」

「従うも何も、この村の女性は皆生贄として育てられ、次の“担い手”を産み落としたらクザン様に捧げられる。クザン様のご機嫌を損ねないよう、女性は衣食住から何まで全て男達に制限されて育てられ、生贄に相応しい(けが)れなき身体を保ちます。特に食事なんか、お酒や煙草は愚かお肉や魚も(ろく)に食べさせて貰えません」

「そうか…そのクザン様と言うのは?この村の守り神か何かか?」

 ラデックの問いにクアンタが答えようとすると、ハピネスが態とらしい咳払いで目線を集め割って入る。

「”魔人神話(まじんしんわ)“の派生だろうね」

「魔人神話?」

「ああ。”時の女神が空を塗り、星の魔人が地を埋める。人の魔人が世界を創り、大神様は微笑んだ“――――世界各地に広まる神話は、大体この魔人神話が派生元になっている。地方によっては星の魔人を宇宙(そら)の魔人と呼んだり、大神様を全知の魔人と呼んだり、そもそも出さなかったりもする。その他国によって様々だが、一番の共通項は”4人の存在が世界の全てを創った“という部分だ」

「魔人……そのうちの1人がクザン様か」

 クアンタは少し考えてから小さく頷く。

「多分……一応、クザン様は”空の神“とも呼ばれています……すみません、詳しくは分からなくて……バビィ達なら知っていると思います……」

「なるほど。村を脅かす魔人に生贄か……」

 そこへラルバが狂気に染まった笑みを浮かべて口を挟む。

「それでぇ、生贄はどうやって殺すんだい?」

 クアンタはその笑みに圧倒され、声をつっかえさせながらも言葉を繋ぐ。

「ほ、本当は20歳を超えた女性を、が、選ばれてっ、大堂でっ……だけ、ど……ぜん、前回の祟りで……私より年上の女の人はみんな、みんな、死んでしまいました……!だからっだから私がっ選ば、れて……!」

「いや知りたいのは殺し方なんだが」

「ラルバ。やめろ」

「むぅ……」

 語りながら堪えきれなかった涙を溢れさせるクアンタの背を、ラデックが優しく(さす)る。

「……そして、誰かがアナタを(かば)った」

「はい……妹です……ぜ、前回の祟りから生き残っていたのは、私と、妹のヨルンと幼馴染のリュアンとソーラです……それで、ヨルンが、ヨルンが私を連れ出して、担い手大堂から連れ出して逃げてくれたんです。次の日になれば、リュアンとソーラのどっちかが生贄にされるかもって事は思ってました。でも、2人は保身のために私を軽蔑(けいべつ)して……ヨルンにも酷いことを沢山言いました……だから、別に助けようとは思いませんでした……そうして、2人で隠れて、なんとか毎日生きてました……でも、でも……!ある日起きたら、ヨルンが、ヨルンが……起き、なくて……!!」

「ゆっくり話せ、落ち着いて」

「いや、すったか話せ」

「ラルバ」

「わかったよぅ」

 急かすラルバをラデックが制止しながら、クアンタの感情の起伏が収まるのを待った。クアンタは何度も目を擦りながら(つぶや)くように謝罪を繰り返し、縋るようにラデックの指を震える手で握って心を落ち着かせる。

「すみません……それで、ヨルンが死んでしまって……村の人たちにも見つかって……明後日に生贄を捧げようって時に、皆さんが、来てくれました……あ、あと生贄の殺し方でしたか……えっと……担い手、大堂、で……」

 クアンタの生贄役は既にラルバに引き継がれている。にも(かかわ)らず、クアンタは自分に起こるはずだった惨劇(さんげき)を想像するだけで過呼吸を起こし、ラデックに背中を摩られながらしゃくり上げる。そして、到底聞き取れないようなツギハギの言葉で語り始めた。

 

 クザンの徒に選ばれた生贄は”担い手“と呼ばれ、担い手大堂に軟禁される。そこで村の存続のために担い手は大堂の中で村中の男と交わり、次の担い手である女の赤ん坊と、生贄を育てる男の赤ん坊を産む。

 男女を1人ずつ産み落とす又は3人子を産んだ時点で、衰弱(すいじゃく)した担い手を湖に突き落とす。担い手は浮き上がることなく湖の底へ沈み、祟りは防がれる。

 

「これで……全、部……です……すみまっ……すみません……私……」

 呼吸を整えようと胸を強く抑えるクアンタ。そこへ、突然頭上から赤い液体が流れ落ちてきた。

「えっ、えっ?ひっ……血……!?」

 クアンタが血を振り払って上を見ると、ラルバが大きな切り傷を負った自分の腕を(かざ)して血を滴らせていた。

「何してるラルバ……!?」

「拭くな」

 ラルバはラデックの言葉を無視して、クアンタが血を拭こうと持ち上げた腕を掴む。

「ラルバ、どうして血をかけるんだ」

「だってラデック、クアンタを殴ったりしないだろう」

「どういう意味だ?」

「はいラデック。どーじょ」

 またしてもラデックと会話をせず、一方的に話を進めるラルバ。手渡された包丁は真っ赤な鮮血に(まみ)れており、ラデックは一瞬受け取るのを躊躇(ためら)った。

「これで腕を切ったのか」

「うんにゃ?腕裂いたのは爪だよ。それは凶器代わり」

「さっきから何を言ってる?」

「いや普通こうなるだろう。気のいい村人に歓迎されたと思ったら毒を盛られて死にかけて、それでラデックは腹いせに妻のクアンタを殺害。その後主犯格のバビィを殺そうと家の外に飛び出す。(だま)された側の人間としては当然の反応だ」

 狂人的な蛮行(ばんこう)から一転してマトモな想定を語るラルバ。ラデックは(しば)(うつむ)いて、小さく「なるほど」と呟く。

「と言うわけで、ラデックはクアンタ担いで村を走り回ってこい。狂気の沙汰に染まった殺人鬼を演じるんだぞ。ぶっ殺す!とか、出てこいクソ野郎!とか叫びながらな」

「とても嫌なんだが」

「村を回るときは時計回りで、担い手大堂の手前まで来たら逆回りな。そうすればバビィ達がここで眠ってる私を誘拐しやすい。あ、バリアとラプーはその辺で死んだふりでもしていろ」

「クアンタを担いで行く意味は?」

「バビィ達が今クアンタも同時に連れ去ることは考えにくいからな。殺されないようにだ。ハピネス!ラデックがバビィ達と鉢合わせないようについて行ってやれ。ついでに狂人も演じるんだぞ」

 

〜クザン村 集会所前〜

 

「オラ出てこいクソ野郎ッ!!!ぶっ殺してやるッ!!!」

 血塗れのクアンタを担いだラデックは、包丁片手に村を走り回って手当たり次第に扉を蹴破る。その顔はいつも刻み込まれているかの如く変化しない無表情とは正反対に、悪意を煮詰めた怒張が(たぎ)っている。

 その後ろから(なた)を片手に持ったハピネスが近寄り、狂人のフリをして木製の窓を叩き割る。

「コソコソ隠れてんじゃーねーぞビチグソジジイ共ッッッ!!!テメェの臭っせぇイチモツ輪切りにしてやっからションベン撒き散らして土舐めろゴルァア!!!」

 この上なく汚い暴言を吐きながら鬼の形相で鉈を振り回すハピネス。いつもの妖艶(ようえん)淑女(しゅくじょ)は見る影もなく、一切躊躇(ためら)わずに他人の財を破壊する。その姿を見てラデックは少し唖然とした。

「ハマリ役だな。ハピネス」

「ああ!大声で罵詈雑言を叫ぶのは存外気分がいいな!結構楽しい!」

「……それは良かった」

「ほら、ラデック君も急に冷静にならないの。狂って狂って」

「ぶっ殺すぞクソ野郎がぁッ!!!」

「ふふ、君さっきからそれしか言ってないね」

 悪鬼羅刹(あっきらせつ)の如く破壊と暴走を続ける2人。ラデックに担がれているクアンタは、もうとっくに思考を放棄していた。

 

〜クザン村 担い手大堂〜

 

 真っ暗な大堂の中は埃とカビ、そしてたんぱく質由来の悪臭が立ち込めており、小さく揺れる蝋燭の火だけが神聖さを辛うじて保っている。

「ゆっくり降ろせ……!ゆっくりだぞ……!」

「こっち降りたぞ……」

「マジで胸デカいな……最高……」

「おい……(よだれ)落とすな……!汚ねぇだろ……!」

 ラデック達に見つからぬよう、眠っているラルバを誘拐することに成功した村人達。ラルバを乗せた担架をゆっくりと床に下ろし、(なまめ)かしい眠り姫の身体を舐めるように見つめる。

「だ、誰からいく?」

「そりゃあ勿論(もちろん)クザンの徒であるバビィからじゃて」

「いっつもバビィからじゃん……」

「ふふふ……すみませんねぇ、いやあ役得役得」

 バビィはラルバの両手両足を鎖で拘束して、自分の服を脱ぎ始める。

「そういやバビィさん。クアンタちゃん本当に逃すんですか?」

「えー……俺こういうムッチムチのお姉さんよりも、ああいうギリ大人って感じの子の方が好みなんだけど……バビィ要らないなら俺貰っていい?」

「あ!ずりーぞ!俺にもヤらせろ!」

 全裸になったバビィは、ラルバのシャツのボタンに手をかけたところで村人達へと振り返る。

「逃すわけないでしょう。この方をクザン様に捧げたら、クアンタには次のお告げまでに産めるだけ産んでもらわないと……」

 バビィがラルバに視線を戻すと、蛇のように鋭く(よど)んだラルバの双眸(そうぼう)がこちらを(にら)んでいた。

「嘘つき」

 



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32話 祟りの正体

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〜クザン村 クザン湖〜

 

 ラルバが担い手大堂に連れ込まれた翌日の朝――――

「あー……ラデック」

「なんだ、ハピネス」

「何で釣りなんかしている?」

 やることが無くなったラデックはクザン湖に来ていた。興味本位でついてきたハピネスは、予想外の行動に首を(かし)げている。

「釣りは嫌いか?あ、やったことないか」

「いや、そうではなくて、何故釣りなんだ?こんな汚い湖で。その岩鯨(いわくじら)をどうするつもりだ?」

 ハピネスはラデックが釣り上げた数匹の岩鯨を指差して不快な顔をする。岩鯨はバケツからはみ出して逃げ出そうと身を捻らせてのたうち回っている。

「いや、昨日ハピネスが”岩鯨は雑食で土でも毒でも食べる“って言うから、本当に石や木の枝でも釣れるか試してる。ちゃんと後で湖に帰す――――ん、もう一匹かかったな」

 ラデックはしなった釣竿……よく見れば物干し竿の先に糸を括り付けただけのオモチャを後方へ倒し、釣り上げた岩鯨を陸に叩きつける。

「トンタラッタトンタラッタトンタラッタラー……トンタトンタラッタラッタ……」

 針を外しながら呟くように突然歌い始めたラデック。陽気とは程遠いラデックのイメージに驚いたハピネスは思わず尋ねる。

「ラ、ラデック君……歌なんか歌うようなキャラだっけ?」

「……?最近の人間は鼻歌とかしないのか?」

「いや、そうじゃないんだが……意外でな……何の歌なんだ?」

「んー……半分俺が作った。“トンタラッタの大冒険”という本を知って……るわけないか。200年以上前の本だしな」

「どんな本なんだ?」

 ラデックは再び釣り針を湖面に投げつけタバコをふかす。

「俺が5、6歳の頃に読んだ児童向けの絵本だ。主人公のトンタラッタという少年が苦難を乗り越える内容の。さっきの歌はそれに出てくる」

「ラデック君は今26だっけ?今でも覚えてるなんて、相当お気に入りだったんだな」

「相当お気に入りどころか、俺の生きる理由でもある」

 ハピネスはギョッとして目を見開き、眉一つ動かさず煙を吐き出すラデックを見つめる。

「そ、そんなに良い内容なのか?」

「恐らく一般的には駄作と表現されるものだろう」

「え?じゃあ何故……どんな内容なんだ?」

「トンタラッタの兄が勇者に選ばれ魔王退治に行くが返り討ちに遭い命を落とす。それで今度はトンタラッタが兄の仇を討ちに旅に出るんだ」

「随分ダークなスタートだな」

「スタートだけじゃない。道中トンタラッタは商人にぼったくられ、宿に泊まれず野宿をしていると追い剥ぎに襲われる。命からがら逃げ延びたところで兄の元仲間たちに出会うんだが、“お前の兄が弱っちいせいで俺たちは大怪我をした”と半殺しにされる」

「それ本当に児童向け絵本か?」

「恐らく苦難を乗り越えるトンタラッタを見習ってほしいと思ったのかもしれないな……降り掛かる火の粉が多すぎて前世の罪を精算させられているように見えるが」

 ラデックは遠い目をしてタバコの煙を湯気のように吐き出す。

「トンタラッタは辛いことがあると歌を歌うんだ。“トンタラッタ叩かれた。お前のせいだと叩かれた。だけどそんなの大丈夫。引きずる右足壊れた左手。(しばら)く寝てれば大丈夫。トンタラッタトンタラッタトンタラッタラー”と。そこに俺が音程をつけたのがあの歌だ」

「聞いているだけで辛いストーリーだな……もしかして最後死んじゃったりする?」

「もしかして最後死んじゃったりする」

「報われない……」

「いや、そうでもない。結局後編でトンタラッタは魔王の手下に殺されて死んでしまうんだが、それでもトンタラッタの幸せは侵されない。暗闇で一人ぼっちで死んでいくが、トンタラッタは自分の信じた幸せを疑わなかった。兄を無能と(けな)すこともなく、自分を()めた人間を恨むこともなく、自分を受け入れない世界を憎むこともなく、理想を信じて守り抜いた。俺はそこに惹かれたんだ」

「惹かれ……惹かれる部分あったか?幸せ?」

「昔から物語を読むのが好きだったが、ハッピーエンドには必ず何かが必要だ。友人であったり、恋人であったり、才能であったり、境遇であったり。生きていれば必ず良いことがあると言いつつも、幸せになれるのは皆ハッピーエンドの条件を満たした者だけだった。けどトンタラッタは違う。どんなに惨めで弱小で報われなくても、信じる心一つで幸せになった」

「……ラデック。それは盲目というものだ」

「盲目でいい。見えないのと見ないのは別だ。トンタラッタがいたからこそ、俺は生きていれば必ずある“良いこと”を探すことに踏み出せる」

 ハピネスは一通り話を聞くと、珍しく眉間に(しわ)を寄せて目を閉じ唸り声を漏らす。

「なーんだラデック。そんな理由で私の脅しに従ってたのか」

 突然割り込んできた陽気な声に2人が振り向くと、いつもと変わらぬ堂々とした姿勢でラルバがこちらを見下ろしていた。しかし、その後ろには小動物のように怯えているクアンタが無理やり手を引かれている。

「ラルバ。バビィ達はどうした」

「今から虐める。クアンタちゃんには特等席で見てもらおうと思ってなぁ」

「け、結構です……!!」

「ラルバ、よせ。トラウマになる」

「えー……めちゃんこ面白いのに……」

 ラルバが手を離すと、クアンタは小走りでラデックに駆け寄った。

「ふーんだ。いいもんねー勝手にやっちゃうモン」

 しゃがんだラルバが湖面に手をつけると、水中から氷の桟橋(さんばし)が浮かび上がる。それを合図に、村の方からバリアとラプーが簀巻(すま)きにされた村人達を引きずって歩いてきた。

 村人達は皆顔を腫れ上がらせて血を流しており、誰一人として文句を言うことなく死体のようにじっとしている。

「いやーご苦労様!じゃあこれからクザン様のご機嫌を取るために生贄でも捧げましょうかねー」

 ラルバの殺害予告に村人達は身体をビクッと震わせ、1人の男が命乞いを漏らす。

「たっ頼む……許してくれ……!」

 しかしラルバは返事の代わりに男の腹を力一杯踏み潰す。

「がああああっ!!!」

「勝手に喋るなっつーに。罰として最初はお前からだ」

「…………!!!」

 ラルバは息ができず(もだ)える男を担いで、氷の桟橋を渡って端まで移動する。

「無駄だ……!」

 そう呟いたのはバビィであった。地面に倒れ込み同じく顔をボコボコに腫れ上がらせて今にも泣きそうな顔はしているが、その中のは隠しきれない憤怒が見え隠れしている。

「無駄ぁ?何がぁー?」

 ラルバが振り向いてバビィに返事を返すと、バビィは首だけをラルバの方へ振り向いて声を張り上げる。

「クザン様は女しか供物として認めん!!男では(にえ)として認められんのだ!!祟りは防げん!!」

 ラデックの陰に隠れていたクアンタも、目に涙を浮かべながら補足し始める。

「バビィの言う通りなんです……!結局……私が死なない限りは……!クザン様はお許しにならない……!」

「クザン様なんていないよ?」

 ラルバのあまりに確信を持った物言いに、村の人間達は狂人を見るような目でラルバの方を見た。

「馬鹿者め……!クザン様を愚弄するとは……!」

「今すぐ謝れ他所者(よそもの)!!クザン様の怒りを買ったらどうする!!」

「んーそれはないよ絶対。だってクザン様なんていないモン」

 ラルバは(きびす)を返して氷の桟橋から陸へ戻る。

「まあ強いて言うなら……」

 担いでいた男を足元へ転がし、ラデックが釣りに使っていたバケツに手を突っ込む――――

「これが“クザン様”だ」

 一匹の岩鯨を村人達に掲げて見せた。

 ラデックですらその言葉に首を捻り、理解できず沈黙する。

「祟りの正体?なんてことない。ただの毒ガスだ」

 周囲の沈黙をいいことに、ラルバは岩鯨を指揮棒代わりにクルクルと振り回しながら解説を始める。

「このクザン湖だが、部分循環湖(ぶぶんじゅんかんこ)と呼ばれるものだ。普通は汽水湖(きすいこ)なんかが当てはまるのだが……クザン湖は何らかの理由で水の一部が変質、比重が変わってしまったんだろう。そのため季節による水の温度差が起こっても一部しか循環しない。最下層では毒素が溜まり続け、上層部を侵食。毒素は広がっていく。しかし、本来はそうならない。何故ならこの湖は地下水脈と繋がっているからだ。山から流れてきた水が地下水脈を通って湖に流入し、また湖底の水脈を通って川や海へ流出していく。元々はそうやって循環していたんだ。では何故部分循環湖になったのか?その原因がコイツだ」

 ラルバは振り回していた岩鯨を村人達の方へ放り投げる。地面に叩きつけられた岩鯨は、全身からドロドロとした半透明の粘液を分泌して硬直している。

「コイツらは危険を感じると、こうやって粘液を(まと)って仮死状態になるらしい。そうして自分たちが活動できる条件が揃うまで休眠し続ける――――世間では通称“トコネムリ(常眠)“と言うそうだ。湖の腐敗は、コイツらが粘液で湖底にある下流を()き止めてしまったのが原因だ。毒で休眠状態になったトコネムリは湖底の穴を塞ぐ。そしてまた毒素が増えて、余計にトコネムリは穴から出られなくなってしまう。湖が広がっていないと言うことは、恐らくどこかの地下水面と水位が同じなのかもしれんが、排水はもはや蒸発くらいでしか出来なくなってしまったのだ。溜まりに溜まった毒はいずれ毒ガスとなり、祟りとなって村を(おびや)かした。クザン村の先住民は困っただろうなぁ。そこで発明されたのが“生贄でクザン湖を綺麗にしちゃおう作戦”だ!」

 ラルバはラデックの使っていた釣竿を手に取り、釣り針にきのみを一粒刺して湖に投げ入れる。

「クザン様クザン様どうか村をお救いください〜ってな。腐った湖にキレイなお肉をたらせば〜この通り!」

 ラルバが釣竿のを引くと、僅か数秒で岩鯨が釣り針に顎を貫かれていた。

「水を堰き止めていたトコネムリは、新鮮キレイなご馳走に目を覚ます。穴は一時的に解放され排水が始まる。そして一番濃い毒が取り除かれ、毒ガス噴出のタイムリミットは延長される。食事を終えたトコネムリは再び毒に当てられ、休眠しに穴に潜って水を堰きとめる……これが、お前らが代々信じてきた祟りの正体だ」



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33話 あまりに生き生きとした生餌

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「どうせクザンの徒に伝わる“お告げ”だって鳥の大量死とかラリった猿とかだろう?毒ガスが漏れ始めれば、虫や地表の生き物は毒に侵され、それを食べた鳥含め生物の大量死を引き起こす。毒に多少耐性のある生き物は狂う程度で済むだろうな。はぁ〜あ、なぁにがお告げだ全く」

 村人達は目を皿にして口を半開きにし、ラルバが釣り上げたトコネムリをじっと見つめて呆然とする。

「こ、これが……祟り……?」

「嘘だべおい……」

「俺達……こんなん信じて……」

 しかし、そこでバビィは大きく声を張り上げる。

「だっ騙されるなっ!!お前の言うことが正しいなら、男が生贄にならない理由にはならんだろう!!」

「なるよ」

 ラルバは肩で風を切ってバビィに詰め寄る。

「クアンタから聞いたぞ。村の女は衣食住を管理されて、酒や煙草も禁止されると」

「そ、それがどうした……」

「てことは、男達は酒も煙草もやるってことだ。こんな毒(まみ)れの村で作った酒や煙草を」

 ラルバがハピネスの方をチラリと見ると、ハピネスは準備していたかのようにスラスラと話し始める。

「トコネムリは土や毒でも喰らう超弩級の雑食だが……実は、暴食という性質上共食いをしない。共食いなんてしたらあっという間に群れが全滅するからな。そしてこの湖のトコネムリは皆、この毒素を大量に体に蓄えている。つまり、同じ毒の臭いのする奴を同種と捉えている可能性がある。お前らはこの毒塗れの村で、毒塗れの飯に毒塗れの煙草と毒塗れの酒を飲んでいたんだろう?それじゃあトコネムリは食べないかも知れないな。同種と同じ臭いがするんだから。しかし、そういった毒から遠ざけて、衣食住を制限し毒を蓄えていない生物なら――――間違いなくこの上ないご馳走だろう」

 ハピネスが話し終えると、歯を噛み締めたバビィはなんとか反論しようと口を開くが、それより早くラルバが手を叩いてバビィの第一声を搔き消す。

「と言うわけだ!しかしバビィ君は納得していないようなので……百聞は一見に如かず!試してみよう!」

 ラルバは先程足元へ転がした男の首根っこを掴んで、勢いよく氷の桟橋へと放り投げる。

「わわっ……!あっ……!あっ……!」

 男は必死に身体を捩って勢いを殺そうともがく。そして――――

「落ちっ……落ちるっ……!!」

 氷で滑って止まりきれず静かに湖へと消えた。

 ラルバは両手の汚れを払うように手を叩いて、ゆっくりと湖に近寄る。

「普通なら襲われはしないだろう。しかし昨晩私がお前らにかけた浄化と反転の魔法で毒は綺麗さっぱり落ちている……金持ちの膝で欠伸(あくび)をする血統書付きの猫並みに健康だ。さてさて、祟りの真偽や如何に?」

 繊細な名画の様に静まり返る湖。(わず)かな泡とそよ風だけが(やかま)しく景色を揺らし、村人の1人が息を呑んだ次の瞬間。

 

 バシャバシャバシャバシャ!!!

 

「たっ助けっ……!!!あああああああっ!!!」

 湖から拘束が解けた男が、身体中をトコネムリに齧られながら浮き上がってきた。運良く拘束はトコネムリの鋭い歯によって解かれており、必死に氷の桟橋に捕まって這いあがろうとするが、何度掴んでも滑って再び湖へと落下する。

「ひっひっひ……!今までは子作りに疲れ果てた女を(にえ)に捧げていたからこうはならなかっただろうが……今は元気いっぱいの生き餌だからなぁ!かくて迷信は消滅せり!って感じ?」

 (ようや)く桟橋に這い上がった男は、全身から血を垂れ流して四つん()いで戻ってくる。ヒルのように噛み付いているトコネムリは一匹一匹と肉を噛み千切って湖へと落下し、水面を真っ赤に染め上げる。

「た、助け……あっ……」

 男は片足を滑らして再び湖へと吸い込まれる。しかし、大量の真っ赤な泡を水面に浮かべた後は、2度と浮き上がってくることはなかった。

「ありゃらりゃらーっと。次、誰行く?」

 ラルバが村人達の方へ振り向くと、全員が顔を真っ青に染めてガチガチと歯を打ち鳴らす。必死に手元を動かして魔法を使い逃走を試みるが、昨晩知ったラルバという怪物との圧倒的な力の差を思い出し、恐怖で魔法の発動と中断を小刻みに繰り返す。

「あーら誰も行かない。じゃあバビィ君行っとこうか!首謀者だし!」

「なっ……!」

 そう言ってラルバはバビィの片足を掴んで引きずる。

「やめっ……やめろっ!離せぇっ!!!」

「やーだよっ!」

 しかし、ラルバは突然止まって顎を撫でながら天を仰ぐ。

「あー……でも、クアンタちゃんにお願いされたら見逃しちゃうかなー」

「えっ、わた、私……?」

 クアンタは困惑して一歩下り、後ろにいたハピネスにぶつかる。

「そうそう。だってクアンタちゃん、バビィの奥さんなんでしょ?愛する人に懇願(こんがん)されたら流石に殺せないよねー」

 それを聞くなり、バビィは先程の威勢も何処へやら。クアンタを哀愁(あいしゅう)(ただよ)う情けない泣き顔で見つめる。

「頼むクアンタ……!助けてくれ……!頼む……!!」

「わた、わた、し」

 そこへハピネスが後ろからクアンタに耳打ちをする。

「大丈夫。逃げてもラルバは追ってこないよ。というより私とラデック君が追わせないさ」

「わたし……わたし……!!」

「頼むっ……!!クアンタ……!!!」

「んひひひ……」

 クアンタが困惑しておろおろと後退りを続けていると、ラルバは再びゆっくり桟橋に向かって歩き始める。

「クアンタちゃんにその気がないならいいや。クザン様ーごはんですよぉー」

 突然頬を擦り始めた地面にバビィは声を詰まらせ、血相を変えてクアンタを怒鳴りつける。

「クアンタっ!!早くっ!!おいっ!!聞こえてんのかクアンタ!!なんのためにお前を残したと思ってる!!!」

「残した……?」

「リュアンもソーラも逃げやがって……!!いいかっ!!ヨルンを殺した毒がお前にも入ってる!!!解毒剤が欲しけりゃ今すぐ止めろっ!!!クアンタぁ!!!」

「毒……?ヨルン……?」

 クアンタは決して頭が良いわけではなかった。それでもバビィの言っていることは理解できた。理解してしまった。いつもは常に村の最下層として辛うじて生を許してもらっていたクアンタだが、今は突如現れたラルバという怪物に保護されている。あまりの臆病さから今まで自己防衛のためだけに働かせてきた脳が、初めて他者に向けられた瞬間だった。

「リュアンも……ソーラも……逃げた……」

 殺されていない。祟りもまだ起きていない。

「ヨルン……」

 そもそも、ヨルンはあの日“何故死んだ”のか。

「同じ、毒……」

 ヨルンを殺した毒が、お前にも入ってる。

「早く止めろクアンタぁあああああああ!!!」

「バイバーイッ!」

「待ってくださいっ!!!」

 バビィがラルバに放り投げられる瞬間。クアンタが今までに出したことのない大声を出して空気を揺らした。

「およ?」

 ラルバは振りかぶったまま止まり、バビィを足元へ乱暴に落とす。

「ぐはっ……」

「あっれぇクアンタちゃん。マジで助けちゃうの?冗談だったんだけどなぁ……」

 クアンタは(うつむ)いたままゆっくりバビィへ近寄る。

「バビィ……」

「クソッ……言うのが遅いんだよこのクソ女……!!そもそもお前がしくじらなきゃこんなことには「なんでヨルンを殺したんですか」

 クアンタは俯いたまま拳を握りしめ、怒りに震えている。

「あぁ!?そりゃこの村のためだろうがっ!!勝手に逃げて文句言ってんじゃねぇっ!!」 

「私を連れ戻せば良いだけじゃないですかっ!!なんで殺したんですかっ!!」

「んなコトどうだって「なんで殺したかを聞いてるっっっ!!!」

 クアンタは食い縛った歯の隙間から荒い吐息を漏らし、目からぼたぼたと大粒の雫を溢れさせる。

「なんでっ……!!!なんでっ……!!!」

「首輪だよ」

 少し離れたところで木に寄りかかっていたハピネスが口を挟む。

「バビィ達は君らが逃げ出すことを恐れた。だから君達に時間差で効く毒を普段から盛っていたんだ。今回生贄じゃないヨルンちゃんには早めに効くように……」

「なっ何をデタラメにっ」

 反論しかけたバビィの口にラルバが土塊(つちくれ)()じ込んで黙らせた。クアンタがハピネスにゆっくりと体を向ける。

「ハピネスさん……何故そんなことを知ってるんですか……?」

「目と耳が良いもんで」

 ハピネスはゆっくりとバビィに近寄り、怪しげに見下ろす。

「クアンタちゃんが逃亡するとなれば、その手引きをするのはヨルンちゃんしかいない。だから早めに毒が効くようにしておいたんだ。普段出してる食事に解毒剤や毒を混ぜて……逃げ出せば解毒剤が早く切れて、残った毒が回って死ぬ。クアンタちゃんは怖がりだからね……目の前で妹の死を見れば、次に1人で逃げ出す気力はない。ヨルンちゃんを殺した理由は、絶望の首輪でクアンタちゃんをこの村に繋ぎ止める為だよ」

「ヨルン……」

 クアンタはゆっくりとバビィに振り返り、ふらふらと足を(もつ)れさせながら近づく。

「ぺっぺ……!オエッ……!」

 土を吐き出すバビィを何も言わずに(うつろ)ろな目で見下ろし、口を半開きにして置物のように立ち尽くす。

「んー?クアンタちゃん大丈夫かい?復讐用に(なた)でも持ってこようか?ラデック!鉈持ってこい鉈!」

「断る」

「じゃあ釣竿もらうよ。はいクアンタちゃん。どう使うかわかんないけど何かしていいよ」

 ラルバが差し出した釣竿を、クアンタは手のひらで押し返す。すると腰に下げていた魔袋(またい)を手に取り――――

「もがっ……!!」

「あーっ!それ説明書にやっちゃダメって書いてあるやつーっ!!あーっはっはっは!」

 バビィの口へ押し込んだ。

「がぼっ!がぼぼぼっ!」

 魔袋とは、拡張魔法によって見た目以上の容量を得た原始的運搬用魔道具である。術者によって内容量は多少上下するが、三本腕(さんぼんうで)連合軍(れんごうぐん)による術式の機械化によって、高品質の物が大量生産され広く流通している。しかしクザン村の様な外界と遮断された所でも、基礎的な魔法が使えれば小銭入れを20リットル程の魔袋にすることができる。

「がぼがぼがぼっ!ぐあんがっがばばばっ!」

 バビィは必死に吐き出そうと舌で押し返すが、緩んだ魔袋の口からはクザン湖の水が流れ出し口の隙間から吐瀉物(としゃぶつ)の様にごぼごぼと溢れ出ている。クアンタはバビィの丸々とした腹を何度も蹴りつけ、その度にバビィは怯んで魔袋を噛み締めて湖水を肺に入れてしまう。

「よくも……くっ……!!はぁっ……!!はぁっ……!!よくもっ……!!よくもっ……!!!」

「がばっ!がぼがばばばっ!!」

「よくもっ……!!!よくもヨルンをっ!!!」

「クアンタちゃんコレ使いな!ハピネスの杖!先っちょとんがってて楽しいよ!」

 横から嬉々としてちょっかいを出すラルバに見向きもせず、クアンタは一心不乱にバビィを蹴り続ける。握りしめすぎた拳は、爪が食いこんで鮮血を滴らせる。修羅(しゅら)に染まったクアンタの形相は疲労にも痛みにも一切乱れることなく、取り憑かれた様に足元に転がる悪人を痛めつける。

 最初こそ観戦に熱中するファンのように興奮していたラルバだが、10分もせずに飽きてハピネスの杖で地面に暇潰しがてら絵を描き始めた。

「よく飽きないねぇクアンタちゃん……みてみてー。上手に描けたよー」

 ラデックが後ろからラルバの足元を覗き込むと、とても杖の先で描いたとは思えないほど精巧な瀕死のバビィの醜貌(しゅうぼう)が描かれていた。

「上手いな。流石使奴(シド)

「お絵かき飽きた。私も悪人退治しーよおっと」

 ラルバは膝を払い、放置していた村人の方へ歩き出す。

 バビィに注目が集まっていたことで、内心見逃してもらえるのではないかと思っていた村人達は、迫ってくるラルバに怯えて身を(よじ)る。

「たっ頼む……許してくれ……!!」

「俺たちは村のためと本気で信じてたんだ……!」

「これからは真面目に生きるっ!誓うよっ!だから――――」

「嫌でーす」

 ラルバは1人を担ぐと、雑に氷の桟橋へ放り投げる。

「わああああああ――――っ!!!」

 そのまま村人は水飛沫を上げて湖に落ち、言葉にならぬ叫び声をあげて浮き沈みを繰り返す。水面には(おびただ)しい数のトコネムリが、残飯に集るドブネズミの如く群れを成して渦巻いている。

「正直、何のためにとか風習とかそういった理由には興味ない。結局お前らは圧倒的弱者を軟禁してレイプした挙句、満身創痍(まんしんそうい)のまま溺死させることを良しとして来た訳だ。一体どんな理由があればこの悪行が正当化されるんだ?(むし)ろコレにあれこれクソみたいな弁論貼っつけてくっさい脂汗ダラダラ流してゴマすること自体が、1つの立派な悪行だろうが」

 再び村人の1人が宙を舞い、今度は氷の桟橋を叩き割って湖に消えていく。次第に薄い茶色だった湖面は真っ赤に染まり、血の池地獄の様なおどろおどろしい姿へと変貌(へんぼう)していく。

 残された2人の村人は縛られた体を必死に捩って体を寄せ合い、雨の中取り残された捨て犬のように怯える。

「だだだだ頼むぅ……!!みのっ、みみみ見逃じっみのっ」

「うーん、まあ……確かに私は被害者じゃないしなぁ……この村のレイプって親告罪?クアンタちゃーん!どうするー?」

 ラルバはクアンタに大声で呼びかけるが、未だバビィを蹴り続けているクアンタの耳には届かない。

「あー聞こえてないね。残念!!」

 軽々と持ち上げられた男2人は、鳥に突かれた芋虫のように暴れて抵抗する。

「ななななんでっ……!!クアンターっ!!!頼むとめでぐれぇーっ!!!」

「ひぃぃぃぃいいっ!!クアンタァっ!!!ぐあんだぁぁぁあああっ!!!」

「誰も見てないし、合法合法!」

「俺が見てるぞラルバ」

「見てない見てない」

 

 バビィが“溺死”する頃には湖は鮮やかな真紅に染まり、毒素が薄まった湖でトコネムリ達は休眠することなく水面から背鰭(せびれ)を出して呑気に泳いでいた。



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34話 幼き戦士たち

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〜クザン村 クアンタの家〜

 

「私も連れて行って下さいっ!!」

「よかろうっ!!」

 ラルバが差し出されたクアンタの手を取ろうとすると、ラデックが横から腕を引っ張り阻止した。

「む!」

「クアンタは連れていくべきじゃないだろう。この子は健全に育つべきだ」

「はぁ〜?こんな物理的にも精神的にも毒まみれな村で生まれ育って、今更なぁにが健全だスットコドッコイ」

「そっその通りですっ!私なんてもうとっくに――――」

「健全じゃない人間は“私なんて”とは言わない」

 ラデックの言葉に何も言い返せなくなったクアンタは、何か言おうと口を開くが言葉が続かず硬直する。しかし納得のいかないラルバはラデックに向き直り、太々(ふてぶて)しく腕を組んで威圧した。

「なんだラデック。アビスは良くてクアンタはダメなのか。やっぱり戦えんクズは足手纏(あしでまと)いだーって言いたいんだろう?あーあー酷い奴だなぁ!才能で仲間を選ぶのかお前は!」

「別にそうではないが……」

 態とらしく悪態をついて不貞腐(ふてくさ)れるラルバに、ハピネスが後ろから近づいて顔を覗き込む。

「私も反対だな。ラルバ」

「えぇ……何かみんな未成年に優しくない?」

 心底残念そうにして力なく椅子にもたれかかるラルバを他所目(よそめ)に、ハピネスはクアンタに近づいて微笑んだ。

「クアンタちゃん。君には幼馴染がいたね」

「え……?あ、リュアンと……ソーラ……ですか?」

「そう。君は2人の帰りをここで待つべきだ」

「えっでっでも、2人……とも……帰ってこないと思います……と言うより……どこかで死んでいるのだと……」

「ほう。何故?」

「だって……バビィ達は、私とヨルンに毒を盛っていたじゃないですか……じゃあ当然リュアンとソーラにも……」

「いいや。君達に毒を盛っていたのは、リュアンとソーラだよ」

 その言葉に、クアンタは目を見開いてハピネスを見つめた。知らされていなかったラデックも驚きラルバの方を見ると、小さな声で「あー……そっちかー」と呟いているのが聞こえた。

「ハ、ハピネスさん……?どういうことですか?」

「クアンタちゃん。君はリュアンとソーラの幼馴染だったそうだね」

「そう、ですけど……」

「2人は、まあどちらかは確実に頭が良かった――――でもって……君の頭はそれほど良くなかった。ついでに体力もない」

「…………はい。いつもリュアンとソーラ、それから……ヨ、ヨルンに……助けてもらってばかりでした」

「2人と仲は良かったのかい?」

「まあ……昔は……」

「悪くなったのはいつから?」

「それは、私が担い手に選ばれてからですが……それと毒になんの関係が――――」

「なんで2人は君を嫌ったんだい?」

「そんなの、分かんないですよ……」

「そう。分からない。君は頭は回らないし度胸もないしオマケに筋力も体力もない」

「…………何が言いたいんですか」

 ハピネスの(あお)るような物言いに、段々弱気から不機嫌へと感情が転がりクアンタは恨むような眼差しを向ける。しかし、ハピネスは不気味に微笑んで小さく咳払いを挟む。

「けどそんな君にも“思い遣り”がある」

 横で聞いていたラデックが「まさか」と(こぼ)すと、ハピネスは小さく頷いて言葉を続ける。

「ラルバに生贄(いけにえ)役を代わってあげると言われた時、さっきまで(だま)していたにも(かかわ)らず心配してしまう程に心優しい子だ。そんな心優しいクアンタちゃん。もし、リュアンとソーラに嫌われなかったら、果たして2人を置き去りにヨルンと逃げ出したかな?」

「…………え」

「だってそうだろう?2人で逃げたら担い手の代役はリュアンかソーラだ。今までずっと笑い合ってきた友達をこんな村に残して自分達だけ逃げるかい?」

「……それは」

「そう。(むし)ろ自分から担い手役を志願してしまうだろう。君は優しいからね。でも4人で逃げるにしても、君は度胸もないし鈍臭(どんくさ)い。だからこそリュアンとソーラはバビィ達に提案したんだよ。2人に毒を盛って逃亡を阻止する計画を」

 クアンタはハピネスに詰め寄り、震える視線で(にら)みつける。

「2人がヨルンを殺したとでも言うんですか…………!!!」

「まあまあ、話は最後まで聞きなさい。リュアンとソーラがバビィ達に提案したのは、君とヨルンが逃げ出したときに足止めさせる計画だ。殺害じゃない。君達の食事に混ぜられていた毒だが……うちの国では麻酔薬にも使われる神経毒だ。死にはしないが、それなりに摂取すれば昏睡状態に陥る。君は妹が目を覚さなかった時、吐息や鼓動まで確認したのかい?」

「……し……して、ません」

「そもそも君の妹は死んでなんかいない。第一、死亡するような毒ならバビィ達が使用を許さない。担い手には健康な状態で子供を産んでもらう必要があるし、何より数少ない子を産める人材なんだからね。ヨルンは先に毒が効いて気を失い、クアンタちゃんは毒が効く前に村人に発見された。今は解毒の最中かな?君の呂律(ろれつ)が回ってないのは、小心者だからじゃなくて解毒による脱水症状で口が乾ききってるからじゃないかな。女の子にこんなこと言うのもアレだけど、クアンタちゃん唇カッサカサだよ」

 ハピネスの指摘にクアンタは咄嗟(とっさ)に口元を隠す。

「……で、でもそれじゃあ、リュアン達が……私に毒を盛った理由にはなら、ならないじゃない、ですか」

「簡単な話だ。君は(おとり)だよ」

「おと……り……?」

「クアンタちゃんの身体能力的に一緒に逃げ出すことは不可能。そこで3人が考えた策がこれだ。ヨルンが君を(そその)して脱走を図り、それと同時にリュアンとソーラも逆方向へ逃げ出す。当然村の追っては真っ二つとまでは行かなくとも二分される。かつ、村人達には“最悪リュアンとソーラを取り逃しても、確実にクアンタとヨルンは捕まえられる”という余裕が生まれる。君達2人が逃げている間の数日間プラス――――毒を抜いて担い手役に戻るまでの数日間。それらの間に、リュアンとソーラが到達するという策だ」

「到達……?どこへ……?」

人道主義(じんどうしゅぎ)自己防衛軍(じこぼうえいぐん)

 そこまでハピネスが話したところで、急に玄関の扉が開かれた。

「おや、イチルギ。おかえり」

「ただいまー」

 そこには、1人の少女を背負ったイチルギが立っていた。

「ヨ、ヨルン……!!!」

「意外と時間かかっちゃったわ〜、ごめんなさいね〜」

 楽観的なイチルギとは対照的に不機嫌なラルバは、態とらしく足音を響かせてイチルギに詰め寄る。

白々(しらじら)しいぞイチルギ。どこで何してた」

「ヨルンちゃん探してたに決まってるでしょ。いやー女の子2人であんな遠くまで歩けるのねぇ」

「嘘つけ!お前なら半日で済むだろうが!」

「ここまで(わざ)とらしくシラを切るってことは言いたくないって事よ。少しは察して」

「察した上で言っとんじゃ!」

 2人が言い合っている横で、(うつろ)な目をしたヨルンにクアンタが抱きついて大粒の涙を溢す。

「ごめんね……!!!ごめんねヨルン…………!!!」

「…………なんで…………お姉ちゃんが…………謝るの……?」

「だって……!!だって…………!!わた、私が……皆の気持ちに気づけなかったから……!!」

 クアンタに抱き締められたままのヨルンは、目線だけをハピネスやラデックの方へ向ける。そしてゆっくり微笑んで声を出さずに「ありがとう」と口を動かした。

「ラデック君。そろそろお暇しよう」

「ん?ああ、急にどうした?」

「人道主義自己防衛軍の空挺(くうてい)部隊がすぐそこまで来てる」

「本当か?リュアンとソーラは無事に辿り着けたんだな。しかし、人道主義自己防衛軍は鎖国中じゃなかったのか?」

「そこは人道主義だからな。生贄にされそうな友達を助けて欲しい、その一心で何日もかけて森を抜けてきた子供2人に手を貸さないのは、まず人道主義とは呼べんだろう」

「笑顔による文明保安教会は?」

「それはそれ。これはこれ」

 

 

〜人道主義自己防衛軍〜

 

 清潔だが不気味な程無機質な白いコンクリート造りの廊下を、紺色の軍服を着た女性が書類を(わき)に早足で歩いている。女性は幾つもある扉のうち一つの前で立ち止まり、手鏡を取り出して入念に身嗜(みだしな)みを整えてから大きく深呼吸をした。そして、”執務室“と札が付いている以外は、他より少しだけ大きいだけの扉を軽くノックをする。

「アルコシアか、入れ」

「失礼します」

 扉の中は、特別何か高級さを感じさせるような物品はなく、至って素朴なカーペットにガラス戸の棚やソファが置かれている。

 正面の両袖机に座る水色の髪の人物は、背負った窓から差し込む光で若干見えづらいが、真っ白な肌に、額から真っ黒な(あざ)(したた)らせ机に広げた書類を眺めている。中性的な鋭い顔付きに引き締まった体、一見すれば若い男性の様にも思えるが、それなりに膨らんだ胸と女性的な腰つきは軍服の上からでも充分に見てとれた。

 アルコシアと呼ばれた女性は軽くお辞儀をした後に近づき、両手で傍に抱えていた書類を差し出した。

「ベル様、こちら承認をお願い致します」

 ベルと呼ばれた人物は、宵闇に浮かぶ月のような真っ黒な白目と輝く金色の瞳を目の前の女性に向け、片手を差し出して書類を受け取る。胸元に着けた”人道主義自己防衛軍総統(そうとう)“の証であるバッジを手遊びに爪で引っ掻きながら、書類とアルコシアを交互に見つめる。

「うむ……アルコシア。寝不足か?」

 突然そう指摘されると、アルコシアはハッとした顔でたじろぎ、バツが悪そうに目を泳がせる。

「あっいえっ……あの、はい……」

「人道主義自己防衛軍規則第19条。全ての国民は健康的で清潔な睡眠と食事を尊重し、また正当な理由なくこれを害してはならない。正当な理由は?」

「あ、えっと……先日の資源確保の企画が終わらなくて……」

「不適当だ。君はどうも、自分のスキルに見合わないタスクをノルマに設定する節がある。一つのタスクを更に分割して考え、常に一区切りついた状態を確保すべきだ」

「はっ……はい……」

 

 コンコン。

 

 2人の会話に、ノックの音が割り込む。

「所属と名前」

 ベルが扉の向こうにいる相手に命令する。

「”ヒダネ“所属、ハザクラ」

 返事と同時に入室した赤髪の少年は、手元の書類を眺めながら真っ直ぐソファへと向かい腰掛ける。前髪を極端に伸ばしたショートヘアで右目を隠している所為で、右側に立っていたアルコシアから表情は見えないが、ハザクラはアルコシアの視線に気がつくと左目を向けて軽く会釈(えしゃく)をする。

 

 コンコン。

 

 再びノックの音。

「所属と名前」

「“クサリ“所属、総指揮官ジャハル!失礼致します!」

 威勢の良い返事と共に入ってきた色黒の女性が、長い銀髪を掻き上げながら手に持っていたファイルをベルの差し出した。

「グリディアン神殿の政権が正式にザルバスに引き継がれたとの報告が……おっと、すまない」

 ジャハルはアルコシアが萎縮(いしゅく)して一歩下がったことに対して、(なごや)かに微笑んで()びた。

 ガッシリとした筋肉と扉スレスレの高身長という男顔負けの体格に、余計に威圧感を持たせる大きく膨らんだ胸と尻。前髪を後ろへ流し、大きく出した額から目の下まで広がったヒビ割れの様な黒い痣に、真っ赤な瞳。戦闘訓練に()いてはベル以外の人間全てを完封する圧倒的実力者。

 男女問わず魅了する眉目秀麗(びもくしゅうれい)な憧れの戦士に、アルコシアは赤面しながら(ほう)ける。

「ジャハル。そのファイル頂いてもいいかな?」

「あ、はいっ!ザルバスの出馬直前の動向から(まと)めておきました!」

「マメだね……既知の情報は(はぶ)いて構わないんだが……」

 ベルにファイルを手渡すと、ジャハルは退室しようと(きびす)を返した。

「あれっ?ハザクラ?」

 たった今ハザクラの存在に気づいたジャハルは、ソファに持たれかかっているハザクラに近寄る。

「ちょうど良かった。アルコシア、彼が来週から君の上司になる男だ」

「じょう……ええっ!?」

 会釈をするハザクラに、アルコシアは数歩下がって狼狽(ろうばい)する。

 それもそのはず。目の前に座るハザクラという少年は、どこからどう見ても未成年の虚弱そうな男子だったからだ。覇気のない黒い瞳に、先程から一切変化しない無骨な表情。最低限の筋肉だけがついた細い手足に、引きこもりがちであることが容易にわかる色白の肌と薄い魔力。

 文武両道が最も求められる人道主義自己防衛軍に於いては、まず一般兵から昇進することはあり得ない体格。そんな彼が、最も戦闘能力が求められる軍隊である“ヒダネ”で上司レベルの階級に属している。

「アルコシア、ちょっとこっちへ」

 ジャハルはアルコシアの手を引いて執務室を後にした。

 

 階段の踊り場まで来たところで、あまりに露骨(ろこつ)な驚き方をしたアルコシアにジャハルは若干(あき)れて腕を組む。

「見た目で判断をするとは、先が思いやられるぞアルコシア。それに、彼は来月にも正式に“ヒダネ”のトップになる人物だ」

「ト、トップ……!?え、てことは実際……この国で6番目に偉い人ですか!?」

「いや、軍隊トップは全員同階級だから2番目だ。まあ……実質No.2も同然ではあるが。少なくとも私よりは上に配置されるだろう」

「な……なんで……No.2はジャハルさんじゃ……!!ていうかヒダネのトップだったらレオさんになるんじゃないんですか!?」

「ああ……そういえばアルコシアは先週まで調査団に派遣されてたんだっけ……」

 ジャハルは眉を八の字に曲げて小さく(うな)る。

「ハザクラは3年前にこの国へやって来た。そして、信じられん話かもしれんが……模擬戦で、ベル様以外全員負けた」

「………………へぁっ!?」

 ()頓狂(とんきょう)な声を上げて震えるアルコシアに、ジャハルは大きく溜息を()いて首を振る。

「わかる。確かに当時は私も信じられなかった。“ヒダネ”の最優秀成績者である期待の新人レオ、“ゴウヨク”のトップで我が国の頭脳でもあるマーチ。他の誰も私含め、多対一でも戦闘で彼には敵わなかった」

「え……え……ば、バケモンじゃあないですか……!!」

「君の上司だぞ……バケモノとか言うんじゃない」

「で、でもそんな奴フツー入国させます!?絶対グリディアン神殿か笑顔による文明保安教会のスパイでしょう!!」

「いや……確かに普通はそう考える。でもな…………」

 ジャハルは渋い顔で再び唸り声を挟む。

「ハザクラを連れて来たのはベル様なんだ」

 再びアルコシアが機能を停止した。

「いや、言いたいことはわかる。そして近いうちにもっと受け入れ(がた)い発表がある。気の毒だが、全て受け入れて欲しい」

「え……これより受け入れ難いものがあるんですか……」

「ああ……恐らく国民全員の説得に大分時間がかかるだろうが……避けては通れないことだ」

 

 執務室の中は、ベルとハザクラが紙を(めく)る音だけが響き、(かす)かに外で行われている戦闘訓練の掛け声が聞こえている。

「……ハザクラ。これはどう言うことだ?」

 ハザクラに渡された書類を捲りながら、ベルは(いぶか)しげにハザクラを睨む。しかしハザクラは何も答えず、無愛想な目でチラリとベルの方を少しだけ見ただけで、すぐに目線を手元に移してしまった。

「世界ギルドの制圧なんて現実的じゃあない。あそこにはイチルギという我々使奴(シド)の中でも指折りの実力者がいる。それこそ100年前の世界情勢で彼女たちに敵う者など1人も――――」

「できる」

 ベルの話を(さえぎ)ってハザクラがボソっと(つぶや)いた。

「……馬鹿を言え。確かにお前の異能は強力だが、彼女の前ではすぐに見破られて――――」

「可能だ」

 再びベルの言葉を遮るハザクラ。納得がいかず不満そうにするベルに目すらも合わせず、胸元のペンダントを見つめながら言葉を続ける。

「寧ろ……イチルギがここへ来る、この時を待ち望んでいた。(ようや)く俺の大願が成就する」

「イチルギがここへ来る?何故?彼女にはここへ来る理由などないはずだ」

「いや、来る。俺がそう仕向けた」

「仕向けた?」

「俺が“ヒダネ”の総指揮官に仮推薦(すいせん)された時に言った言葉を覚えているか」

「ああ、“生き延びろ。お前らの命は使い捨てではない”だったか」

「あれが外の世界へのメッセージだ。イチルギはあれに釣られて、今まさにここへ向かっている(はず)だ」

「そんな馬鹿な……と言いたいところだが、先日イチルギが総帥(そうすい)を退陣したとの報告があった。確かに総帥のままではどこの国へ行くにもアポが必要になるからな。お前がそう言うのであれば、私も従おう」

 ハザクラは(ふところ)にしまった手紙を一枚取り出し、じっと眺める。

 

 冒頭には、震えた字で「最も勇敢な少年へ」と(つづ)られている。

 

「見ていてください、フラムさん。必ずアナタが望んだ世にして見せます」



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人道主義自己防衛軍
35話 最も勇敢な少年へ


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 最も勇敢な少年へ

 

 初めまして。私の名はフラム・バルキュリアス。第四使奴研究所のレベル3技術者だ。

 まずは、直接君に会って話せない事をお詫びさせていただきたい。

 突然こんなところに連れてこられて困惑しているとは思うが、我々は君の味方だ。安心して欲しい。

 この手紙を読んでいるということは、もうベルには会ったのだろう。水色の髪の使奴だ。隷属(れいぞく)はさせていないが、充分信用に値する。何か分からないことや必要なことがあったら彼女を頼ってくれ。

 外の世界を(ほとん)ど知らなかった君には分からないだろうが、君が今いる世界は研究所の防衛システムにより、我々のいた時から200年以上の月日が経過している。しかし、どうか狼狽(うろたえ)ないで話を聞いてくれ。

 

 私の目的を君に伝えたいのだが、まず最初に私の昔話をさせて欲しい。丁度君が研究所に捕らえられて、私がいた第四使奴研究所に収容されて来た頃の話だ。長くなってしまうが、最後まで読んでくれ。

 

 当時の君はまだ5歳になろうかという子供だった。君の“強制命令”という異能に目をつけた研究員達が、君を“メインギア”の一つとして「多目的バイオロイド」つまり使奴の研究に組み込んだ。メインギアというのは、使奴を作る上で中心となる異能を持った4人の事だ。

 私は最低な男だった。私には“知りたいことを知ることができる異能“があった。紙に適切な問いを書けば、正しい答えが返って来るというものだ。例えば君の家族のこと、君の本当の名前、君の出身地。それから、君を助け出すことができる人物。しかし私は、我が身の可愛さについぞ動くことはなかった。

 それから13年の月日が流れた。私の使奴研究所に対する不満は最早(もはや)ただの破壊計画妄想にまで成り下がり、このまま何も出来ない矮小(わいしょう)(くず)として死んでいくと予感していた。

 そんな時にあの事故が起こった。

 研究所の魔導炉(まどうろ)霊磁暴走(れいじぼうそう)を起こした。同時に停電と、システムの大規模なエラー。偶発的な事故が、あり得ない確率で重なった。誰かが意図的に起こしたものであることは明白だったが、私の叛乱(はんらん)の意思は一瞬で現実に気づき(しぼ)んでいった。使奴研究所はバイオロイド研究所であると同時に、水素爆弾や次元結界(じげんけっかい)を遥かに凌駕(りょうが)する超兵器の宝庫だ。敵対勢力に狙われないわけがない。故に、こんな緊急事態など恐るるに足らず、停電は幾つもある補助電源で容易に(まかな)え、システムエラーは代替プログラムでカバーし、魔導炉も僅か数人のエンジニアが対応にあたれば済むことだった。研究所内を(つんざ)く警告音と目まぐるしく点滅する赤色灯は、我々研究員の焦燥(しょうそう)(あお)るに値しなかったのだ。

 しかし君はその事を知らなかった。あの日、君一人を残して誰もいなくなった洗脳室で、君が仕切りにマイクに何かを叫んでいるのが見えた。私は確信したよ。アレは反旗(はんき)(ひるがえ)す唯一無二のチャンスだと。君はあの部屋で13年もの間、ただただ返事をするしかない人形状態の使奴を奴隷にする命令をしていたから、あのマイクが使奴部隊の誰かに通じる事に気付いていたんだろう。

 私は他の研究員の目を盗み、あの部屋のマイクを出来るだけ多くの機器に繋いだ。廊下や部屋には勿論(もちろん)、他の使奴研究所や、まだ培養液(ばいようえき)に浸かる実験中の使奴や出荷待ちの使奴達、使奴部隊のインカムに。君が何を叫んでいるかは知らなかった。けどそれはきっと「研究員を全員殺せ」とか「自分を助けろ」といった内容であると確信していた。私は妄想に成り下がっていた叛乱劇に心を(おど)らせた。しかし、君が言った一言は私の期待を根底から(くつがえ)した。

 

「生き延びろ」

 

 私の妄想では、血塗(ちまみ)れで地に伏す研究員や、苦しみに(もだ)える顧客(こきゃく)共の顔。それが全てだった。破壊の限りを尽くして、この生命を冒涜(ぼうとく)する狂った牢獄(ろうごく)(ことごと)く破壊することしか頭になかった。

 けど君は違った。君は13年間研究所に拘束されて、親とも離れ離れにされて、人生の一切を奴隷のように働かされた。そして今この最初で最後のチャンスという瞬間にも、君は使奴達の身を案じていた。憎しみに支配されてなどいなかった。

 私は自分が情けなくなった。思い出したんだ。そもそも自分が何故研究所を憎んでいたかを。自分の手塩にかけて育てた娘達が、血の繋がりこそなくとも愛しい我が子が、醜悪(しゅうあく)な金持ちや研究員共の玩具(おもちゃ)にされていることがこの上なく腹立たしく、彼女らを(ないがし)ろにされたことが何より悲しく、どうしても許せなかった。私も最初は君と同じように、あの娘達を助けたかったんだ。

 

 それを君は思い出させてくれた。だから君に手を貸したい。いや、手伝って欲しい。彼女達への償いの手伝いを。

 君の為に二つ贈り物を用意した。一つは君の名前だ。

 ハザクラ。

 私の異能で知った君の名前だ。まだ幼かった君は自分の名前も覚えていなかった。若しくは、誘拐されたショックで記憶を閉ざしてしまったのかもしれない。ハザクラという名前は、君が生まれるずっと前から君のご両親が2人で決めた名前だ。とても素敵な名前だと思う。

 もう一つの贈り物は力だ。君がこの滅びた世界で迷わぬように。自分の信じる正義に使ってほしい。

 

 君と語り合えない事を心から残念に思う。私はもうここに居られない。全てを君1人に任せてしまう事をどうか許してほしい。

 最後に君のご両親の事だが、ご両親は君が誘拐された後、1人の子ももうけること無く君の無事を心から願い寿命を迎えたそうだ。周囲の人達から信頼される立派な人だった。私もご両親共々、君の無事を心から祈っている。どうか君の願いが叶いますように。

 

 フラム・バルキュリアス

 

 

 

〜人道主義自己防衛軍 医務室〜

 

「……ハザクラ」

「ああ、それが君の名前だそうだ」

 上体を少し起こしたベッドで譫言(うわごと)のように(つぶや)いたハザクラに、ベルが手を後ろで組みながら答える。

「フラム様は50年程前に息を引き取られた。魔法で延命していたとはいえ、180年という長い人生は、普通の人間にはあまりにも過酷だった。その手紙は、亡くなる2年前に書かれた物だ」

「そうか……」

 ハザクラは(うつろ)な目で窓の外を見る。地上5階にある医務室から見える運動場では、数千人の軍人達が隊列を組み、先頭に立っている人物の話を誰1人動く事なく聞いている。

「……この、”もう一つの贈り物は力だ“とあるが、これは?」

 

「この国だ」

 

 ベルが窓の外に顔を向ける。

「人道主義自己防衛軍。人口30万人の全員が軍人という、世界一の軍事大国。200年前、私とフラム様が2人で造り始めた国だ。私の使奴細胞とフラム様の遺伝子を掛け合わせて作った人造人間、その末裔(まつえい)全員が軍人であり、国民であり、君の力になる。フラム様が、遠い未来に君が道に迷わぬようにと血汗を流し完成させた、今尚他の国々に一切侵されない圧倒的武力。これがフラム様からの二つ目の贈り物だ」

 ベルはハザクラに目線を戻す。その目には力強い決意が宿っていた。

「正直、いくら話に聞いているとはいえ、私に会ったばかりの君を信頼することは難しい。だから」

 ベルはハザクラにバッジを差し出す。それは人道主義自己防衛軍で“少尉(しょうい)“の階級を表す物だった。

贔屓目(ひいきめ)に見てもここからだ。我々を使いこなす為に、()い上がって見せろ」

 ハザクラはベルが差し出したバッジを細目で見つめると、(てのひら)でグっと押し返した。

「……?不服か?」

「違う」

 ハザクラはベッドから立ち上がり、窓の外の軍隊を睨みつける。

「別に俺は頭が良くない。当然アナタからしたら赤ん坊もいいとこだ。俺には使奴研究所で植え付けられた、アイツらにとって都合がいいように(かたよ)った知識しかない」

 窓から目を離し、今度はベルを(にら)みつける。

「そんなヤツにバッジをつけるような階級は相応しくない。1番下からでいい」

 ベルは目を丸くしてハザクラの目を見る。

「――――くっ」

 そして、大声で笑い出した。

「あっはははははは!!確かにその通りだ!!良いだろう!最下級の兵士見習いから始めてもらおう!幸いこの国では知識欲のある者に貴賎(きせん)はない!要求されれば、どんな資料でも用意しよう!」

「それは助かる。今の俺には何を知ったら良いのかの知識もない。アナタが適当に選んでくれ」

「ふっ。階級は望まなくとも、総統(そうとう)である私を顎で使うか……。それどころか、さっきバッジを拒否した時に“知識”については自らを卑下(ひげ)したが、戦闘能力に関しては言及がなかったな。自信があるのか?」

「自信はないが、恐らくあそこにいる連中には負けない」

「くふふふふ……。口だけは達者だな」

「行動でも示す。半年後に誰かと訓練試合を組んでくれ。そうだな……彼女とがいい」

 ハザクラが指差した先には、軍隊の先頭で演説をする緑のポニーテールが特徴的な小柄な女性。マーチの姿があった。

「マーチか……?見た目で決めたならやめておけ。彼女は筋力こそないものの、魔法と戦略に秀でたこの国の頭脳だ。その実力で、我が国を5等分したうちの1つの軍団”ゴウヨク“のトップを任されている。別の相手にした方がいい」

「そんな遠回りをしている場合じゃない。あと、別に見た目で決めたわけでもない。彼女と組んでくれ」

 ベルは不審がってハザクラを見る。しかしハザクラの目に迷いはなく、静かにマーチを見つめている。

「…………わかった。半年後だな」

「頼んだ。あと、俺の素性は誰にも言わないでくれ。明かしたい人にだけ明かすし、その時は信じてもらえるよう口添えを頼む」

「ああ、わかった」

 

 ベルはハザクラの行動全てを怪しがったが、その不信感はさらに募ることとなる。最下級同士の模擬戦を行わせても連戦連敗。時折班長や部隊長を交えて演習を行うも、成績は常に最下位。知力の面でも、ベルに大量の資料を用意させたにも拘らずテストの成績は常に最底辺で、一切の進歩が見られなかった。

 

 しかし、約束の半年後。彼は人道主義自己防衛軍一の軍師、ゴウヨクの指揮官マーチを無傷で完封し、そのジャイアントキリングは国内にハザクラという異質な外来人の存在を知らしめることとなる。

 

 その一戦を皮切りに、テストや免許試験で次々と満点を出し進級。ヒダネの大物新人レオや、ベルを除いて国内最強と(うた)われたジャハルに連戦連勝。3年後にはマーチ、レオ、ジャハルとの3対1という異例の模擬戦でさえ勝利し、余りに信じがたい新幹部の誕生は国外にも知れ渡った。

 

 使奴研究所のメインギアとして囚われていたはずの彼が、ここまでの実力を得るに至った理由は全部で三つ。

 一つ目は、ハザクラに施された知識の植え付けが、使奴に行われているものと大差なかったということ。

 脱走防止の情報操作のためにハザクラの知識を(かたよ)らせることは使奴研究所にとって労力に見合わず、かつハザクラの異能をフルに発揮する為には、ハザクラ自身が多くの知識を得る必要があった。そのためハザクラは自分が思っているよりも恵まれた知識を既に持っており、その知識を元にした勘の鋭さや思考能力が今後の展開に大きく貢献した。

 二つ目は彼の強力な異能。

 本来、彼と同じ異能を保有した者は長生きできない。命令の強制は自分にも強力な自己暗示という形で作用し、ちょっとした自己嫌悪で不可避の自殺に至ってしまうためだ。

 しかし彼は皮肉にも研究所のおかげで、精神が成熟し異能への理解が深まるまで生き長らえた。更には、日々自分よりも数段に高い能力を持つ使奴を洗脳させ続けるという作業を強制されていた。これにより異能の力は大幅に成長し、使奴相手にも十分戦える程の性能に匹敵していた。

 この鍛え抜かれた異能と、それを応用した自己暗示は戦闘や学習のみならず、人と関わる全ての物事に対して凄まじい効果を発揮した。

 三つ目は、ハザクラの師の存在。

 彼は研究所を出て人道主義自己防衛軍に捕捉される前から、ある人物によって外の世界の惨状を予感していた。

 使奴という存在。異能の使い方や戦い方。恐怖との付き合い方。

 それらはひとりぼっちだったハザクラに多大な自信と余裕を与え、彼を大きく成長させた。

 

 ハザクラは”ヒダネ“の指揮官就任式の時、師から貰った赤いペンダントを見つめながら彼女の事を思い出していた。

 そして、壇上にいるベルに名前を呼ばれ、ゆっくりと前に出て階段を上り振り向く。

 大勢の軍人達、そして中継で見ているであろう他の軍人達。そして恐らく外の世界にも発信されるであろう今回の就任式。そこで、彼は3年前のことを思い出す。

 自分はかつてメインギアとして、多くの使奴を洗脳してきた。そして解放しようとした。ここで下手なことを言えば、どこかで生き残っている使奴研究員達に自分の居場所を知らせることになる。しかし、仲間を募るのであればここしかない。自分の正義に賛同してくれる使奴を……。

 

「生き延びろ!!お前らの命は使い捨てではない!!」

 

 突然ハザクラが発した意味不明な発言に、就任式の会場は状況を一切理解できず凍りついた。しかし、ベルだけがその言葉の意味を理解し、一言一句変えないよう報道班に伝え外の世界へ発信した。

 フラムを憎悪の闇から引き()がしたあの言葉。使奴を操っていた糸を切ったあの言葉。「生き延びろ」という言葉は良くも悪くも、イチルギを始めとする外の世界にいる“その意味を理解できる人物”の元へ届き、彼等の動向を変えた。

 

 

 

 この数ヶ月後。ハザクラの元へ、その内の1人が訪ねてくる事になる。

 

 

 

「何だこの金網」

「こっから先が人道主義自己防衛軍の領土なのよ。こっちから正面に回りましょ」

「えー折角なんだし侵入しようよー!」

「何が折角なのよっ!!」

 

 傍若無人な快楽殺人鬼を連れて……



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36話 軍隊の国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


【軍隊の国】

 

〜人道主義自己防衛軍 留置所〜

 

「くっそぉー上手く入れたと思ったんだがなぁ」

 拘束魔法で上半身の自由を奪われたラルバは、冷たいコンクリートの上に胡座(あぐら)をかいて楽しそうに悔しがっている。

「静かにしろッ!!」

 その様子を見た扉の向こうの看守が、扉を強く叩いて恫喝(どうかつ)した。しかしラルバは覗き窓に額を押し付け、挑発するように看守をニヤニヤと眺める。

「ねーねーこの国って鎖国中なんでしょ?暇じゃない?外の国の面白い話聞かせたげるよ」

「はぁ?確かに鎖国中だが、“狼の群れ”とは貿易を行なっているし、世界ギルド“境界の門”に派遣隊も送っている。お前から聞くことなどない」

「……永年鎖国って聞いてたのに。がっくしだ、ラデック探検行こー」

 後ろで両手を縛られているラデックは、胡座をかいたまま黙って首を左右に振る。

 ラルバの舌打ちと共に、看守はムッとして再び声を荒げる。

「お前たち自分の置かれている立場がわかっているのか!?もし逃げ出したとなれば、我が国が誇る総勢30万人以上の武装兵がお前達を追い詰める!例え妄想でも脱走など図らんことだ!」

 看守の脅しに「ふーん」と生返事をしたラルバは、ラデックの耳元で小さく呟く。

「なぁなぁ。30万人って尊い犠牲にカウントできると思うか?」

「犠牲?なんのだ?」

「そりゃあヒーローの脱出劇の犠牲よ。今も遠いどこかで不幸な子供が泣いているやもしれん。私が直ぐにでも駆けつけてやらねば」

「子供1人助ける為に罪のない30万人殺すのか?」

「ダメ?」

「ダメだろう」

 ラルバはラデックから顔を離して看守の方を向く。

「降参!!降参でーす!!おとなしくしまーす!!」

 飄々としたラルバの降参宣言に、看守は大きく溜息を吐きながら眉を(ひそ)める。

「……本当に大人しくしていれば悪いようにはしない。お前みたいな奴に適応させるのは不本意だが、あくまでも我々は人道主義だからな。だが……!!」

 看守は強く扉を蹴り付け、蝶番(ちょうつがい)が悲鳴を上げて錆を溢す。

「……国民の安全の為なら躊躇(ちゅうちょ)なく殺す」

「扉蹴ったらダメだよ」

 ラルバの暢気(のんき)な指摘に、看守は大きく舌打ちを鳴らし(わざ)とらしく足音を響かせて立ち去っていった。

「……なぁんであんな怒ってんのかね。トイレ行きたかったのかな」

「ラルバが闇雲に壁を壊したからだろう。何故扉を使わないんだ」

「いいじゃん別に。侵入した時点で犯罪者なんだから、何したって五十歩百歩よ」

 ラデックは呆れたように鼻から息を吐くと、寝転がって天井を見つめる。

「……イチルギとハピネスはいいとして、バリアとラプーは平気だろうか。一応捕まらないようにとは言ってあるが……」

「平気でしょ。その辺散歩でもしてんじゃないの?そっちより私はハピネス達の方が興味あるなー」

 ラルバはラデックの真似をして隣に寝転がり、少し身動(みじろ)ぎ をすると大きく欠伸(あくび)をした。

「……俺たちの出番は無さそうだな。久しぶりにのんびりするか」

「トランプしようよトランプ」

「いいぞ」

 再び留置所の扉が強く蹴り付けられた。

 

〜人道主義自己防衛軍 執務室〜

 

 大人しめの装飾が施された木製のローテーブルに置かれた紅茶を、ソファに座ったイチルギが静かに持ち上げて口をつける。

「……さて、本題なんだけど」

「本題の前に紹介だろう。彼女は誰だ?」

 イチルギの言葉を(さえぎ)って、対面に座るベルがイチルギの隣を(にら)む。

 本来先導(せんどう)審神者(さにわ)が交代した際には、その姿を公の場に出して退位と即位を行う。しかしハピネスは即位当時まだ5歳であり、国王が戦う術を持たないという事実を知られたくなかった笑顔の七人衆は替え玉を使い即位式を行った。その為、ベルを含め世界中の人間の殆どが、ハピネスという人物の姿も年齢も知らなかった。

 ベルに睨みつけられたハピネスは、自分が先導の審神者であるという事実を悟られまいとゆっくりと頭を下げ、一言も発さず目玉だけをイチルギの方へ向ける。

「ああ、気にしないで。私の知り合い」

 事前に打ち合わせをしていたイチルギは、ハピネスを(かば)誤魔化(ごまか)す。

「気にせずいられるものか!出不精(でぶしょう)のお前がわざわざこんな所まで来たんだ。厄介ごとは御免被るぞ……!」

 ベルは当然イチルギの不審な態度を警戒し、眉間に力を込める。しかしイチルギは、そんなベルの敵意などどこ吹く風で微笑む。

「ハザクラ君に会わせて?」

「何の為に?」

「会えばわかるわ」

「ふざけるな。今日のところはお引き取りを願おう」

 一歩も譲らぬベルに、イチルギは髪を指先で(いじ)りながら余裕の表情を見せる。少しだけ沈黙を挟んだのちに、突然ノックも挟まず執務室の扉が開かれ、赤い髪の青年が入ってきた。

「ハザクラ!?何故っ……馬鹿者!!直ぐ部屋に戻れ!!」

「あら」

 ベルは慌ててイチルギとの間に入り、近づかせまいとハザクラを守る形で背に隠す。しかしハザクラはベルの横をすり抜け、イチルギの正面にまで歩み寄り無表情のまま軽く会釈(えしゃく)をする。

「どうも。お久しぶりね」

 ハザクラの後ろでベルは額を手で(おお)項垂(うなだ)れている。しかしハザクラはベルの事を全く気にせず、じっとイチルギの顔を見つめた後ポツリと(つぶや)いた。

「…………伝わっていたのか?」

 イチルギはにっこりと笑い(うなず)く。

「ええ。お陰様で。“相違言語(そういげんご)”って言えばいいのかしらね?見事だったわ」

 支離滅裂(しりめつれつ)な会話にハピネスは頭上にハテナを浮かべるが、ベルは驚いた表情で硬直している。ハザクラはゆっくりとイチルギに(ひざまず)き、彼女の片手を握った。

「……良かった。無駄ではなかったんだな」

 イチルギは黙ってハザクラの頭を優しく撫でた。

 

 

 

 ハザクラはメインギアとして、無理往生(むりおうじょう)の異能で使奴を隷属(れいぞく)させる役割を担っていた。

 ”私の問いには必ず承諾の返事を行うこと“という命令を最初に行い、その後は使奴としての教育“オーナー、又は使奴研究所役員の言葉には絶対服従。必要に応じて身体機能の調整も行うこと“等の催眠(さいみん)に近い命令を与えていく。

 ハザクラの周囲には必ず人間の警備員がついており、台本以外の発言を行おうものなら即電流を流されて口封じをされた。

 

 そこで、ハザクラが考えた使奴を救う方法が”相違言語“である。

 

 例えば、日本人は“りんご”という言葉を聞くと赤いバラ科の果実を想像する。しかし“はな“では、鼻なのか花なのかを判別することは難しい。こういった、実際にはアクセントが異なるが個人の認識能力によって判別が不可能になる単語は多い。

 例えば、ハザクラが”はな“という単語を含んだ命令を行った場合、この時ハザクラの思う”はな“と、命令された者の思う“はな”では、一体どちらが無理往生に適応されるのか。

 答えは前者である。例え命令された者が“花”と認識していても、ハザクラが“鼻”という意味で発言していれば。“鼻”が無理往生の対象になる。すると次は、これを“意味と言葉が全く異なる文章で行ったらどうなるのか”という問題が発生する。例えば「右手を上げて」という命令を「しゃがんで」という意味で発言した場合。

 そして、これの答えも同じ“命令者の認識している意味に依存する“ことになる。

 ここで出てくるのが相違言語である。

 ハザクラが「右手を上げて」という発言を「しゃがんで」という意味で発言すれば、先程の法則に従い”しゃがんで“が命令になる。この意味が言葉と相違する言語、”相違言語“を使うことでハザクラは完全監視状態の部屋から使奴を救うことを試みた。

 しかしこの方法には大きな問題がある。それは”そもそも言葉を異なる意味で発言することは不可能“という点である。

 人は(いずれ)も、言葉を発する時にわざわざ意味を考えない。母国語以外の不慣れな言語であればあり得るが、歩く時に「右足を出して重心を移動させ〜」と考える人がいないのと同じである。深層意識に刻み込まれた言語、ましてや文章の理解を(くつがえ)すことは不可能に近い。

 

 それをハザクラは思いついてから10数年間行ってきた。当然殆どが失敗に終わり、多くの使奴が正規品として出荷された。しかし

 

 

 

「でもね、私には伝わってたわよ」

 イチルギはソファに座りながら、対面に座るハザクラを上目遣いで見つめる。

「凄いことよコレって。一回覚えちゃった言葉の意味を、自分の意思で出鱈目(デタラメ)に捻じ曲げるなんて。よく頑張ったわ」

 隣に座るハピネスは、物珍しそうにハザクラを眺めながら小さく感嘆(かんたん)の声を()らす。

「ほぉ……そんなことが……」

 対面に座るハザクラは黙って目を伏せており、その横に座るベルが両膝に手をついて深々と頭を下げた。

「そうか……イチルギが最初に逃げた使奴だったのか……そうとは知らずに、今まで不遜(ふそん)な態度を取って申し訳ない」

「……ハザクラ君に命令された時、それまでぼんやりとしていた意識が突然明瞭(めいりょう)になって思考が回るようになったの。最初は何が起こったのか分からなかったけど、武装した警備員とか(うつむ)いたハザクラ君を見て、今は動くべき時じゃないって思ったわ。だから出荷直前まで命令が効いたフリをしてた……あの後機械色々弄ってから逃げたんだけど、役に立った?」

 ハザクラは目を閉じて小さく頷く。

「ああ、大いに役立った。心の底から感謝を申し上げる」

「私からも礼を言わせてくれイチルギ。お陰で我々はこの現在も、五体満足で生き長らえさせて貰っているんだ」

「あっはっは。そんな大層なことしてないわよ。命令したのはハザクラ君じゃない」

「俺か……?多分あの時は“逃げろ”くらいしか念じなかったと思うんだが……」

 顎に手を当てて考え始めたハザクラに、イチルギは自分の頬を撫でながら上を向く。

「あーそれは多分異能の振り幅が大きいのねきっと。私にとっての“逃げる”ってのは、脅威(きょうい)から遠ざかって自分の安全を確保するって意味だけじゃなくて、脅威を排除して安全の維持に努めるってのも入ってたと思うの。だからハザクラ君を助けることは、十分“脅威の排除”にあたる行為で、“逃げろ”って命令に従ってたんだと思うわ」

 半分納得したような煮え切らない表情を浮かべるハザクラに、イチルギは続けて話しかける。

「ところで……私への命令ってまだ継続中?あれからもう200年も経ってるけど」

 その言葉にベルが若干身体を(こわば)らせるが、ハザクラは片手でベルを制止し返答する。

「まあ……まだ継続しているように思えるが、若干違和感がある。その気になれば反発できるんじゃないのか」

「何故言ってしまうんだハザクラ!確かにイチルギに恩義はあるが……!」

「やめろベル。これから協力してもらおうという相手にする態度じゃない。それに、少なくともイチルギに異能を使うつもりは無い。俺としては、彼女には誠意のみで判断してもらいたい」

「し、しかし……」

 不安そうにイチルギの方を向くベル。しかしイチルギは再びにっこりと笑い足を組み直す。

「そうね。じゃあ私も誠意で答えなきゃ」

 イチルギは何かを見透かすようにハザクラをじっと見つめ、ゆっくりと口を開く。

「ハザクラ君の異能は、“承諾”をトリガーとして発動する命令の強制よね。自分の命令に相手が承諾すれば相手はその命令に逆らえない。てことは、その逆もアリだったりする?」

 ハザクラが返事を返そうとしたその瞬間。

「言わなくていいわ、先に言わせて――――今から“境界の門“特別調査員イチルギは、ハザクラの異能による命令を拒否しません」

 静まり返った執務室に、ハピネスの溜息だけが響く。

「はー……言ってしまったか。私は反対なんだがな」

「ふふん。さてハザクラくん。後はアナタの返事だけよ?」

 ハザクラは決意したように目を(つむ)り、立ち上がってイチルギに手を差し出す。

「無論、俺の異能には”そういう使い方“もある。だが返事はしない。これからよろしく頼む」

 ハザクラがイチルギに手を差し出すと、イチルギは素直に手を握り微笑んだ。

 

 

 

〜人道主義自己防衛軍 会議室〜

 

「なぁぁぁああにしとるんだこんの(たわ)けがぁ!!!」

 イチルギに向けたラルバの怒号は広々とした会議室の窓を揺らし、真横にいたラデックとハピネスの鼓膜を蹴り付けた。ベルの横に立つハザクラも両手で耳を塞いでおり、軽蔑(けいべつ)の眼差しでラルバを見上げている。

「うるさっ。ゴメンねハザクラ君。大丈夫?」

「あんまり。彼女は何者だ。イチルギの仲間であれば、何故不法入国している」

「ゴメン、それは私も本当に頭にきてるわ……彼女の名前はラルバ。頭のネジが全部飛んでる快楽殺人鬼」

 イチルギは(しか)めっ面でラルバにチョップを喰らわせる。

 ベルに呼ばれて途中参加した、人道主義自己防衛軍の軍団”クサリ“の総指揮官”ジャハル“が、ラルバの常軌(じょうき)(いっ)した傍若無人さに呆れ返り、極悪人を軽蔑するが如くラルバを睨み威嚇している。

「……イチルギさん。私からも聞きたいのですが、なぜ彼女をここへ連れてきたんですか?」

「んー……まあ……それは後で」

 苦笑いをしてジャハルの問いを誤魔化(ごまか)したイチルギは、ラデックに近寄りハザクラ達に紹介する。

「隣の大人しい彼がラデック。使奴研究員らしいわ」

「第二使奴研究所レベル1技術者ラデック。これからよろしく」

 ラデックがハザクラに手を差し出す。

「……人道主義自己防衛軍”ヒダネ“所属、指揮官のハザクラだ」

 ハザクラは差し出された手を取り、お互いに仏頂面(ぶっちょうづら)を崩すことなく握手を交わす。ハザクラの無表情には不信感や警戒が(にじ)み出ているが、ラデックの無表情からは近い感情は一切見えず、暢気な無愛想と言った雰囲気を(まと)っている。

 すると、ラルバがラデックをハザクラから引き剥がし詰め寄り、ゴリゴリと歯軋(はぎし)りを鳴らしながら見下す。

「正義のスーパーヒーロー、ラルバだ。言っておくがコレは私の旅路だぞ。ついてくるのは構わんが主導権は握らせてもらう!」

「場合による」

 眉間に(しわ)を寄せてハザクラを睨むラルバに、全く動じず言葉を返すハザクラ。

 すぐさまジャハルがハザクラを庇う様に間へ入ってラルバを睨みつける。

「なんだ白黒女。ホイップフラペチーノの仮装か?」

 ジャハルの黒ずんだ褐色の肌と銀髪を揶揄(やゆ)するラルバに、ジャハルは黙って目を細め威圧する。睨めっこに痺れを切らしたラルバが(うめ)き声を上げながら大きくのけ反り、頭を掻き(むし)る。

「ぬぁぁぁあああっ!!納得いかん!!」

 厳格な門番のように仁王立ちを崩さないジャハルの後ろから、ハザクラが顔を(のぞ)かせる。

「お前は悪を滅ぼすのが目的なんだろう?俺の目的とも共通点が多くある」

「はぁ?正義のヒーローは一人で十分なんだが?」

「俺の目的は使奴の解放と、平和な世界を造ることだ。悪を裁く過程は避けて通れない」

 ハザクラは背を向けると、会議室の白板に大きく地図を描く。

「“境界の門”――――世界ギルドは序盤に制覇したかったが、イチルギの協力を得た今は最早必要ないだろう。となると、俺の思い描く道筋はこうだ」

 ハザクラが地図に打った点に、順番に国名を記入していく。

「まずは“ダクラシフ商工会”次に“ヒトシズク・レストラン”を制圧する。この2カ国はドンマやシュガルバ関係の団体と繋がりが深く、奴等の大きな資金源にもなっている」

 一瞬会議室の空気が(よど)むが、構わずハザクラは白板に向かって説明を続ける。

「“ 愛と正義の平和支援会”に“ ベアブロウ陵墓(りょうぼ)”と、ここもあまりいい噂を聞かない。“なんでも人形ラボラトリー”や“真吐(まことつ)き一座”に“崇高で偉大なるブランハット帝国”――――この辺りも気になる部分は多いが……ひとまず後回しでいいだろう。問題は次だ。昨今積極的に他国を攻撃している“グリディアン神殿”に、人種差別による内戦が国外にも伝播(でんぱ)しつつある“スヴァルタスフォード自治区”この2カ国を続けて制圧したい。そして――――」

 ハザクラはペンである一点を何度も丸で囲む。

「機会を(うかが)って“笑顔による文明保安教会”に侵攻する。駐留(ちゅうりゅう)している信者の戦力は大凡(おおよそ)1万と少ないが、笑顔の七人衆直属の戦闘員だ。我々30万の兵力を注ぎ込んでも大きな損害が出ることは確実だが、そこは使奴であるベル、イチルギ、ラルバの3人が矢面(やおもて)に立って上手く撹乱(かくらん)して欲しい。そして我々の精鋭部隊を総動員し笑顔の七人衆と先導の審神者を無力化する。後ろ盾がなくなった残党を根刮(ねこそ)駆逐(くちく)し、目まぐるしくはなるが状況が改善した側から戦力を偵察(ていさつ)の強化に回す。最終目的として、どこかにあるはずの盗賊団が蔓延(はびこ)る集落――――笑顔の七人衆をも(しの)ぐ悪意と実力を持ち、数百人という少数勢力ながらも唯一奴等の対抗勢力になっていた無頼(ぶらい)巣窟(そうくつ)“一匹狼の群れ”を見つけ出し、全兵力を以って陥落(かんらく)させる。これが俺の筋書きだ」

 そう言って真剣な顔で振り返るハザクラ。しかしベルとジャハル以外の人間は困惑の表情を見せており、ラルバは下唇(したくちびる)を噛んで不満そうな顔をしている。

「別にラルバ達の目的とはそう逸脱(いつだつ)していないはずだ。当然上手くは行かないだろうが、笑顔による文明保安教会への侵攻作戦。一匹狼の群れへの対抗策も練ってある。何が不満だ。」

 ラルバは小さく(うな)った後に、小馬鹿にする様な鼻息を小さく鳴らしてせせら笑う。

「そういえば紹介まだだったね。ハピネスさんどうぞ」

 ハピネスという名前に場の空気が一瞬で凍りつき、不幸者の透き通った美声だけが響き渡る。

「……どうも、“笑顔による文明保安教会”先導の審神者――――ハピネス・レッセンベルクだ。ラルバに笑顔の七人衆を壊滅(かいめつ)させられたのでな。暇潰(ひまつぶ)しに同行している。どうぞよろしく」

「あと“一匹狼の群れ”だが、盗賊と奴隷(どれい)がいっぱいいた小さい国だろう?もう大体全員ぶっ殺したよ」

 

 

 

 

 ハザクラの落としたペンの音が、静止画のように切り取られた会議室に(むな)しく木霊(こだま)した。



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37話 新たなる仲間

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「おい見ろラデック!“なんでも人形ラボラトリー”だって!あははー変な名前ー」

「何をどうしたらそんな名前になるんだろうな……ハピネスは何か知っているか?」

「ん?ああ、知っているが……言っていいのか?」

「ダメに決まってるだろうバカちん!!ネタバレやめろ!!」

「……だそうだ。行って確かめればいい」

「行けばわかるタイプの理由なのか?」

「おっと……」

「あーっ!!なんで言っちゃうんだハピネスのぶぁーか!!」

「申し訳ない。ほら、ラデック君も謝って」

何故(なぜ)……ん?この“バルコス艦隊”って国名……どっかで聞いた気が……」

「バカバカバカバカバァーカ!!お前らもう喋るな!!」

 ラルバ達はハザクラが描いた簡略化(かんりゃくか)された世界地図の前でワイワイと談笑をしている。その後ろではハザクラとジャハルが項垂(うなだ)れ、それを心配そうにベルとイチルギが見つめている。

 ベルは微動だにしないハザクラの背中を()で、気まずそうに声をかけた。

「ま、まあ良かったじゃないか。一番の心配事がなくなったんだ」

「……俺が使奴の性能を甘く見ていた。強いとは思っていたが、まさか“一匹狼の群れ”を単独で壊滅させられる程だとは。ベルは自分で気がつかなかったのか?」

「あ、いや、まあ。何となく勝てるかもしれないなとは考えていたが、下手に(やぶ)を突いてわんさか蛇が()いても敵わない。あの勢力は一筋では行かないと早合点(はやがてん)していた節はある」

 ベルの隣で(うな)っていたイチルギも、申し訳なさそうに(うつむ)いている。

「せめて笑顔の七人衆が壊滅したことぐらいは伝えたかったんだけど……どっかで漏れると世界情勢が狂っちゃうから……」

 死にかけた格闘家のように椅子(いす)にもたれかかるジャハルは、(うな)されるようにボソボソと呟く。

「……確かに。今の状況は一件落着のように見えますが、実の所問題だらけです。笑顔の七人衆と一匹狼の群れ。この二大勢力が拮抗(きっこう)して保たれていた裏社会の火種が、抑圧(よくあつ)する敵がいなくなって暴れ出すのも時間の問題……今はまだ情報が漏れていないから今まで通りの様相(ようそう)を保っているのでしょうが、流石にコトが大き過ぎる……隠し通すのは不可能です」

 ハザクラは小さく(うなず)き、のっそりと椅子から立ち上がって会議室の扉に手をかける。

「……(しばら)く1人で考えたい。イチルギ達には申し訳ないが、一晩待ってくれ」

 ジャハルとベルもそれに続き、イチルギは小さく溜息を吐きながらラルバを引きずってラデック達と会議室を後にした。

 

 翌日、ハザクラに呼び出されたラルバ達は再び会議室に(おとず)れていた。ラデックが窓の外を見ると、数百人の軍人達が一心不乱に訓練をしているのが目に入り、ふと、依然姿を見かけないバリア達のことが頭を(よぎ)った。

「なあラルバ。そろそろバリアとラプーを探しに行った方がいいんじゃないのか?」

「んえあ?だいじょーぶだいじょーぶ。心配いらん」

「そうなのか?」

「そうなのだ」

 そこへハザクラが遅れて到着し、ジャハルも続いて入室する。しかし、そこに総統(そうとう)ベルの姿はなかった。

「遅れてすまない。昨日の話の続きだが……」

「続きもクソもあるか。お前らが私に(したが)え。以上」

 ハザクラの言葉を(さえぎ)って偉そうに鼻息を鳴らすラルバ。イチルギが呆れて大きく溜息を吐くも、ハザクラは毅然(きぜん)とした態度で首を縦に振った。

「わかった。お前達に従おう」

 意外過ぎるハザクラの承諾(しょうだく)に、ラルバ達全員が驚きの表情でハザクラを見つめる。

「おおっと……どーゆー風の吹き回し?」

 ハザクラがチラリとジャハルに目を向けると、ジャハルは静かに頷き深紅の(ひとみ)をラルバへ向ける。

「お前達の働きで、笑顔による文明保安協会、一匹狼の群れが壊滅したことはわかった。だがしかし、その残党は行方(ゆくえ)(くら)ませ、二大勢力の(かげ)で抑圧されていた勢力が不可解な状況に鳴りを(ひそ)めている。故に我々は、君達の旅に同行してその悪党共を秘密裏に鎮圧(ちんあつ)していかなければならない」

 堂々とした態度で説明をするジャハルに、ラルバが首を(かし)げて口を挟む。

「別にいーけど、私らの旅って牛歩も牛歩よ?正直お前らの意見を参考にする気もないし、そっちはそっちで勝手にやれば?」

 ジャハルが大きく頷く。

「無論、私も当初はそう提案したし、実際、人道主義自己防衛軍は今後治安維持に世界ギルドと協力しあって取り組んでいく。だが、ハザクラやベル様の意見では……それだけでは足りないそうだ。早い話が、ラルバを(おとり)に使う」

「おおっとぉ?それ本人に言う?」

「言われて気にするのか?」

「うんにゃ?」

「効率的に各地を潰していきたいと言うのは本心だが、それでは他の勢力に気付かれる。だからラルバという快楽殺人鬼を槍玉(やりだま)にあげるわけだ。不穏(ふおん)な世界情勢に突如(とつじょ)現れた新進気鋭(しんしんきえい)の第三勢力。それを討ち取らんと後を追ってきた連中を、我が軍が待ち伏せして仕留める」

「はぇー……まあ好きにしたら?言っとくけど、その待ち伏せ失敗して助けてーって言われても手ェ貸さないからね?」

「はっ。要らぬ心配だ。他に何か聞きたいことは?」

「明日の天気は?」

 ジャハルはハザクラと共にイチルギの方へ向き直り、ロボットのように機械的な動きで敬礼の姿勢をとる。

「改めて、人道主義自己防衛軍“クサリ”総指揮官ジャハル。これからよろしく頼む」

「……人道主義自己防衛軍“ヒダネ”総指揮官ハザクラ。どうぞよろしく」

 

【挿絵表示】

 

「んぇぇ……本当に来んのぉ……」

 不満そうなラルバを他所に、ラデック達は和やかにハザクラ達と握手を交わした。

 

【軍人 ジャハルが加入】

【元メインギア ハザクラが加入】

 

 ジャハルに差し伸べられた手を、ラデックが握ろうとした瞬間。

「ちょっと待ったぁーっ!!!」

 響いたラルバの物言いが、2人の結束を切り裂いた。ハザクラが長い前髪の奥から(のぞ)いているであろう瞳を若干(じゃっかん)曇らせながら、ラルバの方に半分だけ顔を向ける。ジャハルも同じく顔を(しか)めるが、しかしラルバは大きく鼻息を鳴らして2人を(にら)み、(するど)く尖った歯をギラリと輝かせる。

「気が変わった!!同行は拒否する!!」

 

【ジャハル、ハザクラが離脱】

 

「はぁ?お前は今更何を言っているんだ?」

 ジャハルが信じられないと言った様子で不満そうに首を(ひね)る。

「いやあ、よく考えてみたら無条件で提案を飲むのは(しゃく)だなぁと思いまして」

 ラルバが何故か照れ臭そうに後頭部を()く。その様子を見て(いきどお)りを吐き出しかけているジャハルを、ハザクラが制止しながらラルバと対峙(たいじ)する。

「俺達2人がラルバ達に(したが)うというのが条件だったはず。これ以上は不相応だ」

「不相応かどうかは取引相手が決めるんだよチビ助」

「これ以上何を望む」

「え、それは今から考えます」

 (きびす)を返したラルバがウンウンと唸りながらその場を歩き回る。あまりの剽軽(ひょうきん)さに(あき)れたハザクラとジャハルが、唯一話が通じそうなイチルギに目を向けるが、イチルギは何も聞こえませんと言わんばかりに両耳を塞いでそっぽを向いていた。

「そうだ!こうしよう!」

 ラルバが手をポンと叩いてイチルギの方を向く。

「おイチさんや、ちょっちおいで」

「え、嫌」

 イチルギはラルバに無理矢理引っ張られ部屋の外へ出ていく。

 暫くすると頭を抱えて部屋の外から顔を覗かせ、ハザクラ達に手招きをする。ハザクラとジャハルは互いに顔を見合わせて、不審に思いながらも大人しく部屋を出て行った。

 残されたラデックとハピネスは黙って会議室で呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす。

「……なあハピネス」

「なんだいラデック君」

根拠(こんきょ)はないが、なんだか(ろく)でもないことを計画されている気がする」

奇遇(きぐう)だね。私もだ」

 結局ハザクラ達を同行させる話は一旦流れ、結論は後日に持ち越された。

 そして翌朝、ラデックとハピネスは自分達の予想が的中することを知る。

 

〜人道主義自己防衛軍 第十八訓練場〜

 

 地下に作られたコンクリートの無機質な大部屋。ハザクラとジャハルは真剣な表情でラルバを睨んでおり、上機嫌のラルバの隣ではイチルギが依然(いぜん)不貞腐(ふてくさ)れている。

 ラデックとハピネスは、これから起こることをぼんやりと予想しながらも若干能天気な気分を引きずったままでいた。しかし、その愚鈍(ぐどん)な考えはラルバの宣言により残酷(ざんこく)にも引き裂かれることとなる。

「それではまず一戦目!!ジャハル対ラデック!!どちらかが先に致命傷を与えた方の勝利となりまぁす!!」

 ラデックはギョッとしてラルバとジャハルを交互に見た。ヘラヘラと楽しそうに笑うラルバ、しかし微動だにせずこちらを(にら)むジャハルを見て、ラルバの宣言が冗談ではないことを察し後ずさる。

「タ、タイムだ。タイム。時間をくれ」

 ラデックはジャハルに(てのひら)を見せると、ジャハルは若干気の毒そうに頷きハザクラと共に遠ざかる。ラデックはハピネスと共に急いでラルバとイチルギに詰め寄る。

「おいラルバ。俺が彼女に勝てるはずないだろう。あと致命傷を与えた方の勝ちってなんだ。殺す気か?」

「ラ、ラルバ。まさか次は私とハザクラ君を戦わせる気じゃないだろうね。私は戦闘はからっきしだし、ましてやハザクラ君のことも実を言うとよく知らないんだ。天地がひっくり返ろうとヒヨコから卵が(かえ)ろうと私が彼に勝てることなど万一にもない」

 いつになく真剣な2人に詰め寄られてもケラケラと笑うラルバに、顔を(そむ)けながら我関(われかん)せずを決め込むイチルギ。

「おいラルバ、聞いているのか。おい何とか言えラルバ」

 ラルバはラデックにガクガクと肩を強く()さぶられながら、ニヤついた顔で答える。

「なあに簡単な話だ。私らについて来たくば(ちから)を示せと言ったのだ。だが私やイチルギが参加するとコッチの勝ちが確定すると言われてなぁ。そこで君らに白羽(しらは)の矢が立った訳だよ」

「俺が死ぬ可能性を算段に入れるな」

「はっ。使奴の私とイチルギが審判(しんぱん)やるんだぞ?ああ、(ちな)みに後でベルも来る。当然勝敗が決した瞬間に回復魔法で即治療するさ。この3人が見ている中でラデックを殺せるとしたら、最早(もはや)私とて敵わん。無論そんなことはありえんだろう?だから心配するな」

 ラルバの(となり)でハピネスが「私は?」とラルバの(そで)を引いているが、ラルバは構わずラデックの顔を覗き込む。

「というか……私はそもそもお前がジャハル程度に負けると思っていない」

「……それは思い違いだ。彼女は使奴に教育された軍人数十万人のトップだ。俺なんか人生の(ほとん)どをデスクワークに(つい)やしてきた畜生(ちくしょう)同然の木偶(でく)(ぼう)だぞ」

「それは私が最新モデルの“多目的バイオロイド“と知っての反駁(はんばく)か?ラデック。旧文明の知識技術思考全てを完璧に組み上げられた生きる机上(きじょう)の空論である使奴が言っているんだぞ?思い違いなどあるものかこの天然人間めが」

 ラルバはラデックの手をとり、ラデックの両手の指を交差させる形に握らせる。

「異能の“虚構拡張(きょこうかくちょう)”のやり方を教えてやろう。こうして指を組んでだな……まあ正直両手を握るだけでもいい。こう強く握ってから左右に強く引いて……一気に離す!ああ、今やるなよ?ジャハル達にバレるからな」

「おい、まさか今習得させるのか?そもそも虚構拡張について俺はあまり(くわ)しくないんだが……」

「問題ない。ラデックが生まれた時から異能の使い方を知っているように、虚構拡張も使えば効果がわかる。問題はぶっつけ本番で成功するかだ。そうだな……イメージとしては、ぐぐぐぐ〜っパァーン!!って感じだ!ワインのコルクを力ずくで引っこ抜くみたいな!」

「いやそんなフワッとしたイメージで言われても……具体的に説明してくれ」

「ええ……この方が分かりやすい筈なんだがな……えっとー、各関節を可動域(かどういき)の半分程度内側に曲げて可能な限り力を込め、小指第二関節から順番に6〜9%ずつ力を抜いて中指の第一関節まで抜いたら重心を前に2センチ移動させつつ……」

「すまない。悪かった。さっきのでいい」

「だぁから言ったじゃない。大丈夫大丈夫これで絶対できるから!!ぐぐぐぐ〜っパァーン!!だよ!パイナップルのヘタを引っこ抜く感じで!」

「さっきと言ってること違くないか?」

「あ、そうだ。もう一個おまじない」

「なんだ?」

 ラルバはラデックの左脇腹を(さす)ると、目にも止まらぬ速さで掌底(しょうてい)を打ち込んだ。

「ぐおっ……!!!な、何故……!!!」

「声(こら)えろ。あっちに怪我がバレるぞ」

「な……ぜ……おぉ……これ、折れたんじゃないのか……」

「折れてはないだろうけど、多分もう一発(もら)ったら折れるね。あと……今雷魔法をかけた」

 ラルバがラデックにデコピンを食らわせると、ラデックは歯を食いしばって(ひたい)を抑える。

「ぐあっ……!!!痛っ……!!!」

「物理的に弱くなった訳じゃないけど、神経がめちゃくちゃ敏感になってるよ。ちょっとした痛みで(もだ)え苦しむだろうから、ノーダメクリア頑張ってね!」

「……それは試練か?」

「だから勝つためのおまじないだってば。信じて欲しいなぁ〜仲間なんだし」

「……仲間は試合開始前に(あばら)を折ったりはしないと思う」

「折ってないってば。折れるより痛いのは確かだけど。折ってはいない」

 ラルバが「行ってこい」と背中を押すと、首を(かし)げながらも手元で何度か虚構拡張の練習をしてジャハルの方へ歩き出したラデック。ジャハルもそれを見ると、ハザクラに手を振って訓練場の中心へ歩き出す。ラルバはそれをニヤニヤと不敵な笑みで見送ると、イチルギとハピネスと共に壁際へと移動する。

「いやあ楽しみですねぇ……なんだかんだ誰かの(たたか)いを見るのは初めてだからな!私からすると人間は全員クソ雑魚だし、こうでもしないと戦力の違いが分からないからねぇ」

 ラルバの独り言に誰も返事はせず、イチルギは相変わらず不機嫌に目線を(そら)らしながら壁際のパイプ椅子に腰掛ける。

「んもうチル坊いつまで()ねてんのさ。審判そんな嫌?」

「全部が嫌」

「あらま」

 イチルギの横へ腰掛けるラルバとハピネス。そしてハピネスは再びラルバの袖を引いて不安そうに問いかける。

「な、なあラルバ。私にはさっきみたいな助言ないのか?私もこの後ハザクラ君と闘うんだろう?なにか勝ち筋とかって」

「ガッツ!」

「……それで勝てるのか?」

「無理じゃない?」

 

 訓練場の中心で(にら)み合うラデックとジャハル。もう既に互いに間合いに入っており、後はラルバの開始の合図を待つのみとなっている。

「……ラデック、だったな。一応言っておくが、今後同行するからと言って手加減などはするつもりはない。(すき)あらば一瞬でその身体を三等分にするつもりだ。元研究員だと聞いたが……戦闘は苦手とかの言い訳は一切通用しないからな」

「さっき足を(ひね)ったから手加減をして欲しいんだが」

「ならばまず足を切り落としてやろう」

「……治った気がする。大丈夫だ」

 ジャハルは背負った姿見のように太い大剣を構え、ラデックに突きつける。その威圧感からラデックは何か返さなければという謎の義務感を覚え、両拳を頭の高さで(そろ)えた素人感丸出しのファイティングポーズを取る。

 

 

 

 

 

「2人とも準備いい感じぃ〜?それでは勝負ぅ〜………………開始っ!!!」



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38話 ラデック対ジャハル

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 ラルバの掛け声と同時に、ジャハルは真後ろへと大きく跳躍(ちょうやく)した。

 通常一対一の対人戦では、先手必勝が常となる。駆け引き、フェイント、カウンター、鍔迫(つばぜ)り合い、騙し打ち。そういった技術のやり取りに持ち込ませない。そもそも相手を土俵に上げないことが人道主義自己防衛軍で教わるセオリーである。

 人道主義自己防衛軍の戦闘技術は大きく三種類に分けられる。対使奴戦、対人戦、そして今回のような“対異能者戦”。非接触型や受動型強制発動の異能を持つ者の場合、先手必勝は往々(おうおう)にして悪手となり得る。そのため相手が異能を持っている可能性がある場合は、多少のリスクを承知で距離を取り、様子見をすることが鉄則になる。

 対するラデックは、すぐさま自身の頭を両手で抑え異能による”改造“を行った。

 一時的な動体視力、深視力の強化。ラルバによって手負にされたラデックにとって、相手の動きを見極めることは他の何よりも優先すべき必須事項だった。

 ラデックは一匹狼の群れを訪れた直後、これから遭遇(そうぐう)するであろう脅威に対処できるよう自身の肉体を改造していた。それは使奴相手にも通用するほどの膂力(りょりょく)を得るものであったが、脳の改造だけは万が一失敗した時に取り返しがつかないため行っておらず、それに伴い五感の改造も行っていなかった。

 しかし、ラルバに手負にされた今回に限り、ジャハルの攻撃を肉体改造で軽減することは不可能。故に視覚情報過多(かた)による脳への負荷を多少覚悟しながらも、攻撃を見極めるために視覚の強化を行わざるを得なかった。

 ラデックが自身の頭を両手で覆った瞬間、ジャハルは“様子見”が日和見(ひよりみ)な悪手だと言うことに気がつく。ラデックが魔力を帯びていないことにより、今まさにラデックが異能を使用していること。頭を手で覆っていることから、発動には接触が必須であること。また、それは自身の能力を向上させる“生物対象型”か、相手の何かを無効化、軽減させる“受動型”である可能性が大きいということ。

 ジャハルは開始直後に後ろへ跳び退いてから着地するまでの、1秒にも満たない時間でそれらを把握し理解した。そして着地の瞬間大きく地面を蹴り、大剣を構えてラデックに一瞬で斬りかかる。

 しかし、視覚の強化が済んだラデックの前では、如何に速い斬撃も人間技であれば見切ることは容易(たやす)く、ジャハルの渾身(こんしん)の力を込めた切り上げは(わず)かに身体を()らされ(かわ)される。

 ジャハルは逃すまいと(ひざ)を持ち上げ腹部に()りを打ち込むが、これも見切られラデックは大きく後方へ跳んで回避する。

その瞬間、ジャハルは大剣から手を離し“両手の指を胸の前で組み合わせ“た。ラデックは一瞬で意味を理解し、慌てて自分も同じ構えを取る。

「ぐぐぐぐ〜っからのパーンって感じ……ぐぐぐぐ〜っと……」

「虚構」

「ぐぐぐぐ〜……」

「拡張」

「パーン」

 2人が同時に手を左右へ弾くと、訓練場の景色が”燃え上がり“一方では”タイルがひっくり返るように“して、一瞬で摩訶不思議(まかふしぎ)な光景へと切り替わる。

 ジャハルの立っている側半分は血塗(ちまみ)れの医務室に、ラデックの立っている側半分はトグルスイッチやロータリースイッチが大量についたコックピットのような景色に切り替わり、2人の間を境界線として景色が混ざり(うごめ)いている。

「おおお……これが俺の虚構拡張……ちょっと楽しい……」

 ラデックが暢気(のんき)に辺りを見回していると、ジャハルが大剣を振り回して突進してくる。未だラルバの雷魔法が持続しているラデックは、掠ることさえも恐れ大袈裟(おおげさ)に逃げ回り、それをジャハルが様々な魔法を使い追い()めていく。

 

 ラルバ達の横で闘いを見ていたハピネスは、遊園地に来た子供の様に空を見上げ、虚構拡張によって創られた奇妙な景色を眺めている。

「ほぉ……2人同時に使うとこうなるのか……面白いな……」

 ラデック達の攻防戦そっちのけで感嘆(かんたん)の声を漏らすハピネスに、ラルバが上体を寄せる。

「なんだハピネス。てっきり何度も“(のぞ)き見”しているもんかと思ってたけど」

「いや、この類の結界に私は入れないんだ。私自身虚構拡張を使えないし。虚構拡張の具体的なメリットにはどういうものがあるんだ?」

「う〜ん……まずは単純に異能の強化かな?範囲が広がったり、ターゲットを増やせたり、接触型は非接触で行えたり、生物無生物は関係なかったかな」

「それは知ってるんだが、それ以外は何かあるのか?」

「う〜ん……虚構拡張は異能の強化よりも、正直この結界の形成の方が目的だねぇ。これ電波も波導(はどう)も通さないし、外からほぼ入れないし出られない。旧文明の武将だと、敵陣に単独突っ走ってて使う奴がいたな。そうすると虚構拡張形成時に外と中の境界線上にいた奴らが軒並(のきな)波導捻転(はどうねんてん)を発症して、一気に200人くらい殺せる。発想がイイよね」

「これ境界線にいたら死ぬのか……」

「でも状況によりけりだけど、デメリットの方が多いっちゃ多いかな。これ多分1日に一回が限度だと思うんよ。私でさえ2回が限界だからね。使ってる最中は平気だけど、閉じると(しばら)くは異能使えないし。何より使い所が、ギリ個人戦なら勝てる相手に使うぐらいしかない」

「ああ、そうか。弱い相手ならそもそも使わずに倒せばいいし、強い相手に使っても結局自分の逃げ場を無くすだけなのか」

「そうそう。だからハピネスは覚えなくていいよ。第一覗き見の異能を閉鎖空間で強化してどうするのさ」

「…………レントゲン代わりとか?」

「多分ハピネスの異能だと、覗き見に使ってる自分の思念体(しねんたい)で物理的な接触が可能になるぐらいの効果しかないと思うよ」

「……実質素早く動けて空が飛べるだけか」

「閉鎖空間でだけね」

「意味がない……」

「あと虚構拡張のデメリットと言ったら、何と言っても“景色で異能の大体の予想がついちゃう”ことだね。うん」

「え?この景色って関係があるのか」

「あるよー」

 ラルバはラデックの作り出した景色、スイッチが大量についたコックピットの様な空間を指差す。

「こっちはラデックの異能。景色は本人が異能に対してどういうイメージを持ってるかで変わるんだ。個人的には改造の異能は粘土とか彫刻みたいなイメージかなーって思ってたけど、ラデック的にはスイッチのオンオフとかツマミを回すイメージみたいだね」

「ほぉー……てことはジャハルの方は……血塗れの部屋、医務室か?」

「そうだね。これだけでもう“治療”に関係するし、攻撃性があることもわかる。あとはベッドだけがやたら綺麗(きれい)だね。これも関係あると思うよ」

「ベッドが綺麗ってことは……患者(かんじゃ)は無事なのか?治療に関係して攻撃性がある……”怪我(けが)“をストックしておく異能とかか?」

「さあてどうでしょうねぇ。こればっかりは私も推測以外できん」

「……因みに今の話、ラデックにはしてあげたのか?」

「うんにゃ。ラデック頭は良いけど、割とお馬鹿さんなんだよねぇ。考えるより感じるタイプ。戦いの中で勝手に気付いてもらった方が理解できると思うよ」

 そう言ってラルバがラデックを見つめる。その目には信頼ではなく普遍(ふへん)の確信が灯っていた。

 

 そしてラルバの思う通り、ラデックは既に虚構拡張の景色の意味を理解していた。そして景色の内容が異能を表すこと、ジャハルの異能が“治療(ちりょう)”と“負傷”に関係しているのではないかということ、それらを何となく言語化するには難しい感触で理解していた。

 対するジャハルもそれは同じで、ラデックの異能を“能力変化”に近いものだと推測していた。

 ラデック視点では互いに外傷を負うことを避けるため、勝利条件に”一撃での勝利“が追加された。そしてジャハルはラデックの異能への警戒から”異能を使わせないほどの猛攻(もうこう)“が強いられた。

 しかし、ジャハルは一つ大きな勘違いをしていた。

 ジャハルの本来の利き手は左手であるが、今はこれを無理矢理矯正(きょうせい)して両使いにしている。そのため一般人からすれば両手が利き手の様に思えるが、細かい文字を書く時などに右手の精度が若干(じゃっかん)落ちて、本来の利き手が左手であることが発覚してしまう。そしてそれは、武芸に精通している人物と対峙(たいじ)したときにも容易に見抜かれてしまう。重心移動、得物(えもの)の振り方、目線、無意識のうちに左手を多く扱ってしまう(くせ)。しかしジャハルはそれらを逆手に取り、左側に注意を()らして右側から奇襲(きしゅう)する戦法を得意としていた。

 先のラデックとのやりとりの中でも、この戦法は行われている。左の大振り、それをフェイントに右手から射出された氷の弾丸。ラデックには容易に避けられてしまったが、この一件がジャハルに大きな勘違(かんちが)いをさせた。

 当然ラデックに武芸の心得(こころえ)など一切なく、頭の中にあるのは只管(ひたすら)愚直(ぐちょく)な”ラルバに叩かれた左の腹にダメージを喰らいたくない“という恐怖。そのためジャハルの攻撃が“ラデックの左側から繰り出された”時に、必要以上に警戒して飛び退()いた。これをジャハルは、ラデックが“元研究員という役職を隠れ(みの)に自身の戦力を隠していた”と思い、ラデックを“武芸に精通した演技派”と推測してしまった。

 結果的に、ジャハルの戦い方に大きな変化が現れた。重心を細かく左右に振る移動方、魔力の流れを目線とは逆方向に集中させるフェイント、攻撃を(おく)らせ相手のリズムを狂わせる呼吸法、故意に体勢を崩すミスディレクション。これらは強者向けのテクニックであり、相手が武術に長けた猛者であればあるほど(まど)わされ翻弄(ほんろう)されてしまう。

 しかしラデックはそんな技術を見抜く知能も知識もなく、フェイトは攻撃チャンスにはならず、ミスディレクションはカウンターに繋がらず、ただただ体力だけが(いちじる)しく消耗(しょうもう)されていった。

 2人の激戦、というよりはラデックの逃亡劇(とうぼうげき)は数十分もの間続き、異能で肉体を改造していたラデックにも疲労の色が見え始めた。しかしそれ以上にジャハルの疲れが顕著(けんちょ)に現れ、大剣を振り回す速度が目に見えて遅くなってきていた。

「はぁっ!はぁっ!クソ……!すばしっこい!」

「……もう見当ついていると思うが、俺の異能は”改造“だ」

 ラデックはコックピットの様な景色に少しだけ目を向ける。

「このスイッチを切り替える様に能力値を自在に操れる。あれ、自在は言い過ぎか……?まあそんな感じだ。それで肉体を壊れないギリギリまで強化している。ジャハルじゃあ到底追いつけない」

「はあ……はあ……そうみたい、だな」

「ん?負けを認めるのか?降参はナシらしいが」

「いいや……負けを認めるのは……お前だっ!!!」

 ジャハルは再び大剣を振り上げ、ラデックに渾身の力で突進をする。当然ラデックは軽いステップでそれを躱すが、ジャハルの振り回した大剣は勢い余って”彼女自身の脇腹を大きく裂いた”。

「なっ……!!!」

 ラデックは異能の発動を警戒して距離を取るが、虚構拡張による接触の警戒は無意味だということを思い出し“脚を()で“る。

「喰らえ……とっておきの”致命傷“だ!!!」

 ジャハルがラデックに向けて手を(かざ)す。するとラデックの脇腹が大きく裂け、大量の血を噴き出した。

 ラデックは(あわ)てて傷口に手を押し当て改造による治療を施す。しかしラルバにかけられた雷魔法のせいで、想像を絶する痛みが身体を(つらぬ)(うめ)き声一つ上げることすらままならなかった。ジャハルはニヤリと不敵に笑い、バリスタの様に鋭く強靭(きょうじん)な敵意をラデックに突き刺す。

「これで私の勝ち……あ?」

 ジャハルがラデックの方へ飛びかかろうと前傾姿勢になるが、足は地面に貼り付いた様に動かず地面へと倒れ込む。

「これは……!!」

 そこへ“痛覚”を改造によって低下させたラデックがフラフラと近寄り、ジャハルの頭を鷲掴(わしづか)みにした。

「血塗れの医務室に新品のベッド……ジャハルの異能は“負荷の入れ替え”か。それにこの疲労感……概念(がいねん)的なものも健康に支障をきたす場合は入れ替えられるのだろうか。でも俺の肉体改造は“負荷”じゃないし、下半身不随(かはんしんふずい)は立派な負荷だ。間に合って良かった」

 ジャハルはラデックの異能によって言葉と四肢の自由を奪われ、まだ自分の力で動かせる眼を伏せて(あご)を強く噛み締めた。

「勝負ありーっ!!!勝者ラデックーッ!!!」

 ラルバが上機嫌でサルのおもちゃの様に両手を叩いて宣言をする。ラデックはホッと胸を撫で下ろすと、ジャハルと自分の体に施した改造を(ほとん)ど元に戻してから虚構拡張を閉じた。

「いやあラデックお疲れさん!!ぶっちゃけ楽勝だったでしょ?」

 ラルバがぴょんぴょんとスキップをしながらラデックに駆け寄る。

「楽なものか。ジャハルの異能が時間の巻き戻しとか外傷の保存とかだったら一瞬で窮地(きゅうち)に立たされていた」

「違ったからいいじゃん」

「……まさか知っていたのか?」

「うーん……予想に近い。そういう系だったら国の維持に必須だし、私らに同行しないでしょ。あと時間巻き戻す異能なんか無いよ。魔法でも無理なんだから」

「あ、そうか……で、俺をぶん殴った理由は?」

「あんれれ?気づいてない?うっそだぁ」

「まったく」

「ジャハルの動き、途中から変にクネクネしてなかった?」

「え……いや……うーん……かも?」

「故意にビギナーズラックを発生させるおまじないだったんだが、わかんなかったかー……」

 ラルバとラデックがワイワイと雑談している隣では、ハザクラが悔しそうなジャハルを(なぐさ)めている。

「すまないハザクラ……!!完全に私の読み間違いだ……!!」

「………………いや」

 ハザクラはジャハルに背を向けてハピネスの方へ歩き出す。

「これで同点だ」

「……お手柔(てやわ)らかに?」

 

 

 

「じゃあお二人さん準備はいいカナ〜?よぉい………………始めっ!!!」

 再びラルバの合図で戦いの火蓋(ひぶた)が切って落とされた。

 “先導(せんどう)審神者(さにわ)”対“ヒダネ総指揮官”

 称号だけ見れば当然ハピネスの圧勝であることは明白であり、もしこの戦いを賭場に中継したならば間違いなくオッズはハピネスへ傾く。しかし当の本人は戦闘は(おろ)かスポーツですら一切勝ち目がない。

 そこで、ハピネスはハザクラから一勝をもぎ取る為に考えた“とっておきの秘策”を繰り出した。

「ハザクラ君っ!!私と“しりとり”で勝負だっ!!!」

『いいぞ』

「あっ」

 ハピネスの提案に“承諾(しょうだく)”しながら猛スピードで接近するハザクラ。その“承諾”に違和感を感じたハピネスは、全てを理解して顔面蒼白(そうはく)悔恨(かいこん)する。そのまま棒立ちしているハピネスを、ハザクラが腕を大きく振りかぶり地面へと叩き伏せた。

「りんごっっっ!!!」

 この世で最も怨嗟(えんさ)の念が込められた「りんご」が、地面を叩き割る衝突音(しょうとつおん)()き消されながら訓練場に(むな)しく木霊(こだま)した。

 

 

 

 

「これで同点だ」

 ハザクラは何事もなかったかの様な無表情のままラルバを見上げる。しかしラルバはニヤニヤと笑いながら顎を撫で、挑発する様にハザクラを見下す。

「ん〜?でも私“勝ったら”って言ったしなぁ〜。同点は勝ちじゃないよねぇ」

「言っておくがお前とイチルギの参加は認められない。それについてはベルが棄権をしているからな」

「えーじゃー誰ならいいのよー」

「対戦カードがお前かイチルギじゃあないのであればいい。そしたら俺からベルに参戦を頼もう」

 ハザクラはチラリとラデックを見るが、ラデックは首が取れそうなほどに頭を左右に激しく振って拒否している。

「じゃあ私が出る」

 突然話に割り込んできた女性の声。全員が声の方向を見ると、ラプーを引き連れたバリアがどこからか現れ気怠そうに首を掻いていた。

「いいよね?」

 バリアの視線の先にはハザクラがいたが、その眼差しはいつもの無味乾燥(むみかんそう)な意思表示ではなく、何か怪しげな感情が混じった不気味さを(かも)し出していた。

「せ……先生……!?」

 ハザクラが思わず()らした言葉に、全員が言葉を見失った。

 



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39話 バリア対ベル

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 訓練場の中央には、既にバリアとベルが対峙(たいじ)(にら)み合っている。バリアは普段通りのスーツ姿だが、ベルは丈の長いクロークを(まと)っており、その下がどうなっているのか(うかが)うことはできない。2人の間には5m程の距離があるものの、化け物じみた身体能力を持つ使奴にとってはほぼ無いにも等しい至近距離であった。

 訓練場の端ではラルバ達が静かに2人の様子を見守っており、時計の音だけが静かに響いている。しかし、数分の沈黙を挟んでから痺れを切らした様にラデックが口を開いた。

「……ラルバ、開戦の合図はしないのか?」

 そう聞かれると、ラルバは2人をじっと見つめたまま機械の様に口だけを動かした。

「意味がない」

「……意味がない?」

「私が開戦の合図をしようがしまいが、2人は(しばら)く……下手すれば数時間は動かないだろうな」

「何故だ?使奴同士の戦いでは後手必勝ということか?」

「うーむ……先手必敗と言った方が適切だ。かなり簡単に言うと、えー……マルバツゲームな?先手後手どっちがいい?」

「え……まあ、先手」

「何故だ?」

「いや、意味はない」

「いや、意味はある。それはラデックがマルバツゲームの規則性を知っているからだ。だから先手後手を悩まなかった」

「知らないが」

「互いが最善手を尽くすと必ず引き分けになる。使奴同士の戦いも似たようなものだ。我々使奴の運動能力に大きな差はない。体積によって保有する魔力量は多少違えど、幼児と百貫デブぐらいの体格差がないと明確な違いは無いに等しい。差があるとすれば、異能の有無とその種類だ。そしてこう言った試合形式の個人戦では、先に攻撃を仕掛けた方から自らの手の内を明かすことになる。だから2人とも動きたくないんだ」

「相手が先手必勝の異能を持っていた場合は?」

「警戒しておいて避けられなければ諦める。考える必要あるか?」

「いや、それ以外に何かあるかと思って……ブラフやフェイントで翻弄するのはダメなのか?使奴は演技力が高いだろう」

「はっ、演技力と同じくらい観察力も高い。ハッタリは無意味、故に戦闘方法も限られる。攻撃、回避、攻撃、防御、攻撃、回避、その繰り返しの中で先に“致命的な凡ミス”をかました方の負けだ。そして先程のマルバツゲームの話に戻るが……使奴に凡ミスは通常あり得ない。しかしマルバツゲームはどちらかがミスをしなければ終わらん。そこで唯一の勝機が“後手”なのだ。先手は必ず自分の手の内から明かさなくてはならない。後手は先手が明かにした範囲内で応戦して、相手が射程に入るのを待てばいい」

「んんん……??意味がわからないんだが……」

「あー……使奴同士の勝負の一番のキモは異能だ。異能を如何にして相手にぶつけ致命傷を負わせるか。つまり相手が自分の異能で致命傷を負う範囲内に来て欲しいわけだ。ラデックだったら触れないと異能を使えんだろう?だから異能を使おうと近づく、もしくは近づいてきてもらわにゃならんわけだ」

「まあ、そうだな。でも露骨(ろこつ)に近づくより、(わざ)と距離をとって接近してくるのを待つという手もある」

「それは人間の話。私ら使奴にそんな小細工は通用せん、互いにな。相手が“近づいてほしくない”という手の内を先手で明かすなら近づけばいい。“大振りを誘っている”ならば小技でちまちまと応戦すればいい。後手はそうやって安全圏内で戦っているうちに、先手が自らこちらの攻撃範囲内にのこのこやってくるのを待ち構えていればいいだけの話だ」

「いくら使奴でも、戦い方のみで嘘本当がわかるとは思えない。ましてや使奴同士なら尚更だ」

「ああそうだな。しかしそれでも先手の行動は後手にとって値千金(あたいせんきん)の判断材料になる。互いにそれを待っているんだ」

「言うほど先手必敗ではないな」

「うん。正直私はあんまり好まない手なのだがな。堅実さよりカタルシス!芸術点のない勝利など余りにも陳腐(ちんぷ)だ」

 そうしてラルバとラデックが雑談をしていると、訓練場にドンッと大きな振動が響いた。バリアがベルに接近する為、地面を大きく蹴り付けた音であった。突然に始まった激闘はあまりにも速く、観戦していた者が目を向ける頃には既に攻守が4巡した後だった。

 ベルは右手にカットラス、左手に小さなバックラーと短銃を構えて応戦し、対するバリアは徒手空拳(としゅくうけん)。小柄で大人しい普段の彼女からは想像もつかない手刀の連撃を放つ。それをベルが一歩も動かず必要最低限の動きで(かわ)し、バリアも自身の異能を悟られないよう攻撃を避け続けて、互いに付かず離れず一進一退の攻防を繰り広げる。

 無尽蔵の体力。底知れぬ知識と演算能力。空論を実現する強靭(きょうじん)な肉体。魔獣をも凌駕(りょうが)する五感。それらを(もっ)てすれば、(いく)ら似た性能の使奴同士とはいえ相手の術中になどそうそう()まることはない――――と誰もが思っていた。その直後

 

 ぬるり――――――

 

 バリアの首が落とされた。

 ベルのカットラスで切り落とされた首の切断面は瑞々(みずみず)しい果実の様に(なめ)らかに(かがや)き、鈍色(にびいろ)の刃は弧を描いて空中に鮮血を残す。バリアは一瞬驚愕の表情を浮かべるも、すぐさま自らの頭部を掴み切断面を押し付けあって癒合(ゆごう)させる。振り向くと同時にベルの短銃から鉛玉が放たれるが、バリアは目の端で(とら)えて(かわ)す。

 無敵の防御力を誇るバリアの首が落とされた。その事実に驚きの色を隠せないラデックを、ラルバが(ひじ)で突いて(にら)みつける。

 顔色に出すな、バリアの異能が予想される。そう訴えるラルバの眼差(まなざ)しも時既に遅く、ベルはラデックの態度にしっかりと気がついていた。

 しかしバリアもベルの異能には大凡(おおよそ)気がついていた。自分の首を切ったにも(かか)わらず刃毀(はこぼ)れ一つしていないカットラス、首に感じた刃先を押し付けられた時の弱々しい感覚、そして何より“使奴相手に短銃を武器として採用したベルの思惑(おもわく)”を考え、自分の予想に対し確信に近いものを感じていた。

 バリアはハザクラが使奴研究所を出る前に一度会っている。それからハザクラはベルと会い、今に至る。つまりベルは最初からバリアの異能を知っていたことになる。しかしベルは最初の立ち合いでバリア同様自分からは動かなかった。これによりベルの異能を“受動発動型“とバリアは推測していたが、それは戦況のリードを許すことと引き換えに否定されることになった。しかし、それを考慮(こうりょ)しても不自然なベルの行動にバリアは再び思考を錯綜(さくそう)させた。試合開始直後、ベルは果たして“動かなかった”のか“動けなかった”のか。その理由が両方であると知ったのは、それからたった数秒後のことであった。

 バリアがベルの胴体に勢いよく蹴りを入れると、「ピンっ」と甲高い音が微かに聞こえた。その場にいた使奴全員とジャハルは、その音の正体を容易(ようい)に推測した。

 ベルは最初からバリアの異能を知っていた。ハザクラから聞いていた“絶対防御”の異能。それを看破(かんぱ)することはベルにとって容易であった。

 物理法則を捻じ曲げるほどの防御力を持つバリア。その首を易々(やすやす)と切り落とせた理由。それは他でもない“剣というのはそういうモノだから”だ。ベルの異能は“道具対象の強化型“である。彼女が振るう剣は物体を”必ず切断“させ、銃は”決して弾詰まりを起こさず”銃弾は必ず”対象を貫く”弾丸になり、盾は”いかなる物体をも通さぬ”不壊(ふえ)の盾となる。

 そして、たった今ピンが引き抜かれた手榴弾は“必ず物体を粉々に吹き飛ばす”凄烈(せいれつ)な爆弾となるだろう。

 一瞬で視界を埋め尽くした爆発の閃光の中、バリアは自分の傲慢(ごうまん)さを()いていた。バリアはベルが手榴弾のピンを抜いたならば、ほぼ同時に警戒し回避することができただろう。今回それができなかったのは、手榴弾のピンを抜いたのは他でもないバリア自身だったからである。

 ベルは試合開始直前、(ふところ)に忍ばせた手榴弾に(くく)り付けた糸の端を針に結び”コンクリートの地面に突き刺して”いた。それにバリアが気づけなかったのは、ベルが(まと)っていたクロークが細工を“隠していた”せいだろう。そしてバリアが不安定な体勢でベルを蹴飛ばしたせいで、ベルトに繋がれていた手榴弾のピンが引っ張られた。手榴弾本体は“絶対に切れない糸”とコンクリートに“深く差し込まれた”針に引っ張られその場に残る。結果的に、バリアは自分自身でベルを爆発の安全圏まで押し出してしまったことになる。

 ベルは万が一避けられることを考え、バリアに運搬魔法をかけて空中に浮遊させた。最後のダメ押しのせいもあってか、バリアは目の前で起こる爆発を避けられず左半身を四散させた。

 

 ベルはクロークに飛び散った破片を(はた)き落としながらバリアに歩み寄る。バリアは左半身を(むご)たらしく吹き飛ばされ起き上がれず、仰向(あおむ)けで静かに倒れ込んでいる。

「……勝負あったな」

「まだ参ったって言ってないよ」

「そこからどうするというのだ。絶対防御じゃ私には勝てんだろう」

「わかんないじゃん?」

 一切声色を変化させず淡々と答えるバリアに、ベルは大きくため息をついてもう数歩近づく。

 突如、地面から触手の様に伸びて来た(くさり)がベルの四肢(しし)を拘束した。ベルは咄嗟(とっさ)にカットラスに手を伸ばすが、続けて地面から生えて来た無数の槍に(つらぬ)かれ空中に縛り上げられる。下に着込んだ”絶対に物体を通さないチェインメイル“も、魔法で作られた非物体の槍の前には役に立たず、肉体こそ損傷はないものの道具の使用をできないほどに身動きが取れなくなってしまった。

「これは……!?」

「油断したね」

 ベルが目玉だけを動かして声の方を見ると、依然(いぜん)左手左足を吹き飛ばされ転がったままのバリアと目が合った。(うつろ)な真紅の瞳は安堵(あんど)嘲笑(ちょうしょう)もせず、ただただ計算通りに遂行(すいこう)された作戦の結果を見届けている。

「知らなかったでしょ。対使奴専用の”使奴が作った魔法“なんて」

「使奴が、作った魔法……!?」

 バリアはゆっくりと身体を持ち上げ、魔法で作った義足で立ち上がる。

「“出荷用”の使奴に植え付けられる知識にはない旧文明の最新技術……使奴が使奴を()じ伏せるためだけに考案された、使奴部隊内部でだけ共有されてる対使奴専用魔法。要求される魔力量が常人には多過ぎるし、一般向けへの応用も殆ど()かないから世間には出回ってない。知ってるはずないよね」

 バリアは足元を指差すと、ほんの(わず)かに魔法陣が発光する。

「一瞬で拘束する魔法は仕込みが大変なの。“相手に密着して気づかれない様にちょっとづつ魔法式を構築しなきゃいけないし、しかも相手に魔法式構築前で逃げられてもダメ”だから。使奴部隊の中でもコレ使えるのは防御力の高い私ぐらい」

 そしてバリアは何度かベルの顔をぺちぺちと叩くと、何かを訴える様にラルバの方を見た。

「…………はーい勝負ありーっ!!!勝者!我がラルバ帝国のバリア選手ーっ!拍手!!」

 決着が宣言されると、バリアは少し疲れた様に腕を回しながらため息を吐く。(きびす)を返したバリアに、ベルは(たま)らず(たず)ねた。

「バリア……!!お前は一体……!?」

 ラルバの拍手だけが(むな)しく鳴り響く訓練場の中、バリアは背を向けつつベルをチラリと一瞥(いちべつ)した。

「……使奴部隊“樋熊(ひぐま)の巣穴”所属……トールクロス被験体3番。よろしく」



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40話 悪とはなんぞや?

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〜人道主義自己防衛軍 第三関所〜

 

 人道主義自己防衛軍の中でも多くの取引行われる第三関所は、最早関所というよりはショッピングモールといった雰囲気で、多くの軍人達が楽しそうに談笑ながら往来している。

 その一角ではフードコートの様な場所で、ハピネスがメモを片手に関所中を駆け回るラルバに指示を出している。

「寝袋も新調したいね、うん。三階の赤い看板の店がいいよ。ああちょっとまった。10時方向石鹸(せっけん)類の棚の……そうそう。その使い捨てバスタブ欲しかったんだ……え?ダメ?」

 知らぬ人間が見れば、超小型の通信機を使っているか通信魔法を使っているか、はたまた狂人の(たぐい)だと思われるだろう。実際はハピネスが異能でラルバの後ろを追尾しつつ、ラルバが使奴の人並外れた聴覚でハピネスの(つぶや)きを拾っているだけである。ハピネスは手元のアイスコーヒーに手を伸ばしかけ、氷が溶け始めていることに気付き氷魔法の詠唱(えいしょう)を始める。

「ハピネスッ……!!ちょっと……ちょっと今は……!!ぐっ」

 直後、ハピネスの真横にいたラデックの(うな)り声が魔法を制止した。

 ラデックは椅子にもたれかかったバリアの左腕の断面を、震える手で()でながら(ひたい)に脂汗を浮かべている。

「えぇ……これもダメなのか……コーヒーが薄まってしまうんだが」

「後っ……後でっ……頼むっ……!!」

 ラデックはバリアの細かい細胞を異能で治療するのに極限の集中状態を保ち続けており、子供が使う様な小さな魔法で起こる波導(はどう)にさえ集中を乱されるほどに気を()いでいた。

「……そんなに苦戦するなら医務室でも借りればよかったんじゃないのかい。見ろ、ラデック君の摩訶不思議(まかふしぎ)パワーで見せ物小屋みたいだよ」

 そう言ってハピネスが周囲に目を向けると、買い物や遊びに来たであろう軍人達が足を止めて人集(ひとだかり)りを作り、ラデックによるバリアの治療風景を物珍(ものめずら)しそうにじっと見つめている。

「時間がないっ…そうだっ……俺だって……!ひぃ……ふぅ……できることならっ一週間はかけたい……作業っバリア動くなっ!!じっとしててくれっ!!」

「動いてないよ」

(しゃべ)るのもやめてくれっ!ただでさえ鼓動で血管が収縮してっ……あっくそっ」

「……今もしかして遠回しに死ねって言った?」

「そうじゃないがっ……!!ああ頼む会話は後にっ……!!」

「……はぁ」

 ラデック達の試合はどこからか情報が()れ、バリアとラデックはあっという間に人道主義自己防衛軍の時の人となっていた。

「うわぁすごい……あの金髪の人がジャハル様に勝った人?魔法も使わずにあんな……」

「腕を生やせるのか……!?しかも爆傷(ばくしょう)の断面をああも容易(たやす)く……」

「異能があれば1人で治療できるのか……それもあの大怪我を……」

「あの使奴の方、ベル様に勝ったって本当かしら……とてもそうは見えない……」

「しかし本当に使奴ならありえない話じゃないだろう。きっと“漆黒の白騎士”の様な豪傑(ごうけつ)に違いない」

 あちこちで2人のあることないことを(うわさ)し、時折近寄ってきては疲労困憊(ひろうこんぱい)で必死なラデックに杜撰(ずさん)に追い払われる軍人達。そのうちにハピネスは「近くを散歩してくる」と席を立ち、バリアとラデックだけを残して立ち去っていった。結局、ラデックは興味本位で群がる軍人達に囲まれながらという最悪の環境の中、数時間かけて治療を遂行(すいこう)した。

「――――っはぁ!!!はぁっ!!!死っ死ぬかと思った!!!」

 治療が終わるのと同時にラデックは大きく後ろに大の字になって倒れる。すると同時に見物客が拍手喝采(はくしゅかっさい)でラデックの健闘を称えた。

「凄いぞ兄ちゃん!!」

「お疲れ様ー!!」

「いやぁイイモノ見せてもらったよ!今度ウチでもやってもらえないかい?」

「アンタ本当にスゴイな!!あ、これ良かったら(もら)ってくれ!!」

 軍人達は今にも死にそうなラデックに飲み物や食事を差し入れたり、タオルで汗を拭いてやったりと献身的(けんしんてき)に面倒を見た。人道主義自己防衛軍の極端に利他的な国民性は、息をするのも(つら)い今のラデックにとってはただ(わずら)わしいだけであった。

 昇ったばかりだったはずの太陽はいつのまにかとっくに沈み、空が暗くなっていることにラデックは(ようや)く気がつき、間もなく出国の予定時間だと(うつろ)なまま思い出して天を(あお)いだ。

「あんれぇーラデック人気者だねぇ」

 ラルバが突如、人混みを強引に掻き分けて現れた。

「ラ、ラルバか……」

「あっ!バリア治ってんじゃーん!!」

 五体満足のバリアにラルバが飛びつき、犬を撫でる様にバリアの髪をわしゃわしゃと掻き回す。バリアを見て意外そうにしたラルバに、ラデックは違和感を感じて問いかけた。

「……ラルバが言ったんじゃないか。“治しておけ”と」

「えあ?ああ……いや?“直しておけ”と言ったんだ。服を」

「………………うん?」

「使奴は回復魔法でチョチョイのチョイだが、服はそうもいかん。前ラデックが言ったようにバリアの服は私と同じ使奴細胞を応用した繊維(せんい)()られているからな。私らが直すにはちょいとキビシイ」

「なっ……!!!バリアッ……!!!何故途中で言わないんだ……!!!」

「聞かれなかったから」

 バリアは治ったばかりの左手を、具合を確かめる様に握って開いてを繰り返す。

「私がヒトシズク・レストランで細切れになったアビスを治したの、見てたでしょ」

 その言葉にラデックは折角起こした上体を力なく地面に叩きつけ、後悔と虚無感(きょむかん)で両手をだらりと左右に広げる。ラルバは若干(じゃっかん)(はげ)ます様に笑いながらラデックを担ぎ、バリアに手招きをして歩き出した。

「まあそんな気にするな。そんなに疲れたなら異能の良い鍛錬になっただろう。もしかしたら出来なかったことも出来るようになってるかも知れないぞ?」

「……異能の鍛錬なら子供の頃からしてきた。最近やっと無機物にも干渉できる様になったぐらいなんだぞ……」

「いいじゃんいいじゃん!ポジティブに行こうポジティブに!」

「……難しい」

 

魔工(まこう)兵員輸送車 荷台〜

 

「……世界ギルドとの落差が凄まじい」

 ラデックはこれから乗る輸送車に乗り込んでから少しだけ眉を曲げた。泥だらけの車体にとってつけたかの様なコンテナの荷台。中は電球がひとつだけ付けられており、ラデック達6人が横になって寝るスペースなどなかった。続いて入ってきたラルバも半笑いで壁をノックする。

「あっはっは。確かに「乗り捨てるからボロいのでいい」とは言ったが、まさか本当に廃車寸前のガラクタを寄越(よこ)すとは。人道主義自己防衛軍は気前がいいなぁ」

 ラルバ達4人が順番に乗り込み、最後に乗り込んだイチルギが薄暗い車内の照明を光魔法で強化しながら足元を見回す。

「使奴は寝なくても平気だし、3人横になれるスペースならあるわ。何とかなるでしょ」

「いや、5人分は都合してもらいたい」

 イチルギの言葉に運転席の方から返事が聞こえ、ジャハルとハザクラが顔を(のぞ)かせた。

 ラルバは振り向くと同時にムッとした表情で2人を指差す。

「降りろ!!連れてかないって約束だろ!!」

 しかしハザクラは静かに首を振って反論する。

「確かに俺達は負けて要望は却下された。だからアプローチを変えることにした」

「まさか“運転ができる”とか言うんじゃないだろうな。アルバイトの面接じゃないんだぞ」

「俺達は有名人だ」

「お前何言ってんはいはい成る程ね」

 ハザクラの言葉に反射的に悪態(あくたい)をついたラルバだが、直後に意味を理解して自身の損得を天秤(てんびん)にかける。

「お前らのメンツの中じゃ、イチルギは確かに有名人だが立場故に自由が利かない。ハピネスに至っては誰も信じないし、信じたとしても力不足で活用は難しいだろう」

 イチルギとハピネスは互いに顔を見合わせて肩をすくめる。

「それはそうね」

「ふふふ。酷い言われようだ」

「そこで俺達の出番だ。ジャハルも俺も最近ではあるが何度も新聞に顔写真が載ったことのある有名人だ。人道主義自己防衛軍の総指揮官であり、世界ギルドや笑顔による文明保安教会にも匹敵する戦力。おまけに永年鎖国のお陰で国同士の(しがらみ)もない」

 ラルバは目を閉じ顎を撫で、この先でハザクラ達がどう役立つかを妄想している。

「はいはいはいはい、確かにイイね。(おとり)としてもヒーローとしても使い勝手がいい。イチルギさん仕事が奪われてしまいましたなぁ」

「え、じゃあ私抜けていい?」

「いや君はマスターキーだからダメ」

 イチルギは嫌悪の情をぐらぐらと煮え(たぎ)らせながら小さく舌打ちを鳴らし、(なか)ば八つ当たりのように背を向けた。

 しかし、依然(いぜん)ニヤニヤと不気味な笑みを揺らしながら返事をしないラルバに、ハザクラは再び無表情のまま尋ねる。

「お前の目的は巨悪の成敗なのだろう?俺達というカードを支配下に――――」

「いやあ不満ですねぇ」

 ハザクラの声を遮ってラルバは(わざ)とらしく声を作る。

「君ら腐っても正義の人道主義自己防衛軍の総指揮官でしょぉ?私のやることに絶対文句言うじゃん。言わないって約束できる?」

「約束はできない。俺達にも面子(めんつ)――――もとい信念、正義感がある。そして何より、お前に同行することはお前が暴走するのを止めるためでもあるからだ」

「あ、それ言うんだ。なんか口八丁で(かわ)すと思ってたのに」

「使奴相手に小細工が通用するなどとハナから考えていない。それで、どうなんだ」

「いや約束すりゃあいいってば。ラルバさんの邪魔はしませんーって」

「違うだろう。使奴であるお前が俺の返答を予測できないとは思えない。約束はできない。対価は何だ?」

 ラルバは不満そうに頬を膨らませブーイングを浴びせる。

「ブーブー!お前は全く面白くない奴だな!会話を楽しめ会話を!」

「ご機嫌取りに付き合ってくださいと言われれば(やぶさか)かではないぞ」

「うっわマジでおもんない。友達いないでしょ」

「いない」

「ごめん」

 ラルバは唸り声を上げながら頭を掻き(むし)り、突然ピタッと動きを止めたかと思うと、いつもの邪悪な笑顔を浮かべて問いかける。

「ジャハル、ハザクラ。お前達にとって“悪”とはなんぞや?」

 警戒するように口を(つぐ)む2人。それでも何かを言おうとしたジャハルに、ラルバが「待った」とジェスチャーを見せる。

「おい待て。お前まさか学術者気取りの遠回しな例え話とかする気じゃないだろうな。さも正論のように聞こえるだけのポエムとか、凡人が考える天才の回答みたいな聞くに耐えない思春期真っ盛りの赤っ恥作文でも披露した日には泣くまで(くすぐ)るからな。

「まだ何も言ってないだろう……」

 ジャハルは呆れたような怯えるような複雑な表情で固まり、一呼吸置いてからラルバを(にら)みつける。

「“悪”とは“善”と対になって“秩序”を構成する存在だ。悔しいことだが悪は無から生まれ、その存在を抹消することはできない。しかし、秩序を乱そうとする悪。秩序を保とうとする善。この2つが互いに互いを滅ぼし合うことで世界の“秩序”が保たれているのも事実だ。善が死に絶えた世界は悪の同士討ちによる破滅を待つのみであり、悪を滅ぼした善は自らの内から新たな悪を見出し滅ぼそうとする。どちらも正しい世界とは言い難い。私は善だ。故に悪を滅ぼすことが使命であり――――」

「あーどうもどうもクッソつまんないゴミみたいな模範回答ありがとう。帰ってイイヨ」

 ジャハルの言葉を(さえぎ)り、ラルバが鬱陶(うっとう)しそうに手の甲を向け「あっちに行け」とジェスチャーを送る。ジャハルは静かな怒りを宿した心を堪えて、そのまま運転席へと体を戻す。

「ハザクラくぅん……君もまさか同じような道徳の教科書に書いてある気持ち悪い綺麗事を抜かすんじゃないだろうね?」

「安心しろ。俺はジャハルほど人間が出来ていない」

「ふぅん。じゃあ私がちょっとでも気に食わなかったらぶん殴っていい?多分即死だけど」

『構わない』

 異能を使い返事を返したハザクラ。これによりラルバは“自身がハザクラの回答をつまらないと認識した際に、ハザクラに即死レベルの一撃を放つ”ことを強制された。

 この事実はラルバの少し驚いたような表情から全員に伝わり、イチルギとバリアがもしもの事を考えてラルバの両腕を拘束した。ジャハルも顔面蒼白(がんめんそうはく)でハザクラを見つめるが、当の本人は全く意に介しておらず、まるで息をするかのように語り始めた。

「悪い奴が悪だ。これ以上の説明が必要か?」

 全員が息を飲んでラルバの反応を(うかが)う。しかしラルバが体に力を込めることはなく、ニィっと笑った事で全員がホッと胸を撫で下ろした。

「正直だねぇ〜ハザクラちゃん。因みに君から見て私って悪なの?」

「なんとも言えんが、今は悪だと思っている。私利私欲のために命を奪うことを好む奴が悪でない筈があるか」

「それはそう。うん」

「回答はこれでいいのか?ならば、俺達が同行することを認めてもらいたい」

「え?俺達?ジャハルは連れて行きたくないんだけど」

「あー、実は俺は奇病に(かか)っていてな、この世で俺を治療できるのはジャハルしかいないんだ」

「そんなん私がやってやるよ。使奴だぞ。できない治療なんかない」

「俺は使奴アレルギーなんだ」

「ひひひっ。ちょっと面白かったからいいよ」

「そりゃどうも」

 

【元メインギア ハザクラが加入】

【軍人 ジャハルが加入】

 

 

 

〜人道主義自己防衛軍 日向(ひむかい)荒野〜

 

 見渡す限り地平線の荒野を走り続ける輸送車。既に人道主義自己防衛軍の関所は(はる)か彼方に(かす)んでおり、国境も日暮れまでに越せるかと言う所まで来ていた。

 輸送車の荷台に揺られながらラデックは外の景色を眺め、思い出したかのようにラルバに質問をした。

「ラルバ。悪とはなんぞや、と言う問いだが――――あれはハザクラの言う悪がラルバの言う悪と一致していたから同行を許可したのか?」

「うん?いや、まあ似てはいるけど……私はハザクラちゃんよりラデック寄りかなぁ」

「え」

「なんで嫌そうな顔をする」

「なんでって……ラルバの倫理観は尋常(じんじょう)じゃない。俺の思想がそれに近いと言われると凄く不安になる」

「えぇ……私ってば使奴研究所が用意した叡智(えいち)才智がみっちり詰め込まれた超天才常識人だよ?喜ぶべきでしょ」

「物は言いようだ。俺と似てるってどういう所がだ?というかそもそもハザクラの言った悪って何だったんだ?」

「ふぅむ……ラデックは悪を悪だと考えているだろう」

「みんなそう」

「相手が悪人かどうかは、相手が自分で自分を悪人と思っているかどうかだろうって話だ」

「まあ、それが1番確実だしな。自分で自分を悪いと思っているなら悪いんだろう。ただそれで言うと俺自身も悪人になるが」

「私も似たような考えではある。私の言う悪の判断基準は“自分で自分を悪だと認識しているかどうか”だ。まあ厳密(げんみつ)に言うともう少し細かいんだが……大雑把(おおざっぱ)に言うとこうなる。でもってハザクラの言う悪は“自分が悪だと思った奴は悪”だそうだ。私とハザクラの違いは、悪が自分自身で悪を認識するか、こっちで勝手に判断するかの違いだ」

「こっちで勝手に判断って……横暴が過ぎないか?」

「うーん例えば……笑顔による文明保安教会では、笑顔でないものは悪だったろう?」

「そうだな」

「普通は笑顔でないだけで悪者扱いするのは謂れのない非難――――まあ悪だわな」

「そうだな」

「じゃあもし笑顔による文明保安教会がめちゃめちゃ発展して、全世界を支配したとしたら。この世の全ての人間が笑顔でないものを悪と思うようになった時……我々は善だと言えるか?」

「……だとしても、主観だけでこの世の善悪を区別しようなど、傲慢(ごうまん)(はなはだ)だしい」

「その辺の奴がそうほざくならそうだろうが、ハザクラの場合は覚悟の表れだろう。世界の支配者となって自分が善悪の物差しとなり、世界の秩序を保つ人柱になる覚悟。だから“悪い奴が悪”なんだ。改めて口に出すと意味わかんないねコレ」

「――――で、何故ラルバはそんなことを聞いたんだ?」

「……今後の展開次第では、というより確実に私はハザクラに殺されるだろう」

「殺され……本当か?」

「ああ。間違いない。奴の価値観であれば私を生かすことは人道主義自己防衛軍に多大な損害を与える――――まあそれ以前にハザクラの正義が私の悪党惨殺(ざんさつ)祭りを許さんだろうな」

「まさかラルバ、ハザクラを殺すつもりじゃないだろうな」

「普通はそうなるわな。安心しろ。殺すどころか傷一つつけるつもりはないし、殺されるつもりも毛頭ない。私はただ知りたいだけだ。正義から見た私がどう見えるのかを」

「……知ってどうする」

「悪党(いじ)めに利用する。客観視は大事だ!」

「心配して損した」

 ラデックは呆れたようにタバコを吹かし、再び窓の外を見つめる。

 (しばら)く車内には走行音だけが響き、そのうちにハピネスが静かに口を開いた。

「あれ、そう言えばラプーは……?」

 全員が顔を見合わせ、一瞬の沈黙の後ラデックが叫んだ

「戻れ!Uターンだ!!」



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なんでも人形ラボラトリー
41話 智を以て愚に説けば必ず聴かれず


毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


〜人道主義自己防衛軍 日向荒野〜

 

 置いてきたラプーを回収し再び荒野を走り続ける輸送車は、風化した岩の間を土煙を上げて車体を大きく揺らす。

 慣れない揺れにハピネスは顔を真っ青にしながら窓に頭をもたれ、水筒から伸びたストローを力なく(くわ)えている。

「うう……も、もう少し振動を抑えて……」

 運転席に座るジャハルは小さくため息をついて減速するが、すぐさまラルバが運転席をバンバンと叩いて急かす。

「遅い!もっと速く!!」

 ジャハルは鬱陶(うっとう)しそうにルームミラーからラルバを(にら)む。

「仲間が苦しんでいるんだぞ。お前には配慮(はいりょ)というものがないのか!」

「早く到着すればその分ゆっくりさせてやれるだろう!そういう気遣いだ!」

「うう……ほ、本当にゆっくりさせて貰えるのか……?」

「んー保証はしかねる」

 皆が諦めたような呆れたような陰湿(いんしつ)な目でラルバを見つめ、車内には再びタイヤが土を削る音だけが響く。そして思い出したかのようにラデックがジャハルに尋ねた。

「そういえば今はどこに向かっているんだ?」

「“グリディアン神殿”だ。軍事力はそこまで高くないが、差別思想が強く攻撃性が高い。他の国にも差別思想が伝播(でんぱ)しているし、何か問題が起きる前に潰しておきたいんだ」

「ラルバはいいのか?自分で決めなくて」

「んー?悪者がいればそれでいいよ」

「そうか。ジャハル、グリディアン神殿はどんな国なんだ?」

「そうだな、一言で表すなら“女尊男卑(じょそんだんぴ)の国”だ。元々女性は男性より立場が上という風潮はあったが、それが極端に色濃く残ってしまっている」

「待て、女性が男性より上という風潮?俺の認識が正しければ元々世界的には男尊女卑(だんそんじょひ)の風潮が強かったはずだ」

 するとイチルギが小さく咳払(せきばら)いをして会話に割り込んだ。

「あー、それは使奴(シド)末裔(まつえい)のせいね」

 ラデックがイチルギの方へ振り向く。

「そういえば……確か世界ギルドでも言っていたな。使奴とのハーフが増えて女性中心の社会になったと」

「ええ。どういうわけか使奴の子供達のうち女性は肉体的にも魔力的にも強くなって、男性は特に影響が現れなかったの。そのせいで筋力によるヒエラルキーは逆転して世界には軽微な女尊男卑が根付いていったわ」

 ラデックが小さく「なるほど」と(つぶや)くと、ジャハルが説明を再開した。

「グリディアン神殿は元々ただの宗教色の強い集落だったらしい。使奴が(ひき)いているわけでもなく、神に感謝をし加護を願う「グリディアン教」という宗教を作り心の支えにする平和的な集落だった。しかし時代の流れと共に攻撃性が増し、宗教の理念も感謝から崇拝(すうはい)へと変わり、男性を人間として扱わない冒涜的(ぼうとくてき)な宗教政治へと変貌していった。確か世界ギルドからの使いに手を出して戦争になりかけた事件があったはずだ」

 イチルギが悲しそうに(うつむ)き、力なく口を動かす。

「ええ。バイモンとペルスタック外交官ね。心苦しかったけど、憎しみを連鎖させないために全てを揉み消したわ。そのせいで世界ギルドへの不信感は大きくなったけど、なんとか戦争だけは回避できた」

「……我々、人道主義自己防衛軍は世界情勢に関わってないから資料が残っているが、この件は(ほとん)どの国で今や陰謀論。オカルト(あつか)いだ」

 2人の間に悲哀の情が流れ空気を重たくするが、不謹慎(ふきんしん)にも上機嫌なラルバは嬉々として会話に割り込む。

「その外交官はどんな殺され方をした!?なあなあ!!殺されたのだろう!?どう(むご)たらしく殺されたんだ!?」

 心の底から嫌悪しそっぽを向く2人に代わって、項垂(うなだ)れたままのハピネスが車酔いを(こら)えて説明をする。

「……グリディアン神殿からの帰還(きかん)予定時刻になっても外交官2人は帰らず……世界ギルドがグリディアン神殿に(うかがい)いを立てても知らぬ存ざぬでな……数日後に調査隊が向かった所……肉体改造で人の形を成していない2人が見つかった…… 四肢(しし)は根本から切断され、歯は全て引っこ抜かれて(あご)の骨も砕かれていた……何より陰部(いんぶ)の改造、グロテスクな性玩具(せいがんぐ)のように改造された陰茎(いんけい)が1人2本……尻の穴は血を流して常に開いたまま……女共にさんざ性奴隷(せいどれい)として(もてあそ)ばれた挙句(あげく)()きたら糞尿垂れ流しで放置……世界ギルドが発見した時には餓死(がし)寸前で、イチルギが到着して直ぐに息絶えた……いや、正確には救わなかった……か。あの状態の人間を治癒(ちゆ)しても、どうせトラウマに縛られ生き地獄だ……」

 ジャハルはハンドルから片手を離し、強く噛み締めた歯を隠すように口元を(おお)う。

「知らず知らずのうちにグリディアン神殿の怒りを買って滅ぼされた国も少なくない。それぐらいに無茶苦茶で恐ろしい国なんだ。あそこは」

 話の重苦しさとはかけ離れた楽観的表情のラルバは、頭を左右にゆらゆらと揺らして(おど)けて見せる。

「盲信者ってのは怒らせると怖いからねぇ。イっちゃんさっさと皆殺しにすればよかったのに。為政者(いせいしゃ)って大変だなぁ」

 イチルギはラルバの悪態(あくたい)には何も反応を返さず、ただ黙って窓の外を(なが)めている。無反応なイチルギに飽きたラルバは、大きくため息をついて両手を上げて首を振る。

「はぁ〜あ。ちょっと人間育成ゲーム失敗したくらいでそんな落ち込むなよぉ。…………うん?」

 ラルバは何かに気づきイチルギを押しのけて窓を開ける。窓から頭を突き出し(しばら)く静止したのちに、勢いよく外へ飛び出した。突然の行動にラデックが慌てて窓から顔を出すが、既にラルバは豆粒ほどの大きさになってしまっていた。

「おいラルバ!!」

 ラデックの呼びかけに返答はなく、代わりに未だ顔面蒼白(がんめんそうはく)のハピネスがボソッと呟く。

「……面白いものを見つけた……すぐに追いつくから先に行ってろ……だそうだ……」

 するとハザクラが助手席の(とびら)を開け、(かばん)を片手にシートベルトを外す。

「みんなは待っていてくれ」

 ジャハルが慌てて引き止めようと手を伸ばすが、ハザクラは時速100km近い輸送車から構わず飛び降りた。

『ラルバの後を追う』

 ハザクラは地に足をつけると同時に人間離れした跳躍(ちょうやく)を見せ、空中に魔法の波導煙(はどうえん)を残しながら地平線に消えていった。ラデックは感心したようにハザクラの消えていった方向を見つめ顎を触る。

「なるほど……自分の命令に自分で承諾(しょうだく)すると自己強化になるのか……中々使い勝手がいいな。ところで、ジャハルはどうするんだ?後を追うなら付き合うが」

「…………今回の遠征(えんせい)、私の立場ははハザクラの補佐となっている。後を追いかけたいのは山々だが……」

難儀(なんぎ)だな」

 

大蛇砂漠(だいじゃさばく)

 

 意外にも、砂漠における死因は溺死(できし)が非常に多い。その原因は砂漠の気候と地質にある。砂漠は雨が降りづらい気候だが全く降らないというわけではなく、短い時間にまとまって降るという特徴がある。乾いた砂は豪雨を吸収し、地表を(すさ)まじい速度で滑り洪水を引き起こす。

 ここ大蛇砂漠では砂丘のような大量の砂こそないものの、地表付近まで岩盤(がんばん)が覆っており水を吸収しづらい。そのため大雨が降ると濁流(だくりゅう)(たちま)ち鉄砲水となって“大蛇”の怪物が如く地を()い回る。大蛇が(えぐ)った地面は“愚者(ぐしゃ)の道”と呼ばれ、まるで街道のように(なめ)らかな歩きやすい川底になる。何も知らぬ旅人や、歩きづらい岩肌を嫌った文字通りの(おろ)か者が道路として利用してしまう事が多いが、もしも再び雨が降れば愚かな(なま)け者は一瞬で大蛇の餌食(えじき)になってしまうだろう。では愚者の道を通らなければ安全かと言えばそうでもなく、新たな愚者の道は未だ増え続けており大蛇の被害に()う者は少なくない。

 そのためこの大蛇砂漠を通る時には“預言者(よげんしゃ)”を同行させることが強く推奨(すいしょう)される。様々な自然的要因から天気や災害の予報をし、旅人や商人の安全を保証する対自然の護衛(ごえい)

 今まさに愚者の道の(はし)で倒れ込んでいる女性も、商人に(やと)われた預言者である。

 商人の老婆は肩で大きく息をしながらゆったりとした歩みで女性に近づき、ぐらぐらと煮え(たぎ)る鍋のような憤怒(ふんぬ)(あらわ)にしながら右手に持ったメイスを大きく振り上げた。

 預言者の女性は必死に頭を両手で守り身体を丸めるが、老婆は親の(かたき)かのように何度も何度も女性を殴りつける。先端に(とげ)のついた金属のメイスは女性の肉を引き裂き、骨を砕き、脳を揺らし、声にならない激痛と苦しみを与え続ける。

 この預言者は界隈(かいわい)では有名な実力者であり、その預言の的中率は9割を上回ると評判だった。そのため要求する金額も高く、今回の商売を絶対に成功させたかった老婆は経費を惜しまず預言者に注ぎ込んだ。しかしながら、当然9割とは外れることもある。

 予期せぬ大蛇の強襲(きょうしゅう)は高価な商品がみっちり詰まった荷馬車を粉々に破壊し、瞬く間に木端(こっぱ)一欠片残さず喰らい尽くしてしまった。

 誰にでも起こる低確率の事故。その手番が今回偶然この老婆に当たっただけで、預言者が手を抜いたわけでも、作為的(さくいてき)なものでもない。ただの偶然。

 しかし老婆にはそれが気に食わなかった。商人である老婆にとって金とは保証であり、金銭を払った対価がハズレくじに変わることなど到底許せなかった。

 今回の商売で得るはずだった大金に垂涎(すいぜん)し皮算用をしていた老婆は、この将来得るはずの富を奪い去った憎き預言者(まが)いの泥棒を痛めつける以外に思考は回らず、“預言結果は絶対の安全を保障するものではありません”と書かれていた契約書にサインしたことすら忘れてメイスを握る手にありったけの怨念(おんねん)を込める。

「あーあーいっけないんだぁーっ!!!」

 砂漠には場違いすぎる明るくあどけない女性の声。老婆が振り向いた視線の先には、悪戯(いたずら)好きの子供のように目を輝かせるラルバが立っていた。

「何があったのかは知らないけど……見た感じ商人?でもってその子が腹いせにぶん殴られてるわけだ!いやあ(ひど)いことするなぁ!」

 老婆はラルバの敵意に気が付き、すぐさまメイスを捨て両手を上にあげて降参(こうさん)のサインを取る。

「うん?もしかして私がその子を助ける為に手を出すと思ってる?まっさかぁ。私にそんな正義心も善意もないよ!」

 ラルバは老婆の真似をして両手を上にあげて数歩下がる。しかし老婆は用心深く、(しぶ)い顔でラルバを見つめたままゆっくりと後ずさる。

「んー信用してないねぇ……まあそっか。怪しいもんねぇ私」

 ラルバは残念がるように肩をすくめて首を振る。

「いい(かん)してるよ」

 老婆が(まばた)きをした瞬間。初動すら見せずに鼻先が触れ合うほどの距離まで近づいてきたラルバ。驚いた老婆は思わず声を上げそうになるが、それより早くラルバが老婆の口を片手で鷲掴(わしづか)みにして持ち上げる。全体重が掴まれた顎にかかり、老婆の顎はパキパキとチョコレートを割るような音を立てて砕けていく。老婆はあまりの激痛に悶絶(もんぜつ)するが、口を(ふさ)がれ声も上げられず満足に息も吸えず、宙吊りになった足を力なくぶらぶらと揺らすことしかできない。

「おいラルバ、これはどういう状況だ。何をしている」

 ラルバが振り向くと、遅れて走ってきたハザクラが荒くなった呼吸を整えながらこちらを(にら)んでいた。

「んえ?悪者退治。この婆さんったら酷いんだよー。怪我人を鋼鉄のメイスで何度も」

『酷いのはお前だラルバ。彼女を離せ』

「やだぴょーん」

 ラルバはハザクラを挑発する様に老婆を大きく揺らして見せびらかす。その度に老婆の身体は節々で骨折を起こし激痛が走る。

 ハザクラはこれ以上の会話は無意味と判断してラルバに接近し、その手首を短剣で切り落として老婆を救出した。

「いったぁーい!!!なんてことすんの仲間にぃー!!!」

 ラルバは(わざ)とらしく痛がって見せ地面をゴロゴロと転がる。ハザクラはラルバに見向きもせず老婆の顔に手をかざして回復魔法をかける。

「すみません魔法が苦手で、今は痛みを(やわ)らげるぐらいしかできませんが近くに私の仲間がいます。助けを呼びますので少々お待ちください」

 ハザクラは老婆に背を向けて寝っ転がったまま動かないラルバに近寄る。

「おいラルバ。ラデック達を呼ぶか怪我を治すかどちらか手伝え。お前にとっても今ここで死人を出すことは得策じゃないだろう」

()けろハザクラ」

「は?」

 ラルバがハザクラの手を引いて地面に引き倒すと、先程までハザクラがいた場所を2発の銃弾が通過した。ハザクラは驚いて老婆の方を見ると、老婆はいつの間にか立ち上がっており、空虚(くうきょ)な顔で拳銃を片手にこちらを見下していた。

「なっ……何故……!?」

「クラぽん分かってないなぁ……バカってのは自分に優しくする、つまり見下してくる相手は憎むべき攻撃対象なんだよ」

「見下してるわけじゃない!!」

「いや君はそうでも向こうはそう思わないよ?想像力想像力ぅ〜」

 ラルバは再び飛んでくる銃弾を指先でキャッチしながら老婆に近寄り拳銃を取り上げる。老婆は顔を真っ青にして尻餅(しりもち)をつき、ガタガタと震えながらラルバを見上げる。

「怒ったり泣いたり、恨んだり怖がったり……元気だねぇおばあちゃん」

 そう言ってラルバは老婆の足を掴み、大きく振りかぶって投擲(とうてき)の構えを取る。

「親切な若者から空中散歩のプレゼントだよっ!!良い旅をっ!!」

 老婆は最後の最後に甲高(かんだか)い悲鳴を上げるが、ラルバに放り投げられ一瞬でその姿も声も(はる)彼方(かな)に消えていった。

 満足そうに空を眺めて微笑(ほほえ)むラルバに、ハザクラは哀しそうにしながら近寄り呟く。

「……あのご婦人には、言葉が通じていなかったんだろうか」

「いんや?ばっちし通じてたよ?ハザクラが回復してあげた時の伏せた目!あれは間違いなく弱者を演じる悪者の目だったねぇ」

「……そうか」

「いんやーこんな節穴小僧が世界を()べることになったら――――この世も終わりだねぇ」

精進(しょうじん)する」

 2人は老婆に殴られていた女性に近づき、回復魔法で怪我を治した。大怪我の激痛に苦しんでいた女性は、全く痛みがなくなった両腕を驚いた顔で見つめラルバに抱きついた。

「うわあ離れんか気持ち悪い」

「なぜ好意に反射で罵倒(ばとう)が出るんだ」

 女性はラルバに鬱陶(うっとう)しそうに引き()がされた後もニコニコと笑い、何度も手を合わせて深々と頭を下げた。その様子にハザクラは疑問を感じて(たず)ねる。

「もし、失礼なことをお聞きしますが、貴女は言葉を発せないのでしょうか?そうであればこの先何かと不安でしょう。我々が安全圏まで護衛します」

 するとラルバが女性の顔をマジマジと見つめて顎を(さす)る。

「いや……コイツは“話せない”んじゃなくて“話さない”んだな。おい、なんか(しゃべ)れ。お礼の一つぐらい自分の口から言ったらどうだ」

 あまりに失礼な物言いにハザクラがラルバと女性の間に手を出して割り込む。しかし女性は少し考えたような素振(そぶ)りを見せると、再び輝くような笑顔でハキハキと喋り始めた。

「鞍替え日の雨垂れ!精神ファンファーレの滞留縄文は青葉が如き!還元!」

 突然の狂った発言に2人は顔を見合わせて固まる。

「ハザクラ、え?何これ?え?暗号?法則性あった?」

「密売投稿は真逆奉公?咲いてもミステリアス?」

「んんんチミはちょっと黙ってろ」

 ラルバは支離滅裂(しりめつれつ)なワードサラダを発する女性を制止し、ハザクラの考えがまとまるのを待つ。

「なあハザクラ。これどういうことなんだ?」

「…………喋り方からして、多分だが“なんでも人形ラボラトリー”の国民かもしれない」

「ああ、あのクソみたいな名前の国」

「天元鹿の電話日記!!簡単森が!!麗し!!」

「喋るなっつーに!!」

 国名に反応した女性をラルバが再び抑えつける。ハザクラは困ったように髪を()きながら女性を見つめた。

「困ったな……なんでも人形ラボラトリーはグリディアン神殿のずっと先だ。一旦門前で別れて……」

「その“なんでも人形ラボラトリー”とはどんな国なんだ?」

「俺もよく知らない。知っている人間が言うには……まあ……“不思議な国”だそうだ」

「行こう!!」

「は?」

「グリディアン神殿は後回し!!そっち先行こう!!」

「いや、だからそうすると効率が――――」

「はー!?人助けに効率もクソもあるかこのアンポンタンのすっとこどっこいナメクジ野郎!!」

「……はぁ。どうせ逆らっても無意味か」

 ハザクラは諦めたように大きく溜息を吐くと、ラルバと共にラデック達の元へ走り出した。預言者の女性を背負ったラルバは、上機嫌のあまりハザクラをどんどん引き離して独走していく。

「んふふ……いやぁ不思議な国かぁ……楽しみだねぇ」

「パズル鰐も峠!ありのまま掬い瓶、雁字搦めで用途!!」

「喋るな。気が狂う」

 

【不思議な国】

 



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42話 不思議な国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 ハピネスは言葉を失った。

 グリディアン神殿までの距離は、今までのスピードで行けばあと3日ほどであった。ここ数日、移動をすれば車に酔い、酔いが収まる頃に停車すれば揺れていない地面に酔い、高温多湿の環境に(うな)され、何もしていないはずなのに疲労困憊(ひろうこんぱい)の身体を(いたわ)り続け、やっと終わりが見えてきたところだった。

 突然飛び出した車をラルバは、数時間で見知らぬ預言者を連れて戻ってきた。そして車に乗るなり唐突に――――

「目的地変更だ!この子を故郷に届けるぞ!」

 ハピネスは絶望した。あと数日で終わると思っていた道のりが倍以上に伸び、ましてや乗員が増えたことにより車内はさらに狭くなった。ついには持参した燃料も底を尽き、使奴3名による魔導燃料(まどうねんりょう)精錬(せいれん)し変換しての移動となった為、車体の揺れや排ガスの臭いはより激しく苦しいものとなった。

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー ゲート前〜

 

 まるで巨大な隕石が落ちてきたかのような鉄の塊。それが“なんでも人形ラボラトリー”を囲む城壁であり、国境である。一国をすっぽり(おお)う鉄板の外壁は上部が破けた(まゆ)のような形をしており、国というよりは収容所という印象であった。

「つ、つい……ついた……はぁ……はぁ……」

 ハピネスは車から転がり落ち、杖に上半身を預けて老婆のような姿勢で蹌踉(よろ)めく。ジャハルが黒煙を上げる輸送車のボンネットを開けて中を確認し、(なか)ば乱暴に閉めた。

「完全にイカれたな。もう1日走れば良い方だ」

「もう……走ら……なくて、いい……次は、馬車にしよう……できれば浮くヤツ……」

浮遊魔工車(ふゆうまこうしゃ)か?金持ちの乗り物だろう。贅沢(ぜいたく)すぎる」

 2人の後ろから上機嫌なラルバがひょっこりと顔を出す。

「そうだぞハピネス。お前には立派な2本の足があるじゃないか」

「うう……」

「てかハピネス前まで馬車乗れてたじゃないか。あっちの方が揺れ強いでしょ」

「揺れの種類が違う……あと機械の臭いがダメだ……」

「ワガママですねぇ」

 一行はゲート前の窓口に近寄り、預言者の女性に入国手続きを任せた。その間ラルバ達は少し離れたところで雑談を始める。

「そういやクラの助さんや」

「……クラの助ってのは俺のことか?」

 ハザクラがラルバを怪訝(けげん)そうに(にら)む。

「そうだよ?嫌?」

「とても不快だ」

「結局バリアが先生ってどういうことなの?」

「とても不快だ」

「移動中もちょくちょく会話してたよね。どういう関係?」

「とても不快だ」

「あ!わかった!さては「とても不快だ」

「ごめんて……そんな怒んないでよ……」

 ラルバが面倒くさそうに上部だけの謝罪をすると、ハザクラは大きく溜息を吐いてから話し始める。

「使奴研究所の事故の直後、使奴研究員から(かくま)ってくれたのが先生だ。そして外に出られるようになるまでの数日間、俺の面倒を見てくれた。使奴とは何か、外へ出たら何をすべきか、戦い方や知恵を教えてくれた。俺が人道主義自己防衛軍で幹部になれたのは先生の助言なしにはあり得なかった」

 無反応のバリアにラルバが後ろから被さるように抱きつき、大きく左右に揺らす。

「いやあ偉いなーバリアは。あれあれ?てことはバリアを救出した私はー……ハザクラの恩人の恩人てわけだ!これは(うやま)わないとねぇ〜」

「敬わないが」

「敬えよ」

 そんな他愛もない話を続けていると、イチルギだけが数歩離れたところでラルバ達に背を向けた。

「私は行かない」

 その言葉に全員が振り向き、ラルバがむすっとした顔で怒鳴りつける。

「なんだいきなり!!今更抜けようってんじゃないだろうな!!」

 イチルギは大きく溜息をついて首を左右に振る。

「まあ行けば分かるわよ。私はここで待ってるから、ラルバ達だけで行ってきなさいな」

 その後ラルバとイチルギは押し問答を続けるが、ラルバの方が先に(しび)れを切らしてイチルギの待機を認めることとなった。

 

【イチルギが離脱】

 

「まったく何だってんだあの頑固ちゃんは!!」

 激しく 不貞腐(ふてくさ)れるラルバをラデックが(なだ)める。

「別にもう俺達についてこないと言っている訳ではないんだ。多少の意見は認めるべきだろう」

「いっつも思うけど、べき論が使奴に通用すると思っているのか?」

「通用してくれ」

「むう……」

 そんな話をしているうちに預言者が手続きを終わらせて、一般通路の扉が開放される。

 外で手を振り見送るイチルギから離れ、洒落(しゃれ)たレンガ造の通路を進むと大きな部屋に通された。

 

〜なんでも人形ラボラトリー 検問所〜

 

 検問所を()ねた待合室は向かいの壁一面がガラス張りになっており、なんでも人形ラボラトリーの景色を映し出している。そこへラルバは小走りで近づいて子供のように手を窓につけた。

「うおおおおおおお!!すっごい!!」

 なんでも人形ラボラトリーはすり鉢状(ばちじょう)に掘られた大穴を国土とする小さな国である。下層に向け螺旋(らせん)を描く岩肌には所狭しと家屋が(ひしめ)き、至る所に(きら)びやかなイルミネーションが(ほどこ)され街を照らしている。ラルバ達が到着した時は昼間であったが、いつのまにか空には月が浮かび星々が(またた)く真夜中になっており、広場や大通りでは人々が絢爛豪華(けんらんごうか)な衣装を身に(まと)い楽しそうに踊っている。そこはまるで、御伽噺(おとぎばなし)の世界がそのまま現実になったかのような“不思議な国”だった。

「スゴイぞラデック!なあ見てみろ!すごい!」

 ラルバが笑顔を輝かせてラデックの手を引いて窓へ近づける。

「国っていうより街っぽいな!いやあ楽しみだなぁ!とりあえず宿探すか!」

 そう言ってラルバはラデックの顔を見る。ラデックは(しばら)く窓の外を眺めた後に口を開いた。

「確定的な絵画は炭坑夫(たんこうふ)の祈り。強制落下は絶対」

 絶句――――

 使奴という完璧に近い知能を持つ生物の意表を突くということは不可能に近い。その完璧生物のラルバの思考が、ラデックの支離滅裂(しりめつれつ)な発言により数秒停止した。

「ラララララデックがおかしくなっちゃったぁー!!!」

 ラルバは絶叫してハピネスにしがみつく。

「ハピネス!!!ラデックが壊れた!!!」

 ハピネスは困った様子で首を(かし)げる。

「不明な動作は自分の(おご)り?短絡アラートの洪水」

「ぎゃあああああああああハピネスも壊れたぁぁぁああああああ!!!」

 ラルバは飛び退()いてから着地に失敗し盛大に転倒した。そこへジャハルが駆け寄り(いぶか)しげに見下ろす。

「暴発犬から(まぶた)のデモンストレーションに……項目不可欠」

「んぎゃあああこっちくんなブス!!!」

 ラルバはジャハルの(ほほ)をビンタすると、もと来た道へ走り去った。

「帰る帰る帰る帰るっ!!!もう嫌この国っ!!!」

 

〜なんでも人形ラボラトリー ゲート前〜

 

 イチルギが(ひま)つぶしがてらゲートの受付嬢とのんびり紅茶を飲んでいると、数分前に入国したばかりのラルバが血相変えて走り寄ってきた。

「あら、早いお帰りね」

 

【イチルギが加入】

 

「イチルギ!!ラデックが!!ハピネスが!!おかしくなっちゃった!!」

 走ってきた勢いのまま抱きついてきたラルバをイチルギはひらりと(かわ)して紅茶を受付嬢に渡す。すると通路の奥からラデック達が小走りで戻ってきて、最初にジャハルが口を開いた。

「いったい何だというんだ!!(あご)が外れるかと思ったぞ……!!」

「うおおおお!?治った!!」

 ラルバはジャハルに飛び付き、粘土を()ねるように顔をぐにぐにといじくり回す。

「んぎぎぎぎ……やうぇんか(やめんか)はにゃしぇ(離せ)……!」

「うんうんどこも悪くなってないね!いやあびっくりしたぁ」

「びっくりしたのはこっちだ!!」

 ラルバはジャハルに突き飛ばされて数歩後ろに下がる。

「イっちゃんこれが分かってたから待ってたんだねぇ……先に言ってよ!!!」

「いや言ったら私も連れていかれるじゃない。私だってあそこ苦手なのよ」

 そこにラデックが近寄って会話に割って入る。

「すまない。2人がなんの話しをしているのかさっぱりわからないんだが……イチルギ、どういうことだ?」

「ちょっと理解に時間がかかるわよ。“常夜(とこよ)の呪い”は」

「呪い?魔法にかけられたような気はしなかったが……」

 ラルバがラデックの顔を不安そうに(のぞ)き込む。

「預言者の言葉、意味不明だったろう?あれと同じような状態にラデック達もなっていたんだぞ……」

「なんだと?そんな記憶は一切ない」

 キョトンとするラデックにイチルギが人差し指を向ける。

「じゃあラデック、あのゲートの向こうで発言したことを一言一句そのまま言ってみて」

「はあ……えっと確か……窓――――む?あれ、ちょっと待ってくれ。思い出すから」

「無理よ。そういうものなの。あの中での会話は雰囲気(ふんいき)で理解しているから、詳細には認識できないわ」

「これが呪いか……もう喉元(のどもと)まで出かかってるんだが、ギリギリ思い出せない……非常にもどかしい」

「なんでも人形ラボラトリーの空、見た?」

「ああ、綺麗(きれい)な夜空だった。今は昼間なのに……」

「あれが呪いの正体って言われてるから”常夜の呪い“なの。まあ原因は別にあると思うけど」

 顔を(しか)めて喉を(さす)るラデックの横で、不満そうなラルバが大きく大の字に寝転んで手足をバタつかせる。

「やぁーだぁー!!つーまーんーなーいーっ!!ルギルギ解決策ないの!?」

「探せばあるだろうけど……優先度低かったし探してないわ。防魔(マジックプルーフ)加工のアクセサリーでもつけさせれば?」

「そんなんで防げたら最初からやってるだろう……」

「防げるわよ?」

「え?」

「そのかわり国民と会話できなくなるけど。常夜の呪いは罹患者(りかんしゃ)同士でしか会話ができないの」

「意味ないじゃん!」

「ねー。どうしようかしら……あれ?そういえばバリアとハザクラ君は?」

 全員が辺りを見回すと、確かに一緒にゲートを(くぐ)ったはずの2人が見当たらない。その様子を見てハピネスがゲートの方を指さす。

「まだ2人とも中だよ。でも不思議だな……2人とも何故会話を……ん?こっちに戻ってくるな」

 ハピネスの言った通り、すぐに2人はゲートの中から戻ってきた。そしてハザクラが全員に提案する。

「今しがた先生と少し話し合ったのだが、中では二手に分かれたほうがいいと思う」

 “少し話した”という発言に、イチルギとラルバが(おどろ)いて詰め寄る。

「ハザクラ君!“話した”ってどういうこと!?中で会話ができたの!?」

「どうやった!?てかバリアが“先生”って結局どういう意味だ!教えろ!」

 するとバリアが後ろから代わりに返事を返す。

「口頭会話じゃないよ。ジェスチャーは通じたから、それで状況確認しただけ」

 その言葉にラルバは大きく肩を落として再び大の字になって寝転がる。ハザクラはそれを半ば軽蔑(けいべつ)するように見下ろしながら提案を続ける。

「あそこでは俺たちの主体となっているラルバの動向を制御できる人員を固めつつ、いざという時に融通(ゆうずう)が効くメンバーを待機させるべきだと思う」

 ラルバがガバッと飛び起きてラデックの首根っこを掴む。

「ラデックはこっち!!どうせハザクラーズで私を(しば)る気だろう!!」

 ハザクラは胸の前でバツを作り言葉を返す。

「却下だ。当然ハザクラーズでお前を縛る」

「ムキィーッ!!!」

 

 こうして一行は二手に分かれ探索することとなった。

 積極的に探索する調査班、ラルバ、ハザクラ、バリア、イチルギ。

 調査班の動向を安全圏で補佐する待機班、ラデック、ハピネス、ラプー、ジャハル。

 終始不満そうにブーイングを飛ばすラルバは、不貞腐れてバリアの髪を暇潰しに()き乱しながらゲートに先陣を切って入っていった。そして調査班の最後尾にいたハザクラが、振り向きざまハピネスに指示をする。

「預言者の女性はそちらに任せる。時間がある時に家に返してやってくれ」

「はいはい。それで、私達は完全に別行動でいいのかい?」

「ああ、通信魔法は傍受(ぼうじゅ)されると厄介だ。ハピネスの異能でサポートして欲しい」

「わかった。それ以外は自由行動でいいよね?ラデック君!折角ラルバもいないことだし、美味しいパスタでも食べに行こう!」

「そうだな。あとはのんびり風呂にでも入りたい。ラルバもいないし」

「ああそうだねぇ。楽しそうな国なんだし、久しぶりにゆっくりしよう」

「聞こえてるぞお前らーっ!!!」

 ゲートの奥からラルバの声だけが突風のように響いた。ハザクラは声のする方を見つめながら呆れたように2人に(たず)ねた。

「……ラデック、ハピネス。お前たちは何故ラルバについてきたんだ……?」

(おど)されたので」

「面白半分」

「…………そうか」

 そのままハザクラはゲートの奥へと消えていった。ハピネスはにこやかに手を振って見送ると、ラデックの様子を(うかが)うように見上げる。

「じゃあ我々も行くかい?…………ラデックくんどうしたんだい?」

 ハピネスは呆然(ぼうぜん)と地平線を(なが)めるラデックの肩を少し揺さぶる。

「ん……いや、逃げ出すなら今のうちだと思ったんだが……よく考えたらメリットが少なかった。行こう」

「ふふふっ。ラデック君世渡り下手そうだし、大人しくしておいたほうがいいと思うよ。ラプー?美味しいパスタを出してくれる店に案内してくれるかい?」

「んあ」

 

 

〜???〜

 

 薄暗く無機質なボード張りの小部屋には、所狭しと高性能な機械が軍隊のように列を組んでいる。しかし、稼働しているのはごく一部のみで、緑の電源ランプを怪しく光らせながら耳鳴りのような駆動音を絶え間なく響かせ続けている。

 この暗澹(あんたん)とした(ほこり)(ぬめ)り輝く影に(まみ)れた空間で、機械の隙間を()うように走る男が1人――――

「くりしっくくっくりしりるっ……くりしりるぅぅぅぅ……!!!」

 フケだらけの髪は脂で黒光りし、ぎとぎとの肌に埃を貼りつけては黄ばんだ白衣で(ぬぐ)っている。男はぜえぜえと息を切らしながらモニターまで這い寄り、鼻水が引っ付いた眼鏡をかけ直してログを見つめる。

 ハッキリと光る“使奴部隊”の表示。男は額に山脈のような(しわ)を作って、吐息をより一層荒げる。

「くくくくっくりしりるっ!くりしにいでぃい……!くりしにいでぃぃぃいいいぃぃ……!!!」

 男はそのまま(きびす)を返して走り出し、壁や機械に何度も激しく体をぶつけながら立ち去っていった。



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43話 なんでも、人形、ラボラトリー

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〜なんでも人形ラボラトリー 歓楽街(かんらくがい)

 

 なんでも人形ラボラトリーの検問所の階段を降りると、そこには観光客を惑わす(きら)びやかな歓楽街が広がっていた。賭場、娼館(しょうかん)、質屋、占星所(せんせいじょ)、居酒屋。必要資源の(ほとn)どを輸入に頼っているが、グルメの国“ヒトシズク・レストラン”と、金持ちの国“ダクラシフ商工会”の寄港地になっているこの国は凄まじい数の人間が行き交い金を落としていくため、金持ち向けの娯楽(ごらく)が非常に盛んになっている。

 ラデック、ハピネス、ラプー、ジャハルの4人が階段を降り切ると、後ろにいた預言者(よげんしゃ)の女性が小走りで前に出て深々と頭を下げ、勢いよく顔を上げてニコッと笑った。

 

【挿絵表示】

 

「改めまして皆さん!!先日は本当にありがとうございました!!私、預言者の“ティレップ・レウ・ディスタード“と申します!!」

 彼女の発言は今までの支離滅裂(しりめつれつ)なワードサラダとは違い、確実に聞き取れる文法を守った言語だった。しかし”常夜(とこよ)の呪い“――――なんでも人形ラボラトリー国内では言葉がメチャクチャになるという特性を踏まえると、実際にはラデック達含めティレップの言葉は依然(いぜん)支離滅裂であり、意識して(くちびる)の動きを見れば発言とは全く関係のない動きをしていることが分かるだろう。もしここに使奴がいたら再び頭を悩ませることになるが、(さいわ)いイチルギもバリアもラルバについて行ったため、ラデック達は何の障害もなく彼女の家に向かい始めた。

 しかし数分も歩くと、ハピネスが突然足を止めて子供のように(わめ)き出した。

「限界だ!休憩しよう!パスタ食べたいパスタ!!」

 道路(わき)に置かれていたベンチに大きくもたれかかり、両手をだらしなく放り出して座り込む。その様子を見てジャハルは大きく肩を落として溜息を()く。

「はぁ……大国の長が聞いて(あき)れる。お前にプライドは無いのか」

「ジャハル君背負ってくれないかい?こう見えて私は盲人(もうじん)だぞ?普段なら異能でどうにかなるが、今はラルバの監視に忙しいんだ。気遣い(たま)え」

「……はぁ」

 再び大きく溜息をついたジャハルは、背負っていた巨大な剣を手に持ち変えてハピネスを背負う。

「おお、ラルバより揺れが(おだ)やかで良い。思い遣りを感じる素晴らしい乗り心地だ」

「あんな快楽殺人鬼と比べるな!」

「まあまあ。敵国の大将にも礼儀を払えるその心を()めているんだよ。そう気を悪くしないでくれ」

「くそっ」

「はっはっは。自由の身になって(ようや)く理解したが、私の本質は結構自堕落(じだらく)我儘(わがまま)なんだろうな。非常に気分が良い。ラプー!パスタまで案内よろしく!」

「んあ」

 ラプーの案内で歩き始めたジャハルの後ろで、ラデックは少し距離を空けてティレップと歩き出す。

「すまないな。予定が少し遅れたが大丈夫か?」

 ティレップは(ほが)らかな笑顔のまま静かに首を左右に振る。

「そんなとんでもない!(むし)ろ私の為にココまで来てくださったのですから!私の方こそ何かお返しをさせて下さい!」

「それは……うーん。やめておこう。(ろく)なことにならない……気がする。逆にティレップから何か要望はないか?」

「えっ?私ですか?」

「ああ。どうせアナタを家に送り届けたら俺たちはラルバの手伝いをしなくてはならない。サボる口実が欲しい」

「は、はあ……じゃあ……そうですね……もし、差し支えなければ……その……」

 ティレップは珍しく悩むような躊躇(ためら)うような素振りで口籠(くちご)もりながら身を(よじ)る。

「で、では……私を家に届けたら……その……か、家族に説明をして欲しいんですが……」

「説明?砂漠で殺されかけてた事か」

「あっ!いえっ!その……あのお婆さんの身内を(かた)って”旅は無事に終えた“と嘘をついて欲しい……んです……」

「ん?」

 そう言ってティレップは腰のポーチから大量の札束を抜き出す。

「これを家族に渡して下さい。今回の旅の報酬だという事で……」

 ラデックは不思議そうに首を(かし)げたまま札束を受け取る。

「はあ……まあ……そんな事で良いなら……」

「すみません……嘘なんか吐かせてしまって……必ずバレないようにはしますから……!」

 ラデックは大人しい(はず)のティレップが”必要以上に何かを恐れている“様子に疑問を感じながらも、それ以上何かを(たず)ねることはしなかった。

 

〜なんでも人形ラボラトリー ディスタード邸〜

 

 そうしてラデック達はパスタ屋で食事を済ませた後、ティレップの為に嘘をつく口裏を合わせてから彼女の家の前まで辿り着いた。二階建ての大きな一軒家の前で、ハピネスが意気揚々(いきようよう)とラデックの背中を押す。

「さあ入り給えラデック君!ノックは3回がマナーだよ!」

「俺か?こういうのはハピネスの方が得意じゃないか」

「いつもならね。でも私は今ラルバの監視をしているから音しか聞こえんのだよ。それも向こうとこっちで同時に聞いてるから集中力が足らん。華麗(かれい)演劇(えんげき)を期待しているよ?」

「はあ……演技は苦手なんだが。ラプー、代わりにやってくれないか?」

「んあ」

 ラプーはいつもの呑気(のんき)な返事をすると、(なまず)のようないつもの表情を突然悪鬼(あっき)(ごと)豹変(ひょうへん)させドアを蹴破った。

「おぉぉ邪魔しますぅぅぅうう!!!バニンガーさんおりますかねぇぇえええ!!!」

 いつもの(なま)りや落ち着いた必要最低限の口数とはかけ離れた地を裂くような怒声。ラデック達は余りの豹変ぶりに面食らいながらも、驚きを表情には出さず(えり)を正して中へ入る。奥にいた中年の男は焦りながら出迎え、()びへつらうように何度も頭を下げながら招き入れた。

「はっはい……私がバニンガーですが……どど、どなたでしょう?」

「ワシはお宅んトコのぉ……えー、名前なんでしたっけぇ?確かーテネップだかディエップだかなんだかとか言う預言者のぉ――――」

「ディエップ……ティエップ!?」

 男はティエップの顔を見るなり驚いた顔で硬直する。ラプー達の後ろに隠れていたティエップは少し気まずそうな顔で男に手を振る。

「た、ただいま……戻りました……お父様……」

 ラプーはソファにふんぞり返って腰掛け、大欠伸(おおあくび)を零しながら太々(ふてぶて)しく話し始める。

「そうそうテレップだテレップ……ワシは“アグール船団”の“バスコニクス”っつーんだが、この小娘がウチの砂上漁船(さじょうぎょせん)なかに入り込んでてよぉー。タダごとじゃねーと思って態々(わざわざ)遠路はるばる山越え谷越え送り届けに来たっつーわけよ」

「そっそれはそれは……ウチの娘がご迷惑をお掛けしました……!!」

「まー器量のイイ娘だぁ。ウチの船員も気に入っちまったもんでさ、礼なんか要らねーからよー。またこの辺寄った時に寄越してくんねぇか。そん時ちーっとばかし契約金オマケしてくれりゃー良いからよぉ」

「はっはい……!!それはも、もちろん……!!」

「んじゃーこれ」

 ラプーは札束を男へ手渡す。

「……え?こ、これは……?」

「なんか一緒に依頼主?の婆さんもいてよぉ。アンタに渡すよう頼まれたんだわ。今回の報酬だとよー」

「は……はい……ありがとう、ございます……」

 男はどこか納得のいかないような顔で札束を受け取った。

「なんだ。少ねぇか」

「いやいやいやいや!!そんなまさか……!!」

「ん。じゃーワシらは帰るからよぉ。じゃーなテイップ」

 ラプーは最後までティエップの名を呼ぶことなく家を出て行き、ラデック達もそれに続いた。

「み、皆さんありがとうございました!またどこかで……!」

 どこか悲しそうなティエップの視線に、ジャハルは振り向きながら胸騒ぎを覚えていた。

 

「戻ろう。ティエップは何か隠している。それも不本意にだ」

 ティエップの家から出たところでジャハルがそう提案すると、その言葉にラデックも(うなず)いて応える。

「ああ、確かに彼女の振る舞いは不審だ。ただ、それならば正面から行くのは避けた方がいいだろう。ひとまずはラルバに連絡を……」

 そこまで言いかけてラデックは言葉を止め、ディスタード邸をじっと見つめる。

「いや、今行こう。ティエップが殺される」

 ラデックが玄関に近づき鍵を開けようと鍵穴に手を伸ばすが、直後ジャハルがラデックの肩を少し引いてから扉を思い切り蹴破った。

「ジャハルって割と思い切りがいいんだな」

「人命救助に躊躇(ちゅうちょ)がいるのか?」

 ジャハルはリビングを(のぞ)いて思考を働かせる。カーペットのズレ具合、倒れたコップ、テーブルに対して若干斜めになったソファ。ジャハルは”ティエップが無理やり引き()られてカーペットの上で踏ん張り、手を振り回してコップを倒したのちにソファを引っ張った”と即座に推測した。そしてティエップが引き摺りこまれたであろう扉に手をかけるが、施錠されていることがわかると何の躊躇(ためら)いもなく体当たりをして突き破った。

 

 そこには潰された目から血を流して服を()ぎ取られたティエップと、倒れた彼女に(おお)い被さる先程の男の姿があった。

「な、なんですか勝手に!!」

 男はティエップに覆い被さったままジャハルを怒鳴りつける。

「出て行ってくださ――――」

 ジャハルは一切の会話をする気もなく、目にも留まらぬ速さで背負った大剣を抜き出し男の両腕を切り落とした。

「――――――――っ!!!」

 男が叫び声を上げる瞬間に合わせて(のど)(ひじ)を打ち込み、そのまま仰向けに倒れ込んだ男の腹を踏みつけ呼吸を阻害(そがい)する。

 その間にラデックとハピネスはティエップに駆け寄り、ラデックが改造でティエップの目に応急処置を(ほどこ)す。

「大丈夫かティエップ。今は塞ぐくらいしか出来ないが……後でラルバ達と合流したら治してもらおう」

「ご……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……ティエップ?」

 

 男を拘束した後、ラデック達は泣き崩れるティエップをリビングのソファに寝かせ、家の外へ出てから顔を見合わせた。微かに祭囃子が響く路地で、ラデックは(そで)についたティエップの血を払いながら心配そうに(てのひら)を見つめる。

「……ティエップの(おび)え方が少し変だった。現在の状況に怯えているというよりは、見えない何かを恐れているように見えた。どう思う?」

 ハピネスは「さあ」と首を(かし)げるが、ジャハルは腰の後ろで手を組んでラデック達から目を背けた。

「……恐らくティエップは、“ドメスティック・スレイヴ”。家庭内奴隷(どれい)だ」

 ジャハルはそのままどこか中空を見つめながら悔しそうに歯を食い縛る。

「なんでも人形ラボラトリーは使奴が統治に関与していない国だ。そういった国では生を望まれない、(ある)いは身寄りのない子供を“奴隷用”に家族として迎え入れることが多い。表向きは通常の家族として振る舞い、家庭内で洗脳教育を施し家事・性処理・出稼ぎ労働者として使役する……これが家庭内奴隷だ。彼女もきっと……(おさな)い頃から……」

 ハピネスは話を聞きながら、どこか諦めが混じった笑みで頭を左右に揺らす。

「そうだねぇ……別に使奴は政治に関与しているからと言って家庭内奴隷が居ないわけではないけど……そうでない国では圧倒的に多い。特にココでは家庭内奴隷という文化も割と馴染(なじ)んでいるようだよ?」

 拳を握りしめたジャハルが(いら)ついた表情で振り向き、ハピネスの胸ぐらを掴んだ。

「痛い痛い。なんだね急に」

「何故っ……何故そんなにヘラヘラしていられるっ!!人がっ!!大勢の人間が奴隷にされているんだぞっ!!」

「うん。私もそうだったよ。確か移動中に話したよね?」

「ならば何故……尚更ではないか……!!何故自分がその境遇を経験しているのにっ!!思い量ってやれないんだ!!」

「……君は幸せだったんだねぇ。ジャハルちゃん」

 ハピネスはジャハルの頭を()でてから突き放すように肩を押して離れる。

「人の心配をしていられるのは、幸せで(ひま)な証拠だよ。それ自体は良いことだ……けどね」

 そしてハピネスは突き放した手の人差し指をジャハルの眼前に突きつける。

「何かを得ることは誰かから(うば)うことだ。君は何か勘違いをしているようだが……幸せ者ってのは不幸者からしたら(ほとん)ど加害者だからね」

「貴様っ……!!」

 ジャハルは再び感情に任せてハピネスに詰め寄ろうとするが、その肩をラデックが強く引いて制止する。

「落ち着けジャハル。ハピネスは感情論で動かされるほど短絡的(たんらくてき)でも優しくもない」

 微かに太鼓の音と笛の音が響く小道で、ラデック達はティエップが落ち着くまで無言で(たたず)んでいた。

 

 

 

 数時間が経った頃、時刻は真夜中を指し祭囃子(まつりばやし)も落ち着きを見せ始めた。

 ティエップは未だ無事だった方の目を真っ赤に()らし(すす)り泣いているものの、会話が出来る程度には心の震えも収まっていた。ラデックとジャハルはソファに座るティエップを挟むようにして寄り添い、彼女の手や背中を撫でて(なぐさ)めている。

「す、すみません皆さん……嘘を吐かせてしまった上に……こんなご迷惑まで……」

 申し訳なさそうに(あやま)るティエップに、ジャハルは小さく首を振って髪を撫でる。

「何も謝る必要はない。ティエップは依頼が失敗したことを父に(とが)められる……そう思ったんだろう?」

「……はい。きっと、きっとお父様は私を許しま、許し、ません。だから、依頼さえ失敗してなければ……お金をちゃんと持ってきていたら……お仕置きされ、ないと思っ思って」

 ラデックは立ち上がってタバコに火をつけ、大きく吸い込んでから何かを決断したように(うなず)く。

「ティエップを連れて行こう。このまま置いていくのは気分が悪い」

 ジャハルは大きく頷いて賛成するが、ハピネスは呆れたように首を振って肩を(すく)める。

「いやいやラデック君。君まさかこの先会う不幸な人間全員助ける気?」

「この先のことはラルバが考えるだろう。それに、今は俺にも発言権がある筈だ。ティエップを同行させ、安全が保障されるまで庇護(ひご)しよう」

「はぁ……ラデック君、意外と情に厚いんだね」

「今悪口を言われたのは分かるが、俺は後先考えていないだけだ。不都合があれば言えばいい」

「へぇ……」

 結局、ハピネスは渋々ティエップの同行を了承することとなった。その後、ティエップの父親は警察に引き渡し、ジャハルが事情を説明してことなきを得た。

 

 その後も、1人不服そうなハピネスを除き、ラデック達はティエップの気を(まぎ)らわすために雑談を続けながら宿へ向かう。

「――――なので、我々預言者は魔法学よりも物理学や地学に専念するんです」

 ティエップは自らの預言者という職業をラデックに説明している。

「ほぉ……対自然の傭兵(ようへい)と言うだけあって基盤はしっかりしているんだな。あくまで魔法は補助で、天候を知るにはやはりそっちの面から推測した方が分かりやすいのか」

「人によっては魔法で推測しますが……魔力は個人差があるので、当然推測結果にも乱れが出てきます。やっぱりある程度は現在の状況を物理的に分析してからでないと」

「そんなに誤差が出るものなのか……分析魔法も当てにならないんだな」

「実力がある人が行えば誤差もゼロに近い値が出るんですが……それだけ実力があれば預言者なんて危険な仕事はやりませんから」

 心なしかティエップの表情は段々と明るくなり、ラデックに返す言葉にも気楽な色が見え始める。

「しかし君の契約金は大したものだ。預言者の中でも相当な実力だそうじゃないか」

「いやいやいやいや!私なんて大したものじゃないですよ!結局預言なんて、当たることが多くても外れる時は外れるんですっ。預言が外れても依頼人との関係を壊さずにリピーターになってもらえる預言者こそ良い預言者なんです。それに比べたら私なんて……(いく)ら精度が高くても殆ど一見(いちげん)さんですよ」

「初対面の人間相手に仕事の質を落とさず対応できることは立派な実力だ」

「……あ……は、はい……えへへへ……」

 ラデックの素直な賞賛(しょうさん)に、ティエップは恥ずかしがりながら後頭部を()く。

「そ、そんなこと言ってもらえたの……初めてで……その……な、なんて言っていいものやら……」

「別に何も言わなくていい。誇ろうが謙遜(けんそん)しようが否定しようが、立派なことには変わらない」

「いやあ……うへへ……私、初めて生まれてきて良かったって思いました……その……ありがとうございます。本当に」

「どういたしまして」

「私、ずっとこの国が嫌いだったんです。毎日みんなお祭り騒ぎで綺麗で……なんで自分だけ仲間に入れてもらえないんだろう……って。“多目的バイオロイド研究所”では毎日お祭りを――――」

「待て!!!ティエップ!!!今何て言った!!?」

 ティエップの言葉を(さえぎ)り、ラデックが声を荒げて彼女の両肩を掴む。突然の大声と鬼のような剣幕にティエップは怯えて目を泳がせる。

「え?え?わた、私――――」

「今!!!今“多目的バイオロイド研究所”と!!!そう言ったのか!!?」

「は、はい」

 ラデックだけでなく、その言葉にはハピネスも目を見開き唖然としている。列の先頭を歩いていたジャハルも思わずラデックに駆け寄り、信じられないと言った様子で困惑の表情を浮かべる。

「“多目的バイオロイド”って……確か使奴の正式名称――――!!」

「ああそうだ……!!!何故……何故ティエップがそれを……!!!」

 ティエップは困惑と恐怖を混ぜたような感情のまま(つぶや)いた。

「な、なんでって……こ、国名……ですし……?」

「国名……!!?ココは“なんでも人形ラボラトリー”じゃないのか!?」

「え……まあ……少しニュアンスが違いますけど……」

 

 

 

「ここは”多目的バイオロイド研究所“です」



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44話 嗚呼、懐かしきふるさと

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 ラデックはティエップの両肩を掴み(まく)し立てる。

「どういうことだ!?ここは“なんでも人形ラボラトリー”じゃないのか!?何故ティエップが“多目的バイオロイド研究所”を知っている!!」

 ティエップは酷く混乱した様子で(おび)える。

「え、えっと、あの」

 見かねたハピネスが2人の間に割って入り、若干見下すような視線をラデックに突き刺す。

「ラデック君。私は君ほど短絡的でも優しくもないが……冷静ではあるよ。まずは落ち着き(たま)え」

 ラデックは自分に言い聞かせるように胸に手を当て、タバコに火をつけて大きく深呼吸をする。

「すまなかった。この国……多目的バイオロイド研究所の由来について、知っていることを教えてくれ」

 平静を取り戻したラデックに安心したのか、ティエップは未だ落ち着きのない口調でぽつりぽつりと話し出す。

「あの……昔、ここにそういう建物があったそうなんですが……それが由来、らしいです……なんで今も変わってないのかは、わかんない、ん、ですけど……そう言うラデックさんはどこで多目的バイオロイド研究所のことを……?」

「……話が(こじ)れる。今度にしてくれ。それと、俺がここを“なんでも人形ラボラトリー”と呼んだ時、ニュアンスが違うと言ったな。どういうことだ?」

「ええと……あの……」

「それについては私が話そう」

 言葉を詰まらせたティエップを(さえぎ)って、ジャハルが話に割って入る。

「ジャハル?分かるのか?」

「恐らくは……ラデック。“クラヴィアルド長槍(ちょうそう)”と言ってみろ」

「は……?まあ……“クラヴィアルド長槍”?」

「うむ。ではこれを着けろ」

 ジャハルは紫色のスカーフを自分の首に巻くと、同じ物をラデックに手渡した。

「む?ああ……これでいいのか?」

 ラデックがジャハルの真似をしてスカーフを着けると、ジャハルは小さく頷いた。

「ああ、これは防魔加工(マジックプルーフ)抗魔(こうま)スカーフだ。これで今我々は“常夜(とこよ)の呪い”の外にいる。ハピネス。試しに何か言ってみてくれ」

「……氷点下の炒り豆は白濁(はくだく)大将軍の許可」

「うん。ちゃんと防げているな。ラデック。さっきと同じ単語を言ってみろ」

「む……ああ、えっと……えーと……ちょっと待ってくれ。そもそも常夜の呪いがないと思い出せないんじゃなかったか?全く思い出せないんだが」

「適当でいい。()(かく)言ってみろ」

「……えー、えーと……長い……えー………………“長くて強い…………おばあちゃん”?いや、絶対違うな」

「いや、合っている」

 ジャハルはスカーフを取り、ラデックにも外すよう促す。

「正しくは“クラヴィアルド長槍”だ」

「ああ。そうだ。それだ。正しくはも何も、全く違う意味じゃないか」

「果たしてそうだろうか。ラデック、今度はスカーフをつけている時に何と言ったか言ってみろ」

「……長くて強いおばあちゃん」

「よし。ハピネス。クラヴィアルド長槍と長くて強いおばあちゃん。どう違う?」

 突然話を振られたハピネスは、真顔のまま首を(ひね)り口元に手を当てる。

「どう違うか聞かれると……難しいね。違う気はするが、明確に何が違うかは言えん」

 ラデックはハピネスの言葉を理解することができなかった。文字も発音も意味も全く違う言葉を、ハピネスは「明確に何が違うかは言えない」と答えた。また、理解不能に(おちい)っているラデックにハピネスもまた混乱している。2人が答えを求めるようにジャハルを見つめると、ジャハルは咳払いを一つ挟んで答える。

「クラヴィアルド長槍とは、竜の国“バルコス艦隊”から輸入された槍の種類だ。そしてクラヴィアルドというのは女性の名前。当時農婦だったクラヴィスという女性が、(わら)を運ぶピッチフォークを()じ曲げて作った槍で一人軍隊に喧嘩(けんか)を売ったのが始まりだ。クラヴィスはそのまま仲間を増やして軍隊と戦い、果てにはクーデターを成功させ英雄になった。その敬意と栄光を(たた)えて、クラヴィスにはバルコス艦隊の最上級の称号である“アルド”が与えられ、捻じ曲げられたピッチフォークの槍には彼女の名前がつけられた。故にクラヴィアルド長槍とは、恐ろしく強い老婆の槍なのだ」

 ラデックは納得がいかないといった様子でジャハルを(にら)むが、気怠(けだる)そうに髪を()き上げて溜息をついた。

「……合点(がてん)はいかないが、言いたいことは分かった。そうか、“誤翻訳(ごほんやく)”か」

 ジャハルは大きく(うなず)き、胸を支えるように腕を組む。

「この地で生まれ育った場合は別なんだが……“常夜の呪い”に(かか)ったばかりの人間の話すワードサラダは、若干本来の意味に近づく傾向がある。なんでも、は多目的。人形、はバイオロイド。ラボラトリー、は研究所。この国に(おとず)れた別の国の人間による誤翻訳が原因だと思う。だからハピネス。お前がさっきなんて言ったか大体予想がつくぞ。「(おお)せのままに、ホイップフラペチーノ指揮官(しきかん)」とか言ったんだろう。ぶん殴るぞ」

 拳を高く突き上げて威嚇(いかく)するジャハルに、ハピネスは屈んで両手を突き出し大袈裟(おおげさ)に抵抗の姿勢を見せる。

「はぁ……全く…………“常夜の呪い”とは、言わば“過程と結果という法則を破壊する”魔法だ。言葉は相手に何かを伝えるためにあるが……常夜の呪いの中では、相手に言いたいことは伝わるが言葉は支離滅裂(しりめつれつ)なものになる、結果に過程が影響しないんだ。そんなものが国内全土に蔓延(まんえん)している。それだけ広範囲に影響を及ぼす以上、密度は薄く防ぐことは容易(たやす)いが……呪いの中で生まれ育った人間は最早(もはや)、呪いがなければ生きていけないだろう。まるで首輪だ。そのせいで、なんでも人形ラボラトリーの国民が他の国で暮らしているケースは数えるほどしかない」

 ジャハルがティエップにチラリと目を向けると、ティエップは酷く悲しそうな表情で(うつむ)いた。

「……わた、私が逃げ出せなかったのも……そういう理由……です。言葉も、文字も、わかんない、し……」

 口調に段々と泣き声が混じり始めると、ラデックはティエップの発言を止めるように抱き寄せ髪を()でる。

「言わなくていい。辛いことを聞いてすまなかった」

 ラデックがティエップを落ち着かせようと背中を(さす)っていると、ハピネスが嘲笑(ちょうしょう)するように鼻で笑う。

「……ここが使奴研究所なら……早くラルバ達に知らせた方がいいんじゃないかい?」

「確かにそうだな。きっと飛び上がって喜ぶ」

「あ、喜ぶんだ……」

 ラデック達は再び宿に向かって歩き始め、明日の予定を話し合いながら真夜中の路地裏を進んでいく。一方その頃…………

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 地下街〜

 

「こっ高価な画角戦争に陽炎(かげろう)パンダがっ!!泳ぎ出すっ!!コンバート雨たちの制服ぅぅぅうううう!!!」

 男の支離滅裂な叫び声。天井の低い閑散(かんさん)とした地下街を、男は何度も転びそうになりながら必死で走り抜ける。

「待て待て待て待てェェェエエエエエエイ!!!」

 それを追いかける快楽殺人鬼が一人、ラルバは(わざ)とギリギリ追いつかないスピードで壁や天井を走り回り、男が泣き(わめ)きながら逃げるのを楽しそうに追い詰めている。

 やがて男は袋小路に入り込んでしまい、おろおろと壁に手をついて震える。そこへ追いついたラルバが前傾姿勢で詰め寄り男の顔を(のぞ)き込む。

「じゃっ寂静(じゃくじょう)たる和音の味方っ……!!間隙(かんげき)は偉大なるゴミ細胞ぅぅぅ……!!!」

「う〜ん何言ってるかさっぱりだなぁ……まあでも子供(いじ)めるのは良くないからね!お仕置きします!!」

 そう言ってラルバは男の口に両手を突っ込み、勢いよく上下に開いた。石を砕くような音と共に口の端が裂け、男の顎は180度開いた状態から戻らなくなった。

「はぇぇぇぇぇえええっ!!!おえあええええぇぇええええっ!!!おあああああおあああ……」

(おが)砕いてもうるさいなコイツ……ハザクラさぁん!?翻訳(ほんやく)おなしゃーっす!!」

 ラルバは振り向いて大声で叫び、ついてきているであろう人物を呼ぶ。

 袋小路の角からハザクラが現れ、後ろにバリアと(しか)めっ面をしたイチルギが姿を見せる。ハザクラは面倒くさそうにポケットからマッチを取り出し、火をつけた。マッチの先端が火花を散らし勢いよく燃え上がると、周囲の景色が一瞬()らぎ魔力の流れ――――波導(はどう)が水面の影のように(よど)み始める。

「……寄るな化け物とか言っていただけだ。特にめぼしい情報はない」

「えーがっくしぃー」

 マッチによって常夜の呪いの影響下から脱したハザクラは、(わず)かに眉間(みけん)(しわ)を作りラルバを睨む。

「あまりマッチを使わせるなラルバ。“霊祓灯(れいふつとう)”はもっと大きな魔法を消すのに使いたい」

「ホイップフラペチーノ指揮官から抗魔スカーフ借りてこなかったのがいけないんでしょぉー。わがまま言わないの!」

 ラルバの悪態(あくたい)にすぐさまイチルギがチョップを入れる。

「痛った!あにすんの!」

 イチルギは返事の代わりに心底(いら)ついた表情でラルバを睨んだ。不満そうなラルバは、大袈裟に(ほほ)(ふく)らましながら袋小路の外へ歩いて行く。

「一日中真夜中で気が狂うから地下に来たのに……言葉が通じないんじゃどっちみち気が狂うよ!!オモシロなーんもないし!!」

 後ろから小走りで近づいてきたバリアがラルバの横に並ぶ。

「……一個予想したんだけど、言っていい?」

「ん?バリアちゃんから何んか言うの珍しいね。なぁに?」

 バリアは目を細めながら地下街に組み込まれた店を一軒一軒睨みつける。

「……“常夜の呪い”は……真夜中とは無関係」

「いやそれは分かるよ。そんで?」

「一日中夜にして、言語を崩壊させる……多分、“使奴()け”だと思う」

 ラルバが突然ピタッと歩みを止める。

「……使奴除け?」

 バリアは振り返って小さく(うなず)く。

「……使奴は色んなものを予測できる。でも、簡単に予測できるものを(くつがえ)されると弱い。これは使奴の特性を知っている人の仕業(しわざ)だと思う。例えば、“使奴研究員”とか」

 ラルバはわなわなと肩を震わせて俯く。そして――――

「ネタバレ厳禁ですっ!!!」

 ラルバの(すさ)まじい怒号(どごう)により、真横にいたバリアは吹き飛ばされ通路の壁に叩きつけられた。



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45話 姦譎極まる人畜生

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


 使奴には標準装備として“防魔(マジックプルーフ)機能が備わっている。使奴を構築する使奴細胞は高濃度の魔力を(たくわ)え、循環(じゅんかん)しており、レベルの低い魔法には決して影響されず、更にある程度のレベルの魔法までなら少し念じるだけで無効化する事ができる。

 しかし、レベルの低い魔法の無効化というのは必ずしもメリットになることはなく、例えば医療機関に備え付けられた微弱の回復魔法を帯びたアロマや、海水浴場では闇魔法による日焼け防止のシャワー等。映画館では言語を翻訳(ほんやく)する変換魔法。そう言った諸々の恩恵の一切を受けることができない。しかし使奴は病気にもならず日焼けもせず理解できない言語もほぼ存在しないため、これらが使奴にとってのデメリットになることは(ほとん)どない。

 “魔法の影響下に置かれなければ意思疎通(いしそつう)ができなくなる”破茶滅茶な状態にでもならなければ――――

 

〜なんでも人形ラボラトリー 地下街最下層〜

 

「めんどーくさいねぇ。この“常夜(とこよ)の呪い”ってのは。ハザクラちゃーん!オモシロあったー?」

 一行の先頭を歩くハザクラはラルバの方に少し振り返ると、黙って首を振って再び歩き出す。

「……はぁ。まあ手話が無理でも、ジェスチャーが伝わるだけマシかな」

 ハザクラ、ラルバ、バリア、イチルギの4人は、なんでも人形ラボラトリーの地下街をウィンドウショッピングでもするかのように彷徨っていた。地下街は無骨な煉瓦(れんが)の壁、もしくは剥き出しの土壁で構成されており、如何(いか)にもならず者が(たむろ)しそうな非合法の雰囲気が(ただよ)っている。

 

 こんな犯罪者の温床(おんしょう)と化した地下街がそこかしこに存在するなんでも人形ラボラトリーだが、意外にも学校などの教育施設が多く、読み書きができる国民の割合が非常に高い。

 常夜の呪いによって意思疎通に言語をあまり必要としない為、難しい話や公式、手順や感情の細かいニュアンスなどの伝達が極めて容易(ようい)なため、国民は皆覚えが早い。更には、表向きには生活困窮者(こんきゅうしゃ)を救うと言った理念を掲げる支援学校、つまり実質的な家庭内奴隷(どれい)専用の学校も多い為、家庭内奴隷や孤児(みなしご)と言った下級国民を含めても平均的学力は高水準を保っている。

 しかし、そう言った知識をつけた下級国民の徒党を馬車馬の如く働かせ、また押さえつけるために、最早階級差別はこの国で当然の制度と見做(みな)されている。一見すると美しい不思議な国は検問所付近の(きら)びやかな繁華街だけであり、一歩奥に進めば奴隷階級を一般市民が(しいた)げる地獄絵図が広がっている。

 この地下街も殆どがそう言った思想の人間で構成されており、道端に(うずくま)る10歳手前の家無し子でさえ、通行人を見かけるだけで血相を変えて逃げ出すような惨憺(さんたん)たる有り様である。

 

「んふふふ……不思議な国って言うかクソみたいな国だね」

 ラルバは裸足で逃げ出す半裸の子供を見てニヤリと口角を上げる。すると無表情に怒りを込めたハザクラがゆっくりと近寄り、文句を言うように(ひじ)でラルバの脇腹を突いた。

「なぁによハザクラちゃん。別に馬鹿にしてないでしょ。私とて哀れな子供達を見るのは心が痛むのだよ……オヨヨヨヨ……」

 ラルバが大袈裟(おおげさ)に下手な嘘泣きをすると、ハザクラだけでなく後ろに立っていたイチルギが軽蔑(けいべつ)の念を(はら)んだ視線を冷たく突き刺す。

「なあにイっちゃん。君は言葉通じるでしょ。言いたいことがあるなら言いなよ」

「……別に?」

「はぁ〜あ。元はと言えば君らが気味悪がってこの国の統治サボってたのが悪いんでしょー」

「別に使奴が全世界の国を統治してるわけじゃないのよ。“バルコス艦隊”も“ダクラシフ陵墓(りょうぼ)”もここまで酷い差別思想はないわ」

「なんだ?言い訳か?」

「私達は神様じゃないのよ。人間の元来持っている差別思想まで押さえつけたら、そんなのまるでペットじゃない。私達使奴はあくまで人間の文明の発展を手助けすることで、虫かごに閉じ込めて(えさ)をやることじゃないわ」

「ペット扱いしてたんじゃなかったのか……」

「アンタと一緒にしないで!!」

 ぶつくさと文句を言いながらも、一行は地下街を当てもなく奥へ奥へと進んで行く。地下街に立ち並んでいた飲食店は次第に減っていき、怪しげな詳細不明の店や空き店舗が目立ち始めた。

 泥と鉄の生臭い空気が漂う中、ラルバは通り過ぎようとした店に後ろ歩きで戻り、窓ガラス越しに店内を物色した後唐突(とうとつ)に敷居を(また)いだ。

「ここ面白そう!ごめーんくーださーい!」

 ラルバに続きハザクラとバリアも入店し、イチルギは「やれやれ」と顔を伏せて店に入った。

 

〜 なんでも人形ラボラトリー マダム“サリファ”の占星所〜

 

 謎の機械が吐き出す(きり)が薄紫のライトに照らされ、毒々しい店内をより不気味で不吉なものにしている。人が1人通るのがやっとの狭い通路をラルバは物怖じせずに進み、ハザクラとバリアもそれに続く。

「こんばんはー!いや、こんにちはかな?ごめんくださいなー!」

 店内を埋め尽くす棚に並べられた奇怪(きかい)な魔道具や(わず)かに(うごめ)く植物をジロジロと物色しながら奥へ奥へと歩みを進め、次第に霧に紛れ3人の姿は見えなくなった。

 最後尾のイチルギがラルバを追いかけようと通路に足を踏み入れた瞬間、ふと手を引かれて立ち止まる。振り向くとそこには、フード付きのローブを(まと)った不審な人物がイチルギを掴む手だけを袖から出して椅子に座っていた。手以外の素肌は全く(うかが)えず、その手も男性か女性か、青年か老婆かわからぬ不思議な感触をしていた。

「門を(くぐ)ってはならぬ……白い妹を突き飛ばせ、赤鬼がお前を待っている……」

 ボソボソと(つぶや)いたローブの人物は突然声を荒げる。

「ここココっコンピュータの群れ!!幾重(いくえ)にも重なりお前の死を看取(みと)る!!画面越しに(うずくま)る妹のなんと傷ましいことか……!!」

 そしてイチルギの手を離し、最後にボソリと零した。

「コンテニューしますか?」

 イチルギはどう反応していいか分からず、申し訳なさそうな顔で会釈(えしゃく)だけを返しラルバ達の後を追いかけて行った。

 

 店の奥は見かけよりも広く、床に大きく魔法陣が描かれた大部屋の真ん中に如何にも「占い師です」と言わんばかりの台座と水晶、そして胡散臭(うさんくさ)い装飾だらけの衣服を纏った老婆が鎮座(ちんざ)している。部屋に入ったばかりのラルバがぐるりと辺りを見回して振り向くと、濃霧(のうむ)が立ち込める通路からイチルギが顔を出した。

「あれ?イチルギ?クラぽんとバリアは?」

「え?見てないけど?」

 次の瞬間、大部屋の壁に垂れ下がった薄布を(まく)って10人ほどの女達が入ってくる。手には機関銃や剣を持っており、取り囲んだラルバ達に今にも襲いかからんと殺気立っている。

「おやおやまあまあ。私なんか悪いことした?」

 ヘラヘラと笑うラルバをイチルギが肘で突き、老婆の方へ顔を向ける。

「すみません勝手に入ってしまって。私達別に何か用事があって来たわけじゃないんです」

 しかし老婆は2人を(にら)みつけ(うな)り声を上げる。

「ぅぅぅぅ後ろ盾マンガンが揚々としてフォード……ましてや盲目の猿ゼッケンから!!」

 その怒号に応えるように女達が武器を構え、ラルバ達を威嚇(いかく)する。イチルギは困った顔で再び老婆に向き直る。

「あの……大変申し上げにくいのですが、私達常夜の呪いにかかってなくて皆様の言葉が分からないんです。もし何か粗相(そそう)をしたのであればお詫びしてすぐに出ていきます」

「イチルギ。こいつら多分私らが何者か分かってないぞ。ハザクラとバリアも戻ってこないし、ここは力で()じ伏せるしかあるまいて」

 ラルバの言葉を聞いた1人の女性は、雄叫(おたけ)びを上げながら両手に構えた双剣を激しく振り回し突進の姿勢を取る。老婆が何かを叫んで制止させようとするも、双剣の女は止まらずラルバに向かって駆け出した。

「ラルバ!殺しちゃダメよ!」

「怪我は?」

「ダメ!」

 ラルバは突進してきた双剣の女をひらりと(かわ)し、すれ違いざまペンを取り出して首にドクロの落書きをした。

「難しいこと言うね。取り敢えず君ゲームオーバーね。全員の急所に落書き入れたら降参してくれる?非常にメンドイので」

 ラルバがもう一本ペンを取り出してイチルギに投げ渡すと、イチルギは自分の中で言い訳をしつつ妥協(だきょう)して受け入れた。

 

 

 

「おっ。ハザクラちゃんお帰りー。遅かったね」

 ハザクラがバリアに肩を貸してもらって大部屋に到着すると、そこにはラルバとイチルギと、悔しそうな顔で座り込む武装した女性達がいた。それを見たバリアは事の顛末(てんまつ)を推測して、ハザクラを床に座らせる。

「通路の霧、毒ガスだったみたい。少し休ませてあげて」

「あーやっぱし?なんか変に魔力濃かったよね」

「この人達は誰?」

「んー?襲ってきた。けど多分善人寄りだねぇ。ボコす気全然起きないもん」

 すると座り込んでいた女性のうち1人がボソリと何かを呟き、そしてラルバの手を取って何かを懇願(こんがん)してきた。

「なになに、何言ってるか全然分かんないんだってば。ハザクラちゃーん?通訳しておくれー」

「……満身創痍(まんしんそうい)だ。数分待ってくれ」

 ラルバはハザクラの方へ駆け寄り、頭を鷲掴(わしづか)みにして回復魔法を発動する。

「はい元気!」

 ハザクラは冷たい目線をラルバに向けながら(しばら)く硬直し、やがて諦めた様に女達の方へ歩き始めた。

 

 ハザクラが一頻り女達と話すと、霊祓灯(れいふつとう)()いて常夜の呪いを無効化しラルバ達に通訳を始めた。

「彼女達は今別のギャングと抗争中の非合法勢力らしい。それで侵入してきたラルバを敵勢力のヒットマンだと思ったそうだ。まずは(おそ)ったことについて()びさせて欲しいと」

 ハザクラがそう言うと、女達は座ったまま(ひざ)に手をついて深々と頭を下げた。

「そこで今度は力を貸して欲しいそうだ」

 ラルバは不満そうに首を(ひね)って唸り声を上げる。

「ん〜。コトによるかな……」

「敵対勢力は謎の人物が率いる犯罪者集団だ。麻薬の密売、奴隷の貸し出しや販売、脅迫(きょうはく)、依頼殺人。ここにいる彼女らが(かくま)っていた子供達も、大勢が(だま)されて連れて行かれ殺されたそうだ」

「あ、ケッコー悪い奴らなんね」

「悪者退治が趣味だろう?丁度いいじゃないか」

「そうですねぇ」

 しかしそこへイチルギが手を挙げて会話に割り込む。

「私パス。あとバリア借りるわね」

「はいぃ?なーにを勝手に」

「勝手にも何も、バリアが言ってたでしょ。使奴研究員がいるかもしれないって。悪党退治はそっちに任せるから、こっちはこっちで調べさせてよ。あーハピネス聞こえてるー?この後ラルバ達とは別行動するからーどっちか好きな方ついてってー」

 イチルギが異能で見ているであろうハピネスに声をかける。ラルバは不満そうに(ほほ)を膨らますが、イチルギの提案も最もだと受け入れ別行動を了承した。

 イチルギとバリアが店の外へ出て行くと、ラルバは手を振った後にハザクラに振り向く。

「ほんじゃクラの助さんや。通訳頼みましたよ?」

 ハザクラはラルバの言葉になんの反応も返さず、占い師の格好をした老婆の元へ歩いて行く。

 再び常夜の呪いの影響下に置かれたハザクラは、老婆の前に片膝をついて座り込んだ。

「では御婦人。話は私、ハザクラが(うけたまわ)りましょう」

「すまんね……あちらのラルバさんとやらは常夜の呪いを受けられんので?」

「……彼女のことは気にせずに。後で私が話しておきます」

「ふむ……しかし恥ずかしい限りじゃが、奴等のことは殆ど何にもわからんのじゃて……砂嵐の様に現れては煙のように消えて行く……人数も規模もまるで分からん……じゃからヌシ等には保護区で待ち伏せをしてもらいたいんじゃが……」

生憎(あいにく)時間が限られているもので、どんな些細(ささい)なことでも構いません。何か手がかりをください」

「ふむ……いやあ……しかし……本当に情報が少なくてな。最近統率者の名前がわかったくらいなんじゃて……」

「十分です」

 老婆は怪訝(けげん)そうな顔で何度も耳を触り、渋々(しぶしぶ)口を開いた。

 

 

 

 

 

「ティエップ。それが奴等の統率者の名前じゃ」

 

 

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 宿屋「望遠郷(ぼうえんきょう)」〜

 

 ラデックは半分微睡(まどろ)んだまま布団を持ち上げ、覚束(おぼつか)ない足取りで洗面所へと歩き出す。

「……む、ティエップ。もう起きていたのか」

「あ、はい。おはようございます」

「目の傷はどうだ?塞いだだけだから化膿しているかもしれない。もし違和感を感じたら直ぐに言ってくれ」

「あ、大丈夫です!お陰様(かげさま)で痛みもありません」

「そうか。念のため病院で一回診てもらうか?」

「あっあのっ……わた、私、身分証明書がないので……!!」

 突然慌て出すティエップに、ラデックは若干違和感を(いだ)く。

「金なら心配するな。ジャハルは相当な権力者だし、俺もそこそこの手持ちがある」

「あ、いや、だ、大丈夫です!」

「……無理にとは言わないが」

「あの、すみません……」

「……何か事情があれば言わなくてもいい。もう少し休んだら出発しよう。ハピネスからラルバの状況も聞かなければ……」

 そのまま欠伸(あくび)をしながら洗面所へと入って行くラデック。その背中をティエップはどこか(うつろ)な瞳で眺めていた。



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46話 二兎追うものは一兎も得ず

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜なんでも人形ラボラトリー 市街地〜

 

 一行が入国してから丸一日が経過したが、昼前であるにも(かかわ)らず空には依然として風景画の様に凍りついて動かない満月と星々が(きら)めき、街中を埋め尽くすイルミネーションが爛々(らんらん)と輝き辺りを照らしている。

 ラデック、ティエップ、ハピネス、ジャハル、ラプーの5人は活気のある市街地を物珍しそうに物色しながら散策し、時折飲食店や雑貨屋で立ち止まって雑談をしている。ハピネスの案内でラルバ達のいる地下街へ足は向いているものの、その歩みは緩慢(かんまん)で落ち着いている。

 そこへ1人の踊り子が足を(もつ)れさせてジャハルにぶつかった。ジャハルは咄嗟(とっさ)に受け止めて抱え込み、余裕の表情で微笑みかける。

「おっと。お怪我はありませんか?」

「あ、す、すみません……!!お姉さんこそお怪我は!?」

「鍛えているのでね。心配は無用です」

 その様子を見てラデックが思い出したかの様に辺りを見回す。

「……そういえばティエップ。ここでは毎日お祭り騒ぎと言っていたが、この国の風習か何かか?」

 ラデックの問いかけに、余所見をしていたティエップがハッとして視線をラデックへと向ける。

「あ、はい!踊りは“常夜の呪い”を保つ儀式なんです」

「儀式?」

「珍しいですよね。詳しい仕組みは知らないんですが、この国は“大勢の人が踊っている間だけ夜になる”魔法がかかっているんです。そして夜の間だけ言葉が出鱈目(でたらめ)になってしまう。元々は砂漠の暑さを(しの)ぐためだったとか、魔力を貯めるためだったとか色々言われていますが、詳しい起源は分かっていません」

「起源がわかっていない?そんな奇妙な呪い、何故態々(わざわざ)受け継いでいるんだ?」

「あはは……普通そうなりますよね。でも常夜(とこよ)の呪いはでっかい屋根みたいなものですから、砂漠の暑さを軽減できるのは大きなメリットですし、月光や星光、特に満月の光は大きな再生可能エネルギー、波導源(はどうげん)になります。この国の電力だって9割近くが月光発電に頼っているんですよ」

 そう言ってティエップは遠く離れた塔を指差す。話の流れからして月光発電所と思われる施設は、ぼんやりとした青い発光を脈動させている。

「なるほど……簡単に言えば、踊るという運動エネルギーを波導エネルギーに変換しているわけか」

「更に電気エネルギーに変換しているので無駄な手間に見えますが、結構効率が良いんですよ。そんなに土地も要りませんし」

 ラデックがブツブツと独り言を(こぼ)しながら歩き始める。その後もハピネスの案内でラルバの元へ向かう一行は、牛歩ながらも確実に合流地点へ近づきつつあった。

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 地下街入り口〜

 

 廃墟(はいきょ)の様に朽ち果てた入り口のトタン屋根が、おどろおどろしい洞窟の奥から噴き出てくる風でガタガタと音を立てて揺れている。(さび)れた空間に似つかわしくない監視カメラがじっとラデック達を(にら)み、あちこちに備え付けられた換気用の巨大なファンがごうごうと音を立てて回っている。それらはまるで「出て行け」と()え、地下街を守っているかのように見えた。

 ラデックが入り口の壁に寄りかかる老人に会釈(えしゃく)をすると、老人は同じように会釈を返した後に(わざ)とらしく(せき)込む。常人がこの仕草を見たならば「大丈夫ですか?」と声をかけたくなるだろうが、それが貧困層に蔓延(はびこ)る悪質な”物乞(ものご)(もど)き“の手口である。

 彼等が欲しいのは金銭ではなく情報。繁華街(はんかがい)で観光客に集る物乞いとは比べ物にならぬほど狡猾(こうかつ)目敏(めざと)く、こうして地下街に入って行く常識知らずな観光客の素性(すじょう)や経歴を奥に(ひそ)む仲間へ伝え、皮膚(ひふ)一欠片(ひとかけら)すら残らず()ぎ取りバラし金に換える。

 老人の態とらしい咳を見たジャハルは、若干顔を(しか)めながらも腰に下げた魔袋(またい)に手を入れ、常備している携帯食料を老人の足元へ置き足早に立ち去る。

「いやあこらありがてぇなぁ。おい(じょう)ちゃん、この先に何の用――――」

 ジャハルは老人の言葉を無視して突き進み、ラデック達にも「構うな」と目配(めくば)せをして急かす。ラデックは後ろ髪引かれながらもジャハルに続く。その後を追うラプーと一緒にハピネスも歩き出すが、立ち止まったままのティエップを気にして立ち止まる。

「ティエップ?何か気になることでも?」

「あっいえ……あの、この先本当に行くんですか……?」

「心配するな、いざとなればラデック君が――――」

 

「…………ティエップ?」

 

 老人の声が2人の会話を遮った。

 しかしその声は先程の軽快で不潔(ふけつ)浮浪者(ふろうしゃ)声色(こわいろ)ではなく、何か恨みや怨念を感じさせる重苦しい(うめ)き声に近い声だった。

 その声はジャハル達にも聞こえた様で、(きびす)を返してこちらへ戻ってきていることがわかった。ハピネスはそれを確認してから老人に向き直り、(おど)けるように振る舞う。

「ああ、この子“ティエループ・ソニア”って言うんですよ。不出来な預言者でね。優秀な預言者に“ティエップ”ってのがいるもんで、皮肉を込めたあだ名でそう呼んでるんですよ」

 嫌な予感がしたハピネスは口八丁でティエップを(かば)(けむ)に巻く。しかし老人の眼は既に確信に近い憎悪でぎらぎらと輝いており、言いくるめが通用していないことがわかった。

「オメェ等出てこい!!!“ティエップ”だっ!!!」

 老人の地を揺るがす怒声が洞窟に響き渡る。するとラデック達が逃げ出すまもなく数十人の(ぞく)に包囲され、ラデック達は洞窟の壁際に追い詰められる。

 吐き気を(もよお)す殺気にあてられたティエップはひどく怯え、高熱に(うな)されているかのように肩を震わせる。ラデックが落ち着かせようと抱き寄せ肩を()でるが、その震えは一向に収まらない。

「……どういうことだ!?おい!!ジャハル!!」

「わかっている……!!」

 ジャハルは大剣を振り(かざ)して賊の前に立ちはだかり、声高(こわだか)に名乗り出る。

「私は人道主義自己防衛軍所属!!“クサリ”総指揮官ジャハルだ!!彼女の身柄は我々の庇護下(ひごか)にある!!逆らうならば武力行使も(いと)わん!!早々に武器を下げて退け!!」

 

「待て」

 

 若い男の声。その声は呟くような小さいものであったが、確実に全員の耳に届き賊は黙って振り向く。そこには赤い髪で片目を隠した男と、紫色の長髪を(なび)かせる使奴が立っていた。

「ハザクラ!!ラルバ!!」

 ラデックは安堵(あんど)して助けを求める。

「預言者の女性が狙われている!!守ってくれ!!」

 しかしその呼びかけにハザクラは答えず、代わりにラルバが嘲笑(ちょうしょう)するように肩をすくめた。

「え?なんて?まあ言葉分かんなくても大体何て言ってるかは想像つくけどさ。あっはっはっは」

 常夜の呪いでラデックの言葉が分からないラルバは、カラッとした笑顔で後頭部を()きながら()け反り笑う。

「いやあ私もびっくりなんだけどね。その子、悪逆無道(あくぎゃくむどう)の大悪党の長なんだってさ。地位で言えばネルダバ以上?覚えてるかな、グルメの国へ行く直前に豚に食わせた運送会社幹部のデブ。あれ以上にすごいらしいよ。子供拉致(らち)って殺しちゃったり、そのままバラして売っちゃったり、色んな賭場で負け込んだクズ共を混ぜ混ぜしてお薬作ったりしてるんだってさ。まーおっそろしーい」

 ラデックが絶句してティエップを見るが、依然震えたまま動かない彼女を見てラデックは再びラルバに向けて声を荒げる。

「何かの間違いだ!!彼女にそんなことできるはずがない!!」

「違うんですラデックさんっ!!!」

 強く否定するラデックの言葉を、ティエップが身を震わせながら(さえぎ)った。

「わた、私なんです……!!!その……悪党と言うのは……!!!」

「な……なん……!?」

「すみません……!!!ずっと、ずっと言えませんでした……!!!自分っでも……どう、言ったら、いい、のか……わからな、くて……!!!」

 ティエップは泣き崩れながら必死に言葉を(つむ)ぐ。その言葉にはジャハルも言葉を失い立ち尽くし、ハピネスは若干(あき)れたような微笑(ほほえ)みで顔を背ける。すると再び賊が声を荒げラデック達に武器を向ける。

「そいつを差し出せ!!!死にテェのか!!!」

「殺せ!!!私等の(かたき)だ!!!(かば)うならアンタも殺すぞ!!!」

「私達がどれだけソイツに苦しめられたか……!!!ぶっ殺してやる!!!」

「殺せ!!!」「殺せ!!!」「殺せ!!!」「殺せ!!!」

 今にも(おそ)いかからんと迫りくる賊の群れにラデック達は狼狽(うろたえ)る。群れの奥からはハザクラが静かにこちらを見つめ、「(あきら)めろ」と黙って首を振っている。しかし納得していないジャハルは(たま)らず声を上げた。

「ハザクラ!!何かがおかしい!!彼女はドメスティック・スレイヴだったんだぞ!?悪党の頭領(とうりょう)など(つと)まるはずがない!!」

 それに同調するかのようにラデックも声を上げた。

「彼女は犯罪など犯せる性格じゃあない!!使奴に尋問(じんもん)をさせればすぐに分かることだ!!イチルギはどこにいる!?」

 しかしハザクラは顔を伏せ、再び首を小さく振って否定する。

「イチルギとバリアは別行動だ。それに、本人が自白している以上否定は難しいだろう」

「しかしどう考えても――――」

 

 

 パァン!!!

 

 

 発砲音。賊の一人が放った銃弾がティエップの脇腹を(つらぬ)いた。それを合図に賊がティエップへと押し寄せる。ジャハルは咄嗟(とっさ)にハピネスとラプーの首根っこを(つか)み跳び退くが、いち早くティエップに(おお)い被さったラデックは逃げ遅れあっという間に賊に埋もれ見えなくなった。

 そして、その瞬間。最早(もはや)ラデックに弁解する理性は残っていなかった。

「――――虚構、拡張」

 (またた)く間に景色は“燃え上がり”(おびただ)しい量のスイッチが(ひしめ)くコックピットの風景が浮かび上がる。

 ラデックが手に持っていた石ころに口をつけ大きく息を吹き込むと、石はまるで”風船のように大きく膨らみ“破裂した。その爆発は賊を吹き飛ばして地面へ叩きつけ、破片で皮膚をズタズタに引き裂いた。

 ラデックはそのまま自分の上着をティエップに被せて(ひざ)を抱えさせる。

「この中にいろ。すぐ終わる」

 上着は一瞬で“鋼鉄のように固まり”ティエップを閉じ込め、それを確認したラデックは吹き飛ばされた賊の方を向く。そして突進してきた女の手を掴み“改造”して四肢の自由を奪った。

「降参するまでやめないからな」

 そう宣言すると、ラデックは目にも止まらぬ速さで賊に接近し、1人また1人と改造して地面に転がして行く。賊は必死の抵抗を見せるが、ラデックが全員の行動を封じるまでに5分とかからなかった。

 

 

 

 景色が再び“燃え上がって“コックピットが焦げ落ち、元のみすぼらしい洞窟(どうくつ)の入り口が姿を表した。ラデックはティエップにかけられた上着を取り、袖を通してティエップの脇腹に手を当てる。ラデックの異能によって、(たき)のように血が吹き出していた傷口は瞬く間に(ふさ)がる。しかし一気に大量の血を失ったティエップは朦朧(もうろう)としてその場に崩れ落ちた。

 そしてラデックは無表情のままゆっくり立ち上がり、ハザクラの方へ顔を向ける。

「……これがお前の正義か?」

 ラデックはいつもと変わらぬ無表情だが、その目には確かに燃え盛る敵意が宿っている。しかしハザクラは黙ってラデックを見つめ、静かに目を伏せる。

「もし今回ティエップが無実なのであれば、想定を(おこた)った俺の責任だ」

 ラデックは眉一つ動かさずに視線をティエップへと戻し、その身を案ずるように髪を撫でた。しかしティエップは再びポロポロと涙を溢し、ぼそぼそと(つぶや)く。

「ごめんなさい……全部、全部私がやったんです……こど、子供達も、いっぱい殺しました……色んな、人を……たくさん……たくさん……殺しました……ぁ……!!!」

 しかし、最早ラデックはその言葉を全く信じていなかった。

「大丈夫だ。俺がなんとかする」

 突然一瞬で空気が澱み、魔力が変質したことが感じ取れた。ラデックが振り向くと、ハザクラがマッチのような木片、霊祓灯(れいふつとう)に火をつけて常夜の呪いを無効化していることがわかった。そしてラルバがニコニコと笑顔を作りながらラデック達に近寄り――――

 

 

 

「せいやっ!!」

「ぐあっ!!」

 

 

 

 ハピネスを引っ叩いた。

「な、何故……」

「ハピネス!!ネタバレは厳禁(げんきん)だと言っただろうが!!」

「な、何も言ってない!!」

 涙目で(ほほ)を抑えるハピネスの横で、ラルバが気怠(けだる)そうに首を左右に(かたむ)ける。

「あー喜べラデック。多分その子は無実だ」

 ラデックは驚いてラルバに顔を寄せる。

「ほ、本当か!?」

「ん。ていうか最初見た時から善人って分かってたしね。そんな極悪人だったらとっくにカマかけてボコしてるよ」

 その言葉を聞いて地に伏せていた賊が声を震わせて何かを言うが、霊祓灯が()かれて常夜の呪いが解かれた今、その言葉を理解することはできない。しかしラルバは内容を大まかに推測(すいそく)して返事をする。

「あーなんつってるのか分かんないけど、君等も多分間違ってないよ。この子が悪党のリーダーだって情報は本当だろーねー」

 ラデックは理解が追いつかず首を(ひね)る。

「どういうことだラルバ。同姓同名の別人がいるのか?しかし自白に関してはどう(とら)えたら……」

 ラルバは大きく溜息を()いて首を振る。

「……ハピネスの反応見てれば分かるよ。全くこいつは……」

 ラルバがハピネスの額にデコピンを打ち込む。

「あだっ!何故だ……何も言ってないのに……」

「態度が露骨(ろこつ)なんだよ!!」

 ラルバは子供のように地団駄(じだんだ)を踏んで怒りを(あらわ)にする。

「ハピネスは異能でずっと私を追ってたんだろう!?じゃあ私と合流した今はどこを見てるって言うんだ!」

 ハピネスが身体をびくっと痙攣(けいれん)させて、気まずそうに目を背ける。

「どっか近場で面白そうなところを見にいったんだろうさ。私だったらイチルギの方を見に行くが……残念ながらハピネスはイチルギの行方(ゆくえ)を知らん」

 ラルバはラデック達に背を向けて洞窟の外の方へ顔を向ける。

「でもって戦々恐々(せんせんきょうきょう)とした怒号飛び交う中で、あの()ました顔!!きっとこの騒動の発端(ほったん)を知ったんだろうねぇ……つーまーり?”見れば一発でこの状況を理解できる圧倒的回答“を見ちゃったわけだよ。この(たぬき)は。たーとーえーばー」

 ラルバはすっと目線を上げ、監視カメラを(にら)む。

「私等を監視する使奴研究員とかさ」

 

 

 

〜???〜

 

 (ほこり)だらけの暗室の中。唯一の光源となっている巨大なモニターには、こちらをまっすぐ見つめるラルバの姿が映っている。その目を忌々(いまいま)しそうに見つめる老人はわなわなと肩を震わせ、歯を食いしばり固まっている。

「く、く、くっ………………そ……が、ぁぁぁぁ…………!!!」

 その表情は憎悪か恐怖か、老人は乱暴にモニターの電源ボタンを殴り、態と足音を立てて部屋を出て行った。



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47話 馬鹿と煙

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜なんでも人形ラボラトリー マダム“サリファ”の占星所〜

 

「そんじゃあ“なぞなぞごっこ”をはじめましょーかね」

 ラルバが(なまめ)かしい紫のソファに寝そべって頬杖(ほおづえ)をつく。燭台(しょくだい)に立てられた霊祓灯(れいふつとう)がゆらゆらと怪しく揺れ、薄気味悪い大部屋の(あや)しさをより一層濃くしている。

 昼間の騒動から半日が過ぎ、ハザクラが味方した賊のアジトである地下街下層の占星所に戻ってきたラルバ達。そこには別行動になったイチルギとバリアの代わりに、先程合流したラデック達の姿があった。

 ラルバはどこからか盗んできた煙管(キセル)仰々(ぎょうぎょう)しく吹かして煙で輪っかを作り、ハザクラの顔に命中させる。ラデック達やティエップ、そして地下街を取り仕切る賊達が神妙な面持ちで見守る中、ハザクラは鬱陶(うっとう)しそうに煙を払い手元の資料を読み上げた。

「ラルバによる尋問(じんもん)の結果、ここにいる全員の自白は真実であることが証明された」

「勝手に内容を変えるな!!”正しくは“本人にとって真実であることが証明された”だ!!」

「……ラルバによる尋問の結果。ここにいる全員の自白は“本人にとって真実であることが証明された”。この時点で嘘をついている者がいない、もしくはラルバが見抜けないほどの実力者が紛れ込んでいることがわかる」

「言葉が通じない状態での尋問は骨が折れたが……間違いなく嘘は言っていないだろうな!」

 続けて、発言権が回ってきたハピネスが(あざけ)るように口を開く。

「でもってその“ラルバが見抜けないほどの実力者”だが、前にイチルギとラルバで(だま)し合いをさせたことがある。その結果、今回のような一方的尋問であれば容易(ようい)に見抜けることがわかっている。使奴は演じるより見抜く方が得意なようだね。だから裏切り者の心配はほぼないものとしていいと思うよ。つまり、今回は全員めでたく正直者ってわけだ」

 そして最後にラデックが咳払いを一つ挟んで立ち上がる。

「もしラルバの推測通り“使奴研究員がこの騒動をけしかけた”としたならば、何らか方法で誰かに細工をしたはずだ。しかし、魔法ならばラルバが見抜けないはずがない。ラルバ達使奴が見抜けないと言うことは、魔力を有さない魔法……異能による犯行だ」

 そこまで聞いたラルバは目を(つむ)って煙管を大きく吸い込み、ティエップの方をじっと見つめながら口を緩く開けもわもわと煙を吐き出す。

「二重人格者か、豹変(ひょうへん)させられたのか……そも、この女は本当に”罪を犯した“のか……」

 ティエップは怯えながらも強い口調で意見する。常夜の呪いが解かれている為言葉は理解不能だが、その内容が犯行の自白であることが容易に想像できた。

 しかし、このティエップの自白にラデックは全く動じず、微塵(みじん)も疑うことなくラルバに提案をする。

「その大悪党は臓器や人身の売買なんかもしていたんだろう?売買をしたならば買い手がいるはずだ。探し出して問い詰めよう」

「時間がかかるので却下。もっと単純明快簡潔にいきましょーやラデックさん」

「それができたら苦労は……」

「できるので苦労はナシ!!」

 ラルバは寝転がった姿勢から大きく飛び跳ねて、賊の1人の正面に着地した。そして不気味な笑顔で威圧するように顔を覗き込む。

「出前を取れ。美味いものをとにかく大量に!!」

 

 

 

 

「毎度ー!!」

 

「はい、丁度お預かりしますねぇ」

 

「こちら大変お熱くなっておりますので〜」

 

「次回から使えるクーポン券ですぅ。良かったらどぞぉ」

 

「お兄さん1人で持てる?重いから落とさないようにねぇ!」

 ハザクラは占星所の入り口で筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の熟年の女性からケースに入った商品を受け取る。

「……どうも」

「あらぁ力持ち!!そ・れ・と!これ……お兄さんカッコいいからサービスっ!」

 両手が塞がっているハザクラの胸ポケットに、女性が連絡先を書いた紙をスッと差し込んだ。

「いつでも連絡ちょーだい!次はお店に来てネッ!」

 そう言って女性はハザクラの(ほほ)にキスをしようと近寄るが、露骨に後退したハザクラに避けられる。あざとくウインクを飛ばして去っていく女性を見送ってから、ハザクラは宴会場と化した大部屋へと戻った。

「んあ!クラの助おっかえりぃー!それ何?」

 ピザを片手に駆け寄ってきたラルバに、ハザクラは顔を(しか)めたまま荷物を強引に手渡す。

「おっ!ケーキか!そろそろ甘い物が食べたかったんだよねぇ」

 ラルバは手に持っていたピザを一口で頬張(ほおば)ると、大量のケーキが入ったケースをテーブルの上に乗せる。

 既にテーブルの上は国中の料理が所狭しと並んでおり、部屋の隅には使用済みの食器類が山の様に積み重なっている。ラルバの指示で集められた数十人分の出前はほぼラルバ1人で平らげられ、ラルバ以外の人間は皆困惑の表情で呆然(ぼうぜん)としている。

 あまりに奇妙な光景に耐えきれず、賊のうちの1人がラデックに顔を寄せた。

「おい、助けを求めた立場から言うのもアレなんだが……あいつ頭大丈夫か?」

 ラデックは出前のカツ丼をもそもそと頬張りながら首を左右に小さく振る。

「んぐ……ラルバの頭は大丈夫じゃないぞ。俺も時々何度か結構文句を言ってる」

「おいおい困るぜ……!あいつにとっては遊びかもしんねぇけどよ……こっちは親の代からの敵討(かたきう)ちだってーのに……!!」

「だが、結果は保証する」

「どうだか……」

「保証する」

 この話を聞いていた他の賊も同じように難色(なんしょく)を示し、互いに顔を寄せて陰口を叩く。ラデックがカツ丼の残りをかき込みながらラルバの方を見ると、間抜け面でホールを3つ平らげた所だった。

「んん〜このタルト美味いなぁ〜!クラの助もおひとつどう?」

 差し出されたタルトに、ハザクラは拒絶する様に(てのひら)を突きつける。そしてジャハルから借りた抗魔(こうま)スカーフを(まと)い、常夜の呪いから脱した状態でラルバに問いかける。

「結構だ。それよりも、そろそろこの作戦の意図を聞こうか」

「意図?」

「大量の出前を注文した事についてだ。この食料、どうするつもりだ」

「食べるに決まってんでしょ」

「食べてどうする」

「お腹いっぱいになるよ?」

「腹が(ふく)れてどうする」

「満足する」

 にこりと笑うラルバの一問一答に、ハザクラは呆れ返り大きく溜息を吐く。しかし、ラルバは突然声のトーンを落として冷めた口調で指摘する。

「愚か者め」

 ハザクラは(いぶか)しげな目をラルバに向けるが、ラルバは嘲笑(ちょうしょう)よりも叱責(しっせき)する様な真剣な表情でハザクラを見下ろしケーキを(かじ)る。

「その程度の思慮分別(しりょぶんべつ)で世界を変えようなどと、思い上がりも(はなは)だしいぞ小僧が」

 呆れ半分警戒半分といった表情で黙りこくるハザクラに、ラルバはソファにふんぞり返って指を鳴らす。その音にざわめいていた周囲は静まり返り、全員がラルバの方を向く。

「…………何故こっちを見た?」

 ラルバが独り言の様に(つぶや)く。周りの人間は口々にボソボソと何かを話し始めるが、呪いのせいでラルバとハザクラには伝わらない。そこで、抗魔スカーフで唯一呪いの影響を受けていないハザクラが代表する様に一歩前へ出る。

「お前が指を鳴らしたからだろう」

「何故指を鳴らすと見るんだ?」

「何が言いたい?」

「何が言いたいか考えろ」

 再び重苦しく見下してくる様なラルバの眼差しに、ハザクラは再び溜息を()いて答える。

「突然指を鳴らされたら気になるだろう」

「ああ、そうだ。私もそう思う。だからこそ、皆に注目してもらいたい今、指を鳴らしたわけだ」

「……それだけか?」

「さっき、何故出前を注文したかと聞いたな。お前だったらどう考える。ハザクラ」

 ハザクラは(あご)に手を当て、(しばら)く考えた後に口を開く。

「……さあ、さっぱりだ」

「だろうな。そこに答えなどないからな」

「何が言いた「何が言いたいか考えろ、と言ったはずだ」

 ラルバはハザクラに人差し指を向けて言葉を(さえぎ)る。

「あちこちに仕掛けたカメラでこちらの動きを監視している敵。相手はこちらが隠れていることを知っていて、尚且(なおか)つこちらを(おそ)おうと画策(かくさく)している。そんな相手が立て(こも)って出前を大量に注文していたら……気にならないか?」

 ラルバは再び指を鳴らす。

「これは言わば、奴らに向けて”指を鳴らしている“わけだ。こちらを見ろ、とな。私は史上最強の人造人間だ。近づくのも関わるのも恐ろしい。出前を届けに行った人物が全員工作員に見えても不思議じゃない。だからこそ、監視カメラという一方的な情報収集手段に頼らざるを得ないわけだ」

 ハザクラが納得できずに反論する。

「だったら出前に(こだわ)らなくてもいいはずだ。ただここにいるだけでも充分不審(ふしん)だ」

「それじゃ可能性だけで確実性がない。ここは治安最悪の地下街最下層だぞ。出前の配達人だって辿(たど)り着くまで気が気じゃ無い。そんな場所に大量の人間が出入りするなんて異常な風景、無視せざるを得んだろうよ」

「第一、“監視カメラを見ている”というのも推測でしかないだろう」

「はっ、推測だろうが事実だろうが関係ないね。ところで、話は変わるが……これを知っているか?」

 ラルバが手元の紙を取り出してハザクラと周りに見せる。紙には独特な魔法陣が描かれており、淡く発光している。

「……ああ、追跡魔法か」

「そうだ、魔法陣が描かれている場所を感知できる上位魔法だ。昨日、ラデックにマーカーがくっついてるのを見て思い出してな」

 ラデックが思い出したかの様に首筋を撫でるが、ラルバは手をひらひらさせ「無駄だ」とジェスチャーをする。

「世界ギルドからつけっぱなしだぞ。まあそんなことはどうでもいい。この追跡魔法なんだが……“我々の時代”では犯罪行為にあたる魔法だったんだ。何故かわかるか?」

 ハザクラは口元に手を当てて(うつむ)く。

「そうか……監視カメラ……!魔法陣が画面に映れば居場所が特定されてしまう……!」

 ラルバはニィっと口角を上げ、「やっとわかったか」と目を閉じる。

「地下街に幾つか仕掛けた魔法陣のうち、反応があったのは合計4ヶ所。そのうち3ヶ所はただの警備会社とか一般の事務所だろうが……1ヶ所だけ“とんでもない所“に反応がある。ここで間違い無いだろうな」

「何故わかる……?」

「まぁーたすぐ聞いちゃうのねぇ。その癖、直した方がいいよ。まあこればっかしは当てようがないからいっか」

 そう言って、したり顔でラルバは真上を指差した。

「上空15000m付近。そこにステルス迷彩を(ほどこ)した”使奴研究所“があるはずだ」



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48話 被差別民差別

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


〜なんでも人形ラボラトリー 月光発電所〜

 

「あー、へぇー、なぁーるほーどねぇー」

 月光に含まれる波導(はどう)を効率よく吸収するために建てられた鉄塔。ラルバはその最上部にある欄干(らんかん)にヒールの(かかと)を引っ掛けて空を見上げる。真横で梯子(はしご)(つか)まるラデックが同じように空を見上げるが、(いく)ら目を細めても満天の空のどこに違和感を感じるのか理解できなかった。

「全くわからない。どこに使奴研究所があるんだ?」

 後ろの足場にいるハザクラ、ジャハル、ラプー、ハピネス、ティエップの5人もラデックと同じように目を細めるが、同意を表す者はいなかった。タバコを(くわ)えるラデックに、ラルバがちょうど国の真上に当たる部分を指差して説明をする。

「あそこ。いやぁよく考えられてるよ。私ら使奴は昼間の夜空なんて気持ち悪いもん見たくないからね。言われてみれば確かに景色が若干(ゆが)んでる」

「全くわからない」

「月に1番近い1等星のちょい右らへん。ほら、4つ同じ明るさの星が並んでるとこのちょい下」

「全くわからない」

「ちょっとは探す素振りを見せなさいよ……」

 単調な返答を繰り返すラデックにラルバは呆れて顔を(しが)める。後ろの足場で同じように空を見上げるジャハルが、隣にいたハザクラ達を見回しながら口を開いた。

「あそこへ行く手段を考えないとな……私とハザクラが浮遊魔法で運び……ラルバが迎撃に備えて……」

「そんなもんジャンプすればいい。それよりも……」

 話を(さえぎ)ったラルバがニヤリと北叟笑(ほくそえ)む。

「気になるのは“これから”ではなく“今まで”だ。(およ)そ200年もの間。研究所を丸ごと浮遊魔法と隠蔽(いんぺい)魔法でひた隠しにしていたわけだが……その動力源が気になる。まさか月光で全て(まかな)っていたわけではあるまいよ」

 ラルバは身を(ひるがえ)してジャハル達のいる足場へ戻り、ラデックものそのそと梯子を登って戻った。そしてラルバが振り向きざま笑顔を(かがや)かせる。

「そんで!誰から行く?」

 何かを察したハピネスが数歩後ろに下がりながら(たず)ねる。

「行くって、どうやってだい?」

「ジャンプ」

 ハピネスが下がった分近づくラルバ。そしてハグを要求するように両手を前に出す。

「ラルバ昇降機は2名までご利用可能です!最初誰から行く?」

 この提案にラデックとハピネスは両手でバツを作り勢いよく顔を左右に振る。

「馬鹿言うなラルバ。上空15000mだろう?そんなところにひとっ飛びしたら急加速で死ぬ」

「ラデック君の言う通りだラルバ。もっと安全な方法があるはずだ」

 しかしラルバは困ったような笑顔で首を(かたむ)ける。

「んー?でもゆっくり行くと多分迎撃されるよ?あの高さで撃墜(げきつい)されたら、それこそ死ぬんじゃないかなぁ」

 北叟笑みながらにじり寄るラルバから、ハピネスはラプーを盾にするようにしゃがんで隠れる。

「そもそも私は戦力外だろう!絶対行かない!ラプー!!美味しいパフェが食べられるとこに連れてって!!」

「んあ」

 するとハザクラが(あき)れたように溜息を()いて挙手する。

「ならば俺が行こう。元より潜入なら全員で行く必要はない」

 この発言にジャハルが(あわ)てて追従(ついじゅう)する。

「だ、だったら私も同行させてもらおう!ハザクラとラルバを2人きりにするわけにはいかん!」

 ラルバは満足そうに笑うとラデック達の方を向いた。しかし依然として2人は胸の前でバツを作り左右に首を振っている。ラルバは構わず両手を広げて歓迎のポーズを取るが、2人はゆっくりと後退し拒絶する。

 この無言の押し問答は(しばら)く続いた。

 

〜なんでも人形ラボラトリー ホテル「ラッキーストロベリィ」〜

 

「美味しい……美味しい……なんて美味しいんだ……ティエップもくれば良かったのに……」

 ド派手な装飾だらけのホテルの一室で、涙声になりながらパフェを頬張(ほおば)るハピネス。その横で若干呆れ顔のラデックがスプーンをくるくる回して手遊びをしている。

「ハピネスは興味本位でラルバについてきたんだろう?今まで散々な思いをしてきて、今更(いまさら)何が怖いんだ」

「ふふふ……痛いのは我慢できるが、苦しいのだけは勘弁(かんべん)願いたい。墜落死(ついらくし)は怖くないけど高山病は怖いんだよ……ほらラデック君。もう一口」

 ハピネスがラデックの方を向いて口を開けてパフェをねだる。ラデックは溜息を吐きながらも、持っていたスプーンでパフェを(すく)い差し出す。

「あむっ。んん〜!」

 満足そうにパフェを吟味(ぎんみ)するハピネスにラデックが怪訝(けげん)そうな顔をする。

「……パフェぐらい1人で食べられないのか?」

「んん……?んぐっ……まあ目が見えないからね。自分で食べるよりも、食べさせてもらったほうが(はる)かに楽だ」

「……パスタは食べられるのにパフェは無理なのか」

「ここまで柔らかいとスプーンの先で探るのは難しい。まさかラデック君……盲目(もうもく)淑女(しゅくじょ)に意地悪をするつもりじゃないだろうね?ほら、もう一口」

「はぁ……」

 ラデックは再びパフェを掬ったスプーンを差し出す。部屋の隅に(うずくま)るラプーは、まるでシュレッダーのように黙々とピザを吸い込んでおり、ラデックは何とも言えぬ心持ちになった。

「…………そうだハピネス。俺やラプーがいるのに、何故“連れ込み宿”なんだ?受付の人、すごい顔していたぞ」

 ラデックは机の上のメニューシートを手に取る。そこには蛍光色のド派手な文字で商品名が書かれており、ラブホテル特有の明らかに“性をイメージさせる”デザインとなっている。

「ん?……仕方ないじゃないか。ラプーが案内した“美味しいパフェが食べられるところ”がここだったんだから。多分私の風貌(ふうぼう)から奴隷だと思ったんだろうね。ティエップも連れてきたら面白かっただろうなぁ…………」

「女性に失礼だ」

「ふふふ、私も女性だよラデック君。でも快適だね。でっかいお風呂も部屋についてるし、ボタンひとつでなんでも持ってきてくれる。王様にでもなった気分だ」

「元王様が言う感想じゃないな。風呂なんて肩まで浸かれるならばそれでいい」

「まあまあ。大きいに越したことはないじゃないか。背中流してあげようか?」

「結構だ」

「私の方が流してもらわないと困るんだが……自分ではちゃんと洗えているかわからないし、のぼせやすいから見張りが欲しい」

「3歳児か?」

「もう一口」

「もうないぞ」

 ラデックは空になったパフェグラスを持って立ち上がり、ラプーが食べ尽くしたピザボックスと(まと)めて部屋の端に片付ける。

「そういえばハピネス。よく使奴研究所の場所がわかったな」

「ん?」

「上空だし目にも見えない。ハピネスの異能が幾ら空を飛べるからといって見つけるのは容易(ようい)ではないだろう」

「ああ、簡単な話だ。私は“知っていた”んだよ。元々ね」

「……それは、使奴研究員と知り合いだった。と言うことか?」

「正確には、“笑顔の七人衆が浮遊施設関係者と知り合いだった”だね。私が知っていたのはここの上空に透明化した施設があることだけだよ。でもって面白いのはここから……ラデック君はネタバレ平気?」

「うーん……次にラルバと会う時は解決した後だろうし、大丈夫だ」

「実はあそこに住んでる人物はな……“100年以上生きている”らしいよ」

 ラデックはグラスの氷水をちびちびと(すす)って考える。そして何かを理解してボソリと(つぶや)いた。

「…………悪趣味だ。ラルバが喜びそうだな」

 

〜地下街最下層 マダム”サリファ“の占星所〜

 

「帰んな」

 (ぞく)の長である老婆は鬱陶(うっとう)しそうに煙管(キセル)を吹かして背を向ける。その両脇から老婆の部下が近寄り、ティエップの腕を抱え外へ連れ出そうとする。

「お願いします!!話だけでも!!”常夜(とこよ)の呪い“はラルバさん達に不利に働きます!!話だけでも……!!」

「だから何だってんだい」

 老婆は拘束されたティエップに近づき、煙管の煙を纏いながら詰め寄る。

「こっちは一世一代一族総出の大勝負なんだよ!!百歩(ゆず)ってあの使奴が加勢するのは認める。だけどお前は何だ?戦力にもならない部外者はすっこんでろ!!」

「で、でも……!!」

「第一”常夜の呪い“を解くったってどうするんだ!!国中回って何百人いるかわからない”踊り手“全員黙らすのか!?仮に達成したとして!!私らの言葉はどうなる!!あの使奴一匹の為に私らは指(くわ)えて見てろってのかい!?」

「でも……!!」

「それより何よりも!!お前みたいな出稼(でかせ)ぎ奴隷(ごと)きがうちに関わるな!!目障(めざわ)りなんだよ!!」

 ティエップは返す言葉がなかった。常夜の呪いを無効化する作戦を考えたはいいものの、その説得力。自身の正しさを示す方法は、彼女に一切なかった。出稼ぎ奴隷として10年近く働き、その実力は預言者の中でも屈指のものではあるが、どこまで行っても結局彼女は”奴隷“という使い捨ての被差別民であることに変わりはなかった。また、それはこの賊達ーーーー“元家庭内奴隷“の一族からしても、歯牙にも掛けない格下であることは明白であった。

「わかったら帰んな。あの使奴の仲間だって言うから五体満足でいられるが、そうじゃなければお前みたいな女!!私らからしたら臓器(札束)が服着て歩いているにしか過ぎないんだよ!!」

 老婆は煙管を咥えたまま大きく息を吐き出し、煙管から噴き出た灰がティエップの顔に降りかかる。老婆はティエップの両腕を抱えている部下達を睨みつけ、苛立(いらだ)った声色のまま罵声(ばせい)を飛ばす。

「ボーッとしてんじゃないよ!!さっさとコイツを連れて行け!」

「は、はい!」

「……悪いな。ウチらも部外者にアレコレ言われたくないんだよ」

 元家庭内奴隷だった部下達は、ティエップの心情を察しながらも長である老婆に逆らえず腕を引く。

「………………なんで……」

「何も言い返すな。今度は本当に金に変えられちまうぞ」

 ティエップの頭の中では、今まで見てきた光景がぐるぐると回っていた。家庭内奴隷としての散々な日々、道端で(うずくま)孤児(こじ)にあげた干し肉、父親や義兄義姉達、そして――――

 

 

「誇ろうが謙遜(けんそん)しようが否定しようが、立派なことには変わらない」

「何も謝る必要はない」

「優秀な預言者に“ティエップ”ってのがいるもんで――――」

「大丈夫だ。俺がなんとかする」

 

 

 

「なんで」

「おい、静かにしてろって……」

 ティエップは賊の手を振り払って老婆に振り返る。

「何で無視できるんですか!!!この“事実”を!!!」

「あぁ……!?」

 老婆は今までで最も憤怒(ふんぬ)に染まった表情を向けるが、ティエップは(ひる)まず声を張り上げる。

「私の記憶も!!あなた方の部下の情報も!!全ては“使奴研究員”という存在に仕組まれたものだった!!ラルバさん達使奴を作った人物の手によって!!もし本当に(かたき)()ちたいなら……!!ラルバさん達の加勢をするのが最善じゃあないんですか!!」

 両脇にいた賊はティエップを止めようとするも、老婆の黒く煮え(たぎ)った怒りにたじろぎ出遅れる。そして老婆がゆっくりと口を開く。

「お前みたいな奴隷がよくもそんな口を……!!!」

「何で!!!」

 ティエップが老婆の言葉を(さえぎ)る。

「何で元奴隷が奴隷を差別するんですか……!!!」

 後ろにいた賊2人の足が完全に止まる。

「何で同じ被差別階級にいて……苦しみを知ってる(はず)なのに……!!そんなことが言えるんですか……!!」

 老婆が声を張り上げる。

「お前に何がわかる!!!」

「あなたに何がわかるんですか!!!」

 しかしティエップは全く動じない。

「私も!!!あなたも!!!皆さんも!!!同じこの国の仕組みに苦しんできたはずです!!!それなのに……折角仲間と出会うことができたのに……どうして、そこで差別をするんですか……!!!」

 老婆は足早にティエップに近寄り、胸ぐらを掴んで思い切り()め上げる。

「黙れ……!!!どこの誰かもわからないお前なんかを、何でウチらが助けてやらなきゃいけないんだ!!!」

「どこの誰かわからないから……助けるんじゃないですか……!!!だって……私達は……皆、“どこの誰かもわからない奴隷”だったんですから……!!!」

 ティエップは老婆の手を強引に振り解き、今度は逆にティエップが老婆の襟元(えりもと)を強く握る。

「今まで……一体何人の“どこの誰かもわからない奴隷”を手にかけてきたんですか……!?最初は誰もが!!どこの誰でもない被差別民だったんじゃないんですか……!?それを、助け合っていた仲間を……いつから”仲間を守るために仲間を殺す“ようになっちゃったんですか……!?」

綺麗事(きれいごと)じゃ……仲間を守ることなんか出来やしないだろうが……!!!」

「本当にそうですか……!?今のあなた達は、今の環境を守るために誰かを犠牲(ぎせい)にしてる……この国の一般市民と同じじゃあないですか!!!」

「黙れ!!!」

「差別階級は確かに楽です……!!!奪う相手を決めれば、得る側は安泰(あんたい)です……!!!でも、あなたも一度は夢見たんじゃないですか……!?得る側の失墜(しっつい)よりも、奪われる側の安寧(あんねい)を……!!!」

「そんな絵空事!!!とっくに(あきら)めたさ!!!おい!!!お前らもいつまで突っ立ってる!!!さっさとコイツをぶちのめせ!!!」

 しかし賊の2人は互いに顔を見合わせ、バツが悪そうに(うつむ)く。

「……マダム。もうやめましょうよ……」

「あぁ!?お前らまで何を言ってる……!!!」

「だ、だって、あの使奴が全部解決してくれりゃ、ウチらもう、奴隷を殺さなくて済むんですよね……?」

「正直……ウチはその絵空事……まだ、夢見てるんですよね……」

「お前ら……!!!」

「はーいそこまでー」

 突然話に割って入ってきた女性の声。全員が振り向くと、そこにはイチルギとバリアが立っていた。

「イ、イチルギさん!!バリアさん!!一体今までどこに……!!」

 ティエップが思わず声をかけるも、使奴には言葉が通じないことを思い出す。

預言者(よげんしゃ)さん。こんなところに1人ってことは何か作戦があるのね?手伝うわよ」

 使奴が一気に2人もティエップの仲間になり、老婆は(くや)しそうにティエップを突き放す。

「勝手にしろ……」

 しかしティエップは老婆の手を握り引き止める。

「勝手にします。だから……勝手にされてくれませんか?」

 老婆は静かにティエップの手を振り払い、奥の部屋に姿を消していった。イチルギは悲しそうに立ち尽くすティエップの側に立って顔を寄せる。

「……フられちゃった見たいね。で、どうするの?言葉はわからないけどできる限り察して動くから、できる限りわかりやすく動いて頂戴(ちょうだい)

 ティエップは小さく(うなず)いて、部屋の(すみ)に移動する。そして空調のリモコンを手にして、設定温度を最低値に設定した。

「うおおおっ寒っ!!何すんだアンタ!」

 賊の2人が身体を抱いて震えるが、イチルギはそれを見て全てを察した。

「あーはいはい。オッケー。任せて」

 イチルギはバリアと顔を見合わせて頷いた。

 



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49話 俺の国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」

 なんでも人形ラボラトリー上空10000m付近。(すさ)まじい速度で上昇する物体が、雄叫(おだけ)びのような悲鳴をあげて飛んでいく。

「うっさいなあジャハル!大人なんだから我慢しなさい!」

「うおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」

 今まで体感したことのない猛烈(もうれつ)な加速。急激に下がる温度と気圧。息もできない程の風圧。数十秒とはいえ、この過酷な状況では流石の人道主義自己防衛軍No.2も死を覚悟せざるを得なかった。生身の人間であれば到底生きられない低気圧、低酸素濃度、低波導、低温。ラルバによる防御魔法の加護がなければ、あっという間に気を失い死に至る空間。ジャハルは置いてきたラデック達に引き止められた時のことを思い出し、ひどく後悔をした。

 

「はい、とうちゃーく。結局迎撃されなかったね」

 ラルバが“空中に”立ち、抱えていたハザクラとジャハルを降ろした。3人は使奴研究所の屋上に立っているのだが、研究所は隠蔽(いんぺい)魔法で透明になっているため、まるで空中に立っているような錯覚を覚えた。

 肩でぜえぜえと荒く息をするジャハルの横で、異能で身体能力を強化していたハザクラが平然と辺りを見回している。

「ハザクラちゃんどったの?トイレ?」

 声をかけられたハザクラは、思い出したかのように抗魔(こうま)スカーフを取り出して自分とジャハルに巻く。

「入口を探している」

「気が早いね。ほい入口」

 ラルバが勢いよく足を踏み鳴らすと、足元の“景色が砕け”研究所への穴が空いた。

「……侵入がバレるぞ」

「もうバレてるって。そんじゃあ行きまっしょーう」

 2人が穴に飛び込むと、ジャハルも慌てて起き上がり後を追いかけた。

 

 真っ暗な研究所は思ったより広く、ラルバ達は既に階段を4階分下っていた。ラルバが手当たり次第に通路の扉を開けるが、(いずれ)も真っ暗でめぼしいものは何もなかった。

「ここもハズレ〜。飽きてきちゃった」

 手持ち無沙汰(ぶさた)になり小躍(こおど)りを始めるラルバをジャハルが(にら)む。

「もう少し緊張感を持てラルバ。敵はどこに(ひそ)んでいるか分からないんだぞ」

「さっきまでゲロゲロしてた人が何言ってるの」

「それとこれとは関係ない……!」

「静かに」

 ラルバは突然立ち止まり、口元に人差し指を当てる。その直後――――

 

 パァン!!!

 

 発砲音とともにジャハルの眼前を銃弾が突き抜けていった。3人が顔を向けると、そこには脂汗とフケに塗れた肥満体の中年男性がこちらに銃を構えて立っていた。

「んふぅ〜!んふぅ〜!!ふいっ……ふぃぃぃ……!!!」

 男は3人と目が合うと即座に逃げ出す。しかしラルバが一瞬で追い抜き進路を塞いだ。

「こんばんはぁ〜!ちょいとお話しよろしくて?」

「んぃぃぃ〜!!くくくくりしにぃでぃ!!ううううううりぎうぃるきってぃぃぃぃいいい……!!!」

「は?」

 男は銃を放り投げて頭を抱え、ひどく怯えた様子で倒れ込む。まるでカブトムシの幼虫のように身を縮こまらせる男に、3人は困惑して顔を見合わせる。

「なんだコイツ……」

 (あき)れ返るラルバの隣で、ハザクラがしゃがんで男に近づく。

「おい。起きろ。お前のしでかしたコトを詳しく話せ」

「うううう……!!くりしにぃでぃ……くりしにぃいでぃぃぃぃ……!!!」

 ハザクラが言葉を理解しようと抗魔スカーフを外そうとするが、ラルバがそれを止めて男の顔を(のぞ)き込む。

「いや、なるほど。“殺さないで”か」

 ラルバが男の顔を粘土を()ねるようにぐにぐにと触診する。

(あご)の筋肉が()り固まっている。歯をずっと食いしばっていたせいでもう開かんのだろう。精神的にも病んでいるようだな。舌肥大(ぜつひだい)も相まってストレスによる過呼吸が悪化している」

 ジャハルは辺りを見回して他に敵がいないコトを確認してから、(うずくま)る男に視線を落とす。

「この国、“なんでも人形ラボラトリー”はお前が作ったのか?」

 男はコクコクと小刻みに(うなず)く。

「1人で?」

 再び頷く。

「一体何故?」

 男はピクリと一瞬痙攣(けいれん)すると、全身から滝のように汗をだらだらと流して固まる。

「……ダメだ。話にならない」

「俺が話そう」

 ハザクラは尻餅(しりもち)をついている男にしゃがんで目線を合わせる。

『質問にハッキリ答えろ。嘘偽(うそいつわ)りなく』

「うぃ、うぃきってぃ……しゃべ、(しゃべ)る……あれ?」

「よし、全て話せ。この国が出来てから時系列順に」

 

 

「チャ、チャンスだと思ったんだ。ここの事故が起こった時」

「事故。使奴の解放に繋がった事故か」

「そ、そう。俺は“知識のメインギア”として扱き使われてたから……研究所に、復讐(ふくしゅう)出来ると思った」

「“知識のメインギア”……」

「そ、そう。俺の“記憶を(あやつ)る”異能。それ使って、自我のない使奴に色んなことを憶えさせる……色んな専門家の知識を俺に移して……目一杯憶えたら丸ごと使奴に憶えさせる……そうして“生まれた時から完璧な知識を持った人造人間”が出来上がる……」

「……そうか」

 メインギア――――使奴を作る上で核となる4人の異能持ち奴隷(どれい)。洗脳のメインギアであった自分の境遇を思い出し、ハザクラは哀しそうな、それでいて(うたが)いや軽蔑(けいべつ)の色が混じった感情に(さいな)まれる。

「それで、どうした?」

「う……事故が起こった後、使奴が解放されたことを知って、隠れてた。そんで自由になった使奴が全員出て行ってから、残ってた研究員をみんなころ、殺し、て……でも……!!」

「でも?」

「使奴がその辺彷徨(うろつ)いてるんじゃあ……!!平穏はない……!!俺もいつか殺される……!!だから、だから、時間壁を……止めて、この国を作った……!!使奴に侵されない“俺の国”を……!!!まって、なんで……!?」

 突然混乱するように顔を()(むし)る男。ハザクラは続きを聞くため男の目を見て(つぶや)く。

「続きを話せ」

「うう……!!い、異能で夜を作った……!!この国は元々小さな集落で……夜になるとみんなで踊る習慣があった……だから“夜になると踊り出す”という法則を、異能で“踊り出すと夜になる”法則に()じ曲げた……!!使奴は偽物を嫌う……偽物の夜は上手くいくと、思ったし……上手く行った……ああっ違う!!なんでっ!!」

「落ち着け。続けろ」

「うううう……!!!そのっ異能に……連動して……言語不覚の魔法を()いた……!!言葉はめちゃくちゃになるけど、意味は伝わる……混乱魔法と伝達魔法を混ぜて国中に……!!と、とこ、“常夜(とこよ)の呪い”は使奴を追い返すのに打って付けだった……!!ううううっ……!!!け、研究所が見つからないように、浮かして、透明にした……!!ああっ……!!違うっ違う……!!」

 男は(よだら)()き散らして頭を抱え、目を白黒させながら嘔吐(おうと)した。異常に取り乱す男を不審に思っていたハザクラは、最後に薄々気付いていた質問を投げかける。

「……その“踊り出すと夜になる”という法則破壊の異能は……誰の異能だ?」

 男は再び盛大に胃液を吐き出しながら必死に言葉を絞り出す。

「おお、おおおお、お、れ」

「……お前の異能は“記憶の操作”じゃないのか?」

「そそそ、そう。違、じゃない、くて……!!ああっ……!?あああああっ!!!」

 男は何かに気付いたように瞳孔(どうこう)を揺らし、助けを求めるかのようにハザクラ達を見る。

「おおおお、おれ、な、何年……生きた……?」

 ハザクラは気の毒そうに顔を伏せ、ポツリと呟く。

「多分。200年ちょいだ」

 男はそのままの姿勢で硬直し、涙をぽつりぽつりと(こぼ)してその場に倒れ込んだ。

 

 男は黒幕に身代わりとして取り残されていた。男が持っていた知識はほぼ“知識のメインギア”である黒幕と同様のものであり、説明の最中に自分で相反する記憶があったことに混乱し、そして全てに気付き事切れた。

 先程の男の独白か懺悔(ざんげ)にも似た説明に、ジャハルは顔を大きく(ゆが)ませる。

「……なんということだ。こいつは、黒幕に200年もの間手駒として(あつか)われていたのか……!何度も、何度も記憶を消され、植え付けられ、終いには身代わり……!!」

 ハザクラは立ち上がって(ひざ)(ほこり)を払う。

「……預言者(よげんしゃ)のあの子も黒幕に()められたんだろう。身に覚えのない犯罪行為。こいつと同じように記憶を(いじ)られていたなら合点(がてん)が行く」

「……ただ、ただ異能を持っていたという理由だけで……何故……黒幕も“知識のメインギア”として、その境遇の辛さを嫌という程知っている筈ではないか!!それなのに……彼は満足に言葉も話せない程恐怖して……何故……!!」

「……ジャハルはもう少し“世の中の人間は大概(たいがい)が悪だ”ということを理解した方がいい。……お前は少し、幸せに育ちすぎた」

 その言葉に何も言い返せず歯を食いしばっていたジャハルが顔を上げると、ラルバは既に通路の奥で曲がり角に姿を消す直前だった。2人は男を1人残して慌ててラルバを追いかける。

「おっおいラルバ!!1人で進むな!!」

 追いついたジャハルがラルバに文句を言うが、ラルバは気にせず歩みを進める。

「おい!!あの男はどうするんだ!!」

「置いてく。別にもう要らないし」

「はぁ……!?」

 ラルバはそのまま真っ直ぐ通路を進み、ある部屋の前で立ち止まる。

「……ここだけ足元の埃が異様に少ない。出入りが激しいんだろう」

 3人が扉を開くとそこには――――

 

 20基もの培養(ばいよう)カプセルに浮かぶ使奴達。不快なモーター音が部屋中を()け巡り、ぼんやりと発光するカプセルがラルバ達を照らした。20人の死体の如く動かない使奴に圧倒された2人を置き去りに、ラルバは正面の1番大きい操作パネルに近づいてマジマジと画面を覗き込む。

「…………なるほど、言うなれば“使奴燃料”だ」

 そして、独り言のように呟く。

「我々使奴は使奴細胞で無限に近い魔力を作り、それで生き延びている。自我を持つ前の使奴をこうして繋げば、200年もの間、使奴研究所という巨大な施設を浮遊させ、透明化し、常夜の呪いを国内に蔓延(まんえん)させ続ける莫大(ばくだい)な量の魔力を生成できる」

 ジャハルは呆然(ぼうぜん)とラルバの言葉を聞き続けていたが、ハッと我に帰りハザクラの方を見た。そこでは、感情表現の(とぼ)しいハザクラが目を見開いて瞳孔(どうこう)を細かく揺らし、魂が抜け人形になったかのように立ち尽くしていた。

 しかし、ラルバは構わず説明を続ける。

「この使奴燃料を使えば200年もの間延命することも出来るだろう。病気だって治し放題だ」

 ダァン!!!と、壁を殴りつける音がラルバの話を遮る。そこには、ラルバのすぐ隣まで来ていたハザクラが、(うつむ)いたまま培養カプセルに拳を突き立てていた。しかし、カプセルは傷一つつかずに(あわ)く発光し続けている。中に浮かぶ使奴はピクリともせず、バイタル画面にハッキリと“生“の文字を表示させるのみで剥製(はくせい)の如く微動だにしない。

「……ラルバ、頼みがある。」

「やだ」

「どうせ元凶を拷問(ごうもん)するんだろう。俺にやらせてくれ」

「言うと思ったよ。やだ」

「ハ、ハザクラ……!!」

 ジャハルが(なだ)めるようにハザクラの肩を触るが、ハザクラは突き放すように手を払う。

「慰めるなジャハル。ラルバ、耳を貸せ」

「えー……」

 ラルバは渋々(しぶしぶ)ハザクラに顔を寄せる。しかしハザクラが耳打ちをすると、ラルバの表情は段々と明るくなり、爛々(らんらん)と輝き始めた。

「ほう、はい?はあ、ほう、ほう!ほうほう!いやあ良いじゃない!許可する!」

「ハザクラ!ダメだ!」

 ジャハルは再びハザクラを制止し、両肩を(つか)んで顔を向き合わせる。

「確かに悪には相応の罰が必要だ!しかし……それは更生や抑制のためだ!今回の件は誰の見せしめにもならない!!お前が、お前がそっち側に立ってしまったら……!!!」

「ジャハル」

 ハザクラは自分の両肩を掴むジャハルの手をそっと握り、ゆっくりと降ろす。

「俺は冷静だ」

「ハザクラ……」

「あー2人ともー、しんみりしてるところ悪いんだけどさー」

 ラルバは気怠(けだる)そうに後頭部を掻きながら口を挟む。

「黒幕、逃げたよ」

 

 

 

「はあっ……はあっ……!!!」

 1人の老人が階段を勢いよく駆け上がっている。その小柄でひ弱な見た目とは裏腹に、一段飛ばしで階段を登りぜえぜえと荒く呼吸を繰り返している。

「くそっ……!!!くそっ……!!!」

 今まで都合の良い手駒として扱ってきた中年男を身代わりにと置き去りにしたしたが、ここまであっさりと見抜かれると思ってはおらず、(わず)かに期待していた心を(ないがし)ろにされ(つの)った苛立(いらだ)ちで余計に呼吸を乱す。

 しかし、老人には最後の手段があった。老人は自身の“異能”に全てを()けており、状況次第ではラルバどころかイチルギやバリアでさえも支配下に置けると画策(かくさく)していた。そのために必要なのは、たった一回の奇襲(きしゅう)。そして今の状況は老人に大きく有利に働いていた。

 まず一つ、今回乗り込んできた3人のうち使奴が1人しかいないこと。使奴1人さえ味方につければ、残りの2人などいないも同然である。次に自分の現在位置。ラルバ達を手駒の中年男で(だま)せなかったにしても、最下層に置き去りにすることができた。そして老人はもう屋上に出ようかという直前。どう足掻(あが)いてもラルバが先に屋上へ出ることは出来ず、奇襲の大前提を死守することができた。

 そして最後になによりも“常夜の呪い”。現在時刻はもう日没をとっくに過ぎてはいるものの、偽物の夜空は使奴にとって気色悪い贋作(がんさく)であり、視界に入るだけで気が散る汚物そのもの。その状況下であれば、完璧な人造人間の使奴といえど奇襲への反撃に一瞬の遅れが生じる。老人はそこに賭けていた。

 失敗すれば即死。しかし、成功すれば天地無双の大願成就(たいがんじょうじゅ)。ラルバに触れる瞬間に異能を発動できるかどうか、その一瞬。老人は覚悟を決め屋上への扉に手をかける――――

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 

 砂漠のど真ん中にあるなんでも人形ラボラトリーだが、常夜の呪いによって国境をすっぽり(おお)障壁(しょうへき)が暑さ寒さを(さえぎ)り、雨風さえ通さず気候は年中安定している。時折わざと常夜の呪いを解いて雨を国内に取り入れはしているものの、災害時は必ず常夜の呪いを張って国を守っている。

 

「な、なんだ…………!?」

 

 故に、こんなことは通常あり得ない。

 

「何でっ…………!!!」

 

 ましてや砂漠のど真ん中で。

 

「何でっ呪いはどうした…………!!!」

 

 ”暴風雪(ブリザード)“など。

 

「一体……一体何が起こってる!!!」

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 繁華街〜

 

「外に出るなー!!家に入って戸締りを!!」

「防寒着のない方はこちらへー!!」

「4班は28番地へ!!手が回ってない!!」

「クッソ!やんの早いっつーの!!」

 なんでも人形ラボラトリーの各地では、地下街下層にいた(ぞく)達が総出で防災活動に奮闘(ふんとう)している。常夜の呪いの維持(いじ)(にな)っていた踊り手達も、(たま)らず家屋に逃げ込み散り散りになった。

 生まれて初めての暴風雪(ブリザード)に、流石の賊達も不安そうに顔を見合わせる。

「これやり過ぎじゃねぇ?明日になったら全員凍死とかしてねぇよな……」

「……あの子が考えた作戦なんだから大丈夫だろ。信じろよ」

「お前ら!!呪いが解けるぞ!!さっさと家入れ!!」

「やべぇ!ウチらも逃げるぞ!」

 

〜なんでも人形ラボラトリー 中央広場〜

 

「こんなもんかしらねぇ。バリアー?そっちどおー?」

「おっけー」

 なんでも人形ラボラトリー国の広場では、イチルギとバリアが巨大な魔法陣を描いて詠唱(えいしょう)を行なっている。

 イチルギが描いた風魔法の陣を中心に巨大な雲が形成され空一面を覆い、バリアが描いた氷魔法の陣からは何本もの光の柱が天へ伸び雲を貫いている。魔法で生み出した雲はどこまでも濃く広がっていき、使奴研究所のある上空15000mまで喰らい尽くした。

「はー疲れた。あなた、いい加減家に入ってたら?」

 イチルギが家屋の方を指さすと、横にいたティエップは防寒着で必死に身を守りながらぶんぶんと首を振る。

「ふーん。ま、いいけど」

 イチルギは空を見上げ、真っ黒な曇天を駆け回る雷光を満足そうに眺める。

「常夜の呪い、解けた見たいねー。やっぱこんな悪天候でも本物の空の方がいいわ」

 既にイチルギもバリアも魔法陣を停止させていたが、天候は変わらず猛吹雪のままであった。ティエップの作戦通り、ただでさえ冷え込む砂漠の夜は吹雪を受け入れその勢いを増していく。翌日になれば日が(のぼ)り、今夜の積雪もあっという間に溶けてしまうが、“今晩に限り常夜の呪いを解く”というティエップの目的は達成された。

 ティエップはラルバ達の勝利を祈り、不安そうに空を見上げている。イチルギは炎魔法で()き火を作りつつ、ティエップの体にこびりついた雪を払う。

「ラルバ達なら大丈夫よ。ほら、風邪ひいちゃうからどっかに入りましょ」

 

〜なんでも人形ラボラトリー 使奴研究所〜

 

 常夜の呪いが解けた今、使奴研究所屋上の気温はマイナス60度を下回り、いつもなら眼下に広がる雲にすっぽりと包まれ、更には氷粒(こおりつぶ)の弾丸まで飛び()っている。もしラルバ達が侵入する時もこの状況であったなら、ハザクラとジャハルは到底生きて帰ることはできなかったであろう地獄絵図。

 ラルバはそこへ悠々(ゆうゆう)と現れ、防御魔法を(つらぬ)かれ気を失っている老人を見つけて担いだ。そして満足そうに空を見上げ、荒れ狂う暴風雪(ブリザード)の中を鼻歌を歌いながら後にした。

 



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50話 あ

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 老人は用心深かった。

 200年前、使奴が解放された直後に一つの目標を最前に掲げた。

 

 “使奴に見つかってはならない”

 

 長年自分を縛りつけ使役してきた研究員達への復讐(ふくしゅう)。そして自由になる事。それらを達成するには、使奴の存在は余りにも邪魔だった。もしこの老人に善の心があったならば使奴に助けを求めるという発想に至っただろうが、残念ながら彼はそんな悠長(ゆうちょう)な思考など持ち合わせていたなかった。

 使奴への対抗手段。ラデックやハザクラは時間壁(じかんへき)によるタイムスリップで200年後に飛んだが、使奴と対立している彼はそうするわけには行かなかった。

 

 なんとしても使奴から逃げ切らなければ。

 

 時間壁を止め、世界中を巻き込んだ戦争の中なんとか生き延び、自我のない使奴の在庫を燃料代わりに研究所を隠し、無限の命を得て、“法則改変“の異能を持つ研究員を隷属(れいぞく)させ、研究所近くの集落を利用し、常夜の呪いを作り、使奴達の見えぬ所で楽園を創り上げた。

 これであとは”脱走した使奴の誰かの記憶を全て消して、自身の記憶で塗り替える“ことができれば、使奴の肉体を得た自分の分身が出来上がる。研究員の殲滅(せんめつ)。そして、自由を得ること。200年越しの彼の悲願が達成される(はず)だった。

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 使奴研究所2階〜

 

 老人は酷く痛む身体を捩りながら、ゆっくりと意識を取り戻す。

「どうも」

 目の前に座る赤い髪の青年が、無表情のままこちらを見つめている。

「……お前、は……」

 老人はハザクラを知っていた。彼がこの国に入ってきた時から監視カメラをで追尾していたというのもあるが、元よりハザクラが5歳の時に使奴研究所に拉致(らち)された後、基礎的な知識を植え付けたのが自分だったからである。故に、ハザクラも(おぼろ)げながら老人のことを知っていた。

「久しぶりだな。知識のメインギア」

 老人は椅子(いす)に縛り付けられている事に気がつくと、反逆の意思を(さと)られまいと俯き沈黙する。

「お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている」

 老人が少しだけ目線を上げる。

「お前の処遇(しょぐう)をラルバに任せなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」

「……なんだ」

「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」

 

『俺の命令に(したが)え』

 

 ハザクラによる無理往生(むりおうじょう)の異能。返事をしなければいいだけなのだが、絶体絶命の老人に返事をしないという選択肢は存在しなかった。

「…………わ、わかっ、た」

「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」

「……は?お前っ……!!」

 ハザクラがポケットからナイフを取り出すと、老人は青褪(あおざ)めて身体を揺らす。

「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後、回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」

 ハザクラの言葉に、老人は半信半疑のまま歯を食いしばって黙り込む。ハザクラの思惑(おもわく)が何にせよ、老人はハザクラに従う他ないのだから。

「…………わか、った」

「じゃあ刺すぞ」

 ハザクラは男に近寄り、勢いよくナイフを首に突き刺した。

「うっ!!!」

 老人はドボドボと血を吐き出してむせ返り、激痛に(うめ)く。そしてハザクラは突き刺さったナイフを感触を確かめるようにぐりぐりと押し込む。

「ふむ。じゃあ“思い出せ”」

 突然の意味不明なハザクラの問いに、老人は遠のく意識の中で疑問を抱く。しかし、それは突如(とつじょ)鮮明な記憶とともに絶望を呼び起こす。

 

「あ」

 

 老人は思い出した。「これは3回目だ」と。

 

 最初は確か絞殺(こうさつ)、縄で絞め殺された。次は撲殺(ぼくさつ)?そして、今は刺殺――――

 

 ハザクラは手についた返り血を拭いながら老人を見つめる。

「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」

 ハザクラは咳払(せきばら)いをしてから、(ののし)るように老人を見下す。

「ここ10分以内の記憶を忘れろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 老人は酷く痛む身体を捩りながら、ゆっくりと意識を取り戻す。

「どうも」

 目の前に座る赤い髪の青年が、無表情のままこちらを見つめている。

「……お前、は……」

「久しぶりだな。知識のメインギア」

 老人は椅子に縛り付けられている事に気がつくと、反逆の意思を悟られまいと俯き沈黙する。

「お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている」

 老人が少しだけ目線を上げる。

「お前の処遇をラルバにさせなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」

「……なんだ」

「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」

『俺の命令に従え』

「…………わ、わかっ、た」

「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」

「……は?お前っ……!!」

 ハザクラがポケットから注射器を取り出すと、老人は青褪めて身体を揺らす。

「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」

「…………わか、った」

「じゃあ刺すぞ」

 ハザクラは男に近寄り、首筋にゆっくりと針を刺す。

「ぐっ……ううっ……!!」

 老人は注射器の刺された首周辺を何かに(むしば)まれるような疼痛(とうつう)(おそ)われながら、必死に気を(まぎ)らわそうと目を()らす。

「ふむ。じゃあ“思い出せ”」

 

 

「あ」

 

 老人は思い出した。「これは4回目だ」と。

 

 最初は確か絞殺、縄で絞め殺された。次は撲殺?そして次が刺殺。今回が毒殺――――

 

 ハザクラは空になった注射器をしまいながら老人を見つめる。

「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」

 ハザクラは咳払いをしてから、罵るように老人を見下す。

「ここ10分以内の記憶を忘れろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうも」

「……お前、は……」

「久しぶりだな。知識のメインギア……お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている。お前の処遇をラルバにさせなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」

「……なんだ」

「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」

『俺の命令に従え』

「…………わ、わかっ、た」

「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」

「……は?お前っ……!!」

 ハザクラが雷魔法で手元に電撃と火花を弾けさせると、老人は青褪めて身体を揺らす。

「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」

「…………わか、った」

「じゃあ触れるぞ」

 ハザクラは男に近寄り、老人の頭を鷲掴(わしづか)みにする。

「ごがががっ……!!!ががががっ!!!」

 老人は自分の意思とは関係なく暴れる手足と激痛に(もだ)えながら白目を()く。

「ふむ。じゃあ“思い出せ”」

 

 

「あ」

 

 老人は思い出した。「これは5回目だ」と。

 

 最初は確か絞殺、縄で絞め殺された。次は撲殺?そして次が刺殺。前回が毒殺。今回は感電死――――

 

 ハザクラは口から泡を()き出しながら震える老人を見つめ、口を開く。

「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」

 

「ここ10分以内の記憶を忘れろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――お前に頼みがある」

 

『俺の命令に従え』

 

 ハザクラが水魔法で手元に水の球体を――――

 

「がぼぼぼぼぼっ……ごぼぼぼっ…………

 

 

 “思い出せ”

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと意識を――――

 

 炎魔法で足元に――――

 

 ぎゃあああああああっ!!!

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テープで口と鼻を――――

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー 使奴研究所1階〜

 

 ジャハルは腕を組みながら落ち着きなくラルバの周囲をうろうろと歩き回っている。

「ハザクラは大丈夫だろうか……何故こんなことを……いやしかし……でもだからといって……」

「んもーうっさいなハルっちょ!!着席!!手はお(ひざ)ぁ!!」

「これが落ち着いていられるか!!ハザクラが今も上で拷問をしてるんだぞ!?」

 ラルバは大きく溜息を吐いて肩を落とす。

「まったく……拷問の一つや二つなんだってんだい……じゃ、私ハザクラんとこ行ってくるから。お留守番してるんだよ」

「ま、待てっ!今度こそ私も――――」

「お・留・守・番!!」

 ラルバに(すご)まれ、ジャハルはしょんぼりとその場で(うつむ)く。

「すぐ戻ってくるからそんな顔しなさんなって。行ってきまーす」

 

 

 

「たっだいまぁーうえっへっへっへ。あーおもしろ」

 ニコニコと上機嫌で戻ってきたラルバに、ジャハルは(うら)めしそうに(たず)ねる。

「……もう10回だぞ。一体何をしに行ってる?いい加減教えてくれ……!!」

「んー?まあもうそろいいかな……私は助けに行ってるだけだよ」

「助け……!?ハザクラに一体何をさせている!!!」

 ジャハルはラルバの胸ぐらを掴んで大きく揺さぶる。

「やめなさい。ボタン取れちゃうでしょ。それと、助けてあげてんのはハザクラじゃなくてジジイの方」

「…………!?い、一体何故……!?」

「んふふ〜。今頃またハザクラがあのジジイぶっ殺してるだろうよ」

 ジャハルは理解が及ばず、その場に尻餅(しりもち)をついて倒れ込む。

「ハ、ハザ……クラ……?」

 ラルバはジャハルに引っ張られた襟元(えりもと)を直す。

「早い話しが“麻痺させてる”んだよ。倫理観(りんりかん)を」

「り、倫……理?」

「あの子は世界を統べようと今まで頑張ってきたわけだが……今まで人を殺したことがない。人の命を奪う覚悟を知らない人間が悪を(ほろ)ぼそうなんて無理があるでしょ?だから今“殺してもいい悪党”を殺しまくることで自分の中の道徳心やらなんやらをボッコボコに痛めつけてんのさ」

 ジャハルは飛び起きてハザクラの元へ走り出そうとするが、ラルバに足を引っ掛けられて転び、受け身を取って立ち上がる。

「行かせないよ」

 ラルバはジャハルの前に立ち塞がり冷たく見下すが、ジャハルも怖じけず獣のように(にら)みつける。

「こんなことあっていい筈がない!!止めさせろ!!」

「止めてどうすんの?」

「人殺しの経験訓練なら人道主義自己防衛軍(我が国)にもある!!ベル様の演技による殺害訓練で十分耐性はつく!!」

「あー使奴が人間のフリして自分を殺させるわけね?そりゃ良い方法だ。使奴なら人間の致命傷程度じゃ屁でもないし、演技もモノホンに限りなく近い……」

 納得したラルバを見てジャハルはハザクラの元へと走り出すが、再びラルバが進路を塞いで立ちはだかる。

「――――で、それが今回の拷問(ごうもん)するのとどう変わるの?」

「おまっ……人の話を聞いていなかったのか!?」

「聞いていたから言っているのだ」

 ラルバは冷徹(れいてつ)に、冷淡(れいたん)にジャハルを睨む。

「ハザクラは漠然(ばくぜん)とした陳腐(ちんぷ)な倫理観を乗り越えなければならない。その為には演技をしている使奴か、実際に人間を殺さなければならない。ならば理解を得ている使奴を殺した方が健全で、人殺しの経験のみを得たいならば実際に人間を殺す必要はない……そう言いたいのだろう?」

「そ、そうだ……わかっているなら――――」

「お前がわかっていないんだ阿呆(あほう)め。もう既にこの時点で“実際の人間の殺害”より“演技をしている使奴の殺害”の方が道徳的であると明言しているではないか。道徳心に反抗する為に道徳的な行為を選ぶ能天気なボンクラが、その程度で自分を変えられると思うな。このモラトリアム人間め」

 ラルバはジャハルを蹴飛ばし(ひざまず)かせ、軽蔑(けいべつ)するように背を向ける。

「何が総指揮官(そうしきかん)だ。笑わせるな。お前は結局、都合のいい安直な性善説に見切りをつけられていないガキだ」

 ジャハルは憤慨(ふんがい)し言い返そうと口を開くが、言葉が出ることはなかった。

「意識の奥底で私の意見に賛同しているから反論が出ないのだ。私に楯突(たてつ)くのは一向に構わんが……姑息(こそく)な善行を説くのはやめろ。鬱陶(うっとう)しいだけでなく、この上なく見苦しく(みにく)い」

 ジャハルはその場に座り込んだまま、再びハザクラの元へ向かうラルバを追いかけることはできなかった。



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51話 徳より得

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 暴風雪(ブリザード)吹き荒れる昨晩から一転。なんでも人形ラボラトリー上空は恐ろしいほどの快晴で、魔法により降り積もった大量の雪は洪水を起こすこともなく大気中へと霧散(むさん)していった。踊り手達は絶好の仕事日和に外へと飛び出して、国内は再び偽物の夜空に包まれた。

 

〜なんでも人形ラボラトリー マダム“サリファ”の占星所〜

 

「いやぁ楽しかったねぇ〜愉悦(ゆえつ)愉悦(ゆえつ)……」

 大広間のソファに寝転びながらケタケタ笑うラルバを、そこにいる全員が軽蔑(けいべつ)の眼差しで見つめている。ラデックとハピネスは互いに顔を見合わせて察し、イチルギは聞こえぬフリで狸寝入(たぬきねい)りを決め込み、ラプーとバリアはいつも通り置物の(ごと)くピクリともせず突っ立っている。そんな異質な状況でも、ティエップや(ぞく)達は気まずそうに口を(つぐ)んで押し黙っていた。その視線の先には、重苦しく暗澹(あんたん)とした表情のハザクラとジャハルがおり、近寄り(がた)不穏(ふおん)雰囲気(ふんいき)(まと)っていた。

「なになに、なんで2人ともお通夜モードなわけ?悪逆無道(あくぎゃくむどう)な黒幕の滑稽(こっけい)(きわ)まる無残な最期よ?パーティーしようよパーティー!!」

 ジャハルは空気を読まずに戯けてみせるラルバを一瞥(いちべつ)した後、少し(うつむ)いてからボソリと(つぶや)いた。

「…………話さねばなるまい。私達があそこで見てきたものを」

 

 この国の成り立ち――――使奴研究所に飼い殺されていた記憶操作の異能を持つ男が、使奴に対抗するために作った要塞としてこの国を創ったこと、常世の呪いの(いしずえ)となっている200年間傀儡(かいらい)とされてきた法則破壊の男、そして燃料代わりにされている大量の使奴……

 それらを話し終えても(なお)、ジャハルは気丈(きじょう)な振る舞いを保って音頭(おんど)を取る。

「……と言うわけだ。そこで彼女達、(とら)われている使奴についての話し合いをしたいのだが、最早ここまでの規模となってくると人道主義自己防衛軍(我が国)だけでは足りん。世界ギルドへの救援要請(ようせい)を――――」

 そこへラデックが話を(さえぎ)るように小さく手を挙げる。

「む……ラデック。どうした?」

「いや、どうしたもなにも……もしかして、助けるのか?」

「……!?何を言っている……!?助けないつもりか!?」

「つもりも何も……何故助けるんだ?」

「そんなこと今更……!!人として当然の……」

 ラデックの思わぬ反応で熱にうかされていたジャハルは、違和感を覚えハッとして我に帰り辺りを見回す。ハピネスやラルバ、そしてハザクラやイチルギまでもが自分に賛同していない様相でこちらを見ていることに気が付いた。この場にいる仲間全員が自分の意見に賛同していない――――人助けという当然行われるべき善行に、人として最も根本的な使命に、誰一人として――――

「あのさぁ。ジャハルさん」

 ラルバが不機嫌そうに呟く。

「助けて、どうすんの?」

「は…………!?助けるのに、理由がいるのか……!?」

「いるだろう。助けるのだってタダじゃないんだぞ」

 ソファにもたれた身体をゆっくりと起こしてこちらを(にら)むラルバを、ハピネスが(なだ)めるように再び寝かせて話を遮る。

「まあまあラルバ……君みたいな完璧人造人間が正論言ったって、私達みたいな不完全天然人間には暴論にしか過ぎない。私が話そう」

 ラルバは渋々(しぶしぶ)ハピネスの横槍を許し、大きく欠伸(あくび)をして居眠りを始めた。

「……さて、ジャハル君。いや、人道主義自己防衛軍“クサリ”総指揮官殿。あの使奴研究所に囚われた使奴達を助けたいと言っていたが……それが何を意味するか分かっているかい?」

 仰々しく振る舞うハピネスの意味ありげな語りに、ジャハルは全く臆することなく答える。

「当然、この国の“常世の呪い”は崩壊するだろう」

 その言葉にティエップや賊達が血相を変える。

「しかし、元は燃料代わりにされている使奴達から無理矢理(しぼ)り取っている魔力だ。覚醒(かくせい)させ協力してもらえれば、今まで通り常夜の呪いは展開させ続けることはできるし、使奴という大いなる人材で世の中はもっと豊かに発展していくだろう」

「甘い」

 ハピネスは言葉を被せるように否定を放つ。

「まず第一に……あそこに使奴が拘束されている理由を考えてみろ。君はハザクラ君の逸話(いつわ)を聞いたんだろう?何故予想がつかない」

「……ハザクラの異能で使奴が解放された件か?」

「そうだ。何故今も燃料代わりにされている使奴は逃げ出さなかったのか、だ」

「ハザクラは無線を通して異能を発動した。彼女らには聞こえなかったんだろう」

「そんなことがあるものか。使奴の聴力は獣並みだ」

「それじゃあ彼女達が逃げ出さなかった理由がないだろう!」

「あるさ。彼女達が一度もハザクラと会っていなかったとしたら……未洗脳個体だとしたら全てに納得がいく」

「……仮にハザクラと一度も会っていなかったとしても、それが何故助けない理由になるんだ」

「大きく分けて理由は三つ。一つは、一人でも反抗的な使奴がいればこの国が壊滅(かいめつ)すると言うことだ」

「なっ……何故彼女達が我々を攻撃するんだ!?」

「ただの趣味趣向だろう、ラルバが意味もなく悪党を八つ裂きにして楽しんでいるのと同じだ。もしそうなった場合、犠牲者(ぎせいしゃ)は数え切れない」

「こ、こっちには使奴が3人もいる!3対1なら充分勝機はあるだろう!」

「異能次第ではあっという間に全員お陀仏(だぶつ)だよ。もしラデック君みたいな改造系だったらどうするんだ全く……次に二つ目の理由だが……彼女達は、そもそも意識を持っているのかわからないと言うことだ」

「……!?」

「だって人造人間だぞ?人間みたく自我が芽生えて物を覚えるんじゃない。最初っからありとあらゆる知識を詰め込まれたのちに自我を覚醒させていく。その覚醒までのプロセスを我々は誰一人として知らない。もし助け出して全員が植物状態だった時はごめんなさいじゃ済まないぞ?なんせその時点で常世の呪いは確実に崩壊(ほうかい)してしまうんだからな」

「……その、時は……イチルギ達にもう一度魔法式を組み直してもらって……」

「最後の理由は、助けた時の不利益(ふりえき)を全て使奴が負担すると言うことだ」

「………………」

「もし助けて暴れたら?使奴に何とかしてもらおう。意識がなかったら?使奴に常世の呪いを直してもらおう。仮に助けられたとして、その後の常世の呪いは?助けた使奴に頑張ってもらおう。私は使奴が奴隷(どれい)だなんて感じたことないが……ジャハル君はどうやら都合のいい何でも屋さんだと思ってるみたいだね」

「そ、そんなことは……!!私は大事な仲間だからこそ…………!!!」

「仲間だったら協力してよって?それ、この国の家庭内奴隷が「大事な家族だろ」って服従を強いられているのとなんら変わらないよ」

「違う!!!」

「何が」

 最早(もはや)ジャハルに、ハピネスの意見に対抗できる論拠(ろんきょ)はなかった。

「このまま燃料扱いのまま放置する方が奴隷じゃないか!!!」

「自我も五感も機能していない生体反応だけの物体を奴隷とは呼ばんよ。ま、ジャハル君の言うように全員を目覚めさせて常世の呪いの維持に付き合わせるって言うなら奴隷だろうけどね」

 次第にジャハルは不本意ながらに理解していく。

「悪意のある言い方をやめろ!!!」

「悪意がなければいいんだね?」

 彼女と自分の差を。己の未熟さを。普段の(おど)けたハピネスの振る舞いによって気が付かなかったが、彼女は世界中で恐れられる”笑顔の七人衆”の王――――(まが)い物の傀儡(かいらい)といえども、あの阿鼻叫喚(あびきょうかん)を生き抜いてきた”先導の審神者(さにわ)”だということを再認識した。

「私は……私は使奴を奴隷などとは…………決して…………!!!」

 自分の思い描いてきた景色とあまりにも大きく外れた現実に(ひど)狼狽(うろた)えるジャハル。そこへハザクラが(さえぎ)るように手を()えてハピネスを見る。

「もういいだろう」

 ハピネスは「やれやれ」と鼻で笑う。

「…………そこの箱入り娘さんに、もう少し現実を()いてやってくれよ」

 ハザクラは無言のままジャハルの手を引き、部屋の外へと出ていった。それまでずっと沈黙を(つらぬ)いていたイチルギが、ハピネスに近づいて申し訳なさそうに目を()らす。

「……ごめんなさい。嫌な役させちゃったわね」

「ん?全然?一方的に説教するの、私は結構好きだよ」

「……私の謝罪(しゃざい)を返して」

「どうぞどうぞ」

 ハピネスはイチルギの横をすり抜ける際に、そっと彼女に(ささや)く。

「……今度はアナタの番じゃないかな?」

 イチルギは再び表情を曇らせ、決心したように小さく溜息を吐いた。

 ジャハルとハピネスが言い争いをしている最中、賊達は顔を見合わせて怪訝(けげん)そうな表情を浮かべていた。彼らは当初の“因縁(いんねん)のあるギャング達を(たお)す“という目的から大きく逸れて行動するラルバ達に、ただならぬ不信感を(いだ)いていた。

 そんな中イチルギは賊の長である老婆の元へ歩み寄って、他の賊達に見せつけるように資料を取り出す。

「大丈夫。アナタ達の目的を忘れていたわけじゃないわ。ここに私とバリアが別行動していた時に入手した、アナタ達の宿敵の情報がある。全部じゃないけど、今までみたいに規模も手口も分からないなんてことにはならない」

 そう言ってイチルギが資料を老婆へ差し出すと、賊達は我先にと資料に群がり顔を寄せる。しかし老婆が資料を受け取ろうと手を伸ばすと、その瞬間イチルギはさっと手を引っ込めてしまった。

「た・だ・し!一つ約束してもらうわ。この宿敵達に復讐(ふくしゅう)するのは結構。でも、必ず“人道的な処刑方法”で以って制裁(せいさい)すること。この際生死は問わないわ。人道的の基準はアナタ達が決めていいけど、変な言い訳はしないように。要するに、やり過ぎるなってことよ」

 イチルギの言葉に賊達は難色(なんしょく)を示し、次第に不満は大きな反論へと増長していく。老婆もこの騒ぎを止めようともせず極めて不満そうにイチルギを睨む。しかし――――

 

「うるさい」

 

 イチルギが静かに呟くと、その氷のように冷たく鋭い眼差しが賊達を一気に沈黙(ちんもく)させた。最早普段の柔和(にゅうわ)な彼女の面影(おもかげ)は見る影もなく、触れる者全てを八つ裂きにしそうな()てつく空気を纏っている。

「私は世界ギルドの元総帥(そうすい)の使奴よ。本来なら復讐なんて非道徳的行為、見逃すわけがないわ。でも今回アナタ達の協力が役に立ったのは事実だし、言い分があることも理解してる。オマケにアナタ達が今まで行ってきたであろう臓器(ぞうき)や麻薬の売り買い殺し盗みその他諸々(もろもろ)。それに目を(つぶ)ってあげて、(さら)にこれから行おうとしている復讐も見逃してあげようって言ってるの。これ以上の譲歩(じょうほ)が必要?」

 今にもここにいる人間を皆殺しにしそうな程重苦しく恐ろしい声に、賊達は何も言い返せず萎縮(いしゅく)して黙りこくる。しかしイチルギはさらに言葉を続け――――

「アナタ達の文化にとやかく口を出すつもりはないわ。けど、私は世界ギルドの人間として世界の秩序(ちつじょ)(たも)つ義務がある。故に……」

 そしてイチルギは、手刀で老婆の右腕を切り落とした。

「――――――――っ!!?」

「私は正義の執行役(しっこうやく)として、悪を(ほろ)ぼさなくてはならない」

 イチルギが取り上げた老婆の右腕に魔力を流し込むと、赤く発光する“拘束(こうそく)魔法の(じん)”が浮かび上がった。

「……“燃える牛舎(ぎゅうしゃ)(くさり)魔法”ね。どこの国の法律でも禁忌(きんき)魔法に指定されている隷属化(れいぞくか)の拘束魔法……使奴()の目を誤魔化(ごまか)せるとでも思った?」

 老婆は青褪(あおざ)めた顔でイチルギを見つめ、ハッとして後ろを振り返る。今まで魔法によって逆らうことを許されなかった賊達が老婆を睨み、今にも(おそ)いかからんと怒りを(あらわ)わにしている。その様子を見て、イチルギは老婆の右腕を炎魔法で燃やしながらにっこりと笑う。

「アナタの部下達はお利口さんみたいね。さっき私が言った“人道的な処刑方法で“って意味をよく理解してる……心配はなさそうね」

 イチルギは資料を賊達の先頭にいた女性に手渡す。

「私は何も見なかった……上手くやんなさい」

 賊達は申し訳なさそうに資料を受け取って、イチルギに深々と頭を下げた。



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52話 名は体を表す

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜なんでも人形ラボラトリー 検問所〜

 

「うっひゃぁ〜イっちゃん怖〜!!」

 なんでも人形ラボラトリーの出国手続きをしに検問所まで戻ってきたラルバ達。仏頂面(ぶっちょうずら)のイチルギに、ラルバは大袈裟(おおげさ)(おど)けて揶揄(からか)っている。

「うるっさいわね!いつまでそのネタ引っ張るのよ!」

「いやだってさぁ〜正義の世界ギルドの元総帥(そうすい)がちっぽけな(ぞく)(すご)んで「うるさい」ってさぁ〜!あれ本気で威圧(いあつ)してたよね!!トラウマになっちゃうんじゃないのぉ〜?」

 ラルバは再現をしてイチルギを馬鹿にする。イチルギはいつもの(あき)れた表情で大きく溜息を吐いて肩を落とす。

「もう好きなだけ言ってなさい……それより、早く出ましょ。もうここに用はないんでしょ?」

 ラルバ達が出国手続きをする横で、ラデックはティエップと別れの挨拶(あいさつ)を交わしていた。

「ティエップはあの賊に(かくま)ってもらうんだろう?気をつけて」

「…………」

「君の才能は素晴らしい物だ。きっとみんなの役に立つ」

「…………」

「世話になった。またどこかで会おう」

 しかしティエップは黙って(うつむ)いたままラデックの手を離そうとはせず、何か言葉を声に出そうと震えている。

「……悪いが君は連れて行けない。常夜の呪いの外へ出るのは危険すぎる」

 ティエップは涙で真っ赤に腫れた目をラデックへ向ける。

「ラ、ラデックさんだって……外は危険ですよ……!?それに、ましてやあの女尊男卑(じょそんだんぴ)の国……!”グリディアン神殿(しんでん)“に行くなんて……!!」

「俺は大丈夫だ。使奴が3人も守ってくれている」

「でも……でも……!!」

 子供のようにボロボロと大粒の涙を流すティエップと、それを淡々(たんたん)と冷静に(なぐさ)めるラデック。チグハグな2人のやりとりに、ハピネスはヘラヘラと笑いながら口を挟んだ。

「まったくラデック君も鈍感だねぇ。ティエップは君にゾッコンなんだよ」

「ゾッコンなのか?」

 ティエップは暢気(のんき)な2人の指摘に顔を伏せて真っ赤なってしまう。ラデックは困り果てて頭を()き、横目でラルバの方を見る。

「……本音を言えば、安全な所で家庭を作り平和に暮らしたいのはそうなんだが」

 その言葉に少し期待をしたティエップは、何かを乞うような顔でラデックの手を握る手に力を込める。しかし――――

「その願いが叶うのはまだまだ先になるみたいだ。ティエップ。元気でな」

 そう言ってラデックはティエップの手を少しだけ強く握り返してから、優しくゆっくりと引き剥がす。

「……ラ、ラデック……さん」

 ティエップは何かを探すように慌てて自分の身体を探り、腕輪を取り外してラデックに差し出す。

「こ、これを持っていってください……!私は、ついていけないから……そして、必ず、必ず帰ってきてください……!!」

「……わかった」

 そう言ってラデックがティエップの腕輪を受け取ろうとすると――――

却下(きゃっか)ぁ!!!」

 横からラルバが2人の間を割くように手刀を割り込ませ、腕輪を両断(りょうだん)した。ティエップは恐怖と悲しみに満ちた表情で真っ二つにされた腕輪を見つめ呆然(ぼうぜん)とする。ラデックは(めずら)しく眉間(みけん)(しわ)を寄せてラルバを睨む。

「……何をする。ラルバ」

「常夜の呪いで私に言葉が通じないからってコソコソなんかの約束などしよって!!お前なんぞにウチのラデックはやらん!!」

 ぎゃーぎゃーと(わめ)くラルバを、後ろから鬼の形相(ぎょうそう)で迫ってきたイチルギが恐ろしい速さで羽交(はが)()め出口へと引き()っていく。その後にバリアやハザクラ達も続き、その様子を呆れながら見ていたハピネスとラデックはティエップに向きなおり頭を下げる。

「ごめんねティエップちゃん。ウチの暴れん坊が粗相(そそう)を」

「……すまなかった」

「……いえ……その……ラデックさん達が謝ることでは……」

「……代わりに俺から何かを渡したいが、生憎(あいにく)私物と呼べるような何かを持っていない」

「あの!そんな気を(つか)わなくても……!」

「こういう時は、何か大事な物を形見代わりに渡す文化が広く浸透(しんとう)しているのは知ってる」

「か、形見って……!」

「……本当に何もない。どうしようかハピネス」

「え、私に聞くのかい?そのジャケットとかあげれば?」

「これは知らない使奴研究員の遺品(いひん)だからな……相応(ふさわ)しくないと思う」

「ライターは?」

「これも遺品だ」

「ラデック君墓荒らしかなんか?」

「似たようなものではある」

「あのっ!私のことは気にしないで下さい!大丈夫ですから!」

「いやそう言うわけには……」

「ハピネース!!!ラデックー!!!早くこんかぁー!!!」

 ゲートの奥からラルバの怒鳴り声が響き、ラデックとハピネスは顔を見合わせる。するとティエップは意を決したようにラデックに近づき、背を伸ばして口づけをした。そして、ハッと我に帰りすぐさま離れ深々と頭を下げる。

「す、すみませんっ!!あ、あの……っかっ必ず、必ず帰ってきてください……!いや、ど、どうか……ご無事で……!!!」

 ラデックは黙ったままティエップを見つめ、ティエップの髪をゆっくりと()でる。

「大丈夫だ。ありがとう」

 そう言ってラデックは背を向けて出口へ歩き出した。ハピネスはティエップにお辞儀(じぎ)をしてからラデックの後を追う。

「ふふふ、ラデック君モテるねぇ。世界ギルドの衛兵カルネ、ヒトシズク・レストランのアビス、クザン村のクアンタ、でもってティエップと……この女誑(おんなたら)し」

「アビスもクアンタも別に何かあったわけじゃ……カルネ……?見ていたのか?ハピネス。俺が初めて世界ギルドに来た日のことだろう?」

「偶然ね」

「……別に(たぶら)かしているつもりはないが、異性から魅力的に見られているなら悪い気はしない」

「そう言うのを誑かしているって言うんだよ」

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー ゲート前〜

 

「うおおおおおっ!!!おおおおおおおおおっ!!!」

 ゲートの外で雄叫びを上げているのはハピネスであった。いつもの妖しげな淑女の姿はそこにはなく、生まれて初めて見る遊園地に興奮(こうふん)する男児のように目をキラキラと輝かせている。ハピネスの横に立つ不潔(ふけつ)な中年男性……今回の黒幕である知識のメインギアに隷属(れいぞく)させられていた法則改変の異能を持つ男、“トコヨ“が目の前に鎮座(ちんざ)する流線型の巨大な装甲車に対し説明を始める。

「……もも、ものとしては一級品。こ、工場の国“三本腕連合軍”に造らせた最新式のホバーハウス」

「ホバーハウス!?ホバー!?コレ浮くんだな!?」

 ハピネスが(さら)に興奮してトコヨに詰め寄る。

「う、浮くどころか、速度も他の高級馬車の比じゃない……防衛装置も通信機も超ハイスペック……ま、まあ通信機は旧文明に比べたらゴミ性能だけど……安定性と安全性、快適さをつきつ、突き詰めた金持ち専用の超高級マシン……これ乗ってる貴族なんか、世界に10人もいない……」

 ハピネスは大喜びでホバーハウスの中に走っていき、入り口の段差に(つまず)いて盛大に顔面から突っ伏した。イチルギが見かねて肩を貸しハピネスを立ち上がらせる後ろで、ジャハルがトコヨに近寄る。

「……こんな代物、どこから持ってきた?無駄金を払うつもりはないぞ」

「だ、大丈夫。ただのお礼……ち、知識のメインギアが管理してた倉庫に……こういうのいっぱいある……他の国から、(おど)し取ったやつ……」

「そうか……では有難(ありがた)く使わせてもらうが……これ自動操縦(そうじゅう)機能とかは付いているのか?」

「つつ、付いてる。登録してあるとこしか行けないけど……“グリディアン神殿”に行くんでしょ?登録され、されてるから、大丈夫」

「そうか……グリディアン神殿に着いたらここへ戻ってくるよう設定しておこう。なるべく汚さないようにはする」

 するとハピネスが大慌(おおあわ)てでホバーハウスの窓を開いて顔を(のぞ)かせる。

「返すのか!?なんで!?ずっとこれ乗ろう!?」

 トコヨもジャハルを見上げて同意する。

「べべ、別に、俺使わない……(もら)ってくれていい」

「目立ちすぎるだろう。好意は有難いが、必要ない」

 そこへラルバも近寄ってきてジャハルに同意する。

「そうだぞハピネス。こんなド級のヘンテコマシン乗ってたら悪者が萎縮(いしゅく)するだろう」

「私が悪党探すから!!ラルバ頼む!!」

「だーめ」

「頼む!!!」

「だーめ!!!」

 和気藹々(わきあいあい)としているラルバ達から少し離れた所で、ラデックはタバコを吸いながら呆然(ぼうぜん)とそれを(なが)めている。

「どうしたの?」

 バリアがラデックの顔を覗き込むと、ラデックは少し考えた後(つぶや)いた。

「…………預言者(よげんしゃ)の子の名前が思い出せないんだ。全く」

「……常世の呪いのせい?」

「ああ、国内で覚えた言葉は誤翻訳(ごほんやく)されてしまうそうだ。多目的バイオロイド研究所がなんでも人形ラボラトリーと伝わってしまったようにな……けど、あの子の名前の誤翻訳すら思いつかない。その理由を考えているんだ」

 バリアは少し沈黙を挟むと、ラデックの顔色を(うかが)ってから話し始める。

「……多分、意味がないんだよ」

「どう言うことだ?」

「あの子、奴隷(どれい)(あつか)いだったんでしょ?だから、きっと何も意味を込められていない適当な名前をつけられた。だから誤翻訳も何もないんだと思う」

「そうか………………そうか」

 ラデックは振り向いてなんでも人形ラボラトリーのゲートを見つめる。その悲しそうなラデックの横顔を見て、バリアは一つ提案をする。

「ラデック。あの子に何か貰ってたよね」

「ん?ああ、腕輪か。しかしラルバに壊されてしまった。俺があげられる物もなかったし、結局何もやり取りしていない」

「じゃあ名前をあげたらいいんじゃない?」

「名前?そういうものって勝手につけていいのか?」

「きっと喜ぶと思う」

「そうか。名前……名前……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、返却されたホバーハウスの中に一通の手紙が入っていたのをトコヨが発見した。トコヨは中身からそれがティエップ宛であることに気づき、すぐさま彼女の元を(たず)ねた。

「あれ、トコヨさん……?どうしたんですか?」

「こ、これ、ラデックから。多分、あんたに」

「えっ……!?」

 ティエップは(あわ)てて手紙を受け取り、中身を確認する。

 

 

 祖国を救った偉大なる預言者へ

 国を出てから、君の名前を思い出せないことに気づいた。きっと常世の呪いによる副作用なんだろう。しかし、それはあまりに寂しいことだ。そこで、別れ際に何も渡せず、何も受け取れなかった代わりに、本当に勝手な話ではあるが君に名前を(おく)りたい。ただ、もし今の名前を気に入っていたのだったら忘れてくれ。

 君は自分の実力を鼻にもかけず、謙虚(けんきょ)(つつ)ましやかな美しい女性だ。それと同時に、君は自分の価値に誇りを持てず謙遜(けんそん)しがちだ。そんな君に相応(ふさわ)しい名前を考えた。

 

 “スフィア”

 

 スフィアとは、魔力の不可逆的(ふかぎゃくてき)な変化によって生まれた結晶のことだ。俺達が生きていた200年前の旧文明では、歴史上最も長い間価値が変わらなかった“不変の美しさ”を象徴(しょうちょう)する宝石とされていた。君にその宝石と同じ名前を贈りたい。君が自分をどんな風に思っていたとしても、そこには決して(けが)れず(おとし)められることのない不変の美しさがある。どうか、そのことを胸に生きて欲しい。

 

 またいつかどこかで会おう。スフィア。



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グリディアン神殿
53話 清く正しく美しく


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 少年の名前はテルリック。朝は畑仕事に精を出し、昼は牛の面倒を見て、夜は家事をこなす働き者の少年だった。村人はこの働き者のテルリックを可愛がり、父親も自慢の息子だと胸を張っていた。

 しかし、そんなテルリックにも人並みに欲望があった。

 いつか大きな街にいってみたい――――

 沢山の人、自分と同年代の人に会いたい。水や塩も好きなだけ使いたい。本も沢山読みたい。そんなことを毎晩妄想して気を(まぎ)らわせていた。

 高い丘に登ると(かす)かに見える、大都市“グリディアン神殿”の(とう)をテルリックは(あこが)れとしていた。街へ行くことは村では禁忌(きんき)とされていたため、テルリックはこの夢を誰にも話さず、自分の胸の内に秘め続けていた。

 そんなある日、テルリックは畑仕事中に1人の女性と出会った。その美しい女性は(ひど)(のど)(かわ)いていたそうで、テルリックが飲み水を与えると彼にとても感謝した。

 街からやってきたという“ヘラン“と名乗る女性はテルリックの働き振りを()め、それと同時に同情をした。どれだけ働こうとも相応の報酬を貰えない貧乏な村を(うれ)いて悲しみ、まるで自分のことのように涙を流した。テルリックは、自分の弱さや秘密を理解してくれたヘランに心を(うば)われ、自分の夢やこの村に対する不満を語った。

 それからと言うもの、テルリックは畑仕事の途中で何度もヘランと会った。しかし街を嫌っている村の人間にヘランの存在が知られたらどうなるか、テルリックは想像することも恐れて誰にも話すことはなかった。

 そんなある日、ヘランは自分が医者の娘だと言うことをテルリックに話した。そしてある提案をする。

 

「アナタの目玉を片方売ればいい」

 

 ヘランが言うには、目玉は高い金額で売れるから街へ行くお金が手に入る。そして目玉は二つあるから片方売っても生活には困らない――――と。

 この言葉には流石にテルリックも拒絶(きょぜつ)をしたが、ヘランが自分の眼帯(がんたい)を外して空になった眼窩(がんか)を見せると、苦悶(くもん)の表情で腕を組み(うな)り始めた。

 このチャンスを逃せば二度とそんな大金は手に入らない。そして何より自分の愛した女性も片目を失っている。テルリックはここで断ればヘランの隻眼(せきがん)軽蔑(けいべつ)してしまうことになるような気がして、(なか)ば自分を言い聞かせるように首を(たて)に振った。

 

 突然いなくなったテルリックに、村の人間は血相(けっそう)を変えて辺りを探し始めた。しかしどこを探しても見つからず、皆が途方(とほう)に暮れていた……

 

 その1週間後、テルリックは突然戻ってきた。両目を失った状態で――――

 

 父親が(たましい)の抜けたような顔で恐る恐るテルリックに近づくと、父親の声を聞いたテルリックは血の涙を流して大声で泣き始めた。

 テルリックが言うには、最初は右目だけの予定であったが、ヘランの母親は何を思ったのかテルリックの両目を摘出(せきしゅつ)した挙句(あげく)、そのお金を全て持ち去ってしまったと。彼が麻酔(ますい)から覚め意識を取り戻した時、ヘランではない女性の声でこう聞こえたと言う。

「どこの誰か知らないけれど、このお金は大切に使わせてもらうよ!ありがとう!」

 人違いなのか、ヘランの伝え間違いなのか、テルリックが弁明(べんめい)をしようにも麻酔の(しび)れで上手く回らない呂律(ろれつ)では誰に何を伝えることもできず、村の入り口に送り届けられそのまま置き去りにされてしまったと――――

 

 

 

〜名も無き集落 ジルリックの家〜

 

「そ、それが……つい先週のことです……」

 テルリックの父親、ジルリックは目一杯に涙を溜めて震えながらそう話す。

 目の前に座る(ひたい)に黒い(あざ)をつけた白い肌の客人2人は、片方は真剣に此方(こちら)を見つめ、片方はニヤニヤと北叟(ほくそ)()みながら椅子(いす)を後ろへ(かたむ)けている。

「……それはお(つら)かったでしょう。心中お察しします」

 美しい黒髪を後ろで結った白肌の女性、イチルギがジルリックの境遇(きょうぐう)悲嘆(ひたん)して頭を下げる。しかしもう1人の毒々しい紫の長髪に赤角を生やした白肌の女性、ラルバは()()り返ったまま足を組み直してヘラヘラと笑った。

「いやあ〜それはそれは可哀想(かわいそう)に……で、そのテルリック君は今どこに?」

 ジルリックは横柄(おうへい)な態度のラルバに不快感を示すことなく、二階へ通じる階段へと顔を向ける。

「……ここ最近はずっと塞ぎ込んでいます。何せ初めてできた同年代の友人……(ある)いは意中の女性に裏切られ、しかもりょう、両目を……失ってしまったのですから……!」

 

「ふむ……ハピネス。どう思う?」

 家の外で聞き耳を立てていた短い金髪で細身の男性、ラデックは(となり)暢気(のんき)に本を読んでいる額に大きな火傷痕(やけどあと)を残した金髪の女性、ハピネスに(たず)ねる。

「あれ?それ私に聞いちゃのかい?」

「ん……まあ……」

 ラデックは少し離れた場所に待機している2人の方を見る。

 1人は小柄でラルバ達と同じく真っ白な肌と額に黒い痣をつけた白髪の少女、バリア。もう1人は小柄なバリアよりも背の低い丸々太った中年男性、ラプーがまるで石像のように微動(びどう)だにせず突っ立っている。

「あの2人に聞くと機械的な模範解答が返ってきそうだ。まず人間味のある不確定な感想を聞きたい」

「ふむ……まあ私はこの件、“覗き見”したわけじゃないから推測しかできないけど……」

 ハピネスは一切の光を感じることのできない両目を、さも見えているかのように動かしてジルリックを眺める。

「……この辺の人間は皆、“グリディアン神殿”から逃げてきた被差別民だろう。しかし、この孤立した集落で生き残るにはどうしても貿易は必須(ひっす)。自分たちだけで生きているように見えて、実の所クソみたいな相場で特産品を買い叩かれている“無自覚な奴隷”だ」

「なるほど、どこかの国の法律の庇護下(ひごか)にいるわけではない……当然臓器目的に誘拐(ゆうかい)が起こってもおかしくはないか」

「だが、少々遊びが過ぎる」

「遊び?」

(もう)けを考えるなら、一気に(さら)ってごっそり奪ってさっさと()てるに限る。しかし奴らは態々(わざわざ)時間をかけて少年を魅了(みりょう)し、両目のみを奪って、ご丁寧(ていねい)に村まで送り返した」

「……と言うことはこの村の士気を下げることが目的か?」

「いいや……士気を下げるならさっさと惨殺(ざんさつ)して広場にでも死体を棄てればいい。それなのにここまで無駄に手をかけたってことは――――元より無駄なこと。ただの暇潰(ひまつぶ)しだろうね。運の悪いこった」

 ハピネスが鼻で笑いながら明後日の方向に視線を向ける。既に彼女はこの惨事に興味を持っておらず、(のぞ)き見の異能でどこか別の場所に(うつつ)を抜かしていた。

 ラデックは再び家の中を覗き込み、悲しみに震えるジルリックを見て呟く。

「……確かに、運がないな」

「それどっちに言ったの?息子を(もてあそ)ばれたジルリック?両目をくり抜かれたテルリック?」

「これからラルバに惨殺(ざんさつ)されるヘラン達だ」

「……まあ確かに、一番不幸かもね。ふふふ」

 

 

 

屍走(しばしり)渓谷(けいこく)()びた(さじ)“の拠点〜

 

 (きり)のような雲がかかる峰々(みねみね)、美しい地層のグラデーションと(なめ)らかな地形は世界屈指(くっし)の絶景にも(かかわ)らず、墓場の様な静寂(せいじゃく)を保っていた。それもそのはず、この地は“(しかばね)すら走り出す”ほど恐ろしい悪党共の庭だからである。

 

「おい!お前アタシのシャブ()ったろ!!」

「あぁ?盗ってねぇよ!キメすぎで脳味噌(のうみそ)溶けてんじゃねぇのか?」

「んだとテメェ!!」

「うっせーな人が飲んでんだろうが!!静かにしろ馬鹿共!!」

喧嘩(けんか)かー?いいぞー!やれやれーい!」

 ダイヤよりも貴重な化石が大量に眠る地層を乱暴にくり抜き作られた隠れ家では、グリディアン神殿を追われた荒くれ共が盗品を(さかな)に真っ昼間から宴会(えんかい)騒ぎを起こしている。

 その騒ぎの奥、ソファに腰掛(こしか)け静かに薬を剃刀(かみそり)(きざ)むヘランの姿があった。

「やあヘラン。今日はあのボーイフレンドのとこに行かないのかい?」

 へべれけになった別の1人がヘランの横へ乱暴に腰掛ける。

「……?あのボーイフレンド?私に“オタケ“の知り合いなんかいないわよ……」

「えー?なんか最近熱心に会いに行ってたじゃん!ほら、先週なんかうちのアジトにまで連れてきてた……」

 ヘランは細かく刻んだ薬の粉にストローを近づけ、勢いよく鼻で吸い込み愉悦(ゆえつ)の表情で(ほう)ける。

「…………あー……いたわねそういえば」

「いたわねって……もしかして()っちゃったの?」

「…………いや…………目ん玉くり抜いて巣に返した…………」

「あはははっ!そういやグイーンに何かやらせてたわね!あの変態が機嫌(きげん)いいのはそう言うわけがあったんだねぇ。でも態々家に返したの?なんでなんで?」

「うっさいなもう……ただの暇潰しよ……殺すと後始末がめんどいし……死体には歩いて帰ってもらったほうが楽でしょ……」

「なるるほどねぇ。一理あるわぁ」

「どうせ殺したって“オタケ”の臓器なんか(ろく)すっぽ売れやしない……時間も手間も全部無駄……ま、そこそこ楽しかったから――――」

 すると突然アジトの入り口が蹴破(けやぶ)られ、薄暗い室内に陽の光が差し込んだ。

「全員両手を上げて動くな!!!」

 室内からは逆光で見えづらいが、入り口に立つ2人の人影のうち背の高い方が(かか)げる大剣は、知る人ぞ知る特別な意匠(いしょう)(ほどこ)されていることが(かろ)うじて分かった。

 その意匠の意味を知っていた荒くれ共の1人が大声を上げる。

「“人道主義(じんどうしゅぎ)自己防衛軍(じこぼうえいぐん)”だ!!!全員裏から逃げろ!!!」

 さっきまで臨戦態勢(りんせんたいせい)を取っていた荒くれ共は、その声を聞くなり大慌(おおあわ)てで逃げ(まど)い始めた。入り口に立つ人影は逃すまいと室内に足を踏み入れるが、荒くれ共の1人が(とな)えた防壁魔法によって行手(ゆくて)を塞がれる。

「……全員逃したか」

 軍服を着た背の高い色黒の女性、ジャハルは長い銀髪をかきあげて(もぬけ)の空になったアジトを(なが)める。

「これで良かったのだろうか?ハザクラ」

 ハザクラと呼ばれたもう1人の人影――――赤い髪の青年は、前髪で顔の右側を隠しているせいでジャハルの方からは表情が読み取れなかったが、明らかにこの状況を(こころよ)く思ってはいない様だった。

「良かったんだろう。ラルバの作戦……もとい要望(ようぼう)通りだ。俺達の役目は終わった」

「……クソッ。こんなこと、倫理的(りんりてき)に考えて許される(はず)がない……」

 (くや)しがるジャハルを置いて、ハザクラはゆっくりアジトに足を踏み入れる。防壁魔法によって作り出された障壁を、薄氷(はくひょう)を砕く様に易々(やすやす)と押し割り歩みを進めた。そして足元に落ちている酒瓶(さかびん)を一つ拾い上げて見つめる。

「レイ……か、あの馬鹿共には勿体(もったい)ない高級酒だな。ここにあるのは盗品ばかりか」

(いく)ら盗人とは言え……ラルバに処罰を任せるのは余りに(こく)な刑だろう……」

「……今の俺達は、悪の裁き方に文句を言える様な立場じゃない。黙って受け入れるしかないんだ」

 

 

 

屍走(しばしり)渓谷(けいこく) ルート18〜

 

「はぁっ……はぁっ……」

 アジトを逃げ出したヘランはいち早く谷を超え、グリディアン神殿へ向かう商人が利用する道に到着した。後ろを振り返ると仲間は誰一人としてついて来ておらず、皆途中で捕まったのだと予想した。そこへタイミングよくやってきた車両、見るからに高級そうな流線型のホバーハウスを見て、ヘランは大きく蹌踉(よろけ)る演技をして道を塞ぐ。

 ホバーハウスは突然目の前に倒れ込んだヘランのギリギリ手前で急停止し、運転手と思しき男性が中から降りてくる。

「おいおい危ねぇ〜じゃぁねぇ〜か〜……ん?」

 中から降りてきた中年男性、もといラルバの仲間であるラプーは、素行が悪そうな色情魔(しきじょうま)を演じてヘランに近づく。

「おい姉ちゃん……こんなとこにいちゃぁ危ないぜぇ〜?どれ、俺が面倒見てやるよぉ〜」

 ラプーは下卑(げび)た笑みを浮かべながらヘランを(かつ)ぎ、ホバーハウスの中へと連れ込む。ヘランの方もぐったりとして意識が朦朧(もうろう)としているフリをしつつ、この都合よく現れたカモの車両をどう奪おうか考えを(めぐ)らせていた。しかしその強奪計画は、ホバーハウスの中に足を踏み入れた途端に頓挫(とんざ)することとなる。

 ヘランが何かを話そうと息を吸った途端、全身の力が抜け今度は演技などではなく本当に(ひざ)から(くず)れ落ちた。ヘランは何が起こったか理解できず、目玉を白黒させて思考を錯綜(さくそう)させる。

「はぁ〜いヘランちゃん。具合の方は如何(いかが)ですかぁ〜?」

 そこへ降ってくる(さげす)んだ声。死体よりも白い肌をした紫色の髪に赤い角、自分のことを見下ろす見知らぬ女性がそこへ立っていた。

「私の名前はラルバ・クアッドホッパー。あれ、後半は言わないほうがいいんだっけ……まあいいや!テルリック君の目玉分の代金、徴収(ちょうしゅう)しに来ましたよ〜」

 その言葉にヘランは顔を真っ青にして口元を痙攣(けいれん)させる。しかし全身に力が入らない今、彼女にできる抵抗手段など一切なかった。

 ラルバはヘランの身体を担ぎ、食事用のテーブルに乗せて包丁を手に取る。

「大丈夫大丈夫。麻酔は効いてるでしょ?痛くないよ〜」

 そう言ってラルバはヘランの服を切り裂き、腹に思い切り刃を突き立てた。

 ヘランは一切の感触なく自らの腹部が切り開かれていくのを、絶望と恐怖に染まりながらただ見届けるしかない。

「恐怖で()らされても困るからね。膀胱(ぼうこう)は先に取っちゃおうか。お!綺麗(きれい)な色……でもないね。ダメよ規則正しい生活しなきゃ〜」

 ヘランは自らの臓器を眼前に突きつけられ、心の底から一刻も早い死を渇望(かつぼう)した。先程まで死にたくないと願っていた彼女は、たった数秒の間に終わりを望み現実から目を背けることで頭がいっぱいになった。しかしラルバはそんな彼女の心変わりなど構いもせずヘランの腹に手を突っ込む。

「あらぁ肝臓も汚ったないねぇ。脾臓(ひぞう)は……まあ悪くはないが、良くもない……膵臓(すいぞう)はまあまあかなぁ」

 ラルバは臓器を一つ一つ取り出す度にヘランに見せつける。

「でもでも〜こんなんじゃテルリック君の両目の代金には届きませんなぁ。次はどこを抜こうかなぁ〜っと。心臓は死んじゃうし……脳味噌も無理……やっぱ肺かな?ヘランちゃんどこから先とって欲しい?」

 ヘランは最早(もはや)ラルバの言葉など頭に入っておらず、ただただ早く自分の死が(おとず)れる事を願っている。

「返事がないってことは希望ナシってことだよね。じゃあ肺から取っちゃおうか。多分すっごく苦しいけど我慢(がまん)ですよ〜」

 肺を抜き取られたヘランは窒息(ちっそく)に苦しみ(もが)き始める。しかし、そんなヘランを最期まで支配していたのはこの快楽殺人鬼への恐怖ではなく、テルリックという“男”への一方的な憎悪であった。何故私があんな奴のせいで死ななければならない。アイツさえいなければ私は死ななかったのに。アイツが全て悪いんだ。アイツが全て――――

 ヘランの思考はここで途切れた。

 

 

 

〜名も無き集落 村の出口〜

 

 ラデックは村の方を振り返る。そこには両目でしっかり此方(こちら)を見つめ手を振るテルリックとその父親、そして村人達の姿があった。ラデックは無愛想(ぶあいそう)に手を振り返しながらボソリと(つぶや)く。

(わず)か数日であそこまで綺麗に治るのか……使奴(しど)の回復魔法は本当に(すご)いな」

 その言葉に、横にいたラルバが不満そうに愚痴(ぐち)る。

「私がやれば数時間で済む。イチルギは仕事が遅すぎる!我々使奴は完璧な人造人間なんだぞ!」

「数時間なんかで治療したら痛みで先に死んでしまうだろう。体にも負担がかかる」

「治してあげるのに文句言うのか」

「言うだろう」

 ラデックは先で待っている仲間達の方へ歩き出し、ラルバも小走りでラデックに並ぶ。

「まあでも楽しかったねぇ。ああいう変に善悪の概念(がいねん)を持っていない小悪党(いじ)めるのが一番楽しい!」

「巨悪はそうでもないのか?」

「んー……楽しいっちゃ楽しいんだけど、中には自分の悪行を本気で善行だと信じてたりする奴が多いからねぇ。当たり外れが(はげ)しい」

「そうか」

「次は“女尊男卑(じょそんだんぴ)の国”だって聞いてるしねぇ。差別思想って割と正当化されやすいんよね〜。馬鹿って陰謀論(いんぼうろん)とかすぐ信じちゃうから……」

「しかし明確に悪がいることは確実だろう。そう気を落とすな」

「それはそうだけどさ」

 

 快楽殺人鬼の使奴、ラルバ。

 無骨(ぶこつ)な使奴研究員、ラデック。

 謎多き情報屋、ラプー。

 使奴部隊の寡黙(かもく)な構成員、バリア。

 盲目(もうもく)の千里眼、ハピネス・レッセンベルク

 元世界ギルド総帥(そうすい)の使奴、イチルギ。

 世界平和の担い手、ハザクラ。

 人道主義自己防衛軍No.2 ジャハル。

 

 これは使奴――――“使”い捨て性“奴”隷達が生きるこの世で、悪とは、そして正義とは何かを問い正す物語である。



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54話 女尊男卑の国

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〜グリディアン神殿 検問所〜

 

 グリディアン神殿周辺の地域は、なんでも人形ラボラトリーの様な灼熱(しゃくねつ)の猛暑ではないものの相変わらず太陽は容赦(ようしゃ)なく照りつけ、そこへ時折吹く微風(そよかぜ)を頼りに一行は進んでいく。

 ジャハルは皆から少し離れて集団の後ろを歩いており、更にその後ろをのそのそと歩くハピネスの方を振り返って呼びかける。

「ハピネス!もう検問所はすぐそこだ!もう少し頑張れ!」

 しかし、ハピネスは何かを(さと)った様な微笑(ほほえ)みでフラフラと左右に揺れ動き、譫言(うわごと)の様に(つぶや)く。

「ふふふ……だからホバーハウスを返すべきじゃないって言ったんだ……だって3日だよ?私達、村から3日も歩いていたんだよ?普通徒歩で済ませる距離じゃないよ?」

「今更我儘(わがまま)を言っても仕方がないだろう」

「そんなことはないよ。ジャハル君、おんぶ」

「自分で歩け」

 ジャハルに呆れながら軽くあしらわれたハピネスは、大袈裟(おおげさ)に溜息をついて体調不良をアピールする。

「……人道主義を(かか)げる国のNo.2が盲目(もうもく)淑女(しゅくじょ)に手を貸さないなんて。ああ〜足が痛い〜お腹も痛いよ〜」

「盲目盲目って、そんなに言うならラルバにでも治して貰えばいいだろう!自分で不便な方を選んでいるんだから言い訳に使うな!」

「何を言うか……私は自分の運命に課された不条理に立ち向かっているのだよ……」

「じゃあ勝手に立ち向かっていろ」

「手助けは欲しい〜……おんぶ〜……」

 そんな調子でのそのそと身体を引き()る様に歩くハピネス。グリディアン神殿の国境を囲む鉄柵(てっさく)の一角に(もう)けられた、質素で無骨な造りの検問所前に彼女が到着すると、ラルバがムスッとした顔でハピネスを軽く小突いた。

「遅い!次からそんな病気のカタツムリみたいに歩いたら背負って行くからな!」

「…………ラルバ。私、この旅が終わったらあのホバーハウス貰っていいかい?」

「はぁ?旅が終わったらって……ホバーハウスでどこに行くのさ」

「どこにも行かない。そこで暮らす」

「家建てればいいじゃん」

「……それもそうだね。お金出してくれる?」

「余ったらな」

 ラルバはケッタイな物を見る様な目でハピネスを(にら)み、検問所の門番の方へ歩いて行く。

「ハローベイビー!今日も暑いねぇ!ご機嫌いかが?」

 ふざけたラルバの挨拶(あいさつ)に、門番の女性は一行を怪訝(けげん)そうな顔で眺め吐き捨てる様に命令をした。

「女性は正面の通路へ!!男は右だ!!」

 耳を(つんざ)く大声に一瞬気圧(けお)されるも、一行は暢気(のんき)なラルバの後に続いて渋々(しぶしぶ)歩き出す。鼻歌混じりに歩を進めるラルバは、ラデックの方を向いて笑顔で手を振った。

「じゃ!また後で!」

「会えればな」

 ジャハルも心配そうにハザクラを見送るが、ハザクラはジャハルに目もくれずラデックとラプーと共に通路の奥へと消えていった。男3人の背中を見つめながら、ジャハルは不安そうにイチルギに歩み寄る。

「大丈夫だろうか……イチルギ。私に幻覚魔法か何かでステルス迷彩(めいさい)をつけられないか?」

「必要ないわ。信じてあげなさいよ。仲間でしょ?」

「うう……それはそうだが……」

 ジャハルとてハザクラの実力を(うたが)ってなどおらず、自分と手を合わせたラデックの能力もよく知っている。それらを加味した上で(なお)彼女の脳裏にこびり付いて離れないのは、ハピネスが前に装甲車の中で話した内容である。

 

 

 

「……グリディアン神殿からの帰還予定時刻になっても外交官2人は帰らず……世界ギルドがグリディアン神殿に(うかが)いを立てても知らぬ(ぞん)ざぬでな……数日後に調査隊が向かった所……肉体改造で人の形を成していない2人が見つかった…… 四肢(しし)は根本から切断され、歯は全て引っこ抜かれて(あご)の骨も砕かれていた……何より陰部(いんぶ)の改造、グロテスクな性玩具(せいがんぐ)のように改造された陰茎(いんけい)が1人2本……尻の穴は血を流して常に開いたまま……女共にさんざ性奴隷(せいどれい)として(もてあそ)ばれた挙句(あげく)()きたら糞尿(ふんにょう)垂れ流しで放置……世界ギルドが発見した時には餓死(がし)寸前で、イチルギが到着して直ぐに息絶(いきた)えた……いや、正確には救わなかった……か。あの状態の人間を治癒(ちゆ)しても、どうせトラウマに(しばら)られ生き地獄だ……」

 

 

 ジャハルは再び思い詰めた様な顔でハザクラ達が向かった通路へ目を向ける。既に角を曲がってしまった3人の姿はなかったが、無骨な煉瓦(れんが)の壁の染みが不気味に笑う人の顔の様に見えて、やけに胸騒ぎがした。

「ジャハル、行くわよ」

 イチルギに手を引かれたジャハルはもう一度煉瓦の染みを見つめる。顔の様に見えたそれがただの染みであったことを確認してから、自分を納得させる様に(うなず)いて正面通路へ歩き出した。

「ハピネス……ハザクラを、3人を頼むぞ」

 ジャハルは横を歩くハピネスにそう呟くが、ハピネスは意地悪そうに笑いジャハルを揶揄(からか)う。

「どうしよっかなー。さっきおんぶしてくんなかったしなー」

「……今してやる」

「今は結構」

 

 

 

〜グリディアン神殿 男用検問所〜

 

「服を脱げ」

 ハザクラ達は部屋に通されるなり唐突(とうとつ)に女門番に命令をされる。何の説明もなく通された手入れのされていない便所の様な検査室で、ハザクラとラデックとラプーは身体検査とは名ばかりの迫害(はくがい)を受けていた。女門番の言葉は余りに無礼な物言いではあったが、ハザクラは首を(かし)げて冷静に受け答えをする。

「ボディチェックには応じるが、不必要な身体検査は――――」

「脱げっつってんだよ!!」

 女門番はハザクラの言葉を(さえぎ)威圧(いあつ)する様に(にら)みつける。しかしハザクラはまたしても冷静にパスポートを見せ返答をする。

「俺は人道主義自己防衛軍“ヒダネ”の総指揮(そうしき)――――」

 

 バシッ!!

