スーパーロボット、異世界転移してモンスターをブチのめす (NNNN5456)
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第1章 激震!!新たなる世界編!
#1 衝撃と激闘の新天地


『――きて。起きてくだ――海斗。海斗!』

「んあ……?」

 

 無機質な電子音声に名前を呼ばれて、(くろがね)海斗(かいと)は目を覚ました。

 

 眠っていたというより、単に気絶していたようだが。

 頭が割れ鐘のようにずきずき痛む。

 重くダルく、鈍くてキモい、憂鬱な気分が一気にのしかかってくる。

 

 こんなに(いて)えなら脳みそなんか入ってんじゃねえよ……などと、ひとりごちるように毒づいてから。

 

 頭を振ってあたりを見回した。

 ここは――海斗の愛機、人型巨大兵器『エックス』のコックピットだ。

 

 慣れ親しんだシートではあるが、寝心地は最悪だった。

 窮屈なのは仕方ないとしても、作戦によっては何時間も座ったままいるのだから、背もたれぐらい高品質の天然皮革にしろよと何度も言ったのだが。

 あいにくとこの機体の設計者も、整備班も、そんなせいぜいが常識的な要求を聞き入れる人物はひとりもいなかった。

 

 舌打ちしてうめく。

 呼びかけたのは、さっきからやかましく海斗にまくし立てているAIにだ。

 

「クオ……おい、うるさいぞクオ! 一回黙れ! 警報機器(レッドアラート)も止めろ、目がチカチカする!」

『目を覚ましましたか海斗。よかった』

「よくねえよ。死んだほうがマシって気分だ。あーもう、くそったれ、AIのお澄まし声で目を覚ますハメになるなんてのは……」

 

 美女の囁きとまで言わないにせよ、せめて起き抜けに聞かされるなら、朝鳥の鳴き声ぐらいにしてほしい。

 

 エックスに搭載されたナビゲーター兼戦闘補助AI、クオは有能だが、だいたいいつもウザい。

 そのウザい声で、毎度毎回面倒な厄ネタばかり告げられるせいで、海斗は電子機械類にうんざり気味だ。

 

 ロボット乗りのくせに――と自分で突っ込みながら、続くクオの言葉を聞いた。

 

『非常事態です、海斗。つまり……非常にまずい状況です』

「なんで2回言った? 内容を言え、内容を」

『落ちています』

「ああん?」

 

 正面のコンソールをやぶ睨みして、聞き返す。

 別にAIの声はそこから響いているのではないが、ともかくクオが告げる。

 

『本機、特殊人型機動兵器エックスは現在、高高度から自由落下しています』

「自由……なんだ、墜落だと? なんで?」

『飛べないからですかね』

「当たり前だろ、ボケてる場合か! どうして落ちてるのか聞いてるんだよ俺はァ!」

 

 エックスは飛行動力も、単体での空中航行機能も備えていない。

 それは仕方ないにせよ、そもそも飛ばないのなら、空から落ちるはずだってないのだが。

 

 しかし、今は細かいことを考えるのはなしだ。

 

 現状を把握した瞬間に、腹の奥に感じる重い振動と衝撃を自覚する。

 そんな錯覚。

 無重力めいた落下感。

 

 それを意地できっぱり無視して声を鋭く、海斗は叫んだ。

 

「状況は!」

『悪いです。直前の戦闘行動で機体各部が損壊、伝達系に故障と異常多数、出力は60%まで低下。特に各センサー・モニターの破損障害が激しく、詳細不明ですが、分かる範囲では地表まで200――』

「全スラスター吹かせっ、地面とキスするまでの時間を稼ぐんだよ!」

『やっていますが、姿勢制御だけでやっとで』

「もっと気張りやがれポンコツ! 気合い入れろー!」

 

 無茶振りしつつ、海斗自身も操縦席内の各モニターをチェックする。

 

 クオが言うように半分の画面がブラックアウト、残り半分も灰色のノイズだらけで、状況はさっぱり。

 それでも地表の山林らしき影を見つけて、その位置と角度から大雑把な現在の高度と、機体状況を把握した。

 おそらく激突まで残り5秒もない。

 

 野生めいた勘と勢いで、海斗は即断した。

 

「エクスブラスター、行けるか!?」

『かろうじて。しかし、エネルギー残量的に50%の出力が限度で、しかもおそらく放った後は――』

「マイナス材料は聞いてねえ、とにかく、てめえと心中するのだけはごめんだ! 仮想誘導砲門展開! 射出角垂直直下、タイミング合わせろっ」

 

 叫び、両手それぞれで内蔵武装レバーを掴んで、引き絞りながら。

 

エクス(『X』)ブラスター(Blaster)――ぶっ放せ!」

『発射』

 

 機体装甲の胸部が展開し、真紅の輝きが十字に膨れ上がると同時、間近に迫った大地へと超高密度の熱衝撃波が突き刺さる!

 

 膨大な熱と運動エネルギーが、山の中腹に炸裂して木々を薙ぎ払う――土砂を巻き上げ、吹き飛ばす。

 それは副次的な威力に過ぎないが、ともあれ、撃ち出した分の反動だけ落下速度は低減した。

 

「ぐぅおおおっ……!」

 

 急制動でのしかかった衝撃力のせいで、ただでさえ座り心地の悪いパイロットシートが軋んで尻に食い込む。

 ビービーとやかましい警報を止めることもできず、舌を噛まないように海斗は歯を食いしばった。

 

 無論、本来はこんな使い方をする兵器ではない。

 咄嗟に簡易ブースターとして吹かしたが、落下エネルギーを完全に相殺しきれないことは分かっていた。

 再びの落下感を味わいながら、どころか姿勢制御が狂って上下左右の感覚もゴチャ混ぜにされながら、海斗は激突の衝撃と瞬間を待った。

 

 聞いてもいないのに、クオの声がそれを告げた。

 

『落着――衝撃、来ます』

 

 嫌味に感じるほどその通りになった。

 

 右の肩口から、だろう。傷だらけの黒い巨体が山の斜面にぶち当たり、そのまま坂を転がり落ちる。

 当然、機体内の海斗にも緩衝器(アブソーバー)越しに同種の震動と轟音が伝わった。

 パイロットシートに固定しているはずの身体が、見えない壁の中で跳ね返るようにあちこちぶつかり、打ちつけ、軋んで弾けて、いたぶられる。

 

 不快な衝動に神経がねじ曲がり、内臓まで裏返りそうだった。

 棺桶にこもるような心地で、痛みと悲鳴をこらえながら、永遠にも思える十数秒をひたすらに耐える……

 

 そしてどうにかこうにか、耐えているつもりでいるうちに、激動の時間は終わってくれた。

 なにがどう止まったものやら、気づけば海斗の身体(と忌々しいシート)は、天井からずり下がるように逆さまの格好になっていたが。

 

 息をつく。

 口を開いた。

 

「……おい。おい、クオ」

『なんでしょうか海斗』

 

 平静に訊ねてくるウザいAIに、海斗は吐き捨てた。

 

「お前これ、上下逆さまで止まってるの、わざとやっただろ」

『私の記録(ログ)にはなにもありませんが?』

「嘘つけ! 絶対わざとだ! 山を転がり落ちてこんなきっちり180度逆転して止まるわけねえだろ!」

 

 叫んだところで、ちょうど各種モニターと制御コンソールが復活した。

 

「…………」

 

 試しにマニュアルで操縦して、ひっくり返っていた機体を起き上がらせる。

 レバーもペダルも異常なく連動して動き、動力と伝達系を通して腕に、足に、指のマニピュレータに指示が行き渡った。

 ゴゥ、ン――と唸るような音を立てて、エックスの両脚部が地を踏みしめ、黒鉄の巨人が大地に立つ。

 

 再起動した各部センサーとカメラが周囲の様子を捉え、シート前面の大型モニターに映し出した。

 

『これはひどい』

 

 と、今度はクオが先んじて言ってきた。

 復帰したコンソールの隅、声に合わせて『Q』の文字の平たいアバターがピコピコ点滅する。

 

 打った首をひねってゴキゴキ言わせながら、海斗は答えた。

 

「他人事みたいに言うなよ。俺たちがやったんだから」

『それはそうですが。ひどいものはひどい。なにひとつスマートじゃない――それに、むやみな自然破壊は推奨できませんね』

 

 まあ、ひどい有り様なのは事実だった。

 光熱波を受けた山肌は抉れ、転げ回った斜面はズタズタ、風圧で木々はへし折れ、散った葉と土砂がぱらぱらと降り注ぎ、もうもうと立ち込める土煙で景色は曇る……

 

 とにかく惨状だ。大事故である。

 ここまで来ると、とりあえずでも機体とコックピットが無事なのが不思議なぐらいだった。

 

 無骨(ハード)肉厚(マッシブ)な見た目通り、エックスが頑丈(タフ)機体(マシン)なのは知っていたが。

 それでもちょっと理屈に合わない気はする。

 少なくとも数百メートルを落下して、爆風のクッションもあったとはいえ、これだけの被害を出した当人たちがぺしゃんこになっていないとは。

 エックスも、中に乗っている海斗も、あと、搭載されたクオの∞チップ(・・・・)もだ。

 

 クオのチップ――

 はっと思い出して、海斗はクオ(Q)のアバターに向き直って訊ねた。

 

「あの最後の戦いは! ……Dr.ゼロのジジイは、どうなった?」

『不明です。敵要塞基地を破壊した際の大爆発で、私の機能も一時停止していましたから』

記録(ログ)は残ってないのか?」

『確認――主観・客観の両時間において、あの決戦から5分と経っていません』

「ンな馬鹿な。他の(インフィニティ)チップの反応は? 確かさっきは26個全部、ジジイから奪い取ってエックスに接続してただろ?」

 

 突然の高空落下に続き、意味不明な状況の連続に、疑問ばかりが増えていく。

 しばしの間を置いてから、クオが答えを出した。

 

『∞チップの特異反応、周囲1500メートル以内にはなし。当機体、エックスの“X”と、私の“Q”のチップ以外には』

「吹っ飛んだのか……? それとも、消し飛んで壊れたか。だったらなんでお前は残ってんだよ。一緒に消えてなきゃおかしいだろ」

『私がいなければ、あなたとエックスは状況が分からないまま“地面と熱烈にキス”して、仲良くミンチとスクラップだったはずですが?』

「いや、そりゃそうなんだけど……なんだかなあ」

 

 釈然としないが、曖昧にうなずいておく。

 わけが分からない。どうすればいいのかも。

 

 なんであれ、まずは基地に帰還するしかなさそうではあった。

 指示を出す。

 

「まあいいや。クオ、GPSを出してくれ。とりあえず、ここがどこなのかくらい分からないと、さすがにどうしようもないし」

『――エラー。GPS、機能しません』

「はあ?」

 

 露骨に声から間が抜ける。

 その声音のまま続けた。

 

「冗談言ってる場合かよ。一番基礎的なシステムだぞ? 故障するわけねえ」

『故障ではありません。エラーです。作動はしますが、機能が働かない。もっと言うなら、軍の衛星システム自体が存在していない(・・・・・・・)

「待て待て。俺が悪かった。確かに衝突を回避できたのはお前のおかげだよ、クオ。でもお前だって、超科学エキスパート研究所に帰れないままじゃ困るだろ――」

『海斗』

 

 と。

 AIにはあるまじき神妙さで、クオは言った。

 

 それは唐突なようでいて――後で分かるのだが、結局、一番重要になったのであろう、ふたつの事柄を。

 

『いい知らせと悪い知らせがあります。ひとつは、800メートルほど先の地点に人の生活拠点を発見――規模からすると、大きめの町ですね』

「もうひとつは?」

『反対側、本機の背後から、巨大な生体反応が近づいてきます』

「生体……って」

 

 奇妙な言い回しに、海斗は首を傾げた。

 

「巨大生物? 象かなにかか? それはいい知らせと悪い知らせのどっちだ?」

『ただの動物ではありません。もっと大きい。本機と――全高25メートル(・・・・・・・・)のエックスと、同等以上のサイズです』

「なんだそりゃ。そんな生き物がいるかよ、恐竜でも湧いて出てきたのか? さもなきゃ、Dr.ゼロの征服ロボの生き残りと見間違えたか――」

『エラーではありません。間違いなく生命体です』

「いや、だって、さすがにそんなわけは」

 

 それでも一応、エックスを振り返らせて後ろを向いた。

 なんであれ脅威になる存在なら、さすがに無視できない。

 

 その次の瞬間だった。

 

「な――」

 

 山の陰から。つまりは、さっきエックスが滑り落ちて、更地同然になったはげ山を回り込むように。

 ぬうっと現れたのは、それこそ恐竜をも超えるようなサイズの巨大なナニカだった。

 

 面構えも恐竜っぽい。

 馬鹿でかいワニかトカゲというか、突き出した口と鼻先、口腔内部からのぞく恐ろしげな乱杭歯(らんぐいば)と、まばたきしない縦長の瞳孔。

 さらには天を衝く巨大な黒い二本角まで生やして、なんというか、ゲームや怪獣映画で見る『いかにも』なモンスターのようではある。

 

 血で染まったように赤い巨体、体表を覆う岩のようなウロコ、野太い四つ足――

 一歩踏み出すだけでズシンと大気が震え、まだ残っていた木々をバキバキと押しのけて、鋭い岩のような爪が地に食い込んだ。

 背中には翼もある。

 禍々しい、コウモリ(よう)の、悪魔のような飛翼だ。

 この巨体では物理的に空を飛べるはずがないが、理屈はともかくいきなり羽ばたきだしてもおかしくなさそうな、えも言われぬ迫力と凄みがある。

 

 怪獣は、グルルルル……と、獰猛な唸り声を発している。

 ぶしゅー、ぶしゅーという荒い吐息と鼻息まで機体の音域センサーが拾って、思わず海斗は頬を引きつらせた。

 どう見ても話の通じない相手だ――というか、全力で威嚇されている。

 

 ガン飛ばされて、メンチ切られている。

 喧嘩を売ってるのだ、こいつは。

 

 海斗は口を開いて、クオに訊ねた。

 

「クオ。こいつは……なんだ?」

『はい。いいえ海斗、おそらくですが、地球上にこのような生物は存在しません』

「じゃあなんなんだ、どういう状況だよこれ!」

『思うに、いわゆる“ドラゴン”という、幻想上の怪物と遭遇してしまったのかと』

「見りゃーーーー分かることを、わざわざご説明ありがとうよ! で!? こういう時の非常対応マニュアルとか、気の利いたアドバイスはねえのか!」

『エラー。海斗、ぶっちゃけこれ、完全に想定外の事態です』

 

 あてにならない補助AIの声はともかく。

 

「ゴォオアァァアアア――――ッ!」

 

 猛々しく天に響く咆哮とともに、巨体と尻尾を揺らして突進してくる“ドラゴン”の敵意は、分かりすぎるぐらい分かりやすかった。

 

 災害を思わせる巨大すぎる威圧感。

 Dr.ゼロの繰り出す征服ロボたちとはまた違う、かつて経験したどんな窮地とも別種の、まったく未知の脅威が襲い掛かる!

 

 クオがさらっと告げた。

 

『海斗。大気組成の細かな差異や天候と天体の運行など、現在の状況を多角的な視点から分析すると、我々がいるここは地球ではなく……つまり、推測ですが“異世界転移”をしてしまったのではないでしょうか』

 

 それもだいたい、すぐに想像つきそうな話ではあるが。

 毒づいた。

 

「マジで死んでたほうがマシだったかもな。が、細かい話は後だ。やるぞクオ!」

了解(サー)認証しました(イエッサー)鉄海斗(マイマスター)

 

 操縦レバーを強く握り込み、突っ込んでくる赤竜を迎え撃つように、エックスの巨躯を前進させる。

 漆黒のマシンが稲妻の眼光(ツインアイ)を閃かせて、鋼鉄の咆哮(エグゾーストノート)とともに豪腕の拳を振り上げた。

 

 ここがどこであれ、あの怪物がなんであろうと、関係ねえよ知ったことか――

 

「売られた喧嘩は買うだけだ、意地と道理で推して参るッ! きっちりカタ()めてやるぜ、行くぞオラァァァ!」

 

 これが衝撃と激闘の新天地(ウルトラ・バトル・フロンティア)

 掟破りの大一番――

 スーパーロボットVSドラゴン、ここに開幕。

 

 お代は見てのお帰りだ。




お代は見てのお帰りでお願いします。


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#2 VSドラゴン

「喰らえや赤トカゲ、鋼の右ッ!」

 

 間合いに入ると同時に放ったエックスの右ストレートが、迫る赤い巨竜の顔面をカウンターで打ち据えた。

 

 唸るアクチュエータ、鋼鉄が雄々しく躍動し、ギガプラズマエンジンが生み出す80万馬力が鉄拳を通して炸裂する。

 巨人と巨竜、巨躯と巨体のぶつかり合う衝撃が、豪風を巻き起こして山を、木々を、大気を震わせて走り抜けた。

 

「――――!」

 

 爆発するような凄まじい破壊力が、分厚い鱗を貫いてドラゴンの巨体を仰け反らせる。

 

 続けざまに海斗は逆側、左腕部に直結するレバーを握って押し込んだ。

 赤竜が下がった分だけ、さらにエックスが一歩踏み込んで、追撃の左フックを打ち放つ。

 

「まだまだぁっ! 黄金の左!」

 

 豪腕が、頭を上げてがら空きになったドラゴンの胴体部を殴り抜いた。

 超硬質の鱗をぶち割り、分厚い皮膚と筋肉の層を抉る拳。

 

 濁音にまみれた鈍い悲鳴を上げて、ぐらりと竜の巨体が傾く。

 こいつが生き物であるなら、体内には内臓もまた必ず存在するはずだ。

 剛拳の衝撃が、そのいくつまでを貫いたかは分からないが、ダメージは間違いなく与えられている。

 

 岩を打ったような反動と感触の向こうで、エックスを通して確かな手応えを感じながら、海斗は胸の内で吠えた。

 

(だったら、やれる――いいや勝つ! こいつはここでぶっ潰す!)

 

「おぉらあぁぁぁっ!」

 

 左右の連打。

 フェイントなど(まじ)えない、渾身全霊の正拳と逆突きをつるべ撃ちに叩き込んだ。

 

 ドラゴンの顔面が、胴が腹が、鱗の鎧に覆われた図体が、連続する衝撃の形にボコボコとへこんでいく。

 

「グゥオオオ――!」

 

 たまらず苦鳴を上げた竜の巨体が、ズズズ……と音を立てて大きく後退する。

 四つん這いの巨体が大きくよろめいて、半ば目を回しているのが、モニター越しの海斗の目にもはっきり映った。

 

 隙だらけだ。

 速戦即決、ここが勝機。

 

 エックスの両手を重ねて掲げ、海斗はそれを力強く振り下ろした。

 

「ぶっ潰れろ! 黒鉄(くろがね)のォ、鉄槌――ッ!」

 

 そのもの、ハンマーのように真っ直ぐ打ち下ろした両拳の一撃が、ついにドラゴンを地面に叩き伏せた。

 四つの足ががくりと地につき、もたげていた首が遅れて落ちる。

 ズズ……ゥン、と、大きく地鳴りの音を立てて、赤竜は地に倒れ込む。

 

 コックピット内でビシッと指を立て、海斗は快哉(かいさい)を叫んだ。

 

「っしゃオラァ! 見たかコラァ! 今度道ですれ違う時ゃーてめえが端っこに寄るんだぞウラァッ!」

『測量したところ、すれ違うような大きさではないように思われますが?』

 

 機械(AI)のくせに、器用に呆れた様子で言ってくるクオに、海斗は言い返した。

 

「分かんねえだろ。“異世界?”なんだから。交通整理とかちゃんとしてると思うか? 常識の成り立ちからしてまるっと違うかもしれねえじゃん」

『む。一理あります。まさか海斗に正論で返されるとは』

「あぁん? ほざきやがったなーてめえ、コンソール割るぞコラ!」

 

 などと、しょうもないことを言い合っていた時だ。

 

「――ガアアアアアッ!」

「う、おおっ!?」

 

 ぐおっ、と不意に大きく身を起こしたドラゴンが、勢いそのままエックスに飛びついてきた。

 巨体の突撃に踏ん張りが効かず、こちらの機体が大きく傾く。

 

 装甲の前面に前脚を押しつけ、ガギリと爪を立てた赤い巨竜は、さらに大きく翼を広げた。

 そして地を蹴り、飛び立った――

 構造的に不可能な質量にもかかわらず、だ。

 

 メリメリ、グシャグシャとエックスの両足が地面にこすれて、耕すように土をめくれ上がらせていく。

 押し寄せる迫力のせいで勘違いしたが、ドラゴンは空までは飛び上がっていなかった。

 だが、刃物のようなかぎ爪で黒い装甲をガリガリと引っ掻きながら、半ばこちらを引きずるようにして滑空している。

 

 要はジャンプして、跳びつきタックルをぶちかましてきたような格好だ。

 

「こぉ、ンのトカゲェ――!」

 

 機体ごとコックピットも轟音と衝撃にさらされながら、海斗は歯を軋らせて唸った。

 エックスの両手を持ち上げ、ドラゴンの首根っこを押さえようとするが、地に足がつかないままではろくに反撃もできない。

 

 そのまま100メートル近く後退させられたあげく、背中から地面に押し倒された。

 背面装甲が地面を削り出し、土砂をすり潰しながら畳返しに巻き上げて、木々や岩石の残骸を猛烈に撒き散らす。

 

 激しく鳴動する大地と、エックス本体もまた、悲鳴を上げるように大きく軋み歪んだ。

 堅固で分厚いABS-MX(アブソリュート)装甲(イクスメタル)が少しずつ削れ、ひび割れ、衝撃で機体内部にも損傷や断線箇所多数。

 コックピット内にけたたましい警告音(レッドアラート)が鳴り響き、モニターのいくつかがバヅンと嫌な音を立ててブラックアウトした。

 操縦系にもエラーが発生、出力低下、動力部にダメージ、あと、クオがなにかごちゃごちゃ言っているがやかましすぎていちいち聞き分けていられない――

 

「調子――こいてん――じゃあ――」

 

 回転するような勢いで激震するコックピットの中で、海斗はきつくレバーを握り直した。

 どうやらまだ寝ぼけていたらしい頭に活を入れ、叫ぶ。

 

「ねえっての、体温調節ド下手くその変温動物がッ!」

 

 握る鉄拳をアッパーカットに打ち上げて、暴れるドラゴンの下顎をぶん殴る。

 まともに捉えた。

 二本角を生やした頭がぐらりと揺れ、反り返る勢いで跳ね上がり、衝撃でぶち折れた牙の何本かがバラバラと地面にばら撒き散らされた。

 

 ちょうどそのあたりで、森林地に押し倒された勢いが完全に止まった。

 ただし、のしかかられた体勢は変わっていないままだ。

 

 海斗は叫んだ。

 

「クオ、エクスブラスターだ! この冷血野郎の飛びトカゲ、中身までウェルダンの黒焼きにしてやる!」

『――駄目です。出力低下。ブラスター再チャージまで最低3分は必要かと』

「なんだとぉ!? 他に使える武器は――」

火器管制装置(FCS)にエラー。内臓武装はすべてダウンしています。なにせDr.ゼロとの決戦からこっち、補給なしの連戦ですから』

「てめっ、このポンコツ――なら、ダインスレイヴは!? あれならマニュアル操作でぶん回せるだろっ!」

『背部マウントされていません。探査――周辺にも反応なし。紛失しました』

「おいおいおい、嘘だろ、この土壇場でそんなことあるかぁ!?」

 

 怒鳴り返している間に。

 

「グルオォォォ――ッ!」

 

 揺れていたドラゴンの瞳が焦点を定め、エックスを睨み下ろした。

 さしもの海斗も刹那、戦慄した――その目が、まるでパイロットの海斗自身を見据えたように見えたからだ。

 

 どう考えてもあり得ない、錯覚だ。

 だがそれを考えている時間もなかった。

 

 大口を開けたドラゴンが、大顎の鋭い牙をむいてエックスの首に噛みついてきた。

 

「ぐおっ!?」

 

 危険な攻撃だった。

 エックスのコックピットは頭部にあり、頭そのものが丸ごと操縦席だ。

 寸胴で半ば埋もれてはいるが、首はエックスの致命的な弱点なのだ。

 

 このドラゴンがそこまで見抜いていたはずはないが、生物が全力で戦うとなれば、首を狙うのは確信めいた本能だろう。

 なんであれ、操縦系統の中枢近くに牙を突き立てられて、コックピットには再び警告音と警報の嵐が吹き荒れた。

 

 人間で言えば神経や血管、気道を攻撃されているに等しい。

 コンソールにエラーメッセージ、『危険(DANGER)』、『警告(WARNING)』、『緊急事態(EMERGENCY)』。

 いくつかの機器が火を吹き、小さな爆発とともに破片を散らした。

 

「くそ、このままやられっぱなしかよ!? なにか手はねえのかポンコツ!」

『海斗、残念ながら言っておきますが、クロスカッターパンチも使用できま――』

「ダジャレで言ったわけじゃねえよ! もういい!」

 

 海斗は半ば捨て鉢に叫びながら、エックスの両腕を動かした。

 汚らしい唾液をこぼして噛みつきを続けるドラゴンの、その頭部の二本角をがしりと握り込む。

 

 そして。

 

「――やってやるよ、上等だ! ブラスターにエネルギー回しとけ、きっちり3分だからな! その間はこのわんぱくトカゲはこっちで引き受けてやる!」

『やれるんですか、海斗(マスター)?』

「なーめーんーなー? ステゴロ、タイマンは俺の得意分野だぞ。四つ足で這い回ってるだけの爬虫類とは、年季が――」

『飛びますけどね、このドラゴン』

喧嘩(カラテ)の年季が違うんだよ、うおりゃあああああ!」

 

 互いの身体の隙間に右足を差し込み、そのまま、赤い巨竜を巴投げにして投げ飛ばす!

 

 変則的な形での捨て身技だが、ここではエックスの火事場の馬鹿力が勝った。

 というか、無理を押し通したせいで、手足の駆動系がいくらか火花を散らしてイカれたわけだが。

 

 ともかくドラゴンの巨体は派手に宙を舞い、数秒後に地面に激突した。

 したたかに蹴り上げて勢いをつけてやったのだ、あの翼を広げたところで受け身を取ることもできず、減速もかなわなかっただろう。

 天が落ちてきたような凄まじい轟音と衝撃、大気と大地がビリビリ震え、身悶えするドラゴンの絶叫が、空と雲を衝くほど高らかに割れ響いた。

 

 重しがなくなったところで、海斗もエックスを立ち上がらせた。

 首の装甲がいくらか食いちぎられて持っていかれたが、黒鉄の威容はいまだ頼もしく健在だ。

 生き残った計器と出力メーターにざっと視線を滑らせても、こいつはやれる、まだまだやれると確信するのみである。

 

「オラオラどうした飛びトカゲ! 根性見せてみろよ、第2ラウンドだ!」

 

 ガツッと両拳を打ちつけて気合いを改め、煽るように叫んだ。

 聞こえるわけがないし、聞こえたところで意味も分からないだろうが。

 

 ズズン、と重い音を響かせて、ドラゴンの長い尾が地面を打った。

 身を起こす。

 四つ足が再び地を掴んで、獰悪な視線がエックスを、あるいは海斗を見据えて怒りに燃える。

 

 調子出てきたな――と、海斗がひとりでギアを上げていると。

 

 横合いからクオが言ってきた。

 冷ややかに、ただし緊張感を漂わせて。

 

『――いえ。いいえ海斗、絶好調のところに水を差すようで、気は引けるのですが』

「なんだよクオ、今が最高にいいところじゃねえか。口舌の弁(トラッシュ・トーク)は喧嘩の華だぜ、パッと咲かせて散らすのが(いき)ってもんだろが」

『ちょっと別の意味で(イキ)ってるように見えますが――いえ、それはともかく。第2ラウンドは少しばかり、厄介なステージになりそうですよ』

「あん?」

 

 言われ、と同時に正面モニターに端から別の映像が滑り込まされて、見やる。

 どうやらドラゴンが今いる足元、その望遠拡大カメラのようだが。

 

 気づいた。そして思い出した。

 さっきクオが言っていた、あれがそうだ。

 

『人里――町です』

「マジかよ……もしかして、俺、やらかしちまった……?」

『不可抗力とはいえ、考えなしに暴れすぎです。海斗(マスター)

 

 ぐさりと言われるのと同時、町のほうからけたたましく鐘の音が鳴った。

 文字通りの警鐘、と言うには遅すぎるが、とにかく避難誘導の類には間違いない。

 

 その音に噛みつくように、手負いのドラゴンが激しく咆哮した。

 ゴッ、と振り回した尻尾が町を、その建物を蹴散らすように踏み潰す。

 

 ――第2ラウンド。

 市街戦に突入だ。



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#3 エクスブラスター

 ドズンッ、と巨大な四本脚と()っとい尻尾を地に打ち据えて、赤いドラゴンが低く身を沈ませる。

 こちらに飛び掛かってくるのではなく、怒りを滾らせて待ち受ける身構えだ。

 

 狙ってやっているのではないだろうが……

 これが、海斗にとっては一番嫌な展開だった。

 

「畜生が……このまま戦ったら、町が下敷きになっちまうぞ」

『あなたが投げ飛ばしたんですけどね』

「仕方ないだろ、こっちだっていきなり見知らぬ別世界に放り出されて、地形も事情もわけ分かんねえのに!」

 

「ギィアアアアアッ!」

 

 竜が砲声めいた怒号をほとばしらせ、天と地とをかき混ぜ揺るがした。

 それだけで町並みの屋根が風圧で吹き飛び、威嚇するように踏み鳴らした左前脚が、土台の基礎ごと家ひとつを踏み潰す。

 

 海斗は強く舌打ちした。

 

「野郎、マジでわざとやってるんじゃねえか?」

『あり得ないとは言えません。竜とは地域と信仰によって神の化身とも、悪魔の別名とも呼ばれます。知性を持っている可能性はいくらかありますね』

「うんちく垂れてる場合かよ! どうにか被害を抑える手立ては!?」

『町から引き離すしかないでしょう』

 

 結局、それ以外に海斗も思いつかず、(ハラ)を固めた。

 エックスの巨体を駆って、町に陣取るドラゴンに向けて轟然と突撃する。

 

 作戦と呼べるようなものはない。

 あのドラゴンを一撃で倒しきれそうな兵装、現状の切り札(エクスブラスター)のチャージ完了まで、無手の格闘で時間を稼ぐ。

 町になるべく被害を出させない。

 そのために、できれば、ドラゴンをもう一度町の外まで叩き出す――

 

 それでも、町への被害が出ないわけはないが。

 やるしかない。

 

 方針の要点を頭の中でまとめて、海斗は雄叫びを上げた。

 

「うおおおおおっ!」

 

 戦意高揚(バトルクライ)

 戦闘態勢(ゲットセット)

 ――交戦開始(オープン・コンバット)

 

 こちらも、エックスのつま先で物置らしき小屋の壁を崩しながら、ドラゴンの頭部と肩に掴みかかった。

 

 ドラゴンがいるのは町の中心というわけではなかったが、片隅というほど外れでもない。

 さっきのような大立ち回りするわけにいかず、堅実な組み打ちに持ち込んだ。

 

 しかし。

 

「う、お……っ!?」

 

 肩を怒らせ、首と頭を振るようにして暴れるドラゴンに、機体の重心が大きく崩される。

 しがみついて、どうにか振りほどかれるのは防いだが、抵抗を抑えきれずエックスの足がたたらを踏んで押し返された。

 

 無理もないだろう。

 ドラゴンの体長はエックスの全高25メートルを上回り、体重はさらに数割増しになる。

 重量差はすなわちパワーの差であり、向かい合ってのぶん殴り合いならともかく、単純な力比べとなるといささか以上に分が悪い。

 

 闘牛士だか金太郎だかの気分を味わいながら、叫んだ。

 

「クオ! エネルギーのチャージ、今どれぐらいだ!?」

『30%程度。あと2分は必要です』

「すっとろいなあ! こっちは長くは保たねえぞ、これ!」

『お得意の喧嘩の華(トラッシュ・トーク)で挑発してみるというのはいかがでしょうか?』

「これ以上キレさせてなんの得があるんだよ――ど、おわぁ!?」

 

 言う間に、ドラゴンがひときわ大きく身震いして、エックスの両腕の拘束を振り払った。

 自由になったドラゴンは、その場でゴウッと風を撒いて大きく身を翻す。

 そのまま、ほとんど密着するようなこの間合いから、太い尻尾の一撃がエックスの腹をしたたかに打ち据えた。

 

「ぐお――っ!」

 

 至近距離での予想外の動きに、海斗は反応しきれなかった。

 

 機体に衝撃。

 鋼鉄の巨人が町の大通りを転がり、数件の家屋を巻き込んでぶっ倒れる。

 近くにあった屋台らしきものが壊れ、荷台の食材が無為に地面にぶち撒けられた。

 

 広場に出ていた木のテーブルや椅子も、バラバラになって宙を舞う。

 幸い、避難が済んでいたのか、人の姿はなかったが。

 

「くそっ、こんな町のど真ん中だと、やりにくい……!」

 

 せめて、なにか武器があれば――

 胸中で叫ぶが、ないものねだりなのは分かっていた。

 

 当たり前の理屈として、そうそう海斗にだけ都合の良い展開など起こり得ない。

 そもそもが悪の天才科学者の拠点と自爆した直後、いきなり異世界の遥か上空に飛ばされて、あげく、今は凶暴なドラゴンと取っ組み合いである。

 それでも為すべきことを成すしかないから、歯を食いしばって抗い続けるのだ。

 

 ドラゴンは、当たり前だがそんなこちらの都合など知る由もなかった。

 倒れ込んだエックスを追いかけて、大通りの石畳を踏み砕きながら、地鳴りを上げて猛然と突進してくる。

 

 左右の脇に建っていた家屋が片っ端から激震に見舞われ、漆喰塗りの壁が、斜めに張った瓦屋根が割れ、砕け、瓦礫となって路上に崩れ落ちた。

 はめ込まれた窓ガラスに至っては、振動だけで次々と弾け飛んでいく有り様だ。

 

「グァアアアア――ッ!」

 

 それらすべてを無視して、踏み越え、赤く禍々しい巨体がエックスに迫る!

 

「ちぃ……っ!」

 

 機体を起こしきれていない中途半端な体勢で、巨竜のぶちかましをまともに喰らった。

 

 町並みをガリガリ削りながら、黒鉄のロボットが豪風とともに吹き飛ぶ。

 受け身も取れずに、また機体の背中が硬いものに激突し、地震めいた激動と衝撃にさらされる――

 

 しかし、今度は地面に向けて倒れたのではなかった。

 途中でなにかにぶつかって転倒を免れたらしい。

 片膝をついた格好のエックスの背後で、なにか巨大な物体が代わりのように、ドォーンと間延びして響く音とともに倒れ込んだ。

 

 首だけ動かして振り返り、見下ろして――

 思わずうめいた。

 

「なんだ、これ? 巨像……?」

『黄金の騎士像ですね。メッキですが』

 

 クオが言い足してきた、それそのものだ。

 

 ざっと見ると、重装の鎧剣士のようだった。

 全長は、エックスと同じくらいか。倒れていて分かりにくいが。

 町中に置くにしては妙なオブジェだが、それは単に、これがこの異世界の文化の標準なのかもしれない――

 

「キシャァァアアアッ!」

 

「っ!」

 

 怪鳥めいた金切り声を上げて、またドラゴンが襲い掛かってくる。

 建物を残骸の山に変えながら、町を轢き潰し、破壊の嵐の化身のように。

 

 その絶叫、おぞましい咆哮に、身がすくみそうになって――

 

 それでも海斗は逃げなかった。

 断ち切るように裂帛の気合いで叫ぶ。

 

「意地と……道理で! 推して参るっ! こなくそォッ!」

『海斗!』

 

 クオの警告。

 巨竜との激突まで幾許(いくばく)の猶予もない。

 

 反射的に海斗は腕を――エックスの腕を伸ばしていた。

 そこに落ちていた“もの”を、掴んで拾い上げる。

 

 それがなんなのかをはっきり意識する前に、身体が動いた。

 鋼鉄の両腕で長く巨大なそれを掴み直し、突っ込んでくるドラゴンに対して突きつける!