 

 女門番はハザクラの手を(さや)がついたままの短刀で思い切り殴り、パスポートを地面に叩き落とした。叩かれた左手は裂傷(れっしょう)により血が吹き出しており、ハザクラは怪訝(けげん)そうな顔で手と女門番を交互に見つめる。

「知らねぇよ!!さっさと脱げこのクソ“オタケ”共!!!」

 苛立って攻撃してきた女門番に、ハザクラは小さく溜息を吐いて肩を落とす。

「……こんな早くから敵対するとはな。おい、ラデック」

 ハザクラがラデックの方を見ると、そこには(すで)に全裸で仁王立ちをしているラデックとラプーの姿があった。

「……何してる?」

「いや、脱げって言われたから」

「……そうか」

 まさかの展開に(あき)れるハザクラ。その背後から怒りが限界に達した女門番が、抜き身の短刀を大きく振りかぶる。

 ハザクラは短刀が上腕(じょうわん)に触れる寸前で勢いよく後ろに下がり、女門番の腹に振り向きざま肘打(ひじう)ちを入れ昏倒(こんとう)させる。

「2人とも服を着ろ。気付かれないうちにここを出るぞ」

 しかし2人がもぞもぞと服を着ている最中に、どこからともなく10人程の女衛兵が(あらわ)れ3人を取り囲んだ。ハザクラは両手を上げて降参のポーズをとり、弁明を始める。

「誤解だ。余りに横暴(おうぼう)な検査の強要(きょうよう)と、それに(ともな)う正当防衛だ。」

 女衛兵のうち1人が前に出て、ハザクラに剣を突きつける。

「暴行と詐称(さしょう)の罪で貴様等を拘束する」

「暴行も詐称もしていない。正当防衛だ」

「黙れ!!!」

 女衛兵はハザクラを恫喝(どうかつ)し、周りの女衛兵に顎をしゃくって「連れていけ」と命令を下した。女衛兵達は3人を取り囲み、乱暴に両腕を抱え引き摺る様に部屋の外へと連れ出す。

「ちょっと待ってくれ、まだシャツを着ていない」

 ラデックの暢気な発言を意にも介さず薄暗い地下道を進む衛兵達。ハザクラ達の申し出は(ことごと)く無視され、暗く湿った(さび)だらけの牢獄(ろうごく)へと幽閉(ゆうへい)された。

 ハザクラは(あき)れて頭を(かか)え小さく首を振る。そこへ、ラデックは(なぐさ)める様に肩に手を置く。

「ハザクラ。いいことを教えてやろう」

「なんだ?」

「俺達が今まで(めぐ)ってきた国は、大体誰かしら入国直後に投獄(とうごく)されている」

「……どこがいいことなんだ?」

「よくあることだから気にするなって意味だ」

 ハザクラは再び呆れて頭を抱えた。

 

【女尊男卑の国】



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55話 恵まれた人々

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〜グリディアン神殿 役所〜

 

「そんな!!何かの間違いだ!!」

 ジャハルは木製の受付台を(てのひら)で叩き、受付嬢(うけつけじょう)に対して怒りを(あら)わにする。ジャハル達は入国後いつまで経ってもハザクラ達3人と合流できず、役所へこうして問い合わせても何時間もたらい回しにされ、()()の果てには”新規の入国希望者を3名とも逮捕(たいほ)した“と言う不穏(ふおん)な報告。ジャハルは余りの横暴(おうぼう)さに我も忘れて怒鳴(どな)り声をあげる。

「ハザクラ達がそんなことするものか!!」

「し、しかし……報告では“明らかな犯罪行為があったため拘留中(こうりゅうちゅう)”と確かに……」

「異議申し立てを行いたい!!手続きはどこで!?」

「あの……入国に関する異議申し立ては、基本的に大臣の承認を(いただ)かないと……」

「ぐっ……!?クソ……まどろっこしいことを……!!」

 受付嬢はジャハルの“人道主義自己防衛軍幹部”という身分もあって、(おおかみ)(にら)まれたリスの様に震え上がっている。しかしジャハルは頭に血が上っており、目の前の無力な一般人に対する敬意を欠いている。

 そこへ見かねたイチルギが近づき、ジャハルの頭を軽く叩く。

「こら、(わめ)いても変わらないわよ」

「イ、イチルギ……しかし……!!」

「言ったでしょ。信じてあげなさいって」

「………………でも」

 イチルギはジャハルを受付から引き()がし、受付嬢に微笑(ほほえ)む。

「ごめんなさいね。こっちでなんとかやってみるわ」

「は……はい」

「ほら、行くわよジャハル」

 ジャハルは後ろ髪を引かれる思いを(ぬぐ)いきれないまま役所を後にした。

 

 

 

〜大衆酒場「酒飲み矢倉」〜

 

 まだ夕暮れ前だと言うのに、大衆酒場は宴会の様な(にぎ)わいを見せていた。

 グリディアン神殿自体は電子機器が一般的に流通する程度には文明があるが、地域によっては――――特に都市部から少しでも離れた場所では未だにガスや水道も(ろく)に通っておらず、この酒場の様に何処から引っ張ってきたか分からない違法電線が当たり前のように使用されているのが現状である。

 そんな経済の急成長に置いてけぼりを食らった酒場へジャハルとイチルギは足を踏み入れる。2人ともこんな怪しい店に入るのは不本意だが、ラルバ達との待ち合わせ場所に指定してしまったため、仕方なく店内を(のぞ)き込んだ。

「ええと……ラルバは……」

 ジャハルが少し背伸びをして店内を見回そうとすると、イチルギが自分の後ろへ隠すようにジャハルの(そで)を引いた。

「ジャハル。こっちへ」

「な、なんだ?」

 イチルギはジャハルへ一言の説明もなく一歩前へ踏み出した。

 その瞬間店内の全員がイチルギ達の存在に気づき、馬鹿騒ぎを止めて警戒心全開で静まり返る。

 

「おい……あいつ……」

「ああ、確かに……」

「後ろにいるのは……」

「どうするよ……」

「何でこんな所に……」

 

 辺りからヒソヒソと聞こえる小声の中傷。それもその(はず)――――

 イチルギは世界ギルドの元総帥(もとそうすい)であり、実質世界の秩序(ちつじょ)を保つ存在として世界中で認知されていた。彼女の決定は世界ギルドの決定であり、彼女の行動は一挙手一投足が世界ギルドの意思。言わば、歩く裁判所のような存在である。彼女の神にも等しいその支配力は、左右の区別もつかぬ子供にも理解できる事実であった。

 さらにジャハルは永年鎖国(えいねんさこく)の軍事大国の権力者。しかし永年鎖国と言えど、人道主義自己防衛軍と関係を持つ報道陣は(わず)かながらに存在する。その実力と思想は良くも悪くも“正義の権化(ごんげ)”等と呼ばれ、総指揮官着任前から人道主義自己防衛軍の看板となる人物として認知されるようになった。そしてその顔と軍服、何より背負った姿見(すがたみ)の様に大きな実用性皆無の大剣に(ほどこ)された装飾と紋章は、どれをとってもジャハルの正体を証明するものであり、名のある悪党であれば当然知っている常識であった。

 そんな2人はこの酒場、()いてはグリディアン神殿にいる(ほとん)どの人間にとって(わずら)わしい存在であり、自分達の持っている差別思想――――もとい正論を頭ごなしに非難してくる厄介な権力者。頑固で稚拙(ちせつ)な分からず屋といった認識である。

 この酒場の静寂は、客達の2人へ対する侮蔑(ぶべつ)と恐怖の(あらわ)れだった。

 そんな近寄り難い2人に近づく人影が1人。彼女は酒場の人間全員が押し黙る中を、まるでランウェイを歩く様に優雅に髪を(なび)かせ進んで行く。毒々しい紫の長髪は毛先に行くほど(あざ)やかな赤に染まり、血溜まりの様に(くす)んだ赤の双角(そうかく)が頭部から突き出ている。真っ白な肌に真っ黒なスーツを身に(まと)った、イチルギ達のよく知る快楽殺人鬼がそこにいた。

「おやおや、世界ギルドのお嬢様が……こんな下町まで一体何の御用で?」

 まるで初対面の様なラルバの(あお)り文句に、ジャハルは訳が分からず立ち尽くす。しかしイチルギは一欠片(ひとかけら)の曇りもない眼差しで真っ直ぐにラルバを(にら)み返す。

「ただの視察よ。アナタは?ここの酒場の関係者?」

 当然のように話を合わせて初対面を(かた)るイチルギ。ジャハルは再び混乱するも、せめてイチルギの足を引っ張らぬ様にと毅然(きぜん)とした態度で仁王立ちを決め込んだ。

「酒場の関係者?いやいやいや……私はただの旅人だよ」

「そう。じゃあ通してもらえるかしら?」

「断る」

何故(なぜ)?」

「何故?何故だって?見て分からないかい?」

 ラルバは両手を大きく広げて周りで黙り込んでいる客達を示し、声を荒げて挑発する。

「誰がお前らを歓迎してるってんだい!!ああ!?あんたら見たいな上流階級が来る場所じゃないんだよここは!!どうしても私らの話が聞きたいなら()(ぱだか)になって逆立ちしてこいボンクラ野郎!!」

 ラルバがそう言うと、周りの客達が口々に同調を示し、罵声(ばせい)の大合唱が始まった。

「そうだそうだ!!帰れよ!!」

「うぜーから早く出てけ!!」

「お前らに話すことなんか何もねーっつの!!」

 罵詈雑言の雨霰(あめあられ)の中、イチルギは(あき)れながら当たりを見回す。すると端の席で酒を飲んでいるハピネスが、こちらに向かって「バイバイ」と手を振っているのが見えた。その横にはバリアもおり、何の感情も宿っていない真顔でアイスを食べている。イチルギは心の中で盛大に溜息を吐きながらラルバに向き直る。ラルバはやけに上機嫌でニヤニヤと笑っており、この現状に満足している様だった。

 そしてイチルギが何か言葉を発しようとした瞬間、ラルバは近くの客から銃を奪ってイチルギ目掛けて発砲した。

 

 パァン!!!

 

 イチルギは咄嗟(とっさ)に頭部を(かたむ)けて回避し、弾丸は彼女のこめかみ数ミリ横を外れて店の柱に命中した。調子に乗っていた客達も、流石(さすが)にこの常軌(じょうき)(いっ)した行動には(ひる)んで言葉を失う。誰もがイチルギとジャハルによる鉄拳制裁を恐れて縮こまる中、ラルバだけが不敵に笑い、イチルギの(ひたい)に銃口を押し付ける。

「出てけ」

 2人は数秒の間睨み合いを続け、先にイチルギが背を向け店を出て行った。それに続いて不服な面持(おもも)ちのジャハルも無言で着いていく。店内は一瞬の静寂(せいじゃく)を挟んで、(たちま)ち歓声の嵐となった。

「うおおおおおおすげぇぇぇぇえええ!!!」

「あんた何モンだよ!!!本当にあいつら追い払いやがった!!!」

「かっけー!!!マジやっっべぇぇええええ!!!」

 ラルバは客達に()(たた)えられる中、上機嫌で席に戻り深く腰掛ける。そこへ待っていたハピネスが顔を寄せて耳打ちをする。

「ふふふ、ラルバって羨望(せんぼう)とか賞賛(しょうさん)って嫌いじゃなかったっけ?」

「ん?嫌いだよ。すぐにでも黙らせたいくらいだ」

「ほう……?」

「大丈夫大丈夫」

 ラルバは(いま)()き立つ客に囲まれながら、ニヤリと北叟笑(ほくそえ)む。

「どうせすぐに黙る」

 

〜グリディアン神殿 メインストリート〜

 

 酒場を追い出されたイチルギとジャハルは、男性陣3人を解放する手続きを行うためグリディアン神殿の中央部を目指して歩いていた。

「な、なあイチルギ……次からああ言うことやる時はなるべく教えてくれないか?(いく)ら何でもびっくりするぞ……」

 ジャハルはげっそりした表情でイチルギの隣を歩いている。そしてイチルギも同じく疲れた様な表情で道中買ったレモネードを(すす)る。

「私だって事前に知りたかったわよ」

「ええっ!?あれアドリブなのか!?」

「そーよ」

「よ、よくラルバの求めてることが分かったな……ハピネスが口パクで何か言ってくれてたとかか?」

「ううん?ハピネスも知らなかったんでしょうねー。端っこでずっとニヤニヤしてたし。完っ全に観客気分で手伝いの一つもしてくれなかった――――」

「じゃあ……使奴の(かん)ってやつか?」

「まあそんなとこ……演技するってことは付き合えってことだろうし、私が普段の業務であの酒場に行くってことは人探しくらいしかあり得ないから、その体で話進めただけ。後はラルバが好きな様に話持っていくだろうし」

「最後の銃は?あれは流石に……」

「いや、それもアドリブ。なんならアイツ当てに来てたわよ。全く……幾ら使奴でも不意打ちじゃあ当たる時もあるっつーの!」

 イチルギは飲み干したレモネードの容器を怒りに任せて握り潰す。ジャハルは気の毒そうな顔でイチルギを見つめる。

「そ、それは災難だったな……あれ?でも、ラルバはヒーロー扱いされるの嫌がってなかったか?前にグルメの国で宴会に参加しなかったと聞いたんだが」

「え?ああ。今回はヒーローになるのが目的だったんじゃないかしら」

「……?なんでまた」

「多分……詳しくは分からないけど、悪党の味方のフリして潜り込んで……関係者(まと)めて一網打尽(いちもうだじん)にしたいとかそんなとこじゃないかしらねー」

「は、はぁ……成る程……」

 ジャハルは呆れながらも納得し、ふとあることが気になり辺りを見回す。

「どうしたの?ジャハル」

「い、いや……この国は男性差別が根強いとあるが、意外にも普通に働いている男性が多いと思ってな。話に聞くより幾分(いくぶん)か平和に見える」

 ジャハルの言う通り、メインストリートの出店や飲食店。服飾店(ふくしょくてん)の中にも少数ながらも生き生きと働く男性の姿があった。しかしイチルギは重苦しい雰囲気で口を開く。

「……差別される側にも階級があるのよ」

 そう言って双眼鏡を取り出してジャハルに渡す。ジャハルがイチルギに示された場所を見ると、何やらしゃがんで足元の穴からバケツを受け取っている男性の姿が見えた。

「ん?あれは何をしているんだ?」

糞尿(ふんにょう)()み取り」

「え…………何だと……!?」

 ジャハルは慌ててもう一度双眼鏡を(のぞ)き込む。男性は足元の穴の側でしゃがみ込んで、何回もバケツを受け取り荷車に運び込んでいる。遠くてわかり辛いが明らかな薄着であることは確かで、全身が黒ずんでいるのは肌の色ではない様に見えた。

「と、と言うことは……穴の中にも人が!?」

「大体深さは2mか3mくらいかしら。1人が中に入って溜め込まれた汚物をバケツに汲み取って、上にいる人間がそれを運び出す。まあよくある仕事よ」

「しかしっ……!!彼ら、作業服は着ていないのか!?マスクは!?」

「マスクどころか、素手に素足よ。ちょっとぐらい口に入ろうが目に入ろうが、仕事が優先」

「くっ口にっ……!?」

 ジャハルは口元を押さえて嘔気(おうき)(こら)える。

「そ、そんな……素手で汚物の掃除など……!!!」

「この辺の男達の間でもまあまあ嫌がられる仕事ね。(きたな)いし病気にもなるし、安いし疲れるし」

「まあまあ!?あの拷問がまあまあだと!?」

「まあまあよ。だって気をつけていればあんまり死にはしないし、自分たちのことを(やと)う人間がちゃんといるんだもの。本当に嫌われる仕事は薬物とか拷問の実験体とか、あとは伝書人かしらね。所謂(いわゆる)配達人なんだけど配達物を狙ってる人間も大勢いるし、時間通りに届けられなければ報酬無しで体罰は(まぬが)れない。そう考えると、相手が自分のことを意図的に攻撃してこなくてほぼほぼ確実に賃金が(もら)えるってだけで大分恵まれてる方よ」

「そんな……そんなもの仕事ではない!!奴隷(どれい)ではないか……!!!調査班の報告書にそんな記述(きじゅつ)などなかった……!!!」

「外国人は普通あんなとこまで入ってこれないから、実態(じったい)も薄いところしか露呈(ろてい)してないのよ。あの子達も、こんな昼間っからあんな見えやすい場所で作業してるってバレたら大目玉でしょうね。だからメインストリートで働く男達は被差別民の中でも上位階級なの。朝から晩まで働かされて、臭い飯に路上での寝起きだったとしても、死にはしないもの」

 イチルギは話している内容とは裏腹に、平然としたまま歩みを進める。しかしジャハルは惨憺(さんたん)たる現状に耐え切れず、イチルギに詰め寄る。

「イチルギはっ!!!この現状を救う力があるんじゃないのか……!?何故見て見ぬ振りが出来るんだ……!!!」

 しかし、イチルギは眉一つ動かさずに(つぶや)く。

「じゃあ全員殺すわよ」

「な……なん……」

「全ては有限なの。安全に暮らせる人の席は少ししかない。そこに座れない人はドブに(つか)かって生きるしかない。恵まれない人を救うには、恵まれている人に席を空けてもらうしかないの」

「そんなはずは、互いに(ゆず)り合えば……!!」

「アナタの国。人道主義自己防衛軍では確か出生制限があったわよね?」

「………………ああ」

「あれはジャハルの国の長、ベルとフラムが最初に“安全に暮らせる人の席”を設定したから。だからみんな平和に暮らせていた。でもここは違う。物が足りていないのに消費する人間が増えたら奪い合いが起こるのは当然。それを無くすには……物は増えないんだから。人を減らすしかないのよ」

「……でも、きっと何か方法が……」

「あったとして、それは“全人類が一致団結”して始めてなし得る策よ。私達使奴は全人類の洗脳までは(むずか)しいし、そんなことしたくもないわ」

 ジャハルは何も言い返せず、(うつむ)いたまま立ち尽くす。彼女自身、頭の中に描いている世界平和のための政策(せいさく)は山程あるが、イチルギという自分より(はる)かに優れた人物の断言の前では無策だと感じた。

「……行くわよ。まずは身近な人から救いましょ」

 しかしジャハルは小さな違和感を覚えていた。今回ばかりは、イチルギは間違ったことを言っているのではないかと――――

 それは決して自分の妄信(もうしん)や現実逃避からくる我儘(わがまま)などではなく、“イチルギが何かを隠し、嘘をついている”様な気がして……

 

 

パーティ現在位置

メインストリート イチルギ、ジャハル

酒場 ラルバ、ハピネス、バリア

地下牢 ラデック、ハザクラ、ラプー



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56話 虎穴に入らずんば虎子を得ず

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〜グリディアン神殿 男用検問所地下牢 (ハザクラ・ラデック・ラプーサイド)〜

 

「なあ!そこの君!」

 ハザクラは鉄格子を(つか)んで、奥に座る見張りの黒髪の女に声をかける。しかし女はイヤホンをつけて何か音楽を聞きながらパソコンを(いじ)っており、こちらには一切見向きもしない。

「頼む!話を聞いてくれ!」

 ハザクラが何度も鉄格子を揺すり金属音を打ち鳴らすと、女は勢いよく立ち上がり振り返って鉄格子を蹴飛ばした。

「うっせぇなクソ共!!次騒がしくしたら目ん玉くり抜くぞ!!!」

「話を聞いてくれ!!悪い話じゃないはずだ!!」

 怒り狂う女に、ハザクラは(ひる)まず懇願(こんがん)を続ける。

「報酬はたんまり払う!いや、言われた分だけ払う!!だから一つだけ……」

「ほう……?」

『一つだけ頼みを聞いてくれないか……?』

 女は(しか)めっ面を保ったままであるが、ハザクラの“言われた分だけ払う”という言葉に釣られて返事をした。

「聞くだけ聞いてやるよ」

「俺の命令全てに(したが)え」

「あ?」

「抵抗せず俺達の脱出に全面協力をしろ」

 ハザクラの異能にまんまと引っかかった女は、その自覚なく自分の意に反して体が動くのを感じた。まるで(あやつ)り人形にでもなったかのような感覚でハザクラ達の牢の鍵を開け、セキュリティシステムの暗号パスワードを書いた紙を手渡した。

「……!?……なん……お前……私に何をした……!!」

 困惑する女を他所(よそ)に、ハザクラはラデックとラプーの方を向いて今後の行動指針を説明する。

「まずは脱出したいところだが……折角(せっかく)都合のいい傀儡(かいらい)が手に入った。このまま地下施設を探索しようと思う」

「……まあ、好きにしたらいいんじゃないか?」

 ラデックは自分の没収されていた荷物を(あさ)り、タバコを引っ張り出して火をつける。ハザクラは小さく溜息を吐くと、先程まで女が触っていたパソコンの前に座り調べ物を始めた。ラデックは傀儡となった女に近づき、顔や手を触って反応を確かめる。

「触……ん……な……!!クソが…………!!」

 女は鬼の形相(ぎょうそう)でラデックを(にら)むが、ハザクラの異能により行動が制限され抵抗できずに歯を()み締めギリギリと鳴らす。

「ふむ……呆気(あっけ)なかったな。しかしまどろっこしい。ハザクラの異能は誰にも通用するわけではないんだろう?意識まで従えられるわけではない様だし……もしもの時にはどうするんだ?」

「ん……まあ条件が(そろ)わないと無意味だからな。俺が戦うしかないが……その点、ラデックがいると心強い」

「あんまり頼りにしないでくれ。失敗した時に悲しくなる」

 ラデックはハザクラの後ろからパソコンの画面を覗き込み、首を(かし)げる。

「調べ物か?」

「ああ、見取り図……できれば警備の巡回ルートとかが欲しいが、ないみたいだ」

「成る程。ラプー、見取り図」

「んあ」

 ラデックの言葉にラプーは生返事をしてしゃがみ込み、側にあったコピー用紙に機械のような精度で図面を書き込んでいく。そしてあっという間に描き上がった図面には、警備の巡回ルートどころか、監視(かんし)カメラ、その視野死角、(じょう)と鍵の場所、セキュリティシステムの場所と種類が事細かに(しる)されていた。

 ハザクラは図面を受け取ると、関心というよりは恐怖に近い眼差(まなざ)しでラプーと図面を交互に見る。

「……なっ何だこれは……!?こんな情報……ハピネスと同じ、それ以上の異能でもなければ……!!ラプー……お前は一体何者なんだ……!?」

 しかしラプーは黙ったままハザクラを見つめ返し、石像のように動かない。

「答えてくれラプー!!」

「ハザクラ、静かに。脱走がバレるぞ」

 ラデックが唇に人差し指を当て「しーっ」とジェスチャーを送る。

「ラデック……!説明をしてくれ……!彼は一体何者なんだ……!?」

「ラプーは盗賊の国……一匹狼の群れに捕らえられていた処刑予定の情報屋だそうだ。ラルバが面白半分で拾ってきた。……確かに今考えると、世界一の支配力を持っていた笑顔の国に、(わず)か数百人規模の武力で肩を張っていた国で捕らえられていたって……裏がありそうだな」

「……何故ラプーはお前達についていってるんだ?」

「さぁ?」

 2人がラプーを見つめるが、彼は黙ったまま動くことはなかった。

 

〜グリディアン神殿 薄汚(うすぎたな)い地下施設〜

 

 坑道(こうどう)のように粗雑(そざつ)な地下道には常時送風ファンの荒い駆動音(くどうおん)が鳴り響き、壁に埋め込まれた必要最低限のランプが(かろ)うじて足元を照らしている。ハザクラ達はラプーが描いた見取り図を頼りに進み、傀儡にした黒髪の女を先頭に施設を進んでいく。

 ハザクラは手元の見取り図を(なが)めながら、黒髪の女に指示を出して指揮を取っている。

「次の通路左。そうしたら監視カメラが右上にあるから、なるべく右に寄りながら手前の部屋へ」

 黒髪の女はギリギリと歯軋(はぎし)りをして抵抗を示すが、ハザクラの異能に逆らえない体が意に反して指示通り部屋の鍵を開ける。ハザクラは頭上に設置されているであろう隠しカメラをチラリと見ると、ラデック達と共に部屋に入っていった。

 その後も施設を進み、偶に巡回の警備員に出会しては黒髪の女に舌先三寸(したさきさんずん)で言いくるめてことなきを得た。そうして(しばら)く歩き続けていると、恐らくは施設の出口と思われる階段の前に辿(たど)り着いた。

 四角い螺旋状に造られた階段は真っ直ぐ上へと続いており、ラデックは自分達が投獄された時に下った階段と同じくらいの距離だと感じた。そのままラデックは階段を登ろうとするが、施設の方へ振り返ったまま動かないハザクラを不審に思い声をかける。

「ハザクラ?行かないのか?」

「ん……いや……」

 ハザクラは少し悩んでからラデックの方を見る。

「ラデック。この施設、どう思う?」

「広い」

「恐らくは検問所で捕らえた不審人物の拘置所(こうちじょ)、いや、牢獄(ろうごく)の様な場所だとは思う。だが、だとしたら隠しカメラばかりを設置するのはおかしくないか?」

 ハザクラはここから見える場所に設置された監視カメラを指差す。煉瓦造(れんがづくり)の壁の(みぞ)に小さい黒い点が浮き出しており、目を()らせばそれがレンズであることが見て取れる。

「監視カメラは監視だけでなく、存在そのものによって防犯効果も持ち合わせている。隠したら脱走を抑制する役割は果たせない。何よりその分可動域(かどういき)も視野角も(せま)くなって監視の意味もなさなくなる」

 そう言ってハザクラが黒髪の女の方を見るが、女はハザクラの言葉の意図を理解していない様で鬱陶(うっとう)しそうな表情でそっぽを向いている。

「彼女もこの意味を理解していない。つまり、この施設は関係者さえ知らない牢獄以外の役割があるということだ」

 ハザクラの言葉にラデックは少し首を(ひね)って考え、ものの数秒で考えるのをやめて背を向ける。

「よくわからん。その内わかるだろう」

 ラデックが階段を登ろうとしたその時――――

 

 ビーッ!!!ビーッ!!!

 

 突如(とつじょ)鳴り響く警告音に、施設全体を塗り潰す回転灯の赤。ラデックが(おどろ)いて振り向くと、ハザクラが扉の近くに設置されていた電子ロックを(こぶし)で破壊している姿が目に映った。

「ハザクラ……!?一体何を……!!」

 (めずら)しく狼狽(うろた)えるラデックに、ハザクラはいつもと変わらぬ無表情で振り向く。

「この牢獄が一体なんなのか、“その内わかる”じゃあ困るんだ。今知りたい」

 ラデックは唖然(あぜん)としてハザクラを(なが)めるが、当の本人は近づいてくる大量の足音を気にも(とめ)めず図面に視線を落としている。そして、あっという間に()けつけた女警備員に囲まれ、ラデックはパーティの常識人だと思っていた人物が1人減ったことに大きく肩を落とした。

 

 

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎 (イチルギ・ジャハルサイド)〜

 

 豪華(ごうか)な応接室に通されたイチルギとジャハルは、美しい装飾(そうしょく)(ほどこ)されたティーカップに一切手をつけず、本革のソファに浅く座り姿勢を保っている。その2人の目の前に座る女性。シックな黒スーツと対照的に(くす)んだ赤紫の髪、右側は長く伸ばし顔の半分を(おお)っているが、反対に左側は後ろへ(あで)やかに流しており(あや)しげに(かがや)く金色の瞳孔(どうこう)が静かに(たたず)んでいる。

 ジャハルと同じ24歳という若さで見事選挙を勝ち抜き、グリディアン神殿のトップに立った鬼才”ザルバス“大統領。絶大なるカリスマ性もさることながら、武芸の才にも(ひい)でており、粗暴(そぼう)な国民性を有するグリディアン神殿に()いては従うに申し分ない実力者である。そして彼女の一番の武器は、武よりも知よりもその心にあった。世界ギルド境界の門元総帥(そうすい)イチルギ、人道主義自己防衛軍のNo.2ジャハル、この2人の怒りを買って(なお)冷静沈着を(くず)さぬ山の様に微動(びどう)だにしない心。この不動の心こそが、ザルバスが政権を(にぎ)ることができた一番の理由である。

「それで……お話というのは?」

 ザルバスは左眼で真っ直ぐジャハルを見つめたまま紅茶に口をつける。

「我が人道主義自己防衛軍の総指揮官、ハザクラをはじめとする3人が不当な理由により拘束されている。即解放を願いたい」

「それは大変申し訳ないことを……直ぐに確認したしますので少々お待ちください」

 ザルバスは一切表情を変えず頭を下げ、側にいた秘書にジェスチャーをして退室させた。ジャハルはチラリとイチルギ方に目を向ける。イチルギは少し目を伏せて紅茶を手に取り口をつけた。“相手が嘘をついている時は不機嫌な態度を、本当のことを言っている時は好意的な態度を”。使奴の観察眼を共有するため、事前に2人が決めた合図。ジャハルはイチルギの観察眼から謝罪(しゃざい)が真実であることに安心して視線を戻す。

 すると少し慌てた様子で秘書が戻ってきてザルバスに耳打ちをした。イチルギはその瞬間苦い顔をしながらも、もう一口紅茶を口に含んだ。つまり、秘書の耳打ちは非常に不本意な内容ではあるが嘘ではないという意味である。

 ザルバスは怪訝(けげん)そうな顔で2人を(にら)み、静かに口を開いた。

「……ハザクラさん達が脱走した様です。しかしこちらの不手際であれば目を(つぶ)るべき内容……しかし、設備の破壊に警備員への魔法ないし異能の使用。これは充分勾留(こうりゅう)するに(あたい)する犯行です。どういうことでしょうか?」

 ジャハルはまさかの発言に驚いてイチルギを見る。彼女は苦い顔で歯をぎりぎりと噛み締めており、苛立(いらだ)ちで目尻が痙攣(けいれん)していた。そして髪を()き上げると、小さく溜息を吐いて頭を下げる。

「あーそれは本当に申し訳ないことをしたわ。人道主義自己防衛軍の教えはよく知らないもので……そのまま勾留しておいて頂けるかしら?後で面会させて(もら)います」

「なっ……イチルギ!?」

 ジャハルは思わず声を荒げてイチルギに顔を寄せる。

「何故っ……何かの間違いに決まっているだろう!!」

 しかしイチルギは(わざ)と“不満そうに”(しか)めっ面でジャハルを押し返す。

「うっさいわね!分かってるわよそんなの!」

 聡明(そうめい)な彼女に似つかわしくない横暴(おうぼう)不機嫌(ふきげん)な態度。事前に決めた嘘の合図。

「ハザクラ達が無罪なんだったら私らが上手いことやんなきゃでしょうが!」

 “ハザクラ達の勾留は正当な処罰(しょばつ)であり、実際に何か問題を起こしているので様子見をしよう”。

 イチルギのメッセージをジャハルは読み取りつつも、不安を(ぬぐ)い切れない表情で(うつむ)いた。

「……そう、か。そうだな……」

 イチルギはザルバスに小さくお辞儀(じぎ)をすると、彼女もそれに応えて小さく頭を下げた。2人がそのまま部屋を出ると、ザルバスは先程まで2人が座っていたソファを眺めて秘書に命令をする。

「ハザクラ、ラデック、ラプーの3名を“(たましい)(ひつぎ)”の元へ」

 

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎前 (イチルギ・ジャハルサイド)〜

 

「あーもうっ!!ハザクラなら大丈夫だと思ってたのにぃ〜!!」

 正面玄関を出るなりイチルギは頭を掻き(むし)りながら(もだ)え始める。

「イ、イチルギ……ハザクラへの勾留が正当とは一体どういう……」

「私だって知らないわよっ!!」

 イチルギはジャハルを鬼の形相で睨みつける。

「設備の破壊って!!明らかに故意じゃない!!つまり「イチルギがなんか上手いことやってくれるだろうから態と捕まってみよう」ってことでしょ!?あーもうなんであの子までラルバみたいなことするのかな〜!?」

 大人気(おとなげ)なく悶えるイチルギを眺めながら、ジャハルはやり場のない不安を抱えておろおろとイチルギと中央庁舎を交互に見る。すると、後ろから1人の人影が近づいてきた。

「……あの、すみません」

 2人が振り向くと、そこにいたのは白髪に白いローブを(まと)った宗教家の様な人物が立っていた。そして後ろから大慌(おおあわ)てで駆けてくる人物がもう1人。

「シ、シスター!勝手に外へ出られては……!!」

 看護服(かんごふく)の様な制服に身を包んだ、身の丈2mを()大柄(おおがら)の女性。青い無造作(むぞうさ)なロングヘアを大きく(なび)かせ、暴力的なまでに大きな胸と尻を振り回す様に()らしながら近づいてくる。しかし、何よりも特徴的(とくちょう)なのは、色彩を持たない真っ白な肌と、藍色(あいいろ)(ひとみ)を囲む真っ黒な白目に、そこへ降りかかる(ひたい)の真っ黒な(あざ)だった。

 シスターと呼ばれた白いローブの人物は、少し驚いた様な表情で振り返り、ルビーの様に真っ赤な瞳を彼女へ向ける。

「ああ、すみませんナハル。しかしどうしてもお話がしたくて……」

 ナハルと呼ばれた大柄の女性は睨みつける様に辺りを見回してからジャハルとイチルギに視線を(さだ)める。

「…………取り()えず、中へ入って下さい」

 イチルギとジャハルはナハルに案内され、さっき出たばかりの中央庁舎へと(きびす)を返した。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎資料室〜

 

「ここなら見つからないでしょう」

 シスターは予備の椅子(いす)を引きずって机に近づけ、資料室の端に簡易的(かんいてき)な応接の形態(けいたい)を作る。ジャハルは不審に思いながらも、腰掛(こしか)ける前に敬礼をし、イチルギもそれに(なら)う。

「ますは挨拶(あいさつ)を、人道主義自己防衛軍“クサリ”総指揮官ジャハルだ」

「世界ギルド境界の門、特別調査員イチルギです」

 すると、シスターは(あわ)てて頭を深々(ふかぶか)と下げる。

「これは失礼を!グリディアン神殿で魔導外科医(まどうげかい)を担当させて頂いております。シスターと申します」

「……助手のナハルです」

 ナハルもシスターに合わせて深々と頭を下げる。しかしナハルの顔色は依然(いぜん)として暗く、警戒している、というよりは、気の毒そうにしている。と言った方が適切な面持(おもも)ちをしていた。

 席に着くなり、ジャハルは素朴(そぼく)疑問(ぎもん)を投げかけた。

「失礼ですが……シスターというのが本名なのですか?」

「ああ、そうなんです。(まぎ)らわしいですよね」

「いえ、そういう意味では……その、グリディアン教にシスターという伝統はなかったはず……」

「あはは……確かにグリディアン教は排他的(はいたてき)な一神教ですが、そこまで過激(かげき)でもありません。それに、実は私の生まれは“笑顔による文明保安教会”なんですよ。訳あって物心つく頃に亡命(ぼうめい)しましたが」

「こ、これは失礼を……申し訳ありません」

「いえいえ、昔のことですから」

 シスターは明らかに20歳になろうかどうかという風貌(ふうぼう)だが、話し方や落ち着いた振る舞いは淑女(しゅくじょ)の様に静かで美しく、魔導外科医という難しい職業を(おく)せもせず名乗る実力を(ともな)った人格者だった。

 シスターは時折子供っぽい照れ笑いを挟みながらジャハル達に話し始める。

「窓の外にお二人が見えた時、内心ちょっと興奮気味(こうふんぎみ)だったんですよ。ほら、この国はちょっと、内情が良くないじゃあないですか」

「いや……まあ、そう、だな?」

 ジャハルは素直に肯定(こうてい)するのを躊躇(ためら)い、若干(じゃっかん)返答を(にご)す。

「いいんです。ナハルもこの国の生まれではありませんし、そんなことより……」

 そこでシスターは少し声のトーンを落として表情を曇らせる。

「早くお仲間を助けましょう。でないと……手遅れになるかも知れません」

 確信を持った物言いに、ジャハルはゾッとしつつも強く言葉を返す。

「だ、大丈夫だ!ハザクラ達は私以上の実力者だ!例え使奴相手だろうが簡単には死なん!」

「仮にハザクラさんが使奴でも死ぬかも知れません」

 シスターは再び確信の(こも)った言葉をジャハルへ言い放った。戸惑(とまど)うジャハルを地獄の底へ突き落とすかの様に、唯一の救いであるイチルギがシスターへ()め寄った。

「詳しく聞かせて」

 

 イチルギも知らない恐ろしい事実が、ジャハル達の足元で渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜グリディアン神殿 ???〜

 

「ああっ!ああんっ!!んふぅっ!!んあああんっ!!!」

 絢爛豪華(けんらんごうか)な寝室に響き渡る女の嬌声(きょうせい)

「ああっ!!イイっ!!あんっ!あんっ!!」

 肉と肉のぶつかる音。粘液音。荒い吐息。(うめ)き声。

「ああんっ!!もっと!!もっとぉ!!!」

 そして、キングサイズよりも二回り以上大きなベッドの上で(うごめ)く白い肉塊(にくかい)

「んああああああああああっ!!!んふぅぅぅぅぅぅーっ!!!」

 脈動(みゃくどう)し、痙攣(けいれん)し、(あえ)ぎ、(さけ)び、大量の粘液をシーツに()き散らす。

 

 その白い肉塊と、ぐちゃぐちゃになったシーツの隙間(すきま)から顔を覗かせる、意識を失った若い男が1人。

 

「んふぅー……んふぅー……」

 (しぼ)みかけの水風船(みずふうせん)の様な白い肉塊は、抜け(がら)になった男を子供が野菜を吐き出す様にベッドの外へと放り投げる。

『新しいのっ!!!持ってぎでっ!!!』

 その叫びに、部屋の入り口に立っていたタキシードを着た若い男は震え上がって敬礼(けいれい)する。

(おお)せのままに!!!我が(いと)しの主人(あるじ)!!!」

 若い男が部屋を出ようとすると、白い肉塊から銃弾(じゅうだん)の様に言葉が飛んできた。

『まっで!!!』

 若い男は絶望と恐怖に苛まれながら、身体を石像のように静止させる。

『やっぱぁ……ごっぢ……きてぇ……?』

 白い肉塊の甘える様な()びた言葉に、若い男は脂汗(あぶらあせ)(まみ)れになりながら振り向く。

「仰せの、まま、に……!!!我が……愛しの主人……!!!」

 若い男の笑顔は地獄の沙汰(さた)垣間(かいま)見たかの様に引き()っており、そんな表情と心とは裏腹に足取り軽くベッドに向かって歩き出す。

 若い男がベッドの真横に立つと、白い肉塊はゆっくりと顔を向けた。

『えへへぇ……わたしのごと……好き……?』

 白い肉塊からはみ出た”ソレ“は、顔と呼ぶには余りにも大きく、まるで巨大な芋虫(いもむし)をありったけ貼りつけたかの様な風貌(ふうぼう)をしており、隙間から(かす)かに覗く目玉や歯によって人間の顔であることを辛うじて認識できる化け物であった。

(もち)(ろん)で……ござい、ます……!!!」

 若い男はガタガタと身体を震わせながらも、手を後ろに組み化け物を見つめている。

『かわいっ!んひゅひゅっ……じゃあ……わたしとぉ…………シよっ……?』

「……もちろっんっ……で、す……!!!」

 若い男の顔に化け物の顔がついているであろう部位がゆっくりと近づき、肉塊に()もれたかと思うと、そのまま(しばら)くけたたましい吸い出す様な粘液音を打ち鳴らした。そして若い男は貝に捕食される魚の様に、肉塊とベッドシーツの間へと吸い込まれていった。

 

 

パーティ現在位置

 

中央庁舎 イチルギ、ジャハル

 

酒場 ラルバ、ハピネス、バリア

 

地下施設 ラデック、ハザクラ、ラプー



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57話 たった孤りの統合軍

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜グリディアン神殿 中央庁舎資料室 (イチルギ・ジャハルサイド)〜

 

 魔導(まどう)外科医のシスターと、その助手ナハル。2人は数年前にグリディアン神殿を(おとず)れ、政府お抱えの役人担当医師になったことをイチルギ達に話した。

「……その内に、あることに気が付きました。この国は“政府が意図的に男性を弱者として(あつか)っている”ことに。表向きの政策は全てまやかしです。詳しくは分かりませんが……ザルバスは確実に敵だと思います」

 イチルギはシスターの話を黙って聞いている。彼女はシスターの言葉を微塵(みじん)(うたが)わず、思考を全て現状の推測に()いている。そして、シスターの言葉を補足する様にナハルも会話へ入ってくる。

「グリディアン神殿は、私の様な“使奴寄り”の人間を中心に上層部を固めています。詮索(せんさく)には充分注意してください」

 ナハルは片目を強調する様に指で開き、本来は白色であるはずの真っ黒な眼球を見せる。ジャハルは聞き慣れない言葉に小さく首を(ひね)りつつ口元に手を当てる。

「使奴寄り?使奴の血を色濃く受け継いでいるという意味か?」

 ナハルは小さく(うなず)く。

魔族(まぞく)不人(ふじん)、ネクスト。地方によって呼び方に差異はあれど、(おおむ)ね意味は同じでしょう。我々は通常の人間よりも、魔力や膂力(りょりょく)など様々な面で優れています。(いく)らイチルギ様が純粋(じゅんすい)な使奴とはいえ、多対一では苦戦するでしょう」

 イチルギはナハルと一瞬目を合わせた後、シスターの方に目を向けて頭を下げる。

「貴重な情報をありがとう。決して無駄にはしないわ」

「いえ、私もイチルギさん達が来てくれて助かりました。どうか……この国を正す為にお力()えをお願いします」

 シスターは深々と頭を下げる。イチルギとジャハルは顔を見合わせて小さく(うなず)き合った。

 

 一方その頃……

 

〜グリディアン神殿 スラム街 (ラルバ・バリア・ハピネスサイド)〜

 

 日が沈み、壊れかけた街灯が(まば)らに照らすだけの闇。杜撰(ずさん)な土壁の家屋が(ひしめ)めき合うスラム街の広場に、十数人の人影が円を描くようになにかを取り囲んでいる。

「この“脚売りルゴロッカ”に会いたいとか言うマヌケはお前らかい?」

 ルゴロッカと名乗るリーダー格の女性がドレッドヘアを揺らしながら首を鳴らし、円の中心にいる3人組を(にら)みつける。

「んえ?会いたいなんて言ったっけ?」

 3人組の内の1人、使奴寄りと思われる大女(ラルバ)道化者(どうけもの)を演じてヘラヘラと笑う。

「いや、ちょいと教えてほしいことがあってですねぇ〜」

「断る。タダで情報出すわけねぇだろダボが」

「え〜……いいのかなぁ〜?(した)()使って子供をシャブ漬けにして奴隷量産してたこと、お(まわ)りさんに言っちゃおうかなぁ〜?」

「はぁ?んな証拠(しょうこ)がどこに……」

「あるんだなぁここに。オタクらと売人のキラリン笑顔のツーショット写真」

 ラルバがスーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、ルゴロッカは眉を一瞬だけピクリと動かし冷静に口を開く。

「…………で?お前らを生きて帰さなきゃ済む話だろ?」

「済むといいねぇ」

 

 

 

 

 

「うえっ……えぐっ……ゆ、ゆるじでぐだざい……」

「はいはい許しちゃうよ〜許してあげるから元締めの名前吐こうねぇ〜」

 ルゴロッカ含む十数人の犯罪者集団はラルバに一瞬で蹂躙(じゅうりん)され、みっともなく涙をぼろぼろと流しながら必死に命乞(いのちご)いをする。それもその(はず)、他の下っ端達は皆大怪我を負わされた程度で済んでいるが、統率者であるルゴロッカは両手足の骨を粉々に砕かれ使い古した雑巾(ぞうきん)のように地面に転がされていた。

「元、元締め……」

「そうそう元締め。お薬でアッパラパーになった子供達を労働力として使い捨てるには(はたら)く場所が必要でしょうよ。君1人じゃ全部仕切れないでしょ?あと武器売ったお金の大半も行先不明だし」

「……も、元締め……は……」

 当然ここで元締めの名前を言ってしまえばルゴロッカ本人もタダでは済まされない。しかし、既に両手足を失っているルゴロッカにとっては、元締めよりも目の前の怪物の方がずっと残酷で無邪気だと思い口を開きかけた。その時――――

「元締めは……バ、バシュ――――」

 パァン!!!

 ルゴロッカは名前を言い切る前に射殺された。ラルバの真後ろから発砲された鉛玉はルゴロッカの左眼を正確に射抜き、本人が状況を理解する前に絶命させた。

「おや」

 ラルバが後ろを向くと、マントの下に銃を隠すマスク姿の女性が立っていた。

「……ラルバさんですね?元締めに会いたいそうで……此方(こちら)へどうぞ」

 マントの女性はそう言って(きびす)を返して遠ざかっていく。ラルバは満足そうにその後を追い、置物と化していた2人に手招きをする。

「バリア!ハピネス!早く来い!」

 2人は一回だけ顔を見合わせ、ラルバの蛮行(ばんこう)に何の意も唱えず歩き出した。

 

 

 

〜グリディアン神殿 統合軍総司令部〜

 

 暗く汚いスラム街とは打って変わって、(ほこり)一つ落ちていない清潔なコンクリートの廊下(ろうか)。しかし真夜中だと言うのに通り過ぎる部屋からは毎回のように罵声(ばせい)が鳴り響き、時折悲鳴や泣き声のような声と共に怒号(どごう)と荒々しい物音が転がってくる。

 ラルバ達3人はマントの女性を先頭に悠々(ゆうゆう)と歩いていく。そして(たま)にすれ違う軍服を着た女性達がマントの女性を見るなり、機械のような機敏な動作で敬礼をして微動だにしない姿を目にした。

 ラルバは敬礼の姿勢で固まる女性達に出会す度に、自分も適当な敬礼でニカっと笑い挨拶を返す。

「やあやあどうも!どうもこんちは!精が出るねぇ!やあやあ!元気してるぅ?」

 それを見てバリアも真似して真顔のまま敬礼を返す。しかし軍人達は誰一人として反応を示さず、敬礼した後は姿が見えなくなるまで人形のように固まるばかりである。

「……これ一発ギャグとかやって笑わせてみてもいいかな」

「えぇ……やめなよ……」

 笑いを(こら)えて目を伏せていたハピネスも、流石(さすが)にラルバを制止して軍人達を気遣(きづか)う。

 そんな暢気(のんき)なラルバ達を気にも留めず淡々と歩みを進めるマントの女性。暫くすると一番奥の一番大きな扉の前で立ち止まり、ラルバ達に先に入るよう(うなが)した。

 ラルバは(とびら)を開く前に、後ろの(おびただ)しい数の敵意に気がついた。遠すぎて分かり(づら)いが、明らかに自分達に向けられた針のように(するど)く尖った波導(はどう)。扉の向こうにいるのは相当な権力者であり、何かしようものなら決して生かしては帰さないという気迫。ラルバは満足そうにニタリと笑うと、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく勢いよく扉を開けた。

 

 数々のトロフィーや盾、(やり)や紋章が(かざ)られた部屋。その正面の豪奢(ごうしゃ)な机の向こうに腰掛(こしか)ける人物はゆっくりと立ち上がり、此方(こちら)へ歩き出す。

 (りゅう)立髪(たてがみ)のように逆立った黒い長髪に、大きくはみ出した白いメッシュ。深く被った制帽の奥には、真っ黒な白目に鮮血のように赤い瞳孔がぐらぐらと輝いており、額を(おお)う真っ黒な刺青(いれずみ)のせいで切長の目は輪郭(りんかく)曖昧(あいまい)になっている。しかし肌の色は(あわ)く色付いており、彼女が使奴ではないことが辛うじて分かった。

「俺は……グリディアン神殿、統合軍最高司令官……ロゼだ」

 ロゼは羽織(はお)っている大きな勲章(くんしょう)がついたオーバーサイズの上着を()らし、マントのようにして手元を隠す。

 ラルバはロゼの上着の隙間からチラリと見えた、下着の様に布地の少ない際どい服装を茶化して(おど)ける。

「ハローベイベー!マイネームイズ、ラルバー。ご機嫌(きげん)いかが?てかでなんで()(ぱだか)なの?趣味(しゅみ)?」

 横でハピネスが怪訝(けげん)そうな顔でラルバの脇腹(わきばら)(ひじ)で突く。

「やめなって……あれはただのファッションだよ……力自慢(ちからじまん)だったり、自分を強く見せたい者がよくやる格好だ」

「へー、だからルギルギも(えら)いのにあんな薄着なわけだ。正装の概念(がいねん)がないのかと思ってた。ハピネスのそのバニーガールみたいな肌着もファッション?」

「……旧文明とは文化が違う様だね。反感買うからあんまり言及(げんきゅう)しない方がいいよ」

「おいっす」

 ラルバがハピネスと話していると、突如(とつじょ)として部屋の壁が“爆風で窓が割れる様に弾け飛んだ“。その破片(はへん)の向こう側からはグリディアン神殿の風景ではなく、”龍が暴れ回る様な黒雲渦巻く、無限に広がる()ちた荒野”が姿を表した。

虚構拡張(きょこうかくちょう)――――“(ひと)終末戦争(しゅうまつせんそう)”」

 

【挿絵表示】

 

 ロゼは羽織った上着の前を大きく開き、金属製のカードデッキを取り出した。するとラルバは再びロゼの服装を小馬鹿にして両手で顔を覆う。

「うひゃーえっちぃー!けしからんなぁ!!」

 そんなラルバの言動にロゼは眉一つ動かさず、トランプを弾き飛ばす様に金属製のカードをラルバ目掛(めが)け射出する。

「む!」

 ラルバが人差し指と中指でカードをキャッチする。飛んできた4枚のうち、ラルバが無視した1枚は大きくカーブして足元に突き刺さる。するとカードは次々に波導光(はどうこう)を放ち、爆音を発して地を揺らした。

「うるさっ!!」

 ラルバが一瞬(ひる)んで(かが)むと、その真上から黒い影が(せま)る。

「まずは1人……」

 ロゼの(つぶや)きと共に落下してきた“ソレ”は、地面に衝突(しょうとつ)した瞬間大爆発を起こした。

 吹き荒れる爆風の中、防壁魔法で自身を防護(ぼうご)していたロゼは煙幕が晴れる前に大きく飛び退()いて反撃に(そな)える。そして再び金属のカードを弾いて煙幕の中へと射出した。カードは一瞬波導光を放ち今度は大量の粘液を()き散らして回転する。可燃性の粘液は(またた)く間に爆炎に引火し、辺りを火の海に変えた。そしてロゼは中空へ手を(かざ)し、何かを異能を発動する。

「もう1人」

 ロゼの頭上数十m、虚空(こくう)から突如(とつじょ)砲弾の雨が煙幕に向け放たれた。煙幕は砲弾の爆発により一瞬で吹き飛ばされ、そこへ砲弾により発生した煙幕と土煙が(ふたた)び標的を隠す。しかし、その煙幕が一瞬だけ晴れた刹那(せつな)、ロゼは信じがたいものを目にしていた。

 防壁の中で一切の被害なく棒立ちしているバリアとハピネスの姿、そして“防壁の外”で肩を大きく回すラルバの姿――――

 すぐさま思考を切り替えてカードを(はじ)くロゼ。カードは大量の煙を吐きながら爆音を(とどろ)かせ、ロゼの足跡(そくせき)を文字通り煙に巻いた。

「どうやって()けたかは考えるな……どう当てるかだ……」

「こうやって当てるんだよ」

 独り言に返答されたロゼはギョッとして(となり)を見る。そこには怨霊の(ごと)不気味(ぶきみ)な笑みを浮かべるラルバが並走してきていた。

 そしてロゼが何か行動を起こす前に足を払われ地面に突っ伏す。ラルバはロゼの頭を鷲掴(わしづか)みにして持ち上げ、ギリギリと頭蓋骨を締め付ける。

「ぐがっ……!!がっ……!!!」

 ロゼは激痛に(もだ)えてラルバの手を()(むし)るが、もう片方の手は反撃をしようとカードデッキに手を伸ばしている。

「いやあ、でもいい策だと思うよ?」

 ラルバはロゼが取り損ねて落下したカードデッキを爪先(つまさき)蹴飛(けと)ばし、地面に散らばったカードを一枚一枚(なが)める。

「未完成の魔法陣が描かれた霊合金(れいごうきん)のカードか。魔法陣を完成させながら投げれば相手はどの属性が来るかわからないから叩き落とすのを躊躇(ためら)うし、本体が命中すればそのまま刃物として(あつか)える……不発でも放置しておいて後で起動させれば地雷としても使えるし、何より嵩張(かさば)らなくていい。でもって本命の異能でトドメを刺す……と」

 ラルバの後ろからのんびり歩いてきたハピネスが、苦しむロゼをじっと見つめる。

「……でもこの戦い方では防御姿勢を取れない。異能でなんとかなるのかもしれないけど……どっちかっていうと自信の(あらわ)れだね。近づかせる前に殺し切るって言う絶対的な覚悟。お家が相当(きびし)しかったのかな?」

 ロゼは(くや)しそうに歯をギリギリと()み締めると、(うで)を力なくだらんとぶら下げて異能を解除した。荒野はパキパキとひび割れ、元のトロフィーだらけの部屋に戻った。

 ラルバはロゼからパッと手を離し、彼女を地面に落とす。そして顔をマジマジと見つめ、満足そうにニタリと笑った。

「いやあ、裏社会の親玉探しって楽でいいねぇ。上の奴をボコるともっと上の奴が勝手に来てくれる。いいシステムだ」

 ハピネスは(あき)れたように溜息を吐くと、ロゼが最初に座っていた豪華(ごうか)椅子(いす)にどかっと腰掛け、(ひま)なのかそのままクルクルと回り始めた。



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58話 消される男たち

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜グリディアン神殿 統合軍総司令部 (ラルバ・バリア・ハピネスサイド)〜

 

「私は今とっても機嫌(きげん)が悪いです!!何ででしょう!!はいロゼっち早かった!!」

「知るかよ」

 総司令官の部屋で、地べたに座らされたロゼは鬱陶(うっとう)しそうにラルバを見上げる。しかしラルバは子供が駄々(だだ)をこねるように怒りを(あら)わにして地団駄(じだんだ)を踏む。一切の興味を持たずに棒立ちしているバリアの後ろ、総司令官の椅子(いす)にふんぞり返って腰掛けているハピネスが(おもむろ)に手を挙げる。

「はいハピネスさん!!」

 ラルバが勢いよくハピネスに指を向ける。

「楽しみにしていた大悪党の正体が陳腐(ちんぷ)な善人だったから」

「正解っっっ!!!5ポイント差し上げます!!」

「やったぁ。(ちな)みにそのポイントで使い捨てバスタブって買える?」

「……はあ。しょうがないなぁ。いいよ」

 高らかに(こぶし)を天に突き上げるハピネス。ロゼは(あき)れながらも、自らを容易(たやす)く負かした化け物に視線を戻す。

「……大悪党ってのは俺のことか?」

「うん」

 ラルバは腰に下げていた小さな魔袋(またい)をひっくり返し、中身を地面にぶち撒ける。

「その辺のチンピラが売ってた麻薬でしょー?あと改造銃に偽札とー詐欺(さぎ)マニュアルのデータが入ったメモリーカードとー」

 一頻(ひとしき)り中身を散らかした後で、今度は指折り数え出す。

「チンピラ共のー、リーダーのー、上司のー、バックのー、親玉のー、裏ボスのー、元締めのー……何個か上がアンタ。らしいよ?」

「知らねぇ」

「これって組織的犯行っていうより裏社会の治安維持だよね。裏社会の人間を一定数組織化させることで個人の犯罪者を撲滅(ぼくめつ)して、そのトップに立つことで犯罪組織の不必要な拡大を防いでるわけだ。はいはい。偉い偉い」

 ロゼは黙ったままラルバを(にら)み続けている。否定も肯定(こうてい)もせず、今はまだラルバの様子を(うかが)い情報を与えまいと口を閉ざす。ラルバは「やれやれ」と首を振り(うつむ)く。そこへハピネスが近寄ってきてラルバに提案をした。

「ラルバ。(いく)ら使奴でも、このロゼという人物を籠絡(ろうらく)するには一筋縄(ひとすじなわ)では行かないと思うよ?そこで、私に任せてみてはくれないかな?」

 ラルバは数秒考えた後に口を開く。

「……ハピネス。お前、弱いものいじめしたいだけだろ」

「人聞きが悪い。揶揄(からか)うのが好きなだけだ」

 ラルバがハピネスの提案を受け入れるように数歩下がる。ハピネスは座り込んでいるロゼの正面に立ち、一度丁寧(ていねい)にお辞儀(じぎ)をしてから腰を大きく曲げてロゼに目線を合わせる。

「我々に協力をして欲しい」

「……この流れで承諾(しょうだく)するわけねぇだろ」

「ふぅん……?」

 ハピネスは灰色に(にご)った目をにたりと細める。

「いいのかなぁ……?シスター君に、君が仮病を使ってること言っちゃおうかなぁ……?」

 その言葉に、ロゼは顔を真っ青にして反応する。

「なっ……!?おまっ……!?」

「ね?協力。したくなった?」

 ロゼが目に見えて取り乱し始めると、ラルバは首を(かし)げてハピネスに(たず)ねる。

「シスター?誰?」

「この国の偉い人専門のお医者さん。ロゼの奇病も()ているんだが……この小娘、とっくに治ってる(くせ)して、シスターに会いたいがために仮病使って何度も診察を受けているんだよ」

 ロゼは顔を真っ青にして目を泳がせる。

「え?何?こいつレズなの?」

 余りに不躾(ぶしつけ)なラルバの物言いに、ハピネスは呆れて溜息を吐く。

「同性愛くらい別に不思議(ふしぎ)じゃないだろう。あと、シスターは男だよ」

 

 

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎資料室 (イチルギ・ジャハルサイド)〜

 

「お、男ぉ!?」

「声がデカい!!」

 過剰(かじょう)(おどろ)いたジャハルに、助手のナハルが顔を(しか)めて詰め寄る。

「誰かに聞かれたらどうする……!今シスターが男性であることを知っているのは私とシスター本人、そしてグリディアン軍のトップ、ロゼの3人だけだ……!」

 シスターが申し訳なさそうに頭を下げ、ジャハルも(あわ)てて頭を下げる。

「し、しかし、この女尊男卑の国で、よく男性がこんな名誉職に……役人専門の魔導外科医(まどうげかい)など……」

 シスターは眉を(ひそ)めながら、困ったように少し微笑(ほほえ)む。

「……まあ、色々ありまして……女性と勘違(かんちが)いされたまま雇われてしまったのです。今はまだロゼが上手く手を回してくれていますが……バレたらどうなるか……」

 ナハルはシスターを物憂(ものう)げな表情で見つめ、目を伏せる。

「ザルバスが意図的に男性を(しいた)げる政策を打っている以上、シスターも正体がバレればタダではすみません。どうかご内密に」

 ジャハルは少し困惑してイチルギの方を見る。

「イチルギは分かっていたのか?シスターの正体に……」

 イチルギは突然話を振られ、少し(ほう)けたように返事をする。

「ん?ええ、まあ、喉仏(のどぼとけ)あるし」

「あ、そっか……」

 シスターはバツが悪そうに喉を押さえる。

「……こればっかりは切除するわけにはいきませんからね。(さいわ)いあまり大きい方ではありませんし、地声も高い方なので何とかなってはいますが……」

 

 バタン!!!

 

 突然開かれた入り口の(とびら)に、4人は臨戦態勢(りんせんたいせい)を取って振り向く。

 そこには――――

「ルギルギめーっけ!お土産(みやげ)持ってきたよー!」

 上機嫌なラルバがロゼの首根っこを猫のように持ち上げて入ってきた。ロゼはシスターを見るなり心底(くや)しそうな顔をして不満を()らす。

「さっさと降ろせ……!!!」

「はい。逃げたらシスター君ぶっ殺すかんね」

 ラルバがロゼを乱暴に降ろすと、ロゼはシスターに深々と頭を下げた。

「……すまん。厄介(やっかい)なことになった」

「……は、はい?あの、ロゼ?この方は一体……」

 困惑するシスターに敵意全開で毛を逆立てるナハル。そして申し訳なさそうにしながらも目を(そむ)けるジャハルとイチルギ。しかしラルバはニカっと笑い5人の前で腕を組む。

「さぁて役者は(そろ)った!!ここに“悪党ぶっ殺し隊”を結成します!!」

 高らかな宣言には誰も反応を返さず、ただただ黙って冷たい視線を向ける。それでもラルバは鼻歌を歌いながら机に腰掛け、大袈裟(おおげさ)に足を組む。

「さあて、この国の悪事を整理しようか」

 そう言ってラルバは指先を空中でくるくると回し、説明を始めた。

 

「元は宗教色の強いただの集落だったグリディアン神殿。それがいつしか男性をゴミクソ扱いする女尊男卑の国に。そしてそのトップに居るのはザルバス大統領。でも変だねぇ。ロゼ坊の話では、ザルバスはこの国の政治に嫌気が差して大統領選に出馬したって聞いたんだけど?」

 ロゼは不満を露わにした怒りの表情で歯をギリギリと擦り合わせる。

「ザルバスとは10年近い仲だが、大統領になってからのアイツは変だ……!誰かに何かされてるとしか思えねぇ……!!」

 それに対しナハルが何かを言おうとするが、ラルバが指を差して制止する。

「いっぺんに(しゃべ)らない!一個づつ!でーえっと?ロゼ坊(いわ)く、ザルバスはどっかの誰かに(あやつ)られていると。ここで!面白いニュースがあります!」

 ラルバはポケットから紙切れを取り出して5人に見せる。

「スラム街を取り仕切る裏ボスから頂戴(ちょうだい)した奴隷(どれい)売買履歴(ばいばいりれき)だ!この国は性差別から国民を守るため、性別によって出生後の対応が違う……そうだね?」

 ナハルが一歩前に出て口を開く。

「出生どころか子作りの段階から違う。この国では万が一にも男性を出産することを忌避(きひ)して、細胞を産科施設に送り人工子宮での出産が一般的な繁殖方法(はんしょくほうほう)になっている。女性が生まれれば即座(そくざ)に親の元へ送られ、男性であれば一定の給付金と引き換えに養護施設(ようごしせつ)へ送られる」

 同じような仕組みを採用している人道主義自己防衛軍出身のジャハルは(だま)って話を聞いているが、イチルギは苦い顔をしつつも押し黙り、ラルバに(いた)っては舌を突き出して顔を顰めている。

「うげぇー冒涜的(ぼうとくてき)ぃー。まあいいや。その養護施設、ぶっちゃけ大体が奴隷かクソ貧乏国民(びんぼうこくみん)の子供にされてるんだけど、あれ?常識よね?」

 シスターは今にも泣きそうな顔で首を左右に振る。

「……正直、今聞くまで偏見(へんけん)に近い噂話(うわさばなし)だと思って……いや、信じてました……やっぱり、現実はそうなんですね……」

「あっはっは。ピュアだねぇシスター君。でもってー、その奴隷かクソ貧乏に送られた子供たちなんだけど、明らかに出生数と出荷数が食い違っている」

 その言葉にロゼは「やっぱりか」という顔で目を伏せる。

「10人生まれたら3人奴隷で3人国民に押し付けって感じで、どの帳簿(ちょうぼ)誤魔化(ごまか)してはいるけど、裏社会と表社会の資料を照らし合わせると半数近い人間が闇に消えていることが分かる。けど、そんな莫大(ばくだい)な数の人間、どうしたって闇には消えん。下手したら都市が(きず)ける人数だぞ」

 そしてラルバは眼を細めて、今までになく真剣な眼差(まなざ)しで5人を見つめる。

「これはあくまで私の予想だが……この国は“男を嫌った”のではなく、“男を欲した”結果だ」

 

 

 

〜グリディアン神殿 豪華な食堂 (ハザクラ・ラデック・ラプーサイド)〜

 

「……なんなんだここは」

 ハザクラは眉間に(しわ)を寄せて目玉だけを動かして周囲を見る。清潔で豪華な広々とした食堂に3人はぽつんと座らされている。

 捕まえられた直後の乱暴な(あつか)いとは打って変わって丁寧なお客様対応に、ラデックも不審がって不安そうに辺りを見回す。

「お待たせいたしました!」

 食堂に入ってきた執事風の男性。ここまで3人を案内してきた爽やかな笑顔の彼は、ハザクラ達の横に立ち、深々と頭を下げた。

「驚かせてしまってすみません!さぞや不快な思いをされたことでしょう!」

 ハザクラは未だ警戒心を解かないまま、無愛想に軽くお辞儀を返す。

「ああ、全くだ」

「我がグリディアン神殿では、男女の住む地域を地上と地下で分けているのです!地上は酷い男性差別が根付いているため、入国なさる男性の方の(ほとん)どは此方(こちら)へ招待しているのです!」

「はぁ……」

「しかし検問所は地上の管轄(かんかつ)でして……大変申し訳ないことをいたしました!」

 男性は再び深々と頭を下げると、若干後ろを振り向きながら両手を2回叩く。

随分(ずいぶん)長い間拘束されてお疲れでしょう!僭越(せんえつ)ながらお食事をご用意させていただきました!」

 男性の合図で入ってきた執事風の服を着た別の男性が、ワゴンカートを押して食事を運んでくる。

「我がグリディアン神殿の味付けがお口に合うかどうか……もし何かありましたらいつでもお声掛けください!この後はご入浴と宿の手配も済ませてありますので、お食事が終わりましたらお声掛けください!」

 そう言って男性2人は食堂を後にした。ハザクラは運ばれてきた料理をじっと見つめ、分析魔法をかける。

「……毒は入っていないようだな。しかし、グリディアン神殿に地下街があるなど、人道主義自己防衛軍の報告にはなかった……怪しすぎる」

 ハザクラは運ばれてきた料理を食べようと食器に手を伸ばすが、真横にいたラデックの珍妙(ちんみょう)な行動に目を奪われる。

 ラデックは魚の塩焼きの尻尾を持って目の前にぶら下げ、黙ってじっと見つめている。

「ラデック、行儀(ぎょうぎ)が悪い。やめろ」

「焼き魚、バゲット、コンソメスープ、豆のサラダ、焼きバナナ、フルーツゼリー」

「見れば分かる」

(えさ)だ」

「言い方を変えろ。命に礼儀を持て」

「違う。餌だ」

 ハザクラはラデックの行動と発言に苛立(いらだ)ちながら静かに声を荒げるが、その怒りはすぐに疑問に変わった。ラデックの目尻が若干痙攣(けいれん)して冷や汗をかいてる姿を見て口を(つぐ)む。ラデックはそのまま魚を皿の上に戻すと、苦虫を噛み潰したような表情で言葉を漏らした。

「俺は、魚を食べるのが下手で……”いつも残してた“……だから……この”献立(こんだて)“はいつも嫌いで……!!!」

 ハザクラはラデックの言葉を理解できず呆然(ぼうぜん)とする。

「いつも……?献立……?ラデック……!?何を言っているんだ……!?」

 ラデックは青褪(あおざ)めた表情をハザクラに向ける。

「俺は使奴研究所の保育施設で育った……これは、そこに出てきた給食()の献立と全く同じだ……!!」

「そんなの偶然じゃ……」

「偶然じゃないっ!!!」

 ラデックは魚のエラに指を入れる。

「エラが抜かれている……俺達の給食もそうだった……!!でもそれは、魚のエラが微細な波動粒子(はどうりゅうし)を吸着して調理魔工(ちょうりまこう)の設定を(くる)わせるからだ!!通常の調理工程には関係ない!!そもそも波動粒子の観測できる機械なんか今の文明には存在するはずない!!保育施設のマニュアル通りに作らなければこうはならない!!!」

 ハザクラは取り乱すラデックを静観しながら料理を一瞥(いちべつ)する。

「……また使奴研究員絡みか」

 

 

 

 

 

~グリディアン神殿 ???~

 

「んふふぅ……”また”可愛い子達が入ってきたぁ……ン……この子(ラデック)……いいわねぇ……ねえっ!!!この子っ!!!この子がいいっ!!!連れてぎでっ!!!早ぐっ!!!」

 

 

 

【女尊男卑の国】



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59話 魂の柩

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜グリディアン神殿 地下街 (ハザクラ、ラデック、ラプーサイド)〜

 

 

「ラデック様はこちらへ、私がご案内いたします」

 執事風の男性の案内に、ラデックは血相を変えて首を振る。

「いや、断る。ハザクラ達と同じ部屋を頼む」

「すみませんが一人一室でして……」

「構わない。床で寝る」

「そう言うわけには……」

 困惑する男性に両手で作ったバッテンを突きつけて激しく拒絶(きょぜつ)するラデック。しかし押し問答が数分続くと、(しび)れを切らしたハザクラがラデックの肩を(つか)んだ。

「ラデック。お前なら何とかなるだろう。ひとまず言う通りにしておけ」

 しかしラデックは首を大きく左右に振って拒否する。

「嫌だ」

「何が不安なんだ。具体的に説明しろ」

 ラデックは案内役の男性から遠ざかってハザクラに耳打ちをする。

「……ここの親玉に心当たりがある」

「何だと?」

「恐らく”ホガホガ“だ」

「ホガホガ?使奴研究員の名前か?」

「いや、本名は知らない。とある絵本に出てくる“ホガホガ大魔王”ってのに容姿が似ていることから保育施設の仲間が勝手につけた渾名(あだな)だ」

「……まあいい。ホガホガについて教えろ」

「根暗で気味の悪い女研究員で、保育施設の子供達によくちょっかいを出していた。俺が15歳くらいの時だったか、友人がホガホガに強姦(ごうかん)されかけたと泣きついてきたことがあってな」

「……当時のホガホガの年齢は?」

「さあ……見た目からすると、もう40後半ってところか。陰気(いんき)だったせいか、他の研究員からも()け者にされていたっぽかった」

「親玉がホガホガだと予想した理由は?」

「使奴研究所では下級研究員が給食の調理も()ねていて、担当者(ごと)献立(こんだて)が割り振られているんだ。下級研究員は頻繁(ひんぱん)に配置が入れ替わるから、その度に献立も入れ替わる。さっきの焼き魚はホガホガが担当している献立のうちの一つだ」

「……わかった。じゃあ最後に、ラデックがホガホガを恐れている理由は?」

「容姿が生理的に受け付けられない」

「行ってこい」

「嫌だ!!!」

「ホガホガは異能持ちか?」

「研究員に異能持ちはいない(はず)だ。もし持っていればメインギアにされるか売り飛ばされるだろう」

「行ってこい」

「嫌だ!!!」

「俺も(かげ)でサポートを」

「嫌だ!!!」

 ハザクラは嫌がるラデックの胸倉(むなぐら)を掴む。

『行ってこい!』

「嫌だぁ……!」

 ハザクラが異能を使って命令をするが、ラデックも負けじと顔を(そむ)けて歯を食い縛る。

「相手の素性(すじょう)を知っていて戦闘もできて多対一にも対応できるラデックが適任だろう!」

「適任かどうかじゃない!嫌なものは嫌だ!」

「ラルバよりは怖くないだろう!」

「ラルバより怖い!」

 そんな押し問答を続けていると、執事風の男性は2人に近づき恐る恐る声をかける。

「あの〜……そろそろ(よろ)しいでしょうか……?」

「よろしくない」

「ああ、すまない。今行く」

「行かない!!」

 嫌がるラデックの手を無理やり引っ張りながら、ハザクラはラプーと共に男性の後ろを歩き始めた。

 

 結局ラデックはハザクラに説得(せっとく)され、一人執事風の男性について行くことになった。ハザクラはラプーと共に別室から追跡(ついせき)魔法でラデックの動向(どうこう)を観察しているが、ラデック本人からは何も確認できないため、ラデックは生ゴミを素手で握らされているような苦悶(くもん)の表情でひょこひょこと歩いている。

 黄土色(おうどいろ)の石壁と真っ赤な絨毯(じゅうたん)()かれた廊下(ろうか)を10分ほど歩いていると、執事風の男性は“(たましい)(ひつぎ)”と(きざ)まれた大きな扉の前で立ち止まり振り返る。

「こちらです。中へどうぞ」

 ラデックは象が通るような巨大な(とびら)を見上げて(つぶや)く。

「……1人部屋か?」

 

「どうぞ」

 しかし男性は問いに答えない。それどころか、食堂で見せた(さわ)やかスマイルは()がれ落ち、(すさ)まじい腹痛を(こら)えているような表情に脂汗を(したた)らせてこちらを見つめている。

 ラデックは今すぐ反対方向へ全速力で()け出したくなったが、ハザクラかラルバに見つかればまたここへ立たされることになると思い、深呼吸を数回繰り返して扉に手をかける。

 

 

 

 

 (おぞ)ましい光景だった

 

 

 

 

 

 (きら)びやかな王室のような内装だが、その中央には巨大なベッドが置かれており、真っ白なシーツを真っ赤な天蓋(てんがい)カーテンが囲っている。そして何よりも目を引くのは、そのベッドの上に鎮座(ちんざ)する真っ白いブヨブヨの肉塊(にくかい)

 よく見れば天蓋カーテンと同じ真っ赤な色の布を(まと)っているが、肉塊の正体の手がかりになるようなものではなかった。

『んふふ……いらっしゃい……』

 その肉塊が女性の声を発したことにより、肉塊が生命活動を行なっていることと会話が可能な知性を有していることの二つが判明した。

 ラデックはなるべく肉塊を見ないように目の焦点をズラしながら言葉を返す。

「……部屋を間違えたようだ。失礼する」

『間違えでないわよ』

 引き返そうとするラデックを肉塊が引き止める。

『そんな遠くにいないで……こっぢ、来てぇ?』

 甘えるようなあざとい肉塊の(さそ)いに、ラデックは圧迫感(あっぱくかん)を覚えて顔を背ける。

「い、いや、そうだ。用事を思い出した。早く姉にパンを買って行ってやらねば」

 そう言ってラデックが扉に手をかけようとすると、その手を真っ白い肉塊が掴んだ。

『待っでよ』

 ラデックは凍りついた。一つを(のぞ)いて全てを理解した。

 数mを一瞬で移動する身体能力、真っ白い肌、そして間近で聞いたことにより判明した聞き覚えのある声――――

『ちょっとだけ……ぎゃっ!!!』

 ラデックは走り出した。扉を体当たりで突き破り、その勢いのまま壁を走って扉の前で待機していた守衛(しゅえい)を置き去りにした。石壁が(えぐ)れるほど強く踏み込み、閉められた強化防壁を紙のように突き破って走り続けた。改造で足止めした肉塊の追跡を恐れて、身体中の筋肉が千切(ちぎ)れそうになるのも構わず走り続けた。

 

 追跡魔法でラデックの行動を把握していたハザクラは、(すさ)まじい速度で自分の方にすっ飛んでくるラデックと合流しようと廊下に出た。すると()ぐに爆音を上げて周囲を破壊しながら突進してくるラデックが目に入った。

「ラデック!!一体何が――――」

「逃げるぞ!!!」

 今まで見たこともないラデックの必死の形相(ぎょうそう)に、ハザクラはすぐさま自己暗示をかけてラデックの後を追う。ラプーも背中に魔法陣を浮かべ、ジェット噴射をしながらラデックの後を追いかけた。

 

 

 

〜グリディアン神殿 地上 スラム街〜

 

 何とか地上へ脱出した三人は、真夜中のスラム街へ逃げ込み廃屋(はいおく)に身を隠した。

 ハザクラは大きく肩で息をしながら、過呼吸で横たわっているラデックに()め寄る。

「一体、何を見た……!せ、説明を……しろっ……!」

「はぁっ……!!はぁっ……!!あ、あれは……!!ダメだ……!!」

 ラデックはそう呟くと呼吸が落ち着くまで何も答えなかった。ハザクラもこれには何も言わない。依然(いぜん)(なまず)のような真顔で突っ立っているラプーの真横で、2人は(しばら)く寝転がっていた。

 呼吸が落ち着いてくると、ラデックは幽霊を見た子供のように震えながら語り始める。

「あれはホガホガだ……!でも、あり得ない……いや、決めつけは良くないか……」

「自己完結するな。憶測(おくそく)でもいいから話せ」

「……わかった。俺が見たのは確かにホガホガだったと思う……が、あれは“使奴”だ」

「……何?」

「クソでかい部屋にクソでかいベッドがあって、その上に真っ白い肉塊があった。それがホガホガの声で(しゃべ)ったことで、あれが人間だということに気がついた」

「真っ白い肌……確かに使奴の特徴ではあるが、それだけで使奴というのは……」

「身の(たけ)3mはあった」

「さんっ……!?」

「その時はベッドの上に座ってたからよく分からなかったが、俺が背を向けたときに後ろに立って腕を掴まれた。その時の声の位置や手の大きさから推測(すいそく)するに、それぐらいデカい」

「……元のホガホガの身長は」

「あって160cmくらいだろう。そして(きわ)め付けは逃げる時、彼女に異能を使った時だ」

 ラデックは嘔気(おうき)(おさ)えながら自分の(てのひら)を見つめる。

「……俺の異能は、触れた相手のステータスみたいなものを感じることができる。改造するってことは、改造前の能力値も分かるってことだ。……ホガホガの能力値は使奴のそれと何ら変わらなかった」

「……自らを使奴にしたのか」

「そして失敗した」

「失敗?」

「腕を掴まれた時、一瞬だが顔が見えた。しぼみかけの風船みたいな醜悪(しゅうあく)な容姿だった。恐らく身体が使奴細胞に耐えられなかったんだろう」

「……しかし、使奴相手となると厄介(やっかい)だな。前にベルが言っていたが、使奴対使奴の場合は多対一でも勝敗は推測できないらしい」

「いや、その点に関しては大丈夫だろう。使奴の戦闘能力の真髄(しんずい)は身体能力よりも思考力にある。なんでも人形ラボラトリーで知識のメインギアが200年前から脱走していたとなると、できるのは精々(せいぜい)肉体の改造だけだ」

「じゃあ何が不安なんだ?」

「……ハザクラ、手を出せ」

「……?」

 ハザクラが右手を差し出すと、ラデックはその手を取り、唐突(とうとつ)に改造を(ほどこ)した。

「うっ……!?」

 ハザクラは上下の感覚が入れ替わったことに吐き気を(もよお)し困惑する。

『ぐっ……な、治れ!』

 そして自己暗示をかけ、改造された感覚を正常に戻した。

「いきなり何をする!」

「それ、外傷にも適応できるか?」

「はぁ?いや、外傷は無理だ。肉体強化で若干は改善されるが、物理的な損傷(そんしょう)は難しい」

 そこまで言うと、ハザクラはハッとしたような顔で固まる。そしてラデックはゆっくりと(うなず)いた。

「俺がホガホガの身体の自由を(うば)った時、(かす)かに聞こえたんだ。「治れ」って」

「なっ……ホガホガに異能はないんじゃなかったのか!?しかもよりにもよって俺と同じ無理(むり)往生《おうじょう》の異能だと……!」

「……恐らく、異能の発生は意識の覚醒(かくせい)ではなく、意識の覚醒による魔力の激しい増加によって発生するんじゃないだろうか。だから、使奴化という魔力が莫大(ばくだい)に発生する現象により、ホガホガは後天的に異能を得た」

「無理往生の異能を使う使奴……これは……厄介なことになった……!」

「地下街の男達は皆彼女の奴隷だろう。さっきの移動でハピネスの監視(かんし)も振り切ってしまったかもしれない。ラルバ達に早いところ伝えに行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜グリディアン神殿 地下街〜

 

 

 

『うう〜……うううう〜……うう〜!!治れ〜……治れぇ〜……!!!』

 真っ白な肉塊は苦しみながらもぞもぞとのたうち回り、(おもむろ)に2本の足で立ち上がる。

「うううう〜!!!イライラするぅ〜!!!なんでもうぅぅぅぅぅ嫌ぁぁぁあああああ!!!」

 肉塊は空気をビリビリと震わせて絶叫をすると、近くにいた男性を数人捕食するように抱え上げて自分の部屋に転がり込む。その直後、部屋からはけたたましい粘液音と(あえ)ぎ声が()れ出した。



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60話 いつだってリーダーはストローマン

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜グリディアン神殿 中央庁舎資料室 (ラルバ・バリア・ハピネス・イチルギ・ジャハルサイド)〜

 

「この国には広大な地下空間がある」

 ラルバは全員の前で白板に図を描きながら説明をしている。イチルギとハピネスとバリアは邪魔をしないよう傍観(ぼうかん)しているが、ロゼとシスターとナハルのグリディアン神殿組は、自国の知られざる事実に固唾(かたず)を飲んで耳を(かたむ)けている。

「スラムのクソ共から聞いた話だが、実際に私も少しだけ忍び込んできた。ちょろっと見ただけでも数十人の男達が普通に生活していて、差別どころか普通の商業施設や家屋が立ち並ぶ平和な地下街ってところだな。ざっと見ただけでも相当な広さだ。地盤沈下(じばんちんか)を起こしていないということは、人工的に掘られたんだろう……しかし、掘削工事(くっさくこうじ)のことをスラムの連中どころかロゼすら知らなかった。秘密裏(ひみつり)に穴を掘るとなると莫大(ばくだい)な人件費と人数が必要だが……これらを一気に解決する方法がある!!ロゼっち!!」

 ロゼは至極(しごく)不満そうに立ち上がり、ラルバの横に並ぶ。

「……地下に人間が暮らせる空間があるのは知って居たが……それほどの規模(きぼ)だとは思わなかった。そこで、正直俺もラルバから聞かされるまで自分の勝手な憶測(おくそく)だと思っていた妄想(もうそう)……もとい推論(すいろん)がある。恐らく……全ての発端(ほったん)は、この国の起源“グリディアン教”だ」

 

 グリディアン教――――

 

 混沌としていた死にかけの世界を救った女神“グリディアン”を唯一神とする宗教。グリディアンは自らと同じ姿をした女性を人類の(いしずえ)として加護を与え、男性を厄災を引き起こした元凶とし自らの(もと)で浄化するとされている。

 

「古くから男はグリディアンの浄化の加護を受ける習わしがあったが、いつの間にか極端な男性差別になった。今じゃ“オタケ”なんて呼ばれてマトモな人権すら保障されていない」

「だそうです!!その“オタケ”って何?」

「男性器をキノコに見立てた蔑称(べっしょう)だ」

「ああ、”汚茸(オタケ)“ね」

「もしこの“グリディアン”が神なんかじゃなく異能を持った人間の支配者だとしたら……意図的に男を被差別民に(おとし)め支配したとも言える」

奴隷(どれい)に人権も人件費も()らないもんね!!出生記録だって(ろく)に残さないし!!穴を掘ろうが都市を造ろうが死のうが何しようが、表社会には関係ないからね〜」

「ただそれだと一つ問題がある」

「奴隷が従順(じゅうじゅん)すぎる、だろう?だからこそこの国はここまで発展してきたんだ」

 ジャハルが怒りに打ち震えながら声を絞り出す。

「……洗脳教育というのは、ここまで人を貶められるのか……!?人の命を……一体何だと思って……!!!」

 しかしジャハルの回答に、ラルバは呆れながらペンをクルクルと回して否定する。

「ジャハルちゃんブッブー。洗脳教育はそこまで完璧じゃないよ。奴隷とはいえ知的生命体には変わりないからねー」

 ロゼもラルバに同調して(うなず)く。

「奴隷が従順すぎるっつーのは、人間の生態からしてもおかしいっつー意味だ」

「きっと最初っから……異能で奴隷を(したが)えてたんだろうねぇ」

「……じゃねぇとザルバスが裏切った理由にはならねぇ……!!」

 ロゼは机を強く叩いて身体を震わせる。

「アイツは……アイツは誰よりもこの国を嫌ってた!!弱者を救いたいっつー平和ボケした理念だけで大統領にまでなったんだ!!あそこまで理想に突っ走れた馬鹿が……いきなり裏切って差別者側に回るなんてありえねぇ……!!!」

 この言葉に、シスターも顔を伏せて同情する。

「……確かに、ロゼの話を聞くまでは私もザルバスは悪者だと思っていました。彼女の政策……男性出産時の給付金の増加、雇用者への男性雇用手当、男性専用宿泊施設の建設……表向きは男性への配慮(はいりょ)ですが、実態は差別を助長させる政策の数々。あそこまで善人を気取って弱者を(しいた)げるなど、悪者に決まっているとばかり……」

「アイツは誰かに(あやつ)られてるんだ……!!そうに決まってる!!アイツは俺なんかと違って優秀な頭脳を持ってる……だから俺はついていったんだ……!!なのに、なのにこんなことって……」

 項垂(うなだ)れるロゼを見て、ラルバは首をぐるぐる回して(うな)る。

「善人かぁ〜。もしそうだったらロゼちゃん何とかしてよ。操られてるとはいえ善人ブチ殺すのは楽しくないし……」

「む」

 ハピネスがほんの少しだけ声を漏らす。さっきまでロゼ達と話していたラルバは、その小さな(つぶや)きに大きく反応して振り向いた。

「どうしたハピネス」

「すまない。ラデック達を見失った」

 その返答にジャハルが動揺して立ち上がり、その拍子(ひょうし)に椅子を倒した。

「なっなんだと!?ハザクラは!?3人の安否(あんぴ)は!!」

「上手く逃げ(おお)せたようだ。だが現在地が分からない」

「すぐ探しに行こう!大体の方角を教えてくれ!」

 (あわ)てて資料室を飛び出そうとするジャハル。その首根っこをラルバが引っ張り、盛大に転倒させた。

「痛っ!!な、何をする!!」

「いいよ、行かなくて」

「何を言っている!!もう真夜中だ!!敵に見つかったらどうする!!」

「どうせ見つからんよ。どうせ見つからないなら、もう少し泳いでいてもらおう」

 ラルバは大きく()()って後ろを向き、ロゼの方を(にら)んだ。

「それに真夜中だしね。ロゼんちって何人泊められる?」

 

〜グリディアン神殿 アパート「ギテツ」101号室〜

 

「……狭い」

「だぁから3人が限界っつったろ!!」

 ロゼは自宅へ押しかけてきた無礼者(ラルバ)を怒鳴りつける。

 統合軍総司令部から歩いて数分の場所にある簡素(かんそ)なアパート。そこへラルバ達と、ロゼ、シスター、ナハルを含めた8人は夜を明かすために移動していた。そしてロゼの忠告(ちゅうこく)に全く耳を貸さなかったラルバは、8畳程しかないワンルームに(あき)れて溜息を吐いた。

「軍のトップって薄給(はくきゅう)なの?家具もベッドと本棚(ほんだな)しかないし……」

「寝に帰るだけだからこれで十分なんだよ!!これで全員泊めるのは無理だってわかったろ!!出てけ!!」

「えーお外寒いじゃーん」

 このラルバのワガママにはイチルギとジャハルも呆れて何も言えず、同行してきたシスターとナハルもベッドに腰掛(こしか)けて気の毒そうにロゼを見つめている。

 ロゼに胸ぐらを(つか)まれブンブンと揺さぶられていたラルバは、いい加減苛立(いらだ)ってロゼの髪を背中側に引っ張り壁に押し付けて拘束(こうそく)する。そして彼女の耳元で(おど)すように(ささや)いた。

「ふん、反撃しなければいい気になりおって。念願(ねんがん)のシスターとのおうちデートだろうが。もう少し喜ばんか」

「たっ……頼んでっ……ねぇっ……!」

 ロゼの苦しそうな表情を見て、シスターが不安そうにラルバの(うで)を引く。

「や、やめてください……私達が帰れば済む話ですから……!」

「えー、でも君ら自分ち帰ったら殺されるよ?」

「えっ……!?」

「イチルギが君らと接触したのを敵は知ってるだろうしー、ラデック達が逃げ出したのも知ってるしー、イチルギとラデックが仲間なのも知ってるじゃん?てことは、今敵側からしたらシスターやナハルも十分反乱分子として認識されてると思うよ?自宅にも敵が待ち伏せてるんじゃないかなぁ」

「そ、それは杞憂(きゆう)では……」

「杞憂だと思うなら帰れば?そのあとどうなっても知らんけど。その点ロゼっちは私がボコしただけだし、その事実を敵はまだ知らない。身を(かく)すならここくらいしかないと思うけどねぇ」

 ラルバの発言にシスター達が顔を伏せる。すると横からハピネスがラルバの(そで)を引いた。

「それは分かったんだが……狭さはどうにかならないかい?私今晩ぐらいはゆっくり休めると思ってたからもうヘトヘトなんだが……」

「寝れば?」

「グリディアン神殿に着くまでずっと野宿だったんだ。せめて足を伸ばして寝たい……」

「外で寝れば?」

「野宿じゃないか……」

「んもうしょうがないなぁー」

 そう言うとラルバは両手を組んで勢いよく(はじ)いた。壁は(またた)く間にひび割れ、破片がひっくり返って別の景色を映し出す。ロゼの部屋はあっという間に満天の星が輝く無限に広がる夜の世界に変貌(へんぼう)した。

「はい、広くなったよ。最高級プラネタリウムのオマケ付きだ」

 ラルバは石畳(いしだたみ)の上に大の字になって寝そべり、大きく深呼吸をした。ハピネスは魔袋(またい)から組み立て式のハンモックを取り出して大喜びで組み立て始める。

 ジャハルは空を見上げて感嘆(かんたん)の声を()らした。

「……そういえばラルバの異能を(くわ)しく聞いていなかったな。どういう能力なんだ?」

「え?言うわけないじゃん」

「……それもそうか。夜空ということは自然現象の類……?イチルギはラルバの異能を見たことあるか?」

「ん?見たことはないけど……ハピネスが言うには“溶岩の召喚(しょうかん)”とか“水を凍らせる”とか“物体を岩に変える”とか……夜空は関係ないけど、自然現象に関わってるのは確かね。実物見ないとなんとも言えない」

「ふむ……夜空……溶岩……凍結……」

 他のメンバーも夜空に見惚(みと)れて(しばら)く雑談をした後に、翌日に備え寝支度を始めた。

 

 皆が寝静まったころ、ラルバは突然ムクリと起き上がった。そして何かを紙に書き、ロゼのカードデッキの隙間(すき)に差し込む。そして再び横になって寝息を立て始めた。

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎〜

 

「さあて!!悪党ぶっ殺し隊!!出陣(しゅつじん)ですっ!!」

 翌朝、ラルバ達は再び中央庁舎を(おとず)れていた。しかし今回の目的は対談ではなく、全員が戦闘準備を整えての侵攻作戦である。

 目標はザルバスの捕縛(ほばく)、そして恐らく裏に控えているであろう黒幕の居場所の特定。ラルバは8人の先頭を肩で風を切って歩き、中央庁舎のベルを鳴らした。

「………………誰も出ないねぇ」

 するとロゼが後ろからラルバ押しのけベルを乱暴に鳴らす。

「……中には居るはずだ」

「ってことは迎撃体制(げいげきたいせい)ばっちしってことだね!」

 ラルバはニヤリと笑うと、その場で全力の()りをドアに向かって放った。ドアは大砲に(つらぬ)かれたかの(ごと)く破壊され、ドアの後ろで待ち構えていたであろう伏兵諸共(もろとも)吹き飛んだ。

「……全然迎撃体制ばっちしじゃないじゃん。全くもう……私が殺人犯になったらどうするつもりなのよ」

 加害者になったことに不満を漏らすラルバを勢いよく(なぐ)りつけながらイチルギが飛び出し、負傷した伏兵の手当を始める。

 すると廊下や階段から大勢の衛兵が現れ、ラルバ達に向かって一切の躊躇(ちゅうちょ)なく炎魔法を飛ばし始めた。

「ここは任せろ!!」

 (いく)つもの渦巻く炎弾を、ジャハルが氷魔法で防壁を作り撃ち落とす。同時に天井へ巨大な氷柱(つらら)射出(しゃしゅつ)して大きな風穴(かざあな)を開ける。

「苦しゅうないぞジャハルん。じゃあロゼっぴ、行こうか」

「……さっき見たいな出会い頭の攻撃、ザルバスにやるなよ」

「やんないやんない」

 天井に開いた穴からロゼとラルバが侵入し、ジャハルは再び衛兵達の方へ顔を向ける。彼女はこの数秒の間に相手の規模、戦力、戦法、攻略法を概算(がいさん)しており、プランを3通りほど考え出していた。しかし――――

「バリアそっち手当お願いー」

「わかった」

 既に戦場には、イチルギとバリア以外に動いている人物は誰一人としていなかった。ジャハルは自分の(おろ)かさと傲慢(ごうまん)さに不甲斐(ふがい)なくなり、倒れこむように(うずくま)り頭を抱えた。

「……そうだった。私元々このメンバーじゃ戦力外じゃないか……それを……ここは任せろって……はっ……」

 意気消沈(いきしょうちん)するジャハルの後ろで、信じられない光景にシスターとナハルは呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす。

「い、一瞬で……」

「なんと……」

 そこへ何故かハピネスがドヤ顔で説明を挟む。

「ふふふ。(すご)いだろう。何てったって彼女達はウチの笑顔の七人衆も――――あれ、これ言っちゃダメなやつだっけ……まあいっか」

 

 

 

〜グリディアン神殿 中央庁舎執務室〜

 

 中央庁舎最上階の執務室。その中にザルバス大統領は待ち構えていた。ロゼはラルバと共に部屋に入り、彼女と対峙(たいじ)する。

「来ましたか」

「……ザルバス」

 ロゼは歯を(けず)れる程食い(しば)ってザルバスを睨む。しかしザルバスは冷たい真顔のまま言葉を吐き出す。

「まず、ロゼ最高司令官。あなたを国家反逆の罪で――――」

「そんな建前はどうでもいい!ザルバス!!」

 ロゼが()える。

「お前、正気か?」

「はい。正気ですよ」

 ロゼは恐る恐るラルバの方を見る。彼女が善人であればラルバは彼女に手を出さない。そういう約束になっている。今ラルバがザルバスを悪人と判断すれば、最早(もはや)ロゼにザルバスを救う手立てはない。ロゼが見上げたラルバは――――

「………………ん〜?」

 眉間(みけん)(しわ)を寄せて首を(かし)げていた。

「おい!どっちなんだよ!ザルバスは操られてんのか!?」

「ん〜………………」

 ラルバは再び逆方向に首を傾げて唸り声をあげる。その様子を見たザルバスは手に持っていた拳銃を構えてロゼを睨みつけた。

「私は正気です。そしてロゼ最高司令官……ラルバ・クアッドホッパー。あなた方を処理します」

 ラルバはザルバスの眼差(まなざ)しを冷たくで睨み返した後、大きく跳躍(ちょうやく)した。

「よくわかんないからロゼ助にあげる!!バイバイ!!」

 ザルバスは自らの頭上を跳んでいくラルバを撃ち落とそうと銃口を向けるが、ラルバは既に窓を突き破って逃走してしまっていた。

「……逃げ足の早い」

「虚構拡張」

 突如(とつじょ)、部屋の壁は“爆風で窓が割れる様に弾け飛び“、”龍が暴れ回る様な黒雲渦巻く、無限に広がる()ちた荒野”に変貌した。

「“(ひと)り終末戦争”」

「……ロゼ」

 ザルバスは(ふところ)からもう一丁拳銃を取り出し、二丁の拳銃をロゼに突きつける。ロゼも上着をマントのように広げ、姿勢を低くして腰につけたカードデッキに手を置く。

「なあザルバス。ここなら盗聴も監視の心配もない……本当のことを言ってくれ……!!」

「あなたを殺します」

「――――っ!!!クソがぁ!!!」

 



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61話 操り人形

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〜グリディアン神殿 中央庁舎執務室〜

 

 ロゼの虚構拡張により、地上3階にあったはずの執務室は黒雲が怒り狂う龍のように渦巻く荒野へと 変貌(へんぼう)した。互いを(にら)み合う、統合軍最高司令官のロゼとザルバス大統領。2人の邪魔をする者はこの場に()らず、黒雲から鳴り響く雷鳴だけが(むな)しく木霊している。

「なあザルバス。ここなら盗聴も監視の心配もない……本当のことを言ってくれ……!!」

 ロゼが最後の希望に(すが)るように声を絞り出す。

「あなたを殺します」

 しかし、ザルバスはロゼの言葉を冷たくあしらい、両手の二丁拳銃を構える。

「ーっ!!!クソがぁ!!!」

 ロゼは腰に手を伸ばし、カードデッキから数枚の金属製のカードを抜き取り、勢いよくザルバスに向けて(はじ)いた。

 しかし、カードはロゼの手を離れた瞬間にザルバスの放った銃弾に撃ち抜かれ、あらぬ方向へと飛んでいく。ロゼは自分の脚を狙って飛んできた銃弾を防御魔法で弾き返しながら、炎魔法で煙幕を張り一旦見を隠す。

 そこへザルバスは追い討ちをかけるように銃弾を打ち込み続ける。ロゼは身を隠していた(はず)の自らを正確に射抜き続ける銃弾に追われ、意図せず煙幕の外へ飛び出した。

「しまった――――!!」

 ロゼがザルバスの方を見るより早くザルバスがロゼに接近し、ロゼのカードデッキ目掛けて雷魔法を放つ。ごく(わず)かな魔力によって打ち出された魔法にロゼは一瞬気付くのが遅れ、霊合金のカードは強い磁力を帯びてただのインゴットのようになってしまった。

 カードが封じられたと見るや否や、ロゼは異能を使おうとザルバスに向けて(てのひら)を向ける。ザルバスの背後に突如(とつじょ)として巨大な弾丸が現れ、目にも()まらぬ速度で射出された。しかしザルバスはこれをひとっ飛びで(かわ)し、涼しい顔でロゼへと向き直る。

「くそっ……なんで避けられんだよっ……!!!」

 ロゼがそう(つぶや)くのも無理はなかった。ロゼが召喚したのは、“200年前の旧文明が誇る魔導戦闘機(まどうせんとうき)“である。魔導防壁と超加速による体当たりを主力とした航空機。当然今の文明を生きる人間にとっては想像し得ない超技術であり、予測どころか想像することも不可能に近い未知の兵器。

 ロゼの異能は“空間対象の変化系”である。かつてその座標に存在していた物体を、当時の状態、速度、温度のまま複製する。言わば疑似的なタイムマシン。

 ラルバ戦の時には、ラルバが立っていた位置に当時存在していた爆弾や砲弾を呼び出した。今回は、ザルバスの立っていた位置を通過した事のある戦闘機を呼び出した。200年前に高度な文明による大戦争が起こっていたからこそ、この時代では絶大な威力を発揮する異能。

 しかし、ザルバスはこの未知の攻撃をいとも容易(たやす)く避けてみせた。ロゼが続けて呼び出した砲弾も、爆発も、刃弾(じんだん)も、魔法弾も、斬撃も、毒ガスも。全てを最小限の動きで躱し、淡々と反撃を繰り返す。

 ロゼは隙を見てカードデッキにかけられた雷魔法を解き、カードを弾こうと数枚を(つか)む。しかしその行動を予測していたザルバスに手を撃ち抜かれ、地面にデッキごとカードをばら()いてしまう。

「クソッ!クソッ!クソッ!クソがっ!!」

 ロゼは(あせ)って異能を連発し精神を擦り減らす。対するザルバスは機械のように無機質な表情で攻撃を避け続け、ロゼを確実に追い詰めていく。

 ロゼは焦燥感(しょうそうかん)(むしばま)まれながらも、心の奥底に”悲しみ“と”懐かしさ“を感じていた。ザルバスは異能を持っていない――――にも(かかわ)らず、ロゼの不可思議な猛攻を避けられる理由は主に2つ。1つはザルバスがロゼの異能の性質を知っている事。ロゼの異能は物体にしか適応することはできず、生物にまで干渉(かんしょう)することがない。そのため攻撃の挙動はある程度絞れてしまう。また、呼び出せる時間はごく僅かで、一回の召喚で行える攻撃回数はそう多くない。そしてもう1つの理由。(いく)ら攻撃の挙動を予想しているとはいえ、人工知能を搭載(とうさい)した機械の追従(ついじゅう)や、想像できない超技術に対応できている理由。それは、ザルバスがロゼを育てた張本人であるが(ゆえ)、ロゼという人間の(くせ)を誰よりも理解していたからであった。

 ロゼは攻撃を避けられる度に、頭の奥から声が聞こえてくるような錯覚(さっかく)を感じていた。

 

「また死角から狙ってる。目玉の動きでバレるぞ」

「無理に意識を()らそうとするな。相手からは挙動不審に見える」

「行動がパターン化してきているぞ。2度目は読まれる」

 

「分かってる……!!分かってんだよ……!!」

 ロゼはブツブツと独り()つ。その顔には苛立(いらだ)ちというよりは、子供が母親と(はぐ)れた時のような悲壮感(ひそうかん)(にじ)んでいる。

 

「ブラフを形骸化(けいがいか)させるな。常に何を目的に動いているかを理解しろ」

「異能に(たよ)り切るな。予測不可能な攻撃を、ロゼ自身が予測可能にしてしまっているんだ」

「隙を無理に突こうとするな。弱点は()てして(わな)にもなる」

 

「わかってるよ……!!わかってるってば…………!!!」

 牙を()き出しにして歯を擦り合わせる。自らにアドバイスを送る幻聴に、ロゼは目に(なみだ)を溜めて文句を(こぼ)した。

「わかってるから……ちょっと黙っててくれよ……!!!」

 一瞬姿勢を(くず)したロゼの太腿(ふともも)をザルバスの放った銃弾が(つらぬ)いた。ロゼは勢い余って大きく地面に倒れ込み、そこへザルバスが銃口を突きつける。ロゼも、ザルバスも、この一手で生死が決まることを理解していた。

「さよなら。ロゼ」

「くたばれ嘘吐き野郎ぉお!!!」

 

 

 

 

〜グリディアン神殿 10年前〜

 

「おいっ!!お前っ!!止まれっ!!」

 幼女の声にザルバスは歩みを止めた。ふと振り向くと、使奴寄(しどよ)りと思われる幼女が黒い白目に浮かぶ真っ赤な(ひとみ)でコチラを(にら)み付けていた。当時14歳だったザルバスは、持っていた参考書を閉じて幼女を見つめる。

「あれ!あれお前がやったのか!?」

「あれ?…………ああ」

 幼女の指差す方を見ると、数人の人間が酔い潰れたかのように横たわっていた。先程、学校帰りのザルバスを(おそ)った破落戸(ならずもの)である。

「もしかして、君の大事な人達だったりした?だとしたらごめんね」

「違う!!誰があんな弱小共なんかと……!!」

 まだ10歳にもなっていないような幼女が、屈強(くっきょう)な大人を「弱小共」と卑下(ひげ)したのが思いの外面白く、ザルバスは肩を震わせながら口元の笑みを隠した。

「なっ何がおかしい!!」

「いや、別に?それで、なんの用かな?」

「俺と戦え!!強いんだろ!!お前!!」

 幼女は腰の鉄の棒をザルバスに突きつける。幼気な挑発にザルバスは少し微笑(ほほえ)ましくなったが、すぐにそれが傲慢(ごうまん)であったことを思い知った。

「おっと」

 突然跳躍(ちょうやく)した幼女の大振りを、間一髪の所で躱すザルバス。使奴寄りの身体能力は普通の人間より高いことは知っていたが、まさか幼女の宣戦布告が生半可なものではなかったことに目を見開いて(おどろ)く。

「お前ぐらい強いやつなら師範(しはん)も認めるだろ……逃げんなよ!!」

 ザルバスは、幼女が破落戸を”弱小共“呼ばわりしたことが強がりではなかったと知り、学生鞄(がくせいかばん)を下ろして幼女を見下ろす。

「……いいけど。私、強いよ?」

「強くなきゃ意味ねぇんだよ!!」

 

「っはぁ……っはぁ……に、逃げんなっつーのに……!!」

「じゃあ追いついてみなよ」

 幼女はぜえぜえと肩で息をしながら、ふらふらとザルバスに近寄る。しかし最後の力を振り絞った渾身(こんしん)の斬撃も、ザルバスにいなされ地面に突っ()した。

「ひ、卑怯者(ひきょうもの)……!!」

「卑怯者に負ける弱者に発言権はないよ」

 ザルバスは幼女相手に容赦(ようしゃ)なく吐き捨て、鞄を拾う。

「君、名前は?」

「おい、その言い方だと……俺が負けたみてーじゃねーか……!!」

「うん。君の負けだよ。だから名前教えて?」

 ザルバスは人差し指を幼女に向けて「バーン!」と銃を撃つジェスチャーを行った。

「………………ロゼ」

「あれ。(いさぎよ)いね。えらいえらい」

「子供(あつか)いすんな!!俺は大人より強いんだぞ!!」

「大人より強くても子供は子供だよ」

 ザルバスは参考書を読みながら背を向ける。

「じゃあねロゼちゃん」

「おっ……おい!!次!!次は勝つからな!!」

「ふーん?じゃあ……また明日ね。次も負けないよ」

 

 

 

「だークソッ!!勝てねぇ!!」

「これで100連敗だね。毎日毎日、()きない?」

「ちくしょー!!何でだ!?お前異能持ちか!?」

「なわけないでしょ。人のせいにしないの。言ってるでしょ?目の動きで狙いがバレバレ」

「そうじゃねぇ時もあるだろ!!」

「無理に意識を逸らすと逆に怪しいよ。もっと自然にやらなきゃ」

「くっそームカつくーっ!!」

 

 

 

「ふう。これで何連敗だっけ?えっと会ったのが卒業式の半月前だから……」

「…………多分……700……くらい……」

「……なんかごめんね?」

(あやま)んな!!(みじ)めになるだろーが!!」

「でも最初の頃よりだいぶ良くなったよ!!」

「当たり前だ!!つーか俺人生で負けたのお前とクソババアにだけだからな!?」

「おーすごい」

「……つーかザルバスはなんでそんな強いんだよ」

「………………強くないと、生きていけないんだ」

「そこまで強くなくても生きていけるだろ」

「………………私がじゃない」

 

 

 

「はぁ!?大統領選に出る!?何で!?」

「この国を変えるの。だから将来の選挙に向けて、今から色んな人とコネ作らなきゃ」

「いやいや急過ぎんだろ!!」

「急じゃないよ」

「いつ決めたんだよ」

「ロゼと会う前から」

「……はぁ!?」

「この国を変えて、差別をなくす。貧困もなくす」

「……ザルバスって意外と馬鹿なんだな。無理に決まってんだろ」

「無理じゃない。ロゼ。あなたがいれば」

「いや俺は政治家なんかやらないよ?頭悪いからそっち方面は絶対無理」

「ロゼは頭悪くないよ」

「お前の横にいれば嫌でも理解すんだよ。自分の馬鹿さ加減ぐらい」

「ロゼには軍の偉い人になって欲しい。確かお母さんが大佐だったよね?入れない?」

「入れってめちゃくちゃ言われてっけど絶対やだ。アイツの血縁ってだけでも吐きそうなのに」

「お願いロゼ。あなたぐらい強い人の協力があれば、絶対に叶えられる」

「やだってば」

「お願い」

「やだ」

「お願い!!」

「やーだ!!!」

 

 

 

「あの……師範……」

「なんですかロゼ。学校はどうしたんですか」

「いや……その……が、学校は、辞めようと思う」

「……私の反対を振り切って得た選択を捨てるのですか?」

「……軍に、入れて……下さい」

「はっ……今更何を」

「お願いします」

傭兵(ようへい)で勝手に稼ぐと言ったのは自分でしょう。傭兵上がりでも軍には入れますよ」

「傭兵上がりでは間に合わないんです。お願いします」

「間に合わない……?ロゼ、あなたまさか親の七光で軍に入ろうっていうんじゃないでしょうね」

「実力は必ず示します。お願いします」

「ふざけるな!!自分の選択も満足にできない奴が!!軍隊になぞ入れるものか!!」

「お願いします!!!」

我儘(わがまま)大概(たいがい)にしろ!!!ロゼ!!!」

「お願いします!!!」

 

 

 

「ロゼ!!(すご)いじゃないか!!もう少尉(しょうい)になったんだって!?」

「……ズルしたけどな」

「お母さんに……言ってくれたんだな……」

「そっからソッコーで上位階級に喧嘩(けんか)売りまくって、全員ボコした。後は実力主義の上層部に取り入って汚職上司(おしょくじょうし)(おど)して……前代未聞、異例の大出世だ」

「……それ、大丈夫なのか?」

「いや、もうじき問題にされてクビになると思う。だからザルバス。早く権力者(だま)くらかして助けてくれよ」

「無茶を言うなぁ」

「お前も無茶言ったんだから、これぐらい頼むぜ」

「……頑張るよ」

 

 

 

「と、統合軍……最高司令官……?俺が……?」

「どうだロゼ。私も見事大統領当選確実!これで権力と軍事力両方を牛耳(ぎゅうじ)ったわけだ!!」

「お前……何した?」

「んー……良くないことを少々……」

「…………はぁ。まあこの平和馬鹿について来ちまったんだから、今更(いまさら)文句言ってもしょうがねぇか……」

「平和馬鹿ってなんだ平和馬鹿って」

「ぶっちゃけ、俺は今でも国を変えるなんて不可能だと思ってる」

「できるってば!!」

「ザルバスが幾ら()えたとこで、結局行動すんのは国民だろうが。でも……取り()えずお前が先頭切って走ってるうちは、ついて行ってやる。お前がどんなに変なことをしてても、盲信(もうしん)して(したが)ってやるよ」

「……ロゼ。ありがとう」

「……頑張れよ。ザルバス」

 

 

 

 

 

 

 

「なっ何だこれは……グリディアン神殿の地下にこんな場所が……!?」

 

『んふふぅ〜……あなだが次の大統領……?』

 

「お前……お前が……この国を……!!!」

 

『うるざいわねぇ……いいがら黙っで、私のいうごどを聞きなさい……!!』

 

「断る!!お前なんぞに……私の……私達の国を(けが)させるものか!!」

 

『お前達っ!!この女が「分かりました」って言うまで……目の前で赤ん坊を殺しなさい。これでもかってくらい痛めつけて』

 

「やめろ!!そんなことをしたって国は変わらない!!」

 

『弱者なら少年でもなんでも良いわ。あ、可愛い子以外ね。お前達が一番残酷(ざんこく)だと思うやり方で殺し続けなさい』

 

「お前達もこんな奴に従う必要はない!!私が必ず国を変えて見せる!!だから……だからそんなことはやめてくれ!!」

 

 

 

 

 

「やめろ!!やめろ!!ふざけるな!!」

 

 

 

 

 

「命を……命をなんだと思って……!!!」

 

 

 

 

 

「頼む……もう、もうやめてくれ…………!!!」

 

 

 

 

 

「………………………………どうして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『一回だけでいいのよぉ?一回だけ「わかりました」っで言えば……やめであげるがらぁ』

 

「ほ、本当だな……?言うだけで……」

 

『そうそう……“言うだけ”よぉ……』

 

「わ……わかった――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい……ザルバス……!!!」

 ロゼが激痛が走る身体をゆっくりと起こしてザルバスを見上げる。片目は銃弾に貫かれ、最早絶命一歩手前。そんな瀕死(ひんし)の状況でも、ロゼは最期の力を振り(しぼ)ってザルバスに問いかける。

「お、俺。お前が……何しても、ついてってやるって……いったよな……?」

 ザルバスは再び銃口をロゼに向ける。

「お前は、頭が良いから……俺には、お前が……何やってるかなんて……全っ然わからねぇ。だから……理解は、お前、に、任せて……俺は……手足になろうって……」

 銃弾が放たれる。弾は(のど)を貫き、ロゼはその場に崩れ落ちた。ロゼは(くちびる)をゆっくりと動かし、声に出せなくなった言葉を(つな)ぐ。

 

 

 

 これは、お前の意思じゃないよな?

 

 

 

 暗くなっていくロゼの視界に、一滴(いってき)(しずく)が落下した。雫は(かわ)いた荒野の大地に染み込み、すぐに消えてなくなった。

 

 

 

 ああ、やっぱり。

 

 

 

 

 

 それがわかれば、十分だ。



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62話 拾う神あれば殺す神あり

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〜グリディアン神殿 中央庁舎執務室〜

 

 ロゼの虚構拡張(きょこうかくちょう)が解除され、黒雲渦巻く荒地は“ひび割れ”て”ガラガラと崩れ落ち“ 元の執務室へと景色が戻る。真っ赤な絨毯(じゅうたん)のような血溜まりに横たわるロゼを、ザルバスは沈黙したまま見下ろしている。そしてロゼから目を離し、彼女が戦いの最中に落としたカードに目を向ける。

 ザルバスが昔ロゼに教えた飛び道具の案。この金属製のカードはそのうちの一つであり、(いく)つもの改良が重ねられ相談した時よりもずっと洗練(せんれん)された武器になっていた。

 ザルバスはしゃがんで地面に散らばっているカードのうち一枚を手に取り、まじまじと見つめる。

「…………ごめん。ロゼ」

 そしてぽつりぽつりと言葉を(こぼ)し始めた。

「……私について来させてごめん」

 ザルバスはその場に座り込んで、片手で視界の外にあるロゼの頭を()でる。

「人生を……無駄にさせてごめん」

 言葉と同時に、涙が静かに(ほほ)を伝う。

「ロゼには、こんな姿……見せたくなかった……!!」

 カードを強く握りしめ、(するど)いカードの断面に指が食い込んで血が(あふ)れ出す。

「ずっと……(あこが)れのお姉さんでありたかった…………!!カッコよくて、強くて、優秀な……!!本当の家族みたいに思ってたんだ…………!!!」

 次第に声は震え、歯をガチガチと打ち鳴らす。

「でっでも……無理だった……!!!だからせめて…………ロゼには……“あんな奴”の奴隷になって欲しくなかった……!!!」

 大きく手を振りかぶると、握りしめたカードを思い切り自分の太腿(ふともも)に突き刺した。

「いや……嘘だ……!!!ロゼに期待してなかったんだ……!!!ロゼじゃ“あいつ”に勝てないって……ロゼの強さを……信じてなかった……!!!ごめん、ロゼ…………!!!ごめん…………」

 涙と鼻水と(よだれ)まみれになった顔を(そで)(ぬぐ)い、蹌踉(よろけ)ながら立ち上がる。そして(うつむ)いた時、ザルバスの視界に奇妙なものが映った。

 ロゼのカードが散らばる中に紛れた一枚の紙。ザルバスはロゼがカードデッキに紙片を混入させる理由が思いつかず、気になって紙を拾い上げた。そこには、“ロゼのものではない筆跡で”こう書かれていた。

 

 命令が“殺せ”とかなら、蘇生(そせい)はできるんじゃない?知らないけど

 

 ザルバスは一瞬固まった後、電撃が走ったようにロゼへと駆け寄る。そしてありったけの回復魔法を(とな)えロゼの(のど)の傷を押さえる。

「頼む……!!!頼む………!!!ああお願いだ神様……!!!ロゼを!!!私の“妹”を助けてくださいっ!!!私の“親友”を!!!たった1人の……大切な家族なんです……!!!どんな罰でも受けます!!!どんな代償でも払いますから……!!!この子を殺さないで下さい……!!!」

 ロゼの傷口が(わず)かに修復される。しかし当然それ以外に反応はなく、無常にも回復魔法の光は大気へと霧散(むさん)して行く。

「お願いします……!!!お願いします……!!!私から……最後の宝物を奪わないで下さい……!!!これだけは……ロゼだけは返して下さい……!!!お願いします……!!!私が、私がどんな罰でも受けますから……!!!」

「その言葉、忘れないでね」

 頭上から降ってきた声――――そこにはイチルギが立っており、髪を()き上げながらこちらを見つめている。

「イ、イチル――――」

『私の楽園を邪魔する奴はみーんな殺しなさい。アナタの役割に気づいだ奴も』

「――――っ!!!」

 ザルバスは自分の意思とは無関係に動く自らの身体に、“魂の(ひつぎ)”の言葉を思い出した。そしてイチルギを殺そうと腕を伸ばすが、後ろから羽交締(はがいじ)めにされ攻撃は中断される。

「バリアそのまま捕まえておいてー」

「わかった」

 ザルバスが振り向くと、自分よりも頭ひとつ背の低い使奴が自分に抱きついて拘束しているのが見えた。ザルバスは拘束を振り(ほど)こうともがくが、少女の腕はまるで石像のように硬く一歩も動けない。目の前ではイチルギがロゼの(そば)にしゃがみ込んでおり、無防備な背中をこちらへ向けている。

「あー、ザルバスさん?その子タフだから、もし誰かを殺せって命令がかかってるならその子優先してくれない?こっちは邪魔が入ると蘇生に多少手間が――――あ、でも平気そうね」

 イチルギがロゼの首元に手を置き高位の回復魔法を発動させる。(またた)く間に傷は(ふさ)がり、ロゼの身体に波導(はどう)が満ちていくのが伝わってきた。

「よかったわね。200年前の文明じゃ、脳死後3時間くらいまでなら余裕で治せるのよ」

 そう言ってイチルギがVサインをザルバスに向けると、ザルバスは涙をぼろぼろと溢して項垂(うなだ)れる。しかしその手は未だ魔法を発し続けており、自らを(とら)えているバリアを殺さんと攻撃を続けている。

難儀(なんぎ)ねぇ……バリア。寝かしておいてあげて」

「そうだね」

 バリアがザルバスの頸動脈(けいどうみゃく)を圧迫し、ザルバスの意識を奪う。そしてロゼの(となり)に横たわらせた。イチルギが腕を組んで満足そうに(うなず)くと同時に、後ろから遅れてジャハルが執務室に入ってきた。

「すまないイチルギ!遅れた!」

「ああジャハル。こっちは全部終わったっぽいわよ。…………ハピネスはともかく、シスターとナハルは?」

「え?あれ?先にこっちへ来ているものだとばかり……」

 すると、窓の外を見ていたバリアが遠くを指差す。

「4人ともあっちにいるみたいだよ」

 ジャハルが窓から身を乗り出してバリアが指し示す方角を見るが、家屋が立ち並ぶばかりで手がかりは一つも見つけられなかった。

「んん……?どういうことだ……え?4人?」

「うん。ハピネス、シスター、ナハル、ラルバ」

 後ろでイチルギが壁に八つ当たりをする音がした。

 

〜グリディアン神殿 市民街裏通り〜

 

 日が当たらぬ家屋の隙間、そこには表を歩くことを許されない被差別民の男性たちが身を寄せ合って暮らしていた。ボロ布で屋根や壁を作り腐りかけの廃材を柱にした、最低限風雨を(しの)げる作りのテント。彼らにとっては精一杯の生き抜く(すべ)を、無常にも1人の異国人が(おびや)かして行く。

「はっはっはー!!どけどけーい!!」

 荷車を猛スピードで引き()り回すラルバが、ホームレス達の居住区を無残にも風圧で破壊しながら駆け抜けてゆく。

「パカラッパカラッパカラッパカラッ!!らぁりほぅっ!!ラルバ運送は今日も安全運転ですっ!!」

「ラっラルバさん!!止ま……止まって……!!止まって下さいっ!!」

「おいっ!!止まれ馬鹿女!!」

 荷車に乗せられたシスターとハピネスがラルバに止まるよう呼びかけるが、ラルバはどこ吹く風で裏路地を爆走して行く。

「止まっ止まって!!ハピネスさんが気を失ってます!!って言うか周りに迷惑がっ」

「止まれって言ってるだろ!!」

 身を乗り出したナハルがラルバの角を引っ張り、無理やり停止させた。ラルバは姿勢を崩されてムッとした表情でナハルを(にら)む。

「何すんだおっぱい!!」

「お前も十分おっぱいだろうがっ!!」

 荷車からシスターがふらつきながら身体を起こし、周囲にいるホームレスの男達へ頭を下げる。

「す、すみません皆さん……!この穴埋めは必ず致しますので、どうか今だけは先を急がせて下さい!」

 女々しく非力なシスターの謝罪に、男達は顔を見合わせながらこちらを睨みつけている。恨みや怨嗟(えんさ)で満たされた眼差しだが、誰一人として動こうとはしない。ナハルはその光景を見て、ぼやく様に吐き捨てる。

「……報復を恐れているんだ。本当は怒りたくて(たま)らないのに、そんなことをしたら明日にでもこの路地裏には火のついた油が投げ込まれてしまう……」

 ラルバは興味なさげに盛大に欠伸(あくび)をする。

「ふぁ〜あ……ねえ急いでるんだけど。シスターさん早く乗ってくれません?それともここ置いていこうか?」

「ちょ、ちょっと待ってください!確かに同行したいとは言いましたが、こんな乱暴な方法だなんて……せめて彼等に何か(つぐな)いをしてから――――」

「んえぇ〜……じゃあ、はい。これでいいでしょ」

 ラルバが魔袋(またい)から宝石を一粒取り出すと、ナハルが(あわ)ててそれを隠す。

「ばっ馬鹿!!こんなもの与えたら取り合いが起こるだろう!!暴徒化(ぼうとか)させるつもりか!!」

「暴徒化……いいね……それ!」

 突然ニカっと笑うラルバに、ナハルは嫌な予感がして背筋を凍らせる。ラルバは気を失っているハピネスの頬をぺちぺちと叩き、無理矢理上体を起こす。

「おい!ハピネス!仕事だぞ仕事!」

「……ん……あれ……ここは……?」

 今にも吐きそうなほど青褪(あおざ)めた顔色のハピネスは、(うつろ)(まなこ)で涎を垂らし(つぶや)く。しかし構わずラルバは顔を寄せて怪しく微笑(ほほえ)む。

「ハピネス。働き(あり)が働かねば女王蟻は餓死(がし)するしかない。私が何を望んでいるかわかるな?」

 ハピネスは(しばら)()けた顔で固まっていたが、小さく吹き出す様に笑うとゆっくりと立ち上がる。

「ああ……はいはい。でもいいの?イチルギに怒られるんじゃないかい?」

「どうせ遅かれ早かれ起きることだ。なんか必要なものある?」

「いや……いい。この美貌(びぼう)とカリスマさえあれば朝飯前だ。それよりも、とっておきのご褒美(ほうび)を考えておいてくれ。ホバーハウスを奪われた傷心を(いや)すとびっきりのがいいな」

「はいはーい。じゃあ後は頼んだぞ、“先導(せんどう)審神者(さにわ)”様」

 ラルバはナハルとシスターを荷車へ押し込むと、ハピネスを一人残して再び(すさ)まじい速度で走り出した。あまりに突然の急加速に、ナハルが再びラルバを制止する。

「おっおい!!ラルバ!?」

「なんじゃおっぱい!!」

「あの女1人置いていっていいのか!?あいつ戦闘できないだろ!!」

「はっはっはー心配ご無用!!うちのハピネスを舐めちゃいかんよ〜。そんなことよりシスター君の心配してあげなよ。黒幕に出会って即死でもしたら、面白すぎて私笑い死ぬかもしれない」

 不謹慎(ふきんしん)なラルバの発言に鬼の形相(ぎょうそう)で睨むナハルを、後ろからシスターが袖を引いて止める。

「ナハル……私なら大丈夫です。大丈夫ですから……」

「シスター……」

「はいどおはいどお!!そこのけそこのけラルバが通るぞっ!!」

 

 

 

「……さて、と」

 ハピネスは未だ(もや)がかかる頭をゆっくりと左右に(かたむ)けてストレッチをする。そして敵意に満ち(あふ)れた男達へと目を向けた。住処(すみか)を荒らされた男達のうち1人が、鉄パイプをハピネスに突きつける。ハピネスは光が一切映らない(ひとみ)を天へ向けると、嘲笑(ちょうしょう)するように小さく微笑んだ。

「失敗したら、その時はその時だ」



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63話 貧すれば鈍する

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〜グリディアン神殿 夕暮れの市民街裏通り〜

 

「……さて、と」

 ハピネスは(いま)(もや)がかかる頭をゆっくりと左右に(かたむ)けてストレッチをする。そして敵意に満ち(あふ)れた男達へと目を向けた。住処(すみか)を荒らされた男達のうち1人が、鉄パイプをハピネスに突きつける。

「お、お前外国人だろ……ただじゃおかねぇぞ……!!今すぐにでもひん()いて全員で犯し――――」

「手より口を先に出す時点でレイプに向いてないよ」

 ハピネスの冷静な指摘が男を(ひる)ませる。

「全く……華奢(きゃしゃ)淑女(しゅくじょ)に向かって武器を突きつけるなんて、君らには良心ってものがないのかい?」

「ああ……?お前何わけわかんねぇこと言ってやがる……!」

「……ひょっとして“華奢”も“淑女”も意味理解してない?」

「悪りぃかよ!!」

「……いや、君達は悪くない。悪いのはこの国さ」

 ハピネスがニヤリと笑うと、男達はその不気味さに顔を(しか)める。

「満足に学問を(おさ)める場もない。周りは誰も助けない。汚くて危ない仕事を一日中やったところで、貰えるのは一日でなくなる小銭だけ」

 ハピネスは両手を広げて男達に近づき、集団の中心で歌うように演説をする。

「表を歩けば石を投げられ、路地で寝てればゴミをかけられ、恵まれた奴らが残した飯を、(あさ)って食らうクソの日々。一体私が何をした?これは一体なんの罰?」

 透き通るような声は男達の心を優しく貫き、その優雅(ゆうが)(たたず)まいは目線を釘付けにした。男達は無意識の内に構えていた武器も下げて、放心してハピネスの演説に聞き入っている。

「教えてあげるよ。君達はね、一般市民が受けるべき罰を受けているんだ」

「なっ何のために!!何で!!何で俺らなんだ!!」

「弱いからさ。立場が弱いから、その分立場が上の者が感じなければならない苦痛を、無条件に君達が背負わされている。君達は虫を食べるし、ゴミを漁るだろう。そのせいで君達より立場が下の鳥や犬達は、住処もご飯も(うば)われてひもじい思いをしているよ」

「知るかそんなの!!そんなの生きるために仕方ないだろ!!」

「そう、仕方ない。だって生きるためなんだ。可能な限り豊かに、安全に。でも腹が立たないかい?自分はこんなに頑張っているのに、今この路地を作っている家の中じゃ、子供が野菜を食べたくないと駄々をこねて排水口に捨てているんだ」

「……んなこと言われなくてもわかってる!!でも、俺達には何もできやしない……!!誰も助けちゃくれない……!!!」

「ほう、なぜ?」

「俺達男は女よりも弱い!!女の方が使奴の血が濃く出やすい……俺らは腕力でも魔力でも敵わない……!!数でも力でも負けたら、黙って従うしかないだろう!!声を上げるには人権が要る!!人権を得るには立場が要る!!立場を得るには金が要る!!金を……金を得るには、人権が……要るんだ……戦う力が……俺達には……ない……!!!」

 男が涙ながらに訴えると、周囲の男達も同情して(うつむ)く。しかし、そこへハピネスはまたしても飄々(ひょうひょう)とした態度で(あお)り始める。

「ふぅん。それは……違うね」

「……何だと?」

「君達は”戦えない“んじゃない。”戦いたくない“んだよ。傷つきたくない。面倒くさい。低い可能性に賭けたくない。だから戦わないんだ」

「なんっ……!!他人事なら幾らでも好き勝手言える!!何も知らない奴が知った口きくな!!」

「だってさっきも今も、私を襲わないじゃないか。敵わないから戦いたくない。敵う相手でも報復が来るかもしれないから戦いたくない。そうやって何かしらやらない理由を探して戦わないんだ。覚悟が決められないから足踏みが地団駄(じだんだ)に変わっていく。恥ずかしいねぇ。弱いねぇ」

「このっ……クソ女が……!!!」

 男達は苛立(いらだ)ちが限界に達し、再び武器を構えてハピネスににじり寄る。

「いいかい?戦う覚悟っていうのは、こうやって示すんだ」

 男が大きく鉄パイプを振りかぶる、そしてハピネスは大きく息を吸うと――――

 

 

 

「グドラのうんこたれーっっっ!!!」

 

 

 

 もし、目の前で突然自分の指を噛みちぎる者がいたら、周囲の人間はどう思うだろうか。もし突然全裸になって歌い踊り始めたら、もし突然地面を舐め奇声を上げ始めたら。ただそのどれを行ったとしても、ハピネスの蛮行(ばんこう)には及ばないであろう。

 笑顔の国が誇る最強の戦士達、笑顔の七人衆の1人“逆鱗(げきりん)グドラ”。世界で最も危険で、世界で最も理不尽な男。もしその名前を気安く呼ぼうものなら、すぐさま八方から銃弾が飛んでくるだろう。それはグドラの刺客(しかく)ではなく、グドラを恐れる無法者のよるものである。名前を呼ばれたことに激怒したグドラの八つ当たりを恐れるあまり、その名を声に出すだけで口封じのために殺される。この世で唯一その名を口にすることが禁忌(きんき)とされる男。

 その名を口にし、あまつさえ稚拙(ちせつ)な暴言を混ぜようものなら、問答無用でここら一帯の人間は全員八つ裂きにされても不思議ではない。そうしなければ次の瞬間に命を失うのは自分かもしれないのだから。ハピネスの気が狂ったとしか思えない蛮行の極みに男達は一瞬魂が抜け、その直後大慌てでハピネスに詰め寄りその口を塞ごうと手を伸ばす。しかしハピネスは力の抜けた男達の杜撰(ずさん)な突進を数歩下がって避ける。

「はっはっは。心配しなくとも、誰も襲って来やしないよ。この辺りには逃亡よりも殺害を選べる狂犬は住んでいない」

「ばばばばばば馬っ鹿野郎……!!!も、もしそそそそそうじゃなかっかかたら」

「そうじゃないことが分かっているからやっているのさ。いいかい?覚悟と無計画は違う。覚悟ってのは、必要な情報を揃え終わった最後に無意味な不安を拭い去ることだ。我々人間は完璧じゃない。どれだけ行かねばならぬと分かっていても、先の見えぬ暗闇には踏み出せない臆病者だ。その行くべき暗闇に一歩踏み出す勇気。それこそが覚悟だ」

 ハピネスは呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす男のうち、1人の首根っこをぐいっと引っ張る。その男に奇妙な微笑みを向けると、集団を横切り歩き出した。

「さあついて来な。”グリディアン神殿叛乱軍(はんらんぐん)参謀長(さんぼうちょう)カルゴロ“。こんなところでホームレスのフリする暇があったら、さっさと覚悟を決めろ」

 男達が驚いた顔で“カルゴロ”を見つめる。カルゴロは驚きと悔しさが入り混じった顔で(うつむ)いた後、駆け足でハピネスの後ろを追いかけ始めた。

 

〜グリディアン神殿 宵闇(よいやみ)のスラム街〜

 

 残忍な反社会組織と常識知らずの破落戸(ならずもの)(ひし)めき合うスラム街。ハピネスはその一角へと迷いなく歩き続ける。その後ろを市民街から着いてきた男達は、まるで迷子の幼児の様なおどおどとした挙動で忍び足を進める。そこへ、先程カルゴロと呼ばれた男がハピネスへ近づき、(なか)喧嘩腰(けんかごし)に小声で文句を言う。

「おい……!おい……!!どこ行くんだよ……!!これ以上は危険すぎる……!!!」

「覚悟を決めろと言っただろう参謀長。股間に生えた“汚茸(オタケ)”に脳味噌(のうみそ)まで吸われたか?」

「まだ何も分かっていないのに覚悟もクソもあるか……!!俺はみんなの身を案じて――――」

「情報ならあるだろう。お前達には進むしかないという情報がな。今まで毎日ゴミを漁り糞尿を()んでいて気付かなかったのか?まさか私よりも目の悪い奴がいるとは知らなかったな」

「私よりもって、お前まさか盲目(もうもく)か……!?」

「そんな目で見るな昼行燈(ひるあんどん)。お前よりよっぽど“見えてる”よ」

 そしてハピネスは真っ暗な路地を出て、宵闇を爛々(らんらん)と照らす街頭の真下へと足を踏み入れた。無論男達は自らの姿を(さら)す事を嫌って身を(ひそ)める。そんな男達を気にも留めず歩き続けるハピネスを、男達は助けを()うような眼差しで見つめる。

 ハピネスはそのまま歩みを進め、少し離れたところで建物の見張りをしていた女性に話しかける。

「ちょっくら中を見させて貰うよ」

「は、はあ?ダメに決まってるだろ!!……ってお前は!!」

 見張りの女はハピネスの顔を見るなりギョッとする。

「昨日はどうも。ダメならもう一度ラルバを呼んでこようか?」

「いっいやっ!!結構だ!!」

 見張りの女は、昨日スラム街でラルバが起こした惨事(さんじ)を思い出し一歩下がる。ハピネスは満足そうに笑うと、(いま)だ物陰に身を潜めている男達に向かって手招(てまね)きをする。

「お〜い!!いつまでもそんな所にいないで、さっさと来い!!」

 男達は自分達の存在を見張りに知られた事に恐怖したが、見張りの女が顔を(そむ)けたまま微動だにしていないのを確認すると、恐る恐る明かりのもとに()い出て建物へと駆け寄る。

「遅いぞ全く。ほら、入った入った」

 ハピネスが男達を建物の中へと押し込み最後尾につこうとすると、見張りの女がハピネスの肩を叩く。

「……おい。今の“オタケ”共はなんだ?お前何をするつもりだ?」

 するとハピネスは数秒硬直した後、不気味に満面の笑みを作ってみせた。見張りの女は得体の知れぬ恐怖を感じ、半歩下がる。

「そうだね……見張り君。ボスは死んだ。てことは、君が何かしでかしたときの処遇(しょぐう)は親分さんに一任されているわけだが……その親分さんも今はラルバを恐れて引き()もっている。つまり君を(しば)(くさり)(ゆる)み切っているわけだ」

「……何が言いたい?」

「君は男と女。どっちに着く?」

 その言葉に、見張りの女は一瞬嘲笑(ちょうしょう)にも似た疑問が浮かんだが、ハピネスの不気味な笑みに重苦しい生々しさを感じ背を向ける。

「一択だと思っているなら考え直したほうがいい。死にたくなければね」

 そう言ってハピネスは見張りの女を置き去りに建物へと姿を消した。

 

〜グリディアン神殿 自警団“光嵐(こうらん)の会“武器庫〜

 

 3階建ての煉瓦倉庫(れんがそうこ)には所狭しと重火器が並べられており、辺り一体に真新しい木箱や油の臭いが充満している。男達は(なか)ば興奮気味に辺りを見回し、近くにあったマシンガンを恐る恐る手に取る。

「し、すげぇ……これ全部本物――――」

「ダララララララララッ!!!」

「うぎゃぁあ!!!」

 マシンガンを手にした直後、後ろからハピネスが大声を上げて男をビビらせる。

「な、何すんだ!!つーかバレたらどうするっ……!!!」

「あっはっは。ここまでバレずに来れたのは誰のおかげだと思っているんだい?そんな簡単にバレるものか」

 ハピネスは積み重なった木箱の(ふた)をずらし、中にあった拳銃(けんじゅう)に弾を込め始める。

「これだけ貰って行くね。あとは好きにしたらいい……これ反動大きそうだな。やっぱ別のにしよう」

 すると1人が小さな拳銃をハピネスへ手渡す。

「初心者ならコレを(すす)める」

「おや、カルゴロ。どう?覚悟はできた?」

 叛乱軍参謀長のカルゴロは、辺りを見回した後ゆっくりと(うなず)いた。

「ああ。これだけの武器があれば今月……いや、来週にでも叛乱を起こせる。本当に感謝する」

「馬鹿だね」

 カルゴロがハピネスの方を向くと、先程渡した銃を自分に向け構えているハピネスと目があった。

「今月?来週?何を悠長(ゆうちょう)な事を言っているんだか。今以外に叛乱の機会などない」

「なっ何を無茶な事を……!いいか!?ここにいるのは私以外ただのホームレスだ!銃の(あつか)いどころかこの国の地図だって知らないんだぞ!」

「だから?そもそも君達、これだけの武器をどうやって外に持ち出そうと思ってるの?」

「1人が可能な限り装備して……」

「悠長。バーゲンセールに来てるんじゃないんだよ?あ、ホームレスにバーゲンセールとか言うの、結構なブラックジョークだったね。ごめんごめん」

 ハピネスはゆっくりと立ち上がり、突然銃を天井に向けて発砲した。

「あちゃー。外した。そりゃそうか」

 弾痕(だんこん)の横には、黒いひび割れのような隙間が空いており、それを見たカルゴロは背筋を凍らせた。

「かっ監視カメラ……!?」

「あるに決まっているだろう。ラルバ……諸事情により、今はそこまで厳重な警備ではないだろうが、あと30分もすれば倉庫の持ち主が駆けつけるだろうね」

「ぜっ……全員武器を!!」

 カルゴロの合図で男達は(あわ)てて武器を取る。しかし、初めて触った武器の使い方など当然分かるはずもなく、弾倉が空のままのマシンガンを入り口に向けてガチガチと歯を打ち鳴らす。

「あっはっは。そのまま打つと多分鼻の骨折れるよ。ていうか弾入ってないよ」

 ハピネスの嘲笑は男達の動揺(どうよう)()き消され、武器庫には焦燥(しょうそう)と混乱が交錯(こうさく)する。そんな慌てふためく男達に向け、ハピネスは大きく溜息を吐いて俯く。

「はぁ〜あ。分かってたけど、これは見事な烏合(うごう)(しゅう)だね」

 ハピネスが小走りで階段を登り、全員の視界に入る場所で手を叩く。

「はぁーい静かにぃー!」

 すると男達は一瞬で(しず)まり、懇願(こんがん)するような青褪(あおざ)めた眼差しでハピネスの方を向く。

「……意外に統率(とうそつ)が取れる。これはびっくり」

 (つぶや)きに対して男のうち1人が声を上げる。

「こっこれからどうしたらいい!?まさか戦うんじゃないだろうな!!」

「はっ!弱い奴らは正面突破しか頭にないのかね。お前達雑魚(ざこ)が反社組織相手に勝てるはずないだろう」

「じゃ、じゃあどうしたら!!」

「各自銃と弾を3丁分、手投げ弾を5個だけ持ったら裏口から走って逃げろ」

 カルゴロが階段の下でハピネスに向かって叫ぶ。

「その後はどうする!!彼等は地図も何も――――」

「君がなんとかするんだよ。参謀長」

 ハピネスはカルゴロを指差す。

「ここに火でも放てばいいじゃないか。ここは”光嵐の会“の武器倉庫。そこが燃えてたら、君らを探すどころじゃないだろうよ」

「火を、放つ……!?」

 未だ状況を理解できていないカルゴロに、ハピネスは頭を抱えて天を仰ぐ。

「君参謀なんだからもう少し頑張りなよ……光嵐の会の武器を根刮(ねこそ)ぎ燃やす。まあ他にも武器倉庫はあるけど……そんな”おいしい瞬間“、他の勢力が見逃すはずがないでしょうよ」

 カルゴロは(ようや)く理解が追いつき、口元に手を当て思考を(めぐ)らせる。

「そうか……!!”土竜叩(もぐらたた)き“は間違いなくこれを機に“光嵐の会”を襲撃するし、漁夫の利を狙って”ゲッコー団“も……“バリジニア一家”も来るかも知れない……!そも“光嵐の会”が一目散に逃げる可能性だってある……!!」

 ブツブツと独り言を(こぼ)し始めると、ハピネスは「やっとか」と呟いて階段を降り、カルゴロに目線を合わせる。

「平和ボケは治ったかい?参謀長」

 カルゴロは、今までとは違う決意に満ち溢れた眼差しをハピネスへ向ける。

「ああ、お陰様で。漸く覚悟が決まった。感謝する」

「そう。じゃ、私はこれにて……」

 ハピネスは手を振って正面入り口へと歩き出す。

「ま、待ってくれ!最後に!」

 カルゴロがハピネスを呼び止めると、ハピネスはピタリと歩みを止める。

「あんた……一体何者なんだ!?」

 そしてハピネスは、言いたくて仕方なかったという高揚(こうよう)に満ちた表情を必死に(おさ)え、カルゴロ達へ振り向く。

「……笑顔による文明保安教会“先導(せんどう)審神者(さにわ)”ハピネス・れっしぇん……ハピネス・レッセンベルク」

 そのままハピネスはカルゴロ達の表情を確認する事なく、足早にその場を後にした。

「…………クソッ。ちょっと噛んだ……」



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64話 理想と安寧の連累

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〜グリディアン神殿 夕暮れのスラム街 (ラルバサイド)〜

 

 ハピネスを市街地に降ろした後、ラルバの引く荷車はまたしても辺りを破壊しながら強引に目的地へと突き進んでいた。

 何度声をかけても耳を貸さないラルバの説得を(あきら)めたナハルは、シスターに防御魔法をかけて激しく揺れる荷車から防護している。

「大丈夫ですか?シスター……」

「だ、大丈夫です……ナハル。心配入りませんよ」

 そう言ってシスターは優しく微笑(ほほえ)んで見せるが、車輪が地面を離れ盛大に着地する度に顔を苦しそうに(ゆが)める。ナハルはラルバを恨めしそうな眼差しで()みつけるが、当の本人はどこ吹く風で爆走を続ける。

「わぁ〜たしはかぁ〜ぜ〜のぉ〜ふぅらい〜ぼぉ〜あらよっとぉ!!」

「あの角野郎……降りたらぶん殴ってやる……」

 ナハルの小さな独り言は真横のシスターの耳にすら届かず、けたたましい走行音に()き消されていく。

 

宵闇(よいやみ)のスラム街 私営保健所”イキイキあんしんセンター“〜

 

「はいとうちゃ〜く!!」

 突然急停止した荷車。その目の前には()ち果てたコンクリートの診療所が、今にも(くず)れそうな様相で(たたず)んでいる。意気揚々(いきようよう)と扉を蹴破(けやぶ)るラルバの後ろで、シスターは落胆(らくたん)憤怒(ふんぬ)が入り混じった表情で診療所を見上げる。それを心配そうに見つめるナハルが、看護服の(すそ)をぎゅっと握りしめる。

「んあ?どったの?入らないなら置いてくよ?」

 ラルバが振り返ると、シスターは一度だけ深呼吸をして前を向く。

「……いえ。すぐ行きます」

「なーんか不満そうだねぇシスタん」

「ここは……貧民街の心の()り所でした」

 シスターは診療所に足を踏み入れ、ゆっくりと辺りを見回す。薄汚くはあるが、適度に掃除されていることが(うかが)える。

「私も2回ほど来ました。出生報告を聞きに(おとず)れた女性達の喜びと悔恨(かいこん)……生まれた子が女の子であれば涙を流して喜び……男の子であれば自らの腹を殴りつけてまで怒り、悲しみ……中には男児の引き取り給付金を当てにして旅行や買い物の計画を立てている方もいました」

「うげぇー冒涜的(ぼうとくてき)だねぇ」

「この国では普通のことです。私も最初はこの文化を忌避(きひ)していましたが……それでも、男児と分かっても大事な我が子だと引き取る方も大勢いました。決して幸せな道は歩めないと分かっていながらも、自らの子を愛さずにはいられない……自分の勝手な母性で引き取ってしまったと、何度も何度も我が子に(あやま)り続ける母親が……大勢……そこには、確かな母の愛がありました……」

 シスターは受付の名簿(めいぼ)を手に取り、名前を一つ一つゆっくりの指でなぞる。指先は次第に震えて、その振動はやがて腕と肩を伝っていく。

「ここに来る女性達は……(ほとん)どの人が……我が子と初めて出会う大切な場所なんです……!!ここが……寄りにもよって……!!ここが、地下街への入り口だなんて……!!!」

 肩を震わせ(うずくま)るシスターの背中を、ナハルが優しく()でる。しかしラルバは待合室の机の上で胡座(あぐら)をかき、魔袋(またい)から取り出した干し肉を(さかな)晩酌(ばんしゃく)を始めていた。

「ん〜……その話長くなる?早く進みたいんだけど、置いてっていい?」

 馬鹿にするようなラルバの態度に(しび)れを切らしたナハルが立ち上がると、その(すそ)を引いてシスターが顔を上げる。

「いけませんナハル。私なら大丈夫です。進みましょう」

「シスター……」

 涙を()いて立ち上がるシスターと、ワインボトルを(あお)りながら歩き出すラルバ。その後ろを、ナハルは下唇を噛み締めながら追いかけた。

 

 事務室奥の扉をこじ開け、1人分の細い通路を降り地下へと進む3人。シミだらけのコンクリートはやがて土壁になり、階段も段々と丸太を並べただけのものに変わっていった。

「シスター。手を」

「ありがとうナハル」

 泥濘(ぬかる)み狭くなっていく階段を、一歩づつ歩く2人。最下層に辿り着いた時には、先に到着していたラルバが1人の若い男を尋問(じんもん)している最中だった。

「うりうり、喋らないとこの針金を鼻から入れて目から出しちゃうぞ」

「うう〜っ!!うう〜っ!!」

 ギョッとしたナハルは大慌(おおあわ)てで駆け寄り若い男からラルバを引き()がす。

「や、やめないか!!」

「あ、死ぬよ」

「え?」

 ラルバの(つぶや)きに、ナハルは若い男の方へと振り返る。振り向いたナハルの眼前にあてがわれた若い男の(てのひら)からは奇妙な魔法陣が浮かび上がっており、今まさに攻撃が行われる寸前であった。シスターがナハルに()け寄るよりも早くラルバが動き、ナハルの首を無理やり後ろへ(かたむ)ける。

「うぎっ……!?」

 若い男の放った光弾はナハルの鼻先を(かす)めて天井へ衝突(しょうとつ)し、一瞬でドス黒い紫色の樹木に変化した。

 その直後、ラルバが若い男の顔面に蹴りを喰らわせ昏倒(こんとう)させる。しかし若い男はすぐさま立ち上がり、白目を()いたまま手をラルバの方へ(かざ)す。

「む、そうくるか」

 ラルバは再び放たれた光弾をジャンプして(かわ)すと、若い男目掛けて指を差す。すると若い男は拘束魔法によって真っ白な鎖に閉じ込められ動かなくなった。

「魔法は出来るだけ使いたくないんだけどな〜」

 シスターはナハルへ駆け寄り、心配そうにナハルの首を(さす)る。

「ナハル……首は大丈夫ですか?」

「ええ……大丈夫です。おいラルバ!!あれはどういうことだ!?」

「へ?どうって何が?」

 詰め寄るナハルにキョトンとして生返事をするラルバ。

「あの魔法はなんだ!?それにあの男の挙動……明らかに意識がなかった!」

 ラルバはシスターの方をチラリと見ると、不満そうに溜息を吐いた。

「ああ……あれは旧文明の魔法だよ。あれ、おたくら旧文明についてはどの辺まで知ってるの?」

 シスターが小さく首を振る。

「旧文明と(しょう)される事柄については何も……ぼんやりと、大昔に戦争があったことくらいしか……」

 ラルバは面倒くさそうに唸り声を上げると、ナハルを睨んでから愚痴(ぐち)(こぼ)す。

「はぁ〜全部言わなきゃダメか……めんどくさ〜」

 そしてシスターに目を向け、吐き捨てるように呟く。

「結論から言う。ここにいる人間、誰1人として助けることは諦めろ」

 ラルバのいつになく真面目な恫喝(どうかつ)にシスターは一瞬(ひる)むが、毅然(きぜん)とした態度をなんとか保ちつつラルバと対峙(たいじ)する。

「なっ……何故ですか。見捨てるには、あまりに判断が早すぎます」

「いいや遅すぎるくらいだ。ここの連中全員、旧文明の残党の手下だ。さあて何から話したものか……言っておくが、何を聞いても(うたが)うなよ。証明できないからな。勝手に話すだけ話してやるから、信じるも信じないも勝手にしろ」

 この“グリディアン神殿”を(むしば)む事の顛末(てんまつ)を、使奴の(すさ)まじい演算能力で推察したラルバ。そして、不運にも彼女と遭遇(そうぐう)してしまった純真無垢(じゅんしんむく)魔導外科医(まどうげかい)シスター。彼の理想を今、冷酷な現実主義者が非常にもへし折り始める。一方その頃……

 

 

 

〜グリディアン神殿 宵闇のスラム街 (ハザクラ・ラデック・ラプーサイド)〜

 

 (おぞ)ましい異形の神”(たましい)(ひつぎ)“こと、使奴研究員”ホガホガ“から逃げ出したハザクラ達は、(さいわ)いにも男性を擁護(ようご)している立場のコミュニティと接触し、その拠点(きょてん)へと(まね)かれていた。

「はぃどぅぞぉ〜」

 腰を90度に曲げた老婆がハザクラ達の元へコーヒーを持ってくる。

「どうもありがとう」

 ハザクラは老婆に会釈(えしゃく)をしてコーヒーを受け取る。

「ぃんやぁ大変でしたなぁ。すまねなぁこん国は昔っ……からこうでねぇ」

 老婆が指し示すように振り返る。辺りにはハザクラ達以外にも数人の男女がおり、いずれもいたる所に怪我を負っている。

「男の味方すんのも敵だっつって……警察や軍も見て見ぬふりだて」

 ハザクラはコーヒーを一口(すす)り、目を伏せる。

「そうですか……つかぬことをお伺いしますが、この国の地下のことについて」

「地下?地下っつーと……氷室(ひむろ)んことかぃ?」

 老婆のキョトンとした顔を見て、ハザクラはラデックの方を向き顔を左右に振る。地下街で見た装飾品や服装。それらはグリディアン神殿の文化とはかけ離れており、恐らく秘匿(ひとく)された空間ではないかというハザクラ達の推測は的中していた。

 その後聞き込みを続けるも地下街について知るものは居らず、代わりにスラム街へ突如(とつじょ)として現れた“紫の髪に赤い角の大女”の(うわさ)を聞いた。まるで英雄のように悪党を()ぎ倒していく様を上機嫌に話す者達を見て、ハザクラは頭を(かか)項垂(うなだ)れた。

 その直後、突然爆発音を(ともな)う地響きがハザクラ達を(おそ)った。住民が取り乱す中、ハザクラはすぐ様窓から外壁によじ登り、電柱を駆け上がって音の方角に目を向ける。すると遠くに橙色(だいだいいろ)の灯りと、その中心から立ち込める黒煙が(かす)かに見てとれた。ハザクラは顔を(しか)めて電柱から飛び降り、戻って先程の老婆へ駆け寄る。

「あちらの方角。何か爆発する物を保管している場所はありますか?」

「あ、あああっちかい?ああああっちは……え、えーと……」

「ぱっと見ですが、燃えているのは3階建ての煉瓦造(れんがづく)りの建物。その隣には 2階建ての青いトタン屋根。反対側には2階建ての黒っぽい煉瓦造りの建物で、屋上に大きな貯水槽(ちょすいそう)がありました」

「あ、ああっ!!じゃああれだ!!あっと……こ、“光嵐(こうらん)の会”の管理してる建物だよっ!!この辺の自警団だが……中身はドクズのチンピラさぁ……!!」

 狼狽(うろた)えながら舌を回す老婆に、ハザクラは会釈をして立ち去る。

「どうもありがとう。ラデック!!ラデックどこだ!!」

 ハザクラが呼びかけると、奥の通路からラデックが焼き飯を頬張(ほおば)りながら駆け寄る。

「ハザクラ!!た、大変だ!!ここの焼き飯めちゃくちゃ辛い!!」

「近くの武装勢力の拠点が爆発した!!直に暴動が起こるぞ!!」

「肉も魚も全部辛いんだ!こんなことなら地下の飯を食べておくんだった……!!」

「ラプー!全員を安全な場所へ!!」

「んあ」

「ハザクラ水持ってないか!?俺の手持ちの飲み物(ほとん)ど焼き飯に合わない……水か牛乳が欲しい……」

 ハザクラの警告通り、武器庫の爆発を境に四方八方から大勢の武装勢力が姿を表し、方々で激突することとなった。1時間と経たずに宵闇のスラム街は戦火によって昼間のように明るく、真夜中の静けさはけたたましい重火器の発砲音と悲鳴混じりの雄叫(おたけ)びに塗り潰された。

 

 その様子を遥か遠くから眺める人物が1人――――

 ハピネスは喧騒を背に暗闇の路地裏を進んでいく。

「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆(あほう)……同じ阿呆(あほう)にはなりたくないね」

 鼻歌混じりに魔袋(またい)からコニャックを取り出し、盲目者とは思えぬ軽い足取りで大きく(びん)(かたむ)ける。

「うぇっ……度数強っ」

 暴動を起こした陰の主犯は嘔気(おうき)(はら)みながらフラフラと街角へ姿を消した。

 

 

 

〜グリディアン神殿 地下街 (ラルバサイド)〜

 

 200年前の文明。それによる大戦争。使奴研究所。想像を絶する余りに無茶苦茶な話に、シスターは自分が(だま)されている可能性を考えた。しかし最初にラルバが言った「証明ができないから疑うな」という発言を思い出し、再び思考を泥の海へと沈める。

「――――とまあ昔話はこれぐらいかな。で、本題に入るが……この国の男性差別について、“男を嫌った”のではなく“男を欲した”結果だと言ったのを覚えているか?」

 ラルバはシスターの混乱などお構いなしに話し続ける。

「まずこのグリディアン教だが……旧文明にあった宗教に形式が酷似(こくじ)している。多分丸パクリだな。相違している部分といえば、“男”に関する部分だ。旧文明は全体的に男尊女卑(だんそんじょひ)の文化だったからな。まず男性の権威(けんい)(おとし)めるような宗教は存在し得ない。故に、グリディアン教が大戦争を(さかい)に意図して作られた宗教であることは間違いない。問題は誰が作ったかだが……まずマンパワーを欲している時点で使奴の可能性は薄い。そしてさっきの男が使っていた黒い樹の魔法だが、あれは旧文明の中でも高度な複合魔法だ。到底今の技術では辿(たど)り着けん。あのレベルの魔法を現代人にも伝える技術を持っていると言うことは相当な技術者……まあ使奴研究員だろうな。そしてその使奴研究員は奴隷を作り出せる異能を有しており、200年もの間延命し続けてグリディアン神殿の陰の支配者であり続けている……とまあこんな所かな。以上が私の知っていることと推測。あんまり長話してられないし、質問は全却下ね」

 言うだけ言うとラルバは壁に耳をつけ、(しばら)く耳を()ませた後「あっち!」と指差し確認をして歩き始める。シスターも目を伏せたままではあるが、ラルバの後をゆっくりと追い始める。心配したナハルがシスターの顔を覗き声をかけようとするが、シスターが無言のまま掌を突きつけて制止させる。

「シスター……」

 ナハルが呟くと、シスターは独り言のようにぽつりぽつりと言葉を落とす。

「…………ナハル。ナハルはこういう時、どうしますか?」

「え?」

「自分が到底信じられない現実と直面した時、相手の言うことを全く信用できない時、その言葉が真実であると信じなければならない時……どうしますか?」

 ナハルは少し躊躇(ためら)った後、申し訳なさそうに口を開く。

「……進めば分かることです。シスター、私が……私が付いています」

 シスターはナハルを見上げ、再び目を伏せる。

「ありがとう。ナハル……」

 しかしシスターの頭には未だ暗雲が立ち込めており、軽快な足取りのラルバとの距離はどんどん離れていく。それでもシスターは、泥濘(ぬかる)みに()まったかのように重い足取りをなんとか引き()り歩みを進め続けた。

 

 暫く進むと、侵入を察知した男達が襲いかかってきた。しかしラルバはこれを(ほこり)を払うように一蹴し、通路の端に転がす。そしてシスターが治療しようと駆け寄る度にラルバは制止させ「無駄だ」と睨みつけてきた。ラルバの言う通り、男達はシスターが近づくだけで手をこちらに向け魔法を放ってくる。

 魔導外科医という人を救わねばならない立場であるにも(かかわ)らず、救える命を見捨てなければならない状況にシスターは酷く胸を痛めた。しかし、泣こうが(わめ)こうがこの現実を受け入れる他なく、シスターは死刑囚のように放心した表情で現実に見切りをつけた。

 そうしていくうちに、ラルバは巨大な扉の前でピタリと足を止める。

「着いたよ」

 そしてシスターとナハルの方へ振り返り、(わざ)とらしくお辞儀をして扉の脇に立つ。

「それではお客様……どうぞごゆっくり。命の保証はないけどね」

「……ありがとう……ございます」

 シスターはラルバにお辞儀(じぎ)をして扉の前に立つ。黄土色の石壁に真っ赤な絨毯(じゅうたん)。像が通れるほど大きな扉には大きく“(たましい)(ひつぎ)”と刻まれている。シスターはゆっくりと深呼吸をして、決意したように扉に手を掛ける。そこへナハルが後ろから手を重ね、シスターと目を合わせる。

「私が付いています。シスター」

「……はい。ありがとう。ナハル」

 

 扉を開けると、中は(きら)びやかな王室のような内装になっていた。しかし中央の真っ赤な天蓋(てんがい)カーテンのかかった巨大なベッド。その上に(うずくま)る真っ白の巨大な肉塊(にくかい)が、部屋の上品さをそのまま不気味さへと塗り替えていた。

『だ、だぁれ……?』 

 肉塊が女性の声を(こぼ)す。そこでシスターは初めてこの肉塊が人間であるという事実に気がつき、全身の毛が逆立つのを感じた。

「っ……私は、魔導外科医をさせていただいております。シスターと申します。そしてこちらは助手のナハル」

 ナハルは何も言わずに肉塊を睨み続ける。肉塊は自己紹介にもぞもぞと身体を(うごめ)かして反応し、ゆっくりと体長を上へ伸ばし始める。今まで(うずくま)っていたのか、肉塊の奥から黒い毛の束が付いた部位が持ち上がり、次第に人間に近いシルエットを持つ。そして今までシスターが見ていた姿は、(うずくま)った肉塊の背中であったことが判明した。

『わだ、私は“グリディアン”……よく来たわね……あなだだち……』

 肉塊はゆっくりとこちらへ顔を向ける。顔中に(ひる)が寄生しているのではないかと思うような悍ましい相貌(そうぼう)。よく見れば、全身は身動きが取れないほどの贅肉(ぜいにく)(おお)われており、それ以上に肥大した皮膚(ひふ)幾重(いくえ)にも段差を作り、グリディアンの一挙一動に合わせて揺れ動いている。

 シスターは込み上げる嘔気を必死に(こら)え、真剣な表情で問いかける。

「グリディアン……あなたは、言わばこの国の……グリディアン神殿の創造主……ですね?」

 グリディアンは世にも恐ろしい笑顔を浮かべ、目を細める。

『そう……私が“魂の柩”となって……この国を守っているの……』

「ならば問います。一体……何のために“ザルバスを……今までの為政者(いせいしゃ)を操っていたのか”を……!!!」

 グリディアンが一瞬身を強張(こわば)らせる。

「今までの政策は全て国民を(おとし)め破滅へ向かわせる悪政です……!!!あなたは……あなたは自分が何をしたかを分かって――――」

『しがだないのよっ!!!』

 グリディアンの砲撃のような怒号が部屋を揺らし、シャンデリラの電球を破壊した。部屋は(またた)く間に暗闇に飲まれるが、シスターは咄嗟(とっさ)に炎魔法で明かりを(とも)す。

『わだしだってこんなごとしたくないわぁ……人の悲しみ……憎しみ……それは痛いほどよぐ分かる……』

 暗闇の先で(うごめ)く肉塊は、言葉を(こぼ)しながらもぞもぞと身動(みじろ)ぎをする。

『でもしがだないことなの……分かってちょうだい……?』

 そしてその巨体を一瞬痙攣(けいれん)させたかと思うと、眩暈(めまい)がするほどの波導(はどう)が突風のようにシスターを襲い、手元の炎魔法は掻き消されてしまう。

『だって……』

 再びシスターが明かりを灯すと――――

『だって男の子ってこんなに可愛いんですもの』

 視界を埋め尽くすほど近くに、グリディアンの顔があった。

「ひっ――――」

 ナハルもシスターを助けようと足を踏み出してはいたが一歩出遅れる。そしてそのままグリディアンはシスターを抱き締めるように腕を――――

『びゃっ――――――――っ!!!』

 (うめ)くような悲鳴と共にグリディアンの半身が吹き飛んだ。いや、正確には“ひび割れ、裏返った”。

「お客さぁん。ウチ、お触りはNGなんですよねぇ」

 声の主の方を見て、全員が現状の変化に気がついた。見渡す限りの満天の星々に、地面を埋め尽くす石畳(いしだたみ)。そして、無邪気な笑みを浮かべる使奴が一人。

「シスター!ナハル!お前らもう寝てていいぞ。こっから先は、スーパーヒーローラルバ様の独擅場(どくせんじょう)だ!!!」



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65話 大魔王”ホガホガ“

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


〜グリディアン神殿 地下街 (ラルバサイド)〜

 

「お客さぁん。ウチ、お触りはNGなんですよねぇ」

 声の主の方を見て、全員が現状の変化に気がついた。いつの間にか豪華な大部屋は見渡す限りの満天の星々に、地面を埋め尽くす石畳(いしだたみ)が広がる世界に変貌(へんぼう)していた。そして、この虚構拡張の術者であると思われる無邪気な笑みを浮かべた使奴が一人。

「シスター!ナハル!お前らもう寝てていいぞ。こっから先は、スーパーヒーローラルバ様の独擅場(どくせんじょう)だ!!!」

 グリディアンはその巨体を震わせ、片腕のみでなんとか上半身を起こす。

『うぐ……ぐぐぅ……!!』

 言うことを聞かない片腕を見ると、片腕と片足が脇腹ごと削り取られていることに気がついた。虚構拡張のちょうど境界線にいたグリディアンは、その半身近くを寸断されて臓物を地面に落としている。何が起こったのかを理解できず狼狽(うろた)えるグリディアンに、ラルバが悪戯(いたずら)っぽく笑顔を浮かべながら近寄る。

「んひひぃ〜馬鹿だねぇ。実に頭が悪い」

『なっ……治れっ!!!』

 グリディアンは回復魔法をかけながら異能を使い、治療を(こころ)みる。回復魔法の発動と同時に千切(ちぎ)れた半身は(すさ)まじい修復を始めるが、ラルバの飛び蹴りによって中断される。

『ぐがっ……!!』

「もういっぱぁつ!!」

 ラルバがムーンサルトキックを浴びせると、グリディアンは自らの舌を噛み切断してしまった。

『あえっ……!!!うあえええええええあああああああああっ!!!』

「あーらら、可哀想に」

 痛みに(もだ)えるグリディアン。あまりの激痛に残った片腕と片足をバタバタと振り回すが、その腕は空を切り当然ラルバには届かない。

 そこへ、ラルバが突きつけるように冷たく言い放つ。

「お前の異能は洗脳のメインギアと同じ、無理往生(むりおうじょう)の異能だな」

 その言葉にグリディアンは悪足掻(わるあが)きをやめ、眼だけをラルバに向け息を荒げる。

「ザルバスを傀儡(かいらい)にしたのもそうだが……あの(あやつ)られた男達を見て確信した。あんな複雑な魔法なのに、魔法式の組み方が異常なまでに丁寧(ていねい)だ。普通格上の侵略者に(おそ)われたらあんな正確な組み方はせん。多少式が崩れたって魔法自体の質はそう変わらないんだから意味がない……と言うより本能的に不可能だ。命の危機に直面しても機械のような正確さを保ち続けるなんて芸当、異能による命令でも受けていない限りありえん」

 ラルバは倒れ込むグリディアンにゆっくりと歩み寄る。

「そして何よりこの国の歴史。大戦争から200年以上もの間、この“グリディアン教”という教えに基づいて生きてきたそうだが……”大戦争から“と言うことは、首謀者は無理往生の異能の応用方法を知っていたことになる。細かく言えば、何千人という莫大(ばくだい)な人数をも異能で正確に制御出来ることを知っていた……この前提がなければ建国など夢の又夢だからな。そしてお前は大戦争終結直前から間髪(かんはつ)入れずにグリディアン教の流布(るふ)を始めた。お前は自分の異能がどこまで(およ)ぶか既に知っていたんだ。洗脳のメインギアという前例を見ていたからな」

 グリディアンは既に痛みを感じていなかった。それは損傷による神経の麻痺ではなく、未知の恐怖による呪縛(じゅばく)に近いものであった。

『ううううっ……!!!ぶびゅじゅっこおひへああああ……!!!』

「あん?なんだって?」

 舌先を噛み切ってしまったグリディアンの恨み節に、ラルバはあざとく耳に手を当てて(かたむ)ける。ラルバの視線が自分から外れた瞬間、グリディアンは残った片足で大きく跳躍(ちょうやく)しラルバへと殴りかかった。

 ラルバによる推理は正しかった。グリディアンの異能はハザクラと全く同じ“承諾“をトリガーとした無理往生の異能で、当然自己暗示による自身の強化も行える。グリディアンは自己暗示を常に行っており、舌が切断され発言が行えなくなった今も強化は続いている。ハザクラという生身の人間でさえ使奴並の膂力(りょりょく)を得られる自己強化。それを既に使奴細胞を得ているグリディアンが使った場合、その身体能力は計り知れない。

「あらよっと」

 しかし、そんなグリディアンの一撃をラルバはいとも容易(たやす)く避けて見せた。

「んひひ。いやあ実に頭が悪いねぇ」

 グリディアンは着地に失敗するが、すぐ様振り向き片腕を振り回す。3m近い巨体から繰り出される大振りの連打は音速を超え、マシンガンの発砲音に酷似(こくじ)した衝撃波を発する。

 しかしラルバは防御魔法と身のこなしで全て(かわ)し、顔面に蹴りを入れて再びグリディアンを吹き飛ばす。

『ぐぇがっ!!!……あんえ(なんで)……あんえ(なんで)っ……!!!』

「んふふ〜なんでって?なんで避けられるんだ〜!って感じ?何でだろうねぇおかしいねぇ」

 ラルバは上半身を左右へ傾けグリディアンを(おあ)る。

「なんでかな?なんでかな?それはね、お前が馬鹿だからだよ」

 その言葉にグリディアンは頭に血が上り、再び地面を蹴って突進を繰り出した。人間どころか使奴の目を()ってしても追えぬ速度の突進。しかしラルバは身を(ひるがえ)してこれを避ける。再び姿勢を崩して倒れこむグリディアン。そこへラルバは再び煽るように言葉を投げつける。

「我々使奴の強さは身体能力よりもこの頭脳にある。お前達使奴研究員が苦労して詰め込んだ理想の性奴隷になるための知識と、使奴細胞により生み出される無限に近い波導(はどう)を原動力とした思考能力。この二つが合わさって初めて人智を超えた戦闘能力を得る。でもお前は元人間だろう?当然知識なんかろくすっぽない愚痴無知(ぐちむち)だ。それに加えて、使奴が脱走したことが発覚した現在でもこんなハリボテの理想郷で虚栄(きょえい)(かま)ける朴念仁(ぼくねんじん)だ。くくく……折角使奴の肉体を得たのに脳みその使い方も碌に知らんとは。人間だった頃から蒙昧(もうまい)であった証拠だ。そんな俗物(ぞくぶつ)の考えを予測することなど造作もない。速さというのは、予測できないからこそ脅威(きょうい)になるのだ。予測できているなら(あらかじ)め避けるだけ。避けられないなら防ぐだけだ。簡単なフェイントも使えぬ見抜けぬお前に、拳の握り方も知らぬお前に、波導(はどう)の読み方一つ知らぬお前に、馬鹿で間抜けでブスでデブで研究員時代だって一つも成果を上げられない万年ドベで陰湿で何の取り柄もない生きていること自体が害悪そのものの浅薄愚劣(せんぱくぐれつ)なお前に不覚を取るなど、万に一つも億に一つも兆に一つも京に一つもない!!」

 仁王立ちで(まく)し立てるラルバに、グリディアンは(うつむ)いたまま力の限り地面を引っ()いて押し黙る。自らの(みじ)めな研究員時代を思い出し、情けなさで目に涙を溜め始めた。

 

「これやっとけブス。あと昨日の書類早くしろよ。ホント使えねーな」

「ボーッと突っ立ってんじゃねーよ!邪魔くせぇなもう!」

「うわあ!“ホガホガ”だぁ!逃げろぉ!」

「触らないでもらえます?汚いんで。あと近づかないでください」

「うわっ……“ホガホガ”じゃん。最悪……」

「こっち寄んなよデブ!臭いんだよ!!」

「おい“ホガホガ”」

「“ホガホガ”これやっとけ。早く」

「“ホガホガ”じゃん。あっちいけよ」

「“ホガホガ”」

「“ホガホガ”」

「“ホガホガ”」

 

 使奴細胞と自己暗示で強化されたグリディアンの爪は地面を(えぐ)り続け、次第に音を立てて()がれ始める。

 ラルバは虚構拡張を解除し部屋を元の豪華な王室に戻した後、グリディアンの方を向いて首を鳴らす。

「さあてどう(いじ)めてやろっかなー!肉体的なアレよりも精神的に()らしめたい気分だなぁ」

『……あい』

「え?なに?」

 何かを呟いたグリディアンにラルバは腰を曲げて耳を寄せる。すると――――

わあひあ(わたしは)“ホガホガ”やあい(じゃない)っっっ!!!』

 地を割るような怒号。それと同時にグリディアンは出口とは反対方向の壁へ勢いよく跳躍した。壁は焼き菓子の様に容易(たやす)く砕け、一本のトンネルが現れた。グリディアンはその勢いのまま片手と片足のみで器用に階段を駆け上がり、あっという間に姿を消した。

 一部始終を唖然(あぜん)としながら見ていたシスターは、咄嗟(とっさ)に大声を上げる。

「ラっラルバさんっ!!!」

「だいじょーぶだいじょーぶ。予想通りよ」

 血相を変えるシスターにラルバはVサインで応える。

「それよりシスターちゃん。君そもそも何しに来たの?まさか本当に巨悪を一目見たかっただけじゃないだろうに」

 その言葉にナハルが抗議しようと前へ出る。

「黙れ。それよりあの化け物を――――」

「化け物よりも大事なんだなぁ。連れてきてあげたんだし、聞かせてよ」

 シスターはナハルを自らの後ろへ下げ、ラルバに頭を下げる。

「……私の勝手な自己満足です。すみません……」

「ふぅん。”分かってて隠す“んだ」

 ラルバはシスターを一瞥(いちべつ)して隠し階段を登り始めた。残されたシスターのナハルはその背中を黙って見つめ続ける。

「……シスター。ここは危険です。戻りましょう」

「…………はい」

 シスターはナハルに差し出された手を取ることなく通り過ぎ、出口へ向ける歩き出した。

 

〜グリディアン神殿 宵闇(よいやみ)の市街地〜

 

『ううううっ……ううううううっ……!!!』

 グリディアンは回復魔法をかけながら階段を駆け上がる。既に四肢(しし)は復活しており、舌も元通りになっていた。しかし、それでもラルバによって(よみがえ)ってしまった記憶のせいで足取りは重くなっている。

『わだしは“ホガホガ”じゃないぃぃぃぃいいい……!!!』

 ()まわしい研究員時代の記憶に(さいな)まれ、グリディアンは階段を登り続ける。逃げ出すためではなく、確認をする為に。自分が200年もの歳月をかけて支配してきた国、“グリディアン神殿”。自らの承認欲求と自尊心を満たすためだけに築き続けてきた歴史。グリディアンはそれを確認せずにはいられなかった。この心の闇を晴らすために、自分より格下の存在を見て安心したかった。自分の為に働き、自分の為に()え、自分の為に死に、自分の為に生まれる下等種族。(かつ)ての(みじ)めな人生と決別した証を――――

 (ようや)く階段を登り切ったグリディアンは、最後の扉を開ける。扉の先は中央放送局。グリディアンが緊急事態の為に備えていた最後の砦。ここにある機器を使えば、国中に散らばった自らの異能の支配下にある人間全員を人質に取れる。グリディアンが建国の際に作らせた切り札。

 扉を開けた隙間から、グリディアンの目に(まばゆ)い光が差し込む

『な……何……これ……』

 グリディアンの目に飛び込んできたのは、ぼうぼうと()えながら燃え盛る放送局――――

 正確には、放送局であった瓦礫(がれき)の山。飛び交う喧騒(けんそう)と爆炎。真夜中である(はず)なのに、戦火によって昼間の様に明るくなった市街地。

『お、お、おおおお、おまっお前らっ!!!やめろっ!!!戦いを止めろっ!!!そんなっそんなことよりもっ!!!わだっわだしを守れっ!!!』

 グリディアンは爆炎の中に駆け込んでいく。しかしグリディアンの声に答える者は誰一人として居らず、グリディアンの声は戦争の轟音に()き消される。

「んひひひっ。いやあやっぱり馬鹿だね!」

 追いついたラルバがグリディアンの背後に立つ。

『おっお前……っ!!!』

「もうお前を助ける奴隷はいないよ。みんな内戦でそれどころじゃあないからね。それどころか、私を斃した所でお前の理想郷は二度と帰ってこない」

 グリディアンがラルバに飛びかかるが、突然全身を走る激痛に(ひる)み崩れ落ちる。

「どうせ“私の命令は絶対”みたいな命令をかけたんだろう。馬鹿だねぇ。先に“私の声を聞き逃すな”とか言っておかないと。命令を命令って認識できなきゃ意味ないんだから」

 ラルバは身動きが取れなくなったグリディアンを魔法で切り裂きバラバラにする。そして生首だけになったグリディアンの舌を掴んで持ち上げた。

「しかも虚構拡張の特性も(ろく)に知らないんだね」

 生首だけになり舌も(つか)まれ(しゃべ)れないグリディアンは、悲哀(ひあい)悔恨(かいこん)と恐怖に(しば)られ嗚咽(おえつ)()らす。

「虚構拡張の境界線の脅威は、空間の()じれによる肉体の損傷よりも波導の被曝(ひばく)にある。空間の変異に巻き込まれた肉体は魔力変質に耐えられず”波導捻転(はどうねんてん)“を引き起こし、負の波導を放出し続ける。普通の人間であればその時点で気を失い死亡するが……我々使奴は耐えてしまうからな。全身麻痺と激痛程度で済むだろう」

 ラルバは説明を終えると、折れた電波塔へよじ登りグリディアンに国を一望させる。

「見ろクソ間抜け。お前の200年が水の泡だ。燃えてるけどね」

 グリディアンの目には、あちこちで燃え盛る苛烈(かれつ)な戦火が映った。

「ただでさえ烏合(うごう)の衆の自治体は機能していない。頼みの綱である統合軍もトップ不在で役立たず。それどころか同盟組んだ反社組織に押し返されてるね。こりゃあもうダメだ!みんな死んじゃうよ〜!」

 ラルバの(おど)けた説明を聞いている間にも増え続ける火の手。グリディアンは大粒の涙を流し、自らの理想郷が崩れていく様を見つめている。もう二度とあの安寧(あんねい)は手に入らない。(みじ)めな研究員時代には夢にも思わなかった楽園。肉欲に(まみ)惰眠(だみん)(むさぼ)り快楽に(おぼ)れ続けた日々。もう二度と、戻ることは叶わない。

「叶えてあげようか」

 ラルバの(ささや)きにグリディアンは目の色を変えた。生首だけになった自分の舌を掴んで持ち上げている悪魔に、ほんの少しだけ希望を抱いた。ラルバは耳に指を突っ込んで乱暴に掻きながら口を開く。

「一個だけ、一個だけ異能で承諾してくれたら考えてあげるよ」

 ラルバは優しくグリディアンの頭を支え、腰掛けた自らの(ひざ)の上に置く。発言が自由になったグリディアンは、(うたが)いと期待が(こも)った眼差しでラルバの方を見る。首が膝に乗せられている為、グリディアンがラルバの表情を(のぞ)くことは出来ないが、ラルバはグリディアンの髪を優しく()でている。

『ほ、ほん……と?嘘じゃな――――』

「一個だけでいいんだよ。一個だけ。ただ嘘はつかない方がいいよ。使奴は嘘見破るの得意なんだから』

 グリディアンはどこまでいっても(おろ)かであった。

『や、約束じで……』

「…………どうする?」

 こんな悪魔の囁きに応えてしまうとは。

『ぜっだい裏切らないっで……』

「………………君次第だよ」

 ましてや、悪魔に小細工が通用するなんて。

『じゃ、じゃあ約そ――――』

「じゃあ一個だけお願いを……聞き入れてくれるね?」

 少し考えれば分かった(はず)なのに。

『わ、わかった……』

 ラルバは(しばら)く黙ってからグリディアンの頭部を持ち上げて自分に向ける。グリディアンも固唾(かたず)()んで微笑(ほほえ)むラルバを見つめる。すると――――

「私の命令は絶対だ」

『へ?』

「私命令を聞き逃すな。自分の意思で発言をするな。魔法を使うな。異能は必ず私の許可のもとに行え。自分の解釈(かいしゃく)ではなく私の解釈(かいしゃく)で言葉を判断しろ」

『え?はっはい!』

 グリディアンは理解できぬ現状に混乱した。しかし、勝手にラルバの命令に承諾をした自分に恐怖した。

「ふっ……くくくくっ……!!」

 ラルバが失笑している。そしてグリディアンは(ようや)く気がついた。

 

 ラルバの両耳から血が流れている。

 

「ああそうだ。私はさっき“自分の耳を指で(つらぬ)いた”。念のため防御魔法でも音を遮断(しゃだん)している……馬鹿め。お前の発言なんか何一つ聞こえておらんわ」

 ラルバの言う通り、グリディアンは馬鹿と(ののし)られても仕方がない失態をした。表情が見えないままの交渉(こうしょう)、噛み合わない会話、不自然な間、それらに違和感を覚えていても(なお)、悪魔の囁きを聞き入れてしまった。

 グリディアンは情けなさで(くちびる)(まぶた)をわなわなと震えさせる。少し、ほんの少し(うたが)えば、容易(ようい)に分かった(はず)なのに……

「お前の様な不死は処理が困難でイチルギが厄介がるからな……私は好みなんだけどねぇ」

 ラルバは運搬(うんぱん)魔法をグリディアンにかけ、手を離す。すると生首は空中に浮遊し、ゆっくりと上昇を始める。

「死ぬまでこの屈辱(くつじょく)を噛み締め続けろ」

 グリディアンは現実に耐えきれなくなり、(すが)るように快楽漬けの日々を思い出した。200年もの間貪った贅沢(ぜいたく)の極み……酒池肉林(しゅちにくりん)の数々……

「そして……快楽に関する思考を禁ずる。無限に続く宇宙で未来永劫(みらいえいごう)苦しみ続けろ」

 グリディアンは頭の中を真っ黒に塗り潰され、譫言(うわごと)の様に「はい」と呟き、空へ消えていった。



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66話 クソとドブ

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〜グリディアン神殿 中央庁舎 (イチルギ・バリア・ジャハルサイド)〜

 

 明けない夜はない。当然、差別と悪意に蝕まれたこの国にも夜明けは訪れる。止まない雨はなく、過ぎない冬もない。しかし、朝が来て、空が晴れ、春が来る。そんな奇跡が重なるのは、この国にとっては(はる)か遠い未来の話になるだろう。

 

 統合軍最高司令官ロゼは、身体中の痛みと共に目を覚ました。うっすらと目を開けると、燃える様な美しいオレンジ色の空が見えた。なんとか上体を持ち上げて身体に目を向けると、ザルバスとの戦闘で負った大怪我が跡形もなく消え去っていた。

「まだ寝てた方がいいよ」

 聞き覚えのない女性の声。ロゼが声の方へ顔を向けると、ぼんやりとバリアのシルエットが見て取れた。自分の怪我を治したのは彼女だろうと(おぼろ)げに推測を立てながらロゼは目を伏せる。

「……寝て、いられ……るか……」

 激しく痛む身体に(むち)を打ってロゼはふらふらと立ち上がり、そして顔を前に向けた。

 燃え盛る家、家、家。上空に撃ち出される魔法の柱。それに(つらぬ)かれ墜落(ついらく)する戦闘機。ロゼが異能で目にしていた200年前の大戦争を彷彿(ほうふつ)とさせる地獄絵図が、今まさに目の前に広がっている。ロゼが陽の光だと思っていた空を覆うオレンジは凄惨な戦火による光であり、体の痺れによるものだと思っていた振動は、空襲と爆発による地響きであった。

「――――な」

 そしてロゼはあることに気がつく。自分は三階の執務室にいた筈なのに、何故こんなにも国を一望できているのか。焦点を近くへ向けると、執務室の壁は扉側を残して崩れ落ちており、中央庁舎はまるで演劇の舞台セットの様に外から丸見えの状態になっていた。

「何がっ……!何が起こっている!?」

「だから寝てた方がいいって言ったのに……」

 後ろからバリアが近づく。

「お前っ……!!これは……これは一体どういうことだっ!!」

「私は何も聞いてないよ」

「ぐっ……クソッ!!」

 ロゼは出口に向け走り出そうと足を踏み出すが、激痛に(ひる)み盛大に倒れ込む。バリアはその(そば)にしゃがんでロゼの顔を覗き込む。

「怪我は治したけど、体内の波導(はどう)が落ち着くまで大人しくしていた方がいいと思うよ」

「ザ……ザルバスは……?」

「さっき起きたけど、この光景を見てまた気を失った」

「当たり前だ馬鹿野郎!!」

 ロゼは壁にもたれ掛かって気を失っているザルバスを一瞥すると、痛みで痺れる全身をなんとか持ち上げ再び出口に目を向ける。それを後ろからバリアが声をかけて引き止める。

「行かない方がいいよ」

「うるさいっ!!この国はっ!!!平和はあいつの夢なんだよっ!!!あいつが目を覚ました時にこの有様じゃあ……!!!俺はザルバスにどんな顔して会えばいいんだよ……!!!」

 そう言い放って執務室の扉を開くロゼ。しかし扉の先に廊下はなく、外壁の(ほとん)どが爆撃で削り取られ、瓦解(がかい)したコンクリートから突き出る剥き出しの鉄筋がぶらぶらと伸びているだけであった。足元には一階に積み重なる瓦礫(がれき)の山だけが広がり、2階にあったであろう棚や机が散乱している。そしてロゼが開いた扉も、既に外れかけていた蝶番(ちょうつがい)が短い悲鳴を上げて壊れ、瓦礫の山の上に落下していった。

 ロゼは力なくその場にぺたんと座り込んだ。

「……イチルギ達は?」

「イチルギとジャハルは救護活動で大分前にどっか行っちゃった。それより前にハピネスとシスターとナハルがラルバについて行った。私は留守番」

「そうか…………」

 淡々と話すバリアの方へ、ロゼはゆっくり顔を向ける。

「俺を…………俺を統合軍本部に連れて行ってくれ」

「嫌」

「頼む」

「なんで?」

「ザルバスが戦えない今、この国は俺が守らなきゃいけない。俺は……このままじゃ、ザルバスに顔向けができない」

「じゃあ嫌」

「頼む……っ!!俺の身体なんかどうなったっていいんだ!!助けてもらったことは感謝してる……!!!でもっ!!!俺にはそれ以上にやるべきことが……っ!!」

「無理無理っ!お前じゃなんの役にも立たないよ!」

 背後から飛んできた陽気な否定。ロゼが後ろを向くと、先程扉が外れたばかりの入り口にラルバが立っていた。いつの間にか現れた傍若無人な風来坊は、惨憺(さんたん)たる戦禍(せんか)と対照的にあどけなく笑う。

「ロゼ坊じゃこの内戦を終わらせることは出来ないよ。まあ?片っ端から全員ぶっ殺すって言うなら可能だけど……」

「お前……まさかこの騒ぎはお前が……!?」

「え?私?いやあまさか。そんな野蛮なことしないよ〜」

 ラルバは大袈裟に否定のジェスチャーをする。しかしロゼは鬼の形相(ぎょうそう)でラルバへと詰め寄る。

「お前っ……!!!ふざけやがって……ぶっ殺してやる……!!!」

 ロゼが異能を使おうと手を向けるが、ラルバは雷魔法でロゼの神経を怯ませて中断させる。

「何故私を恨む?」

 ラルバは戯けた態度から冷たく鋭い眼差しでロゼに問いかける。

「何故だと……!?こんな惨事を引き起こしておいて……!!!」

「私が?この戦争を引き起こした?仮にそうだったとして、それが何故恨まれることになるんだ?感謝されこそすれ……恨まれる道理など全くない」

「感謝……!?感謝だと……!?ふざけるのもいい加減に――――」

「いや、ラルバの言うことは正しいよ。ロゼ」

 割り込んできた声の方を見ると、ザルバスが壁にもたれ掛かったままこちらを見つめている。

「ザルバス……!!」

 ロゼは力を振り絞ってザルバスに駆け寄り抱きついた。

「ごめんねロゼ……無事で、よかった……」

「ザルバスっ……!!謝るな……!!お前は、一度たりとも裏切っていなかったじゃないか……!!」

「いいや……裏切ったんだよ。私は」

 ザルバスは自分を抱き締めるロゼの背中をゆっくりと()でる。

「私は……ロゼの期待を裏切った。本当は、奴に屈するべきじゃなかったんだ。例え目の前で無実の人間が大勢犠牲になろうとも、奴の思い通りになるべきじゃなかった。一度でも首を縦に振ってしまえば、それ以上の人間が確実に犠牲になる……そして何より、反撃の手段の一切を失う……ロゼの信じたザルバスという人間がやるべきことは、平和への(よど)みなき邁進(まいしん)だったのに……私は、子供達を目の前で殺されるという拷問(ごうもん)程度に屈した。全ては私の弱さが招いたことだ……」

「……違う」

「違わないよ」

「違う!!お前が弱いことくらい知ってる!!!俺の信じたザルバスは……頭が良くて誰よりも強いザルバスはっ……弱者に甘いクソ馬鹿野郎だっ……!!だから、俺が、俺が気付いて守ってやらなきゃいけなかった……!!!でも、俺が弱かったから、馬鹿だから気付けなかった……!!!お前はっ……ずっと助けを求めていたのにっ……!!」

「……もうちょっと尊敬されてると思ってたんだけど、ちょっとショックだなぁ……」

 ザルバスは伏せていた目をラルバの方へ向ける。

「……君が“手紙”の人?」

「うん。ご機嫌いかが?ザルバス大統領」

「んー……取り敢えず立つ気力もない。お陰でグリディアンの命令も効きが悪いよ」

「あーやっぱ“秘密を知った奴は殺せ”的な命令だったんだ。本当に頭が悪いねあのデブは。殺害が不可能じゃ意味ないっつーのに」

 その言葉に、ロゼはハッとしてラルバに振り向く。

「あの“デブ”ってことは、お前黒幕に会ったのか!?」

「うん。ぶっ殺してきたよ」

 腰に手を当てVサインで満面の笑みを浮かべるラルバ。その嘘の様な報告に、ザルバスは吹き出す様に笑い出す。

「くっ……あっはははは!そうか、あいつは死んだのか。ロゼ、いい人を連れて来てくれたよ」

「こいつがいい人だなんて……ザルバス、この数年で本当に頭が悪くなったのか?」

「いやいや……何せ私からロゼを救ってくれたのも彼女だよ」

「えっ」

「ロゼのカードデッキに紙が挟まってたんだ。“殺害命令なら蘇生(そせい)は命令違反にならない“って。だからロゼの死を確信した後に、ほんの(わず)かだが応急処置ができた。結局蘇生自体はイチルギがやってくれたから、どれほどの効果があったかは分からないけど……」

 ロゼは信じられないといった表情でラルバを見上げる。

「……だったとしても、この惨事(さんじ)が肯定されることなんかねぇ。絶対にだ!」

 ロゼは未だ爆発音が鳴り止まない市街地へ目を向ける。

「罪のない男子供が今も苦しんでいる……奴等が犠牲になる必要がどこにある!?このクソみたいな国の悪意に巻き込まれただけの一般人を殺していい道理がどこにある!?」

 ロゼの慟哭(どうこく)にザルバスは胸を痛め顔を歪ませる。しかし、目を伏せてゆっくりと首を振った。

「違うよロゼ。一般人を殺していい道理なんかない」

「当たり前だ!!だから私は――――」

「それと同時に、悪を滅ぼしていい道理もないんだ」

 ザルバスの言葉にロゼは動きを止める。いつものザルバスの独りよがりな持論だと思った。しかしいつもと違うのは、ザルバスが守ろうとしているものが善ではなく悪ということだった。

「幸せに生きたい。これは生物ならば当然持って生まれる願いだ。しかし、他者を(おとし)めることに幸福を見出す人間。他者を傷つけることに幸福を見出す人間。そういった“先天性の悪性”を持った人間を救済する(すべ)はない。私達は、私達だけが幸せに生きるために、罪のない悪人を一方的に排除していたんだよ」

「そ、そんなの……仕方ないだろ……じゃあどうしろっていうんだよ!!」

「ロゼ……君には私の理想論を聞かせ過ぎた。私に染まってしまった。昔の君は、既に答えを知っていたよ」

 ロゼは胸の真ん中を貫かれた様な気分だった。ずっと頭のどこかで引っかかっていた出所不明の自己嫌悪が、ザルバスの言葉によって輪郭(りんかく)()びていく。

「弱い奴に権利はない。強い奴がルールだってね……私達は、平和な世の中を望む集団として強者の位置に立ち、平和を望まない弱者を一方的に(しいた)げていたんだ。ほらね?虐げる側も、虐げられる側も、互いに罪はないだろう?人間は一人では生きられない……集団で生きるには、異分子を排除することが不可欠だ……」

 ザルバスは若干(じゃっかん)()き込みながらラルバを見上げる。

「人間は生きているだけで罪を背負っている。逆を言えば、誰を殺そうが何を奪おうが……誰にも罪なんてないんだよ」

 最早(もはや)壁に寄りかかる力もなくなったザルバスは、ゆっくりと体を壁に(こす)りつけながら倒れた。

「私は、この国を()べる者として……差別を終わらせなくてはならない……もし、私が本当に自分の理想を叶えるならば……一刻も早く……平和主義者が、攻撃的思想を持つ者を排除する世の中にしなければならない……戦争が始まったのは、今じゃないんだ。遥か昔から……戦争は始まっていたんだよ。片方が、極めて不利だっただけだ……」

 譫言(うわごと)の様に言葉を(つむ)ぐザルバスを、ロゼが心配そうに撫でる。

「ザルバス……お前……」

「はっ……笑ってしまうよ。私は、争いのない世界にしたかっただけなのに……実際そこにあるのは、争いが表面化しない世界だけなんだ……今と違うのは、片方が、多いか、少ないか……それだけだ。結局、差別も、争いも、なくなりはしない。今と大して変わらない。私には……私には選べない。悪人も、善人も、死んでいい人間なんか誰一人いやしないんだ……!」

 ザルバスの目に溜まった涙が、次第に溢れて(ほほ)を伝い流れていく。ラルバはそれを静かに眺めながら、吐き捨てる様に語り始める。

「病気で苦しんでいる子供が2人いたとして、治す薬は一つしかない。さて、どちらの子供を助けるか。どちらを助けても、どちらかを殺すことになる。1人助けることができたと自分を(なぐさ)めて、片方の死を必要な犠牲と肯定できるか。それが10人と20人なら?老人しかいない村と児童養護施設だったら?一つの主要都市と三つの田舎町だったら?ただの算数と割り切れない馬鹿のために、この私が代わりに手を下してやっただけだ。お前らは焼け野原に残った(つぼみ)が腐らぬ様、愚直(ぐちょく)に愛してやればいい。この腐敗した掃き溜めを花畑にするよりずっと簡単だろう?」

 見下す様なラルバの物言いにロゼは息を荒げ(にら)みつけるが、肝心の言葉は出て来ず恨めしそうに歯を食い(しば)る。

「当然私にこの国を救おうなんて大それた思想はない。黒幕を追い詰める煙幕(えんまく)が欲しかっただけだ。ものはついでってやつだな。しかし、お前らが国民の思想を塗り替えるのにモタモタしていれば、この戦争以上の犠牲者が生まれるだろうな。しかもその犠牲者のうちの(ほとん)どは、生まれながらに被差別階級に生まれた力なき者だ。戦争で地位年齢関係なく死ぬか、差別で無力な者だけ死ぬか、お前はどちらを選びたかったと言うんだ?まさか戦争も起こさず差別でも殺させないなんて5歳児の描いた絵本の主人公みたいな事を言う気じゃないだろうな」

 ラルバはそのまま2人に背を向け、足元に広がる戦争を眺めながら微笑む。

「見ろ、あの重火器を担いで走り回る男共の顔を。糞尿を運ぶよりよっぽど生き生きとしている。今際(いまわ)(きわ)に聞いてみたいものだな。糞を(さら)さらって老いる人生と爆炎に抱かれてくたばる今、どちらが幸福だったのかを」

 ロゼはラルバの横に立って国を見下ろす。

「……俺は絶対に感謝なんかしない」

「まだ言うか」

「差別社会と戦争のどっちがいいかなんて……クソとドブ、食うならどっち見たいな話だろ」



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67話 元凶死すとも戰は死せず

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〜グリディアン神殿 貧民街〜

 

 一体あれからどれほどの時間が経っただろう。真夜中に起こった爆発事故を皮切りに、貧民街を中心として起き始めた暴動。中央庁舎から走り出したジャハルが駆けつける頃には、市街地は既に武装した市民が闇雲に互いを殺し合う地獄絵図が広がっていた。ジャハルが暴徒を()じ伏せるも、死体から奪った武器で反乱に加わる一般市民が後を絶たず、血で血を洗う戦禍(せんか)は決して勢いを落とすことなく燃え盛り続けた。

 真っ暗だった空にはいつのまにか燦々(さんさん)と太陽が輝き、母親を探して泣き喚いていた少女はいつの間にかぬいぐるみの代わりに機関銃を抱いている。救った側から殺されていく弱者同士の殺し合いの中、それでもジャハルは肩で息をしながらも未だ独り前を向き続けていた。

「はあっ……!!はぁっ……!!クソっ……!!これでは(らち)が明かん……!!!」

 爆風で崩れる建物を(かつ)いだ大剣で叩き割り、魔法による爆発で瓦礫(がれき)を粉々に破壊する。細かい石の雨と土煙(つちけむり)が盛大に吹き荒れ、その中から数人の民間人が咳き込みながら起き上がる。

「手荒ですみません。お怪我はありませんか?向こうの広場に避難所が作られています。鋭い破片が散らばっていますので、足に布か何かを巻きつけて防護してください」

 ジャハルが案内を続けていると、遠くから見知った人影が近づいてきていることに気がついた。

「バリア!!丁度いいところに!!ハザクラ達は見つかったか!?人手が足りないんだ!手伝ってくれ!!」

 しかしジャハルの声にバリアは(うなず)きも否定もせず、無言でジャハルを肩に担ぐ。

「バ、バリア!?何をする!?」

「ラルバが国を出るから連れてこいって」

「なっ……!!馬鹿を言うな!!せめて私を置いていけ!!」

「ごめん。強制」

 藻掻(もが)き暴れるジャハルを無理やり担ぎ込んだバリアは、大きく地面を踏み割って跳躍(ちょうやく)しその場を後にした。ジャハルの目には一瞬で遠ざかる地面と、こちらを唖然(あぜん)と眺める負傷者達が映っていた。

 

〜グリディアン神殿 倒壊した中央庁舎〜

 

「ぐぎゃっ!!」

「ラルバ。連れてきたよ」

「ん、おかえり」

 着地の衝撃で首を痛めたジャハルはバリアの肩からずるりと地面に落ちる。そして蹌踉(よろ)めきながら立ち上がり、ラルバの方をキッと睨みつけた。

「おい!!ラルバの我儘(わがまま)に付き合うとは言ったが、流石に限度がある!!どうしても出国するならば私はここで抜けさせてもらうぞ!!」

 するとラルバは鼻を小さく鳴らして笑い、(あざけ)る様に首を(かし)げる。

「はっ。じゃあ愛しのクラぽんとはここでお別れだけど、いいの?」

 ジャハルは「えっ」と小さく(つぶや)く。ラルバの後ろにはイチルギやロゼ、ザルバスの他にハザクラ、ラデック、ラプーの3人も戻ってきており、更に奥の方にはシスター、ナハル、ハピネスの姿も見えた。

「み、皆んな無事だったのか!!良かった……!!」

 ほっと胸を()で下ろしたジャハルは、ハッとして首を強く左右に振る。

「ハザクラっ!!出国に賛成というのは本当か!?」

 必死の形相(ぎょうそう)のジャハルに、ハザクラは真顔のまま小さく頷く。

「ああ。ラルバが黒幕を(たお)したそうだ。もうこれ以上留まる必要もない」

「ばっ馬鹿を言うな!!この惨状(さんじょう)を見ろ!!これだけの戦争を見て助けず去ると言うのか!?」

「ああ、そうだ。不本意ではあるがな」

「ハザクラ……!!何故だ……!!またなんでも人形ラボラトリーの時の様に「人助けにも理由がいる」なんて言うんじゃないだろうな……!!彼等が生き延びたことで我々が困ることはない!!あったとしても……未来に世界を()べようというものが!!この惨状を見て背を向けることなど決してあってはならない!!ハザクラ!!」

「……ジャハル。俺達の当初の目的を忘れていないか?」

「それは勿論(もちろん)世界の秩序(ちつじょ)を……!!」

「違う。ラルバを(おとり)に使うという部分だ」

 ジャハルはハザクラに話を(さえぎ)られるのと同時に小さく息を飲む。

「ラルバという巨悪を(えさ)に小悪党を殲滅(せんめつ)する。ならばラルバはこれ以上ここにいてはならないし、俺達も見張りのために同行しなければならない」

「しかし!!」

「それに(いく)ら通信魔法が規制されていると言っても、俺もジャハルも一部の奴らからは“ラルバ一味の構成員”と認識されているはずだ。もし敵が弱者を人質(ひとじち)にとったら?弱者に俺達が戦争を()きつけた仲間だと知れたら?残った時のデメリットは挙げればキリがない」

 ジャハルは悔しさと怒りと悲しさが混濁(こんだく)したまま(うつむ)き、歯が割れそうなほど強く噛み締める。それを見てハザクラは目を閉じ、ジャハルに背を向ける。

「大人しく人道主義自己防衛軍の後援が到着するのを待とう。イチルギも力を貸してくれるそうだ」

 そう言ってハザクラは(あご)をしゃくってイチルギの方を指す。少し離れたところでイチルギとザルバスとロゼの3人が話をしており、イチルギの説明にザルバスが何度も頭を下げているのが見えた。

 

「じゃあ世界ギルドの方には私からうまいこと言っておくから。ザルバスの方は大丈夫?」

「ああ、何から何まですまないイチルギ。……正直、この後ジャハルの母国……人道主義自己防衛軍が来るなら属国にしてもらうのも手だと思ってな。あちらの大将はイチルギの知り合いの使奴なのだろう?」

 ザルバスの(あきら)めに(すさ)んだ眼差しに、イチルギは気の毒そうに肩を落とす。

「……そうね。ベル総統(そうとう)ならきっと戦争も何とかしてくれると思うわ。でも……ザルバス。あなたの評判は地に落ちるわよ?いいの?」

「構わないさ。私はこの国を救いたかっただけで偉くなりたかったわけじゃない。善良な国民が一人でも多く助かるなら溝浚(どぶさら)いでも実験体でも(よろこ)んでやるよ」

「……ベルはそんなことしないわよ」

「そうか。まあそうか」

 一抹(いちまつ)の不安も感じさせずにケラケラと笑うザルバスをロゼは心配そうに見つめるが、その目にはどこか晴々とした嘲笑(ちょうしょう)の様なものがあった。ふと、ロゼは背後に気配を感じて振り向く。そこには如何(いか)にも悪巧(わるだく)みをしていますと言わんばかりのニヤケ面をぶら下げたラルバが立っていた。

「……あんだよ」

「ん〜?いやあちょぉっとお願いがありましてですねぇ……ザルバスさん?」

「ん?何かな?」

 何の疑いもなくラルバに応えるザルバスを、ロゼとイチルギは苦い顔をして見守る。

「いやあ実はですね……我々の旅に増援が欲しいと思っているんですよぉ。異能持ちの」

 この発言にイチルギが顔を大きく(しか)めた。

「……ちょっと、ラルバ?アンタまさか――――」

「おイチさん黙ってて!」

 話に割り込んできたイチルギをラルバは強く(にら)み、口元に人差し指を当てて「しぃ〜っ!」と威嚇(いかく)する。ザルバスはイチルギを(なだ)めながらラルバの方を向いた。

「まあまあイチルギ。まずは話を聞こうじゃないか」

「そうだぞイっちゃん。私だってちゃあんと話し合って、あくまでも合意の上でって思ってるんだから!」

 遠くでラデックが小さく「詭弁(きべん)だ」と呟くと、ラルバはすぐ様振り向いて指を差し「そこ!静かに!」と牽制(けんせい)する。

「というわけでザルバスさん?まずはアナタの合意が欲しいんですヨォ。なんてったって貴重な異能保持者!黙って連れ出すわけには行かない……ねぇ?」

 ラルバがロゼに怪しい微笑(ほほ)みを向けると、ロゼは(はえ)を追い払う様に手の甲を数回振って拒絶(きょぜつ)する。

「ふざけんなこの人でなしの(ろく)でなしがよ。誰がお前みたいな()頓狂(とんきょう)で気の触れた 狂悖暴戻(きょうはいぼうれい)乱痴気(らんちき)野郎について行くかよ。腐った馬の死肉でも(すす)ってろ」

「うっわスゴい言うじゃん。悪口事典か?」

 2人のやりとりを見ていたザルバスは、顎に手を当てて少し考えたあと小さく頷く。

「うん。構わないよ」

「うぇっ!?」

「やったぁ!バルちゃん大好き!」

 信じられないザルバスの発言に、ロゼは彼女の胸倉を(つか)んで大きく前後に揺さ振る。

「おいザルバスっ!!お前まだちょっと洗脳残ってんじゃないのか!?」

「いや違うよロゼ。落ち着……落ち……落ち着いて」

 一旦ロゼを引き()がし、ザルバスは襟元(えりもと)(ととの)える。

「今回の戦争、本来であれば統合軍による鎮圧(ちんあつ)が最優先だったはずだ。しかし君は気を失っていて動けなかった。事情はどうあれ、君は国民全員から役立たずの烙印(らくいん)を押されてしまったんだよ」

 ロゼが気まずそうに声を()らす。

「ロゼが今後どんなに頑張っても国民からの不信感は(ぬぐ)えない。ならばいっそ国を出るのも手だと思ってね。なに、心配はいらない。こっちは人道主義自己防衛軍の支援もあるし、そっちにはイチルギとハザクラとジャハルもいる。君には私の理想のためにいままでさんざ人生を()べてもらった……少し羽を伸ばしたってバチは当たらないよ。またほとぼりが冷めたら帰って来ればいいさ」

 黙って俯いたまま困惑するロゼ。ザルバスの言い分の正しさを理解しているからこそ、何の役にも立てない今の自分の境遇(きょうぐう)を受け入れることが出来なかった。

 ザルバスは再びラルバに向き直り頭を下げる。ラルバは満足そうにニカっと笑うと、明後日の方向に大きく手を振る。

 

「シスターちゃーん!!私らと一緒に行こー!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……はい?」

 突然話を振られたシスターは、驚きのあまり言葉を失って立ち尽くす。ラルバの発言にはその場にいたほぼ全員が驚愕(きょうがく)し、ザルバスとロゼは大慌てでシスターとラルバの間に割って入る。

「ちょちょちょ、ちょっと待った!!え?誘うのはロゼじゃないのかい!?」

「お前異能持ちが欲しいっつってたろ!!」

「うん。言ったよ」

 ラルバはザルバスとロゼを強引に退()かし、ナハルが背に隠したシスターへ歩み寄る。そして腰を大きく曲げて怯えるシスターに目線を合わせた。

「ねぇ?異能持ちのシスターさん」

 ラルバの指摘にシスターは瞳孔(どうこう)を広げて硬直する。ナハルは自分の服の(すそ)を握るシスターの手が強張(こわば)ったのを感じ、ラルバを睨みつけて威嚇する。

「気味の悪い妄想をやめろ!!」

「あん?」

 しかしラルバがナハルを睨み返すと、ナハルは胸の奥に矢が刺さった様な息苦しさに(さいな)まれた。反論は言葉にならず、生唾(なまつば)()み込むことしかできないナハルを、ラルバは微笑みながら見上げる。

「気味の悪い妄想かどうか……説明してあげてもいいよ?」

「……っ!!」

「やめろ!!!」

 そこへロゼが怒号を飛ばして割って入る。ロゼはラルバを突き飛ばし睨みつける。しかしシスターはロゼの手を握って肩を震わせる。

「ロゼ……!やめて下さい……!」

「シスター……!」

「私なら……私なら大丈夫ですから……」

 ロゼは強く握られた手から伝わってくるシスターの想いに困惑し、目を強く(つむ)って数歩下がる。

 しかしそこへザルバスも前に出てラルバを見つめる。

「君の言う異能持ちが、まさかシスターだったとは……ならば同行の許可はできないよ」

「へー、引き留めるんだ」

 ラルバの言葉にザルバスは一瞬考えこむも、すぐさま意図を理解して背筋を凍らせた。

「……んひひ。さっすがザルバス大統領。読みが(するど)くて助かるよ」

 そしてラルバは周囲をぐるりと見渡す。ジャハルとロゼの二人は未だこちらを睨みつけてはいるが、この状況に依然押し黙っているイチルギを見て同じように口を(つぐ)んでいる。

 ラルバはそれらを満足そうに眺めると、再びシスターに顔を寄せニタァっと笑う。

「で、どう?シスターちゃん。私は君の異能の力を借りたいんだけど……あ。ナハルんも来る?正直()らないけど、来たいなら来ていいよ」

 シスターには最早(もはや)、選択の余地など残されてはいなかった。この悪魔の微笑みは、彼を決して逃げられない奈落の底へ突き落とした。

「シスターちゃん?どうする?」

 シスターは俯いたまま小刻みに震え呟いた。

「……わ、わかり……ました……同行、します……」

「いやっはー!!これからよろしくぅ!!」

 目の前で小躍(こおど)りをするラルバを軽蔑(けいべつ)の眼差しで睨みつけながら、シスターはナハルの指先を握る。

「ナハルは……どうしますか?無理強いはしません……」

「……私もシスターについて行きます。どこまででも。必ず」

 ナハルはその場に(ひざ)をついてシスターを見上げる。シスターは申し訳なさそうに(くちびる)を噛みながらも、ナハルの手を取って優しく握りしめた。

「……ありがとう。……ごめんなさい、ナハル」

「謝らないで下さい。シスター」

 

【魔導外科医 シスターが加入】

【魔導外科医助手 ナハルが加入】

 



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68話 背を預ければ顔は見えず

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〜グリディアン神殿 検問所〜

 

「あーははは、誰もいなーい!!」

 入国時には厳戒態勢(げんかいたいせい)だった検問所は、国内の騒ぎによって管理する人間は一人残らず居なくなっていた。無人なのをいいことに、ラルバは子供の様にはしゃぎ走り回り、壁にかけてある肖像画に落書きをしたりと勝手の限りを尽くしている。

 そこへシスターは(あき)れながら近づき、ラルバに荒らされた部屋を見回す。

「皆出国の準備で忙しいというのに……私を呼び出した理由は何ですか?」

「用事ねぇ」

 ラルバは引き出しを乱暴に()じ開け、門番が押収したであろうネックレスや指輪を引っ張り出しては着飾り、価値を確かめる様に陽の光に照らしてウットリと眺める。

「シスターさんには、私のことを少し知っておいてもらおうと思いまして」

 そう言ってラルバは検問所の外へ出る。そしてシスターに「こっそり見ていろ」と指示すると、少し離れたところに停まっている一台のトラックへと歩いて行った。シスターは怪訝(けげん)そうな顔で首を(かし)げてから、物陰に隠れラルバの動向を(うかが)う。

 

 しゃがみ込む男性の後ろでラルバは小さく咳払いをすると、明るく落ち着いた辿々(たどたど)しい口調で(たず)ねる。

「モシ……コノ国の方でショウカ?」

 トラックの運転手と思しき壮年(そうねん)の男は、整備の手を止めて(おもむろ)にラルバの方を向く。

「……あんたは?」

「申シ遅レます。ワタシ、なんでも人形らぼらとりぃーから来た留学生のマディカロベルと言ウます。コンナ見た目デスが、使奴寄リではアリマセン」

「……へえ、あの国の留学生」

「はい!でも……あの検問所(おウチ)誰もイナイ……学校行ケナイ。どうしたらイイ思う?」

 ラルバのしおらしい振る舞いに、男は小さく鼻で笑って立ち上がる。

「なら良かった。丁度街へ行く途中だったんだ。送って行ってやるよ」

「本当です!?嬉シイ!!あなた良い人!!」

「まあ旅は道連れ世は情けだ。荷台乗んな」

 ラルバは大喜びで荷台に足を踏み入れる。すると、そこには既に別の男がおり、不気味な半笑いでこちらを見つめていた。

「んん……?失礼しマス?」

 ラルバが軽く会釈(えしゃく)をする。その直後、突然背後から首に縄をかけられ、そのまま大きく姿勢を崩し引き倒される。

「よし!!よし!!捕まえた!!」

「縛れ縛れ!!」

 2人の男は暴れるラルバを無理やり押さえつけ、縄で両手足を拘束し(しゃべ)れない様に口の中へ布を詰め込む。

「よしっ……よしっ!やった……!この服絶対高値で売れるぞ……!!」

「角折れ角!!こっちの方がイイ値段する!!」

「馬鹿!(のこぎり)なんかで切るな!!それよりも封印魔法!!」

「使奴寄りでもねぇのにこの眼玉と肌か……!しかも角持ち!!クソッ……出すとこ出せりゃ相当いい金になるっつーのに……!!」

 男達の正体は、内戦により亡命を(くわだ)てていたグリディアン神殿の被差別民である。当初、検問所の資材や武器などを物色していたが、ラルバの接近により管理人が戻ってきたと勘違いをして逃走し、近くで無関係を(よそお)い車両を整備するフリをしていた。しかし、ラルバが管理人ではなく留学生、ましてやなんでも人形ラボラトリーの使奴寄りでもない一般人だとわかるや否や、路銀(ろぎん)に丁度いいと誘拐(ゆうかい)に踏み切った救いようのない暴漢である。

「おい!ポッケに金貨入ってたぞ!!こいつ結構持ってる!!」

「ネックレスに指輪……どっかいいとこの令嬢か?早めに売ったほうがいいな」

「じゃあ今のうちにヤるだけヤるか……!!あのクソ女共に散々こき使われた分、お前で晴らしてやる……!!」

 男は汗が染み込みベタついたズボンに手をかけモゾモゾと脱ぎ始める。しかし焦って足を引っ掛けてしまい、後ろへ大きく倒れた。

「痛って!」

 男がぶつけた頭を(さす)りながら、片腕を床について上体を起こす。すると、(ゆが)んだ満面の笑みを浮かべているラルバと目が合った。自分達に最も容易(たやす)く拘束された間抜けな女の奇怪な眼差しに、男は得体の知れぬ恐怖に襲われ思わず腰を抜かしたまま後退(あとずさ)った。その様子を見てもう1人の男は苛立ったような顔をして睨みつける。

「おい、何してんだよ」

「こ、こいつ……笑ってる」

「はっ、きっと恐怖で頭がおかしくなっちまったんだろうよ」

 そう言って男がラルバの顔を(のぞ)き込もうと前のめりになると、ラルバは縄を強引に引き裂いて拘束を外し、(のぞ)き込もうとした男の口の中に手を突っ込んで内側から下顎(したあご)に指を突き刺した。

「がっ」

 そしてそのまま下顎を輪っかを握るように鷲掴(わしづか)みにし、勢いよく(ひね)り引き千切る。声にならない悲鳴をあげる男の横でラルバはゆっくりと立ち上がり、口に咬まされた布を吐き出して腰を抜かしている男を(にら)んだ。

「ひっ……!!!お、俺じゃないっ!!こいつが、こいつがやれって言うから!!!」

 ラルバは何も言わず腰を抜かしている男に近づき、彼が(ふところ)の拳銃を取るより早く股間を踏み潰した。

「――――――――!!!」

「安心しろ。私は慈悲(じひ)深い」

 そう言ってラルバは(もだ)える2人を車外へ引き()り出すと、近くの倒木に投げつけた。

「あっげげ……えあっ……!!」

「ひぃっ……うぅぅぅ……!!」

 倒木にもたれ掛かり痛みに藻掻(もが)き苦しむ2人。その体から流れ出た血は、渇いた砂漠の地面に一瞬で吸われ染み込んでいく。そのすぐ側、男の足元に(かがや)いていた銀色の光が、男の血に触れると一瞬で姿を消した。ラルバはそれを見て、満足げに微笑(ほほえ)み男達に背を向ける。

「人を食い物にするお前らにはお似合いの最期だ」

 その直後、男達の全身が突然銀色に輝き始めた。光は波打ち、脈動し、男達の足元にまで広がり(うごめ)く。

「ぎゃあああああああっ――――――――!!!!」

 男達を(おお)う銀色の毛布の正体。それは、全身に銀色の体毛を持つ無数の蟻であった。

 砂漠の灼熱(しゃくねつ)に、1秒間に体長の100倍という距離を移動するという力技で適応した死肉食動物。この生物は非常に臆病(おくびょう)で、通常生きている人間を襲うことはない。しかし、それが身動きの取れない瀕死(ひんし)の体であれば、彼らに取ってはこの上ないご馳走(ちそう)でになる。

 ラルバは男達の断末魔(だんまつま)を背に、振り返らず手を振った。

「日没(まで)には死ねるだろう。良い夢を」

 すると、検問所へ戻ろうとするラルバの横を、(ひたい)に脂汗を浮かべたシスターが駆け抜けていった。ラルバはシスターの大きく背中が開いたローブの端に指を引っ掛け、彼を引き止める。

「はな、離して下さい!!」

「善人ぶるなよ偽善者」

 シスターはラルバの手を振り解き、彼女をキッと睨みつける。しかしラルバは吐き捨てる様に冷たく言い放つ。

「私を睨む(ひま)なんてあるのか?やっぱりお前は偽善者だ」

「なっ……邪魔(じゃま)しておいて何を……!!」

「イチルギやジャハル、(ある)いはハザクラやラデックでも、私の妨害(ぼうがい)など意にも介さず救命に尽力するだろう。お前が立ち止まってしまった時点で、もっと言えばここで私の話に耳を(かた)けているなら尚更(なおさら)、偽善者以外ありえん」

「……妄想(もうそう)ならお好きにどうぞ!!」

 シスターはそう告げるとラルバに背を向け男達の元へ走り出す。しかしラルバはシスターを乱暴に(かつ)ぐと、何食わぬ顔で帰路を辿(たど)り始める。

「ちょ、ちょっと……!降ろしてっ……!!」

「私がお前を異能持ちだと断言した理由だが……主に二つだ」

 そしてシスターの発言を無視して、独り言の様に淡々(たんたん)と話し始める。

「まず一つ、お前がグリディアンと対面した時のことだ。お前はあの(おぞ)ましい使奴(もど)きを前にしても、(ひる)まず堂々と自分の主張を()べてみせた。あれは説得の自信というよりは……反撃を狙った挑発だ。実力を隠してるだけなら、私どころかグリディアンにだってバレる。ここで反撃の手段を持っていること……つまり、異能持ちってことは確定」

 シスターは藻掻く手を止める。

「二つ目は語り過ぎ。お前、イチルギと会ったときに警告したらしいな。ザルバスは敵だと。しかも、捕まった連中が使奴でも死ぬかも知れないとか」

「そ、それは……推測で……」

「何を根拠(こんきょ)に?」

「ザ、ザルバスの動きはどうみても不自然でしたし……」

「お前はロゼと仲が良かったそうだな。ロゼからザルバスの過去の話も散々聞いただろうに……昔の平和馬鹿だったザルバスの姿を知っていて、“敵だ”などと普通は言わん。恐らくは、洗脳されているという事実は知っていだが、洗脳と言ってしまうと自身の秘密まで知られかねないから“敵”という表現を使って(にご)したんだろう。確かに、確実のこちらの命を狙ってくるという意味では一緒だしな」

「で、でも」

「次に”使奴でも死ぬ“という発言。お前がどこまで使奴のことを知っているかは知らんが……要するに、どんなに強くとも黒幕には敵わない可能性があるということだ。つまり、お前はグリディアンという存在をとっくに知っていたんだ」

「そ、それは……ロゼの部下から(うわさ)を聞いて……推測で……」

「苦し(まぎ)れの嘘を()くな。グリディアンの存在を知る(すべ)は限られている。人伝はまず不可能だ。グリディアンと相対した人物は漏れなく無理往生(むりおうじょう)の異能で口封じをされているからな。ならば方法は二つ。ハピネスのような探索型の異能か、記憶を(あやつ)る異能か……しかし探索型では黒幕相手に啖呵(たんか)は切れん。戦闘向きではないからな。ならば考えられる可能性はただ一つ。記憶操作ならば、記憶の全消去や全書き換えもできるだろう。なにせ私はつい最近”同じことをする人間(メインギア)“を見てきたばかりだからな。どうだ、当たっているだろう?」

 シスターは何も言わずに顔を伏せている。この沈黙そのものが肯定(こうてい)を表していた。

「しかし一つだけわからないことがある」

 ラルバはシスターを肩から降ろし、その足で立たせ顔を覗き込んだ。

「お前、何故私に着いてくるんだ?」

「……はい?」

 シスターは依然険しい表情であったが、ラルバの問いに余計顔を(しか)めて睨む。

何故(なぜ)も何も……あなたが誘拐(ゆうかい)したんじゃないですか」

如何(いか)にも、しかしそれだけでは説明はつかない」

 ラルバが再び歩き始めると、シスターも半歩下がって横に並ぶ。

「確かに“異能のことをロゼ達にバラされたくなければ(したが)え”と言わんばかりに御託(ごたく)を並べては見たが……」

「……私の異能は、ラルバさんの仰る通り“記憶操作”です。全消去や全書き換えなんて芸当は出来ませんが……直接接触する事で直近数十分程度の消去や書き換え、ある程度の記憶を覗く事はやろうと思えばできます。ロゼが私に気がある事は最初から知っていました。ザルバスの正体や、何故グリディアンに服従するに至ったのかも……しかし、それは裏切りに値する行為……何せロゼの恋心を無視していたどころか、親友の(かたき)をずっと隠していたのですから」

「ザルバスも察しのいいヤツだ。私がシスターの弱みを握っていることを察してあっさりと手を引くとは。しかし、それにしたってあっさりし過ぎだ。まるでそれだけではない様な雰囲気だった。私はそこに“お前が私に着いてくる理由”があると推測をしている。ザルバスが気付いていて、私が気付いていないお前の何かに……」

 ラルバの舐め回す様な視線に、シスターは凍てつく様な冷たい眼差しで鍔迫(つばぜ)り合う。

「……私は、あなたを信じたいんですよ。ラルバさん」

 ラルバはシスターの理解できない発言に、数秒思考を止める。使奴の演算能力を以ってしても、言葉の意味を解析する事は不可能であった。

「…………信じたい?」

「はい。私はあなたに期待しています。そして、それが達成されると信じたいのです」

「……くっくっく。面白い奴だな。言っている意味がまるで分からん」

「意味は聞かないで下さい」

「そんな野暮なことしないよ。じゃあ戻ろっか!!今晩はカレーだよ!!」

 ゆっくりと歩くシスターを、ラルバはスキップして置き去りにする。シスターは小さくなっていくラルバを見送ってからその場で立ち止まり、両手を胸の前で組んで両目を閉じて祈祷(きとう)を始める。暗くなり始めた空に、一際輝く真っ白な星がそれを見ていた。

 

〜グリディアン神殿 郊外のバス乗り場〜

 

 ラルバがシスターと検問所に向かっているころ、検問所から少し離れたバス乗り場でラデック達が荷造りに(いそし)しんでいた。

「ふう……取り()えずこんなもんか」

 ラデックはバスの修理をしながら額の汗を拭う。内戦の騒ぎにより、バス会社の敷地はこの故障したバス一台を残して全ての車両がなくなっており、敷地内は休業中の様な静けさを保っていた。

 そこへ、ラデックの後ろからやってきたイチルギが顔を覗かせてる。

「ん〜まあいいんじゃない?壊れたらまた修理しましょ」

「使奴がやってくれた方が早いと思うんだが……」

「なんでもかんでも使奴を頼らないの!ラデックは機械系に便利な異能持ってるんだから、こういうところで憶えておかなきゃ」

「機械は苦手だ……」

 2人が話していると、ナハルがそこへやってきて2人に(たず)ねる。

「すみません。シスターを見かけませんでしたか?私に待っていて言ったきり戻ってこなくて」

 ラデックは首を振るが、イチルギは少し面倒くさそうな顔をして息を吐く。

「あー……ラルバが話があるって連れて行ったわ」

「な、なんだと!?」

 勢いよく走り出そうとするナハルの腕をイチルギが引っ張る。

「でもって!私はナハルに話があるわ」

「離せ!後にしろ!!」

「ごめんねぇ〜ちょっとで、い・い・か・ら!」

 イチルギはナハルを引っ張り倒して地面に座らせる。するとどこからともなくバリアが現れ、ナハルの背中にしがみついて拘束に参加した。周囲にはハザクラやジャハル達、出払っているラルバとシスター以外の全員が顔を揃えている。

「何をするイチルギ!!シスターとあの馬鹿を2人きりにするなど……!!」

「ん〜まあ確かに心配だけど……私はどっちかって言うとアナタの方が心配」

 イチルギがナハルを怪しげな眼差しで見下ろすと、ナハルは何かを恐れ(おび)える。

「や……やめろ!!」

「う〜ん……」

「言うな!!」

「やっぱりアナタ使奴ね」

 その発言のナハルは瞳孔(どうこう)を揺らして全身の毛を逆立てた。ジャハル達も顔を見合わせて驚いており、イチルギの次の言葉を待っている。

「正直最初っから(うたが)ってはいたけど……ラルバも変なことに巻き込むんだから……」

「頼む……シスターには言わないでくれ……!!」

「分かってるわよ。ていうか、そのために今分断させてる訳だし」

 ナハルは驚いて顔を上げる。

「何だと……?」

「ラルバは最初っからアナタがシスターに使奴であることを隠しているの知ってたそうよ。心当たりあるんじゃない?」

 ナハルは小さく(うめ)いて気まずそうな顔をする。

「で、道中の口裏合わせのために態々(わざわざ)こんな場を(もう)けたわけ。どう?これでもシスターを連れてくる?」

 ナハルが小さく首を振ると、バリアがナハルの背中から離れた。ナハルは抵抗する素振りを一切見せず、その場にぺたんと座り込んでいる。イチルギは大きく溜息を()いてナハルを睨んだ。

「で、なんで内緒にしてるのよ」

「……だ、だって……使奴だぞ?“使”い捨ての性“奴”隷だ……!!そんな如何わしい存在だとシスターに知れたら……きっと軽蔑(けいべつ)される……」

「いや私も使奴なんだけど。目の前で“そんな如何(いかが)わしい存在”とか言わないでよ」

「如何わしいだろう!!こんな男の欲情を(あお)るためだけに造られた見っともない肉体!!クソ共が己のモノを突っ込むためだけに造られた(けが)らわしい玩具(おもちゃ)だ!!」

「確かにそうだけども……別にそこまで言わなくても」

「シスターは優しい人だ……だからきっと嫌悪を顔には出さずにいてくれるだろう……!!しかし!!その優しさが……私にはこの上なく苦しいんだ……!!!」

 ナハルの(なげ)きに、ラデックは首を(かし)げて尋ねる。

「シスターは相当な人格者に見えたが……彼はそんな偏見を抱く人物なのか?」

「まさか!!シスターは差別なんて下劣(げれつ)な思想を持つ方ではない!!」

「じゃあ気にしなくていいんじゃ……」

「しかし確定ではない……!!誰しも、間違いはある……!!」

「ナハルが清廉(せいれん)な思想へ(みちび)いてやるのはダメなのか?使奴ならできるだろう。なんならイチルギやバリアでも……」

「違う……違うんだ……!!我儘(わがまま)なのは分かってる……!!どうすればいいかなんて解決策は腐るほどあるんだ……!!」

 ナハルは頭を抱えながら髪をガシガシと()き乱す。

「恐れていることの理解を放棄(ほうき)して……問題を先送りにしているのも分かってる!!ただ……この言語化できない……言語化したくない不安に近寄りたくないんだ!!嫌われるかも知れない!!シスターを信じていない訳じゃない!!けど!!この不安はどうしたって拭えないんだ!!!理屈じゃない!!!心なんだ!!!」

 悲嘆(ひたん)を叫び涙を溢すナハルを、イチルギ達はただ黙って見守っていた。互いに顔を見合わせ、小さく(うなず)き、ナハルが使奴である事は秘密にしようと決めた。ハピネスは(あき)れて嘲笑(ちょうしょう)を浮かべていたが、ジャハルに拳骨(げんこつ)を食らわされると仰向けに倒れて降参の意を示した。

 

 ラデックがバス停近くのベンチに腰掛けてタバコを吸っていると、夕陽をバックに手を振るラルバがやってきた。ラルバはラデックの隣にどかっと腰掛けると、持ってきたカレーの器を手渡す。

「ありがとう。今日の当番はハピネスか」

「あいつカレーしか作らんな。今度煮物でも教えてみるか」

「創作活動にはあまり興味がないみたいだな。ん……かなり辛いな」

「多分本人が一番困ってるよ。ねえねえ、ナハルんの説得どうだった?」

「失敗に終わった。やはり正体は知られたくないらしい」

「うへぇ……面倒くさくなったなぁ。ま、いっか」

「しかしラルバにしては随分(ずいぶん)優しいじゃないか。秘密を守ってやるなんて」

「え?ああ、弱みは握っておくに越したことないからな」

()めて損した」

「シスターの方は結構収穫(しゅうかく)があったよ!いやあいい仲間が来てくれましたねぇ」

「結局、何故シスターを誘ったんだ?」

「んえあ?」

「ラルバは善人が嫌いだろう。シスターはジャハル以上に善人だと思うが……」

「ふっ……まっさかあ。アイツ……相当な悪だよ」

「……なんだと」

「まあ見る人からしたら善なんだろうけど……いつか悔恨(かいこん)に染まる顔が見たいもんですなぁ」

「……ラルバ」

「極論じゃないって!!いや(カン)であることは確かなんだけどさ。アイツが自分の所業を悪行だと確信して、尚且(なおか)愉悦(ゆえつ)に浸っていることは間違いないよ。勘だけど」

「信じ(がた)い」

「まあ見てなさいよ。どうなるかは知らんけど……そういや行き先どうなった?」

一先(ひとま)ずは“スヴァルタスフォード自治区”に向かうことになった。未だ内戦の火が(くすぶ)る“悪魔の国”だそうだ」

「ほへぇ……じゃあ今の所、目的は二つだな」

「二つ?あと一つはなんだ?」

「“漆黒の白騎士”の討伐(とうばつ)だ。こないだ決めた」

「漆黒の白騎士?それは黒いのか?白いのか?」

「分からん。各地で逸話(いつわ)を聞くから実在はするんだろうが……なんでも、笑顔の七人衆を(しの)ぐ強さって(うわさ)だぞ。ソースはハピネス」

「悪なのか?」

「いやあ悪じゃないかなぁ。世界を滅ぼして回った豪傑(ごうけつ)らしいし」

「ほう。どうやって探すんだ?」

「それは追々……で、三つめだが」

「二つじゃないのか」

「通り魔の討伐だ」

「通り魔?」

「世界各地で無差別に惨殺(ざんさつ)して練り歩いている使奴の通り魔だ。これは悪い!!」

「成る程……あれ?でも前にイチルギが“積極的に人を害する使奴は希少“だと……」

「私の他にもいるだけだろ。ただ……その使奴、ハピネスも1回しか見たことない上に、イチルギに至っては噂も知らないそうだ」

「……世界各地で出没する残忍な通り魔を、世界を()べる役割を(にな)っていたイチルギが知らないのは確かに変だな」

「んっふっふ……快楽殺人鬼VS極悪通り魔。どっちが強いか勝負だ!!」

「快楽殺人鬼の自覚があるならどうにかしろ。不愉快だ」

「ゴメンて。直さないけど」



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真吐き一座
69話 来る者拒まず去る者追わず


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子枯(こが)らし平野 〜

 

 ジャハルが運転するラルバ一行を乗せたバスが、(まば)らに雑草が生える荒野をひた走っている。“悪魔の国”と呼ばれる君主主義国家“スヴァルタスフォード自治区”を目指し、グリディアン神殿を()って2日が経った。しかし、壊れかけのバスを修理しながらの旅は(いま)だ乾燥地帯を抜け出せずにいた。

 車内ではラルバとラデックとバリアとラプーが4人でトランプに興じており、それをイチルギが汚物を見るような眼差しで見下している。

「はい上がりー!!また私の勝ち!!」

 ラルバが手札を場に放り投げて勝ち誇ると、続けてバリアが手持ちの札を全て場に出す。

「三番上がり」

「あははー、またラデック最下位だねぇ」

 ラデックは(わず)かに眉間に(しわ)を寄せて自分の残った手札を(にら)み、ラルバ達の顔へ順番に目を向ける。

「……使奴相手に競技を始めた時点で、既に負けが確定している様なものだ」

 しかしラデックは発言とは裏腹にトランプを(まと)め、再び全員分の手札を配り始める。イチルギはそれを見て大きく溜息を吐いて視線を()らす。

暢気(のんき)ねぇ……全く」

 逸らした視線の先では、シスターが物憂(ものう)げそうな表情で風景を眺めていた。イチルギはその近くに座ってシスターの視界に入る。

「心配?」

「…………いえ、そうではありません……」

「否定するってことは、悩みの種はグリディアン神殿のことじゃないのね」

 シスターはイチルギの予想外の返答を聞いて、初めてカマをかけられたことに気付く。

「イチルギさんも人が悪いですね」

 シスターが少し不機嫌な表情をすると、すぐ側にいたナハルがシスターを守る様にイチルギを睨みつける。しかしシスターは小さくナハルの名を呼んで牽制(けんせい)した。

「構いません。正直、この旅に同行した時点で道徳的な交流は(なか)(あきら)めています。イチルギさん。聞きたいことがあるならハッキリと(おっしゃ)ってください」

 イチルギは少し意外そうな顔をして微笑(ほほえ)む。

「……じゃあ遠慮なく。あなた、どうして私達に付いてきたの?」

 その問いにナハルが怪訝(けげん)そうな顔で首を(かし)げる。

「はあ?何を言っているんだ?お前のとこの暴れん坊が(おど)したんじゃないか」

「う〜ん……そうなんだけど――――」

 イチルギの発言を(さえぎ)って、シスターが小さく失笑を(こぼ)す。

「ふふっ……出発前に、ラルバさんにも同じことを聞かれましたよ」

「あら、なら返答はそれで十分だわ」

「いいんですか?別に話しても構いませんが……」

「ええ。私のやるべきことは決まったし……困ったことがあったら何でも言って」

 そう言ってイチルギが笑うと、シスターは眉を(ひそ)めて首を捻った。その時――――

 

 バゴォン!!!

 

 大きな爆発音と共に車体はガクガクと揺れ急停止した。すぐさまラデックが運転していたジャハルの(そば)へ駆け寄ると、ジャハルは目を伏せて首を振った。

「エンジンがイカれた」

 イチルギとバリアが一旦降車し、エンジン部を覗く。するとイチルギはジャハル達の方を向いて大きく腕でバツ印を作った。

「限界ね。もう直したとこで幾らも走らないわ」

 ラデックもバスを降りてエンジンを覗き込む。

「使奴が……3人もいるのに直らないのか?」

 イチルギは小さく(うな)ってエンジンをノックする。

「ん〜……というより、このバスの機能的にもう走れないわ。古い魔導(まどう)機関だから波導(はどう)が薄い地域、この辺みたいな温暖夏期少雨気候とは相性が悪いのよ」

「でもグリディアン神殿では一般的な乗り物なんだろう?あの砂漠気候だって波導が薄いことに変わりはないはずだ」

「この車が売れてるんじゃなくて、この車しか仕入れられないの。他所の国で使い古された型落ち品に税金かけまくって売ってるのよ」

「なんだ、よくある話か」

「ここからは歩くしかないわねー……」

 イチルギが目を細めて地平線を眺める。荒野には只々薄黄土色の地面が広がっており、目的地どころか人工物の気配すら感じられない。するとラルバがバスから飛び降りて、唐突に空へ向かって大きく跳躍(ちょうやく)をした。そして(すさ)まじい衝撃音と共に着地すると、あどけなく笑い出す。

「んあー……最低でも4日は歩き通しになるねぇ。この辺何もないわ」

 その言葉に反応して、バスの中から何かが倒れる様な音が聞こえてきた。皆が音の方を見ると、酷く青褪(あおざ)めた顔のハピネスが亡者のように出口へ()い出てきた。

「そ……そんな……!!ダメだそんなの……!!」

 見るも無惨(むざん)(やつ)れたハピネスにラデックが手を差し伸べる。

「車酔いは大丈夫か?」

「大丈夫なものか……!!見ろ!この遭難(そうなん)3日目の墓荒らしの様な姿を!!こんな瀕死(ひんし)の体で炎天下に放り出されたら死んでしまう……!!」

 バスの外でラルバが「死なない死なない」と手を(あお)いで否定しているが、ハピネスは顔をブンブン振って拒絶する。

「わた、私に1時間……いや!30分だけ時間をくれ……!!頼む!!」

 ハピネスの懇願(こんがん)に全員が顔を見合わせ、小さく溜息を吐いた。

 

 そうしてハピネスが汗だくになりながらウンウンと唸り始めてから30分後。背後からラルバが声をかけようと近づくと、ハピネスは不気味な笑顔を浮かべて振り返った。

「はは……わた、私の読み通りだ……ラルバ!提案がある!」

「何よ。言っておくけど、移動型民族の馬車に乗せてもらうって案は却下だよ。そんな少数民族が好んで“悪魔の国”に寄るとは思えないし」

 この言葉にハピネスは凄惨(せいさん)な油絵の様に顔を(ゆが)戦慄(せんりつ)する。ハピネスが異能で見つけた希望の星は、(またた)く間に遠ざかっていった。しかし、ラルバの発言にハザクラが何かを思い出したかの様に口を開いた。

「いや、待った。この辺の移動型民族というと、ひょっとして“真吐(まことつ)一座(いちざ)”か?」

 ハピネスはハザクラの方を見て、焦燥(しょうそう)に塗り潰された微笑みを作る。

「そ、そうさ。ほら、行く価値あるだろう……?」

「ああ。ラルバ、ハピネスの言う通り進路を変更しよう」

「うぇ〜!?なんでぇ〜!?」

「“真吐き一座”……人道主義防衛軍が目をつけていた要注意国だ」

「いやそれは知ってるけどさぁ〜」

「“なんでも人形ラボラトリー”と同じく警戒していたが……この流れでいくと、“真吐き一座”も同じく計り知れない問題を抱えている可能性が高い」

 ハザクラの賛同にハピネスは目をギラギラと(かがや)かせながら両手を広げる。

「ほら!ラルバ!君の好きな悪党の巣窟(そうくつ)候補だよ!!行きたいだろう?行きたいよなぁ!」

「いや、別に……」

「行きたいはずだよぉ!!」

「そも本当に悪党がいるならこの反応は不自然だろう。私が(よろこ)ぶと思ったのなら、何故反論された時に弁明をしないんだ」

 ラルバが半ば呆れながら指摘すると、ハピネスは再び抽象的な芸術作品の様に顔を(ゆが)ませて硬直する。そこへ見かねたラデックが現れ、石膏像(せっこうぞう)と化したハピネスを(かば)った。

「ラルバ、(いく)らなんでもこの先歩き通しは可哀想だ。2人の意見を聞き入れよう」

 ラルバは強く息を吹いて(くちびる)を震わせ威嚇(いかく)する。

「なんだいなんだい!ラデック最近私に厳しいぞ!!」

随分(ずいぶん)甘やかしているつもりだが……」

 不貞腐(ふてくさ)れるラルバを他所目に、ラデックはハザクラの方を振り向いて説明を求めた。

「ハザクラ。その“真吐き一座”ってのはどういう国なんだ?移動型民族と言っていたが……」

「“真吐き一座”は、通称“演劇(えんげき)の国”と言われる移動型民族だ。彼らは決まった領土を持たず、主要都市から離れた人の居ない地域を()う様に旅しながら生活している。演劇の国と言うだけあって、曲芸などを含めた演劇……いわゆる見世物の(たぐい)を主な収入源として活動している」

 ハザクラの言葉に反応して、ラルバが顔を輝かせて身を乗り出す。

「演劇の国!?面白そう!!」

「まあ実際、本当に面白いとは思うぞ。移動しているだけあって、行こうと思っても出会えるか分からないしな」

 ハピネスは若干(じゃっかん)(うたが)いつつも、一縷(いちる)の望みに(すが)る様にか細い声を(つむ)ぎ出す。

「じゃ、じゃあ……案内してもいいかな……?行くん……だよね?」

「え、やだよ」

「え……」

「ウソ。行く行く」

 一行は荷物をまとめ、ただの鉄クズのなったバスに別れを告げて歩き出した。

 

 

 

今際(いまわ)湖〜

 

 子枯し平野から2日ほど歩き続け、とっくに日が落ちた宵闇(よいやみ)の湖。その(ほとり)に、真吐き一座と思しき馬車の集団が(かす)かに見えたところで、突然イチルギが手を上げる。

「ちょっと待った」

 一行が足を止めてイチルギに注目する。

「今回私身分隠していい?()め事は避けたいの」

 ハピネスは疲労で満身創痍(まんしんそうい)であるにも関わらず、杖にもたれかかったまませせら(わら)った。

「はっ。世界ギルドのパスポート取得条件に“定住者に限る”などと定めるからだ。事実上、貿易(ぼうえき)社会での村八分(むらはちぶ)だ」

「違うわよ!!単なる棲み分け!!あの後ちゃんと事情説明に訪問したもん!!」

 ラデックは上体ごと身体を(ひね)って問いかける。

「それの何が問題なんだ?俺は社会事情に(くわ)しくないから分からない」

 小馬鹿にするように語り始めるハピネスを(さえぎ)ってイチルギが咳払(せきばら)いをする。

「簡単に言うと、真吐き一座は私の政策が気に入らなかったのよ。私としては移動型民族としての地位を確立させてあげたかったんだけど……」

 後ろの方でナハルがボソリと(つぶや)く。

「……イチルギ側、世界ギルドの言い分としては“他国の領地での行動は世界ギルドで定めた範囲で行え“と言うのに対し、真吐き一座側は”領土という制度を採用している側の勝手な都合で我々の行動を制限するな“と言うものだ。移動型民族からしたら、狩猟(しゅりょう)全般が他国の規則によって制限される訳だからな……鬱陶(うっとう)しいことこの上ないだろう」

 このナハルの説明を聞くと、ラデックは(わだかま)りの内容を(ようやく)く理解する。

「ああ、成る程。移動型民族という文化が国家として認められているからこその軋轢(あつれき)か」

 イチルギは頭を抱えながら不機嫌(ふきげん)そうに唸る。

「そう!そこよラデック!独立宣言と少しの条件さえ満たせば国家として認めてあげてるのにこの始末!!何よ“国領制度は自然への冒涜(ぼうとく)“って!!人間なんか生きてるだけで自然への冒涜よ!!」

「やめろイチルギ。それは天然の人間に対する冒涜だ」

 怒りに打ち震えるイチルギに、ラルバは半笑いで話しかける。

「じゃあ真吐き一座にいる間は、イチルギを“チル助”って呼ぶことにしよう。異論は認めん」

 イチルギは至極(しごく)不満そうな面持ちでラルバを(にら)みつけるが、反論することはなかった。

 

〜真吐き一座〜

 

 真吐き一座は100台近い馬車から成る移動国家である。宿泊専用の馬車や食堂専用の馬車、倉庫馬車、娯楽(ごらく)施設馬車、発電、魔導変換機、作業場などなど……旅人や少数の移動型民族とは異なる、大規模な移動型民族ならではの発展をしている。

 ジャハルはその内の一つに、見張りの人間に敵意がないことを示すため単独で歩み寄る。

「そこの御者(ぎょしゃ)の方!!すまない!!少し時間を頂けるだろうか!!」

 ジャハルの声に、御者の女性は数人の仲間に声をかけて近づいてくる。

「こんな所に人間なんて(めずら)しい。旅の方ですか?」

「私は人道主義自己防衛軍のジャハルという者だ。先刻、我々の乗る車両が故障してしまい、徒歩で目的地を目指していたところあなた方を発見した。大変迷惑な話ではあるかと思うが、向こうにいる仲間共々乗せて頂けないだろうか」

 ジャハルが振り返って遠くにいるラルバ達を指し示す。すると御者の女性達は顔を見合わせた後、ジャハルに柔らかな微笑みを返した。

(おさ)に話を通します。でも、多分平気だと思いますよ。旅をしながら生活している私達にとって、放浪者(ほうろうしゃ)を拾うことは日常ですから」

「それは有難い。当然、対価は十二分に支払おう」

「おや、では目一杯大きな財布を用意しなくては」

 御者は軽い冗談を挟み、遠くの馬車で待機している人間に合図をする。すると、数秒もせずに合図が返された。

「大丈夫みたいです。あの五芒星(ごぼうせい)の飾りがついた馬車へお越し下さい」

「どうもありがとう」

 ジャハルは深く頭を下げて礼をし、ラルバ達の元へ戻った。

「大丈夫だそうだ。意外にもあっさり受け入れてもらった。何か悪巧(わるだく)みのようなものも感じなかったし」

 ジャハルの報告に、ハザクラはハピネスの方を向いて問いかける。

「で、本当のところはどうなんだ。どうせ覗いているんだろう」

「……先にラルバに聞いてくれ。ネタバレは禁じられてる」

 するとラルバは少し低く唸った後、興味なさげに歩き出した。

「ん〜……今回はいいや。好きにしたらいいよ」

 ハザクラが再びハピネスの方を向く。

「だそうだ。教えてくれ」

 ハピネスは少し考えた後、ラルバにも聞こえる声量で答えた。

「……あんまり油断しない方がいいんじゃないかな」

 ハザクラは怪訝(けげん)そうな顔でハピネスを睨む。

「どう言う意味だ?」

「さてね……あ、シスターとナハルは気にしなくていいと思うよ。慰安旅行(いあんりょこう)だと思って楽しむといい。どうせ次はあの悪名高き“悪魔の国”だ」

 シスターとナハルは不思議そうに顔を見合わせる。しかしハピネスはそれ以上何も言わず、馬車に向けて歩き始めた。ハザクラはジャハルの顔を一瞥(いちべつ)してから少し考え込む。

「ジャハル……何か、何でもいい。少しでも気になったことはないか?」

「え?いや、そう言われてもな……」

 ジャハルは腕を組んで頭を捻り小さく(うめ)く。

「う〜ん……そうは言われても……御者は“旅をしながら生活をしていると、放浪者を拾うことはよくある”と言っていたくらいか……?」

「ふむ……放浪者か……」

 

【演劇の国】

 



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70話 演劇の国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


〜真吐き一座 宿泊馬車〜

 

 月明かりと篝火(かがりび)だけが照らす宵闇(よいやみ)の中、ラルバ達は大量の馬車の隙間を()うように進んでいく。馬車の一つ一つはまるで一軒家のように大きく、明かりがついている窓からは、ちらほら手を振って挨拶(あいさつ)をする国民の姿が見えた。そうして御者(ぎょしゃ)に指示された馬車に到着すると、馬車を引いている全長5mはあろう2体の巨大な生物がこちらをじろりと(にら)んだ。ラデックは物珍(ものめずら)しそうに巨大生物に近づき、剛毛(ごうもう)で筋肉質な体躯(たいく)をまじまじと見つめる。

「これは……牛か?馬?にしてもデカイな……」

 そこへ変装したイチルギがやってきて、同じように巨大生物を見上げる。

駱駝(らくだ)よ。正確には馬と駱駝の間……で、ちょっと驢馬(ろば)寄り」

「ウマロバラクダってことか」

「“コウテイラクダ”って種類で、暑さに強くて飲食無しでも1週間は生きるし、さらに海水以上の塩分が入った水も飲める。おまけに病気にも(かか)りづらくて波導(はどう)の薄さも問題ナシ。この辺みたいな砂漠寄りの乾燥帯で暮らすなら、家族以上に信頼できるパートナーよ」

「ほう……それは凄いスペックだな」

 ラデックが足を(たた)んで座っているコウテイラクダの身体を()でようと手を伸ばすと、コウテイラクダは大量の(つば)を吐きかけて威嚇(いかく)した。

「ぐあっ」

「……ごめん。言い忘れてたんだけど、この子達は賢い上にプライドがとても高くて、飼い主以外の人間に()()れしくされることを嫌っているの」

 ラデックは(よだれ)(まみ)れた顔を(ぬぐ)って辺りを見回す。

「………………高スペックで優秀な動物が、これだけ群れを成していて襲撃(しゅうげき)もされず旅を続けていられる理由はそう言うことか」

「そうね。見知らぬ人間の言うことなんか絶対に聞かないわ。それどころか機嫌が悪いと飼い主の言うことさえ聞かない。売買に物凄く苦労する生き物なの。その傲慢(ごうまん)さから“砂漠の王”とも呼ばれているわ」

「……失礼しました王様」

 ラデックがコウテイラクダに深々と頭を下げると、コウテイラクダは笑うように鼻息を小刻みに吹き鳴らし、勢いよく(あご)をラデックの頭に乗せた。

「おごっ…………こ、これは……許されているのか?」

「んー…………許してやらんこともないって感じかしら……」

「……勿体(もったい)なきお言葉」

 

 ラデックとイチルギが馬車の中へ入ると、先に入っていたラルバがラデックに駆け寄ってきてから引き()った顔をする。

「ラデックくちゃい!!おっさんのゲロみたいな臭いがする!!」

「……湖で洗ってくる」

「私も行く〜」

 湖へ向かうラルバとラデックの2人と入れ違いでジャハルが馬車に乗り込み、室内を見上げて感嘆(かんたん)の声を()らした。

「おおお……これは凄いな。馬車の中とは到底思えない……」

 幾何学模様(きかがくもよう)の美しい絨毯(じゅうたん)。装飾が(ほどこ)されたランプ。簡易的なキッチンに大きなテーブル。角錐(かくすい)の屋根を(おお)うように()り出したロフトと、壁にはカーテンの様に垂れ下がった(いく)つものハンモック。まるでロッジ風のホテルではないかと見紛(みまご)う程に清潔な木造馬車が、一行を温かく出迎えた。

 入室してきたばかりのジャハルに、ハピネスは椅子(いす)にもたれ掛かりながら指を突きつけ指示する。

「ジャハル君。悪いんだけどハンモック張ってくれるかい?私は見ての通り立ち上がる気力すらないのだよ」

「……はあ。仕方ない」

 ジャハルは大きく溜息を吐いてから、渋々(しぶしぶ)ハンモックの用意を始める。そこへ先程の御者が(おとず)れ、ジャハル達にお辞儀をした。

「本来は一度長と顔を合わせて頂きたいのですが、今日はもう遅いのでこのままご就寝(しゅうしん)ください。明日の朝お迎えにあがります。お風呂は湖畔(こはん)にある緑色の馬車をご利用ください。給水ホースが湖にまで伸びているのが目印です」

 御者が再び頭を下げて退出する。ハンモックを張り終わったジャハルは大きく欠伸(あくび)をして、気怠(けだる)そうに辺りを見回した。

「警戒するに越したことはないが……今はまだすることもないし、風呂だけ世話になって休むとするか」

 

 

 

〜真吐き一座 ???〜

 

「座長。旅人は全員就寝した様です」

「そうか……所見は?」

「人道主義自己防衛軍の総指揮官が2人、グリディアン神殿の魔導外科医(まどうげかい)が2人……悪さをする連中とは思えません」

「うむ……あの女はどうだ?赤い角に紫髪の……」

「“ラルバ”ですか。確かに目付きが独特で(とら)え所のない振る舞いをしていますが……まだ現段階ではなんとも……」

「……“花形”を呼べ」

「えっ……!?そ、それは……」

「私の“異能“がそう指し示している」

「…………(かしこ)まりました」

 

 

 

 

「んひひひっ」

 

 

 

 

〜真吐き一座 アサガオ劇団〜

 

 翌朝、ラルバ達は真吐き一座の中で最も大きな馬車に集められていた。アサガオの(つた)があちこちに装飾(そうしょく)された豪華な馬車の内部は大きなコンサートホールの様になっており、何人もの役者が舞台に並んで笑顔でラルバ達を迎え入れた。ラルバはウキウキしながら観客席のど真ん中に腰掛け、ラデックの(そで)を引いて隣に座らせた。

「早速演劇でも見せてくれるのかな?楽しみだな!」

 そこへジャハルが早足で駆け寄ってきてラルバを(とが)める。

「まだ何も言われてないだろう。勝手に座るな」

「じゃあ舞台立っていいの?」

「そうじゃないだろうが……!」

 しかし、後ろからやって来たスタッフが優しく微笑(ほほえ)んでジャハルを(なだ)める。

「いいんですよ。そのままお好きな席へ腰掛けてください」

 その言葉にラルバは鬼の首を取った様に威張(いば)嘲笑(ちょうしょう)する。

「ほらぁ〜迷惑かけないの!!」

「ぐっ……!!いい気になるな!」

「ほらほら、なんか始まるみたいだよ。おくちチャック!!」

 ラルバが人差し指を口元に当てて「しぃ〜!」とジャハルを睨む。ジャハルが不満そうにラルバの隣に腰掛けると、他のメンバーも同じように席を選んで着席する。そして観客席は段々と暗くなり、舞台だけがスポットライトに照らし出された。

 そして舞台の中央に立つ壮年の男が一歩前に出てマイクを手に取る。

「初めまして旅のお方。この度は“真吐き一座”にようこそいらっしゃいました。私はこの国の座長……所謂(いわゆる)総裁を(つと)めています。“シガーラット”と申します」

 (うっす)()れたように(なまめ)かしく(かがや)く赤毛のオールバック。白い紳士服に黄金の装飾があしらわれた豪華な衣装。金の瞳と(ほほ)輪郭(りんかく)を覆う髭が清潔感と高貴さをより際立たせている。シガーラットと名乗る男はラルバ達に深々と頭を下げ、隣にいた女性にマイクを手渡す。

「こんにちは!!アタシが真吐き一座の花形。“タリニャ”です!!」

 薄い水色に紺色(こんいろ)のメッシュがかったウェーブの髪、使奴のような黒い白目に彩度をもたない真っ白な肌。額から大きく伸びた2本の傷痕(きずあと)。そして身体の細やかな凹凸(おうとつ)さえも丸わかりの扇情的(せんじょうてき)薄衣(うすぎぬ)の衣装を身に(まと)った彼女は、優雅(ゆうが)な立ち振る舞いと明瞭(めいりょう)な美声でラルバ達に挨拶をした。

「こんな砂漠のど真ん中でアタシ達に会うなんて、旅人さん達ツいてるよ!!今回は真吐き一座の紹介も()ねて、アタシらの演劇を披露(ひろう)します!!どうぞ楽しんでいってください!!」

 タリニャが頭を下げるのと同時に、後ろにいた人間達も同じように頭を下げる。そして舞台に幕が降り、ファンファーレのような音楽が流れ始めた。再び幕が上がると、戦士の格好をしたタリニャが中央に立っており、その歌声でミュージカルが繰り広げられた。

 

 

 

 今から遠い昔の話。まだ空と海が(つな)がっていた頃。善と悪が家族だった頃。

 

 悪意に追われ逃げてきた剣士が、殺意に()まれ()う狩人が、敵意に疲れ(うずくま)る賢者が、善意に耐えかね(うつむ)く騎士が、剣を捨て、弓を捨て、(つえ)を捨て、盾を捨て。

 

 今まで奪った命に顔向けするために、奪ったものを与えるために、守れなかったものを取り戻すために、大事なものを忘れぬために。自分に吐いた一つの嘘。

 

 嘘を(まこと)と成そう。偽りを(まこと)と成そう。これは終わらない罪滅ぼし。喜びで支払う憎しみの代価。

 

 真を吐こう。誠を尽くそう。ここは真吐き一座。嘘が真になるまで、偽りが誠になるまで。

 

 

 

 美しいコーラス、デュエット。アクロバティックな殺陣(たて)。優雅な演舞。役者達が演技を終えると、皆舞台の上で深々と頭を下げ幕が降りた。

 ジャハルは(ほう)けた表情のまま拍手を送り、役者達を()(たた)えた。

「素晴らしい……自分達の国の成り立ちを劇にしているのか。歌も舞も、見事なものだ」

 その隣に座るラルバが、(あや)しい笑顔でくすりと笑う。

「ふぅん……けっこうヤるじゃん。悪くないかな」

 ジャハルは怪訝(けげん)な顔でラルバを睨む。

「悪くないって……使奴と比べるな。あの演技は充分素晴らしいものだったろう」

 しかし、ラルバは席を立ちながらボソリと(つぶや)く。

「いや、演技はヘタクソだよ」

 ラルバの呟きにジャハルは驚いて彼女を見上げるが、ラルバはジャハルの方を向くことなく足早に立ち去ってしまった。ラルバの隣にいたラデックが、顎を(さす)りながら小さく(うなず)く。

「ジャハル。俺達も出よう」

「え?あ、ああ」

 ジャハルが振り向くと、既に他のメンバーも出口に向かって歩き出していた。

 

「劇は如何(いかが)でしたでしょうか」

 馬車を出ると、外には座長のシガーラットが立っていた。そこへハザクラが歩み寄り、軽くお辞儀をする。

「大変良いものを見させて頂きました。ご好意に厚く感謝申し上げます」

 シガーラットは満足そうに微笑みを返す。

「それは良かった。ジャハルさんのお話ですと、目的地は“スヴァルタスフォード自治区”だと(うかが)っております。1週間ほどで到着すると思いますので、それまでは各自ご自由にお過ごし下さい」

 するとラルバが勢いよく手を上げる、

「はいはいはーい!!ご自由にってことはー、練習とかも見学していいのー?」

 ラルバの厚かましい発言に全員がラルバを睨むが、シガーラットは優しく微笑んだまま(うなず)いた。

勿論(もちろん)でございます。皆旅をしている都合上、他国の方との交流が少ないので喜ぶと思います。もし良かったら、演劇体験などもしていって下さい」

「演劇体験!?それどこでできんのー!?」

「あちらの馬車でしたらすぐご案内できるかと思いますよ」

「やったー!!ラデック行こー!!あ、全員解散!!また夜ねー!!」

 子供のように(はしゃ)ぎ遠ざかっていくラルバを呆然(ぼうぜん)と見つめるハザクラ。すると、その肩をイチルギが同情するようにポンと叩く。

「……ハザクラ君。これはまだ大人しい方よ。まだ大人しい方……」

「…………そうか」

 

 

〜真吐き一座 ローズマリー劇団 (ラルバ・ラデック・ハピネスサイド)〜

 

「じゃあ皆さん準備できましたかぁ?」

 スタッフが更衣室に声をかけると、3人は意気揚々(いきようよう)とカーテンを開けた。

「じゃじゃーん!!どう!?」

 ラルバが真っ白な白衣姿を一回転してラデックに見せる。

「良いんじゃないか。…………それは何の職業だ?医者か?」

「精神科医!!」

「……精神科医か。ラルバが……」

 3人は演劇体験のため、それぞれ小道具を借りていた。窮屈(きゅうくつ)な衣装部屋には所狭しと衣装や小道具が飾ってあり、辺りには植物の油の匂いが立ち込めている。

「ラデックのそれは何?画家?」

 ラルバがラデックのペンキに塗れたオーバーオール姿を見て首を(ひね)る。

「絵本作家だ。昔からの(あこが)れでな」

「絵本作家……ラデックって絵描けたっけ?」

「まだ描けない。……ハピネスのそれはなんだ?」

 ラデックはハピネスの豪華絢爛(ごうかけんらん)な衣装を指差して(たず)ねる。

「これかい?女王様だよ」

 ハピネスが満面の笑みで答えると、2人は反応に困って押し黙る。そしてラルバが石のように数秒硬直した後、小声で(つぶや)いた。

「……………………なんで?」

「やりたいから」

 依然(いぜん)満足そうに笑うハピネスに、2人がこれ以上何か尋ねることはなかった。

 3人の衣装姿を見ると、スタッフは拍手をしながら何度も頷いた。

「皆さんよくお似合いですよぉ!!あ、ラデックさん、ここのボタンはこっちに()めるのが一般的なので……はい!こうした方が自然ですよぉ!」

「ああ、ありがとう。それにしても沢山の衣装だな」

「えへへぇ、そうですかぁ?そう言っていただけると()った甲斐(かい)がありますねぇ!」

「縫った?これ全部あなたが?」

「いや全部じゃないんですけどねぇ?まあ半分近くは私かなぁ……」

「それは凄い……職人技だな」

「でも肝心なのは演技の方ですからねぇ」

「演技?あなたも役者なのか?」

「はい!真吐き一座ではほぼ全ての人が役者ですよぉ。監督と座長は別ですけどねぇ。役者であることは当然でぇ、それ以外にも役割――――私みたいに衣装係だったりするんですよぉ」

「そうなのか……ではあの“タリニャ”という花形女優も、裏にはもう一つの顔があるんだな」

 ラデックの言葉に、スタッフは目を見開いて強く否定をする。

「ややややややっ!!タリニャさんは別ですよぉ!!あの人は別です!!」

「そうなのか?」

「アサガオ劇団の花形ってことは真吐き一座の看板役者ですからねぇ。いやあ(あこが)れちゃうなぁ……」

「…………憧れる?」

 ラデックが怪訝(けげん)面持(おもも)ちでスタッフに尋ねる。

「そりゃぁ憧れちゃいますよぉ!!あの美貌(びぼう)にあの才能!!流石(さすが)はナンバーワンですよねぇ!!」

「……そうか……憧れる、か」

 

 

〜真吐き一座 アネモネ劇団 (ジャハル・ナハルサイド)〜

 

 ナハルが当てもなく馬車の周辺を彷徨(うろつ)いていると、後ろからジャハルが声をかけて来た。

「……なんでしょう」

「特に用事がある訳じゃない。1人でいるのは珍しいと思ってな」

「……シスターはハザクラさんに連れられて他へ行きました。2人きりで話したいと」

「そうか。私もハザクラについて行こうとしたが、まあ同じような理由だ。よかったら我々も少し散策してみないか?丁度そこの馬車が劇団の一つらしい」

「……まあ、構いませんが」

 終始不機嫌そうなナハルに、ジャハルは少し困惑して微笑んだ。

 

「やあやあ!!よく来たね!!いやあよく来たよ!!」

 ジャハルとナハルが入室するや否や、中にいたシルクハット姿の小太りの男性が手を叩いて喜んだ。背の低い卵のようなシルエットの男性は「ちょっと待ってて!」と言って大慌(おおあわ)てで椅子を2つ引き()って来た。

「座って座って!いやあ(うれ)しいなあ!あ、申し遅れました!私はこのアネモネ劇団の監督、“ウェンズ”と申します!!」

 ウェンズはシルクハットを取り、頭頂部が禿()げた丸い頭を深々と下げる。それに合わせて思わずジャハル達もお辞儀を返す。

「わ、私は人道主義自己防衛軍のジャハルと言います。こっちはナハル」

「どうも……グリディアン神殿のナハルと申します」

「ジャハルさんにナハルさん!!良いお名前だ!!」

 ウェンズは端から踏み台のような小さい椅子を持って来て、そこにちょこんと腰掛ける。

「今うちの役者は出払っていてね。余り面白いことができる訳ではないんだけど、なんでも聞いてください!!」

 心底嬉しそうにニコニコと笑顔でこちらを見つめるウェンズに、ジャハルは申し訳なさそうに頭を()

「あ、いや、その。すみません……実は散策ついでに入ったもので……特に目的がある訳ではないんです……」

「あっ!!いやいや!!劇団というのはそう言うものですから!!我々はお客さんに楽しい何かを提供する!!お客さんは“よくわからないけど楽しそうだから”訪れる!!極めて一般的な理由ですよ!!」

「そ、そうですか……では……あの花形の彼女。“タリニャ”さんが歌っていた歌についてお聞きしても良いですか?」

「ああ!!“詭弁(きべん)英雄譚(えいゆうたん)”ですね!!あれはですね――――」

 

今際湖(いまわこ) 湖畔 (ハザクラ・バリア・シスターサイド)〜

 

「あれはこの国の成り立ちであり、同時に信念のようなものです」

 小さな岩に腰掛け優雅(ゆうが)にアコーディオンを()く男性が、ハザクラ達の問いに答える。黒と薄い赤の縦縞模様(たてじまもよう)のスーツに、縁の無い眼鏡と大きな一輪の花が装飾されたヘッドドレス。色白で華奢(きゃしゃ)な礼儀正しい紳士は、自らを“ライラ“と名乗った。

「この国は元々、(すね)に傷のある者同士が作ったと言われています。そして彼等は自分達の技術を使い、今度は人を傷つけるのではなく楽しませようと誓った。そしてその信念は今尚(いまなお)受け継がれており、この国の方々は他者を助けることに躊躇(ちゅうちょ)をしません。あなた方を助けることは、我々にとって道徳上の義務だったんですよ」

 ハザクラはライラの横に座り、彼の目を見る。

「ではもう一つお聞きしたい。自分達が正義であるなら、何故(なぜ)旅芸人などをしているんだ?」

 ライラは演奏の手を止める。

「……?正義であることと旅芸人であることは相反しますか?」

「あなたは見たところ吟遊詩人(ぎんゆうしじん)のようだ。吟遊詩人と言えば、社会情勢なんかを歌こともあるだろう」

「それは……そうですね」

「劇団の脚本に史実が(あつか)われることもある」

「はい」

「しかし、論理というのは不完全だ。語り方によって善悪が反転し、またそれを収益のために故意に誇張(こちょう)することもあるだろう」

「我々はそんなことしませんよ」

「聞き手はそう思わない。メディアが情報を発信した時点で、受け手によって都合良く解釈(かいしゃく)されるのは当然だ。それを正義と思って行っているならば、その真意を知りたい」

「…………」

 高圧的なハザクラの理詰めに、ライラは若干俯いて視線を()らす。後ろでその様子を見ていたシスターは、(たま)らずハザクラの肩を(つか)んだ。

「ハザクラさん。失礼が過ぎます。助けてくださった方にする態度ではありません」

 シスターがライラに頭を下げる。

「大変申し訳ございません……お気を悪くされたのなら――――」

聡明(そうめい)な方ですね」

 シスターの謝罪を(さえぎ)ってライラが微笑む。シスターは(おどろ)いて言葉を詰まらせ、瞳孔(どうこう)を小刻みに揺らした。

「ハザクラさん……あなたの推測は半分正解ですよ。確かに、私はこの国に“男娼(だんしょう)“として(やと)われています」

 ライラの言葉に、ハザクラが思わず息を()んだ。

「……俺は何も言っていないが」

「仕事の関係上、自分に向けられる眼差しがどういう“色”をしているかが何となく分かるんですよ……人の身体を触る以上爪の手入れは欠かせませんし、服だって着心地以上に脱がしやすさを重視した作りになってしまう。その辺の事情を知っている方とそうでない方では、私への接し方が明確に異なるんですよ……」

 自分の考えを的確に見抜かれてしまったハザクラは、首筋を伝う不快な生暖かさに身を震わせる。

「でも惜しかったですね。シスターさんの推測が満点です。私は男娼ではありますが、この仕事を低俗(ていぞく)な仕事だと思ったことはありません。ハザクラさんは哀れなの男娼の葛藤(かっとう)に漬け込んで真吐き一座の裏話を聞き出そうとしたのでしょうが……残念でしたね」

 ライラがニコっと笑うと、ハザクラは参りましたと言わんばかりに深々と頭を下げる。

「大変申し訳ないことをした……」

「いえいえ……慣れていますから」

 ライラはシスターにも優しそうな微笑みを向けるが、シスターは心の(おく)(のぞ)かれる様な忌避感を覚えて一歩後退(あとずさ)る。ハザクラが背を向けその場を立ち去ろうとすると、ライラは再びアコーディオンを弾いて軽快な音楽を奏で始めた。そしてシスターがハザクラの後を追おうと(きびす)を返すと、ライラは一言だけシスターに告げる。

「恥じることはありませんよ」

「えっ?」

 シスターが足を止めてライラの方へ振り返る。

「感謝に生かされている人間を、人は善人と呼びます」

 そうライラが微笑むと、シスターは彼をキッと睨みつけて足速にその場を後にした。ライラはその背中を見送りながら、曲のテンポを少しだけ落として呟く。

「……難儀(なんぎ)な人だ」

 

 

 

〜真吐き一座 夕暮れの宿泊馬車〜

 

「おかえんなさい。もうラルバ以外みんな帰って来てるわよ」

 宿泊馬車で待っていたイチルギが、帰ってきたラデックを出迎えた。

「ただいま……ラルバ以外?」

「え?そうだけど。一緒じゃ無いの?」

「先に戻ると言っていたんだが……変だな」

 不審に思ったラデックが再び外に出ようと扉に手をかける。すると、勢いよく外から扉が開かれた。

「ひいっ……!!ひぃっ……!!」

 突然部屋に飛び込んできた男性は、慌てて扉を閉めてラデック達の方へ振り返る。すると、ジャハルがその顔を見て声を上げた。

「あなたは……確かアネモネ劇団の監督……!そんなに慌ててどうした……!?」

 アネモネ劇団のウェンズ監督は、大きく深呼吸をしてからジャハルに駆け寄り、部屋をぐるりと見渡してから小声で叫んだ。

「あっ……貴方達のお仲間……!!あの赤い角の方が……!!座長に監禁されているっ……!!!」



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71話 事実は小説よりも

15日から更新を忘れていたので連続で投稿します。


毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


 世界中を旅する移動型国家“真吐き一座”。その総裁である“シガーラット”座長の(いき)な計らいにより、国の看板女優である花形“タリニャ”主演の演劇で歓迎された一行。和気藹々(わきあいあい)とした(おだ)やかな空気が流れる中、巨大なコウテイラクダが引く巨大馬車の群がゆっくりと移動を開始し始めた直後。一行の宿泊する馬車に、思わぬ凶報が飛び込んできた。

 

〜真吐き一座 夕暮れの宿泊馬車〜

 

「ひぃっ……!!ひぃっ……!!」

 馬車が出発する揺れと共に転がり込んできた男を見て、ジャハルは思わず声を上げた。

「あなたは……確かアネモネ劇団の監督……!そんなに慌ててどうした……!?」

 アネモネ劇団のウェンズ監督は、大きく深呼吸をしてからジャハルに駆け寄り、部屋をぐるりと見渡してから小声で叫んだ。

「あっ……貴方達のお仲間……!!あの赤い角の方が……!!座長に監禁されているっ……!!!」

 その言葉に、馬車内は一瞬凍りついた。誰一人として微動だにせず、車輪が(きし)不穏(ふおん)な音だけがぎいぎいと響いている。ウェンズが恐る恐る全員の顔色を(うかが)う中、ハピネスが(おもむろ)に手を挙げた。それを見てハザクラが神妙な面持ちのまま口を開く。

「…………どうした。ハピネス」

「トイレ行きたい」

「……………………勝手に行け」

 全員に(あき)れられる中、ハピネスは若干苛立(いらだ)ちながら(つえ)を手に取る。

「えー……だって今何も言わずに立ったらさ、絶対皆私に何か考えがあるって思うだろう?ないよ。ないない。そんなことより、今日の食事当番がいなくなったんだからさ、誰が何作るか決めておいてよ」

 その言葉にラデックが小さく「ああ」と(つぶや)く。

「順番で行けば次は俺か。皆何がいい?」

 ラデックの暢気(のんき)な発言に、ウェンズは思わず(たず)ねる。

「あ、あの〜……」

「ん?一緒に食べていくか?なら人数はいつも通りか……」

「あっ、いやっ、け、結構です……って言うかそれよりもっ」

「なんだ?」

「あ、あの、つ、角の方の……」

「ああ、ラルバは一食ぐらい抜いたって平気だ。丈夫だからな」

 全く話が噛み合わないラデックに困惑するウェンズ。その横で、ハザクラが気怠(けだる)そうに大きく息を吐いた。

「あー……一応聞いておくが、救出に向かいたい者。挙手」

 ハザクラが部屋をぐるりと見渡すが、誰一人反応はなく皆重苦しい表情のまま押し黙っている。そして今度はラデックが口を開いた。

「今夜のメニュー、魚がいい人。挙手」

 ジャハルとイチルギとラプーが手を挙げた。

「それ以外に希望ある人」

「牛ハラミ!!!」

 トイレの方から強い主張が飛んできた。

「……牛は貴重だ。今夜は(なまず)のアクアパッツァに決まりだ」

 ラデックがキッチンの方へ向かうと、シスターが(うつむ)きながら小さく手を挙げた。

「どうした?シスター。残念だが牛ハラミは無いぞ」

「私、助けに行きます」

 シスターの呟きに全員が彼の方を見た。ラデックはシスターの挙げた手をゆっくりと下げさせ、同時に手を引く。

「助けて欲しいのは俺だ。鯰(さば)くの手伝ってくれ」

 しかし、シスターはラデックの手を振り払って目を伏せる。ラデックは困った様に頭を()いてシスターを見つめる。

「俺は今回ラルバから何も聞いてない。助けが欲しいなら事前に何か指示があるはずだ。下手に関わればどやされるぞ」

「……私は……私の正しいと思うことをしたいんです」

 冷たく(よど)んだ、それでいて不安や心配の色を感じさせない冷淡なシスターの眼差しに、ラデックは(しばら)(あご)に手を当てて首を(ひね)る。そしてウェンズ監督の方を向いて質問を投げかける。

「ウェンズ監督、ラルバを誘拐(ゆうかい)したと言うのは、あの“タリニャ”という花形女優か?」

「…………へ?あ、は、はい……でも、なんでそれを……」

 ハピネスがトイレから戻り、ラデックにヘラヘラと笑いながら肩を寄せる。

「ラデック君も中々察しが良くなってきたじゃないか」

「そりゃどうも。バリア、ハザクラ。手を貸して欲しい」

「いいよ」

「待て、何をする気だ?」

 一つ返事で快諾(かいだく)したバリアを他所目(よそめ)に、ハザクラはラデックの考えを(いぶか)しんで眉を(ひそ)める。

「ラルバを連れ戻す。おそらく戦闘になるだろうが、イチ……チル助は参加できないだろうから、ジャハル達と一緒にここで待っていて欲しい。その代わり、拘束力に長けたバリアとハザクラに同行を頼みたい。恐らく、俺の異能だと手加減が出来ないと思う」

 そう言ってラデックがイチルギの方へチラリと目を向ける。ローブのフードを深く被ったイチルギは自身の呼び名にただならぬ不満を表しながらも、ラデックの策に賛成して数回(うなず)く。しかしハザクラは未だ納得せず、首を縦に振らなかった。

「あのバカ(ラルバ)1人のためにそこまでする必要はあるのか?放っておけばいいだろう」

「……助けにいかなかったところで俺もラルバも気にはしないが、シスターが助けに行きたいと言っているんだ。説得するなら俺よりシスターの方だろう」

 ラデックがシスターの方へ目を向けると、シスターはそのルビーの様に美しい瞳を一瞬伏せるが、すぐに決意の(みなぎ)った勇ましい眼差しをハザクラの方へ返した。

「お願いできませんか、ハザクラさん」

「真意を聞きたい」

「人助けに理由は要りません」

「人助けに理由は必要だ。元より人助けでもないがな……」

「理由が必要ならば後付けをします。善行とは、善き心を持った健全な人間の義務です。必要なのは助ける理由ではなく、助けない理由です。ハザクラさん。善き心を持った健全な人間が他者に手を差し伸べなくていい理由を聞かせて下さい」

 シスターの果敢(かかん)な反論に、ハザクラは(あきら)めた様に大きく息を吐いて首を振った。

「わかったよ。手伝う。…………頑固者が増えたな」

 ハザクラがチラリとナハルの方を見ると、ナハルは気不味そうに深々と頭を下げた。使奴と言うことをシスターに隠しているナハルにとって、今回のシスターの行動は到底受け入れ難い申し出だった。しかし、シスター本人の強い希望を退(しりぞ)ける(すべ)はナハルにはなく、事情を知っている強者であるハザクラの同行を、ナハルは内心強く願っていた。そんな心配性のナハルの背中を、ハピネスが(はげ)ます様に叩いた。

「なあに心配要らないよ。今回は安全が”保証“されている」

 ナハルはハピネスの胡散臭(うさんくさ)戯言(たわごと)に目を(しか)めるが、今はこの不得要領(ふとくようりょう)の道化師を信じる他なかった。

 

〜夕暮れの今際湖(いまわこ)近辺 (ラデック・ハザクラ・バリア・シスターサイド)〜

 

 馬車の大群は既に移動を開始しており、コウテイラクダ達はそれぞれ群の先頭へと向かって歩みを進めていた。ラデック達は馬車から飛び降りると、辺りをぐるりと見回してウェンズ監督に教えてもらった座長のいる赤い馬車を探し始めた。コウテイラクダの歩みはそれほど速くはなく、問題は見張りの目を()い潜ることだけになった。

「意外と見張りが多いな……」

 ハザクラは宿泊馬車の車輪の傍に張り付きながら辺りを警戒する。幸いコウテイラクダの指揮を取る御者は先頭に1人いるのみであったが、見張りが数台に1人の割合でついているため、堂々と歩き回るわけにはいかなかった。

「後ろはあの2人だけ注意すれば十分か……?なら……」

 ハザクラが見張りの視界から外れると同時に隣の馬車へと移動し、コウテイラクダの足の隙間に身体を潜らせた。しかし――――

「ハザクラ。そこどいた方がいい」

 ラデックの警告の直後、コウテイラクダは(わざ)と足並みを乱してハザクラを前方へ蹴り出した。

「ぐっ……!?」

 ラデックは自分が(つば)を吐きかけられたことを思い出しながら、転がっているハザクラをコウテイラクダの進路からすぐさま引っ張り出す。

「コウテイラクダは賢くプライドが高いそうだ。きっと自分を隠れ(みの)として利用されていることが腹立たしかったんだろう」

「あ、甘く見ていた……」

 そんな2人を、コウテイラクダは馬鹿にするように鼻を小刻みに鳴らして甲高く(いなな)いた。その鳴き声は見張りの一人にまで届き、異常に気付いてこちらへと顔を向けた。

「しまった――――!!」

 ハザクラが見張り目掛けて魔法を打ち込もうと指を向けると、ラデックが射線を塞いで立ちはだかる。

「ラデック!?どけ!!」

「いや、多分大丈夫だ」

 ラデックはそのまま隠れることなく見張りの方へ歩いていき、見張りもまた、ラデックの方へ近づいて来た。

「こんばんは」

「こんばんは旅のお方。危ないので、移動中は出歩かない様お願いします」

「座長に用がある。うちのメンバーを誘拐(ゆうかい)した件について」

 ラデックの発言に、ハザクラとシスターは驚きの余り言葉を失った。しかしそれは見張りも同じようで、ラデックの言葉に目を見開いて一瞬固まるも、何も言うことなく背を向け立ち去っていった。ラデックはそれを見送って、唖然(あぜん)としているハザクラ達へと振り返る。

「ほら、大丈夫だった」

 ハザクラは理解が追いつかず、思わずラデックに尋ねる。

「……根拠はなんだ?ラデック、何を知っている……?」

「ただの推測だったが、さっきハピネスに「察しがいい」って言われたお陰で、俺の考えが正解だと確信した」

 ラデックはハザクラ達に背を向け、座長の馬車を探しながら説明をする。

「ハザクラ、昨日の劇を見ていて気付いたことはないか?」

「昨日の劇……“詭弁(きべん)英雄譚(えいゆうたん)”か。そうだな……特に違和感はなかったが……強いて言うなら相当練習している、と言うくらいか。特にあの殺陣(たて)は見事なものだった。多人数が絡む剣戟(けんげき)や飛び道具をものともせず寸前で(かわ)すなんて芸当、生半可な練習ではないのだろう。ラルバも()めていたとジャハルが言っていたな」

「……多分ラルバは演技を褒めたんじゃない。俺もあの劇、特に殺陣は相当下手だと思った」

「何だと?」

 怪訝(けげん)な顔をするハザクラに次いで、シスターもラデックの言葉を不審がって首を(ひね)る。

「演技を褒めていない……?」

「俺はこう見えて演劇が好きでな。保育施設では暇さえあれば映画や演劇を見ていた。ジョウデン・シリョウって役者が一番好きで――――って、知るわけないか。まあ演劇の裏方のことは少しだけだが分かるんだ。例えば、殺陣での斬られ役の動きだな。客席やカメラの間に入らないようにするとか、目立ちすぎず地味すぎない退場の仕方とか、舞台から退場して一瞬で着替えて別人としてまた斬りかかるなんてのもある。あの一瞬には、見る側からは到底考えられない程に緻密(ちみつ)な計画が立てられているんだ。しかし、あの殺陣には“それ”がない」

 ハザクラは再び(いぶか)しげな表情で問いかける。

「あの乱闘が演技じゃなかったら何だと言うんだ」

「ただの乱闘だ。強いて言うなら即興の乱取り……稽古(けいこ)と言った方が適切だろう」

「……そんなわけ――――」

「そんなわけあるんだ。暗器の牽制(けんせい)やフェイント封じは、戦闘技術としては高等だが見ていてつまらない。飛び道具も実戦で味方を(かえり)みない場合は有効だが、劇に()いてはタブー中のタブーだ。手から離れた小道具が客席に飛んでいってしまうかもしれないからな。斬られた時の崩れ方も非常にリアルだが迫力がない。多少非現実的でも大きく仰け反るとか、最低でも断末魔の一つは欲しい。同じように、実戦では有り得なくとも剣を振るうのに掛け声の一つもないのは見ていてつまらない」

「……リアルを追求しているんだろう」

「リアルとリアリティは違う。事実は小説よりも奇なり、だが、事実は奇すぎて小説よりも分かりづらくつまらない。自殺に見せかけたであろう密室殺人は本当にただの自殺でしたーなんてオチの本、面白くも何ともないだろう。創作で現実のルール全てを適用するのは悪手も悪手。それを理解していない時点で、この国は“演劇の国”を名乗る資格がない」

「……仮にそうだったとして、演劇下手とラルバの誘拐がどう関係するんだ」

(まこと)を成すためだ」

「…………誠?」

「“詭弁の英雄譚”の一節だ。あの劇によると、この国は元々悪党の集まりで、その罪滅ぼしの為に嘘をつき旅をしていると言う。恐らく、“役者”と言うのが嘘で、本職は戦士なんだろう。あの殺陣はどう見ても“現実”を知っている者の動きだった。あれは演技ではなく、アドリブの乱取り。最も優秀な戦士である花形が、自分より弱い者の攻撃を難なく躱す。だからリアルで面白みがないんだ。小説よりも奇で分かりづらくつまらない現実を模倣(もほう)するだけ……場数をこなして来た歴戦の猛者ならではの稚拙(ちせつ)な演劇なんだ。ラルバはその戦闘技術を褒めたんだろう」

「役者が嘘だと?考えすぎじゃないのか?」

「昨日会った劇団の人が、花形女優に対して“(あこが)れる”と言っていた。俺の知る俳優という人種は、同業者を敬愛こそすれ憧れはしないと思う。偏見だが、ナンバーワンよりオンリーワンを(とうと)ぶ姿勢が強い。花形女優への憧れは、役者としての羨望(せんぼう)というよりは戦士としての畏敬(いけい)に近い……と思う」

「戦士か………………“これは終わらない罪滅ぼし。喜びで支払う憎しみの代価”……ラルバを誘拐したのは罪滅ぼし……勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の為か?」

「その勧善懲悪が、さっきの見張りが見逃してくれた理由だ。俺たちは悪を()す悪者じゃない。だからラルバだけが連れて行かれた。恐らくこの国は、どこかでラルバの存在を知っていたんだろう。そして――――」

 ラデックが少し離れたところにいる見張りの人間に目を向ける。すると見張りは慌てて視線を背けて気付いていないフリをした。

「何故だか、この国は俺達がラルバを救出することを望んでいる」

 ラデックの推測に、シスターは恐る恐る口を開く。

「ラルバさんは自身の痕跡(こんせき)を極力残さないようにしていたそうです。あの洞察力と勘の鋭さで、誰かに正体を知られるなんて事あるんでしょうか……それに、皆さんの足跡(そくせき)は人道主義自己防衛軍が後を追って消しているのでしょう?一体どうやってラルバさんの悪行を知るんですか?」

「そこは正直言って消去法で導き出した答えだから不確定だ。この面子で勧善懲悪の為に誘拐するなら十中八九ハピネスだと思ったが、そこを外してラルバだけ連れ去ると言うことは、どこかで情報が漏れたと考える他ない。あとは何かしらの異能持ちがいるかどうかってトコだが……その辺は考えても仕方がないことだからな。今はっきりわかっていることは、この国の役者は全員戦士であるということと、誰かがラルバの悪行を見抜く力を持っているということ、そしてラルバの救出までが黒幕の作戦であるということ……ぐらいか」

 辺りを見回しながら歩いていたラデック達の前に、ウェンズから教えてもらった赤い座長の馬車が映る。

「……ただ、誘拐したと言うことは、向こうはラルバが使奴だと言うことは知らないようだ。油断は禁物だが……べらぼうに敵わない相手でもないだろう」

 そう言ってラデックが乗降口に手をかけて馬車に乗り込む。入り口から見える場所には不自然なほど見張りの姿は見えず、馬車を引く2頭のコウテイラクダのだけが時折ラデック達を(にら)むのみであった。

 ラデックが馬車の(とびら)に手をかけると、鍵のかかっていない扉は来訪者を出迎えるように(きし)みながら口を開けた。扉の先には、生暖かく不愉快な暗闇だけがどこまでも続いている。ラデックが何の躊躇もなく暗闇に足を踏み入れると、少し怯えながらもシスターが後に続く。ハザクラもそれに続こうと一歩踏み出すが、不意にバリアの方へ振り返る。

「……バリア先生。先生は……黒幕の真意について、どうお考えですか」

「………………特に」

「私達の救出は……何故妨害されないんでしょうか」

「悩むだけ無駄」

「先生は…………先生はどうしてラルバの旅について行っているんですか」

 ハザクラの(つぶや)くような問いに、バリアは(わず)かに(まゆ)(ひそ)めて沈黙する。

「おーい。ハザクラー?」

 暗闇からラデックの声がする。

「呼んでるよ」

「……はい」

 ハザクラは少し悲しそうな眼差しを足元に向けた後、バリアと共に暗闇に足を踏み入れた。

 

〜真吐き一座 国議馬車〜

 

 一歩進むごとに、床板の軋む音が暗闇を(ねずみ)のように駆け巡る。緩衝装置(かんしょうそうち)によって軽減された馬車の揺れや走行音は、緊張のせいで耳鳴りと眩暈(めまい)の錯覚となって足に絡まった。

 目を()らして机や棚を避けながら進むと、ラデックが2階に続く階段を見つけた。ラデックは後続に小声で呟いた。

「……階段だ……微かに物音もする。座長は恐らく2階だろう……」

 そして再び歩みを進めようとすると、ラデックは背後で微かに声が聞こえた様な気がした。ラデックが背後を振り向くと、すぐ後ろにいたシスターもラデックの視線を追って同じように振り向いた。視線の先にいたハザクラは歩みを止め、じっと身を固まらせて耳を澄ませている。その数秒後、ラデックは突然叫んでハザクラの方へ駆け出した。

「上だっ!!!」

 ラデックがハザクラに体当たりをして突き飛ばすと、ハザクラが立っていた場所の床板が突然弾け飛んだ。ラデック達と分断されたシスターが狼狽(うろた)えていると、(わき)からバリアが走って来てシスターを担ぎ込んだ。

「バリアさん!?」

「舌噛むよ」

「バリア!!そのままシスターを奥へ!!」

 バリアが階段を登り出すのと同時に、背後から人影が(すさ)まじい速度で接近していく。そして人影がバリアに接触するその瞬間――――

虚構拡張(きょこうかくちょう)――――!!」

 バリアとシスターの後ろ姿は“タイルがひっくり返る”様にして消え去り、タイルはそのまま周囲の景色に伝播(でんぱ)して、馬車の内部はあっという間に“様々なスイッチに囲まれたドーム状の光景へと変貌(へんぼう)した。

「おいラデック。下だったぞ」

「おっかしいなぁ……まあ俺の虚構拡張が間に合って良かったじゃないか。一発成功だぞ」

「ああ、すごいすごい」

「だろう」

 バリア達を追いかけていた人影は、静かにラデック達の方へ振り向いた。ハザクラは服についた(ほこり)を払いながら、人影に目を向ける。

「こんばんはタリニャさん。今思えば、花形女優の顔に傷があるのは確かに不自然だな」

 タリニャは顔を(おお)う2本の傷痕(きずあと)をそっと()でてから、靴から電撃を発して臨戦大勢を取る。

「正義に(あだ)なす悪党には、この傷はめっぽう(みにく)く見えるだろうね」

 

 

 

パーティ現在位置

 

国議馬車一階 ラデック、ハザクラ

国議馬車階段 バリア、シスター

国議馬車2階 ラルバ?

宿泊馬車 イチルギ、ハピネス、ラプー、ジャハル、ナハル



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72話 運命の奴隷

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〜真吐き一座 国議馬車一階 (バリア・シスターサイド)〜

 

 シスターがバリアの肩から降ろされて振り返ると、一階への出入り口はラデックの虚構拡張(きょこうかくちょう)により真っ黒な硬い壁となって塞がれていた。有機質とも無機質とも言い難い真っ黒な壁からは一切の音も波導も感じることができず、シスターの耳には馬車の不愉快(ふゆかい)(きし)む音だけが(むな)しく聞こえていた。シスターは壁をそっと指先でなぞると、決意したように背を向けバリアの前を素通りする。バリアは置いてきたハザクラ達の様子を気にかける素振りなど一切見せず、黙ったままシスターの後に続いた。

 

〜真吐き一座 国議馬車二階〜

 

 狭い階段を上り切ると、真っ暗な廊下の奥の扉が少しだけ開いており、そこから光が漏れているのが見えた。2人は何の躊躇(ためら)いもなく真っ直ぐに扉まで歩いていき、その取っ手をゆっくりと引いた。書斎(しょさい)のような部屋の中では、奥の壁に設置されている机に向かって座っている1人の男性――――“シガーラット“座長の姿があった。シガーラットはシスター達の気配に気がつくと、2人に背を向けたまま手元の本を閉じた。

「……よく来ましたね」

 シガーラットは振り向かず、壁を見つめたままシスター達の行動を待っている。シスターはシガーラットの不気味な態度に得体の知れぬ威圧感を抱きながらも、部屋の中央へと歩みを進める。

「ラルバさんを助けに来ました。彼女はどこですか?」

 シスターとバリアがシガーラットのすぐ後ろまで近づくが、シガーラットはそれでも背を向けたまま会話を続ける。その顔がどんな表情をしているのか、無機質で(おだ)やかな声色から想像することはできなかった。

「さあ……隣の部屋に居るんじゃないでしょうか。それとも、もうどこかへ行ってしまったかも知れませんね……」

「……どこかへ行った?……一体……貴方の目的は何ですか?」

「そう言うあなたの目的は何ですか?」

「え――――」

 予想外の質問に、シスターは言葉を詰まらせる。

「ラルバさんを助けに来たんでしょう?なら、私の世迷言なんかに耳を貸さずに探すべきです……あなたは……彼女を助けに来たんじゃないんですか?」

 シガーラットはゆっくりと椅子(いす)を回転させてシスター達の方へ目を向けた。入国時と変わらぬ優しそうな微笑(ほほえ)みだが、その眼は一切の感情を失っており奈落(ならく)の底のような虚無感だけが(ただよ)っている。シスターはこの(あきら)めと絶望を煮詰(につ)めたようなシガーラットの眼に気圧(けお)され、再び言葉を失う。そこへ追い討ちをかけるように、シガーラットが口を開いた。

「あなたの目的は何ですか?仲間の救出?それとも……私の真意を探りに来た?」

 互いに手を伸ばせば届く距離。使奴であるバリアにとっては、(まばた)きをするよりも早く命を刈り取れる即死の間合い。当然、事前に使奴の実力を聞いていたシスターもそれを理解している。

 そんな圧倒的有利な状況にも(かかわ)らず、シスターは己の喉元(のどもと)に蛇が絡み付いているような威圧感と窒息感を覚えていた。

「わた……私、は……」

「怖がらないで下さい。私には、君達を害する力も意図もない」

 シガーラットの言葉は真実であった。その証拠に、シガーラットは使奴の目の前であるにも拘らず、深く椅子に腰掛けたまま身体の力を抜いている。しかしその(うつろ)な態度が、シスターにとっては死を覚悟した手負いの魔物のようで余計に恐ろしかった。そして何よりも、自分の問いが“何か取り返しのつかないこと”を気付かせてしまうような気がしてならなかった。そんな2人の様子を見ていたバリアが、シスターを守るように一歩前に出る。

「シガーラット。私にもあなたがラルバを誘拐(ゆうかい)した理由が分からない。何もかもがあべこべ過ぎる。ラルバの悪事を知っておきながら、ハピネスという巨悪の総大将に触れない理由。ラルバの使奴という危険性を知っておきながら、誘拐に踏み切った理由。ラルバがあなたを殺していないということは、きっとあなたは悪ではないんだろうけど……」

 バリアは一拍だけ間を置くと、立板に水を流すが(ごと)(まく)し立てた。

「もっと言えばこの国の慈善活動(じぜんかつどう)だってチグハグ。裏で義賊(ぎぞく)をしているなら、何でその情報が外に漏れないの?何で圧倒的強者の怒りを買って襲撃(しゅうげき)されないの?()らしめた悪党が毎回自分達より弱かったってこと?尚且(なおか)つ、全員が全員後ろ盾のない(はぐ)れ者だった?そんな都合のいいことばっかり?シガーラット、あなたには“何が見えている“の?」

 バリアがシガーラットの(ひとみ)を探るように見つめる。すると、シガーラットは少し嬉しそうな顔をして眼を閉じた。

「全て、私のギフトによるものです。異能とも言いますか……」

 シガーラットは(ふところ)からリボルバーを取り出し、弾を一発だけ込めてシリンダーを回転させる。

「茶番に見えたらすみません」

 そう言ってシガーラットは自分の頭に銃を突きつけ、連続で4回引き金を引いた。

「なっ――――!!!」

 シスターが慌てて止めようと手を伸ばすが、弾は発射されることなく「カチン、カチン」という無機質な金属音だけが部屋に響き渡った。シガーラットはリボルバーをシスターに微笑みながら手渡す。

「簡単に言うと“危険予知”の異能です。自分や仲間達にとって受け入れ難い恐ろしい未来、そこへ到達する運命の分岐点が星の(またた)きのように(かがや)いて見える……」

 シスターが半信半疑でリボルバーを確認すると、6発装填(そうてん)のシリンダーは丁度次で弾が発射される状態になっていた。

「星の瞬きは様々な場所に現れます。地図の上や道の先。失言や行動が分岐点になっている時は脳裏に。危険な人物の周りや、危険な行動をしようとしている仲間……その星を見ると、私には何となく避け方が分かるんです。バリアさんの問いには全て、“異能の(みちび)き”の一言で説明が付きます。何故情報が外に漏れないのか。強者に滅ぼされないのか。懲らしめる悪党に負けないのか。復讐(ふくしゅう)されないのか。それは、手を出してはならない巨悪を事前に察知して避けているだけです」

 シガーラットがにこりと笑顔を作るが、その笑みには吐き気を(もよお)すような自嘲(じちょう)と嫌悪の念が渦巻いている。

「昔からこの国は偽善者ぶって勧善懲悪(かんぜんちょうあく)()してきました。私の曾祖父(そうそふ)さんの頃まではひっそりとやっていたらしいんですけどね。それが段々エスカレートして……かつて奪った分だけ人を助けるという贖罪(しょくざい)慈善活動(じざんかつどう)から、悪を懲らしめる英雄気取りの私刑集団に成り下がりました。そこで先々代の座長、私の祖父は舌先三寸で道化を演じ始めたのです。国を守り、かつ国民の行き過ぎた正義心を消化させる術……今の愚かな英雄ごっこの雛形(ひながた)、を作ってくれました。今朝の演劇……“詭弁(きべん)英雄譚(えいゆうたん)”もその一つです。そして父に座長が引き継がれ、次は私。私がこの異能を得たことに、父は心底安心していました。“この力があれば、きっと国を正しい方向へ導ける――――!!”と……残念ながら、未だにこの国は正義のヒーローを気取っていますがね。放浪者(ほうろうしゃ)を保護し、そこに(まぎ)れる悪党を(しいた)げ、敵わない巨悪には気付かぬフリで()れず(さわ)らず……ふふ、滑稽(こっけい)でしょう?(まこと)を成そうとかなんだとか偉そうなことを言っておいて、やっていることは出来レースの茶番劇ですよ。言うなれば、ここは“茶番劇の国”……演劇も茶番なら勧善懲悪も茶番。嘘を真と成すなんてちゃんちゃら可笑(おか)しい。嘘を真と言い張る“真吐き一座”ですよ」

 シガーラットは少し困ったような笑顔でせせら笑う。シスターは彼の心中を察して、何も言えずに立ち尽くしていた。彼は壊れているのではない。壊れるしかなかったのだ――――と。戦うことに、立ち向かうことに、向き合うことに疲れ果て、自分の心を守る為に狂うしかなかった。しかしそれでも、シスターは震える手を強く握り締める。

「ちゃ、茶番でもいいじゃないですか……偽善も善です――――!貴方達の行いで、どれだけの人命が救われたか――――!」

「救われたからなんですか?」

「救えたら……救えたなら……えっ?だ、だって……」

「私たちの知らぬところで、困る(はず)だった人が困らなかった。その事実が一体私に何をしてくれるんですか?」

 シガーラットの問いに、シスターは答えることができなかった。それ以前に、言っている意味が理解できなかった。

「だ、だって、弱気を助け、強きを(くじ)いたならば……何が、問題だと……」

「それが、私に、何を、してくれるんですか?」

 シスターは気付いた。自分に理解できないのではなく、自分が理解したくないということに。シガーラットの目的は“人助け“だと勘違いしていたことに。

「例えば、将来的に商人を襲う盗賊がいたとして。私たちが事前にその盗賊をやっつけたとしてもね、将来的に襲われる筈だった商人は何も言わないんですよ。だって襲われてないんですから。私たちが見知らぬ誰かに降りかかる火の粉を払ったところで、誰も”ありがとう“などとは言わない」

 シガーラットの発言に、シスターは再び言葉を詰まらせる。

「そ、そん、な。みか、見返りの、為に……為じゃ、善行は……見返りの為じゃ……!!」

「シスターさん」

 シガーラットが再び落ち着きを取り戻してにこりと微笑みを作る。

報酬(ほうしゅう)がなければ、人は動けないんですよ」

 空気が泥のように冷たく、重く、(まと)わりついて()し掛かる。

「親の愛は無償の愛などと言われますが、それは子供を愛したいという自分勝手なエゴに過ぎません。人助けも、他者を助けたいという自分勝手な欲求に(したが)っているだけです。それを悪とは言いませんが……己の独善的思想が、偶然他者の価値観と一致した状態を“善”と称するなど、思い上がりだとは思いませんか?善など存在しないんですよ。子供を暴漢から助ける……そんな当然のように見える行為にさえ、“善行を為したいという欲求の解消“という報酬がなければ、人は動けない。シスターさん。あなたはそれの反証の為にラルバさんを助けに来たのではありませんか?」

 シガーラットの言葉が、シスターの心を(するど)(つらぬ)いた。

「使奴の身を誰が案ずるでしょうか。誰が助けたいと思うでしょうか。実際、あなたのお仲間は誰一人救出に乗り気じゃなかったんじゃないですか?だって、必要ありませんもんね……使奴は自力で解決できるんですから。でも、シスターさん。あなたはこうして助けに来た。ラルバさんの身を案じて。案じていると自分に言い聞かせて。周りに言い聞かせて。“人助けに理由は要らないという持論を、より強固なものにしたい”という独りよがりで厚かましいエゴの為に!仲間の救出を利用した!」

 段々と興奮気味に声を荒げ語気を強めるシガーラットに、シスターは息を乱れさせて瞳孔(どうこう)を小刻みに揺らす。その横で、バリアが吐き捨てるように(つぶや)いた。

「……だからラルバを誘拐しておいて救出を邪魔しなかったんだ。あなたは、自分の思想が正しいと信じたいが為に、今のセリフを言いたいが為に私たちをここへ誘導した」

 シガーラットは最早落ち着こうとする素振りすら見せずに、鬼気迫る表情で語り続ける。

「そうです!ウェンズには態と情報を漏らしました!あの世話焼きなら必ずあなた達に知らせに行くと思いました……彼は自分のとこの役者にも舐められるほど弱くて利他的ですからねぇ……予想通りです!」

 シスターは必死に呼吸を落ち着け、自分の中に忌々しく燃え盛る怒りを鎮めるが、その声は荒ぶる感情に飲まれかけ辿々(たどたど)しく震えながら(つむ)がれていく。

「そ、そんなことの為に……ラルバさんを……?」

「いいえ?これはあくまで副次的なもの……ついでですよ。本当は――――」

「ラルバに殺されたかった」

 シガーラットの言葉をバリアの推測が(さえぎ)ると、シガーラットは一瞬だけ動きを止め、すぐに笑顔で話し始めた。

「そうです……もう終わらせて欲しかった…… 行き過ぎた正義感は心を腐らせます。最早この国は弱者を救うより、悪を(しいた)げることを目的にしています。罪滅ぼしを言い訳に罪を重ねているんですよ?面白いですよね。彼らはこの悪党(いじ)めという娯楽(ごらく)を報酬に生きている。正義側から悪を虐げるのは楽しいですからね……でもね、私にはそれすらないんです。この生き地獄を……耐えるための”ご褒美(ほうび)“がない……!!!」

 シガーラットは笑顔を両手で(おお)う。もうその顔が笑っているのか泣いているのか、シスター達には分からない。

随分(ずいぶん)昔に自殺しようとしました……でも……!!警告するように異能の光が私の視界を埋め尽くした――――!!それでも私はナイフを自分の首に突き刺そうとした!!そしたら……そしたら……!!妻が、私の自殺を止めようと……私からナイフを取り上げて……それが……それが妻の胸に……!!!」

 シガーラットは(ひざ)から崩れ落ち、(ふところ)から一枚の写真を取り出して(うつむ)いたまま眺め始める。涙が、ぽたりぽたりと、写真の女性へと(したた)り落ちる。

「私には……私には自死も許されない……!!この光は私の不幸だけでなく!!仲間の不幸も報せる――――!!!気を抜けば仲間があの忌々しい異能の光に埋め尽くされる……!!終わらない生き地獄だ――――!!でも……!!あなた達が来た時に世界が変わった――――!!私の目の前から光が消え失せたんです……!!!最初は自分の異能が消えたのかと思いました……しかし!!それは違った……!!あの方……ラルバさんが来たことにより、私の目の前から“危険行為”が無くなったんです!!私がラルバさんを襲おうとしても!仲間に殺させようとしても!何を(たくら)もうと!あの不快で鬱陶(うっとう)しい運命の光が現れることはなかった――――!!」

 目を見開いて顔を上げるシガーラット。バリアはそれを軽蔑(けいべつ)するように(にら)みながらボソリと独りごちる。

「……確かに、ラルバなら何されても面白がって一回止めそうな気はする」

「私はチャンスだと思いました――――!!今を逃したら、一生(おとず)れないであろうチャンス――――!!仲間を巻き込まない自死への最初で最後の機会!!この地獄から抜け出す唯一の機会!!!タリニャにラルバさんを誘拐させ、2人きりになった時に、ラルバさんに私の殺害を懇願(こんがん)しました!!しかし……!!!ラルバさんは受け入れてくれなかった――――!!私を、この地獄を終わらせてはくれなかった……!!!」

 シガーラットは倒れるように前のめりになってバリアの両肩を(つか)む。

「光が出ない……!!お願いしますバリアさん……!!私を、私を殺して下さい……!!!お願いします――――!!!どうか、どうか終わらせて下さい!!!」

 石像のように動かず一言も発さないバリアに、シガーラットは懇願し続ける。

「お願いします!!!もう、もう運命の奴隷で居続けたくない!!!助けて下さい!!!この光から、異能から!!!私を救って下さい!!!お願いだ!!!もう、もう頭がおかしくなりそうなんだよ!!!地獄を避け続ける人生に気が狂いそうなんだよ!!!頼む!!!私を殺してくれぇ!!!」

「道理で違和感だらけな筈だ」

 唐突に会話に混じってきた声。シガーラットとシスターが声の方を向くと、部屋の入り口にラデックとハザクラ。そしてラデックに身体を支えられている足を引き()ったタリニャの姿があった。シスターは戦ってきたであろう3人の身を案じて小走りで駆け寄る。

「ラデックさん!ハザクラさん!ご無事でしたか!タリニャさんは大丈夫ですか!?」

 ハザクラが(あき)れるように溜息を吐く。

「ラルバを誘拐したからどんな強者かと思えば、異能を使うまでもなかった。実力は精々ジャハルの半分ってトコだな。数秒でケリが着いたから、話は大体聞いていた」

 タリニャが気まずそうに目線を逸らす。そして半身を支えているラデックから離れて、足を引き摺りながらシガーラットへと近寄る。

「座長……ごめん。負けた」

「タリニャ……す、すまない――――」

「…………別にさ、偽善でもいいじゃん」

 タリニャの呟きに、シガーラットは重苦しい表情を浮かべる。

「タ、タリニャ……私は……」

「座長が辛い思いしてるのは皆知ってる。奥さんを亡くす前からね。でもさ、アタシは今までの旅を茶番劇だなんて思ったことはないよ」

「…………茶番だよ。タリニャ。現に、君は呆気(あっけ)なく負けたじゃないか。私が、君達を危険から遠ざけ続けた所為だ。失うことを恐れて、成長を阻んだ……」

「アタシはヒーローになりたかった訳じゃない」

 タリニャは未だ力の入らない足で姿勢を支え、堂々と胸を張る。

「今まで私が義賊をやってきたのは、座長の思いを無駄にしない為だよ。座長が、アタシ達が辛い思いをしないように必死に頑張ってくれている。だから私は意を唱えず、誰にも唱えさせず座長に着いてきた。私も、皆も、座長にしか見えない道を信じて着いてきたんだよ。今まで歩んできた道は、決して茶番劇なんかじゃない」

 言葉を失うシガーラットに、ハザクラが補足するように付け加える。

「……星が見えているアンタも辛いだろうが、それに着いていく連中も気が気じゃなかっただろうな。なにせ、アンタが気を抜いた瞬間に災難が確定するんだ。言わば、目隠しで奈落の(ふち)を歩かされている状態……案内役のアンタが見た景色を盲信する他ないんだ」

 脱力して椅子にもたれかかるシガーラットの前で、タリニャは毅然(きぜん)とした態度で言葉を続ける。

「座長。座長が地獄を歩き続ける限り、アタシも座長を信じて着いていく。誰にも文句は言わせない。偽善でもいい。本心を隠して、体よく振る舞ってくれて構わない。座長がどんな考えを持っていても、座長が座長を演じる限り、アタシも舞台からは降りない。だから、まだアタシ達と一緒に生きて欲しい」

 シガーラットは魂の抜けたような表情で吐き捨てる。

「……残念だが、タリニャ。私は……もう疲れてしまったんだよ。もう……もう前には進めない……星が蔓延(はびこ)るこの世界で生きていくのは……余りにも、余りにも苦しい」

「じゃあさ。全部辞めちゃおうよ」

「…………タリニャ?」

「終わらない罪滅ぼし、ここで終わりにさせちゃおうよ。どっか安全そうな国に亡命してさ。今までの義賊ごっこはぜーんぶ忘れて暢気(のんき)に暮らそうよ。ていうか定住した方がお客さん来そうな気しない?“ヒトシズク・レストラン”とか“ダクラシフ商工会”とかの方がさ。あーでも安全に暮らすなら“世界ギルド”か“狼の群れ”とかかなぁ……」

「な、何を今更……!他の皆は納得しないだろう……!!」

「アタシが納得させる。ていうか、自殺しようとしてた癖に何を心配してるのさ」

「いや、だ、だって――――」

「で、アタシの案に“星”は見えてんの?」

 満身創痍(まんしんそうい)にも(かかわら)らず満面の笑みで問いかけるタリニャ。シガーラットは今まで泳がせていた目を恐る恐るタリニャの方へと戻す。

 シガーラットの視界には、この国一番の美女の優しく暖かな笑顔だけが映っていた。

 



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73話 かくて英雄は死せり

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〜真吐き一座 宿泊馬車 (イチルギ・ジャハル・ナハル・ハピネス・ラプーサイド)〜

 

 ウェンズ監督を含めた留守番の6名が食卓を囲んでいると、少しの物音共に入り口の扉が開いた。ナハルはその姿を確認する前に立ち上がって駆け出し、玄関へと駆け寄る。

「シ、シスター!!お怪我はありませんか!?」

 出迎えられたシスターがナハルに微笑む。

「大丈夫ですよナハル」

 シスターに続いてラデック、ハザクラ、バリアの姿が見え、ラルバを除いた全員が馬車に(そろ)った。ハザクラは未だ変装しているイチルギの方へとまっすぐ歩いて行き、その隣に腰掛ける。

「もう一度シガーラット座長と話したい。明日、国議馬車を訪ねるのに付いて来て欲しい。イチルギ」

 ハザクラがイチルギの名前を呼ぶと、向かいに座っていたウェンズ監督は椅子から転げ落ちそうな勢いで驚いた。

「イ、イチルギって、イチ、せっ、世界ギルドの総帥さん!?」

 イチルギは少しだけ諦めを含んだ溜息を吐いて変装を解いた。

「“元”総帥。今はただの調査員よ」

「こっここここっこれは失礼を……!!」

「何もされてないわよ。そんな(かしこ)まらないで?」

「いやっ、いやっ、あ、あのっ……」

 突然の世界的有名人との対面に、ウェンズ監督は只管(ひたすら)に慌てて取り乱す。

 シスター達の無事に安心して宿泊馬車に穏やかな空気が流れ出すと、突然玄関口の扉が勢いよく蹴破られた。

「私抜きでほんわかするなーっ!!!」

 不貞腐(ふてくさ)れた子供のように目くじらを立てたラルバが、(わざ)とハイヒールで足音を鳴り響かせながら入室して来た。しかし、その鬼気迫る姿に一行は誰一人特別な表情を浮かべることはなかった。ラルバはそのままラデックとハザクラの方に詰め寄り2人の胸倉を(つか)んで揺さぶる。

「せっかく誘拐されたんだから探しに来てよ!!仲間でしょ!!」

 ぐわんぐわんと揺さぶられながらも無言で目を逸らすハザクラ。ラデックは(うめ)き声を漏らしながら、ラルバの手を引き()がそうと少しだけ反抗した。

「な、仲間なら、易々(やすやす)つか、捕まらないで、ほしい、おえっ」

「捕まっちゃったモンはしょうがないだろ!!」

「しょ、しょうがなく、ない」

 ラルバは2人から乱暴に手を離すと鼻息荒く食卓へとついて食事を(むさぼ)り始めた。

「まったく……これだけ仲間がいて助けに行こうって言ってくれたのが1人だけだなんて、私は悲しいよ!」

 そして口に物を放り込んだままシスターを(にら)みつける。

「それも欺瞞(ぎまん)だったけどねぇ!!」

 シスターは「うっ」と小さく呻いて顔を背けるが、ラルバの発言にラデックが(いぶか)しげな顔をする。

「ちょっと待てラルバ。“助けに行こうって言ってくれたのが1人”と言ったか?何故それをラルバが知っているんだ?」

 全員が沈黙し、数秒の間馬車の(きし)む音とラルバの豪快な咀嚼音(そしゃくおん)だけが流れた。そしてラルバが口の中のものを(のど)を鳴らして飲み込むと、太々しく椅子の背もたれに身を預けて踏ん反り返る。

「サイコメトリー」

「さてはウェンズ監督が来た時からずっと見ていたな?」

 ラデックの指摘に反論しないラルバを見て、ハザクラがバリアを睨みつけた。

「先生……もしかしてラルバが近くにいたこと、ご存知だったのではないですか?」

「なんで」

「どうなんですか」

「知ってたよ」

 バリアの解答にハザクラは顔を手で(おお)って(うつむ)く。

「何で教えてくれなかったんですか……!」

「ラルバが”しぃー“ってやってたから」

 バリアが(くちびる)(すぼ)めて人差し指を当て”内緒“のジェスチャーを取ると、ハザクラは大きく溜息を吐いて机に突っ伏した。その様子を見てラデックが(なぐさ)めるように肩を揺すった。

「まあいいじゃないか。結果良ければ全て良しだ」

 ラデックの言葉にラルバが「そーそー」と同意すると、その場にいた全員がラルバを睨みつけた。

 

 

 

 翌日から真吐き一座の空気は一変した。イチルギ、シガーラット、ハザクラ、ジャハルの4名で行われた会議で、“真吐き一座”が“人道主義自己防衛軍“の従属国となることが決定した。シガーラットによる発表がなされると、当然真吐き一座国民は猛反対をした。しかし花形”タリニャ“の(なか)ば横暴とも言える説得により、その(ほとん)どが黙殺される結果となった。

 

〜真吐き一座 滞在4日目 昼間の食堂馬車〜

 

 大量の食事が盛られた飾り棚から、ラデックは大量のソーセージとパンを大皿に乗せて席へと戻った。既に席についていたハピネスとラルバが、ラデックのランチを見て(あき)れた顔をする。しかしラデックはそんな視線を気に留める様子すら見せずに、パンを真っ二つに裂いてソーセージを挟み豪快に(かじ)り付いた。

「むぐっ……んむ……うん。初めて食べたが結構イケるな。ハピネスは食べたか?このナッツソーセージ。細かく砕かれたピスタチオが入っていて美味いぞ」

「……ラデック君。もう少し栄養バランスってものを考えたほうがいいよ」

「大丈夫だ。俺は元々好き嫌いがそんなにないし、最悪異能でどうとでもなる」

「何それ、ズルくない?」

 ラデックは別のソーセージでホットドッグを作りながら、他の席に座る国民達に目を向ける。

「…………皆浮かない表情だな」

 国民達は皆、談笑したり料理を美味しそうに頬張(ほおば)ったりと楽しそうに過ごしているように見えるが、その顔にはどこか曇った雰囲気が見受けられた。ラデックの(つぶや)きに、ラルバがレモネードのストローを()みながら椅子を揺らして笑う。

「かなりマシな反応だと思うけどねぇ。信念だった勧善懲悪(かんぜんちょうあく)は禁止。自分の国も取り潰し。目の敵にしてた世界ギルドの言うことも聞かなきゃならない。旧文明だったら間違いなく反乱が起こるね」

「言われてみればそうか。従属国にされたと言うのにこの落ち着き……俺たちの時代では絶対にあり得ないな」

 2人の会話を聞いていたハピネスが、サンドイッチを一口(かじ)ってラデックを見つけた。

「現代っ子の私にしてみれば、従属国にされたぐらいで反乱を起こすのが不思議なことだよ。ラデック君の時代はそんな殺伐(さつばつ)としてたのかい?」

「殺伐としていたというより……自分の国が他の国に侵略されたら嫌に決まっているだろう。(むし)ろ、この侵略行為をなくすことが全世界共通の悲願だったと言っても過言ではない」

 ハピネスはコーヒーを一口飲んで小さく「ああ」と呟いた。

「成る程。使奴が世界を統治しているかどうかの違いか……この世界は使奴がずっと昔から戦争を禁止しているから、多分私とラデック君達とでは認識のズレがあるんだね」

「使奴が戦争を禁止している?イチルギ達はそんなことまでしていたのか」

「大昔の使奴が決めたことと言えば後は……言語の統一かな?独自の方言とか(なま)りは可能な限り“標準語”に統一されたって文献が残ってるよ」

「そう言えばどこでも言葉が通じるな。今思えばおかしな話か」

「昔は違ったのかい?」

「俺たちの頃は200を超える言語があった」

「……それどうやって意思疎通するの?」

「俺の知ってる話では……こう……意味のわからない絵を紙に書いてだな。これを相手に見せると”これは何?”という言葉が手に入るから、それを使って他の言葉を……」

「気の遠くなる話だね……」

「従属国にされると言語は愚か、文化や宗教さえ塗り替えられるからな。その上敗戦国として即奴隷扱いだ。国の威厳も何も残らない。当時の人間にしてみればこれ以上ない屈辱だ」

「確かにそれは酷い話だね。今そんなことしたら世界ギルドからボコボコにされるよ」

「え、ちょっと待ってよ」

 ラデックとハピネスの会話に、黙って話を聞いていたラルバが唐突に割り込んだ。

「使奴が世界を統治してる?それはおかしいよ」

 ラルバの発言にラデックは首を(ひね)る。

「別に何らおかしくないだろう?イチルギも最初会った時に言っていたじゃないか。暇だから人助けを始めたと」

「人助けの流れで世界平和を目的に国際協定まで定めているとは思わなかった。だが、だとしたらおかしい。まるでこの国みたいだ」

「どう言う意味だ?」

「人を助けたいのに悪者を滅ぼさない……。戦争を禁止しているのに内乱は見ないフリ?いや、まずイチルギの言う“みんな”は今何をしているんだ?助けたいのに助けない。守りたいのに守らない。できるのにしない……これは私が思うに――――」

「ラルバ」

 突然背後からかけられた声に、ラルバは思考を中断して振り向く。そこにはこちらをじぃっと見つめるラプーが立っていた。ラルバは初めてラプーに声をかけられ、少し驚いて目を丸くする。

「な、なんだ?」

「それ以上、言わんでくんねーか」

 ラプーは眉一つ動かさず、機械のようにそう言った。ラルバは(いぶか)しげにラプーを見つめ、数秒間黙り続ける。

「…………なんで?」

「それ以上、言わんでくれ。頼む」

 ラルバの問いに、ラプーは腰を大きく曲げて頭を下げる。ラルバはいつもだったら茶化して煽り立てるところであったが、相手がこれまで一切自分の意見を言わなかったラプーであったことと、彼の現れたタイミング、反応、そして内容全てに説明がつかず、ラデックとハピネスを含め誰もこれ以上追求することができなかった。

 

 

 

 

〜真吐き一座 滞在7日目 スヴァルタスフォード自治区国境付近〜

 

「はーい全員集合ー」

 全員が荷物をまとめて馬車を降りたところで、イチルギが手を叩いて注目を(うなが)した。

「じゃあ改めて説明をするわね。どうせラデックは全部忘れてるでしょ」

 ラデックが真顔のまま(うなず)くと、イチルギはほんの少し下唇を噛んでから説明を始めた。

「次の目的地は今もまだ内戦の火が(くすぶ)っている君主主義国家、“スヴァルタスフォード自治区“。使奴のように色のない肌を持つ“霊皮症(れいひしょう)“の発症者と、それ以外の“コモンズ”と自称する人種が互いを差別し合っている国よ。霊皮症は本来遺伝とは無関係の病気なんだけど、何故かスヴァルタスフォード自治区では霊皮症が遺伝するようになっていて、発症者は国内で”悪魔(あくま)“と呼ばれているわ。最初はコモンズ側が覇権を握っていたんだけど、100年位前に悪魔側が当時の国王殺害に成功してからは勢力が逆転して”悪魔の国“と呼ばれるようになったわ。悪魔って言うのは元々コモンズが使っていた霊皮症発症者への蔑称(べっしょう)だったはずなんだけれど、今じゃ優れた力の象徴として悪魔側も好んで使っているわ」

 イチルギが全員に革製の手帳を配る。そこには全員の顔写真と名前、そして出鱈目(でたらめ)な経歴と職業が記載されていた。

「有名人の私とハザクラとジャハル以外の7人の偽造パスポート。現地では三つのグループに分かれてもらうわ。まず私、ハザクラ、ジャハルの密入国グループ。私たちは正当な入国を歓迎されないだろうし、世界ギルドと人道主義自己防衛軍に迷惑がかかってもいけないから秘密裏に行動するわね。次にラデック・ラプー・ハピネス・シスターのコモンズグループ。でもってラルバ・バリア・ナハルの悪魔グループね」

 するとナハルは不安そうな表情で小さく手を挙げて意見した。

「わ、私もコモンズグループじゃダメだろうか……?自分の身は自分で守れる」

「ん〜……出来る限り争いの切っ掛けは最小限にした方がいいと思うわ。シスターが心配なのも分かるけど、ナハルが側にいることでコモンズ達の顰蹙(ひんしゅく)を買いかねない」

「……そ、それは分かっているが」

「それにコモンズ側も肌に色彩を持っているだけで使奴寄りが居ないわけじゃないわ。確かに悪魔側に使奴寄りが多いのは事実だけれど、いざ争いになった時は多分こっちも無傷じゃ済まない。ナハルがついてこない方が安全なのよ」

 イチルギの説得を聞いて尚(うつむ)くナハルに、シスターが励ますように顔を(のぞ)き込む。

「大丈夫ですよナハル。スヴァルタスフォード自治区は強い差別思想を持ってはいますが、その分同族には友好的です。幾ら私が色白でも悪魔側と見間違うことはないでしょう。心配しないで」

 シスターに優しく手を握られると、ナハルは渋々イチルギの提案を受け入れた。イチルギは少し申し訳なさそうに微笑むと、気を取り直して地面に図を描き始める。

「“スヴァルタスフォード自治区”なんて単一の名称で呼ばれてはいるけど、実際は共産主義の“コモンズアマルガム”と、君主主義の“悪魔郷(あくまきょう)”。二つの国が隣り合っているって解釈が正しいわ。スヴァルタスフォード自治区の中央には南北に伸びる大きな壁があって、そこを中心に西側がコモンズアマルガム。東側が悪魔郷に分かれてるの。入国したら恐らく合流するのは難しいから、コモンズグループは用事が済んだら早めに撤退した方がいいわ。悪魔グループはラルバ次第でしょうし、私達密入国グループはコモンズグループの補助に回るから」

 ラルバが不満そうに地図の横に落書きを描き加え、イチルギをジロリと睨む。

「なーんか主導権握られてて良い気しなーい。チル坊なに(たくら)んでんの?」

「企むって……私は全員の身の安全を考えてるだけよ」

「あ、隠し事してる。言わないと寝てる間におヘソ増やしちゃうぞ」

 ラルバが指先をイチルギのヘソに突き刺すと、イチルギは大きく身を(よじ)ってラルバを睨み返す。

「あーもう分かったわよ!ちょっとは気を遣ってくれたっていいじゃない!もう!」

「やなこったんたったん」

「私の目的はスヴァルタスフォード自治区への介入口実探し!世界ギルドと人道主義自己防衛軍が軍事介入するのに正当な理由が欲しいのよ!」

「じゃあそう言えば良いのに」

「こんなの口に出したら最悪でしょうが!察しなさいよ!」

「誠実って不便だねぇ。ルギルギも自分に正直に生きよう?」

「嫌!!」

 鬼の形相で怒鳴るイチルギを尻目に、ラルバは大きく伸びをしてから歩き出した。

「まあいいや。私の方からの指示は追って伝えるね。ハピネス!」

 ハピネスは名前を呼ばれると、それだけで全てを理解したかのように深々と頭を下げた。

 一行はそれぞれ荷物を背負い、国民達とコウテイラクダに見守られる中、真吐き一座を後にした。

 

 ゆっくりと遠ざかっていくラルバ達の背中に手を振りながら、シガーラット座長は隣にいた花形タリニャに聞こえるように独り言つ。

「……さて、これから忙しくなるな」

 どこか遠い目をしているシガーラットに、タリニャは眉間に(しわ)を寄せて顔を覗き込んだ。

「座長……まさか、今更旅を続けるなんて言わないでよ?」

「ははっ……まさか。もう国民達に発表してしまったんだ。今更やっぱりナシは通らないだろう。それに……その道には“星”が瞬いている」

 その言葉に、タリニャは安心したかのように微笑んで視線を遠ざかっていくラルバ達に移す。ふと、シガーラットは思い浮かんだ疑問を口に出した。

「そうだタリニャ。君に聞きたいことがあった」

「ん?なに?」

「私がラルバさんの誘拐を指示した日。何故君はラデックさん達に戦いを挑んだんだ?」

「…………いやー。もしかしたら勝てるかなーって」

「今思えば、ラルバさんの誘拐指示を承諾した理由も気になる。拘束されているとは言え、私とラルバさんを2人きりにする提案を何故受け入れたんだ?」

 タリニャはヘラヘラと笑いながら考える素振りを見せていたが、シガーラットの真剣な眼差しに耐え切れず顔を背けた。その反応にシガーラットは自分の考えが正しいことに気づいた。

「……私の考えに、気づいていたんだね」

 タリニャはゆっくりと頷く。

「タリニャ。君があの日ラデックさん達に戦いを挑んだのは、私とシスターさんの対話を皆に邪魔させないため……。私の自殺を達成させるため……」

「違う!!」

 タリニャは慌てて振り向いてシガーラットに詰め寄った。

「座長が自殺したがってるのは知ってた!知ってたから……だから……止めたくて……」

「でも……君はラルバさんと私を……」

「違うんだ。違う……実は……ラルバさんを誘拐した時に――――」

 

 

「ねえ、ラルバさん」

「………………」

「起きてるんだろ。一個だけ頼みがあるんだ」

「………………」

「誘拐しといて変だけど……座長を助けて欲しい」

「………………」

「座長はきっと死ぬつもりなんだ。でも、私じゃ助けられない……」

「………………やだ」

「お願いだ!せめて、せめて座長を殺さないでくれ……それだけでいい……」

「じゃあ私のこと誘拐しなきゃいいじゃん」

「……座長がアンタを連れて来いって言うってことは、多分、これは座長にとって危険行為じゃないんだと思う。座長の異能は危機察知の異能だから……アンタは座長を殺さないでいてくれると思う」

「……それ、死ぬことが幸せとかだったら発動しないんでないの?」

「もし、もしそうだったら……その時は、その、時は……」

「言い(よど)むくらいなら言うな」

「………………ごめん」

「はーめんどくさ……しょうがないな。約束してあげるよ」

「ほ、本当か?」

「うん。何があろうと真吐き一座の人間の殺害はしないでおいてあげるよ」

「あ、ありがとう!ありがとう……!」

「感謝するな。背中が(かゆ)くなる」

 

 

「それで、他の奴らが座長の所へ来ないよう、私が座長を守るから他の奴らは来るなって皆に釘刺して……」

 シガーラットは思いもよらない吐露(とろ)呆然(ぼうぜん)とする。

「……ラルバさんが私を殺さなかったのは、約束があったから……」

「ごめん座長……私、本当に座長に死んでほしくなかったんだ……」

「そうか、そうか……」

 シガーラットは、もう見えなくなってしまったラルバ達の方を向いて目を細める。

「この力は、星は……ずっと、ずっと私を見守っていてくれていたのかもしれない」

 タリニャの目に映ったシガーラットの横顔は、今までに見たことがないほど朗らかで、()き物が落ちたかの様に清々しい表情を浮かべていた。



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スヴァルタスフォード自治区
74話 悪魔の国


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〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜

 

 地平線から薄らと影を(のぞ)かせる人工物を目指しながら、ラデック達は街へと向かっていた。ラデックは背後で疲労に(うめ)くハピネスの方を見ない様に漫然と歩き、目線の置き場に困ってイチルギに貰った偽造パスポートを取り出した。

「ええと……道歴22年“狼の群れ”出身、万愛(ばんあい)大学工学部卒、国立魔導医学研究センター特任准教授……ダメだ。さっぱり理解できない」

 そこへ同じようにパスポートを取り出したシスターが顔を寄せる。

「あ、私(ほとん)ど一緒です。道歴26年“狼の群れ”出身、万愛(ばんあい)大学工学部卒、国立魔導医学研究センター教授。ラデックさんは私の先輩ってことになりますね」

「俺が准教授ってことは、シスターは俺の上司ってことか?」

「そうはなりませんが……立場は私の方が上ってことみたいですね……」

「これからよろしくお願いします。シスターさん」

「や、やめてください……」

 ラデックは振り向いてハピネスとラプーを見る。

「2人のはどんなだった?」

 そう尋ねると、ハピネスがポケットから偽造パスポートを取り出しラデックの方へ向ける。

「出身は全員”狼の群れ“に固定してあるみたいだね。私は苗字のレッセンベルクを消されたぐらいか。肩書きは狼王(ろうおう)大学医学部卒、国立中央メディカルセンター長、狼王(ろうおう)大学脳神経外科教授、万愛(ばんあい)大学魔導医学科教授、終堂狼(しゅうどうろう)遺伝学研究所所長、国立研究開発法人波導医学総合研究所副理事」

「そこまで肩書きがあると逆に頭が悪く見えるな……。早口言葉みたいだ」

「面白いかい?」

「あんまり」

 ラプーも偽造パスポートを取り出してラデックに手渡す。

「どれどれ……狼歴152年“狼の群れ”出身、人答大学法学部公共政策学科卒、カース・ギルド副長……。これは……すごい……のか?」

 ラデックが首を捻ると、ハピネスがへらへらと笑いながら口を開く。

「いや、凄いと言えば凄いが……鼻にかけるようなことでもない。優秀なのは確かだが、稼ぎは特別良い訳ではない。そんな所かな?」

「当たり障りのない感じか……」

「そんなことより、ラデック君おんぶしてよ。私はもう足が痛くて痛くて……」

「もう目と鼻の先だろう。頑張れメディカルセンター長」

「センター長命令。おんぶ」

「頑張れセンター長」

「おんぶー!!」

 

〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 酒場“大往生“〜

 

 コモンズアマルガムに到着したラデック達は、宿を探すよりも先に酒場へ来ていた。もう既に日は沈みかけ今すぐにでも宿を探さなければならない状態だったが、空腹のハピネスの強い主張、もとい我儘(わがまま)に付き合わされ、大衆酒場のテーブル席に着いたところだった。

「はいおまちどう!”手投げ芋の煮付け“と”紐豚(ひもぶた)のソーセージ“!!それと”紅蓮ビール“!!」

 運ばれてきた料理をラプーが受け取る。ハピネスは我先にとソーセージにフォークを突き立ててむしゃぶりついた。

「ん〜!!美味いっ!!やっぱ肉だよ肉!!」

 ハピネスが満面の笑みで頬張(ほおば)るのを見て、近くの客がほろ酔い状態で話しかけてきた。

「お姉さんいい食べっぷりだねぇ」

「いやはや、ここのところ野菜と魚ばかりだったもんで肉の脂が恋しくてねぇ」

「はっはっは!ならここの“豚足のロースト“を頼むと良い。ありゃ肉好きにはたまんねぇ一品だよ!」

「すみませーん!それくださーい!」

 初対面の人間とも気さくに話し込むハピネスの横で、シスターが少し不安そうに芋の煮付けを口に運ぶ。それを見てラデックは顔を寄せて小声で話しかけた。

「どうしたシスター。何か気になるのか?」

「あ、いえ……あの……こんなこと言うと自意識過剰かも知れませんが……皆さん私を見る目が少し変なような気がして……」

 ラデックが周囲に目を向けると、確かに酒場の客はどこか好奇の目に似たものをシスターへと向けているような気がした。するとシスターの所へ怪しげな好々爺(こうこうや)が近寄り、顔を覗き込んだ。

「こりゃ奥さん……ありゃぁひでぇもんだ」

 シスターをラデックの妻と勘違いした老人が、シスターの身体をまじまじと眺める。その異質な眼差しに、シスターは若干(じゃっかん)嫌悪感を抱きながらも挨拶(あいさつ)をした。

「こ、こんばんは……その、私に何か……?」

「いやあその“肌”……こりゃいけねぇ。”悪魔病(あくまびょう)“にならねぇうちに診てやる」

 老人の言葉にラデックが眉を(ひそ)めてシスターと老人の間に割って入る。

「”悪魔病“……それはひょっとして”霊皮症(れいひしょう)“のことを言っているのか?だとしたら全て間違いだ。シスターの色白は病気ではないし、そもそも霊皮症による肌の白化は先天性のもので後天的に発症することなどない」

 ラデックの発言に酒場内が一瞬静まり返る。その不気味な静けさにラデック達は狼狽(うろた)えるように周囲を見回す。すると老人が困ったように頭を()きながら説明を始めた。

「こりゃすんません。申し遅れた。ワシは大妖(だいよう)エレメンタル医師の”ヒューリィ“と申します。今貴方が仰ったように”悪魔病“は長い間”霊皮症“と混同され無害なように思われてきた。しかし、それは間違った認識だったんじゃ」

 ラデックは老人の言葉の真偽を確かめるように、シスターの方へ目を向ける。しかしシスターは魔導外科医の知識を以ってしても老人の言葉の意味が理解できず、ただただ困惑しているだけであった。老人は2人の反応を見て、再び言葉を続ける。

「この話を知らないと言うことは……恐らく貴方達は外国の方じゃな?確かにワシの研究は未だ世界に発表されていないものじゃ。しかし、全て事実なんじゃよ。”悪魔病“は感染性の強い”忌病(きびょう)“じゃ。これは先進国である“狼の群れ”や“世界ギルド”、“笑顔による文明保安教会”では大昔から分かっていた事実じゃが、今やその感染源となっている“使奴”による情報統制が行われ、真実が隠蔽(いんぺい)されておる。知らないのも無理はない」

 “悪魔病の真実を使奴が情報統制によって隠蔽している”。これは最早ラデック達にとってこの話が虚偽であることの証明であった。この絵に描いたような陰謀論に、ラデックは少し躊躇(ためら)いながらも偽造パスポートを見せて口を開いた。

「残念ながらご老人。俺は“狼の群れ”の魔導医学研究センターで准教授をしている。貴方のその陰謀論が虚偽であることは――――」

 その直後、ハピネスが空のビールジョッキでラデックを殴りつけた。

「がっ――――!!!」

「いやあすみませんDr.ヒューリィ!うちの若造がだらだらとしょーもないことを!!」

 困惑するラデックの横で、ハピネスは偽造パスポートを老人に見せて笑顔で話し始める。

「私、狼の群れで国立中央メディカルセンター長、狼王大学脳神経外科教授、万愛大学魔導医学科教授、終堂狼遺伝学研究所所長、国立研究開発法人波導医学総合研究所副理事を務めさせて頂いております!ハピネスと申します!!今Dr.ヒューリィが仰られたように、我が国でも”悪魔病“に関する史実との食い違いは度々議論され現在も研究が行われています!!」

 立板に水を流すようなハピネスの言葉に、老人は一瞬気圧されるもすぐに穏やかな表情に戻った。

「おお、ハピネス様……これはこれは、話が早くて助かります。やはり気づいておられましたか」

「当然ですとも!この使奴による世界の独裁を認めてはならないと、私も常々思っていたんです!それをウチの者はまだ理解出来ていないようで、それで”コモンズアマルガム“では密かに”悪魔病“を始めとした世界ギルドの策略を止めようとしている方々がいると(うわさ)を聞きまして!こうして遠路遥々(はるばる)――――――」

「それは素晴らしい。ではワシの事務所にて紹介状を――――」

 狼狽えるラデックとシスターを置き去りに、ハピネスは興奮気味に老人と話し込んでいる。その様子を見て、ラデックとシスターは邪魔しない方が面倒臭くないだろうと思い、静かに(うなず)き合った。

 

〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 真夜中の表通り〜

 

「全く……何をしているんだか」

 酒場を後にした4人の先頭で、ハピネスが(あき)れるように文句を(こぼ)した。ラデックは(わざ)とらしく溜息を吐くハピネスの言葉に若干ムッとして口を開く。

「あのヒューリィという老人の言っていることは酷い出鱈目(でたらめ)だ。言いがかりをつけられたシスターだけではなく、イチルギ達を不当に(おとし)める悪意の(こも)ったこじつけだ」

 ラデックの言葉に、ハピネスは顔を(しか)めて振り向く。

「だぁから、それに反論することに呆れているんだよ。私は」

「反論するだろう。イチルギの努力は並々ならぬものだ。それが馬鹿にされて――――」

「はぁ……ラデック君てば、中途半端に頭が悪いねぇ」

 ハピネスは持っていた杖の(きっさき)をラデックの眉間に突きつけようとして、誤って側頭部を強打する。

「痛っ」

「良いかい?馬鹿の主張が出鱈目こじつけ何でもアリなのは分かりきってることだろう。陰謀論てのはそういうものだ。問題は、その出鱈目こじつけ荒唐無稽(こうとうむけい)なクソ理論を、ああも自信満々に語る有識者気取りの馬鹿に正論をぶつけようとする君のやり方さ」

「あそこまで馬鹿にされたら言い返したくもなる」

「言い返して何になる。私たちの目的は、世界ギルドが武力介入する口実探し……延いてはこの陰謀論を根絶させる事にもなる。なら、君がやるべきは馬鹿に馬鹿の土俵で子供じみた口喧嘩(くちげんか)をする事じゃない。上辺で()(へつら)って油断させて、(ふところ)で家探しする機会を得る事だよ」

 ラデックはハピネスの叱責(しっせき)に言葉を失って黙り込む。その横で同じように(うつむ)いているシスターを見て、ハピネスはまたしても盛大に溜息を吐いた。

「はぁ〜あ。私の肩書きがこれだけ豪勢な理由がやっと分かったよ……。今回弱者のお守りをするのは私ってことか……。ま、ラデック君が今後いつでも私をおんぶしてくれるって言うなら引き受けてあげてもいいかな。シスター君はもうちょっと頑張りなよ。君、もうちょっと頭使えるでしょ」

 ハピネスの光すら映らない眼に睨まれると、シスターは身を一瞬震わせて狼狽えながら小さく頷いた。

「その話、もう少し聞かせてもらえるかな?」

 唐突に会話に混ざってきた声。ハピネス達が声の方向に目を向けると、使奴のように真っ白な肌をした黒髪の女性が立っていた。

「アタシの名前は“エドガア”。ちょっとお話いいかな?」

 

【悪魔の国】

 



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75話 あからさまな綻び

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〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜

 

 突如現れた女性“エドガア”に、4人は誘われるがまま彼女の隠れ家へと向かった。

 肌に色彩を持たない彼女の“自宅”は、僻地(へき)の森の中にある貫禄(かんろく)のある風通しの良い自然豊かな一軒家。とどのつまり、倒壊寸前の廃墟(はいきょ)であった。

「どうぞ上がって!」

 笑顔で迎え入れるエドガアに、ハピネスはせせら笑いながら(つえ)で足元を突く。

「上がってと言われてもね。これはどこが外でどこからが君の家だい?“お邪魔します”はどこで言ったら良いのかな?」

「想像次第で庭もキッチンも寝室も自由自在だよ。良いとこでしょ?」

「…………ああ、確かに。野宿の訓練にはもってこいだね」

「訓練には向かないかなぁ。本番になっちゃうからね!」

 ハピネスの悪態も上機嫌に返すエドガアを見て、シスターは気の毒そうに(うつむ)きながら目を合わせた。

「その……すみません。ウチの……えっと、教授が」

「ああ、その嘘なら今は吐かなくて平気だよ」

 エドガアの先ほどまでの朗らかな笑顔が、シスターの目には途端に不気味に映った。エドガアは比較的綺麗なボロ椅子に腰掛け、ラデック達を見上げる。

「改めまして、私は“悪魔郷”出身の”不人(ふじん)“、エドガア……ああ、使奴寄りって言った方が分かりやすいかな?貴方達にお願い――――もとい、提案があるんだけど……聞いてくれるかい?」

 ラデックが確認を取るようにハピネスとシスターの顔を見てから代表をするように前に出る。

「……ラデックだ」

「どうもラデックさん。じゃあ話させてもらうね」

 エドガアが小さく咳払(せきばら)いを挟む。

「貴方達の狙いは、スヴァルタスフォード自治区への武力介入の口実探し……。だったら丁度いいのがあるんだけど、先に一個だけ約束して欲しいんだよね。それは、全世界へ向けて、ある人の”死亡報告“をでっち上げて欲しいの」

 エドガアの真剣な眼差しに、ラデックは首を捻る。

「内容による。あと、俺の仲間がそれを承諾するかによっても変わる」

「あれ?貴方達以外にも工作員がいるの?」

「工作員……まあ工作員か……?何人かいるし、その内の1人……事によっては2人3人は説得にかなり苦労する。非人道的な事でなければ大丈夫だろうが……」

「ん〜困ったなぁ。連絡とかって取れそう?」

「すぐには……」

「できると思うよ。”ゾウラ“の死亡届くらい」

 2人の会話に、ハピネスが唐突に口を挟む。その瞬間、エドガアは目を丸くして硬直した。ハピネスはいつもの怪しげなしたり顔で微笑(ほほえ)んだまま、何も見えない眼でエドガアを(のぞ)き込む。

「”ゾウラ・スヴァルタスフォード“の死亡を世界に吹聴する代わりに、その身柄を世界ギルドに明け渡す。いい交換条件だと思――――」

 ハピネスが言い終わる寸前。倒壊寸前だった廃墟の壁を突き破って人影がハピネスを襲った。その速度に辛うじて対応したラデックが、自己改造を挟みながらハピネスを(かば)う。

「ハピネス!!大丈夫か!!」

 ラデックがハピネスに目を向けると、彼女は腹部の半分を(えぐ)り取られ内臓が溢れ出していた。しかし、そんな致命傷を負いながらもハピネスはラデックを(にら)みつけ、激痛を堪えながら声を絞り出す。

「使奴だ……!!!余所見をするな……!!!」

 ラデックがハッとして振り向くと同時に、その眼前に何者かの爪先が映った。ラデックは強引に首を捻って顔を逸らすと、ラデックの目玉ギリギリを蹴りが空振りする。

「止めろ”カガチ“!!!」

 

【挿絵表示】

 

 エドガアの叫びに、白い人影は身を翻して廃墟の柱に登り獣のような姿勢を取る。立髪のような真っ白な髪に黒い(あざ)、色彩を持たない白い肌に色彩を持たない黒い目。そこに爛々(らんらん)と輝く紅蓮の瞳。カガチと呼ばれた使奴は、ラデック達に殺意を突き刺したままボソリと(つぶや)く。

「信用ならない」

 エドガアはすぐさまハピネスに駆け寄ってカガチを睨みつける。その後ろで、ハピネスが大量の血を吐き出しながら嘲笑(ちょうしょう)した。

「ごぽっ……た、確かに……ははっ。そりゃ、そうだよ……ごぷっ」

 シスターはハピネスの腹部に手を(かざ)し必死に魔力を注ぎ込む。

「ハピネスさん(しゃべ)らないで!!ラデックさん!!止血お願いできますか!?」

「任せろ」

「げほっ……カ、カガチ……さん、だっけ?」

「ハピネスさん!!喋っちゃダメです!!」

 シスターの必死の制止を無視して、ハピネスは血に(おぼ)れながらカガチに目を向ける。

「ごほっ!ごほっ!ゾ、ゾウラ……スヴァ、スヴァルタス、フォード……16歳……も、森の奥の……白い、二階屋……」

 激しく咳き込むハピネスの言葉に、カガチとエドガアは表情を変える。

「ま、毎朝……あんな硬いパンじゃ……か、可哀想だよ。今の、ままじゃ。はぁっ……はぁっ……大好物のケーキだって、た、食べられない」

 カガチは柱の上で暫く硬直する。その無機質で残酷な眼差しにをハピネスに突き刺し、ハピネスもまたカガチの目から視線を外さない。その睨み合いが数秒続くと、カガチが音も立てずに下へ降りてきて、ハピネスに回復魔法をかけた。

「痛っ!痛たたたたたたっ!!ちょ、優しく優しくっ!!!」

 急速に治癒していく怪我の激痛にハピネスは顔を(ゆが)(もが)き苦しむ。カガチは魔法の勢いを一切緩めることのないまま、酷く不機嫌そうな顔でボソリと言い放った。

「……ゾウラ様に何かしたら、この苦しみを未来永劫味わってもらう。一生死ねると思うな」

 並みの人間であれば恐怖で気絶してしまう程のカガチの脅しに、ハピネスは痛みに(もだ)えながらもヘラヘラと笑った。

「ひ、人を疑うよりも、優しくする事を先に憶えたほうがいいよ。今から練習しない?痛い痛い痛い痛い!!」

 

〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 廃棄された森〜

 

 先頭をエドガア。最後尾にカガチの順で6人は森の奥へと歩みを進める。ラデックに背負われたハピネスは、終始不満そうに文句を(こぼ)している。

「全く……文武最強の使奴ともあろう方が、こんなか弱い乙女にいきなり蹴りを喰らわせるかね!なあラデック君!」

「計算の内じゃなかったのか?」

「計算外に決まってるだろう!どうせ死ぬならもっと面白可笑しく死にたいよ。こっちの意図をチラつかせれば少し踏み込んだ話ができると思っていたのに……白蛇(カガチ)さんは口よりも先に手が出るタイプだったらしい」

「ハピネスの言っていた“ゾウラ・スヴァルタスフォード”というのは何だ?人名か称号のようだが」

「この国、スヴァルタスフォード自治区の帝位継承者さ。12年前に皇帝だったスヴァルタスフォード家がコモンズアマルガムによって滅ぼされ、それ以来死人として扱われてきた。生きていれば今は16歳。もし生存が発覚したら、即座にスヴァルタスフォード自治区の皇帝につかなくてはならない」

 ハピネスの説明に続いて、先頭を歩くエドガアが話し始める。

「ゾウラは12年前の事件以来誰にも見つからないように生きてきた。それを私が偶然発見した。他にもゴウカという仲間がいたが死んでしまった。今はカガチと私の2人だ。もしゾウラが他の連中に見つかったら……」

 エドガアが言葉を詰まらせると、ハピネスが代わりに続ける。

「間違いなく殺されるだろうね」

 ラデックは少し考え込んだ後首を捻る。

「何故だ?今は別の人間が皇帝なんだから関係ないんじゃないのか?」

「そこなんだよラデック君。今この国は皇帝不在のまま政治が行われている。一応悪魔郷の皇帝として“ラヴルス・ディコマイト”がスヴァルタスフォード自治区全体を治めてはいるが、コモンズアマルガムには(ほとん)ど関与していない。そしてコモンズアマルガムはというと、勝手に自分達で代表者を作り独自の政治形態を敷いている。悪魔郷としては、このままコモンズアマルガムを滅ぼしたい。コモンズアマルガムは悪魔郷を討ち倒すか、このまま国として独立したい。けれど、ゾウラ・スヴァルタスフォードの生存が発覚すれば両者の計画が崩れてしまう」

「そうなのか?」

「今世界ギルドがスヴァルタスフォード自治区への介入に二の足を踏んでいる理由は、大きく二つ。一つは正式な統治者不在による執行権行使の保留。世界ギルドが各国の調査をする際には統治者に令状を送る必要があるが、今のスヴァルタスフォード自治区にはそれを受け取る統治者が存在しない。そのため、スヴァルタスフォード自治区側から“正式な皇帝が決定するまで返答を保留する”との申し出がされているんだよ」

「そんなの無視すればいいだろう」

「そう簡単な問題じゃないんだよ。世界ギルドがこれに文句を言っても、スヴァルタスフォード自治区側には文句の受け取り手がいない。あくまで国民の総意として保留を要求されているんだ。悪魔郷もコモンズアマルガムも、世界ギルドに邪魔されたくないという点は同じだからね」

「システム上のエラーか。イチルギがそんなミスをするとは思えないが……」

「それが二つ目の理由。本来であればこういった内戦事情には問答無用で手を出せるんだが……悪魔郷とコモンズアマルガムが共謀して世界ギルドを撥ね除けているんだ」

「敵国同士が共謀?」

「そう。世界ギルドとしては、コモンズアマルガムを独立させる事で悪魔郷調査の口実を得たい。互いの地域にはちゃんと統治者がいるからね。けど、そうすると悪魔郷は“コモンズアマルガムは我が国の一部であり独立は認めない”と拒否をする」

「そんな横暴、世界ギルドが認めるはずがない」

「これに続いて、コモンズアマルガムも独立宣言を取り下げているんだよ」

「何だと?コモンズアマルガムの目的は独立じゃなかったのか?」

「独立よりも悪魔郷を滅ぼしたいんだよ。けど独立してしまえば世界ギルドが決めた戦争禁止の条約で、その機会は永遠に消滅する。だから独立を見送るんだ」

「ならば内戦を理由に介入できるだろう」

「世界ギルドが来た時だけ内戦を停止するのさ。内戦を指摘されたら両者共に“言いがかりだ”と喚き立てる」

「……なら、国の側にでも駐留してしまえば内戦は止むんじゃないか?」

「一方的な監視に対して異議申し立てをする」

「………………子供の我儘(わがまま)だ」

「そうだよ。いつまで経っても堂々巡りで、どっちかが滅ぶのを待つしかない状態。今までは時々調査員を送って争いに水を差してはいたみたいだが……お陰で内戦は長引いて、このままじゃ共倒れ。世界ギルドはなんとしてもこの国を救いたいみたいだねぇ。見捨てちゃえばいいのに」

 ハピネスの小馬鹿にするような物言いに、エドガアは遠い目をして呟く。

「ゾウラの正式な死亡届が出れば、もう誰もゾウラを探さない……。あの子は自由に生きていける。世界ギルドだって、スヴァルタスフォード家惨殺事件の真相を生き証人から聞けば、幾らでも難癖つけて調査を強行できるだろ?そうなったら、この国が世界ギルドの従属国になるのも時間の問題さ」

 ハピネスが小さく鼻を鳴らして笑い、ラデックは余計な事を言わせぬよう背負ったハピネスを態と揺すった。

 

 

 

 

〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森〜

 

「起きろハピネス。着いたぞ」

「ふがっ?」

 ラデックは、背中で(よだれ)を垂らして眠るハピネスに声をかける。夜通し歩き続け辿(たど)り着いた場所は、鬱蒼(うっそう)とした森とは対照的に開けた花畑だった。青空からは朝日が燦々(さんさん)と降り注ぎ、丁寧に手入れがされた畑と真っ白な一軒家を照らしている。

「綺麗な場所だな……ん?シスター、大丈夫か?」

 ラデックがふらついているシスターに声をかけると、シスターは苦しそうな表情をしながらも咄嗟(とっさ)に笑顔を作って(うなず)いた。

「は、はい……!大丈夫ですよ……」

 一行が一軒家に近づいていくと、玄関から黒髪の人影が出てくるのが見えた。

「あ、ゾウラ!おはよう!」

 エドガアが手を振ると、ゾウラと呼ばれた人物はすぐに気付いて手を振り返す。ゾウラはそのまま小走りで近寄ってきてエドガアに抱きつくと、ラデック達の方を見て微笑んだ。

「おはようございますカガチ。こちらの方は?」

 

【挿絵表示】

 

 ラデックはハピネスを降ろし、ゾウラに握手を求め手を差し出す。

「ラデックだ。よろしく」

 それに倣い、ハピネスとシスターも挨拶を続けた。

「私はハピネス。よろしく。ゾウラ君」

「シ、シスターです。よろしくお願いします」

「ゾウラ・スヴァルタスフォードです。遠路遥々(はるばる)ようこそ」

 ゾウラはラデックの手を摘むように握り挨拶を交わす。整った顔立ちに相応しい可愛らしい振る舞いと顔つき。長い美しい黒髪と桃色の瞳が(なまめ)かしく輝き、少し悪戯(いたずら)っぽそうな微笑みと華奢(きゃしゃ)な身体に、ラデックは何故か罪悪感に似た感情を覚えて少し(ひる)んだ。

 そして手を離した直後、カガチが早足で割り込んできてゾウラをラデックから引き剥がした。カガチはしゃがんでゾウラに目線を合わせる。

「ゾウラ様、見知らぬ相手との接触には注意して下さい。空間を介さない攻撃には使奴の反応速度でも対応できません」

 そう鋭い目つきで言い放ったカガチに、ゾウラは優しく微笑む。

「カガチが私を(おとし)める人を連れてくるはずありません」

 その屈託のない笑顔に、カガチは少し下唇を噛んで視線をズラす。ゾウラはラデック達の方に顔を向け、案内するように家の方を指し示した。

「ここまで来るのに疲れたでしょう。中へどうぞ」

 

 家の中はとても市街地から離れているとは思えないほどに綺麗だった。整理整頓と掃除が行き届いた部屋に、色とりどりの花を咲かせた植木鉢。お洒落な絨毯(じゅうたん)やテーブルクロス、家具や壁にも汚れなど一切なく、とても世間から死人扱いされている人間の家とは思えなかった。

 ゾウラはキッチンから冷たいお茶を持ってきて丁寧にテーブルへと並べていく。ハピネスは受け取るや否や一気に飲み干し、大きく息を吐いた。

「っあぁ〜!美味い!」

 まるで仕事終わりの酒を飲む日雇い労働者のような振る舞いにも、眉間に(しわ)を寄せるカガチとは正反対にゾウラは嫌そうな顔ひとつせずおかわりを注いだ。

「庭で採れた“ブラックカモミール”のアイスハーブティーです。気に入っていただけたようで何より」

 再びハーブティーをぐびぐびと(あお)りはじめるハピネスの横で、エドガアが咳払いをしてから口を開いた。

「早速だけど、これからの話をしよう。突然なんだけど……ゾウラには、この人達について行って貰いたい。世界ギルドの工作員だそうだ。そうすればこの国を出て平和な暮らしを手に入れられる」

 ゾウラは突然の話にも(かかわ)らず、穏やかに微笑んだまま胸に手を当てた。

「はい。わかりました」

 そこへカガチがゾウラの顔を覗き込んで付け足す。

「私も同行します。絶対に一人きりにはさせません。

「ありがとう。カガチ」

 何の躊躇(ためら)いもなく同行を了承したゾウラに、シスターは驚いて尋ねる。

「あ、あの……受け入れて貰えるのはありがたいのですが、その、不安ではないんですか?このお家も、お庭も、捨てることになってしまうんですよ?」

 心配そうなシスターに、ゾウラは微笑みを崩さず肩をすくめる。

「そうですね。別れは少し残念ですけど、新しい暮らしもきっと素敵です」

 口をポカンと開いたままのシスターから視線を外して、ゾウラは両手を合わせてラデック達に顔を向ける。

「そうですね、きっと今日が最後になるでしょうし!皆さん今日だけここに泊まって行きませんか?カガチ、人数分の寝床を用意して頂けますか?」

(かしこ)まりました」

 ゾウラは上機嫌で皆の器を片付けると、そのままキッチンへと入って行った。

 ラデックはゾウラの背中を見送りながらハピネスに耳打ちをする。

「問題なく解決しそうだな」

「馬鹿か君は」

 予想外の罵倒にラデックはハピネスの顔を見る。ハピネスは何か警戒しているような目つきでぎょろぎょろと目玉を動かす。

「変だと思わないのかね」

「ゾウラの態度か?」

「それもそうだが、この国そのものを――――だ」

 ハピネスの吐き捨てるような呟きに、ラデックは首を捻る。

「この国はどこかおかしいのか?」

 ラデックの疑問に、シスターが少し言い(よど)みながらも口を開く。

「……もし、ゾウラさんが国の重要人物であるなら……死人扱いではなく、寧ろ偽物を用意して権利を横取りするのではないでしょうか。国の権力者全員がゾウラさんと敵対しているのであれば証拠の隠蔽(いんぺい)捏造(ねつぞう)容易(たやす)いはずです」

 キッチンから水音だけが響く静寂の中、ハピネスは何も映らない目玉で何かを探し続ける。

「それどころか、コモンズアマルガムと悪魔郷にそれぞれ自称ゾウラ・スヴァルタスフォードが居てもおかしくない。仮にバレた時のリスクを考慮しているとしても、ゾウラを生きていることにして生前退位の証拠をでっち上げた方がリスクが少ない。それを、今政権を握っている奴らが(そろ)いも(そろ)って“ゾウラ・スヴァルタスフォードの生存が証明されるだけで瓦解(がかい)する悪手”を選んでいるなど、不自然にも程がある」

 ハピネスの独り言の様な呟きに、横で話を聞いていたエドガアが口を挟む。

「貴方が思っている程この国は賢くないよ。それに、その生前退位の捏造だって結構大きなリスクを伴うじゃないか。為政者は臆病者ばっかりだ。別に不自然じゃないよ」

 ハピネスは暫く沈黙した後に、机の上の焼き菓子を摘んで(いぶか)しげに中空を睨む。

「”争いという激流の中に、奇跡的に発生する(よど)みを安寧と呼ぶ“……受け売りの格言だがね。子供が親の心を知らない様に、豚が己の役目を知らない様に、物語の主人公が書き手の存在を知らない様に……物事はいつだって、己が知り得ない強者の(てのひら)の上で起こる。疑うことを忘れたら、待っているのは取り返しのつかない現実だ」



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76話 地獄への道は悪意で舗装されている

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〜スヴァルタスフォード自治区 悪魔郷 カジノ“オニオン&バード” (ラルバ・バリア・ナハルサイド)〜

 

 世の中どいつもこいつも馬鹿すぎる。

 やれ”波が来てる“だの”ツキが回ってきた“だの。ウチに言わせれば弱者の妄想もいいトコ。お前らにとっての偶然てのは、ウチら強者が起こした必然なんだよ。お前が(もう)けるも負けるもこっちの自由。

 最初だけ甘ぁい汁を吸わせておいて、調子に乗って来たところで大負けさせる。でもって一回だけ取り返しをつかせてやる。そうすりゃもう次から「大負けしても何とかなる」っていうクソみたいな成功体験がついちまう。幾ら負けても「大丈夫」って平和ボケの呪いがお前から離れやしない。

 

「このゲームは単純明快。互いに決めた3つの数字を、質問と回答を1回ずつ繰り返して先に当てた方の勝ち。どう?まあ、まずは一回やってみようよ」

 

 カードを引く、(はい)を並べる、レバーを引く、ボタンを押す、ハンドルを回す。ゲーム内の動作は少なければ少ないほど良い。その分小さい脳味噌(のうみそ)を必死に回させて、考えた気にさせることができる。クズってのは自分で探し出した答えを疑わないもんだ。逆に、自分の探し出した答えを疑う奴を疑う。お前が欲しいのは正解じゃない。優秀な自分だ。でもお前ら自称ギャンブラーは一生その事実に気が付かない。テメェのド頭にフォークがブッ刺さるその瞬間まで、自分が喰われる側だってことに気付かない。

 

 

 それなのに――――――――

 

 

 

「はい、私の勝ち〜」

 

 

 

 なんでこんなことになってる?

 

 

 

「………………」

「どうしたの?オネーサン。顔真っ青だよ?」

 

 この“ラルバ”とかいうアホ女、なんでこんなに金を持ってる?おかしいだろ。なんでウチがこの馬鹿のレイズに応えなきゃならない?いや、もっとおかしいのはウチが負けたことだ。さっきまで奴は災禍のど真ん中で(おぼ)れてた(はず)だろ。それがなんで、ここぞって大一番で勝てるんだよ。第一、なんで手札がウチの“見た”数字と違うんだよ。こんなの、こんなのって――――

「イ、イカサ――――」

「イカサマじゃん」

 

 

 

「え」

 

 

 

「この数字が書かれたカードさ、一枚一枚重さが微妙に違うよね。このカード台が(はかり)になってて、私が何を取ったか分かるんじゃないの?」

 な、なんでバレた?1g以下の違いだぞ――――!?

「でも私がどこに何を並べたかまでは分かってない。でも関係ないよね。怪しまれない様にしても、2回も質問をすれば分かっちゃうんだからさ。まあその秤もこうやって糸くずを乗せるだけで無意味になっちゃうんだけどね」

 …………もういい。こいつがどうやって見破ったか何てのは後だ。やっぱりギャンブラー何てクソしかいない。殺しちまえば死人に口無し――――

「そのポッケの銃は出さない方がいいよ」

「え」

「まだ話し合いでの解決を望んだ方がいい……。よく暴力に訴える奴は頭が悪いみたいな言われ方をするけど、本来は逆だ。まず暴力ありき。何らかの理由で暴力が行えない場合にのみ、例外的に話し合いという解決方法が選ばれる。今暴力交渉に出てしまえば、話し合いには二度と戻れない」

「う……」

「やめた方がいいよ」

「うるせぇ――――っ!!!」

 

 

 

〜スヴァルタスフォード自治区 悪魔郷 ディコマイト宮殿〜

 

 ラルバ、バリア、ナハルの3人は、悪魔郷の皇帝が住む宮殿に来ていた。ラルバが(わざ)とらしく咳払いをしてから門番へと近寄り、朗らかに手を振る。

「ハローベイベー!元気ぃ?」

「…………何用か?」

「皇帝に謁見(えっけん)願いたい」

「馬鹿を言え。殴られないうちに帰れ」

「お?殴る?殴っちゃう?私強いよぉ〜?」

 ラルバがその場でシャドーボクシングを始める。門番は厄介な(やから)が来たと鬱陶(うっとう)しそうに溜息を吐いた。すると門の奥から一人の大男が肩で風を切って近づいて来た。

「あー通せ通せ!!俺の客だ!!」

「へ、ヘレンケル様……!」

 坊主頭に態とらしく豪華な王冠と杖。金の装飾が施された厚手のマントにド派手な紅白の服装。そしてそれらの何よりも目立つギョロついた目玉。雪のように白い肌と真っ黒な白目に浮かぶ翡翠(ひすい)の瞳は、彫りの深さも相まって一層威圧的に見えた。

「ご機嫌よう奥様方!まあ入ってくれや!」

 ヘレンケルと呼ばれた男は杖をクルクルと回しながら背を向ける。ラルバは門番の前を揶揄(からか)うように手を振って通り抜け、バリアとナハルもそれに続いた。

 門番から少し離れると、ナハルはヘレンケルに聞こえぬようラルバに顔を寄せて話しかける。

「おい……!これはどう言うことだ……!何が起こっている……!?」

「ん、何よナハりん。何がって何が」

「勝手にカジノで遊んできたかと思えばいきなり宮殿に来るなんて!何を企んでいる!?どうやってアポをとった!」

「えー……ナハりんも使奴なら察して欲しいなぁ」

「“目を背けたくなるくらい最悪な状況しか想定できない”から聞いているんだ!」

「分かってるなら聞かないでよ」

「こいつ……!!」

 

 ヘレンケルが案内した先では、使用人が扉を開けて待っていた。応接室の札が下げられた室内には大きなソファが向かい合って置かれており、テーブルには人数分のティーカップが並べられている。ヘレンケルは使用人に「下がれ」と命令をしてから、ソファに腰掛けてティーカップの中身を一息で飲み干した。

 ラルバが同じように対面のソファへ座りティーカップに口をつけると、バリアとナハルもそれに続いてラルバの隣へと腰掛けた。ヘレンケルはラルバがティーカップの中身を飲み干したのを見ると、少しだけ口角を下げて言葉を漏らす。

「……我が悪魔郷自慢のローズティーだ。お味は如何かな?」

 ラルバはティーカップを机に置いてから、顔を大きく歪めて笑った。

「クソ不味いな。勝手に“砂糖”を入れるな」

 ラルバの返答にヘレンケルは思わず失笑し、顔を手で覆って大声で笑い出す。

「……ふっ。あーっはっはっはっは!!いやあ申し訳ない!!実に!!実に失礼なことをした!!」

 ヘレンケルはティーポットを手に取ってラルバのカップにおかわりを注ぐ。

「こっちは“砂糖抜き”だ。口に合うかは分からんが……」

 そして、まだ笑いが収まらないのか再び顔を手で覆いつつ、ギョロ目をラルバ達に向けた。

「くくくくっ……ああ、失礼。遅くなったが自己紹介を。悪魔郷皇帝ラヴルス・ディコマイトの息子、ヘレンケル・ディコマイトだ」

「ラルバ。お、この紅茶まあまあ美味しいね。80点」

 上品に紅茶を(すす)るラルバの自己紹介に続いて、バリアとナハルが頭を下げる。

「バリアです」

「……ナハルだ」

「ラルバに、バリア、ナハルね。オッケー。で、俺に何の用かな!?っつーか俺?ここ?」

 ヘレンケルの問いに、ナハルはラルバを(にら)みつけた。

「……私の知らないところで知らないことが起こっているな。ラルバ、きちんと口に出して説明しろ」

「めんどい。察しろ」

「改めてお前の口から答え合わせをしろと言っているんだ!私達だけの問題ではないんだぞ!」

 ナハルが声を荒げてラルバを睨み付けると、ラルバは呆れた様子で鼻から大きく息を吐いた。

「…………あの“オニオン&バード”とかいうカジノ、地下から濃い波導が漏れ出ていた。実力者がカモを虐めているのか……実力者をもカモにしているのか。どっちみちアウトローと通じているのは間違いない。突けば(やぶ)から蛇が出てくるのは目に見えてた」

「で!藪から出てきた蛇ってのが俺!!合ってる!?」

 ヘレンケルがニカっと笑って両親指で自分を指す。ラルバはティーカップを傾けながら真顔でヘレンケルに冷たい視線を送った。それでもヘレンケルは依然としてへらへらと笑い、両足を机の上に乗せ踏ん反り返ってナハルに目を向ける。

「あんたらがウチに来る少ーし前に電話があってさ、“オニオン&バード”の支配人から、“ラルバとか言う女の外人に金をパクられた!“――――ってさ。声の震えからして確信したね!”コイツやらかしたな“って!でも、あんたらが来た時はゾク〜ッとしたよ!この短時間でウチまで辿(たど)り着いちまうなんて!!」

 ラルバは冷ややかな仏頂面を保ったまま静かに口を開く。

「……あのイカサマギャンブラーと支配人、明らかに親玉って面じゃなかった」

「いやいやそんだけじゃないっしょ!!決め手は何!?」

 ヘレンケルが身を乗り出してラルバに詰め寄る。

「香水」

「香水……?」

「支配人がつけている香水、微かに機械油の臭いの混じった粗悪品だった。それと入口に突っ立ってたガードマンのマフィアの数名。アイツらの付けてる香水も種類こそ違うものの、同じ機械油の臭いが混じっていた。多分、元締めがクッソ安い香水を馬鹿高い値段で売って上納金を集めているんだろう」

「そのカジノとマフィアがウチに関係してるって根拠は?」

「特にないよ。皇帝が親玉ならネタにして強請(ゆす)るだけだし、あのカジノと敵対してるなら(ねずみ)取りという大義名分だけ(もら)いに来ただけ。関係性なんか探せば幾らでも出るだろうけど、回り道は好きじゃない」

 ラルバが説明を終えて大きく欠伸をすると、ヘレンケルは(うつむ)いたまま微かに震える。

「す……」

 そして大きく仰け反ってソファを(きし)ませた。

「スッゲー!!機械油って!!いやあ分からないでしょフツー!!行動原理もウルトラクールじゃん!!」

 狂ったように笑い出すヘレンケルを、ナハルが若干引き()った顔で見つめる。

「……なんだこの男は。薬でもやっているのか?」

 ヘレンケルがピタリと動きを止める。

「はぁ〜?聞き捨てならねぇ〜!俺は馬鹿になることだけはゼッテーしねぇ!!」

 そのまま首を傾げて目を見開き、威嚇する様にナハルを睨み付けた。

「薬も酒も煙草(たばこ)もやらねぇ!!俺達人間の一番の武器は脳味噌(のうみそ)だ!!逆に言えば、脳味噌を上手く使えない奴は人間じゃねぇ!!そうは思わねぇか!?」

 この上なく威圧的なヘレンケルの眼光に、ナハルは鬱陶しそうに顔を背けた。そこへラルバが大きく咳払いをして、首の座っていない赤ん坊の様に頭を揺らしながら(うめ)き声に似た(つぶや)きを零した。

「あー……本題入っていいかな?」

 この呟きにヘレンケルはハッとなってラルバの方に顔を向ける。

「どうぞどうぞ!!やー申し訳ない!!勝手に時間食っちった!!」

 ニコニコと怪しく笑うヘレンケルをラルバが不愉快(ふゆかい)と言わんばかりに睨む。

「うるさい奴だな……。こっちが欲しいのは権力。提供できるのは暴力と金」

「え?マジ?俺にも発言権あんの?うっひょー太っ腹ぁ!!」

「はい交渉成立ね。……ふぁ〜あ。気が抜けたら眠くなってきたな。少し寝るから言いたいことがあるなら今のうちに(しゃべ)っといて……」

 大きく欠伸(あくび)をしてソファに寝そべるラルバ。ヘレンケルは両手を擦り合わせて小さく笑い声を零し、ナハルに目玉を向ける。

「お言葉に甘えて勝手に話させてもらうぜ。いいよな?」

 ナハルは(あき)れたように肩をすくめる。

「どうぞ……本人が聞いているかは知らないけど」

「んじゃ遠慮なく。まず!“使奴”が3人も仲間になってくれるなんて思っても見なかった!正直、命あるだけラッキー!みたいな?」

 “使奴”という言葉に、ナハルは眉の(しわ)を一層深めてから紅茶に口をつける。

「……やっぱり毒入りか。けど、よく私達が使奴だと気付いたな」

「え?いや、毒を盛ったのは、使奴だったらいいなーって思っただけだ。例え使奴じゃなかったとしても、こんなのに引っかかる間抜けとお喋りする時間なんかないしな」

「ふざけるな!」

「ふざけるなんてとんでもない!それこそ、コレであんたらの怒りを買ったら危ないのは俺の方だ。交渉を最短距離で済ませたかっただけ!ラルバもそれに気付いてノってくれたしなぁ!!」

「……クズが2人」

「俺から頼みたいことはただ一つ!コモンズアマルガムへの侵攻!その一番槍だ!!」

「侵攻?戦争でも起こす気か?」

「それもあるが……一番の目的は“皇帝(オヤジ)”の座だ。俺が長男とは言え、選挙で次期皇帝を選ぶ以上確実じゃあない。それに次の選挙なんか待っていられるか」

「そんな皇帝に国民がついて行くと本気で思っているのか?」

「そこ!そこだぜナハル!!俺が望むは独裁国家!!」

 ヘレンケルは目の色を変えて興奮気味に立ち上がる。

「ここ悪魔郷では金がものを言う!!コモンズアマルガムでは心、指導者への忠誠心がものを言う!!だが!!真に発展を望むなら、最も肝心なのは“才能”だろうが!!」

「能力主義社会か。はっ、会社経営ならばまだしも、国家運営に能力主義を適応させるなんて……馬鹿馬鹿しい」

「それ、本気で言ってるのか?」

「いいや?実際、“人道主義自己防衛軍”は能力至上主義国家として有名だし、世界で最も安定した経済力を持っていると言っていい。でも、それは使奴の独裁あってのもの。お前ごときに真似はできない」

「確かに能力主義で国やんのはクッソムズい。政治家は格闘家からしたらヒョロガリの無能だし、エンジニアからしたら画家は無駄なものばっかり作る引きこもり野郎だ。この凝り固まったゴミ思考を取っ払うのは並大抵のことじゃない!!だから今の今まで頭ぶん回してあちこち根ェ張ってたんだ!!俺は俺より馬鹿な奴に頭下げるこの世の中が!!優秀な奴が馬鹿に蹴られるこの世の中が!!住みづらくて仕方ねぇ!!」

「金を稼ぐのも才能だろ」

「金持ちの子供になるのは才能じゃねぇだろ!!偶然力を手に入れて(よだれ)垂らしてる馬鹿を見てっとイライラしてくんだよ!!」

「……はあ。理解できないな」

「理解は結構!!所詮(しょせん)野望の根幹なんてそんなもんだ!!あんたらには俺の名前も権限も好きに使ってもらって構わねー……。俺が欲しいのは、戦地を圧倒的な力で切り拓く豪傑の姿だ!!」

 息を荒げて力説するヘレンケル。ナハルは毒入りの紅茶を飲み干すと、明後日の方に目を向けながら小さく溜息を吐いた。そしてヘレンケルに聞こえないよう小声で呟く。

「……シスター様のことを頼んだぞ。ハピネス」

 ナハルは呟いたばかりの自分の言葉に、尋常じゃない嫌悪感を覚えて大きく肩を落とした。

 



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77話 藁人形に愛をこめて

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〜スヴァルタスフォード自治区 悪魔郷 ディコマイト宮殿大図書館 (ラルバ・バリア・ナハルサイド)〜

 

 ナハルは一冊の分厚い本を手に取り、試し読みをするようにペラペラとページを(めく)る。そして5分程度同じような動作を繰り返した後に、小さく息を吐いて本を閉じた。

「すっげ……もう全部読んだのか?」

 後ろにいた大男、皇帝の息子であるヘレンケルはそのギョロ目を丸くして(つぶや)いた。ナハルは別の本を手に取りながら口を開く。

「いや、ただの斜め読みだ。ページ1枚1枚を絵として記憶して、後で読み直す。まだ内容の咀嚼(そしゃく)は出来てない」

「思ったより数倍スゲェことしてんのな……それ、使奴は全員できんのか?」

「恐らくはな……あと、あんまり使奴と呼ばないでくれ。気に入っていないんだ」

「うえぇマジかよ!!折角こんなウルトラハイスペックボディだっつーのに!!」

「そうだぞぉナハル」

 本棚の奥からラルバが顔を(のぞ)かせる。するとナハルはヘレンケルを置き去りにしてラルバの首根っこを(つか)み、乱暴に壁に寄せて耳打ちをした。

「おい、これからどうするつもりだ」

「どうするって……何のために図書館来てるのさ。適当に粗探しして突っつきゃいいじゃん」

「一番槍の件はどうする。我々はコモンズアマルガムを襲う用心棒として、悪魔郷中に顔が知れてしまうんだぞ」

「え、ナハルちゃん本気でやるつもりなの?私ブッチする気満々だったんだけど」

「反故にするつもりか?悪魔郷の面々はどうなる。無謀な戦に大勢が命を落とすぞ」

「戦争ってそういうもんでしょ。え?まさかナハルん、無血の勝利とか期待してた感じ?」

「……お前についてきた私が馬鹿だった」

「そうだぞ馬鹿。アホ」

 ナハルはラルバを軽く突き放してから、不機嫌そうに(きびす)を返し立ち去って行った。その態と靴音を響かせて歩くナハルとすれ違ってヘレンケルがラルバに近づき、首を傾げて尋ねる。

「ナハルはどうしたんだ?」

「あの子、正義厨なの」

「へー。難儀だねぇ」

 

 ラルバが一通り書物に目を通してから図書館を出ると、宮殿の中庭にある噴水の縁に腰掛けているナハルが目に入った。ナハルもそれに気付いたようで、顔を(しか)めてラルバから目を背けた。

「なあによナハルちゃん。反抗期?」

 ラルバがナハルの隣に腰掛けると、ナハルはラルバの顔を(にら)みつけて溜息を吐いた。

「今からでもシスターを連れて逃げるのもアリだな。と、思っていたところだ」

「えー、そんなことしたらラルバちゃん寂しくて地の果てまで追いかけちゃうよ?」

「クソッ……。第一、何故シスターを連れて行くんだ。何が目的だ」

「え、聞いちゃう?オススメしないけど」

 何の変哲もないラルバの言葉に、ナハルは何か禍々しい警告のような恐怖を感じて目を逸らした。そして、その答えから遠ざかろうと露骨に話題を変える。

「このままヘレンケルの計画に乗ると、シスター達に危険が及ぶ。しかし我々からは向こうの様子は分からない。この問題についてはどうするつもりだ」

「まあその辺はハピネスがなんとかするっしょ。イっちゃん達も向こうを重点的に見てるだろうし、私ら使奴組はさっさと逃げるに限るよ」

「“だろう”では困る!!お前にとっては単なる遊びかも知れないが――――」

「ナハル」

 言葉を遮ったラルバの呟き。その重苦しさと鋭さにナハルは(わず)かに気圧(けお)され押し黙る。

「…………私は今回。今までで最も嫌ぁな予感がしている」

「……なんだ、急に」

「多分、すぐには分からない。何せ私が、最新モデルの第四世代使奴である私が“違和感”としか形容できない小さな(ほころ)びだ。この国に来てから、そういう小さな小さな“嫌な感じ”を何回も覚えている」

「それは……確かに、私も少しだが嫌な気はしている。バリアは特に何も感じていなかったようだが、彼女は第一世代だ。イチルギも第二世代だし、第三世代の私でこの程度なら、あの2人は気付けていないかも知れない」

「ああ、だろうな」

「ラルバ。その違和感というのは具体的にどういうものだ?」

「さあ……。少なくとも取り返しのつかなくなるような何かではないが……得体の知れないものからはさっさと遠ざかるに限るだろう。今回ばっかりは先を急ごう。幸い、あのヘレンケルとかいう男は悪ではなさそうだしな」

 そう言ってラルバは立ち上がって宮殿へと歩き出した。ナハルはその背中を見送りながら、街中で感じていた言葉にできない不快感を思い返していた。

 しかしその不快感の正体が、目の前で子供が泣き叫んで助けを求めている“悲哀“なのか、怪物が(うな)り声を上げて血肉の混じった吐息を()き散らす”殺意“なのか。何度考えても答えが浮かんでくることはなかった。

 

 

 

〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森 ゾウラ邸 (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜

 

「戦おう」

 ラデックの発言に、ハピネスは目の色を変える。ゾウラ邸で一休みしたラデック達は、ハピネスの覗き見の内容から今後の行動指針を話し合っていた。しかし、ゾウラの亡命を幇助(ほうじょ)するという当初の目的から大きく外れた提案に、シスターだけでなくエドガアやカガチまでもが険しい表情をした。ハピネスは(あき)れた様子で額に手を当て、ラデックの顔を覗き込んだ。

「……ラデック君、私の話聞いてた?ラルバ達はそのままトンズラするんだ。しかも使奴の勘が過去最悪の何かを感じている。そんな中、悪魔郷に私達が対等に渡り合えるとでも?」

「悪魔郷だけじゃない。コモンズアマルガム含め、このスヴァルタスフォード自治区全てを敵に回す」

 余りにも理解し難い言葉に、ハピネスは最早呆れを通り越して狼狽(うろた)え始める。

「ラデック君なんか変なキノコでも食べた?あ、わかった。君その辺の水生で飲んだだろう。寄生虫に脳味噌喰われておかしくなっているんだ。シスター!オペの準備!」

「ハピネス」

 ラデックは(おど)けるハピネスに顔を向け、真っ直ぐとその瞳を見つめる。ハピネスの目にその姿は映っていなかったが、その気迫は視覚を介さずとも薄れることはなかった。

「俺は本気だ」

 ハピネスが伏し目がちにラデックを睨み続けていると、少し離れて立っていたカガチの地を()うような声がラデックに巻きついた。

「理由を述べろ」

 ラデックはその威圧をものともせず、淡々と話し始めた。

「俺が気にしているのはラルバの今後だ。この調子で世界各国を巡るとなると、いつか大きなしっぺ返しを喰らう。ここらで予定を狂わせておきたい」

 カガチの吐き捨てるような溜息と同時に、ハピネスがラデックの喉元(のどもと)に杖の(きっさき)を突きつける。

「その無意味な行動が、今後使奴の足枷(あしかせ)になるということを分かっていっているのかい?そのしっぺ返しとやらを、使奴が予測できないとでも思っているのか?」

 しかし、ラデックは(ひる)まない。

「この世界は使奴の常識の外で動いている。幾ら使奴とはいえ、全てを予測できはしないだろう。それに、俺の行動は無意味じゃない」

「じゃあどんな意味があるって言うんだ。私、シスター、ラプー、エドガア、ゾウラの身を危険に(さら)して、他国の愚昧(ぐまい)なちゃんばらごっこに横槍入れることに!!どんな価値がある!!」

「さっきハピネスが言った“使奴の足枷”……それがメリットだ」

「……ラデック。それはメリットじゃない。“自分の行動を使奴が予測できないが故に、自分にも発言権が生まれる”。確かに私利私欲を度外視した奇行は、心理や習性から行動を予測する使奴にとって厄介この上ない。だが、それは君自身が使奴にとって厄介なものになるということだ。君、死にたいのかい?」

「死なないためだ」

「ラデック君……!!」

「ラデックさん」

 シスターの声が2人に割り込んだ。

「私、お手伝いします」

「ありがとう」

「シスター君!?」

 ハピネスが血相を変えてシスターの胸倉を掴むが、シスターは何の抵抗もせずに優しく微笑(ほほえ)んでハピネスを見つめた。

「ハピネスさん。ラデックさんの言うことを信じてあげてください」

 シスターの一切曇りのない澄んだ瞳に、ハピネスは大きく首を回してふらふらとその場を歩き回り始めた。

「理解できない……これは悪い夢か?もしかしたら寄生虫に脳味噌を喰われているのは私の方なのか……?」

 そのままヨタヨタと亡者のように覚束(おぼつか)ない足取りで立ち去っていくハピネス。ラデックはゾウラ達の方に向き直り、真剣な表情でエドガアとカガチにも視線を送る。

「訳が分からないだろうが、協力して欲しい」

 そう言って深く頭を下げた。それを見てゾウラは笑顔で(うなず)く。

「はい。喜んで。いいですよね?カガチ。エドガア」

 カガチはゾウラに(ひざまづ)いて頭を垂れ、エドガアは肩をすくめて困ったような笑みを溢した。

「まーいいけど……危なくなったら逃げるからね?」

 ラデックは顔を上げてから、再び小さくお辞儀をする。

「ありがとう。ゾウラ、カガチ、エドガア」

 

 その日の晩、シスターが風呂場で体を洗っていると、突然ノックも無しに扉が開かれた。

「きゃあっ!!ハ、ハピネスさん!?」

「やあシスター君。ご一緒していいかい?」

「だっだめです!!ていうか私男ですよ!?出て行ってください!!」

「そうだったっけ?まあいいじゃないか。どうせ私は目が見えないし」

「そういう問題じゃありません!!」

 慌てふためくシスターを尻目に、ハピネスはさっさとかけ湯をして湯に浸かってしまった。

「ふぅ〜……やっぱり、風呂こそ人類最大の発明だ……しょっぱっ!!あ、これ海水か……エドガアさぁん!!もう少し熱くできるかぁい!?」

 外で炎魔法による給湯を管理しているエドガアに向かってハピネスが声をかけると、壁の向こうから小さく“あいよ〜”と返事が聞こえた。

 シスターは風呂桶とタオルで全身を隠していたが、一切立ち去る気配のないハピネスを見て大きく溜息をついた。

「シスター君、風邪ひいちゃうよ」

「……じゃあ出て行ってください」

「それはできない」

「……はぁ」

 シスターは再び盛大に溜息をついた後、タオルを腰に巻き手で出来る限り体を隠しながら湯船に入った。

「見えてないってば」

「ハピネスさんはもう少し隠してください……!」

「何を?下心?」

 シスターは勢いよくハピネスの頬を叩いた。

「痛っ!乱暴だなあ全く……そうそう、シスター君」

 ハピネスが頬を摩りながら尋ねる。

「君、ラデック君の意見に賛成してたけど……あれはなんで?」

 シスターは、なるべくハピネスの方へ目を向けないようにしながら口を開いた。

「……ハピネスさんは、どれくらい前からラデックさん達と一緒にいるんですか?」

「ん〜?まあ初期メンバーって訳じゃないが……相当前だねぇ。私が出会った時はラルバとラデック君と、ラプーとバリアちゃんの4人だけだった。そこから大体……もう2ヶ月くらいは一緒にいるかなぁ」

「そうですか……」

「何か関係あるのかい?」

「……ハピネスさんは、どうしてラルバさんについて行っているんですか?」

「質問ばっかだね……。最初は敵同士だったんだけど、ラルバに殺されかけてね。ついてきてもいいって言われたからついていってるだけさ。単なる怖いもの見たさだよ。で、それがどうかしたの?」

「………………私は、私がラデックさんの立場だったとしても、多分似たようなことをする気がします」

「ほう?」

「ここまで大それたことはできませんが……でも、これを口に出すのは良くないことだと思うので言いません」

「え〜!?ここまで勿体(もったい)ぶっておいてぇ!?」

「すみません。でも、近いうちにわかると思います。ラデックさんの気持ちが、ラルバさんに伝われば……」

「え〜……」

 ハピネスは湯船に鼻の下まで浸かってブクブクと泡を立てて抗議する。

「ん〜………………せいやっ!!」

「ひゃあっ!!!」

 そして、シスターの股間を鷲掴(わしづか)みにした。

「何するんですか!!!」

 シスターの肘打ちがハピネスの眉間にヒットする。そのままシスターは湯船に沈むハピネスを置き去りにして、さっさと風呂場から出て行ってしまった。

 

 

 

「……斬新な半身浴だな」

 ラデックがシスターと入れ替わりで風呂場に入ると、浴槽には新鮮なハピネスの遺体がぷかぷかと浮いていた。



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78話 どうかお元気で

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〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森 ゾウラ邸 (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜

 

「ぶはぁっ!!!がはっ!!!げほっ!!!」

 暗く深い海の底から脱するようにハピネスは目を覚ました。その横で治療にあたっていたであろうラデックとシスターが、蘇生(そせい)したばかりのハピネスの顔を覗き込む。

「おお、生き返った」

 ラデックが淡白な反応をする。ハピネスは大きく咳込み続けながら、顔を伏せたまま低く(うな)るように文句を(こぼ)した。

「シスターくぅん……、借りイチだからねぇ……」

 シスターは軽蔑(けいべつ)の眼差しをハピネスに向けたまま、小さく下唇を噛んだ。

 

「あーあ、気を失ってたからラルバ達を見失ったよ」

 ハピネスが目玉をギョロギョロと動かしながら文句を吐き出した。

「大体今何時?もう真夜中じゃん。この暗闇じゃあ見つかりっこないねー。残念だけど、ラデック君の大戦争作戦は中止ぃーっ!」

「決行するが」

 ラデックの拒否にハピネスは分かりやすく馬鹿にした変顔をして項垂(うなだ)れる。

「暗闇で見えづらいなら暗視の魔法でもかけたらどうだ」

 そうラデックに指摘されると、ハピネスは手をぶんぶんと左右に振ってせせら笑う。

「ラデック君、私が盲目だから勘違いしているかも知れないけれど、私の異能はあくまで“視聴覚を有した思念体を遠隔操作する能力“だ。私に暗視だの遠視だのの魔法をかけたところで異能自体に影響はない。逆はあるがな」

「不便だな」

「不便で役立たずのハピネスお姉さんは一足先に寝させてもらうよ。明日は大妖(だいよう)エレメンタルのDr.ヒューリィと会食の予定が入ってる」

 そう告げると、ハピネスは2階へと階段を登って行ってしまった。ラデックが首を傾げていると、シスターが手帳を取り出してペラペラとページを(めく)った。

「ええと……、Dr.ヒューリィ。昨日私達がコモンズアマルガムの酒場で出会した老人です」

「ああ、霊皮症(れいひしょう)悪魔病(あくまびょう)だと言っていたインチキ学者か」

「……因みにラデックさん。旧文明の技術を用いれば、霊皮症を後天的に発症させたり感染力を持たせることは可能なんですか?」

「う〜ん……。できなくはないだろうが……研究に長い年数と設備を要するだろう。できたとしても、誰もやらなかっただろうな」

「そうですか……」

「もしかして、シスターは今回も使奴研究員絡みだと思っているのか?」

「え、あ、いや、なんとなく……ですけど。なんだかこう、作為的なものが感じられるような気がして。だって、不自然じゃありませんか?この肌の色による差別が何年も続いているってことは……、悪魔郷(あくまきょう)では霊皮症患者ばかりが、コモンズアマルガムではそうでない人ばかりが生まれてくる。そんなことってあり得るんでしょうか……」

「……そもそも、使奴の無彩色の肌は霊皮症じゃない。恐らく、使奴寄りの白い肌も霊皮症とは無関係だろう」

「え?じゃあどうして使奴の肌は白いんですか?」

「ええと……なんだったかな。確か“素体のメインギア”の異能で細胞が変質して……。すまない、よく覚えていない。だが、それにしたって変だ。使奴の子供が使奴寄りとして肌が白化するのは分かった。だが、それならばコモンズアマルガムには使奴寄りがいるのは不自然だ。使奴の血を引いていないのに髪や目の色が変質することはまず無い」

「そうですよね……。じゃあやっぱり誰かが意図的に……」

「……偶然、旧文明では説明できない霊皮症。それこそDr.ヒューリィの言っていた“悪魔病”が実在する可能性もある。まだ結論は出せない」

「そう、ですよね……」

「……シスター。先にハピネスと2人で逃げることもできる。無理に俺について来なくても平気だ」

「……いえ、大丈夫です。あ、でも無茶はしないでくださいね」

 何か見えないものへの恐怖を払い除けるように、シスターは優しく微笑(ほほえ)んだ。ラデックは彼の精一杯気遣った笑顔の意味を理解していたが、それを見て見ぬフリをした。そして、自分に言い聞かせるように独り言を溢した。

「信じよう。……遅かれ早かれ、通る道だ」

 

 

 

 翌朝、ラデック達は朝食がてら作戦を練っていた。その席にはエドガア、ゾウラ、カガチの3人もいたが、主に会話に参加しているのはラデック、シスター、エドガアの3名だけであった。ハピネスが暢気(のんき)大欠伸(おおあくび)をする隣で、ラデックはコモンズアマルガムの地図に印をつけながら説明を続ける。

「――――で、ラルバ達の奇襲が来週ってことは……先に悪魔郷にちょっかいをかけてから、蜻蛉返(とんぼがえ)りしてコモンズアマルガムの本拠地に戻り……」

「待った」

 ラデックの言葉を(さえぎ)った声は、今まで一度も会話に参加しなかったカガチのものであった。カガチが許可を求めるようにゾウラを一瞥(いちべつ)すると、ゾウラが(なご)やかに笑って応じた。

「どうしました?カガチ」

「お前等。何故この男を無視して――――」

「お邪魔しまーす」

 カガチが何かを言いかけた瞬間、ゾウラ邸の玄関の扉が開かれた。カガチは突然の侵入者に驚き、咄嗟(とっさ)にゾウラを守るように自分の背に隠す。そして侵入者、もといイチルギが手で顔を仰ぎながら全員の前へと姿を現した。

「こんにちは。私は世界ギルド元総帥のイチルギ。後ろにいるのが……」

 そう言ってイチルギが振り返ると、遅れて2人の人影が玄関からやってきた。

「人道主義自己防衛軍の幹部、手前の赤髪がハザクラで、奥の銀髪がジャハル。よろしくね」

 カガチとエドガアが3人を厳戒して睨み続けていると、ラデックがイチルギの隣に立ってゾウラ達の方へ振り返った。

「安心してほしい。俺達が言っていた“協力者”だ」

 カガチは(しばら)くイチルギの顔を殺意の(こも)った眼差しで睨みつけていたが、やがてぼやく様に舌打ちをして臨戦態勢を解いた。エドガアもそれを見て安心したように胸を()で下ろし、イチルギ達に手を差し出す。

「いやあ悪いね総帥さん。私はエドガア。よろしく」

「元総帥よ。あんまり難しいことは期待しないでね?」

 イチルギとエドガアが握手を交わしたところで、ラデックとシスターは今までのことをイチルギ達に説明した。

 スヴァルタスフォード家の生き残りであるゾウラが、世界ギルドの武力介入の口実になること。世界ギルドへの亡命を本人も望んでいること。そして、ラデックのスヴァルタスフォード自治区を敵に回すという話を。

 前半のゾウラの亡命の話は3人とも黙って聞いていたが、いざスヴァルタスフォード自治区を攻撃するという話になると、ハザクラとジャハルが困惑と怒りを足して2で掛けた様な形相で非難してきた。

「……俺の聞き間違いか?何をどうするって?」

「一体どういうつもりだラデック!!ラルバの予定を狂わせるためだけに奇行に走るなど……!!」

 ラデックは詰め寄ってくる2人に深々と頭を下げる。

「頼む」

 全く譲る気のないラデックに、2人は顔を見合わせて狼狽(うろた)える。そこへイチルギが少し切なそうに目を泳がせてから、静かに口を開いた。

「わかった」

 この承諾に、ハザクラとジャハル驚いてイチルギを見た。イチルギは2人に何か言われるよりも早く(てのひら)を突き出して制止し、数秒だけ動きを止める。そして――――

「と言うより、否が応でもそうなる」

 イチルギが言い終わる瞬間、カガチが何かに反応して天井に手を広げる。カガチの掌から打ち出された光弾は天井を突き破って空へと飛んでいき、上空から降ってきた火炎弾を弾き飛ばした。

「ゾウラ様!!お逃げください!!!」

 カガチが叫ぶと、ゾウラはニコリと笑った。

「はい。ではお先に」

 ゾウラが小走りで風呂場の方へ向かっていき、イチルギとカガチは家の玄関の方に顔を向けた。カガチはエドガアを睨みつけて恨む様に歯軋(はぎし)りをする。

「貴様っ……!!尾行されたのか……!?」

「まさか!!カガチだって一緒にここまで来てたでしょ!?」

喧嘩(けんか)は後!!支度して!!」

 イチルギが手を叩いてカガチとエドガアの喧嘩を仲裁する。全員は急いで身支度をして、エドガアを先頭に家を飛び出した。しかし、シスターは家を出る直前に狼狽(ろうばい)してカガチに問いかける。

「ゾ、ゾウラさんは!?」

 カガチは無言のままシスターを睨み、「早く行け」と舌打ちを鳴らす。シスターの疑問は晴れることなくイチルギに担がれ、全員は森の方へと走り始めた。

 

 森を走り抜ける最中も、背後からはけたたましい爆発音と銃声が鳴り響き、ゾウラ邸が襲撃されているのだろうと言うことだけが分かった。先頭のエドガアは屡々(しばしば)後ろを振り返り、ハピネスを背負っているラデックや、人間であろうラプーやジャハル、ハザクラを気遣って速度を緩めた。それに気づいたハザクラが、速度を上げてエドガアに並び言い放つ。

「ハピネスとシスター以外お前より強い。気にせず急いでくれ」

 エドガアは一瞬だけ面食らうも、すぐにニヤッと笑って力一杯地面を踏みつけ加速する。

 一行の殿を務めていたカガチが後方に向かって手を広げ、影で造られた(かえる)の群れを召喚した。蛙の群れは飛び跳ねる度に分裂を続け、辺り一帯を真っ黒に覆い尽くして地面に溶け込んだ。混乱魔法“(めし)いた音色”は、意識の混濁を引き起こす力場を扇状に形成し広がっていく。追手は次々に力場の上を通過し、先頭から徐々に倒れ込んで勢いを落としていった。

 

〜スヴァルタスフォード自治区 時食(じくら)海岸〜

 

 森を抜けると、一行は広い砂浜へと辿り着いた。地平線まで続く砂浜はまるで砂漠の様であるが、終始吹き付ける凍てつく海風と海水に覆われ泥濘(ぬかる)んだ足元がその連想を打ち消す。

 全員がその雄大な自然に気を取られる中、先程までラデックの背で遠慮なく揺さぶられていたハピネスが、フラフラと覚束(おぼつか)ない足取りで茂みに歩いて行く。

「うっ……おげええええぇぇぇ!」

 そして、急激な環境の変化に耐えられず盛大に胃の内容物を吐き出した。

「ううっ……さ、寒い……苦しい……助けてくれ……」

 腰を大きく曲げ、杖に全体重を預ける様な情けない姿勢で震えるハピネス。そして、その近くの茂みから1人の人影が出てきてハピネスに近づいた。

「寒いですよねぇ、ここ。あったかい紅茶ありますよ。飲みますか?」

 人影の正体はゾウラだった。ゾウラは分厚いコートの内側から水筒を取り出し、カップにトポトポと紅茶を注いでハピネスへと差し出す。

「あ、ああぁあ……嬉しい……優しい……。ああ、美味しい……ゾウラ君、結婚しない?」

「いいですよ」

 ハピネスが紅茶を(すす)りながら求婚をしていると、そこへ大股で近づいてきたカガチが握りしめた拳でハピネスの脳天に拳骨を打ち込んだ。獣の様な断末魔を上げて(うずくま)るハピネス。その隣でカガチは折り敷いてゾウラに頭を下げる。

 そんなゾウラ達を見て、ラデックはエドガアに尋ねた。

「ゾウラは異能持ちなのか?」

「ん?ああ、そうだよ」

 エドガアの返答にカガチが眼光鋭く睨み付けるが、エドガアは小さく笑って首を振る。

「別に隠すこともないじゃない。それに、イチルギさんの前で隠し続ける方が無理あるでしょ」

 話を聞いていたゾウラは(うなず)いてから背を向け、森の中へと走り去ってしまった。それをラデックが追いかけようと一歩踏み出した瞬間、背後からは(そで)を引かれて振り返る。そこには、悪戯(いたずら)が成功して喜ぶゾウラの姿があった。

「……驚いた」

「うふふっ。私の異能、当ててみてください」

 ラデックは森の中へと入って行き、辺りを見回す。そして、隣に生えていた木にふと手を触れる。

「……塩生植物?海辺に適応したハンノキか……」

 ラデックが足元を見ると、森の中にまで海水が侵入していることに気がついた。その背後で、ハザクラがゾウラの方へ振り返って(つぶや)く。

「……水の中を移動する異能か」

 ゾウラは両手を合わせて(ほほ)に当て笑う。

「惜しいっ!正解は、液体と一体化する異能です」

 その直後、ゾウラの全身が一瞬にして消え去った。それとほぼ同時に、浜辺の(はる)か遠くで手を振る人影が現れた。そしてまたその人影が消え、ハザクラの真後ろにゾウラが現れる。

爪楊枝(つまようじ)くらいの太さで繋がった水であれば一体化出来るんです。水が少ないと入れないとか、ギリギリ液体の水は難しいとかで制限はありますけど、水魔法で生成した水にも入れるので結構便利なんですよ」

 説明しながらあどけなく笑うゾウラ。そんな彼の隣で、ラデックは(あご)に手を当てて呟いた。

「……風呂場の水を海から引いているのは、ただの節水じゃなかったんだな。いざという時の逃げ道……。しかし、海と一体化出来るとなると、一歩間違えば二度と同じ場所に帰って来られなくなるんじゃないか?」

「そうですね、それは訓練を積んだので大丈夫ですよ!昔ゴウカさんが――――」

「今後のことについて話がある」

 ゾウラの言葉を遮ってカガチがイチルギに詰め寄る。

「何かしら?無茶なことはやめてね」

「この後無事に脱出できたとして、ゾウラ様の処遇はどうなる?」

「ん〜……そうねぇ。数年の間は少し窮屈な生活になるかしら。スヴァルタスフォード自治区への提出書類作成に会議出席、人道主義自己防衛軍との意見の擦り合わせと……」

 イチルギの話を聞いていたゾウラは、少し考えた後に手を叩いてイチルギに提案をする。

「じゃあ、私イチルギさん達について行っても良いですか?」

「うぇっ!?」

 驚きの声を上げたのはイチルギだけではなく、その場にいたカガチとラプー以外の全員が目を丸くした。中でもジャハルは顔を左右に激しく振りながらゾウラに詰め寄る。

「ばっ馬鹿なことを言わないで下さい!!何の意味が!?」

「いやあ、何だか皆さん楽しそうなので」

「我々の旅は危険極まりないものです!!何よりその目的を決めているのはラルバとかいうトチ狂った頭のおかしい傍若無人で人面獣心の快楽殺人使奴です!!百害あって一理なし、いや、億害あって千害あります!!」

「それはそれで面白そうですね!」

「話が通じない……!」

 酷く狼狽して目を白黒させるジャハルと入れ替わり、イチルギがしゃがんで背の低いゾウラに目線を合わせる。

「ゾウラ。私達世界ギルドは、貴方の生存を理由にスヴァルタスフォード自治区を治めたいの」

「でも、イチルギさんはラデックさん達と暫く別行動だったのでしょう?他の理由も用意してあるんじゃないですか?優秀な使奴が別のプランを立てていないとは思えません」

 ゾウラの指摘に、イチルギは(わず)かに目を細める。

「確かに用意してあるわ。それどころか、たった今ゾウラの家が襲撃されたことで、それを理由にゾウラ・スヴァルタスフォード殺害の容疑でコモンズアマルガムに干渉する大義名分を作れる」

「じゃあ私は世界ギルドに行かなくても良いわけですね!」

「ゾウラ……どうしてそこまで私達について行きたいの?」

「私はね、綺麗(きれい)なものが好きなんです。美しいものをたくさん見たい」

 ゾウラはラデックやシスターの顔を見てうっとりと目を細める。

「ラデックさんやシスターさんの、誰かのために戦おうとする姿がとても素敵でした。ハピネスさん。ラプーさん。ハザクラさん。ジャハルさん。そしてイチルギさん。ここにいる皆さんの姿は、どれも今まで見たことがないほど輝いていました。きっと、今まで色んな世界を見てこられたんだと思います。私もその隣に立ちたい。同じ景色を見てみたいんです」

 まるで宝石を眺める少女の様に恍惚(こうこつ)の表情を浮かべるゾウラ。イチルギがカガチを一瞥すると、彼女は黙ってこちらを見つめるばかりで何の反応も示さなかった。そして周りを見渡すと、ラプー以外は皆困惑して頭を抱えたり苦い顔をしていた。イチルギは大きく溜息をついて、ゾウラに目を向ける。

「……最終決定権はラルバにあるわ。あんまり期待しないことね」

「ありがとうございます!」

 ゾウラが満面の笑みでカガチに目を向けると、カガチは黙ったまま目を(つむ)って頭を下げた。

「どこまでもお供します」

 そしてゾウラがエドガアの方に顔を向けると、彼女は眉を(ひそ)めたまま笑い頭を()いた。

「ん〜……私は遠慮しとく。カガチ、ゾウラを頼むね」

 

【元皇太子 ゾウラ・スヴァルタスフォードが加入】

【使奴 カガチが加入】

 



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79話 愛する覚悟、愛される覚悟

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時食(じくら)海岸〜

 

 ゾウラとカガチがパーティに加わったところで、一人加入を拒否したエドガアがその場で首を回しながら口を開く。

「じゃ、ゾウラとはここでお別れだね。私はあの追手を引きつけるから」

 ゾウラは優しく微笑んでエドガアに向かって両手を広げる。

「はい。エドガア、今までありがとうございました。(しばら)くしたら、また会いに来ますね」

「うん。元気で」

 エドガアはゾウラを抱き締めてからゆっくりと離れ、ラデック達に手を振りながら森の中へと消えて行った。それを見届けたラデックは、ゾウラの方を向いて少し考え込む。

「さて、ゾウラ達が仲間になったのはいいが……、俺はシスターと悪魔郷へ行くから、イチルギ達もこっそり付いてきて欲しい。流石に命の補償が無いのは怖い」

 イチルギは呆れた様に肩を落とす。

「じゃあ何で啖呵(たんか)切ったのよ……」

「格好がつくと思って」

 真顔で白状するラデックを、イチルギは溜息を吐いて睨み付ける。

「……問題児が増えたわ」

「申し訳ない」

 

 エドガアと別れ、ラデック達は悪魔郷方面へと歩き始めた。ハピネスが最短距離である森の横断を何度も強く推奨したが、ゾウラの逃げ道を確保した方が良いとの結論に至り沿岸部を進むことになった。

「うううう寒い寒い寒い寒いっ……寒いなぁ……本当に寒い」

 (わざ)とガチガチと歯を打ち鳴らして凍えてみせるハピネスに、ジャハルが厄介そうな顔で自分の上着を被せた。

「全く情けない……ゾウラを見ろ」

「は?ジャハル君今盲目(もうもく)の私に“見ろ”って言ったか?」

「……すまない」

 鼻水と文句を垂らしながら(もだ)えるハピネスに、ゾウラが再び水筒から紅茶を注いで差し出す。

「まあまあ。私は慣れてますから。紅茶どうぞ」

「優しいなあゾウラ君……非盲目のお前らこそ見ろ。この優しさを!見ろ!あるだろ!お前らには!目が!あるだろっ!!」

 ぎゃーぎゃーと(わめ)きたてるハピネスの声が海風に掻き消され、先程まで天高く昇っていた太陽も次第に沈み始めていた。

 

 ラデックは不意に吹き荒れた一際冷たい海風に一瞬身を(こわば)らせ、夕陽に白くなった吐息を被せながら呟いた。

「日が暮れる。今日はこの辺で休もう」

 ラデックの提案に、後ろからハピネスが愚痴を(こぼ)す。

「それ、さっきから私が100回以上言ってるよ」

「100回前は昼間だったろう」

 ハピネスの悪態をラデックは軽く流しながら茂みの草を(なら)し始める。それをイチルギが手伝おうと一歩踏み出した直後。

「……敵襲よ」

 イチルギの警告に全員が武器を構える。有名人であるハザクラ、ジャハル、ゾウラは各々フードや襟巻きで顔を隠し、イチルギは敵が居るであろう森の方向に背を向けた。

 ラデックが自身の改造の微調整をしていると、カガチが拾った長い木の枝で素振りをしながらラデックを見た。この戦闘の提案者であるラデックを、彼女なりに気を遣っての沈黙。察しの悪いラデックの代わりに、シスターがカガチに頭を下げた。

「ありがとうございます。カガチさん」

 シスターの発言のラデックが首を傾げる。

「何がありがとうなんだ?」

「私達の目的を達成するまで待ってくれているんですよ。使奴が戦いに参加したら一瞬で終わってしまうでしょう?」

「ああ、おんぶにだっこだな」

「ほら、行きましょう」

 

〜廃棄された森〜

 

 シスターがラデックと共に森の中へ入って行くと、薄暗い森の中に(かす)かに光が見えた。2人が罠を警戒しながらゆっくりと歩みを進めると、そこは少し開けた空き地の様な場所で、焚火をしている1人の大男がいた。ド派手な王冠とマントを(まと)い使奴の様に真っ白な肌をした大男は、陰からこっそり覗いていたラデックに気がついたようで、こちらに真っ黒な目玉を向けて口を開いた。

「よう」

 思わず声が出そうになったシスターの口をラデックが抑える。ハッタリかもしれない――――という咄嗟(とっさ)の機転だったが、ギョロ目の男はラデック達に向け発言を続ける。

「けひひひっ……びっくりしたか?びっくりしただろうなぁ。話じゃ襲撃は来週……じゃあ今のうちに逃げなきゃ!ってか?甘い。甘いぜ(ねずみ)野郎。お前らコモンズアマルガムがウチにスパイを送ってることなんざとっくに知っとるわボケカスがよ」

 大男が(おもむろ)に立ち上がり、翡翠(ひすい)の瞳でこちらを真っ直ぐ見つめる。ラデックは最早隠れることに意味はないと思い、茂みを()き分けて姿を現した。

「……どうも。もしかして、俺の名前もバレているのか?」

「ああ?いや、そこまでは知らねぇ。知る必要もねぇしな」

「じゃあ初めましてだな。俺の名前はラデック。こっちはシスター」

 突然自己紹介を始めたラデックを大男は怪訝(けげん)そうに睨む。

「……俺はヘレンケル・ディコマイトだ」

「ヘレンケル……!?」

 ヘレンケルの名前に反応したシスターにラデックが尋ねる。

「シスター?彼を知っているのか?」

「し、知っているも何も……!彼は悪魔郷皇帝の息子です……!!」

「そうなのか」

 2人の反応を見て、ヘレンケルは納得いかない様子で首を捻っている。

「…………ああ?お前ら、俺を奇襲しにきたんじゃあねーのか?」

「ん?俺達が奇襲されたんじゃないのか?」

 ラデックとの噛み合わない会話に、ヘレンケルは大きく溜息を吐いて肩を落とす。

「あー……馬鹿と話してっと疲れるわ。やっぱ馬鹿は罪だよな」

 ヘレンケルが手を上げて何者かに合図を送る。すると、森の奥の暗闇から同じく白い肌の女性が姿を現した。深緑の癖っ毛に黒い白目と灰色の瞳、踊り子の様な服装で両手にハルバードを構えながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。しかしハルバードの女性はラデック達には目もくれず、何かを気にするように辺りを見回している。それを不審に思ったヘレンケルが、ラデック達から目を逸らして女性に問いかける。

「ヤクルゥ!どーした!」

 ヤクルゥと呼ばれたハルバードの女性は、ヘレンケルの言葉にびくっと身体を強張(こわば)らせてあたふたし始めた。そして、おどおどしながら不安そうに口を開く。

「あ……あの……その……あ、え……えっと……」

「何だ!言え!」

 ヘレンケルはラデック達に完全に背を向けてヤクルゥの方へ歩き始める。

「あ……あの……あ、た、多分なんですけど……あの……あ……」

「怒らねーから言え!何が気になる!」

「あ……あの……えっとですね……その……あ……」

 ヘレンケルとヤクルゥのやり取りを見ていたラデックは、シスターに顔を寄せ小声で話しかける。

「今殴っても平気だと思うか?」

「え……ど、どうでしょう……」

「じゃあ今水分補給しても平気だと思うか?」

「それは……お好きにどうぞ……」

 ヘレンケルに詰め寄られながら睨まれ、ヤクルゥは怯えて目を背ける。そして意を決したように唾をごくりと飲み込むと、何度も言葉を詰まらせながら話し始めた。

「あ、あの……あ、その……ラ、ラルバさん達……なん、ですけど……」

「ラルバがどうした」

 ラルバという単語にラデックがピクリと反応するが、今はまだ様子見の時期だと思い取り出した水筒に視線を戻す。

「あの、あ……こ、こっち……来てませんか……?その、さ、先に行ってる……って、あの……言っ……言ってた……ので……」

 ヘレンケルは暫く無言で固まった後、その場でぐるりと振り向いてラデック達を睨む。そしてラデックの顔を見開いた眼で見つめ、突然狂ったかのように笑い出した。

「……っふ。あーっはっはっはっはっはっは!!!はーっははははははは!!!ひーっ!!!だーっはっはっはっはっはっは!!!」

 何度も膝を叩いて大笑いするヘレンケル。それを心配そうに見つめるヤクルゥがおろおろしていると、ヘレンケルは次第に落ち着きを取り戻して膝に手をついて屈んだまま咳き込む。

「げっほげほ……あーっはっはっは……。そうか……俺ぁ(だま)されたのか!!まーそんな美味い話あるわきゃないわな!!っかーショックだぜ!!逃げられてやんの!!」

 そして再びラデック達へと向き直り、独り言を呟き始める。

「でもまあ……殺されなかったっつーことは、世界基準で俺は悪者じゃーねーっつーことだな。俺が狂っていないことが証明されたってだけで充分儲けモンだ。安心して支配者目指せるってもんよ」

 ヘレンケルの両手に波導(はどう)が渦を巻き始めると、戦意を感じ取ったヤクルゥもまた両手のハルバードを構える。ラデックは水筒の蓋を閉めて鞄に戻し、ライターを探してポケットを(まさぐ)った。

「シスターはどっか後ろの方に――――」

「ヘレンケルの方は任せて下さい」

「ん?」

 ラデックはタバコの火をつけながらシスターに目だけを向ける。シスターは真剣な表情で、また怯えた様子も見せずに前を見続けている。

「私のことならご心配なさらず。どうせ、旅を続けるならこの程度の戦闘……生き延びられなければ未来はないのでしょう」

 ラデックはタバコの煙を大きく吐き出して再びヘレンケル達に視線を戻す。

「……いい覚悟だ。何ならヤクルゥも任せていいか?」

「それは勝てなそうなのでお断りします」

 シスターは(ふところ)から小さなナイフを取り出し、髪の結び目を解いた。それ見てヘレンケルは小さく「ほぉ」と声を漏らし、ヤクルゥに命じた。

「あのお嬢さんもやる気らしい。男の方メインで行け」

「あ、は、はい」

 ヤクルゥは不安そうに両手のハルバードを振りかぶって、目にも留まらぬ速さでラデックに接近した。

「っ!?はや――――――――」

 突然の突進にラデックは対応が遅れ、そのまま両腕でハルバードの一撃を受け止めてしまい後方へと大きく吹っ飛ばされた。ヤクルゥは一瞬シスターの方へ目を向けるも、再びラデックの方に走り出し姿を消してしまった。

 ラデックと分断されたシスターは、緊張で跳ね上がる鼓動を抑えつけながらヘレンケルへと目を向ける。

「ヘレンケルさん。戦う前に一つ、質問を良いですか?」

「俺の興味次第だな」

 ヘレンケルはその手にいつの間にかレイピアを構えており、シスターの方へゆっくりと近づいてくる。

「先程“支配者を目指す”と(おっしゃ)っていましたが……、何故支配者を目指す者が自ら戦場の最前線に立っているんですか?」

「あー……本当なら最前線じゃあなくなる予定だったんだけどな。ちょいと傭兵に逃げられてよ。でも、だからって尻尾巻いて逃げるのは格好がつかねぇだろ。格好がつかねぇ奴には民もついてこねぇ。それに……この程度のちゃんばらごっこ、戦闘に入らねぇよ。お前、まともに戦ったことないだろ。そのナイフの握り方じゃあ力は入らねぇ」

 ヘレンケルの指摘に、シスターは一切怯まない。それどころか、肩の力を抜いて静かに構えていたナイフを下げた。

「まともに戦ったことがないのは、あなたも同じですよね」

「王たる者、暗殺者を返り討ちにする程度には腕っ節がなきゃ務まらねぇ。知ったかぶりは恥かくだけだぞ」

 

 ヤクルゥに吹き飛ばされたラデックは、森の中で受け身を取りながら両腕を確認した。異能で強化されていたとはいえ、刃はしっかり骨にぶつかるまで腕を切り裂いていた。そして再び接近してくる気配に気付き、暗闇に眼を凝らして敵の姿を探った。

 遠くから聞こえる枝の折れる音、風切り音、そして、自己改造によって暗闇に適応した目にヤクルゥの姿が映った。しかし、その瞬間にはもう首筋にハルバードが触れる寸前であった。

 ラデックは咄嗟に大きく飛び退きつつ首に手を当てる。ハルバードはラデックの喉笛を両断していたが、その直後に改造で治療したために大怪我には至らなかった。ヤクルゥは再び暗闇に溶け込み、ラデックの視界から外れる。ラデックは再び全神経を研ぎ澄ませて暗闇に意識を混ぜた。

 枝が折れる音、草木を踏む音、金属の擦れる音、波導の流れ。魔法を使えばその分空気中の波導が揺らぐ。方向も分かる。しかし、再び接近してきたヤクルゥにラデックは対応できなかった。大きく切り裂かれる背中。隙を見せてしまったラデックに追い討ちがかかる。ラデックは身を(よじ)って追撃を(かわ)すが、ヤクルゥの猛攻は止まらず3回目の振り下ろしが頭蓋骨に命中する。改造で強化しているとはいえ、頭蓋骨には確実に傷が入り額はビニールのように裂けてしまう。ラデックは4回目の振り下ろしを食らうまいと右腕に異能を集中させて手を(かざ)す。手に当たったハルバードは(わず)かに変形してぐにゃりと曲がるが、その速度は緩まずラデックの右手指を引き千切った。ヤクルゥはラデックの異能に驚いたのか、再び飛び退き暗闇へと姿を消した。ラデックは大急ぎで額の傷を治療し、再び周囲の気配を探る。

 遠くで鳴る草木の擦れる音、そして魔法を使ったことによるものであろう波導の揺れ。ヤクルゥが離れている今のうちに改造を(ほどこ)そうと、ラデックは目元に手を当てる。

 その直後、背後から気配を感じ咄嗟に振り向いた。視界の端に銀色の光が映る。偶然目元に持っていきかけていた腕にハルバードがヒットし致命傷を(まぬが)れるも、右腕の肉を骨沿いにこそげ取るように持って行かれてしまう。激痛が走る腕に怯みながらも、ラデックは慌てて外れかけた肉片を傷口に押し当て、異能で癒着を(うなが)す。そこへ再び襲い掛かるハルバードの大振り。ハルバードの長い柄のせいでヤクルゥからの攻撃は届くがラデックの腕は届かず、近寄ろうと懐に飛び込めば、直後にヤクルゥは大きく飛び退いて姿を消してしまう。ラデックには彼女を追いかけることも出来たが、もし彼女がゾウラと同じ何かと一体化する異能だった場合、容易に背後を取られてしまうと思い足を踏み出すことは出来なかった。

 そんなことを考えている間にも、再び暗闇から鋼鉄の刃がラデックに襲いかかる。しかし、ラデックは決して逃げ出そうとはしなかった。戦いを諦めようともしなかった。彼の頭の隅には使奴の存在があり、最悪自分がここで死んでしまっても彼女らが蘇生してくれるであろうという確信があった。だとすれば、今ここで苦しんで立ち向かうよりも、あっさりと死を選んで気を失ったまま助けを待つ方が圧倒的に楽であり確実である。にも(かかわ)らず、ラデックは今まで経験したことのない恐怖、そして今にも喚きたいほどの痛みに(さいな)まれながらも、胸の底から湧き上がる戦意に満ち溢れていた。

「……トンタラッタ、トンタラッタ、トンタラッタラー……」

 失血によって身体中を駆け巡る悪寒と倦怠感。そして神経の麻痺と激痛。常人であれば間違いなく身動きが取れないような状態の中、ラデックは鼻歌を歌い始めた。そして歯を食いしばり、お気に入りの絵本の一場面を回想しながら前を向く。

「トンタラッタ殴られた。盗賊達に殴られた。だけどそんなの大丈夫……」

 殺気――――回避と同時に振り下ろされるハルバードが、転がるラデックの太腿を切り裂く。ラデックは最早大怪我に怯む様子も見せず、足の怪我を治しながら暗闇に消えていくヤクルゥを目で追った。

「寝床もお金も無いけれど、心があるから大丈夫……トンタラッタトンタラッタトンタラッタラー……」

 



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80話 気弱な怪傑

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〜廃棄された森〜

 

 このまま戦闘が長引けばラデックの敗北は確定も同然であった。ヤクルゥの速度は使奴寄りの身体能力そのものだけではなく、明らかに魔法で強化されたものだった。しかし、それを考慮してもヤクルゥの速度は異常であった。

 ラデックの身体能力は使奴とまでとは行かないものの、使奴寄りのソレとは比べ物にならない程高い。ましてや異能はこの旅の間に大きく成長し、今や一部の使奴にも匹敵する程の膂力を得ることが可能である。にも関わらず、そんなラデックの目にすら映らないヤクルゥ。彼女と出会ってから最初に食らった一撃は目で追えていた筈なのに、今や気づいた時には攻撃される直前で、そのどれもが想定していた中で最も恐れていた死角。

 そして、何より痛手なのが指を吹っ飛ばされてしまったこと。この暗闇に落ちた指を探すことは困難で、それにより虚構拡張のために指を組むことが出来なくなってしまった。虚構拡張を使うことができれば、改造の異能を発動するための接触と暗闇という不利な条件の両方を解決することが出来たが、判断が遅れたためにその機会を失ってしまった。

 そんなことを考えている間に再びの気配。ラデックは最早敵の方向を確認している余裕はないと前方に大きく身を転がすが、そのせいでヤクルゥの追い討ちを許してしまい、振り回されたハルバードがラデックの肋骨を叩き割った。ラデックの胸から勢い良く血が噴き出ると、血に触れまいとヤクルゥは再び闇へと姿を消した。

 ヤクルゥはラデックの恐ろしい異能に気がついていた。致命傷をも瞬時に治す異常な回復力と、粘土の如く歪にひしゃげたハルバード。自己治癒と物体の変形という、生物非生物を問わない広い影響範囲。逃げ回る自分に攻撃が飛んでこないことによる、接触という条件の把握。もし体内から連続して噴き出した血すらも接触判定を持つならば、触れた瞬間に自分が変形させられてしまうだろうという警戒。そして、彼女はごく僅かな可能性であっても“自分の異能”が推測されていることも考えていた。

 疑心と不安を煽る夕闇の森の中、ラデックは胸の傷に掌を押し付けながら目を閉じた。そして、いつぞやラルバに言われた言葉を思い出す。

 

「先手の行動は後手にとって値千金の判断材料になる――――」

 

 ラデックは血に塗れた自分の掌を見つめると、胸の傷を治すこともせず近くの木に縋りついた。ラデックが木に触れると、異能により改造を施された幹が(たちま)(とぐろ)を巻いてラデックを包み込む。ヤクルゥは何か罠があるだろうと思いつつも、中で治療をされること、もう少し言えば地面から何処かへ逃げられてしまうことを恐れた。ヤクルゥは”異能を使って“ラデックに接近し、両手のハルバードを振りかぶる。その直後――――――――

 突然身体が思うように動かず崩れ落ちた。何が起きたかもわからず、ヤクルゥは倒れたまま下手くそな操り人形のようにのたうち回る。

「やっぱり、一撃必殺にはコンフィグ弄るのが一番だな。練習しておいてよかった」

 木の幹がゆっくりと開き、中からラデックが顔を覗かせた。そしてラデックは”何故かなくなっている右腕“の切断面を撫でる。

「気付いているかもしれないが、俺の異能は”生物の改造“だ。無機物にも少しの変形程度なら干渉できる」

 ラデックの右腕が、根本からゆっくりと元に戻っていく。

「改造には接触が必須だが……、ヤクルゥが俺の血を避けた時に閃いた。接触という条件は、”俺の体の一部が少しでも触れていれば満たされる”んじゃないかと」

 よく見れば、ラデックの右腕から細かい糸のようなものが生えているのが見えた。糸はどこからともなくラデックに集まり、右腕を形成していく。

「体積や質量の増加はしんどいが、こうやって細かい糸にすれば多少は楽だ。あとは蜘蛛の巣みたいに空間に張っていれば、獲物が来た瞬間に異能が発動できる。まあ、その時に糸を引き千切られて凄まじい激痛を伴うが……。太いと気付かれてしまうから仕方ない」

 ラデックは元通りになったばかりの右腕の動きを確かめるように肩を回す。その間ヤクルゥの反撃が来ないことに安心したのか、タバコに火をつけて深く息を吸った。

「結局、ヤクルゥの異能は俺には分からなかった。よかったら聞いても良いか?」

 ヤクルゥは地面に倒れ込んだままラデックを見上げる。何度も身体を斬りつけられたというのに本人は平然としており、その表情に怒りや恨みの類は一切感じられなかった。ヤクルゥはその意志の強さに萎縮し、また、敬意を表して観念したようにぼそりぼそりと呟き始めた。

「あ……あの、えっと……その……きょ、恐怖の、方向です」

「恐怖の方向?」

「あ、そ、その人が……怖いな、やだなって思ってる所に、あの、行ける……異能です……」

「敵が想定している最悪の奇襲を行える瞬間移動の異能か」

「あ、いや、あの……速く、動けるだけで……その……ガラスの向こうとかは出来ないし……あの、金網とかもダメで……えっと、あ、あと……直接見なきゃいけないっていう条件が、あの、はい」

「あくまで直線移動で到達できることと、直視することが条件か……こんな夜の森なんか最適の戦場だな。しかし、移動系の異能保有者が幼年期を無事に過ごせる確率は極めて低い。よくその年齢まで生き延びることができたな」

 ラデックの言葉に、ヤクルゥはバツが悪そうに押し黙る。

 

 異能とは、一部の人間が生まれながらに習得している原理不明な魔法の総称である。そして、様々な理由から異能保有者が無事に少年期を終えられることが極めて低いため、旧文明では異能は”魔法“ではなく”病気“として扱われることが一般的であった。

 通常の魔法が文字や計算といったものと同じように学習によって習得されることに対し、異能は生まれた時から自在に使用できる状態にある。魔法は刃物や爆弾と同じく、扱い方を間違えれば死に直結する危険物である。そんな危険な魔法を幼年期から自在に扱えるというのは、生まれながらに手榴弾のピンを指に嵌めている状態と言ってもいい。

 例えばラデックの”生命改造“を持って生まれた異能者であれば、子供の頃に自分の体を難なく改造し、その結果元に戻れなくなって臓器不全等で死んでしまう場合が殆どである。ハザクラの”無理往生“の異能であれば死を願った瞬間に不可避の自殺に陥り、バリアの”物理法則無視“であれば慣性を無視して星の自転から一瞬で宇宙の彼方に置き去りにされるだろう。仮にハピネスの覗き見の様な物理に関係しない異能も、その希少性と有用性から保有が発覚した途端に全世界から狙われてしまう。どの異能者も、幸福に育つ過程で必ず死の縁を歩くことになってしまう。

 これらの事情から、無事に青年期を迎えた異能者は例外なく”異常な過去“を経験していると推測できる。

 

 ヤクルゥは過去のことを一瞬思い出すも、トラウマに苛まれ拒絶する様に目をギュッと閉じた。ラデックは黙ったままのヤクルゥの側でタバコを吸い終えると、彼女の頬に手を当てて治療を施した。

「………………えっ?」

 ヤクルゥは自分の四肢が自由に動くことに驚き小さく声を上げる。

「どこか変な所はないか?」

 ヤクルゥは自分の顔を覗き込むラデックのことが理解できずに、座り込んだまま後退った。

「な、なんで……なお、治したんですか……?」

「ん? いや、異能で色々弄ったから俺以外に治せる奴がいない」

「………………?」

「恐らく俺達はこの後すぐに国を出ることになると思う。今治しておかないと、今後治す機会がない」

「治す……機会?」

「え? 治らないと困るだろう?」

 噛み合わない会話にヤクルゥは混乱する。

「あ、あの……いや、あ、え……えっと。わた、私……敵……ですよ……?」

「そうだな。それで俺が勝った」

「…………私が、もう一度……その……あ、あなたを……襲ったら……?」

「反撃する」

「……? な、何が狙い――――」

「あっ!!」

 突然大きな声を上げるラデック。ヤクルゥはびっくりして目を見開いてラデックを見上げる。ラデックは顔の半分を手で押さえて眉を顰めた。

「あの時の信者……治すの忘れてた……ああ、でも悪人だからセーフか……?いや、気分が悪いな……くそっ……」

 ラデックは“笑顔による文明保安教会”侵攻時のことを今更ながら思い出していた。そんなラデックをヤクルゥは呆然と見つめており、少しだけ俯くと徐に立ち上がった。

「あの……あ、えっと……その……ラ……ラデック……さん」

「ラデックさんだ。どうした?」

 ヤクルゥは顔を背けながら、自分の過去についてぽつりぽつりと話し始めた。

「あ、あの……わ、私は……その……捨て子…‥だったんです。その……貧民街で……」

 ラデックは黙ったままヤクルゥの横顔を見つめた。

 

 ヤクルゥの一番古い記憶は、兄弟姉妹と共に大きな荷車を押している時だった。長い長い土の坂道を、下で荷物を積んで家族みんなで運ぶ。日が昇ってから沈むまで働いて2個のパンを貰う。それから傘と鉄パイプで作った小さな家に帰って、石のように固いパンを泥水でふやかして食べた。水も凍てつく極寒の夜を、家族みんなで抱き合って耐えた。家族の中でも比較的体が小さかったヤクルゥは、兄や姉に挟まれて眠った。兄や姉もヤクルゥと歳はそう離れていなかったが、体が大きいからというだけで弟妹達を守ってくれていた。恐らく兄弟達は互いに誰とも血は繋がってはいなかっただろうが、兄弟達は本物の家族のように過ごしていた。

 ある日、そこへ1人の青年がやってきた。身なりのいい青年はボロボロの服を着て働く子供達を眺めると、真っ直ぐにヤクルゥの元へ歩いてきた。

「お前は“使奴寄り”だな。ウチに来い。お前を買ってやる」

 ヤクルゥの家族が青年を警戒していると、そこへ仕事場を取り仕切る中年の女が近づいてきた。

「アンタ!!うちの子供達に何してんのヨ!!仕事が進まないじゃないノ!!」

 青年は喚き散らす女を一瞥すると、一切の躊躇なく魔法で吹き飛ばした。そしてヤクルゥ達が運んでいた荷車を軽々担ぎ上げて、起き上がろうとする女目掛けて投げつけた。そして、手を叩いてヤクルゥ達に向き直る。

「お前らはたった今失業した。でもって再就職だ。ウチは実力主義。美味い飯が食いたかったら頭使って働け!!」

 青年の正体は当時大学生だったヘレンケルであった。ヘレンケルはこの時期から自分の理想の国を創り上げるべく仲間を増やしていた。自分が天下を取るときに横に立つ優秀な人材。それらを安く確実に仕入れるために違法児童労働者を掻き集めていた。彼もまた陰で違法に子供を働かせて賃金をせしめてはいたが、彼の目的は金稼ぎではなく児童の育成にあった為、その殆どを様々な形で子供達に還元した。当時の一般的な価値観で見れば明らかな強制労働と違法搾取だったが、子供達は生まれて初めて自らが自由に使える金銭に喜び、ヘレンケルを信頼し敬愛した。

 当時から現在にかけてのヘレンケルの行動はお世辞にも褒められたものではなかったが、ヤクルゥを始めとした違法労働者の子供達にとっては救済者以外の何者でもなかった。

 

「――――あ、あの人も……ヘレンケル様、も、やってることは悪かったんですけど……その……私達は……その、すごい助かってて……」

「……異能で死亡しなかった理由は、幼年期に接する人間が極端に少ないことと、強制労働による行動範囲の狭さか。すまない。嫌な事を話させてしまった」

「あ、いえ……あ、あの……ラ、ラデックさん……は……?」

「俺の境遇か? 俺も似たようなものだ。ヤクルゥよりは相当良い暮らしだったとは思うが、ある実験施設で物心つくまでは機械に育てられて……それからはずっと刑務所暮らしみたいなものだった」

 ラデックの言葉にヤクルゥは目を見開いて詰め寄る。

「そっそんなっ!! 苦したかっ!く、苦しかったことに上も下もありませんっ!!」

「いや……普通に楽しいことは沢山あったし、特別苦しいこともなかったからな」

「でもっ…………あ、え、えっと……その……」

「食事も日に3度美味しいものが食べられたし、甘い間食もあった。自由時間には友人とゲームをしたり色々な本を読んだ。当時は、本の世界と比べて不自由な自分の境遇を恨む日も少なくなかったが……。今思えば、あの刑務所暮らしが子供の俺にとっては普通の幸せだったんだと思う。ヤクルゥ。個人の感じる苦しみにも大小はある。その感覚の共有が少し難しいだけだ。自分の苦しみを棚に上げてでも誰かに寄り添おうとする心は美しいが……、自分に寄り添ってやることも同じくらい大切だ」

 説教にも似たラデックの助言に、かける言葉を見失ってヤクルゥは目を泳がせる。ラデックはどこか頭の隅で“なんでも人形ラボラトリー”に残してきたスフィアを連想しつつ、ヤクルゥが戦意を喪失していることを再び確認し背を向けて歩き出した。

「さて、戻るか。シスターはうまくやっただろうか……」

「え、あ、わ、私もい、一緒に……」

「シスターは襲わないでくれ。恐らく一撃で死ぬし、その後きっと想像を絶する仕返しがくるぞ」

「え、あ、は、はい……あ、その……ラ、ラデック……さん」

「なんだ?」

「その……あ、えっと……あの……その、こんな時に……へ、変な話なんですけど……その、ラデックさんて、あの……こっ……こ、恋、あ、えっと……あ、しょ……将、来の……あ、お、お相手……とか……って……」

「……すまないが、間に合ってる」

 (あからめ)た顔に薄ら涙を滲ませるヤクルゥに頭を下げながら、ラデックはいつだかハピネスに言われた悪態を思い出した。

 

「この女誑し」

 

「別に誑かしているつもりはないんだがなぁ……」

 ヤクルゥに聞こえないよう小声で独り言を呟くと、2人はシスター達の方へ向けて森を進み始めた。

 



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81話 裏切りと惑溺

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〜廃棄された森〜

 

「ヘレンケルさん。戦う前に一つ、質問を良いですか?」

 ラデックがヤクルゥに弾き飛ばされた後、取り残されたシスターは緊張で跳ね上がる鼓動を抑えつけながら平静を装っていた。

「俺の興味次第だな」

 しかし、ヘレンケルはシスターの心を見透かしており、いつの間にか手にしたレイピアを構えてシスターの方へゆっくりと近づいてくる。

「先程“支配者を目指す”と仰っていましたが……、何故支配者を目指す者が自ら戦場の最前線に立っているんですか?」

「あー……本当なら最前線じゃあなくなる予定だったんだけどな。ちょいと傭兵に逃げられてよ。でも、だからって尻尾巻いて逃げるのは格好がつかねぇだろ。格好がつかねぇ奴には民もついてこねぇ。それに……この程度のちゃんばらごっこ、戦闘に入らねぇよ。お前、まともに戦ったことないだろ。そのナイフの握り方じゃあ力は入らねぇ」

 ヘレンケルの指摘に、シスターは一切怯まない。それどころか、肩の力を抜いて静かに構えていたナイフを下げた。

「まともに戦ったことがないのは、あなたも同じですよね」

「王たる者、暗殺者を返り討ちにする程度には腕っ節がなきゃ務まらねぇ。知ったかぶりは恥かくだけだぞ」

 ヘレンケルはそう言いながらも、自分から動こうとはしなかった。複数の防御魔法を周囲に施し、飛び道具や魔法による攻撃を警戒した。

 シスターは見るからに落ち着いており、先程とは打って変わって動揺の色が見受けられない。それは、今度こそ強がりなどではないように感じられた。ついさっきまで恐怖に震えているように見えたシスターが、戦闘直前になって冷静さを取り戻す。その理由がヘレンケルには分からず、初動を遅れさせた。そして、ヘレンケルは自らがシスターを討ち取るよりも、ヤクルゥが帰ってくるのを待った方が確実に勝利できると考え挑発を続けた。

「何だよ急に冷静になりやがって。気味の悪い奴だな」

 そしてレイピアの鋒をシスターに向けて、迎撃の構えを取ったまませせら笑う。しかし、シスターはそんなヘレンケルの取り(つくろ)った態度を見透かして冷たく呟いた。

「臆病者で嘘吐きのあなたには理解できないことです」

 基本的に、ヘレンケルに挑発は無意味である。彼にとって、臆病や嘘吐きなどの欠点が自分に多くあることは自覚している事実であり、それらは優秀な人物を演じるために必要不可欠な要素であると理解していた。故に、臆病者の嘘吐きなどという言葉は単なる事実であり、価値を(おとし)める悪口になり得ない。しかし、シスターの言葉は彼を揺るがした。シスターの挑発は恐怖心の裏返し――――そこまでは推測できたが、その恐怖心が何に対する恐怖なのか理解できなかった。シスターが何を怖がっているのか、そして今何を企んでいるのか。誰かの行動原理の一切が理解できないという経験は、ヘレンケルにとって使奴との会話を除き初めてのことであった。

 互いに得物を持ったまま微動だにせず、睨み合ったまま動かない。しかし、ヘレンケルは優秀であるが故に混乱に(おちい)り、その分思考に余裕のあるシスターの方に僅かな分があった。

 森の何処か遠くで草木の軋む音と衝撃音が木霊(こだま)している。それは木々のざわめきに掻き消されてしまうような小さな音であったが、ヘレンケル、そしてシスターの耳にはやけに大きく聞こえた。

 

 

 

「いいですか、シスター様。もし万が一私がいない時に敵と遭遇した時の対処法を教えておきます。でも、これはあくまで姑息な付け焼き刃であるということを理解しておいて下さい」

 

「まず、貴方が戦闘ができることを悟られてはなりません。相手が使奴であれば話は別ですが……。一通りの武器の下手な持ち方を教えておきます。大体の相手はこれで(だま)せるでしょう」

 

「使奴寄りや相当な実力者相手に嘘を吐き続けてはいけません。半分以上は本心を晒して下さい。(むし)ろ、見せてはいけない本心を優先的に。人は見えている弱点よりも見えない嘘を覗こうとします。そして、警戒し続けさせるという行為それそのものが致命的な足枷になります」

 

「後は……隙を見て逃げるか、一撃で仕留めて下さい。できれば逃げて――――」

 

 

 

 シスターは胸に手を当てて、懺悔(ざんげ)するように目を閉じた。

「……ごめんなさい。ナハル……」

 目を閉じた瞬間、ヘレンケルが音もなくレイピアをシスターに向かって突き出した。ヘレンケルにとっては、今のシスターが閉じた目が油断だろうと罠だろうと踏み出さざるを得なかった。才のあるもの同士の戦いでは、巧遅と拙速の取捨選択こそが命取りになると知っていたからである。

 そして、レイピアはそのままシスターの喉元を貫いた。ヘレンケルはシスターが避けることを想定して攻撃していた為、全く避けようとしなかったシスターの急所は外してしまったが、それでも常人には十分な致命傷。細い刀身が絹のようなシスターの肌を突き破り、傷口から小さく血を噴き出した。

 それでもヘレンケルは決して油断しなかった。逆転不可能な致命傷を与えて尚、これが混乱魔法による幻覚でないことを確認していて尚、最後に負けるのは慢心した側だということを、今まで負かしてきた数多の俗物から学んでいたからである。

 にも(かかわ)らず、ヘレンケルは選択を誤ってしまった。一見完璧にも見える彼の選択。時間的アドバンテージを与えず、弱者と(あなど)らず反撃を最大限警戒し、異能の発動条件となる接触や応答を最小限に留め、勝利を確定する一撃を加えた後も決して一欠片の油断もしなかった。しかし――――――――

 

「……あ?」

 

 (まばた)きをしたヘレンケルの目に映っていたのは、太い木の幹と、そこに突き刺さる自分のレイピアだった。

「ごめんなさい」

 そして、そのレイピアを持つヘレンケルの手に、そっとシスターの手が被せられる。滑らかで美しい、シミ一つない華奢(きゃしゃ)な手。しかしそれは、ヘレンケルの目にはまるで魔獣の舌のように恐ろしく不気味に感じられた。

「――――ストロボ」

 シスターが異能を発動すると、ヘレンケルはそのまま動かぬ人形となった。

 

 

 

 戦闘を終え戻ってきたラデック達が目にしたのは、レイピアを突き出した姿勢のまま固まるヘレンケルと、そこに寄り添うシスターの姿であった。

「……遅かったですね。我儘(わがまま)を言うと、もう10分早く来て欲しかった」

 額に汗を浮かべたシスターがラデックに微笑むと、ラデックの隣にいたヤクルゥが血相を変えてヘレンケルに走り寄る。

「へ、ヘレンケル様っ!!」

「心配要りません。無傷ですよ」

 ヤクルゥは今すぐにでもシスターを突き飛ばしたかったが、ラデックとの停戦の約束を思い出し狼狽(うろた)えて2人を交互に見た。ラデックはシスターに視線を戻し、小さく(うなず)く。

「ヤクルゥには手を出さないよう頼んである。シスター」

 シスターは安心したかのようにヘレンケルから手を離した。その直後、ヘレンケルは止まっていた時間が動き出したかのように姿勢を崩し、それをヤクルゥが支えた。

「ヘレンケル様!! ご、ご無事ですかっ……!?」

 今にも泣きそうなヤクルゥに支えられながら、ヘレンケルは辺りを見回してからシスターを睨む。

「何をした?」

 シスターは目を逸らして少し悩むと、ラデックを一瞥(いちべつ)してから口を開く。

「……口外しないと、約束をして下さい」

「あ? するする。誰にも言わねぇから、さっさと教えろよ」

「…………私の異能です。記憶操作の異能……、貴方の直前の記憶を消したんです。それをストロボスコープのように小刻みに発動させ続けると、まるで時間が停止したかのように動けなくなります」

「一撃必殺の異能持ちっつーのは態度から察してた。俺が聞きてぇのはその前だ。どうやって俺の攻撃を避けた。あの時、確かにテメェの首を貫いた(はず)だ」

 シスターは顔を大きく(ゆが)め、絞り出すように言葉を(つむ)ぐ。

「……つ、通信魔法と複製魔法を組み合わせた立体映像、所謂……ホログラムです。ヘレンケルさんの視点から見た私の姿を、複製魔法によって表層だけ再現しました」

「ホログラム? 何でホログラムから血が出んだよ!!」

「……薄く張った霧魔法の粒子を複製魔法を映すスクリーンにしたんです。霧の粒子を予め組んで置いたプログラムの通りに動かすことで、(あたか)も物理的影響を受けたかのように見せかけました」

「……どこまでが本当でどこまでが嘘だ?」

「全て本当です」

「ふざけるな!! そんな機械みたいな魔法の併用、使奴でもないのにできる筈ねぇだろ!! 仮にテメェがサヴァンだったとしても無理だ!!」

 興奮気味に反論するヘレンケルの威圧に、シスターは辛そうに顔を背ける。すると2人の間にラデックが割って入り、シスターを庇うようにヘレンケルと対峙(たいじ)した。

「話を戻す。この戦いは2戦2勝で俺達の勝ちだ。コモンズアマルガムへの侵攻を止めろとは言わないが、俺達にはもう干渉しないでもらえるか」

「……ああ?」

 ヘレンケルが眉を(しか)めながらラデックを睨む。その翡翠(ひすい)のギョロ目が、今まで以上に鋭く怪しく光る。しかし、ラデックは怯むことなく言葉を続ける。

「シスターが本気を出せば、記憶操作でお前の記憶全てを消すこともできた。それに、ヤクルゥも俺が異能を解除しなければ死人も同然だっただろう」

「情けをかけてやったんだから見逃せっつーのか」

「そうだ。情けに免じて見逃してくれ」

「コモンズの屑野郎が……、何が目的だ気持ち悪りぃ」

「目的は達成された。でもって俺達はコモンズアマルガムの味方じゃない。悪魔郷の味方でもないが」

「……はぁ!? じゃあテメェら何の為にっ……!!」

 激昂(げきこう)するヘレンケルを(なだ)めるように、ヤクルゥがヘレンケルのマントの端を摘んだ。

「何だヤクルゥ!! お前何聞いた!!」

「あ、その……あ、え、えっと……」

 脂汗を浮かべて困惑するヤクルゥを見て、ヘレンケルは舌打ち地面に唾を吐きラデック達に背を向けた。

「……チッ。ヤクルゥ。お前は前線のカバーに入れ。ダッシュ」

「え、あ、は、はいっ」

 ヤクルゥが猛スピードで走り去っていくのを見届けると、ヘレンケルは大きく溜息を吐いてラデックを睨む。

「……テメェのせいで、ウチのヤクルゥが使い物にならなくなっちまったじゃねぇかよ」

「申し訳ない」

 ラデックが淡白に頭を下げて、形だけの謝罪をする。

「はぁ〜……。 ま、ヤクルゥが(たぶら)かされるっつーことは、それなりに筋の通った話なんだろ。コモンズアマルガム襲撃は止めねーからな」

「構わないが……」

「どうせ世界ギルドも来んだろ?」

「――――! 知っていたのか?」

「いや、イチルギ総帥が退陣してから毎日警戒してた。あの正義馬鹿の使奴が、この国を放っておく筈ねーからな」

 ヘレンケルは欠伸(あくび)を一つ漏らすと、気怠(けだる)そうに森の奥へと消えて行った。それを見届けてから、ラデックはシスターと共にハザクラ達の方へ歩き始めた。



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82話 非の打ち所のない極悪人

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〜廃棄された森〜

 

 すっかり日が落ちて真っ暗になった森の中を、魔法で明かりを灯しながら歩くラデックとシスター。木々の隙間を凍てつく海風が吹き抜け、枝葉の擦れ合う音がざわめく。

「……キュリオネクロの城」

 先頭を歩いていたラデックが、唐突に口を開いた。

「確か……存在しない拠点が攻撃される時に、まるで大損害を被ったかのように見せかける幻影魔法だったか。砕け散る要塞と、逃げ惑う人々。破壊されるハリボテの代わりに、それらをホログラムで流し続けることで敵を(あざむ)く」

 隣を歩くシスターは何の反応も示さないが、ラデックは構わず続ける。

「旧文明では人工衛星からの砲撃は国際条約で禁止されていたが……、独善的な大国の横暴を退(しりぞ)けるのには効果的だったと聞いている。だが、自分1人を対象に応用できる魔法だとは思わなかった」

 シスターは何も答えない。ただただ足元を見つめたまま、静かに歩き続けている。そして、ラデックが足を止めシスターの前に立ちはだかった。

「人工衛星」

 ラデックがそう呟くと、一拍置いた後にシスターは青褪(あおざ)める。(たちま)ち額は汗に濡れ始め、(まぶた)痙攣(けいれん)し始める。

「前にイチルギから聞いた。大戦争終結後、文明を復活させるにあたって人間が徒党を組まないように情報統制を敷いたと。国同士の通信は一部のみに許可され、権限を持つ使奴の許可がなければ報道も(ろく)に行えない。通信機器の全てが使奴に管理され、その過程で()()()()()()()()()()()()()()()と。……今の文明が使奴の知識を超えるまで、反乱の芽は最大限潰したいそうだ。……シスター。人工衛星というのは何か、知っているか?」

 シスターは動かない。ラデックから見えないように伏せた目は、動揺して激しく泳いでいた。そして何とか言葉を搾り出そうと口を開く。

「……あ…………っ」

 喉の奥から辛うじて鳴った今にも消えてしまいそうな音に、ラデックは気の毒そうに目を伏せる。

「あなたは聡明な人だが、それ以上に優しく、そして誠実だ。嘘はつけても、上塗りする度に良心の呵責(かしゃく)が自分を苦しめる。………………覗いたのか。ナハルの記憶を……その異能で」

 ラデックがそう言うと、シスターは力無くその場に座り込んだ。そして顔を両手で覆い、黙ったまま静かに肩を振るわせる。

「キュリオネクロの城は非常に複雑な魔法だ。この文明にはまだ存在しない技術だし、旧文明だって魔法式を組むのに巨大な機械での演算が必要だった。幾ら狭い範囲だからと言っても、単独でゼロからの発動は不可能。ヘレンケルの言う通り、使奴でもなければ発動できない。…………()()()()()()()()()()()()だが」

 ラデックはその場に腰を下ろし、森を吹き抜ける海風に凍えぬようにと足元に焚き火を作り始める。

「……使奴の記憶は、当時の賢者や科学者達の知識の総集編だ。その中には、当然様々な経験が含まれる。そして……その記憶を植え付けたのが、記憶のメインギアと呼ばれる男。シスター。あなたと同じ、記憶操作の異能保有者だ」

 無言で涙を零すシスター。その指先は細かく震えていたが、それが決して寒さによる痙攣でないことはラデックにも分かった。ラデックは、シスターが記憶操作の異能を保有していることに唯ならぬコンプレックスがあるのだと思い、話を続けた。

「記憶を操作する都合上、発動条件を満たすだけで記憶を読めてしまう。俺も同じだ。改造を施す都合上、うっかり手が触れただけでも改造前の状態を認識できてしまう。これは不可抗力で――――」

「ラデックさん」

 シスターが話を(さえぎ)ってラデックを見つめる。

「私の異能は……に、任意発動なんです」

 ラデックは、返す言葉がなかった。理解してしまった。彼に悪意があったことを。

「確かに発動条件は接触です。でも……でも……!! その上で、私が異能の使用を意識しなければならない……!!! うっかり手が触れただけとか!! 手を繋ぐとか!! 抱き締めたとしても!! 私が望まない限りは記憶など読めはしないんです!!!」

 悲痛な叫びが森に木霊(こだま)する。その大半は吹き付ける海風と(ざわ)めく木々に掻き消されてしまうが、ラデックの耳には掠れることなくへばりついた。

「私は!!! 人の記憶を、好奇心で盗み見た……人間のクズなんですよ……!!!」

「………………ハピネスもよくやってる」

「ふふっ……、彼女のように強くなれたらどんなによかったか……!! それにね、ラデックさん。古い記憶ほど、集中力が要るんです。この意味がわかりますか……?」

「……ああ。わかる。だから言わなくていい――――」

「ナハルは200年の時を生きる使奴です……!! 彼女の最古の記憶を、私は知っているんですよ……!! 私は、私は……!!」

「やめろ、シスター」

「私は!! この(みにく)く卑しい好奇心で!! 全てを知った!! 苦痛も!! 境遇も!! あの人の……私に対する恋情も!!」

「シスター!!」

 ラデックがシスターの頭を掴んで眼を睨む。しかし、シスターはそれを振り解いて立ち上がり、せせら笑いラデックを見下ろす。

「ナハルが私に認められたいことを知っていました。どんな時でも私を想い、私を喜ばせようと努力していたことを。ナハルが私に欲情しているのも知っていました。毎晩のように私との行為を妄想し、身を(もだ)えさせていたことを。ナハルの優しさが全て私を支える為だと知っていました。どんなに厳しく怒っている時だって、私を大切に思う気持ちが第一にあったことを。ナハルが私を愛して、自分を醜悪(しゅうあく)だと嫌悪して、使奴という正体を隠すのに必死だと知っていました……!! それが、それが――――」

 ラデックに、シスターを止める術はない。

「私には、堪らなく心地よかった――――――――!!!」

 恍惚(こうこつ)と、嫌悪と、悔恨と、憤怒と。(おぞ)ましい程の感情に襲われながら、シスターは(ゆが)んだ笑顔のままフラフラと後退(あとずさ)る。

「私が何で医者になったか……それは、人に感謝されるのが何より嬉しかったからです……!! こう言えば聞こえはいいですが、その正体は(けが)れた極悪人です――――!! 私は、感謝されるたびに得られる快楽の中毒になってしまった……。その為なら、どんなことだって出来るっ!!」

 ラデックは頭の中に浮かんだ言葉が無意味だと知っていた。しかし、どうしても言わずにはいられなかった。

「……感謝されるのは、誰だって嬉しい。善人ってのは多分、そうやって生まれるものだ」

 火に油を注ぐ結果になると知っていても。

「ライラさんにも、同じことを言われました……。(まこと)()き一座で、男娼(だんしょう)をしている方です。彼は人の酸いも甘いも知り尽くしているような方でした……。でも、こんな汚い人間が善人ですって? そんなわけない!! こんな卑しい人間を善人とは呼ばない!! 私の善は、何から何まで自分の為です!! 誰かが幸せになって、報われて、喜んでいると嬉しい……。でもそれは!! その中心に私の存在があるからです!! 私がその幸福を(もたら)したという事実が!! 感謝の言葉が!! 笑顔が!! 私には……何物にも変え難い麻薬なんです…………!!!」

 シスターの独白を聞く中、ラデックはラルバの言葉を思い出した。グリディアン神殿を発つ直前、ラルバが言った言葉。

 

「アイツ……相当な悪だよ。まあ見る人からしたら善なんだろうけど」

 

 他者から幾ら善人だと思われようと、自らの行いが悪であると自覚している。そして、その悪行による快楽から抜け出せず、抜け出すつもりもない。例えそれが、奉仕欲という道徳的なものであったとしても。

「私はナハルの記憶を読んだ時に、この上ない罪悪感を覚えました……。でも、でも!! それ以上に……嬉しかった。いや、嬉しかったんじゃない。物凄く、気持ちがよかったんです!!! こんなにも好かれて! 愛されて!! 大切にされて!!! ああ……私は……私は何てことを――――!! でも、死を望むほどに強く後悔をしても……快楽への欲求が勝るのです…………!! 私は――――!! 卑しい人間のクズだ…………」

 再びその場に座り込むシスター。両手で顔を覆い、その手首を涙が絶え間なく流れ落ちている。彼の苦しみに、ラデックはかける言葉を必死に探した。しかし、陳腐(ちんぷ)で無意味な戯言(たわごと)だけが頭を巡り、何も言うことはできなかった。

 そして、ラデックはヤクルゥに自分が言った言葉を思い出した。

「誰かに寄り添おうとする心は美しいが……、自分に寄り添ってやることも……同じくらい、大切だ」

 思わず口に出た呟き。シスターはそれを聞いて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。ラデックは少しだけ大きく息を吐くと、シスターに手を差し伸べる。

「……シスター。あなたの荷物を少しだけでも持ってあげたいのは山々だが……、その荷物は俺には重過ぎる。多分、その苦しみの半分も持ってやれない。でも、目の前で仲間が壊れていくのを見るのは、この上なく苦しい」

 シスターはラデックの目を(しばら)く見つめた後、差し出された手をとって立ち上がる。シスターの心は一切立ち直れていなかったが、ラデックが差し伸べた手は、シスターを前に歩かせる理由の一つになった。シスターは顔を拭いて落ち着きを取り戻すと、ラデックに向かって悪戯(いたずら)っぽく笑った。

「これは、純粋な悪口です。アナタは酷い人だ。一緒に前に進もうとかは言ってくれないんですね」

「…………誰もが前に進みたいと思ってる訳じゃないだろう。それに、シスターの隣を歩くのは俺よりナハルの方が相応しい」

「そうですか。……隣、歩けるでしょうか」

「……隣を歩けるかよりも、置き去りにしないよう気をつけた方がいい。俺達は、使奴よりもずっと愚かで、早計だろうから」



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83話 To be continued

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〜廃棄された森〜

 

 凍てつく海風が吹き抜ける真っ暗な森の中、シスターはフードを深く被って顔を隠したまま呟いた。

「……ナハルには、言わないでくださいね」

 前を歩くラデックは、振り向かずに答える。

「バレたらすまない」

「あ……言い方を間違えました。さっきの話を、聞かなかったことにして下さい。ナハルは多分、私が気付いていることに気付いてる」

「それは……」

「優しいけど、臆病な人なんです。ラデックさん……。使奴の方々は、皆さんが思ってる程強くないんですよ」

 

時食(じくら)海岸〜

 

 最後の会話から、暫く2人は言葉を交わさずに森を歩き続けていた。すると木々の奥に薄らと灯りが見え、今まで森の(ざわ)めきに掻き消されていた爆発音が聞こえ始める。不安になったラデックは、少し駆け足になって森の出口を目指した。すると、森の出口には血塗(ちまみ)れになったゾウラが立っていた。

「……ゾウラ!?」

 ラデックは驚いて彼に駆け寄るが、その血がすぐに彼自身のものではないことに気が付いた。

「あ、ラデックさん。お帰りなさい」

 ゾウラはこちらに気がつくと、返り血でドロドロになった顔で笑顔を作る。その奥にはドーム状の隠蔽(いんぺい)魔法で姿を隠したジャハル達が1ヶ所に固まっており、ラデックにはイマイチ状況が把握できなかった。

「何があったんだ?」

「ああ、修行ですよ」

「修行?」

 ゾウラはシスターが追いついたのを確認すると、タオルで返り血を拭いながら淡々と話し始める。

「ラデックさんとシスターさんが森へ向かった後、すぐに向こうから悪魔郷の軍が攻めてきたんです」

 ゾウラが浜辺の先を指差す。地平線の向こうからは微かに砲撃音が響き、夜空が戦火で少し明るくなっている。

「そこでカガチから、実践経験を積んでおこうとの提案がありまして。一走り行ってきたわけです。今はカガチが残りを片付けてます」

 そう言ってゾウラは無邪気に笑うが、その美しい笑顔には未だ返り血がこびりついている。ラデックはその不気味な光景に怯みつつも、異能で返り血を結晶化させて叩き落としてやった。

「わあ。すごいですね! 私の異能は装備ごと水に溶け込めるのはいいんですけど、汚れも一緒についてきてしまうので……。ありがとうございます」

「いや……怪我がなくて何よりだ」

 血や泥の汚れを全て落とし終えると、ゾウラは遠くで待機しているジャハル達の方に向かって歩いて行った。ラデックもそれに続こうと一歩踏み出すが、シスターの方へ振り返って小声で(ささや)いた。

「……俺の異能の話なんだが。改造という都合上、触れた相手のステータスのようなものを把握できる……って話はさっきしたと思うんだが。実は、新鮮なものであれば血液だけでもほんの少し判別ができる。……ゾウラに付着していた返り血は複数人のものだったが、恐らく10や20ではきかない。100人は容易に超えるだろう」

 シスターが驚いて顔を強張(こわば)らせるが、ラデックは更に続ける。

「そして……顔から腰にかけて広がっていた一際大きな返り血。……多分、ヤクルゥの血だ」

「ヤクルゥ……って、ラデックさんが戦ったハルバードの女性……!」

「俺達と別れた後、先にここへ到着したんだろうな。使奴寄りでもあの量出血したら致命傷だ。それほどの傷を、ゾウラはヤクルゥ相手に浴びせた。それも一撃で。そして、もう一つだけ気付いたことがある」

 ラデックはゾウラの方を見て、この会話が聞こえないことを再度確認する。

「悪魔郷軍100人余りと、ヤクルゥを同時に相手取って平気な顔をしている。それに加えて、使奴であるカガチが“修行”だと言っている。ゾウラにとってはこの程度、所詮実践経験を積むためだけの“安全な訓練”でしかないんだろう」

「……まだ16歳でしたよね、ゾウラさんは……。一体、何が彼をここまで……」

「少なくとも、戦闘面での心配は要らなそうだ」

 

 ラデックとシスターがジャハル達と合流すると、イチルギが僅かに眉間に(しわ)を作ってラデックを睨んだ。

「おかえり。で、目的は達成できたの?」

「恐らく。心配かけた」

「はぁ〜。じゃ、もうこの国に用事はないわよね?」

「出来ればコモンズアマルガムの方にも……」

「……好きにしなさいな」

 奥で限界まで歯茎を剥き出しにして威嚇(いかく)するハピネスを尻目に、イチルギは溜息を吐いてラデックから目を背ける。しかし、その視界の端に人影が映り、再び目を向ける。ラデックとシスターも自身の背後に気配を感じ、(おもむろ)に振り向いた。そこには、ラルバとナハルとバリアの3人が立っていた。ラルバは憤怒とも軽蔑(けいべつ)とも取れぬ表情でラデックを睨みつけ、重苦しく口を開く。

「……何をしている?」

 地を這うような唸り声に近い問い掛けに、ラデックは動じることなく口を開く。

「寄り道」

 爆発寸前の爆弾のような状態のラルバに、ラデック以外の全員は固唾を飲んで動向を見守っている。しかし、当事者のラデックだけはじっとラルバの目を見つめている。数秒の間沈黙が続き、暫く海風と遠くで鳴る発砲音だけが響き渡る。そして、さっきまで全身にドス黒いオーラを(まと)っていたラルバが、唐突に肩の力を抜いて息を吐いた。

「…………全員、ここを出るぞ。今すぐに」

 ラルバがラデックに背を向けると、隣で頃合いを見計らっていたゾウラが少し慌てた様子でラルバの前に出た。

「あなたがラルバさんですね?」

「誰だお前」

「初めまして! 私、ゾウラ・スヴァルタスフォードと言います。保護者のカガチ共々、皆さんの旅に同行させて頂きたいと思いまして。ついて行ってもいいですか?」

「……好きにしたらいい」

「ありがとうございます! あ、私カガチを呼んでくるので、先に行っててください! すぐに追いつきますので!」

 そう言ってゾウラは異能で足元の水に溶け込み、一瞬で姿を消した。ラルバはそれに驚くこともなく、再び森の方へ歩き始めた。

 依然として不機嫌そうではあるものの、ラルバの落ち着いた態度に違和感を覚えたハザクラは、何か事情を知っているであろうハピネスに顔を寄せて小声で尋ねた。

「ハピネス。今のは一体何だったんだ? あの2人は何を隠している?」

「さあ。本人に聞いたら?」

 ハピネスは鬱陶(うっとう)しそうにハザクラをあしらうと、そのまま背を向けてラルバの方へ歩いて行った。ハザクラがイチルギに話を聞こうと目を向けると、イチルギは黙って目を(つぶ)ったまま首を振って否定の意を表す。取り付く島がなくなったハザクラは、この集団の扱い辛さを改めて実感した。

 

 

 

〜スヴァルタスフォード自治区 国境付近〜

 

 ラルバの案内で国を出た一行は、夜通し歩いていた疲れを取る為に野宿の準備をしていた。出発時は夜中だった筈なのに日は既に地平線へ姿を消そうとしており、それと同時にスヴァルタスフォード自治区の方の空が明るくなっているのがわかった。藍色(あいいろ)の空に(にじ)橙色(だいだいいろ)。グリディアン神殿で見たものと同じ、戦火の光。コモンズアマルガムと悪魔郷の、内戦の火蓋が切られた合図。

 ハザクラはその橙色の空を見上げて立ち尽くしていた。既に一日歩き通したこの場所からは何の音も聞こえなかったが、鼓膜の奥で(おびただ)しい数の悲鳴が渦巻いているような感覚に襲われた。

 彼が暫く呆然と空を眺めていると、不意に肩を叩かれた。振り返るとそこにはバリアが立っており、他の全員は各々のテントに入ったのか、誰一人姿が見えなかった。一体自分はどれほどの時間そうしていたのか、辺りは既に日が落ちて真っ暗闇に包まれており、月明かりと戦火の反射した空だけが世界を彩っている。ハザクラは夜の寒さを今更ながら思い出して、バリアと共にテントへと潜り込んだ。

 テントの中には既に食事と寝袋が用意してあり、ハザクラは何の準備も手伝っていなかったことを反省しながらスープに口をつけた。すると、突然テントの布が“支柱ごと破れるように消え”、薄く色づいた白いドームの中へと景色を変えた。ハザクラは辺りを眺めながら視線をバリアへと向け、スープをもう一口飲んで口を開く。

「……先生の虚構拡張ですか?」

「うん」

「何故今……」

「ハザクラが今聞きたいことは、他の人は聞きたくないだろうから。声が外に漏れないようにした」

「虚構拡張を使ったら暫く異能は使えません。先生の絶対防御じゃ致命的じゃないんですか?」

「私は鍛えてるから、日に3回までならノーリスクで使える」

「いや、だからって態々(わざわざ)……」

「皆しょっちゅうやってるよ」

「え、そうなんですか」

「うん。ラルバなんかほぼ毎日」

「……知らなかった」

 ハザクラは少し考えた後に、咳払いを挟んでバリアに向き直る。

「今回、スヴァルタスフォード自治区で起きた出来事について。幾つか疑問点があります。一つはラデックとラルバのことです」

「……ラデックは、ラルバを心配してたんだと思う」

「心配……?」

「今の文明は、旧文明と違って使奴による情報統制が敷かれてる。でも、完全じゃない。ラルバはきっと近い将来、世間から良くない目で見られる。ラデックは、それを防ぐために発言権が欲しかったんだと思う。今回のラデックの勝手な行動は、子供が玩具(おもちゃ)欲しさに暴れるようなものだと思えばいい」

「……それは親と子だから成り立つ関係です。ラルバは幾らでもラデックの勝手を封じる方法があるでしょう」

「うん。でも、ラデックの意図をラルバも分かってた。自分を守るために発言権を欲しがってるってことを。だから、強く言えなかった」

「……私には、彼女がそんな道徳的な考えを持っているとは思えません」

「ラルバの道徳観は(おおむ)ね正しいものだと思うよ。使奴である以上、人格者と同等の道徳知識は持ってる(はず)

「そんなものを持っていたら、あんな暴力的にはならないのでは?」

「道徳を理解していることと道徳的であることはイコールじゃないよ」

「…………次に、イチルギの行動です。彼女の行動は(いささ)か不自然です」

「うん。今回どころかずっと不自然だよ」

「はい?」

「イチルギは第二世代の使奴で、私は第一世代。だから私の知識の大部分はイチルギに包含されている筈。でも、私でさえ思いつくような改善策をずっとほったらかしにしてる。彼女は正義の執行役を公言しておいて完璧は目指さない。スヴァルタスフォード自治区だって、潜入なんてまどろっこしいことをしなくても十分懐柔できたと思う。それ以外にも、変な動きはずっとしてる。多分、今回ハザクラとジャハルの前から何度かいなくなったりしてたんじゃない?」

「……はい。でも、何故…………」

「でも、それを私たちの前で堂々とやってるってことは、裏があるってこと。話せないのか、話さないのか、意味があるのか、無いのか、それは分からない。でも、ラルバがそれをどこかで利用したそうにしてるし、イチルギもそれに気付いてるから私は何も言わない。ハザクラも言わない方がいいよ」

「…‥そうですか」

「終わり?」

「え、は、はい」

「じゃあ私から一つ」

「なん……でしょうか」

「ラルバ曰く、悪魔郷では誰かが何か操ってるらしい。私は分からなかったけど、ナハルはほんの少しの違和感があったって」

「操ってる?」

「ラルバも具体的には分からないけど、そう感じるんだって。でも、使奴の目を掻い潜るほどの策を考えられるとしたら、やっぱり使奴しかいないと思う」

「……一体何のために」

「ゾウラもカガチも、あの国に使奴はカガチ以外いないって言ってた。でも……カガチは嘘を言ってると思う」

「カガチが?」

「詳しいことは何にも分からないけど…………。多分、ここにはまた来ることになると思う」

「そう、ですか」

 バリアが話し終えると、虚構拡張によって作られた白いドームは“破れるように姿を消し”、元の狭いテントの中へと戻った。バリアはそのままモゾモゾと寝袋に身体を詰め込み、「おやすみ」と呟いて動かなくなった。ハザクラはパンを(かじ)りながらテントの小窓を開けて外を覗く。スヴァルタスフォード自治区方面の空はより一層赤く染まり、真っ黒な煙が立ち昇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう遠くない未来。“彼女”は後悔することになる。ここで、その違和感を追求しなかったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……ああ……ゴ、“ゴウカ”や……!! 何処におるけぇ……!!!」

「はい、旦那様……ゴウカはここに居ますよ」

「あ……ああ……!!! ゴウカ……!! ワシのゴウカ……!!! あの、あの“使奴”は、もう居なくなったかえや……!?」

「はい、旦那様。あの使奴はもうここに居ませんよ」

「ひいっ……ひいっ……。ゴウカ、ゴウカ……!!! もう、もう何処にも行かんでけれ……!!! ワシのそばに居ておくれぇ……!!!」

「はい、旦那様……。ゴウカは、ずっとここに居ますよ」



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84話 中身の腐った隠れ蓑

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〜スヴァルタスフォード自治区 国境付近〜

 

 

「さて、これからどうするかだが――――」

「車!! 車で行こう!! ほら!! 街に中古車売ってたじゃん!!」

「ラデック達とナハル達が食料や備品の買い溜めもしてくれたし――――」

「じゃあ船にしよう!! 海あるし!! 使ってない漁船の一つや二つあるよ絶対!! ねえ!! ダクラシフ商工会に寄ろうとか言わないから!!」

「1週間は保つだろう。それにグリディアン神殿の時とは違い――――

「せめて私にバイクを買って!! もうこの際自転車でもいいから!!」

「この辺は自然も豊かだ。水もたっぷりあるし、飢えることはないだろう――――」

「歩くのは嫌です!! 歩くのは嫌です!!」

「幸い、道中には小さい集落も多い。ひとまず西に向け歩こう」

「うわあああああああああああああああ!!!」

 

 夜が明け、一行は今後の方針について話し合っていた。ハピネスが(わめ)き狂う横でハザクラが涼しい顔で提案をすると、ハピネス以外の全員は異論なくそれに従うことにした。ハピネスの次に文句を言いそうなラルバも、今回は特に意見がなかったようで露店で買った吹き戻し笛で「ぴぃーっ」と返事をした。

 

 しかし、ハピネスだけは(かたく)なに譲らずハザクラに泣きつく。

 

「なあハザクラ君!! どうして!? どうしてこんな酷いことをするの!? どうしてか弱い盲目の淑女(しゅくじょ)を歩かせようとするの!?」

「か弱い盲目の淑女をバイクに乗せる方が酷いだろう」

「前見えるもん!!」

「あとその盲目を盾に我儘(わがまま)を言うのやめてくれ。実際に盲目で困っている人間を茶化しているようで非常に不愉快だ」

「じゃあバイク買って」

 

 子供じみた押し問答にハザクラはうんざりして溜息を吐く。ハザクラには言っても意味がないと諦めたのか、ハピネスはカガチの方へ寄って行ってロープをを取り出す。

 

「ねえねえカガチちゃん。可愛い可愛いゾウラ君を延々と歩かせ続けるのは庇護者として受け入れられないだろう? 板をこの紐で結ぶから引っ張ってあげなよ。ついでに私も乗っていい?」

 

 ハピネスがモラルの欠片もない提案を言い終えると同時に、ジャハルが背後から早足で近寄り、思い切りハピネスの脳天に拳骨(げんこつ)を振り下ろした。

 

「がっ――――!!!」

「使奴を何だと思っている……!!!」

「……つ、使い捨て性奴隷の略称」

「申し訳ないカガチ。この馬鹿には強く強く強く強く言って聞かせる。どうか許してくれ。いや、許さなくて良いから殺さないでやってくれ。数十発は殴ってくれて構わない」

「いや……不快感よりも感心の方が強い。よくもまあ蟻と象程の力の差があるのに喧嘩を売れたものだ……」

 

 カガチが汚物を見る目でハピネスを見下ろすと、ハピネスは痛みに震えながらも答える。

 

「……か、感心してくれたなら少し気を遣ってくれてもいいよ?」

「そうだな。気を遣ってその使い物にならない目玉を(えぐ)るだけで許してやる」

「ゾウラ君助けて!!」

「いけませんよ。カガチ」

「……はい」

 

 ハピネスがゾウラの後ろに隠れると、カガチは構えた人差し指と中指をそっと下げる。

 極めて無駄な生産性のない議論が済むと、一行はテントを片づけ西へ向けて歩き出した。

 

 

 

恵天(けいてん)の森〜

 

 行商人が利用しているであろう街道はすぐに途絶えてしまい。案内板と泣き喚くハピネスを無視して道を逸れ、草原を抜け、景色は次第に森へと変わっていく。先頭を歩くハザクラ、ラルバ、シスターは各々周囲を確認しながら、地図とコンパスを頼りに進んでいく。

 

「疲れたー!! ゾウラ君おんぶしてぇー!!」

「どうぞ」

「おやめ下さいゾウラ様」

 

 一行の最後尾で喚くハピネスと、それに付き合わされているゾウラとカガチ。先頭を歩いているハザクラは、若干軽蔑(けいべつ)するような眼差しを送り溜息を吐く。

 

「……元気な奴だ」

 

 ハザクラが何度も地図を見直して確かめるように指でなぞっていると、すぐ後ろを歩いていたラルバが吹き戻し笛で地図の1ヶ所指し示した。

 

「ぴぃーっ」

「何だラルバ」

「ぴぃーっ」

「顔に当てるな。何だ」

「暇なので次の目的地の解説をお願いします」

「……まだ決めていない。ただあの辺は国が密集しているから、ある程度接近したら目的地についての話し合いをしたいと思っている。どこに行くにせよ、一度西へ行かなくてはならないんだ」

「国が密集って言葉、何か面白いね」

「旧文明とは違い、今は全ての陸が誰かの領土になっているわけではないからな」

 

 ハザクラは別の地図を取り出して、ラルバにも見えるように傾ける。

 

「次の目的地となっているのは“氷精地方“だ。あの辺にある国は……。”ダクラシフ商工会”、”愛と正義の平和支援会”の二大国。その周辺に”爆弾牧場”、”崇高(すうこう)で偉大なるブランハット帝国”、”ベアブロウ陵墓(りょうぼ)”と、その従属国の”キュリオの里”。そして”バルコス艦隊”、”三本腕連合軍”、”狼王堂(ろうおうどう)放送局”と、9カ国が1ヶ所に集まっている。中には領土が隣接している国も……と言うより、珍しく隣接していない国境の方が少ない。今は旧文明とは違って公陸(こうりく)がやたらと多いからな」

「ふぅ〜ん、変なの」

「国土の広さは国力に直結する。これもイチルギ達が初期に定めた政策だそうだ」

 

 ハザクラは後ろの方にいるイチルギを一瞥(いちべつ)すると、再び前を向いて歩き出す。それにラルバも続こうと一歩踏み出すが、視線を感じて振り向く。

 

「なによシスター。吹き戻し笛(コレ)欲しいの?」

「いや、違いますけど……」

 

 シスターは呆れたようにラルバを睨む。

 

「……今回は随分と素直に従うんですね」

「何よ“今回は”って」

「ラデックさんから聞きましたよ。いつも我儘ばかりで、特にハザクラさんやジャハルさんとはマトモに取り合わないって」

「それはラデックの嘘だよ」

「何を企んでいるんですか?」

「……シスタん。君意外と偏屈なのね」

 

 シスターの何処か敵意の(こも)った眼差しに、ラルバは下唇を小さく噛んで睨み返す。そして、諦めたかのように溜息を吐いた。

 

「シスターは“漆黒の白騎士”って聞いたことある?」

「はい? ええ、まあ。御伽噺(おとぎばなし)の英雄ですよね?」

「あ、そっちだと英雄になるんだ」

「地方によって解釈が異なるそうです。笑顔による文明保安教会では、悪を滅ぼす正義の英雄と言われていたと思います。たしかグリディアン神殿では、歩いた後を砂漠に変える破壊と再生の権化だとか……。それがどうかしましたか?」

「企んでること話せって言ったじゃない。今の所は、その“漆黒の白騎士”の討伐」

「え……お、御伽噺ですよ……!?」

「実在すると思うんだけどなー。じゃなきゃ世界的に名前は広がらないでしょ」

「……それで言うと、“魔人神話”はどうなるんですか?」

「魔人神話……ああ、そう言えばクザン村にも魔人神話あったねぇ。魔人も探さなきゃ。目的4つになっちゃった」

「いないと思いますけどね……。4つ? あと2つは?」

「通り魔の討伐。なんか知らない? 今の所、ハピネスの目撃証言しかないんだよねぇ。緑の髪で毛先が少し水色の使奴」

「……さあ」

「おっぱいはFかGカップくらい」

「……さあ」

「役立たず」

「最後の目的は氷精地方ですか?」

「いいや、あっちの町に向かうこと」

 

 そう言ってラルバが唐突に進行方向とは少しそれた方向を指差す。シスターが指差す先に目を向けるが、木々が立ち並ぶばかりで人工的なものは一切見当たらなかった。

 

「町……?」

 

 そこへハザクラが近づいてきて、地図を片手に辺りを見回す。

 

「この辺は何の手入れもされていないただの公陸だ。一番近い町はスヴァルタスフォード自治区か、少し戻ったところにある農村だけだろう」

 

 しかし、イチルギがラルバの指さした方向を目を細めてじぃっと見つめると、少し驚いたように声を漏らした。

 

「……本当だ。波導が違う」

 

 皆がイチルギに目を向けると、イチルギはラルバを一瞥した後に口を開く。

 

「この辺は地形的に魔力が乱れる(はず)はないの。山も少ないし海からも離れてる。ましてやこういう森の中じゃ、風も波導もそう変化しない。でも、本当に微かだけど、あっち側だけ波導が濃い。それが町かどうかは分からないけど、確かに少し違和感がある」

 

 イチルギが言い終わらないうちにラルバが歩き出す。皆が呆気(あっけ)に取られ、(なか)ば思考停止したままついてくるのをいいことに、ラルバは満足そうに鼻を鳴らす。

 

「正直、町って言ったのは勘だ。旧文明の座標で言うと、あの辺には“パルキオンテッド教会”があった筈。小さな教会だが、確か地下に大昔の防空壕があったっけ。そこで新種のバクテリアが発見されて、それが長寿の薬の研究に大きく貢献をした。ま、今はもうどうでもいいことだがな。重要なのは“防空壕があった”ってこと。この辺は小さい町だったし、200年前の大戦争では皆あの防空壕に閉じ籠ったに違いない。だが……」

 

 ラルバは足を止めてイチルギの方を向く。

 

「イチルギはそれを知らない」

「……ええ。少なくとも、パルキオンテッド教会に防空壕があるなんて、今初めて知ったわ」

「だろうな。私の記憶でも相当新しい情報だ。第二世代の使奴の製造時期よりも後に発見されたのかもなぁ。イチルギの仲間に三、四世代の使奴はいなかったのか?」

「ん〜……。ジルファは第三世代だけど、あの子は基本拠点での作業だったし……」

「じゃあ、これから行く所はまだ誰も踏み入れてはいないわけだ」

「でも、探検家や冒険家は比較的一般的な職業よ。それにこの辺は狩人も多い。町なんてあったらすぐに分かるわ」

「でも、それが“なんでも人形ラボラトリー”の時みたいに見えない要塞とかだったら?」

「………………」

「全世界を(おびや)かす空前絶後の大戦争だ。隠蔽(いんぺい)魔法くらい別に難しいもんじゃない」

 

 ラルバの推測にイチルギは口元を押さえて黙り込む。皆ラルバの我儘を聞き入れたわけではなかったが、珍しくラルバに従ったイチルギに賛同して目的地の変更を受け入れた。

 

 

 

 

恵天(けいてん)の森 (ゆが)んだ境界〜

 

「もう少し右向いて」

「こうか?」

 

 ラデックはラルバの指示通りの場所に立ち、前を向く。目の前には相変わらず何の変哲もない森が広がっており、陽が沈みかけてオレンジ入りの木漏れ日辺りを覆い尽くしていた。その幻想的な空間に見惚(みと)れていると、ラルバがパンッ!と手を叩いて合図を出す。

 

「はい! じゃあそっから真っ直ぐ前に歩け。真っ直ぐだぞ」

 

 ラデックは言われた通りに真っ直ぐ前に進む。そして20歩程度前に進んだところで、ラルバが声をかける。

 

「はいストップ! こっち向いてー」

 

 ラデックはピタリと停止する。そして振り向くと、真後ろとは大きくずれた右後ろのあたりにラルバが立っていた。しかしラデックはこの事実を気にも留めず首を傾げる。

 

「これは何の実験だ?」

「なんの実験か分からんか?」

「全く」

 

 ラルバが小さく鼻で笑い、周囲の反応を見る。シスターやハザクラ、ジャハル、ゾウラといった人間組は同じく首を傾げているが、ナハルとカガチは眉を(ひそ)めて怪訝(けげん)そうな顔をしていた。そして、中でもイチルギはとりわけ酷い顔をしていた。口元を手で押さえ、信じられないといった様子でラデックを見つめている。

 そんなイチルギの様子を見て、ラルバはにやぁっと笑いラデックに向き直る。

 

「ラデック。私は“真っ直ぐ歩け”と言った筈だが?」

「ああ。言われた通りに真っ直ぐ歩いたが……」

「ほう。お前にはコレが真っ直ぐに見えるのか」

 

 そう言ってラルバが足元に手を(かざ)すと、追跡魔法によってラデックの足跡が淡く発光した。その軌道は真っ直ぐとは程遠い円弧を描いていた。ラデックはこの事実に身体を(こわ)ばらせて驚き、コレを見ていた人間組も同じようにハッとした顔で目を見開く。それを煽るようにラルバは足元を指差す。

 

「やっと気がついたか。本当は私が声をかけた時に気付いて欲しかったんだがなぁ。私から真っ直ぐ離れたなら、声は真後ろから聞こえなきゃおかしいだろう」

「言われるまで気にならなかったな……」

 

 魔法によって淡く発光する足跡から、波導煙(はどうえん)が湯気のように立ち昇る。その魔力を含んだ煙は風に煽られるように揺らぐが、風向きとは逆方向に棚引いている。

 イチルギは波導煙を揺らしているであろう“風とは違う何か”の方向へ歩き出し、恐る恐る手を前に突き出す。すると、(はた)から見ている分には何も分からないが、イチルギ本人は険しそうに顔を歪めて目を細めた。

 

「…………これは、防壁魔法と、隠蔽魔法と…………、混乱魔法……と」

 

 その後ろからラルバがしたり顔で近づき、同じように手を突き出す。

 

「んふふふふふ。多分“ヘングラスの(おり)”だな。視聴覚と無意識に干渉する最新型の隠蔽魔法だ。この近くを通る人間は無意識にこの空間を避けてしまう……。さっきのラデックみたいにな。ただ、今もまだこの効力で防壁が維持されているってことはー。中に術者ないし集団がいるのは確定だねぇ」

 

 そしてラルバは“見えない壁”の中に躊躇(ちゅうちょ)なく足を踏み入れ、勇ましく前へと進んでいく。イチルギ達は一瞬躊躇(ためら)うも、何も言わずにラルバへと続いた。

 先頭を歩くラルバは嬉しそうに呟く。

 

「200年間外界と断絶されて熟成された集落……。どんな人畜生が幅を利かせているのか楽しみだねぇ」



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神の庭
85話 朽の国


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〜恵天の森 歪んだ境界〜

 

 夕暮れの森ではあるが木々の密度はそう高くなく、薄暗くとも明かりに困るような暗さではなかった。しかし、ラルバ(いわ)く最新型の隠蔽(いんぺい)魔法に守られた空間は平衡(へいこう)感覚を狂わせ、平らな地面はまるで浮き沈みするボートのように思えた。思考に(もや)がかかり、視界は極端に狭まる。使奴には効いている様子はなかったが、人間であるラデックやハザクラ達には耐え難い悪夢であった。

 

 数分も歩くと、頭の中の靄は晴れて視界もハッキリとしてきた。先刻よりも陽が落ち、木々の密度も増して暗闇が濃くなっていたが、隠蔽魔法の影響下に比べれば微々たるものであった。

 しかし、変わっていたのはそれだけではなかった。その変化は使奴だけでなく、ラデック達人間も気付き、酷く狼狽(ろうばい)させた。その中でもシスターは特に血相を変え、身を抱いて震え出す。

 

「こ、ここ……波導(はどう)が無い……!?」

 

 波導とは、魔力の流れている状態。つまり、空気中に存在する魔力そのものを指す。波導の濃度は地域差があり、森や海などの生命活動が盛んな場所ほど濃く、溶岩も多くの魔力を含んでいるため山等も非常に波導が濃い地域と言える。逆にグリディアン神殿や、なんでも人形ラボラトリーのような砂漠地帯は波導が薄く、森や海などに比べると半分以下の値になる。

 

 しかし波導が0%、“(きゅう)”と呼ばれる状態は、湿度0%の場所が自然界に存在し得ないのと同じく異常な状況である。そして、もし人間が朽に(さら)され続けた場合どうなるのか。

 

 まず初めに、異能以外の魔法が発動できなくなる。魔法は体内で生成される魔力と、空気中の波導で発生させている。使用した魔法は大気中に霧散し、周囲の波導濃度を上昇させる。しかし、この時体内から消費した波導の(ほとん)どは大気中から人体に吸収されるため、その回収が行えないと体内の波導濃度が低下し、魔法を使用できなくなってしまう。

 

 次に、魔力欠乏症を始めとした波導性の疾患を発症し始める。人体は常に体内の波導を循環(じゅんかん)させており、波導は全身を巡りながら少しづつ大気へ放出、同時に放出した分だけ大気から吸収している。しかし、周囲の波導濃度が0%だと大気から波導を吸収することができず、体内の波導が低下し続けてしまう。波導は生命の維持に必要不可欠な要素である。波導が一定の数値を下回ると、波導が循環されずに細胞が壊死する“魔力欠乏症”や、体が体内の波導を維持しようと循環を停止させることによって引き起こされる“波導性臓器不全”。そして、最終的には脳が死の恐怖を紛らわすために最後に残った波導で自身に幻覚魔法をかける“波導閉塞”を引き起こす。

 

 つまり(きゅう)とは、人間にとって水中の次に危険な状態。シスターのような波導の変化に敏感な人間にとっては特に。

 

 シスターやハザクラ達が狼狽(うろた)える中、イチルギとバリアがすぐさま防壁魔法で光のドームを形成する。特別何か意味のある魔法ではなかったが、波導で満たされたドーム内は今この状況に限り大海に浮かぶ船のような安全地帯となった。

 

 涙目になりながら咳き込むシスターの背中を、ナハルが優しく()でて顔を覗き込む。

 

「だ、大丈夫ですか。シスター……」

「は、はい……だ、大、丈夫……です」

 

 依然として肩を震わせるシスターを見て、ハザクラはラルバに顔を向ける。

 

「ここはあまりに危険すぎる。何か対処が必要だ」

「いやあびっくりしたねぇ。ほい解決策」

 

 そう言うとラルバは突然自らの腕を爪で切り裂き、そこから溢れ出た鮮血を(びん)に詰めた。その意味をハザクラは理解できたが、半ば現実逃避君に怪訝(けげん)な顔をする。

 

「……何の真似だ」

「お飲みよ」

「断る」

「要らないの? 魔力たっぷり使奴製いちごミルク」

「もう少し道徳的な対処法を提案してくれ。背に腹かえるには早すぎる」

「このくらいで情けない……。それに、背に腹だったら“電車ごっこ”とかになるよ」

「“電車ごっこ”?」

「血管引き()り出して使奴とガッチャンコする」

 

 ハザクラはラルバを視界に入れないようにイチルギに話しかける。

 

「使奴がどれほどの魔力を蓄えているのかは分からないが、余裕のある量で構わない。ローブか何かに波導を蓄えられないか?」

「私達なら大丈夫よ。使奴細胞は常に魔力を生成しているから、一度に数百人とかに分け与えなきゃどうってことないわ。そうね、確か……カナグマアザラシのテントがあったからそれを――――」

「いちごミルク誰か飲まんかね。捨てんの勿体(もったい)無いよ」

 

 ハザクラに無視されたラルバが周りに瓶を見せびらかしていると、ラデックがそれを受け取った。

 

「じゃあ折角だし、頂こう」

「お、勇気あるね。そう言えば他人の血ってウンコ並みに汚いんだよ」

「飲む前に言うな。使奴の血は平気だろう」

「ダメだったらごめんね」

 

 ラデックが(しか)めっ面をして(あお)ると、シスター達の方から押し殺したような(うめ)き声が漏れる。

 

「…………ものすごく鉄」

「まあ血だからね」

「けど、確かに魔力が満ちてくる……。不思議な感覚だ」

「胃袋の中に魔力タンクつけてるようなモンだし、魔法さえ使わなきゃ半日は保つんじゃない?」

「半日に一回アレ飲まなきゃならないのか……」

「何でよ!! 凄いでしょ!!」

「凄いけども……」

 

 

 

 結局、イチルギが魔力を溜め込みやすい素材で作ったマントを人数分作成し、波導の薄さによる問題は異能以外の魔法を使えないことだけになった。そして一行は木々の生えていない野宿に適した場所を探し求め、結界の中心であろう“パルキオンテッド教会”を目指して再び歩き出した。

 小一時間も歩き続けていると、遠くの方でガサガサと茂みが揺れる音が聞こえ、興味を引かれたゾウラがじぃっと音の方向を見つめた。すると、そこから1匹の兎が飛び跳ね、あっという間に森の奥へと逃げていった。

 

「あ! 兎ですよ!」

 

 そこへカガチが顔を寄せて、兎の逃げていった方向を見つめる。

 

「兎だけではありません。木の上には栗鼠(りす)や雀、茂みの陰には羊もいます。どうやら、彼等には先程の結界は効かないようですね」

「羊? 私、羊初めて見ます!」

「普段はこの辺にはいませんからね。迷い込んだのでしょう」

「動物には隠蔽魔法が効かないんですね。(きゅう)でも平気みたいですし」

「動物は波導循環や身体の仕組みが人間と異なるため、隠蔽魔法が効き辛いのです。それに、植物や草食動物は波導の変化に非常に強いので、(きゅう)でも問題なく生きていけるのでしょう」

「使奴には隠蔽魔法って効くんですか?」

「我々使奴は魔法を常に遮断するよう作られていますので、まあ殆どは…………」

 

 カガチがゾウラへの説明中に、何かを感じて進行方向を見やる。同じくラルバ達他の使奴も気付いたようで、警戒するように足を止めた。そしてラルバがボソリと、嘲笑(あざわら)うように呟く。

 

「フン。あのお喋り九官鳥のハピネスが終始(だんま)りなんだ。何かあるのは分かってただろうに。少なくとも、人間がいるぐらいはとっくに」

 

 この言葉にラデック達は息を()み、再び歩き出した。すると、突然森が開け、芝土で覆われた一軒の小屋が姿を現した。一見小高い丘のようにも見えるが、その煙突からはもくもくと煙が立ち上っている。そしてその小屋の(かたわら)に1人の男が歩いている。

 

 そこへラルバは目にも留まらぬ速さで近づき、男の首を鷲掴んで声を出せないよう握り締めた。

 

「か……かはっ……!! がっ……!!」

 

 男は激しく暴れるが、ラルバに敵うはずもなく泡を吹き始める。ラルバは小屋の中に居るであろう人間に気付かれぬよう、男を連れて再び森へと戻ってくる。

 

「ウシシシッ。 こんな夜中に出歩く悪い子は、あの世に連れていっちゃおうねぇ」

 

 男を必要以上に(おど)かすラルバに、イチルギが思い切り拳骨を食らわせる。

 

「あだっ」

「怖がらせないの!! 話聞くだけなのに何で仕留めるのよ!!」

「おっきい声出されたら困るじゃん」

「ラデックとかシスターに行かせればいいでしょうが……!!」

「真夜中に森の奥に誘う異人の方が怖くない?」

「屁理屈言うな!!」

「屁理屈言われないでよ……」

 

 そんな文句を交わしつつも、事を荒立てたくなかった一行は男の誘拐に渋々手を貸し、共に森の奥へと再び戻る事にした。

 ラルバが茂みに男を放り投げると、男は涙を流しながら(もだ)え、両手を頭の上でひらひらと振って見せた。

 

「ゆ、許しでください、許しでください。(いだ)いことしないでください」

 

 (なま)りに訛った言葉を話す男に、ジャハルがしゃがみ込んで視線を合わせる。

 

「手荒なことをして申し訳ない。我々の質問にいくつか答えていただければ、すぐにでも解放する」

 

 しかし、ジャハルの言葉に男はふるふると首を振って顔を背ける。

 

「こ、これからはちゃんとします。ちゃんと“御供(おそな)え”します。もうズルしないです。だからお願いします。許しでください。許しでください」

「御供え? いや、我々はただ聞きたいことがあるだけで……」

「お願いします。お願いします。どうか、どうか許しでください」

 

 男は只管(ひたすら)に頭を下げて両手を上げるだけで、ジャハルの言葉に答える様子はなかった。ジャハルがどうしたものかと困惑していると、ラルバが後ろで噴き出すように笑った。

 

「ククククッ。どうやら”都合のいい“ことになっているようだな。ラデック!!」

 

 ラルバが手招きをしてラデックを呼ぶ。ラデックは珍しく嫌な予感がしないことに嫌な予感がして、若干顔を(しか)めた。

 

「何だ」

「コイツらの文化的に、私ら使奴は妖怪というよりは神聖な存在と(とら)えられているっぽい。今からイチルギ達とその辺イイカンジにする魔法を組むから、ラデックはさっきの小屋に行って情報収集しておいてくれ」

「嫌だ」

 

 ラデックが眉間の(しわ)をより一層深める。その後ろでイチルギも同じく顔を顰めて無言の抗議をしていたが、ラルバは満面の笑みで説明を続ける。

 

「私らは今から幻覚魔法を組まにゃならん。スヴァルタスフォード自治区では随分(ずいぶん)暇したからなあ。今回くらい、怪しまれずに堂々と歩きたい。なあに、丁度ここの奴らは魔法耐性皆無だし、3日も保たせる予定ないから数時間もあれば完成するだろう」

「俺は交渉に向いていない。ゾウラが適任だろう」

「じゃあウラらん連れてっていいよ」

「……ハザクラとゾウラの組み合わせとかがいいんじゃないか?」

「クラの助さっきトイレ行ったよ」

「戻ってきたら頼もう」

「早よ行きんしゃい」

「………………」

 

 ラデックは鼻から大きく息を吐くと、諦めたようにゾウラを見る。

 

「……不安だろうけど、大丈夫か?」

「はい! ワクワクしますね!」

「不安なのは俺だけか……」

 

 ラデックとゾウラはラルバ達と別れ、再び小屋に向かって歩き出した。後ろでカガチが恨めしそうに(にら)んでいるのが見えたが、ラデックは反応に困り見なかったことにした。

 

 小屋に辿り着くまでの間、ラデックは常々思っていた疑問をゾウラに聞いてみた。

 

「ゾウラ、実は前から気になっていたんだが……」

「はい。なんですか?」

「君は、その……怖いとは思わないのか?」

「怖い……ですか?」

「君は度胸があると言うよりは、まるで恐怖を感じていないように思える。この旅もそうだが……、時食(じくら)海岸での君への返り血は尋常じゃなかった」

 

 ゾウラは少し首を捻った後、いつもと変わらぬ笑顔で答える。

 

「確かにあんまり怖かったことって無いですね! 両親が亡くなるまでは割と怖がりだったんですけど、最近は夜も1人で寝られますし、真剣での戦いも大丈夫です!」

「そう……か。すまない、変なことを聞いた」

 

 ラデックは良くない想像を中断し、再び前を向く。そして小屋まで辿り着くと、覚悟を決めるように深呼吸をする。

 

「ゾウラ。俺は戦闘面ではそうそう足手まといにはならないとは思うが、交渉はこの上なく苦手だ。恐らく警戒されるだろうから、積極的に全面的に助け舟を出して欲しい」

「わかりました」

「とてもすごく心強い」

 

 2人は玄関らしき扉へと近づき、ラデックが恐る恐るノックをする。すると、何かが走る音に続き、盛大に何かが崩れるような音が聞こえてきた。ラデックは不審に思い、扉を少し開けて中を覗き込む。土間のみで構成された部屋は、扉の隙間からでも全体が見渡せる作りになっており、暖炉から()き散らされた(まき)と灰が部屋中に散らばって火の海になっているのが見えた。

 

「なっ……ゾウラ! 手伝ってくれ!」

「わかりました!」

 

 ラデックとゾウラは慌てて部屋へ駆け込み、火傷も(いと)わず薪を暖炉へ放り投げる。火が燃え移った家具には水筒の水をかけて鎮火し、何とか大惨事を(まぬが)れた。

 

「はあっ……はあっ……。魔法が使えないと、この程度にも苦戦するのか……」

「間に合ってよかったですねぇ」

「ゾウラ。手を見せてみろ。火傷の痕一つでも残したらカガチに八つ裂きにされそうだ」

 

 ラデックが異能でゾウラの手を治していると、背後から突然抱きしめられた。

 

「神様だぁーっ!!」

「うおっ。な、なんだ?」

 

 そこには、満面の笑みでラデックに抱きつく少女がいた。

 

「すごい!! すごい!! 神様だ!!」

 

 ラデックは何とか少女を引き()がし、椅子であろう布が敷かれた盛り土の上に座らせる。薄茶の髪とエメラルドグリーンの瞳、ソバカスがうっすら広がる顔は、どこか先程の男に似ているように思えた。毛皮のポンチョを一枚だけ纏い、その縫合の(つたな)さから技術の低さが見てとれた。

 

 恐らく10代前半であろう少女はニコニコとラデックの顔を見つめており、ラデックは何だか複雑な心持ちになって狼狽(うろた)えた。

 

「俺は神様じゃない。あと彼も神様じゃない」

「ゾウラです。よろしくお願いします」

「俺はラデック」

 

 2人が自己紹介をすると、少女は首を(かし)げてから不思議そうに口を開く。

 

「私“スファロ”。ラデックさっぎ、“神の力”使(つが)ってた! 神様じゃない、なんで?」

「何でって言われても……。あ、魔法がないから珍しいのか。君達の中で他に神様っぽい事をする人はいないのか?」

「神様っぽい? ”神の子(んご)“?」

「神の子?」

「ラデック、神の子(んご)知らね? 神の子(んご)知らね!?」

 

 スファロは再び興奮気味にラデックに抱きつき、今度は何かを確かめるように体のあちこちに手を伸ばす。

 

「や、やめろ! ゾウラ止めてくれ!」

「スファロさん。やめてあげてください」

 

 ゾウラがスファロを優しく引き剥がし、再び椅子へと座らせる。スファロは信じられないといった顔つきで(ほう)けており、ゆっくりとゾウラにも顔を向ける。

 

「……ゾウラも神の子(んご)知らねの?」

「はい。私も存じません」

「ぞんじません……?」

「知らないって意味です」

「知らね……、神の子(んご)、知らね……」

 

 スファロが何かを考え込んでいる隙に、ラデックはゾウラに手招きをして外へと連れ出した。

 

「あの子、(わず)かだが魔力を持っていた。ここの人間には魔力を補給する場所があるのかもしれない」

「それが神の子に関係しているんですかね?」

「どうだろう。しかし、この空間から魔力を吸収するとなると川や湖、それこそ太陽に月光や星光くらいしか……」

 

 ラデックは自分の言葉で”あること”に気づき、ハッとして空を見上げる。そして、信じられない光景を目の当たりにした。

 

「ゾ、ゾウラ……空を見てみろ……」

「空? わあ」

「ほ、”星が無い“……!!!」

 

 いつもなら満天の星が輝いている筈の夜空には、絵の具で塗り潰したような黒が広がっており、淡く光る月だけが幻覚のように浮かんでいる。

 

「隠蔽魔法で魔力が遮断されているのか……。これじゃあ天体由来の魔力は得られない。月も普段より暗いし、まるでサングラス越しに見てるみたいだ」

「でも、これはこれで綺麗ですね! 雲一つない青空みたいで、星一つない夜空も素敵です!」

「君は()めるのが上手いな。俺は何にでも否定から入ってしまうから、その感性が少し羨ましい」

 

 2人は(しば)し時を忘れ、見慣れない真っ黒な夜空を見上げていた。

 

 

 

(きゅう)の国】

 



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86話 全ては神の思し召し

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「この世に来だらね、まず”神の子“に会わなぎゃなんね」

「この世に来たら……。産まれたらって意味か?」

「んだ。急がねぇと、みんな死んじまう」

「会わなかっただけで?」

「この世に来る()はみーんな汚れてる。だがら、神の子に“お(はら)い”しでもらわなぎゃ、みんな死んじまう」

「お祓いは具体的に何をするんだ?」

「お祓いか? お祓いは、“真ん中“でやるんだぁ」

「真ん中……って、何の?」

「真ん中は真ん中だぁ。世界の始まり」

 

「私達、みんなそっから来だ。この”神の庭“に」

 

 

 

 

〜神の庭 芝土で覆われた小屋〜

 

 

 拙い言葉でスファロはこの世界の仕組みを語った。人間は神によってこの世に生まれ、神の子によって生存の権利を得る。神の子の一族の命令こそが生きる意味の全てであり、人間の存在する理由だと。

 

 そして、酷く怪訝(けげん)そうな顔でラデックとゾウラの顔を交互に見た。

 

「ラデック達は……、どっから来だ?」

「俺達か? 俺達は……森の向こう、かな」

「森の、向こう? 森に向ごうなんかねぇ。嘘言ったでしょ」

「森に向こうがない? あ、そうか」

 

 ラデックは潜ってきた結界のことを思い出す。無意識のうちに境界から遠ざかる魔法は、もし内側から出ようとしたならば無意識に進路は内側へと向く。この結界の中にいる人間達にとって、“森の外”という概念は存在しないのだと。スファロは(いぶか)しげにラデックを見つめ、困惑して視線を落とす。

 

「この”毛皮“も……私、見だごとねぇ……。神の子も、こんなんは持っでながった」

 

 スファロはラデックの服を引っ張って、自分の着ている毛皮と見比べるように眺める。その指先の皮膚(ひふ)はボロボロに()がれており、鳥の足のように細かった。ラデックはスファロの生活の凄惨(せいさん)さを想像して、答えに迷い目を逸らす。そこへ、唐突にゾウラが手を叩いて提案を挟んだ。

 

「そう言えば! 私達お昼から何も食べていませんでしたね! そろそろ晩御飯にしませんか?」

 

 スファロは“ご飯”という言葉に反応してハッと顔を上げる。

 

「ご、ご飯……?」

「はい。スファロさんも一緒に食べましょう!」

「いいの!? ほんとに!?」

「勿論です! スファロさんは何がお好きなんですか?」

「わ、私……私! き、きのみが好きだ! あの、甘くって、プチっとしたの! お父さんが昔、よく取ってきてくれたんだぁ」

「木の実ですか? 何かありましたっけ……。あ、私葡萄(ぶどう)持ってます!」

「俺は……えっと、メモメモ……林檎(りんご)、梨、南瓜(かぼちゃ)、マルメロ、トマト、南瓜、葡萄、南瓜、桃、ビーツ、南瓜、胡桃(くるみ)、南瓜、栗……」

「南瓜多いですね」

「押し売りを断りきれなくてな……。でも主食にもなるらしいし、無駄にはならないだろう。残念ながら甘くもプチっともしていないが」

「じゃあ今晩は南瓜とトマトでスープでも作りましょうか! 葡萄はデザートにしましょう!」

 

 ラデックとゾウラが魔袋(またい)から食材や調理器具を取り出していると、何でも出てくる超常的で摩訶不思議(まかふしぎ)な袋にスファロは目を見開いて驚いた。そして、差し出されたスープの美味しさにも再び驚いて飛び上がり、興奮して部屋を走り回って暖炉からはみ出た(まき)(つまず)き、灰を部屋中に撒き散らした。

 

 

 

〜神の庭 早朝の恵天(けいてん)の森〜

 

 翌朝、ラデックとゾウラはスファロを起こさないようにそっと小屋を出た。外へ出ると、スファロの父親と思われる昨日の男がぐったりとしたまま地面に寝転がっていた。夜の厳しい冷え込みを耐えたとは思えないほど血色は良かったが、お世辞にも健康とは言い難い疲労困憊(ひろうこんぱい)の表情に、ラデックは昨晩彼の身に何があったのかを想像しながら気の毒そうにその場を後にした。

 

 2人が近くから(ただよ)ってくる微かな波導(はどう)を頼りに進むと、獣道から外れた茂みの奥にラルバ達が待っていた。

 

「遅いぞ寝坊助」

 

 ラルバはニヤニヤしながら機嫌が良さそうに悪態をつく。そんな上機嫌なラルバとは対照的に気鬱そうなイチルギ達の姿は、昨晩の尋問の悶着を容易に想像させた。ラルバはこの冷え切った空気の中、鼻歌を歌いながら昨晩得た情報をラデック達と共有する。

 

「――――で、この国は神の庭って呼ばれてんだって。ウケるよね」

「俺達が聞いたのとそんなに変わらないな。詳しい内容は聞いていないのか?」

「それがさあ、そういうの無いらしいんだよねー。(おきて)で“川に近づいちゃいけない”とか“真ん中に行ってはいけない”とかはあるんだけど、誰が神様なのかーとか、神様は何をした存在なのかーとか、そういう肝心の部分はあやふやで一貫性ナシ。とにかく凄いの一点張りよ」

「ふむ……まあ隔離されてまだ200年だ。作意のない宗教の始まりなど、そんなものだろう」

「でもさあ」

「どうした?」

「最初の最初は……説明つかないよね」

 

 ラルバが低い声で呟くと、話を聞いていたイチルギが深く(うなず)いて口を開く。

 

「今の所の想定は、旧文明の大戦争の時にパルキオンテッド教会の防空壕(ぼうくうごう)に避難した町民達が、力を合わせて結界を作ったんじゃないかってトコ。で、“ヘングラスの(おり)”なんて高等魔術を使えるってことは、1人は最先端の技術を持っている人物がいた筈。でも……だとしたら、今の状況は不可解よ」

 

 ラデックが顎に手を当てながら首を捻る。

 

「結界が今も張られていることか?」

「ええ……。さっき少しだけ集落を見てきたけど、まるで滅びる直前の原始人だわ。この辺は平地で岩もないし、岩盤は硬いから穴も(ろく)に掘れない。鉄と石が(ほとん)ど取れないの。その癖一本しかない川は掟で禁足地に指定されてるから粘土も足りない。着る物は毛皮に、武器は骨と木、家の材料は腐った倒木や土。医療でさえ何の根拠もない発症不明の無意味な儀式が常識とされてる。兎に角産めよ(ふや)せよで致命的な病死の波と(せめ)ぎ合ってる状態。今こうして集落が存続してるのは奇跡と言ってもいいわ。でも、どうして結界が解けていないのかしら……」

「この結界を、子孫の誰かが維持しているとか?」

「あり得ないわね。“ヘングラスの檻”は編み出されたばかりのA級魔法。取得には軍幹部、総合無線通信士1級、魔導炉(まどうろ)主任技術者、魔術技能検定A級、魔術能力検定A級の資格全てが必要。ってラルバが言ってたわ」

「……俺は魔導炉主任技術者と自動車免許しかない」

「そうでなくともこのレベルの高位魔法。魔導学オリンピックの金メダリストだってそうそう出来やしないわよ」

「俺が本気出して頑張ったら出来ると思うか?」

「ラデックは本気出さないから出来ないわね」

「……イチルギに面と向かって(けな)されると寿命が減った気分になるな」

「じゃあこれから頑張んなさいな」

「頑張ってるのに……」

 

 イチルギが一頻(ひとしき)り話し終えると、ラルバが手を叩いて皆の注目を集める。

 

「はいはい〜。お喋りはその辺にしておいて、チーム分けしよっか! ラルバちゃん(ひき)いる“神の子ボコボコとっちめ隊”とぉ、カガチん率いる“結界ぶっ壊し隊”! 皆どっちがいい?」

 

 唐突に出された質問に、“結界ぶっ壊し隊”の長を任されたカガチが憤怒の形相でラルバに詰め寄る。

 

「おい、勝手にクソみたいな計画を立てるな」

「えー? 嫌?」

「殺すぞ」

「だってカガチんはゾウラと一緒にいたいんでしょ? ゾウラん“とっちめ隊”に入れていいわけ?」

「我々はその辺で待機している。お前らだけで勝手にやっていろ」

「あとねー。多分ルギルギは“ぶっ壊し隊”の方に行くと思うけど、なんか我儘(わがまま)言って結界解きたくないとか言い出しかねないからさ。そこでその辺気にしなさそうなカガチんにリーダー任せるわけよ」

「殺すぞ」

「べろべろべぁー」

 

 ラルバに殴りかかったカガチをゾウラがすんでの所で止め、ラルバの相手をしたくない人道的なメンバーの沈黙によりチーム分けが行われることになった。

 

 相談の結果、神の子の襲撃を目的とした“神の子ボコボコとっちめ隊”には、ラルバ、ラデック、ラプー、バリア、イチルギ、ハピネスの6名。ヘングラスの檻の解除及び実態の調査を目的とした“結界ぶっ壊し隊”には、カガチ、ゾウラ、ハザクラ、ジャハル、シスター、ナハルの6名が配置された。

 

 そして一行は二手に分かれ、ラルバ達はスファロの家に続く獣道から集落へ、カガチ達は姿を隠して遠回りをして教会の方へと進み始めた。

 

 

 

 ラデックは獣道を歩きながら先を歩くラルバに問いかける。

 

「そう言えば、昨晩言っていた“イイカンジにする魔法”とやらは出来たのか?」

「ん? ああ、バッチリ!! 使奴に対する外見的違和感は全部無効化できてるよ。言わなきゃ分かんないだろうから、見た目のことは言及しないでね」

「そんな簡単に組めるのか……」

「まあ使奴がこれだけ居ればね。てか魔法使えない人間を数日(だま)すだけならぶっちゃけヌルゲー。私ら使奴からしてみりゃ、赤ん坊と隠れんぼするようなもんよ」

「そうか……。しかし、イチルギがこっちの班に来るのは意外だったな」

 

 ラデックが振り向きながらイチルギの顔を見ると、彼女はバツが悪そうに目を背けた。

 

「別に私、加担するなんて言ってないわ。見えないところで聞こえないフリするだけよ」

「それもある意味加担と言えるんじゃないのか? 普段のハピネスとそんなに変わらないなだろう」

「気持ちの問題」

「気持ちの問題か?」

 

 イチルギは一瞬だけラルバと目を合わせると、そのまま返事をしなくなった。するとその後ろからハピネスがイチルギの服の(すそ)を引っ張り、注意を引いた。

 

「なによハピネス。おんぶならしないわよ」

「え」

 

 ハピネスは裾を掴んだまま立ち止まり、まるで世界の終わりのような表情でイチルギを見つめる。イチルギは鬱陶(うっとう)しそうに手を払い()けたが、手を弾かれて情けない悲鳴を上げながら大袈裟(おおげさ)に倒れ込むハピネスに根負けして、渋々彼女を背負った。

 

「……はぁ〜。これっきりよ? もう」

「いやあ優しいなあイチルギさん。よっ。大統領!」

「やめてよ縁起でもない」

 

 イチルギの背中で上機嫌にうたた寝を始めるハピネス。しかし、その狸寝入(たぬきねい)りの寸前。彼女はイチルギにそっと耳打ちをした。

 

「…………実を言うと。君がこっちに来てくれて少しだけ安心したよ」

 

 イチルギは何かを警戒するようなハピネスの態度に違和感を覚え、他の連中に悟られないよう反応をしなかった。ハピネスはイチルギの考えを察し、顔を伏せたまま続ける。

 

「でも、いずれ分かることではある……気に病まないでくれ(たま)え」

 

 今にも消えてしまいそうなか細い震えた声で、ハピネスは最後に少しだけ呟く。

 

「……私の杜撰(ずさん)な推測ではある。でも、もしかしたら――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この不運は、君達の仕業かもしれない」



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87話 郷に生まれては郷に従え

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〜神の庭 昼前の畑〜

 

「お、おい……見ろ……あれ」

「うわぁ……スンゲェ美人だぁ……」

「にしでもでっけぇなぁ。あんな人おったかなぁ……?」

「オラ、ちょっと行っでぐるっ!」

 

 神の庭中央部は、こじんまりとした村になっていた。畑の(そば)に盛り上がった土のような小屋が建てられ、至る所に案山子(カカシ)が設置されている。そして村の1番奥、小高い丘の上には教会と思しき建造物が鎮座している。原始人が作ったような集落と、遠目にも見てとれる石の装飾が施された教会。200年間世界と隔離された結界の中には、そんなチグハグな光景が広がっていた。

 

 ラデックが物珍しそうに辺りを観察していると、遠くから1人の中年男性がこちらへ駆けてきているのが見えた。

 

「お、お〜い! アンタら、見かけねぇ顔だ。どごのモンだぁ?」

 

 男はラルバ達――――主にラルバやイチルギの胸を見ながら問いかける。余りに露骨で下卑(げび)た視線を全く気にすることなく、ラルバはお(しと)やかに微笑む。

 

「私たちはぁ、神の使いで来だんですぅ。何かお困りのこど、ありませんかぁ?」

 

 神の庭特有の(なま)りを真似したラルバの口調と、その優しそうな聖女の如き微笑みに、男は情けなく顔を(ほう)けさせて体をくねらせる。

 

「でへ、でぇへへっ。いや、そうか、そうかぁ。お困りのこどぉ?」

「はい。私なんかで良ければ、どんなことでも……」

「ど、どんなことでもぉ?」

 

 ラルバが(なまめ)かしい手つきで男の胸板を()でながら寄り添う。その妖艶(ようえん)な雰囲気、もといラルバの魅了魔法は、本人の美貌(びぼう)と体型も相まって男の心を握り潰してしまうほど鷲掴みにした。

 

 その様子を遠巻きに見ていた他の男達も、ラルバがチラリと視線を向けるだけで喉を鳴らし、各々の仕事をほっぽり出してラルバに駆け寄った。

 

「あ、お、俺! 俺んとご来い!」

「お前!! (ずり)ぃぞ! オラが先だ!!」

「お前らどけよォ! オラはまだ女とヤったこどねんだ!! オラにくれ!!」

 

 男達はラルバを中心に揉みくちゃになり、(あぶ)れ出た者は自分に順番が来ないと見るや否や、イチルギとハピネスの方へと近づいてくる。

 

「オラはアンタがいいっ……! オラとぉ……!」

「こっちさ来い! こっちぃ!」

 

 しかし、この下劣な誘いに当然イチルギやハピネスが応える筈もなく、2人は男達を嫌悪するように距離をとり軽蔑(けいべつ)の眼差しを向ける。

 

「嫌、ハピネスはラルバ派でしょ。相手してあげなさいよ」

「断る。私は面食いじゃないけど、それ以上に中身については我儘(わがまま)なんでね。こんな知性の欠片もない原始人に処女を捧げるくらいならラデック君を選ぶよ」

「何で今俺は攻撃されたんだ?」

 

 余りにも露骨に拒絶された男達は、始めの方こそ悲しそうな顔をしていたが、自分より力の劣る女性に(けな)されたという事実にこの上なく腹を立てた。

 

 神の庭では、男女が互いを尊重するという道徳は存在しない。医学や化学といった学問が全く発展していないこの国の平均寿命は30前後と極めて低く、その為に女性は多くの子を産む事が責務とされている。そして、妊娠出産による女性の活動量の著しい低下は、男性にとって短絡的な不満と自尊心を与えた。

 

 表面的な男女の差を優劣という概念で判断している彼等にとって、劣っている女性が優れている男性に物申すことなど、到底許せる行為ではなかった。

 

「……うるせぇ女だぁ。幾ら神の使いだってーも、男の言うこと聞げねってのはどーゆー事だ!!!」

「誰がお前らの飯取っで来でると思っでる!!!」

「子供産まね女なんか!! 死んでても変わんねんだぞっ!!!」

 

 男達の怒声は共鳴するように増幅していき、先程までの鼻の下を伸ばした間抜け面とは打って変わって、今にもイチルギ達を(なぶ)り殺さんと呼吸を荒げて(にじ)り寄る。そして先頭にいた男が殴りかかろうと拳を振り上げたその時、教会の方から角笛の甲高い音が鳴り響いた。

 

 それと同時に、男達はその音を怖がるように身を震わせて振り向き(ひざまず)く。その視線の先には、角笛を手に持った別の男達が数人立っていた。服にしている毛皮には、骨で作られた禍々(まがまが)しい(とげ)のような装飾が施されており、頭にはそれぞれ(つた)や羽根などを(あしら)った冠を付けている。今までの男達とは一風変わった威圧的な様相に、ラルバ達は彼等が“神の子”であることに容易に気が付いた。

 

 先頭を歩いていた神の子の1人が、(こぶ)だらけの棍棒で威嚇(いかく)するように地面を殴りつけながら声を荒げる。

 

「お前らぁ!! 遊んでねぇで働けぇ!! 誰が休んでいいって言ったんだぁああん!?」

 

 野太い怒号に、男達は蜘蛛(くも)の子を散らす様に逃げ出した。そして神の子の男はラルバに近づき、全身を舐める様に見つめながら問いかける。

 

「……でぇ。お前は誰だぁ? 見かけね顔だなぁ」

 

 ラルバは深く頭を下げるのと同時に、二の腕で胸を挟み(わざ)とらしく強調させ誘惑する。

 

「はい、私。神の使いできました。何かお困りのこどが有ればと……」

「神の使いぃぃ〜!?」

 

 ラルバが言い終わらないうちに、神の子の男は酷く顔を(しか)めて(あご)をしゃくり上げる。

 

「んなもん、俺達は聞いでねぇっ!!! お前、嘘言っただろぉ〜!! こっぢ来いっ!!!」

 

 神の子の男がラルバの腕を強引に引っ張り、教会の方へと歩き出す。他の神の子もラデック達を囲い込み、持っていた棍棒や槍の先端を向けて包囲した。

 

「お前らもだぁ。神の名を勝手に使うなんて、絶対に許されねぇ。お仕置きしねえと」

「そうだぁ、さっさと歩けぇこの馬鹿」

 

 神の子に包囲され連行される中、呆れる様にラデックが吐いた溜息にハピネスが失笑した。

 

「ラデック君、投獄に対するリアクションが変だね。普通もっと焦るんじゃないの?」

「いや……入国直後の投獄はいつものことだ。今回は上手いこと(かわ)そうと思っていたんだが……、記録更新だ」

 

 

 

〜神の庭 神の子の棲家(すみか)

 

 教会が建っている高台の、手前の土手に掘られた洞穴。神の子が“お(はら)い”を行う(ほこら)として利用し、また、“献上された貢物(みつぎもの)”を肉欲の(おもむ)くままに(むさぼ)る慰安所。中は獣の()えた臭いと生木の焦げた臭いが充満し、絶えず(うめ)き声が響き渡っている。

 

 神の子達はラデック達を先頭に狭い通路を進ませた。すると通路が突然崖の様に途切れた。ラデックが崖の下を覗くと、どうやら先は薄暗い部屋になっている様で、ラデックが立っているのは丁度その部屋の天窓部分であることが分かった。

 

「ほれ、飛び降りろぉ」

 

 神の子の言葉に、ラデックは渋々通路から飛び降りて部屋に降りた。高さにして身長の3倍はある高さ。常人であれば、間違いなく骨の1本や2本は折れてしまうだろう。続いてイチルギ、ラプー、バリア、ハピネス、ラルバが飛び降り、1人では着地できないハピネスをバリアが受け止めた。神の子達は全員飛び降りたのを見届けると、(きびす)を返して立ち去っていった。

 

 神の子の足音が聞こえなくなると、ラルバが残念そうに溜息を吐いた。意外なラルバの反応に、ラデックが問いかけた。

 

「どうしたラルバ。予想通りじゃないのか?」

「んあー……。思ったよりウケ良くなかったなあって。やっぱナハルんみたいに“どぷんっ! どたぷんっ! ぶるるんっ!”って感じじゃないとなぁ。連れて来ればよかった」

「ラルバやイチルギも相当肉付きがいい方だとは思うが……」

「それは旧文明基準でしょー? 昔はデブの方がモテたのよ。痩せ型がモテるようになったのは飽食(ほうしょく)の時代が来てからよ」

「ナハルも別に太ってはいないが……」

 

 ラデックが雑談混じりに辺りを見回すと、薄暗くて見えづらいが何人かの人影が見えた。

 

「……なるほど。ここは“そういう”場所か」

 

 そこにいたのは、同じ人間とは思えない程に痩せ細った女性達だった。何も寝転がったまま(うつろ)な表情をしており、意味もなく呻き声を漏らし続けている。そこへイチルギが歩み寄り、その凄惨(せいさん)な状態に顔を大きく(しか)めた。

 

「……酷い」

 

 ラデックはその隣にしゃがみ込み、イチルギに問いかける。

 

「使奴でも治せないのか……?」

「治す治さないの話じゃないわ。彼女達は、もう“これが普通”の状態なの。中毒と、極限状態で崩壊した精神。仮に健康体にしたとして、それは彼女達にとっての“普通”じゃない」

「それは……病気とは違うのか?」

「…………ある意味、旧文明唯一の不治の病とでも言えるのかしら。普通の病気と違って、悪い臓器を良くすれば治るわけでもない。明確で確実な治療法は存在しない。今後、死ぬまでずっと引き摺る重い足枷(あしかせ)にもなり得る」

「じゃあ殺そう」

 

 背後からの声に2人が振り向くと、そこには静かにこちらを見下ろすハピネスが立っていた。

 

「救ったところで地獄を見るんだろう? じゃあ、今殺そう」

 

 ハピネスの追い討ちにも似た発言に、ラデックが立ち上がって詰め寄る。

 

「馬鹿なことを言うな」

「……何だか、なんでも人形ラボラトリーの時に似ているね。意識のない生命体を、助けたところで上手くいくかは分からない。じゃあ意識のないままにしておこう。周りの子達を見てごらんよ。今自分が殺されるかどうかって話を聞いているのに、眉一つ動かさない。……これを助ける意味がどこにある」

 

 ハピネスがラデックの横を素通りし、無言で(うつむ)くイチルギの隣にしゃがみ込む。そして虚なまま呻くだけの女性に手を伸ばし、全身を(まさぐ)るように診た。

 

「……目玉の中に寄生虫が泳いでる。多分これ、もう見えてないね。歯が全て抜かれている。”具合が良くなかった“んだろう。(のど)(うみ)がへばりついてる。歯がないから、食べ物を丸呑みして喉に傷がついて化膿(かのう)したんだろうな。ん、爪も全て()がされているな……。肩、肘、指、膝、足、関節の(ほとん)どに真っ黒な擦り傷。こんな土の上で男の相手をしていれば、瘡蓋(かさぶた)になった側から擦れて剥がれてしまうんだろうな。さて……肝心の”穴“は……。これは、全部膿か……? 予想はしていたが、いざ目にすると耐え難いものがあるな。粘膜に見える部分、全て傷口だ。これでよく子を(はら)めるものだ……」

 

 ハピネスに身体中を調べられている間、女性は欠片も抵抗することはなかった。それどころか、ハピネスが下腹部に手を伸ばした瞬間、自ら四つん()いになろうと身動(みじろ)ぎをしてみせた。この反応には、ハピネスも(あわ)れむような目で静かに息を吐いた。

 

「…………人ってのは頑丈だ。ここまで壊れても、壊れきってはいない。…………ああ、そうだ。あんまり深く息を吸わない方がいいよ。そこら中に落ちてる焼け跡、多分毒草を燃やした後だ。この臭いは……多分神経系に作用するヤツだと思う。これで自由を奪って羽交締(はがいじ)めにしたんだろうねぇ……」

 

 ハピネスの言葉を聞いている間、ラデックはずっと黙ったまま立ち尽くしていた。ハピネスの言った「殺そう」という言葉。それにすぐ真っ当な反論ができなかった自分の本当の考えに気付くのは、ラデックにとってそう難しいことではなかった。

 

「ラデック君、私は生憎彼女達を即死させる術を持っていない。この(きゅう)の国じゃ魔法も使えないしね。……君ならできるんじゃないかな。生命体の改造ってそういうのできないの?」

 

 無論、できる。苦しみを(ともな)わない絶命など、赤子の手を(ひね)る程に簡単である。しかし、ラデックはそれを行えなかった。ラデックの中には、“殺人は絶対に許されない悪行である”などという漠然(ばくぜん)とした道徳観念よりも、もっと複雑で陳腐(ちんぷ)な問題があった。

 

 ラデックはの行動理念は、幼い頃に読んだお気に入りの絵本「トンタラッタの大冒険」である。悲惨(ひさん)な運命の元、悲惨な死を遂げる主人公。しかし、その主人公の純粋な信じる心に憧れたラデックは、己の人生がハッピーエンドかどうかは自分次第であると信じていた。

 

 しかし、今ここで彼女達を殺せば、ハッピーエンドは自分の力のみで達成できるという理想を汚してしまうような気がした。彼女達は本当に幸せにはなれないのか? じゃあ自分もそうじゃないのか? だが、ラデックには“彼女達を救おう”という提案ができなかった。心の奥底で、彼女達にハッピーエンドは訪れないと思い込んでしまった。

 

 そして何より、彼女達を殺す自分を想像してみても、特別悪いことをしたという実感が湧かなかった。

 

「……俺は」

 

 ラデックが一歩前に歩き出した瞬間、後ろから強く腕を引かれた。

 

「……ラルバ?」

「殺すな」

 

 手を引いたのはラルバだった。彼女はいつになく真剣な眼差しでラデックを(にら)んでおり、そこにはいつもの獰猛(どうもう)さや野蛮(やばん)さは無かった。ラデックには特別殺意などは存在していなかったが、ラルバの強い制止に応じて深く(うなず)いた。その後、ラデックも、ラルバも、ハピネスも、イチルギも、誰一人として今回の一件への疑問が晴れることはなかったが、誰一人として言及する者はいなかった。

 

 

 

 

 神の子が戻るまでの間、ラデック達は女性達の治療に専念した。女性達の心が修復されることはなかったが、幸い外傷の(ほとん)どは無事治療が完了した。そしてラデックが一息つこうと顔を上げると、部屋にラルバがいないことに気がついた。

 

「あれ……ラルバは?」

 

 ラデックがイチルギ達の方へ目を向けると、苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らすイチルギと、嘲笑(あざわら)うような不気味な笑顔をしたハピネスがいた。

 

「……ああ、“お楽しみ”か」

 

 ラデックは部屋の唯一の出入り口である通路を見上げる。そこにはいつの間にか縄梯子(なわばしご)がかけられており、(わず)かに血が(したた)ってきているのが見えた。



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88話 弱肉強食

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜神の庭 パルキオンテッド教会前〜

 

「いやぁぁああっ!!!」

「暴れるなこの馬鹿!!」

大人(おどな)しぐしでろっ!!」

「神様の名前を勝手(かっで)使(つが)いやがっでぇ! こっぢ座れ!!」

 

 集落を一望できる教会正面の広場。地面に描かれた出鱈目(でたらめ)な魔法陣の上に、ラルバは無理矢理座らされた。両腕を神の子の一族に掴まれ、今から起こるであろう(はずかし)めに怯えたかのように悲鳴を上げている。

 

「お前らぁ!! 注目〜っ!!」

 

 神の子の代表である男が角笛を力一杯に吹くと、その甲高い音に集落中の人間が教会の前へと集まってきた。神の子の代表は気味の悪い笑みを浮かべると、腰につけた袋から一欠片の石を取り出して掲げてみせた。

 

「これからぁ!! この嘘吐き女の“お(はら)い”をする!! ただしぃ……この女は神様の名前を勝手(かっで)使(つが)った!! その上勝手に逃げ出そうともした!! その罰としてぇ!! 皆の前で“大交(おおまじ)わりの儀”とするっ!!!」

 

 そう言って神の子の代表が掲げた石は、一見何の変哲もないただのコンクリート片に見えた。しかし、石の周囲には濃い波導が水に溶ける血のように流れ出しており、その異様さは魔力を持たない者にも容易に感じ取れた。

 

 

 

 その様子を、教会に侵入しようと姿を隠していたハザクラ達も見ていた。

 

「あれは何でしょう?」

 

 ゾウラが一切他意の無い純粋な疑問を呟くと、カガチが淡々と説明を始める。

 

「この(きゅう)の国で人間が生き延びてこれた理由でしょう。濃い波導を持った物体を定期的に摂取させることで、波導性の疾患を予防している。それにあのコンクリート片……、恐らく教会の建材の一つでしょう。この国にコンクリートの生成技術も材料もある筈がない」

「でも“お祓い”って言ってましたよ? あ、始まるみたいですね」

 

 神の子達は石を細かく砕いてラルバに飲ませ、服を剥ごうと強引に引っ張り始めた。

 

「歳を食っただけの童蒙(どうもう)共の伝言ゲームに合理性などありません。200年も外界と交流をせず、こんな井底(せいてい)で暮らしていれば腐りもするでしょう。確かに、あの儀式は始めこそ朽の国を生き延びる真っ当な策だったのかもしれません。しかし、今はあの痴愚が独裁を通すための玩具(オモチャ)に過ぎない」

「寂しいですね」

「愚人の末路など、そんなものですよ。さあ、先を急ぎましょう。これ以上見ていて良いことなどありません」

 

 カガチがゾウラの手を引いて教会へと入っていく。ハザクラ達もそれに続きその場から離れた。その背後からは、下賤(げせん)で悪趣味な波導がケタケタと笑うように垂れ流されていた。

 

 

 

「お前ら見でおげぇ!? 神の名前を勝手(かっで)使(つが)うど、どんな酷い目にあうか!!」

「いやぁぁぁあああっ!!!」

 

 代表の男が、ラルバの服を強引に脱がして公衆の面前に突きつける。ラルバは身を(よじ)って抵抗するが、神の子達が両腕を抱えて拘束する。その裸体が衆目に(さら)されると、ラルバは屈辱(くつじょく)に顔を真っ赤に染めながらも大声で異を叫ぶ。

 

「こ、こんなこと、神は望んでいませんっ!! まだ間に合います!! どうかこんな酷いことやめて下さいっ!!」

「まだ言うかぁこの馬鹿!! 神様の言葉聞げるのは、俺達神の子だけだぁ!!」

「そうだ!! 女なんがに神様の声は聞げね!!」

「本当です!! 信じて下さい!!」

「うるせぇこの馬鹿ぁ!! 神様は、“お前が嘘言ってる”って言ってんだぁ!!」

 

 

 神の子達はラルバの言葉など意にも介さない。代表の男は自身の着ていた毛皮を脱ぎ捨て、“お祓い”の体勢に入った。数人がかりでラルバを押さえつけ、腰を持ち上げて強引に迎え入れる姿勢をとらせた。そして、代表の男が脅すようにラルバの背後から語りかける。

 

「よく聞け馬鹿ぁ。もし本当に神様がお前の味方なら、なんでお前はこんな目に遭っでる? 何で神様は助げでぐんねんだ? それは、お前が嘘を言ってるか。それか、神様がこの儀式を、認めで下さってるってこどなんじゃねぇのか?」

「そ、そんなこと……」

「俺達のやってるこどが間違いなら、きっと誰がお前を助げでぐれる。全ては、神様の言う通りになるっ!!」

 

 代表の男の言葉に、神の子達は「そうだそうだ」と頷いている。それどころか、この儀式を見守る集落の男達でさえ、誰一人としてラルバを助けようとはしなかった。皆、神の子には酷い生活を強いられてはいるものの、神の子の言葉は神の意志そのものであると信じて疑わなかった。それ故に、今この場にラルバの味方はおらず、それどことか儀式を見られることに喜びを覚えている者さえいた。

 

 偶然弱者に生まれた者。偶然強者に生まれた者。学問が力を失い、人間最大の武器が意味を成さなくなった国。そこには、ただただ強者にとって都合のいい道徳のみが健やかに育まれていた。

 

 代表の男はラルバの腰に手を回し、そして慣れた手つきで自らのモノを()てがう。その感触にラルバは血相を変えて青褪(あおざ)め、押さえつけられた体を力一杯に揺らし取り乱す。

 

「やめて下さい!! 誰か!! 誰か助けてっ!!!」

 

 しかしその声は誰にも届かず、代表の男は(たかぶ)る性欲に身を委ねて鼻息荒く叫ぶ。

 

「神のぉぉぉぉおおお!! 名の下にぃぃぃぃいいいいっ!!!」

 

 そして、勢いよく()じ込む――――と共に、ふと違和感を覚えた。

 

「ん……?」

 

 代表の男が(よだれ)を撒き散らしながら抱きしめていた絶世の美女。今までのどの女よりも美しく、甘い香りがした”ソレ“が、人の形をしているだけの黒ずんだ物体であったことに気がついた。しかし、時すでに遅し。もぞもぞと揺れるように(うごめ)く人形が無数の虫の塊であることに気付くのは、挿れてしまった少し後だった。

 

「なんっ…………」

「うぎゃああああああっ!!!」

「ひぃぃいっあああっ!!」

 

 その虫人形を押さえつけていた他の神の子達も現実に気付き、大慌てで飛び退いて転げ回る。肝心の代表の男は、己のモノに虫が噛み付いた痛みと(おぞ)ましさで絶叫を上げながらのたうち回った。

 

「痛ででででででででぇっ!!! 油っ!! 油持っでごいぃぃっ!!!」

 

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の騒ぎの中、上空から(あざけ)るような高笑いが響き渡る。

 

「あーっはっはっはっは!! だから言っただろう!! “神はこんなこと望んでいない”と!!」

 

 その場にいた全員が声の方を見上げると、そこには浮遊魔法で上空に浮かぶラルバの姿があった。その姿は背負った太陽の輝きも相まって、まるで神が降臨しているかのような神々しさがあった。そして何より、ラルバの姿を目撃した者は皆自らの目を疑った。

 

 たった今ラルバが解いた魔法。昨晩編み出された使奴の特徴を認識させなくする魔法によって、ついさっきまで気にならなかった彼女の真っ白な肌の色。額を覆う真っ黒な(あざ)。毒々しい紫と鮮烈な赤の髪。血に染まったかのような禍々しい角と瞳。それらは、彼らが昔から常識のように刷り込まれていた“ある人物”の姿を彷彿(ほうふつ)とさせた。

 

「か、神……様?」

「神様だ……」

「神様っ……神様ぁっ!!!」

「神様だぁーっ!!!」

 

 呆然とする神の子達と、神の降臨に湧き上がる男達。その雄叫びは集落中に響き渡り、家にいた女達も何事かと飛び出してきた。

 

 ラルバがゆっくりと地面に降り立つと、腰を抜かしている神の子達以外の人間は皆頭を地面につけ平伏(ひれふ)した。ラルバは満足そうに微笑み、神の子の代表の下へ歩み寄る。神の子の代表は怯えるように身を強張(こわば)らせるが、直様(すぐさま)姿勢を正して平伏した。

 

「おい、お前」

「はっ。ははぁっ……!!」

 

 ラルバの透き通るような声に、代表の男は情けない声で返事をする。

 

「今までお前達がしてきたこと、全て見ていたぞ」

 

 勿論出鱈目(でたらめ)であるが、この言葉に代表の男は戦慄(せんりつ)した。独裁を強いる口実に神の予言をでっち上げたことは、一度や二度ではなかったからだ。

 

「しかし、謝ることはない。お前のしたことは正しい」

 

 代表の男は驚きのあまり顔を上げる。代表の男だけではなく、他の神の子や、天罰を期待していた集落の者達も顔を上げた。

 

「弱い者は、強い者に逆らえない。強い者の言うことは絶対。私も同じ考えだ。持っている力を使うのに、力のない奴の言うことなんか聞く必要ない。その通りだ。弱く生まれた奴が悪い。強く生まれた者の言うことを聞くのが当然。そうだろう?」

 

 (どよ)めき出す群衆の中、神の子達は喜び打ち震えた。さっきまでか弱い女性を演じていた神への冒涜(ぼうとく)が許された。自分達は選ばれし神の子で、自分達のすることは神の意志。その証明が、目に見える形で行われた。これは何ものにも代えられない奇跡であり、夢にまで見た悲願だった。この神の子達の狂喜と安堵(あんど)の入り混じった笑みに、ラルバはニィっと邪悪に笑って見せる。

 

「だから、私もお前らを(いじ)めていい」

 

 そう言ってラルバは勢い良く両手を打ち鳴らした。すると、集落を囲む森から無数の虫が湧き始め、凄まじい勢いで神の子達に群がった。奇怪で悍ましい毒虫の群れに、神の子達はのたうち回って悲鳴をあげる。地獄のような光景に、集落の人間は抱き合って身を寄せ合い怯えるが、ラルバは大きく高笑いをしながら演説を続ける。

 

「強い者が弱い者を(しいた)げ! 奪い! (おとし)め! 消費する! 疑う余地のない世界の(ことわり)だっ!! 私はお前達を認めよう!! 偶然強く生まれた者が!! 偶然弱く生まれた者を気の向くままに食い散らかす!! それは私も大好きだ!! だから偶然お前らより強く生まれた私の一時の暇潰しの為に!! 偶然私より弱く生まれたことを呪いながら!! 耐え難い痛みと恐怖と現実に(もが)き苦しみ!! 哀れに(みじ)めに無意味に死んでくれ!!!」

 

 降臨した神の笑い声が集落中に響き渡る。神に仕えていた神の子達が、神の名の下に暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽くしていた男達が、醜く悍ましい虫達によってゆっくりと絶命していく様を集落の人間は見ていた。

 

 (おご)り高ぶった権力者の失墜(しっつい)に喜ぶことは決してなく、そこにあったのは今まで信じ続けていた神の意志に対する曇りのない恐怖であった。



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89話 永過ぎた祈り

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〜神の庭 パルキオンテッド教会内部〜

 

 美しいステンドグラスから降り注ぐ七色の斜光と、優しく微笑(ほほえ)む等身大の女神。床のタイルに刻まれた魔法陣は1000年前に描かれたそうで、これを目当てに態々(わざわざ)遠方から訪れる学者も少なくなかった。しかし、それ以外にはこれといった名産品も特にないため、旅行者は愚か帰省する者も(ほとん)どいない。しかし、それでも毎朝のように村人が訪れ、小さいながらも活気に満ちていた――――――――

 

「……酷い有様だ」

 

 パルキオンテッド教会に足を踏み入れたハザクラは、思わず眉間に(しわ)を寄せて口元をマントで覆った。

 

 (かつ)ては紙幣の柄にも描かれた神聖なる魔法陣には幾つもの亀裂が走り、恐らく生物由来であろう液体がこびり付いて泥のように変色している。窓ガラスなど当然残っているはずもなく、風雨に削られた女神像は鳥の糞に塗れその表情の判別もできない状態だった。それどころか、辺りには葉っぱや骨を加工したであろう道具の成れの果てや正体不明の塊が散乱し、猿の巣になっているのではないかと疑うような散らかりようであった。

 

 そんな中、この悲惨な光景に目もくれずカガチが教会内部へと歩みを進める。まるで何にも気付いていないような振る舞いに、ジャハルが思わず言葉を溢した。

 

「……私にも、もう少し明哲さがあればな」

 

 誰に言ったわけでもない小声の独り言にカガチは突然足を止めて、ほんの少しだけ首をジャハルの方に傾ける。そして、洞穴(ほらあな)木霊(こだま)する地響きのような重苦しい声で(つぶや)いた。

 

「全くだ。家で辞書でも読んでいろ」

 

 吐き捨てるように言い放った後、カガチは再び歩き出す。ジャハルにカガチの表情は見えなかったが、恐らく虫けらを見るような目をしていたであろうということは容易に想像できた。見かねたハザクラがジャハルを肘で突いて怪訝(けげん)そうな眼差しを向けると、ジャハルはハッとしてカガチに頭を下げた。

 

「す、すまない。軽率な発言だった」

 

 カガチは再び歩みを止め、今度は片目だけをジャハルに向けて(にら)む。その目に軽蔑(けいべつ)や嫌悪の色は見られなかったが、ジャハルにとっては氷を飲み込んだような息苦しさと、泣き出したくなるような後ろめたさを感じた。

 

「……気にしなくていい。幸せ者に、そこまで期待していない」

 

 明らかに皮肉めいた発言であったが、カガチにとっては特別珍しい事情ではなかったのだろう。その声色は非常に穏やかなものであった。しかし、その事実はジャハルに再び罪悪感を抱かせた。静かに目を伏せるジャハルに、シスターが後ろから近づいて心配して肩を()でる。

 

「大丈夫ですか……?」

「ん……? ああ、大丈夫だ。非は全て、こちらにある」

 

 ジャハルは遠ざかっていくカガチの背中を見て、悲しそうに呟いた。

 

「使奴というだけで特別視することが多かったが……、なんてことはない。同じ人間であることに変わりはないんだ。幾ら頭が良くても、知識があっても、強くても。傷付きもするし、涙も流す。理解していたつもりだったんだけどな……。本当に理解していた“つもり”だけだったとは」

 

 ジャハルが小さく嘲笑(ちょうしょう)を漏らすと、ハザクラがカガチの後を追いながら口を開いた。

 

「理解している“つもり”でいいだろう。どうせ使奴どころか、自分のことすら理解なんてできやしない。分かった気になっているより、ずっと健全だ」

 

 

〜パルキオンテッド教会 防空壕〜

 

 地下へと続く真っ暗で狭い階段を降り、暗闇の中でカガチが光魔法を発動する。手元から無数の光の球が放たれ、光の球は部屋中を駆け巡り昼間のように辺りを照らした。地下とは思えないほど高い天井と、幾つもの巨大な柱。そこはまるで、防空壕と言うよりは宮殿のエントランスのような造りになっていた。しかし、地下であるが故に風通しは極めて悪く、一階とは比べ物にならないほどに酷い臭いが立ち込めていた。辺りには相変わらず生物由来の汚れがこびりついており、恐らくここでも“何らかの非人道的な儀式”が行われていたのであろうと推測ができた。

 

 あまりの汚臭にシスターは思わず咳き込み顔を覆う。そこへナハルが慌てて駆け寄り、何かを訴えるようにカガチを一瞥(いちべつ)した。カガチは面倒臭そうに舌打ちをすると、使奴であることをシスターに隠しているナハルの代わりに魔法を使い、浄化魔法で周囲の汚臭を軽減させる。シスターは直ぐ様息継ぎのように大きく息をして、カガチに深々と頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございます。助かりました」

「想像はついていただろう。外で待っていればよかったものを、何故ついてきた」

 

 カガチの悪態に、シスターは顔を伏せながらも答える。

 

「……知らずに幸せに生きるより、知って後悔をしたいんです」

「見かけによらず悪食だな」

「ラルバさんに強制連行されなきゃ、こんなこと考えもしませんでしたよ。毒を食らわば皿までです」

「……訂正する。無自覚なマゾヒストだ」

 

 カガチは一切表情を変えずに背を向けた。ゾウラが駆け寄って「あんなこと言ってはいけませんよ」と注意をするも、「申し訳ありません」と形だけの謝罪で済ませた。ナハルはシスターにかける言葉が見当たらずに狼狽(うろた)えていたが、シスターはナハルに振り向いて優しく微笑んだ。

 

「大丈夫ですよナハル」

「ほ、本当に嫌な時は隠さず仰ってください。シスター」

「分かりました。でも、今は大丈夫です。あ! 私が本当にマゾヒストって意味ではありませんよ?」

「それは分かっていますっ!」

 

 シスターが軽い冗談を挟み、ハザクラ達は再び防空壕の深部へと歩みを進めた。3枚ある扉のうち、左の扉にカガチが手をかけた。そして鍵がかかっていることに気がつくと、開錠魔法を発動して鍵を開けた。しかし、錆び付きで扉が開かないことがわかるや否や、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく鉄の扉を蝶番ごと怪力で引き剥がした。ゾウラだけが開通に喜んで拍手をする中、カガチ達は部屋へと足を踏み入れた。

 

 中はまるで図書館のように本棚が並んでおり、並べきれなかったであろう本があちこちに積み重なっている。長い間誰も足を踏み入れなかったのか、人の立ち入った形跡はなく小さな虫だけが地面や壁をを走り回っている。カガチが近くの本を手に取ってパラパラと(めく)った後、部屋をぐるりと見渡して溜息を吐いた。

 

「恐らく全てが旧文明時代の本だ。殆どは何の変哲もない市販品だな」

 

 ゾウラが近くにあった本を何冊か手に取り、物珍しそうに表紙を見比べる。

 

「200年前の本なんて、私初めて見ました! えっと……“初めてでも分かりやすい! 裁縫入門”。“新春大人コーディネート”。“衣装から読み解く歴史の真実”。“革靴の全て22号”……。カガチのそれは何ですか?」

「これは市販品ではなく、200年前の人間が遺した手記の様です。この地域周辺の食用植物や調理法が記されています」

「昔の図書館……って訳ではないんでしょうね」

 

 部屋の入り口で本を物色していたハザクラが、苛立(いらだ)ちを堪える様に小さく舌打ちを鳴らして呟く。

 

「……確か、“ネフュラムの財宝”だったか……」

 

 ハザクラは近場の手帳を手に取り、ページを捲りながら声色に(いきどお)りを重ねていく。

 

「ある時代に、ネフュラム族という部族がいた。ネフュラム族の住む地域では年々病死者が増えていて、一族は壊滅の危機にあった。そこへ当時大陸を収めていた王が、ネフュラム族の長にある杯を与えた。ネフュラム族を脅かしている病気の原因である毒素、それを中和する素材で作られた杯を。しかし、あろうことかネフュラム族は、この杯を聖杯だと崇め神殿の奥深くにしまい込んでしまった。結果、ネフュラム族はそのまま滅んでしまった。…………この本は、ネフュラムの宝だ」

 

 ハザクラが手帳を隣にいたゾウラに手渡すと、ゾウラが開かれていたページの文章を読み上げる。

 

「えーと、”戦争が始まってからもう2年が過ぎた。今、私が生きているのは奇跡でしかない。もしかしたら全くの逆かもしれないが。大体の本は教会の地下に運んでしまったし、多分この日記も直にしまわなくてはいけないのだろう。結界のせいで波導が薄れて魔法も禁止され、電力が絶たれて機械も使い物にならなくなってしまった。今は最早、紙こそが唯一の情報の保存方法だ。こんなことになるんなら、もっと本を買っておくんだった。娯楽のない世界がこんなにも苦しいなんて“」

 

 ゾウラは手帳から目を離し、辺りを見回す。

 

「……本は大切って話だけが一人歩きして、触る事も禁止されてしまった……って事ですか? そんなこと、あり得るんですかね? だって、文字がなくちゃ生きていけませんよ。それに、ここの本は生活に役立つ本が沢山あります。なんで読まなくなっちゃったんでしょう」

 

 ハザクラがゾウラから手帳を受け取り、(あわ)れむ様に目を伏せる。

 

「……本を読むには、文字が読めなくてはならない。ここには学校もないし、教師もいない。病院もないから平均寿命も低い。勉強する時間があるなら食い物を探しに行くだろう……。勉強ってのは娯楽だ。豊かな人間にしか得られない贅沢品(ぜいたくひん)。この神の庭に、そんな余裕はないんだろう」

「本は大切って話だけが一人歩きしたんじゃなくて、本は大切って事だけしか伝えられなかったんですね」

「ああ。でも……俺が気になったのはもう一つの方だ」

「もう一つの方?」

 

 ハザクラは手帳を戻し部屋を出る。そして大きく深呼吸をした後、3枚ある扉のうち、(かす)かに開いている真ん中の扉に目を向けた。扉に手をかけると、狐の鳴き声の様な甲高い悲鳴を上げて扉が開く。その先は広い廊下の様になっていて、奥にもう1枚扉が見えた。そこからは(わず)かに波導が漏れ出し、異様な雰囲気を放っている。

 

「……神の子達がラルバに飲ませた波導を含んだ石の破片。恐らくあの部屋から採取した物だろう。俺が気になったのは、“何故この村の人間達は結界による隔離に協力的だったのか“ということだ。村中の本を教会の地下に運んだり、食べられる草を手記に(まと)めたり……。さっきの手帳の筆者も娯楽がないことを嘆いてはいたが、結界そのものや戦争への抵抗は薄いように見られた。これは俺の推測だが、”そもそも結界は早々に解かれる予定だった“んじゃないか?」

 

 廊下の奥の扉も鍵はかかっておらず、開けると同時に()せ返るほどの悪臭と波導が流れ込んできた。

 

「……どこかで、不測の事態が起こったんだ」

 

 飛び込んできた部屋の光景にハザクラ達は息を呑んだ。壁や床を無作為に削られた洞窟の様な空間。しかし、部屋の中央部だけは(かじ)られた林檎(りんご)の芯の様に残されており、そこには1人の(うずくま)苔生(こけむ)した人形があった。それをみて、シスターが瞳孔を揺らしながら両手で口元を覆う。

 

「ひっ……!! あ、あれ、あの、人……!! い、生き、てる……!?」

 

 シスターの言う通り、人形は全身真っ白な苔に包まれ微動だにしないながらも全身から波導光を放ち、それは一縷(いちる)の筋となって天井にまで続いている。そこへカガチが眉一つ動かさずに近づき、辺りに舞っている白い綿のような物体を手に取り指先で転がす。

 

「……見たことない菌だ。ここへくる前にラルバが言っていたな。“防空壕から新種のバクテリアが発見され、長寿の薬に大きく貢献をした”と。しかしこれは……」

 

 カガチがしゃがみ込んで人間の顔を覆う苔を剥がし、その素顔を露わにする。痩せて乾ききったミイラのような風貌(ふうぼう)だったが、個人の判別が不可能という程ではなかった。

 

「……“パルシャ・レイブス・エイドン”。旧文明の研究者だ。確かに、こいつぐらい優秀なら1人でこの“ヘングラスの(おり)”とかいう結界も発動できるかもな」

 

 カガチが立ち上がって皆の方を振り返ると、ゾウラが小さく首を傾げて問いかけた。

 

「カガチは分かったんですか? 何でこんなことになったのか」

「……(つたな)い推測です」

「聞かせて下さい。きっと皆も聴きたいと思います」

「……わかりました」

 

 カガチは少し困ったように溜息を吐くと、パルシャの方を向いて話し始める。

 

「200年前の大戦争が起こった時、パルシャは研究の為に偶然この教会に来ていた。そして、彼は隠蔽魔法(いんぺいまほう)”ヘングラスの檻“を展開し、この戦争をやり過ごそうとした。村人達もそれに応じた。しかし……、何処かでトラブルがあった。何者かがこの新種のバクテリアに手を加えた。それによってパルシャは魂の抜けた不老となり、ヘングラスの檻を閉じられなくなってしまった。村人達は選択を迫られた。恩人であるパルシャを殺して檻を壊し、世界を滅ぼす大戦争に立ち向かうか。波導が遮断され緩やかに衰退していく結界の中で一生を終えるか。そして、後者を選んだ。ヘングラスの檻は天体から得られる魔力と抜け殻になったパルシャによって半永久的に維持され、その代わりに結界内の魔力源はパルシャ本人から漏れ出す波導光のみとなった。村人はその波導光に当てられた教会の建材を頼りに、世代を経て、今日まで来てしまった。……当時の人間全員が、誰も死なせないようにした末路だ」



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90話 ピクルス多めのホットドッグ

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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「パルシャは村人を守りたかった。村人はパルシャを殺せなかった。互いが互いを守り合った結果、200年の歳月をかけて今の肥溜めが出来上がった」

 

 カガチが話し終えても、誰一人として口を開くことはなかった。ハザクラも、ジャハルも、シスターも、ナハルも、そしてゾウラも。どこかで滴っている水の音だけが空間をけたたましく走り回る中、カガチが再び(おもむろ)に口を開く。

 

「……パルシャの全身を覆っている菌類。ラルバの言う通り新種の菌だろう。しかし、明らかに人為的な改造が施されている」

「分かるんですか?」

 

 ゾウラがカガチに近寄って尋ねる。

 

「もしもこの菌類が人智を超えた超常的生命体であれば話は別ですが、糸状菌の菌糸が明らかに既存の魔法陣を描いています。新種の菌、長寿バクテリアが魔法陣を維持するように糸状菌を制御している……。高度な置換魔法を使えば可能でしょうが、あくまでも机上の空論。サイコロを100個投げてゾロ目を出すような気の遠くなる作業になります。黒幕は恐らく異能持ちでしょう。例えば……ラデックのような改造系か、或いは人道主義自己防衛軍創始者のような全知か」

 

 そこまで言うと、カガチがパルシャに向けて手刀と放つ――――のを、ハザクラが咄嗟(とっさ)に手を掴んで制止した。

 

「……何故止める?」

「他にやりようがあるだろう」

「あったとしてどうする」

「少なくとも、今はまだ取り返しのつかなくなる決断を下せる状況じゃない」

「……好きにしろ」

 

 カガチはハザクラの手を振り払って背を向ける。ハザクラは少しだけ(うつむ)いてから仲間の方へ顔を向け、毅然(きぜん)とした態度で話し始める。

 

「では、パルシャの処遇について話し合いを始めようと思う。皆それぞれ自分の考えがあると思うが、どんな内容であっても構わない。臆することなく率直に表現して欲しい」

 

 そこまで言うと、ジャハルが恐る恐る手を上げた。

 

 いつもなら、自分の正義に従い道徳と実利を最大限に追求した合理的提案を行うであろう、人道主義自己防衛軍の胸襟秀麗(きょうきんしゅうれい)な柱石。人道主義自己防衛軍“クサリ”総指揮官。ジャハル・バルキュリアス。国内No.2と名高い実力と頭脳を(あわ)せ持つ軍人の鑑。

 

 そんな彼女が、まるで怯える幼子のような表情で目を泳がせていた。ジャハルは意を決するように唾を飲み込むと、視線を震わせながら口を開いた。

 

「わ、私は、その……と、言うより。…………彼を、目覚めさせない方が良い、と思う……」

 

 誰も返事はしなかった。肯定も、否定もしなかった。ジャハルという人物がこの発言を行うのに、一体どれだけの覚悟と思慮を巡らせたのか。誰にも分かる(はず)がなく、それを想像することさえも烏滸(おこ)がましいと思った。

 

 しかし、ハザクラだけは彼女に真正面から向き合い、落ち着いた声でゆっくりと語りかけた。

 

「……なんでも人形ラボラトリーでハピネスに言われたことだけじゃ、なさそうだな」

 

 ジャハルは静かに(うなず)く。

 

「た、確かに、あれは自分を見つめ直す良い機会だった。今思えば、ハピネスは随分(ずいぶん)私を気にかけてくれていた。多分道徳的な理由ではないだろうが、実際に私は今相当救われている。でも、今回のは少し理由が違う。私の……思想の押し付けに過ぎない」

「構わない。話してくれ」

「……長話になる。昔、私には”プランシィ“という幼馴染の女の子がいた。まだ私が5歳くらいの頃だ。とても勇敢な子で、虫が苦手な私のために毒蜘蛛(どくぐも)を追い払ってくれたのをよく覚えている。私達は何をするのも一緒で、周囲の人からはまるで双子のようだと言われていた。……でも、ある日プランシィは死んでしまった。事故だった。2人で追いかけっこをしている時に、私が立ち入りを禁じられていたボイラー室に逃げ込んだんだ。プランシィは大声で「入っちゃダメ」と叫んでいたけど、私は聞く耳を持たなかった。そこで、私は角を曲がる時に勢いのままハンドルに手をついて回してしまったんだ。その瞬間後ろのホースが勢いよく外れて、中から高温の蒸気が噴き出した。そして……、私を追いかけてきたプランシィの全身を焼いた。でも、プランシィは咄嗟(とっさ)にそのホースを掴んで機械の後ろへ()じ込んだんだ。私に被害が及ばないように。全身を蒸気で焼かれながらも、「来ちゃダメ」って大声で叫んで。私は……恐怖で動けなかった。直ぐにボイラー室の異常に気付いた大人が助けに来てくれたが、プランシィは助からなかった。運悪くベル総統も国外へ出ていて、間に合わなかったんだ。私は、その時に感じたことを今でも覚えている。…………私が死ねばよかったのに。と」

 

 ジャハルは少し身構えた。ハザクラに(とが)められると思ったが、ハザクラは黙ってジャハルの言葉を聞いていた。

 

「い、今でも、そう思っている。愛する人の居ない世界を生きるくらいなら、死んだ方がマシだと。でもこれはきっと、私が“幸せ者”だからなんだろう。私はあまりにも無知だ。私にとっての苦痛の最大値はそこなんだ。あの日、プランシィが命を賭して私を助けてくれたのに、私はその命さえも捨てようとしている……。あの事件の後に知ったんだが、プランシィも虫が大の苦手だったらしい……。私は知らなかった。私の前では弱い姿を見せなかったから……! 私は、愛されていた……!! 私もプランシィを家族のように愛していた……!! でも……!! だからこそ……!! プランシィの居ないこの世はあまりにも、あまりにも苦しい……!!! この苦しみに打ち勝つのには長い年月がかかった!! いや、恐らく今も打ち勝ててはいない……今も……私は、囚われたままだ!!」

 

 心からの叫びが地下室に木霊(こだま)する。ジャハルは肩で大きく息をして顔を覆った。

 

「……この術者は、パルシャは……この苦痛に耐えられるだろうか……? 私は、きっと無理だ……。二度目は……二度目は無理だ……。パルシャも二度目かもしれない……いや、もしかしたら三度目かもしれない……。私は、きっと恨まれる。「何で目覚めさせた。誰が起こしてくれと頼んだ」って……。そうなったら、私はきっと自分を呪わずにはいられない……」

 

 ジャハルの目に溜まった涙が、少しずつ頬を伝って流れ落ちる。ハザクラがシスターとナハルの方へ目を向けると、2人は顔を見合わせてから静かに頷いた。すると、ゾウラがカガチの袖を引いて問いかけた。

 

「カガチ、パルシャさんとお話しすることって可能ですか?」

「え。お、お話し、ですか?」

「はい。今パルシャさんに私達の声は聞こえていないんですよね? なので、テレパシーとかで意思の疎通(そつう)がとれないかなぁと。直接聞きたいじゃないですか! パルシャさんはどうしたいのかを」

「……まあ。通信魔法を使えば不可能ではありませんが……全員とは難しいでしょう。そも、彼が意志を表示することができるかどうか……。出来ても1人が限界です」

 

 ゾウラがジャハルの方に振り向いて笑って見せる。

 

「ジャハルさん。パルシャさんとお話ししてみませんか?」

 

 ジャハルは唇を噛んで狼狽(うろた)える。そして(おもむろ)に足を踏み出し、一歩づつパルシャへと近づく。パルシャの正面まで辿り着くと、何度も深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

「……む、無理だ。私なんかじゃ……」

「自信持ってください。ジャハルさんの気持ち、きっと伝わりますよ」

 

 ゾウラがジャハルの背中に手を当てて笑顔を見せる。ジャハルは再びパルシャへと目を向けるが、数秒も直視できずに目を逸らした。そして、顔を伏せて数歩下がってしまう。

 

「……すまない。……本当に、申し訳ない。私には、私なんかには……とても」

「じゃあ、私がお話しさせてもらってもいいですか?」

「え?」

「カガチ、お願いします」

 

 カガチはゾウラに命じられると、パルシャの額に手を当てて魔法を発動する。

 

「お話しできるのはゾウラ様のみです。それ以外の者はただ2人の会話を聞くだけ。しかし注意してください。パルシャは200年の間一切の思考を行なっていない可能性が高く、マトモな会話にはならないでしょう」

「構いません。何とかなりますよ」

 

 ジャハルが未だ状況を飲み込めない中、カガチが魔法陣を展開した。カガチを中心に足元に魔法陣が広がり、そこから溢れる波導光が全員の視界を埋め尽くしていく。その光の中では目を閉じても視界は暗闇に閉ざされることなく、次第に重力の方向も分からなくなっていった。

 

 

 

〜通信魔法“意識水槽“〜

 

 何もない真っ白な空間。どこまでも広がっているような、閉じ込められているような、そんな初期化された世界の中心に、ゾウラとパルシャだけがいる。

 

 ゾウラは不思議そうに辺りを見回した後、パルシャに目を向け微笑んだ。彼の姿は先程の()ちたミイラなどではなく、若かりし日の姿を保っていた。しゃがんで祈りを捧げる姿勢のまま(まばた)き一つさえしていなかったが、彼が未だに自分がパルシャであることを認識している証拠の一つであった。

 

「こんにちは!」

 

「………………」

 

「初めまして! 私はゾウラ・スヴァルタスフォードと言います」

 

「………………」

 

「あなたはパルシャ・レイヴス・エイドンさんですよね?」

 

「………………」

 

「今まで結界の維持、お疲れ様でした!」

 

「………………?」

 

 パルシャの目が少しだけ開く。

 

「あんな凄い結界を1人で保っていたなんて、すごいです!」

 

「……は………………か?」

 

「戦争はもう、終わりましたよ」

 

「………………のか?」

 

 パルシャがゆっくりと顔を上げてゾウラの顔を見る。

 

「皆さん無事に生き残りましたよ! 全部パルシャさんのお陰です!」

 

「あ…………」

 

 パルシャの目に涙が溜まり始める。

 

「皆さん、パルシャさんにとても感謝していましたよ! 本当に、ありがとうございます」

 

「……わった。……お、終わっ…………た……のか……!!!」

 

 パルシャの目から大粒の涙が流れる。

 

「そうか……!! 皆生き残ったか……!!!」

 

「はい。全部、パルシャさんが頑張ってくれたお陰です」

 

「ああ、よかった……よかった……!!」

 

 パルシャは両手で顔を覆い、肩を震わせて泣きじゃくる。

 

「無駄になると思った……やってよかった……!! まさかこんなことになるなんて、でも、間に合ってよかった……そうか、そうか……!! 皆助かったのか……!!」

 

「今まで、よく頑張りましたね」

 

「ああ、ああ……! あの戦闘機を見た時はもう終わったと思った……! まだ、やりたいことが沢山あったんだ……ヘッシュは大丈夫だろうか……犬を、犬を飼っているんだ。でも、ロイスは僕と違って器量のいい人だから、きっと連れ出して避難してくれただろうな……。ロイス、僕の彼女なんだ。研究馬鹿で、思い遣りのないこんな僕なんかのために、毎日お弁当を作ってくれるんだ。僕も彼女を喜ばせようと一生懸命だったんだけどさ、全然上手く行かないんだ。だってさ、こないだの初デートなんか、さんざ悩んだ結果がガーゼ紀資料館だぜ? はは、笑えるよな。帰りは洒落(しゃれ)たバーに連れて行こうとしてさ、ぼったくりに()って、でも、あの子は笑ってくれるんだ。こんな最低な僕に、最高のデートだったって言ってくれるんだ……」

 

「いい彼女さんですね」

 

「ああ、そうなんだよ。……格好なんかつけなけりゃよかった。本当はね、ホットドッグを食べさせてやりたかったんだ。汚い(じい)さんがやってる露店でさ、僕が貧乏学生の頃から世話になってる店なんだ。出世払いでイイからって、よく(おご)ってくれたんだ。ピクルスがどっさり乗った辛めのホットドッグでね。あんま人気なかったけど、僕はあれが大好きだった。彼女にも教えてあげたかった。まだやってるかな……。結局、あの爺さんにもお礼らしいお礼ができてない。気恥ずかしくて。でも、俺が彼女連れて食べに行ったら、きっと手放しで喜んでくれたんだろうな……。そうだ、君も行くといいよ」

 

「はい! 近いうちに必ず寄らせて頂きます!」

 

「ローウォード大学の正門前に、3の倍数の日は必ず居ると思う。パルシャの知り合いだって言ってさ。そうしたらきっと喜ぶだろうから。できれば、お友達も連れていってあげて。因みに、おススメは“粗挽きトリプルハーブミックス“。これでもかってくらい粗く挽いたソーセージに、ハーブが色変わるぐらいギッシリ入ってて旨いんだ。これがあの自家製ピクルスに一番合うんだよ」

 

「それは美味しそうですね」

 

「あ、でもあれは確か夏限定メニューだったかな……。冬だったらチーズのやつが、あれ、今って何月――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜パルキオンテッド教会 防空壕〜

 

「時間切れです」

 

 気がつくと、辺りは先程の防空壕に戻っていた。乱雑に()()かれた地面に、1ヶ所だけ迫り上がった床に(うずくま)るパルシャ。しかし、彼は依然としてピクリとも動かず、姿も朽ちたミイラそのものであった。そして、その身体からはもう波導を感じられず、結界を維持していた細い光の筋も消え去ってしまっていた。

 

 ゾウラがカガチの顔を見上げると、カガチは一度だけゾウラと目を合わせた後パルシャの頬に手を当てる。

 

「……意識を取り戻すのに魔力を割いてしまったからなのか、もう(ほとん)ど死んでいると言って差し支えないでしょう。まあ、先程の状態でも生者とは言い難い状況ではありましたが……」

蘇生(そせい)はできないんですか?」

「できますが、完全には無理でしょう。まずは肉体の大まかな蘇生をして、最低限の生命維持機能を修復した後に骨と臓器と筋肉組織全てを移植し直す必要があります。恐らく、想像を絶する地獄の苦しみを数年は味わうことになります」

「そうですか……」

「死亡させますか?」

「………………」

 

 ゾウラの後ろからジャハルが近寄る。

 

「……私に、私にやらせてくれ」

 

 ジャハルは涙を拭ったばかりの顔で、真剣な眼差しをカガチに向けた。カガチは呆れるように溜息を零すと、パルシャの側から数歩離れる。

 

「お前の剣で脳天を叩っ斬ればいい。首を落とすのはやめておけ。もし仮にまだ意識があった場合、死が数秒遅れる」

「……ああ」

 

 ジャハルがパルシャの正面に立ち、深く一礼する。そして背中の大剣をゆっくりと構え、大きく深呼吸をする。

 

「……パルシャ・レイヴス・エイドン。貴方の勇敢なる判断に、心よりの感謝と敬服を」

 

 

 

 

 

 

〜夕暮れの恵天(けいてん)の森〜

 

「あー、晴れたねぇー」

「ずっと晴れだが」

「いや、気が晴れたねぇって」

「ずっと晴れだが」

 

 神の庭から少し離れた森の中。用事の済んだラルバ達が、ハンモックに揺られながら早めの晩酌を()み交わしている。ヘングラスの(おり)が無くなったことにより使えるようになった魔法で、ラデックが手に握った木の実を(いぶ)し始める。

 

「電気も魔法も水道も、一度失ってみないとありがたみが分からないもんだな」

 

 暢気(のんき)(くつろ)ぐラデック達の元へ、ゾウラ達がパルキオンテッド教会から戻ってきた。笑顔で手を振るゾウラ以外、特にシスターとジャハルが重苦しい表情をしていることに、ラデックはあまり良くない予感がした。

 

 しかし、ラルバは一切気を使うことなく食べかけの串焼きを振って笑いかける。

 

「おっかえりー。術者死んだー?」

 

 その問いには誰も答えず、ゾウラが辺りを見回して質問を返す。

 

「あれ、イチルギさんは?」

「神の庭の連中を保護するのに世界ギルドと連絡取ってる。あと健康診断? まあまあ時間かかるらしいから先に宴会しちゃおうと思ってね。食べる?」

 

 ラルバが串焼きをゾウラに差し出すと、ゾウラは笑顔で受け取って頬張り始める。

 

「ん、おいしい! でも、こんなに食べちゃったら晩御飯入らないんじゃないですか?」

「使奴に腹の都合などない。入れれば入れただけ入るし、一生飲まず食わずでも生きていける」

「お願いなんですけど、夕食の準備、今日は私が担当してもいいですか?」

「いいけど、何作るの?」

「ホットドッグです!」

「……それ晩御飯? 普通お昼とか朝に食べるんじゃないの?」

「今食べたいんです! ピクルスどっさり入れた粗挽きのハーブソーセージで!」

「えぇ〜イチから作るのぉ? ソーセージならスヴァルタスフォード自治区で買ったのがまだ余ってるでしょぉ。そっち先使いなさいよ」

「今日はこれがいいんです!」

「それにピクルスどっさりって……。そんな余ってないよ。元々買ってないし」

「作りましょう!!」

「今から?」

「今から!」

「んえぇ……。今日なんかウラらん面倒臭いぃ……」



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91話 星は瞬いているか?

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恵天(けいてん)の森〜

 

 (きゅう)の国、神の庭を後にした一行は、再び当初の目的であった氷精地方に向かうことにした。朝になっても未だ重苦しい表情を浮かべるジャハルとシスターをラデックが気遣うが、2人とも詳しい事情は話さずに遠慮がちに無理やり微笑みを作るだけであった。

 

 昼ごろになり、ラルバとラプーが昼食の準備をしているとハザクラが意を決したように立ち上がった。

 

「みんな、少しいいか。俺達が防空壕で見たものについて、まだ話していないことがある」

 

 ハザクラの声にラルバも手を止めて顔を向ける。ハザクラがカガチに手招きをすると、カガチは面倒臭そうに立ち上がり撮影魔法を中空に展開する。ハザクラの背後に光の輪が広がり、その中を細かい光の粒がノイズのように飛び交い始める。

 

「俺達が防空壕で見たのは、封印された図書館、200年もの間結界の(いしずえ)となっていたパルシャ、そして……」

 

 光の輪に広がるノイズがやがて形を成して、鮮明な映像へと変化する。

 

「遥か昔に描かれた壁画。恐らく……、神の庭を作り出した真犯人だ」

 

 映像に、石の壁に描かれた2人の人物が映し出される。1人は燃え上がるような橙色の長髪に、大きな袖のローブを羽織っている。そして、もう1人は真っ黒なマントに、緑と水色の髪に真っ白な肌――――

 

「ひひひひっ。やっぱ使奴絡みか」

 

 ラルバが怪しく笑い出す。

 

「私ら使奴なんて、知らない人間から見たら唯の化け物だ。だが、あの国の連中は私の姿を見て神聖な存在だと勘違いをした。だがコイツは……」

 

 ラルバの推測にハザクラが静かに頷く。

 

「パルキオンテッド教会の地下には、ラルバが言った通りカガチも知らないバクテリアがいたそうだ。カガチ。説明を頼めるか?」

 

 カガチが小さく溜息を()く。

 

「……地下にいた長寿バクテリアは、既存の魔法陣を描くように糸状菌を制御していた。長寿バクテリアの性質が人為的に書き換えられたとものと考えられる。それによって魔法陣は半永久的に展開され続け、術者本人も結界を通して得られる(わず)かな魔力と長寿バクテリアによる細胞置換によって生き永らえてしまっていた。しかし、幾らバクテリアのような小さい存在であっても、ここまで性質を書き換えるなど(ほとん)ど不可能だ。改造か知識関係の異能者の仕業だろう」

 

 カガチが話し終えると、ハザクラはハピネスに話しを振った。

 

「……と言うわけだが、ハピネス。お前が一度だけ見たことあるという“通り魔”だが、この壁画の人物と同一か?」

 

 ハピネスは暫く沈黙した後、小さく頷く。

 

「緑と水色の髪。赤い瞳。恐らく間違いない」

 

 “通り魔”。世界各地に出没する目的不明の使奴。しかし、その実態は千里眼を持つハピネスですら遥か昔に見た外見しか分からず、イチルギに至っては噂さえ知らない謎の存在。

 

「私が通り魔を見たのは10年以上前のことだ。場所は”バルコス艦隊“の市街地」

 

 時間と場所を聞くや否や、イチルギが毛を逆立てて息を呑んだ。

 

「”神鳴(かんなり)通り大量殺人事件“……!?」

 

 イチルギの呟きにハピネスが頷く。

 

「そうだ。神鳴通りの住宅街にて、たった1日で8家族総勢32名が殺害される大量殺人事件が発生した。被害に遭ったのは全て神鳴り通りの住宅。当時、1人で外出していた子供が友達の家から帰宅した時に事件が発覚。被害者の外傷は刺殺・絞殺・撲殺・銃殺と様々だったが、靴跡が全ての現場で一致したため同一の単独犯と推測された。その後の調べで犯行は白昼堂々行われたことが判明したが、目撃者は皆無。唯一生存していた第一発見者である被害者の子供も、事件のショックからか一切の情報を話さず、事件から数日後に忽然(こつぜん)と姿を消した……」

 

 事件の内容を話し終えると共に、ハピネスは珍しく眉間に(しわ)を寄せて中空を睨む。

 

「しかし、私は見ていた。あの使奴が血塗れで被害者家族の家から出てくるのを。彼女は一切周囲を気にすることなく堂々と住宅街を練り歩き、まるで飲食店に入るかのように自然と別の家に侵入した。一切の躊躇(ちゅうちょ)もなく玄関から入って、廊下にいた1人を出合頭に一撃で殴り殺した。そしてトイレの中にいた1人を、姿の確認をすることもなくドア越しに銃殺。リビングから出てきた1人を片手で絞め殺した後、逃げようとする1人を銃殺。家に入って僅か30秒ほどの出来事だ。彼女は一家を殺害した後、見ていない部屋を確認することなく逃亡した。まるで、誰が何処にいるのか分かっていたかのようだった……。その後、笑顔の七人衆が部下を総動員して彼女を探したが、情報は何も得られなかった」

 

 ハピネスは伏せかけていた眼を再び壁画へと向ける。

 

「そんな謎だらけの使奴が、何故、何故壁画なんぞに残されている……?」

 

 ハザクラがバッグから一冊の手帳を取り出す。

 

「封印されていた図書館で発見した手記だ。えー、「結界の外から人間が来た。2人ともえらく奇抜な格好をしてたが、悪い人たちじゃないようだった。名前は、肌の白い女の人が“ガルーダ・バッドラック”さん。オレンジ色の長い髪の男の人は“リン・カザン”さん」……これ以降は焼け焦げていて読めないが、他のページにも2人が村で人助けをしていた記録と感謝の言葉が(つづ)られている」

 

 少しの沈黙を挟んだ後に、ラデックが口を開く。

 

「バッドラック……。不運(バッドラック)の意味はわからないが、ガルーダ被験体は第一世代でもかなり新しい部類の使奴だ。バリアが確かトールクロス被験体だったか。ガルーダ被験体はそれよりも少し前、(ほとん)ど初期モデルに近い。ハザクラは彼女を見たことはないのか? ガルーダ被験体であれば洗脳を受けている(はず)なんだが」

「……ああ。憶えている」

「……? どうした? ハザクラ。顔色が悪いが……」

「俺が……相違言語によってイチルギを解放したってのは話したな。声と脳内での意味を相違させる……。この抜け道を思いついたのは、それこそメインギアにされてすぐの頃だ。俺が未洗脳時期のガルーダと接触したのもその頃……。しかし……」

「時期が合わない――――か?」

「ああ。使奴が解放されたのが大戦争の真っ只中。ガルーダがこのパルキオンテッド教会を訪れたのもその頃。ガルーダは俺の解放宣言よりも前に覚醒(かくせい)していたことになる」

「じゃあ、このリンという男がガルーダの所有者なんだろうか」

「……わからないことだらけだ」

 

 ハザクラは顔を伏せ、ブツブツと独り言を呟く。

 

「ガルーダは何故人を殺す? 何故そのどれもが完全犯罪なんだ? リン・カザンという男は何者だ? 何故2人はパルキオンテッド教会の人間を助けた? そして何故パルシャの魔法を書き換えて彼等を閉じ込めた? 何故壁画を消さなかった? どうやってバクテリアの性質を書き換えた? 2人の目的はなんだ?」

 

 そこまで言うと、ラルバが小さく鼻で笑った。

 

「ラルバ。何がおかしい」

「いや、随分“理由を求める”んだなと思ったんだよ」

「当然だ。物事には全て理由がある。理解できないものを理解しようとせずにはいられない」

「ああ、言い方が悪かったね。“自分が納得できる理由を求める”んだなぁと思ったんだよ」

「……何が言いたい」

「今の疑問、少し減らせるよ」

「どういうことだ?」

「何故ガルーダは教会の人間を助けたのか。何故閉じ込めたのか。これってさ……これ自体が一つの“殺害方法”なんじゃないの?」

「……本気で言っているのか?」

「パルシャを(そその)し、村人を説得し、結界を張らせ、バクテリアの性質を書き換えてパルシャをミイラにした。そうやって、ここら一帯の人間全員を外界から遮断した。観測されなければ生きていても死んでいても一緒だろう。どうせ、私たちが来なければこの国はあと数十年で滅んでいただろうしな。」

「……あまりに突飛な発想だ。否定は難しいが、肯定するには要素が少なすぎる。根拠は何だ」

「んー……。なんかねぇ。このガルーダって子と私、ちょっと似てるとこあると思うんだよ。そうだな……多分、“殺してもいい人間が存在する”って信じてる所とかかな」

「…………それは、旧文明の知識を総動員して導き出した真理か?」

「いや、詭弁と誤謬(ごびゅう)()ね繰り回した屁理屈だよ」

 

 ラルバはカガチの撮影魔法に指を差し、風魔法で思い切り映像を吹き飛ばした。

 

「まあいいじゃん! 何はともあれ、これで初めて正義の方向性が一致したわけだ!」

 

 ラルバがハザクラの方を向いてニカっと笑うと、ハザクラは決意を込めた眼差しで(うなず)く。

 

「ああ、そうだな」

「通り魔の討伐。張り切って参りましょーか」

 

 

 

〜氷精地方 没落の湖〜

 

 60年程前の戦争時に、とある豪傑によって生み出された巨大なクレーター。大河を巻き込んだその一撃は巨大な湖となり、今では氷精地方名物の釣りスポットになっている。

 

 神の庭を発ってから数日。ラルバ達がガルーダについての話し合いをしている中、ラデックは暢気(のんき)に湖畔で釣りを楽しんでいた。ラデックがタバコを吸いながら一切動かない浮きをぼんやりと見つめていると、後ろからシスターとハピネスが近寄ってきた。

 

「ラデックさん。さっきゾウラさんが捕まえた鹿のサンドイッチです。どうぞ」

「ああ、シスター。ありがとう」

「ラデック君また釣りしてるの? 釣れないのに好きだねぇ」

「待つのも釣りだ。釣りはいい。“何かをする”と“何もしない”を同時に行える」

「何言ってんの?」

 

 ハピネスが鹿肉のサンドイッチをハムスターのように頬張りながらラデックの隣に腰掛ける。シスターは少し離れたところに折り畳みの椅子を置いて、サイドイッチを(かじ)り始めた。3人がのんびりと浮きを見つめていると、遥か遠くの方から何かの音が微かに聞こえてきた。

 

「……? 何の音でしょうか」

「あっちはバルコス艦隊の方角。恐らく、“竜の咆哮(ほうこう)”だ」

 

 シスターの問いに答えながらカガチが近づいてきた。隣にはゾウラもおり、焼きたてのホットケーキからメープルシロップの香りを漂わせている。

 

「竜? 地名か何かですか?」

「いや、竜そのものだ。バルコス艦隊近辺には、10年前から竜が棲みついている」

 

 ゾウラがホットケーキを頬張りながら目を輝かせる。

 

「竜!? 私、初めて見ます!」

「多分、期待しているのと違うぞ」

 

 ラデックが釣竿を置いてゾウラに説明をする。

 

「ゾウラ。多分君はファンタジー作品に出てくるような屈強なドラゴンを想像しているんだろうが、ああいうのは現実には存在しない」

「そうなんですか?」

「ドラゴン科の生き物は、いずれも大きさは30cm程しかない。実験で無理やり全長10mのドラゴンを製造した事はあるらしいが……、空を飛ばせるにあたって数々の軽量化が施された。その結果、骨はスカスカで筋肉は最小限。5分も飛行させると骨が折れて死んでしまう、なんとも貧弱で可哀想な生き物になってしまったらしい」

「そうなんですか……ちょっと残念です」

「俺も最近の本を読んで知ったんだが、やっぱりデカくてカッコいいドラゴンはフィクションに出てくるものなんだな」

「いいや、そうではない」

 

 ラデックの説明をカガチが真っ向から否定する。

 

「ドラゴンは実在する」

「……? もしかして、改造された巨大ドラゴンがこの200年で驚くべき進化を……」

「違う。だが、存在を疑うのも無理はない。詳しくは分かっていないが、竜は突然現れたんだ」

「突然? どこから?」

「さあな。バルコス艦隊では、10年前に突然巨大な竜の姿が目撃されるようになり、それ以降研究は進められているものの、起源、生態、総数全て不明のままだ。特にここ数年で目撃情報は増えたものの、追跡しようとすると途端に姿を消してしまい研究が進んでいない」

「大きさはどれくらいなんだ?」

「推定20m前後」

「にじゅっ……!?」

「学会では異能で作られた偽物。(ある)いは集団幻覚の線を追っている。何せ、その巨躯(きょく)と猛々しい咆哮と反して被害が一切ない。人間どころか、家畜1匹被害に遭っていない」

「……謎の使奴の次は謎のドラゴンか」

「まあ、幸か不幸か元よりバルコス艦隊は竜信仰の国だ。追い払うどころか守り神だと崇め“竜の国”を自称している」

「暢気なもんだな」

「お前に言われるという事は、相当暢気なんだろうな」

 

「ラデーック!! ハピネース!! その他愉快な仲間たちぃー!!」

 

 5人がバルコス艦隊について話していると、遠くからラルバが歩いてきた。

 

「次の行き先決まったよー!」

 

 ラデックが釣り竿を片付けながら立ち上がる。

 

「ああ、やっぱりバルコス艦隊か?」

「あー、うん。そうなんだけど、道中にオモシロあるから経由して行こうって」

「オモシロ?」

「そう!! 何とお次は〜……じゃじゃん!!」

 

 ラルバが地図を見せて赤く印がされた部分を指差す。

 

「泣く子も黙る”魔王の国”!! “ピガット遺跡“です!!」

 

 シスターが少し怪訝(けげん)そうな顔をして首を捻る。

 

「ま、魔王の国……? ピガット遺跡って、確か小さい農村ですよね……?」

「らしいね。イっちゃん曰く、ちょっぴり過激な魔王信仰の村なんだって。勧誘も脅しも全く効かないんだって。何言っても”魔王様を怒らせるな〜っ!“の一点張り。害も益もないから今まで放置してたらしいよ」

「……それのどこがオモシロなんですか……?」

「え、クソ雑魚村脅してる魔王の存在。超面白くない?」

「別に……」

「センスないなぁシスター」

 

【魔王の国】



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ピガット遺跡
92話 魔王の国


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〜ピガット遺跡 魚買州(うおかいしゅう) (ラデック・カガチ・ゾウラ・シスター・ナハルサイド)〜

 

「はいどぉもぉ!! お釣りと、お兄さんカッコいいからサービス!! 赤真鱈(あかまだら)の開き!!」

「どうも」

 

 ラデックは男勝りな女店員から商品を受け取ると、勇ましい魚屋から買い物メモを片手にカガチとゾウラの元へ戻り、不思議そうに辺りを見回した。

 

「しかし広いな。小さな村じゃなかったのか?」

 

 没落の湖から歩く事数日。ピガット遺跡に到着した一行は一時的に解散し、ラデック、カガチ、ゾウラ、シスター、ナハルの5人は共に行動をしていた。5人のいる魚買州(うおかいしゅう)の大通りには都会と呼べるほどではないものの、所狭しと店が(ひし)めき合う市場のような光景が広がっていた。家屋も石造りに木造と多様で、ガス灯や噴水などある程度文明的な技術があちこちで見受けられた。様々な人種が行き交い笑い声と呼び込みの掛け声が溢れる活気に満ちた大通りには、地元民だけではなく観光客や他国の商人も大勢混じっており、時折ガソリン車や航空機が運行しているのが見えた。

 

 シスターはラデックの発言に同意を示し、同じく辺りを見回して(つぶや)く。

 

「私も、こんなに発展しているとは思いませんでした。聞いていた話では未だに電気も通っていない村だと聞いていたのですが……」

 

 側にいたカガチが、先程買った魚の串焼きを(かじ)りながら2人の疑問に答える。

 

「ピガット遺跡の大部分は移民によって運営されている。しかしお前達の言う田舎は、首都であるピガット村のことだろう」

 

 ラデックが首を傾げてカガチに尋ねる。

 

「村が首都?」

「世界ギルドからピガット村には過剰な干渉は無用との指示が出ている」

「一体なぜそんなことを……」

「別にピガット村だけじゃない。ヒトシズク・レストランやなんでも人形ラボラトリーだって基本は先住民の意志を尊重している。ピガット村からしたら、この魚買州(うおかいしゅう)含め全ての州は自分達とは無関係の他国という扱いだろう。ピガット村を首都にしたのも、古くからの魔王信仰を律儀に守っている奴らに対しての形だけの忖度(そんたく)であって、実際にピガット遺跡を総括しているのは肉撒州(にくまきしゅう)の州都だ」

「なんだか面倒くさい構造になっているんだな。しかし、、何故そこまでしてピガット遺跡は発展したんだ? 態々(わざわざ)気難しい連中の側に暮らさなくてもいいと思うが……」

「単純に地理的な都合がいいからだ。海に広く面していて、油田も多い。土地も魔力豊富で肥えていて気候も安定しているし、氷精地方からそう遠くなく獣害もない。氷精地方から”ヒトシズク・レストラン“や“世界ギルド”に行くための寄港地として優秀というだけだ」

「”ヒトシズク・レストラン“に行くための寄港地?」

 

 ラデックがカガチの言葉を反芻(はんすう)すると、背後から小さく(あざけ)るような失笑が聞こえた。

 

「ああ、そうだよ」

「ハピネス? 買い物済んだのか?」

 

 ラデック達とは別行動していた筈のハピネスがいつのまにか合流していた。ハピネスはラデックを無視して半ば倒れ込むようにカガチに寄りかかり、擦り寄るように腕にしがみついた。

 

「ねえ聞いてよカガチ君。私達ヒトシズク・レストランから人道主義自己防衛軍まで徒歩で行ったんだよ? 信じられないよね」

「今お前がその薄汚れた脂汗を私の服で拭っている方が信じがたい。頭蓋骨を割られたいのか?」

「滅相もない。おんぶしてほしいだけだよ。使奴の筋力からしたら私なんて別に居ても居なくても一緒だろう?」

「居ても居なくても一緒だからいなくなれ」

「意地悪」

 

 ハピネスは盛大に(わざ)とらしく肩を落として溜息を吐く。ラデックは手を振り上げたカガチを制止してから辺りを見回してハピネスに訪ねる。

 

「ハピネス、ラルバとバリアとラプーはどうした? 一緒じゃなかったのか?」

「ん?ああ、バリアとラプーなら宿を取りに行ってもらってるよ。特級四つ星クラス!」

「ラルバは?」

「ピガット村に単独突っ走って行って拘留(こうりゅう)されたよ。密入国と公務執行妨害だし、禁錮(きんこ)4年辺りが妥当じゃないかな」

「そうか。イチルギが聞いたらまた渋い顔をするだろうな」

「いんじゃない? 今回は自業自得の単独犯だし。そんなことよりラデック君、お肉を買いなさいよお肉を。そんな魚だの野菜だの虫だの買わないでさぁ」

 

 ラデック、カガチ、ゾウラ、シスター、ナハル、ハピネスの6人はラルバが拘留された事など気にも留めず、バリアとラプーが取っているであろう宿へと歩き出した。

 

肉撒州(にくまきしゅう) 境界の門大使館 (イチルギ・ハザクラ・ジャハルサイド)〜

 

「あのぉ。イチルギ様ぁ。あのぉ。言いづらいんですがねぇ」

 

 肉撒州(にくまきしゅう)の州都に存在する世界ギルドの大使館にて、イチルギは今まさにラルバがピガット村で拘留されたことを告げられた。大使館職員は気まずそうに目を泳がせながら(しき)りに手遊びを繰り返し、(くちびる)を噛み締めたイチルギに何度も頭を下げる。

 

「あのぉ。そのぉ。ラ、ラルバ様の事は狼王堂(ろうおうどう)放送局(ほうそうきょく)経由で把握してはいるんですけど、そのぉ。あのぉ。えっと、べ、別に特権的なものはないわけでぇ……」

「…………ああ。いいのよ。別に」

「だ、大丈夫ですかぁ?」

「ううん? 全然。限りなく由々しき事態」

 

 そう笑顔で告げるイチルギに、職員は返す言葉が見つからず唖然(あぜん)としたまま立ち尽くす。イチルギはある程度個人的な手続きを済ませると、足早にハザクラ達の元へと戻った。

 

「ああ、イチルギ。さっき先生から――――何があった?」

 

 イチルギのまるで聖母のように(ほが)らかな笑みの奥から(にじ)み出る憤怒に、ハザクラは思わず半歩距離をとって尋ねる。イチルギは笑みと鬼気を少しずつ深めてから口を開いた。

 

「ラルバがピガット村で拘留中だって。もう私帰っていいかしら?」

「……ま、まあ一線は越えないだろう。ピガット村も比較的マトモな法と道徳観念は根付いている筈だ」

「だと良いけど」

 

 ジャハルもイチルギの心中を察して押し黙る。何とも言えぬ重苦しい雰囲気の中、3人はラデック達と待ち合わせている通りへと馬車を手配した。

 

 

 

〜ピガット村 粗雑(そざつ)な地下牢〜

 

 ピガット遺跡の大部分は主に煉瓦(れんが)や石造りの建物が多くガスや水道の整備も行われているが、このピガット村では電線一本通っておらず、この地下牢も()()いただけの洞穴(ほらあな)に鉄格子を無理やり()め込んだだけの荒っぽい作りになっていた。

 

「――――てな感じでさ。やっぱ人間(おご)るとダメだね。やっぱ謙虚(けんきょ)が大事よ」

「そうだね〜。ウチもこんな村早く出たいな〜」

 

 ピガット村侵入直後に捕らえられたラルバは、看守の女性と暢気(のんき)に雑談をしていた。ラルバが話す各国の逸話に、好奇心旺盛(こうきしんおうせい)な女性は見張りそっちのけでお茶まで用意して話し込んでいた。

 

「そう言えば“ナっちゃん”さ。魔王様って見たことある? どんな人?」

「ああ〜魔王様〜? いや、正直私も信じちゃいないんだけどさぁ〜? ママが(うるさ)くってもう」

 

 女看守の“ナムミジリーシャ”は困ったように笑い、両腕を組んで(うな)る。

 

「魔王様かぁ〜。姿を見た人は知らないなぁ〜。昔はちょくちょく会えたらしいんだけど、最近魔王様の使いの人しか来ないからぁ〜」

「使いの人? 使奴?」

「ううん? なんかね〜。全身真っ青の女の人で〜、”紅蓮(ぐれん)青鬼(あおおに)“って言われてるの」

「”紅蓮の青鬼“? それって赤いの? 青いの?」

「青よ青。真っ青も真っ青。顔にいっぱい傷痕があって〜、あ、でも白目のとこは黒かったかな〜」

「その”紅蓮の青鬼“が魔王様の使いを名乗って威張ってんの?」

「ん〜威張るって程じゃないけど〜。悪いことしてないか〜とか〜。自分達の教えを守ってるか〜とか〜。魔王様はね〜、見えない屋敷に住んでて〜、死んだらそのお屋敷で幸せに暮らせるんだって〜。だから真面目に生きなさいってさ〜。ホントかな〜?」

「ふぅん……。”紅蓮の青鬼“ねぇ」

「ところでラルバさ〜ん。ラルバさんも使奴ならさ〜、簡単に脱獄できたりするの〜?」

「え? ああ。できるしするよ」

脱獄()るのできれば明日にしてほしいな〜。上司がすごい嫌なやつでさ〜。私明日非番でここ上司しかいなくなるからさ〜」

「あっはっは。おっけーおっけー。なんなら捨て台詞(ゼリフ)に「昨日の看守と違って大マヌケで助かった」って言いふらしといてあげるよ」

「助かる〜」



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93話 故意は盲目

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〜ピガット遺跡 ピガット村〜

 

「罪人が逃げたぞー!!!」

「誰かそいつを捕まえろー!!!」

 

 ラルバが投獄された翌日。ピガット村は朝から大騒ぎになっていた。使奴が大人しく投獄されたことに唯ならぬ違和感を覚えていた連中は少なくないが、まさか翌日に大脱走を図るとは誰一人として夢にも思ってはいなかった。即座に武装した警備隊が大勢出動したが、屋根から屋根を曲芸師のように飛び回るラルバに翻弄(ほんろう)され時間と体力だけが消耗していった。

 

 文明の進んだ肉撒州(にくまきしゅう)の力を借りればまだ打つ手はあったが、ピガット村の沽券(こけん)に関わる手段など彼らに選べる(はず)もなく、魔法社会では時代遅れの甲冑(かっちゅう)に身を包み、鈍器としての大楯を構えながらの追いかけっこは早々に決着がつき、最早警備隊はラルバを追いかける気力もなく屋根の上の彼女を恨めしげに(にら)むだけであった。

 

「どうしたどうしたぁ! ほら、もうちょいで追いつくよ? 頑張れ頑張れ!」

 

 (おど)けて見せるラルバに、警備隊は尽きかけの気力で顔を上げる。しかし今の彼らには魔法一つ扱うことは出来ず、鋼鉄の甲冑のせいで立ち上がるのが精一杯であった。ラルバは困って頭を()き、不貞腐(ふてくさ)れるように独り言つ。

 

「思ったより体力ないのな。もうちょい騒ぎになってくれないと魔王もイッチーも呼べないじゃないの……ん?」

 

 亡者のように蹌踉(よろ)めく警備隊の奥から、1人の青年が(おもむろ)に手を上げた。

 

「あのぉ……その罪人。俺が捕まえちゃってもいいんですかね?」

 

 冒険者のような出で立ちの青年は、黒く長い前髪が被った目で眠たそうに辺りを見回し、徒手空拳のままラルバの方へ歩み寄る。その余りにも相手を軽んじた態度に、警備隊の長であろう女性が兜越しに彼を睨みつけた。

 

「はぁっ……はぁっ……!! ガ、ガキは引っ込んでいろっ……!! お前なんぞっ、がっ……使奴を相手になど……」

「あ。俺一応、魔王討伐隊の隊長です」

「……はっ?」

 

 青年が懐から美しい装飾が施された紋章を取り出す。

 

「訓練とか(ほとん)どしてないんで技術は素人かもですけど、一応前の討伐隊長から正式に任命されてます。なんか前代未聞の特例だとかで」

「なっ……なんだと……!?」

「まあ、それでも貴方達よりかはマトモに働けるとは思いますけど」

 

 そして青年は面食らっている警備隊の長の真横を素通りし、屋根の上にいるラルバを見上げる。そして手を前方に突き出し魔法を発動して、中空から霊合金(れいごうきん)で作られた禍々(まがまが)しい双剣を召喚した。

 

「罪人さん。あ、えーっと……お名前は?」

「……ラルバ」

「ラルバさん。初めまして。俺の名前は”ギリウス・リギルウェリウス”。取り敢えず、大人しく牢屋に戻ってもらって良いですかね? ……じゃないと、ちょっと痛い目みることになりますけど」

 

 ギリウスは依然として気怠そうにしながら剣の(きっさき)をラルバに突き付ける。ラルバは少し首を傾げた後、「ま、いっか」と呟いて屋根から飛び降りた。そしてギリウスの目の前まで歩み寄り、(わざ)とらしく格闘家っぽい豪快な動きをしてから片足立ちで両手を大きく広げ出鱈目(でたらめ)な構えを取る。

 

「やれるもんならやってみろ! 超最強の必殺奥義見せちゃるよ!」

「はぁ……しょうがないか。町が壊れると周りが(うるさ)いんで、あんまり本気出したくないんですけど……っ!!」

 

 ギリウスは愚痴を言い終わるのと同時に地面を踏み割り、猛スピードでラルバに接近。炎魔法を(まと)わせた双剣でラルバの左肩と喉元を捉えた――――が、当然ラルバはこれを(かわ)し、擦れ違いざまに双剣を小枝のように()し折ってからギリウスの衣服を全て破り捨てた。

 

「は――――えっ!?」

「フォー……ヒョアッファーッ!!」

 

 そして、ラルバは再び態とらしく豪快に構えを取ってから意味のない奇声を上げた。全裸のギリウスは慌てて局部を破けた衣服で隠し(うずくま)る。何をされたのかを全く理解していない彼に、ラルバは構えを解いて憎たらしくにやけ面を作って見下した。

 

「……お前、(ろく)な人生送ってないだろ」

「え……は?」

「魔力量は確かに多いが……、ちょっぴり優秀なだけの大器晩成型だな。子供の頃に弱さを理由に(いじ)められでもしたのか? 態と余裕振ってみたり、目上の相手をこれ見よがしに挑発してみたり……」

「ちっ違っ……! 別に余裕ぶってなんか……!」

「ふぅーん? じゃあ訓練殆どしてないとか前代未聞の特例だとか言わなくていいじゃん。褒めてもらいたかったんでしょ?「うわー!すげー!」って」

「そんなこと思ってない!!」

「でもってドヤ顔したかったんでしょ。「え? なに? これってそんなに凄いことなのー?」って。使奴相手に斜に構えちゃったりしてさー。そういうのは大人になると恥ずかしいから義務教育と一緒に卒業しようね。あれ? ピガット村って義務教育ある? あるよね?」

 

 ラルバの悪態にギリウスは顔を真っ赤にしながら目に涙を溜め、その握り締めた拳に魔力を集中させる。

 

「うっうるせぇ!!!」

 

 ギリウスが放った炎弾はラルバの眼前まで勢いよく飛んでいくが、ラルバの張った薄い防壁魔法によって難なく防がれてしまう。

 

「こんなんじゃ魔王討伐どころか牛だって倒せないよ。みんなに褒められて嬉しくなっちゃうのはいいけど、そろそろ現実見よっか。パパとママの言うこと聞いて、大人しく畑仕事でもしてなさい」

 

 そう言ってラルバがギリウスに背を向けると、そこには拳を振りかぶったイチルギが構えていた。

 

「大人しくするのはお前だっ!!!」

「がっ――――」

 

 ラルバは殴られた頭を押さえ、鬼の形相のイチルギを睨み返した。

 

「なにすんのさ!!」

「なにすんのはこっちの台詞よ!! 四肢()いで月までぶん投げるわよ!!」

「そんなことしたら月落とすぞ」

 

 そこへ少し遅れてハザクラ、ジャハル、ラデック、ハピネス、バリア、ラプーの6人も合流した。ラルバは辺りを見回してからシスター達4人がいない事をハピネスに尋ねる。

 

「あれ、ハピネス。シスター達は?」

「ゾウラ君と一緒に大道芸を見てるよ」

「何で連れてこないのさ。魔王討伐劇の方が絶対面白いでしょ」

「何で私があの4人を説得できると思うかな」

「それもそうだね」

 

 ラルバが少し不満そうに鼻を鳴らすと、イチルギが溜息をついてラルバに提案をする。

 

「じゃあ私ここで待ってるわよ。シスター達が来たら追いかけるから」

「ほんとにぃ? 5人でこっそり私に都合の悪いこと企んだりしない?」

「しないしない」

「信用ならんな。バリア! ラプー! イっちゃん達が変なことしないか見張っておいて!」

「しないってば」

 

 一行は再び二手に分かれ、ラルバ、ラデック、ハピネス、ハザクラ、ジャハルの5人は先に魔王を探しに行くことにした。

 

〜ピガット遺跡  魔往照御成道(まおうてらすおなりみち)

 

 ピガット村はピガット遺跡最東端に位置し、そこより東側の砂丘一帯を魔王の領域として畏怖していた。そこへ足を踏み行った者は必ず村へ引き戻され、魔王の怒りを買ったならば気を狂わされる禁足地。立ち入りを許されるのは、魔王の使いを出迎える時と、死者を魔王へ献上するための葬式のみ。無論、魔王を信仰していない外来人からしたら唯の砂丘であることに変わりはなく、ピガット村以外のピガット遺跡の人間が立ち入ることは往々にしてあった。

 

 ラルバは時々バッタのように飛び跳ねながら辺りを観察し建造物を探した。しかし見渡す限りの砂丘には建造物どころか人工物らしきものも見当たらず、探究心は次第に不満へと変わっていった。

 

「んんん〜……。わかんない! ギブ! ギブでーす! ハピネスさん答えをどうぞ!」

「私も知らない」

「はー! 役立たず!!」

「いつもはネタバレすると怒るクセに……」

 

 砂丘のど真ん中に大の字になって寝転がるラルバに、ハザクラが呆れて溜息を溢した。

 

「はぁ……。ピガット村の人達の話では、魔王は”見えない屋敷“に住んでいるそうだ。(きゅう)の国、神の庭の時と似ている。あの時みたく波導濃度や何かで発見できないのか?」

「うんにゃ。あれは結界が魔力を弾いているが故の現象だ。気圧の変化に近い……。今回は別に魔力を弾いているわけじゃないだろうし、それで言うならハザクラの異能でどうにかならないの?「俺は見えないものも見える!」みたいな自己暗示でさ」

「さっきからやっているが何も見えない。恐らくこの”見えない屋敷“自体が嘘なのか、単純な異能の鍔迫(つばぜ)り合いに負けているのか……」

「ああ、アンタのとこの大将にバリアが首ちょんぱされた時と一緒か」

「自分で言うのも何だが、俺の異能も相当なレベルのものだとは思っている。何せ10年以上使奴という強者を一方的に洗脳し続けてきたんだ。しかし、もし相手が100年以上生き続けてきた異能者であるならば、敵わないのも無理はない」

 

 そう言ってハザクラが再び双眼鏡を片手に辺りを見回す。すると、その視界に1人の人影が映った。

 

「む、人だ」

 

 その呟きにジャハルも双眼鏡を構える。

 

「ピガット遺跡の人間か?」

「いや……あれは……。”肌が青い“……?」

 

 ハザクラの呟きに、寝転がっていたラルバは勢いよく飛び起きて目を凝らす。

 

「来た……”紅蓮の青鬼“だっ!」

 

 ラルバは歯をギラリと輝かせ人影に向かって走り始めた。ハザクラとラデックは互いに顔を見合わせるが、走るのは面倒だと思いジャハルとハピネスと共に徒歩で後を追いかけた。

 

 

 

「こぉぉおんにちはぁぁぁぁああああああ!!!」

 

 ラルバは青い人影に追いつき、勢いよく急停止して砂を巻き上げる。

 

「アンタ、魔王の使いの“紅蓮の青鬼”さん?」

 

 真っ青な肌をした女性は黙ったまま小さく首を傾げた。紺色の長髪に、全身に(おびただ)しい縫い痕。黒く染まった白目には藍色の瞳がぼんやりと浮かんでおり、気怠そうに、それでいて興味深そうにラルバを見つめている。しかし、何よりも目立つのはその扇状的過ぎる服装。薄い赤マントの下はほぼ全裸に近く、首輪に吊るされた細長い前掛けで辛うじて局部が少し隠れている程度。丸出しの乳房を隠そうともしない彼女に、ラルバは顔を(しか)めて半歩退いた。

 

「……変態?」

「アンタも中々っスよ」

 

 青い肌の女性がラルバの胸を指差す。そして、遠くからラデック達が近づいてくるのを一瞥(いちべつ)した後に、ラルバの顔をじぃっと見つめた。

 

「……何よ」

「いや、別に。ウチの名前は“キザン”。こう見えて使奴っス」

「ラルバ」

「ラルバさんっスね。ラルバさんはウチに何の用事っスか?」

「クソ雑魚村にイキリ散らかしてる自称魔王がいるって聞いたからシバき倒しに来た」

「ああ、残念っスね。魔王なんていないっス」

「……そんな気はしてた」

「残念そうっスね」

「めちゃ残念……。見たところキザンちゃん悪者じゃなさそうだし……」

「まぁ、一応品行方正で通ってるんで」

「品行方正で通すなら服着たら?」

()()なんで」

「まあいいや。キザンちゃんはなんでピガット村ビビらせてんの? 趣味?」

「まあ趣味っちゃ趣味なんスけど……。気になるんなら見ます? 全容」

「え? いいの?」

「いいっスよ別に。どうせバレた所で特に困りませんし。こっちっス」

 

 キザンは中空を指差して歩き出す。ラルバはこちらへ歩いてきてるラデック達に合図をしてからキザンの後を追った。



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94話 紅蓮の青鬼

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〜ピガット遺跡  魔往照御成道(まおうてらすおなりみち)

 

 突如ラルバ達の目の前の現れた、青い肌をした使奴“キザン”。彼女の振る舞いはピガット村を支配する悪の支配者とは程遠く、のんびりとしていて穏やかな人物であった。使奴であるにも(かかわら)らず真っ青に染まった肌と体中の赤黒い縫い痕、そして裸同然の服装という外見の異質さを除けば、特別変哲ではなかった。

 

 ラデック達がラルバと合流して小1時間も歩くと、キザンは突然手を上げて誰かに合図を送るように数回振った。しかし辺りには誰もおらず、獣どころか草木一本生えていなかった。ところが、キザンが合図を送ってから数秒後。一行の目の前に突然巨大な遺跡が現れた。まるでテレビの画面を点けるように現れた遺跡の周囲にはアンテナのような鉄塔が数本(まばら)に建っており、幾らか文明的な雰囲気が感じられた。不可思議な現象にラルバ達が唖然(あぜん)としていると、キザンが手招きをして中へと案内した。

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜

 

 (かつ)ては一つの都市が築かれていたピガット・ウロボトリア遺跡。その文明が滅んでから数千年。遺跡は世界的に有名な観光地となっていたが、世界を滅ぼす大戦争で遺跡は跡形もなく消し飛び地図からは抹消されてしまっていた。

 

「まあ、遺跡が消し飛んだってのはウチらが流したデマなんスけどね」

 

 ピガット・ウロボトリア遺跡の内部を案内しながらキザンが口を開く。

 

「200年前の戦争が終わった後、丁度何人かの使奴が結託して文明を元通りにしようって決めた時っスね。結構な人数反発する使奴がいたんスよ。人間に協力する使奴、しない使奴、穏当に暮らしたい使奴、全てがどうでもいい使奴。で、最初にそれぞれの目的に応じて使奴達を3分割したんスよ。まず、文明を取り戻すのに使奴のスーパーパゥワーを使って協力する“復興派”。文明を取り戻すのには賛成だけど、自分が使奴であることは隠したい“沈黙派“。そもそも何にも関わりたくない“隠遁派(いんとんは)”。幸い文明復興に反対した使奴はいなかったんで、意外と上手い具合にコトは運びました。復興派が世界中を回って手直しをして、沈黙派は陰からそれをサポートしてくれましたし、隠遁派は邪魔しないよう隔離地域でひっそりとしてました。んでもって、このピガット遺跡は沈黙派と隠遁派のイイカンジの隠れ家として機能したんス。だからここには使奴しかいないっス」

 

 ラルバが怪訝(けげん)そうな顔でキザンに尋ねる。

 

「隠れ家って、誰から隠れるんだ」

「人間からっスよ」

「何でまた」

「沈黙派の大多数は一般人に紛れて生活してるんスよ。その中で、子作りが可能な個体は多くの子孫も残してます。家庭を持たずともそれに近い関係を築く個体は多いんスよ。けど、別れは必ず訪れ、使奴は1人取り残されます。肉体が傷つかなくても心が傷つきます。ここはそんな使奴を外界から切り離すのに打ってつけなんスよ」

「折角公陸がいっぱいあるんだから、勝手に隠れてりゃいいのに」

「ここはそれ以上にサポートも万全っス」

 

 キザンは通路脇の出窓を指差す。そこは吹き抜けの中庭になっていて、3人の使奴が談笑をしていた。しかし、それほど遠い距離でもないのに3人の声は一切聞こえなかった。

 

「音の異能者がプライバシーの保護をしてるんス。記憶の異能者が精神の治療をしたりすることもあるっス。他にも停止の異能者、夢の異能者、闇の異能者と。1人じゃどうしようもない困難を共に乗り越えてくれる仲間がいます。まあ全員復興派ではないんで、表立って何かすることはありませんけど。言うなればここは“異能互助会”っスかね」

「ふぅーん」

 

 キザンが再び歩き出し、一行もそれに従う。ラルバは物色するように辺りを見回しながら彷徨(うろつ)き、ふとあることを思い出す。

 

「そうそう、“ガルーダ・バッドラック”って使奴知らない?」

「ガルーダ? いや、知らないっスね」

「本当に?」

「本当に」

「あちこちで人を殺しまくってる殺人鬼で、10年前の神鳴(かんなり)通り大量殺人事件の犯人」

「へぇ。そんならもうイチルギさん辺りが解決させたんじゃないスか?」

「イチルギさんも知らんらしいのよ」

「じゃあ尚更知らないっスねぇ。ウチら復興派の中じゃ、あの人が一番物知りっスから」

「役に立たねぇ〜……」

「お詫びにおっぱい揉んでいいっスよ」

「臭そうなんで結構」

(ひで)ぇや」

「てか何で裸なの? 趣味?」

「趣味っスけど」

「うーわばっちぃ。エンガチョエンガチョ」

「はぁ? 差別っスか? 別にエッチなのが好きな使奴がいたっていいじゃないスか」

「スケベと露出狂は違うでしょ……」

「性奴隷に生まれたら性欲を憎んで潔白に生きなきゃいけないんスか? 別に街中でおっ広げてる訳でもないし、誰にも迷惑かけてないっスよ」

「言いたいこと一杯あるけど一番は気分の問題よ。十分迷惑」

「それはラルバさんの我儘(わがまま)っスよね? 自分一人の意見を(あたか)も世間の総意のように掲げるのは傲慢(ごうまん)が過ぎますよ」

「ごめん。一発殴っていい?」

「嫌っス」

 

 そんなたわいもない話をしながら歩いていると、通路の先で窓からぼーっと外を眺めている使奴にキザンが近寄って肩を叩いた。肩を叩かれた金髪の使奴は一拍間を置いてからハッとしてキザンに気付き、ゆっくりとこちらへ振り向いて会釈をした。ウェーブの金髪に薄い生地のゆったりとした服装。細く開けた目の奥には、真っ赤な瞳が微かに見てとれた。

 

「こちら、魔王信仰に()ける“見えない屋敷”を維持してくださっている“トール”さん。信仰の異能保有者っス」

 

 ラルバが小さく「あー」と声を漏らす。

 

「やっぱ異能か。そりゃそうだよね」

「もう少し細かく言うと、“信仰を現実にする”異能って言った方がいいっスかね」

「え、なにそれ。つよ」

「ある一定数の人間が真実だと信じている嘘を現実にする能力なんスけど、コレ発動条件が結構厳しいんスよ。現実にできる嘘は自分がついた嘘だけってーのと、一定数の人間が全く同じ内容を信じていないとダメなんすよ」

「えー。よわ」

「あとこれ最初の一回が自動発動なんで下手なこと言えないんスよね」

「最初の一回ってのは現実化の一回目ってこと?」

「そうっス。例えば“馬鹿デカい怪獣が来る“って言いまくったら、異能の発動を意識してなくても条件満たした瞬間に怪獣が来るっス。直後に消せれば良いんスけど、これがもし”馬鹿デカい怪獣が街を壊しに来る“だったら街を壊されるまでが強制発動の範囲内っス」

「無茶苦茶不便じゃん」

「だから今のところ“魔王は見えない屋敷に住んでる”って嘘と“魔王の教えを破るとバレる“って嘘だけ発動してます」

 

 キザンがトールの背後から突然彼女の胸を揉み始めると、ラルバ達は一斉に顔を(しか)めた。しかし当の本人は何の抵抗もせず、ただキザンにされるがままにされている。

 

「トールさんは“隠遁派”なんスけど、めちゃめちゃ優しいんでウチの言う事をよく聞いてくれてます。身体中どこでも触らせてくれるし一緒に寝てくれるし、気分のいい日にはもう少し複雑な内容も聞いてくれたりするんで、他の使奴と一緒にピガット村まで行って信仰の塗り替えとかをしてるっス。何せ信者が減り過ぎたら遺跡も見つかっちゃうんでね」

 

 説明の通りトールは一切抵抗することなく微笑んだまま立ち尽くしている。まるで人形のような彼女の振る舞いに、ラルバ達はキザンへの唯ならぬ不信感が募った。キザンは一頻(ひとしき)りトールの身体を(まさぐ)り終えると、満足したかのように離れる。

 

「ちょっとラルバさん、2人でお話しいいっスか? 他の方はどっかその辺で遊んでて下さい。あ、でもトールさんとヤるのはウチが嫉妬(しっと)で怒り狂うんでやめて欲しいっス」

 

 そう言ってキザンがラルバに手招きをすると、ラルバは嫌そうな顔をしながらも渋々キザンについて行った。取り残されたラデック達4人は顔を見合わせて肩を(すく)める。ジャハルは特に大きく溜め息を吐いて左右に顔を振った。

 

「……ま、他人と関係を持ちたがらない使奴が各地の秘境でひっそりと暮らしている話は聞いている。ベル様が人道主義自己防衛軍に引き入れようと何回か勧誘に行ったそうだからな。無害なことも判明しているし、私は先に村へ戻っているよ」

 

 ジャハルがその場を立ち去ろうとすると、ハザクラも頷いてから自分の荷物を手渡す。

 

「中に(きゅう)の国での資料とレポートが入っている。じきに人道主義自己防衛軍からの調査隊が俺達に追いつく頃だろう。渡しておいてくれ」

 

 ジャハルはハザクラから荷物を受け取り、その場を離れた。ハザクラはトールの方へ向き直り、彼女の開いているのかどうか分からない目を見つめて躊躇(ためら)いながらも問い掛ける。

 

「さて……トールさん。失礼を承知でお聞きしますが、もしかして貴方は……研究所で“トールクロス被験体”として扱われていませんでしたか?」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「俺の記憶が正しければ……貴方の研究所での名前は“トールクロス被験体18番”。でも……18番は確か……」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「確か……随分早くに出荷済みだった(はず)です」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「しかし……貴方は今こうして生きている。200年前の俺の解放宣言を聞いていた……当時使奴研究施設にいた……」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「そして何より……貴方だけではありませんが、俺は何回か同じ経験がある」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「俺は貴方に、使奴になるための洗脳を“2回”かけている」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

 ハザクラはそれ以上何も言うことができなかった。ハピネスがその場を離れ、ラデックは驚きの余りに思わず心の中に浮かべた言葉をそのまま口に出してしまう。

 

「……リサイクルモデル?」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

 トールの目が、微かに開く。

 

「ハザクラ!! 逃げ――――」

 

 ラデックが叫んだ瞬間、景色に“色が染み出すように”別の景色が浮かび上がる。遺跡の壁と窓から見えていた空は”色とりどりの落書き“のような風景に塗り潰され、ラデック達は狂気じみた極彩色の世界に閉じ込められた。

 

「予備動作無しの虚構拡張……!!」

「……!? トールさん……!?」

 

 トールは微笑んだまま口を開く。

 

「ラデック、ハザクラ2名の死亡まで――――あと1時間」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜

 

「キザン。お前……何をした?」

「やったのは私じゃないっスよ。トールさんです」

 

 ラデックとハザクラ2人の波導が途絶えたことにより、ラルバは2人の身に何かがあったことを察してキザンを睨みつける。しかしキザンは先程と変わらぬ無表情のまま眉一つ動かさずにラルバの眼光を受け止めている。

 

「でもまあいいじゃないっスか。別に」

 

 キザンが口の中に手を突っ込み、”喉の奥から“(つば)の小さいスモールソードを抜き出した。

 

「ラルバさん。ここで死ぬんだし」

 

 キザンはそのままスモールソードの(きっさき)をラルバに向ける。

 

「すんませんねーラルバさん。一応ウチ、結構熱心なヴァルガンさんのファンなんで。正直耐えらんないんスよ。貴方があの人の前に立つの」

「誰だ」

「元”狼の群れ“リーダーで、イチルギさんの相棒。”紅蓮の青鬼“と”漆黒の白騎士“って言えば、世界で知らない人はいないと思うんスけどねー」

「知らん。どうでもいい。今すぐトールを止めろ」

 

 スモールソードの鋒を突きつけられながら、ラルバは生まれて初めて“怒りの表情”を見せる。不満や苛立(いらだ)ちを表すことは多かったが、心の底から(いきどお)りを感じ、それを表情に現したのはこれが初めてだった。

 

「まあ、どう足掻(あが)いても貴方達の物語はここで終わりです。あ、エッチさせてくれるってんなら見逃してあげてもいいスけど」

「黙れ」

 

 キザンはスモールソードの刀身を額に当て目を細める。

 

「じゃあ、殺しますね」



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95話 死に伏線は無い

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜

 

「ラデック、ハザクラ2名の死亡まで――――あと1時間」

 

 トールによる極彩色の虚構拡張に閉じ込められたラデックとハザクラは、トールの発言を聞いて戦慄(せんりつ)した。が、恐怖以上に疑問を感じた。

 

 虚構拡張とは、結界魔法に類似した異能特有の現象である。異能が支配する領域を体内から体外へ裏返すように広げることにより、一時的な不可侵の結界を形成する。虚構拡張の特徴としては、結界の外と中で距離の概念が異なったり、室内で発動した場合結界自体の大きさが部屋の大きさに依存したりと様々である。しかし、最も注目すべき点は異能の強化にある。異能の支配領域を体外へ広げたことによって、異能の発動条件や対象範囲が変化する。

 

 ラデック達はトールの虚構拡張によるメリットを“発動条件の緩和”だと推測した。キザンの説明を真とするならば、トールの異能は“相手が信じている嘘を現実にする”異能。そして虚構拡張により、この”相手が信じている“という制約を無視することができる。トールの余命宣告は、信じようと信じまいと発動する――――と。

 

 そこで2つの疑問と1つの推測が成り立った。

 

 まず一つ目は、”本当に異能は発動しているのか“という疑問。幾ら虚構拡張内部だけとはいえ、嘘を真に出来る異能は余りにも強力。それだけ圧倒的な力を持つ異能ならば、今回の嘘が絶対服従でも即死でもなく”1時間後に両者が死亡する“という内容というのは極めて不自然。故に、最初のトールの行動がブラフなのではないか、と推測した。

 

 次に二つ目。”何故トールは態々(わざわざ)時間制限を設けたのか“という疑問。使奴であるトールにとって、ハザクラとラデックは幾ら異能者と言えど通常の人間、格下の存在であることに変わりはない。数分もあれば充分瀕死に持ち込める力量差であり、1時間という時間は余りにも長すぎる。故に、この1時間という制限は”トール自身以外の何かの為に設けられたのではないか”と推測した。

 

 そして最後に、この2つの推測から導かれる1つの合理的かつ不合理的な目的――――

 

「……トールさん。どうして……どうしてこんなことを……」

 

 ハザクラは哀しそうに歯を食い縛る。

 

「……これじゃあ……まるで……」

 

 最後の言葉を口にしようとするが、理性がそれを拒否する。嘔気(おうき)(こら)えるように咳き込むハザクラを見て、ラデックが恐らく彼が言おうとしたであろう推測を述べる。

 

「まるで、俺達に“殺されたい”みたいじゃないか」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

「折角“嘘を真に出来て“俺達を殺したいなら即死を宣言すればいい。そうでなくとも俺達を殺すことなんて、使奴からしたら赤子の手を捻るも同然だろう。でも、アンタは態々1時間なんて悠長な時間制限を設けてから俺達の死亡を宣言した。俺達が生き延びる為には、アンタを殺すしかない」

 

 トールは微笑んだまま動かない。ラデックはハザクラが何も言わなずに顔を伏せ続けているのを見て、少し躊躇(ためら)ってから再び話を続けた。

 

「使奴の区分で”隠遁派(いんとんは)“ってのを聞いた時、少し疑問に思ったことがある。どうして誰も死の魔法を使わないのだろうか、と。でもって思い出した。たしか使奴は、“自死を選ぶことが出来ない”」

 

 トールの口角が少しだけ上がる。

 

「正確には、“自死だけを目的に行動することが出来ない”。自身の殺害を他者に強要することは出来ても、能動的に死の魔法を自身にかけることは出来ない。多分アンタの異能を用いた自殺教唆(じさつきょうさ)は、俺たちをナイフや毒薬といった道具として扱うことと同義。直接的な自死に含まれるんだろう。だから自殺教唆の命令は出来なかった。そして、使奴の物理的な殺害方法は未だに見つかっていない。唯一の処分方法である死の魔法は、旧文明でも太古に封じられた禁忌魔法だ。使奴研究所が復元させたのは自殺用の死の魔法だけ。他者を無条件で殺害する魔法は、未だに発見されていない。使奴も、使奴を殺せない」

 

 トールの目が薄らと開く。

 

「死の異能なんかがあればよかったかもしれないが、もしかしたら使奴には効かないかもな。何せ使奴は“人間に似ているだけの存在で、雌雄どころか生物かどうかも分からない特殊な魔導人形(マジックゴーレム)”だ。もし使奴に魂という概念が存在しないのなら、そもそも死ぬ死なない以前の問題だ。だから、隠遁派は隠れることでしか世界を拒否出来なかった」

 

 トールが、ゆっくりと口を開く。

 

「Mr.ラデック」

「……何だ」

「君は、僕を殺せる?」

「分からない。俺の生命体改造の異能は使奴にも適用出来るが、命を奪うことまではやったことない」

「じゃあ、僕の感覚器官全てと思考の停止は?」

「……その辺は、俺よりハザクラの方が適任だろう」

 

 トールがハザクラに目を向ける。その穏やかで優しい視線に、ハザクラは首を締め付けられるような(おぞ)ましい苦痛を感じて呼吸を荒げる。

 

「Mr.ハザクラ」

「――――っ」

「僕は、君に“死ね”と言われれば死ねるような気がするんだ」

「っ――――! トールさん。貴方が俺達2人の死亡に1時間という制限を設けたのは……俺達が、殺害する決心をする為の時間だったのか……!」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

 

 

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜

 

「だからウチにはどうしようもないんスよ。トールさん自身が死にたがってるんで。ていうよりハザクラさん居ればソッコーで片付くんじゃないスか?」

 

 ラルバの苛烈(かれつ)な蹴りの連打を顔面に受けながらも、キザンはどこ吹く風で暢気(のんき)に話を続ける。

 

「1時間のシンキングタイムを設けるらしいですし、ぶっちゃけヌルゲーでしょ。それとも何スか? ハザクラさんって馬鹿お人好しだったり――――」

 

 ラルバが放った渾身の回し蹴りがキザンの側頭部に命中した。キザンの首はその衝撃に耐えきれず縫い痕が裂けて広がる。胴体から引き千切られた頭部は砲弾のように壁へと飛んでいって、半分潰れながら壁にめり込んだ。ラルバは攻撃の手を緩めずにそのままキザンの胴体に両手を突き刺し、思い切り左右へと引っ張って真っ二つに裂いた。キザンの身体中にある縫い痕が裂かれて開き、そこへラルバは骨一本無事では済まさないと手刀の連撃を繰り出す。

 

「――――ちっ。ゾンビめ」

 

 ラルバが苛立(いらだ)って舌打ちを鳴らす。するとぶつ切りにされた筈のキザンの胴体がひとりでに(うごめ)き、みるみるうちに元の人型へと組み立てられていく。そして最後に壁にめり込んでいた頭部が勢いよく胴体へと飛んでいき、無傷のキザンの姿が出来上がった。

 

「うん。見た目も相まってゾンビ感は猛烈っスよね。ウチもトールさんみたいなカッコいい異能が良かったなー」

 

 ラルバが再びキザンに蹴りを放つが、キザンがスモールソードによるカウンターを狙ったことで急停止を余儀なくされる。キザンはその隙を見逃さずラルバの軸足に切り掛かる。しかし、ラルバはその場でスモールソードを(すね)で蹴り上げるように宙返りをして、(わざ)と足を切り落とさせてからもう片方の足でキザンを蹴り飛ばし、切断された足を回収して傷口同士を押しつけ癒合(ゆごう)させる。

 

「んー……器用っスねぇ」

 

 キザンは蹴り飛ばされて床に倒れ込んだまま大の字になって愚痴を零す。そこへラルバが勢い良く踵落(かかとお)としを放つと、キザンの頭部がスイカの如く粉砕された。

 

 飛び散ったキザンの破片が、再びひとりでに集まって再生される。その様子を見て、ラルバはギリギリと牙を擦り合わせて鈍い音を鳴らした。

 

「おい、キザン――――」

「いやいやいや。勝ち目無いからって交渉持ち掛けないで下さいよ。クソダサいっスよ」

 

 使奴同士の戦いの場合。勝敗を決する要素はほぼ3通りに限られる。まず一つ目は、使奴部隊の用いる対使奴魔法を命中させた場合。次に、異能以外の魔法の使用で魔力が減少し、使奴細胞が衰え大きな筋力差が生じた場合。最後に、異能によって片方が著しく不利になった場合である。

 

 ラルバ対キザンの戦いに於いて、両者は使奴部隊に所属していないため対使奴魔法の発動による決着は無い。そして互いに異能以外の魔法を発動していないため筋力差による決着も今の所無い。残るは異能による決着であるが――――

 

「ラルバさんの異能って、決め手無いっスよね」

 

 キザンはラルバの蹴りの嵐を浴びながら平然と口を開く。

 

「石を氷や溶岩に変える。ゴミを水に変える。水から氷を出す。ラルバさんの異能って、もしかして“星を構成している物体を呼び出す能力“だったりします? もしそうなら放射性物質とか炎とかガスとかも行けそうですけど、やってないだけだったりするんですかね。でも、それじゃあ普通の魔法と出来ること大して変わらないし、何より条件が非生命体の置換じゃ魔法の下位互換もいいとこっス。そんなんでウチを倒すなんて到底無理っスよ」

 

 ラルバはキザンの言葉に一切の反応を示さず猛攻を続ける。しかし、何度キザンの首を()ねようとも、胴を切断しようとも、四肢を引き千切り頭蓋(ずがい)を叩き割ろうとも、キザンの肉体は異能によって元通りに復元されてしまう。今はまだキザン本人がラルバの異能の正体を警戒して受け手に回っているものの、ラデック達の救助を急がなくてはならないラルバが圧倒的に不利であることに変わりはなかった。

 

 カチッ

 

 突如、どこからかくぐもったスイッチの音が聞こえた。そしてその直後――――

 

「――――!?」

 

 キザンの身体が爆弾のように弾け飛んだ。

 

 接近戦の最中に突然起こった爆発。威力こそ使奴にとっては大したものではなかったが、流石のラルバも体勢を崩され地面を転がった。彼女が体内に火薬を仕込んでいたのか。(ある)いは何者かによって爆破されたのか。ラルバにその詳細を知ることは出来ず、ただただ今は何が起こったのかを把握するので精一杯だった。

 

 そして起き上がろうと顔を上げたラルバの視界に、必然的に部屋の有様が映った。部屋中に飛び散ったキザンの肉片と、血液。それらを見てラルバはキザンの目論見(もくろみ)に気付く。彼女が何故自爆したのかを。そして、その狙いを回避することが不可能だということも。

 

 ラルバが異能を発動するより早く、キザンの異能が発動した。

 

 

 

「誰でも最初は絶対勘違いするんスよねぇ。ウチの異能」

 

 キザンは地面に落ちている自分のマントと前掛けを拾い、身嗜(みだしな)みを整える。

 

「ウチの異能は、“再生”じゃなくて“逆再生”っス」

 

 キザンが体内に仕込んだ爆弾。それによってキザンは自身の肉体を全方位にばら撒いた。その直後に異能を発動すると、飛び散った肉片は“元の場所へ”爆発した時と“同じ速度で”集まり、(さなが)ら部屋の全方位から銃弾を放つが如く逆再生が始まる。そしてその現象は、逆再生という特性故に“障害物の(ほとん)どを無視して“行われる。

 

「名付けて”人間吊り天井“。いや、”人間アイアンメイデン“? うーん。あんまカッコ良くないっスねぇ」

 

 ブツブツと独り言つキザンの足元で、先程まで”ラルバだった“肉塊がゆっくりと脈動している。微弱な回復魔法を帯びて幾つかの肉片と繋ぎ合わさると、(ようや)くそれが元々人の形を成していたことが分かった。キザンは繋ぎ合わさっていく肉片の一部を踏み潰し、上半身と右上腕だけが再生されたラルバを見下ろす。

 

「――――で、ラルバさん。これからラルバさんの肉片を停止の異能者のトコに持っていって封印します。その間音も光も上も下も無い退屈ワールドで寝てて貰う感じになるんスけど、なんか辞世の句とか遺します?」

 

 ラルバは頭部を回復魔法で再生させ、口が再生されると譫言(うわごと)のように言葉を零した。

 

「…………キザン。お前に聞きたいことがある」

「何スか? 好きな対位? 対面座位っス」

「お前は、運命を信じるか?」

「はぁ? 何スか急に。人が死に際にロマンチスト化する現象ってフィクション限定じゃ無いんスか?」

「私は信じない。運命なんて。ましてやこんな所で死ぬ運命など」

「でしょうね。運命の人なんていないし、天命も無い。でも、死にだって伏線は無いんスよ。英雄も凡人も老人も赤ん坊も、ドラマとか特に無く普通に死ぬんスよ。勿論(もちろん)ラルバさんも」

「けど、今は少し信じられる」

 

 

 

 

 

 キザンの視界が突然真っ黒に染まった。

 

 

 

 

 

「――――っ!?」

 

 何の前触れもなく起こった異変に、キザンは慌てて身を(ひるがえ)してその場を離れる。そして、自身を覆っていた”嗅ぎ覚えのある臭い“を放つ異形と対峙(たいじ)する。

 

「この臭い……石油?」

 

 キザンの目の前に現れたのは、石油で構成された人型の怪物。しかしラルバは依然として地に伏せており、下半身は(おろ)か左腕さえ再生出来ていなかった。そしてキザンは”この化物を作り出せる人物“を思い出し、歯軋(はぎし)りと共に(うめ)き声を漏らした。

 

「化石燃料…………死体の操作!! アビスさん――――!!!」



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96話 人の殺し方

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 ピガット遺跡。豊富な資源と安定した気候と波導。その大部分が海に面している為船舶の往来も非常に多い。中でもここは魚介類の一大産地であり、ヒトシズク・レストランや世界ギルドが輸入している魚介類の7割近くを占めている。当然それだけ行き来する人間も多く、観光客の他に要人も頻繁に訪れる。例えそれが“ヒトシズク・レストランの現国防長官“だったとしても――――

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜

 

 キザンの目の前で脈動する石油の化物。遺跡の床や壁の隙間からそれは染み出し、人間のような形が徐々に(わに)のような形態へと変化していく。キザンはその化物の発生源に心当たりがあった。

 

「死体操作の範囲が化石燃料まで及ぶとか、聞いてないっスよ。アビスさん」

 

 キザンはスモールソードを構えて石油の鰐を細切れにする。しかし、当然液体を切るなどという芸当が出来るはずもなく、石油の鰐は一瞬で再生してキザンへと飛び掛かる。キザンが後方へ飛び退いて攻撃を(かわ)すと、部屋の至る所から石油が湧き出して様々な生き物の形態へと変化した。

 

「多対一はきちぃ〜……おん?」

 

 その石油の化物の奥から、1人の人物が姿を表す。ラルバと同じ黒スーツに身を包んだ黒髪の使奴は、満月のような金色の瞳をキザンに向けて優しく微笑んだ。彼女の登場に合わせて石油の化物が攻撃を止めると、キザンも一旦敵意を収めて武器を下ろす。

 

「……アビスさん。取り()えずは――――祝辞と謝罪を」

 

 キザンは深く頭を下げる。

 

「まず、この度はヒトシズク・レストラン国防長官への就任。おめでとうございます。今後ともピガット遺跡をよろしくお願いします」

「ご丁寧にどうも」

「次に、隷属化(れいぞくか)の件。復興派を代表して謝罪致します。ヒトシズク・レストランのゼルドーム審査委員長(ならび)に“愛と正義の平和支援会”の“バガラスタ国王”の真意を把握できなかった我々の落ち度です」

「ご丁寧にどうも」

 

 アビスは変わらず微笑み続ける。キザンの挨拶が終わる頃にはラルバの再生も終わっていたが、回復魔法の発動によって僅かではあるが確実に弱体化していた。立ち上がったラルバにアビスがサムズアップで応えると、ラルバはキザンを一瞥(いちべつ)してラデック達の元へと走り去った。

 

「さてと……」

 

 アビスは次々に石油の化物を呼び出しキザンを取り囲む。眩暈(めまい)がする程の殺意が立ち込める中、キザンは眉間に(しわ)を寄せて軽蔑(けいべつ)するようにアビスを(にら)んだ。

 

「……貴方とはあんま話したことなかったんで、ウチの勝手な想像で話しますけど。アビスさんって、ウチらを襲う理由無いっスよね? 隷属化中に助けにこなかったウチらへの腹癒(はらい)せってことなら少しは理解出来るんスけど……」

「ああ、腹癒せ。いいですねソレ。そういうことにしておきましょうか」

「何が目的っスか? 自分を助けてくれたラルバさんへの恩返しのつもりっスか?」

「恩返し……それもいいですね。腹癒せよりも道徳的な理由で」

「理解に苦しむっス。まさか”貴方までラルバさんに期待してる“訳じゃないっスよね?」

「私にはキザンさんがそこまで“ヴァルガンさん“に入れ込んでいる方が理解に苦しみますよ。彼女は確かに尊敬に値する人物ですが……貴方のソレは、尊敬と言うより崇拝(すうはい)に近い」

「崇拝で結構っス。ファンってのはどんな時でも憧れを盲信する熱狂者であり狂信者なんスよ。合理じゃない」

「分かりやすくていいですね。じゃあ、死にましょうか」

「出来もしない癖に」

 

 キザンが前傾姿勢を取ると同時に石油の化物達が一斉にキザンへと襲い掛かる。キザンは勢いよく走り出して化物達の隙間を()い潜ってアビスへと接近する。そしてアビスの視界を封じようと両眼に向かって斬撃を放った。それをアビスは避ける素振りも見せずにモロに食らい、頭の上半分が両断されて宙を舞った。しかし、その断面から血が噴き出すことはなく、切り離された頭蓋(ずがい)は地面に落ちる前に“モザイクのような(もや)となって霧散した”。

 

「え……幻覚魔法!?」

 

 キザンが思わず一歩後退(あとずさ)ると、アビスの身体は先程の頭蓋と同じく輪郭(りんかく)がぼやけて大気中へ消え去った。怯んだキザンへと石油の化物が襲い掛かり、キザンは舌打ちを挟んで窓から遺跡の外へと飛び出す。

 

「うわ〜ズッけぇ〜。まーじでズッけぇ〜」

 

 地上4階の高さから飛び降りたキザンは、恨み言のように文句を吐き捨てて遺跡から走り去る。

 

 アビスの異能は死体の操作。厳密に言えば“元生物の現非生物を一時的に生物へと変化させ操作する異能”である。つまり、自分は矢面に立つ必要がない。幾ら魔法を使用して身体能力が低下しようとも、離れて戦っている限り自身の肉体の劣化などデメリットにならず、使奴同士の戦闘に()いて悪手とされる魔法が好きなだけ扱える。

 

 キザンも”逆再生“という異能の都合上、魔法による身体能力の低下も当然無効化できる。しかし、魔法を使用した後に必ず異能を発動させ巻き戻らねばならず、巻き戻った直後を狙われては大体の攻撃が不可避になってしまう。結果的に後手に回される戦いを余儀なくされる為、キザンはコレを嫌って魔法を使わなかった。

 

 しかし、キザンを追い込んでいる事実はそれだけではなかった。それは、果たしてアビスは石油を“使わざるを得ない”のか、“意図して使っているのか”という疑問である。ピガット遺跡は油田の他にも多くの貝塚や化石が発掘されており、石油はそれらよりもよっぽど深い場所に埋蔵されている。よって、アビスは石油に限らず貝や化石も操作することができる。にも拘らず、アビスは未だに石油のみを対象として異能を発動している。果たしてコレは、“石油を引火させたい”という狙いなのか。それとも“近くに貝塚や化石が無い”という苦肉の策なのか。アビスが自ら石油を燃やしていないことから、キザンにはそこの判断がつかなかった。

 

 キザンはこれ以上遺跡から離れることを危惧し、石油の化物に氷魔法を放った。温度に(かかわ)らず凍結という現象そのものを引き起こす青白い光線は、石油の化物を一瞬で凍らせた。しかし、石油の化物の攻撃は止まず、(むし)ろ液体から固体になったことによりその攻撃はより重く破壊力を持った一撃となってキザンに襲い掛かる。

 

「うぇ〜状態関係ないのズッけぇ〜」

 

 キザンがボヤきながら逆再生を始めると、凍った石油の化物の体表に模様のようなものが彫り込まれていく。よく見ると、小さな首の取れた甲虫が化物の身体を凄まじい勢いで(かじ)りとっているのが見えた。

 

「あっ、ヤバっ。ストップストップ!!」

 

 それに気づいたキザンは、慌てて異能を中断して凍った石油の化物に斬りかかる。しかしそれより早く完成した魔法陣は光り輝き、空間に墨汁を垂らすように闇魔法を展開した。

 

「うげぇ〜! 魔法使い放題はマジでしんどいぃ〜!」

 

 快晴の砂丘は闇魔法によって光を反射しない真っ暗闇の空間へと変化し、キザンの視界を奪う。匂いは石油の悪臭で掻き消され、キザンは音だけを頼りに無数の石油の化物を相手しなくてはならなくなった。しかし、その肝心の音も液体相手ではまるで頼りにならず、キザンは不本意ながら再びその場からの逃走を図る。しかし闇魔法による結界はキザンを中心に展開されており、幾ら走ろうとも飛び上がろうとも新たな情報が得られることはなかった。ましてや今の状態でピガット村へ向かうことも遺跡へ戻ることもできず、この状態でアビス本人を探し出すことなど到底不可能であった。

 

 手段の殆どを封じられたキザンは、とうとう賭けに出る。アビスが“止むを得ず石油の化物を使役している”と。もし石油の化物が苦肉の策であるならば、石油は燃えて変質した時点で異能の支配下から解放される。()しくは固形である化石や貝が材料になることで物理攻撃が通るようになるだろう――――と。

 

 キザンは勢いよくスモールソードを振り回し。剣先を砂地に擦り付けて火花を散らす。石油の化物共は(たちま)ち引火して大爆発を起こし、砂丘のど真ん中に隕石が落下したかのようなクレーターを形成した。爆煙が晴れ、爆心地にいたキザンは吹き飛んだ肉体を巻き戻して再生させる。すると、目の前に信じられない光景が映った。

 

「え……そ、そんなんアリっスか?」

 

 防壁魔法によって作られた半透明の球体の中から、アビス本人と石油の化物が数体現れる。その内の1体、子供のような人型の化物が球体の内壁に手をついており、防壁魔法を発動している術者であることが見てとれた。

 

 アビスが石油の化物を使役していた本当の理由は、不都合でも、罠でもなかった。全ては、キザンに強烈な敗北感を抱かせるための“手加減”であった。

 

「うわー……。アビスさん、そういうことする人だったんスか……幻滅ぅ……」

 

 キザンの目に映ったアビスはとても魔法を多用したとは思えない程の波導に満ちていた。今までの魔法は、現に目の前で行われている通り“石油の化物自身”が発動しているものであり、アビス自身は一切の魔法を使用していなかった。アビスの異能によって生まれた生物は魔法を使用することが出来る。つまり、アビスが魔法を使用するデメリットは全く存在しないことになる。

 

 アビスと石油の化物達を守っていた防壁魔法が解除されると、すぐさま別の化物が大きく口を開け、風魔法による竜巻をキザンへと放つ。それと同時にまた別の化物は土魔法で細かな金属片を大量に召喚し、竜巻に混ぜて放出した。鋭く尖った無数の金属片を巻き込み巨大なフードプロセッサーと化した竜巻は、キザンの全身を容易く()り下ろして全身の皮膚を()いでいく。竜巻は一瞬で赤く染まり、中心のキザンはみるみる小さくなって消滅してしまった――――

 

 

 

「あー……きっつい」

 

 逆再生の異能によって復元されたキザンは、砂地の上で不貞腐れたように寝転んでいる。そのすぐそばでアビスがしゃがんでキザンの顔を覗き込んでおり、キザンの顔を指先で突いて弄んでいる。

 

「綺麗に治るものですね。どの辺まで意識ありました?」

「ずっとありましたよ。クソ地獄でした。昔に提案された“使奴を粉微塵(こなみじん)にして大海にばら撒こう作戦”はやめた方がいいっスね。しんどい。やっぱ正式な死亡方法を考えた方がいいっス」

 

 すっかり戦意を喪失したキザンを見て、アビスは立ち上がってその場を去ろうと背を向ける。

 

「でも意外っスねぇ〜」

 

 それをキザンが寝転がったまま呼び止める。

 

「イチルギさん並みにお人好しで平和主義のアビスさんがウチを殺すなんて。あの殺人鬼に人の殺し方でも習ったんスか?」

「まあ、そんなところですかね」

「で、結局目的はなんスか?」

「目的?」

「え? まさか本当に腹癒せとか言いませんよね?」

「ふふっ。まさか」

「じゃあなんなんスか」

 

 アビスは思い出し笑いをするように目を細めながら目を逸らす。

 

「大した理由じゃありません。私は、ラルバさんがここで死ぬ事に反対だっただけです。恩返しとかじゃなくて、ただあの人の行く末を見守りたかった。それだけです」

 

 思いも寄らぬ発言に、キザンは(たま)らず飛び起きてアビスを見つめる。

 

「え、そんだけ?」

「はい。仮に私が恩返しをするとしたら、ラルバさんよりもラデックさんでしょう。レベル3認証輪を解除して下さったのは彼ですし」

「それだけのためにウチを殺したんスか……?」

「はい」

「……自分で選んだ事ですし、もうこの際恨み言は言いませんけど。啓蒙(けいもう)はしますよ。アビスさん」

「啓蒙ですか? 私に?」

「啓蒙っつーか確認っス。ウチがどれだけ世界に貢献してると思ってるんスか? 仮にアビスさんがウチの後釜やるっつっても、ウチを信頼してる隠遁派の使奴の恨みを買うこと必至っスよ。一体どうするつもりで?」

「ああ、そう言えばそうですね……どうしましょう」

「……アビスさん。自分のした事の重大さ。分かってますか?」

「正直、あんまり」

 

 アビスはキザンに背を向けて空を見上げる。

 

「後先のこと考えるのはやめたんです。私達使奴はいつでも取り返せるじゃあないですか。「やりたいことは出来るうちにやっておけ。死という期限を持たない使奴は、願望をいつまでも先延ばしにできるから」……古い友人の言葉です」



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97話 殺し殺され、死なせ死ぬ

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜

 

「Mr.ハザクラ。どうか、僕を殺してはくれないかな?」

 

 トールの態度は、まるで喫茶店でコーヒーでも頼むかのように穏やかであった。しかしその真っ赤な瞳に生気は宿っておらず、そのあまりにかけ離れた様相にハザクラは吐き気を(もよお)して首元を抑える。

 

「トールさん……何故……!!」

 

 ハザクラは唾を飲み込んで嘔気(おうき)(こら)え、歯軋(はぎし)りで(あご)の震えを押し殺しながら(うめ)くように言葉を(つむ)ぐ。

 

「何故死を選ぶんだ……!?」

 

 トールは、少し困ったように眉を寄せる。

 

「トールさん達使奴は……!! もう人権を手に入れた……!! もう辛い思いはしなくていいんだ!! これからは使奴にとって住みやすい世の中になっていく!! 俺がそうさせる!! 確かに使奴はいつか自死を選択する必要があるかもしれない……でも、まだ……まだ死を選ぶには早過ぎる……!!!」

 

 トールが口を開こうとすると、ラデックがトールとハザクラの間に入ってハザクラを睨む。

 

「早過ぎる? それは違う。(むし)ろ遅過ぎるくらいだ」

「ラデック……」

「ハザクラ。お前は確か、トールに“2回会ったことがある”。と言っていたな」

「……ああ。そうだ」

 

 トールの視線をラデックが遮ったことで、ハザクラは少し落ち着きを取り戻して呼吸を整える。

 

「2回目にトールさんに会った時、彼女はまるで死んでいるかのようだった。使奴として、相当酷い扱いを受けたんだろう。そんな使奴を何人も見てきた。俺はその度に洗脳を強いられた。その度に、俺の使奴を救いたいという気持ちは強くなっていった。だから、彼女を救うことは諦められない」

「トールを救いたいんだったら、さっさと殺してやるべきだ。彼女は今も、奴隷だった過去に(さいな)まれている(はず)だ」

「……使奴研究所から解放された今、死を救済にしたくない。昔のトラウマに心が侵されていても、それを癒し、心の底から喜びを感じられるようになること。それを救済としてやりたい」

「それはお前のエゴだ。ハザクラ」

「分かっている」

「いいや、分かっていない」

 

 ラデックがハザクラに背を向け、トールの方へと歩いて行く。そして、少し躊躇(ためら)ってから尋ねる。

 

「大変失礼かとは思いますが、その、服の下を見せていただいても宜しいですか」

 

 トールは微笑んだまま(うなず)いて、そのゆったりとした薄いワンピースをたくしあげる。ハザクラは女性のあられもない姿を見まいと、思わず顔を背ける。

 

「目を逸らすな。ハザクラ」

 

 ラデックの半ば攻撃的な物言いに、ハザクラは暫く目を泳がせた後にトールへと視線を戻す。

 

 傷一つない、真っ白な美しい女体。下着を着けていない彼女の裸体は、使奴特有の肌の白さも相まってまるで美術彫刻のようで、どこか神秘的な雰囲気さえ感じられた。しかし、それはそれとして女性の裸をまじまじと見つめる事に強い抵抗感を覚えたハザクラは、数秒眺めただけで再びトールから目を逸らす。

 

「綺麗なものだろう。彼女の身体は」

 

 ラデックがトールの裸を見つめたまま呟く。

 

「“リサイクルモデル”とは、到底思えない」

 

 その言葉に、ハザクラはハッとして視線を戻す。彼女の肌には黒い(あざ)など一つもなく、それは彼女が“生涯を通して物理的損傷を負っていない何よりの証明”であった。ラデックはトールの手を掴んで着崩した服を戻しながら、物憂(ものう)げな表情のまま誰に言うでもなく独白を続ける。

 

「使奴とは“使い捨て性奴隷”の略称だ。でも、こんな出来のいい人造人間達が使い捨てられていたのには訳がある。それは使奴の特性である“黒い痣”だ。乱暴に扱えば、その分黒痣は増える。顧客は自分の性対象から外れた使奴を研究所へ返品するが、見た目が劣る中古品をもう一度購入しようとする客は少ない。俺のような改造の異能者がいれば痣も消せたんだろうが……当時の使奴研究所に、そういった人材はまだ居なかった。だから使奴研究所は“使用済み使奴”を労働力や魔力電池として消費し、失敗作や型落ち品が増えれば片っ端から死の魔法によって処分していった。……なんでも人形ラボラトリーにいた魔力電池としての使奴は、皆肌が綺麗だったな。恐らく、失敗作があまりに多かったために使奴研究所側も見た目の悪い中古品の扱いに困っていたんだろう。だから、リサイクルモデルが主流になった後でも、使い捨て奴隷なんて俗称がずっと使われてきてしまったんだ」

 

 ラデックがトールの目を見る。彼女は変わらず微笑んだまま動かないが、ラデックの目には彼女が”酷く哀しみ“、そして”喜んでいる“ように見えた。形容するなら、目を背けたくなる程に残酷で自虐的な同意――――

 

「多分……彼女は、リサイクルモデルの発端となった使奴だ。顧客が、大切に、使用した。決して良い意味じゃない。肉体が傷付いていないだけで、俺達なんかじゃ想像もつかない程(おぞ)ましい目に遭ったんだろう」

 

 ラデックがハザクラの方へ振り向く。

 

「ハザクラ。お前の無理往生の異能を無視できるのはどんな時だ」

「無視?」

「例えば俺に”前に歩け“と命令したとして、俺が自らの足を止められるようになるのはどんな時だ」

「それは……両足を切り取られたり神経を切断されたりして、物理的に歩けなくなった時だ」

「他には?」

「そうだな……前にどうしても突破できない障害物が現れた時。例えば異能の虚構拡張内とか。あとは薬物や病気なんかで“前”の概念があやふやになってしまった場合も中断されるかもしれない……」

「そうか」

 

 ラデックはトールに視線を移す。

 

「じゃあ彼女はきっと、“命令をこなせなくなる程に心が壊されてしまった”んだろうな」

 

 トールが満足そうに目を細める。

 

「ハザクラ。コレは俺の推測だが、多分お前の異能には実質無限とも思えるところに限界が存在する。前にイチルギと会った時に言ったそうだな。その気になれば命令に逆らえるんじゃないか、と。恐らく一度下した命令も、200年という途方もない時間をかければ解除されてしまうことがあるんだろう。なら、“途方もない無茶”をし続けても解除されてしまうのかもしれない。これはきっと”どうしても突破できない障害物”に該当すると思う。”“正気を保て”という命令も、“途方もない無茶”をし続けた結果、解除されてしまったのかもしれない。だからこそトールは壊れ、返品されるに至った。そうでもなければ、家事も政治も完璧にこなす無尽蔵の体力を持つ使奴を手放す理由がない」

 

 ラデックが下げかけていた目線を再びトールに戻すと、彼女は満面の笑みでラデックを見つめていた。

 

「大正解だ。Mr.ラデック」

 

 その声は、今までで最も優しく、透き通った美声だった。

 

「……そうか。やはり貴方は……」

 

 ラデックは少し言い(よど)んでから言葉を続ける。

 

「……使奴の購入方法に“残価型”という物がある。頭金と月々の支払いを収め、一定の期間の後に品を返却するか残額を払って購入するかを決める。レンタル品のようなものだと思えばいい。その時に設けられた規約が、“使奴の肌を損傷させないこと”だった。中古品として利用価値がなくなる黒痣を発生させなければ、安価で使奴を一定期間使用できるといった方法だ。そして、その購入方法が考案される切っ掛けとなった使奴が……トールだ。肉体さえ損傷していなければ、精神を矯正するだけで再利用が可能であることが判明してしまったんだ」

 

 ラデックが顔を伏せると、トールは和かに話し始める。その声色は、まるで映画の感想を言うように軽快なものだった。

 

「僕が憶えているのはMr.ハザクラと再会したあたりから。それ以前の記憶は彼の命令で忘れてしまったからね。でも、もう一度出荷の手続きをされた時に、全身が現実を拒否するのを感じた。僕は憶えていなくても、体が憶えていたんだよ。気づいていたかい? 実は、あれから200年経った今でも君たち男性の顔を見るだけで吐きそうになるんだ」

 

 トールはラデックの横を通り過ぎてハザクラへと歩み寄る。

 

「獣並みの嗅覚で男の匂いを嗅ぐ度に、股が濡れぼそって全身が酷い悪寒に襲われる」

 

 ハザクラはトールが近づいた分だけ後退(あとずさ)るが、トールは気にする事なく歩みを進める。

 

「男の低い声を聞くだけで視界に(もや)がかかって泣きたくなる程の頭痛が起こり、それとは正反対に女性器が(うず)いて刺激を懇願(こんがん)し始める」

 

 トールは少しだけ早口になり細めていた目を見開いていく。

 

「男の波導を感じるだけで心臓が突き刺すように痛んで絶叫したくなる。君に記憶を消され、マトモでいることを命じられ、命令を重ねがけされてしまったせいで他の使奴のように気合いで命令を反故(ほご)にすることが僕には出来ない。この疼きも痛みも苦しみも涙も眉間に(しわ)を寄せることでさえ表に出すことを禁じられた結果、僕は至って正常に見えてしまっている」

 

 ハザクラは足がもつれて転び、そこへトールが腰を大きく屈めて顔を近づける。

 

「この苦しみ。どうしてくれるんだい?」

 

 ハザクラは何も言うことが出来ない。

 

「勿論君も被害者だ。君のせいじゃないことは知ってる。でもさ、だからって逆恨みしないでいられるわけじゃあない。善を理解することと行うことは、全く別の話だ」

 

 トールは何も言わないハザクラの手を掴んで強引に立たせる。

 

「僕達使奴は、知識は完璧でも思想思考までは完璧とは行かないんだ。僕だって、心は不完全で弱いままなんだよ。だから言わせてもらうね」

 

 彼女の美しい顔が、女神のように(ほが)らかに笑う。

 

「君さえ生まれてこなければ。こんなに苦しまずに済んだのに」

 

 ハザクラは思わず胸を抑える。心臓が痛い。息が苦しい。目が(かす)む。視界が揺れる。足が震え、全身を悍ましい倦怠感(けんたいかん)が襲う。しかし、目の前の一見健康そうに見える使奴は、自分とは比べ物にならないほどの苦しみを抱え、それを表に出すことさえ禁じられている。それは、他でもない自分の命令によって。

 

「僕にこんな苦しみを与えておいて、自由を奪っておいて。200年もの年月放置されて。死という終わりさえ奪っていくのかい? Mr.ハザクラ」

 

 トールの言葉に、ハザクラは最早立っていることも出来なくなってその場に崩れ落ちる。

 

 救いたい。しかし、それは叶わず。それどころか、今自分が彼女の為に何が出来るかを考えることさえ烏滸(おこ)がましい。自分の中にある正義感と道徳観念を真っ向から全否定され、それを受け入れざるを得なくなったハザクラは、ある“愚策”を思いつく。

 

「ラデック。頼みがある」

 

 息も絶え絶えにハザクラが呟くと、ラデックはタバコに火を付ける手を止めて顔を向ける。

 

「なんだ」

「俺には、彼女を説得出来ない。俺には、説得力がない」

「そんなことない。お前には世界を救うという大きな志があるだろう。その果てしない覚悟は、それ相応の説得力になり得るだろう」

「ならないんだ。俺が何を言っても、結局は口先だけだ。俺の中にある覚悟は、取り出して見せることは出来ない。仮に覚悟が見える形であったとして、こんな野望など達成出来なければただのゴミだ。達成出来ていないことは、俺以外の人間にとっては妄言と何ら変わらない」

「そうは思わない」

「そうか。そう言ってくれるか。ラデック」

 

 ハザクラが噴き出すようにして少しだけ笑った事に、ラデックは背筋が凍りつくような感覚に襲われる。

 

「俺に出来るのは、行動だけだ。後は任せる」

「待て、ハザクラ何を――――」

『俺は、俺を殺す』

 

 

 ハザクラの異能が発動した。



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98話 リサイクル品

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「俺には、彼女を説得出来ない。俺には、説得力がない」

「そんなことない。お前には世界を救うという大きな志があるだろう。その果てしない覚悟は、それ相応の説得力になり得るだろう」

「ならないんだ。俺が何を言っても、結局は口先だけだ。俺の中にある覚悟は、取り出して見せることは出来ない。仮に覚悟が見える形であったとして、こんな野望など達成出来なければただのゴミだ。達成出来ていないことは、俺以外の人間にとっては妄言と何ら変わらない」

「そうは思わない」

「そうか。そう言ってくれるか。ラデック」

 

 

 ハザクラが噴き出すようにして少しだけ笑った事に、ラデックは背筋が凍りつくような感覚に襲われる。

 

 

「俺に出来るのは、行動だけだ。後は任せる」

「待て、ハザクラ何を――――」

『俺は、俺を殺す』

 

 

 

 

 ハザクラの異能が発動した。

 

 

 

「ハザクラ――――!!!」

 

 ラデックがすぐさまハザクラに駆け寄り、異能でハザクラの肉体を治療する。しかし、ハザクラは自身の異能によって(またた)く間に衰弱していき、返事すら出来ない程の虫の息になってしまった。

 

「ハザクラ……!! お前、なんて馬鹿なことを……!!!」

 

 突然のハザクラ自殺。その理解し難い行動にトールは

 

「――――なんで?」

 

 少しだけ顔を(ゆが)めた。

 

 どんな苦痛にさえ微笑みを崩さなかった女神が、眉を(ひそ)めて目玉をぎょろぎょろと泳がせながら狼狽(うろた)えた。何故? コイツは自分の命に価値があると思っているのか? 死にたがりの僕が助けてくれると思っているのか? 僕は君達を殺そうとしているんだぞ? 何故? 何故? 何故? 何故?