 

 ――騎士像が手にしていた、巨像サイズの儀杖剣(クォーテージ・ソード)

 

 竜の巨体が目前に迫りくる。

 それを見据えて、海斗はかっと目を見開いた。

 

 エックスを起き上がらせた直後、また逆に黒鉄の巨躯を傾けさせる。

 一歩だけ身を引き、紙一重でドラゴンの突撃をかわす。

 一か八かの見切りだったが……この土壇場で、回避に成功した。

 

 そして最小の体捌きでいなしたことで、反撃の余裕もまたここに生まれる。

 

「うぉらあああああ!」

 

 叫び、握り込んだ騎士の巨剣を、ドラゴンの背中の翼へと力ずくで突き立てた。

 

「ギ、ガァァアー!?」

 

 まだしも皮膚と鱗の薄い飛翼とはいえ、こちらの剣もただの立像の飾り物だ。

 あまり綺麗に貫けたわけではないが。

 

 それでいい。十分だ。

 翼を貫通した巨剣の重量のせいでバランスを崩し、ズシンと地に倒れ込んだドラゴンを、海斗は思いっきり指差してやった。

 

「そんなもんぶら下げてりゃあ、もうドコドコ鬱陶しく走り回れねえし、飛べもしねえだろ! ざまぁ! トカゲざまーみろッ!」

『海斗……ここはもう少し品のある、格好いいセリフを言う場面では?』

 

 言ってくるクオに、やけくそで叫んだ。

 

「野蛮で結構、喧嘩上等ッ! それよりチャージはどうなってる!?」

『70――いえ、60%です。想定以上に消耗が激しい。戦闘行動を取りながらのジェネレーター供給では、どうしても時間が――』

「急いでくれよ! もういい加減、こっちの操縦系統にも無理が来てる!」

 

 度重なる激突と衝撃で、コックピットの機器類もモニターもガタガタだ。

 ブラスターにパワーを回しているせいもあって余裕はほとんどない。

 『動力枯渇(EMPTY)』の警報アラートもけたたましく、否が応の危機感を煽られる。

 

 とはいえダメージはお互い様だ。

 身を起こしたドラゴンの、眼に宿った鬼気はそのままだが、身体の動きは明らかに重く鈍くなっている。

 単純に、片翼を抉ったままの剣の重みのせいでもあるだろうが。

 

 畳み掛けるなら今だ。

 確信とともにレバーを駆り、エックスの巨体を走らせる。

 

 巨人と巨竜、二体でひとしきり暴れ回って、町の一角は半ば更地になっている。

 悪いとは思うが――海斗にとっては、かえって遠慮なく動けてやりやすくなった。

 

 そう開き直れば、この状況で打てる手というのも見えてくる。

 どうせやるなら荒っぽく、派手に大胆に。

 豪快無双かつ、ダイナミックにだ。

 

「どらっしゃあっ!」

 

 飛び出した勢いそのままに、風を切り唸りを上げるエックスの右足で、ドラゴンを蹴りつけた。

 強烈な跳び廻し蹴りが、ダメージに揺れるドラゴンの胴をしたたかに打ち据え、弾き飛ばす。

 さしもの豪脚にも限界近い負荷がかかって、膝関節のシステムとサーボモーターが悲鳴と軋み声を上げるが。

 

 まだ動く。まだやれる!

 

 よろめいて後退したドラゴン――着地し、そこへ再び駆け寄るまでの途上に、背の高い教会の尖塔が建っていた。

 エックスの右腕で、海斗はそれを掴んで土台ごともぎ取った。

 鉄塊をぶら下げた尖塔を掴んで、両腕で握り直し、振りかぶると。

 

 ホームランバットのように勢いをつけて、思い切り、振り抜く!

 

「――――――!?」

 

 ゴォー…………ンッ、と、遅れて鐘の音が重く響き渡る。

 どうやら鐘楼だったらしい。

 ドラゴンの頭をぶっ叩いた衝撃で、粉々に砕け散ってしまったが。

 

 大きく吹き飛ばされ、宙で溺れるような格好で後退する赤竜の巨体。

 ドォッ、と落ちた先の地面は、もう町の石畳ではなかった。

 平野の草原地帯に巨体が叩きつけられ、猛風と土砂を巻き上げて大地が震撼する。

 

 町の外へ追い出した。

 これで今度こそ、気兼ねなく戦える舞台が整ったわけだ。

 

「はっはー! どうだオラ、見たかコラ、K点越えの特大ヒットチャート120点満点の作戦通りだぜ!」

『種目とジャンルぐらい統一してはどうかと――海斗。対象内部に高熱源反応』

「なに!?」

 

 クオの声に、海斗はぶっ飛ばした先のドラゴンを再度見据えた。

 

 モニターの向こう、町の外で身を起こしたドラゴンが、大きく身体を震わせてエックスを睨んでいる。

 その巨体、鱗に覆われた皮膚が下から盛り上がるように隆起し、膨れ上がりながら発光している――

 

 唸るような巨大な風音。

 ドラゴンが大きく息を吸い続けているのだ。

 赤い巨体がさらに膨張し、赤熱して、鱗の隙間から不吉で剣呑な輝きを赫々(かくかく)と漏らし始めた。

 

 不吉な予感に海斗が背筋を強張らせていると、クオが続けて言ってきた。

 

『あれは――熱反応波形と敵生体の形態から、口腔内から高熱のガス噴流を放射するものと思われます』

「見れば分かるってのっ! わざわざ言うな!」

『回避を進言します』

「駄目だ。ここで避けたら――町が火の海になる!」

 

 位置が悪い。間が悪い。

 海斗とエックスの後ろには名も知らぬ町が、意図せず戦場になってしまった町並みが広がっているのだ。

 

 どこまで避難が完了しているかも分からない。

 仮にそれが万全だとしても、あのドラゴンの体内に膨れ上がる熱と息吹の圧力は、今でさえ町全体を呑み込みかねないほどの破滅的な気配を漂わせている。

 これが解き放たれれば、間違いなく町は壊滅するだろう。

 

 海斗はエックスを、町を背後に庇うように立ち塞がらせた。

 鋭く声を上げる。

 

「クオ! チャージは?」

『どうにか75%まで』

「くそっ。フルチャージは間に合わねえな……ええい、ままよ!」

 

 頭を振って切り替えて、決断する。

 クオに命じた。

 

「ギガプラズマエンジンをオーバードライブさせろ! 焼き付いても構わねえ、全力全開でぶっ放すぞ!」

『正気ですか? 最悪、機体が反動で自壊しますよ』

「知らん! 全部まるっとうまくやれ! やってみせろよ、なあ相棒(ポンコツ)!」

『――――』

 

 しばしの沈黙。

 いや、返答はなかった。

 

 ただ無言で、クオは実行に移した。

 エックスの両足のすねから、数本のスパイク状の突起が生え出し、深々と草原の大地に突き刺さる。

 

『アンカーボルトセット。ギガプラズマ、オーバーロード――ブラスター準備』

 

 その声を聞いて、海斗はどっかりとシートに背をもたせかけた。

 引き絞ったレバーを握り締めて、待つ。

 

 町外れで、ドラゴンがピタリと巨体の膨張と吸気の動きを止めた。

 

『仮想誘導砲門展開――射出角、水平正面。エネルギーチャージ完了。現在出力、仕様限界想定の150%』

 

 ドラゴンが首を仰け反らせる。

 傲然と首をうねらせ、天を睨む。

 (あか)い危険な輝きが最大を超え、限界にまで高まり――

 

 頭を振り下ろすと同時、その大口を開けて、轟哮とともに地獄のような炎の息吹を解き放つ!

 

「ゴァ――――――ッ!」

 

 巨大な咆声と閃熱が弾け、赤く大気を焼き焦がす。

 凶猛な大顎の奥から渦巻くような爆炎の吐息が放たれ、エックスと、背後の町へと押し寄せる。

 

『臨界係数値突破――全力全開、オーダーの通りです。海斗(マスター)!』

上出来(ドンピシャ)だ! 喰らえや赤トカゲっ、紅蓮の爆光! エクスブラスタァァァー――ッ!」

 

 叫び、音声入力で武装を起動しながら、両腕のレバーを交差させるように前へ滑らせた。

 

 極大と呼んで差し支えない熱と衝撃、真紅の輝きが膨れ上がる。

 機体そのものが反動で押されて倒れかねないほどの、ただ凄まじいばかりの威力が撃ち放たれた。

 

 天地焼き焦がす凄絶な超熱線砲(ブラスター)が、ドラゴンの放った猛火の(ブレス)と激突する。

 刹那、互いに絡み合った光熱と衝撃が、世界を震わせ揺るがしてから――

 

 ――十字に収束して切り裂く熱線の輝きが、ドラゴンのブレスを消し飛ばして、突き抜けた。

 

 グオッ、と空気が膨れ上がって、次いで爆発して弾け飛ぶ。

 幾度目かになる激震が、その中でも最大の衝撃波が、大地を強く激しく揺さぶって鳴動させた。

 

「――――――!」

 

 辛深紅(からくれない)の熱線がドラゴンに突き刺さった。

 否、その身体を悲鳴ごと呑み込んで、巨大すぎる火柱を吹き上げた。

 

 巨体が飴のように溶け、崩れ、そして灰燼の炎に呑まれて消し飛ばされる。

 

 極炎が爆発へと姿を変えて、吹き荒れる熱風の嵐が草原を駆け抜けた。

 それが吹き抜け、通り過ぎれば――

 

 後には、十字架状に抉れた地面の大穴(クレーター)と、黒焦げになったドラゴンの脚と尻尾の残骸が転がるだけだった。

 

『対象の反応、消滅――』

 

 クオの電子の音声が、静かにコックピットに響いた。

 

『――勝ちましたかね?』

「だから見れば分かるだろ」

 

 肩をすくめて、海斗はあっさり告げた。

 

 

 

 ――そして。

 

『海斗。機体各部、くまなくオーバーヒートです。戦闘続行不能』

「その必要もないだろう。とりあえず」

『あと、私も電算機器類が半分ショート、そのまた半分が修復と再起動待ち状態。休暇が欲しいです(バケーションプリーズ)

「分かった分かった、寝てろポンコツ。ただその前に降ろしてくれ」

 

 ぶしゅううう、と白煙を吹き上げながら、エックスがその場にくずおれて膝をついた。

 が、コックピットの搭乗口(ハッチ)が開かない。

 

「クオ?」

『海斗。大丈夫ですか? 外には――』

「分かってるよ。俺のことはいい。どうとでもするから、さっさと開けろ」

『……お気をつけて』

 

 言い残して、クオはスリープ状態に入った。

 ばしゅん、と機体頭部のハッチが展開し、少し冷えた外の風が混ざり込んでくる。

 

 シートベルトを外して外を見ると、夕陽の輝きが目に眩しかった。

 あれだけ閃光や爆発にさらされておいて、今さらそれを感じるのも奇妙な感覚だったが。

 

 ともかくコックピットから立ち上がって、頭部から右肩へと飛び移るのだが。

 

()っちゃあ!? 熱い熱い、やべえ、ブーツが溶けるーっ!」

 

 手をついていたら危なかったかもしれない。

 慌てて垂らされたエックスの右腕を滑り降りて、手のひらから地面に飛び出す。

 

 ボロボロの黒い装甲を駆け下りて――

 そして、振り返った海斗の背後に待っていたのは、町の向こう側から押し寄せてきた何十人もの兵士たちだった。

 当たり前だが武装していて、海斗を遠巻きに囲んで剣を向けてくる者たちもいる。

 

 鎧を身にまとった姿は、あるいは騎士と呼ぶべきなのかもしれないが。

 正確になんなのかはよく分からない。

 というのも、その鎧というのが甲冑のような装甲のような、どうにも見たことがない形状をしていたからだ。

 

 歴史の類に詳しいわけではないが、中世ヨーロッパ風の甲冑鎧というか、近未来SFのアーマーというか、それらが混ざったようななにかだ。

 手にした剣や槍も妙にけったいな機械機構(らしきもの?)を組み込まれたゴテゴテの代物ばかりで、そこから察するに、文明レベルは相当以上に高いのではないかと値踏みする。

 そのわりには、さっきの町並みは中世期を思わせる造りだったし、どうにもちぐはぐな感じではあった。

 

 騎士らは兜も被っているが、各々の顔は見えていた――どれもまあ、ちょっと彫りは深い感じだが、普通の顔だった。

 目と耳が2つに、口が1つ。

 色白が多いが、肌もなんてことない肌色である。

 バリバリ原色の赤とか緑とかではない。

 

 人間だ。

 間違いない。

 

「――あなたが、その黒いゴーレムを操っていた方ですか?」

 

 とはいえ、さすがに普通に分かる言語で語りかけてきたのには驚いたが。

 

 口を開いたのは、身構える前列の騎士たちではなかった。

 その後ろから、凛冽とした声が鈴のように響いて、騎士たちが驚いた顔で振り返る――

 

 その列を割って進み出てきたのは、ひとりの少女だった。

 18歳の海斗とそう変わらないか、少し下くらいの。

 

 やはり鎧姿ではあるが、他の騎士たちのそれよりさらに洗練された細身の装飾鎧は、はっきりと高貴な雰囲気を漂わせている。

 見ようによっては白金色の礼服や、薄手のドレスのようにも見えるかもしれない。

 

 少し考えてから、海斗は正直に答えた。

 

「ああ、そうだ。ゴーレムってもんじゃないんだけどな」

「町を守り戦ってくれたこと、感謝します」

「成り行きだよ。喧嘩に巻き込んじまったようなもんだしな。ええと」

 

 と、言葉に迷って周囲を見回し、騎士たちの不審と警戒の眼差しを眺めるだけに終わってから。

 

「……歓迎してはくれない、よな?」

「そうしたいけど、規律があるので。町を、民を、国を守るための不抜の誓いが」

 

 いくらか大仰にそう言って、少女は――

 後に知ることになるのだが、この国の第一王女(・・・・)、アトラという名の姫騎士は。

 ガシャンと、その細い身体に不釣り合いなほど巨大な機構剣の切っ先を海斗に突きつけて、告げた。

 

「さしあたっては、特大規模の器物損壊罪で逮捕します。この人数を相手に、まさか抵抗はしませんよね?」

「……はい」

 

 海斗は観念して両手を上げた。

 言われるまでもなくへとへとで、抵抗の余地もない。

 

 前に出てきた騎士のひとりに大きな手錠をかけられた。

 

 

 

 ――こうして。

 鉄海斗の異世界来訪1日目は、騎士団に身柄を拘束され、放り込まれた牢屋で寝落ちして終わった。



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#4 ブチ込まれて牢屋

「俺、またなんかやっちゃいました?」

 

 石造りの牢屋でひとり、ぽつんとたたずんで。

 海斗はつぶやいた。

 

 誰に向けて言ったのでもない。

 まあ気分的には、そろそろ丸1日の付き合いになる大きな四角の手枷と、硬い鉄格子にだろうか。

 

 そんな独り言に、しかし牢の向かい部屋から応える声があった。

 

「なんだ兄ちゃん。あんた新入りだろ? またってことは、前科持ちなのかい?」

「いや――そうじゃないけど。異世界に来たらこれを言うのがお約束だから」

「異世界……? お約束って、なんだ?」

「……なんでもないです」

 

 なんでもなくそうつぶやいて、無益なやり取りを打ち切った。

 

 実際、なんでもないことではあるのだ。

 元いた世界での戦いの日々を思えば、なんということは。

 

 気がついたらいきなり異世界の大空。

 愛機のロボットごと山に墜落し、ボロボロになりながら転げ落ちた先で、バカでかい赤トカゲ(ドラゴン)に喧嘩を売られ。

 炎のブレスとの鍔迫り合いを制し、なんとか退治したかと思えば、物々しい鎧騎士の軍隊に逮捕されて、拘束されて。

 

 戦闘のとばっちりでボロボロになった町並みと、家や建物の残骸を脇目に見ながら、無事だった区画の地下牢まで連行されて、そこで力尽きて一晩中爆睡かまして――

 

「――正直、結構やっちまった感はあるんだよなぁ」

 

 ぐったりとうめく。

 酒場で酔っ払って乱闘し、ここにぶち込まれたというお向かいさんも、今度は突っ込んでこなかった。

 

 牢といっても、監獄のような大げさなものではない。

 せいぜいが留置場だろうか。

 

 4畳半程度のスペースに、簡素な硬いベッドと、一応トイレ。

 格子窓に鉄格子の扉。

 そこに錠前がついていて出られないわけだが、材質は鉄ではなく、見たこともない金属だった。

 青みがかった銀色の輝きを放つそれもだが、もっと不思議なのは、そこに鍵穴がないことだ。

 

 ここに入れられた時のことをぼんやり思い出す。

 疲労困憊、疲れと眠気で気にしている余裕もなかったが、確か牢番らしき中年男性が、錠をいじりながら何事か唱えていた気がする。

 番号式の暗証鍵とかなのだろうか……

 

 と、海斗がじっとそれを見下ろしていると。

 

「やめときな、兄ちゃん。魔導錠は術者が決めた暗号以外は受け付けねえ。キーワードとそれに対応した魔法属性が分かれば開けられるが、下手に触るとやかましい警報がきっかり3分間鳴り続ける。そうなると俺も迷惑なんだ」

「別に脱獄なんて考えてないけど――待った。魔法?」

「意外か? まあ確かに、わざわざ鍵だけ付け替えたのってなんでなんだろうな。鉄の錠前のままだって別に誰も破れやしねえのに」

「そうじゃなくて」

 

 酔いはとっくに醒めているのか、向かい部屋の禿頭の男はよどみなく語る。

 遮って海斗は聞き返した。

 

「今、魔法って言ったよな? この世界ってそんなものがあるのか?」

「おいおい、頭でも打ったのか兄ちゃん。魔法を知らないわけないだろ? ないよな? ないわな。魔法だ、魔法。読み・書き・魔法、の魔法だよ」

 

 聞き違えたと思ったのか、男は丁寧に何度も繰り返してくれる。

 全身ゴツくて傷だらけで、いかにもあらくれ者といった風貌なのだが、実は気のいい人物なのかもしれない。

 

 海斗はつぶやいた。

 

「マジか……そろばんレベルで常識なのか、魔法。凄いな異世界」

「ほほう、そろばんなんて田舎の計算器を知ってるのかい兄ちゃん。なかなか物知りだな」

「いや、あるのかよそろばん。中国発祥だけど日本語だぞそろばん。ていうか読み書きそろばん的な言い回しが異世界で通るのがなんでだそろばん」

 

 ひとしきり言ってから。

 ふと、思いついて今度はこちらから訊ねた。

 

「……なあおっちゃん、日本っていう国知ってるか? ハリウッドでもエッフェル塔でもダヴィンチでも、なんでもいいんだけど」

「? いいや? なんだいそれ、それが兄ちゃんの国、だか異世界だか、の常識なのかね」

「1セント硬貨に描かれてる人物も知らない?」

「通貨のことなら、ここらじゃ普通に金・銀・銅貨だが。1セントってのは銅貨何枚分なんだ?」

「…………」

 

 言葉もなく、海斗はうなだれた。

 すごすごとベッドの上に戻って、あぐらをかく。

 

 分かったのは。

 

「さっぱり分からん……」

 

 ということだけだった。

 

 

 

 変化があったのは1時間ほど経った頃だった。

 格子窓からのぞく太陽の傾き具合からすると、昼下がりに差し掛かる時間帯。

 

 物音と気配を感じて、海斗はぱちりと目を開けた。

 寝転がっていたベッドの上で身を起こし、静かに身構える。

 といっても、拘束された身体のままでなにができるわけでもないが。

 

 そのまましばし待つ。

 と。

 

「――おや。目はすっかり覚めたようだね。牢部屋へ着くなりばったり倒れ込んで、ぐうすか寝入ってしまったと聞いていたけれど」

「…………」

 

 ひとまずはなにも言わずに、海斗は鉄格子の向こうに現れた人物を見やった。

 

 眼鏡をかけた少女だ。

 のみならず、頭にはまた別に、もうひとつ作業用っぽいゴーグルを乗せている。

 変な子だな――と海斗は直感した。

 

 身綺麗にしているが、どことなくローブやワンピースっぽく見える青い作業着は、明らかに油や火花の匂いを染み込ませている。

 なにかの職人、技術者だろうと海斗はあたりをつけた。

 小脇には辞書のような分厚い本を抱えている。

 というか、よく見ると作業着のベルトがブックホルダーになっていて、そこにも文庫サイズの本がいくつも挟まっていた。

 

 ひょっとして学者なのか……? と、さっきの見当の自信が早速揺らぐ。

 おかしな人物だという直感はほぼ確信に変わったが。

 

 髪はピンク。としか言いようがない。

 染めた様子もなく、ただ自然な色合いでそれである。

 違和感を覚えそうなものだが、青い作業服と合わせて調和が取れていて、不思議と馴染んで落ち着いて見える。

 その髪も、長く伸ばしているというより単にほったらかしのようで、先っぽでだけ雑に括っていた。

 

 慎重に値踏みを終えてから、海斗は口を開いた。

 

「君は? 尋問官……って風じゃない、よな」

「それを私に問う君こそ誰だ?」

「は?」

 

 いきなり切り返しに訊ね返されて、目を丸くする。

 少女はにやりと笑って続けた。

 

「昨日、町の西側でドラゴンを撃退した黒いゴーレム――あれ、君のなんだろう? 謎の度合いならそっちのほうがずっと大きいんじゃあないかい?」

「……それ、自己紹介を渋る理由になるのか?」

「名乗るほどの者じゃないからね。私はしがない技術屋で、ただのちょっと可愛い女の子だよ」

「牢番と見張りの人がいたはずだけど、どうやって入ってきたんだ?」

 

 訊ねかけると、少女はくすくすと、狐のように笑みを深めた。

 

「せいぜいが酔漢や(やから)が入れられるだけの牢屋で、面会理由なんかいちいち聞かれないよ。そういうものさ」

「兄ちゃん、誰と話してるんだ――」

 

 と、向かいの牢屋で寝ていた男が身を起こして、こちらへ振り向く。

 そして少女の姿を見て、びしりと表情を固まらせた。

 

「あ、あんたまさか……」

 

 が、その先の言葉は続かなかった。

 少女が口元に指先一本を立てて、ジェスチャーで制止していた。

 それだけで、あのゴツいあらくれが口をつぐんでいる。

 

 海斗からは横顔半分しか見えなかったが――

 なんとなく雰囲気で、『内緒にしておいてくれたまえよ?』とでも言っているように思えた。

 

 あらくれの驚き顔を残して、少女がまたこちらに向き直る。

 

「で、どうなんだい? あのゴーレム、ちょっと調べたんだけど、うんともすんとも言ってくれない。君はどうやってあれを操っていたんだ?」

「……エックスに乗りたいなら、やめとけ。あいつは俺以外には無理だ」

「エックスっていうのか。いいねえ! いかにもな響き、いかにも未知の存在だ。知的好奇心がそそられるよ――」

 

 なにやら盛り上がり始める少女を、海斗は手を上げて制した。

 そのまま続ける。

 

「真面目な話だ! 危険なんだよ。あいつは、エックスは乗り手を選ぶ――というより試してる。システムごと落ちている今はともかく、クオの修復が済んだら、絶対に誰もシートに座らせるなよ」

「ほう? 乗り込んだら、どうなるのかな?」

「並のやつなら、よくて廃人だ。並以上でも内臓がぐしゃぐしゃで、並外れててもまず病院送り。そのせいで半身不随になって、まともな生活なんかできなくなった人もいるんだからな」

「それは単純に身体への負担の話? それとも、そういう呪いでもあるのかな?」

「両方だよ。人間を喰い物にして動く最悪のマシン。諸刃(もろは)の剣どころじゃない、言ってみれば、エックスは皆殺し(エクスターミネイト)の剣なんだ」

 

 自分で言ってて、だんだん嫌になってくるが。

 

 海斗がげんなりしている間に、青服の少女は思慮深げに考え込んでいた。

 といっても、あんなあからさまに怪しいであろう代物に興味を持っている時点で、まともな思慮や考えがあるはずもない。

 

 それでもまあ、次に訊ねてきたのは、至極真っ当な疑問ではあった。

 

「……だったら、どうして君は平気なんだ? そんな物騒な代物でドラゴンを、魔王軍の四天王配下でも最強の、魔炎竜を倒してしまった君は」

「分からないのはそれなんだよな。俺も博士にスカウトされて、成り行きで戦ってるうちに乗りこなせるようになっただけなんだ。元の世界の研究所でもデータは取ってたけど、結局、そのあたりは最後までブラックボックスのままで」

「世界?」

 

 うっかり口を滑らせてから、しまったと気づく。

 隠したところでどうなるものでもないが。

 というか、実際にエックスであの魔炎竜とやらを倒してしまっている以上、隠そうとすれば余計に怪しまれるのは目に見えている。

 

 それでもせめてもの抵抗に、誤魔化すように海斗は咳払いした。

 

「と、とにかく。パイロットの俺でも仕組みなんか全然分かってないんだ。下手に手を出しても大怪我の元なんだから、絶対に、乗るな」

「手を出すな、ねえ――君、自分の立場は分かってるのかい?」

「そういうお前こそ、尋問係じゃないんだろ。憲法では――あ、いや、この国の法律が詳しくどうなってるか知らないけど、正式な取り調べじゃないなら強制力は」

「うーん? ……あ、なるほど。そういう風に解釈してるのか。真面目だなあ」

 

 抗弁している最中に、その少女は勝手に納得してしまったらしい。

 ひとりでうんうんうなずいて、そして言ってくる。

 

「心配しなくても、もう何日もせずに君は解放されるさ。外に出たら面食らうよ。くっくく、想像すると面白い顔だ」

「……なんの話をしてるんだ?」

「すぐに分かるよ。いや、なに。あの『エックス』の情報が手に入るなら、私がここから出してあげてもよかったんだが。こんな風に」

 

 と、少女が鉄格子の――いや、その扉の錠前に手をかざすと。

 パキン、という軽い音を立てて、青白い金属錠があっさり開いた。

 

「――は?」

 

 例の、勝手に触ると警報が鳴るという魔法の錠前である。

 無論というか、音は鳴らない。

 

 向かいの牢で、あの禿頭の大男が口をパクパクさせている。

 それはまあそうだろう。

 見ず知らずの女がいきなりやってきて、大胆にも目の前で脱獄の手引きをしているのだ。

 

 細く小柄な、ただの(いわく、ちょっと可愛いだけの)少女のやることではない。

 並の胆力ではない……どころか、どう擁護しようもない犯罪行為だ。

 

 海斗もさすがに面食らって、目を見開いて眼鏡の少女の顔を見ていると。

 

「来るかい? どっちでもいいよ」

 

 それこそ、なんでもないような口調とともに、海斗に手を差し出してくる。

 あまりにも自然に、学祭のダンス(マイム・マイム)にでも誘うような気軽さで。

 

 しばし呆然として――

 が、まあさすがに考える余地もなく、海斗は首を横に振った。

 

「いや……出るわけないだろ。俺はこれが正しいと思うからここにいるんだ。どこの誰とも知らない女に手招きされて、それでほいほいついて行くかよ。そんなのは意地も道理も通らないだろうが」

「ふうん? 面白いことを言うね、君は。意地と道理か――なんともまあ、男の子らしいというか。アトラ(・・・)が聞いたら大層気に入りそうなポリシーだ」

 

 言いながら、もう一度少女が魔導錠に指先を向けると、カシャンと鍵がかかって元に戻る。

 つまりはまた閉じ込められたわけだが。

 

 海斗はどっかりベッドに腰を下ろしたまま、告げた。

 

「見なかったことにしてやるから、もう行けよ。いいか、エックスには乗るなよ。フリじゃないぞ? うっかり死んでも知らないからな、俺は」

「はいはい、分かった。分かったとも」

 

 未練もなさそうに後ろ手を振って、少女は訪れた時と同じ気軽さで牢を出ていった。

 なにをしに来たのかも分からないままだったが――

 

「……なんだったんだ?」

 

 逆に拍子抜けしてつぶやくと、声をかけられた。

 あの向かいの牢の男だ。

 

「に、兄ちゃん。今のが誰だか、分かって言ってたのかい? それともまさか知らずに――」

「いや、まあ。普通に知らない子だったけど」

 

 当たり前に答えると、大男は禿げた頭をばちんと叩いた。

 いい音を鳴らして、嘆息する。

 

「知らないってのは怖いねえ……ああ、なるほど。異世界がどうとか言ってたの、あれ、本当だったんだな。とんでもねえ小僧っ子と同席しちまったもんだ」

 

 それはまあ、それだけのことだったのだが。

 実は海斗がこの世界に来て、初めて異世界の存在を信じたのは、彼だったりする。

 

 

 

 それからまた1時間後。

 今度こそ本当の意味で、事態を前へ進める人物が現れた。

 

「――こんにちは。それと、すみません。町の恩人にこんな場所で、窮屈な思いをさせてしまって」

 

 昨日、海斗をこの牢へ連れてきた、白金色の鎧の少女だった。



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#5 アトラ

 牢を訪れた少女は、当たり前だがひとりきりではなかった。

 お付きらしいふたりの騎士と、牢番の男が同伴している――牢番は、よほど混乱しているのか目を回していたが。

 

 そんな中で、当の少女は静かな物腰を崩さないまま口を開いた。

 

「そちらにいるの、トバルさんですよね?」

 

 なんのことか、海斗は一瞬分からなかったが。

 すぐにそれが向かいの牢にいるあらくれ男の名前だと悟った。

 少女が身振りしたわけではないのに、声と気配の動きだけで全員がそちらに目を向ける。

 

 そのあらくれ大男は、「え、え? 俺?」と大げさに狼狽えている。

 構う風もなく、少女は牢番に告げた。

 

「拘留期間はどれぐらいですか?」

「は……その、残り半日ほどですが」

「では解放してあげてください。放免です」

「なっ、なんですと?」

 

 さすがに驚いた様子で、牢番の男が何事か言い返そうとする。

 しかし、少女はくすっと笑うだけでそれをとどめてみせた。

 

「いつもの、酒場で騒いだというだけのことでしょう? 反省している頃合いだし、反省したからといって深酒をやめる人ではありませんよ。こんな時です。きっと誰も気にしません」

「しかしですね、姫……」

「妻子のある方です。いらぬ心配をかけさせたくはない。どうか」

 

 静かに、しかし否やを言わせぬ深みと、包容力のある声だった。

 

 牢番はしばし迷ったようで……結局、言う通りにした。

 格子部屋に向かい、短くなにかを唱えて、あの魔法の鍵を解錠する。

 そうして、決まりというよりは無言の空気で察したのか、あらくれ男を連れて石造りの廊下を引き上げていった。

 

 あっという間のことである。

 誰が文句をつける暇もない。

 その隙も見出だせないほど、少女の所作と言葉には人を納得させる力があった。

 

 ――身も蓋もなく言えば、体よく追い払ったとも見えるのだろうが。

 ともかく、そこで、少女は獄中の海斗にまた向き直った。

 

 改めて言ってくる。

 

「昨日はすみませんでした。あまりに突然の出来事に、私も兵たちも動揺していて――そしてなにより、町の人々が」

「それはまあ……そうだろうな」

 

 こちらも雰囲気に飲まれないよう気を引き締めながら、海斗は同意した。

 

 言葉の内容自体は無理からぬことだろう。

 どうやらこの国? とあのドラゴンは敵対関係にあったようだし、突然それが町中に現れて、暴れ出し、あげく木っ端微塵に吹き飛ばされたのだ。

 騒ぎにならないわけがない。

 

 そして、単純な理屈として。

 ドラゴンが強大であったのならあったほど、それを撃退したエックスが、同等以上の脅威と見なされるのは自然な流れだ。

 ましてそれが、由来も出自もまったく不明、どこから現れたのかすら分からない人間が操縦する“ゴーレム”であれば――

 

 どう控え目に言っても、海斗は不審すぎる危険人物だ。

 即座に拘束に動いた騎士団、それに、目の前の少女は迅速に事態を収拾した強者(つわもの)たちだと感心する。

 多分にあちらの都合もあるにせよ、こうして海斗を牢に繋ぐにとどめているのも、彼ら彼女らなりの譲歩と温情なのだろう。

 

 少女がすっと姿勢を正して、生真面目な声音で言ってきた。

 

「名乗るのが遅れてしまいましたね。私はアトラハシース・ノア・ヒューペリオーン――このハイペリオン王国の第一王女、そして、今は聖極(せいきょく)騎士団の代表も務めています」

「アトラ……?」

「はい。近しい人はみんなそう呼びますよ」

 

 くすりと笑う少女――アトラ。

 が、海斗は彼女に呼びかけたのではなく、思ったことをつぶやいただけだった。

 

(さっき、あの眼鏡の子が言ってた名前だよな。第一王女……ってことは、お姫様だったのか?)