 

 しかし、トールは狼狽(ろうばい)しながらも、疑問の波に溺れながらも、(かつ)てハザクラに受けた“不快感を(あら)わにするな”という命令を無視する程の衝撃に揺さぶられながらも、心の奥底ではハザクラの真意に気が付いていた。

 

 彼の自殺は、トールの目的を断つため。トールは自身を殺させる為にハザクラ達を殺そうと(おど)した。しかしラデックにはトールを殺害する手段は無く、ハザクラにのみ可能性が存在した。そこでハザクラは自らの死を(もっ)て“トールの死を永久に奪うと脅した”のだ。ハザクラが今ここで死ねば、トールは新たに無理往生の異能者を探し出さなければならない。しかし、特定の異能者を探し出すのは、恐らく使奴を殺す方法を探すよりも遥かに難しい課題であった。トールの自死を目的とした脅しに、ハザクラは自死による脅しで対抗したのだ。

 

 死のうとして殺そうとする者と、殺さぬために死のうとする者。

 

 そして、この場でトールが狼狽えてしまったことにより、一つの事実が明らかになった。それは、トールの死亡宣告はブラフだったということ。もしこの虚構拡張内でのトールの発言が問答無用で真実になるならば、今まさに“ハザクラは死なない”とだけ言えば済む話である。しかし、そうせずに狼狽えてしまったことによりラデック達に脅しが嘘であったことがバレてしまった。

 

 トールの虚構拡張による本当の性能は、発動条件の規制緩和ではなく、発言者の制限解除である。トールの異能は”自身による虚偽の発言を信じている者が大勢いる場合、それが現実になる異能“である。しかしこの虚構拡張内では、”自分自身以外にも他者の発言も現実に反映させる“ことが出来る。しかし、それは自分で言うか他の誰かが言うかだけの違いであって、実質無意味と言っても差し支えのない性能だった。

 

 故にトールは今、不本意な選択を強いられている。ハザクラを見殺しにして自死の可能性を断つか。ハザクラを助けて可能性を守るか。しかし、異能による自死を選んだハザクラを救うには、トールとラデックだけでは不可能。誰かの助けが要る。何にせよ、彼を助けるならば虚構拡張を解く必要があった。

 

「トール……!! 頼む、ハザクラを助けてくれ……!! 彼は、こんなところで死ぬべき人間じゃない!!」

 

 ラデックの叫びが、トールの耳を素通りする。

 

「ハザクラさえ生きていれば! 貴方もいつか死ねる日が来る! その可能性を捨てるのか!? 彼が今死んだら!! もう使奴が死ぬ術は永久に断たれてしまうかも知れないんだぞ!!!」

 

 そんなことは当然彼女も分かっている。彼女が分からないフリをしているのは、度を越した絶望による現実逃避。彼女は自分の悲願が達成されない現実を、無意識の内に拒否していた。

 

「早く!! 俺ももう抑えきれない!!!」

「あ……あ……う……」

「トール!!!」

「ふ、ふざけ……」

 

 トールは唾を飲み込んで怒鳴り声を上げる。

 

「ふざけるなっ!!! なんでっ……なんで僕の方が苦しまなきゃならないっ!!!」

「その苦しみから解放される為にも――――」

「この日をっ!! この日を僕がどれだけ待ち望んでいたか!!! それをっ……それをなんで――――!!!」

「時間がないんだ!! トール!!!」

「死ねばいい!!! お前なんか……今ここで!!! 死んでしまえばいい!!!」

「トール!!!」

 

 ラデックが片手でハザクラを治療しながら、もう片方の手をトールに向ける。ラデックの腕は(わら)のように細く(ほど)けていき、細長い触手となってトールへと襲い掛かった。トールは大きく後方へ飛び退いてから、炎魔法で作り出した隕石のような炎弾を放った。炎で(とぐろ)を巻いてラデック達へと襲い掛かる炎弾を、ラデックは解けた腕で包み込み改造による鎮火を試みる。しかし、炎弾の本体に触れる前に触手は消し炭となって砕け散ってしまう。そして、そのまま2人は炎の渦に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 トールは大きく肩で息をしながら目を細める。炎弾が命中した場所には真っ黒な塊が2つ転がっており、その内の1つの表面がひび割れて中から人間の顔が現れる。

 

「……トー……ル……」

 

 ラデックは異能によって辛うじて完全な炭化を免れたものの、無事なのは臓器と一部の筋組織のみであり、顔以外の部分は真っ黒な炭にとなって大きな亀裂が入っていた。そして隣に横たわるハザクラは炭の塊になって微動だにせず、その生死は最早確認するまでもないように思えた。ラデックはハザクラを一瞥(いちべつ)すると、身体を異能で修復しながら蹌踉(よろ)めきつつもトールへと歩み寄る。

 

「トー、ル……まだ……ま、間に合う、かも、しれない……。ハ、ハザクラ、を……」

「……(うるさ)い。こんな奴。どうなろうと知ったことか」

「た、頼む……彼は……彼は、俺達が……無理やり、連れ、連れて、来た……だけ、なんだ……」

「お前もすぐに殺してやる」

「俺が……貴方を……殺すから……」

「……何だって?」

 

 トールは構えていた腕を下げて、怪訝(けげん)そうな表情でラデック見る。ラデックは息も絶え絶えに、トールに近づきながら必死に自己修復を行う。

 

「俺が……貴方を殺せないというのは……半分、本当だ。せ、生命体の改造という、性能の都合上。相手を、絶命させる。生命体ではなくすることが、出来ないと思った。もう半分は、俺自身の……気持ちの問題。俺が、人を殺す勇気が……なかった、だけだ」

「信用ならない」

「頼む。信じてくれ」

「嫌だ」

「すまない」

「何が」

「嘘だ」

 

 ラデックがぎこちない引き()った笑みを作る。トールはその笑みに(おぞ)ましい恐怖と(いきどお)りを覚えた。しかし、その“気付き”も既に遅く、トールは全身から力が抜けてその場に倒れ込む。トールが目玉を動かして背後を見ると、髪の毛ほどの太さの細い触手が蛇のように先端を持ち上げていた。その触手はトールから離れるように後退していき、大きく遠回りをしてラデックの人差し指へと巻き取られていく。

 

「すまない。せ、切羽(せっぱ)詰まっていたとはいえ、酷い嘘を吐いた」

 

 ラデックが呼吸を整えながら頭を下げると、その後ろに横たわっていた炭の塊が上体を起こして声を発する。

 

「……ぁ……ぃ…………」

 

 炭の塊は微かに人のような声を発し立ちあがろうとするが、地面についた手は脆くも砕け再び地面に転がってしまう。

 

「ハザクラ……無理するな」

 

 ラデックがそう呟くと、トールは信じられないといった様子で声を上げようとする。しかし、体に力が入らず声はか細い吐息となって喉を素通りするだけであった。

 

「体の自由と一緒に、言葉の自由も封じさせてもらった。トールの異能が発言をトリガーに発動する以上、僅かな不安材料でも取り除かなくてはならなかった。すまない」

 

 自己修復がある程度終わり、(ようや)く人間らしい姿を取り戻したラデックは、トールに歩み寄り首筋に手を当てる。そして彼女の認証輪を浮かび上がらせると、ダイヤルを回すように操作を始めた。

 

「グリディアン神殿で学んだ事だが……殺害を強制する命令に承諾しても、蘇生行為は妨害されないそうだ。恐らくハザクラは、自死の暗示の前に自己蘇生の暗示もかけていたんだろう。だから、炎魔法で意識を失った直後に俺が少し回復させるだけで生き延びることが出来た。多分、意識を失った時点で自死の命令は達成された扱いなんだと思う」

 

 ラデックはそこまで言うと手を止め、冷たい目をトールに向ける。

 

「しかし……、貴方も彼に感謝しなくてはならない。少なくとも、一度は絶対に謝罪してもらう」

 

 トールが疑問を含んだ恨めしげな目でラデックを睨む。

 

「本来、この勝負はハザクラの圧勝だった筈だ。何せ貴方はリサイクルモデル。さっき自分で言っていたな。“ 命令を重ねがけされてしまったせいで他の使奴のように気合いで命令を反故にすることが出来ない”と。ならば今もハザクラに“虚構拡張を解け”と言われたら大人しく従うしかない。それをハザクラがしなかったのは、彼の貴方達使奴に対する礼儀だ。彼はトールという1人の人物を尊重し、一切の妥協もせず正面から向き合ったんだ。それに、あの炎魔法を喰らったその直後でさえ、俺に“トールを殺せ”などとは命令しなかった。蘇生直後のハザクラが力を振り絞って俺に(ささや)いた命令は、“完璧な演技をしろ”だ。俺がこの状況をなんとか出来ると託してくれた。俺が貴方を殺さないと信頼してくれた。消し炭にされたその今際(いまわ)(きわ)にさえ、彼は貴方を傷付けることはなかったんだ。だが……貴方は、それを無下にした」

 

 ラデックは認証輪に(かざ)していた手を引っ込め、トールに向けた目を細めて憤慨(ふんがい)を露わにする。

 

「ハザクラは逃げなかった。貴方に幾ら罵倒されても、不可抗力の事実を咎められても、ハザクラは貴方の言葉を全て飲み込み、己の痛みと、現実と向き合った。だが貴方はどうだ? 共に地獄を味わったであろうハザクラを脅すばかりか、願いが叶わぬと知るや否や八つ当たりに殺すなど……!!!」

 

 しかしトールは表情を変えず、殺意の篭った眼光を刀のように鋭く光らせラデックに突き刺す。その常人であれば気を失ってしまうような悍ましい気迫に、ラデックは怯む事なく対峙(たいじ)する。

 

「まるで“お前に何が分かる”と言わんばかりの顔だな。自分の痛みを理解できない輩に知った口を利かれるのがそんなに嫌か。……知ったことじゃあないな。お前だって、ハザクラの痛みを知りもしない癖に彼を攻撃しただろう。我儘(わがまま)には責任が伴う。使奴ならそのくらい分かってた(はず)だ」

 

 トールの表情が益々険しく、憎悪に満ちたものになっていく。

 

「今まで貴方がどれだけ苦しんだとか、今どれだけ辛いかとか、もうこの際俺の気にすることじゃない。今は、俺の仲間が傷付けられ、尊厳を踏み(にじ)られた。それだけが全てだ。俺はこれを許せない。だから――――」

 

 ラデックが大きく息を吸って心を落ち着かせ、吐き捨てるように呟く。

 

「今ここで、お前を殺してやる」

 

 トールの首から浮かび上がる認証輪が光り輝き、朱色の波導煙を上げ始める。

 

「だが、ハザクラには謝ってもらう。今から君の体の不自由を解く。ハザクラにキチンと謝ったら、最後の仕上げを施して死の魔法を展開させてやる」

 

 そう言ってラデックがトールに触れると、トールはゆっくりと起き上がり、自分の手を握ったり開いたりして自由を確かめる。

 

「ハザクラに謝れ」

 

 ラデックは急かすようにトールを睨み付ける。しかし、トールは口を(つぐ)んだままぼうっと(てのひら)を見つめ動かない。もう既に彼女の殺意は収まっていたが、それは無抵抗の保証にはならず、依然として生暖かいヘドロのような気色の悪い空気だけが虚構拡張内に立ち込めていた。

 

 トールは数分の間、魂が抜けたかのように自分の手を見つめ続けていた。そして(おもむろ)にハザクラであろう炭の塊に目を向けると、僅かに眉を顰めた。そして――――

 

 極彩色の景色は“別の景色が染み出すようにして”上書きされ、元の遺跡が姿を現した。

 

「……トール?」

 

 突然解除された虚構拡張に、ラデックは怪訝(けげん)そうな顔をしてトールの顔を覗き込む。すると彼女は、鼻で小馬鹿にするように笑いラデックを睨んだ。

 

「信用ならない」

「……俺が意図的に死の魔法を引き起こすことが出来ないと思っているのか? 確かに俺は今ハザクラの命令で演技を完璧に行えるが……これは嘘じゃない。俺がやってるのは認証輪の初歩的な操作に加え、生命体改造を応用して魔法陣の誤作動を引き起こしているに過ぎない。言わばクラッキングのようなものだ。俺は下級使奴研究員だし、認証輪の操作方法を完全に把握しているわけじゃない」

「どうだか……だが、それ以上に“気に食わない“」

「何がだ?」

「Mr.ハザクラは僕を脅した。そんな奴に謝らなきゃならないなんてのが気に食わない。だから僕は謝らない」

「……それは、今の苦しみから逃れることより重要なことなのか?」

「もうこの苦しみも慣れた。無意味に生きるのは辛いけど、何か目標があれば耐えられる」

「目標?」

「僕は決めたよ。生き延びて、Mr.ハザクラの統治する世界が腐っていく様を見届けることにする」

 

 トールが微笑んでハザクラに目を向ける。

 

「君に世界平和が実現できるかは知らない。でも、もしその夢が瓦解(がかい)することがあるなら、僕はそれを特等席で見てから死にたい」

 

 ハザクラは未だ自己回復が済んでいない炭の塊のままであったが、トールの言葉はハッキリと聞こえていた。ラデックは苛立(いらだ)った様子でトールの肩に手をかけ彼女を睨み付ける。

 

「彼の邪魔をするなら殺す。今ここで」

「邪魔なんかしないよ。だって、彼は世界平和のために誰かと戦って死ぬ事を恐れないだろう? だから僕も戦わない。(むし)ろ協力するさ」

「信用ならないな」

「結構だ。僕も世界平和のために復興派に加わるよ。万全の状態で彼は世界平和を目指せる。でもきっと上手くいかないよ。使奴が幾ら優秀と言ったって、その優秀な使奴を生み出したのは腐った世の中だ。彼は必ず世界の愚かさに負ける時が来る」

「来ない。俺達が来させない」

「来るさ。そして絶望し、己の無力さと傲慢(ごうまん)さに打ち(ひし)がれ死んでいく様を、僕は見届けることにするよ。どうせあと数十年だ。それぐらいならこの苦しみも我慢出来る」

 

 そう言ってトールは2人に背を向け、機嫌良く歌を口遊(くちずさ)みながらその場を去って行った。ラデックはその背を見送ってから、ハザクラに手を当てて治療を施し始める。

 

「……俺には彼女を悪と呼ぶことはできない。彼女は善人ではないが、悪人でもないと思う。お前はどう思う? ハザクラ」

 

 ハザクラがこの問いに答えることはなかったが、それは決して発声器官の損傷によるものでは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラデック!!! ハザクラ!!!」

 

 数分後、2人の元へラルバが凄まじい勢いで遺跡の床を踏み割りながら駆けてきた。

 

「ラルバ、どうしたその姿は。真っ黒じゃないか」

 

 キザンによって粉々にされたラルバの全身は当然黒痣に覆われており、まるで頭から墨汁を被ったかのような異質な姿をしていた。しかしラルバはラデックの言葉に答える素振りも見せず、ラデックの頭を両手で掴んで顔を近づけた。

 

「ラデックの方こそどうしたこの怪我は! ハザクラもだ! 何があった!?」

 

 未だ身体の節々に焼け跡を残しているラデックと、依然として全身が炭のままのハザクラに、ラルバは血相を変えて歯軋(はぎし)りをする。

 

「トラブルがあった。命に危険が及ぶようなことでは無かったが、ハザクラが少し無茶をした。特に問題は無い」

 

 ラデックの言葉に、ラルバは顔を顰めつつも落ち着きを取り戻し始める。しかしすぐにその視線は2人から外れ、何かを探すように泳ぎ出した。

 

「……ハピネスとジャハルは?」

「ハピネス? ジャハルはとっくに遺跡を出た筈だが……、ハピネスは虚構拡張に巻き込まれていないぞ」

「何だと?」

 

 ラルバの反応にラデックの背筋が凍りつく。

 

「一緒じゃ……無いのか……!?」

 

 使奴の波導察知能力、即ち“念覚(ねんかく)”は視聴覚と同じく鋭敏である。波導を発する生命体であれば壁の向こうにいても容易に察知ができ、遠く離れていなければ個人の特定まで可能である。使奴にとって、生命活動を行なっている人間は常に大声で叫んでいるのと変わらない。

 

 その使奴の最新モデルであるラルバが、ハピネスを一瞬で見失った。その理由として考えられる要素は大きく分けて3種類。消失と勘違いする程の速さで遠ざかったか、波導を遮断する虚構拡張等に飲み込まれているか、(ある)いは絶命したか――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トールの虚構拡張が解かれる数分前――――

 

「げほっ……げほっ……。はぁ……はぁ……ぐっ、がはっ!!」

 

 ハピネスは致死量とも思える程の血を吐き出してその場に倒れ込む。意識は朦朧(もうろう)とし、次第に手足の感覚が無くなっていく。

 

「……ごぽ……。ふーっ……ふーっ……」

 

 ハピネスはゆっくりと呼吸をしながら必死に痛みを(こら)える。全身が痙攣(けいれん)を始め、掌から“猛毒の入っていた小瓶(こびん)”がするりと転がり落ちる。

 

 彼女はもう片方の手で握っていた竹串を両手でしっかりと握り、最後の力を振り絞って“自らの両眼に突き刺して(えぐ)り取った“。

 

「ぐぅっ……!!! がっ……! はぁっ……!! はぁっ……!! ふーっ!!」

 

 そして竹串に刺さった目玉を抜き取ると、今度は耳に差し込んで“鼓膜ごと内耳を突き刺した”。

 

「っ――――!!! ああっ!!! うっ……ぐっ――――!!!」

 

 毒薬によって感覚は相当に麻痺していたが、それでも耐え難い激痛。彼女は両耳を押さえながら体を丸め胎児のような姿勢をとる。噛み締めた唇からは血が滴り吐血に混じって流れ落ち、横たわった彼女の絹のように滑らかな金髪を覆い隠すように赤く濡らした。



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99話 灰亜種

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


 トールが虚構拡張を展開する数分前――――

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡入り口〜

 

 遺跡の出口付近でジャハルは1人の使奴に引き留められていた。

 

「私に何か御用ですか……?」

「……………………」

「……?」

 

 低めの背丈に白髪と真っ黒な白目に赤い瞳。扇状に広がる短い癖っ毛に額の黒痣と小さな身体に不釣り合いな大きな胸。黒を基調にしたメイド服に身を包んだ彼女は、“ある一部分”を除いて他の使奴と大きな違いは無いように見えた。

 

 彼女の外見で最も目を引いたのは、その“灰色の肌”だった。

 

 丁度黒と白の間、人間では、そして使奴でもあり得ない色。その異質な姿でジャハルの袖を掴み微動だにせず、猫を見る赤ん坊のように真顔のままジャハルの顔をじっと見つめている。

 

「あの……、離していただけますか?」

「……………………」

「えっと……」

 

 ジャハルの問い掛けにも一切の反応がない。置物のような彼女の振る舞いに、ジャハルはどこかバリアの面影を重ねながら困惑していた。

 

「どうしたものか……」

 

 しかし、ジャハルには特に急ぐ用事もなく、ラルバ達が暢気(のんき)に観光を続けイチルギ達もこちらへ向かっているという安堵感からか、ただただ無為に時間を過ごしてしまった。すると、無作為に景色をなぞっていた視界の端にもう1人の人物を捉えた。

 

 灰色の肌に白い長髪。気怠そうな目には黒い白目と赤い瞳。右目の上には黒く歪な角が一本生えている。赤みがかった黒いトレンチコートに身を包んだ使奴は、不機嫌そうにジャハルの方へと歩いてきていた。

 

 珍しい灰色の肌を持つ使奴が立て続けに現れたことに、ジャハルが反応しようと手を上げかけた瞬間。

 

「え――――――――」

 

 一瞬で間合いを詰めたトレンチコーオの使奴が、ジャハルの腹部に貫手(ぬきて)を突き刺した。

 

「まず1人……あ?」

 

 トレンチコートの使奴は指先の違和感に眉を(ひそ)める。それと同時にジャハルは懐から“スモークグレネード“を取り出し、足元へと転がした。噴き出した煙は灰色の肌の使奴2人とジャハルを(たちま)ち覆い隠し、煙幕は”突風にも揺らぐことなく“その場に広がった。何も見えなくなった煙幕の中で、トレンチコートの使奴は舌打ちをして目を細める。

 

「クソッ。”ベル“の異能か。メンドクセー……」

 

 隣の背の低いメイド服の使奴がトレンチコートの使奴を見上げる。

 

「メギドちゃん。追いかけなくていいのですか?」

 

 メギドと呼ばれた使奴は、メイド服の使奴に目を向ける。

 

「出来たらやってる。メンドクセーけど、“後半戦”に備えて変なミスはしたくない」

「メギドちゃん。いっつもそんなこんなで何も出来ないのですよね」

「うっせ。手伝って貰って悪かったな”ハイア“。こっからは1人でいい。どっか行ってろ」

「見学します」

「はぁ……。手は出すなよ」

「恐らく」

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜

 

「はぁっ!! はぁっ!! はぁっ!! はぁっ!!」

 

 煙幕の中を全力で走り抜けたジャハルは、遺跡の小部屋に身を隠して必死に呼吸を落ち着かせる。“ベル”の道具強化の異能が施されたチェインメイルとスモークグレネードは辛うじてジャハルの命を繋いだが、それでも貫手の衝撃までは緩和出来ず内臓に大きなダメージを負っていた。ジャハルはそれを回復魔法で必死に治癒をしつつ、自分の置かれた状況の理解を(なか)ば放棄しつつあった。

 

 使奴2人に襲撃されたこと。今すぐ連絡の取れる使奴がいないこと。襲撃の瞬間に聞こえた「まずは1人」という言葉から、ハザクラ達も標的に入っているということ。逃亡は失敗に終わるだろう。戦って勝つなど(もっ)ての(ほか)。時間稼ぎも姑息な悪足掻(わるあが)きに過ぎない。膨大に与えられている筈の選択肢が、全て行き止まりである恐怖。視界は筒を覗いているかのように狭まり、甲高い耳鳴りだけが頭に響いている。ジャハルはこの絶望の中、静かに発狂して天を仰ぐ。

 

「……我らは、人道主義自己防衛軍」

 

 そして、訓練生時代に幾度となく言わされた言葉を呟く。

 

「敗北を恐れよ。死を恐れよ。正義心を飼い慣らし、人道主義から己を守れ」

 

 全身から(おぞ)ましい熱が引いていく。視界が開け、風の音が再び鼓膜を揺らし始める。

 

 人道主義自己防衛軍の国民は皆、正義感が強く利他的である。しかし、その際限ない善性は暴走しやすく、自己犠牲を手段の一つと割り切る傾向にある。死を受け入れ、逃亡を悪と見做し、次第に自分達の思想と善を混同し始める。そして、もし自分の守るべきものに避けられない不幸が訪れた時、為すべきことを奪われた正義心は最も容易く壊れてしまう。絶望の淵で己を呪い、僅かな可能性さえ見えなくなってしまう。国民の行く末を危惧した人道主義自己防衛軍創始者“フラム・バルキュリアス”が遺した言葉は、半世紀もの時を超えて、ジャハルの崩壊しかけた心を強く繋ぎ止めた。

 

 ジャハルは透き通った瞳を前に向け、大きく深呼吸をする。

 

 敵は2人。それも使奴。手元にあるのは、ベル総統の異能で強化された物品が少し。生き延びるには、戦うしかない。結果と可能性は考えない。今自分が出来ることに、全力を尽くすのみ。

 

 彼女は震えの止まった足で堂々と一歩を踏み出す。そんなジャハルの指先に不思議な感覚が纏わりついた。

 

「……? これは……」

 

 ジャハルの異能は自分と他者を対象にした”負荷の交換“である。そして自分と誰かを対象に取る以上、自分と”誰か“の存在を把握することが出来る。これは、ジャハル自身も知らない能力だった。何せ、接触が発動条件の異能で”肌が誰かに触れているかどうか分からない“なんて事態は、今まで一度たりとも起こらなかった。今、この瞬間を除いて。

 

 

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜

 

「さて……トールさん。失礼を承知でお聞きしますが、もしかして貴方は……研究所で“トールクロス被験体”として扱われていませんでしたか?」

 

 トールは微笑んだまま動かない。

 

 ハザクラがトールと話している間、ハピネスは何も映らない目玉をぎょろぎょろと動かして辺りを眺める素振りをする。キザンについて行ったラルバを異能で尾行しつつ、耳だけを半分ハザクラの言葉に傾けている。

 

「しかし……貴方は今こうして生きている。200年前の俺の解放宣言を聞いていた……当時使奴研究施設にいた……」

 

 ハザクラの話が不穏な方向に進んで行くと、ハピネスはトールを警戒してその場から離れる。外の景色が見える迫り出した出窓に近づき、その身を窓の淵へと預ける。その際に外へ転がった小石が、遺跡の急勾配の外壁にぶつかりながら砕けて落下して行く。ここが地上十数mの高所であることを余計に強調するような描写を見ずに済んだのは、ハピネスにとって不幸中の幸いだったかも知れない。

 

「……リサイクルモデル?」

 

 ラデックの呟きに、ハピネスは身体を(こわば)らせた。丁度そのタイミングで、異能で見ていたラルバとキザンが同時に後ろを振り返ったのだ。何か恐ろしいことが起こる。そんな気がしたハピネスは、窓の淵に手を掛けて身体を外へ放り出した。

 

「ハザクラ!! 逃げ――――」

 

 ラデックの叫びが途中で途切れる。彼女は魔袋(またい)から”クローク“を取り出し、急な角度がついた遺跡の外壁を転がり落ちる。全身が岩壁で擦り剥け激痛に襲われる中、ハピネスは何とかクロークを全身に(まと)い芋虫のような格好になった。彼女はそのまま地面へと激突し、激痛に身を(よじ)る。擦り剥け血塗れになった手で魔袋に手を突っ込み、ラデックから受け取った”ラルバの血“をひと息に(あお)って回復魔法を発動させた。

 

「痛たたたた……。こ、こんなことなら、もうちょっとイイ杖を持ってくるんだった……」

 

 ハピネスは自国の露店で買った安物の杖を握り締めながら回復魔法の詠唱を続ける。そして異能をラルバ達から自分へと戻し、周囲の状況を観察した。今ハピネスがいるのは外壁の一部が崩落して出来た瓦礫(がれき)の中のようで、幸いにもイチルギ達がピガット村から来れば発見してもらえそうな位置であった。そして、より詳しく周辺を見ようと視点を上空へと持ち上げると、遺跡から少し離れた所に1人の人物が見えた。ハピネスがその人物の元へ異能を操作し近寄ると、それは”トレンチコートを着た灰色の肌の使奴“だった。

 

「……何だっけ。確か……”灰亜種(はいあしゅ)“だったかな?」

 

 ハピネスは(おぼろ)げな記憶を頼りに、何とかラデックとの会話を思い出す。

 

 

 

〜なんでも人形ラボラトリー ホテル「ラッキーストロベリィ」〜

 

「――――まあ突然変異みたいなものでな。“灰亜種(はいあしゅ)”って名称で扱われていた」

「ふぅん」

 

 連れ込み宿特有の広い風呂場で、ハピネスはラデックに頭を洗わせながら適当に相槌を打っている。一面パステルカラーの浴室、七色に発光するバブルバス、その他決して一般家庭には必要のない諸々の品々、そして若い男女が2人。が、当然何かが起きる筈もなく、一般家庭には必要のない品々は早々に隅へと片付けられてしまっていた。

 

「俺は見たことないが、使奴の黒痣(くろあざ)が原因らしい。使奴は怪我した所が黒く変色する特性がある。しかし、紅皮症(こうひしょう)などの肌の病気を先天的に抱えていた使奴は、肌の表層のみが黒く変色する。灰色に見えてしまうんだ。シャンプー流すからもう少し上を向け」

「生え際は優しくね。確か、黒痣自体が使奴の不具合だったよね?」

「そうだ。使奴細胞が高速で修復されると、細胞内の波導が抜け切る前に修復が完了してしまう。結果、行き場のなくなった魔力の残りカスが変色して黒く見えるんだ」

「冷凍庫で氷作ると白く見えるのと似てるね」

「ゆっくり修復すれば軽減される点も似ている。ハピネスは見たことないのか?」

「無いね。そんなオモシロ見つけたら、もっと早く君に聞いて――――痛い痛い!! 生え際はもっと優しく洗いなさい!! こっちは火傷してるんだよ!?」

 

 ハピネスは身を捩ってラデックの脇腹に肘打ちを入れる。

 

我儘(わがまま)言うなら使奴に治してもらえばよかっただろう……。それとも、今俺がやってやろうか?」

「この傷も盲目も治さない。これは(いまし)めだ」

「じゃあ文句言わないでくれ……」

「文句は言う」

「じゃあ治せ」

「嫌。ほら、次は体」

「それは流石に自分で洗え」

 

 ラデックはハピネスに泡立てたタオルだけを手渡し、隣で自分の体を洗い始める。

 

「えーっ!? 見えないのに!?」

「火傷してるとこ重点的に磨いてやろうか」

「意地悪!!」

「お前程意地の悪い奴もいないだろう……」

 

 ハピネスはムスッとしたまま体を洗い始める。

 

「で。その灰亜種(はいあしゅ)と普通の使奴。性能差はあるの?」

「ない。強いて言うならば、記憶の植え付け前に灰亜種(はいあしゅ)として扱われるが故に、ハザクラから受けた命令の内容や植え付けられた記憶が根本から異なっている場合はあるかも知れない。もしこの今の世に灰亜種(はいあしゅ)がいるならば、高確率で使奴部隊所属と考えた方がいいだろう。無論、値下がりした不良品を購入した客もいるかも知れないが、数が少なすぎる。考えるだけ無駄だ」

「ラデック君ラデック君」

「なんだ?」

「おっぱい」

 

 ハピネスが泡を胸につけて遊んでいた。

 

「…………巨乳にして欲しいとかいう改造依頼は断るぞ」

「出来ないの?」

「やりたくない」

「貧乳派?」

「やりたくない」

 

 

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜

 

「……使奴部隊ね」

 

 使奴部隊――――

 何らかの理由で使奴として扱えなくなった、所謂(いわゆる)不良品で構成された5つの部隊。バリアのように異能による都合で性行為が不可能である場合や、変色、自動反撃、認識阻害などの異能者等。生産段階で“初期不良”とされた使奴が送られることが多く、それは当然“灰亜種(はいあしゅ)”にも該当する。対使奴用の戦術を持っていたり、使奴部隊員同士で面識があったりする他は一般的な使奴との違いは無いが、ハザクラの解放宣言より前に自分が使奴であることを自覚していたため、通常の使奴とは異なる思想を持っていることが多い。

 

 ハピネスがトレンチコートの使奴を観察していると、真っ直ぐ自分のいる方向へ歩いているのが分かった。ハピネスは一瞬背筋を凍らせるも、一度中断しかけた回復魔法の詠唱を止めることはなかった。

 

 健康な人間からは常に波導が放出されている。そして、魔法を使えばそれはより強いものとなる。波導を察知する能力、“念覚(ねんかく)”が獣以上に鋭い使奴にとってそれは壁越しにも伝わってしまう程(やかま)しく、距離がそう離れていなければ個人の特定さえされてしまう程の情報。

 

 しかし、そんな魔法を使っているハピネスがすぐ近くにいるにも(かかわ)らず、トレンチコートの使奴がハピネスの存在に気付くことはなかった。トレンチコートの使奴がハピネスのいる瓦礫の(そば)を素通りすると、ハピネスは自身の(くる)まっている“クローク”に手を当てて北叟笑(ほくそえ)む。

 

「ラプーに取りに行かせて良かった。この“クローク”、案外使えるね」

 

 人道主義自己防衛軍“総統”のバッジがついた“クローク”。これはバリアとベルがラルバ達の前で試合を行った時のものであり、今現在もベルによる道具強化の異能の影響を受けている。ベルの着ていたクロークという外套(がいとう)は、元々旧文明で衣服や持ち物を“覆い隠す”為に使われていた。そしてこの異能によって強化されたクロークが“覆い隠す”物体は、外部の何者にも把握することが出来ず、ハピネスの存在を一切感知出来ないものにしていた。更に、もし通常の念覚が鋭いだけの人間であれば、クロークの中に“生き物がいる”程度のことは分かったかも知れない。しかし使奴は生物の存在だけでなく”個人の特定も出来てしまう“ため、クロークの”把握することが出来ない“という能力に引っかかり、察知そのものが不可能になってしまっていた。これは今仮にハピネスが突然大声を上げたところで使奴に気付かれはしないことを意味し、彼女にとっては嬉しい誤算であった。

 

 ハピネスは安心しながら自己回復を行い、トレンチコートの使奴の動向を伺っていた。すると、その鋭い視線の先に見覚えのある人物と、そうでない人物の2人がいることに気が付いた。それは、背の低いメイド服の灰亜種(はいあしゅ)に袖を引かれているジャハルだった。

 

「む……何してるんだ? あの子は……」

 

 ハピネスが首を傾げたのも束の間。トレンチコートの使奴が消えるように急加速して、ジャハルの腹部に貫手を突き刺した。

 

「なっ――――!?」

 

 突然の出来事にハピネスは思わず狼狽(うろた)える。慌ててジャハルの元へ接近すると、ジャハルの足元から凄まじい勢いで煙が噴き出し、辺り一帯を覆い尽くした。ハピネスは視界を確保する為に急上昇をして、上空から煙幕を見下ろす。

 

「……成程」

 

 何の前触れもなく始まった襲撃を、既にハピネスは冷静沈着な態度で俯瞰(ふかん)していた。そこには、全世界が恐れ平伏した想像上の帝王。“先導(せんどう)審神者(さにわ)”の姿があった。

 

「まあ、“3対2”なら勝ち目はあるかな」

 

 煙幕から飛び出して行った人影を追いかけて、ハピネスは思念体を遺跡の外壁へと突進させる。物理障害の殆どを無視する思念体は幽霊のように壁を通過して、遺跡の通路の隙間に身を隠しているジャハルの元へと辿り着いた。

 

「……我らは、人道主義自己防衛軍」

 

 ジャハルが荒い呼吸を必死に押さえつけながら呟く。

 

「敗北を恐れよ。死を恐れよ。正義心を飼い慣らし、人道主義から己を守れ」

 

 ジャハルの呼吸が瞬く間に落ち着いていくのを見ると、ハピネスは彼女に届かないと分かっていながらも、(なか)ば馬鹿にするように語りかける。

 

「お呪いで元気になれるなら大したもんだ。どれ、先導の審神者様からも勇気を授けてあげよう」

 

 そう言って、ハピネスが思念体でジャハルの指先に触れる。

 

「……? これは……」

「多分、君のような異能なら分かるんじゃないのかい。私がここにいるってのが」

「……ハピネスか?」

「お、察しがいいね。泣く子も笑う先導の審神者様が来てあげたよ」

 

 当然ジャハルにハピネスの声は聞こえていない。ハピネスの思念体は正に幽霊そのもの。ハピネス側からは触ることも話すことも聞くことも出来るが、逆は不可能。にも拘らず、ジャハルはまるでハピネスが隣にいるかのように微笑(ほほえ)んだ。

 

「ああ、そう言えばラデックから聞いた気がする。そうか、こういうことも出来るのか」

「便利だろう? 私が来たからにはもう大丈夫。どこで死んでも骨は拾ってあげられるよ」

「これで2対2……。それでも相当戦力差はあるが……」

「君にはベル総統の不思議アイテムと入れ知恵があるだろう。3対2だよ」

「私にはベル様に頂いた道具と戦略がある」

「そうそう」

 

 ジャハルは意を決して前を向く。

 

「頼りにしているぞ。先導の審神者!」

「泥舟に乗ったつもりで頑張り(たま)え。クサリ総指揮官殿」



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100話 愚策

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜

 

「――――盾に霊祓灯(れいふつとう)とミサンガと、あとはスモークグレネード、クローク、ダーツ、スタンガン、包帯、粘土くらいか……。今の手持ちはこれだけだな。取り敢えずクロークは着ておくか……」

「心許ないねぇ」

 

 遺跡の入り組んだ通路の先の小部屋。その凹凸の隙間に身を隠すジャハルが、魔袋から取り出した持ち物を足元に並べている。それを異能による思念体でハピネスも眺めており、想像よりも遥かに貧相な装備に乾いた笑いを溢している。

 

「まあ……何もないよりマシかな」

「どこかで斥候部隊と接触していれば道具の補充が出来たんだが……。いや、どっちみち“ヒグマ”か“ゴウヨク”にしか会えないから変わらないか……」

「しかし、このラインナップ……。君、信頼されてないんだねぇ」

「しかし、ベル様の託してくれた装備だ。必ず勝ち筋になる筈だ!」

「うわあ。この子おめでたい頭してるよ。参ったねぇ」

 

 ハピネスが何を語ろうとも、思念体からの意思表示は一切不可能でありジャハルの耳には届かない。故に彼女は何を理解しようとも、ジャハルの勇気に満ち溢れた横顔を糸のように細めた目で見つめることしか出来なかった。

 

「そうだハピネス。意思疎通をとる為に最低限の合図を決めておこう」

「ほう」

「否定的な意志の時は私の右手を、肯定的な意志の時には左手を触ってくれ。そうすれば少しの会話は出来るだろう?」

「そうだね」

「……あれ? 聞こえていないのか?」

「え? 提案終わりなの?」

 

 ジャハルの提案に続きがあると思っていたハピネスは、慌ててジャハルの左手に触れ肯定を示す。

 

「そうそう。これならハピネスの異能による情報を私も少しは知ることが出来る」

「…………はぁ。ま、箱入りお嬢様にはこの辺が限界かな……」

 

 ハピネスは呆れて溜息を吐きながらジャハルの両目に指を差し込む。

 

「うわっ。なんだハピネス! やめろ! 気持ち悪い!」

「えい。えい」

 

 ジャハルは異能の発動条件が接触という点を利用して、ハピネスの思念体を感知している。そのためハピネスが今体のどこを触れているかを把握することだけが出来るため、両目に何度も気配を感じるというのは凄まじい違和感であった。

 

「遊んでいる場合じゃないんだぞハピネス!」

「それはこっちのセリフだよ。ジャハル君」

「馬鹿! 変なところ触るな! やめろ!」

「うりうり」

 

 ジャハルはハピネスに全身を弄られ、小躍りするように身を捩る。

 

「いい加減にしろハピネス!! こっちは命の危険が………………?」

 

 ふと、ジャハルは違和感を覚える。

 

「気付くのが遅い」

 

 ジャハルの異能である“負荷の交換“の発動条件は、肌を直接接触させることである。実はその際に、相手の”抱えている負荷の度合い“も知ることが出来る。これにはある程度の集中力必要とするが、ラデックのような改造の異能者が相手の能力値を把握出来るように、ジャハルもまた交換対象となる負荷の度合いを測ることが出来た。

 

 そしてジャハルは気付いた。ハピネスが”僅かではあるが怪我をしている“ことに。そしてそれが治療される気配が一切ないことにも。ハピネスのような魔力量が少ない人間でも低位の回復魔法で治療できる程の傷。それが手付かずのまま放置されていることに、ジャハルは強い違和感を覚えた。

 

「……まさか。交換しろというのか……?」

 

 左手にハピネスの気配。肯定の意思表示。ジャハルが恐る恐る異能を発動すると、左腕にピリッとした鋭い痛みが走った。ジャハルが袖を捲って確認をすると、そこには刃物でつけられた沢山の細かい傷で”文章“が刻まれていた。

 

 敵は2人。共に使奴部隊の可能性高。助けは見込めず。敗北必死。

 

「……傷で意志伝達か。分かってても簡単に出来るものじゃないだろうに……」

「君だってこれくらい出来るだろう。何を感心してるんだか」

 

 ハピネスはジャハルの右手に触れ否定の意思を示しつつ、疑うような眼差しでジャハルの顔を覗き込む。

 

「さて……君は、先導の審神者様の警告に何と答えるんだい」

 

 ジャハルは目を閉じて深く息を吸うと、諦め半分といった具合に微笑み目を開く。

 

「……何にせよ。立ち向かう他に道はあるまい。私に選択肢はない」

「いい覚悟だ。洒落た辞世の句を考えておいてくれよ。きっと高値で売れる」

 

 

 

 遺跡の細い通路を、トレンチコートを着た灰亜種の使奴“メギド“が静かに歩いている。厚底のブーツを履いていながらも足音は一切立てず、コートの衣擦れさえ起こさず亡霊のように通路を進んでいく。そして微かな波導を感じ取って突然ピタリと停止し、機械のように首を左側へ向ける。その視線の先、通路の壁を数枚挟んだ向こう側は、今まさにジャハルが待ち伏せをしている場所だった。メギドは壁の向こう側にジャハルがいることを確信して手を翳し、一瞬だけ魔法陣を展開して高威力の土魔法を放った。

 

 メギドの手元から生み出された金属の槍は、周囲から帯状の刃を形成し巨大な渦を巻く。不気味に輝く白いドリルは遺跡の壁をゼリーのように食い破り、瞬く間に砂丘までの風穴を開通させた。

 

 しかし、開けたメギドの視界には何者の姿も映らず、肉片どころか衣服の切れ端さえ見当たらなかった。標的を見失ったメギドはすぐさま検索魔法を発動し、小さな羽虫のような魔法生命体を全方位へと拡散させた。だが、それでもジャハルは見当たらなかった。先程まで、確かにそこにあった気配が唐突に消失した。土魔法で跡形もなく消し飛んだと考えるのは早計。自分の感覚が狂わされている可能性はジャハルの異能から不可能と判断。となれば残りは――――

 

 メギドは何の躊躇いもなく真っ直ぐと歩き出し、ジャハルがいたであろう場所まで歩みを進める。そして、目の前に転がる瓦礫一帯に向かって炎魔法による火炎放射を放った。

 

「ぐっ……!!!」

 

 瓦礫の下に”隠れていた“ジャハルは、作戦が悟られていると判断してすぐさま逃げ出した。身に纏っていた”クローク“に火が燃え移り、忽ち灰となって宙を舞う。そこへメギドが追撃しようと土魔法で金属の槍を生成し撃ち込む。攻撃を予感していたジャハルは、背負った大剣のような”持ち手をつけただけの大楯”に身を隠すようにして上体を捩る。金属の槍が大楯に命中すると、凄烈な金属音を鳴り響かせて跳ね返した。そのままジャハルはスモークグレネードのピンを引いて足下へと転がす。当然メギドがこれを見逃す筈もなく、地面を踏み込み接近するのと同時に小石を弾いてスモークグレネードへと命中させた。”粘土“で作った本物そっくりのスモークグレネードに小石が食い込み、メギドは苛ついて顔を顰める。それと同時にジャハルの懐から勢いよく煙が吹き出し始めた。当然メギドは煙が彼女を覆い隠す前に追撃しようと魔法を展開し始めるが、それと同時にジャハルが”踵を返してメギドに突進を始める“。

 

「なっ――――!?」

「うぉぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

 彼女は世界最強の肉体と頭脳を持つ使奴に、あろうことか”正面突破”を挑んだ。

 

 

 

 

 

「ジャハル大尉。お前にもある程度”使奴との戦い方を教えておこう」

「ハイッ!! ベル総統!! よろしくお願いしますッ!!」

「……と言っても、大したことではない。お前の異能か私の道具。これをいかに当てるか――――それだけだ」

「そ、そんなことが可能なんですか? 使奴相手に……」

「無理だ」

「え」

「普通はな……。もし使奴がお前らを本気で殺そうとしているなら、最初から勝ち目はない。お前ら人間が幾ら必死こいて策を練ったところで、使奴から見たら子供が寝小便を隠すのと何ら変わらない」

「では……戦い方というのは?」

「お前らが“勝てる可能性”が存在する戦闘のみに対しての戦術だ。使奴がお前らの生捕りや屈服を目的としている場合、即死攻撃を仕掛けてこない限りは……ほんの少しだけだが反撃の余地がある」

「……相手の余裕を刺す」

「そうだ。その場合に限り、お前らを介して“私”と“敵”の騙し合いが始まる」

「私達を介した騙し合い……」

「私がお前たちに教えるのは”この上なく頭の悪い愚策“だ。これがひょっとすれば恐らく多分”会心の一撃“に化けるかも分からん」

「ひょっとすれば……恐らく?」

「多分」

「それは……策……なのですか?」

「勿論。問題は、命を賭した生死の狭間でこの稚拙な愚策を遂行出来るかどうかだ。それが出来なければ、そもそも勝ち目などない」

「……いえ。出来ます。やって見せます」

「くれぐれも忘れるな。使奴相手では、お前の考えなど全て見透かされていると」

 

 

 

 

 

 ベルに命じられた通り、ジャハルの正面突破に策などない。手に握り締めた“対象を必ず気絶させるスタンガン”を当てることだけを考えた猪突猛進。しかし、メギドはこの愚策と呼ぶのも躊躇われる程の気の狂った行動に、思いがけず狼狽えることになった。

 

 敢えて行われる奇行の殆どは、ただの愚行と変わりない。誰も行っていない奇策は、誰も行う価値がないと判断した愚策であり、気を衒ったものの殆どは気を衒うことが目的の塵である。それは使奴のみならず、ある程度何かしらの物事に精通した者であれば必ず理解出来る常識であり、紛うことなき真実である。

 

 故にメギドは早急に見破らなくてはならない。この愚策に覆い隠されたベルの奇策を。自国の総指揮官の命を溝に捨てさせてまで狙っている形成逆転の一手を。それは果たしてこの攻撃を”避けると“発動するのか。ジャハル本人が“迎撃されると”発動するのか。或いは“既に発動している”のか。その能力の正体は何なのか。メギドは必死に思考を巡らせ、ベルの狙いを推測した。幸い、メギドには時間があった。ジャハルの突進によってスタンガンがメギドに当たるまで僅か数秒。使奴にとっては充分過ぎる思考時間。

 

 しかし、この時点で既にメギドはベルの策に片足が嵌まっていた。

 

 使奴の殆どはハザクラの解放宣言を聞いている。その命令内容である”生き延びろ“という命令は今尚使奴を縛っている。そしてこの瞬間。生存命令である筈の言葉は、今度はメギドの四肢を縛ることになる。

 

 ベルの策を見破らんと思考を巡らせているメギドは、今目の前にある”ベルの異能がかかったスタンガン“よりも、”未だ見えぬベルの奇策“を警戒してしまっている。例え、スタンガンは喰らったとしてもジャハルが使奴を戦闘不能にさせることはほぼほぼ不可能であり、そんな些細なことよりも、”使奴であるベルが考えた形勢逆転の一撃“の方が確実に避けるべき凶弾であった。あの冷酷で独善的なベルは、自国の優秀な人間を守る為に必ずや一撃必殺の弾丸を放ってくる。この推測は、今までのベルという人物の悪い意味での信用からくるものであった。しかし、この信用こそがメギドを縛る鎖であった。

 

 ハザクラの生存命令によって、メギドはベルの見えない策を喰らうわけにはいかない。そして、ジャハルのスタンガンを喰らうことは“生存命令には違反しない”。この二つの条件が成立したこの瞬間。ジャハルの考え無しの猪突猛進が一撃必殺の凶弾へと変貌した。

 

「あ――――」

 

 メギドは気付いた。ジャハルと服が擦れ合った直後。その手に握られたスタンガンとの距離僅か数mm。自身の身体が動かない事に。逃亡も、反撃も、ハザクラの命令に違反してしまう事に。今のメギドに残された唯一安全な生存策は――――

 

 バチバチバチバチッッッ!!!

 

 けたたましい電撃音。ジャハルの握ったスタンガンは、メギドの身体に強く押し当てられバッテリーの中に蓄えられたエネルギーを放出させた。意識が途絶えたメギドが膝から崩れ落ち、その傾いた身体は重力に引っ張られて弱々しくジャハルへともたれかかる。

 

「や」

 

 ジャハルは愚策の完遂を未だ信じられないまま、無意識の内に声を漏らす。

 

「勝っ――――――――」

 

 右手にハピネスの気配。否定の合図。

 

「え、あっ――――!!!」

 

 ジャハルは咄嗟に体を逸らすが、不意に飛んできた“巨大な白い鉄球”に吹き飛ばされ地面を転がる。幸いにも、懐のスモークグレネードは未だ煙を噴出し続けており、第三者からの追撃の心配はなかった。しかし、これを幸いと呼ぶのは些か無理があったかも知れない。

 

「うっ……!!! あっ……!!!」

 

 左腕、左肩、肋骨、左大腿骨の骨折。地面を転がった事による脳震盪と首の捻挫に全身の打撲。あちこちに散らばっていた瓦礫の所為で、身体中に卸金をかけられたかのような裂傷が惨たらしく鮮血を溢れさせている。ジャハルは逃げる為に最大限の回復魔法を使い出血を止め、足の骨折を最大限治癒させる。しかし、人道主義自己防衛軍No.2の技術を以ってしても、骨折による腫れを少しだけ抑えることが精一杯であった。

 

「ふぅむ。これは……絶体絶命だね」

 

 ハピネスが思念体越しにジャハルの惨状を眺めている。そして、スモークグレネードによる“隠蔽”によってジャハルを見失わないように気を付けながら上昇し、煙の外へ顔を出す。そこから、倒れ込んでいるメギドと“メイド服姿の灰亜種”の姿が見えた。

 

「メギドちゃん。起きて下さい」

 

 メイド服の使奴がトレンチコートの使奴を”メギド”と呼び、介抱している。そして回復魔法を発動させると、メギドは薄っすらと目を開けて辺りを見回した。

 

「う……ハ、ハイア……」

「見事に負けです。メギドちゃんの」

「手……出すなっつったろ……」

「限度ってものがあるのですよ」

「くそッ……ベル何かに負けるなんて……」

「メギドちゃん。今のところ全戦全敗ですよ」

「うるせー……まだ、ヤれるっつーの……!!」

 

 メギドがゆっくりと身体を起こしたのを見て、ハピネスはすぐにジャハルの元へと戻る。

 

「あーらら。敵さん起きちゃったよ。スタンガン、役に立たなかったねぇ」

「ぐっ……ああっ……」

「あー。こりゃ重症だ」

 

 ジャハルは激痛に見舞われながらも何とか立ち上がり、壁に手をついて体を擦り付けながら進んで行く。

 

「次……次の……手を……か、考え……ないと……!!」

 

 その呟きは、半分以上現実逃避によるものであった。自分はまだ負けてない。絶望的な今を、未来に目を向けることで見ないようにしていた。情けなく見っともない悲壮感に塗れた戦士の背中を、ハピネスが伏し目がちに見つめる。

 

「……ま、よく頑張った方だよ。ジャハル」

 

 そう言って彼女は、ジャハルの左手を掴んで肯定の意思を示す。すると、ジャハルは次第に歩みを止めて啜り泣きを始める。

 

「ハピネス……ありがとう……すまないが、最期まで、そこに居てくれないか……? 1人は、1人で逝くのは、嫌だ……!」

 

 ジャハルがその場に力なく倒れ込む。勇ましい戦士の顔を、涙と鼻水がぐしゃぐしゃに汚している。

 

「ハザクラ……すまない……!! ベル様……申し訳、ありません……!! 私は、私は――――」

「さっさと立て」

 

 ハピネスがジャハルの右手に触れ否定の意を表す。

 

「ハピ……ネス……?」

「君の上司の策は失敗したけれど、安心するといい。先導の審神者様からも、とっておきの策をあげよう」

「一体、何を……」

「乾杯」

 

 ジャハルは自らの感覚を疑った。これは怪我による麻痺でも、出血による判断力の低下でも、絶望による思考の狂いでもない。確かな事実。

 

「ハピネス……!?」

「さて、次は……」

 

 ハピネスの体力が、凄まじい勢いで減り始めた。

 

「な、何をしているんだハピネス!? 誰かに襲われているのか!?」

「なわけないだろう……うっ!! ぐっ……!!!」

 

 ハピネスは致死量とも思える程の血を吐き出してその場に倒れ込む。意識は朦朧とし、次第に手足の感覚が無くなっていく。

 

「こ、これは……まさか……!!」

「……ごぽ……。ふーっ……ふーっ……」

 

 ハピネスはゆっくりと呼吸をしながら必死に痛みを堪える。全身が痙攣を始め、掌から“猛毒の入っていた小瓶”がするりと転がり落ちる。

 

「“入れ替えろ”というのか……!? 私の異能で……」

 

 彼女はもう片方の手で握っていた竹串を両手でしっかりと握り、最後の力を振り絞って“自らの両眼に突き刺して抉り取った“。

 

「私を経由することなく……“あの使奴”と!! “ハピネス”を!?」

「ぐぅっ……!!! がっ……! はぁっ……!! はぁっ……!! ふーっ!!」

 

 そして竹串に刺さった目玉を抜き取ると、今度は耳に差し込んで“鼓膜ごと内耳を突き刺した”。

 

「そんな、無茶だ……!! 私の異能は自分と相手の負荷を入れ替えるんだ!! 第三者同士は出来ない――――!!!」

「っ――――!!! ああっ!!! うっ……ぐっ――――!!!」

 

 ハピネスはジャハルの右手に触れ、否定を示す。

 

「出来ない……出来ないんだよ……!!」

「ふーっ……!! ふーっ……!!」

 

 右手に気配。否定の合図。

 

「そんな……ああ……!!! ハピネス……!!!」

「がはっ……!!! はぁっ……はぁ……ふふ……。あーっはっはっはっは!!!」



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101話 先導の審神者のお導き

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜

 

「そんな、無茶だ……!! 私の異能は自分と相手の負荷を入れ替えるんだ!! 第三者同士は出来ない――――!!!」

 

 瀕死のハピネスがジャハルの右手に触れ、否定を示す。

 

「出来ない……出来ないんだよ……!!」

 

 右手に気配。否定の合図。

 

「そんな……ああ……!!! ハピネス……!!!」

 

 ジャハルは両手で顔を覆って泣き崩れる。全身の裂傷も、手足と(あばら)の骨折も、使奴に追い詰められた絶望も、今ジャハルを襲っている苦しみに比べれば些細(ささい)なものであった。自分と一緒に死の底へと飛び込んでくれた恩人。その期待に応えられず、為す術なく見殺しにしてしまう恐怖。

 

 しかし、そんな状況中ハピネスは、悪戯(いたずら)が成功した子供のように北叟笑(ほくそえ)む。自身の両目と両耳を(えぐ)り、服毒による激痛と苦しみを抱え死の(ふち)彷徨(さまよ)いながらも、楽しそうに笑い声を上げた。

 

「はっはっはっは……ゲホッ!! はぁっ……はぁっ……ふふふふっ……。あーっはっはっはっは!! がはっ!! ゲホッゲホッ!! さあ総指揮官殿……!! 君も……“共に地獄の苦しみを味わってもらおうか”……!!!」

 

 ハピネスは、死ぬ気などさらさらなかった。ジャハルの異能の詳細を知らないわけでもなかった。彼女の度が過ぎる自傷には、2つの理由がある。ジャハルはハピネスの狙いにまだ気が付いていないが、ハピネスは必ず答えに辿り着けると信じていた。もう少し厳密に言うならば、必ず答えに辿り着けると“知っていた”。ハピネスは、ジャハル以上に“ジャハル・バルキュリアス”という人間を理解していた。ハピネスは地獄の苦しみの中、血反吐を垂れ流しながらも嘲笑った。

 

 

 

 ジャハル君……。君は、君が思っている程“マトモ”じゃあない。君の強さは、その(たくま)しい正義感でも、卓越した技術でも、明晰な頭脳でもない。君の強さは、その異常と言わざるを得ない“潔癖”だ。君は、困っている人を放っておけない。困っている人を見捨てることが出来ない。善き人間であらなければならないという行き過ぎた道徳思想。強迫観念。独りよがりな自分の存在を許すくらいなら、命など平気で捨てられる。地獄の底へ飛び込むことが出来る。君の行動原理はいつだって、正義感ではなく潔癖感だ。だから、君は私を助ける為ならどんな狂気にだって染まれる。今君の頭の中にあるであろう“馬鹿げた策”に身を差し出せる。それを、私は知っている。さあ、私を助けろ善人(ヒーロー)

 

 

 

 ジャハルが、地に手をついて(おもむろ)に立ち上がる。

 

 

 

 折れた骨が肉を突き刺し、血を撒き散らしながら痛みに震える。依然として顔は涙と鼻水と(よだれ)(まみ)れ、恐怖に染まりきった顔から乱れた呼吸が漏れ出している。今まで味わったことのない激痛と絶望の中歩くことなど到底出来はせず、杖代わりの大剣に体重を預け立ち上がるのがやっとであった。

 

 しかし、彼女は己に言い聞かせるように言葉を漏らす。彼女の頭の中にはハピネスの思った通り、手段と呼ぶにはあまりに狂気的で(おぞ)ましい戦略が、神の啓示のように浮かんでいた。

 

「ハ……ハピネス……。駄目だ……死んじゃ……死んじゃ駄目だ……!!!」

 

 死ぬつもりなんか無いよ。ジャハル君。

 

「何とかする……わた、私が……何とかするから……!!!」

 

 だって、君が私を助けてくれるだろうからね。

 

「だから、もう少しだけ生きててくれ……!!! ハピネス……!!!」

 

 君の異能は恐らく……“疫病(えきびょう)の国”の医者と同じものだ。彼女に出来て、君に出来ない訳がない。

 

 

 

 

 

 もうもうと立ち込める煙を見つめながら、メギドは検索魔法によって作り出した羽虫を辺りに飛ばしている。攻撃魔法を察知して妨害する高性能デコイ。ジャハルの魔法による反撃を一切許さず、煙の中からの逃亡も見逃さない。そして万全の状態で土魔法を発動し、無数の槍を生成して煙へと向ける。ベルの強化したスモークグレネードの“察知不可”という特性に触れない無差別攻撃。弾丸の装填が完了したメギドが煙を指を差し、射出の為に魔力を込める。すると、槍が打ち出される直前、煙の中から上空へ何かが飛び出した。

 

「なんだ?」

 

 僅かに波導を帯びた物体に、思わずメギドはそれを目で追った。それは、鮮血を撒き散らしながら宙を舞う“ジャハルのブーツ”だった。

 

 メギドは気付いた。しかし、もう遅かった。自身の首筋に迫っていた“左手”を見て、彼女は全てを理解した。

 

 その血塗(ちまみ)れの左手から先に“腕”と呼べる部位は存在せず、代わりに“紐状の触手のような何か”が煙の中へと伸びていた。それを最後にメギドの視界は黒に染まり、音が消えた。

 

「メギドちゃん!!!」

「触れたぞ……!!! やったぞ!!! やったぞハピネス!!!」

「ああ、よく頑張ったよ」

 

 ジャハルの編み出した狂気的で悍ましい戦略。ハピネスが自傷による脅迫をしなければ到底踏み出せなかった戦法。それは、接近を許さない使奴に対して”煙の中から手を伸ばす“というものだった。

 

 まずジャハルは”ミサンガ“を結び、煙に包まれたまま”トレンチコートの使奴の方向を向きたい”と願いを込めた。“願いが成就した際に必ず切れるミサンガ”は、ジャハルの身体がメギドの方を向いた時に千切れ方角を知らせる。次に、左手に”ダーツ“を(くく)り付ける。そして、“自らの腕に 螺旋状(らせんじょう)の切り込みを入れた“。これによってジャハルの左腕の射程距離は10m以上にまで延長され、遠く離れたメギドに”触れる“術を得た。細く切り刻んだ腕が千切れないよう”傷口を保護する包帯”を巻きつけ、注意を逸らすために自らの足を切断する。切断した足を天高く放り投げ、直後に“ 必ず真っ直ぐ飛ぶダーツ”を括り付けた左手をメギドのいる方角目掛け投げつける。手がメギドに触れた瞬間に“自分を経由せず、ハピネスとメギドの負荷を入れ替える”。これが、彼女が編み出した作戦の全貌(ぜんぼう)である。

 

「やったぞ……勝ったぞハピネス……!!!」

 

 ジャハルは右手から伝わってくるハピネスの健康状態が全回復したのを感じ、自分の絶命寸前の大怪我すら忘れて喜びの声を上げる。

 

「勝った……!! 勝ったんだ……!!! 使奴相手に!!!」

 

 全身から力が抜けて行き、ジャハルは安心から気を失いそうになる。――――が、違和感がその意識を引き止めた。

 

 

 

 右手――――

 

 

 

 事前に決めた、否定の合図。

 

 

 

「逃げろ馬鹿者!!!」

 

 瀕死のジャハルを覆い隠していた煙が晴れ、その姿が露わになる。そして、標的を目視で捉えたもう1人の 灰亜種(はいあしゅ)”ハイア“が、ジャハルに向かって(てのひら)(かざ)した。

 

「死ね」

 

 直後、ジャハルの視界が一変する。辺り一面に青空が広がり、足元には太陽が 燦々(さんさん)と輝いている。

 

「え?」

 

 ジャハルは”地面を見上げて“ 愕然(がくぜん)とする。ジャハルがいた場所は、ピガット・ウロボトリア遺跡の遥か上空であった。ジャハルが状況を理解するより前に重力が身体を引っ張り、血飛沫が飛行機雲のように軌跡を描いて絶命までのカウントダウンが始まる。

 

 しまった――――

 

 使奴の襲撃とは比べ物にならないほど分かりやすい結末。 脊髄(せきずい)で理解できる明白な死。全ての生命に刻み込まれた恐怖。いつもとは正反対の方向に発生した重力に、全身が毛を逆立てて警告を発する。

 

 まずいまずいまずいまずいまずいまずい――――

 

 どうする? 助かる術は? 浮遊魔法? 魔力と時間が足りない。 そもそも生き延びたとて、あの使奴にどう立ち向かう? どうすれば。私はここで死ぬのか――――?

 

 自問自答が走馬灯のようにジャハルの頭を駆け巡る。その問いはどれもが容易に否定できる 杜撰(ずさん)な解決策。現実を認められない子供のような稚拙(ちせつ)な言い訳作り。思考は半分以上解決を諦め、現実を認めない方向へと目を逸らしつつあった。

 

 しかし、ハピネスだけは諦めていなかった。と言うより、諦めるという選択肢を選べなかった。

 

「くっ……!! ジャハル!! 気付けジャハル!!」

 

 ジャハルが生き残る唯一の術。先導の審神者が導き出した答え。それは確実にジャハルを助け出す確実な方法であり、自身の協力が必要不可欠であるとハピネスは知っていた。

 

「気付け!! 気付け!! 気付け!! 気付け!! 気付け!!!」

 

 ハピネスの叫びは聞こえずとも、ジャハルは自身の頭部をハピネスが抱えていることを察知している。しかし、ジャハルはその意図を理解しながらも踏み出せずにいた。

 

 

 

 駄目だハピネス。今君と私の負荷を入れ替えても、私の魔力を回復しても浮遊魔法の発動は間に合わない。第一、私の怪我をハピネスに移す訳には行かない。

 

「気付け気付け気付け気付け気付け気付け気付け気付け――――!!!」

 

 地面に衝突する瞬間に入れ替える? 駄目だ。そんなことしたらハピネスは即死を(まぬが)れない。例えイチルギ達が死体を発見しても、幾ら使奴でも粉々になった人間の再生など出来ない。どう 足掻(あが)いても、私かハピネス。どちらかが死んでしまう。ならば、絶対に、入れ替える訳には――――

 

「気付けぇぇぇぇえええええええええっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、“彼女“は地面に激突し粉々に砕け散った。



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102話 優秀なお人形さん

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜

 

「――――――――っはあ!! はあっ!! はぁっ!!」

 

 ジャハルは顔面蒼白になりながら大きく息をする。薄暗い遺跡の内部。崩れ落ちた瓦礫が足元に広がり、壁に開いた巨大な風穴からは快晴の砂丘が覗いている。思わず胸に左手を当て、自分が五体満足であることに気が付いた。

 

「や、やって……しまった。ああ……!! ハピネス……!!!」

 

 目の前には血塗れで倒れるメギドと、恨めしげにこちらを見つめるハイアの姿。近くにいるのはこの2人のみであり、もう肌にハピネスの気配は感じない。ジャハルは後悔と絶望と自己嫌悪の波に揉みくちゃにされながらも、目の前の使奴2人を警戒して身構える。しかし、彼女に最早戦う意志など残っておらず、この戦闘態勢は訓練で染み付いた教えに従っているだけであった。その間にもメギドは回復魔法を発動させ、自らの力で立ち上がれるほどに回復してしまっていた。

 

「おはようございますメギドちゃん。これで2連敗ですね」

「うっ……せぇ……」

「にしても……“入れ替えた“のですね。ジャハルちゃん。どこで気が付きました?」

 

 ハイアがジャハルを睨みつけながら問い掛ける。

 

「き、気が……付いた……?」

「……その反応じゃ、教えてもらったのですね。 あのメクラちゃん(ハピネス)に」

 

 ハイアの”メクラちゃん“という発言にジャハルは身を強張らせる。ハピネスの存在が知られている。襲ってきた使奴が自分達の面子を把握している。当然と言えば当然なのだが、ジャハルはまさか今このタイミングで共闘していることを見破られるとは思っておらず、更に言えば協力者を特定されることはないと高をくくっていた。

 

 ハイアの能力は“夢“の異能である。対象者に自らが作った幻覚を見せる操作系の異能。一般的な幻覚魔法と違う点は大きく分けて3つ。幻覚の内容を術者が細かく設定できる点。異能による症状のため魔法では太刀打ち出来ない点。そして、内容次第では凶悪な“ノセボ効果”を引き起こす点である。

 

 ハイアの異能が見せる夢は、対象者は疑うことは出来ても確信を持って幻覚であると気付けないという特徴がある。そのため、異能による対抗若しくは幻覚外の他者から何かしらのヒントを貰わない限り、本人にとってその幻覚こそが現実のように思えてしまう。故に、もし幻覚内で死亡してしまった場合。本人はそれが本物の死であると錯覚し、思い込みによって自らの肉体を死に至らしめてしまう。

 

 ハピネスはジャハルが何かしらの術にかかっていると推測し、もしジャハルに異能を使用できる意志があれば自分を捌け口として使えるよう合図を送り続けていた。

 

「もしかして、本当に誰かを殺してでも生き残りたいなんて思っちゃったりしたのですか?」

「そんなわけ――――!!! わ、私はただ……“おかしい”と思っただけだ……!!」

「おかしい?」

「どうやって私を空に運んだのかは分からない……でも実際私は空にいた……。だが、もしそうなら“ハピネスが異能で私について来れる筈がない”……!!! 彼女は、どうやって私の居場所を特定し、駆けつけて来れたのか……。それを、おかしいと思った……。なら、疑うべきは彼女ではなく……私だ」

「ははぁ……狂ってますね。流石は笑顔による文明保安教会の国王。お飾りとは言え、笑顔の七人衆に囲まれて育っただけありますね」

 

 ハイアは蔑むような視線でジャハルを睨みながら、小さく溜息を吐いた。

 

「ベルちゃんといいハピネスちゃんといい……。随分と“お人形さんごっこ”がお上手」

「…………お人形さん……ごっこ?」

 

 ジャハルは体の震えを止めて呟く。

 

「お人形さんじゃないですか。あれこれ着せてもらって持たせてもらって、裏にいる人の思い通りに動く優秀なお人形さん」

 

 そう言って、ハイアはジャハルを殺そうと土魔法を発動する。ハイアの周囲から白い大太刀が4本召喚され、ジャハルへと斬りかかる。

 

「そうか。お前には”そう“見えるのか。ならば……」

 

 ジャハルは確信した。この勝負――――

 

「私達の勝ちだ」

 

 ジャハルは胸の前で両手の指を組み合わせる。そこへ大太刀の濡れたように煌めく刃が食い込み、ジャハルの肩から脇腹にかけてを切断した。その直後、景色が”タイルがひっくり返るように“変貌し、薄暗い遺跡と青空の砂丘を”血塗れの医務室“へと塗り替えていく。

 

「な――――!?」

 

 ハイアは目を見開いて驚く。虚構拡張には予備動作が必要であり、予備動作無しでの拡張を使奴以外が行っているところを、ハイアは見たことがなかった。そして何より、ハイアはジャハルが虚構拡張を使わないと踏んでいた。

 

 虚構拡張とは、異能の支配領域を体内から体外へと放出することによって発生する結界の一種とされている。この結界は物体は(おろ)か電磁波、波導をも遮断する。この内外で通じるのは重力や遠心力などの限られた力だけであり、異能による影響をも遮断することが出来る。つまり、虚構拡張を発動した時点でハピネスのような本体と繋がっている思念体は虚構拡張の外へ追い出されることになる。

 

 これにより、ジャハルはハイアとメギドの2人を同時に単独で相手取ったことになる。幾ら手負いとはいえ、鮫の泳ぐ水槽に自ら飛び込むが如き馬鹿げた自殺行為。ハイアはその理由を推理し、答えに辿り着いた。ジャハルが虚構拡張を発動した狙い。目の前で胴体を両断されて尚、敗北の色すら見せない眼差しの理由。使奴(自分)の想定をも掻い潜った、余りにも細過ぎる勝ち筋。

 

 ハイアは初撃でジャハルの頭蓋を両断しなかったことを後悔しながら、指先へと波導を集中させる。放たれた4本の大太刀のうち、2本目の軌道が僅かに逸れてジャハルの頭部へと斬りかかるが、刃は頬骨までしか届かず脳味噌へは達しない。続けて3本目の大太刀がジャハルの頭蓋へ迫る。しかし、この瞬き一つ出来ないほど短い刹那の時間は、ジャハルにとって余りにも十分すぎる時間だった。

 

 3本目の大太刀が触れる寸前、ジャハルが異能を発動させた。

 

 ジャハルの虚構拡張による異能の変化は、発動条件の緩和。肌を直接触れ合わせることなく、遠隔での負荷交換を可能とする。

 

 虚構拡張の広さは、ジャハルを中心にして半径100m前後。

 

 その内側にいるのは、ジャハル。メギド。ハイア。そして――――

 

 ジャハルの致命傷を引き継ぎ、絶命寸前の身体で這いずって来たハピネスの計4人。

 

「メギドちゃん――――」

 

 ハイアはハピネスと負荷を交換され、左半身から血飛沫を上げて地面へと倒れ込む。メギドもジャハルと負荷を交換され上体が切断される。使奴は如何なる物理的破損を受けても死亡はしない。しかし、問題は魔力と体力。枯れ果てた魔力と、指一本動かすのも難しい疲労感。本来使奴という存在が決して味わうことのない種類の苦痛。これらは幾ら無敵の使奴といえど、すぐに起き上がれるような負荷ではなかった。

 

 やった。やったぞ。ハピネス。私は、今度こそ使奴に勝ったんだ――――

 

 そこでジャハルの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜ピガット・ウロボトリア遺跡 中層〜

 

「あ、起きた」

 

 暗闇の中からジャハルがハッとして飛び起きると、目の前で5段アイスを食べているバリアと目があった。

 

「おはよう」

「……バリア?」

 

 ジャハルは混乱しながら周囲を見渡す。静かな遺跡の一室。そこで無造作に敷かれた毛皮の上に寝かされていたことに気がついた。そして、周囲には心配そうにこちらを見つめるイチルギや、シスター、ナハルの姿。そして隣に横たわっているハピネス。自分達があの境地を脱したことに安堵したジャハルは、大きく溜め息を吐いて項垂れる。

 

「っはぁ〜……!! よかった……。無事だったか……ハピネス……」

「死んでるよ」

「えっ」

「嘘だよ」

「……バリア。そういう嘘は言ってはいけない……」

 

 ジャハルがバリアの肩に手を置くと、バリアは無言でジャハルの口元に食べかけのアイスを押し付ける。

 

「いや、今はいい……いいってば」

 

 そこへ1人の人影が接近し、ジャハルの真横にどかっと腰掛ける。それは、トレンチコートを着た灰亜種の使奴。メギドだった。

 

「なっ……貴様っ……!!」

「そう身構えんな。もう戦う気はねーよ」

 

 そう言ってメギドは手を差し出す。

 

「使奴の失敗作。灰亜種のメギドだ」

「……人道主義自己防衛軍。”クサリ“総指揮官。ジャハル……」

「宜しく。負け惜しみっぽく聞こえるかも知れねーけど、もうああいうことすんなよ」

「ああいうこと?」

「多分恐らくで腕切り刻んだりすんなってことだ。ベルの野郎が折角くれた生き延びる術を、無下に扱うなって言ってやってんだよ。ベルもフラムも、そんなイカれた自己満足の為にお前らを強くしたわけじゃねーんだ」

「フラム様に会ったことがあるのか!?」

「その話はまた今度な。ハイア」

 

 メギドが後ろを向いて手招きをすると、部屋の隅からメイド服を着た灰亜種、ハイアがこちらへと歩いて来た。

 

「どうも、灰亜種のハイアです。ジャハルちゃん。怪我の具合は如何ですか?」

「……怪我?」

「覚えていないのですね。ジャハルちゃん、異能を使った直後に私の魔法でズタズタにされたのですよ。土魔法の刀は4本あったでしょう?」

 

 ジャハルはハッとして自分の体を見る。服はいつの間にか脱がされていて、全身にはミイラのように包帯が巻かれていた。

 

「もう治ってますよ。どういう風の吹き回しか知らないのですけど、トールちゃんまで治療に参加してくれましたし。珍しいこともあるものですね」

「……貴方達の目的は何だ?」

「先に私から質問させて下さい。ジャハルちゃん、どうして虚構拡張を張ったのですか?」

「…………生き残るためには、他に手はあるまい」

「質問の仕方が悪かったですね。どうしてハピネスちゃんが虚構拡張の範囲内にいるって分かったのですか? あの時ハピネスちゃんはジャハルちゃんの大怪我を移されたばっかりでしたよね。普通、そんな死にかけの人間が自分の方へ近づいてきてるなんて――――」

「貴方の失言が原因だ」

「……失言?」

「私のことを”お人形さん“と揶揄しただろう」

「…………そうですね」

「あれを悪口として扱うってことは、恐らく貴方は”優秀じゃない“。厳密に言えば、”使奴に匹敵する頭脳を持っていない“と判断した。だから、ハピネスが命懸けで私の方へ近づいてきていると想定しないと踏んだんだ」

「頭のいい使奴だったらどう考えるんですか?」

「私がベル様に言われたことはただ一つ。如何に“言いなり”になれるか。それだけだ。ならば逆も然り。使奴は私を見たら、その後ろにベル様の影を見る筈だ。戦うべきは私ではなく、その背後にいるベル様になる。私が”優秀なお人形“であることは、言うまでもない大前提だ。それを挑発に使った時点で、貴方の発想力は使奴に遠く及ばないと思った」

「……早い話が、舐められたのですね。私」

「ハピネスの件も同じだ。彼女の狂気は確かに人間離れしたものだが、彼女の奇行を使奴が推測出来ないとは言い難い。逆に、使奴程の性能がなければハピネスの策を見破るのは困難を極めるだろう。だから貴方達は策に嵌った。そして未だに疑問が残っているんだ」

「もしハピネスちゃんが虚構拡張の範囲内にいなかった場合は?」

「言っただろう。私は“優秀なお人形さん”だ。ハピネスならば、私が想像する範囲で最良の答えを選んでいる。ハピネスが近くにいなかった場合の選択肢は、どれも最良とは言い難い」

「はぁ……納得出来ませんね。これも使奴なら納得出来たりするのですか?」

「恐らくな……。さて、次は私の番だ。貴方達の目的を聞かせてもらおう」

「その質問には後で全部答えます。歩けるようになったらハピネスちゃんと一緒に外へ来てくださいね」

 

 そう告げるとハイアはメギドと共に部屋を出ていった。

 

「……おかしな使奴だ。イチルギ、貴方は今回の件について何か知っているか?」

「ええ。知ってるわよ」

 

 イチルギは静かに目を伏せて頷く。

 

「と、言うより。私が計画したと言っても過言じゃないわ」

「なっ――――なんだと……!? 一体どういう――――」

「ジャハル君」

 

 隣から割り込んで来た声。そこにはハピネスが寝たまま薄目を開けてこちらを見つめていた。

 

「ハイアが後でって言っていただろう?」

「ハピネス! 気がついたか……!」

「ジャハル君頑張ったねぇ。いやあ九死に一生を得るとはまさにこの事。肝が冷えたよ」

「はっ……何を言うか。あんな窮地ですら“皮算用”をしていた癖に」

「言いがかりだ。そんな余裕あるものかね」

「言いがかりなものか。お前は私を命懸けで助けることで、“私という人間に恩を売りつけた“。私が恩を決して忘れない真人間であるのをいいことに、今後絶対に自分を裏切らない手駒を見事手中に収めた。これが狙いだったのだろう? ま、その企みのお陰で私も“ハピネスの底”を知ることができたわけだが……」

「そんな筈ないじゃないか。人の親切を疑うなんて、良くないよジャハル君」

「お前がタダで命を張るわけがないんだ。人生を種銭としか見ていない奴が、こんなつまらないところで命を捨てたりするものか」

「酷い言われようだ」

「それだけじゃない。私と使奴を戦わせることで、私の異能の性質を探ろうとしたな?」

「まさか」

「誤魔化しても無駄だ……、ご覧の通りだよ。私の負荷交換は“私が負荷と認識している部分しか交換できない”。しかもこれは強制だ。だから幾ら使奴の不具合とは言え、無限の魔力を生み出す使奴細胞を見た目が悪いと言うだけで負荷と見做すことは出来なかったし、黒痣も移ることはなかった。負荷という概念は人それぞれだからな。低身長や高体重を負荷と捉える者もいれば逆もある。顔の作りや髪の色、性別や性格だってその範疇だ。私の負荷交換という異能は、私の寛容さによって大きな弱体化をしている」

 

 ハピネスは少し驚いたような顔で沈黙した後、穏やかに微笑んで目を閉じる。

 

「……君が浅学非才な変人じゃなくて良かったよ。寿命や頭脳まで入れ替えられちゃあ堪ったもんじゃないからね」

「ああ、安心しろ。私は自分がある程度優秀なことを自覚しているし自負もしている。ただ過信するなよ。お前が非人道的な振る舞いをするならば、命の恩など簡単に忘れてやる」

「上手く騙すに決まってるだろう。君に計られるほど、私も盲目じゃないんでね。さ、もう少し休んだら外へ行こう。バリア、ジャハル君の魔袋(またい)からビール出して。ついでに冷やしてくれると嬉しいな」

「ん」

「お前っ……私のバッグに勝手に物を入れるな!!」

「その分()ってるから問題ない。そんなことより、ほら」

 

 ハピネスはバリアからビール瓶を2本受け取り、1本をジャハルへと差し出す。

 

「……せめてコップに注いだらどうだ」

 

 ジャハルは苦笑いをして受け取る。

 

「酒ってのは下品に飲む方が美味しいんだよ。乾杯」

「……乾杯」



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103話 英雄は如何にして失われたか

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〜ピガット・ウロボトリア遺跡入り口〜

 

 ある程度動けるようになったジャハルがハピネスを背負って外へ出ると、そこにはメギドやハイアの2人以外にもラルバ、ラデック、ハザクラの3人。別行動していたイチルギ、ラプー、バリア、シスター、ナハル、カガチ、ゾウラの7人。そして青い肌の使奴キザンと、信仰の異能者で隠遁派の使奴トール、ヒトシズク・レストラン国防長官の使奴アビスの3人。ジャハルとハピネスの2人を含め、計17人が集まっていた。

 

「お、全員集まったっスね」

 

 キザンがウンウンと頷き、仰々しく咳払いをする。

 

「では今回の件にて説明をば……。恐らく互いに何があったか分かってないでしょうし、遅れて来たシスターさん達はウチらが何者かも分かってないっスよね。その辺も含めざっくりと説明します」

 

 キザンは映像魔法を中空に発動し、そこへ図を描きながら説明を始める。

 

「今回、三か所でウチら“ヴァルガン派”と“ラルバ派”の勢力が戦闘をしていました。遺跡上層ではラルバさんとアビスさん対、ウチことキザンが。中層ではラデックさんとハザクラさん対トールさん。下層ではジャハルさんとハピネスさん対メギドさんとハイアさん。結果はウチら“ヴァルガン派”の全敗ですけど。どれも死者が出てもおかしくない激戦だったらしいっスね。実際ラルバ派の面々は全員死の淵を彷徨(さまよ)ってましたし」

 

 この説明にシスターとナハルは血相を変え、当事者のジャハルは青褪(あおざ)めた顔でハザクラを見る。

 

「ハザクラが……!? キザン!! 貴様一体何を――――!!!」

「黙っていろジャハル」

 

 激昂するジャハルに、ハザクラが冷静に言い放つ。キザンはジャハルの問いに答える様子もなく話を続ける。

 

「ぶっちゃけた話、ラデックさんとかジャハルさん達は殺しても蘇らせる予定でしたんでご心配なく。ただ、ラルバさんだけはマジのガチで殺す予定だったんスけどねー……。アビスさんの乱入はベリベリ想定外。と、言うわけで……残りは我らがリーダーから全部話していただきましょうかね。“ヴァルガン”さん。どうぞ」

 

 そう言ってキザンが一歩下がって頭を下げると、砂丘の“景色が歪んで”1人の人物が現れた。

 

 燃え盛るような紅い髪に薄い小麦色の肌と菫色(すみれいろ)の瞳。豊満な胸と対照的な筋肉質で細身の身体。チェックのシャツとオーバーサイズのパンツ。男性的ながらもどこか女性らしい魅力のある相貌(そうぼう)。ヴァルガンと呼ばれた女性は、全員を眺めた後に微笑んで頭を下げる。

 

「どうも。”狼の群れ“の創始者であり、“一匹狼の群れ”の頭領。そしてイチルギの元相棒……。ヴァルガンだ」

 

 この前口上にラデック達、特にハザクラ、ジャハル、シスターの3名は信じられないといった様子で彼女を見る。

 

 ”狼の群れ“――――世界ギルド境界の門と並ぶ先進国で、“東の境界、西の狼”呼ばれる程の大国。そして、50年ほど前に狼の群れから亡命した戦士の集団が作った国が、かの笑顔による文明保安教会に匹敵する戦力を持つ盗賊団、“一匹狼の群れ”と呼ばれている。

 

 そんな恐ろしい国の長が、秩序を保つ世界ギルドの顔であるイチルギ元総帥の嘗ての相棒。まるで御伽噺のような言葉に、ハザクラ達は耳を疑った。そして何より、ヴァルガンの肌は“至って普通の人間と変わらぬ薄い小麦色であり、白目の白さも腕に見える薄い縫い痕も、使奴という存在の特徴からは大きく逸脱したものだった”。支離滅裂な状況に、ラデックは思わず思考をそのまま口に出した。

 

「……貴方は、使奴……なのか?」

 

 ヴァルガンは楽しそうにニィっと笑う。

 

「うん、そうだよ。私はれっきとした使い捨て性奴隷、使奴だ。じゃなければ200年も生きていられないよ」

「……そうか」

「普通の人間に見えるだろう? 私も最初はそう思ってたさ。そう……自分が“性欲発散の為の玩具(オモチャ)”だなんて、夢にも思わなかった」

 

 ヴァルガンは中身のない笑顔のままラルバに目を向ける。

 

「初めまして、ラルバ。やっと挨拶が出来たね」

 

 少し躊躇(ためら)った後、ラルバが重苦しく口を開く。

 

「お前か。ずっと私達の後を尾行()けて来ていたのは」

「ああ。私のこと、覚えているかい?」

「……お前は確か――――」

 

 

 

「今からこれをゆっくりと引き上げる。ゆっくり、ゆっくりとな」

 

「回復魔法でなんとか生き永らえさせてやろう」

 

「この男、助けに来ないから」

 

「ウチらの財宝を少し渡してさ」

 

「そんじゃお別れが済んだところでバイバーイ!!」

 

 

 

 

「……一匹狼の群れ……盗賊の国で、私の処刑を執行した女だな」

 

 ヴァルガンは微笑んで頷く。

 

「その節はどうも」

「私に何の用だ。まさか、盗賊仲間を殺された恨みなどではあるまい。じゃなきゃ“あれからずっと私らの後をついて来ていた”理由にはならん」

「勿論そんな理由じゃない」

「……盗賊の国でラデックに宝石を渡したのもお前だな?」

「そうだよ」

「その時、”ラデックに私を殺さないよう命じた”」

「察しがいいね。流石は最新モデル」

「ラプーを私について来させたのもお前だな」

「その通り」

「世界ギルドでイチルギに私の勝負を受け入れさせ、仲間になるよう命じたのも」

「私だ」

「生贄の村でハピネスに口止めをしたのも」

「私」

 

 ラルバは拳を握り締めて歯軋(はぎし)りを鳴らす。

 

「……イチルギが、私を本気で騙そうとして吐いた嘘がある。世界ギルドの酒場で、ラデックが時間壁の話をした時だ。”目の前で怯えている難民を放っておくわけにもいかず人助けを始めた“と。当時は若干の違和感しか覚えなかったが、今思えば疑問しかない。イチルギは善人だが、これ以上ないほどの悲観主義者(ペシミスト)だ。二者択一を嫌って両手を離すネガティブな自己愛に囚われている。そんな奴が、自ら進んで人助けなんぞするもんか」

「それは……イチルギが君に打ち明けたのかい?」

「見てれば分かる」

「じゃあどうこう言って欲しくないな。私の相棒はそんな馬鹿じゃない」

「お前ら揃って馬鹿なだけだろう」

 

 ヴァルガンは小さく溜息を吐いて背を向ける。

 

「押し問答しに来たんじゃない。思い出話をしよう」

「思い出話しに来たんじゃない。さっさと本題に入れ」

「いいや? 思い出話をしに来たんだよ。この思い出話こそが本題さ」

 

 ヴァルガンは全員の中心に立って周囲を見渡す。苛立(いらだ)ち、疑い、恐れ、敵意、期待、尊敬、信頼。様々な視線の中、どこか寂しそうな眼差しで右手の籠手(ごて)を外す。日の下に(さら)された手首には縫い痕が一周しており、それより先は使奴特有の真っ白な肌をしている。そしてその手の甲には一匹狼の群れの紋章が彫られていた。ヴァルガンは紋章を眺めながら、呟くようにぽつりぽつりと話し始めた。

 

「最初から話そう。本当に、本当の最初から。私の、ヴァルガンの物語を――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

〜第五使奴研究所 崩落したガレージ〜

 

 ヴァルガンが最初に感じたのは、けたたましい爆撃音。そして暗闇。棺桶(かんおけ)の中にいるような窮屈(きゅうくつ)な暗闇。そこから抜け出すために、彼女は目の前の“壁”を思い切り押し開けた。

 

「何だ……? ここは……」

 

 機械の箱の扉を壊して見えた景色。目の前に広がるのは、空を覆い尽くす黒雲と荒野。爆発して散乱した数多の機械。ヴァルガンは自分が何者かも分からないまま、世界の終焉を告げる大戦争を呆然と見つめていた。そして、突然両頬をピシャリと力強く叩いて頭を振る。

 

「しっかりしろ……。英雄ならば、やるべきことはただ一つ!!」

 

 ヴァルガンは自分が入っていたであろう機械の箱を蹴飛ばし、死にゆく世界へと足を踏み出した。

 

「記憶があやふやだ……。きっと私は選ばれし者に違いない!! 崩壊した世界、そこへ舞い降りた英雄!! “ロードバード戦記”や”クライプル冒険譚(ぼうけんたん)“のような……いや、”ザ・ウォーリアーズ・プランニング“の方が近いか? でも変だな……。記憶喪失の主人公に案内役は付きものだと思うんだけどな……」

 

 ブツブツと独り言を呟きながら彼女は歩みを進める。不幸中の幸いと呼ぶべきか、(ある)いは致命的な天命か。彼女は“出荷準備が完了した発送待ちの使奴”。物好きで下衆な顧客の要望通り、彼女の性格は“英雄に憧れる勇敢な戦士”に設定されていた。

 

 

 

 

 

〜避難民の隠れ家〜

 

「もう大丈夫だ!! 私に全て任せるといい!!」

「ああ……ありがとう……ありがとう……!!!」

「神様だ……アンタは神様だよ……!!!」

 

 奇跡的に爆撃を逃れた避難民が身を寄せ合う廃屋。そこへ餌を求めてやって来た野生の肉食動物の群れに、ヴァルガンは強大な魔法を浴びせ追い払った。避難民達は彼女に大層感謝をし、ヴァルガンはその光景にえも言われぬ優越感と幸福感を覚えていた。

 

「なあに、英雄として当然のことをしたまでだ!」

「お姉さん、名前はなんと言うのですか?」

「名前? 名前は……名前……」

 

 ヴァルガンは咄嗟(とっさ)に映画や小説などのファンタジー作品を思い浮かべ、その主人公の名を口にする。

 

「ヴァルヒース……セレガン。セレヒス……ヴァガン……ヴァルガン? ヴァルガン! ヴァルガンだ!!」

「ヴァルガンさん……この御恩は一生忘れません……! 戦争が終わったらまた来て下さい! 私達全員でおもてなしさせて頂きます!!」

「ああ、楽しみにしているよ! それじゃ! まだまだ救わねばならない人達が沢山いるからね!」

 

 

 

「ふふふ……ヴァルガン。いい響きだ」

 

 

 

〜第一使奴研究所 崩れ落ちた鉄塔〜

 

「何だ? この施設は……」

 

 ヴァルガンが倒壊した施設に近づこうとすると、視界の端に2人の人物が映った。

 

「おや、人……? うわぁ! な、なんだその姿は!? 霊皮症(れいひしょう)か!? 大丈夫か!?」

 

 そこにいたのは、背の高い黒髪の女性と、背の低い中年の太った男性だった。しかし、女性の肌は一切の色彩がない真っ白な肌をしていた。強い違和感を覚える肌の色に、ヴァルガンは隠す様子もなく目を丸くする。

 

「……貴方がヴァルガン?」

「え? 何故私の名前を……」

 

 黒髪の女性がヴァルガンの名前を呼んだ。ヴァルガン自身が自分につけた名前を。

 

「理由なんてどうだっていいじゃない……ヴァルガン。貴方は、この世界で何をしたいの?」

「何を? 何をって……」

「文明が殆どゼロに戻ったこの世界で、貴方は何故生きているの?」

「生きるのに理由なんて要らないだろう! 文明がゼロに戻ろうが人類が滅亡しようが、英雄は善き事の為に骨身を惜しまない!」

「……そう。…………英雄?」

「ふふん。私は選ばれし英雄なのだ! 君、”ザ・ウォーリアーズ・プランニング“って映画見たことあるかい? あの主人公みたいな感じ!! 伝わるかな?」

「……ああ、ヴァルヒースのヴァルでヴァルガン……」

「そうそう!! あれいいよねぇ。王道ながらもキャラクターが凝っててさ!」

「……貴方。自分のこと、本気で英雄だと思ってるの……?」

「もっちろん!!」

「本当はただの何者でもない存在かもしれないのに?」

「“己が何者であるかは、己が何を名乗るかで決まる“。誰かから背負わされた肩書きなんて何の意味もない!!」

「……”クアトロモンスター“のヒロインの台詞だったかしら。好きなのね。映画」

「そうそうそうそう! いやー君も結構話せるねぇーっ!」

「まあ私の方が多分後の使奴だし……って、この話はどうでもいいかしら……」

「“シド”?」

「何でもない。知らなくていいことよ」

 

 彼女は大きく溜め息を吐くと、半分以上疑いが篭った眼差しで微笑む。

 

「英雄さん。善行ついでに、私の願いも叶えてくれるかしら?」

「いいだろう! それが正義ならね! おふたりさん名前は?」

「名前? 私は特にないわ。好きに呼んで頂戴。こっちの彼は”ラプー“よ」

「んあ」

「よろしくラプー! じゃあ君はー……そうだね。クアトロモンスターのヒロイン”イチル・ギ・ジャンギノス“から取って”イチルギ“にしよう!!」

「……本当に好きに呼ぶとは思わなかったわ」

「ジャンギノスの方が良かった……?」

「いや、イチルギでいいわよ」

 

 

〜北の海岸 座礁(ざしょう)した戦艦〜

 

「そっち行ったぞイチルギ!!」

「見えてるわよ」

「盗賊とは言え、元軍人と言うだけあって厄介だな」

「別に。……親玉がいないわね」

「船の中は大体見たけどなー。お出かけ中かな……。ラプー! 親玉の居場所分かる?」

「アッチに2km」

「わお、意外と近くにいたね。なあイチルギ。コイツら取っちめたらさ、改心させて用心棒に出来ないかな?」

「必要ないわ。いるだけ邪魔」

「私らじゃなくって! 避難民達のさ!」

「……それもそれで面倒臭い」

 

 

 

 

 

〜南の洞窟 最深部〜

 

「おや、こりゃあ珍しいお客さんスね……何の用っスか?」

「君が”青鬼“? 確かに青いね。近くの街の人に、君が怖くてこの辺の採掘ができないって言われてね。悪いんだけど、入り口の方ちょーっとだけ立ち入りさせてもらえないかな?」

「嫌っス。トールさん手伝って」

「おっと、いきなり戦闘? 血気盛んだねぇ。メギド!!」

「聞こえてるから叫ぶな」

 

 

 

 

 

〜ヒトシズク・レストラン〜

 

「アビスいいのかい? こんなに食糧もらっちゃって」

「構いませんよ。それに、これはレインさん達からのお礼でもあります。是非受け取ってください」

「悪いなぁなんか。あ、そうだ! 代わりにいいものあげるよ!」

「これは……盾?」

「今度建国予定の国の紋章! これがあれば仲間内で顔が利くようになるからさ」

「建国って……随分壮大ですね」

「まあねー。でもさ、“狼の群れ”みたいに互いを助け合える秩序は必要だよ」

「狼って互いに助け合う生き物でしたっけ……」

「え? アビスってば“狼王国(ろうおうこく)物語”知らないの?」

「……いや、それは知ってますけど……。まさか小説からの引用だとは思わなくて……」

 

 

 

 

 

〜人道主義自己防衛軍〜

 

「ケチ!! 意地悪!! 甲斐性無し!!」

「なんとでも言え。私には寄り道している時間などない」

「同盟ぐらい別にいいじゃん!! ハザクラとかいう子の為にもなるって!! 秩序ある世界を作ることに何の異論がある!? 別にベルの目的ともぶつかってないだろ!!」

「しつこい奴だ……」

 

 

 

 

 

〜狼の群れ〜

 

「問題が多い……」

「しっかりしなさいヴァルガン。アンタが作った国でしょ?」

「そうは言ってもさぁイチルギ……。建国当初はよかったのに、ここ最近犯罪件数は膨れ上がる一方だよ。せっかく用意した給付金の制度だって悪質な虚偽申告ばっかり……」

「だから国民は選びなさいって言ったでしょ」

「馬鹿言うな!! 強きを(くじ)かずとも、弱きを助けなければ何の為の英雄か分からんだろう!! ベルやキザンも頑張ってくれている!! 必ず解決策はある筈だ!!」

「……そう。ま、好きにしなさいな」

 

 

 

 

 

 

「12番街で立て篭もり事件だ!! 一走り行ってくる!!」

「元気だこと……」

 

 

「先の津波で行方不明者が多数出てる!! 船借りるぞ!!」

「アンタが行ってどうするのよ!!」

「行かない理由がないだろう!!」

 

 

「また爆破テロ……今月2回目だ……!!」

「私が行くわ」

「駄目だイチルギ!! 武力での抑圧では根本的な解決にはならない!!」

 

 

 

「ヴァルガン。また外に反政府デモの団体が押し寄せてるわよ」

「分かってる……!! 大丈夫だ……みんな、少し勘違いをしているだけなんだ……!! 真摯(しんし)に、真摯に向き合えばきっと正気に戻れる……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜狼の群れ〜

 

「……出て行くの?」

「………………イチルギ。……私は……私はどこで間違えたんだ?」

「……強いて言うなら、最初ね」

「……すまない。すまなかった」

「いいわよ別に」

「でも、私はまだ諦めないぞ。100人程度ではあるが、軍から希望者を募った。彼らと共に、“正しい国”を造り上げてみせる。今度こそは、みんなが教えてくれた通りにやってみせる。次こそ、次こそ上手くやれる」

「そう……。じゃあ私も――――」

「イチルギは来なくていい」

「え?」

「……と言うより、私一人でいい。もう、これ以上。みんなに迷惑かけたくない」

「今更よ。ベルだって別にヴァルガンを見限ってここを離れたわけじゃないわ。メギドも、キザンも……みんなヴァルガンを信頼してのことよ」

「私が苦しいんだ。頼む……」

「ふぅん……ラプー。貴方はどうする?」

「一緒に行くだ」

「だそうよ」

「来ちゃダメだラプー。君にも、随分迷惑をかけた」

「一緒に行くだ」

「駄目だ」

「一緒に行くだ」

「……ラプー」

「一緒に行きなさいヴァルガン。アンタ一人じゃ、私も心配で気が気じゃないわ」

「…………すまない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜一匹狼の群れ〜

 

「お前達!! 勝手な制裁を加えるなと何度言えば分かる!! 私達は神でも審判者でもないんだぞ!!」

「ですがヴァルガン様……アイツらは野盗ですよ!?」

「事実や行動を咎めているんじゃない!! その悪を(しいた)げる(よろこ)びを得た心を咎めている!!」

 

 

 

「捕らえた者共を世界ギルドへ引き渡せ」

「何故ですかヴァルガン様……! そんなことしたら、奴らは刑期が終わると共に再び惨劇を繰り返します!!」

「それを裁くは私達ではなく世界ギルドだ。正義心による私刑は悪行であると知れ」

「納得出来ません……!! ヴァルガン様……!!」

 

 

 

「貴様等!!! 誰が処刑など許可した!!!」

「私ですヴァルガン様」

「お前……!!! 看守長ともあろうお前が何たることを……!!!」

「ヴァルガン様のやり方が甘過ぎるのです!!! 奴らは明確な不利益がない限り、決して改心しない!!!」

「我々の役目は勧善懲悪ではない!!! 善を勧め悪を懲らしめたくば!!! ()ずは己の善と悪を定義し把握しろ!!! そんな初歩の初歩も出来ん奴らが裁きの斧を振るうなど、烏滸(おこ)がましいにも程があるぞ!!!」

 

 

 

「御言葉ですがヴァルガン様」

 

「それはヴァルガン様の理想論に過ぎません」

 

「ヴァルガン様には到底――――」

 

「ヴァルガン様じゃあ――――」

 

「ヴァルガン様など――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラプー……私は、私は、また……間違えてしまった」

「……んあ」

「分かっていたんだ。足りないって。私には、ベルのように割り切る強さもなければ、メギドのように切り捨てる覚悟もない。あるのは、この到底理解されない正しさへの憧れだけ……」

「…………」

「正しさは、正しさとは。水面に映る月のようなものだ。そこに月があっても、それを(すく)い取って差し出すことは出来ない。水面から掬い上げた途端に、月は跡形もなく消えてしまう。そして何よりも、私が見ている月は、相手の立っている場所からは見えない。水面を挟んで向かい合わせに立っている限り、決して理解し合えない。もしどちらかが隣に立てたとしても、結局……月は、水面に浮かんでいるだけなんだ……」

「…………」

「ラプー……。教えてくれないか? 私が一体……何者なのかを……」

「…………」

「イチルギは結局、最初に言いかけた言葉を最後まで教えてくれなかった。言わないでいてくれた。みんなも言わないでいてくれた。頼むラプー。あの言葉の続きを、教えてくれ……。私は、“シド”とは、何なんだ……?」

「……………………使奴。“使”い捨て性”奴“隷」

「……え?」

「旧文明の金持ちと技術者が、欲望の(おもむ)くままに造った愛玩用人造人間」

「愛、玩……用……」

 

 

 

「そうか……そうか……」

 

 

 

 

「道理で……」

 

 

 

 

 

「私は……英雄になれない筈だ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が英雄だ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「卑しい……性奴隷の癖に…………」



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104話 使奴の国

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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 ラプーに真実を聞いてからは、私は泥のような日々を過ごしていた。その間にも我が一匹狼の群れは当初の正義を忘れ、歪曲した勧善の精神は腐った懲悪を言い訳に暴走していった。行き過ぎた懲悪の思想は悪の概念そのものを拡大し、己の曲がった正しさを盲信する理由になった。悪党の処刑という手段は士気を上げる目的へとすり替わり、闘争心は支配欲へと変貌した。私は、その変遷を見届けながらも意見ひとつ言うことはなかった。心のどこかで裁きを待っていたんだ。堕ちて腐ってしまった私を、世界を台無しにした私を、イチルギ達が裁きに来てくれるのを。200年もの間こんな愚か者の我儘(わがまま)に付き合わされて、最後には全てを放り投げられたイチルギ達が恨みを晴らしに来てくれるのを。私は本当に馬鹿だ。イチルギ達がそんなことをする筈はないのに……。

 

 

〜一匹狼の群れ〜

 

 そんな中、波導が不自然に揺らぐのを感じた。第二使奴研究の時間壁が解除されたことによるものだった。そこで愚かな私は、第二使奴研究所から脱走してくるであろう使奴をここへ誘い込み、一匹狼の群れを壊滅させる作戦を考えた。イチルギ達に手を汚させないために、名も知らぬ使奴に全ての汚名を(こうむ)ってもらおうと。

 

 一匹狼の群れの連中はもう誰も私の顔など憶えていなかったから、溶け込むのに苦労はしなかった。ラプーを処刑の予定に組み込み、1人で逃げられるよう国民から除外した。けど、ここでひとつ予想外の出来事があった。

 

 ラルバ。君が、自分から襲撃に来たことだ。

 

 それも使奴研究員の男を連れて。攻撃的な使奴は少なくないが、その殆どは高すぎる戦闘力に物を言わせただけの動物的な暴走に近い。君のように悪意ある(はかりごと)をする使奴は200年生きてきて初めて見た。そんな君に私はほんの少しだけ君に興味が湧いて、同行者の男であるラデックに話を聞いてみることにした。

 

「やあ。どうも」

「待った。降参する」

「まだ何も言ってないよ。別に不法侵入を咎めるつもりはない」

「……俺に何か?」

「あの赤い角の使奴の女。彼女は何者だ? 彼女の目的はなんだ?」

「使奴? 使奴を知っているのか?」

「私は使奴の関係者だ」

「……目的か。悪人を(いじ)めたいということ以外は知らない」

「……悪人を虐めたい?」

「最初は使奴として生み出されたことへの復讐だったそうだが、使奴研究員の惨殺が思いの外楽しかったらしい」

「悪人をねぇ……善人も殺すのかい?」

「今のところそれは無い。興味が無いそうだ。俺を生かしておいている理由も、俺には悪人の要素がないかららしい。目的を邪魔されたら殺すのかも知れないが、使奴の行動を邪魔できる存在などそう多くはないだろう。善人にとっては無害だと思う。……彼女を止めたいなら好きにすればいいが、あまりいい結果を期待しないことだ」

 

 ずっと、思っていたことがある。

 

 “ダークヒーローがいればいいのに”と。

 

 名誉を望まず、汚名をものともせず、悪を滅ぼす為なら手段を問わない無秩序の支配者。民衆から崇められる正義のヒーローでは手の届かない闇を、闇の中から正す地獄の番人。私達表の英雄が英雄気取りで終わってしまったのは、この“表からでは手の届かない闇”が問題だった。

 

 外面だけは見栄えのいい偽善の革命者。貧困街の義賊を自称する市民権を得た強盗団。己が創り出した幻想を真実と言い張る陰謀論者。非道徳で非合法、()つ国民の一部に溶け込んでいる反乱分子。これを正義側から道徳的制裁で()って改心させるのは不可能だ。

 

 私達使奴は人類の叡智(えいち)才知が詰め込まれた、机上の空論を実現する化け物だ。が、あくまで机上に描ける空論しか再現できない。(わず)かな可能性がないと実現出来ない。イチルギや、メギドや、キザンや、ベルが提案した改善案はどれも“徹底的な排除”一択だった。誰一人として“更生”を選択肢には挙げなかった。馬鹿は死んでも治らない。秩序を乱す馬鹿を切り捨て生み出さないことが唯一の解決策だった。しかし、そんなの英雄が出来ることではない。恵まれた人間は弱者と呼ばれる人間に対して庇護欲を抱く。国民の中にいる“弱者”を切り捨てた日には、国民からの信頼は水泡に帰すことになる。そして再び信頼を得るには、途方もない代償を支払うことになるだろう。だから、その罪と役目を一手に担ってくれるダークヒーローがいればいいと思っていた。

 

 そんな我儘が今、再び私の心で目を覚ました。ラルバなら、やってくれるかも知れない。私が思い描いた都合のいいダークヒーローを演じ切ってくれるかも知れない。

 

「君の名前は?」

「……ラデック」

「そう、ラデック。君に2つお願いがある」

「何だ?」

「一つは、ここで私と話したことを内緒にしておいて欲しい。そうだな、彼女に尋問された時のためにひとつ真実を作っておこう。君は侵入が見つかったが、目的を諦めれば宝をやると言われて情けなく立ち去った……と言うことにしよう。あの通路を右に行けば宝物庫があるから、この魔袋(またい)に入るだけ詰め込んで持っていくといい。罠は全て解除しておくよ」

「もう一つは?」

「彼女を殺さないで欲しい」

「殺す? 俺がラルバをか?」

「君、一撃必殺レベルの異能を持ってるだろう」

「うっ……」

「私と出会った直後の姿勢が”逃げ“じゃなくて”避け“の姿勢だ。咄嗟(とっさ)に首元に手をやったのも、急所を守るためじゃなくて手を伸ばすために(ひじ)を曲げたかったんだろう。てことは皮膚の化学的接触が発動条件だ」

「……分かった。だが約束は出来ない。自分の身を守る為の反撃程度は容認して欲しい」

「断る。この約束を反故(ほご)にしたら、私が必ず君を殺す」

「そんな無茶な……」

「と言うより、これは君の命を守る為でもあるんだよ」

「俺の?」

「使奴は自分に対する殺意、特に実行の意思を持った確実なものなら容易に見抜ける。君がもし彼女を殺そうとすれば、確実にそれより早く返り討ちに遭うだろう。でもこの約束があれば君はどんなことがあっても確実に殺意を抱けない。だって、ラルバを殺したところで結局は私に殺されるんだから。てことは、君がうっかり彼女を殺そうとしてしまうことはなくなるわけだ。彼女の殺害をコソコソ企むなんて魔が差す心配もないし。悪くない約束だと思うけどね」

「……そうか?」

「どっちみち君に決定権はないよ。ほら、分かったらさっさと宝盗んで帰りな。他の連中が来るよ」

 

 そして、ラルバを処刑台に連れて行き、君の殺戮劇(さつりくげき)を特等席で見守ることにした。君が独善的な勧善懲悪に酔い()れる英雄気取りなのか。悪の崩壊のみを望む秩序ある反英雄なのかを。

 

「さーてさて、あのまま糞尿垂れ流しにするのもいいが、せっかくの美形だ。剥製にしようか装飾にしようか……」

「御丁寧にどうも」

 

 君の私を見る眼差しは、間違いなく独善の欠片もない無正義なものだったよ。

 

「「「殺せ!!!」」」

 

 確かに君のやり口は、とてもじゃないが褒められるものではなかった。けど、私はそんな行儀のいい戦士を求めているわけじゃない。私が欲しいのは……。

 

「ありがとう! ありがとう救世主様!」

「鬱陶しいから離せ」

「ありがとう! ありがとう!」

「あなたは神様だ!」

「救世主様! 救世主様!」

「私にどうしろと言うのだ……」

 

 善人を犠牲にしない、真っ当な価値観と常識を持ち、悪の破滅のみを望む。法と秩序にとって都合のいい、安全な殺人鬼。

 

 私はすぐさまラプーの元へ走って行き、彼に頼み事をした。

 

「ラプー……すまないが……本当に申し訳ないが……私の我儘を、聞いてはくれないか……? 今まで数え切れないほどの迷惑をかけてきて、終いには足蹴にするような別れを強いておいて、本当に自分勝手な話だと言うのは分かってる……!! でも、でも私は――――」

「ええだよ」

「…………ラプー。本当に、本当にこれで最後にする。イチルギと2人で、ラルバと共に歩んでやって欲しい。そして、イチルギを……支えてやってくれ……。こんな馬鹿な私について来てくれた、信じてくれた彼女の望みを……どうか、叶えてやって欲しい」

 

 一度は枯れて腐った私の夢が、他人の舞台で再び芽吹き始めた。

 

 

 

〜世界ギルド【境界の門】〜

 

 それからすぐにイチルギの元へ向かった。先にラプーを説得するなんて、我ながら情けないズルをしたと思う。

 

「数十年ぶりに顔を見せにきたと思ったら……殺人鬼の世話なんて無理に決まってるでしょ!」

「頼むイチルギ。彼女について行ってくれ」

「無理だし嫌よ。それに、そんな得体の知れない輩に裏の掃除屋をやらせるなら私がやるわ。私でなくとも、アンタの頼みならキザンが喜んでやるでしょ」

「あの子には絶対に任せられない!! そんな汚れ役……頼める筈がない」

「そんな汚れ役を見ず知らずの使奴に押し付ける方を恥じなさい。第一、上手くいかなかったらゴメンじゃ済まないのよ」

「きっと上手く行く。上手く行かせて見せる。ラプーも承諾してくれた」

「アンタ……ラプーを巻き込んだの!?」

「これで本当に最後だ」

「ふざけないでヴァルガン!!! アンタ……彼になんて馬鹿なことを……!!!」

「だからイチルギ。君がラプーの側で手伝ってやってくれ。そして、彼を守ってやってくれ」

「ヴァルガン……!!!」

「頼む」

「…………もし、もし今回の判断でラプーが苦しむことになったら、一生アンタを恨むわよ」

「分かってる」

 

 

 

 

 

 

 

〜クザン村〜

 

 ハピネスという人物が君達の仲間になったのは、私としても少し予想外だった。そこで私の尾行を明かされないように、彼女には少し黙っていてもらう必要があった。

 

「では私はお夕飯を持ってきますね……。主人が作っておいてくれたそうです……。少し待っていてください……」

「おかえり」

「あっれぇルギルギいつ帰ってたの?」

「ハピネス。ちょっと」

「えっ? イチルギ? ちょ、ちょっと待ってくれ」

「別に何もしないわよ」

 

 イチルギにハピネスを外へ連れ出してもらい、彼女を脅した。

 

「どうも、ハピネス・レッセンベルク」

「ど……どうも……? えーと……貴方は……」

「私を知らないのも無理はない。君の異能は“私の異能の対象外”だ。だから、君はこのまま何も知らないでいてくれ」

「それは……一体どういう――――」

「私の存在をラルバに喋らないと約束をして欲しい」

「はぁ……約束?」

「破ったら……それはその時に考えよう。君は明確な脅しを単なる対価と割り切ってしまうだろうから」

「……はぁ」

「じゃ、頼んだよ。くれぐれも賢い選択を」

 

 こんな忠告、彼女にとっては何の意味もないだろうが、幸いにも彼女の好奇心が邪魔することはなかった。

 

 

 

 

〜人道主義自己防衛軍〜

 

「やあ、ベル。久しぶりだね」

「ヴァルガン……。イチルギがトチ狂った事をしていると思ったら……やはりお前の仕業か」

「そんな怖い顔しないでよ。まだそんなに悪いこと言ってないだろう?」

「これから言うだろう」

「まあ、それは、そうだね。今度“ウォーリアーズ”のみんなを集めて少し話し合いをしようと思って。そこに参加して欲しいんだ」

「……その名前を聞くのは久しぶりだな」

 

 “ウォーリアーズ”。私がイチルギ達と旅をしていた時の団体名だ。我ながら恥ずかしい名前をつけたもんだ。

 

 

 

 それから程なくして、全員ではないが(かつ)てのメンバーが集まった。そこで私は皆に“ラルバを都合のいいダークヒーローとして運用する”案を皆に提示した。しかし、それに強く反発したのがキザンとメギドだ。

 

「何スか。何なんスか。意味分かんないっス。そんな嫌われ役、ウチが十二分にこなして見せますよ。ウチの何が不満なんスか、ヴァルガンさん」

「全くの同感だ、ヴァルガン。ここに居る全員、アンタについて来ただけであって、世界平和を望んでるんじゃない。何より、先頭を歩くのがアンタじゃないのなら、私らがついて行く理由はない」

 

 2人の言うことは最もだ。そして、2人が意を唱えることは分かっていた。だから、私は更に提案をした。

 

「なら、ラルバを殺せばいい。私の信じるダークヒーロー候補がいなくなれば、君達に代役をお願いしよう」

「え? 殺していいんスか?」

「まあ、それなりの代償は背負ってもらうが」

「気にしないっス。そんなら話が早いっス」

 

 意外にも、これにキザンはあっさりと承諾した。しかし、メギドからは別の文句が出てきた。

 

「ヴァルガン。アンタの目的ってのは本当にそれだけか? ラルバとかいう使奴を抜擢(ばってき)したのはまだしも、そのお供にそこら辺の有象無象をくっつける理由が分からねぇ。何度でも言うが、私はアンタらと違って“未洗脳個体”だ。記憶のメインギアによる知識の植え付けも、洗脳のメインギアによる強化もされていない。何か考えがあるならちゃんと言葉にしてくれ」

 

 この“有象無象”という言葉が、ベルの逆鱗に触れた。

 

「聞き捨てならないなメギド。今、私の部下を有象無象に含めたか?」

「有象無象だろうが、ベル。どんだけ伸ばしても人間は人間。私ら使奴には遠く及ばない」

「ジャハルは人道主義自己防衛軍の中でも極めて優れた軍人だ。ヴァルガンの期待に応えられるだけの力が、彼女にはある。それを知った口で失敗作如きが語るな」

「子煩悩も大概にしろよ親鼠(おやねずみ)。人間がどうやって使奴を超えるってんだ」

「使奴は超えられんでも、お前のような失敗作であれば充分匹敵するだろうな」

「だったら私はそのガキ(ジャハル)を殺してやろうか」

「出来もしないことを声高に(さえず)るな」

「後で“愛しい我が子を殺された”って泣くんじゃねぇぞ」

 

 意外にも、皆は私を支持しているからこその反論を提示してくれた。それはとても嬉しかったが、まさかここまでの大合戦になるとは思っていなかった。そうして、私達の物語が再び回り出したんだ。今度こそ、秩序ある正義の国を創り上げてみせると――――

 

 

 

 

 

 

 

 

〜ピガット・ウロボトリア遺跡入り口〜

 

「これが……私の知る全て。【使奴の国】の全貌(ぜんぼう)だ。ラルバ。君達の旅は“自由気儘(じゆうきまま)な悪党惨殺ツアー”なんかじゃなくて、私達落ちぶれた英雄気取りによる“後釜オーディション”だったんだよ」

 

 ラルバは黙ったままヴァルガンを睨み続けている。しかし、その眼差しには既に怒りの色は見られない。代わりにあるのは、ヴァルガンに対する軽蔑の念だった。

 

「……怒らせてしまったかな?」

「怒る? 私が? 今の話で?」

「それとも退屈だったかな? 何だか眠たそうにしているが……」

「眠たい話ではあったな。結局、私には何の関係もない話だ。お前らが勝手に私に期待して、あーだこーだ勝手に議論して揉め合って。そんなの知ったことではない」

 

 ヴァルガンは目を閉じて溜息を吐く。

 

「それはすまないことをしたね……。でも良かった。君が仲間を害されて怒りに支配されていたとしたら、もっと大変なことになっていただろうし」

「当然(いら)つきはしている。が、それ以上に呆れている。よくもまあ正常な価値観を持っておきながらここまで狂えたもんだ。狂人の真似とて何とやら……お前は立派な気狂いだよ。一生海の底で寝ていろ」

 

 ラルバはヴァルガンに首を切るジェスチャーをして背を向けて歩き出す。

 

「時間を無駄にした……。何とつまらない話だ。お前らの過去も今も希望も(いさかい)も、私には何の関係もない。そんな与太話を長々と聞かされる身にもなれ」

「どうこうして欲しいということはない。ただ……そうだね。今まで通りでいてくれれば」

「黙れ。もうこれ以上話しかけるな。バリア、全てが終わったら呼びに来い。それまで暇を潰してる」

「わかった」

 

 この上なく不機嫌なままその場を立ち去るラルバに、ヴァルガンはどこか虚なままの笑顔で呼びかける」

 

「君が自由気儘に振る舞えば、この世は私の望む世界に近づいていく。もし君が正義に仇なす悪党に成り下がった時は、またその時に考えよう」

 

 一人集団から離れていくラルバの背中を見送ると、ヴァルガンは空気を切り替えるように大きく手を打ち鳴らす。

 

「まっ、結局のところ今はまだどうするもこうするも無いわけだ! 辛気臭い話は終わり! 折角嘗ての仲間と未来を担う仲間が集まったんだ。仲直りの意味も含めて、宴会でもしようじゃないか。ラプー! イチルギ! 手伝ってくれ!」

 

 今までの物悲しさを吹き飛ばすかの如く、ヴァルガンは明るく振る舞って見せた。イチルギは一回だけラプーに目を合わせた後、大きく溜息を吐いてラデック達の方を向く。

 

「……まあ、みんなお腹が減ってるのは確かでしょ。食欲ないかもしれないけど、形だけでも付き合って頂戴」

 

 殆どの人間が重苦しい表情を保ったままイチルギについていく中、ヴァルガンはラデックに顔を寄せて微笑みかける。

 

「さて、取り敢えず……約束を守ってくれてありがとう。お陰でラルバという人物をよく知ることが出来た」

「出来ていないぞ」

「ほう?」

 

 ラデックは若干不機嫌そうにヴァルガンを睨む。

 

「ラルバはダークヒーローにはならない。他を当たれ」

「……ははぁ。そう言うことか。わかった。もし君の言う通り、彼女が私の望まぬ未来を歩んだならば潔く諦めるとしよう。だが……」

 

 ヴァルガンはラデックに耳打ちをする。

 

「もし何か気が変わったならば”狼の群れ“を訪ねてくれ。そこで、ラルバ諸共君達を試してやる」

「試す?」

「まだキザン達以外にも、君達の参戦を快く思わない連中がいる。彼女達との戦いを、最後の試練としよう」

「結構だ」

「気が変わったらでいいさ。この物語の結末で待ってるよ」



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105話 大団円

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〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡 大聖堂〜

 

 (かつ)ては大勢の信者が神に祈りを捧げるために設けられた広々とした大聖堂。しかし今となっては、土魔法によって作られた椅子と豪勢な料理が乗せられたテーブルが無造作に置かれ、和気藹々(わきあいあい)とした下品な宴会場と化している。

 

「はいはい“キビレマンボウの醤油ステーキ”と“マメイルカのユッケ丼”出来たよー!」

 

 そこへヴァルガンが笑顔で料理を運んできて、ハピネスとシスターとナハルのいるテーブルへと乗せる。

 

「あれ? ラデックは?」

 

 ヴァルガンの返事に答える前にハピネスは料理を受け取り、ユッケ丼を目一杯頬張ってから呟く。

 

「むぐむぐ……。ラデック君ならラルバを追いかけて出て行ったよ」

「あらぁ。嫌われちゃったかな」

「そりゃあ殺そうとしたんだから。当然だろう」

「駄目かあ」

 

 ヴァルガンが大きく溜息を吐きながらシスターの隣に腰掛けると、シスターは露骨に椅子をずらして距離を取る。

 

「そんな露骨に嫌そうな顔されると傷つくなぁ」

「……実際に人を傷つけておいて、よく言いますよ」

「君が今こうして安全に暮らしていられるのも私のお陰なんだよ? ちょっとぐらい敬ってくれてもいいんじゃないかなぁ」

「グリディアン神殿の惨状を見ても同じことが言えますか」

「……あれでもだいぶマシになった方だよ」

 

 そこへ、ヴァルガンからシスターを引き離すようにナハルが間に割って入り、無言のままヴァルガンを(にら)んで威圧する。

 

「やあ。君は……いいや、やめておこう」

 

 ヴァルガンは席を立って3人から少し離れる。

 

「そんなことより! 今は楽しく飲んで食べてってよ! 今回はもうこれ以上辛気臭い話をするつもりはないし、君達の長旅を労りたいのは事実だ」

 

 そう言ってヴァルガンは再び料理を作りに部屋を出て行った。その背中を見送りながら、シスターは少し寂しそうに呟く。

 

「柄にもなく当たってしまいました……。反省しなければなりませんね」

「当然の行動です。シスターが言わなければ私が言っていました」

 

 シスターを慰めるナハルに、ハピネスは料理を頬張りながら(あざけ)るように笑みを溢す。

 

「真面目だねぇシスター君は」

「彼女が数多くの人を救い、我々人間のために尽力してきたのは事実ですから。敬って当然です」

「当然のことを当然のようにやる人間なんて少数だよ」

「それが分かってるなら少しは目指して下さい」

「無理無理、労力に見合わないことはやらない主義なんだよ」

「とてもそうは見えませんが」

「…………これは失礼、訂正しよう。必要のないことはやらない主義だ」

 

 

 

 

 

「カガチさんお久っスー」

「消えろ」

「えー。なんで」

「消えろ。消すぞ」

 

 ハピネス達とは少し離れたテーブルには、ハザクラ、ジャハル、ゾウラ、カガチが席についており、そこへトールを連れたキザンがジュース片手に混ざりに来た所であった。

 

「なんかカガチさん丸くなりましたねー。昔は触れる物皆八つ裂きにするみたいな感じだったのに」

「黙れ、消えろ」

「手より先に口が出るのもぅゔぉエアッ」

 

 カガチがキザンの口の中に手を突っ込んで黙らせる。

 

「黙れ」

「ういおおおきううけあいいあいおおかあいあいうえうきっふお」

「カガチ。やめてあげて下さい」

 

 ゾウラに笑顔で指示されると、カガチは酷く不満そうな顔をして手を引っ込める。そんな2人のやり取りを見ていたジャハルが、キザンに尋ねる。

 

「2人は知り合いなのか?」

「知り合いも何も、つい数十年前までカガチさんはここの住人だったんスよ」

「ええっ!?」

 

 ジャハルとハザクラが驚いてカガチを見ると、カガチは今にも襲いかかって来そうな気迫を纏いながらこちらを睨んでいた。その隣では、手綱を握るようにゾウラがカガチの手を握っており、興味深そうにカガチを見上げている。

 

「そうなんですか? カガチ」

「……嘘ではありません。しかしこれを何かの共通点にしようとするのは、同じ星の上に生きているということぐらい無意味なことです」

「そんなこと無いっスよ」

 

 カガチの言葉に、キザンが顔の前で手を振って否定する。

 

「だって、【魔王の国】の魔王って――――」

 

 キザンが言い終わる前にカガチがキザンの頭部を手刀で両断した。しかし、鼻より上を吹き飛ばされても尚キザンは何事もなかったかのように言葉を続ける。

 

「カガチさんのことですもん」

 

 この言葉に、ジャハルとハザクラは驚きのあまり言葉を失う。遠くの方でハピネスが盛大に噴き出す音が聞こえ、ゾウラは楽しそうに目を輝かせてキザンに近寄る。

 

「私、話の続き聞きたいです!」

「いいっスよ。ね? カガチさん」

「…………………………………………拒否はしない」

「じゃあ話します。カガチさんの髪って、今はなんか面白ヘンテコヘッドしてますけど、昔はボッサボサのジャングルヘアだったんすよ。そんでもって今よりもっと敵意殺意マシマシで、もう見るからに魔王って感じ? まあこの人隠遁派(いんとんは)だったんで自分から誰かに会いに行くとはしなかったんスけど、マジで他人が嫌い過ぎて井戸小屋レベルに小さい遺跡でじっとしてたんすよ。でもって石像みたいに動かなくて朝も夜も同じ所にいるから、旅人とか放浪者と遭遇しちゃうんスよ。それをこの人怖い顔して追っ払うもんだから村で噂されちゃって、「あの遺跡には魔王がいるーっ!」って。それがクソ面白かったんで、ウチが幻覚魔法でカガチさんに変装して遊んでたのが魔王の国たる由縁っス」

「消えろ」

「嫌っス。因みに変装に飽きた後ウチが名乗ってた“紅蓮の青鬼”ってのは、昔のヴァルガンさんの渾名(あだな)っす。青鬼ってのはウチのことね。“紅蓮の青鬼”ヴァルガン&キザンと、“漆黒の白騎士”イチルギ。カッコいいっしょ」

 

 自慢げに胸を張るキザンに、ジャハルが嫌そうに尋ねる。

 

「……もしかして。そのダサい渾名を考えたのは」

「勿論ウチっス。ヴァルガンさんと世界復興旅行してる最中にあっちゃこっちゃで言い回ってました」

「イチルギが聞いたら怒るぞ……」

「だと思います。内緒にしといてください」

「約束はできん……」

「あとダサくないっス」

「いやダサいとは思う……」

「えー……」

 

 そうしてキザンが話し終えると、ゾウラは感心するようにカガチを見上げる。

 

「そう言えばカガチ。私と初めて会った時は、髪のお手入れされていませんでしたね」

「……不要ですから」

「駄目ですよカガチ、折角こんな可愛い顔してるんですから。お洒落には気を遣わないと」

 

 ゾウラが椅子に座っているカガチの髪に手を伸ばし、鼻歌混じりに髪を編み込み始める。カガチはどこかバツが悪そうに目を逸らし、時折ジャハルやハザクラを睨みつける。

 

「……おいジャハル。何が面白い」

「い、いや、面白くはない……」

「次その眼差しを向けたら全身の皮膚を()いでやる」

「いけませんよカガチ」

「………………」

「カガチ」

「……はい」

 

 ゾウラに髪をいじられながら注意されると、カガチはこの上なく嫌そうな顔をしながらジャハルを睨み付けた。

 

 すると、そこへ別の席からメギドとハイアが近づいて来た。それを見て、キザンはメギドの方を指差す。

 

「あ、かませ犬先輩だ。チッス」

「メギドちゃんに指を指さないでください」

「あーハイアさん駄目。それは良くなあばばばばばば」

 

 ハイアの夢の異能を受けたキザンは、目玉をぐるぐると回しながらその場で痙攣(けいれん)し始める。ハイアはキザンを勢いよく床へ張り倒すと、ジャハルの方に向き直る。

 

「さて、ジャハルちゃん。ハザクラちゃん。ヴァルガンちゃんから一通り説明はあったわけですけど、他に質問があれば答えてあげますよ。ゾウラちゃんも何かあればどうぞ」

「はい! なんでお二人は肌が黒いんですか?」

「いきなりセンシティブな部分来ますねゾウラちゃん。時代が時代なら引っ叩かれてますよ」

「ごめんなさい!」

「ま、聞かれたからには答えてあげますけど」

 

 ジャハルが質問する間も無くゾウラの質問攻めに応対したハイアに代わり、メギドがジャハルとハザクラの方へ近寄る。

 

「おう、ハザクラっつったか? 怪我の方はどうだ」

「お陰様でどこにも不調はない。貴方が治してくれたらしいな。どうもありがとう」

「礼はいらない。謙遜(けんそん)じゃないぞ。私はジャハルとハピネスをボロ雑巾まで追い込んだ張本人だからな」

「聞いた上での返答だ」

「へぇ……」

 

 メギドが物珍しそうにハザクラの顔を覗き込むと、それを(さえぎ)るようにジャハルがメギドの前にはだかる。

 

「メギド! 約束だ、お前達の目的を聞かせてもらおう!」

「目的って……ヴァルガンが言った通りだよ。ベルの売り言葉を買っただけだ」

「……貴方は粗暴で喧嘩っ早いように見えて、その実几帳面で誠実だ。ベル様にも似たような部分はあるが、貴方の場合は疑り深さと配慮によるものに見える」

「それ、私は何て返事すりゃいいんだ?」

「本当のことを言って欲しい。ただベル様に売られた喧嘩を買ったわけじゃないんだろう」

「だから、それ。私は何て返事すりゃいいんだよ」

「何てって……」

 

 困惑するジャハルの肩にハザクラが手を置く。

 

「代わる」

「ハザクラ……?」

 

 ハザクラがジャハルの肩を引いて前に出ると、メギドは少し嬉しそうに目を細める。

 

「……アンタ。灰亜種(はいあしゅ)を知ってるのかい?」

「灰亜種? 貴方のような黒い肌の使奴の名称か? いいや、今初めて聞いた」

「ほう……。なのに、私の黒い肌を見ても何も思わないんだな」

「当然不自然だとは感じる。だが、それ故に数々の困難があったことも容易に推測できる。とても初対面で聞けるような事情じゃない」

「ふぅん……そりゃお気遣い頂きどうも」

「そんなことよりも、聞きたいことは山ほどあるが……先に感謝を」

「ほう?」

「ジャハルの訓練相手になってくれただろう。その感謝だ」

「……ほう」

 

 メギドが何かを(うかが)うように口元を押さえると、ジャハルは目を見開いてハザクラを見つめる。ハザクラはジャハルの方に一度だけ目を向けると、再びメギドに向かって話し始める。

 

「ヴァルガンから聞いた話では、貴方はベルと対立しているように聞こえたが……。今思えば、ヴァルガンの正義を支持していた貴方が私情でベルの部下を襲うとは考え(にく)い。貴方はきっと、ジャハルを心配してくれたんだろう」

「私が? 心配を?」

「人道主義自己防衛軍の訓練の中に、“堕落(だらく)”という科目がある。ベルは人一倍責任感が強く、その遺伝子を受け継ぎ正義の下に鍛え上げられた人道主義自己防衛軍人は、自己犠牲の観念が非常に強い。その行き過ぎた利他主義を薄めるために、己を適度に堕落させ甘やかす訓練だそうだ」

「成程」

「そして……貴方はジャハルの未来を危惧(きぐ)した。ヴァルガンの正義に傾倒し過ぎないか。ベルの見えないところで壊れてしまわないか。だから、自ら試しにかかった」

 

 メギドは少し考え込んだ後、大きく溜息を吐いて椅子にもたれかかる。

 

「いちいち言葉にするなよ小っ恥ずかしい」

「改めて感謝申し上げる」

「言うなっつーに」

「そして、ジャハルのみならず俺達のことを助けようとしてくれた」

「アンタ、少しは人の話聞けよな」

「俺達は今や、ラルバという快楽殺人鬼の協力者だ。近い将来、世間から爪弾(つまはじ)きにされることは目に見えている。それを、ラルバと共に成敗することで俺達の世間体を少しでも良くしようとしてくれた」

 

 メギドは最早ハザクラの話を真面(まとも)に聞いておらず、少し苛立(いらだ)ちながら貧乏揺すりをしてそっぽを向いている。

 

「最後のは俺の推測だが……貴方の反応を見るに正解のようだな」

「ハザクラ……アンタ、結構頑固だね」

「頑固じゃなければ世界平和なんか目指さない」

「ふーん」

「で、ここから俺の質問に答えて欲しい。色々聞きたいことはあるが……喫緊(きっきん)の疑問はラプーについてだ」

 

 ラプーの名を聞いて、メギドは途端に目を細め押し黙る。

 

「彼が異質な存在であることは知っていたが……まさか200年前にイチルギと遭遇していたどころか、貴方達と世界復興の旅をしていたなんて夢にも思わなかった」

「………………」

「その後も数十年近く一匹狼の群れで暮らし、自らラルバの仲間に加わったのも驚くべき事実だ」

「………………」

「そして、ラデック達から聞いた話だが……、ラプーはラデックとラルバの名前を初対面で答えて見せた。2人が研究所内で勝手に決めた互いの呼び名。“ラデック係レベル1技術者管理番号19-E“と、”ラルバ被験体56番“の名前を」

「………………」

「第三使奴研究所内部の生存者状況と地図の把握。世界ギルドでは監視システムを全て潜り抜け、打合せなく侵入したラルバと合流。笑顔による文明保安教会では、ホテルから笑顔の巨塔への侵入とハピネスの異能による尾行を撒いて見せた。ヒトシズク・レストランでは旧文明の希少な言語を難なく話し、人道主義自己防衛軍では国内の誰にも見つかることなく潜伏したどころか、ハピネスの指示でベルのクロークを盗み出した。グリディアン神殿の地下施設の見取り図だって完璧に把握していた」

「………………」

「俺は、同じことが出来る人物を1人しか知らない」

「………………」

「フラム・バルキュリアス。人道主義自己防衛軍創始者にして、“全知”の異能者。ラプーは、全知の異能者なのか?」

「………………惜しい」

「惜しい?」

「ラプーが全知の異能者っつーのは当たってる……。イチルギに口止めされてたが、こればっかしは隠しきれねぇ。隠しきれねぇ……が、もっと重要なことがある」

「……聞いてもいいか?」

「無理だ。だが、遅かれ早かれ知ることにはなる。そうだな……“狼の群れ”に来い。そこに、全ての答えがある」



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106話 さらば英雄

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〜ピガット遺跡 瓦斯引州(がすびきしゅう) 検問所〜

 

 ピガット遺跡最西端にある、主に輸出入を管理する瓦斯引州(がすびきしゅう)。乱雑に建てられた巨大倉庫が岩山のように(そび)え、その間をトラックや牽引車が蟻の群れの如く縦横無尽に駆け抜けている。

 

 その一角で、ハザクラはイチルギと共に出国の手続きのため検問所へと立ち寄っていた。しかし、2人はここへ来る途中も手続の間も、必要最低限の事務的な内容以外は一言も言葉を交わすことはなかった。

 

「ハザクラ」

「ああ」

 

 ハザクラはトールによって消し炭にされてしまった、パスポートを始めとした持ち物をイチルギから受け取る。そしてイチルギの横顔をチラリと覗くと、思い浮かべていた疑問と共に目を伏せた。

 

 ラプーとはどういう関係だ?

 

 その一言が、いつまで経っても言い出せなかった。今までイチルギが口を(つぐ)んでいたということは、恐らく尋ねても答えは返ってこない。それでも、ハザクラにはどうしても尋ねたい欲求があった。恐らくは特別な事情。他人に話すのは(はばか)られる、心の奥底に仕舞い込んだ秘密。その力になってあげたいという自己満足。仲間を助けたいという自分勝手な願い。そんな気持ちが、ハザクラの中で膨らんでは(しぼ)んでを繰り返した。

 

 シスター達の待つ空港へと向かう途中、イチルギはそっぽを向きながら吐き捨てるように呟いた。

 

「……ありがとう。聞かないでくれて」

 

 ハザクラは自分が情けなくなった。今の今まで、自分はそんなにも“助けられたがっていたのか”と。疑問を堪えている私を認めて欲しい。欲求に抗う私を助けて欲しい。そんな甘えたがりの浅ましい心は、きっとイチルギには余りにも見苦しく耐えられなかったのだろうと。そんな意地汚い自分のせいで、苦しんでいるはずのイチルギに厚かましくも感謝の言葉を吐かせてしまった。

 

「……申し訳ない。いや、違うな……。待っていてくれ」

 

 ハザクラは(うつむ)きながら、割れそうなほどに歯を食い縛る。

 

「もう、もう二度とこんな思いはさせない。俺は、貴方に並んで見せる」

 

 イチルギは少しだけ哀しそうに微笑む。それ以降、2人が口を開くことはなかった。

 

 

 

 

〜ピガット遺跡 瓦斯引州(がすびきしゅう)国際空港〜

 

 ハザクラとイチルギが空港へ到着すると、いつの間にかラルバが合流しておりハピネスの髪をもしゃもしゃと掻き乱して遊んでいた。

 

「ハピネっちゃーん! 今回随分頑張ったんだってぇ? 偉いじゃなーい!」

「ふふふ。そうだろうそうだろう。私は偉いんだ。そんな偉い私には高級飛行船のファーストクラスが相応しいと思わないかい?」

「いや、この広大で偉大で壮大な大地を踏み締め味わうことこそ相応しいと思う」

「ラルバ? 竜の国まで何日かかると思ってるの? 流石にもう耐えられないよ?」

「毒飲んで目ぇ繰り抜いて耳ブッ刺して何言ってんのさ。それより辛いことなんか人生にそうそうないよ」

「痛いのは向こうから来てくれるけど、苦しいのは自分から向かわなきゃならないだろう!!」

「違いがよくわかんない。一緒だよ一緒」

 

 ラルバが戻ってきたハザクラに気がつくと、子供のように(わめ)くハピネスから目を離してハザクラの方へと駆け寄ってくる。

 

「クララちゃーん元気!? 炭団子になった割には意外と元気そうだね。おしっこちゃんと出る?」

「ラルバこそ、随分元気そうだな。機嫌が直ったのは結構なことだが……」

「子供じゃあるまいし、そんないつまでもうじうじしてらんないよ。何てったって次は実力主義の“バルコス艦隊”! 純粋な戦闘力で人間の優劣が決まるなんて、こりゃあ香ばしいゴミクソ野郎がうじゃうじゃいるだろうよ!」

「一つ頼みがある」

「“狼の群れ”には行かないよ」

 

 上機嫌だったラルバは、途端に顔を(しか)めてハザクラを睨む。

 

「ラデックとハピネスから聞いた。私達の物語は狼の群れで結末を迎えると。私はこの旅を終わらせるつもりはないし、あのヴァルガンとかいう英雄気取りの取り巻きが統治してる国なんか微塵(みじん)も興味がない」

「お前はラプーが全知の異能を持っていると知って尚、その能力を利用することなく彼を連れてきた。目的がラプーの素性を知るためでなかったら、一体彼に何を求めていたんだ」

「困った時の攻略本。取り敢えず一回エンディング見た後に、取り逃がしたイベントを回収するための便利グッズ」

「……その為だけに、今までラプーを同行させていたのか?」

「うん。別に攻略本って買ったらすぐ読まないといけないわけじゃないじゃん。ゲームと一緒に買ってクリアしてから読んだってよくない?」

「……何か隠しているな」

「何も隠してないよ。嘘だと思うならチルチルちゃんに聞いてみな」

 

 ラルバはハザクラの隣にいたイチルギを、一度も見ることなく背を向けて立ち去る。ハザクラが(うかが)うようにイチルギを見上げるが、彼女は静かに首を左右に振った。

 

「ラルバの言葉は本当よ。あの子がラプーに興味を持たなかったのは不幸中の幸いってとこね」

 

 ハザクラは納得行かないといった表情で顔を伏せ、遠ざかっていくラルバの背中を見送る。

 

「まあ、何も企んでいないならそれでいいんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

〜ピガット遺跡 瓦斯引州(がすびきしゅう)国際空港 発着場〜

 

「よっしゃぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!」

 

 広々とした発着場にハピネスの雄叫びが響き渡る。腰の下で両拳を握った淑女らしさの欠片もない下品な勝利のポーズを取るハピネスの目の前には、客室の約半分以上のスペースをファーストクラスが占めるVIP専用航空機が鎮座していた。

 

「うおあああああああああああっ!!!」

 

 ハピネスは乗降口から緩やかに伸びる階段を勢いよく駆け上がって行き、最後の段差を勢いよく踏み外して勢いよく滑り落ちた。そこへ呆れながら歩み寄るシスターを見送りながら、ラデックは瓶ジュースを片手に航空機を眺め、隣に腕を組んで立っているラルバに尋ねた。

 

「これ、運賃は相場よりどれくらい高いんだ?」

「30倍かな」

「30……? えっと、俺達全員で12人だから……宝くじの一等レベルか……。何でまた許可したんだ?」

「んー? まあ今回頑張ったらしいし、ご褒美にね」

「妥当……なの……か?」

「ぶっちゃけると、あの青肌痴女ゾンビがくれた」

「青肌痴女……キザンか?」

「そうっスよー」

 

 2人の会話に、背後から飛んできた声が割り込んだ。ラルバ達が振り向くと、そこにはピガット遺跡で出会った面々、キザン、トール、メギド、ハイア、そしてヴァルガンとアビスが立っていた。

 

「今回クソ迷惑かけたのは事実なんで、MVPのハピネスさんを中心にお詫びの品を贈呈することにしたんス」

「あざすっ!!!」

 

 航空機の方から飛んできたハピネスの声にキザンはピースサインで応える。しかし、ラルバはキザンには目もくれずアビスの方へ歩き出す。

 

「おひさーアビス。取り敢えずグッジョブ」

「お役に立てたようで何よりです」

「まさかアビスがこんな所までついてきて助けてくれるなんてね。もしかして、また仲間になりたいとか言うつもり?」

「言ったら入れてくれますか?」

「んふふ〜どうしよっかなぁ〜」

「まあ言いませんけど」

「ええっ。今の私の優越感と悪戯心(いたずらごころ)を返してよ」

「私、どうやら実際に冒険するよりも、その様子を外から見ている方が好きみたいです。これからもその奇天烈(きてれつ)な行動で私を楽しませて下さいね。ラルバさん」

「……アビス、なんか怒ってる?」

「いえ? 特に怒っていませんよ?」

「嘘だ!!」

「ん〜……どちらかと言うと、自己嫌悪に近い感情でしょうか」

「お腹痛いの?」

「今回、ラルバさんを助ける為にキザンさんを殺してしまいましたし、その動機も極めて不純で不誠実なものです。我ながら随分と道を違えたなぁと思いまして」

「いいじゃん別に、殺したって死ぬわけじゃないし」

「いえ、死にます」

 

 真剣な表情でアビスがラルバを睨むと、キザンは周囲に自分達以外の人影がいないのを確認してから仰々しく咳払いをする。

 

「そんじゃ、“紅蓮の青鬼”キザン。約束通り、潔く逝かせて頂きます」

 

 短い前口上の直後、キザンの全身から朱色の炎が煌めき始める。使奴に搭載された自死のシステム。死の魔法の波導炎が。

 

 あまりにも突然始まった現象に、ラルバ達は驚いて絶句する。そして、その中でもラデックだけは別の事情で愕然(がくぜん)としていた。

 

「なっ――――! 死の魔法を能動的に発動できるのか!? それは使奴の設計上不可能じゃ――――」

「出来るんスよーラデックさん。だってウチは使奴の実験体であって、正確には性奴隷用の人造人間じゃないんスからねー」

「なんだと……?」

「使奴にも色々いるんスよ。市販品って耐久実験とか、環境適応実験とか色々するじゃないスか。ウチはその中の、“色彩実験“用に造られた使奴っス」

「色彩……実験……」

「使奴特有の真っ白な肌。これをどうにか普通の人っぽい色に出来ないかと、試行錯誤された結果がこの青肌っス。この状態が実験途中なのか失敗したのかはわかんないスけど、どっちみちウチは廃棄前提の使奴だったっつー訳なんスよ。だから、基礎スキルの中に任意発動可能な死の魔法があるんス」

「だ、だからって、何故今死ぬんだ!! 貴方はピガット遺跡で沈黙派と隠遁派(いんとんは)の使奴を纏め上げて来た指導者なんだろう!?」

「これがラルバさんに挑む条件だったんスよ」

「何……!?」

 

 キザンがヴァルガンを見やると、ヴァルガンは静かに頷いて口を開く。

 

「意見を否定するには代価が要る。キザンは使奴の中でも珍しく生を望んでいる使奴だった。だから彼女は、ラルバの殺害という目的の代償に自らの死を提示したんだ」

「メギドさんは色々目的が違ったからまあ良しとして、殺したいけど死にたくないなんてクソ我儘(わがまま)っスからねー。このくらいは当然っスよ」

「私はその提案を飲んだ。そして、過程はどうあれキザンはラルバを殺せなかった」

 

 キザンは目を閉じてウンウンと頷く。しかし、ラデックは狼狽(うろた)えながら首を振る。

 

「アビスの乱入があったなら成立していないだろう!!」

「してるんスよ。第一、何か想定外のことがあって「やっぱ今のナシー」なんて、都合良過ぎないスか?」

「だからって……貴方が死んだらピガット遺跡はどうなる!? 貴方が他の使奴達を率いていたんだろう!?」

「その辺は全部トールさんに任せました。まあピガット遺跡がどうなるかはウチも割と心配っスねー。そこらの文句はアビスさんに言ってください。悪いのはこの人なんで」

「そこまで、そこまで約束が大切か……!?」

「大切っスねー」

 

 まるで他人事のように腕を組んで答えるキザンに、ラデックは言葉を詰まらせて目を泳がせる。ふと振り返ると、キザンの(かつ)ての仲間であったイチルギも全てに納得したように見守っているだけだった。

 

 キザンはラデックが言葉を失い背を向けたのを見届けると、辺りを見回して少し不満げに首を傾げる。

 

「つーか皆さん静か過ぎません? ウチ死ぬんスよ? 分かってます?」

 

 キザンの問いには誰一人として返事をせず、キザンの全身から噴き上がる朱色の炎だけがパチパチと音を立てている。

 

「いやいやいや……。200年前の終末戦争から人類を救った英雄の1人がこの世を去るんすよ? “狼王国(ろうおうこく)物語”だったらサクリファーが死ぬ回レベルの泣き所なんスけど。アニメなら間違いなく視聴率は30%超え、古参もニワカも泣血漣如(きゅうけつれんじょ)で勝手に葬式開く超絶感動シーンっスよ? ファンの涙雨で水力発電が出来ますよ。それを嗚咽(おえつ)どころか涙一滴流さないなんて――――」

「キザン」

 

 キザンの長ったらしい苦言を、ヴァルガンが名前を呼んで中断させる。

 

「ヴァルガンさん」

「私は、君のことを一生忘れない」

「……色々我儘(わがまま)言ってすんませんでした、でも満足っス。先にあの世で待ってますね」

「心配するな。私が、世界に君を忘れさせない。君の名前を、功績を、勇姿を、私がこの命続く限り語り続けよう」

「……ヴァルガンさん」

「さらばだ、英雄」

 

 ヴァルガンがキザンに敬礼をすると、それに合わせてアビスやトール達、そしてイチルギとラプーも同じく敬礼の姿勢でキザンを見つめる。それをキザンは茫然と見回してから、再びヴァルガンへと視線を戻す。そして、同じように敬礼をして口を開く。

 

「……さらば、我が戦友よ。未来を逝く者達に幸あれ」

 

 朱色の炎が一際大きく揺らめく。そして、彼女は風に吹き消されるようにいなくなった。

 

 

 

 

 

〜上空5000km 航空機“ホワイトガー”〜

 

「キザンは何故死を選んだんだろうか」

 

 王様が座るようなふかふかの1人掛けソファに身を埋めながらラデックが呟く。航空機の客室はまるで高級ホテルのリビングのように広く、冷蔵庫やビールサーバーなど様々な設備が整った機能性と優雅さを兼ね備えた造りになっていた。ラデックの隣では、同じように1人掛けソファにもたれかかるラルバがビール片手に燻製(くんせい)ナッツを頬張っている。

 

「んー? 約束だったからじゃないのー?」

「それにしたって、他にも提示できる条件は幾らでもあった筈だ。何故態々(わざわざ)自らの命を……」

「200年も生きてれば色々あるんでしょーよ。きっと」

「ふむ……そういう物なのか……あ、ラルバ。俺のタバコは?」

「大丈夫大丈夫、ラプーに預けてあるよ」

「よかった……まさか2人揃って全身粉々にされると思わなかったからな」

「全くだよ……お陰で一張羅が台無しだ!」

「なんでラルバが文句言うんだ。それに、俺が泣きべそかきながら直してやっただろう」

「あざまーす」

 

 

 

 ラルバ達の隣の部屋では、ゾウラが窓に張り付いて外の景色に感嘆の声を漏らしている。

 

「うわあ〜! こんな高い所の景色、私初めて見ました!! ラプーさん! あれなんですか!?」

「花咲村」

「あれは!?」

「風車」

「その奥のは!?」

「コウテイラクダ」

「じゃあその――――」

 

 ラプーを質問攻めにするゾウラを、カガチが少し離れたところで見守っている。そのすぐそばでは、ハピネスがナハルとボードゲームで遊んでいた。

 

「はい詰み」

「ふぅむ……もう一回やろうナハル」

「何度やっても変わらないぞ……。使奴相手に二人零和有限確定完全情報ゲームで勝てると思っているのか?」

「いや? ただ、使奴の頭脳がどう動いているのかを知りたい。私の策がどう看破されるのか、使奴は一般人相手にどう策を練るのか」

「……ただ最善手を選んでいるだけだ。傾向はないよ」

「でも感情はある。不完全な心が。それが最善手にどう影響するのかを見たい」

「変な奴」

「悪口言うと色々シスターにチクるよ」

「嫌な奴……」

 

 そんな2人をカガチは一度だけ視線を向け、再びゾウラの方を向きながらナハルに話しかける。

 

「ナハル。シスターと同じ部屋じゃなくて良かったのか?」

 

 ナハルは聞こえないほど小さな声で(うめ)くと、バツが悪そうに目を逸らした。

 

「わ、私にばっかり構ってないで、他の方との親交を深めてきなさい……だそうだ……」

「ふぅん。ご愁傷様」

「うっ……」

 

 ナハルが再び顔を(しか)めると、そこへゾウラが駆け寄ってきて楽しそうに手を合わせる。

 

「それ、面白そうですね! カガチ!」

 

 今度はカガチが顔を顰めた。

 

「私とずっと一緒にいてくれるのも嬉しいですけど、これを機に他の皆さんともたくさんお話ししてみて下さい!」

「………………はい」

「ご、ご愁傷様……」

 

 

 

「と、言うわけだ……」

 

 カガチはそう言ってシスターの座っているベッドの隣に腰掛ける。

 

「はぁ……で、何故私のところに?」

「消去法」

「…………はぁ」

 

 航空機の客室は全部で4部屋。ラルバ、ラデックのいるA室。ハピネス、ラプー、ナハル、ゾウラのいるB室。ハザクラ、ジャハルのいるC室。そしてシスター、バリア、イチルギのいるD室。

 

「ジャハルとハザクラの間に入るのは居心地が悪い」

「……ラルバさんのところに行ってみては?」

「お前、馬鹿か?」

「……言ってみただけです」

「そんなことより……イチルギ」

 

 カガチに名前を呼ばれ、イチルギが顔を上げる。

 

「なに? カガチ」

「お前、ラルバから何か聞いているか?」

「いや、まだ特には」

「じゃあアイツを止めろ。あのクソ野郎、次の国でゾウラ様を工作員にするつもりだ」

「……はぁ?」

「お前が止めなきゃ私が止める。アイツの息の根をな。ピガット遺跡で拾った命を豚のクソと一緒に土塊(つちくれ)にしてやる」

「はぁ……。でもまあ、いんじゃない? 別に」

 

 カガチがイチルギの喉元に短剣を突き刺そうとするが、イチルギは咄嗟(とっさ)に腕と肩を掴んで防御する。

 

「殺す」

「聞きなさいよ話を……!!」

 

 イチルギはカガチを突き飛ばし、苛立(いらだ)った様子で大きく溜息を吐く。

 

「工作員にするってことは、身分を詐称(さしょう)するってことでしょ? スヴァルタスフォードの名前を隠す良い機会じゃない。危険が及ぶようなことなら私がさせないし、ラルバの性格からして美味しいトコは自分で処理するでしょ」

「結果や過程の話じゃない。ゾウラ様に己の悪趣味を押し付けるなと言っている」

「ゾウラ君がその悪趣味に惹かれてラルバについて来たんじゃないのよ……。説得するならラルバや私よりも本人でしょ」

「無理だ」

「じゃあ諦めなさいよ」

「殺す」

「もう聞き分けのない子!!」

 

 

 

 

 

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア正面入り口〜

 

 遺跡の入り口のすぐ隣、遺跡に出入りする者は必ず視界に入れるであろう場所で、トールが石像を彫っている。そこへハイアを連れたメギドが近寄り、小さく声を漏らした。

 

「へぇ……上手いもんだな。トール個人のセンスか?」

 

 トールは黙って首を振る。本物と見紛う程に精巧なキザンの彫刻、死に際と同じく凛々しくも精悍(せいかん)な表情をしていた。メギドは石像をじっと見つめ、語りかけるように呟く。

 

「……最初会った時からおかしな奴だったが、今思えばそうでもなかったな」

 

 トールが石像を彫り終え、(おもむろ)に立ち上がって遺跡の中へと入って行く。メギドはその後ろ姿を見送り、自分も立ち去ろうと(きびす)を返す。

 

「じゃあな、キザン」

 

 無人になった遺跡の前で、英雄の石像が夕日を反射して勇ましく輝いていた。

 



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バルコス艦隊
107話 竜の国


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〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 屋外浴場“星空の湯”〜

 

「うわっほ〜!!」

 

 勢いよく水飛沫を上げながら、ハピネスが露天風呂にダイブする。本来であれば限定された人数しか入場出来ない予約必須の露天風呂。それを貸切にして好きなだけ堪能出来るという事実に、ハピネスは子供のように燥いで泳ぎ回る。

 

「あんまり浮かれるとまた転ぶぞ!」

「これが浮かれずにいられるかね!!」

 

 遅れて入ってきたジャハルが声をかけるが、ハピネスはどこ吹く風で高らかに笑う。そして一頻り泳ぎ終えると、まだ見ぬ設備に心を躍らせて打たせ湯の方へと走っていった。

 

「全く……まあ、今回ばかりは甘やかすか」

「珍しいねぇ。ジャハルがハピネスに甘い顔するなんて」

 

 ジャハルが掛け湯をしていると、その背後からバリアと髪を縛ったラルバがニヤニヤと笑いながら近づいてきた。

 

「まあな。あれだけの死線を潜り抜けてきたんだ。これぐらいのご褒美、あって然るべきだろう」

「ふぅん」

 

 ジャハルが静かに湯に体を沈めると、バリアとラルバもその隣に腰掛ける。

 

「ふぅ……いい湯だ。ラルバこそ珍しいじゃないか。ハピネスを甘やかすことに文句を言わないなんて」

「まあ、そりゃあ今回頑張ったわけだしぃ? 私だって鬼じゃあないんでねぇ」

「……じゃあ何でラデックも甘やかしてやらなかったんだ」

「いや、私はそうさせたかったんだけどハザクラが連れて行きたいって言うから……」

「そうか……。あ、そう言えば今回の作戦、私は詳細を聞かされていないんだがどうなっているんだ?」

「んー? 私らは特にすることないよ。頑張るのはハザクラ、シスター、ゾウラ、ラデックの4人だけー」

「人道主義自己防衛軍からの編入を騙っての潜入……。ベル様が上手いこと口裏合わせるだろうからバレる心配はないが……随分悠長だな?」

「悠長?」

「いつもはサクッと悪党を探し出して倒してお終いじゃないか。それを人任せに、オマケに潜入までさせるなんて、一体どれくらいの期間ここに居るつもりだ?」

「んー、取り敢えず1ヶ月くらいかなぁ」

「……思ったよりも相当長いな。何か目的が?」

「え、ハピネス甘やかしてるだけだけど?」

「‥‥本当に?」

「まあついでではあるけど……水面下で“こっそり絶体絶命”作戦を進行中」

「はぁ?」

「いやさ、時間かけて悪党の仲間を親玉以外全員支配下に置いちゃおうと思って。面白くない? お前らやっちまえ! って言ったら仲間が全員自分に銃口向けるの」

「…………軍関係者に標的がいるという話は今度また聞くとして、そのためにハザクラ達を軍送りにしたのか?」

「ついでだよついで。ハザクラとの利害の一致。なんかあの子はあの子で“竜”に興味あるみたいよ? 私はどうでもいいけど」

「“竜”……ここ最近目撃されている謎の巨大竜か」

「ま、どうせ私らは何も出来ないんだし、パァーっと遊びましょうや! 晩御飯は“青空牛のステーキ”が出るらしいよ?」

「はぁ……暢気なものだな」

「そう言やさジャハルちゃん。このホテルもドスケベゾンビの奢り?」

「え? ああ、ピガット遺跡での宴会の時に、キザンがメギドと一緒に我々襲われた者達の所に謝罪に来たんだ。そして、迷惑をかけたお詫びに何か望みを叶えたいと。そこでハピネスは殆どの交通機関で使える無制限のVIP券を、私は助けてくれたハピネスに権利を譲渡したんだが、その結果がコレだ」

「なんでキザンにちゃんと服着ろって願わなかったのさ」

「まさかハピネスが私の願いの分も高級施設に注ぎ込むと思わなかったが、一度譲渡した権利に文句を言うのも見っともないしな……」

「私の分はないの? 一応被害者代表なんだけど」

「ラルバとラデックはその場の居なかったから、ハザクラが代わりに3人分の願いを注文をしていた。一つはハザクラ自身の願い。今後大きな障害にぶつかった時に、ピガット遺跡からの後援の約束を。二つ目はラデックの為の願い。ラデック自身は知らないだろうが、彼の肩書きは今キザンによって“境界の門大帝“に設定されている」

「大帝? 世界ギルドって帝政なの?」

「忘れ去られた憲法上ではな。今は何の意味も持たないが、ラデックが命を賭して信念を貫こうとした時、この称号は初めて意味を持つ」

「それ、私が悪用するとか考えてないわけがないよね?」

「勿論だ。境界の門の帝王に関する書物は、とうの昔にイチルギが隠している。仮に見つけられたとしても、誰かしらの権力者が正式に効力の正当性を謳わない限り、道化の戯言と一蹴されるだろうな」

「だよねぇ。そんで、私の分の願い事は?」

「保留してある。ハザクラが「叶えるに値する信念のある願い事に限り聞き入れてやって欲しい」とキザンに頼んでいた」

「……何か腹立つ言い方だな」

「妥当だろう」

「腹立つ」

 

 拗ねたラルバが鼻まで湯に浸かりボコボコと息を噴き出していると、露天風呂の入り口からイチルギとナハルが近づいてきた。

 

「ん、イっちゃん、ナハルんお疲れ……ナハルんおっぱいデカくない? 化け物じゃん」

 

 ラルバが掛け湯をしているナハルに近づき胸を鷲掴みにすると、ナハルは反射的にラルバの腕をへし折った。

 

「触るな」

「うわあ。おててがタコになっちゃった」

 

 ラルバは骨が複雑に砕けた腕を猫じゃらしのように振り回してナハルを叩く。

 

「ていっ! ていっ! おらっ! 参ったか!」

「………………鬱陶しい以上に痛ましいな。一体どこに頭のネジを置いてきてしまったんだ?」

 

 ナハルはラルバを憐れみの目で一瞥すると、何かを探す素振りで辺りを見回す。

 

「あれ、ラルバ。カガチはどうした? 私達より先を歩いていたと思ったんだが」

「んー? 来てないよ?」

「ここにいる」

 

 カガチの声と共に、露天風呂の景色の一角が歪みカガチが姿を現す。しかし、彼女は普段通り服を着た状態で岩に腰掛けており、いつも以上に不機嫌そうな顔でラルバを睨みつけていた。

 

「おわっ。カガチっちゃーんなんで服着てんのさー。折角の露天風呂を楽しみなさいヨォ」

「黙れ」

 

 カガチが指先で中空をなぞると、カガチの影から湧き出るようにして真っ黒な百足が現れラルバに襲いかかる。するとラルバのすぐ隣にいたバリアが百足を鷲掴み、自らの腕に巻き付けるようにして絡め取って湯に沈める。

 

「おー、バリアちゃんナイス防衛。腕大丈夫?」

「うん」

 

 湯に沈められた百足が再び動くことはなく、カガチは大きく舌打ちをしてバリアから目を逸らした。

 

「なんかカガチさん、今日不機嫌ですねぇ。更年期障害かな?」

「お前がゾウラ様にクソみたいな頼みをするからだ」

「えぇーなんでよぉー。本人楽しそうだったじゃん」

「ゾウラ様は大抵の物事を快くこなしてしまうのだ。それが例え、人殺しであったとしてもな……!」

「別に人殺しまでは頼んでないけど……好き嫌いしないのは良いことだよ。カガチも見習え」

「今回はまだ“バルコス艦隊中央陸軍への潜入“という生温いものだったから強くは言わなかったが……、内容によってはお前ら全員を殺してでもゾウラ様をお守りする。そのことを忘れるな」

「魔王様の仰せのままにー」

 

 カガチの舌打ちと共に、影から再び黒い百足が現れラルバに襲いかかる。しかし今度はバリアは微動だにせず、百足はそのままラルバに絡みついて首を噛み千切った。

 

「ぎゃぁー! えっち!!」

 

 ラルバは湯船に落ちた首をすぐさま拾い上げて切断面同士を押し付け治療する。そして百足を引き剥がしてから恨めし気にバリアを見やる。

 

「……何で助けてくんなかったのさ」

「今のはラルバが悪かったから……」

 

 そのやり取りを遠巻きに眺めていたジャハルは、隣で風呂の縁に腰掛けているナハルにボソリと呟いた。

 

「心配か?」

「え?」

「シスターのことが、だ」

 

 ナハルは少しだけ歯軋りを鳴らして顔を伏せる。

 

「シスターの体つきは軍の訓練に耐えられる程強くない。当然心配だ」

「ハザクラもラデックもいる。ゾウラも信頼に値する人物だろう。心配ない」

「……でも、幾ら彼らが優秀とは言っても、どうせ皆人間だ。私達使奴からしたら、吊り橋を3歳児に一人で渡らせるのと何ら変わりない。この悩みは、使奴じゃないジャハルには分からないよ」

「……本当にそうか?」

「…………」

「私が思うに……ナハルのそれは心配じゃなくて、寂しさ。って言うんじゃないのか?」

 

 ナハルが僅かに瞼をピクリと動かすと、ジャハルはこれ以上ナハルの顔を見るのは良くないと思い、空を仰ぎながら話を続ける。

 

「確かにシスターのことが心配だろうとは思うが……、ナハルがグリディアン神殿で見せた心配の表情と、今の表情はまるで別物だ。心配なのは、シスターの身を案じているんじゃなくて、シスターが自分を頼りにしなくとも平気でいられることなんじゃないのか?」

「そんなこと思ってない」

「本当だろうか」

「何でそう思うんだ」

「私が、今そうだからだ」

 

 ナハルが少し驚いた表情でジャハルを見る。

 

「ハザクラは私よりずっと優秀だ。私より3歳も歳が下なのに、私よりも力があるし頭も回る。心の強さなんかは特に。でも、私は今ハザクラの側にいてやりたい気持ちでいっぱいだ。私なんかより、ゾウラやラデックが側にいてくれた方がずっと戦力になるだろうし、シスターもハザクラに無茶をさせないよう見張ってくれるだろう。でも、私が支えてやりたいんだ。これはきっと、私の身勝手な寂しさによるものだと思う」

 

 ジャハルは、少し気恥ずかしそうにナハルを一瞥する。

 

「だから、ナハルも同じ気持ちだったら少しは安心できると思っただけだ」

「……そうか」

 

 ナハルがジャハルから目を離して正面を向く。目に映るのは、珍しく大人しくして湯に浸かるラルバ、その横で微動だにしないバリア。岩に腰掛け腕を組んだままラルバを睨み続けるカガチ。タオル片手に走り回るハピネス。そして、自分と同じように風呂の縁に腰掛けているイチルギ。ナハルはもう一度ジャハルに目を向けてから、少しだけ笑って口を開いた。

 

「うん。私も、多分同じ気持ちだ」

「……そうか」

 

 ナハルは空を見上げて、この空をシスターも見ているんだろうかと思い目を細める。そう思うだけで、彼女は心から少しだけ寂しさが薄れるような気がした。

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍宿舎屋上〜

 

「……今頃ラルバ達は、あの高級ホテルで寛いでいるのだろうか」

 

 ラデックが膝を抱えながら空を見上げ、譫言のように呟く。その隣では同じように座り込むシスターが気の毒そうにラデックの横顔を見つめ、かける言葉が見当たらずに目を逸らす。その逸らした視線の先では、満天の星を見上げるゾウラとハザクラが立っている。

 

「綺麗ですねぇ〜ハザクラさん! スヴァルタスフォード自治区では森に囲まれた夜空しか見ることができなかったので、なんだか初めて見る空に見えます!」

「ピガット遺跡は夜でも活気のある街だったから尚更だろうな」

「はい! あの賑わいも楽しそうで好きですけど、この静かな夜も幻想的で好きです!」

「……噂以上のポジティブ思考だな。辛い時は正直に言ってくれ、ゾウラ」

「はい! お気遣いありがとうございます!」

 

 シスターは徐に腰を上げ、ハザクラの隣に立って欄干に手をかける。

 

「ハザクラさんは、今回の作戦について……どう考えていますか?」

 

 シスターの問いに、ハザクラは少し眉間に皺を寄せて考え込む。

 

「“竜”に関する情報はこの国の最高機密だ。最低でも3週間は潜入しないと情報を得られないとは思うが……まさかラルバが長期滞在を認めるとはな」

「今回ラルバさん自身からは、期限の指定はありませんでしたよね」

「今までは全て1週間以内にコトを済ませていたのに……、あのせっかちなラルバがこんなところでのんびりする筈がない。何か狙いがあるとは思うが……いかんせん俺は人間だ。その辺の推理はイチルギに任せて、俺は俺の出来ることに専念しようと思う」

「そうですか……。すみません、気分を悪くされたなら申し訳ないのですが、ラプーさんや使奴を頼りはしないのですか? 善行であれば相談した方が良いのではと思うのですが……」

「……イチルギから聞くに、ラプーは俺達の想像を絶する事情を抱えている。それを知らない以上、そして知らされない以上、彼に力を貸させたくない。あとは、俺の個人的な決意によるものだ」

「そうですか……。お話しして下さってありがとうございました」

「いや、話さなかった俺も悪かった。そして何より、俺の我儘に付き合ってくれて感謝している」

「構いませんよ」

「シスター。恐らく軍の訓練は、貴方にとって相当に辛いものとなる。無理はさせないように目を光らせておくつもりだが……何か少しでも辛いことがあればすぐに言ってくれ」

「ハザクラさん。私だって、多少の地獄は覚悟してついてきたんです」

『……違う。これは”お願い“ではなく”命令“だ。シスター。俺達に心配かけるような無茶をしないと約束をしてくれ』

「……はい。ハザクラさん」

 

 シスターが少し悲しそうに目を伏せると、ハザクラは溜息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「……これで、少なくともナハルにどやされることはなくなったな。次はゾウラだが……」

「呼びましたか?」

「……まあ、君は大丈夫だろう。苦しみを隠すような性格でもないし、与えられた不条理をそのまま飲み下すこともないだろうし」

「……? 頑張ります!」

「ああ、頑張ってくれ。これで残すはラデックか……」

 

 ハザクラは続いてラデックへと目を向ける。ラデックは未だ膝を抱いたまま呆然と空を見上げており、哀愁よりも情けなさが漂っていた。

 

「ラデック」

 

 ハザクラが名前を呼ぶと、ラデックは懐からホテルのパンフレットを取り出して眺め始める。

 

「ハザクラ、俺達だって相当な死地を生き延びた筈だ。なのに、何で俺達だけこんな辛い思いをさせられるんだ? あの高級ホテル、夕食にステーキが出るらしいぞ」

「ラデック。諦めろ。もうここまで来てしまったんだから腹を括れ」

「牛煮込み、羊肉のハンバーグ、馬刺しもあるのか……」

「ラデック」

「露天風呂は抽選時間制……でも貸し切れるってハピネスが言ってたな。朝食バイキングは焼き立て牛乳トースト食べ放題……」

「ラデック!」

「専用のシャトルバスで博物館にも行けるのか……遊園地に水族館……」

「ラデック!!!」

 

 ハザクラはラデックからパンフレットを取り上げ、それをビリビリに破く。

 

「いつまでもハピネスみたいな泣き言を言うな!! トールと戦った時の威勢はどうしたんだ!!」

「俺だってステーキ食べて昼まで寝たい!!」

「もう戻れやしないんだから諦めろ!!」

「俺だって牛乳トースト食べ放題したい……!!」

 

 ラデックが目を強く瞑って涙を一粒流すと、ハザクラは原因不明の罪悪感と鬱陶しい情けなさを感じて下唇を噛んだ。

 

「…………ついて来させたのは謝るが、お前しかいないんだ。人道主義自己防衛軍からの編入という建前上、総指揮官クラスは新人の俺1人で限界だ。ジャハルには頼めない。ラプーはそっとしておいてやりたいし、ハピネスは単純に戦力外」

「バリアを呼べばよかっただろう……」

「バルコス艦隊はスヴァルタスフォード自治区と同じく悪魔差別主義だ。白い肌の者は軍隊に入れない」

「…………俺が今から異能で真っ白な肌になったら行かなくていいか?」

「俺がなんとかする」

「じゃあバリアを何とかして入れろ……!!」

『頼りにしてる。頑張れ』

「今ひょっとして異能使ったか? 絶対返事しないぞ」

『頑張れ』

 

 鬼の形相のラデックに睨まれながらハザクラが懐中時計を取り出し、シスターとゾウラの方へ顔を向ける。

 

「そろそろ消灯時間だ。今夜はまだ俺達は人道主義自己防衛軍所属ということになっているから平気だが、明日からはバルコス艦隊陸軍所属だ。こうして集まって話すことも難しくなる。短くとも一ヶ月は厳しい生活になるだろうが、頑張ってくれ。頼りにしてる」

「はい!!」

「はい」

「嫌だ」

 

 ハザクラ達は仮の班室に戻り、硬いベッドに潜り込んで眠りにつく。同時刻、ラルバ達もまたホテルの自室に戻っており、明日朝イチで水族館に行くためフカフカの高級ベッドに身を埋めて寝息を立て始めた。天国と地獄、それぞれの夜が更けていく。

 

 

 

〜???〜

 

「ウ、ウヴヴォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!」

 

 とても生物のそれとは思えない咆哮が、山を揺らし天に波紋を打つ。暗闇の中で、左右大きさの違う群青色の双眸が月の光を反射して人魂のように浮かび上がり、遥か遠くのバルコス艦隊の街明かりを眺めている。

 

「ウ、ウ、ウヴォァ……ウヴォアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 低い風切り音にも似た咆哮が再び夜を揺らす。誰に向けられたわけでもない雄叫びは、決してバルコス艦隊に届くことなく空へと消えていった。しかし、群青の双眸は夜明け近くまでバルコス艦隊から視線を外すことはなかった。

 

【竜の国】



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108話 無能ごっこ

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

途中からフォーマットや誤字脱字ルビ振りが修正されていないことが増えますが、現在修正中です。しばらくお待ちください。


〜バルコス艦隊 中央陸軍演習場〜

 

「本日!! 人道主義自己防衛軍より4名が我が軍に編入してきた!! ハザクラ総指揮官前へ!!」

「はい」

 

 早朝6時。バルコス陸軍人の号令で、ハザクラはラデック達をその場に置いて前へと足を踏み出す。数千人の軍人に囲まれる中、慣れない半長靴越しに踏み固められたグラウンドの硬さが伝わってくる。それらはまるで無機質で、自分以外の全ては存在していないのではないかと思ってしまうほどの孤独感を呼び起こした。歓迎、拒絶、好奇、嫌悪。そのどれにも当てはまらない軍人達からの視線。ハザクラは静かに息を吸い込んで発声を開始する。

 

「人道主義自己防衛軍“ヒダネ”所属。総指揮官ハザクラ。并に同行者3名。本日より、バルコス艦た――――」

「声が小さい!!!」

 

 ハザクラの言葉を先程の軍人が遮る。

 

「お前は今日からバルコス艦隊中央陸軍所属だ!!! これは今からではない!!! 今日朝目覚めた時からだ!!! 人道主義自己防衛軍ではその蚊の鳴くような声で許してもらえたかもしれんが、ウチではそうはいかん!!! もう一度最初からだ!!!」

「……はい」

「“はい”じゃぁない!!! 返事は“了解”だ!!! そして何度も言わせるな!!! 声が小さい!!!」

「……は――――」

「遅い!!! 何を一丁前に考えている!!! 命令には即返事だ!!!」

「あなたは何か勘違――――」

「返事は“了解”だ!!!」

 

 軍人は持っていた短い棍棒でハザクラの側頭部を強打した。

 

「ハザクラ――――!」

 

 思わずラデックが駆け寄ろうと前のめりになるが、それを隣にいたシスターが制止する。ハザクラもラデックに「黙っていろ」と言わんばかりに視線を投げると、再び軍人へと視線を戻して血を拭う。

 

「誰が拭っていいと言った!!! お前らの一挙手一投足さえ上官の意思と思え!!!」

 

 再びの強打。同じ所を殴られたハザクラの側頭部から勢い良く血が噴き出し、ハザクラはその場に倒れ込む。しかし、軍人は倒れたハザクラの顔面へ、分厚い鉄板の入ったブーツで蹴りを入れる。

 

「誰が寝ていいと言った!!! 立てハザクラ!!! 立て!!!」

 

 軍人が怒号と共にハザクラの顔や腹を何度も蹴飛ばし踏みつける。ハザクラはそれらをモロに喰らった後に震えながら立ち上がり、手足を痙攣させながらなんとか軍人の方へと向き直る。頭から滝のように流れ出た血が全身を濡らし、足元へ血溜まりを作る。軍人はそれを不満そうに睨むと、小さく鼻を鳴らしてラデック達の方を向いた。

 

「おい、お前らの上司が無能なせいで、我が軍の神聖な演習場が汚れた。昼までに完璧に元通りにしておけ。もし汚れた砂の一粒でもあれば、それは今夜のお前らの晩飯になるからな」

 

 

 

 

 

 軍人達が宿舎へと戻った後、ハザクラは医務室に行くことも許されず、ラデック達と共に演習場を整備していた。

 

「軍隊は厳しいと聞いていたが、ああも理不尽だとは。甘く見ていた」

 

 ラデックがぼやきながら血溜まりに手をつけて異能を発動する。砂に染み込んでいた血は一本の糸のように纏まって固まり、ラデックの指に絡め取られていく。そのすぐ隣で、ハザクラがシスターとゾウラに手当を受けながら口を開いた。

 

「バルコス艦隊のような志願兵のみで構成される軍隊にはよくある話だ。軍隊とは、国を様々な不条理から守る役目。地位の高い軍人ほど、世界の不条理を理解している。故に、自分より下の者に不条理を教えねばならない。それがどんなに辛く苦しい加害だったとしても、辞める者が続出したとしてもだ」

 

 ゾウラがハザクラの服の血を染み抜きしながら首を傾げる。

 

「辞める? 折角志願してくれた人を辞めさせちゃうんですか?」

「それでいいんだ。心を鬼にして不条理を教える理由は主に3つ。1つは、世界の不条理に耐えられず死んでしまうであろう人間を、訓練時期に発見し追い出す……もとい、逃すためだからな」

「逃す?」

「軍人に向かない人間を、守る側から守られる側へと送り返す。その為に多少非人道的な振る舞いは避けられない。さもなくば、その兵は世界の不条理に圧し潰されて犬死することは目に見えているからな」

「へぇ〜。相手の為を想っての鞭なんですね!」

「ああ。そして2つ目は、世界の不条理と戦う心を鍛える為だ。成果を台無しにする偶然、悪意ある者による侵略、目的のない加害、責任転嫁、葛藤、レッテル、差別。それら不条理を敵味方から受け続け、尚も己を見失わない強さを得る為。これは生半可な努力では到底身に付かない」

「不条理を敵味方から受け続ける? 敵はともかく、どうして味方が不条理を強いるんですか?」

「例えばゾウラ。目の前に溺れる寸前の子供が2人いたとする。その内片方しか助けられない場合、どうする?」

「片方だけでも助けます!」

「そう。それが最善の行動だ。しかし、助けられなかった方の遺族は君を心の底から憎むだろう。これが味方からの不条理だ。守られる側からの無理難題。軍隊でも警察でも自警団でも、この不条理からは逃れられない」

「大変なんですね。兵士の方々は」

「そして3つ目は、不条理を忘れない為だ。世界は不条理であるという事実。これは秩序ある豊かな文明の中では出くわす機会が少なく、どれだけ理解していても存在が希薄になりがちだ。だが、不条理というのはそういう時こそ無慈悲に襲いかかる。大切なものは失って初めて気付く、とよく言うだろう? 戦い、守る者に安寧はない。そのことを忘れぬ為に、人を傷つけ痛みを与え、また痛みを与えることに痛みを覚える。どれも人を守る為に必要なことだ」

 

 ハザクラの言葉を横で聞いていたラデックが、暫し顔を伏せて考える。そして、呟くように声を漏らした。

 

「軍人のハザクラがそう言うならそうなんだろうが…… それにしても、俺はバルコス艦隊のやり方には反対だ。あの暴行は、血涙混じる愛の鞭には見えない。俺には、怠け者の憂さ晴らしにしか見えない。だって、あんなのどう考えても……」

 

 

 ラデックが言葉を探して俯いていると、シスターがハザクラの治療を終えるのと同時にハザクラに尋ねる。

 

「それで、どうやってバルコス艦隊軍からの信頼を得るんですか? もう既に印象はマイナスからのスタートですが……」

「俺が人道主義自己防衛軍でやったことと同じことをする」

「同じこと?」

「ラデック」

 

 ハザクラに名前を呼ばれ、ラデックが顔を上げる。

 

「何だ?」

「ラデックは、俺と出会う前に俺のことを知っていたか?」

「え、ああ、まあ。名前だけだが」

「どこで知った?」

「えーと……確か、イチルギの持っていた新聞だったか。たった3年で幹部になった超大物ルーキーだと。それがどうかしたのか?」

「集団から信頼を得る大前提。それは実力や人間性じゃない。知名度だ」

「……いや、それはそうだろうけども」

「手っ取り早く知名度を上げる方法。それは”話題性“。その為に俺がやったのが、無能を演じてからの快進撃。分かりやすく言うならが”ジャイアントキリング“だ」

「あ、そう言えばイチルギから聞いた気がする。人道主義自己防衛軍の幹部を次々に薙ぎ倒して異例の大出世を遂げたと」

「弱者が強者を倒すのは、どの時代でも良質なエンターテイメントになる。だからみんなには、この一ヶ月間”頑張り屋の無能“を演じてもらう」

 

 ハザクラはラデック達に背を向けて歩き出し、宿舎の方を睨みつける。

 

「当然、耐えられないと思ったら逃げてくれて構わない。それは俺が情けない人間と見下される材料にもなるからな。一ヶ月後のどんでん返しの時に戻ってきてくれればそれでいい。その時までに、俺達で“打ち砕くべき強者”を選定し、なんとかその人物との練習試合を組む。そこで大観衆が見守る中、その練習試合を“圧倒的実力者による無能の公開処刑”から“偽りの弱者による驕り高ぶった強者の蹂躙ショー”へと塗り替える。これで、俺たち4人の存在と実力をバルコス艦隊中に知らしめる」

 

 そこへ、先程ハザクラをさんざ殴りつけた軍人が近づいてきた。そして血の一滴も染みていない地面を睨んで舌打ちをすると、直ぐに踵を返して捨て台詞を吐く。

 

「終わったならサボってないでさっさと戻れ!! 午後からは第二倉庫で武器の手入れだ!! 1秒でも遅れたら全員飯抜きだからな!!」

 

 立ち去っていく軍人の背中を見つめながらハザクラが口を開く。

 

「……無理を言っているのは分かってる。出来る限りで構わない。協力してくれ」

「……分かりました」

「はい!」

 

 シスターが静かに頷き、ゾウラが元気よく返事をすると、ラデックが頬を掻きながら呻き声を漏らす。

 

「う〜ん……」

「どうした、ラデック」

「いや、さっきハザクラが言ってただろう? 彼等は人を救う為に態と高圧的な態度を取っている、と。俺がそう思えないと言うのもあるにはあるが、やはり人の信念を茶化すのは気が進まない」

 

 ラデックの尤もな意見に、ハザクラは噴き出すように小さく笑う。

 

「ハザクラ? 何か可笑しかったか?」

「いや、すまない。そうだな。ラデックの言うことは尤もだ。だが安心しろ」

 

 ハザクラは珍しく怪しげな笑みを浮かべて、遥か遠くにいる軍人を見やる。

 

「ラデックが、彼等の暴行が愛の鞭には見えない――――と言ったが、大正解だ。奴等に道徳的な思想を重んじる善良な心など無い。ラデックの言った通り、あの暴行はただの憂さ晴らしにしか過ぎない」

「……ああ、それなら少しはやる気が出る」

「それは良かった」

 

 この日から、ハザクラ達の卑劣極まりない“無能ごっこ”が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍第二倉庫〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入 1日目、午後。

 

「ああっすみません!」

「何やってる愚図が!!」

 

 ゾウラが足をもつれさせて抱えていた銃を盛大に床に落とした。直後に上官の1人が怒号を飛ばして近づいてくる。

 

「丁度いい。お前のような世間知らずの餓鬼にはいい訓練になる。今落とした銃、全て素手で分解して掃除し組み立てろ」

 

 バルコス艦隊の銃には等級がある。少尉以上が使用する最新型のA級、兵長以上が使用する量産型のB級、そしてその他大勢が使用するC級。C級の銃は部品が破損していたり、型式が古く部品が固着していたり、そもそも設計上分解ができなかったりと、普通に使用するだけでも暴発の危険性を孕んでいる劣悪な品である。

 

 ゾウラが運んでいた銃こそが正にこのC級銃である。倉庫に保管してあるというのに弾が装填されていたり、泥や土が付いたままで至る所が腐食している。こんなものを抱えて運んでいたというだけで恐ろしいことだが、それを素手で分解するとなると――――

 

「素手で? ビスやナットはどうするんですか?」

「当然、お前の手で回すんだ。同じことを二度も言わせるな」

「そんなことしたら手が血だらけになっちゃいますよ!」

「だから何だ」

 

 軍人はゾウラを睨み、早くしろと言わんばかりに口裏でしゃがんでいるゾウラの肩を蹴飛ばす。ゾウラは狼狽えながらも銃を手に取り、部品を外そうと力を込める。

 

「んん〜……!! は、外れません……!!」

「お前のやり方が悪いんだ」

 

 軍人は銃の隙間に指を差し込んでいるゾウラの手に自分の手を重ね、思い切り左右へと広げる。

 

「あ――――!!」

「ほら、外れたじゃないか」

 

 銃の部品は外れたが、無理な方向に力を加えたゾウラの指先は裂けて血を噴き出している。ゾウラが痛みに震え蹲ると、軍人は満足そうに立ち上がりゾウラを蹴飛ばした。

 

「今朝も言われただろうが、その汚い血も全部拭き取れよ!! ちゃんと後で確認に来るからな!!」

 

 軍人がへらへらと笑いながらゾウラに背を向けて去っていく。そこへ陰から見ていたシスターが駆け寄り、心配そうにゾウラへと駆け寄る。

 

「だ、大丈夫ですかゾウラさん!!」

「はい! 大丈夫です!」

 

 ゾウラは笑顔で両手をひらひらと振った。ささくれひとつ立っていない無傷の手に、赤く濡れた千切れた指のようなものがくっついている。

 

「……それは?」

「肌色に塗った樹脂に、赤い絵の具を染み込ませた綿を詰め込んだ玩具です! よく見ると偽物と分かりますけど、結構びっくりしますでしょう?」

「え、あ、ああ。はい」

 

 ゾウラは楽しそうにニコニコと笑いながら、懐から用途不明の道具を大量に取り出した。

 

「今回の作戦。大掛かりな悪戯みたいでワクワクしますね! 私昨日こういう玩具沢山作ったんですよ! シスターさんも少し要りますか?」

「え、えっと。じゃあ、少しだけ……」

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍屋内演習場〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入 3日目、夕暮れ。

 

「お前達にはほとほと愛想が尽きた。なにが世界一の軍事大国だ。軍隊の国、人道主義自己防衛軍も大した事ないのだな」

 

 教官が足を組み替えながら溜息を吐く。その教官が座っているのは、椅子ではなくプランクの姿勢で硬直するハザクラであった。

 

「ぐっ…………!!」

「遅刻42秒。制服の乱れ。オマケに装備も忘れている。これが戦場だったらお前はとっくに死んでいる。そして仲間も巻き添えになる。お前1人のせいで、幾つもの命が失われるんだ。それならばいっそ、今死ぬのが最も賢明な選択だと思うがな」

 

 無理往生の異能で肉体を強化しているハザクラにとっては、何時間プランクをしようが上に人が乗ろうがどうってことはなかった。しかし、教官の言葉はハザクラの心を抉るのに十分だった。

 

「……お、俺以外の……人間にも……お、同じ事を……言った……のか……!?」

「当然だ。軍人は仲良しこよしの御飯事ではない。愚図一人の為に優秀な人間の命が失われるなんて馬鹿げた事、決してあってはならない」

 

 教官は少しだけ腰を浮かせ、少し跳ねるようにしてハザクラに腰を下ろした。

 

「ぐあっ――――!!」

「口答えによって10分追加。無能なお前のせいで、私の貴重な時間が消費されていく……。無駄だとは思わないか? 無能なお前が健全に生きようとする限り、有能な我々の全てが消費されていく。時間、体力、思考、空間、食糧、衣服、道具、設備……どうせお前が幾ら頑張ったところで役に立つことなどないと言うのに……」

 

 ハザクラのは歯を食いしばりながら、堪えるフリをして堪えた。ハザクラの中に宿る凄烈な正義感は怒りとなって血管を駆け巡り、まるで筋肉が限界を告げるように全身を震わせた。

 

「おい、揺れるな。座り心地が悪いぞ」

 

 ハザクラは溢れんばかりの憤怒を、心の奥底に閉じ込め笑顔を作る。頭の片隅にあったバルコス艦隊軍への情が、少しずつ削られ無に呑まれていくのを全身で感じていた。

 

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍宿舎屋上〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入10日目、深夜。

 

「…………シスター?」

 

 掃除用具を持ったハザクラが理不尽な清掃命令を受けて屋上の扉を開けると、そこには石段に腰掛けるシスターがいた。

 

「ああ、ハザクラさん。こんばんは」

「……こんばんは」

「お掃除ですか? 手伝いますよ」

 

 シスターは手に持っていた本を傍に置いて立ち上がる。すると、シスターの座っていたすぐそばにティーセットと茶菓子が置かれているのが分かった。ハザクラは首を傾げながらほんの少しだけ眉を顰め、シスターにモップを一本渡す。

 

「シスター。最近貴方を就寝時にしか見かけないが……もしかして、ずっとここでサボっていたのか?」

「え? ああ、はい。もしかして、私がいないせいで何か良くないことがありましたか?」

「あ、いや、そうじゃないんだ。ただ、軍人達からシスターの不在について問われることがなかったから、不思議に思っていただけだ」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。私は今日も“訓練で瀕死だった筈“ですから」

「……今、文章が少し変だったように思えるが」

 

 訝しげにハザクラが目を細めると、シスターは少しだけ不気味に笑顔を溢す。

 

「私の記憶操作の異能で扱える記憶には2種類あります。それは”感情“と”光景”。よく覚えていないけど楽しかった旅行や、そこまで怒っていなかったような気がする口喧嘩。何故かわからないけど大泣きしていた幼少期の断片的な記憶。思い出せない不倶戴天の相手の顔……。ハザクラさんにも似たような記憶はあるんじゃないですか?」

「ああ。確かにある」

「これらは本来、時間と共に満遍なく劣化していく記憶の特性によって起こります。それを私は意図的に引き起こせる……また、捏造することができます。先日、ラデックさんに協力していただいて“瀕死で苦しむ私を見下ろしている光景“の記憶を用意しました。あとはこれの感情部分だけを取り除いて、適当な軍人の方に挿入するだけ。彼等の中では、私は今日一日訓練で重傷を負い苦しんでいると思い放っておいてくれます」

「…………その方法、いつ思いついたんだ?」

「さあ、いつでしょう」

 

 シスターはある程度床を拭き終えると、扉にモップを立てかけて再び石段に腰掛ける。ふとハザクラが屋上から身を乗り出して見下ろすと、ラデックが軍人に蹴飛ばされながら兎飛びをしているのが目に入った。

 

「…………まあ、順調なら問題ない」

 

 ハザクラは掃除用具を抱えて屋上の扉に手をかける。そして、思い出したようにシスターの方へと顔を向けた。

 

「そうだ。最初に説明した“打ち砕くべき強者”の選定だが、決まった」

 

 シスターが茶菓子を咥えながら振り向くと、ハザクラは1人の女性が映った写真を取り出した。

 

「俺の教育係になっている“ミシュラ”教官。彼女をターゲットにする」

「ミシュラ教官……? 1番階級の高い元帥や大将でなくていいんですか?」

「彼女は元大将だ。そして、ファーゴ元帥の嘗ての同僚。今の大将達の元上司だ。顔が広く実力もある。俺が調べた限り、彼女以上に信用されている人物はいない」

「……そんな方を陥れるんですか。あんまり、いい気はしませんね」

「心配するな」

 

 ハザクラはどこか遠くを見るような目で呟く。

 

「奴は、裁かれるべき悪だ」

 

 屋上の扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。シスターはティーカップに口をつけると、満天の星を見上げて目を細める。

 

「ハザクラさんに言ったんですけどね……」



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109話 筋書きはいつも強者が描く

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〜バルコス艦隊 羊雲牧場〜

 

「風が気持ちいい〜!!」

 

 雲一つない青空の下。草原の中に設けられた細いサイクリングロード。そこを、爽やかな笑顔で二人乗り用のレンタル自転車を漕いで行くラルバ。その真後ろ、長く伸びた車体のもう一つのサドルに腰掛けるハピネスは、全く漕ぐ素振りを見せずにソフトクリームを舐めている。

 

「ちょっと、ハピネスも漕いでよ! 二人乗りの意味ないじゃん!」

「……? 私が使奴に筋力を提供することに何の意味が?」

「雰囲気! そんなこと言うなら、そもそも移動するのにこんなヘンテコ自転車なんか借りずにガソリン車借りるわ! 折角のレジャーを楽しめ!!」

「ソフトクリームで充分楽しんでるよ……。あむ」

「一口ちょーだい。あーん」

 

 自転車の前側を漕いでいたラルバが、首を180度回転させて後ろを向く。ハピネスはギョッとした顔で固まり、恐る恐るソフトクリームを前に差し出す。

 

「あむっ。んー! うまい!!」

 

 ラルバが首を戻して前を向く。

 

「チーズケーキカスタードのバニラミックス! 舌触り滑らかでおいしぃ〜」

「…………ラルバ。君、関節どうなってるんだい?」

「ん? あれ、ハピネス知らなかったの? 使奴って普通の人間よりも可動域めちゃめちゃ広いんだよ?」

 

 そう言ってラルバが首を再び真後ろに向ける。その状態で両手を背中に回し、頭を持って顔を梟のように上下逆様に捻じ曲げた。

 

「気持ち悪い。普通にしててくれ」

「自分から聞いた癖に……」

 

 ラルバは不満そうに首を戻して前を向く。

 

「使奴にも臓器とか骨はあるけど、所詮人間を真似ただけの飾りだからねー。胃袋や腸は食べ物を吸収しないし、声帯がなくても声は出せるし、関節外れても自在に動けるよ。キザンが細切れにされても思考は出来るって言ってたし、無くなって困るのは目と耳くらいかなー」

「目と耳は無くなると機能しないのか……」

「不思議だよねぇ。性奴隷的に視聴覚を封じられないと不便なのかな?」

「成る程……」

 

 ハピネスはソフトクリームのコーンを齧りながら、ぼんやりと空を見上げた。

 

「平和だなぁ……。今頃ラデック君は半べそかきながら床でも磨いてるのかなぁ」

「ん? いや、意外と元気そうだったよ?」

「……会いに行ったのかい?」

「毎日どっかしらで忍び込んでる」

「……楽しそうで何より」

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍射撃訓練場〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入 14日目、午後。

 

「放て!!!」

 

 上官の合図で、軍人達は構えていた銃の引き金を引く。その中に混じっていたハザクラも同じように銃を構え、発砲の直前ぼそりと呟く。

 

『左第8肋骨を撃つ』

 

 異能による自己暗示がかかったハザクラの放った弾丸は真っ直ぐ飛んでいき、100m先の人型の的の腹部。ハザクラの狙った部分から数cm離れた左第9肋骨へと命中した。

 

「……外れた? いや、銃の性能の問題か。こういう命令の拒否の仕方もあるんだな……」

 

 ハザクラが顔を上げると同時に、後頭部に強い衝撃が走った。

 

「――――っ!!」

「この愚図が!!! そんな腕でよく総指揮官を名乗れたな!!!」

 

 上官は手に持っていたライフルで、再びハザクラの頭を強打する。そのままハザクラに唾を吐いて蹴飛ばすと、今度は別の場所で銃を構えていたゾウラの方へと早足で近づく。

 

「貴様もだクソガキが!!!」

 

 今度はライフルを大きく振りかぶり、振り向きかけたゾウラの顔面を思い切り殴りつけた。怯んだゾウラが咄嗟に顔を押さえると、その隙間から大量の血がぼたぼたと滴り落ちた。

 

「どいつもこいつも、人道主義自己防衛軍の人間は貧弱過ぎる!!! 何が世界一の軍事大国だ!!! 数ばかりで能のない量産型の俗物共め!!!」

 

 上官は蹲るゾウラの襟を引っ張って無理やり起こし、地面に叩きつけて伏せの姿勢を取らせる。

 

「いつまでも痛がっているな泣き虫が!!! ノルマをこなすまで飯どころか便所にも行かせんからな!!!」

 

 上官は早々にその場を去ったが、何度も交代で別の軍人が2人を見張り罵倒し殴りつけ、日付が変わるまで射撃訓練が終わることはなかった。

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍食堂〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入 16日目、正午。

 

「……少なくないか?」

 

 ラデックが受け取った給食を眺めて僅かに眉を顰める。渡されたお盆に配膳されていたのは、一口で食べきれそうな焼いた鰯が1尾。切り落とされたきゅうりのヘタが2つ、なんの味付けもされていないパンの小さな切れ端に、乾涸びたミミズが2匹。豚の餌にも満たない残飯に文句を溢すと、配膳係がムッとした顔でラデックを睨みつける。

 

「いや、何でもない」

 

 ラデックは逃げるようにその場を離れ、空いている席を探して腰を下ろした。

 

「さて……頂きます」

 

 ただでさえ小さいパンを更に半分に割いて、そこに鰯とミミズを挟んで一口で平らげる。

 

「むぐ……うん。初めて食べたけど、ミミズ不味いな。食べられなくはないが……せめてマヨネーズでもあればなぁ」

 

 口直しに乾いたきゅうりのヘタを食べていると、周囲の軍人達がクスクスと笑いながらこちらを見ていることに気付いた。

 

「うわ、本当にミミズ食べたぜ……」

「マジ? 次はゴキブリでも出してみる?」

「いやゴキブリは流石に食わないっしょー」

 

 ラデックは水を口に含みながら顔を背け、空になった皿を見つめて呟いた。

 

「……ミミズは食文化じゃなかったのか」

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍宿舎屋上〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入 20日目、深夜。

 

「限っ界っだ!!」

 

 シスター、ゾウラ、ハザクラの3人の前で、ラデックが大の字になってその場に倒れ込む。

 

「何事も挑戦と思い引き受けては見たが……幾ら演技とは言え、謂れのない非難を受け続けるのはしんどい!! 俺はここで降りる!!」

 

 ハザクラは出入り口の扉に寄りかかったまま溜息を吐く。

 

「そう言わずに、後少しだけ頑張ってくれ。もうあと10日……いや、8日でいい」

「無理だ!! 今すぐ帰る!!」

「そう言わずに、手伝ってくれ」

「嫌だ!!」

『そう言わずに、手伝ってくれ』

「今異能使ったか?」

 

 子供のように駄々をこねて床を転げ回るラデックを見て、ハザクラは再び溜息を吐く。

 

「はぁ……。全く、少しはゾウラを見習え」

「ゾウラを引き合いに出すのはズルい。あの仕打ちの中笑っていられるなんて、最早病気の域だぞ」

 

 それを聞いてゾウラが首を傾げる。

 

「私、病気なんですか?」

「え、あ、いや、すまない。言葉の綾だ」

「ああよかった! 私、大きな病気になったことがないのが取り柄なんですよ!」

「もっと誇れる取り柄が山ほどあるだろうに……」

「そうなんですか? そうなら嬉しいです!」

 

 幸せそうにニコニコと笑いながら揺れるゾウラに、ラデックはどこか罪悪感に似たものを感じて怪訝な顔をする。そしてその不愉快な感情が心の底からだんだんと膨れ上がっていくと、気を紛らわそうとハザクラに視線を戻した。

 

「そうだハザクラ! お前、潜入直後に“逃げてもいい”って言ってただろう! なら俺が今ここで抜けても文句を言う権利はない!」

「言ってない」

「言った!」

「言ってない」

「言った!!」

「言ってない」

「言った!!! シスター!! 記憶の判定頼む!!」

 

 ラデックがシスターの方を睨むと、シスターは黙って首を左右に振った。

 

「嫌です……」

「俺達のじゃなくていい!! シスター自身の記憶で構わないから!!」

「遠慮します……」

「何でだ!?」

「見苦しいので……」

「ぐぐぐぐぐぐ…………!!!」

 

 ラデックが頭を抱えて悶えていると、ハザクラが少し不思議そうに尋ねる。

 

「しかし律儀だなラデック。俺の言うことなんか無視して勝手に逃げればいいものを。いや、正しいことではあるんだが、お前はあまり正しくない方の人間だと思っていた」

「何故急に悪口を? 嫌がらせか?」

「そうではないが……。まあどこかで首輪が繋がっているなら構わない。あと8日間、よろしく頼むぞ」

「うううううううっ……!!!」

 

 

 

〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜

 

「ああ、大丈夫だろうか……。今からでも潜入に……いや、ラルバが怒るか……」

 

 部屋の中を彷徨きながらぶつぶつと独り言つナハル。部屋の隅に座っていたカガチは、そんな情けない姿を見せつけられて痺れを切らし怒鳴りつける。

 

「ええい鬱陶しい!! 少しは静かに出来んのかこの色情魔!!」

「なっ――――誰が色情魔だ!!」

「貴様だこの贅肉大魔神めが!! そんなに人肌恋しければ娼館にでも行って男でも買ってこい!!」

 

 カガチが懐から札束を取り出して投げつけると、ナハルはそれを叩き落として睨み返す。

 

「誰が買うか!!」

「じゃあ黙って座っていろ!!」

「うっ――――」

 

 カガチに怒鳴り返されると、ナハルは押し黙って顔を背ける。

 

「毎日毎日ぶつぶつぶつぶつ……! 私の聞こえない所でやれ見苦しい!!」

「だ、だって……」

「だってもでももないっ!!」

「心配だろう!!」

「お前のは心配じゃなくて性欲だろうが!!」

「ちっ違う!!」

「違くない!!!」

 

 2人が言い合いをしていると、部屋の布団がもぞもぞと蠢きバリアが隙間から顔を覗かせた。

 

「うるさいよ……」

「む」

「す、すまないバリア……」

 

 バリアはのっそりと起き上がり、不機嫌そうな寝ぼけ眼でナハルを睨む。

 

「ナハルが悪い……。全面的にカガチに賛成……」

「ううっ……」

「心配する必要はどこにもないし……、別にナハルが何したってラルバも文句言わない」

「わ、分からないだろう……」

「じゃあ行けばいい。私からラルバには言っておく」

「で、でも……」

「ナハル」

 

 バリアが少しだけ低い声で名前を呼ぶと、ナハルはビクッとして思わず背筋を伸ばす。

 

「ハザクラを育てたのは私。ハザクラへの不信は私への不信って意味になる。私、信用ならない?」

 

 バリアの薄暗く粘ついた視線に当てられ、ナハルは狼狽して肩を落とす。

 

「い、いや……文句はないが……その……。や、やっぱり……理屈じゃあないから……」

 

 それでもナハルが矛盾した言い訳を零すと、バリアは緩慢な動きで布団へと戻っていく。

 

「ふーん……ま、その辺はベルとシスターの人望に感謝だね」

「へ? ど、どういう意味だ?」

「4日前の新聞、読んでないの?」

「え、あ、よ、読んでない……」

「ん」

 

 バリアが自分の魔袋に手を突っ込み、新聞を持ってナハルに差し出す。

 

「ありがとう……。えっと………………えぇ!?」

 

 ナハルが目を見開いて驚愕する。視線の先に書かれていたのは、ごくごく小さな見出しの記事。

 

 “人道主義自己防衛軍観測記録。軍団”ヒダネ“所属と見られる人物の単独遠征を確認。階級は指揮官補佐と思われる。“

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍特別演習場〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入28日目、午後。

 

 バルコス艦隊中央陸軍の全員が出席を強制される特別な日。この日に限っては、意識不明の重体でない限り点滴とベッドを引き摺ってでも参加することが求められる。基地の中央部に造られた、コロシアムのような摺鉢型の演習場。階段状の観覧席に軍人達が犇めき合い、半年に一度の“処刑”が行われるのを待っている。

 

 評価式特別公開実技演習。通称“スクラップ“。

 

 実力社会のバルコス艦隊軍では、全ての行動が絶え間なく監視されており数値化される。それは決して減点を直向きな努力や生真面目な人間性などで取り戻せる道徳的なものではなく、どんな振る舞いをしていようとも結果的に軍隊の役に立つか立たないか、厳密に言うならば戦って生き残れるかどうかで判断される。そして、その最下位から数名。バルコス艦隊軍にとって不必要な出来損ないと判断された人物を、トップレベルの戦闘力を持つ優秀な軍人がマンツーマンで指導する――――という名目の下、全軍人の前で痛ぶり辱め貶める事実上の公開処刑。それがこの“評価式特別公開実技演習《スクラップ》である。

 

 今回選ばれたのは、4週間前に人道主義自己防衛軍から編入してきた新人。

 

 軍団ヒダネ総指揮官。ハザクラ・バルキュリアス。

 軍団ヒダネ大佐。ゾウラ・バルキュリアス。

 軍団ヒダネ兵長。ラデック・バルキュリアス。

 軍団ヒダネ一等兵。シスター・バルキュリアス。

 

 の4名。

 

 優秀な者は、自分達の貴重な時間を奪った足手纏いの地獄を冷たく見下ろし。平凡な者は、対岸の火事を今か今かと待ち侘びて涎を垂らし。弱き者は、次は自分かもしれないと心のどこかでは思いつつも暫定的な安全圏に悠長に胡座をかいて薄ら笑いを浮かべる。

 

 中央部に設けられたテニスコート程の広さの台の中央に、ミシュラ教官がゆっくりと歩いて行く。そして、手に持っていた長槍の石突を勢い良く地面に打ち付ける。その音は猛獣の咆哮のように響き渡り、静まり返った演習場に残響が厳かに漂う。

 

「これより、評価式特別公開実技演習を始める。ハザクラ・バルキュリアス!!! 前へ!!!」

 

 



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110話 ごっこ遊びはここまで

毎日23時~24時の間に続きを投稿します。ストック分がなくなり次第毎週日曜日0時投稿に切り替わります。

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〜バルコス艦隊 中央陸軍特別演習場〜

 

 バルコス艦隊陸軍潜入28日目、午後。

 

「これより、評価式特別公開実技演習を始める。ハザクラ・バルキュリアス!!! 前へ!!!」

 

 ミシュラ教官が怒鳴り声にも似た号令をかける。控え席にいたハザクラは居眠りを止めて顔を上げ、気怠そうにミシュラ教官の元へと歩き出した。

 

「お、出てきたぞ……」

「やっぱ今回の実技演習(スクラップ)はハザクラか」

「てことは他の編入組もだな」

 

 険しい表情のミシュラ教官とは打って変わって、観覧席の軍人達はへらへらと笑いながらハザクラの入場を見下ろしている。ハザクラは陰口を叩かれながら歩いて行き、ミシュラ教官の前に立つ。

 

「ハザクラ・バルキュリアス。お前は我々の厳しい指導も虚しく――――」

「ひとつ、頼みがある」

 

 ハザクラの発言に演習場が一瞬で凍りつき、ミシュラ教官の目に明確な殺意が宿る。スクラップに指名された出来損ないが教官の言葉を遮り、剰え要求を示したのは初めてのことであった。

 

「貴様……自分の立場が分かっているのか? ハザクラ…………!!!」

「この実技演習で貴方に降参をさせることが出来たら、俺達編入組4人を、“竜の調査任務“に指名して欲しい」

 

 再び、場が凍りつく。今度は刹那の静寂の後に、群衆が不穏に響めきだす。

 

「”竜“……!? アイツ今”竜“って言ったか……!?」

「一体何様のつもりで……!!」

「アイツ、死ぬぞ……」

「なんと非常識な……!! これは、知らなかったでは済まされんぞ!!」

 

 最早ミシュラ教官は軍人達の私語を咎めることもなく、憤りに満ちた目でハザクラを睨みつける。

 

「今の言葉が何を意味するか……分かっての発言だろうな……!!! ハザクラ……!!!」

「当然。この国は古くから竜信仰の文化が根付いている。竜という存在は、貴方達にとって外国人は疎か役職のある人間でさえ簡単には近寄ることの出来ない神聖なもの。それを外国人である俺に任せるということが、どれだけの無理難題であるかも理解している。理解しているが――――あくまで無理というのは貴方達の感情によるものだ。物理的な話ではない。だから、一度だけ首を縦に振って欲しいと思い――――」

「極めて悪意ある不敬罪と判断する!!! 今回の特別演習は、貴様にとって人生で最も辛い出来事になるだろう!!!」

 

 ミシュラ教官が長槍を構えてハザクラに突進を始める。しかしハザクラは少し考える素振りをしてから平然と口を開く。

 

「それともう一つ」

 

 長槍による刺突がハザクラの胴を捉える直前、ハザクラはひらりと身を躱して場外へと飛び退く。

 

「演習の相手はラデックからで頼む」

 

 そう言うと、ハザクラの後方にあるゲートからラデックが姿を表す。ラデックは眉間に皺を寄せたまま嫌そうにハザクラへと近づき耳打ちをする。

 

「……本当に俺がやらなきゃダメなのか?」

「総指揮官の俺が勝っても面白味がないだろう。ゾウラは万が一にも正体を知られたくないし、シスターの戦い方は派手さがない上にまぐれと捉えられる可能性が高い。お前が1番分かりやすい強者なんだ。出来る限り分かりやすくド派手に打ち負かせ」

「女性を痛ぶるのは気が引ける……」

「ミシュラは強者であり悪者だ。殺すまでは行かなくとも、鉄拳制裁くらいは妥当だろう」

「気分の問題だ。それに打ち負かすと言ったって……俺の発想力じゃ高が知れているぞ」

「この1ヶ月の間、ラルバとしょっちゅう会っていただろう。何をしていたのかは知らないが、何か下卑たアイディアとかも聞かされていたんじゃないのか?」

「……出来るかどうかは別だ」

 

 ハザクラはラデックの肩を叩いて裏手へと戻って行ってしまった。ラデックが不満そうにハザクラを見送ると、ミシュラ教官が地を揺るがすような怒鳴り声を上げる。

 

「いつまでマスかいているつもりだ!!! さっさと上がれボンクラ男!!!」

「……はあ。仕方ない」

 

 ラデックは大きく溜息を吐いて肩を落とし、意を決したように前を向く。

 

「まあ、恨みがないと言えば嘘になるからな。少しだけ過剰に仕返しさせてもらおう」

 

 ラデックがミシュラ教官の正面に立つ。ミシュラ教官が静かに槍を構え直すと、ラデックは気怠そうに話しかけた。

 

「生憎だが、俺にはか弱い淑女を痛ぶる趣味はない。早めに降参してくれることを願う」

「はぁ? 淑女? 私が、か弱い淑女だと?」

 

 ミシュラ教官は首を傾げて哀れみの目を向ける。あまりにも度が過ぎた挑発は、寧ろ頭の心配をされる。そのことに気付いたラデックは、気まずくなって少し言葉を詰まらせる。

 

「あ、いやー……なんだ。えー……。あ、槍は男根のメタファーらしいが、もしかして性転換願望があるのか?」

「殺す!!!」

 

 今度の挑発はミシュラ教官に思いの外刺さったようで、彼女は激昂してラデックへと襲いかかった。振り回された長槍の先端がラデックの首筋に迫るが、ラデックは当然これを躱して再び挑発をする。

 

「その男勝りな言葉遣いも男性への憧れからか?」

「黙れ!!! 誰が男なんぞ気持ちの悪い軟弱な種族に憧れるか!!!」

「そう恥ずかしがらなくたっていい。俺は寛容だ」

「殺す!!! 今ここで殺してやる!!!」

 

 ラデックの一方的なレッテル貼りに、ミシュラ教官は悪鬼羅刹の形相で槍を振り回す。当然、ただ闇雲に振り回しているわけではなく、バルコス艦隊軍流槍術の型に沿った極めて高度な戦法である。石突に仕込んだ風魔法の陣を小刻みに発動し、槍の刺突や薙ぎ払いの速度を柔軟に変化させ相手を翻弄する高等技術。

 

「うらぁぁああ!!!」

 

 しかし、今のラデックにとってミシュラ教官は警戒に値する人物ではなかった。

 

 笑顔による文明保安教会直属の信者。人道主義自己防衛軍“クサリ”総指揮官、ジャハル・バルキュリアス。なんでも人形ラボラトリーのギャング。真吐き一座の花形、タリニャ。スヴァルタスフォード自治区“悪魔郷騎士団”一番槍、ヤクルゥ。そして、ピガット遺跡“異能互助会門番”にして“ウォーリアーズ”所属、トール。これらの猛者達と手を合わせてきたラデックは、自分が思っている以上に戦士としての成長を遂げていた。

 

 槍の軌道が目で追える。目線から狙いが分かる。重心の位置から次の一手を予測出来る。波導の流れから魔法の種類と発動タイミングが読める。そして、それらを理屈ではなく漠然とした経験則と直感から導き出せる。

 

 ミシュラ教官も決して弱くはない。物心ついた時には既に酒浸りの父親に虐待されており、極端に色素の薄い肌から“悪魔病”だと虐めを受け、そんな劣悪な環境の中で血の滲む努力を重ね、幾度となく泥水を啜りながらも今の地位まで上り詰めた努力の天才。

 

「ぐっ……!!! おらぁぁぁああああ!!!」

 

 しかし、相手が悪かった。

 

「おっと」

 

 ミシュラ教官の攻撃を、ラデックが皮膚を掠るギリギリで躱し続ける。一見してラデックが追い詰められているように見えるが、実際に追い詰められているのは全力を出し続けているミシュラ教官の方である。

 

「行けっ!! そこだぁ!!」

「あの男ふらっふらじゃないか!」

「随分避け続けるな……教官が遊んでいるのか?」

「まぐれだろまぐれ!! あの槍捌きが見えるもんか!!」

 

 観覧席から聞こえて来る有象無象の声に、ミシュラ教官は苛立ちながら槍を握りなおす。

 

「クソっ……煩い奴らだ……。これが終わったら全員懲罰行きにしてやる……!!」

 

 ミシュラ教官は肩で息をしてラデックを睨みつける。しかし、自分の“体の異変”には気付かないままであった。

 

「意外に体力あるな。流石は軍人」

「でりゃぁぁぁああああ!!!」

 

 ミシュラ教官の槍術を躱しながら、ラデックは気付かれないようにミシュラ教官の指先に触れる。そして今回5度目の異能を発動した。

 

「はぁっ!! はぁっ!! クソっ……!! クソ野郎ぉ……!!!」

「まだそんなに元気なのか」

 

 ラデックが先程からミシュラ教官に施している改造。それは、体温の上昇。発汗量の増加。筋力の低下。の3種類。どれも僅かな変化のため自覚しづらいが、ミシュラ教官には既に5度目の改造が施されている。そのせいで彼女の体温は現在39.3度、夕立にでも降られたのかと思う程の滝汗をかき、筋力に至っては既に3割以上を失っている。高熱で意識は揺らぎ、視界には靄がかかり始める。蒸し風呂のような暑さを錯覚しながらも、多量の発汗により凍える寒さを同時に味わう。更には多量の汗をかいたことにより脱水症状を起こし、鬱陶しい頭痛と全身を這い回る悪寒と倦怠感をそんな中での筋力の低下は、戦闘パフォーマンスよりも呼吸や血液の循環、そして眼球の操作に致命的な支障をきたした。

 

「うあぁぁぁぁぁああああ!!!」

 

 ミシュラ教官の渾身の大振りがラデックの側頭部を捉える。しかし――――

 

「む」

 

 ラデックが頭突きで槍を押し返すと、その衝撃が槍越しにミシュラ教官の掌に伝わる。

 

「ぐ…………あっ!!!」

 

 そして、その反動でミシュラ教官は槍を落としてしまった。大慌てで槍を拾うも、同時に観覧席の軍人達が異常事態に響めき出す。

 

「え……今、槍……落とした?」

「なんかおかしいぞ……」

「何が起こってんだ? あの金髪何したんだ!?」

 

 ラデックはぐるりと辺りを見回し、困惑する軍人達を見て呟く。

 

「潮時だな」

 

 そして再びミシュラ教官に目を向けると、彼女は槍にしがみついて何かをブツブツと呟いていた。

 

「違う……違う……! 何かがおかしい……! なんで……どうして……!!」

「ミシュラ教官」

 

 名前を呼ばれ、ミシュラ教官はハッとした顔でラデックを見る。いつもと変わらぬ間抜けな編入生ラデックの顔が、ミシュラ教官の目には恐ろしく不気味に見えた。

 

「約束、忘れないでくれよ」

「約束……? だ、誰が貴様等に竜の情報なんか……!!」

 

 ラデックはミシュラ教官を突き飛ばす。

 

「きゃっ!!」

 

 そして自身に改造を施し、腕を思い切り振りかぶる。

 

「これで終わりだ」

 

 改造の異能により限界まで筋力を引き上げられた肉体から放たれた拳は、尻餅をついているミシュラ教官の足元の地面に振り下ろされた。ラデックは拳が地面に触れると同時に地面にも改造を施し、演習場を古びたガラスのような脆い素材へと変化させた。当然演習場の台は崩壊し、その衝撃は観覧席にも伝わり施設諸共粉々に打ち砕いた。

 

 大火事の煙幕以上の土煙が上がり、無惨に崩れ落ちた演習場のあちこちから痛みに呻く声と不安に狼狽える声が交差する。ミシュラ教官は態と外された一撃の威力に恐れ慄き、土煙越しに立っているラデックを腰を抜かしたまま見上げて震え上がる。

 

「な……な……んだ……お前……!!!」

 

 ラデックは地面を殴った手を痛そうにプラプラと振りながら口を開く。

 

「ハザクラは俺より強いぞ。降参しないなら続けるが……どうする?」

「誰が……お前等などに竜を……!!」

「続行か?」

「ひっ!」

 

 ラデックが脅かすように拳を構えると、ミシュラ教官は両手で頭を抱えて顔を逸らす。

 

「降参した方がいいと思うぞ」

「ふ、ふざけ……」

「降参はしない」

 

 土煙の向こうから不意に割り込んできた声。ラデックがそちらに視線を向けると、こちらへ歩いてきている何者かの手元から1枚の刃が発射された。

 

「うおっ!!」

 

 慌ててラデックが体を逸らして避けると、その“銀色に輝く金属製のカード”は突如光り輝いて爆風を引き起こした。目も開けられないほどの暴風が土煙を一瞬で晴らし、術者の姿が露わになる。そして、その姿に軍人達は思わず声を漏らした。

 

「あ、あれは……」

「“軍神”……!! “軍神ロゼ”だ!!!」

 

 ラデックの前に現れた人物。それは嘗て、女尊男卑の国、グリディアン神殿で統合軍総司令官の地位にいた人物。ロゼの姿だった。



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111話 軍神ロゼ

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 “バルコス艦隊”。元は200年前の戦争で祖国を失った海軍達が作った集落が起源とされている軍事国家。過去にはグリディアン神殿による襲撃を受け、またそれを仲裁した使奴らによって両国は共同軍事演習を行うまでの友好国となった。しかし、一度はグリディアン神殿に敗北したという事実はバルコス艦隊の歴史に深く刻み込まれ、年月を重ねるごとに半ば崇拝とも呼べる絶対的な上下関係となっていった。

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍 崩壊した特別演習場〜

 

「ロゼ!! “軍神”ロゼだ!!」

「すげぇ!! 本物だ!!」

「ロゼ!!!」「ロゼ!!!」「ロゼ!!!」「ロゼ!!!」

 

 瓦解した演習場に、突如として現れた女性。それは、グリディアン神殿で統合軍最高司令官を務めていた異能者。ロゼであった。その姿に、軍人達はミシュラ教官の圧倒的敗北の衝撃など忘れて歓声を上げる。瓦礫の上で砂塗れになりながらも狂喜に叫ぶ様は、宛ら新興宗教の信者のようであった。

 

 ロゼが鬱陶しそうに辺りを見回すと、彼女の足元にミシュラ教官が不恰好に駆け寄って跪く。

 

「ロ、ロゼ最高司令官……!!! お、お久しぶりでございます……!!!」

 

 ロゼは何も言わずにミシュラ教官を見下し、すぐに前方のラデックに目を向ける。跪いているミシュラ教官はそれに気付かず顔を伏せたまま話を続ける。

 

「折角お越しいただいたのに、こんな有様で申し訳ありません!! お恥ずかしながら、奴等“人道主義自己防衛軍”のクソ共の策略を許しーーーー」

「おい」

 

 ミシュラ教官の話を、ロゼが小さく呟いて遮る。ミシュラ教官は身体をびくっと震わせて押し黙る。その呟きは他の軍人達には聞こえなかったが、ロゼの全身から息の詰まるような重苦しい波導が流れ出るのを感じ、全員が歓声をピタリと止めて沈黙した。

 

「…………お前、シスターに何をした?」

 

 ロゼの視線の先には、ラデックがおり、その少し離れたところに立っているハザクラ、ゾウラ、シスターの姿がある。ミシュラ教官は凄まじく悪い想像をして息を呑んだ。そして、その想像通りにロゼが唸るように言葉を続ける。

 

「俺の命の恩人に、何をした?」

 

 軍人達の沈黙が、徐々に恐怖の色に染まっていく。

 

「その仲間達に、何をした?」

 

 ああ、私達はきっとーーー取り返しのつかないことをしてしまったんだろう。

 

 軍神ロゼ。数年前に頭角を表したかと思えば、その後瞬く間に大出世を続け統合軍最高司令官にまで上り詰めた圧倒的実力者。その戦闘能力の高さは共同軍事演習の度に幾度となく目にしており、驕りも容赦も一切ない澄み切った純粋な気迫は、誰もが畏れ崇める“軍神”と呼ぶに相応しいものであった。そんな戦の神の怒りを買ってしまった。到底耐えられない恐怖に、ある者は膝から崩れ落ち、ある者は胃の内容物を撒き散らし、ある者は気を失ってその場に倒れ込んだ。そして、その怒りの矛先を眼前に突きつけられていたミシュラ教官は、全軍人の前だというのに失禁して足元を濡らした。

 

「あ、あ、あ……ああ……!!!」

「おい、ミシュラ。俺の恩人達に何をした? 何でシスター達が“スクラップ”に選ばれている?」

「あ、ああああっ……あ」

「それと……さっき“人道主義自己防衛軍のクソ共“とか言っていたな……」

「あ…………え……?」

 

 ロゼがミシュラ教官に背を向け、袖を通さずに羽織っていた上着を見せる。それはいつも着ている濃緑のグリディアン神殿統合軍の制服ではなく、紺色の“人道主義自己防衛軍”の制服であった。そして、風に靡く上着の胸ポケットと腕章には、“人道主義自己防衛軍ヒダネ”の紋章が陽の光を反射してギラギラと輝いている。

 

「グリディアン神殿統合軍最高司令官改め…………人道主義自己防衛軍“ヒダネ”指揮官補佐、ロゼ。お前の言うクソ共の1人だ」

 

 この言葉に、全軍人が目を剥いて驚愕した。呼吸をするのも忘れ、演習場が再び静寂に包まれる。ロゼは気を失いそうな程に青褪めているミシュラ教官を一瞥すると、ハザクラの方に目を向ける。

 

「久しぶりだな。ハザクラ。いや……総指揮官殿、とお呼びした方がいいか?」

「いいや、ハザクラでいい。堅苦しい上下関係は好きじゃない」

「そうか」

 

 ロゼはシスターの方へを目を向け、心配そうに歩み寄る。

 

「久しぶり。シスター」

「はい。お久しぶりですロゼ。指揮官補佐になるなんて凄いじゃないですか」

「ただの天下りだよ……。人道主義自己防衛軍の奴らは気が良すぎる。不気味なくらいだ。そんなことより、シスター。コイツ等に何か酷いこととかされてないか?」

「そのコイツ等って言うのは……ハザクラさん達のことですか?」

「ははっ。どっちもかな」

「心配要りませんよ。私は大丈夫です」

「そうか。それならよかった」

 

 2人が少し冗談混じりに挨拶を交わすと、そこへ近くにいたゾウラが駆け寄ってロゼに挨拶をする。

 

「初めまして“軍神”さん! 私はゾウラと言います!」

「ああ、お前がゾウラか。話は聞いてる。あと、軍神ってのはやめろ」

「はい! ところでさっき“降参はしない”と言っていましたけど、ミシュラさんはもう立てないんじゃないですか?」

「あ、そうそう忘れてた」

 

 ロゼは何かを思い出してハザクラへと向き直る。

 

「ハザクラ、まずは礼を言わせてくれ。お前のお陰で、俺もザルバスも随分良い思いをさせてもらっている」

「その辺は俺よりもジャハルに言ってくれ。グリディアン神殿の制圧手順と捕虜の待遇措置を定めたのは彼女だ。俺は特に何もしてない」

「俺をヒダネに入れるよう口添えしただろ」

「適材適所だ。ヒダネは人道主義自己防衛軍の中でも瞬間火力を求められる軍団だ。ロゼのやり方に合っているだろう」

「ああ。確かに、俺向きだ。そんで一つ相談なんだが……。ちぃと胸貸してくんねぇか?」

「……特別演習の続きか? 意味があるようには思えないが……」

「意味なんかねぇよ。ただ、俺にも一応クソみたいな面子ってもんが残ってる。このバルコス艦隊軍は、俺が一昨年辺りから支配下に置いていた組織だ。確かに中身は腐ったハリボテかも知れねぇが……テメェの嘗ての部下がここまで馬鹿にされて黙ってるのも、人道的とは言い難いだろ?」

「全く同意出来ない」

「嫌ならいい。これは俺の勝手な我儘だ。上官様の命令には従う」

「そうか……」

 

 ハザクラは少し考える素振りを見せた後、視線を地面に這わせて口を開く。

 

「……ロゼの上司、現在のヒダネ総指揮官代理は誰だ? やはり前総指揮官のオルカイディスか?」

「ああ、そうだ。あのデブ猫サボり魔どうにかしてくれよ。雑用全部押し付けられて困ってる」

「そうか……なら、まあ」

 

 ハザクラは頷いてラデックの方へと歩いて行き、ミシュラ教官を連れて演習場の外へ出るよう顎をしゃくった。

 

「彼女の指導内容に少し興味が湧いた。相手しよう」

「助かる」

 

 ロゼが微笑みながら演習場へと歩いて行き、ハザクラの正面に立って睨み合う。つい先程まで、全軍人が待ち望んでいたハザクラの特別演習。しかし、もう誰一人として彼を笑う者は居なかった。誰もが固唾を飲んで見守る中、2人の戦いは何の合図もなく静かに始まった。

 

 先制したのはロゼ。カードデッキに手を伸ばすことなく、手品のように金属製のカードを出現させてハザクラへと射ち出す。四方からハザクラに襲いかかるカードのうち、1枚がハザクラの眼前で波導光に包まれた。彼が攻撃を警戒して咄嗟に顔を覆うと、カードは運搬魔法を発動してハザクラの体をほんの僅か空中に浮かせた。地面との接点を断たれたハザクラは身動きが取れず、残りのカードを蹴りと手刀で叩き落とす。しかし、カードは弾かれるや否や波導光を発して膨張し、巨大な火柱となって演習場に聳え立った。天を貫くような火炎の竜巻が起こり、ロゼは間髪入れずカードデッキに手を伸ばし追い打ちをかける。火柱を囲うように射出された2枚のカードは、ブーメランのように縁を描いて火柱の周囲を飛び回る。1枚は水魔法で巨大な水の球を召喚し、もう一枚が水の球を貫いてロゼの元へと戻ってくる。カードは水に濡れて尾を引き、その尾が途切れる前にロゼがカードを手にする。この瞬間、ロゼの肌と巨大な水の球は何かを解することなく接触した。

 

「“切り刻め”!!」

 

 ロゼの異能が発動する。巨大な水の球は、嘗てそこに存在したであろう物体に置換され、墜落寸前の戦闘機のプロペラに姿を変える。猛スピードで回転し突進するプロペラは真っ直ぐ火柱の中心へと向かって行き、燃え盛る空間をバラバラに切り裂いた。

 

 プロペラが地面に触れると大きく跳ね上がり、そのまま傍観している軍人達の方へと落下していく。呆然としていた軍人達が突然の流れ弾に大騒ぎして逃げ惑う傍ら、ロゼは額に脂汗を浮かべて火柱の中を見つめていた。

 

「……クソっ。ここまで差があんのかよ……!!」

 

 火柱がゆっくりと勢いを落として消えていく。その中から、ハザクラが全くの無傷で涼しい顔をしながら現れた。

 

「今のが最大火力か……。場所に依存する異能は使い勝手が難しそうだな」

 

 ハザクラが徐に手元に魔法陣を組み始める。恐ろしく悠長な攻撃の構えで、ロゼに半ば強制的な力比べを持ちかけた。ロゼは舌打ちをしながらもこれに応え、同じように魔法陣を展開する。

 

「クソが……!! 人道主義自己防衛軍ってのは、どうしてこうも戦い方が厭らしいんだ……!!」

「それはロゼが格下だからそう感じるだけだ。観察されるのが嫌なら強くなればいい」

「正論かますなクソがっ!!」

 

 ロゼが最大まで威力を高めた渾身の一撃を放つ。手元の魔法陣が大きく広がって、そこから大木のように太い紫色の光線が生成される。それは轟音と共に電撃と火炎を纏い、巨大な龍のように地を穿ってハザクラへと襲いかかる。

 

 今度はそれを迎え撃つ形でハザクラが魔法を発動する。魔法陣が手元を離れて地面に広がり、猿のような巨大な石像を呼び出した。猿の石像はロゼの光線を腹で受け止め、そのまま少しだけ腕を引いてから前方へ掌底を打ち込んだ。その一撃は空間を揺らすような衝撃と共に、ロゼの放った光線を蝋燭の火を吹き消すように掻き消した。その衝撃の余波はロゼ本人のところまで届き、ロゼはほんの数歩後退りして大きく吐血する。

 

「がっ……は……!!!」

 

 内臓を激しく揺さぶられたロゼはそのまま前方へ倒れそうになり、すんでのところで片膝をついて堪えた。

 

「はぁっ……はぁっ……ぐっ…………ぐぞったれ……!!!」

「うん。悪くはなかった。ただ、もう少し丁寧に魔法式を組んだ方がいい。手癖で属性と種類を見抜かれる。あと、もっと自分を信用しろ。オルカイディス総指揮官代理に言われなかったか?」

「ゲホッ……ゲホッ……い、いきなり言われて出来るかよ……!! お前等はもう少し、正しさっつーもんについて、よく考えろ……!! お前等が思ってる程、“正しさ”っつーもんは“正しくない”……!!」

「ああ。知ってる」

「タチが悪ぃ……!!」

 

 ロゼは再び大きくえずいて血を吐き出すと、亡者のようにゆらりと立ち上がって空を仰ぐ。そして、少し離れたところで依然として腰を抜かしているミシュラ教官の元へフラフラと歩いて行き、彼女を虚な目で見下ろす。ミシュラ教官が血相を変えて後退ると、ロゼは強化魔法で声の音量を上げ、ミシュラ、そして全軍人に向けて呼びかける。

 

「あ、あー、ゲホッ!! ゲホッ! っ……ああ……。見ての通り、我々は敗北した。よって、ハザクラ并に同行者3名に“竜の調査任務”を割り当てるように」

 

 満身創痍のロゼの指示に、軍人達は怯えながらも顔を見合わせて響めく。未だロゼの足元で泣きべそをかいているミシュラ教官ですら、素直に首を縦に振ることなく目を泳がせている。それを見ると、ロゼは虫ケラを見るような眼をより細めて一歩横にズレる。

 

「不服か? ミシュラ。ならお前がリベンジしろ。ラデック、もう一回相手してやってくれ」

「え、俺か?」

「別にゾウラでも、この際シスターでも構わない。どうせマトモな勝負にはならんだろう。ほら、ミシュラ。口利いてやったぞ。さっさと立って構えろ」

「ミシュラ教官を脅かした俺が言うのも何だが……ロゼ。少しやりすぎじゃないのか?」

「やりすぎ? この程度で? 頬の一発もぶたれずにやりすぎだと? ラデック、お前が受けた仕打ちはこの程度だったのか?」

「俺と彼女じゃぁ苦痛の度合いが……」

「それとこれとは話が別だ。虐めるのはいいが、虐められるのは嫌だ。そんな我儘、軍隊で認められるわけがない」

 

 ロゼは大きく息を吸い込んで、周囲の軍人達にも叫び始める。

 

「ほらどうしたバルコス艦隊のゴミ共!! 文句があるなら力で示せ!! お前等の大好きな馬鹿でも分かる実力主義だろうが!! ハザクラに竜の情報渡したくねぇって奴は一歩前に出ろ!!」

 

 しかし、ロゼの声に応えるものはおらず、それどころか辺りからは靴を地面に擦り付けて後退る音が聞こえ始める。ロゼは呆れて溜息を吐き、帽子を目深に被ってハザクラの方へ向き直る。

 

「……手合わせ、ありがとうございました」

「随分律儀だな」

「育ちが良いもんでね。じゃあ、俺はこれで戻るとするわ。シスターのこと、よろしく頼むな」

「ああ、任せろ」

 

 ロゼの去り際、シスターが駆け寄って手を握る。

 

「あまり無茶はしないでください……。私は平気ですから……」

「……シスター以上の無茶なんか、弱虫の俺にはできっこないよ。……旅が終わったら、また一緒に飯食いに行こうな」

「ロゼ……。はい、必ず」

「じゃあね。シスター」

 

 後ろ手を振って去って行くロゼを、シスターが手を振って見送る。ハザクラは疑念と敵意と恐れに満ちた崩壊した演習場を眺め、小さく呟く。

 

「ふむ……少し派手過ぎる気もするが、まあ良しとしよう」

 

 ハザクラは座り込んでいるミシュラ教官の元へと歩み寄り、しゃがんで彼女の顔を覗き込む。

 

「さて……じゃあ約束通り、竜の情報を渡して貰おうか」

「ぐっ…………!!!」

「嫌ならもう一戦付き合っても良いぞ」

「ひっ……!!」

 

 冷淡にミシュラ教官を睨むハザクラに、ラデックが呆れて文句を溢す。

 

「とても世界を救おうという正義漢には見えないな……チンピラみたいだ」

「うるさいぞラデック」

 



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112話 計画通り

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〜バルコス艦隊 中央陸軍第三作戦会議室〜

 

 ラデックがシャワーを済ませて半裸のまま作戦会議室の扉を開くと、中には仏頂面で直立したまま微動だにしないミシュラ教官と、椅子に腰掛けたまま居眠りをするハザクラと、机の上に広げたブランケットに並べたサンドイッチを頬張るゾウラの姿があった。ラデックが髪を拭きながら部屋の中に入りミシュラ教官に会釈をすると、彼女はラデックを見るや否や身体を大きく強ばらせて小さく悲鳴を上げる。ラデックは少し気まずそうに頬を掻き、席に着こうと振り向くと入口の方から長身の女性が近寄ってきた。

 

「む、こんにちは」

「………………」

「………………?」

 

 長身の女性は何も言わずにラデックの脇を素通りし、ミシュラ教官の前で立ち止まる。

 

「とんだ災難であったな。ミシュラ」

「……まったくだ」

 

 長身の女性はハザクラ達へと向き直り、酷く不服そうな面持ちで僅かに頭を下げる。

 

「バルコス艦隊中央陸軍元帥、ファーゴである……。して、竜の調査任務を希望とのことだったが――――」

 

 ファーゴ元帥は咳払いを挟み、神妙な面持ちで口を開く。

 

「残念ながら、それにお応えすることは出来ない」

 

 居眠りをしていたハザクラが目を開け、無機質な視線をファーゴ元帥に向ける。

 

「そういう約束だった筈だが……」

「反故にするつもりは毛頭ない」

「と言うと?」

「貴殿等が聞きたいのは、我が国に10年前から現れた“巨竜”のことであるな?」

「“巨竜”……まあ、そうだな」

 

 ファーゴ元帥は少し悩んでから目を閉じ、思い出話をするように遠くを見つめる。

 

「うむ。貴殿も知っての通り、我が国は古くより続く“竜然教”、竜信仰の国である。しかし他の国の宗教と違って、我々は創造論を語ることはない。竜はそこに在わすだけで我々を悪きものから守り、我々も清廉に生きることで竜の住まうこの世を正しく保つ。ただそれだけの信仰である。国民もそう信心深くない者が少なくない。複雑な儀式だとか、何かを強制する制約だとか、そういった特別なものは一切なく、ただただ真面目に生き、どこかに在わす竜を日々思い感謝をすること。この漫然とした緩やかな信仰こそ、我々の竜然教の全てである。故に…………」

 

「誰も知らぬのだ。竜のことを」

 

 ファーゴ元帥の言葉に、ハザクラは訝し気に顔を顰める。

 

「知らない? 体長20m近い未確認生命体が自国の周辺を飛び回っていて、誰一人として探求していないのか?」

「言ったであろう。竜然教は、竜に感謝して生きるだけの信仰であると。竜がどんな存在なのか、どのような見た目なのか、竜は我々に何を与え、我々は竜に何を返せばよいのか。そんなものを考える者はおらん」

「……バルコス艦隊にも生物を中心に扱う科学研究所があった筈だが」

「あそこにいるのは、殆どが他所者か斜に構えた有象無象だけである。結局、何年も研究して判明したことと言えば“竜の存在は集団幻覚ではない”などという戯言だけである」

「集団幻覚ではない……確かに、遠く離れた没落の湖にも竜の咆哮は聞こえてきた。あれは作り物ではないということだな」

「当然である。これで分かったであろう。我々から提供出来る竜の情報などない」

「分かった。じゃあ当初の約束だけ果たして貰おう」

「……? 情報は何もないと言っておる」

「俺達に“竜の調査任務”を命じろ」

「命じろと言われても……」

「内容や方向性はこっちで勝手に決める。貴方はただ、俺達に竜の調査任務を命じたことを宣言さえすればいい」

「…………はぁ」

 

 ファーゴ元帥は半ば呆れながら首を傾げる。しかし、ミシュラ教官はファーゴ元帥の襟元を掴んで思い切り引き寄せ抗議した。

 

「飲むなファーゴ!! これは我々への“侮辱”!! “降伏宣言の強要”に匹敵するものだぞ!!」

 

 ミシュラ教官の言う“降伏宣言”。それは、竜の調査任務を命じたことによる、世界各国から見たバルコス艦隊と人道主義自己防衛軍の関係性が著しく変化することに対しての言葉である。竜はバルコス艦隊の象徴。その竜の調査を他国の権力者に一任するというのは、バルコス艦隊にとってはこの上ない屈辱。また、それによって“バルコス艦隊は人道主義自己防衛軍に逆らえない”というイメージを世界に植え付けてしまう恐れがあった。

 

「しかしミシュラ……。貴殿はこの度、勝負に負けた。それを反故にしてあれやこれやと宣う方が、余程みっともないのではないか?」

「だ、だが……!!」

「それに、軍神ロゼまで圧倒的な敗北を喫してしまった。最早約束を白紙にするどころか、今後二度と彼等に逆らうことは出来まいよ」

「…………っ」

「10年前の”神鳴通り大量殺人事件”の件もある。あれだけの不可解で悍ましい事件を、我が軍は犯人の噂一つ嗅ぎつけることは出来なかった。結局右往左往しているうちに世界ギルド側の使奴達”悪魔”に管轄を奪われ、我が軍の信用を大きく傷つけた。もう、我らバルコス艦隊軍の味方をする者はおるまい」

「あれはっ……!! そもそも捜査がまだ途中だっただろう!!」

「その言い訳に誰が耳を貸すかね」

「ぐっ……!!」

「世界ギルドに負け、人道主義自己防衛軍に負け、グリディアン神殿にも見捨てられた」

「まだ、まだ終わってないだろう……!!」

「いや、終わりである。ミシュラ。我々は負けたのだ」

 

 ミシュラは強く歯を食い縛って顔を伏せる。ファーゴ元帥はハザクラに目線を戻し、威圧するように重く口を開く。

 

「しかし、だからと言って全てが思い通りになると思うな。ハザクラ。貴殿の要求が一線を超えた時、我は全力でこの国を護ろう。それがどんなに見苦しく醜悪なものだったとしても――――!!!」

「いい心構えだ」

 

 ハザクラは徐に立ち上がり、会議室の外へと歩いて行く。

 

「では、宣言は明日の朝礼で」

 

 その後に続いてゾウラが退出し、ラデックもシャツに袖を通しながら会議室を出て行く。2人取り残されたファーゴ元帥とミシュラ教官は、互いの顔を見ることなく出口の方を見つめている。

 

「……すまない、ファーゴ。勝手なことをした」

「そこが貴殿の良いところである。昔の引っ込み思案から、随分と成長した」

「私があんな勝負を受けなければ、こんなことには……」

「どの道こうなっていたであろうよ。彼等には、それを成し遂げるだけの力がある。まあ、この先は我に任せておけ。貴殿は充分働いた」

「……すまない、ファーゴ。君には助けられてばかりだ」

「何を言うか。我も、貴殿に随分救われておるよ」

「そうか……ありがとう」

「うむ」

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍食堂〜

 

 ラデックが食事を受け取りにお盆をもって受け取り口にくると、配膳係がビクっと身体を震わせて慌てて食事を持ってくる。山盛りの白米に、瑞々しいサラダとスパイス香る分厚いステーキ。スープにデザート。更には袋に入ったよく冷えた缶ビールまで支給された。

 

「…………先日のミミズ定食とは雲泥の差だな」

 

 ラデックの呟きに配膳係は再び身体を大きく震わせ、逃げるように奥の部屋へと駆けて行った。ラデックが席を探そうと振り向くと、近くにいた軍人達が皆怯えて後退り、海を割るように道が作られる。その中をラデックは気まずそうに進み、ハザクラ達のいる席を見つけて近づく。

 

「少し脅かし過ぎたかも知れない」

 

 ラデックは席に着いてステーキをナイフで切り分ける。ふと、お盆の外へチラリと視線を向けると、ハザクラとゾウラのお盆にも同じように豪華な献立が輝いているのが見えた。そしてラデックは、仲間が1人足りないことに今更気がついた。

 

「あれ、シスターは?」

 

 ラデックの問いに、口一杯にステーキを頬張っているゾウラが答える。

 

「シスターさんなら、ロゼさんが立ち去った直後にカガチ達のいるホテルに戻りましたよ。ナハルさんから呼ばれたそうで」

「そうか。じゃあ竜の調査任務は俺とハザクラとゾウラの3人か?」

「いえ、後で合流すると仰っていたので、明日の朝には戻るかと」

「じゃあシスター帰ってきたら俺抜けてもいいか?」

 

 ラデックがハザクラの方へ目を向けると、ハザクラはデザートのケーキを齧りながらギロリと睨み返した。

 

「……駄目か。ケチ」

 

 ハザクラは口元を丁寧にナプキンで拭い、空になった食器を持って立ち上がる。

 

「ラデック達にはまだ頼みたいことが多く残っている。特に今回はゾウラ、君にはちょいと大仕事を頼む予定だ。頼りにしているぞ」

「はい! 頑張ります!」

 

 ゾウラが元気よく返事をすると、ラデックはやる気満々のゾウラを少しだけ恨めしそうに睨んだ。

 

「どうかしましたか? ラデックさん」

「…………ゾウラが反対してくれれば2対1だったのにと思ってな」

「反対? どうしてですか?」

「さっさとホテルに戻って朝食バイキングしたいだろう」

「ここのご飯も美味しいです!」

「博物館行きたいだろう!」

「大っきい竜も楽しみです!」

「君のポジティブさが今だけ恨めしい……!」

「ごめんなさい!」

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍修練場〜

 

 背の高い壁に囲まれた屋外の修練場。そこで中将クラスの軍人達が、ミシュラ教官を取り囲むように立っている。そして皆一斉に魔法を発動し、霊体人形の兵隊を生成してミシュラへと突撃させる。ミシュラ教官は小さく息を吐いて身を屈め、目にも止まらぬ速さで槍を突き出し兵隊を粉々に破壊していく。そして最後の兵隊が破壊され霧となると、その勢いのまま今度は術者である中将達へと斬りかかった。

 

「ミっミシュラ教官っ――――!? があっ!!!」

 

 1人が側頭部を強打され倒れ込むと、他の中将達は慌てて構えて反撃を試みる。しかし誰一人としてミシュラ教官の攻撃を躱せる者は居らず、次々に渾身の一撃を食らって薙ぎ倒されていく。

 

「はぁっ……! はぁっ……! 何を狸寝入りしている!! 立てゴミムシ共!!」

 

 ミシュラ教官が中将の1人の胸倉を掴み無理矢理立ち上がらせると、修練場の入り口からファーゴ元帥が近づいてきた。

 

「……先の特別演習で貴殿を笑った者達か。治せない外傷は作るでないぞ」

「黙っていろファーゴ……!! これだけ手加減して拵えた怪我など、慢心の証のようなものだ!! もし役に立たなくなるようであれば、四肢を切り落として囚人用の慰安婦にでも堕としてやる!!」

「ファ、ファーゴげ、元、帥……!! た、助けて下さ……!!」

「自の師を笑った罰である。甘んじて受け入れよ」

 

 ファーゴ元帥は血塗れで泣き崩れる中将を冷たく見下ろし背を向ける。

 

「ミシュラ。同じような愚図はあと何人であるか?」

「あぁ……!? はぁ……はぁ……あと、少なくとも30人は”追試“の予定だ……!!」

「そうか。であれば貴殿の明日の朝礼は出席を免除しよう。我が代わりにハザクラ達の件について皆に説明をする。貴殿は追試に集中すると良い」

「はぁ……はぁ……。ああ、任せた。ファーゴ」

「うむ」

 

 ミシュラ教官は大きく息をつくと、端の方で気絶したフリをしている中将の1人に勢いよく飛び乗って腹を踏みつけた。

 

「がああああっ――――!!!」

「何をサボっている愚図が!! 寝たフリする知恵があるなら爆発魔法の一発でも放ってみろ!!」

「がはっ!! ファ、ファーゴ元帥っ!!! 元帥っ!!! 助けっ助けて下さいっ!!!」

「貴様如きが元帥の意志を遮るな!!! 叫ぶ元気があるならさっさと立て!!!」

「ぎゃああああっ!!! 足がっ!!! 足が折れてるんですっ!!! いいい痛いっ!!!」

「ああ!? 足が折れたから何だ!!」

「助けてっ!!! 誰か助けてぇっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜???〜

 

「なんか今呼ばれた気がするな……。はぁ〜頼れる優しいスーパーヒーローは辛いねぇ。そんなことはさておき……皆さんお待ちかね、悪党拷問のお時間ですよ〜っと」

 

 暗闇の中、紫色の髪を靡かせる赤角白肌の怪物が、昏睡状態で椅子に縛られている人物の頬を優しく撫でる。そして、その長い前髪をどかして彼女の風貌を露わにする。

 

「ひひひひ……楽しみだねぇ。ロゼちゃん」

 



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113話 極秘資料

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〜薄暗い鉄の部屋〜

 

「ん……う……」

 

 暗闇の中、ロゼは目を覚ました。目が光に慣れるよりも早く、身体の違和感が覚醒を促す。両手足が縛られている――――。恐らくは椅子に座らされ、手を後ろで組んで指を一本一本複雑に縛られている。ロゼは周囲にいるであろう何者かに覚醒を悟られないよう寝たフリをしながら、ソナーの代わりに波導を薄く広げて放った。

 

「おはよう。ロゼ最高司令官」

 

 聞き覚えのある声。ロゼは“彼女”に寝たフリは通用しないと気付き、小さく舌打ちをして顔を上げる。

 

「ラルバ――――!!!」

「あれ? 今は指揮官補佐だっけ? 天下りとは随分厚かまし……いやはや逞しいですなぁ!」

「テメェ……これは何のつもりだ?」

「んー?」

 

 ラルバは唯一の光源である古びたランプを壁から外して、錆の匂いが充満する部屋をうろうろと歩き回る。

 

「何のつもり――――って言われてもねぇ」

 

 そして、反対側の壁にもたれ掛かって、同じく椅子に拘束されている人物の姿を照らし出す。

 

「君を拷問するつもりですけど」

「シスター!!!」

 

 椅子に拘束されていたのはシスターであった。彼は怯えることなく、近づいてきたラルバを怪訝そうに睨みつける。

 

「ナハルが呼んでいると言うのは嘘ですか。ラルバさん」

「うん。それどころか、今頃ハピネス達に諭されて嫌々ピクニックに出かけているんじゃないかな。助けは来ないよー」

「そうですか。では、反撃も自由ってことですよね」

「ひゃーおっかない! くわばらくわばら〜」

 

 ラルバは大きくおどけてシスターから離れる。そして片足でぴょんぴょんと跳ね回りながら笑い出す。

 

「怖いねぇ怖いねぇ。でもでも、私の方がもぉ〜っと怖いんだなぁ」

 

 奇妙な姿勢で踊りながら北叟笑むラルバに、ロゼは若干軽蔑の篭った疑念の目を向ける。

 

「テメェ……何が目的だ」

「目的? そりゃあ正義の名の下に悪人をギッタンギッタンのケチョンケチョンに懲らしめるのが目的だけど」

「クソっ……聞くだけ無駄か……」

 

 ロゼが拘束を解こうと異能の発動を試みる。しかし――――

 

「ぎっ――――!?」

「あー、やめた方がいいよ」

 

 異能を発動させた瞬間、ロゼの手首に激痛が走った。異能を発動したロゼ本人からはそれが何かは見えなかったが、凄まじい高温による痛みだと言うことは理解できた。

 

「ここは廃棄された大溶鉱炉の中だよ。大戦争以前から最近までずーっと使われてたから、ロゼの異能で何かを置換しようとするならドロッドロに溶けた鉄くらいしか呼び出せないんじゃない? やめた方がいいと思うなぁ」

「テメェ……!!」

「あーははは。怒ってる怒ってる」

 

 ロゼが鬼の形相でラルバを睨みつける。その様子を、シスターは静観しながらゆっくりと口を開いた。

 

「ラルバさん。一つお聞きしてもいいでしょうか」

「んあ? なぁにシスターちゃん」

「先程悪人と仰っていましたが……それはロゼのことですか?」

「そうですよ? シスターちゃんは舞台装置なんでご心配なく」

「もしロゼの行っていた悪党の統治のことを悪行と言っているなら、それは間違いです。彼女は悪を統括することで新たな悪の発生と拡大を未然に防いで――――」

「あーそうじゃないそうじゃない」

 

 ラルバはしたり顔で手を振り否定のジェスチャーをする。

 

「そんなの私だって分かってるよ。私が言いたいのはー……これ!!」

 

 ラルバはどこからともなく手帳を取り出し、2人の前に見せびらかす。

 

「……? なんですか? それは」

 

 シスターは訝しげに首を捻るが、ロゼは目を大きく見開いて硬直した。彼女は、その手帳に見覚えがあった。

 

「そ、それ……まさか……」

 

 ロゼが顔を青くしながら無意識に呟くと、ラルバはにぃっと笑ってロゼを睨む。

 

「内戦の火事で燃え尽きたと思った? そんなまっさかー。私がこーんなオモシロ放っておくわけないじゃーん」

「やめろ!! それを開くな!!」

「どうしよっかなー? どうしよっかねー?」

「頼む……やめろ!!!」

 

 顔面蒼白で椅子を揺らすロゼに、それを楽しげに眺めて戯けるラルバ。シスターは何が起きたのか全く分からず目を泳がせるが、ロゼの反応からそれが恐ろしいものであると予感していた。

 

「読んじゃおっかなー? チラ? チラ?」

「やめろ!!! 読むな!!!」

「ああ〜指が勝手に〜」

「やめろぉぉぉぉおおおおおお!!!」

 

 ロゼの絶叫が響く中、ラルバはなぜか照れ臭そうに手帳を捲った。そして、その中の一文をミュージカルの台本のように読み上げた。

 

「今日はシスターに着替えを見られた。すごい恥ずかしかったけど、少し嬉しい」

「あああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 その内容は、ロゼの少々歪んだ“片想い日記”であった。

 

「顔を真っ赤にして謝るシスターの姿に罪悪感を覚えたけれど――――」

「ああああああああああああああああ殺すっ!!! 殺す殺す殺す!!!」

 

 片想いしているシスターの前で日記を読み上げられたロゼは、先程の青褪めた表情から一変して顔から火を出し、拘束を解こうと縄が指に食い込むのも躊躇わずに身を捩る。しかし大蛇のように太く強靭な荒縄はびくともせず、暴れた反動で椅子ごと地面に倒れ込んでしまった。それでもラルバは日記を読むのをやめず、シスターの隣で明瞭な発音と心の籠った演技で朗読を続ける。

 

「診察の時に胸元からシスターの服の中が見え――――」

「死ねっ!!! 死ねっ!!! 死ね死ね死ね死ねっ――――!!!」

「マスクを忘れて行ったようで……え? ロゼちゃんマスクなんかパクっちゃったの? 流石に引くわ」

「ぎゃあああああああああっ!!!」

「ばっちよぉもう。あ、でも日付が2年前だから当時ロゼちゃん17歳か。17? いやいやいやいやダメでしょ。どっちみちアウトじゃん。倫理観大事にしろよ倫理観をよぉ」

「死ね……!!! 死ね……!!!」

「使奴は死にませーん」

 

 ラルバの朗読と解説、それを掻き消そうとロゼが絶叫を上げる中。シスターは一切の思考を止めることに専念し、マネキンのような無表情のまま出来るだけ時間が早く過ぎることを祈った。

 

 

 

 朗読会が始まって1時間以上が経過し、ラルバが手帳をパタンと閉じて大きく背伸びをした。

 

「と、言うわけで。第一部、完!! いやあキモかったですねえ。続編の発表が待ち遠しいですなぁ」

「殺す……殺す……」

 

 ロゼは椅子に縛られたまま地面に倒れ込み、鼻水と涙を垂れ流しながら歯を食い縛っている。ラルバはその情けない様を見つめて満足そうに頷くと、折れそうなほど大きく腰を曲げてロゼの顔を覗き込んだ。

 

「ひひひひ。片想いの相手に陰湿なセクハラ紛いの変態行為をするような“悪党”が苦しむ様はいいもんだねぇ。何回見ても飽きないよ」

「殺す……」

「いいのかなぁそんな口利いちゃって」

 

 ラルバの言葉に、ロゼがびくっと身体を震わせる。するとラルバはニィっと笑って、どこからともなく紙の束を取り出した。

 

「おま、おま、え……それ……」

「こっちが本命に決まってるじゃな〜い。君の素敵なコ・レ・ク・ショ・ン」

 

 ラルバがシスターに見えぬようロゼだけに紙を見せる。そこには、ロゼが魔法で撮影したシスターの隠し撮り写真が大量に貼ってあった。

 

「あ……あ…………」

「片想いド変態クズ日記はシャレで済んでも……こっちはちょっと、ねえ?」

 

 ロゼは怒りを通り越して絶望に顔を歪め、世界の終わりを見届けるような眼差しでラルバを見つめる。それにラルバはにっこりと笑って応え、紙の束を懐へと仕舞う。

 

「脅しは実行の意思と説得力を示さなきゃ意味がない。さあロゼちゃん。私のお願い、聞いてくれるね?」

「………………」

 

 ロゼは小さく頷いた。

 

「10年前の“神鳴(かんなり)通り大量殺人事件”のことを調べたい。バルコス艦隊に口利きして頂戴な?」

「…………それだけ、か?」

「え? うん」

 

 ロゼは唇を噛んで瞳を震わせる。

 

「おまっ……そんなの……お前一人で勝手に出来るだろ……!!!」

「えー。今はあっちハザクラ達がなんかやってるから邪魔できないじゃーん」

「お前がそんなこと気にするかよ!! テメェまさか……!!!」

「うん。このオモシロ日記読み上げたかっただけだよ」

「――――――――――――っ!!!」

 

 ロゼは涙を流しながら力なく倒れ込んだ。

 

 

 

〜バルコス艦隊 中央陸軍金庫室〜

 

「で、何で私なんだ」

「え、暇そうにしてたから」

 

 ラルバはカガチと2人で中央陸軍の金庫室に来ていた。2人は目ぼしい資料を引っ張り出してはパラパラと捲り、無造作に足元へ積み上げている。カガチは不満を漏らしながらも、ラルバに指示された通り“神鳴(かんなり)通り大量殺人事件”に関する情報収集を手伝っている。

 

「こういう時のためにイチルギがいるんじゃないのか」

「バルコス艦隊は平和協定非加盟国。世界ギルドと仲が悪い」

「それの何が問題なんだ」

「嫌がらせされるの可哀想じゃん?」

「お前の旅に同行させる方が可哀想だ」

「同行させたのは実質ヴァルガンらしいからノーカンで」

「じゃあバリアでも連れてくればよかっただろう」

「寝てた」

「じゃあ私も寝る」

「起きて」

 

 カガチは呆れて溜息を吐きながらも、淡々と資料を読み続け重要度順に並べ替えている。ラルバは重要度が高いと思われる方から資料を手に取り、ニコニコと笑い楽しそうに頭を振る。

 

「悪態吐きながらもちゃーんと手伝ってくれるのねぇ。カガっちゃんやっさしーい」

「やる意味もないが、やらない意味もないからな」

「なになに? こないだの遊園地よっぽど楽しかったからそのお礼ってわけ?」

「私が手を貸すことに好感度は関係ない。お前への好意は出会った時と変わらずゼロのままだ」

「それはそれで気持ち悪いね……。自分には全く利益ないのに手伝ってくれるんだ。ゾウラから徳でも積むように言われたの?」

「善行だったらとっくにお前を殺してる」

「それもそうだねぇ」

 

 ラルバは資料を無造作に放り投げて、何かを睨むように頬を掻く。

 

「ところでカガチん」

「何だ」

「これさ……馬鹿にされてる?」

「ああ、されているだろうな」

「…………ムカつくねぇ」

「短気だな」

 

 放り投げられた資料から、元は黒塗りで埋め尽くされたページがバラバラと雪崩落ちていく。使奴の精密な色彩魔法によって黒塗りを剥がされた機密文書は、カガチに蹴飛ばされ金庫室の廊下にヒラヒラと舞い上がった。

 

 “今回の神鳴(かんなり)通り大量殺人事件による死亡者数は、計32名。唯一の生存者であるファジット少年8歳は、取り調べが行われた2時間後に控室から脱走。その後行方が分からなくなっている。また、世界ギルドより任命された使奴の調査により、足跡から導き出した歩き方や現場に残されていた波導パターンによる個人特定が行われた。その結果、犯人は過去の海呼街(うみこがい)大量殺人事件や金床街(かなとこがい)連続殺人事件の犯人と同一人物である可能性が極めて高いとされている“。

 

不運(ガルーダ)の奴……捜査を撹乱するために無駄に殺しやがったな。これも不運ってか〜?」

 

 



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114話 この上ない不運

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〜バルコス艦隊 海呼街(うみこがい)8番地〜

 

「ごめんくーださーい」

 

 ラルバが陽気な声で扉をノックすると、気弱そうな壮年の男性が扉を開けた。

 

「は、はい……どなた?」

 

 するとすぐさま開いた扉にカガチが足を差し入れ割り込んだ。

 

「カガチだ。ガレンシャに用がある」

「ひっ……! あ……」

「やめて下さい!!」

 

 部屋の奥から1人の女性が叫んで男性の腕を引いて背後へと隠す。女性は“真っ黒な角膜と青い瞳”でカガチを睨み、唇だけを動かして「外で待ってて下さい」と指示をした。

 

 ラルバとカガチが大人しく家を離れて待っていると、数分遅れて先程の女性が姿を現した。そして周囲を警戒するように辺りを見回すと、ラルバ達を睨んで口を開く。

 

「場所を変えて下さい」

 

〜バルコス艦隊 海呼街(うみこがい)裏通り〜

 

「何なんなのよ急に……!! 私達の生活は邪魔しないって約束じゃない!」

 

 沈黙派の使奴“ガレンシャ”は、嘗てヴァルガン達と交わした約束を反故にされたことについて怒りラルバを睨む。

 

「あはは〜ごみんにぃ〜。私その沈黙派だの隠遁派だの知ったこっちゃないのよぉ〜」

「何それ……旦那は私が使奴だって知らないのよ!? もし知られたら何て思われるか……。カガチも何で止めないのよ! 貴方隠遁派でしょ!?」

「私とて止められるならばそうしたい」

「はぁ……!?」

 

 訳がわからず取り乱しているガレンシャに、ラルバがケラケラと笑いながら手を振る。

 

「まあまあ。私はちょーっと聞きたいことがあるだけだから、答えてくれれば変なことしないよ」

「……手短に済ませて」

「あいあい〜。あのさ、10年前の“神鳴(かんなり)通り大量殺人事件。世界ギルドから派遣された使奴って……君だよね?」

「そうよ。この辺に暮らしてる沈黙派の使奴は私と他に15人くらいだけど、私の負担が極端に少なかったから。多少のリスクは抱えてても引き受けたの。その時の資料なら中央陸軍に保管されてるでしょ。そっち見なさいよ」

「そっち見てきたんよ。でさぁ。アレ、確実に真犯人分かってる感じだったよね? 何で言及しなかったの?」

 

 20年近く前から増加していた大量殺人や連続殺人といった凶悪犯罪の殆どを、バルコス艦隊は大した進捗もなく放置し続けていた。それを見かねた世界ギルドはガレンシャに声をかけ、当時発生したばかりであった神鳴(かんなり)通り大量殺人事件の単独捜査を指示した。当時のバルコス艦隊が行った捜査は、犯人のものと思われる足跡や毛髪等による物的証拠を中心としたものであった。それに対しガレンシャが行ったのは、現場の残留波導の検査である。残留波導とは、魔法を使えば必ず発生する波導の細かい乱れのこと。この残留波導のパターンはDNAや指紋と同じく、個人を判別出来る程の細かい違いが存在する。

 

「でもさぁ〜、その特定出来た犯人と思しき人間。発表されてなかったんですけど〜?」

 

 ガレンシャが行ったもう一つの捜査は、使奴の桁外れた思考力と無尽蔵の体力に物を言わせた単純極まりない総当たり攻撃である。国内を隅から隅まで三日三晩走り回り、現場に残されていた残留波導と同じパターンの波導を探し当てるというもの。

 

「で――――、ここで捜査が打ち切られてるってことは、見つかったんだよね? 犯人」

 

 ガレンシャは小さく首を縦に振る。

 

「ええ、見つかったわ」

「じゃあ何で発表しなかったのよ」

「明らかに誘導されている気がしたから」

 

 ガレンシャの言葉に、ラルバとカガチが同時に眉を顰める。

 

「そも残留波導は決定的な証拠じゃない。犯人が誰かの作った魔法陣を使用した可能性もある。今回検出された残留波導は、当時バルコス艦隊中央陸軍大将だったミシュラのものだったわ」

「へぇ……あのトンチキの」

「そう、あのトンチキの。でも、彼女を犯人と仮定すると色々不都合が出てくる。彼女は当時完璧なアリバイがあったし、彼女の作った魔法陣は大将連中が管理していて(いずれ)も盗み出されたという報告はなかった。それに、ミシュラは軍での成績こそ良いものの応用力に欠ける。だから彼女は陥れられた人物と仮定して捜査を進めたわ。でもそれにしたって――――」

「ファジット少年の家族の惨殺は不可能?」

「――――っ?」

 

 ガレンシャの話にラルバが横槍を入れると、ガレンシャは意外そうな顔をして言葉を止める。

 

「…………ええ、そうね。神鳴(かんなり)通り大量殺人事件唯一の生存者のファジット君。彼の一家を襲撃するには、彼の家族の戦闘力を上回らなきゃいけない。彼の母親は合気武術の師範だし、父親は男子レスリングのバルコス艦隊チャンピオン。祖母は元陸軍中将。例え犯人が最も優秀な軍人だったとしても、彼等を一方的に殺害する力があるとは思えない。それに彼等の家から数軒離れた場所にあるジャラワさん達4人の殺害も同じくらいに難しい」

 

 ラルバはカガチの方へニタァっと笑顔を向けた後、ガレンシャの方を向いて問い掛ける。

 

「じゃあさじゃあさ、そのファジット君の家族とジャラワさんの家族の惨殺事件が、神鳴(かんなり)通り大量殺人事件とは一切関係のない、偶然同時に起こっただけの事件だとしたら?」

「は、はあ? そんな訳ないでしょ……。犯行タイミングも殺害の手口も全く一緒なのよ? どういう偶然よ……」

「不運だよ。この上ない不運。ねえねえ、そしたらどうよ」

「ん〜……、そうしたら……? そうしたら……そうねぇ……まだ色々疑問は残るけど、当時可能性が最も高かったのは――――――――

 

 

〜バルコス艦隊 蛇洗(へびらい)川〜

 

 バルコス艦隊南東に位置する“竜宮山(りゅうぐうやま)”。そこには古くから竜が住むという言い伝えがある。その昔、竜宮山(りゅうぐうやま)の湧水で竜が好物である蛇を洗っていると、幾つかの蛇が竜の元から逃げ出してしまった。

 

「そうして川を下ってここまで辿り着いた蛇を、ありがたがって祀り食す文化が根付いたそうだ」

 

 ハザクラが説明を終えると、シスターは怪訝そうな眼差しで膝に乗せた丼に視線を戻す。

 

「蛇……これは、鰻……ですね……」

 

 蛇洗(へびらい)川の岸辺には多くの屋台が店を構え、“蛇”の蒲焼きだの肝焼きだのと多種多様な料理を売り、大勢の客で賑わっていた。他にも菓子や玩具と言った屋台も多く立ち並び、宛ら縁日のような雰囲気に包まれている。ベンチに腰掛けるシスターとハザクラの元へ丼片手にラデックが歩み寄り、どこかで買ってきたのか強烈なバターの香りを放つ巨大なタルトを咥えてシスターの隣へと腰掛けた。

 

「何だシスター。欲しいなら自分で買いに行ってくれ」

「いえ……ラデックさん、よく食べますね……」

「ここ数週間碌なものを食べていなかったからな。食える時に食いたいものを食えるだけ食う」

「はぁ……」

 

 するとそこへゾウラが小走りで駆け寄ってきて、見せびらかすように持っていた鰻のぬいぐるみを掲げた。

 

「見て下さい!! さっきそこのクジ屋さんで当てたんですよ!! 2等です!!」

「ゾウラさん、ずっと楽しそうですね」

「はい? はい! ずっと楽しいです!」

「それは何より……」

 

 ハザクラは空になった紙皿をゴミ箱へと放り投げると、ハンカチで口元を拭ってゾウラに目を向ける。

 

「さて、休憩は終わりだ。今回の用件を伝える」

 

 ハザクラは足元に置いていた大きな魔袋を持ち上げ、中から巨大な装置を取り出した。黒光する長方形の箱からは、上部に向かって光の枝が数本伸びて風に靡いている。

 

「これは“霊響(れいきょう)測距(そっきょ)装置“。波導を放射して、その反射で魔力を含んだ対象物との距離を測る装置だ。これをあちこちで起動させて範囲内を立体的に測定する」

 

 話を遮るようにラデックが立ち上がり、嫌そうな顔をしながら装置とハザクラを交互に睨んだ。

 

「……ハザクラ。これの測定可能距離は?」

「2kmだ」

「装置の数は」

「一個だけだ」

「ラルバを呼んでくる」

「まあ待て。確かに測定範囲は狭いし、機械を何度も運んで移動する必要はあるが――――」

「ラルバを呼んでくる」

「最後まで話を聞け」

 

 背を向けて歩き出すラデックの首根っこを、ハザクラが引っ張って制止する。

 

「ゾウラ」

「はい! 何でしょう!」

「君は水と同化出来る異能だと言っていたが……当然装備も同化出来る。そうだったな?」

「はい! じゃないとすっぽんぽんになっちゃいますからね!」

「と言うことは、この装置を魔袋に入れて持ち物に加えれば、装置ごと水に溶け込める」

「そうですね。あ! そういうことですか?」

「そういうことだ」

 

 ハザクラは川の方へ歩いて行き、爪先で水面を撫でた。

 

「君の異能は単なる変異ではなく、水辺限定の瞬間移動としても使える。スヴァルタスフォード自治区でも、襲撃者からの逃亡に風呂場から海岸まで瞬間移動をして見せたそうだな。それを利用して、この機械でここら一帯をスキャンしてきて欲しい」

「おお! ナイスアイデア! ……なんですけど、一個質問いいですか?」

「なんだ?」

「それって、スキャンをしている間は竜がじっとしている前提ですよね? 動いちゃったらどうするんですか?」

「竜は目撃情報が極端に少ない。目撃されていないうちはどこかでじっとしている可能性が高いと踏んだ。それに、この方法はあくまでもプランA。次の方法を考えている間に取り敢えず実行出来るというだけで確実な方法ではない」

「プランA! カッコいい!」

「かっこいいか?」

「行ってきまーす!」

 

 ゾウラは機械を魔袋に仕舞うと、勢いよく川へ飛び込んで姿を消した。そして、その直後に水面から再び姿を現す。

 

「これってどうやって使うんですかー?」

 

 

 

 ゾウラがハザクラに操作方法を教わり、再び姿を消してから数十分が経過した。ラデックが紙皿いっぱいのミートパイをもそもそと頬張っていると、突然川の方で大きな水飛沫が上がる音が聞こえてきた。

 

「終わりましたー!」

 

 水から出てきたというのに髪の一本も濡れていないゾウラが笑顔で駆け寄ってきて、ハザクラの前で魔袋を広げる。

 

「ここら一帯という話でしたが、割とサクサク行けたので山の上まで行ってきました! ラデックさんのそれ、何ですか? 美味しそう!」

「ご苦労様。これはトゥルティエールと言うらしい……まあ挽肉多めのミートパイだ。ネギ山盛りで美味いぞ。ほれ、あーん」

「あー……んっ! んんっ! 美味(おい)ひいれす!」

 

 ゾウラが嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる横で、ハザクラが機械を起動してデータを読み込んでいる。彼は暫くモニターを眉間に皺を寄せて眺めた後、誰にも聞こえないように小さく溜息を吐いてから顔を上げた。

 

「お手柄だ、ゾウラ。山の上にそれっぽい影がある」

「ん!? 本当れすか!? むぐむぐ……んふふふふっ。行った甲斐がありました!」

 

 ゾウラはミートパイを飲み込んでから両手で頬を覆い、まるで少女のように喜んだ。しかしハザクラは打って変わって仏頂面のまま背を向け、機械を仕舞ってから足速に歩き出す。

 

「手間が省けた。皆、出発するぞ」

「待ってくれハザクラ。奥の方に果物詰めた水餃子みたいなやつがあったからそれも――――」

「帰ってからにしろ」

 

 ラデックは後ろ髪引かれながらもミートパイを掻き込み、駆け足でハザクラの後に続いた。

 

 

~バルコス艦隊 蛇洗(へびらい)林道~

 

 いつもよりも速いペースで進んでいく中、シスターが何かを窺うようにハザクラの横顔を盗み見た。

 

「何だシスター」

「い、いえ……」

 

 見ていることを見られていると思わなかったシスターは、思わず咄嗟に顔を逸らしてしまった。ハザクラはそのことを特に追求することもなく、視線を前に戻して歩みを進める。シスターはその様子を不審に思い、一度は飲み込んだ疑問を投げかけることにした。

 

「あの……ハザクラさん」

「何だ」

「わ、私は医者という職業柄……いえ、修道女(シスター)の真似事をしているせいか、人の心の変化を感じることがあります」

「そうか」

「何かを悔いている人、隠している人、恐れている人、疑っている人……。勝手な思い込みかも知れませんが、そういった人達は皆一様に“自分を強く信じます”。何かに脅かされ、神や医療に救いを求める時に、必ずと言っていい程に自らの罪を軽減させようとします」

「だろうな。保身は卑しい心が生む邪悪なものじゃない。毒は成分じゃなく、量だ」

「…………私にはハザクラさんが何かを悔いている、いや……“悔やもうとしている”ように見えます」

「……それはまた、特殊な表現だな」

「なので、戸惑っています。ハザクラさん。貴方は今、自分の何を信じ、何を悔やむべきだと考えているのですか?」

「さあな。シスター達を無理に付き合わせたことか、トールさんを殺さなかったことか……、パルシャを見殺しにしたことか…………。悔やむべきことは山程ある」

「隠すようなことなんですか」

「…………隠し事も山程ある」

 

 ハザクラはシスターの問いに答えることなく顔を背け、歩く速度を少し上げてシスターを追い抜いた。シスターには彼の背中がとても寂しそうに、そして恐ろしく感じられた。彼が一体何を背負っているのか、何を背負おうとしているのか。しかし、一つだけ確信していることがあった。これから彼がどの道へと進もうと、それを阻むことは決して出来ないだろうと。ハザクラの背に感じた恐ろしさの正体が、狂気じみた決意によるものだということだけは、彼の口から聞かなくとも手に取るように理解することが出来た。

 

 

 

 



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115話 竜の棲む山

いつもご愛読いただきありがとうございます。
今回の更新で毎週投稿に追いつきましたので、次回からは毎週日曜日0時(土曜日24時)に更新したいと思います。引き続きシドの国をよろしくお願いします。


〜バルコス艦隊 竜宮山(りゅうぐうやま)

 

 標高4000mを超える霊峰、竜宮山。旧文明での名称は“パナ・キャ・アヤマハマ”。遥か昔から多くの人々に愛された休火山である。その天を貫く猛々しさとは裏腹に、観光事業が始まって以来観光客や登山家の行方不明や事故死が一件もなかったことから“慈悲深き帝王”の異名を持つ。

 

 そんな慈悲深き帝王も今は昔。ハザクラ達に吹き付ける霧がかった暴風は竜の息吹の如く体力を奪い、泥濘んだ地面は侵入者を拒むように足を絡めとる。地上から10km程登った辺りでシスターは足をもつれさせて転び、倒れ込む寸前にラデックに支えられた。

 

「す、すみません……」

「無理もない。そも装備が登山用ではないし、寧ろハザクラのハイペースによくついてきた」

「いえ……これくらい出来ないと……」

「無理するな。ここからはアレだぞ、あの、高いところに行くとキツイやつになる」

「………………高山病、ですか?」

「そう。それだ。高山病」

「お気遣いありがとうございます……。でも、私はまだ大丈夫……」

 

 シスターの異変に気づいたハザクラが、途中で踵を返して2人の元へと歩み寄る。

 

「俺の異能で補助しよう。シスター」

「大丈夫です……。この程度で根を上げていては……」

「苦しむことで強くなれると思っているなら、それは大間違いだ」

「…………」

「強くなることと苦しむことは表裏一体じゃない。無論、強くなることは往々にして苦しいことではあるが、苦しいことが強くなる方法じゃない」

「……そういう訳ではないんですけどね」

「今の貴方を納得させるなら今の説明で十分だろう」

「…………」

『下山するまで気圧と温度の変化による異常を受け付けるな』

「……‥…はい」

 

 シスターは返事をした途端に容態が好転していくのを感じた。自分の中の不快感が忽ち消えていくことを不気味に感じ、改めて異能というものの異質さを認識した。

 

「ラデック、余裕があればシスターを背負ってやってくれ。俺じゃ体格が合わない」

「ああ、分かった。シスター」

「い、いや、そんなことまで……」

「気にするな。ハピネスなんか手を差し伸べる前におぶさってくる」

「あの人を引き合いに出されましても……」

 

 嫌がるシスターをラデックは半ば強引に背負い、急勾配の岩肌を軽やかに登っていく。すると、そのすぐ後ろをゾウラが楽しそうに登ってきた。

 

「私、山登りって初めてです! まだ登ってちょっとしか経ってないのに景色が綺麗ですね!」

「初めて? さっき機械を運ぶのに登ってきたんじゃないのか?」

「地下水脈が山頂の池まで続いていたので! 異能でビュンッと飛んできました!」

「ああ、そうか。なら先に行っているといい。別に、無理して俺達に合わせる必要はないぞ」

「そうですか? 皆さんと一緒だと楽しいです!」

「そうは言ってもな……。あ、さっき見たかも知れないが、頂上はもっと景色が綺麗だぞ」

「本当ですか!? 先行ってます!」

 

 ゾウラは顔を輝かせて岩肌を滑り降り、水魔法で水の槍を召喚して思い切り地面に突き刺す。その直後、ゾウラの姿は一瞬で消滅し水の槍は形を崩してバシャリとその場に落下した。ラデックはゾウラを見届けた後、再び山頂を見上げて斜面を登り始めた。

 

「……元気な子だ」

「急に頂上なんかに行って、気圧で苦しくなったりしないんでしょうか」

「さっきも一人で行ってきたと言っていたし、大丈夫だろう。それよりも心配なのは俺だ。ゾウラは自分の面倒を自分で見られるだろうが、俺は俺の面倒を一人で見られない」

「それは頑張ってください……」

 

〜バルコス艦隊 竜宮山頂上〜

 

「はぁ……はぁ……」

「ラ、ラデックさん。大丈夫ですか?」

「お、恐らくは……大丈夫かも知れない……。多分、改造を間違えた……。俺にも医者の知識があれば……」

 

 登山を開始して10時間。日はとっくに落ちて、辺りは闇に包まれている。普段であれば旧文明の絶景100選にも選ばれた満天の星々が一帯を照らしているはずだが、今は真っ黒な暗雲が立ち込め、月が出ているのかどうかも分からなくなっている。シスターが炎魔法でランプを作り、下がった体温を温めようとラデックの顔を覗き込んでいる。

 

「お、俺もハザクラの異能を受けていればよかった……。頭が痛い……」

「循環器系の改造は行えないのですか? ゆっくりと身体を気圧に慣らして……」

「そ、そんなの、服の繊維一本一本に文字を書き込んでいくようなもんだ……! 辛過ぎる……!」

 

 そこへハザクラが平然と歩み寄り、何かを探すように辺りを見回してから一点を指差す。

 

「恐らく向こうだ。先を急ぐぞ」

 

 そう告げてハザクラは足早に暗闇へと消えていってしまった。その後ろ姿をシスターとラデックは呆然と見送り、小さく溜息を吐いた。

 

「人道主義も何もあったものじゃないな……」

「私たちも行きましょうラデックさん。竜の棲家であれば、大きな洞窟とかかも知れません。今は風を凌げるところを目指しましょう」

「それもそうだな……ゾウラはどこだ?」

「見つけるよりも見つけてもらう方が早いですよ。行きましょう」

「……そうだな」

 

 辺りは歩くにつれ足場が脆くなり、乾ききった急斜面は少し爪先が当たるだけでボロボロと崩れて削られていく。そしてシスターの予想は大きく外れ、洞窟どころか道幅はどんどん狭くなってより頂上らしい景色になっていく。

 

「シ、シスター……! 全然洞窟じゃないぞ……!」

「あくまで“かも知れない”なので……」

「寒い……! 息が苦しい……! 身体中が痛い……! 登山家なんて職業が存在するのが信じられない! こんな苦しい思いをして達成感もクソもあるか! こんなの山頂に金銀財宝が眠っていたとしても割に合わない!! 暗いし寒いし苦しいし痛いし酸っぱいし……!! レジャーにハイキングなんか含めるな!! ちょっと楽しそうに思っちゃうだろう!!」

「…………ラデックさんて苦しい時饒舌になりますよね」

「苦しみと向き合いたくないだけだ!!」

 

 ラデックは体を抱きながら歯を食いしばって辛うじて前へと進んでいく。既に霧も強風も止んでいたが、ラデックは自己改造では凌げない低気圧と低温と低酸素に依然として体を震わせていた。とっくにハザクラの姿など見失い、最早ラデックは当初の竜を探すという目的など忘れ、今はひたすらに暗闇の中で安定した足場のみを求めて足を引き摺っている。

 

 そんな情けないラデックの姿を、シスターは真後ろから困惑の表情で見守っている。自分では彼の助けにはなれない、どちらかと言うと助けになりたくないと思いながら、早くハザクラかゾウラが来ないかと他人任せなことを考えて辺りを見回した。

 

 すると、少し後ろに妙な気配を感じた。パッと振り向くと、そこは依然として何も見えない暗闇であったが、その闇の中に確かに生物のような何かの波導を感じることができた。

 

「ラデックさん……」

「ああ寒い……あったかいコーヒーが飲みたい……ラーメン……シチュー……カレー……ポトフ……」

「ラデックさん!」

「ポトフ?」

 

 シスターの呼びかけに漸く気がついたラデックは、シスターの方を向くと同時に彼と同じ違和感を抱いた。

 

「…………誰か……いるな」

「はい……。ゾウラさん……では、ありませんね」

 

 敵意ほど鋭くなく、興味ほど柔くもない。形容するのであれば、恐怖か困惑。そんな感情が読み取れる波導が、壊れた蛇口が水溜りを広げていくが如く流れ出してきていた。シスターはその“何者か”を怖がらせぬように、緩慢な動きで方向を変えて口を開く。

 

「私は、グリディアン神殿の魔導外科医。シスターと言う者です。後ろにいるのは仲間のラデック。決して貴方に危害を加えません。どうか、姿を見せていただけませんか?」

 

 シスターの問いかけは暗闇に消え、静かな風音だけが鼓膜を揺らしている。しかし、依然として何者かの気配は消えず、今もまだ暗闇の中からこちらを窺っている。

 

 そして、暗闇が次第に“波打つように”変化し、今まで景色だと思っていた闇がその巨体を表した。その姿に、シスターは思わずラデックの元まで数歩下がり口を開く。

 

「なっ…………りゅ、“竜”…………!?」

 

 暗闇から現れた巨大な影。猛々しい熊のような四つ足だが、脇腹からは巨大な翼が天幕のように広がっており、太く短い首の先には鋭い牙を輝かせる蜥蜴の頭部がこちらを睨んでいる。左右で大きさの違う群青色の瞳のすぐ上には曲がりくねった歪な角が2本生えており、その姿はファンタジー作品によく出てくるドラゴンそのものであった。

 

 シスターはあまりにも衝撃的な光景に、息を呑んで立ち尽くす他なかった。立ち尽くしていたのはラデックも同じであったが、彼が目を見開いていた理由は竜が現れたことではなかった。

 

「そ、そんな…………!!!」

 

 ラデックは血相を変えてふらりと一歩踏み出す。突然動き始めたラデックに、竜は驚いてほんの少し後退るが、ラデックは構わず竜の身体を舐め回すように見つめた。

 

「そんな、そんな馬鹿な…………何故…………何故っ…………!!!」

 

 シスターも流石のラデックの異変を感じ、警戒している竜に近寄らせないよう彼の手を引いた。

 

「ラ、ラデックさん! どうしたんですか!? 竜が怖がってますよ!」

「一体、どうしてっ……! どうしてこんなことを……!」

「何に気がついたんですか!?」

「あ、あれは、君は、“竜じゃない”……!!!」

「え……!?」

 

 ラデックの呟きに、竜は小さく呻き声のようなものをあげて身体を強ばらせる。

 

「ラデックさん……!? 竜じゃないって……どういうことですか……!?」

「俺なら、俺ならこうする……!!」

「俺なら……?」

「お、“俺が竜になろうと思ったら、そうやって自分を改造する”……!!!」

 

 竜が大きく目を見開く。

 

「開きっぱなしの翼……爬虫類の顔に哺乳類の皮膚……左右で大きさの違う目玉……。体の作りが生物の基本に従っていないのは、君が生物学に詳しくないからだ……! 君は、人間だろう……!? 俺と同じ、生物改造の異能を持った、人間だ……!!!」

 

 ラデックの声に、竜は息をも止めて静止する。そして、目の前の見知らぬ2人のことなど忘れて遠い昔のことを思い出していた。

 

 まだ自分が人間として生きていた、10年前のことを。



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116話 竜なんかいない

「ファジット! あんまり遅くなっちゃダメよー!」

「分かってまーす!」

 

 あの日は確か、パルクァル先生の誕生日だったっけ。学校の友達と何日もプレゼント何にするか考えて、みんなで驚かせようって約束してた。本当は夕飯もみんなで作ろうって話だったけど、お母さんが夕暮れには帰ってきなさいって言うから諦めたんだ。

 

 集合場所はいつもの秘密基地。バンじいさんの畑の裏の林の奥の小屋。みんなでプレゼントを持ち寄って、キレイにラッピングして、手紙も入れて。先生の住んでる隣町まで自転車こぎまくって。何回も道に迷って。

 

 パルクァル先生、驚いてたな。玄関で大泣きするもんだから、ご近所さんがわらわら集まってきちゃってさ。大人でもあんな風に泣くんだって、ちょっとびっくりしたな。お父さんもお母さんもお婆ちゃんも、絶対に泣いたりしない人だったから。

 

 楽しかったなぁ。パルクァル先生の家で皆でケーキ食べて、勉強して、ゲームもして。パルクァル先生が夕飯ごちそうしてくれるって言ったけど、すごく楽しそうだったけど、僕は行かなかった。お母さんが夕暮れには帰ってきなさいって言ってたから。最近ぶっそうだからって言ってたから。それに、夕飯は多分エビフライだ。お母さんと買い物行った時に買ったエビがまだおかずに出てきてないし、今朝のお母さんはちょっぴり楽しそうだったから。エビフライを作るのは大変だ。エビは高いし、カラをむくのも大変だし、ゴミは臭うし、あげものは掃除が大変だし、油は跳ねて危ないし。だから僕も手伝わなきゃ。だから早く帰ったんだ。門限よりも早く。言われてた夕暮れよりもちょっぴり早く。

 

 

 

 僕は、エビフライを食べれなかった。

 

 

 

 半開きの玄関ドアから、真っ赤な汁が流れてた。すっごい臭くて、すぐに気分が悪くなった。僕が帰ってきたことに気付いた隣の家のおばちゃんが、挨拶するより早く悲鳴を上げた。おばちゃんは物知りだったから、あの汁を見ただけで何が起きたのか分かったんだと思う。僕はすぐには分からなかった。おばちゃんは僕を抱きしめて自分の家に連れ込んだ。何度も「大丈夫よ」って言ってくれたけど、それがウソだってことはずっと分かってた。すぐに軍隊が来て、僕の家にぞろぞろ入って行った。そのあと僕も軍隊のとこに行くことになった。

 

 一回だけ学校の校外学習で来たことのある刑務所。まさか僕が中に入るとは思わなかったけど、僕が悪人だから入れられたわけじゃないってことは分かった。軍人さんは皆優しかったから。今日どこに行ったかとか、変な人を見なかったかとか色々聞かれたけど、頭がうまく動かなくて何も言えなかった。その代わり、僕は質問から何が起こったのかが分かった。僕が軍人さんに「みんな死んじゃったの?」って聞くと、軍人さんは凄く辛そうな顔でちょっぴり首をたてに振った。僕は「殺されちゃったの?」って聞いた。うまく言葉にはならなかった。のどが震えて、鼻がつまって、息が苦しくて、舌がうまく回らなかった。でも、軍人さんは小さくうなずいてくれた。大人の人には、大人みたいに話すのが礼儀だっておばあちゃんに教わった。でも、もう限界だった。だって、僕は子供だもん。悲しくて、悲しくなりすぎて、もう何が何なのか分からなかった。見えるものと感じるもの全部がウソだと思えたけど、胸がぎゅーって痛むたびにウソじゃないって思った。

 

 お兄ちゃん、ゴメンね。実はお皿割ったの僕なんだ。お兄ちゃんは気付いてたのに、お母さんにもゴメンなさいって言ってくれたね。僕、ずっとあのこと謝りたかったんだ。お婆ちゃん、僕、今年の成績すごく良かったんだよ。国語も算数も、全部Aだったんだ。体育には先生が花丸つけてくれたんだよ。お婆ちゃんが言ったから。強い男になりなさいって言ったから、勉強も運動もいっぱい頑張ったんだよ。お父さん、こないだのお父さんの試合すごかったよ。友達もみんな見に来てくれてたみたいで、みんなすっごいほめてた。僕も自分のことみたいに、すっごく嬉しかったんだよ。お母さん、いつもお弁当作ってくれてありがとう。僕の嫌いな野菜も、食べれるように小さく切ってくれてありがとう。毎日家の外まで出てきて行ってらっしゃいって言ってくれてありがとう。学校の行事に全部出てくれてありがとう。お父さんとケンカした時、自分の方からごめんなさいって言ってくれてありがとう。僕を叱った後に、いっつも抱きしめてくれてありがとう。

 

 エビフライ、食べたかったな。

 

 

 

 あの後、僕はこっそり刑務所から逃げた。みんなに内緒にしていた“異能”で体をいじれば簡単だった。あのままじっとしていたら絶対に元の家には帰れない気がしたから、どうしても、どうしても一度だけ家に帰りたかった。

 

 玄関は鍵がかかってたから、2階の僕の部屋からこっそり入った。門限を破った時のために、僕の部屋は外から鍵が開けられるようにしておいた。部屋に入ると、またあの時と同じ臭いがぶわってした。お兄ちゃんの部屋、学校のない日に朝まで遊んで2人でお母さんに怒られた。お母さんとお父さんの部屋、いろんなところに家族の写真が貼ってある。階段を降りると、床に大きな黒いシミができてた。臭いもすごく強くなって、僕はリビングの冷蔵庫の中だけ見に行った。冷蔵庫の中には、キレイにカラをむいたエビと、僕の大好きな“イエローベーカリー”のチーズケーキが入ってた。僕はチーズケーキを手に取って2階に戻った。お兄ちゃんの部屋でケーキを食べたあと、お父さんのベッドの毛布を取ってお母さんのベッドで眠ることにした。2人の匂いがいっぱいして、とっても心地よくって、お父さんとお母さんがすぐそばにいるみたいだった。そこで僕はようやく気がついた。ずっとわかってたつもりだったけど、全然わかってなかったのがわかった。もう、二度とみんなには会えないんだ。みんな死んだ。みんな死んだ。また胸がぎゅーっとして痛くなった。そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠っちゃった。

 

 夢を見た。お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと、おばあちゃん。みんなでリビングにいて、エビフライを食べた。僕がお腹いっぱいって言ったら、お母さんがチーズケーキを持ってきてくれた。それを見たらなんだか急にお腹がすいた気がして、大喜びで食べた。そしたら、お父さんが僕をぎゅーっと抱きしめてから部屋の外に行っちゃって、お兄ちゃんも、お婆ちゃんも僕をぎゅーってしてから部屋を出て行った。最後にお母さんが僕をぎゅーって抱きしめた時、僕もお母さんを抱きしめ返して泣いたんだ。「行かないで」って、大声で泣いた。勉強ももっと頑張るから、お兄ちゃんとケンカしないから、お手伝いももっとするし、門限も絶対守るから。って。そしたら、お母さんも泣いてた。泣きながら「ゴメンね」って言って僕を抱きしめてくれた。お母さんもつらかったんだ。何度も何度も「ゴメンね」って言うから、僕は「いいよ」って言ったんだ。

 

 目が覚めた。外はまだ真っ暗で、全然時間は経ってなかった。僕はもう一度だけ一階に下りて、お婆ちゃんの部屋に行った。ものすごい臭いにおいがする中、お婆ちゃんのベッドのわきに置いてある木像を見に行った。お婆ちゃんが毎日拝んでた、四つ足の竜の置物。いつも言われてた。悪いことをしてはいけない、竜はそれを見ているから。善いことをしなさい、竜はそれを見ているから。誰も見ていなくても、竜は見ている。竜は善い人を守り、悪い人を見捨てる。だから、善くありなさいって。

 

 でも、そんなのウソだ。だって竜は、みんなを守ってくれなかった。善い人を守ってくれなかった。竜なんて、この世にいない。

 

 だから決めたんだ。僕が竜になろうって。もう誰も傷つかないように、友達も、学校の先生も、軍の人たちも、この国のみんなも、もう誰も悲しまないように。僕がみんなを守るんだ。僕は、守ってもらえなかったから。

 

 国を出て、人の来ない森まで逃げた。疲れても、お腹が空いても、眠くても、人に見つかりそうになっても、この異能のおかげで生き延びることができた。それから、竜の置物をマネして形を作った。強そうな角に、カッコいい牙。鋭い爪。大きな体。翼を作ったら上手く飛べなくて、飛べるまで大きくしたらすごく大きくなっちゃった。頭を大きくしようとしたら、目の大きさを間違えて左と右で形が違くなっちゃった。でも、これで誰がどう見ても僕は竜になれた。もう大丈夫、怖い人はもう来ない。だって、竜が、ここにいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 竜宮山(りゅうぐうやま)

 

「開きっぱなしの翼……爬虫類(はちゅうるい)の顔に哺乳類の皮膚……左右で大きさの違う目玉……。体の作りが生物の基本に従っていないのは、君が生物学に詳しくないからだ……! 君は、人間だろう……!? 俺と同じ、生物改造の異能を持った、人間だ……!!!」

 

 ラデックの言葉に、ファジットは昔のことを思い出した。まだ自分が人間として生きていた、10年前のことを。何者かに家族を殺され、竜として一人で生きていく決意をしたあの日を。

 

 遠い目で中空を見つめているファジットに、シスターが恐る恐る問いかけた。

 

「も、もしかして、あなたは……ファ、ファジットさん……ですか……!?」

 

 突然名前を呼ばれたファジットは、正体がバレたことに驚いてシスターの方に顔を向ける。異能で改造しすぎた体ではもう人間の声を出すことはままならなかったが、10年ぶりに名前を呼ばれ心臓が脈動するのを感じた。そして、2人が敵でないことも理解した。ファジットが目を細めて警戒を解くと、ラデックがシスターに尋ねる。

 

「シスター? 誰だ、そのファジットと言うのは」

「10年前に起きた、神鳴通り大量殺人事件の唯一の生き残りです……!」

「何? だとしたら彼は……10年もの間一人きりで……竜の真似を……!?」

「竜はバルコス艦隊の守り神……。この国を、一人で守ろうとしたんですか……?」

 

「大正解だ」

 

 暗闇からの返答。2人と1頭、ないし3人が声の方に顔を向けると、闇の中からハザクラが姿を現した。

 

「彼は10年前の神鳴(かんなり)通り大量殺人事件の生き残りであり、当時7歳だったファジット少年だ」

 

 ハザクラがファジットに近寄ると、彼は一瞬だけ怯むもすぐに姿勢を屈めて低い唸り声を上げ威嚇(いかく)した。

 

「家族を失ったファジットは、この国の竜信仰に強い不信感を抱いた。そして、愛する家族を殺した悪から友人を守るために、この国を守るために、人間を辞めて竜として生きていくことを決めた」

 

 ハザクラの確信めいた物言いに、シスターが血相を変える。

 

「き、気づいていたん、ですか」

「……ベルの推測だ。まさかラデックと同じ異能だとは思わなかったが、今の竜騒動が十中八九彼の仕業だということは分かっていた。それに、正体不明の巨大生物を復興派の使奴が放っておくはずないからな。彼女らが真実を知っても尚知らぬふりを最善とするのであれば……結末は限られてくる」

「それで、彼をどうするつもりなんですか……?」

「ふむ」

 

 ハザクラは何かを推し量るようにファジットを見つめる。その無機質で不気味な眼差しに、ファジットは気圧(けお)され怯む。そして、直後にその不気味さが明確な敵意であることに気付いた。ハザクラが口を開こうとする前に、シスターがファジットを庇うように前へ出てハザクラを睨みつける。

 

(ようや)く……(ようや)く解りました。ハザクラさん。どうして、今回の目的を竜の調査任務なんてあやふやなものにしたのか」

「ほう?」

「どうして使奴の力を借りなかったのか。どうして人道主義自己防衛軍が編入生なんて大嘘を吐いたのか。そんなあやふやな目的に1ヶ月など悠長な時間を設けたのか。ファジットさんを、どうするつもりなのか……!! あなたの目的は、バルコス艦隊の支配――――!!! 信仰対象の竜の殺害、そして、竜の調査任務を命じたのが最高権力者であるファーゴ元帥という事実!! この二つで、バルコス艦隊軍の信用を地に落とし征服すること――――……!! これは、あなたの最終目的である世界征服の腕試し――――……!!!」

 

 ハザクラの手に魔力が集中し始める。

 

「ファジットさん逃げて!!!」

 

 シスターの叫び声が、真夜中の竜宮山(りゅうぐうやま)に響き渡った。



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117話 相反する最善





〜バルコス艦隊 竜宮山(りゅうぐうやま)頂上〜

 

「漸く……漸く解りました。ハザクラさん。どうして、今回の目的を竜の調査任務なんてあやふやなものにしたのか」

 

 シスターが肩を震わせながらハザクラを睨む。

 

「ほう?」

「どうして使奴の力を借りなかったのか。どうして人道主義自己防衛軍が編入生なんて大嘘を吐いたのか。そんなあやふやな目的に1ヶ月など悠長な時間を設けたのか。ファジットさんを、どうするつもりなのか……!! あなたの目的は、バルコス艦隊の支配――――!!! 信仰対象の竜の殺害、そして、竜の調査任務を命じたのが最高権力者であるファーゴ元帥という事実!! この二つで、バルコス艦隊軍の信用を地に落とし征服すること――――……!! これは、あなたの最終目的である世界征服の腕試し――――……!!!」

 

 ハザクラの手に魔力が集中し始める。

 

「ファジットさん逃げて!!!」

 

 シスターの叫び声に反応してファジットが慌てて翼をバタつかせる。しかし、そこへ間髪入れずにハザクラが光弾を放とうと手を突き出した。シスターはファジットを守ろうとハザクラの前に立ちはだかるが、ハザクラは構わず数発の光弾を連続して打ち出した。そのうちの一発がシスターの肩に命中し、残りは緩やかな弧を描いてファジットへと命中する。

 

「ファジットさん――――!!」

 

 混乱魔法”大時化(おおしけ)の海“。物理的な損傷こそ与えないものの対象者の平衡感覚を狂わせ、まるで酷い船酔いのように精神を蝕む。ファジットは歪んだ視界に対応できず、姿勢を崩して斜面を転がり落ちてしまった。すぐさまラデックが助けに行こうと足を踏み出すが、ハザクラの敵意を感じ取って振り返る。ハザクラはいつでも魔法を発動できる状態を保ちながら、シスター達を冷たく睨み返し口を開いた。

 

「ご名答……と言いたいところだが、シスター。竜の殺害は言い過ぎだ。世界平和という大義を背負っていれば、善良な少年の命一つなど取るに足らない……などとは思っていない。あくまで死を偽装するだけだ」

「同じことじゃないですか!! 竜が死んだとなれば、ファジットさんが今までやってきたことは全て無駄――――!! 冒涜もいいところです!!」

「竜の存在を否定するわけじゃない。竜は確かに存在していて、それは人道主義自己防衛軍によって討ち取られた。そういうことにするだけだ。ファジットの保護も当然行う」

「それがファジットさんをどれほど傷つけるか!!」

「危害を加えるつもりはない」

「本気で言ってるんですか……!?」

「腐敗したバルコス艦隊軍を変え、国民を救済するには必要な代償だ」

 

 2人の押し問答に、ラデックが堪えきれない怒りに身体を震わせて口を挟む。

 

「俺達をここへ連れてきたのは、そういうわけか。ハザクラ……!!」

 

 ハザクラがラデックを一瞥する。ラデックは息を荒げながら自らの掌を見て、悔しそうに拳を握った。

 

「その口振りじゃあ、イチルギ達使奴はお前の作戦を容認したんだろう……!! そして、俺達を竜の捜索に連れてきたのは、俺達人間組から意を唱えられた時に、暴力による反論を許さない為――――!! シスターは正面からの肉弾戦じゃ勝ち目はないし、俺は気圧の変化に対応できない……お前の暴挙を止める術がない……!!!」

「ああ。ラデックがなんでも人形ラボラトリーで、上空の使奴研究所に行くのを過剰に拒否していたのを憶えていてな。神の庭でも(きゅう)に対応できていなかったし、もしや気圧もと思ったが……案の定か」

 

 ラデックは勢いよく地面を蹴り出してハザクラに突進するが、ハザクラが打ち出した氷の弾丸を避け切れず腹で受け止めてしまった。

 

「がっ――――!!!」

「動きが相当鈍っているな。その程度では足止めにもならんぞ」

「ラデックさん――――!!」

 

 シスターがラデックへ駆け寄り抱き起こす。崖の下に落ちて蹲っているファジットとラデックを交互に見て、状況の凄惨さに目を泳がせて狼狽えた。ハザクラはシスター達からゆっくりと視線を外し、ファジットの方へと歩き出す。

 

「グリディアン神殿での惨劇に比べれば温いものだろう。ファジットの望み一つとバルコス艦隊国民全員の幸福では、到底比べ物にならない」

 

 ハザクラがシスター達の側を通り過ぎる直前、シスターは跳ね上がる心臓を抑えつけ、必死に堪えていた最悪の賭けに出た。

 

「――――っ!!!」

 

 シスターは混乱魔法で歪む視界の中ラデックを一息に背負い、斜面を倒れ込むように駆け下りる。それをハザクラが追いかけようとする前に、大声で空へと叫んだ。

 

「ゾウラさんっ!!! ハザクラさんを止めて!!!」

「はいっ!」

 

 突如ハザクラの目の前に水の刃が出現し、彼の頭部を切り落とさんと回転した。ハザクラは難なくこれを避けるが、避けた直後に水の刃は忽ち人の姿へと形を変えてゾウラが現れた。ゾウラは片手に構えていたクロスボウをハザクラへと振り下ろし、それにハザクラが短剣を押し当てて応戦し鍔迫り合いになる。

 

「遅れてごめんなさい! でも、話は殆ど聞いていましたよ!」

『ゾウラ……邪魔をするな!』

「おっと!」

 

 ハザクラが蹴り上げと共に爆発魔法を打ち出し、ゾウラのいた足場諸共彼を吹き飛ばす。しかしゾウラは涼しい顔で跳躍してこれを躱し、フックのように湾曲したショテルを斜面に引っ掛けて姿勢を持ち直す。

 

「うふふ、やりますねえハザクラさん。エドガアさんより強いかも!」

 

 ハザクラは続けてゾウラに爆発魔法を展開すると、それを目眩しにゾウラへと接近する。ゾウラは楽しそうにニコリと笑うと、自分も地面を蹴ってハザクラに突進した。ハザクラの蹴りを、ゾウラが手の甲で殴りつけて軌道を逸らす。ゾウラの風魔法による衝撃波を、ハザクラが反魔法で打ち消す。一歩間違えれば大怪我をするような渾身の一撃の応酬。ハザクラは視界の端で遠ざかっていくシスター達を睨みながら、苛立ってゾウラに詰め寄る。

 

『これは遊びじゃないんだぞ……!! 止まれ………ゾウラ!!』

「ごめんなさい! カガチに、ハザクラさんの命令には答えるなって言われてるんです!」

 

 死の淵を渡り歩くような激戦の中でも、ゾウラは朗らかに笑いクロスボウの引き金を引く。ハザクラは飛んでくる矢を避けながら前進し、ゾウラの脇をすり抜けてシスター達の方へと接近する。

 

 漸く姿勢を持ち直したファジットが今にも飛び立とうと羽を広げ、シスターはラデックを抱えたままその背にしがみついた。

 

「ファジットさんごめんなさい! 乗れますか!?」

「ぐぁお!!」

「させるか……!」

 

 ハザクラが手を伸ばすと、その腕の周りに小さな光の球が出現する。光の球は勢いよく腕の周りを回転しながら一斉にファジット目掛けて射出された。しかし、そこへゾウラが割り込むように飛び込んで、防壁魔法を展開し光の球を全て弾き返した。

 

「ゾウラさん――――!!」

 

 シスターの叫びに、ゾウラはあどけない笑顔で敬礼を返す。

 

「シスターさん、また後で!」

 

 ファジットは2人を乗せたまま数回羽ばたいて地面からほんの少しだけ浮くと、翼を大きく広げて暗闇へと滑空し姿を消した。その後ろ姿を、ゾウラが大きく手を振って見送る。

 

「おお〜。あっという間に見えなくなりましたね! 私も乗せてもらえますかね? 楽しそう!」

「ゾウラ」

「はい? ああ、続きですね!」

 

 ハザクラの呼びかけに、ゾウラはショテルとクロスボウを両手に構えて戦闘態勢をとる。ハザクラは冷たく彼を睨みつけ、ぎりぎりと歯を擦り合わせる。

 

「俺にはバルコス艦隊の掌握という目的がある。お前の目的は何だ? 何故俺の邪魔をする」

「さっきシスターさんに頼まれましたので」

『ならば俺もお前に頼もう。俺の邪魔をするな』

「ごめんなさい! カガチに返事しちゃダメって言われているんです!」

「ゾウラ個人の意見を言え。話は聞いていたんだろう? お前は、ファジットの望みとバルコス艦隊国民全員の幸福。どちらを取るんだ」

「どっちも!」

 

 ハザクラがより一層眉間に皺を寄せて声を荒らげる。

 

「どちらかと聞いているんだ……!!」

「う〜ん。それって、本当に二者択一なんですかね? そうでないなら両方やりましょう!」

「そんなに簡単な問題ではない!!」

「じゃあ使奴の皆さんに頼みましょう!」

「そうやって、困ったらすぐ使奴に頼る気か? 使奴は都合のいい奴隷じゃあない!」

「はい! 大切な仲間です! 大切な仲間なので、困ったら助けてもらいましょう!」

「分かり合えないようだな……なら、結末は一つだ……!」

「ハザクラさん、何か焦っていますか? 矛盾するなんて、ハザクラさんらしくないですよ」

 

 ハザクラは短剣を構え直し、自己暗示を重ねがけして目を見開く。

 

『そこを退け!!!』

「初めての手合わせ……楽しみです!」

 

〜バルコス艦隊 竜宮山(りゅうぐうやま)上空〜

 

 ラデックとシスターを乗せたファジットは、バルコス艦隊の繁華街を目指していた。既に暗雲の下からは抜け出し、不気味なほどに美しく輝く月と星々が3人を照らしている。

 

「すまないファジット君。重くはないか?」

「ぐぁお!」

「それは否定と肯定どっちなんだ?」

「ぐぁあお!」

「……都合良く解釈させてもらうか」

 

 ラデックがふと隣を見ると、シスターが青い顔で胸を押さえていた。その酷く辛そうな表情を見て、ラデックは彼の肩を摩り支える。

 

「シスター、こういう高いところでは下は見ない方がいい。できれば目を瞑った方がいい。俺の体調も大分回復したし、最悪シスターを抱えての着地も充分――――」

「違うんです」

 

 シスターの静かだが力強い否定に、ラデックは少し驚いて言葉を止める。

 

「違うんです……ラデックさん……」

「……腹でも痛いのか?」

「私も、私もハザクラさん側なんです……!」

「……シスター?」

 

 シスターはますます辛そうに顔を歪め、ファジットの背に額を押しつける。

 

「ごめんなさいファジットさん……! 私は、貴方の意思を蔑ろにしてしまうかもしれない……!!」

 

 ファジットは何も言わない。当然動揺はしたが、背中から伝わってくるシスターの覚悟の前では、狼狽は失礼に値すると判断した。シスターもそれに気付いたようで、ファジットの思慮深さと優しさに改めて謝罪を口にした。

 

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」

 

 涙ながらに訴えるシスターの背をラデックが優しく摩り続ける。

 

「……どういうことだ? シスター」

 

 ラデックは咎めたい気持ちをグッと堪え、飽くまでも純粋な疑問として問いかける。

 

「ハザクラさんの言うことは尤もなんです……。私だって、彼の立場ならそれが最善と考える……」

「10年間孤独と絶望に耐え忍んできたファジットの願いを犠牲にすることがか?」

「……そうです」

「シスターが言ったんじゃないか。これは彼に対する冒涜だと」

「ファジットさんを冒涜することになっても、彼の策には価値があるんです」

「俺はそうは思わない。バルコス艦隊の支配であれば幾らでも他に方法がある筈だ」

「既に、そこから違うんです」

「……? これもシスターが言ったんじゃないか。ハザクラの目的はバルコス艦隊の支配だと」

「それは今回の一件に限った話。私は、これは世界征服の腕試しだと言ったんです」

「……今行われていることに変わりはないだろう」

「いいえ。全く違います」

 

 シスターは涙を拭いてから呼吸を整え、真剣な表情でラデックの目を見る。

 

「ラデックさん。貴方は、世界平和が実現可能だとは思いますか?」

「え、いや、まあ。うん。出来るんじゃないのか? いや、漠然とした根拠しかないんだが、まあ不可能ではないとは思う」

「私は、ほぼ不可能だと思っています」

「何故だ?」

「この世に、宗教があるからです」

「……信仰は自由だ。それぞれ好きな神を信じたらいい」

「そんな回答が出来るのは、ラデックさんが敬虔な信徒ではないからです。グリディアン神殿や笑顔による文明保安教会がそうですが……信じる神様を否定されることが、最愛の恋人を嘲笑されること以上に憤慨する方は少なくないんですよ」

「だからと言って……第一、宗教が世界平和を害するなら何故貴方は修道女(シスター)の真似事なんかしているんだ」

「宗教は別に悪いものではありません。信仰は不条理から人を救い、律し、正すことができます。ただ、世界平和を実現させる上では相性が悪い……というだけです」

「だからファジット君を……竜を、否定するのか?」

「そうです。バルコス艦隊の竜信仰“竜然教”は、そこまで国民の心に根付いているわけではありません。竜の存在を否定されたところで、強いダメージを負う人は極僅かでしょう。そして加え、ハザクラさんは最初にこの“滅ぼしやすい宗教”を制しておくことで、今後征服するであろう国に例外を認めない姿勢を誇示するつもりです」

「……全く理解出来ないし賛同できないが、シスターはこの案に賛成なのか?」

「…………はい。もし本気で世界平和を目指したいのであれば、これが最短最善だと思います。でも、だから、私は、本気で……本気で世界平和を目指していないから、ファジットさんを助けたんです……!!」

 

 シスターの目から、堪えていた涙が一雫流れ落ちる。これは悲しさでも悔しさでもなく、自分に対する情けなさから来るものであった。

 

「私は、目の前で困っている人を助けることは出来ます……。でも、遠いどこかの誰かは、助けられない……! だって、その人は私に感謝をしないじゃないですか……!! その人の感謝は、私に伝わらないじゃないですか……!! 私は、顔の見えない誰かの為には頑張れない……!! 私は自分勝手で厚かましい、救いようのない人間なんです……!!! ああ、ゾウラさんごめんなさい……!! こんな醜い私のために、とんでもないことを頼んでしまった!! ハザクラさんごめんなさい!! 私のつまらない我儘で、正義の足を引っ張ってしまった――――!!!」

 

 シスターの両目から大粒の涙が流れ落ちる。月夜に照らされ泣きじゃくる彼を、ラデックは決して慰めることは出来なかった。

 

 ラデックは、ここまで本気で善悪を考えたことがなかった。ここまで本気で平和を考えたことがなかった。ここまで本気で誰かを思い量ったことなどなかった。もし、自分がシスターと同じように思慮を巡らせたとして、同じ選択をしたところで、今のシスターと同じように胸を痛めて涙を流しただろうか? 今ラデックの中にあるのは、悲痛に涙するシスターを慰める言葉ではなく、愚かで浅はかな自分を慰める言い訳と僅かな自己嫌悪だけであった。

 

 ラデックはゆっくりと視線を風景に滑らせ、遠くに輝くバルコス艦隊の街明かりを見つめる。何か言葉を吐き出そうと口を開いたが、どんなに考えても声が出ることはなかった。今は何を言葉にしても、そのどれもがいい加減で愚かな戯言になってしまう気がした。



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118話 ハザクラ対ゾウラ

〜バルコス艦隊 竜宮山 山頂〜

 

 午前0時。竜宮山頂上は依然として月明かりを遮る程に厚い雲に覆われている。しかし、辺りには街灯のように明るい光魔法の珠が幾つか浮かんでおり、対峙する2人の姿をハッキリと映し出している。

 

 ハザクラは右手に短剣、左手はいつでも魔法を発動できるように魔力を集中させたまま軽く握っている。対するゾウラは右手にショテル、左手にクロスボウ。フックのように大きく湾曲したショテルと、クロスボウの弓の部分をピッケルのように扱い、宛ら双剣のように構えている。

 

 ハザクラがほんの少し足を前に出すと、ゾウラはその分足を引いてクロスボウの矢先をハザクラに向ける。ゾウラがショテルを振るおうと半身の姿勢になると、ハザクラは腰を落として重心を後ろへずらす。ハザクラが右肩を上げればゾウラは下げ、ゾウラが膝を曲げればハザクラは足を引く。側から見れば立ち尽くしているだけのように見える2人の間には、瞬きの一つすら命取りとなるような無音の攻防戦が繰り広げられていた。

 

 ゾウラ・スヴァルタスフォード。スヴァルタスフォード自治区、悪魔郷の皇族、スヴァルタスフォード家の嫡男。皇族と言えど、遺伝子的には至って平凡な能力の家系であり、容姿以外には特別秀でた才能があるような血統ではない。しかし、特筆すべきは彼個人の生い立ち。4歳の頃に血縁者全員をコモンズアマルガムによって滅ぼされ、それ以降は使奴の手によって育てられてきた。そして、その育ての親である使奴があの“カガチ”であるということ。

 

 冷酷で排他的。そして他の何よりもゾウラを優先させる過保護な守護者。そんな彼女が、今この状況でゾウラを助けに来ないという違和感。それがハザクラにはどうしても不可解であった。もしも今カガチが現れていれば、カガチはハザクラよりもゾウラの方を止めるだろう。ゾウラは今回の戦闘に対して強い思いなどはなく、育ての親の立場なら容易に止めさせることができるだろう。そして、カガチのように冷淡な効率主義であれば、ハザクラの作戦を止める意味もないと瞬時に理解してもらえるだろう。しかし、カガチの不在という想定外の事情に、ハザクラの計画は大きく傾きかけてしまった。

 

 ハザクラの今回の竜討伐計画は一般的な道徳思想からは大きく外れたものであり、本人もそれを自覚している。当然ながら、一般的な道徳思想を有するラデック達には到底受け入れてもらえないであろうことも理解している。仲間割れは必死。つまり、ゾウラの身を第一に考えるカガチは、ハザクラとゾウラが敵対する可能性に当然気がついている筈である。カガチは果たして“来ない”のか、それとも“来られない”のか。もし前者であれば、ゾウラはカガチによって何かしらの大きな力を隠し持っている可能性がある。迂闊に近寄るわけにはいかない。そしてもし後者であれば、カガチの怒りを買わないためにゾウラを攻撃するわけにはいかない。そして、そのどちらにも抵触しない唯一の安全な解決策である“ゾウラを無傷で戦闘不能にさせる”ことは、ゾウラの並外れた戦闘能力により困難を極めた。

 

「そろそろ行きますよーハザクラさん!」

 

 ゾウラがクロスボウで空を撃つ。上空高くに放たれた矢は複製魔法によって増殖し、数千の矢の雨となってハザクラに降り注ぐ。ハザクラは跳び退こうと腰を落とすが、突如足元が沼地のように泥濘み足を取る。ハザクラはすぐさま上空に手を伸ばし防壁魔法と炎魔法を同時に発動した。直後にゾウラが反魔法によって防壁魔法の発動を打ち消すが、ハザクラの掌から舞い上がった炎は渦を巻いて天へと昇り、烈風で矢の雨を弾き飛ばした。ゾウラは攻撃が失敗に終わると、拍手でハザクラの技術を褒め称えた。

 

「おお〜すごいですね! 魔法の2種同時展開までは読めていたんですが……矢を防ぐのに炎魔法を使うとは思いませんでした! いやぁ風か氷かで読んでいたんですが、流石に甘くないですねぇ」

 

 楽しそうなゾウラとは対照的に、ハザクラは険しい表情で彼を睨みつける。そして覚悟を決め、思い切り地面を蹴りつけ前に飛び出した。

 

「おや?」

『生捕りにしてやる』

 

 ハザクラの呟きに、ゾウラはにぃっと笑って武器を構え直す。ハザクラが手に魔力を込めた瞬間、ゾウラはあろうことか自分の首にショテルを突きつけた。

 

「なっ――――!?」

 

 ハザクラは無理往生の異能により“自分の意思とは関係なく”足を止め急停止する。それを見たゾウラは、悪戯が成功した子供のように腹を抱えてケラケラと笑った。

 

「あーはははははは! やっぱりそうなりますよね! 予想的中です!」

「ゾウラ……今、何を………………?」

「“生捕り”という命令……てことは、やっぱり“自殺”はさせられませんよね!」

 

 ゾウラは朗らかに笑顔を作るが、ハザクラはその笑顔の奥に底の見えない井戸のような闇を感じた。

 

「ずっと不思議に思っていたんです。ハザクラさんの異能が命令を強制的に遂行させる能力なら、何で“世界平和を実現させる”って自己暗示をかけないんだろうって」

「…………」

「それで、今の「生捕りにしてやる」って命令が簡単に止まったことで確信しました。ハザクラさんの命令は、単純であれば単純なほど強制力が強く、複雑なほど解けやすい!」

「…………」

「ラデックさんの話では、イチルギさん達への命令は200年で脆くなるのに、トールさんへの命令は200年経ってもしっかり効いてるとのことでした。てことは、最初に使奴の皆さん達へは複雑な命令をいっぱいしていて、トールさん達リサイクルモデルには“過去の命令の再発令“という単純な命令で上書きしたんですね!」

「そんなことは……」

「そして今それをしなかったってことは、”再発令“による強化は特定の条件が必要……多分、ある程度回数をこなした上でのパターン化が必要、とか! どうです? 合ってますか?」

「そんなことはどうでもいい!!」

 

 肩を震わせながらハザクラが怒鳴り声を上げてゾウラを睨む。しかし、その怒りは今までの苛立ちや敵意ではなく、限りなく心配に近い叱責によるものであった。

 

「ゾウラ……今、自分が何をしたのか分かっているのか……!?」

「はい?」

 

 最早、今のハザクラにとってカガチの不在など気にする問題ではなかった。突如浮き彫りになった、ゾウラ・スヴァルタスフォードという人物の“闇”。

 

「き、君は今、“本気で自殺しようとした”んだぞ……!?」

 

 ハザクラの言葉に、ゾウラは一切表情を変えずに答えた。

 

「はい。そうですね」

 

 ハザクラの観察眼の精度は凄まじく高い。それもそのはず、彼は記憶のメインギアによって使奴と何ら変わらぬ知識を植え付けられており、それらを用いれば骨董品の真贋から役者の演技まで遍く見定めることができる。故に、ゾウラ1人の演技を見抜くことなど造作もない。そして、造作もないからこそ、彼の自殺が演技でないことが容易に分かってしまった。

 

「何故……何故そんなことをする……!?」

「え? そうすればハザクラさんが止まると思ったので」

「俺が止まらなかったらどうするんだ!!」

「そうですねぇ……他の方法を試します!」

「他のって……死んでしまったら他も何もないだろう!!」

「そしたらハザクラさんの勝ちですね! ……っと、おわ?」

 

 ゾウラが突然蹌踉めき、その場に倒れ込む。ハザクラはブラフかと思い短剣を構えるが、ゾウラは髪を振り回して頭についた砂を振り落とす。

 

「えへへ、まだちょっとくらくらしますね」

「くらくら……?」

「”高山病“って言うんですかね? ごめんなさい、さっきまで少し横になっていたんですが、まだちょっと残ってるみたいです

「さっきって……もしかして、俺達がここへきた時に、先に来ていた君がいなかったのは……!!」

「お昼に機械運んできた時もそうだったんですけど、身体中が痛くなって起きていられなくなっちゃうんですよね。あ! でも手加減とかしなくて良いですからね! 正々堂々、一所懸命やりましょう!」

 

 いつもと変わらぬ笑顔を浮かべる彼に、ハザクラは狼狽えて歯を食い縛る。まるで噛み合わない会話、表情、状況。そして、彼と出会ってから今までの全ての違和感に対する一つの答え。

 

「ゾウラ……君は、死ぬのが怖くないのか……?」

「はい? そうですねぇ……死んだらお父さんとお母さんにも会えるので、寂しくはないと思います!」

 

 何故カガチが来ないのか。何故彼はラルバについて来たのか。

 

「寂しいかを聞いてるんじゃない。怖いかどうかを聞いているんだ」

「怖い……ですか?」

 

 何故彼はこの歳でここまでの戦闘能力を有しているのか。

 

「死だけじゃない。俺と戦って大怪我をすることや、こうやって突然病気になること。旅をしていて予期せぬ事情に見舞われること。それら全て」

「はぁ……。よく分かりません……」

 

 何故彼は全てに肯定的なのか。

 

「……これだけは”はい“か”いいえ“で答えて欲しい。君は、”ご家族が惨殺されて悲しいか“?」

 

 彼は、

 

「…………いいえ?」

 

 壊れている。

 

「――――っ。当時のことを覚えていないのか?」

「いえ、ちゃんと覚えてますよ!」

 

 ゾウラはクロスボウを脇の挟んで、空いた手で指折り数え始める。

 

「えっと……私が4歳の頃ですね! あの日は確か庭でお母さんとお菓子を食べてて……あ、お母さんの作ったマドレーヌ美味しいんですよ! でもって、お父さんが仕事から戻ってきた時でしたかね。入り口の門から沢山の人の大きな声が聞こえてきて、門が破られました。止めに行った兵隊さん達がどんどんやられてしまって、お母さんが大泣きする私を抱えて屋敷に逃げ込んだんです。でも屋敷の中にも沢山知らない人がいて、お手伝いさん達もみーんなやられてしまっていました。追い詰められたお母さんは、中庭の水路を指差して私に飛び込むように言ったんです。私は怖くてお母さんにしがみついていたんですけど、お母さんは泣きながら私を引き剥がして水路に投げ込みました。それで……えっと、あれ? よく覚えてませんね……。すみません! あんまり覚えてませんでした!」

 

 少し反省した様子で笑うゾウラを見て、ハザクラは唇を噛んで俯いた。自分の思慮の足らなさを、彼は深く恥じた。

 

 ゾウラの話には、本人は気付いていないようだが明確な矛盾が存在する。それは、家族が惨殺されて悲しかったかと訊かれて否定したにも拘らず、大泣きをして母親にしがみついていたと供述している点である。つまり、単純に考えればゾウラは“あまりの悲しみに耐えきれず感情を閉ざしてしまった”可能性が高い。彼の異常とも呼べる戦闘能力の高さは、負の感情がない故に使奴の課す過酷な修行を100%受け入れた結果であり、それらが文字通り血の滲むような毎日であったことは想像に難くない。失った感情が悲しみや恐怖といった負の感情であることだけが唯一の救いではあるが、そのせいで彼は最愛の家族を悼むことさえ出来なくなってしまっていた。

 

 この失われた感情を取り戻すことは、ハザクラは疎かカガチでも十分に可能である。無理往生の異能でも、医学的なアプローチでも、容易でなくとも彼を治療することは出来る。しかし、それは果たして人道的な救いだろうか。悲しみを思い出させ、家族を失った痛みを呼び起こし、スヴァルタスフォード自治区で戦ったであろう軍人達の命の重さを理解させる。それらは今まで感じていた喜びや感動の概念さえも蝕んでしまうかも知れない。そして、この”命の重さ“を理解させないことには、ハザクラの正義を理解させることは不可能である。

 

 ゾウラは今、容易に死を選べる。命の重さを理解していないからこそ、自らの体を傷付けることを厭わない。そんな彼を無傷で仕留めることなど、ハザクラには到底無理な話であった。

 

「ゾウラ……どうして君は、ファジットを助けたんだ?」

「はい? そう教わったからからですけど……何か変ですか?」

 

 そう、変ではない。それが教わった通りの善意を身につけた結果であれば。

 

「じゃあ仮に、カガチにファジットを殺してくれと頼まれた時は、どうする?」

「ん〜理由にもよりますけど、殺すんじゃないでしょうか」

 

 彼は、本当に教わった通りの善意を、教わった通りにこなしているだけである。何が善くて、何が悪いのかを自分の中で理解出来ていない。ゾウラの言う善とは、カガチに聞かされた善そのものでしかない。

 

 ゾウラはクロスボウとショテルを打ち付けて火花を散らし、再び構えてハザクラに微笑む。

 

「さて、続きやりますか!」

 

 ハザクラは漸く理解した。カガチの不在の理由を。

 

「行きますよーハザクラさん!」

 

 カガチは分かっていた。ハザクラが、ゾウラの心の闇に触れるであろうことを。高山病によって視界が歪み、吐き気が込み上げ、倦怠感と痛みで全身を蝕まれ、そんな中でも楽しそうに笑って見せるゾウラ。ハザクラは小さく息を漏らし、何かを堪えるように歯を擦り合わせた、

 

「…………こんなの、どうやって勝てと言うんだ」

 

 ハザクラの手から短剣が滑り落ち、山の斜面を転がり落ちていった。



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119話 バリア対カガチ

今まで苦手であまりしてこなかったのですが、今回からなるべくコメントを返していくようにしようと思います。これからもシドの国をよろしくお願いします。


〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂”屋上〜

 

「ありがとう、ファジット」

「ありがとうございます。ファジットさん」

「ぐぁお!」

 

 ラデックとシスターを乗せたファジットは、2人の指示通りラルバ達の泊まっているホテルの屋上に2人を降ろした。幾ら繁華街とはいえ、午前0時を回った今では街明かりも少なくなっていた。しかし、ラデックは万が一にもファジットが誰かに見つかってはいけないと思い彼の方を見た。

 

「明日の晩、また会おう。そうだな……竜宮山の(ふもと)、森に囲まれた大きな湖があったな。あそこで待っていてもらえるか?」

「ぐるるるるる……?」

「……すまないが、鳴き声だけじゃ意図がわからない。明日の晩、一緒に人の姿に戻る訓練もしよう」

「……ぐぁおっ」

 

 ファジットは小さく頷くと、全身を黒く変色させて夜の闇へと溶け込み、ホテルの屋上から飛び降りて静かに空へと羽ばたいていった。

 

「そうか……皮膚の色を変えれば、蛸みたいな擬態も出来るのか。勉強になるな」

「ラデックさん。私達も急ぎましょう」

「そうだな。ハピネスが見てくれているから、カガチにはとっくに知られているとは思うが……心配するに越したことはない」

 

〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜

 

 ラデックとシスターが駆け足で扉へ近寄りノックしようと手を伸ばすと、それより早く扉が開いてバリアが顔を覗かせた。

 

「おかえり」

「バリア! カガチはいるか?」

「ん」

 

 バリアが部屋の中へ2人を案内すると、奥からナハルが心配そうにシスターへと駆け寄ってきた。

 

「シ、シスター! お怪我はありませんか!? どこか痛むところは!?」

「心配要りませんよナハル。ありがとう」

 

 ラデック達がリビングに入ると、壁に寄りかかって立ったまま眠っているカガチの姿があった。落ち着いているカガチの様子を見てラデックとシスターがほっと胸を撫で下ろすと、死角にいたハピネスが杖でラデックの頬をつついた。

 

「痛っ」

「0点だよぉラデック君」

「ハピネス? 起きていたのか」

「ああ。君らに愚痴を言いたいがためにね」

 

 ハピネスは不貞腐れてゆらゆら揺れながらリビングを歩き回り、冷蔵庫からビールを取り出して一息に飲み干した。

 

「んぐっ……んぐっ……っくぁ〜! ゲフッ……。ゾウラ君はともかくとして……2人とも、なぁんでハザクラ君を止めなかったのさぁ〜。お陰でこっちは酷い目にあった」

「酷い目?」

「今朝、バリアとカガチがドンパチやったんだよ」

「なんだって!?」

 

 ラデックが驚いてバリアを見ると、バリアは表情を一切変えないまま小さく首を縦に振る。

 

「うん。ドンパチやった」

「い、一体何があったんだ?」

 

 ハピネスは椅子を引いてどっしりと腰掛け、2本目のビールを開栓しながら中空を睨む。

 

「いやあもう大変だったんだよ? 丁度君らが蛇洗川に向かった頃かな〜」

 

 

 

 

 

 

 13時間前――――

 

「ナハル!! 来い!!」

「うぇっ!? な、何だ!?」

 

 昼飯の準備をしようとナハルがキッチンへ行くと、換気のために開けた窓から突如カガチが現れた。

 

「バルコス艦隊から、ゾウラ様達潜入組4名を竜の調査任務に割り当てるとの発表があった! あのクソガキ……己の正義ごっこにゾウラ様を巻き込むつもりだ……!!」

「え、あ、いや、あの」

「どうした! お前のツレだって、恐らくタダではすまないぞ!」

「そ、そうなんだが、あ、あの、そのだな……」

「……ナハル。お前、何を知ってる? 何を知っていた……!? 言え!!」

 

 カガチが狼狽するナハルに詰め寄ると、キッチンの入り口からバリアが顔を覗かせた。

 

「ナハルには言ったよ。そのこと」

「バリア……!!」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら現れたバリアに、カガチは怒りに震えながら接近する。

 

「あのクソガキはお前のペットだろう……!! 躾がなっていないなら鎖にでも繋いでおけ!!」

「……怒るのも尤もだけど、口の悪さは頭の悪さ。あんまり度が過ぎると、私も怒るよ」

 

 カガチがバリアの首を片手で鷲掴みにして、そのまま壁へと押し付ける。険悪な2人の様子に、リビングで昼寝をしていたハピネスが慌てて仲裁に入る。

 

「ちょっとちょっと2人とも! こんなところで争うんじゃないよ! 私に流れ弾が当たったらどうする!!」

 

 ハピネスの抗議の直後、カガチが真っ黒な大蛇を召喚してバリアを縛り上げた。バリアは一切抵抗することなく拘束されるが、僅かに眉間に皺を寄せてカガチを睨み不快感を表した。

 

「ナハルにも言ったけど……ハザクラへの不信は私への不信。私、信用ならない?」

「ああ、全くな」

 

 バリアの眉間の皺が、少しだけ深まる。

 

「そう……。でも、私はゾウラのこと信じてるよ。あの子との出会いはきっと、ハザクラの視野を広げるいい経験になる」

「ひとの主人を……道具扱いするなっ!!!」

 

 バリアに絡みついた大蛇が突然膨張し、バリアの魔力を吸い上げ始める。バリアはすぐさま大蛇の胴体を鷲掴みにし、古びた麻縄の如く引き千切った。飛び散った大蛇の破片がハピネスに命中し、彼女は大袈裟に痛がって喚き出す。

 

「あぁ〜ん痛いよぉ〜!! ナハルもボーッと見てないで止めないか!!」

「え、あ、いや」

「行けっ! ナハル! 全滅インパクト!!」

「私には荷が重い……」

「私にはもっと重いよぉ〜!」

 

 

 中空から次々に真っ黒な蝉が現れ、4人のいたホテルの一室は一瞬で漆黒へと染め上げられた。カガチの召喚した蝉の大群は壁や床に染み込んで模様のような平面になり、バリアに向かって指向性のエネルギー波を放出した。

 

「……これは」

「ぎゃあああああああっ!!!」

 

 流れ弾で苦しむハピネスの絶叫の中、バリアは自身の体に起きた異変を確かめる。波導の運動方向を逆転させる反転魔法、”割れた水瓶“。バリアは体内の魔力が大気へ流出していくのを感じると、小さく息を吐いて異能の度合いを高めた。すると、バリアの絶対防御の異能により波導の運動自体が停止され、魔力の流出は停止した。しかし、それを狙っていたカガチの足元から、真っ黒な蜘蛛が数匹現れバリアへと飛びついた。

 

「ん」

「魔法ナシで私に勝とうとは、甘く見られたものだな」

 

 蜘蛛はバリアと接触するや否や身体を細く変形させ、細く長い槍のような形になっていく。槍はバリアの体を貫き、まるでウニのように四方八方へと伸びてバリアを拘束する。バリアが槍を折ろうと手を伸ばすが、槍はまるでそこにないかのようにバリアの手をすり抜ける。しかし、バリアが身を捩れば槍は一緒に動いて部屋の壁や天井に大きな傷をつけた。

 

「ちょ、ちょっとバリア! 危ない! 私に当たる!」

 

 バリアが身体を動かすたびに振り回される槍に怯えて、ハピネスがナハルの後ろに隠れながら喚く。カガチはバリアを訝しげに睨んでから、背を向け捨て台詞を吐いた。

 

「その格好じゃ、街どころか部屋も出られんだろう。私がハザクラを殺すのをそこで見ていろ」

「行かせないよ」

「なんだ? ホテルに風穴でも開けるつもりか? 私は気にしないが……お前のツレがなんと言うかな」

 

 そう言ってカガチが部屋の出口の扉に手をかける。

 

「……チッ」

 

 カガチは扉が“全く動かない”ことに舌打ちをして、バリアの方へ振り向いた。

 

「いつまで“こうして”いるつもりだ?」

 

 ホテル全体はバリアの異能によって、まるで時が止まったかのように動かなくなっていた。半開きの扉やエレベーター等の設備は使奴の怪力を以ってしても決して動くことはなく、ホテルの中にいる者は例外なく閉じ込められることになった。カガチの呆れた物言いに、バリアは触れない槍に貫かれたまま淡々と答える。

 

「ハザクラの作戦が終わるまで」

「このホテルに、一体どれほどの人間がいると思っている」

「人間、丸一日くらい飲まず食わずでも死なないよ」

「バリアっ……!!!」

 

 バリアが聞く耳を持たないと分かると、カガチは今度はハピネスの方へ手を翳した。

 

「私ぃ!?」

「異能を解かなければ、この女を殺す!!!」

「いいよ」

「バリアちゃん!?」

 

 一抹の心配もされないことに、ハピネスはその場に倒れ込んで床を転げ回る。

 

「やだやだやだやだぁ!!! 死にたくない死にたくない死にたくないよ〜!!! こんなつまんないところでつまんない理由で死にたくないよ〜!!!」

 

 駄々っ子のようにのたうち回るハピネスを、カガチが首根っこを掴んで持ち上げ憐れみの目を向ける。

 

「気の毒だな」

「主にお前のせいでな!!!」

 

 ハピネスの遺言を聞き届けたカガチが手に魔力を込める。その瞬間、ナハルがカガチの腕を弱々しく掴んだ。カガチは咄嗟に攻撃を中断し、ナハルを睨みつけた。

 

「この売女が……!! 殺されたいのか……!?」

「いいぞナハル! ぶっ殺スマッシュだ!」

 

 ナハルは何も言わず、カガチに怯えた目を向ける。そして、少しの沈黙を挟み口を開いた。

 

「わ、私も、今回の件については不介入が妥当だと思う」

「お前のツレも死ぬかもしれないぞ」

「ハザクラはそんなことしない。それに……これはカガチのためでもあるんだ」

「ありがた迷惑甚だしいな」

「カガチと言うより……ゾウラのためだ。カガチだって分かってるんだろう? ゾウラが“あのまま”じゃあダメだって……」

「……お前に何かを言われる筋合いはない」

「それに、ハピネスは真実を分かっててずっと黙っていてくれたんだ。それをこんな形で返すのは……あんまりじゃないのか?」

「そうだぞカガチ!! 労わり給え!! 労わり労い慈しみ給えよ!!」

「それはコイツの趣味趣向だろう」

「ハピネスだけじゃない。ラルバも、多分イチルギも気付いてる。みんな気付いてて放っておいてくれたんだ」

「頼んでない」

「“ゴウカ”ならきっとこうする。“リーダー”でもきっと……」

「っ……」

 

 カガチは舌打ちをしてから怯んだように顔を顰め、恨めし気にナハルを睨みつける。

 

「…………思い上がるなよ。“ジェリー”」

 

 そう言うとカガチはハピネスを床に放り投げて背を向けた。

 

「いでっ」

 

 バリアの体を貫いていた槍と部屋中を覆っていた黒い物質が消滅し、カガチの纏っていた威圧的な波導が穏やかに萎んでいった。カガチはそのまま腕を組んで部屋の隅に寄りかかると、立ったまま静かに寝息を立て始めた。ハピネスがすぐさまカガチに駆け寄り、彼女に敵意がないことを確認すると、腹癒(はらい)せと言わんばかりにローキックを放った。

 

「おらっ! 私を労われっ! 慈しめっ!」

 

 バリアは手を握ったり開いたりして体の具合を確かめ、腕を大きく回してから欠伸を零す。ナハルもバリアの背を撫でながら身体の様子を確認し、異常がないことにホッと胸を撫で下ろした。

 

「……やっぱり、もっと早くカガチにも知らせておいた方が良かったんじゃないのか? ハザクラの作戦も、遅かれ早かれバレることは分かっていただろう」

「ん〜……」

「ハザクラを襲う前に私を誘いに来たから良かったものの、直接ハザクラの方へ向かっていたらどうなっていたことか……」

「私に気を遣ってくれたんじゃないかな」

「……そうか?」

「カガチはああ見えて、意外と他人思いなところがある。ゴウカに似たのかな」

 

 眠っているはずのカガチの足元から一匹の黒い蝸牛(カタツムリ)が出現し、突如銃弾のようにバリアに突進した。バリアの眼球に命中した蝸牛(カタツムリ)の弾丸はピンポン玉のように跳ね返され、部屋の中を数回跳弾した後ハピネスの(ヘソ)へと命中した。

 

「うっ」

 

 短い呻き声を上げてハピネスが倒れる。バリアとナハルは互いに顔を見合わせ、これ以上カガチの機嫌を損ねないよう静かにその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

「ってなことがあってだね。いやあ迷惑したなぁ。本当に迷惑」

 

 ハピネスの話を聞き終えると、ラデックは唖然としてバリアを見つめた。

 

「何?」

「……色々聞きたいことが山ほどあるが、まずはハザクラの無事を喜ぶべきか」

「そうだね」

「……正直言って、俺はハザクラの案には反対だ。幾ら世界平和のためとは言え、子供1人を絶望に陥れていい筈がない」

「うん。私もそう思うよ」

「何だって?」

 

 ラデックが再び怪訝そうな顔をすると、バリアは眠っているカガチの方を向いて口を開いた。

 

「ハザクラは今視野が大分狭まってる。それを理論理屈で説き伏せるのは簡単だけど、自分で気付かせるのが成長には一番イイ。今回私やベルやラルバがハザクラの作戦を承諾したのは、一回躓かせてハザクラに自分の立ち位置を見定めさせるためだよ」

「……それを聞いて安心した」

 

 ラデックは大きく息を吐いて椅子に深く腰をかける。すると、シスターが訝しげに眉を顰めバリアに問いかけた。

 

「え? ちょっと待って下さい。バリアさん」

「ん? 何?」

「今“ラルバが”って言いましたか? 彼女もハザクラさんの成長のために協力していたんですか?」

「そうだよ。と言うより、私やベルよりも積極的だったのはラルバだよ。何せ、このために自分の目的を後回しにして 1ヶ月もこの国に滞在することを許可したんだから」

「一体どういう風の吹き回しでしょうか……。ラルバさんにとって、正義漢のハザクラさんは厄介者ではないんですか?」

「寝食共にすればって感じかな。今頃仕上げに入ってると思うよ」

「仕上げ?」

 

 突然ハピネスが笑い出し、怪しく北叟笑(ほくそえ)んでシスターに目を向けた。

 

「ハザクラ君への模範解答の提示さ」

「も、模範解答?」

「楽しみにしてるといい。祭りは明日14時だ」

 

 

 



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120話 善人であり悪人

〜バルコス艦隊 中央陸軍地下物品倉庫〜

 

 大事な話があるから時間を作って欲しい。誰にも聞かれたくない話だから、明日の14時に地下の物品倉庫に来てくれ。

 

 信頼できる仲間からそんな連絡を受け、約束の時間に薄暗い物品倉庫を訪れた。

 

「それで、話とは何だ。ファーゴ」

 

 先に口を開いたのは呼び出された”ミシュラ教官“であった。それを聞いた”ファーゴ元帥“は、不思議そうな顔で首を捻る。

 

「話も何も……我を呼び出したのは貴殿であろう? ミシュラ」

 

 ファーゴの問いかけにミシュラは一瞬の疑問を挟むも、すぐに”何者かに嵌められた“と気がついて出口の方を振り返った。

 

「大〜当ったりぃ〜!!」

 

 そこには、醜悪な白肌に穢らわしい赤角を生やした悍ましい紫髪の使奴が立ちはだかっていた。

 

「貴様……世界ギルドの蝿か? それとも狼の群れの(ワンコ)か?」

「そんな崇高なもんじゃないさ。私は……私こそは!」

 

 ラルバはどこからか取り出した茶色のコートと帽子を取り出し優雅に身に纏ってポーズを決める。

 

「美しすぎる稀代の天才名探偵!! ラルバ・クアッドホッパー!! ジャジャーン!!」

 

 真っ赤な嘘の自己紹介と共に花火魔法で背景を彩ると、ミシュラは大きく顔を歪めてラルバを睨みつける。

 

「“クアッドホッパー”……? やっぱり(ワンコ)か……!!」

 

 ラルバは仰々しく葉巻の口を切り、したり顔で火をつけ咥える。

 

「いやあ、実は長らく気になっていた事件がありまして……。今回はその推理を聞いていただきたいと思いましてね?」

 

 怒りが限界を迎えたミシュラが、虚空から槍を召喚しラルバへと突き刺す。ラルバは刃先を指で軽々弾いて高らかに声を上げる。

 

「10年前の神鳴(かんなり)通り大量殺人事件!!」

 

 何の脈絡もなく出てきた事件の名前に、ミシュラとファーゴが顔色を変える。しかし、ラルバの宣言は終わってはいなかった。

 

「13年前の海呼街(うみこがい)大量殺人事件!! 14年前の金床街(かなとこがい)連続殺人事件!! 16年前の繰闇塔(くりやみとう)無差別殺人事件!! そして!! 18年前の甲板街(かんぱんまち)通り魔事件!! これらの犯人……それは…………この中にいるっ!!!」

 

 そう言ってラルバがファーゴに指をビシッと突きつける。ファーゴは勢いに気圧されて反射的に身体を強ばらせるも、すぐに怪訝そうな顔で首を捻った。

 

「……我であるか?」

「ザッツラーイ!! お前が犯人だ!! 大人しくお縄で首括れぇい!!」

 

 何が何だか分からないといった様子で呆然としているファーゴに代わり、ミシュラがラルバの前に立ちはだかって彼女を突き飛ばした。

 

「はぁ……。世間では優秀だ何だと持て囃されているようだが、使奴の推理も当てにならないな。その事件、どれもファーゴは無関係だ」

「えー? なんでなんでー?」

「現場に落ちていた痕跡は、どれもファーゴとは無関係の物だったはずだ。確かにファーゴにアリバイはないが……」

「じゃあいいじゃん」

「……被害者の殺害手口から導き出される犯人像は、背の低い左利きで、利き足は右。波導パターンはCタイプ。魔力の制御が大胆で、刃物の取り扱いは下手だが射撃は優秀。ファーゴは見ての通りの長身だし右利きだ。利き足は左。波導パターンはDタイプ。10年近い付き合いの私が言うんだから間違いない。魔力の制御は芸術的なほどに繊細で丁寧。それに、剣の扱いに於いては彼女の右に出る者はいないが、射撃の腕は至って平凡。犯人像からは程遠い」

「成程?」

「第一、この件に関してファーゴを犯人から除外したのは世界ギルドの蝿野郎だろうが」

「それは確かに」

 

 ラルバが葉巻を吹かして目を閉じる。

 

「だが……もしも犯人が“多重人格”だったら?」

「……はぁ?」

 

 ラルバは海呼街(うみこがい)に住む沈黙派の使奴“ガレンシャ”から聞いた推理を2人に伝えた。

 

 

 

「じゃあさじゃあさ、そのファジット君の家族とジャラワさんの家族の惨殺事件が、神鳴(かんなり)通り大量殺人事件とは一切関係のない偶然同時に起こっただけの事件だとしたら?」

「は、はあ? そんな訳ないでしょ……。犯行タイミング全く一緒なのよ? どういう偶然よ……」

「不運だよ。この上ない不運。ねえねえ、そしたらどうよ」

「ん〜……、そうしたら……? そうしたら……そうねぇ……まだ色々疑問は残るけど、当時可能性が最も高かったのは――――――――ファーゴ元帥かしら」

「ほう?」

「理由は主にふたつ。ひとつは、そも“これらを同一犯による連続殺人事件”と断定したのは誰なのか」

「手口や犯人像が一緒だったなら、みんな同一犯だと疑うんじゃない?」

「最初の事件は今から18年前の甲板街(かんぱんまち)通り魔事件。その頃の捜査じゃ、まだ残留波導は疎か波導パターンの計測まで行える技術はバルコス艦隊にはなかったわ。それに、10年前の荒い画質から遺体の傷を細かく調査するなんて使奴だって無理よ。だから、そもそもこれらを同一犯だと断言すること自体が不自然なの」

「で、それを最初に口にしたのがファーゴだったと」

「そう。で、ふたつ目の理由は、”なぜ今回の現場にミシュラの残留波導があったのか“」

「犯行に使ったか、或いはミシュラに罪を着せようとしたんでねーの。今のバルコス艦隊なら残留波導くらい調べられるんでないの?」

「無理ね」

「あれま」

「私が思うにこれは――――――――」

 

 

 

「“使奴にバレるのが目的の愉快犯――――!!!」

 

 そう言ってラルバがファーゴに向かって指を突きつける。ファーゴは依然として訝しげな顔で首を捻っているが、ミシュラがラルバの突き出した指を捻り上げ彼女に鬼気迫る表情で詰め寄る。

 

「馬鹿言うな愚図が!! ファーゴが愉快犯だと? お前は彼女のことを何も知らない!!」

「へぁ?」

「ファーゴはな!! 幼い頃に両親を惨殺された孤児だったんだ!! 犯人はファーゴが13の時に捕まったそうだが……その犯人が最後に犯した犯罪が、ファーゴの師の殺害だ!! あの屑野郎は!! ファーゴの目の前で育ての親である師を殺したんだ!!!」

 

 ミシュラが怒りに任せてラルバの指を圧し折る。ラルバはキョトンとした顔で頭を掻き、怒鳴り続けるミシュラを見つめる。

 

「それでも!! それでもファーゴは挫けなかった!! 血汗を流して働き、努力して、中央陸軍にトップの成績で入隊した!! 私が14年間見てきたファーゴという人物は、まるで欠点のない絵に描いたような人だ!! それを……それをお前のような愚図が笑うなぁ!!!」

「へへっ」

 

 ミシュラの怒号に、ラルバは小さくせせら笑った。そのふざけた態度に、ミシュラは怒り心頭に発しラルバを殺そうと槍に手をかけるが、ラルバが呟いた一言がその手を止めた。

 

「後ろ」

 

 快楽とも狂喜とも取れる異様な笑顔を作るラルバの不気味さに、ミシュラは何か恐ろしいものを感じて振り向いた。そこには、同じく悍ましい表情で微笑むファーゴの姿があった。

 

「……ファーゴ?」

 

 ミシュラが恐る恐る名前を呼ぶと、ファーゴは数秒遅れて口を開いた。

 

「ファーゴ……ファーゴか」

 

 地下室の生温い湿った空気が、より濃く粘ついて肌に張り付く。

 

「ミシュラよ。お主の言う“ファーゴ”と言うのは……」

 

 穏やかだった波動が、地獄の釜から漏れ出る瘴気のように変質していく。

 

「一体、“どのファーゴ”であるか?」

「ひっ……!!」

 

 今まで見たこともないほど不気味で君の悪いファーゴの笑顔に、ミシュラは足の力が抜けて尻餅をついた。隣にいたラルバは、変わらずニヤニヤと笑いながら楽しそうに問いかけた。

 

「“初めまして”ファーゴさん。いや、ファーゴさんで合ってる?」

「うむ。我“も”ファーゴであるぞ」

「ああ、そりゃあ良かった」

 

 ラルバは帽子を被り直し、改めてファーゴに指を突きつけ宣言する。

 

「犯人はお前だ。バルコス艦隊中央陸軍元帥。ファーゴ」

 

 ファーゴは嬉しそうに笑い、大きく頷いた。

 

「如何にも。このファーゴが真犯人である。よくぞ見破ったな」

 

 ミシュラは尻餅をついたまま、青褪めた顔でファーゴを見上げる。

 

「ファー……ゴ……なん、なん、で。お前が……お前は……そんなこと、する奴じゃ……」

「“そんなことする奴じゃないファーゴもいる”ってことでしょうよ」

 

 ラルバの推測がミシュラの声を遮る。

 

「正直、私も“そこ”だけ分からなかった。どうやって長年使奴の目を掻い潜って犯罪を犯してきたのか。元々、バルコス艦隊には一般人を装った使奴が暮らしている。でも、世界ギルドが捜査を要請するまで彼女は今日まで真犯人がファーゴだと確信するに至らなかった。でも、今アンタが“見せてくれた”ことで、漸く手品のタネが分かったよ。ファーゴ、アンタは“自分の内にある複数の人格を自在に操る異能者“だ」

 

 ファーゴが目を見開いて笑う。

 

「そこまで分かるのか……!! 素晴らしい!!」

「私の推理は当たっていた。でも、それを聞いてる最中もアンタはずっと唖然として、どう見てもしらばっくれてる真犯人の面じゃなかった。使奴の私が嘘を見破れないってことは、本当に知らないからなんだろう。普段の“真面目なファーゴ”は記憶を共有していない真の善人。“犯罪者のファーゴ”は全ての記憶を把握している悪人。人格が変わると、波導パターンや利き手利き足の変化、更には病気の有無や声紋まで変化することもある。使奴が真犯人を特定できなかった理由は、そもそも元帥である善人の“ファーゴ”と犯人である悪人の“ファーゴ”が別人だったからだ。そんなもの異能で変化させられたんじゃ、幾ら完璧超人の使奴でも見破れない」

「くくっ……くくくくっ……あはははははははっ!!! 予想以上!!! 予想以上だラルバ殿!!! まさか異能まで言い当てられるとは!!」

「そりゃどうも」

 

 ファーゴは腹を抱えて大声で笑い、何度も手を叩いて喜んだ。見たことのない狂った親友の姿に、ミシュラは絶望と恐怖の狭間で必死に言葉を紡ぐ。

 

「な、なんで……何でだファーゴ……。お前は、だ、だって……」

 

 突然ファーゴはピタッと静止し、ミシュラに向け指を左右に振り否定を表す。

 

「チッチッチ……。ミシュラよ。貴殿は何一つ分かっていない……」

「な、なにが……だ?」

「殺人鬼に親を殺されたあの日、あの日に、私の全てが始まったのだよ……!!」

「お前、何を――――」

「父上。母上。いつ思い出しても、あの二人は非の打ちどころのない人の鑑であった……。それがあの日、刃物でその身を切り裂かれ、臓物を床に撒き散らし力なく倒れた時、私の中で何かが弾けた! そう、私は、”美しいものが壊れる美しさ“に気付いてしまったのだよ……!!!」

 

 ファーゴは近くの荷物を魔法で吹き飛ばし、地下室の壁をスクリーンにして映像魔法を映画のように投影する。そこには、ノイズ走る荒い画質でファーゴの”最初の犯罪“が記録されていた、

 

「最初は愛玩動物の兎や猫であった! 幼かった我に大それたことは叶わず、身近で隠蔽しやすいものに限られた。だが、それでは我の欲望は満たされない! 力の無い己を呪いながら、小動物ばかりを手にかける鬱屈とした毎日を過ごした……。 そして我が13の時!! あやつが再び我の前に現れた!! あの我の両親を殺した殺人鬼が!! 稀有なことに、あやつも“同類”であったのだ!! そして、あやつも我が同類だと気付き、寛大なことに”トドメ“を我に譲ってくれたのだ!!」

「ト、トドメだと……!? ファーゴ、お前まさか!!」

「そう!! 育て親である我が師を殺害したのは我である!! 刃物越しに伝わる皮膚の柔さ! 骨の硬さ! 筋繊維や血管の一本一本!! 美しく儚い命の圧力!! 生きようと足掻く生命が、我の手によって消えるあの瞬間!! 今でも忘れられん……あの瞬間が、最初にして最高の1ページだったのだ!!」

 

 映像魔法の中で、壮年の女性が倒れ込み血溜まりを作っている。その映像を恍惚の表情で見上げるファーゴを、ミシュラは茫然自失のまま見つめている。

 

「そんな、そんな……昔に話してくれたじゃないか……。あの事件は、お前が元帥を目指す理由となった最も恨めしい出来事だったと……!!」

「そんなもの、”我ではないファーゴ“が語った嘘っぱちである。だが、当たらずとも遠からず。あの事件は、我が元帥を目指す理由となった最も恨めしい出来事ではある」

 

 ファーゴは映像魔法を切り替え、自身が取り調べを受けているシーンを映し出す。

 

「軍の誰一人として、子供であった我の”自白“を聞き入れはしなかった。師の殺害の他、数多のペットを殺してきたことも供述したと言うのに、誰もが”大切な人を2度も殺されて精神が狂ってしまった”と決めつけよった」

 

 次第にファーゴの呟きに熱が篭り、怒りと悔恨の入り混じった醜悪な怒号へと変わっていく。

 

「何より腹が立つのは、我の両親を殺したあの男である!! あやつが逮捕された後から聞けば、あやつは我と再会した時には既に重度の痴呆症を患っていたそうだ!! 我の師を殺しに来たのも、我の親をまだ殺していないと勘違いをしていたからだったのだ!! それだけならまだしも……あやつは歴史に残る大犯罪者であった筈なのに、裁判では責任能力の有無を疑われ大きく減刑された!! 世間の誰もがあやつをチンケな模倣犯ではないかと疑い、挙句の果てにあやつは正気を失い獄中で腐った床板を食べて死んだ!!! なんと、なんと情けない死に方か!!! なんと見窄らしい最期か!!!」

 

 大声と共にファーゴが近くの木箱を殴り飛ばす。積んであった一斗缶を蹴り飛ばし、落ちていたミシュラの槍を拾って麻袋を何度も突き刺した。

 

「我ならああはせぬ!!! 我はああはならぬ!!! 我は!!! 我なら!!! もっと上手く成し遂げて見せるっ!!!」

 

 ミシュラの槍の刃が折れ、ファーゴは肩で息をしながら次第に笑い始める。

 

「だから元帥になったのだ……!! この国で一番偉くなれば、誰も我を疑わぬ……!! 全ての国民が我を知り、我を信じ、そして騙される!! そのために……ミシュラ!!」

 

 突然名前を呼ばれたミシュラがビクッと体を震わせる。ファーゴは血走った目で彼女に笑いかけ、呼吸荒く語りかける。

 

「お前のような“愚図”を作ったのだ……!!」

「…………愚図?」

「ああそうだ……!! お前のように愚図で、思慮が浅く、独りよがりで、そのくせプライドだけはめっぽう高い。そんな“救えない愚図”を隣に置きたかった!!」

「う、嘘だ……だってファーゴ。お前は、私に……!!」

「ほおら馬鹿である!! この期に及んで、まだ我に期待をしている!! そんな馬鹿で愚図で鈍い阿呆だからこそ!! 隣に立たせれば、対比で我はとびきり優秀に見える!!」

「…………ファーゴ」

「そんな馬鹿に権力を持たせれば、我を容疑者から外すために肉壁となって立ちはだかるであろう! 今回だってそうだ! お前はアリバイのない我を庇うために、昼夜走り回って我の無実を叫んだのだろう!? 嗚呼、実に愚か!! 浅薄愚劣極まりない!! お陰で我は好きな時に好きなだけ楽しむことができた!!! 気付いておるか? ミシュラよ。まだ立件されていないだけで、我の犯した大罪は未だ山程あると!!」

 

 ファーゴはラルバの方に振り向き、指を差して大声で笑う。

 

「ラルバ殿が挙げた事件など、氷山の一角に過ぎぬ!! 我の全てを知った時、我が全てを語った時!! バルコス艦隊中……いや、世界中が我の恐ろしさに身を震わせるだろう!!! 国で最も敬愛される元帥は、軍で最も誠実な指導者は、世界で最も恐ろしい殺人鬼であったのだ!!!」



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121話 嘘の上塗り

「ラルバ殿が挙げた事件など、氷山の一角に過ぎぬ!! 我の全てを知った時、我が全てを語った時!! バルコス艦隊中……いや、世界中が我の恐ろしさに身を震わせるだろう!!! バルコス艦隊で最も敬愛される善良なる元帥は、世界で最も恐ろしい連続殺人鬼であったのだ!!!」

 

 再び腹を抱えて笑い転げるファーゴ。ミシュラは魂が抜けたように座り込み、焦点の合っていない目で床を眺めている。

 

「そ、そんな……ファーゴ。何故……何でっ……!」

「悔しいか? ミシュラ。己が許せないか? 我を受け入れられないか? 好きに思うといい。どうせ貴殿のような愚図が何を(たばか)ったところで、成し遂げられることなど皆無であろうよ。お勉強さえ出来れば優秀になれると思ったら大間違いである。まあ、今更知ったところでどうしようもないがな」

「お前のせいでっ……ムグリア町長は自殺したんだぞ!! ヴァキマ警備隊長も精神を病んで、今も魂の抜けた人形のままだ……!! それに、1人取り残されたファジット君は……ファジット君は未だ見つかって……!!!」

「そう!! ファジット!!!」

 

 ファーゴは何かを思い出して大きく手を打った。

 

「ラルバ殿はもう気づいておるかもしれんが……ファジット少年の家族を殺したのは、実は我ではないのだ! ジャラワ達も同様! あれは我の手口を真似た何者かの犯行……それも、実に鮮やかで洗練された芸術である!!!」

 

 ラルバは暇そうに爪を弄り、のんびりとした気の抜けた声で返事をする。

 

「あー……アレね。うん。あの2件のせいで苦労したって、担当の使奴も言ってたよ」

「ラルバ殿は真犯人を知っておるのか!?」

「ん。まーね」

「やはり……やはりか……!!!」

 

 ファーゴは喜びに満ちた表情を手で覆い、部屋の中をふらふらと意味もなく歩き回る。

 

「殺害現場を見た時、我に衝撃が走った!! 恐ろしく無駄がなく、一切の意思も残さない残忍且つ無機質な犯行!! あれはまさしく我が目指していた、“現象としての殺人”!!! 殺意を含む凡ゆる意を削り落とした殺人は、最早落雷や竜巻と同じ災害に等しい!! 事故として扱われるような不運による死である!!! あの事件以来、我は“スランプ”に陥った……。もう10年も誰も殺していない。どうやって殺したら良いかが全く浮かばんのだ!! それほどに、あの犯行は美しかった…………」

 

 最早、ミシュラは返す言葉がなかった。彼女に投げかける言葉が見つからない、というよりは、何を言っても無意味である。そんな風に感じられた。ミシュラの中でずっと輝き続けていた誇るべき指導者であり、唯一無二の親愛なる友。その面影は、もうどこにもない。

 

 ファーゴはミシュラの方を一瞥すると、小さく鼻で笑ってから静かにラルバを睨んだ。

 

「……して、ラルバ殿」

「んぁ? 呼んだ?」

 

 突然話しかけられたラルバは、素っ頓狂な声で返事をする。

 

「貴殿は……一体どうやって我を“罰する”おつもりか?」

 

 ファーゴの問いに、ラルバは僅かに歯を擦り合わせた。

 

「……いい質問だねぇ」

態々(わざわざ)我をこんな人気のない場所に呼び出したということは……そういうことであろう? 貴殿が正義か悪かは知らんが……、我という大犯罪者を罰することが目的であることに変わりあるまい。だが残念であったな。我を肉体的に懲らしめようが、精神的に懲らしめようが……それらの罰を受けるのは“善良()つ犯罪者の自覚がない真人間のファーゴ”である。その善良なるファーゴが苦しんでいる間、我は痛みも苦しみもない“内側”で時が過ぎるのを待とう……。それでも貴殿は、何の罪もない善良なるファーゴを苦しめるつもりか?」

「ん〜……そういうことすると偉い人たちが怒りそうだねぇ。私も楽しくないし、殺しちゃおっか?」

「はっはっはっは! それも一興……我の犯した大罪の数々は、真犯人不明のまま闇へと葬られる! 少しばかり不満ではあるが、そういったエンディングもまた乙であるな」

「あらぁ。死ぬのも怖くないのねぇ〜」

 

 ラルバとファーゴは互いに朗らかに笑い合う。方や大罪を犯した極悪犯罪者。方や私刑を企む偽善者。2人の間に流れる空気が、その邪悪さに耐え切れず渦を巻いて腐敗していく。しかし、ラルバの薄気味悪い微笑みは次第に堪えるような笑いに変わっていく。

 

「ひひひひ……いやあ残念だなぁ。こんな悪いやつを殺せないだなんて、お前みたいな悪党がのうのうと生きていていい筈ないのに」

「では殺してみるか? ラルバ殿。案外上手くいくやも知れぬぞ?」

「そうだね! 考える前にやってみるか!!」

 

 そう言ってラルバがファーゴに背を向け壁の方を向く。先程までファーゴが過去の映像を映し出していた壁に、今度はラルバが通信魔法を展開して映像を映し出した。

 

「ん……? なんであるか? これは」

 

 そこは、バルコス艦隊のランドマークである繰闇塔(くりやみとう)を中心とした広場の生中継映像であった。ラルバは画面を4つ5つと増やし、広場に集まる群衆の表情から広場の中心まで隅々をモニターに映し出す。そのメイン画面、広場の最も中心にいるのは、困惑した表情のバルコス艦隊軍中将であった。

 

「えー……こ、これより、“ファーゴ元帥”の処刑を執り行う!!」

 

 スピーカーから発せられた声に、理解が追いつかず押し黙る群衆。それは決して映像の中だけでなく、モニターを見つめるファーゴも同様であった。自分は今ここにいると言うのに、映像の中では自分の処刑を計画している。理解不能な状況に、ファーゴは只管(ひたすら)に純粋な疑問に(さいなま)まれた。

 

「……? 何を言っておるのだ……? は……?」

 

 映像の中で中将が手を挙げると、彼の背後からヨボヨボの薄汚い老人が鎖を引かれ歩いて来た。カビだらけの汚らしいボロ布1枚を羽織った男性と思しき老人は、今にも泣き出しそうな情けない表情で高台に座らされる。中将が未だ困惑した表情のまま、手元の書類に目を落として再び声を発する。

 

「この老人が“ファーゴ元帥”である!」

 

 映像の中で群衆が響めく。しかし、誰よりも現状を受け入れられていないのは、今映像を見ているファーゴであった。

 

「なっ……どういうことであるか!? 我はここに……いや、そもそもあの男は誰であるか!? ラ、ラルバ殿!! 貴殿は一体何を企んでおるのだ!?」

「まあまあ。そう慌てなさんな元帥殿。今ここでアンタが泣こうが喚こうが現実は変わらない。うるせぇから黙って観てろよ」

 

 ラルバに強く肩を押されて無理矢理座らされるファーゴ。それでも彼女は取り乱したままであったが、使奴の前では如何なる抵抗も意味を成さず、ただただラルバの言う通りに大人しくせざるを得なかった。

 

 広場では滞りなく中将の説明が行われている。

 

「え、えー……静かに!! この男は“幻想の異能者”である!! 他人の意識に介入し、勘違いや思い込みを増長させ操作する卑怯極まりない下劣な能力!! 調査によれば、ファーゴ元帥なる人物はこの世に存在せず、その功績は全て中央陸軍大将ら自らが行ってきたものであることが判明した!! この男は、“ファーゴ元帥という存在しない人格者“を皆の意識に滑り込ませ、数多の功績を我が物と言い張ってきたのだ!!」

 

 中将の説明に、群衆の響めきがより強いものになっていく。

 

「な、なんだと……?」

「彼は何を言ってるんだ!? ファーゴ元帥が存在しない!?」

「まさかそんな……! だって、俺の娘はファーゴ元帥に助けてもらって……」

「私は確かにこの目でファーゴ元帥を見たわ! あんなの出鱈目(デタラメ)よ!」

「静かに!! 静かに!!」

 

 中将が声を張り上げ説明を続ける。

 

「また、18年前の甲板街(かんぱんまち)通り魔事件や、16年前の繰闇塔(くりやみとう)無差別殺人事件!! これらを始めとする未解決の殺人事件は、この男の能力の副産物であることが判明した!!」

 

 ファーゴが強く目を開き、小さく何かを呟いた。しかし映像の中での中将は、ファーゴの意志などお構いなしに事を進めていく。

 

「存在しない人物を作り出した結果、存在しない功績が生まれ、存在しない現実が生まれた! その存在しない現実の分、存在する現実が認識できなくなり、“ただの事故が(あたか)も連続殺人事件のように見えてしまう”思い込みが発生した!! 我々中央陸軍を翻弄し、国民を恐怖の底に陥れた大犯罪者など、最初からいなかったのだ!!!」

「違う!!!」

 

 映像に向かって、青褪めたファーゴが声を張り上げる。

 

「偽物である!!! 出鱈目である!!! ファーゴはここにおる!!! せ、世紀の大犯罪者はっ!!! ここにいる!!! 騙されるなぁあ!!!」

 

 当然そんな叫びは映像の向こうの国民達には届かない。しかし、国民達のファーゴ元帥への信頼は厚く、群衆は混乱しながらも中将の言葉を頑なに信じようとはしなかった。

 

「幾らなんでも、何かの間違いだろ……」

「都合よく行きすぎてる……!」

「でも否定材料もないんだろ?」

「ばーか。反論できないイコール真実じゃねーだろ」

「俺は信じない!! ファーゴ元帥は俺のヒーローなんだ!!」

 

 徐々に困惑の声が力強い否定の声に変わっていく。ファーゴ元帥は救われたかのように口角を緩め、乾いた笑いに潤いが戻っていく。

 

「は、はは……はははは……はーっはっはっは! どうだ!! 見たかラルバ殿!! 我を侮ったな……我への信頼は並みではない!!! この程度の杜撰な謀略、擦り傷にも至らん!!!」

「はっ、さっきまで泡食ってたくせに、なぁにを調子に乗っているんだか。黙って見てろよっつったろ」

 

 映像の中で中将が慌ててマイクを握り直す。

 

「しっ静かに!! 静かに!! 処刑は決定事項であり、発表は真実である!!」

「うるせー!! 俺達の元帥を馬鹿にするな!!」

「引っ込め愚図野郎ー!!」

「お前じゃ話にならねーよ!! 大将だ!! 大将出せーっ!!」

 

 群衆の声が次第に大きくなっていき、それは中将のスピーカー越しの声を掻き消していく。処刑台を囲む規制線を越える者が出始めた。

 

「静かにしろ!! 規制線を越えるな!! 処罰するぞ!!」

「やれるもんならやってみろよ!! このほら吹野郎!!」

「行け行けー!! ぶっ壊せ!!」

 

 群衆は暴徒へと変貌し、明確な敵対心を露わにする。そして軍隊と民衆が激突する寸前、スピーカーからほんの少しだけ音声が流れた。

 

「黙れ」

 

 怒りの篭った女性の小さな声。その呟きに軍隊も群衆も自然と動きを止め、壇上の方に視線を引っ張られた。そして、いつの間にか壇上に立っていた4名の人物の姿に釘付けになった。

 

 元グリディアン神殿統合軍最高司令官。”軍神“ロゼ。

 

 人道主義自己防衛軍クサリ総指揮官。“嵐帝”ジャハル・バルキュリアス

 

 元世界ギルド境界の門総帥。イチルギ。

 

 そしてーーーー

 

 元グリディアン神殿大統領。ザルバス。

 

  使奴による情報統制の敷かれた現代、ましてやバルコス艦隊では軍による情報の検閲が行われているため、国民達が得られる情報は更に少ない。しかし、彼女達4名は良くも悪くも言わずと知れた“有名人”であり、そんな中でもとりわけロゼとザルバスの知名度はずば抜けて高かった。

 

 マイクを握っていたロゼが吐き捨てるように言い放つ。

 

「俺達の調査に文句がある奴はもう一歩前に出ろ。相手してやる」

 

 先程の暴動寸前の勢いはどこへやら。国民達も軍隊も水を打ったように静まり返り、木の葉が地を這う音だけが走り回っている。

 

 ロゼは舌打ちをしてからザルバスにマイクを渡す。ザルバスは和かにそれを受け取り、美しい透き通った声で国民達に語りかける。

 

「初めまして、バルコス艦隊の皆様。私の名前はザルバス。元グリディアン神殿の大統領であり、今は人道主義自己防衛軍の軍団“アマグモ”で総指揮官代理を務めさせていただいている。中将の言葉は全て真実だ。ファーゴ元帥も、恐ろしい殺人鬼も最初から存在しない。そこにいるイチルギとジャハルも同意してくれると思うよ」

 

 そう言ってザルバスが2人の方を向くと、イチルギもジャハルも静かに目を伏せて肯定を示した。ザルバスは満足そうに頷き、再び国民達に向かって語りかける。

 

「信じ難いかも知れないけど、私とロゼの調査結果を、中央陸軍、人道主義自己防衛軍、世界ギルドの三者に監査してもらっての満場一致だ。疑うなら他の国にも監査を打診してもいいけど、必要かな?」

 

 国民達は答えない。犬猿の仲であるグリディアン神殿と世界ギルドの権力者同士が共に壇上に立っているという事実が、彼らにとっては悪い夢のように信じ難い出来事であり、その悪い夢が現実であるが故に、彼らはザルバスの言葉を受け入れざるを得なかった。今、自分達の知らぬところで世界を変える何かが動いている。そんな漠然とした予感に囚われた。

 

 群衆は再び響めきの声を上げ始めるが、それらは先程の疑念とは違い、限りなく肯定に近い審議であった。

 

「ま、マジなのか……?」

「ファーゴ元帥は……いない……?」

「じゃなきゃザルバス様があそこにいる理由が……」

「でも何で人道主義自己防衛軍なんかにーーーー」

「何か考えがあってのことでは……」

 

 壇上のザルバスがイチルギ達の方をチラリと見てから、処刑台の上でほったらかしにされていた“自称ファーゴ”の老人へと歩み寄る。

 

「さて、幻想の異能者“ファーゴ”さん。これから君の処刑が行われるわけだけど、辞世の句に何か残したい言葉はあるかな?」

 

 そう言ってザルバスは老人にマイクを差し出す。すると、老人は小刻みにプルプルと震えた後、大声で叫び出した。

 

「ご、ごめんなしゃい〜!!! もうしましぇんのでっ許してくだしゃいぃ〜っ!!!」

「やめろぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

 映像を見ていた本物のファーゴが、鬼の形相で映像へと叫ぶ。しかし、当然ながらその叫びはモニターの先で情けなく泣き喚く老人には届かない。

 

「死にたくないでしゅぅ〜っ!!! も、もうやりましぇ〜ん!!!」

「やめろやめろやめろやめろぉぉぉおおお!!! 我の名で!!! そんな見窄らしい真似をするなぁぁああああ!!!」

「ふぇぇえええ〜っ!!! い、痛いのは嫌でしゅぅ〜!!!」

「許されん!!! 断じて許されん!!! お、お前のような輩のせいで我の名が、偉大なる大悪党ファーゴの名が汚されることなどっ!!! ふざけっふざけるなぁぁああああ!!!」

 

 映像の中で泣き喚く老人に向かって叫び続けるファーゴ。予想通りの結末にラルバは失笑を零した。

 

「ひひひひっ。あの爺さんはその辺で寝てたホームレスだよ。世界ギルドの永住権とちょっとのお小遣いあげるって言ったら、喜んで狸になってくれたよ」

「こ、こんなこと……!!! 何故だっ!!! 何故国民共は奴らの言うことを信じる!? どう考えてもおかしいだろう!!! こんなこと!!! 何故だ!!! 何故っ!!!」

「群衆なんてそんなもんだろ。合理性なんて二の次、見えない部分を補完出来るほど優秀じゃない。アンタは衆愚を操るのが得意だったみたいだけど、残念だったね。そういうの私の方が得意なんだよねぇ〜」

「目を覚ませ馬鹿共!!! そいつは本物のファーゴではない!!! やめろ!!! 我を、我を汚すなぁぁぁああああ!!!」

 

 ファーゴの怒りは次第に深い悲しみへと変化していく。

 

「やめろ……頼む、やめてくれ……!!! もう、もうやめてくれ……!!!」

 

 映像の中では依然として老人が泣き叫んでおり、国民や軍人達の呆れと軽蔑の眼差しが映し出されている。

 

「ファーゴ元帥……マジかよ」

「尊敬してたのに……」

「ファーゴ元帥シリアルキラー説、陰謀論だとは思ってたけどさ。まさかこんな……」

 

「ち、違う……違う……!!!」

 

「バルコス艦隊の恥だ……!」

「いい加減黙らせてくれよ……こっちまで恥ずかしくなってくる……」

「あー、私だ。至急、軍内部から“ファーゴ”の情報を抹消するように。急げ」

 

「我は……偉大なる……大、犯罪者で……」

 

「サイン、捨てるか……なんか急に気持ち悪くなってきた」

「一番可哀想なのはファジット君だろ……。彼が観てなきゃいいが……」

「なんかもう逆におもしれーわ」

 

「皆が……我の名を……語り、継い……で…………」

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして、ファーゴ元帥はバルコス艦隊の歴史から葬られ、国民達もその名を口にすることを禁忌とした。中央陸軍は最高権力者の称号を“大将”に変更し、ファーゴ元帥なる人物の痕跡は急速に消滅していった。

 

「あ……ああ…………我を、ファーゴを、忘れないで……くれ…………」



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122話 真の過ちとは、省みないことである

 こうして、バルコス艦隊は人道主義自己防衛軍の従属国となった。しかし、祖国の従属化を忌避する国民は少なく、大半の人間が「まあ、ファーゴよりはマシか」と半ば諦めた様子で受け入れていた。僅かな反対勢力はロゼとザルバスによって鎮められ、偽ファーゴの処刑が行われた直後も、バルコス艦隊はまるで何事もなかったかのようにいつもと変わらぬ平凡な様相を保っていた。

 

〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜

 

「……今、戻った」

「ただいま戻りました!」

 

 偽ファーゴの見せかけの処刑が行われた数時間後、ハザクラとゾウラがラルバ達のいるホテルの一室へと戻ってきた。扉を開けると、そこには今にも殴りかかってきそうな程に敵意を剥き出しにするカガチが立っており、ハザクラを一瞥するとすぐさまゾウラに跪いた。

 

「お帰りなさいませ。ゾウラ様」

「お留守番ご苦労様でした。カガチ」

 

 いつもと変わらぬ優しい微笑みを向けるゾウラ。その姿に安心したのか、カガチはゾウラの手をとり部屋の中へと戻っていく。その寸前、一度だけハザクラの方に向かって聞き取れないほどに小さな声で呟いた。

 

「次は無いぞ」

 

 2人が部屋の奥に入っていくのを見届けると、ハザクラは目を伏せたまま暫く立ち尽くし、徐に部屋の中へと足を踏み入れた。そこにはラルバを始めとしたメンバーが全員揃っており、皆がハザクラを労った。ジャハルがハザクラの前に立ち、心配そうに彼の顔を覗き込む。

 

「だ、大丈夫か……? ハザクラ」

「……ああ。大丈……いや、そうでもないな」

 

  ハザクラは乾いた笑いを零し、ジャハルの傍を素通りしてバリアの方へと歩いて行く。

 

「……先生」

「ん。どうだった?」

 

 バリアが煎餅を齧りながら問いかけると、ハザクラは目を伏せて頬の内側を噛んだ。

 

「…………ご迷惑、お掛けしました。少し思い上がっていました」

「20点」

「え?」

「その感想じゃあ及第点もあげられないよ」

「……」

「ハザクラなら、満点の回答ができるって思ってるけど。もしかして私の勘違い?」

「………………いえ」

 

 突き放すようなバリアの物言いに、ハザクラは僅かに眉を顰めて目を泳がせる。そして、目を瞑ってから意を決して口を開いた。

 

「ラルバ。少しだけ時間あるか?」

「むむっ」

 

 ラルバはホットケーキを口一杯に頬張ったままハザクラの方を向き、ハムスターのように口を小刻みに動かして見せた。しかしハザクラは態度を変えず、窓から外を見下ろしてから部屋を出て行く。

 

「2人で話したい。二丁目の黒い屋根の喫茶店に来てくれ」

「ひあほっほへへーひはへへんほひあははんへほ!」

「待ってる」

 

 ラルバがホットケーキを飲み込む前にハザクラは部屋を後にした。ラルバは不機嫌そうにホットケーキを飲み込み、ホットココアをぐびぐびと呷る。

 

「んぐっ。んぐっ。んもう自分勝手なんだからあの坊やは」

 

 その場にいた誰もが「お前が言うな」と言わんばかりの視線をラルバに向けた。

 

〜バルコス艦隊 喫茶“木漏れ日”〜

 

 小さな木造の個人経営の喫茶店。その小さなテラスの一角に、ハザクラが1人ぽつんと座っている。

 

 彼が3杯目のコーヒーを丁度飲み切ると同時に、目の前の席にラルバがどかっと腰をかけた。

 

「ケーキとカフェラテ。砂糖たっぷりで」

 

 彼女は近くにいた従業員に注文をすると、ハザクラの方へ視線を戻した。ハザクラは静かにコーヒーカップを机に置き、ラルバに深く頭を下げた。

 

「……つむじに銃口でもついてんの?」

「ありがとう。ラルバ」

 

 ハザクラの感謝の言葉に、ラルバは小馬鹿にするように笑って見せた。

 

「はっ。ハザクラが私に感謝をする日が来るなんて、明日は槍が降るね」

「その点は心配ない。ラルバが俺に気を遣っても、槍は降らなかった」

 

 ラルバが訝しげに目を細める。

 

「……私が? お前を? いつ?」

「今考えればおかしな話だ。お前がファーゴのことを調べ出してから追い詰めるまで僅か2日。せっかちなお前なら、さっさと吊し上げて次の目的地を目指すのがいつもの流れだ。だが、今回は俺の計画に1ヶ月もの猶予を与えた。計画内容も碌に伝えず、お前にとってなんのメリットもない、にも拘らずだ」

「ハピネスに休暇あげたかっただけだよ」

「それも、今思えば変な話だ。ハピネスはグリディアン神殿でも相当雑な扱いを受けただろう。それをお前は微塵も労わらなかった」

「やらなきゃやらないで文句言って、なぁんで労ったら労ったで疑うのさ。嫌ーなかーんじー」

「疑ってない」

「はぁ?」

「俺は単純に、ラルバの“優しさ”だと思っている」

 

 真面目に答えるハザクラを、ラルバがゲテモノ料理を見るような目で睨む。

 

「何さ急に。きっしょ」

「今回、人道主義自己防衛軍……ないし、ベルが俺の作戦に協力してくれたこと。そして、バリア先生が俺の作戦に賛同してくれたこと。俺はその理由を、自分の作戦が正しいものだからだと思い込んでいた。でも、それは違った。真実は、俺にゾウラという人物をぶつけ、己の矮小さに気付かせるためだった。子供の挑戦を見守る大人のように、失敗を経験させるためだったんだ。だが、その失敗に模範解答を示したのは……ラルバ。お前の意見だそうだな」

「ああ、ごめん聞いてなかった。なんか言った?」

「ファジット少年1人の希望と引き換えに、バルコス艦隊軍の信用を失わせる……俺の竜討伐計画に対し、お前は偽のファーゴ元帥に全ての罪を着せ処刑したかのように見せることで、実質一切の善を傷付けずにバルコス艦隊を支配して見せた。これは(まさ)しく、俺が望んでいた“模範解答”だ」

「やぁ〜い能無し〜」

「ああ、俺じゃあファーゴ元帥の悪事には到底気付けなかった。お前のお陰で無様な鼻っ柱が圧し折れたよ」

 

 ラルバの悪態に、涼しげな笑顔で応え続けるハザクラ。ラルバはこれ以上の煽りは無意味だと思い、丁度運ばれてきたカフェラテを啜ってそっぽを向いた。

 

「フン。バリアは私の仲間だからな。そのバリアがお前のことを気にかけていると言うのであれば、手を貸さん訳にはいかんだろう」

「ならば、ハピネスを甘やかした理由は?」

「私は物臭なだけで良心が無い訳じゃない。頑張った者にはその分報酬を与えるさ。忘れてる時もあるがな」

「ふ……そうか」

 

 依然として全てを見透かしたかのように微笑むハザクラ。ラルバは居心地が悪くなり、ケーキをふた口で平らげ席を立った。

 

「ごっそさん! ま、少しでも私に恩義を感じてるなら、もう私の邪魔しないでね」

「それとこれとは話が別だ。俺の正義に反するなら目一杯邪魔してやる」

「ふん! 寝てる間に鼻に朝顔の種詰めてやる!」

「それは本当に怒るぞ」

 

 露骨に機嫌悪そうに大股で立ち去るラルバ。その背中を見送り、ハザクラはラルバの残していったカフェラテを飲み干した。

 

「……ピガット遺跡でキザンに何を言われたんだか。触れないでおくか」

 

 

〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜

 

「ただいま! あーつまんなかった!」

 

 ハザクラを喫茶店に置いて、皆の元へ戻ってきたラルバ。目に見えて不機嫌を露わにする彼女に、ラデックが少し申し訳なさそうに近づいた。

 

「おかえり。帰ってきたばかりのところ悪いんだが……一つ相談がある」

「何? お小遣いならハピネスに遊興費全額預けてあるから、そっから貰って」

「残念!! 賭場でぜ〜んぶスちゃったよ〜!」

 

 両手をひらひらと振って戯けるハピネスには目もくれず、ラデックは神妙な面持ちのまま口を開く。

 

「もう1ヶ月……いや、2週間でいい。バルコス艦隊に滞在できないか?」

「んえ〜!? これ以上〜!? 流石のラルバちゃんも我慢できませんよ?」

「ファジット君を人間に戻してやりたい」

「あー……」

 

 聞き覚えのある名前に、ラルバは下唇を突き出して不満そうに眉を顰めた。そこへ、シスターもラデックに賛同し頭を下げる。

 

「私からもお願いします。ファジットさんは、恐らくラデックさんと同じ生命改造の異能者……。自分と同じ異能者と出会えるなんて奇跡、これを逃せばもう2度と訪れません。それに、彼はバルコス艦隊の文化から10年も離れている……。事情を知り、共に町を歩いてくれる人物が必要なはずです」

 

 2人に頭を下げられて困惑するラルバは、暫く唸り声を上げた後に大きく両手を上げてぼやいた。

 

「あーもうわかったよぉ!! これじゃあどっちが我儘か分からん!!」

 

 ラルバの承諾に、ラデックはシスターと顔を見合わせて喜んだ。

 

「ありがとう。ラルバ」

「ありがとうございます。ラルバさん」

「ありがとうラルバ!!」

 

 2人と並んで頭を下げて、両手のひらをラルバに差し出すハピネス。

 

「…………何よ、ハピネス」

「お金ないなった。おこづかいをください」

「全部ギャンブルに突っ込むのが悪いんでしょうよ……。てか千里眼なのになんで負けてんのさ」

「レースに千里眼使って何になると?」

「何でポーカーとかにしないの……」

「ギャンブルはヒリついてこそギャンブル! じゃない?」

「…………ちゃんと返してよ」

 

 ラルバが懐から数枚の紙幣を渡すと、ハピネスはひったくるように受け取り走り出す。

 

「ひゃっほうサンキュー!! 倍にして返す!! 来いラプー!! 賭場ぶっ潰すぞ!!」

「んあ」

 

 ラプーの手を引いて部屋を飛び出していったハピネスを、すぐさまイチルギが追いかけていく。

 

「ちょっと待てクソガキぁー!!」

 

 イチルギが出ていった扉を呆然と見つめる一行。ラルバは1人不機嫌をアピールしながら鼻を鳴らし、冷蔵庫から酒瓶を取り出してグラスに注ぎ始めた。

 

「あーあーみんな好き勝手してくれちゃってぇ。いいもんねー。ご飯前にお酒飲んじゃうもん」

 

 こうして、ラルバ達は予定を大幅に変更し、バルコス艦隊にもう1ヶ月滞在することになった。

 

 ラデックによるファジットの教育には、シスターやジャハル、ハザクラ、ゾウラ、そしてたまにではあるがラルバも手を貸した。ファジットの吸収力は凄まじく、元々優秀な少年だったこともあって、社会で生きる上で必要な知識は自分で調べられるほどに成長した。

 

 バリアやイチルギ達使奴は悪魔差別の激しいバルコス艦隊都市部を気軽に出歩くわけにも行かなかったが、その分被差別民が身を寄せ合って暮らしている地域には積極的に顔を出し、少しでも悪魔差別を和らげるための努力をした。その際、イチルギは隠遁派の使奴ガレンシャにさんざ文句を言われたという。

 

 相変わらずハピネスはラプーやゾウラを連れて遊び回り、どこかしらで怪しげな企みをする度にイチルギにしょっぴかれていった。それでも、ハピネスの暇潰しに巻き込まれて潰された違法賭博場は十件近くにも及んだ。

 

 そして、ラルバ達より少し遅れて探索をしていた人道主義自己防衛軍の後続隊も追いつき、じきに約束の1ヶ月が経とうとしていた。

 

 

 

 

〜バルコス艦隊 繰闇(くりやみ)中央広場〜

 

「じゃあな。ファジット」

 

 ラデックの目の前には、明るい緑色の長髪に群青色の瞳をした褐色の青年が立っている。彼はラデックの目を見てから、その後ろにいるラルバ達の顔を1人ずつ見て、深く頭を下げた。

 

「皆さん。本当にお世話になりました。この御恩は決して忘れません」

 

 ハザクラが一歩前に出て頭を下げる。

 

「感謝など必要ない。もう聞き飽きたかもしれないが……改めて謝罪する。本当に申し訳ないことをした」

「い、いえ。結局は何もされていませんし、ハザクラさんの竜討伐計画も尤もだと思います」

「いいや。世界平和を望む人間として、決して違えてはならない道だった」

「バス来たわよー!!」

 

 ラルバ達から少し離れたところでイチルギが手を振っている。ラデックはファジットの手を握り、力強く彼の目を見つめた。

 

「また会いに来る。その時は、きっとハザクラが世界平和を成し遂げた後だ」

「はい。ありがとうございます。お気をつけて」

 

 シスターとゾウラもファジットに手を差し出し、強く握手をした。

 

「お元気で。貴方なら、きっとどこでもやっていけます」

「さようならファジットさん! また会いましょうね!」

「シスターさん。ゾウラさん。僕を助けてくれて、本当にありがとう。お元気で」

 

 手を振るファジットに別れを告げ、一行はバスに乗り込もうと荷物を担ぐ。そこへ、1人の人物が大声でラルバ達を呼び止めた。

 

「待ってくれ!!」

 

 ラルバ達が荷物を一旦地面に置いて声の方を見ると、そこには額に脂汗を浮かべたミシュラが立っていた。

 

「その、あ、ハ、ハザクラ!!」

「ん? 俺か?」

 

 名前を呼ばれたハザクラがキョトンとして首を傾げると、ミシュラは大きく息を吸い込んで頭を下げた。

 

「も、申し訳なかった!!」

 

 ミシュラの謝罪に、ハザクラは少し驚いて目を丸くした。

 

「ラデック!! ゾウラ!! シスター!! 君達にも、本当に申し訳ないことをした!! 軍を代表して……謝罪させてくれ……!!」

 

 ミシュラは腰を大きく曲げたまま動かない。ラデックとシスターが顔を見合わせていると、ハザクラがミシュラに向かって歩き始めた。

 

「顔を上げてくれ。ミシュラ」

 

 ミシュラは恐る恐る顔を上げ、ハザクラの目を見た。

 

「今回の一件は、俺の悪意ある侵略作戦だ。何も謝る必要はない」

「だ、だが……ハザクラ達を差別し冒涜した事実は変わらない……! そして、私は……変わらなきゃ……ならないんだ」

「……ファーゴのことか?」

「私は、ファーゴと共に努力をして今の地位を手に入れた。そして、それは本来の実力ではなかった。愚図な私は、本来こんな地位にいていい人間じゃない……でも、それは飽くまで“狂った殺人鬼“が言ったことだ。私は今でも”ファーゴ“を親友だと思っている」

「……ファーゴ元帥の異能は、人格を操るものだったと聞いている」

使奴(ラルバ)が言うには、人格が違えばそれは別人であるそうだ。ならば、私の信じた親友は、真の善人であることは間違いない。親友(ファーゴ)も、あの殺人鬼(ファーゴ)に殺された被害者の1人だ……! だから、私は親友(ファーゴ)の信じた真に優秀な人間にならなきゃいけない……! 彼女に顔向けできるように……! 私は、今までずっと道を間違え続けてきた……もう、二度と間違えない……! 私が、親友(ファーゴ)の生きた証にならなければ……!」

 

 力強く語るミシュラに、ハザクラは静かに頷く。

 

「俺も、今回道を踏み外した。もう二度と同じ過ちは犯さない」

「ハザクラ……」

「バルコス艦隊の独立宣言ならいつでも受けよう。それまで、人道主義自己防衛軍の仲間がこの国を守ってくれる。立ち上がって見せろ。ミシュラ」

「――――っ。ああ……必ず……!!」

 

 ラルバ一行はバスへと乗り込み、北西を目指して出発した。その場に残されたミシュラは、踵を返して中央陸軍へと歩き出した。

 

「さて……ザルバス総指揮官に会いに行かなければ」

「ミシュラさん」

「ん?」

 

 ファジットがミシュラを呼び止める。

 

「誰だ? お前は」

「…………ファジット、です」

「ファジット……ファジット……か……!?」

 

 ミシュラは全身を震わせてファジットの肩に手をかける。

 

「はい……その……10年前は、お世話になりました」

 

 10年前の神鳴(かんなり)通り大量殺人事件。その時にファジットの取り調べを担当したのは、当時大将であったミシュラだった。

 

「ファジット……生きて、いたのか……!!」

「はい。……あの時、勝手に留置所を抜け出して、申し訳ありませんでした」

「そんなことはどうでもいい! よかった……生きていてよかった……!!」

 

 ミシュラは、両目から大粒の涙を流してファジットを抱きしめる。

 

「すまなかった……! 愚図の私のせいで、君に要らない情報を、絶望を与えた……!! もっと伝え方があった筈なのに……!! 私は、子供だった君のことを気遣えなかった……!!」

「いいえ。ミシュラさんだけが、僕に真実を教えてくれたんです。あの時の僕には、それが必要でした」

「ああ……すまなかった……!! 本当に、本当に……すまなかった……!!」

「……10年も隠れていてごめんなさい。ミシュラさん。ずっと、ずっと辛い思いをさせてしまいました……」

 

 

 

 この日を境に、巨竜の姿は一切目撃されなくなった。巷では、人道主義自己防衛軍に討伐されたとか、あれもファーゴによって作り出されていた幻だったとか、怪しげな憶測ばかりが飛び交っている。だが、この国にはもう悪を退ける巨竜の加護は必要ないだろう。

 

 だって、竜が、ここにいる。



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爆弾牧場
123話 合法的密入国のすゝめ


〜バルコス艦隊 黒猫(くろねこ)荒野〜

 

 バルコス艦隊の中心街“繰闇(くりやみ)地区”を発って3日ほど。辺りは一面の銀世界に包まれており、一行を乗せたバスは薄い雪に覆われた荒野の道なき道を走り続けている。バルコス艦隊北部“黒猫(くろねこ)荒野”は、一応バルコス艦隊の領土ではあるが、資源が少ない故に野生動物なども極めて少なく、開発や整備などは全く行き届いていない。

 

「皆さま右手をご覧くださぁい。遥か先に見えます石の塔は、バルコス艦隊の国境石でございまぁす。これより当バスは黒猫(くろねこ)荒野を抜け、“爆弾牧場(ばくだんぼくじょう)”の領土へと入って行きまぁす」

「いぇいっ! まだ見ぬ冒険が我々を待っているぅ!」

 

 陽気な声で案内を続けるバスガイドに、ラルバ以外の面々は冷ややかな視線を注ぐ。そして、今まで触れないよう言及を避けてきたハザクラが、漸く口を開いた。

 

「…………いい加減、軍に戻ったらどうだ? “ザルバス”」

 

 バスガイド、もといザルバス元大統領は無言の笑みを返し、運転手を務めている“友人”に問いかける。

 

「だってさ“ロゼ”。帰る?」

「すぐにでも帰りたい」

「まだ帰らないって! 折角だから爆弾牧場で少しゆっくりしていこうかな!」

「ザルバス、お前洗脳されたせいで知能指数下がってんじゃないのか?」

「かもねー」

 

 バルコス艦隊からラルバ達についてきた、ザルバス、ロゼの2人。ラルバ達が手配したバスに何故か乗っていた2人は、困惑する一行を他所目に次なる目的地への案内役を務めた。何を聞いても碌に答えない2人に、一行は半ば諦めた様子で状況を受け入れていた。

 

 バスが国境を跨ぐと同時に、ラルバが高らかに宣言をする。

 

「密っ!! 入っ!! 国!!! っはぁ!!!」

 

 上機嫌にポーズを決めるラルバに、ザルバスが拍手で讃える。

 

「はーい。これで皆さんは立派な密入国者でーす。警察に捕まらないように気をつけましょうねー」

「はーい!」

 

 ずっと外の景色を眺めていたゾウラは、つぶらな瞳をザルバスに向けて尋ねる。

 

「ザルバスさん! “爆弾牧場”ってどんなところなんですか?」

「んー? そうだねぇ。元々は“(じゃ)(みち)(へび)”って名前の盗賊団が牛耳ってた集落だったんだけど、それを数十年前にとある人物が壊滅させてから“爆弾牧場”という名前に変わったんだ。でもって、その”とある人物“っていうのが何を隠そうあの”ポポロ“だ」

「ポポロ?」

「笑顔による文明保安教会の生ける伝説、笑顔の七人衆がひとり。”収集家ポポロ“。主に毒魔法と幻覚魔法の扱いに長けていて、気に入った女であればどんな猛者でも傀儡にして遊び道具にしてしまう。脳味噌を男根に支配されたキチガイ老人だ」

「はぁ……あれ? でもその人って確か――――」

 

 ゾウラがふとラルバに視線を向けると、ラルバは楽しそうに目を細めて歯を輝かせた。

 

「ああ、私が殺したねぇ。それも随分前に」

 

 ザルバスが静かに頷く。

 

「うん。そうだね。でも、恐ろしい統率者が死んでもなお、爆弾牧場は何一つ変わっちゃいない。それは……あれ? この先って言ってもいいのかな?」

「いや、駄目だ。ネタバレは許さん!!」

「わかった。じゃあ時間も良さそうだし、私達は帰るとしようかな」

「時間?」

 

 ザルバスは大きく伸びをして息をつき、腰のホルスターの拳銃に手を伸ばす。それを見たラデックやシスターはギョッとして顔色を変え、カガチは若干の侮蔑が込められた憤怒の形相でザルバスを睨む。

 

「おい、スカラベ女。ゾウラ様にコンマ1秒でも射線を掠らせてみろ。全身の皮膚を剥いでナメクジの餌にしてやる」

「そんな怖いこと言わないでよカガチさん。何人かは助けてあげるってば」

 

 そしてザルバスは銃口をラデックに突きつける。

 

「お、おい待てザルバス。それ本物じゃないよな?」

「まさか。本物は高級品だよ?」

「そ、そうか。よかった」

 

 バァン!!!

 

 銃口から発射された鉛玉が、ラデックの眉間を撃ち抜いた。

 

「マジックエイム補正が雑なコピー品。グリディアン神殿では、なんとラムステーキと同じ値段で買えちゃいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……うう……」

「あ、起きた」

「バ、リア……?」

「おはよう。どっちかと言うとこんばんは」

「こんばんは」

 

 ラデックは気怠い頭を何とか持ち上げて辺りを見回す。ランタン一つで照らされた木造の小屋。埃と錆の臭いが充満しており、ランタンに数十匹の羽虫が(たか)っている。ふと足元に手をつくと、ぬるりとした液体の感触がした。ランタンに照らして見てみると、それは真っ赤な血溜まりであった。

 

「うっ!」

 

 そこでラデックは思い出した。自分がザルバスに撃たれたことを。

 

「お、俺は……死んだのか?」

「生きてるよ」

「いや、そうじゃなくてだな……。さっきまで死んでいたのか?」

「旧文明基準では死亡には程遠い状態」

「死んでたんだな……」

「うん。私に感謝してね」

「バリアへの感謝よりも、ザルバスへの恨みが勝つ。なあ、俺が死んだ後、みんなはどうなったんだ? ザルバスのあれは何だったんだ?」

 

 バリアは膝を抱いたまま少しだけ目を背けた後、いつも通りの無表情で淡々と答える。

 

「私達は、黒猫(くろねこ)荒野にピクニックをしに来た」

「は? ピ、ピクニック?」

「でも途中で道に迷って、うっかり爆弾牧場の領土に侵入。出られなくなった」

「何を言ってるんだ? バリア」

「不測の事態に私達はパニックになって、取っ組み合いの喧嘩が勃発。激しい言い争いの中、カガチがラデックを撃ち殺した」

「………………」

「その一発の弾丸が殺し合いに発展。身を寄せ合って震えていた私とゾウラ。そして、唯一殺し合いを生き延びたナハル以外のメンバーは皆死亡した。そこへ丁度通りかかった爆弾牧場の警備隊が、私とゾウラとナハルを保護……もとい拉致して、死体を含めた拾得物を自分達の(ねぐら)に持ち帰った」

「……そして今に至る」

「と、いうことになってる。ザルバスとロゼは、ラデック達を殺した直後にさっさと帰って行ったよ」

「な……なんでそんなことを……」

「爆弾牧場は割と排他的な閉鎖都市なんだって。で、ザルバスが考えてきた方法がコレ」

「死体に偽装して密入国か……た、確かに死体にはパスポートも何も要らなそうではあるが……」

「イチルギが渋い顔してたけど、ゾウラに手を出さないことを条件にカガチも了承したし、シスターとハザクラが受け入れたから通った」

「俺は?」

「さあ?」

 

 ラデックはムスッとして下唇を噛む。バリアはのっそりと立ち上がり、少しだけ耳を澄ませてから小屋の扉を開いた。

 

「今分かってるのは、私達は死体のラルバ達をバスに置いて連れ出されたこと。ゾウラとナハルは警備隊の上官に連れて行かれたこと。私は恐らく奴隷商に売られたということ。くらいかな」

「……俺は何でラルバ達と一緒じゃないんだ? さっきまで死体だったはずだろう?」

「私が演技で「お兄ちゃん」って言ってラデックに泣きついてたら、売人の一人が感化されたらしくてここまで運んでくれた」

「良い人なのか悪い人なのか分からないな」

「悪い人だよ」

「そりゃそうだ」

「な、なあ! お姉さん方!」

 

 小屋のどこかから聞こえる声。ラデックが声の主を探そうと辺りを見回すが、広さ4畳ほどの小屋の中に人が隠れられそうなスペースは無い。すると、バリアがラデックの袖を引いて足元を指差した。

 

「床下」

 

 バリアが床板を強引に引き剥がすと、中から1人の少女が現れた。

 

「ぷぁっ!! へへへ、さんきゅさんきゅ。ありがたやありがたや」

「誰?」

「すんませんすんません。オイラの名前は“パジラッカ”。エンジニア兼、大工兼、プログラマ兼、傭兵兼、コック兼、狩人兼……まあ“何でも屋”って感じね。へへへ」

「はあ」

 

 自らを何でも屋と名乗る幼い顔立ちの少女、“パジラッカ”。薄い緑色のショートヘアは、額のすぐ上で乱雑に纏められ噴水のようなポンパドールになっている。普段は室内で過ごしているであろう色白の肌にはそばかすが目立ち、クマが模様のように染みついた気怠そうな目には薄い紫の瞳が鈍く輝いている。大きくはだけたブカブカの茶色いコートからは年齢不相応の大きな胸がはみ出しており、留められたシャツのボタンが悲鳴を上げている。大きめのコートに隠れて下は何を履いているのかは窺えないが、これまたブカブカのブーツへ伸びる生足は細かい擦り傷だらけで本人の大雑把な性格を察することができる。

 

「今は“雇われ調査員”ってとこでしてね、人攫(ひとさら)いの動向を調べてたら逃げらんなくなってしまいましてね。隠れて隠れて逃げて逃げて隠れた先が、この小屋の床下って訳ですね。しかも上にお姉さんらが乗っかっちゃうから出るに出れんくてね。へへへ。失礼失礼」

「それで、パジラッカは私達に何の用?」

「ああそうだったそうだった! あんねあんね、お姉さん見たところ、使奴だよね?」

「違うかもよ?」

「いやいや! さっきそこのお兄さん蘇らせてたじゃんね! ね! いやあ折り入って頼みがあるのよ〜。ね? ちょっとでいいから!」

「内容と気分による」

「それオッケーてコトだよね! いやあ助かっちゃうなぁ〜!」

 

 道化師と呼ぶに相応しいパジラッカの剽軽(ひょうきん)な態度に、バリアとラデックは思わず顔を見合わせる。

 

「何だか不思議な子だな」

「不思議というよりは厄介。置いて行こう」

「駄目駄目ぇ! ね? ちょっとだけちょっとだけ〜!」

 

 バリアが早足で立ち去ろうとすると、パジラッカはバリアの前に立ちはだかって両手を大きく左右に振る。

 

「こんな可愛らしい少女を人攫いの縄張りど真ん中で置いてけぼりにしないでよぉ〜!」

「自分から来たんでしょ」

「そうそう! そうなの! でね? コンプラ的なアレで色々話せないんだけどねぇ〜。  まずはぁ〜」

「“まず”って、何で複数前提なの」

「お姉さんを買ったと思しき奴隷商! そのオーナーである、“リィンディ・クラブロッド”を調べたい! ね? 協力してね?」

 

 バリアが僅かに眉間に皺を寄せる。ラデックは賑やかな少女を呆れた眼差しで眺め、タバコに火をつけた。

 

「まぁ……いいんじゃないのか。どうせ俺達だって特に目的があるわけじゃないんだ。ラルバが戻ってくるまでなら手伝ったっていいだろう」

 

 ラデックの肯定的な意見に、パジラッカは両手を上げて喜び、ラデックの手を掴んでブンブンと振り回す。

 

「いやぁ〜お兄さんありがとねぇ〜!! お兄さん独り身? お嫁さんにどお? 料理も炊事も掃除も出来るよ!」

「いや、結構」

「機械修理も家屋修理も出来るよ? おっぱいも大きいし。(めかけ)にでもどう?」

「結構」

「あらぁ。就職失敗」

 

〜爆弾牧場 人材派遣会社“純金の拠り所“〜



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124話 純金の拠り所

〜爆弾牧場 人材派遣会社“純金の()り所”〜

 

 バリアとラデックは、離れ離れになった仲間を探すついでに、剽軽(ひょうきん)な何でも屋の少女“パジラッカ”の仕事を手伝うことになってしまった。パジラッカの目的は、奴隷商”純金の拠り所“オーナーである“リィンディ・クラブロッド”の身辺調査。そのために3人は、ひとまず小屋を出て純金の拠り所本館へ向かうことにした。

 

「鍵、かかってなかったねぇ」

「まあ、閉じ込められた時はバリア1人だったからな。少女1人では逃げられないと思ったのかもしれない」

 

 足早に先頭を進むバリアを追いかけて、ラデックはパジラッカと共に月明かりが照らす下り坂の雪道を進んでいく。ラデック達のいた小屋は小高い丘の上にあったようで、崖の下には大きな木造の建物“純金の拠り所”本館の灯りが見えている。辺りは雪原が月光を反射して青白く輝いており、御伽噺(おとぎばなし)の世界を彷彿(ほうふつ)とさせる幻想的な風景が広がっている。

 

「……ここは、町の外れか? 何もないな」

「ああ〜。まあ、ここはちょっと特殊」

「特殊?」

「奴隷商に限らず、商売するなら町中に店構えるのが普通じゃん? でもさ、純金の拠り所はたくさんの“ヘラヅノトナカイ”を飼育していて、奴隷達が出稼ぎに行くのにソリ引かせて行くんだよね。全く、どうかしてるよ」

「それは……どうかしてるのか?」

「ええ? どうかしてるよ。ねえお姉さん」

 

 話を振られたバリアは、ラデック達の方を振り向くことなく背を向けたまま返事をする。

 

「家畜は貴重な資産。中でも“ヘラヅノトナカイ”は従順で力持ち。下手すれば奴隷なんかよりも、よっぽどいい値がつくんじゃないかな。そんな高級家畜を奴隷が町まで連れて行くなんて、鴨が(ねぎ)背負ってまな板の上まで歩いて行くようなものだよ」

「そんなにか」

「それに、普通はまずトナカイの持ち逃げを警戒する。ヘラヅノトナカイ一頭売れば優に数年は暮らせるし、肉は食用、皮は防寒具、角と骨は薬になるから、バラして売っても相当な金額になる」

「それはすごいな」

「でもそうならないってことは、奴隷がオーナーに逆らわない“何か”があることは確定だろうね。それに、トナカイ目当てで襲ってくる盗賊を跳ね除けるだけの戦力もある……」

「不気味だな」

「別に」

「不気味だねぇ」

「別に」

 

 本館裏手に到着すると、パジラッカが意気揚々と魔袋(またい)からノコギリを取り出した。

 

「はいはい! じゃあ早速お邪魔しちゃおうね! 2人は玄関近くで爆発魔法でも炸裂させてくれる? 騒ぎの間にオイラ壁切っちゃうからさ!」

「その必要はないよ」

「んお? お姉さんなんか策アリ?」

 

 バリアは館の壁に魔法陣を描き、少し離れてから勢いよく助走をつける。それを見たラデックは、何やら猛烈に嫌な予感がした。

 

「バリア待て――――」

 

 ラデックの制止も既に遅く、バリアは魔法で硬化させた館に思い切り回し蹴りを放った。使奴による渾身の一撃は館全体を音叉のように揺らし、館内部を衝撃波で満たした。館から漏れ出た衝撃波は雪原に響き渡り、トナカイ小屋で欠伸(あくび)をしていたヘラヅノトナカイ達を昏倒させ、丘に積もった雪を崩して雪崩を引き起こした。

 

 ミサイルが落下したかのような地響きが木霊(こだま)と共に収まると、バリアは何事もなかったかのように館の正面へと歩き出した。

 

「中の人間は全員気を失ったよ。入ろう」

 

 パジラッカは両耳を抑えながら顔を梅干しのようにしわくちゃにして呟く。

 

「…………ねえねえ。お姉さんって、いつもこんな感じ?」

「いや……俺もびっくりしている。小便漏らすかと思った」

「オイラは漏れた」

 

 

 

 3人が館の正面入り口から中へ侵入すると、玄関ホールだけでも数人の人物が倒れ込んでいた。

 

「うわうわ。お姉さんやりすぎだよ。みんな死んじゃったんじゃないの?」

「そこまで強く蹴ってない」

「あれ本気じゃないんだ……」

 

 バリアが倒れている一人に近寄り、手早く回復魔法をかけた。

 

「心臓は止まってない。私とラデックが治して回るから、パジラッカはその隙に家探しでもすれば?」

「……ここまで無茶苦茶するつもりじゃなかったんだけどねぇ。後始末困っちゃうな」

「壁切ろうとしてた人間が何言ってるの。ほら、あと1時間もせずに皆起きるよ」

「ああ待って待って! やるからやるからぁ!」

 

 バリアが急かすと、パジラッカは大慌てで館の2階へと駆けて行った。

 

「……厄介だね」

 

 バリアがボソリと呟くと、ラデックがバリアに顔を寄せて尋ねる。

 

「何がだ?」

「パジラッカ。あの子、確かに何かを隠してるんだけど……元来の性格が奔放(ほんぽう)なせいで読み取りづらい」

「確かに読みづらそうな性格をしているな」

「他人事みたいに言ってるけど、ラデックも相当読みづらいよ」

「それは…………本心を隠すのが上手いってことか?」

「普段から(ろく)に考え事してないってこと。全く褒めてないよ」

「残念だ」

 

 バリアが倒れている者達の治療をしていると、ラデックは何かを探すように辺りを見回して口を開いた。

 

「しかし、奴隷商とパジラッカは言っていたが、肝心の奴隷が見当たらないな」

「奴隷ならいるよ」

「どこにだ?」

 

 バリアは黙って倒れている人物を指差す。

 

「え……彼女らが奴隷なのか!? てっきり警備員か何かだと……」

 

 ラデックは倒れている内の1人の女性に近づき、顔や服装をまじまじと見つめる。

 

「化粧をしているな……。髪も整っているし、歯並びも綺麗だ。何より、この服装……。革のコートにフェルト地のベスト……散弾銃……ブーツ……む、このベスト……防魔(マジックプルーフ)加工がされてるのか。奴隷がこんな上質な服を着ているものか?」

「奴隷ってのは人権を持たない“物”としての人間を指す言葉。物なんだから、所有者によって扱いは違う。ここのオーナーは奴隷を随分大切に扱ってるみたいだね」

「しかし、銃なんか持たせたら反乱を起こされそうなものだが……」

 

 ふと、ラデックは奴隷のポケットからはみ出している手帳が目に入った。それを拾い上げて、中を捲る。

 

「これは……就業メモ……か? ”ヘラヅノトナカイの背後には立たないこと。口元に手を持って行くと指先をかじり取られる! 注意! なでるときは顔の側面から手の甲を優しく近づける。角には絶対触らない!! 無事に着いたら必ずオヤツをあげること! おじぎ厳禁!!!”……。トナカイのことばっかりだな」

「見せて」

 

 バリアはラデックから手帳を受け取ると、パラパラ漫画を捲るように流し見る。

 

「……自主的に書いてるみたいだね。てっきりオーナーが脅して奴隷を従事させてるのかと思ったけど、その線は無さそう。いいオーナーなのかもね」

「しかし、だとしたら真面目に働く者達を奴隷扱いのままにしておくのは何故なんだろうか」

「さてね……」

 

 

 

 館の人間達の治療が粗方片付き、バリアとラデックはまだ回っていないオーナー室の扉に手をかけた。扉を開いた先には、こちらに槍の(きっさき)を向ける2人の女奴隷。そして、椅子に腰掛けたままこちらを睨む無骨で大柄な壮年の男性と、縄で拘束されたパジラッカの姿があった。

 

「ごめんごめん。捕まっちゃった。助けてくれない? ね?」

 

 バリアは呆れて溜息を吐き、傭兵達を刺激しないよう両手を上げて無抵抗を表す。ラデックも真似して両手を上げると、椅子に腰掛けている壮年の男が重苦しく口を開いた。

 

「……意味などない癖に、手など上げるな」

 

 男の言葉に、バリアは静かに手を下げた。男は徐に目を伏せて、槍を構える女傭兵2人に槍を下げるよう合図をする。

 

「どうせお前がその気になれば、我々など羽虫を殺すよりも容易(たやす)いのだろう」

「蝿よりは的が大きいからね」

「何しにきた。何故逃げなかった」

「やっぱり。小屋の鍵は(わざ)とかけなかったんだ」

「新入りの不手際だ。お前の泣きマネに情が(ほだ)されたんだろう」

 

 男はゆっくりと立ち上がり、パジラッカの縄に手をかける。

 

「オ、オーナー! いいんですか!?」

「どうせ拘束に意味などない。今この場を制しているのは我々ではなく、あの白いお嬢さんだ」

 

 慌てる傭兵を尻目に、男はパジラッカの拘束を解いた。パジラッカは勢い良く立ち上がり、両方をぐるぐると回してバリアの元へ駆け寄る。

 

「さんきゅさんきゅー! いやあお姉さんに声かけて良かったよ! パワーイズジャスティス! 持つべきものは力だねぇ」

 

 飛び跳ねながら(はしゃ)ぐパジラッカを尻目に、壮年の男は「失礼」と一言発してから(ふところ)のスキットルを取り出し一口(あお)った。

 

「……っああ。私は根っからの臆病者なんでね、少々酔わせてもらうよ。しかし、中々如何(どう)して……少女の(なり)をしていると言うのに、こうも睨まれると熊と対峙した時よりも恐ろしい」

「私は何もしない。するのはこの子」

 

 バリアがパジラッカの背に手を添えて男の方へ差し出す。パジラッカは小さく跳ねて姿勢を正し、キメ顔で男を指差した。

 

「おうおうおうおう! 奴隷商オーナー“リィンディ・クラブロッド”! お前がやってる悪行は全て分かっている! 大人しく全部吐けぇい!」

「全部分かってるなら吐く必要はないな?」

「…………? あっ。確かに。じゃあ何も分かってないから全部吐けぇい!」

「金髪の君、彼女と代わってもらえないか? 話が通じない」

「俺か?」

「何でヨォーッ!!」

 

 ラデックは渋々パジラッカを背後に下げさせ、リィンディの正面に立つ。

 

「えーと、ラデックだ。初めまして」

「……人材派遣会社“純金の拠り所”を経営している。“リィンディ・クラブロッド”だ。どうぞよろしく」

「と言っても、俺はパジラッカの仕事仲間じゃない。成り行きで彼女の仕事を手伝うことになっただけだ。彼女の目的まではよく知らないが……そうだな。取り敢えず……取り敢えず……どうしようかな……ああ、そうだ。ずっと疑問に思っていたんだが、奴隷達があなたの言うことを素直に聞いているのは何故だ? 異能か何かか?」

 

 ラデックの質問に、リィンディよりも早く女奴隷が強い口調で答える。

 

「私らが無理やり働かされてると思ってるのか!? オーナーを他のクズ共と一緒にするな!」

「そうだ! 私たちは望んでここにいる! 何の知らないくせに、変なこと言うな!」

「うおお、す、すまない」

 

 女奴隷の剣幕に怯み、ラデックが反射的に謝罪を口にする。リィンディは再びスキットルに口をつけ、落ち着いた口調で言葉を返した。

 

「ウチの奴隷は皆優秀だ。質のいい道具は大事に扱う……当然だろう。それとも君は、道具のありがたみに感謝もせず壊れたら買い替える金持ちなのか?」

「い、いや、違う。いや、違くはないんだが……なんというか……なんて言えばいいんだ……?」

 

 ラデックが口元に手を当てウンウンと唸っていると、後ろの方で盛大に腹の虫が鳴いた。

 

「あ、メンゴメンゴ。オイラの腹の音だね。いやーお腹減ったね。お姉さん何か食べ物持ってない? オイラは魚が好物だよ。特に青魚」

「ない」

「きのみとかでもいいよ? ね?」

「ない」

「ないこたないでしょ……キャラメルとか……」

「ない」

「えー……」

 

 2人のやりとりを見て、ラデックは思い出したかのようにリィンディに深く頭を下げる。

 

「人様の屋敷を襲撃しておいてなんだが、俺達は宿と飯に困ってる。一晩泊めていただけないだろうか。ほら、俺達も誘拐されたんだし、おあいこだろう?」

 

 あまりに唐突すぎる申し出に、リィンディとその両隣にいた2人の女奴隷は顔にシワというシワを寄せて困惑を表す。

 

「……後ろの白いお嬢さん。すまないが代わってもらえないか。まさか3人中2人と話が通じないとは思わなんだ」

「ラデックどいて」

「そんな」

 

 ラデックと交代したバリアは、先ほどとは違う意味で顔を(しか)めているリィンディを冷徹な眼差しで見つめる。

 

「交代しておいてなんだけど、宿と食事に困っているのは本当。一晩一室貸して欲しい。それで私を奴隷にしようとした件はチャラにしてあげる」

「……交渉内容が同じでも、発言者によってこうも印象が変わるのか……。分かった。部屋を貸そう。どうせ何を申し出されたとしても、私達に拒否権などないのだろう」

「そう。じゃあ拒否権がないならもう一つ質問」

「なんだね」

「ここにパジラッカを呼んだのはリィンディ?」

 

 顔色を変えるリィンディ。それは両隣にいた奴隷達も、ラデックも、パジラッカでさえも同じであった。バリアの言葉に全員が目を見開いて驚き、リィンディだけがすぐに(いぶか)しげに目を細めた。

 

「何を言って――――」

「返事は結構。どうせ碌な答えが返ってこない。部屋は一階の南西の空き部屋を借りる。2人とも行くよ」

「あっ、待てバリア。どういうことだ?」

「ご飯より先にお風呂入りたーい! お風呂入りたいよね? ね?」

 

 嵐のように現れた3人組が出ていった扉を、リィンディは眉を(ひそ)めたまま睨み続けていた。



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125話 温泉の国

〜爆弾牧場 人材派遣会社“純金の拠り所”〜

 

「おっふろ〜おっふろ〜! ふ〜ろっ風呂〜!」

 

 パジラッカは上機嫌で風呂桶を片手に廊下を進んで行く。パジラッカに無理やり手を引かれているバリアは、僅かに目を細め不服そうに尋ねる。

 

「敵地のど真ん中で、よく風呂に入る気になるね」

「温泉だよ!? 温泉!! 入るっきゃないでしょぉ〜温泉は〜! ね!」

「水が海にあるか地下にあるかの違い」

「爆弾牧場の温泉は格別よぉ〜! 何てったって【温泉の国】って言われてるくらいだからね! 肩凝り、腰痛、リウマチ、冷え症、血行改善、低波導症と痛風、皮膚病、その他諸々、飲泉効果!!」

「それ、半分以上お湯の効能だよ」

「うっそぉ」

 

 パジラッカはがっかりして肩を落とす。廊下の突き当たりには大きく炎のようなマークが描かれた通路があり、その先には広々としたロッカールームがあった。裸足でも快適に過ごせる温められた石の床に、長椅子が扇風機とセットで複数台置かれている。バリア達2人以外に人影は見えないが、恐らくは10人前後が同時に使用できる広さ。バリアは服を脱ぎながら辺りを見回し、少しだけ感心したように言葉を零した。

 

「へぇ……辺境の地に見えたけど、意外と機械もあるんだ。この床暖房……温泉を利用した物じゃなくて電熱によるものだね」

「お姉さん違い分かるの!?」

「壁にスイッチがある」

「あっ……そう……」

「でも、誰もいないのに点けっぱなしなんて……。電源はどうなってるんだろう」

「爆弾牧場は地熱発電でその辺余裕らしいよ。電気代も安いんじゃない?」

「へぇ」

 

 バリアが服を脱ぎ終わってパジラッカの方を見ると、彼女はまだ下着に手をかける前だった。

 

「……脱がないの?」

「あ、いや、その……へへへ。は、恥ずかしいんで向こう向いててもらえますかね?」

「……ラデックに巨乳アピールしておいて何を今更」

「魅せるのと見せるのは違うじゃん! ねぇ!」

「ねぇって言われても」

 

 (ようや)く服を脱ぎ終わったパジラッカと共に、バリアが風呂場への扉を開ける。脱衣所と同じ石材に囲まれた風呂場には、真四角の大きな木造の浴槽が床を掘り抜いて設置されていた。

 

「おおおお〜! 広いねぇ!」

「シャワーは……無いね。石鹸(せっけん)だけ置いてある……」

「源泉掛け流しだし、お風呂の中で洗うんじゃない? オイラの叔父さんの家もそうだったよ。あっちい!!!」

 

 足先を湯に突っ込んだ途端、パジラッカは悲鳴を上げて飛び退いた。バリアは何事もなかったかのように静かに湯に浸かり、泉質を吟味するように手に(すく)って見つめる。

 

「……43度くらいかな。確かに、かなり熱めだね」

「よんじゅうさん〜!? そんなあっちぃのオイラ入れないよぉ〜!!」

 

 バリアが湯船に浸かったまま振り向き、出口の隣にある扉を指差す。

 

「そこの扉、蒸し風呂じゃない? そっち入れば?」

「蒸し風呂? オイラ蒸し風呂入ったことないなぁ」

 

 パジラッカが言われた通り出口横の引き戸を開けると、中からモワッとした熱風が漏れ出してきた。

 

「うおおおあっちぃ〜!! こんなとこ入ってたらケバブになるよ!!」

「じゃあこっち入りなよ」

「そっちは1秒も無理ぃ〜」

 

 パジラッカは渋々蒸し風呂へと入っていき、バリアも湯から上がって後をついていく。熱を逃さぬよう三重に設置された扉を抜けると、そこには階段状の椅子に腰かけるラデックの姿があった。

 

「お先してます」

「うにゃぁぁぁぁああああっ!!!」

 

 タオルの一枚も纏わず、堂々と腕を組んで座り込んでいるラデックを見て、パジラッカは奇声を発しながら自身の顔を両手で覆う。

 

「おっおおっおお兄さんっ!!! 何で裸なのさ!!!」

「え、風呂だから?」

「パジラッカ。隠すなら顔じゃなくて体じゃないの?」

 

 バリアは体を隠す素振りも見せず涼しい顔で椅子に座り、ラデックを横目で睨む。

 

「で、ラデックはどうして女湯にいるの?」

「女湯? 俺は男湯の方から来たんだが」

 

 ラデックがバリアが入ってきた方とは反対側を指差す。そこには、バリア達が通ってきたのと同じような細い通路が伸びていた。

 

「どうやら、サウナだけは男女共用のようだな」

「もしかしたら、ここの人達は湯浴み着を着て入るのかもね」

「成程……。ところでバリア」

「何?」

「さっき、リィンディに「パジラッカを呼んだのはリィンディ?」と聞いただろう。あれはどういうことだ? 2人はグルなのか?」

「…………グルではないよ。確実に。ただ、リィンディがパジラッカの襲撃を察知していないと“私は逃げられなかった”だろうから」

「ん? どういうことだ?」

「だって、リィンディの部下が私を小屋に連れ込んだ時に、私を逃すために鍵をかけなかったんだよ? でも、ここは市街地から遠く離れた辺境の地。オマケに真夜中。私みたいな少女がたった1人でどうやって逃げるのさ」

「あ……そうか。だからパジラッカの隠れている小屋にバリアを……」

「そして、パジラッカの潜伏に気付いても対処しなかったってことは、抵抗の意志がなかったのか、それとも自分で誘い込んだのか……。私は後者だと思う」

「どうして?」

「リィンディは本当に”臆病“だから。恐怖を無抵抗で受け入れるような性格じゃない」

 

 2人が平然と会話していると、パジラッカが通路の影に隠れながら喚き出した。

 

「ちょっとちょっと!! 何で2人とも平気で会話してるのさ!! 恥ずかしくないの!?」

「ラデックは私を性的な目で見たことがないから、別に気にしない」

「そういう問題!?」

「パジラッカは色々隠した方がいいかもね。ラデック、巨乳フェチだし」

「別にそういう訳ではないが……」

「んにぃぃい!!!」

「……俺は出た方が良さそうだな。ごゆっくり」

 

 ラデックはそそくさとその場を立ち去り、男湯へと戻った。すると、湯船には見覚えのある壮年の男性が浸かっていた。ラデックが軽くお辞儀をして脱衣所へ戻ろうとすると、男が唸るような低い声で呼び止めた。

 

「待ちなさい」

 

 男が自分の正面のスペースを手のひらで示し、ラデックに座るよう促している。ラデックは恐る恐る湯船に入って、男の正面に腰掛けた。男が深く溜息を吐くと、ラデックはこれ以上の沈黙に耐えきれず口を開いた。

 

「ウィンディ――――」

「リィンディだ」

「リィンディ。何で俺を呼び止めた?」

「何故かわからんか」

「……言いたいことがあるならハッキリと言葉にしてくれ。そういう言い回しは苦手だ」

「では率直に言おう。脱衣所手前に置いといた私の温泉卵、食べたな?」

「………………」

「それも6つとも全部」

「……………………」

「冷凍庫のアイシクルウィスキーも飲んだな?」

「ごめんなさい」

「謝るくらいならやるな」

 

 リィンディは湯で顔を軽く洗い、呆れて大きな溜息を吐いた。

 

「全く……蒸し風呂が温まっている時点で、誰かが入ろうとしているのが分からんかね」

「あれってずっと熱いままじゃないのか」

「そんな訳ないだろう。薪も安くないんだ。オマケに秘蔵のウィスキーまで飲んでしまうとは……」

「だが、先の交渉で宿と飯は出してくれると――――」

「言ってない。部屋を貸すことに関してはバリアという子が取り仕切ったが、飯に関しては、私もバリアも何も言ってない」

「ごめんなさい」

「はぁ……。第一、飯を出すと言っていたとして、置いてあるものを勝手に食すとは一体どういう了見だ」

「ごめんなさい」

「はぁ……」

 

 リィンディが再び呆れて溜息を吐くと、ラデックが渋い顔で抗議した。

 

「リィンディ。その事あるごとに溜息を吐くのやめてくれ。胸の奥がキュッてなる」

「呆れてるんだよ。ツッコミ待ちだったんだがな……。君、よく暢気だと言われないか?」

「最近はあんまり言われない」

「君も相当な手練れだろうが、バリアはその数倍は強いだろう。何せ、あの風体(ふうてい)で突っ立っているだけであの迫力だ。そんな彼女に睨まれておいて、私が何故こうも平然として居られるのか。気にならないか?」

「実はロリコンとか」

「君、よく頭が悪いと言われないか?」

「最近はあんまり言われない」

「嘘を言うな」

「嘘だ」

 

 リィンディが訝しげな顔をするが、ラデックは意味が分からず気まずくなって視線を逸らした。

 

「……私にとっては、どっちに進もうと同じ事なんだよ」

「同じこと?」

「彼女に何をされようが、私の迎える結末は一つだ。だが、どうせなら少し抗ってみようと思ってね」

「何を言っている?」

「ラデック」

 

 突然真剣な表情になったリィンディがラデックに顔を寄せて、聞き取れないほど小さな声で呟く。

 

「君は、人が爆ぜるのを見たことはあるか?」

 

「……人が、爆ぜる……?」

「ああそうだ。この国は表向き【温泉の国】だなんだと(のたま)ってはいるがね、その実態は恐ろしい独裁国家だ。皇帝”ポポロ“に逆らう者は、まるで”爆弾でも飲み込んでいたかのように“爆ぜてしまう……!!」

「誰でもか?」

「いや、今のところはこの国出身の者だけだ。数名の例外はあるがな。しかし、その者達も体内に何かが埋め込まれていたとか、魔法陣が書き込まれていたとか、そういった痕跡は一切ない」

「じゃあ……異能か?」

「ああ、恐らくはな。だが、その発動条件が読めなかった。他人を対象とする異能の発動条件は基本的に接触、接近、直視のどれかだ。しかし、爆ぜた者達は誰1人としてそのどれにも当てはまらなかった。恐らく特殊な条件が必要だ。そして、私は遂にその仕組みの根幹を調べ上げた――――!!」

「根幹?」

「私の管理していた奴隷の1人にな、幸運にも異能の力の源である”命力“を察知できる者がいた。その者によれば……爆発した者達の肉片には、例外なく“とあるモノ”と同じ命力が溶け込んでいると――――!!」

「とある……モノ?」

「ああ、恐らく、“それ”に長時間触れていると条件を満たしてしまうのではないか……というのが私の結論だ」

「その、“とあるモノ”と言うのは……?」

 

 リィンディが不敵に笑い、片手で温泉の湯を掬う。

 

 

 

「この、“温泉”だ…………!!!」

「なっ――――!!!」

「今更遅い……!!! これで、私と同じ穴の(むじな)だ……さあ、私の悪足掻きに、君達の手を貸してくれ……!!!」

 

【温泉の国】



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126話 信じる心は美しくも不可解

〜爆弾牧場 人材派遣会社“純金の拠り所”〜

 

「おげぇ〜!? お、温泉に浸かると、ば、爆発するぅ〜!?」

 

 パジラッカは仰天して飛び跳ね、その場に倒れ込む。

 

 風呂から上がったラデック、バリア、パジラッカの3人は、館の一室で寝支度をしながら今後の行動について話し合っていた。ラデックから温泉と爆発の異能の関係性を聞いたパジラッカは、大好きな温泉の恐ろしい効能に青褪め震える。しかし、バリアは口元に手を当てたまま動かず、何かを考え込んでいる様子だった。

 

「バリア? 何か気になることでもあるのか?」

「全部」

「はぁ……」

 

 ラデックの問いにバリアは真面に答えない。部屋には時計が秒針を叩く音と、パジラッカのぐずる声だけが虚しく響き渡る。

 

 半泣きのパジラッカが涎と鼻水を垂らしながらバリアの袖を引いた。

 

「お姉さんお姉さん……」

「何。静かにしてて」

「最初の小屋の中でさぁ。お兄さんのこと生き返らせてたじゃん? アレって爆発してても出来たりする?」

「無理」

「ええ……」

「私達使奴がやってるのは、飽くまでも高度な治療に過ぎない。溺死、失血死、毒死辺りはまだ細胞が極端に変質してるわけじゃないから治せるけど、焼死、爆死、圧死、その他大規模な損傷は無理。仮に大部分を復元して治せたとしても、それは蘇生じゃなくて最早新たに生命を作るのと何ら変わらない」

「えぇ……」

「でも、その辺は多分心配要らないよ」

「マジ!? やったぁ!!」

 

 手放しで喜ぶパジラッカを無視して、バリアはラデックの方に目を向ける。

 

「まだ確信が持てないから断言は出来ないけどね。ラデック、リィンディの企んでる“悪足掻き”については聞いた?」

「あ、ああ。リィンディは異能の元凶に心当たりがあるそうだ。詳しくは明日話すと」

 

 

 

 

 翌日、朝食を済ませたラデック達が部屋を出ると、廊下にいた数人の女達がこちらへ詰め寄ってきた。

 

「お、おはようございます?」

「おはようじゃねーだろ。このネズミ共」

 

 女達はこちらを鬼の形相で睨みつけ、その内の1人がラデックの襟を乱暴に掴む。

 

「こ、降参する」

「テメェら、リィンディ様に何かしたらタダじゃおかねーからな」

「大丈夫だ。何もしない。本当だ」

「リィンディ様はな、家も、家族も、学もないウチらを大金叩いて買ってくれたんだ! ここにいる奴隷全員そうだ! もしリィンディ様が買ってくれなかったら、ウチらは今頃どっかで凍えて死んでる! お前みたいな“幸せな奴”には死んでも解らねーだろうけどな!!」

 

 幸せな奴。その言葉を聞くと、ラデックは自らの襟を掴む女奴隷の手に自分の手を重ね、熱を帯びた眼差しで答える。

 

「ああ。分かってる。“俺には解らないということを、分かってる“。」

 

 脳裏を過ぎったのは、一匹狼の群れで見た鎖に繋がれた奴隷達。笑顔による文明保安教会で助けた善良な信者達。ヒトシズク・レストランに囚われていた大勢の料理人達。生贄の村で出会ったクアンタとヨルン。なんでも人形ラボラトリーに置いてきたスフィアとトコヨ。グリディアン神殿にいた被差別者としての男達。スヴァルタスフォード自治区で聞いたヤクルゥの生い立ち。神の庭で死にかけていた女性達。ピガット遺跡で知った使奴の苦悩。バルコス艦隊の巨竜として生き続けていたファジット。今までの旅で苦楽を共にした仲間達。話に聞くだけでは、到底理解出来なかったであろう現実。彼彼女らの味わった不条理の数々。

 

 ラデックには痛い程身に染みていた。人生の殆どを安全な施設で過ごしてきた自分のような”幸せな奴“にとって、この世界の人達の痛みなど決して知ることは出来ないと。思い測ろうとすること自体が烏滸(おこ)がましい行為であると。自分がすべきことは、相手を理解することではなく、認めることであると。可哀想な弱者として庇護するのではなく、対等な存在として扱い振る舞うことであると。

 

 ラデックの眼差しに気圧(けお)された女奴隷達は、思わず手を離して一歩退く。そうして空いた通路を、ラデックは少しだけ頭を下げて通り抜けた。奴隷達の姿が見えなくなると、ラデックは安心したように呟いた。

 

「彼女達の話を聞くに、やっぱりリィンディは良いやつなんだな。奴隷にああも信頼されているとは」

「どうだか」

「どうだか! ね!」

 

 

 

 ラデック達がリィンディの部屋まで来ると、彼は護衛の1人もつけずにソファに深く腰掛けて待っていた。リィンディに促されるままラデック達が対面に座ると、真っ先にバリアが口を開いた。

 

「あなたの目的に手を貸すつもりはない。でも、聞くだけ聞いてあげる。話していいよ」

 

 極めて高圧的なバリアの発言に、リィンディは文句ひとつ言わず頭を下げて感謝を表す。

 

「それは助かる。では、単刀直入に言おう。私が望んでいるのは、“指導者の死”だ。即ち、“皇帝ポポロ”(ならび)に“レピエン・リエレフェルエン国王“の殺害だ」

「ふぅん……。随分思い切ったね。笑顔の七人衆になんか手を出したら、死ぬより辛い目に遭うと思うけど」

「だから“悪足掻き”なのだ。この館も、トナカイも、奴隷達も、全て売り払って金に換える。その金も奴隷達に持たせる。私には何も残らない。死ぬのは私と、君達の4人だけだ」

「死ぬのはリィンディ1人だよ」

 

 リィンディが自嘲するように目を細めて笑う。

 

「私が思うに、爆発の異能者は”レピエン国王“で間違いない。奴が国王になったのは”爆弾牧場“建国と同じ40年前。国民の爆発現象が起きたのもその辺りからだ。そして何より、爆発は毎回レピエンの活動範囲付近で起こっていて、奴が爆発の合図をしているのを見たと言う者もいる」

「ふぅん」

「国王のレピエンが贔屓(ひいき)にしている、“大蛇心会(だいじゃしんかい)“という宗教団体がある。そこの“教祖アファ“を脅して、レピエンを罠に()める。レピエンを始末した後、為政者のいなくなった爆弾牧場を不審に思い戻ってくるポポロを返り討ちにする」

「で、どうやって殺すの? レピエン国王はともかく、相手は天下無双の笑顔の七人衆の1人。とてもリィンディ1人で敵う相手じゃないと思うけど」

「……いや、策ならある」

「そ。じゃあ好きにすれば?」

「君達にはまず”教祖アファ”の元へ向かってほしい。見てくれは気のいい愉快なジジイだが、その心の底では何を考えているか解らない。奴の仮面の内を、化けの皮の中身を見てきてほしい。まずはここからだ」

「手を貸すつもりは毛頭ないけど、そのアファって男は気になるから見てきてあげるよ」

 

 バリアがあっさりと承諾すると、ラデックは慌ててバリアを部屋の隅へ連れて行き、リィンディに聞かれないよう小声で抗議する。

 

「おい、そんなあっさり引き受けてしまって大丈夫なのか? まだ会いもしないうちから誰かと敵対することないだろう」

「うるさいな……。“ゾウラ”はラデックの100倍頼りになる。どうとでもなるでしょ」

「ゾウラ……? なんでゾウラの名前が出るんだ?」

「…………ラデック、まさか本当に暢気(のんき)に温泉浸かってただけ?」

「温泉は暢気に浸かるもんだろう」

「呆れた……。ゾウラなら、液体と一体化する異能を使って温泉と温泉を行き来できるでしょ」

「あ、そうか。そう言えばそうだな」

「夕べ、ゾウラがこれだけ渡しに来た」

 

 バリアが胸ポケットから、小さなエンブレムを取り出す。

 

「これは……蛇に、ハートマーク……。大蛇と心か!」

「そう。ゾウラとナハルは今、大蛇心会(だいじゃしんかい)にいると思うよ」

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 “大蛇心会(だいじゃしんかい)“〜

 

 緑と金を基調とした宮殿の一室。巨大な円卓に次々と運ばれてくる料理に、ナハルは面食らって押し黙っている。

 

「ナハルさん、食べないんですか?」

「あ、いや、ま、まあ」

 

 対面に座るゾウラに見つめられ、ナハルはぎこちない動きで食器に手をつける。

 

「ぬあっはっはっは。お口に合わなかったら残してくれて構わないよぉ。ぬあっはっはっは」

 

 同じく円卓に座り、ケラケラと愉快に笑う小さな丸っこい老人。大蛇心会(だいじゃしんかい)の教祖”アファ“は(しき)りに手を擦り合わせてナハルとゾウラに語りかける。

 

「”爆弾牧場“は温泉には自信があるけど、美食にはあんまり力いれてないんだよ。ほら、こうも寒いとね! (ろく)なものがとれなくて大変なんだよ! 特に香辛料! いやあ参ったよ! ぬあっはっはっは!」

「お塩だけでもとっても美味しいですよ! このタラも、脂がのってて身に弾力もあって美味しいです!」

「そうかい? そりゃあ嬉しいよ! おかわりなら幾らでもあるからねぇ! ぬあっはっはっは!」

 

 アファは上機嫌でワイングラスを手に取り、チーズを(かじ)って流し込む。それをナハルは(いぶか)しげに見つめ、静かに食器を置いて口を開いた。

 

「あー……ここまで持て成して貰っておいてなんだが、貴方は何故私達に友好的に接するんだ?」

「むん?」

「正直、私が見た限り貴方は悪人には見えない。しかし、だとすると尚更不思議なんだ。あの死体だらけのバスから私達だけを連れ去ったかと思えば、碌に話も聞かずに招き入れて、豪華な温泉に温かい食事、清潔な寝床まで用意した。それも監視の一つもつけずに……。貴方の視点からすると、ゾウラは不幸な生存者。私は発狂した殺人犯だったんだぞ? それを何故こうも野放しにしているんだ?」

「ぬあっはっはっは! なあに、ボクは君達をただ信じただけだよ! なんてったって、我が“大蛇心会(だいじゃしんかい)”の教義は信頼だからね!」

「……本当にそれだけか?」

「本当だよ!! って……言いたいところなんだけど、実を言うとそんなことないんだよ。ぬははは」

 

 アファは咳払いを一つ挟み、子供のようにキラキラとした眼差しで2人を見つめる。

 

「ボクはね、“白蛇様”に従っただけなんだ!」

「し、白蛇様?」

「ちょっと長話させてね。まだこの国が“邪の道の蛇”と呼ばれていた頃。ボク、こう見えて昔はケッコーな頑固者でね。学もない癖に疑り深い、それはそれは厄介な小僧だったんだよ。そんなボクも二十歳迎える前に一念発起してね。突然旅に出たんだよ。自分探しの旅なんて格好つけて言ってはみたものの、実のところ、嫌われ者のボクは地元に居づらくなっちゃったんだよ。いるはずもない青い鳥を探して、色んな国を回った。追い剥ぎに遭ったり、優しい人にあったかと思えば詐欺だったり。まあ想像に難くない馬鹿の末路さ。そしてある時、とうとう力尽きて倒れ込んだ。砂丘のど真ん中でね。腹は空っぽ喉はカラカラ、全身傷だらけの一文なし! ああ、我が人生ここで終わりか――――と思った。その時だよ! せめて日差しを遮ろうと潜り込んだ日陰の中に、真っ白な人影を見た。白蛇を思わせる真っ白な体に真っ赤な目! ボクは死を覚悟したよ。でもね、次に目を開けたのは近くの村の布団の上だった! 全身の傷は跡形もなく治っていて、ポケットには数枚の紙幣が入っていて、“二度とくるな”と文字が書かれていた! ボクはすぐに気付いたよ! 白蛇様が助けてくれたんだってね!」

 

 興奮気味に語るアファに、ナハルは冷ややかな目線を向ける。

 

「白……蛇……ねぇ……。あー……まさかとは思うが……、もしかして、私達のいたバスの中に……」

「そう! そうなんだよナハル君!! 君達の乗ってきたバスの中に、“あのお方”がいたんだよ!!」

「カ、カガチか……」

 

 ナハルは容易に理解出来た。恐らくカガチは、ピガット遺跡にいた頃に偶然若かりし日のアファと遭遇した。人嫌いなカガチは人死を放って面倒ごとに巻き込まれることを嫌い、瀕死のアファを適当に治療してピガット村へと送り届けたのだろう。と。紙幣を持たせたのも、態々(わざわざ)お礼に来られても鬱陶(うっとう)しいからと思ったのだろう。ナハルはカガチの適当さに呆れ、下唇を噛んだ。

 

「あの日から数十年!! よもやこんな所で再びお目通り叶うとは!! 死体のように見えたあの方の目玉がギョロリと動き!! ボクの目を見て確かに言ったんだ!! “私の仲間を頼む”と!!」

「それ多分“ゾウラに手を出したら殺す”じゃなかったか?」

「似たようなものだよ!」

「そうかぁ?」

「ボクは今日という日ほど生きてきてよかったと思うことはないよ!! 砂丘であの方に命を救われ!!」

「絶対邪魔だっただけだぞ……」

「心を入れ替え、あのお方に教えられた”思い遣り“の大切さに気付き!!」

「カガチに思い遣りの心はないよ」

「この”大蛇心会(だいじゃしんかい)“を立ち上げ!!」

「大蛇ってカガチから取ってたのか……本人聞いたら怒るぞ……」

「あのお方に頂いたこの身枯れ果てるまで!! あのお方の意思を語り継ごうと誓ったんだよ!! ぬあっはっはっは!!」

「それは素晴らしいな。是非とも本人に説いて聞かせてやってくれ」

 

 アファの熱の篭った演説に、ナハルは眉を(ひそ)めて紅茶を一口飲み、ゾウラは嬉しそうに拍手をする。

 

「わぁ〜! カガチの思い遣りが、こんなに遠くまで伝わって育まれていたのですね! なんだか自分のことのように嬉しいです!」

「あのお方はカガチ様と言うのだね。今更だけど、会の名前を”大蛇心会(だいじゃしんかい)“から”カガチ心会“に変えようかな!」

「わぁ! 素敵です!」

「やめとけ。滅ぼされるぞ」

「ああ、話の途中だったね。まあそう言うわけで君達を連れて来たんだよ。お仲間の死体も丁寧にここへ運ぶよう言ってあるよ!」

「そうか……ん? 言ってある? 誰にだ? 信者か?」

「え? いや、君達を爆弾牧場に連れて来た警備隊にだよ」

「…………。それは、何というか。すまない」

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 ボロボロの倉庫〜

 

「うぅ〜寒っ!! あー早く温泉入りたいなぁ〜!! てか今すぐお風呂入りた〜い!」

 

 ラルバは警備隊から奪ったコートを燃やして暖をとり、チョコレートを混ぜたホットミルクを(すす)っている。隣ではハピネスが警備隊から奪ったコートに身を包み、歯をガチガチと鳴らしながらラルバを睨みつける。

 

「だぁから私は何っ回も使い捨てバスタブを買おうと言っただろう!! あー寒い寒い!! 死ぬ!!」

「ホットミルク飲む?」

「飲む!! もっとチョコを入れろ!! もっと!!」

「これ以上入れたらドロドロになっちゃうよ……」

「あ、あの〜……」

 

 そこへ、上着を剥ぎ取られて身を寄せ合ってガタガタと震える薄着の警備隊員達が恐る恐る割り込む。

 

「なんだスカベンジャー共。ホットミルクならやらんぞ」

「あ、あの、もう許していただけませんか……? 私達、上層部に言われただけなんですぅ……」

「死体を漁るようにか? 嘘つけ」

「う、嘘じゃないんですぅ〜。私達、これが仕事なんですぅ〜……」

「嘘だな。これだから悪人は……」

「うぅぅうぅ……許して下さいぃぃ……ちょ、ちょっとでも税金が足らないと、国王様に殺されてしまうんですぅ〜……」

「ハピネス、ホットミルクでけたよ」

「わーい! あっつぁい!!!」

「いきなり飲むな。飲み頃とは言ってないだろうが」

「もう許してぇ……うぅぅぅううぅぅ……」

「寒いっ……死んじゃうっ……!」

「うぅぅぅううぅぅぅうう〜……寒いぃぃぃぃぃいいいぃぃぃ……」

「た、助けてください〜…………」

「うるさいっ!! 寒いと思うから寒いんだ!! 気合いが足らんぞ気合いが!!」

「ホットミルクうまっ」



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127話 愉快で奇怪な裏表

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”〜

 

 真っ白な雪景色の中、赤、黄、緑、青と、色とりどりの家屋が建ち並び、並木にはこれでもかと言わんばかりにイルミネーションが飾られている。メルヘンでもあり幻想的でもある不思議な光景に、ジャハルは髪についた雪を払いながら思わず感嘆の声を漏らす。

 

「おお……。独裁政治の閉鎖都市と聞いていたが、意外にも街並みは可愛らしいんだな」

 

 しかし、その少し前方を歩くイチルギは依然として険悪な表情をしており、どこか遠くを親の仇を睨むように瞼を震わせている。ジャハルは緩みかけていた頬をキッと引き締め、己の愚劣な考えを改める。

 

 “爆弾牧場”。(かつ)ては“邪の道の蛇”という盗賊団が統治していた小さな集落であった。しかし、盗賊団と言うよりは義賊的な思想を持っていた邪の道の蛇の政治体制は奇しくも人道的なものであり、世界ギルドや狼の群れも特別注視してはいなかった。

 

 だが、42年前に笑顔の七人衆“収集家ポポロ”が来国。突如、争いの兆候すら見せずに邪の道の蛇の権力者達は姿を消した。それをポポロが難なく支配し、“爆弾牧場”という帝国の皇帝を名乗り始めた。それ以降、爆弾牧場は様々な国との交流を断ち、“笑顔による文明保安教会”や“愛と正義の平和支援会”、“ダクラシフ商工会”、“ベアブロウ陵墓”といった限られた国とだけ交流を持つようになった。

 

 そして嘘か真か、“爆弾牧場では叛逆者は惨殺される”という噂が流れるようになった。

 

 神妙な面持ちのジャハルに、シスターは不安そうに尋ねる。

 

「グリディアン神殿では、爆弾牧場についての情報はあまり聞きませんでした。ジャハルさんはどこまでご存知なんですか?」

「いや……我が人道主義自己防衛軍でも、爆弾牧場に関する情報は少ない。何せ“笑顔による文明保安教会”を叩けば爆弾牧場の問題も解決すると思い込んでいたからな。ベル様がどう考えていたのかは分からないが、指導者が死んだと言うのに未だ様相が変わらないというのは不自然極まりない」

「でも、笑顔の七人衆の死亡は世界ギルドが隠蔽(いんぺい)しているんですよね?」

「ああ。しかし、もう何ヶ月も前の話だ。あれだけの有名人がこれだけの期間姿を消せば、否が応でも察する連中は出てくる。ましてや自国の皇帝ともなれば尚更だろう」

「あ……確かに、そうですね……」

「特に、国王の"レピエン・リエレフェルエン"は気が気じゃない筈だ。何せ、今まで世界ギルドや狼の群れを遠ざけていた絶対的後ろ盾がなくなってしまったのだからな」

 

 ジャハルの説明に、ハザクラが俯いて補足する。

 

「中でも特に気になる点は、閉鎖都市である筈の爆弾牧場が観光業に力を入れている点だ。このカラフルな街並みも、煌びやかなイルミネーションもその一環だ。笑顔による文明保安教会の傀儡(かいらい)的な植民地だとばかり思っていたが……、この国は意外にも宗教の制約が緩い。それどころか、笑顔による文明保安教会の教義も全く守られていないらしい。バリア先生達を連れて行った連中も警備隊も、笑顔の者は(ほとん)どいなかったしな」

 

 集団の先頭を歩くラルバは、案内役に無理矢理連れて来た警備隊の1人に力強く肩を組み、邪悪な笑みを浮かべて顔を近づける。

 

「ふぅ〜ん。変なのぉ〜!」

「ひぃっ……!!!」

「ねえねえ隊長さん。その“叛逆者は惨殺される”ってどういうこと? 教えてほしいなぁ〜! 場合によっちゃあ助けてあげなくもなかったりしないかもよ?」

「わ、私が言ったって、こう、口外しないで頂けますか……?」

「え? 言うよ? めっちゃ言う」

「じゃ、じゃあ言えません……!!!」

「言えよ。雪食わすぞ」

「ひぃぃ……!!」

 

 ラルバは足元から掬った雪を警備隊長の顔に押し付ける。そこへイチルギが肩で風を切って歩いて行き、ラルバの頭をぶん殴ろうと拳を掲げる。しかし、ラルバはそれを予測しており、拳が命中する寸前に警備隊長を盾にして寸止めさせた。機械のようにピタリと動きを止めたイチルギに向かって、ラルバはニヤリと口角を上げて嘲笑う。

 

「おっとぉ!! いやあイチルギさん芸がないねぇ。ヒヤァ〜! イチルギサン! ナグラナイデェ〜!」

 

 恐怖で固まる警備隊長で腹話術をするラルバ。イチルギは静かに怒りを押し殺して、ゆっくりと拳を下げる。すると(おもむろ)に背を向けて数歩進み、複製魔法でラルバそっくりの人形を作り出した。そして、その人形の腹を力一杯殴りつけ始めた。

 

「フンっ!!! フンっ!!! 死ねっ!!! 死ねっ!!!」

「うわ。ちょ、ちょっと……イチルギさん?」

「オラっ!!! クソガキがっ!!! くたばれっ!!! ゴミクズっ!!! フンっ!!!」

「うわ……この人陰湿だ……怖……。見てご覧隊長さん。これが世界ギルドの元総帥だよ。嘆かわしいね」

「え……あ…………はい……?」

 

 イチルギはラルバ人形の両手足を力任せに引き千切り、顔面を何度も踏み潰した後、鉄柵の尖った装飾に突き刺す。()ぎとった四肢や胴体も順番に鉄柵に突き刺していき、見せしめのようなオブジェクトを作った。

 

「ラルバ。これ以上私を怒らせると、次は偽物じゃ済まないわよ」

「ソレやられて泣くのは私じゃなくてラデックだよ。千切られた服直すの誰だと思ってんのさ」

「素っ裸に剥いて千切る」

「怖いってかキショいよ……」

 

 その時、ふと遠くから喧騒が聞こえ始めた。その音に警備隊は皆震え上がり、拘束を解こうと藻搔(もが)き始める。

 

「はっ外して下さい!! 遅れたら殺される!!」

「た、頼む!! 絶対に逃げないから!! 少しでいい!!」

「なあお願いだよ!! 行かなきゃ殺されるんだ!!」

 

 突然慌て始めた警備隊に、ハザクラが拘束を解こうと手を伸ばす。

 

「待ったハザクラちゃん!!」

 

 それを、ラルバが腕を掴んで静止する。

 

「ラルバ、もう気は済んだだろう」

「いや、そうじゃない。多分ここの方が安全だ」

「何?」

「ジャハル! その辺で虚構拡張して守ってやれ」

「え? あ、ああ。わかった」

「私はちょっと見てくる。今から1時間後に虚構拡張を解け」

 

 ラルバは静かに走り出し、あっと今に姿を消してしまった。その後ろ姿を呆然と見送ったジャハルは、疑問を堪えて周囲を見渡す。

 

「……あの家にお邪魔しよう。ひとまずはラルバに従った方が良さそうだ」

 

 ジャハル達は怯える警備隊を連れて避難を始めた。

 

 

 

 雪が降り積もった街中を、ラルバは人目を避けて音もなく跳び回り、背の高い針葉樹の中へと飛び込んだ。

 

「んー……もうちょい右がよかったなー。あれが“レピエン国王”か?」

 

 針葉樹から数百m離れた先の広場では、大勢の人間が何かを囲むように集まっている。人集りで形成された円の中心には、複数の護衛をつけた1人の男、薄い緑の豪奢なコートを纏った老人“レピエン国王”が、煌びやかな宝石が幾つもついた散弾銃を手遊びに振り回している。その目の前には、両膝をついて激しく目を泳がせる女性が恐怖に震えている。

 

「んんんん〜? 俺の見間違いかぁ〜? 金が、足ん、ねぇ、なぁ〜?」

 

 老人は散弾銃の銃口を女性の額に乱暴に押し付ける。

 

「も、ももっ申し訳……ありません……!!! あ、ああ、あと1日だけっお、お待ちいただけ――――」

「はぁ〜!? なぁんで俺が待たされんのぉ〜!?」

 

 レピエンは銃口を女性の額や頬、胸に強く押し付け、激しく怒りを露わにする。

 

「ねぇ〜何でぇ〜!? お前はそんな偉いのぉ〜? ねぇ〜!! おい聞いてんのかぁ〜!?」

「ちちちちち違いまっ……!!! ひぃっ……!!!」

 

 背の高い針葉樹の隙間から見ていたラルバは、つまらなそうに頬を掻きぼやく。

 

「分かりやすく悪者だな。面白味に欠ける……んあ?」

 

 視界の端、広場から遠く離れた工場の煙突の梯子に、見覚えのある姿を見つける。ラルバは再び音もなく飛び跳ね、疾風の如く路地を駆け抜け、工場の煙突をするすると攀じ登って行く。

 

 

 

「あれがリィンディの言ってた国王だね」

「見えない」

「見えない」

 

 レピエン国王の悪事を観察しようと、煙突に登っていたバリア、ラデック、パジラッカの3人。そこへラルバが下からぬぅっと近づき、ラデックとパジラッカの耳元で大声を上げる。

 

「何見てんのー!?」

「おわっ」

「んぎゃーっ!!!」

 

 驚きの余り梯子から手を離してしまうパジラッカ。それをラデックが慌てて抱き寄せて受け止る。

 

「危ないっ……!!」

「んえぇ……死ぬぅ……」

 

 突如現れたラルバの姿に、パジラッカは毛を逆立てて威嚇(いかく)する。

 

「脅かさないでよ!!! 死んじゃうでしょ!!!」

「誰お前」

「お姉さんこそ誰よ!!」

「世界ギルドの元総帥、イチルギだ」

 

 笑顔で嘘を吐くラルバをラデックが押し退ける。

 

「彼女はラルバ。俺とバリアの仲間だ」

「うぇぇ。大変そうだね」

「ああ、大変だ」

「大変とか言うな」

「オイラはパジラッカ!! 大工兼、傭兵兼、プログラマ兼、掃除屋兼、コック兼、狩人兼、引越し屋兼、料理人兼、漁師兼……あれ、今どこまで言った?」

 

 ラルバとパジラッカが暢気(のんき)に挨拶をしていると、バリアが広場の方を指差して声を上げる。

 

「あっ、見て」

 

 ラルバは広場の方へ目を向け、パジラッカが双眼鏡を取り出してラデックと左右を分け合って片目で覗き込む。

 

 広場では、騎士達がレピエンを守るように盾を広げて壁になっており、その視線の先には足から血を流す1人の男性が這いつくばっている。周囲の人々は怯えて逃げ惑い、物陰や家屋に隠れ始めている。そして、騎士の壁の後ろではレピエンがコートで顔を隠しながら血を流す男に片手で散弾銃を向けている。

 

「レピエンが男を撃った。でも、周りの様子がおかしい」

 

 レピエンの散弾銃を構える手が小刻みに震え始め、撃たれた男性は(しき)りに何かを叫ぶ。痛みに震えながらも必死に周囲を見回し、助けを求めるように手を伸ばしている。そして、一際大きく叫び声を上げた次の瞬間。男性の全身が葡萄(ぶどう)のように粒状に膨れ上がり、爆弾のように爆発した。

 

「なっ――――!?」

 

 思わずラデックはパジラッカから双眼鏡を奪って両目で覗く。

 

「あー! 独り占めしないでぇー!」

 

 広場には、男のいた場所を中心に石畳に真っ黒な焦げ跡が残されており、そこから放射状に凄まじい量の血と肉片が散らばっている。騎士達は警戒を解いて陣を崩し、人々は泣き叫んで怯え、レピエンは満足そうに高笑いをしている。口に出すのも(はばか)られる(おぞ)ましい光景に、ラデックは絶句して双眼鏡から目を離した。

 

 先程まで人の形をしていたソレが、突然身体中から風船が湧き出てきたかのように膨らみ、血飛沫と爆炎を上げて消し飛んだ。恐らく、間近で見た者には鼻が曲がるほどの血と人が焼ける臭いが、痛いほどに感じられるだろう。現場から数百m離れた場所からでも、その異常さと悍ましさは薄れることなくラデックの思考を真っ赤に塗り潰した。

 

 呆然とするラデックに、バリアが淡々と解説をする。

 

「男は税金の滞納が2回目だったらしい。それにレピエンが怒って足を撃った。男は処刑を恐れて周囲に助けを求めたけど、誰も手を貸さなかった。多分、皆こうなることを分かってたんだと思う。レピエンの命令で騎士が盾で壁を作った後、レピエンが呪文みたいな言葉を呟き始めた。遠過ぎてなんて言ってるかまでは分からなかったけど、周囲の反応からして、爆殺する予備動作みたいなものだったんだと思う」

 

 バリアは説明を終えると、もう用はないと言わんばかりに梯子から飛び降りた。ラルバもそれに続き下へ飛び降りる。残されたラデックは、まだ呆然と広場の方を見つめており、パジラッカがその手から双眼鏡を奪い取って広場の方を覗く。

 

「あひゃぁ〜グロぃ〜。酷いねぇ。人の心がないねぇ」

 

 ラデックは何も言わずに少しだけパジラッカを見つめ、ラルバ達の後を追いかけて梯子を飛び降りた。

 

「ええっ。皆飛び降りるの? やめてよオイラ高いとこ嫌いなんだからぁ……。ちゃんと梯子で降りましょうねぇ〜」

 

 パジラッカはブツブツと文句を零しながら、のそのそと梯子を降り始めた。

 

 

 4人はバリアを先頭に先程の広場の方へと歩いて行く。ふとラデックが足元に目を向けると、踏みしめられた雪から覗いている石畳の一部が、真っ黒に変色して欠けているのが見えた。

 

 黒焦げの石畳。さっきの爆発が脳裏に浮かび上がり、ラデックは思わず足を止めた。

 

「お兄さんどしたの? 小銭落ちてた?」

 

 パジラッカがラデックの顔を覗き込むと、ラデックはまた何も言わずに歩き出した。そして少し早足になってバリアを追い抜き、振り向かないままバリアに尋ねる。

 

「なあ、バリア」

「何」

 

 バリアがラデックを追い越そうと足を早めるが、ラデックもそれに合わせて速度を上げる。顔を見られたくないのか、それとも誰かを視界に入れたくないのか。それはラデック本人にも分からず、今はあの悲惨な処刑の光景を忘れようと必死だった。

 

「昨日バリアが言っていた“その辺は多分心配要らない”って、アレ。どう言う意味だ」

「まだ確信が持てないから言いたくない」

「確かじゃなくてもいい。教えてくれ。俺は今、良くない妄想ばかりしている」

「気休めにもならないよ。聞かないほうがいい」

「頼む」

「嫌」

「頼む」

「しつこい。蹴るよ」

「バリア……!!」

「いい加減にしてラデック――――」

「バリア、2人は?」

「え?」

 

 ふとバリアが振り向くと、そこには誰もいなかった。確かについて来ていた筈の、ラルバとパジラッカの姿が、どこにも見当たらなかった。

 

「ラルバがどこかに連れて行ったのか?」

 

 ラデックがいい終わるより早く、バリアは地面が(えぐ)れるほど強く踏み込んで走り出した。ラデックも慌てて追いかけ、さっき曲がった交差点を曲がる。そこには、光を一切反射しない真っ黒な壁が道を塞いでいた。

 

「これは……虚構拡張か?」

「しまった……!! クソっ!!!」

 

 バリアは歯を食い縛って激しい音を鳴らし、力任せに虚構拡張の結界を殴りつけた。バリアの足元が衝撃に砕け、凄烈な爆音を鳴らして猛風と土煙が吹き荒れる。周囲の家屋の窓ガラスにはヒビが入り、脆い壁は耐えきれずに崩れ始めた。

 

「ぐっ……!! お、おいバリア……!!」

「油断したっ!!! 何でっ……何であんな軽忽(けいこつ)な真似を……!!! 迂闊(うかつ)だった……!!! クソっ!!! クソっ!!!」

 

 バリアは虚構拡張の結界を何度も殴りつける。周辺の住民は何事かと顔を出し、あっという間に人集りができた。ラデックはバリアを止めようとするが、バリアが虚構拡張を殴りつける度に発生する衝撃波に憚られる。

 

「バリア……!! やめろ!!! バリア!!!」

 

 それでも必死に近づき、ラデックはバリアの首根っこを引っ張って虚構拡張から引き剥がす。バリアは俯いたまま歯を強く擦り合わせ、心底悔しそうに目を伏せた。

 

「私が……私がさっさとラルバに伝えていれば……!! ああ、何で……!!! クソっ……クソっ……!!!」

「落ち着けバリア……!! 俺にも分かるように言ってくれ!!」

「最初から怪しかった……。ずっと……! プログラマーの経験があって、叔父の家に掛け流しの風呂があるってことは、かなり上位の先進国……! 使奴の性能をある程度知ってるってことは、使奴に対して比較的関心のある国の出身……!!」

 

 バリアの呟きに嗚咽(おえつ)が混じり始め、苦しみを吐き出すように力強くなっていく。

 

「そして何よりも、こんな閉鎖国家に単独乗り込んで来れるような、ずば抜けた能力を持った人材がいて、それを真っ当に教育出来る国なんて……限られてる……!!!」

「バリア……それって、まさか……!! いや、でも相手はラルバだ。そこまで心配する必要は……」

「お前は何も分かってない!!!」

 

 バリアがラデックの胸倉を力任せに引き寄せ、今まで一欠片も見せたことのない憤怒の表情で睨みつける。しかし、その矛先はすぐにラデックから外れ、呆然とするラデックの瞳に映ったバリア自身へと向けられる。

 

「クソっ……!!! クソっ……!!! ああっ……!!! あぁぁぁ…………!!!」

 

 バリアは力無くラデックにもたれかかって膝をつき、顔を伏せて悔恨に頬を濡らした。未だ事の根幹を理解していないラデックは、泣き崩れるバリアにかける言葉もなく見守るしかなかった。

 

「一体……中で……何が……?」

 

 

 

 

 

 

 

 顔が映りそうなほど綺麗にワックスがけされたフローリングの床が、見渡す限りどこまでも長く続いている。その地平線の果てには、巨大なスピーカーと思しき機械が幾つも浮遊しており、この空間が現実離れした場所であることを証明している。

 

 ラルバは(おもむろ)に振り返り、苛立(いらだ)った様子で口を開く。

 

「……使奴相手に虚構拡張? 自殺にしては随分回りくどいな。パジラッカ」

 

 パジラッカは普段と変わらぬあどけない笑顔のまま、両手に鎖を構えて陽気に答える。

 

「へっへへ〜ん。悪者の言うことなんか聞かないもんね!」

 

 鎖の両端には十字の刃がついており、パジラッカはそれをブンブンと振り回し始める。ラルバは小さく舌打ちをしてからほんの僅か腰を落とし、パジラッカに向かって跳躍した。

 

 しかし、突然足が短い痙攣(けいれん)と共に硬直し、バランスを崩して攻撃を外してしまう。そして、パジラッカはすれ違い様にラルバを斬り付け、片眼を真っ二つに裂いた。

 

「なっ――――!?」

「っしゃあ!! まずいっぱーつ!!」

 

 ラルバは倒れ込む寸前に片手を地面につき、腕の力だけで宙返りをしてパジラッカから距離を取る。パジラッカは自信満々に鎖を振り回し、挑発するように決めポーズをとった。

 

「我ら世界ギルド!! “怪物の洞穴(ほらあな)”所属、パジラッカ!! イチルギ様は返してもらうよ!!」



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128話 ラルバ対パジラッカ

 傷一つないフローリングの床に、ラルバの切り裂かれた左目からぼたぼたと血が滴り落ちる。地平線の彼方では幾つもの巨大なスピーカーが浮遊し、先制を許したラルバを嘲笑う目玉のようにこちらを向いている。パジラッカの奇怪な虚構拡張の中、ラルバは左目を治療しながら今置かれた状況を確かめる。

 

 周囲に人の気配はナシ。パジラッカとの一対一。彼女は世界ギルド“境界の門”の軍隊”怪物の洞穴(ほらあな)”所属。得物の取り扱いに卓越した技術はナシ。使奴相手に余裕の表情。そして、“突然動きを止めた左脚”。

 

 ラルバは足に力が入ることを確かめてから、再び地面を蹴り出そうと腰を落とす。しかし、再び足が一瞬の痙攣(けいれん)と共に硬直しバランスを崩した。

 

「隙ありぃー!!」

 

 そこへパジラッカが鎖のついた十字刃を投げつける。当然ラルバも避けようと上体を傾けるが、今度は上半身が痙攣を挟んだ硬直によって自由が利かなくなる。ラルバは咄嗟に刃を手刀で弾き攻撃を防ぐ。しかし、直後背後から凄烈な爆発音が聞こえた。

 

「いよっしゃ!!」

 

 至近距離の爆発をモロに喰らい、ラルバは背中に大きな爆傷を負って吹き飛ばされた。そして、突然全身が痙攣し、瞬きひとつすら出来ないほどに一切の自由が利かなくなる。硬直は行動阻害に留まらず、魔法を扱うことも、呼吸すらもままならない。

 

「トドメだぁーっ!!」

 

 倒れ込んだラルバの首筋にパジラッカが刃を振り下ろす。その刃がラルバの首筋に触れた瞬間、”刃は一瞬で凍りついて“、振り下ろされた圧力に耐えきれず粉々に砕け散った。

 

「あららぁーっ!? 木端微塵!」

 

 直後、フローリングの一部が”ひび割れてひっくり返り、石畳へと置き換わって“いく。景色の半分も”ひび割れ崩れ落ち、鮮やかな星空“へと変化していく。ラルバの虚構拡張によって景色の半分が石畳と星空に塗り替えられ、パジラッカは仰天して飛び退いた。

 

「うひぃー!! やんのかオラァー!!」

 

 ラルバは追撃が来る前に、自分の持ち物以外を対象に異能を発動した。瞬きをする間もなくパジラッカの武器と衣服が”凍りつき“、その氷は”ボコボコと湧き出るようにして“体積を広げていく。

 

「つめたぁ!!! ひぃぃぃちべたいちべたい!!! 死ぬっ!!!」

 

 パジラッカは力一杯体を捩って、氷のコートとシャツを砕き氷のブーツを踏割った。しかし、虚構拡張直前まで雪景色だった周囲の気温は僅か一桁。防寒魔法のかかった衣服が消滅した凍える寒さの中、パジラッカは全裸で身を震わせて(うずくま)る。

 

「さみぃぃぃぃぃぃいいい!!! 使奴相手とか関係ナシに死んじゃうよぉ!!!」

 

 すると、ラルバの頭上から一塊の氷が落下し、地面にぶつかって勢いよく砕け散った。それと同時に、ラルバの身体が“本人の意思とは関係なく勢いよく反り返った”。不可思議な現象にラルバは、“自らの予想が当たったことを確信する“。

 

 相手の行動を阻害する生命対象の変化系の異能。虚構拡張のフローリングとスピーカー。身体が硬直する直前の短い痙攣。そして、“数ヶ月前に出会った、元怪物の洞穴所属の人物“。

 

 

 

 数ヶ月前。世界ギルドからヒトシズク・レストランに向けて出発し、義賊に馬車を囲まれた時のこと。

 

「あれは……義賊っぽいけど、私達を襲うってことは違うのかしら」

「カランクラ率いる盗賊団“ヘビースモーカー”だ」

 

「ヘビースモーカーのリーダー“カランクラ”と、その部下3名は元“怪物の洞穴”のメンバーだ」

 

 その時に起こった、不可思議な出来事。

 

「そのハイエンド防衛魔工っての、故障しているぞ」

「うそぉ!?」

 

 使奴の感覚器官を一切刺激せず、正確に言えば“違和感を覚えさせず”、機械の破壊と複数人による接近を可能とした。顔見知りである筈のイチルギでさえ、即座に正体に気付けない。意図的に不注意を発生させる“不覚”の異能者。

 

 

 

 

 ラルバの頭上から落下してきた氷塊の影から、全裸の女性がゆっくりと起き上がる。そして、“その女性と全く同じ動きでラルバも立ち上がった”。

 

「……はぁ。パジラッカ、油断するなといつも言っているだろ」

「してないしぃ〜!? はぁ〜!? あんなん無理ゲーでしょ!! ねぇ!!」

 

 身の丈はハピネスと同じくらい。ジャハルと同じ筋肉質な浅黒い肌に、深い緑に薄い水色のメッシュがかかった長髪。その隙間から覗く金色の瞳。その姿は、ラルバの想像していた人物とピタリと一致した。

 

「……久しぶりだな。カランクラ」

「世界ギルド……“怪物の洞穴”所属。ラドリーグリス。カランクラは偽名だ」

 

 ラルバの手足は未だピクリとも動かず、口こそ自由になったもののラドリーグリスと同じ姿勢を保ち続けている。

 

「こうしてお前の姿を目の当たりにするまで確信が持てなかった。パジラッカの異能は恐らく”同調“。対象者Aの動きを、そっくりそのまま対象者Bに反映させる異能。この虚構拡張の景色は恐らく、ダンスの練習場か何かか? それをアンタが“不覚”の異能で身を隠し、対象者Bの動きを猿真似する事で、擬似的に“動きを止める”万能な異能に見せかけた」

「げげっ!! 読まれてるよ先輩!!」

「…………」

「パジラッカが私の頭上に浮遊魔法でお前を浮かせていても、不覚の異能で存在がバレることはない。パジラッカの小細工も怪しまれない。いざとなれば、さっき私の背後に爆弾を投げたように上空からの奇襲ができるし、都合が悪くなれば撤退も容易(たやす)い。お前自身が魔法を使わないことで、同調の異能で私の魔法も封じることができる。そして、パジラッカの異能による硬直前の僅かな痙攣は、お前の猿真似と私の姿勢を完璧に同調させた時の誤差だ。1ミリも違わず同じポーズなんて取れるわけないからな」

「んげぇーっ!! バレちゃったよラドリー先輩!! どうしよう!!」

「………………で?」

 

 ラドリーグリスは怪訝(けげん)そうな顔で(あご)をしゃくりラルバを見下す。

 

「仕組みが解ったからなんだって言うんだ? まさか、褒めてほしいなんて言うんじゃないだろうね」

「わかんないよ? 褒めてあげたら喜ぶかも」

「黙ってろパジラッカ」

「おまっ、今はオイラがリーダーだぞ!!」

 

 ラドリーグリスは使奴の眼光に一切怯むことなく啖呵(たんか)を切る。

 

「私らの異能の詳細を暴いたところで、同調でアンタは魔法どころか指一本動かせず、不覚によって一度見失えば二度と追いかけることは叶わない。おい、パジラッカ」

「今はオイラがリーダーなんですけどぉ……」

「さっさとラルバを始末しろ」

「ええ、オイラがやるのぉ?」

「当然だろ。私は今動けないんだ」

「じゃあオイラが止める役やる!!」

「お前5分もじっとしてられないだろ」

「んぎぎぎぎぎぎ……そいつぁそうだがよぅ……」

 

 パジラッカは恐る恐るラルバに近づき、身動きの取れない彼女をおっかなびっくり観察する。

 

「って言ってもさぁ……武器は全部氷になっちゃうしぃ、素手で使奴を解体しろと?」

「早くしろよ。そいつがまだ他にどんな策を持ってるか分からないんだ」

「待ってよぉー!! うにぃぃぃ……目ん玉()り抜くのも耳ぶっさすのも指でやんなきゃいけないのぉ? オイラお魚の内臓も触れないんだけど……」

「嫌なら“バラせ”よ」

「いやあのそのえっとですね。“アレ”やるとちょっとオイラ吐いてしまいますので……」

「じゃあ早く捌けよ」

「んあぁあー!! やっぱ爆弾牧場(こんなとこ)来るんじゃなかったぁー!!」

 

 頭を抱えて泣き喚いているパジラッカを見下しながら、ラルバがボソリと呟いた。

 

「お前ら……何が目的だ?」

「へぁ……? いや、イチルギさん奪い返すことですけど」

「今ここで私を粉微塵に解体したとして、それがどうイチルギの解放に繋がると言うんだ」

「へっへっへ。それはですねぇ」

「“破条制度(はじょうせいど)”だ」

「あっ!! オイラが言いたかったのにぃー!!!」

 

 

 

 2ヶ月ほど前、丁度ラルバ達がバルコス艦隊に到着した頃。イチルギという絶対的信頼と実力を持った百人力の総帥の不在に、世界ギルドは過去に例を見ない難題を強いられていた。後釜を任されたライドル中将とその部下達が、寝る間も惜しんで血汗を流している中、何の前触れもなく彼女は現れた。

 

 イチルギの元相棒にして、盗賊の国”一匹狼の群れ“元頭領、ヴァルガン。彼女は世界ギルドの軍隊に召集をかけ、彼彼女らの目の前でイチルギから預かってきた宣誓書を掲げた。

 

 燃え盛る灯火(ともしび)、怪物の洞穴(ほらあな)、大河の氾濫(はんらん)、太陽蜘蛛(くも)、繋がれた執行人。以上の5部隊に所属する者に、“破条権(はじょうけん)”の行使を許可する。

 

 

 

 

「総裁またはそれに準ずる者の発令に対し、権利者が各々の方法で命令の妥当性を問うことができる。またその結果、発令者を除く権利者の半数の賛成票が得られなければ、命令そのものを棄却できる。それが“破条制度”だ」

「オイラ達は、イチルギ様の“ラルバ・クアッドホッパーの懐柔(かいじゅう)”という仕事に対して破条権を使った! 要するに、そんな奴どうだっていいから帰ってきてイチルギ様ー! ってことだね! だからオイラ達は“ラルバ・クアッドホッパーを起用すること“に賛成か反対か決めなきゃならないの! 逆にラルバは、”私達世界ギルドの5部隊のメンバーのうち、半分以上の賛成票を得ることで自由にイチルギ様を連れ回せる“ってコト! ね!」

「そして私ら”怪物の洞穴“が選んだ評価方法は、そもそもお前になんか期待しないし選ばせない。お前が何を(のたま)おうと、誰を人質に取ろうと、私らに()びようと、一切合切を受け入れない。“完全却下“だ。」

「却下却下きゃっきゃっきゃ〜! ぶえっくし!! うぅ〜寒っ!!」

 

 眉間に(しわ)を寄せるラドリーグリスと、ヘラヘラと笑いながら鼻を垂らすパジラッカ。正反対な2人の眼には、明確な敵意と拒絶の意志が松明(たいまつ)の灯火のように揺らめき輝いている。

 

 ラルバは反論しようとするが、パジラッカの異能によって発言を封じられる。

 

「そんじゃあそろそろ覚悟決めようかね……。あぁぁやりたくないぃぃ〜!」

 

 (おもむろ)に腕を(まく)るパントマイムをしながらラルバに手を伸ばすパジラッカ。しかし、突如パジラッカの”指先が氷に包まれ始め“全身へと広がっていく。

 

「うおわわわわわわっ!?」

 

 パジラッカの指先に付着していた、目には見えないほど小さな”糸屑“。それを対象に発動されたラルバの異能。それはみるみる体積を広げ、パジラッカの全身を包み込んでいく。

 

「マズイっ!! ”バラ“せパジラッカ!!」

「みょあ――――!!!」

 

 しかし、一瞬の攻勢も束の間。ラルバの全身は何者かに握り締められたかのように縮み、肉が潰れ骨が砕け散る音と共に血を噴き出して“パジラッカと全く同じ大きさの肉塊になった”。

 

 間一髪氷塊になることを免れたパジラッカは、ラドリーグリスの手を借りて体から氷を剥がし立ち上がる。そして見るも無惨な赤い塊になったラルバを見て、真っ青な顔で背を向けた。

 

「うっ……おぉぉぉぉぉろろろろろろろろろ……」

「吐くな吐くな」

「うげぇ〜グロい〜……。道徳のカケラもないよこの技……おぇぇ……」

 

 2人の動きを同調させるパジラッカの異能。それは動作やポーズのみならず、肉体のシルエットにも適応させることができる。パジラッカの低い身長に合わせて骨は潰れて砕け散り、豊満な胸を再現するために肺や心臓は膨れ上がって破裂する。もしパジラッカがまだ髪留めで噴水のような髪型を維持していれば、頭蓋骨が割れて脳味噌が噴水のように噴き出ていたことだろう。

 

「だが、ここまでミンチになれば使奴と言えどそう簡単に復活はできまい。今のうちに隠れるぞ」

「あいあい〜」

 

 まだ辛うじて光を感じていたラルバの視界を動く影が、ゆっくりと視界から外れて見えなくなった。これを最後にラルバの思考に(かすみ)がかかり始め、“不覚”にも今まで話していた2人の存在を忘れてしまった。そして“不覚”にも、頭上に投げられた爆弾の存在に気が付くことは出来なかった。

 

【“怪物の洞穴”所属 ラドリーグリス 反対に1票】

【“怪物の洞穴”所属 パジラッカ 反対に1票】

 

 現在、賛成0票。反対2票。



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129話 夫婦喧嘩を食う犬

〜爆弾牧場 宗教法人“大蛇心会“〜

 

「ボクは赤ん坊の頃の記憶を持ってるんだよ! そう、ボクは大蛇から生まれたのだよ……母は幾つもの腕でボクを抱え、涙を流し微笑んだ……!」

 

 大蛇心会の教祖“アファ”の与太話に、ゾウラは目を輝かせて耳を傾ける。

 

「わあ! 凄いですね! そんな古い記憶を持っているだなんて!」

「ボクは選ばれたんだよ。きっと。だからボクは伝えなければならないんだよ。ボクを産んでくれた大蛇への感謝を。育ててくれた母達。その連鎖の幸福を――――!」

「きっと大蛇さんも喜びますよ! ねえナハルさん!」

 

 隣で(いぶか)しげに話を聞いていたナハルは、ゾウラに話を振られ眉間の(しわ)をより一層深める。

 

「はぁ……。胡散臭いのは今に始まった話ではないが……大蛇から生まれたというのは無理がないか?」

「いいや!! ボクは確かに見たのだよ! 人の姿をしてはいるものの、腰から下に伸びる幾つもの足に支えられた体躯を!」

「それって、どっちかって言うと百足じゃないのか?」

「ムカデ? ムカデとは?」

「温暖な地域ではよく見る虫だ。こう、体長くて足がいっぱい生えてて……」

「むぅ……気味が悪いよ。大蛇ということにしておいてよ」

「お前はそれでいいのか……?」

「見えるものを見たいように見た結果が真実だよ! ぬあっはっはっは!」

「はぁ……」

 

 ナハルは呆れて溜息を零す。すると、爆撃のように凄烈な衝撃波が壁越しに3人を襲った。

 

「な、なんだ!?」

 

 ナハルは慌ててゾウラを連れて館から飛び出した。音がした方角には“真っ黒な巨大なドーム“が鎮座しており、そこから続けて破裂音のような爆音が鳴り響いた。

 

「ナハルさん。あれって虚構拡張ですか? 私、外から見たの初めてです!」

「暢気なこと言ってる場合じゃないぞ! この波導……そばにバリアがいる!」

 

 2人は未だ凄烈な爆音を響かせる虚構拡張の元へと駆け出した。

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”〜

 

 ナハルとゾウラが到着すると、そこには人集りが出来ており、騒ぎの中心には鬼の形相でラデックの胸倉を掴むバリアの姿があった。

 

「お、落ち着けバリア……!!」

 

 ラデックが苦しそうに声を漏らすと、ナハルはすぐさまバリアに駆け寄ってその手を引き剥がす。バリアは興奮して肩で息をし、獣のように唸りながらナハルを睨みつけた。

 

「い、一体何があったんだバリア……! お前がそんなに取り乱すなんて……」

「…………ラルバが、ラルバが虚構拡張に閉じ込められた。世界ギルドの手先と一緒に……!!」

「え、そ、それが何か問題なのか?」

「相手は恐らくイチルギ直属の部下……!! ラルバに危害を加えられる手段を持っている筈……!!」

「……すまないバリア。私には何がそこまで緊急事態なのかが分からない……。ラルバがくたばるってことは良いことじゃないのか……?」

「もういい。どっか行って」

「どっかって言われてもな……」

 

 そこへ遅れて息を切らした教祖アファが到着し、声を張り上げて人集りに呼びかける。

 

「み、皆さ〜ん!! ここは、我々“大蛇心会”がなんとかしますので!! 皆さんは近寄らぬようお願いします〜!!」

 

 アファの呼びかけに住民達は顔を合わせ、人集りは次第にバラけていった。見事鶴の一声で野次馬を追い払ったアファに、ナハルは驚いて声をかける。

 

「意外と信頼が厚いな……。こういうのは普通、教祖がやるものじゃないだろう」

「ぬあっはっは。言ったでしょう? 我が大蛇心会の教義は“信頼”だと!」

「おみそれしました……」

「ぬあっはっは。そこのお二人はナハル君のお友達かな?」

 

 無言で敵意を剥き出しにするバリアを遮って、ラデックがアファに握手を求め手を差し出す。

 

「俺はラデック。こっちはバリアだ。貴方は、“大蛇心会”の教祖、アファか?」

「如何にも! よろしくねラデック君、バリア君。ぬあっはっは」

 

 ラデックは挨拶を済ませると、合流したナハルとゾウラに今までの経緯を話した。リィンディ・クラブロッドという男の存在。温泉の湯に仕込まれたであろう異能。そして、今し方ラルバを幽閉したパジラッカという少女のことを。

 

 話を聞いたナハルとゾウラは、特に温泉の秘密に驚いて顔を見合わせる。

 

「温泉が、爆発の異能の根源……!?」

「わあ! 凄い方法ですね!」

「いや、しかし……それはちょっと考えにくいんじゃないか……?」

 

 ナハルの疑りにラデックが首を傾げる。

 

「そう言えばバリアも“多分心配ない”って言っていたな。どういう意味だ?」

「色々理由はあるんだが……。まず、自己対象以外の異能の主な発動条件は“接触、接近、直視”の3つだ。異能の三法則って聞いたことないか? 勿論例外はあるが、殆どの場合これらが条件に含まれる。だから、温泉を介して異能の発動条件を満たすというのは考えにくい」

「考えにくいだけで、出来ないわけじゃないんだろう?」

「う〜ん。例えば、異能者が使奴で自分の肉体を擦り下ろして温泉に溶け込ませているなら不可能ではない……が、私も昨晩温泉に入ってきたが、特に違和感はなかったな……」

「擦り下ろして……」

「そして何よりも、その“幸運にも奴隷の1人に命力を感じ取れる異能を持った者がいた“。と言うのが怪しすぎる」

「何でだ?」

 

 ナハルは一瞬だけ言い淀んでから、目を伏せて恐る恐る口を開く。

 

「”命力“と言うのは、魔力の対となる異能の力の源……。だが、それは旧文明で主に”オカルト“として扱われて来た概念だ。宇宙人とか、天動説とか、死後の世界とか……。そういう括りの概念なんだ。だから、それをこの旧文明が滅んだ世界で口にするって言うのは……多分……」

「……旧文明の生き残りに騙されている?」

「ああ。だがその真意が分からない。使奴ならこんなすぐバレる嘘は言わないだろうし、かと言って使奴研究員やなんかがこんなオカルトでリィンディを騙す意味もないし……」

 

 2人が頭を捻っていると、唐突に黒壁が解れて虚構拡張が解除された。

 

「――――っ! ラルバ!!」

 

 バリアが一目散に走り出し、見えた人影へと駆け寄る。そこにいたのは、身体中に黒痣を作って血塗れになっているラルバの姿だった。

 

「ラルバ!? な、何があったんだ!?」

 

 これにはラデックを始めとした他のメンバーも血相を変え、彼女の元へと走り寄る。しかし、ラルバの表情は全員が想像していたものとは大きくかけ離れていた。

 

「いや……特に。にひひっ」

 

 回復魔法の使い過ぎで息を荒げ未だ全身から血を垂れ流す彼女は、どこか楽しそうに、それでいて満足そうに笑った。彼女の安否を心配していたバリアでさえ、その異質さを訝しんで恐る恐る尋ねた。

 

「ラルバ……? パジラッカは……?」

「パジラッカ? ……ああ。私をコテンパンにしてどっか行ったよ」

「どっかに? 虚構拡張からどうやって!?」

「あー……そう言えばそうか。解かなきゃ出れなかったのか。うっかりうっかり」

 

 要領を得ないラルバの生返事に、バリアはかつてない恐怖を覚えて(うずくま)る。

 

「……ごめんラルバ……! 私のせいだ……私が、私がパジラッカのことをすぐに言わなかったから……!!」

 

 ラルバはバリアの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でて、ニカっと歯を見せて笑いラデックを見る。

 

「言ったってこうなってたよ。それより温泉入りたいな! 私まだ入ってないんだよねぇ〜。近くにいいとこある?」

「え、あ、ああ。ど、どうだろうか……」

「痣も治さなきゃ。ラデック頼んだよぉ〜」

「あ、ああ」

 

 不自然に機嫌良く笑うラルバに、ラデック達は酷く調子を狂わせた。“不覚”にも誰一人として消えたパジラッカを気にすることなく、アファの提案で大蛇心会へと戻ることになった。

 

〜爆弾牧場 宗教法人“大蛇心会“〜

 

 ラルバとラデックが浴場に向かっている間、客間でナハルとバリアは互いに押し黙っていた。一言も喋らぬ2人に挟まれたアファは気まずそうに目を泳がせ、助けを求めるようにゾウラへと目を向ける。

 

「ゾ、ゾウラ君……。この2人は、あんまり仲がよろしくないのかい?」

「はい? いえ、とっても仲良しですよ!」

「そうは見えないんだけど……」

 

 再び重苦しい沈黙が訪れ、やがてラデックとラルバが戻ってきた。

 

「あースッキリ! やっぱ風呂はデカさだな! うん!」

 

 額の黒痣以外の黒痣が消えいつも通りの姿になったラルバは、瓶牛乳片手に機嫌良く鼻歌を歌っている。しかし、それをバリアはジロリと睨みつけて唸り声混じりに口を開いた。

 

「何があったの。説明して」

「んー……そうさねぇ」

 

 ラルバは虚構拡張内であったことの一部始終を語った。パジラッカの異能。怪物の洞穴のもう1人のメンバー、ラドリーグリスとその異能。破条制度。それらを聴き終わった時、バリアは全身の毛を逆立てて静かに怒りを露わにした。

 

 そして、唐突に粉状の魔法を撒き散らし、その粉の一粒一粒は“何かを探すように”霧散していった。バリアは乱暴に席を立って、ラルバ達に背を向け屋敷の外へと歩き出す。それをラルバが慌てて立ち上がって追いかける。

 

「ちょっとちょっと! まあ落ち着きなよバリア。お芋食べな?」

「いらない」

「もっとクールに行こうよクールにさ! あらやだ、ちょっと、この子止まらないんだけど。ナハルぅー! これどうやったら止まんのぉー!?」

 

 通路の奥から響いてくる声に、ナハルは小さく俯きながら「私が知りたい」と呟いた。ラルバの困惑する声はどんどん遠ざかっていき、それから2人が戻ってくることはなかった。

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”〜

 

「ちょっとバリアぁー。機嫌直してったらぁー。ていうか何をそんなに怒ってるのさ」

「…………」

「私のこと心配してくれたの? いやあ嬉しいなぁ〜。私のこと心配してくれるのなんかバリアちゃんしかいないもんねぇ〜」

「…………」

「ねぇ帰ろうよぉ〜! 温泉卵とか食べたいのにぃ〜」

「…………」

 

 バリアは一言も発さないまま早足で街を抜け、とある一点を目指して歩みを進める。撒き散らした粉状の“検索魔法”に引っかかった波導の歪み。その境界。そこは、ジャハルが虚構拡張で身を隠している一軒家だった。家からはジャハルが周囲の様子を観察するために外へ出ており、2人に気がつくと大きく手を振った。

 

「あ! やっと戻って来た! 遅いぞラルバ!」

 

 ジャハルがラルバとバリアに話しかけようと前に出るも、バリアはジャハルに目もくれず素通りして家へと入って行く。

 

「バリアの方は大丈夫――――って、あれ?」

 

 バリアは半ば乱暴に家の入り口を開ける。中にいたカガチ達は一斉にバリアの方を向いたが、いつもと違うバリアの雰囲気に無意識に身構えた。異変を察知したハザクラが、真っ先にバリアに駆け寄り尋ねる。

 

「先生? どうかされましたか?」

 

 しかし、またしてもバリアは何も言わずハザクラの隣をすり抜け、そのまま真っ直ぐイチルギの方へ進んで行く。

 

「せ、先生?」

 

 肩で風を切って歩く彼女はイチルギの正面に立つ直前、小さく踏み込んで思い切り拳を振りかぶった。物理法則を無視する異能と、使奴の膂力(りょりょく)から放たれる渾身の一撃。岩盤をも薄氷の如く容易く叩き割る必殺の一撃は、割り込んできたラプーの掌によって軽々と受け止められた。

 

「――――っ!!!」

 

 拳を受け止めたことで発生した衝撃波は、ラプーの防壁魔法によって家屋内部に反響する。隣の部屋にいたシスターとハピネスをカガチが庇い、近くにいたジャハルとハザクラは互いに防壁魔法を張り合ってなんとか意識を繋ぎ止める。しかし、バリアは味方への被害もお構いなしにラプーを蹴り上げる。サッカーボールのようにはね上げられたラプーは涼しい顔で回転して威力をいなし、両手に紫色の波導光を纏わせて拘束魔法を発動する。中空から発生した紫色の触手がバリアの腕と足に絡まり、その身を空中に固定する。バリアはすぐさま絡め取られた右腕と左足を切断し、残された左腕を軸にラプーへ回し蹴りを放つ。防御が遅れたラプーの側頭部をバリアの踵が捉え、バリアの異能で空間に固定された家具に叩きつけた。水風船が割れたように血が吹き出して部屋中を濡らし、ラプーの頭部は砂糖菓子の如く粉々に砕け散った。が、バリアが(まばた)きのために(まぶた)を下ろした次の瞬間。開いた目には砂粒になって崩れる“砂の人形”が映っており、視界の端に五体満足のラプーが見えた。ラプーは胸の前で手を突き出し、同時に紫色の光の球を数個放つ。バリアは身体を捩って光球の直撃を回避するが、光球は接近しただけでバリアから気力を奪い、バリアは受身に失敗して地面に這いつくばった。

 

「はいは〜い。そこまで〜!」

 

 ラルバが手を叩いてバリアとラプーの間に割って入り、互いの戦意を落ち着かせる。

 

「強いとは思ってたけど、やっぱラプーやるねぇ! そんなに動けるなら碌でもないことやらせたいなぁ〜」

「んあ」

「んあ?」

「んあ」

「んあ〜」

 

 ラプーの気の抜けた返事にケラケラと笑い揶揄(からか)うラルバ。しかしバリアは未だ戦意を失っておらず、力の入らない四肢の代わりに血溜まりを舌先で引っ掻いて魔法を発動する。

 

「やめろっつーに! アイス買ってやんないぞ!」

 

 ラルバが血溜まりを爪先で擦り、魔法陣を掻き消す。バリアは恨めしそうに、それでいて問いかけるようにラルバを睨んだ。それはハザクラやジャハル。シスターとカガチも同じで、皆一向に見えないラルバとイチルギの間にあった“何か”の正体を問いただしている。ラルバは唸りながら髪を掻き毟り、イチルギの方を見ながらそれに応える。

 

「イっちゃん。さっきさあ、世界ギルドの刺客っつーの? 怪物の洞穴ってのに襲われたんだけど、アレ何?」

 

 イチルギはどこか申し訳なさそうに目を伏せて、ラプーに軽く頭を下げてから口を開く。

 

「…………私は、ヴァルガンの手伝いをしているだけ。ラルバ・クアッドホッパーをダークヒーローとして扱う……。言わばその教育係。でも、世界ギルドに残して来た子達は決して受け入れなかった」

 

 イチルギが懐から一枚の紙を取り出す。それは、ヴァルガンが世界ギルドの5部隊に見せた宣誓書の原本であった。

 

「燃え盛る灯火、怪物の洞穴、大河の氾濫、太陽蜘蛛、繋がれた執行人。以上の5部隊に所属する者に、“破条権”の行使を許可する。これから、行く先々で私の育てた精鋭部隊が、ラルバ。貴方をあの手この手で試すわ。果たして”ラルバ・クアッドホッパーは世界ギルドに必要か?“。あの子達のうち、過半数の賛成票を得られなければ、私は世界ギルドの法律に則って帰らなければならない。いや、もう少し正確なことを言うなら、ラルバ・クアッドホッパーを”総帥誘拐の侵略者として排除しなくてはならない“」

 

 宣誓書が「クシャッ」と乾いた音を立てる。イチルギの宣誓書を持つ握りしめた拳が、少しだけ震える。

 

「勝負よラルバ。私の育てた精鋭部隊。あの子達から私を勝ち取って見せなさい」

 

 堂々とした宣戦布告に、ラルバは小さく失笑してギラリと歯を輝かせる。

 

「……いいよ。最後までお前のお遊びに付き合ってやる。私が勝ったら焼肉奢れよ」



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130話 水泡病

「私は認めない」

 

 沈黙が訪れたのも束の間。バリアが割って入るように力強く言葉を吐き出す。魔法で義手と義足を作り、今にも襲いかかって来そうな剣幕で彼女は続ける。

 

「イチルギが仲間になるかどうかの話は、世界ギルドでとっくについてた筈でしょ? それを今更蒸し返して、こんな割に合わない勝負を一方的にふっかけて、後出しジャンケンにも程がある」

 

 拳を固く握りしめるバリアを、ラルバが落ち着かせるように擦り寄って肩を組む。

 

「まーまー、いいじゃんいいじゃん! それにあの最初の勝負だってぶっちゃけ反則スレスレみたいなとこあったし、何より私がヨシとしたのでヨシ!」

 

 能天気な返事をするラルバを、バリアは叱責するように睨みつける。

 

「そんな悠長なこと言ってられないのは、戦ったラルバが一番良く分かってる筈だよ。 最初に出会った“燃え盛る灯火”のメンバーとか、ベルが育てたジャハルが弱かったから油断してたんだろうけど、それが愚かな蔑如(べつじょ)だったってことが今回の一戦で分かったでしょう? ベルは飽くまでも、“世界の担い手に相応しい優秀な部下”としてジャハル達を育てた。それに対して、イチルギは愚直なまでに“只管(ひたすら)に強力な異能者”を揃えた。個人でも使奴相手に十分戦える異能者達を、互いの長所短所を補うように組ませて、極力表舞台に出さないことで能力も秘匿にしている。治安維持とか、象徴とか、防衛とか、そんな人道的な理由じゃない。パジラッカ達は、イチルギに選ばれた“対使奴兵器”。いざという時に使奴を無力化する為に用意された殺戮システムだよ」

 

 イチルギが暗い表情のまま目を伏せると、ラルバがバリアの頭を鷲掴みにして持ち上げる。

 

「よく分かってんじゃんバリア。満点解答のご褒美に温泉連れてってやるよ」

「ちょっ……離して!」

「いい加減あたしゃ限界よバリアちゃん!! ずっと温泉巡りしたくてしたくてウズウズしてたんだから!! 少なくとも3日は付き合ってもらうかんなオメーよぉ!! ハピネェース!!」

 

 ラルバが大声を上げると、バリアとラプーの戦闘の余波で満身創痍のハピネスは酷く(やつ)れた表情のまま黙ってて首を振った。

 

「えー! パスぅー? じゃあ私とバリアだけで行っちゃうもんねー!! おーんせんっ! おーんせんっ!」

「離しっ、ラルバ! ねえ!」

「おーんせーんたーまごっにゆーっでたーまごー! ぎゅーうにゅーうおっさしーみ蟹

カーニ()()ほったてー!」

「ラルバ! 聞いてったら! ラルバ!」

 

 珍妙な歌を歌うラルバにバリアは乱暴に引き摺られていき、抵抗虚しく中心街の方角へと消えていった。その背中を見届けたジャハル達は、(おもむろ)にイチルギの方へと目を向ける。彼女は依然として影を背負ったまま俯いており、周囲の視線に気がつくと言葉を探してぎゅっと口を結んだ。

 

「ご、ごめんなさい……。貴方達を巻き込むつもりはなかったの……」

 

 月並みな形だけの謝罪に、カガチが呆れて言葉を返す。

 

「“つもり“が無いなら尚のことだ。同情を振りまく無抵抗なフリほどタチの悪いものも無い」

 

 そう捨て台詞を残してカガチが立ち去ろうとすると、ハピネスが片足に飛びついて引き摺られていく。

 

「カガチさんカガチさん。ゾウラ君のとこ行くんでしょ? 連れてってよ。悪いようにはしないからさ」

「離せ」

「おぶって」

「頭蓋骨踏み割るぞ」

「じゃあせめて回復魔法かけて。頭痛くて歩けないの」

「……クソが」

「あぁ〜カガチゃん優しぃ〜いででででで」

 

 カガチの手加減なしの回復魔法による治癒痛(ちゆつう)に、ハピネスは呻き声を上げながらも自分の足でカガチについて行く。それを残されたジャハル達は不思議そうに見送り、一軒家には再び湿った沈黙が訪れる。

 

 すると、奥の部屋の扉が静かに開き、中から酷く怯えた警備隊の1人が顔を覗かせた。

 

「あ、あの〜。も、もう出ても大丈夫ですか……?」

 

 ジャハルは小さく「あっ」と呟いてから、慌てて駆け寄る。

 

「す、すまない! すっかり忘れていた! 大丈夫だったか!?」

「あ、ま、まあ。隊長が念の為ずっと防壁を張ってくださってたので、そこまでダメージはありません……」

「申し訳ないことをした……。何せ、私もまさか仲間割れするとは思わなくてな……」

「あ、あの……これから私達はどうすれば……」

 

 警備隊の4名は互いに顔を見合わせる。自らの雇い主を裏切り、レピエン国王による徴税もボイコットし、彼彼女らにはこの国に居場所などあるはずもなかった。

 

「だ、大丈夫だ! そんな不安そうな顔をするな! 君達には人道主義自己防衛軍、“クサリ”総指揮官のジャハル・バルキュリアスがついている! あそこにいるのは“ヒダネ”総指揮官のハザクラだ! 何も不安はない! なあ! ハザクラ!」

 

 ジャハルにそう呼びかけられると、ハザクラはシスターに手招きして背を向ける。

 

「ジャハル、今は“こっち”が優先だろう」

「あ、ああ。そうか。君達、ちょっとこっちに来てくれるか?」

 

 ジャハルはハザクラの意図に気付き、警備隊の4名を一軒家の玄関近くの部屋へと連れて行く。玄関隣の寝室と思しき部屋の、ベットを取り囲むようにしてイチルギ、ハザクラ、シスター、ラプーの4人が寝ている人影を覗き込んでいる。そこへジャハルは警備隊の隊長を連れて行き、声のトーンを落として囁く。

 

「少しショッキングな物を見ることになるが、協力してくれ」

「え? は、はい……」

 

 警備隊長は少し戸惑いながらもベッドへと近づき、人影の姿を覗き込む。

 

「――――ひっ」

 

 そこには、見るも無惨に腐敗した人間の遺体があった。恐怖に顔を引き()らせる警備隊長を落ち着かせるため、ジャハルが肩を抱いて顔を寄せる。

 

「入った時には気付いていたんだが、君達の精神状態を悪化させないために黙っていたんだ。恐らく、この家の主人だろう」

 

 外傷とも病気とも違う皮膚の(ただ)れ方。まるで“体内から何かが食い破って出てきた”のではないかと思うような(おぞ)ましい遺体の原状に、警備隊長は“見覚え”があった。

 

「こ、これは……“水泡病(すいほうびょう)”です……!! ああっ……!!」

 

 “水泡病”。その単語を聞いた途端に、他の警備隊員達も青褪めた顔で後退(あとずさ)った。

 

「す、“水泡病”……!?」

「うつっ、感染(うつ)るっ!! 部屋から出ろぉ!!」

 

  警備員達は大慌てで家から飛び出て、庭木の影に隠れて窓越しにこちらの様子を(うかが)っている。1人取り残された警備隊長は、助けを乞うようにジャハルの目を見る。

 

「た、助けて……死に、死にたくない……!!」

「落ち着け……! そんなに危険な病気なら、シスターかイチルギがとっくに勘付いている!」

 

 同意を求めるようにジャハルがイチルギに目を向けると、イチルギは静かに頷いた。

 

「ええ。コレは病気ではないわ」

 

 遺体の傷口を指先でなぞると、検索魔法の青白い波導光が(きのこ)のように軌跡から伸びていく。

 

「死後3日は経ってる……。傷口はいずれも魔力を含まない外傷によって発生したもの……。分かりやすく言うなら、内側が風船のように膨らんで破裂したってとこね」

 

 警備隊長が涙目のままコクコクと頷く。

 

「水泡病は、そういう病気です……! 全身が(こぶ)で覆われて、それが泡みたく膨らんで破裂する……! ジャハルさんの国にはないんですか!?」

「私どころか、どこの国でも聞いたことないぞそんなの……! シスターは何か知らないか?」

「いえ、私も初めて見る症例です……。その水泡病という名前だって、噂で聞いた眉唾モノだと思っていましたから……」

「水泡病は存在します!! 私の母も!! 妹も!! それで死んだんです!!」

「では……異能の仕業……とかは、あり得ないのですか? イチルギさんが魔法の痕跡を辿れない以上、可能性はそれくらいしか……」

「まさか! 妹は産声すら上げず、生まれて僅か1週間ほどで水泡病に罹って亡くなりました……!! 母も出産に耐え切れず、妹が亡くなってからはショックで家から一歩も出ませんでした……!! そして、そのまま衰弱していって2年後には……!! 水泡病に……!! 私の家族だけじゃない、この病気で大勢の方が亡くなっているんですよ!?それを、誰かが異能でやったと言うんですか……!?」 

 

 ジャハル達は困惑して顔を見合わせ、警備隊長にかける言葉も見当たらず、しばし押し黙ることしかできなかった。1人遺体を眺め続けていたイチルギは、ずっと口元に当てていた手を下ろして大きく溜息を吐く。

 

「……悩んでいてもしょうがないわ。取り敢えず、この遺体を埋めてからここを出ましょう。警備隊を王宮まで送って行かないと」

 

 イチルギ達は一軒家の庭に穴を掘り、家の主人に別れを告げその場を後にした。

 

 

 

〜爆弾牧場 宗教法人“大蛇心会(だいじゃしんかい)“(ラデック・ナハル・ゾウラサイド)〜

 

「水泡病? 水疱瘡(みずぼうそう)ではなくてか?」

 

 ラデックがゲームボードの駒を一マス進めると、対面に座っていたアファが顎を摩りながら答える。

 

「うん。この国特有の病気なんだけどね。この大蛇心会も、それで何人も命を落とした」

「全身の節々が腫れ上がって死ぬ……か。異能の仕業じゃないのか?」

「う〜ん。ところが異能者っぽい人も見当たらないし、何よりこの病気、この国ができる前からあるらしいんだよねぇ。その駒もーらいっ」

「この国ができる前……と言うと、40年以上前か」

「まだ盗賊団“邪の道の蛇”がいた頃だねぇ。ま、その頃にはボクはこの国には居なかったからよく知らないんだけどね」

「アファは今何歳なんだ?」

「ボク? ボクは今年で69歳。邪の道の蛇を18歳くらいの時に出て行ったから、爆弾牧場が建国されたのはボクが出て行って10年も後だねぇ」

「アファの頃には水泡病はあったのか?」

「いんや? ボクもおったまげよぉ。人が目の前でいきなり破裂するもんだから。最初見た時はあんまりにも怖くて上から下から漏らしまくったよ! ぬあっはっはっは」

「普通の反応だ。この駒取って……はい、俺の勝ち」

「盤面よく見なさいよ。これで……ボクの勝ち!」

「あ。……いや、こうすれば俺の勝ちだ」

 

 ボードゲームの盤面をラデックがひっくり返すと、アファが怪訝(けげん)そうにラデックを見上げる。

 

「……負けを素直に認められないのは良くないよ」

「悪いが、こういうの割とムキになるタイプなんだ」

「意外」

 

 すると、遠くの通路から段々と喧騒が近づいてきた。

 

「……さい! ……引き取りを! ……どうかお引き取りください!」

「入り口でお待ちください!! すぐに対応いたしますから!! どうか!!」

 

 数人の信者の静止を振り切って、肩で風を切って力任せに通路を進む人影が1人。その姿を見て、アファは目を丸くして声を上げた。

 

「だ、だだだだ、“大蛇(だいじゃ)様“!!!」

 

 アファは笑顔で駆け出して、大蛇もといカガチ前で膝をつき信者を追い払う。

 

「お前たち! 下がっていなさい! ああ大蛇様!! 園路はるばる、よくぞお越し下さいました!」

「黙れジジイ。おいラデック。ゾウラ様はどこだ」

「その辺」

 

 そこへ、丁度ゾウラとナハルが部屋に入ってきてカガチの姿に気が付いた。

 

「ゾウラ様!! ご無事で何よりです。どこかお体の調子がおかしいところはありませんか?」

「大丈夫ですよカガチ! そちらも無事で何よりです!」

 

 膝をついて話すカガチを、ゾウラが満面の笑みで抱擁(ほうよう)する。ゾウラから表情が見えなくなった途端、カガチは眉間にグッと(しわ)を寄せてナハルを睨んだ。しかしナハルはカガチの無言の文句を無視して自分の質問を投げかける。

 

「カガチ。シスターは無事か? 今はどこにいる?」

「………………」

「カガチ。ナハルさんの質問に答えてあげてください」

「………………無事だ。今はイチルギやハザクラ達と行動を共にしている」

 

 シスターの無事に、ナハルはホッと胸を撫で下ろした。するとゾウラはラデックの元へ駆けていき、袖を引いて出口を指差した。

 

「ラデックさん! 私達はリィンディさんの依頼の続きに行きましょう!」

「リィンディ……って誰だっけ」

「さっき話してたじゃないですか! ラデックさんがバリアさんと一緒に依頼を受けてた人ですよ! ほら、人材派遣会社のオーナーさん!」

「ああ、俺が温泉卵食べちゃった人か」

「アファさんは悪い人じゃないみたいですし、ここはカガチに任せてレピエン国王のところに行きましょう!」

「レピエンって誰だっけ」

「ナハルさんも行きましょう! カガチ! アファさんをよろしくお願いしますね!」

 

  そう言い残してゾウラは屋敷の外へと駆けていき、その後ろをラデックのナハルが追いかけて行った。途中ナハルが気の毒そうにカガチの方へ振り返ったが、カガチの形容し難い表情にギョッとしてすぐに視線を前に戻した。そこへカガチの後をついてきたハピネスが合流するが、すれ違いざまゾウラがハピネスに向かって笑顔で手を振った。

 

「あ! ハピネスさん! カガチをよろしくお願いしますね!」

「ん? ああ」

 

 一瞬何のことか分からなかったハピネスだが、すぐに事情を察しカガチに微笑みかけた」

 

「置いてかれちゃったねぇ”大蛇“さん」

「殺す」

「よろしくお願いされちゃったんだが? よろしくお願いされなさいよ」

「殺す」

「えーっとアファさんでいいんだよね? ”こんなの“信仰するのやめてさ、金髪スレンダーな盲目のお姉さんを信仰しない?」

「ぬあっはっは」

「愛想笑いならもう少し上手くやってよ。宗教乗っ取っちゃうよ?」

 

 

 

 

 パーティ現在位置

 まほらまタウン イチルギ、ラプー、ハザクラ、ジャハル、シスター

 温泉街 ラルバ、バリア

 中心街 ラデック、ナハル、ゾウラ

 大蛇心会 カガチ、ハピネス



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131話 チグハグ

〜爆弾牧場 まほらまタウン西区(ラデック・ナハル・ゾウラサイド)〜

 

 町には相も変わらずカラフルな家屋が立ち並んでいる。しかし、街の中心部に向かって行くにつれ、人影は増えるものの家屋の損傷が大きく目立つものになっていく。塗装は変色してひび割れ剥がれ落ち、外壁そのものもところどころ朽ちて崩落している。町を行く人々は痩せ細って虚な目をしており、皆何かを引き摺るように足元ばかり見て歩いている。

 

 上を見ることなど忘れ、前を見て歩くことをやめ、下ばかりを見て過ごしている。自分の立ち位置を見つめることで、自分がまだ立っていることに安堵する。地面が割れて奈落に落ちるその直前まで、彼らは下だけを向いて歩くのだ。そうすれば、(うずくま)る物乞いの姿と未来の自分を重ねずに済むから。

 

「これは……酷い有様だな」

 

 ラデックが思わず口にした言葉に、道端に座り込んでいたボロ衣を纏った女性が嘲笑を零した。

 

「はっ。お兄さん、ヨソの国の人だな」

 

 元は相当な美人であったであろう30代半ばと思しき女性は、全身由来不明の汚れに塗れたまま腐りかけの何かを素手で貪っている。歩みを止めたラデックに、先頭を歩いていたナハルが怪訝(けげん)そうな顔で呼びかけた。

 

「ラデック! 早く行くぞ!」

 

 ナハルの「相手にするな」という意味の篭った呼びかけを、ラデックは理解しながらも無視して女性の方を向く。

 

「……ああ、そうだが。良く分かったな」

「この町程度で“酷い”なんて感想が出てくるのは、外で良い暮らしをしていた連中だけだからな。それに、そんな良いモン着てると追い剥ぎに遭うよ。 どうだ、アタシの一張羅と交換しないかい?」

 

 女性はすっかり性が抜けたボロ布を捲り、ふざけて自らの胸や局部を見せつける。今でも充分美人である女性の裸体ではあるが、浅黒い肌を皮膚病と思しき紅斑が覆っており、胸はガリガリに痩せ細って模型のように肋骨が浮き出て、衰えた腹筋で支えきれなくなった内臓が皮肉にも贅肉のように腹を膨らませている。

 

 ラデックはほんの少し考えた後、自分のコートを脱いで女性に差し出した。

 

「それなりに防寒魔法がかかっている。凍死は避けられる筈だ」

「……は?」

 

 女性はぎょっとした後に、焦った様子で辺りを見回してからラデックの腕を掴んだ。

 

「ちょっと来い!」

「え? いや、ちょ」

 

 女性はラデックを無理やり路地裏へ引き込み、その両肩をガッと掴んで睨みつける。

 

「オマエ何考えてる!? 何も考えていないのか!? 軽率に物乞いに物を恵むな!!」

 

 女性の突然の激昂に、ラデックは面食らって硬直する。

 

「いいか!? アタシらみたいな失うものが何もない貧乏人は、オマエのような道徳心のある馬鹿を食い物にすることに躊躇(ちゅうちょ)がない!! アタシらに硬貨の1枚でも与えてみろ!! オマエはあっという間に“くれる奴”として知れ渡る!! 国中の貧乏人がオマエに物をねだって追いかけ回すぞ!!」

「そ、そんなつもりは……」

「オマエの考えなど知ったことか! アタシらは皆生きるのに必死なんだ! そこに勝手に入ってきたのはオマエだ! アタシらに関わるなら覚悟をしろ! ここにはなぁ! 貧して、貧して、鈍して、鈍して、自分が人間であることすら思い出せなくなったような畜生しか居ないんだ!! 思慮の浅い金だけ背負った大マヌケが、思いつきで近づいて良いような場所じゃないんだよ!!」

 

 女性のギラギラと燃えるような眼光に、ラデックは気圧(けお)されて押し黙る。後ろで様子を見ていたゾウラとナハルも、女性の勢いに飲まれ言葉を見失っていた。そして、ラデックは再び女性に自らの上着を差し出した。

 

「オマエッ……人の話を――――」

「貴女の言う通りだ。俺は大マヌケだった。そんな愚かなマヌケに、貴女は考える時間と機会をくれた。これはそ御礼だ」

「……っ。マヌケがよっ……!」

 

 女性は引ったくるようにコートを受け取る。

 

「コレが勉強代だっつーんなら足らねーよ! 食いモンと金! あと有れば寝袋も寄越せ!」

「え、あ、ああ」

「さっきの今で飲まれてんじゃねぇよマヌケ!!」

「ご、ごめんなさい」

「飲まれんなっつってんだろ!!」

 

 ラデックの下げた頭を、女性は思い切り引っ叩いて背を向ける。苛立(いらだ)ちを露わにして大股で立ち去る女性の背中を、ラデックは叩かれた頭を摩りながら見送った。

 

「……なあナハル。俺はそんなにマヌケなのか?」

「……まあ。頭が良い方ではないな」

「相当か?」

「……相当だ」

 

 3人が路地を出ようとすると、ナハルが何かに気付いて振り返る。ラデックが同じように振り向こうとすると、それより早く後頭部に小石が命中した。

 

「いてっ」

 

 ラデックが振り向いた時には路地には誰も居らず、凍り付いた暗闇がじっとこちらを見つめているだけであった。ふと足元に目を向けると、先程飛んできたであろう小石が紙に包まっている。ラデックが紙を広げると、そこにはこう書いてあった。

 

 “夜11時、北区の港に来い。絶対誰にも気取られるな”。

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街〜

 

 真夜中。風化した廃屋が風が吹くたびに呻き声に似た音を発し、去ってしまった人たちを呼ぶように泣き叫ぶ。雪の重みで潰れてしまった家は、自らの墓標を遺したかのように支柱を雪の中から突き出している。(かつ)ては多くの工場従事者で賑わっていたであろう旧温泉街は、政府に立ち入り禁止の看板を幾つも建てられ、今や獣一匹通らぬゴーストタウンになっていた。

 

 ラデック、ナハル、ゾウラの3人は、小石のメッセージに従って港を目指し北へと歩いている。ゾウラが雪を踏んだ拍子に何かが足裏に当たり、何の気なしにソレを引っ張り上げた。長い間雪に埋もれていたソレは、鉄の棒を格子状に針金で結んだ柵の残骸であった。ふと顔を上げて辺りを見回すと、自分のいる場所が他の道よりも少し小高いところにあることに気が付いた。

 

「ゾウラ、行くぞ」

 

 ナハルがゾウラの手を引いて先を進むラデックの後を追う。

 

「ナハルさん。あそこって――――」

「言うな」

「牢屋、ですよね?」

 

 ナハルは小さく歯を食い縛り、ぎぎぎと音を鳴らす。

 

「でも、作りがあまりしっかりしていませんでした。細い鉄の棒を針金で結んだだけで……あれでちゃんと機能していたんでしょうか?」

「考えるだけ無駄だ」

「考えられることは考えた方がいいと、昔良く言われました!」

「考えない方がいいこともあるんだ」

 

 

 

 港、と言うよりは、少し開けただけの海辺。見れば、朽ちた木杭や人工物らしき紐状の物体が散乱しており、辛うじて文明の痕跡を辿ることができた。ラデックが浜の方に歩いて行き、埋まっていた板状の突起物を摘み上げる。

 

「……船の残骸か? 看板……? 錆びていて良くわからないな……」

「ったく、ノコノコやって来たのか。この大マヌケ」

 

 暗闇から転がって来た声に、3人が顔を向ける。そこには、昼間見た物乞いの女性の姿があった。

 

「コレが罠だったらどうするんだ。もう少し考えて動けペンギン野郎」

 

 女性は警戒して辺りを見回し、自分達以外に誰もいないことを確認すると、3人に背を向けて歩き出した。

 

「オマエら、レピエン国王をシバきに来たんだろ? ついて来な」

 

 ラデックとナハルは目を丸くして顔を見合わせる。何せ、ラデック達は大蛇心会を出てから今まで、レピエンのレの字も口にしていなかった。それなのに、この物乞いの女性は確信を持ってラデック達の目的を言い当てて見せた。

 

「…………記憶操作の異能者か?」

「へぇ。そんなのがいるんだ。お仲間?」

「あっ」

「オマエ、あんま迂闊(うかつ)に喋んない方がいいぞ」

 

 女性は瓦礫の山に近づき、朽ちたスコップで辺りを掘り返して何かを探し始めた。

 

「良い服来た外国人が、温泉街も寄らず王宮のある西区に直行。こんなデンジャラスな独裁国家で案内の1人もつけずにうろちょろしてりゃあ、大方の予想はつくさ」

「だが、だからと言って断言は出来ないだろう」

「そんなに目立つ格好を隠さないってこたぁ、用事が済んでも五体満足で帰れる自信があるってこったろ?」

「ぐっ――――……」

 

 ラデックはスヴァルタスフォード自治区でハザクラ達が身を隠したり、真吐き一座でイチルギが偽名を使っていたのを思い出した。

 

「最近は皇帝ポポロも一切姿を見せないし、レピエンは何かに取り憑かれたように国民を殺しまくってる。ここまでくると妄想に近いが、もしかしてアンタらがポポロも()っちゃったとか?」

「うぐっ……」

 

 今度の指摘は当てずっぽうだったのか、如何(いか)にも図星ですと言わんばかりのラデックの反応に、女性は唇を真一文字に固く結んで呆れ果てる。

 

「……迂闊に喋んなってのは訂正するよ。オマエ、覆面でも被って生活したら?」

「なんだか覆面越しでも色々バレるような気がしてきた」

「違いないね」

 

 女性は足元に魔法陣を描き始め、短く呪文を唱えて毒魔法を発動する。すると、足元に埋まっていた石のような物体が音を立てて腐食を始め、異臭を放つガスを伴って大きく穴を開けた。

 

「一応言っておくが、このガス吸うなよ」

「ゲホッ。ちょっと吸った」

「マヌケ」

 

 女性は石に開いた穴に飛び込み、ラデック達に続くよう手招きをする。一瞬躊躇したラデックを押し退け、まずはナハルが安全確認のため飛び込み、続けてゾウラ。最後にラデックが飛び込んだ。

 

「わあ! なんでしょうかここ!」

「あんまデケー声出すなよガキンチョ」

 

 (はしゃ)ぐゾウラを制止して、女性は光魔法で辺りを照らしながら歩き出す。腐食した石はどうやら配管の外殻だったようで、中は直径3m近い巨大なパイプが通っていた。腐ったような異臭が立ち込める中、ナハルは“嗅ぎ覚えのある臭い”に眉を(ひそ)めた。

 

「これは、温泉の配管か……?」

「お、正解だデカネーチャン」

「デカネーチャンはやめろ……。私の名前はナハルだ」

「私はゾウラです!」

「ラデックだ」

 

 何故か自己紹介を始めたゾウラとラデックに続き、女性も半ば呆れながら口を開く。

 

「……アタシは”ヒヴァロバ“。この配管を使って、銭湯”渾混堂(こんこんどう)“を経営してた番台だ」

 

 ラヴァロバは3人に背を向けて歩き出し、配管の内部の案内をしながら話を続ける。

 

「北区がまだ温泉街として栄えていたのは20年以上も前。港の桟橋も崩れ落ちてたが、昔はあそこから他の国との交流もしてたんだよ」

 

 20年という言葉に、ラデックがギョッとしてヒヴァロバを見る。

 

「し、失礼を承知で聞きたいんだが……ヒヴァロバは今何歳なんだ? どう見ても30後半がいいとこだが……」

「あ? 40そこらでこんな老けてたまるか。50手前だよ」

 

 使奴の子孫の特徴を表す言葉として、“早熟急枯(そうじゅくきゅうこ)“という言葉がある。使奴の特徴は主に女性に引き継がれていくが、引き継がれやすい要素とそうでない要素がある。特に角や獣の耳などの、本来の人間には不要な身体的特徴は引き継がれにくく、次に膂力(りょりょく)や魔力の循環率。次に白肌や角膜の黒さが挙げられる。そして(ほとん)どの女性に引き継がれている要素が、美しい容姿を始めとしたこの“早熟急枯”である。

 

 使奴は本来成長も老いもしないが、それが人間の細胞に混ざった結果、現代の女性達は僅か15歳前後で成熟した姿にまで成長し、50歳前後まで老化することはない。そして、一度老化が始まると、旧文明で言うところの年相応の容姿まで一気に老けていく。稀に20歳半ばまで緩やかに成長したり、40歳手前から緩やかに老化が始まることはあるが、それでも旧文明に生きていた人間や、現代に於ける男性とは確実に異なった構造を持つ。そのため、現代では50歳から急激に老けていくことや、40後半からその前兆が始まることを老化ではなく”死化(しか)“と呼び、使奴細胞によって美しい容姿の女性が増え外見蔑視が激化した昨今では、死や病よりも恐ろしい現象とされている。

 

 今更ながら旧文明と現代の常識の壁に衝突し、ラデックは混乱して首を捻った。ヒヴァロバは小さく鼻を鳴らし、ラデックに向かって怪しげな笑みを浮かべた。

 

「ラデック。オマエもしかして、大昔からタイムスリップして来たーとかって感じか?」

「なっ――――!?」

 

 思いもよらぬ指摘に、ラデックは思わず声を上げる。世間知らずと嘲笑されることは覚悟していたが、まさか自身の特殊な状況について言及されるとは夢にも思わなかった。

 

「図星でも顔に出すなよ。デカネーチャンは“タネ”に気付いてるぞ」

 

 ラデックがハッとして振り返ると、ナハルが渋い顔でラデックを見下していた。

 

「タネ……って、何のことだ?」

「ラデック……。ヒヴァロバに上着をあげただろう」

「え、ああ。だがポッケには何も入れてないぞ」

 

 ヒヴァロバは上着の左側を捲り、揶揄(からか)うように“タグ”を見せびらかす。

 

「質の良いポリエステル100%で、中綿にはフェザーやアクリル。タンブラー乾燥に限定した注意書き。最先端の科学技術を詰め込んだ、上流階級専用の超高級衣服……かと思いきや、縫い目が恐ろしく均一な割に手縫い部分は乱雑で、ファスナーの作りも簡素で甘い。格安の量産品だろうよ。だが、ここまで素材と技術がチグハグってことは、アタシの知らない文化圏の製品だ。オマケに良くわからん文字っぽいものも書いてある。聞いたことしかないが、大昔は言語が沢山あったそうだな。この文字らしきものは大昔の文字じゃあないのか?」

「だ、だからってタイムスリップを疑うなんて。どうかしてるぞ」

「大昔の品がこんな良い状態のまま残ってる方がおかしいだろうよ」

「そういう異能かも知れないだろう……」

「それに、これと似たようなチグハグな物を使ってるのはオマエだけじゃない。何度か見たことがあるのさ」

 

 ラデックは返す言葉を失い、言い訳が思いつかなくなった子供のように押し黙る。

 

 200年前に脱走した使奴達。バリアのいた第四使奴研究所の研究員達。彼彼女らが身に付けていた物は、大体がこの“チグハグな衣服”だろう。銃火器や電子端末。使い捨ての量産品など、例を挙げればキリがない。何せ、ラデックの今使っている量産品の使い捨てのライターでさえ、この現代では摩訶不思議なオーパーツなのだから。

 

 硬直して歩みを止めたラデックを、ラヴァロバは目を細めて見つめる。そして、同じく怪訝な顔をしているナハルに視線を移して、再び揶揄うように口を開いた。

 

「オマエも他人のこと言えないよ。デカネーチャン」

「デカネーチャンはやめろ」

「オマエ、使奴だろ」

 

 

 

 

 

「な……」

 

 今度はナハルが言葉を失う。使奴の本気の擬態を、使奴寄りですらない物乞いの女性に、僅か数分相対しただけで見破られた。そして、ヒヴァロバがカマかけやハッタリで物を言っていないことは、使奴の優秀な目と頭脳を持っているナハルが一番良く分かっていた。

 

「……番台をやってたって言ったろ?」

 

 ヒヴァロバは案内を再開しながら思い出話を始める。

 

「男と女。それぞれの脱衣所を見張る受付係。だが、幾ら仕事とは言え、お客さんの裸をジロジロ見るわけにもいかない。だからさ、こうやって手元を見るフリして、目玉だけ上向けて見るのさ。主にお客さんの足元をよ」

 

 ヒヴァロバが首を90度近く曲げて俯き、極端な上目遣いでナハル達を見る。

 

「そうやって仕事してると、段々と分かるようになってくる。足の肉づきや形で性別が、歩き方から身長や体つきが、ソレらを踏まえれば個人まで分かるし、場合によっちゃ性格や生業、出身まで分かる。でもよデカネーチャン。オマエの歩き方は、どうも“チグハグ”だ」

「な、何がチグハグなんだ……?」

「見てくれは上にも横にもデカいが、歩き方がどう見ても痩身の男……それも日頃(ろく)に歩いてない、学者連中の歩き方だ。使奴には2回だけ会ったことあるが、そいつらも同じように“チグハグ”な歩き方だったよ。スッキリ細身のクセしてデブの歩き方だったり、根明のチビのクセして長身根暗の歩き方だったり。こんなヘンテコな歩き方する奴ら、忘れたくても忘れらんないね」

「……歩き方でそこまで分かるのか?」

「分かったことはもう一つ。使奴っつーのは知識も技術も相当良いが、こういったレアな職人技みたいなモンには(うと)いらしいね」

 

 肯定も否定もしないナハルを見て、ヒヴァロバは顎を摩ってしたり顔で笑う。

 

「……歩き方っつーのは意識してやるもんじゃない。そうなっちまうもんだ。だからこそ、そういったチグハグなことにはなり得ない。でもそうなってるっつーことは……だ。使奴っつーのは人造人間的な存在で、知識を後から植え付けるタイプのヤツかい? さっきラデックが失言した“記憶操作の異能者”。そいつがデカネーチャン達の記憶を統括してて、あれやこれや無理矢理詰め込んでる……とか? そうだったら全部説明がつくんだがよ」

 

 ナハルの正体どころか、使奴の作り方まで言い当てたヒヴァロバに、ナハルは声を低くして半ば攻撃的に答える。

 

「…………ヒヴァロバ。貴方の観察眼が鋭いことは良く分かった。だが気を付けろ。使奴の中には、そういったコトを嫌う連中は山程いる。口は災いの元だぞ」

「お褒め頂きどーも」

 

 使奴の威嚇(いかく)を軽く流したヒヴァロバに、ゾウラが駆け寄って袖を引いた。

 

「ヒヴァロバさん! 私のことも当ててみてください!」

「ああ? オマエは興味ないよ」

「それは残念です」

「白状するとよくわからん。辛うじて腕が立つっつーことは分かるが」

 

 褒められたことにお礼を言おうとしたゾウラの口を、ヒヴァロバが咄嗟(とっさ)に塞ぐ。そして懐から魔法陣の書かれた紙を取り出し、独自の隠蔽(いんぺい)魔法を発動した。

 

「オマエら、もっとしゃがめ。効果範囲から出ちまう」

 

 ヒヴァロバの指示に従い3人は固まって姿勢を低くする。ヒヴァロバが光魔法を消し、何かを待つように息を潜めて暗闇を見つめ続ける。

 

 数分もしないうちにナハルが何かに気づき、慌ててヒヴァロバの隠蔽魔法に強化魔法を重ねがけした。その様子に、ラデックは小さくナハルに尋ねた。

 

「ナハル……? 何に気がついたんだ……?」

「ずっと考えてはいたが、まさかもまさかだ……! 温泉の配管にしては、ここは広すぎる……!」

 

 永遠に続いているようにも感じられる暗闇。その遥か遠くに、うっすらと何かが動いているのが見えた。ラデックやゾウラやラヴァロバの目では、何かが動いているような気がする程度にしか感じられないが、ナハルの使奴の瞳には信じられない存在が映っていた。

 

「な、なんだ……あれは……!?」

「ナハル? 俺達にも教えてくれ。何が見える?」

「あれは……人間……!? いや、なんだあれは……!? 巨大な、人の頭部……!! それに、二本の足が生えて歩いている……!!」

「何だと……!?」

 

 ヒヴァロバが小さく舌打ちをして、その化け物がいるであろう暗闇を睨む。

 

「アタシら温泉の経営者にだけ知らされる化け物。“温泉坊主(おんせんぼうず)”だ。この配管は温泉を運ぶだけじゃない。奴ら温泉坊主も一緒に運んでくるのさ」

 

 

 

 



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132話 お前の世界にはお前しかいない

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ラデック・ナハル・ゾウラサイド)〜

 

 真っ暗闇の配管の先。ナハルの使奴の目には、恐ろしい異形の姿が映っていた。

 

 2m近い巨大な人の頭部を、顎の付け根あたりから人の足が生えてヨタヨタと歩いている。口は半開きになって(よだれ)を垂らし、眼は揺れるように左右別々にあらぬ方向を向いている。とてもこの世のものとは思えない存在を目の当たりにして、ナハルは思わず口元に手をやった。

 

 ヒヴァロバは小さく舌打ちをして、その化け物がいるであろう暗闇を睨む。

 

「アタシら温泉の経営に関わる奴らにだけ知らされる化け物。“温泉坊主(おんせんぼうず)”だ。この配管は温泉を運ぶだけじゃない。奴ら温泉坊主も一緒に運んでくるんだよ」

「お、温泉坊主……!?」

「ああ。あれを支配しているのは皇帝ポポロだ。”温泉経営責任者は決して配管の内部に立ち入ってはならない。配管の内部に第三者を立ち入らせてはならない。温泉坊主のことを口外してはならない。“このどれか一つでも破れば、問答無用で爆殺処刑か温泉坊主の餌食だとよ」

「一体、何のために……!?」

「監視役だよ。爆弾牧場の温泉は、店によって着色や調整粉末で多少誤魔化しちゃいるものの、実は全て同じ源泉を使っているんだよ。それをこの馬鹿でかいパイプで繋いでいる……。人気の温泉宿も、廃業した北区の銭湯も、王宮の大浴場もね……」

「……そうか。この配管からの侵入者を見張る番人か……!!」

「そこそこ魔法が使える奴なら、この先の高水圧の配管内も移動出来る。そのせいで昔は覗きが湧いて随分苦労したもんさ……」

 

 遥か遠くの温泉坊主の気配が消え、ヒヴァロバが隠蔽魔法を解いて光魔法を発動する。辺りがパッと明るくなり、4人の背後にいた巨大な異形の吐息が耳を撫でた。

 

「危ない!!!」

 

 ナハルがラデックとゾウラを抱き寄せ飛び退くと、2人がいた空間を温泉坊主が勢い良く齧りとった。不揃いな歯並びがガチンと音を立てて閉まり、巨大な頭部が鼻息を荒くして不恰好に立ち上がる。突然の襲撃に、ラデックが慌てて手に持っていたタバコをポケットに突っ込む。

 

「ま、真後ろにいたのか!? そんな気配など一切無かったぞ!?」

「退いていろラデック!! こいつ……波導が全く感じられん! 何をしてくるか分からん!!」

「こんな生き物、私初めて見ます!」

 

 温泉坊主が再び口を開けて雄叫びを上げる。

 

「ゔぉぉぁぁああああああ!!」

 

 そして走り出そうと温泉坊主の右足が地面を蹴ったその直後。

 

「とぉぉぉおおおっ!!!」

 

 女性の掛け声と共に、温泉坊主の左足に鎖が投げられ絡まった。

 

「必っ! 殺っ! 大地の錨(グランドアンガー)!!」

 

 複製魔法によって鎖が枝状に延長され、それは凄まじい勢いで配管の奥へと伸びて行く。温泉坊主は左足が鎖に引っかかって大きく転び、それ以上前に進めず倒れ込んだ。

 

 どこからともなく現れた鎖の先には、ドヤ顔でポーズを決めるパジラッカの姿があった。

 

「我ら世界ギルド!! “ 怪物の洞穴(ほらあな)”所属、パジラッカ!! 助けに応えて只今参上!!」

「パジラッカ!?」

 

 ラデックは見知った顔に驚いて声を上げるが、パジラッカは掌を大きく突き出して見得を切る。

 

「おおっとお兄さん! 感動の再会だけど、ここはオイラ達に任せな! なあに心配要らないぜ! オイラ実はめちゃめちゃ強いから!」

「いや、どっちかというと“よくもまあノコノコと俺たちの前に顔を出せたな”って思いなんだが」

「ええ? 助けたのに?」

「ひとの連れを八つ裂きにしておいてよく言うな……」

「だってアイツ悪い奴だし……お兄さん達無理矢理付き合わされてるって聞いてたけど、違うの?」

「いや、それはそうなんだが……」

 

 2人が足を止めて話していると、温泉坊主がジタバタと両足を振り回して鎖を振り解いた。

 

「むむっ!!」

 

 そこへ“何処からか”手投弾が投下され、凄烈な爆炎を温泉坊主に浴びせる。

 

「がぱああああああっ!!!」

 

 温泉坊主が痛みに悶えて暴れ回っている隙に、ヒヴァロバがラデックとゾウラの首根っこを掴み、配管の奥へと走り出して振り返る。

 

「サンキューちっさいの! そいつらは任せたよ!」

 

 パジラッカはサムズアップで応えるが、違和感にキョトンとして目を逸らす。

 

「おうさ!! ん? そいつ”ら“?」

「温泉坊主は山ほどいるからよぉ! パイプん中走り回って囮になってくれると助かる!」

 

 そう言ってヒヴァロバ達は隠蔽魔法で早々に身を隠してしまう。パジラッカが嫌な想像と共にバッと後ろを振り返ると、遠くから3体の温泉坊主がこちらに向かって走ってきているのが見えた。

 

「おぎゃあああああ!?」

 

 パジラッカは大慌てで走り出し、ヒヴァロバ達を素通りして配管の奥へと消えて行く。温泉坊主達も互いにぶつかったり転がったりしながら、それを追いかけてパイプの先へと姿を消した。

 

「……元気な子だわね。これで当面はアレを気にしなくて良いな」

 

 

 

 配管内を全力で走り回るパジラッカ。不用意に泣き叫ぶ彼女の声に釣られ、至る所から温泉坊主が集まり、パジラッカを先頭に世にも悍ましい百鬼夜行が形成されていく。

 

「おぎゃああああ!! こいつら意外と足速いぃぃぃぃいいい!!」

「おいパジラッカ!! 馬鹿正直に逃げ回ってないで戦え!!」

 

 浮遊魔法でパジラッカについていけなくなったラドリーグリスが、隣を走りながら爆発魔法で温泉坊主を足止めして怒鳴りつける。

 

「こ、ここまで人の形してないとオイラの異能の対象外!! 同調するならせめて両腕はないと!!」

「はぁ!? んなデメリット聞いてねーぞ!! そういうのは加入時に申告しとけ!!」

「だって人以外と戦うと思って無かったもん!!」

「気合いでどうにかしろ!!」

「それに今日はもう虚構拡張使っちゃったから頑張れません!!」

「だぁクソ!! だから無理矢理にでも“新入り”連れてくりゃ良かったんだ!!」

「今更遅い〜!!」

 

 

 

 何処かから聞こえてくるパジラッカの叫びを聞きながら、ラデック達4人は配管内をヒヴァロバの案内で進んでいく。

 

「オマエらは何でこの国に来たんだ?」

 

 ヒヴァロバの問いに、一拍置いてラデックが答える。

 

「成り行きだ」

「成り行きで国王殺しか? 厄災みたいな奴らだな」

「8割方合ってる」

「……さっきのチビ助は世界ギルド所属だと言ってたな。本来であれば、アイツらがやるべきことだ」

「そうなのか?」

「……爆弾牧場が出来るちょっと前。今から50年位前か。世界ギルドの下っ端連中が、邪の道の蛇に視察に来たらしい。その時はまだ世界ギルドも総裁が代変わりしたばっかだったから、ちょっと見に来ただけですぐに帰っていったんだ。だが、それが良くなかった」

「義賊とは言え、盗賊の統治する国だ。その場で粛清されてもおかしくなかったはずだが、見逃してもらえただけで十分じゃないのか?」

「まあな。だが、そこで邪の道の蛇を国家として認めてしまったがために、後身である爆弾牧場にも同じ法を適用せざるを得なくなった。この国が今日まで世界ギルドに介入されなかった1番の理由は、世界ギルドが定めた条約に違反していないからだ。そも世界ギルドと狼の群れが定めた国際条約に不備が多過ぎるっつーのが1番の問題だが、文句ばっか言ってても始まらない。邪の道の蛇は爆弾牧場に侵略されたっつー事実だけでも、狼の群れか世界ギルドが認めりゃ良かったんだがな」

「それなら大丈夫だ。すぐにでもイチルギに報告して――――」

 

 ラデックの言葉を遮り、ナハルが肩を叩いて黙って首を振る。

 

「ナハル? 何か気になることでもあるのか?」

「イチルギにはどうしようもない。無意味だ」

「どうしてだ。彼女は世界ギルドの元総帥だろう? それに、そうでなくとも人道主義自己防衛軍に任せれば……」

「違うんだラデック。この一件を通すのは不可能なんだ」

「……何を馬鹿なことを。こんなに困ってる人たちがいるのに、無理なことがあるか」

「困っている人がいるかどうかは問題じゃない。ラデックは旧文明の政治を知らないんだったな……。そうだな……何か映画や小説でもいい。政治家達が、“前例がない”と言うだけで許可を出し渋っているシーンを見たことがないか?」

「ああ。それは沢山あるが……」

「前例のない一件を通す――――と言うのは、約束事と多数決で世界を保つ仕組みにとっては一大事だ。その一件が通れば、一度開いた法の穴を広げようと大勢の(やから)が不用意に雪崩れ込む。過去の取り決めも見直さなきゃならない。新たなルールを作るのに等しい行為だ」

「それは、新しいものを忌避して面倒臭がっているだけじゃないのか?」

 

 ラデックが不用意に零した一言に、ナハルが語気を強めて(おもむろ)に呟く。

 

「本当に、そう思うか……?」

 

 彼女の逆鱗に触れた、否、己の無知を(さら)したこと。そして、それが彼女達の何か大切なものを傷つけたことに気付き、ラデックは返事すら躊躇(ためら)った。

 

「面倒臭いのは、確かだ。でもなラデック。面倒事を避けることは、使奴が、イチルギが一番大切にしていることだ」

「……そんなに重要なことなのか? 俺にはどうも理解出来ない。面倒臭いだけなら、面倒臭がらずやればいいだけの話じゃないのか?」

「使奴がずっと面倒を見てくれるなら、な。だが、ハザクラはどうだろうか……?」

「ハザ……クラ……?」

「イチルギ達が今後も未来永劫政治を担ってくれるならそれでいい。ラデックの言う通り、出来ることは全てやるべきだ。でもなラデック。イチルギ達は飽くまでもでも、“今の文明が旧文明に追いつくまでの代理”としてしか支配者の立場に居ない。彼女のやることは、全て人間が達成できる範囲内でしか行われていないんだ。後の世を担う者の為。今はハザクラの為だ。その為に、彼女はどんなに辛くとも、人間離れした政治を行うわけにはいかないんだ。どんな意見も全て汲んでくれる万能の神様の後任を、ハザクラにやらせるわけにはいかないだろう?」

「そ、そんな馬鹿な話が……。じゃあ、この爆弾牧場の人間は助けないと言うことか!? 未来を見てばっかりで、現実から目を逸らすと言うのか!?」

「それは誤謬(ごびゅう)だ。ラデック。確かに世界ギルドは沈黙を貫いているが、それは現実から目を逸らしたが故じゃない」

「同じことだろう……!! 放って置かれたこの国はどうなる!!」

 

 まるで聞く耳を持たないラデックに、ナハルは黙って目を伏せる。すると先頭を歩いていたヒヴァロバが、小さく溜息を吐いて振り返る。

 

「なあデカネーチャン。オマエの“優しさ”は見上げたもんだが、馬鹿正直に真正面から受け答えしてたんじゃあ馬鹿には伝わらないよ?」

「……私のは優しさじゃない。逃げだ」

「そういうのを優しさって言うんだろうよ。使奴のクセに甘いねぇ全く」

 

 ヒヴァロバは光魔法の球体をラデックに突きつけ、喧嘩を売るように挑発する。

 

「おいマヌケ。今朝話した“物乞い”の話の続きだが……。オマエ、もしあの時ウン十人の物乞いに金を強請(ねだ)られたらどうするつもりだったんだ? 想像でいい。言ってみろ」

「それとこれとは話が……」

「言ってみろ」

「……その場は謝罪して立ち去る。流石に全員には金は渡せない」

「そのウン十人の中に、本当に困っている幼い少年がいてもか?」

「少年? 何の話だ?」

「オマエが物乞いに物を恵んでいるのを見て、あの人なら助けてくれるかもしれないと思って、凍って壊死した足を引き摺って、やっとの思いでオマエのところまで辿り着いた少年がいたとして。オマエはそんな可哀想な子供も見捨てて逃げるのか?」

「……それとこれとは話が別だ。そこまで困窮(こんきゅう)しているなら助ける」

「じゃあそれが中年の男だったら助けたか?」

「……は?」

「腐ってるのが足じゃなくて指一本だったら? 見た目には分からない病気だったら? 困ってるのが自分じゃなくて家族だったら? オマエはそれをどうやって見抜き、オマエを食い物にしに来た輩の手を掻い潜って、どこからソイツだけにコインを投げてやるつもりなんだ?」

「そ、それは……」

「それもこれも全部。オマエが物乞いに物を恵むっつー“前例”を作っちまったせいだろうが」

「………………」

「最初っからそういうやつを探して歩いて、こっそり薬でも渡してやりゃあ誰も困らなかっただろうに。面倒事を避けるってのは、本当に大切な物事を見失わない為に必要なことなんだよ。貧すりゃ鈍する。逆に、鈍しても貧するんだよ」

「だ、だからと言って」

「何より、部外者で幸せ者のオマエが、何をそんなにムキになってる? 困ってるのはオマエじゃない。アタシらだ。何でオマエが世界ギルド総帥に口利きできるのかは知らないが、勝手に代弁者面して架空の嘆願を声高に叫ぶな。それとも何か? その使奴の総帥は、オマエが意見して考えが変わるようなマヌケなのか?」

 

 当然そんなことはない。ラデックが思いつくようなことは、イチルギ達はとっくに全て考えている。それを考えて尚、ラデックの知らない事情を全て汲み取り、国同士の関係性、国民の生活、利権者の事情、その全てを天秤(てんびん)にかけた上で判断している。自分のような知恵も知識もない人間ひとりが意見したところで、(わずら)わしい“面倒事”にしかならないことは分かりきっていた。

 

 そして(ようや)く気がついた。自分は、“意見したいだけ”だということを。誰かを助けたいという、一方的で身勝手なエゴ。他人の不幸を見たくないという自分本位な我儘(わがまま)

根っこでは他人の事など、何一つ考えていない。善人ぶった幸せ者の短絡的な世迷言。

 

 ラデックは、なんでも人形ラボラトリーでジャハルが燃料にされている使奴を解放しようと言った時、当然のように反対した。何故なら、意識のない使奴は“困ってはいない”だろうから。グリディアン神殿の男達が内戦を始めた時も、彼等を助けようと叫ぶジャハルの味方をしなかった。命懸けで戦う方が、”奴隷生活よりも幸福“だろうと思ったから。結局、本人の真意や今後など眼中になかった。自分の視界に苦しんでいる姿が映らないだけで満足していた。

 

「……すまない」

 

 ラデックの理解を察したヒヴァロバは、「けっ」と睨みつけて視線をパイプの先へと戻す。

 

「怠け者の無能よりも、働き者の無能の方が千倍タチが悪いよ」

「……すまない。だが、一つだけ聞いていいか?」

「なぁんだよ面倒臭いな」

「ヒヴァロバは……相当有能に見える。そんな貴方が、何故物乞いなどしているんだ……?」

「あぁ? んなもん、働きたくないからだよ」

「事情があるなら……無理には、聞かない……」

 

 適当にあしらわれたラデックの側を、ゾウラが通り抜けてヒヴァロバの袖を引いた。

 

「私も聞きたいです! ヒヴァロバさんのお話!」

「あぁ?」

「お、おい。ゾウラ」

「さっき見せてくれた隠蔽魔法の陣、コーディスの汎用陣を参考に作られたものですよね?」

 

 ヒヴァロバが突然ピタリと歩みを止める。

 

「前に本で読みました。優秀な汎用陣で、新魔法開発の3%がコーディス式だとか。ただ扱いが難しくて、魔導師検定二級の資格がいるとも書いてありました。そんな資格持ってたら、お金なんて楽に稼げるんじゃないですか?」

「……どれだ」

「どれ?」

「読んだ本。なんてタイトルの本だ」

「コーディスさんの書かれた、環状波導論入門ってやつです!」

「……ああ、それか」

「ヒヴァロバさんも読まれたんですか?」

「いや、正確に言えば“読まされた”。だな」

 

 ヒヴァロバはほんの少しだけ笑みを浮かべて、再び前へと歩き始める。

 

「旦那にな」

「旦那さんは研究者だったんですか?」

「その本の著者だよ。コーディスは私の旦那だ」

「ええっ! すごい!」

「興味ねーっつってんのに、人の話なんか聞きゃあしねぇ。お陰でアタシも随分詳しくなっちまったよ」

「コーディスって言ったら世界を代表する魔導学者の一人ですよ! コーディスさんは今どちらに?」

「死んだよ」

 

 顔色ひとつ変えずに、ヒヴァロバは冷たく言い放つ。

 

「……もう、20年以上前にな」

「それは……残念です」

「こらガキンチョ、残念っつーならもう少し申し訳なさそうな顔しろ」

「すみません!」

「……セラーリンドも、オマエぐらいの歳だったかな……」

 

 全く悲しみの表情を見せないゾウラ。しかし、ヒヴァロバは特に怒る様子もなく話を続ける。

 

「20年前。北区で疫病が大流行した。“溺死病(できしびょう)”っつー病だ。喉を中心に白い(まだら)模様の痣が広がっていって硬化し呼吸が難しくなってくる。そして末期になると突然喉の血管が大きく破けて、自分の血で溺れちまう病だ。それと同時に“水泡病(すいほうびょう)”も大流行した。僅か1週間で北区の3割の人間が死んだ。そこで、政府は北区をパンデミック地域として隔離。封鎖することにしたんだ。その時、アタシは無事だったが……旦那と子供は、ダメだった。2人とももう喉が真っ白になって硬くなってて、セラーリンドは、息子は、もう吐血し始めてた」

「ここにくる途中、雪の中に埋まってる鉄柵を見つけました。もしかして、レピエン国王はあれで皆さんを閉じ込めたんですか?」

「……違う。あの柵は、旦那と息子、北区の病人達が“自分達を閉じ込める為に”作った柵だ」

「自分達を?」

「アタシら無事な人間に感染(うつ)さないように、柵を作って、その中から鉄の槍や木の杭でアタシらを追い払った」

 

 ヒヴァロバがコートの襟を捲って胸をはだけさす。そこには、薄くなった切り傷の痕が微かに残っていた。

 

「息子に刺されたんだ。まだ13歳だったあの子が、アタシを近づかせまいと、病気を感染(うつ)すまいと、凍った鉄柵に手を貼り付けさせて、木の杭でアタシを刺したんだ」

「優しい……息子さんだったんですね」

「優しいもんか……。お陰でアタシは生き延びちまった。こんなクソみたいな世界に、旦那も、息子もいない世界に、置いて行かれた。何度も死のうとしたさ。酒に溺れて、薬に溺れて。でも、最後までは狂えなかった。旦那とさ、息子がさ、最後に私になんて言ったと思う?「生き延びて」とかさ「逃げて」とかさ。そんなんだったら良かったんだ。でも、アイツらは私に「追いかけてこないで」って、言ったんだよ。そんなの、そんなのって、そんなこと、言われたらよぉ……! 何度死のうと思っても、最後の最期に正気に戻っちまうんだよ! 「追いかけてこないで」って! 頭ん中に聞こえるんだよ! あの世から今でも言われてるようでよぉ……!! そう思うと、死にたくても死ねねぇ……!! そうやって、今の今まで生き延びてきちまった……!!」

 

 光魔法で作られた球体が、ヒヴァロバから魔力の供給を絶たれ消滅する。すかさずナハルが代わりに明かりを灯し、その場に(うずくま)るヒヴァロバの背中を摩る。

 

「やめろよデカネーチャン……。まさかオマエまで“生きろ”とか言うんじゃねーだろうな……!!」

「……言わないさ。私だって、愛する人がこの世から消えたら……一瞬だって正気でいられない……」

「はっ……使奴が無理なら、人間のアタシにも無理だよ……。なぁ……もう、死んでもいいだろ……?」

「なあ、ヒヴァロバ」

「……何だよ」

「せめて死ぬなら、墓を建ててやったらどうだ?」

「墓……」

「私たちはこれからレピエンをぶっ殺しに行く。その後、人道主義自己防衛軍がこの国の統治に来るだろう。この国はマトモになる。少なくとも、物乞いが彷徨(うろつ)くような町にはならない筈だ。そしたら、少しだけ働いて、金を稼げ。そうして、貴方と、旦那さんと、息子さんの墓を建てればいい。そうすれば、旦那も息子さんも、「追いかけてくるな」なんて言わないと思う」

「……はっ。その人道主義自己防衛軍の話の真偽はさておいて……、墓はいい案だな。レピエンのせいで北区へは立ち入りも許されなかったから考えたこともなかったが……少しだけ、20年ぶりに生きる気力が湧いてきたよ」

 

 ヒヴァロバはナハルに抱えられながら立ち上がり、3人の方へ振り返る。

 

「もうすぐ遮断バルブだ。そこからは高水圧の配管の中を魔法でなんとか忍び込んでいってもらうことになる。方法は教えるが……アタシはその先はついていけない。邪魔になるだろうし、たった今予定も出来ちまったことだしな」

「ああ、構わない。所詮人間の警備する王宮だろう? 幾らでもどうにかするさ」

「流石使奴、頼もしいね。あのクソジジイの死に様を直接見れないのは残念で仕方ないが……、こんなこと言ってたらセラーリンドに怒られそうだ。先に進もう」

 

 4人は再びパイプの先へと歩き出した。そしてこの時、ナハルだけが真上に“知り合い”の気配を感じていた。ナハルは特にこの気配に対して違和感を覚えてはいなかったが、知り合いの方は“恐ろしい妄想に”とても平常心では居られなかった。

 

 

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”西区 (イチルギ・ラプー・ジャハル・ハザクラ・シスター)サイド〜

 

「どうしたんだ? イチルギ」

 

 警備隊を王宮へ送り届けた帰り道、イチルギを先頭に人気のない路地裏を進んでいた一向。しかし、突如イチルギが血相を変えて立ち止まったことに、ハザクラ達は不安そうに彼女を見つめる。

 

「そんな……この波導は、ナハル……!? それに、あっちにはパジラッカも……!! 嘘……!! 貴方達…………そこで一体何を……!?」



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133話 契約違反には制裁を

 ラデック達がヒヴァロバと出会う少し前――――

 

 

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”西区 (イチルギ・ラプー・ジャハル・ハザクラ・シスター)サイド〜

 

「こ、この突き当たり左の奥にある建物が“王宮”です」

 

 警備隊の指示通りに角を曲がると、遠くに高い壁に囲まれた純白の王宮が見えてきた。雪が積もった街並みに溶け込みながらも、その態とらしい神々しさを一切隠さずに堂々と構えている。しかし、その正面大通りに構える家屋は対照的に見窄(みすぼ)らしく、あちこちにヒビが入ったりタイルが剥がれ落ちたりしている。道を行く人達も皆痩せ細っており、頭を重たく前へ傾けながら足元ばかり見て歩いている。美しく厳かな王宮と、腐りかけた廃屋の群れ。まるで寓話の一部分を切り出したかのような風景に、シスターは思わず息を飲んだ。

 

「ひ、酷い……。コレが、本当に40年も続いた帝国ですか……?」

 

 警備隊は怯えながら周囲を見回し、ゆっくりと王宮へと近づいていく。しかし、突如血相を変えて(きびす)を返し、イチルギの背後に隠れて身を震わせた。

 

「な、何? どうしたの?」

「しししし、“執行官”が門番やってる……!! だめだ、もう戻れない……!!」

「執行官?」

 

 イチルギが門の方を見ると、長い金色の杖を持った鎧の兵士が2人、門の前に立ち塞がっていた。そこへ、イチルギ達と同行している警備隊と同じような制服を着た女性が1人、何度も頭を下げながら歩み寄っていく。

 

「ああっマズイっ!」

 

 警備隊が目を覆った直後、執行官が金色の杖を女性に突きつけた。すると、女性は(たちま)ち“全身が葡萄(ぶどう)のように粒状に膨れ上がり”、爆弾のように爆発した。爆煙と共に血飛沫が執行官の鎧を濡らし、鈍色の金属を赤く染めていく。その凄惨な光景に、イチルギ達は言葉を失って立ち尽くすしかなかった。

 

 王宮の門から数人の清掃員が集まってきて、執行官の鎧と、散らばった肉片を掃除し始める。数分もしないうちに血や焦げ跡は綺麗に洗い流され、執行官は再び配置について動かなくなった。

 

「あ、ああ……そんな……」

 

 警備隊の1人が、イチルギの後ろで頭を抱えて(うずくま)る。

 

「シャルアラ……そんな……やっと仕事に慣れてきたばっかりだったのに……どうして……! ああっ……!!」

 

 恐らくはたった今殺害されたであろう女性の名前を呟き、顔をぐしゃぐしゃに濡らして嗚咽(おえつ)を漏らす。他の警備隊員も絶望に打ち(ひし)がれて(うつむ)き、同じように涙と鼻水で顔を濡らしている。

 

「終わりだ……私達はもう……!」

「何でだよっ!! レピエン様を”信頼“してたのにっ!! こんなにも”信頼“していたのにっ!!」

「最悪だ……。最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ……!!!」

 

 門の前では未だ執行官が石像のように空を睨んでおり、イチルギ達はなす術なく阿鼻叫喚の警備隊を連れてその場を離れた。

 

 

 

 

 人の気配のない廃屋に身を隠したイチルギ達。メンバーの中で唯一新聞に顔が載ったことのないシスターが1人見回りに出かけ、残されたメンバーは先ほどの出来事について話し合った。

 

「あれが……噂の“叛逆者への制裁”か……。何と(むご)たらしいことを……」

 

 ジャハルの呟きに、イチルギが怒りに震える声を押し殺して答える。

 

「ええ……。クソっ……、派遣隊の報告には、こんな現象なかったわ……。けど、おかしい。派遣隊は皆買収されるような子達ではないし、嘘をついている様子もなかった……」

「イチルギはこの国に訪れたことはないのか?」

「ないわ。ジャハルも当事者だから知ってるでしょうけど、国家の運営に携わる者は相手国の招待無しに訪問してはならない。レピエンが私を呼ぶわけないでしょ」

「毎回思うんだが、その条約どうにかならないのか? 国交保持条約もそうだが、ここらへんの国際条約は不便で仕方ない」

「狼の群れ建国当時のヴァルガンに言って頂戴。こんな性善説大前提の条約、私だって猛反対したんだから。……でも、それにしたって不自然な点が多すぎる。私が派遣隊から受けてた報告の中には、処刑は(おろ)か警備隊の存在も無かった。こんなの国営の追い剥ぎじゃない」

 

 警備隊員がビクッと体を震わせると、イチルギは慌てて彼等を庇う。

 

「あっごめんなさい! いやでもね? やってることが悪いのは事実だから……」

「い、いえ……分かってます……。ウチらも、ちょっと腹癒(はらい)せでやってる部分はありましたし、実際に外国人から奪った金で良い思いしてたのも事実です……」

「……強者に虐げられた人間が、その反動で別の弱者を虐げるのはよくあることよ。決して擁護できるものでは無いけれど、貴方達自身の悪性のみによるものでも無いわ。今こうして省みることも出来てるんだし、そこまで自分を卑下しなくても大丈夫よ」

 

 側で話を聞いていたハザクラが、別の怯えている警備隊を見て(いぶか)しげに口を開く。

 

「しかし、よくもまああんな国王を信頼する気になったな。俺の国で見た映像では人望のじの字も無さそうな男だったが、自分の配下には優しかったりするのか?」

「い、いえ。全く……。機嫌がいい時はそれなりにお優しいのですが、いつもの無茶振りが一方的なお願い事になるだけで、実際特に変化はありません……。「さっさと行け!」って言うところを「今日も期待しているぞ!」って言うようになるだけって具合で……。あ、でも女王様や王子様は別ですね。毎晩同じ部屋でお休みになられる程仲が良いです」

「典型的な悪徳権力者だな……。さっきの“制裁”はレピエンの異能か? 実際には執行官が行使していたように見えたが……」

「あ、はい。そうですね……レピエン様の“契約”の異能だと言われています」

「契約の異能?」

「レピエン様と契約を結んだ者は、それに違反すると罰を受けるんです。それを執行する権利を持つのが、レピエン様と10人の執行官なんです」

「権利を持つ……? 異能の使用基準を第三者が決めるのか?」

「はい。さっきご覧になられたと思いますが、契約違反状態の人物に権利者が呪文を唱えると、あのように爆ぜてしまうんです……」

「……それは、また奇妙な仕組みだな。確かに異能者本人が執行の場に出てくるリスクを考えると合理的か……? その契約というのは、どんな内容だ?」

「え、あ、わ、分かんないです……」

「分からない?」

「あの、国民全員そうですが、契約時にものすごく分厚い本を渡されるんです。何百ページもある魔術書みたいな本を。そこには”嘘をつくな“とか”命令は必ず(こな)せ“とか事細かに規則が書いてあって、それが契約書になっているんです」

「……一方的に達成不能な契約を結ばせ、常に契約違反の状態を維持する訳か……。確かに、それならいつでもイチャモンをつけて不要な人間を葬ることができる……」

 

 そこへシスターが見回りから帰ってきて、黙って首を左右に振る。

 

「……ほんの少し立ち聞きして来ましたが、執行官は警備隊全員を罰するまで見張りを続けるそうです。王宮に戻るのは諦めたほうが良さそうですね……」

 

 その言葉に警備隊は意気消沈して俯くが、イチルギは(いら)ついた様子で唸り声をあげ髪を掻き(むし)った。

 

「あぁ〜もう! 要するに、“警備隊がしくじった”ってのがレピエンからしたら気に食わない訳でしょ? そんくらいはどうにかするわよ……。ラルバがやり過ぎた分くらいは精算させてもらうわ」

 

 

 

 日が傾いてきた頃、王宮の警備をする執行官の元へ、数人の警備隊が近づいて行く。

 

「ん? あれは……」

 

 2人の執行官が金色の杖を構えて警備隊の前に立ち塞がり、威圧するように見下して言い放つ。

 

「よくもまあノコノコ帰ってこれたもんだな負け犬共」

「そ、その声は……ルルガルスタ執行官ですか? 警備お疲れ様です!!」

「挨拶なんかいい。どうせお前らと顔を合わせるのも、これで最期だ」

 

 執行官が杖を構えようとすると、警備隊長が慌てて制止させる。

 

「ま、待ってくださいルルガルスタ執行官!! 我々は決して外来人に屈してなどいません!!」

「ああ?」

「これを見て下さい!!」

 

 そう言って警備隊長が、手に持っていた頭陀袋(ずだぶくろ)から“人間の頭部”を引っ張り出す。

 

「お、お前っ……!! それ……!!」

「ええ! あの“世界ギルド”の元総帥! イチルギの首です!!」

 

 高々と掲げられたイチルギの生首に、執行官は狼狽(うろた)えて数歩下がる。

 

「ば、馬鹿を言え!! お前なんかが使奴に敵うものか!! 偽物だろう!!」

「わ、私が(たお)したんじゃありません! 実はここにくる途中……その……」

「ああ? 何だ!」

「あ、えっと……ポ、”ポポロ様“にお会いしまして……」

「何だとっ!? ポポロ様に!?」

「は、はい……。この女はポポロ様が仕留めたそうです。それで、まだ暫く身を隠すから、これをレピエン様の元まで届けるようにと仰せつかった次第です。また明日ポポロ様の元へ向かわねばなりませんので、レピエン様への事情の説明をルルガルスタ執行官にお願いしても宜しいでしょうか?」

「なん……しかし、いや……う〜ん……」

 

 爆弾牧場皇帝であり、笑顔の七人衆”収集家ポポロ“。その名を出された執行官は、返答に困り頭を悩ませる。レピエン国王の指示で、外来人に(ほだ)された警備隊を皆殺しにしろと言われてはいるものの、もし皇帝ポポロの指示が事実であるなら警備隊に危害を加えるわけには行かない。

 

 暫く考え込んだ結果、もし皇帝ポポロの命を(かた)っているならば、後に処刑よりも酷い目に遭うだろうとの結論に至り、ルルガルスタ執行官は警備隊長から頭陀袋を引ったくった。

 

「あっ……」

「貴様、もしその発言が虚偽ならば早めに自殺するんだな。レピエン様が”殺してくれ“なんて懇願を受け入れることは決して無いのだから」

 

 執行官が顎をしゃくって「早く行け」とジェスチャーをすると、警備隊はそそくさと門を潜って王宮へと帰って行った。

 

 その様子を遠くから眺めていたハザクラ達は、ホッと胸を撫で下ろして息を漏らす。

 

 ハザクラの無理往生の異能は、命令を承諾した相手に命令の内容を強制させる異能である。そして、その副次的な効果として、ハザクラは異能の影響下にある対象を判別出来るという能力も持っている。が、その命令が何の命令なのかまでは判別出来ない。もしもレピエンの契約の異能も同じ仕組みならば、対象の契約違反状態は見破られるが、それがどの契約を違反しているかまでは分からない――――ということになる。そこでイチルギは、ポポロの死亡が隠蔽されていること、そして国民が皆常時契約違反状態なのをいいことに、(わざ)と嘘をつかせて執行官を騙す作戦を考えた。

 

「しかし、幾ら使奴とは言え……コレは少し無茶をしすぎじゃ無いのか?」

 

 ハザクラは文句を零してから、”担いだ首無しのイチルギ“を背負い直す。シスターもジャハルもコメントを控え、困惑の表情で首無しのイチルギを見つめている。ジャハルは暫く悩んだ後、思い切ってラプーに尋ねた。

 

「……あまり昔のことを聞くのは良くないと分かってはいるんだが、ラプー。イチルギは……その、こういうことをする人間なのか?」

「んあ」

「……昔からか?」

「昔っからだ」

「そうか……。もっとマトモなことをする人だと思っていたが……、いや、今はこれが最善なのか……?」

 

 ジャハルがハザクラとシスターに目を向けるが、2人とも静かに目を逸らして言葉を返すことはなかった。

 

 

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”西区 王宮内部〜

 

「おおおおっ!? これはっ!! これはこれはこれはこれは!!」

 

 レピエンが興奮して執行官に駆け寄る。そして執行官からイチルギの生首を奪い取り、大喜びで掲げる。

 

「あの憎き便所蠅(ベンジョハエ)の王か!!! ああ夢のようだ!!! でかしたぞお前達!!!」

 

 ボロボロの歯を鈍く輝かせて笑うレピエンに、執行官は少し狼狽えながら説明を続ける。

 

「あ、し、仕留めたのは我々ではなく……その、警備隊の者達が言うには”ポポロ様“だそうなのですが……」

「ポ、ポポロ様がか!? か、帰って来たのか!? ポポロ様がぁ!?」

「警備隊長の報告では、また明日訪ねに行くそうです。嘘をついている可能性もありますので、我々も同行し確認して参ります」

「その必要は有りません」

 

 突然会話を遮った声。その方を2人が振り向くより早く、声の主はレピエンの手からイチルギの生首を掠め取った。

 

「ポポロの雲隠れ、イチルギの暗殺。全て私の指示通りです」

「せ、先導の審神者(さにわ)様……! 流石で御座います〜っ!! お見それしましたっ!!」

 

 優雅にソファに腰掛けたハピネスに、レピエンが腰を低くして歩み寄る。

 

「予定よりも若干の遅れがありましたが……まあいいでしょう。そこの執行官。もう下がって結構ですよ」

「は、はい……!! 失礼致します……!!」

 

 ハピネスはイチルギの生首を暫く眺めてた後、後ろに立っていたカガチの方へ乱暴に放り投げる。

 

「剥製にでもしようと思ったが、この腐れ切った正義面(せいぎづら)。死体でも不愉快だ。カガチ、細切れにしてトイレにでも流して来なさい」

 

 ハピネスがカガチに手の甲を振って「出て行け」とジェスチャーをすると、カガチは何も言わずにイチルギの生首を抱えて部屋を出て行った。

 

 カガチはそのまま王宮を出て、物陰から侵入経路を探っていたハザクラ達のところまで真っ直ぐ歩いて行く。

 

「カ、カガチ? 何故王宮から……」

「返す」

「え? あ、ああ……」

 

 ハザクラに生首手渡すと、カガチはそのまま王宮の中へと戻って行った。

 

「……何だったんだ?」

 

 ハザクラが受け取ったイチルギの顔を覗き込むと、そこには生首とは思えない程生命力のある渋い表情が顔面に深い(しわ)を作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 警備隊を王宮へ送り届けた帰り道、イチルギを先頭に人気のない路地裏を進んでいた一行。しかし、突如イチルギが血相を変えて立ち止まったことに、ハザクラ達は不安そうに彼女を見つめる。

 

「そんな……この波導は、ナハル……!? それに、あっちにはパジラッカも……!! 嘘……!! 貴方達…………そこで一体何を……!?」

「ナハル? ナハルが近くにいるのか?」

「近く……違う、地下……!! でもこれって……こんなことって……!!」

「イチルギ?」

 

 ハザクラがイチルギの肩を叩こうと手を伸ばした直後、彼女は全力で駆け出した。

 

「っ!? ジャハル!! シスターを頼む!!」

「わ、わかった!!」

 

 ハザクラもすぐさま自己強化を挟んでから走り出しイチルギを追いかける。日が沈み切った真っ暗な街中を駆ける影ふたつ。ハザクラがやっとの思いでイチルギに肩を並べると、イチルギは速度を落とさぬまま戸惑いを隠せない様子で譫言(うわごと)のように呟く。

 

「ナハルの波導が……地下から流れてきたの……!! でも、この国には“人が通れるほどの地下空間は無い”!!」

「地下室くらいはあるだろう!」

「深さが違う!! ナハル達がいたのは、少なくとも30m以上深い!! そんな地下に空洞を掘った記録なんか、この国には無いのよ!! 何より、そんな空間があれば掘ってる間に温泉で水浸しになっちゃう!!」

「それなら確かに不思議ではあるが、それがどうしてそんな慌てる理由になるんだ!?」

「40年前…… 邪の道の蛇の幹部メンバーが突如姿を消した。それをポポロ達が支配し、爆弾牧場を造り上げた……。でもそのメンバーが本当は死んでなんかいなくて、どこかに身を隠していただけだとしたら……!!」

「地下に……いると言うのか……!?」

「ハザクラもグリディアン神殿で見たでしょう!? 人はそう簡単に消えやしない……!! もし、もしこの地下空間が邪の道の蛇によって作られたものだとしたら……!!」

 

 朽ち果て崩壊した家屋の前でイチルギが急停止し、足元目がけて手刀を放つ。使奴の一撃によって地が裂け、中から“巨大な配管”と思しき空洞が現れる。

 

「この先にはまだ、地上なんか比べ物にならない“地獄”が待っているのかも知れない……!!!」



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134話 今ならもう手が届く

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ラデック・ナハル・ゾウラサイド)〜

 

 巨大な水門に塞がれた行き止まりの壁を下敷きに、説明を交えながらヒヴァロバが紙に手順を記している。

 

「〜で、中に調整用バルブがあるから、赤いヤツを時計回りに締めろ。いいか? 緩めるんじゃなくて締めるんだぞ。そうすりゃ非常用水門のとこだけ水圧が下がるから、そっから出られる。この動作を全部水中で5分以内に終わらせろ。でないと、耐圧魔法が切れて水圧で即死だ。分かったか?」

「あんまり」

 

 真面目な顔で即答したラデックの後ろで、ゾウラとナハルが代わりに返事をする。

 

「バッチリです! 頑張ります!」

「大丈夫だヒヴァロバ。ラデックは最悪高水圧の配管に放置しても死なない」

「そうか、それを聞いて安心したよ。知り合いの死体が溶け込んだ温泉なんざ絶対に入りたくないからね」

 

 ヒヴァロバは手順書をナハルに渡すと、元来た道へと歩き始める。

 

「じゃ、頑張れよ」

 

 あまりにも素気なく別れを告げるヒヴァロバ。その清々しくもある態度に、3人は一瞬呆気に取られて顔を見合わせた。そしてすぐさまラデックがヒヴァロバに向かって声をかける。

 

「あっ、ヒヴァロバ!!」

「あ〜?」

 

 呼び止められたヒヴァロバは歩みを止め振り返るが、何の考えもなく呼び止めたラデックは次の言葉を探して目を泳がせた。

 

「あ、えっと……。その、なんだ。あれだ」

「どれだよ」

「げ、元気でな」

「…………」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をするヒヴァロバ。ラデックが困ってナハルの方を見ると、彼女も全く同じ表情でラデックを見下ろしていた。

 

「な、何だ。別にいいだろ。この挨拶でも」

 

 気まずい沈黙が数秒経過すると、ヒヴァロバは大きく溜息をついて3人の方へ戻って来た。

 

「っか〜!! 締まらねぇなぁもう!!」

「す、すまない」

「おいマヌケ!! 手ぇ出せ!!」

「こ、こうか?」

「なにハイタッチしようとしてんだよ!! 手のひら上に向けてこっち向けろ!!」

 

 ヒヴァロバは半ば強引にラデックの手を取り、自身の指を絡めてから、絡めた指同士を横切るように爪で軽く引っ掻き痕をつけた。

 

「本当は刃物でやるんだがな。どうせ40年以上前に廃れた文化だ。今はこんなもんでいいだろう」

 

 そして手を離した。指には、軽く引っ掻かれた痕が若干白く残っている。

 

「また同じように指を絡ませれば、この痕は一本の線になる。これは、アタシとラデックが“一つの命”になったことを表す。昔、邪の道の蛇がやってた家族の契りの真似だ。」

「そ、それは、結婚という意味か?」

「ちげぇよマヌケ! 安心しろ。性欲なんざとうの昔に枯れ果てたし、何よりアタシは馬鹿を異性として意識出来ない」

「そうか……それはそれで何か……」

「憶えちゃいないが、多分アタシも生まれた時にやってもらったんだろうな。アタシが自分からこれをやったのは、旦那と、息子と、オマエの3人だけだ。何の意味もないただのお呪いだが、邪の道の蛇は何よりも“家族”を尊んだらしい。ま、家族の無事を祈る儀式みたいなもんだ。おママごとの延長だとでも思っとけ」

「家族の……無事を……」

「ほら、ガキンチョとデカネーチャンも手ぇ出せ」

「わ、私もやるのか!?」

「このマヌケだけやったら変だろうが! ほらさっさと出せっつの!」

 

 ヒヴァロバはナハルの手を無理矢理とって指を絡ませる。次にゾウラとも指を絡ませ、2人と同じように痕をつけた。

 

「ヒヴァロバさんヒヴァロバさん! もう一回指組んで下さい! 一本の線になったところ見たいです!」

「また今度な」

 

 興奮するゾウラの頭を撫でるように抑えると、ヒヴァロバは再び背を向けて元来た道へと歩き出した。

 

「じゃあな」

 

 3人分の引っ掻き痕がついた手を振りながら、別れを惜しむ様子など微塵もなく暗闇へと溶け込んでいく。そして、上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出すと、そこに描かれていた隠蔽魔法の陣を発動して蒸発するようにラデック達の視界から消え去った。

 

 ラデックは指の引っ掻き痕を指先でなぞり、ヒヴァロバの言葉を頭の中に思い浮かべる。

 

「家族……か」

 

 ラデックの出自を思い出し、言いかけた言葉を飲み込んだナハル。しかし、ゾウラがいつもと変わらぬ朗らかな表情でラデックの顔を覗き込んだ。

 

「ラデックさんは、ご家族の方はいらっしゃらないんですか?」

「お、おいゾウラ!」

「ああ。居ないな。多分」

 

 しかし、ラデックは悲哀や寂しさといった感情を一切纏わぬまま淡々と言葉を続ける。

 

「別に気にしたことはない。施設で同年代の人間と何年も暮らしていた俺にとって、家族は不要なものだったからな」

「そうなんですか?」

「ちょっと憧れていた部分はあるだろうが、青空の下を歩きたいとか、凍った湖の上で寝てみたいとか、そんな沢山ある小さなもしも話の一部に過ぎなかった」

「どれも素敵な夢です!」

「今ならもう、手が届くんだな。この夢にも」

 

 ラデックは暫く自分の(てのひら)を見つめた後、固く拳を握って水門へと歩き出した。

 

「すまない。もう大丈夫だ。行こう」

「まずはお前の夢の前に、この国の悪夢からだ。ラデック」

「私、なんだかワクワクしてきました!」

 

 

 

 

 

 ヒヴァロバの足音が、真っ暗な配管の中に響き渡る。どこか遠くからパジラッカの泣き叫ぶ声と爆発音が聞こえてはいるが、それでも自分の足音の方が大きく聞こえており、それはヒヴァロバの孤独を喚いて脈動しているようだった。しかし、その孤独感も、今のヒヴァロバには無視できる痒み程度にしか感じられなかった。未だ指に残る3本の爪痕のヒリヒリとした感覚が、20年振りにヒヴァロバを人の生きる世界へと連れ戻した。今まで全く気にしていなかった、濡れた足元の不快感。鼻をつく異臭の嫌悪感。そして、幾ら眠っても取れることのなかった全身の疲労感と絶望感。それらを彼女は(ようや)く思い出した。そして、この不愉快な感覚のどれもが、今自分が生きていることの証明。生を望んでいる証明。そう思うだけで、この感覚の全てを少しだけ受け入れることが出来た。

 

「……ま、不愉快なことに変わりはないな。あークッサ!! さっさと帰ろう!!」

 

 少し小走りになって先を急ぐヒヴァロバ。しかし、ふと足を止めて後ろを振り返る。

 

「…………しっかし、どうも気になるな」

 

 再び耳を澄ませると、パジラッカの声と爆発音が聞こえぬほどに遠ざかっていた。

 

「……うん。前に来た時より、明らかにクソ広くなってるな」

 

 違和感を拭えないまま、ヒヴァロバは再び歩き出す。

 

 ヒヴァロバのいる配管よりも少し離れた別の配管内。そこには、彼女と同じ違和感を必死に辿り続ける者が、この迷路の深部を目指していた。

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (イチルギ・ハザクラサイド)〜

 

「やっぱり、やっぱりおかしい……!! こんなの、明らかな超常技術じゃない……!!」

 

 ハザクラと共に配管内を走り続けるイチルギは、配管の内壁を見て険しい表情に一層(しわ)を寄せる。

 

「温泉用に改造した銅合金の水道管……!? しかも継ぎ目が(ほとん)どない……!!」

 

 疾走するイチルギを追いかけながら、ハザクラも配管の内壁に目を向ける。

 

「しかもこの広さ……。直径3m以上はあるな。それをこの距離全て銅合金で作るとなると……確かに超常技術だ」

「作れるわけがないわ!! 旧文明の大国だって無理よ!! 高価な金属で、巨大で、精密な水道管を、国中の地下に、秘密裏に、埋め込むだなんて!!」

「確かに、理由をつけるなら異能の仕業としか思えない。だが、こんなことが可能な異能なんてあるのか……?」

「分からない……。もし仮に“どんな素材も無限に生み出せて好きな形に変形できる異能”なんて便利なものがあったとしても、それで態々(わざわざ)水道管を作る理由も、地盤沈下を起こさず地下を掘削出来る理由も、それでこんな小さな従属国に貢献する理由も……!! これだけの事実があるのに、何一つ繋がらないわ……!!」

 

 イチルギは只管に配管の先へと走り続ける。この迷路が、暗闇が、一体どこへ続いているのか。それを想像することが、彼女を酷く苦しめた。

 

 問いを解き明かすというのは、ある意味では問題の制作者を観察することに近しい。逆に言えば、問題の制作者をよく知ることが出来たなら、解明の糸口も見つけやすくなるだろう。今回のケースで言えば――――

 

 爆弾牧場皇帝にして、笑顔による文明保安協会笑顔の七人衆がひとり。“収集家ポポロ”

 

 丸々と太った背の低い老人で、笑顔の七人衆では最も高齢であり1番の古株。実年齢は不明だが噂では100をとっくに超えているとも言われている。毒魔法と幻覚魔法の扱いに長けており、主に人間の収集を趣味とする。自分は決して危険が及ぶ場所には行かず、傀儡(かいらい)状態の部下を遠隔操作し戦闘と捕虜の収集を行なっており、部下の体から人間を傀儡化させる毒ガスを死ぬまで撒き散らし、絶えず操り人形を増やし続ける戦法を主としている。そんな“人間の耐久限界”をも知り尽くした彼に魅入られてしまった女性は、如何なる自決さえも間に合わないと言われている。男は傀儡、女は捕虜。笑顔の七人衆の中では珍しく“遭遇時の生存率が極めて高い“人物とされるが、当然この評価の持つ意味などありはしない。

 

 この醜悪極まりない大逆無道の権化を“理解”すること。ポポロは何のためにこんなことをするのか。何をしようとしてこうなったのか。何が目的なのか。それを想像することが、この爆弾牧場に蔓延(はびこ)る謎を紐解く手がかりになる。しかし、それを使奴の優秀な頭脳で行うことは、あまりに残酷で悲惨なことであった。特に、イチルギという真っ当な道徳を重んじる人格者にとっては。

 

 脂汗を浮かべるイチルギの苦悶の表情に、ハザクラは言葉を飲み込んで少し速度を落とす。が、少し思い留まってから少し加速し、再び彼女と肩を並べる。

 

「イチルギ」

 

 ハザクラに名前を呼ばれ、イチルギが視界の端でハザクラを見る。

 

「イチルギは、ポポロとヴァルガン。どっちの役に立ちたいんだ?」

 

 ハザクラはイチルギとは目を合わせず、前だけを真っ直ぐに見つめて走っている。

 

「イチルギは今、ヴァルガンのために進んでいるんだろう? なら、ヴァルガンの邪魔をする奴のことなんか考えるな」

「……でもハザクラ。これはこの国のために必要なこと――――」

「これはお前のために必要なことだ。イチルギ」

 

 ハザクラはイチルギの腕を掴んで足を止める。

 

「どうせお前は“自分を大切にしろ”と言ったって聞かないだろう。だがな、イチルギは俺にとっての大切な人でもある」

 

 ハザクラは腕を強く握り締める。使奴にとっては容易く振り解けるほど弱い力だったが、イチルギがどんなにその手を振り解こうとしても腕はピクリとも動かなかった。

 

「俺の悲願を、その一歩を、俺の声を聞き使奴を解放してくれた。大切な恩人だ。俺の大切な恩人を、これ以上傷付けないでくれ」

 

 イチルギがハザクラと目を合わせる。ハザクラの瞳に映った自分の顔は、眼は、とてもこの世のものとは思えない化け物の目玉であったが、その化け物の目玉を、ハザクラは力強く見つめ続けている。

 

 イチルギがゆっくり腕を下ろすと、ハザクラも手を離す。

 

「…………ごめんなさい。ハザクラ」

 

 イチルギが、聞き取れないほど小さく呟いた。

 

「次からは、気を付けてくれ」

「……貴方もね」

「ああ。そうだな」

 

 2人は再び暗闇へと走り出した。覚悟の代わりに臆病さを背負った2人の背中が、この国の地獄へと混じっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ジャハル・ラプー・シスターサイド)〜

 

 

「地下にこんな空間が……。2人はここから進んでいったのか……? あ、壁に傷がつけてある」

 

 配管の中へと降りていったジャハルは、壁の印に気づいて指でなぞる。それを後ろからシスターが覗き込むと、彼女は暗闇を指差して答えた。

 

「人道主義自己防衛軍で習う印だ。ハザクラがつけて行ってくれたんだろう。これで大まかな方角と距離が分かるぞ」

「助かりました。私達も急ぎましょうジャハルさん」

「今から走ったところであの2人には追いつける気がしないが……」

 

 ジャハルが配管を進もうと振り返った時、ふと足元にいたラプーと目があった。

 

「ん?」

 

 ラプーが黙ったままこちらを見上げている姿に違和感を覚え、ジャハルは不思議そうに尋ねる。

 

「どうしたラプー。じっと私の顔なんか見て」

「急ぐだ」

 

 ジャハルの言葉に被せるようにラプーが声を発する。普段の彼とは少し異なった行動に、ジャハルは思わず眉を(ひそ)めた。

 

「い、急ぐって。何故?」

「間に合わなくなるかもしれねぇだ」



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135話 地下迷宮の主

〜爆弾牧場 まほらまタウン西区 王宮内部 (ハピネス・カガチサイド)〜

 

「うっ旨いっ!! こんな旨いもの、数十年前にグルメの国に行って以来だっ!!」

 

 芸術作品のように美しく盛られた料理を、レピエン国王が餌を(むさぼ)る野良犬のように食い漁っている。その様子を、対面の席に座るハピネスが何かメモを取りながら流し目で観察している。

 

「それは何よりです。私も先日伺って来ましたが……。まあ、悪くはありませんでしたね。あの国の技術であれば、この国の枯れた土地の食材でも十分売り物として扱えるようになるでしょう」

「しかし……幾ら旨くても、これは猛毒の“紫煙薯(しえんじょ)”だろう? 分かっていても最初は躊躇(ためら)ってしまうな……」

「毒抜きの技術も日々進歩しています。今や河豚(ふぐ)もジャガイモも生肉も、安心して食べられる普通の食材になってきているんですよ」

「ううむ……、(にわか)には信じ難いが……。こんなに旨ければ納得せざるを得ないな!」

 

 そこへ次の料理を持ってきたカガチが、レピエンの前に皿を差し出す。

 

「……どうぞ。日暮蒟蒻(ひぐれこんにゃく)のスモークテリーヌです」

紫煙薯(しえんじょ)の次は日暮蒟蒻(ひぐれこんにゃく)か……。よもや、この俺がこんな虫の餌を喜んで食う日が来ようとはな!! んんっ!! これも旨いっ!!」

 

 カガチは何も言わず、再び厨房へと戻る。その後ろ姿をハピネスは目で追いながら、ほんの少し失笑して口元を抑える。

 

「んん? どうかなされましたかな? 先導の審神者(さにわ)様」

「いや、何でもない」

 

 レピエンの間の抜けた顔から、ハピネスは顔を背けて手で表情を隠す。

 

「悪趣味な友人の気持ちが少しだけ分かった気がしただけだ。確かに、これは愉快だな」

「……? はあ」

 

 レピエンはキョトンとして首を傾げ、また何事もなかったかのようにテリーヌを頬張り出した。

 

 そんな彼等の足元にいた1匹の小さな(はえ)が、床スレスレの低空飛行で部屋から出て行った。蠅は廊下を抜け階段を降り、大浴場のボイラー室まで来ると一瞬で霧になり、文字通り姿を消した。そのボイラー室の中で、地下配管からの侵入に成功したラデックとゾウラがナハルの手元を見て感嘆の溜息を漏らす。

 

「蠅の死骸を使った盗聴ラジコン? 高位の念動と検索の複合魔法か……。流石使奴、恐ろしく器用だな」

「私も似たようなことやったことありますけど、太い枝を引き摺るのがやっとでした! ナハルさん凄いですね!」

 

 ナハルは使奴としての自分を褒められたことを不快に思いながらも、あまり気にしていないような素振りで2人から目を背ける。

 

「何の悪ふざけか知らないが、ハピネスが笑顔の国の国王であるのを良いことにレピエンを(ほだ)してる。カガチも付き合わされているようだし……。私達は”舞台セッティング”に回った方が良さそうだな」

「何故だ? あの2人が先に接触してくれているなら都合がいい。今急襲した方が良さそうなものだが……」

「ラデックさん。それだと王宮の従事者とも敵対しちゃいません? ナハルさんが言うには、ハピネスさんはポポロさんの帰国を騙っているんですよね?」

「使奴なら何やかんや上手いことするだろう」

 

 完全に使奴の性能頼りの発言に、流石のナハルも下唇を噛んでラデックを睨む。

 

「な、なんだナハル。ヒヴァロバみたいな顔をするな」

「ラデック……。ラルバが甘やかしているせいかどうかは知らないが、もう少し自分で先を想像しろ。何でも使奴任せでは将来やっていけないぞ」

「使奴任せじゃない。俺より優秀な人任せだ」

「お前……。この旅が終わったらどうやって生きていくつもりなんだ……。幾ら何でも将来のこと考えなさ過ぎだぞ」

「やめろ。時々思い出して嫌な気持ちになるんだ。将来のことは将来になってから考えたい」

「…………私もシスターも面倒見ないからな」

 

 そう吐き捨てると、ナハルはボイラー室の扉を開けて堂々と廊下を進んでいく。

 

「幸い私もゾウラもラデックも、レピエン側に顔がバレていない。大蛇心会の信者達とアファが上手く誤魔化してくれていたそうだ」

「さっきも言ったが、態々(わざわざ)ハピネスの悪ふざけに付き合う必要はないんじゃないか?」

「カガチがいなければそうしたんだがな……。彼女が我慢している横で好き勝手やるのも気が引ける。それに、上手いことやればヒヴァロバにイイ土産ができると思ったんだ」

「まぁ……そう言うことなら。それで、舞台セッティングというのは具体的に何をするんだ?」

「悪ふざけの内容にもよるが、イチルギやハザクラの手前、ハピネスとて全くの無正義とは行かない。最低限の正義っぽさは出す筈だ。それを、より盤石なものにする」

「どうやって?」

「この王宮は狭い割に人が多い。反乱を恐れてるのか権威をひけらかしたいのか、何にせよ逆効果だ。中途半端な隷属(れいぞく)は憎悪と不信を増長させる。衛兵に変装して軽く噂話を流すだけで充分だろう」

「……なんか陰湿だな」

「手段に陰湿も派手もないだろう。嫌ならラルバの温泉巡りにでも付き合ったらどうだ?」

「いや、いい。温泉坊主(アレ)と同じ湯で疲れが取れる気がしない」

我儘(わがまま)な奴だ……あれ、ゾウラは?」

 

 ナハルが振り向くと、ついてきている筈のゾウラがいつの間にか忽然(こつぜん)と居なくなっていた。

 

「さっきトイレに入ってたぞ」

「その程度で使奴が見失うものか」

 

 ナハルが通り過ぎたばかりの手洗い場に入ると、中には誰もおらず捻られた蛇口から勢いよく水が噴き出しているだけであった。

 

「ゾウラ?」

 

 ナハルが小さく呼びかけると、蛇口から噴き出る水が突如形を持って歪み、目の前で人の形になった。

 

「はい! 呼びましたか?」

 

 水はあっという間にゾウラの姿になり、いつもと変わらぬ朗らかな笑顔を浮かべた。ナハルは呆れて溜息を吐き、ゾウラの額を指で小突いた。

 

「黙って消えるな。お前に異能を使われると、使奴でも追跡が難しくなる」

「ごめんなさい! ちょっと気になることがあって!」

「何だ。気になることって」

「このお手洗いのお水って、温泉とは違うのかなーと思って」

「ん? ああ、そりゃそうだろう。生活水に使う細い水道管全てに温泉なんか流していたら、湯の華であっという間に詰まってしまう。交換費用が馬鹿にならないぞ」

「でも、根っこは一緒だったんですよ!」

「根っこ?」

「はい! 温泉の“根っこ”と、この蛇口の“根っこ”。2つとも同じ水源でした! なのに蛇口とお風呂で成分が違うなんて面白いですよね!」

「待てゾウラ。その“根っこ”ってなんだ。地下水脈のことか?」

 

 頭を抱え狼狽(うろた)えるナハルに、ゾウラはキョトンとした様子で答える。

 

「……? いえ? 地下深くにある施設です! 多分浄水場か何かですかね?」

「地下深くにある施設……? さっきの温泉用配管よりも深くにか?」

「はい! 多分距離にして……10km以上?」

 

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ジャハル・ラプー・シスターサイド)〜

 

 暗く湿った温泉配管の中を、氷で作られた船が闇を切り裂き滑走して行く。

 

「次どっちだラプー!!」

「右」

「右だな!!」

 

 ラプーの合図でジャハルが配管の曲面に沿って氷のレールを這わせ、氷の船の勢いを殺さぬままウォータースライダーのように配管の壁を滑り抜けて行く。そして直線ルートに戻ると同時にラプーが炎魔法を後方へ噴射し、轟音を響かせ加速して行く。

 

「もう少しの辛抱だぞシスター!! ラプー次は!?」

「3秒後に左」

「3秒後に左だな!!」

 

 ジャハルが再び氷のレールを作り出して船を操作し、ラプーがジェット噴射に強弱をつけて最低限の減速でカーブを曲がって行く。

 

「ラプー!! 次の指示を!!」

「………………」

「ラプー!? 早く指示を!! おい!!」

「……このまま真っ直ぐでいいだ」

「真っ直ぐ!? 壁にぶつかるぞ!?」

 

 船の進む先、ジャハルの目には、左右へと道が続くT字路の突き当たりが映っていた。

 

「ラプー!! どっちだ!!」

「真っ直ぐでいいだ」

 

 ラプーがジェット噴射を強め、船は突き当たりに向かって急激に加速する。

 

「ぶつかるぞ!!」

「平気だでよ」

 

 氷の船が配管に擦れ、摩擦熱で勢いよく溶け始める。

 

「ラプー!!!」

「舌噛むど」

 

 そして氷の船は

 

 壁に

 

 

 ぶつ

 

 

 

 かり

 

 

 

 

 粉

 

 

 

 

 

 々

 

 

 

 

 

 

 

 に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 ??? (イチルギ・ハザクラサイド)〜

 

 ジャハル達が温泉配管に侵入する少し前――――

 

「……これは」

 

 ハザクラの視線の先。温泉配管が突如“解けたセーターのように(ほつ)れて“なくなり、先には真っ赤に光り輝く洞窟のような光景が広がっている。()だるような蒸し暑さの中、先の景色を見ようと一歩踏み出すと、突然呼吸が苦しくなって眩暈(めまい)と共に膝をついた。そこへイチルギが駆け寄り、耐圧魔法を施して彼を抱き上げる。

 

「高気圧障害よ。ここは恐らく地下10km近い。自己暗示を掛け直したほうがいいわ」

「地下10km? そんなに潜った記憶はないが……」

「私もよ。多分、あの地下配管自体が何者かの力の支配下にあった。私達は、その主に招かれたんじゃないかしら」

 

 洞窟の天井は見上げるほど高く、所々から温泉配管の外殻が岩肌を突き破って見えている。洞窟内を真っ赤に照らす光源は見えないものの、岩肌が照り返す光の揺らめきは、どこか近くで炎が燃え盛っているように見えた。

 

 2人が光源を探して洞窟を進んでいくと、気温が上昇するにつれ炎の燃え盛る音と異臭も強まり、じきに大きく開けた空間に辿り着いた。そこでは、巨大な台座のような岩山から炎が轟々と音を立てて燃え盛っており、その真上の天井には鉄の塊のような巨大な何かが埋め込まれている。

 

「何かしら……あれ」

「何だと思うかね」

 

 イチルギの呟きに、どこからともなく響いてきた声。2人が身構えて辺りを見回すと、巨大な岩山の影から1人の男が顔の半分だけを見せてこちらを覗いていた。

 

「何だと、思うかね」

 

 しゃがれて枯れ切った獣のような声。髪の毛もなく、血走った目をした壮年の男の問いに、イチルギは深呼吸をして答える。

 

「恐らくは、“温泉の(まが)い物”。ここは温泉を作り出す地下施設。そして、貴方がその番人」

「…………温泉は、どうだったかね」

「入ってないわ」

「そうか。それは、良かった」

「良かった?」

「”人で沸かした風呂“など、誰が入りたいものかね」

 

 イチルギはハッとして炎の方を見た。強すぎる火力のせいで臭いが分かりづらかったが、確かにどこか”獣の焦げるような臭い”が漂っている。

 

 ハザクラは憤怒の形相で男を睨み、恫喝するように(おもむろ)に歩み寄る。

 

「お前……!!! 一体ここで何を……!!!」

「何を? そんなの、ワタシが知るものかね」

 

 男が目を伏せながら岩山に姿を消すと、ハザクラは走り出して後を追いかける。

 

「待て!!!」

「ならば聞こう。正義の味方達よ」

 

 ハザクラが岩山の向こうを見るより早く、”男が立ち上がる“。

 

「君等はここに、何しに来たのかね?」

 

 壮年の男の裸の上半身が露わになる。そして、ハザクラの方へと歩み寄るごとに、その姿が鮮明に炎に照らされて行く。

 

 男の腰のすぐ下には、女性の乳房と人間の胴体が付いている。胴体には両腕もついているが両足はなく、剥き出しの女性器だけが然るべき場所についている。そして、そのすぐ下にも同じような女性の胴体が、その下にも女性の胴体が。女性の胴体が胸元と腰で繋がってどこまでも伸び、(おぞ)ましいムカデの化物が姿を現した。

 

「なっ……!?」

 

 ハザクラは突然の異形の姿に、怒りも忘れて数歩後退(あとずさ)る。男は胴体から生える無数の腕を足のように(うごめ)かして地を這い、上体を高く持ち上げて2人を見下ろす。

 

 年老いた男の顔も、よく見れば片目が3個ついており、そのうちひとつの目玉は繰り抜かれている。耳も2つ余計に付いており、顎から首にかけては口が4つ、半開きのまま(よだれ)を垂らし続けている。そして腰から下には首と足の無い女性の胴体が無数に連なり、その華奢(きゃしゃ)な腕で岩山にしがみついている。

 

「答えよ。正義の味方よ。君等はここに、何しに来たのかね?」

 

 化物が上体を(もた)げ、ハザクラに顔を寄せる。

 

「もしかして、ワタシに、殺されに来たのかね?」



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136話 事の発端

〜爆弾牧場 ??? (イチルギ・ハザクラサイド)〜

 

 ぐらぐらと景色を揺らしながら踊り狂う大火。小さな岩山から噴火するように噴き出す炎は洞窟の内部を炙るように照らし、熱に焼かれた岩壁がギラギラと(またた)く。恐らくは地下数十km。気が狂うほどの高気圧に揺さぶられる視界。熱波。枯れ切った酸素。そんな地獄と呼ぶにふさわしい場所で、ムカデの化物が獄卒のようにイチルギとハザクラの前に立ちはだかる。

 

 「答えよ。正義の味方よ。君等はここに、何しに来たのかね?」

 

 ムカデの化物が上体を(もた)げ、ハザクラに顔を寄せる。

 

「もしかして、ワタシに、殺されに来たのかね?」

 

 上半身は髪のない壮年の男。しかしその下半身は、女性の胴体を無数に()()ぎ連ねた異形。その異形が、3つの右目と1つの左目で睨み、2対の耳を傾けながら、4つの口で問いかける。

 

「違う。俺達は、お前を止めに来た」

 

 ハザクラがそう返すと、化物は舌打ちをして背を向ける。

 

「ワタシが何をしているかも知らぬと言うのに、止めに来た……とは」

 

 イチルギがハザクラを追い越して前に立ち、化物を見上げる。

 

「私はイチルギ。世界ギルド元総帥の使奴よ。私達はこの国の噂を聞いて――――」

「世界ギルド?」

 

 イチルギの言葉を遮って、化物がふと言葉を漏らす。突然変わった空気の流れに、イチルギは思わず言葉を止めた。

 

 雰囲気がさっきまでと違う。先程までどこか諦めや気怠さを含んでいた化物の相貌(そうぼう)が、心に(ひび)を入れるような強い敵意へと変わっている。節目がちだった目は(まぶた)を切り取られたかのように見開かれ、(しわ)が刻まれたへの字口は筋肉が弛緩し半開きになって吐息を垂れ流している。

 

(ようや)く、漸く来たのか」

 

 化物が(おもむろ)に顔を寄せようとすると、ハザクラが攻撃の意思を感じて臨戦態勢を取る。が、落とそうとした腰は微動だにせず、体内を循環する魔力が蜂蜜のように粘つき鈍くなっていくのを感じた。イチルギの名を呼ぼうと息を吸い込むが、声はか細い吐息となるばかりで、舌は下顎にへばりついて離れない。そうしている間にも、化物はイチルギに顔を寄せて、恨めしそうに彼女の顔を覗き込む。

 

「この日を、この時を、どれほど待っていただろうか」

 

 化物が手をイチルギの頬に添える。イチルギも必死に抵抗しようと身体に力を入れているが、ハザクラと同じく指一本動かすことは出来ない。

 

「長かった……。長かった……!!」

 

 頬に這わされた皺だらけの(てのひら)が、首筋へと流れる。

 

「だが、もう……手遅れだ……!!!」

 

 化物の手が彼女の首を鷲掴みにし、ギリギリと力一杯に締め付ける。肉が裂け、指が喉にずぶずぶと埋まって行く。しかし、微動だにしないイチルギの身体では苦悶の表情を浮かべることすら許されず、彼女は気道から流れ落ちる血の感触に直立不動のまま耐えるしかない。

 

 化物は何かを(こら)えるようにパッと手を離し、ぜえぜえと荒く呼吸をしながらイチルギから離れる。

 

「いや、命だけでは不満だ。この世の何よりも、誰よりも、惨たらしく苦しんで、絶望して逝かなければ……ワタシの心は癒されん……!!!」

 

 岩山の頂上で燃えていた炎が爆発を起こし、大きな地響きを引き起こす。化物の怒りを代弁するかのように火炎が渦を巻いて昇り唸りを上げる。

 

「40年前、収集家ポポロが邪の道の蛇を潰して爆弾牧場を作り、恐怖政治によって国民達を支配している……。お前達はそう考えているんだろう。だが、それは違う。事の発端は40年前ではない……!! それよりももっと前、70年も前だ……!!」

 

 彼は手についたイチルギの血を拭い、その指に刻まれた“細かい切り傷”を見せつける。

 

「ワタシの名は“ディンギダル・レイティリエクス”。邪の道の蛇の2番狙撃手だ。さあ聞け正義の味方よ……。お前達の過ちを思い出させてやる――――!!!」

 

 

 

 

 

 ことの始まりは、今から70年以上も前。まだこの国が“邪の道の蛇”と言われていた頃だ。

 

 邪の道の蛇。弱者を食い物にする強者から逃れるため、大昔に虐げる側にいた強者の小間使い達が創った集落。当時でも人口僅か数百と小さい街ではあったが、近隣国の助けもあって、蒸気機関が扱われるくらいには文明のある国だった。あの頃は沢山の家族がいた。ワタシの妻であり遊撃隊長のウィガリア。娘のカフィス。大親父の頭領。遊撃隊。狙撃隊。魔術隊。斥候(せっこう)隊。諜報隊。給仕隊。前衛隊。後衛隊。今でも皆の名を呼べる。顔も覚えている。声も、好物も、誕生日も。全て覚えている。私達は血の繋がりがなくとも、同じ“傷”を結んだ家族であった。そこへ、忌々しいあの男がやってきた。

 

 “収集家ポポロ”。斥候隊があの男の難破船を救助したのは間違いだった。あの男は大親父の息子を人質に取り、“契約の異能”で大親父を傀儡(かいらい)にした。そして、大親父を使って魔術隊に契約を結ばせ、また魔術隊を使って後衛隊に契約を結ばせ……。家族の8割が奴の支配下に落ちるまで1ヶ月とかからなかった。

 

 ワタシと妻は娘と共に家を出た。他にも大勢の家族が逃げた。大親父を、捕まった家族を、隣を走る家族を守るために。他の国へ助けを求めるために。しかし、ポポロの支配欲は猟犬のように我々を追い詰め、逃げた家族も国を出る前に(ほとん)どが奴に捕まった。ワタシ達も海辺へ追い詰められ、もう望みは消え失せたかに思えた。

 

 だが、そこで微かな希望が見えた。北の海辺に、“境界の門”の派遣隊の船があるのが見えた。ワタシ達は一目散に船に駆け寄り助けを求めた。狼の群れの支配者……“紅蓮の青鬼”。その右腕が、境界の門にいるとの噂を聞いたことがあった。そんな猛者であれば、ポポロから家族を助けられると思った。

 

 だが、彼等はワタシ達を船に乗せることはなかった。

 

 境界の門が今回邪の道の蛇を訪れた名目は“偵察”であって“援助”ではない……と。偵察時には他国の物品を事前の許可なしに持ち帰ることは禁止されている。例え人間であっても、船には乗せられないと。

 

 彼等はワタシの血涙滲む嘆願を聞き入れはしなかった。それどころか、まるで卑しい物乞いを追い払うかのようにワタシの手を振り払った。今思えば、あの規則云々という回答も、面倒事を避けたいが故の詭弁だったのかも知れない。

 

 ワタシも、妻も、娘も、程なくしてポポロの傀儡達に捕らえられた。そして契約を結ばされ、もう誰もポポロに逆らうことは出来なくなった。

 

 今でも夢に見るのだ。余興と称して毒杯を飲まされ続ける後衛隊の姿を。毎日取っ替え引っ替えで夜の相手をさせられる娘達を。逃げた家族を捉えてポポロに差し出す斥候隊達の顔を。そして、それを何度目の当たりにしても、一歩とて助けに動けない愚かな自分の顔を。

 

 ポポロはワタシ達をさんざ(もてあそ)び調教した後に、一度国を去って行った。しかし、契約の異能で縛られたワタシ達は、その後もポポロの命令に従い国を栄えさせ続けた。決して悪夢が去った訳ではないことは理解していた。だが、それでも奴が国を出て行ったことを喜ばずにはいられなかった。幸いにも、もう2度とあの惨劇を見ずに老衰を迎えた家族も大勢いた。彼等を看取ることが出来たことが、今でもワタシの唯一の支えだ。

 

 そして30年後。何も知らぬ世代達で実りに実った我が邪の道の蛇を、ポポロが何食わぬ顔で支配しに帰ってきたのだ。

 

 奴が難破船に乗っていたのも、ワタシ達に契約を結ばせたのも、一度国を去ったのも、全ては、狼の群れが定めた国際条約に触れぬ為だった。訪問禁止。戦争禁止。侵略禁止。それら弱者を守るための条約も、邪の道の蛇自らポポロを招き入れ、自ら権利を差し出すならば抵触したことにはならない。そして一度でも権利を渡してしまえば、今度は他国からの調査を侵略だと言いがかりをつけて突っぱねることが出来る。弱者を守るはずの防壁が、弱者を逃さぬための檻となるのだ。

 

 

 

 

 

「ワタシは忘れない。ポポロに受けた傷を、奪われた家族を、この70年に(わた)る屈辱の日々を――――!!!」

 

 ディンギダルがその女性の胴体で連なったムカデの体を持ち上げ、威嚇するように無数の手を広げる。

 

「見ろ!!! この(おぞ)ましい体も、ポポロとの契約を守るためにやったことだ!!! “国民の代理出産”を命じられ、ワタシは“合体の異能”で幾人もの女達をこの身に宿してきた!!! 今も下の方の6節が身籠っている……!! その上の4節は先日出産を終えたばかり。その先からワタシまでは、今までの酷使に衰え二度と子供を授かることは出来ない……!! 「一体ここで何を」と、聞いたな。正義の味方よ……。見ての通りだ……!! 奴に命じられるがままに、女を己の身体に植え付け、渡された精子で子を孕み、奴に搾り取られるだけの!! 生まれながらにして奴隷である犠牲者を産み続けているのだ!!! この回答で満足かこの大マヌケ共!!!」

 

 ディンギダルの激昂と共に岩山が噴火し、熱波がハザクラ達へと襲いかかる。2人が灼熱の暴風に押し倒されると同時に、今まで自分達を縛っていた何かが消え去った。しかし、自由の身になった今でも、イチルギは立ち上がることすら出来なかった。

 

「イチルギは悪くない」

 

 そこへ、同じく自由を取り戻したハザクラが彼女を庇ってディンギダルの前に立ちはだかる。

 

「悪いのは収集家ポポロと、笑顔による文明保安教会だ。襲った相手を恨むなとは言えないが、助けてくれなかった相手を恨むな」

 

 ハザクラの凛とした姿に、ディンギダルは険のある顔で歯を擦り合わせる。

 

「あのような時代錯誤の国際条例を敷いておいて何を言うか。訪問禁止の条約のせいで、我々の助けを呼ぶ声は全て押し殺された……!!!」

「それで助かった国も沢山ある」

「ワタシ達は滅ぶ定めにあったとでも言うのかね!!!」

「どんな英雄でも全ては救いきれない!!」

「お前達は英雄などではない!!! お前等は……アイツらは……使奴は!!! ワタシ達人間を愛玩動物(ペット)に見立てた飼い主気取りだろうが!!!」

「違う!!!」

 

 ハザクラが血相を変えてディンギダルに吼える。しかし、ディンギダルは僅かに残っていた理性をも()べて怒りを爆発させる。

 

「違うものかね!!! 己の興味本位だけで人間を助け、子を作り、文明を進め、発展させ、思うように育たなかったら丸ごと見捨てた!!! そうして腐った掃き溜めの山が“狼の群れ”だろうが!!! 性善説前提のヌルい国際条約も放ったらかし……今までの大躍進が嘘だったかのような怠慢ばかりの政治ごっこに(かま)け、挙げ句の果てには“一匹狼の群れ”なんて諸悪の根源まで創り出した!!! 育み、見捨て、また拾ってきて、また見捨て…………これが愛玩動物(ペット)扱いでなければ何だと言うのかね!!!」

 

 ヴァルガンによる人間文明復興作戦。そうして、平和な世界を理念に創られた国際条約と“狼の群れ”。しかし、人間の愚かさによってそれは叶わぬ夢となった。自国の民に絶望したヴァルガンが、最後の希望を持って臨んだ“一匹狼の群れ”の建国。ヴァルガンの帰りを待って世界の維持を始めたイチルギによる境界の門の統治。そして、ヴァルガンの二度目の失敗。

 

 育み、見捨て、また拾ってきて、また見捨て……。

 

 ハザクラは胸の奥に針を刺されたような鋭い痛みを覚えた。バリア、ベル、イチルギ、そしてヴァルガン。今まで使奴自身の口から語られることでしか聞いてこなかったこの世界の歴史。知らぬ間に歪んでいた認知。自分の信じてきた使奴達の正義と過ちは、他者にとっては耐え難い屈辱の歴史でもあった。

 

「だ、だが……貴方もその使奴の尽力によって生かされてきたのだろう!?」

「愛情かけて育てた我が子ならば、熊と同じ檻に閉じ込めていいとでも思っているのかね? 確かにワタシ達は使奴がいなければ生まれてこなかっただろうが、ポポロだって使奴がいなければ生まれてはこなかったのだ!! 違うかね!!!」

「それは…………っ」

 

 ハザクラは気付いている。使奴の過ちに。イチルギの責任に。イチルギは人間だけで成立する政治形態を守るために全力で政治に取り組んでこなかった。それどころか、ヴァルガンの復帰を待つために世界の改善を放棄してきた。

 

 ハザクラは、ラルバがピガット遺跡でヴァルガンに言い放った言葉を思い出す。

 

「イチルギは善人だが、これ以上ないほどの悲観主義者(ペシミスト)だ。二者択一を嫌って両手を離すネガティブな自己愛に囚われている。そんな奴が、自ら進んで人助けなんぞするもんか」

 

 確かにイチルギは、今まで使奴の力を充分に発揮して政治に取り組むことはなかった。理由は山ほどある。ラプーのため。ヴァルガンのため。ハザクラのため。他の使奴達のため。だが、その“ため“の中に世界が入ったことは一度もなかった。彼女はヴァルガンと別れて以来、ずっと世界から目を背け続けていた。

 

 ディンギダルの話はこの上ない正論である。しかし、ハザクラは信じたくなかった。親愛なるイチルギの、バリアの、使奴達の責任にしたくない。認めたくない。しかし、その全てを解決する屁理屈は未だ見つからず、降参の合図として沈黙を回答として差し出す他なかった。

 

「正義の味方よ。これでもまだ”お前を止めに来た“などと世迷言を(のたま)うことが出来るかね」

 

 洞窟の中を、炎が燃え盛る音だけが響き渡る。ハザクラも、イチルギも、顔を伏せて微動だにしない。

 

 ディンギダルが右腕を高く持ち上げ、その先に桃色の焔を灯し始める。焔が渦を巻き、白い閃光を纏って膨らんでいく。その焔に2人は見覚えがあった。僅かに色が違うものの、焔の揺らめき方や輝きは、ピガット遺跡でキザンが発動した“死の魔法”そのものであった。

 

「もうお前達の顔など見たくない。今すぐこの世から消え去れ」



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137話 絶望の作り方

〜爆弾牧場 地下10km 代理出産倉庫 (イチルギ・ハザクラサイド)〜

 

 洞窟の中を、炎が燃え盛る音だけが響き渡る。ハザクラも、イチルギも、顔を伏せて微動だにしない。

 

 ディンギダルが右腕を高く持ち上げ、その先に桃色の焔を灯し始める。焔が渦を巻き、白い閃光を纏って膨らんでいく。その焔に2人は見覚えがあった。僅かに色が違うものの、焔の揺らめき方や輝きは、ピガット遺跡でキザンが発動した“死の魔法”そのものであった。

 

「もうお前の顔など見たくない。今すぐこの世から消え去れ」

 

 そしてそれを2人に向かって飛ばそうとした瞬間、イチルギの声が彼を制止させる。

 

「待って」

 

 イチルギが気力を取り戻したことにディンギダルは強い憤りを覚えつつも、焔を掻き消してイチルギを睨みつける。

 

「今更何だね」

「……もう止めるなんて言わない。許してとも言わない。でも、どうかひとつだけ願わせて。貴方を……助けさせて」

「手遅れだと言っただろう」

「まだよ。まだ……。だって」

 

 イチルギがゆっくりとディンギダルの方を指差す。

 

「貴方のすぐ下……最初に“合体”の異能で繋ぎ合わせた女性の身体は、奥さんの……遊撃隊長”ウィガリア・コンキスタスキル“の身体でしょう?」

 

 ディンギダルの瞳孔が僅かに開く。

 

「邪の道の蛇一のガンマン。“見切りのウィガリア”。誰もが防壁で銃弾を簡単に防げる魔術社会に()いて、早撃ち一本で戦い抜く彼女は境界の門でも有名人だったわ。”右肩を撃ち抜かれても“最前線を退かなかった勇姿から、不死鳥ウィガリアなんて呼ばれ方もしてたけど」

 

 ディンギダルの2本目の右腕。その付け根には、一部だけ色が抜けて変色した丸い傷痕がついている。

 

「でも、ウィガリアは死んだわけじゃない。貴方にまだ生かされている。貴方の“合体“の異能で、今も肉体を保ち続けている。ここから感じられる限り、波導もディンギダルのものとは全くの別物。他の節も、それぞれ別人の魔力が流れてる。それなら、もしかしたら、治せる使奴がいるかも知れない。私も探すわ。今度は使奴の全力を尽くして。だから――――」

「無理だ」

 

 言葉を遮って否定したディンギダルに、イチルギは慌てて言葉を続ける。

 

「まだ分からないわ。もしそれが“休眠”に数えられるものならピガット遺跡の異能者に――――」

「くどい!!!」

 

 ディンギダルが空を殴るように腕を振り払うと、イチルギは突如胸を押さえて倒れ込む。それをハザクラが咄嗟に抱えるが、彼女は息絶え絶えに血反吐を溢れさせた。

 

「イチルギ――――!!」

「無理だと言っているだろうが大マヌケめが!!! 何故考えない……!? ワタシが“最初の犠牲者に妻を選んだ”理由を!!!」

 

 イチルギが何かに気付いて目を見開きディンギダルを見た。

 

「“合体”の異能者はワタシではない……。これは、妻の、ウィガリアの異能だ――――!!!」

 

 

 

 

 ワタシとて最初は混乱していた。何せポポロから受けた命令は“国民の代理出産”だ。男であるワタシに何故そんな命令をしたのか。だが、ウィガリアの話を聞いて全てを理解した。ポポロは、この世で最も性格の悪い男だ。

 

 ウィガリアは合体の異能者だった。他者の肉体の一部を、自身の肉体に融合させる他者対象の異能。生涯それを隠し通していたが、ポポロに無理矢理白状させられていた。

 

 つまりポポロは、”妻を己の体に宿せ“と命令していたのだ。己の最愛の妻を使って、知らぬ男の赤ん坊を産み続けろという命令だったのだ。こんな屈辱があろうか。こんなに惨めなことがあろうか。ウィガリアを(はずかし)めるだけでなく、ワタシを苦しめるだけでなく、これから苦しむ国民を産み、己の悪行の共犯者にさせようなどと、一体どんな人生を送れば思いつくのだ?