 

 いきなりとんでもない人物と対面してしまった気がする。

 ゲヒゲヒ笑うムチを持ったサド拷問官、とかが出てくるかもと思っていたから、逆に面食らってしまった。

 

 あるいは、それだけ事態を重く見ているということなのかもしれない。

 国のトップに近いであろう人物が、その足で牢屋まで容疑者との面会と視察に訪れるというのは、まあまずあり得ない状況だろう。

 もしかしたら、これでも海斗は『交渉の価値あり』のVIP待遇なのかもしれない。

 

 ついでにもうひとつ、あえて言っておくなら――アトラが美人だということか。

 目鼻立ちは端正で、赤く長い髪は炎の尾を引く美麗な流星、瞳は夜明けに輝く曙光をそのままはめ込んだような、透き通った金色だ。

 引き締まった身体つきは少女像の黄金比めいて美しく、(あら)もなければ無駄もない。

 

 並大抵の美少女ではない。

 どころか、銀幕の舞台に出るなら一枚看板(ヒロイン)しかあり得ないような、えも言われぬ魅力と迫力が溢れている。

 冗談でもなんでもなく、海斗が人生で出会う中で、一番美しい人物は彼女になることだろう。

 

 そんな見目麗しいお姫様が、正真の王族が騎士団を率いているとなれば、お飾りの旗印に据えられていると思いそうなものだが。

 海斗の直感はそれも否定した。

 

 先ほどの大岡裁きもしかり――アトラには固有の独特なオーラ、凄みのようなものがある。

 単に弁が立つだけではない。

 なにより端的に海斗が舌を巻いたのは、その立ち姿だった。

 

 アトラの足の置き方、姿勢のブレなさ、さりげない気配と視線の動き――

 一本、筋の通ったその姿は、それだけで彼女が高位の武芸者であることを如実に示していた。

 強者は立ち方ひとつにその一端が表れるという。

 半ば素人の海斗にもそれが伝わるのだから、アトラの腕前のほどは推して知るべし、といったところだろう。

 

 アトラはじっとこちらを見ている。

 と、沈黙と観察が長引いてしまったことを察して、海斗は口を開いた。

 

「――鉄海斗だ。“くろがね”って呼ばれるとどうにもむず痒いんで、できれば“かいと”のほうで頼む」

「クロガネカイト……不思議な響きですね。あ、いえ、決して悪い意味ではなく」

「まあ地元でも変わってる部類ではあったかな。日本――あ、日本じゃ分からないんだっけ――地球人、って言って伝わらないもんか」

「チキュウ?」

 

 駄目っぽいイントネーションでオウム返しするアトラに、海斗はがっくりうなだれた。

 

「まいったな。惑星単位で伝わらないとなると、いよいよ異世界転移で確定かよ。なんとか帰る手段を見つけないと……」

「……海斗。つまりあなたは、他の星から来たんですか?」

「ざっくり言えば、多分そうだ。悪いけど俺も事情と状況がさっぱり分からなくて困ってる。このままじゃうまく説明できる自信もないし、できれば、先にそっちのことを話してくれると助かるんだが」

 

 と、言いかけた時だ。

 

「アトラ様――やはりこの男、魔王軍の手の者では?」

 

 随伴していた騎士の片割れだった。

 最初から不審げな視線は感じないでもなかったが、今はわりと露骨に、遠慮なくその目を向けてきている。

 別に海斗は気にしなかったが。

 

 ちらとそちらに目をやって、たしなめるようにアトラが言った。

 

「副騎士長。軽々な発言は慎みなさい。彼の事情を知らぬうちから決めてかかっていては、きっと我々は大事なことを見落とすことになりますから」

「しかし! この男のゴーレムは、魔物たちと同じで(・・・・・・・・)空から降ってきたというではないですか! そしてこの大地、『アル・アハド』の者ではないという、今の発言――」

「それでもです。決めてかかるのはまだ早計です。ともかくこの場は私を信じて」

 

 圧ではなく柔らかい言葉で、騎士の青年をやんわり押しとどめるアトラ。

 それで警戒の目線が和らいだわけではなかったが、ひとまず表情の下にまでは収まったようだった。

 

 アトラが海斗に向き直る。

 

「分からないことがあるなら、可能な範囲でお答えします。代わりにあなたの事情も詳しくお聞きしたい。そして叶うならお互いの助けとなり、友好な協力関係を築きたい――それが王国の代表としての私の意見です。いかがでしょうか?」

「……先に俺が質問していい、ってことか?」

「はい。それで情報交換に応じていただけるなら」

 

 なるほどな、と海斗は相槌を打った。

 本音のところはともかくとして、アトラ、というかハイペリオン王国の側には海斗に対して余裕と優位がある。

 それをいくらか譲ってでも、海斗から情報を引き出したいのだろう。

 

 囚われの身で、情報を得るあてもない今の海斗にはありがたい話だ。

 しばし、今までの話の中で得た情報の断片を噛み砕いてから、海斗は訊ねた。

 

「なら、まず質問1つ目だ。俺の“ゴーレム”――エックスっていうんだが、あいつは今、どこにある?」

「町の西側――あなたが、魔炎竜を迎え撃ったその場にそのまま置いてありますよ。どこか人目に触れない場所に移動させたかったのですが、なにぶんあの巨体と重量ですから、仕方なくというのもありますが」

「そうか。念のため言うけど、間違っても乗り込んで動かそうなんて思わないでくれよ」

「もちろんです。騎士団の一部隊についてもらっているのと、それと、誰も近づけさせないよう厳命してあります」

 

 それを聞いて、ふと頭をよぎったのは、先ほどここを訪れた青服に眼鏡の妙な少女だったが――

 あれは心配するだけ無駄な人種だろうな、と適当に流しておく。

 今のエックスはただの置き物と変わらないし、現場職の人間ならなおさら、不明物に迂闊に触れるようなことはしないだろう。

 

 まさか破壊されていないよな、という心配も杞憂のようだと見て取って、ひとつ息をつく。

 それからまた口を開いた。

 

「あの、魔炎竜……? だとかいう、ドラゴンなんだけど。ああいうやつはこのあたりにはよく出るのか? 言っちゃあなんだけど、あれがあんたたちの手に負えるような怪物だったとは思えないんだ。俺とエックスもかなり危なかった」

「…………」

 

 アトラは――いや、お付きの騎士ふたりもだが、難しい顔をした。

 国防を担う騎士団として、『お前たちは頼りない』と言われたようなものなのだから、無理もないのかもしれないが。

 

 少し長引いた沈黙からすると、どうもそれだけではないようにも思える。

 ややあってからアトラが返答した。

 

「あなたの言う『ああいうの』が、どの程度のものを指しているかにもよりますね。魔物一般という意味では、町の近隣にもいくらでも。大型のものでも、まあ街道を外れたような辺境や、森の奥からやってくることは時折あります。ただ、ドラゴンとなると……」

「珍しいのか?」

「というより、あってはならないことなんです。竜とは各四天王に一体ずつ、魔王ザハランが専用に授けた最強の魔物――正直に言えば、そう、我々が死力を尽くし戦ったとして、なんとか退けられるかどうかという特級の危機災害でした」

 

 今度はこちらが沈黙する番だった。

 海斗はそんな危険なモンスターを町に引き込み、戦場にして、危うく本当に壊滅させるところだったのだ。

 

 勝てたから良かった、では済まないだろう。

 危険を招いたこともそうだが、実際に大規模な被害が出ているのだし、その責任は当然、ドラゴンと戦った当の海斗にあるはずだ。

 ついでに言えば、騎士団からの追及の声や町の住人からの非難と反発も、決して生半可なものではあるまい。

 

 ……考え出すとさすがに頭が痛い。

 アトラの話の続きを聞いた。

 

「町を救ってくれたことは、本当に感謝しています。魔炎竜は3ヶ月ほど前に突如姿を現し、王都に向けて侵攻を開始しました。我々は何度も討伐隊を送り、幾重もの防衛網を敷いて挑んだのですが――その足を止めることは、かなわず」

「……妙だと思ってたんだが。ひょっとしてあんたたち騎士団が、まして『お姫様』のアトラが、この町に居合わせていたのは」

「はい。お察しの通り、決死隊です。その身その命を矛と変え、たとえ塵と消え果てようとも、必ずかの邪竜の鱗を穿たんと集められた、王国最後の……希望だったんです」

 

 最後に少し、アトラは言いよどんだ。

 はっきりとは分からないが、多分、最後の希望ではなく『最後の抵抗』とでも言いかけたのではないだろうか。

 

 そこでアトラは、突然すっと頭を下げた。

 目をむく両脇の騎士たちを見るでもなく、海斗に向けて告げる。

 

「鉄海斗――あなたはこの町に住む者と、そしてこの国に暮らすすべての人々にとって、真の意味での希望の光だったんですよ。今は少しでも騒ぎを抑制するため、こうして身柄を押さえざるを得ないのですが。本当なら賓客としてもてなさなければならないところを、本当に申し訳なく」

「あ、いや……よしてくれ。そういうの柄じゃないんだ。冷や飯食らいは慣れてるし、十分快適に過ごさせてもらってるよ。屋根と食事とベッドがあるだけで事足りるんでね、俺は」

「しかし」

「押し問答より、建設的な話の続きをしようぜ。聞きたいことはまだあるんだ」

 

 そこまで言えば、アトラも食い下がってはこなかった。

 というより、引いてもらうためにあえてこんな言い方をしたのだが。

 

 すっと静かに立ち上がった彼女に、海斗は問いかけた。

 実はなにを聞けばいいかは固まっていなかったのだが、その場ででっち上げて。

 

「さっき、そっちの騎士さんが言ってたよな。魔王軍……魔物は、空からやってくるって。あと、この世界のことを『アル・アハド』って呼んでたっけか。どっちも俺の世界では耳馴染みのないことなもんで、そのあたりの説明を――」

 

 と、言いかけた時だった。

 

 牢に激震が走る。

 いや、建物自体が衝撃に打ち震える。

 遠雷めいた鈍い轟音が、しかし相当な近くに落ちて、響いて、地を揺るがす。

 

「ぐおっ……! な、なんだ!?」

 

 その場の全員、足場が揺らいだことで激しくよろめく。

 海斗も例外ではなく、危うく鉄の格子に顔からぶつかりに行くところを、なんとか踏みとどまったのだが――

 

 たまたま視界が上を向いた瞬間に、見えた。

 狭い部屋、小さな建物のその窓から。

 

 なにか巨大な、黒ずんだ茶色の影が、町並みの坂道にそびえ立っていた。

 いや――

 おそらくだが、仰ぎ見る距離よりいくらか短い、巨影がいるのはこの牢屋のかなり近くだろう。

 

 ズシン……ズシンッと、その影が動くたび、遠雷と衝撃の鳴動が建物ごとこの牢を揺らしている。

 アトラと騎士たちもすぐに気づいたのだろう。

 叫ぶのが聞こえた。

 

「あれは――四天王ゾハル軍の、ゴーレム! どうしてこんな町中にっ!」

 

 まったく予想だにしなかった事態なのだろう。

 声にこもった緊迫感から、海斗はそれをすぐに悟った。

 

 鋭く問う。

 

「おい! あれもさっき言ってた、四天王だか魔炎竜だかのお仲間か!?」

「ぐっ……そ、そうだ! でもどうして! ここは獣将ジハードの勢力圏であって、ゾハル軍がいるはずがない――この町に、よりによって、なぜこんな時に!」

 

 別に誰でもよかったのだが、答えたのはあの副騎士長の青年だった。

 

 怒鳴るように叫んでから、その時間すら無駄だったとすぐに気づいたのだろう。

 騎士は今度はアトラに呼びかけた。

 

「姫! 騎士団は例の“黒いゴーレム”監視と本部の待機組に分かれていて、戦闘準備体制にないはずです! 急ぎ戻って指揮を!」

「はい。行きましょう、ふたりとも! 海斗、すみませんが緊急事態です。私たちは行きます、行かなければなりませんが、必ず敵を倒してこの町を――」

 

「――やばい状況なんだな?」

 

 囁くようにつぶやくと、え? とアトラが目をしばたたかせた。

 それを見ていたわけではないが。

 

 ――キンっ、と。

 

 海斗の両手を抑えていた木の手枷が、真っ二つに割れて石床に転がった。

 自由になった腕の調子を確かめながら(手首が少し腫れていたが、異常はない)、海斗は振り上げた右足を下ろす。

 

 ブーツの先端から飛び出した小型のナイフ、手枷を両断したそれを手に取って握り、刃こぼれがないことを確かめた。

 

「か、海斗、あなたはなにを?」

「ボディチェックはされなかっただろ。あと、悪いけどアトラ、ちょっと下がっててくれ」

「なん――ちょ、待っ!」

 

 何事か言いかけるアトラを無視して、海斗は手にした刃を振るった。

 再びキンっ、という高音。

 ガラスがこすれるような響きが石廊に冴え渡る。

 

 そして一閃した軌跡の上では、あの青白く輝く魔導錠が、手枷と同じく真っ二つに切断されていた。

 牢の扉を押して開ける。

 魔導錠が床に落ちて、鈴のような音を鳴らして散った。

 

 騎士たちはそれを驚愕の表情で眺めていた。

 しかし、すんでのところで我に返ったのだろう、青年騎士が海斗に詰め寄ってきた。

 

「き、貴様っ! やはり魔王軍の回し者で――」

「違う! 知らん! どうでもいいだろ後回しだ!」

 

 きっぱり無視して叫ぶと、騎士は勢いに押されたように後ずさった。

 それを待つのももどかしく、海斗は建物の廊下を駆け出した。

 

 後ろから、アトラがなにかを呼びかけてきていたが。

 それも聞き流して、建物の玄関から表へ出ると、通りは悲鳴と罵声で混乱の場と化していた。

 

 怯え、逃げ、走り、転げ、惑う人々の群れ。

 それをかき分け、目ざとく人波の隙間の広場を見つけて駆け込むと、海斗は手にしたナイフの煌めきを空に掲げた。

 

 叫ぶ。

 

「サモン・コール・クオーク――来い、エックスッ!」

 

 キラ、と町の向こう側でなにかが光る。

 それは刹那のまたたきから、小さな光、そして一瞬で燃えるような輝きにまで変わり、そして。

 

 ――1秒の間も置かず、海斗の目の前に光が飛来して突き刺さった。

 爆音と爆風が吹き荒び、町並みの木々や草花、建物の装飾と、海斗自身の髪とを震わせる。

 

 それが収まると、そこには黒い巨人が――海斗の愛機、エックスの威容が、仁王立ちするようにたたずんでいた。

 外部出力スピーカーから、耳馴染んだウザい声が響く。

 

『――なんですか海斗。人が良い気分で機体修復作業(バケーション)を楽しんでいたというのに、突然』

「休暇は終わりだ。さっさとフライヤー降ろせ。スクランブル!」

『やれやれ』

 

 いつものようなやり取り。

 エックスの頭部ユニットが分離し、ホバリングしながら海斗の目の前に着地する。

 すぐさま乗り込もうとして――

 

「海斗っ!」

 

 後ろから、追いついてきたのだろう。アトラが叫ぶ。

 

 それを待つ気はなかったが、コックピットブロックが飛び立ってエックスの操縦席に収まるまでの間に、彼女の声が聞こえてきた。

 

「無茶を――しないで! 無理やり拘束を振り切って、また町中で戦ったりしたら、もうあなたを――!」

 

 庇いきれない、とでも言ったのだろう。

 ドッキングの轟音と、コックピットの前面に遮蔽シールドが下りたことで声は途切れてしまったが。

 

 ただ、硬いシートの上で、海斗は誰ともなくつぶやいた。

 

「心配すんなって。ここがどこで、お前らが誰であろうと。俺のやることは変わらねえ」

『海斗。目標、70メートル先の岩塊の巨人――ゴーレムにセット』

 

 クオの無機質な電子音声を聞きながら、両手の拳同士を打ちつける。

 自身のそれと、そして、エックスの鉄拳も同じようにして。

 

 気合いを入れて、叫ぶ!

 

「意地と道理で推して参る――クオ! この町を、守るぞ!」

了解(サー)認証しました(イエッサー)鉄海斗(マイマスター)

 

 轟然と唸りを上げるギガプラズマエンジン、そして巨体が風を切り、町並みの石畳を踏みしめて。

 

 スーパーロボット・エックスが、異世界を()く!



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#6 VSゴーレム・クロスカッターパンチ

 敵影視認(コンタクト)

 接触会敵(エンゲージ)

 近接格闘(インファイティング)……

 

 一打必倒(オンリーワン・ストライク)

 

「喰らいやがれ、鋼の右ッ!」

 

 岩石の巨兵、ゴーレムに肉薄すると同時、エックスの右拳を打ち放った。

 豪風纏う鉄腕と鉄拳が、愛機、エックスの秘めた動力機構(ギガプラズマ)格闘機構(ATX-OS)の爆発力を存分に発揮して唸りを上げる。

 ゴーレムの巨体の真正面、人間で言えばみぞおちの位置へと、踏み込みざまの右ストレートが突き刺さった。

 

 ゴゴンッ、と言葉通りに岩を穿つような硬質の音が、砲声のように轟いて町並みの石畳と建物を震わせる。

 が――

 

「う、おお……っ!?」

 

 硬い。弾かれた。

 正中線を捉えたはずの拳は、しかし岩塊巨兵(ゴーレム)になんらの痛痒も与えず、揺らがさない。

 岩石の表面がいくらか削れ、ぱらぱらと小さな砂と埃をこぼしたが、それだけだ。

 

 不格好を承知でエックスを跳び下がらせる。

 ゴーレムは鈍重な見た目そのままの緩慢さで、ようやくこちらに向き直ったところだった。

 なんなら今になってようやく、海斗とエックスの存在に気づいたような素振りだ。

 

 海斗はコックピットで毒づいた。

 

「野郎ォ――余裕かましやがって、岩石ノッポが」

海斗(マスター)。対象の分析データですが、見た目通りの岩の塊ではないようです。体積に対しての重量と密度が高すぎる。先日のドラゴンと同様、計算が噛み合いません』

「俺たちの常識は通用しないってわけか。ったく、これだから異世界は!」

 

「オオォォォン……!」

 

 大樹の(うろ)から響くような唸り声を上げて、ゴーレムが巨腕を振り上げる。

 猫背だった身体を伸ばし、エックスより一回り野太いゴリラのような体型が持ち上がると、その迫力は凄まじいものだった。

 そしてそのまま捻りもなく、身体ごと飛び掛かるような格好で鉄槌の一撃を振り下ろしてくる!

 

「ちぃ……っ!」

 

 腕が長い分だけ、リーチも長すぎてかわせない。

 というより、倒れ込むようなその一撃を下手にかわせば、足元の町に被害が出る恐れがあった。

 

 歯を食いしばって、海斗はエックスの腕を交差させて掲げた。

 巨腕の一撃を受け止めると、凄まじい衝撃が機体中に走り、コックピットブロックまでも激しくめちゃくちゃに震わせられる。

 ズガォッ、といわく言い難い破砕音を鳴らして両脚部が石畳を突き破り、割れ響かせて、地面にめり込んだ。

 

「ぬぉおおおお!」

 

 どうにかこうにか、ギリギリで耐える。

 しかし。

 

「オォーン……!」

 

 ゴーレムの腕はなおも力を緩めず、エックスを上から押し潰そうと叩きつけた腕をさらにミシミシと押し込んでくる。

 クオから苦情が殺到した。

 

『両腕部の装甲にダメージ、駆動系に一部支障と断線確認、吹かしたジェネレーターが一部ショートして出力5%ダウン、打撃部からの圧迫で脚部装甲にまで被害が波及しつつあり――』

「あーもーうるせーよ! お前に聞きたいのはひとつだけだ、まだやれるな!?」

『イエス・マスター。戦闘続行に問題ありません』

「それでいい! クオ、エクスブラスターは使えるか!?」

 

 叫ぶが、否の答えはすぐに返った。

 

『駄目です。先日の臨界暴走(オーバードライブ)出力から機能が回復しきっていません。それに、エネルギーが足りない以上に、胸部放射板の損傷が激しく――』

「トカゲ野郎には大盤振る舞いしたからな。仕方ないとは、いえ……!?」

 

 言っている間に、ゴーレムは次の行動に移っていた。

 ぶつけた右腕をそのままに、もう一本の巨腕も()っとい棍棒のように無造作に振り上げる。

 格闘のセオリーもなにもない、このままもう一撃を叩きつけて見舞ってくるつもりだ。

 

 予備動作を隠すつもりもないテレフォンパンチだが、その必要がないだけの破壊力は間違いなくある。

 これを受けては耐えられない、エックスは押し潰されて破壊されるだろう。

 だが、飛び退ってかわす選択肢は、今ものしかかるゴーレムの右腕の重圧が封じていた。

 

 退路はない――

 

「なら、『死中に活あり』だ!」

 

 ゴーレムの巨腕が降り落ちて、エックスを叩き潰さんと迫りくる。

 だが片腕を振り下ろす動きをすれば、反対側の腕がそのままの圧力を保ってはいられない。

 ゴーレムの体組織が人間の筋肉とはモノが違うとしても、慣性質量の法則まで無視することはできないという寸法(スンポー)だ。

 

 その瞬間、一髪千鈞を引く危ういタイミングを見切り、上からの拘束が弱まった刹那に前方へ大きく踏み出す。

 ゴーレムの左腕の追撃をかいくぐり、格闘距離(クロスレンジ)から密着間合い(ゼロレンジ)へと潜り込んだ。

 回避の際、肩口の装甲をかすめて嫌な音と振動が機体を揺り動かしたが、敵の懐に飛び込むことに成功した。

 

「こいつで――どうだ! 黄金の左!」

 

 巨体を大きく沈ませた体勢、そこから一転して力強く地を蹴り、伸び上がるような勢いで握った左拳を突き上げる。

 ゴーレムの前のめりになった顎に対して、カウンターで強烈なアッパーカットが炸裂した。

 頭を大きく仰け反らせ、岩塊の巨体がぐらりと揺らぐ。

 

 ほとんど捨て身に近い、超接近距離での渾身の一撃だ。

 手応えはあったが――

 

(――どうだ!?)

 

 しかし果たして、ここでは凶と出た。

 ガクン、と首を振り戻したゴーレムは軋んだ動きはそのまま、だがダメージの気配はない。

 

 くり抜かれただけの無機質な目がこちらを見据える。

 そして、すぐ間近にいるエックスの胴体部を両腕ごと、引き戻した腕で抱え込み、熊の抱擁(ベア・ハッグ)のように潰しにかかった。

 

「あ、てめ、このやろっ!」

 

 ミシミシ、メキメキとABS-MXの装甲材が軋み、弾け飛びかねない圧力が機体に襲い掛かる。

 たちまちに警報とアラートの音声がコックピット中に響き渡った。

 装甲強度低下、外部からの圧力上昇、機体損壊の危機、退避行動を推奨――

 

 いちいち読んでもいられない警告文を、クオが一言でまとめた。

 

『海斗! 脱出を!』

「分かってるっ、でも、くそっ、両腕ごと挟まれてこの馬鹿力じゃ……うおお!?」

 

 さらに、メインモニターの全面に大口を開けたゴーレムの顔が映し出されて、海斗は驚愕の声を上げた。

 オォォォ……と不気味な唸りを響かせながら、ゴーレムはエックスの頭部ユニットに、コックピットに噛みつこうとしているようだ。

 どういう行動原理でそうしているかは不明だが、なおさらピンチなのは変わらない。

 

 機体が折り潰されるか、コックピットを食い破られて海斗が潰れるのが先か。

 どっちもごめんだと胸中で叫びながら、クオに怒鳴った。

 

「クオ! なんだっていいから、使える武器を! このままじゃ仲良くサバ折り寿司だぞ!」

『はい、海斗。26時間の休眠(スリープ)モードで、クイックシューターの復旧が完了しています』

「弱っ! 牽制武器じゃん! バルカン的なやつじゃん! ええい、この際それでいいから、今すぐ発射準備!」

(Q)の力を使う武器なのにこの言われよう。ちょっとムカつきますね』

 

 文句言いつつ、コンソール脇のQの文字のアバターが発光し始める。

 四隅の水晶のマークが点灯したところで、クオが告げた。

 

『チャージ完了。照準は』

「しゃくれ岩石野郎の顔面だ! 照射モードで根性焼きかましてやれ!」

了解(ラージャ)

 

 瞬間、エックスの稲妻の双眸(ツインアイ)がひときわ強い光をみなぎらせ、そこから鮮黄色(シャルトリューズイエロー)のまばゆい閃光が収束して撃ち放たれる。

 バシュンッ! と衝撃とともに、圧縮された光線の束がゴーレムの鼻先に突き刺さり、顔の岩石の表面を焼き焦がして蒸発させた。

 

 ただし、それはほんの小さな面積の表皮だけだ。

 連続して照射したところで大したダメージにはならない。

 逆に時間が経つだけ、ゴーレムの両腕が装甲に深く食い込み始めて、エックスの機体が上げる悲鳴が大きくなっていく。

 

 クオがぼやいた。

 

『……まあ確かに、これは我ながら非力すぎますね。征服ロボNo.17、私のQのボディがもはや恋しい――』

「いや。まだだ!」

 

 ビームの照射を続ける中、わずかにゴーレムが身じろぎしたのを、海斗は見逃さなかった。

 これまでの攻撃を意にも介さなかった敵が、なにかを嫌がるように顔を逸らしたということは――

 

 野生めいた勘で、海斗は狙うべき(マト)を見定めた。

 

「クオ! 野郎の眉間にあるなにかのマークだ、あれを狙え!」

『“真理(エメス)”と“(メス)”の伝承ですか? しかし、異界の魔物にそんなセオリーが通用するかは』

「それは知らねえけど、喧嘩の常套手段でな、敵の嫌がることをやるのが勝ち筋なんだよ。構えろ、狙え! クイックシューター――バーストモード!」

 

 叫び、マニュアル操作で照準をきっちり合わせながら、連射モードで光線を放つ。

 的が小さすぎて2発はかすめたが、3発目がゴーレムの額のど真ん中を捉えた。

 

「…………!」

 

 途端、ゴーレムが声もなく身悶えして、衝撃を受けたように頭をもたげさせる。

 抱えていたエックスの拘束も緩んだ。

 

 その隙を見逃さず、海斗は両手のレバーを押し込んで、全力でゴーレムの両腕を押し開いた。

 締めつけを力ずくでブチ切ったところで飛び退り、敵の懐から離脱する。

 

 損傷チェック。

 全身あちこちやられているが、致命的な破損部位はない。

 戦闘続行可能だ。

 

 海斗とエックスが態勢を立て直すのと、ゴーレムがゆっくりとこちらに向き直るのはほとんど同時だった。

 向かい合う巨人2体。

 エックスは空手(からて)を開いて格闘の構え。

 対するゴーレムは――両腕を持ち上げ、頭部を覆うようにカバーしていた。

 

 ちっ、と海斗は舌打ちした。

 

「厄介だな。弱点が分かっても、あの防御力(タフさ)でガードされたら手が出せねえ」

『海斗、手といえば、なのですが――』

「はいはい。クロスカッターパンチは使えないんだろ。そのダジャレはもう聞いた」

 

 うんざりとうめくのだが。

 しかし、クオの返答はまったく予想外のものだった。

 

『いえ。クロスカッターパンチ、使用可能になっています』

「……は? おい待てクオ、さっきはクイックシューターの修復で手一杯だったって」

『原因不明ですが、なぜか――いえ。映像記録に痕跡あり。アクセス。再生します』

 

 と、正面モニターの右下に録画映像らしきものが映し出され、流れ出す。

 そこに映っていたのはエックスの胴体部と――そして、青い作業服を着た人影。

 早回しの映像の中で、その人物がエックスの左右の腕を調べるように往復し、工具らしきもので叩き、回し、ねじり、締めて、そしてなにかを剥がすような動きをして――

 そうしてひとしきり作業を終え、立ち去る間際にふっとエックスの内蔵カメラに気がついたらしく、こちらに顔を向ける。

 

 それは、数時間前に海斗の牢屋を訪れた、あの眼鏡をかけた少女だった。

 名前も知らない彼女は、そのままひらひらと手を振って去っていく。

 

 海斗はたまらず叫んだ。

 

「――いや、どういうことだよ! 誰だあの女! 俺のエックスになにしやがった!?」

『信じられませんが海斗、彼女が“目詰まり”を直してくれたおかげで、武装が復活したのは事実です。彼女と面識が?』

「ついさっきな! やっぱりろくでもない女じゃねーか、エックスには近づくなって言ったのに!」

『映像は昨夜のものですので、仕方ないかと』

「なにひとつ仕方なくないっての! ああもうっ!」

 

 ひとしきり叫んで、海斗は頭を振って切り替えた。

 事情と経緯はともかくとして、この局面で使える武器が出てきた意味は大きい。

 

 それもとびきり(・・・・)強烈なやつが、だ。

 

 もはや迷うまでもなく、海斗はその武装を選択した。

 腕部レバーを握り直してエックスの構えも変える。

 

 ズズン、と歩み寄ってくるゴーレムの巨体にすら、もはやなんら脅威を感じない。

 エックスの両腕をそちらに向け、銃口を()するように拳を突きつけると、海斗は武装レバー先端のスイッチを押し込んだ。

 

 機体の左右の前腕部、そこから十字を切るように4枚の刃が飛び出し、さらに肘から先が振動とともにゆっくりと回転を始めた。

 すぐさまそれは激化し、抑えきれないパワーが両腕にみなぎる。

 高速で旋転するカッターが空気を引き裂く轟音。

 噴射ノズルから、強装推進剤の白煙がこらえきれないとばかりに尾を引きたなびく。

 

「こいつはただの鉄拳とはわけが違うぜ――」

 

 握り込んだ武装桿をさらに倒すと、正面コンソールのロックオンマークが緑色に変わった。

 軽い電子音とともに、同色の文字が浮かぶ。

 

 『照準完了(IN-SIGHT)』。

 

 牙をむくようにして海斗は笑った。

 

「ぶっ飛ばしてぶっ倒す! 喰らえ必殺ッ、クロス(『X』)カッター(Cutter)パンチ(Punch)!」

 

 叫ぶと同時、レバー操作と音声入力によって武装が解放され、エックスの両腕が凄まじい勢いで発射された。

 

 4枚刃が猛烈に回転し、大気を細切れに寸断しながら、一対の拳が宙を飛ぶ。

 風を巻きながら風を切り、空気の層を貫いて突破し、剛拳がハヤブサのように標的へと飛翔した。

 

「…………ッ!?」

 

 激烈な衝撃の一閃がゴーレムのどてっ腹に突き刺さり、その巨体をよろめかせた。

 いいや、それだけでは終わらない。

 その巨体が半ば宙に浮き、つま先で地面の石畳をこすりながら押し込まれ、吹き飛ばされていく。

 そのまま何十メートルも……いいや、100メートルを超えるほど巨体が弾かれ、ついには町の外まで押し出されたところで。

 

 後を追うように飛来したもうひとつの拳が、宙に浮いたままのゴーレムの頭を打ち据えた。

 眉間の中央。

 ガードの隙間を無理矢理にこじ開けて、そこに刻印された弱点(マーク)の真上に、突き刺さり、突き立って、抉り出し――

 

 轟音を上げてゴーレムの頭を貫通した。

 

 遠く、悲鳴すら届かない遥か遠くで、ゴーレムの身体が崩れてただのつちくれ(・・・・)に変わった。

 町外れに降り注ぐ土砂の山。

 

『――対象より発せられていた微小な生体反応、消滅』

 

 それを眺めながら、海斗はクオの声を聞いた。

 

『勝ちましたか?』

「見れば分かるだろ。楽勝だったぜ」

 

 逆噴射で戻ってきたエックスの両拳を打ち鳴らして、海斗はふふんと鼻を鳴らした。

 

 

 

 そして――

 

「自業自得とはいえ、どうにもバツが悪いな」

 

 自嘲気味につぶやいて、海斗はパイロットシートからカメラ越しに周囲を見下ろした。

 

 散り散りバラバラに逃げ出した町人たちが、戦場跡の町の中心に戻ってきている。

 あるいは、騒ぎが収まったのを見聞きしてやってきた人々も混じっていたかもしれない。

 町中に佇立するエックスの周囲には、かなりの規模の人だかりができていた。

 

 そして今も増え続けている。

 やや遠巻きになっているのは、恐れや戸惑いからというより、単にあの鎧甲冑姿の騎士団員たちが前に出て群衆を押しとどめているからだろう。

 

 これだけの人数になると囁き合うつぶやきですらかなりの音量だ。

 頭部の操縦席、遮蔽シールド越しにもざわめきが聞こえてくるほどである。

 細かくすべては聞き取れないが――内容については、想像に難くない。

 

 その大半が、未知の存在への恐怖と怯え、排斥と、怒りだろう。

 いきなり現れた“ゴーレム”に自分たちの町を、住処を、家々を荒らし回られたのだから当然だ。

 その権利が、彼ら彼女らにはある。

 

 海斗も覚悟はしていた。

 その上で意地を通したのだし、これが正しい行いだと信じるからこそ、今も逃げずにこの場にとどまっている。

 エックスはエネルギー切れで既にろくに動けないが、本気で遁走しようと思えばいくらでもやりようはあるのだから。

 

 なのだが――

 詮無いことを考えていると、クオの電子音声が声をかけてきた。

 

『行かないのですか? 海斗』

「行くさ。ずっとこのシートに座ってるわけにもいかないし。ただ、踏ん切りがつかないんだよ」

『あなたも悩むことがあるんですね、マスター』

「当たり前だろ。お前、俺を恥知らずの山猿だとでも思ってたのか?」

『――怖いんですか?』

 

 図星を刺されて、ぐっと言葉に詰まる。

 だが、クオがこういう言い方をする時は、海斗は決まってこう言い返すのだ。

 

「ンなわけあるか、誰がビビるかよ! ――(ハラ)ぁ決まったぜ。フライヤー分離してくれ。降りるぞ」

『了解』

 

 ぼしゅっ、と軽い音と白煙を立てて、エックスの頭部ユニットが機体を離れる。

 群衆がまた一段とどよめき立つのを感じながら、ゆっくりと路面に降下していく。

 

 遮蔽シールドを開いて、海斗が地に降り立つと――

 まだしばらくはざわめきが続いていたが。

 それが弱まってくる頃を見計らって、海斗は前へ進み出た。

 

 こうなったら、悪役(ヒール)だろうがなんだろうがやってやる。

 その気概を込めて口を開こうとした、その瞬間だった。

 

「勇者様――だ」

「え?」

 

 民衆のひとりが発したその声は、思いがけずあたり一帯に響いた。

 人いきれの中にあってなお響く声、というよりは、その言葉そのものが静寂の呼び水になったように。

 

 海斗がなにも言えないうちに、群衆が口々に言い始めた。

 

「そ、そうだ……勇者だ。あの魔王軍のゴーレムを倒した」

「聖極騎士団が総出でかかって、犠牲を出しながらようやく倒すような魔物を、ほとんど一撃で」

「お、俺は見たんだ。昨日は町の西でドラゴンと戦ってた。町を守って……あの恐ろしい魔炎竜を、倒してくれた!」

「勇者様――感謝します、おお、神よっ!」

 

 異様な熱気が立ち込め始める。

 海斗を置いてけぼりにして。

 

 好き勝手なざわめきは、しかし次第にまとまりつつあった。

 感謝と、歓声と、礼賛を叫ぶ声に。

 

「うおおおおお!」

「万歳! 勇者様、万歳! 万歳ぁいっ!」

「勇者様、ありがとう、ありがとうございます、ありがとうっ!」

「黒い巨人の……そう、そうだ。黒鉄の――黒鉄の勇者だ」

「ありがとう、黒鉄(くろがね)の勇者様!」

 

「うえええ!?」

 

 面食らってうめく海斗を尻目にして、群衆の熱気と気勢は最高潮に達しようとしていた。

 もはや凄まじい合唱で、雪崩れのような怒涛の勇者コールである。

 名前()がそのまんま入っているせいもあって、異常に恥ずかしい。

 

『大人気ですね、海斗――おっと失礼、勇者様?』

「なっ、クオ、お前までふざけんなよ!?」

 

 背後のフライヤーから声をかけてくるクオに。

 

『怖いんですか?』

「――――」

 

 クオは、冗談めかして言ってくる。

 

 ……ああ、まったく。冗談じゃない。

 勇者なんて柄じゃないが、それ以上に。

 あのクソ生意気なポンコツ(AI)に舐められるのなんて、それだけは海斗は我慢がならない!

 

 グッと右拳を握った。

 つかつかと群衆の輪の中心、一番よく見える場所まで移動すると、海斗はわずかに身をたわめる。

 

 そして勢いをつけて、握った右拳を高々と、天を衝くように大きく掲げてみせた。

 

   ワアアァァァー――――ッ!