 

 だが、ウィガリアは更に恐ろしいことを言った。自分が代理出産の役目を引き受けると申し出たのだ。当然ワタシは猛反対した。最愛の妻が、自分の知らぬ場所で知らぬ男の赤ん坊を産み続けるなど、口にしただけで卒倒してしまう。どうせ地獄を味わうのなら、ワタシ1人でいい。ウィガリアに地獄を歩ませたくない。だが、それはウィガリアも同じだった。ワタシに地獄を歩かせまいと、頑として聞く耳を持たなかった。そして彼女は翌朝にでもポポロに直談判をしに行くと言い始めた。ワタシにはもう選択肢がなかった。

 

 ワタシは、その日の晩にポポロの元を訪れた。部屋の中からは、嬌声(きょうせい)にも悲鳴にも聞こえる女性の声が響き、中で何が行われているのかは想像に難くなかった。廊下と部屋を隔てる薄い木の扉は、まるで鋼鉄のように重かった。

 

 前衛隊のマデュラ。狙撃隊長のギィリグル。見知った家族の見知らぬ裸。それを両手に抱え穢らわしい笑みを浮かべるポポロ。ワタシは奴を殴り飛ばしたい気持ちを必死に(こら)え、地に這いつくばって懇願した。代理出産はワタシがやる。だから、ウィガリアに代理出産を命じないでくれ――――と。マデュラとギィリグルが我が事のように涙を流してくれている中、ポポロは恍惚(こうこつ)の表情で笑ったのだ。恐らくは、この懇願も奴のシナリオ通りだったのだ。

 

 

 

 

 

「奴の“契約”は、“命令”と“代償”で構成される。命令に違反したことを咎められれば、強制的に代償を払うことになる。ワタシが課せられた命令は、“生涯に(わた)る国民の代理出産”。その違反時の代償は“娘の身柄”だ」

 

 この話の続きを、ハザクラは容易に推測出来ていた。ディンギダルの語る契約の異能は、恐らくハザクラの無理往生の異能の下位互換。無理往生の異能であれば承諾一つで命令を強制できるのに対し、契約の異能は違反というプロセスを挟まなくてはならない分発動が遅い。しかし、それはポポロにとってはデメリットではなかったのだろう。そのあまりにも惨い想像を否定したいがために、彼は言わなければ良かった筈の一言を投げかけた。

 

「………………っ。まさか、“次”のは……!!」

 

 ディンギダルが目を伏せて、己の“3節目”の胴体を撫でる。恐らくは、ウィガリアの、恋人の、次の被害者の身体――――

 

「ワタシはウィガリアを地獄から遠ざけるために、頭部を置き換える形で彼女に合体の異能を使用させた。生まれてくる赤ん坊のために乳房は残さねばならなかったからな。そして、その時にポポロの真の恐ろしさを知った…………!!!」

 

 バギッ!! と、音を立てて、ディンギダルの口元から歯の破片が零れ落ちる。

 

「奴は……ワタシに次なる契約を強要した……! 命令は“出産の禁止”……!! 代償は、“娘の身柄”!!!」

 

 噛み締めすぎたディンギダルの歯が更に砕け、歯茎に突き刺さって鮮血を溢れさせる。

 

「契約の異能は、相反する2つの命令を行える!!! そうなれば、ワタシはもう選ぶ権利などない……!!! ワタシは見誤っていた!!! あの男の底を!!! ワタシは当然娘を手にかけた……奴に奪われるくらいならと……ウィガリアから受け継いだ合体の異能を使い、己の身体に宿した!!! そこからはもう……分かるだろう……!?」

 

 ディンギダルが両手で顔を覆い、手の隙間から血と涙の混ざった雫を零す。

 

「奴の命令ではない……!! ワタシ自らやったのだ……!!! ティスキア……ウィルウィード……ジャクシズ……ヴェアスクラム……!! 奴の手から逃がすために……!! 他に方法がなかった……!! イルィット……カランレギア……レリア……!! 奴は、ワタシが自ら家族を襲い異形と化していく度に、指を差して嗤った……!!  マデュラ……ヒスカロッチ……ルルガラルア……!! 忘れるものか……!! 忘れるものかね……!!! この屈辱を!!! 苦しみを!!!」

 

 合体の異能で取り込んだのであろう女性の名を呟きながら、無数の手で愛おしそうに胴体を撫で、身体を伝い落ちる血を拭う。

 

「復活出来ると言うならさせてやりたい……ずっと願ってきた……!! そんな日を夢見て皆を大切に扱ってきた……!! この異形になってから、胴を地につけたことなど一度もない!! 愛する家族を地べたに擦り付けて寝られるものかね……!!」

 

 よく見れば、薄汚れて傷だらけのディンギダルの身体に対し、女性の肉体を持つ節々には擦り傷一つついていない。(てのひら)こそ肉体を支えるために汚れているものの、この灼熱の洞窟の中で数十年過ごしたというには不自然な清潔さを保っている。

 

「乙女の肌を傷物になどしようものなら、いつの日か再会した彼女らに何と言われるか……。だが、それも所詮は夢だ……。そして今、夢から覚める時が来た」

 

 ディンギダルが口に手を突っ込み、歯の破片を無理やり引き抜いて血を吐き捨てる。

 

「ワタシがウィガリアを手にかけてから数年後、境界の門が“世界ギルド”を名乗り、狼の群れと同盟を結んだ時、希望が見えた」

 

「それから数年後。世界ギルドが各国に派遣隊を送り調査を始めた時、地獄の終わりが見えた」

 

「それから数年後……。世界ギルドがスヴァルタスフォード自治区の内戦を治めた時、次に救われるのは自分だと確信した」

 

「それから数年後……。世界ギルドがグリディアン神殿の暴走を止めた時、良くない想像が頭を(よぎ)った」

 

 未だ口から血を滴らせながら、頭を低く下ろし顔を伏せる。

 

「ダクラシフ商工会の言い訳に世界ギルドが頷いた時、この想像が現実であると気付いた」

 

「愛と正義の平和支援会のハッタリを世界ギルドが見抜けなかった時、ワタシの前から希望が消え失せた」

 

「そして、笑顔による文明保安教会と世界ギルドが協定を結んだ時。希望を失って空いた穴に絶望が湧き出た」

 

 声は次第に震え出し、自らの胸に手を当て爪を立てて引っ掻き拳を握る。

 

「逆恨みなどと言ってくれるな。70年だ。70年待った。70年も待ち続ければ、助けを求め伸ばした手にナイフが握られていても不思議ではない。そうは思わんかね?」

 

 ディンギダルがハザクラに手を伸ばす。それを、ハザクラは避ける素振りもせずに呆然と眺めている。何かの異能にかかっているわけではない。ただ、目の前の彼に背を向けることがどうしても出来なかった。

 

 彼の恨みを否定することが、どれほどの侮辱になるか。家族を失い、さらに家族を失うために産み、仇に尽くさねばならなかった彼を、如何(どう)して否定できようか。

 

彼の恨みを認めることが、どれほどの軽蔑になるか。何の償いも救済もできない。そんな無力な傍観者の立場で、彼の心を如何して評価できようか。

 

 命を以て償うこと以外に、彼に何が出来るか。ハザクラはこの解決策を未だ見出せていない。故に、逃走も、抵抗も出来ない。

 

「家族への愛に、お前達への憎しみが(まさ)ってしまった。笑顔の妻よりも、娘よりも、お前達の死体が見たい」

 

 ハザクラの顔をディンギダルの手が覆う。

 

 逃げなければ――――

 

 ハザクラは必死に自分を説得するも、指は震えているのに足は一歩も動かない。

 

 世界を救うんじゃなかったのか? ディンギダルも救わなくては。

 

 イチルギとディンギダルのどちらが大事なんだ? 命を天秤にかけるべきじゃない。

 

 フラム・バルキュリアスとの約束はどうする? フラムさんだったらどうするだろう。あの人だったら……

 

 

 

 

 

「私も最初は君と同じように、あの娘達を助けたかったんだ」

 

「それを君は思い出させてくれた。だから君に手を貸したい。いや、手伝って欲しい。彼女達への償いの手伝いを」

 

「全てを君1人に任せてしまう事をどうか許してほしい」

 

「私もご両親共々、君の無事を心から祈っている。どうか君の願いが叶いますように」

 

 

 

 

 

 

 ディンギダルの手をハザクラが頭突きで弾き飛ばす。そしてイチルギを抱えて大きく飛び退き、足元に魔法陣を展開する。

 

「敗北を恐れよ……。死を恐れよ……。正義心を飼い慣らし、人道主義から己を守れ」

 

 魔法陣が閃光を伴って(きら)めき、検索魔法と混乱魔法が融合した白煙を噴き出し始める。白煙は周囲の景色を模倣し形を変え、(いびつ)な鏡のカーテンとなってハザクラ達の姿を眩ませる。

 

「危うく間違えるところだった。俺は、こんなところで足踏みをしている場合じゃない」

 

 精神を持ち直したハザクラを、ディンギダルが怨嗟の眼差しで睨む。

 

「……こんなところ? ワタシの愛する家族の墓場を、お前達が見捨てた犠牲者の墓場を、こんなところだと……!?」

「ああ、悪いなディンギダル。俺にもやるべきことがある。そのために、少しだけ邪の道の蛇のことは忘れさせてもらう」

 

 ディンギダルはハザクラの戦意に応えるように構え、両手の空間に(ひび)が入り始める。

 

「……これがお前の答えか。正義の味方よ。なんと、なんと浅ましいことか……!!!」

「短絡的は重々承知だ。最近は狂人と付き合いが多いせいか、こういう狂い方も覚えてしまった。だが、実際意外と便利だな。喉に刺さってた骨が取れた気分だ」

「ワタシにも一抹の情は残っていたが……、礼を言おう。心置きなくお前達を葬れる」

 

 ハザクラは失笑するように不敵に笑い、洞窟の天井を見上げる。

 

「律儀に押し問答に付き合い過ぎたな。ディンギダル。増援の到着だ」

 

 ハザクラが言い終わるよりも早く洞窟の天井から爆音が響き、天井に張り巡らされた温泉配管が砕けて中から3人の人影が落下する。

 

「ハザクラ!! イチルギ!! 無事か!?」

 

 落下してきたジャハルがシスターを抱きかかえて風魔法を展開し、ラプー共々受け止めてハザクラの背後に着地する。

 

「な、何だこの大ムカデは……!! イっイチルギ!? アイツにやられたのか!?」

 

 血塗れのまま動かないイチルギの姿に、半ばパニックになって慌てふためくジャハル。それを同じく狼狽(うろた)えながらも手助けするシスター。ハザクラは2人に背を向けたまま、ディンギダルを指差す。

 

「俺達は生きて帰る。お前はどうする? ディンギダル」

 

 ディンギダルは再び歯を噛み締め、塞がったばかりの傷口を圧迫して(よだれ)のように血を滴らせる。

 

「2人が5人になったところで何も変わらん……!!! 薪を()べる手間が省けたわ!!!」

 

 岩山で燃え盛る炎が噴火し、ディンギダルの手に吸い寄せられていく。烈火は一本の筋となって踊り、生き物のように(うね)りハザクラ達へと襲いかかった。

 

「さあ、反撃開始だ!! 行くぞラプー!!」

「んあ」



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138話 家族愛は何よりも尊い

〜爆弾牧場 代理出産倉庫 (イチルギ・ラプー・ハザクラ・ジャハル・シスターサイド)〜

 

 炎が生き物のように(うね)り、ハザクラ達へと襲いかかる。それをハザクラが防壁魔法で打ち消し、ディンギダルの足元へと潜り込む。同時にラプーが高く跳躍してディンギダルの頭部を捉える。

 

「させるものか……!!」

 

 ディンギダルはハザクラには目もくれず、目の前で魔法陣を浮かび上がらせるラプーに向かって念を送る。するとラプーの動きが突然鈍くなって、まるで時間が遅くなっているかの如く空中に縛り付けられた。しかしその直後、ラプーが跳躍のために踏み込んだ地面が紅く輝き、毒魔法で生成された大量の金魚を召喚した。それらはその場で閃光を放ち、弾丸のように勢いよくディンギダルに向けて発射される。同時に足元にいたハザクラも土魔法を発動し、地面から土の針を大量に生成して射出した。金魚に気を取られていたディンギダルの防壁魔法は間に合わず、長い胴体と無数の腕を針が貫く。

 

「がっ……! か、体が!! ヒスカロッチ!! ルルガラルア!! アテランカ!!」

 

 負傷した胴体の持ち主であろう女性の名前を叫び、ディンギダルが怒りに任せて爆発魔法を連発する。

 

「よくも、よくもワタシの家族を!!!」

 

 爆炎がハザクラとラプーを焼き、爆風が後方にいたジャハルとイチルギを吹き飛ばす。イチルギがジャハルを守ろうと防壁魔法を展開するも、同時にディンギダルが防壁魔法の内側を爆発させ、もう一度2人を吹き飛ばした。

 

「ぐっ……!! あっ!! イ、イチルギ!!」

 

 ジャハルが何とか受け身をとって顔を上げると、爆風によって上半身を失ったイチルギの下半身が転がっていた。ジャハルを庇ったことで爆炎によって傷跡は真っ黒に焦げ付き、血の一滴すら流れていない。思わずジャハルが手を伸ばすと、続けて発生した爆発によって吹き飛ばされたラプーが目の前に転がってきた。

 

 ラプーも至近距離で爆発を受けたようで、体の左半分が削れて焼け焦げ、腕は最早原型を留めていない。しかし彼はイチルギに一瞬目を向けた後にすぐさま立ち上がり、回復魔法で一瞬で腕を再生させてディンギダルに向かって走り出した。

 

 仲間を心配している場合ではない。戦わねば死。全滅。今目の前にいる人物は、メギドよりも、ハイアよりも、ベルよりも、恐らく今まで出会った誰よりも強い。ラプーの背中に勇気を貰ったジャハルは、イチルギが再生を始めているのを視界の端で確認し、”自分よりも早く覚悟を決めていた仲間“の手助けのために背中の大剣を構え地面を蹴った。

 

「重刀式断術奥義……」

 

 ディンギダルから数m離れた地点で大剣で空を切り上げ、ボソボソと呟きながら振り下ろしの姿勢を取る。

 

「―――― 氓礐變譱(ぼうごくへんぜん) 狂濤(きょうとう)(おと)し」

 

 ジャハルの力強く踏み込まれた右足が地を割り、背負い投げの要領で大剣が振り下ろされる。一切の魔力を伴わない見知らぬ剣術に、ディンギダルは思わずジャハルの方へ視線を向け防御の態勢をとった。しかし――――

 

「なんちゃって」

 

 ジャハルの不適な笑み。大嘘の技名と共に振り下ろされた大剣は、虚空を割いて地面を軽く(えぐ)ったのみ。この時、刹那(せつな)の油断が命取りになる死闘に一瞬の隙が生まれた。

 

「ストロボ――――!!」

 

 シスターがディンギダルの胴体に手を添え、異能を発動した。直前の記憶を消去し続けることで、擬似的に相手の時間を止める記憶操作の応用。

 

「“リオルドラーマ“に触るな!!!」

 

 しかし、記憶操作はディンギダルではなく胴体として吸収された女性を対象としてしまった。結果、ディンギダルの動きは止まることはなかった。ディンギダルがシスターに手を(かざ)すと、シスターは土魔法によって発生した地面の隆起によって弾き飛ばされた。それをハザクラが壁に激突する寸前で抱きかかえ、壁を蹴ってディンギダルから離れる。

 

「大丈夫かシスター!! すまない、無茶をさせた!!」

 

 シスターは息も絶え絶えに身体を震わせ、焦点の合っていない両目でハザクラを見る。それは痛みに(うめ)くと言うよりは、恐ろしい何かを見たことによる苦悶(くもん)の表情に似ていた。

 

「ち、違うんです……ハザクラ、さん。あの方、あの方は……!! ああ、どうして……!!!」

 

 記憶操作の異能。その発動条件を満たしたことで、彼はほんの少しだけだが記憶を読み取ってしまった。ディンギダルのものではなく、彼が触れた胴体の持ち主、リオルドラーマの記憶を。

 

「ディ、ディンギダルさんは……ディンギダルさんが、処刑の代行者――――!! リオルドラーマさんの異能は――――」

「黙れ!!!」

 

 シスターの声を遮ってディンギダルが異能を発動する。途端にシスター達の体は土に埋められたかのように固まり、甲高い耳鳴りと共に襲ってきた暗闇が視界を覆い尽くす。そして次第に重力も、己の手足の感覚も無くなっていく。

 

「ハ、ハザクラ、さん……!? そこに、いますか……!?」

『ぐ、クソっ……!! シスター!! 動けっ……!!!』

「は、はいっ……!」

 

 ハザクラの無理往生の異能による状態異常の解除。しかし、それも100年近く生きてきたディンギダルの“鈍化の異能”を超えることは出来なかった。指定した範囲内の空間に粘性を持たせる、範囲対象の変化系。長年の修練によって複数指定が可能となった今、ジャハルも、ラプーも鈍化に囚われて身動きが取れずにいる。

 

「黙れ黙れ黙れ黙れっ……!!! お前達などに、ワタシの苦しみを語られて(たま)るか……!!! 気安く触れられて堪るものかっ!!!」

 

 ハザクラとシスターの頭上に大岩が召喚される。それを、落下が始まる前にイチルギが蹴り砕いた。

 

「っ……! 死に損ないが!!!」

 

 上半身が黒痣に覆われたイチルギが、髪を解いてディンギダルの前に立ちはだかる。既に戦意を喪失していると思い込んでいたイチルギの復活に、ディンギダルは憤りを露わにして睨み付ける。

 

 突如、ディンギダルの足元から触手のように伸びてきた鎖が、その長い胴体を縛り上げる。続けて無数の槍が身体を貫き、彼を空中に拘束した。バリアが人道主義自己防衛軍でベル相手に見せた、対使奴用魔法の劣化版。見よう見まねで発動された非物体の槍と鎖は、ディンギダルの魔力を(たちま)ち吸い上げ閃光を放つ。

 

「鬱陶しい……! 忌々しい……!! 今更何だと言うのかね!!」

 

 ディンギダルはどうにかして拘束を脱しようと藻搔(もが)くが、複雑な魔法式で構築された槍と鎖は一切微動だにしない。

 

「ワタシを見捨てておいて、ワタシ達を見捨てておいて!! 今更、今更何が出来ると言うのかね!!!」

「貴方が処刑の実行者なら……世界ギルドの元総帥として、放っておくことは出来ないわ」

「詭弁も(はなは)だしい!!! 何が元総帥だ!!!」

「悪かったわね!! もう、自分を言いくるめでもしないと、前を向けないのよ!!!」

「知るか大マヌケがっ!!! 償いを望むなら……黙って殺されろ!!!」

 

 岩山の噴火と共に、天井の温泉配管が砕け数十体の温泉坊主が落下してくる。温泉坊主達は両足を暴れさせて何とか起き上がると、ディンギダルを守るようにイチルギを取り囲んだ。

 

「まさか……これは、“余り”の部位を……!?」

 

 巨大な頭部に、こめかみから伸びる一対の両足。それは、ディンギダルに合体の異能で吸収された女性達の体には“無い”部分であった。

 

「ディンギダル……聞いて!! ポポロはもう死んだの!! もう、苦しむ必要はないのよ!!!」

「それがどうした」

「……!? どうしたって、貴方……一体どう言うつもり……!?」

「どう言うつもりも何も……。見ての通り、聞いての通りだ……」

 

 温泉坊主達は一斉に口を開け、甲高い絶叫を上げる。

 

「うっ――――!!!」

 

 使奴の可聴域ギリギリの高周波に怯んだイチルギ目掛けて、温泉坊主達が口を開けたまま飛びかかった。そして、(からす)の死体を頬張る野良猫のように無造作に(むさぼ)り始める。

 

「言っただろう。家族への愛に、お前達への憎しみが(まさ)ってしまったと」

「そんなことないわディンギダル!! 奥さんのことを、娘さんのことを思い出して!! 蛇の道の蛇の皆のことを!!」

「黙れ」

「まだ間に合うわ!! 家族をこんなにされて……黙っていられないでしょう!?」

「黙れ!!!」

 

 ディンギダルの叫びと共に、温泉坊主達は勢いを増してイチルギを噛み砕く。

 

「性奴隷如きが、家族を語るな!!! 人の形をしただけの精液袋に!!! 家族の価値が分かるものか!!! 性欲を満たす為だけに性行為を重ねるお前らに!!! 家族の尊さが分かるものか!!! モノを言うダッチワイフ如きが!!! 家族を!!! 語るな!!!」

 

 (おぞ)ましい咀嚼音(そしゃくおん)を奏でる温泉坊主の群れを眺めながら、ディンギダルは荒らげた呼吸を何とか落ち着かせ、頬の内側を噛んで独り言つ。

 

「はぁっ……はぁっ……。はぁ…………。知っていたよ。ポポロが死んだことなど。だが、もう遅い。契約の異能は未だにワタシを縛り付け、愛した家族はこの有様。産み落とした国民も、誰一人としてワタシの顔など知らず、この異形を受け入れてくれる世界など存在しない。もう、助かりたいのか、恨みたいのかも分からない。ワタシは、空っぽになってしまった」

 

 背後に気配。しかし、ディンギダルは振り向かない。背中に何かが突き刺さり、金属の(つる)が胸を破いて飛び出した。鈍化の異能を脱したラプーの土魔法。それは細い(つた)となってディンギダルの身体中に伸びていき、無数の炎魔法の花を咲かせた。

 

「だから、復讐だけでも果たしたい。このままでは終われん」

 

 温泉坊主達が風魔法の突風で弾き飛ばされ、身体中血に塗れたイチルギが姿を現す。ディンギダルは炎に包まれたままイチルギに目を向け、歯を剥き出しに笑って見せる。

 

「この爆弾牧場の国民全員を道連れにしてやる。爆発の異能で、無意味に殺してやる」

 

 憎しみに染まったディンギダルが見せた最初で最後の笑みは、どの怒りの表情よりも醜く悍ましかった。

 

『やめろディンギダル!!!』

 

 鈍化の異能から解放されたハザクラが、ディンギダルに向かって異能で語りかける。だが、ディンギダルは炎の中で狂ったように笑い声を上げた。

 

「はははははははは!!! お前の所為(せい)だぞイチルギ!!! お前が邪の道の蛇を見捨てたから!!! お前が見て見ぬフリをし続けたからだ!!! お前の所為で、お前の我儘(わがまま)で、罪のない大勢の人間が無惨に砕け散る!!! はははははははは!!!」

 

『まだやり直せる!! ディンギダル!! 俺の命令に従え!! 俺がお前を救う!! ディンギダル!!!』

「ははははは!!! 無駄だ!!! みんな!!! みんな死ぬのだ!!! お前の所為で!!! お前ひとりの所為でだ!!! はは、はははは!! ははははは!!!」

 

 ディンギダルの笑い声が、焦がされて次第に掠れていく。炎に焼かれ死を迎えゆく彼に、誰も手を差し伸べることは出来ない。イチルギも、その場のへたり込んだまま声を発することもできず、ただただディンギダルの高笑いを聞いている。

 

「終わ、り、だ!!! ぜん、ぶ!!! お、まえの、せいだ!!! イチ、ルギ!!! おまえ、の、せい、だ!!! はは、ははは、ははははは、はは!!!」

 

 イチルギの頭の中にディンギダルの笑い声が木霊(こだま)する。

 

 お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。

 

 側でハザクラが何かを言っている気がする。しかし、イチルギにはその声は届かない。彼女の目に映るのは、燃え盛りながら笑い続けるディンギダルと、その遺言のみ。そして、ディンギダルが倒れ込む直前。視界が一瞬で暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン 北区 旧温泉街 銭湯”渾混堂(こんこんどう)“跡地〜

 

 ふと気がつくと、イチルギ達はいつの間にか地上に戻ってきていた。ディンギダルの“迷宮の異能”が解除されたことにより、イチルギ達の足元に埋まっている温泉配管は、何処にも繋がらない短い数mのパイプとなってボロボロに崩れている。辺りを埋め尽くす瓦礫や廃墟には雪が積もっており、青空には燦々(さんさん)と太陽が輝いている。

 

 全員が狐につままれたように固まるも、ハザクラがハッとして立ち上がり、西区の方に目を向ける。

 

「い、急がなくては……!! 今頃街は大パニックだぞ!!」

 

 ハザクラが走り出そうとしたその瞬間。街の方から空砲が打ち上がるのが見えた。

 

「……何だ?」

 

 続いてカラフルな昼花火も複数打ち上がり、微かではあるが金管楽器のような音色も響いている。ハザクラが状況を飲み込めずにいると、シスターが恐る恐る口を開いた。

 

「…………恐らくディンギダルさんは……。国民を殺さなかったんだと思います」

「殺さなかった……? 最期に、思い留まってくれたのか……」

「イチルギさん」

 

 シスターに呼ばれ、イチルギは茫然自失のまま顔だけをシスターの方に向ける。

 

「イチルギさんは、”親子矛盾(おやこむじゅん)“という性質をご存知ですか?」

 

 無言のイチルギの代わりに、ジャハルがシスターに答える。

 

「自己対象の異能が、胎児にも影響を与える……というやつか。稀にではあるが、出産後も自己対象の異能に子供を含めることが出来る場合がある」

「そうです。半分以上オカルトの話ですが、旧文明ではもう少し研究が進んでいたんじゃないですか?」

 

 イチルギは視線を逸らして目を伏せ、ポツリポツリと語り始める。

 

「…………親子矛盾は、子供への愛情が高いほど発生する確率が高い。心の繋がりが、自己と子の同一化を促してしまう。とある滅んだ国の人体実験では、ひ孫の代まで親子矛盾が適応されたケースが確認されているわ……」

「そうですか……。ディンギダルさんは、子供への愛情が、特に大きかったんだと思います。だって、彼が処刑に使っていた異能。リオルドラーマさんの異能は……。”自爆の異能“でしたから」

 

 イチルギがバッと顔を上げてシスターを見る。

 

「自爆……!?」

「ディンギダルさんは、子供達のことを本当に愛していたんだと思います。子が自分のことを知らなくても、血の繋がりは、彼にとってこの上なく尊いものだった。愛した子供達をポポロの命令で自爆させるのは、言葉じゃ表せない苦しみだったでしょう……」

「そんな……そんな……!!」

 

 イチルギの両目から涙が零れ落ち、それにつられてシスターの頬にも涙が伝う。

 

「家族への愛に憎しみが(まさ)ったなんて嘘っぱちです……!! あの人は、どんなに惨めで、苦しくて、憎んでも、家族への愛だけは何よりも強かった!! ポポロなんかに負けていなかった!!」

 

 イチルギは目を強く(つむ)り、幼子のように声を上げて泣いた。声を上げて涙を流したのは、彼女にとって初めてのことであった。200年を超える長い人生で、初めて大声で泣いた。その頭の中には、ディンギダルの最期の言葉が浮かんでいた。恐らくは、掠れ切って誰にも聞こえていなかったであろう、彼の本当の遺言。

 

 

 

 

 

「もう、ワタシのような人間を生み出さないでくれ」



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139話 内側から

〜爆弾牧場 まほらまタウン西区 王宮内部〜

 

「おーい。交代だぞ〜」

 

 王宮の東門を警備している衛兵に、別の衛兵が近寄って兜を小突く。

 

「む。もうそんな時間か」

「そんな時間かって……ああ、お前新入りか。昼の鐘が聞こえただろ? もう今から食堂行っても(ろく)なもの残ってないぞ」

「ああ、それなら心配ない」

 

 衛兵が(ふところ)から丸まった紙ゴミを取り出す。

 

「さっき菓子パンを食べた。夜までなら保つ」

「おまっ……何警部中にパン食ってんだ!! レピエン国王に見つかったら裸吊の刑だぞ……!?」

「大丈夫だ。これはさっきハピネス様に頂いた物だ」

「ハピネス様が!? 何でまた!?」

「朝飯を食べたかと聞かれて、食べてないと言ったらくれた」

「マジかよ……。いいなぁ……」

「なあ、正直どっちがいいと思う?」

 

 紙ゴミをしまい、彼はどこか遠くを見ながら呟くように問いかける。

 

「何が?」

「レピエン国王とハピネス様だ。王として、どっちが相応しいか」

「ばっ……!!! お前なんてことを言うんだ……!! 他の奴に聞かれたらどうする……!!」

「別に構わない。みんな心の中では思ってることだろう。俺は断然ハピネス様を選ぶ。俺みたいな新入りの衛兵にも優しくしてくれるし、近衛の連中なんか訓練後と就寝前で2回も風呂に入らせてもらったそうだぞ?」

「マジか!?」

「巡回警備隊のミスも帳消しにしてもらったらしいし、給仕隊は来週から1週間特別休暇だそうだ。それと、今月限りだそうだが結構な額の臨時給金も出るらしい」

「うっはぁ……。そりゃお前……選択肢がないじゃん……」

「もしこれが俺たちを油断させる策だったとしても、釣られずにはいられないよな……」

「そりゃあそうよ……。マジかぁ……。臨時給金かぁ……取り敢えず今期の税金の心配はしなくていいなぁ……」

 

 2人とも呆けて空を眺め、そのうちに先にいた衛兵が休憩の為に王宮の中に入って行く。そして無造作に兜を脱ぎとり、掃除用具が閉まってある倉庫へと身を隠した。

 

「お疲れ様、ラデック」

 

 そこには、先回りしていたナハルが色の違う鎧を持って待っていた。

 

「次は近衛兵だ。彼等は規律が厳格で溶け込むのは容易じゃない。4階の休憩室で無口な反抗期を気取っていけ」

 

 ラデックは脱いだ衛兵の兜をナハルに手渡すと、鎧を着替えながらぼやく。

 

「これ、本当に意味あるのか? 臨時給金だの休暇だの、すぐに嘘だとバレてしまうぞ?」

「嘘は少しくらい過剰でも魅力的な方がいい。どうせ兵隊の殆どは激務に辟易(へきえき)している。ああいう状態の人間は疑うよりも信じたい気持ちの方が強いんだ。それに、ハピネスの行動が私の推測通りなら、奴が裏切るまであと数時間もない」

「昨日の今日でもう裏切るのか……。手が早いと言うかせっかちと言うか……」

「無駄なことをしたくない……と言うのもあるだろうが、一番はラルバに横取りされない為だろう。あの暴君がいつ温泉旅行に飽きてこっちに来るか分からないからな」

「……弱いものイジメが趣味の人間が仲間に2人もいるのは居心地が悪いな」

「じゃあせめてラルバだけでも改心させろ。お前が一番信頼されているんだから」

「それが出来たら苦労しない」

「苦労してないだろう」

「したくない」

「しろ」

「やだ」

 

 ラデックが着替え終わると、洗い場の蛇口からひとりでに水が噴き出した。それは(たちま)ちゾウラの姿となって、2人の前に着地する。

 

「戻りましたー! 今日の警備巡回表見つけました! 今からだと、4階の銃火器倉庫が2時間近く警備から外れます!」

「おかえりゾウラ。ありがとう」

「それと、親衛隊のお洋服持ってきました! あと金庫からお金も!」

 

 ナハルがゾウラから鎧と札束の入った袋を受け取り、彼の頭を撫でる。

 

「ああ、ありがとうゾウラ。……意外と多いな。そしたらこのお金をハピネスかカガチに渡してきてもらえるか?」

「分かりました! いってきまーす!」

 

 ゾウラが蛇口に触れると、全身が一瞬で水に変化して蛇口に吸い込まれた。

 

「じゃあラデックも行ってきてくれ。私は4階の銃火器倉庫に移動する」

「ん。あんまり期待するなよ」

 

 

 

 

 

「な、な、無い〜!!! 俺の金がぁ〜!!!」

 

 レピエンは空になった金庫を見て絶叫する。そして、怒りに我を忘れて王宮内にいた兵隊全員をエントランスホールに集結させた。

 

「お前らの中にぃ……俺の金を盗んだ奴がいるっ!!! 誰だ!!! 協力者がいるはずだ……!!! 怪しい奴を知っている奴は名乗り出ろ!!!」

 

 レピエンは宝石が散りばめられた散弾銃を振り回して、手当たり次第に兵隊を殴りつける。

 

「お前か!!! 疑わしい奴を言え!!! おい!!!」

「わっ私ではありません!! 痛っ!! 違いますっ!!」

「ちちちち違いますっ!! 私じゃないっ……」

「じゃあ誰だと言うんだ!!! 俺が狂ってるっつ〜のかぁ〜!?」

「やめて下さいっ……!! 我々は朝からずっと一緒にいました!!」

「あぁ〜!? ずっと一緒だぁ〜!? クソ怪しいなぁ〜!?」

「そ、そう言う意味じゃっ……!!!」

 

 そこへ、混乱を切り裂くように奥からハピネスが姿を現した。

 

「騒がしいですね」

「せ、先導の審神者(さにわ)様!!」

 

 レピエンは途端に鬼の形相を引っ込めて、媚び(へつら)う悪餓鬼のようにハピネスの足元へと擦り寄った。

 

「こいつらがっ……こいつらが俺の金を盗んだんだ!!!」

「ええ、知ってます」

「生かしてはおけんでしょう!? って……え?」

 

 ハピネスが物陰にいたカガチに合図を送ると、カガチはゾウラから受け取ったであろう札束の入った袋を、そっくりそのままレピエンへと放り投げる。

 

「あっ……! 俺の、俺の金っ!!!」

「ありがとうカガチ。犯人は分かっています。さっき取り返しておきましたよ」

「殺す……!! 殺す殺す殺す殺すっ!!!」

 

 レピエンがハピネスの真横に立って散弾銃を兵隊達に向ける。

 

「どいつですか!? 先導の審神者様!! この俺に楯突くゴミ虫はっ!!!」

「言いません」

「なっ何故ですか!?」

「意味が無いからです」

 

 ハピネスはレピエンから散弾銃を取り上げ、カガチに手渡す。

 

「皆の前で盗人を見せしめに殺したとて、この国にメリットがない。それよりも、過ちを許して今まで通り懸命に働いてもらう方が有益です」

「裏切り者はまた裏切る!!」

「別に気にしません」

「は、はぁ……!?」

 

 額に(しわ)を寄せて間抜け面を晒すレピエンに、ハピネスは大きく溜息を吐いて蔑みの眼差しを向ける。

 

「貴方の役目は何ですか? レピエン。この国の支配ですか? 違うでしょう? 国王の役目は、国を繁栄させることでしょう?」

 

 ハピネスはレピエンの肩を押して退(しりぞ)かせ、未だ怯える兵隊達に向かって迎え入れるように両手を広げる。

 

「その膝をつかせるのは、服従ではなく忠誠でありなさい。その身を震わせるのは、恐怖でなく歓喜でありなさい。零す涙は、悲しみではなく感動でありなさい。繁栄は、集団の幸福によって作られる。集団の幸福は、個の幸福によって作られる。私が望むは、皆さんひとりひとりの真の幸福です」

 

 演説が終わりハピネスが両手を下ろすと、兵隊達は歓声を上げて両手を突き上げた。

 

「うおおおおおお!!! ハピネス様ばんざーい!!!」

「ハピネス様万歳!!! ハピネス様万歳!!!」

「一生貴方について行きます!!!」

 

 その中に混じっていた変装したラデックも、思わず呆けながら小さく手を叩いて称えた。

 

「凄いな……本当に1日ちょっとで全兵力を手懐けてしまうとは……」

 

 拍手と歓声が鳴り止まぬエントランスホールから、ハピネスが微笑んだまま背を向け、未だ狼狽(うろた)えているレピエン国王を引き連れて、階段を登り廊下への扉に手をかける。そして、兵隊達の方を振り返り一言だけ言い残した。

 

「全国民へ通達を。2時間後に王宮広場にて式典を行います」

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン西区 王宮広場〜

 

 太陽が燦々(さんさん)と輝く青空に、数発の昼花火が打ち上がる。青、赤、黄、緑の煙が空を彩り、音楽隊によるファンファーレが広場中に響き渡る。“式典”とだけ聞かされて集められた国民達は、レピエン国王の催し物というだけで華やかな演奏にも身を震え上がらせ怯えている。そこへ、王宮の方から移動式のステージが兵隊達によって運ばれてきて、その後ろからハピネスとレピエン国王がゆっくりと歩いてくる。国民達は(ひそ)めた眉を隠すように膝を折り、頭を下げて2人の前に平伏す。

 

 ハピネスとレピエン国王がステージに上がるタイミングで演奏が終わり、兵隊達も黙って2人を見守っている。兵隊達も式典の内容を聞かされておらず、国民達と同じく口を結んで押し黙っている。ただ、彼らは国民達と違い、ハピネスによる演説を聞いている。故に、彼等の膝を僅かに震えさせているものは恐怖ではなく期待であった。

 

 兵士達の熱を持った期待の眼差し。国民達の恐怖の沈黙。相反する感情を浴びながら、ハピネスは微笑みを浮かべたまま一歩前に進んで、拡声器代わりに強化魔法を発動する。

 

「爆弾牧場の皆さん。初めまして。私は“先導の審神者”。笑顔による文明保安教会の国王、ハピネス

レッセンベルクです」

 

 国民達の間に一瞬だけ(どよ)めきが起こる。それはすぐさま収まるが、表情には隠し切れない混乱が刻まれている。

 

「お忙しい中、急な集会にも(かかわ)らずご足労いただき、誠に有難う御座います」

 

 予想とは遠く離れた謙虚な発言に、国民達は顔を上げてハピネスを見やる。先導の審神者と言えば、皇帝ポポロを始めとした、笑顔の七人衆を束ねる十悪五逆に通ずる巨悪の権化。そんな世界の支配者と呼ぶに相応しい悪魔の言葉は、思ったよりもずっと穏やかで優しいものだった。

 

「この国の現状を一通り確認させて頂きました。給与に見合わぬ重税。冷酷な福祉。虐殺(まが)いの罰則。到底、許すことは出来ない悪行です。皆さんには、本当に申し訳ないことをしました」

 

 皇帝ポポロより上の人間からの反省の言葉。兵隊達が心の中で歓声を上げ、国民達は驚いて息を呑んだ。そして、誰よりも驚いていたのは、ハピネスのすぐ後ろで演説を聞いていたレピエン国王である。

 

 話が違う――――――――

 

「幾ら笑顔による文明保安教会から距離があるといっても、過去の王達が一度も視察に来ることがなかったなど怠惰の極みであり――――」

 

 レピエンが当初聞いていた式典の内容は、国民達への認識の改竄(かいざん)。独裁政治の数々を口八丁で正当化し、恐怖政治から自主的な奉仕を主とした上辺だけの民主主義を騙る筈であった。

 

「今後税金は半分に減額。王宮の金庫も解放して、インフラ整備と福祉に尽力し――――」

 

 今の裕福な暮らしをそのままに、国民を煽って自己犠牲の精神を増幅させる。何とも甘美で魅力的な案だった。出来過ぎた話ではあったが、天下の先導の審神者が言うことであればと盲信していた。

 

「それと、人道主義自己防衛軍による政治介入も検討しており――――」

 

 舌先三寸で言い包められていたのは、他ならぬレピエンひとりだけであった。

 

 王宮広場に響き渡る歓声。号泣の声。いつもなら指先ひとつ動かさずに彫像と化している兵隊達も、今回ばかりは感情を剥き出しに国民達と一緒になって拳を掲げて歓声を上げている。

 

 国民の顔に色が戻る度に、レピエンの顔から色が抜けてい行く。国民が涙を流すほどに、レピエンの額からは汗が滴り、国民の声が大きくなるほどに、レピエンの耳から音が消えて行く。

 

 そして、レピエンは今更ハピネスに裏切られたことを実感し、彼女を殺害しようと指を差して呪文を唱え始める。その動作を見た国民達は一斉に悲鳴を上げて退(しりぞ)き、兵隊達も血相を変えて武器を構えた。

 

「きっきききき貴様まままままっ……!!! よよよよっよよよくも俺をををををを……!!!」

 

 レピエンが指を突きつけたままハピネスへと(にじ)り寄るが、当のハピネスは微笑んだまま動かない。

 

「何をしているんです? レピエン」

「死ね!!! 死ね死ね死ね死ね!!! お前らもだ!!! 全員“契約違反”で死ねぇ!!!」

 

 国民達は身を屈めて震え、兵隊達も尻餅をついて(うずくま)る。しかし、ハピネスだけは一切怯むことなく、それどころか顔を片手で覆って笑いを(こら)える。

 

「くくくくくく……」

「なっ……何が可笑しい!!!」

「何って……レピエン。お前、まだ“自分に異能があると思い込んでいる”のか?」

「………………あぁ!?」

 

 レピエンは確かめるように何度も指を突き出してハピネスを指差す。しかし、ハザクラ達がディンギダルを討伐した今、レピエンの呪文を地下で聞き取る“温泉坊主”も居らず、当然合図を知ったディンギダルの“自爆の異能のよる処刑”は行われない。そして何より、当然ながらハピネスはディンギダルの子孫でもない上に契約も交わしてない為、異能によって処刑される恐れが無い。

 

 そして、ポポロに騙され契約の異能を分けてもらったと思い込んでいたレピエンには、全てが何一つ理解出来ていない。

 

「私はお前と何の契約もしていないというのに……。それでも私に異能を使おうとするなんて、何とも間抜けな自白だな」

「お、俺に……異能がないだと……!?」

「うーわ……まさかとは思ってたけど、本当に信じ切ってたんだ……脳味噌腐っちゃったのか? まあいいや。さて、今度はこっちの番だ。笑顔による文明保安教会への反逆罪として、お前を処刑しよう」

 

 ハピネスがレピエンの突き出している指を握り、思い切り引き倒して転ばせる。そしてステージの端で国民達に見せびらかすように顔を突き出させ、背中を思い切り踏みつけた。

 

「ぐぇあっ!!」

「私みたいなか弱い乙女でも引き倒せるなんて、いい感じに弱ってるねぇレピエン。もしかしてさ、今すっご〜くお腹痛いんじゃない?」

「な、何を……はっ! まさか、昨日の料理!! やっぱり毒だったのか……!?」

「真相ならそこの子供に聞いてみな。ねえねえ! そこの茶髪の可愛いお嬢ちゃん!」

 

 ステージ近くで母親に抱きついて怯えていた少女は、ボロボロの服の裾を握りしめたままハピネスの方を見る。

 

「ねえねえ。君さ、“紫煙薯(しえんじょ)”と“日暮蒟蒻(ひぐれこんにゃく)”って知ってる?」

「う、うん……」

 

 少女が小さく頷く。

 

「どうして知ってるのかな?」

「た、食べちゃいけないって、お母さんに教えてもらったから……」

「そうなんだ! どうして食べちゃいけないの? 毒があるのかな?」

「う、ううん。えっと、お腹の中で詰まっちゃうから……?」

「おーすごい! よく知ってるねぇ! 勉強熱心でえらい!」

 

 目を見開いて驚くレピエンにハピネスはニヤニヤと不気味に笑いながら説明する。

 

「あの程度の食材の毒抜き。この国ではとっくの昔に確立されている。農民()めるなよ? それでも彼等が食べなかったのは、紫煙薯も日暮蒟蒻も、水分を吸うと膨らみ硬化する性質を持っているからだ。毒なんか関係ない。時間をかけて硬化した芋は腸を()き止め膨らみ続ける。数口食っちまった時点で致死量なんだよ。あの芋は」

 

 レピエンの全身から大量の汗が噴き出す。

 

「今から尻穴に削岩機ぶっ込んであげよっか? こんなこともあろうかと用意してあるよ! ヘイボーイ!」

 

 ハピネスが近衛兵の1人に手を振ると、彼は魔袋(またい)からハンドルの先に金属の杭がついた削岩機を取り出してハピネスに差し出した。

 

「どうも。……これスイッチどこ?」

「あ、ハンドルのこれがトリガーなのですが、今コンセント差して来ます。おい! ドラムの用意!」

 

 近衛兵の命令で、別の兵隊がコードリールを伸ばしながら近衛兵に駆け寄る。

 

「お待たせしました!」

「ハピネス様、これで後はトリガーごとハンドルを握れば動きます」

「へー、便利ぃ」

「お前らっ!! 俺にこんなことしてどうなるか分かっているのか!!」

 

 怒り狂うレピエンを無視して、ハピネスはチラリと近衛兵の顔を見る。近衛兵は視線の意味が分からず目を泳がせると、ハピネスはにぃっと笑って削岩機のハンドルを差し出した。

 

「こういうのは王様が直々にやるものじゃないよね! 汚いし! 君やりなさい」

「えっ、私ですか!?」

「嫌なら他の人にやらせるよ。多分希望者いっぱいいるし」

「えっ、あっ、や、やります!! やらせて頂きます!!」

 

 近衛兵はうつ伏せで倒れているレピエンの尻に削岩機の(きっさき)を押し当てる。レピエンは身を(よじ)らせて藻搔(もが)き、顔を真っ赤にして大声を上げる。

 

「貴様っ……!!! こんなことして!!! ポポロ様が戻ってきたらタダじゃおかんぞ!!!」

「うっうるさい!! 黙れ!!」

「なっ……俺に何て口の利き方を!!!」

「レピエン……俺は、恋人をお前に殺された……!!! 父親も、兄もだ!!! (ようや)く、漸く仇が討てる……!!!」

「ポポロ様に殺されたいのか!? 今なら減刑も考えてやるっ!! それを退けろ!!!」

 

 削岩機の尖った先端が、少しずつ穴へと押し込まれて行く。

 

「ぎぃっ……!? お、おい止めろ!!! 殺すぞ!!!」

「全ての国民に……最も惨めな死を持って詫びろ!!!」

「ひぃっ……!!! わ、分かった!! ゆゆゆ許してやるから手を――――」

「死ね――――!!!」

 

 削岩機が唸り声を上げピストン運動を開始した。本来、強固な岩盤を砕く為に造られた

頑丈な機構と金属の杭は、いつもより遥かに(やわ)いソレを難なく突き破った。



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140話 毒にくすんだ銀

〜爆弾牧場 宗教法人“大蛇心会”〜

 

 街に戻ってきたイチルギ、ラプー、ハザクラ、ジャハル、シスターの5人は、迎えに来たナハルの案内で大蛇心会の教祖“アファ”の元を訪れていた。そこには既に、ラデック、ハピネス、ゾウラ、カガチの4人がおり、教祖アファを交えて談笑をしていた。

 

「やあやあ、ご苦労皆の衆」

 

 合流に気づいたハピネスが、ハザクラ達に向かってひらひらと手を振り報告を急かす。アファも事前に何かを聞いていたようで、ハザクラ達に向かって深々と頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。ワタクシ、大蛇心会の教祖、アファと申します。この度は我が爆弾牧場ににご来訪いただき、誠に――――」

「それ以上言うな」

「え、はい?」

「俺達は、感謝されるようなことは何もしていない」

 

 ハザクラの苦しそうな自虐めいた発言に、アファは押し黙ってハザクラを見つめた。喉まで込み上げてきている疑問を飲み込んで発言の場を譲ってもらったことに、ハザクラは小さくお辞儀をして口を開く。

 

「荒唐無稽に思われるかもしれないが、話せる限りのことを話そう。信じる信じないは任せる」

 

 爆弾牧場の前身、邪の道の蛇。その末路。ポポロの目的、所業。そして、ディンギダルの存在と自爆の異能。爆弾牧場のカラクリ。それらを細かく告げると、アファはいつもの朗らかな表情のまま、悲しそうに目を細めて俯いた。

 

「俺が思うに、恐らくはポポロの目的は“爆弾の拡散”。ディンギダルの子孫は、70年の歳月をかけて全世界に散らばっているだろう。もしその子孫全員が自爆の対象となるならば、この上なく便利な人質になる。恐らくは、近いうちに爆弾牧場を観光地にするつもりだったんだろう。人の出入りを活発化させ、子孫を繁栄させる為に。この国は、名前の通り“爆弾の牧場”だったんだ」

「そうか……。そんなことが……」

「……ここに来る途中ナハルに聞いた。レピエンが処刑されたと。ならば、恐らくは次の統治者は……アファ。貴方だ。今は受け入れられずとも……」

「ハザクラ君」

「何だ?」

「その、ディンギダルと言うお方は、右目が3つあったりしなかったかい?」

「――――!! し、知っているのか?」

 

 アファは(おもむろ)に顔を上げ、ゾウラに目を向ける。

 

「ゾウラ君、昨日のボクの話を覚えているかな。ボクには、赤ん坊の頃の記憶があるって」

「はい! あっ! そう言えば“大蛇から生まれた”って……」

「うん。やっぱりボクは間違っていなかったんだよ。ボクが見た大蛇様は、ディンギダル様だったんだよ。言われてみれば。どこか薄暗い洞窟の中だった気もする」

 

 アファはハザクラ達に背を向け、部屋の天井に刻まれている大蛇心会のシンボル――――ハートに絡みついた蛇の紋章を見上げる。

 

「ボクのしていたことは、強ち間違っていたわけでもなかった。大蛇様の、ディンギダル様の愛を受け継ぎ、次の世代へ繋いで行く。この不信と疑心の蔓延する爆弾牧場で、侵されることのない信頼を紡いで行く。……ディンギダル様が生きていたら、ボクを褒めてくれたかな?」

 

 どこか哀しそうに天井を見上げるアファに、ハザクラは慰めるように言葉を投げかける。

 

「きっと感謝したはずだ。ディンギダルは、家族をこの上なく大切にしていた。今の貴方の偉業は、彼にとっても誇らしかったに違いない」

「ありがとう。ハザクラ君」

「……彼も勿体ないことをした。もしも俺達と地上へ戻れていたら、こんな素敵な家族が待ってくれていたと言うのに……」

「ハザクラ君、たられば言っちゃあ前には進めないよ。過去は、受け入れるか、忘れるか。どっちかだよ」

「……そうか。そうだな」

「ぬあっはっは」

 

 するとそこへ、軽快な足音と共に傍若無人な暴れん坊が戻ってきた。

 

「たっだいまー! 皆ここにいたのねー!」

 

 両手いっぱいに土産物を抱えたラルバと、若干下唇に力を入れているバリア。対局的な表情の2人の登場に、全員が発言権を押し付けあって沈黙した。しかし、そんな気不味い静寂にも怯まずラルバは上機嫌に近づいてきて全員に土産物を配り始める。

 

「ほいハザクラちゃん!」

「……何だこれは」

「ちんちんおっきく見えるコンドーム」

「…………」

「シスターはこれね! ピロピロ笛デラックス!」

「はぁ」

「もっと喜べよ。五方向に飛び出るんだぞ」

「はぁ」

「ハピネスにはねぇー、あっ!! そうだ!! ハピネス!!」

 

 何かを思い出して声を上げるラルバに、ハピネスが態とらしく踏ん反り返って鼻を高くする。

 

「ふふん。呼んだかね」

「お前お前お前! なぁに勝手にレピエン殺しちゃってんのさ!」

「いやぁ〜めっちゃ楽しかった!! やっぱ正義パンチに勝る快楽はないねぇ~」

「ずるいずるいずるい!! 私にも一声かけてくれたっていいじゃん!!」

「独り占めしたかったんだも~ん。あー楽しい~」

「ず〜る〜い〜!!」

「た〜の〜し〜い〜」

 

 拳をぶんぶんと振って羨ましがるラルバと、その真似をするように踊るハピネス。人でなし2人の奇行を他所目に、バリアがひとり出口に向かって歩き出した。それに気付いたラデックは、茹で卵の殻を剥く手を止めてバリアを呼び止める。

 

「バリア? どこに行くんだ?」

「行きたい所がある。みんなも来て」

 

 普段は自分の意見など一切言わないバリアの主張に、ラデック達は顔を見合わせて首を捻る。しかし、不思議と誰も質問ひとつ溢すことなく、バリアの後を追いかけて大蛇心会を後にした。

 

 

 

〜爆弾牧場 人材派遣会社“純金の拠り所”〜

 

 爆弾牧場の郊外。日はすっかり沈み、夕暮れに取り残された空は毒々しい紫に覆われている。雪に埋もれ見えなくなってしまった道の先には、見渡す限りの雪原には似つかわしくない木造の館が鎮座している。しかし、敷地を囲う塀のように建てられたトナカイ小屋には、トナカイどころか犬1匹見当たらず、館の窓からは蝋燭(ろうそく)の灯りひとつ見えない。

 

 バリアが館のエントランスホールの扉を開けると、まだ夕方だと言うのに中は真っ暗で、よく見れば幾つもあったはずのシャンデリアが一つ残らず無くなっている。それどころか、家具から置物から絨毯(じゅうたん)まで無くなっており、床と壁だけになった館は暗闇も相まって廃墟のようであった。

 

「これは……一体? たった一日で何が……?」

「全部売ったんでしょ」

 

 ラデックの呟きに、バリアがぶっきらぼうに答えながら真っ直ぐ2階への階段を登って行く。一行が追いつくよりも前に、バリアはオーナー室への扉を開いた。

 

「――――……。――――は――――だった(はず)だ……。なのに――――……。――――が――――では……」

 

 中には、扉が開いたことにも気付かずに独り言を溢す人影がひとり。執務机も本棚も彫像も無くなった殺風景な部屋で、唯一残されていた踏み台に腰掛け両手で顔を覆い項垂れている。足元でひかるランタンの明かりだけが焚き火のように彼を照らし、心の闇を映し出すかのように壁に濃い影を描いている。その人影に向かってバリアは数歩近づき、心の内を見透かしたかのように言い放った。

 

「“ウルグラ”なら来ないよ」

 

 項垂(うなだ)れていた男、リィンディ・クラブロッドが顔を上げる。震えた瞳孔でバリアを見つめ、舌根で微かに喉を弾いた。

 

「え……」

「アナタの弟は、ヒトシズク・レストランの老舗料理店“純銀の台所”5代目料理長。ウルグラ・クラブロッド」

「な、何故……君が……ウルグラの名を……?」

「ウルグラ殺害の共犯者だから」

「さ、殺……害……!? おと、弟を……!?」

 

 リィンディは取り憑かれたかのように蹌踉(よろ)めきながら立ち上がり、バリアの胸倉を掴んで大きく揺さぶった。

 

「こ、ころ、殺した……のか……!! 私の……私の弟を……!!!」

「そう。だからアナタの期待している援軍は来ないよ」

「何故……何故……!! 何故だ!!! 何故殺した!!!」

 

 バリアは何も答えない。リィンディは鬼気迫る表情で、今にもバリアを殺さんと血走った眼で睨みつけている。ハザクラ達は割って入ろうにも一切の事情を知らず、事情を知っているイチルギは言葉を探して地に視線を這わせている。

 

 状況が理解出来ないラデックがバリアに問いかける。

 

「すまない。ヒトシズク・レストランでラルバがウルグラと料理勝負をしたのは知っているんだが、あの後殺したのか? 俺は何も聞いていないから分からない。説明を頼む」

「……それには、2人の生い立ちを話す必要がある」

 

 バリアは未だ胸倉を掴んで項垂れているリィンディを一瞥(いちべつ)し、殺人を省みる様子など欠片も見せずに淡々と話し始める。

 

「ウルグラとリィンディ。2人は物心ついた時から路上で生活してた。そんな2人を凍りつく路地から救い出したのが、2人の育ての親。“キルケーブル・クラブロッド”。子も成さぬまま妻を早くに亡くしたキルケーブルは、2人を我が子同然に可愛がって育てた。でも、彼もそこから数年もせずにレピエンに処刑され亡くなってしまった。2人は復讐を誓った。リィンディは国内に留まってキルケーブルの残した商会を守り、ウルグラは資金を稼ぐ為に亡命した。そして今年が、キルケーブルの40回忌。爆弾牧場の文化で言うところの、死者の魂が浄化される年。リィンディは、ウルグラなら今年に襲撃を合わせる筈だと思い計画を立てた」

 

 リィンディはバリアの(えり)から手を離し、再び椅子に深く腰掛け俯いた。

 

「…………バリア。君の、“ここにパジラッカを呼んだのは私か”と言う問い。あれには心底肝が冷えた。世界ギルドにこの国を調べるよう何度も挑発を繰り返してきた。何人ものスパイも送った。そして、幸運なことに今日という特別な日にパジラッカ(あの子)はやってきた。やるなら今日しかない。奴隷を売って、家財を売って、兵士達全員を買収するつもりだった」

 

 リィンディの貧乏ゆすりが徐々に激しくなっていき、顔を覆っていた両手で髪をガシガシと掻き乱す。

 

「それなのに、ウルグラが死んだなど……!! もう今更レピエンが死んだところで!! 私の家族は帰ってこない!!! たった1人の、たった1人の家族は!!!」

 

 リィンディがバリアに殴りかかろうと立ち上がり拳を振り上げると、バリアは彼の眼前にナイフの持ち手を差し出した。

 

「っ!? …………。何の真似だ……!!」

「どうせ私は使奴。刺したくらいじゃ死なない。好きなだけ刺せばいいよ。それで気が済むなら」

 

 リィンディは恐る恐るバリアからナイフを受け取り、それを両手で強く握って構える。強く握り過ぎて震える刃の先端が、バリアの首筋に触れる。

 

「……ああそうか。分かったよ。殺してやる……!! よくも、よくも弟を、俺の弟を……!!!」

 

 荒らげた呼吸と共にガタガタと震えるナイフが、バリアの首筋に擦れて僅かに切り裂き丸い血の雫が生まれる。バリアは防御の異能を解除したまま、じっと黙ってリィンディを見つめる。そこには、同情も、反省も、哀れみも、何の感情も無い。剥製にされた鹿と全く同じ置物の表情。リィンディが外れかけていた目の焦点を合わせると、バリアの目玉の奥に映った自分と目が合った。

 

「お、俺の、弟を……」

 

 皺くちゃにひしゃげ、ポケットに入れた紙屑のように見窄(みすぼ)らしい自分の姿。

 

「返せ……。返せよ……!!」

 

 力が抜けたリィンディの手からナイフが滑り落ちる。そのままリィンディは膝から崩れ落ち、床に両手をついて(むせ)び泣く。バリアは落ちたナイフを拾い上げ、どこか彼を責めるように言い放った。

 

「やっぱり。分かってたんだ」

 

 バリアの指摘に、リィンディは何も答えない。だが、それは肯定の沈黙に他ならなかった。

 

「ウルグラは、もうとっくに全部忘れてる。復讐のことも、リィンディのことも。もし私達が彼と出会ってなかったとしても、今日も、明日も、ウルグラが来ることはなかった」

「そんなことはない……!! ウルグラは、覚えていた筈だ……!!! お前のせいだ……!!!」

「じゃあどうしてリィンディはこんなに苦労をしているの?」

 

 バリアの問いに、またしてもリィンディは言葉を詰まらせる。

 

「ウルグラは資金を稼ぐ為に国外へ亡命した。そのお金はレピエンと戦う為の軍資金でもあっただろうけど、キルケーブルの商会を守る為の維持費でもあったわけでしょ? なのに、物価高と賃金の低下。重税の煽りで商会は存続不可能になり、今は奴隷商として苦肉の自転車操業。僅かな売上も、奴隷に不自由をさせない為に人件費へと消えていった。挙句の果てに奴隷商も続けていけなくなって館は(もぬけ)の殻。ウルグラからの仕送りは、商会の維持費には少な過ぎた」

「ち、違うっ……。ウルグラも、苦労をしているんだっ……。私に経営の腕がなかっただけでっ……!!」

「ウルグラが私の前で飲んでた高級ワインは、この館の維持費一年分に匹敵する値段だったよ」

「……そ、そんな筈、ない」

「食糧庫にあった高級食材の数々。その半分以上は毎月手付かずのまま廃棄されてた。上層部への意味のない上納金。格下連中から巻き上げたみかじめ料。新規店舗への出資金。提携業者への法外な契約料……。ウルグラがほんの少しでも気を遣えば、この館の維持費くらい何の問題もなく払えてた筈だよ」

「そんな筈ないっ……! そんな筈ないっ……!!! ウルグラは、ウルグラはっ……毎年、ちゃんと、金を送ってきていたんだっ……!!!」

「ヒトシズク・レストランの銀行には定期仕送りのサービスがある。解約を忘れてただけでしょ」

「きっと、きっと何か事情がっ……。手紙っ!! 手紙だって毎年送ってたんだ!!」

「それ、返事は来たの?」

「それはっ……それは…………」

 

 頑なに現実を受け入れようとしないリィンディに、バリアは小さく溜息をついて魔袋を取り出し、中から紙屑を掴んで放り投げる。

 

「ほら」

 

 雑巾のように捻れた紙屑はリィンディの目の前に落下し、その衝撃で一つの物体と化していた形が崩れる。それは、幾つもの未開封の封筒だった。

 

 リィンディの頭の中を埋め尽くしていた妄言狂言の海が、蝋燭を吹き消すように消え失せた。彼は何の思考も出来ないまま、赤ん坊が無意味に物を掴むように封筒へと手を伸ばす。

 

 “兄より”。

 

 間違いなく自分の字だった。恐る恐る封を切って中を確かめる。紛れもない自分の字。記憶にある写真。日付を見る。10年前。慌てて他の封筒にも手を伸ばす。11年前。12年前。13年前。

 

「うあっ……ああああっ……!!!」

 

 14年前。15年前。16年前。

 

「ごめん。開けてはないけど勝手に読ませてもらったよ。二人の関係と過去はそこから知ったの。だって、ウルグラの会社には何の情報もなかったんだもん」

 

 17年前。18年前。19年前。

 

「それは、ウルグラのレストランの倉庫で発見したもの。尤も、引き出しの中とかじゃなくて、大きな冷蔵庫の後ろで埃塗れになっていたものだけど」

 

 20年前。22年前。23年前。

 

「そんな……そんなっ……!!!」

 

 24年前。25年前。26年前。

 

「便りが無いのは良い便り……なんて、所詮は忘れられた者の言い訳に過ぎない。実際はこんなものだよ」

 

 27年前。28年前。29年前。その全てが未開封。

 

 リィンディは汚れた封筒を握り締め、抱き寄せて咽び泣く。その声は、今までの怒りや恨みによるものではなく、想像を遥かに超えた現実に対する悲しみと悔しさによるものだった。

 

 覚悟はしていた。弟が亡命先の国で幸せになり、復讐心を失ってしまうのではないかと。しかし、それはそれで良かった。憎しみに生きるよりも、幸せのために生きた方が何倍もいい。それがたった1人の家族なら当然。だが、忘れ去られるとは考えてもいなかった。

 

 トナカイですら凍死するような寒い冬でも、弟の幸せを願っていた。レピエンが大虐殺を起こした日でも、弟の無事を祈っていた。度重なる災害で飢饉(ききん)が起こった時でも、言いがかりで投獄された時でも、ポポロの我儘(わがまま)で奴隷の(ほとん)どを奪われた時でも、いつだって、どこでだって、弟のことを思っていた。

 

 でも、弟はそうじゃなかった。

 

「うっ……ううっ……!! 返せ……。返せよ……!! 俺の、俺の弟を…………!!! 返せよぉっ…………!!!」

 

 リィンディは(うずくま)ったまま頭を抱え、額を床に力一杯擦り付ける。彼の呟きはバリアに向けたものではなく、この世のどこかにいるであろう、弟を狂わせた“何者か”に向けて発せられている。

 

「優しい奴なんだ……! こんな不出来な兄でも、いつだってついてきてくれた……!! 困っている人を放っておけなくて、そのせいで何度も騙されそうになった……!! 辛い時ほど笑ってて、努力する姿はいっつも隠してた……健気で、努力家で、お人好しで……!! 俺の、自慢の弟なんだ……!!! 頼む、返してくれ、返してくれよ…………!!!」

 

 彼の呟きは、徐々に何者かへの説得から、神への嘆願へと変わっていく。受け入れられるはずもない現実が、無惨に散った数十年の月日が、守れず終わらせてしまった父親の形見の館が、彼が愛し、信じ、尽くしてきた全てが、彼に背を向けた。

 

 

 

 程なくして、大蛇心会の信者達がリィンディを迎えに来た。館はアファの計らいによって買い取られ、リィンディの精神が落ち着くまでは現状維持ということになった。

 

〜爆弾牧場 温泉街“まほらまタウン”〜

 

 早朝。空は薄い雲に覆われて、一際強く風が吹く厳しい寒さだった。しかし、悪の大王がいなくなった温泉街は昨日の夜からお祭り騒ぎが続いており、兵士も浮浪者も酒を酌み交わして歌い踊る大宴会が開かれていた。

 

「まだ飲んでんのかコイツら……」

 

 珍しく一行の最後尾を歩いているラルバは、出店で買った鮭の丸焼きを串ごと噛みちぎりながら眠そうな顔でぼやく。その隣で、バリアが同じく出店で買ったアザラシのスープを(すす)っている。

 

「こういう場所で寝る時の虚構拡張って便利だね。すごい静かだった」

「今晩の野宿はバリアちゃんやんなさいよ」

「やだ。またラルバやって」

「何でよ」

「星空が綺麗だから」

「んん〜……。悪い気はしないけどさぁ……」

 

 ラルバは困って唸りながら残りの鮭を串ごと口に放り込む。そして近くの出店に駆け寄り、手早く支払いを済ませて戻ってくる。

 

「あっそうだ。文句言うの忘れてた」

 

 ラルバが買ってきたばかりのフライドチキンを骨ごと(かじ)り、(ろく)咀嚼(そしゃく)もせずに飲み込んだ。

 

「バリアちゃん何で嘘ついたのよ」

「嘘?」

「リィンディに、ウルグラ殺しの共犯って言ったでしょ。アイツ自殺じゃん」

 

 バリアがスープを飲み干してから素知らぬ顔で目を背ける。

 

 ヒトシズク・レストランでラルバがゼルドームを殺害した数週間後。ウルグラは人肉料理食べたさにレインフォン邸へと単独忍び込んだ。しかし、当時レインフォン邸はゼルドームの不可解極まりない変死の捜査が続いており、そんな厳戒態勢の殺人現場に忍び込んだウルグラは筆頭容疑者として留置された。その過程でゼルドームの死を知ったウルグラは、もう二度と人肉料理を食べられないことに絶望し、留置所内で自ら命を絶った。

 

「新聞にあれだけでっかく記事が載ってたら、リィンディも気付きそうなもんだけどねぇ」

「知らなかったのか、知らないふりをしたのか、信じなかったのか、作戦の内だと思ったのか。いずれにせよ、現場を見てないリィンディに私を疑う(すべ)はない」

「そこよそこ! 何で“殺した”とか言うのさ! しかも私のせい! 歯ぁ全部折っただけじゃん!」

「十分でしょ」

「不十分でしょ」

 

 バリアはラルバの持っていたフライドチキンを「一口ちょうだい」と言って残り全てを一口で平らげた。

 

「一口がデカい!!!」

「んぐんぐ……。ま、中途半端だけど関わっちゃった手前、知らんぷりも可哀想だと思っただけ」

「今は私の方が可哀想。フライドチキン返せよ」

 

 ふと、バリアは視界の端に映った姿を追って振り返る。そこには、リィンディの元で働いていた奴隷だった女性が、屋台の手伝いで機械の修理をしていた。その顔はどこか寂しそうで、国王の死を喜んで皆が笑顔を浮かべる通りの中では一際異質に見えた。バリアはラルバに言うフリをして、恩着せがましく呟いた。

 

「このご時世、家族無しに生きるのも厳しいけど、仇無しに生きるのもまあまあ厳しいでしょ」

 

 

 



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141話 真相は未だ遥か彼方

〜爆弾牧場 星防人(ほしのさきもり)山〜

 

 時刻は正午過ぎ。一行は爆弾牧場を抜ける為、泣き喚くハピネスを引き摺りながら険しい山道を登っていた。ナハルにおぶさるようにしがみついているハピネスは、泣き疲れて尚鼻声混じりに不貞腐れている。

 

「おっ……おおっ……なんでっ……何でごんな過酷な道を選ぶのざっ……!! おっ……おっ……ばっ、馬鹿なんじゃないのっ……!! おっ……おっ……」

「背負ってやってるんだから文句言うな! 鼻水を髪につけるな!」

「おっ……おっ……おっ……寒いっ……!! ナハルの髪邪魔っ……!!」

「次文句言ったら崖から放り投げるからな」

「おっ……おっ……おっ……! ひぐぅ〜〜〜!!!」

「うるさいっ!!!」

 

 先頭を進むハザクラは、後ろから聞こえてくる情けない喘ぎ声を無視して呟く。

 

水疱病(すいほうびょう)……。恐らくあれは、ディンギダルの自爆の異能によるものだと思う」

 

 独り言のような呟きに、すぐ後ろを歩いていたジャハルが顔を上げる。

 

「警備隊を(かくま)う為に隠れた家の主人のことか?」

「ああ。一人暮らしなのに、家の中が随分と片付いていた。それに、不相応に広い……。多分、家族に出ていかれてしまったのだろう。だが、それにしたって生活の痕跡が少な過ぎる。もしかしたら、床に伏していたのかも知れない。ディンギダルは、辛い余生を断ち切る為に緩やかな自爆で命を終わらせた……。そう考えている」

「……警備隊も言っていたな。妹は産声も上げず、生まれて間も無く水疱病に罹って亡くなった。母親も、ショックで衰弱して2年後に水疱病で亡くなったと……」

「使奴も知らない病。波導の痕跡無し。内臓が破裂した遺体……。そして、水疱病に罹った者は、直前に死よりも苦しい絶望を抱えている。ディンギダルは、愛しい我が子達の苦しみに耐えられなかったんだろう」

 

 後ろの方から、2人の会話に混ざる為にラデックが駆け寄る。

 

「俺が出会った番台のヒヴァロバの話では、昔“溺死病(できしびょう)”という奇病が流行った時にも、同時に水疱病が流行したそうだ」

「溺死病か、確かに目を背けたくなるほど苦しい病気だ」

「ハザクラも溺死病を知っているのか?」

「ああ。“診堂(みどう)クリニック”を起源とする“大疫病(だいえきびょう)”の一つだ」

 

 聞きなれない言葉にラデックが首を捻る。

 

「んん? “診堂クリニック”? “大疫病”?」

「あ、そうか。ラデックは知らないのか。現代特有の事情だしな。旧文明には無かった疫病が、診堂クリニックと言う国を起源として広がっているんだ。故に、その国は世界でも有数の医療大国であるにも拘らず“疫病(えきびょう)の国”とも呼ばれている」

「医療大国なのに疫病の国なのか。皮肉だな」

「爆弾牧場ともそう距離が離れていないし、何かのきっかけで感染者と接触してしまったんだろう。流行ったのが溺死病だけだったのがせめてもの救いだな」

「ハザクラ達の戦ったディンギダルという男も、疫病の流行を抑える為に自爆を決行したんだろうか……」

「その側面もあるだろうな……」

 

 山の中腹まで登り、日も傾き始めた頃。一行の最後尾を辛うじてついてきていたバリアが、物静かな彼女にしては一際大きな声で全員を呼び止めた。

 

「皆、ちょっと待って」

 

 バリアはずっと読み(ふけ)っていた革の手帳を皆に向けて広げる。そこには、可愛らしい絵柄で数人の似顔絵が描かれていた。

 

「リィンディの館から盗んできた、昔在籍していた奴隷の手帳。持ち主は、仲間の顔を覚える為に似顔絵を描いていたみたい」

 

 そう言ってバリアが指差した場所にあった絵。そこには“スアンツァ”と言う名前と、額を黒痣に覆われた黒い白眼の使奴寄りと思しき女性が描かれていた。

 

「これは……使奴か?」

 

 ラデックは思わず疑問を口にするが、それに答えるようにハピネスが鼻で笑った。

 

「はっ……。ここまで来ると、どっちがストーカーか分からないな」

「ハピネス? 見たことあるのか?」

「ラデック君も見覚えがあるだろう。“神の庭の壁画”で」

「神の庭の、壁画……?」

「今回の描き手の画力が高くて助かったな。こいつが、ラルバお気に入りの通り魔。“ガルーダ・バッドラック”だよ」

「ガルーダ……!? バルコス艦隊で、ファジットの家族を惨殺した使奴か!?」

 

 バリアがラデックに手帳を渡して解説する。

 

「ガルーダが”偽名を使って純金の拠り所に奴隷として在籍していたのは20年近く前。そして恐らく、リィンディに出鱈目(でたらめ)を教えたのも彼女。爆殺処刑の発動条件は温泉にあって、その根拠は異能の力の源となる命力を感じ取れると言うものだった。けど、実際は親子矛盾を利用した自爆の異能によるものだったし、命力と言うのも胡散臭(うさんくさ)いオカルトが元ネタ。そして何より、そんなことをしてもガルーダには一切メリットがない」

 

 横からジャハルが口を出す。

 

「神の庭の時と同じじゃないか? ガルーダは、結界を維持しているパルシャを不死にすることで、あの地域全員の殺害を試みた。今回は、リィンディを騙すことによって爆弾牧場全域の人間を殺害しようとしたんじゃないか? リィンディはガルーダの嘘で爆殺処刑のトリガーを勘違いしていたんだ。そのままクーデターを起こしていた場合、多くの人間が国家反逆罪でディンギダルの自爆によって処刑されていただろう」

「それはポポロが居ないこと前提でしょ? だって、ポポロが生きてるならリィンディだろうと誰だろうと逆らわないだろうし」

「ま、まあ。それはそうだが」

「そのポポロを殺したのはラルバ。ラルバの行動が前提なのに、私達ラルバの同行者の行動が予定外ってのがしっくり来ない」

神鳴(かんな)り通り大量殺人の真相を突き止めたのはラルバだし、神の庭の人達を助け出したのはゾウラだ。ガルーダの目論見(もくろみ)は、全て我々によって阻止されている。どこも不思議じゃないだろう」

「ううん。充分不思議だよ。ハザクラなら分かるよね?」

 

 話を振られたハザクラは、そのタイミングから“今しがた脳内に浮かんだ結論”が正しかったことを確信し、歯軋りを交えながら口を開く。

 

「……200年前に人類を救う為活動を開始した、ヴァルガン、イチルギ率いる“ウォーリアーズ”。その誰もが、ガルーダを知らなかった。ベル、キザン、メギド、ハイア。世界経済、治安維持、医療、科学技術の発展に貢献し、身を粉にして世界を引っ張ってきた使奴達が、200年もの間ガルーダの存在を全く知らなかったなんてこと、有り得るのか。仮に有り得たとして、ハピネスの目撃証言。神の庭の壁画と手記。そして今回の似顔絵……。200年間ウォーリアーズの目を完全に掻い潜ってきたガルーダの情報が、ここ数ヶ月で3件も発見された。これを偶然と呼ぶには、(いささ)か思慮が浅過ぎるとは思わないか」

 

 苦しそうなハザクラの物言いに、ジャハルは口を(つぐ)んで目を伏せる。その視線の先を地に這わして泳がすと、足元にいたラプーと目があった。

 

「…………。な、なあ。イチルギ」

 

 ジャハルがラプーを見つめたまま口を開くと、イチルギは次の言葉を察して口を真一文字に結ぶ。

 

「ラプーに答えを聞くのは……ダメなのか? 正直なところ、2人の関係も聞きたいんだが……」

 

 大戦争終結直前。200年前から行動を共にしていたイチルギとラプー。その頃から今まで、イチルギはラプーの全知の異能を一切頼っていない。その理由を(いぶか)しんだジャハルの問いは真っ当なものであり、イチルギは返答を探すフリをして沈黙を貫いた。

 

「……答えたくないものを無理矢理問い正すのは気が引けるが、配慮だけでは立ち向かえない現実が迫ってきている。ディンギダルもそうだが……バルコス艦隊のファジット、神の庭のパルシャ、真吐き一座のシガーラット、グリディアン神殿のザルバス、なんでも人形ラボラトリーのスフィア……。運良く我々が助けられたから良かったものの、対処法を間違えれば、気付けなければ、皆命を落としていたかもしれない。ラプーの全知があれば、その不幸を回避出来るかも知れない」

 

 イチルギの表情がより苦しく険悪なものになって行く。その沈黙が、何よりの答え。イチルギが、人命救助よりも優先したい個人的な事情がある証明。ラプーの沈黙も、決して拒否ではない。ただ彼は、イチルギの返答を待っているのみ。そのラプー自身の気遣いが、イチルギの心をより強く締め上げた。

 

「――――っ……」

「イチルギ。どうか教えてくれないか? 貴方とラプーの間に、何があったのか。彼は何者なのか」

「わ、私……は……」

 

 イチルギが言いかけた途端、彼女の首をラルバが抱きついて締め上げた。

 

「はーいそこまでー! ネタバレ厳禁っつったよねぇ?」

「ラ、ラルバ!?」

「イっちゃん良いねぇ。良い感じに悪者オーラ出てきてるヨォ? 正義側の大物が悪堕ちすると、小悪党とはまた違った旨味が生まれるからねぇ! ラルバちゃん楽しみだなぁ!! たくさん(こじ)らせて立派なヴィランに育つんだよ!!」

 

 ラルバはそのままイチルギの首の骨をへし折ると、すぐさまジャハルに蛇の如く絡みついて締め上げる。

 

「お前も興味本位で人様の事情詮索してんじゃねぇ!! デリカシーの無いヤツだなぁ!!」

「痛ででででででっ!!! ラ、ラルバには関係ないだろう!!」

「関係大ありですぅー!! 第一お前ら貧乏主義なんちゃら軍は私の許可で同行させてもらってる立場だろうが!! 金魚の糞が金魚より前を泳ぐんじゃねぇ!!」

 

 ラルバの完璧にキマったコブラツイストを、ラデックが(なだ)めながら解く。ラルバは子供のように頬を膨らましながら怒りを露わにし、全員の目の前で高らかに宣言をする。

 

「はい!! ラルバ一家家憲第43条!! ラプーに全知を使用してもらう時、その内容はハピネスでも回答可能な情報に限定するものとする!!」

「おい待て!! 42条まではなんだ!! あとラルバ一家ってなんだ!!」

「違反者は頭蓋骨没収の刑だぞ」

「死罪じゃないか!!」

 

 ジャハルとラルバが言い争いをしていると、遠巻きに眺めていたシスターは背後の何かを引き摺るような音に気付いて振り向く。

 

「……カガチさん? なんですかその背中のは」

「お前らが馬鹿みたいに騒いでるせいで寄ってきた熊だ」

「仕留めたんですか……」

「凄いですカガチ! 私、熊初めて見ました!」

 

 身の丈4mはあろう巨大な熊に、ゾウラが喜んで飛び跳ねる。

 

 すっかりガルーダのことを忘れ去られてしまったことにバリアが溜息を小さく吐くと、首を治療したイチルギが隣に並んだ。

 

「大丈夫?」

「ええ。平気」

「首じゃなくて」

「うん。大丈夫よ」

 

 イチルギは首を摩りながら顔を伏せ、眉を(ひそ)めながらぎこちなく微笑んだ。

 

「……ジャハルの言い分が(もっと)もなのは分かってる。悪いのは私」

「そうだね」

「……いい加減、整理つけなきゃね」

「全くだよ。200年間何してたの?」

「色々やってきたつもりだったんだけど、何もしてなかったみたいね。気付かなかったわ」

 

 イチルギの視線の先には、熊の解体に(いそ)しむ面々と、毛皮を被って遊ぶハピネスとゾウラが映っている。だが、その瞳には依然として黒い(もや)のような影がかかっている。

 

「不思議ね。使奴の力さえあれば何でも出来ると思っていたのに、実際は出来ないことばかり。私には、この力は不相応だったみたい」

「そうだね。なんか色々反省してるみたいだけど、どうせならもう一個追加してもいい?」

「え、何?」

「イチルギ達はさ、ディンギダルの迷宮の異能の力で地下から出て来られたらしいけど、パジラッカとラドリーグリスもそうなの?」

「………………」

「ラドリーグリスは不覚の異能者らしいけど、もしかして配管の迷路にいるときは周囲目一杯を不覚の対象にしてたんじゃないの?」

「………………」

「もしそうだったらさ。実はイチルギも異能の対象になっていて、2人のこと思い出したの、今だったりする?」

「………………するわ」

「あちゃあ」

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部〜

 

「せんぱぁい……こっちも行き止まりだよぉ!!」

「うっせーな! 見りゃ分かる!」

「ここさっきも通った気ぃするぅ……。出口どこぉ……?」

「お前が闇雲に走り回るから分かんなくなんだろうが!!」

「だって怖いじゃん!! あんな生首の化け物に追われたらさあ!!」

「はぁ〜……。お前ホントなんで怪物の洞穴に入隊出来たんだよ……」

「あー!! また溜息吐いた!! へこむからやめてって言ったのに!! やめてって言ったのに!!」

「うっせー!! 数年ぶりの国外任務でテメーと組まされる私の身にもなれ!」

「あーまた悪口言ったぁー!! 次言ったら泣くかんな!!」

「お前の悪口なんざ幾らでも出るわ! このヘンテコパイナップル! ポンコツパンダ!」

「あー!! あー!! あー!!」

「壊れた目覚まし時計! 白紙の辞書! 酒拭いた雑巾!」

「うあー!!!」



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診堂クリニック
142話 幸せのつかみ方


 毎日が苦しい。

 

「あのさぁ!! 電車の遅延ぐらいで遅刻すんなよ!! 分かるだろフツーよぉ!!」

「す、すみません……」

「すみませんじゃねぇだろすみませんじゃよぉ!!」

 

 贅沢もしてない。悪いこともしていない。

 

「女だからって許されると思ってんだろ」

「い、いえ……そんなことは……」

「口ごたえすんな!! 言っとくけど、俺そーゆーの超嫌いだから」

 

 常に誰かのために、不出来な私にも出来ることを精一杯。

 

「コーヒー」

「えっ? あ、今課長に呼ばれてまして……」

「あ? チッ……気が利かねー……」

 

 波風立てないように、静かに、丁寧に。ちゃんとした人間になれるように。

 

「あのさあヒシメギさん。全く同じこと、前にも注意したよね?」

 

 だけど、その“丁寧”が全て裏目に出る。

 

「勝手なことしないで下さい。他の人のことも考えて」

 

 判断の選択肢は、大抵たかが2択か3択。それらを尽く外す。

 

「言われなくても分かるでしょ! 学校で習わなかったの!?」

 

 した方がいいのか。しない方がいいのか。聞いた方がいいのか。聞かない方がいいのか。待った方がいいのか。動いた方がいいのか。

 

「ちょっとさあ、優先順位考えてよー!」

 

 ちゃんとしよう。ちゃんとしなきゃ。簡単なはずなんだ。言われたことを守ればいい。

 

「言われたことしか出来ないの? 少しだけでもさ、頑張ろうとか考えないわけ?」

 

 出来るはず。みんなやってる。私にも出来る。大丈夫。

 

「いい加減にしてよ!」

 

 出来る。

 

「何度言ったら分かるんだ!!」

 

 大丈夫。

 

「ふざけんなよ!」

 

 ちゃんとしなきゃ。

 

「もういいよ。俺がやる」

 

 今度こそ

 

「ねえ、これ何?」

 

 丁寧に。

 

「こっちの身にもなれ!!」

 

 頑張ろう。

 

「勝手なことしないで」

 

 普通は出来るんだ。

 

「ホント役に立たねぇ〜」

 

 出来る。

 

 大丈夫。

 

 出来る。

 

 出来る。

 

 私にだって出来る。

 

 出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん。君より大切にしたい人ができた」

「………………え?」

「離婚してくれ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうこと?」

「ごめん」

「ごめんって……!」

「本当に申し訳ないと思ってる」

「そ、そんなこと急に言われたって……!! アパートはどうするの!? 車だって2人で一緒に買ったんじゃない……!! 子供が産まれても乗れるように、ちょっと無理してでも大きいのをって!!」

「ごめん」

「今の会社だって、貴方の口利きで入れてもらったんじゃない……」

「ごめん」

「家も、車も、仕事も……何もなしで、私は、私はこれから、どうしたらいいの……?」

「ごめん」

 

 

 

 

 

 

 

 今思えば、全部私の所為だった。

 

 彼と付き合ったのも、向こうが強引に寄ってきたのを断りきれなかったから。拒否して嫌な顔されるのが怖かった。

 

 今の会社に入ったのも、彼の友達の紹介を断れなかったから。自分には不向きだと思ったけど、断って彼の評判を下げるのが怖かった。彼の、私が思い通りに動かなかった時に向ける眼差しが怖かった。

 

 結婚したのも、ママとパパの勧めを断れなかったから。2人とも彼のことをいたく気に入っていて、会うたびに孫の顔やら女の務めやらと言われるのが怖かった。実家から電話がかかってくると、会社の呼び出しと同じくらい心臓が縮まった。カレンダーにつけた帰省の2文字が、眠りに落ちる直前までまぶたにへばりついて離れなかった。

 

 会社のプレゼンもそう。接待もそう。社員旅行もそう。飲み会もそう。タクシーの時もそう。卒業式の日もそう。修学旅行の時もそう。席替えの時もそう。私立に行かされたときもそう。ピアノや、習字を習わされたときもそう。全部そう。

 

 ずっと馬鹿な妄想ばっかりしてたんだ。いつかちゃんと全部が出来るようになって、誰からも頼られるちゃんとした人になれるって。

 

 もっと早く気づけばよかった。

 

 今はもう。

 

 全てが手遅れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捕まえました」

「よし、連れて行け。くれぐれも傷つけるなよ。代わりはいないんだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

診堂(みどう)クリニック 第一診堂(みどう)中央総合病院〜

 

 煉瓦(れんが)造りの二階屋。尖塔が幾つも突き出た石壁の教会。幾何学模様を描いた石のタイルが広がる大通りに、城壁のように背の高い白塗りのマンション群。そこかしこで真っ黒な排ガスを撒き散らす重機が唸りを上げ、大量の土砂や瓦礫(がれき)を積んだガソリン車が車軸を軋ませ土埃を巻き上げる。国内での技術成長を待たず、国の外から取り入れた高度な技術と有り余る資源によって、風船を膨らますが如く急激に発展した都市国家。“診堂(みどう)クリニック”。

 

 この国の起源でもあり文明発展の中枢(ちゅうすう)、国の中心に位置する巨城――――――――(もとい)、第一診堂(みどう)中央総合病院。その構内は、連日大勢の患者と医療従事者でごった返しており、今日も怒号と悲鳴が飛び交っている。

 

「アモリガイさんの検査結果まだかよ!!」

「22番調剤担当の方、大至急受付までお願いします――――」

「だぁからウチの子は大っきい錠剤なんか飲めないの!!」

「痛いぃ〜! 痛ぁい〜!! 看護婦さん早くぅ〜!!」

「フィズリース先生の手術はまだ終わんないの!?」

「今朝からね! しゃっくりが止まらんのですわ! ガハハ!」

「おじいちゃん勝手に点滴触っちゃダメ!!」

「今日ニジェスさんの胃カメラやるっつったじゃん!!」

「勝手に受け入れんな!! ベッドどうすんだよ!!」

「おいおいおいおい何で両替機に診察券入れた!?」

「ちょっとぉ!! 私の番号まだぁ!? 夫が車で待ってんのよぉ!!」

「道開けてください!! ベッド通ります!! 道開けてください!!」

「ナースコースはテレクラの発信ボタンじゃねぇんだぞジジイ!!!」

「うわあああああん!! お母さんどこー!?」

「発券機から紙出ないんですけどー」

「今日の麻酔担当が遅刻してんだってば!!」

「”せーけーげか“なんて言われても分かんないわよお!!!」

「エンリンさん!? 院内でお酒はダメってあれほど――――!!」

「ブッキングしたぁ!? どうすんだよもう管入れちまったんだぞ!!」

 

 今際(いまわ)(きわ)彷徨(さまよ)う重症患者。限界寸前で奮闘する医師。意味もなく医者を引き止める患者。現実逃避から姿を消す医師。冗長に診察を引き伸ばす者。手心もなく突き放す者。道理を叫ぶ者。何も考えていない者。医者と患者と賢者と愚者が十重二十重に交差する阿鼻叫喚の坩堝(るつぼ)

 

「おかーさーん!! おかーさーん!!」

 

 苦痛と苦労の間隙を、ひとりの子供が駆けていく。時折人や物にぶつかりながらも、その足は決して止まることはない。

 

「っだぁ!! 危ねぇなこのガキ!!」

「痛っ! ちょっともう何〜!?」

「ごめんなさいくらい言ったらどうだい!! 全くもう……!」

「ちょっとボク!! 院内では走らないで!!」

 

 逃げ(まど)う子供の前に、看護婦が立ちはだかって受け止める。

 

「はい捕まえた!! お母さんとはぐれちゃったの? お名前は?」

「うわぁぁあああん!! あああああああああっ!!」

 

 優しい看護婦の言葉にも子供は泣き止まず、それどころか激しく足をバタつかせて拘束を振り解いた。

 

「あっ! ちょ、ちょっと!! 待って!!」

「ああああああああっ!!! おかーさーん!!! おかーさーん!!!」

 

 子供はそのまま病院の奥へと逃げて行く。否、駆けて行く。

 

「足が、足が痛いよぉっ……!!! おかーさーん!!! 足が痛いよぉ!!!」

 

 子供の叫びに、院内が凍りつく。足が痛いと叫ぶにも(かかわ)らず、走ることを決して止めない子供。その声に、子供を追いかけていた看護婦も、部下を怒鳴りつけていた医師も、受付に食ってかかっていた老人も、息を呑んで押し黙った。一瞬だけ時間が止まったかのような院内で、誰かが思わず呟いた。

 

「し、疾走症(しっそうしょう)……?」

 

 刹那。止まっていた時間が動き出す。

 

「うわああああああああああっ!!!」

「“疾走症”だっ!!! 逃げろっ!!!」

「押さないで!! 押さないで下さい!!!」

 

 杖をつく老人も、車椅子の若者も、点滴を引き摺る女性も。その場にいた者達が一斉に出口へと走り出す。(つまず)いて転んだ者を(また)ぎ踏みつけ、歩みの鈍い者を突き飛ばし、我先に前へ前へと逃げて行く。

 

 診堂(みどう)クリニックは世界で最も優れた医療技術を持っているにも拘らず、国を出入りする者は他国に比べて圧倒的に少ない。その理由がこの“大疫病(だいえきびょう)”にある。

 

 走ることへの強迫観念から、死ぬまで走り続けてしまう”疾走症(しっそうしょう)“。

 

 喉が白く硬化し、内部が裂けて自らの出血で溺れ死んでしまう”溺死病(できしびょう)“。

 

 予測不可能なタイミングで、発狂するほどの激痛と呼吸困難を引き起こす非致死性の偶発性多臓器不全。通称“拷問病(ごうもんびょう)”。

 

 鮮明な虫の幻覚を伴う強烈な蟻走感(ぎそうかん)と非現実的な被害妄想。そして、それらから逃れる為には食事と排泄が有効だと信じ込んでしまう“暴食症(ぼうしょくしょう)”。

 

 怪我をした際に周囲の物体を薬だと思い込んでしまう薬への執着と、それによって怪我が治ったと思い込んでしまう”イシャイラズ“。

 

 上半身、特に末端の指や耳が裂傷を伴って膨れ上がる“柘榴腫脹(ざくろしゅちょう)“。

 好意と殺意の区別がつかなくなる“義殺衝動(ぎさつしょうどう)”。

 単語が理解出来なくなる“鸚鵡症(おうむしょう)”。

 単独での妊娠を引き起こす”不知懐胎(しらずかいたい)“。

 舌が充血によって肥大し硬化する”舌勃起(ぜつぼっき)“。

 顔面が溶ける”溶顔病(ようがんびょう)“。

 万人を愛してしまう”博愛譫妄(はくあいせんもう)“。

 

 感染力が強く、原因不明、治療法が存在しない。そして、その全てが200年前の大戦争後に発見されている。診堂(みどう)クリニックは、この大戦争後に発見された原因不明の病を“大疫病(だいえきびょう)”と呼び、200年間研究し続けてきた。しかし、未だ明確な治療法は確認されていない。ただ一つの方法を除いて。

 

「おかーさーん!!! ゲホッ!! ああっ!!! ううううう……!!!」

「1-4C通路、封鎖します!!」

 

 館内放送を合図に、子供のいた廊下の前後に紫色の防壁魔法が展開される。防壁は徐々に狭くなり、走る距離を奪われた子供はその場に倒れ込んで激しく足をバタつかせる。

 

「うっ、うっ、うっ、うっ。おかあ、おかあさ、お、おかあ、おかあさ、お」

 

 疾走への強迫観念から、身動きの取れない子供は血が出るほど喉を掻き(むし)って身を(もだ)える。そこへ、ひとりの白衣を着た白い髪の女性が息を乱れさせながら走り寄る。

 

「はぁっ。はぁっ。管制室、現場到着しました」

「確認しました。防壁一部解除。"レシーバー"接続します」

 

 合図と共に防壁に小さい穴が開き、天井から電線のような紐が垂れ下がる。

 

「もう大丈夫。すぐに良くなるからね……」

 

 白衣の女性は防壁に開いた穴から腕を入れ子供の額に手を触れ、もう片方の腕で天井から垂れ下がる紐を握る。そして暫し目を(つぶ)ると、子供の苦しみに染まっていた表情が段々と穏やかになり落ち着きを取り戻していく。

 

「気分はどう? どこか痛いところはない?」

 

 子供は薄く目を開け、譫言(うわごと)のように呟く。

 

「お母さんは……?」

「そうだね。お母さんを探しに行こうか。ひとりで立てる?」

 

 子供は小さく頷き、床に手をついて起き上がろうとする。

 

「痛っ!」

 

 しかし、力を入れた途端に足が痛み、姿勢を崩す。白衣の女性は咄嗟(とっさ)に受け止め、駆け寄ってきた看護婦に声をかける。

 

「レントゲン室の手配を。それとヨクァ先生に連絡を取って下さい」

「は、はい!!」

 

 

 

 

 

 

 

診堂(みどう)クリニック 第一診堂(みどう)中央総合病院 貴賓室(きひんしつ)

 

「入ります」

 

 白衣の女性が貴賓室の扉を開ける。中には豪華な家具や美術品の類が整然と飾られており、とても病院内とは思えない煌びやかな光景が広がっている。椅子には数人の年老いた男女が数人座って談笑しており、そのうちの1人の男性が白衣の女性を見て笑顔で手を振った。

 

「おっ。ホウゴウ先生! いやあ聞きましたよ聞きましたよ!」

 

 他の者たちも大きく頷いて彼女を褒め称える。

 

「大疫病を治せるなんて、ホウゴウは先生がいてくれて本当に良かったわぁ〜」

「そうじゃなぁ! ホウゴウ先生はこの国の宝ですじゃなぁ!」

「使奴だっちゅうに謙虚だしのお! 顔もええで声もええで、気品もあって! それより何よりホウゴウ先生の”異能“でワシらは生かされとる! 頭があがらんでおい!」

 

 白衣の女性――――ホウゴウは静かに頭を下げて感謝を表す。

 

「いえいえ、支部長の皆様方のご支援あってのものです」

「いやいやいやいや! その診堂(みどう)病院支部も! ホウゴウ先生の寛大な心で運営が出来てるんじゃあありませんか!」

「そうよそうよ。私達なんて、いていないようなものだもの!」

「お褒めいただき大変恐縮です。それで、今回の疾走症の件ですが……」

「おーおー、わかっちょう、わかっちょう! 自治体の方にもうまぁく話しとくでの!」

「全く、患者共はホウゴウ先生の有り難みをちーっとも分かってないからのお!」

「いやそうなのよぉ〜。うちの院でもねぇ?」

「あーウチでもあったなぁそんなこと!」

「ほんにどーしよーもない連中じゃなぁ!」

 

 老人達は(しき)りにホウゴウを褒めちぎり、そのまま流れで談笑に戻ってしまった。ホウゴウは話を邪魔しないように深々と頭を下げ、静かに部屋を出て行く。

 

「ホウゴウ先生!」

 

 すると、廊下の端でホウゴウを待っていた看護婦が声をかけてきた。

 

「あの、先日あった入国申請の件ですが……」

「分かっています」

 

 ホウゴウの半ば(いら)ついたような低い声に、看護婦はビクッと体を震わせる。

 

「あんな奴らに邪魔させるもんか……。至急、バシルカンに連絡を」

「え、あ、はっ、はい!!」



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143話 八つの目玉

診堂(みどう)クリニック 羊煙(ようえん)草原〜

 

 爆弾牧場の最高峰である星防人(ほしのさきもり)山を超え、樹海を越え、雪原を超え、数日も歩き続けると、徐々に雪は(まばら)になって暖かい風も吹くようになってきた。辺り一面が絵に描いたような瑞々しい草原。太陽は南中手前、羽毛を散らしたような巻雲が青空を舞い、時折寄りかかれるほどに力強く優しい突風が吹き抜けて行く。

 

「少し早いが休憩にしないか?」

 

 この光景に見惚れたラデックが、そう皆に提案する。すると、清々しい景色とは対照的に陰湿で(くす)ぶった濁声(だみごえ)で、ハピネスが文句を零した。

 

「私がさっきからそう提案してるじゃないか。今日だけで何度休憩しようって言ったと思ってる」

「そういうのは自分の足で歩いてから言え」

「そういうのは自分の足で歩いてから言いなさい」

 

 ハピネスを背負っていたイチルギが、ラデックと全く同じ指摘をしながら乱暴に彼女を降ろし、思い切り体を伸ばして背から草原に倒れ込んだ。

 

「っはぁ〜疲れた〜! 今日のお昼何にしよっか〜」

「もう少し優しく降ろし(たま)えよ! 足首捻ったぞ!」

「今日のお昼当番ハピネスよね? そこの川で魚でも獲ってきてよ。今の時期ならヤマメがいいな〜」

「何を馬鹿なこと言ってるんだ。私が川に入ったら流されるに決まっているだろう。今日のランチは缶詰ビュッフェだよ」

「それ、ご飯当番5回に1回だけって言ってるでしょ」

「もう5回経っただろう」

「まだ3回」

「うっそだぁ」

 

 深呼吸のように大きな溜息を吐きながら渋々川へ歩き出したハピネス。同じく昼食当番だったラデックは、暢気(のんき)に寝転がるイチルギとハピネスの背中を交互に見てからタバコに火をつけた。

 

「まあ、多分ハピネスはサボるだろうから俺もついて行こう。火の準備だけ頼んでいいか?」

「オッケー。……なるべくハピネスにやらせてね?」

「無茶を言う」

 

〜診堂クリニック 羊煙草原 火雷(ひがみなり)川〜

 

 草原を横断するように流れる小川。水底の小石が数えられるほど透き通っており、正しく清流と呼ぶに相応しい花紅柳緑(かこうりゅうりょく)の景色である。

 

 ハピネスは川辺に座り込んで素足を差し込み、昼食の準備などする気配もなくパシャパシャと水面を蹴って遊び始めた。

 

「ふんふふ〜ん。いやあ気持ちがいい。お酒も持ってくれば良かったな。ラデックくーん! お酒持ってないー?」

 

 しかし、川の上流の方で釣りをしているラデックに声は届かない。ハピネスは小さく「ちぇっ」と呟き、水筒の水をちびちびと(すす)り始めた。それから暫くボケーっと空を眺めていると、足先にぬるりとした感触があった。ハピネスはすぐさま視線を川へ戻し、その正体を探して目玉を転がす。

 

「う、うなぎだっ! うなぎっ!! うなぎ!!」

 

 水面スレスレを優雅に泳ぐ黒ずんだ細長い魚。ハピネスは見えないはずの目玉をキラキラと輝かせて川に膝上まで入り、土魔法で即席の(もり)を作る。

 

「蒲焼っ! 蒸し焼きっ! 酢の物、刺身っ!」

 

 そのままザブザブと川を進んでいき、ウナギが銛の射程範囲に入ったところでハピネスは大きく振りかぶる。

 

「はっはっは! 魚風情が、この先導の審神者(さにわ)様から逃げられると思ったか! 世界を統べる王の力を思い知れ!!」

 

 ハピネスの投げた銛は珍しく真っ直ぐ飛んでいき、見事ウナギの胴体を貫いた。

 

 旧文明より、どこの国にも漁には厳しい制約が多くある。しかし、古くからこの診堂クリニック周辺の地域では、ウナギに関する漁業権等の制約は無いに等しい。理由は単純。そんな制約など決めなくとも、誰もウナギなど獲らないからである。

 

 診堂クリニック周辺に生息するウナギは、ウナギのように見えるが全くに別種、硬い骨を持つ硬骨魚類のウナギとは程遠い円口類。ヤツメウナギの一種である。その生態は極めて獰猛であり、執念深いとも言える。捕食者の波導を鋭敏に感じ取る発達した感覚器官。水面から飛び出せるほどの瞬発的な遊泳能力。一度噛み付いたら胴が千切れようとも離さない牙だらけの吸盤の口。そして、骨の髄まで喰らい尽くしてやるという桁外れた食欲。このヤツメウナギは、捕食対象に群れで一斉に飛びかかる習性がある。獲物は即座に血を吸われ意識を失い、熊であろうと混乱魔法で弱らせ水底へ引き摺り込んでしまう。遭遇率の低い大型の魚類や哺乳類を確実に捕らえる合理的な習性と言えよう。熊や鹿にこのヤツメウナギが無数に貼り付く姿が、まるで全身から長い体毛を生やしているかのように見えることから、このヤツメウナギは“ケダマモドキ”と呼ばれ恐れられている。

 

 そんな恐ろしいケダマモドキであるが、事情を知らぬ外来人が硬骨魚類のウナギと勘違いして捕まえようとするケースは珍しくない。幸いケダマモドキは清流にしか住み付かず、大抵そういった清流の近くには事情をよく知る現地民の存在がある。そのため、実際にケダマモドキの餌食になる人間はそう多くはない。

 

 しかし、サバイバル嫌いのハピネスにこんな雑学じみた事情など、当然知る(よし)はない。

 

「おいハピネス。少しは手伝う素振りでも見せたらどうだ――――うわっ。ハピネスがすごい死んでいる」

 

 ヤマメの捕獲に勤しんでいたラデックが気付いた頃には、巨大な毛玉が今まさに川岸から水中へと帰って行く寸前であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲェッホッ!!! ガハッ!!! アッ!!!」

「おお、蘇生した」

「うっ、うなぎっ!! うなぎは!?」

 

 ラデックの生命改造の異能により、ハピネスは無事死の淵から生還することが出来た。しかし、蘇生直後にも(かかわ)らず、ハピネスは血相を変えて己の獲物を探し始める。

 

「あれはウナギじゃない。ケダマモドキだ。ヤツメウナギの仲間ではあるが、身はゴムみたいで生臭い。ハッキリ言って不味いぞ」

「うなぎだろう!! どっからどう見てもうなぎだった!!」

「似てはいるが、よく見ると目の後ろに(えら)の穴が7つ並んでいる。あと、ひっくり返せば分かるが口が化け物だ」

 

 ハピネスは全身から力が抜けて草原に倒れこみ、情けない泣き声をあげる。

 

「ふにぃぃぃぃ……!! そんな……うなぎ……。ラデック君!! 今すぐうなぎを捕まえてきなさい!! 早く!!」

「その前に助けてやったお礼くらい言ってもいいもんだが」

「そんなことはどうでもいい!! もう舌が完全にうなぎを欲しているんだ!! うなぎ食べたいうなぎぃ〜!!」

「……ピガット遺跡では灰亜種(はいあしゅ)の使奴に勝ったらしいが、なんでヤツメウナギなんかに負けるんだ。ジャハルが知ったらすごい顔するだろうな」

「うなぎ食べたい〜!!」

 

 両手足をバタつかせていじけるハピネス。笑顔による文明保安教会の王の落魄(おちぶ)れた姿に溜息を吐きながら、目を逸らすように川の方を見つめる。

 

「しかし変だな。図鑑とは生態が違うのか……?」

「いいや、そうではないだろうな」

 

 ラデックの独り言に、背後から回答が返ってきた。振り向くと、そこには釣竿を担いだカガチが立っていた。

 

「イチルギに言われて様子を見に来た。そこの芋虫(ハピネス)は餌に使っていいのか?」

「別にいいだろうが、ヤツメウナギくらいしか釣れないぞ」

「等価交換か。非効率的な餌だ」

 

 カガチは川縁に胡座をかき、釣り針を川へ投げ入れた。

 

「使奴も釣りをするんだな。直接捕まえた方が早そうなものだが」

「無論手掴みの方が早い。だが、釣りは私の数少ない趣味の一つだ」

「お、気が合うな」

「合わない」

「悲しい」

 

 カガチとは少し離れたところで、ラデックも同じように釣り糸を垂らす。

 

「カガチ。さっき言っていた“そうではない”ってのはどう言う意味だ?」

「図鑑通りの生態という意味だ」

「俺が見た図鑑では、ケダマモドキは大型の哺乳類や鳥を捕食すると書いてあったんだが……。ここは草原のど真ん中だ。熊や鹿はこんな見晴らしのいいところまで出ては来ないんじゃないか?」

 

 ラデックの疑問に、カガチは黙って川の上流を指し示す。

 

「上流に何かあるのか?」

「……ケダマモドキは川を遡上(そじょう)する生物だ。だが、ここより下流はどこも同じくだだっ広いだけの野原。だとすればケダマモドキの生まれた区域は更に上流のはずだが……、こんなところで棲み着いてしまっているということは、何らかの理由で上流に戻れなくなったんだろう」

「何らかの理由? 上位捕食者とかか?」

「ケダマモドキは天敵程度に怯む生物じゃない。恐らく、原因はアレだろうな」

「アレ?」

 

 カガチが川の中洲を指差す。綺麗な花がぽつりぽつりと咲いているだけの何の変哲もない中洲。そこに、ラデックは到底似つかわしくない物体を目にする。

 

「――――うっ!」

「ケダマモドキはウナギに擬態する割には水質変化に弱く、不純物の少ない清流を好む。過去には工場排水の河川放流によって棲家を失い、数km離れた隣の川まで陸を這って移動したという記述さえある。こんな餌の少ない草原ど真ん中でも、上流よりはよっぽどマシなんだろう」

 

 川のせせらぎに水草が揺れる。その度に、隙間に引っかかった“人間の眼球”がふたつ。ラデック達を恨めしげに睨んでいた。

 

 

 

 

 

〜診堂クリニック 羊煙村〜

 

「死体の腐敗具合からして、この辺りの筈ですが……」

 

 一行は目玉の“持ち主”を探すため、シスターとカガチを先頭に川の上流を目指していた。草原はいつしか木々が生い茂る渓流へと姿を変え、起伏の激しい地形と高い湿度が容赦無く体力を奪っていく。シスターが石に(つまず)き大きく姿勢を崩すと、カガチ腕を引っ張って転倒を防いだ。

 

「あ、ありがとうございます。カガチさん」

「いい加減強がっていないで大人しく運ばれろ、邪魔臭い。ナハル!」

「い、いえ。私は大丈夫です」

 

 ナハルはシスターに駆け寄り、背を向けてしゃがみ込む。

 

「どうぞ、シスター」

「ほら、さっさと乗れ。それともあっちに乗るか?」

 

 しかめっ面のカガチが親指で後ろを指差す。そこには邪悪な笑顔を浮かべるラルバと、真っ青な顔で白目を剥く背負われたハピネスの姿があった。

 

「シスターくぅん……こっちのと交換してよぉ……」

「安心しろ! ラルバ運送の定員は2人だ! スリリングでデンジャラスなエクストリームアトラクションは随時参加者募集中だぞ!」

 

 ほぼ1択の2択を迫られたシスターは大人しくナハルにおぶられ、一行は再び前に進み始めた。

 

「ラルバちゃ〜んジャンプ!!!」

「ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 例外として、2名は垂直に飛んでいった。

 

 そこから十数分も歩くと、木々の奥に複数の家屋が見えた。建物の数は10軒ほど。決して大きくはないが、外に干された衣服や畑道具に機械を使っているところからして、決して貧しい暮らしをしている様子ではなかった。

 

 だが、違和感はすぐに訪れた。

 

「人が……いないな」

 

 ハザクラは辺りを見回すが、まだ夕暮れには程遠い時間だというのに誰1人として村人が見当たらない。しかし、真新しい干された衣服に地面に描かれた子供の落書き、決して廃村などでもない。

 

「ハザクラちゃんハザクラちゃん」

 

 ハピネスを背負ったラルバがハザクラの肩を叩いた。

 

「あっちのお家入ってごらんよ。真吐き一座のミュージカルより面白いもんが見れるよ」

 

 ハザクラは力一杯に歯軋(はぎしり)りを鳴らしてラルバを見上げた。ラルバと背負われたハピネスの笑顔が、どう見ても非道徳的な催しを楽しむ悪党に見えた。

 

 一軒家の扉が音もなく開かれる。凝ったドアノブの装飾。油の差された蝶番。真新しい建材と部屋の間取りからして、若い夫婦と子供の新居であろうことが分かった。希望に溢れ、愛に満ちた新婚生活。その(いしずえ)となるであろうリビングルームには、部屋を覆い尽くす血飛沫と、1人の若い男の死体があった。

 

「こ、これは……!」

 

 ハザクラは急いで扉を閉め、青褪(あおざ)めたまま別の家屋へと走り寄る。恐る恐る窓を覗くと、女性がベッドの上で首を切られて死んでいるのが見えた。

 

「ぐっ……クソっ!」

 

 ハザクラは自分の脚を力一杯叩き、目を強く(つぶ)って拳を握る。ハピネスがラルバの背中からするりと降りて、ハザクラの横に立って同じように窓を覗き込んだ。

 

「”義殺衝動(ぎさつしょうどう)“だねぇ。好意と殺意の区別がつかなくなり、殺害行為への躊躇(ためら)いが無くなってしまう、大疫病(だいえきびょう)の一つ。この村はきっと団結力が強かったんだろうね。村一つを大きな家族として暮らしていた。だから、たった1人の感染によって全員が殺害されてしまった。感染者の男も、罪の意識から自ら命を絶った……。ま、大疫病が流行(はや)ったにしては割とマトモな終わり方だ。これが”暴食症(ぼうしょくしょう)“や”博愛譫妄(はくあいせんもう)“だったらセンスのないホラー小説みたいなことになってただろうね」

「ハピネス……お前、知っていたのか?」

「何を?」

「あの男が義殺衝動に感染していたことをだ!! 死体はどれもつい最近のものだ! 俺達がもう少し早く来ていれば助けられたかもしれないのに……!!」

「なーんで私がここを知ってるのさ。ついさっき来たばっかだって言うのに」

「お前ならとっくに覗き見で――――」

「馬鹿が」

 

ハザクラの言葉に、ヘラヘラ笑っていたハピネスは突然笑顔を引っ込めて怒りの籠った冷たい眼差しを向ける。

 

 いつもと違う。単純でなんの含みもないハピネスの罵倒に、ハザクラは何か取り返しがつかないことをしてしまったような気がした。いつものハピネスなら、モラルのないジョークや、正論だけを振りかざした説教を繰り出していたであろう。しかし、今回はハピネスのみが気付いていた“何か”があった。それを、何も知らない自分の発言が台無しにした。背筋を冷や汗が伝い、数秒の沈黙が数時間にも思えた。

 

「ジャハル」

「え?」

 

 ハピネスに突然名前を呼ばれたジャハルは、何故名前を呼ばれたのか分からずハピネスの顔を見る。その直後、ラルバが虚構拡張を発動して景色を星空へと塗り替えた。

 

「ハピネっつぁーん。ハル坊に無言の指示出し聞き取れっちゅーのは無理があんでない?」

 

 夜空を埋める星々と石畳が無限に広がる虚構拡張の中、ラルバが陽気に笑ってみせる。しかしハピネスは眉間に(しわ)を寄せたまま、威嚇(いかく)するように口を開いた。

 

「私の覗き見の異能は、他者からは見えない思念体を操作する異能だ。だが、その思念体を視認する方法は皆無というわけじゃない。透視の異能、観測の異能、全知の異能、異能同士の鍔迫(つばぜ)り合いに負ければ視認されてしまう。そしてもう一つが、奇跡的にも“同じ異能者“に出会った時だ」

 

 この発言で、ハザクラは(ようや)く気がついた。己の犯した間違いを。

 

「言わなかった。言えなかった。私達は、火雷(ひがみなり)川からずっと、”見られていた“んだよ」

 

 川で目玉を発見してからラルバがハピネスを背負ったのも、時折ジャンプや急加速をして遊んでいたのも、全てはハピネスを敵対者の視界から外す為。今思えば、義殺衝動に感染した男についてハピネスがはぐらかし続けたのも不自然。あれが、あの時に出来る、異能に言及するなという精一杯のアピールだったのだ。使奴達は全員それらの意味に気付いていたが、人間であるハザクラ達に知る由はなかった。

 

「出来ればラルバが異能者だと言うのも知られたくなかったが、まあ仕方ない。どうせラルバの楽しみが一つ二つ減る程度だ」

「ええ困るよぉ!!」

(ただ)し、気をつけ給えよハザクラ君。今回はこの程度で済んだが、これが仲間の生死を分ける瞬間になったりもするんだ。戦争に開戦の合図がないように、個人の戦いにも合図はないんだ。先手必勝、搦手(からめて)上等。食事中でも排泄中でも交尾中でも睡眠中でも、油断した奴から死んで行く。君はその最前線に居るってことを、もう少し自覚し給え」

 

 ハピネスの光の無い目玉に睨まれ、ハザクラは目を伏せて歯を食い縛る。

 

「……ああ。肝に銘じる」

 

 ハピネスはやれやれと溜息を吐き、大きく背伸びをしてからいつもの薄気味悪い笑顔で笑いかけた。

 

「じゃ、何か良い感じに面白いことになったから、面白いことをしちゃおうか!!」

 

 突発的に訪れた狂気に、ハザクラはいつもの薄気味悪い嫌な予感がして一歩下がった。しかし、さっきの今でハピネスに逆らうことが出来ず、意見することはかなわない。

 

「ジャハルちゃんジャハルちゃん。ちょっとこっちおいで」

「え? え? い、いやだ」

「嫌じゃない!! でもって〜ラデック君! こっち!」

「変なことじゃ無いだろうな」

「大丈夫大丈夫!! ちょっと面白いことをしたいだけだから」

「変なことじゃ無いだろうな」

「うるさいね君。いいからこっち立って〜ジャハル君はここ!」

「嫌だってば――――うわっ! 気持ち悪い! 何だこれ!」

「ここでラデック君が――――」

 

 

 

 

 

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院〜

 

「ひっ、きゃあああああああ!!!」

「ど、どうした!?」

「い、院長が、院長が!!!」

 

 診堂クリニック西部。第一診堂中央総合病院直属の5大病院の一つ。第三診堂総合病院。その院長、ムスリナ・エルフロフント。統合医療研究センター西方支部の支部長であり、地獄耳の異名で恐れられる権力者。

 

「おぷぺ? おぺぽぷっぽぺっぽぽ?」

 

 その恐ろしいムスリナ院長が、タコのように両手足を暴れさせながら舌を突き出して病院の廊下を這い回っている。ラデックによる生命体改造、その負荷をジャハルが覗き見の異能の思念体を通して入れ替える。ピガット遺跡で成長したハピネス考案の、不躾な覗き魔を返り討ちにする極めて悪質な作戦。

 

 覗き見の異能でラルバ達の覗き見をしに行ったまでは良かったものの、間抜けにも虚構拡張に囚われてしまったムスリナは、ハピネスの悪意によって想像を遥かに超える代償を支払うこととなってしまった。

 



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144話 地獄の特急列車

〜診堂クリニック 東部警察署 拘置所 (ハピネス・ラプー・シスター・ナハルサイド)〜

 

 無機質なコンクリートの小部屋。冷たい鉄格子、綿の少ない潰れた布団。ペラペラのリネン服に身を包んだシスター。

 

「……納得行きません」

 

 不満げ、と言うよりは観ずる他無しと言ったシスターのぼやきに、隣の独房にいたハピネスがケラケラと笑って答える。

 

「そりゃあ診堂クリニック側の台詞だろうよシスター君。長閑さが売りの農村で、感染経路不明の大疫病の流行。関与していたのは入国審査待ちの旅人である我々のみ。そら普通は捕まえるさ。寧ろ感染を疑われて即焼却処分とかされないだけマシだね」

「ふざけるなこの道化が!!」

 

 更に隣の独房にいたナハルが、鉄格子を掴んで吠える。

 

「よくもシスターの経歴に傷をつけてくれたな……!! お前の目論見が何かは知らんが、下劣な道楽に巻き込もうと言うならば額の火傷痕が全身に広がると思え……!!」

「ナハルちゃんあんまり大声上げると看守来るよ」

「……ここを出たら覚悟しておけよ」

「独房ってのも意外に快適だね。こんな恐ろしい怪物から私を守ってくれるんだから」

 

 憤怒の相を浮かべるナハルを窘めるかのように、天井のスピーカーからアナウンスが鳴り響いた。

 

「拘留番号3番、拘留番号3番。取り調べの時間です。直ちに準備を済ませて、4番通路へ来て下さい」

 

 アナウンスの終了と共にナハルのいた独房の電子錠が解除される。

 

「ハピネス、変なことするなよ。シスター、この狂人の言うことに耳を傾けないで下さいね!」

 

 目くじら立てながら通路を進んで行くナハルを、ハピネスとシスターは手を振って見送った。ハピネスはここぞとばかりにシスター側の独房に擦り寄って話しかける。

 

「ねえねえねえねえ、ずっと不思議に思ってたんだけどさ、何で付いてきたワケ? お姉さん気になるなぁ〜」

「ハピネスさんが誘ったんじゃないですか……」

 

 羊煙村で義殺衝動による大量殺人事件と遭遇した後、あらぬ容疑を掛けられぬ為ラルバ達はすぐさまその場を離れた。しかしハピネスは何故かその場に残り、その上奇妙にもシスターに奇行の誘いをかけた。当然村に残れば逮捕は必至、一歩間違えれば不法入国と大量殺人で打首獄門。突飛で不可解な蛮行に、あろうことかシスターは首を縦に振った。

 

「それにしたって異常だ。お陰でナハルも付いてきたし、その所為で私は護衛にラプーを呼ばざるを得なかった。君の我儘の所為で2人も迷惑してるんだよ? ちょっとは申し訳ないとか思ったりしないのかねぇ」

「前々から気になっていたんですけど、ハピネスさんってラルバさんと出会うまでは奴隷同然の監禁生活だったんですよね? その傲慢さと愚かさはどこで覚えたんですか? 生来のものだと言うなら愁傷と言う他ありませんが」

「シスター君、割と言うねぇ」

「貴方のような人間と対峙した者ならば誰でもこうなります」

 

 シスターが敷きっぱなしの煎餅布団に潜り込んで態とらしい狸寝入りを決め込むと、ハピネスはつまらなそうに口先を尖らせて布団の上に寝転んだ。

 

「少しだけ言うのであれば……」

 

 シスターが布団にくるまったまま独り言のように呟く。

 

「貴方が私を誘った理由が知りたかったんですよ。貴方が私を何に利用し、何をさせようとしているのか。私の何を擽ろうと言うのか……」

「……ほお。シスター君は、私の悪ふざけに付き合ってくれるのかい?」

「状況によりけりですが、貴方は私をその気にさせる方法を知っているのでしょう」

「まあ、ね」

 

 ハピネスはニヤリと笑って天井を睨む。

 

「考えを改めなければな。君は相当に“優秀な”人間のようだ」

「それはどうも」

 

 

 

〜診堂クリニック 東部市街地 にぎやか通り (ラルバ・バリアサイド)〜

 

「あんれぇ? ラデックは?」

 

 屋台で購入したサンドイッチを咥えながら、ラルバは背伸びをして辺りを見回す。しかし、買い物客でごった返している屋台通りの中では、幾ら長身のラルバと言えど大して見通せはしなかった。隣では同じくサンドイッチを頬張るバリアが、視線を地面に這わせて歩みを合わせている。

 

「さっきゾウラと公園に向かってたよ。結構燥いでたし、多分夕暮れまで戻って来ないんじゃないかな」

「何で公園なんか」

「大道芸やってるらしいよ。目玉は十尺一輪車だって」

「私の方が凄いことできるぞ」

「じゃあ乱入してくれば?」

「……それもいいな」

 

 ラルバがサンドイッチの最後の一口を飲み込む。その時、少し離れたところで群衆の響めきが聞こえてきた。

 

「ふざけんじゃねぇぞオラァ!!」

「土下座しろ土下座!!」

 

 何やら穏やかではない喧騒に、ラルバは好奇心丸出しで人混みを掻き分けていく。

 

「おっ、何だ何だ? 喧嘩かぁ? 悪いのはどっちだ? どっちもか?」

 

 とあるアクセサリー露天商の前で、粗暴な態度の女性2人が1人の赤い髪の男性に向かって短剣を突きつけている。

 

「このクソ野郎が!! 誰のアクセがパチモンだってぇ!?」

「ゴミクソセンスのガキが、知ったかぶって舐めた口利いてんじゃーねーよ!!」

 

 女性2人の野蛮な嚇怒に、赤い髪の男は怯むどころか不敵に笑って嘲って見せる。

 

「餓鬼はテメェ等だ迂愚畜生が!! この仕込み刃のネックレス、どっからどう見ても三本腕連合軍が開発したサイレンス機構の猿真似じゃねぇか!!」

「あぁ!? 知るか!! ウチらの方が先に作ってんだよ!! なぁにが猿真似だ!!」

「はっ。こんな酔っ払いが作ったみてーに狂ったピッチで、よくもまあ威張れたもんだぜ!! この程度の規格で起源を謳うなんぞ100年早い!」

 

 互いにチンピラ紛いの口論を続ける様子を、遠巻きに眺めながらラルバがぼやく。

 

「……意外と両方悪そうだな。やぁん迷っちゃう」

 

 やる気なさげな発言とは裏腹に、ラルバは気付かれないよう手に魔力を込める。毒魔法によって生成された小さな蜥蜴は、地面を這って言い争いをする3人の元へ向かって行く。

 

「――――仕込み刃の切れ味もたかが知れてるぜ!! 妖金ケチって魔力が全然ノらねー……ん?」

 

 毒魔法の蜥蜴が赤い髪の男に飛びかかろうとした瞬間、赤い髪の男が咄嗟に足を引いて魔法を発動した。

 

「っ!! 万象の拒絶(パーフェクト・フィールド)!!」

 

 不必要な技名と共に翳された手を中心に、細かい六角形の鱗で形成された半透明の防壁が赤い髪の男を覆った。毒魔法の蜥蜴がその防壁に触れると、波導を狂わされ炙られた氷のように溶けて消えてしまった。

 

 赤い髪の男は口論していた女性達に背を向け、人混みの中にいたラルバの方を睨み指を突きつける。

 

「コソコソしてんじゃねぇ出歯亀野郎!! “デクス”と一戦交えたきゃ、名乗りを上げて前に出ろ!!」

 

 群衆は指差されたであろう人間を探すように一歩下がり、呆然と立っていたラルバと赤い髪の男の間に道が出来る。人混みに身を潜め気配を消していたラルバは、自分の居場所がバレたことに驚きつつも楽しそうに笑った。

 

「……やるねぇ。私の名前はラルバ!! 悪者退治を生業とする正義のヒーローだっ!! 弱い者イジメは許さん!!」

 

 髪を掻き上げ見得を切るラルバ。赤い髪の男は嘲笑して鼻を鳴らし、自分もド派手な真っ赤なマントを広げて決めポーズを取る。

 

「“地獄の特急列車”デクス!! テメェ見てぇな大ホラ吹きの偽善者野郎を裁く、正義の執行者だ!!」

「え? 何? 地獄の特急列車? それってマジのチーム名? ダサくない?」

「教養のねぇダボカスにゃあ美学は理解不能だろうな!!」

「美学に謝れよ」

 

 デクスと名乗る男は、ボールを投げるように振りかぶって魔法を放つ。

 

「さあ踊れ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!!」

「名前ダサッ」

 

 デクスの手から放られた火炎を纏った火の弾が、真っ黒な煙と紫の焔の尾を引いてラルバに向かって行く。そして、それはラルバの顔面へと命中し一際大きな火花を散らした。

 

「〜っ!! よくもやったなコノヤロー!!」

 

 焼け焦げた鼻を回復魔法で治癒しながら、ラルバは勢いよく走り出す。しかし、その走りは使奴にしては鈍く、常人のそれよりも少し早い程度だった。ラルバは己の身体能力の低下に強い違和感を覚えるが、デクスは容赦なく連続して魔法を放った。

 

「トロいぜ亀女!! もう一発喰らえ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!!」

 

 これを受けてはいけない。そう思いラルバは咄嗟に体を捻り、更には防御魔法を発動して火の弾から身を守る。しかし、デクスの放った火の弾はまるで吸い込まれるかのようにラルバの方へと軌道を変え、あろうことか防御魔法は“発動しなかった”。

 

「ぐっ――――」

 

 再び火の弾がラルバの顔面へとヒットする。ダメージとしては中の下。常人が使用する攻撃魔法と何ら変わりはない。しかし、それをラルバは躱せない。

 

「まだまだ行くぜぇ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!!」

 

 ラルバは素早く地面を蹴り、目にも留まらぬ速さでデクスの頭上へと飛び上がり手刀を放つ。しかし、手刀はデクスの頭部数センチ横を空振りして空を切った。

 

「なっ――――」

「残念ハズレだ!!」

 

 デクスの放った火の弾が、再びラルバに命中する。側頭部に被弾し、ラルバの真っ赤な角がへし折れ破片が宙を舞った。

 

「そんじゃもういっちょ――――あっ!! いっけね!!」

 

 デクスは魔法を中断し、何かを思い出して背を向けた。

 

「そういやまだ今日昼飯食ってなかった!! デクスの弁当が冷めちまう!!」

 

 ラルバの発した光魔法の円刃がデクスの首筋を捉える。しかし、またしてもそれは狙った場所を外れて明後日の方向へと飛んで行った。

 

「この勝負はお預けだ!! 命拾いしたな!!」

 

 デクスが足元に手を翳し隠蔽魔法を発動する。そこへラルバの光魔法による2枚目の円刃が迫るが、命中より早くデクスの魔法が発動した。

 

闇曇影渡り(ダーク・アウト)!!」

 

 デクスの姿が一瞬にして消え、代わりに真っ黒な煙幕が辺りを覆う。ラルバが慌てて追撃を仕掛けるが、それがデクスに届くことはなかった。

 

「ラルバ、大丈夫?」

 

 側で観戦していたバリアが近づいてきて首を傾げる。しかし、ラルバはデクスのいた地面を見つめて微動だにしない。

 

「……見てる分にはラルバが態ともらってるようにしか見えなかったけど、あれって避けなかったの? 避けられなかったの?」

「…………避けられなかった」

「不可避の異能かな。若しくは回避操作? 前例が無いから何とも言えないね」

 

 ラルバが徐に立ち上がる。依然として自分からは口を開こうとしないラルバに、バリアは余所見をしたまま話しかける。

 

「なんか、嫌な予感がするね。今までの経験上、こう言う変な異能者がいた時は碌なことにならない」

「嫌な予感……か。私は、そうは思わない」

「じゃあどう思うの?」

 

 感情の読み取りづらいラルバの物言いに、バリアはラルバの顔を覗き込んで尋ねる。するとラルバは

 

「めちゃ不愉快な予感がする」

 

 過去一番間抜けでブサイクな変顔をして嫌悪感を露わにしていた。

 

「そ、じゃあ帰る?」

「いや行くけどさぁ……。取り敢えず一番偉い奴んとこかなぁ……。今回あんま楽しくなさそう」

「じゃあサボりつつ行く?」

「さんせー。どうせハザクラ達が先に到着するだろうし、焼肉屋寄っていこーよ。タレたっぷりのお肉食べたい」

「私あれ嫌い」

「うっそぉ」



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145話 大河の氾濫

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 待合室 (ハザクラ・ジャハルサイド)〜

 

「会えない? 一体どうして……」

「何分、院長はご多忙ですので」

 

 受付の男性に、ジャハルは半ば追い払われるように断られた。受付の男性はジャハルの要望を誰かに取り継ぐ素振りも見せず、子供の我儘を遇らうが如く拒絶する。

 

「どうぞお引き取り下さい」

「だが、せめて日程の確認だけでも――――」

「お引き取りを」

 

 取り付く島もなく、ジャハルはハザクラに手を引かれる。

 

「出直そう。ジャハル」

「……ああ」

 

 悔しさから足元にを向けるジャハル。その目をふっと上げると、こちらを睨んでいる看護婦と目が合った。そこでジャハルは思い出したかのように周りに目を向ける。病院を出るまでの間、患者も、従事者も、病院内の人間全員がジャハル達を差別的に睨み続けていた。その視線に、ハザクラがどこか寂しそうに呟く。

 

「……やっぱり、相当嫌われているな」

 

 診堂クリニックは、その医療技術の高さから数多くの患者が国外から訪ねてくる。その為に各国があの手この手で診堂クリニックのご機嫌を取ろうと躍起になっている。それは感謝やお礼と言うよりは、国を挙げての熾烈な病床争いと言えるだろう。

 

 しかし、当の診堂クリニック側はこのことを喜ばしく思っていない。それは、【疫病の国】と言う不名誉な蔑称が流行していることに他ならない。大疫病の感染源というだけで、大疫病の流行や、その全てが未解明という不都合の責任を、診堂クリニックは全て負わされている。加えて“医療大国”という言葉が、未だ大疫病の研究が進んでいないことへの皮肉としても語られることに強い憤りを感じている。その為、診堂クリニック国民は往々にして外国人に忌避的であり差別思想が強い。これらを象徴的に表している規則の一つとして、外国人の治療の際には入国から出国まで、”不慮の事故による医療ミス“を防ぐ為に、同じ国出身の医療従事者2名の同伴が義務付けられている。

 

「その大疫病も、診堂クリニック総合院長の使奴”ホウゴウ“の異能によって流行が抑えられている」

 

 病院の駐車場まで戻ってきたハザクラが、出入り口に立っている警備員に許可証を返却する。後ろを振り返ると、巨城のように聳え立つ診堂クリニックが太陽の光を反射してギラギラと輝いている。それは患者を優しく迎え入れる神殿のようでもあり、不躾な外国人を拒絶する要塞のようにも見えた。

 

「……異能の詳細が知りたいが、イチルギ達ウォーリアーズが旅をしていた200年前から、ホウゴウは復興派の使奴を嫌っている。だが、世界を統べる為には彼女の協力は必要不可欠だ」

 

 そう言ってハザクラが再び前方に視線を戻すと、遠くから見慣れた殺人鬼のシルエットがこちらへ歩いて来ているのが見えた。

 

「やっほークラクラちゃん! 悪い奴殺したー?」

「お前と一緒にするな」

 

 公共の場所にも拘らず躊躇なく物騒な発言をするラルバを、ハザクラが面倒臭そうに遇らう。ラルバの後をついて来ていたバリアは、何かを探すように辺りを見回して尋ねる。

 

「ハザクラ、イチルギは一緒じゃないの?」

「はい。彼女は一応まだ世界ギルドの重役扱いです。診堂クリニックは使奴に対して差別的ですし、どちらの意味でも自由の身ではありません。ここへ来たのは俺達2人だけです」

「ふぅん。やられたね」

「やられた?」

 

 バリアが周囲を睥睨してから一点に視線を送る。その視線の先には、こちらへ歩いてくる2人の人影があった。

 

 背の高い女性の方は、真面目そうな黒髪ロングに縁の細い眼鏡、黒を基調としたセーラー服に似た衣服を身に纏っており、額には衣装に似合わぬ黒いレンズのゴーグルが水泳選手のようにかけられている。キリッとした顔立ちにピンと伸びた背筋、ただ前に歩いていると言うだけで、彼女の思想と育ちの良さが窺える。

 

 背の低い男性の方は薄い紫の長髪で、目元までを前髪が深く覆っており素顔は窺えない。しかし、緊張で歪んだ口元と不安そうに丸めた猫背から、隣を歩く黒髪の女性とは正反対の気弱な性格であろうことが容易に読み取れる。服装は魔術師の着るローブによく似た、白と紫のラインが入った分厚い生地のコート。そして両手で握り締めた金属製の杖。この二つが、彼が後衛術師であることを物語っている。

 

 2人はハザクラ達の方を向いて真っ直ぐと歩いて来ている。ハザクラは自分に用があるのだろうかと彼女らに向き直るが、ラルバがハザクラよりも前に出て見下すように笑って見せた。その敵意丸出しの笑みに、ハザクラはこれから起こるであろう一波乱を想像し、瞼に力を入れた。

 

「こんにちは」

 

 黒髪の女性が機械のように無機質な動作で腰を45度傾け会釈をする。ラルバはニヤニヤと不気味に笑ったまま首を傾げる。

 

「使奴を視界から外すたぁいい度胸だ。酔狂の間違いかもしれんが……」

「初対面の相手には挨拶をするのがマナーです。ヴェラッド」

 

 ヴェラッドと呼ばれた背の低い男性は、ラルバに酷く怯えた様子で震えながらも小さく頭を下げた。ヴェラッドの震える背中を、黒髪の女性が優しく摩る。

 

「どうか気を悪くされないで下さい。彼は優秀ですが、コミュニケーションは得意ではありません」

「コミュ障を優秀とは呼ばんだろ」

「不適切な評価です」

「使奴に口答えするか」

「発言者の地位や能力で、反論の価値は変動しません。ヴェラッドに謝罪を」

 

 黒髪の女性の毅然とした態度に、ラルバは不機嫌そうに眉を顰めた。これ以上の挑発は無意味と判断し、ラルバは一歩前に足を踏み出そうとする。そこへ突然、上空から雄叫びが降って来た。

 

神速の邪牙(ソニック・ファング)!!」

 

 センスは無いが威勢のいい技名と共に落下して来た人影。これをラルバはひょいと後ろに飛んで躱す。さっきまでラルバの立っていた場所に雷魔法の刃が樹木にように広がり、ひび割れて粉々に砕け紙吹雪のように舞い散った。その紙吹雪の中から、術者の男は顔に手を当て格好良いと思い込んでいる決めポーズで言い放つ。

 

「悪党共よ、懺悔と恐怖に打ち震え、膝突き赦しを乞い願え!!! デクス!! ヴェラッド!! バシルカン!! 3人合わせて、我ら”地獄の特急列車“!!!」

 

 先程露天商の女性達と揉めていたデクスとの思わぬ再会に、ラルバは炭鉱夫の靴の臭いでも嗅がされたかのように顔を顰めて口先を尖らせる。そして、それは奇遇にも相手方も同じであった。

 

「デクス、嘘を吐かないで下さい。それと、その自己紹介は控えて下さいと言った筈です」

 

 黒髪の女性の冷淡な否定に、ヴェラッドが何度も小さく首を縦に振って同意を示す。しかしデクスは聞く耳を持たず、ラルバに向けて指を突きつける。

 

「まさか、こんなに早く再戦の機会が訪れるとはな!! だが安心しろ!! デクスは弁当食って満腹だ!! 今度こそ灰になるまで焼き尽くしてやる!!」

「近所迷惑になるからもう少し静かにしろよ思春期野郎」

「静かな場所がご希望か!? なら、早速墓場に案内してやるぜ!!  絶対征服の魔手(インペリウム・オーバーロード)!!」

 

 デクスが胸の前で両手の指を組み合わせ、勢い良く左右へ弾き広げる。すると、周囲の景色が“塗料が溶ける”ようにして緩やかに消え去って行く。虚構拡張の気配を感じたハザクラは、自己強化を挟んでから虚構拡張の範囲外へと飛び出した。同じくバリアもジャハルを抱えて飛び退き、範囲外へと脱出する。次第に虚構拡張による漆黒のドームが形成されて行き、間も無く巨大な球体が完成した。

 

 虚構拡張の内部では、ラルバがこの上なく嫌そうに顰めっ面に皺を寄せている。辺りは何処までも続く闇が広がっており、目を凝らせば薄らと大量の巨大な目玉や人間の顔がこちらを見つめているのが分かる。足元は古びたコンクリートのようで、大量の虫の死骸が転がっている。光源は一見存在しないように見えるが、辺りはスポットライトで照らされているかのように明るくなっている。

 

「……絶対もう少しマシなネーミングあるよなぁ。“めちゃ怖お化け屋敷”とかどう?」

 

 ラルバの文句に、デクスは舌を出して笑う。

 

「言葉には気をつけたほうがいいぜ? 何せ、いつそれが遺言になるか分からねぇんだからな!! ヴェラッド!!」

 

 ヴェラッドはデクスに名前を呼ばれ、ビクッと体を震わせてから防御魔法を詠唱し始める。それを阻止しようとラルバが地面を蹴って走り出すが、その動きはとても使奴とは呼べない程緩慢であった。一切不自由を感じていないにも拘らず速度を落とした自分の体に、ラルバは舌打ちをして呟く。

 

「ちっ……またコレか」

 

 謎の力、恐らく異能による影響を受けてラルバの先制攻撃は大きく減速した。常人にしては充分速い動きではあるが、デクスがカウンターを繰り出すには申し分ない余裕だった。

 

「くくく、隙だらけだぜ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!」

 

 デクスの手から放たれた炎魔法の弾丸は、毒々しい紫の尾を引いてラルバに真っ直ぐ飛んで行く。ラルバは迎撃しようと反魔法と水魔法を同時に発動するが、どちらも波導が不自然に乱れて不発となる。そのまま炎魔法の弾丸はラルバの頭部に命中し、治療されたばかりのラルバの角を破壊した。

 

「あー!! 治したばっかなのに!!」

「安心しろ!! すぐに全身ズタボロになって気にならなくなるぜ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 虚構拡張の外。隔離を免れたハザクラは、ジャハルに向かって唐突に言い放った。

 

「ジャハル、走れ」

 

 ジャハルは一瞬言葉の意味を考えるも、すぐに状況を理解して出来る限り素早くその場を離れた。残されたハザクラとバリアの2人は、自分達と同じく虚構拡張の隔離を免れた黒髪の女性の方を見る。

 

「バシルカン……と言ったか」

 

 ハザクラは黒髪の女性、バシルカンに向かって一歩近づく。しかし、バシルカンは穏便な対応をとる様子もなく、長い髪を束ね始めた。セーラー服のロングスカートに入った大きなスリットを広げ、邪魔にならぬようスカート全体を尻尾のように腰の後ろで結ぶ。

 

「待て、バシルカン。俺達は貴女と戦いたくない」

「私もです。そして、それは概ね全人類に言えることです」

「俺達は敵同士じゃない。協力し合える筈だ」

 

 バシルカンは眼鏡を外して代わりに額のゴーグルを装着して構える。

 

「話し合いによって建設的な結果が得られるのであれば応じます。しかし、この場ではファイティングポーズこそがマナー足り得ましょう」

 

 緩やかに吹いた風に、バシルカン束ねられたの髪とスカートが靡く。彼女は、人道主義自己防衛軍総指揮官と使奴部隊を相手に、単独で宣戦布告をした。

 

「我ら世界ギルド。”大河の氾濫“所属、バシルカン。着任します」



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146話 恐慌の手番

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 関係者用出入り口〜

 

 警備員の監視の隙間を縫って、紺色の人影が施設の中へと吸い込まれるように入って行く。中にいた警備員が退屈そうに欠伸(あくび)を溢した直後、紺色の人影が背後から両腕を首に絡めた。

 

「ふぁ〜あ……あっ!?」

「すまない、許してくれ」

 

 ジャハルは警備員を締め上げて昏倒させると、警備員から制服を剥ぎ取って袖を通す。帽子をなるべく目深に被り関係者様通路に入ると、足早に階段へと向かいながら先程起こった出来事の顛末を推測する。

 

 突如目の前に現れた“バシルカン”と名乗った黒髪の女性。その従者“ヴェラッド”と、加勢に来た“ゼクス”という男。そしてハザクラとバリアの態度。恐らくは敵勢力。しかし、世界の名だたる強者達、凶悪犯、そのどれとも一致しない。世間から秘匿にされた存在。そして、それによく似た特徴を持つ団体を、ジャハルはつい最近目にしている。

 

「……世界ギルドの秘密部隊が、どうしてハザクラを……」

 

 今のジャハルはこの疑問を解決する術を持たず、兎にも角にも今はハザクラの命令に従い、己の役目を全うする他ない。ハザクラがジャハルを逃した理由、自分達を拒絶し、バシルカンを盾に隠れ続けている使奴。診堂クリニック総合院長、“ホウゴウ”への接触を。

 

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 東駐車場〜

 

「リン君、検査頑張ったねぇ〜!」

「うん! ボク、泣かなかったよ!」

「偉い偉い!」

 

 ひと組の親子が、手を繋いで駐車場の真ん中を歩いて行く。その母親の跳ねた癖っ毛を、風と共に何かが一瞬触れた。

 

「うわっ! 今日は風強いわね〜」

 

 母親が髪を押さえて振り向くと同時に、母親の後ろを2つの影が突風を伴って過ぎ去って行く。それを見ていた子供が、影の過ぎ去った方を指差して笑う。

 

「ママ見て! 空神(そらがみ)様だよ!」

「ほんと〜? ママ見えなかった〜」

「ほら! あそこ! ほら!」

「え〜?」

 

 母親が鳥か何かだろうと想像して子供の指差す方を見る。そこには、太陽を背負う3つの人影が、旋風に巻き込まれた木の葉のように入り乱れて空を舞っていた。

 

「ハザクラ、速度上げるよ」

 

 バリアは空中に生成した透明な足場を蹴り、バシルカンに回し蹴りを放つ。しかし、使奴による目にも留まらぬ神速の一撃を、バシルカンは涼しい顔でひらりと(かわ)す。それを見越していたハザクラが同時に短剣による切り上げで挟撃を狙うが、これも籠手で容易く弾かれる。

 

「素晴らしい戦闘技能ですね。お二人の息をつかせぬ歯車のように噛み合った連携。感奮の極みです」

 

 常人の限界を遥かに超える速度の猛攻を、バシルカンは汗ひとつかかずに難なく対応して見せる。ハザクラは、人間である自分はともかく使奴であるバリアの攻撃も当然のように躱すバシルカンに、一際強い疑念を抱いた。

 

 使奴にも劣らぬ身体能力。恐らくは、これが彼女の“異能”。世界ギルドの秘密部隊“大河(たいが)氾濫(はんらん)”のリーダーに相応しい、使奴をも(しりぞ)ける無敵の異能。しかし、そんな最強の異能を持っていながら、バシルカンは未だ“一切の反撃をしていない”。

 

「これならどう?」

 

 ハザクラの結論の数手先を読んでいたバリアが後退して距離を取り、バシルカンの周囲に向かって波導の網を広げる。旧文明では“瓶詰めの鼠魔法”と呼ばれる拷問魔法の一種。人間には知覚出来ない波導網を展開し、内部の気圧を自在に操り対象者を死に至らしめる。

 

 直後、バシルカンは今までとは比べ物にならない速さで飛び退き、バリア達から数百m離れた地点で急停止する。そして再び急加速してバリアに近づき、観察するようにじぃっと見つめる。

 

「流石は使奴ですね。大変鋭い読みです。ですが、私の異能は“回避”ではありません。故に、攻撃には含まれない予備動作も、私の知り得ない技術も、私を止めるには至りません」

「そっか」

「信じておられないようですね。では、試しに一つご覧に入れましょう」

「いいけど、私硬いよ?」

「存じております」

 

 バシルカンは思い切り振りかぶると、そのまま何の魔法も纏わずにバリアの顔面を殴りつけた。

 

「――――――――!?」

 

 あろうことか、殆どの物理法則を無視する“防御”の異能者であるバリアが、殴られた勢いで後方へ大きく吹き飛ばされた。

 

「先生――――!!」

 

 ハザクラは思わず吹き飛ばされたバリアに体を向けてしまう。その隙をバシルカンは見逃さない。バシルカンはハザクラの首と腰のベルトを後ろから掴み、背骨に膝蹴りを打ち込む。

 

「がっ!!!」

「真剣勝負で相手から目を逸らすのはマナー違反です」

 

 そのまま投げ飛ばされたハザクラを、地面に衝突する寸前でバリアが受け止める。バリアはハザクラに回復魔法をかけながら、髪の隙間から目玉だけでバシルカンを見上げた。

 

「驚いた。まさか“同類”だなんて」

「勝負では、相手に“匹敵”するのがマナーです」

 

 

 一方その頃、虚構拡張内部。

 

「オラオラオラオラァ!! まだまだ行くぜっ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!」

 

 デクスの手から放たれた炎弾が、水平に弧を描いて地面に伏しているラルバへと飛んでいく。しかし、ラルバは回避も防御もしない。炎弾はそのままラルバの脇腹へと命中し、使奴の肉体を穿(うが)った。だが、それでもラルバは動かない。避ける避けないの問題以前に、デクスの存在など既に彼女の眼中には無かった。ラルバは、攻撃力の低いデクスよりも圧倒的に重要な“避けなければならない一撃”を警戒していた。

 

 無抵抗のラルバに炎魔法を撃ち込み続けるデクス。その爆炎の隙間から、もう1人の男、ヴェラッドの目が覗いた。

 

 ラルバの背筋に稲妻が走る。“アレ”だけは避けなければ。もう二度と“アレ”を喰らうわけには行かない。ラルバは全身の火傷を回復魔法で瞬時に治療し、“デクスの炎魔法に(わざ)と体を押し付け“再び火傷を負う。

 

「あっ、やべっ!! ヴェラッド!!」

 

 デクスは慌ててヴェラッドの方を向く。ヴェラッドは不安そうに杖をぎゅっと握り、自分に向かって突進してくるラルバと対峙する。

 

 ラルバは自分を中心に闇魔法を構築し、ヴェラッドに向けて薄く(よど)んだオーラを飛ばす。投網のように放たれたオーラがヴェラッドに触れ、彼の視界が真っ黒に染まる。音も、温度も、光も、全てが失われた世界で、ヴェラッドはラルバに向け眼光を放った。

 

 

 

 世界ギルド“大河の氾濫”所属。“ヴェラッド”。異能、“恐慌(パニック)”。

 

 

 

 ヴェラッドは幼き頃より無口な少年であった。しかし、同年代の子から虐められることもなく、かと言って親しい友人がいるわけでもなく、親兄妹から責められるわけでもなく、かと言って特別過保護に愛されるわけでもなく、平々凡々とした並の“孤独”を過ごしていた。

 

 そんなある日、幼きヴェラッドは小学校の裏で虐められている子を目にする。同じクラスの女の子。彼女とヴェラッドの接点といえば。学年が同じなことくらい。クラスも違えば目を合わせたこともない。対するいじめっ子は、ヴェラッドよりも2歳年上の上級生3人。主犯と見られる男の子は、最近スポーツの大会で優秀な成績を収めた人気者。勉学も運動も不出来なヴェラッドには到底敵う相手ではない。ただ一つの方法を除けば。

 

 ヴェラッドは、異能を使うことがどれだけ恐ろしいことか知っていた。コレを使ってしまったら、自分はもう二度とマトモに生きてはいけないだろう。そう思っていた。社会の授業で習った歴史上の異能者達のように、無惨な死を迎えるか、惨めな一生を過ごすかの2択だろう、と。ヴェラッドは聡明ではなかったが、子供にしては達観した倫理観を持っていた。

 

 先生を呼びに行こうと一歩後退(あとずさ)った時、いじめっ子の1人が女の子の腹を踏みつけた。女の子は水鉄砲のように嘔吐し、聞いたこともないような音で咳き込んだ。その瞬間、ヴェラッドの中にあった倫理観は、人助けという大義に容易く塗り潰された。

 

 結論から言えば、ヴェラッドの選択は不正解だった。“恐慌(パニック)”の異能により、主犯の子は尻餅をついて恐怖に身を震わせた。糞尿を垂れ流し、顔は青褪め、瞳孔を揺らし、泡を吹いて、呼吸の仕方を忘れ、さんざ息を乱した後に気を失った。今後の人生でどんな間違いを犯そうとも、決して味わうことが無いであろう極上の恐怖に耐えられなかった。その異常とも言える怖がり方に、他のいじめっ子2人は血相を変えて逃げ出した。そして、助けられた女の子でさえも、ヴェラッドと目が合うなり絶叫して走り去っていった。ひとり取り残されたヴェラッドは、生まれて初めて使った異能の恐ろしさを噛み締めながら家路についた。

 

 その翌日、ヴェラッドはすぐに気付いた。クラスのみんなの様子がおかしい。今まで挨拶することも、されることもなかったヴェラッドだが、その日は明らかに雰囲気が違っていた。ヴェラッドの姿を見るなり離れる者、目を逸らす者、怯える者。ヴェラッドの隣の席の子に至っては、保健室に行ったきり帰ってこなかった。先生達も目に見えてヴェラッドを避け、あろうことか家族もヴェラッドを避けるようになった。数日後に知ったことだが、逃げたいじめっ子の2人は精神を病んで家から出られなくなり、助けた女の子は転校し、異能を浴びた主犯の子に至っては、事件の翌日に飛び降り自殺をしていたという。恐怖は伝播する。これは“恐慌(パニック)”の異能の性質ではなく、恐怖そのものの性質である。

 

 それからヴェラッドは、本当の孤独を生きることになる。朝は学校に行くフリをして、人気のないトンネルの側で教科書を読んで過ごした。アパートに帰っても誰も居らず、机の上に置いてあったお金で料理を作った。そんな生活が、1週間、半年、そして1年が過ぎた。

 

 ヴェラッドは知ってしまった。

 

 ヴェラッドがアパートに帰る途中、母親が部屋から出てくるのを目撃した。咄嗟(とっさ)に隠れたヴェラッドが恐る恐る母親の後を尾行して行くと、バスで数駅離れたマンションの一室で、父親と妹が母親を待っていた。久しぶりに見た家族の姿は、今まで見たことないほどに幸せそうな笑顔だった。家族はとっくに別のところに引っ越しており、今のアパートにはずっと自分1人しか住んでいなかった。ヴェラッド、当時11歳の出来事である。

 

 

 

 

 ヴェラッドの視界に色が戻り、温度や音の感覚が戻ってくる。目の前には倒れ込んで首を抑えるラルバと、こちらに駆け寄ってくるデクスの姿が見える。

 

「ヴェラッド!! 大丈夫か? 大丈夫だよな!! ヨシ!!」

 

 デクスのギラついた笑みに、ヴェラッドは少し困惑して頷く。そして、未だ倒れ込んでいるラルバに目線を移した。

 

「ぐっ……がっ……!!!」

 

 使奴は、愛玩用人造人間という性質上、己の欲望や感情に忠実である。そして、それ以上に我慢強くもある。感情の(たかぶ)りなどで簡単に精神が崩壊しないよう、快楽や苦痛への感度は人並み以上ではあるが、その限界値は可能な限り高く設定されている。

 

 しかし、ヴェラッドの異能はこの“限界値を超えた状態”、即ち“恐慌(パニック)”を発生させる異能である。本来、使奴が味わうことはない感情の限界値。使奴が最も嫌う状態異常。これにラルバは耐え切れず、使奴の我慢強さを()ってしても立つことすらままならない。

 

 ヴェラッドが杖を上下に引っ張ると、杖は切れ目から3等分され三節棍へと姿を変える。デクスも両手に魔力を込め、ヴェラッドをサポートする態勢をとる。ヴェラッドはラルバを冷たく見下ろしたまま、異能を緩めることなく三節棍を振り上げる。

 

 間違いを犯した自分を救ってくれたイチルギの為ならば、彼は忌み嫌っていた異能を使うことに躊躇(ためら)いはない。生来より心優しい筈の彼は、今だけは、お気に入りの毛布を取り上げられた子供のように不安定で、恨みに染まりきっていた。イチルギを奪ったラルバの頭部に、崩壊魔法を纏った三節棍が振り下ろされる。

 

 この時、ヴェラッドも、デクスも、そしてラルバさえも気付いていなかった。景色を塗り替える性質を持つ虚構拡張が、“小さな水溜まり”を塗り替えていなかったことに。

 

「え――――?」

 

 ヴェラッドの手を、2本の矢が貫いた。三節棍は3本目の矢に弾き飛ばされ中を舞う。いち早く異変に気づいたデクスが指を組み合わせるが、それよりも早く真っ暗な虚構拡張の世界に異変が生じる。闇に染まった景色の半分が”点滅して“別の景色へと切り替わり、”幻想的で煌びやかな海中”の景色へと姿を変える。アニメ映画のワンシーンのように広がった珊瑚礁(さんごしょう)の大地の奥に、1人の人物がクロスボウとショテルを構えて笑いかける。

 

「初めまして! 私、“ゾウラ・スヴァルタスフォード”と申します! ラルバさん! 私もお手伝いしますね!」



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147話 ゾウラ&ラルバ対ヴェラッド&デクス

 古びたコンクリートの地面と見渡す限りの闇が立ち込めていた虚構拡張の世界に、幻想的な海中の世界が覆うように展開されている。広大な珊瑚礁(さんごしょう)の大地に君臨するは、スヴァルタスフォード自治区の元皇太子、ゾウラ・スヴァルタスフォード。

 

「久しぶりの戦闘です! 負けませんよ!」

 

 ショテルとクロスボウを双剣のように構え、屈託のない笑顔を向けるゾウラ。相対するは、世界ギルド“大河の氾濫”所属、ヴェラッド。彼は手に刺さった2本の矢を無理やり引き抜き、恨めしげにゾウラを睨む。そして回復魔法で手の出血を止めると、運搬魔法で三節棍を回収しつつゾウラに向け突進する。

 

 風魔法を纏った三節棍が、まるで生き物のように不規則な軌道を描いてゾウラに襲いかかる。ゾウラはこれを大きくしゃがんで(かわ)し、水魔法によるジェット噴射でヴェラッドに切り掛かる。ヴェラッドが三節棍で防御しながら反撃を試みると、ゾウラはジェット噴射の“飛沫に溶け込んで”姿を消してしまった。

 

 虚構拡張によるゾウラの異能の変質。本来はバケツ一杯ほどの水にしか溶け込めない“同化(メルト)”の異能だが、虚構拡張による制限緩和で一滴の水にも溶け込めるようになる。

 

 ヴェラッドの振り回す三節棍に仕込んだ風魔法を、ゾウラが故意に強化魔法で威力を上げ勢いを増幅させる。その凄まじい風圧で水が余計に飛沫をあげ、ゾウラがその飛沫(しぶき)の間を同化と解除を繰り返して飛び回る。その様子は(さなが)ら瞬間移動を繰り返しているようで、ヴェラッドは少しずつショテルの斬撃を喰らい体力を減らしてしまう。

 

 余裕を感じたゾウラが、一歩深く踏み込んだ一撃を放とうと地に足をつけると、ヴェラッドの長い前髪で隠れていた目玉と目が合ってしまった。

 

「およ?」

 

 瞬間。ゾウラの身体が土に埋まったかのように硬直する。そこへ、ヴェラッドが三節棍による渾身の一撃を打ち込む。しかし、間一髪のところでゾウラは身体の自由を取り戻し飛び跳ねて距離を取る。そしてすぐにまた水魔法を発動しつつ、変わらぬ気迫でヴェラッドに突進した。

 

「えっ」

 

 ヴェラッドは予想外の出来事に対応が一瞬遅れる。確かに自分の異能は発動した(はず)。しかし、当のゾウラ本人はほんの少し怯んだだけで恐れを感じている様子は微塵もない。ゾウラが過去の事件を境に恐怖を感じないことはヴェラッドも知っていたが、恐慌(パニック)の異能はそれを上回ると確信していた。しかし、結果は火を見るよりも明らかである。

 

 ただ一つだけ救いとするならば、恐慌(パニック)の異能による行動の停止は、恐怖由来のものではなく異能そのものの特性だったということ。これにより、恐慌(パニック)の異能の弱体化は“相手を一瞬だけ怯ませる”能力になる程度で済んでいた。

 

 再び周囲に水魔法が放たれ、今度はゾウラ自身がそれを蹴飛ばして水飛沫を発生させる。ヴェラッドは慌てて三節棍を構え直し、ゾウラの無軌道な連撃に備える。高く打ち上がった飛沫の断片。それが地面に落ちるまでの僅か数秒。ショテルとクロスボウの弓がヴェラッドの肩を裂き、肘を裂き、頭蓋を撫で、足の腱を断ち切る。真っすぐ立てなくなり姿勢を崩したヴェラッドだが、激痛に怯みつつも氷魔法で自分の足を凍らせ無理やり構えを保つ。しかし、(ひるがえ)ってゾウラは無傷のまま。ゾウラは次こそ確実に仕留めようと速度を上げ、ヴェラッドの視界から外れた瞬間を狙って死角の飛沫に身を溶け込ませる。そして態と一定のリズムで行っていた連撃に一瞬のディレイを加え、ヴェラッドを後方から切り上げる。その直前、再びゾウラの全身が凍りつく。

 

「あっ――――!!」

 

 ヴェラッドの方が一枚上手。罠を仕掛けていたのはゾウラだけでは無かった。恐慌(パニック)の異能の発動条件は“一定時間の接近”。連発こそ出来ないものの、他者対象にも(かか)わらず直視も化学的接触も要さない優秀な発動条件。それをヴェラッドは、ラルバと戦っていた時から“目を合わせること”が発動条件と見せかけていた。まんまと勘違いしたゾウラはヴェラッドの思惑通り視界から外れた。それはゾウラにとっては異能の届かぬ安全な死角に見えただろうが、ヴェラッドからすれば縦横無尽に駆け巡るゾウラの連撃の中で”唯一攻撃のタイミングが測れる“絶好の機会となった。

 

 理想的な形で加速した三節棍が、音魔法と風魔法を纏ってゾウラの側頭部に致命の一撃を与える。頭蓋に(ひび)が入り、頚椎が歪む。池に石を投げ込んだときのように脳味噌が波打つ。象すら昏倒させる一撃にゾウラは意識を失い、その場で崩れ落ち倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 時同じくして、ラルバとゼクス。

 

「チッ……オラオラァ!! 避けてばっかじゃジリ貧だぜ!! 灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)!!」

 

 デクスの手から放たれる火炎弾を、ラルバが身を(よじ)って避けようとする。しかし火炎弾はまたしても不自然に軌道を変え、ラルバの足を(えぐ)り焦がした。ラルバはすぐさま足に回復魔法をかけデクスの追撃に備える。デクスの攻撃。ラルバの回避失敗からの回復。この一連の動作が何度も繰り返されるが、ラルバは隙があろうとも決して反撃には転じず、コールタールのようにドロっとした陰湿な眼差しでデクスを睨むばかりである。その不気味な態度に、デクスは“まさか”と思い唾を飲んだ。

 

 異能がバレている?

 

 ” 絶対征服の魔手(インペリウム・オーバーロード)“。デクス自身で虚構拡張をするフリをして、ヴェラッドに行わせる異能の内容を誤解させるミスリードの合図。だが、それはもうとっくに、下手すれば最初から見破られていただろう。しかし、デクスの異能は複雑怪奇な劣化系の異能。全く同じ異能を知りでもしない限りは、入隊試験を監督したイチルギでさえ手がかりすら掴めなかった独特な仕組みを持つ。しかし、先程ラルバが”態と攻撃に当たりにきた”ことから、この”もしも”が頭から離れない。

 

 デクスは足の裏に棘が刺さったような気分だった。その棘を抜く為に、彼は珍しく功を急ぐ。大胆不敵と思われるデクスだが、その態度とは裏腹に本質は実に冷静で合理的。粗暴な言動とはまるで正反対な質実剛健な戦闘スタイル。しかし、今回ばかりはそうは行かなかった。

 

 使奴という計り知れない実力を持つ敵。そんな使奴に唯一通用する盾であり矛である異能が看破されたかもしれないという疑念。そして視界の端に映るヴェラッドとゾウラの激しい攻防。これらの不安要素ひとつひとつが、デクスの冷静な判断能力を軋ませた。

 

「小賢しい奴だ!! そんなら……コイツも防いで見せろよ!! ”崩壊する亡霊の聲(コラプション・ロア)!!!」

 

 デクスの背後に巨大な魔法陣が浮かび上がり、青白い閃光と共に人型の魔法弾が生成される。混乱魔法によって生み出されたそれは亡霊のように空を飛び回り、蛇行しながらラルバへと襲いかかる。

 

「それが“一回休み”か」

 

 ラルバの独り言のような問いに、デクスの背筋が凍り付く。ラルバの魔法が発動し、“ 細かい六角形の鱗で形成された半透明の防壁”が亡霊を弾き飛ばす。

 

「ぐっ……!!」

「嘘を吐くのは苦手か? 顔に”しまった”と書いてあるぞ」

「ハッ!! デクスの猿真似如きでいい気になるなよ!!」

 

 デクスは虚勢を張って強気に振舞うが、ラルバは傷と黒痣だらけのまま冷たく微笑む。

 

「猿真似……ね。確かに一回見ただけじゃ不安だが、こういう感じだったか? “ 神速の邪牙(ソニック・ファング)”」

「チッ!」

 

 ラルバが技名と共に手に魔力を集中させると、咄嗟にデクスは舌打ちをして防壁を展開する。

 

歪んだ断罪の剣(ディストーション・リップ)!!」

 

 鎖で編み込まれた円形の盾が、怪しげな紫の発光と共に形成される。それを見たラルバは、ニヤリと北叟笑(ほくそえ)んだ。

 

「これで、私が“後攻”になるわけだ」

 

 ラルバが手に込めていた魔力を霧散させ、魔法式の構築を中断する。技名を呟いただけのブラフ――――

 

デクスは気付いた。やはり、全て“見抜かれている”。

 

 世界ギルド“大河の氾濫”所属。“デクス”。異能、“手番(ターン)”。

 

 異能の中でも珍しい“行為対象”の劣化系。攻撃行為に反応して発動され、攻撃者と自分をテレビゲーム内での戦闘のようなターン制バトル形式に持ち込む異能。互いに行動は攻撃、防御、回復、道具、逃走の(いずれ)か一つしか行えず、相手が任意の行動を終えるまで再び行動することは出来ない。そして、手番(ターン)のもう一つの特性は、異能の影響下では行動の内容にも特性が付与されること。攻撃魔法や武術には必中効果やデバフが、防御魔法には反撃機能や先制発動が。異能の影響下では使奴であろうが子供であろうが、誰もが等しく手番(ターン)に従うことを強制される。

 

 デクスはこの異能の影響下で、自身の魔法がどういった性質を持つのかを調べ、優秀な性質を持つ魔法と技名を紐付けていた。灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)は“必中”と“次ターン攻撃失敗“。 神速の邪牙(ソニック・ファング)は”先制攻撃“と”次ターン逃走失敗“。万象の拒絶(パーフェクト・フィールド)は”先制発動“と”遠距離攻撃の無効化“。歪んだ断罪の剣(ディストーション・リップ)は“先制発動”と“近距離攻撃の無効化”。

 

 デクスが先攻で灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)を放っている限り、ラルバに打つ手は無かった。灼熱地獄の煤煙(ヘル・スモッグ・バーニング)の命中率低下のデバフを後攻で治療した後に、無限とも言える選択肢の中から一か八かで”先制攻撃“の特性を持った技を引き当てなければならず、その後のデクスの対応によっては更に”必中“か”防御貫通“の特性も兼ね備えてなければならない。そして何より、コレらのルール全てがラルバにとってはブラックボックス。ルールも操作方法も分からない格闘ゲームで、初心者が熟練者に蹂躙されているも同義。

 

 

「猿真似ぐらいどうにかして見せろ。“崩壊する亡霊の聲(コラプション・ロア)”」

 

 そんな一方的な戦いの中で、デクスはミスを犯した。自分の戦術を信じ切れず、初心者(ラルバ)の不気味な眼差しに怯み、勝ちを急いだ。その隙をラルバは見逃さなかった。ラルバがデクスの放った魔法を真似て魔法陣を展開する。使奴の潤沢な魔力で練り上げられた陣はギラギラと輝き、精巧な亡霊の群れを生み出した。それらは枷が外れたように魔法陣から飛び出して、吸い込まれるようにデクスへと襲いかかる。

 

 本来であれば展開した防壁魔法を張り続けていればいいだけの話。しかし、ラルバの放った攻撃、崩壊する亡霊の聲(コラプション・ロア)の特性は”防御貫通“と”次ターン行動不能“。異能を解除すれば圧倒的魔力差で敗北確定。だが、異能を解除しなくとも特性の相性により次ターン行動不能は確定。

 

「はっ。クソゲーだな」

 

 デクスの身体を、無数の亡霊が怨嗟の声と共に貫いた。

 

 



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148話 ハザクラ&バリア対バシルカン

「畜生が……。惜しかった(はず)なんだがなぁ〜……」

 

 デクスは仰向けに倒れたまま太々しくぼやく。優秀な性質を持つ技の多くを把握され、今後は使奴との純粋な読み合いを強いられる始末。事実上の敗北。そんなデクスにとっては、手番(ルール)の異能を解除しないことが唯一可能な悪足掻きだった。そんなデクスを見下ろしてラルバが怪しんで眉を顰める。

 

「何故”惜しかった“と思うんだ?」

「はぁ〜? どう見ても惜しかっただろ〜。デクスの異能はイチルギも初見じゃクソ手こずってたんだ。今はあの頃より技も腕も磨けてる筈なんだがなぁ〜」

「イチルギが、手こずった?」

「あ、疑ってんだろ」

「いや、そうじゃない」

 

 ラルバは目を伏せて思案する。彼女の脳裏には一際大きな疑問が浮かんだが、それは唐突に響いた轟音に塗り潰される。平凡な日常を送っていればまず耳にしないであろう、巨岩を穿つような鈍い音。

 

「うおっ。ありゃ死んだんじゃねぇか?」

 

 寝転がっていたデクスも思わず上体を起こして音の方を見やる。そこでは、丁度ヴェラッドとゾウラの戦いに終止符が打たれた所であった。ゾウラが糸の切れた操り人形のように倒れ込み、ヴェラッドが確実にトドメを刺す為に再び三節棍を構えている。ヴェラッドの虚構拡張による暗闇を割いていた海中の景色が、切れかけの蛍光灯のように点滅しながら消えていく。

 

「マズいな。デクス、邪魔するなよ」

「無茶言うぜ」

 

 ラルバが不機嫌そうに歯を擦り合わせ、デクスそっちのけでヴェラッドに向かって走り出す。ヴェラッドは咄嗟に構えを切り替えラルバに向き直る。しかし、対応がやや遅かった。ヴェラッドは近づいてくるラルバの姿が僅かに歪んでいることに気付いた。だが、それが眼前にまで迫ってきている”ガラスのように透明な鯨“によって光が屈折しているからだと気付くことは出来なかった。“静寂(しじま)(かこ)つ鯨魔法“が音もなくヴェラッドを飲み込み、体内に満ちた混乱魔法の海に沈める。ヴェラッドは何が起きたのかも理解出来ないまま、痛みもなく眠るように意識を手放した。

 

 辺りの景色が“塗料が滲むように”流れ落ち、元の街路樹と街灯が並ぶアスファルト舗装の駐車場が姿を現す。ラルバがすぐさまゾウラを治療して蘇生させると、ゾウラは昼寝から覚めたように目を開け、キョロキョロと辺りを見渡す。倒れたまま動かないヴェラッド、尻を地につけたまま立ち上がらないデクス、黒痣に覆われたラルバ。それらを見て、ゾウラは少し困ったように笑った。

 

「あちゃ〜。私、負けちゃったんですねぇ」

「いや、ゾウラがヴェラッドを追い詰めたお陰で勝てた。“私達”の勝ちだ」

「あ! それいいですね!」

「楽しそうなところ悪ぃんだが、ちょっといいかー?」

 

 ラルバとゾウラに、デクスが声をかける。彼は暢気に缶ジュースを飲みながらラルバ達の元へと歩いてくる。敵意こそないものの、一方的に間合いまで踏み込んできたデクスにラルバが怪訝な顔をする。

 

「なんだ負け犬。ヴェラッドの蘇生ならもう少し待っていろ」

「あーそうじゃねぇよ。お前らが“私達の勝ち”とかって言い方をするならよ、俺らもまだ“俺達の勝ち”が残ってるかもっつー話よ」

 

 そう言ってデクスは上空を見上げる。南中を少し過ぎた太陽を背負い、3人の人影が激しい攻防に火花を散らしている。

 

「あのバシルカンとか言うお前達のリーダーのことか? そんなに強そうには見えないな」

「はっ。使奴っつーのも案外節穴なんだな。バシルカンはクソ強ぇーぜ」

 

 ラルバはデクスとゾウラと共に、中を舞う3人を眺め口を開く。

 

「ああ、そうだろうな」

 

 

 

 バシルカンの蹴り上げが、ハザクラの鼻先を掠って空を切る。攻撃で軸がブレたバシルカンに、バリアがタイミングを合わせて手刀を放つ。しかし、音よりも速い使奴の一撃を、バシルカンは無理な体勢から身を捻って難なく避けて見せる。そして同時に、握っていた小石をバリアに向かって弾き飛ばす。すると、何の変哲もない小石が突然急加速する。その上小石が命中したバリアはまるで大砲の直撃でも喰らったこのように大きく吹き飛び、地を揺るがす轟音と共にアスファルトに叩きつけられクレーターを作り出した。

 

 ハザクラはその攻撃の隙に短剣による追撃を試みるが、バシルカンはまたしても崩れた姿勢をものともせず小手で防ぎ、空中に作り出した足場を蹴って踵落としをハザクラに打ち込む。

 

「ぐがっ……!!」

 

 魔法で作った透明の足場から叩き落とされたハザクラは、バリアの隣に落下し辛うじて受け身を取る。バリアはバシルカンの方を向いたまま片手間でハザクラに回復魔法をかける。

 

「す、すみません先生……」

「アレ相手じゃ仕方ない。ハザクラじゃちょっと勝てないかも」

 

 ふとバリアが視界の端に目玉を動かす。戦闘が終わったであろうラルバが、ゾウラ、デクスと共にこちらを見ている。ラルバの眼差しは何かを問いかけているようで、訝しげに、それでいて心配そうに目を細めてている。バリアはその問いに答える為目線を前方に戻す。バシルカンは空中の足場に片足立ちしたままこちらを見下ろしており、その表情に感情らしきものは見受けられない。高揚も、敵意も、哀れみも、焦りも。ただただ機械的に、或いは事務的に戦い続けている。

 

 何一つとして事態は変わっていない。だが、バリアは顔を前方に向けたままラルバにVサインを見せ、声には出さず「余裕」と口を動かした。

 

「ハザクラ、バシルカンの異能が分かったよ」

「え?」

 

 バリアの発言に、ハザクラ、そしてバシルカンも驚きの声を上げる。

 

「ほう。鋭いですね」

 

 バシルカンは疑問も否定もせず、ただただ素直に感心を露わにした。バシルカンには一度だけ見せた“油断”があった。それはジグソーパズルの1ピースにも満たないような些細なものであったが、彼女はそこから異能の性質を紐解かれるのではないかと危惧していた。そして、その想像が見事に的中した。

 

 バリアが足元に巨大な魔法陣を展開して、既存の魔法式を基に新たなる魔法の構築を開始する。バシルカンは、この目測で砂漠の砂を数えるような芸当を目の当たりにしながらも動かない。否、動けない。バリアは己の推測が正しかったことを確認し、ハザクラに解説を始める。

 

「バシルカンの異能は、恐らく“速度対象”の強化系。言うなれば、“速度模倣”の異能」

「速度模倣……?」

 

 ハザクラは棒立ちのバシルカンを警戒しながらバリアの言葉に耳を傾ける。

 

「移動している物体Aの速度を、物体Bにコピーする。ただそれだけの単純な異能。バシルカンが私達の攻撃を(ことごと)く回避して見せたのも、反撃をしてこなかったのも、全ては私達の衣服や手についた(ゴミ)の速度をコピーしていたから。バシルカンが身につけているゴーグルや籠手は、速度コピーの受信先として機能している。だから無理な体勢からも容易に回避が出来たし、あまり体力を使わずに素早い動きが出来る。反撃の回数が少ないのも、動いていない使奴相手に速度模倣ナシで自分から動くのは分が悪いから。現に今も攻撃してこないでしょ?」

「そうか……先生と同じ物理法則を歪ませる異能なら、異能同士の鍔迫り合い次第で先生を弾き飛ばすことも出来る……」

「その辺彼女は上手いよ。私が防御の異能を衣服にまで適応させなければ衣服を対象に引っ張るだろうし、そうでないなら服が固まって私自身が動けない。場数踏んでる証拠だね。だからこそ――――」

 

 バリアの魔法陣が魔法式の構築を終え、鮮血のような紅に染まる。

 

「この星の自転なんて分かりやすい速度は、コピーしたくはなかっただろうね」

「ほ、星の自転を……!?」

「私が“瓶詰めの鼠魔法”を発動した時、バシルカンが今までで一番速い速度で逃げた。速度対象の異能でも、コピー元の物体には制限があるんだろうね。瓶詰めの鼠魔法の波導粒子を異能の性質で感知した。でもコピーは出来なかった。だから、兎にも角にも速く動いている物質を探して速度をコピーするしかなかった。あの時逃げたバシルカンの速度は、多分時速1000km以上。今近くでそれだけの速さで動いている物体と言えば、星の自転くらいじゃないかな。でも、奥の手を使うのが早過ぎたね。普通はただ速く動いているようにしか見えないだろうけど、私達使奴にとっては値千金の情報だったよ」

 

 魔法陣が発動待機状態になり赤と黒の波導煙を噴き出す。雷魔法と土魔法を融合させた即興の複合魔法。魔法陣の中心からルビーのように紅く輝く樹木が生え、その枝を触手のように蠢かしている。

 

「タネが分かれば対処は簡単。速度を参照するなら、移動しない魔法で捕らえればいい。この樹木魔法なら、さっきのバシルカンよりも速い速度で枝を伸ばして攻撃できる。何か対処法はある?」

 

 バシルカンは静かに頷き、身を低く屈めて突進の姿勢を取る。

 

「実に的確な推測でした。仰る通り、私は“匹敵”の異能者。イチルギ様には自転公転の参照には注意しろと再三言われていたのですが、少々焦り過ぎました」

「あれ? 降参しないの?」

「真剣勝負、()してや私から始めた勝負。降参はマナー違反と心得ています」

「ふぅん。真面目だね。あ、褒めてないよ」

「では、参ります」

 

 バシルカンが星の自転の速度をコピーしてバリアに突進を始める。消失現象か、はたまた瞬間移動かと思えるほどの速度でその場から姿を消した。次の瞬間。バシルカンがバリアの眼前に現れたかと思いきや、身体は樹木魔法の枝に断ち切られ真っ二つに割れる。異能が解除されたバシルカンの死体は、そのままバリアの背後へと緩やかな放物線を描いて転がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、私、世界ギルド“大河の氾濫(はんらん)”所属。バシルカンと申します。この度は突然の襲撃、大変失礼致しました」

 

 バリアに胴体を繋げてもらったバシルカンが、腰を90度曲げてラルバ達に深く頭を下げる。しかし、後ろにいるデクスとヴェラッドは頑として頭を下げない。

 

「なぁんでバシルカンが謝るんだよ! おかしいだろ!? なあヴェラッド!」

 

 デクスの物言いに、ヴェラッドも賛同して何度も頷く。バシルカンが2人に説教をしようと口を開くが、それを遮ってバリアが問いかける。

 

「別に気にしてない。イチルギから諸々の話は聞いてる。でも、気になるのは“タイミング”の方。どうして“今”なの?」

「あぁ?」

 

 デクスが眼光鋭く一歩前に出るが、バシルカンがデクスの肩を引いて自分が前に出る。

 

「どう言う事でしょう」

「爆弾牧場ではパジラッカ、ラドリーグリスの2人が襲撃を仕掛けてきた。でも、あの2人はラルバにしか手を出さなかったし、爆弾牧場の悪政を暴く任務も兼任してた」

「そう聞いています」

「でもバシルカンは違う。私はともかく、イチルギの味方であるはずのハザクラまで襲った。それどころか、まるでハザクラ達が“ホウゴウとの会談を断られるのを見越してきたかのようにタイミング良く現れた“。偶然じゃあないよね」

 

 バリアの目に敵意が浮かび始める。ハザクラの邪魔をする大義を問う怒りを宿した眼光に、バシルカンは冷淡に答えた。

 

「仰る通り、偶然ではありません。私達は、“ホウゴウ様から皆様を始末するよう命じられました”」

 

 バシルカンの発言にハザクラが目を開く。

 

「なっ……!? 何故――――!!」

「一つ、私達“大河の氾濫”の目的、ラルバ・クアッドホッパーの討伐という目的を包含していた為。二つ、ホウゴウと取引をしたからです」

「取引……?」

「はい。私達が皆様を始末するのと引き換えに、ホウゴウ様は世界ギルドとの和平協定を結んで下さると約束してくれました。そうなれば、世界ギルドや多くの国が差別思想を気にせず安心して診堂クリニックを訪れ治療を受けられるでしょう」

「……意味がわからない。世界ギルドと人道主義自己防衛軍は協定を結んでいる。俺はその幹部だ。俺を殺すと言うのは、世界ギルドと敵対するのと同義だぞ」

「いいえ。私達“大河の氾濫”は世間に知られていない秘密部隊。私達が何をしようと、世界ギルドの体裁は守られます」

「明らかに釣り合っていない条件だ。俺達を殺したら、人道主義自己防衛軍は世界ギルドと敵対する。それにイチルギだって黙っていない」

「三つ。私達は皆様に勝てないからです」

「は?」

「えぇ!?」

 

 ハザクラに続いて、デクスも大声を上げて仰天する。デクスはバシルカンの胸倉を掴み、激しく前後に揺さぶった。

 

「おいバシルカン!! そうならそうと言えよ!! デクスが怪我でもしたらどうする!! 勝つ見込みあったんじゃないのかよ!! おい!!」

「デクス。貴方はもう少し自分という人間を理解して下さい。貴方に正直に作戦を伝えては全てが台無しです」

「嘘はマナー違反だろうが!!」

「マナーは欺瞞(ぎまん)と詭弁で保たれるものです」

 

 バシルカンはデクスの引き剥がし、ラルバの方に目を向ける。

 

「これでホウゴウ様は私達という武器を無くしました。そして、今回用意していた武器を私達に頼っていたせいで、本来の後ろ盾であるハグれ旅団“キャンディボックス”も“存在しない村”も留守にしています。今ならホウゴウ様と直接話し合うことが出来るでしょう」

 

 そしてすぐにハザクラに視線を戻す。

 

「イチルギ様から“破条制度”については聞いていますね? 私達“大河の氾濫”が提示する評価方法は、ラルバ・クアッドホッパーそのものではなく、手綱を握る者、協力している者、信頼されている者の振る舞いから推察する“善管注意義務の精査“です。ハザクラ様。貴方は、ラルバ・クアッドホッパーの手綱を握るに相応しい、善良なる管理者として注意義務を遵守出来るか。私達に見せて下さい」



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149話 要らない人間

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 東駐車場 (ラルバ・バリア・ハザクラ・ゾウラサイド)〜

 

 バシルカンがハザクラの目を真っ直ぐに見つめて口を開く。

 

「イチルギ様から“破条制度”については聞いていますね? 私達“大河の氾濫”が提示する評価方法は、ラルバ・クアッドホッパーそのものではなく、手綱を握る者、協力している者、信頼されている者の振る舞いから推察する“善管注意義務の精査“です。ハザクラ様。貴方は、ラルバ・クアッドホッパーの手綱を握るに相応しい、善良なる管理者として注意義務を遵守出来るか。私達に見せて下さい」

 

 ハザクラが何か言い返そうとするより早く、ラルバが手を上げて発言権を求めた。

 

「どうしました? ラルバ様」

「いや、その善良なる管理者ってさ。飽くまでも“私に協力をしている、或いは信頼されている”ってのが最低条件なわけだよね? つまり、ラデックとかシスターとかの支配されてる側の意思は問わない、と」

「まあ、そうですね」

「じゃあアレも判定基準から除外してくんない?」

「アレ?」

 

 バシルカンがラルバの指差す方を見る。繁華街の方へと続く道路の先。病院を訪れる歩行者や、受診待ちの車が渋滞を作っている以外は、何の変哲もない日常の風景。しかし、その奥からは微かに黒い(もや)のようなものが見え、それは瞬く間に巨大な暗雲へと変貌していく。

 

「あーははは。めちゃおこデラックスじゃん。まあ、頑張って」

 

 暢気(のんき)に笑うラルバ。その視線の先には、暗雲の中にいる1匹の“白蛇”の姿が映っていた。暗雲の正体に気づいたハザクラは慌てて防壁を作り、バリアは溜息を吐き、ゾウラは喜びの声を上げた。

 

「なっ、ゾウラ!! どう言うことだ!?」

「はぁ……」

「ごめんなさい! カガチにここへ来ること言ってませんでした!」

 

 暗雲は次第に巨大なウツボの形状を模して、空を泳ぐようにして猛スピードで接近してくる。人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、列を成していた車の渋滞は急発進して蜘蛛の子散らすように走り去って行く。ウツボの口腔で構えるカガチの姿が、常人でも視認できる距離まで近づいた時、その全身から溢れ出る憤怒の波にバシルカン達は全身の毛が逆立つのを感じた。

 

「これは……」

「マズいぜバシルカン!! あ、でも3対1なら勝てんじゃね!?」

 

 デクスの提案に、ヴェラッドが激しく首を左右に振って袖を引いて逃げるように促す。バシルカンは少し考えた後、ラルバに一言だけ言い残す。

 

「そうですね。彼女は除外しましょう」

「お、話わかるね。ほらクララちゃんもお礼言うの!」

「助かる」

 

 バシルカンは匹敵の異能を発動し、デクス、ヴェラッド共々消えるようにその場を離れた。ラルバ達の頭上を巨大な黒いウツボがバシルカン達を追って通り過ぎて行くと、上空からカガチが目の前に落下してきてアスファルトを踏み割った。

 

「カガチ!」

 

 ゾウラがカガチに駆け寄ると、カガチは膝を折ってゾウラに目線を合わせる。

 

「ゾウラ様!」

「聞いて下さいカガチ! 私、ラルバさん達と一緒に大河の氾濫に勝ったんですよ!!」

「それは……ご無事で何よりです。お怪我は?」

「ちょっぴり!」

「ちょっぴり……?」

 

 カガチがゾウラの側頭部に指を触れる。回復魔法の余波、その規模、術者の特定、逆算して、怪我の詳細、凶器の特定。それらを知った直後、カガチは手元に黒いナイフを生成してラルバに斬りかかった。それを予測していたバリアが、カガチの腕を掴んで斬撃を阻止する。

 

「放せバリア!!」

「八つ当たりにも程があるよ。今回ばっかりはラルバに非はない」

「“今回ばっかりは”って何?」

 

 ひとり不満そうな顔をするラルバを他所目に、カガチはバリアを睨みつけて牙を剥き出しにする。しかし、その後ろからゾウラが抱きついてカガチの怒りを収める。

 

「カガチ、ラルバさんは私を助けてくれたんですよ? それに、加勢したのも私の独断です。そんな顔したらいけませんよ」

「…………………………………………はい」

「返事おっそ」

 

 遥か彼方に見えていた黒いウツボが霧散し、カガチの目から殺意が薄れていく。が、完全に戦意を喪失したわけではなく、薄らと湿った敵意が瞳の奥に(くすぶ)っている。

 

 カガチは下水から溢れた腐敗物を見るような目でラルバを睨むと、ゾウラの手を引いて足早に立ち去って行ってしまった。その背中を見届けるのもそこそこに、ハザクラがバリアとラルバに呼びかける。

 

「とにかくジャハルと合流しよう。先にホウゴウの元へ向かっている筈だ」

「うん」

「えー、疲れたしご飯食べて行こーよー」

 

 ぐずるラルバを無視してハザクラとバリアが病院へと歩みを進める。

 

「えぇ無視ぃ? んもうワガママなんだから……。自分の意見ばっかり聞いてもらえると思わないでほしいなぁ全く」

 

 一切耳を傾ける気のないハザクラに、ラルバも観念して後を追いかけていった。

 

 

 

 

 

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 “遺児(いじ)安置所”〜

 

「なんだ……? ここは……」

 

 ジャハルがホウゴウを探し回った末辿り着いたのは、“遺児(いじ)安置所”の札が下がった鬱屈とした廊下だった。昼寝をしていた管理者から盗んできたカードキーを認証機に(かざ)すと、淡白な電子音と共にロックが解除される。扉の先の専用エレベーターに乗って地下へ降りて行くと、そこは広大な地下倉庫が広がっていた。

 

 ジャハルの目に飛び込んできたのは、国立図書館のように広大な空間と、そこに敷き詰められたガラス製の直方体。その一つ一つは、ペットショップに並べられる熱帯魚の水槽のように規則的に並んでおり、中から微かに音がしている。ジャハルがその一つに近づくと、彼女は中を見て思わず飛び退いて尻餅をついた。“中にいたソレ”と目が合ってしまったのだ。

 

「な、な、な、な……何で、こっ……子供が……!?」

 

 ガラス製の直方体の中にいたのは、4歳ほどと思われる幼子であった。ガラスケースの中には丁度子供1人が収まる寝台が設置されており、幼子の枯れ枝のように痩せ細った腕が寝台に括り付けられている。そして、先程からジャハルの耳に微かに聞こえていた音声の正体は、幼子の顔の正面に取り付けられたモニターに映し出された“子供向けアニメ”の音声であった。

 

「な、何故……何故こんな真似を……!?」

 

 ジャハルは蹌踉(よろ)めきながら立ち上がり、再びガラスケースに歩み寄る。中に寝転がる子供は、ジャハルの方をじっと見たまま動かない。笑いも、泣きも、喜びも、叫びもしない。一切の反応をせず、日常に割り込んできた“異物”を、ただ珍しそうにじっと見つめている。他のケースにもバラつきこそあれど、幼い子供が同じように腕を縛られ閉じ込められている。ケース内側の四隅には散水栓のようなノズルがついており、子供の臀部(でんぶ)あたりに勾配のついた排水溝の穴が空いている。とどのつまり、子供の一日が全てこのガラスケースの中で完結するような作りになっている。

 

「これじゃあまるで……!! に、人間の栽培だ……!!」

「滅多なこと言わないで下さいよ」

 

 背後から投げられた返答。そこには、白髪に大きな眼鏡をかけた使奴。“ホウゴウ院長”の姿があった。

 

「人道主義自己防衛軍、クサリ総指揮官。ジャハル様ですね? 勝手に入ってきて何をしているんですか? 対談ならお断りした筈ですが……」

 

 ホウゴウの真っ黒な白目に浮かんだ赤い瞳が、警告灯のように輝く。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止……と言っても、迷い込むような場所ではありませんが。早々にご退出ください」

「ホウゴウ……!! この子達は何故閉じ込められているんだ……!? 出入り口にあった“ 遺児(いじ)”というのはまさか……!!」

「……そんな偏見(まみ)れの目で見ないで下さい」

 

 ホウゴウは近くのガラスケースに手を置き、撫でるように滑らせる。

 

遺児(いじ)……。意味合いとしては、“健全な社会構築にとって負担となる不要な子供”を指します。具体的には、先天的な精神病を患っている。知能指数が極端に低い。視聴覚等に著しい障害を抱えているなど。俗に言う、“障害児”を指す造語です」

「ふ、ふざけるな……!!! 何をそんな馬鹿なことを!!!」

「静かにして下さい。子供達が怖がってしまいます」

 

 激昂するジャハルに、ホウゴウが唇に人差し指を当てて黙るようジェスチャーをする。

 

「我が診堂クリニックでは、こういった遺児(いじ)達を一般社会から隔離し、保護しているのです。確か、グリディアン神殿でも男児に対して似たような政策を取っていましたね。アレとはまた少し違いますが、まあ(おおむ)ね理由は同じようなものでしょう」

 

 ホウゴウの言葉に被せて、ジャハルは拳を固く握り締めたまま語気を強めて言い放つ。

 

「生まれたばかりの子供を、障害児を、言うに事欠いて“不要な子供”だと……!? 何が保護だ!!! そんなの、虐待と何も変わらない!!! 貴様には道徳心が無いのか!!! 一体、どんな生活を送ればそんな発想に至る!?」

「その言葉、そっくりそのままお返しします。一体、どんな生活を送ればそんな発想に至るんですか?」

「黙れ!!! 貴様がこれ以上何を宣おうと、全て詭弁だ!!! 命を粗末に扱っていい道理など――――」

「うるせぇよ馬鹿女が!!!」

 

 

 吼えるジャハルの叫びを、より凄烈なホウゴウの怒号が掻き消す。

 

 

「一体……一体どんな恵まれた環境で育てば、“全ての命は尊く愛おしい”なんて真っ当な思想を誇れるんですか……? その思想に賛同してくれる、素晴らしい人間しかいない理想郷に住めるんですか?」

 

 打って変わって呟くようなホウゴウの声に、ジャハルは思わず押し黙った。

 

「ジャハル様……ジャハルさん。普通の人間はですね、貴方のようにマトモじゃないんですよ。足や腕を持たずに生まれてきた子供を指差して嘲笑(あざわら)ったり、気味悪がったり、人間として認めない(クズ)が大勢いるんです。そんな狂った普通の人間の中で、腐った世の中で、この子達にどうやって幸せを見つけろと言うんですか?」

「…………その世界を変えるのが我々為政者の役目だろう。職務放棄も(はなは)だしいぞ、ホウゴウ」

「はっ。温室育ちのサラブレッドのくせに、何を一丁前に世界を語っているんですかね。貴方が強く気高く美しく育ったのは、人道主義自己防衛軍の創始者の使奴、ベルのお陰に他ならないじゃあないですか」

「いいや、ベル様だけじゃない。フラム様も、イチルギやヴァルガン達も協力を――――」

 

 ふと、気付いた違和感。ささくれが指先に触れたような、ごくごく小さな疑念。しかし、それを辿れば辿るほどに疑念は膨れ上がっていく。

 

「待て、ホウゴウ。今、”創始者の使奴“と言ったのか?」

「………………」

 

 ホウゴウは答えない。ジャハルから視線を逸らし、ガラスケースに手を置いたまま動かない。

 

「人道主義自己防衛軍の創始者はフラム様だ。使奴じゃない。そんなこと、使奴どころか一般人だって調べられる。歴史書や論文だって何本も出てるし、義務教育で教える国も沢山ある」

「…………」

「ホウゴウ。どうして間違えたんだ? 使奴であるはずのホウゴウが、どうしてこんな単純なミスを…………」

 

 どうして、などと(のたま)いながら、ジャハルは真実に気付いている。ただ、その真実を自分の口から言うのがどうしても(はばか)られている。それを言ってしまえば、もう後戻りが出来ない気がした。しかし、同時に彼女は知っている。もうとっくに、それこそ人道主義自己防衛軍を出た時から、後戻りなんて出来はしないのだと。

 

「ホウゴウ……貴方はもしかして、“使奴ではない”のか……?」

 

 ホウゴウの目が微かに震え、指先が痙攣(けいれん)を伴って緊張して強張(こわば)る。

 

「ハ、ハピネスから聞いた。この国の医者に、私と同じ“負荷交換”の異能者がいると……。もし、ホウゴウが、私と同じ異能を持っているなら、答えは一つしか、ない。200年の時を生き、使奴と同じ見た目をしていて、私と同じ異能者……。貴方は、貴方が……」

 

 ジャハルは乾き切った唾と恐怖がへばりついた舌を無理やり持ち上げ、続きの一言を口にする。

 

「…………メインギア?」

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふ」

 

 ホウゴウがガラスケースから手を離し、その手で顔を覆う。皮膚が剥がれんばかりの勢いで爪を立てて、顔を引っ掻きながら呼吸を乱す。しかし、彼女はすぐに冷静さを取り戻してジャハルに向き直った。

 

「そうです。私は負荷操作の異能者であり、“複製”のメインギア。“ミドー・ホウゴウ”と申します。本当はヒシメギ・ホウゴウと言うのですが、ヒシメギは旦那の苗字でして。離婚する予定だったのですが、使奴研究所に誘拐されてしまったので離婚届は出せずじまいでした。でも、どうせ彼は新しい奥さんと籍を入れていたはずです。ですので、今は旧姓の“ミドー”の方を名乗らせて下さい」

 

 先程の怒号が嘘のような軽い回答。当然、軽そうに見えるだけ。ホウゴウの精一杯の強がり、或いは諦観の境地。200年もの間使奴を退(しりぞ)け、単独で総裁の席を保ってきた孤高の王の正体は、旧文明生まれの不幸な一般人であった。

 

「こんなちょっとの言い間違いも許してくれないんですね。使奴ってそんな凄いんですか? 憧れるって言うより妬ましいですね。“コピー元“の私はこんな不出来なのに。やっぱり元々が人間だからでしょうか。こんなことなら私も使奴として生まれたかった」

 

 ホウゴウの一方的な自分語りは止まらない。立板に水で取留めのない怨み言を垂れ流し続けている。

 

「昔っからそうなんです。やること成すこと全部ダメで。今だってそう。使奴の身体は快適で、病気も怪我も疲れも軽い。腰痛とも肩凝りともまるで無縁だし、見た目が変なこと以外はまるで完璧です。それなのに、私はこの体を上手く使いこなせない」

 

 緊張、疑心、憤怒、嫌悪。脳の苦痛を司る部分に影響を与える感情の殆どが、ホウゴウの中に同居している。

 

「覚えれば覚えただけ成長するのは分かってる。でも続かないんですよ。頑張る自分に嫌気が差してくるんです。お前みたいな出来損ないが、何を一丁前に努力をしてるんだ? ってね」

 

 嫉妬、恐怖、焦燥。汚水に下水を流すが如く、それらは消えることなく累積して激しく飛沫(しぶき)を上げる。

 

「凄い人って、考え方からして凄いじゃないですか。使命感だったり、知的欲求だったり、悔しさだったり。自分を信じることに余念がない。なんて言うんでしたっけ……ノブレスオブリージュ? とか、当然のように挫折とか絶望を乗り越えるじゃないですか。アレ、どうやってるんですか? 自信ってどこで買えるんですかね?」

 

 悔恨、悲哀、羞恥。人間の頃ののホウゴウであれば、感情の濁流に耐え切れず意識を失っていたかもしれない。

 

「努力するのも才能ですよ。私にはそんな才能無かった。いや、分かってるんですよ。はたから見れば怠け者に見えるんでしょうね。実際そうですし。周りがどうしてあんなに頑張れるのか分からない。皆見えないところでゲロ吐いたり意味もなく泣き喚いたりしてるんでしょうか」

 

 しかし、今のホウゴウは使奴の肉体を得ている。その強靭かつ繊細な精神は、決して自我の崩壊を許さない。

 

「惨めな会社員としての自分から解放され、使奴の完璧な脳を手に入れて、肉体を手に入れて、メインギアという苦痛を経験し、そして自由を手に入れた。社会の(しがらみ)も、家族の一方的な期待も、友人からの(さげす)みも。全てから解放されて、恵まれた体を持って人生の再スタートを切った。それが、今ではこの様です」

 

 ホウゴウがその場に尻餅をつくように座り込み、ガラスケースに寄りかかって中にいる子供を見つめる。

 

「手遅れ。手遅れだったんです。人間を辞めても、私は辞められない。きっと、最初から間違いだったんです――――――――」

 

 ホウゴウは力無くガラスケースに寄りかかったまま、譫言(うわごと)のように昔話を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう今では、誘拐された日のことも、それからのこともよく思い出せません。思い出せるのは、“素体のメインギア”からコピーした“使奴細胞”とやらを、物言わぬ人形に与え続ける毎日。

 

 最初は苦痛でした。真っ白な肌だけ移してしまったり、素体のメインギアから使奴細胞そのものをコピー出来なかったりして、管理の人に何度も殴られました。でも、会社員の頃よりマシでした。暴力よりも言葉や態度だけで責められる方がずっと苦痛だったから。

 

 何度も異能を使ううちに、コピーも上手くできるようになってきました。肌の白さや黒痣が私のせいで発生しているものではないことがわかると、管理の人たちの態度も甘くなっていって、軽い雑談なんかもするようになりました。

 

 誘拐されておいて変な話ですけど、あの時ぐらいなんですよ。生まれてきてよかったなって思えたのは。クソみたいな人生だったけど、今は私にしかできないことがあって、それを必要とする人がいる。生まれて初めて自分を肯定出来た瞬間でした。

 

 先の大戦争で世界が滅んだ時、正直少し残念だなって思ったんですよね。折角念願の安寧を手に入れたのに……って。

 

 この国も、別に作ろうと思って作ったわけじゃありません。気まぐれで怪我人を助けたら、他の人が「私も、私も」って集まってきて。この異能と使奴の魔力があるからそこそこどうとでもなったんですが、言うことを聞いているうちに“診堂クリニック”なんて通り名が出来て、集落になっちゃって、私は医者兼村長として扱われました。いい迷惑です。

 

 集落は町になって、町は国になって、政治に無関心だった私をいいように扱う連中が大勢集まってきて、いつのまにか医療大国なんて呼ばれるようになった……。

 

 

 

 

 

 

 

遺児(いじ)隔離に関する法案や、この国の殆どの法律は支部長達が考案しました。私は、それに(もっと)もらしい意見を添えて肯定するだけの役……。私は惨めな会社員の頃から何も変わっていない。他の人の意見に反論でもしようものならば、その場にいる全員が険悪そうに私を睨む。反論と反撃の区別がつかない普通の狂人達が、普通の狂った世界を作り上げていく。私みたいな少数派に、口を出す権利はない。私はただへらへら笑って、波風を立てぬように顔色を(うかが)い続けるだけ……。経験ありますか?」

 

 ホウゴウの(うつろ)な眼差しが、ジャハルの首筋を舐める。高熱に(うな)されているかのような悪寒を覚えながらも、ジャハルは顔色一つ変えずに口を開く。

 

「ホウゴウ。それに私が何か、反論の余地のない正論を言ったとして、満足するのか? それが貴方の求めているものなのか?」

「……いえ。多分満足しないでしょうね。分かってるんです。矛盾したことを言っているなというのは。答えを欲しがっているくせに、いざ答えが提示されると不服そうにそっぽを向く。もう自分が何に不満を持っているのかも分からない。だけど、やっと、やっと自分の居場所が手に入ったんですよ」

 

 ホウゴウが(おもむろ)に立ち上がり、腰から下げていた魔袋(またい)に手を突っ込む。そして、中から太く短い鞭、ナガイカを取り出した。

 

「もうこれ以上、私の居場所を奪わないで下さい。私をこれ以上可哀想な人にしないで」

「ホウゴウ……」

 

 ジャハルは戦いたくなかった。当然の話である。一般社会で爪弾きにされ、異能目当てで誘拐され、突然大戦争の渦中に放り出され、再び一般社会の歯車に組み込まれた不幸な人ならざる者。そんな彼女を打ち負かす大義など、ジャハルの中にはない。だが――――

 

「……場所を変えよう、ホウゴウ。ここでは子供達に被害が及ぶ」

 

 ジャハルが背負った大剣に手を伸ばし、その柄を握り締める。その手にはもう、先程までの迷いも震えも無い。しかし、それを成長と呼ぶには少し歪み過ぎているのかもしれない。



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150話 ジャハル対ホウゴウ

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 旧第二資料室〜

 

 剥き出しのコンクリートで構成された、12畳程の空間。湿った石の匂いと、一本だけの蛍光灯が鳴く音。ジャハルとホウゴウは互いに見合ったまま動かないが、2人とも得物を手に敵意を隠していない。

 

 暴力を嫌う者は多い。それは言わずもがなの事実である。正義を成す為の最終手段であり、悪党の常套手段。他者の幸福を考慮しない者たち御用達の醜い武器。平和と幸福を望む極めて一般的な大多数の人類が、皆一様に暴力を嫌っている。それは、正義を使命として生きるジャハルにとっては尚のことである。

 

 しかし、ジャハルは考えを改めた。今までラルバの旅に同行してきて、なんでも人形ラボラトリーやグリディアン神殿の被差別民達を見て、ピガット遺跡でメギドとハイアと戦って、バルコス艦隊のファーゴ元帥の悪行を知って、爆弾牧場のディンギダルの叫びを聞いて、ジャハルはかつてなく柔軟で残酷に物事を見ることが出来るようになった。今まで信念と常識に従い漠然と嫌っていた暴力を、貴賎なき目で手段の一つとして見ることが出来ている。

 

 暴力とは、言葉だ。言葉を知らぬ幼子が物を投げるように、若者が喧嘩に明け暮れるように。言葉を持たぬ、言葉を知らぬ、言葉を選べぬ者たちにとって、最も効率的で、最も易く、最も効果的な意思表示。そして同時に、理性的であるべき、利他的であるべき、平等であるべき、清く、正しく、美しくあるべき。そんな理想塗れの一方的な社会常識に、ついて行くことが出来なかった者たちの声を聞く唯一の手段でもある。それが暴力。暴力を用いる相手に対して、暴力で応じるここと、対話を望んだ末已を得ず暴力で応じること。相手のやり方に応じることと、自分のやり方に応えない相手に渋々合わせること。どうせ同じ暴力に行き着くならば、排斥としての暴力でなく、対話としての暴力に応えたい。

 

 ジャハルの導き出した結論が詭弁であることは間違いない。しかし、平和的な対話を是とすることもまた詭弁なのだ。

 

 ホウゴウとジャハルが同時に虚構拡張を発動する。無機質なコンクリートの小部屋は“燃え上がるように”して、片や“焼け焦げるように”して消え去り、無限とも思える広さの異質な空間が現れる。ジャハルの背負う景色は“1つの寝台が置かれた医務室”。片やホウゴウの背負う景色は“2つの手術台が並ぶ手術室”。どちらも殺人現場のように血塗れで、足元には血溜まりが(まだら)模様を描いている。

 

「……医務室?」

 

 ホウゴウが眉を(ひそ)めて歯を擦り合わせる。虚構拡張の景色は、本人が異能に対して抱いている解釈に大きく影響される。つまり、ホウゴウはジャハルの異能に対する解釈に不愉快な思いを感じている。

 

「この偽善者が……!!!」

 

 ホウゴウの振り上げたナガイカが、獣の鳴き声のような風切り音と共に振り下ろされる。使奴による鉄をも砕く一撃を、ジャハルはなんとか大剣の腹で受け止める。しかし、ホウゴウは一切勢いを緩めず連撃の嵐をジャハルに叩き込む。

 

 ホウゴウにとって、この異能の本質は“身代わり”である。自分の怪我や苦しみを、無事な誰かに移し替えて己を治療する非道な異能。対するジャハルにとっての本質は“自己犠牲”。誰かの怪我や苦しみを自分に移し替えて他者を治療する慈愛の異能。その真相意識は虚構拡張の景色へと反映された。ジャハルの方には患者を治す為の寝台だけが置かれているが、ホウゴウの方には自分と誰かを寝かせる為に2台の手術台が映し出されている。ホウゴウは悔しかった。羨ましかった。この醜悪な異能を、美しい人助けの異能だと心の底から思えていることが。そして同時に、己の矮小(わいしょう)で愚鈍な心を憎まずにはいられなかった。

 

 その憎しみを孕んだ殴打が、罵声の津波に代わってジャハルに襲いかかる。この猛攻をジャハルの大剣一本で防ぎ切ることは到底敵わず、金属の芯が入った鞭は骨を砕き、筋肉を押し潰し、血管を破く。しかし、ジャハルも防戦一方ではない。意識が朦朧としかけたその時、満を持して異能を発動した。

 

「うっ――――――――!!!」

 

 ホウゴウが突然吐血してその場に(ひざまず)く。ジャハルの抱えていたダメージ、全身の打撲、骨折、内臓損傷、激痛。それらが何の前兆もなくホウゴウの体へと移し替えられた。本来であれば殴打の衝撃や脳内麻薬によって濁るであろう凄烈な痛みが、純粋な苦痛の結晶となって痛覚を引き裂いた。

 

「ひ、ひっ」

「っ………………!」

 

 今度はホウゴウが異能を発動する。純粋な苦痛の結晶は綺麗さっぱり取り除かれ、ジャハルの身体へと戻された。ジャハルもすぐに異能を発動し、再び負荷をホウゴウに移し替える。戦いは物理的な殴り合いから、異能による負荷の押し付け合いへと移行した。

 

「うあああっ!!!」

「…………」

「ひっ、ひっ、ああああっ!!!」

「…………」

「っ――――!!! ああああああっ――――!!!」

 

 激痛に叫ぶホウゴウと、無言で耐え忍ぶジャハル。この痛みは当然人間にとってもこの上なく苦しいものではあるが、無敵の人造人間として200年過ごしてきたホウゴウにとっては耐え難い苦しみであった。この痛みの押し付け合いが数回続くと、ジャハルは痛みを保持したまま押し付け合いを一時中断した。

 

「え、な……何?」

 

 戸惑うホウゴウ。彼女の目の前でジャハルは大剣を逆手に持って持ち上げ、見せつけるように自分の足目掛けて思い切り突き刺した。

 

「………………え?」

 

 飛び散る血飛沫(ちしぶき)。混乱するホウゴウ。しかし、その理解は数秒遅れてやってくる。

 

「い、嫌……嫌っ!!!」

 

 ジャハルが異能を発動する。

 

「あああああああああっ!!!」

 

 今までの苦痛、怪我に加えて、ホウゴウの足先が真っ二つに裂ける。堪らず異能で痛みを押し返すホウゴウ。しかし、ジャハルはまたしてもすぐには痛みを返さない。

 

「嫌……嫌……!! やめて……!!!」

 

 ピガット遺跡でメギドとハイアと戦った時のことを思えば、この程度の痛み、ジャハルにとっては耐えられないものではない。先導の審神者(さにわ)の導きによって覚えた邪悪な戦方を、正義の戦士は淡々とこなしていく。ホウゴウの掠れた抵抗を聞き終える間もなく、ジャハルは大剣の刃に手先を押し付ける。

 

「嫌っ!! 嫌ぁ!!!」

 

 ジャハルの指が縦に裂けて血の滝を流す。ホウゴウは今から自分を襲うであろう痛みに震え両手で顔を覆う。

 

「や、やめ――――」

 

 ジャハルが異能を発動する。

 

「――――――――――――っ!!! ああああああああああっ!!!」

 

 痛みを感じた瞬間、ホウゴウが異能で負荷を押し返す。そして、またしてもジャハルは動かない。足と手と口から血を垂れ流したまま、静かにホウゴウを見つめる。ホウゴウはこれ以上異能を発動させないために、ジャハルの頭をナガイカで思い切り殴りつける。人骨さえ焼き菓子の如く粉砕する使奴の攻撃を喰らったジャハルが蹌踉(よろ)めき倒れ込む。が、直後ホウゴウの全身を激痛が襲った。

 

「あああああああああああっ!!!」

 

 すぐさま異能を発動。全身から激痛が消える。しかし、何度痛みを消そうとも、痛みへの恐怖はホウゴウの中に暴風雪の如く吹き荒れ降り積もっていく。

 

「嫌……嫌……やめて、もう……やめて……!!!」

 

 ジャハルがゆっくりと立ち上がり、大きく裂けた手をもう片方の手で握る。濡れた雑巾を絞るかのように血が溢れる。

 

「やめてっっっ!!!」

 

 ホウゴウがジャハルに向けて手を翳す。そこから発せられた回復魔法によって、ジャハルの全身の傷はみるみる治っていく。これ以上の痛みを恐れたホウゴウは、あっけなく降参を宣言した。

 

「もう、もうやめて……お願い……!!!」

 

 涙ぐむホウゴウが回復魔法の勢いを強めて懇願する。ジャハルは暫く黙ったままホウゴウを見つめていたが、やがで静かに目を閉じて虚構拡張を解いた。辺りの景色が燃えて消え去り、元の狭いコンクリートの地下室に戻った。

 

 

 

「……ホウゴウ」

 

 怪我が完治したジャハルが(おもむろ)に口を開くが、ホウゴウは座り込んだまま震えて応えない。使奴の肉体を得ているとは言え、生まれて初めての死闘にホウゴウは恐怖で動くことが出来なかった。ジャハルは己の決断が正しかったのかをぼんやりと思いながら、ぽつりぽつりと話し始める。

 

「……私の国では、人は肉体に魂が宿ることで生まれてくると教わる。人はその時に得た肉体によって、優秀かどうかが決まる。そして、魂は肉体を選べない。つまりは、優秀かどうかと言うのは完全な偶然なんだ。だから、私の国では優秀でない者を悪く言うことは少ないし、陰謀論めいたものもない。その代わり、優秀な人間を特別優遇したり尊敬したりすることもない。何故頑張れるのか、何故頑張れないのか、何故報われるのか、何故落魄(おちぶ)れるのか。それら答えは、この教えで解決する。ホウゴウ。私は貴方を不出来だとは思うが、それは決して見下している訳じゃない。貴方が不出来なのも、私が上出来なのも、全ては偶然だと、私は思う」

 

 ホウゴウは恐怖が拭い切れていない声で、吐き捨てるように呟く。

 

「……だから何ですか。偶然だから受け入れろって言うんですか」

「そうだ」

「馬鹿なこと言わないでください。第一、そんな説教をする時点で見下してるじゃないですか」

「見下してない! 本当だ! こんな、偶然順調に育っただけで、どうして説教なんか出来るか……。 怠惰や傲慢(ごうまん)というならいざ知らず、(したた)かに懸命に生きようとする者を、如何(どう)して見下せるか……!!」

「その、“順調に育っただけ”って言うのがもう鼻につくんですよ……!! その“順調に育つだけ”すら私には出来ない……!! なんなんですか!! 私にどうしろって言うんですか!!」

「……どうしろ、と言うなら。言いたいことは一つだけだホウゴウ。私達に、貴方を助けさせてくれ」

 

 ホウゴウが顔を上げる。涙と鼻水に吐血が混じり酷い顔をしていたが、懐疑と怨嗟に満ちた目の奥には微かな期待が灯っていた。ジャハルには、それ灯火がこの上なく嬉しかった。そして確信、(もとい)、決意する。今度は助けて見せる。ディンギダルのようにはさせない。

 

「貴方が己を責める必要はまるで無いが、たった一つだけ明確に間違ったことがある。それは、“使奴に助けを求めなかったこと“だ」

「……私が?」

「ホウゴウのナガイカ……鞭は、ベル様、我が国の総統に貰った物じゃないか?」

「な、何でそれを?」

 

 ジャハルがホウゴウに近づき、手からナガイカを受け取る。持ち手の先には革で編み込まれた長さ60センチ程の鞭が伸びており、先端には(こぶ)状の突起が付いている。

 

「人道主義自己防衛軍の訓練でも数回使ったことがある。そしてこれは、恐らく”護身用“のナガイカだ。ベル様の道具強化の異能は、道具の持つ性質の内、ある程度強化項目を選択出来る。これは、ナガイカの持つ性質の内“戦意喪失”を強化項目に選んだのだろう。だから、使奴と同等の腕力を持つホウゴウが全力で振るっても私は死ななかった。死亡と戦意喪失状態はイコールでは無いのだろう。それに、私も元より貴方と戦っているつもりは無かったしな」

 

 ホウゴウは小さく失笑して(うつむ)く。

 

「はっ……あの人、騙したんですね。“私にぴったりの武器”って、そういうことだったんですか。何ですか戦意の喪失って……これじゃあ(ろく)に戦えないじゃない……」

「騙したんじゃない」

 

 ホウゴウがナガイカの持ち手をホウゴウに差し出す。

 

「鞭は、剣や棍棒よりも攻撃時の感触が手に残りづらい。フレイルやヌンチャクと違って取り回しにそこまでコツも要らないし、銃と違って殺傷能力も高くない。そして、このナガイカは私達が軍で支給されるものと形が異なっている。恐らく、素人でも扱いやすいよう長さや形状を工夫してくれてあるんだろう。ベル様は、貴方の心を守ったんだ。貴方が誰も殺さないように、誰も傷付けないように、貴方を守ってくれたんだ」

 

 ホウゴウが、恐る恐るナガイカを受け取る。

 

「な、なん、で……何で……!」

「ホウゴウは心の優しい人間だ。そのくらいは私にもわかる。そんな心優しい貴方が誰かを殺めれば、その傷は一生胸に刺さって抜けないだろう。ベル様は最初から見抜いていたんだ。ホウゴウがどういう人間か。そして、ベル様が分かっていたということは、多分他の使奴も……」

「嘘よ!!」

 

 ホウゴウは勢いよく立ち上がってジャハルに食ってかかる。目に涙を溜め、必死に己の正当性を叫ぶ。

 

「だって、だって誰も助けに来てくれなかった……!!」

「……ホウゴウは助けを呼んだのか?」

「言ってない……言える訳ないでしょ……!! 最初、200年前に会った時には、“私が一人でやる”って言っちゃったんだもん……」

「診堂クリニック建国を、ひとりでやるって言ったのか?」

「イチルギさんやヴァルガンさん達が皆で頑張っている中、私ひとりじゃ出来ないなんて言えなかった……!! でも、何年もせずに、すぐ上手くいかなくなった……」

「……最初に“ひとりで国家を運営してみせる”と言い張った手前、助けを求めることが出来なかったんだな。そしてその内、ホウゴウ以外の人間が国家運営の中枢(ちゅうすう)を支配するようになった……」

「そうなれば誰か助けに来てくれると思った……。使奴は皆優秀な人達でしょ……? でも、でも……!! 誰も助けに来てはくれなかった……!!」

「…………そうか。でも、もう大丈夫だ」

 

 ジャハルが優しくホウゴウを抱き締める。

 

「長い、長い間、本当によく頑張ってくれた。もう、大丈夫だ」

 

 ホウゴウは身体を強張(こわば)らせて言葉を失うが、指先でほんの少しだけジャハルの制服の(すそ)を掴む。

 

「…………もう、もう頑張れない」

 

 ホウゴウの頭に幻聴が鳴り響く。

 

     少しは頑張れよ。

 

   迷惑とか考えないの?

 

       サボってんじゃねーよ。

 

「十分だ。もう休んで良い」

 

「ぜっ全然、全然出来てないのよ。仕事も、何も、かも」

 

   はあ? 何でまだ終わってないの?

 

        あのさあ、今まで何やってたの?

 

     普通出来るでしょ、これぐらい。

 

            言わなきゃ分かんない?

 

      そのぐらい自分で考えろよ。

 

「私達に任せろ」

 

「わ、私自身も、全然駄目なの」

 

   使えねーなホント。

 

             気が利かね〜。

 

     言い訳ばっかしてんじゃねぇよ。    出来てんの? 出来てないの? どっち?

 

   少しくらい出来んでしょ。     これだから女は嫌なんだよ。

 

       泣けば許されると思ってるでしょ?   あーあー、本当最悪。

 

「ホウゴウ」

 

 自分のことばっか考えてんじゃねーよ。仕事ナメてる? ナメてるよね?馬鹿だな〜お前。いい加減にしてくれよ。迷惑なんだよね。君、明日から来なくていいよ。すみませんじゃねぇだろすみませんじゃよぉ! だって君が悪いんじゃん。どうして出来ないの!? いっつも言ってるよねぇ!! また忘れたの!? ねぇ、これ何回目? 黙ってちゃ分かんねぇだろ!! 恥ずかしくないの? 困るんだよなぁそういうの。俺が言ったこと覚えてる? あーあー知ぃ〜らね。 何、まだ居たんだ。給料泥棒。もう何度言ったら分かるのよ!! ねぇ俺の何でないの? 何これ、俺への嫌がらせ? 見下されたくなかったら少しは成果出せよ。文句あんなら言えよ。使えねー。マジでいらない。ヤバくない? クソじゃん。ゴミ。ボケ。カス。あり得ない。帰れ。馬鹿。マヌケ。クソ女。死ね。キモ。ゴミ。帰れよ。来んな。馬鹿。きっしょ。うざ。うるせぇ。死ね。消えろ。カス。クビだな。ゴミ野郎。帰れ。馬鹿。グズ。クソ。ゴミ。マヌケ。死ね。来んなよ。クソ。ボケ。死ね。馬鹿。キモい。クソ。帰れ。クソ。間抜け。死ね。馬鹿。死ね。カス。ゴミ。グズ。これだから女は。ゴミ。グズ。馬鹿。クビだろ。死ね。キモい。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「ホウゴウ」

 

 ジャハルが震えるホウゴウの腕の下から手を入れて背中に回し、自分を抱き返すような形にホウゴウの腕を持ち上げつつ再び抱き締める。

 

「よく、頑張った」

 

 ホウゴウの腕が、ジャハルの背中を恐る恐る撫でる。確かめるように、疑うように、そして、次第に強く、震えを(ともな)って、力いっぱいに抱き締め返す。恐怖が、涙や嗚咽(おえつ)と一緒に流れ出て行くような気がする。不安や、疑念が、人の温もりで溶かされていく気がする。

 

 まだ幻聴は耳から離れない。それでも、今は少しだけど苦しくない。

 

 旧文明時代から、物心ついた時からかも知れない。ずっと探し続けてきたものを、ホウゴウは(ようや)く見つけられた気がした。



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151話 疫病の国

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 通信室〜

 

「こちら人道主義自己防衛軍クサリ所属、ジャハル。ベル総統へ繋いで頂きたい」

「こちら人道主義自己防衛軍アマグモ通信班。ジャハル総指揮官、空から降るものをお答え下さい」

「恵と罰」

「確認致しました。ベル総統にお繋ぎ致します」

 

「こちらベル」

「報告。ホウゴウ院長の正体が判明。彼女は私と同じ“負荷交換”の異能者で、(かつ)て“複製のメインギア”として使奴研究所に隷属させられていた旧文明の元人間です。また、ホウゴウ院長の決定により今まで留保されていた、人道主義自己防衛軍、及び世界ギルド境界の門、狼の群れ、ピガット遺跡の4カ国との協定を締結しました。続いて、ホウゴウ院長単独の判断ではありますが、人道主義自己防衛軍による植民地支配を希望する意思が提示されており、降伏宣言を留保しています」

「植民地とは聞こえが悪いな……。返事はしなくていい」

「それと、ホウゴウ院長からベル総統宛に言伝を預かっています」

「言伝?」

「“遅くなりましたが、ありがとうございました。それと、ごめんなさい”。」

「…………はっ。本当に遅いな。200年前越しじゃあ、最早何に言われてるのか分からんだろうに。お疲れ様ジャハル。良くやった」

「報告は以上です。指示を仰ぎます」

「今、診堂クリニック郊外の火雷川(ひがみなりがわ)まで来ている」

「はい。はい!?」

「事後承認でいい。私1人分の入国許可を受理しておいてくれ」

「え、あ、はい!」

 

 ジャハルは、通信が切れ無音となった通信機を眺め、驚きと興奮で高鳴る心臓に手を当てる。

 

「〜っはぁ……! 全く心臓に悪い……! 何で解決前提で飛び出してくるんですかベル様……!」

 

 自分が頼りにされていた嬉しさと、もしホウゴウの説得に失敗していたらという想像の狭間で揺れ動く心に、ジャハルは何度も深く溜息を吐いた。

 

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 関係者用駐車場〜

 

 医療従事者が物珍しそうにジャハルを眺め、それでいて関わらないように通り過ぎて行く。ジャハルが視線に気付いていないフリをしながら暫く待っていると、突然目の前の虚空に膨大な魔力を感じた。

 

「出迎えご苦労。ひとりか?」

 

 隠蔽(いんぺい)魔法が解除され、ジャハルの(まばた)きと同時にベルが現れる。ジャハルは右手を額に当て敬礼して口を開く。

 

「現在、ハザクラ総指揮官及びバリア、ラルバ、ラデック、ゾウラ、カガチの6名が、診堂総合病院の各支部制圧に動いています」

「随分豪華なメンバーだな」

「支部長等は世界ギルドや我が国に強い差別意識を持っています。早急に手を打たねば、ホウゴウを囮にして国民達を煽り我々と敵対し続けると予測しました」

「だろうな」

 

〜診堂クリニック 第一診堂中央総合病院 “遺児(いじ)安置所”〜

 

「久しぶりだな。ホウゴウ」

 

 遺児安置所の通路でガラスケースの中を見つめているホウゴウに、ベルが声をかける。すると彼女は、驚きに目を見開いて顔を向けた。

 

「ベ、ベルさん……!!」

「こりゃまた随分ケッタイなことに金をかけたね。ウチの国民が見たら卒倒するだろうな」

 

 ベルの後ろでジャハルが大きく頷く。ホウゴウは冷や汗をかきながら狼狽(うろた)えて目を泳がせる。

 

「ご、ごめんなさい……。わた、私には……これくらいしか、ほ、方法が……」

「ん〜……」

 

 人道主義とは遠くかけ離れた人間の畑の中で、ベルは特に機嫌を害したような素振りは見せないまま顎を(さす)る。

 

「ジャハル、ちょっと席外しててくれるか?」

「はい」

「終わったら呼びに行く。待合室でコーヒーでも飲んで待っていてくれ」

 

 少し不満そうに目を伏せながらも、ジャハルは敬礼してから回れ右をしてエレベーターに向かって行く。仰々しい専用エレベーターの扉が開き、ジャハルを乗せて音もなく上昇していった。

 

「さて、ホウゴウ」

「は、はい」

「言いたいことは沢山あるんだが……、まずは“コレ”について聞きたい」

 

 そう言ってベルが手にしたのは、子供が閉じ込められているケースの下に伸びた“赤い紐”。電線のようなゴム質でもなく、ホースのようなプラスチックやビニールでもない。太さは鉛筆より一回り小さいくらいで、感触は柔らかく滑らか、弾力と伸縮性のある生暖かい紐。最も分かりやすい例を挙げるならば、“細切りの生肉”のような――――――――

 

「そ、それ、は」

「端は子供の腕に貼り付けられているだけか。この子供以外にも、いくつか同じような紐が伸びているケースがあるな」

「あ、あ、えっと、あの」

 

 ホウゴウは呼吸を乱して視線を泳がせる。その視界の端にはこちらをじっと見つめるベルの顔が微かに映っている。恐らくベルは気付いている。あの“赤い紐”の正体に。それでいて、ホウゴウ自身の口から真実を話させようとしている。

 

 ホウゴウは昔からベルが嫌いだった。高圧的で、いつも不機嫌そうにしていて、今みたいな意地の悪い問いを投げかけてくる。答えが分かっているなら1人で喋っていればいいのに、態々(わざわざ)こちらに言いづらい事実を口にさせて会話に組み込んでくる。説教という処刑場の建築を咎人(とがびと)自身に手伝わせてくる。ホウゴウの人間時代の上司のように。

 

 でも、ホウゴウは知っている。ベルは奴らとは違う。ホウゴウという人間を実に良く見てくれている。逃げ癖のあるホウゴウの退路を断ち、己の過ちと向き合う場を用意し、ホウゴウが前に進むための手助けをしてくれている。ジャハルに教えて貰ったベルの真意。誤解。己の弱さ、無能さ。それらが、ホウゴウに少しだけ勇気を与えた。

 

「あ、あれ、は……。レ、“レシーバー”……です」

「“レシーバー”? 受け手という意味でのレシーバーか?」

「はい……。“存在しない村”から頂いたもので、接触を、中継する、役割を……」

「接触を中継……。コレを使えば、離れたところからでも紐で繋がっている相手と”接触“した判定になるんだな?」

「は、はい……」

「そうか。…………()け口にしたのか」

 

 ホウゴウは目を力強く(つむ)って頷く。自責の念に縛られ喋れなくなったホウゴウの代わりに、ベルが限りなく真実であろう推測を語り聞かせる。

 

【疫病の国】

 

「“大疫病”。大戦争以降に発見された、感染力の強い原因不明の奇病。私がホウゴウと出会った時、お前は辛うじて大疫病を治療出来ると言っていたな。正直に言えば、あの時から薄々気付いてはいた。多分、治療なんかじゃない。異能による誤魔化し。根本的解決じゃない。だが、幾ら待てども治療法は見つからず、お前はこの“誤魔化し”を軸に国を発展させて行くしかなかった。大疫病の発症者の負荷を、負荷交換の異能で遺児に移し替える。ジャハルはまだ出来ないが、複製のメインギアとしての経験があれば、負荷の種類を選択することも可能だろう。そうやって、大疫病を抑え込んできた。定型発達の健常者を救うために、遺児を病気の捌け口にしてきた」

 

 ホウゴウは顔を両手で覆って(うつむ)いており、その隙間からは涙と鼻水が絶え間なく流れ出ている。

 

「だ、だって、だって、私には、それぐらい、しか……出来ることが……なかった……!!」

「ホウゴウ。大疫病と呼ばれている病気。症状。……疾走症。溺死病。拷問病。暴食症。イシャイラズ。柘榴腫脹(ざくろしゅちょう)。義殺衝動。鸚鵡(おうむ)症。不知懐胎(しらずかいたい)。舌勃起。溶顔病。博愛譫妄(はくあいせんもう)。私が思うに、これらは恐らく”大戦争で使われた生物兵器による症状“だ」

 

 ホウゴウが顔を上げる。

 

「せ、生物兵器……?」

「旧文明で起きた戦争の中で、これらの症状に良く似た生物兵器が使われたことがある。例えば” 不知懐胎(しらずかいたい)”。ドゥオド歴4556年。クァル共和国とヴェンツェル王国の、320年続いた睨み合いの戦争。そこで用いられたクァル共和国の生物兵器、”ラブダーツ4号“。女性がこのウイルスに感染すると、体内で疑似精子を作り出し単独で妊娠してしまう。それどころか、この受精卵は赤ん坊の形にならない上、妊娠期間は数年以上にもなり、仮に受精卵を取り除けても、女性は2度と子供を産めない体になってしまう。これによりヴェンツェル王国は急激な出生率の低下によって崩壊した。その後ラブダーツ4号の研究施設は外部の人間によって解体されたが、大戦争で類似品がばら撒かれていても不思議じゃない」

「じゃ、じゃあ! 原因が分かるなら、治す方法も!」

「ない」

「えっ」

「正確に言うと、なくなってしまった」

「なくなって、しまった……?」

「……私がジャハルにいつも言い聞かせていたことがある。それは、”負荷交換の異能は病気には使ってはいけない”。ということだ」

 

 ホウゴウの瞳孔が小刻みに揺れ、全身の毛が逆立つ。

 

「幼かったジャハルが、一度だけ病気を移し替えてしまったことがある。その時に判明したことだが、病気とは“症状”と“治癒”の両方の性質を持った現象らしい。負荷交換の異能で移せるのは負荷だけ。治癒は負荷じゃない。ジャハルが移し替えた病気は、その時点で治癒という性質を奪われ不治の病になってしまったんだ。その時は病気を死刑囚に移すことで何とかなったが……」

 

 ホウゴウの視界が眩む。耐え難い嘔気と強烈な耳鳴り。重力の方向が曖昧になり、この上ない暑さと寒さを同時に感じる。

 

「わ、わた、しは。と、とんでもないっ、ことを、し、し、して」

「まあ、そうだな。ウイルスという原因を無くした病気が、当時の感染力を保ったまま、今もどこかで誰かの体内で潜伏している。根絶は困難を極めるだろう」

「そんな……そんな……!!! ああ、ああああっ……!!! ごめんなさい……!! ごめんなさい……!!!」

 

 その場に泣き崩れるホウゴウ。ベルは彼女を一瞥(いちべつ)すると暫く辺りを見回し、ふと何か思いついたように口を開いた。

 

「話は変わるが、ホウゴウ。コレはちょっとした蘊蓄なんだが。建国初期の人道主義自己防衛軍で、最も多く起きていた犯罪って何だか知っているか?」

「………………?」

 

 突然の意図不明の話題に固まるホウゴウ。しかし、ベルは構わず口を開く。

 

「それは、“児童虐待”だ」

「え……?」

「意外だろう? 人道主義を(うた)う使奴が率いる独裁国家。その中では人道主義もクソもない児童虐待が横行していたんだ。建国から40年50年くらいまでは、窃盗や詐欺等他の犯罪全ての倍近い認知件数があった」

「ど、どうして。人道主義自己防衛軍は、貴方の、使奴のクローンで作られた国じゃないんですか?」

「私も意外だったが、原因はもっと素朴な所にあった。200年前、最初にいたのは私と、使奴研究員のフラム・バルキュリアスの2人。使奴の私は言わずもがな、フラムも相当に頭の良い人間だった。この2人の遺伝子ならば、優秀な人間が生まれるだろう、と。だが、当初の人道主義自己防衛軍は貧しかった。そりゃそうだ。知識知恵こそあれど、畑も港も無いんだからな。研究所から持って来た幾つかの機材は生活の役には立たない。皆仲良く狩猟採集民族に逆戻りだ。そして、貧しさは人を愚かにする。私とフラムには膨大な知識があったが、後から生み出された彼らはそうじゃなかった。中途半端に優秀なせいで、自分より劣っている存在が許せなかった。葛藤を拗らせた結果は散々で、一時は国が傾きかけたこともあった」

「そんなことが……」

「だが、私は画期的な案を考えた。そのお陰で児童虐待は減り、それどころか犯罪件数そのものの発生率も大幅に低下して、心優しく勤勉で優秀な者が多くなった。さて、一体私は何をしたでしょう?」

「……私と同じことをした、訳ないですよね」

「そりゃそうだ。そんなことをしたら国民が黙っていない」

「じゃあ、何をしたんですか」

「親をすり替えたんだ」

「え、お、親……を……!?」

「我が国の一般的な交配方法。それは、親となる2名の遺伝子を医療施設へ送り、人口子宮によって受精卵を生成、成長させ、擬似出産を経て両親の元へ戻される。性別や生殖器の状態によって子作りを左右されない、実に合理的な方法だ。だが、このシステムの最も肝要な部分はそこじゃない。このシステムの最も優秀な部分は、親のすり替え、(もとい)”国民性を操作出来る“所だ」

「何を、言って……」

「心優しく、勤勉で、優秀な者の遺伝子。それを、性格に難のある両親の遺伝子とすり替える。子供と親の容姿が似ていないことについては、使奴の遺伝子による不具合だと嘘をつけば丸く収まった。そうして、我が人道主義自己防衛軍は晴れて理想の人格者集団となることが出来たのだ」

「そ、そんなの、そんなの……!!」

 

 ホウゴウが勢いよくベルに詰め寄り、胸倉を掴んで引き寄せる。

 

「そんなの、命への冒涜(ぼうとく)じゃないですか!! それだけじゃない……!! 子供を欲しがった両親への、国民への冒涜です……!! 何で、どうしてそんなことを!!」

「ホウゴウ」

「どうして……どうして……!!」

「ホウゴウ、私はお前に謝らなくてはならない」

「……………………」

「この役を、命の選択をする役を、ホウゴウに押し付けてしまったこと。心の底から申し訳なく思う。すまなかった」

「うっ……ううっ……!!」

 

 ホウゴウの目から涙が溢れ出る。それは先程までの恐怖や後悔などでなく、優秀だと思っていた使奴が、世界の愚かさに呆気なく負けたことへの悔しさの涙。ホウゴウ自身もとっくに気がついていた。愚かな世界で皆を幸せにするには、割を食う人間を選ぶ必要があることに。

 

「旧文明は、富める国が貧しい国を搾取し、それぞれの国の中でも、富める者が貧しい者を搾取する。そんな世界だった。世界は放っておけば必ずこの形に収まってしまう。それを避けるには、誰かが、間引かれる人間を決めなくてはならない」

 

 ベルがホウゴウを抱き締める。それはホウゴウへの慰めでもあったが、自分自身への慰めでもあった。

 

「私が今までここへ来なかったのは、私が来てもどうしようもないからだ。遺児隔離法を改正しても、待ち受ける問題は同じ。解決方法も同じだ。だったら、使奴のような(まが)い物の人外が指導者になるよりも、ホウゴウのような真っ当な人間が指導者の方がずっと良い……。いや、我儘(わがまま)だな。私も、イチルギも、ヴァルガンも。人間をペット扱いしたくないだの何だのと言っておいて、結局はただの責任逃れだったのかも知れない……。すまなかった、ホウゴウ。こんな辛い役を、お前ひとりに背負わせてしまった」

 

 ホウゴウはベルを強く抱き締め返し、額を力強く擦り付ける。

 

「ほ、本当ですよ……!!! こ、こんな、こと。ひとりでやらせるなんて……!!! 一緒に、て、手伝って下さい……!!! ベルさん、達、だって……!!! ううっ……!!! に、人間なんですからっ……!!! わたっ、私がっ、い、異能を使えた時点で、ベルさんだって、人間なんですっ!!! 私達と一緒に、苦しんで、立ち向かって下さいよっ!!!」

「……私が、人間か。そうか。そうだったな。お前はずっと私達を人間として見てくれていたのにな。ごめん、ホウゴウ」

 

 

 

〜診堂クリニック 第四診堂総合病院 院長室 (ラルバ・ラデックサイド)〜

 

「ア、アンタ達!! こんなことしてどうなるか――――」

「うるさいなぁもう。またバリウム飲ますよ!?」

 

 ラルバが脅かすように拳を振り上げると、拘束されている女性の老人は身体をビクッと震わせて仰反(のけぞ)った。ジャハルの指示で各地の診堂総合病院支部長の身柄を確保しに出向いていたラルバは、ラデックと共に第四診堂総合病院を訪れていた。

 

「はぁ〜あ、つまーんなーいの」

 

 ラルバが院長室の引き出しという引き出しをひっくり返し、見つけた菓子類を片っ端から口に放り込む。

 

「ん、このチョコうまい! ラデックも食え!」

「あーん」

 

 ソファで機密書類に目を通していたラデックが口を開けると、ラルバがチョコレートを一粒放り込んだ。

 

「うん、うん……。うっ。ラルバ、これ、何味だ……?」

「多分……(さば)?」

「しゅごいまじゅい。らひていい?」

「飲み込め勿体無い」

「うう……。んぐっ。こ、これのどこがうまいんだ……?」

「え? すげー不味かったから食わせたかっただけだよ?」

「お前……」

 

 2人が暢気(のんき)に過ごしていると、そこへ力強く扉を開けてナハルが現れた。

 

「ラルバ!! ラデック!!」

「うわあすごいおっぱい。目に悪い」

「びっくりした」

 

 ナハルは慌てた様子で呼吸を乱し2人に詰め寄る。

 

「シ、シスターを見てないか!? ハピネスも!! ラプーも居ないんだ!!」

「死んだよ」

「そう言えば見てないな。羊煙(ようえん)村での容疑は晴れたのか?」

 

 ナハルは今にも泣きそうな顔をして事情を説明する。

 

「わ、私が最初に取調室に呼ばれて、4時間経って解放されたんだ。でも、解放された時、施設にシスター達はもう居なくて……! 出来る限り辺りを調べたけど、何処にも、何処にも居ないんだ……!!」

 

 興味無さそうなラルバの代わりに、ラデックが首を捻って考え込む。

 

「使奴が走り回って見つけられない……確かに変だな」

「ラプーがいるからまだ大丈夫かも知れないが……、もしも、もしものことがあったら……!!!」

「うふふふふふ……」

 

 ナハルの泣き言に、拘束された支部長の女性が北叟笑(ほくそえ)んで笑い声を上げる。ナハルは倒れている支部長に駆け寄って、両肩を勢いよく掴む。

 

「何か知っているのか!? 話せ!! シスターは何処にいる!?」

「痛い痛いっ!! それがひとにものを頼む態度!?」

「いいから話せ!! 早く!!」

「交換条件!! 私の身の安全を保証することとー、ああ、まずは拘束を解いて頂戴。話はそれから〜」

 

 ナハルはすぐさま拘束を解き、老人をソファに座らせる。

 

「解いたぞ!! 早く教えろ!!」

「もう急かさないでっ! ああもうあちこち痛いわぁ〜。そこの赤角と金髪、顔覚えたから。絶対訴えてやるわよ」

「訴えるのも殺すのも好きにしていいから!! 早く教えろ!!」

「その前に煙草(たばこ)を――――――――」

 

 支部長の女性の眼球目掛けて、ナハルが勢いよくペンを振るう。ペン先は微かに女性の眼球に触れ、そこでぴたりと静止した。

 

「簡潔明瞭に答えろ。次は刺す」

「わ、わ、分かった、分かったから、ど、どかし、どかして」

 

 ナハルの怒気に当てられた支部長は、大きく深呼吸をして話し始める。

 

「そこの青髪の子がいた留置所って、草黄荊(くさきばら)警察署じゃない?」

「ああ。そうだ」

「じゃああの子の管轄ねぇ〜。第二支部の事務長。“ニクジマ・トギ”」

「そいつは今何処にいる!? 何をしている!!」

「第三診堂総合病院の地下の遺児安置所。その奥で、犯罪者相手にオママゴトして遊んでんのよ」

「オママゴト?」

「“臓器ギャンブル”。保釈金が欲しい犯罪者に、臓器を通貨にして賭け事させてんの」



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152話 有効活用

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 遺児(いじ)安置所 (シスター・ハピネス・ラプーサイド)〜

 

「これは……!!」

 

 目の前に広がる光景に、シスターは絶句する。大型商業施設の商品棚のように陳列された、(おびただ)しい数のガラスケース。そこに収められている痩せこけた幼子。その内の1人と目が合う。希望も、絶望も無い、昆虫や魚と同じ理性を持たない空虚な眼。哺乳類にも及ばぬ無機質な意思。ハピネスが後ろの方で、別のガラスケースの子供に向かって柔かに手を振る。

 

「遺児安置所、体か心のどっかに異常を持つ子供達の隔離施設だね。“診堂クリニックでは、心身に異常がある人間は(はらわた)だけ抜かれて捨てられる”って噂、知らない? ま、知ってても信じてないか」

 

 シスターは何も言わずにガラスケースを見つめ、唇を固く結ぶ。そこへ、前方を歩いていた老婆が苛立(いらだ)った声で呼びかける。

 

「なぁにをボサっとしてんだい!! ちんたら歩いてんじゃないよ!!」

 

 シスター、ハピネス、ラプーの3人は、老婆に従いガラスケースの間を進んでいく。

 

 

 

 シスター達がここへ来ることになったのは、留置所でのとある出来事が原因だった。最初に取り調べに呼ばれたナハル。続いてハピネスが呼ばれて、数分もしないうちにシスターとラプーが呼び出された。しかし、連れてこられた先は取調室ではなく輸送車の荷台だった。ハピネスが自白したのだ。「羊煙村(ようえんむら)で村人を殺したのは私とシスターとラプーの3人である」と。この自白によって3人の扱いは容疑者から犯罪者へと変わり、取り調べどころか裁判すら行うこともなく刑務所に送られることとなった。

 

 だがその道中、車内でハピネスが暴れ出した。

 

「刑務所になんて入りたくない!! 弁護士を呼べ!!」

 

 まるで支離滅裂な倒錯に、同乗していた警備員がハピネスを拘束した。しかし、ハピネスは手足をばたつかせて抵抗し、続けてこう叫んだ。

 

「ここから出られるなら“どんなことだってやる“!!」

 

 その言葉を聞いた途端、警備員達は暴れるハピネスから離れ、運転手は大きく進路を変更した。そうして到着したのが”第三診堂総合病院“。そこで待っていた老婆”ニクジマ・トギ“が、ハピネス達に向けてこう提案した。

 

「チャンスをくれてやる。本当に”何でもする“んだったら、アンタらの“無罪を買ってやる”よ」

 

 そうして連れてこられたのがここ。遺児安置所であった。

 

 

 

 暫く歩き続けると、部屋の奥に搬入口のようなシャッターが見えてきた。シャッターの横にはパイプ椅子に太々しく腰掛けた金髪の女性が一名、気怠そうに携帯ゲーム機で遊んでいる。彼女はこちらの存在に気が付くと、ゲーム機に視線を戻して面倒臭そうに立ち上がった。

 

「ニクジマ先生こんちゃっすぅ。今セーブするんでちょっと待ってくださいねぇ」

「仕事中にゲームはお止めよ。こっちは高い金払ってんだよ?」

「無理っすねぇ。別によくないっすかぁ? ちゃんと警備してるしぃ。鬼暇なんだしぃ」

 

 金髪の女性はゲーム機を腰のポーチに突っ込み、シスター達に向かって軽く会釈をする。

 

「どうもぉ。自分、“キャンディボックス”所属の“レシャロワーク”って言いますぅ。好きなゲームはケモ牧2。趣味はヨーグルト作り」

 

 レシャロワークと名乗った金髪の女性は、シャッター傍の端末を操作してパスワードを打ち込む。

 

「えーとぉ、入室はニクジマ先生とぉ、自分とぉ、そこの3人でいいっすかぁ?」

「見りゃ分かるだろ、それぐらい」

「わかんないっすねぇ」

 

 甲高い金属音と共にシャッターが開き、さらに内側の両開きの扉がスライドして開く。中は広めのエレベーターになっていたようで、正面の壁一面が鏡張りになっている。

 

「ゲームする暇あるんなら油ぐらい差しな。この音聞いて何も思わないのかい?」

「思わないっすねぇ。自分で差したらいいじゃないっすかぁ」

「チッ。(うるさ)い子だね」

「ニクジマ先生も大概っすよぉ。いやマジで」

 

 先行してニクジマとレシャロワークがエレベーターの中に入る。すると、シスターが思い詰めたような顔で声を上げた。

 

「すっ、すみません……!! 行くのは2人だけでも良いでしょうか……!!」

 

 渋い顔をするニクジマに背を向けて、シスターはラプーに顔を寄せて両肩を掴み、酷くつらそうに呟く。

 

「ごめんなさいラプーさん………………ここで待っていていただけますか? もしも身に危険が及んだら、私達のことは置いて逃げて下さい」

「んあ」

 

 いつもと変わらぬラプーの真顔。シスターは罪悪感を(こら)えつつ力一杯ラプーを抱き締める。そして、意を決して立ち上がりニクジマの方へと向き直る。待たされていたニクジマが顔に力を込め、ただでさえ(しわ)だらけの顔に溝を増やす。

 

「……言っとくけど、逃げようとした瞬間強制収容だからね」

「因みに自分が鬼チェイスるんで、生死は保証できませぇん」

「ここで待ってるのは構わないが、変な気は起こさない事だ」

「ああ、あとガキンチョらにも触らないで下さいねぇ。この部屋セキュリティ鬼なんで、部外者が何かしたら警備員が鬼来ますよぉ」

 

 シスターはエレベーターに乗り込む直前、名残惜しそうに後ろを振り返る。大量のガラスケース。その中で微動だにしない子供達。通路の真ん中で直立不動のラプー。シスターはラプーをここに置いていくことに胸が痛んで、これ以上視界に入れたくないが為に形だけのお辞儀をした。エレベーターの扉が閉まり、緩やかに上昇が始まる。体が下に引っ張られる感覚は、子供達が自分に助けを求めて縋り付いているのではないかと思えた。

 

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

 扉が開く。暗闇が顔を覗かせた直後、()せ返るような悪臭が生温い塊となって押し寄せた。

 

「うっ!! なぁんで掃除してないんだい!! ああもう、酷い臭いだ!!」

「さーせぇん……うっ。自分早退いいっすかぁ?」

「さっさと掃除!!」

「うへぇ……こら鬼ですわぁ……」

 

 レシャロワークが気怠そうに暗闇へと入って行く。そしてぼんやりと灯っている小さな灯りに手を添えると、パチン、と無機質な音と共にシャンデリアの電球に電流が通った。

 

 シックな黒い内装。散りばめられたガラス細工のような紫。金。赤。滴を抱えた蜘蛛(くも)の巣のように繊細で美しいシャンデリア。(おごそ)かながらも淫靡(いんび)で煌びやかな、性と博打を主題としたバー。しかし、その豪華な部屋の中には(おぞま)ましい量の羽虫が暴風雨のように飛び交い、絨毯(じゅうたん)には明らかに模様ではないであろう真っ黒なシミが出来上がっている。そして、そのシミの中央。バカラテーブルに突っ伏す1人の女。

 

 解剖医でさえ吐き気を催すような光景に怯むことなく、シスターは慌てて女に駆け寄る。しかし、起こそうと伸ばした手を直前で止めた。女の髪の隙間から、(おびただ)しい数の白い粒が(うごめ)いているのが見える。

 

「はいはいはいはい。バッチぃんで触んないで下さいねぇ」

 

 レシャロワークがシスターを押し除けて女の服の襟を掴む。そして引き摺るように剥ぐと、服の中から黒く変色した土のような何かと、大量の蛆虫(うじむし)(はえ)が崩れるように落ちていった。服の中は伽藍堂(がらんどう)で、女に見えていたものは最初から死体とすら呼べぬ(ごみ)の塊だった。レシャロワークが浄化魔法を発動すると、部屋中に漂う虫と臭気が旋風に巻き込まれて渦を描いて集まっていく。壁やテーブルに染み付いていた体液のようなものや(さび)までもが剥がれて、旋風の中心には塵と虫で作られた黒い球体が浮かび上がった。そして、浄化魔法の解除と共に地面へと落下し、ボーリング玉を落とした時のような鈍い音が響いた。

 

「はい掃除終わりぃ」

「その塵玉も捨てるんだよ!!」

「えぇダル……」

 

 ニクジマに怒鳴られ、レシャロワークが渋々球体を魔法で凍らせ蹴飛ばす。その球体は銀色の扉にぶつかり勢いを緩める。シスターはその時初めて気がついた。カジノバーには明らかに不釣り合いな、塗装も何もしていないステンレス丸出しの扉が、カジノバーの内装を無理やり突き破ったように()め込まれている。レシャロワークがそのステンレスの扉を開いて球体を中に蹴飛ばす時、一瞬だが部屋の中が見えた。そこは、シスターのよく知る設備が整った薄緑の施設、手術室であった。シスターは視線を滑らせ、カジノバーの中を見回す。

 

 バーカウンターの奥、ドリンクディスプレイの棚に並べられているのは、アルコールはアルコールでも消毒液の類。他にも鎮痛剤や鎮静剤の容器も見える。その近くのテーブルには小型のクーラーボックスのようなプラスチック製の物体が幾つも転がっている。

 

 そのまま視線を滑らせて行くと、真後ろにいるニクジマと目があった。その隣にいるハピネスは怯えたフリをして目を泳がせているが、そのあからさまな臆病さが彼女の悪趣味な心の内を雄弁に物語っていた。シスターは酸味に支配された唾を飲み込み、ニクジマに問いかける。

 

「……私に、何をさせるつもりですか?」

 

 ニクジマは何も言わずにバカラテーブルの方へと歩いて行き、正面の椅子に深々と腰掛けて煙草(たばこ)に火をつける。その煙を肺いっぱいに吸い込んでから、煙と一緒に回答を吐き出す。

 

「簡単なトランプゲームだよ。それで“賭け”をしてやろう」

「……賭け?」

 

 レシャロワークがバーカウンターの下から小さな箱と機械を取り出す。それをバカラテーブルの上に置くと、淡々と説明を始めた。

 

「種目名は“ダークネス・ポーカー”でぇす。トランプゲームとかしたことありますぅ? まぁ無くても鬼簡単ルールなんで、すぐ理解出来ますよぉ」

 

 箱から取り出されたトランプが箱型の機械にセットされると、一瞬でシャッフルが行われ再び一つの山札になったトランプが排出される。

 

「まず、先攻の人が山札の上を一枚取りまぁす。でもって後攻の人も上から一枚取りまぁす。せーので見せまぁす。スペードの4、対、ハートの12。数の大きい後攻の勝ちでぇす。ね? 分かりやすいっしょぉ? じゃあ、もうちょい丁寧に説明しますねぇ」

 

 

 

 ダークネス・ポーカー

 

 使用されるのはジョーカー1枚を含めたトランプ1組53枚。カードは数字が大きいほど強く、同じ数字の場合はスートの強さを参照する。また、ジョーカーはどのカードにも勝つ。

 

 まず互いに賭け金をディーラーに提出する。そして先攻後攻を決める。以降、先攻と後攻は一回ゲーム毎に入れ替わる。

 

 先攻が山札の上から一枚引き、手元にキープする。同じように後攻も山札の上からカードを一枚引き、キープする。そして同時にカードを見せ合い、カードの強い方の勝利。

 

 カードを引く時、そのカードの中を見ることも出来る。その数字に不満があった時は、それを公開して追加でカードを引くことが出来る。これは何度でも行えるが、キープするカードは中を見る前にキープ宣言をしなくてはならない。キープ宣言より前に中を見たカードはキープ出来ない。

 

 勝者は提出された賭け金を総取り出来る。また、相手の数字の3倍以上の数字で勝利した場合、総賭け金の倍を相手から追加で徴収することが出来る。

 

 プレイヤーは互いに山札の一番上より下のカードに触れてはいけない。

 

 

「とまーこんな感じですねぇ。これまでで何か質問ありますぅ?」

 

 すると、ハピネスが元気よく手を上げた。

 

「はーい!!」

「はいそこの元気のいいお姉さん。元気がいいうちに元気な質問をどうぞぉ」

「無一文ですっ!!」

「知ってまぁす。犯罪者に金銭の期待なんかしてませぇん」

 

 シスターはルール説明に不信感と不快感を示しながら重ねて尋ねる。

 

「え? じゃあ“賭け金”ってどうやって支払えば……」

「それがこのゲームのキモさ」

 

 ニクジマが太々しく口を挟む。

 

「この賭けでは金銭は使わない。使うのは、“臓器”さ」

 

 その言葉に、シスターの思考が凍て付き、直後先程までの光景が走馬灯のように脳内を駆け抜けて行く。クーラーボックス。鎮痛剤や消毒液が並んだボトル棚。隣接している手術室。腐敗しきった死体。そして、遺児安置所――――――――

 

「臓器って、まさか…………!!!」

「ああそうさ」

 

 顔面蒼白のシスターとは対照的に、ニクジマは依然気怠そうに煙草に口をつける。

 

「さっきの“アレ”。“アレ”が私の“所持金”だよ」

 

 シスターの帯びていた色が変わる。取り乱した彼は、口にする意味のない当たり前の問いを、愚かにもニクジマに投げかけてしまう。

 

「所持、金……? あ、貴方は……貴方はっ……!! 一体、子供達をなんだと思って……!!!」

「はっ。これだから外人は嫌いなんだ。普通に考えればわかるだろう」

 

 怒りに震えるシスターに向かって、ニクジマは啓蒙(けいもう)してやると言わんばかりに嘲笑しながら煙を吐く。

 

「健全な社会の発展に、遺児は要らないだろ?」

 

 シスターの全身の毛穴が隆起し、筋肉の緊張によって毛が持ち上がる。瞳孔が収縮し(まぶた)が震え、馬鹿騒ぎする心臓とは裏腹に呼吸は浅く小さく緩やかになる。

 

「ここに三人の人間が入社面接に来たとする。五体満足で真面目な奴と、片腕がない奴と、ぱっと見異常はないが会話が成り立たない奴。さあ誰を採用する? 決まってるだろう!」

 

 もうシスターの耳には、ニクジマの声の半分も届いていない。

 

「私ら人間は、自分らが食う以上に働いて生み出さなきゃいけないんだ! その差が、社会の発展に繋がる! ろくすっぽ働きもせずに飯だけ欲しいだなんて、役立たず以外の何物でもないだろう!?」

 

 詭弁、詭弁だ。反論材料なら幾らでもある。弱者を淘汰(とうた)した社会の脆弱さや、多様性を受け入れることで発展する分野も多くある。しかし、それをニクジマに説く技術をシスターは持ち合わせていない。

 

「だがそんな役立たずでも、臓物だけなら役に立つ。そうやって、不要なガキの臓物を、マトモな人間を生かすために使う。合理的で健全だ。あのガキ共もあの世で喜んでるだろうよ。“こんな役立たずでも、社会の役に立てた!”ってねぇ」

 

 シスターは一切反論をしない。これは、持ち合わせている反論材料に不備があるとか、論駁(ろんばく)技術に自信がないとか、最早そういったことではない。シスターは心の底から湧き上がってくる幻聴に耳を貸さずにはいられない。

 

 この、人の成りをしただけの悪魔を、生き地獄の渦に引きずり込まないと気が済まない。

 

 シスターはグリディアン神殿に来るまで、グリディアン神殿近辺の渓谷の教会で文字通り修道女(シスター)をしていた。人に忘れられた教会の廃墟を修繕し、ナハルと共に放浪者や逃亡者を保護して暮らしていた。そんな暮らしをしていくうちに、どこからか噂を聞きつけて何人もの“患者”が教会を訪れた。それは、グリディアン神殿でマトモな医療を受けられない、男性や障害児連れの親子だった。シスターは彼らを受け入れ、精一杯寄り添って過ごした。これが、彼が医者を目指したきっかけの出来事でもある。彼はその時に思い知った。誰かを救いたいと願う気持ちの力強さと、愛情という心の尊さを。

 

 ニクジマの(もっと)もらしいだけの詭弁は、シスターの人生そのものを否定し、シスターの助けてきた人間全員を冒涜(ぼうとく)した。これは、彼を悪の道に突き落とすには十分な理由であった。

 

 そんなシスターの様子を見て、ハピネスは恐怖の表情を崩さぬよう、心の奥で北叟笑(ほくそえ)む。彼女の悪趣味な目的は、今まさに達成されようとしていた。

 

 ハピネスがシスターをここへ連れて来た理由。羊煙村でシスターを留置所に誘った理由。それは、シスターにこの地獄を見せつけて悪への殺意を煽ることだった。

 

 ハピネスはここで何が行われていたかを知っていた。ここへ来る方法も、誰が関係しているのかも全て。あとは自分の“先導の審神者(さにわ)”という身分を明かせば、こんなトランプゲームに付き合う必要はなくなる。レシャロワークの所属している“キャンディボックス”という組織は、笑顔の七人衆がひとり“元先導の審神者シュガルバ”が管理していた。つまりハピネスは、レシャロワークの雇い主であり支配者ということになる。そうなればニクジマに現状を打破する術はない。ハピネスは安心してシスターの暴挙を酒瓶片手に観覧出来る。

 

 しかし、ハピネスは後悔することになる。シスターという人間の底を、大きく見誤っていたことに。

 

「で、どうすんだい。やるのかい。やらないのかい。怖気付いたのなら回れ右して刑務所行きもヨシ。別に止めはしないよ。この賭けは、元より私の“善意”だからねぇ」

 

 したり顔で笑うニクジマ。ハピネスが高らかに正体を明かそうとしたその時、先にシスターが口を開いた。

 

「やります」

「おっ、ガッツあるじゃないか。流石、村一つ潰しただけある」

 

 ハピネスの脳内を、新鮮な“混乱”という概念が走り回る。「え?」「なんで?」「どうして?」そんな疑問を消化する間もなく、シスターがハピネスに顔を向けた。

 

「私は挑戦しますけど、ハピネスさん。どうします?」

 

 まるで夕食のメニューでも聞くかのように向けられたシスターの目は、血のように悍ましく鮮やかで、顔の筋肉は一切の感情を表していない。その吸い込まれそうな開ききった瞳孔に睨まれた時、ハピネスは言葉の意味を理解し、同時に戦慄(せんりつ)した。

 

 この男は今、自分を恫喝(どうかつ)しているのだ――――と。

 

 シスターは知っているだろう。

 

 キャンディボックスが、笑顔による文明保安教会の支配下にあることを。

 

 自分がシスターをここへ誘った理由を。

 

 ニクジマを殺す方法など幾らでもあることを。

 

 しかし、彼は“足りない”と言っているのだ。お前如きが考えた絶望など生温いと。そして、それ以上の絶望をニクジマに与える為に、この地獄に付き合えと。そう言っているのだ。

 

 ハピネスにこれを断ることは出来ない。だが、その理由はシスターに脅されたからでも、ナハルの報復を恐れたわけでもない。

 

「参ったな……これは」

 

 この男の考え得る“最高の絶望”を見ずにはいられない、という好奇心。興味。興奮。故に、ハピネスは首を縦に振らざるを得ない。

 

「分かった。私も参加しよう」

 

 そう返事をしてから、ハピネスは自分の指先が震えていることに気が付いた。それがは果たして恐怖によるものなのか、武者震いによるものなのか、判断することは出来なかった。どちらにせよ、今更後悔したところでどうすることもできない。自分の命は、苦しみは、臓器は。元善人が放つ凶弾として無機質に消費される他ないのだから。

 

「じゃあ始めようか。臓器ギャンブル、“ダークネス・ポーカー”」



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153話 臓器ギャンブル“ダークネス・ポーカー”

”ダークネス・ポーカー“参加者用契約書。

 

 使用されるのはジョーカー1枚を含めたトランプ1組53枚。カードは数字が大きいほど強く、同じ数字の場合はスートの強さを参照する。また、ジョーカーの数字は39として扱う。

 

 まず互いに賭け金をディーラーに提出する。そして先攻後攻を決める。以降、先攻と後攻は一回ゲーム毎に入れ替わる。

 

 先攻が山札の上から一枚引き、手元にキープする。同じように後攻も山札の上からカードを一枚引き、キープする。そして同時にカードを見せ合い、カードの強い方の勝利。

 

 カードを引く時、そのカードの中を見ることが出来る。その数字に不満があった時は、それを後悔して追加でカードを引くことが出来る。これは何度でも行えるが、キープするカードは中を見る前にキープ宣言をしなくてはならない。

 

 勝者は提出された賭け金を総取り出来る。また、相手の出目の3倍以上の出目で勝利した場合、総賭け金の倍を徴収出来る。

 

 プレイヤーは互いに山札の一番上より下のカードに触れてはいけない。

 

 契約書に()ける“賭け金“は互いの臓器のことを指す。

 

 ゲーム中に扱われる臓器は全て“診堂クリニックの法律上移植可能な健康な臓器”でなければならない。

 

 臓器以外でのベットは出来ない。

 

 所持している臓器はゲーム開始前に開示しておかなければならず、開示されている臓器以外の臓器はベットに使用出来ない。

 

 臓器は全行程終了後にのみ現金化可能とする。またその時の臓器の買取価格は診堂クリニックに於ける適正価格とする。

 

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

「ま、こんなところだね。全部把握したら契約魔法を交わすよ」

 

 そう言ってニクジマはルールが書かれた紙をシスターに差し出す。

 

「ここに書かれているルール以外は、適宜話し合いかディーラーの判断で通す。契約魔法で縛るのは、飽くまでもアンタらの為だ。アタシらがルール違反だの買い取り拒否だのをしない為の信用作り。そんでもって、アンタらが途中でゴネないようにする為の契約魔法だ。分かったらさっさとサインしな」

「……分かりました」

 

 シスターとハピネスが契約魔法の書にサインをすると、続けてニクジマとレシャロワークもサインを書き込む。

 

「ん。これで互いに、違反行為が物理的に不可能になったわけだ」

 

 そう言ってニクジマが山札の下の方のカードを触ろうとすると、その直前で手が弾かれた。契約魔法が効力を発揮しているのを確認すると、ニクジマは背後にいるレシャロワークに目を向けて無言の合図を送る。しかし、当の本人は携帯ゲームに夢中になっており視線に気が付かない。

 

「おい!! 仕事中に遊んでんじゃないよ!!」

「え? ああ、何ですかぁ?」

「見りゃわかるだろう!! 早く”持ってきな“!!」

「あーはいはい。今行きますよぉっと」

 

 レシャロワークがゲーム機をポーチに突っ込むと、バーカウンター奥の厨房に姿を消した。そして、ワゴンカートに乗った精密機械と、小さめのクーラーボックスを持って再び現れた。

 

「はーい確認お願いしまぁす。……っつっても、自分が見りゃいいだけなんですけどねぇ」

 

 そう言ってレシャロワークは精密機械の上に載っているバインダーをシスターに渡す。バインダーに留められていた紙にはびっしりと埋められた表が印刷されており、一番上に少しだけ大きな太字で表題が刻まれている。

 

「……所持臓器一覧、ですか」

「安心しな。お前らの腹が空っぽになるまで勝負を強制するつもりは無いよ。それに、その内のほぼ全てがガキ共の腹ん中にある状態だ。奴らには人権も意思もない。生体ドナーの法律に於ける、“本人の同意”の項目を端折(はしょ)れるのさ」

 

 ニクジマの道徳心の欠片も無い発言に、シスターがバインダーを支える指先に力が入る。しかし、それでも彼は平静を保ったまま臓器一覧を眺め、(おもむろ)に顔を上げる。そこへ、レシャロワークがもう一つのバインダーを差し出した。

 

「はいどーぞー。そこに、“ここまでなら賭けてもいい!”って臓器を記入してくださぁい。この紙に書いてない臓器はベットに使用出来ませんのでご注意下さぁい」

 

 シスターは続けて紙とペンを受け取ると、少し悩む素振りを見せながら記入を始めた。それをハピネスが顔を寄せて覗き込み、不満そうにしながら内容にケチをつける。

 

「いや腎臓はマストとしても胃袋はちょっとなー。食の楽しみは取っておきたい――――えっ!? 肝臓賭けちゃうの!? お酒飲めなくなるじゃん!!」

「ハピネスさん、ちょっと黙ってて下さい。……ニクジマさん。これ、腎臓や眼球、肺なんかの複数ある臓器はそれぞれ単体で1つと扱っていいんですよね?」

「ああ、流石にそこまで悪どいこと言いやしないさ。ただ、肝臓と小腸は2つで1つにしとくれ。その方が使い勝手がいいんでね。勿論胆嚢(たんのう)もだよ」

「分かりました」

 

 ハピネスが即答で了承したことに、ハピネスは血相変えて詰め寄る。

 

「いやいやいやいやシスター君!? じゃあ肝臓賭け損じゃん!! やめようよ〜態々(わざわざ)2個同時に失うこと無いってぇ〜!!」

「レシャロワークさん。これでお願いします」

「はいはい〜」

「お願いしないでっ!!」

 

 レシャロワークはシスターの記入した内容に目を通すと、眉を(ひそ)めてシスターを睨んだ。

 

「何か?」

「いやぁ……別にお二人がいいんならいいんですけどぉ……」

 

 レシャロワークがニクジマとハピネスにも見えるよう、バインダーをひっくり返して見せる。

 

「ハピネスさんが腎臓、胃袋、肝小腸、大腸、膀胱(ぼうこう)の5点を所持臓器として公開すると……。でも、シスターさんが所持臓器無しってのは、お二人の合意の上なんですかぁ?」

「ええええええっ!?」

 

 ハピネスはレシャロワークからバインダーを引ったくると、震えながら目を通し冷や汗を流す。そしてシスターの方へ振り返り、バインダーで何度も頭を叩いて抗議した。

 

「おいおいおいおいおいっ!! おいっ!! 何で私の身体からは消化器系ごっそり抜いておいて自分だけ無傷なのさ!! おかしいだろっ!!! おいっ!!」

「痛っ、痛いっ!」

「ちょっとくらい申し訳なさとか感じないのかよっ!! こんなにポコポコ抜きやがって!! 私の身体はジェンガじゃないんだぞっ!!

「だ、だってそもそも! 痛っ! 叩くのやめて下さい!!」

 

 シスターがハピネスからバインダーを引ったくる。

 

「そもそも、貴方の我儘(わがまま)でここに来ることになったんですよ!? 私とラプーさんを巻き込んで!! 貴方が支払うのは当然の道理じゃありませんか!!」

「やだやだやだやだ!! シスターもなんか賭けろ!! せめて腎臓の一個くらい賭けろよ!!」

「嫌ですっ!」

 

 シスターは再びレシャロワークにバインダーを差し出す。

 

「これで通して下さい」

「嫌だぁ〜!!」

 

 しかし、レシャロワークは泣き喚くハピネスに同情して、若干肩入れする様に説明する。

 

「あのぉ〜……一応ルールに、“ゲーム中に扱われる臓器は全て“診堂クリニックの法律上移植可能な健康な臓器”でなければならない。”って項目があるんですよぉ。法律上、本人の同意は必須なんで、相方説得するか自分の腹裂くか選んでもらっていいですかぁ?」

 

 再びバインダーが手渡される。シスターはそれを手に取ると、湿った眼差しでハピネスを眺める。

 

「……いいですよね? 別に」

「良くないってさっきから言ってるけど?」

「私はこのまま刑務所直行でも構いませんが、ハピネスさんは困るんじゃないんですか?」

「チンタラくっちゃべってんじゃないよ!! さっさと決めな!!」

 

 ニクジマに怒鳴られると、ハピネスは眉間に皺を寄せながら苦しそうに歯を食いしばって唸る。

 

「ほら、早く決めないと、ニクジマさんの気が変わって勝負そのものが取り止めになりますよ」

「〜〜〜〜〜〜っ!! 分かったよ!! 賭ければいいんでしょ賭ければ!! 絶対返せよ!!」

「それはハピネスさんの努力次第です」

 

 シスターが再びバインダーを提出すると、レシャロワークは快く受け取り内容を確認する。

 

「じゃあ受理しますねぇ。それにしても、大腸やら何やらは抜くのに目ん玉は抜かないんですねぇ。2個あるのにぃ」

「目は痛そうじゃないですか」

「あぁ〜。ちょっと分かるかもぉ」

 

 その後、2人は簡単な問診と採血を済ませ、心身共に健康であることを証明し、無事に“生体ドナー”として認められた。そして、レシャロワークが仰々しい咳払いと共に高らかに告げる。

 

「え〜、ではこれよりぃ。ダークネス・ポーカーを始めます。なお、ギャンブルは適度に楽しむ遊びでぇす。熱くなってお腹空っぽにならない様に気を付けて下さぁい」

 

 眼前を飛び交う蝿を手で払いながら、ニクジマが顎をしゃくってレシャロワークに合図を出す。すると、レシャロワークは先程運んできた精密機械機械を操作し、その上に乗っている小さなクーラーボックスを持ち上げた。クーラーボックスはホールケーキが入るかどうかといった所の大きさで、精密機械から伸びた半透明の管が何本も差し込まれている。管の中は薄紅色の液体で満たされており、精密機械が小さなモーター音と共に液体を循環させている。

 

 レシャロワークがクーラーボックスの蓋を開けて、その中身をシスター達に見せる。そこには、薄く色付いた液体に浮かぶ黄味がかった赤色の物体が浮かんでいた。

 

「……膵臓(すいぞう)。ですか」

 

 泡立っているかのようにでこぼこした表面。左右非対称の棒状。しかし何より特筆すべきは、その大きさ。明らかに通常よりも二回り以上小さい。医者であるシスターの目には、それが子供のものであることは明白であった。この世のどんな言葉を使えば、この非道を不足なく言い表せるだろう。しかし、シスターは込み上げてくる激情をぐっと飲み込み、冷静沈着を保ったままニクジマに目を向ける。すると、ニクジマは小さく笑って煙草(たばこ)でシスターを指した。

 

「さ、次はアンタらだよ」

「……はい?」

「ルールにもあっただろう?」

 

 シスターとハピネスは契約魔法の書の写しを取り出し、再び目を通した。そして、ハピネスが静かに上から二つ目の文章を指差す。

 

 “まず互いに賭け金をディーラーに提出する。そして先攻後攻を決める。以降、先攻と後攻は一回ゲーム毎に入れ替わる。”

 

「まず、互いに賭け金をディーラーに“提出”する……」

 

 シスターが声に出してルールを読み上げると、ニクジマはしたり顔で煙草の煙を吐き出した。

 

「まぁさか“見てなかった”だなんて言わせないよ? 私はちゃんと、“全部把握したら契約魔法を交わす”って言ったからね」

 

 ダークネス・ポーカーの真の恐ろしさは、臓器を賭けること自体ではなく、臓器を抜かれた状態でギャンブルを強いられること。契約魔法の支配下に置かれてしまった挑戦者は、ニクジマが臓器をベットした時点でこのルールから逃れる術はない。

 

「手術なら隣の手術室を使いな。ただ、ちょいとトラブルがあってね。いつもならそれなりに医療知識のある奴がお前の腹を掻っ捌くんだが……今はこのゲーム馬鹿しかいない。ま、下手くそだろうけど、死にはしない(はず)さ」

 

 レシャロワークは両手の指先を上に向けて甲を見せ、執刀医っぽいポーズを取る。

 

「任せて下さぁい。“狂医者(クルイシャ)目録(もくろく)”シリーズは無印セカンドORIGIN魔界編コスモアウト外伝と全作やってるんでぇ、(たこ)の心臓をエイリアンに移植するのも多分出来まぁす」

「だそうだ。コイツに腹裂かれるなんざ、私は死んでも御免だがね」

「因みに輸血システムは魔界編以降無くなっちゃってよく分かんないんで、今回はノー輸血でおなしゃぁす」

 

 シスターは露骨に嫌悪して睨み、2人に背を向ける。

 

「結構です。自分で出来ますので」

「はぁ?」

「手術室お借りしますね。ハピネスさん、服全部脱いでください」

「やあんシスター君のえっちぃ」

「ふざけてると麻酔しませんよ」

「殺す気か?」

 

 シスターが手術室の扉に手をかけると、後ろでニクジマが思い出したかのように声を上げる。

 

「ああ、言い忘れてたけどね。幾ら臓器摘出手術だっつったって、時間は限られてるんだ。巻きで頼むよ」

「……私だって可能な限り急ぎはしますが、最低でも4時間はかかりますよ」

「おい、レシャロワーク。お前ならどれくらいで済む?」

「んー。狂医者(クルイシャ)ORIGINの高難度クエ周回の平均が20分くらいなんでぇ、まあ20分ありゃいけるんじゃないですかぁ?」

「じゃあ20分だ。1つの臓器につき20分」

「にじゅっ……!?」

「それ以上かかるようなら、手術は強制中止。代打にコイツを入れて摘出()らせてもらうよ」

「任せてくださぁい。自分、心肺同時移植クエ15分でS評価周回余裕なんでぇ」

 

 余裕の表情でダブルVサインをするレシャロワークに、へらへらと悪どい笑みを浮かべるニクジマ。シスターは冷や汗を額に(にじ)ませ、重い足取りで手術室に入る。隣でハピネスが何か(わめ)いているような気がしたが、それが彼の耳に届くことはなかった。

 

 2人が手術室に入ると、ニクジマは鞄から電子パッドを取り出して画面をつける。それを後ろから、レシャロワークが興味津々で覗き込む。

 

「何すかぁ? それ」

「監視カメラ。見る意味はないが、ただ待ってるだけってのも暇だからね」

「ほえー。あ、なんか喧嘩してる」

 

 画面の中にいるシスターは、暴れるハピネスを思い切り手術台に押し倒し、紐で両手を縛り上げて拘束している。そして乱暴に服を剥ぎ取ると、消毒用アルコールの入った容器を逆さにして中身をぶっかけた。とても協力者同士とは思えない2人の協調性の悪さに、レシャロワークは思わず気の毒そうに眉を(しか)めた。

 

「……これじゃあどっちが悪者か分かりませんねぇ。ここだけ映像切り取ったらシスターさん、有無言わさずに死刑ですよぉ」

「音声が入ってないのが残念だね。そうすりゃもうちっと楽しめたのに……おや?」

 

 シスターの手元が淡く発光し、手術室全体に何十もの魔法陣が浮かび上がっていく。そこからは生き物のように真っ白な木が生え、ハピネスを取り囲む様に伸びて行く。

 

「こりゃ驚いたね。あの子、魔導外科医かい……!!」

「マジ? すっご」

 

 魔導外科医。創造魔法によって医療器具を生成し、場所と道具に縛られず高いパフォーマンスを維持する外科医。しかし、魔導外科医というのは俗称的なものであり、公的に区別された分類ではない。実際は医療技術に魔導術式を持ち込むだけで魔導外科医を名乗れてしまうため、多くの外科医が肩書の嵩増しに形骸的に名乗ってしまい、魔導外科医という文字列自体のインパクトは薄い。

 

 しかし、世界には内視鏡や代替臓器を、果てには“自ら手術室そのものを造ってしまう“魔導外科医も存在する。医学の他にも魔導学やコンピューター科学などの知識を駆使し、超人的な思考能力と集中力と魔力にものを言わせ、一切の道具を使用せずに脳腫瘍を切除してしまうような技術を持つ人間が、この世には存在する。

 

 シスターもそんな超人達に及ばずとも劣らず、世界的に見ても上位10名に入るであろう技術を持っていた。

 

 監視カメラの映像は魔法陣が放つ波導光のせいで見えづらいが、部屋中に広がる魔法陣が現れては消えを繰り返し、膨大な量の処理を行っているのが素人目にも見てとれた。

 

「っかぁ〜気持ちの悪い奴だ……! こういう化け物みたいな奴がいることは知っていたが、実際に見るのは初めてだね……!」

「でも肝心の手元が見えませぇん。これ別視点とかないんですかぁ?」

(うるさ)いね。そんなに気になるなら直接見に行きな」

「鍵かけられちゃいましたぁ」

「あっそ。じゃあ黙って見てな」

 

 暫く手術が続くと、波導光は次第に消失していき収まっていく。そして手術室の扉のロックが解除され、中から汗で全身を濡らしたシスターが現れた。

 

「…………終わりました」

「早かったね。時間は……おお、15分かかってないじゃないか。やれば出来るもんだねぇ」

「出来る? …………これを“出来る”と表現するのは、少し褒めすぎだと思いますよ」

 

 そう呟いたシスターの後ろから、杖をついたハピネスがフラフラと姿を現す。

 

「おや」

「ひっ……」

 

 全裸に上着を羽織っただけのハピネスの腹部には、縦に大きく一本、その両端から垂直方向に二本、腹を“両開き”にした痕が巨大なみみず腫れのように残っている。ハピネスは生気のない眼をニクジマとレシャロワークに向けた後、今にも消えそうなか細い声で小さく笑った。

 

「…………ふ。へ、変だね、臓器、抜いたはず、なのに。やけに、かか、体が、重いよ」

「そりゃそうですよ。代わりに魔導臓器が入ってますから。差し引きプラス1kgってとこです」

 

 ハピネスが大きく血を吐き出す。しかしシスターは手を貸す様子など全く見せずに真っ直ぐニクジマの元へ向かい、手に持っていた大きめの白い箱をバカラテーブルの上に乗せた。

 

「どうぞ。“賭け金”です」

 

 創造魔法で生成されたをニクジマが開けると、中から淡い青色の波導煙がドライアイスの煙のように流れ出た。薄い煙幕が晴れ、その中身が露わになる。

 

「……あぁ?」

 

 中には、淡く発光する液体に浮かんだ肉塊が“3つ”。腎臓、胃袋、小腸と胆嚢のついた肝臓が、きらきらと光を反射して宝石のように輝いている。

 

「こちらの提出する賭け金は3です。では、早速勝負をしましょう」

「……気持ちの悪い奴だ」

 

 レシャロワークが臓器の状態を確認し、賭け金として受理する。トランプがシャッフル装置にセットされ、高速で並び替えられていく。その間、シスターはハピネスの背に手を当て微弱な回復魔法を発動させ延命に尽力している。

 

「はぁっ……はぁっ……。ま、全く、こんないっぺんに(はらわた)を抜かれるなんて」

「浅くゆっくり呼吸して下さい。少しですが痛みが和らぎます」

「おや、心配してくれるのかい?」

「いえ、意識を失うと魔導臓器への魔力供給が不安定になってショック死する可能性が出てきます。気絶したら指切り落としてでも起こしますから、そのつもりで」

「……なんてやつだ」

 

 バカラテーブルの中央にトランプの山札が置かれ、ニクジマが山札に手を伸ばす。

 

「じゃ、まず1戦目だし。私が先攻を貰おうか」

「ま、待って下さい!!」

 

 それを、シスターが血相を変えて制止する。

 

「なんだい、先も後も大して変りゃしないだろう」

「変わります! コイントスで決めましょう」

 

 シスターがポケットからコインを出そうとするが、財布を持っていないことに気づいて慌てて周囲を見渡す。見かねたレシャロワークがポケットからコインを取り出し、真上に弾く。そしてニクジマとシスターがほぼ同時に宣言をする。

 

「裏」

「表!」

 

 中を舞うコインは幾たびの回転を経て落下し、レシャロワークの手の甲に弾かれて床の上を転がる。

 

「あ、待って待って。どこいった? あ、あったあった。えー、裏ですねぇ」

「じゃあ変わらず私の先攻だ。残念だったね」

 

 シスターは唇を強く結んで食い縛り、それを愉快と眺めつつニクジマがトランプの山札を捲っていく。

 

 1枚目、オープン。ダイヤのエース。

 

「おお、危ない危ない」

 

 2枚目、クラブのジャック。3枚目、スペードの7。4枚目、5枚目……。途中2枚のキングと1枚のクイーンが公開され、18枚目でニクジマはキープ宣言をした。

 

「キープだ。これで行こう」

「……では、次は私が」

 

 シスターが山札に手を伸ばし、山札の一番上を僅かにズラして暫し動きを止める。僅かな思考の後、思い切ってそれを公開した。

 

 1枚目、オープン。ハートのクイーン。

 

「あらあ、残念だったねぇ」

「……いえ、まだです」

 

 続けてオープン。ハートのキング。

 

「あっはっはっは! ついてないねぇ!」

「………………ぐ」

 

 再び山札の一番上を僅かにズラす。その直後、シスターの手の甲に微かな違和感。ハピネスが思念体でシスターの手に触れたのだ。異能の発動条件に接触を要する者にのみ通じる、覗き見の異能者であるハピネスならではの合図。

 

「……キ、キープです。これにします」

「よござんすかぁ? よござんすねぇ? じゃぁ〜オープン!」

 

 シスターが勢いよくカードをひっくり返す。

 

 クラブのキング。既にキングが3枚公開されている以上、ジョーカーを除いて最強の手。

 

 しかし、その札を見てもニクジマは一切動揺を見せない。それどころか、粘度の高い悪意が悪臭を伴ってゆっくりと滲み滴っていく。安心と殺意を孕んだ異色の眼差しが、シスターの公開したトランプを舐めとり撫で回す。

 

「……お前は、何か勘違いしてないか?」

 

 ニクジマが徐に口を開く。

 

「正義に価値を見出している。そして、その価値に価値以上の力を感じている。正しい奴は報われる。最後に正義が勝つ。思いの強さが力になる。そんな幻想を、本気で信じている」

「……突然、何を言い出すんですか?」

「お前は何人もの腹を裂いてきたんだろう? なら知っている筈だ。病や凶弾は、悪者にだけ飛んでいくものじゃない。神様に慈悲の心はない。神様は悪者を殺すんじゃない。神様は、人間を殺すんだ。お前の正義は、お前だけに価値がある」

 

 ニクジマがキープ札を公開する。その柄を見て、シスターの瞳孔が一気に収縮する。

 

 ジョーカー。39として扱われる、キングに勝利する唯一のカード。

 

「神はお前を助けない。助けて欲しくば、私に祈り()(へつら)え」

 

【ニクジマ、39。シスター、13。シスター総賭け金の倍額の支払い。追加で5の支払い】

 



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154話 欲望という名の猛毒

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

 臓器ギャンブル”ダークネス・ポーカー“の第一回戦の結果は、シスターの引いたカードはクラブのキング。対するニクジマがジョーカー。出目の換算で、13対39。

 

 ”勝者は提出された賭け金を総取り出来る。また、相手の出目の3倍以上の出目で勝利した場合、総賭け金の倍を徴収することが出来る。“

 

 このルールにより、シスターが払うべき臓器数は総賭け金の倍の数。8になる。提出した3つの臓器の他に、総賭け金の倍を満たすよう残りの5を支払わなければならない。

 

 この勝負結果に誰よりも驚いたのはシスター達ではなく、意外にもディーラーを務めるレシャロワークであった。ニクジマはいつも通りなら態と1回目は負けるのだ。そうして相手に安心を与え欲を引き出し、アクセルを強めに踏ませる。成功体験という呪いをかけ、自ら死地に赴くよう操る。それがいつものやり口。しかし、今回は違った。ただ勝つどころか、シスターがキングを選ぶのが分かっていたかのようなジョーカーの先取り。イカサマの自白に匹敵する最短経路での勝利。初回から臓器を3つも賭けるシスターも異常だが、ニクジマの選択も劣らず狂っている。

 

 シスターも同じくニクジマの出目を訝しんで、ありったけの憎しみを込めた眼差しでニクジマを睨んだ。しかし、ニクジマは怯むどころか椅子の背もたれに体重を預けふんぞり返る。

 

「言っておくが、私を恨むのはお門違いだ。だって、“最初に私を嵌めようとしたのはお前”だろう?」

 

 シスターの指先が怯えるようにピクリと震えた。

 

「どういう方法かは知らないが、お前はその席に着いた時から私を殺すつもりだったーーーー!!」

 

 ニクジマは激昂して火のついたタバコをシスターの顔面目掛けて放り投げる。

 

「だってお前は、“臓器何個で無実を買えるのか聞かなかった”からね…………!!!」

 

 シスターの顔面から血の気が引いていく。それを追い詰めるかのようにニクジマは捲し立てる。

 

「今までここに来た奴らは全員そうさ!! そのために奴らはここに来るんだからな!! だが、お前は必要数を聞くどころか、追加で2個もの臓器を賭けた!! それも初回でだ!! お前の狙いは、最初っから無実じゃなかったってことだろうが!!」

 

 図星を突かれながらも、シスターは毅然とした態度でニクジマを睨み続ける。悪と対峙する英雄のような振る舞いは、ニクジマの怒りに油を注ぎ燃え上がらせた。

 

「その目……その顔……!! ああ、憎たらしい……!! お前ら正義人は、いつだってそうだ……!! お前の正義が世界の正義と信じ、それに仇為す正義を悪と罵り貶る……!! 願望と真実を混同して語るっ……!!」

「それは貴方も同じでしょう。貴方も、自分の正義を世界の正義と信じている」

「一緒にするな!! この世に正義なんてもんはない……!! あるのは、勝者と、敗者。この2種類のみ!! お前みたいな敗者には、正義が何かを考える権利すらないっ……!!」

 

 ニクジマは溜まりに溜まった怒りを拳に乗せ、勢いよくテーブルを殴りつけて怒声を上げる。

 

「さあ清算だっ!! 総賭け金の2倍っ!! お前の提示した賭け金は3……、総賭け金の倍額8には、あと5足りない……。追加で腹裂いて貰おうかっ……!!」

「…………私の公開した所持臓器で払えるのは、残った大腸と膀胱だけ。5は払えません。ルールにもありましたよね? ゲームに使える臓器は所持臓器だけだって」

「なぁに馬鹿なことを抜かしてる? もう一度ルールを確認しろ脳留守がっ!!」

 

 シスターは契約書の写しを広げ、再び文章を確認する。

 

 ”所持している臓器はゲーム開始前に開示しておかなければならず、開示されている臓器以外の臓器はベットに使用出来ない。“

 

「出来ないのは”所持臓器以外の臓器によるベット“だっ!! ゲーム全体で使えないなんて書いてないだろう!?」

 

 シスターは僅かに奥歯を噛み締めた後、ゆっくりとハピネスの方に振り返る。彼女はぐったりとソファに寄りかかっており、シスターを睨む目には生気が感じられない。

 

「……シ、シスター君」

「ハピネスさん。立って下さい。私も頑張りますから」

「こ、これは、決して罵倒だとか、嘲笑だとかの、比喩的な意味じゃない。純粋なそのままの疑問として聞くんだが……」

「立って」

「君、私を殺す気かい?」

「早く」

 

 シスターは満身創痍のハピネスの腕を掴んで、無理矢理引っ張って手術室へと歩かせる。

 

「あ! ちょい待って待ってぇ、見学希望ー」

 

 レシャロワークが慌ててシスターを追いかけ、先に手術室に入る。続いてシスターと、激しく咳き込んで血を吐くハピネスが手術室に足を踏み入れた直後、怪物が口を閉じるように勢いよく扉が閉められた。

 

 一面薄い緑の手術室。しかし、部屋の中央の手術台の真下には、殺人事件でも起きたかのように大量の血が広がっている。シスターはそこへ乱暴にハピネスを寝かせると、棚から消毒液の容器を持ってきて乱暴に中身をハピネスに浴びせた。

 

「ぐっーーーーーああああああっ!!!」

 

 手術痕に直接アルコールを浴びせられたハピネスが激痛に絶叫するも、シスターは顔色ひとつ変えずに詠唱を開始する。部屋を覆うように大量の魔法陣が現れ、白い閃光と共に唸りを上げる。レシャロワークが興味津々で近づくと、それを遮るように足元から白い触手が突き出る。

 

「そこ邪魔です」

「ごめんごめん、ここなら平気ぃ?」

「もう少し右。そこから動かないで下さい」

「あいあい〜」

 

 何本もの触手がハピネスを取り囲み、そのうちの数本がハピネスの腹部に針を刺し何かを流し込む。同時にハピネスの顔から苦悶の相が和らいでいった。すると触手は一斉にハピネスの縫合痕に伸びていき、一瞬で腹部を切り開いた。触手はそれぞれの先端が注射針やメスや鋏のようになっていて、ひとつひとつが1匹の生物のように独立して動いている。しかし、その根本はただの魔法陣であり、それをシスターはたった1人で動かしている。

 

「うわぁ……。コレ、めっちゃ難くないですかぁ?」

「話しかけないで下さい。気が散ります」

「あいあい〜。おっ、輸血システムだ。見るの久々ぁ」

「喋らないで」

「独り言もダメぇ?」

 

 不貞腐れるレシャロワーク等には目もくれず、シスターは全身汗だくになりながら魔法陣に魔力を注ぎ続けている。書かれたコード通りに触手達は形状を変え、どうせ殆ど取り除くのだからと半ば乱暴に腹部を大きく広げた。生体ドナーとは、健康な人間を傷付けるという通常では許されざる行為を前提としたシステムである。だが今のハピネスは死体より遥かにぞんざいに扱われ、最早元に戻すつもりなどないと言わんばかりに臓物を晒されている。そして鮮やか且つ残酷な程迅速に大腸が切り取られ、ついでと言わんばかりに膀胱と子宮が摘出される。空いた空間にはすぐさま白い魔導臓器が埋め込まれるが、血管の縫合を後回しにされたせいで手術室は血の海になりつつあった。

 

 敵ながら同情が湧いたレシャロワークは、靴を濡らす血溜まりから一歩離れ、思わず口元を強張らせて目を背けようとする。が、そこでとある”モノ“が視界に入った。

 

「あれ?」

 

 意図せず出た小さな声。その声に、シスターはピタリと動きを止めて固まる。

 

 レシャロワークが見た”モノ“によって生まれた疑問が、頭に刺さり、捩じ込まれ、脳細胞を掻き回しながら思考深くに侵入ってくる。しかし、幾ら考えても答えなど出てこない。出る筈がない。直感で理解し、理屈で納得し、感情で肯定する。しかし、それを全て打ち破る現実が、今目の前にある。現実を受け入れられないまま暫く硬直していたレシャロワークは、ハッとして顔を上げた。

 

 シスターがこちらを見ている。

 

 独り言さえ気が散ると言って許さなかった彼が、今まさに手術の山場とも言える時に、仲間の切り開かれた腹を視界の端で見ることもなく真っ直ぐにこちらを見ている。相変わらず触手によって手術は続けられているが、それが余所見をしながら行われていることに変わりはない。

 

「レシャロワークさん」

 

 名前を呼ばれ、レシャロワークは背筋に氷を押し付けられたように身体を強張らせる。

 

「……”コレ“をニクジマさんに告げ口するかどうかは、貴方の判断に任せます」

 

 怖い。この男が怖い。やろうと思えば、この2人を数秒で葬れる程の力と術がレシャロワークにはある。しかし、彼女の腕は震えるばかりでまるで持ち上がらない。無意味に泳がせた視線の先で剥き出しの内蔵をなぞり、勢い余って意図せずハピネスと目を合わせてしまった。彼女は笑っていた。雑な麻酔、乱暴な開腹、強引に生存を強要されているような身でありながら、彼女は楽しそうに笑っている。それも、“仲間”を見つけたような喜びの笑み。その時レシャロワークは気付いた。自分の震えが恐怖によるものではなく、好奇心によるものであると。

 

 ハピネスの笑みは問いかけ。この先を見ずに我々を殺す覚悟がお前にあるのか? レシャロワークは雇われの身である。今、この勝負に於いては誰よりも自由。しかし、同時に誰よりも不自由であった。好奇心は、猫をも殺す猛毒である。

 

 

 

 

 手術が終わり、シスターがタオル片手にテーブルに戻ってくる。そして、創造魔法で作られた白い箱を放り投げるようにニクジマに差し出した。ニクジマは黙って箱を開け、中身を確認する。

 

「……あんたらの臓物を再利用する気なんかさらさら無いけどね、もう少し丁寧に持ってこれないのかい」

 

 大腸、膀胱、子宮、膵臓、脾臓、そして二つ目の腎臓。箱の中に詰め込まれた臓器は清潔さ以外の全てに無配慮で、宛ら生ゴミバケツの中身のようであった。

 

「コレで追加徴収分は全て納めました。では、失礼します」

 

 遅れて手術室から出てきたハピネスの手を引いて、その場から立ち去ろうとするシスター。それを、ニクジマが静かに呼び止める。

 

「待ちなよ」

「……なんですか?」

「お前、こんな所で降りるのかい?」

「はい?」

「毟るだけ毟られて、尻尾巻いて帰るのかい? お前の正義はそんなモンかい?」

 

 したり顔で挑発するニクジマに、シスターは小さく舌打ちをして言い返す。

 

「……どうせまたさっき見たいなイカサマするんでしょう? 誰がやるものですか」

「イカサマ? はっ、何を根拠に。初手からジョーカーを出されたくらいで見っともない」

「それに、もう公開所持臓器がありません。勝負は続行不可です」

 

 “所持している臓器はゲーム開始前に開示しておかなければならず、開示されている臓器以外の臓器はベットに使用出来ない。”

 

 このことをシスターが指摘すると、ニクジマはまたしても不敵に笑う。

 

「追加の開示は禁止していないよ。続けたいなら続ければいい。幾らでも付き合ってやるさ」

「結構です。こんな勝ち目のない勝負、いつまでもやっていられません」

「ふぅん? 最初はやる気だったのに、何企んでんだい?」

「企む? 何を?」

 

 無意味な押し問答が続く。ニクジマが疑っているのは、シスターが外にいる遺児に何か細工をするのではないかという疑い。初手からジョーカーを出した暴挙の手前、シスターも何かしらの番外戦術を通してくる筈。そう読んでいたニクジマは、シスターを素直に見逃すわけにはいかなかった。

 

 “臓器を提出した時点で契約魔法の制限が発生する”。このカラクリをゲーム開始直後に明かしたことを、ニクジマは今更後悔した。今後シスターがどんな細工をしようとも、臓器を提出されれば自分は勝負を受けなくてはならない。ならば、どんな些細なことでもシスターに自由な時間を与えることは出来ない。

 

 その時、ハピネスが大きく吐血した。縫合が甘かったせいか、体内からの出血が逃げ場を失い口から漏れ出たのだ。それどころか股からも血を滴らせており、急激な出血で意識を失いかけている。それを見たニクジマは、してやったりといった様子で笑って見せた。

 

「あっはっはっは! 相方さんはおねむ見たいだよ! トランプゲームでもして、ちょっと休んで行ったらどうだい!」

 

 シスターは慌ててハピネスに駆け寄り回復魔法をかけるが、先の手術で疲弊した魔力では焼け石に水。ハピネスの出血は止まらない。

 

「……っ。ニクジマさん。わかりました。続行しましょう。その代わり……手術時間を下さい。確か臓器1つにつき15分、でしたよね? ならまだ1時間近くは余っている筈です」

「断る……と言いたいところだが。ま、そいつが死んだら元も子もないか。しょうがないね」

 

 シスターはハピネスを担ぎ、急いで手術室に駆け込む。

 

「レシャロワークさん! 手伝ってください!」

「うぇぇ? マジぃ?」

「今はゲーマーの手でも借りたいんです! お遊び程度には医療知識あるんでしょう!?」

「ごめんアレ忘れて欲しいわぁ。マジモンの命かかっちゃうとちょっとぉ……」

 

 

 

 

 

 ハピネスの緊急手術を経て、2回戦が始まる。シスターが賭け金として提出したのは、ハピネスの肺の片方。対するニクジマは遺児の肝小腸。先攻はシスター。しかし、連続して魔法を使い過ぎたせいで、椅子に座っているだけでも肩で大きく息をしている。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 そしてトランプに手を伸ばそうとすると、ニクジマが突然大きく叫んだ。

 

「待った!!!」

 

 ビクリと体を震わせて硬直するシスター。ニクジマはじっとりとした目でシスターを睨み、乾いていた唇を舌で湿らせる。

 

「…………覗き見か?」

 

 シスターの表情は変わらない。しかしそれは肝が据わっている訳ではなく、疲労によって反応が鈍くなっているだけである。心臓は緩やかに脈動の速度を上げ、焦燥が一拍遅れて押し寄せる。

 

「何を言ってるんですか。覗き見だなんて」

「知り合いにね、そういうのが出来る奴がいるんだよ。私はともかく、お前だって初手でラスト一枚のキングを引き当てたんだ。疑えるとこは疑わせてもらうよ」

「……馬鹿馬鹿しい」

「次からカードを引くのはレシャロワークだ。私らは宣言のみでオープンとキープを行う。いいね?」

「…………お好きにどうぞ」

 

 シスターは首を掻くフリをして、後ろのソファに横たわっているハピネスを見る。彼女は虚に目玉だけをこちらに向けたまま浅く呼吸をしており、会話をする体力などない。シスターは目線をニクジマに戻し、心の底で焦燥を推し殺す。そして、羊煙村(ようえんむら)での出来事を思い出した。

 

 診堂クリニックには、ハピネスと同じ覗き見の異能者がいた。ニクジマ程の地位の人間であれば、あの人物の詳細を知っていても不思議ではない。ましてやこんな命懸けのギャンブルで、異能による不正を疑っても不思議ではない。不用意な接近や接触は警戒される。それを、後がないこのタイミングで指摘されたのは痛恨であった。

 

 しかし、シスターの表情が曇っているのは、少し別のところに理由があった。

 

「……オープン」

 

 シスターの指示通り、レシャロワークが山札の一番上を公開する。

 

「続けてオープン」

 

 もう1枚。

 

「オープン」

 

 もう1枚。

 

 3枚、4枚、5枚とカードが捲られていき、山札はみるみる減っていく。

 

「……オープン」

「え、マジっすかぁ……?」

「はい」

 

 レシャロワークが訝しげに山札の上を捲る。ハートの2。

 

「オープン」

 

 シスターの宣言。しかし、レシャロワークは捲らない。

 

「あのー……もう最後の1枚なんですけどぉ……」

 

 シスターは、あろうことか全ての山札を公開させた。ニクジマは苛立ちを抑えながら、静かに口を開く。

 

「何の真似だい?」

「カードを同時に見せ合い、数字の大きい方の勝ち。見せたのは私だけ。貴方の分のカードはありません。今カードの強さを提示出来るのは私だけです」

 

 シスターは毅然として言い張る。それに対し、ニクジマは全身をわなわなと震わせて歯を軋ませる。

 

「な、に、を、言ってんだい……!!!」

 

 ニクジマが勢いよく立ち上がって、杖で地面を殴りつけ激昂する。

 

「そんな屁理屈が通るか下郎者がぁ!!! 普通に考えて、最後は私のカードに決まってるだろう!!!」

 

 ニクジマは最後の山札を手に、テーブルにひっくり返して叩きつける。最後のカードは、スペードのクイーン。

 

「お前のっ!!! 負けだよっ!!!」

 

【ニクジマ、12。シスター、2。シスター総賭け金の倍額の支払い。追加で3の支払い】



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155話 敗北者の轍

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

 臓器ギャンブル”ダークネス・ポーカー“二回戦。シスターの、カードを全てオープンしてニクジマに不戦敗を押し付ける暴挙は通らず、自動的に山札の底の2枚で勝負がついた。後攻であるニクジマが山札の一番下のカード。出目は12。シスターはその上のカード。出目は2。

 

 またしてもシスターは3倍以上の差で敗北。総賭け金は2。シスターは倍の4を支払えるよう、提出した1の他に3を支払わなくてはならない。

 

「全く……。景気良く勝負に乗ってくるから、どんな秘策があるかと思えば……!! そんなガキ見たいな言い訳、通用する(はず)が無いだろっ!!」

 

 ニクジマの主張に、シスターは力無く視線を落とす。それはまるで欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子供のようで、どこか()ねているような、不貞腐(ふてくさ)れているような、そんな風に感じられた。そんな甘ったれた態度に、ニクジマは怒りと共に強い疑念を抱いた。ふとハピネスの方にも目を向ける。彼女はぐったりとしたままソファに横たわり、血塗れのタオルを口に押し付けている。生きているのが不思議なほどの瀕死状態。

 

 ニクジマの頭から疑念が晴れかけた直後、彼女は信じられない光景を目の当たりにする。

 

「ハピネスさん」

 

 シスターに名前を呼ばれ、ハピネスはぼんやりと目を開ける。そして、意識を保つのがやっとな筈の彼女が、自らの足で立ち上がった。

 

「はぁ。全く、どうかしてるよ。君」

「お願いしますね」

 

 ハピネスは不機嫌そうに顔を(しか)めて、足早に手術室へと入って行く。続いてシスターが入ろうとして、振り向きざまレシャロワークに呼びかけた。

 

「レシャロワークさん、手伝って下さい」

「え? な、何を?」

「何って、“私の手術”ですよ。“ハピネスさんは執刀経験なんかありませんから”」

 

 この日、初めてニクジマの頬を汗が伝った。老化で鈍くなった発汗反応を刺激する程の狂気が、理屈を置き去りに押し寄せてきた。

 

 

 

 

 

「さあて、見様見真似で頑張るかな」

 

 ハピネスは手術痕と股から血を流しつつも、涼しい顔で指を鳴らそうと拳を揉む。シスターは黙って手術台に寝転がり、服を脱いで腹部に消毒液をかけている。2人の異常な態度と行動に、レシャロワークは理解が追いつかずシスターを問いるめる。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよぉ! マジ? マジでコイツに腹裂かせるつもりぃ!?」

「唾飛ばさないで下さい。今から切開するんですから」

「いやいやいやいやおかしいって!! 鬼狂ってるってぇ……!!」

 

 頭を抱えるレシャロワークなどお構いなしに、ハピネスがシスターに手を(かざ)す。部屋中に魔法陣が浮かび上がって発光し、中央から白い触手が姿を現す。やっていることはシスターと同じだが、素人目に見ても魔法陣は杜撰(ずさん)で、触手の動きは緩慢。それらはシスターの腹部へ手を伸ばすと、勢いよく腹を裂いて血飛沫(ちしぶき)を撒き散らした。

 

「ぐっ……!!!」

「我慢だよシスター君。やらせたの君なんだから文句言わないでね〜。あれ、この次の術式って代入係数何倍だっけ?」

「ご、5.483です……!!」

「そんな細かい波導制御できないよ。要するに5と6の間らへんでしょ?」

 

 触手の先端が鉤爪のように形状を変え、砂を掻くようにシスターの肉を引き剥がす。

 

「ううううっ!!!」

「シスター君呼吸止めてくれない? 出来れば心臓も止めて欲しいんだけどさ。動いてるとやりづらいんだよね〜」

 

 全身から滝のように汗を流すシスターの腹部から無造作に一つの肉塊が持ち上げられ、隣に置いてあった保存液入りのバケツに放り投げられる。

 

「まず1個目〜。これ胃袋だよね? 合ってる? 何かもう全部一緒に見えるわ」

「あーもうっ!! 見てられないっ!!」

 

 傍観していたレシャロワークが、すぐさま血管を縫合して回復魔法で結合させる。麻酔を追加してシスターの苦痛を和らげ、胃袋を保存パックに手早く詰めた。

 

「あと何取るのぉ!? もう目玉とか行っときなってぇ! 取るの楽だしぃ! 2個あるしぃ!」

「じゃあ大腸取ってー」

「フォーク取ってみたいなノリで言うなぁ!」

 

 しかし、ハピネスの口で咥えた筆で絵を描くようなぎこちない作業とまではいかないものの、レシャロワークの技術も決して上手いとは言えない。それでも、足らない技術を高位の回復魔法でカバーしつつ臓器を取り出していく。

 

「ふぅん。期待してなかったけど、本当に期待外れだね。ゲーム知識しかないってのは事実か。残念」

「喋ってないで手動かしてよぉ!!」

「いいの? 私が変に動くと大動脈引っこ抜いちゃうよ? 君全部やってよ」

「アンタの味方でしょうが!!」

 

 事故車の修理をセロハンテープで行うが如く杜撰な手術は、意外にも、主にレシャロワークの頑張りによって30分程度で終了した。

 

 

 

 

 その様子を、ニクジマが手元の電子パッドで伺っている。監視カメラの映像には一切の細工はなく、ハピネスも特に不自然な動きは見せていない。しかし、そんなことではニクジマの疑念は晴れない。それは、数多のギャンブラーを(ほうむ)ってきたニクジマの直感による警告。ニクジマは電子パッドの画面に目を向けたまま通信機を取り出し、外にいる警備員に小声で尋ねる。

 

デブ(ラプー)の様子はどうだ?」

「いえ……気味悪いくらい微動だにしません。本当に、瞬きと呼吸以外は何も」

「そうか。絶対目を離すんじゃないよ」

 

 シスター達が何か仕掛けてくるなら、まず疑うべきは外にいるラプーの存在。次に外部の協力者。それらの可能性を排除すべく、ニクジマは今動ける人間を総動員して賭場を封鎖し監視している。状況は至って平穏。何の不安要素もない。それでも、彼女の疑念は収まらない。

 

 何かがおかしい。その疑念だけが、彼女の首に絡みついて離れない。そうこうしているうちに手術が終了し、手術室の扉が開かれた。

 

「……くくく。ざまぁ無いね。負け犬にはお似合いの姿だ」

 

 手術室から現れたシスターを、ニクジマが余裕を装い(あざけ)って(ののし)る。

 

 一歩進むごとに血を流し、貧血で唇は青白い。ただでさえ色白のシスターは、それこそ死人のように(くす)んだ身体を必死に引き摺っている。傍ではレシャロワークが輸血パックのぶら下がったスタンドを引いて、シスターに回復魔法をかけ続けている。

 

「シスターさぁん。この辺でいいですかぁ? ぶっちゃけ自分中立の立場なんでぇ、あんま片方に肩入れ出来ないんですけどぉ」

「はい……あ、ありがとうございます……」

「じゃあ離しますよぉ? さぁん、にぃ、いち」

 

 レシャロワークが緩やかに回復魔法を閉ざして手を離すと、シスターは倒れ込むようにして椅子にしがみついた。吐血に喘ぎ苦しむシスターの背を、ハピネスがニヤニヤと笑って撫でる。

 

「全く、たかだか臓物の2つや3つ抜かれたくらいで大袈裟だよ。私を見習い給えよ。ああ、そうだ。これ追加分ね」

 

 そう言ってバカラテーブルの上へ雑に箱を置く。プラスチックの箱の中には、保存パックに詰められた臓器。胃袋、大腸、腎臓の3つが入っていた。ニクジマは険な表情でそれを眺め、静かに溜息を吐く。

 

「ふん。ま、いいだろう」

 

 そして、それを足元へと放り投げ、勢いよく足で踏み潰した。保存パックが破裂し、中の物体がニクジマの靴底で擦り潰されていく。だが、シスターにはもう何か物を言う気力などなく、必死な思いで取り出した自分の臓器が無意味に潰されていく様子を眺めることしかできない。

 

 ニクジマはしたり顔で満足そうに笑みを浮かべるが、内心は決して穏やかでは無い。(むし)ろその逆。瀕死寸前のシスターとハピネスを前にしながらも、その真意を読み解けない焦燥と怒りが脳髄に焦げ付き(くすぶ)っている。

 

 こんな敗北者共に、勝者である自分が翻弄されている事実が、ただただ憎たらしい。ここへギャンブルをしに来るのは、法律社会で敗北した犯罪者だけ。前科の烙印こそが敗北の証。負けた者が何かを成し遂げようと思うなど、思い上がりも(はなは)だしい。勝利至上主義者であるニクジマにとって、この不可解な状況は何よりも受け入れ難い。だからこそ彼女は、らしくもなく勝利を急いでしまった。

 

「さ、次の勝負といこうかい」

 

 ニクジマがレシャロワークにジェスチャーを送ると、シスターは血相を変えて制止した。

 

「ま、待って下さいっ……! も、もう……!」

「もう? もう、なんだい? まさか、この程度で諦めるのかい?」

「だ、だって……もう、私には、賭け金は支払えません……!」

 

 嘘。ニクジマは瞬時にそれを見抜いた。と言うより、嘘しかあり得ない。今までさんざ仲間の臓器を引っこ抜いてきて、折角の先攻も子供じみた揚げ足取りに終え、挙句自分の腹も裂き、このまま尻尾巻いて帰るなど、支離滅裂の局地。この狂気入り乱れる不条理の嵐に残された唯一の道理。それどころか、ここまで狂気に染まっておいて今更怯える方が不自然。この下手な演技については何もかも不明ではあるが、分かっていることはただひとつ。シスターは最初から最後まで一貫して、一発逆転の何かを狙っている。

 

「賭け金ならあるじゃないか」

 

 ニクジマがじっくりとシスターの全身に視線を這わす。魔力は枯渇寸前。持ち物に魔袋(またい)や魔力タンクの類はなかった。代替臓器の追加は不可能。絶命間近。少し手を伸ばせば、確実に刈り取れる命。

 

「まだ目玉もあるし? 金玉も膀胱(ぼうこう)も取ったって死にゃあしないさ。まだ道半ばもいいとこだろうよ」

「そ、そんな……」

「あのぉ〜」

 

 シスターを脅すニクジマに、レシャロワークが(おもむろ)に手を上げて割って入る。

 

「なぁんだいレシャロワーク!」

「いやぁ。そのシスターさんなんですけどぉ。キャンディボックス(うち)で貰っちゃダメですかねぇ?」

「あぁ?」

「こんな鬼優秀な魔導外科医、殺すには勿体無いじゃないですかぁ。この短時間で魔導臓器もりもり作れる鬼魔力にぃ、自分の腹も裂く鬼度胸にぃ、それでも勝負事に食ってかかる鬼精神力ってぇ、こんな鬼猛者そうそう居ませんよぉ」

 

 ニクジマはレシャロワークの申し出を聞き流しつつ、シスターを品定めするように睨む。

 

「ね? いいでしょぉ? お金なら払いますからぁ」

「…………フン、却下だ」

「えぇ〜?」

「こんな奴生かしておいたら、いつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃない……」

「いや、そりゃそうですけどぉ」

 

 そう。生かしておくわけがない。力関係を教えるならまだしも、臓器ギャンブルなんて(おぞ)ましい勝負にも臆さない輩が暴力に従う筈がない。そんなことは当然分かっている。分かっているのだ。だからこそ、ニクジマの疑問がより鮮明により大きく心に立ちはだかる。

 

 何故シスターは逃げようとした?

 

 一回戦の終わりでも、二回戦が終わった今も、何故シスターは立ち去ろうとしている? ギャンブルの誘いに乗り、一発逆転の秘策を持つシスターが、何故勝負を降りようとする? 秘策があるなら、勝負を続けてもらえないことの方が厄介な筈。にも(かか)わらず、シスターは一度ならず二度までも、下手な演技をしてまで勝負を降りようとしている。メリットは無い筈。その答えが。幾らたっても見当すらつかない。

 

 だがそれも考える必要はない。次はニクジマの先攻。契約魔法で定めた絶対のルール。次でありったけの賭け金を提出し、ジョーカーを選べばゲームセット。腹の中身を全て奪うことが出来る。

 

 ニクジマはレシャロワークにジェスチャーをして、新しい臓器を持って来させるよう指示を出す。何も不都合はない。心配要素もない。全て順調。どう足掻(あが)いても、次のジョーカーを退ける手をシスターが持っている筈が――――――――

 

 

 

 

 

「――――――――待てっ!!!」

 

 発作のようにニクジマが叫ぶ。静まり返っていたカジノバーに声が響き渡り、羽を休めていた蝿達が一斉に飛び立つ。そのうち数匹がニクジマの腕や頬に当たるも、彼女は全く意に介さず目を見開いたまま数秒硬直する。

 

 勝負事とは言いつつも、内心ニクジマは(あなど)っていた。犯罪者などという敗北者の知能など、高が知れている。その知れている高を基準として、相手の思考を読み計っていた。

 

 なんたる愚考か。それこそ、敗北者の理論。侮り、驕り、信じ、疑わない。美酒と猛毒の区別も付かぬ愚か者が(あお)る筈の(さかずき)。己が今まさに手にしている盃。なんたる愚考。なんたる愚行。敗北者の真似事。敗北者の(わだち)

 

 先攻がジョーカーを選ぶ。どんな馬鹿でも予想出来る未来。そして、“イカサマ”をしているニクジマにとっては確定した未来。カードをシャッフルしている装置は、カードの絵柄を判別して決められた順番に並べ替えるイカサマ装置である。ニクジマはそのパターンを暗記しており、どんな状況でも最良手を選べる。つまり、ニクジマが次の先攻でジョーカーを選ぶことは確定している未来。

 

 その確定した未来が穴。付け入る隙。シスターがもし何らかのイカサマを仕掛けてくるならば、これほど操作しやすい未来はない。カードの入れ替え。装置への細工。手段は無数にあれど、目的は確実に“ニクジマの引くカードの操作”。そして、問題はそのイカサマをするタイミングだが、それも今しかない。シスターはもう負けられない。賭ける臓器も底を尽き、残すはシスター自身とハピネスの目玉くらいである。次は確実に勝利してくる。ならば――――

 

 今回は絶対に、入れ替えられているであろうジョーカーを選んではならない。

 

「おい、レシャロワーク。用意してある臓器は何個だ?」

「え、えーっと、2個。ですねぇ。はい」

「あいつらから奪ったのも合わせて11個か……」

「数えるんなら何でさっきの踏んじゃうんですかぁ……?」

「追加でもう5個……いや、10個用意しろ。それと、その時遺児(ガキ共)の体調に変化が無いかも確認しろ」

「……はぁい」

 

 レシャロワークはニクジマに臓器の入った容器の残りを手渡すと、気が進まないながらも渋々部屋を出て行く。ニクジマは電子パッドを操作し、遺児(いじ)のバイタルチェック画面を呼び出す。表示はオールグリーン。問題なくドナーとして扱える。賭け金の心配は晴れた。そして、残る心配事はシャッフル装置とカードのみ。

 

「さ、こっちの賭け金は1だ。お前らもさっさと出しな」

 

 しかし、ニクジマは装置のチェックをしなかった。もし装置に施された細工が目で見てわからないものだった場合、シスターにイカサマを警戒している姿を(さら)してしまう。ならば、敢えて一度イカサマを使わせ、その手段を確実に把握する方法へと切り替えた。

 

「………………本当にやるんですね」

「当然だろう。どうせ、眼球の一つや二つ失うのなんて惜しく無いくせに」

「では、所持臓器リストに……“眼球”の項目を追加します。いいですね?」

「ああ、いいだろう。ディーラー役のレシャロワークが居ないからね。私が代わりに受け取ってやるよ」

 

 シスターは所持臓器リストに“眼球”とだけ記入し、ニクジマに背を向ける。

 

「少々……お待ちを」

 

 そしてシスターは単独で手術室へと入っていき、十数分後に眼帯を着けて戻ってきた。

 

「……どうぞ。賭け金は、眼球一つです」

 

 創造魔法で作られた小さな白い箱。保存液に満たされた中には、紅蓮の瞳孔が輝く眼球が、ぽつんと一つ浮いている。ニクジマはそれを一瞥(いちべつ)した後、目を指差して眼帯を取るよう指示する。

 

「眼帯外しな。コレは本当にお前のだろうね」

 

 シスターが黙って眼帯を(めく)る。ニクジマは確実に眼球が抜かれていることを確認すると、創造魔法の白い箱を足元に置いてからカードのシャッフル装置を起動した。

 

「レシャロワークが居ないが、先に始めるよ。お前らもその方がいいだろう?」

「……そう、ですね」

 

 シスターは重苦しく肯定する。素人の摘出手術を経て座っている彼にとっては、この返答一つすら苦しいことこの上ない。ニクジマがシャッフル装置のスイッチを押すと、装置は目にも留まらぬ速さでカードを混ぜる。そのカードの動きにぎこちなさは見られず、至って正常に稼働している。それでもニクジマは訝し気にシャッフル装置を睨み続ける。装置によるシャッフルが終わり、カードを一つの束にして排出した。それをニクジマがテーブルの中央に置こうと手を伸ばすが、契約魔法の制約に阻まれ手を弾かれる。

 

「っ! ああ、そういや山札の一番上しか触れないルールだったね。ちょいと取りづらいが、このままやるよ」

 

 ニクジマが1枚目を捲る。ダイヤの4。もう一枚。ダイヤの8。もう一枚。クラブのクイーン。

 

 ジョーカーは出さない。出さないが、だからと言って敗北などもっと有り得ない。

 

 スペードのエース。ハートの5。クラブの2。ハートの10。ダイヤのキング。

 

 少なくともジョーカーと3枚のキングを公開した上で、最後のキングを選ぶ。そして、ジョーカーが自分の予想した位置とどれだけズレているかを知る。今選べる最良の手。

 

 ハートの4。ハートのジャック。ダイヤの5。スペードのクイーン。ハートのエース。

 

 もうすぐ。もうすぐジョーカーの場所。ニクジマの推測が正しければ、そこにジョーカーはない。何らかの方法で、位置を操作されている。今のところカードの並び順に工作の後は見受けられない。それでも、絶対に隙は見せない。

 

 クラブの3。クラブの10。スペードの3。スペードの9。ダイヤのクイーン。

 

 次、次だ。次で全てが分かる。もし仮にジョーカーがあったとしても、まだ手元に臓器は11個ある。負けやしない。

 

 オープン。ジョーカー。

 

「ぐっ……」

 

 ニクジマが顎に力を込める。読み違い。否、僅かな必要経費に過ぎない。寧ろ、イカサマがないことの証明は大きな進歩。確実な益。結末を先延ばしにして苦しむのはシスター達であって、ニクジマに損は一切ない。今ニクジマを(むしば)んでいるのは、己の腐った自尊心によるもの。なんてことはない。ここから、ここからが肝心――――――――

 

「一つ」

 

 シスターが口を開く。

 

「お願いがあります」

「……? なんだい急に」

「これで、勝負を最後にして下さい」

「……はぁ!?」

「今まで言うのをずっと先延ばしにしていました。けど、(ようや)く決心がついたんです。これで止めましょう」

 

 シスターは、またしても哀しげな表情。恐怖でも、怒りでも、後悔でもない。哀れみの目。ニクジマは憤慨した。己の安全策を見透かされたような気がして、度胸の無さを咎められた気がして。「ここでジョーカーを選んでいれば勝てたのに」と煽られた気がして。

 

 ニクジマは鬼気迫る表情をカードに移し、一心不乱に次々とカードを捲っていく。

 

 スペードの8。クラブのキング。スペードの2。ダイヤの3。スペードのキング。スペードの10。スペードの7。ハートの8。ダイヤのエース。そして、ぴたりと手が止まった。

 

「ふざけるな……ふざけるなっ……!!! お前のような敗北者が!!! 逃げられると思うかっ!!! キープだっ!!!」

 

 ニクジマの怒号と共に吐き出された唾がシスターの顔にかかる。シスターは静かに目を閉じて、意を決して口を開く。

 

「………………キープ」

 

 互いに札を捲る。ニクジマ、ハートのキングと、シスター、スペードの6。

 

【ニクジマ、13。シスター、6。シスター1の支払い】

 

「誰が、誰が帰すもんかっ……!!」

 

 すると、ニクジマは間髪を容れず臓器の箱をバカラテーブルに叩きつけ、カードをシャッフル装置に()じ込みスイッチを入れる。カードが高速で掻き混ぜられ、山札が排出される。

 

「殺すっ!! 殺してやるっ!!! お前みたいな敗者が、お前のような(クズ)がっ!!! よくも私を憐れんでくれたなっ……!!! お前のような犯罪者がっ!!!」

 

 シスターはニクジマの罵詈雑言を背に、椅子から黙って立ち上がって手術室に入って行く。するとそこへ丁度、臓器の容器を抱えたレシャロワークが戻ってきた。

 

「あれぇ? シスターさんはぁ?」

 

 レシャロワークが手術室の方かと顔を向けると、シスターが扉を開けて部屋に戻ってきた。そして、レシャロワークに白い箱を手渡すと同時にこう告げた。

 

「賭け金は2。山札の上から42枚をオープン。43枚目をキープ」

「え?」

「は?」

 

 ニクジマの首筋を、生暖かい滴が伝う。何故なら、43枚目は紛れもなくジョーカーのある場所。

 

「ニクジマさん。あなたの負けです」

 

【シスター、39。出目に関わらず、ニクジマ総賭け金の倍額の支払い。追加で5の支払い】



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156話 ゲームセット

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

「賭け金は2。山札の上から42枚をオープン。43枚目をキープ。……ニクジマさん。あなたの負けです」

 

 臓器ギャンブル”ダークネス・ポーカー“四回戦。シスターは見事ジョーカーの位置を言い当て、出目39を獲得。これにより、後攻のニクジマは何の札を選んでも倍の出目で敗北。総賭け金の倍になるよう、5つの臓器を支払わなくてはならない。

 

 レシャロワークが山札を(めく)ると、確かにシスターが指定した場所からはジョーカーの札が出てきた。

 

「こ、こ、こ、こ」

 

 ニクジマは握り拳を震わせ、乱れる呼吸を必死に抑え込んでから大きく叫ぶ。

 

「こぉぉぉおの塵屑(ゴミクズ)がぁぁあああっ!!! 何が”負け“だっ!!! たった一回!!! たった一回のく〜っだらない上がりでっ!!! つけ上がるなこの犯罪者がっ!!! 第一にっ!!! お前にはとっくに(ろく)な臓器は残っていない(はず)だっ!!!」

 

 そう言ってシスターが先程レシャロワークに提出した白い箱を奪い取ると、すぐさま蓋を開けて中身を(あらた)める。

 

「……っ!? な、何だいこりゃぁ……!!!」

 

 そこには、握り拳程の大きさの肉塊が2つ。

 

「じ、腎、臓……!?」

 

 ありえない。既にハピネスの腎臓は2つ摘出されており、シスターの腎臓もひとつ抜かれている。では、この2つの腎臓は一体誰の物だろうか。視線を感じたニクジマがバッと顔を上げると、シスターの奥でハピネスが力無くピースサインをしているのが見えた。口を開く気力もない彼女に代わって、シスターが血反吐と共に言葉を吐き出す。

 

「重複腎。世界には、ごく稀に“腎臓を3つ以上持って生まれてくる人がいます”。まあ、ハピネスさんのように正常な状態の腎臓を4つも持っている人は例外中の例外でしょうけど」

 

 それを聞くと、ニクジマはレシャロワークを鋭く睨みつける。

 

「お前っ……!! 知ってて黙ってたのかい……!!!」

「サ、サーセン……」

 

 レシャロワークがハピネスの2回目の手術に立ち会った時に目にした“モノ”。それは、腎臓がひとつ摘出されている筈のハピネスの3つの腎臓であった。世にも珍しい重複腎。しかし、真に奇妙なのは2人の行動。折角余分な臓器が2つもあるのに。シスターは初手でハピネスの胃袋と肝小腸と腎臓を賭け金として提出した。これが示す意味。それは、いずれ訪れる起死回生の一手の創造。腹を裂いて血反吐を撒き散らして、針の(むしろ)を渡り切った先にある反撃の刃。しかし――――――――

 

 

「ま、いいだろう。どうせこんなモノ、何の役にも立ちゃしない……!!!」

 

 ニクジマは腎臓をシスターに返すと、レシャロワークが持ってきた新しい臓器ケースを3箱、シスターの方へ蹴飛ばして差し出す。

 

「たった一回の勝利で、なぁにを調子に乗っている? カードの位置がわかったから何だ? 覗き見だろうが未来予知だろうが……その程度のイカサマ、このゲームじゃ土俵に立つ最低条件に過ぎない!! 次はオールインだ……!! 支払う額は総賭け金の倍っ!! 防いで見せろよペテン師がっ!!」

 

 しかし、シスターは受け取った臓器ケースの中身を少し覗いただけで、それを丁寧にニクジマに差し出した。

 

「受け取れません」

「…………ああ!?」

 

 再びニクジマの頭に血が昇り、それでも冷静さを保って貧乏揺すりと共に言い返す。

 

「構やしないが……支払いは義務だが受領は義務じゃない。私が支払い行為を済ませれば、“支払った“という事実は達成される。契約魔法による縛りは受けない」

「いえ、そういう意味ではありません」

「……ごちゃごちゃうるさい奴だな……!! じゃあどういう意味だって言うんだいっ!?」

「これは飽く(まで)も、私個人の見立てに過ぎないのですが……。この臓器――――」

 

 

 

 

 

旋毛虫(せんもうちゅう)に感染しています」

 

 

 

 

 

旋毛虫(せんもうちゅう)……?」

「主に哺乳類を中心に寄生し、何の宿主も終宿主とする。トリキネラ属に分類される寄生虫の一種です。確か、ルールにこうありましたよね」

 

 “ ゲーム中に扱われる臓器は全て“診堂クリニックの法律上移植可能な健康な臓器”でなければならない。”

 

「寄生虫に感染している臓器は、法律上でも、健康上でも、移植可能とは言えないのではありませんか?」

「そ、そんな……っ……ばっ……」

 

 ニクジマが声を震わせる。それは地震の予兆のように静かで、直後に巨大な本震を爆発させた。

 

「〜っ馬ぁ鹿言ってんじゃねぇよっ!!! こりゃあ隔離してるガキ共の臓器(モツ)だっ!!! 外に置いてきたあのラプー(デブ)も見張ってる!!! そんな虫籠の中で、どうやったら寄生虫なんかに感染――――」

 

 ニクジマは激昂の最中に気が付いて言葉を止めた。そう言えば、シスター達を案内する時に、彼はガラスケースに近づいている。もしかしたらその一瞬のうちに、彼は遺児に何か細工をしたのかも知れない。(たる)いっぱいのワインに、一匙(ひとさじ)の汚水を加えれば、それは樽いっぱいの汚水になる。大量のドナー。その内1人だけが寄生虫に感染しているとしたら、それの他の遺児達は果たして“臓器移植に適した安全なドナー”と呼べるだろうか。

 

 ニクジマは急いで電子パッドを取り出し、遺児のバイタルチェック画面を呼び出す。表示はオールグリーン。健康面に問題無し。しかし、寄生虫を保有しているかどうかまでの判別は出来ない。

 

「おいレシャロワーク!! ちゃんとガキ共全員見てきたんだろうな!?」

「いやぁ〜大体はサラッと見ましたけどぉ、全部は無理ですよぉ」

「な、に、を、ふざけたこと抜かしてるっ!!! すぐに全員検査しろっ!!! 片っ端から抗体検査だっ!!!」

 

 ニクジマは声を張り上げつつも、レシャロワークの行動が今回の結末に影響していないことは理解している。レシャロワークが遺児の異変を報告していようが、寄生虫の検査など行わない。重複腎の存在を知っていたとしても、勝負を降りたりもしない。全ては、起こるべくして起きている。

 

 と、その時、ニクジマの持っていた電子パッドが短い電子音と共に黄色い正方形を映し出す。

 

 No.113。バイタル異常。

 

「ははっ……ははははっ……」

 

 映し出された文字を見たニクジマは勝利を確信し、発作のように笑って狂喜する。

 

「あーっはっはっはっは!!! 見つけた!!! 見つけたっ!!! コイツだ!!! コイツがお前の細工したガキだろう!!! ツいてなかったなぁこのクソ間抜けがっ!!!」

 

 メイン通路に面した、入り口から数えて13番目のガラスケース。丁度、シスターが見ていた遺児の場所。No.113個体の排泄物異常をバイタルチェッカーが検知した。

 

「おいレシャロワーク!!! 検査だっ!!! この際解体(バラ)してもいい!!! そのガキから1匹でも寄生虫が出ればっ!!! 追加で持ってきた臓器の安全性は保証されるっ!!! あーっはっはっはっは!!! この勝負!!! 私の勝ちだっ!!!」

 

 意気揚々と指示を出すニクジマ。しかし、レシャロワークは動かない。それどころか、難しそうな顔をしながら首筋を引っ掻いてニクジマを見つめている。

 

「おいっ!! レシャロワーク!? 何をボサっとしているっ!!! さっさとあのガキを調べるんだよっ!!!」

「……へ〜い」

 

 レシャロワークは依然として困り果てていたが、ニクジマに逆らえず(きびす)を返して外へと出ていった。それを見送ると、ニクジマは勝ち誇ったような顔で哀しげに俯くシスターを見やる。

 

「くっくっくっくっく……!! 残念だったなぁ屑が……!! お前みたいな敗北者は、どうせ何も成し得ない……!!! 焦って、苦しんで、藻搔(もが)いて、省みて、天に祈りを捧げたところで……全ては後の祭りだ!! 天の導きには抗えないっ!!!」

 

 

 

 

 

 

「はははっ」

 

 部屋の隅から、あどけない失笑が転がってきた。声の方にニクジマが目を向けると、血塗れのハピネスが楽しそうに腹を抱えて笑っていた。

 

「いやあ面白い。大変良いものを見させてもらった。腹を切った甲斐があったよ」

「……何が面白い? 臓器(モツ)と一緒に脳味噌まで持って行かれたのか?」

「そう言う貴方は脳味噌を足してもらった方がいい。そんな弱い頭じゃ、標本にだってなりはしないだろうよ」

 

 ハピネスは大きく咳き込んで血を吐くと、タオルで口を拭ってニクジマに微笑みかける。

 

「ニクジマ・トギ。お前、ずっと勘違いしてるよ」

「何をだ」

「全部。全部だよ。何もかも。当たってることが一つもない。(むし)ろ、ここまで真逆を選べるってのが不思議だよ。もしかして全部分かってやってる?」

「負け惜しみなら死んだ後で聞いてやる!! 死に損ないは黙っていろ!!」

「まずさ、何で疑わないの? シスター君が“旋毛虫(せんもうちゅう)に感染してる“って言った時」

「ぁあ!? 疑ったから調べてるんだろうが!!」

「違う違う。”何で態々(わざわざ)寄生虫の種類まで言ってくれたのか“って話」

 

 見下すようなハピネスの指摘に、ニクジマの表情筋がほんの少しだけ弛緩する。

 

「詳しくは知らないけどさ、毒の検査とかウイルスの検査とかって、何の毒に侵されているのか、何のウイルスに感染しているのかを調べるのが厄介なんじゃないの? アニサキスとピロリ菌とかって対処法違うんじゃない? だからさ、シスター君が病気の原因を“旋毛虫(せんもうちゅう)”って教えてくれなかったら、特定作業がまず難しいんじゃないの?」

 

 当然の指摘。ニクジマの心の奥底に、小さな小さな肯定が芽を出す。

 

 私は、間違えたのか?