 

 熱狂に沸き上がる群衆(ギャラリー)に、もはや海斗もやけくその笑顔で応えた。

 

 ヒーローの凱旋は祭りの華だろう。

 経緯はどうあれ理由はなんであれ、今日、その役は海斗に回ってきた。

 だったら全力で応えてやるよ、最高に痛快な勝利(ユメ)を魅せてやる。

 

 町全体を揺るがすほどの大歓声。

 鳴り止まない勇者への讃歌に、誰ともなしに歌とダンスまで付け始め、それこそ祭りのような大騒ぎに発展しつつあった。

 それを制止する騎士団員たちが、もう押しとどめるのを諦めて騒ぎに呑まれかけた頃。

 

 ふと海斗は視線を感じて、少し離れた路地の隅のほうを見た。

 そろそろ夕闇が下りつつある上に、遠目ではっきりとは見えなかったが。

 

 ――多分、そこに立っているアトラは、有り余る怒気でブルブルと肩を震わせていた。

 

 

 

 そして、またそして――

 

 翌日の朝。

 ちゅんちゅんと鳥が鳴くのを格子窓の向こうに聞きながら。

 

「えーと……」

 

 昨日とはまた別の牢の中で、ぽつんとひとり、海斗はつぶやいた。

 今度は向かいの部屋もどこも無人で、本当にひとりきりだ。

 

 海斗はげっそりと嘆息した。

 

「……俺、またなんかやっちゃいました?」



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#7 聖極騎士団

「あなたは、自分がなにをしたか分かってるんですか!?」

 

 こういうのを『大目玉を食う』というのだろう。

 というぐらい、今のアトラは大きく目を見開いて海斗を叱りつけていた。

 憤懣やる方なく拳を握り、どかどか叩かれている木机には同情してしまうほどだ。

 

 海斗たちがいるのは、今はさすがに牢屋ではなかった。

 とはいえそれと比べてさほど上等な部屋でもない。

 机がいくつかに椅子が同数、海斗とアトラの他に騎士がふたりと、書記官の女性。

 部屋に入る時にドアのプレートを見たが、なぜか通じる言葉と違って文字は読めなかった――が、まあ部屋の雰囲気で想像はつく。

 

 あれは『取調室』と書いてあったに違いない。

 

「聞いてるんですか、海斗! あなたは! 自分が! なにを――」

「脱獄と器物破損と危険物の無断持ち出しに市内での無許可の大規模戦闘行為、だろ。悪かったよアトラ――迷惑をかけた自覚はあるし、認めてる。だからこうして逃げも隠れもせずにここにいるんだよ」

 

 完全にあちらの言い分が正しいが、それでも海斗はぐったりうめいた。

 さすがに何度も、暗唱できるほど罪状を並べ立てて怒られ続けるのは堪える。

 

 この部屋に通されてからこっち、1時間は説教を聞いていただろうか。

 こんな時、容疑者が口答えするのは大抵悪手なのだろうが、それでもそろそろ話を前に進めてほしかったのだが。

 

 とはいえ、そう思うならなおさらもっと丁寧に受け答えすべきだったのだろう。

 と、対面に座るアトラの目が限界を超えたと思うほど見開くのを見て、海斗は後悔する羽目になった。

 

「分かっていてやったのならなおさら悪い! なんてことをしてくれたんですか、あなたはっ!」

 

 ずだんっ、とひときわ強く机をぶっ叩いて、アトラは喝破するように叫んだ。

 前のめりというか、立ち上がった拍子に木椅子が跳ねて後ろに倒れるほどの勢いである。

 耳鳴りがするような声量を直に喰らって、海斗も座った椅子ごと転げそうな心地だった。

 

 叫び声の残響が部屋にわだかまる。

 さすがに我に返ったのか、アトラが椅子を立たせて座り直すと、部屋にはなんとも言えない沈黙が降り落ちた。

 書記官の走らせていた羽ペンの音も止まると、ますます取調室の空気は気まずいものになる。

 

 さすがに居心地の悪さを感じて、海斗はやり場のない視線を落とした。

 両手を繋いだ大きな木の手枷が目に映る――最初にかけられた手錠と同じ型のものだが、それを両断した仕込みナイフは手元にない。

 パイロットスーツごと取り上げられて、今は適当な布の服に着替えている。

 さすがに異世界転移3日目まで同じ服装(というか装備)のままでいるのは無理があったので、それはかえって有り難かったが。

 

 深々と嘆息しながら、アトラが言ってきた。

 

「……いいですか、海斗。あなたはつい先日、魔王軍の最強戦力のひとつであるドラゴンを倒した。倒してしまったんです」

「ああ。あの赤トカゲは手強いやつだった」

「それだけでも王都の議会は大騒ぎなのに、飛ばした早馬が帰ってきたその直後に、今度は町の中心に突如現れたゴーレムも撃退――」

「あいつも強かったなあ。あの頑丈(タフ)さにはまいったよ、本当に」

「真面目に聞いてください! ただでさえあなたを、あなたの『エックス』を危険視する声は少なくないんです。今頃、議会本部がどんな大騒動になっているか、私は想像したくもないですよ……!」

 

 いよいよ今度は頭を抱えてしまったアトラは、さすがにちょっと可哀想に思えたが。

 それでも気休めの言い訳程度に、海斗は告げた。

 

「だけど、実際に民衆の支持は得られたわけだろ? 『黒鉄の勇者様』ってことで。さすがにあれだけの騒ぎと盛り上がりだったら、議会とやらも完全に無視はできないんじゃないか?」

「……それは、まあ」

 

 眉間を揉むようにしながら、アトラは渋々認めた。

 認めざるを得ないのだろう――と同時に、立場上苦言を口にしなければならないが、アトラは心情的には海斗に味方してくれている側なのだ。

 もっと言うなら、そもそもこの町の住民はほぼすべて、海斗とエックスを歓迎して受け入れようと――どころか、半ば崇めようとさえしているらしい。

 

 つまり、海斗が悩んでいたことについてはほとんど杞憂だったのだ。

 にわかには信じがたい話だが。

 

「まさか、騒ぎを鎮めるための勾留措置が“民衆の批判から俺を守るため”じゃなく、“お祭り騒ぎになって都市機能が麻痺する”のを防ぐための予防策だった、なんて……その展開はちょっと想像できなかった、かな」

「…………」

 

 なんとも言えない目でこちらを見るアトラ。

 案外と馬鹿にできた話でもないのかもしれないが、当事者の海斗からすれば、こっちこそ微妙な表情にならざるを得ないオチだろう。

 

 つい元の世界での基準で考えていたが……この国と町の世論は、もういくらか単純かつ鷹揚で、ドライでありながら温厚だった。

 敵はやっつけた、多くの人が助かった、だから町を守り戦ってくれた海斗は、きっといい人に違いない。

 それで収まるのならそれでいい、と――まるきり性善説のように、そう考える向きが大半なのだとか。

 

 知性や文明レベルが低いとか、そういう話ではない。

 ただもっと現実的に、魔物による被害が常態化してしまった結果、諦めと思い切りが極端に早くなってしまったような印象だ。

 もっと被害を抑えられた“はず”だとか、他のやり方があった“かもしれない”という類の、言ってしまえば詮無い議論は端から誰も考えていないのだ。

 

 それだけあの魔炎竜というドラゴンや、ゴーレムのような巨大な魔物は、この世界の人類にとって甚大な脅威であるらしい。

 それと、ある意味で一番大きな理由は――

 

「――ええ。本当を言えば、奇跡的に人的被害が出ていない以上、あなたを責めるのは筋違いなんでしょう。それでも、私は」

「分かってるよ。俺を心配して――というか、気遣ってくれてるんだろ。このままだと俺は腫れ物扱いの英雄サマか、周りから孤立して追放されるか、もっと悪い扱いでも文句は言えない。落とし前が必要なのは分かってる」

 

 だから、これ以上下手に動いて、自分の立場を危うくするな――アトラが言い含めているのはそういうことだ。

 この異世界で、頼るあてもない海斗を、アトラはなんの保証も見返りもないのに庇おうとしてくれている。

 それはおせっかいなどではなく、いわばもっと確固たる“仁義”のような覚悟なのだろう。

 

 身の振り方を考えなければならない。

 元の世界へ帰る方法を探すより、まずは今日明日をどう乗り切るかが問題だ。

 さしあたっては――

 

 アトラが深くため息をついて、告げた。

 

「鉄海斗。あなたを王都の、ハイペリオン城の議会まで連行します。なんていうか……もう本当にお願いですから、大人しく従ってください。いいですね」

「……了解」

 

 他にどう言いようもなく、海斗はうなずいた。

 

 

 

 連行とはいっても、それは騎士団が王都へ戻るついででもあったらしい。

 翌朝、海斗が町外れで乗せられた馬車は数十騎あるうちの一台で、特に見た目に変哲もない。

 見張りとして武装した騎士がふたり同乗しているが、それはどの馬車も同じようなものだった。

 

 町を去る間際には一応、一悶着あった――といっても物騒な出来事ではなく、派手な横断幕を掲げた一団に道を空けてもらうのに、騎士たちが少し手間取ったという話だ。

 近くにいた騎士がつぶやくのを聞くに、横断幕には『黒鉄の勇者ありがとう万歳』と書かれていた、らしい。

 騎士団もそういう手合いは予想していたのだろう、牢を出てから馬車に乗るまでの間、海斗の手錠は外されていた。

 今はまたつけているが。

 

 がたごとと馬車が揺れる。

 海斗を乗せた護送馬車は列のちょうど中ほど、真ん中あたりを流されるように進んでいる。

 そのつもりはないが、もし馬車から飛び降りて逃げようとしても、すぐに追っ手がかかって捕まるだろう。

 

 街道をゆく馬車の集団。

 窓の外の広々とした草原を見やって、海斗はつぶやいた。

 

「……そういえば結局、あのゴーレムってどこから湧いてきたんだろうな」

 

 ふとした疑問、口をついて出た言葉だった。

 返事など期待していなかったが、同乗していた青年の騎士が鼻で笑った。

 

「ふん。どこから来たのかも分からん者が、どこから現れたのか分からない魔物と戦っていたとはな。なんとも滑稽な話だ」

「確かにな。あ、今気がついたんだけど、俺はあの町の名前も知らないままだ」

「呆れたやつだ。右も左も分からない状態で、よくもあんな無茶な戦いをする」

「皮肉言われても、ぐうの音も出なくて言い返せないんだよな。お手上げしようにも手はこんなだし」

「……張り合いのない」

 

 手枷をはめられた両手を持ち上げてみせると、騎士ははあと嘆息した。

 喧嘩を売るのは諦めたらしい。

 と、そんな仕草で思い出したのだが、彼はアトラと一緒に海斗の牢を訪れた、あの副騎士長だという青年だった。

 

「……町の名はニアリング。ただの王都の隣町だ。魔炎竜の迎撃拠点として、我々聖極騎士団は一時的にあそこに滞在していた」

 

 結局、手持ち無沙汰はお互い様だったのだろう。

 嫌味の代わりに騎士が口にしたのは、海斗の疑問への回答だった。

 

「ゴーレムは、町の坂道を割って突然這い出てきた、としか言えない。調査隊が残って痕跡を追っているが、まあ無駄足だろう。ゾハル軍のゴーレムは神出鬼没……というより、単に無差別に地下を掘り進んで徘徊するだけの魔物だ。それでもあんな町中に現れたという話は聞いたことがない」

「ドラゴンのほうと協力して、同時に町を攻めるつもりだった……とか?」

「あり得ない。第一に、四天王の……獣将ジハードと巨将ゾハルの軍団はそれぞれ独立して動いているし、別種の魔物どもに連携を取るという発想力はない。第二に、ドラゴンとゴーレムはどちらも単体で町を壊滅させ得る強力な魔物だ。同時攻撃の意義は限りなく皆無だろう」

「じゃあ本当にたまたま、立て続けに壊滅の危機にさらされたのか、あの町。災難というかなんというか……」

「ニアリングの住民に言わせれば、貴公があそこに居合わせていたことが最大の幸運だったらしいぞ。まあ、ある意味これが、一番あり得ない第三の話だろうな」

 

 そう締めくくって、青年騎士の話は終わった。

 またがたごとと馬車に揺られる。

 

 しばらく沈黙が続いてから――

 

「なあ。ところでエックスはどうしたんだ?」

「ん? ああ、貴公の黒いゴーレムか。さすがに町中に置いておくわけにいかないから、あの町で一番大きな倉庫になんとか収めてある」

「270トンの巨体を……あ、いや、かなり重かったはずだけど、どうやって?」

「――聞きたいか?」

 

 と、先ほどとは一転して、どんよりと暗い微笑み(としか言い表せない顔)を見せながら。

 訊ねる騎士に、海斗は首を横に振った。

 

「いや、いい。遠慮しとくよ」

「ロバと荷馬が何頭過労死するところだったか……」

「遠慮されてくれ、頼むから!」

 

 と、しょうもないやり取りをしていた時だった。

 

「――マンフレート副騎士長! あれは?」

 

 と、もうひとりの同乗していた騎士が声を上げて、馬車の外を指差す。

 左手側、窓の外、広がる草原のほうへと。

 

 青年騎士が馬車の中で立ち上がり、脇に置いてあった遠眼鏡をのぞき込む。

 そこになにが映っているのかは、当然海斗には分からないが。

 同じ方向を見やると、この馬車の隊列に向かってくる、いくつかの黒い影が点のように見えた。

 相対速度がどれほどか分からないが、このままだと隊列のどこかにはぶち当たるだろう。

 

「あれは――引き裂き獣(ティエアーウルフ)の群れか。数は、30ほどだな」

「追いつかれると思いますか?」

「あちらがその気ならな。つまり、確実にぶつかる。先に打って出るぞ」

 

 早口に言いながら、青年――マンフレートが馬車の後ろから身を乗り出す。

 周囲に聞こえるように叫んだ。

 

「隊列左方より魔物の襲撃! 分隊、第四から第十二まで、迎撃用意!」

 

 馬車隊の足が順繰りに止まる。

 そのわずかの間に、前後の馬車から騎士たちが飛び降りて、陣形を組んだ。

 向かってくる魔物の群れに対して、正面から迎え撃つ形だ。

 

「貴公はそこにいろ!」

 

 言い残して、マンフレート自身も剣を手に飛び降りている。

 それでも気になって、海斗も馬車の後ろから身を乗り出して様子をうかがった。

 

 騎士たちの各々が武器を構え、剣や槍の矛先を向けた先から、言ったように多数の影が突進してくる。

 一見、それは狼に見えた――ただし、大きさは少なくともどいつも2メートル近い、ほとんどヒグマのようなサイズだ。

 近づくにつれて詳細な姿も分かってくる。

 引き裂き獣と呼んでいたか、まさにそのもの口が喉元近くまで裂けていて、汚れた牙と大量のよだれをこぼしていた。

 

「あれが魔物か……!」

 

 言うまでもなく、元の世界ではいるはずもない怪物だ。

 それが群れをなして、牙をむき、こちらへ向かってくる。

 

 相当な迫力と脅威だったはずだが、騎士団の動きに乱れはなかった。

 落ち着いた声でマンフレートが指示する。

 

「目標、敵集団先頭、『ファイアブラスト』放て!」

「――ファイアブラスト!」

 

 開戦の宣言と同時、言葉通りに火蓋が切られて、炎の爆発が引き裂き獣(ティエアーウルフ)の群れの鼻先に突き刺さった。

 

 かなり大きな爆発だ――空気が震え、離れた位置にいる海斗の耳を圧するほどの。

 大砲でも撃ったような衝撃だが、砲声の代わりにかすかに聞こえたのは、呪文めいた人の声だった。

 魔法、なのだろう。つまりはこれが。

 

 だが、爆発の魔法は引き裂き獣(ティエアーウルフ)の突撃を押しとどめるには至らなかった。

 大きくまとまっていた群れを散り散りにはさせたが、爆風に巻き込んで吹き飛ばしたのはせいぜいが2、3匹。

 残った群れは獰猛な唸り声とともに、大口を開けて咆哮しながら騎士たちの身構える陣形に飛び込んでいく。

 

 しかし――どうやら、その時点で趨勢は決していたらしい。

 一斉突撃の足並みを乱された、その時には。

 

「グギュアアア――ッ!?」

 

 迎え撃って飛び出した騎士たちの武器、例によって機械機構を組み込まれた巨大な剣や槍が、突撃の輪を乱された魔物たちを貫いていく。

 二人一組で確実に、一匹ずつを両断し、一閃し、頭か心臓を潰すか、最低でも足を斬りつけて動きを鈍らせる。

 そうして討ち漏らしたしぶとい個体も、二段構えで待ち受けていた部隊に迎撃され、今度こそ急所を刺されて動きを止めていった。

 

 堅実で着実、無駄のない統率された動きだった。

 最初の爆発魔法も、あれは敵を倒すために放ったのではなく、群れを撹乱して仕留めやすくするための牽制だったのだろう。

 そうして動きを乱した後は、練達した騎士たちの一太刀と一閃、どういう仕掛けがあるのか轟音を上げて振るわれる機構武器の一撃で、確実に息の根を止めていく――

 

 結局、ものの3分足らずで魔物の掃討は終わってしまった。

 馬車までたどり着いたやつは一匹もいないまま。

 

「……すごいな」

 

 ただただ素直に感心して、海斗はつぶやいた。

 元の世界でそうだったように、強力な武器を持ったからといって、人間が熊のような猛獣を倒すのは決して簡単ではないはずだ。

 聖極騎士団の名は伊達でもなんでもなく、その実力は疑う余地もないらしい。

 

 余裕と余力をたっぷり残した、完勝だった。

 

「なんだ。見ていたのか、貴公」

 

 戻ってきた副騎士長、マンフレートは傷ひとつ負っていなかった。

 抱えて飛び出していった巨大な機構剣(比較的鋭利なシルエットだが、それでも並の大刀より遥かに肉厚で凶悪だ)は魔物の血でべっとり汚れているのだが、返り血を身体に浴びてすらいない。

 それだけでも彼の凄まじい体術と体捌きのほど、技量の高さがうかがえる。

 

 海斗はもう一度、称賛した。

 

「いや、すげえびっくりしたよ。アトラも強そうだったけど、あんたたち全員、物凄い達人なんだな」

「嫌味にしか聞こえんよ。そんな我々、騎士団が束になってかかっても、あのドラゴンなどには歯が立たなかったのだから」

「人と比べるのって良くないぜ。卑屈になるばっかりで、本当にいいことないから。ていうか、エックスじゃ比較対象にならないだろ。マシンなんだからあいつは」

「…………」

 

 マンフレートはしばし、意外そうな眼差しで海斗の顔を見返していたが――

 なにも言わないまま、機構剣についた真っ赤な血のりを布で拭い始めた。

 

 そして馬車の隊列は何事もなかったように前進を再開した。



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#8 レムリア

 王都への道行きはつつがなく進んだ。

 

 馬車なのだから徒歩よりはずっと早く、かといって数十台の大所帯なので行軍よりは遅いくらいか。

 当たり前だが海斗は旅の経験などろくになく、そのあたりの時間と距離感覚は正直よく分からないが、目立ったトラブルはあの魔物の襲撃くらいだったと思う。

 一夜の野営、それと馬の足を休める何度かの休憩を挟んで、翌日の昼下がりには騎士団は王都の門前までたどり着いた。

 

 なのだが――

 

「……? なんか、手間取ってないか?」

 

 これだけの大集団でも、正当な騎士団の帰還である。

 それが入城するどころか、城下町へ入るというだけで、こうして待ちぼうけで足止め状態だ。

 城塞都市というのか、町を取り囲む高い門と城壁を見上げて、30分近くも経てば首も痛くなってくる。

 

 当然、不自然に思ったのは海斗だけではないようだ。

 同乗している副騎士長、マンフレートがつぶやくように言った。

 

「市街で混乱が起きているのだろう。無理もないが」

「分かるのか?」

「……騒ぎの種の元凶であろう人物と相乗りしていれば、な」

「あー。そうか。そうだな」

 

 じろりと睨まれて、海斗は頭をかいた。

 手枷で両手を縛られたままだが、なんとか誤魔化すように。

 

 そのタイミングで馬車の列が動き出した。

 交通の整理がついたか、確認の作業に認証が降りるかしたのだろう。

 分厚い巨大な門扉が開放され、馬車と騎士たちがゆっくりとそこをくぐっていく。

 

 市中に入って――

 まず海斗が感じたのは、ざわめきの気配だった。

 

 栄光の聖極騎士団の凱旋、となれば歓迎のファンファーレのひとつも鳴り響きそうなものだが、民衆はやや遠巻きにしながらひそひそ話をするばかりだ。

 馬の足取りと車輪が石畳を噛む音の隙間から、それとなしに海斗はいくつかの声を耳に拾い上げた。

 

「あれが――騎士団の捕まえた――」

「ドラゴンを倒したって――本当なの」

「馬鹿げてる――騎士団が、アトラ様が為遂(しと)げたことを隠してるんだ――」

「なんのためにそんな――」

「黒い巨人を見たって噂も――父は隣町から帰ってきたばかりで」

 

 聞こえよがしにではないが、それでも漏れ聞こえてくるのはそんな内容だ。

 どれもマンフレートが言ったように、不安と混乱を囁くような声だった。

 

 嘆息する。

 

「なんか、前の町と違って俺のイメージ、悪いなぁ」

「それはそうだろう。四天王のドラゴンを倒したなどと、あまりに突拍子がない話だ。我々ですらいまだ信じられんのだから」

「でもなんか聞いてると、俺は騎士団の敗走を誤魔化すための生け贄だとか、俺自身が山よりでかく巨大化して鼻息でドラゴンを吹き飛ばしたとか、もっと信じられないこと言ってる人もいるぞ」

「噂とはそういうもので……いや待て、貴公、どんな耳をしているのだ? 揺れる馬車の中から人の噂話を聞き分けるなんて」

 

 とかなんとか言っていると、不意に馬車の動きが止まる。

 お城に着いたのか――と思ったが、外を見てもその様子はない。

 だいぶ近づいてきてはいたが。

 

 で、なにかと思っていると。

 

「――わせて! 会わせてください。巨人の人に!」

 

 声が聞こえてきた。

 切実さのこもった、真剣な叫びが。

 

 馬車の進んでいた先、先頭のほうからである。

 窓からこっそり様子をうかがうと、どうやら馬車の隊列の正面に人だかりができているらしい。

 というより立ち塞がってきたのか。

 

 馬車隊の歩みが止まったところに、さらに声は続いた。

 

「いるんでしょう? ドラゴンを倒したっていう人が、そこに。連れて帰ってきたって。騎士様、お願いします!」

「ふ、不敬だぞ、君たち。騎士団の歩みを止めさせるなんて。我々はいまだ帰還の途上なんだ、すぐに退去しなければ処罰の対象に――」

「でも、確かめなきゃいけないんです!」

 

 おかしな言い方だが、静かな叫びだった。

 感情の猛るまま声を荒げるのではなく、ただ、絶対に引き下がれないという不退転の決意。

 言うなれば、(ハラ)に覚悟を据えた声音だ。

 

 答えた騎士もそれを感じ取っていたのだろう。

 立場上は押しとどめなければいけないが、いかに力のある立場でも、それを恐れない相手を押し返すのは容易ではない。

 しかも相手は集団であり、半ば勢いに押されて返答に窮している様子が伝わってきた。

 

 海斗は、マンフレートのほうに視線を向けた。

 馬車の中からでは騒ぎは直接見えないし、他になにを見ればいいのか分からなかったからだが。

 

 副騎士長は首を横に振った。

 

「行かせんぞ。それを止めるのが私の役割だ。なにが起こるか分からないだろう」

「けど、向こうが引き下がらなかったら? 力ずくで退かすつもりか?」

「そうする必要があるならな。貴公、馬鹿なことは」

 

 言いかけた時だった。

 

「――海斗」

 

 馬車の外から、呼びかけてくる声があった。

 座ったままだが、位置的には目線より下から届く声。

 

 そちらへ視線を向けると、姫騎士――アトラが、歩み寄って馬車の荷台の端に手を触れてくるところだった。

 騒ぎを聞きつけて、下車してこちらへ向かってきたらしい。

 

 目をむいたのはマンフレートだ。

 青年騎士は慌てて立ち上がり、声を上げた。

 

「あ、アトラ様! いったいなにを!?」

「海斗。あなたは、どうしますか?」

「…………」

 

 アトラは、ちらとだけマンフレートのほうを見たが。

 すぐに視線を移して、静かに海斗を見据えて訊ねてくる。

 まるでなにかを試すように、だ。

 

 しばし見合って――とはいえ、考えるほどのことでもないのだが。

 海斗はふっと笑って、手枷に繋がれた両手を上げた。

 混乱する事態にすっかり固まっている、もうひとり同乗していた騎士に告げる(手枷の鍵を持っているのは彼だった)。

 

「これ、外してもらえるか?」

「え? いや、し、しかし」

「アトラ様!」

 

 なおも食い下がるマンフレートに、しかし、アトラは静かに。

 

「副騎士長」

 

 ただ静かに、落ち着いた声で言うだけだった。

 

「いいのです。民衆の声を聞くのも騎士の務めですよ、マンフレート副騎士長」

「ぬ……」

 

 そんな声で言われては、彼ももはやなにも言えなかっただろう。

 ただ深く嘆息して、鍵を持った騎士に告げる。

 

「……外してやれ」

「は、はあ」

 

 気の抜けたような声を漏らして、その騎士が手枷の錠を外してくれた。

 ぱかりと開いたそれを騎士の手に乗せて返すと、海斗は立ち上がった。

 

 肩を回して首を鳴らし、馬車から降りる。

 石畳に足をつけて、前に向かって早足で歩き出した。

 

 アトラが後ろをついてくる気配があったが――

 先を急いで、いちいち振り返らない。

 

 そのアトラの姿を見て、だろう。

 周囲の町人らのざわめきが大きくなった。

 

「……姫、様?」

「アトラ様だ……」

「じゃあ、あの少年が、本当に――」

 

 胡乱(うろん)な注目を集めるのは、居心地が良いとは到底言えなかったが。

 ともあれ海斗はすたすた歩いて前へ進み、馬車の連なりの先頭までやってきた。

 アトラは、少し離れたところで立ち止まって、事の成り行きを見守ることにしたらしい。

 それは別にいい。当て込んでいたわけでもない。

 

「? あなたは――」

 

 進み出ると、騒動の中心に立って声を上げていたのは二十歳ほどの小綺麗な身なりの女性だった。

 小柄で細い身体つきで、騎士の一軍と見比べるとなおさら小さく見える。

 後ろに並んでいる人だかりはまた様々だが、とりあえずその女が代表らしい。

 

 その彼女の見つめてくる先で、海斗はひとつうなずいて口を開いた。

 

「俺に、なにか用があるのか?」

「え……じゃあ、あなたが?」

「ああ。『巨人の人』だ」

 

 ざわっ――と、集団がざわめく。

 みなが目を見開いて、海斗に意識と注目が集まるのを感じた。

 

 舌の根に乾いたものを感じながら、それを受け止める。

 そして、続く女性の声を聞いた。

 

「あなたが……」

「だから、そうだって言ってるだろ。言っても見ても信じないなら、証拠の見せようってのもねえもんだけどな」

「あ、いえ、違うんです! そのっ!」

 

 と、彼女は慌てたように手を振って、大きく息を吸って、

 

「――あの! ニアリングの町を、私の夫を助けてくれて、本当にありがとうございましたっ!」

「いや俺もな、町を壊したのはマジに悪かったと思って……なに?」

 

 先に用意していた謝罪と言い訳を、しかし海斗は遮って。

 目をしばたたかせた。

 

 今、目の前の女性はなにを言った?

 ありがとう……?

 

 深々と大きく、女性が身体を折り曲げて礼をする。

 それに(なら)うように、後ろに控えていた人々も全員が一斉に頭を下げた。

 

 戸惑う海斗をよそに、その人らが口々に言ってきた。

 

「うちの息子も。騎士団の一員だったが、あなたに救われた」

「商売に行っていた旦那とふたりの子供が――」

「俺のところもだ。離れて暮らしていた娘夫婦を、あんたは守ってくれた」

「逃げ遅れて離れていた妻と娘から、無事だっていう手紙が届いたよ!」

 

 我も、我もと、彼ら彼女らが次々に礼を述べてくる。

 中には涙を流して、何度も何度も感謝の言葉を繰り返す人もいるほどだ。

 

 と、目の前に立っていた女性が頭を上げた。

 それこそ、涙をこらえて表情を緩ませながら、訊ねてくる。

 

「――あなたの名前を、聞かせてくれませんか?」

「いや、えっと……別にそんな、俺は名乗るほどの者じゃ」

「海斗」

 

 腰が引けて遠慮しかけていた、そんな時だった。

 後ろから静かに、アトラが語りかけてくる。

 

「こういう時、あなたはどうしますか?」

「――――」

 

 それはほとんど、さっき言われたことの繰り返しだったが。

 それで海斗は、改めて(ハラ)を固めた。

 ぐっと拳を握り、つばを飲んで、前に向き直る。

 

 先頭の女性に、そして後ろの人々全員に向けて、告げる。

 

「――鉄海斗だ。よろしくな」

「海斗さん。本当にありがとう!」

「ああ、どういたしまして」

 

 すっと右手を差し出すと、彼女は両手でそれを握り返してきた。

 そしてその後ろで、どっと歓声が沸き上がる。

 

 その声を聞いて、その光景を見て、だろう。

 周囲からぱちぱちと、拍手の音が聞こえてきた。

 

 さっきまで半ば不審げにしていた市民たちだが――

 やがてその場の空気、和らいだ雰囲気が伝播したのか、手を叩く音が段々と増えていく。

 そしてやがては、万雷とまで行かずとも、見回す限りの人々全員が。

 

「――なあ?」

「ああ」

「そうね――」

 

 その両手を打ち鳴らして、海斗と、そして礼を言って頭を下げた人たちを讃えていった。

 そしてその音は、まるで、海斗のことを受け入れて歓迎してくれているようにも思えて――

 

 どうにもむず痒い心地で苦笑しながら、海斗も手を挙げてそれに応えた。

 拍手の音がまた少し、大きくなる。

 

 ――なんとはなしに振り向くと、アトラも、後ろで見守りながら小さく手を叩いていた。

 そして、馬車隊を率いる騎士たちも。

 町の全員ではないが、かなりの人数が、そうして海斗を迎え入れてくれた。

 

 と、そんな時だった。

 

 静かに賑わい、和んでいた空気の中に。

 轟音が響いて閃光が突き刺さり、どわっと場がひっくり返った。

 

「なっ、なんだぁ!?」

 

 通りにいた誰かが罵声を上げる。

 というか、誰もが抱いたであろう同じ疑問だったろうが。

 

 一転して大通りは大騒ぎに逆戻りした。

 民衆は困惑してどよめき、騎士団員たちは身構えて警戒態勢に入る。

 パニックこそ起きていないが、なんの拍子に火がつくか分からない有り様だ。

 

 そんな中で、ほとんど唯一だろう。

 海斗だけがはっきりと嫌な予感を覚えて、空から地上へ飛来した光の行く先を睨んでいた。

 

(あの光は――いや。どう考えても間違いない。見間違えるはずないだろ!)

 

 というより、予感した次の瞬間には確信して、その方向へ駆け出していた。

 騎士団の拘束を振り切った形だが、気にしている暇もない。

 

 閃光が突き立ったのはこの町で一番大きな建物、つまり王城だった。

 走り出して間もなく、その隅の一角へと海斗はたどり着く――

 

 そして。

 嫌な予感と確信は、ある意味で最悪な現実としてそこに待ち受けていた。

 

「はーっはっはっは! うわー凄い、これは驚いた、まさか本当に光になって一瞬で飛んでくるなんてねえ!」

 

 出迎えたのは呵々大笑(かかたいしょう)

 両手を上げて高く掲げて、目の前の威容を称えるように、というよりただはしゃいでいる青い服の女。

 変わった形の作業服の、明らかに変わり者の少女だ。

 

 言うまでもなく見覚えがある。

 あの隣町の牢で訪れた、そしてゴーレムと戦っている時に観た記録映像の、あの眼鏡の少女に相違ない。

 城の壁のテラスに、というか、3階の高さあたりに明らかに急造した出庭に立って大笑いしている。

 

 そして、王城の壁をごっそり何フロア分もぶち抜いて、そのスペースに収まっている見慣れた黒い巨影――

 愛機、エックスが、あの隣町に置いてきたはずの機体が、今まさにこの王都に呼び寄せられた(・・・・・・・)のだ。

 

 たまらず海斗は叫んだ。

 

「な、に、を――なにやってんだー、お前ぇぇえええ!?」

 

 というか、かなり悲痛に絶叫していた。

 そう。見間違えるはずがないのだ。

 エックスが召喚(コール)に応え、光の反射(Quartz)を利用して遠隔地に飛翔するその輝きと軌跡を。

 

 そしてこの機能を扱えるのは、登録パイロットである海斗自身をのぞけば、あとは――

 

「クオー! お前、まさかその女に、召喚権限(サモン・コール)を許可したのか!? 馬鹿かよお前、馬っ鹿じゃねーのか、なに考えてんだこの馬鹿お前ー!」

『そうは言いますが海斗。彼女は実際、優秀ですよ』

「そうその通り! とても優秀なこの私だよ!」

「うるせえよ不審人物、この、ばかばかばーか!」

 

 会話に割り込んでくる少女はめちゃくちゃに罵っておいて。

 クオの返答を聞いた。

 

『そう言われましても。交換条件を持ちかけられたのです。といっても、選択の余地もなさそうでしたが』

「どんな!」

海斗(マスター)の元へ帰りたければ、彼女の指示に従うようにと。聞けば彼女は機械工学――いえ、魔導科学(・・・・)に深い造詣があるらしく、私とエックスに興味があるそうで。それを調べる代わりに、この世界での修理と整備を請け負う、と』

「その挙げ句がこれかよ! いきなり飛んできやがって、町中もう大騒ぎだぞ!」

『それは本当に申し訳ないのですが。しかし、私は転移先の状況は分かりませんので――』

 

 と、クオは(AIのくせに器用に)気配だけで青服の少女を示した。

 促されて、彼女が肩をすくめた。

 

「善は急げ、と言うだろう? とりあえず城の壁と床をぶち抜いて、整備工場――格納庫を造ったんでね。調整のために早速クオ君に来てもらったというわけさ。分かったかい、海斗?」

「なんで俺の名前を――いや、クオに聞いたんだろ、それはいい! お前、マジで分別とか常識とかないのか!? 城の壁を崩しただと!?」

 

 信じられない所業、いや蛮行だ。

 彼女が誰だか知らないが、こんな無体な真似をしてまともに済むはずがない。

 どう控え目に言っても有罪確定の、いやこれはもはやそんな次元でなく、その場で打ち首にされても文句ひとつ言えないだろう。

 

 もうなにに対して怒ればいいのかも分からない。

 海斗が呆れを通り越して、いっそめまいすら覚えていると。

 

「――レムリア(・・・・)ぁーっ!」

 

 背後から響いた声に、海斗は振り返った。

 アトラだ。海斗を追いかけて――というより、同じように爆心地(?)に向かってきていたらしい。

 

 着込んだ鎧の分だけ走って疲れたのか、息が乱れていたが。

 それを無理やり呑み込んで、さらにアトラは叫んだ。

 

「あなたは……っ! なにをやってるんですか、馬鹿ですか馬鹿なんですか馬鹿ですねあなた! 神聖なる王城に怪しげな研究室(ラボ)だけでなく、今度はこんな大穴を空けて!」

「おいおい、会うなり馬鹿の三連打はないだろう、アトラ? 無事に王城で再会できたのだって奇跡なんだ、今はその喜びを分かち合ったって――」

「不肖の妹のあまりの不肖さに、怒りが溢れてそれどころじゃないんですよっ!」

 

 なにに対してというでもなく、ぶんぶか拳を振っていきり立つアトラ。

 呼ばれた青服の少女――レムリアとやらは、3階の高みでふんぞり返って、けたけたと楽しそうに笑っていたが。

 

 と、ふと気づいて、海斗はアトラに訊ねた。

 

「ちょっと――待ってくれ。今、妹って言ったか?」

「うう……恥ずかしながら。その通りです」

 

 指摘されて、今度は逆に恥じ入るように顔を伏せて、アトラ。

 深くため息をこぼしてから、ぴっと指先でレムリアを指差して、

 

「レムリアン・シード・ヒューペリオーン……この国の、その、第二王女で……私の、双子の妹です」

「双子?」

 

 訊ね返すと、こくんと小さくうなずくアトラ。

 そして。

 

「はっはっはー! 以後、お見知りおきを頼むよ、鉄海斗! エックスとクオ君ともども、ね!」

 

 そしてまた哄笑。

 アトラも、再び届きもしない説教を遠くから張り飛ばし始めていた。

 クオが時折受け答えしながら、エックスは当然無言で、海斗は――

 

 海斗は。

 

「……ええー」

 

 他にどうしようもなく、それだけうめいた。



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第2章 激闘!!夕焼けの決意編!
#9 魔法の講義


「――なるほど。これが知らない天井ってやつか」

 

 目覚めて第一声、またお約束にそうつぶやいて。

 海斗はベッドから身を起こした。

 

 見慣れない高さの天井どころか、部屋自体ほとんど知らない場所だ。

 昨日、なんやかんやあった末に案内されたお城の2階の客室である。

 豪奢というほど派手な内装ではないが、きっちり掃除と整頓のされた空間は品がありながら居心地がよく、おかげで海斗も昨夜はぐっすり眠れた。

 気持ちのいい目覚め、気分はすっきりと冴え、疲労感は欠片も残っていない。

 

 床に降りて借り物の靴を穿くと、海斗は窓に歩み寄って外を眺めた。

 陽射しと空気の気配を見るに……今は早朝か。

 

 異世界の天気を勘で読むのにも慣れつつあった。

 よく晴れた洗濯日和になるだろう。

 しんと凪いだ空気、静寂の中に小さく鳥の声が混じり、空模様はグラデーションを描きながらも全体に白み始めている――

 

「ん?」

 

 その中に、わずかな違和感を覚えて、海斗は耳を澄ました。

 かすかに水の弾けるような音がする。

 

「…………」

 

 それがなにか、変わった音だったわけではないが。

 静かなお城の雰囲気からすると、みなが起き出すのはもう少し後だろう。

 朝食やらなんやらに呼ばれるにしても時間がかかりそうだった。

 

 一応、部屋を振り返って、自分ひとりなのを確かめた。

 開けた窓の下、周囲にも人の目はない。

 

 海斗はひょいと窓を乗り越え、2階の高さから宙に身を躍らせた。

 

「よ、っと」

 

 つかの間の落下感――浮遊感――を味わってから、膝をバネにして音もなく接地する。

 土と芝の地面に降り立って、また周囲を見た。

 

 見られて困るものでもなかったがそれでも注意しつつ、てくてく歩き出す。

 あてと言えるものではないが、なんとなく水の音がするほうに向かって。

 

 すると。

 

「――――」

 

 城の庭の片隅に、アトラの姿があった。

 さすがに鎧姿などではなく、とはいえ普段着でもなさそうな、薄手の白い法衣(のようなもの)といういでたちだ。

 大型の水車の脇に立って、じっとしている。

 

 集中しているようだ。

 海斗が抜き足で忍び歩いているとはいえ、こちらに気づく様子もない。

 近づいてみて分かったが、アトラは目も閉じているようである。

 

 そしてそのまますうっと、軽く舞うような仕草で両手を頭上に持ち上げると――

 

「――――♪」

 

 声のない歌、とでも言うのか。

 それがただの吐息ではないと思ったのは、その朝露(あさつゆ)より透明に澄んだ音階のためか。

 それとも、その動きに付随した、不可思議な現象のためだったろうか。

 

 アトラの伸ばした両手の先に、それぞれ小さな赤い光の球が浮かんでいる。

 手のひら大の光球は温かな輝きを放っていて、陰りも揺らめきもしないそれを、海斗はしかし直感的に『火』だと感じた。

 

 ふたつの火球が動き出す。

 アトラがその場でくるりと回転し、踊るように手を振るのに合わせて。

 翻る法衣の裾、透明な歌声に乗せて、優雅で美麗なワルツを彩るように。

 

 言葉にすれば陳腐だが――

 海斗はそれを、羽ばたく妖精たちの舞いのようだと思った。

 

 そんな時だった。

 ぱきっと、思わず仰け反った海斗の足元で小さな音が鳴った。

 落ちていた枯れ枝を踏んだらしい。

 

「え?」

 

 アトラの動きが止まる。

 と同時に、衛星のようにくるくる回っていた火の玉もぱっと瞬いて消えてしまった。

 

 きょとんと目をしばたたいて、アトラがつぶやいた。

 

「海斗、ですか? いつからそこに?」

「ついさっきだけど……悪い。のぞき見するつもりじゃ」

「ああいえ、構いませんよ。咎めることじゃありませんから。気づかなかった私が不注意だっただけです」

 

 気を悪くした風もなくそう言って、アトラはくすりと笑った。

 どうやら本当に、怒っているということはないらしい。

 

 それでもじゃっかんの気まずさを誤魔化して、海斗は咳払いして訊ねた。

 

「今のは、なにをやってたんだ? あの火の玉は?」

「魔法の鍛錬ですよ。自身の魔力を小さな塊にして、ああやって意のままに操って動かす。基礎の基礎なんですが、だからこそ(おろそ)かにはしないようにしているんです」

「歌もそうなのか?」

「え?」

 

 再び目をぱちくりと、アトラ。

 海斗はうなずいた。

 

「ああ。歌ってたっていうか、拍子だけ取ってたみたいだったけど。好きなのか? 歌が」

「ええと……まあ、はい」

 

 なぜかそちらこそ少し恥ずかしげに、アトラが曖昧にうなずく。

 

 とはいえ、逡巡の気配もほとんど一時のことだった。

 すぐにすっと背筋を伸ばして、涼しい声で続ける。

 

「好きというより、請われるんです。騎士団のみんなに。私の歌を聞くと力がみなぎって、戦働(いくさばたら)きにもやる気が出るとか」

「そうなのか。でも、さっきのは戦いの歌って感じじゃなかったよな?」

「そうですね。勇ましい歌は楽しいですが、静かな歌もいいものだと思います。それを好きというなら、確かにそうなのかもしれませんね」

「へえー」

 

 なんの気なしに相槌を返す。

 興味がないでもなかったが、それより海斗が訊ねたのは、また少し違うことだった。

 

「なあ。さっきのは魔法の鍛錬だって言ってたよな? じゃあ、なんていうかさ――俺にもできるかな? 魔法。練習すれば」

「え? うーん、どうでしょう……この地上に、魔法が使えない人間はいないはずですけど。海斗は事情が事情ですし……」

「そこをなんとかっ!」

「頼まれましても」

 

 困ったように眉を曲げつつ、アトラがうめく。

 などと言い合っていた時だ。

 

 ぐぅ、と海斗の腹の虫が鳴く。

 それを聞いて、アトラがくすくすと笑った。

 

「こんなところで話し込むより、まずはごはんですね。ちょっと待っててください海斗。鍛錬の仕上げをしますので」

「仕上げ?」

 

 問いには答えないで、アトラは近くにあった空桶を拾い上げて、そこに水車の水を溜め始めた。

 中身がいっぱいになったところで海斗から少し離れる。

 

 なにかと思って見ていると、アトラは桶を持ち上げてひっくり返し、大量の水を頭からざばーっと勢いよく被った。

 当然、たちまち全身、長い赤毛も白い法衣も水浸しになり、それぞれ肩や腹の肌に貼りつく。

 ぼたぼたと大粒の水滴が滴り落ちて、あっという間に濡れ鼠の有り様になってしまった。

 

「おいおい、なにやってんだよ!?」

 

 慌てて声をかけようとして……が、その瞬間に海斗は息を引きつらせた。

 一瞬だがアトラの姿を見てしまったのだ。

 

 白い法衣はもともと生地が薄い上に、水に濡れてほとんど透けかけている。

 しかも身体の(ライン)に沿って各所を浮き上がらせていた。

 はだけて見えた鎖骨、形の良い胸の膨らみ、しなやかな四肢、くびれた腰、スリットからのぞいた太もも、そして綺麗な足の爪先――

 

(見てない、見てないぞ! ……俺はなんっにも見てないからなっ!)

 

 ものすごく危ない光景に見入るよりも先に、反射的にギリギリで視線を逸らせたのは幸運か、自制心の賜物か。

 なんであれ、海斗が奇妙にねじれた体勢で(好きでそうなったのではないが)目を背けている内に、またあの気配を感じる。

 熱と温度、そして不意の明るさだ。

 

 その熱量に押されて、海斗は自然と後退っていた。

 たたらを踏みつつ距離を取って、アトラの斜め後ろの位置に落ち着くと、その現象の正体を見極める。

 熱と光の波動はアトラの足元から、いや、体内から湧き起こるように発されていて、熱風に長い髪と法衣の裾がぶわりとはためいた。

 

 オーラのように噴き上げる熱量の流れ。

 これも魔法なのか――海斗が今度こそ目を見開き、驚いていると。

 見る間にアトラの肌から、髪と衣服から水気が飛んでいき、やがてそれもふっと収まった。

 後には元通りの姿のアトラが、ふうと一息ついて立っているだけだ。

 

 見たままを言うなら、熱風で服と身体を丸ごと乾かしたのだろう――なんというか、生身で脱水乾燥機に入るような力業に思えたが。

 蒸発した水が質量を増したように、あたりにぬるい風を振り撒いている。

 そんな中で、アトラが何事もなかったように口を開いた。

 

「さあ、海斗。食堂に行きましょうか……どうしたんです? 妙な顔をして」

「アトラ、お前な……」

 

 言いたいことは色々ある。

 あるが、しかし。

 

「……なんでもない。ただ、誰かの近くでその鍛錬をやる時は、ひと声かけて遠ざけてからやったほうがいいと思うぞ」

「そうですね。いつもひとりでやっていたので忘れていましたが、魔法が暴発したら巻き込んでしまいますし」

 

 色々と分かってなさそうだったが、突っ込む気力もない。

 無防備、というか、なんというか。

 普通こういうことは、女の子のほうが気にするものじゃないのか……?

 

 アトラについてお城のほうに引き返していく――

 が、その間際に。

 

「あー。海斗。魔法の件についてなんですけど……そういえば教えるのに適任な人物がひとり、いました」

「ほんとか?」

「ええ、まあ……素直にはオススメしかねるんですけど」

 

 振り返って言ってくるアトラは、なぜだか微妙そうに言葉を濁していたが。

 

 

 

「ほう。魔法について知りたい? いいとも!」

 

 上機嫌に、しかし怪しさ全開の笑みを浮かべる『第二王女』の顔を見て、海斗はその意味を思い知った。

 

 広い食堂での朝餉(あさげ)を終えて、向かった先の城の片隅で。

 待ち受けていたはずはないだろうが、ともかくそこにいたレムリアに声をかけた時点で、海斗は猛烈に後悔していた。

 

 ぐるっと振り返って、ここまで案内してくれたアトラの顔を見やる。

 さっと目を逸らされてしまったが。

 

 その目線の間に滑り込んできながら、レムリアが言った。

 

「いやいや、私も興味があったんだ。異世界からやってきたマレビトが――つまり、主神ヒュペリボレスの加護のない“鉄海斗”という存在が、魔法を使うとどうなるか。そもそも使えるのか? 制御できるのか? まさか暴発なんかして七色の泥に溶けて飛び散ったりしたらさぞやおもしろおかしいデータが取れるんだろうなあー!」

「…………」

 

 海斗はなんとも言い難く、早口でまくしたてるレムリアを指差す。

 アトラはすすす、ときっちり三歩遠ざかって、無言の抗議を黙殺したが。

 

 そんなこちらふたりの反応を気にした風もなく、レムリアは上機嫌そうに続けた。

 

「で、海斗。君の希望としては何色に蕩けたいんだい? イメージ的には黒か、それとも赤かな?」

「アトラぁ! これが適任か!? こーれーがー!」

「ええと……これでも妹は、国でも5本の指に入る魔法の達人なので……」

 

 あくまで目を合わせないまま、アトラがうめくように言う(ちなみに一度着替えに戻って、今は控えめな白ドレスといった格好だ)。

 

 なおも叫ぼうとする海斗を、しかしレムリアが遮った。

 ちっちっちっ、と指を振るようにしながら、

 

「それはだいぶ控えめな評価だね。正直、私は私以上の術者を知らないから正確には『1本指』の魔法使いだ。ついでに、以下の指30本くらいはみんな戦場に出ているか、素性も知れない素人に構っていられないくらいの要職者ではあるよ」

「…………」

 

 大層な自信である。

 疑わしさは増すばかりだったが。

 

 しかしとりあえず、海斗が突っ込んだのは別のところだった。

 

「……それを言うお前はなんなんだ。『第二王女』が、よそ者のはぐれ者に構ってられるほど暇人なのか?」

「はっはっは。お堅いことを言うなよ、堅苦しいのは苦手なんだ。私と君の仲じゃないか、ざっくばらんに行こう」

「どんな仲なんだよ、俺とお前は」

「エックスの腕を直しただろう? そのお礼もまだ受け取っていない。クオ君は素直に感謝してくれたけどね、海斗、君はどうだい?」

「うぐっ」

 

 それこそ、それを言われれば返す言葉もない。

 彼女のおかげで窮地を脱したのは事実なのだから。

 

 反論がないのをたっぷり見て取ってから、レムリアはぴんと人差し指を立てた。

 そして得意げに語り始める。

 というか、勝手に説明を始めた。

 

「さて。意地と道理をやっつけたところで、魔法についての講義(レクチャー)と行こう。海斗、君は魔法をどれくらい知ってる?」

「いや……まったく知らない、かな。何回か見たことがあるだけだ」

「魔素から魔力へ、魔力を魔法へっていう基礎の転換法は?」

「全然分からん」

「オーケー、じゃあ分かりやすく1から説明するよ」

 

 と、立てた指をくるくると回すと――

 その先に、ぽうっと小さな光の玉が浮かび上がった。

 豆粒のようなサイズの赤い光球。

 

 ふと、そのほのかな輝きに思い当たって、海斗はつぶやいた。

 

「それ……ひょっとして、さっきアトラがやってたやつか?」

「うん? あーアトラ、君はまだあの鍛錬やってたのか。らしいっちゃらしいけど、体育会系(のうきん)は相変わらずのようで」

「誰が脳筋ですか、誰が!」

「じゃあこれできるかい?」

 

 言って、レムリアは手を開いて五指を広げた。

 その指先それぞれに、小指から順番に光の点が灯っていく。

 赤に続いて青、緑、黄色と、別種の輝きを宿しながら。

 

 並べると、なにか信号機のようではあったが。

 それを見て、アトラがうめいた。

 

「……で、できませんけど」

「じゃあこれは?」

 

 言ってぎゅっと手を握ると、豆球も合わせてくっついて、複雑な虹色の雫に変わる。

 寄り集まったことで、今の大きさはビー玉ほどか。

 

 アトラが弱々しく言う。

 

「できないですけど……」

「じゃあまさかあんなことやこんなこと、そーんなことまでできたりするのかい?」

「わーん!」

 

 言う間に魔法の玉が円形に平べったく変形し、さらにそれを指の背に乗せて、手品のコインロールのようにころころくるくると遊ばせ始めるレムリアに。

 なんかもう、アトラは可哀想な泣き声を上げていたが。

 

 姉妹のやり取りになにを言えばいいか分からず、海斗が呆然と見ていると、レムリアがこちらに向き直ってにやりと笑った。

 

「それでまあ、脳筋をやっつけたところで説明の続きだけど」

「今のくだり必要だったか……?」

「続きだけど。魔法の基本形は今見せたように、四色から成り立っている。火、水、風、土の、四大属性からね」

 

 きっぱり無視してよどみなく、レムリアは続ける。

 

 彼女がさっと手を振ると、また魔力玉が球状の形に戻った。

 さらに指先で宙をなぞると、そこに光の線が軌跡のように描かれていく。

 

 海斗には読めないが、それはこの世界の文字のようだった。

 虚空のキャンバスに色とりどりに、言った通り四色の光の文字が浮かんでいる――つまりはまあ、それらが四大属性というのを意味する言葉なのだろう。

 

 ぐるりと描いたそれらの中心に、さらにレムリアはひとつの文字を付け足した。

 色は――白、いや、シャボン玉のような薄い透明色だ。

 

「この世界を覆う無色透明の魔素――エーテルとも言うけど、それを各々の生き物が活動する中で取り込み、扱いやすいように作り変えたものが魔力だね。そこのアトラなら赤い力、火の魔力(マナ)だ」

 

 指差されても、まだアトラは半泣きでぐずったままだったが。

 やはり一切構わず、レムリアが言葉を継ぐ。

 

「ほとんどの場合、取り込める魔力は個人によって決まってるかな。それがイコール、放つことができる魔力だ。それからその属性に沿って、素直に力の流れを導いてあげれば――」

 

 そこでレムリアがぱちん、と指を鳴らすと、宙に浮かんでいた四色の文字が膨れ上がった。

 いや、赤いものは炎に、青いものは渦巻く水球に、緑と黄色はそれぞれ見えない気流と旋回する石くれへと、レムリアの合図でその姿を変えたのだ。

 つまり、これが。

 

「魔法の完成、ってわけだよ。威力とか範囲とか発動タイミングの調整とか、あとは色々いじくってやればいい」

「……なんだか、聞いてると簡単そうだな?」

「実際、難しいものじゃないよ。感覚的なものだから子供でもできる。この世界に生きる人間なら、ね」

 

 明らかに含みを持たせた言い方に、海斗は嘆息した。

 

「異世界人は保証の対象外、か。なんだっけ、神様の……なんとかがないから」

「主神ヒュペリボレスの加護。こればっかりは検証のしようがないからね」

 

 まったく無責任にそう言って、レムリアが一息つく。

 また手を一振りすると、あの宙に浮かんでいた火や水の塊が瞬きもせずにぱっと消えた。

 さっきの話しぶりだと、多分魔力だか魔素だかに戻したのだろう。

 

 で。

 

「というわけで――ほら、アトラ、出番だよ。いつまでうじうじしてるんだ、鬱陶しいから早く立ち直ってくれ」

「どうせ私は脳筋ですよー……どーせ私なんかー」

 

 まあ実際、かなりうじうじ気味にアトラも立ち上がったわけだが。

 

「拗ねてるなあ。脳筋も悪い意味ばかりじゃないよ? 考えるより感じろっていうか、私は理論一辺倒じゃなく、感覚派の意見も同じくらい大事だと思ってるんだからね」

「はいはい……それで、私はなにをすればいいんですか」

「海斗の『制御役』を頼めるかい? 私がやってもいいんだが、万一の補助輪に集中したくてね」

「制御……補助輪?」

 

 海斗は首をひねったが、アトラにはそれで伝わったらしい。

 海斗の後ろに立って身を寄せてくる。

 いや――

 

 どころか、ほとんど抱きかかえるように、後ろから手を取って密着してくる。

 

「うえ!? あ、ああああアトラ!?」

「じゃあ海斗、力を抜いて、身を任せてください――」

「はい、腕をこっち向けてー、呼吸は落ち着けてー、リラーックス」

 

 内心、かなりぎょっとしたのだが、姫姉妹はどちらも気にした風もなかった。

 言われるがまま、なすがままに姿勢を動かしていると、嫌でもアトラの肌の感触を感じてしまう。

 

 服越しだというのに柔らかく――そしてなにか、甘いような感触。

 息を吸うと、その甘さを吸い取ってしまうような気がして、思わず海斗は息を詰めた。

 

 それを眺めて、レムリアがにやりと意地悪く笑ってみせた。

 

「んー……? おやおや、海斗。硬派そうな態度でいて、君も案外男の子だね? これはただの練習、魔法の実験なんだよ?」

「そっ、そうは言うけど、こんなくっつかれる理由って……!」

「集中しないと危ないですよ、海斗。ほら、呼吸を集中して……意識の焦点はへその下……」

「ぐっ」

 

 間近で囁かれると、首に吐息がかかってなおさら集中が乱れそうだったが。

 

 しかし、油断すると危険、というのも事実だろう。

 海斗はぐっとつばを飲んで、言われた通りに意識を集中した。

 変にぐずつくより、どうやら早めに終わらせたほうがまだマシだろうと腹をくくったのもあるが。

 

「集中――呼吸を深めて――意識を委ねて――」

「夢を見るような感覚。夢に目覚める瞬間の記憶。それを束ねて形にする……」

「見えますか? ――見えた。刃のような、鋭い煌めき――」

「…………」

 

 要はトランス、催眠技法に近い類だろうとあたりをつけて、海斗はふたりの声に集中し、没入した。

 そうすると、海斗にも――やがて見えた。

 

 紫色の、なにかを切り裂くような激しい瞬きだ。

 ピリピリと肌が粟立つような力の予感。

 心の中でそれに手を伸ばし、掴んで、引っ張り上げると――

 

 掲げた手の先に、強く、力の塊が弾けて燃える!

 

「――――っ!」

 

 ばちっ、と現実の意識も瞬いた。

 驚いて目を開く。

 

 閃光は一瞬だった。

 部屋の内壁、その一部分に、黒く焦げ目がついている。

 しゅうう、と白煙を上げて、まるでそこに弾丸でも受け止めたような様子だ。

 

 同じようにそちらを見やって、レムリアがつぶやいた。

 

「へえ。珍しいな。スパークか」

「スパーク……って?」

 

 訊ねると、レムリアは肩をすくめた。

 

「雷属性の魔法だね。四大属性で言うと、風の系統だ。正確にはその亜種だけど」

「珍しいっていうのは、異世界人だからか?」

「どうだろうね。いるところには普通にいるし。多分、たまたまじゃないかな」

「レムリア!」

 

 と、アトラがぱっと海斗の背中から身体を離して、レムリアに叫ぶ。

 壁の焦げ目に指先を突きつけて、

 

「あなた、暴発を防ぐんじゃなかったんですか!? どうするんですかお城の壁を焦がしちゃって!」

「そうは言うけど、雷だよ? 音の何百倍も速いんだよ? 受け止めるどころか反応もできないってば、まさか四大属性から外れてくるとは予測できないし」

「だからといって……!」

「ええと。ごめんアトラ。これはどっちかっていうと、俺のせいだよな」

 

 横から詫びを入れると、アトラが慌てて振り返った。

 その後ろでレムリアがこっそり舌を出していたが、それには気づかず、

 

「あ、いいえ、海斗は悪くないです! 元はと言えば、ちゃんとした準備もせずに儀式見の魔法を始めた、私たちの不注意で……」

「壁紙一枚張り替えれば済むことで、いちいち大げさだなーアトラは」

「あなたはちゃんと反省しなさい、レムリア!」

 

 などと、またぎゃーすか言い合う姉妹はともかく。

 

(これが魔法か……)

 

 掴んだ感覚を握り直すように、海斗は見据える先で拳を握った。

 うまく言えないが、もう一度同じことをやろうと思えば、ひとりでも簡単にできる気がする。

 理屈ではなくそれが分かる。

 それがいわく、感覚派ということなのかもしれない。

 

 と、そんな様を目ざとく見つけてきたのだろう。

 レムリアが言ってきた。

 

「あー、海斗? 感慨にふけってるところ悪いんだけど、多分、君の魔力は使い物にならないよ」

「……え? なんで!?」

 

 かなり本気で驚いて、問い返す。

 レムリアは肩をすくめて、平然と言ってきた。

 

「見たところ、やっぱり君には太陽神の力の恵みが行き届いてないっぽいね。魔力の流れはしっかり観察させてもらったけど、どうにも損失(ロス)が多い、効率が悪い。興味深い結果ではあったけど――制御棒(アトラ)付きで力を振り絞ったのに、あんなちっぽけな火花ひとつ出せるだけの有り様じゃあ、ねえ」

「で、でも、必死で鍛えて練習すれば、ちょっとくらいは」

「まあ無理に止めはしないけどさ」

 

 なんだか、そのレムリアがこちらを見る目が、ひどく哀れなものに思えてしまって。

 

「血がにじむくらい特訓して――まあ、向こう5年くらい頑張ったとして――多分、できるのは人をビリっと(・・・・)させる程度じゃないかな。それでよければご自由に」

「そっ」

 

 絶句して。

 それから、海斗はうなだれた。

 いや、その場に膝をついてくずおれた。

 

「……………………そんなになのか……………………」

 

「あ。なんか思いのほかダメージ受けてる」

「よっぽど楽しみだったんですね、魔法……」

 

 同情混じりに、レムリアとアトラがつぶやくのが聞こえてきた。



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#10 エクセルシオール・ハンガー

「結局、魔物ってなんなんだ?」

 

 ずっと疑問だったことを、海斗は訊ねた。

 ひとしきり落ち込んだところから立ち直り、ていうか、そういえばわりと今さらな質問だよなと思いながら。

 

 答えたのはふたりの姫のうち、妹のレムリアのほうだった。

 肩をすくめて軽く言ってくる。

 

「魔王が地上侵略のために放った手先」

「いや、それはなんとなく分かってるけど」

「魔王軍は大きく四つに別れていて、各軍団を束ねる四天王っていうのがいて」

「それも雰囲気で分かるんだが、聞きたいのはなんていうかもっと根本的なところでだな……」

「注文多いなあ」

 

 やれやれと首を振って、レムリアがため息をつく。

 と、それを横合いからアトラがたしなめた。

 

「レムリア。海斗は突然異世界からやってきて、右も左も分からずに困っているんです。大事なことなんですからちゃんと説明してあげないと」

「それはそうなんだけどさ……今後の仕事にも関わってくることだし」

「……仕事?」

 

 文脈が読めずに、つい口を挟む。

 が、それについての答えはなく、代わりにレムリアが言ってきたのはこんなことだった。

 

「こんなところじゃなんだし、場所を変えようか。ついてきたまえよ。とっておきの場所があるんだ」

 

 告げて、返事も聞かずにさっさと歩き出していた。

 

(ええー……?)

 

 それを追っていいものか、じゃっかん不安があったものの。

 

「とっておき……? なにか、嫌な、予感が……」

 

 海斗より先に、アトラが(疑わしげに首を傾げながら)その背についていってしまったため、反対する余地もなさそうだった。

 仕方なくというよりは単に流れで、海斗もふたりに従って歩き出す。

 

 どのみち、この異世界の事情が分からないのでは動きようがない。

 そして知ろうと思うなら、元の世界でもそうだったように、差し迫った危機について聞くのが手っ取り早いだろう。

 つまりは魔物や、その親玉らしい四天王と、魔王についてだ。

 

 妙に早足のレムリアを追って(今がそうだというより普段からせっかちなようだ)歩いていくと、向かった先は倉庫のような一角だった。

 中は暗い。というのも、外の明かりが行き届かないほど広い空間だからだ。

 

 そして、その中でも隠しきれない存在感――巨大な質量を感じた。

 予想するまでもなく、それは海斗の最もよく知る自身の愛機の気配だった。

 

『――おや、海斗。美女を二人連れでやってくるとは、いい身分になりましたね』

「エックス……それに、クオか? なんなんだここは?」

 

 聞き馴染んだ声が響く。

 その反響の具合からすると、この倉庫はエックスをちょうどすっぽり収納するぐらいの規模だ。

 いや、というよりも、この鉄と油のにじんだ空気には、海斗は既視感めいて覚えがあった。

 

「こ、これはいったい……」

 

 アトラも知らなかったようで、あたりを見回して戸惑いの声をこぼしている。

 それに応えるように、レムリアはぐるりと振り返ると、高々と声を張り上げた。

 

「さて――まだまだ急造の突貫工事だけど、お披露目といこうか! これぞ名付けて、魔導科学格納庫(エクセルシオール・ハンガー)ッ!」

 

 ばっ! と大仰に両腕を広げて、大見得を切るようなポーズまで取る。

 瞬間、広大な空間にいくつものフラッシュのような照明が順番に灯り、その全体像を明らかにした。

 

「な――」

「これは……!」

 

 さすがに海斗は、隣ではアトラも息を呑んで、その光景に目をみはった。

 これ見よがしにエックスを中心に据えた、その『格納庫』の様相に。

 

 佇立する鋼の巨体を、不思議な白い輝きを放つ照明装置が照らし上げている。

 機体の各所に沿って組み上げられた高所通路(キャット・ウォーク)

 歯車めいたパーツで駆動する、クレーンに似た巨大な吊り上げ機。

 雑然と積み上げられた建材や資材の類――

 

「どうだい! すごいだろう、すごいよね、すごすぎて声も出ないってぐらいだね、アトラも海斗も! その顔が見たかったんだ! あーっはっはっは!」

 

 なんか馬鹿笑いしているレムリアにも、今は言い返すことすら思いつけない。

 

 ゴゥン、ゴゥン……と、正体の知れない音が地鳴りのように重く響いている。

 既視感を覚えたのは特にそれだった。

 元いた世界の研究所でも、エックスの整備収納工場はいつもこんな音に包まれていた。

 

 一方で、この広い場所に人の姿が見えないのが不自然でもあったが……

 驚きと呆れに開いていた大口が、徐々に平静を取り戻して閉じてくる頃になると、海斗はそれが思い違いだと気づいた。

 

 ここには人がいないのではなく、単に作業員とおぼしき人物がみんな、ばったりと床に倒れ込んで動かないだけだと。

 

 全員死んだように眠っている――

 が、その内のひとり、たまたま近くに転がっていた男が気配に気づいたのだろう。

 その視線がアトラを見つけて、床に這いつくばったまま震える手を伸ばす。

 

「あぁ、アトラさ、ま……工事の納期、納期は……」

「だ、大丈夫ですか!? すぐに医務室のベッドに」

「……羊が、ひつじが、ろくせんはっぴゃくきゅうじゅっぴ、き――」

 

 意味不明にそれだけつぶやいて、また床に沈んだ。

 そしていびきも立てずに、昏睡するように眠り出す。

 

 後にはなんとも言えない沈黙だけが残った。

 

「……レムリア?」

 

 その無言の間を破ったのは、やはりというかアトラだった。

 低い声で妹に呼びかける。

 

 ここまで来るとむしろ当たり前に、レムリアはかけらも怯んだ様子もなかった。

 何故か誇らしげに胸を張り、さらに堂々と、豪放なほど大笑しながら答える。

 

「お付きの侍従長以下、スタッフ一同ご苦労様だったね。サプライズは大成功だ! 三日三晩ぶっ続けの作業も甲斐があっただろう!? さあさあみんなもっと盛り上がっていこう、そうだ、とりあえずだけど竣工祝いに歌でも歌ってみたらどうかな――」

「レムリアぁぁあああ! またっ……! またあなたは、あなた、城のみんなになにをさせてるんですかーっ!」

 

 いよいよもってこらえきれなくなった様子で、アトラが大音声で叫んだ。

 広い格納庫にいい声がよく響く。

 

 さすがにうるさそうに手で耳を押さえながら、レムリアが言い返してきた。

 

「なにって、見ての通りエックスの整備場を用意してたんじゃないか。議会で予算を通しただろう? 見てないのかい?」

「そうだけどそうじゃなくて、なんなんですかこの死屍累々の有り様! ていうか、こんな大掛かりな設備をこの短期間で!? 過重労働にもほどがあるでしょうが!」

「なにせ急ぎの要件だったからね。海斗とエックスは魔炎竜までも倒してしまっているんだ、敵がいつまで静観を決め込んでいるかも分からないだろう? 一日でも早く最低限は戦える状態になってもらわないと」

「だーかーらー、もっとやりようはなかったのかって言ってるんですよ、この……このー!」

 

 もはや怒声を上げるにも言葉が尽きたのか、ともかくアトラはレムリアの肩を掴んでガクガク揺さぶるのだが、やはりまったくこたえた様子もない。

 そしてそうしていると、そのやり取りに割り込むように無機質な声が響いた。

 

『落ち着いてください、アトラ姫――レムリアの言うことも一理あるはずです。それに、彼女は私の大掛かりな要望(オーダー)を叶えてくれたのですし、ならば責めを負うなら私も連帯であるべきでは?』

 

 クオだった。

 一見もっともらしい理屈を並べて、アトラをなだめようとしたらしいが。

 

 アトラは、ぎょっとした顔で慌ててあたりを見回した。

 それからようやく、そびえ立つエックスの巨躯を見上げて、またぽかんと口を開けてつぶやく。

 

「……え? この巨人、しゃべるんですか?」

『正確には当機体、エックスに搭載された戦術補助AIが私です。クオと申します。はじめまして――ではないのですが、どうやら私がこのお城にやってきた騒動の折には、お気づきになられなかったようで』

 

 滔々と、なめらかにそこまで言ってから、一拍置いてクオは告げた。

 

『では改めて。はじめましてアトラ姫。仲良くしていただけると幸いです』

「えーと……は、はじめまして。こちらこそよろしく……?」

 

 すっかり毒気を抜かれた様子で、アトラ。

 返事のほうも気の抜けたもので、実のところちらちらと海斗のほうを見やって、とにかくなにもかもさっぱり分からないという感じではあった。

 

 どう説明したらいいものか、少し考えてから、海斗は告げた。

 

「人間じゃないけど、俺の相棒みたいなやつだ。なんだか城の人たちに世話になったみたいだな。すまない」

「い、いえ、海斗が謝ることでは……それに、こちらの都合も多分に含まれていることですし」

「私にとっては趣味だけどね。ものづくり大好き。大きなものをいじくるのは特に最高さ!」

「あなたはちゃんと反省しなさい、レムリア! このおばか!」

 

 なんだか相変わらず、どこか締まらない王女姉妹だったが。

 海斗のほうもいい加減、このふたりのこういう雰囲気(ノリ)には慣れてきつつあった。

 

「さて――」

 

 カツっと靴の音を響かせて、レムリアが前に進み出た。

 エックス、あるいはクオだろうか、それを背にして腰に両手を当てる格好で。

 

「メイン・メンバーが揃ったところで、最初の疑問に答えようか。この世界に降りかかる脅威――魔物と、四天王、そして魔王ザハランについて」

 

 ここからが本番だというように、レムリアがいつになく真剣な顔を見せた。

 アトラも嘆息しながら同じように前へ並び出て、表情を引き締めてこちらに向き直る。

 

 対峙する形になって、海斗も空気が変わったことを察した。

 硬い面持ちのアトラと、試すような目で見やってくるレムリアと。

 

 先に口を開いたのはアトラだった。

 

「この世界――アル・アハドの大地が魔王軍の侵攻を受けたのは、200年前からだと言われています。奴らは突如として、天より舞い降りた。そして人類への憎悪と、その根絶を掲げ、今に至るまで各地への侵略を続けています」

「天……? あいつら、空から()ってきたのか?」

 

 訊ねると、アトラは静かに首肯した。

 海斗の目をじっと見返して、そのまま答える。

 

「はい。魔王軍の本拠地は、月の陰に浮かぶ“もうひとつの月”――アル・イスナインにあります。海斗はまだ見たことがないでしょうけれど」

「1ヶ月の内に一度だけ、満月の夜に姿を表すのさ。だから“幻の月”なんても呼ばれている」

 

 レムリアが言葉を引き継いだ。

 やれやれとばかりに肩をすくめて、さらに続ける。

 

「それだけなら幻想的な光景、で済むんだけどね。厄介なことにこの時にだけ、その月と地上との経路が繋がっちゃうんだ。魔物たちはそこを通って地上にやってくる。雪崩れを打ったように、怒涛の勢いで、大量の群れをなしてね」

「……文字通りの天災か。厄介なもんだな。ってことは、魔物は幻の月とやらに棲んでる生き物なのか?」

「残念、そいつはハズレだ。それなら話は簡単だったんだけどね」

「? じゃあ、いったいどういう?」

 

 かぶりを振るレムリアに、疑問符を返す。

 彼女は何度か難しげに指を絡めてから、それに答えてきた。

 

「単純な話、月と地上では環境が違うんだよ。人間が月で生きられないように、理論上は月の生物もアル・アハドでは活動できない。だから――嫌な話だけど、魔物は元はこの地上の動植物(・・・・・・・・)なんだ」

「なんだと……? ってことは、まさか」

「はい。魔王軍の地上侵攻の理由のひとつには、戦力の拡充があると考えられています。素体として地上の生物を月に(さら)い、魔物へと強制的に改造して――そして、またこの世界を襲わせる」

 

 苦々しく表情を歪めて、アトラがその事実を告げた。

 

 なんとも胸の悪くなる話だ……戦力の現地調達は確かに合理的だろうが、それを、元々いた地上への攻撃にけしかけるとは。

 数日前、海斗を乗せた護送馬車を襲ったあの魔物たちも、元は地上の野犬や狼だったということか。

 

 だが――

 

「じゃあ、あのドラゴンや、ゴーレムもそうだったのか? 元は地上の、なにか、別の――」

「いいや。ややこしくて悪いんだけど、そいつらはちょっと特殊な例外なんだ」

 

 今度はまたレムリアが告げる。

 彼女がぱちんと指を鳴らすと、その左横の空間になにかの紋様が浮かんだ。

 前に魔法の説明の時にも使った、魔力を用いた解説図のようだ。

 

 光が徐々に輪郭をはっきりさせていくと、それはどうやら赤い竜の顔と、黄土色の巨人を象っているようだった。

 ドラゴンとゴーレムの縮小図だろう。

 まるで元いた世界の立体映像のようだが、それを電子機器の補助なく魔力の手作業でやっているあたり、レムリアの器用さと技量の高さがうかがえる。

 

 宙に浮かべた光の絵の一方、まずはドラゴンのほうを指差して、レムリアが続けた。

 

「海斗が倒した魔炎竜は、獣将ジハードの直属の戦力だ。ドラゴンは各四天王に一匹ずつ、魔王が手ずから与えた特別な魔物――その力の象徴とも言えるもの。で、さっき海斗が言ったような、月に棲んでいる生き物はこいつらだ。過去に魔王ザハランが直接地上を襲った時は、このドラゴンたちを率いていたらしい」

「おいおい、ちょっと待てよレムリア。月の生き物だかってのは地上じゃまともに生きられないんだろ? だったら、俺が倒した赤トカゲは」

「全力じゃなかったってことだね。ああいや、ケチをつけたいわけじゃないよ? 下手をすればこの国は滅んでたんだから、その点はちゃんと感謝してるさ」

 

 あの強さで本調子ではなかった……?