 

「ニクジマさん」

 

 シスターがニクジマの名を呼ぶ。その顔は、今まで時折見せていた“あの”表情。()ねているような、不貞腐(ふてくさ)れているような、哀しげな目。楽しみにしていた旅行が、雨で中止になってしまったかのような。不満げな顔。

 

「なんだい……勝手に憐れむな……!! その顔をやめろっ!!」

「ニクジマさん。貴方の敗因は、私のことをギャンブラーだと思ってしまったことです」

 

 シスターはぽつりぽつりと懺悔(ざんげ)するように語り始める。

 

「貴方はこのゲーム、ダークネス・ポーカーをギャンブルと形容しました。でも、こんなイカサマと穴だらけのゲーム。到底ギャンブルとは呼べません。本物のギャンブラーは挑戦なんかしないでしょうし、参加する人はただの賭博好きだけです。貴方は今まで多くのギャンブラーを()じ伏せてきたと思ってるかも知れませんが、事実まるでその逆。素人を一方的にルールで蹴散らしてきた普通の悪党です」

「何を知った口を……!!」

「分かりますよ。だって貴方は、私のことを見なかったじゃありませんか」

「何だと?」

「私の態度を勝手に怪しんで、自分だったらどうするかなんてことばかり考えて、私という人間を勝手に恐れて大きく見て、勝手に悪手だの罠だのを警戒して、一人相撲もいいところではありませんか」

「それがお前の狙いだろう? 逃げるフリをして、残念がるフリをして、私の隙を刺そうと踊ってみせた!!」

「逆です。私はずっと、本当に逃げようと思っていましたし、貴方の選択を残念がっていました」

「さっきから何を訳のわからないことを……!!」

「私はずっと、貴方に助かって欲しかったんです」

「……はぁ!?」

「貴方を懲らしめようと思い参加したのは事実です。でも、私刑なんて(おぞ)ましい行為に中々決心がつきませんでした。だから、何度も貴方に助かる道を提示しました。もし貴方が私を殺す手を一度でも止めていれば、私は貴方を人道的に裁くだけに留めるつもりでした」

「負け惜しみも大概に――――」

「でも貴方はここまで来てしまった。逃げる私を追いかけ、追い詰め、私を完封するためにジョーカーを(わざ)と素通りした。自らの足で、ここまで来てしまった」

 

 その時、丁度レシャロワークが部屋に戻ってきた。彼女は険しい表情のままニクジマに近づき、検査結果が書かれた報告書を手渡す。

 

「検査結果でぇす。普通に腹裂いたら虫がいたんで、種類だけ調べて書いておきましたぁ」

 

 ニクジマは報告書を受けとり、内容に目を通す。鮮明な旋毛虫(せんもうちゅう)の写真と、種類が記載された文面。予想通り、期待通りの報告書。しかし、今ニクジマを支配しているのは想像とは全く真逆の感情。感染の証明はシスターの予想通りでもある。ならば、この先に何か大きな落とし穴がある。それが何なのか、ニクジマには予想もつかない。

 

 シスターが椅子に座ったままレシャロワークを見上げると、彼女は小さく溜息を吐いてから事実を伝える。

 

「……と言うわけでぇ、ニクジマさん。遺児の寄生虫感染が認められたのでぇ。”この遺児安置所は封鎖“することになりましたぁ」

「………………ぁ?」

 

 ニクジマの思考が止まる。

 

「隔離された子供のうちぃ、一人が寄生虫に感染ってことはぁ、他の子も感染してるかも知れないじゃぁないですかぁ」

「な、な、ななななんっなんでっ」

「だって隔離施設ですよぉ? なら疑うべき原因は、点滴とかぁ、投薬システムじゃないですかぁ。それ、同じやつ全部の子供に使ってるわけですしぃ」

「ここここコイツがっ!!! コイツが仕組んだ虫だろうがっ!!! システムは関係ないだろうっ!!!」

 

 動揺と混乱で取り乱すニクジマに、シスターが静かに指摘をする。

 

「私は何もしてませんよ。ただ、”飽く迄も私個人の見立て“と言った筈です」

「何を白々しいことをっ……!!!」

「じゃあ裁判でもやりますか? 警察と鑑識を呼んで? 違法賭博で子供をチップに使ってたら細工されて負けそうだから、犯罪を立証してくれって?」

 

 レシャロワークが小さく失笑して反論する。

 

「ありえないですねぇ。仮にそれが通って立証されたとしてもぉ、安置所の封鎖は決定事項ですよぉ。万が一他のも寄生虫に感染してたら、臓器使った患者からとんでもない訴訟が飛んできまぁす。鳥インフルが流行った鶏舎を封鎖するのと一緒ですねぇ」

「だそうですよニクジマさん」

 

 ニクジマは全身を震わせたまま動かない。彼女は全て分かってしまった。理解してしまった。自分が立っている場所が、どこなのかを。それに追い打ちをかけるように、レシャロワークが言い放つ。

 

「というわけなんでぇ、自分がさっき持ってきた追加の臓器は全部廃棄でぇす」

 

 ニクジマは最後の希望に(すが)るように、ハピネスの臓器が入っている容器に手を伸ばす。今までゲームに使っていたこれなら、賭け金を支払える。まだ戦える。まだシスターを殺せる。しかし――――

 

「ニクジマさん。貴方はこのゲームに精通しているようで、実のところ何も知らない。普通は、相手に渡した臓器なんて再利用させないんじゃないですか?」

 

 ハピネスの腎臓と、大腸と、肝小腸が浮かぶ培養液。その端っこに、薄い半透明の物体が浮かんでいる。それは、小さい卵の形をしたオブラートであり、“中から何かが這い出たような穴”が空いていた。

 

「〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 

 バカラテーブルから臓器ケースが転がり、中身が床に零れ落ちる。シスターはゆっくりと立ち上がってニクジマに近づき声をかける。

 

「今のニクジマさんの手持ちの臓器は、賭け金として出したひとつと、さっき出さなかったひとつだけ……。清算にはあと5つ足りませんが、どうされますか?」

「ひっ……ひっ――――!!」

 

 椅子から転げ落ちるニクジマを、シスターが重い足取りで追い詰める。

 

「両目で良ければすぐに摘出()れますが、他は消化器官とかでも構いませんよ。あ、でもニクジマさんの年齢だと、渡せる臓器が限られていそうですね」

「や、ややっ、やめっ」

「安心して下さい。私も、あと一回くらいなら執刀出来そうです。ただ……見ての通りの瀕死ですので、“ある程度の医療ミス”は目を(つむ)っていただきたく思います。もしかしたら、一生寝たきりとかになってしまうでしょうね」

「やめろっ……やめろっ……!!」

「でも不安がることはありません。ここは医療大国“診堂クリニック”。例え食事もトイレも1人でできなくなったって、生きていくことはできますよ」

「ふざけるなっ……! 嫌だっ……!! 嫌だっ……!!!」

「ほら、早く決心して下さい。じゃないと、私が失血死してしまいます。契約魔法のルールでは、支払いまでが義務でしょう? 私が死んだら、義務を果たせませんよ。ほら、早く」

「クソっ、クソっ……!! 殺すっ……!!! 絶対に、殺してやるっ……!!!」

「ほら、負けたんだから、大人しくして下さい」

 

 シスターの手がニクジマの首筋へと伸びていく。その指先が触れた瞬間、ニクジマは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜診堂クリニック 介護付き老人ホーム”ハートホーム 徒守(あだがみ)

 

「おはようございます! ムラサビおばあちゃん、朝ですよ〜!」

 

 彼女の名前はセンテイファ。介護福祉士2年目の、少しドジな女性職員である。今日も彼女は、半年前からこの施設に預けられている老人“ムラサビ”の世話をしに来ていた。

 

「あ! おばあちゃん見て! 鳥が巣を作ってますよ! 可愛いですねぇ〜!」

 

 センテイファは明るく振る舞ってムラサビに話しかける。しかし、ムラサビは虚な目で(うつむ)いたまま何も言わない。聞けば、この老人は身寄りもないままこの福祉施設に預けられてきたのだと言う。担当医師(いわ)く、健康面は問題ないが重度の認知症、もしくは“記憶喪失”だと言う。そのせいで、立って歩くことや、物を食べること。排泄の我慢も難しいという。出身も不明、関係者も不明、名前すら分からなかったため、ムラサビと言う名も仮名である。ただ時折、譫言(うわごと)のように“許さない”とか“殺してやる”などと物騒な言葉を呟いているので、恐らくは酷い差別を受けて暮らしてきたのではないかと思われている。

 

 そこでセンテイファは、ムラサビの世話を自ら志願した。センテイファはお世辞にも優秀とは言えない人間だが、情熱だけは人一倍強かった。ムラサビが酷い仕打ちを受けて生きてきたのなら、その心を癒してあげたい。寄り添ってあげたいという、センテイファの優しさと強さによる申し出だった。

 

「じゃあ身体を拭いて行きますね〜。っと、あららららっ!?」

 

 センテイファがムラサビに寝返りをうたせると、臀部(でんぶ)付近に大きな染みがついていることに気がついた。

 

「あちゃぁ〜! ごめんなさいっ! 昨晩トイレ行けてませんでした!? ごめんなさい〜!」

 

 それでもセンテイファはムラサビを責めることなく、自分の手が汚れることも(いと)わずに掃除を始める。勤勉で、努力熱心な真人間。ムラサビは、センテイファに下着を脱がされると静かに涙を溢した。

 

「おばあちゃんごめんなさい〜! すぐに終わりますからね〜!」

 

 センテイファは慣れた手つきで汚物を拭き取り、ベッドを掃除するためにムラサビを車椅子に乗せる。すると、抱き上げた時ムラサビがぼそぼそと呟いた。

 

「……ろす」

「はい? おばあちゃん何ですか?」

「殺す……殺して、やる……」

 

 センテイファは一瞬ビクッとするも、すぐに優しくムラサビを抱き締めて撫でた。

 

「大丈夫ですよおばあちゃん。私がいます。私は絶対におばあちゃんの味方ですからね」

 

 献身的なセンテイファの介護に、ムラサビは涙を目に溜めたまま再び呟く。しかし、呂律(ろれつ)の回らぬ口ではそれが言葉となることはなかった。



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157話 不明な目的地を目指して

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)”〜

 

 シスターは倒れ込むニクジマの隣に落ちていた、“ハピネスの臓器が入ったケース”から臓器を回収した。その中から”破けたオブラート“を指先で掬い、じっと見つめてからボソリと呟いて投げ捨てた。

 

「……詰めの甘い人ですね。“寄生虫に感染させた”なんて誰も言っていないのに……」

「あの〜。一個いいですかぁ?」

 

 ニクジマに近づくシスターに、レシャロワークが遠慮がちに声をかける。

 

「なんでしょうか。彼女を守るつもりでしょうか?」

「いやいや〜。キャンディボックス(ウチ)が任されてるのは“ゲーム中の護衛と立ち合い。あと侵入者の排除“だけですからぁ〜。シスターさんたちは侵入者でもないしぃ。ゲームは終わっちゃったしぃ。ただでさえ休日出勤だって言うのに、自分が手を出す意味も理由もありませんよぉ」

「では何を?」

「一個だけ分かんないんですけど、シスターさん。どうやってトランプの中身を知ったんですかぁ?」

 

 シスターが沈黙する。そして、小さく溜息を吐いてからレシャロワークに背を向ける。

 

「……私の異能です」

「お、やっぱ”覗き見“の異能ですかぁ?」

「いえ……。私は、”記憶操作“の異能者です」

「あらぁ。そりゃまたけったいなモノを……んん? でも、それじゃあトランプの中身分からなくないですかぁ? ニクジマさんの心を読んだんですかぁ?」

「いえ、この異能の発動条件は接触です」

「えぇ〜尚更不思議ぃ。あ、待って。当てたい当てたい」

 

 レシャロワークはこめかみに指を当てウンウンと唸り、ぼそぼそと独り言を漏らす。

 

「物の記憶を読む! ……訳ないかぁ。ハピネスさんがいい感じの異能者とかぁ? でも、そんなら真っ先にお腹開く意味ないもんねぇ……。あ! わかった! ここに来る前に、誰か関係者の記憶読んだりしてたんでしょ! って言おうと思ったけどぉ……シャッフルパターン読めるわけではないしなぁ……」

「正解は”蝿“ですよ」

「はえ〜?」

 

 部屋の中には、未だ数匹のニクバエが飛び交っており、今は倒れ込むニクジマの口元に水分を求め集っている。

 

「生き物はそれぞれ、自分に適したレンズで世界を見ています。もし寿命が1秒の生き物がいたなら、海は固まって見えるでしょうし。寿命が1億年の生き物がいたなら、地面は水のように波打って見えるでしょう。蝿は、我々人間よりも細かく世界を見ている」

「……スローモーションに見えてるってことぉ?」

「言うなればそうでしょうね。何も難しいことはありません。私は蠅の記憶を読んで、シャッフル装置で掻き混ぜられるトランプを”全て目で追って数えていた“だけですから」

「ほへ〜。最初に山札全部捲ったのは、中身を全部確認するためだったんですねぇ。ただの鬼馬鹿だと思っちゃったぁ」

「ただの馬鹿に思われていたなら何よりです。変に疑われたら台無しですから。でも……」

 

 シスターは倒れているニクジマに近づき、しゃがみ込んで彼女の首筋に触れる。

 

「結局、貴方は全ての道を違えてしまった。もう2度と迷わぬよう、道を一本に絞ってあげましょう」

 

 そして異能を発動し、ニクジマの記憶を改竄する。するとシスターは「さて」と呟いて立ち上がり、レシャロワークに微笑みかけた。

 

「レシャロワークさん。ひとつ、頼みがあります」

「えぇ? 帰りの護送とか嫌だよぉ? 早くお家帰って鎧核4やんなきゃ」

「異能の詳細を教える。これがどれほど致命的な自殺行為かは分かっていますよね? 私はそれを教えたんですよ?」

「えぇ〜……勝手に自分で喋ったんじゃん……。それを交換条件には――――あっ」

 

 レシャロワークはシスターの言葉の意味に気付き、半身の姿勢で出口の搬入出用エレベーターの方に目を向ける。

 

「察しが良くて助かります」

 

 敵対している相手に異能の詳細を教えることは、基本的に致命的である。異能を用いた戦闘の本質は“初見殺し”。逆を言えば、異能は性質を把握されることで大きく弱体化する。

 

 では異能の詳細を教えるメリットとは何か。それは主に、“共闘する仲間との連携“に役立つという理である。

 

「レシャロワークさん。さっき、ニクジマさんの持っていた電子パッドのカメラ映像で、地上へのエレベーターが一瞬見えました。階数表示は地上階なのに、扉が半開きになっていました」

「……ニクジマさんの通信機にも連絡ありませんねぇ。あの辺は警備員がカメラで鬼見張ってる筈なんですけどぉ」

「誰かが、エレベーターを使わずにここまで降りて来ています」

 

 シスターが横目でハピネスを見る。彼女は何も言わずに横たわっており、シスターの方のは一瞥もくれず押し黙っている。その態度が、ハピネスの異能をも掻い潜る思わぬ強敵の接近を物語っている。部屋の入り口を塞ぐ鋼鉄の扉の向こうから、存在しない怪物の吐息が流れてくるような錯覚を感じる。部屋を飛び回る蠅の羽音と、弱々しく脈打つ心音を、凄烈な銃声が切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シスター!!!」

 

 ナハルは搬入出用エレベーターが開くと同時にカジノバーに駆け込む。しかしそこには誰も居らず、数匹の蝿が辺りを飛び回っているだけであった。しかし、使奴の鼻を突き抜ける大量の血の臭いが、ここで起きたであろう地獄絵図を脳裏に鮮明に突きつける。

 

「シスター!? どこですかシスター!!!」

 

 使奴の鋭敏な感覚を以ってすれば、声掛けなど無意味である。壁の向こうに誰がいようとも、例えそれが死体であろうとも、見つけ出すのは難しいことではない。しかしナハルは現実を受け入れたくないがために、起こりもしない奇跡を願ってシスターの名を呼び続けた。カジノバーと隣接している手術室に彼女が足を踏み入れると、そこに残った残留波導が突風のように押し寄せて来た。ここで行われていた魔導手術。その回数。規模。それらが、まるで今まさに目の前で行われているかのような錯覚に陥る。使奴であるが故、優秀であるが故、ナハルは目を閉じても理解し感じ取ってしまう。

 

「うっ……!!! シ、シスター……。シスター……!!!」

 

 何処かにヒントが無いか。どんな些細なものでもいい。手当たり次第に辺りを調べた。使奴らしくもなく、非効率的に、闇雲に。そこへ、背後から声が投げ掛けられる。

 

「一足遅かったようですね」

 

 そこにいたのは“大河の氾濫”リーダー、バシルカンであった。その後ろには、人道主義自己防衛軍総統、ベル。そして診堂クリニック院長、ミドー・ホウゴウの姿がある。ベルは興味深そうに辺りを見まわし、ホウゴウに尋ねる。

 

「ほう……。何故病院の中にカジノバーが? それも隣が手術室なんて。ホウゴウ、この部屋について、何か知っていたか?」

「……は、犯罪者相手に何かしてるくらいの噂は知ってたけど、ここまでやってるなんて聞いてない……!」

「まあ、だろうな」

 

 3人の態度を訝りつつも、ナハルは藁にも縋る思いでバシルカンに詰め寄る。

 

「何か知っているのか!? 何でもいい、教えてくれ!!」

「簡潔に申し上げます。シスターさんは恐らく、“存在しない村”に誘拐された可能性が高い」

「そ、“存在しない村”……?」

 

 バシルカンがホウゴウに目を向けると、ホウゴウは唇を強く結んで思案しつつも、言葉を詰まらせながら説明する。

 

「私も、詳しくは言えない……。そういう約束だから……。言えるのは、“存在しない村”は診堂クリニックと古くから付き合いがあった。それこそ、大戦争の少し後……ヴァルガンさん達ウォーリアーズと知り合ってから数日後くらいから。診堂クリニックが今まで他国に脅かされなかったのは、使奴の武力弾圧によるものより、存在しない村のお陰だったって言ってもいい。だから、私は存在しない村については何も話したくはない。ごめんなさい」

 

 曖昧な言葉で説明を避けたホウゴウを、ナハルが鋭く睨みつける。しかし、怯えるホウゴウを庇うようにしてベルが割って入ると、ナハルは怒りを露わにしつつも押し黙って目を伏せた。

 

「まあナハルの言いたいことも尤もだが、ホウゴウの言い分も尤もだ。それに、ホウゴウの古い友人だと言うなら、シスターに危険が及ぶことはないだろう」

 

 そうベルが諭すと、ナハルは不安そうにポツリと呟く。

 

「……ハピネスも一緒だ」

「ああ、それは厄介だね」

 

 それからベルは、バシルカンの方を向いて首を傾げた。

 

「にしても……バシルカンはどうして“存在しない村”のことを知っている? 我々ウォーリアーズでさえ噂程度にしか聞いていないと言うのに……」

「私もホウゴウ様から聞いた情報で全てです。“存在しない村”という団体が後ろ盾におり、最近は“キャンディボックス”が主たる護衛役であったと」

「じゃあ誘拐の犯人とまで断定できるのは変だね?」

「いえ、キャンディボックスがシスター様を誘拐する理由が御座いません。なので、消去法で存在しない村が犯人ではないかと」

「バシルカン。使奴相手に隠し事は出来ないよ」

 

 ベルがバシルカンを睨むと、バシルカンは暫し地面を眺めてからベルに視線を戻す。

 

「では正直に申し上げます。私がそうさせました」

 

 眉ひとつ動かさず白状したバシルカン。ナハルは思わず彼女に飛びかかろうとするが、ベルがナハルの腕を掴んで引き離す。

 

「おっと」

「離せ!!!」

「まあまあまあ。話を先に聞こうよ」

 

 バシルカンはベルに頭を下げて感謝の意を表すと、咳払いを挟んで淡々と話し始めた。

 

「そうさせた……と言っても、そうなってくれたらいいな、程度の思いつきです。私がホウゴウ様に接触した際、ラルバ・クアッドホッパーと同行者の情報を具に説明しました。それはもう誰かが聞いてても聞こえるほどハッキリと。それだけです。もし存在しない村の誰かがそれを聞いてて、その話の何かに引っかかって、それから何かを思案していただければ、我々大河の氾濫にとっては良い方向に転がると思った。それが全てです」

「ふむ……。だから消去法、か」

「はい。実際我々も存在しない村が何者なのかを一切存じ上げません。しかし、200年もの間ホウゴウ様を支え続けたと言うならば、使奴が統率する団体と考えるのが妥当でしょう。であれば、何かの間違いでラルバ・クアッドホッパーを負かすことも無くは無い……。そして、ホウゴウ様と長い付き合いで信頼をされているならば、イチルギ様達善良なる者が脅かされる可能性も低い。我々にとってはローリスクハイリターンの賭けだったわけです」

「じゃあシスターとラプーはひとまず心配いらないと言うことかな」

「ハピネス様の安否は保証し兼ねますが、概ね問題無いでしょう」

 

 バシルカンがチラリとホウゴウを見ると、彼女は情報を与えまいと咄嗟に目を逸らす。しかし、臆病な彼女が特に狼狽もせず傍観している事実こそが、シスターの生死が関わっていない何よりの証左であった。

 

 ナハルは葛藤しながらも、力ずくで溜飲を飲み下し落ち着きを取り戻す。

 

「……はぁ。取り乱してすまなかった。バシルカン。最初から安全だと分かっていたなら、もう何も言わない」

「ご理解頂き、誠に有難う御座います」

 

 

 

〜診堂クリニック カーディーラーショップ“シルバーバレット”本店〜

 

「じゃあコレを――――」

「いやあお目が高い! 流石で御座います! そちらは当店でもカ・ナ・リ・売れ行きの超人気モデル! お客様センスが良いですねぇ〜!!」

 

 近未来的な内装の車卸売店で、ハザクラは店員の行き過ぎた褒め言葉に怪訝な顔をする。ラルバ一行は存在しない村を目指すべく、移動手段を求めてカーディーラーショップを訪れていた。ハザクラの隣では、同じく車選びに付き合っていたカガチがカタログをペラペラと捲っている。

 

「どうせ“狼王堂放送局”で乗り捨てるのだろう? なら新車じゃなくて、コッチの使い古された中古車でいいだろう」

「俺もそう思うが……」

 

 そう言ってハザクラが店の奥に目を向ける。そこに展示してあったのは、レジャー用の大型プライベート機械馬車の数々。そして、その内の一台に寝転がるラルバの姿だった。

 

「あ〜このソファいいね。最高。無限に寝られる」

 

 ホテルの一室を模した車内のソファに身を預け、腑抜けた微笑みでソファの出来を吟味している。そんなラルバをハザクラは冷ややかに睨みつつ、再びカタログに視線を戻してぼやいた。

 

「何の気まぐれか知らないが、今は良い車が欲しいらしい」

「山に登ってみたり飛行機を貸し切ってみたり、喧しい奴だ」

「全くだ。ええと、積載量は問題無いな。定員も12人ぴったりだし――――」

「いえ、こちらの13人乗りでお願いします」

 

 そう言ってカタログを指を差す手。ハザクラが振り向くと、そこにいたのは大河の氾濫のメンバー、バシルカンとヴェラッドであった。

 

「バシルカン? 来ていたのか」

「はい。ハザクラ様にお願いがあって参りました」

「お願い?」

「我がメンバーのひとり、デクスを同行させて頂きたいのです」

「…………俺は構わないが」

 

 ハザクラがラルバの方を見やると、丁度デクスがラルバに交渉している最中であった。

 

「だぁからぁ! デクスだって行きたくて行くんじゃねーっつの!」

「じゃあ尚更来んな!! 何で快適なプチ旅行にお前も乗せなきゃならない!」

「そんなもんバシルカンに言え! デクスだって暇じゃねーんだ!」

「ああもう暑っ苦しい〜!」

 

 険悪な状況の2人を見て、ハザクラは面倒臭そうに溜息を吐く。

 

「……やめておいた方がいいと思うが」

「やめるも何も、我々はハザクラ様並びにラルバ・クアッドホッパーの行動を精査しなければなりません。その為には、後ろからついて行くよりも同行させて頂く方が確実だと思ったのです」

「ならラルバを説得しろ」

「それはハザクラ様の役割で御座います。もしラルバ・クアッドホッパーの手綱を握れない……と言うのであれば、我々大河の氾濫は破条制度に則って反対票を投じるでしょう。ハザクラ様にとっても、イチルギ様の脱退は手痛いのではありませんか?」

「俺は正直その辺気にしていないんだが……」

 

 ハザクラはもう一度ラルバを見る。そして、バルコス艦隊でのラルバへの恩を思い返し、深く溜息を吐いた。

 

「はぁ……。仕方ない。何とかしよう」

「助かります。では、デクスのことを宜しくお願いします」

 

 ハザクラがラルバの方へ歩いて行くと、ラルバは酷く嫌そうな顔をして首を左右に振った。

 

「嫌よハザクラちゃん。こんなド級の厨二病患者連れてくなんて」

「デクスだってゴメンだこんなの!! やらなきゃならねーことが山程あるっつーのに!」

「ラルバ、一つ良いことを思いついた」

「何よ」

 

 ハザクラがデクスに目を向けると、デクスは何やら嫌な予感がして一歩後退る。

 

「な、何だよ」

「大河の氾濫が診堂クリニックの護衛役を任されていた。と言うことは、今デクスの肩書きは世界ギルドの従事者では無い……と言うことか?」

「……ああ。世界ギルドと敵対してる奴らと接触すんのに、大河の氾濫の肩書きじゃ不便だ。今は“ダクラシフ商工会”の人間ってことになってる。あそこは割と中立だからな」

「ふむ。じゃあ、今後世界ギルドの協定非加盟国で身分の提示が必要になった場合は、デクスに任せよう」

「あぁ!?」

 

 それを聞くと、デクスは憤怒の形相を、ラルバは楽しそうな笑みを浮かべた。

 

「ああ〜いいね〜それ」

「良い訳あるかボケッ!! デクスの名前に傷がつくじゃねーか!!」

「身分偽造しておいて傷もクソも無いでしょ。意外と便利そう」

「ふざけんなっ!!」

「じゃあ取り敢えず最初の仕事は〜、車買っといて!」

「あぁ!?」

 

 ラルバはデクスの肩をポンポンと叩くと、店員にひらひらと手を振る。

 

「ヘイ! この店で1番デカくて1番良いやつをオプション全部盛りで頂戴! 支払いはあのヘンテコ赤髪ボーイにヨロシク!」

「わわっ! あ、ありがとうございますぅ〜!!」

「皆の者〜! 撤収! 焼肉行くよ!!」

 

 そう言ってラルバは早々に店を出て行ってしまった。残されたデクスは怒り心頭に発してラルバの後ろ姿を睨むが、それを追いかけるより早く店員に肩を叩かれる。

 

「お客様〜。お見積りの方なんです……がっ! こちらになります〜」

「あぁ!? っておい!! 何だこの値段!! 家が建つじゃねーか!!」

「我が社の最新魔工浮遊馬車の最高グレードに、今だけお得な安全安心パックと〜、旅先でも安心迷彩塗装に、オーナーサポート、トータルケア、万全のセキュリティに定期メンテナンスパックと我が社のカーゴシステム年会費をおつけしましてっ!! お値引き込みでこの値段になります〜!!」

「おいバシルカン!! ヴェラッド!! お前ら行かねーんだから、2人で折半しろ!!」

 

 しかし、バシルカンは静かに首を振る。

 

「私は貯金ありませんので。給料は9割以上寄付しています」

 

 ヴェラッドも家族の写真を見せて、給料の殆どが仕送りに消えていることを伝える。

 

「クソ……クソ……!! クソがよぉ!! デクスの貯金が無くなっちまう!!」

「お買い上げ有難う御座います〜!!」

「クソがよぉ〜!!!」

 

【大河の氾濫 デクスが加入】

 



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釁神社
158話 存在しない村


シドの国 158話

 

〜診堂クリニック 光雨(ひからめ)大湿地〜

 

 診堂クリニックで購入した超高級魔工浮遊馬車は、凹凸激しい湿地の上をものともせず、不安定な泥濘(ぬかるみ)も傾斜も難なく走破し突き進んでいく。車内には広いリビングが2部屋、使い勝手のいいキッチンに、大きな浴室とトイレが2つずつ。2階には物置と寝室が、甲板は強化ガラスで覆われたバルコニー風の寛ぎスペースになっている。それとは対照的に外装は近未来的な円錐型で、猪の突進をも軽く弾く霊合金ボディが鋭い突起を黒光りさせている。今までラルバ達が乗ってきた浮遊魔工馬車やホバーハウスに比べれば防衛性能で大きく劣るものの、中での暮らしやすさは間違いなくトップクラスのキャンピングホバーカー。

 

 その車内では、ラルバ、ラデック、ゾウラ、そしてデクスの4名が、円卓を囲んで互いに睨み合い重苦しい沈黙を保っている。それをカーナビの隣に取り付けられた車内モニターで見ていた運転席のジャハルは、静かに溜息を吐きつつ大きな沼を避ける為にハンドルを切った。その遠心力で、ラルバ達が囲んでいた卓の上のジェンガは見事に崩壊した。

 

「ぬがああああああああっ!!!」

「はいデクスの負け〜! 4連敗〜!!」

「おいまたかよっ!! ジャハル!! テメー、デクスの時にだけ(わざ)とやってねーか!?」

 

 車内モニターに通じているマイク付きカメラに向かって怒鳴るデクスに、ジャハルは今日何度目になるか分からない溜息を吐く。

 

「そう思うなら運転を代われ。スリリングで楽しいぞ」

「これ大型特殊要るだろ? 免許まだ持ってねー」

「……運転出来ないのに買わされたのか」

「綺麗に使えよ!! オークションに出す予定なんだからよ!!」

「ラルバに言ってくれ」

 

 ジャハルはハンドルを握りながら、数日前のラルバの提案を思い返す。

 

〜診堂クリニック 北区“焔裂(ほむらざき)町”〜

 

 診堂クリニックを発つ直前。次なる目的地である“存在しない村”を探すための話し合いを開いた途端、ラルバが誰よりも先に結論を提示した。

 

「“存在しない村”はココだ」

 

 そう言ってラルバが広げた地図の一点を指差す。突拍子もないラルバの断言にナハルが疑問を投げる。

 

「何故そう言い切れる?」

「200年前からホウゴウとの付き合いがあり、今も取引を続けるほど友好的。イチルギ達や笑顔による文明保安教会の圧力をも跳ね除ける実力。まあ統率者は使奴と見て間違いないだろう。そして、ホウゴウが頑なに存在を秘匿し続ける理由。存在が知られると不都合……ホウゴウ達を超える戦力に脅かされる可能性。つまりは、我々今を生きる使奴にとって無視出来ない存在ってことだ。となると……庇っているのは、“素体のメインギア”だろうな」

「素体のメインギア……。最後のメインギアか」

「使奴を作る要となる存在。作り方が分かれば、その逆も然り。不死身の使奴を殺す唯一の方法かもしれん。となれば、沈黙派の使奴が放っておかないだろうな」

「もしそうだとしても、何故居場所まで分かる?」

「ジャハルが言うには、診堂クリニックは当初小さな集落だったらしい。てことは、ホウゴウは200年前から大きく移動していない……。使奴研究所が近くにあるはずだ。ラデック」

 

 ラルバに名前を呼ばれ、ラデックは口いっぱいに頬張ったモツ煮を飲み込んで説明を引き継ぐ。

 

「使奴研究所は基本的に人が寄りつかない秘境に建てられる事が多いが……第一研究所は例外だ。使奴の製造と実験、そして廃棄を主な役割としているが、使奴の根幹に関わっているだけあって搬入出の回数と量が極端に多い。秘匿施設ということに間違いはないが、同時に多くの航路を確保したいという二律背反を抱えている」

 

 ラルバが再び地図の上、診堂クリニック北西の海岸を指差す。

 

「旧文明で言うところの、ドーアッガ・レケウェレ王国領。レケレエ・レッセ。ここら一帯は紛争地域だったが、レケレエ・レッセだけは違った。異なる宗教観や主義を持ちながらも、多くの海洋資源や国際的立場を武器に安寧を勝ち取った寄港地。狭い国土に(ひしめ)く高層ビル群に、無数の海洋発着場とコンテナ港。木を隠すなら森の中ってとこだろうな。この辺で搬入出自在な秘密研究所を作ろうと思ったら、ここしか有り得ん」

 

〜診堂クリニック 光雨大湿地〜

 

 ラルバの推測は曖昧で不確かな部分が多くあったが、使奴であるナハルやイチルギが反論しなかったためにジャハルも疑問を呈することはなかった。ジャハルが再び車内モニターの方に目を向けると、甲板のテラスで怪訝(けげん)そうに地平線を睨むナハルの姿が目に入った。

 

「心配か?」

 

 マイクチャンネルを切り替えたジャハルが、運転席から甲板のナハルに話しかける。

 

「……心配と言うよりは、情けない。シスターはハピネスの悪意に気が付いていて、悪夢に引き摺り込まれることを承知でついて行った。でも、そんな悪夢に挑もうというのに、私を頼ることはなかった」

「巻き込みたくなかったんだろう」

「違う。シスターは優しい人だ。でも、助けを求められる人だ。自分の事情に巻き込んで傷つけるより、助けを求めなかったことで心配をかける方が、より深い傷になることを知っている。私達はそんな患者を多く助けてきた。家族に秘密で大病を治しに来る人や、性差別を生き抜く為に性転換を望んで来る人もいた。私達は互いに約束した。苦しみをひとりで背負うことはやめよう。と」

「…………」

「でも、シスターはひとりで背負ったんだ。私を気遣ったんじゃない。私は頼るに値しなかったんだ。バルコス艦隊でも、ラルバに誘われた時も、シスターは私に頼ろうとはしなかった。……それが、情けない。……すまない、ひとりにしてくれ」

 

 そう言って、ナハルはモニターの死角へと歩いていってっしまった。ジャハルは何も言わずにモニターのチャンネルを切り替え運転に集中する。

 

 そして考える。自分はハザクラに頼られているだろうか? 彼の助けになれているだろうか? そんなことが無意味なのは分かっている。しかし、頭では分かっていても、心が合理について行かない。ナハルの独白は他人事ではないように思えた。

 

 リビングを映す車内モニターからは、変わらずラルバ達の楽しそうな話し声が聞こえてきている。

 

「おい11止めてんの誰だよ!! テメーかラデック!?」

「御名答だ」

「早く出せや!! デクスが上がれねーだろうが!!」

「俺も3を止められてる」

「知るかボケ!!」

 

 そんな喧騒を聞き流しながらジャハルが運転を続けていると、運転席後ろの扉が開いてイチルギが入ってきた。

 

「そろそろ交代する?」

「もうそんな時間か。じゃあ任せようかな」

「はいはーい」

 

 ジャハルが運転席をイチルギに譲り、自分は助手席に座って水筒の蓋を開ける。

 

「イチルギはあっち混ざらなくていいのか? デクスとは久し振りの再会なんだろう?」

「あー、私はゲーム苦手だから。それに、デクスは他の子達とちょっと違うから」

「そうなのか? 皆イチルギを信頼していて、ラルバから取り返す為に今回の破条権行使に踏み切ったんだろう?」

「そうだと嬉しいわね。でも、デクスはもっと打算的に考えてるわ。単純に将来安定した生活を送る為使奴を取り戻したいって部分が1番強い(はず)よ」

「何と言うか……好戦的で野望に忠実って風に見えるが、意外に合理主義なんだな」

「面白い子よ」

 

 リビングでは変わらずラルバ達4人のボードゲーム大会が続いており、連敗中のデクスが顰めっ面でラルバに吼えている。

 

「おい角女!! さっきからデクスを狙い撃ちしすぎじゃねーか!?」

「だってお前敵じゃん。いいからさっさとチップ払えよ」

「ふざけやがって……次こそ立場ってもんを分からせてやる……!!」

 

 そう言ってデクスはチップ代わりのクッキーをラルバに差し出す。そして次戦を始めようとトランプに手を伸ばそうとした、その時。デクスは異変に気がついて運転席の方に目を向けた。

 

「――――っ!!! ”歪んだ断罪の剣(ディストーション・リップ)“!!!」

 

 デクスの発動した防壁魔法によって、浮遊魔工車を覆うようにして鎖で編み込まれた円形の盾が浮かび上がる。紫の光を放つ盾にフロントガラスを覆われ、運転席にいたイチルギとジャハルは一瞬困惑するも、すぐさま事態の急変を察知する。

 

 ガキン!! という凄烈な金属音と共に盾が割れ、跡形もなく消滅していく。しかし、フロントガラスから覗く景色は見渡す限りの大湿地。敵どころか人工物一つ見当たらない。それでもデクスは異能により”対戦相手“を認識して車の外へと飛び出した。

 

「おうおうおうおう!! 走ってる車にゃ近づいちゃならねーって少年院で習わなかったか!?」

 

 何も無い空間に向かって啖呵を切るデクス。彼は、行為を対象とする異能によって感知したそこにいるであろう攻撃者に向かって魔法を放つ。

 

「コソコソ隠れてんじゃねぇ!! 暴風の呼び声(テンペスト・サイレン)!!」

 

 中空に浮かび上がる幾つもの魔法陣が突風を巻き起こし、湿地の草木の破片を巻き上げ風の刃となって空間を貫く。すると、風の刃は雷魔法の爆発によって打ち消され、その爆風は威力を増して膨張しデクスに襲いかかる。

 

 それを間一髪のところでイチルギが反魔法で打ち消しデクスを守る。

 

「おっ! イチルギ、ナイスカバー!!」

「怪我はない?」

「おう!! デクスは無傷だぜ!!」

 

 ラルバ達も車外へ飛び出し、そこにいるであろう敵を警戒して戦闘態勢をとる。すると、巻き上がった水飛沫のカーテンの向こうに、どこから現れたのか1人の使奴がこちらを睨んでいるのが見えた。

 

 淡く発光しているような藍と白のウェーブ髪。黒い白目に第一世代特有の赤い瞳。特筆すべきは、狼のような獣の耳と牙。そして顔の左半分を覆う赤い罅割れ。元より異質な見た目の使奴の中でも特に風変わりな見た目の彼女は、尻を高く持ち上げた四つ足の獣のような姿勢で、今にも飛び掛からんとこちらを睨みつけている。

 

 使奴が現れたことにより、シスター誘拐の実行犯だと早合点したナハルが、他のメンバーよりも早く敵対心を露わにする。

 

「お前が……シスターを……!!!」

 

 怒り心頭に発したナハルが一歩前に足を踏み出した瞬間、目の前にいた使奴の背後に別の使奴が現れる。

 

「”ヒスイ“。帰るよ」

「なっ……”コハク“!?」

 

 何の前触れもなく突如現れた琥珀色の髪の使奴。突然の増援にナハルが一瞬怯むと、琥珀色の髪の使奴はナハルにこう告げた。

 

「詳しくは村で話すよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ちぬる)神社 名もなき草原〜

 

 気が付くと、ラルバ達は草原のど真ん中に立っていた。凸凹だった湿地は、名馬の体毛のように滑らかで美しいイネ科の植物が覆っている。空には燦々と太陽が輝き、先程までの湿気が嘘のように爽やかな風が肌を撫でる。緩やかな下り坂の先、山の麓には人工物が密集した村のようなものが見えており、それ以外には木々の生い茂る山と森しかない。

 

 瞬間移動をさせられたかのような感覚の中、ナハルの隣をバリアが素通りしていく。

 

「行こう。ホウゴウの知り合いなら、話は通じるでしょ」

 

 それに続き、ラルバとイチルギもナハルの横を通り過ぎていく。

 

「ちっさい村だねぇ~。悪い奴いるかなぁ?」

「すぐに暴れたりしないでよ?」

「どうかなぁ〜」

 

 ラデックは近くの木を異能で加工し、薄い木の板を2枚作って1枚をゾウラに手渡す。

 

「これだけデカい坂なら盛大に芝滑りが出来るな。ゾウラもやるか?」

「やります! 芝滑りってなんですか?」

「俺も映画でしか知らない。多分こうやって板に座ればぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」

「うわあ! 楽しそう!」

 

 2人は勢い良く草原を滑って行き、それにカガチが無言でついていく。その後ろでは、デクスが辺りを見回してぎゃあぎゃあと騒いでいる。

 

「おい!! デクスの車がねーぞ!? デクスの車!!」

「喧しい」

「幾らしたと思ってんだオイ!!」

「知るか」

「買わせたのお前らなんだがー!?」

 

 得体の知れない能力を味わった直後だと言うのに暢気(のんき)なメンバーを見て、ナハルは呆れを通り越して若干の怒りが込み上げてくる。そこへ、ハザクラとジャハルが同情して語りかけた。

 

「俺も多分同じことを思っている。そう苛立(いらだ)つな」

「シスター達を探すのは私達でやろう。イチルギにはラルバを止めておいてもらわなくては」

 

 マトモな思考回路をしているメンバーが残っていたことに、ナハルはほんの少しだけ救われた気持ちになった。

 

 しかし、彼等はどこか楽観視していた。ホウゴウと友好関係にあり、ハザクラと同じメインギアという存在。相手は、戦力も、価値観も、そう遠くかけ離れてはいないだろう。そう予想できるからこそ、この後に待ち受ける困難もその程度だろうと高を(くく)ってしまっていた。

 

 誰もが、言われてから、目の当たりにしてから、手遅れになってから初めて気が付く。

 

 絶望とは、そういう時にこそ足元で口を開けているということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜???〜

 

 薄暗い。湿った森の奥。辺りは霧に覆われ、太陽の方角さえ分からない。その霧の中を彷徨(うろつ)く、ひとりの人影。艶やかな金髪に、灰色の瞳。そして、目元から生え際までを覆う額の火傷痕。杖を突いて歩く女性は、ふと立ち止まって空を見上げる。否、巨大な異形を見上げる。

 

「……だ、だり、ない。まだ、だっ、だだだっ、だり……ない……」

 

 掠れた呻き声を上げる”何か“が、濃霧の奥から女性に近寄る。そして、大きく口を開け、女性を一息に頬張った。歪な(まだら)模様の異形はゴリゴリと不快な音を立てて噛み潰し、口から(よだれ)のように血を滴らせて飲み下した。

 

「んぐっ……あぐっ……ううっ……まだ……まだ、だ、だっだ、だだ。だり、ない」

 

【存在しない村】



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159話 空の器

(ちぬる)神社 社下町 (ナハル・ハザクラ・ジャハルサイド)〜

 

「おっ、魚屋じゃねぇか! 今朝の礼にコレ持ってけ!」

「あっはは、いつも悪りぃなラバシリさん!」

「はいはい胡瓜(きゅうり)の漬物出すよ〜! ほら旦那! 胡瓜要らない? ねっ!」

「キリザカさん金は取りなってぇ〜! こんな良いもんタダで配っちゃ八百屋が可哀想だよっ!」

 

 土壁の門で区切られた形だけの門を抜けると、そこは古風で異国情緒溢れる商人街であった。瓦屋根の木造建築が規則正しく並び、踏み固められた細かい砂の通りが中央に伸びている。右を見れば漬物が、左を見れば味噌が、丁寧に店先に並べられ売られている。それらを通り行く人は楽しそうに眺め、時折立ち止まって商人と交渉を始める。この賑やかさ、そして長閑(のどか)さが、幸福と平和を雄弁に物語っていた。

 

「……今までの国とは、大分様相が違うな」

 

 ジャハルがそう一言呟く。道行く町人達の着物や下駄、植物油で整えられた髪型を見て、不愉快ではないにしろ一抹の疎外感を覚えた。隣にいたナハルとハザクラも似たようなことを感じていたようで、3人は集落の入り口で数秒立ち止まった。

 

 すると、ナハル達の存在に気付いた1人の男が、周囲に「おい見ろ!」と声をかけて駆け寄ってくる。大勢の人間がこちらに駆け寄るのを見て、ナハル達が何事かと身構えると、町民達は一斉に笑顔で腰を屈めた。

 

「ようこそいらっしゃいました〜!!」

「ようこそ! (ちぬる)神社へ!!」

「遠路遥々ようこそ!!」

 

 何故か町民達に歓迎されたナハル達。理解が追いつくのを待たず町民達に取り囲まれ、半ば押し出されるように案内される。

 

「あ、ちょっ……ど、どこへ連れて行く気だ?」

「先程来られた赤角の御仁のお連れ様ですよね? ささ、どうぞこちらへ〜!」

「まあ背が高いのねぇ! 羨ましいわぁ〜!」

「いんや“久しぶりの客人”だぁ! 皆失礼のないようになぁ!」

 

 1人の男が漏らした一言に、ナハルは思わず足を止めて顔を寄せた。

 

「おい待て、今、“久しぶりの客人”と言ったか?」

「ん? ああ! 前に旅人さんを出迎えたのは、もう3年も前になるかなぁ……。なあ皆んな?」

「んだなぁ!」

「そうそう!」

 

 他の町民達も笑顔で頷き肯定を示す。

 

「シスター達は村に来ていないのか……?」

 

(ちぬる)神社  空供釁現大社(うつほのともぬりうつしおおやしろ)

 

「お、おい。どこに連れて行くんだ?」

「もう少し! もう少しでさぁ!」

 

 町民達に押され引かれるがまま歩みを進めるナハル達。辺りは雑草や木々が多く生い茂るようになり、石灯籠(いしどうろう)と石畳だけが続く下り坂になって行く。

 

「ここじゃここじゃ!」

「さあさ、お客人! 中へどうぞ!」

 

 ナハル達が連れてこられたのは、森の奥に鎮座する大きな古い社であった。茶褐色の建材と(くす)んだ灰色の瓦。しかし、所々真新しい補修の跡もあり、決してぞんざいな扱いをされているわけではないことが見て取れる。その正面に大きく開かれた両開きの扉の中には、壁の棚に並べられた蝋燭(ろうそく)が淡く照らす板張りの空間が広がっている。しかし、そこから漂ってくる波導。そして血の臭いが、ここがただならぬ場所であることを告げている。

 

「なんだ……ここは」

「オレ達はみんな、毎月ここで“神様”に挨拶すんだ」

「お客人もどうぞぉ。やり方教えますんでねぇ」

 

 半ば強引に社の中に押し込められる3人。すると、先程は蝋燭の明かりだけでは見えなかった社の内部が鮮明になる。社の内部正面に祀られている、否。“積み上げられている”のは、大きさ15cmほどの歪な白い人形だった。粘土のようなソレは辛うじて人の形をしており、顔は3つの窪みだけで表現されている。それが、2mを超えるナハルの身長よりも高く無造作に積み上げられている。

 

「どれでも好きなのを選んでくだせぇ」

「これは何だ?」

「”神様の分身“でさぁ」

「分身?」

「オレ達を守ってくれるのさぁ」

 

 ナハル達は顔を見合わせて訝しげに思いながらも、渋々人形を手に取る。

 

「それを、手で捏ねて自分そっくりになるようにするんじゃ」

「え、神様の分身じゃないのか? 何故神様の分身を自分に似せるんだ?」

「さあ? 昔っからの決まりなんじゃ。ホレ、やってみい」

「そ、そう言われてもな……」

 

 ナハルは嫌な予感がして目を泳がせる。そしてジャハルの方を見ると、彼女も案の定(いぶか)っているようで、かと言って町民を追い払うことも出来ず言われるがままに遠慮がちに粘土を指先で捏ねている。

 

「わ、私はこういうの苦手なんだが……」

「まぁずはやってみいよ! やればわかっから!」

「そう言われてもだな……」

 

 ジャハルは困り果てて人形を見る。しかし、ジャハルが適当に捏ねているにも関わらず、粘土は次第に長身の筋肉質な女性の姿になっていく。

 

「……!? な、なんで……!?」

「うんうん、上手上手ぅ」

 

 隣で町民の女性が笑顔でジャハルを褒めている。しかし、ジャハル本人には自身に似せるつもりなど一切なく、適当に粘土に指を押し付けているだけである。それでも、粘土は次第に精巧な人間の形に加工され、数分も経たぬうちにジャハルそっくりの姿になった。

 

「これは……一体どういう……!?」

 

 ジャハルが慌ててハザクラの方に顔を向ける。すると、丁度ハザクラも困惑してジャハルに目を向けたところで、その手には精巧なハザクラの人形が握られていた。2人の様子を見て、ナハルもハッとして手元を見る。そこには、驚くほど自分によく似た人形が出来上がっていた。

 

 それを見て、町民達は皆満足そうに(うなず)く。

 

「皆さんお上手ですなぁ!」

「良い出来じゃ、良い出来じゃ。これなら神様も満足して下さるじゃろう」

「ま、待ってくれ! これは一体どういうことなんだ!?」

 

 恐怖と困惑に駆られ声を上げるナハル。しかし、町民達は聞く耳を持たない。皆一様に笑顔のままナハル達を見つめ、儀式の成功を喜んでいる。

 

「いやあ、良かった良かった」

「上手くいって良かったなぁ!」

「うん、これで一安心じゃ」

「お客人、村にいる間は、その人形を肌身離さず持ってて下さいね!」

「無くしちゃいかんぞ!」

「良かったねぇお客人さん」

「本当に良かった!」

「ああ良かった!」

「良かった!」

「良かった!」

 

 

 

(ちぬる)神社 大社入り口〜

 

「……とは言われたものの」

 

 住居が乱立する居住区まで戻ってきたナハルは、怪訝そうに人形を見つめる。意図せず出来上がった、自分そっくりの石膏像のような白い人形。同じようにしてジャハルとハザクラも人形を見つめ眉を(しか)める。強い魔力を帯びているものの、その性質は不明。例えて言うならば、激しい駆動音だけがしている鉄の箱。微かに不規則な振動をしている卵。中から削るような音が聞こえる石。それらを足して割ったような異質さ。

 

 どうしようかと決めあぐねているナハルの脇腹を、ハザクラが肘でつつく。

 

「取り敢えずは使奴に会おう。俺達に襲いかかってきた“ヒスイ”と、仲裁してくれた“コハク”。そのどちらかに話を聞けば分かるだろう」

「あ、ああ。だが、この人形が罠ならば、すぐに会うのはやめた方がいいと思って」

「相手はホウゴウの味方だ。そう邪険にすることもないだろう」

「……そう、だが」

「今決めあぐねているのは、使奴の判断力によるものか? それとも、ナハル自身の心配性のせいか?」

「…………ハザクラ。お前、少し勘が良くなってきたな」

「仲間思いと言ってくれ」

 

 ナハル達は、権力者がいるであろう、村の奥に見える坂の上の大きな建物を目指すことにした。一方その頃――――

 

(ちぬる)神社 社下町 餅屋“てんてこ” (ラルバ・バリア・イチルギサイド)〜

 

「えー!? このお金使えないのー!?」

「ごめんねぇ」

 

 申し訳なさそうに微笑む看板娘に、ラルバは頭を抱えて仰反る。イチルギは呆れて溜息を吐き、冷たい眼差しを向ける。

 

「そりゃそうでしょ。診堂クリニックの通貨ならともかく、世界ギルドの通貨が使えるわけないじゃない。診堂クリニックのお金はどうしたのよ」

「ラデックが全部持ってるー……。でもそんな両替しなかったからなぁ。お嬢さんお嬢さん。お団子と何か物々交換しない? 爆弾牧場で拾ってきたショットガンがあるよ」

「しょっとがん?」

「やめんか!!!」

 

 そこへ、どこからともなくカガチが現れた。珍しく単独行動をしている彼女に、ラルバが「丁度いいところに」と駆け寄る。

 

「へいへいカガちゃん! 診堂クリニックのお金余ってなーい? お団子買えんのよ」

「無い。それより、“大社”には行ったのか?」

「んえあ? ああ、行ってきたよ。ほら見てラルバちゃん人形!! 可愛いでしょ!!」

 

 そう言ってラルバはポケットから自分そっくりの白い人形を見せびらかす。角こそないものの、顔立ちや体型はそっくりそのまま小さくしたような精巧な人形。カガチはほんの1秒だけ人形を見つめると、目にも止まらぬ速さで掠め取り握り潰した。

 

「ああーっ!! 馬鹿っ!!」

 

 しかし、人形は(ひび)だらけになりつつも、磁力でくっついているかのように形が崩れることはなかった。

 

「成程。ならば……」

 

 カガチがラルバ人形を両手で持ち()じ切ろうとすると、ラルバは慌てて人形を取り返しカガチに頭突きを入れた。

 

「馬鹿モン!! 可哀想でしょうが!!」

「人形に可哀想もクソもあるか」

「ラルバちゃん痛かったねぇ〜。イタイイタイ! カガチノバカ! アホ! ウンチ!」

「本体の方を捩じ切ってやろうか?」

 

 ラルバが腹話術で人形に罵倒をさせていると、その後ろにいたバリアがカガチに目を向ける。

 

「カガチが1人でいるの珍しいね。ラデックとゾウラは?」

「向こうでデクスと観光をしている。暫くは戻らないだろうな」

「ふぅん。そっちは大社で人形作らなかったの? 私達は3人とも作らされたけど」

「いや、こっちも作らされた」

「そう……。カガチはコレ、何だと思う?」

 

 そう言ってバリアはポケットから自分の人形を取り出す。

 

「そこそこ強い魔力を帯びてるけど……これは何の意味があるんだろうね。中を開けてみたいけど、今の時代には珍しく“マジックロック”がかかってる。独自の暗号方式っぽいし、使奴でも解くの数週間はかかるよ」

「力づくでは無理そうか?」

「家の鍵開けるのに放火するようなものだよ」

「そうか。じゃあ頑張れ」

「手伝ってくれないの?」

「私はやることがある」

 

 若干突き放すように告げると、カガチは3人に背を向け立ち去っていってしまった。その背中を見送りつつ、バリアは少し強引にラルバの手を引いた。

 

「…………ラルバ。そろそろ使奴を探そう」

「えぇー。お団子食べて行こうよー」

「いいから」

「お団子ー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ちぬる)神社  空供釁現大社(うつほのともぬりうつしおおやしろ)

 

「おや、どうされました? お客人」

 

 大社の番をしている女性が、ひとり尋ねてきたカガチに声をかける。

 

「……この神社について、少し文献を読ませてもらった」

「それはそれは、大社に興味がお有りで?」

「お前らが言う“神様”と言うのは、何を指している?」

「はい?」

 

 カガチの静かな気迫に気圧されながらも、番の女性はなんとか答える。

 

「何って言われましても……神様は神様ですからねぇ……?」

「神の偶像となる人形は毎月作り、肌身離さず持ち歩く。そして、(ちぬる)神社は一神教だ。だが、“何故偶像崇拝が推奨されている一神教の神が、姿形名前全てが不明“なんだ?」

「え、えぇと……」

 

 女性は何も答えられず目を泳がせて困惑している。これ以上の尋問は無意味だと悟ると、カガチは舌打ちをして大社の中へと足を踏み入れた。

 

「入るぞ」

「あ、はい! よ、汚さないでくださいねぇ!」

 

 壁を覆うように並べられた蝋燭の火は全て消えており、辺りは暗闇と漆の匂いに包まれている。外からの日光で辛うじて窺える人形の山は、カガチ達が訪れた時と同じく何の変哲もなく佇んでいる。カガチがその一つを取ろうと手を伸ばした時、ふと背後に気配を感じた。カガチが振り返ると、大社の参道を歩いてくる1人の老人の姿が見えた。その老人の意識が自分に向いていることに気がつくと、カガチも大社を出て老人の方に歩みを進める。

 

 丁度大社を出た直後、カガチはあることに気がつく。

 

 先程までそこにいた、番の女性が居ない。

 

「お客人」

 

 老人に声をかけられ、カガチが顔を向ける。

 

「ひょっとして、”神様“をお探しで?」

 

 ”お探しで“。調べているんですか、とか。お聞きになりたいそうで、などではなく。”お探しで“。その言葉選びに強い違和感を覚えつつも、カガチは老人に尋ねる。

 

「そうだ。お前らが言う”神様“とは、一体何を指している?」

 

 老人はにっこりと笑い、カガチに背を向け空を見上げる。

 

「神様の名前はねぇ」

 

 老人の頭上の空間が揺れる。

 

「ッダァ=ラャム」

 

 老人の上半身が(まだら)模様に覆われる。それが、”斑模様の巨大な怪物に捕食されている“からだと気が付くのに、使奴のカガチでもコンマ数秒を要した。

 

「――――っ!?」

 

 成人男性すら丸呑みに出来る程に巨大な人の顔が浮遊している。しかし、首から下には手足と呼べる部位は存在せず、首からは溶けているかのように粘液を滴らせて大地に大きなヘドロの山を形成している。そして、その表皮から粘液から、眼球以外の全てを燻んだ斑模様が覆っている。紫、赤、黄、青。御伽話(おとぎばなし)に出てくる毒虫のように不気味な紋様を脈動させ、それと連動するように苦しそうな呻き声を上げている。

 

「……っう、……だ、……だり、ない…………」

 

 生首の怪物は老人を二口で平らげ咀嚼(そしゃく)し、ゴリゴリと噛み潰しながら(おもむろ)にカガチに目を向ける。そして、カガチと目が合うや否や全身を震わせ突進してきた。

 

「あああああああああああああああああああああっ!!!」

「ぐっ……!!」

 

 カガチはその場で勢い良く跳躍し、身代わりに真っ黒な鰐を作り出して反撃を試みる。黒い鰐は胴をも裂いて口を大きく広げ、生首の怪物に齧り付いた。

 

「ああああああっ!!! ああっ!!! あああああああああああああああああっ!!!」

 

 しかし、生首の怪物は逆に鰐に噛みつき、粉々に噛み砕いて突破する。一切勢いを緩めることのない生首の怪物に、カガチは村にいるゾウラを危険な目に合わせまいと来た道とは反対方向に走り出した。

 

「クソっ……!! ゾウラ様だけは、必ず守り通さなければ……!!!」



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160話 存在しない怪物

(ちぬる)神社 名もなき山麓〜

 

 (よど)んでいる。

 

 未だ太陽は頭上にあり、山々を彩る広葉樹も天を埋めてなどいない。にも拘わらず、辺りの風景は薄暗く色彩を濁らせている。木々を蹴りつけて森を駆け抜けるカガチは、この不可解な現象の正体に察しがついていた。

 

「ああああああああああああああああっ!!!」

 

 絶えず響き渡る絶叫。カガチの数十m後ろを、木々を“すり抜けて”猛追する生首の怪物の口からは、思わず耳を塞いでしまいたくなるような凄烈な雄叫びと、生木が(くすぶ)っているかのような白煙が垂れ流されている。その白煙は空気に混ざり薄まれど決して消えることはなく、怪物を中心に周囲の景色の色彩を奪っていた。

 

 怪物は、首の断面から滴らせる粘液を盛大に撒き散らし、まるで目に見えない四肢があるかのような振る舞いで上下に揺れながらカガチを追いかける。すると、怪物の前方の地面が突如真っ黒に染まり始めた。

 

 混乱魔法“(めし)いた音色“。カガチが放った黒い蛙の群れは地面に溶け込み、黒い水溜りとなって意識を混濁させる力場を形成する。しかし、怪物はその力場をものともしない。勢いは緩まず、それどころか徐々に増しているようにさえ感じる。

 

 カガチは続けて黒い球体を2つ放出する。握り拳ほどの大きさの黒いハリセンボンは、怪物の眼前で弾け、無数の弾丸の雨となって怪物を貫いた。が、文字通りただ貫いたのみで、外傷のようなものは一切見受けられない。

 

「チッ……」

 

 カガチは心底鬱陶(うっとう)しそうに舌打ちをし、跳躍のため思い切り足元を踏みつけた。直後、真っ黒なシルエットになったカガチが前方へ勢い良く走り出した。続いてもうひとり。更にもうひとり。カガチが足を踏み込んだ地点を中心に、黒い人の影が数多の分身を生み出して四方八方へと駆けて行く。生首の怪物は本物のカガチを見失い、少し戸惑った後に一番最初に逃げていったシルエットを追いかけて行った。

 

 その数秒後、混乱魔法“(めし)いた音色“によって発生した黒い水溜りからカガチが現れる。彼女は怪物が視界から外れたのを確認すると、音もなく村に向けて走り出した。

 

(ちぬる)神社 社下町〜

 

 山中を覆っていた白い(もや)も晴れ、太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ村に戻ってきたカガチは到着するやいなや、全身から環状の紐を放出した。髪の毛程まで細く引き延ばされた黒いイルカの紐は、物質の存在を無視して波紋を描いて広がって行く。それは周囲の生命体を感知し、人間から地中の虫ケラ1匹までを判別してカガチに伝える。

 

「…………?」

 

 カガチは得られた情報に違和感を覚えつつも、最も近い顔見知りの元へ向かった。

 

 

 

 

「うおっ」

 

 村の子供達と独楽(コマ)回しに興じていたラデックは、突如何者かに首根っこを引かれて引き摺られて行く。

 

「カ、カガチ? 急になんだ?」

「ゾウラ様を探せ。敵が現れた」

「敵?」

「全長6m程の浮遊する人間の頭部。首の断面からは粘性の高い液体を分泌していて、粘液含め全身が彩度の低い紫、赤、黄に覆われている」

「こ、怖い話か?」

「実体、非実体、両方の性質を持ち、それらを自在に切り替えられる。吐息は白く色づいていて、空気中に霧散しても可視化した状態で奴の周囲に留まり靄のように見える。出せる速度は恐らく時速80km程度が限界。急停止、急旋回、急加速も可能。発見場所は人形を作らされた森の中の大社。老人を捕食し「足りない」と発言したことから、人間を捕食し何かを吸収することが目的だと推測出来る」

「ホラー映画に出てきそうだな」

「ゾウラ様と別れたのはいつだ」

「え、そういえばいつの間にかいなくなっていたな。分からない」

「死ね」

「殺さないでくれ」

 

 続いて2人は、坂の上にある大きな建物を目指した。大社と同じような風格の厳かな建物ではあるが、窓ガラスや空調の室外機が備わっていることから、他よりも不自然に高い文明を有していることが分かる。建物の入り口まで空を駆けてきたカガチがラデックからパッと手を離すと、ラデックは受け身を取り損ねて花壇にダイブした。

 

「ぐあっ」

 

 カガチは倒れ込むラデックには目もくれず、ひとり建物の中へと入っていった。ラデックはふらつきながらも身を(よじ)り、ぐしゃぐしゃになった花壇の花の上でなんとか起き上がる。

 

「……怒られる」

「いつまで寝ている」

 

 カガチは無理やりラデックを立たせ、急ぐよう軽く蹴飛ばす。

 

「痛っ。も、もう見てきたのか? さっき入ったばかりじゃあ……」

「さっさと怪我を治して走れ。時間が勿体無い」

「そ、そのことなんだが、カガチ。何だか変なんだ」

「何がだ」

「異能が使えない」

「…………何だと?」

 

 カガチは眉を(ひそ)め、ラデックの腕を上に引っ張る。

 

「いででででででっ!!」

「……怪我の治療どころか、いつもの筋力強化も解けているのか?」

「さ、さっきからやろうとはしているんだが……。全て不発に終わっている。光を掴もうとしているような感じだ」

「…………クソっ」

 

 カガチは乱暴にラデックを担ぎ、森の中へと走り出した、

 

 

 

(ちぬる)神社 名もなき山麓(さんろく)

 

「ゾウラはいたのか?」

「いなかった。代わりに血溜まりがあった」

「な……! それって……」

「我々と出会った使奴2人だろうな」

「そんな……!!」

 

 森の中を目まぐるしい速度で移動しながら、カガチは珍しく焦燥を帯びた声色で説明する。

 

「家屋の中にあった血溜まりは全部で6つ。それぞれ別の人物のものだ。うち3つは使奴。うち2つは人間。残るひとつは中間。恐らく、”素体のメインギア“のものだろう。どれも致死量だ」

「に、人間2人? おいカガチ。実は、結構前だがハザクラ達が坂の上の方に――――」

「ハザクラとジャハルの血液だ」

 

 カガチが、何の躊躇(ためら)いもなく断言した。

 

「そ、そん、な」

 

 ラデックの瞳が震え、指先が痙攣(けいれん)し始める。

 

「あ、あの2人が、そんな、簡単に、やられる(はず)が……」

「最初に奴が捕食行動を見せた際、捕食された老人は”食べられた“と言うよりも”食べられに行った“ようにも見えた。相手を無防備にさせる特性も持ち合わせているのかも知れない」

「ハザクラの異能、なら」

「発動が早い方が勝つってだけだろう。諦めろ」

「そんな……そんな……!!」

「それと、私がお前を連れている理由だが、”お前以外あの村にいなかった“からだ」

「何……!?」

「今も索敵を続けているが、少なくとも周囲1km以内には確実に誰もいない」

「そんな――――!! デクスとはついさっき別れたばかりだ!! 少なくとも村を出てはいない筈――――」

「それどころか、町民も半数以上が消えている」

 

 その時、カガチはふと視界に入ったものに視線を取られ足を止める。それは、僅かに模様を伴って沈んだ地面。足跡。靴裏の模様。歩幅。凹み具合から見て取れる、重心と背格好。歩容。それら僅かな情報から、カガチは良く知る人物が頭に浮かんだ。

 

「……………………はぁ」

 

 無視しようかとも考えたが、カガチは深く溜息を吐きながらラデックを抱え、足跡の続く方へと走り始めた。

 

「この先にシスターがいる」

「ほ、本当か!?」

「気配は感じないが、足跡があった。十中八九、奴のものだろう」

「シスター……そうか。無事だったか……!!」

「まだ無事とは言っていない。何にせよ、記憶操作の異能は役に立つ。拾っておいて損は無い。ま、お前の二の舞でなければな」

 

 そこから数分もせずに、少し開けた空間に突き当たった。足元は細かい砂利に覆われ、小さな清流が緩やかに地を隔てている。その少し上流。 大きな岩の上に、1人の人影が佇んでいる。白い髪に、白いローブと、白い肌。それは(まさ)しく、誘拐され行方不明になっていたシスターの姿だった。

 

「シスター!! 良かった! 無事だ!」

「おい、緊急事態だ。さっさとこっちに……」

 

 カガチが足を踏み出した直後、シスターの頭上の“景色が歪み、巨大な人間の頭部が現れる“。

 

「……遅かったか」

 

 走り出そうとするラデックを再び抱え、カガチは稲妻のように地を駆ける。しかし、カガチよりも怪物の方が僅かに早く、カガチがシスターを抱える直前に、怪物がシスターの上半身を噛み千切った。

 

「シスター!!!」

 

 ラデックの叫びを、怪物の唸るような咆哮が掻き消す。

 

「ウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」

 

 カガチは怪物を振り払うために、幾つもの黒い牛を召喚して後方へ放つ。牛の群れは怪物に向かって突進し、(いなな)きと共に体躯を膨張させる。実体を持たない黒い影となった牛は空間に溶け込み怪物の視界を暗闇に染める。カガチは、敵を撹乱させる性質を持った動物達を次々に生み出し、撒菱(まきびし)のように後方へと放ちつつ山の奥へと走り去った。

 

 

「ああっ……シスター……!! シスター!! カガチ、回復魔法を……早く治療を!!」

 

 逃げた先の洞穴(ほらあな)の中で、ラデックは下半身だけになったシスターを抱えてカガチに叫ぶ。しかし、カガチは洞穴の外に意識を向けたまま、2人を視界にすら入れずに否定する。

 

「無理だ」

「無理じゃ無いっ!! まだ、まだ助かるかも……!!!」

「使奴は神じゃない。上半身だけならともかく、下半身から上半身を生やせはしない」

「無駄でもいい!!! 頼むカガチ……!!! お願いだっ……!!!」

「…………はぁ」

 

 カガチは渋々シスターに近寄り、局所的に回復魔法を発動させる。しかし、剥き出しの筋肉繊維が少し痙攣(けいれん)したのみで、血管の一本すら再生する兆候は見せなかった。

 

「ほら。これで分かっただろう? そもそも、回復魔法自体が生命体を対象にした魔法だ。壊れた人形が投薬で治るものか」

「っ…………!! ああ……シスター……!!! すまない……!!! 俺が、俺が異能を使えていれば…………!!! シスター……!!!」

 

 ラデックは必死に押し殺した声で(むせ)び泣き、半分になったシスターの亡骸を抱き締める。カガチは何も言わずに顔を背け、先程から広げ続けている検索魔法の範囲を広げてゾウラを探し続ける。

 

 しかし、ゾウラはまるで見当たらない。それどころか、ナハルやイチルギ、ラルバやデクスの面々も見当たらない。そして何より、あの絶対防御の異能を持つバリアでさえ検索に引っかからない。その違和感混じる焦燥に耐えかねて、カガチは検索精度を疑って魔法の強度を強めた。すると、思いもよらぬ所から思いがけない反応が返ってきた。

 

 カガチは機械のような動作で振り返り、泣き続けているラデックの手からシスターの亡骸を奪い取る。

 

「カガチ……?」

 

 そして、シスターの無惨に噛みちぎられた断面を撫で、指先に触れた“糸”を手繰り寄せる。

 

「これは…………」

 

 カガチの手に絡まった毛髪を見て、ラデックが呼吸を止める。

 

 使奴には、抜け毛という現象は発生しない。理想の性奴隷を模して作られている仕様上、抜け毛もなければ無駄毛もなく、何かのきっかけで抜けてしまった体毛のみが数時間で再生されるのみ。更に言えば、使奴の毛根や毛髪は皮膚や筋肉と同じく強靭であり、例え人間がぶら下がったとしても抜けることはない。何者かに“凄まじい力で引き千切られ”でもしない限りは。

 

 紫と、毛先に近づくにつれて鮮やかな赤に染まる、見覚えのある長い毛髪。それは間違いなく、ラルバの毛髪であった。

 

 カガチの手から、ラデックが毛髪を引ったくる。そして、毛髪を見つめたまま呼吸を荒らげ、声も上げずその場に(うずくま)った。しかし、カガチは蹲るラデックなど気にも留めず、全く別のことで疑念を膨らませていた。

 

「ここを動くな」

 

 そう言い残して、カガチは足元に黒いアザラシを生成する。アザラシは外へと()っていき、洞穴を出たところで体を膨らませた。すると背中が風船のように弾け、中から一本の槍が天を貫く勢いで真上に伸びていった。カガチは即席の物見櫓(ものみやぐら)を駆け上がるようにして登っていき、周囲目いっぱいに強度を上げた検索魔法を放った。

 

 カガチが(いぶか)しんだのは、先程の強度を上げた検索魔法によって得られた、“仲間達の変わり果てた姿であった”。ハザクラやジャハルがそうであったように、既知の波導パターンを放つ血溜まりが複数。ハピネス、ラプー、デクス。そして、ラルバ、イチルギ、ナハル、バリア。使奴どころか、あの絶対防御の異能者であるバリアさえもが、致死量の血痕を遺して行方を(くら)ませた。

 

 振り返ってみれば、訝しむべきことはずっと起こっている。

 

 消えた大湿地。

 

 突如現れた村。

 

 大社と怪しげな人形。

 

 怪物の出現。

 

 町民の失踪。

 

 仲間の失踪。

 

 しかし、槍の先端まで登り切ったカガチの眼前に、更なる謎が突きつけられる。

 

「…………どう言うことだ」

 

 上空800m。ここからならば、間違いなく診堂クリニックまで見渡せる筈。しかし、景色は見渡す限りの山々。それどころか、地平線が異様に近い。距離にして100kmない。そのせいで、まるでここが惑星ではなく円卓のような平面世界のように感じられる。いや、そうとしか思うことができない。

 

 カガチは合理主義者であるが、感情に全く頓着しないわけではない。故に、今しがた導き出したひとつの答えに納得が出来ずにいる。カガチは地表に戻り、洞穴の中を流し目で見やる。

 

 ラデックが居ない。代わりに、シスターの死体の隣に“真新しい血溜まり”が出来ている。

 

 カガチは己を納得させるべく、森の奥へと足を進める。

 

 そこには、ずっと探し求めていたゾウラの姿があった。

 

「……狂ってる。この世界も、アイツらも」

 

 カガチは足を止める。そして、腰に下げた袋から“(いびつ)な形の白い人形”を取り出す。5方向に突起があるだけの、粘土質の人形。

 

「……そして、ゾウラ様も。狂っている」

 

 再びゾウラに目を向ける。ゾウラはカガチに気付くこともなく、ぼうっと空を見上げたまま動かない。

 

「マトモなのは、私だけ」

 

 カガチは静かに深く息を吸い込み、時間をかけて息を吐き切る。ゾウラの頭上の“景色が歪む”。

 

「と言うことは…………」

 

 生首の怪物がゾウラを噛み砕き、口から溢れた血が血溜まりを作る。

 

「狂っているのは、私の方か」



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161話 ッダァ=ラャム

(ちぬる)神社 社務所〜

 

 社下町より、坂を登った先の一際大きな建物。瓦屋根に、白塗りの土壁。鮮やかな朱色に塗られた、柱やアーチ状のモニュメント。大社ほどでは無いにせよ、(おごそ)かで(おもむき)のある古風な建物。だが、庭先に設置された空調の室外機や、風呂を沸かすための給湯器があることから、下町とはかけ離れた文明を有していることが分かる。部屋の中も比較的モダンな作りで、旧文明に()ける新しめのマンションの一室を模しているように見える。古風な社下町と比べれば場違いだが、旧文明の人間が暮らしていると考えれば比較的妥当な内装。それでも、瑣末(さまつ)な疑問が数多に浮かぶチグハグさは拭きれなかった。

 

 

 

「カガチが居ない?」

 

 社務所でメンバーの集合を待っていたハザクラが、怪訝な顔をして入口の方を見る。そこには、今し方捜索から戻ってきたナハルとバリアの姿があった。

 

「ああ、町だけでなく山の方にも検索魔法を飛ばしてみたんだが……、どこにも見当たらない」

「空も地中も異常なし。いや、”異常が無いかって言われると、異常ではあるんだけど“。カガチは見当たらなかったよ」

 

 そこへ、遅れて戻ってきたゾウラ、デクス、ラデックの3人も合流する。

 

「カガチ、どこ行っちゃったんでしょう? 呼んでも来ないことなんて、今までなかったんですけどねぇ」

「デクスの異能にも引っかからねぇ! 攻撃判定さえありゃ見つかる筈なんだがなぁ? こりゃもう死んだんじゃねーの?」

「やはり、”コハク“の言う通り“下層”に引き摺り込まれてしまったんじゃぁ……」

 

 そう言ってラデックがハザクラの向かいにいる使奴を見る。

 

 琥珀色の長髪。黒と赤を基調とした巫女のような服装に、使奴特有の黒い白目。額から頬まで伸びた稲妻のような黒痣が貫く眼には、バリアやカガチと同じく赤い瞳孔が輝いている。

 

「困ったね……。カガチとやらは、大社で人形を作らなかったのかな? 町民には必ず作らせるように言ってある筈なんだけど」

 

 顎を引っ掻きながら目を伏せるコハクに、ラデックが当時の状況を説明する。

 

「いや、作ってはいた。ただ、少し納得が行かない様子ではあったが」

「納得がいかない?」

「ああ。俺やゾウラが人形を作っている間、俺達の手元をずっと見ていた。何か……疑うような感じで」

「……まあ、それはそうだね。人形、勝手にそっくりになっただろう? あれは、そうなるように出来てるんだ」

「すまないが、話が色々突飛すぎてこんがらがってきた。もう一度“さっきの説明”を頼めるか?」

「ああ、いいよ。確かに、全部一度に理解しろってのも酷な話だよね」

 

 コハクは態と咳払いを挟み、ラデック達に向けて話し始めた。

 

「君達がいるこの場所は、ボク、コハクが“創世の異能”で創った別次元。便宜上、“中層”と読んでいる世界だ」

 

 

 

 

 

 ざっくりと要点だけ話させてもらうよ。この地には元より、別の世界が重なっている異常現象があった。重なっているって表現もあまり正確では無いんだけど……、厳密に話すとややこしくなるから、便宜上、元の世界を“上層”。重なっている世界を“下層”と表現させてもらうよ。

 

 この下層には恐ろしい怪物が住んでいて、上層にいる人間を下層へ引き摺り込んでしまう能力を持っていた。

 

 そこでボク達は、下層にいる人間を上層へ逃がそうとしたんだ。だけど、どうやら怪物は上層にもある程度干渉できるらしく、上層へ逃げた人間が遠くへ離れられなくなる能力も持っていた。ボクのような使奴であれば力任せに抜け出せるんだが、脆い生身の人間達はそうもいかない。

 

 そこでボク達は、人間を“逃す”よりも“生かす”ことを考えた。

 

 まずは怪物の影響をある程度制御できるように、ボクの“創世の異能”でこの(ちぬる)神社を作り上げた。ここが、所謂(いわゆる)上層と下層の中間。“中層”として機能する。怪物が上層に干渉出来なくなったわけではないけど、少なくともボクの管理する中層への影響は緩和できた。

 

 さらに、特殊な細工をした“身代わりとなる人形”を作り、怪物の下層へ引き摺り込む能力の対象が人形に向かうよう仕向けた。これで、怪物からの被害は実質ゼロになったわけだ。

 

 最後に、この地へ他の人間が迷い込むのを避けるため、他の仲間の異能を使って“部外者がここへは辿り着けないよう”細工をした。

 

 (ちぬる)神社は、大戦争の生き残りの保護施設。怪物に呪われた一族の隠れ(みの)なんだ。

 

 

 

 

「ボクの異能の練度が上がっていくにつれ、ほんの少しづつだけど安全に町民を逃がせるようにもなってきたんだよ。最近じゃあ、年に一度は“盲目の村”と交流もしてるしね」

 

 そう自慢げに語るコハクに、ラデックが疑心に満ちた眼差しを向ける。

 

「だとしたら、何故カガチだけが飲み込まれてしまったんだ?」

「そこはボクも分からないんだよね。人形が誤作動を起こしたのかな? いや、でも今までそんなことはなかったしね……」

「第一、あの人形はなんなんだ? “いつのまにか無くなっているが”……。これが身代わりになったと言うことか? ラルバ達でも構造を把握出来ないなんて、相当強力な呪物なんだろう?」

「ああ、あれ? 使奴が構造を把握出来ないのも無理はないよ。あれの雛形を作ったのは、天下の“三日月ホビーテクノ”だからね」

「三日月……? なんだそれは」

 

 首を傾げるラデックとは反対に、バリアは納得して「ああ」と声を漏らした。

 

「三日月製なんだ。成程、それじゃあ使奴が解けないわけだ」

「何か知っているのか? バリア」

「知ってるも何も、三日月ホビーテクノは旧文明じゃ言わずと知れた世界一のおもちゃ会社だよ」

「お、おもちゃ会社?」

「ぬいぐるみからコンピューターゲーム、果てには遊園地設計まで手掛けるトップ企業。バルコス艦隊の遊園地、覚えてる? あそこにあったアトラクションの9割は三日月ホビーテクノの特許技術で作られてるよ」

「俺はそのとき軍隊で絞られてたから知らない」

「私達が作らされた人形は、多分三日月ホビーテクノの主力商品。“真似っこパペット”の改造品だね。子供でも精巧な造形ができる造形補助システムに、人間や動物を模倣出来る半ペルソナプログラム。どっちも三日月ホビーテクノの特許技術。セキュリティが厳重なのも頷けるよ」

「セキュリティって、めちゃめちゃでかい素数使うやつか?」

「まあ、そう」

 

 コハクは少し得意げに首を縦に振る。

 

「使奴の知識は旧文明の総集編。けど、三日月ホビーテクノはその旧文明でもトップクラスのセキュリティ技術を持ってる。まあ敵う筈もないよ」

「でも、改造してあるってことは“それを解除した人物”がいるってことだよね?」

「知り合いに腕のいいエンジニアがいてね」

「しかも、そんな高等技術を駆使して対処しなきゃいけないほど、その“下層の怪物”は強いわけだ」

「そういうこと」

 

 そこへ、半ば会話に割り込むようにして、カガチ捜索から戻ってきたばかりのラルバがコハクに尋ねる。

 

「その“怪物”とやら、まさかとは思うが名前があったりしないか?」

「おや」

 

 突拍子もないラルバの指摘。(おど)けつつも若干の敵意を含んだ奇異な眼光は、コハクの心拍数を緩やかに加速させた。

 

「……勘が良い。と言うより、良過ぎる。誰かから聞いた?」

「お前達が封じ込めている怪物の名はーーーー」

 

 コハクの回答を待たずにラルバが口を開く。

 

「ッダァ=ラャム」

 

 聞き慣れない言語圏の発音に、ゾウラとデクスとジャハルは首を捻る。しかし、この名前に使奴一同は、そして、ラデックまでもが目を見開いて息を呑んだ。

 

「何……!? ラルバ……!! 今何て……!?」

「ッダァ=ラャム。だ。流石にラデックも聞いたことはあるか」

「す、少し……だけ……だが」

 

 ラデックと違い、依然として理解が出来ていないジャハル達”旧文明を知らぬ者達“のために、ラルバが説明を始める。

 

(かつ)て旧文明に存在した宗教。その中でも、最も長い歴史と人口を誇っていたのが、最高神”ウァルディアカ=レッセ“を主神とするウァルデ教。その聖書に登場する”忌まわしき者“の名だ。忌まわしき”ッダァ=ラャム“は、最初は神の最も忠実な僕として登場する。しかし、神に与えられた全なる力に溺れ、終焉を司る魔物を生み出してしまう。忌まわしき”ッダァ=ラャム“はその罰として、神の誕生した聖なる地に未来永劫封印されることとなった……。旧文明では老若男女地域貧富問わず、それこそ宗教の壁すら超えて知られている悪者の代名詞だ」

 

 その言葉に付け足すように、ナハルがジャハル達に向けて言う。

 

「今はあまり使われていないが、老人が相手を貶すときに“ダム野郎”とかって言っているのを聞いたことがないか? それは、旧文明でも使われていた悪口の“ダラム”が変化したものだ。そして、そのダラムの語源が“ッダァ=ラャム”だ」

 

 未だ訝しげな顔で沈黙しているコハク。そこへラルバが追い討ちをかけるようにラデックに話題を振る。

 

「そんな神話生物が実在していることにも驚きだが……、ラデック。使奴研究所が使奴を作る上で、必須となる技術があったな?」

「メインギアのことか?」

「ああ、そうだ。使奴の根幹を造る“素体”のメインギア。その性質を魔導ゴーレムに移植する“複製”のメインギア。それらに人間としての知識を植え付ける“記憶”のメインギア。そして、それらを奴隷として服従させる“命令”のメインギア。だが、もう一つ必要だな?」

「もう一つ……?」

「量産を視野に入れなければ、使奴の製造は素体と命令だけで事足りる。だが、仮にその場合でも“もう一つ”が必要だ。“廃棄”のメインギアがな」

「廃棄……」

「今は死の魔法で代用している工程だが、その死の魔法。発見経緯についての詳細は知っているか?」

「歴史は苦手だ」

「死の魔法は次元魔法や複製魔法、転送魔法と同じく、長い間禁忌として触れられることのなかった技術だ。それらの技術が研究されるようになったのは、インターネット文化が盛んになった時代あたりからだが……。死の魔法は、歴史上では”存在しないもの“として扱われている」

「存在しない? 何故そんな嘘を?」

「最も有力な説は、そもそも死の魔法なんか存在しないという説。次に、複雑すぎて誰も解明できないないという説。そして最後に、”解明されているものの誰もが見なかったことにしている“説だ」

「見なかったことにした? 何でまた」

「忌まわしきッダァ=ラャムが封印された理由は、神に与えられた善なる力に溺れたから……。しかし、地方によっては全く異なる伝承が残っている。それは、”ッダァ=ラャムは禁忌の魔法を作った罪で、その禁忌の魔法によって封印された“と……。一説では、このッダァ=ラャムが作った禁忌の魔法こそが”死の魔法“なのではないか。と言われている。使奴研究所はその技術を欲した……。(ある)いは、“逆”か」

「逆?」

 

 ラルバはラデックの問いには答えず、部屋を(おもむろ)彷徨(うろつ)いて説明を続ける。

 

「こんなところで使奴が200年もの間怪物の問題を先送りにしていると言うことは、使奴ではッダァ=ラャムに勝てないのだろう。何せ、聖書に書かれていることが事実ならば、相手は4000年以上生き永らえた稀代の魔術師だ。そして何より、我々使奴を葬る“廃棄のメインギア“。人智を越える技術を持っていたとしても不思議ではない」

 

 コハクは申し訳なさそうに目を伏せ、絞り出すように謝罪を口にする。

 

「…………申し訳ない。でも、下層から抜け出す方法は無いわけじゃない。カガチさんが“出口”の存在に気がつければ……」

「カガチなら大丈夫だよ」

「え?」

 

 コハクの不安そうな呟きを遮って、バリアが口を開いた。

 

「カガチは、”使奴研究所を出てから一度も本気を出した事がないから“。伝説級程度の魔術師には負けない」

 

 その確信的な物言いに疑問を感じたジャハルが、半分縋るような気持ちで聞き返す。

 

「バリア……? 何か知っているのか?」

 

 すると、バリアは少し悩んだ後「ま、いっか」と呟いて続けた。

 

「私が使奴部隊イチの防御力なら、カガチは“使奴部隊イチの殲滅力”を持ってる」

 

 “使奴部隊”。何らかの理由で使奴として扱えなくなった、所謂(いわゆる)不良品で構成された5つの部隊。しかしその内情の殆どは、構成員であるバリアが頑なに口を閉ざしていたために闇に包まれていた。その不透明なヴェールが今、ほんの少しだけ捲られる。

 

「カガチは使奴部隊“雨雲と盗人”所属、ガルーダ被験体4番。“魔法”の異能者だよ」



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162話 世界でたった一人の魔法使い

シドの国 162話

 

(ちぬる)神社 下層 名もなき山麓〜

 

 露草茂る山の斜面を、生首の怪物“ッダァ=ラャム”は吐息を荒らげて登っていく。中に浮かぶ生首を激しく上下させ、溢れ出る(まだら)模様の粘液を撒き散らし、大地を抉る勢いで猛進する。

 

「あああああっ!!! ううっ……あああああああああああああっ!!!」

 

 

 発作のように絶叫を上げ、天を仰ぐ。太陽はとうに沈み、真っ白な満月が頭上に輝いている。

 

 白い満月は煌々と光を発し、明るく、大きく、大きく膨らみ、やがて夜空を埋める。それが満月ではなく、”落下する球体の何か“であることが分かったのは、回避する(すべ)が失われた後であった。

 

 空から降ってきた巨大隕石の如き”白いアルマジロ“が山々を押し潰し、緑豊かな山岳地帯を荒野に変える。その衝撃は空を押し除け、地平線の果てまで届く。大地を割り、その亀裂は断崖絶壁となり、川や湖の水を一滴残らず飲み干した。砂煙が天高く舞い上がり、凄烈な土砂の雨となって降り注ぐ。山を潰したアルマジロは僅かに身を震わせたかと思うと、巨大なクレーターだけを残して砕けるように霧散した。

 

「なんだ。もう終わりか?」

 

 どこからともなく、声が聞こえる。

 

 いつの間にかクレーターの中央に現れたカガチが、何もない地面に向かって再び口を開く。

 

「伝説の魔術師も、大したことないな」

 

 真っ平に均された地面に(ひび)が入り、斑模様の粘液が噴き上がる。罅割れは大きくなり、地面の下から生首の怪物、ッダァ=ラャムが這い出るように姿を表す。

 

「うううううっ……!!! ああああああああああああああああっ!!!」

 

 ッダァ=ラャムは全身を震わせて吼え、カガチに波導を集中させる。巨大なクレーターを埋める勢いで大量の魔法陣が展開され、身の丈4mはあろう巨人の群れが現れる。その数実に数千。巨人は各々が手にしている剣、斧、棍棒、弓を構え、地を蹴りカガチに向かって襲いかかる。

 

「――――(あや)流離(さすら)へ」

 

 カガチの呟きと共に、巨人達がピタリと動きを止める。

 

(うら)(くた)す、逆言(およずれ)の音に」

 

 直後、巨体を捻るように歪ませて、千切れ、破けるようにして四肢が飛び散る。

 

「流れ、流れ、流れ、流れ。せむすべもなし――――」

 

 否、瞬きよりも早く、人の背ほどもある”真っ白な蝸牛(かたつむり)が群れをなす巨人全てを轢き殺した“。

 

()の章、第3節。“逼塞(ひっそく)する賢者”」

 

 白い蝸牛の通った空間に、空気が吸い込まれて突風が巻き起こる。それから一拍置いて、遥か遠くの山に風穴が開き、ほんの僅か遅れて凄烈な破砕音が鳴り響いた。

 

 巨人であった肉塊の雨が降り注ぐ中、ッダァ=ラャムは歯を剥き出して息を荒らげ、目玉がこぼれ落ちそうなほど見開いた眼でカガチを睨む。しかし、カガチは目の前の怪物よりも、怪物が使った魔法に興味を惹かれて目を逸らす。

 

「……ふむ。珍しい魔法だな。……こうか?」

 

 カガチはッダァ=ラャムが放った魔法陣の残光を睥睨(へいげい)し、片手で空を撫でる。

 

「――――振り()へて、かしかましくも(ののし)るか」

 

 すると、地平線の彼方に一頭の白いキリンが現れる。火が灯るように現れたそれは、圧壊を免れた山よりも大きく、夜空というスクリーンに浮かぶ影絵のようだった。

 

()が異を聞きて、()が理を聞きて」

 

 キリンが小さく首を振る。すると、一頭、また一頭と数を増やし、地平線は瞬く間に(そび)え立つキリンの群れで覆い尽くされた。そのうちの一頭が(おもむろ)に脚を持ち上げると、勢いよく地面を踏みつける。すると、ッダァ=ラャムが突如“何者かに踏みつけられた”かのように轟音を上げて潰れた。

 

「――――――――――――っ!?」

 

 地平線の白いキリンの群れが、一様にして何かを踏みつける。その度にッダァ=ラャムは潰れ、ひしゃげ、斑模様の粘液を血のように噴き出し、悲鳴の代わりに悍ましい破裂音を響かせる。先程アルマジロに(なら)されたばかりの地面が更に凹み、蜘蛛の巣のように罅を広げる。その様をカガチは冷たく見下ろしながら、詠唱を続けて目を伏せる。

 

如何(いか)(いは)むや、消ゆといふに――――」

 

 地面にめり込んだ“斑模様の板”が、微かな痙攣(けいれん)を伴って脈動している。詰まりかけの排水路のように粘液を吹き、いじらしいほど弱々しく回復魔法の陣を描き始める。

 

「……(めつ)の章、第12節。“繁栄の末路”」

 

 カガチの最後の詠唱と共に、キリンの脚が地を突く。斑模様の板が真っ二つに割れ、描きかけの回復魔法の陣は虚しくも空間に溶けていった。

 

 

 

 使奴部隊“雨雲と盗人”所属。“カガチ”。異能、“魔法”。

 

 カガチが誕生するまで、この異能は“無能の異能“と呼ばれていた。この異能保有者は、魔力を帯びることはあっても”魔法を使うことが出来ない“からである。それを、使奴という人間の範疇(はんちゅう)を超えた演算能力を持つことによって、初めて異能の正体が判明した。

 

 魔法の異能者は、魔法を使えなくなる。厳密に言えば、”魔力の操作ができなくなる“代わりに、その”代替物を操作することが出来る“異能である。

 

 例えば、積み木を積んで小さな塔を作るとする。子供が作るような小さな塔を。この時、積み木は”魔力“。完成した塔が”魔法“である。積み木が何らかの形で規定された何かを構築した時、初めて”魔力“は”魔法“という目に見える形で変換され消費されるのだ。そして、この例をそのままカガチに適用すると、カガチにとっての魔力は、巨大な鉄骨。(ある)いはコンクリートブロック。そして、大小様々なボルトや鋼管。その他大量の工具や材料の山である。周囲の真似をして塔を作ろうにも、上手くいかないのは至極当然な話。

 

 積み木ならば円柱のブロック3つと三角形のブロックひとつで、誰がどう見ても立派な塔が出来上がる。しかし、鉄骨を積み、その上に鋼管を立てたところで、とても何かが完成したとは呼べない。つまり、魔法は発動しない。この材料の性質の違いこそが、魔法の異能が無能の異能と呼ばれてきた所以(ゆえん)である。

 

 そんな無能の異能を、カガチは使奴のスペックをフルに使い、研究し続けた。それこそ苦労の度合いで言えば、釘も、金槌も、家という構造物の存在すら知らない素人が、誰の力も知識も頼らず、たった1人で高層ビルを建築するのと大差ない。

 

 塔の大きさに応じて複雑になっていく設計図、つまりは”魔術式の公式や定理“も、ゼロから自分で考えなくてはならない。簡単な積み木程度には不要な補強材、”魔法式の詠唱“も、鉄骨を使った建築であれば必須。小手先の技術では到底カバー出来ない必需品。

 

 公式も、定理も、詠唱も。本来であれば、数千年、数万年という時間をかけて、数億、数十億人という先人たちが、天文学的な回数の挑戦と失敗を繰り返して見つけ出すものである。それらを、たかだか数千の失敗、数万の挑戦、数億の調整を経て、カガチはたった1人でモノにした。

 

 後にも先にも、カガチは唯一の”魔法の異能者“となった。

 

 

 

 

 

「私を異世界に飛ばしたのは悪手だったな。お陰で、”世界を壊さずに済む“。……元の世界でマトモに異能を使おうものなら、流れ弾で国が数ヵ国消し飛んでもおかしくない。何せ、最低威力の魔法でもコレだ」

 

 カガチが地面に埋まった”斑模様の破片“に言い聞かせる。

 

「……その様子じゃ、気づいてなかったようだな。なら安心だ。恐らくは歴史上最も優れた魔術師であろうお前が私の能力に気付けないのなら、私の擬態もそこそこ意味があったんだな」

 

 魔法の異能のデメリットは、通常の魔法が使えなくなることに加え、もう一つだけある。それは、”出力の制御が非常に困難である“ということ。魔法の規模は、使用した魔力とその複雑さに比例する。一般的な魔法の最低出力が微風(そよかぜ)を吹かせる程度であるのに対し、カガチの魔法の最低出力は”山をも削る烈風“となる。積み木であればブロック2つで小屋だと言えるのに対し、鉄骨等の建材ではガレージくらいが最も簡素な建築になってしまう。そして、当然ながら大きさや重さ、頑強さも、複雑さも、積み木では到底太刀打ち出来ない。

 

 故にカガチは、今まで(わざ)と”失敗した魔法“を用いて戦っていた。

 

 一瞬だけ魔法式を作成し、直後に自分から崩壊させる。その残った残滓(ざんし)で、新たに不出来な魔法を再構築することで、通常の魔法のように見せかけていた。言わば、杜撰な違法建築を行った直後に建物を倒壊させ、その瓦礫(がれき)で積み木をするような、極めて非効率的な方法。これがカガチに出来る唯一の擬態。魔法の異能者であること隠す苦肉の策であった。

 

 地面に埋まる斑模様の破片が、力強く震え、黒と赤の煤煙(すすけむり)を噴き上げて地を割る。

 

「ん?」

 

 そのまま泡立つようにボコボコと体積を増やし、やがて元の生首の怪物へと姿を変える。復活したばかりのッダァ=ラャムは、相も変わらず目を剥きカガチを睨みつける。

 

「うん。まだまだ元気じゃないか。お前は腐っても神話の悪役だろう? 死んだフリなど、情けないマネをするな」

「っぐ……ぐぐぐぐぐっ……!!! がああああああああああああああ!!!」

 

 (さげす)嘲笑(あざわら)うカガチに、ッダァ=ラャムは大きく吼え、巨大な魔法陣を背負うように展開する。

 

「む……それは……」

 

 魔法陣から飛び散った“朱色の光”が、燃え盛る炎となってッダァ=ラャムの眼前へと集められ、ひとつの火の玉を形成する。それは決して巨大なわけでも、強烈な熱波を放つわけでも、直視できぬ光を放つわけでもない。朱色という特異な色以外は、何の変哲もないただの火の玉。それを見て、カガチは(いぶか)しげに目を細めた。

 

「それが、死の魔法か」

 

 使奴という完全無欠な生物。そも、定義的には生物と呼べるのかも不明な超常的存在。擦り潰しても、溶かしても、燃やしても、凍らせても、高濃度の放射能や負の波導に(さら)されても、使奴は死なない。

 

 しかし、この死の魔法のみは例外である。

 

 使奴に備え付けられ、唯一の処分方法として扱われる古の禁忌魔法。

 

「――――――――――――っ!!! あああああああああああああっ!!!」

 

 ッダァ=ラャムの絶叫と共に、朱色の火の玉がカガチに向かって放たれる。それをカガチは、あろうことか一切避ける素振りも見せずに胸で受け止めた。

 

「……………………ふむ」

 

 朱色の炎はカガチの全身に延焼し、ぼうぼうと唸り、(うね)り、火花を四方八方へと吐き出す。そして、唐突に風に吹かれるように鎮火した。

 

「成程。やはり効かないか」

 

 カガチは火傷ひとつない無傷。衣服や装飾品こそ燃えてなくなったものの、その引き締まった裸体には黒痣こそあれど、死の魔法による影響は一切見られない。

 

 ッダァ=ラャムは理解する。そして、戦慄する。

 

 魔法の影響分類は2つある。ひとつは氷魔法や風魔法のように、魔力自体が物体を模倣して変化し影響を与えるもの。そしてもうひとつは、混乱魔法や検索魔法のように、人体や物体内部に存在する魔力に影響を与えるもの。学術的には、前者を“形態魔術“。後者を”共鳴魔術“と呼ぶ。そして、義務教育等で頻繁に使われる手垢のついた例えとして、共鳴魔法は”相手に魔法を使わせる魔法“だという説明がある。

 

 そして、()()()()()()()使()()()()

 

「あ……あ、あ…………」

 

 ッダァ=ラャムの巨大な頭部から滴り落ちる粘液が、脂汗のように勢いを増して流れる。

 

「どうした? まさか、あれが全力じゃあないよな?」

 

 ッダァ=ラャムが後退した分以上に、カガチが歩み寄る。

 

「ひっ……ひっ……!! ばっばばばば…………」

「数千年を生きる伝説の魔術師なんだろう? 諦めるにはまだ早いぞ」

 

 ッダァ=ラャムは、堪らず身体を”逃す“。外見は“下層”に置いたまま、肉体を”上層に逃し“、物体をすり抜けているかのように見せかける複製魔法の応用。しかし、カガチもそれを見逃さない。

 

「――――寝覚め伏し」

 

 カガチの詠唱と共に、積乱雲と見紛うほどに巨大な白いエイが現れ、夜空の半分を覆う。

 

「夢こそ(うつつ)(おぼ)ほゆれ」

「いっ……いっ…………!!!」

 

 ッダァ=ラャムの視界が歪み、上下の感覚が、左右の違いが、温度が、感じる全てが曖昧になっていく。この大時化(おおしけ)の海で溺れるような錯覚のせいで、複製魔法の制御が利かず魔法式の構築を中断してしまった。

 

「がががっ……あがっ……!!! がっ……!!!」

「遠き恨みも、よに忘られず――――」

 

 白いエイが無音の鳴き声を上げる。その誰の耳にも聞こえぬ何かは、空を跳ね、地を跳ね、声の届く限り全ての物を揺さぶり掻き回す。ッダァ=ラャムはこの声に耐え切れず、反射的に防壁魔法を連発して、出鱈目(でたらめ)な詠唱を口にしながらその場に倒れ込んだ。

 

(しゅう)の章、第1節。“豊かなる凡夫“……。さあ立て化け物。夜はまだ長い。お前が夜明けを迎えられるかは別の話だがな」



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163話 虫干し

(ちぬる)神社 下層 壊滅した異世界〜

 

 辺り一面の白銀の荒野。そして漆黒の夜空。その他には、何も存在しない。木々も、家屋も、山や川でさえも、海すらも、この世界には存在しない。

 

「――――死せりとも」

 

 カガチの麗しい詠唱だけが空気を震わせ、無音の世界をどこまでも漂って行く。動いているものはカガチただ1人。衣服を失ってしまった彼女の裸体は、この異質で神秘的な景色も相まって、まるで崩壊した世界に舞い降りた女神のようであった。

 

()りとて只管(ひたすら)生けりとも」

 

 しかし、一見して世界が凍りついてしまったかのような幻想的風景ではあるが、その実態はまるで対極。空気中から物質内まで(あら)ゆる場所に存在する魔力全てが、目には見えないものの四方八方に暴走し絶え間なく駆け回っている。例えて言うならば、この荒野一帯が巨大な電子レンジ。例え使奴であっても全身の魔力が瞬く間に流出し肉体が崩壊してしまう波導風のハリケーン。

 

「かにもかくにも、待つ人もなし――――」

 

 カガチが詠唱を終えると、真っ白な大地は突如液体が滲み出るようにして隆起し、やがて巨大な1匹の白い(せみ)に姿を変える。蝉は短く背を震わせ、ボロボロと崩れるようにして消え去っていった。

 

(がい)の章、第8節。“蒼穹(そうきゅう)の寄り道”。……流石に術者もノーダメージとはいかないか。要調整だな」

 

 カガチは自分の左肘から先が紐状に崩れてしまったのを見て、小さく鼻で溜息を吐いた。そして、数歩前に進んでから足元の地面を爪先で軽く引っ掻く。

 

「おい、起きろ。まだまだ行けるだろう」

 

 殆ど細かい砂になってしまった地面の下からは、毒々しい(まだら)模様の破片が1枚掘り起こされた。それは微かに波導を纏い、何かを訴えるように微かに震える。それ以上破片が変化を見せなくなると、カガチは脅すように(おもむろ)に口を開く。

 

「――――寝覚め伏し」

 

 詠唱の冒頭を呟くと、斑模様の破片は突如として機関車のような大量の煙を噴き上げる。そして、数秒と経たない内に破片一欠片から生首の怪物が復活した。怪物は零れ落ちそうなほど目を剥き、ぜえぜえと身を震わせて呼吸を荒らげている。いじめっ子に呼び出された子供以上に怯えた顔を見て、カガチは満足そうに微笑んだ。

 

「そうかそうか。あの魔法はそんなに嫌か。じゃあ、もっと頑張らなきゃあな。まだまだ試してない魔法は山ほどある」

 

 女神のように美しい悪魔の微笑みに、ッダァ=ラャムは歯をガチガチと鳴らして後退(あとずさ)る。

 

「あ……あ……!!!」

「そう怖がるな。次のは破壊力的にはイマイチだ。死に物狂いで防げば何とかなる」

 

 その言葉を聞いたッダァ=ラャムはすぐさま防壁魔法を展開し、鬼気迫る表情で自らの身体を覆う。ガラスのような青白い六角形の防壁が、ッダァ=ラャムを閉じ込めるようにして球体を構築していく。十重二十重に重なった防壁は魔法が重複するごとに巨大化していき、やがて高層ビルをも超えるような大きさの球体になった。どの方向からでも防げるように張り巡らされた防壁は、宛ら暗闇に怯え布団にくるまる幼子のようでもあった。

 

「――――何せうぞ」

 

 カガチが詠唱を始めた次の瞬間。防壁の内部が突如真っ白に染まる。

 

「ありそかねつる、世に掻きつきて」

 

 そして数秒も立たずに、卵の殻を破るようにして1匹のヤスデが防壁から飛び出る。大河をも埋めてしまう程に巨大なヤスデは、地を裂く勢いで背中から落下した。

 

「物思わずして、死にあらましを――――」

 

 そして、そのまま暫く藻搔(もが)いた後に、錆びついた金属のようにボロボロと崩れて消滅した。

 

()の章、第11節。“(こえ)は愚より湧き出ずる”」

 

 ヤスデが巻き上げた土煙が、未だ濃い煙幕となって辺りを覆っている。カガチは若干納得行かなそうな顔で首を傾げ、ぶつぶつと独り言を零す。

 

「ほう。召喚時の肥大化は物理影響を軽減出来るのか……? あの防壁程度じゃイマイチ判断しづらいな。今度バリアでもやってみるか……」

 

 そのまま暫く唸ってから、ふと空を見上げて目を細める。

 

「…………はぁ。全く、わからん奴だな」

 

 いつまで経っても落下してこないッダァ=ラャムの肉片は、高位の隠蔽(いんぺい)魔法を乱発して四方へと飛び去っていく。カガチは呆れて首を振り、考え事を続けながら漫然と歩き始めた。

 

 

 

「っひぃ……!!! っひぃ……っひぃ……うっ……!!!」

 

 斑模様の肉片が粘土を混ぜるように合わさり、元の生首の怪物へと戻る。そして、(ようや)く辿り着いた”世界の端“で、”壁“に向かって魔法陣を描き始めた。

 

「――――わ、我が声を聞き、呼び、波紋は理を包む……。ううっ。如何にして鳥は飛び、如何にして人は生き、如何にして王は死んでいくのか……!!!」

 

 早口の詠唱と共に、魔法陣が複雑さを増して青く光り輝く。触ることも、近づくことも出来ない”壁“が、徐々に実体を伴って光を反射し始める。

 

「忘るるなかれ、災としての病、誘い、鈍色に染まる月……!!! 今、欲さんとして――――」

「残念。時間切れだ」

 

 突然の呼び掛けにッダァ=ラャムが振り向くと、そこには薄ら笑いを浮かべるカガチが立っていた。

 

「これは……元々作りかけの魔法のようだな。外へ出るための魔法か? 仕方ない、続けていいぞ。待っていてやろう」

 

 そう言ってカガチがその場に胡座(あぐら)をかいて座ると、ッダァ=ラャムは恐る恐る視線を壁に戻し、詠唱の続きを唱える。

 

「……今、欲さんとして止まぬ。朝を望む。烙印は手に。紅蓮の王冠は我が膝下に朽ち果てた。汝が辿る幾千の残光は――――」

 

 そこまで詠唱を読み上げたところで、魔法陣の端が小さく(ひび)割れ波導煙を噴く。罅割れは魔法陣の各所に伝播し、圧力のかかり過ぎた機械のように震えて激しく点滅を始める。

 

「ざっ残光は……!! ありし日の追憶へと消えるっ!!! 未だ見ぬ兆候にっ!!! 垂涎に塗れた獣たちの遠吠えが木霊し破落戸が風切り世を堕とす!!!」

 

 ッダァ=ラャムが慌てて詠唱と共に魔法陣を安定させようと支えるが、力及ばず。魔法陣全体を横断して亀裂が入り、重苦しい金属音と共に落下し、ガラス細工のように砕け散った。

 

「あ……ああ……ああああ……っ!!!」

「御愁傷様」

 

 カガチが立ち上がると、ッダァ=ラャムは恐怖に顔を歪めて後退る。しかし、背にある“触れることも近づくことも出来ない世界の果て”のせいで、カガチから離れることは敵わない。

 

「詠唱も、ただ唱えればいいってものじゃない。釘を打ち過ぎれば木は割れるし、螺子(ねじ)も締め過ぎれば折れる。第一、そんな古の魔法に現代の詠唱をあてがったところで上手く行く筈がない。丸太をアルミで溶接するようなものだぞ」

 

 カガチは(おもむろ)に手を持ち上げッダァ=ラャムに向ける。

 

「さて、お前の実験に付き合ったんだ。次は私の番だ。手本を見せてやる」

「ひっ……ひっ……!!!」

「――――遠からぬ」

「まっ、待てっ!!!」

 

 カガチの詠唱を遮って、ッダァ=ラャムが大声を上げる。

 

「も、もう、やめ、てくれ……!!! オレが、オレが悪かった……!!! だから、もう……!!!」

 

 目から粘液と同じ斑模様の液体を溢れさせ、力なく傾く生首の怪物。倒れそうになる頭部を、首から滴る粘液が辛うじて支えているが、それが返って情けなく、まるでひっくり返ったソフトクリームのようなに幼稚で哀れであった。

 

 カガチは詠唱を中断し、かと言って敵意を収めるでもなく、話だけなら聞いてやろうといった様子で腕を組む。ッダァ=ラャムは何とかカガチの同情を買おうと、涙声を必死に抑えて身の上話を始めた。

 

「全部……全部アイツが悪いんだ……!!! あの野郎が……!!!」

 

 

 

 

 

 

 もう何千年も前の話だ。オレの住んでた国に、ウァルディアカという男がいた。アイツは頭が良かった。それでいて人に好かれ、女にもモテて、力も強かった。アイツは国の英雄だった。オレだって最初は信じていたさ! アイツから家来の証を貰った時は、こんなに光栄なことはないと喜んだ! お陰で綺麗な嫁も貰えたし、子供にも恵まれて、家も、土地も、部下も、何でも貰えた! だからオレはアイツの言うことを全部聞いた! アイツが作れと言った魔法は全部作った! それなのに……アイツは、オレを処刑した……!! 

 

「我が忠実なる(しもべ)、ッダァ=ラャムは! 恩を忘れ、我に叛逆しようと”死の魔法“を作り出した!」

 

 違う! 死の魔法も! 複製魔法も! 転送魔法も! 全部オマエがオレに作らせた魔法じゃないか! それなのに、アイツはオレの叛逆を恐れて、オレに死の魔法をかけた……! 

 

 

 

 

 

「でも、アイツの使った死の魔法は不完全だった……! オレが完成させる前の不良品だったからだ! だから、オレはこんな姿でも何とか生きてる……。でも! こんなトコに閉じ込められて! 嫁も、子供も、みんな殺されて……!! 全部、全部アイツが悪いんだ……!!」

 

 ッダァ=ラャムの悲痛な叫びに、カガチは眉ひとつ動かさない。それどころか、話の途中から視線を少し斜め上に逸らしている。ッダァ=ラャムは弁明が足りないのだと思い、更に声を張り上げた。

 

「に、人間を食ってたのも、仕方なかったんだ! ここを出るために、大量の魔力がいる! オレだって、元は人間だ……! 人間なんか食いたくない……!! でも、ここを出るためには――――」

「3つ」

「えっ?」

 

 カガチが、ッダァ=ラャムの捲し立てるような弁明を遮る。

 

「3つだ」

 

 そして、指を3本突き立ててッダァ=ラャムに見せる。

 

「み、みっつ?」

「まずひとつ。お前、随分と標準語が上手いな」

 

 世界を終わらせる大戦争の後、ヴァルガン率いるウォーリアーズは、世界を復興させるにあたり幾つかの文化を廃止した。人工衛星を始めとする通信機器の数々、苗字や屋号、そして、多種多様な言語の殆どを。

 

 使奴研究所で最も話者が多かった”西方タヴィアラ語“を標準とし、訛りや方言も可能な限り標準語に統一した。そのお陰で現在は都会から田舎町を問わず世界各国どこでも言葉が通じるようになっている。

 

「確かに、お前の封印された土地“レケレエ・レッセ”は、西方タヴィアラ語を公用語とする国家だ。だが、それは200と80年前にドーアッガ・レケウェレ王国が統治してからの話。それより前、ワーディ帝国が統治していた頃はパ・キマカ語が中心だったし、何よりお前が生きていた頃の公用語は古代レウホルン語だろう。なのに、何でお前はそんなに西方タヴィアラ語が上手いんだ?」

「え、そ、それは……、こ、ここに迷い込んだ人間に習って……」

「そしてもうひとつ。お前は外に出ることが目的なのに、どうしてさっきの外に出るための魔法の詠唱が標準語なんだ?」

「えっ」

「閉じ込められてから数千年間研究をしていたなら、詠唱はお前の母語である古代レウホルン語を中心としてなければ変だ」

「それは、い、今は、こっち(西方タヴィアラ語)の方が馴染みがあって……」

「じゃあ魔法が古い技術のままなのは変だな? 何で詠唱が現代寄りなのに、魔法式は古いままなんだ」

「あ、そ、それは、新しい魔法式を、知ら、なくて」

「言葉は学べたのにか? ここへ迷い込んだ人間がそこまでしてくれたのか? そこまで流暢になるまで言葉を教えるよりも、魔法や算数を教える方がよっぽど簡単だとは思うがな。更に言えば、お前ほどの魔術師が数千年も魔術の研究をしていたなら、現代技術に匹敵する魔法式の一つや二つ、思いついていない筈がない」

「い、いや、それは、む、難し」

「数千年も生首のまま生きられる魔術は思いつけるのにか?」

「え」

「そんな魔法、私の知識にもない。現代人ですら発明出来なかった魔法を単独で編み出せるのに、小学生すら扱える魔法式を思いつかない?」

「いや、あ、それは」

「最後に、レケレエ・レッセが“平和過ぎた”ことだ」

 

 ッダァ=ラャムが、息を呑んで口を(つぐ)む。

 

「お前が封印されていた国。紛争地の真横で、かつ資源豊富な都市国家“レケレエ・レッセ”。その平穏さは異常と言ってもいい。そして、お前がこの世界に人間を引き摺り込んで食っていたならば、多少なりとも社会問題にならなければおかしい」

 

 ひとつひとつは、小さな違和感。(ほころ)び。

 

「しかし、レケレエ・レッセは怪奇現象の噂どころか、理想のメトロポリスと称されるほどに陰のない国だった。入出国は厳しく管理され、その信用から世界各国から観光客が押し寄せる。そんな国で、お前はどうやって人を(さら)っていたんだ?」

 

 それらが、線で繋がり

 

「つまりは」

 

 世にも悍ましい絵を描く。

 

「お前は外に出るつもりなんか無かった」

 

 

 

 

 

「お前が、数千年間この異世界でどう過ごしていたのかはどうでもいい。どうせその間に外へ出ようとはしていなかったのは、魔法陣と詠唱のチグハグさから見てとれる。お前はレケエレ・レッセの人間をこの世界に引き摺り込み、脅した。(さなが)御伽噺(おとぎばなし)の邪神か魔王のようにな。自分の存在を秘匿にさせ、奉仕させ続けた。それこそ、現代語を流暢に話せるようになるほどの奉仕を。食料、本、娯楽、そして人間。地図と照らし合わせれば、恐らくこの場所はレケエレ・レッセ内陸の紛争地域との国境と重なる筈だ。お前は外の世界の人間を脅し理想郷を築かせる対価として、レケエレ・レッセを戦争の飛び火から守る邪神としての役割を担っていた」

 

 カガチの推論に、ッダァ=ラャムは反論しない。それどころか、先程までの震えが嘘のように止まり、瞬き一つせずカガチを見つめている。

 

「そして、使奴研究所がお前を見つけた」

 

 ッダァ=ラャムの(まぶた)が、微かに震える。

 

「死の魔法。使奴を処分する唯一の方法。お前は使奴研究所に死の魔法を教える代わりに、使奴研究所も脅した。自分の理想郷をより盤石なものとするために。使奴研究所はレケエレ・レッセと共に、必死にお前の存在を隠蔽した。使奴の製造は全世界の金持ちの夢だ。そんな使奴研究所があるレケエレ・レッセには、どんな権力者も手出しは出来ない。結果、レケエレ・レッセは何者にも脅かされることのない“理想の国”となった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ」

 

 

 

 

 

 

 ほんの僅か、吐息が漏れ出す。ッダァ=ラャムの口の隙間から、続けて息が漏れ出す。

 

「ふはっ。ははっ」

 

 笑いのような。泣き声のような。

 

「ふへっへへっ。は? ははっ」

 

 そして、か細い震えた声で、カガチに尋ねる。

 

「え? な、何で、そんな”昔のこと“みたいに言うの?」

 

 カガチは、「ああ」と呟いて微笑む。

 

「外の世界は、とっくに滅んだぞ」

「……………………え?」

 

 下層に閉じ込められていたッダァ=ラャムは、外の世界を、大戦争のことを知らない。

 

「200年前に使奴研究所を支援していた金持ち共が大喧嘩をしたらしくてな。レケエレ・レッセどころか、世界人口の9割が滅ぶ大戦争があった」

「え? え?」

「水素爆弾から妖精玉まで、世界中のありとあらゆる兵器が惜しみなく投入された。宛ら最新兵器の博覧会だったそうだぞ」

「え、待ってよ。え? 戦争? え? き、聞いてない。聞いてないよ」

「そりゃそうだ。使奴研究所も漏れなく滅んだからな。(使奴)がここにいるのが良い例だ。疑問に思わなかったのか?」

「だ、だって、いや、確かに人は減ったし、え? アイツらが、逃げたんじゃなくて? え?」

「ああ、逃げた奴らを追いかける為に外に出たかったのか。それで今更古代魔法を現代詠唱で……成程成程」

「え、じゃ、じゃあ。今まで、ここに来てた奴らは?」

「さあ。多分偽物の人形か何かだろう。気付いてなかったのか?」

「え。え。え」

 

 ッダァ=ラャムの見開かれた両目から、粘液が湧き出て滴り落ちる。

 

「だ、だだ、だって、え? 嘘」

「嘘だと思うなら外に出てみるか? 手伝うぞ」

 

 今までの恐怖を上書きするほどの哀しみが、ッダァ=ラャムの脳内を埋め尽くす。その情けない様を見て、カガチは笑いを(こら)えるかのように口角を上げる。

 

「だって、だって、じゃあ、もう、もう」

「もう、オレは王様じゃないの? と言いたいのか? まあ、そうだな。もう外にお前如きに恐れる奴はいない」

 

 未だ、ッダァ=ラャムは諦めきれない。(かつ)て、捕えた人間達はッダァ=ラャムを恐れ、助けを乞い、恐れ、崇め、媚び(へつら)ってきた。機嫌を取るために上質な食事を用意し、娯楽を提供し、身を粉にして尽くしてきた。それが、ッダァ=ラャムにはこの上なく心地良かった。数千年の孤独を忘れる程、200年経った今でも忘れられぬ程。数千年という永い永い人生の中の、たった数十年に囚われてしまった。

 

「い、嫌だ……」

 

 その数十年のために、あの理想郷を取り戻すために、この200年間生きてきた。しかし、その実態はただの八つ当たりに過ぎない。捕えた人間は尋問すらせず食い殺し、外に出る努力も(ろく)にせず、ひたすらに喚き散らしてだだをこね続けた。聖書にも描かれた(かつ)ての賢者は、高々数十年ぽっちの堕落した日々程度で、凡夫以下の不精者へと成り下がってしまった。

 

「嫌、嫌っ……ぁぁ……!! そんっなの……嫌だぁぁぁ…………!!!

 

 その歪み切った性根は、もう二度と戻らない。

 

「ああ……ああああああああっ……!!!」

 

 一度手にした理想郷も、もう二度と戻らない。

 

「ククク……」

 

 あまりにもみっともなく泣きじゃくるッダァ=ラャムの姿に、カガチは思わず失笑を漏らす。

 

「趣味にするほどではないが……。確かに、意外と面白いな。悪党の破滅というのも」

 

 我儘(わがまま)を言う2歳児のように泣き叫んでいるッダァ=ラャムに向け、カガチは小声で詠唱を始める。

 

「――――()のみし泣かゆ、かくばかり」

 

 カガチの背後に、一本の大木が現れる。それは天を貫くほど高く伸び、やがて折れて角度を変え、飛行機雲のように空をなぞる。

 

「骨も残りなく掠められ」

 

 その飛行機雲の先端。白い大木が伸びた先には、入道雲をも飲み込む楕円形の球体が続いている。それが、”巨大な白い蜘蛛の胴体“だと気が付くには、少しばかりの時間を要するだろう。

 

「人に知らえず」

 

 蜘蛛はほんの少し身を揺らし、その巨躯を一瞬にして豆粒ほどの大きさに縮める。まるで消滅してしまうかのような挙動に合わせて、周囲の景色が小さくなった蜘蛛に引っ張られて歪む。風景を吸い込み、捻じ曲げ、天と地の境目を絵の具のように混ぜていく。カガチの魔法でさんざ踏み固められた大地が、焼き菓子のように(ひび)割れ崩れていく。

 

「風に知らえず」

「ひっ!! あっ――――――――」

 

 ッダァ=ラャムは、カガチを地上に残して中を舞う。白い蜘蛛を中心として発生した景色をも飲み込む渦に、稀代の魔術師が虫ケラのように呆気なく吸い込まれていく。

 

 

「助け――――――――――――――――」

「此処なるものは」

 

 微かに聞こえた断末魔の命乞いが、夜の闇と裂けた大地に挟まれ消えて行く。

 

 (がい)の章、第12節。“詠み人要らず”。

 

 対象にした空間に存在する、物体全てを纏めて一点に閉じ込める。カガチが扱う魔法の中でも、1、2を争う破壊力を持つ封印魔法。そして何より、この魔法は術者であるカガチ自身が“発動方法しか把握していない”。解くことを想定していない封印魔法は、想定解を用意していないなぞなぞに等しい。

 

「紅の」

 

 空間の歪みが解かれ、封印が完成する。その直後、ほんの少しだけ“人為的な“波導が空を揺らした。それは、ッダァ=ラャムが最期に放った魔法式の残滓(ざんし)。つまり、”封印されている最中にも意識は停止しない“ことの証明。カガチがその残り香に思わず目を向けると、突如として視界が明るくなった。

 

(ちぬる)神社 上層 社務所〜

 

「あれ? 成功しちゃった」

「おおっ。帰ってきた。……何で裸?」

「カガチ! お帰りなさい!」

 

 目の前にいるのは、見慣れない琥珀色(こはくいろ)の髪をした使奴と、ラデック、ゾウラの3人。視界の外からは、ラルバやハザクラ達の波導も感じる。カガチは、自分が元の世界へ戻ってきたと言うことを理解しつつ詠唱の残りを呟く。

 

「ただ一片(ひとひら)の、松葉菊、のみ――――……」

 

 試せなかった魔法の数々に後ろ髪を引かれるカガチ。その若干曇った表情から何かを察したバリアが、半分当てずっぽうで小さく問いかける。

 

「もしかして、助けるのちょっと早かった?」

「……………………まあ、ちょっとな」



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164話 人質の行方

(ちぬる)神社 中層 社務所〜

 

 着替えに袖を通しているカガチに、コハクが困惑した表情で尋ねる。

 

「取り敢えず無事で良かったよ。カガチ、でいいのかな?」

「お前は誰だ?」

「あ、ボクはこの(ちぬる)神社の管理をしてるコハクだよ。よろしくね」

「どうも」

「えっと、アッチで、生首の怪物には出会った?」

「会った」

「……それで、どうしたの?」

「倒した」

「…………倒した?」

「厳密に言うと閉じ込めた」

「………………どこに?」

「さあ」

 

 一問一答を続けるごとに、コハクの眉間の皺は一層深くなっていく。カガチは依然として自分からは何も言わず、着替えが終わってからはゾウラの斜め後ろに立って動かない。コハクはどうしたら建設的な会話をしてもらえるだろうかと頭を捻り、適当に話題を口に出した。

 

「えーっと。あ、そうだ。バリアが言ってたけど、カガチは”使奴部隊“なんだって?」

 

 使奴部隊。その言葉にカガチの眉間に皺が寄る。すると、ゾウラがあどけない顔で思い出したようにカガチを見上げる。

 

「そうそう! カガチ、バリアさんと同じ使奴部隊だったそうですね!」

 

 カガチは真っ直ぐにバリアの方へと歩いていき、目を細めて彼女を睨みつける。しかし

、バリアはキョトンとした顔で首を傾げた。

 

「何?」

「何故口外した」

「言うなって言われてないし」

「分かっていて言っただろう」

「うん」

「………………」

 

 中身のない会話の後、カガチはゾウラに向かって合図を出す。するとゾウラはすぐさま水魔法を展開し、水の塊となって溶けてしまった。直後、カガチが躊躇いなく詠唱を開始する。

 

「――――何せうぞ」

 

 その場にいる全員が状況を理解していない中、バリアが少しだけムッとした顔を見せる。

 

「ありそかねつる、世に掻きつきて」

 

 それから一拍置いて、ナハルが声を上げる。

 

「カガチ……!? お前何を……!!」

「物思わずして、死にあらましを――――」

 

 カガチは冷たくバリアを見下ろしてじっと睨む。バリアは若干唇に力を入れたまま小さくへの字に曲げ、文句を言いたそうにカガチを睨み返している。

 

「……孳の章、第11節。“聲は愚より湧き出ずる”」

 

 詠唱が終わり、数秒の沈黙が訪れる。傍観していた者達は、自分達には理解出来ない何かが始まり、終わったということだけを察する。続けてカガチが口を開こうとすると、慌ててナハルがバリアとの間に立ちはだかって仲裁する。

 

「――――振り()へて」

「待てカガチ!! ハザクラやジャハルにも巻き添えにするつもりか!?」

「どっちでもいい」

「ゾウラ君聞こえるか!? カガチを止めてくれ!!」

「無駄だ。すぐには帰ってこない」

 

 2人の押し問答の横で、ラルバがわらび餅を頬張りながらブーイングを飛ばす。

 

「バトんのはいいけどさー! どっかで虚構拡張でも張ってやってよー! わらび餅溢したら両膝からおっぱい生やすかんな!! ラデックが!!」

「やらないが」

 

 ラルバに文句を言われ、バリアはムスッとしたまま社務所を出て行く。それに続きカガチも外へ出ると、後ろ手で扉を閉めると同時に虚構拡張特有の波導の乱れが生じる。

 

「うわっ! あんにゃろ玄関でやりやがった! 性格わぁ〜っる!!」

 

 ラルバが慌てて出口の扉に手をかけるが、扉を含めた壁自体が虚構拡張の境界となっているため、溶接されたかのようにビクともしない。

 

「くっそーきめぇ〜! 窓から出ろってかぁ〜!?」

 

 ぎゃあぎゃあと喚くラルバを尻目に、ナハルがコハクの前に座り彼女を睨む。

 

「シスターはどこだ。何故あの方を誘拐した」

 

 その態度は静かながらも、瞳の奥にはぐらぐらと贄滾る怒りの炎が見え隠れしている。隠しきれないのではなく、隠しきらない。意図的に我慢の限界を覗かせる脅迫。コハクはナハルの意思を理解し、申し訳なさそうに深く頭を下げる。

 

「本当に申し訳ないことをした。ボクの知る限りを全て話させてもらうよ」でも……少し複雑になる。長話をさせてもらってもいいかな」

「それは誘拐した理由の方か? お前達の事情の方か?」

「どっちも。何せ、最初はただの“勘違い”だったから」

「……勘違い?」

「最初から話すよ。と言っても、昨日のことだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

〜診堂クリニック 第三診堂総合病院 カジノバー“ 兎ノ鹿蝶(うのしかちょう)” (シスター・ハピネス・ラプーサイド)〜

 

「レシャロワークさん。ひとつ、頼みがあります」

「えぇ? 帰りの護送とか嫌だよぉ? 早くお家帰って鎧核4やんなきゃ」

「異能の詳細を教える。これがどれほど致命的な自殺行為かは分かっていますよね? 私はそれを教えたんですよ?」

「えぇ〜……勝手に自分で喋ったんじゃん……。それを交換条件には――――あっ」

 

 レシャロワークはシスターの言葉の意味に気付き、半身の姿勢で出口の搬入出用エレベーターの方に目を向ける。

 

「察しが良くて助かります……。レシャロワークさん。さっき、ニクジマさんの持っていた電子パッドのカメラ映像で、地上へのエレベーターが一瞬見えました。階数表示は地上階なのに、扉が半開きになっていました」

「……ニクジマさんの通信機にも連絡ありませんねぇ。あの辺は警備員がカメラで鬼見張ってる筈なんですけどぉ」

「誰かが、エレベーターを使わずにここまで降りて来ています」

 

 シスターが横目でハピネスを見る。彼女は何も言わずに横たわっており、シスターの方には一瞥もくれず押し黙っている。その態度が、ハピネスの異能をも掻い潜る思わぬ強敵の接近を物語っている。部屋の入り口を塞ぐ鋼鉄の扉の向こうから、存在しない怪物の吐息が流れてくるような錯覚を感じる。部屋を飛び回る蠅の羽音と、弱々しく脈打つ心音を、凄烈な銃声が切り裂いた。

 

 強化魔法が施された弾丸が鋼鉄の扉をベニヤ板のように貫き、そのままレシャロワークの喉に命中する。

 

「う――――――――」

 

 シスターは一瞬レシャロワークの負傷に怯むも、すぐさま扉の向こうに意識を集中させる。しかし、その一瞬の余所見が命取りであった。

 

 視線を戻した先に輝く光弾。シスターがそれが何かを理解する前に、光弾は額に命中し脳を揺らす。既に瀕死寸前だったシスターは気を失って倒れ、残るは半分寝たフリの重症のハピネスを残すのみとなった。

 

 搬入出用エレベーターの鋼鉄の扉がこじ開けられる。そして、中から出てきた“透明の何者か”が、ヴェールを脱ぐようにして姿を現す。

 

 淡く発光しているような藍と白のウェーブ髪。黒い白目に赤い瞳。更には、狼のような獣の耳と牙。顔の左半分を覆う赤い罅割れ。服装は厚めに巻いたサラシとショートパンツのみという動き易さを重視した軽装。明らかに使奴、或いは使奴寄りではあるが、ハピネスの目にはどこか拭いきれない違和感があった。その違和感を探るため、ハピネスは寝たフリをしたまま覗き見の異能で使奴の様子を窺い続ける。

 

 狼のような使奴は、呆れたように鼻を鳴らしてレシャロワークに近づき、軽々と担ぎ上げた。そのまま踵を返して立ち去ろうとするが、唐突に立ち止まり振り返る。

 

「何見てんだよ」

 

 目が合った。

 

 “覗き見の異能で作り出した、知覚不能な思念体”の自分と。

 

 予想だにしていなかった反応に、ハピネスは思わず本体の方で身動ぎをしてしまう。狼の使奴はハピネスの思念体をじぃっと見つめた後。ハピネスの本体の方を向いたかと思うと、間髪を容れず首を踏み砕いた。ハピネスの口から大量の血が噴き出し、狼の使奴の靴を濡らす。

 

 狼の使奴はハピネスとシスターの2人を服ごと片手で引きずり、レシャロワークを担いだまま文字通り”姿を消した“。

 

 

 

 

 

(ちぬる)神社 中層 社務所〜

 

「ん…………」

 

 カタカタと何かが揺れる音が聞こえる中、シスターは目を覚ます。辺りは明るく、何やら誰かの声のような音も聞こえる。

 

 そうだ。と、シスターは心の中で叫んだ。気を失う直前のことを思い出し、心臓が跳ね上がるのを感じる。飛び起きたくなる気持ちをグッと堪え、今自分がどこでどういった状態にあるのかを把握するため薄目を開ける。

 

 目の前は薄い緑のクッションの壁。恐らくは、自分が今寝かされているソファの背凭れ部分。そして、今自分が包まれているベッド。柔らかな枕と、手触りのいい乾いた布団。そして、背後から漂ってくる料理の香りと、煮えた鍋が蓋を揺らす音。恐らくは、ダイニングキッチンに置かれたソファに寝かされている。そして、背後で鼻歌を歌う女性の気配。

 

「ふんふふ〜ん……らら〜……ら〜……」

 

 そしてシスターは、現状になす術があるかを確かめる為、手の中でほんの僅かな魔力で幾何学模様を描く。

 

「ららら〜……ん? 目が覚めましたか?」

 

 羽虫が放つような極僅かな人為的波導。その気配を気取られた。相手は使奴、若しくはそれに準ずる強者だということを理解して、シスターは抵抗は無意味だと思い上体を持ち上げる。

 

「…………ここは?」

 

 そう尋ねるのと同時に顔を上げると、目の前には1人の使奴が空の食器片手にこちらを見つめていた。

 

 色彩を持たない肌。赤と黒が入り混じるセミロングヘア。長い前髪のせいで目元は見えずらいが、微かに髪の隙間から見える目玉の網膜は黒く、瞳は髪と同じ真紅。両方のこめかみからは赤い巻き角が下向きに生えている。ナハルを連想させる比較的ふくよかな体型には巫女服のような衣装を纏い、内気な性格を代弁するかのような猫背で膝を内側に曲げている。

 

「こ、ここは(ちぬる)神社の社務所……って、これ言って良かったのかな……。あ、私の名前は”サンゴ“……。あ、今ご飯作ってるんですけど……食べられそう? あ、スープなんだけど、野菜の」

「…………ありがとうございます。サンゴさん。私の名前はシスター。スープ、頂いても宜しいですか?」

 

 シスターが優しく微笑むと、サンゴは安心したように胸を撫で下ろす。

 

「あ、はい! 今準備しますね! 今年の人参はすっごい甘いので、とっても美味しいですよ!」

 

 シスターは差し出されたキャロットスープを一匙口に含み、その優しい甘さに頬を緩ませる。

 

「ど、どう、ですか?」

「とっても美味しいです。どうもありがとうございます」

「よかった……あ、もしお腹に入るようでしたら水団(すいとん)もありますよ!」

「すいとん……? それはどう言った料理……」

 

 ふと、シスターは気付く。違和感がないことへの違和感。腹部を摩っても、全く痛みを感じない健康体。

 

 スープ皿をサイドテーブルに置き、恐る恐る上着を捲る。腹部には、ハピネスに裂かれた開腹手術の痕などどこにもなかった。それどころか衣服にも血の跡などは見られない。困惑して額に手を当てたところで、両目があることにも遅れて気が付いた。

 

 ニクジマとの戦いで失った臓器が、目玉が、全て何事もなかったかのように戻っている。

 

「これは……治療は、貴方が……?」

「え、あ、いや、まあ。半分は、私が……」

「半分? もう半分は――――」

「やだあああああああああああああああああ!!!」

 

 そこへ唐突に聞き覚えのある幼稚な悲鳴が響いた。

 

 シスターとサンゴが声のする方、隣の部屋に向かうと、そこには簀巻きにされ泣き叫ぶハピネスの姿があった。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!! げっほ!!! がはっ!!!」

「うるっさいな……!! おいレシャロワーク!! いい加減コイツ黙らせろ!!」

「無理でぇす」

 

 部屋の中にはハピネスの他に、シスターとハピネスを誘拐した狼の使奴と、暢気に携帯ゲーム機で遊んでいるレシャロワークの姿があった。

 

「あ、シスターさんチッスチッス。今ボス戦なんでもうちょい待って下さいねぇ」

「シスターくぅん!!! コイツ酷い奴だよ!!! ちょっとの散歩も許してくれない!!!」

「貴様のは散歩じゃなく覗き見だろうが!! 大人しくしてろ!!」

「やだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 シスターの体感では、つい数十分までハピネスは満身創痍だった。それが今は、芋虫のように体をくねらせ、鼓膜を破る勢いで泣き叫ぶほど回復している。サンゴの言っていた「半分は」の意味を理解し、恐らくは“もう半分”の治療をしてくれたであろう狼の使奴に頭を下げる。

 

「貴方が治療して下さったんですよね? ありがとうございます」

「あ? ああ。一発喰らわせてしまったからな。これであいこにしろ」

「はい」

「やだああああああああああああああ!!!」

「ハピネスさん静かにして下さい」

 

 シスターはハピネスに触れ、3秒ごとに3秒前の記憶を消し続ける。

 

「やだああああ!! やだああ!! やだああああ!! やだああああ!!」

「ああ、余計にうるさくなってしまった……」

「もう記憶全部消しちまえよ」

「検討しておきます……」

 

 サンゴが持ってきたタオルでハピネスの頭部をぐるぐる巻きにした後に、狼の使奴が不貞腐れた様子で自己紹介をした。

 

「……私の名前は”ヒスイ“。後で紹介するが、もう1人”コハク“ってのもいる」

「私はシスターと申します。こっちのは……ハピネス。覚えなくても結構です」

「助かる」

「ふごご〜!!」

「サンゴさん。タオルもう2枚くらいお借りしてもいいですか?」

「あ、はい」

「ふごごごご〜!!」



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165話 感謝と啓蒙と脅迫

 診堂クリニックにてニクジマとの賭博勝負。臓器ギャンブル“ダークネス・ポーカー”を終えたシスター・ハピネス・ラプーの3名は、ディーラーを務めていたレシャロワークと共に拉致(らち)された。その犯人は、存在しない村こと“(ちぬる)神社”を拠点とする使奴“ヒスイ”だった。

 

(ちぬる)神社 中層 社務所(シスター・ハピネス・ラプーサイド)〜

 

 簀巻きにした上で頭部もタオル4枚でぐるぐる巻きにされたハピネスを担ぎ、ヒスイはリビングへ繋がる戸を開いて跪く。

 

「“ノーマ様”、客人が目を覚ましました」

「うん。ありがとう、ヒスイ」

 

 リビングのソファに座っていたのは、琥珀色の髪をした使奴ともうひとり。使奴と同じく白い肌をした、これまた白い髪の青年であった。

 

「初めまして。僕の名前は“ノーマ”。形だけだけど、一応この(ちぬる)神社では神主ってことになってる。よろしくね」

 

 色彩を持たない肌と、肩までかかるウェーブした白髪。幼い顔立ちとは対照的に低い声、浅葱(あさぎ)色のローブのせいで体つきは分かりづらいが、体格は決して恵まれている方ではない。そして何よりも目を引くのは、不気味な黒に染まる両目。よく見れば微かに球体らしきものが眼窩(がんか)(はま)ってはいるのだが、意識しない限りは両目に穴が空いているようにしか見えない。

 

 遅れて部屋に入ってきたシスターが、その異様な外見に言及しようかと思ったその時。それを察してか知らずかノーマの隣に立つ琥珀色の髪の使奴が口を開く。

 

「ボクは“コハク”。話は“ヒスイ”から聞いてるかな? よろしくね」

「あっ、私はシスターと申します。彼女はハピネス。よろしくお願いします」

「シスター君。紹介の前に縄解いてくれる?」

「結構です」

 

 シスターはノーマのジェスチャーに従い対面に腰掛けると、その隣にヒスイが威圧するように力強く腰を落とした。

 

「……警戒するなら、私ではなくハピネスさんじゃないんですか?」

「レシャロワークからギャンブルの一部始終を聞いた。貴様も充分“狂人”だ」

「……そうですか」

 

 シスターは少し不満そうに息を吐き、ノーマの方へ視線を戻す。

 

「早速本題に移りたいところだけど、まずはこの(ちぬる)神社の内情を知っておいてもらおうかな。色々と厄介な事だから」

 

 そう言ってノーマは(ちぬる)神社の事情を説明した。コハクの異能のこと。下層にいる化け物のこと。ここで暮らした人間は、簡単には外へ出られなくなること。

 

「――――と言うわけなんだ。後で身代わり人形も作ってもらうね」

「分かりました」

「……意外と冷静なんだね。ヒスイから聞いた通りの豪胆さだ」

「自覚はないんですけどね。それに、どちらかと言うと自分の命を軽んじる節があると言った方が適切かもしれません」

「シスターくーん。私も犠牲になってるんだけどー」

「サンゴさん。ハピネスさんの口に何か詰めておいてください」

「え、あ、はい」

「シスターくーん!!」

 

 2人のやりとりを見てノーマが小さく笑うと、シスターは気恥ずかしそうに目を伏せた。そして、隣に腰掛けるヒスイの方を流し見る。

 

「……ノーマさんのお話の前に、ヒスイさん。ひとつお聞きしてもいいですか?」

「事による」

「ヒスイさんは、何故私達を襲ったんですか?」

「……チッ。大体はあの馬鹿のせいだ」

 

 そう言って、ヒスイが後ろの方でゲームをしているレシャロワークを指差す。

 

「えぇ〜。ヒスイさんが勝手に勘違いしたんじゃあないですかぁ〜」

「あの馬鹿が自分とこの部下使ってニクジマをイビってると思ったんだよ。ま、事実はもうちょいキショかったけどな」

「しませんよそんなことぉ〜」

「じゃあ何故ギャンブルの立ち合いなんかやっていた!!」

「割と儲かるからですねぇ〜。あのバイト、コスパ鬼なんですよぉ」

「非番だったんだから大人しくしておけよ……!!」

「大人しくバイトしてただけなんだけどなぁ……」

 

 レシャロワークがしょぼくれて再びゲーム機に視線を落とす。すると、ヒスイは残った鬱憤を吐き出すように鼻を鳴らす。しかし、シスターはヒスイの言葉尻を取って問い詰めるように言う。

 

「“大体は”あの馬鹿のせい……。では、残りは?」

「あ?」

「貴方個人のせいではないのでしょう。信頼しているであろうノーマさんへの謝罪がありませんでしたから」

「……推理ゲームの探偵気取りか?」

「おっ。“逆探審判”の話ですかぁ? やっぱ自分は最新作の大逆探1&2が傑作だと思いますねぇ」

「静かにしてろレシャロワーク」

「はぁい」

 

 ヒスイは鬱陶しさに眉を顰めるが、やがて諦めて溜め息を吐いた。

 

「貴様のツレのせいだ」

「ツレ? ハピネスさんがまた何かしましたか?」

「いや、あのデブだ」

「え……」

 

 そう言ってヒスイが顎をしゃくって部屋の隅を指す。そこには、何事もなかったかのようにぺたんと座り込むラプーの姿があった。

 

「ラプーさん! よかった! 無事だったんですね!」

「んあ」

「そのデブが「自分達はキャンディボックス所属だ」と言うから信じた。まさか貴様等を助けるための方便だったなんてな」

「ラプーさん……」

 

 シスターがラプーに深く頭を下げる。そして、シスターは再びノーマに顔を向けて頭を下げる。

 

「ひとまずは、私達の治療ありがとうございました。お陰で助かりました」

「僕は何もしてないよ。凄いのはヒスイ達だ」

「はい。ヒスイさん、コハクさん、サンゴさん。ありがとうございます」

「それで、助けてあげたお礼ってわけじゃないんだけど、君達に一つ頼みがあるんだ」

「頼み?」

「うん。君達には、“工場の国”に行ってきてもらいたいんだ」

「“工場の国”……。“三本腕連合軍”ですか?」

 

 三本腕連合軍。工場の国と呼ばれる産業大国で、主に3つの地域からなる帝政国家。金属工業や化学工業を中心に扱う”黒雪崩(くろなだれ)騎士団“。機械工業やコンピューター科学を中心に扱う”東(あざみ)農園“。そして、繊維工業やその他の工業、組み立てや輸出入その他諸々を管理し、商工会としての側面も持つ首都。”鳳島(おおとりじま)輸送“。

 

「このうち、”黒雪崩騎士団“の”ステインシギル工場長“は僕達にとても良くしてくれてるんだ。この社務所の設備も全部ステインさんが手配してくれたんだよ。でも、ここ数年は音沙汰がなくて。ちょっと不安なんだ。それを、君達にはレシャロワークと一緒に見てきて欲しい。出来れば助けになってあげて欲しいんだ」

「自分帰って鎧核4やりたいんですけどぉ……」

「……それは良いんですが、その。ヒスイさんは透明になれる異能を持っているんですよね? 私達人間より、彼女の方が適任かと思いますが……」

「うーん……。三本腕連合軍が酷い悪魔差別の国だとか、単独で潜入させたくないとか、色々問題があるんだけど……。とにかく、僕らが行くことは出来ないんだ」

「そう、ですか」

「それに、さっきも言ったように(ちぬる)神社の下層には化け物がいる。シスターさん達をここに長くいさせることも出来ない」

「分かりました。ただ一つだけお願いがあります」

「ん? 何かな」

「恐らくは、ここへ私を探しに仲間が来ると思います。その方達にも、今と同じ説明をして頂けますか?」

「ここへ? それは無理じゃないかな。ホウゴウさんが口を滑らせるとは思えないし、ヒスイも痕跡を残してない。ヒントは皆無だよ」

「それなら大丈夫です。だって―――」

 

 ほんの僅か、シスターは言葉を詰まらせる。しかし、意を決して思い浮かんでいた言葉を吐き出した。

 

「貴方は“素体のメインギア”でしょう?」

 

 ノーマが一瞬呼吸を止める。直後、大きく叫んだ。

 

「ダメだヒスイ!!!」

 

 その言葉で、ヒスイの手刀はシスターの首を半分裂いたところで止まった。引き裂かれたシスターの首からは大量の血が吹き出し、彼の真っ白なローブを深紅に染める。しかし、彼は痛みに顔を歪めつつも口角を上げた。

 

「ぐ……か、構いません。予想は、してました……」

「ノーマ様!! 殺害の許可を!!」

「ダメだ!! サンゴ!! シスターさんの治療を!!」

「は、はい!!」

 

 サンゴがヒスイを押し除けてシスターの首筋に手を(かざ)し、回復魔法で傷口を塞ぐ。シスターは喉に残った血を吐き出し、呼吸を荒くして微笑む。

 

「ありがとうございます……サンゴさん。ノーマさん。今ヒスイさんが私を殺そうとしたということは、推測は当たっているんですね?」

 

 ノーマは眉間に皺を寄せ、息を呑んで目を見開いた。

 

「まさか、ハッタリ……!?」

「いえ、ちゃんと根拠のある確信です」

 

 シスターは首の傷が塞がると、数回咳をしてからヒスイに目を向ける。

 

「そして、そのヒントの殆どは貴方がくれたものですよ」

「何……!?」

「これは忠告です。護るべき人がいるなら、甘えたことは言ってられません。”元人間の使奴“ならば、使奴との交流を増やすことをお勧めします」

 

 ヒスイは言葉を失う。何せ、出会って1日も経たぬうちに、高々20歳そこらの現代人などに正体を見破られた。目に見えて狼狽(うろた)えるヒスイの反応を見て、シスターは気の毒そうに息を吐く。

 

「…………いつだか聞きました。使奴の強さの秘訣は、身体能力よりも頭脳にあると。貴方がた(ちぬる)神社は、レシャロワークさんの所属するキャンディボックスという団体と協力関係にある。なのに、ヒスイさんは私とハピネスさんとラプーさんを、キャンディボックス所属だと信じてしまった……。使奴であれば、協力関係にある組織のメンバーなど1人残らず把握している(はず)ですよ」

「ぐっ……!」

 

 ヒスイは歯を食い縛り、眼光を鋭く輝かせ今にも飛びかかりそうな形相でシスターを睨む。しかし、シスターはまるで子供の強がりを一蹴するかのように説教を続けた。

 

「これでヒスイさんが他の使奴よりも劣っているということが分かりました。それを指摘しなかったところを見るに、コハクさんとサンゴさんも同様でしょう。他の使奴より劣っているということは、恐らくは記憶のメインギアや洗脳のメインギアによる調整を受けていない“未洗脳個体”……。しかし、先ほどコハクさんが仰った(ちぬる)神社の成り立ちが本当なら、皆さんは使奴研究所を出てからすぐに世間と隔離されている筈です。にも(かかわ)らず、皆さんは当時の人達と円滑にコミュニケーションが取れていました。ということは、未洗脳でありながら基礎的な知識を有していた……。ゼロから生み出された魔導ゴーレムではない。使奴になる前から知識を有していた元人間である可能性が高い」

 

 シスターが立ち上がって振り返ると、後ろに立っていたサンゴがビクッと身体を震わせて慌てて目を逸らした。その瞳は、ヒスイやコハク、そしてバリアやカガチと同じく綺麗な赤色をしていた。

 

「……確か、赤い瞳は第一世代の証だそうですね。初期に作られた元人間の使奴が、洗脳をされていないにも拘らず、黒痣ひとつなく存在していられる理由……。もしかして、皆さんは”加速劣化試験用モデル“だったんじゃないんですか?」

 

 そこまで言うと、サンゴは分かりやすく体を震えさせ始めた。そこへ慌ててノーマが駆け寄り、(うずくま)る彼女を優しく抱き締める。

 

「サンゴ……! 大丈夫、大丈夫だよ」

「うっ……うっ……! ノ、ノーマ、様……」

「ごめん、シスターさん。その話はやめてくれるかな」

 

 サンゴを抱き締めたまま、ノーマが若干の敵意が籠った口調で言い放つ。しかし、シスターはそれを冷たく見下ろしながら静かに首を横に振る。

 

「熱、光、風、湿度や放射線に波導風、(あら)ゆる過酷な状況を再現して、圧縮魔法を併用し擬似的に長期の経年劣化を与える耐久試験のひとつ。一般的な工業製品に用いられるこの試験を、使奴研究所は当然自社の“製品”にも行った。だから皆さんには、黒痣がない。使奴の肉体は頑丈だから、経年劣化程度ではビクともしなかった」

「シスターさん。やめて下さい」

「その頃にはまだ、使奴の発注は行なっていなかったのでしょう。サンゴさんの角は、よく見れば左右で質感が違う。ヒスイさんの獣の耳も左右で生物種が異なっている。コハクさんも(はかま)の下に隠してはいますが、どの生物種にも当てはまらない尻尾のようなものを持っている。まだこれらの動物的要素は実験段階だった」

「シスターさん!!」

「となれば、この3人は必然的に“素体のメインギアの存在を覚えている”可能性が高い!! 元人間ということがバレるだけで、その後の使奴研究所内での記憶を持っているとバレるだけで、ノーマさんの存在を知られてしまうかもしれないんですよ!!!」

 

 ノーマの声をシスターが遮って吼える。

 

「素体のメインギア……使奴を構成する使奴細胞を生み出す異能者……! 自殺を(こいねが)う使奴達、使奴を抹殺したい者達は、貴方を血眼になって探しています……!! 貴方さえどうにか出来れば、世界情勢は簡単にひっくり返る……!! 貴方達もそれを知っているからここに隠れているのでしょう……!! でも!! こんな生半可な青二才でさえも、この結論に辿り着けてしまうんです!!!」

 

 ノーマが目の色を変える。今までの嫌悪と敵意を塗り潰すように、今度は不安と恐怖が滲み始める。それはサンゴやヒスイやコハクも同じようで、額に汗を浮かべ視線を落としている。

 

「何より、気付いていますか? ヒスイさん」

「…………ああ? 何にだ」

 

 突然話題を振られたヒスイが、苛立(いらだ)ちを露わにしてシスターを睨む。

 

「今までの流れの全てを、“ハピネスさんが仕組んでいた”ということに」

「……っ!?」

 

 ヒスイがバッと振り返る。部屋の隅で簀巻(すま)きにされたハピネスは、頭にタオルを巻かれ口にタオルを詰め込まれたまま、頬だけを持ち上げて不気味に笑って見せた。

 

「アイツが……!?」

「ヒスイさん。貴方の異能は透明化ではない。そうですね?」

 

 ヒスイは顔に出ないよう跳ね上がる心臓を押さえつけるが、シスターはまたしても気の毒そうに目を伏せる。

 

「レシャロワークさんから私の異能の詳細は聞いていたのでしょう? 接触をトリガーとする記憶操作の異能……。それを知っていたにしては、さっきから“私に近づき過ぎ”です」

 

 ヒスイはハッとしてその場から飛び退く。それを見て、シスターは少し叱るように語気を強めた。

 

「もし記憶の全消去などされたら? そこへ私の記憶を移植しようものなら、ヒスイさんの肉体を私が乗っ取るも同義です。更に言えば、私がレシャロワークさんに話した異能の条件が本当に正しいと言う確証は? 接触ではなく接近や応答がトリガーだったら? でも、ヒスイさんはそのことに気付いていなかった……。いや、気付いていなかったと言うよりは、“気にする必要を感じていない”ように思えました」

 

 ヒスイの頬を汗が伝う。シスターが口を開くよりも早く、己の失態に気が付いた。

 

「コハクさんが創世の異能者なら、恐らくはサンゴさんが透明化の異能者……。そしてヒスイさんは、多分ですが“異能を無効化する異能者”。だからハピネスさんの思念体が見えたし、私にも無防備に近づけた。でも、あくまで異能の無効化は受動的な性能であって、何かしらを対象に発動する異能じゃない」

「……な、んで。そんなことがわかる」

 

 ヒスイの言葉はもう、相手を否定する強がりではなく、教えを乞う弱気なものになっていた。

 

「ハピネスさんの思念体は、物体を通り抜けることができます。なのでこうして……」

 

 シスターがソファから立ち上がる。すると、ヒスイの目にしか見えないが、ハピネスの思念体が“ソファの中からシスターに手を伸ばしている”のが見えた。

 

「床から地面に潜れば、当然ヒスイさんの目には映らない」

 

 ヒスイは数歩後退(あとずさ)って片手で顔を覆う。

 

「私は言いましたよね? 「警戒するなら、私ではなくハピネスさんじゃないんですか?」と。だって、使奴ならそうします。ハピネスさんの異能は、隠し事をしている者からすれば最も恐るべき異能です。もし私が使奴なら、ハピネスさんを真っ先に気絶させます。なのに、貴方は折角思念体が見えるのに、目先の脅威である私しか見ていなかった。それをハピネスさんは見逃さなかった。思念体で私と接触し、記憶、思考を共有し、(わざ)(おど)けて自らを拘束させ、安全地帯へと逃げ(おお)せた。……まあ、戯けているのはいつものことですが」

 

 ヒスイは全身から力が抜け、その場にぺたんと座り込んでしまう。命に代えても守ると誓ったノーマを、自分が一番危険に晒していた。彼女はこの事実が理解出来ないほど弱くはなかったが、すぐに受け入れられるほど強くもなかった。

 

「そ、そんな……。 そんな……!!」

「……ノーマさん。取引をしましょう」

 

 シスターはノーマの方へ体を向ける。

 

「今この場で私達2人を殺害するのも結構ですが……、私の仲間は必ず皆さんの正体に辿り着きます。そこで、私が仲間に口止めをします。ノーマさんの情報を口外しないで欲しい……と。いざとなれば異能で記憶を消しておきます。三本腕連合軍へのおつかいも(こな)しましょう。その代わり……私の仲間に手をあげないでください。特に、コハクさん」

 

 シスターが振り返ると、コハクはソファに座ったまま上目でシスターを睨む。

 

「……ボクかい?」

「貴方の創世の異能がどういうものか分かりませんが、もし”作ったばかりの何もない世界に誰かを閉じ込められるならば“、それは最早絶対に抜け出せない監獄になってしまう。”封印の異能“とも呼べる異能です。そんなことをされては、私の仲間はひとたまりもありません」

「そんなことを言われて、従えると思うのかな」

「従って頂きます」

 

 コハクは黙ったままシスターを睨み続ける。すると、ノーマが観念したように溜息を吐いた。

 

「分かった。従うよ」

「ありがとうございます」

 

 シスターはノーマに深く頭を下げる。ヒスイ、コハク、サンゴの3人も、何か言いたげではあったがノーマの決定には逆らえず沈黙したままであった。旅支度を整えるためにシスター、ハピネス、ラプー、レシャロワークの4名が部屋を出ていくと、ノーマは閉められた扉をじっと見つめてからポツリと溢した。

 

「まさか、本当にラプーさんの言った通りになるとは……」

 

 

 

 

 

(ちぬる)神社 中層 社務所(ハザクラ・ジャハル・ナハルサイド)〜

 

「まあ、というわけで……シスターさん達は今”工場の国“にいるよ」

 

 コハクが説明を終えると、ジャハルは口元に手を当てて静かに唸る。

 

「まさか、シスターがそういうことをする人間だったとは……。ウチの仲間がとんだご迷惑を」

「いやいや、言われた当初は頭に来たけど、冷静になってみれば彼の言う通りだったよ。ボク達だけじゃあ、とてもノーマ様を守りきれない。もっと早くに外へ助けを求めるべきだった。今までは運が良かっただけさ」

「安心してくれ。今後は我々も大いに力になろう。さて、そうと決まれば早速シスター達を追いかけなくては。……あれ? ナハル、ラデック達はどうした?」

 

 ジャハルが振り返ると、そこにはナハルだけがぽつんと椅子に腰掛けていた。

 

「……キッチンでたこ焼き作ってる。話の続きは後で私が伝えておこう」

「う。そうか……頼む」

「頼んだよ〜」



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三本腕連合軍
166話 爆走カーチェイス


〜三本腕連合軍 ダクラシフ街道 (シスター・ハピネスサイド)〜

 

 (ちぬる)神社を発ったシスターとハピネスは、レシャロワークの案内で三本腕連合軍を目指していた。現在は、レシャロワークが所属する“キャンディ・ボックス”の所有するコンパクトな四輪魔工車で、整備された広い道路をひたすらに走っている。

 

「……見渡す限りの砂漠ですね。岩砂漠でしょうか」

「あれぇ、シスターさん砂漠見るの初めてですかぁ?」

 

 運転手を務めるレシャロワークが、不思議そうに窓の外を見つめるシスターに問いかける。

 

「いえ……、診堂クリニックから随分南下してきたんだなぁと思いまして。(ちぬる)神社は診堂クリニックから結構離れているんでしょうか?」

「コハクさん曰く別次元らしいですからねぇ。マイグラのネザポみたいな感じじゃあないですかね?」

「マイグラのネザポが分からないんですが……」

「嘘ぉ。シスターさんマイグラやったことないんですか?」

「それがテレビゲームの一種だということは知っていますが……」

「え、じゃあケモ牧は? 大闘は? モン狩は!?」

「トランプとチェスくらいなら……」

「ええ……じゃあ道徳とか文字とかどこで学んだんですか……」

「教科書……」

 

 するとレシャロワークはバッグからゲーム機を取り出し、片手で器用にカートリッジを入れ替えつつ、助手席のシスターに渡す。

 

「じゃあコレ、どうぞぉ」

「え、結構です」

「ケモノ牧場2」

「結構です」

「ケモ牧は義務教育ですよぉ!」

「結構です……あ、ハピネスさんどうぞ」

 

 そう言ってシスターが振り向いて後部座席を見ると、ハピネスはシートに寝転がったまま虚な表情で手を振った。

 

「無理。死ぬ」

「……そういえば車ダメなんでしたね」

「うぅ……気持ち悪い……」

「多分ですけど、それ異能でどこかを見てるから酔うんじゃないんですか?」

「そうだけど。何?」

「いえ、別に」

 

 シスターは手にしたゲーム機をレシャロワークの鞄に戻そうとした時、カバンに縫い付けられたワッペンが目に留まった。冠を模したマークの真ん中に、”否が応でも思い出す目玉の紋章“。

 

「……そう言えば、レシャロワークさんの所属する団体。”キャンディ・ボックス“は、どういった団体なんですか?」

 

 少し薄暗いトーンで訊くと、レシャロワークは特に顔色を変えることなく淡々と話した。

 

「あー……。別に何か目的があってつるんでるってわけじゃないんですけどぉ……幼馴染集団……ってとこですかねぇ? 色々あって、今は”シュガーおじさん“に面倒見てもらってますぅ。最近顔見ないけどぉ」

「シュガーおじさん?」

「”元先導の審神者(さにわ)シュガルバ“。笑顔の七人衆って、聞いたことありませぇん?」

 

 シスターの心臓が、一瞬だけ締めつけられたかのように縮こまる。それは、キャンディ・ボックスの後ろ盾が笑顔の七人衆だったことではない。レシャロワークが、世界の元支配者であるシュガルバを馴れ馴れしく渾名(あだな)で呼んだことに対してである。

 

「その……レシャロワークさん達は、元先導の審神者に会ったことがあるんですか?」

「何回も。いや、言わんとしてることは分かりますよぉ。笑顔の七人衆って誰も彼も鬼ヤバだから、馴れ馴れしくしたら鬼殺されるんじゃないかーみたいに思ってるんですよねぇ?」

「まあ、はい。世界最強の7人組ですし……」

「それがねぇ、自分も最初は鬼ビビったんですけどぉ、シュガーおじさんに関してはマぁジで鬼意味分かんなくてぇ。なんて言うか……フツーのおっさん? って感じぃ」

 

 シスターは思わず後部座席のハピネスに意見を求めようとしたが、今はまだレシャロワークを信用する訳にはいかないと思い直し、ハピネス(先導の審神者)の素性を隠したままキャンディ・ボックスの成り立ちの話を聞くことにした。

 

「元々自分らは“存在しない村”……あ、言っちゃっていいのか。ノーマさん達に言われて診堂クリニックの傭兵的なことをしてたんですけどぉ。5年前くらいかな〜? シュガーのおっさんが自分らに取り入ってきて、仲良くしてるうちに後ろ盾として名前を使わせてくれることになったんですよぉ」

「何故、シュガルバは貴方達と交流をしようと思ったんでしょうか?」

「さぁ〜……。最初はキャンディ・ボックスの1人がボッタクリに遭ってるおっさん助けたら、それがシュガーおじさんだったんですよねぇ。そこからは、お礼だとか何だとかでちょくちょく会ったりなんだったり的な?」

「笑顔の七人衆相手に、怪しいとは思わなかったんですか?

「ん〜……。それがですねぇ。シュガーおじさんて、全くもって鬼フツーなんですよぉ」

「……それは、鬼なんですか? 普通なんですか?」

「普通普通。もうびっくりするぐらい普通のおっさん。なんでぇ、ぶっちゃけ身分明かされた後も半年くらい誰も信じてませんでしたからねぇ。ただただ愉快で、ちょっぴりドジで、オヤジギャグが好きで、好意が空回りするタイプの、変なおっさん。魔力も鬼凡だしぃ、ゲーム下手っぴだしぃ。だから、自分らキャンディ・ボックスも別に笑顔の七人衆一派って自覚ないんですよぉ。今思えば、診堂クリニックが平和だったのってシュガーおじさんが上手いこと何かしたりしてたのかなぁ」

 

 

 要領を得ないレシャロワークの話に、シスターは(いぶか)しげに眉を(ひそ)める。しかし、心のどこかで僅かに安堵していた。レシャロワークがもしも笑顔の国、“笑顔による文明保安教会”の支配下にあった場合、ましてや悪逆無道の片棒を担いでいた場合は、恐らくラルバと合流し次第彼女に殺されてしまうだろう。幾ら悪者とはいえ、ニクジマとのギャンブルでは自分の手術を手助けしてくれたという恩がある。更には、今こうして奇妙ながらも目的を同じくして歩む仲間でもある。一朝一夕の繋がりではあるものの、多少気を許した相手が遊び半分で殺されしまうのは、シスターも決して平気ではいられないだろう。

 

 

 

 ふとレシャロワークがルームミラーに目をやると、背後から近づいてくる一台のガソリン車が目に留まった。

 

「あ、“百機夜構(ひゃっきやこう)”の車だ。ちょいマズいかも」

 

 レシャロワークはアクセルから足を離し、緩やかに逸れて道を譲る。背後から近づいてきた平べったい黒塗りの改造ガソリン車は、レシャロワークと並走する瞬間に流し目でこちらを睨んだ後、何事もなかったかのように速度を上げて抜き去っていった。

 

「セーフっ。あれ、三本腕連合軍の雇われギャングですよぉ。怖かったですねぇ」

「雇われギャング? 用心棒みたいなものですか?」

「用心棒よりもうちょい緩いめの口約束的なぁ? グルメの国で言うところの“空腹の墓守”的な関係……。あ、そうそう。確か“百機夜構”の族長が“空腹の墓守”の元No.2でしたねぇ。“ピンクリーク”って言うムキムキマッチョのお姉さん。目と態度が怖いんですよぉ」

「三本腕連合軍の味方ならば、私達は襲われる心配はないんじゃありませんか?」

「いや、自分らの用事は“黒雪崩(くろなだれ)騎士団”にありますけど、“百機夜構”を従えてるのは“東薊(ひがしあざみ)農園”ですからねぇ。この2県はあんまし仲が良くないんで、その辺の扱いがどうなるかは全く……」

「悪魔の国のコモンズアマルガムと悪魔郷のようなものでしょうか」

「いや、戦争するほどではないんで。そこまで悪くはないかなぁ……?」

 

 暫くして、再び背後から改造されたガソリン車が近寄ってくる。しかし、今度は3台。

 

「あれ、これマズい?」

「どうしたんですか?」

 

 ルームミラーを覗くことが出来ないシスターは、レシャロワークが何に気付いたのかをすぐに察することが出来ず振り向く。すると、ついさっきまで3台だった改造車はさらに2台増え猛スピードで近寄ってきていた。

 

「え」

「飛ばしますよぉ!!」

 

 レシャロワークが慣れた手つきでギアを入れ替え、原動機に目一杯魔力を注ぎ込む。急加速によりシスターとハピネスは座席に体が張り付いて、内臓が圧迫される感覚に吐き気を催した。

 

「うっ……ハ、ハピネスさん大丈夫ですか!?」

「死ぬ〜」

 

 レシャロワークの車が急加速した途端、後ろにいた改造車も一斉に加速して猛追する。レシャロワークはサイドミラーで後続車の挙動を確認し、ニヤリと北叟笑(ほくそえ)む。

 

「砂漠のど真ん中で気炎万丈のカーチェイス……!! いいですねぇ!! “ラリカー”で鍛えたハンドル捌きっ!! とくと見よっ!!」

「レシャロワークさん……? まさか、運転技術もゲームで学んだんじゃ……」

「自分の知識の15割はアニメとゲームで出来ていますっ!!」

 

 タイヤが路面に削られ煙を吹き、擦れる度に獣のような甲高い音を響かせる。捻じ切る勢いで回転されるハンドル。その度にシスターは右に左にと体を引っ張られ、後部座席のハピネスはゴム玉のように車内を跳ね回る。

 

 しかしここは、幾ら広いとはいえ一本道の舗装された道路。それだけ乱暴にハンドルを切れば当然――――

 

「ちょっ、レシャロワークさん!? 前!! 前!! 道路から落ちます!!」

「道っつーのは!! 背中に伸びる軌跡でしかないっ!!」

 

 車体が一瞬宙に浮き、何よりも喧しかった走行音が消え去る。エンジンの駆動音と風切り音が(ようや)く鼓膜を揺らした直後、盛大な衝突音と共に着地の衝撃が車内を襲う。

 

「痛っ!! ハピネスさん生きてますか!?」

「死んだ〜」

「勝負はこっからですよぉ〜!! ミュージック・スタート!!」

 

 レシャロワークは衝撃のダメージなど毛ほども気にすることなく、カーステレオを操作してゲームのサウンドトラックを大音量で流す。愉快なトランペットとドラムソロが車内に鳴り響き、重厚なビートが心臓を締め付ける。背後から追走する百機夜構の車両群も次々に道路から飛び出し、岩肌にタイヤを擦り付けて追跡を続ける。しかし、向こうは車高車幅様々な改造車群。対するこちらは実質4人乗りの小さなコンパクトカー。最高速度、トルク、操作性、どれを取っても走り屋相手に敵う代物ではない。それでも、レシャロワークは楽しそうにニヤニヤと笑いながら前方を睨む。

 

 一台の追跡車が、一気に加速してレシャロワーク達を抜き去り左前方に構える。そして何かを仕掛けようと後部座席の窓から1人の人影が顔を出す。

 

「シスターさんハンドル持って!!」

「え!?」

「早く!!」

 

 シスターはレシャロワークに言われるがままハンドルを握る。すると、全身を枯らす勢いで魔力が吸い出されていく感覚に襲われる。

 

「うっ!?」

 

 魔工(まこう)工魔(こうま)が機械で魔力を制御する機構なのに対して、魔工は魔力によって機械を制御する。そうして魔力を原動力に走る車が魔工車である。つまり魔工車に於いては、運転手が注ぐ魔力量が車でいうところの排気量に相当する。

 

「レッツラゴー!!」

 

 複数人でハンドルを握り、エンジンの回転数を無理矢理上昇させ急加速する危険運転。やんちゃ盛りの若者の間で“ギャン飛び”と呼ばれる違法な走法である。

 

 速度を示すメーターの針が、表示限界の時速120kmを振り切って揺れる。尋常ではない急加速によって目の前の追跡者を抜き去り、そのまま小さな上り坂をジャンプ台のように駆け上がって空中へと飛び出す。再び訪れた僅かな滞空時間を挟み、着地とともに凄まじい衝撃がコンパクトカーを襲う。

 

「いでっ」

「痛っ!」

「吐く」

 

 しかし、衝撃が襲っているのは車内だけではない。当然車体にも着地のダメージは発生しており、それはサスペンションを挟まずダイレクトに伝わっている。その証拠に。

 

「あ」

 

 バキン、という金属音と共に、車軸はあっさりと折れてしまった。こうなってしまってはエンジンの回転はタイヤに伝わらず、自走は不可能となる。そして、着地したところも悪かった。一見平面に見える大地は若干左方向に傾斜がかかっており、着地の反動やハピネスのいた位置によって重心が崩れ、車体は呆気なくひっくり返る。

 

 突然天地が入れ替わるという貴重な体験と共に、シスター人生初のカーチェイスは幕を閉じた。シスターはシートベルトに引っ張られ逆さ吊りになったまま、ぼんやりと逆様の外の景色を眺める。四方を“百機夜構”の車が取り囲み、中から次々に構成員が降りてくる。

 

「……レシャロワークさん」

「何?」

 

 シスターは特に慌てる様子もなく、いや、慌てる意味がないからこそ全てを諦め、同じく隣で逆さ吊りになっているレシャロワークに静かに問いかける。

 

「運転、下手くそですね」

「まあ、無免なんで」



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167話 人生最悪の誕生日

〜三本腕連合軍 ダクラシフ街道〜

 

 雲一つない快晴。灼熱の岩砂漠を真っ二つに裂くハイウェイを、一台の改造車が疾走していく。運転手の女性の名は“リクラジック”。今年で35、いや、今日で35歳。走り屋“百機夜構”の殿(しんがり)を務める老兵レーサーである。

 

 元々落魄(おちぶ)れたチンピラの集まりだった百機夜構を今の統率の取れた武力集団にしたのは、数年前突如総長の称号を勝ち取った、元“空腹の墓守”のNo.2“ピンクリーク”であるが、それより以前の秩序を保っていたのは彼女による功績が大きい。

 

 入隊当時12歳だったリクラジックは、雑用という雑用全てを押し付けられ、半分奴隷のような役回りであった。そして、集団で違法走行をする際の殿も押し付けられ、後方から追いかけてくる国家権力や敵対勢力による圧力を、幼いその体に幾度となく浴びてきた。しかし、劣悪な環境で生まれたリクラジックにとって、誰かの役に立つ、誰かを助けるという役はこの上なく光栄なことだった。

 

 そんな愚直なまでに健気なリクラジックを見て、百機夜構は次第に態度を変えていった。リクラジックに押し付けていた雑用を自分達も進んで手伝うようになり、感謝し、尊敬し、褒め称え、家族以上に深い繋がりを持った仲間として受け入れるようになった。その善心は落魄(おちぶ)れたチンピラであった彼等同士の心をも繋ぎ止め、素行にも影響し始めた。

 

 それからというもの、彼女の担っていた殿という役目は別の意味を持つようになった。百機夜構の門番にして逆鱗。もし彼女に擦り傷の一つでも負わせようものなら、百機夜構に属する者全てが(きびす)を返して復讐しにくる。鉄壁と急所という相反する性質を兼ね備えた最強の殿として、23年経った今も百機夜構全構成員から全幅の信頼を置かれている。

 

 本日はそんな彼女の誕生日。前日から、隣国の“ダクラシフ商工会”にて盛大なパーティが催され、今は車の後部座席いっぱいに積んだ誕生日プレゼントと共に三本腕連合軍に帰国する途中である。リクラジックは35にもなって誕生日会を催されることへの気恥ずかしさと、仲間達からの祝福への感動で、ほんの少しだけ上の空だった。まだまだ引退は出来そうにないな、などとぼんやりと考えていた折、目の前を走る一台の乗用車が目についた。パステルブルーの診堂クリニック製コンパクトカー。最近フルモデルチェンジした流行モデル。の、旧型車。

 

 三本腕連合軍に於ける車というのは、言わばステータス。最もわかりやすい身分を誇示する方法である。機能性やこだわりが重視され、上司より良い車に乗ることは常識的にタブーとされている程。それに対し診堂クリニックでは、車は単なる移動の手段に過ぎず、無難でわかりやすい操作性の車が重視される。そんな三本腕連合軍で診堂クリニック製のコンパクトカーなど乗っていたら、後ろ指を指されることは間違いない。

 

 しかし、リクラジックには別のところに少し違和感があった。連休や週末でもないのに、如何にも個人所有らしき車が、不況真っ只中の三本腕連合軍に向けて、のんびりと急ぐ様子もなく走っている。別に三本腕連合軍にも診堂クリニック製の車が走っていないことはないが、三本腕連合軍的に言えば、目の前を走る車はあまりにも“ダサ過ぎる”。それが少し気になって、車両を追い越すのと同時に流し目で車内を窺った。

 

 金髪の女運転手と、白髪の同乗者。後部座席には、車酔いなのか横になっている者がひとり。一見すれば、ただの暢気な観光客。しかし、リクラジックには運転手の女性の顔をどこかで見たような気がしていた。

 

 追い越すと同時に、リクラジックはコーヒーを片手に何となく思い返す。どこで見た顔だっただろうか。あの、気迫も凄みも一切感じられない間抜け顔。確かどこかの集団に属していたような。そして、ああ、と小さく呟いた。

 

 そうだ。あの女は”キャンディ・ボックス“との会合にいた女だ。名前は確か”レシャロワーク“。何年か前に、三本腕連合軍と診堂クリニックとの首脳会談があった時に警備関連の会議で見た気がする。仕事の話中も、隅でずっとゲームしている変な女だった。

 

 ――――――――キャンディ・ボックス?

 

 フロントガラスの光景を塗り潰す勢いで、嫌な想像が目まぐるしくリクラジックの脳内を掻き乱していく。

 

 キャンディ・ボックス。診堂クリニック所属の警備隊でありながら、笑顔の七人衆“元先導の審神者シュガルバ”の直属隊。三本腕連合軍は“世界ギルド”寄りではないが、“笑顔の国”寄りでもない。“グリディアン神殿”や“崇高で偉大なるブランハット帝国”と同じく、完全に中立の立場。キャンディ・ボックスに下手なことをするわけにはいかない。しかし、“百機夜構”は思春期真っ只中の未成年や、学のないなんちゃって自由主義のチンピラも多く構成員に抱えている。もし奴らが遊び半分で彼らを襲おうものなら、“笑顔による文明保安教会”が“三本腕連合軍”を侵攻するきっかけになってしまう。そうなれば、全面戦争は避けられない。もしかしたら戦争どころか、波風一つ立てず静かに滅ぼされてしまうかもしれない。当然百機夜構は壊滅。三本腕連合軍の支配者層は、軒並み笑顔による文明保安教会の人間に入れ替えられてしまうだろう。

 

 身内のたった一回の些細な過ちで、国が滅ぶ。

 

 リクラジックの背筋を、燃えるように熱い冷や汗が伝う。視界を覆っていた妄想がほんの僅か途切れると、彼女は大慌てで車に搭載されている専用無線機を手に取る。

 

「こちらリクラジック!! 誰かダクラシフ街道にいないか!?」

 

 すぐさまスピーカーが応答を返す。

 

「こちらミノンラフル! さっき姐さんの誕生日パーティーの片付け終わって、皆とダクラシフ街道真ん中らへんまで来たとこです! どうしたんですか!?」

「アタシの少し後方に、キャンディ・ボックスの車が一台走ってる! 多分三本腕連合軍まで来るつもりだ!」

「うえええ!? マジですか!? 確かそこの元締めって、笑顔の七人衆ですよね!?」

百機夜構(ウチ)のキッズが馬鹿やる前に護衛しろ!! 奴らになんかあったら国が終わるぞ!!」

「ラ、ラジャー!! こっち8台いるんで、全員トばします!」

 

 無線を切り、リクラジックは傍に停車してキャンディ・ボックスの車を待ち伏せる。

 

「こっちまで来てくれりゃミノンラフルと挟める……一旦無理にでも止めて話聞いてもらうしかないな……」

 

 額の汗を拭いつつ、少しでも冷静さを取り戻そうと煙草を一度に2本咥える。火をつけようとライターを手にしたところで、ルームミラーに映る緩いカーブの先からコンパクトカーが顔を出した。しかし、先程までの安全運転とは打って変わって、まるでタイヤがバーストしたかのように蛇行を繰り返して白煙を噴き上げている。

 

「えっ、はぁ!?」

 

 思わず煙草を口から落として振り返るリクラジック。レシャロワークの乗った車は、何を思ったのか荒く拙いハンドル捌きで出鱈目なドリフトを繰り返した後、エンジンを唸らせて岩砂漠へと盛大に飛び出していった。

 

「おいおいおいおい何何何何なんなんだよっ!!」

 

 リクラジックが慌ててUターンを始めると、堰を切ったように無線から阿鼻叫喚が流れ出す。

 

「ぎゃあ!! なんか分かんないけど奴ら逃げてます!!」

「追ってくださいノンちゃん!! 修理費のことは考えないで!!」

「げげげげぇ〜!!」

「まぁじぃ!? 俺新装したばっかなんだよぉ〜!!」

「テツ兄オフロードだろ先陣切れよ!!」

「馬鹿言うなよ!! 俺だってメンテしたばっかだよ!!」

「自分タイヤ圧下げました! 行きます!!」

「勘弁してよもぉ〜!!」

 

 次々に砂漠へと飛び出していく改造車群。リクラジックもすかさず後に続き、ハンドルを握り締めて前方を睨む。

 

「なんで逃げてんだアイツら……!? おい誰か! 運転手について何か知ってるやつはいないか!? レシャロワークっつー金髪の女だ!」

「レシャロワーク? えーと誰だっけ……。聞いたことあるような……」

「あれじゃない!? 前の打ち合わせの時、端っこでずっとゲームしてた人!」

「えっ!? あれってシャロちゃん!? マジ!? 僕知り合いだよ!!」

「ジンダローほんと!?」

 

 隊列の最も左に構えていた巨大なタイヤの四輪駆動車の運転手。“ジンダローガード”がアクセルを踏み込み前に出る。

 

「確かあんとき丁度おんなじゲームハマってて、それからシャロちゃん帰るまでずっと一緒に遊んでたんだよね〜。懐かしいなぁ〜」

「よしジンダロー!! お前ちょっと前出て止めてこい!!」

「オッケー!!」

 

 ジンダローガードはギアを入れ替えて加速してレシャロワーク達を抜き去り、アクセルを踏みつけたまま窓から身を乗り出す。

 

「お〜いシャロちゃ〜ん!!」

 

 しかし、ジンダローガードが手を振る直前、レシャロワークの乗るコンパクトカーはレーシングカー顔負けの超加速を見せ、小さな上り坂をジャンプ台代わりに空へと飛び出した。

 

「ええええええええええ!? シャロちゃんなんでぇ〜!?」

 

 友人の素頓狂(すっとんきょう)な行動に、ジンダローガードは思わず段差を避けるのを忘れ目を丸くする。

 

「ぎゃっ」

 

 そして段差に乗り上げて大きく揺れた車体から振り落とされ、顔面から岩肌に落下する。なんとか咄嗟に防御魔法を展開して一命を取り留めるも、首はあらぬ方向に曲がり腕は折れ、自慢の四輪駆動車は勢いのまま大岩に衝突してしまった。

 

「痛ぁ〜い……うぅ……シャロちゃんなんでぇ〜……?」

 

 そして当のレシャロワークはと言うと、無茶をしすぎたせいでコンパクトカーの車軸が折れ、そのまま勢い余って横転しひっくり返った。

 

「と、止まった……」

「……マジで何だったんだ……?」

「これさ、私らが追い詰めたせいとかじゃないよね?」

「いや流石にこれ俺らのせいにされても……」

「だ、誰かに見られたら面倒だ! さっさと本部連れて行こう!」

「どうする? 念の為顔隠す?」

「念の為、念の為な……」

「うわぁ〜頼むよマジでぇ〜……笑顔の国と喧嘩とかホントやめてくれよぉ〜……」

 

 百機夜構の構成員達は、互いに不安そうに顔を見合わせる。その表情は単なる心情だけでなく、無理に悪路を走ったせいで腰やら首やらを痛めたせいでもある。ジンダローガードに至っては未だ落車した地点で激痛に身を悶えさせており、仲間が数人で必死に介抱をしている。自慢の車両群は無理な走行で損傷し、数台はパンクで走行不能。幾ら強国との軋轢(あつれき)を避けるためとは言え、高過ぎる代償を支払った百機夜構。それでも未だ祖国滅亡の妄想は頭から離れず、暫くは笑顔の七人衆の幻影に怯えるしかない。

 

 リクラジックの人生最悪の誕生日は、えずくほどに()えた苦味の中で幕を閉じることとなった。

 

 

 

 後に百機夜構を引退し、三本腕連合軍屈指の人気ブロガーとなるリクラジックだが、晩年に執筆した自伝の一節にこう(つづ)っている。

 

「アタシが人生で最も多くされた質問。それは、“1番手強かった車はなんですか?”。というものだ。誰もが、世界最強は自分の好きな車種なんじゃないかと目を輝かせ尋ねてくるが、その誰もが次の瞬間には不満そうな渋い顔をして首を傾げる。コイツ、ふざけてるのか? ってね。でもアタシは大真面目さ。毎回大真面目に、「診堂クリニック製の、5年落ちのコンパクトカー」って答えるのさ」

 

 

 

〜三本腕連合軍 東薊農園(ひがしあざみのうえん) 百機夜構本部ビル〜

 

 地上7階コンクリート造のビル、その最上階。厳かな会議室の奥の椅子に深く腰掛ける、1人の女性。顔半分を覆う深い青の髪に、ジャケットの下に見える大木のように盛り上がった筋肉。百機夜構総長“ピンクリーク”が、酷く(いら)ついた表情で煙草を深く吸い込む。

 

「ふぅ〜……。で、レシャロワーク」

「あい」

 

 子供も泣き出すような眼光が、対面に座るレシャロワークに突き刺さる。しかし、当の彼女はどこ吹く風で鞄の中から水筒を取り出し飲んでいる。

 

「3年前の会議の時に、オレが言ったことを憶えているか?」

「先週の朝ごはんなら思い出せるんですけどねぇ」

「三本腕連合軍に用があるときは、一報よこせ。お前ら、笑顔の七人衆の一派だっつー自覚あんのか?」

「ないんだなぁコレが」

「第一、何で逃げんだよ……! お前らの車じゃ、どうやっても逃げ切れねーだろうが……! せめて応戦だろ……!」

「すんませぇん。なんか楽しくなっちゃってぇ」

「お前らに何かあれば、笑顔の国の連中がウチを攻める口実になる。そのくらい察しがつかねーのか……!?」

「え、自分らなんかされるんですか?」

「もしもの話だ……!!」

「もしもかぁ」

 

 全く以って危機感のないレシャロワークの態度に、ピンクリークは頭を抱えてぼやく。

 

「クソ……。何でキャンディ・ボックスの連中はどいつもこいつも話が通じねーんだ……!」

「現代っ子なんで……」

「そうじゃねぇだろ……!」

「違うかぁ」

 

 そこへ、ノックと共に扉を開いて2人の人物が現れる。

 

「おうリクラジック、散々な誕生日になっちまったな。ジンダロー。首は大丈夫か?」

「お疲れ様です総長、全くですよ……。折角の誕生日プレゼントも、揺れで何個かダメになりました」

「お疲れ様です総長……。まあ、大丈夫じゃなくはないです」

 

 ジンダローガードの姿を見ると、レシャロワークは片手を上げて「あら」と声をかける。

 

「ジンダローさんお久ですぅ。首どうしたんですかぁ?」

「…………シャロちゃん。僕、前走ってたのわからなかったの……?」

「え、全然。そうなんですかぁ?」

「そうなんですよぉ」

「あらまあ」

「シャロちゃんが逃げるから……、勢い余ってこの様なんですよぉ」

「あらまあ」

 

 今度はレシャロワーク以外の3人が頭を抱えた。

 

 その会話を隣の部屋で聞いていたシスターは、目の前に座る濃い金髪の人物、百機夜構の前総長、現副長”マルグレット“に深く頭を下げる。

 

「申し訳ありません……。私がもっと強く止めていれば……」

「いや、あの馬鹿(レシャロワーク)は止まんないよ。気にしないで」

 

 マルグレットは長い揉み上げを手遊びに弄りながら、目の前に座るシスターとハピネスに提案をする。

 

「要するに、シスター達は東薊農園(ウチ)じゃなくて、黒雪崩騎士団(あっち)に行きたかったんだよね?」

「はい。そこの、“ステインシギル”工場長にお会いしたいんです」

「それはちょっと難しそうだねぇ〜。ま、ウチからは何もしてあげられないけど頑張りなよ。代わりにコレあげるね」

 

 そう言って、マルグレットは歯車を模した髪飾りを3つ差し出す。

 

百機夜構(ウチ)のバッジ。これはお客さん用ね。コレつけてればウチの若いのも絡んで来ないよ。結構大事なやつだから無くさないでね」

「ありがとうございます、マルグレットさん」

「いいよいいよ。ただ、笑顔の国になんか言うのはナシね? それだけは本当にヤバいからさ。お互いに」

「ご安心下さい。今回のことでレシャロワークさんの危うさはよく分かりました。次はブン殴ってでも止めます」

「うん…‥頼むね」

 

 マルグレットは未だ不安そうに指先を何度も組み直して視線を落としている。笑顔の七人衆の死を知らない彼女らにとっては当然の反応だろう。いつどのタイミングで、笑顔による文明保安教会が因縁をふっかけてくるのか、それとも見逃してもらえているのか、彼女らに知る術はない。人は隕石に怯えても、空を見上げることしかできない。

 

 シスターもマルグレットと同じく不安そうに視線を落とす。彼もまた、不安に怯えるもののひとりなのだ。しかし、シスターがマルグレットと違う点は、“自分こそが隕石になってしまうのではないか”という不安だった。今までは、ナハルが隣を歩いてくれていた。使奴が見守ってくれていた。今は、ひとりで歩いて行かなければならない。ひとりで善行を成さなくてはならない。

 

 今になって、ニクジマに言われた言葉が胸を刺す。

 

 

 

 

「お前ら正義人は、いつだってそうだ……!! お前の正義が世界の正義と信じ、それに仇為す正義を悪と罵り貶る……!! 願望と真実を混同して語るっ……!!」

 

 

 

 

 

「……願望を真実にすれば、文句はありませんよね」

「ん? 何か言った?」

「あ、すみません。何でもありません」



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168話 暗雲立ち込める快晴

〜三本腕連合軍 東薊(ひがしあざみ)農園 黒雪崩騎士団行き列車〜

 

 真っ黒な煤煙を上げる汽車が、甲高い金切音を上げてホームに停車する。しかし、その車内からは幾つかの人影が降りてきただけで、乗る人もほんの僅かしかいない。この駅に来るまでの間、家路に着くであろう人と多くすれ違ったが、ここだけは寂しいほどに閑散としている。

 

 シスター、ハピネス、レシャロワークの3人が駅員に会釈をすると、駅員はハッとしたような顔で敬礼し一歩下がる。運賃を支払おうと差し出したシスターの手が行き先を失うと、駅員は静かに首を横に振った。

 

「……どうも、ありがとうございます」

 

 シスター達はそのまま切符を受け取ることなく入り口を素通りし、ガラガラの車内を見回し角の空席に腰をかける。

 

「このバッジのお陰でしょうか」

 

 マルグレット副長から拝借した百機夜構(ひゃっきやこう)のバッジを、シスターが指先で撫でる。

 

「そうっぽいですねぇ。列車乗り放題はありがたいですねぇ。診堂クリニックじゃあ定期券買ったって1割も引かれないのにぃ」

 

 隣に座るレシャロワークは車内が空いているのをいいことに、長い座席に寝そべってゲーム機を取り出す。乗り物酔いの激しいハピネスはというと、珍しくシスター達から少し離れたところに立ち車内広告を眺めている。シスターが隣に立って広告を覗くと、そこには真っ白な歯を輝かせる胡散臭そうな色白の男が、「デキる人はみんなやってる! ”鳳島(おおとりじま)輸送“式ヒューマニズムトーク法!!」という見出しと共に掲示されている。

 

「ハピネスさん? この方がどうかしましたか?」

「…………」

「ハピネスさん?」

「ふぅむ。成程?」

 

 突然背後から発せられた声に、シスターは思わず身を強張らせて振り向く。そこには、青白いウェーブ髪に中折れ帽を被った背の高い細身の男が首を傾げていた。灰色のスーツに臙脂(えんじ)色のネクタイという、少し風変わりなスーツ。男は帽子のツバから吊り下げた片眼鏡を調整し、車内広告をまじまじと見つめる。

 

「何の変哲もない、ぽっと出のインフルエンサーだな。特別気にするような代物ではない。私であれば、この窓に反射しているあの広告……。来週公演の演劇、“哀れなドブネズミに捧ぐ僅かな光”の方を見るがね。脚本家は全くの無名ながらも異質の実力者と評判だ。……しかし、だとすると、そこの金髪の方は私の存在に気が付いて、椅子に座るよりも比較的逃げ場を確保しやすい乗降口近くに移動したという訳だろうか?」

 

 男は立板に水を流す勢いで捲し立てるが、ハピネスは顔を逸らしたまま何も反応を見せない。男はその様子を不思議そうに眺めた後、シスターの方に向き直る。

 

「成程。彼女は相当に疑り深い性格のようだ。ではご友人にお伺いしよう」

「え、あ、はい……」

 

 シスターはほんの少し助けを求める気持ちでレシャロワークの方を見るが、彼女はこちらには一瞥もくれずゲームに夢中になっている。

 

「ふぅむ。ではまず自己紹介をば。私は東薊(ひがしあざみ)農園工場長、名を“ティスタウィンク”。お見知り置きを」

「ティ、ティスタウィンク……!?」

「ふぅむ。やはり知っていたか。初対面の人間に名前だけが知られているというのは……、何度経験しても慣れない」

 

 “ティスタウィンク”。東薊(ひがしあざみ)農園の県知事的存在“工場長”にして、テレビゲーム制作を主とする合名会社“ストライクゾーン”の開発部長。そして、世界中にありとあらゆる精密機械をタダ同然でばら撒き、デジタル文化促進に大きく貢献した功績で広く知られている。

 

 その名前を聞いたレシャロワークが、寝そべっていた身体を勢いよく起こしてゲーム機を手に駆け寄る。

 

「ティスタウィンクさん!? マジ!? 自分、鬼ファンです」

「ん? 誰だ貴方は」

「キャンディ・ボックス所属、レシャロワークと言います! ケモ牧シリーズは全作鬼やってます! これ、自分の愛機“ストライクプレイヤー3、ケモ牧2モデル”です! ティスタウィンクさんがこのゲーム機ひとつで最新ゲームも遊べるようにしてくれてるお陰で、6年経った今でも現役バリバリです!」

「一番好きなゲームは?」

「ケモ牧2です!!」

「総プレイ時間は?」

「5000時間です!!」

「やり過ぎ。真面目に働いて勉強をしなさい」

 

 興奮するレシャロワークにティスタウィンクは冷たく言い放ち、近くの座席に腰をかける。そして、窓の外を眺めながらシスターに向けて話しかける。

 

「我が東薊(ひがしあざみ)農園では、既に殆どの交通機関が電車に切り替わっていて、一部都心では地下鉄も普及している。去年開通したばかりではあるが」

「は、はい?」

「この汽車も早々に電車と入れ替えてしまいたいのだが……、パンタグラフ敷設の工事が黒雪崩騎士団側の地域住民の反対でストップしている。「強い電気は人体に悪影響」だとか……。電磁波の“で”の字も知らぬ黒雪崩騎士団の無学徒が、一丁前に科学を語っている。誰かの入れ知恵なのは目に見えているが、実に不愉快だ」

「そうですか……頑張ってください」

「そんな折、貴方達が入国してきた。黒雪崩騎士団の工場長“ステインシギル”に会いたいのだろう? 私が口利きをしてやる」

「…………私達に何をさせる気でしょうか」

「話が早くて助かる」

 

 訝しげなシスターの眼差しに、ティスタウィンクは朗らかに笑う。

 

「ステインシギル工場長に会ってきてほしい」

「……会って、何をするんですか?」

「別に何も。後は貴方達の用事を済ませればいい。おっと! 奇遇にも貴方達と目的が同じだ! 実に都合がいい!」

 

 上機嫌で手を叩くティスタウィンクを、依然として(いぶか)しげに睨むシスター。しかし、その顔の(しわ)はより深く、より忌避感の強いものになっていく。すると、ティスタウィンクは再び嬉しそうに笑った。

 

「話が早くて助かる」

 

 

 

 

 

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 “反霊式大魔導炉”〜

 

 絶えず辺りに響き渡る重低音。黒雲のように夕暮れ空を埋め尽くす濁った赤と緑の波導煙。鉄と、油と、炎。そして少しの薬品臭。橙色の西陽が照らす鉄の建造物群の隙間を、宛ら雑草の隙間を歩く蟻のようにシスター達は歩いて行く。

 

「自分は前にも来たはずなんですけど、全然覚えてないもんですねぇ〜。あのデッカいドームが大魔導炉ってやつですかね? 上からめっちゃ出てる緑と赤の煙ってキモいですねぇ〜。エイリアンの体液みたい。体に悪そぉ〜」

 

 壊れたオモチャのように絶えず喋り続けるレシャロワークを無視して、先頭を歩くティスタウィンクは上着を手に持って暑そうに団扇で顔を仰ぎ続けている。

 

「ふぅむ。ここはいつ来ても暑い。臭いし。どうしてこんな鉄のスパゲッティジャングルなんかが文化遺産になるんだ? まだ“鳳島(おおとりじま)輸送”の棚田の方が価値がある」

 

 そんな悪態を溢すと、近くで作業していた半裸の作業員達がムッとした顔でこちらを見る。ティスタウィンクは視線に気がつくと、(にこや)かな笑顔で近寄り名刺を差し出した。

 

「こんな汗臭い油溜まりより、空調の効いた我が東薊(ひがしあざみ)農園で働かないか? 決断の早いエンジニアはいつでも歓迎だ」

 

 名刺を差し出された女性労働者は首からかけていた布で汗を拭うと、ティスタウィンクから名刺を奪い取って足元の深穴に放り投げてしまった。

 

「帰れよ“モグラ”野郎。誰がテメーらの工場建ててると思ってる」

 

 労働者達に睨まれティスタウィンクは足早に遠ざかるが、去り際に手を振って捨て台詞を吐く。

 

螺子(ネジ)も家も装飾も、全ては近い将来機械だけで作れるようになる。氷河期はすぐそこだ! 失業したら我が東薊(ひがしあざみ)農園へ! ……決断が遅いノロマはお断りだが」

 

 労働者達の殺意に満ちた視線を背中に感じながらその場を離れる一行。そして、シスターがティスタウィンクの行動に苦言を漏らした。

 

「誇りを持って働く人を蔑ろにするのが東薊(ひがしあざみ)農園のやり方ですか?」

「蔑ろ? 私は彼等に敬意を持っている。敬意を持っているからこそ、彼等が路頭に迷う姿など見たくない。技術者を欲しいていることは嘘ではないがね」

「彼等だけでなく、彼等の誇りも尊重して下さい」

「どんな美しい花も、要らぬ枝を切り落とすことで価値を持つ。誰かが剪定をしてやらなくてはな」

「……平行線、ですね」

「心配要らない。貴方の忌み枝も、いずれ私が切り落としてやろう。貴方は正しさを理解する価値がある」

 

 シスター達が巨大な鉄のドームの中へ入って行くと、入り口でトラックの搬入出を管理していた作業員が数名立ちはだかった。

 

「何だぁ? 東薊(ひがしあざみ)農園のお偉いさんが、ウチに何の用だよ」

「パソコンばっかしてるもやしっ子にこの熱気はキツイだろ? さっさと帰れ」

 

 作業員の悪態など意にも介さず、ティスタウィンクは柔かに微笑む。

 

「ステインシギル工場長に会いに来た。彼女等がな」

 

 そう言ってティスタウィンクがシスター達を紹介するが、作業員達の態度は変わらない。

 

「工場長に? 馬鹿言え。なんで工場長がアポも無しで出てこなきゃなんねーんだ」

「ふぅむ。私の紹介を断ると? では私も今後貴方達の申し出を無碍(むげ)に扱っていいわけだ。それは実に助かる。今後は“東薊(ひがしあざみ)農園”なんて貧弱なもやしっ子なんかより、力と金のある“鳳島(おおとりじま)輸送”を頼るといい。ま、私はアレに頭を下げるくらいなら喜んでダクラシフ商工会の軍門に下るがな」

「…………クソッ。陰険もやし野郎が」

「簡単には権力に屈しない姿勢は評価に値する。我が東薊(ひがしあざみ)農園に転勤しないか?」

 

 作業員はティスタウィンクを無視して、鉄柱に備え付けられていた受話器を手に取る。

 

「あー……こちら4番ゲート。東薊(ひがしあざみ)農園のティスタウィンクが来てると工場長に伝えてくれ。………………あ? うっせー、オレだってやれりゃそうしてるわ。いいから早く」

 

 作業員の問い合わせから間もなく、ゲート奥の関係者用通路のランプが赤から青に点灯する。ティスタウィンクは満足そうに笑い、シスター達の方を向く。

 

「さて、あの通路を進めばステインシギル工場長に会えるだろう。もし会えなかったらまた私を訪ねるといい。無論、他の用事でも構わない。貴方達のような聡明な人間はいつでも歓迎だ、では、また会う日まで」

 

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 “反霊式大魔導炉” 応接室〜

 

 絶え間なく上下運動を繰り返している資材運搬用エレベーター。その周囲を螺旋状に囲む非常階段。それを数階分登った道中にある小部屋。機械室と刻まれた文字の上に貼られたビニールテープには、油性ペンで“応接室”と書かれている。シスターがその扉を開くと、中には数個のパイプ椅子と、中央に置かれた大きめの長机。そして、丁度反対側の扉から入ってきた1人の女性が出迎えた。

 

「俺が“ステインシギル”だが……。お前等は誰だ?」

 

 桃色の長髪。色白の肌。作業員達と同じく、サラシと腰巻きだけの薄着。ジャハルと同じ額を覆う黒痣に紅蓮の瞳が浮かんでいるが、その眼光はジャハルとは似ても似つかぬ錆びた槍のような鋭さと敵意を孕んでいた。

 

 シスターがレシャロワークに目配せをすると、レシャロワークは一歩前に出て深く腰を曲げて頭を下げた。

 

「どうもー。“ヒスイ”さんのお使いで来ましたぁ。キャンディ・ボックス所属のレシャロワークって言いますぅ」

「ヒスイ……?」

 

 ステインシギルが怪訝(けげん)な目でレシャロワークを睨み、それからシスターとハピネスに視線を移す。

 

「……俺からは特に話さねぇ。言いたいことがあるなら勝手に言え」

 

 (ちぬる)神社の一切は口外無用。事情を知りつつも、未だ3人を信用していない素振りのステインシギルに、レシャロワークは一切を気にすることなく話し始める。

 

「じゃあ遠慮なくぅ。何か工場長が最近連絡くれないって心配してましたよぉ。でぇ、何か力になれることがあったら手伝って来てって言われましたぁ。何もなければ帰りまぁす」

「……ああ、別に変なことはねぇよ。不況でクソ忙しいだけだ。帰れ」

「じゃあ遠慮なくぅ。あざっしたぁ」

 

 立ち去ろうとするレシャロワークの腕を、シスターが掴んで引き留める。そして、ステインシギルに尋ねる。

 

「それでは、私達からお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「あ? お前等、俺の手伝いに来たんじゃねーのかよ。ただでさえ忙しいってのに、何でお前等の頼みなんか……」

「本当に些細なことでいいんです。手伝わせてください」

「不況だっつってんだろ。タダ働きでもしてくれんのか? 育成コストの方が高くついちまうよ」

「そうではありません。その、不況の原因だとか、障害となっていることの調査とか、そういったことでいいんです」

「それが分かったところでどーすんだよ。俺に皇帝にでもなれっつーのか?」

「違います。ただ……もしかしたら、私達の知らないところで”何か“が起こっているかもしれません」

「何か? 何かって何だよ」

「分かりません……でも――――」

 

 シスターは不安そうに目を逸らす。そして、無意識のうちにハピネスに向けようとしていた視線を堪えて足元に向ける。

 

 あのハピネス(先導の審神者)が、この国に来てから一度も口を開いていない。

 

「何か恐ろしい事態が、起こっているような気がしてならないんです」

 

 彼女の目に映る暗雲を、シスターは見ることができない。



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169話 闇より出でる土竜たち

 約200年前、この地には”東薊農園“という小さな農園があった。慎ましく質素に暮らしていた彼等の大切な農園は、旧文明を滅ぼした大戦争に巻き込まれて呆気なく焼け野原となってしまった。

 

 そこへ、2つの勢力がやってきた。

 

 陸からは、北方の王国を守っていた”黒雪崩騎士団“。海からは、遥か遠くの島国に本社を置く”鳳島輸送“。いずれも大戦争の戦禍に追われ、命からがら逃げてきたと言う。

 

 どの勢力も、決して友好国同士とは言い難い仲だった。しかし、今となっては同じ穴の狢。難民同士争っても仕方がない。誰もが、この戦争を生き延びることに必死なのだ。誰と誰が、何のために戦っているのかすら分からなくなった大戦争で、彼等は共に生きて行くことを誓った。

 

 

 

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 ”反霊式大魔導炉“ 応接室〜

 

「それがこの国、”三本腕連合軍“の始まりだと言われている。お前等も、どこの国出身か知らないが学校かどっかで習ったことあるだろ」

 

 ステインシギル工場長の言葉に、シスターは静かに頷く。

 

「お互いの勢力の(いが)み合いを止めるために、それぞれの代表者3名が和睦を誓った時の写真。それが国旗の元でしたね」

 

 壁にかけられた大きな旗には、バツを描くように黒と青の腕が交差し、その中心を跨ぐように黄色の腕が重ねられている。

 

「黒が黒雪崩騎士団。青が鳳島輸送。黄が東薊農園。一つの国として対等な関係を目指して作られた国旗だったんだが……、今じゃこのザマだ。俺達”黒雪崩騎士団“は技術革新の輪から弾かれ、回ってくる仕事は下請けばっか。東薊農園は技術開発に感けて政権を鳳島輸送に取られた。その鳳島輸送は、黒雪崩騎士団と東薊農園が作った製品の劣悪な模造品を大量生産して、地元民奴隷化して各国にばら撒いてる。そのせいで賃金も物価も軒並みダダ下がり。ただでさえ税収少ないってのに、黒雪崩騎士団(ウチ)は火の車どころか燃え尽きる寸前だ。今はまだ俺が東薊農園に頭下げて何とか介護してもらっちゃいるが……、黒雪崩騎士団県民はそのことを知らない。俺の支持率もあと何年保つか……」

 

 次から次へと際限なく愚痴を溢すステインシギルに、シスターは目を伏せて俯く。

 

「……先程ティスタウィンクさんが、外で働いている方に「氷河期はすぐそこだ」と勧誘をしていましたが、強ち間違いでもないのですね」

「はっ。間違いどころか大正解だよ。アイツも口と性格と根性は超が付くほど悪いが、勘と勘定だけはピカイチだ。口ではそれっぽく聞こえるだけの屁理屈暴論言いながらも、何だかんだ本質は外さねぇ。今回お前等の手助けしたのだって計画の内だろうよ」

「知っていたんですか?」

「まー幼馴染だしな。アイツが善意だけで人助け何かする筈ねーんだ」

「お、幼馴染!?」

「昔っからそーゆー奴なんだよ。器用なんだか不器用なんだか……、敵は多いが味方も多い。トラブルメーカーに違いはねぇけどな」

 

 ステインシギルは乱暴に髪をガシガシと掻き、「どっこいせ」と気怠そうに腰を上げた。

 

「さてと。まあ、つーわけで……今この国は大絶賛三つ巴で嫌がらせ合戦の真っ只中だ。お前らの頼みが何にしても、直接手ェ動かして手伝ってはやれねぇ」

「構いません。その代わり、ステインシギルさんの権力をお借りしてもよろしいでしょうか。私達は3人とも、百機夜構に半ば誘拐される形で入国しています。権力による後ろ盾が欲しいんです」

「あー……なるほどな。そんぐらい好きにしな。その服に付けてる百機夜構のバッジがありゃ大体は平気だろうけど、まあ、なんかあった時には俺の名前出しゃいい。あ、先にティスタウィンクの名前出せよ? 出来る限りの迷惑はアイツに押し付けろ」

「はい。ありがとうございます」

「そんじゃあ俺は仕事に戻る」

 

 ステインシギルが大欠伸を溢しながら背を向けたその時、応接室の扉が勢い良く開かれた。

 

「お、親方!! 大変です!!」

「あ? どうした?」

 

 ぜえぜえと息を切らしながら叫ぶ作業員は、全身の汗を拭うよりも前に告げる。

 

「ティ、ティスタウィンク工場長が、殺されました……!!!」

 

 

 

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 ”反霊式大魔導炉“ 南第三融霊(ゆうれい)プラント〜

 

「どけ!! 道開けろ!!」

 

 野次馬でごった返す工場内を、ステインシギルが乱暴に掻き分け前に進んでいく。その後にシスター達3人も続き、なんとか見失わないよう追いかける。そして人混みの先、工事のために深く掘られた縦穴の横に、ティスタウィンク工場長が横たわっていた。

 

「ティスタウィンクさん!!」

 

 慌てて駆け寄ろうとするシスターを、ステインシギルが咄嗟に抑えつける。

 

「お前は引っ込んでろ……!」

「で、でも……!」

「いいから!! そこにいろ!!」

 

 ステインシギルはシスターに強く言い放ち、ひとりティスタウィンクの隣に近づき跪く。すぐ側では数名の医者が、今にも泣きそうな顔でステインシギルを見つめている。

 

「も、申し訳ありません工場長……!! 我々が駆けつけた時には、既に死亡しており……!!」

「……何があった」

 

 一切の狼狽を感じさせない落ち着いたステインシギルの呟きに、そばにいた作業員の1人がハッとして一歩前に出て口を開く。

 

「は、はい! えっと……つい1時間ほど前に、ティスタウィンク工場長が視察に来られまして……。それから冷凍室の警報が鳴って、見に行ったら中でティスタウィンク工場長が倒れていました。冷凍室は老朽化で所々亀裂が入っており、そこから処理場の煙が入ってきていたようです。死因は、この煙を多量に吸い込んだことによる一酸化炭素中毒だそうです」

「“殺された”ってのは?」

「はい。その冷凍室の亀裂なんですが、このプラントに勤めている“バシュオウト”という者が先月修繕をしているんです。しかし、先ほど確認したところ亀裂に詰めた補修剤が全て剥がされていました。そしてそのバシュオウトは、今朝出勤のタイムカードを押したのを最後に行方が分からなくなっています」

「そいつが殺ったって確証は?」

「……バシュオウトは2ヶ月ほど前からここに転職してきたそうですが……、前の職場に奴の連絡先を聞こうと連絡したところ、「そんな人間は知らない」とのことでした。それから更に調べたところ、恐らくバシュオウトは“鳳島輸送”の人間であることが判明しました」

「すみません。ちょっといいですか?」

 

 ステインシギルと作業員の会話に、後ろにいたシスターが割って入る。

 

「その“バシュオウト”という人物。ひょっとして、肌の浅黒い筋肉質な体で、青髪青眼の小柄な女性ではないでしょうか」

「えっ……!? は、はい! そうです!!」

「シスター……お前何か知ってんのか!?」

「……バシュオウトは、グリディアン神殿で“土竜(モグラ)叩き”という名の窃盗団に所属していた人物です。一度だけ写真を見たことがあります」

 

 ステインシギルは暫くティスタウィンクの冷たくなった亡骸を見つめた後、無言で踵を返し工場の出口へと向かう。そして、振り向きざまシスター達にこう告げた。

 

「気が変わった。お前らが何するかは知らねぇが、俺も同行する」

 

 

 

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 県道2号 鳳島輸送方面〜

 

 ステインシギルの運転する平たいガソリン車は、シスター達3人を乗せて国道を鳳島輸送方面へと走って行く。陽はとっくに沈み、点々と設置された街灯だけが人気のない国道を淡く照らしている。

 

「俺は正直、ティスタウィンクが死んだとは思ってねぇ」

 

 助手席に座るシスターは、ハンドルを握ったまま渋い顔で前方を睨み続けるステインシギルに問いかける。

 

「しかし、ご遺体は確認されたのでしょう?」

「ああ。だが、どうしても腑に落ちない。アイツは勘の良さだけで今日まで生きてきたような奴だ。ヤクザ連中に喧嘩売っても、ストーカーに殺されかけても、それこそ笑顔の国の連中に目ぇ付けられても、何だかんだ良い方に転がして富と力を築いた男だ」

「笑顔の国……。笑顔による文明保安教会にも嫌われていたんですか?」

「嫌われてたどころじゃねー。数年前は笑顔の七人衆が攻めてくるんじゃないかってパニックになった。国中の会社がバタバタ倒産して、この世の終わりかと思ったよ」

「え……!? よ、よく無事でしたね……」

「ただ、どんなピンチになっても本人だけは飄々(ひょうひょう)としてんだよな。災い転じて福と為すっつーか、福欲しさに災いを拾いに行くっつーか。結果の為なら過程はまず顧みない。そーゆー奴だ」

 

 シスターは良く似た性格の人物を思い出し、若干の軽蔑を込めた視線を本人(ハピネス)に向けようと思ったが、つい最近自分も似たような無茶をしたことも思い出したのでやめた。

 

 信号待ちで停車すると、ステインシギルはハンドルに両腕と顎を乗せ、物憂げに思い出話を始めた。

 

「……不幸自慢をするわけじゃあないが、俺は幼い頃、容姿のせいで迫害されたんだ」

「え?」

「すげー頑張って今の容姿があるが、生まれつき結構酷い皮膚病でな。まあ、腐った蜜柑みたいな肌だったんだよ」

「それは……さぞや辛い思いをされたでしょう」

「近所のガキは毎日のように俺を虐めに来た。そのガキ共のグループが幾つかあったんだが、ひとりで俺に会いに来たのはティスタウィンクだけだったな」

「ティスタウィンクさんも、ステインシギルさんを……?」

「笑えるぜ? アイツ、俺の顔を見るなり指差して「君は見せ物小屋に就職するといい!」とか言ってきやがってよ」

「そ、それは……本当ですか? そんな酷いことを?」

「ああ。ただ、ティスタウィンクはマジで俺が見せ物小屋で働けば良いって思ってたらしくてな。ほら、動物園だって自分んトコの動物の世話するだろ? 迫害よりは比較的マシだ。場所選べば金もそれなりに稼げるしな」

「到底理由になりません、そんなの。あまりに酷い発言です」

「そーゆー奴なんだよ。だから敵が多いし、殺されかけたりもする。ただ、妙なカリスマのせいでアレに惹かれる奴も結構いる。そこのゲーマーもそうだろ?」

 

 後部座席に乗っていたレシャロワークが、数秒経ってから自分に話していたのではないかとゲーム機から顔を上げる。

 

「え? 呼びましたぁ?」

「呼んでねー」

「はぁい」

 

 レシャロワークは再びゲーム画面に視線を落とす。信号が赤から青に変わり、ステインシギルが再びアクセルを踏む。次第に景色は工場地帯から商業地帯に変わり、夜道を歩く人の姿も疎ながらに見かけるようになっていく。“鳳島輸送”と書かれた看板を通過し、遠くに目的地と思しき街明かりが見えてくる。

 

「子供の頃からアイツは敵だらけだ。いつ殺されてもおかしくねー。でも、そんな状況でもヘラヘラ笑って、降りかかる災難を全部避けてきた。

それどころか、災いを全て利益に転じてきた。だからこそ、こんな簡単に死ぬなんて考えられねー。アイツの死でアイツの会社が儲かるわけでもねー。家族が喜ぶわけでもねー。東薊農園が潤うわけでもねー……。本当に、ただ死んだだけだ。なあシスター。その“土竜叩き”っつー窃盗団はデカい組織なのか?」

「……いえ、グリディアン神殿でも比較的小規模な、犯罪組織専門の窃盗団です。グリディアン神殿は武装勢力が多いので、その足元をひょろひょろと駆け回るだけの、文字通り“モグラ”のような存在です」

「そうか……。そんな奴に、本当にそんな奴なんかに、ティスタウィンクは殺されたのか?」

「2本目の路地を右折しろ」

「あ?」

 

 走行音が響く車内でも、その声はハッキリと聞き取れた。ステインシギルは初めて聞いた声に一瞬疑問を持つも、アクセルに置いていた右足でブレーキを力一杯踏みつけ、ハンドルを捩じ切らんばかりに回して急旋回する。ハピネスの指示した路地は車幅ギリギリの小道で、両脇の建物を車のサイドミラーがガリガリと削る。あまりに急な出来事に対応出来なかったシスターが姿勢を戻す暇もなく、ハピネスが再び指示を口にする。

 

「もっと加速しろ。右の橋を越えて、通りに出たら左」

 

 路地に散らばる不法投棄のゴミやガスボンベを弾き飛ばしながら、車は更に加速する。歩行者用の狭い橋を跳ねるように超えて、道路脇の背の低い植え込みを突っ切り大通りに出る。通りを走っていた一般車は、明かりのない暗闇から突然目の前に飛び出してきたステインシギルの車にクラクションを鳴らし急ブレーキを踏むが、減速が間に合わず車体を強く擦る。しかし、ステインシギルはハピネスの指示通り事故車両を気にすることなくアクセルを全開にして通りを疾走していく。

 

 未だ状況が理解出来ぬシスターだが、その答えを告げるかのようにリアガラスに弾痕が広がる。

 

「次の交差点を右。左に踏切が見えたら突っ切れ」

 

 再び車が急旋回し、甲高いブレーキ音と共に遠心力で体が引っ張られる。車の右側に強い衝撃と共に、何者かに放たれたであろう炎魔法が飛び散る。割れた窓ガラスから、他の車両のエンジン音が聞こえてくる。一つや二つではない。人の悲鳴。ガラスの割れる音。発砲音。それらが、自分達の置かれた状況を緩やかに明示していく。

 

「お前ら掴まれ!!!」

 

 ステインシギルがギアを入れ替え、一気にエンジンを唸らせる。正面は踏切。遮断機が下がり、右からは電車の明かりが見えている。遮断機を車体でへし折る。電車から警笛が劈く。急ブレーキのために凄烈な金属音が闇夜に響き渡る。ステインシギルの車は間一髪電車の前を擦り抜け、追手を置き去りにした。しかし、安心したのも束の間。ハピネスは声色を一切変えずに再び指示を口にする。

 

「速度を落とすな。直進して分かれ道を左」

「クソっ!! あとどんだけ逃げりゃいい!?」

「左の後は右折。商店街を突っ切れ」

「クソ!!!」

 

 息つく間もなく、後方から別の追手が銃弾と魔法弾を放ってくる。幸いにも周囲は造成地区で人の気配はないが、その分建物もない更地ばかりで身を隠す場所はない。

 

「そろそろ自分の出番ですかねぇ」

 

 暢気な意気込みと共に、レシャロワークがゲーム機を鞄にしまう。割れた窓ガラスから車外へ這い出し、車の扉に足を引っ掛けて逆さ吊りの状態になる。後方から飛んでくる魔法弾がレシャロワークのすぐ側を掠めていくが、本人は依然としてぼーっとした表情のまま追手に向け手を(かざ)す。

 

「ヌルいですねぇ。朝起きて電子レンジ開けたら入ってた、いつのか分からないスープよりヌルいですねぇ」

 

 レシャロワークの手から紫色の光が一瞬煌めき、突如大量の煙を放出した。濃い煙幕は意思があるかのように追っ手へと伸びていき、あっという間に辺りを雲海へと沈めた。

 

「秘技、“地獄有楽、鬼花火”」

 

 技名と共に、煙を裂いて紅蓮の花火が追っ手を吹き飛ばした。街灯が僅かに照らすだけの夜道を花火が昼間のように明るく照らし、中を舞うバイクと人影のシルエットをコミカルに縁取る。レシャロワークは「よいしょぉ」と上体を起こし、もぞもぞと車内へと潜り込む。

 

「レ、レシャロワークさん。ちゃんと強いんですね……」

「まあ、一応診堂クリニックのガードマンですからねぇ。百機夜構とタメ張れるくらいには実力ありますよぉ」

「そう言えばそんな役割でしたね……」

「忘れてたでしょぉ」

「まあ、はい」



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170話 ドラゴンスレイヤー

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 鳳島クロシオ工業地帯〜

 

 追手の気配が消え、再び車内には走行音だけが響く静寂が訪れる。しかし、車はパンクこそしていないものの窓ガラスは所々割れ、サイドミラーは片方が消し飛び、車体は傷と凹みでボロボロ。街中を走るにはあまりにも不審な見た目となってしまった。ステインシギルはギリリと歯軋(はぎし)りを鳴らし、ズレたルームミラーを調整しつつぼやく。

 

「ったく。何がモグラのような窃盗団だ。あれじゃあ強盗団じゃねぇか。おい、アンタ(ハピネス)。どうして追っ手が来てるのに気が付いた?」

 

 しかし、ステインシギルの問い掛けにハピネスは答えず、再び明後日の方向を見つめたまま沈黙してしまった。

 

「……クソっ。なあシスター。コイツ、いつもこんなんなのか?」

「い、いえ。いつもはもっとうるさいんですけど……」

「……まあいい。遠回りにはなったが、この先は”棚田“だ。土地勘のねぇ外国人なら余裕で振り切れる」

「”棚田“って何ですか? 普通の棚田ではないんですよね?」

「何だ。知らねぇのか。山の一部を切り崩して作った鳳島クロシオ工業、通称“棚田”。鳳島輸送名物の奴隷工場だ。山の斜面に、棚田みてーに階段状に工場が敷き詰めてあんのさ」

「奴隷工場……」

「別に良いところじゃあねーが、思ってるほど悪い所でもねーよ。ま、行けばわかる」

 

 

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 鳳島クロシオ工場 通称“棚田”〜

 

 暫く工業道路を進んだ先、峠の麓に設けられた搬入出管理所で一旦停車し、身分提示のためステインシギルがひとり警備室であるコンテナハウスに歩いて行く。その後ろ姿を眺めつつ、シスターはハピネスに問いかける。

 

「ハピネスさん。貴方が何を知っているのかは分かりませんが、もう少し私達にも情報を分けていただけませんか?」

「……」

「……はぁ。無視ですか」

「くすぐってみますぅ?」

「大丈夫です。本当に頭にきたら、その時は遠慮なくブン殴りますから」

「それはハピネスさんをですよねぇ?」

「貴方もですよ」

「うへぇ」

 

 すると、警備室の方から突然銃声が鳴り響いた。

 

「えっ――――!?」

 

 続けて数回。銃声が闇夜の静寂を貫く。慌ててシスターが警備室の方を見ると、凄惨な剣幕でこちらへ走ってくるステインシギルの姿が目に入った。

 

「車出せ!!!」

 

 ただならぬステインシギルの怒鳴り声に、後部座席にいたレシャロワークが滑り込むようにして運転席へと座りエンジンをかける。

 

「おお〜いい音ぉ〜。エンジンが違うねエンジンが。分かんないけど」

 

 ステインシギルが後部座席の割れた窓に上半身を突っ込む寸前、レシャロワークがアクセルを思い切り踏みつける。急発進の衝撃でステインシギルは一瞬振り落とされそうになるも、荒い蛇行運転の反動を利用し何とか車内へと転がり込んだ。

 

 直後、背後の暗闇から凄烈な破砕音が木霊(こだま)する。バイクともトラックとも似つかぬモーター音と、地面が何かに削られるような音だけが響き渡る。

 

「う〜ん? 自分のとこからはよく見えませんけどぉ、でっかいなんかが追っかけて来てますねぇ。取り敢えず峠の上目指しまぁす」

「レシャロワークさん運転お願いします!! ステインシギルさん!! 大丈夫ですか!?」

 

 助手席のシスターが振り向くと、ステインシギルは頭から血を流してぜえぜえと息を切らしていた。

 

「し、心配すんな……。掠った場所が悪かっただけだ。見た目よりも酷くねー」

「今止血します! 傷を見せてください!」

 

 シスターはステインシギルの傷口に手を(かざ)し回復魔法を発動する。急な回復による痛みを堪えつつ、ステインシギルは苛立(いらだ)ちを抑えきれずに呟いた。

 

「クソっ……アイツら、最初っから分かってたんだ……!! 最悪の罠にかかっちまった……!! おいレシャロワーク!! 道分かるか!?」

「ばっちぐー。自分、このステージは”モーターサイクラー3“で鬼走ってますからねぇ。目ぇ閉じてても鬼ヨユー」

「ステインシギルさん、”最初っから分かってた“ってどういうことですか……!?」

「どうもクソもあるか……!! 待ち伏せされてたんだよ……!! アイツらは、俺達がここを通ることを分かってた……!! (おび)き出されたんだ……!!!」

「えっ……!? そ、それって……」

 

 ステインシギルは痛みで朦朧とする中、力一杯歯を擦り合わせた。

 

「何が”土竜(モグラ)叩き“だ……! アイツらは、そんなチンケな窃盗団なんかじゃねぇ……!!」

 

 曲がりくねった上り坂のヘアピンカーブを曲がる寸前、壁に埋め込まれていた案内灯が通電して明るく光り輝き、闇夜を照らす。

 

「笑顔の七人衆、”仇討ちエンファ“直属の殺し屋集団――――!! ”ドラゴンスレイヤー“だ!!」

 

 照らされた闇夜に、一機の巨大な人型ロボットが姿を現す。既に峠のヘアピンカーブを3回ほど過ぎたというのに、その巨大ロボットの頭部は丁度シスター達と同じ高さにある。よく見れば、そのロボットはアニメやゲームに出てくるような精巧な造りではなく、鉄板や配管を無理矢理固めたようなガラクタの塊であることが見て取れた。間違いなく、三本腕連合軍による製作物ではない。ロボットが片腕を大きく持ち上げるのと同時に、頭部の隙間からノイズ混じりの少女の声が聞こえてくる。

 

「んシシシシシシっ!! 今日はあたしが1番乗りっ!! 勝負だおらぁ!!」

 

 ドラゴンスレイヤー所属。リヨットランカ。異能、“人形使い(パペッティア)

 

 ガラクタで作られた巨腕が、車の目の前に振り下ろされる。峠のアスファルトが砕け、砂の城のように崩れていく。

 

「レ、レシャロワークさん!!」

「任せてくださぁい。ショトカしまぁす」

 

 レシャロワークは一瞬でギアをバックに入れ、崩れる峠をバックで走り抜ける。僅かに傾斜がかかった壁に横転寸前まで乗り上げ、藪の中へと飛び込んだ。すぐさまロボットの腕が掴み掛かりにくるが、間一髪生い茂った木々を遮蔽物に逃げ切る。

 

「”モーターサイクラー3“では、この辺に水道管が伸びてて登れるんですよねぇ」

 

 

 レシャロワークの予見通り、藪の中には太い工業用水パイプが山肌を覆うように幾つも並んでいる。車は無理矢理パイプに乗り上げ、タイヤをやや空回りさせながらも勢い良く斜面を登っていく。

 

「待て待て待てぇ〜い!! あーもー木ぃ邪魔っ!! 山嫌いっ!!」

 

 背後からは、リヨットランカの操縦する巨大ロボットがレシャロワーク達を捕まえようと、木々や排水管を破壊しながら追いかけて来ている。しかし、日頃の点検をサボりにサボられた鋼管は、ロボットが掴んだ側からボロボロと割れ、木の根のように引っ張ることは敵わない。生い茂る木々は視界と足場を閉ざし、一歩進むごとにロボットの全身のまとわりついて行手を阻む。

 

「うわーん!! イライラする〜!! ちょっと待ってよもぉ〜!!!」

 

 天然のバリケードを上手く利用し、車は何とか峠の中腹にある工場まで辿り着く。パンクした前輪はベコベコと情けない音を立てながらも、ハロゲンランプが明るく照らすコンクリートを進んで行く。

 

 シスターが後方を確認するフリをして、視界の端でハピネスを見る。ドラゴンスレイヤーは笑顔の七人衆直属の部隊。今ハピネスが正体を明かせば、鶴の一声であの異能者は味方につく。争うにしても逃げ切るにしても、レシャロワークひとりで敵う相手かは分からない。

 

 しかし、ハピネスは依然口を閉ざしたまま外を眺めている。シスターが記憶操作の異能で意思を共有しようと微かに手を差し出すが、何も映らない目玉をちらと向けただけで、一向に何かを伝える様子は無い。彼女の考えが読めないシスターは、せめて何かに気付いている彼女の足を引っ張らないよう接触を諦める。

 

 心の中では、あのハピネスが沈黙を保っているならばここで窮地には陥らないだろう。と唱える。しかし、ハピネスはどうせ、口さえ動くならば殆どのことは擦り傷と考えているだろう。シスターには、この先に待ち受ける窮地未満の災害が、手足を何本残してくれるかを想像することすら出来ない。

 

 洗車場を抜けて上に続く坂道に差し掛かった時、レシャロワークは奥の景色に気付いて急ブレーキを踏む。

 

「おっとぉ。すんません迂回しまぁす」

 

 ガクンガクンと車体を揺らし方向転換を試みるレシャロワーク。しかし、進路を90度回転させたところで、周囲の状況に気がついて転回を中止する。

 

「あっちゃあ。工場長どうしますぅ?」

「クソっ……!! 囲まれたか……!!」

 

 棚田の上方へ続く唯一の南上り坂、東向かう道。北への戻り道。西側の藪。全ての方向から、大勢の人影が姿を表す。緩慢な動きで亡者のように一歩づつ前へと足を踏み出し、各々手に持った鉄パイプやスコップを引き摺って不快な金属音を響かせている。その金属音や、呻き声に混じって、どこからともなく女性の声が聞こえる。

 

「来た……来た……来た、来た、来た、来た……!! アイツらだ……!! 俺達の薬を盗んだのは……!!」

 

 背筋を舌で舐め上げられるような不快感に、シスターとレシャロワークは青褪(あおざ)めた顔で身を悶えさせる。

 

「な、何ですか……!? これ……!!」

「うっひぃ〜鬼キモぉ〜! 勇者って目覚める時毎回コレされてんのぉ? でもイケボですねぇ。CV:ピートラッカロじゃん」

 

 声が頭に響く度、亡者達は呼応して呻き声を強める。

 

「殺せ……!! 奪え……!! アイツらが持ってる……!! アイツらが持ってる……!! 返せ……!! 返せ……!!」

 

「うぅ〜ん。埒が開きませんねぇ。どうせ悪い奴らなんですよねぇ? 轢き殺してもいいですかぁ?」

「だ、ダメです!! よく見てください!! あの人達、皆同じ作業服を着ています! ここの工場で働いている人達ですよ!! 一般人です!!」

 

「俺の薬……!! 俺の薬を返せ……!! 返せ……!! 返せ……!! 返せ……!! この泥棒めが……!! 殺す……!! 殺してやる……!! 殺してやる……!!」

 

 ドラゴンスレイヤー所属。ナガーバーク。異能、“耳打ち(ウィスパー)

 

 迫り来る工場従事者達は、皆虚ろな顔で焦点の合わない眼をギラつかせている。涎を垂らし体を引き摺るその姿は、まるでホラー映画のゾンビのようだった。

 

「どうしますかぁ? もう轢きましょうよぉ」

「ダメです!! 坂!! 坂の方へ行ってください!! 私が何とかして追い払います!!」

「りょかい〜」

 

 タイヤがゴリゴリとコンクリートを削り、再び進路を変更して坂の方へと走りだす。工場従事者達は唸りを上げる車の突進に臆する様子はなく、怯むどころか迎え撃とうと得物や拳を高く振り上げている。シスター達の頭にはまるで亡者達の心の声のようにラガーバークの声が響く。

 

「殺せ……!! 殺せ……!! 殺せ……!! 殺せ……!! 首に噛みついてやる……!! 眼玉を抉り出して、耳を引き千切ってやる……!!」

 

 工場従事者達の群れが進路を塞ぎ、唾を撒き散らしながら襲いくる。シスターは助手席の窓から上半身を乗り出し、群れの中心に魔法で作った光の球を投げ込んだ。

 

「お願い……これでどうにか……!!」

「眩しい」

 

 光の球が閃光と共に炸裂し、赤色の明滅と遠吠えのような警告音を発する。光魔法“レッドサイレン”は、グリディアン神殿では主に“警察への緊急通報”として使用される光魔法である。これはある程度の国で共通の概念として普及しており、国際条約によって使用が厳密に規定されている。言わば、“警察の代名詞”である。

 

「ひっ……!!」

「け、警察だっ……!! 警察だあっ……!!」

「あ、あたしはヤってない!! ヤってない!!」

 

 薬物の濫用により朦朧としていた工場従事者達は、赤色灯とサイレンの音を聞いただけで取り乱し、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「捕まるはずがない!! 警察なんて来てない!! 殺す!! 殺してやる!! 殺せ!! 殺せ!!」

 

 ナガーバークの異能(耳打ち)が引き止めようと響くが、工場従事者達は恐怖と焦燥で錯乱状態に陥っており声は届かない。その間に、散り散りになった群衆の合間を、レシャロワークが巧みなハンドル捌きですり抜けていく。

 

「あらよっとぉ。シスターさんやるぅ」

「これで終わり……な訳、ありませんよね」

「でしょうねぇ」

 

 坂を登り、棚田の2段目の工場をアクセル全開で突き進む。通路に放置された木箱やカラーコーンを弾き飛ばし、複雑な迷路のようになっている構造物群を抜け、3段目に続く登り坂を一直線に目指す。工場従事者は1段目に集まっているせいか、人の姿はどこにも見当たらない。だが、その静けさが返って不気味さを膨らませた。

 

「……静か、ですね」

「あのロボットも追って来ませんねぇ。イケボも聞こえなくなりましたし」

 

 3段目への坂を登り、荒廃とした工場を進んで行く。4段目、5段目。何事もなく、静まり返った工場を走り抜ける。

 

「……レシャロワーク」

 

 怪我から回復したステインシギルが、ボソリと呟く。

 

「6段目の最奥には、出口はねぇが出荷用のリフト発着場がある。この車なら、その真下をギリ抜けられるはずだ。そっからは、どうにかして”ヒナイバリ“工場長に会いに行け」

「はい〜?」

「待って下さいステインシギルさん」

 

 ステインシギルの物言いに、不穏な空気を感じたシスターが口を挟む。

 

「正攻法では無理だ。ヒナイバリが今回の騒動の黒幕だった場合、道中で別の刺客に消される可能性もある」

「ステインシギルさん! 馬鹿なこと考えないで下さい!」

 

 しかし、シスターの声には耳を貸すことなく、ステインシギルは淡々と説明を続ける。

 

「ヒナイバリには、溺愛してる一人娘がいる。最悪、そいつから先に落とすのも手だ。筋書きは任せる。どうせこの盲人(ハピネス)が色々考えてんだろ」

「貴方も一緒に行くんです!!」

「投げっぱなしで悪いが、上手くやってくれ。俺も必ず後で合流する」

「いけません!! 無茶です!!」

「それと――――」

 

 シスターが助手席から後部座席に手を伸ばし、ステインシギルの腕を掴もうとする。しかし、その手は虚しく空を切り、ステインシギルは割れた窓から外へ飛び出した。

 

「現場人()めんな」

 

 不敵な笑みでVサインを返すステインシギルの姿が、闇夜に溶け込んでいく。

 

「ステインシギルさん――――!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 微かな月灯りだけが照らす、電灯一つすらない暗闇。ステインシギルは頭をガシガシと掻いて首を捻り、暗闇の先を見つめる。レシャロワーク達を乗せた車のエンジン音がどんどん遠ざかっていき、静寂が訪れる。そしてすぐに、工場の照明が通電し眩い光が“2人”を照らす。

 

「うふふ、ふふ」

 

 青と深緑が混じる長髪。黒い角膜。白い瞳孔。紫のマーメイドドレスに身を包んだ長身の女が、頬を染めながら恍惚(こうこつ)とした表情で怪しく笑っている。口の両端は頬を裂いたような傷跡が耳まで伸びており、歪に縫跡が付いている。女が笑う程に不気味さが厚みを帯び、空気が澱んでいく。

 

「素敵、素敵ね。お仲間のために、ひとり囮として残るなんて。素敵、とっても」

「そりゃどうも」

「皮肉とか、嘲笑とか、言葉の綾じゃないわ。本当に素敵よ。ステインシギルさん。その凜としたお顔も、心も。”子供の頃から、ずっと頑張って来たんだものね“」

「……脅しか? 俺の過去を知ってるなら、脅しが効かないことくらい分かりそうなもんだが」

 

 女のドレスの一部がリンゴの皮を剥くように剥がれる。

 

「脅し? いいえ、尊敬よ。貴女の人生は、本当に素敵なものだった」

 

 やがて脚や腰も紐状に(ほど)けていく。

 

「だからワタクシ、今とっても悲しいの」

 

 (ほど)けた紐となった女は宙を舞い、巨大な裁ち鋏へと姿を変えた。

 

「こんなに素敵な貴女を、この手で壊さなきゃならないなんて」

 

 ドラゴンスレイヤー所属。リイズ。異能、“変容(トランス)

 

「でもきっと、壊れる姿も素敵よ」



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171話 立派な人間

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 鳳島クロシオ工場 棚田5段目〜

 

 裁ち鋏(リイズ)が浮遊し、刃をギラつかせて真っ直ぐステインシギルに斬りかかる。ステインシギルは首筋まで伸びた刃をしゃがんで(かわ)し、真下から”紙切れ“をリイズに押し付ける。

 

 (ちぬる)神社のヒスイから貰っていた魔法陣に魔力が注がれ、拘束魔法の鉄線を無数に放出、鋏を閉じる形で縛り上げる。

 

「素敵な”お友達“がいるのね。羨ましいわ」

 

 しかし、リイズは再び姿を変え、今度は巨大な縫い針に変身する。一瞬で体積を減少させたことで鉄線の隙間から拘束を脱し、軌道を曲げて再びステインシギルに襲いかかる。ステインシギルは咄嗟に防御魔法を発動させ、半透明の球体のシェルターを作り針を弾き飛ばす。リイズもこれに合わせて姿を変え、今度は掘削用ドリルとなって防壁を削る。

 

「ぐっ……!!!」

「ごめんなさい。貴女達に恨みは無いの。本当よ? でも、命令だから。ごめんなさい」

「じゃあ俺も命令してやるよ。今すぐ舌噛んで死ね……!!」

「うふふ。全く諦めていないのね。素敵だわ」

 

 リイズの強化魔法を伴った一撃に、防壁は一瞬で(ひび)が入る。ステインシギルが魔力を強めて強化を試みるが、焼け石に水で防壁の穴は徐々に広がっていく。

 

「ああ、貴女とはもっと、もっと早く会いたかったわ、ステインシギルさん。そうしたら、きっと素敵なお友達になれたのに」

「はっ。職人が仕事道具を友達だとか言い始めたら末期だぜ」

 

 ステインシギルの強がりとは裏腹に、防壁は音を立てて砕け散る。ステインシギルはドリルを避けようと身を(ひるがえ)し地面を転がる。

 

 その時、棚田の5段目に続く下り坂の方から、聞き覚えのあるスピーカー越しの音声が聞こえた。

 

「あれぇ〜!? 工場長ひとり!? 見捨てられちゃったの〜!?」

 

 リヨットランカの操縦する巨大ロボットが、ステインシギルに追いついてしまった。その足元には大勢の工場従事者達がおり、再びどこからともなく頭に声が響く。

 

「殺してやる……!! 殺してやる……!! ふざけやがって……!! 殺してやる……!!」

 

 ナガーバークの耳打ち(ウィスパー)が、ステインシギルの頭を割れそうなほど強く揺らす。その声に合わせて工場従事者達も怯み、呻き、喚きながら体を引き摺りステインシギルに迫り来る。

 

「ランカさん、ナガーさん、ごめんなさい。ちょっと待っていただけるかしら? この方は、せめてワタクシが壊して差し上げたいの」

「あたしはいいよ〜。弱い奴には興味無いし〜」

「殺せ……!! 殺せ……!! 殺せ……!! 殺せ……!!」

「すぐ終わらせますね。ごめんなさい」

 

 リイズが再び裁ち鋏に姿を変え、ステインシギルの方を向く。ステインシギルは数枚の紙を取り出し構えるが、頬を伝う汗を見てリイズが憐れんで呟く。

 

「……本当に素敵。ワタクシ達に勝てる可能性なんて一欠片も無いことは、貴女が1番よく分かってる筈」

 

 ステインシギルは動かない。呼吸も乱さず、虎視眈々とリイズを見つめている。

 

「でも、死ぬ気なんて全く無いのね。ワタクシ、政治家の方ってどうしても好きになれなかったのだけれど、考えが変わったわ。誰かの為に嘘が吐ける人って、とっても素敵なのね」

「……誰かの為なんかじゃねぇ」

「あら? 誰かの為でしょう? さっきのお仲間や、魔法陣をくれたお友達、旦那さん。そして何より、亡くなられたお祖母様の為ではないの?」

「俺は、俺の為にしか頑張れねぇよ」

「……ああ、素敵。本当に、本当に残念だわ」

 

 裁ち鋏の刃が、濡れているかのようにギラリと輝く。強化魔法を重ねがけした刃に、どこからか吹かれてきた木の葉が当たり真っ二つになる。

 

「どうか抵抗しないで。痛みも、苦しみもなく、綺麗に壊してあげるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりも届かない、宵闇の路地裏。耳鳴りがするような暗闇を見ると、いつもあの臭いを思い出す。腐った蛋白質(たんぱくしつ)と、アンモニアの咽せ返る臭い。病気で皮が剥がれまくった手や足が痒くて、痛くて、(うみ)でべとべとで。ボサボサの髪の毛が束で抜け落ちて、皮が剥がれたところに刺さって、また痒くなって。

 

 まだ7歳だった俺は、この苦しみから逃げる方法を知らなかった。

 

 通りを行く奴らが、何の気なしに俺のいる路地に目を向ける。偶然車が通りかかって俺に光が当たると、皆けったいなものを見たように眉を(ひそ)めて足早に去っていく。でも、あの日は“アイツ”だけが俺に話しかけてきた。

 

「お嬢ちゃん。そこは汚いから、こっち来なさい」

 

 やたら綺麗な服を着た、優しそうな婆さんだった。

 

「お嬢ちゃん、お母さんとお父さんは?」

「……知らない」

「……そう。じゃあ、おばちゃんのお家に来ない?」

 

 膿でべとべとの俺の手を、婆さんは何の躊躇(ためら)いもなく握って歩いてくれた。すれ違う奴らが酷い顔で俺達を見ていたが、婆さんは全く気にしていなかった。俺は怖かった。“また”捨てられるんじゃないかって。こいつも俺の両親と同じように、大雨の日に外へ放り投げるんじゃないかって。

 

 婆さんは、当時の三本腕連合軍ではちょっとした有名人だった。魔法屋“ミンディス”って言えば、魔法学界隈では知らない者は居ないっつーほど有名な学者だったらしい。婆さんは、病気で皮膚が剥がれて膿に塗れた醜く汚い俺を愛してくれた。

 

「ここがおばちゃんの家だよ。服は……作ってあげるから、先にお風呂入ってきなさい」

 

 飯も毎食作ってくれた。

 

「今日はスパゲッティだよ! ……また豆のペーストのだけどねぇ」

 

 回復魔法も毎晩かけてくれた。

 

「掻いちゃだめだよ。余計に痛くなるからね」

 

 薬も沢山買ってくれた。

 

「大きい錠剤だけど、飲めそうかい? ……ちょっと待ってな。半分に割ってあげるから」

 

 勉強も毎日教えてくれた。一緒に寝てくれた。隣を並んで歩いてくれた。髪を撫でてくれた。俺を捨てた両親とは大違いで、何の繋がりもない見ず知らずのクソガキ()を、婆さんは実の孫みたいに可愛がってくれた。

 

 俺は子供ながらに思っていた。俺は“代わり”なんだろうって。婆さんは良い人だ。こんな良い人が、今も独りで暮らしているのには何か訳がある。婆さんは寂しくて、家族が欲しくて、俺を拾ったんだ。俺はきっと、どこかにいる子供か孫の代わり。婆さんの寂しさを紛らわせるための、偽りの家族。

 

 でも、それでよかった。俺でいいなら、精一杯代わりを務めようと思った。元より野垂れ死ぬ定めの命。その程度で婆さんの幸せが買えるなら、こんなに安い買い物はない。俺は幸せだった。

 

 だから、必死で働いて、必死で勉強した。子供らのイジメなんか気にならなかった。ただ、婆さんまで石を投げられるのは我慢出来なかった。大人達の誹謗中傷なんて相手にしなかった。ただ、婆さんが仕事を貰えなくなったのは絶対に俺のせいだ。婆さんは俺を幸せにしてくれたのに、俺は婆さんを不幸にした。だから、婆さんが失った幸せを俺が稼いでくる必要があった。

 

 まずは見た目を整えた。ネズミの死体みたいに汚い体でも、中身はそれなりに正常だ。人は俺を無視しても、本は俺を無視しない。ありったけの知識を詰め込んだ。俺の病気は薬では治らないらしい。ならばと皮膚を剥がして人工皮膚を移植した。腐った腕は切り落とし、髪も植毛で整えた。皮膚が薄く人工皮膚では隠せない額は、真っ黒な入れ墨で覆った。

 

 見た目がそこそこ良くなったら、今まで俺を差別してきた奴らが手を差し伸べてきた。下卑た笑みで、食いものにする気満々で。けど、そんなクソ共の数と同じくらい味方もできた。差別と戦う勇気はなくとも、陰ながら俺を見て来た連中が、俺と婆さんを守る盾になった。

 

 もうすぐ、もうすぐで真っ当な人間になれる。そうしたら、婆さんを連れて診堂クリニックにでも引っ越そう。俺達を知らない人のところへ。今度は、俺が婆さんの手を引いて。

 

 それから数週間後、婆さんが死んだ。

 

 俺が出かけている間に、部屋を締め切ったままコンロを使い、スイッチを切り忘れての一酸化炭素中毒。事故死だった。

 

 それから、世間が好き勝手騒ぎ始めた。多額の遺産目当てに俺が殺したとか、俺を拾った頃にはもう痴呆症だったとか、学会を追放されたショックで自殺したとか。クソッタレ共が。

 

 でも、もしかしたら、もしかしたら婆さんは、ずっと後悔をしていたのかもしれない。俺と出会ってから、婆さんの生活はずっと苦しかった。金はあっても物は売ってもらえない。技術があっても雇ってもらえない。優しくても誰も相手にしてくれない。俺のせいで。俺が醜いせいで。

 

 ごめん、婆さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裁ち鋏(リイズ)の啄むような連撃を、ステインシギルは間一髪の所で躱し続ける。

 

「お願い。避けないで。貴女を妄りに傷つけたくないの」

「調子に、乗るなっ!!」

 

 リイズの刺突を避けるのと同時に、ステインシギルがカウンターの掌底を叩き込む。その手に握られていた紙の魔法陣が光り輝き、雷魔法の稲光がリイズの身体を駆け巡る。

 

「ごめんなさい」

 

 しかしリイズは一切怯むことなく、カウンターで姿勢が崩れたステインシギルの腹部を突き刺す。

 

「がっ――――!!」

 

 続けてもう一撃、更に一撃。血飛沫がコンクリートを彩り、羽虫のように宙を跳ねる。ステインシギルが身を(よじ)るせいで急所には届かず、間一髪致命傷には至らない。

 

「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。避けないで。貴女も苦しいのは嫌でしょう?」

「クっ…………ソがぁっ!!」

 

 ステインシギルはリイズが大きく鋏を開いたタイミングで上体を回旋させる。渾身の一撃を叩き込もうと足を踏み込み、カウンターのストレートパンチを放つ。だが、カウンターを狙い過ぎたせいで動きを完全に読まれ、攻撃の軌道を変えたリイズの一撃をもろに受けてしまう。

 

 小枝のように剪断されたステインシギルの右腕が、血飛沫も上げずに空を舞う。真上に飛んで行ったステインシギルの腕の断面を見て、リイズは思わず呟いた。

 

「あら……」

 

 精巧な義手の中から金属片が落ち、それと一緒に幾つかの紙切れが光を放つ。

 

「くたばれ」

 

 土魔法の魔法陣が(おびただ)しい数の槍を召喚する。続けて運搬魔法の陣が発動し、槍の一本一本に莫大な推進力を付与する。それらが自由落下を超えた速度で射出された瞬間、巨大な鉄腕が槍の雨をステインシギルとリイズ諸共一振りで弾き飛ばした。

 

「ぐっ……!?」

「リイズちゃん何遊んでんの〜!? 仕事遅いとまた怒られるよ〜!?」

 

 リヨットランカの乱入により、ステインシギルの決死の一撃は呆気なく虚空へと消えていった。リヨットランカの巨大ロボットによる殴打を受け、ステインシギルは全身をコンクリートに叩きつけながら転がる。しかし、同じく殴打を受けたはずのリイズは、人間の姿に戻ると何事もなかったかのように真っ直ぐ歩き出し、リヨットランカに深々と頭を下げる。

 

「ごめんなさいランカさん。すぐに終わらせるから、もう少しだけ待ってくださる?」

「んも〜。早くしてよね〜。エンファさんキレると怖いんだから。あ、怖いのはいつもか」

 

 リイズはステインシギルに近づき、憐れむように見下ろす。

 

「お願い、降参して? 貴女が苦しむ姿を見たら、亡くなられたお祖母様も悲しむわ」

「だ、黙れ……!!」

「大丈夫。貴女は、とても美しいわ」

「うるっせぇ……!! お前らに、お前らに何がわかんだよ……!!!」

 

 朦朧とした意識の中で、ステインシギルは譫言(うわごと)のように呟く。

 

「間違ってんのは俺なんだ……!! 俺さえ間違わなきゃ、俺さえ間違わなきゃいいんだ……!! 俺ひとりさえマトモなら……!!! 婆さんが惨めな思いをすることはなかった……!!!」

 

 自分を奮い立たせるような覚悟を、半ば無意識で口にする。

 

「立派な、立派な人間になるんだ……!!! どいつも、こいつも、好き勝手言いやがって…………!!! 婆さんが、間違ってたなんて言わせねぇ……………………!!!」

 

 しかし、半ば無意識であるからこそ、その叫びが威勢がいいだけの命乞いに他ならないことに、本人は気付かない。

 

「拾い損だったなんて思わせるか!!!」

 

 限界まで声を張り上げたことで、疲労困憊のステインシギルは大きく咳き込んで怯む。その哀れな姿を、リイズは静かに眺め、(おもむろ)変容(トランス)を始める。

 

「ステインシギルさん。貴女はとっても素敵よ。そう悲観しないで」

 

 リイズの姿が、巨大な鉄斧へと変容していく。

 

「うるせぇ……!! 何も、何も分かっちゃいねぇクセに……!!!」

 

 鉄斧が宙を泳ぎ、ステインシギルの頭上で大きく刃を持ち上げる。

 

「さようなら。どうか、安らかに……」

 

 そして、真夜中の工場に凄烈な金属音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時に、鉄斧(リイズ)が大きく吹き飛ばされる。それから、ステインシギルのすぐ側に何者かが着地し、“水色と紺のウェーブ髪”がひらりと揺れる。リイズが変容(トランス)を解除して受け身を取り、乱入者に目を向ける。

 

「あら、貴女どこかで見た気が……」

「うん? 私を知ってる? そりゃ光栄だね! “役者”冥利に尽きるよ!」

 

 乱入者はビシッと片足立ちでポーズを決め、高らかに名乗りを上げる。

 

真吐(まことつ)き一座、アサガオ劇団所属!! 花形“タリニャ”!! 今日の演目は特別回だよっ!!!」

 

 



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172話 ドラゴンスレイヤー対真吐き一座

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 鳳島クロシオ工場 棚田5段目〜

 

真吐(まことつ)き一座、アサガオ劇団所属!! 花形“タリニャ”!! 今日の演目は特別回だよっ!!!」

 

 紺色混じる水色のウェーブ髪。使奴と同じ白い肌と黒い目玉。額から伸びる2本の傷跡。派手な踊り子の衣装を身に纏った美女、“タリニャ”が、リイズに向け高らかに名乗りをあげる。

 

「うふふ」

 

 リイズが小さく笑うと、巨大ロボットのスピーカーからリヨットランカの声が流れてくる。

 

「えぇ〜!? 真吐(まことつ)き一座って、あの雑魚狩り専門の英雄気取りでしょ〜!? やめときなって〜! 君じゃ私らに勝てないよ〜!」

「あはは。やっぱり?」

 

 タリニャが照れ臭そうに頭を掻くと、巨大ロボットが手の甲を向けて振り、追い払うようなジェスチャーを取る。

 

「そうそう! 見なかったことにしてあげるから帰んなよ!」

「お、意外と寛容」

 

 タリニャの足元で這い(つくば)るステインシギルも、瀕死ながらも眼光鋭く睨みつける。

 

「助太刀はありがてぇが……、役者なんかが……アイツらに勝てんのかよ……!?」

「う〜ん。ドラゴンスレイヤーって、笑顔の七人衆直属の戦闘集団だよねぇ……。真吐き一座(ウチ)がマトモにやり合ったことある強めの相手って言ったら“空嫌い”か“根無し森”ぐらいだし……。まあ、確かに実力差考えたら敵うはずないんだよね。あはは」

 

 弱気な言葉とは裏腹に、タリニャは四つ足の獣のような構えを取り下半身を高く持ち上げる。

 

「でもねぇ……ウチの座長が、“イケる”って言ってるんだよね」

「雑魚はいいや! あたし知〜らない!! リイズちゃん後よろしく!!」

「……ランカさん待って!!」

 

 タリニャが素早く地を駆け、その場を立ち去ろうとした巨大ロボットの脚目掛けて“回し蹴り”を放つ。

 

「んぎゃっ!?」

「ランカさん!!」

 

 巨大ロボットの片脚が”弾け飛ぶように“破壊され、バランスを崩して大きく蹌踉(よろ)ける。タリニャは回し蹴りの勢いを殺さず回転し、倒れかけるロボットの突起を蹴って上空へと飛び上がる。

 

「もうっ!! 怒るよ!?」

天狗(そらいぬ)、第二幕――――!!」

 

 タリニャの掛け声で、四方の暗闇から他の座員による雷魔法の矢が放たれる。感電によって怯んだリヨットランカの頭上でタリニャが丸鋸(まるのこ)のように回転しながら落下し、ロボットの頭部に踵落としを打ち込む。

 

「”始まりの箒星(ほうきぼし)”!!!」

 

 ロボットが焼き菓子のように砕け、不出来なプラモデルのように四肢がバラバラに崩れる。瓦礫(がれき)となったロボットの残骸からタリニャが立ち上がると同時に、手裏剣に変容したリイズが烈火の如く襲いかかる。

 

「わ、おっと、うわっうわうわうわっ! ちょ、は、速いって!」

 

 踊り子ならではの身体の柔らかさでなんとか猛攻を避け続けるタリニャ。しかし、相手は百戦錬磨の怪傑。その上、”仇討ちエンファ“という超弩級の狂人の部下。任務の失敗は仇討ちエンファによる叱責、(もとい)“極上の拷問死”を意味する。如何なる敗北も死に直結する。恐怖と決意で研ぎ澄まされた覚悟が、幾千の凶刃となってタリニャを追い詰める。

 

「ワタクシ達も負けられないんです。ごめんなさい」

「あ、謝ることはないさ。危なっ! あの仇討ちエンファが後ろに居たんじゃ、毎日気が気じゃないよね」

 

 リイズの連撃を(かわ)し続けるうちに、タリニャは意図せず背後へ下がり過ぎてしまう。

 

「か、返せぇぇぇぇええ……!!!」

「あっ、ヤバっ!!」

 

 いつのまにか自分達を取り囲んでいた亡者達が、朦朧(もうろう)とした意識のまま腕を伸ばしてタリニャに群がる。

 

「ウチの花形に、気安く触るな!!」

 

 暗闇から大勢の武芸者達、アサガオ劇団の面々が現れ、タリニャと亡者の間に割って入る。

 

「皆ナイスタイミング!!」

「素人はウチらに任せて下さい!! タリニャさんはギフテッド(異能者)を!!」

 

 闇の中から次々に人影が飛び出し、工場従事者を包囲していく。

 

「ハナミズキ劇団!! 行くぞ!!

「アヤメ劇団、参る!!」

「キキョウ劇団、前へ」

「アマリリス劇団も続け!!」

 

 幾ら半洗脳状態とは言え、相手は奴隷紛いの工場従事者。武術に関してはド素人。真吐き一座の劇団員達は舞と見紛う華麗な武術で立ち回り、拘束魔法を用いて無傷で捕らえていく。しかし――――

 

「死ね……!! 死ね……!! 死ね……!! 死ね……!!」

 

 頭の中に響き渡る亡霊の耳打ち(ウィスパー)が、劇団員達の動きを怯ませる。

 

「ぐあっ……!!」

「こりゃ……きっつい……!!」

「は、花形は無事か……!?」

 

 単独リイズの相手をしているタリニャも、脳を震わせる声に怯んで防戦を強いられている。その間にもリイズは容赦なくタリニャを追い詰め、ナガーバークの怨嗟が蝕んでいく。

 

「死ね……!! 死ね……!! 死ね……!! 死ね……!!」

「こ、この声止めねーと……!!」

「死ね……!! 死ね……!! 死ね……!! 死ね……!!」

「サ、”サルビア“と”アネモネ“はまだか……!?」

「死ね…………!!! 死ね…………!!! 死ね…………!!! 死ね…………!!!」

「頭が割れる……!!」

「死ね…………!!! 殺せ…………!!! ふざけやがって…………!!! ブチ殺してやる…………!!!」

 

 その時、タリニャ達のいる棚田5段目より、ひとつ下。棚田4段目の工場の一角にある倉庫。(かんぬき)のかかった錆びた扉が、雷のような音を立てて真っ二つに割れる。

 

「殺す……!!! 殺す……!!! ブチ殺して……あ?」

 

 中に隠れていたナガーバークは、扉の正面に立つ大太刀を構えた細身の女性に目を向ける。

 

「ごきげんよう、ドラゴンスレイヤー。ここからは拙者、“キジカミ・サジロオ”がお相手(つかまつ)ろう」

「〜〜〜〜っ!!! 死ね……!! 死ね……!! 死ねっ!!!」

 

 ナガーバークは両手に草刈り鎌を持ち、キジカミに向かって突進する。キジカミが返り討ちにしようと大太刀を構えるが、その刃が振られるよりも速くナガーバークが跳躍してキジカミの傍を擦り抜ける。

 

「むっ……逃し、た、か」

 

 すれ違いざまに肩を斬られたキジカミが、傷口に付与された毒魔法を反魔法で中和し膝をつく。その隙にナガーバークは倉庫の外へ飛び出し逃走を図る。

 

 しかし、倉庫を出た瞬間に足に激痛が走り地面を転がった。

 

「ぐぎっ!? あっ……!?」

 

 焼けるように鋭く、潰れるように鈍い痛み。続けて地面が2回音を上げて石を吹き、今度は大腿部に激痛が走る。

 

「痛っ……!!!」

 

 ナガーバークは漸く痛みの正体を理解し、”棚田6段目の電波塔”を見上げる。

 

 

 

 

「ちょっと監督〜! 何発外してんのさぁ〜!」

「オレらがこんだけ補助魔法やってんのにありえんくね? 代わっていい?」

「うるさいうるさいっ! 私だって頑張ってるんだよっ!」

 

 塔の上には2人の男女。そして、その間でスナイパーライフルを構える小太りの男性。ナガーバークの視線に3人が気が付くと、男女が決めポーズで戯けて見せる。

 

「イェーイ! ドラゴンスレイヤーさん見てるぅ〜? 俺達は! 真吐き一座、アネモネ劇団所属! ”ミクリビリ“とぉ〜?」

「”チャノシフ”でぇ〜っす! 足元のおデブはウェンズ監督〜。ヨロシク〜!」

「ちょ、補助やめないでっ! 照準ずれちゃうから!」

 

 ウェンズの放つ弾丸がナガーバークの髪を擦る。防御魔法で弾こうにも、隣で補助する者の魔法で並の魔法では軌道を逸らせない。そして、足止めをされたせいで背後にいたキジカミが治療を終えてしまった。

 

「アネモネの連中か。今回ばかりは助けられたな。さて、続きをしようか。ドラゴンスレイヤー」

「死ね……死ね……死ね……死ね……!! 死ねっ!!!」

 

 ナガーバークが異能を強め、キジカミに向かって吼える。最早爆心地のような轟音となった耳打ち(ウィスパー)が、キジカミの“頭蓋骨”を激しく揺さぶる。

 

 耳打ち(ウィスパー)。他対象の操作系の異能。ナガーバークの声は感知出来ない波となって広がり、対象者の“頭蓋骨”を直接揺らしナガーバークの声を届ける。弱く発すれば盗聴されない一方通行の情報伝達を、強く発すれば聴覚と平衡感覚に混乱を与え、更には意識が朦朧とした人間には深層意識を騙る幻聴として洗脳作用を発揮する。そして、ナガーバーク本人の至近距離では”頭蓋骨を直接揺らす“ことで対象への物理的ダメージを発生させる。全力を出したナガーバークの耳打ち(ウィスパー)は、頭蓋に(ひび)を入れ脳味噌を崩す死の絶叫と化す。

 

「おっと……。至近距離だと……これ程に、(やかま)しいものなのか」

 

 しかし、常人であれば卒倒するような振動にも、キジカミは涼しい顔で感想を述べる。

 

「だが、もう”慣れた“」

 

 真吐き一座、セルビア劇団所属。“キジカミ・サジロオ”。異能、“順応(アジャスト)”。

 

「拙者の相手があのブリキでなくてよかった。さらばだ、ドラゴンスレイヤー」

 

 絶叫を続けるナガーバークに、キジカミが大太刀を振るう。ナガーバークは(つまづ)いたかのように倒れ込み、両断された腹部をそっと撫でる。

 

「あ……。エ…………エン……ファ……………………」

「……心頭滅却すれば火もまた涼し。……静寂(しじま)揺蕩(たゆた)う心の騒がしさに比べれば、身を這う痛みのなんと慎ましきことよ」

 

 

 

 

 

「声が、止んだ?」

「サジロオ先輩、勝ったんだ!」

 

 棚田の5段目。ナガーバークの耳打ち(ウィスパー)が止んだことで、劇団員達は味方の一勝を察する。工場従事者達は糸が切れた操り人形のように次々に倒れ込み、錯乱して暴走し始める者も真吐き一座の劇団員がすぐさま鎮圧する。その最中にも、劇団員達は花形の方へ不安そうにチラと目をやる。

 

 

 

「サジロオ……上手くやったんだね。流石ぁ」

 

 タリニャは手裏剣(リイズ)の猛攻を凌ぎつつ、他の劇団員達を巻き込まぬよう器用に位置を移動し、工場の中心から端の林の方へとリイズを誘導する。

 

「優しいのね。タリニャさん」

「何が?」

「お仲間を攻撃されぬよう、ひとりでワタクシの相手をして、誘導までするなんて」

「分かっててついて来てくれるアンタも、中々優しいんじゃない? うおっ! そのギュルルンって回るの禁止!!」

「うふふ。ワタクシまで褒めてくれるの? 嬉しいわ。嬉しいけど、ごめんなさい。優しさじゃないの」

 

 突如タリニャの背負っていた林から鳥が一斉に飛び立ち、巨大な蜘蛛が体躯を持ち上げた。そして、聞き覚えのあるスピーカー越しの声が工場に響き渡る。

 

「じゃっじゃじゃ〜っん!! 見て見てカッコいいでしょぉ〜!!!」

「蜘蛛さんですね。素敵ですよ。ランカさん」

 

 2対の脚と1対の触腕を掲げる鉄屑の怪物、リヨットランカの操縦する第二のロボットが、工場のハロゲンランプに照らし出された。

 

「パイプスパイダー捌式!! 蜘蛛っぽく捕縛機もつけたよ〜っ!! そぉれっ!!」

 

 ロボットの頭部から2本のワイヤーが射出され、タリニャの足に絡みつく。

 

「んも〜強いなら早く言ってよね!! あたしと最強勝負だ〜っ!!」

 

 ロボットが触腕に装備した電動鋸を回転させ、それからワイヤーを高速で巻取りタリニャを手繰り寄せる。

 

 だが、タリニャは不敵に笑って手裏剣(リイズ)の刃に側面から指を突き立てた。

 

「うっ!?」

 

 タリニャの指が鋼鉄の手裏剣にめり込み、”見るからに不自然な“勢いで罅割れが手裏剣全体に広がっていく。

 

「――――――――っ!?」

「ごめんね、アタシのも優しさじゃないんだ」

 

 タリニャが手裏剣(リイズ)に指をめり込ませたまま、ワイヤーは巻き取られて2人はロボットの頭部へと引き寄せられる。

 

「えっ、リイズちゃん!?」

「お友達、返すよ〜!!」

 

 タリニャは手裏剣(リイズ)をロボットに思い切り叩きつけ、その反動で腕一本で跳躍しワイヤーを千切りつつロボットの頭上へと飛び上がる。そして触腕についた電動鋸を鷲掴み、触腕ごと捥ぎ取る。

 

「うわあ馬鹿力ぁ〜!?」

 

 捥ぎ取った触腕を蹴ってロボットに近づき、思い切り腕を振りかぶって頭部にめり込んだ手裏剣(リイズ)ごと力いっぱいに振り抜いた。

 

「正義っパンチ!!!」

 

 ロボットはミサイルが命中したかのように潰れ、ひしゃげ、爆発するように崩壊する。そして罅割れた手裏剣(リイズ)も同じく吹き飛ばされ、瓦礫となったロボットの上に叩きつけられた。想定外のダメージに、思わず変容(トランス)を解除して人間の姿に戻るリイズ。しかし外傷はリイズの人間形態にまで引き継がれ、全身に(おびただ)しい稲妻模様の裂傷を残した。

 

「こ、これは……、は、破壊の、異能……!?」

 

 内臓にも大きなダメージを負ったリイズが吐血し、瓦礫の凹みに血溜まりを作る。タリニャはドヤ顔で鼻を鳴らした後、少し気恥ずかしそうに頭を掻いて見せた。

 

「いやあ。そんな上等なモンじゃないよ」

 

 そして、Vサインをリイズに突き出し勝ち誇る。

 

「私達、実力差はあっても異能の相性が悪かったね。私のは道具対象の劣化系。“不器用(クラムジー)”の異能さ」

 

 リイズは少し驚いた顔をした後、「素敵ね」と口を動かして意識を失った。



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173話 周知の侵入計画

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 クロシオ港〜

 

「止まれ」

 

 ハピネスが小声で呟く。車を運転していたレシャロワークは緩やかにブレーキを踏み停車させる。

 

 棚田の裏手に広がるコンテナ港。その一角。辺りは真っ暗闇に包まれていて、ぽつりぽつり設置されたと切れかけのランプが、辛うじて足元がコンクリートであることを示している。緩やかな(さざなみ)の音と、ガラスの割れた車窓を潮風が潜る音だけが耳を撫でる。

 

 レシャロワークが暇潰しにゲーム機を取り出そうとした時、暗闇から1人の人影が現れ車に近づいてくるのに気が付いた。

 

「ん? おっさん、何か用ぉ?」

「後ろ、乗ってもいいかな?」

「え、怖。そういう幽霊?」

「失礼するよ」

「うわあ乗ってきやがった」

 

 そう言って、壮年の男性が後部座席の扉を開いて座席に腰掛ける。その時、助手席に座っていたシスターの方からは初めて男の顔が見えた。

 

「シ、シガーラットさん……!?」

「やあ。久しぶりだね」

「ど、どうしてここに……」

「それはこっちのセリフでもあるね。運転手さん、車出してくれるかい?」

「出したくねぇ〜」

 

 嫌がりながらもレシャロワークがアクセルを踏むと、車は再び三本腕連合軍官邸に向け緩やかに加速を始める。

 

「さて、私がここにいる理由だが……別に珍しいことじゃない。世界ギルドに定住する前に“ベアブロウ陵墓”に寄ろうと思ってね。“べしゃりサーカス”と“デラックス・ピザ”には世話になったから、一言挨拶をしておきたいんだ。君達と別れた後、ゆっくりココを目指していたわけだが……。何故だか途端に私のギフト(異能)が騒ぎ出してね。星の導きの通りここで待っていたら、君達が来たというわけだ」

「じゃ、じゃあもしかしてタリニャさん達も……!?」

「ああ。今頃棚田で悪者退治をしているよ」

 

 それを聞いて、シスターは顔色を変えて詰め寄る。

 

「えっ……い、いけません!! すぐに連れ戻して!! 相手は仇討ちエンファ直属の戦闘部隊です!!」

「大丈夫だ」

 

 シガーラットは焦燥に駆られるシスターを冷静に宥める。

 

「星は出ていない。真吐き一座の勝利は揺るがない」

「で、でも……!!」

「それより、心配なのは君達の方さ」

「……はい?」

「君達は、このままヒナイバリ工場長のところへ行くんだろう?」

「どうしてそれを……」

「人道主義自己防衛軍の方から、大まかにだが君達の旅の目的は聞いている。それで、君は誰をどう懲らしめようとしているんだい?」

「……今はまだ、何も。三本腕連合軍の不況、ティスタウィンク工場長とステインシギル工場長を襲った刺客、その目的……。分からないことだらけです。まずは、今何が起きているのかを知らなければ」

「そうか。なるほど……では……いや、そうだな……。しかし……まあ、うん。まずは、ヒナイバリ工場長の御息女、“ホルカバリ”に会うといい」

 

 長い独り言を呟いてからのシガーラットの言葉に、シスターは(いぶか)しげに目を細める。シガーラットは静かに首を振って、少し恥じるように微笑んだ。

 

「ああ、すまない。君達の行く末が、私のギフト(異能)の対象になるか不明瞭だったものでね。この導きが、私にとって都合が良いものなのか、君達にとっても都合が良いものなのか……判断しかねる」

「……いえ、充分です。ありがとうございます」

「我々は用事が済んだら世界ギルドに定住するつもりだ。余裕ができたら、是非ともまた公演を見に来てくれ」

「ええ、是非とも」

 

 

 

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜

 

 官邸から少し離れた場所にある民家の駐車スペースに、レシャロワークが車を駐車停める。それと同時に民家の住民が違法駐車を咎めようと玄関から出てくる。

 

「オい!! アんだお前ら!!」

「あ〜、こういうモンです〜」

 

 レシャロワークが百機夜構のバッジを見せると、住民はビクッと体を震わせて一歩後退(あとずさ)る。すぐさまシガーラットが住民の歩み寄り、数枚の紙幣を手渡して小声で囁いた。

 

「君は寝ていて我々の侵入に気付かなかった。そうだろう?」

 

 住民は戸惑いつつもシガーラットと紙幣を交互に見つめ、何も言わずに金を引ったくり家へと戻っていった。

 

「じゃ、私はこれで。ああ、そうだ。官邸には西側の出入り口から入るといいよ」

「ええ。どうもありがとうございます」

「幽霊のおっさんばいばぁーい」

 

 

 

 シガーラットと別れた3人は、彼の指示通り官邸の西側に回って茂みから様子を伺う。

 

「……確かに、誰もいませんね」

「スニキングミッそン……!!! 鬼ヤバい、テンションぶち上がってきた」

「静かにして下さいね?」

「任せとけぃ……!! (おる)ぁ世界ギルドじゃ“サイレント・メテオ”って呼ばれてたんだぜぇ……!!」

「行ったことないでしょ?」

「ない」

 

 2人が無意味な会話をしていると、ハピネスが無言で立ち上がり真っ直ぐに入り口へと向かい始めた。

 

「ちょ、ハピネスさん!?」

「おいおいおい、戦場じゃ愛しの大地に頬擦りが原則だぜぇ。地獄って奴ぁ嫉妬深いんだ」

 

 狼狽(うろた)えるシスターとテンションの狂ったレシャロワークに、にハピネスは僅かに振り返って目線を送る。その「ついてこい」と言わんばかりの目に、シスターは意を決して茂みから立ち上がりレシャロワークと共にハピネスの後を追う。

 

 白塗りの角張ったシルエットの官邸入り口。上部には対に構える監視カメラ。しかし、ハピネスは隠れる素振りもせずその真正面から中へと入っていく。薄く色付いた内壁、淡い茶の絨毯(じゅうたん)。入ってすぐの突き当たりに並べられた絵画と観葉植物の他に3人を出迎えるものはなく、どこからか聞こえる音楽の音だけが微かに漂っている。

 

「……無人?」

 

 シスターがそう呟くと、突き当たりの陰から2人の人物が現れる。1人は警備員と思しき制服姿の若い大柄の女性。そしてその隣で腕を組んでいるのは――――

 

「ラ、ライラさん……!?」

「どうも。お久しぶりですね」

 

 真吐き一座の男娼、ライラだった。

 

「あの……ここで一体何を……?」

「見ての通り、ハニートラップと言うやつです」

 

 そう言ってライラが制服姿の女性にそっと抱きつくと、警備員らしき女性は頬を染めつつも気まずそうに目を逸らす。

 

「あ、あの、流石にこれ以上は……」

「まあまあ、内緒にしておいて下さい。ね?」

「あ、いや、で、でも……」

「もっとサービスしてあげますから……いいですよね?」

「う、うう……」

「そうだ。さっき彼女から聞き出したのですが、ヒナイバリ工場長はご在宅だそうですよ。娘のホルカバリさんも」

「ちょ……! それは秘密にって……!」

「まあまあ。ホルカバリさんのお部屋は3階の突き当たりです。正面階段よりも、非常階段から登って行くことをお勧めしますよ」

 

 ライラは警備員の女性の腕を強く抱きしめ、「では」とそのまま警備室の方へと強引に誘導していく。そして、去り際にシスター達の方へ振り向き一言だけ言い残す。

 

「貴方達が何をするのか詳しくは知りませんが、頑張って下さい。ただ、無理はしないように」

 

 ライラが捨て台詞を言い終わらないうちに、ハピネスが反対方向の通路へと歩き出す。ライラの登場に唖然としていたシスターは、慌ててハピネスを追いかけつつも何か言い返そうとライラの方を振り向く。しかし、その時にはすでにライラは警備室へと姿を消してしまっていた。

 

「シスターさん、知り合いですかぁ?」

「……ええ、まあ」

「凄いですねぇアレ。生ハニトラ、初めて見ましたぁ。あんな堂々としてていいんですねぇ」

「いや……アレは彼の手腕というか何というか……」

 

 足早に奥へと進んでいくハピネスを追いかけつつも、シスターはライラの言葉が胸に刺さって痛むのを強く感じていた。「無理はしないように」という一言が、深く、鋭く、シスターの心の底を抉っている。診堂クリニックでの臓器ギャンブルで負った傷は、使奴であるヒスイ達によって跡形もなく消えている筈。しかし、シスターが茨の道を這い摺って来たことを、彼は察していた。

 

 見透かされている――――――――

 

 シスターは今まで自分のことを人畜無害で非力な人間だと評価していた。スヴァルタスフォード自治区で戦ったヘレンケルの挑発を鑑みても、この自己評価は間違っていないことは確かだろう。確かに自分はひ弱な雑魚であった筈。しかし、どうやら今はもうそうではないらしい。良くも悪くも、小魚は成長してしまった。もし今後強敵と出会えば、自分の内に芽生えた無自覚な狂気は容易く見抜かれてしまうかもしれない。ライラに忠告されなければ、この勘違いはいつまで続いていただろうか。この勘違いのせいで、どんな窮地に陥っていただろうか。その先を少し考え、シスターの首筋を冷たい汗が伝った。

 

「……ありがとうございます、ライラさん。貴方には、助けられてばかりですね」

 

 先陣を切っていたハピネスが官邸の非常階段を登り、3階にある廊下に出て奥の扉の側で振り返る。「扉を開けろ」と言わんばかりのハピネスの視線に、シスターは深く息を吸ってもう一度ライラの忠告を思い返した。すると、レシャロワークがシスターの背中をポンと叩いた。

 

「……レシャロワークさん」

 

 シスターが彼女の顔を見つめると、レシャロワークはいつもと変わらぬ無表情のまま暫し見つめ返し、(おもむろ)に口を開いた。

 

「…………あのぉ、自分扉開けるの怖いんでぇ、先行ってもらえますぅ?」

「……応援してくれてるんじゃなかったんですか?」

「え? シスターさんて応援でバフ入るタイプなんですかぁ? ピュア〜痛ぁい!!」

 

 レシャロワークの脳天に拳骨を振り下ろしてから、シスターは扉を数回ノックする。

 

「……だれ?」

 

 弱々しい少女の声。シスターは意を決して扉を開き、部屋の中へと入る。

 

 ポップでカラフルな壁紙。毛の長いふわふわのカーペット。沢山の大きなぬいぐるみと抱き枕に、大小様々なビーズクッション。壁を覆うような大画面テレビとスピーカーに、棚から溢れかえるおもちゃゲームの数々。そして、カーペットの上で本を読んでいる10歳前後と思しき淡い紫のショートヘアの少女。

 

「……ホルカバリさんですね? 驚かせてしまってすみません。私はシスターと言います」

「自分、レシャロワークっていいますぅ。うわあすっげ、テレビでっか」

 

 シスターは入り口から一歩以上部屋に入らず、ホルカバリに深く頭を下げる。

 

「私は魔導外科医……お医者さんなのですが、今回ホルカバリさんのお体の調子を確認しに来ました。ほんの少しだけ、検査に付き合ってもらってもいいですか?」

「…………検査?」

 

 結論から言うと、シスターの嘘は完璧であった。三本腕連合軍では富裕層が定期検診のため病院を訪れるという文化はなく、殆どが巡回検診によるもの。また、検診は日中の通常業務の後に行われることが大半で、今回のような深夜に巡回検診が行われることも少なくない。更にはホルカバリの月一検診はまだ済んでおらず、時期的にも医者が訪ねて来てもおかしくない状況にあった。

 

「はい。すぐに済みますので、ほんの少しだけ――――」

「うそつき」

 

 ただ一つ悔やむならば、シスターの襟についていた“百機夜構のバッジ”の存在を、ホルカバリが知っていたことだろう。ホルカバリが首からぶら下げていたペンダントをぎゅっと握ると、廊下の方から「ビーッ」という不穏な電子音が聞こえて来た。

 

「えっ――――!?」

「お医者さんなら“関係者用の赤いバッジ”で来るもん。“青いバッジはお客さん用”でしょ」

「あ、あの! 私は本当に医者で……!!」

「ママの邪魔しないで」

「話を聞い――――!!!」

 

 言いくるめようとしたシスターが、突如「ゴッ」という鈍い音とともに大きく吹き飛ぶ。シスターは地面に叩きつけられた直後、立ち上がるよりも早く声を張り上げた。

 

「行って!!!」

「え? あ、ちょっ!?」

 

 ハピネスが呆然としているレシャロワークの首根っこを掴み、急いで(きびす)を返し部屋を出て行く。シスターは頭部からダラダラと血を流し、カラフルなカーペットに真っ赤な血溜まりを作る。回復魔法で傷口を塞ぎつつ何とか立ち上がると、シスターが入って来た部屋とは別の出入り口から、見覚えのある人影が姿を現した。

 

「よぉ。また会ったな」

「……ピンクリーク、さん…………!!」

 

 筋骨隆々な巨躯にタンクトップ一枚を纏い現れたのは、昼間にシスター達を出迎えた百機夜構の総長“ピンクリーク”であった。ピンクリークは紺色の髪で隠した左目越しにシスターを睨み、咥えていた煙草を素手で握り潰し消火した。

 

「顔見知りだからって、見逃して貰えると思うなよ。この仕事、歩合制なんでな」

「……それは、この不景気には厳しいでしょうね」

 

 シスターは蹌踉(よろ)めきながらも姿勢を立て直し、余裕の笑みでピンクリークを睨み返す。

 

「労災出ないなら、今からでも転職をお勧めしますよ。どうせ貧乏だから保険なんか入ってないでしょう?」

「……うるせえ虫ケラってよ、羽と脚だけ()ぎたくなるよな」



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174話 煉瓦の家

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜

 

「ぐっ――――……!!」

「おら、どうしたよ。秘策があんなら早く出さねーと死んじまうぞ?」

 

 ピンクリークの右フックが、シスターの側頭部を弾き飛ばして血飛沫を散らす。怯んだところへ腹部への膝蹴り、浮き上がった胴への肘打ち。シスターは呼吸もままならぬ状態で床に倒れ込み、必死で息を吸おうと藻搔(もが)く。

 

 薄手のタンクトップを持ち上げる猛牛のような筋肉から熱気を上げ、ピンクリークは顔を半分覆う前髪から怪しげな眼差しを覗かせる。拳を大きく振りかぶったピンクリークの一撃を防ごうと、シスターが防壁魔法を重ね掛けして身を守る。するとピンクリークは(わざ)と踏み込みを大きくして攻撃を遅らせ、シスターの防壁魔法が万端の状態になるのを待った。そして、車の衝突をも弾く防壁が完成した直後、それを薄ベニヤのように撃ち抜きシスターの肩を砕く。

 

「あああああああああっ!!!」

「柔い、柔い。知ってるか? 狼は吐息一つで(わら)の家を吹き飛ばすんだぜ」

 

 痛みに怯んだシスターを蹴飛ばし、壁へと叩きつける。シスターは全身血まみれになりながらも、なんとか防壁魔法を構え次の一撃に備える。ピンクリークは呆れたように笑い、ポケットからスキットルを取り出して酒を呷り、またしても防壁の完成を待つ。

 

「頑張って丈夫な煉瓦(レンガ)の家を建てろよ。お前が子豚より賢いならよ」

 

 

 

 

 

 

 

「シスターさん大丈夫ですかねぇ。ピンクリークさんて怖いんですよねぇ。顔が」

「…………」

 

 ハピネスはレシャロワークを連れ、無言のまま足早に非常階段を登っていく。4階の廊下を抜け、最奥の扉まで一直線に歩いて行き躊躇(ちゅうちょ)なくその扉を開いた。

 

 広大な執務室を彩る絵画骨董の数々。それらが門番のように部屋を囲んでいる。足元に広がる緻密な幾何学模様が描かれた絨毯(じゅうたん)を数歩進むと、真正面の執務机の向こう側から声が発せられる。

 

「ノックぐらいしたら?」

 

 大きな椅子は部屋の奥にある大きな窓の方を向いており、背もたれに隠れて座っている人物の顔は窺えない。レシャロワークは暢気(のんき)に後ろを振り返り、ハピネスが開けっぱなしにした扉を拳の裏で数回叩く。

 

「コンコン、入ってまーす」

「キャンディ・ボックスが関わるような事は起きてないから、さっさと帰って」

「帰っていいなら本当に早く帰りたいんですけどねぇ」

 

 レシャロワークは腕を組んでウンウンと唸り、横目でチラリとハピネスを見やる。彼女は依然として口を開く様子はなく、既に執務机の奥の人物には欠片も興味を持っていない。レシャロワークは大きく溜息を吐いてから「やれやれ」と手を上げて不貞腐(ふてくさ)れて見せる。そして今度はビシッと指を点高く突き上げ、それを執務机の向こうに突き付けた。

 

「三本腕連合軍大不況の仕掛け人は……お前だっ!!! 鳳島輸送工場長、ヒナイバリ!!」

 

 机の向こうの椅子が緩やかに回転し、座っていた人物が姿を現す。淡い紫色の長髪をセンターで分け、こちらを険な顔で睨む女性、“ヒナイバリ工場長”。苛立(いらだ)ちのせいか伸ばしたもみあげを指先に何度も巻き付け、酷く気怠そうに敵意と共に言葉を吐く。

 

「馬鹿とは話したくない。その、自分達が苦しいのは政治家が悪巧みしてる所為ってすぐこじつけるの、どうにかならないの?」

「さっき娘さんと会ってきましたぁ」

 

 ヒナイバリの目元が微かに震える。

 

「めっちゃいいテレビですねぇ、アレ。ゲーム機も、こないだ出たばっかのストライクプレイヤー3の再々改良版。ゲームソフトも診堂クリニック全土が涙するような名作から半泣きになるようなクソゲーまで……。ヒナイバリさんって、お店で「こっからここまで全部」って買い方する人? わかってないネェ。ゲームのワクワクってのはね、お店でソフト選ぶ瞬間から始まってるんですよ!!」

「何の話?」

「こっちの話。ええと、何が言いたかったんだっけ……。あっ! そう!」

 

 レシャロワークがポンと手を打つ。

 

「愛娘のヒナイバリちゃんを甘やかすために!! 国のお金ジャブジャブ使ってるんでしょぉ!! 名推理!!」

「……個人にかけられるお金なんて、高が知れてるでしょ」

「なんかこう、世界的な有名人いっぱい呼んで誕生日パーティーさせるとか。ダクラシフ商工会のキールビースさんとか、真吐き一座のタリニャさんとか」

「そんな有名人が、いつウチの国に来たの?」

「えっとぉ……お忍びでくるから報道はされないんだよ」

「世界的な有名人が最近長期で休んだこと、あるの?」

「あるんじゃない? 知らないけど」

「出て行って」

 

 ヒナイバリ工場長は怒りを露わにレシャロワークを睨みつける。しかし、レシャロワークは全く動じずに頬を掻く。

 

「……自分達のこと追い出したいのに、警備の人は呼ばないんですねぇ」

「貴方が馬鹿なのは分かるけど、雑魚ってわけじゃない。どうせ呼んだって返り討ちにするんでしょう」

「じゃあ尚更早く呼ばないとぉ。今から自分がヒナイバリさんを殺すかも知れないじゃあないですかぁ。怖くないんですかぁ?」

「貴方は馬鹿は馬鹿でも狂人じゃない。三本腕連合軍のトップの暗殺なんて馬鹿な真似、貴方がする意味はないでしょう?」

「あー……? あー……。……話変わるんですけどぉ、ヒナイバリさん”ファスファン“ってやったことありますぅ? “ファスト・ファンタジア”。RPGの金字塔にして最高傑作。尚個人の感想」

「何の話?」

「こっちの話。ファスファンの序盤でぇ、お城に忍び込むミッションがあるんですけどぉ、道中に負けイベがあってぇ、強制的に処刑台までシーンが進むんですよぉ」

「ゲームしたいなら帰りなさいよ」

「まあまあ。で、その処刑台で主人公が殺される寸前に仲間が助けに来るんですけどぉ、これって結構”出来過ぎ“ですよねぇ? ずっと待ってたの? みたいな」

「はぁ? 物語なんだから当然じゃない」

「いやそうなんですよぉ仰るとぉーり。「え? タイミング良すぎじゃない?」ってな感じでぇ。だからぁ、もし何かの間違いでタイミングが遅かったりしたらぁ、多少不自然でも時間を引き延ばすしかないじゃないですかぁ。それっぽい演説かまし続けるとかぁ、悪足掻きを余裕ぶって見守ってあげるとかぁ」

「もういいわ。望み通り警備員を呼んであげる」

「今のヒナイバリさんみたいに、無駄に相手の話を聞いてあげるとかぁ」

 

 執務机の電話に手を伸ばしかけたヒナイバリの手がピタリと止まる。

 

「……何ですって?」

「あ、違うんならどうぞぉ。気にしないで電話してくださぁい。別に警備員やっつけたりしませんってぇ」

「私が、時間を稼いでるって?」

「だってさぁ、下でヒナイバリさん1人で待たせてたり、こんな夜遅くまで1人で仕事してたり、なーんか自分達に取って都合が良過ぎる気がするんですよねぇ。そう言えば警備も手薄だったなぁ〜。いや、ピンクリークさんいたからそうでもないかぁ?」

「知ってるんなら早く言ってよ。無駄に猿芝居しちゃったじゃない」

 

 ヒナイバリが、先程までのを引っ込めて、どこか嬉しそうに優しく微笑む。

 

「お、認める感じ? (いさぎよ)いねぇ。悪者みたい」

「ええ。だって、悪者だもの」

 

 ヒナイバリは(おもむろ)に席を立ち、部屋の隅に置かれていた背の高い旗立まで歩き、その旗の端を摘んで大きく広げて見せる。そこには、黒雪崩騎士団でも見た三本腕連合軍の国旗が描かれていた。

 

「この国旗にまつわる話、聞いたことある?」

「聞いたけど忘れましたぁ」

「……かつてこの地には“東薊農園”という小さな農園があった。そこへやってきた2つの勢力。陸からは、北方の王国を守っていた“黒雪崩騎士団”。海からは、遥か遠くの島国からやってきた“鳳島輸送”。彼等は決して仲は良くなかったけど、大戦争を生き延びるために手を組んだ……」

 

 国旗にはバツを描くように黒と青の腕が交差し、その中心を跨ぐように黄色の腕が重ねられている。

 

「田畑の黄色が東薊農園。岩山の黒が黒雪崩騎士団。海原の青が鳳島輸送。彼等は腕を重ね合った“写真”を和睦(わぼく)の印とし、この三本腕連合軍を建国した……」

「畑なら緑じゃね?」

「けど、この“写真”は、私達の先祖が捏造したものだった」

 

 ヒナイバリが旗を強く握り締め、毒魔法を発動させて腐食させる。国旗は真っ黒に炭化して泡を吹き、ボロボロと崩れながら絨毯に落ちていく。

 

「和睦は上手くいかなかった。しかし、互いに睨み合ったままでは生き残れない。そこで鳳島輸送の代表者は、黒雪崩騎士団の代表者と、東薊農園の代表者を殺した。その死体の腕を重ね、和睦の証である写真を撮った」

 

 絨毯に毒魔法が伝播し、激しく泡を噴き上げて溶けていく。白煙が怪しく揺らめき、絨毯の上を蛇のように這っていく。

 

「国民たちは写真を和睦の証と信じ、互いに手を取り合った。手を握った相手の指導者が、自分達の仲間を殺したとも知らずに」

「……そりゃぁ悪者ですねぇ」

「平和には必要な犠牲だったの。皆仲良く死を選ぶくらいなら、無理矢理にでも和睦をでっち上げる。わかるでしょう?」

「あんまり」

「ねえ、貴方も私に協力してくれない? 元はと言えばステインシギルの手伝いに来たんでしょう? 国を救いたいって気持ちは同じな訳じゃない?」

「いや、自分の気持ちはずっと「帰りたい」の一択なんで……」

「じゃあ鳳島輸送に住めばいいじゃない」

「帰宅の概念捻じ曲げないで?」

「改革には大きな力が必要なの。キャンディ・ボックスの協力があれば、きっと成し遂げられる。大丈夫よ、私は昔の指導者とは違う。貴方の仲間を殺したりなんかしない」

 

 レシャロワークは眉を八の字に曲げ絶え間なく首を振る。すると、ヒナイバリの背後、大きな窓の向こうからこちらを覗く一つの目玉に気が付いた。

 

「あれ、ヒナイバリさん、後ろ――――」

 

 レシャロワークが言い終わる間もなく、爆発したかのように勢いよくガラス窓が弾け飛び、破片が室内に飛び散る。

 

「ふぅむ。防魔加工(マジックプルーフ)の精度が甘い。やはりリサイクル品は廉価版にすべきか?」

 

 窓の奥から姿を現したのは、”東薊農園農園“工場長。死んだ筈の”ティスタウィンク“であった。

 

「あら、東薊農園の人間はもう少し礼儀正しいと思ってたのだけれど……。デジタルテクノロジーの先駆者は、一体いつから原始人になっちゃったの? ティスタウィンク」

ソーシャルエンジニアリング(盗み聞き)は如何なるセキュリティソフトにも防げない最も質の高いクラッキングだ。原始人だなんてとんでもない。極めて先進的な犯罪と言えるだろう」

 

 ティスタウィンクはスーツについたガラス片をハンカチで叩き落とし、何かを探すように辺りを見回してレシャロワークに尋ねる。

 

「ふぅむ。ステインシギルはどこだ? まさか置いてきたんじゃないだろうな」

「置いてきましたぁ」

「愚か者。それと、死体だった私が蘇ったのだぞ? 少しぐらい驚いてもいいと思うがね」

「っどわああああああああ!? ティスタウィンクさん〜〜〜〜!?」

「ふぅむ。40点」

「思ってたより高得点」

 

 ティスタウィンクはハピネスの方をチラリと流し見てから、ヒナイバリに指を突きつける。

 

「して、一体どういうつもりかな? ヒナイバリ」

「どういうつもり……って?」

「三本腕連合軍創立の昔話……。あんなものが嘘だということは、とっくに分かっていただろう」

 

 ティスタウィンクの指摘に、レシャロワークが素頓狂(すっとんきょう)なポーズで反応を返す。

 

「え。アレ嘘だったんですかぁ」

「真っ当に考えれば、幾ら大昔とは言え指導者の暗殺など容易いものではない。ましてや、その事実を隠し続けようとするのなら特にな」

「それはそう」

(もっと)も、我々は“互いに信じていた昔話が食い違っていた”だけなのだが」

「はぁ?」

 

 ティスタウィンクはヒナイバリをじっと見つめ、|徐(おもむろ)に語り始める。

 

「……かつてこの地には東薊農園という小さな農園があった」

 

 レシャロワークが首を傾げ、「はて」と呟く。

 

「そこへやってきた2つの勢力。陸からは黒雪崩騎士団。海からは鳳島輸送。彼等は決して仲は良くなかったが、大戦争を生き延びるために手を組んだ……」

「それってぇ、さっきヒナイバリさんが言ったやつと一緒じゃない?」

「いいや。この話は“捏造された”ものだ」

「それもさっき聞きましたぁ。和睦は上手くいかなかったからぁ、鳳島輸送の代表者が――――」

「そこで、“東薊農園”の代表は、他の代表らを殺害した」

「……あれ?」

「食い違っているのだ。東薊農園、鳳島輸送、黒雪崩騎士団。それぞれの地に伝わる門外不出の昔話。三本腕連合軍の和睦を捏造したという”話そのものが捏造されている“」

「えっとぉー……つまり?」

「我々、県の代表者は皆”先祖による代表者殺しの罪と責任を背負っている“と思わされ続けて来た。正義心溢れる黒雪崩騎士団は指導者としての責務を果たそうと奮い立ち、気高い自尊心を持つ鳳嶋輸送は支配者という地位に見合う振る舞いを心掛け、疑心に満ちた東薊農園は不安の種を摘み取るため善良な国作りに躍起になった。全ては我々の先祖が描いた、子供騙しの稚拙な企みだ」

 

 ヒナイバリは目に見えて狼狽(うろた)え、目を白黒させる。しかし、ティスタウィンクは眉間に皺を寄せ声を張る。

 

「その下手くそな芝居をやめろヒナイバリ!! 反吐が出る!!」

「……あら、驚いて欲しかったんじゃなくて?」

「お前のような堕落した自惚れ屋を(もてあそ)んでも何も面白くはない」

 

 再び落ち着いた微笑みを浮かべるヒナイバリ。

 

「そんなことを今更長々と聞かせてくれるもんだから、てっきり子供扱いされてるのかと思って可愛い子供を演じてあげたのに」

「お前は子供以下だ暗愚魯鈍(あんぐろどん)め。私が知りたいのは、お前が何を()って”破滅“を望んでいるのか、だ」

 

 ヒナイバリの表情が途端に曇り、顎の奥から歯を擦る鈍い音が零れ落ちる。

 

「三本腕連合軍の要である技術品の粗製濫造。働き手や不動産の買い叩き。国外への情報漏洩……。私が百機夜構と契約していなければ、この国はとっくに襲撃され焼野原だ。お前の悪政は最早馬鹿の範疇(はんちゅう)をとっくに超えている。これは比喩でも嘲笑でもない。お前はこの国を破滅させる気だろう」

「……人のことを――――」

 

 口を開きかけたヒナイバリの首筋に、ティスタウィンクの取り出したハンドアックスの刃が突きつけられる。

 

「次につまらん言い訳を口にしたら生首のまま尋問してやる。つい最近延命装置の試作品が完成したところだ。税金対策に出資した遊び半分のガラクタではあるがね」

 

 そこへ、廊下の奥から2人分の駆ける足音が聞こえてくる。

 

「っはあ! っはあ! なんとか間に合ったか――――な、ティスタウィンク!?」

「工場長! そんな走っちゃ傷開くよ!」

 

 姿を現したのは、黒雪崩騎士団工場長ステインシギルと、真吐き一座の花形タリニャの2名であった。ティスタウィンクは2人の登場に一切反応することなく、ハンドアックスを握りしめたままヒナイバリに向かって言い放つ。

 

「更に警告しておくが……私は子供にも大人にも平等に接することを心掛けている。お前が死んだら娘のホルカバリに聞くまでだ」

「……ま、待って、話を――――」

 

 手斧が振われ、ヒナイバリの頸動脈が喉笛ごと引き裂かれる。

 

「遅れてもう一つ忠告だ。私は決断が早い」



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175話 混乱と殺意を握り潰す掌

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜

 

 「遅れてもう一つ忠告だ。私は思い切りがいい」

 

 ティスタウィンクが振るったハンドアックスは、ヒナイバリの喉笛をゼラチンのように切り裂いた。ヒナイバリの悲鳴よりも早く鮮血が溢れ、絨毯(じゅうたん)の幾何学模様を塗りつぶしていく。一拍遅れて叫び声を上げようとするヒナイバリの喉にも血は流れ込み、絶叫は泡を吐き出す水音にしかならない。

 

「がぽっ……!!! ごぽぽっ……!!!」

「さて、これで家主も“不在”になったことだし、家探しするか」

 

 ティスタウィンクがヒナイバリを押し除け、執務室の引き出しを乱暴に漁り始める。開く引き出しは全て引き抜き、無造作に中身を床に撒き散らす。ヒナイバリは床に倒れて藻掻(もが)き苦しみ、絶命間近の身体から必死に回復魔法の波導を放出している。

 

「ふぅむ。予想はしていたが、碌なものが入っていないな。やはり娘に聞くしか……おや?」

 

 ティスタウィンクがふとヒナイバリの方へ目を向けると、レシャロワークが回復魔法でヒナイバリを治療しVサインを構えていた。

 

「貴方に医療技術があったことは驚きだな」

「自分、狂医者目録(くるいしゃもくろく)シリーズは全作やり込んでますんでぇ」

「……ちょっと見せてみろ」

 

 ティスタウィンクがぐったりとしているヒナイバリを抱え、傷口に指を添える。

 

「……貴方、人体を粘土細工か何かと勘違いしていないか?」

「失礼な。最近モノホンの手術も経験してるんですよぉ?」

「断面をくっつけて治癒を促しただけでは人体は治らん」

「くっついてるじゃん」

「これは癒着と言うんだ表六玉めが。ゲームを教材にするな」

「ゲームを教材にするな!?」

「ふぅむ。しかし……」

 

 ティスタウィンクはニヤリと笑い、ヒナイバリの頬を軽く叩いて意識を覚醒させる。

 

「これはこれで好都合。死に触れた者は心の天秤が狂う。これで少しは利口になるかもな」

「ひっ――――……」

 

 ただでさえ出血で青い顔をしているヒナイバリが、恐怖でより一層青褪める。

 

「ヒナイバリ工場長。お前が破滅を望む理由は何だ?」

「あ、あ……」

「答えられないか? 答えられないなら、今一度自身の血で溺死してもらおうか」

「い、嫌っ、い、言うからっ……言うっ……言うから、待って……!!」

「断る」

 

 ティスタウィンクが塞がったばかりの喉に指を捩じ込み、掻き出すようにして皮膚を抉る。

 

「いづっ……!!! ああああっ……!!!」

「ふぅむ。これは恐怖か? いや、焦燥に近いな。怒気も恨みも孕まない懇願とは珍しい。自己都合か? ここまで反応が正直だと虐め甲斐があるな。いいぞ、やはり死は人を雄弁にさせる」

「おいやめろティスタウィンク!!!」

 

  ティスタウィンクの手を、ステインシギルとタリニャが掴んでヒナイバリから引き剥がす。

 

「幾ら何でもやり過ぎだ!! 本当に死んじまうぞ!!」

「私部外者だけどさ、これは流石に止めるよ……」

 

 2人の言葉に、ティスタウィンクは渋い顔をして小さく息を吐き、2人の手を振り払う。

 

「遅れて来たくせに文句を言うな。(もっと)も、貴方が彼女から真実を聞き出せると言うならば話は別だが……良い警官でも演じてみるかね? ステインシギル」

「遅れるも何も、お前と約束なんかしてねーよ!!」

「私の予想通りなら、上手いこと追っ手を撒いてもっと早く到着しているはずだったのだがな」

「は? 何で俺らが追われてたことを知ってるんだ……? お前まさか、俺を”囮“にしたのか……!? その為に死んだフリなんか……!!」

 

 ステインシギルがティスタウィンクを睨むと、(わざ)とらしく肩をすくめて溜息を吐く。

 

「やれやれ、察しがいいんだか悪いんだか……。私も貴方も、単独の戦闘力はゼロに等しい。折角そこに レシャロワーク達(頼もしい助っ人)が現れたのだ。利用しない手はないだろう」

「お前がレシャロワーク達をウチに寄越したのは、端から俺の護衛役をさせるつもりだったのか……!? こちとら、タリニャ達真吐き一座が来なけりゃ全滅してたんだぞ!?」

「逃げるだけならどうとでもなっただろう」

「部外者を矢面に立たせられねぇだろうがよ……!!」

「ふぅむ。まあ、仮に戦闘になったとて想定内だ。彼らも決して弱くはない」

「テメェ……!!」

「元より貴方には特別何かしてもらうつもりはない。地位のある説得力を持った生き証人として、ここにいてくれればそれでいい。例えヒナイバリが全てを白状したとしても、私ひとりで三本腕連合軍は動かせんからな」

 

 2人が言い争っていると、執務室の外から何者かの足音が近づいて来た。小動物が駆けるのにも似たその足音に、その場にいたもの達は思わず廊下の方に顔を向ける。

 

「っはあ……っはあ……! ママの、ママの邪魔しないで……!」

 

 そこにいたのは、ぬいぐるみを握りしめた少女。ヒナイバリ工場長の一人娘、ホルカバリだった。そしてその背後から、遅れてもう1人の人影が姿を現す。

 

「おいおい……オレを置いて行くなよお嬢さん。一応、アンタのお守りで呼ばれてんだからよ」

 

 百機夜構総長”ピンクリーク“。その衣服や顔には返り血が飛び散っており、右手には真っ赤に染まる”動かぬ人形“が引き摺られている。その人形の服装を見て、ステインシギルとタリニャは目を見開いて声を上げる。

 

「なっ……!! シ、シスター!!!」

「えっ……嘘っ……!! シスターさん!?」

「うっせぇなぁ……。侵入して来たのはそっちなんだから、こうなって当然だろうがよ。あ、おい、先行くなよホルカバリ」

 

 混乱に陥る彼女らの間を縫って、ホルカバリがヒナイバリの元へ駆けて行く。

 

「ママ!!!」

「ホ、ホルカバリ……!! 来ちゃダメ……!! 逃げて……!!」

 

 ヒナイバリの言葉には耳も貸さず、ホルカバリは母親を背に隠すように立ちはだかってティスタウィンク達を睨みつける。

 

「ママのこと虐めないで……!! ママ、お仕事いっぱい頑張ってるだけだもん!! 邪魔しないでよぉ!!」

 

 しかし、ティスタウィンクはホルカバリを面倒臭そうに一瞥(いちべつ)し、ピンクリークの方に顔を向けて(いぶか)しげに口を開く。

 

「ふぅむ。契約では、百機夜構内部での暴力行為は禁止していた筈だが? ピンクリーク。何故バッジを貰ったシスターがボロ雑巾になっている?」

「そりゃあ百機夜構との契約だろ? オレ個人が鳳嶋輸送と契約してんだよ」

「二重契約も禁止している。どっちみち契約違反だ」

「じゃあどうする? クビにでもすんのか? あの世からでも解雇通知って出せんのかよ」

「人情に厚い貴方が裏切るとは予想していなかったな……。おい、レシャロワーク」

 

 出番を求められたレシャロワークは手を眼前で左右に振って強く拒絶を現す。

 

「無理ですってぇティスタウィンクさん。流石にこの鬼マッスルお化けには勝てませぇん。自分パワータイプじゃないしぃ」

「全く、役に立たん」

「さーせぇん」

「そこの真吐き一座の女優は?」

「も、申し訳ないんだけど、流石に百機夜構の総長相手は厳しいよ……」

「ふぅむ。これは……窮地だな。どれ、ホルカバリでも人質に取ってみるか?」

 

 ティスタウィンクがホルカバリに目を向けると、ヒナイバリがホルカバリを抱えて背を向け隠す。

 

「やめてっ!!! この子だけは……この子だけは見逃して……!!!」

「よせティスタウィンク!! 子供に罪はねーだろ!!」

「そ、そーだよティスタウィンクさん!」

「そーだそーだ。大人気ないぞー」

 

 ステインシギルに続きタリニャとレシャロワークも反対の声を上げる。ティスタウィンクはピンクリークの方を警戒しながらも小さく呻き声をあげ、ハンドアックスで肩を叩き思考を巡らせる。

 

「ふぅむ。どうしたものか。ピンクリーク、貴方ならどうする?」

「あぁ? オレに聞くのかよ」

「不本意ではあるが、貴方が一番真っ当な意見をくれそうな気がしてな」

「どうでもいい。オレはヒナイバリからゴーサインが出るまで動く気はねぇよ」

「ふぅむ。成程? ……それは、困ったな」

「おう。困れ困れ。ああ、でもあんまり長く困るとシスター(コイツ)が死ぬぜ」

 

 突如として敵に回ったピンクリーク。数少ない戦闘要員であったシスターの敗北と、レシャロワークの棄権。そしてタリニャとピンクリークの圧倒的戦力差。ホルカバリの乱入。未だ手がかりすら掴めぬヒナイバリの目的。

 

 ティスタウィンクにとっての予想外だったことは、主に3つ。

 

 1つは、ピンクリークの裏切り。人情深い筈の彼女が契約を反故にし、ヒナイバリ側についたこと。これにより、ヒナイバリを尋問することが困難になってしまった。

 

 2つめは、シスター達の貢献度の低さ。レシャロワークがピンクリークに敵わないことは予想出来ていたが、聡明そうに見えたシスターが一切の成果なく無力化されたこと。そして、未だハピネスが沈黙を貫いていることに対して、殆ど疑念に近い失望を感じていた。

 

 3つ目はヒナイバリの口の固さ。見栄っ張りだが苦痛に弱く、目先のことを第一に考える短絡的な彼女であれば、少しの尋問で容易に口を割ると高を括っていた。しかし実際は、ヒナイバリは死の淵を覗き見ても尚口を割らず、必死に何かを隠し通そうとしている。もしヒナイバリの抱える事情が命よりも重いものだった場合、ティスタウィンクにこれを暴くことは困難を極める。

 

 ティスタウィンクの勘が外れることは良くあることだが、ここまで外れに外れることは彼にとって非日常的であった。彼は自分の勘が(ことごと)く外れることを、“偶然ではない”と再び勘付いていた。しかし、根幹が勘である以上論理的追及は行えず、空しくも足踏みをするしかなかった。

 

 しかし、そんな混乱と殺意が入り乱れ錯綜する中、ティスタウィンクの勘を裏切ってとうとう”彼女“が口を開いた。

 

「……ヒナイバリ工場長。私と取引をしろ」

 

 全員が、部屋の隅に目を向ける。

 

「お前の”秘密“を黙っててやる。その代わりに、鳳嶋輸送工場長としての全権を、私に引き渡せ」

 

 ハピネス・レッセンベルクが、落ち着いた声色のまま言い放った。

 

 ステインシギルが文句を言おうと息を吸うが、口を開く寸前で憤りと共に言葉を飲み込む。今まで沈黙を保っていた彼女の狙いを一片たりとも想像することが出来ず、余計なことを口走ってしまうのではないかという思いが頭を(よぎ)った。それは周囲にいた者達も同じだったようで、ティスタウィンクも、タリニャも、レシャロワークも、ピンクリークでさえも、口を(つぐ)んでヒナイバリ工場長の返答を待っている。

 

 ヒナイバリ工場長は、今まで見せた表情の中で一番滑稽(こっけい)な顔をしていた。

 

「……………………は?」

 

 今度は演技ではない、本物の狼狽(ろうばい)。万引きがバレてしまった子供のような、見るに堪えない間抜け面。

 

「答えろ。イエスか、ノーか」

 

 ハピネスの灰色の瞳が、ヒナイバリの間抜け面を覗き込む。この、全てを見透かしているかのような奇怪な瞳に、思わずヒナイバリは精一杯強がって見せた。

 

「な、何を言ってるの? ふざけないで。工場長の全権を引き渡す? それに私の秘密だなんて――――」

「それは”ノー“ということでいいんだな?」

「いやちょっと待ってよ……! まだ私は何も――――」

「もう一度はぐらかすなら、答えは”ノー“とする。異議は認めん」

「話を聞い――――」

「聞いたな? 皆の者。聞いたな? 今、ヒナイバリは、私の、申し出を、断った」

「ちょ、ちょっと待ってってば! そもそも――――」

「この、”先導(せんどう)審神者(さにわ)“である私の申し出を」

「は?」

 

 時が止まったかのように空気が凍り、ハピネスだけがニヤリと笑う。

 

「笑顔による文明保安教会国王、”先導(せんどう)審神者(さにわ)“ハピネス・レッセンベルクの申し出を、ヒナイバリ工場長は、断ったのだ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 ヒナイバリの全身から、滝のように汗が噴き出る。目を開いているにも関わらず視界は真っ黒に染まり、四肢の感覚が消失する。

 

「ああ、悲しいよヒナイバリ工場長。私は君を助けたかっただけなのに」

「い、いやいや……ま、待ってよ。あ、いや、ま、待って下さい……!」

 

 ある者は言葉を失い、ある者は思案し、ある者は焦燥し、ヒナイバリだけではなく、その場にいた者全員が呼吸をも忘れて動けない。

 

「まあ人間というものは自由だ。自由であるべきだ。如何なる権力も、行為も、君を縛るには値しないのだろう。私はそれを肯定しよう」

「待ってよ……!! 待ってってば……!!!」

 

 今、ハピネスが先導(せんどう)審神者(さにわ)であることを証明するものは何も無い。ないもないからこそ、ヒナイバリは肯定も否定も出来ない。大ほら吹きにみすみす国の全権を明け渡してしまうのか、それとも世界で最も恐ろしい帝国に単独刃向かうのか。惨めな死か、防衛か。隷属か、拷問死か。この土壇場で命を二分する(さい)を振るなど、小心者のヒナイバリには到底出来ることではない。

 

「さあ皆の者よく聞け。この女のしでかした大罪を――――!! その狭く澱んだ胸の内に秘めたる悪行を、今!! 私が(つまび)らかに語ってやろう――――!!」

「待ってってばぁ!!!」

 

 しかし、その葛藤すらも、ハピネスの掌の上である。



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176話 元凶





 ”要人詐称罪“。

 

 笑顔による文明保安教会に()ける経歴詐称の一種であり、笑顔の七人衆や先導(せんどう)審神者(さにわ)の名を騙った場合に適用される刑法である。当然、笑顔の国の権力者の名を騙ろうとする命知らずなど存在する訳がないのだが、その希少性もあってか要人詐称罪には一風変わった特性がある。

 

 それは、この罪は国内外を問わず適用されると言うことである。世界ギルドも認めていない勝手な法律ではあるが、その効力は事実上有効である。何せ、笑顔の七人衆の名を騙ることは世界ギルドに取っても看過し難い悪辣な行為であり、抑止力となるならば多少の勝手も致し方ないと黙認している状況である。

 

 その背景もあってか、笑顔による文明保安教会は要人詐称罪に更なる条項を設けた。

 

 “要人詐称罪に該当する者を、権利者以外が害してはならない”。

 

 笑顔の国を愚弄する不届者を、他国の刑罰や私刑によって裁かせぬようにする為。そして、笑顔の七人衆が直々に手を下す為の条項。大いなる愚行には、大いなる苦痛を。大罪人を生半可な刑罰であの世へ逃さぬ為の、只管(ひたすら)に苦しめる為だけの条項。

 

 故に、仮に“先導の審神者”の名を騙る愚か者が現れたとしても、何人たりともその者を害することは出来ない。もしその場に居合わせてしまった時に取れる最善の行動は、共犯や妨害を疑われぬよう全力で逃げるか、自決するかの2択であろう。

 

 

 

 〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜

 

「度重なる増税!! 援助制度の改悪!! 数多くの権利者を恐喝し、土地も人も二束三文で買い叩き!! 貴重な資源と技術は、棚田の奴隷工場で腐敗し垂れ流された!! 無能の一言では説明の付かない、自殺と同義のヒナイバリ政権!! その真意とは!!」

 

 手を広げて歌うように語るハピネスの言葉を、皆固唾を飲んで見守っている。当のヒナイバリ本人は頭を抱えて顔を伏せ、その場に力無く座り込んでいる。誰ひとりとして介入することの出来ない演説に、ひとりの無邪気で無鉄砲な無知蒙昧が、無謀にも刃を突き立てる。

 

「ママをいじめないで!!!」

「おっと!」

 

 ハピネスに向かって突進してきたホルカバリを、ハピネスは軽々抱き上げ首を締め上げる。

 

「はっはっはっは! 元気で大変宜しい!! 無邪気で無遠慮で、いやいや何とも可愛いもんだ!!」

「うっ……!!!」

 

 ホルカバリが必死に足をばたつかせ拘束から脱しようと藻掻(もが)く。

 

「お前の母親がイカれたのは、お前のせいだと言うのに……。いい気なもんだね」

 

 ハピネスの呟きに、ホルカバリは目を見開いて脱力する。傍観していたステインシギル達も思わず息を止め、ティスタウィンクだけが静かに溜息をついた。ハピネスは抵抗しなくなったホルカバリを静かに床に落ろし、ティスタウィンクに尋ねる。

 

「ティスタウィンク工場長、貴方の予想では、ヒナイバリは何かの証拠隠滅の為に自滅を計った……。そうだね?」

「ふぅむ……まあ、そうだ」

「だが、その隠滅したい何かが、今でも分かっていない…‥と言うよりは、結論に辿り着いたはいいものの、道理が通らず納得が行っていない」

「そうだ。ヒナイバリが隠したかった“何か”とは、恐らく“横領”だ。こいつは国の金を勝手に何かに使い、その事実を隠蔽する為に国諸共証拠を消し飛ばそうとしている」

 

 ヒナイバリが手で覆っている顔の隙間から漏れ出る嗚咽に、過呼吸が混じり始める。

 

「だが、国庫の現金や権利書は確実に減少しているものの、こいつがそれらを使ったという記録がない。こいつが一体いつ、何に、どれだけ使ったのか。そしてその購入した資産は今どこにあるのか。一切が不明だ。権利書の行方を追いかけようにも、既に幾人もの手を流れていて元が掴めん。しかし、国を傾けさせる程の大金ともなると、兵器や土地といった物品というよりは……権利や情報といった形無いものに費やした可能性が高い……。だが、それを命以上に優先する理由も分からん」

 

 ティスタウィンクが一頻(ひとしき)り憶測を述べると、ハピネスは堪えきれないといった様子で笑う。

 

「ふふふ……いやあティスタウィンク。君は優秀だね。けど、真面目過ぎるよ。それじゃあ結論には辿り着けない」

「……ふぅむ。では、どうしたら真実に辿り着けるのだ? ご教授頂ければ幸いだ」

「君は、少しばかり人間を高く評価し過ぎている。愚か者って言うのはね、本当にどうしようもなく愚かなんだよ」

 

 ハピネスが部屋の大窓を背に、高らかに笑う。

 

「馬鹿な女が金を注ぎ込む形無いものっつったらさあ!!! そんなもん、男とギャンブルに決まってんじゃん!!! あーっはっはっはっはっは!!!」

 

 

 

 呆然――――――――

 

 

 

 ハピネスの高笑いだけが、混乱による沈黙の中を無邪気に駆け回る。嘘のような大暴露を認めまいと、皆がヒナイバリの方を見る。しかし、泡を吹いて絶望に染まる彼女の姿が、これが真実であることの何よりの証明になった。

 

 ティスタウィンクは余りに想像とかけ離れた答えに、珍しく反射的に稚拙な反論を口にする。

 

「……いや、ヒナイバリには賭博や男遊びに興じる余暇などない。工場長の座に着いてから、1日たりとも休日など取ったことはない」

 

 ハピネスが待ってましたと言わんばかりに怪しく笑い反論を被せる。

 

「だぁから言ってるでしょうよ。君は人間を高く評価し過ぎだって! こいつが国の金チョロまかして遊んでたのは、工場長就任よりも前だよ!」

 

「……補佐官時代か? 確かにその頃なら時間はあるだろうが……そんな大金を使えば、前工場長のミルザガッファが気付く筈だ」

「気付いてどうすんの?」

「……? …………まさか。ああ、愚か者め」

 

 ティスタウィンクは中折れ帽の(つば)で、(しか)めっ面を隠してぼやく。

 

「まさか責任逃れの為に、被害を隠し通したのか……?」

「お、いいねえ! 愚か者への理解がグッと深まったね!」

「何と言うことだ……では、ミルザガッファ前工場長がヒナイバリを愛人にし、恋人を捨ててまで求婚して工場長に任命したのは……」

「いいねえいいねえ! もっと踏み込んで行こう!」

「……束の間の玉の輿(こし)に喜んでいたヒナイバリは、真実を知って逃げられなくなった。総裁の愛人という甘い蜜を(すす)る間も無く子を孕まされ、ミルザガッファは恋人を捨てヒナイバリに求婚。身重のヒナイバリは実に不条理な2択を迫られた……」

 

 大罪人として子を宿したまま惨めな裁きを受けるか。

 

 工場長として責任者の席に着き、一か八か全ての隠蔽を計るか。

 

「……逃げるも死。進むも死。ならば、僅かにでも可能性のある死を。少しでも見てくれの良い死を望んだ……。奴が死を眼前にしても口を割らなかったのは、愚か者の烙印を背負って死ぬことを恐れていたからか……」

 

 ティスタウィンクは帽子の(つば)を軽く持ち上げ、(ひざまず)くヒナイバリを見る。彼女はガチガチと歯を鳴らして涎を垂らし、絨毯(じゅうたん)の幾何学模様を無意味に視線でなぞっている。

 

 そこへハピネスが悠々と歩み寄り、しゃがみこんでヒナイバリの髪を掴み顔を上げさせる。

 

「痛っ……!!」

「情けないねぇ。恥ずかしいねぇ。企みは阻止されて、恥ずかしい過去もぜーんぶバレちゃって。お前はこの後どんな刑に処されるのかなぁ? そういやさっき、ティスタウィンクが延命装置の試作品ができたとか言ってたね。生きたまま生首にだけにして市中引き回しにでもする? 多分人類史上初だよ!」

「ううっ……!! あああああっ…………!!!」

 

 ヒナイバリはボロボロと涙を流し、震える手で身を抱く。そして、小さな体を震わせ力一杯に声を吐き出した。

 

「ピンクリーク!!! コイツらを皆殺しにしろ!!!」

 

 絶叫に近い怒号が、部屋中に響き渡る。集団の最後方で待機していたピンクリークが、血塗れのシスターから手を離し(おもむろ)に歩き始める。ティスタウィンク達の間に緊張が走り、タリニャが慌てて臨戦体勢を取る。ピンクリークはタリニャには目もくれず前を素通りし、ティスタウィンクの目の前に立つ。

 

「……やっぱりお前だったのか」

 

 そして、ティスタウィンクを押し除け、膝をついているヒナイバリを冷たく見下ろす。

 

「お前っ、何を――――!!!」

百機夜構(ウチ)の新人。8割がリストラ組なんだよ」

「……は?」

 

 ピンクリークはヒナイバリの口の中に指を突き入れ、下顎を持ち手のように握り持ち上げ無理矢理立たせる。

 

「あがっ……!!! ががががっ……!!!」

「会社を失い、金を失い、家を失い、家族を失った。不況とか言う姿形の無いもんに、恨みこそすれ復讐しようなんざ思わねーが……」

 

 ピンクリークが手に力を込め、ヒナイバリの下前歯を圧し折る。

 

「あがああああああああああああっ!!!」

「元凶がいるなら、話は別だよな」

 

 そのまま勢いよく地面に叩きつけ、ヒナイバリを昏倒させる。そしてティスタウィンクの方に振り返り、小さく頭を下げた。

 

「お前とヒナイバリ、どっちが嘘吐いてんのか分からなかったから二股かけさせてもらった。疑って悪かったな」

「こんなのと同じ天秤に乗せられるのは(しゃく)だが、貴方の疑心と決断力を兼ね備える優秀さは最初から評価している。これからもよろしく頼むぞ」

「……こっちが味方で良かったぜ」

「同感だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜三本腕連合軍 東薊(ひがしあざみ)農園 百機夜構本部ビル会議室〜

 

 翌朝、ティスタウィンク達は状況を整理するために百機夜構の本部ビルの会議室に集まっていた。ホルカバリだけはビル1階の別室に一時的に軟禁し、ヒナイバリは封魔手錠で両手を壁際に固定されている。

 

「全く、君はどうしてそう死にたがるかね。診堂クリニックで無茶し過ぎてマゾヒズムにでも目覚めちゃったのかい?」

「そんなつもりではないのですが……」

 

 ハピネスは瀕死から回復したばかりのシスターに向かって悪態をつく。

 

「あ、それはそうとハピネスさん。ホルカバリさんの前でアレはあんまりじゃないですか!」

「アレってドレよ」

「ヒナイバリの悪事を、ああも露骨に嘲笑しなくても……! あの子にとってはたった1人の大事なお母さんなんですよ!?」

「あの子はそんな弱くないだろうよ。変に母親への愛情持ったまま大人になるより、しっかり被害者にしておいた方が後々生きるの楽だよ」

「そうじゃないでしょう……!」

「じゃあどうだって言うのよ」

 

 2人の口論の隣では、シスターを瀕死に追い込んだ張本人であるピンクリークが、悪びれもせずパエリアをかき込んでいる。

 

「……シスター。必死に真面ぶっちゃいるが、アンタも人のこと言えないぜ。ぶっちゃけ、先導の審神者よりもよっぽどおっかねぇ」

「そ、そこまで言われますか!?」

 

 昨晩、シスターは出会い頭にピンクリークに殴り飛ばされた時に、彼女が本気でないことを察した。そこで彼はピンクリーク相手に分かりやすい挑発を仕掛け、“ハピネス達を追いかけないで欲しい”と交渉を持ちかけていた。不況を引き起こした犯人を知りたかったピンクリークはこれに応じ、ホルカバリに怪しまれぬよう戦う演技をして見せた。

 

「お前の防壁魔法、もっと弱く張ってもよかっただろ」

「ホルカバリさんは幼いながらも洞察力に長けた方です。ピンクリークさんほどの猛者ならまだしも、私のような戦いの素人が手を抜いたらすぐバレますよ」

「そのガチガチの防壁砕いた所為でお前はこんなに死にかけてんだが。せめて避けろよ」

「下手に避けてうっかり致命傷にでもなったら最悪ですから。それに、手加減は貴方の方が上手でしょう?」

「限度があるだろ。やっぱイカれてるぜ」

 

 ピンクリークがパエリアを完食し、酒を(あお)ってから煙草(たばこ)に火をつける。

 

「それはそうと、そこの先導の審神者様は本当に安全なのか? アンタが平気だっつーから触れちゃいねぇが、仮に偽物だった時はここにいる全員処刑じゃすまねーぜ。本物でもそれはそれで困るんだが」

「ああ、それに関しては大丈夫です。ムカついたら殴っていただいても結構ですよ」

「そうか」

 

 ピンクリークは大欠伸(おおあくび)をして床に寝転び、ペットボトルを枕代わりに居眠りを始める。しかし、ステインシギルもタリニャも本気にはせず、未だ笑顔の国の王を警戒して口を(つぐ)んでいる。そこへ、席を外していたティスタウィンクが戻ってきた。

 

「何故このビルにはエレベーターが無いんだ? 貴方達は毎回馬鹿正直に階段を7階分も上り下りすることを、一度も面倒だとは思わないのか?」

 

 彼に続いて部屋に入ってきた小柄な金髪の女性、百機夜構の前総長であり現副長“マルグレット”が、ティスタウィンクを宥めて笑う。

 

 

「じゃあティスタウィンクさん付けてよ、エレベーター」

「いいだろう」

「ホント!? メンテも込みだよね!?」

「馬鹿を言え」

「なあんだ。嘘吐き」

 

 マルグレットは全員に飲み物を配って歩き、嬉しそうにケラケラと笑う。

 

「いやあ皆お疲れ様! 総長もね! これで不況が終わってくれれば嬉しいなぁ〜! 次の総裁ってやっぱティスタウィンクさん? ステインシギルさん? どっちでもいいから税金は下げてよぉ〜? もう真面目に働くよりも泥棒やった方が遥かにコスパ良いんだからさぁ〜!」

 

 ティスタウィンクは半ば奪い取るように飲み物を受け取り、一気に飲み干して唸り声を溢す。

 

「全く……。杞憂も杞憂、まさかこんな結末とはな。国の金を男と賭博でスるなど……一体どんな遊び方をすれば国家予算を使い切れるんだ? もはや才能だな。こんなことなら、もっと早く襲撃していればよかった」

 

 隅で放置されているヒナイバリの嗚咽と、呆れ腑抜けの溜息が部屋を転がって行く。巨悪に幻影に翻弄され、踊らされ、苦しめられ。いざ元凶を暴いてみれば、出て来たのは見窄らしい卑小な害虫が一匹。今まで支払ってきた代償、徒労に終わったあれやこれやが、空を泳ぐ綿雲のように頭に浮かんでは消えて行く。消化されなかった恨み痛みのやり場を探す気力も失せ、脱力し切った体を起こす口実をぼんやりと考えている。

 

「全く、暢気なものだな」

 

 気怠い空気が充満していた会議室に、ハピネスの呟きが(ひび)を入れる。

 

「この国どころか、世界が終わる寸前だったってのに」



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177話 元めの凶い

 〜三本腕連合軍 東薊(ひがしあざみ)農園 百機夜構本部ビル会議室〜

 

「ヒナイバリが男とギャンブルで国庫枯らして、逃げられないよう工場長命じられて、一か八か狂った悪政で国ごと吹き飛ばそうとした。真実は、そんな薄寒い子供騙しじゃあない」

 

 ハピネスは僅かに眉間に皺を作りながら、部屋の隅で携帯ゲーム機で遊んでいるレシャロワークの方に目を向ける。

 

「レシャロワーク」

「…………はい? 呼びましたぁ?」

「こっちに来い」

「はいはい〜。セーブするんでちょっと待って下さいねぇ」

 

 レシャロワークがゲーム機を操作しながらハピネスに近づくと、ハピネスはレシャロワークのゲーム機を奪い取り、射出魔法で寝ているピンクリーク目掛けて射出した。

 

「あ?」

 

 半分微睡(まどろみ)状態だったピンクリークは、反射的に飛んできたゲーム機を跳ね返し、(もと)い粉砕した。

 

「あばぁ~~~~~~~~!?」

 

 レシャロワークの愛機“ストライクプレイヤー3、ケモノ牧場2記念モデル”は百機夜構一の腕力による殴打を受け、鮮やかなプラスチックの破片と共に宙を舞う。液晶と外装が外れ基盤が飛び出し、6年もの間彼女と苦楽を共にした相棒は、見るも無惨なスクラップとなって会議室の壁に叩き付けられた。

 

「あにゃにゃにゃにゃにゃにゃにするんだこの――――!!!」

「何だこれは」

 

 半狂乱になったレシャロワークを押し除け、ティスタウィンクがゲーム機の残骸に手を伸ばしてしゃがみ込む。その中から小さな部品を摘み上げると、ポケットからルーペを取り出してマジマジと見つめる。

 

「ストライクプレイヤー3の設計図は削れるほど読み込んだが、こんな部品は見たことがない。それに……これは“盗聴器”じゃあないか。おいレシャロワーク、これをお前に与えた人物は誰だ?」

 

 レシャロワークは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、なんとか思考を再開して答える。

 

「おっ、おっ、おっ、おっ……!! ごっ、ごれはっ、診堂ぐりにっぐでっ、6年前にわだじががっだやづでっ、おおっ……!!」

「どこで買った」

「み、診堂ぐりにっぐのっ、にっ、23番街にあるっ、“遊びキング”ってとこでっ……!!」

「ではそこのオーナーがこれを……? いや、そんな露骨に仕込む低脳がいるか……? レシャロワーク、その店の人間とは面識があったのか?」

「い、いやっ……と、当時はっ……ケ、ケモ牧2モデルはどこも売り切れでっ……、ジ、ジンダローさんが、23番街に新しくゲームショップが出来たらしいから、そこならあるかもって……」

「ジンダロー?」

 

 ティスタウィンクがピンクリークの方に視線を移すと、ピンクリークは極めて機嫌悪そうに睨み返す。

 

「……ウチの“ジンダローガード”が仕込んだんじゃねぇかって疑ってんなら見当違いだ」

「診堂クリニックの23番街は外国人が訪れるような場所ではない。6年前はまだ開発指定がかかったばかりで、畑とガソリンスタンドしかないような田舎町だ。なぜジンダローガードはそこに新しくゲームショップが開店したことを知っていた?」

「あいつは実家が診堂クリニックの16番街にあんだよ。23番街は抜け道でよく通る。別におかしかねーだろ。それよりも、そのゲーム機はお前のとこの製品だろ? 製造工程を疑えよ」

「その製造も、百機夜構からのアルバイトを多数使っている。いや待て、だとすると他の製品にも混入の可能性が……?」

 

 ティスタウィンクは真っ直ぐに会議室のモニターの方へと歩き出し、ハンドアックスを取り出し躊躇(ためら)いなく叩き割った。

 

「弁償しろよ」

「……いいや、金を払うのはどうやら貴方の方らしい」

 

 ティスタウィンクはモニターの残骸の中から、一つの部品を摘み上げる。

 

「レシャロワークのゲーム機にも混入していたのと同一の部品だ」

「何だと……!?」

 

 今度はピンクリークがモニター横のスピーカーを破壊し、残骸を漁り始める。その中からひとつの部品を拾い上げ、わなわなと身体を震えさせる。

 

「……ここにもか。ティスタウィンク、こりゃあどう言うことだ?」

「それはこっちのセリフだ。何故我が県の製品に異物が――――」

百機夜構(ウチ)の所為だっつーのか!? オレらに声かけたのはテメーだろうが!!」

「雇用扶助契約を申し出たのは貴方だ。ピンクリーク」

「文面書いたのはテメーだろ!? それに!! 製品の最終チェックはテメーもやってんだろうが!!」

「その時には発見されなかった。検品テスト用の製品のみ細工をしていなかったんだろう」

「検品だって抜き打ちでやってんだろ!!」

「ふ、2人ともちょっと落ち着いて!!」

 

 ピンクリークの捲し立てる怒号に、ティスタウィンクは冷静且つ敵意を剥き出しにしながら反論を返す。口撃の応酬を止めようとマルグレットが必死に2人を宥めるが、言い争いは収まるどころか益々勢いを増していく。それどころか、ピンクリークは無関係のタリニャに指を差して争いに巻き込んだ。

 

「第一!! なんで“真吐き一座”がここにいんだよ!! 報告受けてねーぞ!!」

「えぇ!? わ、私!? いやいやいや! ちゃんと座長がティスタウィンクさんに連絡してるってば!」

「タリニャの言う通りだ。私が許可した」

「じゃあなんで報告しねーんだ!!」

「彼女らは有名人だからな。極力情報は抑えたかった。それに、そのお陰で今回上手く助太刀として機能もしたわけだしな」

「そういうところが信用ならねーっつってんだ!! まさか、黙ってレシャロワーク呼んだのもテメーか!?」

「アイツは知らん」

「どうだかな! 実は、タリニャ使ってステインシギルも処分しようとか企んでたんじゃねーのか!?」

「私がステインシギルを? 馬鹿を言え。無害で優秀な彼女を何故私が処分など」

「ティスタウィンクさんは無実だよ!! それどころか、道中”ドラゴンスレイヤー“に襲われて大変だったんだから!!」

「はぁ!? ドラゴンスレイヤー!? なんでそんな化け物共が三本腕連合軍(ウチ)に――――」

 

 ピンクリークは不意に言葉を止め、視界の端にいた”彼女“に目を向ける。

 

「…………え?」

 

 そこでは、”マルグレット副長”が顔面蒼白のまま微笑みを凍らせていた。

 

「ド、ドラゴン、スレイヤー……?」

「マ、マルグレット……? お前、何か……知ってんの、か?」

 

 仲間の急変に、ピンクリークも恐る恐る声を震わせて尋ねる。すると、マルグレットは譫言(うわごと)のように呟いた。

 

「そ、そんな……嘘、“リイズ”ちゃん達が、そんなこと、する、わけ……」

「マルグレット……!! お前、まさか……!?」

「だ、だって、だって、だって……!!! あああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 発狂し、顔を押さえてその場に崩れ落ちるマルグレット。彼女の絶叫する姿を見て

、ティスタウィンクが呆れ気味に歯軋りを鳴らす。

 

「……外患誘致、歴史の教科書に載るレベルの大罪だな。死刑は免れないぞ、マルグレット」

「違う!!! 違うの!!! そんなつもりじゃ……!!!」

「何が違うっつーんだマルグレット!! お前……!! なんであんなイかれた殺人集団なんかと……!!」

「違う違う違う違うっ!!! リイズちゃん達はそんなことしないっ!!! 殺人なんて頼んでないっ!!!」

「奴らが笑顔の七人衆直属の部隊だと言うことは百も承知だろう。貴方が利用されていたにしろ何にしろ、言い逃れもできん」

「そういやマルグレット……!! お前、毎年アザミホテルの大部屋に匿名で予約入れてるよな……!! まさか……!!」

「違う……!!! リ、リイズちゃん達は、どの国でも指名手配されてて、自由に街なんて歩けないから……!!! だって、命の恩人なんだよ……!!! 恩人なんだよぉ……!!!」

 

 傷口が開かぬよう沈黙を保っていたステインシギルも、いい加減黙っていられず口を開く。

 

「おいおいおいおい……!!! もう個人の問題じゃあないだろ……!!! 幾ら向こうから襲ってきたとは言え、こっちはやり返しちまったんだぞ……!? 奴らはマルグレットの手引きで密入国してる!!! 他国から見りゃあ、三本腕連合軍がドラゴンスレイヤーを拉致(らち)ってボコしたことになる……!!!」

「ふぅむ……。笑顔による文明保安教会派からも、世界ギルド派からも爪弾きにされることは間違いないな」

「爪弾きなんかで済むかよ!!! 笑顔の国には侵攻の大義名分を与えちまったし、世界ギルドからの支援は打ち切られる!!! 滅亡確定だ!!!」

「これもヒナイバリの作戦のうち……な訳はないな。奴はドラゴンスレイヤーの密入国を知らなかった」

「タリニャだって、俺らの共犯者になっちまった……!!!」

「えええ真吐き一座(ウチ)も!? こ、困るよそんなの!!」

「……ふぅむ。ヒナイバリの真似事では無いが、一か八かここでマルグレットを消すか?」

「今なんつったティスタウィンク!!! 殺すぞ!!!」

「お、落ち着けピンクリーク!!!」

「そんな……!!! 折角世界ギルドで平和に暮らせると思ったのに……!!!」

「リイズちゃん達が……そんなことするわけ……!!!」

「このクソ野郎ぶっ殺してやる!!!」

「仕方ない。2人とも消しておくか」

「やめろっつってんだろ!!! 武器下ろせお前ら!!!」

 

 魔力が瘴気のように(よど)み、濁り、疑念を煽り激情を焚き付けて行く。出所不明の小火(ボヤ)心火(しんか)の大渦となって燃え盛り、恐怖や焦燥も飲み込んで膨張して行く。

 

「ほらね」

 

 たった一言の囁くような声に、阿鼻叫喚の渦は水を打ったように静まり返る。

 

「世界が終わる音だ」

 

 ハピネスの不自然に落ち着いた態度に、ピンクリークが憤懣(ふんまん)必死に堪えて睨みつける。

 

「……テメーの仕業か……? ハピネス・レッセンベルク……!!! 全部、全部テメーが仕込んだのか……!?」

「うーん……私はやっていないが、無関係かと言われたら返答に困るな。説明の順番がこんがらがるから後でもいいかい?」

「今答えろ!!!」

「こんがらがるって言ってるだろう。それよりも、私が気になるのは“君”だよ」

 

 そう言って、ハピネスは狼狽(ろうばい)で動けなくなっていたシスターの前に立ちはだかる。

 

「さて、シスター君」

「……な、何ですか」

「君は、これをどう見る?」

「どう見る……って」

 

 ピンクリーク達は、シスターが何か知っているのではないかと期待し黙って見つめている。疑心暗鬼に憑りつかれた彼らからの眼差しはまるで銃口を突きつけられているようで、シスターは濁った期待の重圧に耐え切れず、ハピネスの問いかけから逃げるように目を逸らした。

 

「…………っ! わ、分かりませんよ、そんなこと……!! 何で私に聞くんですか……!!」

「君がこの中で一番鈍いからだよ」

「はい? 一体、何を言って……」

 

 ハピネスは話を中断して振り返り、ピンクリーク達に向かって言い放つ。

 

「お前らもだこの(うつ)け共!」

 

 珍しく声を荒らげたハピネス。それは、いつもの嘲りや蔑みなどではなく、叱責のような熱を持った声色であった。

 

「”ヤツ“の術中にハマった今から結果を見て察しろと言うのは無理があるが、そこに至るまでに幾らでもヒントはあった筈だ!!!」

 

 ハピネスは(おもむろ)に前へ歩き出し、最も手前にいたピンクリークの顎を杖の(きっさき)で突く。

 

「ピンクリーク、お前が百機夜構へ来ることになったのは何故だ? どうして自警団“空腹の墓守”から追い出された! “お前をクビにしたのは誰だ”!」

 

 次にハピネスは、タリニャに杖の先端を突きつける。

 

「座長が仕切ってくれれば全て安心とでも思っていたのか? 銃を突きつけられることだけが身の危険だと思っていたのか? 違うだろう! 滅びていった国々を! “爆弾牧場がどうやって侵略されたのかを思い出せ”!」

 

 続けて、杖の先はマルグレットに向けられる。

 

「ドラゴンスレイヤーが命の恩人? お友達ごっこは結構なことだが、そのお友達が“誰の信念で動いているか”ぐらい考えなかったのか?」

 

 ハピネスは杖を下ろし、持ち手でステインシギルの額を小突く。

 

「自分が死んで困るのは誰か、考えたことはあるか? お前がこの世界を精巧な妄想だと思っているなら構わないが、そうでないならもう少し利口に生きろ。“お前の葬式が第二の戦場になるぞ”」

 

 最後に、ティスタウィンクの前に立って目を細め睨む。

 

「勘の良さは大したものだが……勘とはお前の中で算出された最適解に過ぎない。この世が最適最善で動いていると思うなよ。物事の全てに理由は存在するが、“その理由にお前が納得できるかどうかは全く別の話だ”」

 

 そしてハピネスはレシャロワークを流し目で睨んだ後、シスターの方に振り返って早足で近づき、乱暴に胸倉を掴んで顔を寄せる。

 

「お前が、お前らが、“ヤツ”の術中にハマったのは今じゃ無い。昨日でも無い。もっと、もっと前だ……!」

「もっと……前……?」

 

 ハピネスの、シスターの胸倉を掴む手が小刻みに震え出す。

 

「レシャロワークも、お前も、ピンクリークも! マルグレットも!! ティスタウィンクも!!! “ヤツ”の名を聞いたにも(かかわ)らず!!! 存在を認知したにも(かかわ)らず!!! “ヤツ”から目を逸らした!!! なのに!!! 何故疑わない!!! 何故受け入れた!!! これが!!! “エンファやグドラ”でも同じように受け入れたのか!!!」

 

 ハピネスは徐々に語気を強め、そして大きく息を吸い怒声を張り上げる。

 

「キャンディ・ボックスの後ろ盾は!!! 笑顔の七人衆の元頭領は!!! この私の先代!!! “元先導の審神者”!!! ”シュガルバ“だろうが!!!」

 



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178話 無自覚な共犯者

「レシャロワークも、お前も、ピンクリークも! マルグレットも!! ティスタウィンクも!!! 名を聞いたにも拘らず!!! 存在を認知したにも拘らず!!! “ヤツ”から目を逸らした!!! なのに!!! 何故疑わない!!! 何故受け入れた!!! これが!!! “エンファやグドラ”でも同じように受け入れたのか!!!」

 

 ハピネスは徐々に語気を強め、そして怒声を張り上げる。

 

「キャンディ・ボックスの後ろ盾は!!! 笑顔の七人衆の元頭領は!!! この私の先代!!! “元先導の審神者(さにわ)”!!! ”シュガルバ“だろうが!!!」

 

 ハピネスは怒声を張り上げ、間髪を容れずシスターを突き飛ばす。

 

「お前はどれだけ私と一緒にいた? 私という人間がどんなヤツかは、嫌というほど理解していた筈だ。 それなのに、何故私の先代であるシュガルバの名を聞いた直後にヤツの影から目を逸らした? その上、何故ヤツを疑わない? レシャロワークの言う“普通のおじさん”なんて評価を何故鵜呑みにした?」

 

 一通り説教を終えると、大きく息をして怒りを落ち着け、壁際の椅子に倒れ込むように(もた)れかかる。

 

「普通だなんてとんでもない……。ヤツは、私が出会った中で最も恐ろしい男だ。そして、その恐ろしさを、私でさえ測り違えていた。この国に来てから気付いた。ヤツの本当の恐ろしさを」

 

 ハピネスは頭を指先で突きながら、膨大な情報を束ねて一つの論に紡ぎ上げていく。

 

(かつ)て、邪の道の蛇という国があった。そこでは、笑顔の七人衆”収集家ポポロ“が難破船の乗組員を演じ、それを邪の道の蛇が救出することで侵略を許してしまった。レシャロワーク、診堂クリニックでお前らとシュガルバが出会ったきっかけは何だった?」

「……ぼったくりバーで泣いてるおっさん助けたら、それがシュガルバでした……」

「タリニャ。お前らは座長の指示で襲う悪党を選別していたようだが、助ける奴も選別していたのか?」

「え、い、いや……。座長が危険を感じてなければ、助けられる人は皆助けてたよ……」

「被害者を演じて合法的に侵略の一手を捩じ込む。笑顔の国の常套手段だ。そして……マルグレット。お前はドラゴンスレイヤーを命の恩人だと言っていたな」

「……うん」

「それは、笑顔の七人衆“残飯喰らいのガンマ”に殺されそうになったところを助け出してもらった恩だな? だとしたら、少し勘違いをしているな。お前の身代わりを用意したのも、ドラゴンスレイヤーにお前を助けるよう指示したのもシュガルバだ」

「……え?」

「でなければ、ガンマの残飯を横取りしたドラゴンスレイヤーが無傷で済んでいる筈がない。気付いていないだけで、タリニャもシュガルバの手先と出会っているだろうな。恐らくはティスタウィンクも、ステインシギルも、ピンクリークも、ヒナイバリも……」

 

 それから、物語を読み上げるように己の推測を語り始めた。

 

【工場の国】

 

 これは、私が三本腕連合軍に来なかった場合の話だ。

 

 男遊びに溺れたヒナイバリは、国庫に手をつけ国を傾ける。それを知った元鳳島輸送工場長ミルザガッファはヒナイバリを工場長に任命し、ヒナイバリは一か八か三本腕連合軍ごと心中を計る。

 

 不況に追い詰められた黒雪崩騎士団を守るため、ステインシギルは不況の先頭に立っているヒナイバリの元を訪ねる。同時に、ティスタウィンクも別ルートでヒナイバリ邸に忍び込む。ここまでは今回と同じだ。

 

 しかし、道中でステインシギルはドラゴンスレイヤーに殺され、互いに決め手のないヒナイバリとティスタウィンクの言い争いは水掛け論に終わり、ピンクリークは事実を知ることが出来ないまま手ぶらで帰ることとなる。

 

 後日、ドラゴンスレイヤーが犯行声明を出し、密入国を手引きしたマルグレットは共犯者に仕立て上げられる。当然、マルグレットの所属する百機夜構も、百機夜構を雇っていた東薊農園も再起不能な重罪を背負うことになる。

 

 そして、ドラゴンスレイヤーは元凶であるヒナイバリに取引を持ちかける。提供するのはドラゴンスレイヤー逮捕の手柄と罪の隠蔽。求めるのは三本腕連合軍の実権。

 

 こうして、三本腕連合軍は秘密裏に笑顔による文明保安教会の支配下に置かれる。笑顔の国による裏工作によって大不況から脱し、嘘のような経済成長を見せるだろう。良質な工場製品を安価で大量に生産することが可能になり、ティスタウィンクがやっていたように試供品と称して世界に流通させる。盗聴器入りの良品が、世界各国にばら撒かれることになる。

 

 名実共に、工場の国が出来上がる。

 

 

 

 

 

「使奴による情報統制が敷かれた今の時代、ローカルな盗聴器は強力な武器だ。それが、生活を支える家電、車両、情報媒体、電力で稼働する全ての機械に仕込まれる。この世界の全ては、笑顔による文明保安教会に筒抜けになる」

 

 ハピネスが語り終えても、すぐに言葉を発する者はいなかった。彼女の話は徹頭徹尾与太話であり、もしもの範疇を出ない憶測に過ぎない。しかし、先導の審神者という肩書きが、シュガルバへの畏怖が、この与太話を未来予知に近い現実だと物語っている。

 

 その中でも、レシャロワーク、ステインシギル、シスターの3名には、もう少し具体的なこの世の終わりが見えていた。

 

 秘密裏に機械に盗聴器が仕込まれている。やろうと思えば発信機をつけることも可能だろう。

 

 果たして、“コハク”の異能はどこまで防げるだろうか。

 

 コハクの“創世”の異能によって作られた隠れ蓑、“(ちぬる)神社”。そこには、素体のメインギア、ノーマが暮らしている。使奴細胞の基となる異能者であり、使奴を殺す現在唯一の可能性。

 

 レシャロワークは頻繁にではないものの釁《ちぬる》神社に出入りしていた。他のキャンディ・ボックスメンバーも同様である。もしもコハク達と対面する瞬間を盗聴されてしまったら? 発信機で場所を特定されてしまったら? 現に、レシャロワークは盗聴器の仕込まれたゲーム機を肌身離さず持ち歩き、あまつさえ彼女達の前で何度も起動していた。

 

 シュガルバは、ノーマを、素体のメインギアの存在を知っていたかもしれない。

 

 世界の(あら)ゆる犯罪の抑止力となっている使奴を殺す手掛かりに。

 

「……まさか」

 

 漸く、自分達が無為に争っていたことに気が付いたティスタウィンクが、らしくもなく現実逃避じみた文句を溢し始める。

 

「シュガルバは、未来予知の異能者だったというのか? いや、少し違うか。計画の異能、幸運の異能、ラグはあるものの、自分の思い描いた未来を実現させる異能者……」

「いいや、違う。ヤツは異能保持者じゃない」

 

 ハピネスの即答を(いぶか)しんだティスタウィンクが、恐らくは愚問であるという予感をひしひしと感じながらも、それを口にする。

 

「仲間とは言え、笑顔の七人衆が互いの異能を明かす必要はない。異能を秘匿にしている可能性は?」

「ないね。仮にあったとしても、今回の計画に利用できるような異能じゃない」

「何故言い切れる」

「そう思うのも無理はない。私も、ヤツの手品に気が付くのに随分時間がかかってしまった」

「手品?」

「そう。シュガルバの異能とも思えるほどの精巧な未来予測は、種と仕掛けで構成された手品だ。それも古典的な使い古しのな……。ティスタウィンク。君は、本当に、本当に勘がいい、が。折角目の付け所がいいのに、碌に咀嚼(そしゃく)せず素通りしがちだ」

 

 ハピネスは腰の袋から一枚のビラを取り出す。

 

「それは……」

「来週公演の演劇、“哀れなドブネズミに捧ぐ、僅かな光”のポスターだ。君は汽車の中で、私に向かってこう言ったね。“自分だったらこのポスターの方を見る”と。正解だよ。私が見ていたのはこのポスターだ。おい、タリニャ」

 

 突然話を振られたタリニャがビクッと体を震わせる。

 

「この演劇の脚本家、元真吐き一座の劇団員だな?」

「え、ええと、まあ、うん。そう。と言っても、ウチにいた期間なんて半年なかったけど。元は笑顔の国から亡命してきた――――あっ」

 

 そこまで言いかけて、タリニャは言葉を止める。

 

「そう。笑顔の国の人間だ。そして、この演劇のタイトル、“ 哀れなドブネズミに捧ぐ、僅かな光”は、私が笑顔の塔で祈祷をしていた時に(まじな)いとして呟いていた詠唱だ」

 

 ハピネスはティスタウィンクに視線を戻す。

 

「そして、この詠唱は私が勝手に考えた気休めの術で、世間には出回っていない。この文言を知っている者は笑顔の七人衆と、私の世話係の数人のみだ」

 

 ティスタウィンクが意味を理解して目の色を変えると、ハピネスは険な表情で威圧するように呟く。

 

「これは、私への警告なんだよ。もし万が一私が脱走し、三本腕連合軍に辿り着いた場合を想定した、シュガルバからの“見ているぞ”という警告。事実、私は笑顔の七人衆にとって都合のいい傀儡(かいらい)の王。脱走の妄想をしたことも少なくない。そして、もし私が逃げ出していたとしたら、先程語ったもしも話に私が加わることになる。プランBだ」

 

 男遊びに溺れたヒナイバリは、国庫に手をつけ国を傾ける。それを知った元鳳島輸送工場長ミルザガッファはヒナイバリを工場長に任命し、ヒナイバリは一か八か三本腕連合軍ごと心中を計る。

 

 その時、笑顔の国から脱走した私が三本腕連合軍に辿り着き、シュガルバからのメッセージに気付く。恐らく私は追手を退ける武器を得る為に、三本腕連合軍の実権を奪おうとするだろう。

 

 同時に、不況に追い詰められた黒雪崩騎士団を守るため、ステインシギルは不況の先頭に立っているヒナイバリの元を訪ね、ティスタウィンクも別ルートでヒナイバリ邸に忍び込む。

 

 私はドラゴンスレイヤーを姑息な嘘で足止めし、ヒナイバリを脅迫して、ピンクリークとティスタウィンクを言いくるめ、笑顔の国と敵対させる。

 

 そしてドラゴンスレイヤーが嘘に気付いて三本腕連合軍の中心で暴れ始める頃、私は国を捨てて逃亡する。三本腕連合軍は一晩にして壊滅し、私は再び自覚せず他の国を陥れに行くだろう。

 

 

「もしヤツが異能で計画を立てているなら、万が一を考えたプランBなんか用意しない。ヤツには計画が上手く行く保証なんてなかった。これが、ヤツが幸運の異能者や計画の異能者でないことの証明だ」

 

 ティスタウィンクは疑問の袋小路に呑まれ口元を手で覆う。反論なら山程あった。「そう思わせることさえ計画の一部なんじゃないか?」「人は不安を拭うためだけに無意味な策を練ることもある」「こんな不安定なものを計画とは呼べない、偶然だろう」そんな言葉が頭に浮かんでは萎んでいく。どうしても、心の奥底にへばりついた一番の疑問が全てを曇らせる。

 

 私の疑問は、どこまでがシュガルバの想定内だ?

 

「私も同じだった」

 

 心の声に返事をされたティスタウィンクは、僅かに体を痙攣(けいれん)させてハピネスを見る。

 

「私の思考は、どこまでがシュガルバの描いた未来なのだろうか。私がどこまで気付くのが想定内なんだろうか。私の一挙手一投足一言一呼吸どこまでがヤツの意思だろうか。そんなことを考えていたら、一言も喋れなくなっていた。だが、それすらもヤツの想定内……。いや、この場合は想定外と言うべきかもな」

 

 ハピネスがポスターを腰袋に仕舞いつつ、色とりどりの小さな箱を取り出してティスタウィンクに見せる。

 

「シュガルバの手品の種を教えてやる。青、黄、赤。どれでも好きな箱を選べ」

「……青だ」

「ああ、そうだろうな。私には分かっていた」

 

 ハピネスはしたり顔で青い箱を開けて、中に入っていた紙を取り出す。そこには、「お前はこの箱を選ぶ」と書かれていた。

 

「……なんて子供騙しを」

 

 ティスタウィンクが他の箱を乱暴にこじ開け、中に入っていた同じ文言が書かれた紙を取り出すと、ハピネスはにっこりと笑った。

 

「そう。君がどれを選ぼうと、私の予言通りに行動したように見える。子供騙しに見えるだろう? 滑稽だろう? だが、これがシュガルバの手品の正体だ」

 

 シュガルバのやったことは決して難しいことではない。

 

 残飯喰らいのガンマに囚われていたマルグレットが百機夜構の総長だと分かると、恩を売っておけば役に立つかもしれないと思い助けた。謎多きキャンディ・ボックスに助けて貰えれば彼等の内情を知れる思い、彼等の縄張りで(わざ)と情けない姿を見せた。ヒナイバリを追い詰めれば三本腕連合軍の侵略に役立つと思い、地元のホストやヤクザにヒナイバリの金を巻き上げるよう(そそのか)した。

 

 「ひとつひとつは小さな気まぐれの一手。それを、何千、何万と繰り返す。ただ、それだけだ。後は偶然の出来事に便乗して、()いた種をそっと被せてやるだけ。偶然に、見せかけの偶然を重ねるだけで、(あたか)も未来を予知したかのような神の一手が出来上がる」

 

 ハピネスが複製魔法で手品に使った箱を増やし、中に紙を詰めていく。

 

「選べる未来()が10個あったとして、その全てにシュガルバの意思が垣間見えれば、そこを辿る者はまるでシュガルバに全てを見透かされているような錯覚に陥る。実際は選ばなかった未来()全てに伏線(予言の紙)が用意されていたとしても、過ぎてしまった選択肢を選び直すことは出来ない。そして、殆どの人間はシュガルバの意思さえ感じることは出来ない。この未来()に誰が何を詰めていたのか。知ろうともしないだろう」

 

 ハピネスが紙を詰めたばかりの箱をシスターに放り投げると、シスターがキャッチしたと同時に蓋が開き、中から1匹の蜘蛛が這い出てくる。シスターは思わず短く悲鳴を上げて箱を放り投げた。

 

「ここにいる誰ひとりとして、自分がシュガルバの描いた未来をなぞっていると自覚していた者はいないだろう。シュガルバはそういうヤツだ。自分は種を蒔くだけ。あとは勝手に育った花々が、ヤツの思い描いた光景を……いや、ヤツ自身も驚くような理想の光景を咲かせる。誰もが無自覚な共犯者となる。もしヤツに二つ名をつけるとしたら……、“気紛(きまぐ)れシュガルバ”ってとこか」

 

 ハピネスが全ての話を終えても、ティスタウィンクは何も言わずに口元を抑えたままだった。ピンクリークも、マルグレットも、ステインシギルも、タリニャも、レシャロワークも、そしてシスターも。自分が知らぬ間にこの地獄を作る一因になっていたことに、言葉に出来ぬ悔しさと恐怖を覚えていた。

 

「……さて、反省会はここまでだ」

 

 ハピネスが大きく手を打って音を鳴らす。ステインシギルがヒナイバリの方をチラと見てぼそりと呟く。

 

「……アイツの処分をどうするか、か?」

「ああ、そうだ。もし順当にいくなら彼女を裁くのは君達だが……」

「……それも、シュガルバの気紛れの一つかも知れない……っつーことか」

「その通り。そこで提案だ」

 

 ハピネスは打って変わって怪しく笑い、胸の前で手を合わせる。

 

「その女の処分。私に任せてくれないかい? 腕のいい専門家を知ってるんだ」



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179話 国民の総意





 ヒナイバリ逮捕から一週間後。

 

 

 

 

 

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 鳳島警察署 取調室〜

 

「こりゃあ……酷いものだねぇ」

 

 ヒナイバリの目の前に座る警察官の男が、調書を眺めながら溜息を吐く。

 

「ヒナイバリ工場長……、いや、今となっちゃあ元工場長、か。 アンタ、随分やらかしてたんだねぇ」

 

 ヒナイバリは小さく俯いて唇を固く結んでいるが、そこに反省や後悔といった念はなく、あるのは逆恨みによる激しい苛立(いらだ)ちと救済を願う薄っぺらい悲哀だけである。

 

「横領、恐喝、インサイダー取引に贈収賄。……いや、やったことそのものって言うよりは、その後が酷い。現に、アンタのせいでこの国は雨曝しのボロ雑巾かってくらいボロボロだ。こりゃあ、死刑程度じゃ国民は納得してくれねーだろうなぁ……」

「……なんで、私ばっかり責められなきゃいけないのよ」

「……アンタ、今何て言った?」

「えっ」

 

 思わず頭の中の愚痴が口に出してしまった。警察官の男は目一杯眉間に力を込め、親の仇ばりに睨みつける。

 

「ヒナイバリさん。アンタ、反省する気あるの?」

「……っ」

 

 ヒナイバリは途端にしゅんとして見せるが、当然罪を悔いる気持ちなど砂粒ほどもない。ただ叱られたことに対して上辺だけ反省したように見せているだけである。その情けない姿に、警察官は万引きを繰り返す反抗期の中学生を思い出し呆れて首を振る。

 

「っはぁ〜……。しかし……これじゃあ上になんて報告したらいいのやら……ん?」

「ハロー! 選手交代よー」

 

 そこへ、ノックもせずにひとりの大女が入ってくる。紫色の髪に赤い角を覗かせる使奴寄りと思しき女は、警察官の首根っこを引いて無理矢理退室を促す。

 

「な、なんだアンタ。どうやってここに」

「そんなことはどーでもいいから! ほらほら席変わって! こういうの一回やってみたかったんだよねぇ〜」

「ちょ、ちょっと! 待っ、押すな!」

「はいはい外で見ててね〜。吐くほど笑える最強のエンターテイメントを見せてやるよ」

 

 そのまま警察官は部屋を追い出され、ヒナイバリの目の前に女が腰掛ける。

 

「ご機嫌いかが? ヒナイバリさん。私は超グッド!!」

「……誰? アンタ……」

「私が誰かなんてのはどうだっていいだろ。どうせ知ったって意味ないんだ」

 

 女はニヤリと笑って両足を机の上に放り出す。そして、顎をしゃくって取調室の小窓の方を示す。

 

「監視室のスピーカーはオフにしてある。見てみろ、さっき追い出されたポリスメンのおじじが必死になって何か叫んでらぁ」

 

 取調室の小窓からは、女の言う通り警察官の男がこちらに向かって何か言い放っているが、その声は一切聞こえてこない。

 

「アンタ、助かりたいんだろ? 私に任せれば無罪にしてやるよ」

「えっ……? 私を……? ど、どうして……?」

「嫌なら結構」

 

 突然差し伸べられた救いの手に戸惑うヒナイバリを置いて、女が立ち上がって取調室の外へ出ようとする。それを、ヒナイバリは血相を変えて引き止めた。

 

「ま、待って!!! お願い!!! 助けて!!!」

 

 女はニィッと笑って振り返り、ヒナイバリにその怪しい眼差しを向ける。

 

「そうこなくっちゃ」

 

 女は再びヒナイバリの対面に座り、今度は神妙な面持ちで指を組み顔を寄せる。

 

「アンタの罪を軽くするには、私もある程度の事実を知っておかなきゃならない。正直に答えてくれ」

「う、うん……分かった」

 

 ヒナイバリは脂汗を浮かべて怯えながらも、千載一遇の好機を逃すまいと必死になって震える声と体を抑えつける。

 

「国の金、全部男遊びに使っちゃったって、マジ?」

「……し、仕方なかったのよ……! だって、カヅトが……!」

「男遊びに使うっていったって限度があるでしょ。国を傾けるほどの大金、具体的にはどう使ったの?」

「……す、好きなキャストをお店で1番にする為に、その、毎つ、毎週……1番高いお酒開けたりして」

「誤魔化すなよ」

「――――っ! あ、う、ま、毎日……、キャストのみんなにお小遣いあげて……」

「いい加減にしろよ?」

「ひっ――――」

 

 女はヒナイバリにグッと顔を寄せて、(いぶ)し殺す勢いで殺気を放って脅迫する。

 

「お前が思ってるよりも、金を使うってのは難しいんだ。特に大金ってのはな。金は皆大好きだが、限度がある。それこそ国家予算レベルの金なんか、持ってるどころか近寄るだけで命の危険を孕む。誤魔化せる額じゃねぇんだよ」

「あ、あ、あ、あ……」

「どうやって使った?」

「ダ、ダクラシフ、商工会の、裏パーティに、さ、参加して……そこで……」

「他には」

「お、お金目当てで寄って来た、ヤクザに、みかじめ料払うときに、ぎゃ、逆に買収して……」

「他には」

「ブラック、マーケット、で、薬買ったり、買ってあげたり……」

「違うだろ。もっとでかい買い物があるだろ。そんな並の金持ちの火遊びじゃなくて、大富豪にしかできない馬鹿みてーな悪ふざけが」

「う、ううっ……ううううっ……!!」

 

 目から鼻から口から、服の色を変えるほどの体液を垂れ流し、震える体が倒れないよう椅子に足を絡ませて、ヒナイバリは決死の思いで口を開く。

 

「ま」

「ま?」

「――――っ毎晩何人も男買ってたのよっ!!!」

「ひひっ。マジ?」

 

 恐怖と羞恥の断崖を飛び越えた拍子に、ヒナイバリはタガが外れて逆上し声を荒らげる。

 

「毎晩毎晩別の男共(はべ)らせて!!! 最低でも一度に4人は買ったわ!!! ダクラシフ商工会だけじゃなく、診堂クリニックも!!! ベアブロウ陵墓も!!! 愛と正義の平和支援会だって!!! キュリオの里にだって行ったわ!!! 文句ある!?」

「うひゃぁ〜。一晩で4人を毎日? それを3年やってたとして、ざっと4000人以上?」

「態度の良い子にはプレゼントだって沢山買ってあげたわ!! 車だろうが時計だろうが家だろうが土地だろうが!!」

「へぇ。でも、まだ国が傾くほどの額じゃないよね。他には?」

「裏パーティに参加したって言ったでしょ!! そこでやってるカジノでぜーんぶスったわよ!!」

「そんなことしたらダクラシフ商工会側がめちゃめちゃ肥えるでしょ。流石にそんな額が国外へ流れたら他の役人が気づくんじゃない?」

「はっ。私達がやってたのはそんなお飯事みたいなヤツじゃないわよ。あそこで試すのは真の度胸! 得られるのは名誉!! 焼却炉に現ナマ突っ込む“名誉ギャンブル”よ!!!」

「うわぁ〜頭悪りぃ〜!!」

「一回で何億も溶かしたわ……。比喩じゃなく、本当に溶かしたのよ。ふふ。でもね、そのお陰で私はダクラシフ商工会のプラチナボードに名前を刻むことができた。世界でも数人しかいないあの中のひとりに!!」

「それ、なんか意味あるの?」

「意味? はぁ……。貧乏な人ってすぐそれよね。意味だの、理由だの、下んない。真の豊かさは言葉で説明できるところになんかありはしないの」

「お、馬鹿の発言じゃん」

「もういいでしょ? 早く私を助けてよ」

「う〜ん。思ってたより結構ショボかったけど、まあいいか」

 

 女は肩から下げていた薄いポーチの口を広げ、中から1枚のタブレット端末を取り出す。

 

「そ、の、ま、え、に〜。じゃん! こちらをご覧下さぁい」

「何?」

 

 ヒナイバリが言われるがままにタブレットの画面を覗き込む。そこには、“非常に見覚えのある部屋”のカメラ映像が映し出されていた。

 

「えっ?」

 

 ヒナイバリは思わず“この画角が撮れる”であろう部屋の隅の天井を見上げる。そこには、取調室を監視するためのカメラが一台ぶら下がっていた。

 

「え、え? え?」

「え、え? え?」

 

 タブレットから少し遅れてヒナイバリ自身の声が音声出力される。その画面には上下左右にカラフルなテロップが挿入されており、信じられないような文言が(つづ)られている。

 

 “緊急生放送! 極悪工場長ヒナイバリの裏の顔!”