 さすがにげんなりして、海斗はうめいた。

 

「マジかよ……ってことは、敵の本拠地の月で戦う時は、あれよりもっと手強いやつがうじゃうじゃ湧いてくるのか。そいつはさすがに骨が折れるな」

「えっ?」

 

 と、声を揃えて、アトラとレムリアが同時に目を瞬かせる。

 なにか、予想もしていなかった言葉を聞いたように。

 

 こちらこそ意外な心持ちになって、海斗は言った。

 

「な、なんだよ。そりゃ相手のホームグラウンドでやり合うってなったら、不利なのは当たり前だろ? なにかおかしなこと言ったか、俺?」

「いえ、おかしいというか、なんというか。それ以前に……」

「ぷっくっく。まあ、でも、なるほど、確かに。考えないわけにはいかない問題だったね。いつか幻の月、アル・イスナインに攻め込むっていうなら」

 

 ふたりしてよく分からないことを言い合う姉妹に、海斗はただ首を傾げるしかなかったが。

 

「まあいいさ。話を戻そう。ゴーレムについてだけど」

 

 そんなこちらの様子に構わず、レムリアがマイペースに続けた。

 じゃっかん釈然としないところはあったが、ともかく海斗も話を聞くほうに集中する。

 

 レムリアがさっと手を振ると、赤いドラゴンの図柄にばつ印がついた。

 これについては退治済み、ということだろう。

 そして残ったもう一方、ゴーレムの絵様が大きく前に出てきた。

 

「まあこいつは簡単に行こう。四天王の一角、沈黙の巨将ゾハルの魔物。こいつは他の魔物と違って、生物じゃなく言葉通り『土』から作られている。ゾハルが食べた、地上の土でね」

「……とんでもない悪食だな、そいつ」

「まあね。200年にわたる戦いの中でも、いまだに正体が掴めていない謎の存在でもある。ただ、このゴーレムを生み出すっていう能力については――」

『途轍もなく厄介で、危険ということですね。レムリア』

 

 と、口を挟んできたのは、クオだった。

 格納庫全体に響く電子音声――ではなく、特定の指向性を持ったパラメトリックスピーカーで、

 

『なるほど、魔物の形態とその成り立ち、運用方法については興味深い。そしてゾハルとゴーレムの関係は、その縮図と言っていいでしょう。ゾハルは単体で軍と兵站を持ち、そして事実上、無限にそれを増やせるのですね』

「鋭いね、クオ君。まあそういうことさ。ただ、この四天王の中で、地上侵攻に最も消極的なのもゾハルなんだよ。もちろん、だからって仲良しなわけがないんだけど」

 

 レムリアが受け答えしながら、適当に手を振って魔力の図形をかき消す。

 説明が済んだのでもう図説は用済みということだろう。

 

 その間に、アトラが言葉を継いだ。

 

「記録上、ゾハルが侵略の矢面に立ったことは数えるほどしかありません。それでもいくつもの国や土地が滅ぼされています」

「一番おとなしいやつでそれだけ、ってことか……」

 

 それと同等か、より以上の脅威が、まだ他にも存在する。

 つまりはそれが――

 

「四天王――炎の獣将ジハード。水底の艷将ズィリウス。華麗なる虐将ゼファー。沈黙の巨将ゾハル」

「そして、それらを束ねる人類の大敵、天墜の魔王ザハラン。それが私たちの戦う相手であり、その打倒こそが、為して成されるべき私たちの使命です」

 

 その名前を挙げていく時の、ふたりの王女の目には、渾然とした感情が浮かんでいた。

 怒りと、敵愾心、やりきれない悲しみに、そして、恐怖と畏怖の念。

 彼女らの表情を見るだけで、その200年に及ぶ戦いの凄惨さが海斗にも伝わってくるようだった。

 

 吸う息が重い。

 苦いつばと一緒に、それを呑み込む。

 

 魔王ザハランとその軍勢――恐るべき大敵に、それでも怯まず立ち向かう、挑み続けてきた彼らと彼女らの覚悟と気概、その勇気。

 それが彼女らの、守るべき意地と道理なのだ。

 

 ……今の海斗には、その目と直接向かい合うことはできなかった。

 あまりに眩しくまばゆい、その壮烈なまでの決意の眼差しには。

 

 あたりを見回す。

 なんと言ったか、エクセル……なんとか格納庫。実際これは大したものだ。

 これだけの設備を用意する技術力があれば、エックスを継続的に運用することもできるだろう。

 それだけ彼女らも、ハイペリオン王国も、海斗の協力を必要としているのだ。

 

 それを思えば、その頼みをただ無下にするようなことはしたくない。

 なおも悩みながら、次に口から出た言葉は、少し冗談めかした誤魔化しだった。

 

「……なるほどな。魔王ザハランにジハード、ズィリウス、ゼファーにゾハルで、『ザ行軍団』ってわけか。Dr.ゼロのジジイもそうだったけど、悪党ってやつはどこの世界でも、やたらと濁音が好きなのは変わらねえな」

「? 海斗、あなたはなにを言っているんですか?」

「は? いや、だから、敵幹部の名前はザジズゼゾで覚えやすいなって……」

「あーあーなるほどなるほど。『言語の門』問題があったか。ちょくちょく話が噛み合わないわけだ」

 

 不思議そうに訊ね返してくるアトラと違って、レムリアはひとり訳知り顔だ。

 そちらに向き直って視線で訊ねると、あっさり肩をすくめて答えてくる。

 

「ここ数日、クオ君と話したりデータを見せてもらっている内に、興味深い事例に行き当たってね。なんだっけ、そう、そっちの世界での言い方だと――」

『“バベルの塔”ですね、レムリア。創世記の第11章。海斗も名前ぐらいは知っているでしょう?』

「あー。あの、めっちゃ高い塔を作ろうとしたら神様の怒りに触れて、お互いの言葉が分からなくされたっていう……あれか?」

 

 うろ覚えだが、確かそんな話だったはずだ。

 もっとも、それは元の世界ではただの伝説で、なんなら与太話の類のはずだが。

 

 と、内心の疑わしさが顔に出ていたのだろう。

 レムリアが肩をすくめた。

 

「こっちの世界だと、どちらかと言うと逆の逸話があってね。かつて人々の間では言葉が通じず、争いも絶えなかった。けれどそんな中でも協力、団結して、共通の信仰を形にしようと考えた人々がいたのさ。太陽を崇める神殿を」

「ジグラートの永遠の門、ですか? その姿を喜んだヒュペリボレス神が太陽の加護と、天使(ジェノス)たちの恩寵を人々に分け与えたという伝説の」

「そう、それ」

 

 訊ねるように言うアトラに、レムリアが首肯を返す。

 

 固有名詞の部分については、海斗はさっぱり分からなかったが……

 とっ散らかった考えを頭の中でまとめて、海斗は口を開いた。

 

「つまり、なにか? その加護――だか天使の恩寵だか――があるおかげで、俺とそっちの言葉は通じ合ってるって? 自動で翻訳されてるみたいに」

「はっきりした確証があるわけじゃないけど、多分ね。でも、言葉は分かっても文字は読めないんだろう? あまり細かい表現や言い回しだと、さっきみたいに齟齬が生まれることもあるみたいだし」

「…………」

 

 なんだか、いかにもファンタジー然とした話になってきた。

 今さらではあるが、本当にここは異世界なのか。

 漠然とした実感、とでも言うような奇妙な感覚が、海斗の胸中を過ぎっていった。

 

 ついでに、とレムリアが付け足した。

 

「魔王ザハランと四天王たちの魔名(なまえ)には、極めて強力な呪言が込められている。言霊(ことだま)って言ってもいいかな。それを聞く者にとって、忌むべき響き、恐ろしい概念の象徴として伝わるとされている。もしかしたら、海斗と私たちでは違う名前に聞こえているのかもしれないね」

「……確かに、全員いかにも邪悪って感じだとは思ったな。どこかで聞いたような、どいつもいかつくてヤバそうな名前だ」

「地上のモノではない魔王と四天王には、本当の名前などないんです。その意味を失った虚ろな破壊者たち。絶対に相容れない存在です。だから」

 

 改めてこちらに向き直り、アトラが表情を引き締める。

 真剣に、透き通った金の瞳で海斗を見据え、その心の芯を真っ直ぐに射抜くようにしながら。

 

「その脅威を退け、この地上に生けるすべての者に平和をもたらすために――力を貸してくれませんか。鉄海斗、あなたと、あなたの駆るエックスの力を」

「俺は……」

 

 海斗は、即答はできなかった。

 その真摯な祈りのような言葉に、嘘偽りなどないと分かっていても。

 それを受け止めきれる覚悟、命を賭すだけの価値と、筋道を見出だせずにいたから。

 

 だから、今の心境をそのまま伝えるしかなかった。

 

「……できるならそうしたいけどな。だけど、俺には帰らなきゃいけない場所がある。戻りたいんだよ。俺が元いたあの世界に」

「もちろん、そのための協力は惜しみません。海斗が力を貸してくれるなら、私もレムリアも、八方手を尽くしてあなたが元の世界に帰れる手段を探してみせます」

「絶対の保証はできないけどね。なにせ、異世界転移、だっけ? そんな事象は見たことも聞いたこともない。でもまあ」

 

 レムリアが軽く肩をすくめ、言った。

 すっと指を一本立て、天を指差すようにしながら。

 

「見込みは十分あると思うよ。お互いにね。海斗、君とエックスはこの世界に転移した時、空から突然現れた――魔物たちと同じように(・・・・・・・・・・)ね。それが魔王軍が月から侵攻してくるのと似た原理だとすれば」

「……奴らと戦う中で、俺が帰るための方法も見つかるかもしれない、のか?」

「仮説だけど、一応の筋は通ってるはずだよ」

 

 あるいは、敵の本拠地までたどり着ければ、なおさらその可能性は高まるだろう。

 それは確かに海斗、ハイペリオン王国の双方にとって、互いに利のある交換条件だった。

 

 ――結局、(ハラ)を据えるしかないということだろう。

 ここまで関わってしまった以上、このまま放っておくような寝覚めの悪いことだってしたくない。

 個人的な恩義もある。

 

 海斗はアトラと、レムリア、ふたりの向ける目をしっかり見返して、大きくうなずいた。

 

「分かった。乗らせてもらうぜ、その話。まあ任せろよ、なにせ俺は一度は世界を救った救世主(プロ)だからな。この世界もきっちり守ってやるさ」

「え?」

「なんでもない。こっちの話だ。クオもそれでいいな?」

『あなたの決めたことなら、異存ありません。海斗(マスター)

 

 相棒の二つ返事を受けて、海斗はぐっと拳を握った。

 話は決まった……なら、あとは突き進むだけだ。

 まだこの世界での身の置きどころも、意地の通し方も、はっきりしないままでも。

 

 それを見つけるためにも、海斗も強く覚悟を固めた。

 

「ありがとうございます。私たちハイペリオン王国はあなたを、鉄海斗とエックスを歓迎します」

「あとクオ君もね。ようこそ」

 

 安堵の息をついて述べるアトラと、付け足すように言うレムリア。

 

 それに対して、海斗はおうと応えようとして――

 

「じゃあ契約成立っていうことで、まずニアリングの町並みと近隣の山林被害の賠償、それとエックスの保修繕費と、この格納庫の建造負担額の請求をさせてもらおうかな」

「……え?」

 

 話がまとまりかけたところで、出し抜けに言われたレムリアの言葉に。

 

 海斗はぴたりと硬直した。

 なにを言われたのか、一瞬ならず分からずに。

 だがしかし、はっきりと嫌な予感を覚えたのは事実だった。

 

 そして次第に、その意味するところを理解するに至って、海斗は全身からぞわっと怖気が走るのを感じた。

 慌てて叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺とエックスが空から落ちてきたのも、町の中で戦ったのも、言ってみれば不可抗力だろ!? ていうか、機体の修理費はともかく、格納庫の件は俺は関係ないんじゃあ――」

「それはそれ、これはこれ、私たちも無い袖は振れないんでね。気の毒だけど海斗、君には莫大な借金がある。建前やお題目はともかく、エックスが町と資源に甚大な損害を与えたのはどうしようもない事実だ」

「いや、だからそれはともかく、この格納庫はお前が勝手に作ったんだろうが!」

「むー。仕方ないじゃないか、王族だからって無限に国のお金を使うわけにはいかないんだ。だったら当事者に責任取ってもらうのが一番いいに決まってるだろ。ぷい」

「知るかー! なんなんだそりゃ、どういうむくれ方だよ!」

 

 叫びながら、無茶な仕打ちに耐えかねて、擁護を求めてアトラのほうを見やる。

 

 しかし、彼女はその視線からさっと目を逸らした。

 さらにぽつりとつぶやくように、言う。

 

「ええと……その、私も頑張ったんですよ? でも、議会の反対意見と予算の問題に折り合いをつけるには、これしかなくて」

「な、な……」

 

 裏切りの衝撃に、わなわなと震える。

 

 さらに追い打ちをかけるように、レムリアが告げてきた。

 海斗の肩を気軽にぽんと叩いて。

 

「というわけで海斗。およそ金貨100万枚、国家予算規模の借金返済を目指して、これからは『魔王軍討伐』が君のお仕事だ! 存分に気張ってくれたまえよ! ――あと、エックスの整備費用は別途請求するから、そのつもりでよろしく」

『ちなみにこの世界では金貨1枚=1万円くらいの価値のようです』

 

 ついでにクオが余計なことを付け足してくる。

 頭の痛くなるような余計な情報を。

 

 それを聞いて、海斗は。

 海斗は――

 

「借金が、ひゃ、ひゃくおく……ひゃくおくまんえんんんんん!?」

 

 意味不明に叫んで、思い切り頭を抱えた。



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#11 惨状

「正直、貴公には同情している」

 

 その騎士の声には形だけでなく、実際に気の毒そうな響きが含まれていた。

 

 揺れる馬車の荷台、そこに腰掛けて、ガタゴトと身体を揺られながら。

 海斗は声をかけてきた青年騎士へ視線を向けた。

 

 騎士は困った風に首を横へ振りながら、

 

「レムリア様はあの通りのお方だ。国の将来の一翼を担う第2王女としては、おてんばが過ぎる――その言い方で正しいのかも分からないが。まあとにかく、巻き込まれれば誰であれ大変なことになる、嵐のような人なのだ」

「それは身をもって知ってるよ。まさかこの歳で借金を背負い込む羽目になるなんて、元の世界じゃ考えてもみなかった」

 

 視線をまたうつむかせ、座るつま先のあたりを見つめながら、海斗はため息をついた。

 いつぞや、王都へ護送された時と似たような状況だ――ご丁寧に、見張りについている騎士も同じ、マンフレート副騎士長だし――まあ、変わったこともいくつかはある。

 

 ありがたいことにもう手枷はされていない。

 装備一式、パイロットスーツや、エックスを喚び出すのにも使う愛用のナイフも返却されている。

 着心地が悪いので今は支給された布の服を着ているが。

 現場に到着してからそこで着替えるつもりだった。

 

 現場というのはつまり、エックスが戦う予定のある場所である。

 王都近郊で暴れているらしい魔物の群れ――その討伐と撃退が、目下、海斗に与えられている『仕事』だった。

 

 その指示が下ったのは、言ってしまえばついさっき、今朝方の出来事だ。

 いきなり部屋を訪れたレムリアに、前置きもそこそこに言われたのだ。

 

『改めてエックスの実戦データが欲しいから、ちょっと聖極騎士団の討伐任務についていってくれ。話は通してあるから』

 

 その傍らには、なにやら疲れ切ったような顔つきのマンフレート副騎士長がたたずんでいて、海斗は彼に連れられるまま馬車に乗り込んだ。

 彼のげっそりした顔を見れば、いちいち抗議して困らせる気にもなれなかったのだ。

 レムリアが騎士団に無茶な要求を突きつけたのだろうと、それくらいは海斗もすぐに察しがついた。

 

 そうして馬車の隊列は王都を発ち、今現在、目的地に向けて街道を進んでいる。

 あのニアリングという町とはまた別方向で、南のほうへ向かっているらしい。

 

 方位と方角の言語概念が一致するということは、この世界の大地にも磁極があり、惑星は球状の形をしているのだろうか?

 海斗はちらとそんなことを考えたが、考え込むより先に、マンフレートがまた口を開いた。

 

「借金、か。しかし貴公、本当に返済し切れるつもりでいるのか? 確か突きつけられた額は――」

「あーあー、やめてくれ桁や数字まで聞きたくない。でも、だからって他にやりようもないだろ? 右も左も分からない異世界で、衣食住を保証してくれるだけでもありがたいんだし」

「それは……まあ、そうなのかもしれんが」

 

 マンフレートはしばし、言いにくそうに言葉に迷ったようだが。

 揺れる馬車の中、轍の音と沈黙だけが残るのを気まずく思ったのだろう、嘆息して続けた。

 

「やりようが、ないわけはないだろう。仮にだが、貴公の乗ってきたゴーレム、あれを我々の国に引き渡すというなら」

「馬鹿なこと言うなよ。エックスは俺しか乗りこなせない。危なっかしくて他人(ひと)の手になんか預けられないし、なにより、あいつを売り飛ばすような薄情なことをするわけないだろ」

「しかし、なにも借金などという建前を、馬鹿正直に――」

「なんだよ。俺だって、文句がないわけじゃないんだぞ」

 

 言いかけるマンフレートを制して、海斗は口を尖らせた。

 馬車の荷台に立てかけられた巨大な武器、不可思議な機械仕掛けで造り込まれた、マンフレートの装備の剣を指差す。

 

「今回の仕事は、魔物の群れの退治なんだろ? だったら俺にもああいう武器をくれよ。丸腰で、あの、なんとかウルフ? みたいなやつに襲われたらひとたまりもないぞ」

「エックスとやらを喚べばいいだろう。それ以外の役目など期待していない。というか、本当はそれすらしてほしくないぐらいなのだが」

「馬鹿言うな、エックスを一回動かすだけでどれだけカネがかかると思ってるんだ!? そうホイホイと召喚権限(サモン・コール)が使えるか!」

「私に言われても。知らんとしか言えんが」

 

 マンフレートは呆れたようにかぶりを振る。

 そして、やや不機嫌そうに顔をしかめて言ってきた。

 

「貴公こそ、安く見るな。機構剣(ミスリル・ナガン)は聖極騎士団の誇りであり、ひとりひとりに特別に打ち上げられた専用装備だ。一朝一夕に用立てられるものではないし、貸し与えるなど論外で、ましてや、使いこなせるわけがない」

「なんだよ。やってみなけりゃ分からないだろ、そんなの」

「ふん。自分のゴーレムは特別だと言う割に、人の言うことには噛み付くのか? それに聞いたぞ、貴公には魔法の才がない、とな」

「それがなんの関係があるんだよ」

「あるに決まっているだろう。機構剣の仕組み、その動力の核となるのは、他ならぬ魔力なのだから」

 

 売り言葉に買い言葉で言い返し合っていると、マンフレートがそんなことを言い出した。

 が、頭の中でそのイメージがうまく結びつかなくて、海斗は首を傾げた。

 

「魔力……魔法? あの、メカメカした武器がか? 全然別物に見えるけど」

「見た目にはそうかもしれんな。だが、冷静に考えてみろ。こんな重さと大きさを持った代物を、熟練の騎士とはいえ生身の人間が振り回せるわけがないだろう」

「それは、まあ……確かにそうか」

 

 騎士団の面々が、あの引き裂き獣の群れを撃退した場面を思い出す。

 身の丈ほどもある刀身と分厚い刃、なんというかいわゆる『鉄塊』めいた巨大な機構武器を、しかし騎士たちは軽々と自在に操っていた。

 てっきりこちらの世界の人間が、見た目以上に頑健で力持ちなのかと思っていたが。

 

 マンフレートが続けた。

 

「説明する意味もなかろうが、討伐に同行する以上、同士には違いない。知っておいてもらえば出しゃばった真似もしないだろう。まず、我々の機構剣は、魔力に反応する特殊な触媒物質――真銀魔導合金(ミスリル)で出来ている」

「ミスリル……」

 

 ゲームなどで聞き覚えがあるような名前だ。

 詳しくはないが、魔法で作られた軽くて丈夫な金属とかだったと思う。

 あるいは、バベルの塔だか言語の門だかの補正で、勝手に近い概念に翻訳されているのかもしれないが。

 

 マンフレートは立ち上がると、傍らの自身の剣に手をかけた。

 わずかに鞘から抜いて刃を見せながら、続ける。

 

「一応、部外秘なのだが――ミスリルは魔物由来の物質だ。その死骸から産出する鉱石を加工し、精錬し、精製することで造られる。軽くしなやかで、強靭で鋭くもなり、そして、魔力の生成力と伝達効率が極めて高い。増幅した魔力をさらに刃にまとわせることによって、我らの剣は魔物の堅牢な皮膚をも貫くのだ」

「なるほどな。要は“魔法剣”ってわけか」

「その理解で構わん。厳密には、剣と魔法を同時に操る高等技法である魔法剣を、より多くの者が扱えるよう開発されたのが機構剣だ。もっとも、長らくは理論だけが存在し、研究が続けられてきて――実用化されたのはほんの10年ほど前のことだがな」

「10年か……」

 

 なるほどな、と海斗は内心でうなずいた。

 まだ歴史の浅い武器だけに、その配備は騎士団内部にとどまっているのだろう。

 魔物から素材を得るという工程の手間からしても、大量生産に向いた代物だとは考えにくい。

 扱える者が限られるのも当然だろう。

 

 そういえば、と思い出して、海斗は訊ねた。

 

「魔物の身体が素材になるなら、俺が倒したドラゴンとゴーレムは? あのサイズならかなりの量が採れるんじゃ」

「……あんな粉々になるまで打ち砕いておいて、使い物になると思うのか?」

「おーっと今日はいい天気だなぁ!?」

 

 非難混じりに睨んでくるマンフレートに、海斗はさっと視線を逸らした。

 が、副騎士長はすぐにふっと軽く息をつく。

 

「冗談だ。まあ、多少なり残った分は既に回収して、今頃はレムリア様が手ずから解析を行っているだろう。なにせモノは魔炎竜と、出現例のほとんどないゴーレムだからな」

「え? なんでそこであいつの名前が出てくるんだ?」

「当然だろう。10年前、魔導銀の精錬方法を確立させたのは、レムリア姫なのだから」

「ええっ!?」

 

 かなり本気で驚いて、海斗は声を跳ね上げた。

 マンフレートはうるさそうに顔をしかめながら、

 

「気持ちは分かるが、あまり騒ぐな。隊の規律と体面がある」

「わ、悪い。あんまりにも無茶苦茶なことを言うもんだから……だって、あんた、10年前って……レムリアはその時、何歳だよ? 小学生が作れるような簡単な代物じゃないんだろ?」

「あの方は特別なのだ。それに、アトラ様もな。試験開発された機構剣は、当初はそれでも扱いが困難で、まともに握って立っていられる者すらほぼ皆無だった――だが、それを初めて使いこなしたのが、やはりまだ幼かったアトラ様なのだよ」

「え、ええー……」

 

 今度はかなり控えめにだが、それでも大いに驚いて、海斗は天を仰いだ。

 馬車の天井をだが。

 

 疑わしくマンフレートの顔に視線を戻す。

 しかし、副騎士長の青年は真顔のままだった。

 

「念を押すが、これも部外秘だ。だが、しかし、分かるか? 貴公は軽々しく接しているが、あのお二方は我々騎士団や、そして王国にとってかけがえのない宝だ。英雄と言ってもいい。血筋やその立ち振る舞い以上に、その傑出した才ゆえにな」

「…………」

 

 急にスケールが大きくなってきた。

 海斗は何度も目を瞬いていたが、マンフレートはそこで話を打ち切った。

 

 視線を隊列の前方に向けると、ひとつうなずいて告げる。

 

「そろそろ目的地だ。準備しろ。あの妙ちきりんなバッテン印のスーツに着替えるなら、それもな」

 

 

 

「これは……」

 

 見回して、海斗はつぶやいた。

 一言で言うなら、惨状だ。

 

 魔物の襲撃というのがどんなものなのか、正直なところピンときていなかったのだが――

 村はあちこちボロボロで、家屋はほとんど崩れ、田畑は荒らされて無事な作物はひとつもない。

 多量の血痕が地面に刻まれている。

 そして、その血を流す傷ついた人々の姿も。

 

「……ひどいな」

 

 そううめくしかなく、歯を噛んでうつむく。

 

 立ち尽くしていると、マンフレートが声を張り上げるのが聞こえてきた。

 

「救護班は村人の保護に当たれ! それと、第十二分隊は索敵だ。おそらく襲撃から間もない。見つけ出して始末をつけるぞ――村の者よ! 誰か、無事に話ができる者はいないか!」

 

 呼びかけに、少し離れたところにいた女が立ち上がった。

 女といっても若い。まだ少女のような歳だろう。

 

 憔悴して、足元もふらつき、煤や泥で全身汚れているが目立った傷はない。

 ひどく怯えた様子で、震える足取りでこちらへやってきた。

 

「騎士様……村が。私たちの村、は」

「――教えてくれ。この村になにが起きた? 魔物の襲撃か?」

 

 マンフレートは気遣いではなく、事務的にそう訊ねた。

 なにを言っても慰めにはならなかっただろうが。

 

 質問に、少女はこくりとうなずいた。

 村の向こう、見たところ被害が大きいほうへ指を向けて、つぶやくように言う。

 

「魔物は、あっちの、西のほうから……去っていったのも、同じで。私、私のっ、兄さんが。私を庇って血が……!」

「落ち着いてくれ。誰か、この子に温かいものを。あの方角――おそらく南西寄り、森の中か」

 

 口早に告げて、指示し、確認する。

 その声が響き終わらない内に、マンフレートは近くの柵に歩み寄った。

 そこに刻まれた破壊痕に触れて、うめく。

 

「この爪痕……報告通り、引き裂き獣(ティエアーウルフ)のものだろうな。だが、こんなサイズは――」

「まずいのか?」

「問題ない。と、言いたいが……貴公の出番があるかもしれんな」

 

 つまり、エックスの出番が、だろう。

 

 マンフレートはきびすを返して馬車に向かった。

 と、途中で振り向いて、海斗を呼ぶ。

 

「なにをしている。貴公も来い」

「……この村はどうなるんだ? このまま放っておくわけには」

「無論、再襲撃に備えて護衛は残す。本隊は逃げた魔物を追跡する。こういった事態に備えて我々は隊で行動している」

 

 それでも――と、海斗は言いかけたが。

 

「ここに残ったところで、貴公にできることはなにもないぞ」

「……そうだな」

 

 その言葉を認めるしかなく、海斗は早足でマンフレートの背を追った。

 最後に、ちらと破壊された村と――そして、その場で泣き崩れて肩を震わせる少女の姿を、肩越しに見やって。

 ただ無言で、力を込めて拳を握った。

 

 歩きながらも、マンフレート副騎士長は他の騎士たちからの報告を聞き、そして矢継ぎ早に迷いなく指示を下していった。

 彼とともに海斗も馬車に乗り込み、その振動と音に身体を置く。

 急発進したため、先ほどまでの行軍より音も振動も大きい。

 

 そんな中で、声も大きくして海斗は訊ねた。

 

「――引き上げていく魔物を追いかけて、追いつけるのか!?」

「方角が確かならな。獣将ジハード配下の魔物は、その名の通り獣の軍勢だ。元になった動物の習性はほぼそのまま残っている――つまり、群れをなし、拠点を作り、帰っていく先は魔物の巣だ」

 

 その巣の位置にもあたりがついているということか。

 もちろん、魔物の数が多いなら拠点の規模も大きくなり、それだけ見つけやすくはなるだろう。

 ただし、村で隊を分けた騎士団に、それが手に負えるかは分からないが――

 

 先頭を走っている馬車のほうから、大きな笛の音が響いた。

 海斗も荷台の隙間からそちらを見ると、荒れ地を駆けていく四つ足の影が小さく見えた。

 まだ距離があるが、シルエットに見覚えがある。

 引き裂き獣(ティエアーウルフ)だ。

 

「――尻尾を掴んだか。速度を上げてくれ。逃げる背を追撃する!」

 

 御者台に座る騎士にそう告げると、マンフレート自身も前へ身を乗り出した。

 抜刀した機構剣を手に、荷台から馬車の前面へと危なげなく飛び移って、声を張り上げる。

 

「群れがまた集まる前に数を減らすぞ! ファイアブラスト、撃てぇい!」

 

 号令に応えるように、周囲に熱気が巻き起こる――錯覚だろうが。

 だが実際、巨大な魔法の火球がいくつも宙を滑り、引き裂き獣の姿を呑み込むのは見えていた。

 

 猛然と上がる火柱の中で、濁った断末魔の悲鳴を上げてのたうつ魔物たちの輪を突き抜けるように、馬車は駆け抜けていく。

 ほとんど機動戦のような勢いだ。

 魔物たちは自分を襲ったのが何者なのかも分からなかったかもしれない。

 

 だが、先を行く群れは間もなく異変を察したのだろう。

 散り散りに走っていた引き裂き獣たちの後ろ姿が、次第に速度と軌道を変えていくつかの集団を作っていく。

 

 かと思った瞬間、それらは一斉に向きを変え、魔物の群れが馬車の隊列へと襲い掛かってきた。

 相対速度で向かい合えば、ほぼ一瞬でお互いに接敵するのは明白だった。

 猶予はほとんどない――

 

「馬車隊、停止――近接戦闘! 前衛部隊は前に出て、馬車を守れ!」

 

 マンフレートの号令はもとより、騎士団全体の動きにも躊躇はなかった。

 急停止した馬車から鎧甲冑の騎士たちが飛び出し、迫る魔物の牙と爪を各々の掲げる武器で受け止める。

 先ほどの奇襲が功を奏したらしく、頭数を減らした魔物より騎士たちの数のほうが多い、余裕を残してその反撃に対処できている。

 

「うおおおおっ!」

 

 マンフレートもまた戦列に加わっていた。

 鋭く風を切って振るわれた機構剣が、引き裂き獣の一頭の(くび)を両断し、さらに副騎士長が力強い雄叫びを上げる。

 鬨の声に鼓舞された味方がさらに勢いを増して、次々と魔物たちに反撃の一太刀を浴びせていった。

 

 強い。

 これが騎士、これが聖極騎士団か。

 海斗は馬車に残されたまま、戦いの趨勢が決まるのを見届けようとして――

 

「――ギャオオオォォーーーーン!」

 

 瞬間、あたりに巨大な遠吠えが響き渡って、その場の全員が動きを止めた。

 騎士たちも、魔物の群れも、あるいは、ひょっとしたら空気や風の流れさえも。

 それが一瞬の錯覚だったとしても、この戦場をさらなる混乱へ陥れる契機になったのは間違いなかった。

 

 魔物が、引き裂き獣たちが目に見えてうろたえ出す。

 勢いをなくして後退するやつや、でたらめな方向へ吠え始めるやつ、泡を食ったように遁走を始めるやつまでいた。

 

 隙だらけだったはずだが、騎士たちもそれに追い打ちをかけられない。

 かといって、魔物たちのように恐慌に陥ったのでもないようだ。

 表情を引き締めて、前方にある森のほうを睨んでいる――

 あの遠吠えが聞こえてきた、まさにその方向に。

 

「――総員、機構剣の出力制限を外せ。備えろ」

 

 マンフレートが鋭く指示を下すと、その緊張はより一層高まった。

 騎士たちは再集合し、隊列を組み直すと、なにかを待ち受けるように武器を掲げる……

 

「群れを率いるボス――大型個体(ギガントバックス)。来るぞ!」

 

 マンフレートが鋭く叫んだ、その時。

 前方の森が大きく裂けた(・・・)

 

 間違いなくそう見えた――馬車からは降りて、地に足をついて食い入るようにその光景を見ていた海斗の目には。

 ざんっ、と大きく木立を揺らし、なにかが、巨大ななにかがそこから宙を飛ぶ。

 破滅的な気配を漂わせる巨影が――

 

 ――ぐちゃっ、と重く湿った生々しい音を立てて、身構える騎士団の前に落下した。

 風になびくようにだらりと身体の先端部を垂らして、光のない(まなこ)で虚空を見据えながら。

 

「……え?」

 

 誰かがつぶやくのが聞こえた。

 呆けたようなその声は、しかしこの場の全員の総意だったろう。

 

 視線の先、少し離れたところで地面に激突したのは、確かに引き裂き獣だった。

 ただし、その大きさは桁違いだが。

 体長にして10メートルを超えていそうだが、首まで大きく開いた大顎、醜い乱杭歯(らんぐいば)と、骨のような尾は間違いなくあの魔物たちの特徴と一致している。

 

 それが頸を大きく食い破られて(・・・・・・・・・・・)死んでいた。

 

「こ、これはいったい……!」

 

 戸惑いの声をこぼす騎士たち。

 そして、あのマンフレートですらが言葉を詰まらせていた。

 後ろ姿で、海斗から彼の表情は分からないが……

 

 いや。

 

「…………!」

 

 マンフレートが見据える先を悟って、海斗も同じく、前に広がる森のほうへ鋭い視線を投げた。

 そうだ。これを、目の前の巨大な引き裂き獣(ティエアーウルフ)引き裂き(・・・・)返して、こちらへ投げ寄越した何者かが、まだそこにはいるはずだった。

 

 果たして、その視線の先から。

 ズズン……ッ、と重い音が響いてくる。

 それは足音のようだった。

 そして、木々を押しのけ轢き潰して、踏み砕くような無慈悲な破砕音。

 

 森の影を断ち割り、その鬱蒼とした闇から溶け出すように姿を表したのは、赤黒い体躯を持つ巨大な獣だった。

 犬のような姿だが、肩口からそれぞれ三つの首と頭を生やした、異形の魔獣だ。

 

 騎士たちの目の前で死んでいる巨大引き裂き獣より、さらに一回り以上は大きい……並べて立たせれば、小型犬(プードル)大型犬(レトリバー)ほどのサイズ差にもなっただろう。

 デタラメとしか言いようがない、まさに怪物だった。

 

「ゴゥワァァアアア――――ッ!」

 

 三つ首の魔犬が、そのそれぞれの頭が、背筋の凍るような咆哮を轟かせた。

 凶猛な6つの目で、ギラギラと燃える業火の眼差しで、こちらを睨みつけるようにしながら。

 

 マンフレートが声を引きつらせながら、叫んだ。

 

三つ首魔獣(ケルベロス)……!? 馬鹿なっ、なぜよりによってこんなところに! 今の我々の装備では、あんなやつを相手には――」

「だったら下がってろ」

 

 マンフレートの肩を軽く押しながら、海斗はその前へと進み出た。

 ケルベロスとやらの前に立ちふさがるように、その猛火のごとき視線の先へ割って入る。

 

 青年騎士は、後ろで絶句したらしい。

 息を呑む気配が伝わってくる。

 が、すぐにはっとしたように言ってきた。

 

「し、しかし! いかに貴公とエックスでも、あんなものを相手に必ず勝てる保証は」

「後ろにはあの村があるだろ!」

 

 叫んで、愛用のナイフを抜き放つ。

 それを空に向けて掲げながら、海斗は続けた。

 

「傷ついて、ボロボロの村と人たちが。それを守るのがあんたたち、騎士団の仕事だろう。給料泥棒になりたくなきゃすぐに取って返して村人を避難させてくれ。ここは俺に任せろ」

「くっ……」

 

 マンフレートは束の間だけ、葛藤したようだ。

 ここで戦うのと村を守るのと、どちらを優先すべきか――そして、ろくに事情を知らない異邦人が、本当に信じられるのかどうかを。

 しかし、決断はすぐだった。

 

「――分かった。死ぬなよ、貴公。借金を一文も返さぬまま討ち死になど、笑い話にもならんからな」

「いい加減名前を覚えろよ。俺は(くろがね)海斗(かいと)だ!」

 

 叫んで、召喚権限(サモン・コール)を行使した。

 ナイフの刃が斜陽を反射して煌めき、その輝きを一瞬で巨大化させる。

 

 ズシンッ! と重く巨大な鋼鉄(はがね)の音を響かせて、喚び出された愛機エックスが荒れ地の地面を踏みしだく。

 海斗がそちらに駆け寄ると、騎士たちは村へ戻るために馬車へと乗り込んでいった。

 

 すれ違いざまに、騎士のひとりから声をかけられた。

 

「武運を。どうかご無事で。黒鉄(くろがね)の勇者殿!」

 

 返事を返す間もなく、海斗は飛行操縦席(フライヤー)に飛び乗り、エックスの頭部にドッキングさせた。

 遮蔽シールドが降りる――一瞬の暗闇の直後、コックピットモニターが起動して、外部カメラからの映像と情報が各種計器とコンソールに表示される。

 

 エックスの足元から、騎士団の馬車が駆け去っていく――振り返らずに、あの村へと戻っていく。

 それでいい。自分たちではろくに連携など取れないのだから、ひとりのほうが思う存分暴れられる。

 かえってやりやすいくらいだ。

 

 と、海斗が考えていると。

 

『正確には、ひとりと一人格です。私をお忘れですか、海斗?』

「細かいやつだな……どうでもいいだろ、そんなこと。あと、当たり前みたいに考えを読むな」

『状況把握は詳細に、簡潔に。大事なことです』

 

「ギギュイギュアアァァァ――ッ!」

 

 AIとくだらない言い合いをしている間に、あの三つ首の魔獣も――ケルベロスもしびれを切らしたらしい。

 それぞれの首をばらばらにのたうたせながら、濁った咆哮をほとばしらせて、こちらへ向けて突進してくる。

 

 それをコックピットから見据え、エックスを身構えさせながら、海斗は歯を向くようにして笑った。

 

「どこまでこういう展開を予想してたか知らねえけどよ……とにかく、未知の機体の修理のお手前、きっちり見せてもらうぜ麒麟児(レムリア)さんよ! 最初から全力だ、ぶちかますぞクオっ!」

了解(サー)認証しました(イエッサー)鉄海斗(マイマスター)

 

 巨人と魔犬が向かい合い、その激突の予感に震えるように、鋼鉄と猛悪の轟哮が大気を激しく震わせた。



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#12 VSケルベロス

 目標確認(アクワイア)

 武装決定(セレクトアームズ)

 熱力充填(チャージアップ)用意(レディ)

 

「クロス、カッタァァァッ――」

 

 エックスの両腕を突き出し、魔獣ケルベロスの巨体に狙いを定める。

 握り込んだ武装桿をさらに押し倒しながら、海斗は叫んだ。

 

「パァァァァァンチッ!」

 

 轟音を上げて回転する十字の四枚刃とともに、エックスの両腕部が撃ち出され、強装推進剤の白煙をたなびかせながら大気の壁をブチ抜いた。

 

 宣言通り、初手から全力の全開だ。

 最大速度3000km/h、マッハ2.5にも達する巨大質量の二連拳撃。

 刹那を切り裂き、瞬きする間もなく標的を捉え、打ち砕くはずの必殺の剛拳は――

 

 しかし瞬前、(マト)を外して空を切った。

 

「なにっ!?」

 

 驚愕の声が喉から漏れる。

 だが、海斗が目の前の事態を正確に把握するより先に。

 

『海斗、右です!』

「――――!」

 

 クオの警告。

 咄嗟にそれに従い、機体の腕を上げてガードの体勢を取るが。

 

「ぐぁっ!?」

 

 上腕部しか残っていないのでは、防御には不十分だった。

 強烈な衝撃に機体の重量を押され、踏ん張りが効かずにそのまま転倒する。

 受け身も取れずに地面に叩きつけられて、勢いそのまま装甲が荒れ地の土を削り取り、土砂と粉塵を宙に吹き荒らした。

 

 激しい振動に見舞われたコックピットの中で、どうにか海斗は意識の平衡を保った。

 ダメージは一旦無視して、地に転がった機体を姿勢制御してなんとか仰向けに。

 同時に、こちらへ攻撃してきたのであろう敵の姿を求めて、すぐさま視線(カメラアイ)を巡らせた。

 

 探すまでもなく見つかった。

 というのも、転倒したエックスに向かって、ケルベロスのほうからさらに飛び掛かってきていたからだ。

 

「うおおおお!?」

 

 間一髪でさらに機体を転がして、巨体ののしかかりと爪撃から逃れる。

 魔犬の尖った爪が深々と地面を抉り、接地の衝撃がつむじめいた猛風を巻き起こして、あたりの空気をビリビリと震わせた。

 

「ギャグワアアアァァッ!」

 

 三つ首の口を裂けるほど大きく開き、ケルベロスがおぞましい雄叫びを上げる。

 

 耳をつんざくようなその絶叫。

 鼓膜に痛みを覚えて顔をしかめると、海斗は毒づいた。

 

「野郎ォ……! どんなスピードで襲い掛かってきやがった、このワンコロ!」

『クロスカッターパンチを避けるとは、並の反応速度ではありませんね。さすがは異界のモンスターといったところでしょうか』

「感心してる場合か、反撃の手立ては!」

『発射した両腕部が戻るまであと8――7秒』

 

「グゲェェェアッ!」

 

 間延びしたクオのカウントを聞くのも嫌だったが、それよりも実際的な問題は、続けざまのケルベロスの追撃から逃れなければならないことだった。

 それも、文字通りの無手で(さば)かなければならない。

 

 三つ首の魔獣はそれぞれの口で牙を噛み鳴らし、倒れ込むエックスに噛みつき攻撃(バイティング)を仕掛けてきた。

 

「ちぃぃっ!」

 

 迂闊さを呪っている暇もない。

 背面のブースターを吹かすと同時、機体の両足で地面を強く蹴りつけ、強引に勢いをつけて立ち上がる。

 それで噛みつきの三連撃からは身をかわしたが、無茶な機動の代償に一瞬ならず機体が硬直していた。

 

 その隙を突かれた。

 三つ首のひとつがムチのようにしなると、グオッと伸び上がって(そう見えただけで錯覚だろうが)エックスの頭部にザグリと食らいついた。

 あたかもコックピットの海斗を丸呑みするような格好で、正面カメラの映像が魔獣の蠕動する舌と喉を大映しにする。

 

 思わず海斗は毒づいていた。

 

「グロっ、キモっ、クサっ、畜生がっ! 気持ち悪いもの見せてくんじゃねえっての!」

『海斗、コックピットの装甲が破られる寸前ですが、文句を言っている場合ですか?』

「なんでこの世界のモンスターどもは揃いも揃って的確に弱点(アタマ)を狙ってくるんだ――ったく、おかげでこいつの出番が増えちまうじゃねえか!」

 

 適当に罵りながら、海斗は武装を選択した。

 エックスの双眸(ツインアイ)が輝きを増し、稲妻模様の(シャルトリューズ)鮮黄色(イエロー)をみなぎらせる。

 

「虫歯治療だ、荒療治だが保険は下りねえぞ――クイックシューター! ぶっ放せッ!」

 

 バシュンッ! と閃光が弾けて燃え上がり、魔獣の口の中で炸裂した。

 粘膜の肉を焼き焦がし、数本の牙を根本から抉り抜いて、溶断して破砕しながら――

 レーザー光線が、その中で激しい爆発を起こした。

 

「ギィ――――!?」

 

 濁って汚れた悲鳴を漏らしながら、ケルベロスが大きく後退する。

 エックスに噛みついていた頭は特に激しく仰け反り、拘束も解けた。

 

「それから、こいつは――」

 

 ちょうどそのタイミングで、飛ばしていた両腕の肘から先が逆噴射で戻り、エックスの両腕部に接続してきた。

 その勢いも使って機体を捻らせ、大きく足を開いた構えから、左右の鉄拳を打ち放つ!

 

「こいつはお釣りだッ! 鋼の右、黄金の左!」

 

 ゴゴンッと強く激しい音が轟いて、唸りを上げた拳がケルベロスの左頭と、続いて右頭を直撃する。

 豪風纏う鋼の連撃が、魔獣の巨体を大きく吹き飛ばした。

 

 距離が開く。

 ひっくり返って仰向けに倒れるケルベロスに、海斗はビシッと指を突きつけた。

 自身と、そしてその動きに連動してエックスの指を。

 

「立ちな、右の頭から順番にワンコロ、ニコロ、サンコロ! 馬鹿犬の粗相は連帯責任だ、全部まとめて思いっきりド突き倒してやるぜ!」

『意味不明。海斗、文脈が混乱しています。知性を疑われる前にそのチンピラなボキャブラリーは改めるべきかと』

「はっ! 前から言ってるだろうが、トラッシュ・トークは喧嘩の華ってなぁ!」

 

「グ、ギギガアァ……!」

 

 クオと適当に言い合っている間に、ケルベロスが身を起こしてきた。

 真ん中の頭(ニコロ)からはブスブスと黒煙が上がり、焼け抉れた口のダメージで動きもぎこちないが、視線に込められた怒りと凶相は倍増しなぐらいだ。

 

 大きなダメージにはなっていない――

 ならば。

 

「クオ、エクスブラスターは使えるんだよな!? こいつを一撃で仕留めるとなったらあれしかねえ!」

『はい、海斗。レムリアの手で胸部放射板の修復は完了しています。ただ――』

「なんだ?」

『はっきり言えば、本調子ではありません。以前の世界と同じABS-MX(アブソリュート)装甲材(イクスメタル)の調達など望むべくもなく、現在のエックスはあの真銀魔導合金(ミスリル)を代用品としています。しかし、それではエネルギー伝達効率に著しいロスがあり――』

「状況報告は簡潔にしろ!」

切り札(エクスブラスター)は一発きり、ということです。それ以上は逆さに振ってもエネルギーが足りませんね』

 

 なかなかに厳しいことを言ってくれる。

 ただでさえ俊敏さで上を行く相手を、その動きを捉えて一発で確実に倒しきれということだ。

 

「はっ。上等ォ――」

 

 それでも海斗は不敵に笑って、エックスの両拳を打ち鳴らした。

 ゴヅン、と鋼の音色を立ててから、その指先をケルベロスに向けてクイクイと手招くようにした。

 

「来いよ、犬畜生。3頭まとめて面倒見てやる」

『文字通りの3頭ですが、ややこしいですね』

 

「ギィガアァァァーッ!」

 

 耳障りな咆哮とともに、ケルベロスの巨体が地を蹴った。

 やはり速い――そう遠くない距離から凝視していたというのに、海斗は危うくその影を見失いかける。

 あの重量と巨体で、よくもそんな芸当ができるものだと感心させられる。

 

 それでも、タイミングを見計らってエックスをバックステップさせていたおかげで、わずかながら対処の余裕があった。

 ケルベロスは一瞬の一跳びだけで、瞬きする間にはもうエックスの左側面に回り込んでいる。

 というより、棒立ちのままでいたら側背の位置にまで踏み込まれて、為す術もなく“真正面からの奇襲”を受ける羽目になっていただろう。

 

 互角の鬩ぎ合いと言いたいが、それでもケルベロスのほうが有利な位置取りだ。

 海斗は舌打ちしてエックスの足を止め、身体を固めて身構えた。

 激突の威力が機体を襲い、同じように操縦席もまとめて激しく揺るがす。

 

「ぐぬぬぬっ……!」

 

 今度の一撃は牙や爪ではなく、巨体をそのままぶつける体当たりだった。

 勢いを殺すために機体の足を地に滑らせ、ギリギリ踏みとどまって反撃する。

 

 左拳のバックハンドブロー。

 だが、崩れた体勢からでは重量が乗り切らず、手打ち同然の一撃ではケルベロスは怯みもしなかった。

 殴りつけられた右頭(ワンコロ)は首の力だけでそれを跳ね返すと、3対の瞳に怒りを燃やして獰悪な牙をむく。

 

 左右の大顎がそのまま、エックスの右肩、左脇腹へと食らいついた。

 牙が食い込んだ装甲が軋み、締め上げられ、メキメキと硬質の悲鳴を上げてへこんでいく。

 内部の動力系に異常、エラーメッセージが無数に警報を鳴らして、コックピット中にやかましく響き渡る。

 

 そしてエックスの動きが止まったところに、さっきの意趣返しでもあるまいが、傷を負った真ん中の頭が頭突きを見舞ってきた。

 

「ぐがっ……!」

 

 まともに食らった。

 エックスの頭部が大きく揺れる――操縦席にも直接激震が走る。

 

 足元がぐらつく。

 その隙を見逃さず、ケルベロスの中央の頭がさらに大きく顎を開いた。

 エックスの首を狙って噛みつこうとしてくる。

 

「ンの、野郎ォ!」

 

 咄嗟に首を逸らしてそれをかわし、至近距離から牽制のクイックシューターを放つが、当てずっぽうのせいでそもそも狙いが定まっていない。

 

 空振りした光線を無視して、魔獣の(アギト)が狙い通りに機体の首へと食い込んだ。

 そのまま、食い千切ろうかという勢いで激しく首を振り、機体の装甲材を激しく損傷させる。

 危険域のダメージが蓄積して、警報音(レッドアラート)がけたたましく鳴り響いた。

 

 しかも角度が悪い。

 反撃しようにも、クイックシューターでは狙いがつけられない。

 クオが、叫ぶように言ってきた。

 

『海斗! このままでは!』

「ああ。このままだと――」

 

 歯噛みして、半ば軋るようにうめきながら、海斗は。

 

「――俺らが勝っちまうなあ、この状態ならよ! クオ! エクスブラスター用意しとけ!」

 

 牙をむくようにして獰猛に笑い、そして、エックスの両腕を持ち上げた。

 機体の両左右に噛みついて抑え込んでいたケルベロスのふたつの頭、それぞれを掴んで、自機の装甲ごと力ずくで引き剥がす。

 

「ビギィィィ……ッ!?」

 

 ケルベロスの首が、濁った声で悲鳴を上げた。

 

 エックスの装甲の破片に混じって、血肉混じりの牙が何個もバラバラと地面に落ちる――堅牢なABS-MXから強引に引き剥がされて、食い込んでいた牙がおろし金にかけられたようにブチ抜かれたのだ。

 さしもの魔獣も激痛に怯み、黒く濁った血をこぼしながら絶叫を上げている。

 

 そして、痛覚をある程度共有しているのだろう、首に食いついていた中央の頭からも力が緩んで、エックスの首が拘束から解放される。

 その愛機の頭をグンと反り返らせると、先ほどの意趣返しのように、海斗はケルベロスの真ん中の頭に頭突きをぶちかましてやった。

 

 魔獣が大きく怯んだところに、さらに二発、三発と、鋼鉄のヘッドバットを連打する。

 コックピットの前面、遮蔽シールドがビシリと不吉な音を立てて、危うくヒビが入りそうになったが……

 

 根性比べはこちらの勝ちだ。

 

「捕まえたぜ、このケダモノ野郎!」

 

 ケルベロスの真ん中首(ニコロ)は目を回して動きを止め、左右の首(ワンコロ・サンコロ)は締め上げて捕まえたままでいる。

 あとはトドメを刺すだけだ。

 

 操縦席の計器のひとつ、専用武装のメーターが、エネルギーのフルチャージを示す――

 そして、クオが告げた。

 

『仮想誘導砲門、射出角とも調整完了済みです。発射を』

「おうよ、やってやるぜ! エクスブラスター、ぶちかませ――!?」

 

 だが、その瞬間だった。

 

 機体に大きな衝撃が走る。

 エックスの巨体があっさりと宙に浮き、十メートル近くも吹き飛ばされた。

 掴んでいたケルベロスの首も放してしまったが、それにも気づけなかったほどの突然の横撃。

 

「な、なんだあっ!?」

 

 またもや地面に叩きつけられ、エックスを横倒しにされながら、海斗は操縦席から叫んだ。

 攻撃を受けたのは左肩のあたり、モニターの知らせる被害状況からそれは察するが、その正体が分からず混乱する。

 いや――

 

 しばらくしてから、この荒野に落ちる影が増えていることに気がついた。

 それに音もだ。

 なにか巨大なものが、宙に翼を羽ばたかせている音と気配。

 

『これは――』

 

 クオの声に釣られるように、海斗はエックスの視線を上方向へと向けた。

 機体を立ち上がらせながら、そこに浮かぶ巨影を見据えて、うめく。

 

「バケモノ犬の次は、バケモノ鳥ってわけかよ。面倒な――」

 

「クェアァァァァァッ!」

 

 甲高い声でわめき鳴く怪物は、言った通り鳥のような姿をしていた。

 ただし、その大きさはタカやワシ、それどころか戦闘機などの比ではない。

 なにせバケモノ鳥は、遠目の目測だけでも、あのケルベロスと同等のサイズがあったのだから。

 

 そして、事態はそれだけにとどまらない。

 

『! 海斗!』

 

 クオの鋭い警告に、反射的に身体と機体が動いた。

 咄嗟に飛び退いたまさにその位置に、またしてもなにかが飛来して激突する。

 

 今度のそれは幾分か小さく、また、地面にぶつかって砕け散ってしまったが。

 どうやらそれは投石のようだった。

 ただし、エックスの拳より大きな巨岩だ。

 それを相当な速度と正確な狙いをつけて投げつけられた。

 

 岩が投げ放たれた方向を逆算して、切りつけるように鋭く視線を向けると、海斗は強く舌を打った。

 

「また新手か……!」

 

 50メートルほど離れたその位置には、巨大な猿のような魔物が現れていた。

 ただし猿に似ているのは顔つきと毛むくじゃらなところぐらいで、寸胴が極まった三頭身に手足がついているという、奇怪極まりない姿をしていたが。

 そいつがまた次の岩塊を拾い上げて、異様に長く野太い腕で大きく振り上げている。

 先ほどと同様、投げつけて攻撃してくるというのだろう。

 

 そして倒れ込んでいたあの魔犬、ケルベロスも、増援の出現に合わせて身を起こしていた。

 地に四つ足をつけて、猛悪な視線をエックスと海斗に向けてくる。

 

 三体の巨大モンスター。

 それと対峙して、海斗は苦々しく笑った。

 

「1対3ってわけか。こいつはちょいと骨が折れるな」

『損傷チェック――装甲強度低下、出力も落ちていますが、まだ()れます。どうしますか海斗(マスター)?』

「分かってて聞いてるだろ、それ」

 

 ゴキゴキとエックスの指を鳴らす真似をしてから、海斗は片頬を吊り上げて笑った。

 操縦レバーを強く握り直して、叫ぶ。

 

「かかってこいよ、ケダモノども! 俺がきっちり(しつ)けてやる! 行くぞクオ――意地と道理で推して参る!」

『結局いつものパターンなんですね』

 

 AIの呆れ声。

 そして、三体の魔獣の激しい咆哮が、天と地を衝き揺り動かせた。

 

 海斗もまた、言葉にせずに吠えて、傷だらけのエックスの巨体を走らせる。

 前へ、ただ前へと。

 

 ――戦いはさらに熱気を増して、四つの巨躯がもつれ合う乱戦へとその局面を変えた。



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#13 VS三魔獣

   ◆◇◆◇◆マンフレート視点◆◇◆◇◆

 

 

 

 轟音と閃光、地に走る衝撃と、また轟音。

 壊滅した村からずっと遠く、あの少年とゴーレムを残してきたあの地点から、先ほどからずっと騒乱の気配が続いていた。

 

「どうなっているのだ、あちらは……」

 

 まるで天災でも降ってきたような大気の鳴動を感じながら、聖極騎士団副騎士長マンフレート・キリルはうめく。

 こうした衝撃を感じるのは、実のところ初めてではない――こことは違う町でだが、立て続けに二度、巨体と巨体がぶつかり合う異形の戦場にマンフレートは遭遇している。

 ただ、今回の討伐作戦はそれらほど大規模なものではなかったはずだし、ましてや先の二戦をも凌ぐほどの激震が大地に走るなど、王都を出る前はまったく想像もしていなかった。

 

 文字通りの驚天動地。

 あのケルベロスがそれほどの強敵であるのか、あるいは、もっと深刻な事態が起こっているのか。

 当事者ならぬマンフレートには分かりようもないが、いずれにせよ間違いなく、あり得ないどころかあってはならないはずの破滅的な状況だった。

 

 騎士団による村の救援活動は続いているが……動揺と混乱が広がるのは止めようがない。

 村人たちはもちろんだが、騎士たちもその感情を抑えきれていなかった。

 ただでさえ魔物の襲撃に遭ったばかりの村で、すぐ近くでこんな大戦闘が起これば、遠からず恐慌状態に陥るであろうことも想像に難くない。

 

 だがどうすることもできない。

 戦いの規模がここまで大きくなってしまえば、もはやマンフレートはおろか、騎士団にも介入の余地などないだろう。

 

 己の無力さに歯噛みしていると、マンフレートに声をかけてくる者がいた。

 

「隊長――マンフレート副騎士長! 我々はどうすればよいのですか!」

 

 部下の騎士団員だった。

 と、見下ろしてから気づく――視線を遥か彼方、あの戦場の空へと向けていたことに。

 呆けたようにそれを眺めていた自分の失態に。

 

「くっ……」

 

 顔を歪める。

 分かっているはずだ。

 今ここで、己の為すべきことなど、最初から。

 つい先ほど、あの場所で、あの少年を置き去りにした時にそれは分かっていたし、決まっていたことだ。

 

 村を守れ、村人を守れとあの少年は言った。

 言われるまでもないことだ、騎士団はそのためにある、民草を守りその盾となること、それこそが存在意義であり、存在している証なのだ。

 それは必ずしも敵を倒すことと同意義ではない。

 

 しかし、だが、それでも、どうしても――

 逡巡がマンフレートの脳裏を駆け巡る。

 迷いが許される立場ではないと分かっていても。

 

 苛立ちを、声には出せずに胸中に吐き捨てた。

 

(子供を戦わせて――我々、騎士団が――お荷物になるなど。口惜しい!)

 

 それは決してやっかみではなく、無力さへの悔いだった。

 あのゴーレム、エックスがどれほど強大であろうと、それがあの少年を(いくさ)に駆り立てる理由になどなっていいはずがないのだ。

 

 そして、そんな思いとは裏腹に。

 

“人と比べるのって良くないぜ。卑屈になってもしょうがない”

 

 思い出すのは、これもあの少年の――鉄海斗の言葉だった。

 己の為すべきを為すという意志の言葉。

 本人が言うところの、意地と道理というものだろうか。

 

 マンフレートは、今度は声に出してつぶやいた。

 

「我々の、我々にしかできないこと……」

「え?」

 

 部下が怪訝な眼差しを向けてくる。

 その視線を見返して、マンフレートは告げた。

 

「務めを果たせ――民を守れ。うろたえるな、我々は栄えある聖極騎士団だ! なにが起ころうとそれは変わらん! 村人たちの避難を最優先させろ!」

「りょ、了解っ!」

 

 最後には声を大きく叫んで、騎士団員たちに指示を飛ばす。

 発破をかけられた騎士たちが我を取り戻し、村中を駆けて、怪我人を励まし、(たす)け、移送用の馬車へと誘導していく。

 

 その指揮を()りながら、あくまでその片手間程度に、マンフレートは戦場の空の下に向けて指で聖印を切った。

 

「海斗……貴公に神の御加護を」

 

 それは世界を隔ててなお通ずる、祈りの言葉だった。

 

 

 

   ◆◇◆◇◆

 

 

 

「ギャギィアアァァァッ!」

 

 真っ先に動いたのは、やはりというかケルベロスだった。

 手負いとはいえあの異常な脚力は健在で、エックスを真正面に見据えて襲い掛かってくる。

 

 6つの凶眼に睨まれ、威圧されながら、なおも海斗は片頬を吊り上げて笑った。

 

「おいおい元気だな、歯抜けの駄犬がよ! もう一度ぶちのめされたいってか!」

『この局面で、しかも自分でやっておいて、よくもそうやってガンガンに煽れますね海斗』

「ピンチの時ほどよく笑え、ってな。博士のありがたい教えだぜ、っと、そこだ!」

 

 何度も攻撃を受けたおかげで、いい加減目が慣れてきていた。

 ずば抜けて俊敏なケルベロスだが、動作の起点さえ見極めれば、動き出す方向はどうにか読める。

 あとは踏み込みの位置を勘で割り出せば、十分に対処できるという寸法(スンポー)だ。

 

 斜め上から一閃する爪の一撃を機体を引いてかわし、続く連続の噛みつき攻撃も両腕部で(さば)く。

 突き出された左首の(アギト)を下から弾いて逸らすと、その勢いも逆用してエックスを大きく踏み込ませ、ケルベロスの首の根本に強烈な肘打ちをねじ込んだ。

 

「ギャボオゥゥ……っ!?」

 

 深々と突き刺さった打撃に、ケルベロスが激しい苦鳴を漏らす。

 手応えはあった。

 そして、やはりこいつは先に打ちのめしたダメージで弱っていると確信する。

 

 乱戦(ゴチャマン)の時はまず弱いやつから潰せ――これもまた、博士からのありがたい教えその2だ。

 頭目を潰すのも重要だが、戦術的に不利な時はまず互角になることから始める。

 

 怯んだケルベロスの中央の首を抱えて締め上げ、裸締め(ギロチン・チョーク)の形からパイルドライバーばりに地面に打ち込んで首をへし折ろうとしたのだが――

 

 突如、背後から衝撃が襲い、エックスが大きく体勢を崩す。

 

「ぐあ……っ! な、なんだ!?」

『左側背部にダメージ。投擲物によるものです。被害状況は確認中――』

「くそ、あの猿岩石野郎か!」

 

 報告の詳細は聞き流して、機体を立ち直らせながら見当をつけた方向を睨む。

 そこでは巨大な猿の魔物が腕を振り切った体勢から、ゆっくりと身を起こすところだった。

 その動きには緩慢さではなく、むしろどことなくある種の滑らかさや、余裕ぶったものを感じさせる。

 

 突発的に腹が立って、海斗は怒声を張り飛ばした。

 

「てめえー! 寸胴猿の分際でメジャーリーガー気取りか、ふざけやがってブッ殺ォォォスッ!」

『海斗、落ち着いてください。あなたの沸点そんなところでいいんですか』

 

 などと言い合っていた時だ。

 

 殺気を感じて、海斗は機体を横飛びさせようとしたが――そもそも殺気などというものは存在しない。経験則から察する瞬間的な“嫌な予感”、それを言語化する時に抽象的に表れるだけの単なる言葉に過ぎない――まあつまり、回避に失敗した。

 殺気の正体、急降下して強襲してきたバケモノ鳥の体当たりを受け、再び機体が大きくよろめく。

 

「うお――!?」

 

 のみならず、突如として機体の重量が0に消える。

 巨大な三つの足で背中の装甲を掴まれ(どうやら三本足の怪鳥だったらしい)、一瞬で20メートル近くも高く飛び上がったのだ。

 280トンの鋼の巨体をこれほど容易く持ち上げるなど、まともにはあり得ない飛翔力だと言うしかないだろう。

 

 両腕の肩を掴まれているせいでろくに抵抗もできない。

 反撃の手立てもないまま、そのまま、直接地面に叩きつけられた。

 

「が、ああああっ!」

 

 受け身すら取れず、落下の勢いに巨大な重量ののしかかりまで受けて、凄まじい衝撃がエックスの機体を襲う。

 固定されたはずのシートでも衝撃を吸収しきれず、激震するコックピットの中で、海斗はあちこちに身体をぶつけて痛みにうめいた。

 捻挫と打撲、打ち身に擦過傷、あるいは脳震盪の兆しまで感じる――

 

 それでも気合いで闘志を奮い立たせ、地に四肢を突っ張って強引に機体を起こした。

 宙を大薙ぎにする裏拳を一閃し、怪鳥を墜ち落とそうとするが、その軌跡は土砂と粉塵の幕を切り裂くだけだ。

 寸前でエックスから三本足を放し、ひらりと舞うように空へ離脱されてしまう。

 

 さらに、間を置かず。

 

「っ!」

 

 右肩部に衝撃。

 直撃はしなかったが、どうやら猿の魔物の投石がかすめたようだった。

 舞い上がった砂礫の暗幕が、鋭く一本線を引くようにそこだけ晴れる――

 

「――グガアアァァァァッ!」

 

 そして、その裂け目を押し広げるようにして、あの魔犬ケルベロスが突っ込んできていた。

 海斗はギリギリで、エックスの機体を傾けてやり過ごそうとしたが……ダメージの蓄積した機体では、完全にかわすことはできなかった。

 三つの首すべてで左腕に噛みつかれ、身動きを封じられる。

 

「ちぃっ……! こぉンの!」

 

 振りほどこうと足掻くのだが、手負いの獣ほど厄介なのは至極道理であり、異常な執念で食い下がられてケルベロスの牙を引き剥がせない。

 そうして強引に動きを硬直させられたところに。

 

「クキェェエエエッ!」

 

 あのバケモノ鳥が、また背後から奇声を上げて飛び掛かってくる。

 三本の鉤爪の脚が、後ろ首と頭、そしてケルベロスとは逆の右肩をがっちり掴んで、機体を半ば吊り上げるような格好で拘束した。

 地に足がつかず踏ん張りが効かない上に、二体の魔獣に組みつかれて、完全にエックスの動きが止まる。

 

 そして、敵はこの二体だけではない。

 

「……おいおいマジかよ」

 

 粉塵が薄らぎ、視界を遮るものがなくなった向こう側で、待ち受けていたのは……

 長大な丸太を両腕で抱えた、寸胴の猿の魔物の姿だった。

 そこからどんな攻撃を繰り出してくるのか、嫌でも想像がつく。

 

 猿が短く野太い足でドスドスと激しい地鳴りを上げ、巨木を長槍のように構えたまま突進してきた。

 

「…………ッ!」

 

 まともに食らう。

 機体の正面、土手っ腹の真ん中に重く鈍い衝撃が叩きつけられ、エックスの全身が痙攣するように激しく震えた。

 両腕を封じられたままの体勢で、避けるどころかガードさえできない。

 

 舌を噛まないよう、強く歯を食いしばりながら、それとは別に胸中で歯噛みする。

 

(こいつら、戦い慣れてやがる――連携に無駄(タイムラグ)がねえ!)

 

 癪だが、認める。

 紛れもない強敵だ。

 

 三体の魔獣それぞれの隙をカバーする動きは、おそらく高度に訓練され、練り上げられた戦法と戦型だ。

 異なる魔物同士に連携の発想力はない、とどこかで誰かに聞いた覚えがあるが――目の前の窮地がその反証だった。

 単なる即興や野生の勘というだけでは説明がつかない。

 

(せめて……せめて一瞬、一呼吸、連携を崩さねえと……!)

 

 だが、ないものねだりに応えるのは無情な現実だけだった。

 二度、三度と破城槌のような一撃を叩きつけられ、そのたび機体全体に壮絶な衝撃と振動が襲う。

 さらに大猿が、抱えた巨木を全身のひねりごと大きく振りかぶると――

 

 横殴りに頭部を、エックスの操縦席のある位置を思い切り強打され、破壊的な激震がコックピット内を走り抜けて蹂躙した。

 

「が、ハァッ!?」

 

 こらえきれずに、海斗は血の塊を吐いた。

 正面モニター画面の端が赤く濡れるが、無数に走る警報音(レッドアラート)に紛れて、その色も半ば埋もれている。

 舌を噛んだとかその程度の量ではない。

 あばらの二、三本は()ったかもしれない。

 

 まずい状況だ……言うまでもなく。

 それでも海斗は反撃の活路を求めて、かろうじて右腕の先を前へ向けた。

 

「ク、ロ、ス……カッター、パンチ……ッ!」

 

 拘束の隙間から片腕を突き出し、猿の魔物へと狙いを定める。

 武装桿を、半ば寄りかかるようにして倒しながら、強壮推進剤の白煙を吹かして右拳を発射した。

 

 しかし、その寸前で巨大鳥が抵抗の気配を察したのだろう、ひときわ強く羽ばたいてエックスの巨体を揺るがした。

 そのせいで狙いが狂い、飛翔する鉄拳はわずかに(マト)を外して、猿の魔物の脇をかすめて遥か後方にすっ飛んでいく。

 

 決死の反撃が、すかされた――いや、それのみならず。

 

「キィエェェェェェェェ――ッ!」

「がっ……!?」

 

 鳥の魔物が大口を開け、凄まじい金切り声で絶叫を上げた。

 瞬間、海斗の頭が直接殴りつけられたように、バグンと跳ね上がる。

 

 音と景色が一瞬で吹き飛び、感覚器官のすべてが白い闇に染まる。

 そのまま意識を失い、気絶しかけて――

 

『――海斗! 海斗っ!』

 

 その瞬間、クオの声がギリギリ耳に滑り込まなかったら、完全にアウトだっただろう。

 すんでのところで意識の()を掴んで締め直し、頭の中に活を入れて叩き起こす。

 

 クオに叫んだ。

 

「……ポンコツ! 俺は今、何秒オチてた!?」

『コンマ0.2秒です! それより、既に機体のダメージは限界寸前です。脱出を!』

 

 クオが警告を発する。

 AIのくせに器用に、焦り顔が目に浮かぶような切迫した声で。

 

 だが、海斗は。

 

「脱出……? 誰がするかよ。俺はまだ負けてねえ!」

『ですが、もはや反撃の手立ては』

「負けてたまるかよ! そうじゃなかったら」

 

 もう一撃、猿の重々しい丸太攻撃を受け、ついに前面の装甲が半ば以上まで砕けた。

 機関と動力部までを一部露出させながら、それでも、なお。

 

「……エックスを、失ってたまるか。帰る手立てが――元の世界との、繋がりが――なくなっちまうだろうが!」

『馬鹿ですか海斗(マスター)、命あっての物種でしょう!』

「馬鹿で結構、喧嘩上等ッ! 命も賭けられねえ腑抜けな覚悟でエックス(こいつ)になんて乗ってられるかよ!」

『わけの分からないことを……』

「物分かりのいい鉄海斗なんてなぁ、気持ち悪くて願い下げなんだよっ! なあ、そうだろうが、違うかよ!?」

 

 言い合っている間にも、当然敵は攻撃の手を緩めない。

 猿の魔物が助走距離を取り、ついにはトドメの一撃を放たんと、分厚く重い巨木の得物を構え直している。

 

 その先端、既に死に体のエックスを粉々に打ち砕かんと唸る大破壊の一閃が、豪風をまといながら迫りくる――

 それを目前に、はっきりと目を見開いて見据えながら、海斗は強く拳を握った。

 

 なにへ触れたのでもない、虚空を掴んで握っただけだ。

 そんなところになにか都合の良い逆転の策や、反撃の活路が浮かんでいるわけもない。

 

 ただ――

 

「俺は負けねえ……俺は勝つ! やってみせろよエックスっ! 俺と、お前の、意地と道理で――」

 

 ただその、なんの根拠もない言葉と、理屈などではない強烈な自負を。

 握り、そして目の前に迫った絶死の瞬間へ目掛けて、(から)の拳に込めて打ち放った。

 

 その瞬間だった。

 

(――――ッ!)

 

 胸の内で、海斗は確かになにかに触れた。

 

 それは絶対の力の予感。

 強く、(はげ)しく、はなはだしく、(くう)(はし)って(きょ)(くだ)く、熱い血潮にも似た奔流だった。

 風より速く、光よりまばゆく、輝けるほどに凄まじい力の波動。

 

 天の鉄槌――裁きの威光!

 

 確かに掴み、まとめ上げた未知なる力の感触とともに、叫んだ。

 

「――意地と、道理で、推して参る! うおおおおおっ!」

 

 刹那、海斗の内面で燃え上がった力が、より巨大な波動となって弾けてスパークした。

 紫電のごとくに鋭く煌めき、瞬いたその力と波動が、エックスの全身を通して爆発するように全方位へと拡散する。

 

 無論、それは直接機体に触れていた、二体の魔物を真っ先に貫いた。

 

「ギ、ギャヒィィィ!?」

「グェア……ッ!?」

 

 わめくような悲鳴を上げて、ケルベロスと怪鳥がそれぞれ地に潰れ、空へと吹き飛ばされる。

 完全な不意打ちだったのもあるだろうが、突如エックスからほとばしった豪雷の衝撃に耐えきれず、組みついていた機体各所から弾き飛ばされたのだ。

 

 クオが、つぶやくように電子音声をこぼした。

 

『この力は……まさか、魔法? いったいなにが』

「知るかよ! 前見ろ、前!」

 

 忘れていたわけもないが、眼前には猿の魔物が突き出す巨木の矛先が迫っている。

 魔犬と怪鳥の拘束は振り切ったが、機体のダメージは依然として残ったまま。

 もう一撃でも直撃を許せば、それでエックスは完全に破壊されて、機能を停止した鉄の棺桶に成り果てるだろう。

 

(それでも、ないはずの隙ができた――なら、ほんの一瞬で、十分!)

 

 こんな状態になっても機体はまだ動く。

 大した整備の腕前だと、どうやら口先だけではなかったらしい眼鏡(美)少女を心の内でこっそり褒めておく。

 

 操縦レバーを強く握り込み、海斗はかっと目を見開いた。

 

「――――っ!」

 

 刹那の見切りで、傾けた機体のすぐ脇を巨木がかすめていく。

 ギリギリ危ういバランスを保って、海斗は即座に反撃した。

 

 必殺の一撃をすかされ、前のめりになった猿の魔物の顔面へと(というか三等身のほぼ全身だが)カウンター気味に左拳を叩きつける。

 その直撃の瞬間、まったく同時のタイミングで、レバーの先端スイッチを押し込んで叫んだ。

 

サイクロン(『X-y』clone)――クラッシャー(Crusher)ッ!」

 

 クロスカッターパンチと同じ原理と機構で、前腕部の推進剤が爆発するように白煙を吹き上げ、しかし拳を撃ち出すのではなくその場で威力を炸裂させる。

 高速で回転する左腕部、急加速して叩きつけられる螺旋打拳(コークスクリュー)の破壊力を受けて、猿の魔物は一撃で粉砕(・・)された。

 

 顔面のど真ん中、人間なら人中(じんちゅう)に当たる位置の急所を大きく抉られ、貫かれ、ブチ抜かれて、断末魔の声すらなく大きく吹き飛んだ。

 幾分か軽くなった巨体が地に落ちて、轟音と振動があたり一帯に走る。

 

(まず一匹!)