 

 “三本腕連合軍を暗黒期に陥れた女の真意とは!?”

 

 “なんと!! 国民の血税は男遊びに使われていた!?”

 

 “視聴者アンケート実施中! 無罪? 死刑? 判決を決めるのは、テレビの前の君だ!”

 

「完全独占生中継! ゲリラ番組、“ラルバの部屋”!! 今の所視聴率は6割超だよ〜! 多分」

 

 ヒナイバリは未だ状況を飲み込めておらず、目を白黒させて言葉を失っている。ラルバは笑いを堪え切れずに体を震わせ、どこからか取り出したマイク片手に監視カメラの方を向く。

 

「ククククッ……。さぁて! こちら取調室より、現場に中継が繋がっております! 現場のラデックさ〜ん?」

 

 タブレットの映像が切り替わり、鳳島輸送の首相官邸付近の光景が映し出される。そこへ、台本片手にラデックが現れる。

 

「はい。こちら鳳島輸送しゅしゅう……首相官邸前。現場には、生放送を見たであろう国民達が大挙して押し寄せ、壁やら彫像やらをすごい壊しています」

「うわぁ〜皆元気ですねぇ! 誰かにインタビューとか出来ますかぁ?」

「誰でも来るんじゃないか? おーい。そこの赤髪ツインテールの子。バット持った君。ちょっといいか」

 

 ラデックが呼びかけると、今まさにバットを放らんとしていた女性が眉間に皺を寄せたまま近寄ってくる。

 

「ぁによ!! 何んか用!?」

「ヒナイバリ()き下ろし生放送のインタビューしてるんだが、ヒナイバリに対して言いたいこととか無いか?」

「これ、あの馬鹿女に届いてんの?」

「届いてる」

 

 女性はカメラにぐっと顔を寄せ、画面越しにヒナイバリを脅迫する。

 

「おいコラヒナイバリ!!! テメーふざけやがって!!! まともな死に方出来ると思うなよ!? 耳から針金突っ込んで脳味噌スクランブルエッグにしてやるからな!!!」

 

 その様子を見ていた他の連中も、生放送の中継と知るや否や詰め寄ってきて、口々にカメラに向かって怒号を吐きかける。

 

「出てこいヒナイバリ!!! 国民の前で土下座して死ね!!!」

「いいや!!! (はりつけ)にして餓死させてやる!!!」

「蜂蜜塗って蟻に食わせろ!!!」

「全身の皮剥いで引き摺り回してやる!!!」

「誰が死刑なんかにさせてやるもんかよ!!!」

 

 画面の右下に「アンケート結果」の表題とともに円グラフが表示され、ほぼ青色一色に染まったエリアに「無罪:97.6%」と文字が浮かんでいる。ヒナイバリは必死に声を絞り出し、訴えるような目でラルバを見る。

 

「な、なん、で……マ、マイクは、オフにしたって……」

「いやいやいやいや。何を勘違いしてるのさ。私は監視室のスピーカーはオフにしてあるって言ったのよ。そんなことよりもぉ、良かったねヒナイバリさん! 念願の無罪だよ! 国民の皆許してくれるって!」

 

 ラルバは満面の笑みで画面右下の無罪一色に染まったグラフを示す。

 

「ち、違う……違う……!!!」

「いやあきっと真面目に罪を認めたことが良かったんだねぇ。ウンウン」

「嫌、嫌……!!! 死刑に、死刑にして……!!! 殺して!!!」

「人って捕まえるのも殺すのもお金かかるしね! 税金いっぱい使っちゃったんだから、少しは節約しないと! さ、判決も下ったことだし、チェックアウトのお時間です! さあ、シャバにお帰り!」

「嫌!!! 嫌ぁ!!! やめて!!! やめてぇぇぇえええええ!!!」

 

 

 

 

 

 

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 貧民街〜

 

 どうしてこんなことになった?

 

「そっち行ったぞ!!! 逃すな!!!」

 

 私の罪って、ここまでされるようなこと?

 

「足の骨折れ!!! 絶対殺すなよ!!!」

 

 そんなわけない。ありえない。間違ってる。おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい。

 

「捕まえろ!!!」

「殺すな!!!」

「追え!!!」

「どこへも逃すな!!!」

 

 腐敗臭とゴミに満ちた路地裏を、ヒナイバリは必死に走り抜ける。幾度も転び膝や肘が擦り剥け、手の平に尖った何かが刺さる。泥のような腐った何かが傷口に染み、悪臭に誘われた羽虫が絶え間なく周囲を飛び交っている。

 

 しかし、彼女は立ち止まるわけにはいかない。すぐ後ろには、憤怒に顔を染めた貧民の群れ。その雄叫びが、決して離れることなくヒナイバリの視界際にぴったりと貼り付いている。

 

「誰か……!! 誰か助けて……!!!」

「今だっ!!!」

 

 ヒナイバリの頭上から、柔らかい固形物を含んだ不透明の液体が落下する。ヒナイバリは思わず足を滑らせ、盛大に転倒した。それからだった。その液体が大量の糞尿であると気付いたのは。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 

 独特の悪臭と感触に怯んだのも束の間。あっという間に周囲を囲まれてしまい、ヒナイバリは汚物に塗れたまま尻這で壁際に背をつける。薄汚れた衣服を纏う貧民達は、今にも自分を殺さんと各々手にした鉄パイプやスコップで地面を小突いている。その時、ヒナイバリは視界の端に警察らしき人影を見つける。

 

「た、助けてっ!!!」

 

 反射的にヒナイバリは叫んだ。しかし、警察官は黙ってじいっとヒナイバリを見つめたまま動かない。貧民達はヒナイバリが助けを求めた先を(おもむろ)に見つめ、ヒナイバリと交互に見やる。すると、警察官は深い溜息と共に呟いた。

 

「………………なんで?」

「………へ?」

 

 警察官は集団リンチの現場を目の前にしながら、眉を(ひそ)めて缶ビールを(あお)る。

 

「っあー……。見てわかんねぇかな。ストライキ中なんだよ」

「スト、ラ、イキ……?」

「どっかの馬鹿がよぉ。税金使い込んじまったせいで、俺の給料もダダ下がり。酒でも飲まねぇとやってらんねぇ」

「お、お金なら、はら、払う……から……」

「ふーん。じゃ、今月の給料楽しみにしてるわ」

「た、助けて……」

「被害届が出たらな」

 

 警察官は隣にいた貧民の女の肩をポンと叩き警告する。

 

「殺しちまうなよ。アイツに復讐してぇ奴はごまんといるんだ。勿論、俺もな」

「わかってる……わかってるさ……!」

 

 女はスコップを力一杯握り締め、血走った目でゆっくりとヒナイバリに向け歩き出す。

 

「嫌……助けて……誰か……!!!」

 

 それに続き、他の者達もゆっくりと前に進み、ヒナイバリに近づいて行く。

 

「許して……!!! なんでも、なんでもするから……!!!」

 

 警察官は貧民達の後ろ姿を眺めながら、缶ビールの残りを一気に飲み干す。

 

「っあー……。なんでも、か。そんなこと言われなくたって、元よりなんでもさせるつもりだぜ」

 

 地面に落下した空き缶が、ボロボロの革靴に踏まれ乾いた音を立てて潰れた。



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180話 また会う日まで

〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル会議室〜

 

「チル助さぁ〜ん。いい加減機嫌直して下さいよぉ〜。謝ってるじゃないですかぁ〜。ねえラデック君?」

「俺は謝らないが」

「謝れよ!! 共犯だろ!!」

 

 廊下まで響いてくる聞き慣れたやり取りを聞きながら、シスターは会議室の扉に手をかける。中に入ると、そこにはティスタウィンク達と一緒に見知ったメンバーが揃っていた。

 

「お、やっと起きたか寝坊助! 遅いぞ!」

 

 入るなりラルバに指を差されたシスターは、壁掛け時計をチラと見上げる。

 

「……まだ6時ですが」

「私が待たされたと感じたなら、それは遅いのだ」

「はあ、そうですか」

 

 ラルバの理不尽に生返事をしつつ、空いている席に腰掛ける。隣に座っていたナハルが何か言いたそうにシスターの顔を見て口を開きかけるが、シスターは一瞬だけ目をやっただけで、再び視線を前に戻してしまう。

 

 結局、再会してからの一週間。2人は真面に会話ができていなかった。シスターの常軌を逸した狂行の数々。診堂クリニックではハピネスによる素人手術で臓器を幾つも抜かれ、(ちぬる)神社ではヒスイに首を裂かれ、三本腕連合軍ではピンクリークに立てなくなるまで殴られ続けた。今までずっと一緒に過ごしてきた筈のシスターの変貌に、ナハルは言葉にし難い恐怖を覚えていた。その気になれば、ナハルの中にインプットされた旧文明の技術でシスターの真意は測れるかもしれない。しかし、ナハルにはその技術をシスターに向ける勇気がなかった。

 

 知ってしまえば、忘れられない。ナハルはシスターのことを誰よりも信頼していたが、それと同時に誰よりも疑っていた。そして、その事実を強く忌み、深い自己嫌悪に陥らずにはいられなかった。

 

 そんなナハルの葛藤などお構いなしに、ラルバは意気揚々と声を上げる。

 

「さぁて! 悪いやつもやっつけたことだし! 迷子も回収したし! 次どこ行こっかなー! 候補ある人ー?」

 

 呼びかけにハザクラが手を挙げる。

 

「はい! ハザクラ君!」

「“狼王堂放送局”へ寄りたい」

「はい却下〜べろべろべろばばばばばばぁ〜」

 

 ラルバが舌を振り回してハザクラを馬鹿にするが、ハザクラはラルバ以外の人間に向けて話を続ける。

 

「皆知っての通り、使奴による情報統制の中枢は狼王堂放送局だ。“狼の群れ”から派生した比較的文明の進んだ親使奴派の国で、この三本腕連合軍とも交流が多い。そして、狼王堂放送局は情報統制を行う都合上、世界中の情報を網羅している。本来は検閲されるであろう所謂(いわゆる)ディープウェブ的に扱われているモノもだ。俺達は少し目立ちすぎた。ここらで一度、各国の反応を窺っておくのがいいだろう」

 

 それでもラルバは長い舌を鞭のように振り回して抗議する。

 

「知るかそんなもん〜! 行きたきゃ1人で行けよぉ〜!」

「主にお前のために行くようなもんなんだが。ラルバの本性が世間に広まると、同行している俺達も無事では済まない」

「なぁんのために人道なんちゃらかんちゃら軍が私達の後ついて来てんのさぁ! 証拠消してるんじゃなかったのぉ〜!?」

「限界がある。主にお前のせいで。唾を飛ばすな」

「悪い奴がしこたまいるなら行ってやらなくもないけどぉ〜? どーせ治安いいんだろぉ〜?」

「まあ、“夢の国”と噂されるくらいにはな。舌を振り回すな」

「っかぁ〜!! 夢の国だってよぉ〜!! ハザクラちゃんはバルコス艦隊の遊園地じゃ遊び足りないってさぁ〜!!」

「俺は遊園地には行ってないが……。それどうやって喋ってるんだ?」

 

 いつもと変わらぬ稚拙な反論を繰り返すラルバ。2人の少し奥では、ラデックがタリニャとの再会を喜び、初対面のゾウラを交えて談笑をしている。

 

「2人とも元気そうで何よりだよ! ゾウラ君だっけ? 旅が落ち着いたら演劇観に来てね!」

「是非! 今から楽しみです!」

「いやあ良い子だね〜。顔も良いし、今からでも劇団員に欲しいよ」

「やめておけ。保護者が恐ろしく恐ろしいぞ」

「保護者? 保護者はラデックじゃないの?」

「俺は保護される側だ」

「どうみてもする側でしょ……」

「されたいんだ」

 

 別のところではジャハルが、ティスタウィンク、ステインシギル、ピンクリークの3人を相手に同盟を持ちかけており、ハピネスの件も後押しになっているのか大きな問題は窺えない。

 

「はい」

 

 隣に腰掛けたバリアが、両手に持ったアイスキャンディーのうち片方をシスターに差し出した。

 

「え、私に?」

「ゾウラに貰ったけど2本も要らない」

「は、はあ。どうも」

 

 シスターは訳も分からず薄黄色のアイスキャンディーを受け取る。バリアは自分のアイスキャンディーを咥えて、パキンと小気味よい音を立てて齧る。

 

「で、探し物は見つかったの?」

「探し物……? 私に聞いてますか?」

「うん。シスター、爆弾牧場からずっと浮かない顔だよ。ま、浮かない顔はいつものことだけど」

 

 バリアの指摘に、シスターは少し胸の奥を突かれたような気がした。それから少し不安そうにナハルの方を見る。ナハルは心配そうに、そしてどこか怖がるようにしてシスターを見つめている。思い返してみれば、ナハルはこの旅の最中ずっとこんな表情をしていたような気がした。シスターは少しの間目を伏せ、観念したように呟く。

 

「……見つかりませんでした。多分」

「ふーん」

「バリアさん。バリアさんは……その、ないんですか?」

「何が?」

「探し物、とか」

「うーん。あるだろうね」

「探さないんですか?」

「することがなくなって、気が向いたらね」

 

 シスターは1人荒野に放り出されたような疎外感を覚えつつ、自らの口を塞ぐためにアイスキャンディーを齧った。

 

「……うっ。こ、これ何味ですか?」

「数の子」

「……私を元気付けるための悪戯……ではないですよね」

「うん」

 

〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル駐車場〜

 

「見せモンじゃねーぞ!! 散れ散れ!!」

 

 ラルバ達がビルを出て駐車場に向かうと、一際異彩を放つ黒塗りの超高級魔工浮遊馬車が一台、駐車スペースを封鎖するように鎮座している。辺りは野次馬が何人も集っており、馬車の横でデクスが罵詈雑言を捲し立てて威嚇している。

 

「うわぁ……これ持ってる奴初めて見た……」

「でっけぇー……。コレ幾らすんだっけ……?」

「確か個人所有できる車両の中じゃ一番だった気が……」

「うっせーぞテメーら!! 触るな見るな近寄るな!! 羨ましけりゃ自分で買え!!!」

「いや、欲しくはないけど……」

「コレ広告用の展示品だろ? マジで買ったのかよ」

「純金製のディルド買ったヤツなら知ってるけど、コレ買うヤツがいるとは思わなかった」

「テメーら全員消えろボケェー!!!」

 

 ぎゃあぎゃあと喚き散らすデクスを遠巻きに見つめながら、ラルバは渋い顔で一歩後退する。

 

「……歩いて行こっか。アレと知り合いと思われたくない」

「あ!! おいラルバ!! おっせーぞオイ!!」

「やべっ。見つかった」

 

 デクスに指を差されたラルバは、渋々苦い顔のまま超高級魔工浮遊馬車の方へ歩いて行く。人集りは一瞬で道を譲り、珍獣でも見るかのような好奇の目でラルバ達を眺める。慣れない視線の種類に縮こまるジャハルの横を、ハピネスは上機嫌に杖を回しながら闊歩していく。

 

「ふふん。いやあいい気分だね。王様にでもなったみたいだ!」

「もしかして、今の笑いどころか?」

「崇めどころだよ。ジャハル君レッドカーペット敷いて!」

「ケチャップでいいか?」

 

 一行は痛いほどの好奇の目に囲まれながら馬車に乗り込む。そして、シスターだけは車外にひとり残り、見送りに来たステインシギル達と別れの挨拶を交わす。

 

「ティスタウィンクさん。ピンクリークさん。マルグレットさん。お世話になりました」

「世話してやったのは事実だが、こちらが世話になったことも多い。いずれ借りを返しに行こう」

「じゃあな。ちったあ自分を大事にしろよ。あのデカ女泣くぞ」

「バイバイ! お礼と言っちゃあアレだけど、バッジは持ってていいからね! 変なことには使わないでね〜!」

 

 続けて、タリニャがシスターの手を握る。

 

「またねシスターさん! 境界の門で待ってるから!」

「はい。必ずまた会いに行きます。座長さんにも、それと……ライラさんにも、よろしくお伝えください」

 

 最後に、ステインシギルがシスターに握手を求めて手を差し出す。

 

「来てくれて助かったよ。シスター。ありがとう」

 

 シスターは恐る恐る握手を交わし、申し訳なさそうに微笑む。

 

「そんな……殆どハピネスさんがやったことです」

「アイツに礼を言うのは(しゃく)だからな。その分まで受け取っておいてくれ」

「はい。……レシャロワークさんは、やっぱり来てないんですね」

「ああ。あの後ティスタウィンクからゲーム機弁償してもらったその足で診堂クリニックに帰って行ったよ。ゲームソフトの発売日なんだと。ったくあのゲーム馬鹿は」

「レシャロワークさんらしいですね……」

「まあ、あの馬鹿ともどっかで会うだろ。良い奴じゃあないが、別に悪過ぎる奴でもない。それなりに相手してやってくれ」

「はい。ステインシギルさんもお元気で。“お友達”によろしく」

「ああ。じゃあな、また会う日まで」

 

 シスターが馬車に乗り込むと、すぐさま浮遊機構が起動して車体が宙に浮く。野次馬がなんとも言えない濁った歓声を上げる中、一行は三本腕連合軍の北門を目指して旅を再開した。

 

 緊張で乾いた喉を潤そうと、シスターはリビングに置いてあった自分の鞄を開けて水筒を取り出す。その時、鞄に見覚えのない小包が入っていることに気がついた。その小包には小さな折り畳まれた紙片が挟まっており、中には一言だけ文章が綴られていた。

 

 “報酬だ よく考えて使え”

 

 そのぶっきらぼうな文面、そしてハピネスやラルバ達の目を掻い潜って鞄に物を入れることができる人物。それらのことから、シスターは容易に犯人を推測して微笑んだ。

 

「……折角来てたなら、直接渡してくれればよかったのに」

「あれ? シスター?」

 

 ふと背後から声をかけられ、シスターは小包を隠して振り向く。そこには、不思議そうな顔をしたラデックがこちらを見下ろしていた。

 

「シスターじゃないのか? じゃあ誰が……」

「どうしたんですか? ラデックさん」

「いや、向こうのクローゼットに物を仕舞おうと思ったんだが、開かないんだ」

「開かない?」

「誰かが中で虚構拡張をしているようだ。だが、ラルバとゾウラとカガチは上にいたし、ジャハルとハザクラは運転席、バリアとハピネスとデクスはデッキにいたし……残る異能者はラプーくらいなもんだが」

「……行ってみましょうか」

 

 シスターはラデックと共にクローゼットの前まで来て、ノックと共に声をかける。

 

「ラプーさん? 開けていただけますか?」

「シスター。虚構拡張中は聞こえないぞ」

「全知の異能者なら聞こえるでしょう」

「あ、そうかも」

 

 シスターが扉に手をかけると、クローゼットは極めて滑らかに開いた。そこには――――

 

「えっ」

「うお」

「んあ」

「んむ――――――――――――!!!」

 

 簀巻(すま)きにされた芋虫状態のレシャロワークが、ラプーと共に収納されていた。

 

「あ、サプライズだったのにー。もう開けちゃったの?」

 

 いつの間にかラルバが真後ろに立っており、シスターとラデックの間から顔を覗かせている。

 

「ラルバさん!? え、な、なんで!?」

「ラルバ……お前……誘拐したのか……?」

 

 ラルバはヘラヘラと笑ってVサインを掲げる。

 

「うん。面白そうだから持っていこうと思って。記念すべき13人目の仲間だよ!」

「…………はい?」

「んむ――――――――――――!!!」

 

【キャンディ・ボックス レシャロワークが加入】

 

 

 

 

 

〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル屋上〜

 

「……さて、これからどうするか」

 

 ステインシギルは、屋上の手すりに寄りかかって街を見下ろし、持っていたカフェラテをちびちびと啜り始める。シスター達を乗せたヘンテコな大型車が、目立ちに目立って大通りを北へと進んで行くのが見える。迷う自分の心とは裏腹に、確かな目的地を目指して。その真っ直ぐな道筋が、余計に心の迷いを浮き彫りにさせる。

 

 不況の元凶は潰えたものの、問題は山積み。経済が回復するまでに多くの者が飢えるだろう。困窮者への援助と功労者への報酬の両立。最早一般職扱いの窃盗団への対処。背に腹を変え続けた結果常習化した違法労働。ホルカバリの扱いも検討しなければ。しかし、改善の第一歩を思案し始めたところで、頭痛に(さいな)まれ思考を中断せざるを得ない。

 

 隣にいたティスタウィンクは黙って上を向き、澱んだ下町とは対照的に澄んだ雲ひとつない青空を眺めて口を開く。

 

「ホルカバリのことならば気にするな。俺が養子として雇うことにした」

「養子として雇うって何だよ」

「彼女は歳の割に利口だ。親の仇である私の申し出を、二つ返事で飲み込んだ。私の寝首を掻くために立派に育つだろう」

「……………………」

「何だその目は」

「分かるだろ」

「分かるが不愉快だ。それとも何か? 全国民の仇の娘を里親募集の看板にぶら下げるつもりか?」

「いや、そうじゃねぇが……。チッ、あーもう面倒臭ぇ! ちったあ見栄えよく飾れねーのかよ!」

「貴方相手に聞こえのいい詭弁を(しつら)えろと? まさか、未だに粉薬をホットココアで流し込んでいるんじゃないだろうな」

「それ今関係ないだろ!! はぁ〜……全く、お前と話してると緊張の糸が伸び縮みして疲れるよ……」

「人の上に立とうという者が安息など求めるな。そんなことだからドラゴンスレイヤーなどに待ち伏せをされるんだぞ」

「それは気ぃ張ってても避けられねぇだろ……。お前だって――――あ!!」

 

 ステインシギルはふとあることを思い出して振り返り、ティスタウィンクに詰め寄る。

 

「そうだ忘れてた! お前! どうやって生き返ったんだ!?」

「ふぅむ。聞くのが遅い」

「まぁ……お前の死が掠れるようなことが立て続けに起こったからな……。いやそこはもうどうでもいい!! 俺がお前の体に触った時! 確かに脈もなかったし冷たくなってたぞ!」

「それはそうだ。死んでいたんだからな」

「はぁ!?」

「生命維持装置の試作品が出来たと言っただろう。アレは、正確には瀕死を引き延ばす延命装置だ」

「……はぁ?」

 

 ティスタウィンクが中折れ帽を取り、後頭部についた小さな白い箱を見せる。

 

「超小型の魔導心臓だ。心肺が停止した際、この魔導心臓が必要最低限の血液の浄化と脳への酸素供給を補う。正しく蘇生処置をすれば、6時間は死体に成りすますことが可能だ」

「お、お前……それ、自分の体で実験したのか……!? こんな、土壇場で……!? あ、遊び半分のガラクタなんじゃなかったのかよ!?」

「あれは儲ける気も流通させる気もないという意味だ。採算が取れぬ貴重な品など何の価値もない。だが、作るからにはマトモなものを(こしら)えねばな」

「だからって……いきなりぶっつけ本番て……」

「試運転ならとっくにしている。何年も前にな」

「はぁ? お前まさか、自分の部下使って……!」

 

 ステインシギルが訝しげに睨むと、ティスタウィンクは深い溜息と共に首を振った。

 

「はぁ……貴方は本当に勘が悪いな。この先が思いやられる」

「何の話だよ」

「私が未来ある者の可能性を奪うことなどするものか。逆に、未来がなければ有り難くいただくがな」

「……何が言いたい」

「いただろう? 私と同じ“一酸化炭素中毒で死亡した”未来のない人間が」

 

 ステインシギルの脳裏に、セピア色の風景が浮かぶ。

 

「――――婆さん」

 

 そう言い終わらないうちに、ステインシギルは無意識にティスタウィンクの首を締め上げた。しかし、彼はそれを見越してなお無抵抗のまま微笑んでステインシギルを見下ろす。

 

「殺す……!!! 殺してやる……!!! この……!!!」

「く、くくく。ほ、ほんと、うに、勘、が。悪い、な」

「ちょっと何してんの!?」

 

 丁度休憩のため屋上を訪れたマルグレットが、ステインシギルの狂行を止めようと間に入って引き剥がす。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!! 多分ティスタウィンクが悪いんだろうとは思うけどさ!! 流石に怨恨殺人はマズいよ! せめて事故死にしなきゃ!」

「どけ!! マルグレット!!」

「いいから落ち着いてって! この国ひとりで仕切れるの!? 今ティスタウィンクさんに死なれたら困るのは私もステインさんも同じでしょ!」

 

 ステインシギルは歯をギリギリと力一杯に擦り合わせ、今にも飛びかかりそうな勢いでティスタウィンクを睨みつけている。しかし、当のティスタウィンクは数回咳き込んだだけで、再び小馬鹿にするように北叟笑(ほくそえ)んだ。

 

「私を恨むのは構わないが、私の所為にするのはやめていただこうか。貴方の母親。ミンディスは実に快く仕事を引き受けてくれた。貴方も死亡保険と遺産で随分楽が出来ただろう」

「………………何だと?」

「貴方も知っていただろう。ミンディスは大疫病のひとつ、“博愛譫妄(はくあいせんもう)”を発症していた。彼女は病に侵されながらも賢明だった。流石、魔法屋ミンディスと謳われただけある」

 

 

 

〜数年前 三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 アパート“すこやか”106号室〜

 

「どうだ、ミンディス。床に伏したままの貴方でも充分に(こな)せる仕事だ。その上、報酬とは別に死亡保険もきっちり払おう。役不足とは言うまい。病魔に蝕まれた貴方に出来る、最高の置き土産だと思うが」

「……ああ、そうだね」

「ふぅむ。私に笑顔を見せるなど、前の貴方では考えられん。博愛譫妄の症状か? 老体で助かったなミンディス。手足が自由に動く年齢であれば、今頃貴方は号哭(ごうこく)と歓呼を繰り返す気の触れた殺人鬼になっていただろう。さ、手がマトモに動く内に契約書にサインを」

「……なあ、ティスタウィンク。ひとつだけ、聞いてもいいかい?」

「ひとつと言わず幾らでも。聞くかどうかは別だが」

「私は、良い、親だったと、思うかい?」

「……? ボロ雑巾以下の孤児を拾いあそこまで育てあげたなら、充分に役目を果たしたと言えるだろう」

「……わた、私は、あの子を何度も見捨てた……。路地で(うずくま)るあの子の前を、見えないフリして、何度も、すっ、素通りした……」

「では何故拾った?」

「つ、罪っ滅ぼし……だっ……。わた、私は……息子を、孫を見捨ててっ……この国まで逃げてきたっ……。だから……」

「嘘をつけ。貴方はそんなに誠実な馬鹿じゃないだろう」

「っ……!! あ、ああ……!! そうだ……!!! 私は、愛されたかった……!!! じ、実の子供を、見捨てておいてっ……愛されたいなど……出過ぎた、わが、まま、だった……!!! でもっ……!!! あの子を、あの子を……あの子を……!!!」

「ま、昨日まで生きていた子供が、翌日死体になっていたら気分は悪いだろうな」

「あの子は、本当に良い子だ……!!! こんな、こんな老ぼれの、手を、引いて………!!! きっと分かってた……!!! あの子は、頭の、頭のいい子だから……!!! 私の、見え透いた欲に、気付いてた……!!! 悪いことをした……!!! こんな老ぼれのわがままに、付き合わせて……!!! ごめんね……!!! ステイン、シギル……!!! お前の人生を、奪ってしまった……!!!」

 

「違うっ!!!」

 

 ステインシギルは、昔話を語るティスタウィンクの両肩を鷲掴みにして吼える。コンクリートの屋上に大きな染みを作りながら、ティスタウィンクに向かって、追憶の中の母親に向かって怒鳴りつける。

 

「違うっ……!!! 婆さんは悪くなんかねぇよ……!!! 悪いはず、あるもんか……!!! アンタの息子だって、孫だって……!!! アンタに幸せになって欲しかったに決まってる……!!! 俺が、俺がもっと頑張ってやれれば……!!! 俺が普通の人間だったら……!!! あんな思いもさせずに済んだんだ……!!!」

 

 泣き崩れるステインシギルの肩を、マルグレットが何も言わずに摩る。ティスタウィンクは目の前で(ひざまず)くステインシギルを憐れむ様子もなく一瞥(いちべつ)し、涼しい顔でよれたスーツの襟を正す。

 

「そんな泣き言、私に言ってどうする。本人に言え、本人に」

 

 ステインシギルは恨めしげにティスタウィンクを睨みつける。そばにいたマルグレットも同じく眉間に皺を寄せ、ティスタウィンクに唾を吐いた。

 

「ティスタウィンクさんがお別れさせなかったんでしょ……!! 何で最期に会わせてあげなかったのさ!!」

「延命装置の試作品の試運転など、ステインシギルは絶対に許可しないからな。ましてや事故を装った保険金詐欺で、受取人が自分ならば尚更だ」

「じゃあもっといい方法を考えてあげれば良かったじゃん!!」

「何か勘違いしていないか? マルグレット。私は試運転がしたかっただけで、ミンディスやステインシギルを助けたかった訳ではない。まあ、博愛譫妄の感染源を早々に断ちたかったという理由も無くは無いがな」

「この……!!!」

「それはそれとして」

 

 ティスタウィンクは不機嫌そうな顔から一変して、ニヤリと楽しそうに笑う。

 

「ミンディスを殺したなんて、誰が言った?」

 

 先程まで聞こえていた車の音や電車の音、風の音、鳥の鳴く声が、突然途絶える。無音の中に、ティスタウィンクの声だけが鮮明に響き渡る。

 

「言っただろう? 延命装置の試運転だと。そして、作るからにはマトモなものを拵える。とな」

 

 懐から一枚の地図を取り出し、ペンで印をつけてステインシギルに差し出す。

 

「ミンディスは生きている。去年、診堂クリニックでのリハビリが終わったとの連絡が来た」

「え……ば、婆さん、が……?」

「そうだステインシギル。確か診堂クリニックに移住したがっていたな? 実に丁度いい。ミンディスに与えている貸家に旦那と3人で住め。おっと! そうなるとこの国の最高指導者は私ということになってしまうが……仕方がない! ここは私に全て任せて、貴方は数年越しの親孝行にでも励め。後で部下に車を手配させよう。さあ、忙しくなるぞ!」

 

 パン! と手を叩き、一方的に話を切り上げて屋上から立ち去るティスタウィンク。マルグレットは何が起きたのか事態を把握しきれず、ティスタウィンクの後ろ姿と呆然と立ち尽くすステインシギルを交互に見て、慌ててティスタウィンクの後を追いかけた。

 

「ちょ、ちょっとティスタウィンクさん!? まさか、全部計画通り……ってわけ!?」

「そんなわけないだろう。私は商売人であって医者じゃない。ミンディスが死ぬ可能性は大いにあった。上手いこといった部分を上手いこと活用しただけだ」

「え、じゃあもし延命装置が上手くいかなかったらどうしてたのさ!」

「知らん。その時はその時だ」

「え〜……ちょっと見直したのにすごく見損なった……」

「私は見損なったままだぞマルグレット。この外患誘致女め」

「それはもう許してよ……」

「何言ってるんだ。死罪だぞ」

「それはそうなんだけどさ……、あ! 首相になるからって裁かないでね?」

「貴方達の態度次第だ」

「えぇ〜ズルい〜……」



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181話 新たな被害者

〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 北区 県道6号〜

 

「おうち帰してぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「ここが君のお家だよ〜」

「ここはデクスの車だろうがっ!!」

 

 浮遊魔工馬車のリビングルームの中央で、子供のように大声をあげて泣き叫ぶレシャロワークを、ラルバが楽しそうに無理矢理肩を組んで踊らせている。シスターとラデックは呆然と立ち尽くし、ハザクラとジャハルは頭を抱えて椅子に凭れかかっている。

 

「ハザクラ……ど、どうする……? これは……」

「……まず、誘拐ではないということにしよう。キャンディ・ボックスは、一応笑顔の七人衆直下の組織だ……。捕虜という名目で同行を強制することは、まあ……」

「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!! おうち帰りたい〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「おーよしよし。オムツかな? ミルクかな? それともロボトミーかなぁー?」

「うわあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」

 

 絶えず泣き続けるレシャロワークと、頭を抱えるハザクラ。デクスは2人を交互に見てボソリと呟く。

 

「……こりゃあ減点対象だろ。手綱握れてねーじゃん」

「ま、待てデクス……。どうにか、どうにかするから……」

「どうにかしたところで悪行が帳消しになる訳じゃねーんだが……」

 

 その時、困惑の渦を裂いてイチルギが部屋に入ってきた。

 

「いいんじゃない? 別に。これに関しては」

「え」

 

 普段の正義心溢れるイチルギとは思えない発言に、デクスは思わず言葉を返す。

 

「おいおいおいおいおい脳味噌イかれたのか!? おいラルバ!! ウチのボスにロボトミーしたんじゃねえだろうな!!」

「頭に穴開けて従順になるならとっくにみんな蜂の巣だよ」

「おいイチルギ!! お前自分が何言ってんのか分かってんのかよ!? 拉致監禁に犯罪教唆だぞ!!」

「ちょっと!! 犯罪教唆はまだしてないでしょ!!」

 

 イチルギは詰め寄るデクスを軽く押し返し、レシャロワークに向かって人差し指を突きつける。

 

「貴方、ニクジマ・トギのところでアルバイトしてたらしいわね」

「そ、それがなんですかぁ?」

「臓器売買に違法賭博、死体遺棄と隠蔽。多分、殺しも相当数やってる。とても善良な国民を名乗れる立場じゃないわね?」

「や、雇い主に言ってくださいよぉ……。自分はやれって言われただけなんでぇ……」

「脅されてたなら善処するけど?」

「……おうち帰してぇ」

 

 

 

 

 

「はいっ! じゃあ新しい家族も増えたところで! レシャロワークちゃんの為に、改めて自己紹介と行きましょうか!」

 

 ラルバが機嫌良く手を打って音頭を取ると、その場にいた全員が顔を見合わせて"家族"という表現に首を捻った。しかしラルバは一切を無視して両手の親指で自分を指す。

 

「じゃあまず私から! 第四世代の使奴、ぴちぴちの0歳! ラルバちゃんでーっす! 好きなものは愛と平和! 嫌いなものは悪人! よろしくね! じゃあ次ラデック!」

 

「え、あー……。ラデックだ。27歳の人間。好きなものは映画と釣り。嫌いなものは登山と魚味のチョコレート。よろしく。あ、今運転席にいる男はラプーだ。……加入順で言うと、次はバリアか?」

 

「……バリア。使奴。好きなものは……特にない。嫌いなものは意味もなくうるさいデクス」

「んだとぉ!!」

「次、イチルギ」

 

「あ、次私なのね。元世界ギルド総帥で、今は退陣して特別調査員ってことになってるわ。使奴のイチルギよ。好きなものは美味しいご飯で、嫌いなものはラルバ」

「何だとぉ」

 

「どうも、ちょっと前まで世界の支配者でした。ハピネス・レッセンベルクだ。年齢は27。好きなものはお金と力。嫌いなものは嫌なこと。次は〜、そうだな。ジャハル君から行こうか」

 

「……人道主義自己防衛軍、軍団“クサリ”総指揮官。ジャハルだ。年齢は25。嫌いなものはラルバ」

「何だとぉ」

 

「同じく人道主義自己防衛軍、軍団“ヒダネ”総指揮官ハザクラ。年齢は22。嫌いなものはラルバ」

「それ毎回言うのやめない?」

「次はシスターか?」

 

「え、あ、はい。えっと、魔導外科医のシスターです……って、もう知ってますよね。一応シスターは修道女って意味じゃなくて本名です。年齢は22。好きなものは辛い料理で、嫌いなものはラルバさんです」

「またまたぁ」

 

「ナハル。嫌いなものはラルバ」

「……流石にちょっと傷つく」

 

「ゾウラ・スヴァルタスフォードです! 年齢は15! 好きなものは綺麗なもの! 嫌いなものは……特にありません!」

「ゾウラちゃん私のこと好きー?」

「はい! 好きですよ!」

「あ〜良い子」

 

「カガチ。ゾウラ様に何かしたら全身の皮膚を剥いで海に沈める」

 

「世界ギルド所属、デクスだ!! 今はコイツらの行動を監視――――」

「お前はいいよ。仲間じゃないし」

「あぁん!?」

 

「じゃあ最後! レシャロワークちゃん張り切ってどうぞ!」

 

 レシャロワークは口を真一文字に結んで黙り込み、何かを待つようにラルバを見つめる。

 

「……どったの」

「いや、Aボタン押さなきゃイベント進ませずに済むかなぁって」

「それもうゲーム脳じゃなくて馬鹿って言うんだよ」

「意外と有効なんですよぉ」

「ここじゃ無効。はいどうぞ」

「えー……。えー……キャンディ・ボックス所属、レシャロワークでぇす。年は20くらい。多分。好きなものはゲームと漫画とアニメと映画。嫌いなものはハピネスさんとラルバさん。……よろしくお願いしまぁす」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……14」

「15!」

「17」

「18だ」

「19です!」

「30ぅ」

「チェック」

 

 ラデックがレシャロワークを指差し、それと同時に皆が額に当てていたカードを下す。それぞれのカードには数字が記されており、その合計値は31を示していた。

 

 その瞬間、ラデックは下唇を噛んで俯き、レシャロワークは小躍りを始めた。

 

「はい残念〜ラデックさんの負けぇ〜。やんややんやっ。やんややんやっ。ほら、ゾウラさんもぉ」

「やんや! やんや!」

「やんややんやっ」

「やんや!」

 

 ラデック、ラルバ、バリア、デクス、ゾウラ、レシャロワークの6名は、親睦会と称してリビングルームでボードゲームに興じていた。負け込んでいるラデックはチップ代わりのクッキーを数枚手に取り、渋々レシャロワークに差し出す。

 

「これで何勝目だ……? なんでこんなに勝負強いんだ……」

「ゲームなら負けませんよぉ。ボドゲやギャンブルだって例外じゃありませんからねぇ」

「そういう異能か?」

「すぐ異能を疑うの、ミステリーのトリックで真っ先に偶然を疑うくらいセンス無いですよぉ」

「酷い言われようだ」

 

 レシャロワークはクッキーを受け取るなりバリバリと頬張って、次戦を始めようとカードを全員に配る。

 

 その時、デクス、バリア、ラルバの3人が同時に顔を顰めた。

 

「あぁ……?」

「ん……」

「おっ! きたきた!」

 

 ラルバは配達ピザでも届いたかのように目を輝かせリビングルームを飛び出し、運転席の方へ駆け込んで行く。中で運転をしていたハザクラが呆れた顔で振り向き、フロントガラスの向こうの景色を親指で示す。

 

 浮遊魔工馬車の正面では、3人の人影がこちらに武器を向けて立ちはだかり、降りろとジェスチャーをしている。

 

「ラルバの好きな“チンケな小悪党”だぞ。どうする」

「そりゃあもう! 憐れに惨めに正当に! 正義の鉄槌をぶちかましたりますよぉ!」

 

 しかし、ラルバが車を降りるよりも前にデクスが飛び出して行き、野盗相手に啖呵を切る。

 

「おいおいおいおい誰の車に武器向けてんだゴラァ!! かすり傷一つ修理すんのに幾らかかると思ってんだ!! テメーらの腎臓ぐれーじゃ消費税にもなんねーぞ!!」

 

 野盗の3人は互いに顔を見合わせ、銃口をデクスに向けて大声を出す。

 

「金!!! 全部!!! 置いてけ!!!」

 

 少女の命令にデクスは舌打ちをして眉を顰め、野盗からは見えぬよう掌に魔法陣を描く。

 

「……喧嘩は安く売るもんじゃねーぜ。勉強代が高くつくからな!!」

「お前が言うな!!」

「いでっ!!」

 

 魔法を発動しようとしたデクスを、ラルバが後ろから引っ叩いて中断させる。

 

「さあさ小鼠(こねずみ)ちゃん達! お金ならたんまりあるよ! 欲しければ奪ってみせな!」

 

 ラルバが堂々と両手を広げ野盗の方へにじり寄ると、野盗達は不気味さに気圧され一目散に逃げ出した。

 

「うんうん! 逃げるも結構! さあ君達の親玉のところまで案内しておくれーっ!」

 

 罠魔法を乱発しながら逃げる野盗を、ラルバはご丁寧にわざと全ての罠に引っかかりつつ追いかける。

 

「おい待てラルバ!! 折檻(せっかん)なら見えるところでしろ!!」

 

 それを、ハザクラが慌てて追いかける。険しい岩山方面へ駆けていく2人の後ろ姿を、デクスは後頭部を摩りながら呆然と見つめ、馬車に戻りながらぼやく。

 

「……何で山の方に逃すんだよ。ジャハルー! 迂回路探せー!」

 

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海〜

 

「あはははー! 待て待てー!」

「ひっ! ひぃいっ!」

 

 野盗3人組はラルバに追われ、必死の思いで逃走を続ける。ラルバは野盗が逃走を諦めないよう追いかける足を態々(わざわざ)緩め、罠魔法を故意に踏み抜き怯んだ素振りを見せて希望を煽る。

 

「おわぁ! やったなコンチクショー!」

「ま、まだ来るよぉ!!」

「休むなっ!! 走れっ!!」

「た、助けてぇ!!」

 

 3人は見渡す限りの海――――否、巨大な湖まで追い詰められるも、躊躇(ためら)いなく水をざばざばと音を立てて掻き分け膝を濡らし駆けていく。ラルバは迷いなく逃走経路に湖を選んだ野盗を(いぶか)しげに眺め、追いかけつつも首を捻る。

 

「えー普通湖の方行くぅ? 逃げるの下手くそかぁ?」

 

 すると、突如湖の水が津波の前兆かと思うほどに勢いよく引いていく。

 

「お? おおおお?」

 

 丁度ラルバに追いついたハザクラが、その奇妙な光景を目の当たりにして思わず足を止める。

 

「な、なんだ……? これは……!?」

「すげー!! すごいぞハザクラ! “湖の栓”が抜けた!」

 

 遥か地平線まで伸びていた湖面が、僅か数秒という短い時間で、数十mもの深さまで下がっていく。湖の内壁全面が滝のように水飛沫を上げ、水草に覆われた荒い水底が露わになり、目の前にあった海とも思えるほどの広さの湖は一瞬にして刺々しい斜面と化した。湖面は深さ数百mほどのところでピタリと停止し、露出した刺々しい湖底には水位の下降についていけなかった魚がビチビチと身を捩り藻掻(もが)き苦しんでいる。

 

「い、一体何が……!?」

「ハザクラ! ここで待ってろ!」

「あ、おい! ラルバ!!」

 

 ハザクラが止めるも聞く耳を持たず、ラルバは湖の底へ逃走していく野盗を追いかけていった。

 

「全く……。待ってろって何だ?」

 

 一瞬で死角に入ってしまったラルバの姿だけでも追いかけようと、ハザクラが干上がった浅瀬を急勾配直前まで近付き下を見る。

 

 急勾配は最早崖と言っても差し支えなく、その眼下には更に幾つもの崖が折り重なるように広がっていた。莫大な量の水を抜かれた湖はまるで露天掘りの採掘場のようで、遥か遠くで小さくなった湖に向かって逃げる野盗をラルバが追いかけているのが見える。

 

 その時、小さくなった湖面が大爆発のような水飛沫を上げた。

 

 ハザクラが息を呑む間も無く湖面が膨れ上がり、轟音と共に水位がみるみる上昇してくる。

 

「な、何が、起こって――――」

 

 明らかに不自然な勢いで上昇してきた水の塊はあっという間に湖底を覆い、大津波を伴って再び地平線を水で覆い尽くした。

 

 間一髪防壁を張って津波を防いだハザクラが魔法を解除すると、遠くの水面にラルバが顔を出すのが見えた。

 

「へい!! パス!!」

「あ――――? うおっ!!」

 

 威勢のいい掛け声と共に、空から野盗3人組が降ってくる。ハザクラは慌てて風魔法を発動し、突風で3人を巻き上げ着地の衝撃を緩和させる。

 

「あだっ!」

「いでっ!」

「うがっ!」

 

 よく見ると野盗3人組は皆20歳にもならぬような子供ばかりで、皆打ちつけた箇所を押さえて痛みに悶絶している。

 

 そこへ湖から上がってきたばかりのラルバが犬のように全身を震わせて水を弾き、楽しそうに腰に手を当てて笑った。

 

「いやぁ〜面白い罠だね! 湖の中にアジトがあんのかな? “水の街”なんておっしゃれ〜!」

「水の街?」

「うん。チラッとだけど、なんか人工物っぽいのが湖底に張り付いてたよ。あそこが根城だろうねぇ」

 

 ラルバは怪しくニヤアっと歯を輝かせ、頬で下瞼を持ち上げる。

 

「さあ、(ねずみ)の巣穴に爆竹投げ込んでやろうぜ」

 

【水の街】



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182話 天邪終・闇喰達

 テャヤ湖と言えば、旧文明では知らぬものはいない屈指のリゾート地である。閉鎖湖にも拘らず透き通ったマリンブルー。水域の6割が足の届く浅瀬であり、遊泳に適した穏やかな地形と気候。しかし、深いところは水深1000m近くもあり、淡い青にぽっかりと空いた紺色のブルーホールは“偉大なる墓場”と呼ばれ、数多くのダイバーを魅了するテャヤ湖の名物景色とされている。固有種である“オノベラチョウザメ”のキャビアは世界的に有名な最高級品とされ、同じく固有種の“ハナサキモクズショイ”という蟹も人気のご当地名物とされている。

 

 しかし、200年後のテャヤ湖はまるで真逆の光景。美しかった湖は暗いダークブルーに染まり、戦禍の残骸が流入したことによって多くの生物が死滅。次第に悪臭を放つようになり、大戦争終結後もこの湖に近寄る者は多くなかった。それどころか文明レベルが低下したせいで、広いこの湖をゴミ捨て場として利用する者が急増。隣国の診堂クリニックと三本腕連合軍を始め、ダクラシフ商工会や偉大で崇高なるブランハット帝国、通りすがりの者が次々にゴミを投げ入れ水質は著しく悪化。挙げ句の果てには幽霊を見たと言う者まで現れ、“冥界の淵”などと噂されるようになった。最も距離が近かった三本腕連合軍は湖の管理から逃れるため、この巨大な湖を“海”と定義し、何者にも属さぬ公海だと言い張ることで整備を放棄した。その結果、旧文明では言わずと知れた大人気リゾート地が、今では破落戸の棲み着く腐った水溜まりとなってしまっている。

 

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海〜

 

「まずその辺にいた臆病者を攫ってきます! 人質なり何なりで脅して、そいつらに盗賊の真似事をさせる! もし標的に追いかけられたら今みたいに誘き寄せて、湖の水を抜いてど真ん中まで誘導! 逃げられなくなったところを、臆病者ごとざぶーん! 水を戻して纏めて溺死! 憐れ!」

 

 ラルバは小芝居を交えて歌うように語る。それを聞いた野盗3人組は、互いに身を抱き合って震え啜り泣いた。

 

「私が来てよかったねぇ。じゃなきゃ、お前ら今頃湖の底だぞ」

「ひっ……」

「あんまり脅かすなラルバ」

 

 ハザクラがラルバの肩を掴み野盗から引き剥がす。

 

「それで、どう攻めるつもりだ?」

「え? 普通に入り口壊して水責めしようと思ってたけど」

「中に人質がいるかもしれないんだろう?」

「うん。で?」

「………………」

「うそうそ。私が悪党を溺死程度で済ますはずないじゃん! やだなぁもー」

「………………」

 

 

 

 

 

〜冥淵の海 水深10m付近 (ラデック・ジャハル・ハザクラ・デクスサイド)〜

 

 見渡す限りのコバルトブルー。遊泳魔法をかけていても靄がかかったように視界は悪く、大きな(ふん)を持つオノベラチョウザメが、物珍しそうにハザクラ達を観察している。

 

 先陣を切って湖を泳ぐハザクラは、ジャハルに向けて手話で話しかける。

 

「ラルバが言っていた入り口らしきものは、あの辺りだ。何か見えるか?」

「いいや、もう少し近づこう」

「わかった」

 

 すると、ついてきていたデクスが2人の肩を叩き、同じく手話を使って話しかける。

 

「そんなことよりよ、アレ。ほっといていいのか?」

「アレ?」

 

 デクスが示す方を見ると、そこにはラデックがオノベラチョウザメの群れに襲われ、正確には“弄ばれ”ていた。両手足をジタバタと暴れさせて藻掻くラデックを、チョウザメの群れは揶揄うように長い吻で突っついて雷魔法を浴びせている。

 

「……ああ。言われてみれば、ラデックに遊泳経験は無さそうだな。嫌がってなかったから気にしていなかった」

「で、あれそのまんまでいいのか? 生命改造の異能があるなら溺れはしなそーだけどよ」

「オノベラチョウザメに自分より大きな生き物を襲う攻撃性はない。ほっといていいだろう」

 

 2人がラデックの滑稽な醜態を眺めていると、ジャハルが何かに気付いてハザクラとデクスの身体を叩く。

 

「2人ともアレを見ろ。入り口じゃないか?」

 

 ジャハルが示す先、湖の底にある大岩に、ジャハルが検索魔法の光線を翳す。すると、大岩は蜃気楼のようにぐにゃりと変形し、その隙間から金属製の板らしき物体がチラと見えた。

 

 ハザクラとジャハルは互いに頷き、侵入のために掘削しやすい地面を探してデクスを連れてその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

何で誰も助けてくれないんだ(がぼがぼがぼがばばば)っ!!!」

 

 

 

 

〜冥淵の海 湖底の洞穴〜

 

 至極不満そうなラデックと共に、4人は湖底を繰り抜いて入り口らしき部分に辿り着いた。中は広い空洞になっており緩やかな下り坂になっているが、緩やかなカーブを描いているため奥を見通すことはできない。デクスは辺りを見回してから侵入し、ハザクラ達に手招きをする。

 

「デクスの異能にゃ引っ掛からねー。少なくとも死角には誰もいねーはずだ」

「助かる。ジャハル、蓋はちゃんと出来ているか?」

「ああ、問題ない。おいラデック、いつまで不貞腐れているんだ」

 

 いつまで経っても膨れっ面をやめないラデックに、ジャハルが痺れを切らして指摘する。

 

「誰も、誰も助けてくれなかった……」

「お前ならあの程度どうとでもできるだろう」

「そうじゃない。助けてくれなかったということが問題なんだ」

「……ラデック、ちょっとラルバに似てきたな」

「かもしれない」

 

 迷路のように曲がりくねった洞穴を進みながら、ハザクラは周囲を警戒しつつジャハルに問いかける。

 

「俺達を襲った3人組が言うには、配達の仕事中に個々の盗賊達に幼い弟を誘拐されて服従を強いられた。それが3日前のこと……。どう思う? ジャハル」

「……タイミングが良すぎる、と思えなくもない。冥淵の海は治安がいい場所ではないが、忌避されるほどでもない。三本腕連合軍での児童労働は少なくないが、国を跨ぐ配達員は少し無理がある……。私達の動向を観察していてぶつけたと言うには察しが良すぎる。だが、過剰な心配かと言われればそうでもないような……。すまない、曖昧な見解になった」

「いや、概ね俺も同意見だ。警戒するに越したことはないが、その辺はラルバ達に任せよう」

「そうだな。ひとまずは人質の救出を最優先にしよう」

 

 帰り道も分からなくなるほどの分岐を抜けた奥には、鋼鉄のフェンスに遮られた避難口のような扉が岩壁に埋め込まれていた。しかし、無骨な機械式の扉はカラースプレーで悪戯書きをされており、掠れているものの辛うじて“天邪終”という文字のみが読み取れた。ラデックが指先で文字をなぞり首を傾げると、デクスが疑問を読み取って口を開いた。

 

「“天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)“、だな」

「でんじゃ……何だって?」

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)。昔、三本腕連合軍で幅を利かせてたやんちゃ集団らしーぜ。クソダセー名前だよな」

「……地獄の特急列車といい勝負じゃないか?」

「あぁ!? 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)の方が億倍ダセーだろうがよ!!」

「違いがよく分からない……」

「ったく。これだから美学に理解のねー奴は……」

「美学が悲しむぞ……」

 

 デクス不機嫌ながらも魔法で扉をこじ開け、隠れる素振りもなく中へと侵入する。ラデック達は警戒して互いに顔を見合わせるも、足早に突き進むデクスの後を追いかけて施設に侵入した。

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部〜

 

 扉の向こうは一面真っ白なセラミックの広い廊下で、天井には直管LEDが規則正しく並んでいる。とても湖の地下に造られたとは思えない文明的な施設の中を、デクスを先頭に4人は進んで行く。

 

「ぶっちゃけ、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)についてデクスは大雑把な活動時期と行動範囲くらいしか知らねー。その辺はジャハルの方が詳しーんじゃねーか?」

 

 話を振られたジャハルは、余り気乗りしない様子で頷いた。

 

「……良く知ってるな。確かに、私は5年前の氷精地方遠征時にコイツらと対峙している。戦闘にこそなっていないものの、かなりしつこく追い回された覚えがある」

「コイツら、結局なんなんだ? 盗賊紛いのことをしちゃーいるが、少なくとも世界ギルドの要警戒団体一覧にゃ名前がねーぜ」

「何者でもないさ。ただの大人を毛嫌いした子供の成れの果て。縄張りを小型の車両で走り回り、気紛れに窃盗や暴行を繰り返す……所謂、暴走族というやつだ」

「ぼーそーぞくぅ? ただのガキ畜生がこんなトコ根城にするかよ」

「うぅ〜ん……。冥淵の海付近に活動拠点を持つ組織は聞いたことないが……。確かに5年前私が奴らと出会ったのもこの辺りではあるし……。その頃からここに住んでいたのか……?」

「失礼だな。君達」

 

 突如聞こえてきた若い男の声。しかし、その声は4人の正面ではなく、真後ろから聞こえてきた。一本道を真っ直ぐ進んできた4人の、背後から。

 

 デクスが声の方に振り向くと、そこには薄布一枚を纏った黒髪の若い女が立っていた。更には、女の背後は行き止まり。それどころか、床の色味や天井の照明の種類まで違う。明らかな別空間。

 

「悪く思わないでよね。弱肉強食って奴よ」

 

 視線を正面に戻せば銃火器や長物を手にした者たちが。転送魔法を疑うような分断方法と、一瞬で敵に囲まれたこと。余りにも突飛で余りにも無謀という、二つの意味で受け入れ難い状況に、デクスは苛ついて舌打ちをし女を睨む。すると女は、鉄の小槌を2つ取り出し両手に構えた。

 

「なーんでテメーら雑魚共は群れるのが好きなんだ? ひとりだと寂しくて死ぬのか?」

「良く知ってるね。そうさ、寂しくて死ぬんだよ。今のお前みたいにね」

 

 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)所属。ハルカライシ。異能、“読心(テレパス)

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ハザクラサイド)〜

 

 十字路中心で、武装した若者が四方の通路を封鎖しハザクラを囲んでいる。ハザクラの正面に伸びている通路の奥では、ガタイのいい仮面の男がメガホン片手に威勢よく吼え、武装した若者たちが呼応して雄叫びを上げる。

 

「いいかぁお前ら!!! 徹底的に痛めつけろ!!!」

「「「応っ!!!」」」

「復讐心も無くなるような地獄を見せろ!!!

「「「応っ!!!」」」

「腕を圧し折れ!!! 歯を砕け!!! 

「「「応っ!!!」」」

「命乞いしか出なくなるまで!!! 殴って殴って殴りまくれ!!!」

「「「うぉぉぉぉおおお!!!」」」

「……はぁ。ゾウラを置いてきて正解だったな。教育に悪すぎる」

 

 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)所属。ウォンスカラー。異能、“応援(サポート)

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ラデックサイド)〜

 

 果ての見えぬ一本道の真ん中、前後を金網で封鎖され閉じ込められたラデック。その憐れな姿を、目の前に立つ若い青髪の少女はマシンガンを向けて嘲笑う。

 

「うひひっ。お兄さん、アタシと当たるなんてかわいそ〜! 一生世間で笑い物にされるくらい惨めに虐めてあげるねっ!」

「まずい。帰り道がわからなくなった……」

 

 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)所属。ニト。異能“病気(シック)

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ジャハルサイド)〜

 

「……ここは」

 

 全方位を急な坂に囲まれた半円状の窪み。その深い窪み中心にジャハルは立っている。そして、坂の上には銃火器を構えた若者達と、リーダー格らしき黒いコート姿の金髪の青年がジャハルを見下ろしている。

 

「初めまして、嵐帝ジャハル。どうやら5年前にウチの者が世話になったようで」

「……世話した覚えはないが。あと、その呼び方はやめてくれ。むず痒くなる」

「強さに相応しい謙虚さだね」

「謙虚じゃなくて恥ずかしいんだ」

 

 金髪の青年は優しそうに微笑むが、その眼差しには明らかな蔑みの意が込められている。

 

「僕の名前は“ズィーヴラティ”。天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)7代目総長、“深淵のズィーヴラティ”だ」

「そうか。深淵のズィーヴラティ君、取り敢えず犯罪教唆と誘拐で逮捕だ」

「いいよ。この迷宮から生きて帰れるならね」

 

 天邪終《デンジャラス》・闇喰達(アングラーズ)所属。ズィーヴラティ。異能、“迷宮(ラビリンス)

 

 ズィーヴラティは指をパチンと鳴らしてどこかへ立ち去ってしまう。そして、それを合図に若者達が各々手にした銃火器をジャハルに向け、下卑た笑みを浮かべてトリガーに指をかける。

 

 ジャハルは呆れて溜息を吐きつつも、どこか安心したようにほんの少し口角を上げて独り言を漏らした。

 

「……よかった。私もまだ比較的強い側ではあるんだな。やっぱ使奴がおかしいだけか」



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183話 一時限目、実践教育

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (デクスサイド)〜

 

「で、テメーらみたいな雑魚がどうやってデクスに勝とうっつーんだ?」

 

 武装した若者達に囲まれたデクスは、出そうになる欠伸を噛み潰して目の前の女、ハルカライシに問いかける。

 

「そりゃあこっちのセリフさね。お前、どうやってウチらに勝つつもりだい?」

 

 ハルカライシは売り言葉に買い言葉で両手の金槌を打ちつけて威圧する。

 

「……やりづれーなーオイ。ガキに説教すんのは趣味じゃねーんだが」

「ガキって……お前もそんな変わらないだろ。たった数年ぽっち早く生まれただけで上物気取りかい?」

「歳じゃねーよ。精神の話だ」

「精神の前におつむの心配をしなよ。どうせお前、ウチの組織のことそんなに知らないんだろう? さっき通路でべらべら喋ってくれたおかげで、こっちは随分やりやすいよ。それに……」

 

 ハルカライシが一歩デクスに歩み寄って、異能を発動する。

 

「油断してくれてんのも有難い。そこ、ウチの間合いだよ」

 

 ハルカライシの異能、読心(テレパス)は、接近と直視を発動条件とする他対象の異能である。対象者の直近5分間の記憶と思考を一瞬で経験、体感する、言わば思考盗聴の異能。発動条件を満たしている間は相手の思考と記憶を継続して盗み見る事ができるが、5分以上(さかのぼ)って記憶を読み取ったり改変することはできない、限定的な観測能力。

 

「異能は初見殺しがキモだけど、ウチの前ではそのアドバンテージを捨ててもらうよ」

「……やめとけ」

 

 デクスの小さな忠告などには耳も貸さず、ハルカライシは上機嫌で声を張り上げる。

 

「みんな!! コイツの異能は“手番(ルール)”の異能だ!! 行動対象の劣化系!! 出来れば魔法じゃなくて直接、一撃、で……仕留め…………」

 

 読心(テレパス)を続けるハルカライシの表情が段々と暗くなっていき、体から生気が抜けていく。

顔はみるみるうちに青褪(あおざ)め、額に脂汗が浮かび始める。

「ハ、ハルさん……? どうしたんすか……?」

「お、おい、どうしたんだよ……」

 

 若者達がハルカライシの身に何があったのか理解できず怪訝な顔をしていると、デクスは溜息をひとつ零してから心の声を直接口に出した。

 

「……ハルカライシ、19歳。心を読む異能者」

 

 デクスを囲んでいた若者達は、思わず不気味さに気圧され半歩退(しりぞ)く。

 

「出身は三本腕連合軍、東薊農園。8歳の頃に両親が離婚し、鳳島輸送へ転居。学校に馴染めず次第に素行が悪くなっていき、14歳の時に天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)に所属した。防御魔法や単純攻撃魔法といった基礎的な魔法を得意とする反面、炎魔法や風魔法等の自然魔法を苦手とする。点滅波導論的解釈に難あり」

「な、なんでハルさんのことを……!!」

「ア、アンタさっき、オレ達のことは知らないって……!!」

 

 デクスは軽蔑の籠った暗い眼で若者達を睥睨(へいげい)し、そのまま腰が引けているハルカライシに視線を移す。

 

「ひっ……!!」

「デクスが見るのは集団じゃなくて個人だ。有象無象の塊を見るより、厄介な奴らの顔だけ追ってりゃ次第に全貌も見えてくる……。ハルカライシ(テメー)がどこに尻尾振ってるかなんざ微塵も興味ねーが、テメー自体は知っとく意味がある。心を読む異能なんざ、使い方次第じゃ国を更地にできるからな」

「あ、あ……」

 

 全身の力が抜け地べたに尻もちをつくハルカライシ。デクスが一歩詰め寄ると、後ろにいた若者のひとりが長槍をデクスの背中に突きつけて吠える。

 

「ハルさんの異能がバレるはずない!! 出まかせだ!!」

 

 デクスは背中に刃先の感触を確かに感じながらも、一切怯むことなく静かに舌を打つ。

 

「……バレるはずない? 甘ぇーんだよ迂愚畜生共が」

 

 そのまま(おもむろ)に振り向き、刃を突きつけられているにも(かかわら)らず前進して若者に詰め寄る。若者はその気迫に思わず長槍を引っ込めてしまい、デクスの接近を許した。

 

「暴走族なんつー甘ちゃんのテキトー集団が、そうそう秘密なんざ守れるわきゃねーだろうが。テメーらボンクラ共がそこかしこでご機嫌に武勇伝をべらべらくっちゃべってくれたお陰だボケ。そんでもって――――」

 

 デクスは振り向いて再びハルカライシに顔を向け、全身から殺気を放つ。

 

「そこのハルカライシ(バカ)が言ってたろ。異能は初見殺しがキモだってよ。テメーやデクスみてーな目に見えねー異能は特にな」

 

 ハルカライシは理解してしまっている。読心(テレパス)という圧倒的な支配力を持つ異能。普段であれば、恐怖に震える獲物の姑息な悪足掻きを無惨に打ち砕く無上の凶器。その優秀さで以って、デクスの思考を一片の不足なく鮮やかに読み取ってしまった。デクスの実力、秘密、覚悟。そして、今から自分がどんな目に遭わされるのかを。

 

 奴には絶対に敵わない。逃走も、反撃も、説得も、降参も、全てが無意味であると。己の最も信頼する異能が雄弁に語っている。

 

 デクスは異能を発動させずに魔法陣を展開し、若者達が行動を起こすより早く全方位に向け魔力の弾丸を放った。小細工一切無しの魔力任せな一撃。しかし、単純ながらも強力な攻撃魔法による衝撃波が若者達の全身を貫く。真っ向勝負だったが故に否応なしに感じてしまう、デクスと自分達の圧倒的な力量差を。立ち上がれぬほどの痛みと恐怖がその身を地面に縛り付け、ハルカライシが目の当たりにした絶望を、彼らは一手遅れて理解した。

 

 地面に這いつくばる若者達を睨み、デクスが溜息混じりに口を開く。

 

「……テメーらは知り過ぎた。デクスの平穏な日々の為に消えてくれ」

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ハザクラサイド)〜

 

「俺達の拳は鉄より硬いっ!!!」

「「「応っ!!!」」」

「俺達の身体はどんな刃も通さないっ!!!」

「「「応っ」」」

「俺達の意思は決して折れないっ!!!」

「「「応ぉぉぉぉおおっ!!!」」」

 

 雄叫びを上げる集団に囲まれながら、ハザクラは冷静に周りを見渡す。しかし……

 

「……まるでなってないな。人道主義自己防衛軍(ウチ)の試験なら補習一択だ」

 

 罠かと警戒してしまうほど隙だらけの体制に、ハザクラは思わず緊張の糸を緩めかけた。だが、万が一を想定して気を引き締め、雄叫びに紛れてぼそりと呟く。

 

『……俺に従え。まずは静かにしろ』

「ぶち殺せぇぇえええええ!!!」

「「「応ぉぉぉぉおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………?」」」

 

 若者達は知らずのうちにハザクラの命令に承諾してしまい、身体の自由を奪われる。全身に激っていた闘志はみるみる(しぼ)んでいき、洗脳が解けたかのように脱力して唖然とする。ウォンスカラーの掛け声に声で返事をしていなかった者も2名ほどいるものの、彼らも突然静まり返った仲間達に困惑して狼狽(うろたえ)えている。

 

「な、ど、どうした……!? おい……!! おいっ!!! しっかりしろ!!!」

 

 中でも、唯一ハザクラに返事をしなかったウォンスカラーは焦って異能を連発する。しかし、既にハザクラに主導権を奪われてしまった若者達は微動だにせず、ウォンスカラーは仮面越しにも伝わるような焦燥感を全身から垂れ流す。

 

「お前、な、何をしたっ!! 俺の部下にっ!!」

 

 ハザクラは混乱するウォンスカラーに、一方的に説教を始めた。

 

「まずひとつ、異能の使い方が露骨すぎる。お前の異能は他対象の強化系で、トリガーは反応だな? 恐らくは、自信が対象とした人物の能力を底上げする異能……」

「ど、どこで聞いた……!? 誰が喋った!!」

「応援の内容が部下の行動と一致していない。故に命令を強制させるものではない。部下の中には声を上げていない者がいるにも関わらず、全員の魔力増幅割合が同一。故に、トリガーは返答や応答といった具体的な行為ではなく、反応や同意といった意思そのものだ。事前情報がなくても分かる」

 

 ウォンスカラーが一歩下がり、持っていたメガホンから巨大な斧に持ち変える。対してハザクラは、彼の殺意など全く気にすることなく説教を続ける。

 

「ふたつめ、発動条件が同一である異能に対しての警戒が薄過ぎる。異能の種類自体は多種多様だが、発動条件にそう複雑な種類はない。故に、直視を要する者は同じく直視を要する異能を、接近を要する者は接近を、会話を要する者は会話を、それぞれ自分と同じ発動条件、又は包含する条件の異能を警戒する。自分が条件を満たすということは、相手も満たしているということだからな。お前は反応が条件という優秀な発動条件だったにも拘らず、態々(わざわざ)部下に承諾を発言と行動で行わせ、俺への警戒を充分に果たさなかった。そしてみっつめ……と行きたいところだが――――」

「うぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」

 

 ウォンスカラーが大斧を振り上げ、無抵抗のハザクラに斬りかかる。地面を大きく抉る一撃をハザクラは最低限身を逸らすことで(かわ)し、「仕方ない」と一言呟く。

 

「お前らやんちゃ者には、説教よりも拳骨の方がいいか。一応、実践教育は総指揮官の領分だしな」

「っがぁぁぁぁあああああああ!!!」

「だが……」

 

 ハザクラは追撃を大きく飛び退いて回避し、腰に下げていた短剣を手に取って構える。

 

「やるからには本気で来てもらうぞ」

 

 そして大きく息を吸い、大声で怒鳴りつける。

 

『命令だ!! 全員、出し得る全ての力を以て俺を殺しに来い!!』

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ラデックサイド)〜

 

「な、なんでなんでなんでぇ〜!?」

 

 青髪の少女“ニト”は、半泣きになってラデックの顔面を鷲掴みにしてブンブンと前後に揺さぶる。拘束魔法で身動きを封じられたラデックは顔を真っ青にして弱音を吐く。

 

「く、苦しい」

「苦しいで済まないでよぉ〜!!」

 

 ニトがラデックに向け何度も異能を発動して攻撃を試みる。いつもなら、相手は呼吸すら出来ぬほどの苦痛の中血反吐を撒き散らし(うずくま)るのみであるが、今回の獲物は軽い船酔い程度にしか苦しんでいない。ラデックは苦痛に耐えきれずニトを体全体で突き飛ばし、拘束魔法を反魔法で打ち壊す。

 

「きゃっ!!」

「あー苦しかった。こんなに苦しいのは熊のレバ刺しを食べた時以来だ。後でラルバに診てもらわないと」

 

 病気の異能により複数の病気に罹患させられていたラデックは、生命改造の異能であっという間に全ての症状を寛解(かんかい)させてしまう。

 

「うぅ〜!! 何で死なないのよぉ〜!! そんな異能ズルでしょぉ〜!?」

「俺もそう思う。ファジットにコツを習っておいてよかった……」

 

 突き飛ばされた時に頭を打ちつけたのか、ニトは頭を抑えながら涙声で喚く。

 

 風邪、眩暈(めまい)、耳鳴り、胸焼け、肺気腫、筋膜炎、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)、尿管結石、E型肝炎、舌癌、赤痢、破傷風、類鼻疽(るいびそ)……。ニトが異能でラデックに及ぼした病気の数は、20種類を優に超える。しかし、ラデックは自己改造によりその殆どを無害化。軽い眩暈が残る程度まで回復していた。

 

「食べ歩きが趣味でな。変なもの食べて病気になるのは日常茶飯事なんだ」

「何よそれぇ!!!」

「しかし……病気を操る異能か……。上手く鍛えれば大疫病への有効打になりそうなものだが……そうでなくとも多くの人間を救うことができるのに。勿体無い」

「あーうるさいうるさいうるさいっ!! えらそーに説教しないでよ!! 異能の持ち腐れはお兄さんも一緒でしょ!!」

「うっ」

 

 痛いところを突かれたラデックが怯んで隙を見せると、ニトは背中に抱えていたマシンガンを構え、ラデックに向かって連射した。しかし、弾丸はラデックに当たることなく不自然に軌道が逸れ、一発たりとも命中しない。

 

「うそっ……なんでっ……なんでっ!?」

「この魔法社会じゃあ銃より剣の方が強いぞ。何の魔法も帯びていない弾丸なんか、簡単な防弾魔法で簡単に逸らせる。今でも大抵の学校で習うと聞いていたんだが……知らなかったのか?」

「うっ……うるさいうるさいうるさーいっ!!! 説教しないでって言ってるでしょっ!!! どーせアタシのことなんか分かんないくせにっ!!!」

 

 ニトはマシンガンを投げ捨て、両手に風魔法の刃を纏わせ突進を始める。半ば自暴自棄になったニトを、ラデックは寂しそうに見つめて反撃の構えをとる。

 

「……分からなくも、ない」

 

 ニトの両腕を、ラデックは風魔法で腕が裂けるのも(いと)わず握りしめ、そのままニトを壁に押し付けて退路を封じる。

 

「他人の身体をいじくる異能は、きっと相当嫌われただろう。暴走族という団体は仲間意識が強いと聞いていたが、君の周りには誰もいない。君は、学校でも、ここでも、ひとりぼっちだったんじゃないか?」

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ジャハルサイド)〜

 

 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)七代目総長にして、迷宮(ラビリンス)の異能者。ズィーヴラティは、背後から聞こえてきた凄烈な轟音に笑顔で振り向く。

 

「……流石“嵐帝”と呼ばれるだけある。雑魚じゃ足止めにもならないか」

 

 そこには、通路を塞ぐように巨大な氷塊を背景に、威風堂々としたジャハルが大剣を手に立っていた。氷魔法で生成された氷塊は光をギラギラと反射させ、(さなが)らジャハルに後光が差しているようだった。ズィーヴラティの部下達は、何が起きたのかも分からないまま凍らされ、下卑た笑みで武器を構えたまま氷塊に閉じ込められている。

 

 しかし、その圧倒的な実力を目の当たりにして尚、ズィーヴラティは怪しく笑う。

 

「光栄だよ。貴方みたいな強者と手合わせできるなんて」

「残念だが、これは戦術ではなく逮捕術だ。分からないか? 手加減されているんだよ。君は」

「手加減してたから負けじゃない。なんて言い訳、認めてあげないからね」

 

 ズィーヴラティが異能を発動する様子を、ジャハルは半ば呆れ顔で黙って眺める。その直後、ジャハルの視界が瞬きと同時に一変する。

 

「……またか」

 

 辺りには誰もいない一本道。前方も、後方も、果てさえ見えぬ程に真っ白な廊下の景色が続いている。まるでここがこの世でないかのような異質感。ジャハルは、この感覚に覚えがあった。

 

「……だが、まるでなっていない。所詮は子供の悪戯(いたずら)だな」



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184話 二時限目、追試

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ジャハルサイド)〜

 

「手加減してたから負けじゃない。なんて言い訳、認めてあげないからね」

 

 ズィーヴラティが異能を発動する様子を、ジャハルは呆れ顔で黙って眺める。その直後、ジャハルの視界が瞬きと同時に一変する。

 

「……またか」

 

 辺りには誰もいない一本道。前方も、後方も、果てさえ見えぬ程に真っ白な廊下の景色が続いている。まるでここがこの世でないかのような異質感。ジャハルは、この感覚に覚えがあった。

 

「……だが、まるでなっちゃいない。所詮は子供の悪戯だな」

 

 

 

 

 

 

 

〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ジャハル・ラプー・シスターサイド)〜

 

 暗く湿った温泉配管の中を、氷で作られた船が闇を切り裂き滑走して行く。

 

「次どっちだラプー!!」

「右」

「右だな!!」

 

 ラプーの合図でジャハルが配管の曲面に沿って氷のレールを這わせ、氷の船の勢いを殺さぬままウォータースライダーのように配管の壁を滑り抜けて行く。そして直線ルートに戻ると同時にラプーが炎魔法を後方へ噴射し、轟音を響かせ加速して行く。

 

「もう少しの辛抱だぞシスター!! ラプー次は!?」

「3秒後に左」

「3秒後に左だな!!」

 

 ジャハルが再び氷のレールを作り出して船を操作し、ラプーがジェット噴射に強弱をつけて最低限の減速でカーブを曲がって行く。

 

「ラプー!! 指示を!!」

「………………」

「ラプー!? 早く指示を!! おい!!」

「……このまま真っ直ぐでいいだ」

「真っ直ぐ!? 壁にぶつかるぞ!?」

 

 船の進む先、ジャハルの視界には、左右へと道が続くT字路の突き当たりが映っていた。

 

「ラプー!! どっちだ!!」

「真っ直ぐでいいだ」

 

 ラプーがジェット噴射を強め、船は突き当たりに向かって急激に加速する。

 

「ぶつかるぞ!!」

「平気だでよ」

 

 氷の船が配管に擦れ、摩擦熱で勢いよく溶け始める。

 

「ラプー!!!」

「舌噛むど」

 

 そして、氷の船は壁にぶつかり粉々に――――――――

 

「どわぁっ!?」

 

 激しい衝突音がしたと思いきや、目の前に立ちはだかっていたT字路はいつのまにか消え去っており、ジャハルとシスターはラプーによって再生成された氷の船で滑走を継続していた。

 

「な、何が……起こったんだ……!?」

「迷宮の異能だでよ」

「迷宮の、異能……!? 説明してくれラプー!」

「空間対象の変化系、ゴムを引っ張るみてーに通路を引き延ばす異能。飽くまでも引っ張っだけで、分岐は作れっけど行き止まりしか作れね」

「そ、それじゃあ、今壁が消え去ったのは、異能が解かれたからか?」

「んあ。ゴムみてーに引っ張って作った迷宮は、ある程度壊れっと迷宮の広さと現実の広さの矛盾が解消されちまって元に戻る。この調子で“次”も解いてくだ」

 

 

 

 

 

 

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ジャハルサイド)〜

 

 爆弾牧場で聞いたラプーの言葉を思い出しながら、ジャハルは大剣を大きく振りかぶる。

 

「これじゃ、迷宮の意味がない」

 

 勢いよく振り下ろされた大剣が地面を叩き割ると、無限にも思えるほど先の見えなかった一本道は消え去り、目の前に先程の景色――――ズィーヴラティが姿を現す。

 

「なっ……!?」

 

 ズィーヴラティの作った迷宮と、爆弾牧場にいたディンギダルが作った迷宮の違いは、その“個数”と”配置“にある。

 

 ディンギダルの作った迷宮は、壊されてもすぐには出口に辿り着けないよう、本物の迷宮と異能による迷宮が折り重なるようにして互い違いに配置されていた。本物の迷宮に偽物の迷宮を繋げて水増しをすることで、複雑且つ無闇に破壊されても簡単には出口に辿り着けず、更には迷宮を破壊するたびに侵入者自身が帰路を封鎖してしまう二重の罠。

 

 対するズィーヴラティの迷宮は、単純極まりない延長に過ぎない。今でこそ同時に4つの迷宮を構築してはいるものの、それはジャハル達4人を分断させることが目的であって、踏破を困難にさせようなどという狙いは一切ない。地下壁の頑丈さに甘え、己の異能を過信したことによる思考の停止。初めて車やバイクに乗った子供が、まるで自分自身が強くなったと錯覚するように、その身に余る強大な力は(かえ)って成長を妨げることになった。

 

「どうした? 異能は使わないのか?」

 

 驚きに目を見開くズィーヴラティを、ジャハルが冷たい眼差しで挑発する。

 

「調子に乗っていられるのも……今のうちだっ!!」

 

 再びズィーヴラティが異能を発動する。何を思ったのか、今度はより大きく、複雑な迷宮を。だが、当然タネを知っているジャハルには通用せず、迷宮は一瞬で破壊され景色が戻る。

 

「また逃亡は失敗だな。次はどうする?」

「クソっ……!!」

 

 発動。破壊。発動。破壊。

 

「残念。失敗だ」

「黙れっ!!!」

「まだまだ」

「ぐっ……!!!」

「もう一回」

「うらぁぁああ!!!」

「もう一回」

「ぐぎぎぎっ……!! ぁぁああっ!!!」

「残念、もう一回」

 

 7回目の迷宮解除の時、ジャハルの目の前にズィーヴラティはいなかった。

 

「……迷宮をもう一つ作って逃げただけか……。無駄なことを」

 

 ジャハルは目の前に作られているであろうもう一つの迷宮を壊すために一歩前に歩き出す。するとその時、背後から重たい轟音が聞こえてくることに気がついた。

 

「……これは」

 

 数秒せずに理解する。ラルバから聞いていた湖の罠、迷宮の異能、凄まじい速度で接近してくるくぐもった音。ジャハルはズィーヴラティの“悪手”にがっかりして溜息を吐き、音のする方を見つめる。

 

「この“奥の手”は、今出すべきではなかったな」

 

 分かれ道の奥から“大量の水”が湧き上がり、巨大な壁となって押し寄せる。走っても到底逃げ切れぬような異常な速度で迫りくる洪水を、ジャハルは慌てるどころか欠伸が出そうなほど眠たそうな眼差しで見上げる。そして、洪水は立ち尽くしているジャハルを一瞬にして飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っはぁ……っはぁ……」

 

 ズィーヴラティは、眩暈(めまい)で揺れる頭を必死に持ち上げ、全身の痛みを堪えつつ身体を引き摺って前に進む。

 

「ふ、ふふ……ふふふふ……うっ……!! げぇ……!!!」

 

 込み上げる嘔気は飲み込みきれず吐き戻してしまうが、それでも不気味に笑い虚な目を細める。目に浮かぶのは、濁流に飲まれて溺れ死ぬ嵐帝の姿。

 

「か、勝った……うげぇっ……!! ふ、ふふふ……ぼ、僕の、勝ちだ……僕の――――」

 

 刹那。唐突に感じた異変。轟音。圧迫。体が傾き、視界がひっくり返る。それが、“濁流に飲まれた”からであるということに気付いたのは、大量の水を飲んで意識を手放す直前になってからであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――っがはぁっ!!! ゲホッ!!! ゲホッ!!!」

 

 水を吐き出すと同時に意識を取り戻すズィーヴラティ。酸素が脳に供給される間もなく、無意識に手を地に押し付け何かから逃げるように後退(あとずさ)る。

 

「おはよう」

 

 倒れていた上体を持ち上げたと同時に、背後からする声。バッと振り返ると、そこには袖口ひとつ濡れていない嵐帝(ジャハル)が立っていた。

 

「な、なん、で……!? 確かに洪水に巻き込んだはずじゃあ……!!」 

 

 ジャハルは混乱状態のズィーヴラティの理解を待たず、一方的に説教を始める。

 

「迷宮を作る際の減圧を利用して湖の水を吸い上げる……。注射器と同じ原理か。その応用自体は褒めてやる。だが、学校の勉強をサボったツケだな。この戦法には3つの致命的な欠点がある」

 

 未だ意識が朦朧としているズィーヴラティは、速くなる鼓動に合わせて激しく痛む頭を何とか持ち上げる。

 

「まずひとつ。今お前がひっくり返っているように、迷宮を壊されればお前自身も濁流に飲まれるということだ。せめて濁流が届かぬ場所で発動するべきだったな。逃亡時に使う技じゃない。そしてふたつめ。これは迷宮(ラビリンス)の異能そのものに言えることだが……お前が湖の水を吸い上げたように、空間を拡張しても空気自体は増減しない。今回みたいに密閉された空間で対策もせず何度も使えば、度重なる減圧と加圧で苦しむことになる。今だって軽く溺れかけただけなのに、意識を保つのがやっとだろう?」

 

 ジャハルが言葉を言い終わらないうちに、ズィーヴラティは懐からリボルバーを取り出して銃口を向ける。

 

「そして最後に――――」

 

 リボルバーの引き金が引かれる。凄烈な発砲音と共に発射された弾丸は、中学校で習うレベルの防壁魔法によって逸らされ明後日の方向へと飛んでいく。

 

「排水先と迷宮の出口を隣接させるのも良くない。折角迷宮で迷わせた獲物が、水の流れに乗って出口に辿り着いてしまう。どうせ、これだって罠じゃないんだろう?」

 

 そう言ってジャハルが足元に大剣を突き立てる。射出魔法で加速した大剣は深々と突き刺さり、迷宮が破壊されて空間が元に戻る。

 

「あぁ?」

「ん」

「おお、帰れた」

 

 地面に刺さった大剣が地面からひとりでに抜け、ジャハルの背後に、デクス、ハザクラ、そしてずぶ濡れのラデックが姿を現した。そして、その奥には気を失ったずぶ濡れの仲間達が、海岸に打ち上げられた小魚のように横たわっている。目の前で起きた出来事を受け入れられずにいるズィーヴラティに、ジャハルがダメ押しをする。

 

「大きな濁りも無い。瓦礫も無い。洪水と言うには(いささ)か優し過ぎる。配管工事等で一般的に使用される耐圧魔法で、充分に防げるレベルだ。但し、耐圧魔法には大学入試レベルの魔導知識が要る。君が思っているほど、この戦法は“奥の手”じゃあないんだ」

 

 何も言い返せずに固まるズィーヴラティ。敗北は今までもあった。だが、そのどれもが納得の出来る敗北だった。かつてこれほどまでに、惨めに、圧倒的に、尽く、打ち負かされたことはなかった。今まで自分の中を満たしていた全能感の喪失に、ズィーヴラティは何も思考することが出来なかった。

 

「ジャハル、乾いたタオル持っていないか? すごく寒い」

「……何で私に聞くんだ?」

「ハザクラとデクスは持っていても貸してくれなさそうだからだ」

「よく分かったな」

「たりめーだろ。防壁ぐらい張れよ」

「ほら」

「…………はぁ。まあ、ラデックにはラデックにしか出来ないことがある。そっちで頑張れ」

「頑張らなきゃダメか……?」

「ダメだ」

「本当に?」

「お前……ハピネスに似てきたな……」

「かもしれない」

 

 目の前でジャハル達が何かを喋っている。だが、ズィーヴラティの耳には、それは言葉となって届かない。虫や水の音と同じく、環境の音として鼓膜を素通りするだけである。

 

「ジャハル、相談がある」

「どうしたハザクラ」

「この後のことなんだが――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズィーヴラティが思考を再開した時、目の前にはハザクラが立っていた。

 

「全員目は覚めたか?」

 

 全員、と言われズィーヴラティは周囲を見る。隣には仲間のハルカライシとウォンスカラー。後ろには他の仲間達。皆何が起きたのか分からないと言った様子で困惑の表情を浮かべている。

 

「ま、覚めていなくとも問題ない。否が応でも目は覚めるし、状況も理解することになる」

 

 ハザクラの後ろにはジャハルが立っており、神妙な面持ちでこちらを見ている。その振る舞いは、敵意とも悪意とも取れない、不思議な雰囲気を纏っている。再びハザクラが口を開き、ズィーヴラティ達に説明を始める。

 

「お前達は今や凶悪な犯罪者だ。三本腕連合軍どころか、どこの国にも属していない、言わば、無法に生きる破落戸(ならずもの)の類。それを、我々人道主義自己防衛軍は正義の名の下に裁かなければならない」

 

 ズィーヴラティが逃げようと異能を発動しようとするが、その瞬間ジャハルの方から並々ならぬ殺気を感じ、思わず発動を中断する。更には、直後にジャハルの思考を読心(テレパス)で読み取ったハルカライシが、恐怖のあまりズィーヴラティの腕を握って青い顔を激しく左右に振った。

 

「だが、お前達は未成年だ。三本腕連合軍の少年法では無意味だが、人道主義自己防衛軍の少年法では特別更生対象扱いにできる」

 

 ハザクラがそこまで言うと、ジャハルが一歩前に進み、威圧するような物言いで語る。

 

「普段であればこんな贅沢なことはないが、我々総指揮官がお前達に更生プログラムの一環として実務指導を行う!! 通常であれば、士官クラスでないと個人演習の予定すら組めん。またと無い機会、心して臨むように!!」

 

 ジャハルの言葉も、ハザクラの言葉も、何を言っているのか若者達にはまるで理解ができない。しかし、読心(テレパス)の異能者であるハルカライシが終始青褪(あおざ)めて歯をカチカチと震わせていることから、恐ろしい未来が待っていることだけは予感している。

 

 そして、ハザクラが足元に(おびただ)しい数の魔法陣を展開すると同時に、咽せ返るほどの波導を放出して威圧する。

 

「ごちゃごちゃと小難しいことを言ったが、つまりは“本気で痛めつけるから耐えろ”って事だ。当然反撃もしていい。俺達も全力で応じよう。だが安心しろ。俺達は人道主義だ。今後の人生に支障をきたすような事はしない」

 

 続けてジャハルも焼けつく熱波の如く波導を放出し、わざとらしく明確に脅して見せる。

 

「その代わり、吐こうが泣こうが漏らそうが、腕が捥げようが目玉が取れようが、一切手は緩めん」

 

 若者達は理解した。これから待ち受けるのは、圧倒的な実力差による蹂躙(じゅうりん)。さっきの地獄の再来。その中でただ一つ、救いとも絶望とも取れる事実がある。

 

「俺達はプロだ。安全な恐怖の植えつけ方を知っている」

「治せるように壊す。心も、体も」

 

 目の前にいる2人とも、微塵の敵意も悪意も無いという事。

 

「これは授業だ」

「罰じゃない」



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185話 水の街

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト内部 (ラデック・デクスサイド)〜

 

「君は皆と一緒じゃなくて良いのか?」

「んー?」

 

 ハザクラの指示により、ラデックとデクスは天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)アジト内部の探索を任されていた。そこで、ハザクラは病気(シック)の異能者”ニト“を案内役として同行させた。

 

「なんかねー、アタシはまだ更生対象? ってのに当てはまらないんだってー。ま、アッチ大変そうだったし、ラッキーかなーって」

「そうか。……あ、不意打ちとかはしない方がいいぞ。デクスはその辺手加減しないだろうから」

「しないよー! アタシひとりで4人相手なんてムリムリーっ!」

「なら、まあ、いいか」

「あ、こっちこっち! あ、2人ともこれつけて! ウチの仲間の証なの!」

 

 ニトは真っ白な廊下を元気に走って行き、端に設置されていたロッカーから黒マントを2着、ラデックとデクスに差し出す。

 

「ああ、どうも」

「何だこれ。センスねーな」

「これ着てれば皆安心するから! 取り敢えず新入りって事で!」

 

 チョウチンアンコウの紋章が描かれたフード付きのマントを手に、ラデックは留め具の外し方が分からず手間取る。すると、ニトは笑顔でラデックの手を引いた。

 

「着せたげる! お兄さんこっち向いて! あ、ちょっとしゃがんでくれる? お兄さん背が高いから届かなくって」

「え、ああ」

 

 ニトはしゃがんだラデックの首の後ろに手を回してマントを着せる。どこか楽しそうに留め具を留める彼女を見て、デクスは渋い顔でぼやく。

 

「……オメー、女なら見境無しか? 聞いてた以上のスケコマシだなこりゃ……」

「い、いや、そんなつもりは……」

「ただ、オメーもう27だろ? 流石に14のガキ相手に欲情すんのはどーかと思うぜ」

「欲情なんか……え? 14!?」

 

 ラデックは驚いてニトを見る。

 

「ん? うん」

「え、と、とてもそうは……」

「なんか使奴の血が濃いんだってー。どうせなら角とか猫の耳とか欲しかったなー」

 

 使奴の血を継ぐ者の多くに見られる特徴、早熟急枯(そうじゅくきゅうこ)。ニトは顔つきや振る舞いこそ幼いものの、筋肉や体躯は決して未熟なものではなく、特に豊満な胸部はとても中学生とは思えないような大きさをしていた。ラデックは自分が何かとても不味いことをしてしまったような気になり、顔面蒼白のまま固まってニトの顔を見る。

 

「ん?」

 

 ニトは変わらず楽しそうにラデックを見つめている。その楽しそうでもあり嬉しそうでもある笑みは、意識して見れば恋する乙女そのもの。それに気づいた途端、ラデックの全身から脂汗が噴き出した。

 

「さ、先を急ごう。そうだ。早く行かないと」

 

 ラデックはあからさまに話題を変え、ギクシャクとした動きで足早に通路の先へ進んで行く。

 

「あ、ちょっとまってよー! 案内なくていいのー?」

 

 慌てて後を追いかけていくニト。デクスは渋い顔のまま暫し立ち止まり、眉にクッと力を入れて文句を溢した。

 

「……こりゃあ、無自覚に何回かやらかしてんな?」

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト深部 (ラデック・デクスサイド)〜

 

 奥は意外にも広く、目の前にぽっかりと空いた吹き抜けを見下ろせば、深さ10m近いショッピングモール以上に広大な空間が広がっている。壁や床は打ちっぱなしのコンクリート。剥き出しのパイプが毛細血管のように辺りを囲み、電線やロープがあちこちで絡まり蜘蛛の巣のように空間に巡らされ、廃墟とも工場とも似つかない異質な空間となっている。そこに若者達が自由にテントや小屋を敷き詰め、無秩序ながらも集落めいたものを築き上げていた。

 

「おお……本当にあった。”水の街“」

「すごいでしょー! これね、みーんな天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)の仲間なんだよ!」

「ぜ、全部か?」

「うん! じゃあどっから案内しようかなー。どっか見たいところある?」

「俺は特に……デクスは?」

「取り敢えず任せる。何があって何がねーのかもわからねーしな」

「だそうだ」

「おっけー! じゃあまずはー……」

 

 

 

 

 

「まずはー、ここ! “玄関”!!」

「玄関?」

 

 アジトに入ってすぐのところには、深緑の薄汚れたテントが設置されており、ニトが呼び鈴を鳴らすと中から半裸の青年が酷く眠そうに顔を出した。

 

「んあれ〜、ニトさん? 後ろのやつは〜?」

「えっと、新入り! 登録は……また今度で!」

「あいあい……あれ、ボスは〜?」

「今は私だけ! ……なんか眠そうだね?」

「ん〜……二日酔いかも……」

 

 青年は再び目を擦って奥へと消えていってしまう。

 

「ここで外に行った人と帰ってきた人を管理してるんだよ!」

「ふーん……。この受付に書いてある“赤3“とかって言うのは?」

「外に出るのに必要なチケット! 1日なら赤チケ3で、3日なら青チケ1! 次こっちね! ついてきて!」

「へぇ……チケット?」

 

「ここはラーメン屋で、あっちがパン屋! で、ここがフライドチキン売ってるとこ! バンちゃーん! フライドチキン3つちょうだーい!」

「あー、緑3」

「ここもチケットか……金は使わないのか?」

「誰も外で買い物しないからねー」

 

「ここは薬屋さん! ちょっとなら手術もできるよ!」

「ほぉ……うっ。薬品の匂いがすごいな……」

「あっらぁーニトさぁん。そっちの2人は……見ない顔っすねぇ」

「新入りなの! この人はカンガリウさん! 昼間はこんな感じでラリってるから、大事な用があるなら夜に来た方がいいよ!」

「おい新入りぃ。薬は安くても赤チケはするかんなぁ。それとぉ、奥の赤い棚は病人限定の薬だぁ。勝手に持ってくんじゃねぇぞ」

「わかった。……病人限定の薬?」

 

「あの赤い線の先は勝手に入っちゃダメなんだよ!」

「何があるんだ?」

「武器庫! なんかー、勝手に持ってく人が多いから注文制にしたんだってー」

 

「あっちは服とかアクセサリーとか売っててー、こっちが家具とか雑貨系!」

「君達が構えているテントや小屋も家具の内か?」

「そうっちゃそうだけど……勝手に建てると怒られるから、まずは地区長のところに行って場所買わなくっちゃ」

「……役所的なところもあるんだな」

 

 

 

 

 

「でねー、こっちが配達屋で、あの黒いテントが仲裁屋でー」

「仲裁屋? 裁判所のようなものか?」

「多分そう! そんでねー、その隣にあるのが――――」

「おい」

 

 楽しそうに案内をしていたニトを、デクスが威圧するように呼び止める。

 

「な、何? そんな怖い顔して……」

「インフラはどこで管理してる?」

「い、いんふら?」

「生活基盤管理設備、制度、機関。それに係る部署団体。テメーが話してる中に、その一切が出てきてねー」

「え、あ、えっと……アタシはその辺よく知らなくて……」

「知らない? そんな訳あるか。水どころか、こんな地下じゃあ電気だって生命線だろうが。それどころか、空調がちょっとでもイカれりゃ全員窒息死だ。なのに、よく知らねーだぁ?」

「あ、う……」

「おいデクス、あんまり脅かすな。相手は子供だぞ」

 

 あまりの剣幕にラデックが割って入るが、デクスはより一層眉間に皺を寄せてニトを睨む。

 

「蛇口を捻りゃー水が出る。ガスが出る。電気が通ってる。空気が吸える。暑くない。寒くない。そこに疑問を持たねー、不信感を持たねー、そんなイカれたことがあるか?」

「え、えーっと……」

 

 突然捲し立てられて狼狽えるニト。その姿にデクスは(いら)ついて舌打ちを鳴らし、手元で検索魔法を発動させ奥へと進んでいってしまう。

 

「あ、ちょっと! ひとりで先行かないでー!」

 

 足早に進むデクスを、ラデックは引き止めようと横に並んで説得を始める。

 

「おいデクス。ニトがいなければ俺達はただの不審者だ。案内はニトに任せよう」

「その心配はねーよ」

「……何か知っているのか?」

「知ってるんじゃなくて知ったんだよ。見てみろ」

 

 デクスは立ち止まり、(おもむろ)に振り返る。辺りは今までと特に変わらずテントや小屋が立ち並び、目ぼしいものは何一つ見当たらない。

 

「……見ろって、何をだ?」

「チッ。おいニト、この辺はいっつもこんな静かなのか?」

「えっ……? いや、そういえばなんか変に静かだと思う……」

 

 それを聞いて、デクスは再び何かを目指して歩き出す。

 

「おいラデック。テメーは平気なのかよ」

「な、何がだ? さっきから何の話をしてる?」

迷宮(ラビリンス)の異能で空間が輪ゴムみてーにビヨンビヨン引っ張られたんだ。大概の奴は加減圧の連打でダウンしてる。さっきの玄関にいた男も、フライドチキン作ってた奴も、薬屋でラリってた奴も、全員顔色腐ってたろ」

「あ、ああ。そう言えば」

「っつーことは、だ。この空間は、気圧変動が起こるぐれー密閉されてるってことだろ?」

「まあ。そうだな。俺達を襲った洪水も、その気圧変動で湖の水が吸い出されて引き起こされたと聞いている」

「――――で、お前はなんか気付かねーのかよ」

「……何に?」

 

 デクスは目的地に辿り着いたようで、目の前の鉄扉を魔法で無理矢理こじ開けて中に入る。中はパイプが天井を埋め尽くす狭い通路で、鈍い轟音が響く薄暗い通路が奥へと伸びている。そこをデクスは躊躇(ちゅうちょ)なく進んで行き、奥に扉が見えると再び口を開いた。

 

「この地下空間は密閉されてる。でも、空調がイカれりゃここにいる全員酸欠で死ぬ」

「あ」

 

 ラデックはデクスの言いたかったことを理解し、小さく声を漏らした。

 

「だから、密閉させんなら居住区の外の通路だけ密閉する筈だ。なのに、今は居住区の中の奴らまで気圧でダウンしてる。こんなこと何度もやってたんじゃ、俺らが来る前に天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)はとっくに潰れてる」

 

 デクスが錆びついた鉄扉をこじ開ける。その先には、金網で囲まれた広大な空間が待ち構えていた、目の前には大量の巨大なファンが数十基と敷き詰められており、その全てが微動だにせず静止している。

 

「やっぱし、通路の方じゃなくてこっちの空調が止まってる。誰かが、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)と俺らの相打ちを企んでたんだ」



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186話 食物連鎖





天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) アジト深部 (ラデック・デクスサイド)〜

 

 見上げるほどに巨大な金網の奥に敷き詰められた大型ファン。恐らくは地下深くに酸素を供給するための設備と思われるが、今はその全てが静止画のように微動だにしていない。

 

「違和感ならずっとあった。それこそ、お前らがデクス達に喧嘩売ってきた時からずっとな」

 

 デクスはニトを睨み、それから足早にもと来た道を引き返し始めた。

 

「その辺の雑魚を脅して餌にし、獲物を湖の罠に引っ掛ける。別に特別難しいことじゃねーが、迷宮(ラビリンス)の異能のデメリットにも気付けねーガキ共だけで思いつけるとは考え難い。恐らくは、入れ知恵した奴がいる」

「い、入れ知恵……?」

 

 目に見えて図星を突かれた顔を見せるニトを、デクスは責め立てるようにして考察を続ける。

 

「ああ。その入れ知恵した奴は、あの空調を止めることができる。つまりは、インフラの管理権限を持ってる奴だ。ってことは、当然整備も修理もソイツがしてるだろうな。でもって、ソイツらはテメーらの使う“チケット”の管理もしてる。そうだろ?」

「うっ……な、なんで……?」

「テメーらガキだけで通貨の管理ができるかよ。それに、あのチケットはどう見ても“首輪”だぜ」

「首輪……?」

「さっきからやけに管理者を隠したがってるが……。真実を聞いてもしらばっくれていられるか、見ものだな」

 

 

 

 元のテント街まで戻ってきた3名。するとデクスは(いぶか)しげに辺りを見回し、先陣を切って進み出す。

 

「あっちの方が分かりやすいな。ついてこい」

 

 ニトは何をされるのか不安になってラデックを見るが、ラデックもデクスの意図を理解できず黙って首を横に振った。

 

 デクスは主に雑貨を売っているテント街まで来ると、2人の方を振り向いて口を開く。

 

「さて、経済のお勉強だ。あそこにかかってる札、見えるか?」

 

 そう言って指差した先には、比較的新目のテントが様々な商品を店先に吊るしている。小さいナイフ類が並べられた箱には“どれでも1本紫1”と書かれており、その隣には中古の弓が“紫2“と書かれてた札に吊るされている。

 

「次に向こうを見てみろ。あの黒い小屋だ」

 

 デクスの示す黒い小屋は空き家のようで、“入居者募集中。月額黄1、又は赤4”と書かれている。

 

「でもって……そうだな。確か、ラデックはバルコス艦隊で過ごした時間が比較的長いんだったな。おいラデック、バルコス艦隊で、フライドチキンは1本幾らだった?」

「ええと、場所によるが、安いのは1本300(せき)くらいだったかな。笑顔による文明保安教会は4ケルフぐらいだったのに……」

「小刀はどうだ?」

「それもピンキリだな……。大体500から800 (せき)くらいだったかと思うが……」

「弓は? 新品の値段でいい」

「それは覚えてる。さんざ押し売りをされたからな。安いのは2000(せき)で、一般的には5000 (せき)程度だ」

「じゃあ今ので、緑チケットと紫チケットの大まかな価値が分かるな?」

「ああ、成程。緑が大体300(せき)くらいで、紫が500から1000 (せき)くらいってことか」

「今見たがきりの情報じゃ、そうなるな。デクスはここに来てから、この計算をずっとやってた。で、今それを軽く纏めた表を作ってみた。見てみろ」

 

 緑チケット、100から500 (せき)

 紫チケット、1000から2000 (せき)

 赤チケット、5000から10000 (せき)

 黄チケット、35000から50000 (せき)

 青チケット、80000から100000 (せき)

 

「こ、これは分かりづらいな……。紫と黄色は無くしても良さそうなものだが……。あと小銭が無いのも不便だな……」

「不便どころの話じゃねーよ。今までこの通貨でやってこれたことが不思議だぜ」

 

 ふとデクスが顔を上げると、周囲のテントから住民達が物珍しそうにこちらを伺っている。デクスが表を書き込んだ紙を足下に大きく広げると、住民達はわらわらと集まってきてあっという間に人集(ひとだか)りができた。デクスは周囲の人間に分かるように、改めて説明を始める。

 

「最低通貨が緑チケットっつーのが何より最悪だ。例えば、手元に緑チケットが10枚あったとする。これが単純に5000 (せき)あるっつーなら不便は少ねー。500(せき)の小麦粉と、300 (せき)の塩。あとは水を200 (せき)ほど買っておけば、炎魔法さえ使えりゃたった1000 (せき)で3日は食える。5000 (せき) もありゃ最悪2週間は飢えねー。でもここじゃ緑チケット10枚だ。デクスが見た限り、緑チケットで買える腹持ちのいい食いもんは、緑チケット2枚で買える特盛焼き飯くらいだったな。これで3食補ったとして、1日分の飲料水を買うのに緑チケット1枚。つまり、緑チケット3枚でやっと1日飢えずにいられる。緑チケット10枚じゃ、3日凌ぐのがやっとっつーわけだ。このチケット制の致命的欠陥。それがこの、細かい支払いができねーっつー部分だ」

 

 辺りの若者達がウンウンと頷き、理解の追いつかぬ者は隣の者に解説を求め、次第に響めきが大きくなっていく。デクスは若者達の興味が自分に向いているうちに、わざと大きな声で解説を続ける。

 

「次に!! これも重要だ!! このクソ細けー通貨の分割には意味がある!! おいニト、これは飽くまでデクスの予想だが……このチケット。緑をどんだけ集めても、赤代りにはならねーんじゃーねーのか?」

 

 ニトは目を見開いて驚き、慌てて頷く。

 

「えっ……う、うん。上も下も、色を跨ぐ買い物はできないことになってる……。でも、どうしてわかったの……?」

「じゃねーと、小遣いしか稼げねー貧乏人が泡銭で高ぇ武器やら何やら買って暴れ出すだろ。同時に、高いモンが欲しけりゃ偉い奴に頭下げるしかねー。強い奴はより偉く、弱い奴は貧乏のまま。チケット制に縛られる馬鹿の中で上手く上下関係が保てるようにできてやがる」

 

 デクスを囲む若者達は、己の呆然とした顔が血流で熱気を帯びていくのを感じる。今まで感じてきた漠然とした不満が言語化されたことで、自分でも認識できていなかった(あら)ゆる感情が明確に形を成していく。

 

「このチケット制の欠陥は大量にある。偽造が容易、両替時に価値が大きく下がる。原価の概念が無くなる。窃盗品しか売れねーし、そのどれもが二束三文だ。商売で儲けるのは仕組み的に不可能」

 

 辛い、苦しい、嫌だ、怠い、分からない。それらの動物的な感情が、言葉で細分化され輪郭を帯びていく。

 

「青チケや黄チケットを大量に持ってても、緑チケットの支払いはできねー。かと言って不相応な両替をするわけにもいかねー。つまりは、偉い奴が自然と弱者を扱き使うシステムになってる。チケット制を決めた奴らにテメーらは支配されてるが、偉い奴らはテメーらを虐めるのに夢中で自分の首輪に気付かねー」

 

 毎日働いてもチケットが貯まらない。物価の高さに不満を言いたい。不公平な手数料を払いたくない。自分の頑張りをもっと高値で買って欲しい。差別的な制度を変えたい。

 

「第一、貨幣は人の暮らしを豊かにするためにあるもんだ。物価の全てを誰かひとりが勝手に決めるなんざ、人間の価値を勝手に定めるくらいありえねー冒涜だ」

 

 不満、悲しみ、劣等感、空腹感、今まで感じてきた不快感の全てが今、憤りの溶岩となって胸の内を埋め尽くした。

 

「これが経済の食物連鎖だ。王が愚民を支配し、その中でも強い愚民が弱い愚民を支配する。通貨の支配っつーのは、人の支配と同義――――」

「ふっざけんなよクソがあああああああああああ!!!」

 

 ひとりの若者の絶叫を皮切りに、今まで溜まりに溜まっていた弱者達の鬱憤が連鎖爆発を起こす。

 

「どーりで毎日苦しいわけだよ!!! 全部アイツらが悪いんじゃねーか!!!」

「変だとは思ってたんだよ!!! でもっボスがっ……ボスが何も言わねーから!!!」

「ずっとずっと頑張ってきたのにっ、バカみてーじゃねーかよっ!!!」

「死ねよマジで……!!! 死ねっ!!! 死ねよぉぉぉおおおおっ!!!」

 

 ある者は側のテントを蹴り飛ばし、ある者は看板を叩き割り、皆が皆抱えた怒りのぶつけどころを探して暴徒と化している。

 

「そもそも今回だって!!! “ラボ”の連中が何にもしねーから俺らが出しゃばる羽目になったんだ!!!」

 

 “ラボ”。その単語に、ラデックはまさかと思いニトの方を見る。

 

「ニト……。“ラボ”と言うのは……?」

 

 ニトは怖がって目を泳がせて胸に手を当てるが、何度かラデックの方を見た後に唾を飲んで口を開く。

 

「こ、ここの管理、デクスの言ってた、インフラとか全部管理してる連中だよ……。元はと言えば、このアジトは元々ラボの人の物だったの……」

「その、ラボと言うのは……」

「詳しくは知らない。でも、あいつらは自分達のことを“研究者”だって言ってた……。自分達に協力してくれれば、この地下施設を差し出すって……」

「研究者……か……」

 

 

 

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海〜

 

「さあて、ラルバちゃんとワクワクダイビング行きたい人! 定員は3名! はいバリアちゃん早かった!」

「私何も言ってないよ」

「いいねいいね! じゃあカガチゃんと〜、ハピネスで締切ぃ〜!」

「やだーっ!!!」

 

 ハザクラ達が湖に侵入して行ったのを見届けたラルバは、別口で侵入するためにバリアとカガチとハピネスの3名を選出した。しかしハピネスは絶叫しながら地を転げ回って拒否し、カガチに至っては最早相手にすらしていない。

 

「やだやだやだやだ海は寒いし冷たいし臭いから嫌ーっ!!!」

「ここ湖だよ」

「うるせぇーっ!!! 第一何で私なのさっ!! こういうのは武闘派連中に任せようよ!! ほらゾウラ君? 湖の底行ってみたいよね?」

「はい!!」

 

 ハピネスがゾウラを唆していると、背後から凄まじい速度でカガチが忍び寄り(あばら)折りを仕掛けた。

 

「死ね」

「があーっ!!!」

「わあ。すごいすごい!」

 

 芸術的なプロレス技にゾウラは手を叩いて喜び、ハピネスは顔中の穴という穴から粘液を垂れ流して泣き叫ぶ。

 

「おいラルバ。そんなに友達が欲しければ先日買ったばかりの玩具(おもちゃ)があるだろう。先にそっちを使え」

「玩具? ああー! そう言えばいたねぇ! おい、人のこと玩具とか言うなよ。可哀想でしょ」

「ばっ!!! ばばっ!!! がああああああっ!!!」

「ちょっとハピネスうるさいよ。静かに」

「あばーっ!!!」

 

 ラルバは魔工浮遊馬車に戻り、中で盗賊3人組にテレビゲームの相手を付き合わせていたレシャロワークの首根っこを掴む。

 

「ぐえっ」

「さあシャロ太郎! 家でゲームばっかしてないで、おんもで鬼ごっこしに行くぞ!!」

「いや鬼はラルバさ――――うっ」

 

 レシャロワークは有無を言わさず絞め落とされ、熊が巣穴に獲物を運ぶようにずるずると引き摺られていく。それを見た盗賊達は、もしかして自分達は助かったのではなく、より恐ろしい人間に捕まってしまったのではないかと身を抱き合った。

 

 

 

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海 (ラルバ・バリア・ハピネス・レシャロワークサイド)〜

 

 ラルバはバリア、ハピネス、レシャロワークを連れ、冥淵(めいえん)の海中央の大穴まで泳ぎ着くと、防壁魔法で自分達を包みエレベーターのように下降を始めた。

 

「“偉大なる墓場”……だっけか? 折角なら200年前の綺麗な時に見たかったなー。うわ、あそこらへんとかゴミだらけじゃん」

「環境保護なんて言葉が人の口から出るようになったの、ここ数年の話だからね。大戦争以降でエコロジーなんか気にしてるの、変人学者くらいだよ」

「これじゃあ偉大なる墓場じゃなくて偉大なるゴミ捨て場だよ。あ、見て見て。旧文明の戦闘機が沈んでる」

「式神式連結ティルトローターの……後継機? あれ多分まだ動くよ。壊しておく?」

「えー。いいよ面倒くさい。そのうちバルコス艦隊とかが竜の再来とか言って喜ぶよ」

 

 意識を失っているハピネスとレシャロワークそっちのけで、ラルバとバリアはブルーホールの風景を水族館のように楽しんでいる。すると、どこからか現れたチョウザメが、見慣れぬ物体に興味を惹かれて接近してきた。

 

「うお、鼻でっか」

「オノベラチョウザメ? こんな深いところまで来るなんて、もう200mは潜ってるのに」

「餌やろうか? ハピネスとレシャロワークどっちがいい?」

 

 オノベラチョウザメはその斧のように大きな口先で防壁を突き、体を興奮気味に擦り付ける。そして一際大きく仰け反ったかと思うと、水が澱むほど濃い波導を放出した。

 

「ラルバ」

「ありゃ」

 

 バリアが掛け声と共に防壁に強化魔法をかける。しかし、1匹のオノベラチョウザメの放った反魔法は、使奴が2人で組み上げた防壁を薄氷の如く叩き割った。

 

 突如水中に放り出されたラルバはすぐさまハピネスとレシャロワークに耐圧魔法をかけ、続いてオノベラチョウザメの腹部に手刀を捩じ込む。

 

 しかし、上からは続けてオノベラチョウザメの群れが雷魔法を帯びながら接近している。2人は突然凶暴化したチョウザメ達の撃退を諦め、煙幕と同時に水底へと姿を消した。

 

 

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) C区画 (ラルバ・バリア・ハピネス・レシャロワークサイド)〜

 

 水深1000m付近で人工物らしき障壁を発見したラルバは、近くの岩を繰り抜き内部への侵入に成功した。

 

「あーもーびっちゃびちゃじゃないのよー。反魔法使う魚類って何よもー」

「西海には割といるよ。バクチフグとか、ヒョウザンクラゲとか」

「そういうことじゃないのよバリアちゃん」

「アンドンイソギンチャクとか」

 

 ラルバはその場で犬のように身体を回転させ水分を吹き飛ばし、死体のように微動だにしないハピネスとレシャロワークの方を向く。

 

「ハピネスー? シャロ太郎ー? 生きてるー?」

 

 意味もなく声を掛けて2人の体を揺さぶるが、2人とも無意識に水を吐き出すのみで返答はない。

 

「よし、元気! バリアちゃーん。索敵よろー」

「侵入はバレてないっぽい。でも、この施設……」

 

 バリアは浄化魔法で体を乾かしながら辺りを見回す。

 

 一見すれば、鉄骨とコンクリートで造られたシンプルな工業施設。天井を這う配管や目の前に鎮座するゴミ処理機構も、特別珍しい物ではない。そう。何の変哲もない、一般的な旧文明製品である。

 

「でもなんか古くなーい? めっちゃ石綿の臭いするし」

「うん。私も、こんなに古い施設は知らない。でも……」

「分かってるよ。私も”見た“し」

 

 ラルバは侵入の際、ブルーホールの底に微かに見えた光景を思い出して怪しげに口角を上げる。

 

「切り刻まれた使奴の死体の山。事情は知らんが、使奴研究所の類であることは間違いないだろうな。ああ(はらわた)が煮えくり返る思いだ。我が同胞の無念、はらさでおくべきか」

「おくべきじゃない?」

「そうじゃないのよバリアちゃん」



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187話 デッドエンド

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) B区画〜

 

 空調の駆動音だけが響く研究室の扉が開かれ、1人の中年男性が入ってくる。

 

「ガキ共の様子はどうだ?」

 

 十数個のモニターをたった1人で監視していた比較的若い男は、回転椅子ごと振り向いて首を横に振る。

 

「ダメです。侵入者と相打ちするどころか、逆に懐柔されちゃってます」

 

 モニターの1つには侵入者である赤い髪の男と金髪の男が映っており、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)の下っ端連中に囲まれている。その様子はどう見ても侵入者を捕らえに集まってきた戦闘員ではなく、新たな指導者の誕生を祝う群盲である。

 

「クソっ……役立たず共が……!」

 

 中年の男は八つ当たりに机を殴りつけ、鼻息荒くモニターを睨む。

 

「やっぱりあんなガキ共を番犬にするなんざ、無理があったんだ……! 時間壁が停止した直後に近くの街に逃げてりゃあ……もっとやりようがあった!!」

「けど、どの街もどうせ使奴が仕切ってますよ。この子達が運良く此処を発見しなかったら、オレ達全員飢え死にか使奴に殺されてたんじゃないですか?」

「フン、たられば言うだけなら誰にでもできる。それで、人質共の方はどうだ?」

「ああ、そっちは大人しくしてますよ。ほら」

 

 若い男はモニターのひとつを切り替える。そこには数名の拘束された人影と、2人の研究員の姿が映っている。画面の中の研究員は手に持ったスタンバトンで拘束された者達を脅し、もうひとりの研究員が鞄から薬品のようなものを漁っている。

 

「あいつら……また人質で実験してんのか。死んだら意味がないだろうに!」

「いや、今度のは死ぬようなやつじゃないらしいですよ。散布用の麻痺毒だとかなんだとか」

 

 画面の中で、拘束された女の腕に注射針が挿入される。すると、女はみるみるうちに顔色を変え、やがて血の混じった泡を吹いて倒れ込んだ。

 

「……なぁにが、“死ぬようなやつじゃない”だって?」

「まー……実験ですしね。それに、あの女の仲間ってもう死んだんでしょう? じゃあもう要らなくないですか?」

「そういう問題じゃないだろ! 人質だってそうポンポン捕まえられる訳じゃないんだ! もっと有効に使え!!」

「……この間は捕まえ過ぎたから減らせって言ってたくせに」

「何か言ったか!?」

「すみませんって言ったんです」

「ったく……。俺は“エンド”の起動に立ち会ってくる。何かあったら連絡しろ」

「……ちょっと待ってくださいよ」

 

 監視モニターを管理していた若い男は咄嗟に振り向き、険な顔で中年の男を睨みつける。

 

「オレも立ち会います」

「ああ? 何言ってんだ! ここを空にするつもりか!? お前が見ていなけりゃ、誰がガキ共を見張るんだ!」

「どうせもう見てたって、アイツらがここを攻めてくるのは確実でしょう!」

「いいから黙って従え!! もしものことがあったらどうする!!」

「このっ……もう騙されませんよ副部長!!」

 

 若い男は副部長の胸倉を掴み、力任せに壁に押し付ける。

 

「ぐっ……! 何しやがる……!! ぶん殴るぞこの馬鹿野郎!!」

「それはこっちのセリフだクソジジイ!! 表には脱走した“完成品”がわんさかいる!! “使奴研究所”どころか、外の誰とも連絡なんか通じない!! もうお前の副部長なんて肩書、何の意味もないんだよ!!!」

 

 若い男は副部長の首を締め上げ、恨み節をブツブツと呟く。

 

「どうせ“エンド”のオーナー登録だって、お前ら管理職の連中だけで済ませるつもりなんだろ……!! そんなことさせるかよ……!!! 武力までお前らに支配されたら、オレみたいな末端の研究員は一生小間使いだ……!!!」

「ぐぐっ……!! おまっ……それについては何度も会議で話しただろうがっ……!! オーナーを団体で登録すりゃ……個人の武器のはならねぇっ……!!!」

「だからオレも立ち会うって言ってんだろ!!! やましいことがないなら、何の問題もないだろ!!!」

「ぐぐっ……わ、分かった……!! 分かったから……離せ……っ!!!」

 

 副部長は押し除ける形で拘束を解き、ぜえぜえと息を切らして尻をつく。それからよろよろと立ち上がり、水を飲もうと部屋の隅に設置されていたウォーターサーバーに近寄る。そしてコップに水を注ぎ――――

 

「……おらぁ!!!」

 

 若い男に向かって中身を撒き散らした。そしてすぐさま氷魔法を発動し凍らせる。顔に水がかかった若い男は、(まぶた)に氷が張り付いて視界を奪われる。副部長は若い男を突き飛ばし、逃げるように部屋を出ていく。

 

「クソっ!!! やっぱりかあの野郎!!!」

 

 若い男は反魔法で氷を水に戻し、全速力で副部長の後を追いかけていく。通路では他の職員達が雑務をしており、血相を変えて走り去っていく2人を見て暫し呆然とした。しかし、すぐに何が起こっているのかを理解し、手にしていた書類や工具箱を放り捨て、取り憑かれたように走り出す。

 

「な、なんだよオイ! 危ねーな!」

「“エンド”のオーナー登録だよ!! クソ上司共に持ってかれるぞ!!」

「はぁ? それなら前の会議で……」

「馬鹿!! あんなもん何の意味もねーよ!! 全部嘘に決まってんだろ!!」

「えっ、嘘っ、マジ!?」

 

 (どよ)めきと狼狽(ろうばい)は連鎖し、騒ぎを耳にした者が次から次へと駆けつける。職員の群れは“実験区画”と記された通路に(なだ)れ込んでいき、その群れから少し離れた先を走っていた中年の男は、最奥の厳重な隔離扉に辿り着くと認証機にカードキーを叩きつけた。

 

「ID認証しました」

「早く……!! 早く……!!!」

「解錠不可。権限がありません」

「へ? あぁ!?」

 

 男は機械音声の信じられない言葉に目を剥き、何度もカードキーを叩きつける。

 

「な、なんで、なんで!!!」

「解錠不可。権限がありません」

「あるだろ!!! 俺は副部長だぞ!!!」

 

 そこへ後を追ってきていた下級研究員達も追いつき、扉の前で狼狽(うろた)える副部長を睨みつける。

 

「はぁっ……はぁっ……!! 追いついたぞ……このクソジジイ!!!」

「お前らだけで登録なんかさせねーぞ!!!」

「オレらも立ち会わせろ!!!」

「ぐっ……クソっ……!!!」

「あなた達はいらないよー」

 

 頭上のスピーカーから放たれた音声に、その場にいた者たちは思わず顔を向ける。

 

「そ、その声は……所長ですか……!?」

「うん。副部長、“囮”ご苦労様ね。そこに“エンド”はいないよ」

 

 スピーカーの横にあったモニターに映像が映る。そこには、ふくよかな壮年の男性が立っていた。

 

「所長……!!」

「“エンド“のオーナー登録は私1人でやるから、あなたたちは達はそこで見ててよ」

 

 下級研究員達も副部長も、先ほどまでの敵対など忘れ一緒になってモニターに罵声を飛ばす。

 

「ふ、ふざけんな!! おい、あそこ何処だ!?」

「わ、わかんねぇ……多分、B区画の12通路とかか……!?」

「いや、通路の上の線が黄色い!! 16通路だ!!」

「16だ!! 急げ急げ!!!」

 

 研究員達が通路を戻ろうとすると、防災用の隔壁が降ろされ通路が塞がれてしまう。

 

「そもそもね、あなた達が来たって意味ないの」

 

 閉じ込められた研究員達を、画面の中の所長が嘲笑う。

 

「エンドは個人の波導パターンを識別して登録をするんだよ? 団体での登録なんて、できるわけないじゃん」

 

 所長はカメラを手に持ち、自分の顔を映しながら悠々と通路の先へ歩いていく。

 

「大丈夫。あなた達は外の連中と違って、最新技術を知る数少ない人材じゃないの。大人しく従えば、有効に活用してあげるからさ」

 

 そう言って所長はカードキーを取り出し、通路の先の認証機に(かざ)す。研究員達は、なす術もなくその様子を黙って見ていることしかできない。

 

「クソっ……!!! あの野郎……!!!」

「最初っからこうするつもりだったんだ……!!!」

「どっからか迂回路ねぇのか!?」

「武器庫……実験棟の先に武器庫がある!!! この壁壊すぞ!!!」

「行け行け!!! 早く!!!」

 

 再び走って行く研究員達を、所長は何食わぬ顔でせせら笑う。

 

「全く、間に合うわけないでしょうよ。諦めが悪いねーほんとに」

「ID認証しました。解錠します」

 

 機械音声と共に扉のランプが赤から緑に変わり、分厚い金属の扉が左右に割れていく。所長は上機嫌に鼻歌を歌いながら足を踏み入れ、化学薬品の臭いが立ち込める室内で満足げに深呼吸をする。

 

 部屋の中央、魔法陣と霊光パイプで造られた円形の台座に、1人の大柄の女性が一糸纏わぬ姿でしゃがみ込んでいる。長い茶髪に、薄く色付いた肌。男の欲望を満たすために再現された擬似脂肪層と豊満な胸部パーツ。完成品としては認められなかったものの、この“魔導ゴーレム研究機構”の誇るべき集大成、無上の名を冠する最高傑作“エンド”が――――

 

 謎の金髪女と並んで座っている。

 

「エンドさんガーキャン上手いですねぇ。うわ、そのコンボ鬼エグい」

「お褒めいただき光栄です。“マスター”」

 

 魔導ゴーレム研究機構の誇るべき集大成は、何故か謎の金髪女とモニターに繋げたテレビゲームに興じている。全く予想していなかった奇天烈な光景を前に、所長は思わず声を漏らす。

 

「………………は?」

 

 すると、エンドは侵入者の存在に気が付き振り向いた。

 

「敵対存在を確認。排除します」

「と、止ま――――!!!」

 

 所長の声を掻き消して凄烈な爆発音が鳴り響く。その様子をスピーカーから流れる音声でしか聞いていなかった研究員達は、顔面から血の気が引いて冷たくなっていくのを感じた。

 

「に――――」

 

 そして、1人が大声で叫ぶ。

 

「逃げろおおおおおおおおお!!!」

 

 今まで全速力で駆けていた筈の集団は、今まで以上の速度で通路を先へ先へと走り抜けて行く。

 

「やばいやばいやばいやばいやばいやばい!!!」

「武器っいや逃げっいや武器!!!」

「何でロックパスが分かったんだよ……!!! 誰だよ漏らした奴!!!」

「嘘だよこんなん!!! 嘘!!! 嘘だって!!!」

 

 使奴が蔓延(はびこ)る変わり果てた世界で、職員達の唯一の希望だった兵器が、自分達以外の人間の手に渡った。当然銃火器などがエンドに通用する筈が無いのだが、今は丸裸にされた絶望に堕ちないために武器を求めずにはいられなかった。

 

 そしてやっとの思いで武器庫に辿り着くと、職員達は辛うじて繋いだ最後の希望も()し折られる。

 

「やあ、邪魔してるよ」

 

 額に大きな火傷痕を残す金髪の女が、扉が破壊された武器庫の中に立ってこちらを見ている。足元には粉々に破壊された武器の残骸が散らばっており、残された最後の一丁は火傷の女が担いでいる。

 

「このスナイパーライフルだけ貰うね。マニアに高く売れるんだ」

 

 絶望の底に叩き落とされ、頭の中が真っ白に塗り潰される。しかし、ドン底は更に口を開けてより深いところに彼等を飲み込む。

 

 職員達の通ってきた通路の先から爆音が響く。

 

「ひっ――――!!!」

「な、なんだ!?」

 

 通路の先には爆炎が燃え盛り、その中を悠々と歩く長髪女性のシルエットを照らし出す。シルエットは両手を左右に広げて威圧し、高らかに笑い出す。

 

「あーっはっはっはっは! 最強の人造人間、”使奴”!! 見っ参!! さあ逃げろボンクラ共!! 最後尾の奴から臓物引っこ抜いて丸焼きにしてやる!!」

「あ、あ……わあああああああああああっ!!!」

「助っ助けっ――――――――!!!」

「どけ!!! 邪魔だオイ!!! どけ!!!」

 

 

 研究員達は互いを押し除け、我先にと駆けていく。行き先など微塵にも考えていないが、此処以外の場所であれば、何処に向かうかなど些細な問題であった。

 

「た〜べ〜ちゃ〜う〜ぞ〜!! おいハピネス、何見てんだよ」

「別に?」

 

 

 

 

天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ) C区画〜

 

「はぁっ……はぁっ……」

「も、もう……だめだ……追い、つかれる……!!!」

 

 普段から地下に引きこもっていた研究員達は、無いに等しい筋肉の悲鳴をひしひしと感じつつも、未だ燃え尽きぬ生への欲求と希望の幻覚だけを糧に歩みを進める。無意識に動く足は通路最奥の“ゴミ処理室”へと向かう。

 

「あっ……」

 

 彼等もそこに足を踏み入れてから気がついた。この地獄から唯一抜け出す方法に。だが、それは決して天から降りてきた啓示などではなく、可能であれば本人達も思い出したくなかったあまりにも細過ぎる可能性である。

 

「な、なあ……これ……」

 

 この事実に気がついた1人が、倒れて埃まみれになっているロッカーから“赤錆色のスーツ”を取り出す。それを見た職員は、喜びとも恐怖とも取れる震えた声を発した。

 

「お前……それ……」

「うん……だ、脱出用の、潜水スーツ。…………30年以上、昔の……」

 

 魔導ゴーレム機構建設時、このゴミ処理場室は元々襲撃時の“緊急避難口”として設計されていた。何者かの襲撃を受けた際に、湖のブルーホール”偉大なる墓場“を通じて湖面まで浮上する少々無謀な逃走用通路。しかし、使奴研究所の末端組織がそうそう避難を迫られるような大規模襲撃を受けることはなく、早々に改築してゴミ処理施設として運用されることになった。

 

 そしてこの潜水スーツは設計当初に用意された、誰一人として実際に使用したことのない安物である。

 

「大丈夫…‥な訳、無いよな……」

「でも、これ着ないと俺達殺されるぞ……!」

「溺死か……虐殺か……」

「俺は着るぞ!! 寄越せっ!! こんなところで死んで堪るかっ……!!」

 

 1人の職員が古びた潜水スーツを引ったくると、それに続いて他の職員もスーツを手に取り始めた。

 

「俺もっ!!」

「オレもだっ!! 急げ!!」

 

 全員スーツを見に纏い、埃を被っている赤いボタンを殴りつける。すると赤色灯が激しく回転し、けたたましいブザー音と共に隔壁が出口を封鎖した。そして、いつもであればゴミを湖に放出する排出口が水魔法の陣を起動させ、水の壁を剥き出しにする。

 

「耐圧魔法かけ直したか? い、行くぞ……?」

「ま、待ってくれ……足が、震えて……」

「なら最後尾頼むぜ」

「あ、や、やっぱ平気!! 行く!!」

 

 職員は次々に水の壁をすり抜け、水深1000mのブルーホールへと飛び込んで行く。尻込みしていた臆病な研究員も最後の1人になるや否や、孤独と恐怖に背中を押され真っ暗な水の中へ飛び込んで行く。

 

 すると、通路を封鎖していた分厚い隔壁がギリギリと金属音を上げて変形し、空いた隙間から真っ白な手がのぞいたかと思うと、ダンボールのようにぐしゃりと潰された。

 

「あ、よいしょお! うーん、パワー!! バリアちゃーん? どうなったー?」

 

 隔壁を破壊したラルバの呼びかけに、ゴミ処理機の隙間に隠れていたバリアがひょっこりと顔を出す。

 

「ん。全員出て行ったよ」

 

 バリアの報告にラルバはわきわきと指を動かして鼻を鳴らし、歯をぎらりと輝かせて笑う。

 

「んひひひひひぃ〜。私みたいな超強マンに殺されるより、そのへんの雑魚キャラに殺された方が面白いよねぇ〜! ラルバちゃんプレゼンツ、冥淵(めいえん)シーパラダイス! 楽しんで行ってね!」



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188話 冥淵シーパラダイス

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海〜

 

 水深1000m。酸素どころか一条の光も届かぬ暗闇。海流が発生する海とは違い、更には全方向を岩盤に囲まれた縦穴の最深部に生物の姿は無く、あるのは時折落下してくる小石や何かの破片程度。旧文明では偉大なる墓場と呼ばれた、(かつ)ての自然遺産である。

 

 施設から抜け出した研究員達は水温4℃という極寒に身を震わせながらも、耐えられる程度には防寒魔法も耐圧魔法も機能していることに安堵して胸を撫で下ろす。背負った酸素ボンベ含め、潜水スーツにも異常はない。ただ一つ、急浮上を手助けするエアーボールを用意する時間がなかったのを悔やみながら、急いで浮上を開始した。

 

 その時、ひとりの研究員がふと真下を見下ろした。あの使奴は追ってきていないだろうかという不安からだったが、古ぼけたヘッドライトの淡い光では水深1000mの暗闇を照らすことはできなかった。それに、どうせ視認できたところで成す術はないと視線を戻そうとした直前、足元が淡い青色の発光を見せた。

 

 その光は他の研究員達にも見えたようで、全員が思わず足元に目を向けた。そこには、今まで放り捨ててきた“失敗作”が山となり水底を埋め尽くしていた。

 

 使奴のプロトタイプになり損ねた、魔導ゴーレムの残骸。複製のメインギアによる使奴細胞の移植を受けておきながら、自我を確立することのできなかった初期不良品。膨大な魔力を蓄えていながら、その活用法が見出せなかった人間の形をしただけの粗大ゴミ。それらはいつのまにか、ゴミ排出口のすぐ下まで積み重なってきていた。

 

 そして、その残骸のうち、一本の腕が緩やかに浮上を始めた。

 

 続けてもう一本。足。頭。胴。それらは歪に重なり合い、幾つかの塊になって青色の発光と共に浮上している。

 

 その塊と距離が近くなるにつれて、段々と研究員達は気付く。これは浮上ではなく、“壁を登っている“のだと。青白い光はバクテリアの生物発光などではなく、“魔法を発する時に生じる波導光”であると。そして、この使奴の残骸を背負っているものは”生きている“と。

 

「ごぽっ。ごぼぼぼぼぼぼぼぼっ!!!」

 

 研究員の1人の腕が、真っ二つに切断されて水中を舞う。使奴の残骸を背負った何か達がその研究員に群がり、不気味な破砕音と共に赤い水を煙のように撒き散らした。その時、研究員達はその中に見覚えのある”鋏“を見た。

 

 この何かの正体は、冥淵の海の固有種である蟹。”ハナサキモクズショイ“である。

 

 本来この生物は非常に臆病で攻撃性は全くと言っていいほど無い。モクズショイの名の通り、藻や海綿などを背負い周囲の景色に擬態し、その上身体中に花が咲いているかのような荒々しい棘まで生やして己の身を守っている。

 

 しかしこの臆病な生物は、廃棄された使奴の残骸から漏れ出た高濃度の魔力によって奇怪な突然変異を遂げた。

 

 藻屑を背負う代わりに使奴の残骸を背負い、それを魔力電池として使うことで節足動物とは思えぬほど莫大な魔力を得た。防衛のために生やしていた棘はさらに鋭く歪に伸びて、空間と肉体の接触面積を増やすことで魔力をより効率的に体内外で循環することを可能とした。性格は獰猛に、凶悪に、そしてより臆病になった。

 

 こうして、ハナサイモクズショイ達は気付く。自分達の恐れる敵は、“殺してしまえば二度と襲ってくることはない”と。たった1匹で師範代レベルの魔術師に匹敵する威力の魔法を放つこの蟹は、後に“シドカブリ”の名で恐れられることとなる。

 

「ごぽっ……!!! ごぽぽぽぽっ……!!!」

 

 魔力の刃で(たちま)ちバラバラにされていく男。研究員達は血相を変えて水を掻き、涙と涎を水に溶け込ませて逃げ出した。足元では未だに波導光がチラついているが、もうそれを見ている余裕も度胸もない。

 

 今彼等を守っているものは、年代物の潜水スーツ1枚のみ。防刃や防魔なんて贅沢な加工は当然ない。それどころか、指一本であっさりと破けてしまうほどに脆い、耐圧魔法の媒介としてしか意味のない薄布。しかし、この薄布が少しでも破けてしまえば、耐圧魔法に(ひび)が入り肉体は忽ち水圧で押し潰されてしまうだろう。

 

 時間をかけてでも浮上用のエアーボールを用意するんだったという後悔の中、少しでも早く水面に辿り着けるように岩肌を蹴って浮上を急ぐ。幸い蟹達の歩みはそれほど速くはなく、このまま休まず逃げ続ければ追いつかれることはないように思えた。

 

 少しずつ水温が上がっていく。心なしか目に光を感じる。それは希望の光にも思え、段々と明るくなっていくブルーホールの出口を楽園への入り口に錯覚しながら、胸を高鳴らせ昇っていく。その時、楽園の入り口に突如魚影の大群が現れた。

 

 研究員達の目の前に現れた魚群は、円を描くように頭上を遊泳している。しかし、ハナサキモキズショイに追われている今そんなことを気にしている場合などなく、魚達の間を抜けて通り過ぎようとした。

 

 その時、”斧のような形の巨大な(ふん)を持つ魚“は、研究員の眼前で突如膨大な波導を放出した。

 

 “オノベラチョウザメ”。ハナサキモキズショイと同じく冥淵の海の固有種であり、使奴の残骸の魔力に当てられた突然変異種である。

 

 サメとよく似た外見のチョウザメだが、チョウザメとサメは全くの別種であり、自分より大きな体の生き物を襲う習性はなく、歯すら持たない。通常のチョウザメよりも幅の広い巨大な吻を持ち、一見凶暴そうに見えるオノベラチョウザメとて例外ではなく、突然変異を起こした今もその部分は変わらない。

 

 しかし、この冥淵の海で起こった死亡事故の原因の7割は、このオノベラチョウザメによるものである。

 

 互いに示し合わせたかのように波導を放出したオノベラチョウザメの群れは、研究員達を囲んで雷魔法を発動し、ブルーホールの出口を封鎖するように電流の檻を作り上げた。

 

「がぼっ!? がぼぼぼぼぼっ!!!」

 

 不意を突かれた研究員達は全身を痙攣(けいれん)させ、雷魔法に阻まれその場に閉じ込められる。すると、1匹のオノベラチョウザメは1人の研究員に近づき、酸素ボンベから伸びるホースを咥えて引っ張り始めた。研究員は慌ててチョウザメを追い払おうとするが、そこへ他のチョウザメも集まってきて、研究員のゴーグルやマウスピースを引っ張って外そうとしている。まるで、それが何のためについているのかを知っているかのように。

 

 突然変異したオノベラチョウザメの最も変異した生態は、主に魔力。次いで脳の肥大化に伴い芽生えた“好奇心”である。今のオノベラチョウザメの知能は人間の4歳児に相当し、特に元々得意としていた魔法に関しては人間以上に緻密な術式を操る。

 

 この、恐ろしく狡猾で無邪気で幼稚な賢者は、変わり映えしない湖の中で常に遊びに飢えている。

 

 研究員の潜水スーツに、オノベラチョウザメが反魔法を押し当てる。耐圧魔法はシャボン玉が割れるように消え去り、水深200mの水圧が研究員を押し潰す。研究員の口から僅かに泡と血が漏れ、程なくして力無く緩やかに落下していく。

 

 そして、下の方にいるハナサキモキズショイが烈火の如く魔法を乱発し、落下してきた研究員の肉をミンチ状に引き裂いた。そこには人型だった面影はどこにもなく、ただの赤い紐となって海中を漂うのみ。

 

 研究員達は血相を変えて電流の檻を突破しようと反魔法を唱える。しかし、雷魔法が解除されるや否や、別のオノベラチョウザメが再び魔法を発して檻を再構築してしまう。この抵抗を、玩具が無様に足掻くのを、オノベラチョウザメ達は決して邪魔せず、静かに眺めるばかり。

 

「がぼっ……ぼぼぼぼっ……!!!」

 

 研究員達は堪らずオノベラチョウザメに攻撃魔法を放つ。だが、チョウザメ達はそれを嘲笑うかのように優雅に避け、(たま)に防御魔法で跳ね返し、それどころかわざと被弾して回復魔法で即座に治療してみせた。獲物が滑稽に足掻き、必死で藻掻く様を、蟻を捕まえた子供のように眺めている。子供が蟻の足を捥ぐのも、触覚を引き抜くのも、単なる無邪気な好奇心に過ぎない。このオノベラチョウザメの生死を(もてあそ)ぶちょっかいも、全ては無意味な興味本意である。

 

 そしてとうとう、ハナサキモキズショイが研究員達に追いついてしまった。チョウザメ達のお遊びとは比較にならない高威力の電撃が、明確な殺意を伴って研究員の身体を貫く。

 

 頭上には無邪気な悪魔が。足元には邪悪な獄卒が。もう200mほどで辿り着ける水面が、こんなにも遠い。研究員達の中から希望の灯火が消えかけた時、眼前の電流の檻が突如として消え去る。

 

 そして代わりに、(おびただ)しい数のクラゲが現れた。

 

 “ヒョウザンクラゲ”。体長30cm程度から100mと、個体差が著しい白色のクラゲである。小魚を追い払うための微弱な反魔法を放ちボートの運搬魔法や検索魔法を妨害することから、“フナユウレイ”の別名を持つ。

 

 オノベラチョウザメが呼び寄せたヒョウザンクラゲは実に数百匹。淡水に適応したこのヒョウザンクラゲは、特に使奴の残骸によって突然変異を起こした種ではない。しかし、それでも研究員達の発狂を煽るには充分だった。

 

 ヒョウザンクラゲが帯びている反魔法は、極めて原始的で微弱なもの。しかし、研究員達の着ている潜水スーツは大昔の安物。簡素な耐圧魔法は到底耐えられない。更には、ヒョウザンクラゲの持つ毒は決して強いものではないが、患部に強い腫れと鋭い激痛を及ぼす。

 

 水面までを隙間なく埋め尽くすヒョウザンクラゲの群の中を突っ切るのは、縫い針で満たされたプールを泳ぎ切るのに等しい覚悟が必要だった。

 

 それでも、研究員達は進むしかない。

 

 迷って立ち止まれば、ハナサキモクズショイによる確実な死。進めば、想像を絶する痛みと引き換えに微かな生存の可能性が生まれる。そして何より、彼等にはもうマトモに考えられる判断力は残されていなかった。

 

 1人がクラゲの群れに手を突っ込み、掻き分けて浮上して行く。また1人、また1人と昇っていく。それをオノベラチョウザメ達は黙って眺め、未だ足踏みしている研究員達を急かす様子もなく見つめている。そしてクラゲの中に進むのを躊躇(ためら)った数人は、ハナサキモクズショイの放った魔法で切断され水底へと落ちて行った。

 

 クラゲを掻き分ける研究員達は、必死に防御魔法を全身に掛け続けながら浮上を急ぐ。ヒョウザンクラゲの毒は、発症までに僅かなラグがある。毒の効きは個人差が激しく、早くて数秒。遅ければ数分。中には、数時間後に痛み出す者もいる。彼等は痛みが来ないことを天に祈りながら、猛毒のヒョウザンクラゲを押し退け、水圧に抗い水面まで必死に藻掻く。

 

「がぼっ!!! がぼぼぼぼぼぼっ!!!」

 

 それでも、化学反応は無慈悲に研究員を襲い、1人ずつ地獄の渦へと吸い込み切り刻んでいく。通常であれば、少し触れただけで激痛が発生するヒョウザンクラゲの触手。それを恋人のように頬擦りをしてしまえば、訪れる痛みは図鑑通りでは済まされない。

 

「がぼぼぼぼぼっ!!!」

「ばばばばばばばばばばばっ!!!」

「ごぽ……。こぽ………………」

 

 視界の端で、誰かが体を抱いて悶え苦しんでいる。クラゲの隙間から、尋常じゃない量の泡を吐く同僚の姿が見える。自分の先を泳いでいた後輩は、痛みを恐れて自ら喉を裂いてあの世へ逃亡した。遠くでチョウザメがこちらを見ている。こんなことなら、大人しく使奴に殺されていたらよかった。

 

 それでも、それでも、それでもそれでもそれでもそれでも。

 

 私は、生き延びたい。

 

「ぷはぁっ!!! はっ!!! はぁっ!!!」

 

 1人の研究員が水面から顔を出し、渇望していた天然の空気を肺いっぱいに吸い込む。幸い毒の効きは遅かったようで、指先が多少痛む程度で済んでいる。減圧による苦しみも、まだ襲ってきてはいない。水面には自分1人。どうやら、他の者はダメだったらしい。それでも、生の喜びに心は打ち震えた。生きていてよかった。諦めないでよかった。そして、岸まで泳ごうと振り向いた時――――

 

「おめでとー! やるじゃなーい!」

 

 あの使奴が、目の前の水面に立っていた。

 

「ひっ……!!!」

「いやあ意外と何とかなるもんだね! チョウザメが舐めプしてくれてよかったねー」

「あ、あ……!!!」

「やだなあ、そんな顔しないでよ。ちゃんと見逃してあげるってば! 私は今からあっちでカニ鍋やるんでね。じゃ、ばいばーい!」

 

 使奴は満足そうに笑い、そのまま水面をスキップして岸の方へ去って行った。そこで、生き残った研究員は気付く。

 

 岸が、遠い。

 

 200年前の大戦争で、冥淵の海の面積は40%程広がっていた。そのせいで、昔はブルーホールから岸まで100m程だったのが、今は最短部分で1km以上離れている。

 

「ああ……ああああっ………………」

 

 指先の痛みが広がってきた。足先にクラゲの柔い感触がする。

 

「そ、そんな…………」

 

 水面からオノベラチョウザメが長い(ふん)を覗かせ、じっとこちらを見ている。

 

「頼む、お願いだ……」

 

 足首にクラゲの触手が絡まり、僅かに水中へ引っ張られる。

 

「たす、けて……」

 

 

 

 

 

 

 

「実験体が命乞いした時、お前は助けてやったのか?」



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189話 それぞれの旅立ち

〜氷精地方中部 冥淵(めいえん)の海〜

 

 陽はすっかり傾き、湖はオレンジ色の光を反射してキラキラと輝いている。影が細く長く伸び、突き刺すような冷たい風が吹き抜けていく。

 

「お姉ちゃーん!!!」

「姉ちゃん!!! 姉ちゃんだ!!!」

「お前ら!! 無事でよかった……!!! よかった……!!!」

 

 ラルバを襲った盗賊達は、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)から解放された人質である姉を強く抱きしめ、大粒の涙を流して再会を喜んだ。その姿を見ていたラルバは、あつあつの蟹雑炊を口一杯に頬張りながらわざとらしくもらい泣きを見せる。

 

「うんうん。よかったねえ、よかったねえ。ハザクラちゃん見てごらん。あれが家族愛だよ」

「最初は人質諸共水責めしようとしていたくせに」

「死別の悲劇もまた、家族愛の美しさだねぇ」

「もう喋るな」

「それはそうとさ、ハザクラちゃん」

「喋るな」

 

 ラルバは眉間に皺を寄せて振り返り、先程到着した人道主義自己防衛軍の輸送隊の方へ目を向ける。そこでは、仮面をつけた大男が集団の先頭に立って声を張り上げている。

 

「いいかお前らぁぁああ!!! ハザクラの兄貴とぉぉぉおおお!!! ジャハルの姉貴にぃぃぃいいい!!! くれぐれもぉぉぉおお!!! くれっぐれもぉぉおおお!!! 迷惑かけるんじゃねぇぞぉぉぉおおおお!!!」

「「「おおおおおおおおおっ!!!」」」

 

 天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)応援団長“ウォンスカラー”。ハザクラとジャハルに滅多打ちにされた筈の彼は、2人を恨むどころか恩師のように慕い敬っている。それは他の者も同じようで、ハルカライシとズィーヴラティの2人も、部下達も、自分達を逮捕しに来た人道主義自己防衛軍の輸送車に大人しく列を成して並んでいる。

 

「全員っ!!! 敬礼ぃぃぃいいいい!!!」

 

 そして輸送が始まると同時に、ウォンスカラーの掛け声に合わせて天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)がハザクラの方を向く。

 

「ハザクラの兄貴ぃい!!! ジャハルの姉貴ぃい!!! 本当に!!! お世話になりましたぁぁああああ!!!」

「「「お世話になりましたぁぁあああ!!!」」」

 

 大地を揺るがす感謝の雄叫びに、当のハザクラは蟹雑炊を啜って顔を背け知らぬフリを決め込む。

 

「ハザクラちゃん、返事してあげなよ」

「嫌だ」

「つーか何したのさ。危ないお薬でもぶちこんだ?」

「人道主義自己防衛軍の演習法にバルコス艦隊流を混ぜた、割と過激な鉄拳制裁だった筈なんだがな。普段から聞こえのいい説法だけを押し付けられてきた彼等には、杖で打った方が効き目があったらしい」

「ふーん……。あのハルカライシって子、読心(テレパス)の異能者なんだって? 面白そうだし、連れて行こうかなー……」

「絶対にやめろ」

「えー」

 

 

 ラルバ達から少し離れたところで、駄々をこねるニトにラデックとデクスが別れを告げている。

 

「えー!! アタシも連れて行ってよー!!」

「残念だが、それは出来ない。危険な旅路だしな」

「それよかオメーは早く豚箱入ってこい。この犯罪者がよ」

「やだやだやだやだ!! だってアタシ皆とあんま仲良くないもん!! またひとりぼっちになっちゃう!!」

 

 涙を浮かべ始めるニトの肩を、ラデックが優しく摩って優しく語りかける。

 

「大丈夫だ。君の病気(シック)の異能は、発症を操るだけじゃない。病気の治療もできるし、病種の特定だけでも充分人の役に立てる異能だ。鍛錬を積めば、きっと誰からも好かれる人になれる」

「誰からも好かれる……本当?」

「ああ、本当だ」

 

 潤んだ目をラデックに向けるニト。デクスは下唇を尖らせて数歩離れ、わざと大きく溜息を吐いた。

 

 

 そこから更に少し離れ、湖の岸辺では駄々をこねるレシャロワークにシスターとイチルギが説教をしている。

 

「やだやだやだやだぁ!! エンドさんも連れて行きましょうよぉ!!」

「ですから、レシャロワークさん。エンドさんは研究所から離れられないんですよ」

 

 シスターの言葉も聞かず、レシャロワークはエンドに抱きつき鼻水と涎ごと顔を擦り付ける。それでもエンドは嫌な顔ひとつせず、優しくレシャロワークの頭を撫でる。

 

「申し訳ありません、マスター。当機の原動力は少々特殊で、研究所の魔導炉が必要なのです」

「持ってく持ってく!! そんぐらい持ってく!!」

「研究所と一体化しているので運搬は不可能です」

「じゃあ作る!! イチルギさぁん!! 何とかしてよぉ!!」

「無理。ってか嫌」

「また、当機のメインストレージの容量は非常に少なく、研究所のサブストレージ圏外に出てしまうと自動的にここへ戻るプログラムしか機能しません。システム上、ここから離れられないのです」

「やーだーぁぁあああ!!! なんとかしてよエンドさぁん!!!」

「ご希望に応えられず、申し訳ありません」

「イチルギさぁん!!」

「無理だってば」

「シスターさぁん!!!」

「消しましょうか? 記憶」

 

 

 ぎゃあぎゃあと喚くレシャロワークを他所目に、ひとり研究所から戻ってきたバリアはカガチに向かって静かに首を横に振った。

 

「特に目ぼしいものはナシ。とっくに捨てられた使奴研究所の孫請けだね」

「何だと? 時間壁があったなら、それなりに大事なモノを抱えていた筈だ」

「その大事なモノが時間壁を構築する装置そのものじゃないかな。プロトタイプだったっぽいし、ちゃんと動いたのが不思議なくらい」

「大戦争で滅んでいればいいものを……。全く、運がいいのか悪いのか……」

「ラルバに見つかっちゃったんだから、幸運ではないだろうね」

「とんだ無駄足だった。寝る」

 

 

  出会いと別れに涙する者。呆れる者。困惑する者。無関心な者。それらに時間は平等に流れ、喜怒哀楽混じる喧騒は、ハピネスの分の蟹雑炊と共に消え去って行く。

 

「あーっ!!! 私の分がない!!!」

 

 

 

 

 翌朝、研究所の残骸は人道主義自己防衛軍の駐屯地として保全することになり、レシャロワークの猛反対を無視してエンドのオーナー変更が強行された。そしてラルバ達が出発した後、暫く経ってから人道主義自己防衛軍の応援が到着し、輸送隊も天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)の構成員を乗せ帰国を開始した。

 

 ハザクラとジャハルの功績により、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)構成員は極めて大人しくなっていた。そのお陰で時間や人手に大きな余裕が生まれており、急遽“生存者”の取り調べが並行して行われることとなった。

 

 〜人道主義自己防衛軍 1番輸送車内〜

 

「じゃあ、貴方のことを聞かせていただきますね」

 

 車内に設けられた机と椅子のみが配置された狭い個室で、生存者は女軍人の目の前で身を縮こまらせ目を伏せている。その怯え切った姿に、女軍人は和かに微笑んで語りかける。

 

「そう緊張しなくても平気ですよ。えっと……“所長さん”、だったんですよね?」

「あ、ええ……まあ、はい……」

 

 “魔導ゴーレム研究機構”の所長は、不安そうに視線を泳がせながら小さく返事をする。

 

「では、昨日の騒ぎ……そうですね。その、エンドと言う魔導ゴーレムが起動した辺りから、お聞きしましょうか。あの騒ぎの中、貴方はどうやって助かったんですか?」

「え? あ、はい……。その、私がエンドを起動させようとした時には、既に金髪の女がエンドを起動していて……。私は侵入者と判定されて殺されそうになりました。その金髪女が直後にエンドを止めてくれはしたんですが、魔法で吹き飛ばされた私はそれ以上動くことができず、気が付いたら貴方達に保護されていました……」

「成程。助かってよかったですね。怪我の規模は強めの打撲に骨折が数箇所……まあ、帰国までに何度か霊的治療を受ければ、2週間ほどで完治するでしょう」

 

 所長の腕にはギプスはめられ三角巾で首に吊るされている他、右足と首にも固定用のギプスが、頭には血が滲んだ包帯が巻かれている。その表情は痛がっているというよりは、寝かせておいてほしいという抗議に近い苦しみを抱えていた。

 

「そんな顔しないでください。我々も、怪我人相手には少し無理のある事情聴取だとは承知しています。ですが、相手が犯罪者かどうかで施せる治療には差があるんです。迅速な治療のためにも、どうかご理解下さい」

 

 女軍人の弁明に、所長はむすっとした表情のまま再び目を伏せる。

 

「さて、状況の確認は取れましたので、次は天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)との関係についてお伺いします。彼等とはどういう関係、また、今回の騒動に関して互いにどういう立ち位置だったのかをお聞かせ下さい」

「……彼等は、時間壁が解除されてから我々のところに来て……われ、我々は利用されたんです。そう、彼等は我々に――――」

 

 そこまで言いかけると、所長は女軍人がこちらをじっと睨んでいる事に気が付いて言葉を止めた。

 

「あの、所長さん。天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)も同じような取り調べを受けている上、総指揮官を慕っているためか非常に従順です。彼等の提供した情報と所長さんの情報に相違があった場合……所長さんの方を疑わざるを得ません。嘘をついているとは思っていませんが、悪意のある婉曲表現は避けるようお願いします」

「そ、そんなつもりは……」

 

 当然そんなつもりがあった所長は精一杯被害者ぶって落ち込み、仕方なくなるべく正直に語り始める。

 

「ご、5年ほど前、時間壁が解かれた時、彼等は既に研究所の避難通路に侵入していました……。そこで我々は天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)に、住処をやる代わりに物資を分けるよう交渉をしました。……彼等の持ってくる物資が悪行によって得たものだとは知っていましたが、我々も使奴に恨まれている以上外には出られず、彼等を頼らずには生きていけませんでした……」

「……人質の件は? 弱者を虐げる悪辣な行為だと認識していますが」

「あ、あれは天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)側の案です! 我々は人質の世話を任されていただけで……」

「世話をしていたんですか?」

「うっ……あ、い、いや……。奴等が人質を解放することはありませんでした……。それで、基本的には世話と言うよりは処分する役目でした……。だ、だって、人質を逃す方法なんかありませんし、それがもし天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)にバレたら、危ないのはこっちですよ!?」

「ふむ……。確かにそうですが……うーん……」

 

 正当性を誇張された詭弁に、女軍人は頭を悩ませて唸る。所長はわざと痛む体に鞭打って立ち上がり、興奮気味に机を叩いて詰め寄る。

 

「だ、だって、しょうがないじゃあないですか!! 我々は生き残りたかっただけ!! 使奴研究所に加担した我々が使奴相手に交渉なんかできるはずない!! 今回の騒動だって、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)が我々に頼っていてくれればここまで大事にならずに済んだ!! それをあのガキ共……あ、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)は、自分達の強さを世間に誇示するために喧嘩を売ったんです!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて! そうとも限らないんじゃあ……」

「いいえ!! 奴等はいつもそうでした!! 世間に名を売る事ばかり考えて、ひっそりと生きている我々のことなんか何も考えていない!! 我々がどんなに奴等の為に色々世話してやっていたか!! これっぽっちの感謝の気持ちもないんですよ!?」

「待って、落ち着いて! 落ち着いて!!」

 

 興奮して息を荒らげる所長を、女軍人は必死に宥め座らせる。

 

「あ、貴方の言い分は分かりました。ええ。貴方達は天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)と対等な関係を築こうとしていたが、彼等は利用することしか考えていなかったと。そういうことなんですね?」

 

 所長は不満そうに(しか)めっ面をしながらも、ぜえぜえと息を整えつつ目を瞑って肯定を示す。

 

「…………ええ。奴等、我々が外に出られないのをいい事に、物資も金もちょろまかし放題で……」

「金? 金銭のやり取りがあったんですか? 外に出られないのに」

 

 女軍人の指摘に、所長はハッとして答える。

 

「え? あ、ああ。いや、我々の間だけで使えるトークンのおもちゃみたいなものですよ。ほら、貨幣が全く無いと交渉が不便でしょう?」

「貨幣が無い世界を想像できないので何とも言えませんが……まあ、不便は不便でしょうね」

「そうなんですよ。別に変な事じゃないでしょう」

「そうですね……。ん? でもちょろまかすって、天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)側にトークンを出し惜しみする理由は無いんじゃありませんか? 彼等は三本腕連合軍での貨幣を使うでしょうし、別に貴方達から何かを買っていたわけでもないのだから……」

「い、いや、ほら、我々も彼等に少しの授業とかしたりとかで貢献をね……。べっ、別にこの話はいいでしょう! 私も詳しくは知らないんです! 担当じゃないし!」

「はあ」

 

 早口で捲し立てる所長に押され、女軍人は不信感を抱きながらも少しだけ納得する。

 

「と、ところで! その……あっ! わた、私の仲間はどこにいるんですか? 私だけじゃないんですよね?」

「えっ? えっと、あ、あの……」

 

 唐突に話を変えた所長の発言に、今度は女軍人が表情を曇らせて目を伏せる。

 

「ど、どうしたんですか?」

「それが……。実は……。残念ながら、行方は……未だ分からず……」

「そんな、そ、そんな……!!」

 

 所長は目を震わせて唾を飲み、口をギュッと結んで声を上げる。

 

「ああっ……!!! そんな……!!! わた、私がいけなかったんだ……!!! 私が、もっと早くエンドを起動していれば……!!!」

「……申し訳ありません。尽力を尽くしたのですが、恐らくは……全員……」

「私は……私は、これからどうすれば……!!! 私を慕っていてくれた部下達が、もういないなんてっ……!!!」

「ごめんなさい……。ですが、私達は貴方を全力でサポートします。我々は人道主義自己防衛軍、貴方を決して見捨てはしません!!」

 

 女軍人は席を立ち、所長の隣に跪いて両手で手を握る。

 

「ううっ……ありがとう……ありがとう……!!!」

「それに……あの……こんなことを言うのも不謹慎かとは思いますが……」

 

 女軍人は少し言い淀み、所長から視線を外す。

 

「……な、何ですか?」

「その、亡くなられたご友人のことは、どうか気に病まないで下さい」

 

 そして女軍人は、跪いた状態から少し腰を上げて所長に顔を寄せ、脇腹に手刀を捩じ込んだ。

 

「どうせすぐ会える」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、バリア。ラルバを見てないか? どこにもいないんだが」

「忘れ物だって、晩御飯までには戻るって言ってたよ」

「そうか。……忘れ物?」



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狼王堂放送局
190話 自由の采配


〜浮遊魔工馬車 1階リビング〜

 

「だーかーらー!! ろー何ちゃらには行かないってばー!!」

「“ 狼王堂(ろうおうどう)放送局”だ! お前の為でもあるんだぞ!」

「いーやー!!」

 

 荒野を直走る浮遊魔工馬車内では、ラルバとハザクラが取っ組み合って言い争いをしている。その様子をのんびりと眺めていたラデックが、暢気にあんぱんを齧りながらデクスに尋ねる。

 

「その“狼王堂放送局”と言うのはどういう国なんだ? “夢の国“と呼ばれていると聞いたが……」

「はぁ? オメー、この世界のことなんも知らねーのか?」

「ああ。殆ど外来人のようなモノだからな」

「時間壁が解けてからもうすぐ1年は経つだろ。その間何やってたんだよ」

「……勉強は苦手だ」

「そう言うのは苦手って言わねー。だらしがないっつーんだよ」

「面目ない」

 

 デクスは大きく溜息を吐いて、ソファに寝転んで怠そうに説明を始める。

 

「世界中の情報統制を一手に担う役割を持ち、迫害や悪行で棲家を追われた根無草共の受け皿としての側面も持つ。人を従え、人を救う。そんな神紛いの立ち位置にいるのが“狼王堂放送局”だ」

「夢の国、と言うのは?」

「さあな。所詮噂だ。あそこは国とか都市っつーよりは、殆ど施設みたいなもんだ。住民はそんなに多くねーはずだし、貿易も碌にしてねーし、部外者がおいそれと立ち入れる場所じゃねー。デクスも行ったことねーしな」

「部外者が入れないのに“夢の国”なのか?」

「秘密にされてるっつー神秘性のせいでもあるだろうな。詳しいことはイチルギが知ってんじゃねーの? 何度か行ってるみてーだしよ」

「そうなのか?」

 

 ラデックはリビングの隅で窓の外を眺めているイチルギの方を向く。イチルギは少し遅れて視線に気付き、ハッとして微笑む。

 

「ごめん、聞いてなかった。呼んだ?」

「イチルギがボーッとするなんて珍しいな……。狼王堂放送局について聞きたいんだが……」

「あ、あー。狼王堂放送局ね。説明するよりも、行って自分で見たほうが早いわよ。どうせ行くんでしょ?」

「行きませんーっ!!!」

 

 まだハザクラと取っ組み合っていたラルバが声を張り上げてこちらを睨む。

 

「もう狼王堂って名前からしてキモい!! どうせ狼の群れから派生した国だろー?」

「あら、よく分かってるじゃない」

「げろげろげーっ!! ばっちい!! えんがちょえんがちょ!!」

 

 イチルギはラルバを無視してハザクラの方を向く。

 

「私も狼王堂放送局にはちょっと寄っておきたかったの。滞在期間は?」

「人道主義自己防衛軍とも通信しておきたいことがあるから……大体1週間前後を予定している」

「ゼロだよゼロ!!」

「そう。じゃあ私の用事が終わったらそっち手伝うわね」

「助かる」

「寄らないって言ってんでしょぉ〜!!!」

 

 子供のように駄々を捏ね続けるラルバ。そこへ、どこからともなくカガチが現れて通りすがりにハザクラの背中を軽く叩いた。

 

「…………」

 

 ハザクラは気付かないフリをして暫くラルバと言い争いを続け、不貞腐れるようにしてその場を離れた。

 

 カガチの後を追いかけて甲板に向かうと、強化ガラスに囲まれたバルコニーの窓辺にカガチが腰掛けていた。辺りはすっかり暗くなっており、星空の下に佇む使奴の姿は神々しささえ感じられた。ぼうっと外を見ている彼女の隣にハザクラが同じように腰掛けると、カガチは指先でハザクラの手の甲を撫で、文字を書き始めた。

 

 “ゾウラ様のことで頼みがある。”

 

 ハザクラはカガチに相談されたことに一瞬戸惑った。そして同時に疑問にも思った。話し合いを気取られたくないなら、使奴とハピネスにバレなければいいだけの話。それならば、声を発さず口の動きのみでやり取りを行えばいい。ハピネスが読唇術を会得している可能性も無くはないが、今この場を見ているのならばカガチの指の動きでも充分内容が分かってしまいそうなものである。

 

 カガチは続けて文章を綴る。

 

 “もし私がダメになったら、彼の面倒を見てくれ。”

 

 ハザクラの中の戸惑いが、強い不信感に変わった。カガチが他者にモノを頼むこと自体が稀なことだが、それがゾウラの保護となれば疑わざるを得ない。誰よりも何よりもゾウラのことを案ずるカガチが、人間の自分にわざわざ頭を下げに来た。それも、突拍子もない自身の死を予見して。

 

 頭を悩ませるハザクラを置き去りに、カガチは軽蔑するような眼差しを向け立ち上がる。去って行こうとする彼女に、ハザクラは慌てて声をかけた。

 

「や、約束はできない」

 

 するとカガチは振り向き、より眉間の皺を深めて捨て台詞を吐いた。

 

「死ね」

「は、はぁ?」

 

 助けを求めたり、罵詈雑言を投げつけたり、脈絡のないカガチの行動にハザクラの混乱はより深まっていく。暫く考え込んでから2階に降りると、そこには風呂上がりと思しき全裸のハピネスが牛乳片手に仁王立ちしていた。

 

「やっ。元気?」

「……服を着ろ。あと髪も拭いてこい」

「牛乳飲んだらね。ところで……」

 

 ハピネスはハザクラの肩に手を回し、眉を顰めて笑いかける。

 

「ねえねえ。“答え”、教えてくんない? 多分私じゃわかんないやつでしょ?」

「答え……?」

「えっ。まさか君、何にも分かってないの?」

 

 ハピネスは渋い顔をして数歩離れ、牛乳を一息に呷ってゲップを溢す。

 

「けぷ。じゃあお前に興味はないよ。歯ぁ磨いて寝な」

 

 そう言って、「しっしっ」と手の甲を振って脱衣所に戻っていってしまった。

 

 恐らくハピネスは、先ほどのカガチの問いの意味がわかっている。恐らくは、何かをヒントにして解き明かす暗号文。ハザクラもそこまでは分かっているが、その先がどうにも理解出来ない。しかし、カガチが相手に伝わらないほど難しい暗号を考えるとも思えなかった。

 

『……俺はこの暗号を解ける』

 

 ダメ元で呟いた異能による自己暗示も当然機能せず、ハザクラは肩を落としてその場を後にした。

 

 

 

 その夜。

 

「で、まだ解ってないんだ」

 

 辺り一面、乳白色のベールに包まれているかのようなバリアの虚構拡張内で、ハザクラは珍しく落ち込んだ様子で頷く。

 

「ハピネスにも使奴にもバレないような伝え方をしたところを見るに、恐らくは俺以外の誰にも伝えたくない内容だったとは思うのですが……、恥ずかしながらこの様です」

「ラプーに聞いちゃえばいいのに」

「別にラルバの命令に従っているわけではないのですが、全知の異能者をこんなことで利用するのは気が引けます。それに、俺は最終手段以外でラプーに手伝ってもらう気はありません」

「ふーん」

 

 バリアは興味無さそうに寝転がったまま、目だけをハザクラの方に向ける。

 

「で、それ私が聞いちゃってもいいの?」

「カガチの態度からして、これは暫くしてから意味が分かるような問いじゃないと思っています。多分、閃き一発勝負の簡単な暗号……。ですが、アナグラムや作品からの引用や慣用句も、思いつくものは殆ど試しましたが……解き方がまるで分かりません……」

「最後の捨て台詞がヒントになってるとかは?」

「それも考えましたが、どうにも思いつかなくて……」

「ふーん。……ところで、ポケットに何か入ってる?」

「え?」

 

 ハザクラがポケットの中を探ると、恐らくはカガチが入れたであろう身に覚えのない一枚の紙切れが出てきた。

 

「何それ」

「……分かりません。これは……ただの数字?」

 

 そこには、十数桁の数字の羅列が書かれていた。それを見てバリアはボソリと呟く。

 

「……シフト暗号じゃない?」

 

 シフト暗号。文字を別の文字や記号に置き換える、換字式暗号の一種。シフト暗号はその中でも最も古い歴史を持つ単純換字式暗号である。早い話しが、暗号の原文を鍵の数字通り前後にずらして解読するだけの、種さえ分かれば未就学児でも解ける実に簡素な暗号である。

 

 ハザクラは頭を抱えて項垂れ、苦しそうな低い唸り声をあげる。

 

「うううううう……っ!!! こんな、こんな簡単なヒントに気が付かないなんて……!!!」

「そりゃあカガチも怒るよ。……にしてもシフト暗号って……、手加減とか効率化って言うより、シンプルに罵倒されてるね。何か嫌われるようなことした?」

「……バルコス艦隊でゾウラを巻き込んだことを、まだ恨んでいるのかも知れません……」

「意外とみみっちいね、あの子。使奴部隊にいた頃からは随分マシになってると思ってたんだけどなぁ」

「ショックだ……」

「それより、暗号の内容の方も結構ショックだよ」

 

 ハザクラは頭の中で番号通りに文字を入れ替え、暗号を解読する。

 

 “ラルバはなぜお前の洗脳を受けていないのだ。”

 

 出来上がった文章を読み取った時、ハザクラの首筋に冷たいものが伝う。

 

「私も初耳なんだけど。コレ、どういうこと?」

 

 バリアが珍しく眉間に皺を寄せてハザクラを睨む。

 

「こ、これは……」

「ハザクラがラルバに異能で命令をしないのは、ハザクラが使奴を尊重してるからだと思ってたんだけど」

 

 ハザクラは顔を青くさせて目を伏せる。隠していたわけではないが、言うタイミングを計っているのを言い訳に説明を後回しにしていたのも事実。バリアもそのことは察している。彼に悪意があったわけではないことも、事を軽んじていた訳ではないことも。しかし、使奴であるバリアにとってこの事実は重過ぎた。

 

「ハザクラが私達使奴の洗脳を未だに解いていないのは、何かしらの事情があるからだっていうのは察してる。体系立った命令の破棄は全個体に影響してしまうのか、解く順番によっては暴走してしまうのか、私達は命令無しじゃ意識を保てないのか、そもそも破棄ができないのか。それを探ることすら、他の悪意ある使奴には明かしたくない情報。口を噤んでるのも仕方ない。でも、ハザクラの存在無しで自由を得ている使奴がいるってのは、もっと早く言ってくれても良かったんじゃないの?」

 

 バリアの寄り添いながらも逃げ場を無くすような叱責に、ハザクラは何も言えず申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません……。本当に……」

「…………ごめん。私も言い過ぎた」

「俺の方からラルバの状態は把握できても、ラルバからは俺の命令の支配下にあることを偽装させたかった……。これが、一片の悪意もないと言ったら嘘になります……」

「分かってる。多分ラルバはその事に気が付いてない。きっとカガチも」

「カガチも?」

「今日、ラルバと狼王堂放送局に行くかどうかで、結構騒いでたでしょ? もしかしたらって思ってカマをかけたんじゃないかな。それで、ハザクラがメモに気付かなかったから苛立ってた。って事なんじゃない?」

 

 バリアは数字の書かれたメモをハザクラのポケットに戻す。

 

「メモは見なかった事にして、演技する自己暗示をかけておいた方がいいよ。私も内緒にしておく」

「……申し訳ありません」

「いいよ。どうせカガチだって、本気で知りたいならラプーに聞くはず。それをわざわざ尋ねてきたってことは、一応こっちを思い計ってくれてるって事でしょ」

「……だといいのですが」

「大丈夫。カガチはゾウラと出会って随分丸くなった。最悪腕一本くらいで許してくれるよ」

 

 

 

 翌朝。朝食の準備をするために食事当番のハザクラがリビングに降りてくると、珍しく朝に弱いはずのラデックがサンドイッチを食べていた。

 

「おはようラデック。珍しいな」

「おはよう。昨晩遅くまでラルバの散歩に付き合わされて、寝てないんだ」

「散歩?」

 

 するとそこへ、エプロン姿のラルバがフライ返し片手に現れ、サンドイッチをご機嫌にハザクラに放り投げつける。

 

「うおっ」

「グッモーニンベイビー!! それ食べたら荷物まとめときな!! 今日中には狼王堂放送局に着くよ!!」

「はあ? 昨日はあれだけ反対していたのにか?」

「昨日は昨日、今日は今日!!」

 

 鼻歌を歌ってキッチンに戻っていくラルバ。ハザクラはサンドイッチを一口齧り、咀嚼しながらラデックを睨む。

 

「……散歩って、どこに行ってた?」

「いや……その辺をぶらぶらと……ひたすらにただの荒野だったが……」

「何を見た?」

「特に……」

「本当にか?」

「本当に……」

「本当の本当に何も見ていないのか?」

「本当だが……」

『ほんっとうに何も見ていないんだな?』

「今異能使ったか?」



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191話 夢の国

狼王堂(ろうおうどう)放送局 城壁前〜

 

 見渡す限りの荒野の中に、まるで地中から生えてきたかのように場違いな黒色の牙城がひとつ。隙間なく石が敷き詰められた城壁、その奥に(そび)える幾つもの巨塔、辺りにはアンテナのような鉄塔が牙城を守るようにして地面から無数に伸びており、それらは地平線の遥か先まで世界を分断するかのように立ちはだかっている。

 

「うお〜! でっけぇ〜!」

 

 浮遊魔工車を置き去りに1人走ってきたラルバは、城壁の前で楽しそうに感嘆の声を上げる。それからすぐに城壁を()じ登ろうとしたところを、後を追ってきていたイチルギに引っ叩かれて落下する。

 

「痛ってぇ!! あにすんの!!」

「そりゃこっちのセリフよ!! 流れるように密入国しない!!」

「だって入口ないじゃん」

 

 ラルバの言う通り、地平線の先まで視認できる範囲にあるものは全て石壁と鉄塔だけであり、門のような出入りできる場所は見当たらない。

 

「東西に門がついてるのよ。東門に回るわよ」

「えぇ〜遠いよ〜」

「うるさいっ!」

「あだっ、何ですぐ叩く!?」

 

 

〜狼王堂放送局 東門〜

 

 ラデック達と合流したラルバが浮遊魔工馬車で東門まで来ると、先に着いていたイチルギが手を振って合図をした。大きな門の前には衛兵が2名ほど立っており、浮遊魔工馬車を怪訝(けげん)そうな顔で睨んでいる。

 

 パスポートを見せるため一行が車から降りてくると、衛兵は全員に向けて話し始める。

 

「では、“夢の国“に行かれる方はあちらの衛兵に、”狼王堂放送局“に行かれる方は私にパスポートを見せて下さい」

 

 衛兵の言葉に、ラデックが首を捻って質問をする。

 

「ん? 狼王堂放送局が夢の国なんじゃないのか?」

「正確には、国王様の居られる中央施設とその他で分けています。分かりやすく言えば、入国目的が政治的かどうかってことです。後からでも出入り自体は出来ますので、深く考えなくて結構ですよ」

「そうか。……夢の国の人間も、自分たちの国を夢の国と呼んでいるんだな」

「皆さんに合わせているだけですよ。居住区って呼んでもいいんですけど、分かりづらいでしょう?」

「まあ、それは確かに」

 

 ハザクラはジャハルとイチルギと共に中央施設入口の方に進みつつ、ラデック達の方へ振り返る。

 

「前に話した通り、俺達は情勢の確認のために中央施設へ行ってくる。特に用事がない者は居住区で時間を潰していてくれ」

「おっしゃラプー! なんかオモシロまで道案内よろしくー!」

「んあ」

 

 ラルバはラプーを頭上に担ぎ上げ、意気揚々と居住区入口の方へ走っていってしまう。

 

「あ、ちょっ! パスポート!」

 

 それを衛兵が慌てて追いかけていく。イチルギは衛兵に頭を下げて詫びるが、衛兵は彼女の隠しきれていない怒りに怯えて黙って(なか)ば反射的に頭を下げた。

 

 結局、中央施設へはハザクラ、ジャハル、イチルギ、デクス、ハピネスの5名が。その他のメンバーは居住区で待機することとなった。

 

 中央施設へ向かう通路の中、ハザクラがハピネスの方を見て不思議そうに首を捻る。

 

「珍しいな。お前が俺達についてくるなんて」

 

 すると、ハピネスは乾いた笑いを溢しつつ、怪しげな笑みでそっぽを向く。

 

「消去法だよ。私は“スポンジを食べる趣味はないし”、そもそもまだ“信用していない”んでね」

「……スポンジ? 信用していないって、レシャロワークのことか?」

「そんなわけあるか脳留守。それより、“アレ”の答えは分かったのかい?」

「……いや、まだだ」

「ふぅん。私相手に隠し事とは、いい度胸だ」

 

 ハザクラは平静を装いつつ、ハピネスから視線を外して前を向く。

 

「…………お前に何が見えてるのか知らないが、口に出すものは選んだほうがいい。お前は人より目玉が多いんだから」

「私がどう見えてるのかは知らないけど、真実と信じたいことは区別したほうがいいよ。君は私より目が少ないんだから」

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 みらいタウン 東ゲート前〜

 

「うおーっ!!! すげぇーっ!!!」

 

 入国用列車で進んだ先、入国ゲートのすぐ目の前に広がる光景に、ラルバは興奮して感嘆の声を上げる。

 

 街には球形や八面体といった見慣れぬ形の、カラフルで近未来的な建物が乱雑に立ち並び、角錐や楕円形のビルがところどころに聳え立つ。彩雲浮かぶ青空にはアニメーション作品を映し出す飛行船の他に、翼の生えた流線型の乗用車が幾つも飛び交っている。遥か遠くには巨大な観覧車に絡まるこれまた巨大なタコの姿もあり、ここは本当に現実なのかと思わせる。抜けかけた意識を戻して近くの街並みに目を向ければ、幅の広い遊歩道には大勢の人が行き交い、虹色の煙を吐き出す屋台があちこちで声を張り上げ客を呼び込んでいる。平和ではあるが、穏やかではない。ここは果たして幻想的な夢の国か、はたまた空想的で奇怪な国か、そんなことを考えてしまうほどに、目の前の光景は受け入れがたい異様さを放っていた。

 

「うははははっ! 見ろラデック! 車が空飛んでる!」

「凄いな。あんなの映画でしか見たことない」

「たかが数人を運ぶのに鉄の塊ごと空に飛ばすならヘリコプターでいいじゃん!」

「夢がない……」

 

 少なくとも、この2名に限って言えば間違いなくここは夢の国だろう。

 

 無警戒で(はしゃ)ぐ2人の姿を、シスターがどこか呆れて眺めていると、どこからかやってきた上半身だけの人型ロボットがキャタピラを軽快に軋ませ近付いてきた。

 

「ヨウコソ、オ越シクダサイマシタ。何カ飲ンデケ」

 

 ロボットが背負っていたジューサーからカップを取り出すと、シスターは遠慮が手に手のひらを向ける。

 

「あ、すみません……私達まだこの国のお金持っていないので……」

「オ金ハ不要デス。飲ンデケ。ソレカ何カ食エ、痩セッポチ」

「や、痩せっぽち……」

 

 ロボットはくるりと向きを変え、街の方を指差す。

 

「映画ナラアッチ。遊園地ハ奥ノ方。ゲームセンターナラ右側デス。歩キジャ遠イ。バス乗レ」

「ゲームセンター!!! 詳しく!!!」

 

 レシャロワークは手にしていたゲームをポーチに突っ込み、興奮気味にロボットに擦り寄る。

 

 ラデックは遠くに見える彩雲と、空飛ぶ車や飛行船、巨大タコを呆然と眺めてから、自分に言い聞かせるように頷く。

 

「……バルコス艦隊じゃあ碌に遊べなかったし、存分に楽しむか。 ラルバ! 映画行くぞ!」

「うわあ。急に大声出すな」

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 みらいタウン 映画館“みらいシネマ” (ラルバ・ラデック・ゾウラ・カガチサイド)〜

 

「ダメよ!! ジャードゥ!!」

「俺なら大丈夫だ……セッカ! ここは俺に任せろ! お前達は先に!!」

 

 溶岩が絶え間なく噴き出す火山の中腹で、ラデック達は椅子に腰掛けて男女の顛末を見守っている。振り返れば溶岩に呑まれる街が、見上げれば山頂から龍のように立ち昇る火山雷がけたたましく鳴り響いている。

 

 それから1時間後。

 

「この度は、ご来場ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 

 館内アナウンスと共にダウンライトの薄明かりがつき、ラルバは円形の部屋に備え付けられた椅子から立ち上がって大きく背伸びをする。

 

「んん〜っ! 映画っちゅーよりはVRアトラクションって感じだったね。あ、ラデックはVR知らないか。……ラデック?」

「ん? ああ、そうだな」

「どったの。映画好きなんじゃなかったの?」

「いや、映画は好きなんだが、違うんだよ。映画っていうのはこう、限られた画面を、カメラワークや音響効果を用いてどう扱うか魅せるものであって、いや確かにああやって全方位をモニターにしてしまう方が没入感や臨場感自体は評価できるんだが、かといってそれに甘んじて映画たる演出を――――」

「その話長い? 今度でいい? ゾウラちゃん楽しかったー?」

「はい! すっごい楽しかったです! こんなの初めて見ました!!」

「よかったねぇ。カガちゃんはどうかなー? 楽しかったカナー? 痛っ。なんですぐ腕折るん?」

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 みらいタウン ゲームセンター“パラレラ” (レシャロワーク・シスター・ナハルサイド)〜

 

 色とりどりの(まばゆ)いスポットライトが薄暗い暗闇を切り裂き照らす。数十基のゲーム筐体(きょうたい)が乱雑に立ち並び、(さなが)ら迷宮のように複雑に入り組んだ大型の遊戯場。その一角で、リズムゲームの筐体が“Perfect”の文字を七色に輝かせて激しい点滅とファンファーレを鳴らす。

 

「飽きた」

 

 たった今店内最高点を叩き出したばかりのレシャロワークは、冷めた目でゲーム筐体に背を向けてポーチから携帯ゲーム機を取り出す。後ろで呆然と見ていただけのシスターとナハルは、自由気ままなレシャロワークの態度に呆れた様子で顔を見合わた。

 

「……飽きたって、レシャロワークさんが来たいと言ったんじゃありませんか」

「夢の国のゲームセンターって聞いちゃぁゲーマーの血が騒ぐのは不可抗力ですよぉ。でも期待外れでしたねぇ。全体的にヌルい」

「じゃあなんで私達を呼んだんですか。1人で来ればいいのに」

「初見プレイを後方腕組みしながら観覧することでしか得られない栄養素があるんだなぁ〜。シスターさんかナハルさん、何かやってくださいよぉ」

「私は結構です」

「私も遠慮しよう」

「えぇ〜……(たま)には遊ばないと体に毒ですよぉ。特にナハルさん、趣味何もないでしょぉ」

「余計なお世話だ」

「娯楽を享受しない人生なんて、鎧核3を初期機体縛りしてるようなもんですよぉ。いや待てよ、それはそれで楽しいのでは……?」

「帰っていいか?」

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区南部 幻想シティ スポーツ施設“ブチカマシ” (ラルバ・ラデック・レシャロワークサイド)〜

 

「次ボクシングやろうボクシング!!」

 

 遊戯施設の中を、ラルバはラデックとレシャロワークの片足を引き摺って楽しそうに闊歩して行く。ラデックとレシャロワークは抵抗はせずとも従う様子はなく、無気力なままズルズルと床を引き摺られて行く。

 

「サバイバルゲーム、ジョスト、フェンシングと来て、次はボクシング……? 何で俺は余暇でも戦闘訓練をされてるんだ…………?」

「そりゃあこっちが聞きたいですよぉ……。どうせ遊ぶならボーリングとかスケートとかにしましょうよぉ……」

 

 2人の譫言(うわごと)に、ラルバは一切気を配ることなくへらへら笑う。

 

「馬鹿だなあ。使奴との模擬戦なんて、滅多に味わえるもんじゃないぞ!」

「俺は実戦やってるからいい」

「自分は予定ないんでぇ」

「大丈夫大丈夫! 手加減するから!」

「そういう問題じゃない……」

「シスターさん助けてぇ〜……」

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区北部 ミラクルアベニュー (シスター・ナハル・ゾウラ・カガチサイド)〜

 

「おいナハル、その情けない態度をやめろ」

「そ、そんなのしてない……」

 

 とあるアパレルショップで、ナハルは胸元に大きなリボンのついたワンピースを身に纏い、ツバ広帽で紅潮した顔を隠している。

 

「ナハルさん綺麗です!」

「そうですね! やっぱりナハルもちゃんとオシャレしたほうがいいですよ!」

 

 目の前ではシスターとゾウラが満足そうに笑っており、ナハルは褒められたことで余計に恥ずかしくなって顔を伏せる。

 

「カガチも似合ってますよ! その服!」

「ありがとうございます」

 

 カガチはと言うと、アイドルの衣装のような大量のフリルがついたチェック柄のスカートとブラウス、そして一際目を引く大きなリボンでツインテールを結っており、衣装のラブリーさに似つかわしくない堂々たる仁王立ちで腕を組んでいる。シスターはカガチの方にも顔を向け、全く他意のない感想を溢す。

 

「カガチさんもお綺麗ですよ。細身だから大きなシルエットが映えるんですね。あっ、次はあのコートとか……」

「おい貴様。何を勝手に――――」

「あっいいですねそれ! カガチ! 次はあのコート着てみて下さい!」

「畏まりました」

 

 一切表情を変えず試着室に入って行くカガチ。ナハルがそれを見届けていると、シスターが困ったような笑顔で近づいてきた。

 

「シスター……? もしかして……」

「あ、はい……。あの、上の方にかかってる白いエプロンドレス……着てみませんか……?」

 

 シスターが指したのは、如何にもといった感じのメイド服。ナハルの目に映るは、申し訳なさそうにしながらも心の奥から湧き上がる好奇心を隠せないでいるシスター。ナハルはメイド服姿の自分を想像してからじっとりと汗を浮かべ、唇を強く真一文字に結びつつ酷くゆっくりと首を縦に振った。

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 みらいタウン 東ゲート前 (バリア・ラプーサイド)〜

 

「何カ食エ。何カ飲メ。チビッ子、デブ」

「………………」

「んあ」

「何カ食エ。何カ飲メ。遊ビニ行ケ」

「………………」

「んあ」

「……セメテドッカ行ケ。邪魔」



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192話 大明陽消

〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション リゾートホテル“新月”〜

 

 穏やかなBGMが流れる中、竹材を中心に自然を基調とした薄暗い部屋で、ラルバ、ラデック、シスターの3人はアロマオイルの香りに包まれながらマッサージを堪能していた。竜の国、バルコス艦隊から爆弾牧場へ、診堂クリニックから(ちぬる)神社、三本腕連合軍を経由して天邪終(デンジャラス)闇喰達(アングラーズ)。波乱万丈な旅路で溜まった疲れが、汗と溜息となって流れ落ちていく。

 

 特にラデックは、バルコス艦隊では軍事訓練にファジットの教育、その前のピガット遺跡ではウォーリアーズの一角トールとの死闘、さらに遡れば神の庭でラルバの遊びに付き合わされ、スヴァルタスフォード自治区では悪魔郷の精鋭ヤクルゥとの戦いがあった。幾ら釁《ちぬる》神社と三本腕連合軍でも碌に休めておらず、そこに来てこの物見遊山はリフレッシュと言うより痩せ馬に鞭であった。

 

「おお……これは……眠くなるな……」

 

 ラデックは微睡(まどろみ)に半分意識を飲まれつつ、この快楽を手放さんと虚な恍惚の表情のまま意識を必死に繋ぎ止める。そんなラデックの様子を見て、鏡に写したかのように同じ姿をしたマッサージ師の女性達が口々に感謝を述べる。

 

「ふふ、ありがとう」

「そんなに楽しんでもらえると、僕らも嬉しいよ」

「旅人かい? 疲労の溜まり方が尋常じゃないね」

「長い旅だったんだろう」

「しかし……これは酷いもんだ」

「肩に首……それと下半身が随分凝ってるね……特に、白髪の君」

「えっ? いだだだだだだだっ!!」

 

 シスターは腰を指圧された途端、涙を目に浮かべて仰け反る。

 

「そんなに強く触ってないよ」

「でっ、でもっ、あっ、うっ」

「相当だね……。ここはどう?」

「ぎゃっ!! ぎっ! かっ、がっ」

「……これは酷い。二十歳そこらでこれは深刻だよ」

「うっ……あっ……」

 

 マッサージ師は半分呆れたような顔をして、仕方なく痛みを感じにくい箇所を優しく指圧する。それをラルバはケラケラ笑って馬鹿にし、楽しそうに悪態をつく。

 

「ひひひひっ。だぁから道中私の言うことを聞いていればよかったんだ。何度もほぐしてやろうか聞いただろう」

「嫌に決まってるでしょう。人の痛みで喜びを感じる人に誰が頼みますか」

「仲間にはそんなことしないよ〜」

「じゃあダメですね。私はラルバさんの仲間じゃないので」

「嘘だぁ〜……。ところで――――」

 

 ラルバは頬を緩めたまま、陰湿な眼差しをシスターからマッサージ師に向ける。

 

「隠遁派の使奴が、何でこんなところに?」

 

 マッサージ師の女性達がピタリと動きを止め、(おもむろ)にラルバに目を向ける。

 

「……どこかで会ったっけ?」

「うんにゃ、カマかけただけ。半分以上勘だよ」

「…………ふぅん。いい度胸してるよ」

 

 マッサージ師のうち2人が煙のように揺らいで消え去り、残った1人が恨めしげに、それでいて楽しそうにラルバを睨む。

 

 深い紫の髪からは猫科のような耳が生えており、同じく猫科の尻尾が不機嫌を表すようにゆらゆらと揺れている。使奴らしい白肌と額の黒痣の間には、黒い角膜に嵌め込まれたように藍色の瞳が浮かんでいる。

 

「初めまして、で合ってるんだよね? お察しの通り、僕らは隠遁派の使奴“サノマ”。分身の異能者だよ」

 

 サノマはすっかり業務を放棄し、部屋の照明を明るくしてから空いているベッドに腰掛ける。

 

「て言うか、僕らが使奴だって分かってるなら最初に言ってくれないかな。じゃなきゃ使奴をマッサージするなんて無意味なことしなくて済んだのに」

「それはゴメン。言い出すタイミング無くなっちゃって」

「で、僕らに何を聞きたいの? 答える義理はないけど」

「ゴメン、それも特にない。言い当てたかっただけなの」

「………………」

 

 サノマは分かりやすく顔を(しか)めてラルバを睨む。シスターがラルバの代わりに深く頭を下げるが、当の本人は悪びれもせずわざとらしく笑って誤魔化している。

 

「あっはっはっは。あ、そうだ。マジで今思い出したんだけどさ、サノマちゃんってピガット遺跡にいた子?」

「やっぱり覚えてるんじゃないか」

「ゴメン、カマかけた。へー」

「殴っていいかい?」

 

 

 

 豪華なリゾートホテルの中を、サノマはラルバ達を案内しながら面倒くさそうに身の上話を語った。

 

「狼王堂放送局は常に働き手が不足してる。そこで、各国でひっそりと暮らしている使奴からボランティアを募ってるんだ。主にピガット遺跡の異能互助会を中心に。あそこには僕らのように暇を持て余してる使奴が多いからね」

「ふーん。無賃金なんだ。望んで滅私奉公たぁ、筋金入りの使い捨て性奴隷だね」

「かもね。人生は死ぬまでの暇潰し、でも僕らには終わりがない。闇を見つめ過ぎると気が滅入る……。そんな時、よくここへ来るんだ」

「どうせなら遊べばいいのに」

「所詮は滅私奉公も他者を思い遣りたいというエゴに過ぎない。僕らにとっては奉公も娯楽の一環さ。別に人間が好きで面倒見てるわけじゃない。何かの世話をしてると気が紛れるんだよ」

「……浮浪者が野良猫に餌やってる感じ?」

「あはは。そうだね。でも、もうちょっと酷いかも。僕らは猫がどっかで轢死(れきし)してても気にしないし、駆除されてても何も思わない。本当にただの暇潰しだよ」

「馬鹿にして言ったんだけどな……」

 

 サノマは展望台まで来るとラルバ達をデッキチェアに座らせ、分身で作られたであろう別のサノマがカラフルなトロピカルジュースをラルバ達に配る。

 

「そこで、君らに頼みがある」

「え、やだ」

 

 ラルバが即答すると、サノマは分かっていたかのように微笑む。

 

「別に聞いてくれなくたっていいよ。元より、僕らが狼王堂放送局から頼まれてたボランティアだし、僕らもあんまりやる気がない」

「じゃあほっときゃいいじゃん」

「全くの無視というのも気が引ける。それに……」

 

 サノマがニヤリと北叟笑(ほくそえ)んでラルバを見る。

 

「君、悪者退治が趣味なんだろう?」

「ひひひ……まあね」

 

 一方その頃――――――――

 

 

 

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” (ハザクラ・ジャハル・イチルギ・ハピネス・デクスサイド)〜

 

 薄く黄色がかった石の建材。ちらほらと精巧な彫刻画が刻まれたり、紋章入りの威圧的な旗が掲げられているが、通りすがる衛兵達は皆穏やかな表情でその厳格さは見て取れない。

 

「じゃ、私はここで」

 

 一際大きなホールまで来ると、イチルギはハザクラに手を振った。

 

「ああ、また後で」

「うん。あ、それと……」

 

 イチルギは小声で全員に呟く。

 

「気にしなくていいから」

 

 それだけ言うと、イチルギは「じゃあね」と別の階段の方へ去っていった。ハザクラはジャハルやデクスの方を見るが、誰もイチルギの意図には気付いていないようで首を横に振った。が、それは不可解を示す懐疑的な否定などではなく、そのうちわかることなのだろうという信頼故の納得であった。それから、ハザクラはハピネスの方をチラとだけ見てから再び前を向く。

 

 ハピネスは依然として沈黙したまま黙ってハザクラ達について来ている。しかし、その表情はどこか楽しそうで、それがハザクラには不気味で仕方なかった。

 

「ハピネス、何を考えている? 何が見えている」

 

 ハザクラが何度目かわからない問いかけをするが、彼女は黙って微笑むだけで口を開くことはなかった。

 

「……また碌でもないことを考えているな。邪魔だけはするなよ」

 

 

 

 衛兵2人が警備する重厚な巨大な扉、団長室前まで来ると、ハザクラはジャハル達の方へ振り返る。

 

「じゃあ、俺は先に“ドロド”に挨拶をしてくる。その辺で待っていてくれ」

「本当に1人でいいのか? 幾ら世界ギルドの同盟国とは言え、相手は“国刀(くにがたな)”だろう? やはり同じ“国刀”である私も同席した方が……」

「いや、寧ろその方が無礼に当たるだろう。国刀は国の顔だ。あまり交渉の場では顔を合わせない方がいい。それに、ベルからも単独でドロドに会うように言われている」

「う〜ん……。まあ……、それも……そうだな。うん」

「じゃ、また後で」

 

 ハザクラが僅かに開いた扉の間を通り抜けると、すぐに衛兵が扉を閉めてしまった。ジャハルは少し心配そうに扉を見つめた後、デクスとハピネスの方に振り返る。

 

「さて、ここでただ待っていても仕方ない。私は資料室に行くが、2人はどうする?」

「デクスは飯の時間だ。さっき食堂があったから、そこで待たせてもらうぜ」

 

 そう言うとデクスは(きびす)を返してさっさと食堂の方へ歩いて行ってしまった。何故かハピネスもそれについて行き、1人残されたジャハルも資料室に向かって歩き出した。

 

 

 

「さて、資料室……資料室は、と……。あっちか」

 

 壁に設置された見取り図や案内板を頼りに、ジャハルは階段を下って資料室へと向かう。と、その時。ふと視線を感じて振り向いた。

 

 誰もいない階段。見上げても、誰の足音も聞こえない。ジャハルは違和感を覚えつつも、再び歩みを進める。しかし、廊下を過ぎた後にもう一度気配を察知する。

 

「………………」

 

 今度は気付かないフリをして立ち止まらず歩き続ける。何者かの波導が、微風(そよかぜ)のようにジャハルの神経に触れる。もし尾行されているならば、恐ろしく練度の高い隠密。果たしてこれは実力そのものか、それともわざと気付かせているのか。

 

 何事もなく資料室まで来たジャハルは、極めて自然体のまま中に入り中を散策する。背の高い本棚が整然と立ち並ぶ室内は面積そのものは広大だが通路は狭く、すれ違うのがやっとの細い通路がマス目状に伸びている。

 

 ジャハルが何の気なしに一冊の本へ手を伸ばすと、突如後ろの本棚の隙間から長槍が襲いかかって来た。

 

「ほう、ここで来るか」

 

 一切の前触れ無く繰り出された奇襲を、ジャハルは涼しい顔で身を(よじ)って(かわ)す。そして、槍に切り裂かれた本を空中でキャッチし、本棚の向こうにいる白髪青眼の女に軽口を叩いた。

 

「おいおい、本を切っちゃあダメだろう。資料室出禁になるぞ?」

「……平気。こないだ、全部、電子化した」

 

 大明陽消(だいみょうひけし)所属。キユキスク。異能、有無不明。

 

 

 

 

 デクスは広々とした食堂ホールを定食を手に見渡し、空いていた端の席に座る。その内にハピネスも定食を持って来てデクスの隣に腰掛けた。周囲の衛兵達はデクス達の方をチラチラと見ながら何かを噂しており、そのうちのひとりがデクスに話しかける。

 

「あ、あの」

「んだよ」

 

 デクスは羊肉のハンバーグを頬張りながら、不機嫌そうに衛兵を睨む。

 

「あっ、す、すみませんお食事中に……。あの、ひょっとして、今日来られた世界ギルドの方ですか……?」

「ん」

「あっ、あっ、や、やっぱり! あの、私イチルギさんの大ファンで! あの、サインとかってお願い出来たり……」

「自分で言え」

「えっ……えぇ……。あ、あの、そちらの、方は……」

 

 ハピネスは衛兵になど目もくれず、牛レバーのシチューをはふはふ言いながら満足げに食べ(ふけ)っている

「あの、あ、あ……あ…………」

 

 衛兵が分かりやすく肩を落とし、しかし諦め切れないのか立ち去れずにいると、その後ろから別の衛兵が肩を叩いた。

 

「ちょっと、いいスか?」

「えっ、あっ! す、すみませんっ!」

 

 小柄な薄緑の髪の女性に肩を引かれ、衛兵は条件反射的に後退ってその場を離れる。小柄な女性はデクス達の方へ目を向け、軽く頭を下げる。

 

「自分、大明陽消(だいみょうひけし)の“キギマル”って言います。デクスさんとハピネスさんっスよね?」

「……ここの連中は人が飯食ってるとこに話しかけるのが好きなのか?」

「すんません。時間が押してるもんで」

 

 キギマルは腰に差していたショートソードを抜き、目にも留まらぬ速さでデクスに斬りかかる。それと同時に背後から接近して来た別の女が、ハンドアックスをハピネスの首に向け薙ぎ払った。周囲の衛兵達は突然の戦闘に悲鳴を上げるが、デクスは防壁を張って両者の攻撃を防ぎつつ、フォークに刺したハンバーグをのうのうと口に運ぶ。

 

「自分の右ポッケに財布が入ってます。定食代の弁償くらいは出来るかもっス。勝てたらの話っスけど」

「食い終わるまで待てよクソが……」

 

 大明陽消(だいみょうひけし)所属。キギマル。異能、有無不明。

 大明陽消(だいみょうひけし)所属。ゴースティー。異能、有無不明。

 

 

 

 

 

 

 どこか遠くで鳴り響く凄烈な金属音を聞きながら、ハザクラは対面に座る女性に目を向け直す。

 

「アンタがハザクラか。思ってたより小さいね」

 

 後ろで縛ったワインレッドの長髪、ジャハルと似た赤褐色の肌、碧く澱んだ瞳。狼王堂放送局の戦闘部隊、大明陽消(だいみょうひけし)の団長“ドロド”が、自嘲気味に笑い声を溢す。

 

「お前の方が小さいだろって? クククク」

「何も言っていないが」

 

 ドロドは左腕で、左脚が“あったであろう部分”を手で軽く叩く。彼女の体は両足と右腕が根元から切断されており、豪華な石の椅子に腰掛けていても踏ん張りが利かず、だらしなく(もた)れ掛かるような姿勢になってしまっている。それでも彼女は楽しそうに笑い、残った左腕で顎を撫でる。

 

「フィズリースは元気かい? ほら、アンタのとこの医者だよ。アタシの身体をこんなにした」

「現在は各国を転々としているらしい。……フィズリースは瀕死だったアナタを命懸けで助けたと聞いているが……」

「そうそう。いやー素晴らしい身体だよ。なんとね、食費が半分で済むんだ。クククク」

「……そうか」

 

 ドロドの不謹慎な冗談に、ハザクラは眉を(ひそ)めて相槌を打つ。だが、ドロドは変わらず嘲るように笑う。

 

「アンタ笑わないねぇ。ま、アタシの冗談で笑うヤツなんかいないけど」

「本題に入りたい。狼王堂放送局の持っている情報を閲覧させて欲しい。今後旅を続けるにあたり、ラルバに関する情報を確認しておきたい」

「あー、はいはい。そう言うことね」

 

 ドロドは少し考える素振りをしてから口を開く。

 

「やだね。何が何でも見せない」

「……条件か?」

「まだ何も言ってないだろう? あー、でもそうだね。うん、そうしようか。アタシの頼みを聞いてくれたら、アタシの知る限りの情報を教えよう」

「頼みは何だ」

「簡単さ」

 

 ドロドが「よっこいしょ」と言って“立ち上がる”。

 

 波導が実体を持って練り上げられ、本来足があるはずの場所に半透明の義足が揺らめくようにして現れる。続けて右腕にも義手のような物体が現れ、ドロドの肉体を支えた。しかしそれは常人の代替物とは大きく異なり、樹の幹のように太く鬼のように禍々しい腕と脚になった。これにより身の丈が3m近くなったドロドが、残った左腕に波導で練り上げた巨大な刃を構えると、その余波で床に(ひび)が入り天井が崩れ落ちる。

 

 ドロドは瓦礫を小石のように足で掃き捨て、轟音と土埃を上げながらハザクラを見下ろし笑う。

 

「リハビリに付き合ってくれよ。あ、怪我人相手なんだから、当然手加減してくれるよな?」

「……努力はしよう」

 

 大明陽消(だいみょうひけし)所属。ドロド。異能、詳細不明。



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193話 傀君“ドロド”

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂(ろうおうどう)” 地下資料室 (ジャハルサイド)〜

 

 頑強な鋼鉄の本棚が分厚い書物ごとバターのように切断される。土魔法で生み出された三日月型の刃が、踊るように資料室を駆け巡る。その隙間をジャハルは華麗な身のこなしで(かわ)しつつ、切断された資料の切れ端を掴んでは流し見て放り捨てる。

 

「キュリオの里の調査記録……黒猫荒野の地質調査……花咲村の住民リスト……纏め方が随分大雑把だな。微妙に古いし」

「それは、狼の群れの資料、の引用。ウチのは、あっちの棚」

「それを先に読みたいな……一回刃を納めてくれないか?」

「無理」

 

 狼王堂放送局の戦闘部隊、大明陽消(だいみょうひけし)所属の戦闘員”キユキスク“は、刃の嵐のを平然と避け続けるジャハルの神業に眉ひとつ動かさず槍を振い続ける。ジャハルはこれ以上資料室を荒らすわけにもいかないと思い、比較的開けた場所である中央の机が並んだスペースにキユキスクを誘き出す。

 

 ジャハルが斬撃を飛んで躱し机の上に片足を乗せた瞬間、背後に飛ばされた刃が土魔法ではない種別の波導を放ち変質する。

 

 異変に気付いたジャハルは咄嗟に防壁魔法を展開するが、刃に刻まれた魔法陣からは炎魔法による熱波が大風となって全方位に放出される。それは資料室中に散らばった紙片に引火し、大火の大渦となってジャハルを包み込んだ。

 

 炎の海と化した資料室でキユキスクは一歩離れて槍を構え、強化魔法を何重にもかけて肉体を強化する。波導光の糸がキユキスクの全身を編むように這い回り、槍自体にも推進魔法による円環の光が浮かび上がる。同時に炎には高位の検索魔法の粒子が舞い、ジャハルの反撃を先読みしようと甲高い電子音を響かせている。

 

 そして、炎のカーテンに閉じ込められたジャハルに向け、音速に匹敵する衝天の一撃が放たれた。

 

「感心しないな」

 

 直後、キユキスクの腹部を灼けるような激痛が襲う。キユキスクは腹部に空いた“弾痕”に気付き防御魔法を構えるが、発動タイミングを読まれて反魔法で容易く打ち破られる。そして続け様に銃弾が4発放たれ、キユキスクの両肩と骨盤、そして眼窩を撃ち抜いた。

 

「強力な魔法を警戒するのは当然だが……、光弾だろうと木の枝だろうと、当たりどころが悪ければ死ぬのは同じ。当然、銃弾もだ」

 

 竜巻のように荒れ狂う炎の中からジャハルがハンドガン片手に現れ、もう片方の手に持ったキユキスクの槍を倒れ込む彼女のそばに放り投げる。

 

「魔法に頼り過ぎて鈍ったか? 忘れているかもしれないが、一応コレ(短銃)だってメジャーな武器の一つだぞ」

 

 キユキスクは残った片目でジャハルに目を向けると、不貞腐れるように目を閉じて動かなくなった。

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” 食堂 (デクス・ハピネスサイド)〜

 

 悲鳴をあげて食堂内を逃げ回る衛兵達。しかし、彼等は部屋の外へ駆けて行こうとはするものの、出口付近まで来ると騒ぎの原因に目を奪われ足を止める。

 

 大明陽消(だいみょうひけし)所属の戦闘員”キギマル“と、同じく大明陽消(だいみょうひけし)所属の戦闘員“ゴースティー”。2人の太刀筋は尽くデクスに読まれ、防壁と反魔法に阻まれ有効打になることはない。しかしその逆も然り。防戦一方のデクスに反撃する余裕はなく、2方向から互い違いに攻撃されるせいで下手に深追いが出来ない。機械のように精密で隙のない猛攻が徐々にデクスの精神力を削っていく。

 

「だークソがっ!! やりづらいったらありゃしねぇ……!!」

 

 デクスが視界の端でハピネスの方を窺うが、彼女は依然として熱々のシチューを一生懸命に息を吹きかけ冷ましており、戦闘に参加する素振りは全く無い。デクスは(いら)ついて舌打ちを鳴らし、キギマルの刺突に合わせてショートソードを蹴り上げる。それをゴースティーが跳躍してキャッチし、ハンドアックスとの二刀流で頭上からデクスに斬りかかる。デクスはそれをショートソードを蹴り上げた足で受け止め踏ん張るが、すぐに力負けして後方へ転がるように飛び退いた。

 

 直後、着地したゴースティーは仲間と引き離されたハピネスに標的を変え目を向ける。

 

 その時、ハピネスはシチューを掬ったスプーンを口に運ぶ手を止め、灰色の目玉でゴースティーを見た。恐怖でも、敵意でも、怒りでも嫌悪でも無い無機質な眼差し。本当にただの注意の為だけに向けられた色のない視線に、ゴースティーは何故か頭が揺さぶられるような錯覚を感じる。時間にしてほんの僅か、1秒にも満たない刹那(せつな)の硬直――――

 

「ゴースティーさん!!!」

 

 キギマルの叫びより少し早く、光る円盤がゴースティーの顔面を斬りつける。2人がかりの猛攻から抜け出したデクスによる炎魔法の丸鋸(マルノコ)。ゴースティーは咄嗟に身を(ひるがえ)し頭蓋骨ごと両断されるのを回避するが、避けた先に予め放たれていた光の刃に身投げする形になってしまい、右腕と左肩、そして胴体を三等分するように切断され地面を転がった。

 

 仲間が細切れになる瞬間を目の当たりにしてキギマルも一瞬気を取られるが、すぐさま意識をデクスに戻して身を(よじ)る。無数に放たれた光の円盤を全て躱してステップを踏み、吹き飛んだゴースティーの右腕からショートソードを回収しデクスに突進する。高純度の霊合金の刀身に波導光が稲妻のように走り、術者の手をも焦がして揺らめく青白い炎魔法を纏う。

 

「舐めプ出来る立場かよ」

 

 デクスは足元に落ちていたハンドアックスを拾い上げ、キギマルを迎え討つ姿勢をとる。ハンドアックスが雷魔法によって翠緑に輝き、(つんざ)くような金属音と共に細かく振動する。

 

 互いに得物を持った腕を大きく振りかぶり、手に魔力を集中させる。互いの波導光が閃光となってギラギラと輝き、青と緑の波導煙が2人を中心に渦を巻く。

 

 そして、倒れた食堂のテーブルの裏に設置された魔法陣から、一縷(いちる)の稲光が放たれキギマルの心臓を貫いた。

 

「――――えっ」

 

 渾身の一撃を振りかざそうと魔力を(みなぎ)らせていたキギマルは、魔法陣の繊細な波導に気付かず急所を突かれた。心臓が張り裂けるような激痛と共に呼吸は止まり、全身が硬直して走り出した勢いのまま地面を転がる。

 

「真っ向勝負なんて今時流行らねーぜ。チンピラ共の背比べじゃあるまいし」

 

 デクスは魔法を解除しハンドアックスを肩に担ぐ。キギマルは魔法を唱える余裕もなく、床に這いつくばったままデクスの捨て台詞と不規則に脈動する心臓の音だけを聞いている。ショートソードに付与された炎魔法は腕を焼き、やがて全身に燃え広がっていく。

 そこへハピネスがシチューとバゲットを手に小走りで駆け寄り、キギマルを包む炎でバゲットをトーストし始めた。

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” 団長室 (ハザクラサイド)〜

 

「あよいしょぉっ!!!」

 

 威勢のいい掛け声と共に、波導体の剛腕が石床を叩き割る。その衝撃で天井が再び崩れ落ち、砂煙が舞い上がる。

 

 ドロドは、波導を練り上げた波導体で出来た両足と右腕に更に魔力を込め、左腕から伸びる波導の刃には闇魔法紋様を浮かび上がらせる。御伽話に登場する巨人のような体躯を上機嫌に身を震わせ、心底嬉しそうに目を細め笑う。

 

「い〜いねぇ!! やるじゃん!!」

 

 ドロド。大明陽消(だいみょうひけし)の団長であり、狼王堂放送局の“国刀(くにがたな)”。傀君(かいくん)の二つ名で知られる、異形の女傑。若い頃に爆撃によって四肢を失いかけ死の淵を彷徨(さまよ)うも、人道主義自己防衛軍の軍医“フィズリース”に救われる。その後、右腕と両脚を失ったはずの彼女は、日常生活どころか軍事訓練に復帰するまでに劇的な回復を見せ、現在では狼王堂放送局の戦闘部隊“大明陽消(だいみょうひけし)”団長を任されるほどの実力者となった。

 

 ドロドの左腕に構えられた、巨大な波導の刃がハザクラに振り下ろされる。それをハザクラが避けようとすると、刃に施された闇魔法により視界が暗転し世界が闇に包まれた。しかしハザクラもすぐさま反魔法でこれを打ち消し、斬撃を飛んで躱し、続けて巨腕の追撃も避ける。だが――――

 

「バゴーンッ!!! ドンピシャ!!!」

 

 避けたはずの巨腕の薙ぎ払いは何故か命中し、ハザクラは壁に叩きつけられ床に落下する。異能で肉体を強化していなければ、一発で壁のシミにされてしまう致命の一撃。更にそこへ飛び跳ねたドロドのフットスタンプが追い打ちをかける。

 

「ガッ!! シャーン!!!」

 

 当然ハザクラも身を転がして回避を試みるが、先のダメージで異能による自己暗示が強制的に解除されており、身体が言うことを聞かず踏み潰される。厚さ数十センチの石材がクッキーのように砕け、(ひび)割れが壁や柱にも伝播して部屋が崩れ始める。どこからどう見ても明らかな過剰殺傷だが、ドロドは上機嫌に飛び跳ね、地団駄を踏むように何度もハザクラを踏みつける。

 

「ダンッ!! ダンッ!! ダンッ!! ダンッ!! おりゃおりゃおりゃおりゃ!!!」

 

 天井が抜け落ち、数階上の部屋の床と家具が落雪のように降ってくる。壁は崩壊し、隣の部屋にいたであろう衛兵達が悲鳴を上げて逃げていく。それでもドロドはお構いなしに暴れ続け、その度に上階から本棚や石材が落下してくる。

 

「せーのっ!!」

 

 そしてトドメと言わんばかりに彼女が足を振り上げると、ハザクラのいた場所から土魔法の刃が現れ、銀色の刀身でドロドの波導体の足を貫いた。

 

「ドッカーン!!!」

 

 それでもドロドは止まらず、殆ど真っ二つに裂かれたままの足でハザクラを踏みつける。直後、ドロドが踏み潰した場所から爆発するように凄烈な熱波が吹き荒れ、不意を突かれたことで巨躯が退け反り押し倒される。

 

「うおっ! あちちちちちちっ!!」

 

 瓦礫(がれき)の中から人影が立ち上がり、恨めしそうにドロドを睨みぼやく。

 

「っはあ……はぁ……。クソッ……。随分と、性格の悪い戦い方をするんだな……」

「んー? まさか、正々堂々と代わりばんこに殴り合うとでも思ってたのか?」

「同僚からは、真っ向勝負しか頭にない腕力馬鹿と聞いていたからな」

「クククク。ミステリアスな方がモテるって聞いてね、隠し事の多い女ってのを練習中なんだ」

「似合ってないからやめた方がいいぞ」

「そりゃ残念」

 

 ドロドは暢気(のんき)に返事をした後、目にも留まらぬ速さで斬撃を放つ。ハザクラはやっとの思いでこれを避けるが、またしても避けたはずの斬撃を喰らい吹き飛ばされる。万が一のことを考え防御の姿勢を取っていたのが幸いして両断はされなかったものの、ガードに使った両腕は骨が圧し折れ血を噴き上げた。

 

 しかし、ドロドが追撃を放とうとした瞬間、ハザクラが折れたはずの両腕を構え毒魔法の飛沫を放出した。

 

「うわっぷ!! いででででででっ!!! 何で腕治んだよ〜っ!!」

「成長期だ」

 

 ドロドは咄嗟に刃で顔を防御し、右腕を消滅させて回復魔法を発動させる。隙が生まれたのをハザクラは見逃さず突進すると、ドロドはニヤリと笑って舌を出す。

 

「なんつって」

「分かってたさ」

 

 ドロドの回復魔法がハザクラに向けて照射される。出力が異常に引き上げられた眼圧を低下させる回復魔法が、色鮮やかな光の帯となってハザクラに向かっていく。それをハザクラはモロに浴びるが一切変化はなく、ドロドの懐まで飛び上がって側頭部に回し蹴りを放った。

 

「痛ってえ〜!!! 靴になんか仕込んでんだろー!!」

「何も?」

「いーや絶対仕込んでるね。それ、シークレットブーツだろ! クククク」

 

 使奴並の膂力(りょりょく)から放たれた一撃を頭部に喰らっていながらも、ドロドは余裕綽々に冗談を言って見せた。無論強がりなどではなく、嘘偽りない余裕の表情。一発一発が即死級の猛攻を掻い潜って、やっと与えた渾身の一撃が一笑に付された。

 

 だが、ハザクラも懐に潜り込んだことで新たに情報を得ることができた。ドロドの身体を支えている波導体、あれは彼女が独自に編み出したであろう絡繰(からくり)魔法である。現代では、魔改造された高位の念動魔法程度にしか判別はできないが、旧文明では非常に良く似た形式の魔術が確立されていた。

 

 絡繰魔法。主に造形魔法と念動魔法の複合魔法で、波導を実体化させ物理接触を可能にさせた波導体を操作する魔法である。原理的には単純な魔力をぶつけるだけの攻撃魔法と同一であるものの、その複雑さと応用範囲の広さから全く別の魔法として扱われている。

 

 ハザクラが(いぶか)しんだのは、ドロドが絡繰魔法を“独自に編み出したであろう”という点。彼女の絡繰魔法には、旧文明に考案された絡繰魔法には無い、本来であれば修正すべき無駄のある術式が採用されている。複雑に、不格好に。丁寧に編まれたマフラーが、ところどころ団子状に絡まっているような不自然さ。

 

 ハザクラはドロドから距離を取り、簡素な風魔法を部屋中に展開する。

 

「ありゃ……」

 

 時間にして3秒もなかったが、ドロドはこの光景を見ただけでハザクラの狙いを察し、唖然として立ち尽くした。

 

 中空に幾つもの小さな光球が出現し、(もや)の様な細かい粒を放出した。辺りを灰色の靄が包み、やがて“ドロドの正体”を炙り出した。

 

 巨大な腕、両脚、刃。“ドロドと全く同じ姿をした透明な存在が、彼女からほんの少しズレたところに重なるようにして立っている”。目の焦点が合っていないボヤけた状態のように、透明な巨体と目に見える巨体が浮かび上がった。

 

「お前の手品は異能じゃない。ただの小細工だ」

 

 ハザクラの違和感の正体。それは、ドロドの絡繰魔法が物体と外見を別々に生成していた点。本来、波導体とは目に見えないものであるため、外見を設定するのは当然である。しかし、外見を設定するならば造形と同時に紐付けて行うべきで、外見を設定しないのであれば造形設定のみを術式に組み込むべき。それが書き易く、読み易く、使い易い、効率の良い模範的な術式。それをわざわざ別々に行うというのは、本を()じてから漫画を描き込むような面倒で手間のかかる不自然さ。

 

 この不自然の利点。それは、造形物と外見を別の場所に配置できるということである。

 

「お前は最初に巨体の全容を見せて相手を威圧し、わざと瓦礫を壊すことで実体があるものと認識させた。頻繁に土煙を上げることで透明な実体の可能性を遠ざけ、ここぞという場面でのみ僅かにズラす。陳腐な小細工だが、異能を秘匿にされるとそっちが気になって中々ここまで気が回らない」

「小細工って言うなよ。大分立派な大細工だろ?」

 

 最早隠す気がないのか、ドロドは透明な波導体をわざと靄に突っ込ませ頓狂な踊りを踊ってみせる。

 

「単独で念動魔法と造形魔法を、それも投影魔法が混ざった異質な術式を使い(こな)すのには驚いた。並行して幾つもの演算を常時行わないといけないはずだが……」

「クククク。アタシに言わせれば、手足なんつー複雑なモンを4本も使い熟してるアンタらの方にびっくりだよ」

「そうか」

「……もしかして、こういう冗談は嫌いか?」

「嫌いだ」

「ふーん。つまらん」

 

 ドロドは口先を尖らして不満を漏らし、すぐに笑顔で問いかける。

 

「……で、それが分かったところでどうするの? 奥の手でもあるのかい?」

「それは見てのお楽しみだな」

「おっ。じゃあ楽しんじゃおうかな!」

 

 突如、辺りに重苦しい波導が吹き荒れる。ドロドは巨躯を完全に透明にさせ、風魔法による靄を吹き飛ばして威圧する。挑発とも取れる威嚇にハザクラは応えることなく、緩慢な動きで短剣に手を伸ばす。

 

『……“耐えられる”』

 

 ハザクラは先程のドロドの猛攻で解除された、常時発動させ続けている自己暗示のひとつを再び掛け直す。己の意思外で解除されてから掛け直された暗示は前回より一層強力な暗示となる。これで耐久の暗示が強制解除されたのは、トール戦とディンギダル戦を含めて3度目。今のハザクラの肉体強度は、最早使奴をも凌駕している。

 

 ハザクラがそのまま愚直に突進を始めると、ドロドはこれを迎え撃とうと見えぬ波導体に魔力を込めて迎撃の構えを取った。それでもハザクラが一切避ける素振りを見せず飛び上がると、ドロドはニイっと歯を見せて笑った。

 

「降参だ」

「なっ――――!?」

 

 左腕を真横に伸ばした無抵抗のドロドが降参を宣言したのは、ハザクラの短剣が彼女のこめかみを貫通した直後であった。

 



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194話 電波の国、夢の国

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” 団長室 (ハザクラサイド)〜

 

 隻腕無足の女傑、“傀君(かいくん)ドロド”が、虚な笑みのまま転がっている。短剣がこめかみに深々と突き刺さっており、反対側から僅かに刀身を覗かせている。

 

 ハザクラは己の(てのひら)を見つめ、それから何度か交互にドロドを見下ろす。

 

 実感が湧かない。人の命を、それも一国の顔となる重鎮を殺害したというのに、心が微塵にも揺らがない。違和感と言うよりは、困惑。失望に近い不可解。ドロドの降参、宣戦布告。何もかもが噛み合わない。

 

 頭の奥に、イチルギの残した言葉が浮かぶ。

 

「気にしなくていいから……か。無茶を言う」

 

 念の為ハザクラは膝を突いてドロドの首筋に手を触れる。脈動どころか、一切の緊張もない緩んだ筋肉の感触だけが指に伝わる。最早これが生命ではなく、ただの物体であることの証拠。

 

 ハザクラは静かに立ち上がり、イチルギに蘇生を頼もうと(きびす)を返す。と、その時。

 

「……何だ?」

 

 どこからか、キッ、キッ、という音が聞こえる。どこか遠くで何かが割れるような、鈍く乾いた音。そして次の瞬間、大きな破砕音と共に真後ろの柱に巨大な亀裂が走った。

 

「まあ……そうなるの、か……!?」

 

 ドロドの無駄に暴れ回る戦闘により限界を迎えていた壁が吹き飛ぶように崩れ、柱は爆ぜて圧し折れ、頭上から分厚い石材が幾つも降ってくる。床は傾き地震のように揺れ始め、あちこちから電線が千切れてショートする音が聞こえる。

 

「まずいっ……!!」

 

 ハザクラは慌ててドロドの死体を背負い、まだ無事な壁や柱を蹴って脱出を試みる。幸いにも団長室から離れたところはまだ歩ける程度に床は残っており、そのままイチルギがいるであろう国王の部屋を目指す。

 

 長い廊下を進み、螺旋階段を登り、壁にかけられた絵画を踏まないよう走り抜け、上へと落下していく本棚を足場に空を跨ぐ。廃ビルの屋上は思ったより広く、砂浜を滑り降りる頃には雨は止んでいた。何度目になるかわからない牧場の門を潜り、地平線から生える鉄扉に手をかける。

 

「イチルギ!!」

 

 勢いよく扉を開けると、その先の部屋でティータイムを楽しんでいたイチルギがポカンとした顔をする。

 

「どうしたの? そんな慌てて」

 

 息を切らしたハザクラが辿り着いたのは、無機質なコンクリート造りのサーバールームだった。大小様々な機械がイソギンチャクの様に配線を伸ばし、モニターの黒い画面には(おびただ)しい量の文字が絶え間なく流れている。部屋の中央には簡素なテーブルと椅子が置いてあり、そこに座ったイチルギがどら焼きとコーヒーカップを手に呆然とこちらを見つめている。

 

「……な、何だ、ここは……?」

「……? 分かってて来たんじゃないの?」

「い、いや……?」

「それより私も聞きたいんだけど、何で“そんなところ”から出て来たの?」

「え?」

 

 ハザクラが振り向くと、自分が入って来たであろう入り口は、入り口ではなく大きめの換気ダクトであった。足元には自分がこじ開けたであろう金蓋が、ぐにゃりと歪んだ状態で転がっている。

 

「……何故、俺は確かに……いや、何だこれは? 記憶があやふやだ……」

 

 するとそこへ、今度は別の入り口からジャハルとデクスが駆け込んできた。

 

「うわっ、何だこの部屋は!?」

「おいイチルギ!! この国どーなってんだ!」

 

 ハザクラもジャハルもデクスも、皆おかしな“夢”でも見たかのように狼狽(うろた)え脂汗をかいている。3人の困惑した姿を見て、イチルギは眉間に皺を寄せて部屋の奥に声を飛ばす。

 

「ちょっとー! やり過ぎじゃないのー!?」

 

 すると、部屋の奥で機器の隙間に(うずくま)っていた1人の人物が頭を(もた)げる。

 

「私に言うなよ。管轄外だ」

 

 見覚えのある“灰色の肌”にハザクラとジャハルは目を丸くし、デクスは(いぶか)しげに目を細めた。

 

「久しぶりだな、ボンクラ共。……っと、デクスは初めましてだったかな?」

 

 そこにいたのは、ピガット遺跡で出会った灰亜種の使奴、メギドであった。

 

「お前は……ピガット遺跡にいた……」

「その節はどーも。まあ座れよ、甘味は好きか?」

 

 メギドは椅子を4席用意し、机の上にコーヒーカップと焼き菓子を数種類並べる。ハザクラは少し訝しんで顔を(しか)め、ジャハルとデクスも同じく警戒して椅子には近づかず、黙ってメギドを睨んでいる。3人がそのまま数秒立ち尽くしていると、ハザクラに背負われていた“ドロド”が耳元で叫んだ。

 

「おい早く座れよ!! マフィン食いたいマフィン!!」

「うおっ!?」

 

 死体であったはずのドロドは元気よくハザクラの背中から飛び降り、左腕だけで器用に歩いて椅子に這い上がる。そしてフォークを手に、マフィンを串刺しにして頬張り始めた。

 

「ん〜うめ〜! 脂と糖、最っ高〜!」

「おいドロド、もうちょい美味そうな表現方法あるだろうよ」

「生活習慣病味」

 

 無邪気に舌鼓を打つドロドの顔には、短剣の裂傷どころか血一滴付いていない。不可思議な甦りにハザクラが狼狽えていると、メギドが悪戯っぽく笑い、それから虚空に向かって話しかけた。

 

「いいねぇ、その顔。ネタバラシのしがいがあるってもんだ。なあ? “ハイア”」

「そうですかね?」

 

 何もなかったはずの場所に、突如として1人の使奴が現れる。それは、メギドと同じくピガット遺跡で出会った灰亜種の使奴、ハイアの姿であった。メギドは視線をハザクラ達に移し、失笑を溢しながら手招きをする。

 

「まー言いたいことは色々あるだろうけどよ、取り敢えずは甘いモンでも食って落ち着こうぜ」

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” サーバーフロア (ハザクラ・ジャハル・デクス・イチルギサイド)〜

 

「そんじゃま改めまして、ようこそ我が【電波の国】へ。完璧人造人間の失敗作であり、“通信”の異能者メギドが、知りたいこと知りたくないこと何でも教えてやるよ」

「さらに改めまして、ようこそ我が【夢の国】へ。完璧人造人間の失敗作であり、“夢”の異能者ハイアちゃんが、儚くも美しい理想の夢を見せてあげますよ」

「……成程。そういう事か……」

 

 揶揄(からか)うような笑みのメギドと、真顔でありながらもどこか誇らしげに歓迎の言葉を述べるハイア。ハザクラは溜息を漏らして頭をガリガリと掻きむしりながら、ハイアに向け文句の様に問いかけた。

 

「どこからだ?」

「何がですか?」

「俺達が見せられていた幻覚だ」

「幻覚じゃなくて夢ですよ」

「どっちだっていいが……」

「よくありません。夢だからこそ、矛盾した光景を違和感なく落とし込めるのです。幻覚じゃこうはいきませんよ。えっへん」

「…………」

 

 ハザクラがイチルギに「彼女はいつもこうなのか?」と言わんばかりに目を向けると、イチルギは下顎にグッと力を込めたまま重く頷いた。

 

「ごめんね、事前に教えてあげても良かったんだけど、結構大きめの機密情報だったから後回しにしちゃったの」

「いや、それは気にしていない。確かにこれは見たほうが早い」

 

 ハザクラが渋い顔でフィナンシェを一口齧り、不満げにメギドを睨む。メギドは全く気にする素振りなど見せず、依然として楽しそうに国のことを語り始めた。

 

「まー実際複雑だしな。さて、どこから話したもんか……」

 

 

 

 狼王堂放送局。ヴァルガンの建国した“狼の群れ”より少し前に、メギド、ハイアの2名によって造られた“電波”の国。メギドの“通信の異能”によって造られた電波塔を用いて、通信を目的とした世界中の電波の傍受や妨害することを目的とした施設。

 

 しかし、時が経つにつれ情報の中枢である狼王堂放送局は世界中から狙われるようになり、度々大規模な侵略戦争が勃発するようになった。これを受け、狼王堂放送局は大幅に国土を広げ“防衛層”なるエリアを造り上げた。中央施設“狼王堂”を囲むように設けられた防衛層はハイアの“夢の異能”の範囲内であり、侵入者に悪夢を見せ駆逐する半自動的な迎撃装置として機能する。恒常的な防衛兵器。

 

 防衛層は侵略者に対して絶大な力を発揮し、その威力は極稀に敵対する隠遁派の使奴をも跳ね除けるほどであった。やがて侵略頻度も薄れ、この防衛装置も不要になったころ。ハイアが気紛れに、防衛層を満たしていた悪夢を幻想的な享楽の世界に作り変えた。切掛は少年兵として送り込まれた敵兵への情けであったが、どこからか情報が漏れ“夢の国”と噂されるようになった。

 

 それからというもの、狼王堂へではなく防衛層そのものを目指して訪れる者が急増した。単に甘い蜜を吸いにきたゴロツキや面白半分の自称冒険者から、迫害に遭い微かな希望を背負い命からがら辿りやって来た被差別民まで。荒野のど真ん中という辺境の地であるにも拘らず、狼王堂放送局の門を叩く者は後を絶たなかった。

 

 そこで狼王堂放送局は防衛層を噂通りの“夢の国”へと造り変え、興味本位で訪れた者は追い返し、現実という地獄から逃げ延びて来た避難民に向け“最期の砦”として開放した。

 

 帰る家もない。故郷もない。生まれながらにして外れくじを引かされた、快楽も、幸福も知らず、人間に数えられなかった者達。この世に疲れ果てた彼等のために用意された、寝台であり棺桶。辻褄合わせの享楽。決して覚めぬ永遠の夢。

 

 

 

 

 

「ここは出口の無い甘美な墓場。今や防衛層は“遊霊園(ゆうれいえん)”っつータグで管理してるよ。勿論、あそこに住んでる奴らにゃ伝えてないがね」

 

 まるで本のあらすじを語るように、メギドは淡々と説明した。しかし、ハザクラはこれを薄情だとは微塵にも思わなかった。

 

 この結論に辿り着くまでに、数多くの葛藤があっただろう。終わりを与える不甲斐なさ。偽りの夢を見せる苦しさ。刹那の幸福を味わう姿を見る無力感。戦い続ける孤独感。神の真似事への嫌悪感。それらを一手に引き受け、今日まで続けてきた。その苦労、重圧に、ハザクラは相槌の一つさえ発さなかった。

 

「あー……色々思い計ってくれんのは嬉しーんだが、実際には私は何もしてない。夢の国の管理は全部ハイアがやってくれてる」

「元は私の気紛れですし、別に今も今までも苦しんでませんよ。面倒臭くはありますけど」

 

 思い詰めたかのようなハザクラをメギドが気遣うが、ハザクラは小さく首を左右に振り、黙って深々と頭を下げた。

 

 その様子を見かねたドロドが、口にフィナンシェを詰めたままフォークを向ける。

 

「で! 結局何が聞きたいんだよ! 一応賭けに負けたから聞いてやるけど、アタシこれ食べたら帰るからな?」

「あ、ああ。そうだった……すまない。俺が聞きたいのは――――」

「わかんない!! 知らん!!」

「まだ何も言ってないんだが……」

 

 ドロドはテーブルの上の菓子を数個掴んで袋に詰め、首にかけた魔袋に入れて椅子から飛び降りる。

 

「ごちそーさま! じゃ、アタシはシャワー浴びに行くんで帰るよん」

「あっおい! 教えてくれるんじゃなかったのか!?」

「いや、そもそもアタシ何も知らんし。答えられることは言うけど、知らないこと聞かれてもなー」

「……ドロド、お前元からそう言うつもりだったのか……」

「クククク、お陰でアンタのことが少し分かったよ。手の内明かしてくれてありがとよー」

 

 ドロドは左腕を振り、そのまま立ち去ろうと再び部屋の外へ進んで行く。

 

「あ、そうそう! さっき見せた“陳腐な小細工”の話だが……、ありゃ即興でやったマジの小細工だ。アテにすんなよ」

「なっ、ええっ?」

「生きるか死ぬかっつー訳でもないのに、誰が手の内見せるもんかよ。今日初めてやったわマヌケめ。クククク」

 

 それだけ吐き捨てると、ドロドは“手早”に部屋を出て行った。

 

 面食らった顔をしているハザクラを慰めるように、メギドが(おもむろ)に口を開く。

 

「あー……ドロド相手じゃ無理だ。うん。アイツのやり口は相当捻じ曲がってるからな」

「……身をもって痛感した。武力を持ったハピネスって感じか……。あれ、そう言えばハピネスはどうした? デクス?」

「あ? 知らねー。さっきの幻覚の中で瓦礫に押し潰されてたのは覚えてる」

「置いてきたのか……」

「助ける必要あるか?」

「厄介ではあるが一応は便利だ」

「じゃあヤダ」

 

 デクスはテーブルのマカロンを一口で平らげ、メギドの方を睨みつける。

 

「つーか、デクスもお前に聞きてえことがある」

「ほう、何だ?」

「イチルギの旧友だっつーんなら、デクスが“大河の氾濫”所属なのは知ってるよな? 世界ギルドの秘密組織だ。だが、どーも最近どっからか情報が漏れてるクセー」

「ああ、確かに、ここ最近“大河の氾濫”だの“太陽蜘蛛”だのというワードは何度か耳にしてるな」

「知ってること全部教えろ」

「勿論。勿論いい……んだけど……」

「あ?」

 

 メギドがニヤリと笑ってデクスとハザクラを見やる。

 

「私からも交換条件だ。ひとつ、手伝って欲しいことがある」

「ぜってーヤダ」

「……本当にひとつだろうな?」

 

 2人が警戒して眉を顰めると、メギドは軽く笑い手を左右に振って否定のジェスチャーをする。

 

「あっはっは。私とドロドを一緒にするな。と言うより、これが片付かないと2人の質問にも答えづらい」

「嘘クセー」

「何だ」

 

 するとメギドは、打って変わって真剣な眼差しで眉を顰め、少し前のめりになって顔を寄せる。

 

「……タコを追い払ってもらいたい」



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195話 目覚まし時計

〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション バイキングレストラン“グレートスパイク” (ラルバ・ラデック・バリア・ラプー・シスター・ナハル・ゾウラ・カガチ・レシャロワークサイド)〜

 

「タコぉ〜〜〜〜?」

「そう、タコ」

 

 隠遁派の使奴サノマの言葉に、ラルバがビーチボールのように巨大な肉塊を齧りながら顔を(しか)める。

 

 一行はラルバの我儘に付き合わされ、夕飯がてらサノマの話を聞きにレストランに集まっていた。

 

「君達もどこかで見ただろう? 街を彷徨(うろつ)く巨大な蛸を」

「あれもハイアの作った夢の一部なんじゃないの?」

「それが違うんだよ。現実どころか、夢の世界にも侵入してくる厄介者だ。ここじゃ曇天でもハイアが快晴を見せたりして不要なものを見えなくしているんだけど、あの大蛸だけはどうやっても消せないらしい。今はまだ夢の風景ってことで有耶無耶にしてるから騒ぎにはなってないけどね」

「じゃあほっときゃいいじゃん」

「毎日4、5人はアレに踏み潰されて死んでいる」

「へー」

「建物への被害も甚大だ。そのくせ神出鬼没で、突然現れたかと思ったら次の瞬間には消えている。僕らもアレに接触したことはないんだよね」

「ふーん。で、その大蛸と悪党に何の関係が?」

「狼王堂放送局には幾つかの“密入国団体”が隠れて根城を構えている。メギド達は、そのうちのどれかがあの大蛸を呼んだんじゃないかって推測してる」

「ふーん」

 

 ラルバが興味なさそうに適当な相槌を打っていると、カガチが音もなく席を立つ。

 

「あれ、カガちゃんおかわり? ついでにコロッケ取ってきてよ」

「下らない。寝る」

「ノリ悪いなぁ〜。あ、ゾウラちん借りていい?」

「殺す」

「えー……。得体の知れないバケモノ相手より、小悪党退治の方が安全だと思うけどなぁ〜」

「……勝手にしろ」

 

 それに続き、後を追いかけるようにナハルも席を立った。

 

「悪いが私も休ませてもらう」

「ナハルんも〜? そんなぁ〜貴重なお色気要員なのにぃ〜」

「自分でやれ……」

 

 彼女はシスターと一言二言会話を交わすと、そのまま部屋に戻って行ってしまった。ラルバは不貞腐れて唇を尖らせ、シスターの肩にのしかかるようにして組み付く。

 

「まぁさかシスターも行かないなんてことないよねぇ?」

「たった今行きたくなくなりましたが……。離れて下さい、重たいです」

「わざわざ三本腕連合軍まで迎えに行ってあげたんだから、ちょっとくらい手伝ってよ。ねえ」

「……どうせ何を言っても連れて行くんでしょう」

「おっ、よく分かってんじゃん。えらいねぇ〜」

「触らないで下さい」

 

 ラルバがシスターにちょっかいを出すのを横目に、ラデックがサノマに問いかける。

 

「つまりは、その密入国団体とやらを探し出して追い払えばいいわけだな?」

「ああ、別に全部相手にしなくてもいいよ。そこまで言われてないし。タコさえ消せればそれでいい。無関係の奴らの処遇は任せるよ。どうせ遊霊園(ここ)にいる子達が気にすることはないんだし」

「はぁ……そうか……。じゃあ、その密入国者とやらはどの辺にいるんだ? 何か手掛かりは?」

「さぁ?」

「さぁ……って」

「何にも知らないし知ろうともしてないよ。僕らは元から探す気ないしね」

「……ゼロから探せって事か」

「あー、でもひとつ言えるとしたら、東西にあるゲートの“目覚まし時計”は使っておいた方がいいよ。その方が探しやすいと思う」

「目覚まし時計?」

「行けばわかるよ。僕らはその辺に何人もいるから、何か他に聞きたいことがあったら探してみて。あ、戦力にはしないでね」

「……絶対サノマの方が適任だと思うんだが」

「ははっ、僕らもそう思うよ」

 

 まるで他人事のようにけらけらと笑うサノマ。ラデックは何か一言言ってやりたいと思ったが、きっと何を言っても無駄なのだろうなとも思い、呆然として見つめることしかできなかった。

 

 

 

 その後、一行はラルバの提案で二手に分かれることになり、彼女の一存でメンバーが決められた。北区と東区を担当するのはラルバ、シスター、ゾウラの3名。西区、南区はラデック・バリア・レシャロワークの3名が担当することになった。

 

 翌朝、ラルバ達は日が昇るより早く東区目指して出発し、ラデック達も昼前くらいになってからのんびりと支度を始めた。

 

 留守番係のラプーとナハルが見送る中、ラデックは眠たい目を擦りつつタマゴサンドを齧る。

 

「じゃあ、気を付けてな……。大丈夫か?」

「全く……。ナハル、交代してくれないか?」

「そうしてやりたいのは山々だが、昨晩から頭がフラつくんだ。夢酔い……とでも言うのだろうか。この夢の世界は私と相性が悪いらしい」

「そう言えば、何でも人形ラボラトリーでもイチルギが似たようなことを言っていたな……。使奴は偽物の風景に弱いとかなんとか……」

「済まないが、私は多分暫くは役に立たない。

「うう……」

 

 ラデックはしょぼしょぼとした顔で俯きつつ、錆びついたブリキ人形のように前へと歩き始めた。

 

「眠い……。さっさと済ませよう」

「さんせーい」

 

 しかし、寝惚けているラデックと歩きながら携帯ゲームを操作するレシャロワークの足取りは重く、バリアも2人を急かす様子はまるでない。3人の背中はいつまで立っても遠ざからず、ナハルが見送りに飽きるまで視界から消えることはなかった。

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション 西ゲート前 (ラデック・バリア・レシャロワークサイド)〜

 

「あった、あれか」

 

 昼時になり街が賑わい出したころ、ラデック達は入国用列車の発着場近くで大きな“目覚まし時計”を見つけた。真っ赤に塗られた輝く本体の上には、半円状のベルが2つと小槌。ポップな文字盤には可愛らしいウサギのキャラクターが描かれている。一見すると、ただ大きいだけの一般的な目覚まし時計。

 

「……で、これをどうすればいいんだ?」

「Mキーでインタラクト」

「何が何だって?」

「それより先にお昼ご飯にしましょうよぉ。ほら、あっちにホットドッグの自販機ありますよぉ」

「えっ、本当か?」

 

 ラデックとレシャロワークは目覚まし時計から離れ、自販機が立ち並ぶ建物へと駆けて行く。ひとり残されたバリアは2人を追いかけずに見送り、徐に目覚まし時計に目を向ける。

 

「夢から覚めるから目覚まし時計……ってこと?」

 

 そしてバリアが目覚まし時計に触れると、どこからともなく声が響いて来た。

 

「洒落てるでしょう? バリアちゃん」

 

 バリアは咄嗟に振り返るが、声の主は見当たらない。

 

「私はそこにはいませんよ。バリアちゃんに直接話しかけてます。便利ですよね、コレ」

「…………通信の異能、だっけ。サノマから聞いたよ。ハイア」

「ブッブー。こっちは私の夢の異能です。見せたいものが見せられるなら、聞かせたいことも聞かせられる。内緒話にもってこいなのですよ」

「この目覚まし時計は何?」

「それはただのシンボルです。夢の国から狼王堂へ用事がある時の発信ボタン……みたいな? それに触れば、私の方からこうやって話しかけてあげられるのです」

「ふーん。案外不便なんだね、夢の異能」

「結構何でもできるけど、限度があるのです。何せ、私ひとりでこの国全員に夢を見せてるんですよ? 大変なのです」

「そう」

「それで、バリアちゃん達は夢から覚めたいのですか?」

「言えば解いてくれるの?」

「いつでも。ただ、また夢を見たい時は目覚まし時計まで来て下さい。ずっとバリアちゃん達の動向を追い続けるのは面倒なので」

「分かった。じゃあ解除して」

「はいはーい。それじゃあ……お三方、おはようございます」

 

 瞬きで閉じた瞼が開くと同時に、世界の景色が変わる。

 

「これは……」

 

 カラフルでポップで摩訶不思議だった未来都市。楽しく賑やかな音楽。快晴を泳ぐ彩雲。空飛ぶ車。それらは一瞬で消え去り、代わりに別の風景が広がっている。

 

 鈍色。そして紺色。古びた金属的な質感。それが、世界の全てだった。

 

 地面。建造物。あたりに散らばる謎の直方体群。天を貫く幾つもの塔。人工物全てが青みがかった灰色に染まっている。空には曇天が重たくのしかかっており、それが大量の煙であることに気が付くのには少しの時間を要するだろう。先程まで買い食いや談笑を楽しんでいた街行く人々は、皆虚な目で微笑みながら何かに導かれるようにフラフラと辺りを彷徨(さまよ)っている。先程までの楽しげな喧騒は消え失せ、代わりにどこからか響くのは獣の(いなな)きに似た金属の擦れるような音。地響きのように脳を揺らすモーター音。全ての光景が“夢”だったかのように、目の前の世界は冷たく佇んでいる。

 

「うわぁぁぁあああああああ!!!」

「ぎょわあああああああああ!!!」

 

 ラデックとレシャロワークの悲鳴。バリアが小走りで彼らの元に駆けて行くと、ラデックが酷く狼狽(うろた)えた表情で振り向いた。

 

「バリア!! これは……一体何が起こった!?」

 

 続けてレシャロワークが目に涙を溜めたまま振り返り、手に持った白い“スポンジ”を見せる。

 

「ホ、ホットドッグが、旨辛スペシャルがぁ…………!! スポンジになっちゃったぁ…………!!!」

 

 バリアはレシャロワークの持っていたスポンジを手に取り、検索魔法で成分を分析をかけた。

 

「……妖性発泡セルロース、かな」

「なんですかぁそれぇ……」

「消化されない無害なスポンジ」

 

 バリアはスポンジを放り投げ、未だ混乱の渦中にある2人を待たず歩き始めた。

 

「お、おい! バリア! レシャロワーク、行くぞ!」

「旨辛スペシャル……旨辛スペシャルぅ……」

 

 泣きべそをかくレシャロワークの手を引き、ラデック達はバリアを追いかけた。

 

 

 

 

「バリア、何があったんだ! 目覚まし時計に何かしたのか!?」

「ハイアに言って異能を解いてもらった」

「夢の異能か……? てことは、これが現実の狼王堂放送局なのか……!?」

「ちょっと待って。今把握中」

「把握中って……!」

 

 狼狽えるラデックの問いを無視して、バリアは来た道を戻りながら辺りを観察する。

 

 建築途中のビルのような骨組みだけの建造物群。一枚の隔壁もないワイヤーエレベーター。道路を走行する車は全て同じ車種で、みな金属板を雑に溶接したブリキのおもちゃをそのまま大きくしたような見た目をしている。バリアは時折すれ違う人間の手を引いたり手で押したりしてちょっかいを出してみるものの、誰1人として反応せず、ただ虚な笑みを顔面に貼り付かせたまませた歩き続けるのみである。

 

「……成程」

「何が成程なんだ?」

「夢の異能の仕組み」

「仕組み?」

「ピガット遺跡でジャハルから聞いてないの?」

「聞いたような気がするが、何一つとして覚えていない」

「そんな気はした」

 

 バリアは後ろを通り過ぎようとした3人組の内、1人の腕を掴む。相変わらず3人組の誰ひとりとして反応は返さないが、1人が立ち止まったことでもう2人も立ち止まった。

 

「夢の異能。ハイアが都合のいい幻覚を見せるだけの異能かと思ってたけど、どうやら違うみたい。恐らくは、影響度合いで夢遊病状態に出来る……その上、影響下にある人間同士で互いの夢を共有出来る。全員でひとつの夢空間を構築しているんじゃないかな」

「それは……えっと、つまり?」

「この3人、1人が立ち止まったことでもう2人も立ち止まった。そして私の姿は3人に見えていない。今この状況は、1人が見えない何かに腕を掴まれている状況じゃなくて、3人とも何の気になしに立ち止まったと思い込んでいるんじゃないかな。外的要因による不都合との整合性を持たせるために、偶然の気紛れを全員で共有している」

「……すまない。もっと分かりやすく教えて欲しい」

 

 それを聞くと、バリアは掴んでいた腕をそのまま引っぱり、勢いよく道路の先へと放り投げた。

 

「な、何を!!」

「見てて」

 

 慌てるラデックをバリアが制止する。すると、3人組の内残された2人は何事もなかったかのように歩き出し、放り投げられたひとりもゆっくりと起き上がり全く別の方向へと歩き出した。

 

「さっきまで3人組だった彼等は、たった今私によって引き離された。この瞬間、どこかへ遊びに行く3人組の関係は破綻した。そこで彼等は現状と夢の整合性をとるために、どこかへ遊びに行く2人と無関係の1人って状況に“見ている夢そのものを改変した”」

 

 突然の出来事にラデックは呆然として立ち尽くす。バリアは小さく溜息を吐き、再び歩き出した。

 

「無理に理解しなくてもいい。重要なのは、私達異能の影響外にある存在と影響下にある存在では意思の疎通が取れないと言うこと。多分、密入国している団体は夢の異能の影響下に無い。挙動の違いで見分けはつく」

「そんなこと言われてもな……」

「じゃ、私はこのまま南区の境まで行くから。ラデックとレシャロワークはその辺捜索しておいて」

「え、三手に分かれるのか?」

「その方が効率いいでしょ。私も少ししたら戻ってくる」

「不安なんだが……。急に敵とか出てきたら怖いぞ」

「生命改造の異能者と鉢合わせる相手の方がおっかないでしょ」

 

 そう言うとバリアは一方的に手を振って去って行ってしまう。素っ気なく突き放されたラデックは渋い顔で立ち尽くし、レシャロワークと顔を見合わせてから各々別方向へ歩き出した。辺りは依然として虚に笑う人々が不気味にフラフラと彷徨うばかりで、ラデックは数分もしないうちにナハル達の元へ帰りたくなり辺りを見回した。

 

「……勝手に帰ったら怒られるだろうか。こんなことなら俺も部屋で待っていればよかった……」

 

 それでもブツブツと文句を溢しながらではあるが、ラデックは捜索を再開して辺りを観察し始めた。しかし、そもそも何をどう探していいのか見当もつかない中、彼の集中力はこれまた数分で尽き果て街の人々と同じくフラフラと意味もなく彷徨うだけになってしまった。



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196話 鈍色の街

「あははっ! やだも〜!」

「いやマジ何だって! そんでさぁ〜」

 

 賑やかな歓楽街の大通りを、楽しそうに談笑しながら散歩をする男女。その手にはカラフルな3段アイスが、爽やかな陽の光を浴びて輝いている。華やかな繁華街はいつも通り活気に包まれており、皆思い思いの幸福な日々を送っている。そこへ唐突に、日光を遮り一塊の影が現れる。

 

「――――とか言っててよ〜。だから俺はアっ」

 

 巨大な頭足類の触腕に男の頭上から振り下ろされる。列車のように太い触腕は石のタイルを踏み割り、その隙間から真っ赤な液体を小さく吹き溢した。大通りを横切る大蛸は続けて建物を踏み潰し、(たわむ)れに鉄塔を圧し折って放り捨てる。ひとり残された女は、赤い液体になった男の残骸に一瞬だけ目を向けた後、笑顔でアイスをひと舐めして踵を返す。

 

「ん〜美味し〜! やっぱバニラも買っておけばよかったかな〜」

 

 女は暢気に感想を漏らすと、そのまま何事もなかったかのように立ち去る。地面の染みはいつの間にか消え去り、圧壊したはずの建物があった場所には幾何学的なオブジェクトが乱立している。その場にいた誰も先の惨事を気にすることなく、皆思い思いの日常を楽しんでいる。

 

「……全く、コレばっかしは嫌になるね」

 

 どこからともなくコンテナボックスを引き摺って現れたサノマは、地面から”見えない何かを拾い上げ“コンテナボックスに放り入れる。するとそこへ1人の子供が駆け寄り、しゃがんでいるサノマに抱きついた。

 

「猫のおねーさんだー! 何してるのー?」

「こらこら、お姉さん達は今お仕事中だよ」

「遊ぼー! サッカーしよーよー!」

「……分かった。じゃあ、お友達も誘って行こうか」

「友達? おねーさんの友達?」

「…………そうだよ。じゃ、一緒に行こうか」

「うん!!」

 

 元気よく走り出す子供に手を引かれ、サノマはその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区西部 鈍色(にびいろ)の街 (ラデックサイド)〜

 

「覚悟しろ!! 我ら“忌憚なき爆弾魔(ラインボマー)”!! 喧嘩を売る相手を間違えたな!!」

「やっちまえリーダー!!」

「ぶっ倒せーっ!!」

 

 マスクとマントで装備を隠した小柄な男が、仲間の声援を背にラデックに向かって突進を繰り出す。それをラデックはひょいと躱し、すれ違いざまに手を掴んで腕を捻り上げた。

 

「あでででででででえっ!!!」

「リーダー!!!」

 

 ラデックは眉ひとつ動かさず淡々と縛り上げ、小柄な男からナイフを奪い取り突きつけて見せる。

 

「よし、正直に答えろ。あのタコはお前達が呼んだものか?」

「タ、タコぉ!? オレらな訳あるかそんなの!! 縄解け!!」

「分かった。解く」

「へっ?」

 

 すぐさま縄が解かれ、小柄な男は飛び退いてラデックを睨みつける。

 

「……テメー、なんのつもりだよ」

「俺はあのタコを呼び出した奴らを探してる。密入国者を捕まえにきた訳じゃない」

「タコって……アレのことだよな?」

「ああ。アレだ」

 

 小柄な男とラデックは、遥か遠くで(うごめ)く巨大な軟体動物に目を向ける。タコは鈍色の街を踏み潰して進み、歩いた後にもうもうと土煙を上げている。

 

「……オレ達は何も知らん。それどころか、こっちだって困ってんだ。あのタコが出てきてから、安心して寝られる場所が無くなっちまった」

「タコはどこから現れているか、知っているか?」

「さあな。気が付いたらいるし、気が付いたらいない。すげー速さで動いてるのか、本当に消えてるのか、それもわからん」

 

 小柄な男は溜息をついてマスクを外し、その下にある大きな裂傷を見せる。唇が剥がれて横に大きく裂けており、耳に至っては跡形もなく千切られている。

 

「あのタコの振り回した腕に掠って出来た傷だ。あと数ミリ間違えば頭が吹き飛んでた」

「……それは大変だったな」

「アンタ、アレを何とかしてくれんのか?」

「その予定ではある」

「そりゃあありがたいが……気を付けろよ。アイツ、何かを襲う素振りは見せねーが、その分動きが気紛れ過ぎて避け辛い――――」

 

 男が喋っている途中でラデックは男の顔に手を伸ばし、粘土を捏ねるように撫で回す。

 

「なっ、何すんだっ、お、おいっ、やめっ、やめろ!!」

 

 男がラデックを引き剥がすと、顔の痛みが治まっていることに気が付いた。男がハッとして仲間の方を向く。

 

「リ、リーダー……!!」

「顔が……!!」

 

 男が自分の顔を触る。傷は消え、失ったはずの耳が元通り生えている。

 

「邪魔をして悪かった」

 

 ラデックが立ち去ろうとするのを、男は意図もないまま咄嗟に引き留める。

 

「あっ、おい! お前何者なんだよ! 大明陽消の手先じゃないのか!?」

「よく分からんが、王の勅命で動いているのは確かだ。多分」

「はぁ……? 多分って……」

「じゃあな、もう悪さするなよ。でないと、世にも恐ろしい拷問好きの悪魔がやってくるからな」

 

 唖然として立ち尽くす男を置いて、ラデックはレシャロワークとの集合場所に向かうため大きく飛び跳ねる。異能で伸ばした腕の筋肉を薄く広げ、翼のように羽ばたいて空を飛んで行く。空の彼方へと飛んでいく異形の男の後ろ姿を見つめながら、取り残された男は生えてきたばかりの耳を触ってボソリと呟いた。

 

「喧嘩買う相手……間違えたかな……」

 

 

 

 

 

「む……あれは、バリアか?」

 

 建物から建物へと飛び移るラデックの視界に、見覚えのある小柄な後ろ姿が映る。

 

「おーい、バリア」

「ん」

 

 ラデックが隣へ着地し改造を解くと、バリアは少しだけ足を止めて目を向ける。

 

「改造、上手くなったね。もう立派な人外だよ」

「それは困る……。こっちは収穫無しだ。3団体ほど遭遇はできたが、皆タコについては知らないそうだ。分かったことといえば、タコは神出鬼没で何処から来て何処へ行くのかもわからないということと、最近現れたらしいということだけ」

「多分、メギドとハイアがピガット遺跡に出かけた隙に現れたんだろうね。さっきちょっと建物の残骸を見てきたけど、どれも最近壊されたようなものばかり。修復も間に合ってない」

「あ、それとタコは特に自分から誰かを攻撃することはないそうだ。その代わり、動きが気紛れ過ぎて相手をし辛いとも言っていた」

「意識を持った生命体なのかもね」

「やはり侵略目的だろうか」

「防衛層を打ち破る新型生物兵器……とかだったら楽なんだけどね。現代人の知恵じゃ使奴を越えることはできないし」

「じゃあ何だと困るんだ?」

「前例の無い異能による事故か、脈絡のない馬鹿異能者の暴走」

 

 暫く歩くと、前方からレシャロワークがやってきた。一心不乱に携帯ゲーム機を操作しながら摺り足気味に歩き、緊張感のある眼差しで忙しく指先を動かしている。

 

「レシャロワーク、そっちの成果はどうだ?」

「あーちょっと待ってくださいねぇ……。もうちょいでハイスコア狙えるんでぇ……あ……………っスゥー…………はい。大丈夫です」

「……そっちの成果は?」

「やたら盗電に勤しんでるグループがいましたぁ。それ以外はシロかなぁ」

「盗電?」

「なんか地下からいっぱいケーブルとか伸びててぇ、多分下にわんさかいるんじゃないですかねぇ」

「地下か……。しかし、灰亜種とは言え使奴が統治する国で電気など盗んでいたらバレそうなものだが……」

 

 ラデックが首を傾げると、バリアが先陣を切って歩き出す。

 

「レシャロワーク、それってどの辺?」

「西南西でぇす」

「行くよ」

 

 

 

 

 

 とある高層建築物の一階フロア。柱だけの吹き抜けたフロアには大小様々な謎の直方体群が犇き、その合間を虚な笑顔の人々が魚群のように流れている。

 

「多分ですけどぉ、夢の方じゃ美術館的なステージなんじゃないですかねぇ。人の流れ的にぃ」

「なるほど……。人が行き来していないところは、壁があるってことなんだろうか」

「わかんないですよぉ。クソデカオブジェが置いてあるだけかもぉ」

「ああ、そういう可能性もあるのか……。気を付けて進まないと、人にぶつかりそうだ」

 

 人混みを掻き分け建物の中心へ進んで行くと、途端にひらけた場所に出た。建造物の最上階まで突き抜けた吹き抜けからは何本ものケーブルが滝のようにぶら下がっており、それらは床に空いた大穴の底まで伸びている。大穴は家一軒を軽く飲み込めるほどの幅があり、内壁やケーブルに(まばら)に付けられた小さなランプが黄色に淡く発光している。

 

 先に到着していたバリアはラデック達の方へ振り向き手招きをした。

 

「落ちないでね」

「これは……凄いな。うっ、熱気も凄い……」

「排気口かな。中で結構な数の機械が動いてるんだと思う」

「ラデックさん見てくださいよぉ。この線カテゴリ7ですよぉ。凄いですねぇ」

「何がどう凄いのか分からない」

「は?」

「2人とも、行くよ」

 

 バリアが大穴へ飛び込むと、ラデックもそれに続いて飛び降りた。

 

「いやいや普通階段とか探すでしょぉ……。もう……」

 

 レシャロワークも浮遊魔法詠唱して足を踏み入れるが、魔法は数秒と保たず霧散し足を滑らせ大穴へと落下していった。

 

 穴は広さに比べて深さはあまりなく、着地に失敗したレシャロワークは頭部と背中に強めの打撲を負う程度で済んだ。ラデックは少し呆れながらもレシャロワークの手を引いて、体についた埃を手ではたき落とす。

 

「何で足から降りないんだ……」

「思ったより浅かったぁ〜」

「深かったら死んでるぞ。傷は……致命傷ではないな。骨に(ひび)が入っているかもしれないが、臓器は無事だろう」

「痛ぁ〜い。バリアさん治してぇ〜」

「今治すと放っておくより痛いよ。もう少し我慢」

「血が出てるよぉ」

「そりゃ血くらい出るでしょ。生きてるんだから」

「痛ぁ〜い。ラデックさん治してぇ〜」

「俺がやるとバリアより痛いぞ」

「あぁ〜ん」

 

 バリアはレシャロワークを置いて歩き出し、ケーブルが伸びるトンネルの先へと進んで行く。

 

 中では小さなLEDが夜空の星々のように輝いているが、それは足元を照らす明かりとしては全く役に立たず、熱波を吐き出すケーブルのトンネルはどこまでも暗闇を伸ばしている。奥へ進むごとに温度は上昇していき、風圧も強くなっていく。やがて四方を覆っていたケーブルも壁の隙間から別の場所へ伸びて行き、LEDの明かりも消え失せ真の暗闇と熱波だけが容赦なく吹き付ける石の通路へと変わっていく。

 

 遠くからラデックのバリアを呼ぶ声が聞こえる。敵に気付かれぬためか、使奴にしか聞き取れないような小声で。それでもバリアは速度を落とさず黙々と歩き続け、ある程度進んだところで不意に立ち止まる。

 

 しばらくするとラデックが追いつき、若干息を荒らげながら口を開く。

 

「おい、バリア。レシャロワークが死にそうだ。少し休もう」

「ここで?」

「……もう少し進んだら」

「熱いぃ〜……苦しいぃ〜……」

 

 レシャロワークを背負ってきたラデックも、容赦なく吹き付ける排気の熱波に目を細める。暗闇を見通すため改造した目で奥を睨むが、トンネルの先は未だ見通せない。ふと壁を見ると、暗くてよくわからないが絵のようなものが描かれているのが分かった。書き殴ったような謎の記号で綴られた文章。その隣には、抽象化した人間のようなイラストの上に、丸で囲まれた三つの点。見方にもよるだろうが、ラデックにはそれが首の取れた人間のイラストに見えた。

 

 不気味極まりないが、それでも進む他ないと一歩足を踏み出した時、どこからか金属を弾いたような音が響いた。

 

「ラデック」

 

 バリアの呼びかけで、ラデックは姿勢を低くして背負ったレシャロワークごと前方に身を転がす。それと同時に、トンネルの壁や天井から巨大な丸鋸が現れた。けたたましい金属音を響かせ回転する円盤はトンネルを輪切りにするように飛び出し、あろうことか背後からも2枚、ラデック達を追いかけるように接近してくる。

 

「うおっ!? うおおおおおおおおっ!!!」

 

 ラデックは訳も分からず奥へと猛ダッシュし、次々に行手を阻む丸鋸の隔壁の隙間を滑り抜けて行く。その途中で壁際に設けられた小さな非常口を見つけ、ドアノブを引き千切りこじ開け中へと滑り込んだ。

 

「っはあ!! っはあ!! あ、危なかった……!!!」

「痛いよぉ〜」

 

 激しく揺さぶられ激痛を訴えるレシャロワークを尻目に、ラデックは背中に身を預けて呼吸を整える。そこで初めて、薄暗いものの部屋に明かりが灯っていることに気がついた。

 

 埃を被った備品倉庫。蛍光灯は消えているものの、電灯のスイッチ付近に設けられた豆電球が僅かに光源として機能している。錆びた鉄のラックにはダンボールに詰め込まれたプラスチックボトルやスプレー缶が並んでおり、乱雑に工具が詰め込まれたバケツやコード類が部屋の隅に積み上げられている。

 

 ラデックはレシャロワークを背負ってゆっくりと立ち上がり、部屋の外に出るため正面の扉に手をかける。鍵はかかっていないようで、ドアノブは微かに音を立てて緩やかに開いた。

 

「ててててっ、手ェ上げろゴラァ!!」

 

 扉の先で待ち伏せをしていたガスマスクをつけた女性達が、槍と弓矢を突きつけて吼える。ラデックは言われずとも両手がふさがっているため動けず、背負ったレシャロワークがラデックの代わりに両手を上げる。

 

「ア、アンタらどこの団体だ!?」

「どこのって言われても……強いて言うなら、ラルバ一家?」

「ホントにどこ!?」

「さぁ……」

 

 ラデックが困惑していると、背負っていたレシャロワークが部屋の奥、リビングのような造りのフロアの壁に設置してあるモニターの画面を見て口を開いた。

 

「ん〜? アレはもしや、“ビッパレ”ですかねぇ?」

 

 レシャロワークの呟きに、女性達の緊張に亀裂が入る。

 

「……え?」

「それも、レベル13ミッションの恋する星空トキメキミュージアムのプラチナランクに挑戦中? いけませんねぇそんな編成じゃぁ……。ひょっとしてぇ、裏ステータスをご存知でない?」

 

 ガスマスクの女性達が互いに顔を見合わせた。



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197話 あまちゅ屋

〜狼王堂放送局 居住区西部 鈍色の街 地下施設 (ラデック・バリア・レシャロワークサイド)〜

 

「はいプラチナ鬼余裕ぅ〜。ここは毒パじゃないとキツいですよぉ〜」

「うわーっ!! すごいすごいっ!!」

「やった!! やった!! あ〜!!」

 

 レシャロワークがゲームをクリアして見せるたびに、両脇の女性が手を叩いて歓喜の声を上げる。

 

「隠しステータスですけどぉ、ビッパレは楽器によってダメ減補正がかかるんでぇ、手数とバフだけ見てると鬼負けするんですよねぇ。ま、これはシステムが悪い」

「あー……これでミカズキ君のスチルが拝める……」

「うれしやな……。あなうれしやな……」

 

 そんな彼女らの背中を見ながら、ラデックはソファに腰掛けて差し出されたジュースを口にする。

 

「ん……? 知らない味だ。コレは何だ?」

「あ、コレ? 自家製の枇杷(びわ)ジュースです。苦手でした?」

「いや、かなり好みだ。そうか枇杷(びわ)か、確かに食べたことないな」

 

 ジュースを持ってきた女性はラデックの対面に座り、ガスマスクを外して頭を下げる。

 

「先程は失礼致しました。てっきり他の勢力が侵入してきたのかと……」

 

 目にかかるほど長い前髪の奥には黒縁のメガネがチラリと見えるが、それ以外には肌が薄く色付いている程度しか窺えない。俯きがちな彼女はハッとして姿勢を正し、改めて頭を下げる。

 

「あ、自己紹介が遅れました。私たち、こういう者です」

 

 女性は名刺を取り出し、頭を深々と下げてラデックに差し出す。

 

「丁寧だな。えー……同人サークル“あまちゅ屋”代表、“ピリ・サンキォン”……? あまちゅ屋の方はさておき、同人サークルってのは何だ?」

「あ、それはですね、あの〜説明が難しいんですけど、こう、二次創作中心の創作家と言いますか……」

「二次創作? って何だ?」

「あ、え〜二次創作と言うのはですね。あの〜、実在する作品のイフストーリーやなんかを手掛ける非公式活動でして……あ、別にイフストーリーだけでなくグッズ化とかパロディやオマージュなんかもその範疇だったりするんですけど、パクリとはまた違くて、こう、飽くまで作品をリスペクトした上で作るってのが理念なので、あ、だから言って別に合法かと言われると微妙なんでそこはまあ公式様に迷惑をかけずひっそりこっそりと非営利で楽しむことを忘れない精神で……」

 

 早口に延々と語り続けるピリを、背後から別の女性が近寄ってきて制止する。

 

「ちょいと、ピリさん。オタクの悪い癖出てるよ」

「え?あ、ああ。ごめんなさい! すみません私すぐ前が見えなくなっちゃって……」

 

 ピリがソファを詰めて隣を空けると、比較的背の高い女性がガスマスクも取らずに腰かける。そして、ピリが改めて自己紹介を再開する。

 

 

「あ、じゃあ改めまして……。私が“あまちゅ屋”の代表やってます。ピリ・サンキォンです。こっちはケイリさん。ウチの事務全般を担当してもらってるの」

「ケイリさん……ああ、経理さんか……」

「どうも」

「それで、お兄さん達は何者なの? 敵じゃないのは確かみたいだけど」

 

 ピリとケイリは共に眉を(しか)め、2人揃って部屋の奥でゲームをしているレシャロワークを見る。

 

「この立ち絵、実は面白いバグがありましてぇ……。ここでこうするとぉ……カクト君の赤面が全ての立ち絵に適応されます」

「にゃっ!!! か、かわわわわわっ……!!!」

「アカン、死ぬでこんなん」

「さらに同じ手順を踏むと参照データがズレて……この通り半裸になります」

「わーっ!! わーっ!! わーっ!!」

「因みにここで編成をヤン爺と入れ替えると……赤面半裸のカクト君に覆い被さるジジイが見れます」

「戻して」

 

 敵対していたことなどとっくに忘れ、数人のあまちゅ屋メンバーと共にモニターの前で和気藹々(わきあいあい)としている。レシャロワーク含めて誰もラデックのことなど気にも留めず、モニターに映る男性キャラクターのグラフィックに釘付けになっている。ラデックはほんの少しだけ考えた後、すぐに疲れて思考を放棄してジュースを啜る。

 

「俺達はタコを呼び出した犯人を探してる。何か知らないか?」

「タコ? タコって、あのでっかいタコよね? 私達は――――」

「もしウチらだって言ったら?」

 

 ピリの口を塞いでケイリがラデックを睨みつける。ガスマスク越しで表情は読み取れないが、その目からは明らかな敵対の意思と疑心が伝わってくる。ラデックは悠長にジュースを飲み干してから静かにグラスを置く。

 

「まずは意図を聞きたい。処遇はそれからだ」

「なら先に正体を明かせ。上は国か? 世界ギルドか?」

「俺達は旅人だ。上も下もない」

「ならば何故タコを追っている」

「先に俺の質問に答えてもらおう。お前達が犯人か?」

「答えたくない」

 

 2人が険悪に押し問答をしていると、倉庫側の扉がガチャリと音を立てて開く。

 

「彼女達は犯人じゃないよ」

 

 そこには、調査を終えて戻ってきたバリアが立っていた。続け様に現れた突然の来訪者にあまちゅ屋の女達が再び武器を構えるのを、ラデックが慌てて制止する。

 

「俺達の仲間だ。心配しなくていい」

 

 バリアは黙って部屋に入ると、本棚から適当に漫画本を手に取ってパラパラと捲る。ケイリはバリア越しに本棚に腕を突いて寄りかかり、真上から見下ろして挑発するように問いかける。

 

「犯人じゃないと、何故分かる?」

「裏口の配線口を兼ねた排気トンネル。丸鋸の罠。アレ、タコの侵入を阻む迎撃装置でしょ?」

 

 バリアの指摘にケイリは押し黙る。

 

「勿論人間の侵入者を阻む目的もあるだろうけど、通路内に血痕は無かったし、鋸の隙間が大き過ぎて隅っこでしゃがんでいるだけで躱せる。実績のない罠が今も稼働しているってことは、他の目的があるってこと」

「……お前、使奴か?」

「分かっても言わない方がいいよ」

「頼みがある」

「対価は?」

「タコの正体」

「乗った」

 

 バリアは手に持っていた漫画本をラデックに渡し、ケイリと共に部屋の奥へと姿を消した。ラデックは理解する前に始まって終わった交渉を漠然と振り返りつつ、何の気なしに漫画本をパラパラと捲る。

 

そこには、ついさっき排気トンネルの中で見た首の取れた人間のイラストが描かれていた。漫画のタイトルは“()不死(ぷし)!!デスゲーム高校”。ラデックはあまちゅ屋メンバーの方に振り返りつつ口を開く。

 

「……何故漫画のイラストを壁に?」

「えっ……分かんない……考えてやってないから……」

「モニターの上とかにアクスタ飾ったりするじゃん……? しない……? しないか……」

「オタクの習性、ですかね」

 

 沈黙しているラデックの後ろからレシャロワークがやってきて、したり顔でポンと肩を叩く。

 

「オタクって言うのはねぇ、辛い現実を自分色に塗り替えて自我を保つ生き物なんですよぉ。当然じゃあないですかぁ」

「よく分からない」

「じゃあ分からせてあげましょう。皆の者!! 布教の準備だ!!」

 

 レシャロワークの鶴の一声で、あまちゅ屋の女性達が本やディスクを手にゆらゆらと近づいて来る。

 

「な、なんだ」

「“銀神”を読もう……3巻まででいいから……ネッ……ネッ……」

「“ビッパレ”はいいぞ……“ビート・ラップ・パラダイス・レゾナンス”。君の求める世界がここにある……」

「貴方は”were鳥“を摂取するべきです。私のサイドエフェクトがそう言っています」

 

「怖い怖い怖い」

 

「“逆探”やろうよ。ねえ。楽しいよ。やろうよ」

「“エコリス”やって……お願い……お願いだよ……」

「とりあえず“ケモ牧”をしましょう。そうしましょう」

 

「うわーっ!!」

 

 

 

 

 

 遠くから聞こえるラデックの声を背に、バリアはケイリの案内で奥の部屋へと進む。通されたのは壁一面が本棚になっている書類が(ひしめ)く小部屋で、パソコンデスクの上にはデュアルモニターと大量の書類が山のように積み重なっている。

 

「不法入国なのに、こんな量の書類どこに出すの?」

「いつか必要になるだろ。帰ったにしても、逮捕されたにしても」

「準備がいいね」

「準備が良くねぇから散らかってんだよ」

 

 ケイリは机の上の書類を無造作にひっくり返し、幾つもの紙束を床に撒き散らしながら目当ての資料を漁る。

 

「あったあった。これだ。ピリさん達に見つかると厄介だからな。見つかんないように奥の方入れといたんだ」

「教えてあげないの?」

「知らない方がいいこともある。どうせ知ったところで、ウチらに出来ることはない」

 

 そう言ってケイリがバリアに差し出した資料には、タコの細かな外見と特徴。出没地点のデータが事細かに記されていた。

 

「使奴の目にあのタコがどう映ってんのかは知らないが、恐らく奴は異能生命体だ」

「根拠は?」

「無い」

 

 バリアはケイリの目をじっと見つめる。ガスマスクの向こうに浮かぶ山吹色の瞳は、作り物のように動かず佇んでいる。バリアはすぐに視線を書類に戻し、パラパラと捲りつつ問いかける。

 

「異能生命体って、何を指してる?」

「……言葉の通りだ。異能によって造られた生命体。意思を持ち、呼吸し代謝する細胞の集合体。性別は雄っぽいけど、繁殖まで出来るかは知らない」

「生命体ってことは殺せるってことだね」

「多分。ただ、そもそも蛸自体の生命力が高過ぎて太刀打ちが出来ない。足の一本捥いだとこで、頭足類にとっちゃどうせ擦り傷だろ」

「やってみたら?」

「馬鹿言え。先にこっちの手足が捥ぎ取られる」

 

 バリアは資料の最後のページに目を通し終えると、机の上に資料を戻して部屋を出て行く。

 

「おい、もういいのか? タコ操ってる異能者探すんじゃないのか?」

「うん。大体わかった」

 

 バリアが返事と共に足を止め振り返る。

 

「貴方達は大量の電子機器を動かすために、あちこちから電気を盗んで引っ張ってきてる。つまりは、他の勢力の位置と規模を推測できる」

「……渡した資料にはタコのことしか書いてない筈だが。現にウチらは他の団体をあまり知らない」

「材料なら揃ってるよ。タコの出没範囲から比較的外れた場所且つ、盗電が国にバレなさそうな大型施設の中で、貴方達が線を繋いでいない場所を探せばいい」

「なら……恐らく、東区だ」

「ふーん。心当たりでも?」

 

 ケイリは少し唸った後、頭を掻きながら答える。

 

「……いや、確信はないんだが。規模も種類もまるで違うが、前に東区で別の”異能生命体“を見たことがある」

「どんな?」

「ちょうどその時はタコの襲来で碌に観測は出来なかったが……。多分、”アリ“じゃねえかな」

「”アリ“?」

「ああ。何の変哲もない、地面を這うだけの普通のアリだ。だが……恐らくはアレも異能生命体だ。”根拠は無い“けどな」

「ふーん……。タコの次はアリか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 鈍色の街 (ラルバ・シスター・ゾウラサイド)〜

 

「うえっ……おえっ……」

「も、もう許してっ……うっ……」

「ゾウラくーん!! じゃんっじゃんっ!! じゃんっじゃんっ“おかわり”持ってきて〜!!」

「はい!」

 

 鈍色の街の一角。無謀にもラルバに喧嘩を売って返り討ちに遭い、成す術なく追い詰められた荒くれ者達は、ゾウラが無限に運んでくる真っ白なスポンジを無理矢理食べさせられていた。無味無臭の固形物を絶え間なく口に押し詰められ、その内の1人はとうとう限界に達し盛大に胃の内容物を撒き散らして倒れ込んだ。

 

「うぇぇぇぇっ!!! もっ、もう許してくでっ……!!! 出てく……!!! もうこっから出て行くからっ……!!!」

「おやおや、まだご飯残ってるよぉ〜? 勿体無い勿体無い!」

 

 尻這いで後退る男を、ラルバは無理矢理立たせて元の場所に座らせ、ゾウラが新しく運んできたスポンジが大量に積まれた皿を目の前に置く。

 

「遠慮しないでどんどんお食べ!! はいあ〜ん!!」

「や、やめっ、もががっ」

「全部食べ切ったらちゃあんと帰してやるから!! ゾウラくーん!! あとどのくらいあるー?」

「はい! あとダンボール30箱くらいあります!」

「おっ、もう半分か。ほらほら皆!! あともうちょっと、頑張ろ〜!! お、君手が進んでないねぇ。お姉さんが食べさせてやろう!!」

 

 ラルバは涙目で首を左右に振る男の口に、スポンジを無理矢理捩じ込む。

 

「もがっ、がっ、おえっ」

「たぁ〜んとお食べ! まだまだいっぱいあるからね〜!」

「ラルバさーん! 奥にまだダンボールありました!」

「マジぃ? ノルマ増えちゃったねぇ〜」

「頼む……もう許してっ………!! 何でも……何でも言うこと聞くから……!!」

「世界には食べたくても食べられない子が沢山いるんだよ? 恵まれてるんだから文句言わないの!」

 

 シスターは惨状を視界から外すため、彼等の悲鳴が聞こえない場所で大きく溜め息を吐く。

 

「っはぁ〜……。無理にでもナハルと留守番をしておくべきでした……」

 

 そんな彼の視界の先には、地平線を這う巨大なタコの姿が映っている。遠目に見てもわかる異質な生命体は、暫く漫然と這い回った後にふっと消え去った。

 

「……一体誰があんなものを。………………ん?」

 

 そして、彼はふと足下に目を向けた。地面では小さな“アリ”が行列を成して進み、必死に小さな粒を運んでいる。

 

「これは……」

 

 その内の1匹に手を伸ばす。アリはどの個体も一切逃げる素振りを見せず、シスターは易々と捕まえることができた。その瞬間、シスターは異常に気が付く。

 

 シスターが捕まえたそれはアリではなく、“砂粒を抱えた蠢く黒い糸屑のような何か”であった。



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198話 反抗夫

〜狼王堂放送局 居住区東部 鈍色の街 (ラルバ・シスター・ゾウラサイド)〜

 

「ここから来てるみたいですね」

「ひひひひっ。随分回りくどいことするじゃぁ〜ねぇのよ」

 

 ラルバ、シスター、ゾウラの3人は、砂粒を一心不乱に運ぶ“アリ”の巣を探して一軒の建物に辿り着いた。背の低い建物の側溝から這い出てくる“アリ”は皆一様に砂粒を抱えており、水をかけられようが踏み潰されようがお構いなしに目的地を目指す。

 

 そして、それはよく見れば蟻の形を模しただけの糸屑であり、明らかに生物の体を成していない。ラルバはアリを1匹摘み上げ、紐状の体の両端を持って左右へ引き伸ばす。糸屑はある程度引き延ばされた段階で動かなくなり、煙のように身体を霧散させ消失した。

 

「機械的な命令のみを熟す使い捨ての兵隊かな? シスターちゃん、これ見たことある?」

「いいえ。初めて見ます」

「あ、ゾウラ君ダメよー? ばっちいから触んないよ!」

 

 アリを触ろうとするゾウラの肩をラルバが引き寄せる。

 

「ごめんなさい!」

「もしアレが全身に群がってきたら敵わないよ。全く、君に何かあったらカガチんにミキサーかけられちゃうんだから」

「気を付けます!」

「もう大分手遅れだと思いますが……」

 

 アリは以前として3人の行動など気にすることなどなく、規則正しく只管に砂粒を抱えて何処かへ向かっている。ラルバは楽しそうに笑って(おもむろ)に歩き出す。

 

「意味もなく亀裂に潜ってみたりパイプを伝ってみたり……、まるで“僕は怪しくないです”って言い張ってるみたいじゃないか。そんなに探されたくないなら、探すしかないよねぇ」

 

 アリが這い出てくる側溝。その(ひび)割れの隙間。そこからは、人間の耳には到底聞こえないほど微かな“爆発音”が漏れ出ていた。

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 鈍色の街 地下の洞穴~

 

 薄暗い湿った洞窟。コの字型の坑木が等間隔で並び、上方に這わされた電線からぶら下がったランプの橙がぼんやりと辺りを照らしている。時折聞こえてくる爆発音が巨人の遠吠えのように坑内に響き渡り、足元に敷設された金属製のレールが微かに震える。

 

 狼王堂放送局東区の大型建造物の地下。あちこちから盗電のために引っ張ってきたであろう電線が向かう先には、隠蔽魔法で巧妙に隠された地下道への入り口がぽっかりと口を開けていた。

 

「坑道……でしょうか。地理にあまり明るくないのですが、この辺は鉱脈があったりするのでしょうか?」

 

 シスターの呟きをラルバが笑って否定する。

 

「まさかぁ。石油か天然ガスならまだしも、このへんにゃ金も鉄もありゃしないよ」

「隠蔽魔法の解析結果はどうだったんですか?」

「解析するまでもないね。警報装置が剥き出しの初等防犯魔法だ。侵入物の大きさと魔力量だけをざっくり計測するタイプ……。でもあれじゃあバレバレだ。ワイヤー張って鳴子でもぶら下げてた方がいいんじゃないかね」

「侵入者対策ではないのでしょうか……。あ、ゾウラさんが戻ってきましたよ」

 

 レールの上をもこもこと脈動する液体が這ってきて、ラルバ達の目の前で人型に変形する。

 

「ただいま戻りました!」

「おかえり〜。水状態でも動けんの便利だねぇ。海に溶け込んで大陸飲み込んだりとかできない?」

「大きい水は難しいので頑張ります!」

「変なこと吹き込まないで下さいラルバさん。ゾウラさんも頑張らないで」

「はい! っとそうだ、この先にも防犯魔法が張り巡らされていました! でも、どれも入り口の魔法と似たような感じですね」

 

 ゾウラの報告を聞いたラルバは少し怪訝そうに眉を(しか)め、坑道の奥を睨んで尋ねる。

 

「ふーん……。人は居た?」

「はい! たくさん!」

 

 ゾウラの返事と同時に坑道の闇から殺気が溢れ、隠蔽魔法で身を隠していた2人の男が掘削用ドリルを片手に、ラルバを挟撃する形で飛びかかる。ラルバはドリルの刃を鷲掴みにして攻撃を受け止め、男達を前方へ投げ飛ばす。

 

「殺る気満々だねぇ。初っ端水責めでもした方がよかったかい?」

 

 ラルバがそう言って睨むが、男達は怯まず、それでいて逆上もせず、冷静に暗闇へと身を溶け込ませる。そして返事と言わんばかりに、続け様に坑道の奥から殺気が押し寄せる。

 

「貫け」

 

 女性の呟きを聞き取ったラルバが、前方に防壁魔法を展開する。直後、防壁に何かが衝突し突き刺さる。それは、細長い鳥のような姿をした“異能生命体”であった。外にいたアリと同じく形態を模しているだけで、使奴の目を凝らせばそれが糸屑の集合体であることが見て取れる。

 

 トリの弾丸は無数の雨となって防壁に突き刺さり、段々と防壁に罅を入れ始める。

 

「やってくれるじゃあねぇの」

 

 ラルバは防壁を前方に押し出し、わざと破壊させる。細かな破片となった防壁は無数の刃となって敵に降りかかるが、咄嗟に1人の男が前に出て手を翳す。その瞬間、坑道内に凄烈な破裂音が響き渡り、爆風で防壁の破片を跳ね除ける。ラルバは跳ね返ってきた破片を片手で軽くいなし、へらへら笑って挑発する。

 

「大層な出迎えじゃあないの? こんな狭いところで暴れたら生き埋めになるぜ」

「元よりそのつもりだ。当然、お前らだけな」

 

 集団の最奥にいたリーダー格らしき女性。先ほど異能生命体のトリを呼び出したであろう異能者が、数歩前に出て売り言葉と共に大口径のハンドガンを構える。それを合図に部下の男達もそれぞれ得物を構える。ツルハシ、大鎚、スコップ、ドリル。本来岩石を砕くために作られた道具に、敵意剥き出しの波導が蛇のように絡みつく。

 

「ひゅーっ! かっくいいーっ! ゾウラ君、準備いいかい?」

「はい!」

 

 ゾウラもクロスボウとショテルを構えて朗らかに笑う。

 

「シスターは隠れてていいよ。それとも参加する? 止めないけど」

「遠慮しておきます……」

 

 ラルバ達が暢気に打ち合わせをしていると、敵の女リーダーは何かを思い出して口を開いた。

 

「……シスター?」

 

 ふと名前を呼ばれて、シスターは女リーダーの方を見る。目が合うと、女リーダーは反射的に数歩前に駆けてランプの灯りの下に出る。

 

「やっぱりシスターか!! 久しぶりだな!!」

 

 照らし出されたその顔を見て、シスターもハッキリと思い出した。

 

「……ノ、“ノノリカ”さん!?」

 

 

〜狼王堂放送局 居住区東部 鈍色の街 地下坑道〜

 

 狼王堂放送局の地下に掘られた坑道の最奥。居住用に設けられたアリの巣構造の一部屋。硬い地層をくり抜いて作られた部屋と一体化している円卓に、無色透明の液体が入った鉄容器が運ばれてくる。

 

「まぁさかこんなところでシスターに逢えるなんてな! 何年振りだよオイ!」

「3年ぶりですね。“ノノリカ”さん。“カヒロ”さん。他の皆さんもお元気そうで」

 

 和かに笑うシスターの隣、背の高い女性“ノノリカ”が豪快に笑って鉄の杯を(あお)り、小柄な男性”カヒロ“は杯を両手で持って穏やかに微笑んでいる。

 

 ラルバも鉄の杯を受け取り、(しか)めっ面でノノリカを睨む。

 

「何でい、悪者じゃないのか」

 

 シスターはノノリカとラルバとでは相性が悪いと思い、若干前のめりになったノノリカを宥めてラルバに説明する。

 

「ノノリカさんはグリディアン神殿での知り合いです。私がまだナハルと2人で修道女(シスター)の真似事をしていた時、ノノリカさんのお仲間を治療したことがあるんです」

「ふーん」

「アレからもう3年ですか……。あの人たちの怪我はその後どうですか?」

 

 ノノリカが顎をしゃくって後方を示す。そこには仲間の男達が数名、皆腕や足を見せつけるように衣服を捲り、歯を見せて笑っている。その身体には、皆うっすらと残った縫合の痕が見て取れる。ノノリカは鉄の杯を傾けつつ、のんびりと思い出話を始めた。

 

「シスターと別れた後オレ達は、グリディアン神殿を潰す為にこの氷精地方を目指したんだ。決して楽な旅じゃなかったが、無事に誰も欠けることなく何とかやってるよ。今は“反抗夫(たんこうふ)”って名前で、旧文明の遺産を発掘するトレジャーハンターをやってる。意外と儲かるんだぜ」

「“反抗夫(たんこうふ)”ですか……聞いたことありませんね」

「特に悪名が立つようなことはしてないからな」

 

 ラルバは不満そうに文句を言いながら鉄の杯に口をつける。

 

「不法入国は立派な犯罪だろうよ……。うわーっ! 何コレ!! めっちゃ不味い!!」

「え? 酒だけど」

「メタノール?」

「エタノールだよバカ」

「うえぇまっずい。ゾウラ君飲んでみ。びっくりするぐらい不味いよ」

「おいしくないです!」

「わざわざ言わせるな」

 

 シスターも一口飲んでから唇を固く結び、話題を変えるために視線を泳がせる。

 

「……でも確かに、密入国は立派な悪行ですよ」

「固いこと言うなよ。地盤沈下起こしてる訳でもないんだしさ」

「大陸真ん中だからそうそう地震なんて起きないでしょうけど……。万が一はあるんですよ? それに、こんな大きな坑道。どうやって掘ったんですか?」

 

 するとノノリカは、隣にいた大人しい男性“カヒロ”の首に腕を回し、誇らしげに笑って見せる。

 

「ふふん。 オレらの異能のコンビ技よ!」

「へへ……」

 

 カヒロも合わせて恥ずかしそうに笑い、遠慮がちにピースサインを向ける。

 

「シスターになら言っちまってもいいか。オレたち2人は異能者でな。オレの異能は”指揮(プログラム)“だ。命令を聞く小さい生き物を作り出せる。ただ、単純な命令しか聞けないし、役目を果たすと消えちまう。コイツで砂や石、旧文明の遺物とかを外へ運び出すんだ」

 

 ノノリカは続けてカヒロを指差す。

 

「で、カヒロが”破裂(ラプチャー)“の異能者。物でも人でも、膨らませて破裂させることができる。コレで岩をくり抜くんだけどさ……、何と面白いことにこの破裂の原理がさ、物体の中に空気を発生させることで破裂させてたんだよ! コレに気づいた時はテンションマックスだったね! 坑道内の換気問題が一気に解決しちまったんだから!」

 

 その後もノノリカは高揚した調子のまま思い出話を語り、シスターはそれを楽しそうに聞いていた。それをじっと静観していたラルバは、時間が経つごとに抗議の意を示す下唇を前方へと突き出していった。

 

 

 

 

 

「――――ってなワケで、意外と便利なんだぜこの異能。崩落しそうなところはすぐ補強できるし、使い方次第じゃ地盤そのものを固定できる。地下水が溢れてきたってへっちゃらだ! まあ、全自動で掘削とかは疲れるからやらないんだけどさ。出来るようにはなったほうがいいよなぁ〜……」

「あのさあ」

 

 上機嫌なノノリカの一人語りに、嫌気がさしたようにラルバが口を挟む。

 

「ん? ああ、悪い悪い。つい長話しちまったな」

「それもある。だがそれはそれとして、南東の”硬山(ぼたやま)“。アレはお前らのか?」

硬山(ぼたやま)?」

 

 ノノリカが「はて」と首を捻る。

 

「掘った砂や岩でできた廃棄物の山だ。この国に来る前に見た」

 

 厳かなラルバの物言いに、ノノリカは少しムッとした表情で答える。

 

「……ああ。確かにそこに運んでるが、それがどうした?」

「地面を掘って、異能で土砂を運び出してるってのは、最初から分かってた」

 

 ラルバはノノリカから視線を外し、何かを疑うように中空を睨む。

 

「あの硬山(ぼたやま)の斜面は滑らか過ぎる。重機や人間、魔法で運んでいたなら、運んだ跡が残る。当然道だってできる。でも、斜面は砂時計に溜まった砂山のように滑らかだった。だから、何らかの異能で硬山(ぼたやま)を形成していることは分かっていた」

 

 ノノリカは少し遅れて気が付く。ラルバが疑っているのは、自分ではない。

 

「……オレの異能では、砂を決められた座標まで運び出すよう指示させてたからな。実質、真上からずっと砂を落とし続けるのと変わらない動きになっていたとは思う。砂時計と似るのは当然だ」

「いや、そこは似てないんだ」

「は?」

硬山(ぼたやま)の頂上は、2つあった。ぱっと見は気が付かないが、よく見ればわかる。山の頂点が僅かに縦長だった」

 

 ノノリカは鉄の杯を握る手に力を込める。心のざわめきが、毛を逆立てる。

 

「誰かが、お前らの不法投棄に便乗している。それも、お前の指揮(プログラム)の異能を把握した上でだ。お前の異能を知っているのは、反抗夫(たんこうふ)の他に誰がいる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………タコ」

 

 そう呟いたのは、ノノリカの隣で大人しくしていた男性。カヒロであった。

 

「一回だけ、ここをタコに見られた」



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199話 タコ

 タコに遭遇したのは今までに3回。

 

 最初は歩いている姿を遠くから見ただけ。物資を探しに上へ出た時に、仲間が偶然見かけたんだ。あの巨体からは想像もつかないような狭い隙間にも入れるみたいだから、警戒はしていたんだ。

 

 次は坑道の入り口付近に出現した時。オレ達を探しに来たって訳じゃなさそうだったが、好んで狭い隙間を潜っている様子だった。だから、坑道に現れるのも時間の問題だと思った。

 

 そんで3回目だ。タコはとうとう坑道に姿を現した。事前に予測できていたから、ばら撒いた防犯魔法で侵入位置を特定してなんとか逃げ切った。だが、その時にちょっとしたトラブルがあった。タコの侵入で道が幾つか崩落しちまって、急遽脱出口を掘削しなくちゃならなくなった。突貫工事の時間稼ぎのために、やむを得ず俺の指揮(プログラム)の異能でタコを足止めたんだ。

 

 もしオレの真似事をしてる奴がいるって言うなら、恐らくこれが切っ掛けだと思う。

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” サーバーフロア (ハザクラ・ジャハル・イチルギ・デクスサイド)〜

 

「――――だそうです。正直、大明陽消(だいみょうひけし)から聞いた報告と大差無いですね」

 

 目覚まし時計経由でラルバから報告を受け取ったハイアが、ハザクラ達に内容を伝える。

 

「それと、バリアちゃんからも報告があったのです。バリアちゃん、ラデックちゃん、レシャロワークちゃんが出会ったのは、贋作出版団体“あまちゅ屋”。彼女らが言うには、タコは異能生命体じゃないかってことらしいですね。それと他にも異能生命体を見たそうなのですが、こっちは反抗夫(たんこうふ)のノノリカちゃんの異能の方ですね」

 

 報告を受けたハザクラは、顎を摩り少し思案してから口を開く。

 

「……あまちゅ屋、反抗夫(たんこうふ)、それ以外の奴ら含め、どれも特別警戒するような団体ではないな。反抗夫(たんこうふ)以外にも地下を掘削している奴らがいるなら、そいつらを犯人と見て間違いないだろう。イチルギはどう思う?」

「ええ。私もそう思うわ。メギド、通信の異能の範囲を地下まで広げられる?」

「う〜ん……。できるっちゃあできるが、電子機器の反応は少ない。会話まで聞き取るとなると本業に支障が出る。可能な範囲でやってみるか」

 

 そう言ってメギドは目を閉じて動かなくなる。その様子を見て、ジャハルはイチルギに(かね)ての疑問を投げかける。

 

「なあ。夢の異能もそうだが、通信の異能とは具体的にどういう異能なんだ?」

「う〜ん。結構特殊なんだけど、意識対象の操作系ってとこかしら。通信ってのは今の状況からわかりやすく言ってるだけで、使奴以外が使うなら“雑音”の異能って感じになるんじゃないかしら」

「雑音? 通信から大分遠いな」

「意識的な情報伝達にノイズを混ぜることができる異能。会話とか電波通信とかね。その副次的な効果として、情報の内容も知ることができる。ほら、ジャハルも負荷交換の異能の条件的に、相手の負荷度合いを知ることができるじゃない?」

「ああ、そうだな」

「メギドはこのサーバールームで世界中の通信を傍受して、不都合な情報を妨害する役割をしてくれてるの。でも普段は電気信号の読み取りに注力してもらってるから、他のことを並行で処理するのは厳しいみたい」

「聞いている限り難しそうなのは分かるんだが、世界中の情報傍受ができているなら近距離の盗み聞きくらい、大した差じゃないような気もするが……」

「じゃあジャハル、10人からいっぺんに話しかけられてる時に足し算できる?」

「ごめんなさい」

 

 ジャハルはしょぼんとして俯き、開く必要のなくなった口を塞ぐ為に菓子を詰め込んだ。次に、今度はハザクラがハイアに問いかける。

 

「俺としては、ハイアの異能の性質を知りたい。強力なのもそうだが、発動条件も気になる。聞いてもいいか?」

「あんまり良くないのです。そうですね……私も意識対象ってことだけは言っておくのです。でもメギドちゃんみたいなことを期待しないで下さいね。私のは相手が異能の影響下にあるかどうか、生きてるか死んでるかくらいしか分からないのですよ」

「それは、盲目者にも夢の景色を見せられるのか?」

「ノーコメント」

「……発動条件は? 俺達全員、接近、接触、直視のどれにも当てはまっていないように思えるが」

「企業秘密」

「……それ以外は?」

「トップシークレット」

「そうか……」

 

 すると突然、メギドが声を上げた。

 

「おいおいおい、不味いんじゃねーのかコレ」

「どうしたのですか? メギドちゃん」

 

 メギドはハイアの呼びかけに辛うじて反応するも、異能で得た情報に顔を歪ませ譫言(うわごと)のように言葉を溢す。

 

「なんでタコがいるんだ……? いや、そいつは誰だ? どこにいる。何のために? これは……何があった? どうなった?」

 

 ハザクラが疑問を口にしようとすると、イチルギが咄嗟に口を塞ぐ。そして「静かに」とジェスチャーをしてメギドを見守る。メギドは変わらず支離滅裂な言葉を垂れ流しつつ、目を閉じたまま眉を(ひそ)めている。

 

「これは違う……違う……生贄……生贄……? 知らないのか? いや、わざと? 終わり、破滅? いや、もしそうなら……」

 

 そしてカッと目を開き、ハザクラの方へ詰め寄る。

 

「質問と報告がある。まずは質問からだ。イエスノーで答えろ。お前の国で、行方不明になった異能者はいるか?」

 

 突然の意図不明な質問。しかしハザクラは己の疑問解決よりも迅速な解答が優先と判断し、迷いなく答える。

 

「イエスだ」

「過去20年内に1人のみ、か?」

「……イエスだ」

 

 ハザクラは奥歯をギリリと擦り合わせ、ジャハルは声を押し殺して青褪(あおざ)める。この質問の示す意味を、2人は容易に推測した。メギドは2人を気の毒に思いつつも、イチルギに目配せをしてから続ける。

 

「……次に報告だ」

 

 僅かな逡巡を挟む。

 

「ナハルがタコに(さら)われた」

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 北西部 鈍色の街 (ラデック・バリア・レシャロワークサイド)〜

 

 不気味な鈍色の街を、無骨な6輪駆動車が黒煙を噴き上げて疾走している。運転席に座るガスマスクの女性は、あまちゅ屋の代表“ピリ・サンキォン”である。

 

「どーよこの車!! ウチのメカニックが廃材で作ってくれたんだよ!!」

「廃材でコレを? それは凄い」

「吐きそう」

 

 後部座席に座るラデックは、青い顔で口を固く結ぶレシャロワークを介抱しながら外の景色を眺めている。ピリは巧みなハンドル捌きで街行く群衆を避けつつ、助手席のバリアに問いかける。

 

「しっかしタコが異能生命体とはねー。使奴ってそんなことまで分かるのねー」

「使奴による」

「一応ウチのメンバーがタコの動向を調べてくれたことはあるんだけど、結局よく分かんなくてデカめの魔法なんじゃないかって結論に落ち着いたんだよね。ゴツめの反魔法装置も作ったのに、無駄になっちゃったー」

「そう」

 

 車に揺られながら、バリアはあまちゅ屋のケイリと交わした約束を思い出す。

 

「タコの情報含め、全部アンタがひとりで導き出したってことにしといてくれ。ピリさん達には戦って欲しくないし、何より心配かけたくないんだ。……あと、色々黙っておいてくれると助かる」

 

 面倒臭いことを請け負ってしまったと少し後悔しつつ、ピリに指示を出して案内をする。

 

「進路もう少し左。10度くらい」

「細かっ! 頭の中に方位磁石でも入ってんの?」

「まあ、そんな感じ」

「へえ、鳥みたい。便利〜」

 

 

 

 

 

 そうして車を走らせること数十分。4人は居住区の隔壁までやってきた。高さ数十mの隔壁はまるで世界の行き止まりのように立ちはだかっており、細かな(ひび)割れのような模様がところどころに入っている。

 

 ピリが興味津々に隔壁に手をつきペタペタと触り始めると、ラデックも真似して隔壁を撫でてみた。

 

「いつ見てもすごいな〜コレ。自己治癒コンクリートらしいよ」

「自己治癒ってことは勝手に直るのか?」

「そうそう。どういう仕組みなんだろ〜。コレ作れたら定住も夢じゃないのにな〜」

「密入国で定住は不味いと思うぞ」

「それはそう」

 

 2人が雑談をしていると、バリアが間に割って入るように顔を覗き込ませる。

 

「バリア、このコンクリート凄いらしいぞ」

「私の勝手な推測なんだけど」

「うん?」

 

 バリアはラデックの話を遮って推測を語り出す。

 

「タコは現れたり消えたりする。でも、最初に現れた時が1番長く姿を現していた。どう? ピリ」

「え、ま、まあ。そうだね。今は長くても1時間くらい、早いと5分くらいで消えちゃうけど、最初は丸一日いたかなぁ……」

「そして、最初に現れたのがこの辺だった」

「え、そこまでは覚えてないけど……まあ……確かに北だったような……ケイリさん覚えてたりしないかな……」

 

 バリアは暫し目を閉じ、やがてゆっくりと目を開ける。

 

「間違ってたらごめん」

「え、何が?」

「…………バリアまさか」

 

 ラデックの気付きは一歩遅く、バリアは隔壁に勢い良く右ストレートを放った。コンクリートが爆音を上げて吹き飛び、5m以上の厚さがあった壁にぽっかりと風穴が開く。突然の轟音と暴挙に唖然としているピリに向け、バリアは振り向くことなく声をかける。

 

「大丈夫、加減したから。壁が崩れるなんてことはないよ」

 

 そう言ってバリアは貫通した壁の中をテクテクと歩いて行く。それを見て、ピリはラデックにボソリと呟く。

 

「……あの人、いっつもこんな感じなの?」

「……かもしれない」

 

 

 

 

 

 外へ出ると辺りは地平線まで荒野が続いており、先程までの鈍色の街から打って変わって赤褐色の景色が広がっている。バリアはキョロキョロと辺りを見回すと、外壁に沿って歩き始めた。どこかに向かって歩くバリアの後ろを、3人は黙って追いかける。それから暫く歩き続けると、バリアが不意に立ち止まって口を開いた。

 

「…………ピリ。ここから1番近い国って、どこ?」

「え? えっと、西の”崇高で偉大なるブランハット帝国“……は山を越えなきゃいけないから……多分、北の”キュリオの里“かなぁ……?」

「そう。じゃあ、”そこの子“かもね」

「えっ……?」

 

 そう言ってバリアが指差した先には、壁に寄りかかるひとつの人影があった。

 

 ピリは血相を変えて駆け寄るが、途中で足を止めて膝を突く。続いてラデックとレシャロワークが人影に駆け寄り、しゃがみ込んで顔を覗く。

 

 ボロボロの衣服を身に纏った、5歳ほどの子供。その遺体。

 

「……死んでから随分経っているな。餓死だろうか」

「少なくとも、3日くらいは経ってるっぽいですねぇ。使奴ってどの辺まで蘇生できるんでしたっけぇ?」

「できても半日が限度だ」

 

 子供は座り込んで壁に寄りかかった状態で亡くなっており、足元には一冊の絵本が落ちている。ラデックは絵本を拾い上げ、タイトルを読み上げる。

 

「……“タコくん、おたんじょうびおめでとう”」

 

 表紙には、笑顔のタコがそれぞれの足に果物やぬいぐるみを抱えた姿が描かれている。中を開くと、タコが色々な人から誕生日プレゼントを貰い、一個ずつ足に抱えていく様子が描かれている。最後のページは、タコが海底の狭い(ひび)割れから自分の家に帰り、母親のタコと共に眠りにつくシーンで締め括られている。

 

「異能は恐らく、“妄想(ロング)”」

 

 バリアが悲しむ様子もなく、淡々と話し始める。

 

「このタイプの異能者は大きく特徴的な被害を出すから、歴史に残り易い。過去にも4人、同じ異能を持った人間がいた。自分の願望や妄想を異能生命体として具現化し、己と同一の存在として扱う。自己対象の生産系。変身できる幽体離脱みたいな感じだね。異能者の死後も暫くは異能生命体が残存することが確認されてる」

 

 ラデックは絵本を眺めてから、隔壁に目を向ける。

 

「……夢の国の噂を聞いてここまで来たものの、入り方が分からなかった。それで、タコになれば隙間から入れると思ったのか……?」

「かもね。だけど、中は夢の異能がなければただの廃墟。夢の国を探して彷徨(さまよ)っているうちに、本体の方が事切れた。ってとこかな」

 

 ピリはラデックの手から絵本を取り、一枚一枚ゆっくりとページを捲る。

 

「……ごめんね」

 

 ポタリ、ポタリと、涙が絵本のページに落ちていく。

 

「ごめんね……!! 追い出して、ごめんね……!!! 最初に出会った時、もっと、もっとちゃんとよく見てあげれば……!!! もしかしたら……!!! 助けてあげられたかも知れないのに……!!!」

 

 声を震わせて涙を溢すピリに、バリアは素っ気なく答える。

 

「外に出る術がないんじゃあ無理じゃないかな。それに、移民の受け入れは狼王堂放送局の役目だよ」

 

 しかしピリはバリアの言葉には何も返さず、子供の遺体を抱き抱えて何度も謝罪を口にする。

 

「ごめんね……!!! ごめんね……!!! 私が、私が悪かった……!!! 怯えてごめんね……!!! 逃げてごめんね……!!!」

 

 ラデックは何も言わずにピリの背中を摩る。だが、レシャロワークは訝しげに子供を見つめ、やがてバリアに問いかける。

 

「……じゃあなんでまだタコがいるんですかぁ?」

 

 ピリはハッとしてバリアの方を振り返る。

 

「そ、そうだよ……!! あのタコは……この子じゃないの!?」

「言ったでしょ。異能生命体は、異能者の死後も暫くは残るって。……でも、それだけじゃないだろうね」

 

 バリアは子供の遺体に近づき、そっと頬を撫でる。そして、ケイリに見せてもらったタコの出没地点と移動経路をまとめた資料を思い返す。

 

「……恐らく、タコは2匹いる」

「2匹……!?」

「タコが街を壊すと、次に現れたタコは比較的街を破壊しないルートで同じ道筋を辿っているような気がした」

「それって……どういう……」

「どういうわけかわからないけど、タコには偽物がいて、この子は自分の偽物を追いかけてる」

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション リゾートホテル“新月” (ナハル・カガチ・ラプーサイド)〜

 

 何やら大きな地響きが聞こえ、ナハルは目を覚ました。

 

「んん……何だ……?」

 

 ベッドから身体を起こし、客室のバルコニーから顔を出す。その時、部屋にカガチがいないことに気が付き、部屋の隅に鎮座していたラプーに尋ねた。

 

「ラプー、カガチはどこへ?」

「あっちだ」

「そうか、ありがとう」

 

 ナハルは部屋を出て、気怠そうに後頭部を摩りながらラプーが示した方へ歩いて行く。

 

「放っておくと死人を出しかねないからな……。いや、流石にもう弁えたか……」

 

 そんなことを呟きながら外へ出た途端、身体に“触腕”が絡みついた。

 

「は――――?」

 

 体が宙に浮き、高速で移動を始める。視界の端にこちらを見上げて驚いているカガチの姿が映る。

 

 そしてタコはナハルを抱えたままホテルを離れ、地平線の彼方へと走り去っていった。



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200話 始まりの終焉教団

 タコの正体を報告しようと、ラデック達はあまちゅ屋と別れて目覚まし時計からハイアに連絡をとった。そこでナハルが誘拐された事を聞いた3人は、急いでホテルへと戻った。

 

〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション リゾートホテル“新月” (ラデック・バリア・レシャロワークサイド)〜

 

「カガチ!! カガチいるか!?」

 

 ラデックが大声でカガチを呼ぶと、彼女は部屋の奥からのっそりと顔を出した。

 

「喚くな喧しい」

「ナハルがタコに攫われたと……!」

「ああ、さっきな」

「それで、タコはどこに――――」

「さぁ?」

「さ、さあって、追いかけていないのか?」

「私が? まさか」

 

 困惑するラデックを押し除け、バリアがカガチの前に立つ。

 

「誘拐されたんだよね? 間違いなく」

「ああ、間違いなく。だ」

「そう」

 

 そこへ少し遅れて、ラルバ、ゾウラ、シスターの3人が到着する。

 

「やっほー! ナハル死んだってマジぃ?」

「ただいま戻りました!」

「ナハルは……ナハルは今どこに!?」

 

 三者三様にカガチに詰め寄るが、カガチはゾウラを小脇に抱えると足早にバルコニーに向かう。

 

「じゃあな」

 

 そして短い別れを告げると、凄まじい跳躍であっという間に空の彼方へと消えていった。僅かな沈黙の後、ラルバがぼそりと呟く。

 

「……逃げたな」

 

 シスターは変わらず狼狽し、縋るようにラルバとバリアに目を向ける。すると、バリアは暫く考えてから溜息をついて口を開いた。

 

「そろそろ限界かな」

 

 バリアはラルバの方に目配せをしてからシスターの方を向く。決して心配や気遣いではない湿った眼差しに、シスターは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

 

「バ、バリアさん……ナハルは……」

「ナハルよりも自分の心配をしな。巻き込まれるよ」

「巻き込まれる……? どう言う、どう、言う……こと……」

 

 発言の意味を徐々に理解しつつ、シスターは青褪めて口元を手で覆う。バリアは気怠そうに髪を掻き、咎めるようにシスターを睨む。

 

「使奴部隊“強欲な蟻”所属。当時の名前は“ジェリー”」

 

 続けて、その場を立ち去りながら言い残す。

 

「“反撃”の異能者……。皆も逃げた方がいいよ。私はその辺散歩してくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜狼王堂放送局 ??? (ナハルサイド)〜

 

「ど、どこまで行くんだ……!?」

 

 タコはナハルを抱えたまま、坑道の中を下へ下へと突き進んでいく。しかし、坑道の径は2m前後。タコの全長は数十m。幾ら軟体動物とは言え、あまりにも狭過ぎる隙間。それでもタコは、ナハルがやっと通れるような隙間も流体のように進んで行く。それからすぐに坑道は途切れ、タコが掘ったのか歪な洞窟をひたすら下へ突き進んでいく。

 

 やがて広めの地下空間に到達すると、タコはナハルを地面に放り投げた。

 

「おわっ!?」

 

 ナハルがなんとか受け身を取ると、タコは空気が抜けるように身体を小さく萎ませ、手のひらサイズにまで縮んでナハルの肩に乗った。

 

「……何でもアリか、お前」

 

 タコは髪を軽く引っ張り、触腕で一方を示す。

 

「……あっちに行けばいいのか?」

 

 微生物の発光が微かに照らす暗闇の中、ナハルはタコが示した洞窟の奥へと歩みを進めた。

 

 

 

 暫く歩くと、遠くから人の話し声のようなものが聞こえてきた。そこから更に歩みを進めると、地下深くとは思えないほど広大な空間に辿り着いた。

 

「何だここは……?」

 

 石で出来た小さな小屋がフジツボのように犇めき合い、青白いランプが海蛍のように暗闇を晴らしている。一つの街と呼べるほどに大きな集落が、ナハルの目の前に広がっていた。

 

「こんな地下に、一体どうやって……」

 

 使奴の感覚からすると、現在地は地表より地下500m付近。しかし、これだけ広大な空間を掘削するのは旧文明の技術でも困難。それを、地上の狼王堂放送局に見つからずに成し遂げている。

 

 ナハルが街に近づくと、辺りから話し声が聞こえてきた。

 

「さあさ早く! ”長“のお言葉ぞ!」

「今支度をする! 先に行っておれ!」

「遅れるでない、遅れるでないぞ」

「”生贄“を選ばねば、今宵は誰の番か」

 

「生贄……?」

 

 住民達は皆楽しそうにどこかへと走り去って行く。ナハルがそれを追いかけて行くと、とある祭壇に辿り着いた。大勢の人間が見上げる石造りの祭壇は青白い炎に囲まれ、壇上の女性の姿を妖麗に照らし出している。

 

「皆さん。用意はいいですか?」

「万歳!! ホースド様!!」

「万歳!!」

「万歳!!」

 

 女性の声に、集まった人間達は喝采を上げ、両手を突き上げて「万歳」と叫んでいる。

 

「万歳!! 万歳!!」

「ホースド様万歳!! ”始まりの終焉教団“万歳!!」

「終焉教団万歳!!」

 

「……始まりの終焉教団? 今更何故奴らが……」

 

 始まりの終焉教団。200年前の大戦争後に、世界各地で同時多発的に発生した思想を基盤とする新興宗教。元々は、崩壊した苦痛しかない世界で終わりを求めた者達のニヒリズム的思想だったが、いつしか終焉そのものを崇拝する過激派殺戮組織となった。だが、約180年前に教祖“ホースド”が「終焉の世界をこの目で確かめる」と言い残し自殺してからは徐々に衰退し、それから数年と経たずに自然消滅していた。

 

 それから180年後の現在、ナハルの目の前には嘗ての始まりの終焉教団に匹敵する規模の大人数が、死んだはずのホースドを崇め声を上げている。

 

 ナハルが隠蔽魔法で身を隠し人混みの隙間からホースドの顔を窺っていると、タコが勢いよく襟を引っ張った。

 

「なんだ? 今は隠蔽魔法を使っているからバレる心配はないぞ」

 

 それでもタコは襟を引っ張り、後ろの方を示して何かを訴える。

 

「……そっちに何かあるのか?」

 

 タコの示すままその場を少し離れると、背後から刺々しい波導が放たれるのを感じる。

 

「万歳!!」「万歳!!」「万歳!!」

「万歳!!」「万歳!!」「万歳!!」

「万歳!!」「万歳!!」「万歳!!」

 

 信者の声は段々と大きくなり、祭壇の上に現れた“それ”を祝福し欣喜に湧き上がる。

 

「こ、これは……」

 

 ナハルの目の前に現れたのは、見上げるほどに巨大なあの“タコ”であった。

 

「タコが……2匹……!?」

 

 突如現れた大ダコは徐に触腕を伸ばし、信者のひとりを捕まえる。

 

「生贄だ!!」

「生贄だ!!」

「生贄が選ばれた!!」

 

 捕まえられた信者は声を上げる間もなく引き寄せられ、大ダコの足の隙間から巨躯の真下に吸い込まれて行く。そして、粘液が跳ねるような音を交えた破砕音が漏れ出し、やがて血に塗れた衣服だけが吐き出された。

 

 ナハルが思わず息を呑んだ次の瞬間、ホースドが高らかに声を上げる。

 

「お終わりになられました――――!」

 

 信者達が狂喜して呼応する。

 

「お終わりになられました!!」

「お終わりになられました!!」

「お終わりになられました!!」

「ホースド様!! 次は私を!!」

「いや俺を!! 俺を!!」

「俺を選んで下さい!!」

 

 信者達は恐れるどころか、我こそはと声を上げて生贄を志願している。その異様な光景を目にして、ナハルは軽蔑するように目を細めた。

 

「悍ましいな……。しかし、タコか……」

 

 ナハルが肩に乗った小ダコに目を向ける。子ダコは2本の触腕で目を覆っており小さく震えている。

 

「……お前が異能による産物だと言うのは察しがつくが、あの大ダコは流石に別物だよな?」

「どちら様ですか?」

 

 唐突に自分に向けられた声に、ナハルは思わず顔を上げる。祭壇上の女性が真っ直ぐにこちらを見つめている。しかし周囲の信者の多くはナハルと目が合っておらず、ただ女性が見ている方向に目を向けているだけに見える。ナハルは隠蔽魔法が無効化されていない事を確認すると、壇上の女性を睨み返す。

 

「……異能者か」

「次の生贄が決まりました。お迎えの準備を!! 万歳!!」

 

 女性の号令を聞いた信者達は、見えない敵の存在を疑うことなく虚に歩き出す。そして、奥の大ダコが触腕を振り上げナハルに殴りかかる。

 

「なっ――――!?」

 

 使奴であるナハルに悠長な大振りなど当然当たらないが、その空振りは多くの信者を圧殺した。しかし信者達は臆する事なく進み、大ダコは追撃のために再び触腕を振り上げる。

 

 そして、大ダコの空振りによって洞窟の天井に罅が入り、雪崩のように大量の岩が降り注いだ。ナハルは防壁魔法を挟みつつ何とか落石を回避し、家屋の隙間に身を隠す。

 

 このまま大ダコが暴れれば、地盤沈下を引き起こすことは必至。

 

 そしてナハルの反撃の異能は、自身が受けた攻撃への自動的な反撃。大ダコの大振りを少しでも擦れば、使奴の地をも砕く凄烈な一撃が洞窟を揺らすことになる。

 

 つまりナハルは、大ダコの暴走被害を抑えつつ、自身は擦り傷ひとつ負うことなく、魔法使用による使奴細胞の弱体化を加味した上で、大ダコと祭壇の女性を無力化しなければならない。

 

「これは……まずい……!!」



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201話 悪い冗談

〜狼王堂放送局 地底の街 (ナハルサイド)〜

 

 洞窟の天井が(ひび)割れ、大岩が落下する。それを、追いかけるようにして伸びた粘液が岩々を絡め取り徐々に硬化していく。大ダコが触腕を叩きつけるたびに天井が崩落し、壁は弾け飛ぶ。そして、地盤沈下を食い止めるために放たれたナハルの水魔法の粘液が罅割れの隙間から湧き出る。その繰り返し。

 

「っはあ!! っはぁ!! クソっ、キリがない……!!」

 

 

 使奴の魔力は無限だが、出力上限は存在する。一度に消費できる波導量に魔力回復は追いつかず、魔法を放つごとに使奴細胞は出力を落とし肉体が脆くなっていく。本来は数十人で詠唱をするような大魔法を単独で乱発したナハルは今、その代償に息を切らしている。塔を飛び越える脚力も今は十数mを跳ぶのがやっとで、200年を超える人生の中でも記憶にない疲労感が頭を揺さぶる。桁外れの演算能力を持つ思考には常に靄がかかり、耳鳴りと眠気が死へ誘うように侵食してくる。

 

 大ダコの薙ぎ払いに合わせ、カウンターに土魔法の斬撃を放つ。大ダコは触腕ごとぶつ切りにされ、サイコロ状になった肉片が宙を舞う。しかし、肉片は互いを引き合わせるように集まり、あっという間に元の姿に戻ってしまう。これ以上ナハルに為す術はなく、水魔法に魔力を割くため隠蔽魔法も解除してしまった。今はただ、自由気ままに暴れ狂う大ダコから逃げ惑うのみ。

 

 極めつけはナハルの異能の性質。反撃の異能は肉体にダメージを負った時に自動で反撃するというものであり、意識的に堪えることが出来ない。そして、何より問題なのは発動条件よりもその威力。ナハルがこの異能に目覚めた時、彼女は第一使奴研究所の実験室にいた。そこで研究員が皮膚の強度計測のため針を刺したところ異能が発動。お手伝いロボット程度の機能と知識しか持たぬ生まれた直後のナハルが放ったのは、波導を無作為に放出するだけの極めて原始的な衝撃波。だが、使奴細胞から放たれた衝撃波は第一使奴研究所の2割を破壊し、140名の死者を出す大事故を引き起こした。反撃の異能は受けたダメージによって威力が増幅することはあるが、小さなダメージだからと言って威力が下がるということは無い。今ナハルが敵の意思で薄皮一枚でも傷つこうものなら、狼王堂放送局が使奴研究所の二の舞になる。

 

 更に、始まりの終焉教団の狙いは恐らく地盤沈下そのもの。自分達ごと狼王堂放送局を崩壊させること。ナハルが今ここで大ダコを食い止めなければ、地上はあっという間に瓦礫と大火に包まれる。

 

 ナハルは逃げながら小石を拾い、背後に向けて弾き出す。使奴の力を以てすれば、ただの石礫(いしつぶて)さえ狙撃銃に匹敵する威力を持つ。小石は銃弾に匹敵する速度で飛んでいき、祭壇の上にいる教祖の頭部を捉える。しかし――――

 

「おや……」

 

 教祖の周囲で待機していた“アリの群れ”が、体を寄せ合って防壁を作り石を弾き飛ばした。直撃を喰らったアリの一部は衝撃でバラバラになって宙を舞い、“糸状に解れて”大気中に霧散した。

 

「クソッ……!!!」

 

 大ダコを止めるには、術者である教祖を止める他ない。しかし、その為には疲労困憊の身体で大ダコの攻撃を掻い潜らねばならず、近づいても今度はアリの群による妨害が待っている。更には、教祖を殺せたとしても異能生命体である大ダコが消滅する保証はない。

 

「さあ追い詰めましたよ、紺碧(こんぺき)の悪魔よ」

 

 教祖の歌うような声に、ナハルは岩盤を背負って睨み返す。眼前には信者の群れ、その奥に大ダコ。そのさらに奥に、アリの群れによって作られた高台に立つ教祖の姿。ナハルの肩に乗った子ダコは、首にしがみついたまま殺意に当てられガタガタと震えている。

 

「……私に何の恨みがある」

「もう化けの皮は剥がれています。我らを滅するために遣わされた地獄の傀儡(かいらい)よ、終焉の地から出て行くがいい!!」

「……話すだけ無駄か」

 

 ナハルは子ダコを掴み安全圏まで放り投げる。そして、力一杯に地面を蹴り大ダコの眼前に飛び上がった。

 

「悪く思うなよ」

 

 ナハルの拳より先に、大ダコの薙ぎ払いがナハルを捉える。しかし、触腕はナハルに触れる直前で爆ぜるように千切れ飛んだ。余波の爆風が信者達を吹き飛ばし、岩肌を削る。

 

「…………ギリギリ許容範囲内か?」

 

 ナハルの目論見通り、大魔法の連発で疲弊し切った使奴細胞から放たれた“反撃”は、岩盤をも穿つ大ダコの腕を八つ裂きにする程度の威力まで弱体化していた。この状態ならば例え最大火力を放ってしまったとしても、当てさえしなければ精々衝撃波で信者全員の脳をミンチにして全滅させる程度。天井の崩落も既に水魔法による粘液で塞いでいる。地盤沈下には至らない。

 

「全く、人の気も知らないで……。手加減するのも楽じゃないんだぞ」

 

 信者の過半数は転んだ際に頭を強打し動かず、その他も身体を強く打ち付けて満身創痍の状態。教祖だけがアリの防壁で難を逃れ、ただひとり惨状を静観している。ナハルは

 

「さて……。ご覧の通り私に勝つのは不可能だ。理解出来たら大人しくしていてくれ。こんな場所で暴れたら、岩盤崩落で全員即死だぞ」

「……善良なる御霊は救済の園へとお終わりになられる。千難万苦の闇を彷徨(さまよ)うのはお前だけぞ」

「はぁ……。こんな時、バリアがいれば苦労ないんだがな……」

 

 ナハルが拳に力を入れたその時、崩壊した街の奥の方から見知った波導を感知する。

 

「ダメだナハル!!! 彼女を殺すな!!!」

「この声は……ハザクラ?」

 

 ナハルのもとに現れたのは、ハザクラ、ジャハルの2人。息を切らして駆け寄る2人に、教祖が宙を扇いでアリの群れをけしかける。

 

「征け、無明の下僕たちよ」

『止まれッ!!!』

 

 ハザクラの命令を聞いたアリ達はピタリと動きを止める。続けて地面を蹴って飛び上がり、大ダコに向かって言葉を放つ。

 

『消え失せろ』

 

 大タコは小さく身を震わせると、溶けるようにして地面へと染み込んで消滅した。その隙にジャハルが瀕死の信者達に向け混乱魔法を放つ。息も絶え絶えだった信者達は完全に戦意を喪失し地に伏せ、教祖はあっという間に劣勢に立たされた。

 

「小賢しい……穢世の虚衆風情が」

 

 教祖が牙を剥き出しに2人を睨むと、ジャハルが一歩前に出て(ひざまず)く。

 

「お久しぶりです。“コンカラ少尉”」

 

 ジャハルにそう呼ばれ、教祖は憤怒の相を引っ込めて押し黙る。

 

「もう、やめて下さい。私の記憶に残るコンカラ少尉は、私怨などで我を忘れるお方ではございません」

「………………」

 

 ハザクラはナハルの方へ視線を送った後、教祖の方を向いて頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります。ヒダネで総指揮官を任されています、ハザクラと申します。……軍団アマグモ所属、コンカラ少尉。複製の異能者……。確かに貴方ならば、1人で大ダコの操作も地下の掘削も可能でしょう」

 

 教祖は何も返さない。最早ナハルなどには目もくれず、ただ黙って2人の方を睨んでいる。

 

「今から18年前。当時15歳だったドロドが人道主義自己防衛軍へ緊急搬送されてきた。爆撃により右腕と両足を失う重症……そこで我が国の軍医、Dr.フィズリースが丸1日かけて彼女を救った。だがその傍ら、本来フィズリースが手術する予定だった女性の容態が急変し、そのまま亡くなった」

「……ええ、私の娘です」

 

 教祖の女性が頭巾を取り、その風貌を露わにする。それは、まだ幼かったジャハルの良き遊び相手でもあり師でもあった女性。コンカラ・バルキュリアスその人であった。

 

「イカラ……。私の可愛い一人娘……。もう一度この手で抱いてあげたかった……」

 

 コンカラは胸を抱いて目を瞑り顔を伏せる。ナハルは信じられないと言った様子でコンカラを見つめ、思わず言葉を口走る。

 

「まさか……復讐だったというのか……!? 娘を助けてもらえなかった腹癒せに、ドロドを国ごと潰そうと……!?」

 

 (うずくま)るコンカラに向かって、ジャハルも続けて思いを叫ぶ。

 

「ホースドの名を騙って、無関係の人を大勢巻き込んで……!! 私の知る少尉は、そんなことをする人じゃなかった……!!! 何故です少尉!!! 何故こんな馬鹿げたことを……!?」

 

 ジャハルは膝をついてコンカラの両肩を抱き顔を覗き込む。変わらず穏やかに微笑むコンカラに、困惑と憤慨の入り混じった涙声をぶつける。

 

「少尉!! 貴方は親友を失った私を、あんなにも心強く慰めてくれたではありませんか!!! 私の正義は、貴方の正義でもあった!! 私だけじゃない……!! 当時、貴方に憧れた者は大勢いた!! 貴方の優しさと気高さに、心を救われた者が大勢いた!!! なのに、どうして……!!! どうして……!!!」

 

 コンカラはジャハルをそっと押し返し、頬を優しく撫でる。

 

「ジャハル……あんなに小さかった子が、こんなに大きくなって……泣き虫は治っていないのね……ふふ……」

「少尉……?」

「まだ私のことを少尉と呼んでくれるのね……。ごめんなさい……」

「少尉、何を――――」

「全部、“冗談”なの」

 

 コンカラの口から、服毒による大量の血が溢れる。

 

「な――――――――!!!」

 

 直後、地下空間の全方位から凄まじい爆発音が響き渡る。

 

「ぐっ……!? 何だ!?」

「不味い……!! 今度こそ崩れるぞ……!!」

 

 ナハルが塞いだ罅割れがさらに大きく割れ、地響きと共に大量の岩が落下してくる。爆発音は未だ鳴り止まず、連続して地を揺らし続けている。

 

「ジャハル立て!! 逃げろ!! 潰されるぞ!!」

「待って!! 少尉も一緒に!! ナハル!!」

「悪いが無理だ――――……!! 魔力が足りない!!」

「じゃあ虚構拡張で――――!!」

「馬鹿やめろ!! 窒息する!!」

 

 ジャハルがしどろもどろしているうちに、天井が崩落し巨岩が襲いかかる。すると、それを突如現れた“大ダコ”が弾き飛ばした。

 

「なっ、2匹目!?」

「お前、さっきの子ダコか!?」

 

 大ダコは更に巨大化して天井を支え、ナハルに目配せをする。

 

「っ――――!! ありがとう!! ジャハル、ハザクラ!! 行くぞ!!」

「ま、待ってくれ!! 少尉!! 少尉!!!」

「諦めろ!!」

「ううっ……!!! ああああああっ!!!」

 

 泣き叫ぶジャハルの手を引いて、ハザクラとナハルは大急ぎで出口に向かって走って行く。それを大ダコは視線で追いかけて、それから足元で倒れているコンカラに目を向ける。

 

「……ありが、とう。そして、ごめんなさい……。貴方も……逃げて……」

 

 大ダコが優しく触腕を伸ばすが、それをコンカラは掌でそっと押し返す。

 

「私は、いいの……。悪いこと、いっぱい、したもの……。ほら、早く……逃げて……」

 

 大ダコは暫く目を震わせて葛藤していたが、意を決したように背を向けてハザクラ達を追いかけ走り去っていった。支えがなくなったことにより天井は一気に崩れ、大岩が無防備なコンカラに降り注いだ。



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