 

 胸中で快哉のように叫びながら、海斗は一拍だけ待った。

 猶予や容赦ではなく、先に撃ち出して空を切った右拳が、逆噴射して手元にもどってくるのを待ったのだ。

 

「次っ!」

 

 右腕が接続するや否や、即座に機体をひるがえし、機体を大きく横に跳躍させる。

 ちょうどその位置を、巨大な黒い影が通り過ぎていく――さっき弾き飛ばしたケルベロスが怯まずに身を起こし、死角から飛び掛かってきていたのだ。

 突進を先読みして機体をかわさなければお陀仏だっただろう。

 

「はっはーん、見上げたタフさと根性だな、ワン公! でもなぁ!」

 

 横倒しの体勢のまま、エックスの両拳をガツンと打ち鳴らす。

 十字刃を展開しながら両腕を突き出して、叫んだ。

 

「いい加減ワンパターンなんだよ、てめえの動きなんざとっくに見切ってるっての!」

(ワン)だけに、ですか?』

「ダジャレはいいが、狙いまで外すなよクオ! 特殊照準機動(スナイパーキット)偏差打撃補正(ターキーストライク)予測機構展開(バレルイマージュ)! ぶっ飛ばしてぶっ倒す!」

 

 再充填された強壮推進剤が唸りを上げ、双腕が凶猛に暴れ廻って、吠える!

 

『クロスカッターパンチ、アンチ(A)ビースト(B)マニューバ(M)モードで発射』

打撃()てぇぇぇ!」

 

 大気の層を貫き、一対の剛拳が飛翔する。

 

 ケルベロスは……無論、それをかわそうとしたはずだ。

 実際に地を蹴って跳躍もした。

 開幕の一発を避けられた時と同じ構図と展開、ゆえに、それで終わるはずの攻防は――

 

「ギ――!?」

 

 だがしかし、ここに違う結果を残す。

 

 空を切るはずだった拳は、寸前であり得ない角度と方向に向きを変え、弧を描きながら急旋回した。

 左右の拳が宙で激突し、弾き飛ばし合ったことで、無理矢理にその軌道を変えたのだ。

 真横へ跳んで避けていたケルベロスの脇腹を、まるきり追尾するように追い込んだ左の拳が正確に捉えてミシリと軋ませ、天高くへまで打ち上げて――

 

 そして、次の瞬間に追いついた逆の右拳が、その身体を粉々(ミンチ)に打ち砕いた。

 花火めいて四散したどす黒い血が、あたりの大地に雨のように降り注ぐ。

 

「これで――二匹!」

『海斗! 敵影接近!』

 

「グケェェェェェーッ!」

 

 まったく間を置かず、宙空から急襲された。

 最後に残った巨大な怪鳥が、地に倒れたままでいたエックスの身体にのしかかり、三本の鋭い鉤爪を装甲に食い込ませてくる。

 

 衝撃と激震がコックピット内にまで伝わるが、それが収まるのも待たずに、怪鳥が大きく翼を広げた。

 (ごう)っ、とそのまま羽ばたいて、エックスを抱えて飛び上がる。

 

 さっきと同様、空高くから急降下して地面に叩きつけるつもりだろう。

 今の穴だらけの装甲でそれに耐えられるはずもない。

 

「クァァ――」

 

 のみならず、怪鳥はそこで大きく口を開き、大量の空気を吸い込んだ。

 これも覚えのある動作だ。

 金切り声の絶叫――おそらく、超音波の類を標的にぶつけて、三半規管を直接破壊するという攻撃なのだろう。

 

 相手が生物であればまず防ぎようのない、ほとんど必殺のような技だ。

 ましてや、今のコックピット遮蔽の破損したエックスでは、海斗に身を守る(すべ)はない。

 

 呼吸で一回り膨張した格好の怪鳥が、息吹を殺意の形にして放つ、その瞬間。

 

「キィェェ――」

()ぁぁぁつっ!!!」

 

 そこへ被せるようにして、同時に、海斗は気迫一閃の大音声を張り上げた。

 裂帛の気合いで怪鳥の爆音反響攻撃を耐えて、跳ね返し、真正面から切って落とす。

 

 サイズ差の肺活量を考えれば、こんな力技で張り合えるわけはなかったが、そんなものは向こうの都合に過ぎないし、知ったことではない。

 現に、海斗は意識を保ったまま、怪鳥の姿を(しか)と見据えている。

 無茶の代償に喉が破れて張り裂け、舌に血と鉄の苦味を感じて、耳から血しぶきがはね飛んだような気がするが委細構わない。

 

 戦闘続行だ。

 いいや、題をつけるなら“トドメの時”か。

 

 さしものバケモノ鳥も、驚愕の表情を浮かべる――ただの鳥どころか、魔物の表情などまともに読めるわけはないのだが、それをはっきりと正面モニターでも捉えている。

 牙をむくように笑って、余裕でそれを見返し、クオが静かに告げるのを聞いた。

 

『ブラスター、エネルギーチャージ100%完了しています。仮想誘導砲門――』

「いらねえだろ、ゼロ距離だぜ。目をつぶってても当たるっての」

『言ったほうが格好良くないですか? 海斗(マスター)

「なるほどな? 珍しく一理あるじゃねえか」

『恐縮です』

 

 そして、仮想誘導砲門を展開する。

 照準角垂直正面、天の彼方へ、地平を撃つ!

 

『エクスブラスター――』

「くたばりやがれぇぇぇぇぇっ!」

 

 撃ち放たれた紅蓮の爆光が、摂氏6万℃を超える極熱と衝撃波が、異形の怪鳥の首から下を丸ごと呑み込む。

 魔物の巨体が溶けるように消し飛び、宵の空へ砕けて弾け散った。

 

 きっちり三匹、仕留め切った――

 

 もはや余力もない。

 機体のエネルギーは底をつき、装甲強度低下とともに計器とモニターの警告表示が点滅している。

 

 それとは別に、『Q』のマークのアイコンがちかちかと瞬いて、クオが声をかけてきた。

 

『ところで海斗――この後なのですが。着地はどうするんですか?』

「……………………あっ」

 

 一寸、弛緩しかけた空気が、再び切迫した緊張感を走らせる。

 言うまでもなく今の座標は高高度、巨鳥に持ち去られたところから解放されたはいいものの、自由落下に身を任せている状況だ。

 

 海斗は、身も蓋もなく大慌てでわめいた。

 

「どうするって、どうすりゃいいんだよ! このままじゃめちゃくちゃダサい感じで死ぬぞ、俺! あわわわわ」

『やれやれ。最後の最後でいつも、どうしてだか締まりませんね』

 

 器用に嘆息の気配を示してから、『Q』のアイコンが強く発光する。

 それと同時に、バシュンと機体本体から頭部フライヤー部分が分離射出された。

 

『リターンクリスタルモード、起動――私は一足先にレムリアのところにもどります。帰りの足はそちらでなんとかしてください』

「なんとかって……うおい!」

 

 文句を言う暇もなく、エックスの胴体部分が一瞬で光子分解され、輝きに呑まれた次の瞬間には巨体がぱっと消失していた。

 召喚権限(サモン・コール)の応用、というか裏技のようなもので、今の拠点であるハイペリオン城へと転移したのだ。

 ただし、エックスの機体部分と、クオの本体である∞チップだけがだが。

 

「だーもう!」

 

 放り出されたフライヤーの中で、海斗は慌ててレバーを握り変えた。

 飛行モードに切り替えつつ推力を吹かして、ユニットの体勢を整える。

 そのまま減速し、心もとない緊急用燃料と推進剤をやりくりして、着陸までの工程をなんとかこなした。

 飛行訓練課程も過去に一応は受けていたが、いざ実践するとなると必死だった。

 

 地に降り立って、ともかくこれで、一応のケリはついた。

 とはいっても、事実としては荒野のど真ん中にひとり、置いてけぼりで取り残されたようなものだったが。

 

 見回しても、戦闘の爪痕でズタボロになった荒れ地が広がっているだけで、本当にひとりぼっちだ。

 もうフライヤーを飛ばす燃料もなく、村まで帰ろうにも徒歩しか手段がない。

 負傷と疲労のせいでそれも怪しかったが。

 

「……なんとかマンフレートたちに見つけてもらわないと、下手すりゃここで野垂れ死ぬんじゃないか、俺」

 

 わりと切実に危機的状況だ。

 なんかもう、格好悪くてもこの際、まったく仕方なく――

 

 海斗は、助けてくれと神に祈った。

 

 

 

   ◆◇◆◇◆

 

 

 

「……切り抜けたか」

 

 そしてその様を、戦闘の一部始終までを、見届けていた孤影があった。

 

 遥か遠く、切り立った断崖の上に立ち、傲然と見下ろす獅子面の男。

 大熊をも優に超える筋骨隆々たる巨大な肉体に、炎のように逆立ち荒ぶるたてがみ、額から刃のごとく突き出す湾曲した二本角を持つ獣人である。

 

 身体中に無数に刻まれた古傷の痕は、如実にその孤影の在り方を示していた。

 有り体に言えば、武人――あるいは強者(つわもの)、あるいは戦士(ますらお)、そしてあるいは、阿修羅神(アスラ)と呼ばれる類の存在。

 闘争を生業とする者の中でも、護る者ではなく奪い殺す者、悪鬼羅刹として君臨する暴と凶を体現したようなたたずまいだった。

 

 むべなるかな、その男を呼び表すこの地における魔名(しんじつ)は、ジハード――

 四天王とも()われる絶対悪の一角にして、その中でも最も苛烈で獰猛な殺戮者。

 炎の獣将という二つ名そのままの、業火の熱気と猛獣の激しさを形にしたような風貌は、一睨みするだけであらゆる人も獣も屈服させるであろう威圧感をみなぎらせていた。

 

 その(あか)く燃える野獣の眼光を、しかしジハードは、今は瞼を下ろして遮った。

 必要なものはすべて見終えたというように。

 あるいは、その滾る闘志と狂気を、そうすることで抑え込むように。

 

 だが、きびすを返した一歩のその脇で、巨大な(いわお)にビシリと巨大な(ひび)が刻まれた。

 のみならず、亀裂は見る間に巨大な岩の中心を走り抜け、縦断し、とうとう真っ二つに引き裂いて断割する。

 

 まるで見えざる獣の牙が突き立ち、大岩を穿ったように――

 閉ざした視界からこぼれ出した闘気の片鱗、それに()てられただけで、断崖の一角が削れて崩れ落ちたのだ。

 

 その鈍く()ぜるような大岩の絶叫を、聞くともなしに聞くようにしながら、ジハードは暗く静かにつぶやいた。

 

「異界よりの者……少しは楽しめるかもしれんな。あの巨人、俺の渇きを癒やすに足るほどか。いずれにせよ、下等なヒトどもに(くみ)するならば、それは俺たちに仇為(あだな)すということ……」

 

 ならば、殺す理由には十分だ。

 闘争(たたか)う意義はそれだけだ。

 主君たる魔王ザハランの覇道を阻む者、それは(ことごと)く滅し、打ち砕き、獣の軍勢の流儀をもって喰らい尽くすだけだと――

 

「砕け散らしてくれる」

 

 燃え上がり、そして滾り落ちる獣王の唸りに(おのの)くように、その背後で岩雪崩れの音が大地の叫喚めいて激しく轟いた。



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#14 英雄鼓舞

 村外れの騎士団の拠点。

 その一角にある、とある天幕(テント)の中で。

 

「貴公、もしかして阿呆なのか?」

 

 ほとんど出し抜けのように、青年騎士にそう言われた。

 

 海斗は、しばし視線を宙に泳がせて――考え込んで――それでも心当たりと言えるものは見当たらず、首を傾げることになった。

 ぼんやりした声で問い返す。

 

「……なんでだ?」

「何故と聞くか。いや、そうだな。貴公がそういう性質(たち)なのは分かっていたのだがな。うまく皮肉が通じないものだな」

「俺が悪いのかよ? そっちに皮肉のセンスがないだけだろ」

「そんなことが得意な騎士などいるものか……いや、それはどうでもいい。つまりだな」

 

 と、マンフレートは、テントの中の簡素なベッドに横になっている海斗の全身を眺めるようにしてから、

 

「なにをどうすれば、そんな生きたままで怪我まみれに傷だらけの姿になれるのだ? 普通なら死んでいるものを。不死身というよりいっそ不気味ですらある」

「ひでえ言われようだな。しょうがないだろ、あんな魔獣を三体も同時に相手したんだから」

「それもにわかには信じ難い事実だったがな。ジハード軍があれほどの戦力を繰り出してきたこと、それがこんな王都の間近に迫っていたこと……そして、それを貴公が、単身ですべて倒してしまったことも」

「ふふん、まあな。楽勝だったぜ」

「その(ざま)で言えたことか?」

 

 呆れたようにマンフレートが嘆息する。

 まあそれはそうだろう。

 今の海斗は頭からつま先まで包帯にくるまれ、添え木やら固定具やらで半ばベッドに縛り付けられているような有り様なのだから。

 余裕をかますにしても格好が追いついていない自覚はある。

 

 それでも海斗は余裕げに、鼻で笑った。

 

「大げさなんだよ。こんなもん(ツバ)でもつけときゃすぐ治る。自慢じゃないが、元の世界じゃこの程度は日常茶飯事だったぜ?」

「本当にまったく自慢ではないな。だが、とにかく今は安静にしていろ。医療物資もなにも足りていないのだ、半死人にこれ以上付ける薬はないぞ」

「だから、平気だって言ってるだろ」

「……それほど村のことが気がかりか?」

 

 神妙に表情を改めて、マンフレートが言ってくる。

 

 思いがけず本音の部分を突かれて、海斗は口をつぐんだ。

 青年騎士が、やはりそうかとつぶやいた。

 

「心配するな、荒野の民はみなタフだ。あんな程度でへこたれるほどヤワではない。どのみち海斗、既に貴公はあの恐るべき脅威を退けているのだ、これ以上出る幕はない」

「なんだよー。てっきり勝利の宴会でも盛大に開いて、それはもう丁重にもてなしてくれるもんだとばかり」

「下手な冗談を言うな。そんな余裕がないのは分かっているはずだ」

「まあ、そりゃそうなんだけどな。だけど、そんな時ならなおさら、俺が一席()って雰囲気だけでも盛り立てなきゃ駄目だろうが。違うか?」

「もっともな意見だな。だが問題は、その勝利の立役者がそんな半死人の情けない体たらくであることだ。そんな姿に民衆が勇気づけられると思うか?」

「…………」

 

 ほとんど見透かされたような物言いに、今度こそ黙り込む。

 一理ある言葉、どころではなく、ほぼ単なる事実だったからだ。

 

 マンフレートがまたひとつ、ため息をついた。

 

「貴公は為すべきことを成した。だから、あとは我々騎士団の仕事だ。村の引き続きの警護も、再建の支援の手配も。そして、鉄海斗の王都までの移送もな」

「……分かったよ。ったく、面倒見のいいことで」

「それが私の役割だからな。レムリア様から直々に言付かったのだから無為にはできん」

 

 生真面目にそう告げて、マンフレートはテントの裾に手をかけた。

 もう行くつもりなのだろう。

 

 と、最後に聞き残していたことを思い出して、海斗はその背に声を向けた。

 

「なあ。最初に村に着いた時、話をした女の子がいただろ? あの子を庇ったっていう兄貴はどうなった?」

「ん? ――ああ、無事だよ。危ないところだったが医療班が間に合った。今後の生活には多少なり差し障りが出るかもしれんが……」

「……そうか」

「あまり背負い込むな。貴公はよくやった。それに、荒野の男はタフだと言っただろう。あの程度の怪我や逆境でへこたれたりはせんよ」

 

 と、一息ついてから言葉を継いでくる。

 

「王都からの救援の部隊も、明日には到着するだろう。それと交代で我々はハイペリオン城へ帰還する。そういう手筈だ」

 

 言い置いて、マンフレートは傷だらけの村のほうへと戻っていった。

 

 

 

 その言葉の通り、翌日の昼には王都から新たな馬車隊がやってきた。

 現場から飛ばした早馬の要請に応えて、救援物資や医療品、食糧の類を満載して。

 

 しかし、村人全員分を(まかな)うには当然足りないだろう。

 小さいとはいえ、五百を超える人口の村がほぼ壊滅状態とあっては、補給品はどれだけあっても足りるはずがない。

 王都の蓄えにも限界があるだろうし、仮にすべてをなげうってこの村を救ったところで、また別の村や町が魔物に襲われればそちらをフォローできなくなる。

 

 つまりこの村は、これから一刻も早く復興しなければならない。

 魔物の群れの脅威が去ったとはいえ(あれから騎士団が改めて攻め込み、巣に残っていた引き裂き獣どもを掃討した)、このままなら村人は飢えて死ぬだけだ。

 

 今一時を凌げばいいという話ではない――

 なのだが。

 

「ちくしょう……いったい、どうしてこんなことに」

「もう駄目だ。この村はもうおしまいだ。あんな化け物どもがまた襲ってきたら――」

「でも、どこへ逃げたら……移住できる余裕のある村なんてないのに」

「痛い、痛い……ううっ……」

「助けてくれ、助けてくれ騎士様……神様ぁ……」

 

「…………」

 

 通りや家々の中に響いているのは、覇気のない痛みとうめきの声。

 すべてがすべてではないにせよ、伝わる空気は悲痛そのものだ。

 傷だらけの村に復興の兆しはいまだ遠く、残酷な陰りだけを残して戦闘の傷痕を生々しく刻みつけている。

 

 テントから無理やり抜け出した先で、海斗が見た光景はそんなものだった。

 マンフレートが嘘を言っているのは分かっていた。

 荒野の民がどんなに強くとも、あれほど巨大な恐怖と脅威に間近でさらされて、平気でいられる人間は決して多くない。

 依って立つ寄る辺がなければ、人の心はあまりに脆い。

 

 そして一方で、マンフレートの言うことも一面として正しいのだ。

 これほどの惨状の中では、海斗にできることはなにもないに等しい。

 声を上げたところで、所詮は通りがかりの余所者にすぎない鉄海斗では、彼ら彼女らの心の支えになれるはずもないのだから。

 

「……嫌なもんだな。いっそ、見ないで済むならそっちのほうがマシだったか」

 

 そんなわけに行かないのは自分で分かっていたが、気が滅入って言わずにいられなかった。

 

 無力さを噛み締める。

 正義感なのか同情心なのか、その区別も判然としなかったが。

 

 そんな時だった。

 

「――海斗! ここにいたんですか」

 

 ふと横合いから声をかけられて、海斗はそちらに振り返った。

 

 意外な声ではあったが、そちらからやってきたのは見知った顔だった。

 アトラである。

 

 マントを羽織っているが、その下には例の騎士甲冑を着込んでいた。

 それでも重量を感じさせない機敏な足取りで、こちらへ駆け寄ってくる。

 

 何度か目を瞬いてから、海斗はぽかんと口を開いた。

 

「……アトラ? なんでここに? お城のほうはいいのか?」

「大規模な戦闘があったと聞いて、救護隊と一緒に急遽駆けつけたんです。あと、どうしてここにはこっちの言い分でしょう。テントで身体を休めているはずじゃなかったんですか」

「あー……」

 

 実際、怪我を押して村の様子をのぞき見に来ていたのだが、まさかそれを指摘されるとは思わなかった。

 なにか誤魔化そうとしてから、アトラにそれを遮られた。

 

「言い訳なら結構です。村を心配してくれた、というそれだけでしょう。それより、私はあなたを探していたんです」

「なんで?」

 

 訊き返してから、さっきから質問してばっかりだなと気づいたが。

 アトラは気に留めた様子もなく、早口に告げてきた。

 

「この村を救う(・・)ためにです」

 

 

 

 それから間もなく、村で一番大きな広場に村人たちが集められた。

 広場といっても特別な設備や仕切りがあるわけではなく、ただ、大きな倉庫の入口前というだけだ。

 

 集まった村人も五百人全員ではなく、招集に応じられるだけ負傷が軽かった者だけだろう。

 ざっと百人ほどか、もう少し多いかもしれない。

 

 呼びかけには騎士団員たちが当たったのだが、なんにせよ、やってきた村人たちの表情はどれも暗いものばかりだ。

 無理からぬことだろうが、まばらに集まった人々の顔はほとんどがうつむいている。

 そしてそうでないわずかな例外は、騎士団員のほうを恨みがましく睨んでいた。

 

 その気持ちも分かる。

 実際のところ、派遣された騎士団の第一波がほんの数時間早く村へ到着していれば、人にも村にも資源にもこれほどの被害は出なかったはずなのだから。

 それについては海斗も内心、忸怩(じくじ)たるものを抱えていたが……

 

「ちくしょう――なにが王国、なにが騎士団だ!」

 

 そして、広場で真っ先に上がった声は、そうした手合いのひとりが発したものだった。

 ただの怒声だが、そこにあるのは敵意ではなく失望か。

 というより、声を放った男の表情をちらりと見れば、むしろ純粋な悲しみなのではないかとも思えたが。

 

 居並ぶ騎士団員たちが気まずげに身動ぎする。

 海斗はその背中を後ろから眺めていた。

 そしてその向こうで、また別の村人が声を張り上げた。

 

「小麦や、畜産、材木――俺たちの村から税を取っているくせに、肝心な時に、窮地の時には守ってもくれないのか! 俺たちに野垂れ死ねっていうのか!」

「そうだ……ああ、そうだ、村がこんな状態じゃ、もう冬は越せない。冬まで保つかも分からない!」

「全部お前たちのせいだっ! ちくしょう、ちくしょうー!」

「だ、だが我々が来なければ、被害はこんなものでは――」

 

 弱々しく抗弁する声が、騎士の中から上がった。

 しかし。

 

「こんなものでは、なんだっていうんだ! この程度で済んでよかったと、生きているだけで幸いだとでも言うのか!」

「血を流したのは俺たち荒野の民だぞ! 俺も娘を、ふたりの娘が……!」

「魔物が現れ出したっていう報せを送ったのだって、もう一年も前だっていうのに――それを――こんな今さらのこのこ現れて、お前たちはなにをしに来た! 物見遊山の観光のつもりか、その剣と鎧は飾り物なのか!?」

 

「…………」

 

 今度は誰もなにも言えなかった。

 図星だったのとも、相手の勢いに押されたのとも少し違う。

 彼らの心中は、おそらくきっと、ただ村人たちを痛ましいと思う気持ちだけでいっぱいだったはずだ。

 

 半端になだめるようなことも、反論して押し潰すこともしない。

 ただその怒りを、悲しみを受け止める。

 それくらいしか彼らに報いる(すべ)がないことを、この場の全員が分かっているようだった。

 

 無論、それは海斗も同じだ。

 

「俺たちは……俺たちの手で、ずっと村を守ってきたんだ! あんたたち騎士団の力を借りるまでもなく。だけど」

 

 しかし、そんな村人たちの勢いも長続きはしなかった。

 失ったものが多すぎたのだろう。

 

「ちゃちな魔物の群れくらいなら、追い払うのは難しくなかった。だけど……あんな、山みたいに馬鹿でかい魔物が襲ってきたら、勝てるわけないって思い知らされたんだ! しかも、村を襲ったのよりもっとでかいやつらが、すぐ近くで暴れてたっていうじゃないか!」

 

 そう。村を襲ったのはあの大型の魔物、ギガントバックスとやらいう、引き裂き獣の親玉だった。

 そしてそんな怪物ですら、海斗が戦った三魔獣の前では、前座も同然にあしらわれて惨殺されてしまったのだ。

 

「……俺は。俺たちは……」

 

 最後はもう、自分の声に押し潰されるようにして、言葉は続かなかった。

 

 ――無力だ、と。

 それを認めるのがどんなに惨めなことか、海斗には到底分からなかった。

 

 そんな時だった。

 

「果たして本当にそうでしょうか」

 

「え?」

 

 という声は、ほとんどその場の全員の疑問だった。

 

 誰となしに、いいやその場の全員が一斉に振り返る。

 その先に。

 

「この倉庫……食糧庫ですよね。古いですが良い造りです。強固で、頑丈で、しなやかで」

 

 アトラだった。

 いつの間にそこに現れたのか――というより、どうしてこれまで誰も気に留めていなかったのか、それが逆に分からないほどの存在感を示しながら。

 言うように、広場に佇立する大型の倉庫に手を触れながら、不思議なくらいよく通る声で続ける。

 

「この爪痕、大型個体(ギガントバックス)のものですね。立て続けに何度も襲い掛かったようですが、倒すことができずに諦めて引き返した――そんなところでしょうか」

 

 ざわ……と、村人たちの間に動揺が走る。

 アトラがまるでその場を見ていたかのように明瞭に告げたからだろうが、軽く見やった程度で当時の状況を検分してみせるなど、並の洞察力ではない。

 

 声は静かに、しかし深く浸透するように、アトラの言葉は続く。

 

「並大抵のことではありません。大型個体(ギガントバックス)は騎士団が中隊規模で戦ってようやく倒せるかという魔物です。それを相手に、あなたたちは――あなたがたの造ったこの倉庫は、守り抜いてみせたんです」

「そんな、いくらかの麦や食べ物が残ってたって、どうせこの村は――」

 

 反射的に、だろう。

 村人のひとりが食ってかかっていった。

 

 しかしアトラは、静かにその村人の目を見据えると、力強くかぶりを振った。

 

「いいえ、それだけじゃない。村の防護柵は、流れに沿って倒されていた――つまりは、直しやすいように。魔物の襲撃をその形に誘導したんでしょう。作物は荒らされてしまいましたが、井戸の水は無事でした。川の水源を守るために戦った自警団の方たちがいたと聞いています」

「な――」

 

 滔々とよどみなく告げるアトラの声に、自然、その場の全員が聞き入っていた。

 それほどに力強く、そして美しい声だった。

 まるで歌のように。

 まるで天啓のように。

 

 すっかり静まり返ってしまった聴衆。

 それをゆったりと、透明な眼差しで見回してから、アトラが続けた。

 

「あなたたちは無力なんかじゃない」

 

 はっきりとそう告げた。

 有無を言わせない、強い意志のこもった言葉だった。

 

「この倉庫はその証明だと、私はそう思います。食べ物があれば、人は立ち上がれる。壊れた柵を編み、川から水を引いて、また何度でも麦や作物を育てればいい。あなたたちがそうやって、ずっと戦ってきてくれたのを――私は、片時だって忘れたことはない」

「お――おお――」

 

 その言葉に、村人たちの目に、心に。

 その意思に、灯火のような熱が宿るのを、海斗は肌で感じ取った。

 あるいはそれは、この場にいる騎士団全員が感じたことでもあっただろう。

 

 アトラが、鎧の上に纏っていた白金色のマントを大きく翻すと、降り注ぐ太陽の光が反射してきらきらと舞い上がった。

 まるでその輝きが、空にまで羽根を散らすように。

 

「無力でないあなたたちが支えてくれるから、私たちは戦える――あなたたちが強く在るから、私たちも強くなれる。あなたたちの心が折れない限り、私たちはきっと勝ち続ける! いつの日か、世界に平和が訪れる、その日その瞬間まで!」

 

 それが騎士団。

 それが王国。

 いいや、それがハイペリオン王国第一王女、アトラなのだと、まるで天下に謳い上げるように。

 

「だから――力を貸してください! 平和を望み、求める意志を、私と志を同じくするあなたたちの力を! ひとつひとつはか細い糸でも、紡ぎ、(あざな)えば、それはきっと強靭な大綱(たいこう)になる。大いなる意志、大いなる希望へと!」

 

 小さな熱は、次第に熱狂へと変わり始めていた。

 暗く沈んでいた村人たちの顔は、既にひとつもうつむいてなどいない。

 前を見て、アトラの立つ姿を見て、そこに強い希望を見出している。

 

 そして、それは海斗も同じだった。

 アトラの声には力があった。

 まるでそれに()てられたように、炙り立てられたように、どこかで萎えて諦めかけていた心が、かっと熱く燃え上がるのを感じていたのだ。

 

 それはなにか懐かしい、不思議な感慨を呼び起こす感覚で――

 

(――ああ、そうか)

 

 不意に、海斗はその感情の正体を悟った。

 

(あいつの声、博士(オヤジ)を思い出すんだ)

 

 似ているところがあったわけはないのだが。

 元の世界でエックスを造り上げ、Dr.ゼロの脅威に抗い続けた、もうひとりの天才科学者――

 身寄りのない一匹狼だった鉄海斗を見出(みいだ)し、意地を通すための道理を教えてくれた、あの蛮堂(ばんどう)一風(いっぷう)博士に。

 

 ひどく郷愁を掻き立てる熱情を乗せて、アトラの声がまた一段と強く響く。

 

「そして、その希望はきっと――彼の胸にも火を灯すでしょう。あの巨大な魔物たちを幾度も退けた、黒鉄の勇者。あの鉄海斗の、秘めた鋼の血潮にも」

 

 名前を呼ぶとともに、アトラの玲瓏たる視線が海斗のほうを示す。

 村人たちの視線が流れるようにこちらへ向くのが分かった。

 

「――――」

 

 驚いたのは、そのこと自体ではなく、海斗自身の足もまた自然と前へ進み出ていたことだ。

 こちらの世界へ来てから、既に何度かこういう機会はあったが。

 それでも意識せずに、臆することもなく、当たり前のように人々の前に立つのはこれが初めてのことだった。

 

 百に近い視線が、今度はアトラではなく海斗のほうへ向けられる。

 それでも少しも気後れすることはなかった。

 自信があるというのでもなく、むしろ疑う余地がないだけのように、ただ当たり前に村人たちの視線の焦点に立っていた。

 

「海斗――」

 

 一転して静かに、アトラの声が海斗を呼ぶ。

 その先の言葉とともに、これから先のことを促すように。

 

 それも受け止めて、海斗は大きく息を吸い込んだ。

 

「――俺は、こことは違う世界から来た!」

 

 そうして放った言葉に、村人の目が困惑げに揺れるのは分かっていたが。

 それにいちいち構うことなく、海斗は続けた。

 

「少し前まで、この世界のことなんか知らなかった――魔王だの魔物だの、そんな奴らの事情を知ったのもここ何日かのことだ――正直、立て続けに色々ありすぎてまだ実感薄いし、魔法だの騎士団だのとわけ分からねえことばっかりだよ! ――けどな!」

 

 堂々と臆面もなく、こんなことを言うのもどうかと思ったが。

 それでもこう告げるのが正しいと感じたのだ。

 この時は。

 そしてきっと、これから先も。

 

「だけどな! そんなはぐれ者の俺にだって、分かることはあるぜ。お前らが今、ここで、この世界で、強く確かに生きてる“人間”だってことだ!」

 

 聞けば当たり前、馬鹿馬鹿しいくらい当然の事実で、だけどそれでもそれを叫ぶ。

 

「血を流して生きてる、流れ出す血を止めるために戦っている、泣いて笑って悩んでヘコんで、俺と同じに生きてる“命”だ――それは見てきた。もう知ってる。肌で感じて、掴めば確かにそこにある、それが今、俺の目の前にある現実だ!」

「――――!」

「だったら、俺はそれを守るために戦うぜ! 見ないフリはしねえ、知らない顔はできねえ、今を生きてる命は見捨てねえ! それが俺の、意地と道理だっ!」

 

 叫ぶ。

 固く拳を握り、それを天へと真っ直ぐに突き上げて。

 

「だから、ついてきやがれ荒野の民! 袖すりあうも他生の縁ってな、一緒に戦おうぜ、倒れる時は前のめりだ――あのクソいけ好かねえ四天王、獣将ジハードは俺が倒す!」

 

 こんな、今は傷だらけボロまみれの有り様でも、関係ないし知ったことではない。

 

「あの月の天辺(テッペン)でふんぞり返ってるとかいう、魔王のやつもな! 俺とお前らでやっつけようぜ。泣いて、笑って、悩んで、ヘコんで……そうしたらその次は、立ち上がる番だろうが? なあ、そうだろうが、違うかよ?」

 

「ああ――ああ。ああ、そうだ。そうだった――」

「立ち上がるんだ――俺たちが。俺たちの手と足で」

「あんな子供が、ボロボロになってまで戦ってくれているんだ。だったら――」

 

 熱気を感じる。

 自身の胸の内と、そして、人々の間に上がり始めた声の中に。

 

 それを後押しするように、海斗は片頬を吊り上げてもう一声、叫んだ。

 

「“勇者”なんて呼ばれてるけどな、自慢じゃないが、俺はひとりじゃなんにもできない! 飯も作れねえ、怪我も治せねえ、(うち)に帰ろうにも馬にも乗れやしねえ――だから、助けてくれよ荒野の(タフガイ)! 一緒にあいつらやっつけようぜ(・・・・・・・)っ!」

 

「ふっ、はは――」

 

 その言い方がよっぽどおかしかったのか、誰かが自然と吹き出した。

 しかし、誰もその笑いを咎めなかった。

 むしろそれを皮切りにして、次々と息を吹き返したような笑い声があちらこちらから上がり始める。

 

「ははははは――! ああ、分かった、分かったよ小僧! 俺たちが助けてやる!」

「荒野の民を舐めるなよ、小僧っ子ひとりに頼りきりで、縮こまってなんていられるか!」

「ごはんも作れない勇者さんのために、私たちが田畑を耕さなきゃね」

「やり直すんだ――そうだ、やり直すんだ! 俺たちの村は死んじゃいない!」

「一緒に魔王軍をやっつけよう!」

 

 勢いは止まらなかった。

 怒涛のように熱気と熱狂が波及し、集まった聴衆たちを包み込む――いいや、村全体までを覆うのが目に見えるような、それほどの気勢。

 

 それが錯覚だと分かっていても、ただの錯覚で終わらないのもまた、同時にはっきりと分かる。

 再び火のついた心は煌々と燃え上がり、未来へ向けて一歩一歩進み出す。

 

 それは愛とも、勇気とも、希望とも呼べるもの。

 強く、確かにここにある、人間の命の意志の輝きだった。

 

 そして、海斗もまた胸中で決意した。

 

 これほどまでの心意気を見せられたのだ――

 ならば、その意気に応えなければ男ではあるまい。

 

 大仰に背を向けて、海斗はその場を後にした。

 背後でまたもう一段階、歓声が大きくなったように感じる。

 

「――海斗」

 

 と、倉庫広場から十分に離れたあたりで。

 背後から呼びかけられて、振り返る。

 

 なんとなく予想していたが、アトラだった。

 彼女はくすくすと、おかしさをこらえきれないように笑いながら、言ってくる。

 

「いいんですか、あんな安請け合いしちゃって。魔王ザハランはもちろん、獣将ジハードも恐るべき存在ですよ? まだ相まみえてもいない敵を、それを気軽そうに倒してみせるだなんて」

「焚きつけたのはお前だろ、アトラ」

 

 嘆息してから、しかし海斗は、ふっと笑っていた。

 皮肉でもなんでもなく、思ったままを告げる。

 

「政治屋にでもなった気分だったけどな。でもまあ、あいにくと俺は有言実行の男で通ってるんだ。吐いた(ツバ)を呑む趣味はないんだよ」

「それじゃあ――」

「ああ」

 

 もう一度、空の彼方を見て。

 あるいはどこにいるとも知れない相手に向けて、不敵に笑いかけるようにして。

 

「やってやるさ。首を洗って待ってろ、ジハードさんとやらよ」

 

 ぐっ、と握った両拳を、胸の前で打ちつけるようにしながら。

 

「ここからは本気の戦い(ケンカ)だぜ。ぶっ潰してやる。勝つのは俺だ」

「はい。私たちの力で、必ず勝利を掴みましょう。海斗」

 

 と、アトラが小さく握った右拳を、こちらに差し出してくる。

 意図を察して、海斗も同じように拳を向けた。

 コツ、と軽くそれを打ち合わせる。

 

 男と女では大きさも違うし、出身も違えば戦う動機も違う。

 それでも、互いに交わした拳の熱が同じであることを、海斗とアトラは確認し合った。

 

 広場のほうからは、事前に告知してあった騎士団の炊き出しが始まったようで、温かな香りとともにたなびく白い煙が昼下がりの空へと立ち昇っていた。



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